ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス (オリゴデンドロサイト)
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プロローグ
創造


初投稿作品です。


 イギリスのとある鬱蒼とした森の中。足元もおぼつかない闇の中に、ぽつりと一軒の屋敷が建っていた。

 黒を基調とした人に冷たい印象を持たせるような建物の前に、突如『ばしり!』という音が鳴り、一人の男が姿を現す。

 その男の肌は青白く、鼻は無理やり切り込みを入れたように潰れ、切り裂いたように細い瞳は赤い。人というより、蛇を無理やり人の形にしたかのような異様。そんな異様な顔立ちをしたこの男こそ、今イギリスを恐怖のどん底に突き落としている闇の帝王……ヴォルデモートであった。

 

 ヴォルデモートはあたりを一瞬見回し、誰もいないことを確認した後滑るように黒い屋敷に入ってゆく。

 中に入ると数多くある部屋には目もくれず、奥にある地下への階段を目指す。階段をおりるとそこには怪しげな液が入った鍋や、何に使うのかもわからないような器具が所狭しと並べられていた。

 

 しかし部屋の中には一か所だけぽっかりと空いた空間があり、その真ん中には巨大なガラスのケースが置いてあった。

 ヴォルデモートはその巨大なケースに近づき中を見やる。

 そこには、

 

「もうすぐ完成だな」

 

中には一人の白銀の髪をした赤ん坊が眠っていた。

透き通るような、彼女の白銀の髪と合わさるような白い肌の赤ん坊。

場所さえ違えば、それこそベビーベッドにでも寝かされていれば、ただ可愛らしい赤ん坊に見えたことだろう。だが異様な場所に相応しく、赤ん坊は……彼女は普通の子供とは程遠い存在だった。

 

 何を隠そう、彼女こそヴォルデモートが造りし……人造死喰い人(ホムンクルス)、人を殺すためだけの()()であった。

 

こんなものを作ろうと思ったのは、ただ帝王の単純な気まぐれであった。帝王は闇の勢力を率いて()()()、マグル出身の()()()()、ひいては魔法族でありながらそのような輩におもねる()()()()()()を駆逐すべく、このイギリス魔法界を闇で覆いつくさんとしている。

 だが、いかに彼が強大な存在であっても思うように支配は進まなかった。それはダンブルドアのような強大な敵がいるということもあるが、自らの部下たちの脆弱さもあると帝王本人は考えていた。

 勿論、純血である死喰い人がそのように脆弱であるとは思いたくはない。が、いかんせん全てが全て由緒正しい純血というわけではない。彼の部下の大部分は穢れた血とまではいかなくとも、何代か前にマグルなどの血が混ざったような劣った存在がほとんどだ。それに元になる家系も、彼のようなマグルの血が混じっても全く偉大さを損なわない程の家系ではなく、どこにでもいるような家系のものばかりだ。この世で最も尊く、()()であるべきはただ俺様一人。その他は有象無象であり、その中でもマシな部類の魔法使いはほんの一握りだ。ほとんどの者は足手まといにしかならぬ。

 そんな存在がある程度足を引っ張っていると帝王は考えていたのだ。だが、彼らのような存在も許容しなければ勝つことはできない。真の純血だけではさすがに人数の上で圧倒的に負けているからだ。質だけであのダンブルドアを凌駕出来るとは思っていない。

 そこで帝王は考えた。

 いないのであればより純血を、自らには及ばないが、()()()()特別な存在を造りだせばよいではないか、と。

 無論、今から造ったとしても今の戦争に間に合うわけではない。思い通りに進まないとはいえ、確実にこのイギリス魔法界の支配は完成されつつある。だが、イギリス魔法界を支配し、マグル共を一掃したあかつきには、その支配を海の向こうへ、世界中へと広げていく予定なのだ。その時にやはり今の状態ではまずい。その時を見据えて行動を開始しなければならぬ。

 闇の帝王は思う。 

 

 俺様は死を超越した、永遠の存在だ。その程度なら待ってみせよう……と。

 

 帝王は自らの部下を()()にあたって、自ら造るには、他の純血より劣った存在であってはならないと考えた。だから自らの血の一部を与えることにしたわけだが、すると今度は()()すぎるという問題が発生する。

 

……俺様程の特別な存在は俺様以外あってはならないのだ。

 

であるから自らの血と、魔法族ではなく、マグル程でないが純血より劣る亜人、『吸血鬼』の血を使うことにした。

 適当な純血を使ってもよかったのだが、造るからには自らと同じ永遠でなくてはならない。自らと同じ手段で永遠を勝ち取らせるという方法もあるが、それをすれば()()()永遠になってしまう。そうすれば、もしもの時殺すことができなくなってしまう上、何よりいくら自らが造った特別とはいえ、自らの特別性を誰かと共有することなど帝王には我慢できなかった。

 であるならば、種族的に疑似的な永遠にすればよい。吸血鬼は数ある亜人の中でも姿かたちが人間とそん色なく、なおかつ日光やニンニク、そして銀といった弱点はあるものの、半永久的な寿命を持つ種族であるので、自らが求める条件としてはピッタリであった。

 構想が纏まれば、後は実行に移すのみ。配下にいた適当な吸血鬼の女の血液を()()させることで、肉体をつくるのに重要な材料はそろった。不要になった女の()()も処理した。あとは細々とした薬草や鉱物をそろえるだけでよい。

 

 これで俺様程ではないが特別で、なおかつ半永久的な寿命の肉体を持つ優秀な僕が出来上がるだろう。

 

 偉大な闇の力を存分に使い、僕づくりは順調に進んでいた。血を奪った吸血鬼が女であったため、肉体の性別が女になったがそれは些細なことだ。寧ろ御しやすい駒になるだろう。

 魂の問題も以前永遠の存在になるために研究したことが活きた。肉体があったとしてもそれを動かす魂がなければ、この人造死喰い人が動くことはない。だが、帝王は人工的に魂に近いものをつくることにすら成功していた。魂そのものとは言い難くとも、肉体を動かす代用品くらいにはなるだろう。

 そうしてもうすぐケースから出るほどに、普通の生まれたての赤ん坊と同じくらいには育った。あとは従順な死喰い人にある程度育てさせ、ホグワーツに入学する年、十一歳になった時に自ら闇の魔法を教えればよい。長丁場ではあるが、自らの血も入っているのだから優秀なのは間違いないだろう。使えるようになるのにさほど時間はかかからぬ。

 自らの支配を確実なものにするであろう新しい()の完成まであとわずか。

 ヴォルデモートは薄暗い地下室の中で酷薄に笑うのであった。

 




物書きも投稿もはじめてなため四苦八苦中です。至らぬ点は多々あると思うのですがどうぞよろしくお願いします。
吸血鬼に関しては、原作であまり触れていないことからねつ造し放題。
設定としては、ある程度までいくと老化がひどくゆっくりになり、銀、ニンニク、日光に弱いこと以外は比較的人間より肉体が優れている。


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引き継ぎ……挿絵あり

この作品は群像劇です。


ルシウス視点

 

 妻が息子のドラコを産んで2ヶ月。愛する妻ナルシッサ、そして初めてできた待望の後継との生活と、死喰い人としての仕事を両立させなければならない中、突然闇の帝王から呼び出しがかかった。

 当然の呼び出し。……褒美などを期待する程、私が身を置いている闇の勢力は生易しい場所ではない。内心、息子の誕生で疎かになりがちであった死喰い人としての仕事を叱責され、最悪の場合処刑されるのではないかと戦々恐々としていた。

 だが着いてみると闇の帝王の用件は叱責ではなかった。闇の帝王は何の前置きもなく、淡々と用件のみを口にされた。

 

「お前に渡すものがある。今すぐ俺様について来い。誰にも目撃されてはならん」

 

 そして帝王の言葉に戸惑いながら指示された場所に姿現しする。

 そこには暗い森の中に、ポツンと一軒の黒い屋敷が建っていた。

 

「帝王、ここは……?」

 

「ここは俺様が使っている闇の魔術の実験所だ」

 

 帝王は振り返ることなくおっしゃり、中に入ってゆく。

 そのまま脇目も振らず地下に降りていくと、雑然とした空間の中、真ん中に机がおいてあり、そこに一冊の本と、何故か白銀の髪が特徴の、異様に白さが目立つ赤ん坊が寝そべっていた。

 

「ルシウスよ。光栄に思うがいい。これらをお前に預ける。純血であり、俺様に最も忠実なお前を信用してのことだ」

 

 帝王はこちらを振り返り、厳かな口調でおっしゃられた。

 正直理解が追い付いているとは言い難い。だが私が今発すべき言葉は分かっている。私はただ反射的にまず感謝を述べ、それからなるべく帝王の機嫌を損ねぬような口調で尋ねた。

 

「あ、ありがたき幸せ。我が君の信頼に応えられるよう、この先も精進してまいります。……ですがこれらは一体?」

 

「……尤もな疑問であると認めるが、本のことはお前が知る必要はない。だがこれは俺様にとって非常に大切なものであるとだけ言っておこう。それを決して損なうな」

 

「は、はい。この身に代えてもこれを守り通してみせます。して、そちらの赤ん坊は……?」

 

 我が意を得たり。そう言わんばかりに帝王はニヤリと笑った。酷く嫌な予感がした。そしてその予感通り、帝王は想像も出来なかったことを仰り始めたのだった。

 

「これは俺様が創りだした、()()()()()()()()死喰い人だ」

 

 それは思いもよらないことだった。

 帝王の血? まさかご息女? 

 そんな話は聞いたこともない。

 

「帝王の血を……ですか?」

 

「そうだ。これは将来、俺様の片腕として、俺様の忠実なる死喰い人としてあれと、そう創りだした()だ。これは将来、お前たち純血の死喰い人の同僚として……いいや、お前達を統率する物として働くことになるだろう」

 

「そのような方を……」

 

「これは俺様がお前を信用して与えるものだ。これを見事、俺様に忠実な死喰い人として、お前の娘として育て上げるのだ」

 

 私は更に驚きを露にしながら応える。

 

「わ、私の娘……としてでありますか?ですが、この方は帝王のご息女では……?」

 

「造りあげる際、半分とはいえ俺様の尊きスリザリンにつらなる血を分け与えた。その点だけを考慮すれば、俺様の娘と言えなくもないのだろう。……が、そのような存在としてこれを扱うつもりなどない。偉大なるスリザリンに連なり、真に尊く、特別であれるのはこの俺様のみだ。これはお前の娘として育てるが良い。お前の家柄なら俺様には及ばないまでも、将来上に立つものとして扱うには不足はあるまい。働き次第では、これにも俺様の娘とはいかぬがそれなりの地位を与えよう。無論、これを育てたお前達マルフォイ家にもな……」

 

「あ、ありがたき幸せ」

 

事情を理解したとは言い難い。だが我が家のこれからの繁栄を約束して下さったことは確かなようだ。しかし安心した後、今度は別の疑問が生まれる。私は安堵感のまま、帝王にぶしつけとも思える質問をしてしまった。……尤も、返答は更に予想外のものでしかなかったのだが。

 

「失礼ながら、帝王と、どなた様のお子なのでしょうか?」

 

「む? ああ、お前が想像しているようなものではない。これは俺様が魔法で()()()()()()()()。まあ、血は男女のものが必要だったので、男は俺様を、そしてもう半分は俺様よりは劣化させるという意味で、配下の見た目のよさそうで魔力も高い吸血鬼のものを使っている。人工的に作り上げたとはいえ、魔法族としての機能は問題あるまい。今後問題が出てくるやもしれぬがな……」

 

 帝王の返答に、私は今日何度目かの驚きの声を上げてしまう。

 

「きゅ、吸血鬼でありますか? 亜人ではございませんか!?」

 

「そうだ。だがマグルや汚れた血よりは、はるかに上等なものだ。無論お前たち純血の血であればより()()()()が出来上がったであろう。が、それでは肉体に不死性を与えられぬ。その点吸血鬼は亜人とはいえ、弱点こそ多いが強固な肉体と寿命をもっている。血のつなぎとしてはうってつけだ」

 

「な、なるほど。ですがこの方は、吸血鬼としての生態をどれほど持つものなのでしょうか?」

 

 理解不能な存在である上に、亜人と言われて即座に納得など出来るはずがない。だが納得しきれてはいないが、私はその不満を横に退け、次なる疑問を帝王に尋ねる。家には妻が、そして生まれたばかりの息子がいるのだ。家族の安全のためにも、これだけは確認せねばならない。帝王のお答えによっては育て方を考えねばならないのだから。

 

「それは俺様といえども予想出来ぬ。お前が育てながら考えるしかあるまい。だが、俺様の血を半分は混ぜているのだ。いきなりお前の家族を吸血するということはあるまい」

 

 そうおっしゃられてもまったく安心しきることはできない。

 しかし、

 

「……了解いたしました。謹んで育てさせていただきます」

 

 結局のところ、私に拒否権などないのだ。

 だが、私の中にあるひと握りの疑念を見抜かれたのか、闇の帝王から急激に殺気を迸り立ち上り始める。

 

「なんだ、俺様の決定に不満でもあるのか?」

 

「いえ!!めっそうもありません!! 喜んでお育ていたします!!」

 

 私に出来ることは、もはや慌てて頭をさげることだけだった。

 

「……そう案ずるな。これが機能を開始して、一週間。今まで一度も血を求めたことはない。おそらく血は時折少量与えるだけでよいのだろう」

 

 そこで闇の帝王は、この話はこれで終わりだと出口に向かい始め、ふと地下室のドア前で立ち止まられる。

 

「そういえば、セブルスがもってきた情報にあった……()()()の所在はつかめたのか?」

 

「い、いいえ。奴が言っていた日に生まれ、なおかつ条件にあう子供は二名で、一人はロングボトムの家、そしてもう一つはポッターの家にございます。ロングボトムの家はわかっておるのですが、ポッターの家は未だに所在がつかめず……」

 

「……まあ、よい。おそらくポッターの家であろうな。引き続き捜索せよ」

 

「は! ですが、なぜその日に生まれた赤ん坊をお探しになっておられるのでしょうか……?」

 

「お前は知る必要はない」

 

ぴしゃりと不機嫌そうにおっしゃられたので、慌ててひきさがる。

 

「お前は引き続きポッター家をさがせばよい」

 

今度こそ話は終わりだと歩いていかれる。それに私は慌てたように白銀の赤ん坊と『()()()()()()』と書かれた本を丁寧に抱え、帝王についで姿くらましするのであった。

 

 

【挿絵表示】

 

 



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新しい家族

三話目。更に群像劇の面が色濃くなっていきます。


マルフォイ家の巨大な屋敷の中、主の懐妊が判明してから急いで子供部屋として改装された部屋。そこに母親と思しき女性と赤ん坊がいた。

母の名はナルシッサ・マルフォイ。聖28一族であるブラック家よりマルフォイ家に嫁いできた純血の中の純血だ。

ルシウス・マルフォイとの結婚。それは当初、両人にとってすら純血を保つための、ただの政略結婚でしかなかった。それでも純血を保つためには当たり前のことである、と本人も思っていたため特に彼女に不満などなかった。

 が、彼女も一度として恋をした男性と結婚したいと夢見たことがないかといえば、嘘になるだろう。それが彼女の結婚する以前の小さな不満であり、不安でもあった。

 

 そして……そんな小さな不満も過去の話。

 

彼女はルシウスと出会い、彼の貴族としての誇りや矜持に見え隠れする本来の彼が持つ優しさや、ちょっぴり寂しがり屋な所を見ているうちに、彼を可愛らしく思え、そして彼に恋慕、愛情をも持つようになっていた。

そして彼との間にドラコという息子を授かり、この愛する夫と息子に不変の家族愛を持つようになっていた。

 

しかし、彼女にはどうしても考えずにはいられない、家族にではなく、自らに対しての不満があるのだった。

その不満とは……

 

 

 

 

 ナルシッサ視点

 

「ドラコ……。わたしの可愛い息子……」

 

私が慈愛を籠めて見つめるのは……私達に似た、プラチナブロンドの髪と薄いグレーの瞳を持つかわいらしい赤ん坊。私とルシウスの特徴をふんだんに持ち合わせた息子。

ずっと見つめていたいような可愛い自慢の息子であるが、先ほど夫から帰ってくると連絡があったため、そろそろ玄関に迎えに行かねばならない。

私はドラコにかけていた静かな声音とは違い、優しさの欠片もない声を空中に上げた。

 

「ドビー! ドラコの世話をしっかりするのよ!」

 

声を上げると即座に、マルフォイ家につかえる屋敷しもべが空中から現れる。

 

「はい……奥様」

 

私はそう返す屋敷しもべを一瞬だけみやった後、そのまま玄関まで歩き始める。

長い歴史を持つマルフォイ家の屋敷は巨大で、玄関まで行くのにもちょっとした時間がかかる。姿現しすれば早いのだろうが、そんなまね貴族たるマルフォイ家がしてよい行いではない。

長い廊下を歩き、ようやく玄関にたどり着くと、ちょうどルシウスが家に入ってくるところだった。

 

「おかえりなさい」

 

「ああ……」

 

私の挨拶にルシウスが返事を返すが、どこかいつになく浮かない雰囲気があった。よく見ればなぜか両手を後ろ手に回しており、何かを隠している様子である。

どう考えてもいつもと様子が違う。

 

「どうしたの? 浮かない顔をして。それに……」

 

「それがだな……」

 

私の問いに、いつも自信に満ちた彼にしては珍しく戸惑っている様子であったけれど……彼は覚悟を決めたように、そっと後ろ手に抱えていたものを前に出した。

そこには、

 

「赤ん坊?」

 

「ああ、闇の帝王が、私たちの子供として育てよとのことだ」

 

白銀の髪と真っ白な肌を持つ、大変かわいらしい女の子の存在があった。

突然の出来事に当惑する。育てよといきなり言われても困惑するのは当然のことだろう。まずこの子が何者かもわからない。

 

しかし何故かしら。本来なら困惑するばかりの状況であるにも関わらず……それ以上に、私の胸の奥底で埋もれていた不満と期待が揺れたのだ。

 

だから自らの奥底から湧き上がる期待を隠すように質問を投げかける。

 

「闇の帝王が? なぜ?」

 

「この子は帝王の血を受け継ぎ、将来帝王の片腕となるために帝王自身がお造りになった子供らしい。だが、帝王の娘としてではなく、我々の娘として育ったほうが都合がいいとのことだ」

 

「帝王の血を受け継ぐって……。誰の子供なの? まさかベラ?」

 

髪の色からおそらく違うとは思うのだが、いかんせん帝王の周りをうろついている女性は自分の姉であるベラしか知らない。

 

「いや、本当は娘というわけではないようだ。造ったとはおっしゃってはいたが……。あと、半分は吸血鬼の血らしい」

 

「吸血鬼!?」

 

とんでもない情報に驚愕する。まさか亜人とは。

帝王は巨人、吸魂鬼など数多くの闇の生き物を従えているが、その中に吸血鬼も確かにいた。だがあまりにも大きな弱点を持つためか、あまり戦いの役に立っているとは聞いていない。

私自身は死喰い人というわけではないのであまり詳しくは知らないが、いつかルシウスが愚痴を溢していたのを思い出した。

そのような存在を帝王がはべらせるとは思えないのだけど……。

私の疑問を感じ取ったのか、ルシウスは続けた。

 

「いや、吸血鬼との子供というわけではなく、どうも吸血鬼の不死性を入れるためにだとか……」

 

「でも吸血鬼の血を持っているのは確かなのでしょう? 受け入れるにしても大丈夫なの? うちにはドラコもいるのよ?」

 

いくら赤ん坊とはいえ、ドラコが血を吸うために襲われたとしたらと思うと不安だ。

 

「そのあたりは問題ないそうだ。なんでもこの子が生まれて一週間だが、吸血衝動がでたということはないそうだ。少量血を時々与えたら大丈夫と仰せだ」

 

「そう、ならいいのだけど……」

 

不安と疑問は尽きることはない。亜人云々はよく分からないというのが正直な感想だったが、それ以上に状況に未だに追い付いているとは言い難かった。

しかし何故か……一通り今思いつく限りの不安と疑問を口にした後、やはり再び先ほどの期待が膨れ上がってきたのだ。

 

「……やはり受け入れられないか?」

 

私が不安を強く持っているのかと心配し、ルシウスが声をかけてくる。

闇の帝王の命令である以上従わざるを得ない。そして貴族としてはその命令を粛々と、家族に対しても遂行しなければならないのだろうが、彼の本来持つ家族への優しさが口をついてしまったのだろう。

聞いたとしても変えることの出来ぬ決定なのだから、聞くべきではなかったかと、ルシウスが表情を曇らせ始めた時、

 

「ねえ、ルシウス……」

 

私は静かに話し始めていた。……自分自身でも、最初は自分がどうしてこのようなことを言い始めたのかよく分からなかった。本来であればもっと当惑していても、不満を持っていてもおかしくない状況。冷静な時の私であればそう思ったことだろう。

でもそれ以上に、予感がしたのだ。

このチャンスを逃せば……私は後悔することになる。だから気が付けば、私はただ思いのまま語り始めていたのだ。先程まで不満と不安を溢しておきながら、それが半ば否定されたことを言い訳にしながら。

 

「私、ドラコを生んで、本当にうれしかった。私たちの可愛い我が子。生まれたとき、この子は私たち家族の結晶なんだと思ったわ。だから、もっとほしいと思ったの。でも……」

 

それは幸福な家庭を築きながらも、小骨の様に心に刺さっていたもの。

私は体が普通の人より少しだけ弱かった。だから、私は一人目を生んだとき体調を大いにくずしてしまった。

そして癒術者に宣告されてしまう。

()()()()()()()、と。

それが私自身に対する不満。もう一生それが付きまとっていくのだと思っていた。

 

「私は確かにもうあなたとの子供を産むことはできないでしょう。本当は娘もほしかったのに……」

 

夫は当時、跡取りの息子がいるのだから十分と言ってくれた。だけど私は知っている。ルシウスも実は娘もほしかったことを。

ルシウスはマルフォイ家のただ一人の跡取りとして誕生した。マルフォイ家の愛情、そして何より財と名誉を一心に集めていたが、結婚したての当時、ようやく愛情がお互いに芽吹きだした時に、私にそっとこぼしていた。

 

『君みたいに姉か妹がほしかった』

 

彼には近い親戚に女性はいた。だがそれはあくまで親戚であって、家族ではなかったのだろう。

そんな彼が結婚していざ子供をつくるとなった時、おそらくだけど、跡取りを産むなら息子のそばに妹がいてもいいではないかと、自分にはなかったもの、憧れていたものを持たせてやりたかったのかもしれない。

そんな夫に私は娘を産んでやれなかった。自分自身も娘を、将来一緒に女性として楽しみを共有できる女の子がほしかった。

私はただ家族愛に飢えていた。

幼いころから純血主義の中で、ある程度、純血を保つ道具として見られていた私が心の底では求めていたものだった。

だけど、あきらめざるを得なかった。

夫は息子だけでよいといってくれてはいるが、その優しい嘘が逆に自責の念を奥底に閉じ込め腐らせていた。

そんな中、夫は連れてきてくれたのだ、私たちの娘を。

 

確かに血はつながっていない。吸血鬼の血も入っている。だけど、偉大なスリザリンの血を受け継ぐ帝王の血を持っている。

それならば我々と同じ純血として見てもよいのではないか?

 

自らの思いを語れば語る程、私は心の中で言い訳を続ける。生まれた時から叩き込まれてきた純血主義に言い訳をする。

それは私は確かに純血主義ではあったが、死喰い人程熱心な純血主義者でもなかったこともあるのだろう。

私の純血主義を、私の中にあった子供がほしい、夫婦の間に娘が欲しいという願望が凌駕していたのだ。

だから内心の思いを出し切った後、私はただ、

 

「ありがとう、ルシウス。この子を連れてきてくれて。育てて見せます。私たちの新しい家族として」

 

そっと微笑みながら、そう口にしていたのだった。

 

ルシウスもどこかほっとした顔をした。命令に背けないとはいえ、できることなら愛する妻に不満のない生活を送ってほしかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

シシーは喜んで受け入れてくれた。元々これ以上子供を産めないということを気に病んでいることは知っていた。自分も娘が欲しくはなかったかといえば嘘になる。

だからこれはむしろ渡りに船だったのかもしれない。

 

だが、私はナルシッサ程この状況を喜ぶことができなかった。

シシーは愛情をこめて育てるだろうが、それだけではダメだ。この子は立派な死喰い人として育て上げなければならない。

しかも普通の死喰い人よりも、死喰い人らしくだ。

 

帝王は自らの血が入っているのだから優秀なのは間違いないとおっしゃっていた。

それはつまり、帝王程優秀でなければ、私たちはそんな当たり前のことすらできない無能ということになってしまう。

妻はおそらくドラコ同様、この子を溺愛していくだろう。それを止めるつもりはないが、私、いや私たちのためにも、この子には強大な死喰い人になってもらわねばならない。

 

そして何より不安なのは、彼女が人工的につくられた存在だと帝王にうかがっていたが、それがどのような影響をこの子に及ぼしているのか未知数なことだった。

吸血鬼としての特性はどこまで引き継いでいるのか? どの程度の魔力を秘めているのだろうか? 何より、帝王の血を引き継いでいるこの子が、()()()()()()()()()()()()()を持っているかが気になった。

 

だが不安な一方期待もあった。亜人の血が入っているとはいえ、帝王の血が入ることで、同じ純血以上として扱える娘が手に入った。そしてもし、彼女が帝王の右腕となれば、我々マルフォイ家も安泰となる。リスクも大きいがリターンも大きいと私はそっとほくそ笑む。

 

新しい家族を笑顔で抱き抱いて、さっそくつい最近造られたドラコの子供部屋に連れて行こうとする妻の顔を見ながら、私はそっと己のすべきことを決意した。

しかしシシーの次の言葉で、私は重要なことを忘れていたことに気付く。

 

「そういえば、この子の名前はもう決まっているの?」

 

いまさらこの子の名前を知らないことに気付く。

 

「いや、帝王は特に名前をつけておられなかった。我々でつけてもいいのではないか?」

 

 

 

 

「では、()()()

 

 

 

 

「ほう、また何故ダリアなのだ?」

 

「優雅で気品をもった子に育ってほしいもの。この子は女の子なのですよ?」

 

こうして『ダリア・マルフォイ』はマルフォイ家の一員となった。

 




ナルシッサが花の名前なので、主人公も花の名前にしようと
ちなみに、ダリアの花言葉は

「華麗」「優雅」「気品」「移り気」「不安定」


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運命の日(前編)

『ダリア』と名付けられた人造死喰い人(ホムンクルス)がマルフォイ家に迎えられてから一年と三か月がたった。

あれから一年、いよいよ戦争は激化し、魔法界のすべてが暗く重い空気に支配されていた。

 

あるものは家に帰ると、家の上に『闇の印』があがっていた。

またあるものは仕事に出かけ、ものも言わぬ体になって帰ってきた。

そして、あるものは服従の呪文によって、自ら愛するものを殺すことを強いられた。

 

そんな数え切れないほどの悲劇が生まれ、人々の何気ない生活の中に疑心と恐怖が忍び込む。

毎日に人々は絶望し、あきらめかけていた。

 

こんな日々がこれからもずっと続くのだ。

皆、理解してしまっていた。

あの強大な闇の帝王、()()()()()()()()()()()()()()がいる限り、この恐怖は消えはしないのだと。

 

そしてそんな絶望が今日も、そして明日からもずっと続いていくと誰もが思っていた。

そう、この運命の日も……。

 

1981年10月31日。とある屋敷の中。

この日も魔法界に数え切れない悲劇を起こすべく、魔法界を支配し、マグルという下等な生き物に関係する全てを焼き尽くすため、闇の帝王は2人の死喰い人を集めていた。

 

「これで俺様は、今夜完璧な、不滅の存在となる」

 

上座の椅子に座る闇の帝王が、そう厳かに、その事実をかみしめるように続ける。

 

「……」

 

その右隣に、育ちすぎた蝙蝠のような男が座っていた。彼はその胸の内にあふれる不安を隠しきれずにいた。

それは帝王が先ほど言った、

 

『ダンブルドアを裏切ったものが、俺様にポッター家の居場所をもたらしてくれた』

 

との開口一番のセリフを耳にしてからだった。

 

「どうしたのだ、セブルスよ? 何か不安なことでもあるのか? お前にしてはひどく珍しいではないか?」

 

帝王は機嫌がいいのか、いつもなら不安をおくびにも出そうものなら叱責、最悪の場合は『死の呪文』が飛んでくるのだが、この時はどこか優しさすら感じられた。

その優しさが逆にセブルスの焦燥感を煽る。

 

「いえ、闇の帝王、我が君。なにも不安に思うようなことは……」

 

セブルスがそういつもの渋面に戻ろうとするも、

 

「隠さずともよい、セブルス。我が忠実なる僕よ。お前のもたらした情報は、一部のみとはいえ、俺様が今日、真に不滅の存在になるのに必要な情報だった。その褒美だと思え。闇の帝王は今日機嫌がいい。お前のもっている不安を口にしてみるがよい」

 

闇の帝王によって先を促されてしまったのだった。仕方なく、セブルスはおずおずといった様子で話し始めた。

 

「……では、一つだけ。本当に……ポッター家にいる女は生かしてもらえるのでしょうか?」

 

それは以前、セブルスが愛する女が予言の子の母親だと知った時に、帝王とした約束であった。

ヴォルデモートは一瞬だけ驚いたような顔をした後、人を恐怖させるような声で笑い声をあげる。前に座る死喰い人二人はそれを恐怖で顔が引きつらぬよう、必死に表情筋が動かないようにする。

他者に振り向くことなく闇の帝王はひとしきり笑った後、

 

「なんだ、セブルスよ、そんなことか! 心配するな。お前の欲しがっている女は生かしておいてやろうではないか。無論、赤ん坊は当たり前のことだが、男のほうも死んでもらうがな。三度俺様に逆らったのだ、生かしておくことはない」

 

そんなことを言った。

セブルスはその言葉を聞き頭をさげるが、どうしても胸のうちの不安を消すことができなかった。闇の帝王は必要であれば、いや必要などなくとも、ためらいなく人を殺す。たとえ部下であろうとも、それは自らの駒でしかないのだ。いざとなれば約束など守らず、躊躇わず殺すことだろう。

 

そう思ったからこそ、彼は今二重スパイをやっているのだ。

 

セブルスは内心の不安を何とか胸の奥に再び隠す。

謁見がはじまった時に伝えられた絶望的な情報。裏切り者とはいったい……。

 

……いや、一人しかいない。セブルスは内心憎しみを滾らせる。

今ポッター家の秘密の守り人は、あのいまいましいシリウス・ブラックだ。奴が裏切らない限りこの情報が帝王に流れることはない。はやくこの情報をダンブルドアに伝え、リリーを避難させねばならないが、今は帝王が目の前にいて不可能だ。リリーを救うには、帝王との守られるのかもわからない約束にすがるしかない。

 

「そんなことよりルシウスよ。()()()()の様子はどうだ?」

 

スネイプとの話は終わりだと言わんばかりに、帝王はルシウスに顔をむける。

この場には闇の帝王とスネイプ、そしてルシウスだけが集められていた。

 

ルシウスは今日、敵の裏切り者の情報によってポッター家の所在がようやっと分かったということを、この呼び出しのはじめに知った。

 

だが予言の内容を知らない彼は、なぜ今日ポッター家を襲撃することが帝王の不滅につながるかを知らなかった。

この予言の情報は、それをもたらしたスネイプと、そして闇の帝王しか知らない情報であったのだ。闇の帝王は少しでも自分の弱み、完璧な存在ではないかもしれないという情報を教える気など、いくら忠実な死喰い人相手だろうとなかった。

 

そしてスネイプにもまた、帝王の言葉に不可解な点があった。

それは何故、闇の帝王がルシウスの一娘ごときに気をかけるのか分からなかったのだ。

 

ダリアの素性は、ルシウス、そしてその妻のナルシッサだけが知りえる秘密だったのだ。勿論ナルシッサの姉妹であるベラトリックスすら知らない。

 

帝王は、自分の娘として扱われる恐れのあるものの存在を許容しなかった。

自分の娘などと思われれば、自らにだけ向けばよい忠誠心が分散する恐れがある。

それにスリザリンの血統の直系として君臨するのは自分だけでよい。

そのため、ルシウスとナルシッサには徹底した秘匿義務をかしたため、ダリアの真の素性を知るものはこの世に三人以外存在しなかったのだ。

 

死喰い人の間では、「ナルシッサが二人の子供を生んだ」としか知らされていなかった。ドラコとダリアには1か月と三週間前後の誕生日の違いがあったのだが、二人は双子だとされ、情報統制されていた。

尤も、不可解な点があったとしても今の焦燥感にかられた状態では、疑問にも思わぬ上、それこそ記憶にすら残らない些細なことだった。

 

「は! なんの問題もなく育っております!」

 

おおむねダリアもドラコも、人が正常に成長するペースで成長していた。一歳にもなると、二人とも一人歩きをはじめ、「ママ」「パパ」などの一語文の域をでないが、言葉を話すようになっている。兄妹共に順調に成長をとげていた。勿論今だ死喰い人としての教育は開始されていない。一歳にしかなってない娘に魔法はもちろん、人の操り方、苦しめ方、そして殺し方を教えるのは早すぎる。それはもう少し大きくなってからだと考えていた上、闇の帝王もまだそこまでのことをお求めではないだろう。ただし、純血主義については、まだ小さすぎて理解できないだろうと思いながらも、繰り返し話は聞かせていた。

ルシウスはそう子供のことを思いかえし、すぐ返事を返すも、心配事も確かに存在していた。

 

当然息子のことではない。

ダリアのことである。

 

当初心配していた吸血衝動だが、それはほとんどないことが分かった。別に頻繁に血を与えなくとも、そこまで困った様子はない。ただ二か月に一度のペースでミルクや離乳食を与えても、まだ何かを足らなさそうにしている時があり、その時に少量の血を与えてみると嬉しそうに一口飲み、満足している様子であった。

 

問題はダリアの表情。あまりにも無表情であることだった。

ドラコの方はよく笑い、転べば大泣きするし、自分や妻がいないとひどく寂しげな表情をしていた。実に表情豊かな子供だ。

一方ダリアの方は、笑いもせず、転んでも泣かない上、ほとんどその可愛らしい造形をした……一歳児に使う言葉ではないが、その年齢に似合わぬ美しい顔が動くことはなかった。

 

無表情。ダリアにはほとんど表情がないのだ。

 

血を与えたときは表情が動き、嬉しそうにはする。だが表情が変わるのは、その時くらいなものだ。またすぐに無表情に戻る。

 

妻が言うには微妙に表情は変わっているらしく、感情がないわけではないのだそうだ。

だが、彼に娘の微妙な表情の違いを見分けることは非常に難しかった。

 

感情がないわけではなさそうなので、心配のしすぎだとは思っているのだが……如何せん、帝王に下賜された存在とはいえ、自分の娘の表情を読めないのは些か辛いものがある。

 

自分の血を分けた子ではないが、妻と共に可愛がっているうちに、ドラコと同じように、ルシウスも自らの娘として愛せるようになっていたのだ。最初こそ、自らを栄達に導くものとしか認識していなかったが、今ではすっかり自分の愛娘だと思っている。

帝王の望むように育てなければならないという葛藤はあるが。マルフォイ家の一年と三か月とはそんな期間であった。

 

そんな風に考えていると、彼の言葉に満足したのか帝王は、

 

「順調であるなら、それでよい、あれは俺様がこの世界を支配するのに、将来たいそう()()()()()くれることだろう」

 

そう言い終わり席を立つ。

慌てて二人とも席を立つと、

 

「では、俺様は、今よりポッターの家に向かう。そこで俺様は不滅になるための()()を行ってくる。お前たちは、不滅の存在となった俺様を迎えるための()()()()()の準備でもしておけ。マグル、穢れた血、血の裏切り者を何人かそろえればよい。()()()()()()()()に使おうではないか。そして他の死喰い人全員に、俺様の呼び出しにすぐ応じられるよう、伝えよ。今宵俺様は……ダンブルドアさえたどり着けぬ存在となるのだから!」

 

そう言い残すと「ばしり」という音と共に闇の帝王はポッター家へと姿くらまししていった。

 



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運命の日(後編)……挿絵あり

 闇の帝王が去り、ルシウスとセブルスのみが残される。

 

 帝王が去ったからにはもう時間が残されてはいない。

 約束されたとはいえ、スネイプにとって最愛の女性が、己が手に入れられぬだろう女性となったとしても、子供の頃より愛してやまぬ女性が……自らの過ちのせいで死ぬかもしれないのだ。

 この情報を一刻も早くダンブルドア、そして何よりリリーに伝えなければ!

 

「では吾輩も失礼する」

 

セブルスはどこか焦ったように姿くらましする。

 

 一人残されたルシウスはそんなセブルスに違和感を覚えながらも、自らも帝王に与えられた使命を果たすべく行動を開始する。

 

まず全死喰い人に、今夜帝王からの呼び出しがあるだろうと連絡する。

そして命じられていた()()だが、この建物の地下につい最近入れられたものがいたなと思い出す。

帝王から命令されたことが意外に早く終わってしまった。

そういえば、ここ3日、ポッター家の捜索などで忙しかったため帰れてなかったことに思いいたる。

帝王から連絡があるまでは、自分の屋敷で待機しようと思い、ルシウスは屋敷に姿現しをするのだった。

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「おかえりなさい、あなた。今日はもう行かなくていいの?」

 

「いや、おそらく今夜帝王から呼び出しがまたある」

 

そう言って玄関に出迎えに来ていた妻をみやる。

 

「おかえり~。ちちうえ~」

 

「……」

 

そんな妻の横には、母に連れられて父を出迎え、父親にじゃれつこうとする息子と、母に手を握られながら無言無表情で父親を見つめる娘がいた。

 

「ほら、ダリア。お父様におかえりは?」

 

「おかぁえり……。おとうさま」

 

無表情にしか見えないが、おかえりと舌足らずにダリアが言った。

シシーがうれしそうにダリアを撫でていることから、あれでも笑顔で迎えてくれているのだろう。

私には無表情にしか見えなかったが……。

 

「あなた、ダリアもあなたが久しぶりに帰ってきてくれて、とってもうれしそうよ」

 

どうやら私の予想は間違っていなかったらしい。

 

「それでどうして今夜呼び出されるとわかるの?」

 

「ああ、今夜は帝王自ら()()をなされるらしい。その後死喰い人全員をお集めになるようだ」

 

「全員を? よほど重大なことなのかしら……」

 

「さあ、私ごときには我が君の深淵なお考えはわからんよ。だが、まあ、呼び出されるまでにはまだ時間があるだろうからそれまでは家にいることにする」

 

そう言って、母の手から離れ、ドラコと一緒に自分にしがみつこうとする無表情の娘を抱き上げる。

 

「この子たちは特に何もなかったか?」

 

「はい、特に変わったこともなく元気にしておりましたよ。ただ、ここ3日間あなたに会えなくて寂しそうにしていましたが」

 

「そうか……」

 

「ちちうえ~」と言いながら彼の手にうれしそうにじゃれつくドラコと、その横で無表情ながら同じようにじゃれつこうとしているダリアを見やる。

たった3日とはいえ、我が家はやはり落ち着く。純血貴族として、そして死喰い人として誇りをもっている。が、如何せん常に死ととなり合わせの状態というのはやはり心が休まらない。私自身はそれほど戦場には出ないのだが、その分帝王の近くにいなければならない時が多い。帝王は気まぐれで部下を殺すことがあるので、気を抜くことができないのだ。

ひどく久しぶりに帰ってきたと感じながら、呼び出されるまでは精一杯この子たちと付き合ってやろうと思う。

 

しばらく遊んでやっていると、遊び疲れてしまったのかドラコとダリアは二人とも船をこぎだす。それを見たナルシッサが二人に子供部屋に戻るようにいう。

二人とも眠そうにうなずくと、部屋に帰って行った。二人が出て行くのを見届けた後、私は感慨深くシシーに話しかけた。

 

「ドラコもダリアも大きくなってきたな」

 

「ええ、この前まであんなに小さかったのにね。一年ははやいものね」

 

二人とも健康に育っていっている。だが喜んでばかりいられないのもまた事実だ。

 

「だが、ダリアはそろそろ例のことを調べないといけないのではないか? 大きくなってから分かったのでは、その時対応できないかもしれないだろう? 学校でもずっと傍にいるわけではないのだから」

 

「ええ、わかってはいるのだけど……」

 

やはり少し彼女はためらってしまう。

今わかっているダリアの吸血鬼特性は4つだ。

一つは吸血鬼特有の力の強さ。

先程のじゃれつきでも分かっていたことだったが、ダリアは相当に力が強い。おそらくすでに、10代くらいの男の子がだせる力は出せるのだろう。ルシウスやナルシッサが相手だったらまだ大丈夫だが、普段おとなしい子とはいえ、ドラコにじゃれつかれるとどうなるかわからない。そのためドラコには常に屋敷妖精の一匹を見えないように張り付かせている。何かありそうであればすぐに盾として対応させるようにだ。

まあ、普段は大変おとなしい子だ。今までドラコの方からじゃれついたことはあっても、ダリアはおとなしくじっとしているらしいから大丈夫だろう。

 

二つ目は吸血。

これは今のところ何の問題にもなっていない。二か月に一度、欲しがった時に少量与えれば良いだけだ。今はナルシッサと私が少しづつ与えているが、将来的には魔法学校に行かねばならない。少量ではあるが学校に血を時々送らねばならぬし、送ってもその時が欲しい時かまではわからない。何かしらの新鮮な血の保存方法を考えねばならない。現地調達という方法がないではないが、これをするとダリアが吸血鬼であることが周りにばれてしまう可能性が非常に高いので却下となる。

 

三つめは、再生能力

ダリアは非常にけがの治りがはやい。転んで擦りむいた膝も、次の瞬間にはもとに戻っているのだ。だがこれもそこまで問題にはならないだろう。もともと魔法界ではよほどの魔法傷でない限り、すぐに治すことができる。適当な薬を持たせて、これで治したといえばいいことだ。

 

そして4つ目はニンニク

ダリアにニンニクを以前近づけてみたところ、すさまじく嫌な顔をされた。やはり非常に嫌いな匂いらしい。今まで表情を理解できたのが、血を飲んでいるときと、ニンニクの匂いを嗅いだときというのは父親として悲しかった。

ちなみに、吸血鬼はニンニクの匂いも味も嫌いらしいが、ダリアの場合、匂いが分からない程度で料理に入れて少量食べさせてみると、別においしそうに食べていた。

まあ、これもナルシッサの話であって、ルシウスには無表情にしか見えなかったのだが。

 

これらはすでに分かっていることだ。

だが、まだわかっていないこともある。

というより、調べることで一時的とはいえ、ダリアが傷を負ってしまう可能性があるため、ナルシッサが今までずっと嫌がって調べなかったのだ。

 

まず日光

吸血鬼は日光に非常に弱い。日光にあたると肌が焦げだすのだ。日陰に戻ればすぐ再生するとはいえ、日光にあたるたびにそうなればすぐに吸血鬼だと露見してしまう。

やはり赤ん坊に日光をあてて肌が焼けるのをみるのは耐えられなかったのだろう。未だダリアはナルシッサの方針で家から出たことがない。窓のある部屋にも夜以外に入ったことがない。

 

そして銀

吸血鬼は、これも日光と同じで肌にあたると焦げるのだ。マルフォイ家の食器は全部銀食器であったが、ダリアのものだけ現在木製のものを使っている。

ニンニクの時ですら、シシーは相当嫌がっていたのだ。が、この二つもいい加減調べねばならない。

勿論、帝王の望まれた不死性もまだ分かっていないが、これは調べようがない。これに関しては、この先長い時間で見ていくしかないのだ。

 

「ダリアのためですものね……。私もそろそろ覚悟をきめなくてはね……」

 

 

 

 

そんな風にダリア、そしてドラコの話をしていると、すぐ時間が過ぎてしまう。

 

ナルシッサがダリアのことで納得してくれたあと、二人をどこの魔法学校に入れるかという話になった。

私としてはダームストラングに入ってほしかったのだが、ナルシッサがこの時はどうしても譲らず、近くのホグワーツに入学させることになってしまった。

ドラコとダリアが遠くに行ってしまうのが耐えられなかったのだろう。

確かにダリアに関しては、何かあった時に私が理事をしているホグワーツの方が都合がいいかもしれない……

闇の帝王の支配が完成すれば、ホグワーツも今のような愚かな教育方針ではなくなるだろうしな。

 

そうして時間がどんどんたっていくが、一向に帝王からの呼び出しが来ない。

何かあったのだろうかといぶかしがっていたところ、突然慌てた様子で屋敷妖精がやってくる。

その手には何故か新聞が握られていた。

 

「旦那様。日刊予言新聞が今しがた届いてございます」

 

このしもべ妖精は何を言っているのか

 

「こんな時間に新聞が来るわけがなかろう」

 

今の時間は真夜中。もうすぐ日にちが変わるかという時間だ。日刊予言新聞は朝発行される。新聞などがこの時間にくるわけがない。

 

「いえ、それが突然の号外のためみたいでして! その内容が……!」

 

号外? こんな時間にいったい何をといぶかしみながら号外を見やる。

そして心臓が止まったような衝撃を受けた。

 

はじめはそんな馬鹿なと思っていたが、読み進めるうちにそれが本当のことなのではと思い始める。

あまりの衝撃的な内容に思わず号外を取り落としてしまう。

 

「ねえ、あなた? どうしたの? そんな顔をして。いったい何が書いてあったの?」

 

号外の内容に、うれしい表情を必死に隠そうとしている屋敷妖精に気付かず、ナルシッサがルシウスに問う。

私は青い表情でゆっくりと号外の方をふるえる手で指さす。

そこには……

 

『闇の帝王滅ぶ』

 

と書いてあった。

 

「……と、とにかく! 真偽のほどを確かめなくてはならない。私はすぐに他の死喰い人の所にいって情報を集めてくる!!」

 

そう言って私は急いで仲間の元へ姿現しをする。

 

 

 

 

この後、私は闇の帝王の滅亡を確信し、仲間を裏切ることになる。

 

全ては妻と子供たちのために。

帝王への忠誠心より、私は家族愛をとったのだ。

 

この日から造られた少女(わたしのむすめ)は、その決められた人生のレールから、ゆっくりと外れていくことになる。

 

 

【挿絵表示】

 




とりあえず後編も投稿。あとで加筆修正するかもです。
このあと過去話を一個いれて、またプロローグの時間を進めます。

そろそろダリアの一人称に移行していきたい


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閑話 運命を知った日

1980年豚の頭亭、一階

 

ダンブルドア視点

 

『七月の末、闇の帝王に三度抗った両親から生まれる子供は、闇の帝王にはない力を持つ。闇の帝王自らがその子を比肩し示す。一方が生きる限り、他方は生きられぬ』

 

わしは先ほどここの二階で聞いた予言を思い出す。

 

はじめは才能の欠片も感じられなかった。だが先ほどの予言は本物だと直感した。

この驚くべき内容の予言は、今後の魔法界の命運を左右するものであった。

本来であれば敵に知られてはならないものだが、不覚にも窓の外にいた死喰い人、セブルス・スネイプに聞かれてしもうた。

だが聞かれたのは予言の半分のみ。ヴォルデモートは予言の全てを知るわけではない。が、それでもポッター家かロングボトム家に危険が及ぶであろう。

 

闇の帝王に三度抗った両親から生まれる子ども。

 

わしが知る限りにおいて、この条件に当てはまるのは、ポッター家とロングボトム家だけじゃ。

ヴォルデモートがどちらを予言の子として扱うかわからぬが、どちらかに確実に奴の魔の手がせまるじゃろう。何かしらの対処をする必要がある。

 

……いや、おそらくヴォルデモート、トムならばポッター家を選ぶじゃろぅ。ロングボトム家は純血じゃが、ポッター家に生まれる子は混血じゃ。おそらく自分との共通点を持つポッター家にこそ予言の子供が生まれると奴は考えることじゃろぅ。

勿論どちらに対しても警戒を怠らないようにせねばならぬが……。

 

とにかく、これからどのように両家を守っていくか、不死鳥の騎士団のメンバーと協議せねば。情報がこれ以上もれぬように、予言のことはメンバーには隠さねばならんがのう。

 

そうこれからのことを思案しながら、騎士団本部に急ぎ姿くらましするのであった。

 

 

 

 

それから数日後。ホグワーツ玄関にて、わしは件の予言者を迎えておった。

 

「シビルや、待っておったよ。これから占い学の教授よろしく頼むの」

 

「まあ、ダンブルドア。このような所までお迎えに来てくださったのですね。ですが、わたくし、実はあなたがこちらにいらっしゃることは知っていましたのよ。今朝予兆を受けましてね」

 

大きな眼鏡をかけ、スパンコールで飾った服をしたシビル・トレローニーが返してくる。

やはり普段は才能の欠片も感じさせない。だが、彼女があの時なした予言はおそらく本物であろう。ならば敵の手に渡る前にホグワーツで保護する必要がある。

 

「おお、さすがじゃのう。さて、君も知っての通り、はじめに教室を、君が決めねばならぬ。君の教室にしたい場所はどこかのう?なるべく高く遠いところとの話じゃったが」

 

ホグワーツの教室というのは教授の好みによって決まる。それぞれが着任するときに自ら教室にしたい場所を選ぶのである。

 

「そうですの、わたくしのような予言者は、俗世の空気に触れてしまうと内なる目が濁ってしまいますの。わたくし、昨夜星の動きをみたところ、北塔の最上階がよろしいかと思いますの」

 

「ほう? 北塔とな? あそこは確か今は何にも使われてない屋根裏じゃった記憶があるのう」

 

そう話しながら新しく占い学の教室となった北塔の最上階に歩いてゆく。

梯子を上り教室に入るとそこは、まだただの埃っぽい屋根裏部屋であった。

 

「すまんのシビル。なんせここを教室として指定されるとは思わなんでの。すぐにしもべ妖精にたのんで掃除をしてもらおうかの」

 

「お気遣いありがとうございますわ」

 

そう自分の新しい住処ができたのがうれしいのか、キラキラした目であたりを見回しながらシビルは答えた。

 

「さて、荷物をここの横にある君の部屋においたら、大広間で歓迎会をせねばのう。皆君の到着を心待ちにしておるよ。歓迎会が終わったころにはここも掃除が終わっておる頃じゃろうて」

 

そう言って部屋を出ようとすると、後ろで突然「どさっ」という音がする。

何事かと振り向くと、荷物を手からか落とし、どこかここではない宙を見つめるシビルの姿があった。

彼女はゆっくりとその視点の定まらない視線をこちらに向ける。

 

これはあの時と同じ!?

 

そう以前の予言したときの彼女の状態を思い出しておると、

 

「選ばれた子が生まれる七月の末、闇の帝王はついに僕を完成させる。気をつけよ、帝王の敵よ。そして気をつけよ帝王よ。その子が司るのは破滅なり。その子は決してどちらの味方にもなりえない。この先どちらかに破滅をもたらすことだろう……」

 

そう言い終えるとトレローニーの視点がようやく戻ってくる。

 

「おや、ごめんあそばせ。少しぼーっとしていたみたいですわ。さあ、下界におりなくては」

 

そういって歩き出すシビルと何もなかったかのように歩く。しかし、わしの胸中は疑問で占められていた。

 

やはり彼女をホグワーツで保護したのは正解じゃったのう……。

 

先ほどの予言は、以前のと同じく本物であるように感じられた。

じゃが、以前の予言とちがって、何物を指している予言なのか全くわからない。

 

闇の帝王が完成させた僕?

司るのは破滅?

 

情報が少なすぎるため、誰のことを指しているのか、何を示唆しているのか皆目見当がつかない。

おそらく、この予言もヴォルデモートとの戦いで重要になってくるのは間違いないのじゃろう。今回はホグワーツ内ということもあり、死喰い人には聞かれていない。

これを今回こそ秘匿し、慎重に情報を集める必要があるのう。

 

そうこの先の戦略をたてるも、先ほどの不吉な予言に不安を感じざるを得なかった

 

 

 

 

『その子は決してどちらの味方にもなりえない。この先どちらかに破滅をもたらすことだろう』

 




教室の話はねつ造。ただ、ケンタウルスの時などを考えると、あながち間違ってないような気がする。学校の広さの割に、教科少ないし。


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幸せな家庭

闇の帝王が赤ん坊によって敗北してから五年。

マルフォイ家にとってこの五年間は非常に慌ただしいものだった。

闇の帝王が消えてすぐ。ルシウスは真っ先に魔法省に出頭し、自分は服従の呪文に掛けられていたと訴えた。

無論、そんな戯言を信じた人間は皆無であっただろう。が、結局彼は無罪として放免された。

 

何故か。

理由の一つは、他にも服従の呪文に実際にかけられた人間が大勢いたことだ。

服従の呪文の恐ろしさは、一見その人間が操られているのかそうでないのか、ほとんど見分けがつきにくいということがあげられる。そのため、ルシウスやその他の裏切った死喰い人が、本当に呪文をかけられたかどうかは証明できなかったのだ。

 

2つ目の理由は、ルシウスの死喰い人としての役割だ。彼はその純血貴族としてのアドバンテージを使い、魔法省を闇の帝王の傀儡にしていくのが主な役割だった。そのため、死喰い人として、闇祓いと戦ったことが数える程しかないのだ。そのため彼を死喰い人として証明しきれる程、証人がいなかった。

 

そして何より最大の理由は、その影響力だった。彼は死喰い人として疑われているとはいえ、その影響力は未だ衰えず魔法省内に有している。そのアドバンテージを最大限利用して、その闇の帝王から与えられた役割を全うしていたのだが……皮肉なことに、彼がいなくなってしまうと、この闇の帝王がいなくなったばかりの混乱期に魔法省が機能しなくなってしまう恐れがあったのだ。

 

そんな政治的理由と、数多くの裁判官にガリオン金貨を渡すことで、彼は晴れて無罪放免となったのである。

結局、逮捕されアズカバンに送られたのは、死喰い人として動かぬ証拠がある者と、未だ闇の帝王に忠義を貫くものだけであった。

 

だが、無罪放免となったとしても、その疑いの視線が消え去ったわけではない。

インタビューをしようと押しかけて来る記者や、何とか彼の死喰い人としての証拠をつかもうとする闇祓いなど。

裁判が終わってからもしばらくは混乱が収まることはなかった。

 

 

 

 

そんな状態がようやく完全におさまった五年後。

1986年7月31日

 

マルフォイ家の一室、月明かりが入ってくる書庫に彼女……ダリア・マルフォイはいた。

 

月明かりに照らされる少女は流れる様な白銀の髪を持ち、その肌は髪に溶け込むような、おしろいのように白い肌だった。薄い金色の瞳をしたその目は釣り目をしており、六歳ながらどこか可愛らしいというより、美しいと思わせるような顔立ちをしていた。このままいけば、さぞ絶世の美女として将来期待がもてるだろう。

 

しかし、この少女はどこまでも()()()だった。

それでも美人と言えるのは、なぜかこの少女の場合、その無表情すらその美貌を引き立てるものになっているからだろう。

少女は六歳とは思えぬ気品を醸し出しながら、その手に持つ本をめくる。無表情ながらもその光景は実に絵になることだろう。

 

手に真っ黒な、()()()()のかけられた手袋をしていなければ。

そしてその手に持っている本が、おぞましい闇の魔術の本でさえなければ。

 

コンコンと部屋の入口の方からノックの音がする。

 

「またここにいたのね、ダリア」

 

すらっとしていて色白の、ブロンドの髪をした美女が部屋に入ってくる。

 

「また本を読んでいたの? あなたは本当に勉強熱心ね。ドラコにもちょっとは見習ってほしいわ。貴女のお兄さんなのに」

 

そう微笑みながら話かけてくる女性こそ、彼女の母親のナルシッサであった。

余談だが、別にドラコは特別勉強から逃げているというわけではない。むしろ彼はその年の子供としては大変勉強熱心であった上、勉学も優秀な部類だった。だが、ダリアと比べるとどうしても見劣りしてしまう。

闇の帝王が消え、急いで死喰い人として完成させなくてもよくなったとはいえ……元死喰い人としてはやはり、闇の帝王から預かったダリアを死喰い人として育てないというのはルシウスには一抹の不安があった。だからこそ、彼は3歳の頃より彼女にちょっとした魔法などをかなり早めに教えていたのだが、彼女のずば抜けた秀才ぶりが発揮され、今ではホグワーツ高学年程の知識を頭に自主的に詰め込むようになっている。

 

「いえ、お母様。お兄様も頑張っておいでですよ。この前もお父様に勉強をおしえてくれと自分でせがんでいましたし。それに私はただ魔法の本を読むのが好きなだけです」

 

そう母に苦笑しながらかえす。しかし、はた目には彼女はどこまでも無表情だった。その表情が苦笑を浮かべているように見えるのは、おそらくマルフォイ家の人間のみだろう。

 

「ところでお母様? どのようなご用事でこちらに?」

 

「もう、忘れたの。今パーティーの二時間前よ? それでパーティーの準備をしてるか確認しに来たのよ。貴女の誕生日なのだから、しっかりおめかししないと」

 

ダリアはパーティーの二時間前に一緒に準備しましょうと言われていたのを思い出した。本を読んでいるうちにすっかり夢中になってしまい、そのことを忘れていたのだ。

 

「ああ、もうそんなお時間なのですね」

 

そう言って本を書棚に戻し、娘は母とドレスルームにむかうのであった。

 

 

 

 

パーティーといっても今日のものは内輪のみのものだ。

公式には彼女の誕生日は6月5日と、ドラコと同じ日ということになっている。

だが、実際は今日7月31日のため、こうして家族4人のみであるがささやかに誕生日パーティーを開くのである。

 

「おまたせしました」

 

母と娘がマルフォイ家の豪華な食堂に顔をみせる。あらかじめそこで待っていた父と息子が二人を出迎える。

 

「ああ、二人とも非常にその服が似合っている」

 

ナルシッサは上品な薄い黄色のドレスを、そしてダリアは肌の色とは真逆の黒色のドレスを着ていた。ダリアの手には相変わらず黒い手袋がされている。

 

「はい、そうですね父上。ダリアとてもきれいだ」

 

ドラコが父の真似をして紳士ぶる。たった六歳の彼にはまだ紳士のふるまいというものを理解しきれてはいなかったが、純血貴族として父親に厳しくしこまれたためか、ある程度それらしく振舞うことができていた。

 

「ありがとうございます、お父様、お兄様」

 

六年も一緒にすごしているからか、ドラコだけでなく、もうルシウスにもその表情が微妙にはにかんでいるように見えていた。

 

「さあ、では始めようか」

 

それぞれが自分の定位置に座っていく。ダリアの食器だけ木製だ。

 

「ではダリア、誕生日おめでとう」

 

「おめでとう、ダリア」

 

「おめでとう」

 

家族の祝福を受け、

 

「ありがとうございます」

 

他の人にはわからぬが、かすかに、心底嬉しそうな微笑みを浮かべるダリアがそこにはいた。

 

 

 

 

愛する家族に囲まれた、幸せな家庭の一場面がそこにはあった。

 




ダリアはまだこの段階ではまだ結構明るい子です。闇の魔術にひかれたりしてますが。
まあ、無表情なんで、他の家の人がみたら、
「超かわいいこだけど、こいつはやべー」と思われます。


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疑念(前編)

ダリア視点

 

家族で誕生日パーティーをした数日後。

 

「そろそろドラコとダリアの友達を選ばなくてはいけないな」

 

お父様が夕食の席で突然そのようなことを仰い始めた。

 

「そうね、二人とも六歳になって、『お茶会』を開かないといけない年ですものね」

 

お母様がはそう納得されているが、私にはなんのことだか分からなかった。

 

「母上、お茶会とは?」

 

お兄様も私と同じで理解できなかったのかお母様に尋ねる。

それにお母様が丁寧な説明を始める。

 

「お茶会っていうのはね、六歳になった純血貴族の魔法族を、パーティーで他の純血貴族にお披露目することなのよ。そこで同年代の純血の子と知り合って、()()()を選ぶの」

 

「お前達は純血の中でも、さらに尊い聖28一族筆頭なのだからな。やはりそれにふさわしい友達を選ばねばならない」

 

「なるほど、わかりました。『じゅんけつ』ですものね」

 

お兄様が隣でそううなずいているが、おそらく意味はよく分かっていないだろう。

純血。私の両親がよく仰る、魔法族の中で最も偉大な存在。純血かそうでないかで、魔法族は偉大かどうかが決まる。

わたしの大好きな両親はよくそうおっしゃっている。

 

だが、ふと私は思う。

 

本当に私は純血なのだろうか?……と。

 

 

 

 

それは私が4歳半の時。私はいつものように書庫に行き、魔法の本を読んでいた時のこと。

はじめはお父様に何が何だかわからず魔法を教えてもらっていたのだが、最近は魔法の勉強が楽しくて仕方がない。特に()()()()と分類される魔法を勉強するのが好きだった。

この分野の勉強をするとお父様が大変ほめてくださることもあるが、心のどこかからか……闇の魔法を()()()()()と言われているような気がしたのだ。

だが、闇の魔法を勉強していても、お父様から、

 

『危ないから、わたしのいないときに魔法を使おうとしてはいけないよ』

 

と常々言われていたので、本を読むだけで今は実践することはできない。

それに会ったことはないが、ひいおじい様から受け継いだという杖を、自分の部屋に置いてきてしまっていた。

魔法族は11歳の時、自らの杖を買うのだというが、お父様が、

 

「それではダリアの場合遅すぎる……」

 

とおっしゃって、練習用の杖をくださっていたのだ。

だから闇の魔法を今実践することができない。

お父様のおかえりを待とうかなとも思ったが、今朝、お母様に帰りが遅くなるとおっしゃっていたのを思い出す。

 

ここ最近お父様は大変忙しそうにされている。なんでも、まだ嗅ぎまわっている連中がどうとか。

お父様になかなかお会いできないのは寂しいが、我儘をいうわけにはいかない。

むしろ、お父様がいない間にしっかり勉強して、お父様にうんとほめていただこう。

 

そう思い、闇の魔法の本に再び目をおろすが、使ってみたいと思いが邪魔するのか、なんだかいつもより頭に入ってきづらい。

であれば他の本でも読もうかなと思い立ち、ふと目についたのが、

 

『闇の魔法生物』

 

という本だった。

この本だったら写真もついている上、今の集中しきれない状態でも読めると思い本をひらく。

そこには恐ろしい闇の生物たちの生態が書いてあった。

ピクシー、ドクシーといったあまり恐くないものから、狼男、鬼婆など、もっと恐ろしい生き物のことまで書いてあった。

 

私は喜々として読み進めていると、ふとあるページで手が止まった。

 

『吸血鬼……その生き物は、強靭な肉体を持ち、再生能力などといった特殊能力をもつが、日光、銀、ニンニクが弱点であり、特に日光と銀は、その体を焼くことができる』

 

と書いてあった。

 

……私はいつも疑問に思っていることがあった。

 

まず力。

私の力は、今では大の大人にさえ負けないくらいになっていた。走るのも大人に負けないくらいのスピードで走ることができる。

以前はそれが自慢であったのだが、お父様にそれではいけないと言われ、以後今つけている手袋をはめることを義務付けられた。

この手袋はなんでも闇の魔法がかけられており、つけたものの力を、つけている間は奪うことができるそうだった。

本来であれば、この手袋をつけた段階で、自力では手袋を外すことすらできないほど力を奪われるのだそうだが……私の場合、それが程よい程度に力を抑える働きになっているらしい。丁度お兄様くらいの力しか出すことが出来なくなる。

 

そして食器。

家族の食器だけ銀食器なのだが、私のだけ木製だ。一度家族の食器に触ったことがあったのだが、触ったところに一時的に火膨れができてしまった。

その時、それを見てしまったお母様から、

 

「触ってはだめといったでしょ!」

 

と厳しく怒られてしまった。傷自体はお説教が開始されたときにはもう消えていた。

 

最後に日光

お母さまとお外に出かけることが時々あるのだが、必ず日傘をさすようにいつも言われている。

私の肌は非常に日光に弱いらしく、日にあたるとすぐに火傷してしまうのだそうだ。

そのためか、お母様はあまり私を外に出したがらない。

 

そのことを思い出していると、やはりこの本に書いてある吸血鬼の特性と、あまりにも酷似しているように思えてならなかった。

そう思いながら、部屋の窓をみやる。そこには銀髪、白い肌、薄い金色の瞳をした無表情の少女が反射していた。

 

常々疑問に思っていた。

あまり私の容姿は両親に似ていないのだ。

両親ともに、こんな瞳の色をしていない。

 

私はそんな疑問で、心が不安に満たされてしまった。

そうなるといてもたってもいられず、すぐお母様のところに向かう。

幸いにも、すぐにお母さまを見つけることができた。

 

「お母様。すこしよろしいでしょうか?」

 

「どうしたのダリア? そんなに怖い顔をして」

 

お母様は、かすかに浮かんだ私の表情をよんだのかそうおっしゃった。

そんなお母様に、私は黙って吸血鬼のページが開いた本をさしだす。

お母様は一瞬ぎょっとした表情を浮かべられたのち、私の顔を悲しそうな顔をしてのぞき込まれた。

 

「わたしは……吸血鬼なのでしょうか? お母様達は由緒ある純血貴族です。私はお母様達の子供ではないのですか……?」

 

「馬鹿なこと言わないで!! あなたは誰がなんと言おうと私とルシウスの子供よ!!」

 

そう怒られてたのだが、一瞬はっとして、また少し悲しそうな顔にもどられた。

 

「ごめんなさい、どなったりして……。ダリア……あなたも不安でしょうがないのに……」

 

そして、

 

「本当ならばもう少ししてから話そうと思っていたのだけど……」

 

そうお母様は話し出す。私の真実を。

 

「確かにあなたは吸血鬼の特性をもっているわ、だけどあなたは完全に吸血鬼というわけじゃない。あなたの半分には私たち以上に尊い血が流れているの。その尊いお方から、あなたが赤ん坊の時、私たちの娘としていただいたの。確かにあなたは私がおなかを痛めて産んだ子ではないかもしれない。でもわかって。あなたはそれでも私たちの愛しい子供なの」

 

これだけは分かってほしいと、お母様は私にそうつぶやく。

わたしはそんな悲しそうに話すお母様の顔を見ているうちに、自分が恥ずかしくなった。

 

私は、大好きなお母様を、こんな風な表情にしたかったのではない。

私は愛するお母様に、こんなことを言わせたかったのではない

そうだ、私がたとえ吸血鬼だろうと、たとえお母様達の子供ではなかろうと、お母様たちと過ごしたこの日常は本物なのだ。私はお母様が愛していると言ってくださった以上、お母様の子供なのだ。

 

私は疑問を心の奥に押し込み、お母様を安心させるべく、笑顔を浮かべるのであった。

でも、ほとんど顔は動かなかった。

 

 

 

 

その夜。

夜遅くに私はお父様の書斎に呼び出される。

眠気眼でたどり着き、書斎のドアをノックすると、

 

「入りなさい」

 

そうお父様が中から声をかけられたので、そっと中に入る。

 

「悪いな、こんな夜遅くに」

 

「いえ、それでお父様、どうして私をお呼びに?」

 

そう言う私に、躊躇れているような表情をしながら、

 

「シシーに聞いたよ。吸血鬼のことに気付いたんだそうだな?」

 

お父様はそんなことを話し始めたのだった。

眠気は一気に吹っ飛んだ。

 

「はい……」

 

そう答える私にお父様もやはり一瞬悲しそうな顔をされる。

 

「そうか……。ならば真実をそろそろ話さなければならないな。だが、シシーも言ったそうだが、どんなことがあろうと、お前は私たちの子供だ。それだけは忘れないように」

 

「はい」

 

そう私が頷くと、お父様が語りだす。

 

 

 

 

「お前は闇の帝王が造りだした子供だ」

 

 

 

 

私はお父様がおっしゃっていることが一瞬理解できなかった。

 

「闇の帝王が……造り……だしたですか?」

 

闇の帝王。かつて魔法界を恐怖のどん底に突き落とした闇の魔法使い。そしてかつては、お父様の主であったお方。

 

「そうだ、闇の帝王はご自分の血と、吸血鬼の血でお前を造りだしたとおっしゃっていた。私たち死喰い人の上に立つ存在として」

 

「死喰い人?」

 

「帝王に従い、この世からマグルや穢れた血を一掃する使命を帯びた者たちのことだ。かつて私もそうだった。そして、そうなるようにお前を育てなければならない義務があった」

 

私がこの世に産み落とされた理由。

誰かがお互いを愛し合った末、私が生まれたのではない。

はじめから道具として、

 

「でしたら、私は……その死喰い人となるため()()に……生まれてきたのですか?」

 

そう、私はただの死喰い人、マグルたちを殺すために造られた道具ということなのか?

 

正直、私は『この世からマグルや穢れた血を一掃する使命』などどうでもよかった。

両親はことあるごとにマグルや穢れた血について悪口をおっしゃるが、そもそもそれらがどんな存在であるかが、まだよくわからなかった。

それに自分の半分の血が吸血鬼である以上、自分のことを純粋に純血だと言い切れなくなってしまったのもある。

 

「闇の帝王はそうお考えだった。だが、もう闇の帝王はいない。どこかに逝かれてしまった。お前はもう自由だ。勿論、マルフォイ家として立派な死喰い人となってほしいとは思っている。だが、今は自分の好きなことをゆっくりとやっていけばいいのだよ」

 

そうお父様はおっしゃっているが、私はその言葉でよけいに不安でいっぱいになった。

造りだされた動機はなんであれ、確かに私には確固たる心があると思う。それは別に死喰い人になりたいという願望ではない。その点で、完全には、闇の帝王が造ろうとした道具にはなりきっているわけでは、ないのだろうと思いたい。

だが、それならば

 

何故、私が今一番好きなことは闇の魔術の勉強なのだろう。

 

闇の魔術とは結局のところ、人を傷つけるための魔法のことだ。

ときに人を服従させ、苦しめ、そして殺す。長い魔法界の歴史の中で、数え切れない不幸を作り上げてきた魔法だ。

 

そんなことわかっているのに。

誰かを傷つけたいという欲求があるわけではないのに。

 

何故、私はこんなにも闇の魔術に惹かれているのだろう。

 

別に闇の魔術以外の魔法が苦手というわけではない。むしろよくお父様にほめられるほど優秀なほうだ。

でも、やはり闇の魔術の方がうまく使いこなせられるのだ。

闇の魔術を使うとき、心が確かに浮き立つのだ。

 

そんな存在をはたして、本当に人を殺すための道具ではないと言えるのだろうか?

この私の心は本物なのだろうか?

結局私は、私を造りだした闇の帝王の敷いたレールから逃げきれていないのではないか?

両親は私を家族として見てくれているのに、私は闇の帝王の道具でしかないのではないだろうか?

死喰い人となるように造られた私が、結局その機能のまま、最適な行動をとっているだけではないのか?

 

私の中に、そんな疑問が浮かんでは消えていく。

 

「……やはり早すぎたのかもしれないな。今日はもう寝なさい。今日はいろんなことがあったせいで、お前は少し疲れているのだよ。今晩はしっかり寝て、明日ゆっくり考えなさい。だが、忘れないでくれ。お前は誰が何と言おうと私たちの子供だし、私たち家族がお前を愛していることに変わりはない」

 

「はい……お父様」

 

 

私は若干おぼつかない足取りで寝室に向かう。

ベットに入り、目をつむっても、やはりなかなか寝付けない。

 

数多くの考えが浮かぶ中、結局わたしを苦しめている疑問は一つだった。

 

 

 

 

わたしは、本当に()()()()()()()()()()()()()()

 







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疑念(後編)

もうすぐ原作




 

 ダリア視点

 

自分の出自を知った次の日。

朝の気分は過去最悪だった。頭がぼーっとするし、それにひどくのどが渇いていた。

結局昨晩は一睡もできず、ベットの中でずっと思い悩んでしまったのだ。

 

私は人間ではない。

 

そんなことで悩んだことなど、今まで一度としてなかった。

もし、私が人間でなければなんなのだろうか?

 

決まっている。

闇の帝王の道具だ。

 

闇の帝王が造った、闇の帝王の目的を果たすためだけに存在する道具だ。

私自身の嗜好、思考、そしてこれからの未来さえ闇の帝王に造られたものでしかないのではないか?

 

もしそうならばと思うと、お父様、お母様、そしてお兄様に対してとても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

彼らは私をここまで育ててくれた。

彼らはこんなにも私を愛してくれた。

 

それなのに私は人間のふりをして、彼らの中でただ家族ごっこをしているだけの、帝王のお人形。

それは何か侵してはならない神聖なものを破壊している気がした。

 

こんな私では家族の迷惑にしかならない。今までもらった恩を返すことができない。

 

そう思うだけで胸が張り裂けそうだった。

どんどん思考が悪い方に転がってゆく。

私がこんな素晴らしい家族の中にいてもいいのだろうか。

そうベットの上で考えていると、部屋の入口からノックの音がした。入ってきたのは屋敷しもべ妖精のドビーだった。

 

「お嬢様、朝食の準備ができましたです」

 

そうきーきー声で、恭しく頭を下げる。

 

「わかったわ、ドビー」

 

今はとても朝食をとるような気分ではなかったのだが、これ以上お母様とお父様に心配をおかけするわけにはいかない。

ベットから起き上がろうとすると、

 

「お嬢様、もしやお体の調子がすぐれないでいらっしゃるのでしょうか?」

 

「いいえ、ありがとうドビー。少し眠れなかっただけよ。心配しなくてもいいわ。それにお母様達を、こんなことで心配させたくないわ」

 

両親はドビーのことを嫌っているが、私自身はドビーのことが嫌いではない。

彼は昔から、両親が出かけており、お兄様と私が家で寂しく遊んでいないといけない時、お菓子を持ってきてくれたり、時には一緒に遊んでくれたりしていた。

お兄様は最近両親の影響か、あまりドビーのことが好きではなくなってきているみたい様子だが、私にとっては少し風変わりなベビーシッターでしかなかった。

しもべ妖精が主人の子供と遊ぶなど、しもべ妖精としては相当変わっていたし……そんな屋敷しもべとして変わった存在だからこそ、ドビーは両親に嫌われているのだろうが。

ドビーは、心配するなと言った私をまだ心配そうに見つめていたが、そこまでおっしゃるならと、結局折れてくれた。

急いでネグリジェから着替え、朝食をとりに食堂にむかう。

食堂に入る前に、これ以上心配されまいと、つとめて笑顔をつくる。

 

「おはようございます」

 

食堂に入るとすでに私以外の家族がそろっていた。

 

「ああ、おはよう」

 

お父様がなんだか心配そうな顔をしながらこちらを見てくる。

 

「昨日はよく眠れたか?」

 

まったく眠れていないのだが、

 

「はい。あの後ベットに入ったら、すぐ寝てしまいました」

 

そう笑顔で返すと、安心したのか顔をもとに戻す。

……お母様はまだ心配そうにこちらを見ていらっしゃる。やはりお母様はごまかせない。

 

「さあ、朝食を食べましょう。私、今朝はおなかがすいてしまって」

 

そうつとめて明るい声を出しながら席に座ると、お母様も今は時間が必要とでも考えられたのか、こちらを気にしながらも朝食の方を向いた。

 

 

 

 

朝食を終え、皆で食後の紅茶を飲んでいるのだが、朝からある渇きがなかなか収まらない。

 

「ダリア、もしかしてのどが渇いてるの?」

 

お母様がいつもより早いペースで紅茶を飲み続ける私に声をかける。

 

「はい、そうなのですお母様。朝からのどが渇いてまして」

 

「では、ダリアは紅茶より()()を飲んだほうがいいのではないか?」

 

そう言って鈴を鳴らすと、しもべ妖精の一人が小さいゴブレット一杯分の()()()()をもってくる。

 

「お嬢様、どうぞお召し上がりください」

 

そう頭を下げながら差し出されたゴブレットを受け取り、中身を見る。

中には赤黒い液体が満たされていた。

 

以前から私はこの()()()()を二か月に一度の頻度で与えられていた。

それはいつも私がのどの渇きがなかなか収まらない時に与えられるものであった。

 

お兄様が一度、私だけが飲むなんてずるいと言って、お父様にこれをねだったことがある。普段はなんだかんだとお兄様や私に甘いお父様だが、この時は決してお兄様にこれを与えようとはしなかった。

今ならば何故お兄様にこれが与えられなかったのかわかる。お兄様に与えても、これを飲めるわけがないのだ。

 

ああ、なんでもっと早く気づかなかったのだろう。

自分が吸血鬼なのだと教えられてから、はじめてこれの正体に気付いた。

 

これはジュースなどではなく、()()()()()なのだと。

 

ゴブレットに口をつけ、中身を飲み込む。

ああ、どうしようもなく()()()()()()()()()()()()

自分が吸血鬼を混ぜ合わせた何かであるなんて思いたくないのに、こんなにもこの体はこの血液を美味しく感じてしまう。

いつもはこんなにも動かない表情が、この時だけどうしても勝手にほころんでしまう。

そう、昨日知ってしまった事実を再確認してしまっていると、ふとお父様とお母様がこちらを心配そうに見ていることに気が付いた。

 

いけない。心配させてしまった。ただでさえ、私はこの人たちに迷惑をかけているのに。

 

「おいしいです。お父様、お母様」

 

そう笑顔で答えると、ほっとした顔をされる。でも、その表情がまた、私の罪悪感を刺激した。

 

「では、私ちょっと食後の散歩に行ってきますね」

 

これ以上家族に迷惑をかけることに耐えられなくなり、私はこの部屋からすぐ出ることにした。

 

「もしかして、外のお庭に行くの?」

 

お母様が心配そうにきいてくる。

 

「ええ、ちょうど今朝雪が、降っていたので、それを見に」

 

今は12月。イギリスはそこらかしこが雪で覆われていた。

 

「そう……。寒くならないようにしっかりあったかい服を着るのよ。あと肌はなるべく外に出さないようにして、日傘も持っていくのよ。……あとなるべく早く中に入るのよ、雪がつもっていたら、照り返しもあるだろうから」

 

私が外に出るときはいつもこれだけ多くの注意をうける。それだけ愛されているということなので、決して邪険にしないようにしっかりとうなづくと、食堂を出ていく。

 

その背中を三人がどこか心配そうに見つめているのを知らずに。

 

外は案の定一面の雪景色だった。一人真っ白な景色の中を歩く。

寒さと日光対策でなんだか重装備になってしまい若干歩きにくい。

 

少し座ろうと思い、庭の中にあるベンチに腰掛ける。

 

辺りは本当に静かで、耳をすませば雪の降る音さえ聞こえてきそうなほどだ。

 

ああ、このまま静かに消えてしまいたい。この静かな世界にわたしを置いて、みんなが幸せに過ごしてほしい。

 

そんな風にまた思考が悪い方に転がっていこうとしていると、突如この無音の世界に足音が聞こえてくる。

ふとそちらの方を振り向くと、お兄様がこちらに近づいてくる様子が見えた。

 

「どうしたのですか? お兄様?」

 

お兄様は何かためらっている様子だったが、

 

「ここ座るぞ」

 

と言って私の横に腰をかける。

 

「お兄様?」

 

「朝からどうしたんだ? なんだか無理をしているように見えたんだが?」

 

どうやら……お兄様にもばれていたらしい。

 

「いえ、大したことでは」

 

「そんなわけあるか。なんだか今日はいつもよりはっきりと顔に出ていたぞ」

 

どうやらお兄様には私のかすかに見える表情が、今日はいつもより大きく感じたらしい。

 

「お兄様には嘘はつけませんね……」

 

お兄様は結構我儘だが、私にはとても甘かった。

お兄様が買ってもらったおもちゃも、私が欲しそうにしていたらすぐかしてくれるし、私が困っているときはすぐに駆けつけてくれるのだ。

なんだかんだ言って、私の表情を読むのは、家族の中で一番お兄様が上手ではなかろうか。

 

そう思うとなんだかお兄様にこうして嘘をつき続けるのが馬鹿らしく感じてしまった。家族に対する罪悪感もあって、私はまるで懺悔でもするように、お兄様に告白してしまう。

 

「お兄様、私ね……吸血鬼なんです。純血どころか、魔法族ですらない……。ある人が吸血鬼と自分の血を混ぜてつくったのが私。私はね、その人が造った道具でしかないのです。その人の望む力をつけるために、嗜好まで勝手に作られているのです」

 

流れ出した懺悔はもう止められなかった。

ついには話すつもりのないことまで口走る。

 

「私はきっとその人のお人形でしかない。お兄様たちの中で人形が勝手に家族ごっこしているだけなのかもしれない。私は私の考えが、本当に私のものかわからない! こんな人形の私じゃみんなに迷惑しかかけない!! お兄様だって知っているでしょう!? 私が闇の魔法が大好きなこと!! 私の大好きなものは、人を傷つけるためのものなの! そんな私がどうして人を殺すための道具じゃないって言い切れるの!?」

 

最初は静かに始まった懺悔は、だんだんと大きな声になり、最後には悲痛な叫び声になっていた。

さすがにお兄様に帝王のことは言えなかった。

私の声に侵された白の静寂に、再び沈黙がおりる。

 

「ねえ、お兄様。わたしどうすればいいかわからない。わたしみたいな人形が、みんなの中にいていいのかわからない」

 

そう最後につぶやいてしまうのだった。

 

するとあまりの私の剣幕におどろいていたお兄様は

 

「えっと……。よくわからないんだが、とりあえず、吸血鬼のこと、僕は知っていたぞ」

 

「……え?」

 

お兄様はなんでもないかのように、そう言った。

 

「以前僕がダリアの飲んでいるものを欲しいと父上に言ったことがあっただろう? あの後父上にお前の体のことを聞いたんだ」

 

そういえば、欲しがっていたのはあの一回のみで、以後あれを欲しがっている様子はなかった。

 

「父上がダリアは半分は吸血鬼だが、もう半分はさる、最高の『じゅんけつ』のお方のものだから、『じゅんけつ』として扱っても問題ないっておっしゃていたよ。この話は他の人には決して言ってはいけないともおっしゃっていたから、あまり口にはしないけどな」

 

どうやらお兄様は本当に吸血鬼のことを知っていたらしい。

 

「それと闇の魔法についてだけど、別に構わないんじゃないか? 僕もかっこいいと思うぞ、闇の魔術。父上もよく闇の魔術の本を読んでるし。それに人を傷つけるものって言っていたけど、別にダリア自身に人を傷つける気はないんだろう?」

 

私はすぐ首を縦にふる。

 

「だったら構わないじゃないか。それに闇の魔術だって使い方次第だろう。現に、ダリアが今つけてる手袋。それは闇の魔術のかかったものだろう。それは闇の魔術で、ダリアを守ってくれているじゃないか」

 

驚きながら、私は自分の手に視線を落とす。

そうだ、確かにこれは、家族を傷つけないように、家族を、そして私自身を守ってくれているではないか。

 

道具は使うもの次第で使い方が変わる。お兄様がそうそっとつぶやかれる。

 

「まあ、父上の受け売りなんだけどな。ダリアが手袋をつけだした時、それをかっこいいと思って、父上にねだりに行ったら言われたんだ」

 

お兄様の言葉はなお続く。

 

「これが一番よくわからなかったんだが、ダリアは迷惑になるっていうが、迷惑でもなんでもないぞ? それともダリアは一緒にいたくないのか?」

 

今度はすぐに首を横にふった。

 

「だったらいいじゃないか。それに家族には迷惑をかけるものだろう」

 

そうちょっとお兄様は恰好をつけて言う。

 

「それ、お兄様が言うセリフではないですよね……。むしろ迷惑かけるほうですし」

 

「と、ともかくお前は俺たちの家族だ。そんなふうに心配する必要はないんだよ!」

 

そう慌ててお兄様はまくしたてる。

 

「でも、わたしは人形かもしれないんですよ。わたしの感情はあらかじめ決められていたものかもしれないんですよ?」

 

「難しいことを言うな。でも、それこそどっちでもいいんじゃないか? そうであっても、そうでなくても、お前の考えていることは、今お前の考えていることなんだから」

 

そうだ。

本当にその通りだ。

私の嗜好がたとえ造られたものだとしても、私の行動がいかに決められたものだとしても、

 

この家族と一緒にいたい。この家族を愛している。

 

これだけは私が今、私自身が持つ感情だ。

 

なんだ、そんな簡単なことだったんだ。

色々難しく考えていただけで、本当に大切なことを忘れていた。

 

この気持ちだけで十分。

この気持ちさえあれば、もう何も怖くない。

私はたとえ誰が敵になろうとも。

たとえそれが闇の帝王だろうとも戦える。

 

昨日の夜から心の中を覆っていた暗雲が晴れていく。

 

ああ、私は本当にいい人たちを家族に持った。今それを私は再確認した。

私の表情が変わったことに気が付いたのか、

 

「さあ、そろそろ部屋にもどろう。母上に怒られてしまう」

 

そう言ってお兄様は私に手を差し伸べてくる。

その手をとり、一緒に庭を歩いていく。

 

「お兄様。大好きだよ」

 

そういうと、お兄様は顔を少し赤らめて、そっぽを向いた。

 

 

 

 

庭から戻ると、お父様とお母様が心配そうに中で待っていた。

 

だが、私の顔をみると、安心したようだった。

お父様は私の頭を軽く撫でまわし、そのあとお母さまが私をぎゅっと抱きしめた。

 

ああ、こんな幸せがずっと続いていくといいな。

 

 

 

 

あれから一年半。今こうして私は無事に六歳になり、純血貴族伝統のお茶会をむかえる。

 

私が純血かどうかは果てしなく疑問だが、

このマルフォイ家の娘であることは間違いないのだ。

 




ドラコが大人になるのは、ダリアが関わったときのみなんだけです。
だから普段は普通に子供。原作入った時も、普通に原作くらい子供っぽい


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閑話 お茶会

クラッブ家。かの純血ブラック家につながる、純血の中の純血。

そんな家の一人息子が、彼、ビンセント・クラッブだった。

彼の体は六歳にして既に肥満気味な大きな体であり、低い鼻と鍋底カットの髪型が特徴の男の子だった。見た目は頭が悪そうだが、実際本当に頭が悪い。

 

そんな彼は今、マルフォイ家で行われるお茶会に参加していた。

お茶会といっても、皆でテーブルを囲んで紅茶を飲む会……というわけではない。

実際は立食パーティー形式で、そこに純血貴族たちが自分の六歳前後になった子供を紹介することで、上のものとのつながりや、将来の純血同士のコミュニティーの土台をつくらせるために行う。

ビンセント・クラッブはこのお茶会に参加する際、父親にあることを厳命されていた。

 

『マルフォイ家の双子と、お茶会の席で絶対に()()になるように』

 

勿論友人といっても、マルフォイ家の方がクラッブ家よりも上に位置しているため、実際のところは、

 

『気に入ってもらって、取り巻きにしてもらえ』

 

という意味でしかなかった。

 

 

 

 

ビンセント・クラッブ視点

 

マルフォイ家のお茶会というだけあって、出されている料理はうまいものだらけだ。

家格がほぼ同等で、昔から付き合いのあるグレゴリー・ゴイルと料理をむさぼるように食べる。

 

「ゴイル。お前もマルフォイ家の双子と仲良くしろと言われてるのか?」

 

「ああ、さっきちちうえに言われた」

 

料理に伸ばす手をまったく止めず、二人で話し合う。

 

「しかし、肝心のその双子がまだ来ていないぞ」

 

「まだ準備してるんじゃないか?」

 

確かにまだ始まりの時刻ではない。

ホストということでルシウス氏はもう会場で多くの純血貴族達と話しているようだが、まだ肝心の双子が来ていない。

 

双子は男と女と聞いている。

父上にとってマルフォイ家は格上の存在で、従わなければならない上司だが……同時に目の上のたんこぶでもある。

父上がマルフォイ家の話をする際、その言葉の端々から不満が漏れ出していた。

そんな言葉の中で、双子の男の子の方の話はでていた。なんでも父親に似て軟弱そうだのどうとか。

ただ、もう一人の女の子の方の話は聞かなかった。なんでも、いつ訪ねてもなぜか顔を見たものが誰もいないのだという。

 

そのため色々な噂が純血貴族の間では飛び交っていた。勿論マルフォイ家の耳の届かないところでは、だが。

 

実は醜い顔をしているのでは?

実は顔におおきな傷があるのでは?

極めつけは、実は存在しないのでは?

 

そんな根拠のない噂が噂を呼び、純血貴族の中ではちょっとした話題になっていた。

 

さて、本当のところはどうなんだろうな

 

そう思いながら、僕はゴイルと共にやはり一心不乱に料理に手を伸ばし続けていた。

 

しばらくすると、会場のドアが開き、そこから女性と二人の子供が会場に入ってきた。

女性はナルシッサ・マルフォイ。ルシウスさんの妻で、すらっとしていて色白の美人だ。

その右隣りには、父親に似た青白く、顎が尖っている顔をした僕等に比べればかなりひょろりとした男の子がいた。今回彼の取り巻きにしてもらわなければならないのだが、正直あまり気乗りがしない。父上が漏らしていたとおりだ。なんで俺があんなひょろっちい奴に従わなくちゃならないのだ。

そう思って、今度は女性の左隣を見やる。

そしてその瞬間……世界が止まったように感じた。

 

声が出なかった。隣にいるゴイルも同じような様子で、料理に手を伸ばした姿勢で止まっている。

いや、ゴイルだけではない。会場にいる全員が、その左隣にいる女の子を見て声をあげられずにいた。

 

その子の流れるような髪は白銀で、その肌はおしろいを塗ったかのように真っ白だった。

そしてその薄い金色の瞳を持つ顔立ちは、すでに美人と形容していいようなものだった。あの顔立ちならさぞかし将来大輪の華を咲かせるだろうと思わずにはいられなかった。

 

だが、会場の人間を黙らせたのは、その美貌ではない。

それは、彼女の醸し出すオーラだった。

彼女はその釣り気味の眼であたりを見回す。六歳にして、初めてのお茶会にして、全く物怖じせず、その表情をピクリとも動かさない。

 

無表情。

彼女はこの会場中から見つめられる状況においても、その表情を一切変えていないのだ。

 

それが彼女の醸し出す冷たいオーラに拍車をかける。

 

この場には大勢の元死喰い人もいた。彼らは彼女の雰囲気に懐かしいものを感じていた。まるでかつての主のような……。

 

僕は理解する。この子には逆らってはいけないと。父上の命令のとおり、マルフォイ家の取り巻きとして扱ってもらわなくてはならないが、本当にマルフォイ家の人間の中で、一番取り巻きにならねばならないのは彼女なのだと。

 

 

 

 

この日、今まであったダリアの噂は一新されるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

お母様に連れられて、お兄様とお茶会会場に入ると、今までそれなりにざわざわしていたのに、なぜか急に静かになった。貴方達……失礼ではないでしょうか。

 

正直私は純血というわけではないので、純血のコミュニティーを作れと言われても困ってしまうのだが、私とお兄様は一応双子ということになっている。だから純血貴族としてふるまう必要がある。

そして、ここであらかじめお父様たちが選んでいる()()()に会わねばならない。せっかくお父様がわざわざ選んでくださったのだから、会わないというわけにはいかない。

お父様が純血貴族の地位で決めた子供たちだ。むこうもおそらく父親から取り巻きになるよう言われてきているだろうから、おそらく本当にお友達になれるかどうかわからない。

 

それに……

 

ふと目を伏せる。

 

私の体には秘密がある。決してばれてはいけない秘密が。

吸血鬼、闇の帝王の血。どれをとってもマルフォイ家の醜聞になってしまう。

そんな秘密を抱えた私が、本当の友達を作ることなどできるのだろうか……。

 

そこまで考え、かぶりを振る。

 

どうでもいいことだ。私に友達など必要ない。

私にはマルフォイ家さえあればいい。

そう、私はそれだけで十分に幸せなのだから。

 

そう、かすかに残る憧れに目を背け、私は目的の二人を探すため、あたりを見回すのであった。

 




中身はちょっと考えすぎる系の、闇魔法大好き女子。基本自分の家族さえ幸せならいいので、わりかし他の人間はどうでもいいと思っちゃう、冷たいところがある。ただ、今後友達といえる人間は何人かできる予定。


はた目から見ていると、完全無表情なので、なんかすっごい美幼女に威圧されてる!!となる。


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蛇語

お茶会から2年。

ドラコとダリアは8歳になっていた。

クラッブとゴイルはお茶会で無事二人に挨拶をすることができ、今ではすっかり双子の取り巻きと化している。

 

……と言っても、彼らがよく行動を共にしているのはドラコだけであり、二人がダリアの傍にいるということはあまりなかった。

 

二人にとって重要なのはドラコよりもダリアに気にいられることであったが、やはりダリアが醸し出す冷たい雰囲気が恐ろしかった上、ダリアが基本的にいる場所が書庫だったため中々近づけなかったのだ。

本を読むなんて習慣がない二人には、本を読んでいるダリアの傍ですることなどなかったのである。書庫でお菓子を食べることはダリアが一度激怒したことがあったので、彼らもそれ以来したことがない。次の日にはもう色々忘れている彼らだが、その時のことは流石に忘れていないらしい。

 

いつも冷たいオーラが、殺気のように更に冷たくかわり……いつもの薄い金色の瞳も、()()()なものに変わる。

その時二人はまったく生きた心地がしなかった。

本が好きなダリアは、本の横でぼろぼろお菓子をこぼす二人が許せなかったのだ。

 

一方、ダリアにとっても二人はあくまでドラコの取り巻きであり、

 

『お父様に紹介された以上、純血貴族として最低限の付き合いはしておこうかな』

 

という程度の認識だった。

彼女にとって彼ら二人はあまりにも頭がお粗末すぎて、会話が全くかみ合わない相手でしかなかった。

 

 

 

 

ダリア視点

 

今このマルフォイ邸にはクラッブとゴイルが訪れている。

私はどうもこの二人が苦手だ。どこかお兄様を侮っている空気を感じるためだ。

マルフォイ家ということで表面上はお兄様に従っているのだが、私がその場に加わると、若干お兄様を放置して、私にお世辞をひたすら言ってくるのだ。

しかもお世辞ばかり言って私に取り入ろうとする割には、私のことを怖がっている節がある。

それに何より会話がかみ合わない。

 

私としてはもっと魔法などについての話をしたかったのだが、彼らとかみ合う話は料理の話だけである。

その料理の話も、質より量といった二人とはあまり合わない。

 

私にとって二人はもはや、いざという時お兄様の()となればそれでよい存在になっていた。

そんな二人との会話に疲れ、また書庫にでも籠るかと考えその場を離れていたのだが……そういえば庭のバラが綺麗になっている時期だなと思い、日傘をとりに部屋に帰るのだった。

 

日傘をさし、肌の露出を顔以外極限まで無くした格好をして庭に出る。

しもべ妖精たちによって落ち葉一つ落ちてない庭の歩道を歩いていると、真っ赤に咲いたバラが見えてくる。

9月のこの時期、ちょっとづつ肌寒くなってきており、日光のこともあるので少し見たら帰ろうと思っていると、

 

『そろそろ冬眠の時期だな、今のうちに飯を食べておかねば……』

 

そんな声が突然聞こえてきたのだった。

聞いたこともない声だったので、びっくりして辺りを見回す。

もしや侵入者か、と思い警戒していると、

 

『しかしここはネズミ一匹いやしない。人間どもは余計な事ばかりしやがって』

 

今度はどこから声がしたか分かったので、素早くそちらに杖を向ける。

そこには一匹の蛇がいるだけだった。

 

『なんだこの人間のガキは?まったく人間ってのには嫌になる。こっちが何もしなくても攻撃してくるんだから』

 

そうこちらに威嚇態勢をとろうとしている。驚いた、蛇が言葉をしゃべるなんてことあるのか。

 

『もしかして、あなたは人間の言葉を喋れるのですか?』

 

私は驚いたという風に、構えた杖を下しながら言う。

 

『む? なんだ俺の言葉がわかるのか? 驚いた! まだそんな人間が世の中にいたとはな!!』

 

『え? あなたが人間の言葉をしゃべっているのでは?』

 

『いんや、あんたが俺たちの言葉をしゃべってんのさ。そんな奴がいたのは昔の話だと、同族からは聞いていたんだがな……』

 

そんなことをしゃべっていると、そこにお兄様が走ってやってくる。

 

「あら、お兄様。お二人はどうなさったのです?」

 

「あいつらなら帰ったぞ。ダリアがいなくなったことを残念そうにしていたよ。まあ、3秒後には出ているお菓子を食べて、そんなことも忘れていたみたいだが……。そんなことよりダリア!! お前、蛇と話せるのか!?」

 

「ええ、どうやらそうみたいです。ちなみに傍から見てどのように見えました?」

 

「なんかそこの蛇とシューシュー言って頷きあってるように見えたぞ」

 

そう言われて私は改めて蛇の方をみやる。

 

『なんだ、そいつは? お前の兄弟か? あんまし似てねーな』

 

『そうですね』

 

私達がそんな会話を繰り返していると、お兄様が横ではしゃいでいる。

 

「すごいぞダリア! 蛇としゃべれるなんて! そいつは今なんて言ってるんだ?」

 

「私たちが兄妹なのかと聞いてますので、それを答えただけですよ」

 

『おい。お取り込み中悪いんだが、俺はもう行っていいか? 冬眠の準備をしなくちゃならん。どっかにネズミとか飯になりそうな場所はないか?』

 

『とりあえずこの屋敷にはあまりいないと思いますよ。しもべ妖精がしっかり掃除をしてくれているので。外をお探しになった方がよろしいかと』

 

『そうか、やっぱりここにはいねーか。じゃあなお嬢さん、達者でな』

 

『ええ、あなたも。ご飯がみつかるといいですね』

 

這って出ていく蛇を眺めていたあと、

 

「なんだか時間がたってしまいましたね。中にもどるとしましょう」

 

そう言って、まだ隣で興奮した様子のお兄様と一緒に屋敷にもどる。

 

「ドラコ、ダリア。庭に出ていたのか?」

 

ちょうど帰ってきていたお父様に鉢合わせる。

 

「はい。お父様。バラが綺麗にさいている時期ですので」

 

「そうか、ただあまり長時間外にいるんじゃないぞ。お前は肌が弱いのだから」

 

もう耳にタコができるほど聞いたセリフを聞いていると、

 

「そんなことより父上!! ダリアがさっき蛇としゃべっていたんです!!」

 

「なに!! ……それは本当か!?」

 

「ええ!! 僕には全く内容がわからなかったけど、ダリアは会話していたんだよな?」

 

「はい。蛇としゃべれるなんて初めて知りました」

 

それを聞いてお父様は感激している様子であった。

 

「ダリア。蛇と話すというのはな、パーセルマウスと言ってかの偉大なるサラザール・スリザリンの能力だったのだよ。以来、蛇と話すというのは、大変名誉ある、純血の中でもさらに偉大な証とされてきたのだよ。かの闇の帝王も話すことができた」

 

「闇の帝王も……」

 

一気に気分が沈んだ。蛇と喋れたのが、ただ私の中にある帝王の血のおかげだと知って。私が帝王の造ったものだと再確認して。

そんな私の様子に気付くことなくお父様は大声を上げた。

 

「これは大変名誉なことだ! ダリア、それは誇りに思っていいのだよ!! 我がマルフォイ家にして、偉大な能力を持ったのだから!!」

 

そう興奮したように言った後、だが、とお父様は続ける。

 

「だが、それを周りにおおっぴらに言ってはならぬ。忌々しいことに、パーセルマウスは我々純血以外の、『穢れた血』や『血を裏切るもの』からは、闇の魔法使いの証拠だとして蔑まれているからな。まったく、忌々しいことだがな……」

 

そう本当に忌々しそうにおっしゃった。

 

「はい、お父様」

 

ああ、また一つ秘密が増えてしまった。

そう憂鬱に思っている横で、

 

「ドラコ、お前もわかったな。他の純血貴族はともかく、他の魔法族に漏らしてはいけないぞ」

 

「はい、わかりました、父上」

 

私としては、お兄様が漏らしてしまわないか心配ではあったが、漏らすとしてもクラッブとゴイルだろうし、あの二人ならおそらく次の日にでも忘れていることだろう。

お兄様のお友達はやはり考え直した方がいいのではなかろうか?

お兄様としては、初めてできた同年代の同性であるし、話たがりのお兄様としては、ちょうどいい話相手なのでしょうが、如何せん頭の出来が悪すぎる。なにせどんな秘密をしゃべっても、次の日には忘れてるのだから。

 




ダリアがパーセルタングについての知識がなかったのはたまたまです。まだ八歳ですし、そういうこともあるでしょう。



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閑話 運命が近づく日

かつて4人の偉大な魔女と魔法使いによって創設された、世界有数の魔法学校、ホグワーツ。

その魔法学校の校長こそ、20世紀で最も偉大な魔法使いとされる、アルバス・ダンブルドアであった。

 

 

 

 

ダンブルドア視点

 

わしは校長室の椅子に座りながら日刊予言新聞を読んでいた。

 

『生き残った男の子 ハリー・ポッター 今年ホグワーツ入学』

 

この内容の記事は、ここ連日ずっと取り上げられているものだ。

初めの頃は彼がどんなに偉大なことをなしたかというものだったが、今では彼がどんな子供に成長したのだだろうか?彼はどの寮に入るんだろうか?といった、もはや事実を書いた記事というより興味本位の娯楽記事となり果てている。

 

「いよいよハリーが入学する時がきたようじゃのう」

 

そう感慨深く感じながら、校長机の前にいるセブルスに話しかけるも、

 

「ふん。どうせあの忌々しい父親に似た子供に違いないと、吾輩は思いますがね」

 

そんな気のない返事が返ってきただけだった。

しかし言葉とは裏腹に、どこか微かな期待を捨てきれないでいる様子なのは気のせいじゃろうか。

 

「これ、セブルス。君はまだハリーに会ったことがないんじゃ。まだ見ぬうちから決めつけるでないぞ?それは君の目を曇らせてしまうじゃろう」

 

そう諭すのじゃが、未だそう思わずにはいられないといった様子のセブルスにかぶりを振り、ワシは話題を変える。

 

「セブルス。クィレルの様子はどうじゃ?」

 

今度はセブルスもハッキリと頷いて応える。

 

「ええ、やはり校長がおっしゃっているように、奴は何か隠しています」

 

「わしの目が曇っていないのであれば、おそらく彼は闇に魅入られておる。ハリーの入学だけではない。今年()を預かると決まったタイミングでじゃ。これが偶然とは思えぬ。注意して彼のことを見るのじゃ」

 

セブルスはそれに了解の意を示す。

 

「ところで校長、その申請書はどうするのですかな?」

 

わしは手に持っていた新聞を横にやり、机の上に置いてある申請書に目を落とす。

 

「それなのじゃが、この申請書に本当にサインしてよいものか……。相手が相手じゃからのう」

 

申請書はルシウス・マルフォイからのものじゃった。

 

内容は、今年入学する娘には重い()()があるので、それを抑えるために、()()()()()()()()()を持ち込むことを申請するものじゃった。

病気の内容については一切触れず、しかもなんの魔法がかかっているかも書かれていてない。

そして相手はルシウス・マルフォイ。それが普通の魔法具だとは、ワシにはどうしても思えなかった。

 

普段なら絶対に許可などしないのじゃが、ルシウスはホグワーツの理事全員をまるめこんで、この不備しかない書類にサインさせておった。

理事全員の決定がなされているなら、わしはこの書類にサインするしかない。たとえサインしなかったとしても、この書類は通ってしまうじゃろう。

であるのにこの書類がわしの元に来ているのは、その魔法の手袋について、後で文句を言ってくるなということなのじゃろう。

 

「娘の病気を抑えるためと言われてはのう。それに本当に危険なものなのかも分らぬ。まあ、危険なものを持ち込んで、何かあれば真っ先に疑われるのはその娘になってしまうのじゃから、そこまで危険なものではないと思うがのう」

 

そう言いながらしぶしぶ申請書にサインをし、この書類を届けにきたフクロウにそのまま渡す。

フクロウが書類をもって飛んでゆくのを眺めながら、セブルスに尋ねてみる。

 

「セブルスはこの娘に会ったことはあるのかのう?」

 

「いえ、吾輩も直接会ったことはありません。ただ、ルシウスに会った時、たいそうその娘のことを自慢しておりましたが……」

 

その時のことを思い出したのか、げんなりした様子でセブルスが答える。

なんでも娘は美人だとか、娘は素晴らしい魔法の才能を持っているだとか、そんな話を延々とされたのだという。

 

「ほっほっほ。それだけ娘が可愛くてしょうがないのじゃろう。愛じゃよ、愛。その様子なら大丈夫じゃろうかのう。そんなに可愛い娘に危険なものは持たせぬと思うしのう」

 

そう安心しながらも、念のため、彼女が入った寮の寮監にはこのことに注意するよう伝えておくかの。

マルフォイの家の娘なら、おそらくスリザリンになるじゃろうが。

 

「話がこれで終わりであれば、吾輩はそろそろ部屋に戻らせてもらいます」

 

そう踵を返し、セブルスは部屋を出ていく。

セブルスが出て行ったドアをなんとはなしに眺めながら、物思いにふける。

 

今年ハリーが入学することで、トムとの戦いが再び始まる。そんな予感がする。トムはおそらく滅んでおらぬ。どこかでじっと復活の機会を待っておるだけじゃろう。

 

あやつをそんな状態にした予言の男の子を、自尊心の強い奴が放っておくとは思えん。

石のこともある。奴はこの石を復活のために必ず欲するじゃろう。

 

その尖兵がクィレルなのではないかと、わしは思っておる。

 

そう考えながら、ふとあることを思い出す

 

 

 

 

『選ばれた子が生まれる七月の末、闇の帝王はついに僕を完成させる。気をつけよ、帝王の敵よ。そして気をつけよ帝王よ。その子が司るのは破滅なり。その子は決してどちらの味方にもなりえない。この先どちらかに破滅をもたらすことだろう』

 

 

 

 

結局、この予言について何も分かっておらぬ。セブルスにそれとなく、闇の帝王の完成させた僕について聞いてみても心当たりはないという。

これから先、気を抜けんのう。

 

これからの戦いを思案しながら再び、ハリーの記事に目を落とすのだった。

 




そろそろ本当に忙しくなってきました。2週間程更新ペースは下がります。


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ホグワーツからの手紙

 ダリア視点

 

お兄様が先月11歳になり、私もあと一か月で11歳になる。

そんな時、家族皆で食後の紅茶を飲んでいる時間、ついにその手紙が来た。

お父様がしもべ妖精が持ってきた手紙を受け取ると、その中身を確認する。

 

「ようやく来たか……。ドラコ、ダリア。お前たちに手紙だ」

 

お父様から手紙を受け取ると、

 

 

 

 

親愛なるダリア殿

 

このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。

新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。

 

副校長 ミネルバ・マクゴナガル

 

 

 

 

そう書かれた手紙と共に入っていた教材リストをみる。

 

「やはり全部読んだものばかりですね……」

 

魔法に触れたことがないマグル生まれの子供も入学するのだ。

当たり前のことだが、やはり本当に基本的なことしか最初は教えないようだった。

 

私はお父様に三歳から魔法を教えてもらっている上に、自分でも好きで魔法の本を読んでいる。そんな私に、

 

『ホグワーツを卒業した大人にも勝る知識と力をつけている』

 

と、お父様がおっしゃっていた。そして闇の魔術を使えば、そこらの闇祓いにも負けないだろうとも。

 

しかしお兄様の方は、まだホグワーツ一年生が終わったくらいの知識しかない。

この差は別にお兄様が不真面目なためではない。むしろお兄様の性格は案外真面目な方だ。むしろこの段階でそれだけの知識があるのはすごいことなのだ。

だが、お兄様は私程魔法の勉強について興味があったわけではないのだ。どちらかというと、魔法のことよりクィディッチの方に興味をお持ちのようだった。

魔法界で育つということは、それだけ周りが魔法であふれており、それだけ魔法が当たり前の存在になる。

それだけ当たり前のものに大きな興味をいだけというのはやはり難しいのだろう。

そんな中でそこまで知識があることは寧ろすごいことなのだ。

 

それに私の場合は、肌を日光に長時間さらせない影響でクィディッチなんてもってのほかだ。箒に乗ったこと自体はあるが、私が箒に乗る場合、横座りで、日傘をさしたような、過激な動きがちょっと難しい乗り方しか出来ない。全身布で覆った状態で乗れば話は別なのだが、そこまでして乗りたいとは思わない。

 

そんなこともあって、私の趣味は基本的にインドアなものとならざるを得ず、さらに勉強に打ち込んだ結果がこの差を生んでいた。

余談だが、魔法界には『十七歳未満の者の周囲での魔法行為を嗅ぎ出す呪文』、通称『匂い』が存在する。十七歳未満の者はその精神力、魔法力など様々な面において未熟なため、本来魔法を魔法学校以外の所で使ってはいけないのだが、私の場合はお父様が一緒にいることでごまかしている。周囲に大人がいれば、最悪そちらが魔法を使ったと言えばばれない。まあ、三歳のころからこの年まで、それでごり押しできたのはひとえにお父様が持つ、魔法省への影響力故なのだが。

 

私が教科書について落ち込んでいると、

 

「ダリア。そんなに落ち込むことはない。ホグワーツの図書室はこの家の書庫より蔵書が多い。そこならお前の知識欲も満たしてくれるだろう。まあ、お前の好きな闇の魔術の本は禁書の棚にあるだろうし、それにホグワーツよりダームストラングの方があるのだが……」

 

「だってドラコとダリアが遠くに行ってしまうなんて、私耐えられませんもの」

 

そう、お父様としては私たちにダームストラングに行ってほしかったみたいなのだが、お母様が私たちを遠くにやるのを嫌がったため、ホグワーツに行くこととなったのだ。

私は確かにダームストラングの闇の本の蔵書には興味があるものの、そんなことよりお母様の方が大切だ。それに、

 

「私はホグワーツの理事だ。困ったことがあったら、私に言いなさい」

 

多くの秘密を抱える体を持つ私としては、こっちのほうが結果的によかったのだろう。

 

「ダリア、今年ハリー・ポッターがホグワーツに入学するのを知っているかい?」

 

「ええ、ここ最近ずっとそのニュースしか一面記事になってませんもの。魔法界も平和になったものですね」

 

そう、他に重要なことがないのか、連日ハリー・ポッター入学の記事しか一面にならない。正直私は飽きていた。

そもそも、私はハリー・ポッターにそこまで興味がない。確かに闇の帝王を打ち破ることで、私が帝王の道具にならずにすんだという点においては感謝してる。ただ、会ってみたいといえる程の興味はわかなかった。

むしろ闇の帝王を打ち破った方法の方が大変興味がある。彼が受けたのは闇の魔法の中でも特に強力な、『死の呪文』だときく。『死の呪文』には対抗手段がないとされていたのだが、彼はそれを打ち破った。

闇の魔術を学ぶものとしては、大変興味がある話だ。

 

だがそれだけだ。その興味のある方法すら、やってのけたのが赤ん坊の時なのだから、彼に聞いても答えを得ることはないだろう。

 

私はそう考えていたのだが、お兄様はそうではないらしい。

 

「彼は今マグルの中で暮らしてるんだそうだ。なら何も知らないはずだ。純血の尊ささえ。僕が正しい友達の作り方を教えてあげなくては」

 

「まあ、ほどほどにお願いしますね」

 

私はマグルやマグル生まれのことを嫌ってはいない。

だからと言って純血主義を真っ向から否定してもいない。

 

私にとって純血主義とは、魔法族の持つ本能的危機感なのだ。マグルと魔法族は決してその文化において混ざりきることはない。お互い信じるものが違うのだ。マグルは科学を。魔法族は魔法を。それらが相容れることはない以上、その二つはお互い断絶とまではいかないが、ある程度お互いに距離をもつしかない。

だが、そこに話をややこしくする存在が出てくる。

マグル生まれだ。

マグルの価値観をもちながら、魔法を使える存在。魔法族、とりわけ魔法界の価値観を持つ純血からしたら面白い存在であるわけがない。

そんな自分たちの信じるものを脅かすかもしれない存在を、忌避し、さらに強硬に自分の領域を守ろうとする考えが、結果として純血主義をつくっている。

 

別にマグルやマグル生まれが悪いわけではない。だが、純血主義をかかえる人たちも真に悪の人間だというわけでもないだけだ。まあ、物理的に排除するのは行き過ぎな主義だと思うが。

結局のところ、純血でもない私は純血主義になることはないし、だからと言ってマグル生まれを好きになるということでもない。

 

私にとって、マグルも、マグル生まれも、血を裏切るものも、そして純血すら等しく()()()なのだ。

私は大切な人間が無事に、幸せであればそれでいい。

これを脅かす可能性があれば、どんな手段を使ってもその可能性を排除するだろう。

 

 

 

 

「さあ、明日からリストのものをそろえなければな。大体のものは家にもあるが、新品の方がいいだろう。純血たるマルフォイ家が忌々しいウィーズリー同様使い古しであっていいはずがないからな」

 

ウィーズリーとはお父様がよくおっしゃる血の裏切り者の一家のことだ。

よく家に立ち入り調査をしようとしていると、お父様はぼやいていらっしゃった。

なんでも燃えるような赤毛が特徴の家族らしい。私はまだ見たことがないが、今山ほどいる子供の何人かがホグワーツにいるらしいので、見る機会もあるだろう。

 

「楽しみだなダリア」

 

「ええ、お兄様」

 

そう、お兄様との新しい生活に思いをはせながら、二人で笑いあうのであった。

 




造られた目的に対する反抗心から、ダリアは人を傷つけるということに忌避感を持ってます。ただ、自分の大切な人を守るためなら、なんのためらいもなくなっちゃいます。

次回から賢者の石編


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賢者の石
ダイアゴン横丁(前編)


賢者の石編スタート。



ダリア視点

 

別に初めてというわけでもないが、私はあまりダイアゴン横丁に行ったことがなかった。ダイアゴン横丁は日光が入る明るい場所のせいか、お母様があまり私を行かせたがらないのだ。

代わりに私はよくノクターン横丁で買い物をする。

ノクターン横丁は日光があまり入らない暗い通りであり、その暗さに比例して治安も悪くなっている場所である。しかし私はマルフォイ家の娘であるため、純血主義の多いノクターン横丁で私に悪さをしようという人間はあまりいない。だが、治安が悪いことには変わりがない。どこの世界にも向こう見ずな人間は存在する。そのため私が買い物をする時は、必ずお父様がついてきてくださっていた。

私がダイアゴン横丁に行くのは、お兄様に付き合って箒の店をのぞく時か、ダイアゴン横丁にある高級レストランで食事をする時くらいのものだ。

 

だが、今回買うのは私がいつも欲しがるようなものではなく、ホグワーツで使うような()()()()()だ。ノクターン横丁ではなく、ダイアゴン横丁に行く必要がある。

 

お母様が人ごみをお嫌いなためすぐ帰れるようにということで、お母様とお父様が教科書や鍋などといった授業で使うような雑貨を。そして私たち兄妹は、私たち自身が絶対に必要となる制服のローブと杖をその間に買う手筈になっていた。

人混みがお嫌いな上にあまりお体が丈夫な方ではないのだから、私としてはお母様には家で休んでいてほしかったのだが、

 

『ホグワーツに行く最初の年なのだから』

 

とお母様がどうしてもとおっしゃったため、私も渋々納得した。

私はしっかり日光対策をした格好をし、日傘を持った状態で暖炉の前に行く。

 

「日光対策は問題ないようだな」

 

私の頭から爪の先までしっかり確認し、万全な状態であると判断されたのか、お父様は私から視線を外してフルーパウダーをひとつまみ暖炉の中にいれる。

そして暖炉の中で炎が緑色に変わるのを確認すると、炎の中に入り、

 

「ダイアゴン横丁」

 

と言って家からお父様が姿を消した。

 

我々もお父様をあまり待たせてはいけないとすぐに後に続くと、そこは古いテーブルが敷き詰められ、乏しい明りが薄暗く中を照らしている小汚いパブだった。

 

この『漏れ鍋』の暖炉は、魔法省からダイアゴン横丁の()()として煙突飛行の設定をされているわけだが……もう少しましな場所はなかったのだろうか。確かにここはマグルの世界とダイアゴン横丁をつないでいる唯一の入口である。だが、それならばもう少し掃除を心掛けさせるということは出来なかったのかと、私は疑問で仕方がなかった。

そう益体のないことを考えながら素早く店内を抜け、裏のレンガを決められた順にたたくと、そこには、ありとあらゆる()()()()魔法道具が売られている『ダイアゴン横丁』が広がっていた。

 

「さて、では私は今からお前達の教科書を買いに行ったのち、細々とした授業道具を買いに行く。お前たちはまずはオリバンダーの店にいくのだ。シシーはどうする?」

 

「私もオリバンダーの店に行くわ。この子たちが杖を買い終わったら、私の杖も少しみてもらうわ。最近杖の調子が悪いみたいで……。その後あなたに合流するわ。みんな買い物が終わったら、いつものレストランに行って昼食を食べてから帰りましょう」

 

そう今後の予定を確認すると、お父様はフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に、私たちはオリバンダーの店に行くのであった。

オリバンダー杖店。何世紀にもわたり、多くの魔法使いに最高の杖を売り続けてきた店。そこは壁中に杖の入った箱を置いているせいか、ずいぶん狭くみすぼらしい内装だった。

お母様は外でお待ちになっている。この店に三人入るのは流石に狭いとお考えになったのだろう。

店のドアを開けると鈴が鳴り、すると店の奥から薄く淡い、大きな目をした老人が出てくる。

 

「いらっしゃいませ。杖をお買い求めで?」

 

おそらくこの老人こそがオリバンダーなのだろう。多くの魔法使い達に杖を長年売り続けてきただけあり、その立ち振る舞いから只ならぬ雰囲気を感じた。

 

「ああ、そうだ。こっちの妹のものもだ」

 

オリバンダーはまず声を上げたお兄様を見やった後、一瞬私の方を見てどこかおびえたような顔をしたが、すぐに元の表情にもどる。

 

「ええ、ではあなた様から。杖腕をお出しください」

 

そう言われて右腕を出すお兄様。するとオリバンダーは巻き尺でお兄様の様々な所を測りだす。そして必要な所は測り終えたのか、彼は店の奥に杖を取り行ったわけだが……いくつかの巻き尺が未だにお兄様にまとわりついている。挙句の果てにお兄様の鼻の穴まで測りだしたので、私はそっと手袋をはずし、巻き尺の一つを()()()()()

そんなやりとりに気付くことなくオリバンダーは一本の杖を持ってくる。

 

「イトスギにドラゴンの琴線、23cm、変身術に最適。さあ、振ってみなされ」

 

一本目の杖。

しかしお兄様がその杖を振ると同時に、カウンターに置いてあった水差しが割れる。

お兄様に適合していないことは火を見るよりも明らかだった。

 

「だめのようですな」

 

そう言うとすぐ手に持った杖を奪い取り、次の一本を差し出してくる。

 

「スギにユニコーンの毛、22cm、耐久力に優れる」

 

この一本は振る前に奪われる。

そんなことをあと二回繰り返し、そして、

 

「サンザシにユニコーンの毛、25cm、ある程度弾力性がある」

 

ようやくその時が来た。

それを持つとお兄様の顔がどこか満足そうなものになり、さとされるまま振るうと、杖の先から花火がいくつか飛び出した。

私が拍手する中、オリバンダーは、

 

「ブラボー!!いや、すぐに決まってよかった。いや決まるといっても、使い手が杖を選ぶのではなく、杖が持ち主を選ぶんですがね」

 

そうぶつぶつ言った後、私の方を向いた。

 

「では、次はお嬢さんですな。杖腕はどちらで?」

 

「私も、お兄様と同じ右です」

 

そう言ってお兄様と同じくいろいろな角度から測られると、また店の奥に杖を取りに行く。私には巻き尺がまとわりつくことはなかった。

 

「さあ、リンボクにユニコーンの毛、20cm、火の魔法に最適」

 

持った瞬間から違うと思っていたら、すぐにとられてしまった。

 

「ブナノキにドラゴンの琴線、25cm、頑固」

 

これもすぐとられる。

そんなことが続き、もう駄目になった杖を数えるのが面倒になっていた頃、

 

「難しいお客じゃのう。じゃが、心配されるな。必ずあなたにあった杖を見つけてみせますぞ」

 

そう言った後にも数本を試し、そして、ついにそれが来たのだった。

 

「イチイの木にセストラルのしっぽ、33cm、()()()()()()()

 

オリバンダーがこれはあってくれるなと言わんばかりの顔をして持ってきた、真っ黒に染められた杖は、ずいぶんと不穏な言葉で締めくくられていた。

だが持ってみると、今までもってみた杖がゴミにしか思えないほど、私は素晴らしい充足感に満たされる。

 

ああ、この杖だ!

私の杖はこれだ!!

 

私はその感情のまま杖をふるう。

杖の先からは、スノードロップの花びらがいくつも飛び出し、店内を白く染めあげた。

 

「……お見事です。まさかこの杖に選ばれる方が現れようとは……」

 

そう、どこかおびえた様子の店主に代金を払い、私達はお店を後にした。

 

 

 

 

「大変お待たせしてしまいました、お兄様、そしてお母様。お母様、外は暑くありませんでしたか?」

 

「いえ、大丈夫よ。その様子だと無事杖を買えたようね」

 

長時間外でお待たせしてしまったというのに、そう我がごとのように喜んだ顔をされて、

 

「さあ、今度は私が杖をみてもらいますね。あなたたちはその間に制服を買ってくるといいわ。買ったらレストランで落ち合いましょ。ダリア、日傘をしっかりさすのですよ」

 

そう言ってお母様は店の中にはいっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリバンダー視点

 

わしは今しがた出て行った兄妹のことを考える。

 

この時期は、ホグワーツ入学を控えた子供たちが大勢つめかける。

あの二人もそんな中の二人じゃった。

兄の方は、青白く、顎が尖っている顔、そしてあの薄いグレーの瞳をみるに、マルフォイの家の子供だとすぐにわかった。

 

そして妹の方をみると、わしは思わずひるんでしまった。

 

そこにはホグワーツに入るばかりの年の子供とは思えない、美人だが、どこか冷たい雰囲気を醸し出す女の子がいた。

そんな子がこちらをその薄い金色の瞳で、無表情に見つめてくるので、思わずひるんでしまったのである。

 

長年この店を経営していてそんなことがあったのは、『例のあの人』が杖を買いにきた時のみだった。

 

兄の方は比較的はやく杖に選ばれた。いくつかかかったが、本当に長い客はもっと長い。

そんなことを思っていると、妹の方はその長い客であった。

 

一向に杖が決まらん中、ふとある杖が目に留まる。

もしや、このようなオーラを出す子であるなら、これに選ばれるのでは?

 

その杖は、わしの店にある杖の中で、最も売りたくない杖の一つだった。

この杖に選ばれた人間は、おそらく例のあの人に匹敵する闇の魔法使いになることじゃろうそう思わずにはおられないような、いわくつきの杖じゃった。

……そして選ばれてしまった。

 

『イチイの木にセストラルのしっぽ、33cm、闇の魔法に最適』

 

彼女には言わなかったが、そのイチイの木は、例のあの人の杖と同じ木からとられたものじゃ。

そしてセストラルのしっぽ。それはかの『ニワトコの杖』の芯と()()()()()()()の物との言い伝えじゃった。

ニワトコの杖と違い、持つものを最強にする杖というわけではない。じゃが、おそらく闇の魔法を使わせたら、どんな杖よりその扱いが楽になるものになるじゃろう。

そんな杖を売りたくはなかったが、このオリバンダーの店においてはどんな杖で、相手がどんなに闇に堕ちると分かっていても……一度たりとも杖を売らなかったことなどない。

わしら杖造りは、先のある若人たちの未来を決定することが仕事ではないのだ。実際、闇に堕ちると思っていても、実際は堕ちなかった魔法使いを何人もみてきた。

 

ああ、どうか、あの子が将来闇に染まるようなことがありませんように。

 

そう願わずにいられなかった。

 




スノードロップ。花言葉は「あなたの死を望みます」


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ダイアゴン横丁(後編)

 ダリア視点

 

『マダム・マルキンの洋装店――普段着から式服まで』

 

そう書いてある看板の店に、お兄様と共に入る。

 

「まあ、いらっしゃい。ホグワーツの新入生かしら?」

 

そう藤色ずくめの服を着た、ずんぐりとした女性が愛想よく話しかけてくる。

 

「ええ、制服を私とお兄様のぶん、お願いします」

 

「はい、わかりましたよ。それでは、そちらの台の上に立ってね。採寸をするから」

 

三つある踏み台の右端に私が、お兄様が真ん中のものに立つ。

マダム・マルキンの採寸もいよいよ佳境になってきた頃、一人の男の子が入ってきた。

黒いくしゃくしゃな髪をした男の子も新入生なのか、ホグワーツの制服をつくるために、お兄様の左隣りの踏み台に立つ。

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

 

お兄様は同じホグワーツに行く子と出会えたのが内心うれしいのか、開口一番にそう話しかける。

 

「うん」

 

「こっちは僕の妹だ」

 

そう紹介され、私も男の子の方に軽く会釈する。

こちらをみて軽く会釈し返してくる彼は、どこか私におびえていた。

 

「僕らの父上は学用品を買いに行っているし、母上はその先で杖を見ている」

 

「そうなんだ」

 

「この後もう少し時間があるだろうし、妹と競技用の箒を見に行くんだ。一年生が自分の箒を持っちゃいけないなんて、理由が分らないね。父上を脅して一本買わせて、こっそり持ち込んでやる」

 

この後競技用の箒を見に行く予定など聞いてないのですが、お兄様……。

というよりお父様を脅すなんて、お兄様は無理でしょうに……。

 

おそらくお兄様なりに話題を作っているつもりなのだろう。純血貴族として堅苦しい付き合いが多かったお兄様としては、まったく知らない同年代の男の子というのは新鮮なのだ。実に微笑ましいことだ。

 

まあ、結果は……残念なものになるだろうけど。

お兄様が口を開くたびに、男の子の顔から嫌悪感がにじみだしている。

 

「ところで、君の両親は僕達と勿論同族なんだろう?」

 

「あぁ、魔法使いと魔女だよ。そういう意味で聞いてるんなら」

 

「僕はね、他の連中は入学させるべきじゃないって思ってる。そう思わないかい? 僕達のように常識ある生き方をして来てないんだよ。手紙を貰うまではホグワーツの事なんか聞いた事もない奴らと一緒になんて考えたくもないね」

 

そうつづけるお兄様に、今度はあからさまな困惑と嫌悪を示してることから、どうやらこの子はお兄様の言う『手紙を貰うまではホグワーツの事なんか聞いた事もない奴ら』だったのだろう。もしくは正義感の強い人間か。

そんな彼の不機嫌な顔にお兄様は気付くことがない。

 

何故無表情な私の表情を読むのはうまいのに、こんなあからさまな顔をよめないのだろう。

 

そう私が思っていると、お兄様が窓の外にいる、もじゃもじゃ髭の大男に言及し始めた。

 

「ほら、あの男を見てごらん! 森番のハグリッドだ! 言うならば野蛮人だって聞いたよ。学校の領地内にほったて小屋を建ててそこに住んでるんだ」

 

私もお父様から彼のことを聞いたことがある。ホグワーツに行く時の注意事項を話してくださった時に、チラッと話されていたことを思い出す。

といっても、それまでの具体的な注意事項と違って、どちらかというと愚痴に近いものではあった。

 

『なぜあのような野蛮人をあそこに置くのだ……』

 

とかなんとか。

 

「彼って最高だと思うよ」

 

「へえ? どうして君と一緒なの? 両親は?」

 

「死んだよ」

 

もはや彼のお兄様への嫌悪感はとどまるところをしらなくなっていることだろう。

 

やはりお兄様にあの()()()()は相応しくないのでは? ()()としか付き合いがないお兄様は、こういう付き合い方しか知らない。私には優しく気遣いができるのだが、やはり家族と他人は違うものらしい。この男の子のことはどうでもいいのだが、将来下の者と仕事をしないといけない時、お兄様がこのままではまずい。

 

尤も今お兄様の未来を心配しても仕方がない。ホグワーツでお兄様はお友達がたくさん持つことになるだろうから、そこで学んでいかれるだろう。

最悪、他人に不快感をもたれない程度であればよいのだ。

 

そう考えていると、私とお兄様の採寸が終わる前に、彼の採寸の方が先に終わってしまった。お兄様をまた待たせてしまった。女の子は採寸にそれなりに時間がかかるのだ。

 

「じゃ、ホグワーツでまた会おう。たぶんね」

 

そう店をはやくでていこうとする彼に、そう気取ったようにお兄様は挨拶をしていた。

 

 

 

 

「お待たせしてしまいました、お兄様」

 

「いや、大丈夫だ。だが、父上と母上がもうレストランで待っておられるかもしれない。少し急いで行こう」

 

「はい。ああ、()()()()()()()()()()()かなくてよろしいので?」

 

そうお兄様をからかうように言うと、お兄様は慌てたように、

 

「い、いいんだよ! さ、急ぐぞ!!」

 

そう言いながらも、日傘をさしているせいであまり速く走ることのできない私に合わせて、ちょっと速足だけにしてくれているお兄様を見て、

 

『ああ、やっぱり私のお兄様は優しいな』

 

そう思ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

僕が魔法使いの世界に足を踏み入れた記念すべき一日目。

 

……しかしそこで出会った人間は、全てが全ていい人間というわけではなかった。

 

マダム・マルキンの店に入ると、そこには二人の男女が先に踏み台に立っていた。

青白い顔をした男の子の横に立つと、

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

 

そう男の方が話かけてきた。どうやら同じくホグワーツに入る子のようだった。

そう推測しながら返事をすると、

 

「こっちは僕の妹だ」

 

そう彼の隣に立っていた女の子を紹介される。

今まで彼の体で死角に立っていた女の子に目を向けると、そこには真っ白な美少女がいた。白銀の髪に薄い金色の瞳。何もかもが白く、その子は僕が見てきた人間の中で飛び切り綺麗な女の子だった。

 

しかし……普通ならそんな綺麗な子と会えてときめくのだろうが、いつまでも見ていたいような美少女は絶望的に無表情だった。

 

そんな女の子がこちらをその薄い金色の瞳でみつめ、軽く会釈してくる。

僕にはその会釈が、そのどうしようもない無表情と合わさり、

 

『心底どうでもいいが、一応挨拶します』

 

という風に見えた。

そんな冷たい美少女にちょっと怯えてしまったが、兄の方が再び話しかけてきたので、女の子のことを頭の端においやる。

その兄の方との会話は……ひどく不愉快なものであったけど。

 

採寸が終わり、この不愉快な時間にようやく終止符がうたれたので、急いで店を出る。

最後に一瞬女の子の方をみると、やはりそこには……心底どうでもいいといった無表情の女の子がこちらを見ていたのだった。

 




ダリアちゃんは基本無表情なので、初見はたいてい勘違いされます。
今回の場合は、本当にどうでもいいと思ってますが。
ハリーのことより、お兄さんの将来が気になってます。




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ホグワーツ特急

1991年9月1日キングズ・クロス駅

 

 ダリア視点

 

ホグワーツの学用品を買い終え二か月。私はその間、これまでの勉強の復習を。

そしてお兄様も復習を……少しはしていたかな?

 

お兄様は根は真面目で勉強もできる方なのだが、如何せん元気な11歳の男の子。机にかじりついて勉強しろというのは酷なのだろう。

お兄様としては勉強よりクィディッチの方がお好きなのだから、外がクィディッチ日和の快晴なら逃げ出したくもなるのかもしれない。

それでも必要最低限はなされていたのだが、お父様としては不満らしく、

 

『マルフォイ家の跡継ぎは、ダリアにせねばならんな』

 

とよくおっしゃっていた。

割と本気の様子だったので、説得するのに苦労したのは余談である。

 

そんな家族との日常とも、しばしお別れの時が来た。

 

私たちは今、ホグワーツ特急の前に立っている。周りには様々な家の魔法使い、魔女だけではなく、そのペットが縦横無尽にそこら中を歩き回っていた。なかなかに混沌とした空間だ。

こんな空間に長時間いるのはお母様がかわいそうなので、早々に別れを済ませ、ホグワーツ特急に乗った方がいいだろう。

 

「では、行ってまいります」

 

「気を付けるのよ」

 

私の言葉を受け、お母様が目じりに涙を浮かべながら私を抱きしめる。

 

「いいか、何か困ったことがあれば、すぐに私に知らせるのだぞ。それとドラコ、ダリア。ダリアはそんなことないと思うが、授業や学校のことでわからないことがあれば、今魔法薬学の教授をしているセブルス・スネイプという先生を頼るといい。私がホグワーツにいた頃、彼は私の後輩だった。今でも交流を持っている男だ。何かあれば頼ってみるといい。きっと力になってくれるはずだ」

 

そして私たちが頷くのを確認し、

 

「さあ、ドラコ。先に行ってコンパートメントを取っておきなさい。ダリアは私ともう少しだけ話がある。荷物は二人分あるが、まあ何とかなるだろう」

 

そう、近くで同じく親と別れをつげているクラッブとゴイルをお父様はみやる。おそらく運ばせろということだろう。

 

「わかりました。ダリア、先に行ってるぞ」

 

最後にもう一度お母様に抱きしめられてから、お兄様はクラッブとゴイルの方に歩いて行かれた。

 

「さて、ダリア。最後にもう一度だけ確認だ。決して、お前の()のことが露見してはいけない。そうなれば一時的とはいえ、お前は大変まずい立場になってしまうかもしれない。十分注意するのだ」

 

私の体は半分吸血鬼だ。露見すれば周りに差別されるかもしれない。それだけでも問題なのだが、それ以上の問題になる可能性があった。

 

魔法界では、非人間の生物が杖を持つことは禁止されているのだ。

 

吸血鬼は亜人に分類される。狼男も同じく亜人に分類されているのだが、あちらは後天的になるものだから、今のところ見逃されているらしい。

つい最近まで、狼男の杖の所持まで禁止にしようとしていた()()()()がいたらしいのだが、狼男の理性を保つ薬の研究が最近目覚ましい進歩を遂げつつあることから、その動きに歯止めがかかったらしい。

そして私の場合……狼男ではなく半分とはいえ吸血鬼なので禁止になる恐れがあった。

 

もしそうなればマルフォイ家が全力で抗議するから大丈夫だとおっしゃってくださってはいるが、そんな迷惑は()()()掛けたくない。

 

「わかっております、お父様。お父様の迷惑になるようなことはいたしません」

 

「……子供は親に迷惑をかけるものだ。ただ私はお前のことが心配なのだ。だが、その様子なら大丈夫だろうな。どうか頭の片隅にでも置いていてくれ」

 

そう一瞬渋い顔をされ、私の頭を撫でてくださる。

お父様はお兄様にはそれなりに厳しく教育されるが、私のことは基本的に甘やかしてくれる。無論、結局のところお兄様にも最終的に甘いのだが。

 

「では、気をつけて行ってくるのだぞ。次はクリスマスに会おう。ああそうそう、言い忘れるところだった。外に出るときは日傘をするのだ。ホグワーツにも話を通してある。手袋のあとだったから、なんの魔法もかかっていない日傘はすぐ許可されたぞ。まあ、許可されなかったとしても、もう一度理事で押し通すだけだがな」

 

私はお父様、お母様両方にもう一度抱きしめられ、ホグワーツ特急に乗り込む。

 

「こっちだ、ダリア。クラッブとゴイルが今コンパートメントを()()()()。そこに行くぞ」

 

そう言うお兄様についていくと、取り巻き二人がコンパートメントを取ってくれていた。

 

「ありがとう、二人とも」

 

そう言うと二人が私に頭を下げる。

 

 

 

 

ちょうどその時特急がついに動き出す。

頭を下げる二人をしり目に、日傘で日光を防ぎながらコンパートメントから顔を出し、お父様たちに手を振る。

 

「行ってまいります!! お父様! お母様!! またクリスマスに!!」

 

同じく顔を出したお兄様と手を振る。お母様は片手で目元を拭きながら手を振り、お父様は片手を優雅にたてておられる。

お兄様は途中で恥ずかしくなったのか引っ込んだが、私は二人が見えなくなるまで、手を振り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナルシッサ視点

 

「行ってしまったな」

 

「ええ、しばらく寂しくなるわ」

 

「何、今生の別れというわけではあるまい。クリスマスにまた会える。その時はドラコがどれ程勉学に励んでいるか確認せねばな」

 

そう言って笑う夫に、

 

「あら、ダリアは?」

 

私は悪戯っぽく尋ねた。

 

「ダリアの心配などする必要はない。あの子は十分すぎるほどに出来た子供だ。心配なのは寧ろ()()()()()()()ことだ。私たちに迷惑かけまいと、なかなか我儘を言わない。あの子は悩みを中に抱え込んでしまう。親子なのだからもっと頼ってほしいものだが」

 

「私たちに迷惑をかけまいと思っているのでしょうね。あの子は優しすぎるところがあるから」

 

「ああ、まったく、子供は親に迷惑をかけるものだ。それにあれではいつか、あの子が壊れてしまうかもしれない。ホグワーツに行って他の子供と触れ合うことで、少しでも我儘を言うようになってほしいものだ」

 

「ふふ、そうね」

 

そう私たちはもう見えなくなりつつある列車を見やるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ホグワーツ特急の中には娯楽が少ない。外を眺めているか、車内で売ってるお菓子を食べているか、友達と話しているか……そして私のように持ち込んだ本を読むかだ。

しかし私が何故本を読んでいるかと言うと、私が本を読むのが好きということもあるのだが……一番の理由はなるべく目の前にいる二匹の豚を視界に入れたくなかったというものだった。

最初の頃はよかった。話がかみ合わないながらも、これからのホグワーツ生活の話をすればいい。

 

問題は車内販売が来てからだった。

 

マルフォイ家はお金持ちだ。だがそれに及ばずとも、クラッブ家、ゴイル家ともにお金持ちの名家だ。

そんな奴等だからこそ、もっているお小遣いも結構な額だ。

 

結果、この人間に食べきれるかわからぬ量のお菓子が散乱した豚小屋が完成したわけだ。

 

お兄様も視界からその光景を追い出したいのか、クラッブとゴイルと話すのに、()()()を見ながら話している。

この吐き気を催すような光景を目撃しながら、二人と律儀にお話になるとは……さすが優しいなお兄様。

と、現実逃避ぎみに感心していると、

 

「おい、前の車両にハリー・ポッターがいるらしいぞ!!」

 

「すげー!! あの生き残った男の子だろう!」

 

そんな興奮した声がコンパートメントの外から聞こえてきた。

 

「おい、ダリア! ハリー・ポッターだとさ! 僕達も見に行こう!!」

 

「あまり迷惑をかけてはいけませんよ。ここまでもおそらくジロジロ見られたことでしょうし。……ただ、挨拶程度なら構わないでしょう。いずれ同級生になるのですしね。……それにこの部屋から出たかったもので」

 

そう言って本から久しぶりに顔をあげると、なぜかもうお菓子がなくなっていた。

 

あなたたち、あれだけの量をもう食べきったの……?

 

驚愕したように二人を見ていると、お兄様が急いだように前の車両に行ってしまわれた。その後をクラッブとゴイルが、その後を私がついて歩く。

最初は二人が私の後ろを歩こうとしたのだが、別にハリー・ポッターに興味があったわけではないので、先に二人を行かせる。

もっとも二人を先に行かせたことで、前に巨大な壁ができてしまい、視界のほとんどがなくなってしまい後悔した。

そうこうしているとお兄様がハリー・ポッターがいるらしいコンパートメントのドアを開ける。

 

「このコンパートメントにハリー・ポッターがいるって、汽車の中じゃその話で持ち切りなんだけど、それじゃ、君だったのかい?」

 

「……ああ、そうだよ」

 

前の方から聞こえる声に聞き覚えがある。たしか……マダム・マルキンの店で会った男の子の声だ。

あの子がハリー・ポッターだったとは。

 

「こっちはクラッブ、こっちがゴイル。後ろにいるのが……見えないな。まあ、後ろにいるのが双子の妹のダリア。そして僕はドラコ、ドラコ・マルフォイだ」

 

そう私たちをお兄様が紹介する。

だが何が面白かったのか、マルフォイというところで、ポッターとは違う笑い声がした。

 

は? 今マルフォイ家を笑ったのですか? 殺しますよ?

 

私が後ろで殺意すら覚えているのを雰囲気で感じたのか、前の二匹の背中から冷や汗が噴き出す。しかし振り返るのはもっと怖いのだろう。前から決して視線を動かそうとしない。

そんな状況が後ろで繰り広げられているとは知らずに、前の愚か者共とお兄様の会話は続く。

 

「僕の名前が変だとでもいうのかい? 君が誰だか聞く必要もないね。お前はウィーズリー家だろう? パパが言ってたよ。ウィーズリー家はみんな赤毛で、育てきれないほど子供がいるってね」

 

成程、ウィーズリー家だったか。ということは見事な赤毛なのでしょうね。さぞ燃やしたら赤が映えるだろう。

そう物騒なことを考えていると、

 

「ポッター君、魔法族にも家柄の良いのと、そうでないのとがいる。間違ったのとは付き合わないことだ。僕が教えてあげるよ」

 

そう言ったお兄様に対して、

 

「悪いけど、友達は自分で決められるよ。どうも御親切様」

 

ポッターは冷たく返した。

 

ポッターは……まあいい。あのマダム・マルキンの店で会った男の子だとしたら、彼のお兄様に対しての好感度はほぼ最悪と言っていいだろう。この対応でも納得できる。

お兄様をなめた態度とはいえ、お兄様にも非がある以上仕方がない。これを糧に、お兄様には下々の者との付き合い方を学んでいただこう。

 

だが、お前は別だウィーズリー。お前はマルフォイ家を、私の愛する家族を馬鹿にした。顔を見ないと収まらない。

 

「それじゃ用が済んだのなら、出て行ってくれないかな?」

 

「出ていく気分じゃないな。ここには食べ物もある。僕たちのはもうなくなってしまってね。出ていくのは君たちの方だろう?」

 

前の方で誰かが立ち上がる気配がする。

 

「僕たちとやるつもりかい?」

 

「いますぐ出ていかないならね」

 

そう一触即発空気の中、

 

「ぎゃあ!」

 

急にゴイルが悲鳴を上げた。みると指に一匹の小汚いねずみが噛みついている様子だった。

悲鳴を上げながらネズミをぐるぐる振り回し窓に叩きつけたあと、お兄様達は急いで元のコンパートメントに走っていった。

 

私は廊下の端により、そんな彼らをやり過ごす。

 

……さて、私も()()しないと。

 

「スキャバーズ、大丈夫かなあ?ノックアウトされちゃったみたい」

 

「ちがう……驚いたなぁ。また眠っちゃってるよ」

 

そう中でネズミを心配そうに見ている二人の背中に声をかける。

 

「またお会いしましたね、ハリー・ポッター」

 

そう挨拶すると、二人はびくっと肩を震わせ、驚いたようにこちらを振り向く。

先ほどは巨体の陰で見えなかったせいか、私がいたとは思わなかったのだろう。

 

「君は……」

 

「ええ、以前も一度お会いしましたね。私、ダリア・マルフォイと言います。これからは同級生ですし、どうぞお見知りおきを」

 

そう挨拶をし、忌々しい赤毛をした男の子の方を向く。

 

「それで、あなたは何というお名前ですか?」

 

「マ、マルフォイ家がなんのようだ!? お前の兄はもう出て行ったぞ!! お前もはやくいけよ!」

 

「いえ、先ほどなんだか不快な声を聴いてしまいましてね。我がマルフォイ家を愚弄する不届きものの名を聞いておこうと思ったのです……」

 

ふうと一度言葉をきり、

 

「もう一度だけ聞いてあげます。あなたの名前は?」

 

私は殺気を込めて再度尋ねた。

次に応えなければ、必ず殺してやるという思いを込めて。

 

「ロ、ロナルド・ウィーズリーだ」

 

「そうですか、しっかりと覚えました」

 

ロナルド・ウィーズリー。覚えました。

私は今度こそお兄様のいるコンパートメントに向かう。

部屋をでる直前、

 

「次、我がマルフォイ家を馬鹿にするようなら…………殺しますよ」

 

そう言うと、おびえたようにこちらを見つめる二匹を振り返ることもなく、お兄様の元に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

マルフォイ達が逃げていったあと、眠っているスキャバーズを心配していると、

 

「またお会いしましたね、ハリー・ポッター」

 

そう綺麗なのに、どこまでも冷たい声がかけられた。

驚いて振り向くと、そこには以前店で会った、ドラコ・マルフォイの双子の妹、ダリア・マルフォイがいた。

さっきはクラッブとゴイルのせいで見えなかったのだろう。でも、まだいるとは思わなかった。

 

「君は……」

 

彼女は前回と同じ無表情でこちらを見ながら、表情同様の冷たい声で話し続ける。

 

「ええ、以前も一度お会いしましたね。私、ダリア・マルフォイと言います。これからは同級生ですし、どうぞお見知りおきを」

 

言葉こそ丁寧だが、こっちをゴミか何かだと思っているといわんばかりの無表情だった。

だけど、

 

「それで、あなたは何というお名前ですか?」

 

そうロンにかけた声は、さらに冷たい表情をしていた。

 

「マ、マルフォイ家がなんのようだ!? お前の兄はもう出て行ったぞ!! お前もはやくいけよ!」

 

そうロンが気丈に返すも、

 

「いえ、先ほどなんだか不快な声を聴いてしまいましてね。我がマルフォイ家を愚弄する不届きもの名を聞いておこうと思ったのです……」

 

返す言葉はさらに冷たさを増していく。

 

そして

 

「もう一度だけ聞いてあげます……。あなたの名前は?」

 

それはまぎれもない最後通牒の響きを持っていた。

今度ばかりは耐えきれなかったのか、

 

「ロ、ロナルド・ウィーズリーだ」

 

ロンは自分の名前を名乗った。

 

「そうですか、しっかりと覚えました」

 

聞きたいことは聞き終わった。そういわんばかりに今度こそコンパートメントから出ていこうとする。

だが、扉の所で立ち止まり、

 

「次、我がマルフォイ家を馬鹿にするようなら…………殺しますよ」

 

それは紛れもなく、今まで自分が覚えている中で、初めて感じた殺気だった。

 

 

 

 

彼女が出て行き、先ほど感じていた恐怖がようやく薄れてきた頃。

 

「僕、あの家族のことを聞いたことがある。『例のあの人』が消えた時、真っ先にこっち側に戻ってきた家族の一つなんだ。魔法をかけられたって言ってたらしいけど、僕のパパは信じないって言ってた。マルフォイの父親なら、闇の陣営に味方するのに特別な口実はいらなかったろうって」

 

そうぽつりとつぶやくロンの話を聞きながらふと思う

 

どうして前会った時の彼女の瞳は、薄い金色だったのに、さっきは()()()だったのだろうかと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

まったく不快な奴だった。今度マルフォイ家のことを馬鹿にしていたら、殺しはしないまでも、殺してほしいと思うようなことはしてやろう。

そう思っていると、前から茶色の多い縮れ毛の女の子が走ってきた。

 

私の無表情をみて一瞬たじろぐも、それに臆することなく尋ねてくる。

 

「ねえ、ここで喧嘩があったって聞いたのだけど?」

 

「いいえ。()()などありませんでしたよ」

 

そううそぶくと、

 

「あら、そう。でも、ここの男の子は本当に子供なんだから。あなたも気をつけないとだめよ?」

 

そうよくわからないお節介をかけてくる子に驚きながら、

 

「ええ、そうしますね。では私、そろそろ着替えねばならないので」

 

そう言って別れを告げるのだった。

 

この子は、何がしたかったのだろう?

 

 

 

 

私とハーマイオニー・グレンジャー。今後何度も会話することになる彼女との初対面は、たった数秒のものでしかなかった。



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入学式(組み分け)

 ダリア視点

 

ちょっとした出会いのあとは特に何事もなく、列車の旅は順調にその目的地に近づいている。

あの後部屋に戻った私は、盛大にポッターの悪口をしているお兄様達と交代で制服に着替え、再びコンパートメントでの雑談と読書の時間に戻っていた。

あんなにお菓子を購入した生徒は初めてだったのか、車内販売の婦人が味をしめて再び私たちのコンパートメントを訪れたが……豚二匹が何か言う前に私が断った。

 

再びここを豚小屋にしてなるものか。

 

お菓子がないためお兄様達は手持ち無沙汰だったのか、再びポッターの悪口を、私は読書に戻ってしばらく、ようやく汽車の速度が落ち始める。

 

「そろそろだな」

 

「ええ」

 

といっても、制服に着替えてしまっている私たちには特別することはない。

荷物の整理も、原理まではわからないがここに置いておけば自分の決まった寮の部屋に勝手に運ばれる仕組みになっているらしい。おそらくホグワーツに大勢いるという、しもべ妖精がやってくれているのだろう。

そうこうしているうちに、列車が止まった。ホグワーツ最寄り駅の『ホグズミード駅』に到着したのだ。

列車が止まり、ゾロゾロと生徒達が降り始める。もうすでに暗くなった辺りを見回していると、向こうの方から、

 

「イッチ年生! イッチ年生はこっち!」

 

そう言いながらランタンを掲げた大男が近づいてきた。

 

「あの方もダイアゴン横丁でみましたね」

 

「ああ、父上が言ってた野蛮人だよ」

 

野蛮人かはともかく、こうやってみると本当に大きい。何を食べたらあれほど大きくなるのだろう。最も、クラッブとゴイルと違ってこの大男は筋肉の塊といった風情だったのだが。

 

「イッチ年生はもう残っていないな? さあ、ついてこい! 足元に気をつけろ。いいか! イッチ年生、ついてこい!」

 

そう歩き出した大男に私たち一年生はついていく。私たちより大きい生徒達は違う方向に歩いて行ったことから、一年生だけがこの道を歩くらしい。

それは道とかろうじて言える代物だった。あたりは暗く、足元もでこぼこしているためか非常に歩きにくい。

一年生は皆必死に足元に注意しながら歩いていると……狭い道が急に開け、視界が開くとそこには大きな黒い湖のほとりだった。

そして湖の向こうに山がみえ、そのてっぺんには、

 

「ほら、イッチ年生! 見えたぞ! ホグワーツだ!!」

 

大きく、大小様々な尖塔をもった、荘厳なお城がみえたのだった。

 

「あれがホグワーツ」

 

そう、あれこそ私とお兄様が今から魔法を学ぶ場所。

魔法族の子供なら誰もが行くことに憧れる、世界有数の魔法学校、ホグワーツだった。

あまりに荘厳な景色に、一年生たちが歓声をあげていると、

 

「さあ、4人ずつボートに乗るんだ!」

 

私達の注意を城から引きはがそうと大男が大声を上げる。

大男の指示に従い、お兄様、私、そしてクラッブとゴイルがボートに乗る。……正直、二人のせいでボートは非常に狭かった。

 

ホグワーツの煌々とした明りに照らされた広大な湖を、私たち一年生のボートが滑るように進んでいく。

暗い夜に浮かぶ巨大な城はあまりに美しく、いつまでも眺めていたいと思っていたところ、

 

「頭さげー!」

 

再度大男の指示が響き、皆慌てたように頭をさげる。

ボートの集団は崖下のツタのカーテン、そして城の真下と思われるトンネルをくぐることで、地下の船着場に到着した。

 

「ホイ、お前さん。これは、お前さんのヒキガエルか?」

 

忘れ物を確認していたのか、大男は丸顔の男の子にヒキガエルを渡し、

 

「さあ、イッチ年生、ついてこい!」

 

そう再び一年生を連れて歩き出す。

大男の先導に従ってごつごつした岩の道を通り、ようやく城の玄関と思しき巨大な樫の木の扉にたどり着いた。

重そうな扉を、大男が軽々と開ける。

扉の向こうには、エメラルド色のローブを着た厳格そうな黒髪の女性がいた。

 

「マクゴナガル先生。イッチ年生を連れてきました」

 

「ご苦労様、ハグリッド。ここからは私が預かりましょう」

 

どうやらここからは、こちらの女性が連れて行ってくれるらしい。

ようやく歩ける平たい地面を踏みしめつつ、石畳のホールを横切る。行く手には二つの扉があり、片方からはざわめきが聞こえることからこの扉の奥で入学式が行われるのだろうと考えていたのだが……生徒が連れられて入ったのは、その脇にある小さな部屋の扉の方だった。

 

「まずはホグワーツ入学おめでとうございます。新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。寮の組分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間、寮生が学校での皆さんの家族のようなものとなります。寮は四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンです。それぞれ輝かしい歴史があって、数多くの偉大な魔法使いが卒業していきました。ホグワーツにいる間、皆さんのよい行いは自分の属する寮の得点になりますし、反対に規則に違反した場合は寮の減点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。どの寮に入るにしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りになることを望みます」

 

そして、準備が整うまで身なりを正して静かに待っているようにと言い残し、マクゴナガル先生は部屋を出て行った。

マクゴナガル先生が出ていくと、周りの一年生たちは思い思いに身だしなみを整えながら、これから始まる入学式の話をしている。

 

「一体どうやって寮を決めるんだろう?」

 

「組み分けは試験のようなものだと思う。すごく痛いってフレッドが言ってたけど、きっと冗談だから大丈夫さ」

 

そんな会話が近くから聞こえる。周りの子たちも同じような疑問を口々に話している。

マグル生まれの子がそれなりにいることもあるのだろうが、魔法族の子供でも、この寮の決め方を子供に教えないというのがある種の伝統らしい。

お父様は私たちに話したが……。

帽子をかぶって資質をみるとかどうとか。少なくとも、近くの生徒が話しているような試験のようなものはないのだろう。

 

お父様の話を思い出し、はやくもホームシックを感じそうになってしまう。しかし、横からぶつぶつ何か聞こえることに気付き、一体なんだろうとそちらを見やる。

 

そこにはひたすら自分の覚えている呪文を唱えている少女がいた。

 

そういえば汽車の中で会った子だなと思って、なんとはなしにその呪文を聞く。

おそらく周りの生徒同様これからある寮決めが試験か何かだと思った少女は、必死に勉強したことを確認しているのだろう。

そんなこと思いながら聞いていると……その呪文が一年生後半どころか、二年生に少し入ったくらいのところまで勉強しないとわからないものだということに気付いた。

 

お兄様はさぼりがちだったとはいえ、マルフォイ家の跡取りということもあり、小さいころからしっかり教育されてきていた。そんなお兄様を超えるとは……彼女は相当勉強熱心なのだろう。魔法族であれ、マグル生まれな子であれ、相当勉強が好きなのだろうと考えられる。それどころか、もしマグル生まれな子なのだとしたら、今まで魔法のことなど知らなかったのだから、勉強好きというだけでなくとても物覚えが良いということになるのではなかろうか。

そう少しだけ、この縮れ毛の女の子に興味を持っていると、

 

「さあ、行きますよ。組分け儀式がまもなく始まります」

 

マクゴナガル先生が戻ってきた。

私達は先生に連れられ、再び玄関ホールに戻り、そこから二重扉を通って生徒たちは大広間に入った。

 

大広間には四つの長テーブルがあり、それぞれ寮の上級生が何百人も着席している。

テーブルには金色のお皿とゴブレットが置いてある。

空中に浮かぶ星の数ほどの蝋燭が、広々とした広間を照らす。

見上げた天井には、ビロードのような黒々とした空に、星が点々と光っていた。

 

「本物の空?」

 

「違うわ。本物の空に見えるように、魔法がかけられているのよ。ホグワーツの歴史という本に書いてあったわ」

 

誰かがあげた素直な疑問に、すぐ後ろを歩いていた縮れ毛の女の子が答えている。

一年生が大広間の前の方に連れてこられると、マクゴナガル先生が四本足のスツールを置き、その上にさらにとんがり帽子を置くのが見えた。

その帽子は、この城の中で一際浮いているようにみえた。何故なら帽子のあちこちはツギハギだらけだし、ボロボロでとても汚らしかったのだ。

 

あれをかぶらねばならないのですね……。

 

そう思っているといつの間にか静まり返っていた大広間で、そのくたびれた帽子が突然歌い始めた。

 

『私はきれいじゃないけれど

人は見かけによらぬもの

私をしのぐ賢い帽子

あるなら私は身を引こう

山高帽子は真っ黒だ

シルクハットはすらりと高い

 

私はホグワーツ組み分け帽子

私は彼らの上をいく

君の頭に隠れたものを

組み分け帽子はお見通し

かぶれば君に教えよう

君が行くべき寮の名を

 

グリフィンドールに行くならば

勇気のある者が住まう寮

勇猛果敢な騎士道で

他とは違うグリフィンドール

 

ハッフルパフに行くならば

君は正しく忠実で

忍耐強く真実で

苦労を苦労と思わない

 

古く賢きレイブンクロー

君に意欲があるならば

機知と学びの友人を

ここで必ず得るだろう

 

スリザリンではもしかして

君はまことの友を得る

どんな手段を使っても

目的遂げる狡猾さ

 

かぶってごらん! 恐れずに!

興奮せずに、お任せを!

君を私の手にゆだね(私は手なんかないけれど)

だって私は考える帽子!』

 

帽子が歌い終わると今まで静かに聞いていた上級生、そして先生方が拍手する。

 

割れんばかりの拍手の中、私は物思いにふけっていた。

 

勇敢、忍耐、機知、そして狡猾さ。

最後だけなぜか印象が悪い言葉だが、ようするに目的を達成するための決断力……と言いかえることができる。

 

でもこれら四つの一つでも、まったく持ち合わせていない人間がいるのだろうか?

いや、これらは人間が生まれながらに持っている要素だろう。勿論偏りはある上、それが個性と言えるのかもしれない。

だから、この帽子が見るのはおそらく、その子がどのようなものを持っているかもあるだろうが……それ以上に帽子が最も見るのは、その子が何をその中から()()かなのだろう。

 

であれば、私の行くところは決まっている。

もともとお父様たちもそれをお望みだ。

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、帽子をかぶって椅子に座り、組み分けを受けてください」

 

そう言いながら、長い羊皮紙の巻紙を手にしてマクゴナガル先生が進み出た。

そして一人目が呼ばれる。

 

「アボット・ハンナ!」

 

金髪の三つ編みをした女の子が、恥ずかしいのか、頬を染めながら前に出て帽子をかぶる。

少しの沈黙の後、

 

「ハッフルパフ!」

 

帽子が叫んだ。

右側のテーブルがワッと湧き、安堵の顔を浮かべた一人目がハッフルパフのテーブルへ歩いて行く。

上級生は彼女を快く歓迎していた。

 

私たち兄妹はともに「m」だ。もう少し先になるだろう。

 

途中で呼ばれた、縮れ毛の女の子は「ハーマイオニー・グレンジャー」というらしい。

私の記憶では、グレンジャーという名前の家名は魔法族になかったはずだ。ということはマグル出身なのだろうとあたりをつける。やはり彼女は、素晴らしい才能を持っている。

 

そして順調に組分けが進み、ついにその時が来た。

 

「マルフォイ・ダリア!」

 

私は前に置いてある帽子に歩み寄る。

 

……特に緊張はない。

ただ()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけだ。

 

そう考えながら歩いていると、ふと、大広間が不思議な緊張をはらんだ静けさに満ちていることに気付いた。

スリザリンのテーブルだけは、ひそひそしながら私を見ている。

 

私の頭の上に帽子がおろされる。

私の視界は、真っ黒な闇に覆われた。

 

 

 

 

帽子がおろされる直前私が見たのは、数百人の生徒達全員が、私に恐怖を含んだ視線を送っている光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

ダリア・マルフォイ。魔法具の持ち込み申請書にあった少女がこちらにゆっくりと歩いてくる。

 

先ほどまで騒いでいた大広間の生徒たちは、静かに、そして食い入るように彼女を見ていた。

まるで目を離してしまうことに恐怖を覚えたように。

まるで目を離したすきに、何かよからぬことが起きるのでは、と思ったように。

 

全校生徒、そして教授たちの視線を集める少女は、ひたすらに美しく、そしてなにより冷たかった。

 

白銀の髪、そしてその髪にあわせたような真っ白な肌。じゃが薄い金色を持ったその美しい顔は、恐ろしいまでに無表情じゃ。この年の少女が浮かべるようなものではない。

じゃが……なぜかわしにはその表情こそが、彼女に最も似合った、彼女の魅力を最も引き立てている表情のように思えた。

そう考えながら、わしの目は彼女が着用している手袋にいく。

 

あれは闇の魔術がかけられておるのう。なんの効果があるかまではわからぬが。やはり最初に危惧していたことは間違いではなかったようじゃ。

 

彼女の入った寮監には注意を促さねば。

 

そう今後のことを考えながら、彼女の組み分けに視線を戻す。

しかし、何なのじゃろうの……この子のオーラは。とても新入生が醸し出すようなものではない。

 

遥か昔、トムが在校していた時にも似たようなオーラはだしておったが、まるでこの子のものは……()()()()()()()()()()()印象をうけるのう。

 

わしはそう無意識に考えてしまい、急いで頭を振る。

……わしは、何を馬鹿なことを考えておるのじゃろう。この子を見たのは、これが初めてじゃ。それなのに、この子の第一印象で人間性を見極めた気になるとは。

 

わしは教育者として、そんな印象を生徒に持ってはならない……そう自分をしかりつけるのじゃが、最後までその印象をぬぐい去ることができんかった。

 

 

 

 

どうか、トムのようになってくれるでないぞ、ダリア・マルフォイよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「ふ~む。恐れを知りながら進む勇気がある。じっと時を待つ忍耐力、そして素晴らしい知識欲、才能がある。だが、やはり一番大きいのは、どんな手段でも目的を達しようとするその狡猾さだな」

 

「ええ、私もそれを選ぶ」

 

「しかし、よいのか? 同時にそれは君の望まぬ道に通じているとも思っているのではないかね? 君には偉大な血が流れている。それは君の望んでいるものではないのではないかね?」

 

「……たとえ、そうなったとしても。私が選ぶものはかわらない。それがたとえ、私が望まないものを私にもたらすとしても、私はもうそんなことで立ち止まりはしないと決めたのです。6年前のあの日に。だから、帽子さん? 私が望むのを。そんな私が一番ふさわしい寮に」

 

「ふむ。そこまで言うなら、やはり君にはあそこしかあるまい。では……」

 

一瞬沈黙し、

 

「スリザリン!!!!!」

 

帽子はそう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私はグリフィンドールに組み分けされた。帽子はレイブンクローと悩んでいたが、先輩方が優しく迎え入れてくれたので、こちらでよかったとほっと胸をなでおろす。

私の後も組み分けは順調に進み、どんどん周りの子の名前が呼ばれていく。

 

そしてついにその子の名前が挙がった。

 

「マルフォイ・ダリア!」

 

その子は私が汽車の中で出会った子だった。

 

はじめて会った時も無表情な子だった。

ひるみながらも話しかけてみると、こちらにかけらほどの興味も示していない表情とは裏腹に、言葉はなんだか普通の子のように感じられた。

だが今、前に歩いていく彼女は、会った時と同じ無表情なのもあるが、あの時にはなかったひどく冷たいオーラを大広間中に振りまいていた。

 

あの時私が感じたことは思い違いだったのだろうか?

 

「あの子……なんだかこわい」

 

私の隣にいた子が、思わずといった様子でもらす。

その子だけじゃない、なぜかみんなそんな風に思っている様子だった。

 

でも、私には……なぜだか、遠くに見えるその子の背中が少しだけ……

 

 

 

 

冷たいながら、ひどく悲しそうなものに見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

僕の前にダリアが前に呼ばれる。組み分けが始まる少し前から、なんだか妙な表情をしていたが、どうしたのだろうか?

ダリアは昔から悩みを内にため込もうとするところがある。おそらく本当の子供ではない自分に引け目を感じてのことなのだろうが、僕も、そして父上母上もそれを内心悲しく思っていた。

 

僕たちは家族だ。

どんなに血がつながっていなくても。そんなことは、ダリアもおそらく思っているのだろう。でも、だからこそ、僕たちに迷惑をかけたくないと思ってしまっているのだろう。

 

一度父上と話したことがある。 

このままでは、おそらくダリアは壊れてしまうのではないかと。

 

ダリアが抱える事情は、僕は全部知っているわけではないが、どれも普通の女の子が抱えるには大きすぎる問題だらけだと聞いている。

ダリアはたぶん、今後もなかなか悩みを言いはしないだろう。だが、それでもダリアの、たった一人の妹が悩んでいることくらい察してやれる、そばに寄り添ってやれる。

 

 

 

 

そう、ずっと昔、小さい頃に思い、今まで決めてきたことを改めて心の中で確認するのだった。

 



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入学式(出会い)……主人公挿絵あり

挿絵あります


  

 ダリア視点

 

私は無事スリザリンに入ることができたので、今まさに上級生達の歓声が上がっているテーブルに向かう。

マルフォイ家は『聖28一族』筆頭であるため、必然的にここにいる子供のほとんどは私より格下の家の子となる。そのため私はどこか恭しい雰囲気で上級生達に迎え入れられた。これは純血主義の多いスリザリンならではの光景だろう。

最も、私がお茶会で会わなかっただけで、同級生の中に他の『聖28一族』がいるとお父様はおっしゃっていた。その子達はこんなふうな態度は取らず、ある程度対等な関係を築くことができるのだろうか?

そう益体のないことを考えていると、

 

「マルフォイ・ドラコ」

 

私の次にお兄様が呼ばれた。私とファミリーネームが同じなのだから当然だ。

お兄様が組み分け帽子の方に歩いていく。そして帽子を頭にのせるかのせないかの内に、

 

「スリザリン!!」

 

帽子は声高に叫んでいた。

やはりお兄様はスリザリンだった。お兄様は血筋を、家族を大切にされている。それならば入るのは当然ここだろうという読みは正しかった。

お兄様は私と同じように上級生に迎え入れられながら、

 

「ダリア。これで一緒の寮だな」

 

「ええ、お兄様。7年間よろしくお願いしますね」

 

そう二人で笑いあった。

 

……そして心底どうでもいいことだが、クラッブとゴイルも無事にスリザリンに入ることができた。

彼らの場合だけは勇気、忍耐、機知をはたして持っているかも、望んでいるかすら怪しかったので、この結果は家柄的にも順当なものだろう。

途中ポッターの名前が呼ばれ、あたりが騒然となる出来事もあったが、概ね順調に組み分けは終了した。

組分けが終わると同時に、教員席の真ん中に座っていた校長と思しき、銀色の長い髭と髪をした長身な老人が立ち上がり言った。

 

「ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ。そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

あまりの内容に一瞬何事かと思ったが、周りの人間が平然としていることからどうやら彼の平常運転らしい。

大量の料理が机に置かれていた金色の皿に現れ、上級生、そして入りたての新入生達が歓声をあげ、その素晴らしい料理に舌鼓をうつ。

お兄様達は上級生の方と話しておられる。スリザリンの寮杯をとるための必勝戦略がどうとか。

そして私も横耳にその話を聞きながら、血の滴るようなステーキを食べていると、

 

「ねえ、さっきすごい雰囲気出してたけど、あなたがあの有名なダリア・マルフォイ?」

 

前に座っていた……金髪で、目のパッチリとした美人というより可愛いといった表現が似合っている女の子が話しかけてきた。

 

「ええ、どう有名か知らないですが、私がダリア・マルフォイです。貴女は?」

 

「私はダフネ・グリーングラス! あなたと同じ聖28一族よ。私の組み分け見てなかったの?」

 

どうやらいきなり件の『聖28一族』の一人に会えたらしい。

私は全く動かない表情筋を、なるべく申し訳なさそうに見えるように努力しながら応えた。

 

「ごめんなさい、少し考え事をしていたものですから」

 

「そうなの……」

 

案の定少し寂しそうにされた。なんだか本当に申し訳ないことをした気分になる。

 

「ところで、グリーングラスさん、」

 

「ダフネでいいわ。これから同じスリザリン生なんだし。それに私はあなたと同じ純血だものね!」

 

「ええ、では私のこともダリアと。ところでダフネ。私が有名というのは?」

 

「まあ、あなたは知らないかもね。マルフォイ家の聞こえないところで皆話をしていたし。あなた6歳の時のお茶会で、今回と同じようにすごい雰囲気だしてたらしいじゃない。おまけにすごい美人だし。それでいろんな所の家があなたと交流を持とうとしたみたいなのに、あれから一度もマルフォイ家があなたをパーティーに出さなかったでしょ? だから皆、あなたのささいな情報でもいいから血眼で探してたってわけ。その情報を元にあなたに少しでも近づけたらと思ったんじゃないかな?」

 

それ、私にしてはいけない話なのでは?

 

私は6歳のお茶会からパーティーに出たことがない。ホグワーツで共に勉学をする交流ならともかく、パーティーで知り合って仲良くするというのは、純粋な交流の側面以上に家同士の付き合いというのも関わってくる。

 

つまり端的に言えばお見合いなどだ。

 

だが私の場合、マルフォイ家の代表としてそういった付き合いに参加するには……余りにも大きな秘密を抱えすぎていた。

それは勿論吸血鬼のことだ。

仮にお見合いに発展してしまった場合、相手に私の体のことが露見するのは必定だ。そうなれば吸血鬼を家族として囲っていたと、他の純血貴族から、マルフォイ家が後ろ指をさされる結果になってしまう。

だからこそ、私は最初のお茶会だけ参加し、尚且つその場で紹介されたのが、私とお見合いに発展することのないだろう格下の家柄のクラッブとゴイルだったのだ。

……尤も、お父様達は私をあれからもパーティーに参加させようとはしていた。将来的な不安はあれ、私をのけもののように扱うことがお嫌だったのだろう。

私はそんなお父様たちの優しさを嬉しく思いながらも、なんとかお父様達を説得し、お茶会への参加を最初の一回のみで終えている。

これ以上、私がマルフォイ家に迷惑をかけるわけにはいかない。

以降はお父様曰く『外に出したくないほどに、可愛い私の娘』という扱いにすることで、なんとか乗り切っているようだった。

 

「まあ、ダリアをパーティーにマルフォイ氏が出そうとしなかったのは納得だわ。ダリア、無表情だけどすっごい美人だもの」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「お礼言う時も無表情なのね……」

 

そう苦笑しているダフネとおしゃべりする。

彼女は私の無表情を見ても、特に何も思わないらしい。おおらかで、元気な性格の持ち主なのだろう。頭は少しゆるそうだが。

この子とは()()()()()うまくやっていけそうです。

私は僅かに暗さが籠った思考でそう思った。

 

皆が料理を食べ終えた頃、校長が立ちあがり宣言する。

 

「全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある。一年生に注意しておくが、校内にある森に入ってはいけません。これは上級生にも、何人かの生徒たちに特に注意しておくぞ」

 

半月眼鏡の奥から覗くブルーの目が、グリフィンドールの席の誰かを見ている。

 

「管理人のフィルチさんから、授業の合間に廊下で魔法を使わないようにという注意があった。今学期は二週目にクィディッチの予選がある。寮のチームに参加したい人はマダム・フーチに連絡するのじゃ。そして最後じゃが、とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右の廊下に入ってはいけません」

 

始まり同様、校長が再びとんでもない発言をした。

……何故そんな危ない場所が学校にあるのですか? とりあえず、お兄様が間違って入らないように注意しておかねば……。

それから謎の校歌を全員で歌い、入学式は解散となった。

 

「これから寮に案内する。俺についてこい」

 

そう言う監督生の後を、新入生達はゾロゾロとついて歩く。大広間を抜け、階段を上がったかと思えば、再び地下へ続く階段を降りて行く。どうやらスリザリンの寮は地下にあるようだった。

監督生は湿ったむき出しの石が並ぶ壁の前で立ち止まると、

 

「純血」

 

そう、おそらく合言葉であろうものを言い、開いた壁から中に入ってゆく。

そこは緑色のランプに照らされた談話室だった。大理石でできているためか、荘厳な雰囲気を醸し出している。さすが純血貴族が入る寮。

隣で目をキラキラしているダフネとあたりを見回していると、

 

「ここがお前たちが今日から暮らす、栄光あるスリザリン寮だ。荷物はもうそれぞれの部屋に運んであるはずだ。今日はもう休んでいい。だが、明日から気を抜くな。我々はこの六年間寮杯を手にしてきた。今年も寮杯を取れるかは君たちにもかかっている。それを忘れるな」

 

そう締めくくり、監督生は新入生を解散させる。

やはり皆一日いろんなことがあったせいかクタクタなのだろう。気もそぞろに自分の部屋を目指して歩いていく。

 

「では、お兄様、おやすみなさい」

 

「ああ、ダリアもおやすみ」

 

お疲れの様子のお兄様に挨拶をし、私も部屋を目指すことにする。

ダフネと共に女子寮の階段をのぼり、自分の荷物がある部屋を探していると、

 

「あら、私の荷物がある」

 

隣を歩いていたダフネがそう言って、一室に入ってゆく。

よくみれば私の荷物もこの部屋にあった。

 

「どうやら私もこの部屋のようですね」

 

「そうなの? よかった! ()()()()()()()! ダリア、これから七年間よろしくね!」

 

ダフネは私が今まで会ったことのないタイプの人間なため、元気に握手を求めてくる様に一瞬驚くが、すぐ持ち直し、

 

「はい、こちらこそ。ごめんなさい、諸事情で手袋はとれないのです……」 

 

「そうなの? 別に構わないよ!」

 

おそらく、私が理由を私が話したくなさそうにしているのを察したのだろう。

彼女は元気よく、私の手を握るのだった。

 

「あなたたちもこの部屋?」

 

二人で握手をしていると、突然少し高飛車な声をかけられる。

部屋の入口をみると、パグ犬のような顔をした女の子と、女の子にしてはがっちりした体格の子が入ってくるところだった。

 

「あら、あなたは……」

 

パグ犬顔の女の子が私の顔を見た瞬間、先ほどの高飛車な声から急に媚びるような声を出し始める。

 

「もしかして、貴女がダリア・マルフォイさん?」

 

この子もどうやら私のことを知っていたらしい。純血というのは思った以上に狭いコミュニティーなのだろう。

 

「ええ。あなたは?」

 

「私はパンジー・パーキンソン。そしてこっちがミリセント・ブルストロードよ。私たち、どちらもあなたと同じ聖28一族よ。ダフネ、あなたも久しぶりね」

 

「うん、久しぶりだね二人とも!」

 

そういう私たちに満足したのか、二人は自分の荷物が置かれたベッドを確認しに行く。

 

「お知り合いだったのですか?」

 

「うんまあね。ただ、私もダリアと同じであまりお茶会に行かなかったから、二人とは会った時に少し話をするくらいだったんだけどね」

 

そうこそこそ話してから、私たちも自分のベッドの確認に行く。

さすがスリザリン。マルフォイ家のベッドには劣りますが、ずいぶん寝心地がよさそうなものを使ってますね。

 

そう無表情でベッドをぽすぽす触っていると

 

「四人部屋の中が全員聖28一族でよかったわ。これからよろしくね」

 

そういってパンジー・パーキンソンが握手を求めてくるので、手袋をとれないことを告げてから握手をする。

ついでにとミリセント・ブルストロードが握手を求めてきたのでしてみると、見た目通りがっしりしていた手だった。

 

「それにしても、手袋をとれないわけって?」

 

どこか詮索するような眼をしてパンジー・パーキンソンが尋ねてくる。横でミリセント・ブルストロードも同じような目をしている。ダフネだけは咎めるような眼をして彼女たちを見た後、そっぽを向いて、聞こえてませんよとアピールしていた。

ダフネの言っていたことを考えると、おそらく私が話したことはすぐに彼女たちの親に伝えられるだろう。

 

やはり彼女達の前では気が抜けないな。といっても、私の気が抜ける相手など、後にも先にも私の家族だけだ。

 

「いえ、私は生まれつき魔法の力が強すぎるようで、これはそれを抑えるものなんですよ。と言っても、取ったら魔法が暴走するというわけではなく、あくまで念のためなのですけどね」

 

そうあらかじめお父様と作っておいた言い訳をする。この言い訳なら、怖がって外せとは言わないだろうし、もし仮に外さねばならない場面があったとしても、実際に私の魔法力が強いのもあり、すぐに嘘が露見することはないだろう。

 

「そう、大変なのね」

 

案の定、彼女は少し顔をこわばらせていた。マルフォイ家の手前、あからさまに恐がれない。それにそもそも魔法族にとって、魔法の力が強いというのは暴走しない限りは悪いことではない。

 

「そろそろ寝ないと明日に響くわよ」

 

そろそろ我慢できないほど眠くなってきたのか、ペットの猫をゲージから出しながら、ミリセント・ブルストロードが言う。

 

「そうね。明日からもう授業があるのだし」

 

そうパンジーは若干逃げるように、そそくさとベットに入っていく。

 

「じゃあ、私たちも寝ましょうか?」

 

「うん、そうだね。お休みダリア」

 

私たちもおやすみの挨拶をし、ベットに潜る。

やはりいいベッドを使っていますね。

と、どうでもいいことを考えながら、横になると私もなんだかんだ言って相当疲れていたのか、すぐ甘いまどろみの中に落ちていく。

 

睡魔にいざなわれながら、ふとあることに気付いた。

 

 

 

 

そういえば、ダフネだけは私が言いたくなさそうにしているのを無表情の上から察して、手袋を外さない理由を聞かないでいてくれたな……と

 




挿絵いただいたので、ここに掲載させていただきます。

ダリア

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バンドリーマーVさんから頂いた挿絵

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ダフネ

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閑話 遠い昔の記憶

 ドラコ視点

 

幼い頃の夢を見る。それは僕の中にある決意の夢。おぼろげだが、確かに存在した僕の決意の始まり。

 

 

 

 

ダリアは昔からなんでもできる子だった。

僕より勉強はできた上、外にあまり出ないくせに僕より運動までできた。

同い年の妹だというのに、彼女は僕より遥かに優秀な存在だったのだ。

だから、僕はダリアに当時嫉妬していた。

そしてそれを余計助長させるように、彼女はよく僕には与えられない……()()なものを与えられていた。

 

日傘、食器、手袋、そして時々彼女が飲む()()()()

 

それらが僕には与えられず彼女にだけ与えられるのは、彼女が僕より優れているからだと思った。そんな両親の視線を一心に集める妹に、当時の僕は激しく嫉妬した。

 

そんなある日。

妹が朝からのどの渇きを訴えていた。別に紅茶でも飲めばいいのでは、と思ったのだが、父上は今日も妹にあのジュースを与えることにしたらしい。

僕はそんな特別扱いされる妹が嫌いだった。

その赤黒いジュースなんて、正直本当に欲しかったかといえば……多分あまり欲しくなかった。ただ、それを独り占めする妹が嫌だっただけなのだ。

 

「父上、僕もそれが欲しいです!!」

 

僕は自分の中の嫉妬にあらがえず、父上にそう頼んだが、

 

「だめだ。これはダリアのものだ。それに、これはお前には飲めない」

 

父上の返答はにべもないものだった。

その飲めないという言葉が、本当に僕には飲むことが()()()()ということを表しているのだと、当時の僕にはわからなかった。だからその言葉が、僕にはそれを飲む()()がないという意味だと思ってしまったのだ。

僕にはその言葉が耐えきれなかった。その後部屋に帰ると、僕は部屋にふさぎ込んだ。何もかもが嫌だった。優秀な妹も、その妹をちやほやする両親も。

 

どれくらいそうしていただろうか、暗くしていた部屋に、突然明りが差し込んだ。

ドアの方を見ると、ダリアがじっとこちらを無表情で……心配そうに見ていた。

正直、その時の僕はダリアの顔など見たくなかった。

 

「あっちいけよ!」

 

思わずそう叫ぶと、ダリアは無表情で一瞬驚き、そのままパタパタと走り去っていった。

何故だか、その様子に僕は胸の奥がズキンとうずいたような気がした。

どうして、僕は妹のことが嫌いなのに。両親の関心をすべて独り占めする、彼女が許せないのに。

 

そんな風に自分の中に出来た不快感にしばらく悩んでいると、部屋に屋敷しもべ妖精が入ってくる。

 

「お坊ちゃま。夕食の時間でございます」

 

昼にあんなことがあったのだ。正直行きたくもなかった。だが、行かなければ父上はともかく、母上に心配をかけてしまう。

それはそれで嫌だったので部屋をでようとすると、ふと、ドアの外にお菓子の箱が置いてあるのに気付いた。それは当時の僕が一番好きなお菓子であった。

 

こんなものがなぜこんな所に?

 

答えなど分かりきっている。

ダリアが持ってきてくれたに違いない。

あの僕が怒鳴ってしまった時、彼女はおそらく僕を心配してこれを持ってきてくれていたのだ。

昔から、ダリアはそうだった。

僕が何かやらかしてお父様に怒られてしまった時、大切にしていたおもちゃを壊してしまった時、転んでけがをしてしまった時。

 

いつも僕が落ち込んだ時、彼女は僕のそばにいてくれようとしたし、慰めようとしてくれていた。

 

今回も僕が落ち込んでいると思って、ダリアはこれを持ってきてくれたのだろう。

自分が飲んでいたものをあげられなかった代わりに、これを持ってきてくれたのだろう。

 

そう考えていると、途端に自分が恥ずかしくなった。ダリアにひどいことをしてしまったと思った。

 

今日の夜にでも謝ろう。

 

そう思いながら夕食の席に着く。

いつものように家族で夕食を食べ終わると、突然父上が、

 

「ドラコ。これから私の書斎に来なさい」

 

そうおっしゃった。おそらく昼のことだろう。父上に怒られてしまう。

そう思いながら、父上の書斎につくと、

 

「ドラコ。すまなかった」

 

突然そうおっしゃった。

 

「昼。お前には悪いことをしてしまった。確かにお前からみたら、ダリアは特別扱いされているように見えるかもしれないと……シシーに言われて気付いたのだ。だからドラコ。あの飲み物はお前には与えられないが、代わりに何か欲しいものはあるか? 今回は特別だ。なんでも言っていいぞ」

 

いくら謝ろうと思ったとはいえ、まだ僕の中にはダリアに対する嫉妬があった。だから、

 

「では、ダリアがつけている手袋と同じものをください」

 

僕はダリアと同じものを性懲りもなく要求した。

ダリアは最近手袋をつけるようになった、黒いシルクのように滑らかなその手袋。それが僕にはひどくかっこよく見えたのだ。

しかし父上の返答は、

 

「……すまないが、あれもやれないのだ、ドラコ」

 

やはり否定の物でしかなかった。

その言葉に僕の中の嫉妬心はまた強く燃え上がる。

 

「どうしてですか!? 僕の方がダリアより劣っているからですか!? 僕がもらうに値しないからですか!? ダリアの方を愛しているからですか!?」

 

「そうではないのだ、ドラコ。決してそのようなことはないんだ。ダリアにドラコ。どちらも私たちにとって、大切な我が子なのだよ」

 

「では、どうして……?」

 

そう言い募る僕に、父上はしばし考え込むような顔をされた後、

 

「……そうだな、いずれお前にも知らせなければならないことだ。ダリアが知る前にお前に知らせた方がいいのかもしれない。おそらく、あの子は私たちには頼らないだろう。だが、お前には……」

 

そうつぶやかれて、父上は僕の顔まで膝を下し、僕の目を真剣に見つめられる。

 

「ドラコ。これから言うことを決して、決して人には言ってはいけないぞ。もし言えば、ダリアがひどく悲しい思いをすることになる」

 

そう言って、約束できるか?と尋ねる父上に僕は頷く。

ダリアに嫉妬していても、傷つけたい、悲しい思いをさせたいなんて思ったことは一度もなかった。

 

「わかった。お前の覚悟を信用しよう。ダリアはな……吸血鬼なのだよ」

 

「きゅうけつき?」

 

僕はその言葉の意味が最初理解出来なかった。

 

「そうだ。人の血を飲む亜人のことだ。体は強靭だが、日光と銀に弱い。お前も知っているだろう? ダリアが日傘をささねば外に行けず、私たちと同じ銀食器を使っていないことは」

 

そうだった。昔からなんとなくは疑問に思っていた。

なぜ、妹は日中外に出たがらないのか。なぜ出ても日傘をさしてるのか。そして、なぜ僕らと同じ銀食器を使っていないのか。

そうだったのか。ではあれはすべて。

 

「あれはすべて、ダリアが『きゅうけつき』だったからなんですね」

 

「そうだ。ダリアはとある純血の中の純血である方と、吸血鬼との間の子供だ」

 

そこで僕は思い至る。

 

「では、ダリアは、僕の妹ではないのですか?」

 

「……ああ、肉体的にはそうだな。だが、あの子は純血以上に純血な上、私とシシーがここまで育ててきたのだ。誰が何と言おうと、お前の妹だよ」

 

僕はずっと、ダリアが僕がもらえないものを貰っているのは、ダリアが特別扱いされているからだと思っていた。

だが、そんなことはなかったのだ。あれらは全て、僕が当たり前に享受しているものを……ダリアが享受できるようにするための、彼女に()()()()()のものだったのだ。

僕はなんて愚かなことを。一人で勝手に嫉妬していた。本当に嫉妬していいのは、僕ではなかったというのに。

 

僕はクィディッチが好きだ。箒に乗って空を飛びながら、風を切り、そして日に当たるのが好きだった。

一度、ダリアを誘ったことがある。だがダリアは悲しそうに首を振り、本に顔を戻してしまった。

 

そんなに勉強して父上に褒められたいのか!

 

とあの時は思ったが、今考えるとなんて馬鹿なことを考えたのだろうか。

 

彼女が勉強が好きということもあるが、それ以上に……ダリアは外に、日光に当たるクィディッチなどできなかったのだ。

 

そんなことも知らずに、妹に嫉妬し、傷つけてしまった。僕をいつも慰めてくれる妹を悲しませてしまった。

そう思うと、胸が罪悪感でいっぱいになった。

 

「もう、こんな時間か。今日はもうおやすみなさい。明日また、欲しいものはきこう。ただし、()と手袋以外でな」

 

やはりあのジュースは血だったのか。『きゅうけつき』なら、どこかで血を飲まないといけない。今まで妹を見てきた中で、飲んでいると考えられるタイミングはそこだけだ。

そう思いながら、部屋を出る直前、

 

「そういえば、あの手袋は何ですか?」

 

どうかそれだけは、彼女へのご褒美であってくれと思いながら尋ねる。

しかし、現実はどこまでも残酷だった。

 

「ああ、あれはあの子の力を抑える闇の道具だ。本来の用途は相手につけさせることで衰弱死させるものだが、まあ、道具は使い方しだいということだ」

 

 

 

 

自分の部屋に帰り、ベッドに腰掛けながら妹のことを考える。

 

ああ、自分はなんてひどいことを言ってしまったのだろうか。

自分はなんてひどいことをし続けてしまったのだろうか。

 

そんなことを考えていると、またドアが開き、ダリアがこちらを見ていることに気付いた。

 

今度こそは間違えない。そう思いダリアを手招きすると、ダリアはうれしそうな無表情をしながらパタパタとこちらに近づいてきて、僕の横に腰掛ける。

 

「おにいさま、まだつらい?」

 

そう僕に尋ねてくる。

この子は僕があんなに邪険に扱ってしまったのに、それでも僕の心配をずっとしてくれていたのだな

 

そう思うと、途端に目から涙があふれだす。

ああ、自分はこんなにいい妹をもっていたのかと。自分はこんなに素晴らしい妹に、あんな醜い感情を持っていたのかと。

愚かな自分がたまらなく恥ずかしかった。

 

血がつながっていなくとも関係ない。この子こそ、僕の大切な妹なのだと。

 

涙ながらに僕は、これだけは我慢できなかった。

 

「ダリア、僕はお前の兄でいいのか? 僕が兄で、お前は幸せか?」

 

今までの罪悪感から言葉が口からあふれ出る。

すると妹は、僕をぎゅっと抱きしめて、

 

「うん、おにいさま、大好きだよ。おにいさまの妹で、わたし幸せだよ」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

僕はこの笑顔を見て決意した。

これから先、どんなことがあろうと、ダリアのそばにいようと。ダリアの味方であろうと、そしてダリアの家族であろうと。

 

 

 

 

ホグワーツ初日。僕はスリザリン男子寮で目を覚ます。

当時の記憶はもうおぼろげで、ところどころに思いだせないところがある。

だがこの決意だけは、あれからずっと、一切色褪せず覚えている。

 

そう妹に向けるには……少しだけ()()()()()()()を胸に、僕はベッドから起き上がるのだった。

 



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ホグワーツ初めての授業

 

 ダリア視点

 

目が覚めると、そこは見慣れない天井だった。

 

ああ、そういえば、もうここはホグワーツでしたね。

 

そう考えながら、私はゆっくりとした動作でベッドから半身を起こす。

昨日はやはりそれなりに疲れていたのだろう。ぐっすり寝てしまい、少しいつもより遅い時間に目が覚めてしまった。

だがおかげですっかり疲れはとれている。

 

「おはよう……ダリア」

 

ほぼ同時に目が覚めてしまったのか、ダフネも隣で眠たそうに瞼をこすっているのが見えた。

 

「おはようございます、ダフネ。まだ時間はたっぷりあるのに、早いですね」

 

「うん、今日はホグワーツ初日だからね。楽しみで目が覚めちゃった」

 

実のところ、私もそれなりに授業を楽しみにしている。

私が一年生で学べることはほとんどないだろう。だが、お父様やお兄様としか勉強をしたことがない私としては、他の同年代の子供と机を並べるというのは非常に新鮮で、大変興味深いことだったのだ。

私たちが起きて、制服の準備をしていると、

 

「もう朝……?」

 

そう呻きながら、パーキンソンとブルストロードがベットから這い出してきた。

 

「ええ、そろそろ準備を始めた方がいい時間ですね、今日は初めての授業ですし、朝食をとる時間はあった方がいいでしょう」

 

ノロノロと眠たそうに準備をする二人をしり目に、ダフネが話しかけてくる。

 

「ねえ、ダリアはどの授業を楽しみにしてる?」

 

「そうですね、どの授業も楽しみですが、特に闇の魔術に対する防衛術ですかね。ダフネはどうなのですか?」

 

「私もダリアと同じだよ。なんかかっこいいし!」

 

そう言って目をキラキラさせている彼女を見ながら、

やはりとても元気な子ですね

と、昨日思っていたことを再確認するのだった。

 

パーキンソンとブルストロードが準備を終え、同じ部屋の皆で談話室に降りる。

そこにはお兄様、そしてクラッブとゴイル、その他にも二人の男の子がいた。

一人は痩身で寡黙そうな男の子、もう一人は黒人で、なんだか軽そうな雰囲気の子だ。

 

「おはようございます。お兄様」

 

「ああ、ダリア。よく眠れたか?」

 

「ええ、ベッドがよかったのか、ぐっすりと」

 

そう挨拶しあっていると、

 

「マルフォイ……」

 

そうお兄様の横にいた二人が何かせっついている。

 

「ああ、分かっている。ダリア、こっちは僕らと同じ聖28一族のセオドール・ノット。そしてこっちは、家格は劣るが、同じ純血のブレーズ・ザビニだ。二人とも僕と同じ部屋でね」

 

「そうなのですか。初めまして、ノットさん、ザビニさん。私はダリア・マルフォイといいます。以後お見知りおきを。くれぐれも()()()()よろしくお願いいたしますね」

 

私の最後の言葉に気付かなかった様子で、二人は続ける。

 

「こちらこそよろしくお願いします。俺のことはセオドールと」

 

「……ええ、私のこともダリアとお呼びください」

 

「俺のこともブレーズとお願いします」

 

「わかりましたわ、ブレーズ。……あなたもダリアと呼んでください」

 

そう挨拶をかわす私たち。

だが……私は二人とそこまでよろしくするつもりはない。

理由は二人の目だった。

セオドールは聖28一族だけあり、私の噂のことを聞いているのだろう。

その証拠に、お兄様は()()()()()と呼んでいるのに、私にはファーストネームを呼ばせ、私を()()()と呼ぶことが出来るように仕組んでいる。マルフォイ家に近づくだけならばお兄様でもよかったのに、彼は私に優先して近づいている。それはおそらく、親に私に優先して近づけとでも言われたからなのだろう。私を見る目もどこか媚び、探るようなものだった。

性格は寡黙そうなのにご苦労なことだ。

もう一人のブレーズの方は、私が純血だからというより私自身を狙っているような眼をしていることから、家に言われたというより純粋に私を狙っているような気がする。

 

そんな二人にお父様たちから戴いた『ダリア』という名を呼ばれるのも不愉快なのだが、ファーストネームを言われた以上、私もそうするほかない。ここで波風を立ててしまったら、それこそマルフォイ家、そしてお兄様の迷惑になってしまう。ここは我慢するしかない。

 

そう思っていると、私の横で先ほどの二人と同じように、私に期待を籠った視線を向けてくる二人がいた。パーキンソンとブルストロード。ダフネはどうでもよさそうに談話室の中を見回していた。

正直無視してもよかったのだが、これらにも波風を立てるわけにはいかない。私も一応お兄様に紹介する。

 

「お兄様。こちらは同じく私と同じ部屋の、パンジー・パーキンソン、ミリセント・ブルストロード。そしてこっちがダフネ・グリーングラスです。皆同じ聖28一族です」

 

「ああ、そうか。よろしく三人とも」

 

「よ、よろしく。あのドラコと呼んでもいい?」

 

「ああ、構わない。三人とも、僕のことはドラコでいい」

 

わたしとは真逆の状況になってしまったようだ。

そんな中、ダフネだけは無邪気によろしくと言っていた。

 

9人という大所帯で大広間に向かう。

挨拶で時間を少々取られてしまい、朝食をとる時間が少なくなってしまったが、まだ急げば十分に時間があるだろう。

そう思って少しだけ急いで向かっていたのだが、大広間を目前に、同じく朝食を取ろうとやってきていたグリフィンドール生、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーがいたことで雲行きが怪しくなってしまった。

 

「おや、ポッターとウィーズリーじゃないか。ポッター、君はそんな連中と付き合うべきじゃなかった。直それがわかるよ。まあ、それが分かった時にはもう遅いだろうけどね。それとウィーズリー、君も朝食かい?それなら君の家にもぜひ送ってあげるといい。君の家ではさぞごちそうになることだろうからね」

 

「だまれマルフォイ!」

 

お兄様の言葉を皮切りに、お兄様率いる()()と二人の罵り合いが始まる。

 

……お兄様はこの二人が絡むと途端に年相応になるらしい。

だが、同年代の男の子をクラッブとゴイルしか知らなかったお兄様は、反抗してくる同年代というのが新鮮なのだろう。だからこうやって突っかかっていく。

私の前では大人ぶろうとするお兄様が、彼らの前では年相応の子供になる。お兄様はまだ11歳なのだ。子供っぽいところがあって当然だ。

しかし、これではいけない。将来的にマルフォイ家を継ぐのなら、お父様のようにこの手の輩ともそれなりに上手く付き合う必要がある。

昨日今日できた取り巻きを見ても、クラッブ、ゴイルは勿論、パーキンソン、ブルストロードも参戦し、セオドールとブレーズは参戦しないものの、どこか面白そうに見ている。とりあえず止める気はないことは間違いなかった。

私が割って入るタイミングを測りながら、お兄様たちを観察していると、

 

「ダリア、朝食の時間が無くなっちゃうよ」

 

そう、私と傍観を決め込んでいたダフネが私に告げる。

 

「ええ、そうですね」

 

そのことに私も気づき、お兄様を窘める意味を含めて、現在盛大に罵り合っている渦中に身を乗り出す。

 

「な、なんだよマルフォイ妹! なんか用かよ!」

 

喧嘩腰に私に噛みついてくるウィーズリーを無視して、

 

「お兄様、朝食の時間が無くなってしまいますよ」

 

「あ、ああ、そうだな。ふん、お前ら、僕に逆らって、後で後悔することになるからな!」

 

そう言って歩き出すお兄様に、皆ついて歩き始める。

後でお説教ですかね。

 

ふと視線を感じ振り返ると、忌々しそうにこちらを見ている二人の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

今日はホグワーツの初日だというのについてない。

ロンと二人で朝食に向かっていると、突然スリザリンの集団がやってきて、

 

「おや、ポッターとウィーズリーじゃないか。ポッター、君はそんな連中と付き合うべきじゃなかった。直それがわかるよ。まあ、それが分かった時にはもう遅いだろうけどね。それとウィーズリー、君も朝食かい?それなら君の家にもぜひ送ってあげるといい。君の家ではさぞごちそうになることだろうからね」

 

そう集団の中心にいたドラコ・マルフォイが喧嘩をうってきたのだ。

ロンは顔を真っ赤にしながら、

 

「だまれマルフォイ!」

 

と応酬し、スリザリンとの罵り合いが始まる。

 

ロンの言ってた通りだった。なんでこいつらスリザリンはこんなに嫌な奴らばかりなのだろうか。

 

そう思っていると、突然、ドラコの方に真っ白な女の子が近づいてくる。

その子、ダリア・マルフォイが、初めて見た時同様の冷たい空気を振りまきながらこちらに近づいてきたのだ。

 

「な、なんだよマルフォイ妹! なんか用かよ!」

 

ロンがそう、彼女に感じるかすかな恐怖を振り払うように叫ぶが、彼女はこちらを一瞥もすることなくマルフォイに告げる。

 

「お兄様、朝食の時間が無くなってしまいますよ」

 

「あ、ああ、そうだな。ふん、お前ら、僕に逆らって、後で後悔することになるからな!」

 

捨て台詞を吐いて去っていくマルフォイに、ダリア・マルフォイが続き、その後に付き従うように……まるで召使のように、他のスリザリン生がつづく。

一人だけ、ダリア・マルフォイの隣を笑顔で歩くスリザリン生もいたけど……彼らが真面な集団でないことは間違いなかった。

 

「まったく、ほんとスリザリン生は嫌なやつらだよな! 特にあのマルフォイ兄妹! 兄妹そろって嫌な性格してるぜ!」

 

そういうロンと彼らの背中を見ていると、ふとダリア・マルフォイが振り返る。

その目は、どこまでも冷たい薄い金色をしていた。

 

やはりその目は以前同様、僕らを人としてすら見ていない冷たさを湛えているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

朝食を食べながらお兄様に言う。

 

「お兄様、彼らと仲良くしろとは言いませんが、あのように突っかかっていくのはどうかと。お兄様は将来マルフォイ家を背負って立つのです。あの手の連中とも表面上は冷静に付き合わなければいけません。お父様だって、あのウィーズリー家と表面上は冷静に付き合っておいでですよ? まあ、会えば嫌味の一つくらいはしておられるみたいですが……それでもいきなり喧嘩を売るようなことはないはずですよ」

 

「気を付ける……」

 

お兄様にも一応御自覚はあるらしい。

お父様もいつもはクールに対応しているのだが、時折顔に青あざをつけて帰ってこられることがある。なんでも冷静になり切れず、いい大人が殴り合いの喧嘩をしたらしい。

ここら辺は血のつながった親子だなと微笑ましくも思った。

 

少しハプニングもあったが、何とか朝食を食べることができほっとしていると、スリザリンの寮監と思しき育ちすぎた蝙蝠のような男が、授業予定の紙をスリザリン一年生に配っていた。

 

「あれが父上のおっしゃっていたセブルス・スネイプ教授かな?」

 

「ええ、スリザリンのテーブルに予定を配っているということは、おそらくそうなのでしょう」

 

そう話し合っているうちに、どんどん彼は私たちに近づいてくる。

 

「お前たちはルシウス・マルフォイ氏の息子と娘か?」

 

「はい、そうです」

 

「ルシウスから聞いている。何かあれば吾輩を頼るがいい」

 

そう私たちに短く言い残し、授業予定を手渡すと次の生徒に予定を渡しに行ってしまった。

 

「いい教授そうだな」

 

「ええ、そうですね」

 

無邪気に喜ぶ兄をみながら、私は少し彼を警戒していた。

一瞬ではあるが、私の手袋を見て警戒した様子だったのだ。

 

表情自体はうまくごまかしていた。だが、視線だけはごまかせない。

その視線は偶然とは言えないほど長い一瞬の時間、確かに私の手袋に注がれていた。

 

いくらお父様のお友達とはいえ、やはりあまり気を抜かない方がよさそうですね。

私の正体を悟られないように、適度な距離を保つ必要がありそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セブルス視点

 

入学式の後、吾輩は校長室に呼び出されていた。

 

「ハリーはどうじゃったかの?」

 

「忌々しいあのジェームズ・ポッターそっくりでしたね」

 

ふんっ、と返事をすると、

 

「じゃが、目はリリーそっくりじゃった。じゃろう?」

 

ダンブルドアが答えに困ることを言ってきたのだった。

……ダンブルドアは時折こんな答えに困ることを言ってくる。

そういう校長にだんまりしていると、

 

「そういえば、ミス・マルフォイはおぬしの寮に入ったのう」

 

「ええ、そのようですね」

 

先ほどの、全校生徒と教師に強烈な印象を植え付けた新入生のことを思い出す。

 

その生徒は、その年にして美しいといえる容姿と、どこまでも冷たい表情をしていた。

 

正直、全くルシウスに似ていなかった。

彼、そして彼の妻ナルシッサの特徴を、なに一つもってはいなかった。

一体、あの子はなんなのだろうか。まあ、あれだけ娘の自慢を私にするのだ。純血主義の奴が、どこの馬の骨ともわからぬ子供を自分の娘にするはずがないだろうから……奴の娘ではあるのだろう。

そう思っていると、

 

「あの子のつけている手袋。あれは闇の魔術がかけられておる」

 

そういう校長に吾輩は僅かに気を引き締める。

 

「闇の魔術ですか?」

 

「そうじゃ。効果までは分からんがのう。それにあのオーラじゃ。クィレルも監視せねばならぬ君に負担をかけてしまうが、彼女のことも注意深く見るのじゃ。スリザリンに入った以上、セブルスが一番彼女を見れるからのう」

 

「……承知しました」

 

そう了承し、校長室を後にした。

 

ルシウスとは吾輩が学生の頃からの付き合いだ。彼はスリザリン寮の先輩で、当時色々と問題を抱えていた吾輩の面倒を見てくれた人物だ。

彼との関係は良好だ。仲が良いと言ってもいい。本人の前では口が裂けても言わないが。

そんな彼の娘を疑うのは非常に心苦しいが、持っているものが闇の魔術の道具である以上、寮監としては警戒はせねばならない。

あれほど娘を愛している様子だったのだ、杞憂だとは思うが。

 

なんにせよ、昔からの友人の子供たちなのだ。少しは気にしてみるか。

 

そう思いながら、自室のある地下へ歩いてゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

勝手に動く階段、隠し通路、隠し部屋、いたずら好きのピーブズなどといった、様々な仕掛けが新入生を襲う。そのため新入生の多くは授業ギリギリの時間に教室につく、もしくは遅刻する者が大半なのだが、スリザリンにはあまりそんな生徒は存在していなかった。

その理由はスリザリン特有の結束力だ。他の寮と違い、純血というくくりでまとまっているものが多いスリザリン寮は、他の寮と違って皆大体同じ方向を向いており、そのためか他の寮より結束力が生まれやすいのだ。

その上今年を制すれば寮杯7年ということもあり、新入生に徹底してホグワーツの注意事項を伝えていたのだった。

 

初めてのホグワーツの授業は、妖精の魔法の授業だった。

担当の教員は、フィリウス・フリットウィック先生。非常に小柄な先生で、どうやらゴブリンの血を引いているらしい。

ゴブリンも吸血鬼と同じで亜人なのだが、ゴブリンは昔魔法族と色々あったことや、今は銀行を運営して魔法界に貢献していることから、ゴブリン自体には杖を使用する権利がなくても、血を引いているだけなら問題にはならないのだろう。

まったくうらやましいことだ。

 

「さて、新入生のみなさん! 私が妖精の魔法を教えるフィリウス・フリットウィックです!」

 

先生はそう机の上に積み上げられた本の上に立ちながら自己紹介をされる。

 

「妖精の魔法は三年生で君たちの習いだす、呪文学の入門です! この授業では魔法を実践で行っていきますので、皆さん楽しく魔法を学んでいきましょう!」

 

授業の内容は私からしたら非常に初歩的で、内容自体は復習にもならないようなものだったが、授業は分かりやすく、そして面白いなど、大変生徒たちのことを考えている素晴らしい授業だった。

私は一発で呪文を成功させた上、それが()()()()だったので先生は大変驚き、そして大変うれしそうにしながら点数と飴をくれた。

 

そしていくつかの授業で、はじめに、そして完璧にそれらの授業の課題を成功させ、スリザリンの点数を増やし続け数日。

 

そんなある日、ついにその日がやってきた。

 

それはホグワーツ最初の週の木曜日。

私は正直、この学校に来て一番楽しみにしていた授業が『闇の魔術に対する防衛術』だった。

 

闇の魔術を愛する自分としては、その対抗手段も研究内容の一環であり、さぞ初歩的ながらも勉強になることだろうと思い、非常に()()()()()()()()

 

そう、()()()()()()()()。この時までは。

 

最初に違和感を覚えたのは、闇の魔術を教える教室のある廊下だった。

何か強烈な異臭がするのだ。

私のいつもの無表情が明らかな不快な顔になったことに、一緒にいたお兄様達が気づく。

 

「ダ、ダリア? どうしたの? すごい顔してるけど」

 

最初にダフネが心配そうに尋ねてくる。

 

「いえ、なんだかここ、ひどく匂いますので」

 

「そ、そう。確かにちょっと変な匂いはするけど」

 

そう言いながら教室に近づくのだが、匂いはさらにひどいものになってゆく。

 

「ダリア、大丈夫か?」

 

お兄様もその匂いが強まったことにより、匂いの正体に気付く。

心配そうに話しかけてくるお兄様に、

 

「……はい、大丈夫です。お兄様……」

 

そうお兄様に心配をかけまいと返事をするのだが、正直、頭がクラクラしそうな程匂う。

なお心配そうにこちらを見ているお兄様をしり目に、教室のドアを開ける。

そこにはこのひどい匂いを垂れ流す、ターバンをかぶった男が立っていた。

 

「や、やあ、い、一年生のみ、みなさんですね。せ、席につ、ついてくれ、くれますか?」

 

そうひどくどもりながら、臭い教師が一年生たちを席に促す。

 

「わ、わたしは、こ、この授業をた、担当します、クィ、クィリナス・クィレルと、い、いいます」

 

そう自己紹介をするのだが、私は正直それどころではない。

鼻で息をせず、口で息をすることでごまかしているが……それでもまだ臭いものは臭い。

 

何故こいつはこんな匂いを垂れ流しているのだろうか。

 

「ダ、ダリア・マル、マルフォイさん。な、なにかありましたか?」

 

入学式からの無表情が消えひたすら不快そうにしている私に、そう怯えながら先生が話かけてくる。そんな彼に、

 

「では一つだけ。なぜ、()()()()()()()をさせているのですか?」

 

私はひたすら臭いを我慢しながら尋ねた。

そう鼻声で問いかける私に、ヒーっと叫んでから、

 

「わ、わたしは、く、黒い森で、吸血鬼に、あ、会いまして、そこで……」

 

青い顔をして、そこから先は怖くて言えないとでもいうような態度をとるのだった。

 

授業である以上、私はこれに出席しなければいけない。お父様に言おうかとも思ったが、そもそも教師の任命権は校長にあって、理事にはない。ターバンをはずさせようにも、ただ臭いという理由では無理だろう。詳しく説明したら、私の秘密の方が露見しかねない。

 

ダフネとお兄様が心底不快そうな表情をしている私に心配そうな視線を送ってくるが、それに心配ないとジェスチャーで返す。

 

 

 

 

こうして、私の一番楽しみにしていた授業は、一番楽しくない、拷問の時間に変わったのだった。

 



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魔法薬学

 

 ダリア視点

 

ホグワーツ最初の金曜日。

ニンニクのせいで木曜日にある『闇の魔術に対する防衛術』は、最も楽しみな授業から最も受けてたくない授業になってしまった。せめて授業内容だけはまともであってほしいと思っていたのだが、クィレル先生が前で話しているのをただ聞くだけの授業形態な上に、クィレル先生がひどくどもりながら講義をするので、何を言っているのかすら判然としないものとなっていた。

 

あれをこれから毎週受けないといけないのですね……

 

これからのことを思うと憂鬱な気分になりそうだが、授業である以上受けなければマルフォイ家に迷惑になってしまう。

図書館に行って、匂いを一時的に感じなくなる魔法でも探すしかない。

そう今日の予定を考えるのだが、その前に今日の授業を受けなければならない。

今日の午前の授業予定は魔法薬学だ。幸い、金曜日の授業は午前しかないので、これが終われば図書館に行くことができる。

授業は基本的に一つの寮しかその時間にその授業を受けないのだが、この魔法薬学は違う。二つの寮が同じ時間に同じ授業を受けることになる。薬草学以外の授業も時々他の寮と合同になるが、ずっと二つの寮が合同なのは魔法薬学のみだ。

 

そして、スリザリンはグリフィンドールと同じ時間帯だった。

 

この一週間でわかったことだが、スリザリンとグリフィンドールは非常に仲が悪い。

廊下で会えば罵り合い、大広間で会っても罵り合う。

 

そんな二つの寮を同じ空間に閉じ込めたらどうなるか。

答えが目の前に広がっている。

 

見事に席が二つに分かれている。左が緑、右が紅といった具合だ。

そしてお互い、いかにも『同じ空気も吸いたくない』と言わんばかりに息をこらえているのか、教室内は教授が未だ来てもいないというのに、非常に静かだった。

私は初対面で何故そんなに仲が悪くなれるのだろうかと考えながら、お兄様の横に座って教授が来るのを待つ。

 

数分経過しただろうか。そろそろ息をこらえるのが限界になったのか、生徒の顔が少し青くなりだしたころ、彼は現れた。

 

突然教室の扉が開き、育ちすぎた蝙蝠のような、セブルス・スネイプ教授が入ってくる。

黒く長いマントを靡かせて足早に歩き、生徒たちの前に来ると出席を取り出す。

私を含めて出席はよどみなく進んでいたのだが、突然

 

「ああ、左様。ハリー・ポッター。我らが新しいスターだね」

 

一瞬どこか弄ぶような空気を醸し出したが、再び出席を取りだす。

 

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」

 

そして出席を取り終わると、何か教授が語り始めた。

 

「このクラスでは杖を振り回すようなバカげたことはやらん。そこで、それでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち上る湯気、人の血管をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。吾輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法である―ただし、吾輩がこれまでに教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであればの話だが」

 

どうやら余程魔法薬学がお好きらしい。私も闇魔法が大好きだからこそわかる。

『闇の魔術に対する防衛術』は肩透かし以前の問題だったが、どうやらこちらの授業は期待できそうだ。お父様のお友達とはいえ私の秘密が露見しないように、必要以上に親しくはできないが、先生に質問しにいくぐらいなら構わないだろう。

そう期待を膨らませていると、

 

「ポッター!」

 

突然の大声で、比較的近くの席にいたポッターが飛び上がっている。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

それ、一年生の授業内容でしたっけ?

おそらくお兄様がかろうじて知っているか知っていないかの内容だろう。

まあ、私は知っているが。

視界の端に映るグレンジャーも知っているのか挙手をしている。

ポッターは分からないらしい。

 

「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見付けて来いと言われたらどこを探すかね?」

 

これはもうお兄様は知らないだろう。

まあ、私は知っているが。

視界の端に映るグレンジャーも知っているのか挙手をしている。

今回もポッターには分からないらしい。

 

「最後だポッター、モンクスフードとウルフスベーンの違いは何だね?」

 

「わかりません……。ハーマイオニーがわかっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」

 

これもお兄様は知らないだろう。

まあ、私は知っているが。

視界の端に映るグレンジャーも知っているのか挙手をしている。

ポッターには分からない。

 

「お兄様はわかりますか?」

 

隣でポッターを笑っているお兄様が押し黙る。

……もしかして一つ目も知らないのですか?

流石に一つ目は分かるものだと思っていたのですが。これは将来のためにも、みっちり勉強させねば……。

そう決意している私に気付いたのか、青ざめた表情で、

 

「ダリアは全部わかるんだろ?」

 

そう話題転換しようとしてくる。しかし、

 

「ええ、まず、」

 

「ほう? ミス・マルフォイ。全て解るのかね?」

 

私たちの会話が耳に入ってしまったらしい教授が質問してきたのだった。

 

どうあってもグレンジャーに聞くつもりはないのですね……。

まあ、聞いて答えられてしまったら、グリフィンドールに点数を与えなければならないかもしれない。スリザリン贔屓と噂のスネイプ教授としては防ぎたい事態だろう。

 

「はい。まず一つ目、アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを混ぜたら、それは『生ける屍の水薬』という強力な眠り薬となります。二つ目、べゾアール石は山羊の胃からとれる石です。最後に、モンクスフードとウルフスベーン、これらは同じものです」

 

「よろしい。全て正解だ。スリザリンに10点与えよう」

 

それを受け、スリザリンは嬉しそうにガッツポーズしている。代わりにグリフィンドールからは睨まれている。先程ずっと手を挙げていたグレンジャーもにらんでいるが、これはおそらく他のグリフィンドール生とは違った理由だろう。他のグリフィンドール生の目にあるのは敵意と侮蔑だったが、彼女の目にあるのは、嫉妬だけだった。

気持ちはわからないでもないが、相手を間違えないでほしい。

 

「ところで諸君、何故今のをノートに書き取らんのだ?」

 

今までにらみ合っていた生徒が一斉にノートに書き取りをはじめるのだが、

 

「ポッター、君の無礼な態度で、グリフィンドールは1点減点」

 

ポッターだけは再び絶望に叩き落されていた。

 

スネイプ教授は、生徒達におできを治す簡単な薬を調合させた。二人一組になるように指示されたので、当然私はお兄様と組む。

先ほどの質問が分からなかったとはいえ、流石はお兄様、この程度の薬には苦労されることはなさそうだ。

お兄様と二人で作業した結果、クラスで一番早く、そして一番正確なものが出来上がった。周りを見回してみても、まだ半分の工程も終わっていない上に、いくつかは何が出来上がるか分かったものではないものもある。

 

「ほう、マルフォイ兄妹が完璧に調合したようだな」

 

そう私たちをほめてくださる。この程度で褒められても困るのだが、まあ、褒められてうれしいのはうれしい。

内心うれしく思っていると、ふと視界の端に、とんでもない光景が見えた。

 

私たちの近くにいたグリフィンドールの丸顔の男の子が、山嵐の針を大鍋を火から降ろさないうちに投入しようとしている。

あれをやると、鍋が割れてしまい、中身が周りにこぼれてしまうのだ。

 

私はそれを視界にとらえた瞬間、お兄様を守るべく、保護呪文を私の前に展開し、私とお兄様を魔法で覆う。

そして次の瞬間、丸顔の鍋が割れ、中身があたりにまき散らされた。

皆悲鳴をあげ、椅子の上に避難することで被害は最小限にとどまった。

だが丸顔は大鍋の中身をモロに被ってしまったようで、全身に真っ赤なおできを噴き出している。

 

「バカ者!」

 

教授が怒鳴り、魔法の杖をひと振りすることでこぼれた薬を取り除いた。

 

「おおかた、大鍋を火から降ろさないうちに、山嵐の針を入れたんだな?」

 

そんな風に説教をしている教授をしり目に、私はお兄様の安否を急いで確認していた。

 

「お兄様、お怪我はありませんか?」

 

「ああ、ダリアのおかげで大丈夫だ。しかし、あのロングボトムの馬鹿は、教科書すらまともに読めないのか?」

 

どうやらあの丸顔の男の子はロングボトムというらしい。

お兄様と話している間に説教は佳境になったのか、

 

「この馬鹿を医務室に連れていけ」

 

教授はロングボトムとペアをしていた生徒に言い放つと、ロングボトムの隣で作業をしていたポッターとウィーズリーに怒りの矛先を向け始めた。

 

「ポッター、針を入れてはいけないと何故言わなかった? 彼が間違えば自分の方がよく見えると考えたな? 先ほどの無礼な態度と合わせてグリフィンドールは2点減点だ。」

 

彼の受難はまだまだ続きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セブルス視点

 

忌々しい子供だ。やはり思った通り、ジェームズ・ポッターに似ている。奴の父親に似た雰囲気が吾輩をいらだたせる。

 

そんな苛立ちを抑えようと、一つの薬を眺める。

 

それはマルフォイ兄妹が提出したものだった。

 

確かにこの薬は難易度としては、下の下。一年生が初めて作るのにふさわしいものだ。

だが簡単だからと言って、ここまで完璧に作るのは難しいだろう。色、粘り、そして効果。どれをとっても完璧だ。おそらく相当な腕前を持っているのだろう。

 

兄の方はそこまでには見えなかったので、妹の方だとは思われるが。

 

他の教員から聞いている彼女の優秀さを思い出しながら、そう考える。

やはりあのルシウスが我が子とはいえ、手放しにほめちぎるだけのことはある。

 

ポッターを筆頭に今年もウスノロばかりだろうが、彼女だけは吾輩を感心させてくれるだろうなと思いながら、その薬を眺めるのだった。

 



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閑話 授業風景

 

 ハーマイオニー視点

 

今日は初めての『変身術』の授業がある。

変身術は一年生で習う教科の中で一番難しいものと聞いている。

それに担当の先生は、グリフィンドールの寮監であるマクゴナガル先生だ。寮監に失望されないためにも失敗するわけにはいかない。

 

でも大丈夫。入学式のあと、上級生のパーシーに最初にやる授業内容も聞いていたので、その予習はしっかりしている。

これで失敗するわけがない。

 

そう自分に言い聞かせながら、私は変身術の教室に入り席に着く。

授業の開始時間が近づき、ホグワーツにかかった様々な魔法のせいで授業に遅れそうになりそうになりながらも、何とかたどり着くことができた生徒たちで周りの席が埋まってゆく。

そうして授業開始の時間になり、辺りを見回してみると……ほとんどの生徒がもう席についているというのに、まだ二つだけ席が空いていることに気が付いた。

 

おそらくハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーだろう。

 

私にとってグリフィンドールの男の子たちは、あまりにも子供っぽかった。

とりわけ、今来ていない二人はその中でも特に子供っぽかった。

 

これでグリフィンドールから点数が引かれたらどうするのよ!

 

と思っていると、教室の横の扉からマクゴナガル先生が入ってきた。

 

「まずは出席をとります」

 

マクゴナガル先生は非常に厳格な先生だ。自分の寮生だからと言って見逃しはしないだろう。そして、

 

「ポッターとウィーズリーがまだのようですね」

 

やはりばれてしまった。

 

「授業に遅れるなど、本来なら減点するところですが……まだホグワーツ一週間目です。施設になれていないのでしょう。今回は見逃しましょう」

 

そういう先生にほっとしつつ、後でしっかり注意してやろうと思う。

 

「さて、今から皆さんが学ぶのは、最も難しい教科の一つである『変身術』です。これは大変難しいと同時に、大変危険な魔法です。ですから、いいかげんな態度で私の授業を受ける生徒は出ていってもらいますし、二度とクラスには入れません」

 

そう警告したのち、先生は生徒たちの前で机を豚に変え、また元の姿に戻してみせた。

いずれこんなことも出来るようになるという意味なのだろう。

私はまだあまり見たことのない魔法という存在を感じられて、とても感激していた。

しっかり勉強していれば、あんなことも出来るようになるんだ!! 

 

「変身術はこんなこともできます。ですが、あなたたちはまず基礎からしっかり学ばねばなりません。今日はまず、マッチ棒を針に変えるところから始めましょう」

 

そう言って黒板に書かれている魔法の理論を書くように指示される。

 

皆しばらくの間、羊皮紙に理論を書き写すことに必死になっていた。

そんな中、

 

「遅刻ですよ、ポッター、ウィーズリー」

 

やっと来たの、あの二人!

流石に走っていたのか肩で息をしているけど、もしグリフィンドールが減点されていたらどうするつもりなのだろうか!

 

「ご、ごめんなさい。み、道に迷ってしまって……」

 

「今回は許しましょう。ですが、次はありませんよ。皆前の黒板を板書しています。あなたたちも早く取り掛かりなさい」

 

最初の宣言通り、今回は見逃してもらったらしい。

安心しつつもやはり、

やっぱり後で言っておかなくちゃ!

と思い、二人をにらむと、二人とも肩をすくめながら席についていた。

 

全員の板書が終わり、いよいよ実践にうつる。一人ずつにマッチ棒が配られ、先ほど板書した魔法を実践していく。

予習したとはいえ、流石に一番難しい教科。皆なかなか針に変えることができない。もう諦めかけている生徒までいた。

かくいう私もマッチ棒が銀色になりはするのだが、針とは言えず、ただの銀色のマッチ棒になっているだけだ。

 

「初めてなのですから、すぐできるとは思っていません。今まで授業を受けた寮で、できた生徒はほとんどいませんでした」

 

ですが、先生は続ける。

 

「昨日授業のあったスリザリンで、唯一できた生徒がいました。ミス・マルフォイです。彼女一人だけが、マッチ棒を針に変えることができました。それがこれです」

 

そう言って取り出したのは一本の針だった。しかも、よく見れば針の柄の所に細かな装飾が施されている。

 

針……よね?

 

「こんな見事な変身術を施したのは、今まで私が見てきた中で彼女一人だけです」

 

おそらく寮の対抗心をあおって、諦めかけている生徒を奮い立たせようとしたのだろう。

その効果は覿面で、諦めかけていた生徒も、

 

『スリザリンなんかに負けるか!』

 

と言わんばかりに杖を振り出した。

 

ダリア・マルフォイ。

それはこの一週間でよく、グリフィンドール内でも、授業内でも耳にすることの多い名前だった。

 

グリフィンドール内では悪口が主流だ。

あんな冷たい女みたことない!

兄の腰ぎんちゃくだ!

勉強だけできるが性格がねじまがってる!

 

大体そんな風の悪評が多かった。

そして授業内。

いくつかの授業を受けた中で、スリザリンが先に受けた授業のほとんどの先生が彼女の名を口にするのだ。

 

あんな優秀な生徒は見たことがない!

彼女はすぐにこんなことができた!

などなど

 

彼女のことを、本当に優秀で驚いたといわんばかりに語るのだった。

闇の魔術に対する防衛術からだけは聞かなかったけど。

 

このことがなおさら、グリフィンドールの彼女に対する敵対心をあおっていた。

 

狡猾が売りのスリザリンとグリフィンドールの仲は、とにかく悪い。

その中でもスリザリン内で特に目立つダリア・マルフォイがやり玉にあがることが多かった。

彼女は目立つ。

髪は綺麗な白銀で、肌は白く、顔立ちはとてつもない美人だ。おまけに優秀だと先生達が言っている。しかし絶望的に無表情なのと、その薄い金色の瞳が冷たい雰囲気を醸し出していることが玉に瑕だった。

だからこそ美人だが冷たい雰囲気の彼女がスリザリンに入ったことで、やっぱりあいつは冷たく、狡猾な奴なんだという風になっているのだ。

 

かくいう私も、スリザリンのことは好きではない。

狡猾だからというわけではなく、彼らの純血主義が、私の彼らを嫌う理由だった。

 

この一週間、私はスリザリンの生徒からよく嫌がらせをされ、そしてことあるごとに無視されていた。

初対面のはずなのにどうしてだろうかと思っていると、同じルームメイトのパーバティ・パチルが教えてくれた。

 

彼らスリザリンは全員、『純血主義』なのだと。

 

純血主義。魔法を学ぶのは、魔法族出身の者でなければいけないという考え方。

こんな考えを持っている彼らは、私のようなマグル出身を認めようとはしないのだと言われた。

 

そんな彼らのことを好きになれるはずもなく、私は彼らのことを、彼らが私のことを嫌っているように、嫌いになった。

 

でも、ふと思う。

彼女も……ダリア・マルフォイも本当に純血主義なのだろうか?

 

彼女と初めて会ったのはホグワーツに向かう汽車の中。

その時話した彼女は、冷たい雰囲気を醸し出していたが、その実、話してみると意外に普通の対応だった。

あの時はまだ私がマグル生まれだと知らなかっただけで、もうおそらく知っているだろう今はその表情と同じく私に冷たくあたるのだろうか。

 

そう思うのだけど、どうしても組み分けの彼女の後ろ姿が私の脳裏をよぎる。

あのどこか悲しそうな背中を。冷たい雰囲気とは裏腹に、どこか寂しさすら感じさせる姿を……。

 

「どうかしたのですか、グレンジャー?」

 

「!? いえ、どうやればうまくいくか考えていました!」

 

考え事で集中できていなかったらしい。今まで考えていたことを頭の隅に追いやり、今は授業に集中する。

 

「落ち着いてやればできます。あなたも他の先生から優秀だと褒められていますよ、グレンジャー。あなたなら、落ち着いてやりさえすればできるでしょう」

 

「はい!」

 

私も頑張ってきたかいがあったのか、先生に優秀だと言ってもらっているらしい。

それがたまらなくうれしく思いながら、目の前のマッチ棒に集中する。

 

そうよ、私だって頑張っているんだから、ダリア・マルフォイに負けるもんですか!

 

そう奮起する私の中には、ダリア・マルフォイに対する他のグリフィンドール生のものとは違った、純粋なライバル心だけがあった。

 

 

 

 

そのあと、授業終わり直前になって、私は二人目の成功者になった。我がことのように喜んでくださる先生に渡した針は、ダリア・マルフォイがやったほど見事な針ではなかったけど、確かに銀色をした針だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

「クィレルよ。して、どうであった、俺様の語った少女は?」

 

「は、はいご主人様。確かにマルフォイ家の娘は非常に優秀との噂でございます。ホグワーツ始まって以来の優秀さだと、まだ一週間もたっていないのに噂になるほどです……。ご、ご主人様。どうして彼女のことを? か、彼女がどうなさったのですか……?」

 

「お前には関係がない、クィレルよ。お前は今まで通り、石を手に入れることだけを考えればよい」

 

「は、はい……」

 

そう言って()()は再び眠りにつく。これだけの会話ですら消耗してしまう。

この俺様がこんな姿でいいはずがない。はやく石を手に入れなければ……。

 

眠りにつく直前、かつて俺様が()()()()()を思い出す。

ルシウスめ、俺様を探すことはしなかったが、あれの教育だけはしっかりやっているようだな。

 

石を手に入れるためとはいえ、この体の持ち主はあまりにも愚かだ。

うっかりあれのことを教えようものなら、所かまわずあれに頼るだろう。

そうなればあれの有用性が下がってしまう。あれを使うのは、もう少し先になってしまいそうだ。

 

そして再び、深い眠りにつくのだった。

 



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図書室

 

 ダリア視点

 

私にとってホグワーツで受けたい授業のナンバーワンが『闇の魔術に対する防衛術』であったのならば、ホグワーツで一番行きたい場所は『図書室』だった。この一週間はまだホグワーツの環境になれず、図書館に来ることができなかったのだが、ようやくその暇と余裕ができた。

 

一緒に来ていたお兄様、セオドール、そしてダフネと共に辺りを見回す。

辺りは見渡す限りの本棚。遠い昔に書かれたと思われる本、もはや絶版になったであろう本、そして最近出たばかりの本など、古今東西のありとあらゆる()()()魔法族の本が置いてある。

お父様も、ここの図書室の蔵書の量だけは褒め称えていた。無論闇の魔法について本を探そうと思ったら、禁書の棚に行くしかない。しかも禁書の棚を閲覧するのには先生方の許可証が必要で、一年生にはその許可が下りない。

今年一年はお預けとなるだろう。もしくは夜にでもこっそり忍び込むか。

そう思いながら、私は今回の目当ての本棚を探す。

禁書の本が見れない以上、今優先するべきは()()()()()『闇の魔術に対する防衛術』の授業を()()()()()を探ることだ。

匂いを感じなくなるような呪文、いわゆる悪戯くらいにしか使用しないような呪文を私はあまり知らない。私の知識の源は主にマルフォイ家の書庫にある本だが、その手の本はあまり置いていなかった。

今後ニンニクと同じように、何かひどい匂いを発するものを扱わないといけない時に必要になるかもしれませんし……これも勉強ですね。

そう考えながら、私は隣でキョロキョロしているダフネに尋ねる。

 

「ダフネはなんの本を探しているのですか?」

 

魔法薬学の授業が終わり、私がかねてから行きたいと思っていた図書室に行く旨をお兄様に話したところ、私が行くなら行くというお兄様とセオドール、そしてブレーズ、残りは最初から勉強という可能性すらない男二匹、女子二匹といった具合に、ちょうどグループが二つに分かれた。最初はダフネも戻るのかなと思ったのだが、ダフネもダフネで探したい本があるとのことだったのだ。

 

「私は闇の魔術に対する防衛術の本を探すよ。あの授業、先生が何言ってるか時々わからないから、宿題するのに自分できちんと調べておこうと思って」

 

やはり口呼吸に忙しい私だけでなく、皆にとっても聞き取りにくい授業らしい。

 

「そういうダリアは何を探しているの?」

 

「私は匂いを感じなくする呪文でも探そうかと」

 

「ああ、ダリアあの授業中ずっと顔しかめてたもんね。本当に大丈夫なの?」

 

そう心配そうに聞いてくれるダフネ。その横でお兄様も心配そうな顔をしている。

 

やはりこの子はいい子だ。

お兄様も授業の後さんざん私を心配してくださった上、私の制止も聞かずお父様に手紙を送ったみたいなのだが……それは私とお兄様が家族だからだ。

そんな中、家族でもないのに私を心から心配している様子だったのはダフネだけだった。

それに、最初の頭のゆるそうな印象とは裏腹に、ダフネは意外に真面目な子であった。予習復習は欠かさない上、今回のように図書室に来るほどやる気に満ちている。

純血貴族の子供はある程度ホグワーツに来る前に勉強しているためか、知識面においては他寮より頭一つ分飛び出している。しかし逆にそれにあぐらをかいて最初の頃は勉強をしなくなってしまう。そのうち他寮に追いつかれだすと根は真面目なためか、あるいはその純血思想のためか勉強し始めるのが常だ。

そんな中、ダフネだけは最初からしっかり勉強している。授業でも飛びぬけているわけではないが、しっかり努力に裏打ちされた結果をだしている。

そのためか、彼女とは非常に話があう。

今まで勉強好きの友達がいなかったことから、私は同い年の、自分と話があう子に内心憧れていた。おそらくダフネも同じなのだろう。

 

だが、それ故に残念で仕方がない。

 

私とダフネが()()()()()()()()()()()()()ことが。

 

私には大きな秘密がある。絶対に家族以外に露見してはいけない秘密が。

もし知られれば、おそらく彼女は離れて行ってしまうだろう。それどころか、私の何より大切な家族に迷惑がかかってしまう。

 

だから私は彼女とこれ以上仲良くなるわけにはいかない。

これ以上親しくなってしまったら、きっとこの先つらいだけだから。

 

「つらかったらいつでも言ってね」

 

それにしても、何故こんないい子がスリザリンに入ったのだろうか?

自分で言うのもなんだが、スリザリンは狡猾さを重んじる子が入るはず。この様子ならばハッフルパフのように優しさを重んじる寮にも適性が、

 

「いつでもあのターバン燃やすから。大丈夫。ばれてもパパが権力で何とかしてくれると思うから」

 

……前言撤回ですね。この子はやはりスリザリンです。

 

「……ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから。対策も今から立てますし」

 

そういい子だが、同時に狡猾な同級生に返すのだった。

 

ダフネとは目的の本が全然違うので、一旦別れることとなった。お兄様たち男組も、今週の復習をするということで別のコーナーだ。

私もダフネと同じ系統の本を読みたいのだが、今は我慢するしかない。

僅かな不満を胸に秘めながら歩いていると、『いたずらに使える呪文集』という、お父様が見たらそのまま暖炉に放り込むようなカラフルな色をした表紙の本を見つけた。

あまり読んでいるところを知り合いに見られたくないような類の本であるが、背に腹は代えられないと読み進めていく。

ほどなく目的の呪文を見つけたので、そこを詳しく読んでいると……ふと視線を感じた。

 

ダフネが帰ってきたのかな、と思い顔を上げると、そこにはダフネではなく、茶色い縮れ毛の女の子、ハーマイオニー・グレンジャーがこっちを見ていた。彼女は私が立ち読みをしている本棚の隣におり、どうやら隣の変身術の本を探している最中に私と出くわした様子だった。

私が視線を向けると慌てて目をそらすのだが、私のことが気にかかるのか再びこちらにチラチラと視線を送ってくる。

正直無視してもよかった。しかし、このまま見られるのもうっとうしいので、こちらから声をかけてみることにする。

 

「私がどうかなさいましたか?」

 

「え!? あ! ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて!」

 

彼女はしどろもどろした後、

 

「わ、私、ハーマイオニー・グレンジャー」

 

唐突に自己紹介を始めた。

 

「ええ、存じ上げています。私はダリア・マルフォイです」

 

「私のこと知ってたの?」

 

「ええ、組み分けの時に横で呪文を口に出していたのを見ていましたから。非常に優秀な子だなと思っていたので、名前を呼ばれているのを聞いて覚えました」

 

「ゆ、優秀だなんて。あなたの方こそ優秀だって、先生たちの間でも有名よ。よく授業であなたの話をするもの」

 

「私は魔法族の出身です。昔から魔法を学ぶことができました。ですが、あなたは最近魔法界のことを知ったのでしょう? それなのに今の時点でそこまで学べている。これを優秀と言わずになんといいましょう」

 

そう言って彼女の方を見ると、彼女はなんだかとても驚いた表情でこちらを見つめていた。

 

「わたし、あなたにもっと冷たくされると思ってた。私がマグル出身だって知ってるのに……」

 

ああ、そういえばスリザリンは純血主義ということで知られているのだったなと思いだす。

 

「私にとって貴女がマグル生まれだろうと純血だろうと、どちらでもかまいません」

 

そう、私にとって重要なのはマグル生まれか純血かではなく……()()()()()()()()()()、それだけだ。

純血であろうとなかろうと、マルフォイ家ではなければ私にとっては()()()な存在だ。

 

「そろそろ行きますね。人を待たせているので。それに、あまりおしゃべりをしていると、先ほどからこちらを見ているマダム・ピンスにつまみ出されますよ」

 

一瞬こっちをじっと見ている司書を見やり、お兄様たちとの待ち合わせの場所に向かう。

これ以上待たせてしまうのは忍びない。はやく向かわねば。

後ろにいるグレンジャーも、つまみ出されたくないのか、慌てたように自分の目的の本探しに戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

スリザリン生の元に歩いていくダリア・マルフォイの後姿を見やる。

 

彼女はスリザリン生なのに、私を無視したり、ましてや嫌がらせをするようなことはなかった。

相変わらず表情と目は冷たかったけど、言葉は汽車で会った時と変わらず、冷たくないばかりか、私を優秀だと言ってくれる時は温かみすら感じた。

 

彼女は皆が言っているように、純血主義でもなければ、冷たい人間でもないのではないか

 

私は彼女の後ろ姿を見ながら、そう疑問に思うのだった。

 




次回飛行訓練


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飛行訓練

 

 ダリア視点

 

臭い対策を模索してから数日。朝ダフネと共に談話室に降りてみると、談話室においてある掲示板に人だかりができていた。

 

「なんだろうね?」

 

そう首をかしげるダフネに肩をすくめながら掲示板に近づくと、さっきまでできていた人だかりが割れる。

まるでマグル界でも有名なモーゼにでもなった気分だ。

私とダフネは『聖28一族』であるため、同級生、上級生問わず、スリザリンにおいてそれなりの地位にある。加えて私の場合、これまた何故か同級生、上級生問わず恐怖されている雰囲気があるので尚更だろう。

突然割れた人混みの中、ダフネと共に掲示板の前に行くと、そこには、

 

『飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンの合同授業です』

 

と書かれていた。

食事のために大広間に集まった後も、この話題でスリザリンは盛り上がり続ける。

 

「まったく、なんであんな箒の存在すら最近知ったかもしれない連中と、仲良く箒に乗らないといけないんだ!」

 

お兄様が隣で不機嫌そうにわめいている。

ちなみに今の私もそこまで機嫌が良いわけではない。

朝、もしかして同じ木曜日にある『闇の魔術に対する防衛術』がなくなる、もしくは短くなるのでは!?

と、冷静に考えればあるわけない期待に胸を弾ませていたのだ。

尤も結論から言えば……スネイプ先生に聞いてみたところ、時間帯が違うといわれ、私のはかない希望はあえなく散ったのだった。

そんな不機嫌な私をしり目に、お兄様達の会話は続く。

 

「ねえ、ドラコ。でもこれってチャンスよ! グリフィンドールに、特にあの穢れた血のグレンジャーに、純血がいかにあいつらより優れているか教えてやるのよ!」

 

授業で稼ぐ寮の点数は、今のところ私がぶっちぎりに一位を独占している。ならばスリザリンがグリフィンドールに勝っているかと言われればそういうわけでもない。

グレンジャーも私に及ばずながら結構な点数を叩きだしており、そしてそれに勝てる生徒が私以外にスリザリンにはいない。ダフネが時々勝ってはいるが、それも微々たるものだ。

それがスリザリン一年生には面白くないのだ。ただのマグル生まれなら無視するだけだったのだろうが、自分たちより優秀なマグル生まれとくると、話が違ってくる。

まさに目の上のたんこぶ。本来自分達より劣っていると思っていたものが、点数という最も分かりやすい指標において自分たちを打ちのめしてくる。邪魔で仕方がないと思っていることだろう。

パーキンソンの言葉に気をよくしたお兄様は、

 

「そうだな! ははっ!そうだ! 僕が箒であんな奴らに負けるわけがないんだ! あいつらに純血の格の違いを教えてやる!」

 

そんな捕らぬ狸の皮算用をしていた。

それからほぼ毎日、お兄様の箒自慢を取り巻きたちは聞く羽目になっていた。

最初の頃はまだまともだった。

私が見たところ、お兄様の箒の技術はそれなりに高い。そんなお兄様が語る話は、お兄様が今まで経験して得た技術、そして研究してきた戦術など、一年生を魅了するには十分な話だった。

……だが、それから先がおかしくなった。

事実に基づいていた話にだんだんと事実ではない話が混ざりだし、最後には完全にありもしない話になっていた。

 

今日もお兄様の与太話が始まる。

 

「僕は幼い頃から箒に乗っていてね。よく近所の皆と一緒にクィディッチをしたものさ。勿論僕はいつでもエースでシーカーさ。スニッチを見付けるのはいつも僕が最初だったし、ブラッジャーに当たった事だって一度もない」

 

ここまではまあいい。問題はここからだ。

 

「あれは去年の事だったかな。僕が箒に乗って空高く飛び上がるとそこに偶然マグルのヘリコプターが迫ってきたんだ。マグルってのはあんなでかい鉄の箱を用意しないと空を飛べない不自由な生き物らしいね。僕はそのヘリコプターを咄嗟に避けた! まさにぶつかる寸前、ギリギリってやつさ。ぶつかるかと思ったかだって? ははっ、まさか。動きが止まって見えたね」

 

そもそもヘリコプターとやらがマグル対策万全の我が家の上を飛んでいたことなどない。

お兄様はいったい何を咄嗟によけたのだろうか?

 

おそらくこの辺を突っ込んでしまったら、お兄様に一生癒えない心の傷を残してしまうだろうから言わない。が、何故事実関係を知る私のすぐそばでそんな嘘吐くのだろうか。

 

そんな風に楽しそうにお話になるお兄様を、若干の呆れも含みながら微笑ましく見守る。

私が魔法について語り合える友達が欲しかったように、お兄様はお兄様で、クィディッチについて話せる友達が欲しかったのだろう。

だからと言って嘘をつくのはどうかと思うが。

 

そして飛行訓練の行われる木曜日。

午前中にあったニンニク授業が終わり、私は少しやつれながら昼食を食べる。

結局、臭い対策はあまり効果を発揮しなかった。確かに授業中の臭いはある程度感じなくはなったが、あまりに臭いが強烈すぎるためか私の魔法を突破してくる上に、授業後も服に臭いがしみついてしまうのだ。そのため一度寮に帰って服を着替える必要があることには変化はなかった。しかも周りの生徒の服にも同様に染みついているので、終わった後一日中、私を匂いが苛むのだ。

 

「ダリア、大丈夫か? 父上に連絡したんだがな……」

 

お兄様はお父様にこの件を連絡したみたいなのだが、結果はやはり芳しくなかった。

お父様に教師をどうこうする権限はない上、抗議しようにも『ニンニクの臭いが苦手です』なんて私のことが露見するリスクのあることを言えないのだ。

どうも吸血鬼に対するトラウマのあるクィレル先生は、精神安定上ニンニクターバンを手放せない様子なため、無理にターバンを引きはがすのはおそらく無理だろう。

お父様に迷惑をお掛けするわけにはいかない。だから私の方から対策を練ったから大丈夫だと知らせたのだ。

 

「いいのです。こんなことでお父様を煩わせるわけにはいきませんから」

 

それでもなお心配そうに私を見つめるお兄様に話題転換を図る。

 

「そんなことより、この後お兄様が楽しみにされていた飛行訓練ですよ」

 

「ああ、そうだな。これでグリフィンドールの奴らに一泡吹かせてやれるぞ! ポッターも今まで箒に乗ったことなんてないんだ、さぞかし無様な姿になるだろうな!」

 

そう意気込むお兄様。本当にこういう時は子供っぽくイキイキしておられますね。

 

「では、私は飛行訓練の準備をしてきますね」

 

飛行訓練は屋外でするものだ。必然的に私は日傘をはじめとした入念な準備を必要とする。常時それを持ち歩いているわけではないので、それを寮までまた取りに帰る必要があるのだ。

 

「わかった。授業自体は三時半からだ。その少し前に大広間で落ち合おう。僕がチェックするから」

 

「ええ、ではまた後程」

 

「ああ、僕もこれからちょっとグリフィンドールの連中に挨拶してくるよ」

 

「喧嘩もいいですが、ほどほどにお願いしますよお兄様」

 

そう言ってお兄様は、ちょうどフクロウに何か運ばれてきたロングボトムの元に歩いて行かれたのだった。

 

日傘を持ち、鏡の前で入念に顔以外の皮膚の露出がないか確認する。といっても、ホグワーツの制服自体がそもそも露出の少ないものであり、さらにいつも手袋をしている私には最初から露出部分などない。

不備がないことを確認すると大広間で待っているであろうお兄様の元に向かう。

大広間に行くと、スリザリンの一年生達がかたまっていた。おそらく全員で授業にむかうつもりなのだろう。確かに一人で行ってしまった場合、先に行ったグリフィンドール生の中に一人たたずむという、彼らにとっては悪夢だろう状況になりかねない。

 

「お待たせしました」

 

「いや、全員今集まったところだ。それより……」

 

そう言ってお兄様が私の頭からつま先までを入念にチェックする。

 

「大丈夫そうだな。では行くか」

 

私の露出がないことを確認し、お兄様がスリザリン一年生を引き連れて歩き始める。

 

「ねえ、マルフォイ。その日傘は?」

 

日傘を持つ私を訝しんでパーキンソンが尋ねてくる。

 

「これは日光対策です。私はこの白すぎる肌のせいか、非常に日光に弱いのです。だから外に行く時はこれが欠かせなくて。入学する前に申請して許可されたんですよ」

 

「そう、大変なのね」

 

口とは裏腹にそこまで心配していなさそうなパーキンソン。

その横には、本当に心配そうなダフネがいた。

 

スリザリンが到着すると、やはりもうグリフィンドールのメンバーが全員待機していた。さっそくいつもの化学反応を起こしている一年生達。

そこから少し離れた場所で、日傘をさした私とダフネは話していた。

 

「それにしても、日傘をさした状態で箒に乗るなんて大丈夫なの?」

 

「ええ、おそらく普通の乗り方にはならない上、あまり激しい動きはできませんが、乗るだけの分には問題ありません」

 

「そう。何かあればすぐ言うんだよ。ダリアはなんだかすぐ我慢しちゃうところがありそうだし」

 

ダフネとそんなやりとりをしていると、時間になったのか飛行訓練の担当であるマダム・フーチ先生がやってくる。

 

「何をボヤボヤしているんですか! みんな箒の傍に立って! さあ早く!!」

 

中々厳しい先生だと思ったのか、先ほどまで仲良く喧嘩していた生徒たちは急いで箒の横に立つ。

 

「右手を箒の上に突き出して! そして、『上がれ』と言う!」

 

皆一斉に「上がれ」という中、私も日傘片手に言ってみる。

 

「上がれ」

 

箒はすぐに私の掌に収まった。

箒に日中乗れないというのに、これだけは昔からできる。……箒がどこか怖がっているように、手の中で震えてはいるのが気になるが。

周りを見渡すと、できているのは片手で数えれるくらいしかいなかった。

お兄様は勿論、ダフネ、そして驚いたことにポッターも成功させていた。

いつもは優等生であろうあのグレンジャーですら手こずっている様子だ。ロングボトムに至っては、箒がどこかに転がって逃げようとしている。

 

例年そうなのか、この状況に特に驚きもせずマダム・フーチ先生は、生徒に箒を直に手に取るように指示する。 全員が箒を手にした後、フーチ先生は箒の正しい乗り方をレクチャーし、生徒達の列を回って握り方のチェックをしていく。

お兄様の握りかたはどうやら間違っていたらしく注意されていた。それがうれしかったのか、ポッターとウィーズリーは終始ニヤニヤしていた。

お前たちはそれ以下だろうに。

そんな光景をイライラしながら見ていると、私の番がきたらしい。

 

「あなたの肌のことは聞いてます。あなたは日傘をさした状態ですから、横座りで構いません。それと初めての飛行訓練の授業だからといって、あまり無茶はしないのですよ」

 

「はい。ありがとうございます」

 

実はさっきから近くにいたグリフィンドール生が、

なんでお前は日傘なんて持ってるんだ?

とでもいうような非難の視線を送ってきていたのだが、面倒なので無視していたのだ。

説明が面倒なため、先生さえ事情を知っていればいい。

なんだか非常に親身に話してくれたあと、フーチ先生は次の生徒のチェックに行く。厳しそうだが、その実非常に優しい先生なのだろう。

そんなやり取りを聞いていたお兄様、ダフネ、そして近くにいたグレンジャーが気づかわし気な視線を投げてよこしていた。

 

チェックが終わり、いよいよ飛ぶ段階となった。

 

「さあ、私が笛を吹いたら地面を強く蹴るんですよ。箒はしっかり持って、数メートル浮上して、前かがみになってすぐ下りてきなさい。笛を吹いたらですよ? 1、2、」

 

「うわあああああっ!」

 

フーチ先生が笛を吹く前に、物凄い速度で浮上するロングボトムが私の視界の端に映った。どうやら焦って合図より先に地面を蹴ってしまったらしい。

 

「こら!ロングボトム! 戻ってきなさいっ!」

 

そう先生が制止をかけるが、みるみる内にロングボトムは上がっていく。

そして20メートルを超えただろうかというあたりで、暴れだした箒に振り落とされたのか、ロングボトムが自由落下を開始する。

 

あの高さなら即死ですね。

 

私は冷静にそう考えながら、同級生を一瞬みやる。

やはりというべきか、ロングボトムと同じグリフィンドールは勿論、スリザリン生も青ざめた顔をしている。

口ではなんとでも言うが、やはり誰であれ、人が目の前で死ぬということに耐えられないのだろう。お兄様も青ざめた顔をしている。

 

やはりお兄様は優しいな。ロングボトムがどうなろうとどうでもよいが、そんな優しいお兄様にトラウマを植え付けるわけにはいかない。

 

そう自分に助ける()()()()()()、私は懐から杖を引き抜くと、無言で呪文を唱える。

 

『ウィン・ガー・ディアム・レヴィ・オー・サ』

 

すると先ほどまですさまじい速度で落下していたロングボトムが、後地面まで10メートルというあたりで急にゆっくりとした速度になる。

 

驚いている同級生をしり目にゆっくりとロングボトムを地面に下すのだが、ロングボトムはすでに気を失っていた。

まあ、20メートルくらいから落下したら気も失うか。

 

「よ、よくやってくれましたマルフォイ! スリザリンに5点! 私は念のためロングボトムを医務室に連れていきます! あなたたちは箒に乗らずに待機するように! さもないとクィディッチの「ク」を言う前に、ホグワーツから出て行ってもらいますからね!」

 

そう言い残し、フーチ先生はロングボトムを連れていってしまった。

 

「ダリア!よくやったよ!これでグリフィンドールに貸しをつくったぞ!」

 

点数をもらえたこともあるのだろう。なんだかんだ言って後で助けたことを何か言われるかなとも思ったが、スリザリンが私を非難することはなさそうだった。

かわりにグリフィンドール生が複雑そうな顔をしている。どうやら私がロングボトムを助けたことが不思議な様子だ。

グレンジャーだけはキラキラした目でこちらを見ている。

 

「それに見たかあの間抜け面!死ななかったのが奇跡だね!ダリアがいなかったらどうなっていたか!」

 

そんなお兄様の言葉にスリザリンはさらに盛り上がっている。

 

「やめてよマルフォイ」

 

グリフィンドールの女子生徒が止めようとするが、

 

「へぇ、ロングボトムの肩を持つの? パーバティったら、まさか貴方があんなチビデブに気があるなんて知らなかったわ」

 

パーキンソンがその女子生徒に冷やかしを入れる。

 

「ご覧よ! ロングボトムのばあさんが送ってきた馬鹿玉だ!」

 

そう言って、お兄様が草むらの中に落ちていた何かを拾い上げた。

それはガラス玉のような見た目で、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 

あれは確か、思いだし玉だったはず。

昔たまたまダイアゴン横丁に行ったときに見たものを思い出す。

忘れたものがあると赤くなるらしいのだが、そもそも赤くなっても忘れたもの自体を思い出させてくれるわけではないので、あまりの間抜けな作品に少し笑ったことを思い出した。

 

「マルフォイ、こっちへ渡してもらおう」

 

昔見た間抜けな道具を思い出して少し笑っていると、話も盛り上がってきたのかポッターが声を上げる。

その様子を見て、その場の生徒のほとんどがお兄様とポッターに注目した。

 

「嫌だね、ロングボトム自身に見つけさせる」

 

そういってお兄様が箒に跨り、ひらりと飛び上がろうとした。

が、

 

「お兄様。危ないことはやめてください」

 

私が話しかけると、一瞬きまりが悪そうな顔をされていた。しかし、私とダフネ以外のはやし立てる声に負けたのか、もう後戻りはできないと箒に乗り行ってしまった。

あまり危ないことをしてほしくないのだが、まあ、あれくらいなら大丈夫だろう。

いざとなれば先ほどと同じように、お兄様を助けることもできる。

 

「ここまで取りに来いよポッター!」

 

お兄様の挑発に乗ったのか、ポッターも箒にまたがる。

 

「ダメよ! フーチ先生が言ってたでしょ。動いちゃいけないわ。私たちみんなが迷惑するのよ!」

 

グレンジャーが叫ぶが、ポッターは忠告を無視して箒に跨り地面を強く蹴り、お兄様の元に行ってしまった。

 

「もう!本当に自分勝手なんだから!」

 

グレンジャーはそう憤慨してから、くるっと私の方に振り返り、

 

「マルフォイさん! あなたもお兄さんを止めてよ! ばれたらあなたのお兄さんも退学になってしまうかもしれないのよ!」

 

「おい、ハーマイオニー! そんな奴にかまうな! そいつもそいつの兄貴と同じように、ネビルのことをからかおうと思っているに違いない! こいつはスリザリンだぞ! 助けたのも、きっと気まぐれだ! そうでなきゃ、こんな冷たい表情でネビルが落ちるのを見てたはずがない!」

 

そう、私がグレンジャーに何か言う前に、ウィーズリーが何かわめき散らしてグレンジャーを連れていく。

 

私も一応止めようとしたのだが……。それにおそらく退学にはならないだろう。そうでなければ噂に聞くウィーズリー兄弟などとっくの昔に退学になっている。

 

そう言って安心させてあげようと思っていたのですが、まあいいか。

それにロングボトムのことは正解ではないが、間違ってもいない。何故なら私は彼がどうなろうが本当にどうでもよかったのだから。

 

横にいたダフネがウィーズリーの妄言に一瞬怒ったような顔をしていたが、言われた当の本人がどうでもよさそうな顔をしているので、自分も気にするのをやめたらしい。私に呑気な声音で話しかけてくる。

 

「それにしても、ポッター、初めてにしては上手に飛んでるね」

 

「ええ、そうですね。お兄様は昔からクィディッチがお好きだったので上手ですが、それと比較しても遜色ないのはすごいですね」

 

二人で感心しながら眺める。ぐんぐんポッターは上昇し、ついにお兄様と同じくらいの高さに並ぶ。

 

「こっちへそれを渡せ、マルフォイ!でないと箒から突き落とすぞ!」

 

ただの脅しでやらないとは思いますが、それをやった瞬間、貴方の人生も終わらせます。

そう無感動に見つめていると、お兄様はその言葉とポッターの見せた技術に焦ったのか、

 

「取れるものなら取ってみろよ!」

 

そう叫んで思いだし玉を投げた。

それをポッターは急加速して追いかける。

まさか、あれを掴むつもりなんですか? 初めて箒に乗ったのに?

だがポッターは私の疑問を覆し、空中でその玉を掴んでみせた。

 

驚いて口を開けているスリザリンを置き去りにして、グリフィンドールは思いだし玉を持って着陸したポッターを歓声をもって出迎えている。

しかしその盛り上がりは長くは続かなかった。

 

「ハリー・ポッターァ!!」

 

どこからともなくマクゴナガル先生が走ってきたのだ。

ポッターの前で足を止め、乱れた呼吸を整えようとしながらも、動揺は隠しきれていない様子だった。

 

「こんなことは今まで一度も……! ポッター私についてきなさい!」

 

グレンジャーやウィーズリーが抗議していたが、それに耳を貸すことはなかった。

そして動揺しながらも強い口調でポッターに宣告し、マクゴナガルはポッターを引きずるようにして城内へ歩きだす。

 

スリザリンのメンバーは横で笑いながらそれを眺めている。

でも、退学にするにしてはあの表情は……。

 

「ねえ、彼、退学になると思う?」

 

ダフネが私と同じように疑問を持ったのか、私にそう尋ねてくる。

 

「いえ、退学は罰としては大きすぎますし、それに退学でないとしても罰を与えるならお兄様も同様のはずです。それに……」

 

「それに?」

 

「それにマクゴナガル先生は、どこか喜んでいる表情をしていましたから」

 

上を飛んでいたお兄様が私の横に降りてくる。

他のスリザリン生はよくやったとはやし立てており、お兄様もポッターが退学になるとでも思ったのかにやけていたが……じっと見つめる私を見て青ざめた顔をする。

 

「……すまない」

 

「はぁ……朝も言いましたが、あまり品のないことはなされないように」

 

周りの人間もお兄様に駄目とは言わない連中だが、自分もお兄様に相当甘いなと思った。

 









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ハロウィーン(前編)

 ダリア視点

 

結局飛行訓練の後、ポッターが退学になることはなかった。

それどころか一年生でクィディッチ選手になるという快挙まで成し遂げていた。

スネイプ先生はスリザリン贔屓で有名だが、マクゴナガル先生も相当のものらしい。先生の言いつけを守らなかったポッターに対し、クィディッチ選手にするばかりか、最新型のニンバス2000をプレゼントするという暴挙まで行っていたのだ。

そのためスリザリンはここ最近殺気立っており、より一層グリフィンドールに当たり散らすようになっている。お兄様もその筆頭で、どうやらポッターを夜中に決闘で呼び出し、自分は行かないというアクロバティックな罠を仕掛けたとのことだった。

……狡猾が売りのスリザリンとはいえ、流石に狡猾すぎるのでは?

尤も、その次の日も平然とポッターが学校にいた上に、グリフィンドールの点数が減ってるということもなかったので、罠自体は不発に終わったみたいだ。

 

そんな多少の衝突はあれども、なんの変哲もない平穏な毎日が過ぎ、ホグワーツ生活初めてのハロウィーンの日を迎えた。

マルフォイ家においてのハロウィーンは、ただ家族で少し豪華な食事をし、いつもより多いデザートが出てくるだけの日だった。別に不満はないのだが、庶民の、ちょっと浮かれたお祭りといった風情のハロウィーンというものにも私は興味があった。

だが、どうやら『トリック・オア・トリート』といった庶民のイベントはホグワーツにもないらしい。純血の多いスリザリンはこういった庶民的イベントをやらないのは予想していたが、他の寮においてもどうやらやらないようだった。例外はグリフィンドールで、グリフィンドールの中のさらにウィーズリー家の双子のみが、このイベントを実際に実行していた。といっても、ほとんどの生徒はお菓子など用意していないので、どちらかというと彼らの悪戯の餌食になっていたが。

 

「ホグワーツのハロウィーンは盛大に行われると聞いていましたのに。私は盛大というからには、何か変わったイベントなどを行うのだとばかり思っていたのですが……どうやらそうでもないみたいですね。まあ、朝からパンプキンの匂いだけは盛大にしていますが」

 

「そうだね。でも、夜のごちそうだけはすごいって聞いたよ。カボチャ尽くしらしいよ」

 

不満そうな私の言葉にダフネが苦笑しながら返す。

 

「ああ、だからこんなにカボチャの匂いがしているのですね。朝食には全くカボチャの類は出ていなかったのに、何故こんなにカボチャの匂いがするのか不思議に思っていたのですよ」

 

どうやらこの盛大に香るパンプキン臭は夜のごちそうのためのものらしい。でもこれなら夜はそこそこ期待してもよさそうだ。

 

午前の魔法史の授業も終わり、残すは妖精の魔法の授業のみとなる。

これが終われば今日の授業は全て終わり、後は大広間でハロウィーンのごちそうにありつくことができる。

そう思いながらお兄様達と歩いていたところ、前からグリフィンドールの集団が歩いてきた。

私たちの前に妖精の魔法の授業があったのだろう。ちょうど向こうも授業が終わったのか、妖精の魔法の教室から出てきたばかりの様子だった。

普段であればスリザリンとグリフィンドールが出会うとすぐに喧嘩が始まるのだが、如何せん次の授業がお互いあるので余計なことをしている暇がない。

そのため、道の両極端を歩くことで、お互いの仲の悪さを表現することにしたらしい。

 

そんな中、比較的真ん中の方を歩いていた私の耳に大きな声が入ってくる。

 

「誰だってアイツには我慢できないっていうんだ! 全く、悪夢のようなヤツさ。だから友達がいないんだよ!」

 

誰のことを言っているのか知らないが、そんなロナルド・ウィーズリーの声があたりに響いている。いつもなら目の前にいるスリザリンに喧嘩を吹っかけてくるのだが、どうやら今は目の前のスリザリンのことなど気にならないほど、違うものに対して腹を立てているらしい。スリザリンのことでないとすると、おそらく先ほどあった妖精の魔法の授業で何かあったのだろう。それもおそらく同じグリフィンドール生と。

ウィーズリーの人間関係など興味は全くないが、あれでは件の同寮生にも聞こえてしまうだろうなとぼんやり考えていると、前から女の子が足早に歩いてきた。

私もダフネと話していた上に、向こうも前を全く見ていなかったので、私はまっすぐにこちらに走ってくる女の子を避けることが出来なかった。

 

「っ」

 

「きゃあ!」

 

ちょっとした衝撃に、私もその子も尻もちをついてしまう。私は尻もちをついただけであったが、その子は手に持っていた大量の教科書類が散乱してしまっていた。

 

「ダリア! 大丈夫!?」

 

「ええ。それより……」

 

教科書を床にまき散らしている相手をみると、どうやらぶつかった相手はグレンジャーだった。

成程。大体の状況はわかった。

おそらくウィーズリーが言っていた子はグレンジャーのことだったのだろう。大方授業で彼ができなかったことを平然とやってのけた彼女に自尊心を傷つけられ、それに怒ってあのような暴言を吐いていたというところだろうか。そしてその暴言が見事に彼女の地雷を踏み抜いてしまったことで、このような事故が起きてしまったと予想する。

私の少し前を歩いていたお兄様もことの成り行きをみていたのか、私にぶつかったグレンジャーに罵声を浴びせようとしていた。

 

「おい!グレンジャー!お前……!」

 

「お兄様、いいのです。私も前を向いていなかったのですから。それより、大丈夫ですか?」

 

私はお兄様を諫めながらグレンジャーに話しかけるも、彼女は小さく頷くものの、下を向いたままこちらを見ようとしなかった。どうやら今の衝撃で我慢していたものが折れてしまったらしい。

周りにいたスリザリンはそんな彼女に眉根を寄せている上、グリフィンドールはグリフィンドールで悪口を言っていた手前、おいそれと近づけないといった風にこちらを見ているだけだ。

 

「……はあ。とにかく教科書を拾いましょう」

 

「私も手伝うよ」

 

とにかく、いつまでもこんな格好をしているわけにはいかない。この状況を早々に終わらせるため、教科書を拾いだすと、私の横にいたダフネも手伝ってくれる。

教科書を拾い終わり、未だ少し弱弱しいグレンジャーに渡すと、彼女は少し会釈をしてからフラフラとどこかに歩き去っていった。

 

「あいつ……せっかくダリアが拾ってやったのに」

 

「いいのですよ。そんなことより早く授業に行きましょう」

 

歩き出した私に、お兄様達は渋々といった風に再び授業に向かって歩き出す。

私はそんなお兄様に僅かに苦笑した後、隣を歩いていたダフネに先程から気になっていたことを尋ねた。

 

「ダフネはどうして彼女を手伝ったのですか? 彼女はマグル生まれですよ?」

 

なんとなく小声で尋ねる私に、

 

「確かにスリザリンとしては失格だよね……」

 

苦笑しながら答えるダフネが、でも、と続ける。

 

「私は純血貴族であることを誇りに思っているけど、別に彼女のようなマグル生まれを蔑んでいるわけじゃないんだよね。グリーングラス家も純血主義だけど、別にマグルを淘汰しろとまでは言ってないし。だから彼女のように困ってる状況だったら、それは貴族として助けてあげるべきだと思うわけ」

 

成程。排他的なスリザリンらしくないと思っていたら、彼女にとって純血主義とはノブレス・オブリージュのような考えなのだろう。排除を前提とした純血主義を持つ他のスリザリン生の中で、明るい性格が目立つのは、そんな考え方からきているのだろう。

 

「成程。でも何故それを私に? 私がマグルは排除されるべきと考えていたらどうするのです?」

 

「……この何か月か一緒にいて、ダリアはそんなそぶり一度も見せなかったからね。その証拠に、さっきもグレンジャーの教科書拾ってたじゃない」

 

「あれはただ単にあのままでは通行の邪魔だと思っただけですよ」

 

そう言ったものの、私の中にちょっとした引っ掛かりが残っていた。

 

何故だろう。いつもなら他人を特に気にすることなどない。

いや、()()()()()()()()

他人と仲良くしても、決してそれがお互いにとっていい方向に行くことがないのだから、いっそ興味すら持つ必要性すらない。

 

なのに、何故だろう。

何故あんな風に傷ついた彼女を見ると、心がざわつくのだろう。

そんな自分の行動に対する違和感が、どうしてもぬぐい切れなかった。

 

だから、

 

「だって、ダリアは本当はすっごく優しいもの。ずっと()()()……」

 

物思いにふける私の横で、本当に小さな声でつぶやくダフネに、私は気づくことはなかった。

 

妖精の魔法の授業も終わり、いよいよハロウィーンパーティーの時間となった。

噂になるだけのことはあり、かぼちゃが使われた豪華な料理が所狭しと並べられている。そんな料理を興奮しながら食べる生徒の中、私はまだ少しもやもやした気分でいた。

パーティーが始まる前、なんとはなしにグリフィンドールの机を見たのだが……グレンジャーの姿がどこにも見当たらなかったのだ。

彼女がどうなろうがどうでもいいはずなのに、やはり何故か気になってしまう。

どうしても、グレンジャーが俯いている姿が頭から離れなかった。

 

「どうした、ダリア? 浮かない顔をしているぞ」

 

私の表情を読んだのか、お兄様が心配そうに話しかけてくる。

 

「いいえ。お兄様。なんでもありませんよ。ただ、あまりにパンプキンばかりなので、飽きてきただけですよ」

 

実際、あまりにも単調な味付けに飽きてきたところだ。

私の返事に納得してないのか、お兄様がさらに尋ねようとしたその時

 

「トロールが!! 地下にトロールが!!」

 

突然大広間の扉が開き、クィレル先生が全速力で部屋へ駆け込んできた。

息も絶え絶えに、ダンブルドア校長の席まで駆け寄ると、

 

「お知らせせねばと思って……」

 

そう言って気絶してしまったのか倒れてしまった。

 

トロールのような低能な生き物が何故ホグワーツに?

 

と私は冷静に思考を巡らせていたが、どうやら他の生徒はそういうわけにはいかなかったらしい。

突然の事態に大広間は大混乱に陥る。皆恐怖で叫びながら席から立ちあがり右往左往している。

勿論お兄様もその中の例外ではない。

 

「ダ、ダリア! ト、トロールが!! ホグワーツの中に!!」

 

「お兄様、落ち着いてください」

 

私は冷めた思考の中、お兄様を落ち着かせるように努めて冷静な声を出す。

 

「侵入の真偽もまだ不明です。それにたとえ侵入していたとしても、トロールは非常に頭の弱い生物です。あるのはその巨大な肉体のみです」

 

その肉体すら、手袋を外した私よりは弱いだろう。それに私には闇の魔術がある。

 

「何も恐れる必要はありません。お兄様には私がついています。私がお兄様を必ず守って見せます」

 

そう冷静に話かけると、お兄様、そして私の周りにいた生徒達は冷静さを取り戻していた。

だが、私の周りが冷静になったとしても、この状況ではただの焼け石に水だ。どうしようかと考えていると

 

「静まれぇ!」

 

校長が爆音を出しながら叫ぶ。

その音を聞いてようやく冷静になってきた生徒に校長は、監督生に従って自分の寮に戻ることを指示する。

 

あの校長はお忘れのようだが、私たちスリザリンの寮は地下にあるのですが……。

 

そう思うのだが、もうすでに監督生が引率を開始しており、スリザリン生が続々と足早に大広間を出ていく。

せめて寮監が着いてきてくれるのかなと思ったのだが、どうも先ほどからスネイプ先生のお姿を見えない。

これは本格的にお兄様についていないといけませんね。

この時の私の頭の中には、お兄様を守ることしかなく、グレンジャーのことを気にする余裕などなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

トイレに引きこもりながら、ずっとロンの言葉が頭の中を走り回っていた。

 

『誰だってアイツには我慢できないっていうんだ! 全く、悪夢のようなヤツさ。だから友達がいないんだよ!』

 

その通りだ。私はホグワーツに来て、ずっと友達ができていない。

私はいつも感情的にみんなを叱るばかり。勉強ばかりして、周りのことなどこれぽっちも見ていなかった。自分がやっているのだから周りもやれなんて、そんなちっぽけな考えに囚われるばかり。周りの人間を子供っぽいと蔑んで、でも一番子供っぽかったのは自分自身だったのだ。

ああ、なんて馬鹿な私。勉強をいくらやったってこんなことさえ分かってなかったのだ。

 

それに……

 

あの時ダリア・マルフォイに思いっきりぶつかってしまった。それどころか教科書を拾ってくれた彼女に何も言わずに行ってしまった。

きっと嫌われてしまっただろうな……。

 

私は昔から勉強がよくできた。いつも一番だったといっていい。

別に一番になることを目的に勉強しているわけではなかった。ただ、学ぶことが、何かを知ることが面白くてしょうがなかったのだ。そのため私はよく勉強した。そのためかいつの間にかクラスで一番勉強ができる子になっていたが、私にはそんなことはどっちでもよかった。

でも、あの頃から私は何も変わっていない。

私は昔も周りに勉強を強要した。皆もこんなに面白いことなのだから、勉強をやるべきよ!

当然、皆からは嫌われた。当たり前の話だ。だって皆にとって勉強は勉強でしかなく、私のように楽しくて仕方がないものではなかったのだ。

そんな風に孤立してしまいがちな私の元に転機が訪れた。

 

ホグワーツの手紙だ。

 

私は喜んだ。今まで知らなかったことを、魔法なんて存在を学ぶことができる!

思えば知識欲から選んだ道であったけど、その中に、当時の孤立した空間から逃げ出したいという気持ちがなかったと言えばうそになる。

 

幸いにも両親は私のホグワーツ行きを了承してくれた。両親は孤立しがちだった私にいつも味方でいてくれた。ホグワーツ行きだって、私の当時の環境が変わってくれるならと思ってくれていた部分もあったのだろう。

 

でも、結局変わらなかった。環境、勉強するもの、それらが変わっても、私は少しも変わっていなかったのだ。

 

そんな中、唯一自分の中に変わったものがあった。

目標だ。

 

ダリア・マルフォイ。

 

彼女はいつも私の遥か前を歩いていた。ホグワーツに来るまではいつも私が一番だったのが、ここにきていつも彼女の後ろを歩くことになっていた。

それは人生初めての経験だった。

私よりはるかに多くのことを知っている同年代。

私にとっていつの間にかそんな彼女が目標になっていたのだ。

彼女に追いつきたい。彼女の知っていることをもっともっと知りたい!

私は、彼女をライバルとして、追いつきたい存在として尊敬していたのだ。

 

でも、彼女に嫌われてしまったかもしれない。

図書館で、彼女が純血主義でないと知り、もしかして嫌われてないのではと思っていたのに!

 

そんな風に考えていると、どんどん悪い方向に思考が流れていくのだった。

 

一体どれほど時間がたっただろう。

もう涙も出尽くしたのか、未だ悲しみでいっぱいなのに、目が渇いている。

そろそろ寮に戻らないといけない時間だろうか。もし夜外にいたら怒られてしまう。

そう思い、憂鬱ながら外に出ようとするが、ふと、ひどい異臭がすることに気付いた。

 

 

 

 

訝しみながら個室から出てみると……そこにはこんな所に絶対にいるはずのない、棍棒をもった巨大なトロールがたっていた。

 



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ハロウィーン(後編)

 

 ダリア視点

 

大広間とスリザリン寮は他の寮に比べて比較的に近い位置にあるため、私達はすぐに寮にたどり着くことができた。結局、はじめ心配していたように、スリザリン寮までの道のりでトロールと出くわすというようなことはなかった。

寮にたどり着いたことで皆安心し気が抜けたのか、談話室のソファーや、ふかふかの絨毯に座り込む生徒がそこかしこに散見される。

そんな中、私もお兄様の安全が確保されたことに安心感を覚えていたのだが……安心した途端、急に何かを忘れているような気がしてきた。

 

何か……何かを見落としている。

 

そんなことを考えていた私の耳に、ソファーに沈んでいたパーキンソンが安堵感からか大きな声で話し出す声が入ってくる。

 

「そういえば、あのグレンジャーどうなったのかしら?」

 

「グレンジャーがどうしたの?」

 

「あの穢れた血、午前の授業が終わってからずっとトイレの中に引きこもって泣いてるらしいのよ。しかもさっきのパーティーにも来てなかったわ。つまりトロールが入ったことも知らずにまだトイレでメソメソしてるのよ。このままトロールと鉢合わせたらいい気味なのに」

 

パーキンソンとブルストロードの会話を聞いて、先ほどから感じていた違和感に急速に思い至る。

そういえばそうだ。トイレに引きこもっていることまでは知らなかったが、先程大広間にいなかったことから、まだトロールがいることを知らない可能性がある。

寮に引きこもっているなら安全だが、女子トイレでは話が違ってくる。あそこは階は違えども、地下に比較的近い場所にある。最悪の場合鉢合わせてしまう可能性は十分にありえるのだ。

しかし、

 

「ダリア? どうしたの?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

私は即座に、そんなことを考えても仕方がないと思いなおす。

そうだ。なんということはない。別に彼女がどうなろうとどうでもよいことだ。何故私が彼女の心配をしなければならないのだろうか。

 

そう理性では思うのだが、なぜだろう。

なぜ私はこんなにも心がざわついているのだろうか。

 

「グレンジャーが心配なのね?」

 

そうどこか私を見透かしたような表情をしながらダフネが尋ねてくる。

 

「……いいえ。何故そのようなことを? 私が彼女を心配する理由などありませんが?」

 

「ううん。ダリア。あなたは確実にグレンジャーのことを心配している。だってあなた、グレンジャーのこと、結構気に入っているでしょ?」

 

「……いいえ。それはダフネの勘違いですよ。私がなぜ、彼女を気に入らねばならないのですか?」

 

「……ダリアも強情だね。でも、顔には心配ですって書いてあるよ」

 

そう言われて談話室にあった鏡を見るが、別にいつもと変わらない。

いつもの無表情だ。

 

「そんな風には見えませんが?」

 

「ううん、そういう表情だよ。ね、ドラコ?」

 

そうダフネは近くで私たちの会話を聞いていたお兄様に話かける。

お兄様は少し不機嫌そうに、私の顔をのぞき込み、やっぱり不服そうに頷く。

 

「ああ……。ダリア、お前は今不安そうな顔をしてるよ」

 

どんなに私自身が私自身を誤魔化しても、お兄様には分かってしまうらしい。

 

「いいえ、そんな顔などしていません。お兄様でも読み間違えることもあるのですね」

 

でも結論は変わらない。こんなことを私は気にしてはいけないのだ。

そう私はこれで終わりだと女子寮に行こうとする。

だが、

 

「ダリア。今からグレンジャーのいるトイレに行ってくれるか?」

 

お兄様が突然、私に思い切ったように告げたのだった。

 

「何をおっしゃっているのですか? 先程私は、」

 

「そうだ。()()()気にしていないかもしれない。でも、()()気にしているんだ」

 

「どういうことですか?」

 

私は訝しみながらお兄様の真意を尋ねる。

 

「僕はグレンジャーみたいな穢れた血のことなんて嫌いだ。だが、ホグワーツで人死にが出たら目覚めが悪い。それにもしあいつが死んだら、ホグワーツの理事である父上にも迷惑がかかるだろ。トロールが校舎に入るなんてどうなってるんだ? みたいにな」

 

そう早口で言い訳するように話すお兄様を見ながら、私は考える。

これは9割方お兄様の考えた、私を女子トイレにいかせるための適当な言い訳だ。

だが、確かにと思う部分もある。トロールは頭が悪く、普通は決してホグワーツに入りこめるような生物ではない。それが入ってしまったというのはスクープだ。それで人死にが出たとなれば尚更だ。何者かが入れたにせよどうであれ、ホグワーツの警備に関する重大な失態だ。最大の責任者はダンブルドア校長であり、理事まで責任問題が降りかかることはないだろうが……リータ・スキーターを代表する忌々しい記者連中が、理事であるお父様の周りをうろつくのは必至だろう。

それを考えるとグレンジャーの安全だけは確実に確保した方がよいだろう。

 

大分暴論であるが、それで自分がグレンジャーにトロールのことを知らせに行くことに納得することができた。

そう自分の言い訳を完成させることが出来た私は、やってしまったと後悔し始めている様子のお兄様の顔を見ながら、

 

「……そういうことにしときます。でも、確かにお父様のこの学校で人死にを出すわけにはいきませんものね」

 

そう言ってダフネとお兄様の横を通り、こっそりとスリザリン寮を抜け出したのだった。

廊下に出た私は、静まり返る廊下で一人呟く。

 

「ありがとうございます、お兄様……」

 

ダフネに言われるまで気付かなかった。

いや、気付くことを拒絶していた。

私は確かに、グレンジャーのことが気に入っていた。

最初に興味を持ったのは組み分けの前だった。つい最近魔法を知ったであろう少女が、既に普通の一年生どころか、小さい頃から英才教育を受けたであろう純血の子供より多くの知識を短期間で身に着けていることに驚いた。

しかし、それはただの彼女に興味を持つきっかけに過ぎない。

私が彼女を気にする理由。それは彼女の私に対しての無邪気さだった。

彼女はグリフィンドール生でありながら、私に対してずっと無邪気な憧れの視線を送ってくるのだ。

最初は魔法界にある純血主義のことを知らないからだと思った。でも時が経ち、スリザリンの嫌がらせを受けるようになってからも、彼女は私を他のスリザリン生と同じように見ようとはしなかった。彼女はただただ私という存在に、無邪気な憧れの視線を向けているだけだった。

 

ただ、私に憧れ、私の中を見ようとしていた。

それは純血主義の蔓延するスリザリンにおいて、ただ私の血筋だけを見る人たちと会話する日常の中で、本当は純血でもなんでもない私が感じる、ダフネと同じようなちょっとした清涼剤だったのだ。

 

でもだからこそ、私は彼女を()()()()()()()()()()

私には秘密がある。私の純血貴族という仮面の中にある、私自身をのぞき込もうとする人と、必要以上に仲良くするわけにはいかない。

 

そう思い、先程は見捨てようとした。

 

でも、どうしてだろう。もしあそこでグレンジャーを見捨て、本当にトロールと鉢合わせていたら……。私はそれを知ったとき、自分が心の中で捨てきれずにいた何かを永遠に失ってしまう。そんな気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「あれでよかったの? あれだとダリアが危ない目にあうかもしれないよ?」

 

ダフネが安心と心配を混ぜ合わせたような表情で話しかけてくる。

 

「トロールのことは心配ないさ。ダリアはもう正規の闇払いにも勝てる実力があると父上もおっしゃっていた」

 

ダリアは既にホグワーツ卒業レベルをとっくの昔に過ぎており、闇魔法も含めればそこらの魔法使いを圧倒するレベルに達している。加えて手袋をとれば、トロールなども問題にならない程の力、再生能力を発揮することもできる。

ダリアがトロールに負ける理由などないのだ。

 

「僕は穢れた血のことなんてどうでもいい。正直ダリアがなんであんな奴の心配をしてるのか理解に苦しむよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

言葉に窮する僕の言葉を、ダフネが不思議そうに諭す。

 

「ただ……もし、ここでダリアがここに残って、あのグレンジャーにもしものことがあったと後で知ったら、ダリアがどこか、()()()()()()()()()()()()()()に行ってしまう、そう感じたんだ」

 

「そう……だね。うん、私もなんとなくそんな気がする。ダリアが周りに壁を作っていることは知ってる。でも、なんだろう、もし今回彼女を見捨てる選択肢をダリアが選んでいたら、その壁が二度と外れることがなくなったように、私も思う」

 

「だから、お前も黙って見送ったのか?」

 

「そうだよ。私はダリアの友達だもん。あの子がそう思わなくても、私はダリアのことを友達だと思ってるよ。たとえ、()()()()()()()()()()()()()。それがどんなことだろうと、私はダリアを裏切らないよ」

 

以前、図書館でした会話を思い出す。

ダリアが戻ってくるのを待つ間、二人で交わした約束を。

 

「……これからもダリアをよろしく頼むぞ」

 

小声でつぶやいた僕の声に、ダフネはしっかりと頷いていた。

 

「さて、ダリアが戻ってくるまで、ソファーにでも座ってるか。お前はどうする?」

 

「私もダリアを待ってるよ。ダリアが強いって知っていても心配なことは心配だし」

 

そっと笑いあいながら、ダリアが出て行ったことに気づかず未だにグレンジャーの悪口に夢中なパンジーたちからソファーを奪うために、ダフネと共に歩き出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

私は周りに細心の注意を払いながら、手袋を外した状態で全速力で走っていた。手袋を外した状態で走ることなんていつ以来だろうか。周りの景色がぐんぐん過ぎていく。階段を一気に駆け上がり、女子トイレのある階まで登ってくると、途端にあたりに異臭が漂いだす。

ニンニクほどの臭さではないが、まるで掃除をしていない便所と、汚れた靴下を混ぜたような悪臭があたりに立ち込めていた。

 

遅かったかと焦りながら、女子トイレに走っていくと……トイレのドアの前になぜかポッターとウィーズリーが立っていた。

 

「やった! これであいつを閉じ込めたぞ!」

 

ハイタッチをかましている二人の姿をとらえた私は、慌てて手袋を付け直し、なるべく急いで二人の前に走ってゆく。

 

「そこのあなた達!」

 

「うお! なんだ、お前! なんでマルフォイ妹なんかがここにいるんだ!?」

 

私の姿を向こうも認識した瞬間すぐに噛みつこうとするウィーズリーを無視してポッターに尋ねる。

 

「もしかして、ここにトロールを閉じ込めたのですか?」

 

「あ、ああ。そうだよ」

 

突然現れた私に戸惑いながらも、ポッターは頷く。

 

「では、ここにグレンジャーはいないということですか?」

 

「え? それは、」

 

そう言って顔を青ざめさせているポッターを見るに、おそらくグレンジャーがここにいる可能性を失念していたな、と私も焦っていると、

 

「きゃああああ!」

 

中から甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

なんでこんなところにトロールが!?

こんな所にいるはずのない存在に立ち尽くしていると、トロールが私の存在に気付いてしまった。

濁ったその瞳でこちらをじっと見つめたのち、奇妙な唸り声をあげて、手に持った棍棒を振り上げる。

悲鳴を上げながら初撃こそよけることに成功するも、恐怖で足がすくんでしまい、尻餅をついた状態から立ち上がることができない。ドアの方に逃げようにも、いつのまにか扉が固く締まっている様子だし、何よりドアまでたどり着くためには目の前のトロールを何とかする必要がある。

まさに絶体絶命。トロールが今まさに、棍棒を振り上げ、今度こそ私の命を奪おうとしている姿が目に映る。

 

ああ、私、ここで死ぬんだ。誰とも友達になることもできず、誰とも理解しあえないまま。

 

恐怖と諦めを感じながら、スローモーションのようにその光景を見ている。

 

しかし、

 

ばーん!!

 

という轟音と共に、今まで固く閉ざされていた扉が吹き飛ぶ。

 

突然の出来事に驚いた様子のトロールの向こう側には……私の憧れていた、ダリア・マルフォイが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

何とか間に合ったようですね。今まさにグレンジャーに棍棒を振り下ろそうとして固まっているトロールを見て、間一髪だったことを悟る。あと少しでも到着が遅かったら、彼女は死んでいただろう。その事実に私と同じく気が付いたのか、横にいるポッターとウィーズリーも顔を青ざめさせている。

一瞬の間、驚いた様子のトロールと私たちは見つめあっていたが、グレンジャーの危機が未だに去っていないことに気付いたポッターが、

 

「こっちに引き付けるんだ!」

 

そう言って無我夢中に、その辺に散らかっている瓦礫を投げ始める。

トロールはグレンジャーと私たち、先にどっちを襲うべきか悩んでいる様子だった。しかしポッターが投げる瓦礫がうっとうしかったのか、こちらに目標を変え、棍棒を振り上げながら近づいてくる。

 

「やーい!ウスノロ!」

 

トロールの横に回り込んでいたウィーズリーの叫び声に反応して、再び目標を変える。その間にポッターがグレンジャーのもとに走っていくのを見ながら、私も爆竹魔法でトロールの気をそらす。だが、グレンジャーが恐怖で足がすくんでしまっているため、この状況から抜け出すことができずにいた。

このままではじり貧だと焦っていると、ポッターとグレンジャーが動けないことにようやく気付いたのか、トロールが私とウィーズリーの邪魔にも目もくれず二人に向かって走り出した。

 

このままではまずい!

 

そう思った私がとっさに選択してしまったのは、私が()()()()()()()()()()()()()()、今まで生きているものには使ったことのない呪文だった。

 

『アバダケタブラ!』

 

途端に緑の閃光がトロールに当たり、その命はあっけなくこの世から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ダリア・マルフォイの唱えた、私の知らない呪文によってトロールはあっけなく倒された。

トロールが現れてから始まった目まぐるしい状況の変化に混乱しながら、ダリア・マルフォイの方を見る。いつもの冷たい無表情ながら、どこか気まずい雰囲気を醸し出すダリア・マルフォイを見ていると、彼女たちに助けられたのだという安堵がようやく私の頭に追いついてきた。

マルフォイさん、ハリー、そしてロンに助けられた事実を噛みしめていると、マルフォイさんがどこか慌てたように、その無表情な口を開く。

 

「申し訳ありませんが、後のことはよろしくお願いします。トロールの手柄はお譲りしますので、くれぐれも私がいたことはご内密に」

 

そう言って踵を返そうとする彼女に、慌てて話しかける。

 

「マ、マルフォイさん、ど、どうして、せっかく助けてくれたのに!」

 

「私が使った呪文……。それは少し世間体の悪い呪文でして。トロール相手ですので、法律的には問題ないのですが、あまり使ったことがばれない方がよい呪文です。ですから黙っていてくださるとありがたいのです。先生方に聞かれても適当にごまかしておいてください」

 

早口でそう言った彼女は、さっさとトイレを出ていこうとする。

その背中に私はこれだけは今言わないといけないと思い、大声で声をかける。

 

「マルフォイさん! 助けてくれてありがとう!!」

 

ドアのあたりで再び彼女は立ち止まり、こちらを振り返ることなく言う。

 

「別に助けに来たわけではありません。私自身はあなたがどうなろうと、どうでもよかったのです。ただ、私の父が理事をする学校で人死にを出したくなかっただけです。次からはこんな愚かなことにならないようにお願いしますね。迷惑ですので」

 

「おい! なんだその言いぐさ!」

 

あまりのいいように、ハリーとロンは憤慨していた。

 

でも私には、どこか無表情な声色で紡がれた声が、彼女の本心ではないように感じられていた。

 

今度こそ彼女が行ってしまったのを確認しながら、ロンが口を開く。

 

「まったく! なんだあいつ! まさか助けに来たのかと思ってちょっと見直しそうだったのに! やっぱり冷たい嫌なやつだったな! スリザリンなんかが助けに来るわけがないんだ!」

 

そう憤慨するロンに反論しようと思い口を開こうとするが、聞こえ始めたバタバタという足音に気付き、口をつぐんだ。

 

そのあと、やってきたマクゴナガル先生、スネイプ先生、そしてクィレル先生に事情を聞かれた。すごい剣幕のマクゴナガル先生に、ハリー、ロン、そしてマルフォイさんを庇うために、とっさに嘘をついてしまい、それで私は5点も減点されてしまったが……ハリーとロンは5点ずつ点数をもらい、うまくマルフォイさんのことも隠すことができた。

ただトロールの様子を調べていたスネイプ先生が、どこか探るような目でずっとこちらを見ていたのが気になった。

 

帰り道、共通の経験をしたためか今まであった壁が取り払われ、すっかり友人となった二人と歩いていると、ロンが相変わらず憤慨したように話し始めた。

 

「まったく、マルフォイ妹のことなんて庇う必要なかったと思うぜ! あいつも助けるつもりはなかったって言ってただろ! だったらこっちも庇う必要なんてないぜ!」

 

「そんなことないわ! たとえ助けるつもりはなかったとしても、助かったことにかわりはないもの! それになんだかあれは彼女の本心ではない気がするの」

 

「まったく君はお人よしが過ぎるよ! あれは間違いなく本心だぜ! 見たかよあの冷たい目! あれは心底君のことなんてどうでもいいと思ってたね!」

 

そんなロンに反論しようとするも、ふと、先程からハリーが暗い表情でだんまりしていることに気が付く。

 

「おい、ハリーどうした?」

 

ただならぬ様子のハリーにロンも気が付いたのか、声をかける。

 

「……僕。マルフォイがかけた呪文知ってる気がする」

 

「え、私でも見たことない呪文よ? 気のせいではないの?」

 

ハリーに疑問を呈するも、

 

「いや、なんの呪文か知ってるわけじゃないんだ。ただ見覚えがあるんだ。ずっと昔、まだ僕が小さかった頃に……」

 

そう暗い瞳で語るハリーに、私は言いしれない不安を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

何とか誰にも見つからずに寮にたどり着くことができた。もし彼らが先生方に話してしまったらそれでおしまいだが、そうなったらもうどうしようもない。記憶を消すという方法もあったが、あの短時間にそれを三人に施す時間はなかった以上、結局私にできることは彼らを信用することだけなのだから。

 

それにしても……

 

私は先程のことを思い出す。

とっさに助けてしまった後でなんだが、これ以上彼女と仲良くすることはできないので、とっさに適当なことを言って嫌われようとしたが……本当にあれで私のことを嫌ってくれるだろうか。何だか背中に感じた視線は今まで以上のものだった気がする。

 

助けたことで今まで以上に人間関係に気を付けないといけないなと考えながら、私は寮の扉をくぐる。もう皆寝てしまったのか、誰もいなくなってしまった談話室には、お兄様とダフネだけがソファーに座っていた。

 

「お帰りダリア」

 

私の帰りに安心したように笑いかけてくるお兄様。

 

「その表情を見る限り、うまくいったようだな」

 

「ええ、なんとか人死にを出すことは防ぎました」

 

「そうか……」

 

そう話すお兄様の横から、ダフネが私に飛びつく。

 

「よかった! 無事で! 大丈夫とは思っていたけど、心配なのは心配だったよ!」

 

「ええ、ありがとうございます、ダフネ。()()()()()()()()()、心配をかけてしまってみたいで」

 

「相変わらず強情だね……」

 

苦笑しながらダフネはそうつぶやき、私から離れる。

グレンジャーと同じで、ダフネともこれ以上接近するわけにはいかない。でも、これだけ心配してくれたのだ、これだけは言わないといけないだろう。

 

「ありがとう、ダフネ」

 

蚊の鳴くような小さな声が聞こえてしまったのか、ダフネは苦笑から一転、飛び切りの笑顔になっていた。

 

 

 

 

私はこの時、吸血鬼とか蛇語だとか、そんな秘密しか私にはなく、これからもずっとこんな家族以外とは理解しあえないでも、どこまでも穏やかな日々が続いていくものだと思っていた。

 

しかし、そんなことはなかったのだ。

私、そして家族でさえも知らなかっただけで、私という()()は、どうしようもなく人々の幸福とは真逆に存在する()()でしかなかったのだ。

 

そう後になって気が付いた。

 

 

 

 

「そういえば、トロールと遭遇したのか?」

 

「ええ、ちょうど襲おうとしている所に」

 

「ええ、大丈夫だったの!? けがはない!?」

 

そう言って私に怪我がないことを確認するダフネを眺めながら、思い出す。

 

ああ、そう言えば私はトロールを、人間ではないとはいえ、生物を殺してしまったのですね。

思い出したら急に殺害したという実感と後悔がわいてきた。

 

「怪我はなさそうだな。トロールはどうしたんだ?」

 

そう声をかけてくるお兄様に、真実を告げる

 

「はい、()()()()()()()()()。とっさのことでつい」

 

闇の帝王の造った道具であると知った日、帝王への反抗心から、はたまた別の何かから忌避していた、誰かを傷つけるという行為に対する後悔が私を襲う。

あの雪の降る庭での会話を覚えているのかお兄様は、私の後悔を知ってか心配そうにこちらを見やるが……こちらを見た瞬間、

 

ぎょっとした表情をしていた。

 

怪我がないことを確認していたダフネも同様の表情をしている。

今私は余程酷い顔をしているのだろう。

それもそうだろう。生き物を殺してしまった後悔と、目まぐるしく変わる状況に、酷い疲労感を感じていた。

 

「お兄様、そんなに酷い顔をしていますか?」

 

「ダリア、お前……もしかして、気が付いていないのか?」

 

そう酷く狼狽した様子でお兄様は答える。

どうやらよほど疲れた顔をしているらしい。

 

「私はもう寝ますね。ダフネ行きましょう」

 

お兄様と同様な表情をしているダフネに話しかけるも、彼女は首を横に振るだけだった。

 

「い、いや。私はもうちょっとドラコと話してから上がるね。ダリアは先に上がっていてよ」

 

「そうですか……ではそうさせていただきますね」

 

私はそんなダフネの様子を訝しみながらも、押し寄せる疲労感と睡魔にあらがえずにベットに向かう。

寝巻に着替え、横になると、やはり相当疲れていたのかすぐに意識が薄れてゆく。

 

 

 

 

私は夢の世界に入っていくその瞬間まで、後悔と、そして何故か()()()を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

ベットに向かうダリアの背中を見やる。横にいるダフネもじっとダリアの背中を見ている。

ダリアの姿が女子寮に完全に消えると、ダフネが静かに口火を開く。

 

「ねえ、ダリアのあの表情は一体……?」

 

「わからない。わからないんだ! あんな顔今まで見たことがないんだ!」

 

そう今までダリアが、他人でもわかる表情をしたのは数えるほどだ。

まず血を飲むとき。そして幼い頃、一度だけ見せてくれた、僕がダリアを守ると決めたあの日の表情。

 

さっきの表情はどれでもなかった。

 

「どうして、ダリアはあんな顔をしてたの? トロールを殺したって言ったとき、どうしてあんなに()()()()()()をしていたの?」

 

そう、ダリアはトロールの殺害を告白した時、今まで見たことがないほど、()()()、そしてまるで満たされたような、()()()()()()()()()()を浮かべていたのだ。

 

どうして殺したなんて。あの自分の体について知ってしまった時からの彼女なら、後悔するだろうことなのに、どうしてあんな表情をしていたのか分からない。

 

今までダリアは表情はなくても、とても優しい子だと思っていた。だれかが死ぬのを見るのは嫌な子だと。

でも、さっきの表情は……。

 

そこまで考え、自分で自分の頬をひっぱたく。

今まで僕は何を見てきたんだ。先程の表情がどうあれ、ダリアは後悔しているはずだ。今まで彼女を見てきた僕が、何を考えているのだ。僕がダリアのことを信じないでどうするというのだ!?

 

「前にも言ったが、ダリアにはお前はもちろん、僕にさえ言えない秘密がある。父上すら知らないことがあるかもとおっしゃっていた。だからこれから先、何があってもおかしくはない。それでも僕は、どんなことがあってもダリアの味方でいると決めた。お前はどうなんだ?」

 

そう、ダフネの覚悟を尋ねる。

ダフネは一瞬目を閉じた後、再び目を開く。

そこには先ほどまであった、戸惑いと恐怖などなく、ただ決意だけがあった。

 

「私もそうだよ。私は誰がなんと言おうと、ダリアの友達だよ。だから、何があってもダリアのそばにいる。そう決めたから。もう私が彼女に抱いているのは()()だけじゃないんだから」

 



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閑話 校長の疑念

 ダンブルドア視点

 

トロール侵入事件の少し後。

石の安否の確認のため呼び出していたセブルスに尋ねる。

 

「では、トロールは『死の呪文』で殺められておったのじゃな?」

 

「はい校長。愚か者三名を帰した後調べましたところ、トロールに外傷はありませんでした。しかし、トロールは死んでいた。こんなことができるのは死の呪文のみです」

 

「……そうか。しかしのう……」

 

「ええ。死の呪文が使えるのは、力の強い闇の魔法使いだけです」

 

「クィレルはどうじゃ?」

 

「トロールを入れたのは奴でしょうが、おそらく殺したのは別の者かと。クィレルは吾輩が見張っておりましたが、()()()()向かっておりませんでした」

 

セブルス達が着いた時には、現場には三人しかいなかった。

ハーマイオニー・グレンジャー。ロナルド・ウィーズリー。そして、ハリー・ポッター。

いずれの子も『死の呪文』など使えるものには思えん。たとえ高い魔力があったとしても、彼らにはそれを扱うだけの()は備わっておらん。

そうなると……

 

「別の誰かがあの場にいた。そういうことじゃな」

 

「ええ。現に奴らも何か隠している様子でした」

 

あの場には、三人以外の別の誰かがいたことになる。そしてその誰かがトロールを殺し、その場を去った。

そう考えると辻褄があう。

じゃが、それはそれで疑問が残る推理じゃった。

 

「何故彼らはその者を隠しているのじゃろうのぅ?」

 

「大方トロールを倒した手柄を独り占めしたかったのでしょう。奴の息子なら考えそうなことだ」

 

そう吐き捨てるセブルスを見ながら考える。

彼らがその人物を庇う理由はどうあれ、その人物が危険な人物である可能性は非常に高い。

死の呪文。

かつての暗黒時代、闇の帝王、そして死喰い人達が好んで使った呪文。その呪文によって多くの人々が苦しめられ、殺されていった。

あれを使うには、よほど強い魔力と、そして誰かを殺したいという強い()()()が必要になる。

そのようなものを持つ人間が危険でないわけがないのだ。

 

「死の呪文を使うには相当な実力が必要じゃ。それが出来るとしたら教職員、もしくは非常に優れた実力を持つ生徒だけじゃ。セブルスに心当たりはあるかの?」

 

「……いいえ、クィレルでない以上、吾輩には思いつきませんな」

 

「そうか……。そうじゃのう……」

 

教職員全員のことを、わしは昔から知っていた。

どの先生も闇にとらわれる様な者達ではない。

クィレルだけは昔から神経質でおどおどした態度だったため、よく周りからからかわれていた。そのため彼は周りを見返してやりたいという思いから闇の魔術に興味を持ってしまった。そんな彼は今おそらくトムとつながっているのじゃろうが……今回のことに関しては無関係じゃろう。

そうなると教師の中には犯人はいない。そうなると……。

実のところ、わしにはその人物に心当たりがあった。

 

ダリア・マルフォイ。

 

教職員が潔白な以上、疑いの目は生徒に向けねばならない。

しかし、一年生から七年生までの中で『死の呪文』を使える程実力があり、なおかつそれを学ぶことができる家庭環境を考えると……犯人は限られる。

 

そんなものはダリア・マルフォイしかおらん。

 

彼女の実力はよく教員からの報告にあがっていた。

なんでも、既にホグワーツ卒業レベルまで魔法を習得しているのではないか?

彼女はホグワーツ始まって以来の、わしに匹敵するレベルの秀才ではないか?

 

そんな話をよく先生方から聞いていた。

そして入学式の時感じたあの空気。あれはかつてトムに感じたものと同種のもの。

彼女を疑うには十分な判断材料に思えた。

 

無論これらは彼女の実力面の証拠であって、内面的な証拠ではない。

先生方は彼女のことを非常に優等生だと言っておった。

表情はいつも冷たいが、非常に真面目で、おごり高ぶった態度などとらないと。

 

じゃがわしはその報告でむしろ不安になった。

非常に真面目な優等生。それはかつてのトム・リドルを見ていた教師の全員が感じていた印象だった。

彼はその優等生な仮面の下に、強い残虐性を隠していた。そしてそのことにわし以外が気付くことはなかった。

 

もし彼女がトムと同じように、仮面の下に強い残虐性を隠していたら?今回の事件でそれが仮面の下から見え隠れしていたのでは?

 

どうしてもそう考えざるをえなかった。

トムがかつてホグワーツにいた頃、わしは彼の残虐性に気付いておりながら、その暴挙を止めることができなかった。

今度こそはあのような悲劇を繰り返してはならない。あの様な人物を間違った道に進ませてはならない。

 

「ところでセブルス。ダリア・マルフォイのことはどうなっておるのかの?」

 

石の話も終わり、いよいよセブルスが自室に戻ろうとするタイミングでそれとなく彼女のことを尋ねてみる。

 

「特に何も起こっておりません。寮内で何か傷害ざたがあったということはなく、おそらくあの手袋は以前の報告通り、魔法の暴走を抑えるものであるように思えますが」

 

彼女の手袋に関して、以前セブルスに監視を依頼しておったが、あれから今日まで特に何かあったという報告は受けておらん。それとなくセブルスが彼女のルームメイトに聞いてみたところ、あれは強すぎる魔法力を抑えるための道具と説明されたと報告しておった。

おそらく手袋と今回のことは無関係じゃろう。

 

「そうか、彼女のことで他に気になったことはあるかの?」

 

「いいえ、ありませんな。あれは非常に優秀な生徒です。名ばかりのポッターとは大違いだ。上級生を見てもあれ程優秀な生徒はいませんな。さすがは我がスリザリンです」

 

見た目と違い義理堅い所のあるセブルスは、昔から親交のあるルシウス・マルフォイの娘に気をかけておる。彼女が魔法薬学の成績も大変優秀であるということも含めると、お気に入りといってもいい程じゃろう。

じゃから今回の件は彼にはたよれん。

クィレルの件に集中させる必要があるのもあるが、何より目が曇ってしまう可能性があった。

 

セブルスの今しがた出て行ったドアを見つめながら考える。

現場に居合わせた三人の記憶を見れば早いのじゃが、三人に、特にハリーに会うのは()()はやい。

それに、結局彼女が本当に危険人物かどうかを確認できればよいのじゃ。

そのためにうってつけの道具を持っておる。

 

本来であればクリスマスあたりに、学校に残るであろうハリーにまず見せるつもりであったが……クリスマスでは彼女が帰ってしまう可能性がある。それ以降となると、今度は石の守りの計画が狂ってしまう。

ならば近いうちに、クリスマスになる前に、彼女に()()を見てもらうかのう。

そう思いながら、ワシはペットであるフォークスをなでるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セブルス視点

 

校長室からの帰り道。もうすっかり暗くなった廊下を歩きながら、先程の校長の言葉を思い返す。

 

『死の呪文を使うには、相当な実力が必要じゃ。それが出来るとしたら教職員、もしくは非常に優れた実力を持つ生徒だけじゃ』

 

非常に優れた生徒。しかも生徒にして、死の呪文が使える程の。

実のところ、我輩には一人だけ思い当たる生徒がいた。

 

ダリア・マルフォイ

 

彼女なら、実力的にも申し分なく、さらに家庭環境を思えば、死の呪文を知っていても何ら不思議はない。

もちろん「出来る」からと言って、それが「やった」という証拠にはならない。

だが、彼女しかやれるものがいないというのもまた事実だった。

 

だがふと考える。

たとえ彼女がやったとからと言って、彼女が本当に危険な人物といえるのだろうか。

確かに死の呪文は恐ろしく残忍で、それを操るということは、それだけで闇の魔法使いであると断言できるほどだ。

だが、彼女がやったであろうことは、その呪文とは違い、おそらく人助けといったものだったろうことが考えられる。

 

おそらく彼女は、トロールと戦っていた愚かな三人組を助けるためにあのようなことをしたのだろう。

そうでなければ死の呪文がどういったものかなど知らないであろう三人が、彼女を庇うということなどあり得ない。

そう思い、死の呪文を使ったかもという事実だけで、彼女のことを危険視するのに引け目を感じるのだ。

 

それに……スリザリンの中で授業を受ける彼女を見ていて思うのだ。

 

彼女は、どこか吾輩……()によく似ている気がするのだ。

何故かはわからない。だが、どこか自分の姿と彼女が重なってしまうのだ。

本来まったく似ていないであろう僕と彼女。

だがそのありようは、酷く似ているように感じられた。

 

……どちらにせよ、彼女のことは今後も注意深く見ていなければならない。

そう古くからの知り合いの娘のことを考えなら、マントをなびかせ、自室に向かって足を進めるのであった。

 



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クィディッチ(前編)

 ダリア視点

 

ハロウィーンでのトロール侵入事件から数日。11月に入り、いよいよ外の空気が冷たくなってきた。だが中はというと気温は低いのに、生徒の醸し出す空気は非常に熱い。

クィディッチ・シーズンの到来である。

しかも注目の対戦カードはグリフィンドール対スリザリン。いつも仲の悪い寮同士が合法的に潰しあえるということで、二寮とも大変熱くなっている。廊下で会えば喧嘩する程度だったのが、この時期に入ると容易に殴り合い、呪いの掛け合いに発展するらしい。

そんな中、スリザリンは特にハリー・ポッターを狙い、小競り合いを起こしていた。

彼がシーカーになったことはどうやら『極秘』だったらしいのだが、グリフィンドールの隠しきれない表情と態度によって、もはやホグワーツ中が知るところとなっていたのだ。

そして騒がしい日常が過ぎ、いよいよ試合当日。

 

「ダリアは今日観戦に行くの?」

 

朝食を食べながら、隣に座っていたダフネが尋ねてくる。

ハロウィーンから数日の間、お兄様とダフネはいつも以上に私に気を遣っていた。

まるで割れ物のような扱いに何かあったのだろうかと首をかしげていたのだが、最近ようやく元通りの態度になりつつある。

 

「はい。あまりに長く続くようなら途中で帰りますが、なるべく最後まで観ようと思っていますよ」

 

今日は私がホグワーツに入学して初めて行われる、自寮のクィディッチ試合だ。

クィディッチにあまり興味がない上に日光のこともあるので、最初は行くつもりなどなかった。だが、あまりにはしゃいでいるお兄様の微笑ましい様子を見ていて、自分も行ってみようかなと思うようになったのだ。そのことをお兄様に伝えると、日光のことで私の心配をしているようであったが、自分の楽しみにしているものを、いつもは興味がなさそうな妹の私も楽しみにしているというのが、内心とてもうれしい様子だった。

 

「今日はよく晴れてるし、大丈夫なの?」

 

「ええ。ですからしっかり日光対策をしていく予定です」

 

「そう。でもどこで観るつもりなの? 生徒席はたぶんごった返しているよ」

 

「それなんですが、実はスネイプ教授のご厚意で、教員席で観ることになりまして」

 

周りが混んでいると、私の持っている日傘が少し邪魔になる。それにクィディッチの試合ということで皆大変興奮しているため、何かしらの事故も起こりやすくなる。

そう思っていたところ、先日スネイプ先生が私を心配して、教員席で観ないかと誘ってくださったのだ。

これは渡りに船だと思い、すぐ了承の返事をしていたのだ。

 

「そうなんだ。教員席で暴れそうな人といったら、マクゴナガル先生くらいかな。だからあの人から遠くにいれば大丈夫かな」

 

いつもは冷静なマクゴナガル先生だが、その実かなりのクィディッチ狂いだと聞いている。試合の最中に興奮して、教員席で暴れている姿が時折見られるとかなんとか。

そんな話をしながら朝食を食べ終えると、いよいよ学校中の生徒がクィディッチ競技場に向かう時間となった。

教員席に向かうためお兄様達と別れる直前、お兄様が少しだけ心配そうな声をかけてくる。

 

「ダリア。何かあったらすぐにスネイプ教授に相談して帰るんだぞ」

 

私がクィディッチを見に行くと言った時から、うれしいと言えどもやはり心配そうな様子のお兄様に、私は苦笑しながら返した。

 

「大丈夫ですよお兄様。あまり長時間いるわけではありませんから」

 

「そうだな……。だが、絶対はないからな。何かあればすぐ帰るんだぞ」

 

そう最後まで心配そうなお兄様達と別れ教員席の方に向かう。

教員席の方に向かうと、入り口の辺りでスネイプ教授が私を待ってくださっていた。

 

「申し訳ありません。お待たせしてしまいましたか?」

 

「かまわん。吾輩も今来たところだ。それより……」

 

そうおっしゃって、先生は私の下から上まで確認する。そしてどうやら合格だったらしく、一つ頷きながら先生は続けた。

 

「対策は万全のようだな。教員席の端の方は少し日陰になっているからそこに座るように。ただ、それでも万全ではないかもしれん。何かあったらすぐ申し出るように」

 

「はい。お心遣い感謝いたします」

 

本当にスリザリンにはいい先生だ。私の体のことがなければ素直になつけたのだろうか。そんな益体のないことを考えながら、先生と教員席の階段を登っていると、ふと嫌な香りがすることに気が付いた。

なんだろうと顔をしかめながら登っていると、臭いはどんどんきつくなってくる。

 

忘れていた。

日常的にあの授業のことをあまり考えないようにしていたのがあだとなった。

そう言えばそうだ。()()も一応教員なのだった。

そう自分の迂闊さを呪いながら階段を登り切り、教員席にたどり着く。

 

そこには多くの先生方と共に、あのニンニク教師も座っていた。

 

「お、おや、マ、マルフォイさんも、このせ、席なのですか?」

 

到着したばかりだが、私は早くも帰りたくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「ねえ、今思い出したんだけど……教員席ってことは、クィレル先生もあそこにいるんじゃないの?」

 

「あ……」

 

隣のダフネが呟いた言葉に、今自分もその事実を思い出した。

慌ててゴイルが持っていた双眼鏡を奪い取り、ダリアがいるであろう教員席の方を見る。

 

そこには出来る限り端の方の日陰に入っている、思いっきり顔をしかめたダリアの姿があった。

 

「ダリア、大丈夫かな?」

 

そう尋ねるダフネに返事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

顔をしかめている私を心配して、スネイプ先生が、

 

「大丈夫か?」

 

と声をかけてくださったが、ここまでして下さった以上、すぐに帰ることなどできない。

あの臭いが苦手なだけで特に問題はありませんと伝えると、先生はどこかまだ心配そうな表情をしながらご自分の席に向かわれた。

私はあらかじめ先生が空けてくださっていた日陰の席につくと、自分に臭い対策呪文をかける。不幸中の幸いは風通しの良い屋外であるため、授業程臭いに悩まされることはないだろう。

そう人心地つきながら、会場を見渡す。

グリフィンドールの旗の中には、『ポッターを大統領に』という謎の旗もあったが、基本的にスリザリンとグリフィンドールの生徒達は自分達の寮の色旗を盛んに振っている。

そして今回の試合にはいないレイブンクローとハッフルパフの生徒たちは、それぞれ勝ってほしいチームの旗を振っているようだった。

 

つまり他二寮も赤色の旗を振っていた。

 

スリザリンも嫌われたものだなと思いながら観客席を見ていると、いよいよ試合が始まる様子だった。

グラウンドに両方のチームが出てくる。

上から見ても、唯一の一年生選手であるハリー・ポッターは、他の選手に比べてやはり一際小さな選手に見えた。一方スリザリンのキャプテン、マーカス・フリントはその中でも一際大きく見えた。

 

審判のマダム・フーチの声に従い、選手が全員箒にまたがる。

そして審判が笛を吹き、全員が一斉に空へと舞い上がる。

 

試合がいよいよ始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

双眼鏡でダリアの様子を確認していたが、どうやら無事日陰に入ることが出来た上に、その表情はいつもの無表情に戻っている。どうやら臭い対策も成功している様子だ。

それをダフネと共に安心していると、いよいよ試合が始まった。

 

「さあいよいよ試合開始です! さてクアッフルはたちまちアンジェリーナ・ジョンソンの手に! なんて素晴らしいチェイサーでしょう! その上かなり魅力的です」 

 

「ジョーダン!」

 

「失礼しました、先生」

 

会場に響き渡る実況に、僕は思わず漏らした。

 

「あのふざけた実況はなんとかならないのか……」

 

実況席にはグリフィンドールのリー・ジョーダンが座っており、そのグリフィンドール贔屓の内容にマクゴナガルが叱咤を飛ばしていた。だが先生自体もかなりのグリフィンドール贔屓なので、果たして本当に止める気があるのかは定かではない。

 

「仕方がないよ。実際彼しか実況に向いている人はいないんだって」

 

隣のダフネも若干あきれた様子で返してくる。

そんなこんなしているうちに、スリザリンは相手に先制点を許してしまった。

思わず漏れ出るため息。他の三寮は大歓声をしている。

しかしその後、スリザリン独自のプレースタイルで、得点は30点対20点でスリザリンのリード。途中ポッターがスニッチを見つけて捕まえようとしたが、マーカス・フリントの邪魔によってなんとか事なきを得ていた。まあ、他寮からはブーイングの嵐だったが。

 

その後も順調にスリザリンが得点を重ねていく。その間、僕らは何もできないポッターを眺めながらせせら笑っていた時……それは起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ポッターの動きが何かおかしい。先程から箒が彼を振り落とそうとしているかのように、出鱈目な動きをしている。

飛行訓練の様子からして、彼がそんな動きをするとは思えない。まして箒の故障ということもないだろう。あれは最近発売されたばかりのニンバス2000だ。そう簡単に壊れる様なものではない。

 

だとすると考えられるのは一つ。

闇の魔術だ。

 

悪戯で行うにはあまりにも高度な呪文。やっているとしたら教員だろう。そう思いあたりを見回す。なるべく鼻をそちらに向けたくないので、クィレル先生だけ見ないように顔を動かしていると、ふとスネイプ先生がポッターをじっと見つめ、ぶつぶつと呪文を唱えているのに気が付いた。

最初はまさか先生が呪いをかけているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

闇の魔術を勉強している私にはわかる。あれは解除の呪文だ。

必死にポッターを見つめ、解除の呪文を唱えている先生の額には冷や汗が流れており、あまり余裕がないことが窺えた。おそらく、あのままではポッターが振り落とされるのも時間の問題だろう。

 

先生は今回私のことで、ずいぶん気を遣ってくださった。それに何より彼はお父様のお友達だ。

 

誰が呪いをかけているかは知りませんが、ここはお手伝いしますかね。

そう思い、私もポッターを見て、解除の呪文を唱え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロン視点

 

スネイプがハリーに呪文を唱えているのを見つけたハーマイオニーが、

 

「私に任せて」

 

そう言って教員席の方に走って行ってしまった。

僕は双眼鏡をハリーに向ける。先程はものすごい勢いで箒が震えていたが、今は少し震えが収まっているようだ。だが未だハリーは片手で箒にぶらさがっている状態であり、まだ油断ができるような状態ではない。

兄貴たちが自分の箒に乗り移らせようとするもダメな様子だ。ゆっくりとだが箒が上の方に上がってしまっている。

このままでは本当にハリーが落ちてしまう。

 

「はやくしてくれ、ハーマイオニー」

 

そう祈るように呟きながら、今ハリーに呪いをかけているだろうスネイプの方に双眼鏡を向ける。先程まで必死な様子で呪いをかけていたが、今はなぜか少し落ち着いた様子だった。未だにハリーを見つめ、口は絶えず何かを呟いている様子だったが。

それを憎々しげに覗いていると、ふと視界に白いものが映った。

なんだろうとそちらに視線を向ける。

 

そこには……なぜか教員席に座っているダリア・マルフォイが、スネイプと同じようにハリーをじっと見つめ、何か呪文を唱えている姿があった。

 

 



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クィディッチ(後編)

 

 ダリア視点

 

試合は170対60でグリフィンドールの勝利となった。あの後ポッターがスニッチを取った、いや飲み込んだのだ。

 

私が解呪に加わった後、突然スネイプ教授の方から火の手があがった。教授は慌てて目をそらしてしまったため、私一人で対処しなければならない事態に陥ったのだが、幸いなことになぜか火の手が上がると同時に呪いも消えてしまっていた。

私がほっとしているうちに、先程まで箒から落ちそうになっていたポッターが、あれよあれよといううちにスニッチを見つけ急降下を開始した。そのまま彼はなぜかスニッチを飲み込み、試合終了となった。飲み込んだとはいえ、スニッチを掴んだということに変わりはないと判断されたのだろう。結局スリザリンはポッターに逆転されるという結果になってしまった。

 

試合に負けてしまったのだ。私としては勝敗などどちらでもよかったのだが、お兄様はさぞ落ち込んでしまっていることだろう。私はすぐにお兄様のもとに行こうと思い立ち上がったが、今回スネイプ教授には大変お世話になったのだ。一言お礼を言ってから向かおうと思い直し、教授のもとに歩いていく。

しかし、

 

「スネイプ教授。今回は、」

 

「ミス・マルフォイ。吾輩についてきたまえ」

 

私の言葉を不機嫌そうに遮り、教授はさっさと歩きだしてしまう。一体どうしたのだろうかと訝しむが、私は無視するわけにもいかず、教授の後を追って歩き出す。

競技場の入り口を過ぎてもなお教授の足は止まらない。ホグワーツ城玄関を過ぎ地下に降りる、そして教授の事務室の前まで来て、ようやく教授の足は止まった。

 

「入りなさい」

 

ここまで連れてきたのは、おそらくこれからする話を誰にも聞かれたくなかったのだろう。

促されるまま中に入ると、そこはシンプルというより生活感が無いといった方がしっくりくる部屋だった。黒皮のソファとテーブル。それらの向こう側にもこれまたデスク。壁際には背の高い本棚がずらりと並んでおり、中には様々な分野の本が詰まっていた。

 

「そこに座りなさい」

 

示されたソファーに座ると、教授はさっと杖を振るいテーブルに紅茶を出して下さる。

 

「それを飲みなさい」

 

そう言って先生自身も私の対面に座るのだが、紅茶を飲む私を見るばかりで一向に話しだそうとされない。

そろそろ一向に見つからない私にお兄様も心配されている頃だろう。私から話しかけようかと思っていると、教授はようやく重い口を開いた。

 

「先程解呪に加担したのは……ミス・マルフォイ、君だな?」

 

ハロウィーンの時と違い、今回は解呪の呪文だ。別に隠す理由もない。

 

「はい。そうです」

 

即答した私に教授は一瞬目を見開き、ふぅとため息をつかれると再び口を開く。

 

「何故、我輩を手伝ったのかね?」

 

「今回教授には大変お世話になりましたので。それに教授はお父様の御友人ですから」

 

「……別に君の父親と親しいというわけではない」

 

そう否定される教授の姿は、どこかお父様に似ている気がした。お父様もどこか素直ではないところがあるのだ。

 

「それよりミス・マルフォイ。君はもう少し考えて行動するべきではないかね? もし今回の行動で、呪いをかけていたものに君が私に加担していたと露見すれば……君が狙われるのではないかね?」

 

私は教授の話を聞いて、自分が軽率な行動をとってしまったことを悟った。確かに、今回もし犯人に知られたとしたら、きっと私のことを探ろうとするかもしれない。そうなれば私の体のことが図らずも露見してしまう可能性がある。そうなればお父様達に迷惑をかけてしまう。とっさに行動してしまったが、それが大変軽率なことだったと今気づいた。

 

「……申し訳ありません。その可能性を失念しておりました」

 

「以後気をつけたまえ。まあ、今回は大丈夫であろうが。呪いをかけるには、解呪と同じく対象を見つめ続ける必要がある。君のことを確認することはできなかっただろう」

 

「はい。……教授は今回の犯人に心当たりはおありなのですか?」

 

可能性は低いとはいえ、万が一ということもある。もしもの時のために一応教授に尋ねるも、教授の応えはにべもないものだった。

 

「……いや、ない」

 

「そうですか」

 

別に念のためで聞いた質問だ。おそらく教授は知っているのだろうが、これ以上私に首を突っ込ませる気はないのだろう。私も別にそこまで興味があるわけではない。今回のことで私のことが露見する可能性は限りなく低いのだ。これ以上突っ込んで藪蛇になる可能性も考慮すると、ここは引き下がった方が賢明だろう。

 

紅茶も調度飲み終えたタイミングで、話はこれで終わりだと教授は手を振り退出を促す。私は紅茶のお礼をし、事務室を出ようとする直前、

 

「今後は気をつけなさい。だが、先程の呪文は見事だった。あれ程のことが出来る生徒はまず上級生にもいないだろう。スリザリンに10点与える」

 

「ありがとうございます」

 

そう言って今度こそ部屋から出る。私が見つからずお兄様も心配している頃だろう。私は急いで寮に向かって歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

試合が終わった後、僕とロンとハーマイオニー、三人はグリフィンドールで行われている騒ぎに参加せず、今ハグリッドの小屋で濃い紅茶を入れてもらっていた。

ひとしきり4人で勝利を喜んでいたのだが、ふと気になっていたことを皆に尋ねた。

 

「そういえば、あの時箒が暴れだしたのはどうしてなんだろう?」

 

先程の試合、箒が突然いうことを聞かなくなり、僕を振り落とそうと暴れだしたのだ。

今までこんなことは一度もなかった。

僕の疑問に重要なことを忘れていたという顔をしたハーマイオニーが話し始める前に、

 

「スネイプとダリア・マルフォイだったんだよ!」

 

そうロンが叫んだ。

何か言おうとしていたハーマイオニーは驚いたようにロンに叫び返す。

 

「何を言っているのロン! マルフォイさんがそんなことするわけないでしょ!」

 

「ハーマイオニー、僕は見たんだ! スネイプがハリーの箒にブツブツ呪いをかけているのを君も見ただろう! それで君がスネイプに何かしに行ったあと、僕はスネイプの方を見ていたんだ! それでふと気になって教員席の端をみたら、マルフォイ妹もスネイプと同じように呪いをかけていたんだ!」

 

「そんなのあなたの見間違いよ! 私はスネイプにしか火をつけていないわ! それで呪いは止まったのよ! それに彼女には呪いをかける理由がないわ!」

 

「おいおいハーマイオニー! あいつはスリザリンだぜ! 呪いをかける理由なんていくらでもあるさ! さっきグリフィンドールと試合をしていた寮がどこかお忘れかい?」

 

そう口論を始めた二人に、先程から黙っていたハグリッドが話しかける。

 

「ダリア・マルフォイはともかく、スネイプがなんでそんなことする必要があるんだ?」

 

「ちょっとハグリッド!」

 

ダリア・マルフォイのことを庇わなかったことで噛みつくハーマイオニーを軽くいなしながら、ハグリッドは続ける

 

「スネイプはホグワーツの教師だ。そんなことするわけなかろう」

 

そう疑問を投げかけるハグリッドに、僕らは顔を見合わせ、彼になんて話すか悩む。でも、僕は彼には本当のことを言うことを決心した。

 

「僕、スネイプについて知っていることがあるんだ。あいつ、ハロウィーンの日、三頭犬の裏をかこうとして噛まれたんだ。何か知らないけど、あの犬が守ろうとしているものを盗もうとしているんだ」

 

まだハーマイオニーと仲良くなっていなかった頃、マルフォイの罠にはまり夜先生に見つかりそうになってしまい、慌てて4階の廊下に迷い込んでしまったことがあった。そこにいた三頭犬に危うく殺されかけたけど、その場にいたハーマイオニーは、三頭犬の足元にあった扉に気付いていたのだ。そしてハロウィーンの後、スネイプが足を怪我をして、しかもそれが三頭犬に噛まれたものだと話しているのを聞いたのだ。

 

「なんでフラッフィーのことを知っているんだ?」

 

ひどく驚いた様子のハグリッドに尋ねる。

 

「フラッフィー?」

 

「あいつの名前だ。去年パブで買ったんだ。それをダンブルドアに貸したんだ。守るために……」

 

「何を?」

 

「これ以上は重要秘密なんだ。きかんでくれ」

 

「でも、スネイプが盗もうとしているんだよ。それに、僕に呪いをかけようとしていたなら、ダリア・マルフォイも……」

 

「ちょっとハリー!」

 

再び噛みつこうとしたハーマイオニーを無視して、ハグリッドは話す。

 

「何度も言うが、スネイプがそんなことするわけねえ」

 

「でもハグリッド。私はスネイプが呪いをかけているのをみたのよ! たくさん本を読んだから知ってるわ! あれは間違いなく呪いをかけていたわ!」

 

「ダリア・マルフォイもね」

 

「ロンは黙ってて!」

 

再び口論を始めそうな二人にハグリッドも叫ぶ。

 

「お前さんは間違っとる! 断言してもいい! スネイプはやっとらん! ダリア・マルフォイについては何とも言えんが……」

 

「ちょっと!」

 

「いいか、ハーマイオニー。なんでお前さんがそんなに彼女を庇うか知らんが、スネイプがやっとらん以上、彼女がやった可能性が高いと俺は思うちょる。あの子の家はマルフォイ家だ。純血主義筆頭のな! 根っこからくさっちょる連中だ。それにダンブルドアもあの子を警戒している様子だった」

 

「ダンブルドアが?」

 

僕は思わず尋ねる。

 

「ああ。昔いた闇の魔法使いににちょるんだ。俺もあの子を見ているとなぜか思い出す。昔見ていたあいつを……」

 

『あいつ』というのが誰のことなのかは分からないけど、どうやらダンブルドアが彼女のことを警戒しているのは間違いなさそうだ。

そこまで言ったハグリッドは、今度はハーマイオニーだけじゃなく、僕ら全員の顔を見ながら話す。

 

「いいか。俺はなんでハリーの箒があんな動きをしたのか分からん。正直ダリア・マルフォイがやったという証拠もねえ。だが、これだけは言える! お前さん方は関係のない危険なことに首を突っ込んどる! あの犬も、犬の守っているものも忘れるんだ! あれはニコラス・フラメルの、」

 

「ニコラス・フラメル?」

 

そう聞き返す僕に、ハグリッドは口が滑ったことをさとり、猛烈に自分自身に怒り出した。

 

「もう帰るんだ! これ以上おれがしゃべることはねえ!」

 

そう僕らを追い出すと、小屋の扉を固く閉じてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

寮に戻ってみると、試合に負けたということもあり、談話室の中はまるで葬式のような雰囲気を醸し出している。そんな中、お兄様、そしてダフネが心配そうな顔をしてソファーに座っていたが、私の顔を見ると安心したように近づいてくる。

 

「ずいぶん遅かったな」

 

「ええ、試合の後、スネイプ先生にお茶に誘われまして」

 

「なんだ、そうだったのか」

 

「ねえ、ダリア! 教員席の臭いは大丈夫だった!?」

 

そう心配そうに尋ねてくるダフネに、私は少しだけ無表情を崩しながら応えた。

 

「ええ、屋外ということもあったので、比較的ましでした。席も離れていましたしね」

 

「そう、よかった」

 

その後、私たちは夜遅くまで談話室で話し込んだ。

負けたとはいえ、やはり初めての寮対抗試合ということもあり、皆興奮して寝れなかったのだろう。同じ一年生達と今日の試合について話すお兄様の横で、私も時々相槌を打つ。皆興奮したように今日の試合の反省点といった真面目な話から、いかに相手を潰すかといった不真面目な話まで、色々な話を興奮したように話していた。

私は別にそこまで試合に熱中していなかったのだが、お兄様が皆と楽しそうに話す姿を見るのが楽しくて、皆が疲れてベットに行くまでそこにいた。

純血貴族が多いスリザリン。いつもはよく言えば誇り高い、悪く言えばお高く留まった子が多い。だがそこにはそんなことを感じさせない、年相応の、純真無垢な少年少女の姿が確かにあった。

 

「今日は楽しかったね!」

 

「ええ。皆であんな風に夜遅くまでお話しするのは初めてなので、とても新鮮でした」

 

「そっかそっか」

 

お兄様も疲れたのかベットに戻って行かれたタイミングで、私たちも寝室に戻ってきていた。

 

「じゃあ、ダリア、おやすみ」

 

「ええ、おやすみなさい、ダフネ」

 

そう挨拶をし、ダフネも疲れていたのかベットにすぐに潜っていく。

 

私も今日はいろいろあったため、もう寝ようとベットを見るのだが……ふと、枕の横に手紙が置いてあることに気が付いた。

 

一体誰からの手紙だろうと思い、裏を見るとそこには、

 

『差出人 アルバス・ダンブルドア』

 

と書いてあった。

訝しみながら手紙を開く。校長が私に一体何の用だろうか? しかもこんな方法で知らせるなど……。

 

手紙には

 

『クリスマス休暇で帰省する前日の夜。聞きたいことがあるので、わしの部屋を訪ねてほしい。追伸 最近わしはカエルチョコレートが好きじゃ』

 

そう、書かれていた。

 



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みぞの鏡

 

 ダリア視点

 

12月半ばになり、ホグワーツもすっかり深い雪に覆われていた。皆温まろうと暖炉の前に集まりながら、クリスマスの話ばかりしている。皆クリスマスプレゼントが気になって仕方がない様子だった。

かくいう私もクリスマスは楽しみであった。

私はプレゼント自体には大して興味がなかったし、家族から貰える物ならば、別にそれが何であれ嬉しかった。そんなことよりも、ようやく家族に会える。それが私には楽しみで仕方がなかったのだ。

クリスマス休暇まで後二日。これさえ乗り切れば家族に会える。

ここ最近大きな心配事があるせいか、若干ホームシック気味な私は皆がプレゼントの話をしているのを横目に、そっとため息をつくのだった。

 

午前の授業も終わり、昼食をとりに大広間に向かう。

だが大広間の前には非常に邪魔な位置に森の番人が、大きな木を持って立っていた。

周りにはポッター、ウィーズリー、そしてグレンジャーもおり、4人で立ち話をしている。大方クリスマスツリー用に運んでいたところ、彼が仲良くしている三人組と出くわし、そのまま立ち話にしゃれこんでいるのだろう。……もう少し場所を考えてほしい。これでは大広間に入れないではないか。

横にいたお兄様もそう思ったのか、

 

「すみませんが、そこをどいてもらえませんかね?」

 

そう厭味ったらしく言った。

 

「マルフォ、」

 

森の番人だけは木に隠れてわからないが、グリフィンドールの三人組はお兄様をにらみつけようとし、そこで私がすぐ横にいることに気が付いて口を閉じた。

最近このようなことがよく起こった。

この三人組はここ最近私をみかけるなり、急に警戒したような視線を向けてくるのだ。前からグリフィンドール生から嫌われてはいたのだが、このようにあからさまに警戒されるというのは初めてだった。まるで私から目を離したら襲われる。そう言いたげな視線だった。

といっても、グレンジャーだけは違った。

警戒しているというより、戸惑いながら、何か私に聞きたそうにしている。彼女だけはそんな視線を投げかけてきていた。

実際何か聞こうと近づいてくる時はあったのだが、その度にポッターとウィーズリーに引き戻されていた。

一体何を警戒しているのかは知らないが、私にはグレンジャーが話しかけてくる前に引き戻すという対応は、実のところ()()()()()()()

私はハロウィーンが終わってから、ずっとグレンジャーを避けているのだ。

あれから彼女は私と会う度に、私にあの時の礼を言おうとしていた。あの時あれだけ嫌われそうなことを言ったのに、どうやら彼女にはそれが伝わらなかったらしい。目をキラキラさせながら近づいてくるのだが、私がお兄様達、スリザリンのメンバーと一緒にいるのに気づいて、そのままとぼとぼ帰っていくのが散見された。

私としてもこれ以上彼女になつかれるのも困る。だから彼女と出会いそうな所ではいつも他のスリザリンのメンバーと一緒にいるように心がけていた。だが、これからはそんなことしなくとも、グリフィンドール生が勝手に私のもとに来るのを止めてくれるらしい。

 

警戒しながら私を見る二人と、どこか戸惑ったような雰囲気を醸し出すグレンジャー。私はそんな彼らを見て、安堵しつつ、心のどこかで寂しく思ってしまっていたのだった。

 

「……ふん。こんな所で突っ立ていていいのかい、ウィーズリー? 君は小遣い稼ぎだろう。君にとってはハグリッドの小屋だって宮殿みたいなものだろうからね。しっかり稼いで君の家族に送らなくちゃな」

 

彼らが私に向ける視線が気に食わないのか、最近のお兄様はいつにもまして彼らに突っかかる。私は全く気にしていないのだが、優しいお兄様にはそれが我慢できないらしい。

そんなお兄様の挑発を受け、ウィーズリーが飛びかかろうとした瞬間、スネイプ先生がやってきて、グリフィンドールのみを減点した。そして森の番人の横をすり抜け、大広間に入っていく先生について、私たちスリザリン生も大広間に入った。

 

「まったく、一体なんであいつらはあんな目でダリアを見るんだ?」

 

「さあ……。彼らに何かしたというわけではないのですが……」

 

そこまで話して、ふとお兄様が私に耳打ちしてくる。

 

「……まさかばれた、ということはないよな」

 

「それはあり得ません。そもそも、彼らと接点すらありませんもの」

 

心配そうに小声で問いかけてくるお兄様にそう返す。

彼らが秘密を知った可能性はないだろう。何しろ接点がない。共に多くの時間を過ごすスリザリン生にも露見した様子はないのだ。これで彼らの方が私のことに気付いたということはないだろう。

ただ、ダフネだけは妙な節があった。時々もしやばれているのでは? と思わせる様な対応をとる時があるのだ。

 

だが、それは私の勘違いであろう。その証拠に、彼女は私から()()()()()()()()()()()()()()()

 

でも、気がかりがもう一人だけ、

 

「だが、ダンブルドアが……」

 

手紙のことを相談して以来、お兄様はひどく心配性になっていた。

 

「ええ。ですがまだばれたと決まったわけではありません」

 

これこそが、最近私を悩ませる大きな心配事だった。

 

クィディッチの夜に、私の枕元にあった手紙。

聞きたいことがあると書かれてはいたが、何を聞きたいのかなど一切の内容が書かれていなかったため、私は内心非常に焦っていた。

校長とも接点は全くないとはいえ、相手は20世紀最も偉大だと言われた魔法使いだ。決して油断はできない。

それにこの学校の校長でもある。

私の手袋の効果、日に当たれない体。そしてもし、お兄様の元に定期的に送られてくるお菓子の中に、()()()()()()()()()()()のことが知られているとしたら、私の正体に気付くのにそこまで苦労しないだろう。

まさか荷物の中身まで見ているとは思えないが、校長という立場上、そういうことをしていないとは断言できない。私たちマルフォイ家は元闇の陣営。それを口実に荷物を検めているかもと心配になってしまうのだった。

 

内心心配で仕方がないのだが、それを悟られるわけにはいかない。あの校長は何を考えているのか分からない。

 

現にあの手紙を出してきてから、私をどこか観察している節があった。

 

生徒が大広間で食事をとる時間と、教師が食事をとる時間は同じだ。そのため朝食をとりにいくと、教員も前で食事をとっている光景をよく目にする。

その時、私はよくダンブルドアからの視線を感じるのだ。

おそらく彼は私が何かしらのことを隠していると考え、ゆさぶりをかけることで、私の反応を見ているのだろう。

だが、それは逆に彼が完璧な証拠を掴んでいるわけではないことも表わしていた。

そうでなければこんな猶予期間があり、尚且つこんな視線を送ってくることなどありえない。

 

何に気付いたのかは知らないが、それがなんであれ、証拠がないのであればまだやりようはある。

私は、スリザリンらしくなすべきことをなすだけだ。

そう自分に言い聞かせながら、不安な内心をひた隠すのであった。

 

そしてとうとう帰省前日の夜。

 

相当心配であったのか、行かないことをお兄様が再度提案してきたが、ここは行く以外の選択肢がない。何を校長が知ったのかを知らない状態の方がよっぽど恐ろしい。

それに行かなければ、隠し事をしていることを認めたことになってしまう。

 

私は手紙に書いてあった通り、カエルチョコレートを()()()()、校長室の前に立っていた。

 

校長室の前には大きなガーゴイル像が建っていた。

普通の扉があるものだとばかり思っていたのだが、どうやら校長室は他の職員の部屋とは違うらしい。

ガーゴイル像の周りを調べてみるも、やはりドアらしきものは見当たらない。ということは、このガーゴイルこそドアであり、これに合言葉を言わないと入れないということだ。

だが生憎校長室の合言葉など知らない。訝しみながら手紙を読み返すと、気になる一文が書いてあった。

 

『最近わしはカエルチョコレートが好きじゃ』

 

校長室の場所は知っていても、普段一年生が通るような場所ではない。そのため校長室の入り口のことをさっぱり知らず、この一文がいつものとち狂った一言であると思っていたのだが、

 

「カエルチョコレート」

 

先程までうんともすんとも言わなかったガーゴイルの像が横に飛びのき、像の後ろの壁が開き、壁の裏に階段が現れた。

確かに他の教員と違い、校長室には学校に関わる重要な書類などもあるだろう。そのため合言葉があるのは当たり前だと、冷静に考えればわかるようなことに思いつかなかった自分を恥じながら、今しがた現れた階段を登っていく。

階段を登るとグリフォンをかたどったノック用の金具がついた扉があった。

私は一度深呼吸をし、扉を叩く。

 

「校長先生。ダリア・マルフォイです」

 

すると扉が音もなく開いた。中に入れということだろう。

中に入るとそこは、おかしな小さな物音で満ち溢れた、円形の部屋だった。

奇妙な道具が立ち並び、様々な音を出している。中には燃える様な紅い羽根を持つ不死鳥などもいた。壁には歴代の校長の写真がかかっており、中では皆すやすやと眠っている。一部狸寝入りのものもいるが。

そんな奇妙なものの中で、とりわけ大きな鏡が部屋の隅に置いてある。

そしてその鏡の横に、私を今日呼び出したダンブルドア校長その人が立っていた。

 

「こんばんわ、ダリア。今日はすまんのう。こんな夜遅くに呼び出してしもうて」

 

「いえ、校長先生」

 

そう言いながら校長に近づいていくと、校長の横に置いてあった私の姿が鏡に映ってゆく。

 

私が映りこんだ瞬間、鏡に映りこむ景色が真っ赤に、まるで()()()()()()()()()()()校長室が映っていた。

 

ずいぶんスプラッタなものを見せる鏡だなと思いながら、私は校長に話しかける。

 

「これ、カエルチョコレートです。合言葉だとは思わず、持ってきてしまいました。よろしければどうぞ」

 

「おお! 勘違いさせてすまなかったのう! じゃが、これは本当にわしの好物での! ありがたくいただくよ」

 

そう言ってカエルチョコレートを食べだす。中に入っているカードはダンブルドアのカードだった。それを残念そうに眺めている校長。

 

「わしがわしのカードに当たるとは……。昔からこういうものに運がなくてのう。ほれ、百味ビーンズというものがあるじゃろう? わしはあれも非常に引きが悪くてのう。昔ゲロ味を引いてしまってから、あまり好きではないのじゃよ」

 

「はあ」

 

内容は下らないことを話しているが、目はじっとこちらを観察するように見ている。ダンブルドアも。そしておそらく、私も。

茶番はこれくらいでいいだろう。そろそろ本題に入ろう。

 

「それで、私に聞きたいこととは一体なんでしょう?」

 

「そうじゃったのう。 君にいくつか聞きたいことがあってのう」

 

今までの表情だけは好々爺だったものが、真剣な表情に変わる。

 

「ダリアよ。ハロウィーンにトロールが入り込んだことは知っておるの?」

 

「はい。存じています」

 

「そのトロールなんじゃがのう。どんな状態で見つかったかしっておるかの?」

 

「ポッター達が倒したとしか聞いておりませんが?」

 

トロールが死んでいたとするのは外聞が悪かったのだろう。おそらく、ポッター達にもかん口令が敷かれ、校内ではただポッター達が倒した、それだけしか伝わっていない。

おそらくトロールが死んでいるのを知っているのは、私、ポッター達三人組、そして先生たちだけだ。

そしてその場にいなかったことになっている私は、そのことを()()()()()()()()()()()()

 

ダンブルドアはそう答える私をじっと見つめた後、

 

「そうか、これは秘密なのじゃが、トロールは実は死んでいたのじゃよ。しかも『死の呪文』によって。ダリアよ。優秀な君なら知っておるのじゃろう?」

 

「ええ。勿論存じています。でもまさかポッター達が使えるとは思いませんが?」

 

罪を擦り付けてもよかったのだが、おそらく彼らではないことくらい当にわかっているのだろう。何より、私を庇ってくれたグレンジャーに罪を擦り付ける様な発言をするのが、どこか気が引けたのだ。

 

「そうじゃ。ハリー達ではない。わしはのう、ダリア。誰か他のものがあの場にいたのではないかと思っておる」

 

そこで言葉を切り、私を再びじっと見て口を開く。

 

「ダリア、何か知っておることはないか?」

 

「何故、私に?」

 

「いや、君は今や学内一の秀才じゃ。しかもスリザリンは現場と寮が近い。何か知っておるかもと思ってのう」

 

「いいえ、全く知りません」

 

ダンブルドアはきっぱりと言う私の無表情をしばらく眺めていたが、ボロを一切出さないと思ったのか次の質問に移る。

 

「そうか……。では次の質問なのじゃが、その手袋。それは魔法のかかったものだそうじゃな。その魔法の効果を教えてほしいのじゃよ。わしもこの学校の校長じゃからのう。念のためとはいえ、安全なものであるか確認したいのじゃよ」

 

「これは私の魔法力を抑えるものです。私は力が強すぎるのか、これがないと力が暴走してしまうのです」

 

暗にこれを今外したくないむねを伝える。しかしこれは別にそこまで聞きたいことではなかったらしく、そうかと頷いただけだった。

 

ここに来るまでは内心ばれたのではとひやひやしていたが、別に来てみたら()()()()()しか聞かれなかった。

どちらもばれて多少の迷惑になるが、()()()なことではない。

少し安心していると、ダンブルドアが私の隣に移動し、鏡の中で私に並ぶ。

 

相変わらず鏡の中の景色は、そこら中が血に染まった内装を映していた。

 

「ダリアよ。最後の質問じゃ。君には、この鏡に何が見える?」

 

そう私に問いかけるダンブルドアの瞳を、鏡越しにみやる。

そこには今までで一番真剣な目をした校長の姿があった。

その瞳に背筋がぞっとさせながら、私は答えにたどり着く。

 

今までのはただの()()。これこそが最も尋ねたかったことなのだ。

だが分からない。何故鏡に映る姿などを聞くのだろうか。

 

この鏡はただスプラッタな光景を映すだけではないのか?

この鏡には一体何が映りこむのだろうか?

校長の目的はなんなのどうか?

 

「……。いいえ。校長先生。私の姿が映っているだけです」

 

何を映すものか分からない以上、私は無難に答えるしかない。これを正直に答えることは、とても危険なことのような気がした。

校長は私の瞳を鏡越しにじっと見つめてくる。

すると私の中に、何か得体のしれないものが入ろうとしてきた。

 

開心術だ!

 

そう気が付いた私は、即座に心を閉じる。

どうやら私の中をのぞけなかったのか、ダンブルドアはすぐ私の中から出て行く。

 

「この学校では生徒に開心術をかけるのですか?」

 

「すまんかったのう。どうしても本当か確かめたかったのじゃ。……しかし、その年で閉心術まで使えるとは」

 

ダンブルドアは心底驚いたという様子だった。少なくとも表情だけは。

 

「それで……そこまでして知りたかった、この鏡は一体何を映すのです?」

 

再び私をじっと見つめた後、あきらめたのかダンブルドアは、

 

「……この鏡はのう、ダリア。心の奥底にある、一番強い『のぞみ』を映すのじゃよ」

 

そう言った。

私は驚きながら鏡を見る。

 

やはりそこには、あたりが血で染まった校長室が映っていた。

 

こんなものが私であるはずがない。いや、あっていいはずがない。

なのに、どうして私は、どこかこの光景に、

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

「……一番強い『のぞみ』ですか」

 

「そうじゃ、じゃからのうダリアよ。この世で一番幸せなものには、この鏡は普通の鏡になるのじゃよ」

 

ダリア・マルフォイはいつもの無表情で鏡を見ている。

先程彼女が言った答えはおそらく嘘じゃろう。じゃが、わしには彼女が本当は何を見ているか、その表情から読み取ることができなかった。

彼女が優秀なのは知っていた。じゃが閉心術まで使いこなすとは予想外じゃった。おそらく、これで彼女が見た本当の光景を知ることは出来んじゃろう。

それに彼女に今後警戒されてしまう。

じゃが、隠すということは、やはり何かやましいものが見えたと考えることもできる。

 

こんなことを考えるのは、教師として失格である自覚はあった。

じゃが、彼女の雰囲気が、あのヴォルデモートを思い起こさせるこの冷たさが、わしの考えをどうしても悪い方向に導いていた。

 

彼女はしばらく鏡をじっと見つめていた。そしてポツリと、

 

「そうです。私は世界で一番幸せ者です。だから何も見えるわけがないではないですか」

 

どこか自分に言い聞かせるように、彼女はつぶやいたのだった。

そう話す彼女は、やはりどこかトムに似ていた。

 

「もう夜遅い。今日はすまんかったのう。気を付けて帰るのじゃよ」

 

「はい。では失礼します」

 

そう言ってダリア・マルフォイが部屋から出ていこうとする。

しかし彼女が部屋から出る直前。

 

「のう、ダリア。最後に年寄りのたわごとを聞いてくれるかのう。なに、ただのつぶやきじゃ。すぐに終わる」

 

彼女はわしの言葉で立ち止まった。じゃが、こちらを振り返りはしなかった。

 

やはり嫌われてしまったのう

 

そう思いながらワシは宣言通りにつぶやく。

余計なことだとはわかっておった。じゃが、過去トムを導けなかった罪悪感から、わしにはどうしても言わずにおれなかった。

 

「昔、ある生徒がおった。誰よりも優秀な生徒で、皆から慕われていた。じゃが彼は、間違った道に進んでしもうた。誰も彼の残虐さに気付かず、結果恐ろしい災厄をおこしてしもうたのじゃ」

 

「……私もその人のようになると?」

 

「そうとは言わん。じゃが、君は彼と非常に似通ったところがある。彼は間違ったものを選んでしまった。ダリアよ。わしは自分がほんとうに何者かを示すのは、そのものの選択じゃと思っておる。どうかそのことを覚えておいてくれ」

 

「……ええ、覚えておきます」

 

そして彼女は今度こそ帰って行ってしまった。

彼女が閉心術まで使えるのは誤算じゃった。

これで彼女に警戒心をもたれてしもうた。

これからさらに彼女の監視は難しくなってしまうじゃろう。

 

「これからが心配じゃのう」

 

一人になった校長室で、わしはそう小さく呟くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

『自分がほんとうに何者かを示すのは、そのものの選択』

 

暗い廊下の中、先程のダンブルドアの言葉を思い返す。

それはそうだろう。普通の人間であれば。

でも、私は……。私は再び鏡に映った自分を思い出す。

 

血で真っ赤に染まった部屋。その真ん中で、鏡に映る私は……真っ黒な自分の杖をいじりながら、ぞっとするような笑みを浮かべていた

 

あれが何を意味しているのか分からない。いや、()()()()()()()()

私の願いがあんなものであるはずがない。私の願いはただ一つ。家族を守ることだけだ。

だというのに、なんであんなものが映ってしまったのか?

あれこそが、私の本質だとでもいうのか?

 

私には、選択すらできないのではないか?

 

考えても答えは出ない。はたから見れば、さぞ覚束ない足取りをしていることだろう。

暗い廊下を歩き、地下まで降りる。そしてやっとスリザリンの寮にたどり着き中に入る。夜ももう遅い。談話室には誰もいなかった。

 

お兄様以外は。

 

「ダリア!」

 

私の秘密にかかわることだ、おそらくダフネは部屋に帰ってもらったのだろう。

お兄様一人、談話室で私の帰りを待っていてくださったのだ。

 

「大丈夫だったか? ダリア?」

 

心配そうに私に尋ねてくるお兄様に、

 

「ええ、私のことはばれてはいませんでした。どうやらトロールの件で私を疑っているみたいです」

 

私は隠し事をした。

 

「そうか……。それより、すごく疲れているみたいだな。もう寝るか?」

 

「……いえ、少しだけ、そこのソファーに座ってお話ししませんか?」

 

やはり気が弱くなってしまっている。いつもはそんなことしないのに、今はお兄様に甘えたくなる。

お兄様と共にソファーに座る。

今は冬。火の消えた談話室は寒く、そして静かだった。

 

遠い昔、私たちが子供だった頃、雪の降る庭で話したことを思い出す。

あの頃は遠く、でもあの時立てた誓いは変わらない。でも結局私は……あの頃と一切変わらず、ただ人を殺すためだけの人形なのかもしれなかった。

私は今まで、私自身は決して、誰かを傷つけたいと思っていないと思っていた。

 

でもその認識を、あの鏡は否定した。

 

もしかして、私は本当は人を……。

 

「ダリア……お前、泣いているのか?」

 

お兄様の戸惑ったような声で気付く。

確かに私の目からは涙がこぼれ落ちていた。

 

「すみません……。見苦しくて」

 

そう目をこするのだが、一向に涙が止まらない

 

「あれ? おかしいな。なんで」

 

これ以上お兄様に甘えてはいけない。お兄様は寒い中、こんな場所で一人で待っていてくださったのだ。

これ以上、お兄様をここにとどめてはいけない。ここに一緒に座ってもらっただけで、私は十分甘えた。

 

だが私の思いに反して、涙は一向に止まらなかった。

すると一向に涙が止まらず困惑する私の頭を、お兄様はそっと抱きしめてくださる。

 

「今日は何があったか聞かない。話したくなければ話さなくてもいい。だが、これだけは覚えていてくれ。僕は、どんなことがあろうと、ダリアの味方だ」

 

その言葉で、私はいよいよ涙が止まらなくなり、お兄様にしがみついてわんわん泣いた。そんな私をお兄様は、ずっと抱きしめてくださっていた。

 

私はお兄様に縋りつきながら思う。

 

ああ、なんて美しい人の家族に私はなったのだろう。

 

 

 

 

なのに何故私はこんなにも……()()()()()()()()なのだろう。

 



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クリスマス休暇(前編)

 

 ダリア視点

 

「よく帰ってきたな。ダリア、ドラコ」

 

「おかえりなさい。二人とも」

 

キングズ・クロス駅に着くと、寒い駅構内にお父様お母様共に私たちの帰りを待っていてくださっていた。お父様とお母さまは私たちを送りだした時と同様私の頭を撫で、そして抱きしめてくれる。

 

「ただいま帰りました。お父様、お母様」

 

あぁ……やっとこの愛する家族の元に帰ってこれた。

私は家族の温もりを感じた瞬間、ようやく愛する人達の元に帰れたことを実感した。

 

私たちは姿くらましで家に帰る。まるで引っ張られるような感覚の後、目を開けるとそこはなつかしの我が家だった。

まだ半年もたっていない。なのにここがひどく懐かしく感じられた。

 

「聞きたいことはたくさんあるが、汽車での長旅は疲れただろう。夜まで時間がある。まずは自分の部屋でゆっくり休みなさい」

 

私たちの疲れを見抜いたのか、お父様がそう言いだしてくださった。

それに続き、

 

「ええ、そうね。まずは夜までしっかりおやすみなさい」

 

お母様もそう言ってくださる。

どうやら二人には()()の疲労などお見通しであるらしい。事実、

 

「ありがとうごさいます。お言葉に甘えて少し休ませていただきます。お兄様、行きましょう」

 

「ああ……」

 

お兄様も非常に眠そうであった。

確かに汽車での旅に疲れたというのもあるが……実のところ私たちが疲れているのは、昨日の夜()()()談話室にいたためだった。お兄様はあの後、一晩中私が泣き止むまで抱きしめてくださっていた。私は途中で泣きつかれて寝てしまったらしく、気がついたときにはまだ談話室にいた。私をずっと抱きしめてくださっていたお兄様は、一睡もできなかったのか目の下に大きな隈ができていた。

泣き止まない私をずっと慰めてくださっていたお兄様にこんなことまでさせてしまい、私は必死に謝った。が、お兄様は、

 

『お前が泣き止んだのなら、それでいい……』

 

そう言って、頬を赤く染めながらそっぽを向いてしまわれてただけだった。

 

そしてクリスマス休暇初日。

眠ったとはいえ、一晩のほとんどを泣いていた私、そして表情から一睡もしていないと思われるお兄様。

二人共すっかり疲れ果ててしまっており、汽車の中でほとんど眠ってすごしていた。

それでも疲れがとりきれることはなく、お父様達に見抜かれてしまったのだった。

 

お父様たちに仮眠をとる旨を伝え、私達はそれぞれの自室へと戻る。お兄様もやはりまだ相当眠いのか、私とともにフラフラとした足取りで部屋に入って行かれた。

 

「では、お兄様。また後ほど」

 

「ああ。ダリアもしっかり寝ておくんだぞ」

 

お兄様と別れ、私も自分の部屋に入る。

自室に戻ると、ちょうど屋敷しもべのドビーが部屋の掃除を終わっているところだった。

 

「ただいま、ドビー。お掃除ありがとう」

 

「い、いえ。お嬢様! ドビーは当然のことをしただけでございます! お礼などおっしゃっていただく必要はございませんです!」

 

そう叫ぶドビーに微笑む。実際は一ミリも表情は動いていないが。

彼を見ていると、やっと家に帰って来れたと改めて感じることができた。何故なら彼もまた、私の大切な家族の一人なのだから。

お父様達はドビーのことをお嫌いみたいだが、私はどうしても彼のことを嫌いになれなかった。やはり幼い頃遊んでくれたことから、私には彼を昔からのベビーシッターのように感じられてしまうのだろう。

私はそんな益体のないことを考えながら、微笑を浮かべドビーを観察する。

 

「ドビー、お父様達にひどいことはされていない?」

 

「は、はい! ご主人様は決してドビーめをぶったりされておりません!」

 

昔、ドビーはお父様達に暴力を振るわれていた。屋敷しもべの立場が低いということもあるが、おそらく、屋敷しもべでありながら、どこか屋敷しもべらしからぬ思考を持つドビーのことが特に気に入らなかったのだろう。

でも私には、お父様達は勿論のこと、優先順位は下がるがドビーもまた大切な家族であったのだ。

だからそんな大切な人たちが争っているのが嫌だった。()()()()()()()仲良くして欲しかった。

しかし、昔ドビーが暴力を振るわれているところを一度だけ見たことがある。おそらく私は相当嫌な顔をしていたのだろう。それ以来、今でもドビーのことを嫌ってはいるようだが、お父様達がドビーに暴力をふるうことはなくなっていた。

私がお父様たちのことを嫌いになってしまうかも……そう思われたのかもしれない。そんなことは()()()ないのに……。

しかし私が学校に行っている間、もしやとは思ったのだが、どうやら杞憂に終わったらしい。やはり私の家族は優しい人達ばかりだ。

 

そう感慨深く思っていると、ドビーが突然、

 

「そ、そんなことよりも。お、お嬢様。お嬢様の学年にはもしや、ハ、ハリー・ポッターがいらっしゃるのでは?」

 

そんな質問をしてきたのだった。

 

「え? ええ。ポッターも同じ一年生ですけども。それが何か?」

 

「い、いえ。少しだけ気になったもので」

 

なぜそんなことを尋ねるのかと思ったが、彼が魔法界一有名なことを思い出した。彼に興味を持つのが普通のことだ。私のように全く興味を持たない人間の方が珍しいのだ。

だからその時、私はドビーの質問をそこまで深く考えなかった。

私がベッドに潜ろうとしている後ろで、彼の表情が思い悩んだもの変わっていることに……私が気づくことはなかった。

 

自分のベッドで仮眠をとると、今まであった眠気もすっかりなくなっていた。寧ろ夜眠れるかが心配だ。

晩餐の時間になるまで部屋でボーっとしていところ、扉がコンコンとノックされる。

 

「ダリア、起きているか?」

 

「ええ、起きています」

 

部屋に入ってきたのはお兄様だった。

 

「そろそろ時間だ。一緒に行こうか」

 

「はい」

 

二人、久しぶりに帰ってきた廊下を歩く。

 

「お兄様も眠れましたか?」

 

「ああ、もうすっかり眠気はとれたよ」

 

そうおっしゃるお兄様の目には、確かにもうあの大きな隈はなかった。

 

「お兄様、申し訳ありません。昨晩は、」

 

「いや、いい。ダリアが元気になったのなら、それでいい。僕はお前の兄なのだから」

 

お兄様は、やはりどこまでも私を甘やかしてくださった。

 

お兄様と一緒に食堂に降りる。

マルフォイ家の豪華な食堂には、これまた豪華な食事が用意されていた。

 

「まだクリスマスではないけど、今日はダリア達が久しぶりに帰ってきたのですもの。今夜はご馳走よ」

 

久しぶりに私たちが家にいるというのがうれしいのだろう。お母様は本当にうれしそうに私たちを席にさとす。

ホグワーツで出てくる食事も豪華なのだが、やはり我が家で食べる食事が一番だ。

お兄様と笑いあいながら席に着くのだが、

 

「今日は久しぶりの我が家だ。ホグワーツでのことを聞かせてもらおうか。特にドラコ。お前の成績のことをな」

 

「……はい」

 

どうやらお兄様にとっては楽しくない時間が始まりそうな予感もした。

 

 

久しぶりの我が家での食事を食べ終え、食後の紅茶を皆で飲む。

食事の席で私たちのホグワーツでの話を、お母様、そしてお父様は嬉しそうに聞いてくださっていた。主にお兄様が話しており、私はほとんど相槌や補足をするだけであったが。

お兄様は様々なことを話していた。寮での生活、クィディッチ、授業、そしてその授業での成績。

……結局お兄様の成績は虚偽の報告がなされていた。

お兄様の成績は悪いということはない。むしろとても良い方だ。だが、報告では私の次にいい成績、つまり学年内で二位ということになっていた。

おそらく、グレンジャーのようなマグル生まれに負けていることを知られたくなかったのだろう。

 

いずれ成績表が届くのだから、今報告しなくてもいずれ分かってしまうことだろうに。

 

そんな風に呆れながら紅茶を飲む。

こうして家族で紅茶を飲むのはやはり本当に久しぶりだ。

私は久しぶりにかみしめる幸福を感じながら考える。

 

やはりこれこそが、私の本当の望みだ。()()()()()()、私の望みであるはずがない。

 

皆紅茶を飲み終わり、そろそろ皆話疲れ、睡魔が忍び寄ってくる。

 

「そろそろ寝ましょうか。今日は疲れたでしょう。クリスマス休暇はまだ始まったばかりなのだから、今日はもうおやすみなさい」

 

そうお母さまが私たちをベッドにさとし、それにお兄様が横で頷き、更に私を目でさとす。

でも私にはまだやるべきことがある。

 

「はい。ですが、お父様。私、お父様にまだ話さないといけないことがあります。お兄様、先に戻っていてください」

 

私がベッドに行くのはもう少し先だ。

まだお兄様の前では報告できないことがいくつかある。主に昨日のことだ。

お父様は私が言いたいことを察したのか、すぐ頷いて私と共に食堂を出る。

私は少し心配そうな様子のお兄様、そしてお母さまにお休みを言い、お父様と書斎に歩いて行くのだった。

 

「……やはりダンブルドアは危険だな」

 

私は書斎に入ると、お父様に昨日の校長との会話を報告した。ただ、鏡に関することのみは隠してしまった。そのことを話してしまって、もしお父様達に嫌われてしまったら……そう思うと、私にはどうしても昨日のことを話すことが出来なかった。そんなことはないとは分かっている。お父様たちはお優しい人たちだ。知ってもなお、私のことを変わらず愛してくださるだろう。

 

だが、私はあの時見た姿を思い出す。

血に染まった部屋で、真っ黒な自分の杖をいじり、ぞっとするような笑みを浮かべている私を。

 

もし私がこんな、体も、そして()()()()化け物であることがばれてしまったら……。

そう考えたら、私にはどうしても話すことができなかったのだ。

 

「はい……。校長は今後も私のことを監視すると思われます」

 

「そうか……」

 

お父様はそこで目をつぶり、考え込んでしまう。

たった一年。いや、それどころかたった約半年でこんなにも疑いの目を向けられてしまっている。こんなことでこれからやっていけるのだろうか?

それに……

 

「お父様をこんな下らないことで煩わせてしまい、」

 

「いや、かまわない。お前は気にしなくていいのだ。寧ろ謝らねばならないのは私だ。理事であるのに、お前にいらぬ苦労をかけてしまった。情けない限りだ」

 

「そんなことはありません! 私が悪いのです! 私がいたらないばかりに、こんなことでお父様にご迷惑を!」

 

「いや、理事であるのに何もできていない私が悪いのだ。お前は決して悪くない。それに、前にも言っただろう。子供は迷惑をかけるものだ。お前が気にする必要はない」

 

そこで言葉を切り、お父様は言葉を続ける。

 

「ダリアには悪いが、()()()()()、校長を追い出すことはできんだろう。奴を追い出そうにも、他の理事が納得はしないだろう。今年だけは耐えてくれ」

 

「はい」

 

我慢もなにも、私がぼろを出さなければいいだけの話だ。これ以上、お父様の手を煩わせるわけにはいかない。

そう決意するが、どうもお父様の話は終わっていなかった。

 

「だが、安心しなさい。来年は、奴も校長の任にしがみついていられなくなる」

 

お父様は狡猾な笑みを浮かべながら、そう言い切った。

 

「何かあるのですか?」

 

「ああ、先日、()()()()を見つけてね。これなら奴を追い出すことができるだろう」

 

ある道具? 校長を追い出せるような?

それがどんなものかはわからないが、道具を使うというのは大丈夫なのだろうか。

相手はあのダンブルドアだ。彼がそう簡単に追い出せるとは思えない。

おそらくお父様もそんなことは分かっておられるだろう。だからこれは私を安心させるためのお父様の優しい嘘だとは思うが、一応お父様に釘を刺しておくことにした。お父様が危険な目にあうことなどあってはならない。

 

「……お父様、あまり危ないことは、」

 

「大丈夫だ。お前たちに危険はない」

 

私はお父様の心配をしているのだが、お父様には伝わらなかったようだった。

 

「今日はもう遅い。疲れもたまっているだろう。もう寝なさい」

 

「はい、お父様」

 

報告が終わり、お父様の書斎を出ようとする。

だが、書斎を出る直前、

 

「ダリア。学校は楽しいか? 仲のよい寮生はできたか?」

 

そう、お父様は私に尋ねられた。

 

「はい……勿論です。学校の授業は新鮮ですし、図書館もあります。寮生とも仲良くやっております」

 

私はマルフォイ家だ。純血の一族として、少なくとも寮内に敵を作らないくらいの付き合いは保っているはずだ。

スリザリン寮生は勿論、同じ聖28一族であるクラッブ、ゴイル、パーキンソン、ブルストロード、ノット、そしてザビニ。彼らともつかず離れずの関係を保っている。彼らとしては私もっとお近づきになりたいのだろう。だが、彼らの関心は、マルフォイ家に近づきたいという下心に基づいている。

彼らがマルフォイ家を利用したいがためだけに近づいてきている以上、私はおいそれと彼らと関係を持つつもりなどない。

 

そしてダフネ……。

 

彼女のことはよくわからない。彼女からは彼らのような下心は感じられなかった。そんなものではなく、彼女の私に向ける感情は……。それに、私も彼女に……。

 

そこまで考え、頭を振る。

彼女が私に持つ感情など()()()()()()。私が彼女をどう思っていようとも、()()()()()()。私は結局、誰とも仲良くするわけにはいかないのだから。

 

お父様は、そんな私の様子をじっと見つめていたが、

 

「そうか……。それなら、いい。もう、おやすみなさい」

 

「はい。ではお父様。おやすみなさい」

 

部屋を出た私には、

 

「……まだ、早かったようだな」

 

そうつぶやく、お父様の声が届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

ダリアが出て行ったのを確認し、書斎机から一冊の本を出す。

その本には、

 

『トム・リドル』

 

そう書かれていた。

 

この本の効果を知ったのは偶然だった。

再び頻度が高くなってきた立ち入り調査。その対策のため道具を整理していた時、たまたまこの本を目にしたのだ。本のページを開いてみるも、何も書かれていない。

 

これは以前、闇の帝王から預かった道具だった。どのような効果のあるものかも知らぬ上、そもそもこれが何なのか皆目見当がつかなかった。だが、帝王から大切に保管しろと言われたことから、これが普通の道具というわけではないことだけは容易に推測できた。

まあ、今考えても仕方がない。

そう思い、本を横のテーブルに置き、再び整理にうつる。整理の作業など本来なら屋敷しもべにでもやらせるのだが、ここの道具の性質上、難儀だが自分でやるしかない。

 

一体どれほどの時間がたっただろう。日がまだ高い頃に始めた作業だが、もうすっかり日が沈み始めているような時間だった。

今日はこれくらいにしておくか。

そう思い凝り固まった肩をほぐしていると、ふと手が机の上にあったインク瓶に当たってしまい、瓶をひっくり返してしまった。

 

まずい!

 

気が付いた時にはもう時すでに遅く、机の上にあった本にインクがかかってしまっていた。

しかし慌てて被害を確認するために本を開くが、どのページにもインクの染みなどなかった。

 

一体これは?

 

そう訝しみながらページをめくっていると、ふと、あるページに、

 

『僕の名前はトム・リドルです。あなたは、誰ですか?』

 

そう、今までなかった文字が浮かび上がっていた。

 

あの後、このトム・リドルなる人物と対話したところ……どうも私の父であるアブラクサス・マルフォイと知り合いであること、そして……()()()()かつて秘密の部屋を開けた人物であり、この本は再び部屋を開くための鍵であることを知った。

この本は所有者の命を吸い取ることで実体化し、再び部屋を開くのだという。

 

これさえあれば。

これさえあれば、ダンブルドアをホグワーツから追放することができるかもしれない。

 

私はそう冷たい思考で考える。

この本が帝王からの大切な預かりものだとは分かっている。だが、帝王はもういなくなってしまったのだ。

 

それに、これならダリアを守ることができるかもしれない。

ダリアの安全を脅かす、すべてのものから。

 

「これで、私は()()()()()()()()()()()()

 

私はこみ上げる笑みを隠すことができなかった。

 

 

 

 

私は、その時ダリアを守ることで頭がいっぱいで、その事実に気付いていなかったのだ。

この本がもたらす犠牲のことを。

秘密の部屋の存在理由を。

 

娘が、純血ではないことを。

 



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クリスマス休暇(後編)

 

 ダリア視点

 

クリスマス当日。目が覚めるとベッドの足元にちょっとした山ができていた。

ホグワーツに入るまで、私の交友関係はお世辞にも広いとは言えなかった。勿論今も親しいといえる関係の人間など家族以外に存在しない。パーティーにもあまり出席しなかった私には、そもそもホグワーツに入るまで、知り合いといえる人物などいなかったのだ。いても豚二匹だ。結果、私はクリスマスにプレゼントをもらっていたのは、家族と二匹からだけだった。お父様がおっしゃるには、私と親交を持ちたいと思っている家が毎年プレゼントを大量に送ってきていたみたいなのだが、お父様が私に届く前に回収していたようだった。一度しか見たことない私と必死に親交を持とうとしているような家だ。何が入っているかわかったものではなかったのだろう。実際媚薬が入っている時もあったらしい。

そんな私のベッドには、今年は大量のプレゼントが置かれている。ざっと確認してみると、どうやらスリザリン寮生のほとんどの人間が私にプレゼントを送ってきていた。私は他の寮生どころか、同じスリザリンの生徒からも学年を問わず恐れられている節があった。だから今年もあまりプレゼントは増えないだろうと思っていたのだが、どうやらそう単純な話でもないらしい。家の意向なのか、個人的に私と交友を持ちたいのかはわからないが、今年は寮生からということでお父様はこれらを排除しなかった。寮に戻ったとき、プレゼントは捨てましたと言えば、私の交友関係に影響すると考えておられるのだろう。

 

とりあえず、朝食までまだ時間がある。一番大切な家族からのプレゼントだけでも開こうと思い、私は山をあさる。

家族の分は比較的表層にあったためすぐ見つかった。

お父様からは新しい闇の魔術に関する本だった。前々から読みたいと思っていたものだったので大変うれしい。

次に見つけたお母様からは髪飾りだった。私はあまり光物に興味がある方ではなかったが、そんな私にも、金の土台に色鮮やかな宝石が散りばめられた髪飾りはとてもきれいに思えた。せっかくお母様が送ってくださったのだ。朝食の席にはこれを付けていこうと思う。

そしてお兄様からは高級お菓子の詰め合わせだった。色とりどりのお菓子は、どれもとてもおいしそうで今すぐにでも食べたかったが、まだ朝食前だ。今はまだ食べるわけにはいかない。

 

私は家族からプレゼントを貰うたびに、とても幸せな気持ちになる。私がどれだけ愛されているかを改めて実感するからだ。今年も例にもれず、一しきり幸せな気持ちに浸った。

少しして、そろそろ朝食の時間だと気付く。残りは後で確認しよう。そう、他の()()()()()()プレゼントを部屋の隅にどかそうとする。

 

だが、山の一番上に『ダフネ・グリーングラス』と書いた箱があることに、私は気付いた。それをじっとみつめていたが、頭を振って思考を止める。

 

彼女は私の()()()()()()()()()()()()。だからこれもどうでもよいプレゼントの一つだ。

 

そう思い再び山をどかそうとするのだが、どうしても出来なかった。

私は思い悩んだ末、ダフネのものだけベッドの上に置き、他のプレゼントを部屋の端に移動させた。

 

私はクリスマス休暇中、家から一歩も出ず、ひたすら家族と同じ時間を過ごした。

お兄様とチェスをしたり、一緒に書庫で本を読んだ。お母様と一緒にお茶を飲み、一緒におしゃべりをした。お父様と学校でのたわいない話をし、魔法の訓練をしてもらった。

ホグワーツに入学したことで、久しく味わえなかった家族との大切な時間。

だが、それも再び終わる時間がやってきた。

 

「では、ダリア、ドラコ。あちらでもしっかりやるんだぞ」

 

「はい。お父様」

 

「体調を崩さないようにするのよ」

 

「はい。お母様」

 

ホグワーツ行特急前。私とお兄様は、お父様達とまたしばしの別れを告げる。

 

「あと半年近くあるとはいえ、学年末試験に向けてしっかり勉強するのだぞ。お前は純血なのだ。穢れた血などに負けることは許されん」

 

「はい。お父様」

 

「いや、ダリア。()()()心配は一切していない。お前は非常に優秀な成績をおさめることは分かっている。私は、()()()、お前に言っているのだ」

 

「……はい。父上」

 

お兄様は嘘の報告をしていたが、お父様にはもう分かっているのかもしれない。

お父様はホグワーツの理事だ。よく考えれば、ホグワーツ内での成績を知っていてもおかしくはないかもと思った。

 

「そろそろ出発の時間ですね。では、お父様、お母様、行ってまいります」

 

「いってらっしゃい。体には気を付けるのよ」

 

お母様達に抱きしめられた後、私たちは汽車に乗り込む。

そして、再びお兄様以外の家族がいない、気の抜けない時間が始まった。

 

「ダリア! こっちこっち!」

 

汽車の中でコンパートメントを探していると、ダフネが私を手招きしていた。どうやら場所をとっていてくれたらしい。私とお兄様は、途中で合流したクラッブとゴイルと共に、ダフネのいたコンパートメントに入とうとするが、中にはパーキンソンとブルストロードがいたので全員は入ることができなかった。

 

「僕たちは違うコンパートメントを使うよ。たぶんノットとザビニがコンパートメントをとっているだろうしね」

 

「はい。わかりました。お兄様、また後程」

 

お兄様と別れるのは嫌だが、男の子どうしだけという時間も欲しいだろう。私は内心泣く泣くお兄様と別れ、ダフネのコンパートメントに入る。

 

「あら、ドラコは?」

 

「こちらでは少し手狭になるので、セオドールとブレーズのところに行かれました」

 

「そう……」

 

私の隣に座っていたパーキンソンは、私の答えにがっかりした様子だった。

するとダフネが興奮した様子で話しかけてくる。

 

「ダリア! 一週間ぶり! 私のプレゼントもう使ってくれているのね!」

 

ダフネからのプレゼントは、蛇の形をしたネクタイピンだった。お母様からの物ほど高級ではなかったが、さすが純血貴族。非常にきれいなものを贈ってくれた。

 

「はい。とてもきれいだったので、さっそく使わせていただいています」

 

「よかった! 気に入ってもらえて! ダリアもプレゼントありがとうね! 私もさっそく使ってるよ」

 

そう言ってダフネは、花の刺繍の施されたハンカチを取り出した。

私は家族以外に、いつもお兄様を取り巻いているメンバー、そしてダフネにもプレゼントを送っていた。

ダフネにはハンカチをプレゼントしていたのだ。

 

「肌触りもすごくいいし、この刺繍もすごくきれいだね! ありがとうね!」

 

「いえいえ、お気に召したのならよかったです。何しろ家族以外にプレゼントを贈ったのは初めてなもので」

 

最後だけ小声でつぶやいたのだが、ダフネにはしっかりと聞こえてしまったらしい。

ものすごくいい笑顔をしてこっちを見ていた。

 

4人でしばらくクリスマス休暇の話をしていたのだが、突然コンパートメントの扉がノックされる。

なんだろうと思っていると、グレンジャーが外からのぞき込んでいた。

 

「なによ、あんた」

 

パーキンソンが真っ先にグレンジャーに噛みつく。ブルストロードも声には出さないが、まるで汚物でも見る目をしている。

ダフネだけは、なんでこの部屋にきたのか疑問だという様子だ。

 

「あ、あの。私、マルフォイさんに聞きたいことがあって……」

 

今は彼女を止めるグリフィンドール生がいない。この機会を逃すまいと思ったのだろうか、いつもは私の周りにスリザリン生がいれば話しかけてこないが、今日はそれを押してでも聞きたいことがあるのだろう。

 

「なんであんたなんかと話さないといけないのよ!」

 

別にあなたと話したいと言ってはいないのだが……。

正直このまま放っておいてもよかったのだが、グレンジャーは明らかに歓迎されてない中でも意志は固いのか、てこでも入口から動こうとしない。

はぁ、とため息をついてから

 

「わかりました。では外で話しましょうか」

 

そう言って自ら率先して外に出る。出る時パーキンソンとブルストロードが何か言いたそうにしていたが無視した。

 

「それで、何を聞きたいのですか?」

 

おっかなびっくりな様子で私につづいているグレンジャーに話しかけるのだが、

 

「ここでは話せないの。こっちにきてくれる?」

 

そう言って、彼女はどこかに歩き出した。

話を聞くと言った以上、ついていかなければならない。

グレンジャーについて歩いていくと、一つのコンパートメントにたどり着いた。

外には二人の女の子が立っており、ネクタイが赤色のことから、彼女と同じグリフィンドール生だとわかった。

彼女達はグレンジャーが私を連れてきたのに驚いた様子だった。ちらちら私の方に、まるで怖がっているような視線を投げてくる。

 

「ね、ねぇ、ハーマイオニー。聞きたいことがある相手って、まさかダリア・マルフォイなの……?」

 

「そうよ」

 

「ま、まさか、彼女と二人っきりになるの?」

 

「そうよ。ごめんなさいね。ちょっと人には聞かれたくない話なの」

 

「で、でも……」

 

そう言って再び私をちらちら見だす二人。少しの間、彼女を私と二人っきりにして大丈夫かと悩んでいる様子だったが、ようやく決心がついたのか

 

「いい、ハーマイオニーに何かしてみなさい! 絶対に許さないんだから!」

 

そう私に言い放って、彼女たちはどこかに歩いて行ったのだった。

許すも許さないも、私は何もグレンジャーにするつもりはない上、よしんば何かあったとしても、彼女が私に何かできるとは思えないのだが……。

グレンジャーは私が気を悪くしたと思ったのか、青ざめた顔をして、

 

「ご、ごめんなさい。気を悪くしてしまったよね、」

 

「いえ、構いません。()()()()()()()()()()()

 

そう言って示されたコンパートメントに入る。

おそらく、ここはグレンジャーとさっきの子たちが使っていたのだろう。でも、グレンジャーの頼みで少しの間、彼女たちに外してもらった。そういうことなのだろう。

 

「それで、先ほども言いましたが、聞きたいこととはなんです? 誰にも聞かれたくないというお話なのでしょう? こんなところまで連れてきたのですから」

 

「そ、そうね」

 

グレンジャーはここまで来ても、まだどこか尋ねるべきか悩んでいる様子だったが……ついに意を決したように、

 

「ねぇ、マルフォイさん。この前のクィディッチ試合でのことなんだけど」

 

予想もしていなかった質問を投げつけてきたのだった。

 

「クィディッチの試合ですか? スリザリン対グリフィンドールの?」

 

「ええ、そうよ。あの時、あなた、ハリーの箒に呪いをかけてたの?」

 

この子はいったい何を言っているのだろう。

 

「わ、わたしはそんなことしてないと思っているのよ! でも、ロンがあなたがやっているのを見たって言うのよ。ずっとハリーの方を見て、ぶつぶつつぶやいていたって。彼の見間違いのはずなんだけど、私、どうしてもあなたの口からききたくて……」

 

どうやら、彼女は私がやっていたことを見ていたわけではないらしい。それに考えれば勘違いするのは当然かもしれない。というのも、呪いをかける動作と解呪する動作は非常に似ているので、遠目だと判断するのは難しいのだ。私はスネイプ先生の比較的近くにいたので分かったが、彼女達の座っていたであろう場所から私が解呪していると判断するのは難しかっただろう。

 

「いえ、私はポッターの呪いを解呪しておりました」

 

すると私の答えを待ってましたとばかりに、グレンジャーは飛びつく。

 

「そうなの! やっぱりあなたが呪いなんてかけるわけがないと思っていたのよ! ありがとう! ハリーを助けてくれたのね!」

 

私の答えがなぜかうれしかったのか、グレンジャーは小躍りしている。

だが、間違いは正さねば。

 

「いえ、別に助けようとしたわけではありません。まあ、結果的に彼が助かったといえるかもしれませんが」

 

「え? どういうこと?」

 

「私はスネイプ先生のお手伝いをしただけです。あの日は大変お世話になっていたので」

 

「スネイプ先生の!? 先生はハリーに呪いをかけていたんでしょ!?」

 

どうやら、スネイプ先生まで勘違いされていたらしい。まあ、こちらも客観的に見て、先生は非常に犯人面だ。いつもいじめられているグリフィンドールからしたら、もっとそう見えることだろう。

 

「いえ、スネイプ先生は解呪をしていましたよ。私はそれを見て手伝おうと思っただけです」

 

「で、でも、あの動きは呪いをかけるものだったわよ」

 

「グリフィンドールの席は教員席から遠いですからね、勘違いするのもうなずけます。呪いをかけるのと、解呪は非常に似た動作ですので」

 

「……私、呪いをかける動作しか知らなかった」

 

「それも仕方がないかもしれません。普通の教科書には載っていませんし。むしろそこまで勉強していることの方が驚きました。やはりあなたは優秀な魔女ですね」

 

私の言葉がうれしかったのだろう。グレンジャーは顔を真っ赤にして、再び小躍りしそうになっている。

やってしまった。彼女になつかれるわけにはいかないのに……。

発言を後悔しつつ、今度は私の方からグレンジャーに尋ねる。

 

「聞きたいことというのは、それだけですか? それなら戻らせていただきたいのですが」

 

そろそろ結構な時間がたった。ダフネも心配していることだろう。

 

「あ、あと一つだけ聞きたいことがあるの。ニコラス・フラメルって知ってる?」

 

ニコラス・フラメル? どうして錬金術師のことなどを? 別に今学ぶことではないと思うのだが。

 

「ニコラス・フラメルは、賢者の石を造った錬金術師ですね。それがどうかなさったのですか?」

 

私の答えを聞いてグレンジャーはハッとしていた。どうやら度忘れしていた記憶だったのだろう。

 

「どこかで見た名前だと思ったら、そうだったのね……。ありがとう、マルフォイさん。やっと思いだすことができたわ。ちょっと引っかかっていたのが気になってね。特に意味はないの」

 

「そうですか、それはよかった。では、私はこれで」

 

これでもまだ何か言いたそうなグレンジャーを無視して、今度こそ部屋から出る。

後ろから、

 

「ありがとう!」

 

と大声で言われたが、それも無視しておいた。

 

やっと解放された私は、ダフネのいるコンパートメントに戻る。だが、戻ってみると、中のメンバーが変わっていた。パーキンソンとブルストロードの代わりに、クラッブとゴイルが座っていた。

 

「あら、どうしたのですかお二人とも」

 

「なんかうちの二人に追い出されて来たんだってさ」

 

ダフネがクラッブとゴイルの代わりにこたえる。

私がいない間に、彼女たちはお兄様に取り入りに行ったのだろう。そして体積的にも邪魔なこの二人が送られてきたのだろう。

この二人にしても、お兄様より私に取り入りたいみたいだから、そこそこ嬉しそうな様子であったので、まあ、彼らにとってもよかったのだろう。

私とダフネは狭い思いをしないといけないが。

 

私は今日何度目かのため息をつきながら、コンパートメントの扉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

マルフォイさんの無実を確認した私は、さっそくこのことをハリーとロンに話した。

私は喜々として話すのだけど、彼らはそんな私を信じられないという目で見ていた。

 

「おいおいハーマイオニー。君正気か? なんで本人に聞いちゃうかな」

 

「だって私は彼女がやったとは思えないもの! むしろ彼女は呪いを解いてたと言ってたわ!」

 

「そりゃそう言うだろうさ。犯人が自分のことを犯人っていう所みたことあるかい?」

 

そこに今まで黙っていたハリーも参戦する。

 

「僕もロンの言うとおりだと思うよ。それに彼女はスネイプを手伝っていたって言ったんだろう? だったらスネイプと同じ動作をしていたというのは間違いないんだ」

 

「でも、それは、」

 

「少なくとも、スネイプの方は呪いをかけてたのは間違いないんだろ? 君が火をつけた瞬間呪いは終わったんだから」

 

確かにそうなのだ。私はあの時スネイプ先生の呪文を妨害した。それが解呪だったのなら、ハリーへの呪いが止まった理由がわからない。

 

「ハーマイオニー、君、あいつに騙されてるよ」

 

私はそう言うロンの話を聞いて、もう何が本当のことで、何が間違っているのかわからなくなってきた。

 

確かに彼女自身に聞いた私は軽率だったと思う。でも、私はどうしても彼女のことを信じたかったのだ。だからいつもならそんなことしないのに、理性より感情で動いてしまったのだ。

結果、彼女の話と、今まで分かっていた事実に食い違いが出てしまった。

ハリーとロンは、マルフォイさんが嘘をついていて、スネイプ先生とグルだったと判断しているみたいだが、私はもうよくわからなくなってしまった。

 

私には、何か重要なことを()()()()()()()()()()()、そんな気がしていた。

 



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罰則(前編)

 ダリア視点

 

ホグワーツ新学期が始まってしばらく、ようやく冬が終わり、だんだんと春の足音が近づいてきた。

そんなある日の図書室、いつものメンバーで宿題をしていると、

 

「ダリア、明日のハッフルパフ対グリフィンドールの試合、観に行くのか?」

 

隣で私と同じように宿題をしていたお兄様が話しかけてくる。

 

「いえ、今回は行かないことにしました」

 

今回はと言ったが、正直あのニンニク教師があの場にいる限り、私はクィディッチを見に行く気が起きない。臭い対策があるとはいえ、臭いものは臭いのだ。

それに今回はもう一つ、絶対に試合に行きたくない理由があった。

 

「今回の試合は、教員席を使えないので」

 

「ああ、そうか。スネイプ先生は今回教員席にはいないものな。誘われなかったのか?」

 

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 

そう、今回の試合はいつも審判役をなさっているフーチ先生ではなく、スネイプ先生が審判をなさることになっていた。おそらく、前回ポッターが呪いをかけられたということで、その時反対呪文をかけていた先生自ら、ポッターの近くで警護するということなのだろう。

 

だが、それが理由ではない。

 

つい先日スネイプ先生は、今回自分は教員席にはいないが、今後とも気が向いたら教員席を使ってもよいとおっしゃってくださっていた。

 

『ありがとうございます。しかし、なぜ今回は審判をなさるのですか? やはりポッターの警護で?』

 

私の言葉に、心底不本意な仕事だと言わんばかりの表情で、

 

「ああ、そうだ。だが、吾輩がそんなことをしなくとも問題なかろうがな」

 

「なぜです?」

 

「今回の試合は、校長もご覧になることになっているのだ。吾輩にポッターのお守りを命じた後に決めたことのようだがね」

 

まったく忌々しい、とでも言いたげな先生の話を聞きながら言葉を反芻する。

今回の試合は校長もご覧になることになっている。

校長が来るとしたら、当然教員席に座るだろう。私はクリスマス前の一件から、校長に苦手意識があった。嫌いといってもいい。

そんな人物とニンニクの臭いが立ち込める中、対して興味もないスリザリンの関わらない試合を観る。考えただけで地獄だ。

そう言ったわけで、スネイプ先生の厚意はありがたかったのだが、私は今回の試合は行かないことにしたのであった。

 

「そうか……。残念だが仕方がないか。今回もしグリフィンドールが勝つようなことがあれば……スリザリンが首位ではなくなってしまうかもしれない大事な試合だったんだけどな。だが、まあ、それももう関係ないか。審判がスネイプ教授なら大丈夫だろう」

 

そう言ってほくそ笑むお兄様。周りを見ると、ダフネ以外も同様の笑みを浮かべている。おそらくスリザリンらしく、何か狡猾な手段を考えておられるのだろう。

 

「あまり危ないことをなさらないで下さいよ。下手をすればスリザリンが減点されるのですからね?」

 

「ああ、分かってるよ。なぁ、クラッブ、ゴイル?」

 

二人を見ると、何故か腕をゴキゴキ鳴らしていた。ついでにブルストロードも鳴らしていた。どうやら腕力に頼るらしい。魔法界も落ちたものだ……。せめて魔法を使いなさい、魔法を。

 

「はぁ、ダフネ。お兄様達のことをよろしくお願いしますね」

 

「うん、わかった。()()()()()()減点されそうだったら止めるね!」

 

……スポーツというものは、人間を変えてしまうところがあるらしい。

そう思いながら、優しくも狡猾な、私のルームメイトを眺めるのだった。

 

そしてクイディッチ試合から数週間が経つと、まだ試験は10週間も先であるのに、先生方はやたらと多量の宿題を出すようになった。

私としては特に難しいものではなかったので、あまり苦労をしなかったのだが……どうやら他の人間にとってはそうではなかったらしかった。

 

「ダリア。お願い。ここ教えて」

 

いつもはお()()()()()()()パーキンソンだが、今回ばかりはお兄様より()()頼った方が正解だと思ったのだろう。

お兄様も大量の宿題に圧殺されかけている。ただ、お兄様はまだ比較的ましな方だ。私の次に優秀なスリザリン生であろうダフネ、そしてセオドールとブレーズはそこそこ大丈夫そうだが、いつも勉強などしていないパーキンソン、ブルストロードはもはやパンク寸前であった。クラッブとゴイルの方は、一見余裕そうな雰囲気を出していた。だが実際は、そもそも宿題の設問が読めているのかも怪しく、ただ()()()()()()()()()()。彼等が何故ここまで無事に生きてこられたか甚だ疑問だ。

あれでもお兄様の友人のようなもので、私の幼なじみでもある。大変不本意ではあるが。一応助け船は出すが、これで駄目であれば見捨てる他ないだろう。

そういうわけで、この中で唯一他人の宿題を見る余裕がある私に、パーキンソンとブルストロードはすり寄っていた。しかも、いつの間にか私のことをダリアと呼んでいる。許可したわけではないが、いまさら戻せとも言えない。

 

「はい、どこですか?」

 

これでも同じルームメイトだ。断るわけにもいかない。本当はお兄様につきっきりになりたかったのだが、ここまできたらやるしかない。

そう思い、二度と同じような質問をされて時間の無駄にされないように、なるべく丁寧にわかりやすく教えたのだが……逆にそれが評判になってしまい、怖がりながらも同じスリザリン一年生どころか、上級生にも質問されるようになってしまった。

おかげで私とお兄様の時間が減ってしまった。

そんな勉強づけのある日。談話室で勉強をしていると、先ほどまでどこかに行っていたお兄様が、突然大声を出しながら談話室に入ってきた。

 

「ドラゴンだ! あの野蛮人とポッターが、ドラゴンを隠している!」

 

私は僅かに顔を上げ、お兄様の表情を見て確信する。

お兄様……勉強のしすぎでとうとうおかしくなってしまったのでしょうか。やはり時々でいいからクィディッチなどの息抜きをさせてあげるべきでした。

 

「お兄様……申し訳ありません。そこまで思い詰めていらっしゃったのですね。そんな妄想まで……」

 

「いや、何故そうなる!?」

 

「ですが、ドラゴンですよ? 飼育は法律で禁止されています。まず一般人が手に入れることが不可能です」

 

「でも、さっきあの野蛮人の小屋で見たんだ! 今日の魔法薬学の授業で、ポッター達がこそこそ話しているのを聞いて、怪しいと思ったから小屋を覗きにいったんだ。そしたらそこであいつら、ドラゴンを孵化させていたんだよ!」

 

おそらく十中八九お兄様の見間違いだと思うが、本当にお兄様の見たものがドラゴンだったとすると、森の番人は、一体どうやってドラゴンを手に入れたというのだろうか?

お兄様が思っているほど、ドラゴンの卵を手に入れるというのは簡単なことではない。

ドラゴンは魔法生物の中で、特に危険な生物とされている。それもそうだろう。魔法の効きにくい、硬い鱗に覆われた体。牙には毒があり、その口からは灼熱の炎を吐き出す。専門のものでないと対処できないような、一度人里に現れれば、そこに甚大な被害をもたらすのは必至な生物なのだ。

だからこそドラゴンを飼うことなど、法律で厳しく禁止されている。卵を売るのも、そして買うのもだ。勿論、闇の住人、非合法という裏側の世界に通じているのなら、手に入れることくらいは可能だ。ドラゴンはすごいスピードで成長するため、飼育までは無理だと思うが。

それを、あの闇と関わりのなさそうな男が持っている。大変不可解なことだった。

どうせお兄様の見間違いだろう。おそらく巨大なトカゲか何かと見間違えたのだろう。

 

「ドラコ……」

 

私と勉強していたダフネも同意見なのか、お兄様にどこか同情したような視線を送っている。

 

「あなた疲れているのよ、ほら、こっちに来てお茶でも飲みましょう」

 

「……本当なのに」

 

お兄様はどこかしょんぼりしていた。

それから数日、いつものメンバーで朝食を取りに大広間に向かう。ところが私はお兄様の元気があまりないことに気付いた。

 

「どうかなさったのですか、お兄様?」

 

「い、いや。なんでもないよ」

 

そうおっしゃるのだが、やはりお兄様の元気がない。訝しみながら大広間に向かうと、寮の得点を記録している砂時計の前に人だかりができていた。

 

「どうしたのでしょうね?」

 

「さあ?」

 

別に無視してもいいのだが、大広間に入るのに邪魔な位置で人だかりができている上に、ここまで皆が集まるということに興味もある。

 

「どうしたのですか?」

 

先に来ていたスリザリン生に尋ねると、話しかけたのが私だと気付き、怯えながら答える。

 

「は、はい。どうも昨日の夜、グリフィンドールの点数が150点も減ったみたいで」

 

私は表情こそ変わらなかったが、内心びっくりしていた。

 

「ひゃ、150点!?」

 

ダフネ達も驚いたのか驚きの声を上げている。

 

「どうしてそんなに減ったのですか?」

 

「さ、さあ。でも、どうもポッター、グレンジャー、そしてロングボトムのせいらしいですよ」

 

確かに遠目からでしか見えないが、昨日まで大量にあったグリフィンドールの砂が大幅に減っている。

 

「あいつら、何をしたか知らないけど、これでスリザリンの優勝は決定ね、ドラコ!」

 

「あ、ああ」

 

嬉しそうにパーキンソンが、お兄様に飛びつく。が、お兄様はやはりどこか浮かない顔をしている。こんな時真っ先に喜ばれそうなのに。

だが、理由はなんとなく察しがついていた。グリフィンドールの砂時計を見たとき、ちらりとスリザリンの砂時計も見えたのだ。

 

スリザリンの点数も20点減っていた。

 

朝食の席、私はお兄様に小声で話しかける。おそらくお兄様の元気がない理由は……

 

「お兄様、スリザリンも点数が減っておりましたが、あれは……」

 

「ああ、ダリア……。お前の想像の通りだ。僕のせいだ」

 

「そうでしたか……。何をなさったのです?」

 

「ポッター達がドラゴンを逃がす決定的証拠をつかんだんだ。それであいつらが来るのを待ち伏せしていたんだが、マクゴナガルに見つかってしまって……」

 

「そうでしたか……」

 

「ダリア、ごめん。お前がせっかく稼いでくれていた点数を減らしてしまった……」

 

お兄様はそう私に謝る。

 

「そんなことはいいのです。点数などいくらでも稼いでみせます。ですから、お兄様がそんなことで謝る必要などないのです」

 

「ああ……」

 

私はそう慰めるのだが、どうもお兄様の元気はまだ戻らない。

 

「何か、他に気になることでも?」

 

「それなんだが……」

 

お兄様はそこで言葉を切り、

 

「実は罰則があるんだ」

 

そう、重い口調でおっしゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

フィルチの後につづいて歩く僕は最低な気分だった。

真っ暗な校庭を歩き、禁じられた森に向かう。

僕の他にはハーマイオニー、ネビル、そしてマルフォイがいた。皆これから何が起こるか不安な様子だった。ネビルはずっとメソメソ泣いているし、マルフォイはただでさえ青白い顔をもっと青白くしている。ハーマイオニーはずっと下を見て歩いている。たぶん、ひどくあの時のことを後悔しているのだろう。

 

どうしてこんなことになったのだろうか?

 

ハッフルパフ対グリフィンドールの試合の後、スネイプがクィレル先生を脅して何かを聞き出そうとしているのを僕は見た。やはりスネイプが賢者の石を盗み出そうとしているのだと、改めて確信していた。のだけど、そんな矢先、ハグリッドがドラゴンを飼うなんて馬鹿をやらかしたことで、石のことはすっかり頭から消えてしまった。

しかもマルフォイにドラゴンのことがばれてしまい、急いでロンのお兄さんのチャーリーにドラゴンを引き取ってもらうことになったのだけど、ドラゴンを引き渡した後、僕とハーマイオニーは、透明マントをかぶるのを忘れてしまい、マクゴナガル先生に見つかってしまった。

 

先に見つかったマルフォイは、20点減点されていた。

 

でも、そんなことで喜ぶことはできない。だって、グリフィンドールは150点も減点されていたのだから。

 

僕とハーマイオニー。そして僕たちにマルフォイがいることを忠告しようとしたネビル。一人50点の減点。合計150点も、グリフィンドールは一夜にして失った。

 

翌日から地獄は始まった。一夜にして僕は、学校中の嫌われ者となった。同じグリフィンドールからは勿論、ハッフルパフとレイブンクローからも。これでスリザリンの寮杯が決まったようなものになってしまったからだ。

それでも受難は終わらない。今日ついに、罰則の日がやってきたのだ。

フィルチに連れられ、僕たちは夜の禁じられた森の前に集まる。真っ暗な森はひどく恐ろしく見えた。そんな中、引率のハグリッドの存在だけが頼もしくみえた。

 

「あそこを見ろ。地面に光った銀色の物が見えるか? ユニコーンの血だ。何者かに傷付けられたユニコーンがこの森の中にいる。今週になって2回目だ。皆でかわいそうな奴を見付けるんだ。助からないなら、苦しまないようにせねばならん」

 

処罰の内容は、禁じられた森のどこかにいる傷ついたユニコーンを保護する事だった。

 

僕たちは二手に別れて行動することになった。僕とハーマイオニーはハグリッドと。マルフォイとネビルはファングというハグリッドのペットと同行し、森の中へ入った。

でも途中、ネビルの班から緊急を知らせる赤い火花が発射され、探索が一時中止された。マルフォイはどうなってもかまわないけど、ネビルは元々僕たちが巻き込んでしまったようなものだ。急いで駆けつけたのだけど、ついてみれば、ただのマルフォイの悪戯でネビルが驚き、火花を発射したことがわかった。

カンカンに怒ったハグリッドは、ハーマイオニー、ネビルと共に行動し、僕にファングとマルフォイを任せることにした。

 

「こんなこと、父上に絶対言いつけてやる」

 

「怖いのかい?」

 

「そ、そんなわけないだろ、ポッター」

 

そういうマルフォイはやはり恐怖が顔ににじみ出ていた。僕も正直怖かったのだけど、マルフォイの前でそれを見せたくはなかった。それに、せっかくマルフォイと二人になったのだ。いつも彼は妹のダリア・マルフォイと一緒にいる。だから彼女のいない今こそ聞くチャンスだと思った。

 

「マルフォイ」

 

「な、なんだ」

 

「お前の妹のことで聞きたいことがあるのだけど」

 

そう言った瞬間……今まで恐怖で歪んでいたマルフォイの顔から恐怖が消え、まるで能面のようなものになっていた。

 

「なんだ? ダリアについて聞きたいことって?」

 

「い、いや、その」

 

僕はマルフォイの変化に狼狽する。彼が恐怖で思考が染まっている今、クィディッチでのことや、スネイプと共犯であるのかと、ゆさぶりをかけようと思ったのに、マルフォイは急に頑なな態度になってしまった。

 

「ダリアの何を探ってるか知らないが、これだけは言っておくぞ。僕がダリアについてお前に話すことなんて一つもない」

 

そう言ってずんずん前に歩いて行ってしまった。

それから30分間、僕たちは無言で歩いた。とてもダリア・マルフォイについて聞けるような空気ではなかった。最初はまるで勇気が戻ったかのように歩いていたが、今はまた、ダリア・マルフォイについて尋ねられる前のように恐怖に顔が歪んでいる。

 

いつも彼と共にいる美しくも冷たい表情の少女。

一体こいつにとって、ダリア・マルフォイはどういう存在なのだろうか。

 

僕はそれが少しだけ気になった。

尤もその疑問も思い出せない程、強烈な出来事がこの後すぐ起こることになる。

 

木立がびっしりと生い茂った森を歩いていると、急に開けた場所に出た。

そこには純白に光り輝くユニコーンの死骸が転がっており、その血を啜る何者かがいたのだ。

 

「ぎゃああああァァァ!」

 

マルフォイが恐怖で腰が抜けたのか、叫びながらへたり込んでしまう。

ファングも同様の様子だった。

 

叫び声で気付いたのか、血を啜る何者かがこちらを見る。頭をフードで覆ったそれは、ゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいてくる。

その時、今まで感じたことのないような激痛を頭に感じ、思わずよろめいてしまう。

 

そんな僕たちに構わず、どんどんフードの何者かが近づいてくる。

 

もうだめだと思ったその時、

 

「お兄様に、何をしようとしているのですか、あなたは?」

 

振り向くとそこには白銀の髪をした、真っ白な美しい少女が……いつもの薄い金色ではなく、真っ赤な瞳で、いつものように冷たくフードの何者かを見つめていたのだった。

ユニコーンの死骸に、血を啜るフードの何者か。でも僕にはそれら以上に……この場にいるはずもない少女の方が恐ろしく思えた。



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罰則(後編)

 

 ハリー視点

 

今まで感じたこともない程の激痛に耐えながら、突然、まるで最初からそこにいたかのように現れた少女を見やる。

いつもの薄い金色の瞳ではなく、真っ赤に染まったその瞳は……いつもの感情の見えない表情と違い、はっきりとした激情を現わしていた。

 

「安心してください。お兄様を襲おうとしたのです。ただでは殺しません。ユニコーンの血を飲んでまで生きたいのでしょう? 少しの間だけ生かして差し上げます」

 

そう言い終わると同時に、僕の目には見えないほどのスピードで杖を構える。

 

「尤も死んだ方がましだとすぐに思うでしょうが」

 

するとダリア・マルフォイの杖から白色の呪文が飛び出す。何者かは咄嗟に避けようとするも、彼女の登場と彼女の雰囲気に呑まれていた。その場からほとんど動けず、呪文に直撃してしまった。

 

「ぎゃああああああ!」

 

僕は生まれて初めて、人がこれほど苦痛の叫びをあげているのを見た。信じられないほどの苦痛を与えられているのか、フードの何者かは、聞いたこともないような叫び声をあげながら地面をのたうち回っている。

激痛で朦朧とする意識の中、僕はその叫び声を聞く。先ほどまで感じていた恐怖の対象は、今や違う人物に移っていた。

 

いつもの無表情ではなく、呪文をかけた後から彼女は、今まで見たこともないような残酷な表情で笑っていたのだ。

 

「ふふふ。あはははははは! 苦しいですか? 苦しいですよね!? 私のお兄様を襲おうとしたのですから、これくらい当然ですよね! ねえ!?」

 

こんなことを、こんな表情でやっている彼女が、僕にはとても恐ろしいものに感じられた。まるで彼女が僕たちと同じ人間ではないような、そんな恐怖を覚えた。

マルフォイも突然の事態に驚いているのか、尻もちをついた状態から動けていない。

 

数分もすると、絶え間なく与えられ続ける苦痛に声も出なくなったのか、フードの男は叫び声をあげることも出来なくなって、ただ地面を這いずり回っている。

その姿をダリア・マルフォイは、見たこともない笑顔で眺めていた。

 

「そろそろいいでしょう。苦しかったでしょう? すぐに楽にしてさしあげます」

 

呪文が終わり、息も絶え絶えの男に彼女は優しさすら感じられるような声をかけ、再び杖を向けた。

 

「死になさい。アバダ、」

 

だが、彼女は最後まで呪文を唱えることはなかった。

 

「それはだめだ!」

 

呪文が放たれる前に、今まで動けていなかったマルフォイが、彼女の杖に飛びついて邪魔をしたのだ。

突然杖に飛びつかれ、驚いた様子のダリア・マルフォイ。

 

「な、なにをなさるのですかお兄様!?」

 

「お前が()()()()()()してはダメだ!」

 

二人がもみ合っているうちに、ローブの男はこれが好機と思ったのか、まるで痛みに耐えるかのように重く体を起こし、するするとどこかに逃げおおせてしまった。あの男がいなくなった途端、さっきまであった激痛が消えてなくなった。

 

「逃げてしまいましたか」

 

心底名残惜しそうな声で、彼女は悔しがる。まるで()()()()()()()()()()()()()ような彼女の表情は、先程のものと違い、いつもの無表情に戻っていた。瞳もいつもの薄い金色に戻っている。

 

「お兄様、何故邪魔なさったのですか?」

 

「ダリア。お前、」

 

マルフォイが何か言う前に、突然後ろの方から蹄の足音があたりに響く。

何事だと思っていると、草むらから突然、腰から下が馬、上半身が人間の男といった生き物が飛び出してきた。それは、マグルの世界では空想の生き物とされるケンタウロスだった。

明るい金髪に胴はプラチナブロンド、淡い金茶色のパロミノのケンタウロスの登場に警戒する僕らに、

 

「ケガはないかい?」

 

そう優しく声をかけてきた。

 

「え、ええ。大丈夫です。あ、あなたは?」

 

「ああ、ケンタウロスを見たのは初めてかい? 私はフィレンツェだ」

 

信じられないくらい青い目で僕を優しくみつめ、そして一瞬後ろにいるダリア・マルフォイをひどく警戒したような眼でみたあと、再び僕に目を向ける。

当のダリア・マルフォイは突然現れたケンタウロスを警戒していた。が、こちらを攻撃する気がないことが分かると、こちらのことより兄に怪我がないかの方が気になるのか、マルフォイの体のあちこちを調べだしてこちらをもう見ていなかった。

 

「お、おいダリア!」

 

「ケガをされていないか確認するだけです。くすぐったいと思いますが、少しの間じっとしていてください」

 

そんな会話を後ろに聞きながら、僕はフィレンツェと話す。

 

「はやくハグリッドのもとに帰りなさい。今森は危険な場所だ。特にポッター家の()()()()

 

「わ、わかりました。で、でもあれは一体?」

 

「ハリー・ポッター。ユニコーンの血は一体何に使われるか知っていますか?」

 

「い、いいえ」

 

「それはね、命を長らえるために使うんだよ。だが、それは不完全な命だ。無垢な命を殺すんだ。その血に口を触れた瞬間、そのものは呪われる。生きながら死ぬことになるんだ」

 

「一体誰がそこまでして……」

 

「しかし、それにも逃げ道がある。例えば、ユニコーンの血とは別の、完全な力を取り戻してくれるようなもの。永遠の命すら与えるようなもの。そんなものを手に入れるまでの、つなぎでしかないとしたら?」

 

僕はそれを知っている。それがこの学校にあることも。

 

「賢者の石!?」

 

「そう、そしてそれを手に入れてまで、力を取り戻そうとしている誰か。誰か思い浮かびませんか?」

 

そこまで言われ、僕は思い浮かべてしまった。僕の両親を奪い、僕の額にこの傷をつけた男。

 

「そ、それじゃあ、あいつはヴォ、」

 

「ハリー! 無事か!?」

 

ハグリッドの声があたりに響く。声の方向を向くと、ハグリッドとハーマイオニー、そしてネビルがこっちに走ってくるところだった。

 

「ハリー! 大丈夫だった!?」

 

「ああ、僕は大丈夫だよ」

 

心配そうに話しかけてくるハーマイオニーに答えながら、先ほどたどり着いた答えについて考える。推測が正しければ、今ここにいた男は、

 

「おう、お前さんも怪我はないか?」

 

「ああ……」

 

ハグリッドにそう答えるマルフォイの方を見るが、そこには妹の姿はなかった。現れた時と同じく、まるで最初からそこにいなかったかのように、彼女の姿はそこになかった。

 

どこにいったんだろうと思っていると、そっと、フィレンツェが僕の耳元に話しかけてきた。

 

「今世の中には危険が満ちている。気をつけなさい。……()()()()()

 

談話室に帰り、僕は先ほどあった一部始終を、ロンとハーマイオニーに話した。

ハーマイオニーは最初、ダリア・マルフォイがいたと言ったことで反発していたが、話を最後まで聞くと、

 

「それじゃあ、マルフォイさんが()()、あなたを助けてくれたわけね?」

 

「うん……。でも助けたっていうより、兄が傷つけられたのが許せないって様子だったけどね」

 

彼女のあの時の表情を思い出す。

まるで、誰かを苦しめるのが心底楽しいといった、あの残酷な笑顔を。

 

「でもなんでだろうな」

 

ソファーに座っているロンがつぶやく。

 

「あいつはスネイプとグルなんだろう? そしたら「あの人」の邪魔をするなんて変だろう?」

 

スネイプが石を狙う理由。それはヴォルデモートに石を差し出すため。

それは分かった。でも、それならスネイプとグルであるはずのダリア・マルフォイが、何故ヴォルデモートの邪魔をしたかがわからない。

 

「ねぇ、そのことなんだけど……」

 

ハーマイオニーがおずおずと言った様子で話し始める。

 

「やっぱり、私には彼女がスネイプ先生の仲間だとは思えない」

 

「ハーマイオニー、」

 

「最後まで聞いて、それに、もしかして、スネイプ先生も犯人ではないのかも……」

 

「は? 何を言ってるんだい? クディッチの時やクィレルの件だって、」

 

「そうなんだけど! でも、あの時、マルフォイさんは言ってたわ! 呪いをかけるのも、呪いを解くのも同じ動作だって!? 私たちは何か大本から勘違いしてるのかも……。何か、何かを見落としている気がするの……」

 

それっきり、ハーマイオニーは何かを考え込むように目を閉じてしまった。

 

僕とロンは、そんなハーマイオニーに肩をすくめる。ハーマイオニーはああ言っていたが、やっぱり僕はスネイプとダリア・マルフォイが犯人だと思う。

クィレルとの会話を聞いていた僕には、スネイプが石を狙っているとしか思えない。

そしてダリア・マルフォイ。

 

フィレンツェの言葉を思い出す。

 

『気をつけなさい。……彼女にもね』

 

そう言った彼の目には、彼女に対する警戒と不審、そして恐怖が映り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

談話室にお兄様が入る。案の定夜遅いこともあり、中には誰もいなかった。

 

「もういいぞ」

 

そうお兄様が話しかけてくる。

私はそれにあわせ、自分にかけていた『目くらましの呪文』を解いた。

 

「いつからいたんだ?」

 

「最初からです」

 

そう、私はお兄様が談話室を出たときからずっと、お兄様の近くにいた。

今度の罰則は「禁じられた森」で行われると、お兄様から聞いていた。

禁じられた森。

ホグワーツのすぐ近くに広がるこの森は、その名前の通り、入ることを禁じられるほど危険に満ちた森だ。危険な動植物に満ちており、一説では人狼もいるとか。

そんな森にお兄様一人で向かわせるなんて絶対に出来ない。別にお兄様だけが森に入るわけではないのだが、他に森に行くメンバーが、いざという時お兄様の盾になるとは思えない。

だから私は『目くらましの呪文』を使うことで、お兄様のそばにいようと思ったのだ。

 

「そうか……。ありがとう。さっきは助かった」

 

「いえ、妹として当然のことをしたまでです」

 

愛するお兄様を守ること、妹として当然の行為だ。

 

「でも、もう今度からはついてくるな。お前が危ない目にあってしまう」

 

「ですが、」

 

「それと!」

 

私が反論しようとするも、お兄様はどこか諭すような顔をしてそう切り出した。

 

「ダリア。さっきは何の呪文を使おうとしたんだ?」

 

「死の呪文です。それがどうなさいました?」

 

以前トロールにも使った呪文。お兄様が邪魔をしなければ、即座にあのフードの男を殺せるはずだった。

 

「そうです、お兄様、先程は何故邪魔をされたのですか?」

 

「ダリア、お前、気づいていないのか? お前はあんなに嫌がっていたじゃないか、それを……」

 

「……?」

 

私が一体何に気付いていないというのだろうか。私には最初、お兄様の言わんとしていることがまるで分からなかった。

 

「僕もあの呪文は知っている。その効果も」

 

しかし、そんな私の疑問は直ぐに氷解することとなる。

お兄様は言葉を一度切った後続ける。

 

「ダリア、お前は()()向かってあれを使おうとした?」

 

「それは、」

 

私はそこで気付いてしまった。私が一体何をしようとしていたのかを。

急速に先ほどまであった高揚感が消えていく。

なんてことを私はしようとしていたのだろうか……。

 

よりにもよって……私は、()()、何の抵抗もなく殺そうとしていた。

前回のようにトロールではない。人をだ。

 

確かに、私はあの時冷静ではなかった。お兄様が襲われそうになったことで、頭に血が上ってしまい、いつもの冷静さを失っていた。

だが、そうだとしても、私は確かに人を殺そうとしていた。

それどころか……私は()()()()()()()()

 

人を殺すという行為を。

 

いつもなら私が最も忌避する行為を。

私が帝王の人形などにはならないために、私がマルフォイ家の家族であるために忌避していたものを、私はあんなにも簡単に。

勿論、お兄様が傷つきそうな時、お兄様を守るためならなんだってやる。

だが、先程は違った。もう奴に反撃することはできなかった。あれ以上何かする必要はなかった。それなのに、あんなにも簡単に人を殺そうとしてしまった。

先程までの高揚感は消え、私の背に冷たいものが走る。

 

「わ、私は。い、一体なにを」

 

まだ私の中には先ほどの感覚が残っている。

怒りで我を忘れた私は、人を殺すことがとても当然の行為で、尚且つとても楽しいものだと、確かに感じていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

「も、申し訳ありません、ご主人様」

 

「よい、ユニコーンの血自体は必要量飲んだのだ。俺様は寛大だ。今回小娘ごときに敗北したことを許そう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

俺様はこの体に憑依しているとはいえ、この体と感覚を共有しているわけではない。だから先ほどの「磔の呪文」の苦しみを感じることはなかった。受けていたら許すことはなかったが、所詮この駒が受けた苦しみだ。

それに、

 

「まさか許されざる呪文すら使いこなすとはな……」

 

「ど、どうなさいますか?」

 

「お前が気にすることではない。お前は賢者の石を手に入れることだけを考えればよい。罠を突破する目算はもうたっているのであろう?」

 

「は、はい」

 

「では後はタイミングを待つだけだ。失敗すればどうなるか、分かっているな?」

 

「は、はい! も、勿論でございます!」

 

情けなく言い訳を始める駒を無視し、物思いにふける。

こんな愚図に頼らねばならないのは口惜しいが、それももうすぐ終わる。

あの石さえ手に入れば俺様はまた力を取り戻すことができる。

 

あの駒はやはり俺様の期待以上に育っている。早ければ来年にも使うことができるかもしれないな。

 

予想以上に使えそうな駒のことを考えながら、愚図の後ろで()()()()()()()()は、ほくそ笑むのであった。

 




森に来るとき、クィレル先生はターバンをしていなかったため、ニンニクの臭いはせず、ダリアも先生だと気付いていません。

そろそろ賢者の石終わります。




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犯人

 

 ダリア視点

 

「失礼します」

 

「入りなさい」

 

外はすっかり暑くなり、いよいよ試験の季節がやってきた。

最初の科目は変身術。私は試験を行う教室に足を踏み入れる。

 

「ミス・マルフォイですか。あなたには簡単すぎる試験かもしれませんね」

 

苦笑しながらマクゴナガル先生は、机の上に置いてあるネズミを指し示す。

 

「試験の内容は、このネズミを嗅ぎタバコ入れにすることです。美しいものであるほど加点し、ネズミの特徴が残っているほど減点します。では、はじめなさい」

 

先生のおっしゃるように、私にとってはあまりにも簡単な内容だった。

私はネズミに呪文をかける。

するとネズミはいたる所に宝石が散りばめられた、まるで王室が使っているような嗅ぎタバコ入れに変身した。

 

「……お見事です。長年この試験を行ってきましたが、ここまでのものを作ったのはあなたが初めてです」

 

「ありがとうございます」

 

少し照れながら、先生にこたえる。簡単な内容だったとはいえ、褒められるのは純粋にうれしい。

 

「試験結果は後日お伝えします。もうよろしいですよ」

 

試験はその後も順調に進んだ。

全てが私には簡単すぎるものであり、どれもミスなど一つもなく通過できたと断言できるどころか、言われた内容だけでは()()()()()ので、さらに試験で求められている以上のことを行った。

特に魔法薬学は『忘れ薬』の作り方を書くというものだったので、ただ教科書通りの内容を書くのではつまらないと、私なりに考えていた薬を作る過程の短縮方法、さらに効果を上げるために使う材料などを余った時間で書いていた。スネイプ先生は途中まで他の生徒の回答をのぞき込んでいたのだが、私の答案をのぞき込んだ時から、私の答案から動こうとはしなかった。最初は思わず羽ペンを止めようとしたのだが、後ろから動こうとしない先生が、

 

「非常に興味深い。続けたまえ」

 

と仰っていたことから、別に間違いではなかったはずだ。

唯一点数が()()()()低いかもしれなかったのは、私が一番得意とする『闇の魔術に対する防衛術』だった。

試験自体は簡単な筆記試験であったのだが、試験監督としてクィレル先生がついていたので、私は満足に試験に集中することができなかったのだ。しかも何故か私の近くにずっと待機しており、いつもより至近距離で臭いをかがされる羽目になった。

何か私に恨みでもあるのだろうか。私から先生に何かした覚えはないのだが……。

 

最後の試験である魔法史が終わり、一年生達はようやく試験から解放される。

 

「やっと終ったね! ダリア、試験はどうだった?」

 

「問題はないと思います。ただ、闇の魔術に対する防衛術だけは、少し点数が低いかもしれません。ミス自体はないと思うのですが」

 

「そっか、あいつ、試験会場でもあの臭い出してたもんね。私も正直臭くてあまり集中できなかったもん」

 

「そう言うダフネはどうだったのですか?」

 

「私? まあ、ぼちぼちかな」

 

ダフネも普段の雰囲気とは裏腹に、非常に真面目な学生だ。彼女の試験結果が悪いとは思えない。

問題なのは……。

ふといつものメンバー達を振り返る。

お兄様もそこそこの手ごたえを感じているのか、表情は明るい。ブレーズとセオドールも同様の表情だ。

ただ、パーキンソンとブルストロードは燃え尽きたような顔をしている。最近一緒に勉強をしていて聞かれるまま勉強を教えていたのだが、どうやら満足な結果は出せなかったらしい。

クラッブとゴイルは……あっけらかんとした表情をしている。おそらく、手ごたえ云々以前の問題だったのだろう。彼らが進級できるのを祈るばかりだ。

 

「試験結果が出るのに一週間はあるね。これでようやくゆっくりできる!」

 

「ええ、そうですね」

 

ダフネに相槌を打っていると、ふと視界の端に慌てたように走っていくグリフィンドール三人組が映った。

 

「どうしたんだろうね? グレンジャー達、あんなに慌てて」

 

どうもダフネも少し気になったようだ。試験が終わり、ほとんどの生徒たちはのんびりした表情を浮かべている。だが、彼らの表情は非常に焦ったようなものだった。試験で失敗でもしたのかと思ったが、グレンジャーも同様の表情をしていたのでそれは違うと思いなおす。確かに少し気になることではあるが、

 

「さあ?」

 

「ま、どうでもいいか」

 

別に彼らが何をしているかなど興味はない。ただ単純に、今周りに広がる光景と違ったものが見えたことが気になっただけなのだ。

 

「とりあえず、談話室でお茶でも飲もうか」

 

「そうですね」

 

先程見た光景を忘れ、私とダフネがこの後の話をしていると、

 

「私たちは少し外にいってくるわね。天気もすごくいいみたいだし」

 

基本屋内に缶詰にされていたことから、パーキンソン達は外に行きたいようだ。

それもそうか。私は肌のことがあるので、最初から外に行くという選択肢はなかった。しかし普通私たちの年齢の子供であれば、天気がいいのだから外にも行きたくなるのだろう。

 

「そうですか。私は肌のことがあるので行けませんが、皆試験頑張っていましたからね。思いっきり羽を伸ばしてきてください」

 

「ええ、それじゃ、また後で」

 

またねと、パーキンソン、ブルストロード、そして()()()()()()、男たちが外に向かって歩き出す。

 

「ドラコ?」

 

歩き出そうとしないお兄様を訝しがってパーキンソンが振り返る。

 

「いや、僕も中でいい。外は暑そうだ。僕も中で休んでいるよ」

 

「え、そうなの……」

 

お兄様が行かないということで、パーキンソンは行くか行かないか迷っている様子だったが、外への誘惑には抗えなかったのか、今度こそ外に歩いて行ってしまった。

 

「お兄様、ダフネ。外に行かれなくてよかったのですか? 私は別に構いませんが」

 

お兄様達が残った理由は簡単だ。

優しいお兄様とルームメイトのことだ。外に長時間いれず、特にこんな天気の良い日は中にいるしかない私を一人にしないためだろう。

それが同情などではなく、ただ彼らの優しさからだということは分かる。

 

だからこそ、私()()()()彼らを縛り付けるのは嫌だった。

校長室でみた鏡を思い出す。

私は、彼らを傷つけてしまうかもしれない化け物なのだから。

 

だが、

 

「いや、いいんだ。外は暑そうだしな。それに、」

 

「ダリアとお茶をする方が楽しそうだしね!」

 

言葉をさえぎられたお兄様は、少し不満そうな顔をしていた。

そう言われては何とも言うことができない私も、きっとお兄様と同じような顔をしているに違いない。

 

その後、結局彼らが外に行くことはなかった。私たち三人は、談話室で試験の問題についてや、この一週間の予定など実に他愛のない話に花を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「殺せ!殺すのだ!」

 

クィレルの後頭部にいたヴォルデモートが叫ぶ。

僕は必死にクィレルにしがみつき、彼を()()

 

クィレルの悲鳴が響く部屋の中、僕の意識は薄れていった。

 

試験が終わってすぐ、ハグリッドがドラゴンの卵を手に入れるとき、何者かにフラッフィーの情報をもらしていると分かり、すぐに石が危険なことをダンブルドアに知らせようとしたのだけど、校長は留守の様子だった。

これはいよいよ今夜が危ないと思い、僕たち三人は石をスネイプ、そしておそらく共犯であるダリア・マルフォイよりも先に手に入れることにした。

 

寮を抜け出す時、僕らがまた外に出ようとしていることに気が付いたネビルに見つかるというアクシデントもあったが、おおむね順調にフラッフィーのいる部屋にたどりつくことができた。

 

案の定フラッフィーは眠っていた。ハグリッドの情報通り、音楽で寝かされていたのだ。

続く『悪魔の罠』や、箒で数多く飛んでいる鍵を掴む試練を抜け、大きなチェス盤に到達する。ここで僕らはどうやら、駒になってチェスをしないといけないようだった。

 

そして悲劇が起こる。

 

ロンが自分を犠牲にしてチェスに勝ったのだ。

ロンは気絶しているだけの様子だったが、僕は心配で仕方がなかった。ハーマイオニーも同様だろう。でも僕らは、前に進まなければならない。

 

次の部屋にいたトロールはすでに気絶していた。以前見たトロールよりはるかに大きかったので、自分たちで倒さなくてよいことに安堵したが、同時にこれは、スネイプ達がここを既に通ったことを意味していた。

おそらく最後の試練。それはスネイプの試練だった。スネイプの試練は、一人は戻り、もう一人は前に進むことを強いていた。

そして僕が進み、ハーマイオニーが戻ることにした。

 

「ハーマイオニーは戻ってロンと合流してくれ。そしてダンブルドアに知らせてほしい」

 

「わかったわ。でも、気を付けて。ここから先に誰がいるか分からないんだから。でも、あなたなら出来る。あなたは私よりずっと偉大なものを持っているから。だから、お願い。気を付けて!!」

 

「うん」

 

そして僕らは別れる。

 

最後の部屋、クリスマスに見た鏡がぽつんと置かれた部屋。

 

そしてその鏡の前には、スネイプでも、ダリア・マルフォイでもなく……クィレル先生が立っていたのだ。

 

「あなただったんですか!?」

 

「そうだ。私だ」

 

いつものどもりなどなく、クィレルは普通に話していた。その声音には冷たさすらあった。

 

「で、でも、僕はスネイプだとばかり!」

 

クィレルは僕の発言をクツクツと嘲笑し、

 

「いいや、彼ではない。彼はむしろ君を助けようとしていた。最も、彼は非常にはまり役だ。疑ってもおかしくはないさ」

 

そんなことを言い始めたのだ。

 

「では、ダリア・マルフォイは!?」

 

「ダリア・マルフォイ? あの忌々しい小娘か。私に磔の呪文をかけやがって……。あの娘がどうしたというのかね?」

 

「あいつもクィディッチで僕に呪いをかけたのではないのですか!?」

 

「……成程。あの時の邪魔はあの小娘か。全くどこまでも私の邪魔をしおって! あいつもお前を助けていたんだよ。誰がスネイプに加担しているか知らなかったが、どうやら彼女だったみたいだな。やはりご主人様が復活したあかつきに罰を与えてもらわねば……」

 

結局、犯人はスネイプでも、ダリア・マルフォイでもなかった。

 

「ハーマイオニーが正しかったんだ」

 

その後、僕は鏡を見たときポケットに入った石を、クィレルの後頭部にいたヴォルデモートから守った。クィレルは僕を殺そうとしたが、彼は何故か僕に触れることができない様子だった。僕に触れると、クィレルの肌が焼けるのだ。

 

クィレルの叫び声がだんだん静かになってくる。

 

僕は薄れゆく意識の中で……全く共通点などないのに、ヴォルデモートの表情はあの時のダリア・マルフォイに似ていたなと、うっすら考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

試験が終わった次の日、学校中は一つの話で持ち切りだった。

 

あのハリー・ポッター達が、学校にあった賢者の石を、クィレル先生から守った。

 

そんな話がなぜか学校中に広まっており、クィレル先生が昨夜いなくなったこと、そしてポッターが今医務室にいるということがこの話を裏付けていた。

スリザリン生だけは忌々しそうにしていたが、他の寮生はこの英雄譚でひたすら盛り上がっていた。

 

「まったく! 忌々しいわね! たかが()()()一つ守ったからって何よ!」

 

当然のごとく、今のこの状況に腹を立てている模範的スリザリン生のパーキンソン。

私はそんなパーキンソンの声を横目に聞きながら考え事をする。

この知らせを聞いた時、正直うれしかった。これであの臭いを嗅ぐと授業ともおさらばだ。うれしくないはずがない。

でも、一つだけ気になることがあった。

 

それは……クィレルがどうなったかということだった。

 

クィレルはいなくなった。皆それしか知らなかったし、知ろうともしていなかった。

おそらくこの噂を流した()()かは、このことを意図的に隠しているのだろう。生徒は生徒で気にしていない。いや、想像すらできないのだろう。

 

だが、隠すということは、逆にそこに何があったかを教えているようなものだ。

おそらく、クィレルは死んだのだろう。しかもポッターに()()()()

 

勿論それで善悪など語るつもりはない。その時何があったのかは知らないが、おそらく正当防衛だったのだろう。

 

でも、どうせ死ぬのなら……私が()()()()()()

先を越されてしまった。

 

 

私は無意識にそう思ってしまっていた。

 










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一年の終わり

 ダリア視点

 

学年度末パーティー。今大広間はグリーンとシルバーの旗で彩られている。スリザリンが7年連続で寮対抗杯に優勝したのだ。発表こそまだだが、結果など大広間前にある砂時計を見れば一目瞭然だ。

つまり、スリザリンの()()だった。

スリザリン生はもう分かりきった結果ではあるが、校長の口からその事実が告げられるのをソワソワしながら待っている。一年生たちは初めて味わう優勝を。そして上級生達は、今年も味わえる勝利を今か今かと待っていた。

 

そして、スリザリンの待ち望んだ時がやってきた。

 

「また一年が過ぎた!」

 

ダンブルドアが立ち上がり、生徒全員に聞こえるように声を張り上げる。

 

「一同、ご馳走にかぶりつく前に、老いぼれの戯言をお聞き願おう。一年が過ぎ、君達の頭も以前に比べて少しでも何かが詰まっていればいいのじゃが……。新学年を迎える前に君達の頭がきれいさっぱり空っぽになる夏休みがやってくる」

 

そこで一度言葉を切る。

 

「その前にここで寮対抗の表彰を行うとしよう。点数は次の通りじゃ。4位グリフィンドール、306点。3位ハッフルパフ、352点。2位レイブンクロー、426点。そして一位スリザリン、596点」

 

スリザリンのテーブルが爆発した。全員が嵐のような歓声をあげ、足、そして手に持つゴブレットを鳴らす。6年間スリザリンは勝ち続けていた。だが、ここまで圧倒的な勝利を飾ったのは初めてだった。

それも、

 

「やったね! ダリア! スリザリンの優勝だよ! これもあなたのおかげよ! ダリアがたくさん頑張ってくれたからよ!」

 

そう、私は114点という全校生徒の中でも圧倒的な点数を叩きだしていたのだ。

しかも私がテストの少し前から授業をしたのがよかったのか、上下学年問わず皆成績が上がり、最後にそれなりの好成績を獲得していた。

 

「ありがとうございます、ダフネ。でも。優勝できたのは皆さんが頑張ったからです」

 

謙遜してはいたが、内心とてもうれしかった。人目がなかったらガッツポーズくらいしていたかもしれない。

それが私の無表情の上からでも分かるのか、

 

「よかったね! ダリア!」

 

ダフネは私の顔を見ながら微笑んでいた。

正直、最初は寮対抗杯などに興味はなかった。でも、

 

「やったぞ! ダリア! これで父上達にいい報告ができる!」

 

そう言って喜ぶお兄様を見て、そしてお父様達に最高の土産話ができると思うと、とてもうれしく思うのだった。

私を含め多少の温度差はあれど、等しく皆スリザリン生は自らの勝利を喜んでいた。

 

()()()()()()

 

「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかしつい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」

 

スリザリン生はまだ少し嬉しそうにしながら、ダンブルドアの言葉に耳を傾ける。

この期に及んで点数を増やしたところで結果は変わりはしない。皆そう思っている様子だった。

だけど、私はかすかな胸騒ぎを感じていた。

 

「駆け込みの点数をいくつか与える。えーと、そうそう……まず最初は、ロナルド・ウィーズリー君。この何年間かホグワーツで見る事の出来なかったような最高のチェス・ゲーム見せてくれた事を称え、グリフィンドールに70点を与える」

 

グリフィンドールの席から歓声が上がった。スリザリンはその歓声を聞きながら面白くなさそうにしていた。だが、まだ表情に余裕がある。一番嫌いな寮が点数を得たから面白くないとはいえ、自分たちの勝利が揺らぐわけではない。

そんな中、私だけは気づいていた。いや、気づいてしまった。

何故ウィーズリーが点数を貰ったかを。クィレルが賢者の石を盗もうとした夜、それを防いだのはポッターだけではなく、グレンジャー、そしてロナルド・ウィーズリーだと聞いている。その時のことを指した点数だとすると、これで終わるはずがないのだ。

 

「次に……ハーマイオニー・グレンジャー嬢に。……火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処した事を称え、グリフィンドールに70点を与える」

 

さらに鳴り響くグリフィンドールの歓声の中、ようやくスリザリン生たちは校長の意図に気付く。お兄様も気づいたのか、少し顔が青ざめている。ダフネもどこか不安そうな顔をしていた。

 

「三番目は……ハリー・ポッター君」

 

部屋中が静まり返った。もはや校長の意図は明白だった。

 

「その完璧な精神力と並外れた勇気を称え、グリフィンドールに150点を与える」

 

グリフィンドールの点数は現在596点。スリザリンと同点だ。

それでもダンブルドアは止まらない。スリザリン以外の寮が騒ぐのを、手をあげ静かにした後、

 

「勇気にもいろいろある。敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし味方の友人に向かっていくのも同じくらい勇気が必要じゃ。そこでわしはネビル・ロングボトム君に10点を与えたい」

 

今度こそ最初とは違い、スリザリン以外の全ての寮が爆発した。

私以外のスリザリン生たちは、皆悔しそうに顔を歪めている。中には涙を流している者さえいた。

あの()()()()は、喜ぶ他の寮を微笑ましそうにみながら、

 

「したがって、飾りをちょいと変えねばならんのう」

 

そう手を叩くと、今までグリーンの垂れ幕だったものが、全て真紅に変わっていった。

 

「グリフィンドールが優勝じゃ!」

 

学年末パーティー。始まる前とは違い、優勝したグリフィンドールだけではなく、レイブンクローとハッフルパフも嬉しそうな顔をしながら食事をしている。

時折こちらを、

 

「ざまあみろ」

 

とでも言うかのようにチラチラ見てくる視線を感じた。

一方、スリザリンのテーブルは非常に暗かった。皆俯き、もそもそと食事をとっている。当然だ。あんな風に、スリザリン生の努力、尊厳、そして誇りが踏みにじられたのだから。

ポッター達が偉大なことをした。それは誰もが認めるところだ。でも、であればこそ、何故、このタイミングで点数を与えるのだろうか。

別に彼らがことを成し遂げたタイミングでも良かったはずだ。一週間近く時間はあったのだ。その間に点数を与えることだってできたはずなのだ。

 

なのにこのタイミングを選んだ。勝ったと思っていたスリザリンが赤っ恥をかくのを分かっていて。勝利したと思っていただけに、受けるであろうショックは大きいと分かっていて。

 

それに点数の入れ方も妙だ。

まるでスリザリンにちょうど追いつき、そして最後にとどめを刺すようなやり方。

スリザリン生をよほど()()()()()()()()、それとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

だが、理由などどうでもいい。

 

私は右隣を見る。

お兄様がまるで金縛りにあったかのように、青ざめた顔で硬直されている。

お可哀想に。勝ったと思っていたのに、そこから一気に、しかも大勢の目の前でその勝利を貶められたのだ。ショックを受けて当然だ。この勝利を土産話に、お父様達を喜ばせれると思っていたのに……それももう幻でしかない。

 

そして、私は左隣を見る。

ダフネは……泣いていた。

 

「ごめんなさい、ダリア……。あなたの頑張りを無駄にしてしまった! 私がもっと点数を取っていたら! あんなにダリアは頑張ってくれていたのに! こんなのってないよ! どうしてあんなに頑張っていたダリアを踏みにじるようなことを! ポッター達が凄いことをやったのは分かるよ! だけど、こんなタイミングでなくても!」

 

思えば、これは私が見た初めてのダフネの涙だった。

私はダフネの嗚咽交じりに絞りだされる声を聴きながら、彼女にそっと手を伸ばし……止めた。

 

こんなにもこの子は、私のことを親しく思ってくれているのに……私は、どこまでも臆病だった。彼女が離れていくのが怖かった。彼女を()()()()()()()()()()怖かった。だから私は手を伸ばさなかった。伸ばせなかった。伸ばしてはいけなかった。いつものように。こんな化け物である私が、彼女に触れてはいけない。

彼女にこれ以上好かれないために、私が彼女を好きにならないために……。

ダフネに伸ばしかけた手を強く握る。

私はスリザリンの優勝など正直どうでもよかった。だけど、お兄様たちの喜ぶ顔がうれしかった。その笑顔こそが私の一番欲しかったものだった。それなのに……。

大切なお兄様の絶望した表情。そしてダフネの涙。これらを見た私の中には、少しではあったが、だけど確実に、ダンブルドアに対する()()()が生まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

グリフィンドールの友人達と喜びを分かち合っておるハリーを見やる。顔立ちは父親そっくりじゃが、目だけは母親そっくりの緑色をしている。今、彼の目には喜びが満ちている様子じゃった。

 

予言によれば、あの子は選ばれしものじゃ。トムを倒す力を持つ者。

おそらく、その力とは『愛』じゃろう。トムは持っておらず、彼は持っているもの。

それを育み、いずれヴォルデモートと真に対峙した時に、彼が自信をもって動けるようにするため……ワシは彼のいるグリフィンドールを()()()勝たせることにした。

それに……。目を伏せ考える。

まだ確証はない。じゃが、もしも今立てている仮説が正しければ、ヴォルデモートを殺すためにはハリーが死なねばならんかもしれん。

まだ証拠は揃っておらんし、揃ってほしくもないが、もしそれが正しかったと考えると……。

伏せていた視線を再びハリーに向ける。

 

今だけは。ヴォルデモートが復活していない今だけは、彼に少しでも幸福に過ごさせてやりたかった。

 

グリフィンドールだけではなく、レイブンクローやハッフルパフまで大喜びしているのを微笑ましく眺める。今ハリーはその騒ぎの渦中で、グリフィンドールを勝利に導いた最大の功労者として周りから称賛されている様子じゃった。

 

しかし、いくら未来のためとはいえ、スリザリンの子達には悪いことをしてしまったのう。

喜びを爆発させている三寮から目を外し、スリザリンの席に目を向ける。

やはりというべきか、最初とは打って変わり皆落ち込んだ様子じゃった。うつむく生徒を少しだけ申し訳なく見ていると、ふと一人だけ俯かず、それどころかこちらをじっと見つめている生徒と目が合った。

 

その瞬間、わしは背筋が凍りついたような気がした。

 

わしが最も警戒する、白銀の髪を持つ少女の目が()()見えたのだ。

 

あれはトムと同じ!

そう思い目を凝らそうとしたのじゃが、こちらを見ていたのは一瞬だったようじゃ。もうこちらを見ておらず、彼女の目の色を確認することはできなかった。

 

見間違いに違いない。彼女はマルフォイ家の子供じゃ。純血とはいえ、トムのゴーント家とは関係ない家じゃ。そんなことがあるはずがない……。

 

そう自分に言い聞かせようとしたが、先程見た光景がどうしても頭から消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

試験の結果が発表された。成績の貼り出された掲示板の前で、

 

「当然のことだけどダリアがやっぱり一番だね」

 

「当たり前だ。ダリアだしな」

 

ダフネとお兄様は私の成績を見ながらそんな会話をしている。

寮杯こそもっていかれたが、試験の成績に関しては私は他を圧倒していた。学年の2位グレンジャーも成績で他を圧倒していたようで、100点満点のテストで100点以上を叩きだしていたが、私はさらに上の点数を出しており、全ての科目で彼女を抑え学年一位に輝いていた。

 

「ダフネも好成績ではないですか」

 

そう、ダフネはグレンジャーにこそ及ばなかったが、学年三位になっていた。

 

「えへへ。ダリアには及ばないけどね」

 

彼女の他にも、私が勉強を教えたメンバーはことごとく上位に入り込んでおり、試験成績においては他寮を圧倒していた。

 

「お兄様もおめでとうございます」

 

「ああ。でも、これぐらいは当然だ」

 

お兄様も10位と非常にいい成績を残している。お兄様も口ではああ言っているが、内心非常に嬉しそうだった。

普通なら両親に喜ばれる成績。そう、()()()()()()

私は気づいていた。おそらく成績こそよかったが、グレンジャーのようなマグル生まれの子供に全成績で負けたことで、お父様はおそらく不機嫌になられるだろうことを。

 

相手が悪いですし、何よりお兄様も頑張っていたことを知っているので、帰ったらフォローしますか。

そう帰ったときのことを考えていた。

 

余談だが、パーキンソンとブルストロードもそこそこの成績でパスしていた。

クラッブとゴイルは()()()()()()成績がよく、下ギリギリでパスしていた。

 

荷物を詰め込み、ホグワーツを後にする。これから長い夏休みを迎えるのだ。

 

「ねえ、ダリア。夏休みさ、手紙送ってもいい?」

 

ホグワーツからの帰り道、汽車に乗る前に()()()()()()()は発生したが、おおむね順調な帰り道だ。早くお父様とお母さまに会いたいなと思っていると、同じコンパートメントにいたダフネが唐突にそう切り出した。

 

「……別に構いませんよ」

 

まあ、それくらいは構わないだろう。

 

「やった! 帰ったらすぐに送るね! 毎日!」

 

「それはやめてください」

 

何がうれしいのか、そっかそっかと言っているダフネの顔を眺める。

寮杯発表の後、ダフネはやはりひどく落ち込んでいる様子だったが、次の日にはもうケロっとしていた。でも、私の目にはまだ無理をしているように見えていた。

 

よかった。今はもう大丈夫そうですね。

 

心の底から嬉しそうなダフネの顔を見ながら、安心すると同時に少しだけ胸が痛かった。

 

「じゃあ、ダリア! また夏休み後に! 手紙は書くから!」

 

「ええ。あなたも夏休みを楽しんでください」

 

汽車がキングズ・クロス駅に着き、ダフネと別れた。彼女は私たちが見えなくなるまでずっと振り返っては、手を振っていた。

 

「ダリア、僕たちも行こうか」

 

「はい。お兄様」

 

ダフネが歩いて行った方向とは逆に、私たち兄妹は歩いていく。その先には、私の愛する、私が絶対に失いたくない家族が待っていた。

 

「おかえり。ダリア、ドラコ」

 

「おかえりなさい」

 

寮対抗で優勝こそ逃したが、話したいことは山ほどある。でも大丈夫だ。夏休みは長い。これからいくらでもお話する時間はあるのだ。

 

「ただいま帰りました」

 

私の表情筋が少しだけ動いている気がした。



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閑話 謝罪

 ハーマイオニー視点

 

一年が終わり、皆ホグワーツから自宅に帰ろうと、ホグワーツ特急に乗りこんでいく。

私はプラットホームで目的の人物がいないか探していた。探し人はすぐに見つかった。当然のことだ。だって彼女は、あんなにも目立つ容姿をしているのだから。

 

「あっ! いたわ! ほら、ハリー、ロンも!」

 

「なぁ。やっぱり止めないか? だってあいつは、」

 

未だに渋った様子の二人を無視して、私は彼らを引きずるように連れ、今まさに汽車に乗り込もうとしている少女の元に向かう。

 

「マルフォイさん!」

 

日傘を片手にさし、汽車に乗ろうとしていたダリア・マルフォイさんがこちらに振り向いた。

私はその姿を見て、一瞬時が止まったような気がした。

彼女は非常に美人だ。白銀の髪に真っ白な肌。薄い金色の瞳は冷たく輝いているけど、その冷たい色すら彼女の美貌を引き立てている。そんな彼女が日傘を片手に汽車の前で振り返る。その光景は非常に絵になっており、まるで昔、両親に連れられて行った美術館の絵画のようだったのだ。

 

「どうかなさいましたか? グレンジャーさん」

 

「え、ええ。私達、あなたに謝らないといけないことがあって……」

 

マルフォイさんの問いかけで我に返る。今は見とれている場合ではない。彼女を日が当たる可能性のある場所に、長時間拘束し続けるわけにはいかない。汽車の中でもよかったのだけど、その場合、彼女はもっと多くのスリザリン生と共にいることになる。それはなんとか避けたかった。幸い今彼女が立っている場所は汽車で日陰になっているところだし、一緒にいるのは彼女の兄と、彼女の友人と思しき女の子だけだった。

ドラコ・マルフォイは非常に鬱陶しいといった表情を浮かべている。

女の子の方、たしか……ダフネ・グリーングラスも訝し気な表情を浮かべている。

マルフォイさんだけは、いつもの無表情だった。

ただ三人とも、なぜ私が話しかけたのか分からないという点においては共通している様子だった。

 

「ダリア、行こう。そんな奴等の話を聞く必要はない」

 

「なんだとマルフォイ!」

 

ロンが私を無視しようとするドラコ・マルフォイに喰ってかかろうとするが、

 

「ま、待って! すぐ! すぐに終わるから!」

 

私はロンを押しのけ、彼女に訴える。ここを逃すと、夏休みが終わるまで彼女に会うことができない。それはできない。いや、してはいけない。これをしなければ、私は彼女と決して対等にはなれない。これを逃せば、私はずっと彼女に対して負い目をもつような気がした。それでは彼女に追いつけない。

 

「マルフォイさん、ごめんなさい」

 

「突然どうしたのですか? 特に謝られるようなことをされた覚えはないのですが?」

 

彼女は突然の私の謝罪に驚いたような雰囲気を醸し出している。表情は変わってないけど。

 

「私達、実はあなたを疑っていたの」

 

「……何を疑っていたのですか?」

 

その瞬間、彼女から発せられる空気が変わった気がした。ただでさえ冷たかったものが、さらに冷たく、まるで本当に周りの温度が下がったような気がした。

彼女の薄い金色の目が、まるで私の次に言う言葉を探ろうとしているかのように真剣な色をしている。よく見れば横にいるドラコ・マルフォイも、そしてダフネ・グリーングラスも同じような瞳をしていた。

 

な、何か変なことを言ってしまったのかな?

 

私は突然変わった空気に気おされながらも続ける。

 

「あ、あの、実は私たち、あなたも賢者の石を盗もうとしてると疑っていたの。あなたにクリスマスの後、話を聞いていたんだけど、どうしても信じ切ることができなくて……。だから、ごめんなさい!」

 

後ろの二人はまだ彼女に謝罪することに納得していないのか、不満そうな顔を未だにして突っ立っているので、

 

「ほら、あなたたちも!」

 

そう怒ると、渋々といった様子で、

 

「ご、ごめん」

 

もごもごと小声で謝罪の言葉を口にした。マルフォイさん、つまりドラコ・マルフォイの妹に謝罪するというのがよっぽど癪だったのだろう。まったく、本当に子供なんだから……

 

「え? それだけですか? そんなことでわざわざ謝りに?」

 

先程まであった空気は霧散し、マルフォイさんは意味が解らないといった表情を浮かべている。ただ、彼女の横にいる二人は未だに怒ったような表情をしている。

 

「そ、それだけだけど」

 

「……そうですか」

 

どこか安堵したような様子だった。

少しすると気を取り直したのか、またいつものどこかこちらを拒絶したような空気になる。

 

「別にそんなことで謝らないでよろしいですよ? 前にも言いましたが、別にポッターを助けようとしたわけではありません。それに、私はあなた方が私にどんな感情を抱こうと、あなた方そのものに興味もありませんので」

 

ハロウィーンの時と同じだった。彼女はいつものように、わざと私達に嫌われようとしているかのような言動をした。でも、私にはそれがあの時と同じで、彼女の本心ではないような気がしていた。

しかし、そう感じたのは私だけだったみたいで、

 

「ふん! そんなとこだろうと思ったよ!」

 

ロンがマルフォイさんの言動にいきり立つ。

 

「ハーマイオニー! やっぱりこいつに謝る必要なんてないぜ! だってこいつは、」

 

「ウィーズリー、なんだその態度は? そもそも、何をどう考えたらダリアが石を盗もうと思うのか不思議で仕方がないよ。やっぱり貧乏だと発想まで貧困になるんだな」

 

「なんだと!」

 

ロンに対して、同じく不機嫌そうなドラコ・マルフォイが揶揄したことで醜い言葉の応酬が始まる。

謝るだけのつもりが、このままだと本格的な喧嘩が始まってしまいそうだった。やっぱり二人を連れてきたのは間違いだったのかな……。

しかも先程まで不満そうに立っているだけだったハリーも参戦しようとしている。

ここは早く退散した方がよさそうだった。

 

「ロン! 喧嘩しないの! 私たちは謝りに来たんだから!」

 

「でもハーマイオニー、」

 

「ほら、行くわよ! ごめんなさいねマルフォイさん」

 

「……先程も言いましたが、謝罪の必要はありません」

 

「ありがとう! じゃあ、またね、マルフォイさん! それと、来年は絶対に勝つから!」

 

謝罪を済ませたことで、私の中にあったつっかえがとれた。するといつもの彼女に対するライバル心がむくむくと盛り上がってきた。私は100点満点のテストで100点以上の結果を出していたけど、マルフォイさんには到底及んでいなかった。私の目標は未だ私のはるか先を進んでいる。でも、絶対いつか追いついてみせるのだ!

マクゴナガル先生も、グリフィンドールが主席をとらなかったのが悔しいのか、来年は勝ちなさいとおっしゃっていた。

 

「そうですか。まあ、頑張ってください」

 

「私も忘れないでよね! 私もあなたを追い抜いて、二位の座を手に入れるんだから!」

 

そうマルフォイさんの横で、先程まで不満そうな顔をしていたダフネ・グリーングラスが私に叫んだ。忘れていたけど、そういえば彼女は成績で三位になっていたのを思い出す。確かに彼女もかなりの点数を出していた。油断すれば私が抜かれてしまうかもしれない。これは追い越すためにも、そして追い越されないためにも夏休みしっかり勉強しなくちゃ!

 

「ええ! 私も負けないわよ! じゃあ、また夏休み明けに!」

 

ロンがまだ何か言いたそうにしているのを、手で背中を押しながらその場を離れる。

歩きながら、そういえば、彼女もスリザリンだというのに、普通に会話できたことに気がついた。彼女からも、他のスリザリン生から感じる様な嫌な感じはしなかったのだ。

 

マルフォイさんと同じように、もしかしたらスリザリン生にも色々な人がいるのかなと思いながら歩く。

しかし、数歩歩いたところで、ロンと同じく不満そうにしていたハリーが付いてきていないことに気が付いた。訝しみながら振り返ると、ハリーはぎょっとした表情で、汽車の中に入っていくマルフォイさんを見つめていた。

 

「ハリー? どうしたの?」

 

「い、いや、なんでもないよ」

 

ハリーは頭を振り、何か余計なことを頭から追い出そうとするような仕草をした後、私たちと共に歩き出した。

 

「私たちも汽車に乗りましょうか。もうそろそろ発車するでしょうし」

 

「そうだね」

 

そうハリーと会話していると、

 

「お~い! ハリ~!」

 

突然大きな声が聞こえてきた。声の方を驚きながら振り向いてみると、そこには一冊の本を抱えたハグリッドが立っていた。

 

「どうしたの、ハグリッド?」

 

「これをお前さんに渡そうと思ってな」

 

突然の登場に訝しがるハリーに、先程から小脇に抱えてた本をハグリッドは手渡す。

それはハリーの両親のアルバムだった。ハリーは本当に嬉しそうな顔をして喜んでいる。

 

そこにはもう、先程見せた不安な様子はなかった。

 

汽車に乗ってもハリーはずっとアルバムを眺めていた。もう、先程感じた不安を忘れてしまったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

マルフォイに揶揄されたことで怒ったロンをなだめながら、ハーマイオニーは歩き出す。

僕もロンと同じ意見で、ダリア・マルフォイに謝る必要なんてないと思っていた。彼女はあまりにも怪しかった。たとえ今回のことが勘違いだったとしても、彼女が危険人物であることに変わりはないのだから。

 

僕がクィレルから石を守った後、医務室で目が覚めた僕のもとにダンブルドアが尋ねてきた。僕は今までの顛末を話した。そして、スネイプとダリア・マルフォイを疑っていたことを話した時、スネイプについては信頼していると語った。何故スネイプが僕を助けたのか聞くと、僕のお父さんがスネイプを昔助けたからだと教えてくれた。

でも、ダリア・マルフォイについては、特に何も言わなかった。

 

ハグリッドが以前言っていたことを思い出す。

 

『あの子の家はマルフォイ家だ。純血主義筆頭のな! 根っこからくさっちょる連中だ。それにダンブルドアもあの子を警戒している様子だった』

 

ダンブルドアも態度には出さないだけで、彼女のことを警戒している。そう思えてならなかった。

それに禁じられた森で見たあの残酷な笑顔。おそらくあれこそが彼女の本性であり、ダンブルドアが見抜き、警戒しているものなのだろう。

そんな、おそらくマルフォイと同類の彼女を信用することなど僕にはできなかった。

 

僕も早くこの場から退散しよう。そう思い、スリザリン三人の元から去ろうとした。ここにいても嫌な思いをするだけだ。

しかし、歩き出した僕の後ろから、小さな声で、まるで独り言みたいに

 

()()()()()()()()()()()()()()?」

 

僕にははっきりと聞こえてしまったのだ。

急いで振り返るが、もうそこには誰もいない。ダリア・マルフォイの声だったように思えるのだけど、一体なんだったのだろうか。



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閑話 私の友達(前編)

 

 ダフネ視点

 

昔、まだ私が本当に何も知らない子供だった頃。

私は、初めてその子に出会った。

いや、会ったというより、見たという方が正確。だって、私は彼女と一言も会話することが出来なかったし、彼女の方からしたら私の存在など認識すらしていなかったことだろう。

でも、私は覚えている。

扉の向こうから現れた彼女は、当時の私にはとても美しく、何者にも侵せない神聖なものに映った。私はこの時以降、彼女より美しいものを見ることはないだろうと思った。

その子の髪は白銀で、その肌はおしろいを塗ったかのように真っ白だった。

そしてその薄い金色の瞳を持つ顔立ちは、私と同じ6歳にしてすでに美人と形容していいようなものだった。

何より私を引き付けたのはその表情。

無表情に会場を見渡す彼女はとても冷たい印象だった。会場の人たちは彼女の醸し出すオーラに充てられ、まるで世界が止まったかのように気おされている。

 

でも、私には冷たい表情の元にある、その薄い金色の瞳だけは、何故か憂いを帯びているように見えていた。

その瞳こそが美しいものだけで構成された彼女の中で、最も美しいものであるように私には思えた。

 

その日、彼女に出会った日、私の世界は変わった。

 

 

 

 

魔法界では、多かれ少なかれ皆純血であることは尊いことだと思っている。でも、多くの家は自分達は純血だと信じたいと思っているけど、本当に混じりっ気のない純血であると証明できる家というのはそこまで多くない。先祖のどこかでマグル、もしくはマグル生まれの魔法使いの血が入り込んでいる。

でも、私の生まれた聖28一族は違う。間違いなく純血の血筋なのだ。先祖をたどっても、皆純血であることが証明されたものばかり。

だから聖28一族は魔法界の多くの者たちに尊敬されている。

私はそんな聖28一族の一つ、グリーングラス家に生まれた。

両親は純血貴族では主流のお見合い結婚だった。そこそこ年を取って結婚した両親は、中々子供を授かることができず半ば諦めかけていたらしいが、何とか私を授かったことで本当に喜んだらしい。

 

我が子ができたことに。

そして……グリーングラス家を純血に保つことができることに。

 

()()()として私は何不自由なく育った。欲しいものは何でも与えられ、手に入らないものは何もないように思われた。勿論そのことに感謝しているし、私もパパたちのことを愛している。それは断言できる。

 

でも、私は時折不安だった。

パパたちが愛しているのは私ではなく、私の中にある純血の血だけではないのか、と……

 

両親の純血主義は血を守ることで、魔法界の文化と誇りを守るというものであって、決してマグルを排他するといった過激なものではなかった。でも、やはり純血貴族として育てられただけはあり、純血であるということに並々ならぬ執着を持っていた。日常の中でふと感じる両親の純血貴族への帰属心。私の誕生を、純血の保続として喜ぶ言葉。

本当に小さい頃、私は両親の愛を疑ったことなどなかった。でも私が大きくなってくるにつれ、両親の発する純血への誇りは、私の中に漠然とした不安と、両親の愛を疑う罪悪感を産んでしまっていた。

 

愛されていることは分かっているのに、それは実は私に向いているものではないのではないか?

はじめは小さな棘のようなものだった。しかし成長するにつれ、それは大きなものとなっていた。

 

そして私が漠然と感じていたそんな不安を覆い隠すために選んだ手段は、皮肉にも私を苦しめる純血主義だった。しかも両親のような()()純血主義ではない。世間一般の、排他的な純血主義だ。

純血は何よりも尊い存在であり、そうでない人間は私達純血より劣った存在であるという考え方に、私はどうしようもなく救いを求めた。

 

今から考えると、周りの人間を蔑むことで、ただ漠然と存在する不安から目をそらそうとしていただけだったのだ。一時的に得た偽りの優越感で不安を隠し、不安をまるでなかったものとして扱う。でも、蓋をされた不安は今以上に膨れ上がり、またそれに蓋をする。決して満たされることのない、そんな悪循環。

マグルを蔑み、マグル生まれを蔑み、亜人を蔑み、魔法生物を蔑み、そして時に同族すら蔑んだ。

私はただ尊くありたいというよりも、誰かを見下すことで安心感を得たかっただけだったのだ。

こんなことは間違っている。実のところ私はそんなことは心のどこかでとっくに分かっていた。でも、それをやめる()()()()がなかった。それを否定してしまえば、私は私の中でくすぶる不安と、正面から向き合わなくてはならなかったから。

一言、パパ達に、

 

「パパ達は、私自身を愛してる?」

 

そう聞くだけでよかったのに。

それがもしかして否定されてしまうかも。そうでなくても、純血であることに不安を感じていると思われ、嫌われてしまうかも。

それが怖くてしかたがなかった。

 

そんなどうしようもなく愚かだった私が六歳になった年、その招待状は届いた。

 

「マルフォイ家から?」

 

「そうだ。マルフォイ家は聖28一族の筆頭。行かないわけにはいかない」

 

私達聖28一族にも序列が存在する。グリーングラス家はその中でも中堅。そしてマルフォイ家は筆頭だった。

そんな家からの招待状。行かないという選択肢など存在しない。パパは他の聖28一族と同じように、魔法省において権力のある地位についている。だけど、マルフォイ家はそんなパパなど問題にならないくらいの権力を持っていた。

 

「うん。わかった」

 

私はマルフォイ家の人たちを自分達より偉い純血貴族としてしか見ておらず、自分達より偉い純血だから挨拶しなければいけないと考えていた。私が不安に思っていたことを、そっくりそのまま他人に行っていたのだ。

 

「では、明日も朝から準備があるだろう? 今日は早く寝なさい」

 

「うん。おやすみなさい、パパ」

 

そう返事をするものの、まだパパが何か言いたそうな顔をしているのに気がついた。

 

「まだ何かあるの、パパ?」

 

「ダフネ……お前は最近何か悩み事があるのではないか? 最近のお前はひどく荒れているように見えたからな……。パパでよかったら相談に乗るよ?」

 

パパはどこか真剣な瞳をして、私を見つめていた。

それをまっすぐ見ることなく、私は、

 

「……ううん。何にもないよ、パパ」

 

「……そうか。それならいいんだが。悪かったね、引き留めて。おやすみ、ダフネ」

 

私は、今日もまたきっかけを逃した。私は、臆病者だった。

 

いざお茶会の日になり、パパに連れられルシウス・マルフォイ氏の元に挨拶しに行く。

 

「マルフォイさん。御機嫌よう。今日はお招きいただきありがとうございます」

 

「ああ、グリーングラス。今日は楽しんでいってくれ」

 

「ありがとうございます。さっそくですが、私の娘を紹介させていただいても?」

 

「かまわんさ」

 

パパに背中を押され、私はマルフォイ氏に挨拶をする。

 

「初めまして、マルフォイさん。私、ダフネ・グリーングラスと申します」

 

マルフォイ氏は、そんな私をじっと観察するように眺めていた。何か粗相をしてしまったかなと内心焦っていると、おもむろに彼は尋ねてきた。

 

「ダフネ嬢だね。君は今6歳かな?」

 

「はい。そうです」

 

「では、将来私の子供たちと同じ年で、ホグワーツに入学するだろう。その時はよろしく頼むよ」

 

「はい。承知いたしました。こちらこそよろしくお願いいたします」

 

別に今紹介してくれてもいいのに、と内心思いながらマルフォイ氏に返す。どうやらルシウス氏の中では、まだ私に子供たちを紹介する時ではなかったらしい。

 

「じゃあ、ダフネ。パパはマルフォイさんともう少し話があるから、他の同年代の子供たちとでもお話ししていなさい」

 

「うん。わかった」

 

ルシウスさんと難しい話を始めたパパの元を離れる。気に入られたかはわからないけど、何とか無事挨拶はできた。これなら少なくとも嫌われたということはないだろう。

少し肩の荷が下りた気持ちを持ちながら、あたりを見回すと、つい最近知り合ったパンジー・パーキンソンとミリセント・ブルストロードが近くにいるのに気付いた。

 

「パンジー。ミリセント」

 

「あら。ダフネ、あなたも来ていたのね」

 

「うん。まあね」

 

彼女たちも同じ聖28一族だということで、先日私の友達に選ばれていた。

結局、私に与えられるものは、全て血統を基準にして与えられている。友人すらも。血統にこそ価値があり、純血でないものなど価値はないと。だから私も、純血だから価値を与えられている……。

いつもは胸の中に押し込めた不安が顔を出そうとする。最近はいつもこうだ。少しでも油断すると、すぐ不安な気持ちになってしまう。

不安に足元を絡めとられそうになっていると、

 

「ダフネもマルフォイ家のご子息目当て?」

 

パンジーがいつになく真剣な目をして尋ねてきた。

 

「ご子息?」

 

そういえば、私はマルフォイ家に子供がいるとは知っていたけど、その子供たちがどんな子達かは知らなかった。どうやら男の子がいるらしい。

訝し気にしている私の表情を見て安心したのか、

 

「……その様子だと、別にそれが目当てで来たわけではなさそうね。いいわ、教えてあげる。今マルフォイ家には二人の子供がいるらしいんだけど、その一人が男の子らしいのよ」

 

「うん」

 

「だから、私たちみたいに純血の一人娘としては、将来結婚するのにその子は優良物件ってわけ。それであなたもそれが目当てだと思っていたのだけど……。どうやら違ってたみたいね」

 

「そうだね。今日来たのは、ただマルフォイ氏に挨拶に来ただけだし。パンジーはその様子だと、それが目当てみたいだね」

 

「そうよ。だってマルフォイ家よ! 純血の中の純血だし、何と言ってもお金持ち! 狙うのは当たり前でしょ?」

 

私も純血を保つためには、同じ純血である聖28一族の誰かと将来結婚しなければならない。まだ何も言ってこないが、多分純血であることに誇りを持っているパパもそのつもりだ。

でも、私は純血主義を掲げておきながら、そんな将来のことを考えることができなかった。

 

「そうかもね」

 

「ちょっと、何よその気のない返事は」

 

あまり私が話に乗ってこなかったのが不満なのか、パンジーは少し顔をしかめている。

 

「あはは、ごめんね。そういえば、もう一人の子はどうなの?」

 

まだ少し不満そうな顔をしながら、パンジーが私の問いに返す。

 

「さあ? もう一人は女の子って話だけど、誰も見たことないそうなのよね。男の子の方はお父様も見たことあるらしいのだけど」

 

「へえ。なんでだろうね」

 

変な話だと思った。お茶会はお披露目のためのものと言っても、実際はその前に多少は他の純血貴族と会っているものだ。

 

「誰も見たことないらしいから、噂でしかないけど、どうもすごい醜い顔をしているらしいわよ。誰も見たことがないぐらい隠しているんだから、あながち間違いでもないかもね」

 

「ふ~ん」

 

「まあ、もうすぐ分かるわ。だって今日はその二人のお披露目でもあるんだから」

 

この時、私はまだその二人の子供にそこまで興味はなかった。マルフォイ家と仲良くしなければならないとは思っていたけど、その実、その中身まで私は興味がなかったのだ。

しばらく三人でとりとめのない話をしていると、会場のドアがゆっくりと開き、三人の人物が中に入ってくるのが見えた。

 

「やっと、登場ね」

 

「うん。そうだね」

 

私たちは今しがた入ってきた三人に目を向ける。周りの大人たちも、今日ここに来た目的だったのか、三人の人物に顔を向けている。

一人は大人の女性。女性はナルシッサ・マルフォイ。ルシウス氏の奥さんで、すらっとしていて色白の美人だった。

右隣りには、青白く、顎が尖っている顔をした男の子。なるほど、確かにルシウス氏に似ている。隣のパンジーは頬を赤く染めながら、彼を見つめている。マルフォイ家というだけで狙っている彼女だったけど、やはりイケメンである方がよかったのだろう。

そして、左隣には……。

 

その時、世界が止まった気がした。視線を外すことが出来ない。

周りの大人たち、そして先ほどまで頬を染めていたパンジーすら彼女を驚愕とした瞳で見つめていた。

あまりにも美しく、そして冷たい彼女を見て、私の中でくすぶっていた不安が吹き飛んでいった。

 

あまりにも綺麗な彼女を見ていると、彼女以外の全てのことがどうでもいいものに思えた。

 

私は確信した。

彼女の前では、純血かどうかなど無価値なのだと。彼女は純血主義などという定規では測ることができる人物ではないのだと。

彼女が純血であるかどうかなど関係なく、彼女自身が輝いているように見えた。

言うなればそれは……一目惚れだった。

 

彼女、ダリア・マルフォイは今、体の大きな二人組と話している。私はそれを横目に見ながら、彼女に話しかけるタイミングを探っていた。

 

私は彼女と話してみたかった。あんな美しい姿をしている彼女と、あんなに美しい瞳をしている彼女と。マルフォイ家だからとかそんなことはどうでもよく、ただ純粋に、彼女と話してみたかった。

あんなにも綺麗な、憂いを帯びた瞳をしている彼女が、一体何を考えているのか知りたかった。

彼女はその二人組と少しだけ言葉を交わした後、少しの間彼女に殺到した大人たちと会話していた。私もすぐに彼女の元に行こうとしたけど、私は大きな体の大人たちの中に入ることはできず、ただ彼女の周りから人がある程度いなくなるのをじっと待っているしかなかった。でも彼女は突然押し寄せる大人たちに辟易としたのか、とんでもないことを言い始めてしまった。

 

「申し訳ありません。何分これほど多くの方と話したのは初めてで、少し疲れてしまいました。お父様、申し訳ないのですが、部屋の方に戻ってもよろしいでしょうか?」

 

「わかった。部屋で休んでいなさい」

 

本来ならそれはあり得ない対応だった。まだお茶会は始まったばかり。6歳になった子供を皆にお披露目するための会であるのに、こんなに早く主役が引っ込んでしまうのだ。

しかし、ルシウス氏はそれを許可した。こんなに大人が彼女に殺到するとは思っておらず、少し面食らっていたというのもあっただろうけど、彼の瞳には、娘を純粋に心配する色があった。

ルシウス氏の許可を取ると、彼女はすぐにまた扉の向こうに帰って行ってしまった。

大人たちが殺到したせいで、これではずっと待っていた私が彼女と話すことができない!

そう思うといてもたってもいられなくなった。

私は周囲が私を見ていないことを確認する。一緒にいたパンジーたちは、とっくの昔にもう一人のマルフォイである、ドラコ・マルフォイ君の元に行ってしまっていた。

誰も私を見ていないことを確認すると、私は音をなるべく立てないように会場を出た。

これがマナー違反どころか、他家の家の中を勝手に歩き回るという犯罪行為であることはわかっている。でも、それでもどうしても彼女と話してみたかったのだ。

 

会場を出て、マルフォイ家の中を歩く。流石は聖28一族筆頭。私の家よりはるかに豪華な内装をしている。

そろーりと歩いていると、角の向こうから話し声が聞こえてくる。それは先ほど聞いたダリア・マルフォイの声だった。

目的の人物を発見し、すぐにでも話しかけたかったが、誰と話しているかわからないため、彼女の声に耳を澄ませることにした。

 

「ドビー、ごくろうさま」

 

「ご、ごくろうさまなど、お嬢様! もったいのうございますです!」

 

なんと相手は屋敷しもべ妖精だった。

 

「いいえ、今回のお茶会。あなたが準備してくれたのでしょう。大変素晴らしい会場になっているわ。でも、ごめんなさい。貴方がこんなにも準備してくれたのに、すぐ出てきてしまった」

 

「い、いえ! そんなことをお気になさる必要はありません!」

 

私は彼女達の会話を聞いて驚いていた。

グリーングラス家にも屋敷しもべ妖精はいた。でも、こんな風に扱われてはいなかったのだ。他の純血貴族の家でもそうだ。屋敷しもべというのは、役に立つと同時に、その見た目から害虫のように扱われていたのだ。それを彼女は……

 

「……ありがとう、ドビー」

 

彼女は愛おしそうな声音で屋敷しもべ妖精と話している。その声は彼女の冷たい雰囲気と違って、どこまでも温かかった。

これならこんなところでいきなり話しかけても大丈夫かも、と思い、角から出ようとしたのだけど、

 

「ところで、どなたか存じませんが、おトイレはこちらにはありませんよ。あまり他家の中をウロウロするのはいかがなものかと思いますが?」

 

突然先程までの優し気な声と違い、冷たい声が発せられた。

気付かれている! 

私は責められるのを覚悟でここまで来たのに、彼女の声に含まれたあまりの拒絶と糾弾の意志に怖気づいて逃げてしまった。

私はその日、彼女と話をするどころか、彼女と知り合うことすら出来なかった。

 

結局私は会場に逃げ帰り、彼女を待ったのだけど、彼女が再び会場に現れることはなかった。

 

家に帰った私は今日あったことをベッドで振り返っていた。

 

彼女が退室を願い出るときのルシウス氏の表情。

彼女は純血を保つための道具としてではなく、彼女自身が本当に家族に愛されているのだろう。

そうでなければ、純血貴族が集まるあの会場で、あのように早々に退室を許可することなどあり得ない。

グリーングラス家よりはるかに格上の純血貴族の家。そこには私が疑ってしまったものが確かに存在している様子だった。

 

そして私にはもう一つ、どうしても気になることがあった。

ルシウス氏がダリア・マルフォイを見たときの瞳、私はそれをいつもどこかで見ていたような気がしていた。

あの瞳、私はどこで見ていたのだろう?

 

目を閉じ、何とかそれを思いだそうとしていると、コンコンというノックが部屋に響いた。

 

「ダフネ? 起きているかい?」

 

「パパ? うん、起きているよ」

 

パパが部屋におずおずといった様子で入ってくる。

 

「お茶会から帰ってくるときから様子が少し変だったから、心配になってきたんだよ。どこか調子でも悪いのかい?」

 

ベッドに腰掛け俯いていた私は顔を上げる。するとこちらを見ているパパと目が合った。

 

ああ、思いだした。

どこかで見たことあるなと思っていたら、こんなにも近くにあったのか。

 

私が不安を抱えるようになってから、私はパパ達とまともに目を合わせることはなかった。

もし、その瞳が私の中のもの、純血しか映していなかったら?

そう思うとまともに目を合わせることすら怖かったのだ。

でも、今久しぶりにパパの瞳をみた。

 

そこには先程みたルシウス氏の瞳と同じく、純粋に娘を心配している色が浮かんでいた。

決して純血の道具としてしか見なしていないモノではなかった。

 

その瞳を見ていると、私の中にあった不安がぼろぼろと崩れていくようだった。

今なら聞くことができる。きっかけは今だ。

マルフォイさんの家にもあったのだ、私の家だってそうであるはずなんだ。

 

私はようやく、きっかけを掴むことにした。

答えは……聞くまでもなさそうだけど。

 

「パパ。パパは私のことを愛してくれてる? 私がたとえ純血じゃなかったとしても、私を愛してくれる?」

 

私の突然の質問にパパは一瞬瞠目していたけど、これこそが、私がずっと悩んでいたことだと思い至ったのだろう。すぐに真剣な表情に戻り、

 

「私は、純血貴族であることに誇りを持っているし、純血は尊いものだと思っている。そしてお前は間違いなく純血だし、どうしてそんな質問をするかわからないが……」

 

そこで言葉を切り、

 

「パパは、たとえお前が純血でなかったとしても、ダフネがダフネであるということだけで、お前を愛しているよ」

 

そうパパは微笑みながら、涙を流す私を抱きしめてくれた。

 

 

 

 

不安はもうどこにも存在せず、ただ家族に対する愛情だけが胸に残っていた。




ダフネちゃん、ダリアに一目ぼれの回でした。
現在、アステリアの存在がないのには理由があるので、突っ込まないでいただけるとうれしいです。


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閑話 私の友達(後編)

 ダフネ視点

 

「スリザリン!!」

 

あの衝撃的な出会いから早数年。私は今ホグワーツの入学式にいる。

そしてたった今、私はスリザリンに組み分けされた。

 

「スリザリンにようこそおいで下さいました、グリーングラスさん」

 

「ありがとうございます、先輩」

 

スリザリンは純血であることに重点をおく人が集まりやすい寮だ。だから聖28一族である私はそれが当たり前であるかのように、先輩にすらうやうやしい態度をされる。

お茶会の後、私はそれまで持っていた排他的な純血主義を捨てた。勿論グリーングラス家として、自分が純血であることに誇りを持っている。この血は、何千年と続いてきた魔法界の歴史そのものなのだ。

でも、そのことで周りを蔑んでしまったら、それだけで純血の品位を貶めていると気付いたのだ。

それに……あのダリア・マルフォイさんを見た後、純血だろうが純血ではなかろうが、そんなものは彼女の前では意味をなさないと分かってしまい、何だか今までの自分が馬鹿らしくなったのだ。

 

私はあの後、ダリア・マルフォイさんと今度こそ話をするべく、何度もお茶会に足を運んだ。

でもあれ以降、彼女がお茶会に出席することはなかった。

行ってもあるのは彼女の噂ばかり。本人の姿はどこにもない。尤も噂に関しては、当初の彼女の容姿についての憶測は微塵もなかった。けど、その代わりに存在していたのは、彼女を褒め称えるものばかりだった。

なぜなら噂の発信源が他ならぬ彼女の父親だったからだ。

 

曰く、ダリアは天才で、なんでもどん欲に吸収する。

曰く、ダリアは世界一天才で、できないことなど一つもない。

曰く、ダリアは宇宙一天才で、かのダンブルドアさえ超えることが出来るだろう。

 

あまりにも褒め称えてばかりなので、皆話半分にしか聞いていなかったが、それくらいしか情報源がないのも確かだった。

彼女と交流がある人物は後4人存在してはいたが、彼女の母と兄は基本的に父親と同じようなことしか言わない。残りの二人にいたっては、あまりの頭のお粗末具合に信憑性を感じられなかった。

大人たちはそれをただの親馬鹿発言だと思ったようであったけど、当時の私はそれらの話を信じていた。あの時見た彼女なら、ルシウス氏達が言っているようなことが出来てもおかしくないと思ったのだ。

私はそれまで勉強などしたことがなかった。が、彼女の話を聞いてからは必死に勉強した。彼女と会った時、勉強が好きだという彼女と話ができるように、彼女に呆れられないようにしたかったのだ。

 

でも、彼女ととうとう会うことはなかった。

 

次こそは、次こそはと思いお茶会に参加しても、彼女と会うことはなかった。勉強をしているうちに、なんだか楽しくなってきて、勉強が苦ではなくなってきた。けど会えないうちに、だんだん私も彼女がもうお茶会に来ることはないのではないかと思い始めていた。

 

そして、彼女の新しい噂を聞いた時、ついに私もお茶会に行くのをやめた。

 

ルシウス氏が彼女を、

 

「外に出したくないほどに、可愛い私の娘」

 

と言ったことから、悪い虫がつかないように、ルシウス氏が彼女を出席させないのでは、という噂が広がったのだ。

彼女の容姿を思えば納得できる話だった。当時あれだけの美人だったのだ。今はどうなっているか想像も出来ない。

その噂を聞き納得した時、私はお茶会に参加する意味を失った。

純血主義ではなくなった私には、お茶会に集まっているパンジーたちも含めた人たちとあまり馬が合わなくなっていたのだ。お茶会に参加する理由は、もはや彼女と会うことだけだったのだ。

 

上級生たちの挨拶を一通り聞いた後、私は組み分けに目を向ける。ちょうど縮れ毛の女の子がグリフィンドールに組み分けされている場面だった。私は待ち望んだ瞬間を待つ。

そして、ついに、彼女の組み分けが始まった。

彼女の組み分けは非常に長かった。今のところ今日一番の長さだ。

少しざわつきだした周囲の中、私は内心非常に焦っていた。

なぜなら私は彼女と会うためだけに、このスリザリンに入ったのだから。

 

遡ること少し前、

 

「ふむ、君は頭もいいようだ。狡猾さもある。そして忍耐力もある。だが一番あるのは勇気のようだな……。まだ開花しきってはおらんようだが、確かにそれは君の中に存在している。それでは、」

 

「組み分け帽子さん、待ってください。私はどこにでも行ける可能性があるのですよね?」

 

私は帽子の言葉をさえぎった。

 

「……宣言を遮られるのは初めてのことだよ。そうだ。君には様々な可能性がある」

 

どこか驚いた様子の帽子が私に答える。

 

「だったら……私を、スリザリンに入れてください」

 

「ほう? スリザリンかね? だが君は果たしてその寮で満足するかね? 君は確かに狡猾さを持ち合わせているが、かの寮の者と合うかどうかわからぬよ?」

 

「それでも構わない。だって私が欲しいのは勇気なんかじゃない。私が欲しいのは、あなたの歌にあった、()()()()()なのだから!」

 

「……なるほど。確かに君はスリザリンにふさわしいようだ。君が真の友情を手に入れることを祈っておるよ」

 

帽子は言葉を切り、宣言した。

 

「スリザリン!」

 

ダリア・マルフォイさんの組み分けはまだ続いている。彼女がスリザリンに来てくれなくては困る。

彼女の話をする時、普段は厳格そうなルシウス氏が、どこか親ばかな空気を醸し出していた。そして彼女が自分に何をしてくれたかといった、さらに親馬鹿な話をするのだ。

あんなにも家族に愛され、そして愛しているだろう彼女が、スリザリンを選ばないとは思えなかった。その打算もあって、私はここスリザリンを選んだのだ。もし、私がグリフィンドールにでも選ばれようものなら、パパの権力を最大限利用して彼女のいる寮に行くつもりだった。

 

彼女を初めて見た時、彼女を一目で好きになった。彼女には私が変わるきっかけを与えてもらった。

彼女と話したいと思った。彼女の見ている世界を私も見たいと思った。彼女のそばにいたいと思った。

 

これは恋ではないけど、私は確かに彼女に一目ぼれしていたのだ。

 

彼女の組み分けを祈るような気持ちで見つめていると、ついにその時がやってきた。

 

「スリザリン!」

 

彼女と交流を持つ、最大のチャンスがやってきた。

 

「ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ。そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

家でも中々みられない豪華な食事が皿の上に現れる。一年生たちはその素晴らしい食事だけでなく、辺りを飛び回り始めたゴーストや、本物の空と見間違わんばかりの天井を興味深そうに眺めている。ただ、スリザリン生だけは、純血の者が多いためか豪華な食事など見慣れている上、ゴーストの存在も知っている。そして魔法のことも勿論知っているため比較的冷静な態度だった。かくいう私も表面上は冷静を装っている。でもそれは他のスリザリン生のような理由ではない。私は好奇心が旺盛な方らしく、ホグワーツで初めてみるものを見回したくて仕方がなかった。でも、今はそれより重要なことがあるために、それをしないだけだ。

 

私の前には、あの会いたくて仕方がなかったダリア・マルフォイその人が座っているのだ。

 

緊張しながら彼女をそっとうかがう。

やはり美人だ。しかも想像を絶するほどの。私が最後に見たときよりも遥かに美しくなっている。周りのスリザリン生どころか、他の寮生すら彼女をチラチラ見ているのが見えた。

 

今彼女は()()()()()()()ステーキを無表情ながらおいしそうに食べている。

何をしても美人は絵になる。

 

私は彼女に聞かれないように、そっと深呼吸をする。

彼女にいよいよ話しかけるのだ。この時をどれだけ待ったか。

ただ、話しかけるにあたって、私は二つのことを決めていた。

 

彼女を今まで見たことないふりをするのだ。

 

初めてマルフォイさんを見たとき、私は()()()純血主義者だった。しかも主義ともいえないほど軽薄な。

だから、彼女との出会いをリセットしたかったのだ。彼女とのファーストコンタクトは、今の私でありたかった。

 

そしてもう一つ。

彼女は純血貴族筆頭であるマルフォイ家だ。屋敷しもべ妖精とあんな風に話していた以上、彼女が私のような愚かな純血主義者だいうことはないだろうが、彼女にも世間体というものがある。ここはスリザリン。家柄に重きをおいているのは当然のことだった。

彼女の交友関係は、私と同じく純血であるかで決められている可能性が高い。

だから、私は聖28一族という立場を最大限利用するつもりだった。

一つ目の決め事と矛盾するようだけど、彼女と仲良くなるのに手段を選ぶつもりなどない。

私は意を決し、冷静を装いながら、彼女に話しかける。

 

「ねえ、さっきすごい雰囲気出してたけど、あなたがあの有名なダリア・マルフォイ?」

 

ホグワーツに入って一週間。私は何とかダリアのルームメイトという地位を手に入れている。もし、彼女と同じ部屋でなかったら、彼女と同じ部屋だった人間に()()()()()()()()()()()()()()()、その必要はなく無事に彼女と同じ部屋になった。

だけど、思ったように彼女と仲良くなることはできていなかった。

ダリアは私が思っていた以上にいい子であったし、彼女に対してなんら不満があるわけではないのだけど……。

 

彼女が、私を拒絶していたのである。

 

私だけ、というわけではない。彼女は自分の兄以外の全ての人間を拒絶していた。

別に私たちを無視するとかそういうことではない。話しかければ丁寧に受け答えする。ただ、その眼だけは憂いを帯び、そして彼女の冷たいオーラが、何故か私たちを必要以上に近づけないようにしているようだった。

 

私はもっと彼女に近づきたいのに……。どうすればいいのだろうか。

 

そう思いながらダリアが目当ての本を持ってくるのを待つ。

今、私達はホグワーツの図書室に初めて来ていた。図書室に行きたがっていたダリアに付き添い、私とドラコ、そしてセオドールにブレーズが来ていた。

私は『闇の魔術に対する防衛術の本』を探すと言っていたけれど、なんのことはない。実際はダリアと一緒にいるために来ていた。勿論、私は勉強が好きだから、世界一の魔法に関する蔵書を誇るホグワーツの図書室に来たかった。でも、最大の理由はダリアと少しでも一緒にいるためだ。

闇の魔術に対する防衛術の本を開きながら、うんうん別のことに悩んでいると、ダリアより先にドラコが目的の本を見つけて帰ってきた。

 

「ダリアは?」

 

「まだみたいだよ。そっちの二人は?」

 

「あいつらもまだみたいだな。まだ目当ての本は見つからないらしい」

 

「そっか」

 

「まあ、そっちの方が都合もいい」

 

唐突にそう言いだしたドラコを見ると、彼はいつになく真剣な目でこちらを見つめていた。

 

「お前はダリアにやたらと近づこうとしているな? 目的はなんだ? マルフォイ家とつながりを持つためか?」

 

私の一挙手一投足も逃すまいと、ドラコはこちらを見つめている。そこにはただ純粋に妹を守りたいと思っている色があった。

私はここで真剣に答える必要があることを悟った。

 

「……私はね、ドラコ。ただ純粋にダリアと友達になりたいの。まだ短い時間しか彼女と一緒にいないけど、彼女がいい子だってことはわかる。いつも無表情だけど、私にはわかる。彼女が本当に優しい子だってことくらい。マルフォイ家だからとか関係ない。彼女だから私は、彼女と友達になりたいの」

 

私は真剣にドラコに訴える。しばらく私をじっと見つめていたが、ふっとドラコは表情を緩めて言った。

 

「そうか。それなら、いい」

 

その表情を見ていると、顔立ちが似ているせいなのか、ルシウス氏と初めて会った時を思い出した。あの時は認めてもらえなかったけど、今回は認めてもらえたかな。そう何となく思った。

 

しばらく二人で本を読みながら皆を待つ。だけど、ふと、ドラコがどこか思い切ったように口火を開いた。

 

「ダリアには秘密がある」

 

突然ドラコは話し始めた。私は何を言い出したのだと当惑したけど、ドラコが先ほどと同じ表情をしているため、最後まで聞くことにした。

 

「勿論、僕の口からその内容は言えない。僕の口から言ってはいけないのもあるし、そもそも僕自身が全てを知っているわけではないから言えないのもある。それを知りたいなら、お前自身で知ることだ」

 

「……ダリアが何か隠していることは何となく知ってたよ。でも、それを詮索したら、ダリアは、」

 

「ああ、おそらくお前を拒絶するかもしれない。でもな、知らなければあいつとは本当の友達にはなれない。あいつがそれを隠すのは、自分のためというより、()()()()()()()()だ」

 

「だったら、なおさら、」

 

「だからこそ、ダリアは一人になろうとしているんだ。僕たち家族だけは例外だけどな。でも、あいつは本当は心のどこかでは友達を……自分を認めて、許してくれる存在を求めている。あいつをそんな一人ぼっちの状態になんてしたくないんだ……」

 

一人ぼっち。確かにそうかもしれない。

だって、ダリアが周りを拒絶する時はいつも、彼女の瞳には憂いが映っているのだから。

 

「……ドラコ、分かった。ダリアにどんな秘密があるのか知らない。でも、これから7年間、私達はずっと一緒にいるんだから、それを知る時が多分来るかもしれない。でも……」

 

そこで私は言葉を切る。

 

「どんなことがあっても、ダリアのそばにいる。ダリアを一人ぼっちになんかしない」

 

ドラコは私の言葉に、うれしいような、悲しいような、そんな複雑な表情をしながら、

 

「そうか……」

 

そう一言だけ返した。

 

 

 

 

ホグワーツの一年も終わり、初めての夏休み。

私は毎日とは言わずとも、相当な頻度でダリアに手紙を書いていた。

本当は毎日でも書きたいのだけど、ダリアに嫌がられては元も子もない。

 

今年一年振り返るといろんなことがあった。

もっと長い時間がかかるかなと思っていたのだけど、意外にすぐにダリアの秘密の一部が見えてきていた。

 

彼女はニンニクの臭いを異常に嫌がった。

普段は無表情なのに、闇の魔術に対する防衛術の時だけは、彼女の表情が嫌悪で満たされていた。

確かに皆臭がってはいたけど、彼女のそれはその中でもトップクラスだった。

 

そして日光に当たれない体。

彼女はいつも過剰とも思えるほどの日光対策を施して外に出ていた。

 

でも、ここまでならそういう人もいるなで終わる。

 

私を確信させたのは、彼女に定期的に届く()()()だった。

ドラコ達には、マルフォイ家から頻繁にお菓子が届いていた。どう考えても彼らだけでは食べられない量のお菓子を、ドラコは他のスリザリンに気前よく配っている。

その中に、時々普段は入っていない、魔法瓶のようなものが入っているのだ。

それだけは早々にダリアが回収しており、それが一体なんであるのかわからなかった。

 

だけど一度だけ、彼女がそれを飲んでいるところを見たことがあった。

 

先に行っていてくださいと、ダリアに言われて教室に向かったのだけど、私自身も忘れ物をしたため寮に戻った時。

彼女がいつもは決して見ることができないような笑顔を浮かべて寝室から出てきた。

驚いている私に、ダリアはどこか機嫌がよさそうに声をかけてきた。

 

「あら、ダフネ。どうしたのですか?」

 

「それがね、私も忘れ物しちゃって……。それよりダリア。何かいいことでもあったの?」

 

そう尋ねたのだけど、ダリアはハっとした雰囲気でまた元の無表情に戻ってしまってた。

 

「いえ、特に」

 

「そ、そう? じゃあ急いで忘れ物取ってくるね」

 

私は急いで部屋に入り、忘れ物を取り、ダリアに合流する。

 

「お待たせ。それじゃ行こう!」

 

「はい」

 

ダリアと一緒に歩きながら思いだす。

先程入った寝室には、微かな鉄の匂いがしており、ダリアのベッドの横には、件の魔法瓶が置かれていた。

 

私はこれらの情報から、彼女の秘密に思い至った。

 

……彼女は、吸血鬼なのだと。

 

そして、思う。

 

それがどうした?

勿論、彼女の秘密はこれだけではないのだろう。何故吸血鬼でもない両親のもとに、吸血鬼の彼女がいるのか。

そして、ハロウィーンで見せたあの笑顔。

まだまだ分からないことも多い。

 

でも、私の答えは変わらない。

 

それがどうしたの?

彼女がどんな存在であれ、私が彼女の味方であることは変わらない。

パパが私を愛してくれる理由と同じ。

ダリアがダリアであるということだけで、私は彼女のことを好きなのだ。

 

ダリアの手紙を書きながら、ありったけの思いを心の中で叫ぶ。

 

ダリアが何者であろうと、私はあなたを一人ぼっちになんてしない。

 

だから……私をあなたの友達にしてください。

 




ダリアのことがばれたのは、ダリアがドジっ子……というわけではなく、今年の環境が悪すぎただけです。
今年に限ってニンニク教師がいる。これが最大の要因です。
そしてダフネ。いつも一緒にいるし、基本ダリアを見つめているのでバレました。
今後数年以内にもう一人ばれる予定ですが、そちらもハイスペックだからバレただけです。

次から秘密の部屋です。


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秘密の部屋
警告


 

ダリア視点

 

気が付くと、私は辺り一面が真っ赤な空間に立っていた。

 

「……ここは、どこでしょう?」

 

訝しみながら辺りを見回す。地平線まで血のように赤い空間。上を見上げても、本来ならあり得ない真っ赤な空が広がっていた。

私は一体どこにいるのだろうと思いながら顔を戻すと、そこには先ほどまでなかった大きな鏡が置いてあった。

鏡に近づくと、私の姿が映り込む。

そこに写っていたのは……真っ黒な自分の杖をいじりながら、ぞっとするような笑みを浮かべている私自身だった。

 

ああ、これは校長室で見たあの鏡なんだと思い出す。

これが私の望み。私の一番強い願望。

 

そんなことがあるわけない!

 

私はこぶしを振り上げ、目の前の鏡を叩き割った。

こんなものが私の望みであるはずがない。()()願いはこんなものではない!

鏡の破片によって傷ついた手を眺めながら思う。

私の本当の望みは、

 

「ダリア」

 

突然、私の後ろから声がかかった。

先程までは誰もいなかったのに!

そう驚きながら後ろを振り向くと、そこにはここにいるはずのない、ダフネが立っていた。

 

「ダリア、どうしたの? 怖い顔してるよ?」

 

「い、いえ、そんな顔していませんよ。そ、それより、何故こんな所にあなたが?」

 

夏休みの間、手紙を送ってくるものの、ダフネと直接会ったことはない。

なのに今、彼女がここにいる。こんなどこかも分からない場所に。

 

「何言ってるの、ダリア? ここにいるのは私だけじゃないよ? ほら」

 

「ダリア、ここにいたのか」

 

また後ろから突然声がかかる。振り向くと、お兄様、そしてお父様とお母様も立っていた。

 

「ダリア? どうしたんだ、そんな怖い顔をして」

 

「お、お兄様。そ、そんなに怖い顔をしていますか?」

 

「ああ。まるで()()()()()()()()顔だ」

 

……え?

 

お兄様、何をおっしゃっているのです?

そう当惑していると、突然辺りが一瞬緑色に光り、後ろから轟音が聞こえた。

振り返ると、ダフネが死んだように倒れていた。

 

「ダフネ!?」

 

ダフネに駆け寄ると、彼女は()()()()()

 

「ダ、ダフネ! しっかりして!? い、一体なにが?」

 

再び緑の光が辺りを包み込む。

まさかと思い、先程まで私の家族がいた場所を振り返る。

そこには物言わなくなった、私の家族()()()()()が横たわっていた。

 

「いやあああああああ! お兄様! お父様! お母様!」

 

ダフネの死体を抱きかかえながら家族に駆け寄る。

やはり、私の家族は死んでいた。

 

「あぁぁぁぁ!」

 

どうして!? いったい何が起きているというの!? 

 

「何を驚いているの?」

 

まともや突然背後から声がした。でも、今回の声は、家族以上に、いつも私が聞いている声だった。

振り返ると、そこには……先程割ったはずの鏡が置いてあり、その中に()()映り込んでいた。

鏡の中の私が笑いながら問いかける。

 

「何を驚いているの? だって()()知っていることでしょう?」

 

私は冷酷に笑っていた。

 

「だって、これこそが。()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「ダリア」

 

目を開けると、そこはいつも見慣れている私の寝室だった。

 

「夢……」

 

どうやら私は眠ってしまっていたらしい。汗でびっしょりとなってしまっている体を起こすと、お母様がベッドの横に立っていた。

 

「ダリア。大丈夫? すごくうなされていたようだけど?」

 

「お母様……い、いえ、大丈夫です。ひどく嫌な夢を見てしまって」

 

私は先ほど見た夢を思い出す。死んでしまった、いや私が殺してしまった大切な人たち。

その光景が頭に浮かんでしまい、私は思わず、私を心配そうに見ているお母様に抱き着いた。お母様は驚いた様子だったが、すぐに私を安心させるように抱きしめ返してくださる。

 

「ダリア? そんなに怖い夢だったの?」

 

「……ご、ごめんなさい、お母様。と、とても嫌な夢で……。すぐに、すぐに離れますから。少しだけこのまま……」

 

「ダリア。いいのよ。少しだけとは言わず、気が済むまでこうしていてあげるから」

 

お母様は私を安心させようと、私の背中を撫でてくださる。

撫でられているうちに、私の先ほど見た悪夢からようやく覚めていく気持ちになった。

お母様に抱きしめられると安心する。

ああ、こうして赤子のように抱きしめてもらうのはいつ以来だろうか。

こうして抱きしめてもらうと、私はやはりマルフォイ家の子供なのだと安心できるのだ。

 

私は人間なのだと思うことが出来る。

 

どれだけ時間がたっただろう。実際はほんの少しの間だっただろうけど、私にとっては何時間も抱きしめてもらっていたようにも感じられた。

お母様の胸の中からそっと離れる。

 

「ありがとうございます、お母様。お見苦しい所を見せてしまいました」

 

「いいのよ、ダリア。あなたはいつもしっかりし過ぎているくらいですもの。こういう時くらい甘えてくれないと、私は寂しいわ」

 

私の頭を撫でながら、お母様は私に微笑んでくださった。

 

「さあ、汗をかいてしまってるわ。ダリア、まずはお風呂に入ってきなさい。それからドレスに着替えなくてはね」

 

「はい、お母様」

 

今日は私の()()()()()()だ。この日はいつも、私達は少しだけ着飾って家族だけのパーティーに出る。これは、私がまだ小さかった頃から続く、ちょっとした家族だけの記念日。家族だけのささやかなもので、お父様達は内心私に申し訳ないと思っているみたいだけど、私にとってはこちらの方がありがたい。

 

お父様がいて、お母様がいる。そして私のお兄様も。

愛すべき私の家族。私の守るべき家族。

 

私は毎年こうやって祝われる度に、涙が出そうなくらいうれしい気持ちになる。

小さい頃、私のことを初めて知った日。私は自分が彼らの本当の家族でも、ましてや人間ですらないことを知った。

そんな得体のしれない私をマルフォイ家は、本当の家族として思ってくださるし、そして毎年のように祝ってくださるのだ。

 

生まれてきてありがとう、と。

 

お風呂で汗を流し、お母様とドレスに着替えると、ちょうどパーティーの準備が出来上がっている時間だった。

 

「では、ダリア。行きましょう」

 

「はい、お母様」

 

二人で連れ立って食堂に入ると、毎年と同じで、やはりお兄様とお父様、両人ともすでにそこで待っていてくださった。

 

「お待たせしました」

 

「いや、待ってなどいないさ。それにしてもダリア、本当に綺麗になった。父親として鼻が高い」

 

「ありがとうございます」

 

お父様は私に対して少し親馬鹿な所があるので、これは少し盛っているだけだと思われるが、やはり褒められてうれしいのはうれしかった。

 

「お兄様、どうですか今日のドレスは?」

 

私は先ほどから何故か静かなお兄様に話しかける。

私は毎年黒を基調としたドレスを着ている。私はいつもつけている黒色の手袋を外せない以上、黒以外のドレスを着たら手袋が目立ちすぎてしまうのだ。だから色ではなく、デザインで毎年アレンジするしかない。

そして今年は私が特に気に入ったデザインをしていた。

それは肩は露出し、胸元も少しだけのぞいている、いつも着ているものより格段に大胆なデザインだった。昔本来こういった派手なドレスを着ないお母様が、一度だけ着ているのを見て以来憧れていたものだった。これを着るとお母様も大絶賛してくださった上、どのみち家族にしか見せることはないのだ。これくらい大胆なデザインでも問題はないだろう。

私の問いかけも聞こえていないようで、お兄様は頬を少し赤らめながらじっと私を見ていた。が、皆の視線に気が付いたのか慌てて続ける。

 

「き、きれいだぞ、ダリア。す、すごく似合っている。うん」

 

「あ、ありがとうございます」

 

思った以上の好感触だったので何だか私まで恥ずかしくなってしまった。

お父様とお母様は、そんな私たちをなんだか微笑ましそうに眺めていたが、ややあって

 

「さあ、こうしていても始まらん。パーティーを始めよう。なんせ今日はダリアの誕生日兼、ダリアの首席祝いなのだから」

 

「ダリア、よく頑張ったわね。今日は御馳走よ」

 

「はい、お父様、お母様」

 

家族四人。私たちは和やかに食卓を囲む。ホグワーツでのこと、家でのこと。そんなつまらなくも尊い日々の話をする。私の誕生日パーティーは夜遅くまで続いた。

 

 

 

 

だから気が付かなかった。

本来屋敷にいるべきである、屋敷しもべ妖精の一人が勝手に家から抜け出しているということに。

 

それが私の()()()屋敷しもべであることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

最低な気分でダーズリー家の階段を上がる。夏休みに入ってから、僕の気分は落ちていくばかりだった。

まず、僕がダーズリー家に帰ってすぐ行われたのは、僕の持つ魔法に関するもの全てを物置に押し込み鍵をかけることだった。

これでは宿題もやることが出来ないと思っていると、次に僕のふくろう、ヘドウィグを鳥かごに閉じ込め、南京錠までかけてしまった。僕が他の魔法使いに連絡できないようにするためだろう。

去年までもひどい扱いだったけど、今年は僕が魔法学校に行っているということもあってさらにひどくなっている。

こうしてダーズリー家と暮らすというだけで憂鬱な気分だというのに、それ以上に僕を憂鬱にさせることがあった。

 

僕に手紙が一切届かないのだ。

 

僕の友達であるロン、ハーマイオニー。魔法の存在を知る前、ダーズリー家でひどい扱いを受けていた僕にできた、初めての友達。

彼らなら僕に手紙を送ってくれると思っていた。特に今日は……。

 

今日は僕の誕生日だ。本来なら、ロンが僕を家に招待してくれるはずだった。夏休みに入る前、僕にロンが約束してくれたのだ。でも、招待状すら来ない。まさか皆僕の誕生日を忘れているのだろうか。

それだけならまだいいが、もし、今年あったことが実は全部夢だったりしたら。

あまりにひどい扱いに摩耗し、そんなことまで僕は疑いだす。

そしてそんなもやもやした不安の中、僕の誕生日はもう夜になっていた。

 

「今日は大事な商談があるのだ。いいな小僧。絶対に物音ひとつ立てるんじゃないぞ!」

 

今日はダーズリー家にどこかの金持ちの土建屋が訪ねてくるのだ。穴あきドリルの会社を運営しているバーノンおじさんとしては、この機になんとしても取り入りたい相手なのだろう。

だから当然のごとく、彼らからしたら厄介以外の何物でもない僕は、自分の部屋に押し込められる。絶対に見られるな、聞かれるな、存在するなという命令だった。

忍び足で階段を上がり、部屋に入る。

 

憂鬱な気分で自分のベットを見ると……そこにはコウモリのような長い耳をして、テニスボールぐらいの緑の目をぎょろぎょろさせた生き物がいた。彼は何故か()()()()枕カバーを着ていた。

 

一体何だろうかこの生き物は?

そうたじろいでいると、その生き物がお辞儀をしてきた。

 

「こ、こんばんは」

 

何か全く分からないが、とりあえず挨拶を返した。

 

「ハリー・ポッター! お会いできて光栄です!」

 

「あ、ありがとう」

 

返事をしたものの、この生物が一体何なのかさっぱりわからなかった。

本当なら、

君は何?

とでも聞きたいのだけど、それでは失礼になってしまうかもしれないので、とりあえず

 

「君は誰?」

 

そう聞くことにした。

 

「屋敷しもべ妖精のドビーめでございます」

 

屋敷しもべ妖精が一体何かわからないが、とりあえずここにいられてはまずい生き物だということだけは分かった。ただでさえ僕の立てる物音一つに敏感になっているのに、そこにこの明らかにまともじゃない生物がいるという状況は非常にまずい。下手をしたら僕の首が飛ぶ。

 

「ドビー、それで何の用事でここに来たの? 非常に申し訳ないのだけど、僕にとって君がここにいるのは非常にまずいんだ。だから手早くお願いできないかな」

 

申し訳ないとは思いつつ、ドビーになるべく早く出て行ってもらうよう伝える。

 

「はい、そうでございますね」

 

ドビーは少しの間うなだれていたが、気を取り直したのか、僕に真剣なまなざしをして訴える。

 

「ドビーめは警告しに来たのです! ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはなりません!」

 

あまりに大きな声で叫んだので、階下に聞こえてしまったのか下から聞こえる話し声が消えた気がした。正直気が気じゃなかったけど、ドビーの話す内容も僕には看過できることではないので僕もこの状況でできうる限りの声で言う。

 

「何を言ってるの、ドビー! この家には僕の居場所なんてない。僕にとってホグワーツこそが家なんだ」

 

「いえ、いえ、いえ」

 

ドビーは大声を上げた。

 

「ハリー・ポッターは安全な所にいなければなりません! あなたは屋敷しもべ妖精にとって希望なのです! 屋敷しもべ妖精は『()()()()()()()()()()()()()()』の時代、まるで害虫のように扱われておりました。それをあなた様は変えてくださった。勿論、未だに多くの屋敷しもべ妖精がそのような扱いを受けております。ドビーめは()()()()()()()でましな扱いですが、確かにそのような時代があったのでございます」

 

「それが何で僕が帰っちゃいけない理由になるんだい?」

 

「罠でございます。今学期のホグワーツには恐ろしい罠が仕掛けられたのでございます。それをドビーめは知ってしまった。本来ならドビーめはそのことをお伝えしてはいけないのであります! これはご主人様を裏切る行為です! ご主人様だけではございません! ドビーめを大切に扱ってくださるお嬢様も裏切る行為なのです! ですがドビーめはお伝えにまいりました! ハリー・ポッターを失ってはいけないのです!」

 

「罠って何? 誰がそんなものを?」

 

僕がそう聞き返すと、ドビーは途端に苦虫をつぶしたような表情をして、頭を部屋のタンスにぶつけ始めた。

 

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

あまりの大きな声と音に、ついにバーノンおじさんが階段を上がってくる音がした。

僕はドビーに何が起こったのかわからなかったけど、とりあえずタンスの中にドビーを隠した。

 

「お前は一体何をしとるんだ!」

 

ドビーをタンスに入れると同時に部屋のドアが開き、バーノンおじさんが入ってくる。

 

「お前のせいでせっかくのジョークも台無しになってしまった! いいか、小僧。次に物音ひとつ立ててみろ。生まれてきたことを後悔させてやる!」

 

おじさんはドスドス音を立てて戻っていった。

 

ドビーをタンスから出して言う。

 

「これでわかっただろう? ここには僕の居場所なんてないんだ。それと、どうしてさっきはあんなことしたの?」

 

「ドビーめは貴方様にこれ以上言うことができないのであります。これ以上はお嬢様に対するひどい裏切りになってしまうのです。本来ならドビーめはこうして()()()()()()()()()お嬢様に禁止されているのですが、ドビーはこうでもしなければお嬢様に申し訳ないのです」

 

再びタンスに頭を打ち付けようとするドビーを押しとどめる。

 

「わかった! 言えないことはわかったから! だからそれはもう止めて! でもドビー、僕はやっぱりホグワーツに帰りたいんだ。あそこには友達もいるしね」

 

「手紙も送ってこない友達でございますか?」

 

「そうだね。でも……。ちょっと待って、ドビー。なんでそんなこと知ってるんだい?」

 

ドビーはしまったという顔をする。

 

「ハリー・ポッター。ドビーめはよかれと思って……」

 

「君が僕の手紙を止めていたんだね?」

 

僕の声は怒りで震えていた。

 

「ドビーめは考えました。手紙が来なければ、ハリー・ポッターもホグワーツのことを忘れてくれるだろうと」

 

「今すぐ返して」

 

「ハリー・ポッターが、ホグワーツに帰らないと約束してくださったなら返します」

 

「嫌だ! 返して!」

 

「それなら、ドビーめはこうするしかございません……」

 

ドビーは言うやいなや、僕の制止を振り切り階下に矢のようなスピードで降りて行った。降りていくと、ドビーが魔法でおばさん特製のデザートを浮かばせていた。

 

ドビーの見ている方向を見る。そこにはちょうどこの家に来ている土建屋夫婦の奥さんが座っていた。

 

「だめだよ。ドビー、それは止めて! 殺されちゃう!」

 

「ハリー・ポッターが帰らないと言わない以上、ドビーはこうするしかないのでございます」

 

悲しそうな目をして、ドビーはデザートを、客の頭の上に落とした。

辺りが騒然とする中、ドビーの方を見ると、

 

「ハリー・ポッター、お嬢様、お許しください」

 

そうつぶやいて消えるドビーの姿が見えた。

 

こうして、僕の監禁生活が始まったのだった。

 



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ボージン・アンド・バークス

 

 ダリア視点

 

家族で朝食の席を囲んでいる時、

 

「お嬢様、お坊ちゃま。ホグワーツよりお手紙が届きましたです」

 

「ありがとう、ドビー」

 

ドビーから手紙を受け取り開くが、ドビーがまだ私の方をじっと見つめていることに気が付いた。まるで私に何か訴えるような眼をしてこちらを見ていたが、

 

「ドビー。私の目から見て、お前がここに留まる理由はないと思うが?」

 

ドビーがお嫌いなお父様が、ドビーにぴしゃりと告げた。

 

「はいです……。ご主人様……」

 

ドビーは未だに何か迷うような態度をしていたが、お父様の目がさらに厳しくなったので、バチンという音を立てて持ち場に戻っていった。

 

「まったく。忌々しい屋敷しもべ妖精だ」

 

お父様はそうおっしゃるが、別に彼に危害を加えようとはされない。ドビーを気に入っている私に配慮してくださっているのだろう。

後でドビーの様子を見に行こうと思いながら、先程受け取った手紙を読む。

それは今年使う教科書のリストだった。

 

基本呪文集(二年生用)     

ミランダ・ゴズホーク著

 

泣き妖怪バンジーとのナウな休日

ギルデロイ・ロックハート著

 

グールお化けとのクールな散策

ギルデロイ・ロックハート著

 

バンパイアとバッチリ船旅

ギルデロイ・ロックハート著

 

etcetra

ギルデロイ・ロックハート著

 

 

合計()()がギルデロイ・ロックハートという人物の本だった。

 

「新しい先生は、このギルデロイ・ロックハートという人物のファンか何かです?」

 

「ギルデロイ・ロックハートって言ったら、最近魔女の間でチヤホヤされている奴だろ?」

 

同じく教科書のリストを読んでいたお兄様と共に首をかしげる。

確かに最近、ギルデロイ・ロックハートなる人物の名前を日刊予言者新聞で目にすることがある。ただ、それはミーハーな低俗な記事ばかりだったので、真面目に読んだことはなかったのだ。

 

「おそらく、今回の新任教師は魔女だな。しかもこいつの重度のファンだ」

 

「まあ、どんな人物にせよ、去年の教師よりはましだと思います。少なくとも今年は臭いに悩まされることはないでしょう」

 

「そうだな。臭いもそうだが、何を言っているのかもよく分からなかったしな。父上は新任のことをご存じですか?」

 

お父様はホグワーツ理事の一人だ。新しい先生がどんな方か知っていてもおかしくはない。そう思い、お兄様が聞いたのだが……。

お父様は、特大の苦虫でも噛み潰したような表情をしていた。

 

「お父様?」

 

「あ、ああ。知っているとも……」

 

随分と歯切れの悪い答えだった。

 

「どうかなされたのですか? 新任に何か問題でも?」

 

「……ダリア。これだけは言っておく。今回の教師は私が選んだわけではない。奴以外に立候補する者がいなかったとはいえ、あの老いぼれが選んできたのだ。断じて、私ではない」

 

何故かそうおっしゃったきり、その人物のことを口にも出したくないと言わんばかりに黙ってしまった。

い、一体どんな人物が新任なのでしょう……。

私は言いしれない不安を抱いていた。

 

マルフォイ家にギルデロイ・ロックハート氏の本は一冊もない。教科書になるのだから家に一冊でもないものかとお父様に尋ねたところ、本来教科書になるような本なのではなく、三文小説のような内容だという回答だった。

 

何故そんなものが教科書に?

 

さらに不安は強くなったが、教科書に指定されている以上、これらを買いに行く以外の選択肢はない。私達は手紙が来たその日のうちに、教科書類を買いに行くことにした。後日でも良かったのだが、丁度お父様もノクターン横丁に出かける用事があったので、ついでに今日買い物を終わらせることになったのだ。

去年はお母様も買い物にいらっしゃったが、今年はもう二年生ということと、私達の買い物の前にお父様のご用事を済ますということで、お母様は今回家で待っておられることとなった。

 

「お母様、行ってまいります」

 

「ええ、いってらっしゃい。日光には気を付けるのよ」

 

いつものようにお母様に日光対策を注意され、お父様、そしてお兄様につづき暖炉に入る。

去年はダイアゴン横丁に用があったため漏れ鍋に飛ぶ必要があったが、今回はお父様の用事の都合で、私がいつも行くノクターン横丁に飛んだ。

暖炉から出ると、そこはマルフォイ家がノクターン横丁に持っている一室だった。本来であれば煙突飛行は魔法省に厳重に監視されているが、そこは純血のマルフォイ家。このように権力でもみ消した、秘密の暖炉を隠し持っていた。

 

「行くぞ、ダリア、ドラコ」

 

「はい、お父様」

 

お父様につづきノクターン横丁に出る。私は勿論お父様もこの通りは来慣れている場所なので、迷うことなくすいすいと目的地に歩いてゆく。お兄様はそこまで来たことのある場所ではないので、すこし遅れるように私たちの後ろを歩いておられる。途中怪しげな格好をした、見るからに人攫いの類の魔法使いがいたりしたが、私達がマルフォイ家であることは分かっているので特に何かされるということはない。むしろ敬意がこもった視線を送られていた。

しばらく歩くと、この通りでは一番大きな店である『ボージン・アンド・バークス』という店にたどり着く。こここそが今回の目的地だった。

扉を開けると、扉にかけられたベルがガラガラと鳴り、店主に来客を知らせる。

奥に引っ込んでいるのか、店主のいないカウンターにお父様が近づいていくのを横目に見ながら私は告げる。

 

「お兄様、何にも触らない方が賢明ですよ」

 

初めて来た店であるため、お兄様は興味津々といった様子で周りの商品を見ておられるが、ここのものに決して触れさせるわけにはいかない。

ここにあるものは、全て闇の魔術のかかった品物なのだから。

 

「ダリアの言う通りだ。ドラコ、一切手を触れるなよ」

 

お父様も私に加勢しそうおっしゃるが、お兄様は不思議そうな顔をしている。

 

「ここで何かプレゼントを買ってくれると思ったのに」

 

お兄様は今年、成績が()()()()()()ということで、お父様からプレゼントを買ってもらうことになっていた。初めはマグル生まれに負けたということで叱られていたが、私の口添えもあったことから、なんだかんだ言ってお兄様にもご褒美が与えられることになったのだ。やはりお父様は優しい。

そういうことで、いつも私が来ているという店に連れてきてもらったのだから何か買ってもらえると思われたのだろう。でも残念ながら、ここにお兄様のプレゼントになるようなものは売っていない。私もプレゼントというより、どちらかというと趣味と、私の生活に必要な必需品といったものを買うだけだ。

 

「ここではダリアに必要なものを買うだけだ。今回は違うがな。お前には新しい競技用の箒を買ってやる予定だ」

 

私に必要なものという言葉で、ここで何を買っているのか理解したのだろう。一瞬申し訳なさそうな視線を私に送っておられたが、新しい箒という言葉にすぐにうれしそうな表情になられた。

しかし、その喜びも長くは続かず、今度は競技用という言葉で落ち込んでいる様子だった。

 

「競技用なんて……。寮の選手に選ばれなければ意味ないじゃないですか……」

 

今年私たちは二年生になり、クィディッチチームに入る試験を受ける資格を得る。

ただ、スリザリンがいかに純血に重きを置いている寮であるとはいえ、それはクィディッチには通用しないルールだった。どんなに位の高い純血だろうと、実力のないものはチームに入れない。入ってもクィディッチの間は、キャプテンの方が高い地位を占めることになる暗黙の了解であった。そちらの方が普通であるのだが、スリザリンにおいてはクィディッチの時だけがそんな治外法権扱いなのだった。だからいくら純血であろうと、新しい箒を買ってもらおうと、お兄様がクィディッチのチームに入れるという絶対の保証はどこにもないのだ。

 

だからこそ、嫉妬してしまうのだろう。あのポッターに。

 

「ポッターはそれなのに、去年ニンバス2000なんてもらってチームに入ったんだ。ダンブルドアが特別許可まで出して。単に有名だというだけで。ただ頭に傷があるというだけで。本当はそんなにうまくないのに」

 

お兄様もわかっているのだ。去年の飛行訓練で見せつけられた実力差に。

まぐれだと思いたくても、試合で証明され続ける才能の差に。

 

それが箒に何度も乗ったことのある魔法族なら納得できたのだろう。でも、相手は箒を見たことすらないだろう、マグルの世界で育った男の子だった。小さい頃からクィディッチが好きで、一生懸命箒に乗っていたお兄様には到底認められることではないのだろう。

 

「どいつもこいつもポッターがかっこいいって思ってる。額に傷、手には箒の、」

 

「その話は何回も聞いた。それにハリー・ポッターのことを悪く言うのは賢明ではない。何せ大多数の者が彼を闇の帝王を消した英雄だと思っているのだからな」

 

お父様はぴしゃりとお兄様の話を遮り、私に後は任せると言わんばかりの視線を一瞬投げかけた後、カウンターの方に行ってしまった。夏休み初めはそれなりに真面目に聞いておられたが、もう何回も聞いた話なのでここでお聞きになる気はないらしい。

お兄様はポッターに対する嫉妬で俯いている。そんなお兄様に私はいつものように優しく声をかける。

 

「お兄様。お兄様ならスリザリンのチームに入れます。お兄様の実力は小さい頃からずっと私が見てきたのですから」

 

そう、私はお兄様の実力を昔から知っている。確かに、ポッターのように特別な才能があるわけではない。でも、決してヘタではないし、寧ろ同年代の中ではかなり上手い方なのだ。

それに……。

 

「だけど、」

 

いつもだったらここでもうお兄様の機嫌は直っていた。でも、今日はどうやらまだ治らないらしい。

 

「それにお兄様。どんなに皆がポッターがかっこいいと言っていても、私にとって一番かっこいいのはお兄様です」

 

だから私は、いつもは言わない、この話の続きを言った。

私はお兄様がクィディッチをしているのを見るのが好きだ。確かに危ないスポーツだし、本当はハラハラしながら見ていることも多いのだけど、いつもは私の前で必死に大人になろうとしているお兄様が、ふと年相応の少年に戻られている姿を見るのはたまらなくかっこよく、愛おしかった。

 

「そ、そうか……。なら、いい」

 

お兄様は、私の言葉で頬を赤らめながらそっぽを向いてしまった。

 

お兄様と商品を眺めていると、ようやくここの主であるボージンが店の奥から現れた。猫背で脂っこい髪をした男は、

 

「マルフォイ様、そしてなんとお嬢様まで! お嬢様、いつも御贔屓にしていただき誠にありがとうございます。本日は若様までおいでになっておられるのですね。何かご入用の物でもございましたか? いつもの()()でございましょうか?」

 

髪と同じく脂っこい声で媚びを売ってくる。特に私はここで様々なものを、そして時々ではあるが、我が家はとある()()()をここで買う。普段はお父様やお母様のものをいただいているが、どうしてもという時に、魔法薬の材料という名目でここで購入するのだ。だから今日も何か私が買いに来たとでも思ったのだろう。

だが、お父様は、

 

「ボージン君。今日は買いに来たのではない。売りに来たのだ」

 

「へ? 売りにでございますか?」

 

ボージン氏の張り付いた笑いが少し引っ込んだ。

 

「そうだ。最近魔法省の抜き打ち立ち入り調査が激しくなってきている。我がマルフォイ家にはまだ踏み込んできていないが、時間の問題だろう。おそらくアーサー・ウィーズリーが裏で糸を引いている。奴め、マグル保護法などと馬鹿な法案の制定だけでは飽き足らず、このようなことまで。まったく魔法界の面汚しだ」

 

お父様のおっしゃるように、未だマルフォイ家に本格的な立ち入り調査は実施されていない。だが、他の家に対する抜き打ち検査の頻度がここ数年で跳ね上がっていた。まだマルフォイ家に実施されていないのは、ひとえにお父様の権力によるものだった。お父様の()()()()立ち入り調査を踏みとどまらせてくれているからだった。

でも、ここのところどうやら旗色が悪いらしい。もういつ実施されてもおかしくないと、お父様は夏休み中愚痴を言っておられた。

 

「奴らが探しているのは危険な、毒物になりかねない魔法具だ。無論、そんなものは我が家に存在しない。だが、我が家にも、そう、なんだね、()()()()()()()()()()()()()ものも確かにあるのでね」

 

「成程。万事心得ておりますとも、マルフォイ様」

 

「では、このリストを、」

 

そんなお父様達の商談を後ろ目に、私とお兄様は商品を眺めていた。入学前はよくここに来ていたが、ここ一年は一切ここにきていなかったので、久しぶりに来たここの商品を眺めたかったということもあるが、お兄様が何か触れてしまわないか心配だったのもある。

それとは別に、もう一つ理由があったが……。

 

「ダリア、これは何だと思う?」

 

お兄様の指さした先には、しなびた手のようなものが置いてあった。

 

「これは『輝きの手』ですね。蝋燭を差し込むと、持っているものにしか見えない灯りが灯る魔法具です」

 

「流石はお嬢様。よくご存じでいらっしゃる。その通りです、若様。これは強盗には最高の味方でございます。いや若様はお目が高い、」

 

「ボージン氏。あなたはお兄様をこそ泥呼ばわりなさるおつもりですか?」

 

得にならない商談から逃げたいのか、私達の会話に横からボージン氏が入り込もうとしたが、私の冷たい視線を受けて、慌てて商談に戻っていった。

少し言い過ぎたかな、と思いながら視線を戻すと、お兄様はその隣に置いてあったネックレスを見つめていた。

 

「お兄様? そのネックレスがいかがなさいました?」

 

「い、いや、ダリア! 特に何もない! ああ、そうだ! あれは一体なんだ、ダリア?」

 

何故か慌てたように、まるで私にネックレスを見せたくないような態度だったが、別段ネックレスに興味があったわけではないので、お兄様が指さしたものの解説を始めた。

 

「決まりだ」

 

お父様の商談もようやく終わったのか、カウンターからこちらの方に歩いてくる。

 

「ダリア、ドラコ。行くぞ。ボージン君、お邪魔したな。では打ち合わせ通り、明日、我が家の方に物を取りに来てくれ」

 

お父様はそう言って、お兄様を連れて店を足早に出て行ってしまった。

私も足早に店を出る前に、後ろにいるボージン氏の方に向き直る。

 

「お、お嬢様、先程は……」

 

お得意様である以上に、どうも彼はマルフォイ家よりも、私個人を恐れ敬っている節があった。そんな私の機嫌を損ねてしまったかもと思ったのか、少し顔を青ざめながら謝罪してくるが、

 

「かまいません。私こそ少し言い過ぎました。どうかお許しください。それより……」

 

私はカウンター横に置いてある、黒く大きなキャビネットを見ながら、ボージン氏に告げた。

 

「戸締りはきちんとされた方がよろしいですよ。()()()()()()()()()()()()

 

店を入ったときから、何故かこの店の人間以外の視線を、あのキャビネットの中から感じていた。一体誰なのかは分からないが、ここの横丁の住人だ、決してまともな目的ではないだろう。ただここの住人が私達マルフォイ家に何かしてくるとは思えないので、指摘して藪蛇になるのは避けたかった上、お父様も無難なことしか話していなかったので放っておいた。が、やはり私がよく来る店に泥棒の類が入るのは気分が悪いので、最後に忠告することにしたのだ。

 

私の言葉を聞き、ボージン氏は侵入者の存在に怒り、慌てたように……カウンターの方に走っていった。

 

どうやら私の視線をそちらだと勘違いしてしまったようだ。

まあ、私が指摘したことで、キャビネットの中から動揺したような雰囲気を感じた。私が帰ればこの隙に侵入者もどこかに逃げ去るだろう。

別に積極的に捕まえるつもりもなかったので、私はそのまま踵を返し、お父様達の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

窓には鉄格子をはめられ、ドアにも鍵をかけられるという本格的な監禁生活は、思いのほかすぐに終わりを告げた。ロンと、ロンのお兄さんであるフレッドとジョージが空飛ぶ車を使って、僕を助けに来てくれたのだ。

そして僕は、夏休みの間ウィーズリー家のある『隠れ穴』でご厄介になることになった。ウィーズリー家はロン曰く、ぼろいし、小汚いし、フレッドとジョージに加え屋根裏お化けまでいるので騒がしいらしかった。でも僕には、ダーズリー家なんかよりよっぽど温かく、居心地がいい空間だった。僕はすぐにこの家のことが好きになった。

 

隠れ穴で生活して一週間、ロンのお父さんであるアーサー・ウィーズリーさんにマグルのことを詳しく聞かれながら朝食を囲んでいる時、学校からの手紙と共に、僕のもう一人の親友であるハーマイオニーからの手紙が来た。

 

そこには、水曜日に一緒にダイアゴン横丁に行かないかと書いてあった。

 

水曜日、僕はウィーズリー一家総出でダイアゴン横丁に行くこととなった。総出と言っても、ビルとチャーリーというお兄さん達はいなかった。二人とももうホグワーツを卒業し、ビルはエジプトで銀行に、チャーリーはルーマニアでドラゴンの研究をしているとのことだった。

だからこの家にいる兄弟は今、パーシー、フレッド、ジョージ、ロン、そして唯一の妹であるジニーだけだ。今年ジニーもホグワーツに入学するということで、今いる一家総出で学用品を買いに行くのだ。

そして、僕らがどうやってダイアゴン横丁に行くかと言うと、

 

「ハリー、発音ははっきりとするのよ。そうじゃないと違う暖炉に出るかもしれませんからね」

 

煙突飛行という方法で移動することになっていた。

初めて行う移動手段なので、すごく緊張する。

おそるおそる暖炉に入る時、僕の緊張を見かねたのか、

 

「ハ、ハリー、が、頑張って」

 

いつもは僕を見ると顔を赤らめて下を向いてしまうジニーが、そんな風に声をかけてくれた。

 

「あ、ありがとう」

 

年下の女の子に励まされて、少し緊張はほぐれたけど僕は、

 

「ダ、ダイア、ゴン横丁」

 

肝心な時に、暖炉の灰を吸い込んでしまいむせてしまった。

 

出た先は、ひどく怪しいものが売っている店内だった。

しなびた手に、血に染まったトランプ、義眼に怪しい仮面。どれを取っても普通の魔法具にはおおよそ見ることが出来ない代物ばかりだ。店の外を見ても、ダイアゴン横丁のような明るい雰囲気はなく、暗く危険な香りのする通りだった。

 

とにかく、ここを一刻も離れなければ。

 

そう思い、出口に向かうも、ガラスの向こうに三人の人影が見えたことでUターンする他なくなった。

人影は、ドラコ・マルフォイ、そして彼とそっくりな顔立ちから父親だと思われる人物、そして僕が最も警戒するダリア・マルフォイだった。

 

今最も会いたくない連中であったので、僕は急いでカウンターの横に置いてある黒くて大きいキャビネットの中に入る。

キャビネットの扉を閉めると同時に、彼らが店内に入ってきた。

 

キャビネットを少しだけ開け、彼らの様子をうかがう。

どうやら彼らは、何かこの店に売りに来たみたいだった。詳しいことはよく分からないが、ウィーズリーおじさんを馬鹿にしたようなことを言っているのが聞こえ非常に腹立たしかった。

父親と店主が交渉を始めたので、僕は二人から目を外し、店の商品を眺めているダリア・マルフォイとドラコ・マルフォイに目を向ける。二人は興味津々と言った様子で商品を眺めていたが、ふとドラコが商品の一つのネックレスを見て、慌ててダリア・マルフォイをそこから引き離したのが少しだけ気になった。

 

「決まりだ」

 

ようやく交渉が終わったのか、父親がドラコを引き連れ店を出ていく。ダリア・マルフォイもそれに少し遅れながら店を出ようとしている。

よかった、これで僕もここから出られる。

僕が安堵しかけた時、

 

「戸締りはきちんとされた方がよろしいですよ。()()()()()()()()()()()()

 

そう、ダリア・マルフォイはこちらをじっと見つめながら言った。

 

バレている!?

 

僕が慌てていると、店主がこちらに走ってくる。

見つかってしまうのか!?

ダリア・マルフォイも誰がここにいるかまでは分かっていない様子だったけど、それも時間の問題だ。

そう思ったが、店主は彼女の視線の先を勘違いしたのか、キャビネットを素通りし、カウンターの奥に走って行ってしまった。

今がチャンスだと思い、店の出口を見ると、ダリア・マルフォイはもうそこにいなかった。

 

このすきに僕は出口を目指し一目散に、なるべく音を立てないように出口に向かう。

その途中、ふと先ほどドラコが見ていたネックレスが目に入った。

豪華なオパールのネックレスの前には、

 

『呪われたネックレス。これまでに19人の持ち主のマグルの命を奪った』

 

そう書かれていた。

 

店から何とか脱出することが出来ても、やはりここは僕が知るダイアゴン横丁などではなく、看板にはノクターン横丁と書いてあった。ノクターン横丁がどこかなど、当然僕は知らない。

その後人攫いと思しき老婆に声をかけられたりしたが、その場に偶然居合わせたハグリッドに助けられ、ダイアゴン横丁に生還することができた。

まだ他に用事があるらしいハグリッドと別れ、ウィーズリー家、そしてハーマイオニーと合流し、今しがたあったことを話す。

 

「『ボージン・アンド・バークス』って店で、僕、マルフォイの奴等と会ったんだ」

 

「マルフォイって、もしかしてマルフォイさんも?」

 

「うん。ドラコに父親、それとダリア。マルフォイもいたよ」

 

「マルフォイさん! 私、彼女に今年こそ勝つために必死に夏休み中勉強していたのよ! 彼女にも早く会いたいわ!」

 

「うげー。ハーマイオニー、君ってまだあいつにお熱だったのかい?」

 

「ちょっと、ロン! それよりハリー、マルフォイさんは元気そうだった?」

 

「元気だろうね。何せいつもの無表情だったから。おかげで僕は危うく捕まるところだったよ」

 

話がどこか違う所に行きそうなハーマイオニーに返事をしていると、

 

「ルシウス・マルフォイは何か買ったのかね?」

 

後ろで話を聞いていたウィーズリーおじさんが話に入ってきた。

 

「いいえ、いつもはダリア・マルフォイが、何か買っているみたいなことを話してましたが、今日は売りに来たといっていました」

 

「なら心配になってきたというわけだ」

 

おじさんは満足そうな顔をしていたが、

 

「しかし、娘が何か買っているのか……。一体何を買っているのか気になるね。まあ、そんな店で買うのだ、決していいものではないことは確かだろうが……。しかし、娘までとは……」

 

「アーサー、気をつけないと」

 

怪訝そうな顔をしているウィーズリーおじさんに、ウィーズリーおばさんが厳しく言う。

 

「あの家族はやっかいよ。無理をするとやけどするわ」

 

「はん! マルフォイ家などに負けなどしないよ!」

 

おじさんはムっとしたように、

 

「いつかあの一家のしっぽを掴んでやる!」

 

そう高らかに宣言していたが、マグルであるハーマイオニーの両親を見つけると、そちらの興味の方が重要だったのか、今のことを忘れてそちらに走って行ってしまった。

 

そんなおじさんの様子を、ハーマイオニーが複雑な表情で見つめているのに、僕は気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ノクターン横丁での用事を終わらせ、私達はダイアゴン横丁に箒を買いに来ていた。

本を買ってからこちらに来るつもりであったが、本と違い、こちらは家に送ってもらうことができるので、こちらを最初に済ませた方が効率的だと気が付いたのだ。

 

「父上! ニンバス2001が発売されています!」

 

「ふむ、最新型か。では、それにしよう」

 

先程感じていた嫉妬など忘れたように、お兄様は最新型の箒を眺めている。そんなお兄様の様子をお父様と共に、私は微笑ましく眺めている。

やはりお兄様の笑顔を眺めると私もうれしくなる。

 

最新型を手に入れたことがうれしくて仕方がない様子のお兄様をしり目に、お父様は会計をしている。

お兄様と色々な箒を眺めていたが、ふと箒一本買うのに時間がかかり過ぎているなと思い、お父様の元に向かう。

 

「お父様。何か問題でもございましたか?」

 

「ダ、ダリア。と、特に問題はないぞ」

 

そうカウンターに置いてあるコインを隠すように体を動かすが、私には見えてしまった。

箒一本買うには多すぎるほど山になった金貨を。

 

「お、お父様。なんですか? その金貨の量は?」

 

「……寮のOBとして、チーム全員分の箒を買ってやろうと思ってな……」

 

おそらく、お父様もお兄様の実力は知っているので、今年チームに入ることが出来ると確信し、そのお祝いにこの最新型の箒を全員分買うことにしたのだろう。

 

「そう、ですか」

 

いつもはお兄様に厳格だが、なんだかんだ言って甘い所があるお父様に、私は少しだけ苦笑した。

 



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 ダリア視点

 

箒を買い終え、私達は今回最後の目的である『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』に来ていた。

……のだが、

 

「何事だ、この人だかりは?」

 

店の前にはすさまじい数の人だかりができており、容易に店に入ることも出来ない有様だった。その上私達が呆然と眺めてる間も、その人だかりは増え続けていた。

 

「お母様はいらっしゃらなくて正解でしたね。しかし、何でしょうね、この人だかりは?」

 

「多分、あれだろうな」

 

お兄様の指差した先には、

 

サイン会

ギルデロイ・ロックハート

自伝『私はマジックだ』

 

そう書かれていた。

 

「成程……。そういえばこの人だかり、皆女性の方ですね」

 

最近魔女にやたらと人気のある男のサイン会だ。それならば、この人の山にも納得ができる。

 

「しかし、この人だかりです。もしかして、この中に噂の新任教師もいらっしゃるかもしれませんね」

 

「……ああ、いるだろうな。確実に」

 

何か含みのある言い方だった。新任教師がどなたか知らないが、お父様があれだけ嫌っているのだ。お父様をあの中に連れていくわけにはいかない。

 

「お父様、ここでお待ちになっていて下さいますか? 私とお兄様は目的の本を買ってまいります」

 

サイン会であるということを知ってから、とても苦い表情をされているお父様に提案する。

 

「いや、私も行こう。本屋で()()()()()()()()()があるのでな」

 

しかしお父様はきっぱりと私の提案を却下した。その瞳は何故か、何かを決意したような輝きを持っていた。

 

「分かりました。では、手早く本を買ってまいります。お兄様、行きましょう」

 

「ああ」

 

私はさしていた日傘をたたみ、人だかりをかき分け店に突入すると、お父様といったん別れ、お兄様と目的の本を探す。本はすぐに見つかった。なぜなら今回著者が来ているということで、どの本もうず高く積まれていたのだ。

 

「お兄様、さっさと会計を済ませてしまいましょう」

 

「ああ。全く、なんでこんな本にこれだけ人が集まるんだ?」

 

ぶつぶつ文句をおっしゃっているお兄様と会計に並ぶ。今回の人だかりはサイン会目的であり、会計の方にはそれほど人は並んではいなかった。

 

「これならすぐに出られそうだな」

 

「ええ、そうですね」

 

しかし、そううまくはいかなかった。

 

「もしやハリー・ポッターでは!?」

 

人だかりの向こうから、突然そんな声が私たちの耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

辺りを見回し、手頃なホグワーツ生がいないか探す。

今回ここに来たのには三つの目的があった。

一つは、我が家に隠されている闇の魔法具を売ること。

二つ目は、ダリア達の学用品を買いそろえること。

 

そして三つめは……

 

懐に忍ばせた一冊の本を触る。

三つめの目的は、この本を誰かホグワーツ生の学用品に紛れ込ませることだった。

この本は鍵だ。サラザール・スリザリンが穢れた血を一掃することを目的に作った、『秘密の部屋』を開けるための鍵。

 

秘密の部屋は神話にのみ存在する、ただの噂話とされている。だが実際には違う。

秘密の部屋は、本当に存在しているのだ。

 

今から50年前、一度だけ秘密の部屋が開かれたことがある。

 

その時には一人だけだが生徒が実際に殺され、秘密の部屋を開いた()()()()()()()者まで捕まっている。

 

その禁断の扉を再び開くのだ。

 

ホグワーツにはびこる穢れた血を一掃するという、秘密の部屋本来の目的がないわけではない。

だが、実際私が今回扉を開く理由は違う。

 

私は、()()()()()()()()()開くのだ。

 

ダリアは今、あの老いぼれに不当に監視されている。あの老いぼれは無駄に優れた頭脳を持っている。あ奴が校長である以上、ダリアは無駄な緊張を強いられることになるだろう。

それに……何かは分からないが、クリスマス休暇に入る直前、ダリアは校長に何かされたのだ。

ダリアは何も言わないが、ドラコから何かあったことだけは聞いていた。ダリアが口を開かないため、何があったかということまでは分からないが……。

 

だが、それがダリアにとって良くないことだということだけはわかった。

何故なら……ダリアはクリスマス以降、度々夜うなされるのだ。

汗だくになりながらうなされ、夜跳ね起きる。そしてたまたまそこにいた家族にしがみつくのだ。

確かに、いつもしっかりし過ぎているダリアから甘えられるのは、私もシシーもうれしくないと言えば嘘になる。

だが、私達の望んでいたのはこんなことではない。

ダリアは今苦しんでいる。だが、あの子はそれを話そうとはしない。ただ私たちに迷惑をかけまいと、自分の中に隠してしまう。

それが悲しく、そしてダリアを苦しめるダンブルドアが憎くて仕方がないのだ。

 

そのダンブルドアを今年こそホグワーツから追放する。

あの老いぼれは、何故か私以外の理事からは人気だ。世間でも奴を最も偉大な魔法使いとする風潮がある。追放するにはあまりに厄介な相手だった。

 

だがこの本さえあれば、ホグワーツで問題を起こすことができる。そしてそれを解決できなかったとして、奴を追い出すことが出来るやもしれない。

 

私は再び懐の本を触れた。

この本は所有者の命を吸い取ることで実体化し、再び部屋を開くのだと、この本自身が()()()()()

この本を誰か適当なホグワーツ生に持たせなければならない。欲を言えば生贄はウィーズリーの者が良いのだが、それは高望みかもしれない。今日ここに来ているという保証もない。それにこの人だかりだ。奴らがいたとしても、気づかないかもしれないのだ。

 

私は人だかりの中、生贄にふさわしい生徒を探す。

全ては我が愛する娘のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

人垣の向こうでギルデロイ・ロックハートがたまたま居合わせたのだろうポッターを捕まえ、何か演説しているのを遠くで聞きながら会計に並ぶ。そんな私達をしり目に、向こうは向こうで大盛り上がりしているようだった。声から察するに、ロックハート氏は偶然居合わせた有名人であるポッターに、自分の本を無料でプレゼントすることにしたらしい。

自分の宣伝のために。

 

「ロックハート氏はよほど自己顕示欲の強い方のようですね」

 

「ああ。全く、ポッターもそうだが、有名な奴にはろくな奴がいないな」

 

「そうですね」

 

こんなあからさまな方なのに、こんなにファンが多いのは余程彼の本が面白いからだろうか。それとも、単純に彼の顔がいいだけなのかもしれない。何れにせよ、未だにロックハート氏の顔も、彼の本も見たことがないので判断できない。そんな益体のないことを考えているうちに、私達の会計は終わった。

 

「さあ、お父様も待っておられます。この人だかりの中探すのは骨ですが急ぎま、」

 

だが、私が言い終わらないうちに、とんでもない発言が私たちの耳に届いた。

 

「彼は非常に運がいい。なぜなら、彼は私の本『私はマジックだ』だけではなく、本物のマジックを手にする機会を得るのです。ここに私は、大いなる喜びと共に発表します! 私はこの九月より、ホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教師を引き受けることになりました!」

 

魔女達が一斉に沸き立つ中、私の脳裏には、お父様の苦々しい表情が浮かんでいた。

 

『……ダリア。これだけは言っておく。今回の教師は私が選んだわけではない。奴以外に立候補する者がいなかったとはいえ、あの老いぼれが選んできたのだ。断じて、私ではない』

 

まさか、お父様がああまでおっしゃっていた人物が、ギルデロイ・ロックハート氏自身だったとは……

 

「ダリア……。残念だが、今年もまともな授業を期待できないかもな」

 

私の新任教師への不安は、留まるところを知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

何とかロックハートから逃げ出し、僕は会計の近くにいたジニーの元に来た。

 

「これ、あげる」

 

僕は先ほど受け取った本の山をジニーに押し付ける。ロックハートの有名になる手段に使われるのが嫌だったのだ。僕は有名になりたくて有名になったわけじゃない。

それに、ウィーズリー家はこんなこと考えたくないが、家族のいない僕よりはるかにお金がない。だからお世話になったウィーズリー家の負担を少しでも減らしてあげたかったのだ。

 

「僕のは自分で、」

 

「いい気持だったかい、ポッター」

 

正直聞きたくもない声だったが、僕にはすぐにその声の正体が分かった。

振り向くと、そこには薄ら笑いを浮かべたドラコ・マルフォイ。そしてその後ろには、先程僕を窮地に追い込んだダリア・マルフォイがたっていた。でも、ドラコと違い彼女からはどことなく疲れた雰囲気を感じたが、おそらく気のせいだろう。彼女はいつもの無表情だった。二人とも脇にロックハートの本を抱えており、ちょうど会計を終わらせたタイミングで僕に鉢合わせたのだろう。

まったく、今日は本当についてない。

 

「有名人は大変だな。書店に行くだけでこれだ」

 

「放っておいてよ! ハリーの望んだことじゃないわ!」

 

僕が近くに来たことで、いつものように赤くなっていたのだけど、今は毅然としたようにマルフォイに対面していた。ただそれも一瞬のことで、後ろにいる無表情のダリア・マルフォイと目があうと、怯えたように目を伏せてしまった。

それに対してマルフォイが何か言おうとしたが、その前に、

 

「ハリー。どうしたの?」

 

ロンとハーマイオニーが人ごみをかき分けこちらにやってきた。

 

「なんだ、お前らか」

 

ゴミでも見るようなロン。そして、

 

「マルフォイさん! お久しぶり! あなたも来ていたのね!? あなたもロックハート様の本を!?」

 

ハーマイオニーはドラコを華麗に無視して、ダリア・マルフォイに興奮したように話しかけていた。

 

「……グレンジャーさん、お久しぶりです。そうです。教科書になっていましたから仕方なく。……ん? ロックハート()?」

 

どこか疑問符だらけな様子のダリア・マルフォイと、そんな彼女に果敢に話しかけるハーマイオニーを放っておいて、僕とロン、そしてマルフォイは言い合いをする。

 

「それで、お前はハリーがここにいてびっくりしたわけだ」

 

「ウィーズリー、僕はそれよりもっと驚いたよ。そんなに買い込んで大丈夫かい? 両親が飲まず食わずになったりはしないかい?」

 

ロンはジニーの鍋に本を入れ、マルフォイに殴りかかろうとする。それを僕はロンの上着を掴んでとめる。僕一人だけしか止めないので、ハーマイオニーはどうしたのかと辺りを見回すが、何故かダリア・マルフォイを残してどこかに消えていた。

 

「ロン! ハリー!」

 

ウィーズリーおじさんが、フレッドとジョージと共にこちらに来た。

 

「何をしているんだ? 早くここを出よう」

 

「これは、これは。アーサー・ウィーズリー。今日来ていたのかね? しかも息子たちと共に。今日君に会えたことが本当に()()()()()

 

ドラコの後ろから突然、ドラコそっくりの顔立ちと笑い方をした男、ルシウス・マルフォイが現れた。彼の目は、まるで探していた獲物をようやく見つけたような、不穏な色をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

久しぶりに会ったマルフォイさんは、夏休み前に比べて一段と綺麗になっていた。そんな彼女に私は興奮して話しかける。

 

「マルフォイさん! 私、あなたに勝つために、夏休みの間ずっと勉強していたの! ここで会えて本当にうれしいわ! ねえ、マルフォイさんは勉強していた!? 勿論していたんでしょうね! だってあなたは私のライバルなんだもの! それとダフネ・グリーングラスさんもいたわね! 彼女もあの口ぶりだからしっかり勉強しているわよね!? 彼女にも絶対に負けないわ! 今年こそ私が主席になってみせるんだから!」

 

「……そうですか、まあ、頑張ってください」

 

勢いよく話しかける私に、マルフォイさんは若干戸惑っているようだった。

 

「ごめんなさい、私、」

 

「それよりグレンジャーさん。あそこにおられるのは、あなたのご両親ですか?」

 

マルフォイさんの見ている方向に顔を向けると、確かにそこには私の両親が立っていた。

二人とも初めての魔法界に戸惑ったように立ち尽くしており、周りの魔法使いたちもそんな彼らを物珍し気に見ている。

 

「そうよ。でも、よくわかったわね」

 

「グレンジャーさんに似ておられますし。それに、ここに()()()()()()()()様子なので」

 

それは、私の両親がここにはいないはずのマグルであるから分かった、そう言っていた。

私は彼女の冷たい声を聴いて不安になった。彼女はスリザリンでマルフォイの人間だ。彼女は以前、自分は純血主義ではないと言っていた。

でも、実際は私のことをマグル生まれという理由で嫌っていたらどうしよう。

彼女を信じたいのに、どうしてもそう疑ってしまう自分がたまらなく嫌だった。

彼女は私の憧れだ。彼女は私の人生で初めてできた目標だった。

 

そんな彼女と私は……。

 

そこまで考え、疑問に思う。

 

あれ? 私は彼女とどうしたいのだろう……?

 

私の感情が何か分からず訝しがっていると、

 

「とりあえず、ご両親をここからお連れした方がよろしいですよ」

 

マルフォイさんが、兄のドラコ・マルフォイの方を見ながらそう言った。

ドラコ・マルフォイは今、彼を殴ろうともがくロンに薄ら笑いを向けているようだった。その後ろから、ドラコとそっくりの男が近づいてきているのが見えた。

 

「え? どうして?」

 

「我がマルフォイ家は純血主義の家系です。うっかり鉢合わせれば、お互いに不愉快なことになってしまうでしょう。幸いまだお兄様も、そしてこちらに近づいてきていらっしゃるお父様も気が付いておられません。ですから今のうちに。両親に不快な思いをさせたくはないでしょう?」

 

どうやら私の両親の心配をしてくれたようだった。

純血主義。私が魔法界に来て最初に体験し、そして今も私を苦しめる差別的な考え方。そんなものに屈したくはないし、そんなもの間違っていると純血主義の連中に言ってやりたいが、それを両親にやらせるわけにはいかない。

パパ達はここでは非常に無力な存在なのだ。だからここで両親を巻き込むわけにはいかない。

だからこそ、マルフォイさんは両親を今のうちに逃がせと言ってくれたのだ。

 

「マルフォイさん! ありがとう!」

 

こんなことを考えてくれる彼女が純血主義なはずがない。彼女を一瞬でも疑った自分が馬鹿馬鹿しかった。これでは夏休み前と少しも変わっていない。

でも、彼女は礼を言う私にいつものようににべもなく応えるだけだった。

 

「……いえ、ただお父様を不快な思いをさせたくなかっただけです」

 

彼女はいつもそうだ。ハロウィンの時、クィディッチの時、そして夏休み前のプラットホームでの時。いつも彼女は私をどこか拒絶していた。私は毎回彼女に助けられているのに、それに対して何も返せていない。

 

冷たい印象を人に与える彼女が、本当は優しい人間であることに私は気が付いている。でも、彼女は私が近づくと、必ず私を拒絶した。

 

それが何故か分からないけど、私は彼女と……。

 

再び先ほどの疑問が浮かぶ。

両親を書店から連れ出しながら、答えのどうしても出ない問題を、私は考え続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「ルシウス。珍しいこともあるものだね。君がそんなことを私に言うなんて」

 

突然現れたルシウス・マルフォイに、ウィーズリーおじさんはそっけなく挨拶する。

 

「いやいや、君は最近非常に忙しいと聞いていたものだからね。まさかこんな所で会えるとは思っていなかったものだからね。あれほど抜き打ち検査を行っているのだ、しっかり残業代はもらっているのかね?」

 

マルフォイ氏は、比較的彼の近くに立っていたジニーの大鍋に手を突っ込み、使い古した変身術の教科書を引っ張り出した。それを見たウィーズリーおじさんの顔は真っ赤になっており、もはや堪忍袋が切れる寸前に見えた。ふと視線を外すと、その様子をダリア・マルフォイがいつもの冷たい視線でじっと見つめていた。冷たくおじさんを観察する彼女から、とてつもなく嫌な予感がした。

 

「……どうもそうではないらしいな。まったく。どこまで落ちぶれたら気が済むのかね? 君の家族は。マグルのような下等なものを相手にするから、君らはこんなことに、」

 

ぶちん

 

そんな音が聞こえた気がした直後、ウィーズリーおじさんはこぶしを振りかぶり、ルシウス・マルフォイに飛びかかろうとした。

 

そう、飛びかかろうと()()

 

実際にウィーズリーおじさんが、ルシウス氏に飛びかかることはなかった。

いや、出来なかった。

 

何故なら……飛びかかる前に、ダリア・マルフォイがウィーズリーおじさんの()()()蹴り上げたのだ。

 

「ォォォ」

 

「身の程を知りなさい。一体誰に手を上げようとしているのですか?」

 

「パパ、大丈夫!? ダリア・マルフォイ! お前!」

 

声にならないうめき声を上げるおじさんに、ウィーズリー兄弟が駆け寄る。周りの人たちは突然の出来事に後ずさり、痛々しそうにおじさんを眺めている。未だ地面に倒れ伏しているおじさんの背中を撫でながら、ロンがダリア・マルフォイに噛みつく。

 

「ただの口喧嘩で、先に手を出そうとしたのはそちらです。それに寧ろ感謝して頂きたいものです。これでこれ以上兄弟が増えることがなくなったかもしれないのですから」

 

そんな風にこちらを揶揄するダリア・マルフォイの隣で、ルシウス氏は先ほど以上の薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている。

 

「こらこらダリア。レディーが品のないことを言うものではない。だが、お前の言う通りだ、ダリア。アーサー、君には今の姿がよく似合っているよ」

 

そんな親子に、今度はウィーズリー兄弟が飛びかかろうとするも、

 

「おっさん! どうしたんだ!」

 

辺りに大声が響き、人垣をかき分けてハグリッドがやってきた。ハグリッドは、倒れ伏しているウィーズリーおじさんを確認すると、

 

「アーサーじゃないか。どうしたんだ、そんなところで呻いて! おい! マルフォイ! さてはお前達か!」

 

「ふん。そちらの自業自得だ」

 

そう吐き捨て、ルシウス氏は未だに握っていたジニーの教科書を鍋に入れる。

 

「ほら、君の教科書だ。君の両親には高い買い物だろう。()()()()()()()使()()()()()

 

今度はハグリッドがつかみかかりそうなのを察したのか、ルシウス氏は捨て台詞を吐いて、ドラコとダリアを連れて店を出て行った。

ただ、店を出ていく直前、

 

「これで、……を守ることができる」

 

そんなルシウス氏の声が聞こえた気がした。

 

「アーサー、大丈夫か?」

 

「あ、ああ。大分落ち着いたよ」

 

まだ多少息が荒いけど、おじさんも大分回復してきたようだ。

 

「そりゃよかった。だがな、アーサー。あいつらのことは放っておかんかい」

 

ハグリッドはおじさんの息が整うのを待ってから言った。

 

「骨の髄まで腐っとるんだ。家族全員がだ。そんなこと皆知っとるんだから、お前があいつらの話など聞く必要などなかろう」

 

ハグリッドと共に店を出ると、ウィーズリーおばさん、ハーマイオニーの両親。そして先ほどから見当たらなかったハーマイオニーが立っていた。

 

「中で何かあったようだけど、どうしたの?」

 

どうやら中でのことを知らないらしいおばさん達に、

 

「い、いや、何もなかったよ、モリー」

 

まさか宿敵の家の娘にコテンパンにやられたとは言えなかったのだろう。

そんなおじさん達を横目に、僕とロンはハーマイオニーに話しかける。

 

「ハーマイオニー、一体どこにいたのさ?」

 

「マルフォイさんが、パパとママを本屋から避難させるよう言ってくれたのよ」

 

先程の出来事を知らないのか、あっけらかんと言うハーマイオニーに僕らは眉をひそめる。

 

「なんで避難なんかさせる必要があるんだよ」

 

「マルフォイさんのお父さんと鉢合わせしたら、まずいことになるからでしょう?」

 

「ああ、そうだね。その代わり、君の両親とは鉢合わさなかったけど、僕のパパとは鉢合わせたけどね」

 

未だに事態が呑み込めていないハーマイオニーに、先程あったことをロンと共に話す。

 

 

 

 

僕たちは気付かなかった。

皆がウィーズリーおじさんに注目している間に、僕たち、そして自分の子供たちにも気づかれず、ルシウス氏がジニーの教科書と()()を入れ替えていたことに。

僕たちは、最後まで気付くことはなかった。



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二年のはじまり

 

 ダリア視点

 

またこの時間がやってきた。私たち家族は去年と同じように、ホグワーツ特急の前で別れの挨拶をしていた。

 

「では、お父様、お母様、行ってまいります」

 

「ああ」

 

「気を付けて」

 

いつものようにお父様に頭を撫でられ、お母様には優しく抱擁してもらう。私にとってこの時間は辛いと同時に、お父様達の愛を感じられてるとても幸福な時間でもある。

それに、もう初めてのホグワーツではもうないのだ。次いつ会えるかも十分分かっている。

 

「では、また()()()()()()

 

私は内心の寂しさを隠し、私に出来る精一杯の笑顔をして、お父様達に別れを告げた。

のだけど……。

何故か、お母様は固まっていた。お父様はその横で、なぜか痛みを堪えるかのような表情をなさっている。

 

「あ、あの? 私、何か変なことでも言いましたか?」

 

あまりの表情の変化に思わず尋ねる。が、

 

「……ダリア、もしかして知らないの?」

 

お母様に、訝し気な表情で逆に問い返されてしまった。

 

「い、一体何をです?」

 

お母様たちが何を訝しがっているのか、私にはさっぱり分からなかった。

 

「あなた……。もしかして、まだダリアに……」

 

「……すまない。言おう言おうと思っていたのだが、言えずじまいだったのだ……」

 

小声で何やら話あっていた二人は、再び私達の方に向き直り言った。

 

「ダリア、ドラコ。今年のクリスマスは、()()()()()()()()()()

 

私の頭は真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「ダリア、ドラコ。今年のクリスマスは、帰ってこなくてもよい」

 

クリスマスを非常に楽しみにしているダリアに、こんなことを言うことが中々できず、ついにこのタイミングで言うしかなくなってしまった。我ながら情けないことだが、どうしてもダリアの傷つく顔を見たくなかったのだ。

 

「お父様、申し訳ありません。一瞬、少し耳が遠くなってしまったようでして、うまく聞き取ることができなかったようです。申し訳ありませんが、もう一度だけお願いいたします」

 

案の定、ダリアのただでさえ乏しい表情が、完全に抜け落ちている。私の言ったことが相当ショックだったのだろう。

こうなることは分かっていた。だが、それでも今年はどうしても、クリスマスに帰らせるわけにはいかないのだ。

 

「父上、クリスマスに何かあるのですか?」

 

比較的にショックが少なかったであろうドラコに答えようとするも、

 

「嫌です!」

 

先程まで完全に表情の抜け落ちていたダリアが突然、私に取りすがってきた。

 

「どうしてそのようなことをおっしゃるのですか!? クリスマスは、私達マルフォイ家にとって大切な家族の日ではないですか!? お父様! 嫌! 嫌です!! クリスマスに家に帰れないなど!! 一年間家族に会えないなんて耐えられません!」

 

私はダリアがここまで取り乱しているのをはじめてみた。自分が吸血鬼だと知った時も。自分が闇の帝王に造られた存在だと知った時も、ダリアは私の前で取り乱すことはなかった。今回のことなんかより、よほどショックな話だっただろう。しかし、相当落ち込んではいたが、取り乱すようなことはなかった。おそらく、私、そしてシシーに迷惑をかけまいと思い、表面上我慢していたのだろう。

 

だが、今この子はこんなにも取り乱している。

今までなら辛そうにしながらも、表面上は我慢していただろうことに。

 

去年、私とシシーがこの子を見送ったとき、私たちはダリアが我儘の言える子供になっていることを願った。そうしなければ、この子がいつか壊れてしまうと思ったからだ。この子は、あまりにも頑張りすぎる。

 

だが、なんだこれは。

ダリアは、我慢しなくなったのではなく、ただ、我慢の限界を超えだしているだけに見えた。

 

私は改めて再確認した。

何故ダリアはここまで、この一年でこんなにも壊れかけているのか。

答えは決まっている。

 

ダンブルドアのせいだ。

あの老いぼれさえいなければ……。

 

しかし、そこで私は頭を振って奴への憎しみを頭から追い出す。

 

奴のことは今はいい。どちらにしろ、もう罠は仕掛けたのだ。奴の命運も今年限り。

それより今は、私に取りすがるダリアを何とかせねば。

 

「ダリア、落ち着きなさい」

 

「で、ですが、お父様」

 

「いいか、ダリア、よく聞きなさい。今年のクリスマス、お前たちを帰すわけにはいかないのだ」

 

「それはどうして!?」

 

「今年のクリスマスに、我がマルフォイ家に立ち入り調査が入るからだ」

 

「……え?」

 

今年に入ってから頻度の増してきた立ち入り調査。おそらく裏でウィーズリーが主導しているだろうそれを、なんとか今まであの手この手で封じ込めていた。だが、遂に抑えきれなくなってしまった。我が家にも遂に立ち入り調査が行われることとなり、私にできたことは、それが行われる日を掴むことだけだった。

そして、その立ち入り調査が行われる日というのが……。

 

「よりにもよって、クリスマス……」

 

「ああ、そうだ。ウィーズリーめ、おそらくその日なら私も油断しているとでも思ったのだろう。まったく、忌々しい奴だ」

 

「そう……だったのですね」

 

「分かってくれたか、ダリア。だからお前たちをクリスマスに帰すわけにはいかない。特に、ダリアの持っている品などを調べられたらやっかいだからな」

 

ダリアの持っている手袋は、まぎれもない闇の道具だ。これをもし、立ち入り調査で調べられでもしたら、ダリアにも危険が及んでしまう。それだけは避けねばならない。

 

「分かりました、お父様。我儘を言って申し訳ありませんでした」

 

「お前が気にする必要はない、ダリア」

 

そう言ってダリアの頭を軽く撫でてやる。

私に頭を撫でられるダリアは、先程のように取り乱した様子はもうなかった。

 

 

 

 

だが、瞳だけは先程にはなかった不穏な光をしていることにも、そして、

 

「私が、こんな体だから……」

 

ダリアの小さなつぶやきにも、私が気が付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

汽車の窓から見える景色は、非常に明るく、のどかな風景だった。まさに青天。どこまでも続く緑の草原。

でも、私の気分はそれに反比例するように暗かった。

 

「ダリア……そろそろ元気を出してくれないか?」

 

私は今、クラッブとゴイル、そしてお兄様と同じコンパートメントで汽車に揺られている。このコンパートメントは非常に重い空気に包まれていた。

原因はもちろん私だ。

日光の関係で窓から少し離れた位置で項垂れている私が、放つ空気で委縮してしまっているクラッブとゴイル。そして項垂れる私をそっと撫でてくれているお兄様。

 

「……ですがお兄様。クリスマスが……」

 

「ああ、分かってる。全く、あの忌々しいウィーズリーめ! あいつらが本当に純血なのか怪しいものだ」

 

そう言って、盛大にウィーズリーと、なぜかついでにハリー・ポッターの悪口大会がお兄様と、クラッブとゴイルの間で始まった。

それを横目に見ながら考える。

勿論、ウィーズリーが全ての原因であることは間違いない。あの忌々しい一族がこんなことしなければ、私がクリスマスを台無しにされることはなかった!

書店で会ったとき、もっと徹底的に叩き潰しておくべきだった。

 

でも、それ以上に……

 

『特に、ダリアの持っている品などを調べられたらやっかいだからな』

 

ウィーズリーが立ち入り調査を実施したとしても、本来であるなら帰れない理由にはならないのだ。マルフォイ家にある闇の道具は、既に皆隠されているか売られるかしている。だから、私たちは彼らが家探ししているのを横目に、優雅に紅茶でも飲むことだってできた。

でも、実際はそうならなかった。

何故なら、私が()()()()()()()()。私が、闇の道具を()()()()()()()()()()存在だから。

これがもし、立ち入り調査の現場で調べられでもしたら……お父様達の迷惑になってしまう。

結局、私とお兄様が帰れないのは、私のせいなのだ。

私がいるから、私は、そしてお兄様も巻き込まれて、家に帰ることができない。

 

「本当に、嫌になる……」

 

私の小さなつぶやきは、誰にも届くことはなかった。

 

暗い空気を払拭しようと、必死にお兄様達が悪口大会をしているのを横目に見ていると、

 

「ダリア、ここにいた! 久しぶりだね! 元気にして……って、どうしたの!? そんなに項垂れて! どうかしたの!?」

 

夏休みの間、手紙を頻繁に送ってきていたダフネがコンパートメントに入ってくる。

最初は私の特徴的な白銀の髪を見つけて喜んだ様子だったが、このコンパートメントに立ち込める暗い空気の元である、項垂れる私に気が付く。

 

「ダフネか。久しぶりだな」

 

「うん。ドラコも久しぶり。クラッブとゴイルもね。それで、ダリアはどうしたの? 元気がないよ?」

 

「ああ、それなんだが……」

 

お兄様が、ダフネに先程のお父様達とのやり取りを説明する。

 

「そうだったの……。それにしても立ち入り調査か。先週、家にもきたな~」

 

どうやら、ウィーズリーの標的は、私達だけではなかったらしい。

 

「グリーングラス家にもか? で、どうだったんだ?」

 

「グリーングラス家だけじゃなくて、他の純血の家は軒並み調べられているみたいだよ。それで、なんか突然来て色々調べられたんだけど、何点か倉庫の中にあった品物を持っていかれたかな。どうも闇の魔術がかかってるものだったらしくてね。パパとママ、もちろん私もそんなものあるとは知らなかったんだけど。グリーングラスの倉庫って物が溢れすぎてて、私達にもよく分かってないものもいっぱいあるんだよね。で、そのうちの何点かがそうだったわけ。でも、私達も知らなかったということで、罰金だけですんだみたいだよ。まったく、ご先祖様にも迷惑しちゃうよ」

 

「……純血なら、自分の家の倉庫の中身くらい把握しておけ……」

 

呆れた様子のお兄様を無視して、ダフネが心配そうに話しかけてくる。

 

「ダリア、大丈夫? 元気出して」

 

「……ありがとうございます、ダフネ。そうですね。そろそろ切り替えないといけませんね……。ご迷惑をおかけしました」

 

ダフネも入ってきたことだし、これ以上落ち込んでいる所をみせるわけにはいかない。

 

「そんなことないよ! クリスマスに家族に会えないのは誰だってつらいもの! でも、そっか。じゃあ今年のクリスマス、ダリアとドラコはホグワーツに残るんだね」

 

「ええ。帰れませんので」

 

言っててまた辛くなってきた。

しかし、私が再び落ち込む前に、

 

「そっかそっか。じゃあ、今年は私もホグワーツに残ろう!」

 

そう、ダフネは満面の笑顔で宣言した。

 

「……何故ですか? ダフネもクリスマスにはご両親にお会いしたいでしょう?」

 

「まあ、そうなんだけどね。でも、クリスマスにダリアといられる機会なんてそんなにないだろうし。私は今年のクリスマス、()()()()()()()()()()()()()()。駄目?」

 

去年と同じだ。私には、これを断らなければならない()()がある。

でも……ダフネの方をチラっと見やる。

するとそこには、期待で目を一杯にして、上目遣いをしてくるダフネの姿があった。

それを見てしまった私は、

 

「……物好きですね」

 

思わず、断りの言葉ではなく、そんな曖昧な返しをしてしまった。

 

「やった! 今年はダリアと一緒のクリスマスだね!」

 

「僕もいるんだが……」

 

「ダ、ダリア様が残るなら、俺も」

 

「お、俺も」

 

またやってしまった。グレンジャーさんの時もそうだったが、ダフネにはそれ以上に曖昧な態度を取ってしまいがちだ。こんなこと、私と家族、そしてダフネに対しても悪いことだと分かっているのに。

そう後悔する中、先ほど感じていた寂しさが薄らぎ、少しだけクリスマスが楽しみになっている自分に、私が気が付くことはなかった。

 

窓の外がすっかり暗くなった頃、ホグワーツ特急はようやくその長旅を終える。

汽車を降りると、私達は去年と違い馬車を使ってホグワーツに行くことになっていた。

 

「イッチ年生はこっちだ!」

 

去年聞いた呼び声をしり目に、プラットホームからでて馬車道に出る。

そこには100台近い馬車が列をなしている。

しかし何故か、馬車を引く馬はいなかった。

 

「これは、このまま乗り込んでいいのかな?」

 

「おそらく。魔法でもかかっているのでしょう。それか透明な馬、セストラルかもしれませんね」

 

おそるおそる馬車に乗り込むと、案の定馬車はひとりでに走り始めた。

鋳鉄の門を走り抜け、長い上り坂を登る。そこには暗闇に荘厳にたたずむ、巨大な城ホグワーツが私達を待っていた。

 

「ダリア、ホグワーツに着いたよ」

 

「ええ」

 

馬車を降り、お兄様に続いて石段を登る。しかしその途中、

 

「マルフォイさん!」

 

どうやら近くの馬車に乗っていたらしいグレンジャーさんが話しかけてきた。

 

「おい、グレンジャー。一体何の用だ」

 

お兄様が不快気な表情でグレンジャーさんの方へ振り向く。

 

「貴方じゃないわよ! あなたの妹さんに用があるだけ!」

 

「ふん。一体何か知らないが、お前ごときがダリアに気安く話しかけるな」

 

「なんですって!?」

 

出会った瞬間何やら始まりそうだったので、ため息をつきながら

 

「はぁ。グレンジャーさん、手短にお願いします」

 

「あ、ありがとう、マルフォイさん。それでね、ハリー達を見なかった?」

 

「……いえ? 見ていません。私たちはコンパートメントから特に出ませんでしたので」

 

「おいおい、グレンジャー。ポッター達はいないのか?」

 

先程までの不快気な表情から一変、お兄様は非常に興味深そうにグレンジャーさんの話を聞いていた。

そんな様子に聞く相手を完全に間違えたことを悟ったのか、グレンジャーさんは慌てたように、

 

「い、いえね、ちょっと汽車の中で見つからなかったものだから。ご、ごめんなさいね。じゃあ!」

 

そそくさとグリフィンドール生と思しき集団の中に戻っていった。

 

「グレンジャーに感謝しないとな。これはもしかすると、大変なことかもしれないぞ!」

 

「そうですね。もし、グレンジャーさんの見落としでなければ、大変由々しき事態ですね。汽車に乗り遅れた、ということですから」

 

「しかもあの口ぶりからすると、ポッターだけじゃなさそうだ。ウィーズリーもだろうな」

 

「それは大変()()()()()()()()

 

ポッターはどうでもいいが、ウィーズリーに関しては未だクリスマスの件で苛立ちが残っているので、少しだけ愉快な気持ちになった。

 

「ドラコ! こっちこっち!」

 

大広間に入ると、すでにスリザリンのテーブルにはパーキンソン、ブルストロードの他に、セオドールとザビニも座っていた。

 

「ドラコ、久しぶりね! 元気にしていた!」

 

「ああ。パンジー、お前も元気そうだな」

 

しっぽがあれば思いっきり振っているであろう様子のパーキンソンに、お兄様は少し硬い表情で返している。

その横でセオドールとザビニが私に挨拶をしてくる。

 

「ダリア。お久しぶりです」

 

「ええ、セオドールもザビニも、お元気そうでなによりです」

 

その瞳はどこか私に媚びるような色をしていた。私に近づこうとしても無駄だというのに。まったくご苦労なことだ。

そして、私の気の抜けない日常が再び始まった。

 

お兄様達が額を寄せ合って何やら小声で話し合っている中、教員席に先生方が座りだす。その中には、ダンブルドアは勿論、去年大変お世話になったスネイプ先生、そして新任教師であるロックハート先生までいた。

ロックハート先生は、席に着きながらそこかしこにウィンクをしている。その度に女子生徒たちが黄色い声を上げているのを聞きながら、私は非常に不安な気持ちだった。

 

書店から帰ったあと、教科書だということだったので、彼の本を全部読んでみたのだ。

 

正直、本を途中で読みたくなくなるという経験は初めてのことだった。

 

お父様のおっしゃっていたことは正しかった。確かに、本来教科書となるような本ではなかった。よくて三文小説だ。

彼の本当にやったかもわからないおとぎ話が延々と書いてあるだけ。

本当にやったことだとしたら偉大な人物なのであろうが、如何せん、誇大な表現が使われ過ぎているせいでうさん臭さが漂っていた。

『闇の魔術に対する防衛術』の授業を今年こそまともに受けたい私としては、それが本当のことであってほしいところだが、お父様の反応からすると期待薄だろう。

まあ、去年と違い、普通の人並みレベルであればいいでしょう。少なくとも、苦痛でなければいいか。

そう、自分に言い聞かせようとするのであった。

 

入学式がはじまり、一年生が大広間に入ってきている間も、お兄様達は額を寄せ合って何やら小声で話し合っていた。

もれてきた声で想像するに、どうやらグリフィンドールの席に現在もポッターとウィーズリーの二名が座っていないことについてのようだった。グレンジャーさんの見落としというわけではなかったらしい。

しばらくすると、

 

「ダリア!」

 

「どうかなさいましたか? お兄様」

 

私がちょうど、忌々しいウィーズリーの末っ子が組み分け帽子をかぶっているのを眺めている時、お兄様が小声で話しかけてきた。

 

「ポッター達がどうなったか分かったぞ!」

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ああ、さっき新聞に載ってたらしいんだが、あいつら、どうやら汽車に乗り遅れて、代わりにウィーズリーの空飛ぶ車で来たらしい。しかも、マグルに目撃された上に、暴れ柳に激突までしたらしいぞ! これはいよいよあいつらも退校かもな!」

 

「……ウィーズリーの空飛ぶ車、というのは?」

 

確か、その手の魔法道具は他ならぬウィーズリー氏自身が、法律で禁止していたはずだ。

 

「抜け道でもあるんじゃないか? 闇の魔法具と違って、使うつもりがなかったら大丈夫とかな。でも、これでもう奴らもお終いだ」

 

「それが本当なら、最高のニュースですね」

 

「だろう?」

 

お兄様は、ポッター達が退学になったかもしれないことを喜んでいる様子だったが、私はそんなことで喜んでいるわけではなかった。私がうれしかったのは、このことでウィーズリー氏の力が弱まるかもしれないことだった。何しろ自分の作った法律を破ったのだ。魔法省においての地位に打撃を与えられるのは必至だろう。

 

うまくいけばクリスマスの立ち入り調査を消すこともできるかも。

 

そう考えて、私はお兄様と笑いあう。

 

「グリフィンドール!」

 

笑いあう私達をしり目に、ウィーズリー家の末子、ジネブラ・ウィーズリーがグリフィンドールに組み分けされていた。



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新任教師(前編)

 

 ハリー視点

 

二年目のホグワーツ初日の朝は最悪の目覚めだった。

 

「おはよう、ハーマイオニー」

 

大広間に朝食を取りに来ると、すでにハーマイオニーが『バンパイアとバッチリ船旅』というロックハートの本を片手に朝食を取っていた。

ハーマイオニーは僕とロンの方を一瞬ちらりと見て、

 

「おはよう」

 

なんだかつっけんどんな声で返事をした。

僕とロンは昨日、ウィーズリーおじさんの空飛ぶ車でホグワーツに来た。というのも、キングスクロス駅についたものの、僕とロン以外のメンバーが9¾番線に入ったあと、僕らもそれに続こうとした。でも、何故か入口の柵が閉じていて、本来なら通り抜けられる柵を通ることができなかった。柵に激突してまき散らされた荷物を回収し、何とか中に入ろうと柵を調べるも、努力空しく汽車は行ってしまった。

 

急に閉じてしまった入口、そして汽車に乗り遅れてしまったという事態に僕らは動転した。そこでなんとかホグワーツにたどり着く手段として思いついたのが、ウィーズリーおじさんの車だった。

僕らは気が動転し視野が狭くなっていたとはいえ、こんな前代未聞の方法で登校することに興奮していなかったかといえば嘘になる。

 

でも、僕たちの冒険の代償は非常に高くついた。

 

僕たちはなんとかホグワーツにたどり着けたものの、最後にはガス欠をおこしてしまった車はあえなく墜落。しかも、近づくものをその棍棒のような枝で襲う、凶暴な『暴れ柳』の上にだ。

振り降ろされる枝から何とか命からがら逃げ延びたものの、ロンの杖はへし折られ、車は逃げ出してどこかに行ってしまった。さらに大広間に行こうとするも、入口の前にスネイプが待ち構えているわと最悪なことは続いた。

結局、ホグワーツが始まる前ということで減点こそなかったものの、僕らのことをウィーズリー家に知らされ、なおかつ罰則を受けなければならないことになっていた。

 

そしてホグワーツ初日の朝。

僕らの登校方法がよほどお気に召さなかったのか、ハーマイオニーは僕らに冷たかった。

 

「ハーマイオニー、そろそろ機嫌なおせよ」

 

「……別に機嫌は悪くないわよ。ただ本を読むのが忙しいだけ」

 

そう言いながらもこちらをチラリとも見ようとしないハーマイオニーに肩をすくめながら、僕らは昼食の席に着く。

 

「おはよう。ネビル」

 

「おはよう、ハリー、ロン。もうすぐフクロウ郵便の届く時間だよ。僕、きっと忘れ物してるだろうから、おばあちゃんが届けてくれると思う」

 

いつもドジばっかり踏むネビルの話を聞いていると、彼の言う通り、丁度フクロウ達が頭上を飛び回り始めていた。

大量のフクロウの中から、ウィーズリー家のフクロウであるエロールが飛び出し……僕らの近くにあった水差しにダイブした。

 

「エロール!」

 

ロンがエロールを水差しから救い出す。するとエロールが赤い封筒を銜えていることに気が付いた。

 

「まさか!」

 

ロンはぐったりしているエロールを放り出し、その赤い封筒に飛びつく。

 

「その手紙がどうしたの?」

 

僕はピクピクと動くエロールを介抱しながらロンに尋ねる。

すると、

 

「ママが……。ママが『吼えメール』を送ってきた」

 

どうやら僕の最悪はまだまだ続くらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

お兄様達と大広間に行くと、グリフィンドールの席にポッターとウィーズリーが座っている姿が見えた。

 

「どうやら、ポッターもウィーズリーも退学にはならなかったようですね」

 

「ああ、全く、あの爺やっぱり依怙贔屓しているに違いない!」

 

お兄様はやはりあの二人が退学になることを期待していたらしく、顔をしかめて憤っておられる。

ウィーズリーはともかく、ポッターは魔法界においての英雄だ。いくら空飛ぶ車を目撃されたとはいえ、そう簡単に退学にはならないだろう。

でも、

 

「退学にはならなかったようですが、どうやら全くの無事というわけではなさそうですよ」

 

私はグリフィンドールの方を眺めながら言った。

 

「どういうことだ?」

 

「たった今、彼らに『吼えメール』が届いたようです」

 

私の位置からは、ウィーズリーの目の前に真っ赤な手紙が落とされるのが見えていた。

 

「へえ! そうなのか!? これは面白いことになりそうだな!」

 

「ええ。おそらくウィーズリーの両親のどちらかからでしょう」

 

吼えメールは送り主の声を何十倍も増幅する魔法具だ。ここからでも十分聞き取ることは可能だろう。

 

「……()()()()()()情報も聞けるかもしれませんね」

 

そうこうしているうちに手紙が開かれたらしく、大広間に女性の声が響き渡る。

 

「車を盗み出すなんて、退校処分になっても当たり前です!! 車がなくなっているのを見て私とお父様がどんな思いだったか! お前はちょっとでも考えたんですか!!」

 

吼えメールが来たことに気が付いていた私たちはよかったが、周りの生徒たちは突然響いてきた怒鳴り声に驚いている様子だ。しきりに誰が吼えメールを送られたのか探していた。

 

「昨夜ダンブルドアからの手紙が来て、お父様は恥ずかしさのあまり死んでしまうのではと心配しました!! お前もハリーもまかり間違えば死ぬ所だったのですよ!!」

 

ウィーズリーは既に椅子に縮こまっていたが、名前が出たことでポッターも小さくなっている。

 

「全く愛想が尽きました! お父様は役所で尋問を受けたのですよ!! 今度ちょっとでも規則を破ってご覧なさい!! 私たちがお前をすぐ家に引っ張って帰りますからね!!」

 

私の表情筋が、少し緩んだ気がした。

 

「それとジニー。グリフィンドール入寮おめでとう。ママもパパも鼻が高いわ」

 

最後にやわらかい口調で娘のグリフィンドール入りを祝うと、ようやく役目を終えたのか、手紙がグリフィンドールのテーブルの上で燃え尽きているのが見えた。

 

「どうやら、ウィーズリー氏は尋問を受けたようですね」

 

「そのようだな。ふん、純血の面汚しにはいい気味だ」

 

自ら作った法律を自分の息子が破り、さらに大勢のマグルにそれを見られてしまったのだ。尋問まで受けたところを見ると、相当に魔法省における立場は悪くなったことだろう。

 

「これでクリスマスの立ち入り調査がなくなればよいのですが……」

 

しかし、立場が弱くなったとはいえ、立ち入り調査がなくなるかは五分と言ったところだろう。魔法省において、ウィーズリー家よりはるかに高官であるマルフォイ家に立ち入るのだ。おそらくあちらも並大抵の努力ではなかっただろう。それをようやく行えるところまでこぎ着けたのだ。これだけで消えるものなら最初から消えている。

 

「まったく、余計な努力を……。私の家族との時間をつぶすなど……。虫けらは虫けららしくしていればいいのに」

 

「ダリア?」

 

お兄様の声を聞きながら、先程の吼えメール最後の言葉を思い出す。

厳しい声から一転し、優しく娘に話しかける母親の声を。

 

「ウィーズリーでも、娘は可愛いものなのでしょうね……」

 

ウィーズリー家。

お父様達に迷惑をかける愚かな一族。

私の家族との時間を邪魔する忌々しい一族。

そんな一族の愛娘を……ればさぞ、

 

「ダリア! どうかしたのか?」

 

「え?」

 

お兄様の呼び声に意識が浮上する。

あれ? 私は今()()()()()()()()()()()()()()

 

「ダリア、どうかしたのか?」

 

心配げに私の顔を覗き込んでおられるお兄様。

 

「いえ、お兄様、少し考え事をしていただけです」

 

私は心配させまいと、かぶりを振ってこたえた。

クリスマスのこととか、色々ショックだったことがあったせいで少し疲れているのかもしれない。おそらく、昨日の汽車の疲れもまだ残っているのだろう。まだホグワーツ初日だ。一年間これから長いのだ。気をしっかり持たないと。

私は気を引き締めなおし、途中で止まっていた朝食の続きをとるのだった。

 

 

 

 

そんな私を、ダフネはずっと心配そうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「ごめん、ロン。僕、夏休みの間あんなに君の家でお世話になったのに……」

 

「ハリー、僕こそごめん。僕があの時車に乗ろうなんて言わなければ……」

 

ウィーズリーおばさんからの怒鳴り声が終わり、ようやく大広間に皆の声が戻り始めた時、僕らは後悔の念に襲われていた。

あの時冷静になっていれば。僕はフクロウを持っていたのだ。ホグワーツに手紙を送ることだってできた。なのに僕はそれをしなかった。冒険への甘い誘惑に負け、車でホグワーツに来るという愚行を行ってしまったのだ。

 

夏休みの間、僕はウィーズリー家の皆にあんなによくしてもらった。あんなに温かい家庭にいたのは、多分僕が覚えている限りでは初めてのことだったのに。

 

僕は、そんなウィーズリー家に迷惑をかけてしまったのだ。

 

「ま、貴方達が何を予想していたかは知りませんけど、ロン、ハリー、貴方達、」

 

「当然の報いだっていいたいんだろう、ハーマイオニー!」

 

本を閉じ、僕たちに機嫌よさげに話しかけてくるハーマイオニーにロンが噛みつく。

でも、二人が喧嘩を始める前に、寮監のマクゴナガル先生が新しい時間割を配りだしたので、彼らの喧嘩は未遂に終わった。

 

どうやら先ほどの吼えメールで、僕らが十分な罰を受けたと思った様子のハーマイオニーは、以前のように親しく僕らに話しかけてくれるようになっていた。

 

「まったく、汽車にあなたたちがいなくて心配したのよ。グリフィンドールの皆に、後マルフォイさんにも聞いたけど知らないみたいだったから、」

 

「おい、ちょっと待って、ハーマイオニー! あいつにも聞いたのかい!?」

 

二年生最初の授業である『薬草学』が行われる温室に向かっていると、ハーマイオニーが聞き捨てならないことを言い出した。

 

「そうよ。それに関してはごめんなさい。ドラコにもあなたたちがいないことを知られてしまった……」

 

「いや、それもそうなんだけどさ!? ハーマイオニー、どうしてダリア・マルフォイなんかに聞くかな~」

 

呆れた様子のロンに僕もうなずいて同意する。

ダリア・マルフォイはドラコの妹でスリザリン、そしてダンブルドアも警戒するような危険な奴だ。なんでそんな奴をハーマイオニーが信頼するのか、僕には分からなかった。

 

「何よ! 去年あんなに助けてもらったのよ! まだ貴方たちはマルフォイさんを警戒してるの!?」

 

「あいつはスリザリンでマルフォイ家だぞ!」

 

「彼女は他のスリザリン生とは違うわ!」

 

「いいや、違わないね! だってそうだろう! その証拠に、あいつは闇の魔法具を持ってる! ハリーが言ってたじゃないか! あいつはノクターン横丁で何か買ってたって! そうだろ、ハリー?」

 

「う、うん。僕がノクターン横丁に迷い込んだとき、確かにそう言ってたよ。何を買ってるかまでは言わなかったけど」

 

「そ、それは」

 

さっきまで強気だったハーマイオニーも、この点においては反論できないのか目が泳いでいる。

 

「ハーマイオニー、いい加減目を覚ませよ。まあ、でもなんにせよ、あいつも今年こそ化けの皮が剥がれるよ」

 

「どういうこと?」

 

首をかしげている僕とハーマイオニーに、ロンは辺りを見回し、近くに誰もいないことを確認すると小声で話し始めた。

 

「ここだけの話、ようやくパパがマルフォイの家に立ち入れ調査できることになったんだ。これは秘密だけどね。ダリア・マルフォイもいるだろうクリスマスを狙ったって言ってたから、これであいつらも終わりだよ!」

 

とっておきの秘密を話したことで興奮するロンを、やはりハーマイオニーは複雑そうな表情で見つめていた。

 

温室までくると、先に来ていたグリフィンドール生の何人かと共に、今回魔法薬学を一緒に受けるハッフルパフの生徒が立っていた。

僕たちが着いた直後、芝生の向こうから薬草学の先生であるスプラウト先生がやってくるのが見えた。

何故か、後ろにギルデロイ・ロックハートを連れながら。

 

「やぁ、皆さん!」

 

何だかすごく不機嫌そうなスプラウト先生の後ろから、ロックハートは皆に笑いかける。

 

「実はスプラウト先生に『暴れ柳』の治療法を教えていましてね! でも、皆さん、私がスプラウト先生より薬草学が優れていると思ってはいけませんよ? たまたま、昔『暴れ柳』に出会ったことがあるだけ、」

 

「みんな! 三号温室へ!」

 

ロックハートの世迷言を遮って、スプラウト先生が指示する。

女子はまだ名残惜しそうにしている生徒が数人いたが、男子は先を争うように温室に入っていく。残ろうとする数人の中に、何故かハーマイオニーがいたが、彼女を残して僕も温室に入ろうとしたのだけど、

 

「ああ、ハリー! 実は君と少し話したかったんだよ! スプラウト先生、少し彼をお借りしますね!」

 

非常に迷惑そうな先生の返事を聞くことなく、ロックハートは僕の腕を掴んで引きずっていった。

 

「先生、僕、授業が、」

 

「ハリー、ハリー、ハリー。すぐだよ、すぐに終わるよ! なんせ、私も授業があってね! すぐに()()()()()()()()()に授業をせねばならないのだよ! 彼らは非常に幸運だね! なんせ、私の授業を今年初めて受けることができるのだからね!」

 

だったら早くそちらに行ってほしい、とは言えなかった。

 

「それで先生、僕に用って?」

 

「そうだね。私も忙しい身の上だからね。手早くすませないとね」

 

何故かそう言ってウインクをした後、殊勝な声音で先生は続ける。

 

「ハリー、私は君に謝らないといけないね」

 

「書店でのことですか?」

 

あの時、僕を観衆の前に引きずり出したことは非常に迷惑だったけど、そのことを反省するような人だっただろうか?

 

「そうだよ、ハリー! ああ、君はきっと相当なショックだったんだね! なんせあんな登校の仕方をしてまで注目を浴びようとしたのだから!」

 

どうやら僕の早とちりだったらしい。

……何を言ってるんだろう、この人は。

 

「そこそこ有名な君は、『チャーミング・スマイル賞』を五回もとってしまっている、有名な私に嫉妬してしまったんだね? でも、いけないよ、ハリー。そういうのはもっと大人になってからね?」

 

「あの、先生、違い、」

 

「ハリー、ハリー、ハリー、分かっていますとも。ええ、分かっていますよ。でもね、君はまだ少し有名な程度なんだから、まずはそれぐらいにしておきなさい。初めはね」

 

もはや何を言っても無駄らしい。

 

「おお! もうこんな時間かい!? そろそろ私はスリザリンの生徒に、私の輝かしい初授業を受ける栄誉を与えてあげなくては!? では、ハリー、グリフィンドールの授業は午後からだったね? そこでまた、ね?」

 

再び僕にウインクをして、ロックハートは城の方に歩いて行った。

 

後に残されたのは、ホグワーツ初日、しかも授業をまだ受けてもいないのに疲れ切ってしまった僕だけだった。

 

「先生は一体何の用だったの?」

 

温室に入り、スプラウト先生の指示のもと、大量に置いてあった耳当てから手頃なもの選びロン達の元に戻ると、ハーマイオニーが開口一番に尋ねてきた。

 

「僕にもよくわからなかった……」

 

「どういうこと?」

 

ハーマイオニーは僕の答えに不思議そうな顔をしているが、僕の方こそロックハートが何をしたかったのか聞きたいくらいだ。

ロックハートに興味津々な様子のハーマイオニーは、まだ何か聞きたそうにしていたがその前に、

 

「全員、前に集まって!」

 

スプラウト先生の号令で授業が開始された。

 

「今日はマンドレイクの植え替えです! マンドレイクの特徴が分かる人は?」

 

ハーマイオニーが勢いよく挙手し、発言を始める。

 

「マンドレイク、別名マンドラゴラ。姿かたちを変えられたり、呪いをかけられた人を元に戻すのに使われます。大抵の解毒剤の主成分になっており、強力な回復薬になります。また、マンドレイクの泣き声は命を奪う力をもっており、非常に危険を伴う作業が要求されます」

 

立て板に水流したような話しぶりに、生徒どころかスプラウト先生も唖然としていたが、生徒たちが思わず拍手を開始すると、先生は満面の笑顔になり、

 

「素晴らしい説明です、ミス・グレンジャー! ()()()()()()()()よりはるかに優秀でしょう! グリフィンドールに20点!」

 

初っ端で与えられた高得点に、グリフィンドール生は皆ご満悦だ。

 

「すごいよ、ハーマイオニー! 君、去年から優秀だったけど、夏休みが明けてから磨きがかかってないかい!?」

 

ロンの褒め言葉に、ハーマイオニーは顔を赤らめながら答える。

 

「だって、夏休みもずっと勉強していたもの。はやくマルフォイさんに追いつきたくて」

 

「追いつくどころか抜かしてやれよ、あんな奴! 今年はハーマイオニーが学年首席だな!」

 

ロンと共に喜んでいると、スプラウト先生が声を張り上げる。

 

「全員静かに! さて、ミス・グレンジャーの言っていたことは全てその通りです。そして付け加えることはありません。あとは実践のみです! 全員耳当てを取って、マンドレイクを鉢から鉢に移し替えてください! まだこのマンドレイクは苗ですから、皆さんが死ぬことはありませんが、それでも数時間は気絶することになりますからね! それでは四人ずつ植木鉢に集まって、私が指示をしたら始めてください!」

 

近くにあった植木鉢に僕ら三人が行くと、ハッフルパフの生徒の一人が近づいてきた。

 

「僕はジャスティン・フィンチ-フレッチリーです」

 

ジャスティンは僕ら一人一人と握手しながら話す。

 

「君はハリー・ポッター。有名だから勿論知ってるよ」

 

先程のロックハートの件もあり、僕はあまりうれしくなかった。

 

「君はロン・ウィーズリー。あの空飛ぶ車、君の家のだよね?」

 

ロンは思いっきりしかめっ面をしながら握手した。

 

「それで君は、ハーマイオニー・グレンジャー。さっきは凄かったよ」

 

「ありがとう」

 

ハーマイオニーは、ニッコリしながら握手に応じた。

 

「去年はスリザリンのダリア・マルフォイに主席を持っていかれましたけど、今年は君が主席かもしれませんね」

 

「ええ、そのつもりで頑張っているわ。でも……」

 

ハーマイオニーは先ほどの笑顔から一転、少し悔しそうな表情になった。

 

「私、夏休みも一生懸命勉強したわ。彼女にはやく追いつきたかったから。でも、勉強すればするほど分かってしまうの。彼女と、今の私の差が……。もっと勉強しないと彼女に追いつけない」

 

「そうですか……。できればスリザリンなんかではなく、貴方に勝ってほしかったのですが。ほら、彼女、すっごい美人だけど表情がありませんし、それにすごく冷たい人のようなので」

 

「マルフォイさんは冷たい人なんかじゃないわ!」

 

突然大声を上げたハーマイオニーに、ジャスティンは勿論、近くの植木鉢に集まっていた生徒も何事かとこちらを振り向いていた。

 

「か、彼女は冷たい人なんかじゃないわ! 確かにいつも表情がまったくないから分かりにくいけど、彼女は本当はすごく優しい人なんだから!」

 

周りに注目され少し恥ずかしそうなハーマイオニーの話を聞きながら、ジャスティンは僕らに助けを求めるように視線を送ってきた。

ハーマイオニーの、ダリア・マルフォイに対しての謎の信頼感は今に始まったことではないので、僕らはジャスティンに肩をすくめて答えるしかなかった。

 

それからしばらくは、僕らの中に少し気まずい空気が流れていたが、この空気に耐えられなくなったのか、ジャスティンが再び話し始める。

 

「そ、そういえば、新しく入った先生って、あの有名なロックハートなんですよね。彼ってものすごく勇敢な人ですよね。彼の本読みましたか? あれって全部彼が()()()()()()()()()()()()()()()()! 本当に偉大な人です! 実は僕、マグル出身なんですけど、最初は母が僕のホグワーツ行に反対だったんですよ。でも、彼の本を読ませたら、母もわかってくれたみたいでして。つまり、魔法を学べば、いずれ彼のように偉大な、」

 

「では、皆さん、耳当てをつけて! では、マンドレイクを引き抜いて!」

 

全員が準備完了したのを確認したのか、スプラウト先生の指示が飛んできたため、僕らがこれ以上話す機会はなくなった。

 

午前の授業が終わり、僕らは昼食をとり中庭に出る。

ハーマイオニーが朝と同じように『ヴァンパイアとバッチリ船旅』を読んでいる横で、僕とロンがクィディッチの話をしていると、

 

「ハ、ハリー。ぼ、ぼく、コリン・クリービーと言います」

 

カメラを持った、薄茶色の髪をした少年が話しかけてきた。

 

「ぼ、僕もグリフィンドールなんだけど、そ、その、もしよかったら、写真をとってもいいですか?」

 

「写真?」

 

突然の申し出に、僕は思わずオウム返しにこたえてしまった。

 

「僕、あなたのことを皆に聞きました。僕、マグルの出身なんですけど、あなたがどんなに偉大な人か、皆に聞いて知ったんです! だからそんなあなたと出会ったことを証明したいんです! それに、ここでは写真が動くんですよね!? そんなすごいことをパパにも教えたくて! だから、もしあなたが撮れたらうれしいのだけど……。あと、できればサインももらってもいい?」

 

「サインだって!? ポッター、君はサイン入り写真を配っているのかい!?」

 

コリンの声にかぶせるように、ドラコ・マルフォイの声が響き渡った。

 

「マルフォイ!」

 

僕らが声がした方向に顔を向けると、そこには僕の大っ嫌いなドラコ・マルフォイがこちらに歩いてくる姿が見えた。その横にはクラッブとゴイルがいた。

 

が、いつも一緒にいるダリア・マルフォイの姿はなかった。

 



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新任教師(後編)

 ダリア視点

 

スリザリンの最初の授業は『闇の魔術に対する防衛術』だった。

去年はニンニクの臭いのせいで正直授業の質以前の問題だったが、今年はそんな臭いもない。

では今年の授業の質はどうかというと……正直全く期待できなかった。

お父様の口ぶり、本の中の荒唐無稽な内容、そして書店で見たあの自己顕示欲の強さ。

期待できる要素など全くない。でも、もしかすると、万が一彼が本当に優秀な魔法使いだったとしたら……。彼が優秀な教師であればとわずかに期待している自分も、確かに私の中に存在していた。本当にわずかではあったが。

 

「今年は運がいいわ! ロックハート様の授業を生で受けられるんですもの!」

 

「私、授業が終わったら彼にサインを書いてもらおうかな!」

 

スリザリンの何人かの女の子たちの黄色い声を聴きながら、私はいつものメンバーでかたまって座り、新しい教師の登場を待っていた。

 

「すごい人気だね。でも、ロックハート先生ってそんなにかっこいいかな?」

 

隣に座っていたダフネが、前の方にかたまっている女子生徒たちを見ながら言った。

どうやら授業自体には興味がある様子だけど、彼自身にはそこまで興味を持っていない様子だった。

好奇心旺盛なダフネにしては珍しい。

 

「……ダフネはロックハート先生に興味がなさそうですね」

 

「う~ん。興味がないというわけじゃないんだよ? ()()()を書いている人だもの、どんな先生になるかは気になるかな。でも、別にそれだけ。顔は確かにそこそこかっこいいと思うけど、別にその程度かな」

 

「そうですか」

 

「それにね、」

 

ダフネは言葉を切り、私の方を向いて言った。

 

「私、()()()()()()()()()()()()をいつも見てるから」

 

「そ、そうですか……」

 

突然のダフネの言葉に動揺し、私はうまく返すことが出来なかった。この子は一体何を言っているのだろうか。

彼女の私に対しての好意は知ってはいる。

でも、それでは駄目なのだ。私が報いることなどできない。いや、その()()()()()。そんなこと分かっているのに、私は……

ダフネの方から顔をそらし、まだ空っぽの教壇の方を向いていると、お兄様が訝し気に話しかけてくる。

 

「ダリア、どうかしたのか? 少し顔が赤いぞ?」

 

「……いえ、お兄様の気のせいです」

 

自分でも、何故顔が赤くなっているのか分からなかった。

 

授業開始時刻が過ぎしばらくすると、ようやくロックハート先生が後ろのドアから教室に入ってきた。

 

「やぁ、すみませんね、皆さん! 実はスプラウト先生に、()()()()()と頼まれて暴れ柳を看ていたのですよ!」

 

昨日の夜、ポッター達が車で突っ込んだ結果大変珍しい『暴れ柳』に甚大な被害が出てしまった。でもスプラウト先生は薬草学に関して非常に優秀な先生だ。珍しいとはいえ、暴れ柳の対処に彼女が苦労するとは思えないのだけど……。

私が訝しんでいる間にロックハート先生は教壇までたどり着き、ようやく授業が始まった。

 

「さて」

 

先生は前の方にいる生徒から一冊本を取り上げ、表紙を高々と掲げる。

本の表紙にある彼自身の写真と、私達の目の前にいる先生自身が同時にウィンクした。

なんだか乱視になりそうな光景だ。

 

()()。ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員。そして五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞。もっとも、泣き妖怪バンシーをスマイルで追い払ったわけではありませんよ!」

 

……何を言っているのか分からなかった。

どうやら彼が何を言っているのか理解できた人間は、このクラスには私を含めて存在しなかったらしい。前の方に座っている女子何人かがあいまいに笑っただけだった。男子に関しては、皆私と同じような無表情になっている。

 

「君たちは非常に運がいい。なんせこの私の授業をはじめに受けることができるのですから! そんな貴方たちに今日はミニテストをしようと思っています! 大丈夫ですよ、テストといっても非常に簡単なものですから。このクラスには学年主席の子もいるそうじゃないですか! ()()()()優秀な生徒がいると聞いてますよ! どなたですか? その子はどこにいますか?」

 

「……ひょっとして、あれは私のことを言ってるのでしょうか?」

 

「……そうじゃないかな。主席は学年でダリアだけだから……」

 

現実逃避気味に小声でダフネに尋ねると、ダフネも少し困惑しているみたいだった。

正直絶対に面倒なことになると思ったのだが、どうやら周りの生徒の視線で私だと分かってしまったらしく、ロックハート先生がこちらに視線を向けてくる。

 

先生は『チャーミング・スマイル賞』とやらに相応しい微笑を浮かべながらこちらを見て、私を見た瞬間……何故か驚愕といった表情になった。

 

しかしそれも一瞬、再び先ほど以上の微笑に戻ると彼は私に近づき尋ねた。

 

「君がそうだね? お名前を聞かせてもらってもよろしいかな?」

 

「……ダリア・マルフォイです」

 

「そうですか! 君がダリア・マルフォイですか! 他の先生方から聞いていますよ! ()()()()()生徒だとか! でしたら君は本当に運がいい! なにせ、私が教えるからには()()()()優秀になることは間違いないですからね!」

 

「……はぁ」

 

「どうやら緊張しているみたいですね! 顔が無表情になっていますよ! ですが君には笑顔が似合っていると思いますよ! 私が有名だからと言って、そんなに緊張しなくてもいいんですよ!」

 

すごく……うっとうしい。

 

「……先生、はやく授業を」

 

私はいいから早く授業を始めろという視線を送る私に、先生はようやく私から視線を外す。

 

「おお! そうですね! 優秀な君にはいずれ()()()()()、私の今までなしてきた偉業を話してあげますからね!」

 

先生が教壇に戻るのを呆然と眺めていると、

 

「去年とは別のベクトルで厄介な先生みたいだね」

 

ダフネの言葉に、私は無言で頷いた。

 

「では、皆さん、テストをはじめてください! 時間は三十分です! よーい、はじめ!」

 

配られたテストペーパーを皆一斉に表返す。さて、私もテストを始めるかと思いテストの内容をみて、再び裏返し、眉間を少し揉んだ。

どうやら私は思った以上に疲れているらしい。なんだか授業に相応しくない内容のテストだったように見えた。

先程の行動でよほど難のある性格の持ち主であることは分かっている。でも、校長が選んでくるくらいだ、少なくとも『闇の魔術に対する防衛術』の授業を人並みくらいには行える人のはずだ。

そう思い、再びテスト内容をみたのだが……やはり内容は変わっていなかった。

 

1 ギルデロイ・ロックハートの好きな色は?

2 ギルデロイ・ロックハートのひそかな大望は?

 

そんな下らない内容が延々三枚も続き、最後には

 

54 ギルデロイ・ロックハートの誕生日はいつで、理想的な贈り物は?

 

そんな質問で終わっていた。

何だかドッと疲れた。本当にこの人は『闇の魔術に対する防衛術』の教師なのだろうか

 

54問も問題があるのに、一問たりとも『闇の魔術に対する防衛術』に関係する問題がない。全部ロックハート自身に対するものばかりだ。

 

でも悲しいかな、私にはこの馬鹿なテストの回答が()()()()()()()()()()

 

教科書になるくらいなのだから、私が読めてないだけでどこかには学べる部分があるのでは? 

夏休み中そう思ってこの()()()()を必死に読んでいた。結果は残念なことになったが……。

私は物覚えの良い方だと思う。一回読んだものはあまり忘れることはない。

普段であればうれしく思うことなのだが、このテストを見ているとそうでもないように思えてしまう。おかげでこのテストが()()()()()()のだから。

 

「はぁ……」

 

何にせよ、テストであるからには解かなければならない。解かずに提出することもできるが、その場合余計な波風を立ててしまうかもしれない。ただでさえ、何故か先生に目をつけられているみたいですし。

私は死んだ魚のような眼をして、問題に向き合った。

 

「皆さん! 時間です! それでは皆さんの答えを見せてもらいましょうかね!」

 

三十分経ち、ロックハート先生は皆の答案を回収し、全員の前でパラパラとめくり始めた。

 

「チッチッチ。皆さん、あまり勉強をしておられないようですね。私の好きな色はライラック色ですよ。ほとんどの方が分からなかったようですね。『雪男とゆっくり一年』に書いてありますよ? それに、私の理想的な誕生日での贈り物も分からなかったみたいですね。それも『狼男との大いなる山歩き』に書いてありますよ?」

 

そうなのだ。先生の言う通り、このテストの内容は全て、彼の指定した彼自身の本に書いてあるものばかりだった。だからと言って解けなければいけないような問題でもない。むしろ()()()()()が正解かもしれない。今更ながらそんな気がしてきた。

 

「ですが、やはり主席なだけはありますね! ()()()! 君は全問正解のようですね! よく勉強をしているみたいだ!」

 

「……ありがとうございます」

 

こんなテストが解けても全くうれしくもなんともない。それに、()()()()()()()()を彼に気安く呼ばれるのも不愉快だった。

 

「それに、ダリア以外にももう一人満点の子がいますね! ミス・ダフネ・グリーングラス! 君も満点です! ミス・グリーングラス! どこにいますか?」

 

隣に座っていたダフネが、満面の笑顔で手を上げていた。

 

「素晴らしい! ミス・グリーングラスとあわせて、スリザリンに30点差し上げましょう!」

 

そう言って先生は、私の方にウィンクをよこしてきた。

これほど嬉しくない点数は初めてだ。それが分かるのか、他のスリザリン生も私達に同情の視線を送ってきていた。

 

「……私が言うのもなんですが、ダフネはよくこのテスト回答できましたね」

 

「うん! ()()()()初めてだったから、何だか読んでたら楽しくなっちゃって! 別に()()()()()()()()()()、勉強の息抜きにはピッタリだったよ! それに、どんな点数だろうと、点数は点数だからね」

 

「……たくましいですね」

 

そんな会話をしている間に、ロックハート先生は机の上に大きな籠のようなものを置いていた。

籠には布がかかっており、中に何が入っているのか見ることはできない。でも、どうやら生き物が入っていることは間違いがなさそうだ。先ほどからガタガタと揺れ動いている。

 

「さあ! 気をつけて! 魔法界の中で最も穢れた生き物と戦う術を授けるのが、私の役目です! これから君たちが遭遇するのは、君たちが今まで遭遇したことないような恐ろしい存在です! ただし、私がいる限りは君たちは安全です! くれぐれも取り乱さないように!」

 

彼の口ぶりに私はにわかに期待する。

……使えない教師かと思ったが、そうでもないのかもしれない。

去年は教科書を読むばかりで、全く面白くもなんともない授業だった。そうでなかったとしても、臭いのせいで集中などできなかっただろうけど。

彼の口上に私はもしかしてと期待して……絶望した。

 

「さあ! 捕らえたばかりのコーンウォ―ル地方のピクシー小妖精です!」

 

先生が布を取り払うと、籠の中にピクシーが数十匹入っているのが見えた。

身の丈20センチぐらいで群青色をした生き物が、籠の中でキーキーとわめいている。

こ、こんなものが二年生の題材になるほど危険だというのだろうか?

確かに一匹ではまったくの脅威になりえないが、大量に襲い掛かってくれば多少は危険度が増す生き物ではある。ただ、それでも冷静になれば一年生でも対処可能だ。

皆もそう思っているのか、教室のところどころから失笑が聞こえる。

皆が侮っていることに気が付いたのか、先生は皆をたしなめるように指を振った。

 

「皆さん、どうやらこいつらを侮っていますね! 思い込みはいけませんね!」

 

そして、彼は前代未聞の暴挙に出る。

 

「さあ! 君たちがこいつらをどう扱うか、やってもらいましょうか!」

 

先生は叫ぶと同時に、籠の扉をあけ放つ。

 

生徒達の悲鳴が教室に鳴り響いた。

 

辺り一面をピクシー妖精が飛び回っている。笑っていた生徒たちも、大量に襲い掛かるピクシーに対処しきれなくなったのか、皆机の下に避難している。

二年生にもなればこれくらい対処できるものだという考えは、どうやら私の思い違いだったらしい。これくらい対処してくださいよ……。

 

「……どうする、ダリア?」

 

私と同じように、近づくピクシーを冷静に撃ち落としているダフネが尋ねてくる。

今対処できているのは、私とダフネだけだ。お兄様は机の下に隠れておられる。

 

「……これでも一応実習ということなのですよね? 皆さんにも対処してもらいたいところなのですが」

 

ピクシーを呪文で壁に()()()()()()()答える。

叩きつけられたピクシーは口から血を吐きながら意識を失っていた。

一匹対処してもまだまだ教室には大量のピクシーが飛び回っている。キーキー声を上げながらそこらじゅうのものをひっくり返し、そして生徒に投げつけようとしている。

 

「……そうだね。でも、今はもう実習ってことではなさそうだよ?」

 

「どういうことですか?」

 

ダフネに尋ねると、ちょうど彼女に本を投げつけようとしていたピクシーに『失神呪文』を放ちながら、教壇の方を指さした。

 

「だってロックハート先生、自分の部屋に逃げ込んでしまったみたいだよ? 先生不在じゃ実習ではないよね?」

 

指差された方を見ると、ダフネの言う通り、すでに先生の姿はなかった。

 

「……本当にいませんね。まったく、仮にも先生でしょうに。もしこれでお兄様が怪我でもしたらどうするつもりなんでしょうね」

 

「それで、どうしようか?」

 

「そうですね……」

 

先生がいなくなったのなら、さっさと終わらせてもいいだろう。

そう思い、どうやって終わらせようか考えていると、ふと机の下のお兄様にピクシーの一匹が襲いかかっているのが見えた。

 

「おい! やめろ! 引っ張るんじゃない!」

 

お兄様が耳を引っ張られて、机の下から引きずり出されようとしている。

お兄様のお顔には苦悶が浮かんでおり、耳を引っ張るピクシーの顔には気色の悪い笑みが浮かんでいる。

 

それを見て、私の思考が真っ赤に染まる。

 

羽虫の分際で、お兄様に触れ、尚且つ苦痛を与えている。

一匹残らず、私はこの羽虫を()()()()()()()()()()

 

「ダ、ダリア?」

 

私の雰囲気の変化に気が付いたのだろうダフネの声は、少しだけ恐怖をはらんでいた。

でも、彼女の声が私に届くことはなく、私の思考は殺意に満たされていた。

 

ああ、殺したい。今すぐこいつらを皆殺しにしたい……。

 

『エイビス、鳥よ』

 

無言呪文を唱えると、私の真っ黒な杖の先から大量の烏が飛び出す。

何十羽の烏達は、自分たちを生み出した私の感情が伝わっているのか、一羽一羽がピクシーを睨み付けている。

 

突然出現した真っ黒な烏たちに、ピクシーは怯えたように動きを止めていた。

先程までの気味の悪い笑顔はなく、皆一様に恐怖の表情をしている。

 

今さら怯えても遅い。その汚らわしい手でお兄様に触れた罪を贖うがいい。

 

そして私は、彼らの死刑宣告を()()()行った。

 

『オシド、殺せ』

 

烏たちは、一斉にピクシーに襲い掛かった。

教室のあちこちで、キーキーと悲鳴が鳴り響いている。

 

先程まで騒然としていた教室は、数分後には物音ひとつしないものになっていた。

 

 

 

 

鐘がなり、皆一斉に()()()()()()()()教室から飛び出した。

 

「なんだ、あの教師! あんなに大量のピクシーを解き放つなんて! 教師だろう!? なんであれぐらいを対処できないんだ!」

 

教室から出た瞬間、皆先生に対する文句を口にし始めている。驚いたことに、授業が始まる前は先生にお熱だった女子生徒もそれに参加していた。

そんな彼らだが、私が彼らに遅れて教室から出てくると皆私の顔を見て一瞬驚き、気まずそうに私から目をそらした。

 

「ダリア……。さっきのは?」

 

畏れを含んだ視線の中、少し真剣な表情をしたお兄様が私に尋ねる。

 

「……つい頭に血が上ってしまって」

 

先程の高揚感は消え、激しい後悔が私を襲っていた。

またやってしまった。ハロウィーンや去年『禁じられた森』でお兄様を襲っていた男と違い、今回はたかがピクシーだった。何も殺す必要などなかったのに……。

一年前と何一つ変わっていない。こんなのだから、あの鏡はあんな光景を映すのだ。もっと自制しなくては。

 

だから、ピクシーを殺したことを、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

後悔に苛まれる私に、

 

「そうか……」

 

お兄様は何だかとても複雑そうな表情をしながら頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

去年のハロウィーンと同じだ。ピクシーを無残に殺したダリアは、その後悔した口ぶりとは裏腹に、あの時と同じく残酷な笑みを浮かべていた。

そんな笑顔で惨劇を生み出した彼女を、皆遠巻きに見ている。おそらく、彼らが初めて見たダリアの表情といえる表情だろう。

その瞳には、隠しきれない恐怖が映っていた。

 

ピクシー相手とはいえ、あのような場面を見るのはショッキングだったのだろう。

 

「ダリア……」

 

私は笑顔のダリアに話しかける。

今の表情を浮かべているダリアが怖くないかというと……嘘になる。でもそれ以上に、彼女のそばにいたい、彼女の味方でいたい、彼女のことを裏切りたくないという思いの方が勝っていた。

 

「ダフネ、どうかしましたか?」

 

だからと言って、私が彼女に今できることなどほとんどない。

そもそも、ダリアはどうやら自分の表情について分かっていない様子だった。それを私が指摘しては、何か悩んでいる様子のダリアが余計に傷つくだけだ。

私に今できることは、いち早く彼女をここから連れ出すことだけだ。

彼女のことが知りたくても、ここで踏み込んでしまってはいけない。

 

「……服に血がついてるよ」

 

私は彼女のローブを指さし言った。

少しではあったが、ダリアのローブにはピクシーのものと思われる血がついていた。

 

「ああ、本当ですね」

 

彼女も今気が付いたというように自分のローブを見ている。

 

「午後の授業まで時間はたっぷりあるし、一回寮に戻ろっか。私も寮に一回戻りたいから、一緒に行こうか」

 

「そうですね。お兄様、先に昼食を済ませててもらってもよろしいでしょうか? このローブで昼食をとるわけにはいかないので、先に着替えてまいります」

 

「……ああ、分かった」

 

ドラコの返事を聞き、私達は寮に戻る。

ドラコの横を通る瞬間、

 

「ダリアを頼む」

 

それに私は無言で頷き、ダリアの後を追った。

ハロウィーンの時と同じ表情。いつも無表情な彼女が私に見せた、初めての表情。

生き物を殺したのに、それを喜んでいるかのような残酷な笑顔。

私はそんなことでダリアを恐れたりしない。いや、恐れてはいけない。

だって、彼女がどんな表情を浮かべていようと、彼女が本当は優しい子だと私は知っている。こんなことが、彼女を恐れる理由であっていいはずがない。

 

たとえ、彼女が何かを殺すことに()()()感じているのだとしても。

 

「ダフネ、どうかなさいました?」

 

「……ん? ごめんごめん、少し考え事してた」

 

ダリアに話しかけられ私の意識は浮上する。少し自分の考えに没頭しすぎていたようだ。

 

「そうですか」

 

そう答えるダリアの表情は、もう徐々に元の無表情に戻っていた。

怖がらないと決めても、いつもの無表情にホッとしている自分がいた。

 

 

 

 

二人で廊下を進み、寮のある地下に降りる。

その途中、『魔法薬学』の授業が終わったのだろうグリフィンドールの一年生の集団と出くわした。

もうグリフィンドールとしての自覚が芽生えているのだろう、昨日入学したばかりだいうのに私達スリザリンの上級生に怯えながら、あるいは睨みつけながら私達とすれ違う。ただ睨み付けてくる子もダリアが見つめ返すと、他の子と同じように怯えた表情になっていた。

そんな通り過ぎた集団を振り返りながら話す。

 

「まったく、昨日入学したばかりなのに、もうスリザリンを敵視しているみたいだね」

 

「スリザリンとグリフィンドールの仲の悪さは昔からですからね。大方、親からスリザリンの素行の悪さでも聞いていたのでしょう。まあ、これに関してはスリザリンも人のことを言えませんね。去年、お兄様も初日からグリフィンドール生に噛みついていましたから」

 

「あはは。それもそうだね。おっと、結構時間が経っちゃったね。行こう、ダリア」

 

「ええ……」

 

「どうしたの?」

 

「……いえ、なんでも」

 

ダリアは先ほどの集団を、まだ複雑な表情で見ている。

 

それが気になって視線の先を追うと、一年生の集団の中に一瞬、見事な赤毛の髪が見えた気がした。

 



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閑話 いらだち

ドラコ視点

 

「こ、怖かった……」

 

「私、マルフォイさんの表情って初めて見た……。あんな風に笑うんだね……」

 

ダリアとダフネが去った後、緊張が解けたのか、スリザリンの中でそんな声が漏れ聞こえていた。誰が口にしたのか分からなかったが、そんなのはどうでもいいことだろう。

何故なら、口にしないまでも、皆同じ感想を持っているのが表情からわかるからだ。

兄である僕がいるから多くの者は何も言わないが、おそらく僕がいなければもっと多くの人間が同様の、いやそれ以上のことを口にしていただろう。

 

お前らはダリアのことを何も知らないくせに! あんな表情一つで、ダリアの何を分かった気になっているんだ!

 

元々彼らがダリアを内心では怖がっていたのは知っていた。大勢の者にとって、マルフォイ家のダリアは格上の存在だ。尚且つ無表情で冷たい雰囲気のため恐ろしく思っていたのだろう。それが今回の一件、いや表情でその恐怖は確信に変わってしまった。

 

ダリアは本当に恐ろしい人間なのだと。

 

勿論、今まで以上に恐怖されると言っても、孤独に()()()()()()()()()()()考えているダリアは特に表面上は気にはしないだろう。ダリアにとって、兄である僕、そしてダフネ、後おそらく忌々しいことに()()()()()()さえいればどうでもいいと考えていることだろう。

 

でも、それはただダリアが諦めてしまっているだけだ。ダリアも本当は……。

自分の身を守るため、そして僕ら家族を守るために、ダリアは秘密を守り続けている。そのために、ダリアは家族以外の他者を寄せ付けないようにしているのだろう。最も、ダリアにそのつもりがなかったとしても、表情を変えることが出来ないダリアに多くの人間は寄り付かないかもしれないが……。

 

だが、それでもダリアは、本当は寂しがり屋の優しい女の子なのだ。

 

その証拠に……ダフネだけは距離感を掴みかねている様子だった。

距離をとらねばならないと思っているのに、純粋に自分を慕ってくれているダフネを邪険に扱いきれないのだろう。

グレンジャーに関しては……離そうとしても何故か離れないという印象だが。

 

僕はそんなダリアを怖がる連中に、たまらなく腹が立った。

あんな表情一つで恐怖する連中に。本当はダリアが優しい子だと理解できない連中に。

 

でも、僕も本当はあいつらのことを言えない……。

だって僕は、ダリアが本当は優しい子であるということ()()知らない。

ダリアのことを、そんな()()()()()()()()()分かってやれていない。

 

僕は、ダリアのことを()()()()()()()()()()()()()

 

「……昼食に行くぞ」

 

こんな雰囲気な場所から一刻も早く離れたくて、比較的恐怖の薄そうなクラッブとゴイルに声をかける。幼い頃からダリアの雰囲気に中てられていた二人は、先程のダリアの表情にそこまで驚いていない様子だった。もっとも、昼食の時間ということで、彼らの中で空腹の方が強いということもあるのだろうが……。

 

結局、昼食の間にダリアが現れることはなかった。おそらく着替えるのに時間がかかっているのだろう。ダリアがいない状態では何となく手持無沙汰だったので、気分転換のために中庭に向かう。

しかし、外は僕の気分と同じような曇り空であり、あまり気分が変わることはなかった。

 

それに気分転換のために行った中庭には腹立たしい先客がいたのだ。

ポッターと愉快な仲間たちだ。

 

三人は仲が良さそうにベンチに座っている。ポッターとウィーズリーは楽しそうに談笑しているし、グレンジャーは本を読んで会話にこそ参加していないが、非常に彼らを信頼している雰囲気を醸し出している。

 

その姿が今の僕にはたまらなく腹立たしかった。

 

だって僕は……彼らのように、ダリアのことを全く知らない。

 

今の僕は、彼らを見ているとたまらなく自分が情けなく思った。それがとてつもなく腹立たしく、それを到底認めることなどできなかった。

 

そんな風に苛立ちながら眺めていると、彼らにグリフィンドールの一年生と思しき生徒が、カメラを携えてポッターに話しかけるのが見えた。どうやらポッターに写真とサインを求めている様子だった。

これは丁度からかうためのネタが出来たと思い、ポッターに近づく。

 

「サインだって!? ポッター、君はサイン入り写真を配っているのかい!?」

 

僕は胸の中にくすぶっている苛立ちのまま、中庭にいたポッターに大声を上げた。

これが八つ当たりでしかないことは、僕も何となく気が付いている。でも、それに気が付いてもなおやってしまっていた。この胸の内の苛立ちを、彼らにぶつけたくて仕方がなかった。

 

「マルフォイ!」

 

僕の突然の揶揄に、ポッター達はいきり立ったように立ち上がる。

 

「皆並べよ! ポッターがサイン入り写真を配ってくれるぞ!」

 

「黙れ! マルフォイ!」

 

僕はいつもこうだ。去年ダリアに散々言われたというのに、彼らを見るとどうにも腹が立って、こんな風に喧嘩を吹っかけてしまう。

いつものように止まれなくなった僕とポッター達がにらみ合っていると、僕の突然の登場に唖然としていた一年生が声を上げた。

それは今の僕には胸に刺さる言葉だった。

 

「君、やきもちやいてるんだ」

 

一年生の言葉に内心どきりとした。

 

「なんだって?」

 

「君はハリーにやきもちをやいてるんだ! ハリーが偉大だから、君は嫉妬しているんだ!」

 

僕は一瞬言葉が詰まった。何故なら、それが図星だったからだ。別にポッターが偉大だから嫉妬しているわけではない。

 

僕には、彼らの本当に信頼しあっている様子が、たまらなくうらやましかったのだ。

まるでお互いのことで知らないことなんてないような、そんな親密さが。

僕が生まれてから、ずっと一緒にいるダリアにもできていないことが、去年の一年だけで出来ている彼らのことが。

 

「なんで僕がポッターに嫉妬しないといけないんだ? ありがたいことに、僕には頭に醜い傷なんてないもんでね」

 

でも、それが分かったからと言って、彼らに自分の非を認めることはできなかった。

それを認めてしまえば、まるで本当に僕らは理解しあえてないと思っていることを認めてしまう気がしたのだ。僕はそんなことで彼らに嫉妬していると、認めることが出来なかった。

 

「ナメクジでも食らえ、マルフォイ」

 

「言葉には気をつけろよ、ウィーズリー」

 

今にもこちらに殴り掛かりそうなウィーズリーに、吠えメールの一件を揶揄しようとしたが、

 

「やあやあ! 皆さん! いったい何事ですか!? こんな所に集まって!?」

 

先程散々な授業をし、ダリアにあんな表情をさせるきっかけを作ったクズ教師が現れた。自分で解き放ったピクシーに対処することもできず、部屋に引きこもっていたはずだが、どうやらダリアが対処したことで部屋から出てきたらしい。あのまま引きこもっていればいいものを……。

 

僕はこいつのことが先程の授業で心底嫌いになっていた。

散々な授業をしたから。

ピクシーを解き放ったことで、ダリアがあんな表情を作るきっかけを作ったから。

 

そしてダリアの名前を、ダリアが最も大切にしている名前を気安く呼んだから。

 

「おや、ミスタ・マルフォイではありませんか!? ダリアの姿が見えませんが、どうしたのですか?」

 

「……さあ?」

 

先程の授業で、こいつがダリアに興味を持っていることは分かっている。その気持ちだけは分からないでもない。

ダリアは非常に美人だ。無表情と冷たい雰囲気で、他寮どころかスリザリンにさえ怖がられているが、それはダリアの顔立ちが異様に整っていることもあるのだろう。事実遠目に見る分には、他寮の生徒もダリアに見とれる姿がよく散見された。

 

でも、いくらダリアを恐れずに近づいていても、こいつだけはダリアに近づけたくはなかった。なんの覚悟もなしにダリアに近づいてきているのが目に見えたし、それにダリア本人もこの愚かすぎる男の事を好きではない様子だった。他の人間には分からないだろうが、こいつがダリアのことを『ダリア』と呼ぶ時、僕には表情を不快気にゆがめているように見えていた。

そんな大っ嫌いなクズ教師だが、どうやら僕からダリアの情報が聞けないと思ったのか、今ここでの興味の対象はポッターに移ったようだった。

 

「そうですか、それは残念! そんなことより、ハリー! これはどういう事態ですか!? おっと! 言わなくてもよろしいですよ! 私にはすぐにわかりましたとも! ハリー、君がサイン入り写真を配っていたんだね!」

 

そんなロックハートの言葉を受けて、ポッターは顔をゆがめている。見ていて腹立たしい奴ではあるが、今は何だか少しだけポッターに同情した。

それでも発端となったのは僕だが、これ以上ここにいても馬鹿らしいだけだと判断してこの場を脱出することにした。ポッターを囮にして。

これ以上ロックハートと同じ空気を吸いたくない。ポッターがロックハートに絡まれながら送ってくる恨めしそうな視線を無視し、中庭を急いで離れた。

 

それにここで離れないと、ダリアが奴の視界に入ってしまう。

ロックハートが中庭に入ってきた直後に、僕の視界の端に白銀の髪が見えていたのだ。

 

「ドラコ! こっちだよ!」

 

日光の関係で中庭に入ってこれないダリアの横で、ダフネがこちらに手を振っているのも見える。ただの八つ当たりだったポッター達などもはやどうでもいい。

 

早くダリアの傍に戻りたかった。

中に入ってみると、手を振るダフネの傍の日陰に、ダリアが立っている。

ダリアの表情はいつもの無表情に戻っていた。

 

僕はダリアのいつもの無表情を見て安心すると共に、再び苛立ちを感じた。

勿論ダリアに対しての苛立ちなどではない。

 

僕はダリアのことを何も知らない。僕は、ダリア()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

僕はダリアの苦しみを真に理解してやれていない。

 

なのに、

 

「お兄様? どうかなさいましたか?」

 

ダリアはいつものように、僕の表情を読んで心配してくれている。無表情だが、僕には確かに彼女が心配そうな表情をしているように見えた。

 

「……いや、なんでもない」

 

僕はただでさえ自分のことで精一杯のダリアを、これ以上心配させまいと言った。

 

本当に自分が情けなく思う。

先程の授業だってそうだ。ロックハートがあんなことをしたのが悪いとはいえ、僕がピクシー如きにやられたのが悪いのだ。僕があんな風にやられなければ、ダリアが暴走することだってなかった。ダリアが皆の前で、あんな表情をすることはなかった。

 

でも、だからこそ僕は誓うのだ。

 

「……ダリア、お前を絶対に独りにはしないからな」

 

僕が守るべきダリアどころか、あの『穢れた血』のグレンジャーにも魔法で劣っていることは分かっている。唯一自慢できるクィディッチすら、あのポッターより劣っている。でも、それでも僕は、ダリアを守ると決めたのだ。

 

だからこそ、僕には立ち止まることは許されない。手始めに、まずはクィディッチのシーカーにならなくてはならない。

シーカーとは、寮におけるヒーローみたいなものだ。シーカーはクィディッチを制するポジションだ。そして、クィディッチは寮杯に大きく関係する。だからこそ、シーカーこそが寮で最も注目され、最も発言力があると言っていい。尤もスリザリンは寮の特性上、純血こそが最も発言力を持っている特別な寮だ。でも、そんな寮で純血筆頭である僕がシーカーをやれば、寮においての発言力はさらに絶大なものになるだろう。

 

同じマルフォイ家であるけれど、僕の影響力はダリアのものより遥かに劣っている。

僕は寮で何かを変えられるほど地位が高くない。昔からずっと一緒にいるクラッブとゴイルだって、本当はダリアに媚びを売りたいということは何となくわかっている。

だからこそ、授業直後も僕がいるというのにも関わらず、ダリアを恐れたような発言をする生徒がいたのだ。

 

そのことで、僕がダリアに嫉妬することはない。

ただ、ダリアを守ってやれない程情けない自分が悔しくて仕方がないだけだ。

 

でも、僕がシーカーになることが出来れば……。その発言力を持ってすれば、体の関係で孤立しがちなダリアを守ってやることもできるかもしれない。

 

僕は、自分がダリアに守ってもらうだけの存在ではなく、僕がダリアを守ることができる人間なのだと証明したかった。

 

 

 

 

去年から抱いていた、僕のスリザリンのシーカーになりたいという欲望は、もはやシーカーにならなくてはならないという義務感に変わっていたのだった。



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新シーカー

 ダリア視点

 

今日はスリザリンの新シーカーを選ぶ日だ。試験は他寮に対して秘匿性を守るため早朝行われる。

初めは私も同行したかったのだが、早朝のため日光が低く日傘では防ぎにくいということで、お兄様が私の同行を認めてくださらなかったのだ。そのため、今私は談話室でお兄様を泣く泣くお見送りしていた。

 

「私も行きたかったのに……。お兄様の雄姿が見たかったのに……」

 

私は未だにぶつぶつ言っていた。私だってお兄様の飛行姿が見たい。

 

「……ダリア、」

 

「大丈夫だよ! ダリア!」

 

愚図る私にお兄様が何か言おうとしたが、その前に同じく早朝から見送りに来ていたダフネが声を上げる。

 

「ドラコの姿は私がばっちり撮っておくから!」

 

そう言ってダフネは肩に下げていたカメラを掲げた。同行させてもらえないと落ち込んでいた私を見かねて、ダフネが写真を撮ってきてくれることを提案してくれたのだ。

この提案をしてくれた時、私にはダフネが天使か何かに見えた。

 

「……申し訳ありません、ダフネ。お手数ですがよろしくお願いいたします」

 

いつもはこんなことしないのだが、今回はダフネの手をしっかりと握りお願いする。

私もお兄様の雄姿が見たい。

 

「いいのいいの! 私もドラコの選ばれる所を見たいしね!」

 

どうやらダフネも、お兄様が選抜されないとは微塵も考えていないようだ。

やはり落ちるかもと心配しているのはお兄様本人だけだ。いつもはクィディッチに対して並々ならぬ自信を持っているのに、いざという時はやはり不安になってしまうらしい。去年はヘリコプターなる大ぼらまでついて自慢していたというのに。

 

「……まだ受かると決まったわけじゃない。箒もこれだしな」

 

お兄様は緊張した様子で、片手に持っていた箒を掲げる。お兄様が掲げた箒は、夏休み中お父様が買ってくださったニンバス2001……ではなく、ホグワーツに大量に在庫してある『シューティングスター』とか言う箒だ。

おそらく箒の能力に頼らない能力を見たいという意図なのだろう。そうでなければ、マルフォイ家のような財産の多い家柄の子が有利になってしまう。スリザリンにおいては普段そちらの方が地位が高いのだが、クィディッチに関してはそこの所は公平だった。

 

「ああ、その箒、去年の飛行訓練で使った奴だよね。そんな箒に乗るの? はっきり言って、最底辺の箒だよ?」

 

この箒は()()()()()()()()()()()()な代物だ。常にふらふらと違った方向に飛んでいこうとする。だから少し浮かぶ程度しかしない一年生の授業ぐらいでしか使わない。いや使えない。だからこそ、そんな代物で去年悠々と飛んでいたお兄様はやはり飛行が上手だし、それ以上に、こんなのでプロ顔負けの動きをしたポッターはそれ以上にすごい才能の持ち主ということなのだが。

 

「全員同じ条件です。お兄様は去年それで軽々と飛行されていたのですから、寧ろ丁度いいのでは? お兄様以外にそれを乗りこなせる方なんていないでしょうし。……それに、お兄様がニンバス2001にお乗りになったら、それこそお兄様の選抜にケチがついてしまいます。実力ではなく、箒で選抜されたなんて噂されたら嫌ですからね。無論そんなことを言った人間は、私が捻りつぶしますが」

 

「そ、それもそうだね。ドラコならこんな箒でも余裕だよ!」

 

「……ダリア、ダフネ。あまりプレッシャーをかけないでくれるかな?」

 

そう言いながらも、お兄様は私たちの会話を苦笑しながら聞いていた。どうやら、先程まで感じていた緊張も薄らいだようだった。よかった。これで少しは肩の力が抜けたらいいのですが。何だかんだ言って、お兄様はいざという時緊張してしまい、力が十分に発揮できない質だ。それにここの所、何故かシーカーになることに並々ならぬ執念を燃やしておられたので、少しそれが心配だったのだ。

でもこれなら本番でも大丈夫そうですね。私はホッと息をついた。

 

そしていよいよ会場に行く時間がやってきた。

 

「……ダリア、行ってくる」

 

「はい、お兄様。お待ちしております」

 

「いや、待ってなくてもいいぞ。まだ朝早いんだ。もう一度くらい寝ていてもいいだろう」

 

「いえ、ここで待っております。競技場に行けなくても、せめて知らせは一番に聞きたいですから」

 

「そうか……分かった。すぐ帰ってくる」

 

そう言ってお兄様は、ダフネを伴って談話室を出て、選抜会場に行ってしまった。

私はそんなお兄様の背中に、

 

「頑張って、お兄様」

 

ポツリと小さくつぶやいた。

 

結論から言うと、お兄様は余裕綽々で試験に通った。約束通り、お兄様は真っ先に私にその結果を教えてくださった。談話室で本を読みながら待っていたところ、ダフネと共に帰ってきたお兄様が満面の笑顔で告げる。

 

「ダリア! シーカーに選ばれたぞ!」

 

やる前から分かっていた()()()()()ではあるが、私も幸せそうなお兄様を見ているとついうれしくなり、思わずお兄様に抱き着いて喜んだ。

 

試験の内容は、シーカーらしく放たれたスニッチをいかに早く捕まえるかといったごく単純な内容だったらしい。

他の候補は皆『シューティングスター』に翻弄され、案の定まともに飛ぶことすらかなわなかった。その中でも、お兄様は他の候補の半分以下の時間でスニッチを掴んでいた。ポッター程華はないが、お兄様は今までの経験を活かした堅実なプレーで、試験中他を圧倒していたようだ。

そして今、スリザリンは新シーカー誕生のパーティーをしている。

皆が夕食を食べ終えた時間、スリザリン生は皆談話室に集まっていた。テーブルにはお菓子などが大量に置かれており、普段は落ち着いた雰囲気の、悪く言えば暗い色をした談話室の壁が、今日だけは魔法で明るい色に変えられている。キラキラしたグリーンに変えられた壁は、正直目に痛かった。純血の子が多い寮だが、浮かれる時は浮かれるのだ。

お兄様は今回の主役であることもあり、部屋の中心で皆にもみくちゃにされていた。片腕にはパーキンソンがへばりついてゴマをすっている。

 

「さすがはドラコね! 貴方ならシーカーになれると思ってた!」

 

「ふん、当たり前だろう!」

 

試験を受ける前の緊張はどこへやら、いつものように少しだけ調子に乗った様子のお兄様の姿がそこにはあった。

 

私は、いつもは物静かなスリザリン生達が騒いでいるのを横目に、ダフネが撮ってきてくれたお兄様の写真を眺めている。

写真の中のお兄様は、少しだけ緊張した面持ちでスニッチを追いかけている。そしてスニッチを掴んだ瞬間、お兄様は本当に嬉しそうに笑っていた。

 

やはり飛んでいる時のお兄様はかっこいい。

 

「よく撮れていますね。ダフネ、ありがとうございます」

 

写真をうっとりと眺めながらダフネに礼を言う。

 

「いいのいいの、これくらい! 私もいいもの見れたしね!」

 

あっけらかんとしたダフネの返事を聞いていると、もみくちゃにされていたお兄様がこちらにやってきた。

 

「ダリア、ここにいたのか!」

 

「ええ、ダフネが撮ってきてくれた写真を見ていたのです」

 

「そ、そうか」

 

何だか恥ずかしそうにしながら、お兄様も私の手元にある写真をのぞき込む。

 

「じ、自分の写真を自分で見るのって、なんだか恥ずかしいな」

 

「そうですか? でも、かっこいいですよ、この写真。お父様達にも後で送りますね」

 

「……」

 

顔を赤らめているが、私の言葉がまんざらでもない様子のお兄様。少しだけ顔がにやついている。そんなやり取りをしている所に、

 

「ドラコ、よくやったな」

 

こちらにゾロゾロとスリザリンチームのメンバーがやってきた。彼らの一番先頭に立っているスリザリンチームキャプテン、マーカス・フリント先輩が話しかけてくる。図体のでかい彼は、私たちと同じ『聖28一族』のフリント家であるため、()()()()()()()()()()()()にも馴れ馴れしく話すことが出来る数少ない人物だ。

 

「しかもお前、試合ではニンバス2001を使うんだろ? グリフィンドールのポッターはニンバス2000を使っているからな。去年は箒のせいで負けてしまったが、これでシーカー対決はもらったようなものだ」

 

「……ふん、当たり前じゃないか」

 

お兄様がニンバス2001を持っていることは、スリザリンチームの皆がもう知っていることだった。お兄様が試験に通った後、どの箒を使うのか聞かれた際に、最新型を使うと伝えたのだ。ポッターのニンバス2000以上の最新型を持つシーカーの登場に、皆これで勝てると喜んでいる。これでシーカーは、他寮を圧倒できると。

 

でも、それ以上のことがあることを、お兄様も含めてスリザリンチームメンバーは誰もこの時点では誰も知らなかった。

私はまだ、最大のサプライズがあることを誰にも伝えていなかった。

 

そろそろいいタイミングかな。

 

私はお兄様の肩を叩いて喜ぶメンバーに声をかけた。

 

「お兄様、そしてチームの皆さん。少しよろしいでしょうか?」

 

私が話しかけると、チームメンバーはどこか緊張したように、私に振り返った。

 

「ど、どうかなさいましたか、マルフォイさん?」

 

スリザリンの生徒のほとんどに言えることだが、何故か同じマルフォイ家であっても、お兄様以上に私を恭しく扱おうとする。先程までお兄様の肩を叩いていたフリント先輩も、私にはまるで畏怖したかのように話しかけてきていた。特に今年の『闇の魔術に対する防衛術』があった日からそれは一層顕著なものになっている。

いつものことではあるが、何故怖がられているか分からない私は頭をかしげながらも、

 

「実は皆さんにお父様からプレゼントがあります」

 

「ルシウス氏、からですか?」

 

「ええ。ではこちらに皆さん集まってもらえますか?」

 

そう言って、あらかじめ談話室の端に置いてあったプレゼントの山を指さした。

チームメンバーと共に、お父様からのプレゼントに興味をもった生徒が山に集まる。

プレゼントの傍に立つ私を中心に、皆輪になって成り行きを見守っていた。

 

「マルフォイさん、これは?」

 

「スリザリンを今年、()()()()()()()()()()()()()です。では、開けてみてください。きっと、皆さん喜んでくださるはずです」

 

私がそう言うと、恐る恐るといった様子でチームメンバーが袋を開いていく。

最初は恐る恐るといった様子だったが、プレゼントの正体が明らかになっていくにつれ、皆驚愕といった表情にみるみる変わっていく。

そして、袋を開け終えた一人がついに大声を上げた。

 

「こ、これは!?」

 

「ニ、ニンバス2001だ!」

 

「しかも全員分!?」

 

皆驚愕といった顔で私を振り返る。お父様が全員分のニンバス2001を買っているとはまだ知らなかったお兄様も、驚いた様子で私を見ている。どうやらサプライズは成功のようだ。

 

「そうです。お父様がOBとして、スリザリンチーム全員分の最新型箒をプレゼントしてくださいました」

 

「さ、流石はマルフォイ家……」

 

「こ、これさえあれば、確実に優勝することが出来る!」

 

純血が多いスリザリンは他の寮に比較して上質な箒を使っていた。でも、それも微々たる差でしかなかった。しかし今年は、全員が今までより遥かに高い性能の箒を手に入れることが出来たのだ。チームメンバーだけでなく、スリザリン生全員が今年の勝利を確信し顔がにやけている。

 

「こ、これで他の寮を圧倒できる。去年はグリフィンドールなんかに負けたが、今年こそは……」

 

突然のことに、うわ言の様に呟くフリント先輩。

 

「どうですか? お父様からのプレゼントは気に入ってもらえましたか?」

 

「……ええ。マルフォイ家に感謝します。流石は純血筆頭、マルフォイ家です」

 

「ええ。その言葉で、きっとお父様もお喜びになるでしょう」

 

私は対して表情が変わっていないだろうけど、そうフリント先輩と笑いあっていると、お兄様が神妙な顔つきで近づいてきた。

 

「ダリア、これは……」

 

未だに信じられないといった様子で、お兄様が私に尋ねてきた。

 

「実はお兄様が箒を買っていた日に、お父様がこっそり全員分買っておられたのです。お兄様のシーカー就任祝いだと言って。お父様も私と同じように、お兄様の就任を疑っておられなかったということです」

 

「そ、そうか」

 

私の言葉でようやく、お兄様は現実に追いついてきた。

お父様が寄せる期待と信頼が嬉しいのか、お兄様の表情はほころんでいる。

 

「ダリア、僕は、絶対に今年優勝するからな。見ていてくれ」

 

「はい、お兄様。非常に楽しみにしています」

 

私とお兄様はそう言って笑いあった。

 

ダフネはそんな私たちを、微笑ましそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ロックハートの初授業から数日、僕はコリンとロックハートに追いかけまわされる日々を過ごしていた。ロックハートの初回の授業は、ロックハート自身に関する下らないテストをして、その後彼の本に書いてある場面を再現する劇をするだけの内容だった。最初は実習を予定していたようなのだが、どうやら午前のスリザリンの授業で、実習道具が使()()()()()()()()()()()()()()。この先生がやる実習なんて嫌な予感しかしないので、僕は初めてスリザリンに感謝した。ハーマイオニーだけは楽しみだったらしく、後でぶつぶつ言ってはいたが。

 

そして初めての週末。初っ端から色々あった一週間だったけど、これで今日は休めると思っていたのに、朝早く僕はグリフィンドールのキャプテン、オリバー・ウッドに叩き起こされた。

 

「な、なにごと?」

 

「起きろ! ハリー! クィディッチの練習をするぞ!」

 

寝ぼけ眼で窓の外を見ると、まだ朝日も昇っていなかった。

 

「オリバー、まだ夜が明けたばかりだよ……」

 

「その通り! だからこそ、まだどこのチームも練習していない! 我々グリフィンドールが一番乗りになるのだ!」

 

完全に深夜のテンションだ。でも、一度叩き起こされた上に、こんな風に横で大騒ぎされれば目も覚めてしまう。仕方なく、僕は深紅のユニフォームに着替えて談話室に降りる。そこには、

 

「ハリー! さっき君の名前が聞こえたから来たんだ! その恰好! もしかして今からクィディッチの練習かい! 僕、クィディッチなんて見たことないんだ! 君ってすごく上手いんだろうね! 僕、飛んだことないけど、僕にもできるかな!? あ! もしかして、それってハリーの箒!? 一番いいやつ!?」

 

ロックハートに次いで、ここ最近僕を最高に困らせてるコリン・クリービーがいた。

彼は僕と出会う度に写真とサインをねだってきた。しかも、どうやら僕の時間割を把握しているらしく、授業の合間にも異常な頻度で彼と出くわした。

 

「僕も見に行っていい!? ハリーって最年少で寮代表選手になったんだよね!? 凄いな! ねえ、一緒に行っていいよね!?」

 

「……別にいいけど」

 

本当はまったく良くはないのだけど、年下の一年生を邪険に追い払うこともできず、僕は諦めて同行を許可した。

彼は延々とおしゃべりを続け、僕が同行を許可したことを心底後悔し始めたところで、僕らはようやく競技場に着く。

 

「ここでクィディッチをやるんだ! 僕、ハリーの練習がしっかり見えるように、これからいい席取ってくるね!」

 

ようやくコリンから解放された僕は更衣室に入る。

 

「遅いぞ! ハリー!」

 

更衣室に入ると、僕以外の選手は全員集まっていた。尤もその中で起きているのはウッドだけであり、他の皆は船をこいで寝ていた。

 

その後、僕らはウッドが夏休み中に考え出したという新戦略を()()()()聞いた。そしてウッドの演説が終わり、ようやく練習だと外に出た時には、もうすでに日が昇り始めていた。

 

「まだ練習してなかったのかい!?」

 

スタンドにロンとハーマイオニーがいたのを見つけ話しかけると、ロンが第一声で声を上げた。

 

「うん。今までウッドの新戦略を聞いてたんだ」

 

僕は二人が食べているトーストをうらやましく眺めながら返した。

 

箒にまたがり、いよいよ練習を開始すると、どこからかカシャカシャという音が聞こえる。言わずもがなコリンのカメラが出す音だ。

 

「誰だあれは!? スリザリンのスパイか!?」

 

「違うよウッド、あれはグリフィンドールの一年だよ」

 

「そうだぜウッド。それにスリザリンにスパイなんか必要ないぜ」

 

コリンを疑わし気に見つめるウッドに返事をしていると、フレッドが割り込んできた。

 

「どうしてそんなことが言えるんだ!?」

 

短気になったウッドに、

 

「だって、ご本人たちが来てるんだからな」

 

そう言ってフレッドが指さした先には……グリーンのユニフォームを身に着けたスリザリンチームがいた。

 

「馬鹿な! 今日は僕たちが予約してるんだぞ! ちょっと行って話をつけてくる!」

 

猛スピードで飛んでいくウッドに続き、僕とフレッド、そしてジョージが降り立つ。他の選手も続々とこちらに集まってきていた。

 

「フリント! 今は僕たちの練習時間だ! ここから出ていけ!」

 

「ウッド、ここは俺たちが全員で使える程広いだろ?」

 

ウッドも大きいが、それよりさらにでかいマーカス・フリントがにやけながら言った。

 

「ここは僕が予約したんだ!」

 

「そうかもしれないが、残念だったな。僕らにはスネイプ先生のサインがある」

 

そう言って掲げたメモには

 

『私、スネイプ教授は、本日新シーカーの教育のため、クィディッチ競技場におけるスリザリンの練習を許可する』

 

そう書かれていた。

 

「新シーカー? いったい誰だよ?」

 

ウッドのうめきに合わせて、スリザリンチームの後ろから青白い顔をした、僕がもっとも嫌いな奴が出てきた。

 

ドラコ・マルフォイだった。

 

「ルシウス・マルフォイの息子じゃないか」

 

フレッドが嫌悪感丸出しで呟く。

 

「そうとも。しかも、それだけじゃないぞ」

 

フリントを含め、スリザリンチーム全員がにやつきだし、手に持っていた箒を掲げた。

 

「ルシウス氏から僕ら全員に、最新型の箒を送ってくださった! この、ニンバス2001をな!」

 

彼の言う通り、スリザリンチームが掲げる箒は皆、最新型の箒になっていた。

僕グリフィンドールチームが唖然としていると、

 

「どうしたんだ! どうして練習しないんだよ!? それに、なんでそいつがそこにいるんだい!?」

 

ロンとハーマイオニーが異常を感じてこちらに走ってきた。

 

「ウィーズリー、僕がここにいるのは、僕こそがスリザリンの新シーカーだからさ」

 

マルフォイが満足げに言った。

 

「そして今は僕の父上がチーム全員に送った、このニンバス2001を皆で称賛していたところだよ」

 

僕たちと同じようにあんぐりと口を開けるロンに、マルフォイの追撃は続く。

 

「いいだろう? これでクィディッチは優勝したも同然だね。悔しかったら、君らも箒を買えばいいさ。もっとも、」

 

「そんな箒がなくたって、グリフィンドールは負けはしないわよ! こっちの選手は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

マルフォイの言葉を遮って、ハーマイオニーがきっぱりと言い切った。

 

ハーマイオニーの言葉で、マルフォイはまるで自分の誇りをひどく傷つけられたように顔をゆがめた。

そして、

 

「こ、この『穢れた血』め! お前の意見なんて聞いていないんだよ!」

 

 

マルフォイはゆがんだ顔のまま、そう吐き捨てるように言った。

でも、言った直後、ハッとしたような顔になる。

まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()言ってしまったというような、そんな一瞬焦ったような顔に。

 

「マルフォイ! お前よくもそんなことを!」

 

そんなマルフォイの表情に関わらず、彼の言葉で辺りは騒然となった。

フレッドとジョージは、マルフォイに殴り掛かろうとしている。グリフィンドールチームの女性メンバー、アンジェリーナは今にも杖を抜こうとしていた。

僕には『穢れた血』という言葉の意味は分からなかったが、周りの反応からそれが酷い言葉であるということは分かった。

 

「マルフォイ! 思い知れ!」

 

飛びかかろうとするグリフィンドール、そしてそれを抑え込もうとするスリザリンの間から、比較的マークの薄かったロンが杖をマルフォイに向けた。

 

次の瞬間、バーンという音が競技場に鳴り響く。

そして吹っ飛んだのは……マルフォイではなくロンの方だった。

折れたロンの杖が逆噴射したのだ。

 

「ロン! 大丈夫!?」

 

ハーマイオニーと共にロンに駆け寄る。

するとロンは言葉の代わりに……ナメクジを吐き出した。

 

「ちょっと、ロン!」

 

ハーマイオニーが慌てたようにロンを助け起こす。その様子を、()()()()()()()()スリザリンチームが笑いこけながら眺めている。

 

「ど、どうしよう」

 

「とりあえずハグリッドのところに連れて行こう。あそこが一番近いし」

 

ハーマイオニーと一緒にロンを両側から担ぎ、僕らは競技場をあとにした。

 

その後ろ姿を、ドラコ・マルフォイはさらに青白くなった顔で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「こ、この『穢れた血』め! お前の意見なんて聞いていないんだよ!」

 

ダリアを守るため、実力で手に入れた今のポジションを揶揄され、僕は頭に血が上ってしまった。そして、言ってはいけない人間にそれを言ってしまった。

 

僕はグレンジャーのことが嫌いだ。彼女はマグル生まれの『穢れた血』だ。そんな奴のことを純血である僕が好きになれるはずもなかった。

 

でも、ダリアはそうではなかった。

ダリアは、グレンジャーのことを『穢れた血』だからという理由で嫌ってはいなかった。むしろグレンジャーのことを気に入っている様子だった。絶対にそれを口に出しては言わないと思うが。

 

そんなグレンジャーを僕は嫌いではあったが、ダリアを独りにしない人間かもしれないと思い認めていた。穢れた血ではあったが、確かに彼女はダリアのことを真っすぐに見ようとしているのは、僕にもうすうす分かっていた。

 

そんな彼女を、ダリアが気に入っている数少ない人間を、僕は傷つけてしまったかもしれない。

 

グレンジャー以外には、僕は憚らず『穢れた血』といえる。でも、グレンジャーだけは、そうしてはいけないような気がしたのだ。

 

「ダリアがいなくてよかった……」

 

唯一の救いは、この場にダリアがいなかったことだ。はじめは選抜試験の時と同じようについて来ようとしたが、今回も同行を許可しなかったのだ。これから頻繁に練習はあるのだ。その度に朝早く起き、尚且つしっかりとした日光対策をしなければいけないのは無理がある。

 

それが理由で寮に置いてきたのだけど、今回はそれで救われた。

 

もし、ダリアに今の現場を見られていたら……。

 

おそらく僕がグレンジャーを否定したことで、ダリアは僕がそう考えるならと思い、完全にグレンジャーと距離を置いてしまうだろう。

数少ない理解者から、ダリアが完全に離れてしまう。ダリアが望んでいないのにも関わらず。

 

ダリアが自ら完全な孤独になってしまう。

 

それだけは避けなければならない事態だった。

 

シーカー不在なため、これ以上練習にならないとグリフィンドール選手達は、僕のことをまだ睨みつけながらここを出ていく。

その様子を見ながら、

 

「よく言ったな、ドラコ。いい気味だったぞ」

 

グリフィンドール選手に殴られて、顔に青あざを作りながらにやけるフリントに……僕は肯定も否定もせずうつむくことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ハグリッドの小屋の扉を叩くと、ハグリッドはすぐに出てきた。

 

「おお、ハリーか! ロンとハーマイオニーもよく来たな! さあ入った入った! お前さんらが来るのを待っとったんだぞ!」

 

中に入りロンの事情を説明する。するとハグリッドは、

 

「出てこんよりは出た方がええ」

 

と言ってロンに大きな洗面器を手渡した。ここに全部吐けということだろう。

 

「止まるのを待つしかないわ。この呪い、とっても難しいの」

 

ハーマイオニーがロンの背中をさすりながら言った。

 

「それで、ロンは誰に呪いをかけようとしてこうなったんだ?」

 

ロンを顎で指しながら問うハグリッドに、

 

「マルフォイだよ。マルフォイがハーマイオニーのことをなんとかって言って。それで皆怒ったんだ。僕は意味を知らないんだけど……」

 

「最低な言葉さ」

 

洗面器に顔を突っ込みながら、ロンが話す。

 

「マルフォイの奴、ハーマイオニーのことを『穢れた血』って言ったんだ!」

 

「なんだと! それは本当か!?」

 

それを聞いてハグリッドも怒り出した。

 

「本当よ。でも、私にも意味が解らなかったわ。ものすごく失礼な言葉だとはわかったのだけど」

 

「あいつの思いつく限りの最低の言葉さ」

 

少し収まってきたのか、ロンは洗面器から顔を上げながら言った。

 

「『穢れた血』っていうのは、あいつら純血主義のくそったれ達が使う言葉なんだ。自分達とは違う、両親ともマグルの家庭で生まれた魔法使いを指してそう言うんだ」

 

小さいナメクジを吐き出しながらロンは続ける。

 

「純血なんて馬鹿馬鹿しい考えだよ。あいつらは狂ってるんだ。他人をそんな風にののしって悦に浸ってるんだ。その筆頭があいつらマルフォイ家さ。まったく、今時純血なんてほとんどいないのに。マグルと結婚しなかったら、僕らはとっくの昔に絶滅してるよ」

 

そこまで言い切って、ロンは再び洗面器に顔を入れた。再び波が来たのだろう。

 

「うーむ。ロンが呪いをかけたくなっても無理はねえ」

 

ハグリッドがロンのたてる音をかき消すように言う。

 

「あいつらマルフォイ家はくさっちょる。だけんど、ロン。マルフォイに呪いをかけんでよかった。もし奴に呪いをかけてたら、ルシウス・マルフォイがすっ飛んできたぞ。そしたらお前さんが面倒ごとに巻き込まれる」

 

「ルシウス・マルフォイが来る前に、ダリア・マルフォイがすっ飛んでくると思うけどね」

 

僕の脳裏には、去年『禁じられた森』で見たダリア・マルフォイの笑顔が浮かんでいた。もし、ロンの呪いが成功してマルフォイがナメクジを吐いていたら……ロンの命はなかったかもしれない。

去年の光景はそう思えてしまうようなものだった。

 

「そういえば、あいつはいなかったな……。いっつも兄貴と一緒なのに、どうしたんだ?」

 

「マルフォイさんは肌が弱いのよ! あんな日光が当たる場所に来るわけないでしょ!」

 

ハーマイオニーがそう言ってロンの頭を再び洗面器に叩き込む。洗面器の中から再び嫌な音がしていた。

 

「ともかく、あんな連中とは関わらん方がええ。ハーマイオニーが使えなかった呪文なんぞ、今までに一つもなかったんだ。お前さんは誰が何と言おうと、胸をはっとればええ」

 

そう誇らしげに言うハグリッドに、ハーマイオニーは寂し気に微笑んだだけだった。

 

 

 

 

「どうしたんだよ、ハーマイオニー? そんなに暗い顔をして」

 

ハグリッドの小屋からの帰り道、ハーマイオニーはどことなく暗い顔をしていた。

 

「まさか、まだドラコのことを気にしているのかい? ハグリッドも言ってたじゃないか。あんな奴の言うことなんて無視すればいいんだよ」

 

吐き気の収まったロンが元気いっぱいに言う。それに対してハーマイオニーは、

 

「違うの。もうドラコのことは気にしていないの。ただ……」

 

「ただ? どうしたのさ?」

 

ロンが続きを諭すと、ハーマイオニーはややあって話し始めた。

 

「ねえ、マルフォイさんも、ドラコと同じように、私のことを『穢れた血』って呼ぶと思う?」

 

「そんなの当たり前じゃないか。あいつらはマルフォイ家だぞ? あいつらは腐ってるんだ。ハグリッドだって、」

 

「いいえ、マルフォイさんはそんなこと言わないわ」

 

ハーマイオニーはきっぱりと言い切った。

でも、と彼女は続ける。

 

「マルフォイさんはそんなこと言わない。でも、()()()()()そういう考えなのよね」

 

「そうだよ。それがマルフォイ家だからね。それがどうかしたのかい?」

 

ハーマイオニーが何を言いたいかわからず、ロンが聞き返す。

 

「……彼女がそうじゃなかったとしても、彼女と私では、生きる世界が全然違うんだなって……。ただ、そう思っただけ」

 

そう呟いてさっさと歩き出すハーマイオニーに、僕とロンは困惑して顔を見つめあうことしかできなかった。




流石はマルフォイ家! 俺たちにできないことを平然とやってのける! そこにしびれる、憧れる!


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ジネブラ・ウィーズリー

ダリア視点

 

二年生初めての週末。私はダフネと共に図書館に来ていた。

本当は今日、お兄様のシーカーとしての初練習を見に行きたかったのだけど、お兄様が選抜試験の時と同様許しては下さらなかったのだ。試合では私の周囲に教師陣が沢山いるが、今回のようなただの練習では、私に何かあった時に誰も対応できない可能性があるというのがお兄様の言だった。

そこまで言われてしまえば、私としても我を通すわけにはいかない。お兄様に不安をかけたくはない上、ましてやそんな不安をかけてしまえばお兄様の練習の妨げになってしまう。それでは本末転倒なので、これ以上私が我儘を言うわけにはいかなかったのだ。

 

「ダリア、私は『闇の魔術に対する防衛術』に関する本を探してくるよ。……あの授業じゃ()()()自分で自習するほかなさそうだしね。今年一年間、自習大変そうだな……。何かあの時間の()()()()()()()を考えないとね。ダリアはどうする?」

 

「私は『魔法薬学』の本を探してきます。スネイプ先生の授業で少し勉強不足な部分がありましたので」

 

去年から分かっていたことだが、スネイプ先生の授業は非常に密度の高い授業だ。授業で作る魔法薬自体は、学年相応のものを行っている。でも、先生の講義、作業の合間合間に挟まれる助言、指導、そして叱咤にはとてつもなく高度な知識が散りばめられている。一見そうは見えないが、スネイプ先生は皆に平等に高度な知識を振りまこうとしていた。

あの毎回とんでもない失敗をするグリフィンドールのロングボトムにさえ、口は非常に悪いが、実に的を射た指導をし、そして教科書に書かれている以上の知識を口にされている。尤も口が悪すぎるため、ロングボトムは勿論、他の誰もそんなことに気づきはしないだろう。

でも、私には先生の言葉一つ一つが非常に有益かつ未知の知識に溢れているように思えた。今やホグワーツの授業の中で、私が最も楽しいと思えるのは『魔法薬学』だった。

おかしな話だ。私がホグワーツに来て最も学びたかったものは『闇の魔術に対する防衛術』だったのはずなのに。

あれ程楽しみにしていたというのに、実際に入学してみれば『闇の魔術に対する防衛術』の教師は、二年連続でまともどころかお荷物にしかならないようなボンクラ教師だった。この学校から学ぶことを私は半ばあきらめつつある。来年こそまともであると信じたいが、東洋では『二度あることは三度ある』というらしい。来年駄目だったらすっぱり諦めるしかない。

思考が脱線し、なんだか暗い気持ちになっている私にダフネが声をかける。

 

「そっか。じゃあ、ここで待ち合わせにして探しに行こっか?」

 

「そうですね。ではダフネ、また後で」

 

そう言って私達はお互いの本を探しに一旦別れた。

 

目当ての本は中々見つからなかった。

スネイプ先生の話は時々高度すぎるため、単純に先生のおっしゃっていた内容を探すにも、図書館では中々見つからないことが多いのだ。

 

「ここにもないとすると、もしかして禁書棚の方ですかね」

 

でも、それは図書館で普通の本だけを探せばということだ。

本自体が何かしらの危険をはらんでいる場合もあるにはあるが、多くの場合、本に書かれている内容が学生にとって危険なものと判断された本は、厳重にカギをかけられた図書館の一角に保管されている。それが禁書棚だ。

学生にとって危険と判断される基準は様々だが、その中でも『魔法薬学』は結構な頻度でこの禁書棚に分別されるケースがある。

おそらくそれは魔法薬学という学問が、どんなに一般的なもので、どんなに簡単に作る薬品であれども、一歩間違えればとんでもない劇薬に変わってしまうという性質を持っているからだろう。だからスネイプ先生はあれだけ口を酸っぱく注意するし、そして少しでも扱いが危険で、尚且つ学生が作るような魔法薬ではないと判断されると、このようにすぐに禁書棚に分類されていくのだ。

 

「禁書棚ですか……。仕方ありませんね、今度スネイプ先生にお願いしましょうかね」

 

禁書棚の本を読むには先生の誰かのサインが必要になる。生徒は何れかの先生に何を読みたいか、それを何故読みたいかなどを説明して、それを先生が納得したらサインをもらうことができる。しかし、

 

「まあ、駄目ならばまた忍び込めばいいわけですし」

 

サインは残念なことに一年生の間ではもらえないことになっていた。そのため、私は時々『目くらましの術』を使うことで禁書に忍び込み、サインなしで禁書を度々読んでいた。二年生になった今では合法的にサインをもらうことが出来るので、露見する可能性がある今までのやり方は控えるつもりだ。でも、どうしても必要なら今まで通りやるつもりでもあった。

今回はそれ程急いでいたわけではない。後日ゆっくりスネイプ先生にサインをもらえば良いと思い、手持無沙汰ではあるが、そろそろ時間も経ってきたのでダフネとの待ち合わせ場所に戻ろうとした。

 

しかし、その帰り道の途中……私の視界の端に、あの忌々しい赤毛が映りこんでしまった。

 

そちらに目を向けると、今年入学したウィーズリー家の末娘、ジネブラ・ウィーズリーが何冊かの本を抱えて歩いている。

体調でも悪いのか。少しやつれたような表情をしている彼女は、若干覚束ない足取りで本棚の間を歩いている。

 

彼女を見ていると、私の思考は暗いものに変わっていた。私の家族との時間を奪われた怒りが湧き上がってくる。

 

無意識のうちに、私はポケットから自分の杖を取り出す。

 

ああ、ウィーズリーが憎い。私の家族との時間を奪ったあいつが憎い。そんな奴らが愛してやまない末娘を……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダフネ視点

 

「ダリア、遅いな~」

 

目的の本を見つけ出し、待ち合わせの場所に戻ってきても、ダリアの姿はまだなかった。まだ本が見つからないのだろうと思っていたが、いつまで経ってもダリアは中々戻ってこない。

 

私はダリアを待っているうちに、なんだか不安な気持ちになってきていた。

 

最近のダリアは少し様子がおかしい。二年が始まってから、彼女にはどことなく余裕がなさそうなのだ。

去年に比べてダリアの表情の浮き沈みが非常に激しい。私がダリアの表情を読むのが上手くなっただけかとも思ったが、ドラコに確認してみてもどうやらここ最近ダリアに余裕がなさそうだと言っていた。

 

そして、ウィーズリーの末っ子に対するあの視線。

 

ダリアは気が付いていない様子だったけど、彼女を見つめるダリアの瞳は、いつもの綺麗な薄い金色ではなく、血のような赤に変化しているのだ。

 

私にはその紅い瞳から、彼女が時折見せるあの残酷な笑顔と同じものを感じられた。

まるで『何か』を殺すことに抵抗も罪悪感も感じていないような、そんな残酷な瞳……。

 

あの瞳を思い出し、私はなんだかいてもたってもいられなくなった。

何だか彼女がこのままいなくなってしまうのではないか、そんな不安な気持ちになってしまったのだ。

 

多分本を探すのに手間取っているだけだろうとは思うが、一応探しに行こう。

 

そう思い、ダリアがいるであろう『魔法薬学』の本のコーナーに来てみれば、案の定ダリアはそこにいた。少し遠いが、あの綺麗な白銀の髪を見間違えるはずがない。

遠目に見える彼女の姿を見て安心する。ああ、ダリアがいなくなるなんてあるわけないのに、私は馬鹿馬鹿しいことを不安がってしまった。そう思いながらダリアに近づく。

 

「ダリ、」

 

でも、彼女はに近づくと、私は激しい違和感に襲われた。

彼女はいつもの雰囲気ではなかった。まるでピクシーを殺している時のような……。

 

何故こんな所で!? ピクシーなんてこんな所にいないはずなのに!?

 

そう思いできるだけ急いでダリアのもとに走る。マダム・ピンスに気が付かれる可能性があるが、そんなこと言っていられない。

 

そして、彼女のもとに急いでいると、ダリアは何故かあの真っ赤な瞳をして杖を構え始めるのが見えた。

 

杖の先に視線を向けると、ピクシーなどではなく、ウィーズリーの見事な赤毛が見えた。

 

彼女は、まぎれもなく『人間』にその杖を向けていたのだ。

 

「ダリア、駄目だよ!」

 

私は今にも呪文を唱えそうな彼女の杖腕に飛びついた。

ダリアにそんなこと絶対にさせられない。

 

「あ、ああ、ダフネ。どうかしましたか?」

 

でも、私の焦りとは裏腹に、ダリアは今自分が何をしようとしていたか全く気付いていないかのように私に聞いてきた。彼女は純粋に、私が突然飛びついたことに驚いた様子だった。

 

ピクシーの時もそうだったが、どうやら自分自身が今どんな顔をしているか、そして自分が何をしているか分かっていない様子だった。

私はダリアが優しい人間だと知っている。なのに、彼女は一体どうしてしまったというのだろうか。

 

「どうかしたのじゃないよ。あまりにも遅いから探しに来たんだよ?」

 

私は内心の焦りと不安を、なるべくダリアに見せないようにしながら話しかける。

そして、私は慎重にダリアに尋ねた。

 

「それより……ダリア、あなた今何をしようとしたの?」

 

「何って、それは、」

 

彼女は私の言葉で、初めて自分の今の体勢に気付いたようだった。

ダリアの顔を見ると、その瞳はいつもの金色に戻っており、その瞳には先ほどまでの冷たさはなく、ただ自分への困惑と恐怖だけが映っていた。

 

ダリアはまぎれもなく自分自身に恐怖していた。まるで知りたくもなかった自分の一面を知ってしまったかのように。

 

正直なところ、私は去年のハロウィーンの時、ピクシーを殺していた時、そして今さっきの表情をしているダリアのことが怖かった。殺すという行為に、罪悪感を全く覚えていないかのようなその表情が、まるで同じ人間ではないように感じられて怖かったのだ。

 

でも、今のダリアの姿を見ていると、私がそんなダリアを怖がってはいけないと思った。

だって、私なんかより、ダリア自身が一番自分に怖がっていたから。

私がダリアを怖がってしまえば、一体誰が彼女を助けてあげられるというのか。

誰が彼女と一緒にいてあげられるというのか。

 

そんな時に彼女についてあげなくては、私は絶対にダリアの友達になることなどできない。

 

かつて私が救われたように、今度は私が手を伸ばす番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ダフネに言われて初めて自分が何をしようとしていたかに気が付く。

構えられた私の杖。そしてそれが向けられているのは……。

 

「あ、あぁ……。わ、私は何を……」

 

私は今、一体何を考えていたのだろうか?

 

いや、何を考えていたかなど、今の体勢を見れば簡単に想像がつく。

それはまぎれもなく、去年から味わう感覚だった。あの禁じられた森で感じた時の感覚。始めはただの怒りだったのに、それが段々と興奮に変わり、そして気が付いた時には『殺人』ということに対する罪悪感や抵抗が一切なくなっていた。

 

まるで殺人という行為が、私にとって()()()()()であるかのように。

 

私を激しい恐怖感が襲う。

私はクリスマスに見た鏡を思い出してしまった。鏡を見てから、私を何度も夢の中で苦しめ続ける、あの光景を。

 

あの残酷な笑みを浮かべる私自身を。私の心の奥にある、本当の望みを。

 

私はダフネが近くにいるというのに、自分がやろうとしていたことに対する恐怖で、そんな彼女に自分を隠す余裕などなくなっていた。まるで自分が自分ではなくなっていくかのような感覚。でも、私が一番恐怖したのは、思い返してみれば、私は確かに彼女を殺すことを想像して……()()()()()()()()()()()()()

 

振るえる体でダフネに縋りつく。

 

「も、もしかして、わ、私は彼女をこ、」

 

「ダリア! 落ち着いて!」

 

ダフネが声を上げて、私の言葉を遮った。彼女の声には、私に対する恐れや否定はなく、ただただ私に対する信頼と親愛があった。

 

「落ち着いて、ダリア。あなたはそんなこと絶対にしないよ」

 

ダフネはそう私に断言する。

 

「で、でも私は今、()()人を、」

 

「おほん!」

 

私の動揺の声を遮ったのは、ダフネではなく、マダム・ピンスだった。

この図書館の主である彼女は、そのハゲタカのような目でこちらをじっとにらんでいた。どうやら私たちの立てる音が気に障ってこちらに来たらしい。

 

「あなた達! これ以上騒ぐようならここからたたき出しますよ! ミス・マルフォイ! あなたはもっとおとなしい子だと、本を大切にする子だと思っていたのですけども、どうやら違ったみたいですね!」

 

「す、すみません」

 

ダフネが慌てたように返事をした。

私はまだ返事をするほどの余裕はなかった。

 

「次はたたき出しますからね!」

 

そう言って、マダム・ピンスは肩を怒らせながら歩き去っていった。

残されたのは、なんとも言えない空気になった私とダフネだけだった。

 

「ちょ、ちょっと騒ぎすぎたみたいだね。とにかく落ち着いて、ダリア。ほら、深呼吸しよ?」

 

そうマダム・ピンスの去った方を恐る恐る見ながら、ダフネが言った。

私はダフネに言われるまま深呼吸をする。すると先程までの恐怖は薄らぎ、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

 

「お、お見苦しい所を……」

 

「大丈夫だよ。それより落ち着いた?」

 

「え、ええ。い、今のはどうか忘れてください」

 

取り乱してしまったが、ダフネにこれ以上頼るわけにはいかない。だって私は、()()()()()()()()()()()

私という()()()を、これ以上彼女に知られてはいけない。

 

「……うん、わかった」

 

ダフネは非常に不服そうな表情をしていたが、一応頷いてくれた。

私はホっと息を吐いた。

 

「それにしても……」

 

そう言ってダフネの視線を追うと、相変わらずフラフラと歩くジネブラ・ウィーズリーの姿があった。やはり相当体調が悪いのか、こちらがこんなに騒いだにも関わらず気付いていないらしい。未だに覚束ない足取りで本棚の間を歩いている。

 

「あの子、相当体調が悪いみたいだね。どうしたんだろ」

 

「……さあ?」

 

先程まで感じていた殺意はないが、なんで私がウィーズリーの娘なんか心配しなくてはいけないのかと思う。

そう思いながら視線を向けると、ジネブラ・ウィーズリーが、丁度床に倒れているところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジニー視点

 

私は最近体調が悪くて仕方がない。

最初は慣れない環境に疲れているのかなと思っていたが、体調は良くなることはない。寧ろ日に日に悪くなっていく。まるで自分の体力を()()()()()()()()()()()()()()。そんな感覚だった。

そして、まだホグワーツに入って一週間だというのに、遂に私は倒れてしまったらしい。

図書館で本を探していたと思っていたら、気が付いた時には医務室のベッドで横になっていた。

 

「こ、ここは?」

 

「ああ、気が付きましたか。ミス・ウィーズリー、あなた図書室で倒れていたのですよ?」

 

すぐ近くで作業をしていたマダム・ポンフリーが私に返す。

 

「まったく、倒れるまで医務室に来なかったのですか? ミス・マルフォイとミス・グリーングラスがいたから何とかなったものを! 彼女たちがあなたをここまで運んでくれたのですよ?」

 

「マ、マルフォイ!?」

 

それは両親から、ひいては兄さん達からよく聞く名前だった。勿論すべてが悪評だったけど。

 

マルフォイ家についてパパはよく、

 

『闇の陣営についていた悪い魔法使いの一族』

 

として話していた。今の家長であるルシウス・マルフォイもそうだけど、その妻であるナルシッサ・マルフォイ、そしてその息子、娘も悪い魔法使いだと言っていた。

兄さん達は、その中でも特に子供のことを話していた。

息子のドラコ・マルフォイがいかに嫌な奴であるか、そしてその妹のダリア・マルフォイがいかに冷たく、そして恐ろしい奴であるかを。

 

実際、入学前に書店でマルフォイ家の人間を見たとき、パパや兄達が教えてくれた通りだと思った。

ルシウス・マルフォイは、なんだか偉そうな態度でパパたちを馬鹿にするし、ドラコ・マルフォイは、ハリーに対してひたすら嫌味を言っていた。

 

そしてダリア・マルフォイは……ただただ怖かった。

 

綺麗な白銀の髪、そして真っ白な肌の顔はうらやましい程の美人ではあったけど、その表情はどこまでも無表情で冷たかった。その薄い金色の瞳に見つめられた時、私はただ怖かった。まるで同じ人間ではなく、どこか物をみるようなその視線が、ただ怖かった。

 

実際そう感じる人は私だけではなかった。

グリフィンドールに組み分けされ、一年生の間で噂になったのはまずダリア・マルフォイについてだった。

何だかスリザリンの上級生にとても綺麗だけど怖い人がいる、そんな話だった。

他の一年生が上級生に聞いてみたところ、

 

それはスリザリン生の中で最も警戒すべき奴だから気をつけろ

 

とのことだった。

そう話す上級生もどこか怯えたような様子だった。

 

そんな人が私をここまで運んだ。正直全く信じられないようなことだった。

 

「ほ、本当にマルフォイがここまで?」

 

「そうですよ? ほら、あなたも目が覚めたなら、お礼くらいいいなさい」

 

そう言ってマダム・ポンフリーが指した先には、スリザリンの制服を身に着けた生徒が二人いた。ちょうど医務室のドアの方向に歩き始めていた様子だった彼女たちは、マダム・ポンフリーの声でこちらを振り返っていた。

 

一人は初めて見るスリザリン生だったけど、もう一人は確かに書店で初めて見た、ダリア・マルフォイその人だった。

 

「ほ、本当にあなた達が運んでくれたの!?」

 

私は思わずそう尋ねた。すると相変わらず無表情の彼女は、

 

「……まあ、成り行きですけども。目の前で倒れたので。仕方なく。それに、どちらかというとダフネがあなたを運んでいましたよ。魔法で」

 

そうちょっとぶっきらぼうに返してきた。横にいるスリザリン生はその返事を苦笑いしながら聞いている。

 

「……一応、お礼だけは言っておくわ。……ありがとう」

 

「……別に構いませんよ。ああ、それと、私はあなたが抱えていた本を運んだだけです。そこに置いてあります」

 

そう言ってマルフォイはベッドの横にある本の山を指さし、医務室から出て行った。見てみると、確かにそれは私の抱えていた本だった。

その中に、私の大事にしている『日記帳』もあった。山の一番上に置いてある。

よかった。

あれはパパたちが私のホグワーツ入学祝いに、こっそり書店で買ってくれたものだ。書店から帰ってきた時、古本の山の中にこれは入っていた。おそらく、パパ()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかも、これはただの日記ではない。今ではもう、私の()()のように感じられていた。

 

「まったく、こんなになるまで放っておいて! 今薬を持ってきますから、絶対に飲むんですよ!」

 

そう言って彼女が持ってきた薬は『元気爆発薬』というもので、効果は確かにあったが、副作用で耳から煙がでるのが難点だった。

煙を出しながら談話室に戻ると、皆私の家族譲りの赤毛もあるのか、

 

「まるで山火事みたいだ」

 

と言って笑い転げていた。その中にハリーもいて、笑い転がりこそしていなかったが、少し笑いを我慢しているような微妙な顔をしていた。

私はそんな恥ずかしい気持ちを、今日も日記に『相談』することにした。

 

『ねえ、リドル。私、ハリーに嫌われてしまったかな?』

 

日記にそう書き込むとすぐに返事が返ってきた。

 

『どうしてそう思うんだい?』

 

『私、さっきハリーに恥ずかしい姿を見られてしまったの。元気爆発薬で耳から煙が出てる姿。皆私の赤毛を見て、山火事みたいだって笑ってたわ。ハリーもきっとそう思ってるのよ』

 

私はいつものように、『リドル』が私を慰めてくれると思った。

私はこの日記を見つけてから、ことあるごとに彼に相談していた。兄さん達のこと、勉強のこと、家のこと、そして大好きなハリーのこと。

だからいつものように、そんなことはない、ハリーは偉大な人間だから、そんなことないさ……と慰めてくれると思った。

 

でも、今回の返事は違った。

 

『元気爆発薬? ジニー、君は体調でも悪いのかい?』

 

それは予想とは違ったけど、確かに私を心配する内容だった。

 

『ええ。ここのところ何だか疲れやすいの』

 

『そうか、それは()()()()

 

『うん。何か大きな病気じゃなければいいんだけど。さっきも図書室で倒れてしまったし。そういえば、私を医務室まで運んでくれたの、誰だと思う?』

 

『わからないな。一体誰なんだい?』

 

『ダリア・マルフォイよ。前も書いたことあるよね? 以前書店で会った怖い人よ』

 

そう返すと、私と日記帳の間に奇妙な沈黙が流れたような気がした。いつもはすぐに来る返事が中々こない。

 

『ねえ、リド、』

 

『もしかして、そのダリア・マルフォイという子が、僕を運んだのかい?』

 

私が文字を書き終わる前に、彼の文字が日記に浮き上がってきた。

 

『ええ。もう一人スリザリン生がいたけど、本を運んだのはマルフォイだと言っていたわ』

 

『……マルフォイってことは、彼女は純血の魔法使いだよね?』

 

彼がなんでそんなこと聞くか分からなかった。

 

『え? マルフォイって純血主義の家でしょう? ならそうじゃなかいな? どっちでもいいけど』

 

『そうだよね。そのはずなんだけど。でも、あれは……。彼女は一体()かな?』

 

『どういう意味?』

 

私はリドルの言っていることの意味が解らなかった。

 

『僕は日記に触れるものの、()()()()()()()()()()()()()()。でも、彼女からは一切そんなものを感じることが出来なかった。まるで()()が僕に触れているような、そんな感覚だったんだよ』

 

『リドルってそんなことが出来たの?』

 

『ごめんね、黙ってて。でも、()()()()()()()()。僕が怖くなったかい?』

 

私は今までなんでも聞いてくれていた友達を手放したくなくて、慌てて返事をした。

 

『ううん、怖くないよ。だって、リドルは私の悩みを真剣に聞いてくれた。だからあなたは友達よ。ちっとも怖くなんかないわ』

 

『そうか、それはよかった。そう言ってもらえて安心だよ。で、話の続きなんだけど、彼女が触れた時、まるで無機物が触れているような感覚だったんだよ』

 

『でも、彼女すっごい無表情だけど、一応生きた人間よ?』

 

『そうだね。僕も集中してみれば、確かに魂のようなものを少しは感じることができたんだけど、あれって本当に魂なのか分からなくて。でも、』

 

そう書かれたきり、またしばらくリドルの返事がなくなった。

 

『リドル? どうかしたの?』

 

私の書き込みで、ようやく返事が書き込まれた。

 

 

 

 

『なんだか無機物のような魂だったけど、でも、どこか、ひどく懐かしいものも感じたんだ』

 



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開かれた扉

ハロウィン。


 

 ダリア視点

 

十月、空気が次第に冷たくなり、今年もハロウィーンの季節がやってきた。

去年はパーティーの途中でトロールが忍び込んだりと散々なものであったが、そんな重大事件など早々あるものではない。きっと今年は平穏無事にハロウィーンを過ごすことが出来るだろう。

 

そしてハロウィーン当日。

 

「今年も盛大にかぼちゃの匂いがしていますね」

 

そう少し不満をにじませながら、隣を歩くダフネに話しかける。

去年もそうであったが、談話室を一歩出た途端何処に行ってもパンプキンの匂いが辺りを漂っていた。別にニンニクのような嫌な臭いというわけではないが、ここまでパンプキンの匂いが充満しているのも考えものだ。

 

「今年も夜のご馳走はパンプキン尽くしだろうからね。朝から準備しているんじゃないかな」

 

おそらく今日は朝からホグワーツの屋敷しもべ達が、必死になって夜のご馳走のためにパンプキンの下処理をしてくれているのだろう。まったく本当に彼らには頭が上がらない。彼ら屋敷しもべのおかげで私たちは何の不自由なくここで過ごすことが出来る。まだここのしもべ妖精に一人もあったことはないけど、会った時は感謝の言葉を伝えよう。

 

そう屋敷しもべ妖精のことを考えていると、ふとマルフォイ家にいるドビーのことを思い出した。

家を出る前、彼の様子がどこかおかしかったので、どうしたのかと尋ねてみたのだが、

 

『な、何もございませんです、お嬢様』

 

彼はそう言ってただ頭を横に振るだけだった。

彼は何でもないと言うけど、やはり明らかに様子がおかしかったと思う。彼が悩むとすれば、私が思いつく限りではお父様達が何かしたかということくらいだ。けど、どうやらお父様達が彼をいじめているということは無さそうだった。

 

今頃ドビーはどうしているのだろうか。ちゃんと元気にやっているだろうか。

 

そんな風にもやもやした気持ちで家にいるドビーのことを心配していると、

 

「ダリア!」

 

突然ダフネが大声を上げた。突然の大声にそちらを見ると、彼女は満面の笑みで何故かこちらに両手を差し出していた。

 

「どうしましたか、ダフネ?」

 

私がこの子は何をしているのだろうかと訝しみながら問いかけると、

 

「トリックオアトリート!」

 

相変わらず満面の笑みでダフネが言う。

 

「えっと……」

 

突然の出来事に戸惑っていると、

 

「お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」

 

おそらく、私が去年この手のイベントに興味を持っていたことを覚えていたのだろう。

結局去年はスリザリンどころか他の寮においても、()()()()()()この庶民的イベントを行わなかった。ウィーズリーの双子とピーブズがこのイベントをやっていたのみだ。私は内心楽しみにしていたイベントが行われず寂しく思っていたのだけど、それをダフネは覚えてくれていたらしい。でも、

 

「その言葉。仮装をして言わなくては意味ないのでは?」

 

「……仮装は無理かな。ウィーズリーの双子はともかく、私がやったら凄く目立ちそうだし。それにその姿をもしスネイプ先生に見られたらと思うとね……」

 

スリザリンにとことん甘い所があるスネイプ先生も、寮から減点はしないだろうが、おそらく以後六年間生ゴミでも見るような視線を送ってくるだろうことは想像に難くなかった。

 

「と、とにかく! ダリア! お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」

 

気を取り直したのか、ダフネが再び言う。どうあっても続けるつもりらしい。仮装はしていないけど……。

 

「そう言われましても……確か」

 

全く予想していなかったことに若干うろたえながらポケットを探る。

 

「おや~。ダリア、お菓子がないの? じゃあ悪戯するしか、」

 

「ありました。はい、どうぞ」

 

悪戯っぽい笑みを浮かべて何故か勝ち誇るダフネに、私はたまたまポケットに入っていたお菓子を渡した。

先日家から大量のお菓子と()()()が届いたので、お兄様が景気よく皆にお菓子を配っているついでに、私もいくつかお菓子を貰っていたのだ。

そのお菓子の最後の一個がたまたままだポケットに入っていたので、それをダフネに渡しす。けど、

 

「お菓子、持ってたのね……」

 

何故かダフネは少し残念そうな顔をしていた。あなたが言い出したことでしょうに。

 

「はい、お菓子です。それにしても突然どうしたんですか?」

 

そう私が尋ねると、ダフネはどこか不満そうな顔で私の渡したお菓子を頬張りながら続ける。

 

「……だって、ダリア、()()()()()元気がないみたいだったから。今も何か心配事がありそうな顔していたし」

 

どうやらダフネは私を心配して、こんなことを言ってきたみたいだった。想像していたものとは大分違っていたけれど。でも私のことを心配して、彼女なりに私を元気づけようとしてくれているのはうれしくもあり、()()()()()その優しさが迷惑でもあった。

 

本当にダフネは優しい子だ。やはり私なんかには勿体ない。

 

私はダフネをどう扱えばいいか時々分からなくなる。

 

だって、私は決して、彼女の優しさに応えることなどできないのだから。

 

「心配されなくても大丈夫ですよ。それに今考えていたことは、おそらくダフネの考えているようなことではありません。家の屋敷しもべがどうしているかなと思っただけです」

 

だから私はダフネにあたりさわりない返答をした。事実、おそらくダフネが考えていること違ったことを考えていたからというのもある。まったく、あの時忘れてくださいと言ったのに……。

 

「屋敷しもべ? マルフォイ家の屋敷しもべがどうかしたの?」

 

「何か最近様子がおかしくて。本人に聞いてみても何も言いませんが、明らかに何か悩み事がある様子なんです……」

 

「そっか……。ダリアは屋敷しもべ妖精を大切に()()()ものね」

 

「ええ……」

 

そう言って授業に向かう私は、今の会話での違和感に気が付くことはなかった。

 

 

 

 

私はダフネの前で屋敷しもべと話していたことすらないのに、どうして、私が屋敷しもべを大切に扱っていることを知っていたのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

僕とロン、そしてハーマイオニーは、ハロウィーンパーティーが()()()()()()()()()時間帯にようやく大広間に向かって足を進めていた。まだ残っているかもしれないパーティーのデザートにありつくためだ。僕もそうだけど、ロンもハーマイオニーもひどくお腹がすいた顔をしている。無理もない。だって、僕たちが先ほどまでいたパーティーには、およそ人間の食べられる食事など置いていなかったのだから。

 

どうしてこんなことになったのだろうか。振り返ってみれば、大体僕のせいな気がした。

 

スリザリンチームが手に入れた最新型の箒の存在で、ウッドは前にもまして練習が厳しいものになった。彼はどんな時間であろうと、そして外がどんな天気であってもチーム練習を決行した。それがたとえどんな土砂降りな雨の中であろうとも……。

 

その日僕はずぶ濡れになったユニフォームのまま、競技場からホグワーツ城に帰っていた。

しかし、そこを運悪く管理人のフィルチに見つかってしまった。いつも一緒にいるミセス・ノリスという猫を従えて現れた彼は、丁度機嫌が悪かったらしく、

 

「ポッター! こんなに汚い格好でうろつきやがって! 床をこするこっちの身にもなってみろ! 余計な仕事ばかり増やしやがって! もうたくさんだ! 罰を与えてやる! ついてこい!」

 

僕の床につけた()()()()()()()()()泥を見て憤慨し、彼は僕を事務室まで連行していった。

 

「見せしめにしてやる! お前のような屑生徒は痛い目を見ないと学ばん!」

 

そう言って部屋中にある拷問器具をあさっているのを、息をひそめて見守っていると、何か大きなものが落ちる音が上の階からして、フィルチは事務室から走り去ってしまった。

結局帰ってきたフィルチが、彼のいない間に僕が()()()()()()()を読んでいたのを見て、急に人が変わったように怯えながら僕を事務室から追い出したので事なきを得た。

一体あの手紙はなんだったのだろうか。

『クイックスペル』と書かれたその手紙には、ただ魔法の簡単な使い方といった内容しか書かれていなかった。なのに、どうして僕がそれを見ていたことで、彼はあんなに怯えたのだろうか。

 

そう不思議に思いながら階段を上がると、

 

「ハリー! 無事でしたか!?」

 

グリフィンドールのゴーストである『ほとんど首なしニック』が声をかけてきた。話を聞くと、先程の大きな音はどうやら彼がフィルチに捕まった僕を助けるために、ピーブズをたきつけて起こした音だったらしい。音のおかげでフィルチの気が僕からそれていたこともあるので、僕は感謝と共に何かできることはないかと尋ねるとニックは言った。

 

「ハリー! そう言っていただけてありがたいです! それでは厚かましいかもしれませんが、どうか私の『絶命日』パーティーに参加してはもらえないでしょうか!?」

 

聞けばハロウィーンパーティーと同じ日だったが、彼のあまりの勢いに負けてしまい、僕はそのパーティーに参加することになってしまった。ロンとハーマイオニーも一緒に……。

 

そしてその帰り道。

 

「まったく。ゴーストだらけで寒いわ、食べ物は全部腐ってるわで散々だったよ」

 

「……ごめん。僕が安請け合いしちゃったから」

 

「いや、ハリーのせいじゃないよ……」

 

そう言ってくれるロンの顔も空腹は隠しきれないようだった。ハーマイオニーも同じように空腹そうだ。

 

「ほら、行こう。まだ大広間ではご飯が食べられるパーティーがやっているはずだよ。もうすぐ終わる時間だけど、デザートくらいはまだ残っているかもしれない」

 

ロンの祈るような言葉に促されながら、僕らが階段を上がっている時。

 

その()は突然聞こえた。

 

『引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……』

 

それは以前、『暴れ柳』に突っ込んだことに対する罰則を受けたときに聞いた声だった。この聞いたこともない程冷たく残忍な声は、僕にしか聞こえなかったらしく、その時一緒にいたロックハートには聞こえていない様子だったのだ。慌てて壁の向こうからする声を追いかけても、その声の主をついぞ見つけることは出来なかった。

 

そしてその声が再び聞こえた僕は驚き足を止める。

 

「ハリー、どうしたの? 早く行きましょうよ」

 

「ハ、ハーマイオニー? 今の聞こえた!?」

 

「聞こえたって何を?」

 

ハーマイオニーは訝し気に僕を見ている。ロンも同様の表情を浮かべている。どうやら彼らにも聞こえなかったらしい。この声が聞こえたのは、やはり僕だけだった。

 

「どうしたんだい、ハリー?」

 

「今、変な声が、」

 

『殺してやる……殺す時が来た……』

 

僕が何か言う前に、再び声が聞こえた。

どうやら壁の向こうからしているだろう声に耳を澄ませると、だんだんと上の方に移動している気がした。

 

「こっちだ!」

 

声を追って走り出す僕を、二人は不思議そうな顔をしながら追う。

 

「ハリー、一体君は何を?」

 

「ロン、ちょっと静かにしてて!」

 

二階まで駆け上がり、再び耳をそばだてる。

 

『血の匂いがする……血の匂いがするぞ! ……ようやく殺せる』

 

僕の背筋を冷たいものが流れ落ちる。それは紛れもなく、今から誰かを殺そうとしているものだった。

 

「誰かを殺すつもりだ!」

 

先程から僕に当惑している二人を無視して、僕は急いで三階に駆け上がる。

廊下を走り抜け、何故か水浸しになっている廊下の一角にたどり着いた時、

 

「ハリー! 見て!」

 

ハーマイオニーが突然大声をあげる。そして彼女の指差す先を見れば、壁に真っ赤なペンキか何かで、

 

秘密の部屋はひらかれたり

継承者の敵よ、気をつけよ

 

そう書かれていた。

そしてその横にある松明には、

 

カッと目を見開いてかたまる、ミセス・ノリスがぶら下がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

パーティーは何事もなく終わった。やはり去年が異常だっただけで、トロールが侵入するなんて事態はそうそうないらしい。あとは寮に戻ってゆっくり休むだけだ。

 

「お腹いっぱい食べたね!」

 

「ええ。しばらくパンプキンは見たくもないですけど……」

 

去年と同じように、見事なまでにパンプキンづくしの御馳走だった。おかげでまだ口の中がパンプキンの甘い味がする。あと数日は甘味をとりたくはなかった。

 

「お兄様、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ」

 

私の横にいたお兄様は若干げんなりとした顔をしていた。単調な味付けの晩餐だったのもあるが、お兄様の場合、目の前で起こった()()の食事風景に気分を害したのだろう。

言わずもがな、原因はクラッブとゴイルだ。

まるで顔を突っ込むように食事を貪る彼らを見ていたら、それはさぞ気が滅入ることだろう。私とダフネは目をそらしていたからよかったが、彼らの目の前にいたお兄様はそうもいかない。目をそらしても、目に入るものは入る。

 

「お兄様、とりあえず寮に早く戻ってしまいましょう」

 

「ああ」

 

お疲れのお兄様を早く休ませるべく、私達三人は足早に階段を上がっていたのだが、それは突然聞こえた。

 

『殺してやる……()()()()殺してやる……』

 

突然私の耳に、今まで聞いたことがない程冷たい声が入ってきた。

 

「っ!?」

 

「ダリア、どうかしたか?」

 

突然の声に驚き辺りを見回す私に、お兄様が訝し気に声をかける。

 

「お兄様。先ほどの声が聞こえましたか?」

 

「どんな声だ?」

 

どうやらお兄様には聞こえていなかったようだ。いや、お兄様だけではない。隣を歩くダフネも、そして周りにいる他の生徒にも誰にも聞こえていない様子だった。皆、パーティーの余韻を味わっているのか一様に笑いあっている。先ほどの声が聞こえれば、こんな風に笑いあっていることなどないだろう。それ程までにぞっとするような声だった。

 

あの冷たい声が聞こえたのは、どうやら私だけの様子だった。

 

「ダリア? どうしたの?」

 

「いえ……なんでもありません。それより、はやく帰りましょう」

 

ダフネが立ち止まった私に声をかけてきたが、私はそれに答えることなく足を進めた。

私だけに聞こえた声。きっと勘違いであろうが、そうでなかったとしても、ここでそれについて話すのは望ましくない。

 

何せ魔法界では聞こえるはずのない声を聞くことは、狂った証拠として扱われるのだから。

 

私は()()()()、自分を狂った存在だと思いたくなかった。

 

突然聞こえた謎の声に微かな不安を感じながら寮を目指す。でも、そのまま私が寮に行けることはなかった。

再び足を進めるも、今度は三階に差し掛かったところで立ち往生となった。

 

急に人波が動かなくなってしまったのだ。どうやら前方にいる人間が全く動かなくなってしまったようだった。

 

「こんな所でどうしたんだろうね?」

 

ダフネと共に首をかしげる。いつもならピーブズの仕業かなくらいにしか思わないのだが、前の人だかりは動かなくなっただけではなく、急に静かになっていたのだ。ピーブズの仕業なら、こんなに静かなはずはない。

沈黙は前の方から急速に広がり、先ほどまではガヤガヤと音が立っていた廊下は何故か痛いほどの静けさに満ちている。そして一様に皆前の方をよく見ようと背伸びを始めていた。残念ながら私たちの位置からは、前で何があったのか見えなかった。

 

これではらちがあかない。

 

訝しみながら私は前にいた生徒に話しかける。

 

「前で何かあったのですか?」

 

前にいた男子生徒は振り返り、後ろから話しかけた人間が私だと気が付くと、

 

「ダ、ダリア・マルフォイ!?」

 

何故か顔を真っ青にして、まるで私を避けるように道の端にずれた。

 

いやそれは彼だけではなかった。

何故か前にいた生徒は、私を振り返り、最初の生徒と同じように顔を青くすると、皆私に道を開けるように端にずれた。それはまるで、()()()()()()とでも思っているような反応だった。

 

「なんだこいつら……」

 

突然の出来事に横でお兄様が不快そうな、そしてどこか困惑したような声を上げておられる。

スリザリンでも、私が掲示板を見ようとすると同様に皆が道を開けることはあった。でも、こんな風に全寮生が、しかもこんな風に怯えたような顔をして道を譲るようなことは今まで一度もなかった。

不可解な反応ではあったが、こうして怯えたような生徒達とにらめっこしているわけにもいかず、生徒が作った道を歩いていく。

少しでも私から離れようと壁にへばりつく生徒たちを横目に、何かが起こっている最前列にたどり着く。

 

そこには、

 

秘密の部屋はひらかれたり

継承者の敵よ、気をつけよ

 

と書かれた壁、松明にぶら下げられた猫。

そして、こちらを呆然と見つめるポッター、ウィーズリー、そしてグレンジャーさんの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

松明にぶら下げられたミセス・ノリスを見つけた私は、すぐにハリーに言った。

 

「ハリー! すぐにここを離れましょう!」

 

こんな場面を見られない方がいい。今生徒は皆、普通であればハロウィーンパーティーに出席しているはずだ。そんな中、私達だけはこんな所にいる。

この場面を見られれば、私達がこれを行った犯人だと疑われるのは想像に難くなかった。

 

しかし、すでに遅かった。

 

私たちがここを離れる前に、廊下の向こうからざわめきが聞こえはじめ、次の瞬間、大勢の生徒が廊下にワッと現れたのだ。楽しそうに談笑していた生徒たちは、壁に書かれた文字とぶら下げられた猫を見た瞬間話すのをやめ、怯えたようにこちらを見ている。後ろの生徒達も首を伸ばしてこちらを見ている。

 

「ち、違うの! わ、私達は、」

 

そう私がこちらを見つめる生徒に言い訳する前に、唐突に生徒の群れが割れた。

それはまるで、何かから廊下の端に逃げるような行動だった。

 

そしてその生徒の間から現れたのは、ドラコ・マルフォイ、ダフネ・グリーングラス。

 

そして、ダリア・マルフォイだった。

 

マルフォイさんはいつもの無表情に、少しだけ驚いたような雰囲気で壁の文字と猫を見つめている。横にいるドラコやグリーングラスさんも同じように壁に書かれた文字を見ている。

 

「これは……。秘密の部屋……本当に存在していたなんて。それに、この猫……。どうして石化して……」

 

そう困惑したように、動かない猫に近づきながら呟くマルフォイさんに、

 

「マ、マルフォイさん、わ、私達も、今ここに来たばかりで……」

 

私は無実を伝えようと話しかけるも、マルフォイさんは、そんなことは分かっているとでも言うように、何でもないように応えた。

 

「グレンジャーさん、分かっています。貴方がこれをやった犯人ということは()()()()()

 

「マ、マルフォイさん! 分かってくれるのね!」

 

「ええ。むしろ貴女は今後()()()()()()()()()()

 

「え? そ、それはどういうこと?」

 

突然私にそんなことを言うマルフォイさんに問うも、それに答えたのは彼女ではなかった。

 

「継承者の敵。つまり、お前みたいな、け……『マグル生まれ』が襲われるってことだよ」

 

マルフォイさんと最前列にやって来ていたドラコが、私に複雑な表情をしながら言った。以前私を『穢れた血』と言った彼は、私を嘲るように口をゆがめていた。でも、何故かその瞳だけは私をどこか心配しているようだった。私はそんな彼に、

 

「どういうことよ?」

 

そう聞こうとしたけど、

 

「なんだ!? 何事だ!?」

 

その前に、廊下に立ち込める異常な雰囲気を感じ取ったのか、フィルチが生徒を押しのけてこちらにやってきた。そしてミセス・ノリスを見たとたん、

 

「わ、私の猫が! ミ、ミセス・ノリスが! 一体何が!?」

 

自分の愛する猫の状態に、フィルチは二三歩後ずさる。

そして恐怖と怒りで血走った眼であたりを見回した。この場で犯人を断定するためだ。

最初にフィルチが目を付けたのはハリーだった。

 

「お前か! お前なのか! 私が、()()だと知って!? それで!」

 

「ち、違います! 僕はたまたまここに居合わせただけです!」

 

叫び声をあげるハリーをフィルチは憎々しく睨んでいたが、ふと、今気づいたように視線をずらした。

 

そして、彼は彼女を見つけた。

 

フィルチの視線の先には、無表情で彼を見つめるマルフォイさんがいた。

目を見開き、恐怖と、そしてそれを上回る殺意を瞳に乗せ、マルフォイさんににじり寄る。

 

「お前なのか……? お前が私の猫を……? 殺してやる……。殺してやる!」

 

フィルチはマルフォイさんに叫び声をあげた。

 

「お前がやったんだな! お前が私の猫を!」

 

マルフォイさんに飛びつこうとするフィルチ。

彼女は何故か割れた人垣から出てきただけで、この現場には私たちと同じで今やってきただけだ。そんな彼女が疑われていいはずがなかった。

 

「ち、違います! マルフォイさんは、」

 

「アーガス!」

 

私が擁護する前に、ダンブルドアがスネイプ先生とマクゴナガル先生、そしてロックハート先生を従えて到着した。

ダンブルドアは素早く私たちの脇を通り抜け、壁の文字を見て一瞬目を見開き、ミセス・ノリスに駆け寄る。そしてミセス・ノリスを松明の腕木からはずしながら、

 

「アーガス、一緒に来なさい。ポッター君、ウィーズリー君、グレンジャーさん、君たちもおいで」

 

どこか優しく私達に話しかけた後、ダンブルドアはクルッと振り向き、

 

「ダリア、君も一緒に来てくれんかのう」

 

そう、マルフォイさんに言った。表情こそ優し気であったけど、それは紛れもなく、マルフォイさんを警戒して言ったように、私は感じられた。

 



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容疑者(前編)

 ダリア視点

 

「……何故、私も行く必要があるのかお聞きしても?」

 

優し気な表情をしているが、目だけはジッと警戒しているように見つめる校長に尋ねる。去年から分かっていたことではあるが、この校長は何故か私を非常に警戒している。今回だってそうだ。彼も先ほどのパーティーに参加していたのだ。ならば私がそこに参加していたのも知っているはずだし、だからこそ私がこれをやったという根拠は何一つないことは分かっているはずなのだ。

それなのに私を疑うこの老害に、私は内心では非常に腹を立てていた。

でも、

 

「そうだ! なんでダリアが行かないといけないんだ!? ダリアは今ここに来たばかりだぞ! そこのポッター達はともかく、ダリアが行かないといけない理由はないはずだ!」

 

「そうです! それにダリアが行かないといけないなら、私だってダリアと一緒に今ここに来たんですよ!? だったらダリアじゃなくて私でもいいはずですよね!?」

 

横にいた二人から総スカンを受けていた。

気持ちは非常にありがたいのですが、校長の話も聞かないと先に進まないのですが……。私のために烈火のごとく怒っている二人の姿を見て、私は何だか冷静になってしまった。

 

「いや、何、そう警戒しなくてもいいのじゃよ? わしはただ、ホグワーツ有数の頭脳を持つダリアの意見を聞きたかっただけじゃよ。偶然とはいえ、一番目につくところにおったしのう。理由はそれだけじゃよ」

 

お兄様達を宥めようとほがらかに言ってはいるが、やはり目だけは変わっていない。適当なことを言っているが、目は口ほどにものを言っている。

私には、彼の目が

 

わしは、君を疑っておる。

 

そう語っているように見えていた。

 

「ふん! そっちは曲がりなりにも、()()今世紀最も偉大な魔法使いなんだろう? だったら自分で考えればいいじゃないか! ダリアが行く必要はない!」

 

「そうです! そりゃダリアの方が校長より()()()偉大だと思いますけど! だからって、」

 

「分かりました。意見だけでよろしいなら」

 

「っダリア!」

 

お兄様達の怒鳴り声を遮って私は校長に従うことにした。これ以上放っておくと、お兄様達がどんどん失言を繰り出していく気がしたのだ。

事実、校長の横にいるマクゴナガル先生は怒ったような顔をしている。まだ黙っているが、もう少しすれば堪忍袋の緒が切れるだろう。ただ、普段であれば怒っているだろう先生がまだ何も言わない理由は、彼女自身ダンブルドアが私を呼んだ理由を測りかねているからだろう。スネイプ先生も校長の意図をはかりかねているのか、いつも浮かんでいる眉間のしわがさらに深くなっている。ロックハート先生は……空気も読まず、何故か私にウィンクを送っていた。何のためについて来たのだろう、この人は……。

 

それに、どうせここで断ったとしてもあんな目をしているのだ。後で適当な理由をつけて呼び出してくるだろう。

去年のクリスマス前夜のように。

それならば、二人っきりになる状況より、私の前に呼ばれた三人組や、スネイプ先生含む他の先生方が共にいる状況の方が好ましく思えた。他者がいる状況で下手なことはしてこないだろう。平然と生徒に開心術をするような老害だ、二人っきりになれば何をしてくるかわかったものではない。

 

去年、私にあんな鏡を見せたように。

 

「ダリア! いいのか!? お前は全く関係ないんだぞ!?」

 

慌てたように尋ねてくるお兄様に返す。

 

「わかっております。ですが、ここで行かないで、後で個人的に呼び出される方がよほど面倒くさいので……」

 

暗に去年の呼び出しのことを言及すると、お兄様は納得はしないまでも、ここで行く以外の選択肢がないことは理解された様子だった。

苦虫を噛み潰したような表情でお兄様は続ける。

 

「な、なら僕も行く!」

 

「わ、私も! ダリアを独りになんてしない!」

 

私が校長に同行する意志の固いことを悟ると、次案としてお兄様はそうおっしゃった。

私を心配してくださる気持ちは非常にありがたい。が、これも出来ない相談だった。

 

「大丈夫です。校長は、私の意見が聞きたいとおっしゃっていただけです」

 

「でも、ダリア、」

 

「お願いします。お二人が寮にいてくださった方が、私としては安心できるのです」

 

意見が聞きたいだけと言っていた以上、向こうで下手なことを校長が聞いてくることはないだろう。でもそれも絶対ではない。ならばダフネは連れていけない。そしてダフネを連れて行かないのに、お兄様を連れていく道理はない。

何より、向こうでお兄さまたちが出来ることはほとんどない。それどころか、これ幸いにとダンブルドアがお兄様に余計な質問をし、尚且つ開心術を使ってくる可能性もあるため、二人は足でまといになる可能性すらあるのだ。

 

私が暗について来ないで欲しいという意思を見せると、私の乏しい表情を読み取ったのか、

 

「……分かった」

 

凄く不満そうであるが、お兄様はこちらも首を縦に振ってくださった。ダフネも同様の表情をしているが、彼女もこれ以上何か言うことはなかった。

私は無表情ながら、私にできうる限りの笑顔を二人に送って、

 

「さあ、行きましょうか」

 

相変わらず警戒したようなダンブルドアに言った。

そんな私を、教師二人とグレンジャーさんは困惑したように、そしてグリフィンドール二匹は校長同様に警戒した眼差しで見つめていた。

ロックハートのみは相変わらず私にウィンクをよこしていた……。

 

「おお! そうか! では、行くかのう。どこか空いている場所は、」

 

「それならダンブルドア! 私の部屋をお使いください!」

 

今までウィンクをすることに忙しくて黙っていたロックハート先生が申し出た。

 

「ありがとう、ギルデロイ」

 

そう言ってダンブルドアが歩き出すと、人垣はパッと左右に割れて私達一行を通す。

彼らの間を通る際、やはりほとんどの生徒達は私のことを凝視していた。

そちらに目をやると、

 

彼らは先程以上に私を恐怖の眼差しで見つめていたのだった。

 

その怯えた生徒たちを見ながら、私は校長の狙いの一端を見た気がした。

 

ああ……だからこの場で私を呼んだのか……

 

本来、誰かをこの場でわざわざ指名してまで連れていくというのは、その人間を犯人だと疑っていると公言するようなものだ。しかも、お兄様がおっしゃっていたように、相手は曲がりなりにも今世紀最高の魔法使いと称される人間だ。本来なら誰かの助言等必要はしないだろう。それがただの生徒なら尚更だ。なのに、私を呼んだ。それは口実とは裏腹に、明らかに私を疑っていると公言しているようなものだった。

今世紀最も偉大な魔法使いに疑われるのだ、さぞ生徒達には疑わしい人間に見えたことだろう。

普通なら、多少疑っているくらいであれば、後日こっそり呼び出せば済むことなのだ。それこそそちらの方がよほど時間を作って尋問出来る。

なのに、彼はこの場で私を呼んだ。つまり、それだけ確信をもって私を疑っているということだ。いや、たとえ私が完全に犯人だと思っていなかったとしても、何かしらの関わりが私にあると思っているのだろう。

 

だから、この疑いではなく、半ば確信に変わった生徒たちの視線で、私をけん制しているのだ。

 

奴は、自分の言葉や教師たちではなく、生徒を使って私をけん制したのだ。

 

容疑者である私が、これ以上下手な行動をできなくするために。

 

これ以上犠牲者を出さないために。

 

本当に、嫌な奴……。

 

私は誰にも分からないように、殺意を込めて、静かに拳を強く握る。

殺意を込めた視線を向けた先には、前を颯爽と歩くダンブルドアの背中があった。

 

私達はロックハート先生の部屋に入り灯りをつける。壁一面に張られたロックハート先生自身の写真が、突然の来客に慌てふためく様子をしり目に、ダンブルドアはミセス・ノリスを机に置いていた。

他のメンバーは思い思いの位置に立っている。先生達は猫を調べるためか、比較的机に近い位置に。そして私たち生徒組は部屋の隅の方に立ち尽くしていた。管理人は泣きじゃくりながら猫に縋り付いている。

衝撃的な場面に出くわし、よほど精神的にきているのだろう。グレンジャーさんは隅の椅子にうなだれるように座っている。その傍にポッターたちは寄り添っており、私は彼らから少し離れたところに立っていた。

顔がくっつくかもという距離でミセス・ノリスを調べだすダンブルドアの横で、ロックハート先生が話し出す。

 

「猫を殺したのは呪いに違いありません! 多分『異形変身拷問』の呪いでしょう!」

 

その『異形変身拷問』なる呪いを私は知らない。名前からして私の大好きな闇の魔術だと想像できるが、私は特にそちらに興味を示さなかった。これがスネイプ先生辺りが口にしたことであったら、私はこの状況を放り出して話しを聞いていただろうけど、如何せん口にしたのはボンクラ教師だ。おそらくお得意の()()()だろう。

 

「私がその場にいなくて残念です! 反対呪文を知っている私なら、猫を救ってやれたのに!」

 

終わりが見えない与太話の横で、ダンブルドアは呪文を唱えながら杖で猫を叩いている。効果は特になかったらしく、相変わらず猫は固まっていた。

それはそうだろう。なぜなら、そんなことで治せる状態ではないのだから。

ダンブルドアもようやく猫の状態に気が付いたのか、管理人に向かってやさしく言った。

 

「アーガス、猫は死んでおらんよ」

 

「死んでいない……?」

 

「そうじゃ。死んではおらん」

 

「な、なら一体?」

 

縋りつく管理人を手で制し、ダンブルドアは部屋の隅で黙り込んでいた私に尋ねた。

 

「ダリアはどう思うかのう?」

 

「ご自分で分かっておられるのではないのですか?」

 

私が不機嫌な声で返す。

 

「買いかぶり過ぎじゃよ。確かに見当はついておるが、確信が欲しくてのう。君の意見を聞きたいんじゃよ」

 

ぬけぬけとよく言う。おそらく、正直に話しても、あるいは分からないと嘘をついたとしても、どちらにしろ私を疑うのは変わらないのだろう。彼はただ私に揺さぶりをかけたいのだ。

正直に話すのは癪であったが、ここで嘘をつけば後でボロが出る可能性があるので、ここは正直に話すことにした。

 

「……おそらく、その猫は石になっているのでしょう」

 

私の見立てでは、猫はダンブルドアが言っているように死んではいなかった。ただ()になっているだけだ。闇の魔術を得意とする私には、それが容易に推察することが出来ていた。家に置いてあった闇の魔術の本に、いくつかあの状態について書いてある本があったのだ。

そしてその見立ては正しかったらしく。

 

「おお! わしもそう思っていたのじゃよ! 流石は学内一の秀才じゃのう!」

 

「はあ」

 

大きく頷いている校長に、私は気のない返事を返す。

自分でも分かっていたくせに、よくもまあこんな茶番をする気になるな。そう思っていたが、

 

「では、ダリアよ。どうして猫が石になったか分かるかのう?」

 

今までの少しふざけた雰囲気ではなく、真剣なまなざしで私に尋ねてきた。

成程。この質問に対する私の反応が見たかったのだろう。これは犯人しか知らない情報だ。もっとも、私が犯人だとしても、こんなに分かりやすいカマかけには決してボロは出さないだろうけど。

それに、

 

「いえ……見当もつきません」

 

実際質問に対して、私は明確な答えを持ち合わせていなかった。

本当は相手を石にする方法()()なら、いくつか方法を知っている。だが、その全てが高度な闇の魔術を使うものであり、私のような生徒が知っていていいものなどではない。それ以外の方法となると……言葉通り見当もつかなかった。

生き物を石にするような闇の魔術が使える人間は、おそらく教員を除けば私しかいない。私が犯人ではない以上、先生方の誰かが犯人か、あるいは生徒の誰かが私の知らない方法で犯行を行ったとしか考えられなかった。だから質問への答えは、文字通りわからないが正解だった。

 

私が去年同様ボロを出さないと思ったのか、

 

「そうか……おぬしでも分からぬか……」

 

ダンブルドアはいやにあっさり引いた。しかし、

 

「嘘だ!」

 

管理人はそうではなかったらしい。私を睨みつけながら大声をあげる。

 

「そいつがやったんだ! そいつが私の猫を!」

 

「違います! マルフォイさんは違います!」

 

怒鳴り散らす管理人に、私と同じく部屋の隅でかたまっていたグレンジャーさんが大声をあげた。

どうやら彼女だけは私を庇ってくれるつもりらしい。

 

「マルフォイさんは私たちの後で現場に来ました! だから彼女はやっていません!」

 

「だったら!」

 

私を睨み付けていた管理人は、今度はポッターに目を向けた。

 

「あいつが犯人だ! あいつはパーティーにいなかった! そ、それに、」

 

苦し気に顔をゆがめて続けた。

 

「わ、私が、出来そこないの『スクイブ』だって知ってるんだ!」

 

そう彼は懺悔でもするかのように叫んだ。

 

『スクイブ』。それは魔法使いの家に生まれながら、魔法を使えないほど魔力を持たない人間の蔑称だ。スクイブは非常に珍しい存在であるが、魔法界で知らぬ者はほとんどいない。しかし、

 

「ぼ、僕、ミセス・ノリスに指一本触れていません! それに、僕、『スクイブ』が何か知りません!」

 

どうやらポッターは知らなかったようだった。

 

「馬鹿な! お前は私の『クイックスペル』からの手紙を見たはずだ!」

 

ポッターがマグルの間で育ったのを知らないのか、はたまたただ冷静でなくなってるのか、管理人の叫び声は止まらなかった。

 

「校長、一言よろしいですかな?」

 

このままでは埒があかないと思ったのか、スネイプ先生が声を上げた。

 

「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせたのではありませんかな。ミス・マルフォイはパーティーに参加していたのですから、論ずるまでもないでしょう」

 

そう若干険を持った口調でダンブルドアに話す先生に、私は少し驚いた。

私をここに連れていくとダンブルドアが言った段階で、先生は相当顔をしかめていたのだ。私には絶対に不利なことをおっしゃるとは思っていなかった。が、ポッター達まで庇われるとも思っていなかった。ポッター達もそうなのか、訝し気にスネイプ先生を見つめている。

 

「とはいえ、」

 

でも、それで先生の話は終わりではないらしかった。

 

「ポッター達はやはり非常に疑わしい状況ではあると思いますがな。大体、何故、パーティーに参加せず、あのような場所にいたのか。それをお聞きしたいですな」

 

「ぼ、僕たち、『絶命日』パーティーに参加してました。ゴースト達が証明してくれるはずです」

 

「では何故その後大広間に来なかったのかな?」

 

「そ、それは、僕たち疲れていて、すぐにでもベッドに行きたかったんです。お腹もすいていなかったし……」

 

段々と追い詰められ始めたポッターはそう言い訳したが、運悪くその直後にウィーズリーのお腹がなってしまい、部屋の中を微妙な空気が流れた。

彼らが何か隠しているのは明らかだった。無論それでも彼らが犯人だとは思わない。動機も実力も、そしてなにより()()がない。

スネイプ先生は腹の音に何か言おうとしたが、

 

「セブルス。疑わしきは罰せずじゃよ」

 

ダンブルドアがきっぱりと言い切り、先生の言葉を遮った。どうやら、校長は彼ら三人に関してはまったく疑っていないようだった。

疑わしきは罰せず、か……どの口が言っているのだろうか。私は疑う理由すらないのに……。

私がダンブルドアのいいように苛立っていると、私とは違った理由で校長の発言に納得できないのか、管理人がダンブルドアに声を荒げていた。

 

「罰せず!? 私の猫が石にされたんだ! 刑罰をあたえなけりゃ収まらん!」

 

私とポッターを交互に睨み付けながら管理人は言った。

 

「アーガス、君の猫は治せるよ」

 

ダンブルドアは、管理人を落ち着かせようと穏やかな声で続ける。

 

「今温室でマンドレイクを育てておってのう。それなら薬を作ることができる」

 

石化した方法がなんであれ、あの状態になった者を救う手段は今のところ数は多くない。その数少ない方法の一つがマンドレイクから作られる魔法薬だった。

幸い、今ホグワーツではマンドレイクを教材として栽培している。あれさえあれば、一年以内に薬を作ることは可能だろう。

校長の言葉を聞いて安堵したのか、管理人は怒りが少しは落ち着いたのかその場にへたり込んでいる。

 

「ポッター君、ウィーズリー君、グレンジャーさん、もう帰ってよいぞ。ダリアは、」

 

「ミス・マルフォイも帰ってよろしい」

 

まだ何か言い募ろうとするダンブルドアの言葉を、今度はスネイプ先生がきっぱりと遮った。

私を庇うように立ちふさがるスネイプ先生に、私は感謝の念でいっぱいだった。これ以上この老いぼれに付き合っていられない。

少しの間ダンブルドアとスネイプ先生は無言で視線を交わしていたが、

 

「……そうじゃのう、ダリア、君も帰ってよろしい。すまなかったのう、わざわざ来てもらって。非常に助かったよ。スリザリンに5点差し上げよう」

 

これほど嬉しくない点数はロックハート先生のテスト以来だった。こんなことで誤魔化されるとでも思っているのだろうか……。

 

「……お役に立てたならうれしい限りです」

 

屈辱に拳を握り締めながら、私は先に去っていった三人に続き、その場を出来る限り急いで離れた。これ以上あの老害の姿など見たくもない。

 

これ以上あいつを見ていると、自分を押さえ込める自信がなかった。

 

ダンブルドアの若干未練がましい視線を断ち切るようにドアを閉め、私は足早に廊下を歩いていく。

きっと今頃、お兄様とダフネだけは私の帰りを今か今かと待ってくれていることだろう。

少しでもはやく、そんな落ち着ける空間にたどり着きたかった。

なのに……。

 

「マルフォイさん!」

 

三階からの階段の前に、先程まで同じ空間にいた三人組が待ち構えていた。

グレンジャーさんは疲れ果てた表情の上に、どこか不安と心配を混ぜたような瞳を、そして残りの二人は相変わらず私を警戒したような表情をして立っていた。

 

「皆さん、はやく寮に戻った方がよろしいですよ。もう夜遅いです。私はともかく、スネイプ先生に見つかれば面倒ごとになると思いますけど?」

 

私の言葉に今何時であるのか気がついたのか、三人ともギョッとした表情で慌てだすが、

 

「私、マルフォイさんに聞きたいことがあるの」

 

焦った様子ではあるが、グレンジャーさんはそう切り出した。

 

「手短にお願いします。私も早く戻りたいので」

 

はやく帰りたかったが、グレンジャーさんは今後危ない目にあう可能性が非常に高い。多少警告しておく必要性があると思い、私は付き合うことにした。

 

「ありがとう! さっきのことなんだけど、どうして私に気を付けろって言ったの?」

 

こちらから警告するつもりだったが、手間が省けた。

 

「お兄様もおっしゃっておられましたが、貴女がマグルのご家庭出身だからです」

 

「どうして私がマグル生まれだから気を付けないといけないの?」

 

「それは、『秘密の部屋』が貴女たちマグル生まれの方々を排除するために作られたからです」

 

彼女が知らないということはないと思うが、どうやら秘密の部屋のこと度忘れしている様子の彼女に説明しようとしたところで、

 

ボーン

 

どこかで時計のなる音が聞こえた。どうやら時間切れのようだった。

 

「時間切れですね。『秘密の部屋』についてですが、おそらく『ホグワーツの歴史』に書いてあると思います。貴女は入学時点で読んでおられた様子なので、そちらを再度読んでみてください。では、私はこれで」

 

これ以上ここにいれば、夜不必要に出歩いたと先生に言われてしまうかもしれない。最悪それを口実に校長に呼び出されるかもしれない。

それに、ここまで言えばグレンジャーさんなら全て理解するだろう。

 

「『ホグワーツの歴史』! そうね、どこかで聞き覚えがあると思ったら、あれに書いてあるのね! ありがとう、マルフォイさん!」

 

やはり彼女もどこかで読んだ覚えはあったのだろう。

時計の音に同じく慌てた様子のグレンジャーさんはそう言って今度こそ階段を上がっていった。

残り二人も彼女の後を追って階段を昇っていく。結局、彼らが私に口をきくことはなかった。

彼らは最後まで、私に警戒心を顕わにした視線を送っていた。

 

グレンジャーさん達と別れ、私は足早に階段を下りていた。

はやく。はやくお兄様達の元に戻りたかった。

去年のクリスマスと違い、直接ダンブルドアに何かされたというわけではないけれど、あの狸爺と同じ空気を吸うのはやはり体力と精神力を使う。じっとこちらを警戒する視線を送られるのは、いつも以上に気を張らなくてはならず疲れるのだ。

 

今頃、お兄様はお茶の準備でもして、私の帰りを待っていてくださるのかな。

 

そう考えると、私は居ても立ってもいられず、さらに速度を上げて寮への道を走るのだった。

しかし、寮に戻った私を出迎えたのは、予想とは違った光景だった。

 

「大丈夫だったか、ダリア!」

 

ドアを開けると、お兄様とダフネがすぐに私を迎え入れてくれる。そして、私を談話室で迎え入れたのは二人だけではなかった。

 

私は当初、こんなに夜が遅いのだ、お兄様達だけが談話室にいらっしゃると思っていたし、その方がありがたいと思っていた。その方が気を張らずに済む。

でも、現実は違った。

 

何故か談話室には、スリザリン生ほぼ全員の姿があった。

 

「マルフォイ様! おかえりなさいませ!」

 

本来静まり返っているはずの夜の談話室は活気に満ちていた。彼らは口々に帰還した私に挨拶を述べてくる。

でも、彼らはお兄様とダフネと違い、一定以上はこちらに近づいてくることはなかった。口では歓迎しているが、必要以上にこちらに来ようとはせず、また、その目は恐怖と畏怖に彩られていた。

まるで、先ほど廊下で私を避けた生徒たちのように。

 

「……ええ。皆さん、こんな夜遅くまで、一体どうされたのですか?」

 

想像と違った談話室の有り様に、私は訝しみながら近くの男子生徒に尋ねる。ダフネもいつまでも談話室に残る生徒達が不思議だったのか、私と共に彼の返事を待っている。

そんな私達の横で、お兄様だけは何だか苦い表情をしていた。

 

「も、もちろん、『継承者』であらされるマルフォイ様をお待ちしていたのです!」

 

私に尋ねられた生徒は、どこか怯えたような表情でそう言った。彼だけでなく、この場にいるほぼ全員が媚びを売るような表情で頷いている。

 

彼らはダンブルドアの狙い通り、私を『継承者』だと信じ切っていた。

他の寮であれば遠巻きに見られ、まるで恐ろしい怪物が近くにいるような対応をされるのだろうけど、スリザリンの対応は違うらしい。純血主義を体現する英雄とでも考えているのだろう。もっとも、口では英雄と言っていても、やはり誰かが襲われるというのは内心では怖くて仕方がない様子でもあったが。

なんにせよ、彼らが私を避けようが恐れ奉ろうが、『継承者』でも何でもない私には、ただただその認識は不快なだけだった。

 

「……私は『継承者』などではありません」

 

私がそう返すと、私の機嫌が悪くなったのが声から分かったのか、

 

「そ、そうでございますよね、勿論でございます! マルフォイ様が『継承者』だと、外では決して漏らしません! ……ですが、どうかお手伝いできることがあれば何なりと。スリザリン一同、必ずや貴女様のお役に立ってみせます」

 

それだけ言って、どこか逃げるように寝室の方に行ってしまった。他の生徒も、どうやら彼が皆の言いたいことを伝えてくれたと思ったのか、それぞれ恭しく私に挨拶をすると、やはりどこか逃げるようにして寝室に戻っていった。

 

結局、最後には談話室にいつもの9人のメンバーだけしか残っていなかった。

お兄様とダフネ以外のメンバーも残ったことに、正直意外な気持ちを禁じえなかった。が、よく考えればザビニ以外のメンバーは全員聖28一族なため、『継承者』に襲われる心配など全くないことに気が付いた。まあ、それも本当に犯人が『継承者』であればの話ではあるが。

 

お兄様とダフネさえいれば、後は全員寝室に帰ってもらって構わないのに。

 

そう思いながらソファーに腰掛けると、恐れこそないが、やはり私にどこか畏敬の念を持った様子のセオドールが私にお茶を注いでくれる。

 

「……ありがとうございます」

 

釈然としないが、一応礼だけ言うと、やはり恭しい態度で頭を下げてきた。その横から、

 

「ダリア! それで次は誰を襲う気なの? 決めてないならグレンジャーにしましょうよ! あいつ、穢れた血のくせに生意気じゃない!」

 

そう私にキンキン声で言うパーキンソン。同じ考えなのか、横でブルストロードもうなずいている。

その姿にお兄様とダフネが汚物でも見るような視線を送っていると気が付かないまま。

 

「……勘違いされているようですが、私は『継承者』などではありません」

 

「またまた。だって、あなた程継承者に相応しい人間はいないわよ」

 

「……何故、私が『継承者』に相応しいと?」

 

皆がなぜ私を『継承者』と疑うか分からず尋ねると、それは意外に単純な理由だった。

 

「だって、ダリアは純血筆頭のマルフォイ家よ! しかも学年首席どころか、今や上級生たちにだって貴女より優秀な人がいないことは分かっているわ! それに貴女……。ま、まあ、とにかく、あなた程『継承者』に相応しい人間なんて、今この学校にはいないわ」

 

最後だけ少しお茶を濁した様子だったが、どうやら家柄と成績で私が『継承者』だと考えたらしい。お兄様とダフネ以外も概ね同意なのか、パーキンソンの言葉にうなずいている。確かに、言われてみれば簡単な話だ。今現在スリザリン寮の中で最も家柄が高いのは我がマルフォイ家だ。それはお兄様も該当するが、ダンブルドアもその場で治療できないほどの闇の魔法を使えるとなると……確かに私しか考えられなかった。まだ他にも理由がありそうな様子ではあったが。

 

「ふん。ダリアが『継承者』なわけないだろう」

 

パーキンソンの話に頷いていたメンバーにお兄様は不機嫌そうに言った。

 

「なんだよマルフォイ。妹に嫉妬しているのか?」

 

ザビニがお兄様をそう揶揄したが、お兄様はとりあわなかった。

 

「嫉妬? 確かに、僕は『穢れた血』や『血を裏切る者』をこの学校から追い出そうとしている『継承者』には賛成さ。誰かは知らないが、どんどんやってもらいたいね」

 

でも、とお兄様は続ける。

 

「その『継承者』は、ダリアであるわけがない。僕はダリアの兄だ。ダリアが()()()()()しないと僕は知っている」

 

そう言った切り、お兄様は私の手を安心させるように握って黙ってしまう。

 

談話室には奇妙な沈黙がおり、動いているのはお兄様に同意して頭を縦に振るダフネだけになっていた。



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容疑者(後編)

 

 ダンブルドア視点

 

「どういうことか、説明してもらってもよろしいですかな?」

 

セブルスは校長室に入ってくると、開口一番にそれを口にした。

いつも不機嫌そうな男ではあるが、今はいつも以上に苛立っている様子じゃった。

彼が何に腹を立てているか想像できるが、わしはあえてとぼけるように答えた。

 

「どういう、というと?」

 

「とぼけないでいただきたい。ミス・マルフォイをどうしてあの場で呼び出したのか、それをお尋ねしているのです。あの娘はポッター達と違い、先程のパーティーに参加しておりました。疑う理由などないはずですが?」

 

確かに、今のところダリア・マルフォイを疑うような根拠は何もない。それなのに生徒をあの場で呼び出すというのは、どうぞ彼女を疑ってくれと皆に宣言するようなものじゃ。我がごとながら、理不尽極まりない所業とさえ思う。

 

じゃが、彼女のトムと非常に似通った雰囲気が、わしの彼女に対する警戒心を生み出していた。ダリア・マルフォイがただの一生徒であればこんなことはしなかった。

 

わしには、どうしても彼女が『継承者』であるとしか思えなかったのじゃ。

 

50年前。まだ学生であったヴォルデモート、当時は『トム・リドル』という名前だった彼は、優等生として振る舞っている裏で『秘密の部屋』を開き、その中にいた()()()大勢の生徒を傷つけ、そして最後にはある生徒の殺害まで行った。わしは彼の隠れた残虐性を垣間見ていたため疑っていたが、わし以外の当時の先生方は、誰一人として彼のことを疑ってはいなかった。結局、トムの罠にはまってしまったハグリッドが犯人として捕まってしまい、事件の真相は闇へと葬られてしまった。が、わしは未だにあの事件を起こしたのはトムだと確信しておる。

そんな彼と似通った雰囲気を持つ生徒。類まれなる才能で教師を魅了する裏で、彼と同じ残虐性かは分からぬが、確かに何かを隠していると思しきダリア・マルフォイが、今回の事件と無関係であるとは、わしにはどうしても思うことができなかった。トムと違い、わしが何か言う前から他の生徒には疑われている様子じゃったが。

 

「セブルスよ。冷静になるのじゃ。確かに、彼女はパーティーに参加しておった。じゃが、以前扉が開かれた時も、トムは証拠は何一つ残しておらんかった。それに、パーティーにおったからといって、彼女がやっておらん証拠にはならん」

 

「……どういうことですかな?」

 

「『秘密の部屋』の伝承はおぬしも知っておろう? もし、伝承通り部屋の中に何かしらの『恐怖』があったとして、それを継承者が操れるなら、別に犯行現場に本人がおらんでもよいということじゃ」

 

前回扉が開かれた時も、トムは一切の証拠を残さなかった。当時も多くの生徒が石にされた。わしは事件が始まった段階でトムに対する監視を強めたが、結局彼の殺人を止めることは出来なかった。最後には生徒の一人が石になるのではなく、本当に殺されてしまう結果になってしまった。トムは何かしらの方法でわしの監視をすり抜けておった。

 

「……彼女にやっていない証拠がないということは分かりました。ですが、彼女が()()()()()()証拠もないはずですが?」

 

確かに彼女がやったという証拠は、彼女ならそれが可能という評価と、彼女の持つトムとの類似性のみだった。

 

「そうじゃのう、確かに彼女がやったという確かな証拠はどこにもない。じゃが、考えてもみよ。もし、あの場であの子を呼ばなければ、彼女の代わりに誰が疑われた?」

 

「……ポッターですな。奴はミス・マルフォイと違いあの場にいた。生徒達は短絡的に奴を疑ったことでしょうな」

 

わしが何かするまでもなく、ある程度生徒は最初からダリア・マルフォイを疑っている様子じゃった。じゃが、心情的にはともかく、やはりあの場の状況として最も疑わしいのはハリー達じゃった。あの場でああしなければ、彼らが最も疑われていたことじゃろう。

 

「そうじゃ。じゃから、」

 

「ポッターを守るためとおっしゃりたいのは分かりますが、だからと言って、無実のミス・マルフォイに容疑を擦り付けるのには納得しかねますが?」

 

「……随分彼女を庇うのじゃのう。生徒達に興味を示さんそなたらしくない」

 

「……」

 

ルシウス・マルフォイの娘を気にかけているとは口が裂けても言えず、沈黙しながらこちらをにらむだけのセブルスにため息をつきながら続ける

 

「……確かにハリーを守るために、彼女に疑いの目を向けたのは確かじゃ。じゃが、それはハリーを守るとともに、彼女を守るためでもある」

 

「……どういうことですかな?」

 

わしの返答に、セブルスは訝し気に問うてきた。

 

「考えてもみよ。ダリア・マルフォイが犯人だった場合でも、アーガスには悪いが、所詮猫を石にしただけじゃ。まだホグワーツ内で彼女を庇うことはできる。じゃが、生徒の誰かが犠牲になってしまえば、もうわしは彼女を庇うことはできん。アズカバンに送るしか道はない」

 

わしは一度言葉を切り続ける。

 

「前回はわし以外の人間は誰一人として、トムを疑ってはおらんかった。その結果、一人の尊い命が失われてしもうた。わし一人の監視では限界があったのじゃ。じゃが、今回はこれで()()()疑いの目をもって彼女を監視することじゃろう。これで彼女が思いとどまればよし。そうでなくても証拠を格段につかみやすくなることじゃろう」

 

生徒達のためにも、そして何よりダリア・マルフォイのためにも、50年前の惨劇を繰り返してはならないのじゃ。

 

「……もし、彼女が『継承者』でなかったなら?」

 

まだいらだった様子のセブルスにこたえる。

 

「『継承者』でなくても変わらんよ。監視のさなか、彼女が()()()()何もしておらんのに何か事件が起これば……。それは彼女が犯人ではなかった証拠となろう。彼女の疑いは自然にはれることじゃろう」

 

「左様ですか……」

 

まだ納得はしておらん様子じゃったが、セブルスは一応頷いてくれた。

頷くセブルスを眺めながら考える。

前回とは違い、事件始まり直後にこちらは対応できておる。

このまま何も起こらねばよいのじゃがのう……。

 

そう祈る心とは裏腹に、事件はこれだけでは絶対に終わらないという暗い予想が頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ロックハートの部屋から談話室に戻ると、もう夜遅いからか誰も部屋にはいなかった。

僕は誰もいないことを幸いに、気になっていることをロンとハーマイオニーに尋ねた。

 

「僕が聞いた()のこと、先生に話した方がよかったかな?」

 

「いんや。止めた方がいいよ」

 

ロンはきっぱりと言い切った。ハーマイオニーも賛成らしい。

 

「貴方が聞こえたって言ってた声、私とロンには聞こえなかった。なら言わない方がいいわ。最悪、頭がおかしいと思われてしまうから」

 

「で、でも、君たちは信じてくれるだろう?」

 

「勿論よ」

 

すかさずハーマイオニーが答える。ロンも同じなのか頭を縦に振っている。

僕がそれをうれしく思っていると、ロンが話し始めた。

 

「本当に気味が悪いことだらけだ。あの壁の文字だってそうだ。『秘密の部屋は開かれたり』だっけ。秘密の部屋か……。どっかで聞いたことあるんだけどな……。昔ビルが言っていたきがするんだけど」

 

「私も聞き覚えがあるのだけど、詳細は覚えていないの。でも、何に書いてあったかは思いだしたわ。マルフォイさんが教えてくれた通り『ホグワーツの歴史』に書いてあったはずだわ」

 

僕とロンは、ハーマイオニーの口から出た名前で体が少しこわばる気がした。

 

「……ハーマイオニー。君、今度こそあいつと縁を切った方がいいよ」

 

「どうしてよ」

 

いつになく真剣な表情のロンに、ハーマイオニーは不機嫌そうに返す。

この期に及んで彼女はまだマルフォイを疑っていない様子だった。

 

「あいつはさっき、秘密の部屋はマグル出身の子を排除するためのものって言ってたよ。あの時の顔、絶対に君を心配しているような顔じゃなかったよ。あいつはマルフォイ家だぞ。むしろ喜々として君を襲うよ。さっきの言葉だって、君を脅そうとしていた言葉だよきっと。あいつに近づくと、今度は君が襲われてしまうかもしれない」

 

「お言葉ですけど、ロン。マルフォイさんはいつもあんな表情よ。ただ彼女は表情を変えるのが苦手なだけよ。それに、あなたにはいつもの無表情に見えたかもしれないけど、私にはちゃんと彼女が心配してくれているように見えたわ」

 

ピシャリと言い切ったハーマイオニーは、そのまま肩を怒らせながら寝室に行ってしまった。

僕とロンはそんな彼女に肩をすくめながら、自分たちも寝室に戻っていくのであった。

 

それから数日、学校中はミセス・ノリスの件で持ち切りだった。

あの場で文字を見た生徒だけでなく、一夜にしてどうやらあの時の光景は皆に伝わったようだった。もうあの現場でのことを知らない生徒など一人もいない様子だった。

そして皆が話している内容の多くは、

 

「やっぱり僕たちだけじゃなくて、皆ダリア・マルフォイのことを犯人だと思ってるみたいだよ」

 

ロンが朝食の席でハーマイオニーにそう言った。それをハーマイオニーは、『ホグワーツの歴史』という本を開きながら無言で聞いている。どうやら無視を決め込むつもりらしい。

 

『秘密の部屋』については、確かに今彼女が開いている『ホグワーツの歴史』に書いてあった。と言っても、書いてある記述はそこまで多くない。

 

ホグワーツ創設者の一人であるサラザール・スリザリンが、彼の純血主義のために他の創設者と対立。そして追い出される際、ホグワーツのどこかに自分の真の継承者しか開けない部屋を作り、その中に彼がふさわしくないと考える生徒を追い出すための『恐怖』を封じ込めた。

 

そういった内容しか、その本には書かれてはいなかった。継承者とは何か。恐怖とは何かといった具体的な内容はどこにもなかったのだ。

 

でも、どうやら『ホグワーツの歴史』を読んだのは僕たちだけではなかったみたいで、数日するとその内容も皆が知るところとなっていた。

そして皆がもっぱらその『継承者』だと疑っているのが、件のダリア・マルフォイだった。

わずかではあるが、現場にいた僕を疑う声もあるそうだけど、ほとんどの人間はダリア・マルフォイを疑っていた。

 

「マルフォイの家は歴史だけは長い純血の家だよ。しかも全員が腐れスリザリン出身だ。あいつがスリザリンの末裔だっておかしくはないよ。そんな家のあいつは、これまた冷たい表情が板についているような奴だ。あれは誰か殺してても僕は驚かないね。それに、あいつがロックハートの授業初日でやらかしたことを考えればね」

 

「ロックハート先生の授業がどうしたの?」

 

ロンを無視していたハーマイオニーが、本から顔をあげて反応した。

どうやら話を聞いていないというわけではないらしい。

 

「なんでも、ロックハートが用意していた大量のピクシーを虐殺したらしい。しかもとびっきりの笑顔で」

 

「マルフォイさんが?」

 

僕もハーマイオニーも初耳の話だった。

ハーマイオニーは真偽のほどを疑っている様子だったが、僕には容易にそれを想像することができてしまった。

彼女は人だってあんな笑顔で殺そうとするのだ。それに比べたら、ピクシーを殺すことなんて何の抵抗も感じはしないだろう。

それどころか喜々としてやるような気さえした。

 

「うん……。そうだね、あいつならやりかねない」

 

「ちょっと、ハリー!」

 

僕がロンに同意したことで憤慨するハーマイオニーに、僕は諭すように話した。

 

「ハーマイオニー、君にも話しただろう? 去年僕が禁じられた森で見たことを。マルフォイがあそこでどんなことをしたか」

 

「ええ、そうね。聞いたわ。あなたがマルフォイさんに()()()()()()よね。よ~く覚えてるわ」

 

そう不機嫌に言い切るハーマイオニーを無視してロンが話を再開した。

 

「まあ、ここまででも皆あいつが犯人だと薄々気づいてるんだけどね、決定的なのはダンブルドアがあいつを疑ってるってことだよ。あの時ただ参考にしたいからって言ってたけど、そんなわけないだろう? ダンブルドアは今世紀最高の魔法使いなんだぜ。ダンブルドアがあいつを疑ってるのは間違いないね」

 

「でも、それならなんでダンブルドアはマルフォイを捕まえないんだろう?」

 

僕が問うと、ロンはすかさず答えた。

 

「証拠がないんだよ。あいつが犯人だろうことは皆性格で分かっているのに、それをやったっていう証拠がないんだよ」

 

「でも、このままじゃあいつはこれからも誰かを襲い続けるよ。それに、僕を疑う人もいるにはいるんだろう?」

 

「うん……まあね。あの場にいたのはあいつじゃなくて、僕たちだからね。でも、気にすることはないぜ。犯人はダリア・マルフォイって分かってるんだからさ」

 

「でも、証拠がないんだろう? 誰かが襲われる前に、はやく証明しなくちゃ、」

 

「証明なら出来るわ」

 

黙って僕たちの話を聞いていたハーマイオニーは、意を決したようにそう言った。

僕とロンは驚いてハーマイオニーを見つめる。正直、ここまでダリア・マルフォイのことを庇う以上、ハーマイオニーがあいつの犯罪の証拠をつかむのに積極的になることはないと思っていた。

 

「どうやってさ?」

 

「難しいし、危険なことよ。でも、やる価値はあると思うわ」

 

ハーマイオニーは言葉を一度きり続ける。

 

「それはね、私達がスリザリンの談話室に忍び込んで、正体を偽りながらマルフォイさんにいくつか質問するのよ」

 

どう考えても無理な方法だった。

 

「そんなの無理に決まってるだろう!」

 

ロンは半ば呆れながら言う。僕もハーマイオニーにしては荒唐無稽な案に半ば驚いていた。

 

「いいえ、無理ではないわ」

 

それに対してハーマイオニーは断言した。

 

「ポリジュース薬が少し必要なだけよ」

 

ハーマイオニー曰く、『ポリジュース薬』とは飲めば誰かに変身できる薬とのことだった。

しかし作ると言っても、それを作るためには詳しい製法が書かれた本、そして多くの材料が必要だった。しかもその中にはスネイプの管理する材料や、変身したい相手の体の一部などといった、手に入れるのが困難極まりないものも存在した。

 

「ハーマイオニー、本当にその薬を作るのかい? だって、それを作るのに、スネイプの倉庫に忍び込んだりしないといけないんだろう?」

 

規則どころか明らかな犯罪行為だ。この手のことをハーマイオニーは心底嫌っているはずだが、それでも決意は固いみたいだった。

 

「分かってるわ。でも、こんなことより、マグル生まれの人を襲うことの方がよっぽど悪いことよ。だから、証明するのよ」

 

「どうしたんだい、ハーマイオニー。君、さっきまであいつのこと庇ってたじゃないか? でも、そうだね。今回はミセス・ノリスだったけど、次からは人間を襲うかもしれないもんな。時間は少しかかるけど、これが最も最速の方法だろうし。それに、これなら確実にマルフォイを捕まえ、」

 

「何を勘違いしているの、ロン」

 

ハーマイオニーはロンの言葉を遮って言った。

 

「私はね、彼女がそんなことを()()()()()()()()を証明するために、スリザリンに忍び込むのよ。皆あの子のことを誤解しているだけだって、私たちが証明してみせるの。捕まえるためなんかじゃないわ」

 

そう言って決意に燃える瞳をしているハーマイオニーに、僕たちは曖昧にうなずくことしか出来なかった。

 

ハーマイオニーはそう言うけど、僕はやっぱりダリア・マルフォイこそ犯人だと思っていた。

当初は兄のドラコも犯人ではないかと思った。が、確かに嫌な奴だけど、あいつにそんなこと出来るような度胸もないだろうと思いなおしたのだ。

なにより、ダリア・マルフォイの方がそれっぽかった。

 

そんな認識の違いこそあるが、僕たちのやることは変わらない。ただスリザリンに忍び込み、この事件の真相を聞き出すだけだ。

ハーマイオニーには申し訳ないけど、僕はダリア・マルフォイが犯人だと確信しているし、これであいつの犯行の証拠をつかむことができたらなと思っている。

ハーマイオニーが、ダリア・マルフォイに襲われる前に。

 

こうして、僕たちの『ポリジュース薬』作りが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

馬鹿な小娘の体を使って扉を開いた時、僕はいいしれない高揚感に包まれた。

 

これから、50年前に果たせなかった仕事を完遂することが出来る。

 

しかしそれ以上に、僕にはどうしてもやらなくてはならないことがあった。

 

今のホグワーツには、()()倒したハリー・ポッターがいるらしいことを、この少女が僕に()()()()()()()

今年僕は、50年後の僕が出来なかったことを成し遂げることが出来る。僕はより偉大な存在になることが出来る。

そう思うと僕は興奮を禁じえなかったのだ。

 

生贄が選ばれた際僕が初めに知ったのは……どうやらこの少女はハリーに恋をしているらしいことだった。

 

そのため、僕が彼女に優しく寄り添い、根気よくこの馬鹿な小娘の悩みを聞いてあげていた。

すると、彼女は喜々として僕に彼についてのことを書き込むようになっていた。

 

彼がいつも何をしているか。彼がどのようなことが好きか。そして彼が今()()()()()()()()()()()()()()

彼女の視点から見たものでしかなかったが、それでも多くのハリーに対する情報が僕の中に舞い込んできた。

 

ルシウス・マルフォイは非常にいい生贄を選んでくれた。

僕は本の中でほくそ笑む。この少女の手に僕がわたることによって、僕は非常にハリーを殺す計画を立てやすくなった。

 

そして、彼女が僕を信頼しきり、ついには僕に魂をさらけ出し始めたとき、僕は計画を実行に移すことにした。

 

僕は流れ込んでくる魂で力を増し、そして彼女には逆に僕の魂を流し込むことによって、ついに彼女の肉体を短時間とはいえ乗っ取ることに成功した。

 

僕が彼女の体で初めにしたことは、まず『秘密の部屋』の扉を開くことだった。

『怪物』を制御下に置き、僕はついに50年前の続きを始めた。

でも前回と違い、扉を開いた目的は『穢れた血』の一掃ではない。勿論それは非常に大切なことであるが、物事には優先順位というものがある。

 

僕は今回、扉を開くことで、ハリーを絶望の淵に追いやり、その果てに孤独な死を与えてやることにした。

 

少女の書き込みから、ハリーが非常に周りから慕われていることは分かっている。

 

だから、その下らない友情とやらをまず壊すことにした。

僕を倒したという少年に、僕は罰を与えることにした。

 

ハロウィーン。この日は皆が大広間に集まるパーティーがあるはずだった。これについては50年前から変わっていないはずだ。

 

でも、そのパーティーにハリーは参加せず、何をとち狂ったのか、地下で『絶命日』パーティーに参加するということを僕は書き込みで知っていた。

 

だから、僕はその日に彼を罠にはめることにした。

 

ハリーは忌々しいことに、僕のスリザリンから受け継いだ偉大な力を有しているらしかった。それを『怪物』から聞き及んだとき、僕は正直非常に腹立たしく思ったが、逆にそれは僕の計画に利用できることに気が付いた。

僕は『怪物』を使い、ハリーをパーティーが終わりかける時間帯に、本来その時間に生徒は絶対にいないような場所におびき出すことに成功した。

そして、それは非常にうまくいった。

ハリーはまさに犯行現場を見られた犯人そのものであるという印象を生徒に持たれ、全生徒の中で孤立する。

 

……はずだった。

 

ダリア・マルフォイという生徒さえいなければ。

 

どうやら僕の思惑と違い、生徒の多くはハリーではなく、このダリア・マルフォイという生徒を疑っているらしかった。

彼女は現場状況など問題にならないほど疑わしい生徒らしく、それどころか僕を散々苦しめたダンブルドアにさえ疑われているようだった。

 

あのダンブルドアが、まったく的外れな推理をしているというのは滑稽であった。が、せっかく僕がおぜん立てした舞台を、まったく予期せぬことでぶち壊されるのも非常に気分が悪いものだった。

 

……まあいい。今回は失敗したみたいだが、まだまだハリーの交友関係から割り出した、ハリーが邪魔だと思ってそうな『穢れた血』は少なからずいる。

それを順に襲うことで、計画通りハリーを孤立させていけばいい。ダリア・マルフォイとやらに対する疑念など問題にならない程の状況を造りだせばいいのだ。

でも、もしそれでもダメなようであったら……。

 

ダリア・マルフォイ。君には消えてもらはなくてはならない。

 

マルフォイ家は純血であるはずだが、彼女が偶然僕に触ったさい、彼女は純血どころか()()()()()()()のは分かっている。

何故そんな生き物がマルフォイ家の娘として存在しているかは分からないが、僕の邪魔をするのなら容赦はしない。

娘とはいえ、純血でもなんでもない化け物を排除してやるのだ。むしろマルフォイ家には感謝してもらわなくてはならない。

 

そう僕は、何故か()()()()を感じた彼女を殺すことを視野に、今後の計画を立てていくのであった。



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禁書

 ハーマイオニー視点

 

「まったく、信じられないぜ!」

 

私の後ろを歩くロンが大声を上げた。

 

「あいつ、サインする時、僕たちが借りる本を()()()()()()()()!」

 

『ポリジュース薬』を作るにあたり、私たちは薬の作り方がより詳しく載っている本を借りなくてはならなかった。以前の授業で大まかな材料などの話はされていたのだけど、やはり実際に薬を作るためには本を読まなくては危険だと考えたのだ。

 

しかし、そこで問題が浮上した。

 

『ポリジュース薬』の製法が載っている本は、禁書棚に分類されていたのだ。

 

魔法薬学の先生であるスネイプ先生にサインを頼もうにも、グリフィンドールの私達に許可を下さることなど絶対にない。

それに、薬の材料のいくつかは今後先生の倉庫から盗み出さなくてはならない。私達が『ポリジュース薬』に興味を持っているとばれていれば、盗みに入ったあと先生は確実に私達を疑う。そうなれば、グリフィンドール嫌いの先生のことだから、私達を喜んで退学処分にするのは火を見るより明らかだった。

だから私達は、()()()()()()()()の先生から魔法薬学のサインをもらう必要があった。

私はそんなことをしてくれる先生がいるとは思えず、頭をしきりにひねっていた。

 

けど、ロンとハリーは……ロックハート先生を候補として挙げた。

 

本に書いてあるような偉大な事をなしてきた先生を利用するのは、私には躊躇われた。それに、

 

「あいつは他の先生と違って無能だから。僕たちが借りた本から何を作ろうとしているか分かりっこないよ」

 

そう()()()ロックハート先生を貶めるような二人の言動には賛成できなかったこともある。

でも、どの道誰かにサインをもらわなくてはいけないのだ。しぶしぶではあるけど、私はハリー達の案を取ることにした。

そして現在。

予想以上の簡単さで手に入れることができてしまったサインを片手に、私達は図書館に向かっている。

授業終わりにサインを頼んでみたところ、先生は私達が何を借りようか見もせずにサインをしてくださったのだ。まるでファンレターにでもサインをするような気軽さだった。

 

「あいつはやっぱり能無しだな。まあ、欲しいものが手に入ったからいいけど」

 

「ロックハート先生は能無しなんかじゃないわ」

 

「でも実際僕らの言った通り、借りる本が何かなんて気にもしなかっただろう?」

 

ロンに言い返したいけど、実際彼の言う通りの簡単さでサインが手に入ったのだから、私はそれ以上何も言えなかった。

何だか釈然としない気持ちのまま図書館につくと、さっそく目的の本を借りるためにサインをマダム・ピンスに差し出す。

 

「こ、この本をお願いします」

 

今のところはやましいことなど行っていないけど、()()()()やましいことをいくつも行う関係で、私の声は少し上ずってしまった。

マダム・ピンスはそんな私を非常に疑わしげに見つめながらサインを受け取る。

 

「『最も強力な魔法薬』を? このサイン、偽物ではないわよね?」

 

「ほ、本物です! ほら、ここにロックハート先生のサインもあります!」

 

ロックハート先生のサインと聞き、より一層胡散臭そうな表情をマダム・ピンスはしていたけど、サインがある以上問題には出来ないと判断したらしい。

非常に不本意そうな表情で禁書棚の方に歩いていき、数分後には大きく黴臭そうな本を持って帰ってきた。

 

「期日までには()()返すのですよ。あと、本を傷つけたりしたら絶対に許しませんよ」

 

「わ、わかっています。あ、ありがとうございました」

 

まだ疑わしそうにこちらを見つめるマダム・ピンスの視線から逃げるように、私達は図書館を後にした。

図書館から少し離れたところで、先程まで緊張からかずっと黙っていたロンが口を開く。

 

「ふう。危なかったな。あれ絶対僕たちのこと疑ってるよ。まあ、本を借りる()()()()()()()、サイン自体は本物だからマダム・ピンスにとやかく言われる筋合いはないんだけどね」

 

「そうね。でもこれで本を手に入れることができたわ」

 

私達は『ポリジュース薬』を作るため、誰にも見られない場所を探す必要があった。

 

そこで私が提案したのが……三階にある()()()()()だった。

 

「な、なあ、ハーマイオニー。本当にここで薬をつくるのかい?」

 

ロンは以前の説明にも関わらず、やっぱり女子トイレを使うということに抵抗がある様子だった。でも、私が知る限りここほどプライバシーが守られる場所はなかった。

 

「ええ、そうよ。ここなら絶対に誰も使わないから安心よ」

 

ミセス・ノリスが石にされた現場の近くにあるこの女子トイレは、とある理由で誰も入りたがらないトイレになっていた。ここであれば、私達の薬作りを見られる心配はない。

私達は一部が水浸しになっている廊下を通り、これまた水浸しになっているトイレに足を踏み入れる。

 

「なんでこんなに濡れてるの?」

 

ハリーが訝し気に尋ねてくるのに対し、

 

「ここには『嘆きのマートル』がいるからよ」

 

私は本人に聞こえないように小声で返事をした。

 

『嘆きのマートル』はホグワーツにいるゴーストの中で、特に気難しいゴーストの一人だった。このトイレに住み着いている彼女は、どうにも生前いじめられていた記憶が忘れられないらしく、ことあるごとに発作的な癇癪をおこし、トイレどころか廊下まで水浸しにしていた。

 

今はどうやら奥の小部屋ですすり泣いているらしく、トイレの奥からくぐもった音が聞こえてくるのみだった。ひどい時にトイレの水をそこらじゅうにひっくり返すので、今は比較的大人しい方だ。

 

「だ、大丈夫かな?」

 

「平気よ。いつものことだから。それに、これでも機嫌がいい方なのよ」

 

どうしてもトイレの奥が気になる様子の二人を横目に、私は借りた本を開く。

魔法薬学の本は比較的禁書棚に分類されやすいとはいえ、この本は一目で禁書棚にあるべき本だとわかるような内容だった。人が内側からひっくり返っている絵など、見るからに悍ましい薬だと思われる薬の数々を読み飛ばしていくと、ようやく目当てのページにたどり着く。

 

「あったわ。このページよ」

 

そこには人がまさに他人に変身していく様が描かれており、挿絵の上には『ポリジュース薬』と書かれていた。

 

「スネイプ先生が言ってた通りだわ。生徒用の棚にある材料が大半みたいだけど、中には先生の倉庫にしかないようなものもあるみたい。この毒ツルヘビの皮とかがそうね。それに、夏休みに読んだ通り、すっごく複雑な調合をしないといけないみたいね」

 

予想以上に高難易度な薬であることに驚く私に、

 

「……ハーマイオニー、肝心なものを忘れてないかい?」

 

「何よ、ロン? 肝心なものって?」

 

本を横からのぞき込んでいたロンが突然話しかけてきた。

 

「ハーマイオニー、前君が言っていたじゃないか。薬を作るには、変身する相手の一部が必要だって」

 

私が『ポリジュース薬』を使うことを提案した時、相手の体の一部を使うことを説明すると、

 

『君は僕に腐れスリザリンの爪の垢を飲めってのかい!?』

 

と言って激しく抵抗していたのを私は思い出した。

 

「そうよ。でも、これがないとスリザリン寮には潜入できないわ。この方法が一番確実で最速の方法なの。ロンもそれには賛成でしょう?」

 

「……そうなんだけどさ。でも、どうやって手に入れるんだい、そんなもの」

 

「それも考えなくちゃいけないわね……。でも、それはまだ大丈夫よ。最後の仕上げに必要なだけだから」

 

「うえ~。僕、クラッブの爪とかが入ったものを飲まないといけないのか……」

 

「そうね。マルフォイさんは勿論論外だし。彼女に質問しやすいような身近な人間となると、私達が知ってる限りでは数が限られてくるわね。思いつくのは8人だけね」

 

「あの連中の体の一部を飲まないといけないのか……」

 

ロンはよほど嫌なのか、まだまだ先の話なのに不快気な顔をしている。

私達が見える範囲においては、マルフォイさんの交友関係というのはあまり広いものではない。まるで自ら交友関係を狭めようとしているかのように、彼女の周りにはあまり人が寄り付かない様子だった。

私が知っている限りでは、彼女がいつも一緒にいるのは8人だけだった。

ダフネ・グリーングラスはよく分からないけど、その他の人間の一部が入った薬を飲むのは、私だって嫌だった。特にパーキンソンの薬なんて想像もしたくなかった。

 

そんないずれ訪れる不快な瞬間の話をしている私達に、

 

「いや、ハーマイオニー。7人だよ」

 

ハリーはどこか思いつめた表情で言った。

 

「どういうこと、ハリー?」

 

いつになく真剣な様子のハリーに聞き返す。それに対してハリーは、どこか不安をはらんだ声で答えた。

 

「ドラコは数に入れない方がいいよ。だって、ダリア・マルフォイとは兄妹だよ? 絶対不審に思われるよ。それに……」

 

「それに?」

 

私が先を諭すように問うと、ハリーは絞り出すように、

 

「……あいつに偽物のドラコだとばれたら、多分迷わず殺されるよ……」

 

いつものように、

 

マルフォイさんがそんな人殺しなんてするわけないでしょ? 

 

と言いたかったけど、ハリーの醸し出す鬼気迫る雰囲気に、私は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

猫が石にされてから数日、もともと気の休まる場所が少なかったホグワーツに、私の安心できる場所は完全に存在しなくなっていた。生徒達は私が現れると、皆一斉に私に警戒の視線を向けてヒソヒソ話を開始するのだ。秘密を抱える私としては、彼らが警戒しているものが全くの的外れなものと知ってはいても、どうにも落ち着かない気持ちにならざるをえなかった。視線がない所に行けば、それはそれで何かあった時に私を疑う材料になってしまう。そのため、下手に誰もいないところには行くこともできない。そもそも、誰にも視線を向けられない場所など知らないのもあったが。

 

唯一スリザリンの談話室のみは、そんなあからさまに警戒する態度を取られることはなかった。が、代わりに今まで以上に媚びるような視線と、ひどい時には、

 

グリフィンドールのあいつは『穢れた血』ですよ。是非、次の標的はあいつに。

 

などとどうでもよい告発をしてくるのだ。『継承者』でもない私にそんなこと言われても困る上に、そもそもマグル生まれのことを何とも思っていない。そういうことは本物に言って欲しい。

そんな状況に辟易としている私の横で、

 

「まったく! ダリアをなんだと思ってるのよ! 言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに!」

 

「まったくだ! これも全部あの老いぼれのせいだ! 少し考えればダリアでないことくらい分かるだろうに!」

 

ダフネとお兄様は今日も盛大に怒っていた。

二人は私に対して警戒した視線が向けられる度に、不快感を顕わに周りに怒鳴り散らすのだ。媚びを売ってくるスリザリン生に対しては、怒鳴り散らすことはしないまでも、いつもなら考えられないほど邪険な対応を取っていた。マルフォイ家とグリーングラス家という上位の純血貴族に睨まれて、すごすごと立ち去っていくスリザリン生の姿を談話室で散見した。

 

私のために怒ってくださる二人の気持ちは非常にうれしい。しかし、残念ながらそれは空回りしている節があり、一概にありがたいと思うことができなかった。

二人が、特にお兄様が怒って周りに当たり散らすたびに余計に視線が増えている気がするのだ。今もお兄様の大声に反応して、こちらに気づいていなかった生徒までも視線を向けてくる。そして今誰か襲われたのかと警戒するように、こちらを凝視していた。

 

「……気にしても仕方がありません。私が『継承者』でないことは、私が一番分かっているのですから。ここで下手にうろたえてしまえば、それこそ校長の思うつぼです」

 

少し落ち着くよう言外に伝えても、また怒鳴りはしないが不快気な様子で周りににらみを利かせておられた。

そんな二人を引き連れながら、私は今図書館に来ている。

 

「ダリア、今日は何の本を借りるの?」

 

私がごそごそとポケットを探っている横で、にらめっこから戻ってきたダフネが話しかけてくる。

 

「今日は魔法薬学の本を借りようかと。前回、ある魔法薬学の本を探していたのですが、どうも禁書棚に分類されているようだったので。それで今回はこうしてスネイプ先生のサインを頂いてきたというわけです」

 

「なるほど」

 

そう言ってポケットから出したサインを、受付にいるマダム・ピンスに差し出す。

 

「申し訳ありません、マダム・ピンス。こちらの本をよろしくお願いできますか?」

 

禁書という危険なものを取り扱うためなのか、それとも元々の性格からなのか、マダム・ピンスはひどく疑わしそうに私のサインを受け取る。以前はもう少し穏やかに対応されていたのだが、どうやら前回図書館で騒いでしまった件で、私への信頼感は振り出しに戻ってしまったようだ。別に仲良くする気はないが、図書館によく来る人間としては、ある程度友好的な関係を築いておきたかった。

そんな司書は、偽物であることを見破ろうとでもするかのようにサインを調べていたが、

 

「あら? 『最も強力な魔法薬』?」

 

サインをした先生の名前を見て、そして借りる本の題名に視線を向けたところで、何故か訝し気な声を上げた。

 

「あの? スネイプ先生のサインがどうかなさいましたか?」

 

私が問いかけると、彼女はひどくぶっきらぼうに、

 

「この本ならミス・グレンジャーが先ほど借りていきましたわ。また後日にしなさい。ミス・グレンジャーが期日以内に返却していれば、その時に貸し出します」

 

そう言って私のサインを放り出すように返すと、再び手にしていた本に顔を戻してしまった。

 

残念ではあるが、借りられているのなら仕方がない。ここでいくら粘ってもここにないものはないのだ。

私はサインがあるのだからまた後日来ればいい、と今回は諦めて図書館をあとにする。

 

「残念ですね。グレンジャーさんに先を越されてしまいました。おそらく私と同じで、前回魔法薬学で出てきた『ポリジュース薬』について調べたかったのだと思います……。まさか先を越されるとは。スネイプ先生がグリフィンドールに貸し出し許可を出すとは思えなかったので、少しのんびりしすぎていたのかもしれませんね」

 

前回一般の本棚になかったことで、サインをもらってからまた来ようと思ってはいたが、私以外に借りる人間などいないと高をくくっていたのが悪かった。それに、私が不覚にもダフネの前で()()()()()()ことを思い出したくなく、ここ最近は図書館から足が遠のいたのだ。

 

それにしても……。

 

「でも、魔法薬学の先生以外が許可証を出すとは思えないよ?」

 

ダフネの疑問に私は首肯する。

基本的に禁書のサインは、その本の専門の先生が出すのが普通だ。しかし、グリフィンドールの彼女に、スリザリンびいきのスネイプ先生が許可書を与えるとは思えない。

 

ということは、例外的に他の専門分野の先生が許可を与えたと考えるしかなかった。あまり聞いたことはない。が、可能かと言われれば、まあ有り得ないことではなかった。

 

「そうですね。私の記憶が正しければ、『最も強力な魔法薬』はかなり危険な魔法薬が載っている本です。だから他の先生が許可を出したとすれば、それは本の内容も想像できない()()()()先生か、それともよほどの事情があったかの二択ですね」

 

「う~ん。一体誰だろうね、そんなまぬけな先生って」

 

「……」

 

ダフネは疑問形で話しているが、多分私と同じ人物を思い浮かべているに違いなかった。

そんな先生は一人しか思い浮かばない。

ホグワーツの先生のほとんどは素晴らしい先生達なのに、何故私の一番好きな『闇の魔術に対する防衛術』だけ毎年……。

 

何だかただでさえ落ち込んだ気持ちがさらに落ち込みそうになっていると、

 

「そういえばドラコ、クィディッチの試合もうすぐだよね?」

 

ダフネがお兄様に話しかけていた。

ダフネの言葉を聞き、私の沈みかけていた気持ちが急浮上する。

 

お兄様の初試合。暗いことばかり続く中で、それは唯一明るくなれるニュースだ。

怪我をしてほしくないと心配になる気持ちは山ほどあるが、それでもやはりお兄様の初の晴れ舞台というのは妹として非常にうれしいものだ。

はやくお兄様のシーカー姿が見たい。練習見学のおあずけを食っている私としては、次の試合が楽しみで仕方がなかったのだ。

 

「ああ、来週の土曜日にな」

 

少しだけ硬い声でお兄様は返事をする。

やはり初戦ということで緊張しておられるのだろう。でも、選抜試験の時のように、体が無駄に固くなるような緊張をされている様子ではなかった。

そんなお兄様を微笑ましく眺めていると、

 

「そういえば、ダリアは今年も教員席で見るのか?」

 

お兄様が突然そんなことを聞いてきた。

 

「ええ。今年もスネイプ先生のご厚意で」

 

去年はそうでもなかったが、今年はお兄様が試合に出る関係上、私は試合をどうしても見たかった。だから今年もスネイプ先生が誘ってくださった時、私は小躍りしたいほどうれしかった。

 

それがたとえ、私を教員席で監視したい()()()()()()()()()だったとしても。

 

スネイプ先生が私を教員席に誘う際、それとなく教えてくれたのだ。

今回の試合にはダンブルドアが来ると。

おそらくスネイプ先生は、ダンブルドアの指示がなくても()()()誘ってくださったと思うが、指示された関係上()()()誘わざるを得なかったのだろう。ただでさえ深い眉間のしわが、さらに深くなっていた。

 

ダンブルドアの観戦で、私の心は一瞬揺らいでしまったが、やはりお兄様の晴れ舞台をみたいという思いの方が強かった。

ここで行かないと、私は一生後悔する。

そんな葛藤を胸に観戦に行くことを伝える。すると、

 

「よかった」

 

私が自分の試合を観戦しに行くのがうれしいのか、お兄様もはにかんだような笑顔をして答えてくださった。

その笑顔を見て、たとえどんなに嫌な奴がいようとも、必ず観戦には行こうと、私は心に誓った。

この笑顔が見れるのならば、たとえどんな場所で、どんな人間がそこにいようとも私は行こうと思った。

 

 

 

 

しかし、それは結果的には杞憂に終わった。

寧ろこの後私は、教員席に()()()行くことになる。

 

「そうだ」

 

図書館から大広間に向かう最中、お兄様は突然思いだしたように、私に告げた。

 

「来週の試合。父上も観戦に来るぞ」

 

それを聞いた瞬間、もはやダンブルドアのことなどどうでもよくなってしまった。




次こそ試合です。


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デビュー戦(前編)

 ダリア視点

 

ついにやってきたお兄様の初試合。試合前最後のミーティングのために更衣室に向かうお兄様と別れ、私はスキップでもするような軽やかな足取りで、そして小さく鼻歌を歌いながら観客席に向かっていた。

 

「ダリア、楽しそうだね」

 

無表情ではあれど、私の顔以外から出ているだろう明るい空気を感じ取ったのだろう。ダフネが温かい笑顔で話しかけてくる。

いつもなら相手がダフネとはいえ、気が緩んでいると自らを律するところではあるが、今の私にはどうしても気を引き締めなおすことが出来なかった。

だからいつもなら家族以外に出さないような、いや、()()()()()出さないような警戒心の全くない気の抜けた声が出てしまう。

 

「ええ! 今日はお兄様の初試合ですもの! 楽しみでないはずがありません! それに、今日はお父様もいらっしゃっているのです! 来年の夏休みまで会えないと思っていましたが、こんな機会に会うことが出来るとは!」

 

一分一秒でも早く家族に会いたい私としては、試合が始まる前にはもうお父様とお会いしたかった。しかしお父様は一応『理事の視察』という名目でここに来ているらしく、試合前に娘とは言えただの一生徒である私とどこかで落ち合うということは出来ないとのことだった。だから建前としては、教員席で観戦する私と、同じく教員席で試合の視察をしているお父様が、()()()()隣同士の席になったということにする手筈だった。

 

「……よかったね、ダリア」

 

「はい!」

 

日傘をさした状態における最速のスピードで歩き続けたため、かなり早い時間に観客席の入口にたどり着くことが出来た。ここから先は生徒用の観客席に向かうダフネと別れなくてはいけない。

 

「では、ダフネ。また後で!」

 

「うん。ダリアはお父さんと楽しんできてね」

 

「ええ、勿論です!」

 

一年間会えないと諦めていた家族にもうすぐ会える。それが待ち遠しくて、私は急いで観客席を駆け上っていく。

 

 

 

 

その後ろ姿を、先程まで私に温かい笑みを向けていたダフネが、まるで痛ましいものでもみるかのような悲しい表情で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

この一週間、ダリアは今まで見たことないくらいはしゃいだ様子を見せていた。足取りは軽く、いつもはしないような鼻歌まで歌う姿は非常に楽しそうだった。

 

でも、その目だけはどこか疲れきったように濁っていた。

 

それが私には、酷くいびつなものに見えた。

 

ダリアは去年から、いや、私が初めてダリアを見たときから、どこか自分達より遥かに大人のような雰囲気をもっていた上、事実、彼女が子供の様にはしゃぐ姿などこの一年見たことなどない。

 

なのに、今彼女は異常なくらい浮かれている。それも彼女の家族以外の前で。

 

彼女はドラコ以外の人間に対して、ある程度の警戒感と距離感をもって接している。

そんな彼女が、まるで()()()()()()()()忘れたかのようにはしゃぐ様子は、私にはとても痛々しいものに見えた。

 

勿論、それだけダリアにとって家族との時間が楽しみだっただけな可能性もある。彼女にとって、家族との時間が他の何よりも大切なのだろう。

でも一年間彼女だけを見てきた私には分かる。ダリアは、それだけでは絶対にここまで人前ではしゃぐことはない。いつも自分を律し、他人との距離を保とうとしている。

 

そんな彼女がここまで()()()()はしゃいだ行動をとる。

これが異常でないわけがなかった。

 

そして何より痛ましいのが……ここまでつらそうなダリアの様子に、私以外の人間が気が付く様子がないということだった。

 

私にはダリアがこんなにも分かりやすくはしゃいで見えるというのに、そのことに()()気が付いていなかった。

 

ここ数日、一見楽しそうな、でもどこか()()()()をしたダリアを横目に見ながら、私はパンジーに尋ねたことがある。

 

「ダリア、大丈夫かな? なんだか辛そう」

 

でも、それに返ってきた答えは、

 

「そう? いつもの無表情でしょう? そんなに変わった様子には見えないけど。それよりいつになったらグレンジャーを襲ってくれるのかしら?」

 

そんな()友達()()()()()()()()を聞いた後も、私は幾人かの人間に同じことを尋ねた。でも、返ってきた答えはどれも似たり寄ったりのものだった。

私はその時になってようやく気が付いた。

 

皆には、ダリアがはしゃいでるようにも、そして辛そうにも見えていなかった。

ただのいつも通りのダリアに見えていた。

彼らはダリアの冷たい無表情しか見ていなかった。

 

それに気が付いた時、私はすぐにドラコに相談した。

私以外の、絶対に現在のダリアの変化に気が付いているだろう人間に。

夜、皆が寝静まった談話室にドラコを呼び出し、私達は二人っきりで話した。

 

「ね、ねえ。ダリア、あんなにはしゃいではいるけど、あれって、」

 

「ああ……。分かっている」

 

ドラコは私が話しかけると即答した。

 

「去年のクリスマスあたりからどこか辛そうだったが……あの爺の下らない行動で限界が近づいているみたいだ」

 

「そう……だよね」

 

ダリア本人はつらくないと言っているが、やはり皆に警戒されるというのは心が休まることはないのだろう。そんなの、私は耐えられない。ダリアがどんなに強くたって、本当はつらいに違いない。去年からどこか疲れ切った様子のダリアならなおさらだ。

 

ダリアは些細なことで自分を律することが出来ない程消耗していた。

 

「ああ。だから少しでもダリアの気晴らしになればと思って父上を呼んだんだ。父上も、ダリアがダンブルドアに疑われていると手紙に書いたからすぐに了承したよ」

 

どうやらルシウス氏の突然の訪問は、ドラコの差し金だったらしい。

ドラコはそこでため息を一つつき、話を続ける。

 

「でも……僕の考えは甘かったのかもしれない。ダリアがここまで思い詰めていたなんて……。お前も分かっていると思うが、ダリアがここまで人前ではしゃぐことなんてない。どうやら僕とお前しか気が付いていないようだがな……」

 

「うん……。皆にそれとなく聞いてみても、誰も気が付いていないみたいだった。あんなに分かりやすいのに……」

 

私の少し憤りを含んだ言葉に、ドラコは疲れ切ったような、どこか諦観をもったような表情で答える。

 

「……父上も昔はダリアの表情が分からなかったとおっしゃっていた。それにはしゃいでると言っても、皆には微々たる違いなのかもな。僕とお前はいつもダリアのことを見ているから気が付いたが、他の人間からしたらそんなこと分からないのかもしれない……。違いと言っても、いつもより軽快過ぎる足取りと、いつもはしないような鼻歌を歌っていることくらいだからな。表情が対して変わってるわけじゃない。それに、皆が気がつかない方がダリアのためかもしれない……。今はしゃいでると思われても、『継承者』だと疑われているダリアにとっていい結果になるとは思えないしな」

 

その言葉は、どこか自分に言い聞かせる雰囲気を持っていた。

他人を責めるのではなく、まるで自分の無力さを懺悔するかのように。

 

確かに冷静に考えれば、ダリアの変化を気付けという方が酷な話なのかもしれない。ドラコは生まれたときから一緒にいるし、私はこの一年間ダリアのみを見ていたから分かるだけなのかもしれなかった。

それを他人に求めるのは間違っているのかもしれない。

 

でも、それでも、だからこそ、

 

「……それでも、私達がやらないといけないことは変わらないよね。ダリアが少しでも安心できるように、私達は何かしなくちゃ……」

 

私はそう決意を込めて言ったけど、それに返ってきたのは思いがけない言葉だった。

 

「何をだ?」

 

ドラコは、先程と同じ疲れ切った表情をして続ける。

 

「僕たちに何が出来るんだ? 僕はな……ダリアのためにシーカーになったんだ。シーカーといえば寮における権力の代名詞みたいなものだ。その発言力で僕はダリアを守ろうと考えたんだ。でも、駄目だった……」

 

ドラコは絞り出すような声で叫びだす。

 

「僕はシーカーになった! なのに! 誰も僕の言うことを聞かない! ダリアは『継承者』なんかじゃない!」

 

それは、妹のことをただ心配することしか出来ない、自分の無力さを呪う兄の叫びだった。

 

「ダリアは誰も傷つけたりなんかしない! ダリアは優しい子だ! 絶対にそんなことを望んでなんかいない! そんな当たり前のことなのに! そう僕は言ってるのに! 誰も僕のことを信じない! シーカーの僕が言っているのにだ! 僕が手に入れたものは結局! ダリアを守ることを何一つできてやしないんだ! 何も!」

 

私はそう慟哭するドラコを見ていながら、何も言うことが出来なかった。

いや、言う資格がなかった。

 

だって、私もドラコと同じように、いやそれ以上に、ダリアに何もしてあげられていないから。

 

私とドラコ以外いない談話室で、静かに泣くドラコの背中を撫でながら私は思う。

 

ああ……なんて自分は無力な存在なんだろう。

 

ダリアは私を助けてくれた。まだ私が小さかった頃、彼女にそんな意志はなかっただろうけど、確かにダリアは私を救ってくれた。

あのままだと私は、どうしようもなく中身のない純血主義の申し子になっていただろう。家族の愛を信じられず、ただ周りに八つ当たりするだけの、信念も中身もない人間になっていたことだろう。

ダリアは、私に夢と希望と憧れと、そして何より家族愛を教えてくれた。

空っぽだった私を、ダリアは満たしてくれた。

 

そんな彼女に私は何もしてあげられない。なに一つ与えられた恩を返せていない。

私が闇に迷い込んだとき救ってくれた彼女に、今度は彼女が道に迷い途方に暮れているというのに、私は何一つしてあげられていない。

その方法すら思いつかない。

 

そんな人間を、果たして胸を張って友達だと言えるのだろうか……。

 

 

 

 

私は観客席に向かうダリアの背中を見ながら考える。

私に何が出来るか分からない。でも、これだけは言うことが出来る。

 

私はダリアのためならどんなことだってやれる。いや、やってみせる。

 

その決意を新たにして、私はダリアの背中に祈った。

どうか試合の間だけは、ダリアが今のつらいことを全部忘れて、少しでも穏やかな時間を過ごせますように……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

教員用の観客席に着いても、まだお父様は来ていないようだった。それどころか、まだ他の先生すらも来ていなかった。どうやら早く来すぎてしまったらしい。

他の教員はともかく、お父様はここに来る前に校長と学校運営についての意見交換をするとのお話だった。ダンブルドアもいないところを見ると、まだ理事としての仕事をなされているのだろう。

 

私は少し残念に思いながら、自分に割り振られた日陰の席に向かう。

日陰になった端の席に着くと、私は足をプラプラさせながらお父様を待った。

 

空気こそ冷たいものの、空は忌々しいほど暖かそうな快晴だ。でも、今日だけはそれが愛おしい。外で会うなら、()()()()()お父様にはこの天気の方が心地よいだろう。

そんな明るい場所で、唯一暗くなった場所に籠りながら私は思う。

 

ああ、はやくいらっしゃらないかな……。

 

手紙のやり取りはある。迷惑になると思い、お兄様程長い手紙は書かなかったが、それなりに手紙のやりとりを行っている。でも本当は、私は出来ることならお顔を見たかった。家族が元気にしているところを直接見たかった。

欲を言えば、今回お父様だけではなく、お母様の姿も一目見たかった。けど、そこまで我儘は言えない。お母様は人混みはお嫌いだし、それにお体もあまり強くない。こんな所に来ていただくわけにはいかない。

だからお父様とはやくお話したい。

お母様は元気にされているだろうか? 厳しいことしかおっしゃらないだろうけど、ドビーはちゃんと元気にしているだろうか? 

お聞きしたいことも、そしてお話したいこともたくさんある。

勿論今日のメインはお兄様の初試合であることは変わりない。お兄様はこの日のため、未だかつてない程多くの練習をこなしておられた。そんな愛するお兄様の雄姿を見ることが出来る。

けれどそれと共に、私ははやく大切な、私が唯一幸福を感じ、そして幸福を願える家族との時間が欲しかった。

 

だというのに……。

 

「やあ、ダリア! 君もこの席なのですか!?」

 

……私は今、心底邪魔な人間に絡まれている。私に遅れてやってきたロックハート先生が、教員席にいる私を見つけると、いつもより遥かに鬱陶しい笑顔を浮かべながら話しかけてきたのだ。去年はニンニク教師だったけど、そういえば今年はこいつが教員だったのを忘れていた。去年もそうだったけど、私はなるべくこの無能以下の『闇の魔術に対する防衛術』の先生を意識から追い出していたらしい。

そんなどうでもいい存在が、こんなタイミングで話しかけてくる。

幸せな思考を邪魔する存在に殺意がわいた。

 

「……はい。スネイプ先生のご厚意で……」

 

思わず殺意を持ちそうな気持を落ち着かせながら、私は出来るだけ冷静な声で返した。こんなのでも一応教師。あまり波風を立てるわけにはいかない。

でも、私の気持ちに気が付かないのか、

 

「そうですか! ですがスネイプ先生が誘わなかったとしても、私が君をここに誘ったと思いますよ! 君は首席だからね! それくらい役得があってもいいと思いますよ!」

 

「はあ……」

 

どうやらロックハート先生は、私が主席だからここにいるという意味不明な勘違いをしている様子だった。この先生には私の肌の情報は伝わっていないのだろうか?

 

「しかし、ダリア! せっかくここで見られることになったんです! もっと前の席で見るといいですよ! 私の隣などどうでしょう! 私は昔、プロのクィディッチチームに誘われたことがあってね! 私は闇の魔術を根絶するという目標があったため断りましたが、クィディッチのことなら何でも知っているつもりですよ! だから、私なら君に素晴らしい解説をして差し上げることが出来ますよ! さあ、そんな()()()()()()()表情をせず、私と前の席に行こうではありませんか!」

 

先生の勢いに呑まれて絶句している私の腕を掴んだかと思うと、ロックハート先生は引っ張り始めた。

 

日陰になっていない、私を苦しめる日光が降り注ぐ席へと。

私の秘密が、衆目にさらされるかもしれない場所へと。

 

日陰にいたため私は今日傘をさしていない。今日向に行くことは出来ない。

周りを見回しても、まだ教員席に来ているのは私達だけだった。今私を助けてくれる人間は誰もいない。

私はそんな状況で、必死に日陰に留まろうと抵抗する。

 

「は、離してください! わ、私は肌が弱いから、この席に、」

 

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのですよ! 大丈夫! 私が君にしっかりとクィディッチの楽しさを教えて差し上げますよ!」

 

私の訴えを聞かず、ロックハート先生はなお私を引っ張っていこうとした。どうやら彼は人の話しを聞く人間ではないらしい。今もおそらく私の抵抗は、ただ少女が有名な自分に恥ずかしがっているだけだとでも思っているのだろう。

手袋を外せばこんな人間、私はいともたやすく振りほどくことが出来る。しかし、それは日向に行くのと同様の理由ですることができない。手袋をつけた私は、その辺の女の子と対して力が変わらない。

杖を抜こうにも、杖腕を掴まれていて抜くことが出来ない。

 

どうすることも出来ず、私はだんだんと力負けして、日向の方に連れ込まれようとしていた。

 

まずい、このままだと……。

 

「離してください! わ、わたしは、」

 

「君のような子が、こんな暗がりにいては駄目ですよ! さあ、私と明るく、そして晴れやかな舞台へと!」

 

焦るばかりで事態は好転せず、いよいよ私の手が日光に当たろうとした瞬間、突然ロックハート先生の腕が横から掴まれた。

 

「な、なんです!?」

 

どうやら相当な力で掴まれているらしく、痛みでロックハート先生は私を離した。

私は急いで暗がりに逃げ込む。そして、

 

「……ギルデロイ・ロックハート。君は私の娘に何をしようとしているのかね?」

 

聞きたくて仕方がなかった声のした方を振り向くと、そこには、私の大切なお父様が、ひどく怒った表情で立っておられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「ダンブルドア、どういうことか説明してもらえますかな?」

 

私は憎しみを隠しもせず、目の前に座る老害に問いかけた。

しかしダンブルドアはとぼけた表情で、

 

「おお、ルシウスよ。一体、わしは何を説明をすればいいのか皆目見当がつかんよ。おぬしは一体、何にそこまで腹を立てているのかね?」

 

そう、はぐらかすように返した。その態度に私の憎しみは膨れ上がっていく。

 

よりにもよってこの老害は……私の愛する娘を去年に続き、今年も苦しめ続けている。

 

それを知ったのは息子からの手紙からだった。

 

ハロウィーンの次の日に届けられた手紙には、『秘密の部屋』が開かれたから、その詳細を教えてほしいという旨と……ダリアが犯人として疑われていると書かれていた。

 

その手紙を見たとき、私は最初、ドラコが何を言っているか理解できなかった。

だが手紙を読み進めるうちに、私はダリアの現状を理解し、思わず怒りに手が震え始めた。

手紙には、

 

ダンブルドアがダリアを『継承者』と疑っており、それを生徒の前で暴露したため、ダリアが今非常につらい思いをしている。

 

そう書かれていた。

あの老いぼれ。私の娘を去年だけでは飽き足らず、今年も苦しめぬくつもりらしい。

 

やはり私が今年行ったことは間違いではなかった。あの老害はダリアにとって危険な存在だ。ダリアのために、奴をホグワーツから速やかに排除する必要がある。

 

老いぼれから、私はダリアを守らなくてはならない。

 

「『秘密の部屋』が再び開かれたことはもう分かっている。あなたがどう対処なさるか知らないが、迅速に対応されないのであれば、貴方には校長の席を退いてもらわなくてはならなくなる。非常に残念なことではあるがね。ですが、わたしが聞きたいのはそんな当たり前のことではない……」

 

私は目の前で校長席にふんぞり返っている老害を睨み付ける。出来ることなら、今すぐここからたたき出してしまいたい。が、他の理事を()()させる必要がある。現状ではそれは不可能だった。もう少し事件の被害者をだしてもらう必要がある。だがそれまでの間、ダリアは苦しい立場に追いやられ続けることになってしまうのは間違っている。それでは本末転倒になってしまう。

 

「ダリアを……。娘を犯人だと、『継承者』だと疑っているそうだな。この学校の敷地には、前回の犯人もいるというのにだ。娘を疑う理由など皆無だと思いますがね? 娘への云われない嫌疑、別に今すぐしかるべきところに訴え出ても構わぬのだぞ」

 

知能の下がった老人に言い聞かせるように、私は脅しを込めて言い放つ。が、ダンブルドアはそれに取り合わなかった。

 

「……誰にそれを聞いたのか知らぬが、誤解じゃよ、ルシウス。わしはただ、おぬしの娘に聞きたいことが、」

 

この期になってもとぼけようとするダンブルドアに、私の堪忍袋の緒が切れた。

 

「御託はどうでもいい! お前が私の娘をこれ以上傷つけるなら、私はお前をここから追い出すだけではすまさんぞ、ダンブルドア! 娘は今回の件では無関係だ! お前は関係のない人間を疑っている! お前はただ今回の真犯人を追っていればいいのだ! もし証拠のある真の犯人を捕まえられなければ、ダンブルドア! お前は校長に留まることは出来ないと考えろ! お前はただ自分の首の心配だけしていればいいのだ!」

 

私の大声に一瞬瞠目した後、ダンブルドアは目を細めていった。

 

「分かっておるとも、ルシウス。しかしのう。わしに忠実なものが一人でもいる限り、わしはここに留まり続ける。それはおぬしら理事の意見があってもじゃ。それよりルシウス……もしやおぬし、何か知っておるのではないのかね? 娘が疑われていると思い憤るのは分かる。じゃが、それだけではないのではないかね?」

 

そう目を細めて尋ねてくるダンブルドア。それに対し、

 

「……私が知るわけがなかろう。私も事件のことをつい先日知ったのだよ?」

 

私はダンブルドアと同じようにとぼけた表情で返した。

 

ダンブルドアは、そんな私をじっと疑り深く見つめていた。

 

 

 

 

校長室での忌々しい時間が終わり、ようやく私達は今回の最大の目的である競技場に足を向けていた。

 

「それにしても、ルシウスは娘を随分と可愛がっておるのじゃのう」

 

観客席に着く直前、校長室からずっとだんまりであったダンブルドアがそんな当たり前のことを尋ねてくる。

正直この老いぼれと必要以上のことをしゃべるつもりなどないのだが、話しかけられた以上無視するわけにはいかない。こいつはまだ、一応この学校の校長なのだ。貴族として余裕ある対応をとる必要がある。

 

「……何を当たり前のことを言っている。あれは非常によくできた娘だ。まあ、我がマルフォイ家の子供なのだ。それも当たり前のことではあるがね」

 

「そうじゃのう。ダリアは非常に優秀な生徒じゃ。わしも学生だった頃は天才だのと言われて過剰にもてはやされたが、彼女は当時のわしなんぞより遥かに優秀じゃよ。彼女程才能あるものを今まで見たことないのう。それこそ、()()()()()()()()の学生時代よりも」

 

「……ふん。それはそうだろう。あの子は我が、」

 

「は、離してください! わ、私は肌が弱いから、この席に、」

 

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのですよ! 大丈夫! 私が君にしっかりとクィディッチの楽しさを教えて差し上げますよ!」

 

何か引っかかる言い方をするダンブルドアに返そうとしたが、私が言い終わる前にそんな男女が争うような声が聞こえてきた。

 

その切羽詰まった声が聞こえた瞬間、私は教員席への階段を駆け上がる。

それに遅れてダンブルドアも走り始めていた。

 

あの声は、紛れもなくダリアのものだった。それも相当焦った。

そしてもう片方は……おそらくギルデロイ・ロックハートのものだった。

 

無能の分際で、私の娘に何をしようとしているのだ!

 

はやる気持ちを原動力に階段を駆け上がる。

そして教員席にたどり着いた私が目にしたのは……今年教員になってしまった無能作家が、私の愛する娘を日向に引きずり出そうとしている姿だった。

 

ダリアの焦る姿を見て、私の頭に血が上る。

思わず魔法で吹き飛ばしてやろうと思ったが、今奴がダリアの手を掴んでいる状態では、ダリアまで被害にあってしまう可能性がある。

だから私は、私の出来る限りの力をかけながら、ダリアを掴む無能の腕を掴んだ。

 

「な、なんです!?」

 

手を離したすきに日陰の方に逃げ込んでいく娘を横目で確認し、目の前のゴミに問いかける。

 

「……ギルデロイ・ロックハート。君は私の娘に何をしようとしているのかね?」

 

「む、娘!? わ、わたしはただ、こんな暗がりの席ではなく、もっと前の席に連れて行ってあげようとしただけですよ!」

 

「……」

 

何を言っているのだこいつは? ダリアの肌のことを知らないのか? 

 

この男が教員として選ばれた時、私は一度だけこいつと会ったことがある。理事としての義務で会ったこやつは……驚く程無能の、口先だけの男だった。ペラペラと話す内容には真実味も内容もありはせず、それどころかこちらの話を一切聞いている様子はなかった。

そんな人間とこれ以上話しても仕方がない。こいつには全てが終わったら、我がマルフォイ家の持つ全力を使って報いを受けてもらう。

そんな怒りを込めて、丁度教員席にたどり着いたダンブルドアに問いかける。

 

「ダンブルドア……君は教員の教育もまともに出来ないのかね? しかもこやつは君が選んできたものだと私は記憶しているが? なぜ、ダリアの肌のことをこやつは知っていないのかな?」

 

私の言葉で、ここで何があったのか全て悟ったらしい。先程と違い、ダンブルドアは真剣な様子で謝罪をした。

 

「すまなんだ。ダリアのことをギルデロイには伝えておらんかったのじゃよ。わしの落ち度じゃ。ダリアもすまんかったのう」

 

暗がりからこちらを窺っているダリアにダンブルドアが謝罪すると、ダリアはぞんざいに頭を縦に振って応えた。ダンブルドアのことが嫌いだからというのもあるのだろうが、早くこの茶番を終わらせて私と話したいという態度だった。

 

「そうか、分かってくれるか。ありがとう、ダリア。それとギルデロイ。君にはダリアのことを伝え忘れておったとはいえ、嫌がる娘を連れ出そうとは関心せんのう」

 

そう言って珍しく仕事をしている校長を背に、私はこちらをキラキラした目で見つめるダリアに近づいていった。

 

「お父様……」

 

短い時間ではあるが、よほど家族と過ごせる時間が嬉しいのだろう。ダリアは無表情ではあるが嬉しそうに、涙を流していた。

今年、ホグワーツ特急に乗る前に見たダリアの姿を思い出す。

ああ、まだ私はダリアを助けることが出来ていない。まだダリアはこのホグワーツで、ダンブルドアの脅威にさらされ続けている。

だが、それももうすぐ終わる。私が終わらせる……。

その思いを込めて、私はそっとダリアの頭を撫でた。

 

「ダリア、よく頑張ったな」

 

ダリアは私の言葉に静かに頷くと、私のローブに抱きつき顔を埋めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

選手全員が真紅のユニフォームに着替え終えたとき、キャプテンのウッドが大声で演説を始めた。

 

「確かに、スリザリンの箒は我々の者より優れている! だが、それ以上に我々は乗り手が奴等より優れている! 我々は金でチームに入ったものなどいない! 箒で乗り手を選んだりしない!」

 

「その通りだ!」

 

ウッドの演説に、ジョージが合いの手を入れる。

それに気をよくしたウッドはさらに声を大きくした。

 

「今日! 俺たちはあいつらに教えてやるんだ! 金でクィディッチが勝てるわけではない! 血で勝てるわけではない! そんなことも分からなかった連中を後悔させてやる!」

 

そこまで言ってウッドは僕の方を向いた。

 

「ハリー! すべては君の肩にかかっている! あの小賢しいマルフォイに、目にもの見せてやれ! 金持ちの父親がいるだけじゃ勝てないことを教えてやれ!」

 

僕はその言葉に大きく頷いた。今年のスリザリンは、金にものいわせて最高速の箒をそろえている。今日ほどスリザリンを負かしたいと思ったのは初めてだった。

 

ウッドの演説が終わりグラウンドに出ると、僕たちはかつてない程の歓声に包まれた。

グリフィンドール、そしてレイブンクローとハッフルパフも僕たちを応援しているようだった。彼らもスリザリンが金にものを言わせたスリザリンが負けてほしくてしかたがないのだろう。微かにスリザリンのブーイングも聞こえたが、それらは圧倒的な歓声に飲み込まれていた。

 

「握手をして!」

 

歓声の中、マダム・フーチの指示で両チームのキャプテンが握手をする。

お互いがお互いの手を握りつぶそうとした後、僕たちは箒にまたがった。

 

「笛が鳴ったら開始です! ……っピー!」

 

マダム・フーチの笛の音で、試合はついに開始された。

皆一斉に飛び上がる中、僕は皆より一層高いところに舞い上がった。

箒ではるかに劣っている以上、僕ができるだけはやくスニッチを見つけ出して捕まえるしか方法はない。僕は高い位置から全体を見回し、黄金の輝きを目を皿にして探す。

そこに、

 

「調子はどうだい? 傷物君?」

 

マルフォイがまるで僕の視界を邪魔するかのように現れた。

 

最新の箒にまたがり、いつものように僕の神経を逆なでするマルフォイ。

その口元は、僕を嘲るように歪んでいる。

 

 

 

 

でも、その目だけは、油断なく僕をじっと見つめていた。



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デビュー戦(後編)

 

 ドラコ視点

 

父上の元に急ぐダリアと別れ、僕は最後のミーティングのために更衣室につめていた。

全員緑のユニフォームを身に着け、片手には父上が送った最新型の箒を持っている。

相手の箒で最も最新型なのはポッターのニンバス2000だ。それすら僕たちのニンバス2001より劣った性能しかなく、奴以外の箒に至っては、箸にも棒にも掛からない。おそらく、順当にいけば僕らの勝利はかけらほども揺るがない。

それが分かっているのか皆試合前だというのに表情がにやついている。

 

だけど、僕は一切油断できなかった。

 

このクィディッチというスポーツには、それを一瞬で覆せるルールがある。

 

それがシーカー。シーカーがスニッチさえとれば試合終了。150点を獲得し、もし相手との差がそれ以内でさえあれば逆転する。

そしてそんなゲームの命運を握っているシーカー、つまり僕とポッターの実力は……ほぼ互角だ。

箒は勿論僕の方が優れたものに乗っている。しかし、乗り手の腕に関しては……認めたくはないが、奴の方が上だ。総合的に見たら、今回の試合においての僕たちの実力は互角と言えるだろう。

 

去年初めて箒に乗ったというのに、奴は誰よりも箒にうまく乗っていた。小さい頃から箒に乗っている僕には、それが忌々しいことに分かってしまった。あいつは初めてだというのに、僕より箒に乗るのが上手かった。

だから嫉妬したし、今でも腹が煮えかえるような気持ちになる。

夏休みの間、僕はそれに向き合いたくはなかった。奴が選手に選ばれたのは、奴が醜い傷がついただけで有名になったからだと。奴には本当は才能なんてなく、本当は僕の方が優れた乗り手だと信じようとした。真実から目を逸らそうとした。

 

でも、今は違う。そんなことをしている場合ではなくなった。

 

今回の試合だけは、僕は何がなんでも勝たなくてはいけない。

沈みがちなダリアを、少しでも元気づけてやらなくてはならない。

 

そのためには、僕は真実から目を逸らしてはいけなかった。逸らしていては勝てない相手だと、本当は分かっていた。

だから僕は、他のメンバーと違って、箒が優れているからといって油断するわけにはいかなかった。

 

スニッチは非常に気まぐれに競技場内を飛び回っている。そこには一番近くの人間を襲うといったブラッジャーのような法則性はない。ただ気まぐれに、何の法則性もなく飛んでいる。それこそ、最悪の場合は相手の耳元に飛んでいてもおかしくはない。

だからこそ、シーカー対決は実力以上に運も大切になってくる。どんなにスニッチを見つける能力が高かろうと、スニッチの位置によっては見つけるのが相手より後であったとしても、それを先に掴んでしまうことも可能なのだ。

そして、その運要素を覆せるほど、ニンバス2001と2000の間には差はなかった。

 

「ドラコ、時間だぞ」

 

フリントの呼びかけに、僕の意識は急浮上した。どうやら物思いにふけるあまり、試合開始の時間になったことに気が付かなかったらしい。僕以外の選手はもう既に立ち上がっており、未だに椅子に座って考え事をしている僕を訝し気に見ている。

僕の様子を緊張しているためと思ったのか、フリントがにやけながら話しかけてくる。

 

「なんだ、ドラコ。緊張しているのか? 心配するな。俺たちは奴らより遥かに優れた箒を持ってるんだ。まともにやれば絶対に負けることのない試合だぞ?」

 

「……ああ、分かってる」

 

油断しきっている様子のフリントに反論したい気持ちもあるが、シーカーを除けば彼らの言い分は正しいし、なにより試合直前の今に否定しても仕方がない。

 

僕は、僕がやらなくてはいけないことを、どんな手段を使っても成し遂げるだけだ。ダリアのために。

 

そう僕は決意を新たにし、椅子から立ち上がった。

 

グラウンドに出ると、大きな歓声にスリザリンチームは包まれた。

でもそれは僕たちに向けられたものではない。同時に出てきたグリフィンドールへ向けてのものだった。グリフィンドールは勿論、レイブンクローもハッフルパフも、スリザリンよ負けろと言わんばかりにグリフィンドールチームに声援を送っていた。それに対抗するスリザリンのブーイングが聞こえるが、それはほんの僅かにしか聞き取ることが出来なかった。

 

それに対して、僕以外のスリザリン選手は少し苛立ったような表情をしている。

でも、僕はそんな声援など聞いてはいなかった。

この学校のほとんどの人間は、生徒教師問わずダリアを疑っている。そんな人間達が誰を応援しようが、正直どうでもいい。

僕が応援してほしいのは、そんな有象無象などではなく、この競技場にいる中でたった二人の人間だけだった。

 

割れんばかりの騒音とは裏腹に、非常に静かな思考で教員席の方を見上げる。

 

どうかそこにいてくれと。大切な妹が、父上にどうか出会っていてくれと願いながら。

 

そして見上げた先、教員席で唯一暗がりになった場所に、僕の探し求める二人がいた。ここからでもあの綺麗な白銀の髪を確認することが出来る。

 

ああ、よかった。ダリアは無事父上に会えたのだな。

 

そう安堵しながら教員席の方を見つめていると、より添ったように座る二人と僕の視線が重なったような気がした。

僕は二人に一瞬手を振ってそれに応えると、視線を相手チームへと戻した。

ダリアと父上が出会えているのは確認した。今頃ダリアは父上と穏やかな時間を過ごせていることだろう。後僕がすべきことは、この試合に勝利し、ダリアの沈んだ気分を盛り上げてやることだけだ。

 

そう思いながらにらんだ先には、僕が今回倒さねばならない敵チームシーカー、ハリー・ポッターが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

久しぶりにお父様にお会いしたことで私は凄まじく気分がよかった。お父様に家族の近況を尋ね、そして他愛のない会話を楽しんでいたところ、

 

「始まるようだな」

 

ついにお兄様の初試合が始まった。お父様はグラウンドに出てくるお兄様を見やりながら続ける。

 

「我がマルフォイ家の息子として、無様な試合にだけはしてほしくないものだ」

 

そう口では厳しいことをおっしゃってはいるが、目元だけは優し気に微笑んでおられる。やはり息子の待ち望んだ晴れ舞台というのはお父様にもうれしいものだったのだろう。

 

「お兄様なら大丈夫です。お兄様はこの日のために、一生懸命練習されておられました。お兄様ならマルフォイ家の名に恥じない、立派な戦いを見せてくださるはずです。それよりも私はお兄様が怪我をされないかが心配です」

 

「……何、多少怪我をして動けなくなった方が勉学に励むかもしれん」

 

お父様の素直でない様子に苦笑いをしながらお兄様の方を見ていると、お兄様もこちちらに気が付いたのか一瞬手を振ってくださった。

 

「お兄様もこちらに気が付いたみたいですね」

 

私はお兄様に手を振り返そうとしたが、その前にお兄様は相手チームに視線を戻してしまったようだった。どうやら箒の性能に胡坐をかくことなく、油断せずに試合におのぞみになるらしい。

 

「……もうあちらを向いてしまいました」

 

お兄様に応えられず、少し残念に思っていると、

 

「……そうでなくては困る。相手は箒が劣っているとはいえ、シーカーはあのハリー・ポッターだ。油断してもし負けでもしたらマルフォイ家の恥なのだからな」

 

そうお父様が慰めなのかよく分からないことをおっしゃってくださった。素直ではないが、これがお父様なりの慰め方なのだろう。

やはりお父様はお優しい。

 

そうこうしているうちに試合はついに始まった。

マダム・フーチの笛がなり、選手が一斉に飛び上がる。そんな中、一際高く飛ぶ二人がいた。ポッターとお兄様だ。

お兄様は作戦として、どうやらポッターの近くでスニッチを探すことにしたらしい。先程からポッターの周りを右往左往されている。

私はそれを見て、お兄様の考えが分かった気がした。思わず私の無表情が少しだけほころんだ。

 

「非常に理にかなった作戦ですね。あの場所ならニンバス2001の優位を十全に使えます」

 

ポッターがお兄様より箒の乗り手として優れていると言っても、最高速度という面においてはニンバス2001を持つお兄様に軍配があがる。あそこならポッターがたとえ先にスニッチを見つけ出そうとも、十分に対応できる場所だった。

 

「……ふん。とんだ逃げ腰の作戦だ。あれでは箒以外はポッターに負けていると宣言するようなものだ」

 

しかしどうやらお父様には不満らしく、少し苦い顔をして呟いている。

確かにあの作戦は、一見すると臆病とも、及び腰になっている作戦ともとらえられる。でも、私には……。

 

「そうですね。でも、だからこそ私には、今のお兄様が輝いて見えます」

 

私の答えに訝し気にされているお父様に続ける。

 

「確かに、あれは自分よりポッターが優れていると認めていないととらない作戦です。でも、そんなことは夏休みまでのお兄様なら絶対にされませんでした。内心ではお兄様も分かっておられたのでしょうが、それを別の要因、乗り手としての才能以外の面からくるものだとされていました。それが今は認めている。今は相手から、そして自分から目をそらしておられない。今までのお兄様なら、相手より優秀な箒を持ったことで有頂天になり、そこに胡坐をかいてしまっていたでしょう。でも、今はそれがない。それどころか、そのことを認めたうえで尚自分より優れた相手に勝つことをあきらめない。今は勝てなくても、必ず勝ってやるというお兄様の心の強さが見えます。このお兄様の強さが、私には非常に輝いて見えるのです」

 

ポッターに食らいつくように飛ぶお兄様を見ながら、恍惚と話す私にお父様は苦笑交じりに言う。

 

「なるほど……確かに夏休み中の愚痴しか言わないドラコなら考えられないことだな。その点は少しは成長したやもしれんな。だが、もう少し手段はなかったものかな? あれでは箒に頼った卑怯者と言われかねんぞ?」

 

お父様の苦言に、私はそれこそ笑いながら応えた。

 

「ふふふ。箒をそろえるのだって十分実力のうちですよ。現にポッターだって、先生から去年の時点での最新型ニンバス2000をもらっているのですから。人脈も十分シーカーの実力の一つですよ。それに……手段なんて択ばなくていいではないですか。だって、」

 

私は笑いながら最後を締めくくった。

 

「私達は狡猾なスリザリンですよ?」

 

この後も、スリザリンは点数を重ね、お兄様はポッターをマークしつつ、スニッチを懸命に探していた。

 

しかし、試合は途中から思わぬ方向に進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

試合がはじまると、僕はあることに悩まされていた。

 

本来一番近くの人間を襲うはずのブラッジャーが、どんなにフレッドとジョージが遠くに飛ばそうとも、一向に僕以外を狙おうとしないのだ。

 

試合開始の時点では、一向に僕のマークを外そうとしないマルフォイに悩まされていた。奴は僕の気をそらそうと嫌味を浴びせる一方で、油断なく僕の近くでスニッチを探していた。おそらく、僕の近くにいた方が、僕がスニッチを先に見つけた場合でも対応できると考えたのだろう。

それはうっとうしい程に正しく、手段を選ばないスリザリンらしい考えだった。マルフォイより先にスニッチを見つけても、僕の箒より奴の箒が速い以上、よほど近くにスニッチがない場合以外では奴の方が有利になるのは自明だった。

 

そのため、僕は試合当初はマルフォイから逃げ回るように飛び続ける必要があった。そんな僕にやはりぴったりとついてくるマルフォイに辟易している最中、事態は大きく変わることとなる。

 

しかも悪い方向に。

 

ブラッジャーの一つが突然、僕だけを狙うように飛び始めたのだ。

ブラッジャーは本来、一番近くにいる選手に向かって飛ぶ性質がある。そのため両チームのビーターは、その棍棒で相手チームに向かってブラッジャーを飛ばす。でも今回の試合では、いくらフレッドとジョージがブラッジャーを殴りつけようとも、一向に僕から狙いを外そうとはしない様子だった。

同じく僕から一向に離れないマルフォイもブラッジャーの変化に気が付いたらしい。僕の近くいると自分も危ないと考えたのか、それとも僕をマークしても僕がスニッチを探す暇がなくなったと考えたのかは分からないが、僕から完全には離れないまでも、比較的近くない位置でスニッチを探している。

 

マルフォイは離れたけど、別に事態が好転したわけではないどころか寧ろ悪化していることに焦っている僕の気持ちを知ってか知らずか、ウッドがタイムアウトをとった。

 

「何をやってるんだ!?」

 

グリフィンドール選手が集まると、ウッドは第一声で怒鳴り声をあげた。

 

「一体どこで何をやってるんだ!? こっちはボロ負けしているんだぞ!」

 

そう言ってウッドが指さした得点表をみると、60対0と表示されていた。

 

「あっちの箒が速すぎて追いつけない。こっちも負けじと技術で点数を入れよとしているのに、ブラッジャーが邪魔して点数が入らない! ビーターはブラッジャーを野放しにして、一体全体どこで何をしているんだ!?」

 

どうやら僕を守るためにフレッドとジョージが奮闘していたことを知らないらしい。

フレッドが腹立たし気に言う。

 

「ウッド。僕らはその時、ハリーを守ろうとしてたんだぜ? 一つはまともに動いてるみたいだが、もう一つのブラッジャーがハリーから離れようとしない! スリザリンの誰かが細工してるに違いない!」

 

フレッドの言い分にウッドの怒りはなりをひそめ、心配そうに僕を見つめながら話す。

 

「だがブラッジャーは試合前の練習では問題はなかったぞ。しかも試合初めも特に問題なく二つとも飛んでいた」

 

ウッドはスリザリンが僕にブラッジャーをけしかけているという意見に懐疑的な様子だった。

しかし今僕たちに犯人が誰かなど考える時間はないみたいだった。

タイムアウトの時間が迫ってきたのか、マダム・フーチがこちらに近づいてくるのが見える。

僕は急いで意見を述べることにした。

 

「聞いてくれ。僕を守ってくれるのはありがたいけど、ビーター二人が僕にかかりっきりだと試合に勝てなくなってしまう。それに、僕も二人が周りを飛び回っていたんじゃスニッチを掴むことができないよ。だから、あのブラッジャーは僕に任せてほしい」

 

「馬鹿なことを言うな! 頭が吹っ飛ばされるぞ!」

 

フレッドの怒鳴り声に僕は返す。

 

「でもこのままだと確実に負けてしまう! たかがブラッジャー一個のせいで、スリザリンなんかに負けられない!」

 

僕の剣幕に皆唖然としていたが、やはり僕の意見にはどこか反対している様子だった。

そうこうしているうちに、マダム・フーチがこちらに到着した。

 

「試合開始できるの?」

 

ウッドの瞳は揺れていた。僕の意見を聞けば、今のどうしようもない状況を突破できるかもしれない。でも、同時にそれは僕を危険にさらすということでもあった。

だから、ウッドは迷っている。スリザリンには勝ちたいが、そのためにチームメイトを危険にさらすことに。

 

彼は迷いを帯びた目で僕を見た。それに僕はただ力強くうなずいて応える。

僕は大丈夫だ、信じてくれ。

 

それを見てウッドはようやく決心がついたのか、一言だけ。まるで迷いを断ち切るかのように言い切った。

 

「ブラッジャーはハリーに任せる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

ポッターの方がシーカーとしての実力は上な以上、僕より先に奴がスニッチを見つける可能性は高い。だから僕は奴が先にスニッチを見つけた場合でも対応するために、試合開始直後はポッターの近くを飛んでいたわけだが……。

 

ビュン!

 

少し離れた位置で飛んでいるポッターを見やると、ちょうど突っ込んできたブラッジャーを辛うじて避けているところだった。

試合開始すぐ、一つのブラッジャーが突然ポッターしか狙わなくなった。そのためポッターの近くで飛ぶことは危ないと考え、今僕はポッターから少し離れた位置を飛んでいる。

 

まったく、誰かは知らないが余計なことをしてくれた。これではポッターをマークすることが出来ない。

 

僕は作戦を変更し、ポッターは視界に入れられるが、先程よりはポッターから離れた位置でスニッチを探すことにした。場所によってはニンバス2001でも負ける可能性がでてくるが、今ポッターはスニッチを気にしている余裕はないだろう。

 

そう思い、僕は視界からこそポッターを外さないが、先程よりはポッターを意識の外に追いやってしまっていた。

 

その多少の油断が、命取りになるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

耳元をまたブラッジャーがかすった。最初は難なく避けていたが、あまりにもしつこく飛んでくるブラッジャーに疲れてしまい、だんだんとこうして掠ることが多くなってきている。

 

このままだとまずい。何とかマルフォイより先にスニッチを見つけないと! 

 

そう思いながら、辺りを見回す。そんな僕を横目に、マルフォイは僕を視界の端にとらえながら、僕より少し下の位置でスニッチを探している。

僕と違い悠々とスニッチを探す様子に、軽く苛立ちながらマルフォイをにらみつけてつけていると……僕は金色の光を見た。

 

スニッチだ! 

 

それは僕を視界にとらえ続けるマルフォイからは丁度死角になる位置。マルフォイの遥か真下を飛んでいた。

僕は思わずスニッチめがけて飛んでいこうと思った。でも、寸前のところで思いとどまる。あいつは今も僕がスニッチを見つけないか見張っている。ここですぐ飛んで行っても、あいつの箒の方が速い以上先を越される可能性があった。

 

だから僕はなるべくあいつより先にスタートする必要がある。あいつが気が付いた時には、もう最新の箒でも追いつかない位置にいる必要が。

 

そこで僕は、今襲い掛かってきているブラッジャーを利用することにした。

マダム・ポンフリーなら、腕の一本くらい簡単に直してくれると信じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

執拗に追いかけられたことで、ついにポッターは力尽きてしまったらしい。

ブラッジャーはついに、ポッターの左ひじを強打することに成功した。

 

バシ!

 

少し離れたここからでも聞こえる音だった。おそらく腕が折れたのだろう。左腕があり得ない方向に向いているポッターは、そのまま痛みで意識を失ったのか、箒を()()()()()真っすぐに落ちていく。

 

僕はその様子を見ながらホッと安堵の息を吐いた。

余計な横やりが入ってしまい多少計画はずれてしまったが、これで相手のシーカーはいなくなった。これなら悠々と試合に勝つことが出来るだろう。

そう思いながら、助けが入るのか分からず、多少そわそわした気持ちでポッターが落ちていく様子を眺めていると、僕は気が付いてしまった。

 

ポッターは意識がない割には、固く自分の箒を握りしめており、足も決して離すまいと箒に絡みついていることに。

 

まさかと思い、僕はとっさに下を向いた。

そこには、金色のスニッチが悠々と飛んでいる姿があった。

 

やられた! ポッターが気を失っているのは演技だったのか!

 

僕もスニッチに気が付き、猛スピードで飛び始めようとした時には、案の定ポッターは左腕をぶら下げているものの、僕より遥かに有利な位置でスタートを始めていた。

 

ポッターを警戒するあまり、僕はポッターから多少離れざるをえなくなった後も、ポッターを視界にとらえ続けてしまった。ポッターから離れて、ニンバス2001の絶対的有利を失った段階で、僕は潔くスニッチのみに意識を向けるべきだった!

 

しかし今後悔しても、ポッターとスニッチの距離が離れるわけではない。

僕の箒はみるみるうちにポッターに追いついてはいるが、如何せん気が付くのが遅かった。ポッターもみるみるうちにスニッチに近づいていく。

そして僕が丁度ポッターの箒の尾に追いついた辺りで、ポッターの右腕が、スニッチをとらえてしまった。

 

170対160

 

スリザリンは、初戦のグリフィンドールに敗れた。



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閑話 お嬢様

 ドビー視点

 

バンっ……バンっ……

 

壁に頭を打ち付ける度、激しい痛みがドビーめを襲う。

しかし、ドビーめはこの痛みに耐えなければならなかった。

 

何故なら、きっとハリー・ポッターの方が遥かに痛い思いをされたはずだから。

 

そして、今こうしてハリー・ポッターを救いに来ていることこそが、ダリアお嬢様に対する裏切り行為だから。

 

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

『名前を呼んではいけないあの人』が権力の頂点にあった頃、屋敷しもべ妖精はまるで害虫のような扱いをうけていた。失敗をするたびに殴打され、魔法をかけられ、殺された方がまだましだと思える程の責め苦を与えられた。いや、失敗に対する罰ならまだましだった。時にそれは、ただご主人様達の気分で行われることもあった。

 

全ての屋敷しもべ妖精は、本能のまま家に仕えこそしていた。が、心の中では皆主人に恐怖し、出来ることなら、ここよりもましな主人に仕えたいという、ありもしない幻想をいつも抱いていた。

そんな日は永遠に来ないと思いながら。

 

だが、そんな状況が唐突に終わりを遂げた。

 

闇の帝王が負けたのだ。しかも全くの無力であるはずの()()()に。

闇の帝王の失墜で、世の中は嘘のようによいものになった。害虫のように扱われていたしもべ妖精も、その例外ではなかった。

屋敷しもべ妖精の多くは古くから続く純血の家に仕えている。でも、その家のほとんどの人間が『死喰い人』であり、そして屋敷しもべ妖精に酷い扱いをする連中だった。

それが一遍に捕まったのだ。多くの屋敷しもべ妖精たちは、これ幸いと解放され、夢に見たよりよい主人の元へ旅立っていった。

まさに新しい夜明け。家に縛られていた屋敷しもべにとって、永遠に終わらないと思われた暗闇が突然明るく照らされたのだ。

そしてその暗闇を照らした希望の光こそ、生き残った男の子、ハリー・ポッターだった。

 

多くの屋敷しもべ妖精は、救世主の如くお生まれになったハリー・ポッターに感謝しながら、素晴らしいご主人のもとに旅立っていった。

 

ドビーめを除いて。

 

確かに多くの『死喰い人』達は捕まった。でも、それには例外が存在した。

それこそがドビーのご主人様、ルシウス・マルフォイ様だった。

ご主人様は闇の帝王が倒れてすぐに自らの潔白を主張なされた。

 

『服従の呪文』にかけられていただけだと。

 

おそらく、ほとんどの人間はそんなこと信じてはいなかったことだろう。

でも、結果としてご主人様の主張はまかり通った。ご主人様は何の罰も受けず、勿論逮捕もされなかった。

 

闇の帝王が倒されても、ご主人様は捕まらず、勿論ドビーめが解放されることもなかった。

 

多くの屋敷しもべ妖精が新しい環境を謳歌する間も、ドビーめの生活が変わることはなかった。闇の帝王が倒されたというのに、ドビーは相変わらず害虫のように扱われていた。

光はドビーめだけは照らさなかった。

 

ハリー・ポッターの与えてくださった希望の光は、決してドビーには届かず、このままドビーめは絶望したまま死んでいくのだと思った。

 

しかし、確かにハリー・ポッターの救いの光は届かなかったが、代わりに別のお方がドビーめを救ってくださることになる。

 

それこそが、ご主人様の娘である、ダリアお嬢様だった。

 

ダリアお嬢様はある日突然マルフォイ家にやってこられた。

奥様がお産みになったマルフォイ家の子供は、ドラコお坊ちゃまだけだ。しかも奥様はお体が弱く、それ以後は子供が産めないとのことだった。

 

そこにご主人様が突然、どこからか女の子をお連れになってきたのだ。

 

初めはただの親戚筋からの子供を預かっただけだと思っていた。女の子が欲しい奥様に、ご主人様が連れてきた子供だと。

しかし、お嬢様が大きくなられるにつれ、それが間違いだということに気が付いた。

 

お嬢様は、人間ではなかった。

お嬢様は吸血鬼だった。

 

吸血鬼といえば、屋敷しもべ妖精のような魔法生物程ではないが、『亜人』という人間より下の生き物として分類されている。そんな存在が、純血であることを誇りとするマルフォイ家の親戚筋にいるはずがない。

では何故そんな存在がマルフォイ家に受け入れられているのだろうと疑問に思ったが、どうやらマルフォイ家よりさらに高貴なお方から預かった子供であるとのことだった。

それをご主人様達が偶然話しておられるのを聞いてしまった時、ドビーは戦慄とした。

マルフォイ家より高貴な血筋のお方。そんなものは、この世にそう多くはいない。

 

たとえば、スリザリンの末裔を自称する闇の帝王……。

数少ない純血の中で、マルフォイ家を超える程の血筋。それは闇の帝王が掲げる、サラザール・スリザリンの血筋だけだった。

 

ドビーは恐ろしくなった。

もし、ダリアお嬢様が本当に闇の帝王の血筋だというのなら、将来闇の帝王のように恐ろしいことをなさるのではないか?

最近ご主人様同様ドビーめに辛く当たられるようになったドラコお坊ちゃまのように、いつかはドビーめに気分次第で罰を与える様な恐ろしい方になってしまうのではないか?

 

今まで子供だということでつい可愛く思い、命じられた以上にお世話をさせていただいていたが、もしや非常にまずいことをしていたのではないか?

本当は自分より劣った生き物に触れられ、非常に不愉快な思いをなさっているのではないか? あの無表情はドビーめのことがお嫌いだからではないか? 将来そんなドビーめに復讐をされてしまうのではないか?

そう考えると、思わずこの先今まで以上の苦しみが待っているのではないかと思われ、ドビーは人知れず絶望していた。

 

でも、そんな日はこなかった。

 

お嬢様は成長されてもなお、ドビーに優しく接して下さった。

相変わらずの無表情ではあったが、ドビーめが失敗しても、ドビーめを罰しようとはせず、寧ろドビーめの心配までしてくださった。

ドビーめの仕事を褒めて下さり、それどころか労ってまで下さった。

 

そして何より、お嬢様のお蔭でご主人様達から酷い扱いを受けることがなくなった。

 

ある日、いつものようにドビーめはご主人様に罰を与えられていた。きっかけは、ご主人様のお食事に焦げ目をつけてしまったことだった。

 

「お前は本当に使えない奴だ!」

 

そう怒鳴りながら殴られていた所を、たまたまお嬢様に見られたのだ。

 

「お父様、何をやっておられるのですか?」

 

酷く狼狽した無表情で、お嬢様がご主人様に問いかけられた。お嬢様にドビーめが罰を受けている所を見られるのは初めてだった。

最近ようやく、無表情ながら微かに浮かぶ感情を、ドビーめは読み取れるようになっていた。

 

「何でもない。この使えないしもべ妖精に罰を与えていただけだ。ダリアは部屋に戻っていなさい」

 

そうご主人様は言われた後、再びドビーめに向き直り、罰を再度与えられようとしたところ、

 

「お父様!」

 

突然、ダリアお嬢様がご主人様に抱き着いた。

突然のことに驚いた様子のご主人様は、ドビーめに振り上げたこぶしを下し、ダリアお嬢様に問いかける。

 

「ダリア! 突然どうしたというのだ!?」

 

「お父様! 家族同士で争わないで!」

 

無表情だが、いつになく嫌そうなお顔をされたお嬢様はそうおっしゃった。

 

ドビーめは、そこで初めてダリアお嬢様がドビーめにお優しい理由を知った。

ダリアお嬢様は、ドビーめのことを家族だと思われていた。だから家族同士で争ってほしくないと、家族が殴られているところを見たくないと、そうおっしゃったのだ。

 

それを聞いた時、ドビーは助かったと思う以上に、恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

 

ドビーは一体今まで何を見てきたのだろうか。

ダリアお嬢様は小さい頃から、無表情ではあってもその実感情豊かで、そして何より優しい女の子だった。屋敷しもべ妖精であるドビーめによくなついて下さったし、ドビーめに優しく、それこそ家族の様に接して下さった。

そんなこと最初から分かっていた。なのに、ドビーめはお嬢様が闇の帝王の血筋かもしれないという可能性だけで恐れ、将来を絶望した。

そんな愚かなドビーめを、お嬢様はまだ家族だとおっしゃって下さる。

ドビーめは自分をとてつもなく恥ずかしく思った。

 

ご主人様の手を煩わせることなく、自分で自分に罰を与えようと思うほどに。

 

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

ご主人様とお嬢様は、突然頭を地面に打ち付け始めたドビーめに仰天した様子だった。

 

「ド、ドビー! いったい何をしているの!?」

 

「お嬢様! お止めにならないでください! ドビーめは、自分で自分を許せないのです!」

 

「そ、そこまでの失敗をしてしまったのですか!? お、お父様、ドビーは一体何をしたのです!?」

 

どうやらドビーめがご主人様の罰では満足できない程自らの失敗を悔いていると思われたのか、お嬢様は頭をさらに打ち付けようとするドビーめを抑えながらご主人様に問う。お嬢様と同じく突然の事態に唖然としていたご主人様だが、

 

「……ふん。これからは私が罰を与えんでも、自分で罰を与えるのだな。これ以上、私やダリアに手間をかけさせるな」

 

そう早口でおっしゃった後、まるで逃げるようにその場から出て行かれた。

残されたのは、必死に頭を打ち付けようとするドビーめと、それを同じく必死に止めようとするお嬢様だけだった。

 

その日から、ご主人様達がドビーめを殴ることはなくなった。今でもドビーめに厳しい言葉は投げつけられるが、まるで害虫の様に扱われることはなくなった。おそらく、お嬢様を可愛がられているマルフォイ家の方々は、ドビーめを気に入ってくださっているお嬢様に嫌われたくはなかったのだろう。

その日、ドビーはようやく地獄のような日々から解放され、本当に忠誠を持てる新しいご主人様を得た。

 

屋敷しもべ妖精を救ったのはハリー・ポッターだったが、ドビーめを救ってくださったのはダリアお嬢様だった。

ドビーめは、マルフォイ家ではなく、お嬢様に忠誠を誓うことにした。

 

たとえお嬢様が吸血鬼だろうと、闇の帝王の血筋だろうと関係ない。ドビーはこの優しいお嬢様に与えられた恩を必ず返してみせよう、お嬢様に心から仕えよう。そう心に誓った。

 

 

 

 

それなのに……

 

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

いったい、ドビーめはどこで間違ってしまったのだろうか?

 



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一人目

 

 ドラコ視点

 

地面に落ちるように降り立つ。空虚な視線を向けた先には、

 

170対160

 

そんなどうしようもない結果だけが相変わらず示されていた。

スリザリンの敗北が嬉しくて仕方がないのか、酷く惨めな気持ちの僕を、スリザリン以外の三寮の歓声が盛大に包み込む。

 

ああ、これは僕が一瞬でも油断してしまったゆえの結果なのか。

 

そう思うと、思わず僕の目頭が熱くなってしまった。こんな結果をもたらしてしまって、一体僕はどの面を下げてダリアに会えばいいのだろう。

 

この試合、僕たちスリザリンが負ける要素はほとんどなかった。現にクアッフルでの戦いにおいてはスリザリンが圧勝していた。シーカー対決も、僕がポッターの近くを飛んでさえいれば、油断して奴から離れさえしなければ勝てたはずだった。

 

なのに、僕はブラッジャーが危険だというだけで、奴から離れてしまった。

あいつにはこれ以上スニッチを気にしている余裕なんてないと、僅かな慢心が生まれてしまった。

 

だから今回の試合、僕のせいで負けてしまったようなものだった。

 

地面に這いつくばるように項垂れる僕の周りに、他のスリザリンチームメンバーが集まってくる。皆一様に厳しい表情をしている。彼らも分かっているのだ、僕のせいでスリザリンは負けたのだと。

キャプテンであるフリントが僕の前に立ちながら大声を上げる。

 

「ドラコ! どういうことだ! お前の箒はニンバス2001だぞ! それが何故ニンバス2000如きのポッターに負けるんだ!?」

 

「……」

 

フリントの言う通りだ。僕は反論することが出来ず、またする気力もなかったため黙って聞いている。

 

「まったく! お前は相手より遥かに優れた箒を持っているのに負けたのか!? それでもお前は栄光あるスリザリンなのか! 純血として情けないぞ! お前は、」

 

「黙りなさい」

 

黙っている僕にさらにつづけよとするフリントの言葉は、突然遮られた。

その声は、僕がいつもは最も聞きたいと同時に、今は最も聞きたくない声だった。

僕は今、彼女にどんな顔を向ければいいのか分からなかった。

 

「マ、マルフォイ様!」

 

突然かけられた冷たい声音に、フリントは慌てたように振り向いた。他のスリザリン選手も、今まで聞いたこともない程の冷たい声音に固まっている。僕もノロノロと顔を上げると、やはりそこに立っていたのはダリアだった。肌の露出を極限までなくした格好をし、さらには片手に日傘をさして、ダリアは僕たちの前に佇んでいた。

そして日傘から覗き見える表情には、隠しようもない苛立ちがあるように見えた。

 

でも、それが向けられる対象は僕ではなかった。

 

「何故、お兄様が責められねばならないのですか?」

 

相変わらず冷たい声に、フリントが恐る恐る応える。

 

「マ、マルフォイ様。この試合、ルシウス氏の送って下ったニンバス2001のお蔭で、絶対に負けるはずのない試合でした。それをドラコは、」

 

「あなたは何を言っているのですか? 負けるはずのない試合? そんなものは存在しません」

 

そこでため息を一つつき、ダリアは続ける。

 

「クィディッチにおいてシーカーだけは運も重要になってきます。たとえ相手より優れた箒を持っていたとしても、絶対ということはあり得ない。それを分かっておられるお兄様は、今回油断ないプレーを行っておられました。途中こそブラッジャーの暴走というイレギュラーで惑わされましたが、お兄様は最後まで堅実なプレーをされていました。ですからお兄様に落ち度はありません。それに、チームが負けた原因を一人に押し付けるなどナンセンスです。箒が優れていたというなら、シーカー如何に関わらず、クアッフルで150点以上の差をつけておけばよかったではないですか。そのためのニンバス2001ではないのですか?」

 

「し、しかし、」

 

「とにかく、これ以上のお兄様に対する嘲笑は許しません。さあ、お兄様」

 

そう言ってダリアは僕に手を差し伸べてきた。その手をまじまじと見つめる僕に、ダリアは優しく話しかける。それは昔からよく聞く、ダリアが僕を慰めてくれる時に聞く声だった。

 

「試合にこそ負けてしまいましたが、お兄様が頑張っておられたのは、私もお父様も知っております。先程の試合も、お兄様の姿は決して惨めなものではありませんでした。果敢に相手に挑む姿は、私にはとてもかっこよく見えましたよ」

 

ダリアは一向に手を取ろうとしない僕に、さらに手を伸ばしながら続ける。

 

「お兄様はかっこよかったですよ。本当に素晴らしい時間でした」

 

僕はその言葉に、先程とは別の理由で涙があふれてきた。ダリアは先程と一転し、どこか晴れやかな無表情をしてこちらを見つめている。その表情には、最近ダリアに浮かんでいた疲労感は薄くなっていた。

 

ああ、僕が試合に勝ちたかったのは、この表情を見るためだったのだ。

ポッターに勝ちたいという思いもあったが、勝利が目的ではなかったのだ。

試合に勝って、少しでもダリアの支えになりたかったのだ。

 

僕は溢れる涙をそのままにダリアに問いかける。

 

「……ダリア、試合は楽しかったか?」

 

僕の言葉にダリアは一瞬瞠目し、そして微かな笑顔で応えた。

やはりそこには、僕を責める色は一切なく、心の底から楽しそうな表情をしていた。

 

「ええ。本当に楽しい時間でした」

 

「そうか……なら、いい」

 

試合には負けてしまったが、どうやら目的は果たすことが出来た。なら、僕がこれ以上後悔する必要はない。

僕は、安心した気持ちで差し伸べられた手を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「ダリア、行ってやりなさい」

 

スリザリンが敗北したことがショックなのか、どこか覚束ない飛び方で降りていく息子を見やりながらダリアに言う。

 

「で、ですがお父様は?」

 

ドラコのことが心配なのだろう。チラチラとドラコが地面に向かう様子のを目で追っている。ただ、ここに私を置いて行っていいものなのかを迷っている様子だった。

だが、

 

「私のことは気にしなくてもよい。それに、試合が終わった以上、私はすぐに帰らねばならん。ダリア、ここでお別れだ。次は夏休みになってしまうが、元気にしているのだぞ」

 

「……分かりました」

 

クリスマスの立ち入り調査は、結局立ち消えることはなかった。ウィーズリーの奴は今回の調査に余程力を入れているらしく、空飛ぶ車の件で相当追い詰められているものの、この調査だけは行われることになっていた。

奴の計画が私にばれている段階で、それは無駄な努力でしかないわけだが。

奴を出し抜けていることには喜びを感じているが、クリスマスを楽しみにしているダリアには非常に可哀想なことだとも思う。

現に私が言外に立ち入り調査の続行を伝えると、悲しそうな表情をして頷いていた。

今回の試合で少しは余裕を取り戻せたのか、以前のように取り乱したりこそはしないが、やはり辛いものは辛いのだろう。

 

……無表情ながら顔を歪ませる娘に、私は非常に胸が苦しくなる。

悪いのは全てウィーズリーだと分かっている。が、何故か私が悪いことをしている気分になった。

 

私はそんな俯くダリアに言葉をかけようとして……何も言えなかった。

本当は娘に、

 

『今年だけの辛抱だ。今年でダンブルドアはいなくなる』

 

そう安心させてやる言葉をかけてやりたかった。だが、それをここで言うことは出来ない。

近くにいるダンブルドアが、一見試合を観戦しているように見えるが、その実意識をこちらからまったくそらしてはいないからだ。

こちらへの警告のつもりなのかは知らないが、全く隠そうともしない警戒に私は、ダリアの立場を危うくさせかねないようなことは言えなかった。

 

だから私にできたことは、ただダリアの頭を撫でてやることだけだった。

ダリアは昔から私に頭を撫でられるのが好きだ。マルフォイ家の娘として、そのように甘やかしてはならないと分かってはいるのだが、いつもの無表情を多少ほころばせるのを見る度に、どうしてもこうして甘やかしてしまう。

案の定言葉はかけてやれないものの、頭を撫でてやることで多少元気を取り戻したダリアに言う。

 

「では、ダリア。また夏休みに。だが何かあれば手紙は送るのだぞ。ドラコはよく送ってくるが、お前は送ってきても自分のことを隠しすぎる。去年も言ったが、もっとお前は我儘を言いなさい」

 

「……はい、お父様」

 

迷惑をかけろという部分に一切同意していない様子だが、一応と私の言葉にうなずくダリア。いつまでも中々甘えようとしないダリアに苦笑する。

 

「さあ、ダリア。ドラコの所にいくのではなかったのか?」

 

私がそう言うと、ダリアは今思い出したように、

 

「ああ! そうでした! ではお父様! またすぐに手紙を書きますね!」

 

ダリアは今度こそ慌てたように観客席を出て行った。

その背中には、試合前ほどの疲労感はなくなっている様子だった。

 

そんなダリアの背中に、私とダンブルドアは全く異なる視線を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

久しぶりにお会いして、そしてまたしばらく会えないお父様と別れるのは非常に嫌だったが、今落ち込んでおられるはずのお兄様を放っておくわけにもいかない。

 

そう思い泣く泣くお父様と別れ、教員席から降りている時、

 

「待ってください、ダリア!」

 

後ろから突然声がかかった。

それは教師の発するものだった。が、私はその声を完全に無視する。

何故なら、それは先程私を日向に引きずり出そうとした男のモノだったから。

 

「ダリア、先程は申し訳ありませんね。何しろあなたの肌のことを知らなかったのですよ。しかし、あなたの肌のことがあっても、大丈夫だったと思いますよ! なぜなら、私は『闇の魔術に対する防衛術』だけではなく、治療魔法にも少々心得がありましてね。あなたの肌も治して差し上げられると思いますよ!」

 

聞いてるだけで疲れる様な話だった。すぐにお兄様の元へ向かいたい私としては、こんなゴミに付き合って時間を使いつぶしているわけにはいかない。私は急いでいるから聞こえないという風を装いながら、手袋をつけた状態の全力で階段を下りていく。

しかし無視する私を意に返さず、全力で階段を下りる私についてくるために多少息が上がった状態のロックハート先生は続ける。

 

「次の試合はきっと私と共に見ましょうね、ダリア! 私ならあなたの肌を治して差し上げるのですから!」

 

……次に試合を見に来ることはないだろうなと思った瞬間だった。この人は全く反省していない様子だった。

お兄様の試合なら無理をしてでも来るが、残念ながらスリザリンは今日負けてしまった。次の試合があっても相当先のことだ。だから不幸中の幸いに、クィディッチに来る必要性がしばらくは全くない。

お兄様の素晴らしいプレーや、久しぶりにあったお父様に癒された心に、少しだけ疲れと殺意が戻ってきていたが、日傘をさして競技場に出た直後、

 

「では、私がそれを証明してきましょう! 先程ハリーが怪我をしていましたね!? それを今から華麗に治してきます! 大丈夫です! 何と言ったって、私には治療魔法の心得もありますから!」

 

ようやく後ろに纏わりついていたゴミがいなくなった。チラっと後ろを見ると、ちょうどボンクラが向こうで倒れているポッターに走っていくところだった。

 

ポッター、あなたの犠牲は忘れません。

 

そう心の中でポッターの冥福を祈りつつ、私は地面で項垂れているお兄様の元に走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

どうしても勝ちたかったスリザリン戦。その勝利の代償は、思った以上に大きなものとなってしまった。

スニッチを掴み、その後地面に落ちると同時に気を失ったらしい僕が一番初めに目にしたのは……輝くような真っ白い歯だった。

ロックハートが、僕を満面の笑みで見降ろしていた。

 

「ハリー! 気が付いたようだね! 君は腕を折ってしまったのだよ! 心配めされるな! 私なら君の腕を治してあげられるよ!」

 

「や、やめて!」

 

一瞬ロックハートが何を言っているのか理解できなかったが、彼の今からすることを脳が理解した瞬間、僕は大声をあげていた。

この教師が口だけであることは、もうホグワーツの生徒のほとんどが気が付いている。そんな先生がこの折れた腕をどうにかできるはずがなかった。

でも僕の声はいつものように彼に届かなかったらしい。

 

「さあ! 横になってください! 私はこの呪文を何度も使い、多くの人間を助けてきましたからね!」

 

「せ、先生! 僕、医務室に行った方がいいと思います!」

 

刻一刻と迫る最悪の事態に、何とかロックハートを説得しようと試みつつ、周りの人間が僕を助けてくれないか見回す。

しかし残念ながら周りにいたのは、いち早く駆けつけて僕の骨折の写真を撮るコリンと、少し離れたところで今なお暴れ続けるブラッジャーと格闘するグリフィンドール選手達だけだった。ロンとハーマイオニーはまだこちらにたどり着けていないようだ。

もう少し離れたところにスリザリンチームがいないでもないが、彼らが僕を助けてくれることなど絶対にない。寧ろ嬉々としてロックハートにやらせるだろう。

 

「では!」

 

そうこうしているうちに、どうやらタイムリミットが来てしまったようだ。 

ロックハートは大げさに杖を振り回し、次の瞬間、それをまっすぐに僕の腕に向けた。

 

効果は劇的だった。

勿論、悪い方向に。

 

腕の激痛がなくなったかと思った瞬間には、先程まであり得ない方向に曲がっているものの、曲がりなりにも真っすぐだった腕が、まるでゴムのように弾力を失い垂れ下がっていた。

 

折れた骨は治るのではなく、僕の腕の中からいなくなっていた。

 

「あ~。まあ、そうだね。こういうこともあるね。うん。でもね、ハリー。腕はもう折れていないことに変わりはないだろう? それこそが大事だと、僕は思いますね」

 

ロックハートもこの結果にはさすがに狼狽したのか、何故か離れ所にいるスリザリンチームと教員用観客席の方をチラチラ見ていたが、

 

「あ! これはいいところに! ミス・グレンジャー! ウィーズリー君! 彼に付き添ってもらえるかな!? 彼の折れた腕は大分治ったのですが、やはりまだ治療の必要性がありますからね! 彼を医務室まで!」

 

そう言って逃げるように立ち去った彼と入れ替わりに、ロンとハーマイオニーが駆け付けた。

彼らは僕の変わり果てた腕に一瞬瞠目していたが、今何をすべきかを早急に判断し、僕を黙って医務室まで運んでくれた。

 

「今夜はここに泊まらないといけないのか……」

 

医務室につくと、マダム・ポンフリーは激怒しながら僕に入院を宣告した。僕の読み通り、骨折くらいならすぐになんとか出来たらしいのだが、どうやら骨をはやすというのは簡単ではないらしい。一日入院しなければいけないとのことだった。

ロンと僕が盛大にロックハートの悪口を言い終わった後、ロンはおもむろに言った。

 

「とにかく、僕らは勝った!」

 

顔中をほころばせるロンに、ロックハートの悪口大会中、少し所在なさげにしていたハーマイオニーが同意する。

 

「そうね。ハリー、すごいキャッチだったわ! でも、まさか腕を一本犠牲にするなんて! 大怪我したらどうするの!」

 

「……今の大怪我は、試合のせいではなくロックハートのせいだけどね。それに、ピッタリ僕にくっついてたマルフォイを出し抜くにはああするしかなかったんだ」

 

「と、とにかく! あんな危ないことはもうしないでよね!」

 

またロックハートの話に戻りそうになり、一度は僕を叱ろうとしたハーマイオニーは慌てて話をまとめた。彼女に引き続きロンが話を続ける。

 

「しかし、あのブラッジャー。一体あれはなんだったんだ? ハリーしか狙ってなかったけど」

 

首をかしげるロンに、ハーマイオニーが恨めしそうな顔をして言う。

 

「そうね。あんなことやるとしたらスリザリンチーム。多分ドラコだと思うけど、彼、一体どうやったのかしら?」

 

「もしくはあいつに頼まれた妹だな。ダリア・マルフォイが勝手にやった可能性もあるけど」

 

「ロン……何度も言うけど、マルフォイさんは、」

 

ロンの発言に、いつものようにハーマイオニーは何か言おうとしたが、その前に医務室のドアの方が非常に騒がしくなった。

何事かと思いドアを見やると、丁度泥だらけのグリフィンドール選手全員が入ってくるところだった。

 

「ハリー! いい作戦だったぜ!」

 

ジョージが僕の骨がなくなっていない方の腕を叩きながら言った。

 

「さっき、マーカス・フリントがマルフォイを怒鳴っていたぜ。いい箒持ってたのに負けたのは何事だってね! まあ、その直後にダリア・マルフォイに黙らされていたけど」

 

「ハリーよくやってくれた! よくぞあの小賢しいマルフォイに勝ってくれた! これで寮杯も近くなったぞ!」

 

ジョージに続き、喜色満面のウッドが喜びの言葉を言っている時、

 

「あなた達! 何をやっているのですか!? その子には休息が必要なんですよ!? 出ていきなさい!」

 

丁度薬をとってきたマダム・ポンフリーに皆追い出されてしまった。

医務室には、僕一人だけが取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

最高級の箒が選手全員分そろったことで、スリザリンは勝利を確信していた。皆試合前だというのに、まるで既に勝っているかの如く振舞っていた。

それが試合の後どうなったかというと……。

夜の談話室、皆一様にまるで葬式にでも来ているかのような顔をしている。皆項垂れ、まるでこれは夢で、明日になれば本当の試合がある、そんなことを祈っているような仕草をしていた。時折現実に返ってきた者も、ソファーに座るお兄様に非難がましい視線を送りかけ、同じくソファーに座る私を見て慌てて祈りに戻っていった。

 

「空気が重いですね……」

 

試合後の反省会すら開かれない程暗い空気に、私は小さくため息をつく。おそらく私がいなければ、盛大にお兄様への非難合戦が始まっていたのだろう。でも、私という抑止力の存在で皆俯くしかない様子だった。それを分かって私もここで睨みをきかせていた。

同じく私の前に座るダフネも同意なのか、神妙な顔で周りを見回していた。が、こんな空気を換えようとするように、努めて明るい声で私に話しかけてきた。

 

「ダリア、お父さんとの時間はどうだった?」

 

私の顔から疲れが大分抜けていることを見抜いているのだろう。疑問形ではあるが、どこか確信を持ったような笑顔をしている。

私も小さく微笑みながら応える。もっとも、表情自体はあまり動いてはいないだろうが。

 

「ええ。お父様もお元気そうで何よりでした。お母様も、後、もう一人いる家族も元気だとのことでしたし」

 

「そっかそっか」

 

私の答えに、ダフネはやはり笑顔で応えてくれていた。私が慰めたと言っても、やはり負けたことで多少暗くなっているお兄様も横で小さく微笑んでくださっていた。

 

 

 

 

その間、ホグワーツ内では、猫が石になる以上の事件が起こっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

真っ暗な医務室。眠っていた僕は、突然額に感じた冷たさに目が覚めた。何事かと思いそちらを見ると、闇の中で何者かが僕の額をぬぐっているみたいだった。

 

「や、やめて!」

 

恐怖で目が覚めた僕は、腕から感じる痛みに耐えながら大声を上げた。

 

「だ、誰なんだ!?」

 

「……ハリー・ポッター。ドビーめです。ドビーめでございます」

 

僕の声に応えたのは意外な人物だった。暗闇にようやく目が慣れ、闇に浮かび上がっていた生き物は、以前僕をダーズリー家に縛り付けようとしたドビーだった。テニスボールほどの目玉に涙をためながら、ドビーは言う。

 

「ハリー・ポッター……どうして学校に戻ってきてしまったのですか?」

 

それはまるで、僕を労わると同時に、どこか非難するような響きだった。

 

「ドビーめは、なんべんもハリー・ポッターに警告いたしました。なのに、何故あなた様は帰ってきてしまったのですか? どうして汽車に遅れたというのに、ここに今いらっしゃるのですか?」

 

僕はドビーの言葉に怒りがわいた。僕は体を何とか起こしながら尋ねる。

 

「……何故、僕が汽車に乗り遅れたことを知っているんだい?」

 

何故彼がこんな所にいるのか等、疑問に思うことは山ほどあった。でも、怒りで満たされた僕の頭がひねり出したのはこの質問だけだった。

ドビーは僕の怒りを受け身を震わせている様子だったが、

 

「ハ、ハリー・ポッター、ドビーはよかれと思って……」

 

そう小さくつぶやいた。

 

「やっぱり君だったんだ! 僕がどれだけあの後苦労したと思ってるんだい!? 下手すれば僕とロンは退校になるところだっったんだ!」

 

「た、確かに入り口を塞いだのはドビーめでございます。で、でも、それはハリー・ポッターがホグワーツに戻れば危険だと思い、」

 

「今すぐここを出て行ってもらえないかな? 僕は正直今君を絞殺したくて仕方がないんだ!」

 

腕の骨さえあれば、僕は本当にそうしていたことだろう。それほど僕は今怒り狂っていた。

でも、ドビーは僕の脅しを聞いて、僕の思った通りの反応はしなかった。

一瞬僕の脅しに瞠目していたが、その後何故かとても穏やかな表情になっていた。

 

「な、なにがおかしいんだい? 僕は本気だぞ」

 

突然のドビーの変化に僕がそう続けると、

 

「……ドビーめは昔、屋敷では一日5回もその脅しを受けておりました」

 

ドビーは笑いながら、穏やかに、でもどこか懺悔するように話し始めた。

 

「昔はそんな言葉を言われてもへっちゃらでした。慣れていたのであります。でも、今ハリー・ポッターに言われ、ドビーめは一瞬身が震える思いでした。慣れている……ドビーめはそう思っていたのですが……。どうやらドビーめは、あの頃が遠すぎて、また弱くなってしまっていたみたいです……」

 

何故か寂しそうにそう語るドビーに、僕の怒りは鎮まっていく。穏やかで、でもどこか迷子のような表情をするドビーをこれ以上怒鳴りつける気分ではなくなったのだ。

 

「ドビー、なんで君はそんなものを着ているの?」

 

怒りが収まり、次に僕の中に沸いたのは好奇心だった。以前から気になっていたのだが、ドビーはなぜか真新しい枕カバーを身に着けていた。

 

「これでございますか?」

 

ドビーはどこか誇らしげに自らの服を指示した。

 

「屋敷しもべ妖精はこれを身に着けることによって、ご主人様のものであることを表しているのです。屋敷しもべ妖精が家を出る時、それはご主人様から衣服を本当の衣服を与えられた時なのです。もしソックスの片方でもドビーめに与えられれば、ドビーめはご主人様の家から永久にいなくならねばならないのです」

 

ドビーは続ける。

 

「ドビーめは、昔そのソックスの片方でも与えられないものかと祈っておりました。ですが、今は全くそのようなことは思いません。今は昔と違い、ドビーめの身に着けているものも気にして下さるお方がいるのです。昔は使い古した枕カバーを身に着けておりました。ですが、今ではこの通りです」

 

そう言ってやはり誇らしげに枕カバーを指示したドビーだったが、ふと真剣な面持ちになった。

 

「ドビーめは、()()()()によって救われました。ですが、他の屋敷しもべ妖精は違うのです。皆、ハリー・ポッター、あなた様に救われたのです。だからハリー・ポッター、あなた様は家に帰らなければならない!」

 

「前にも言ったけど、僕は家に帰らないよ! ここが僕の家なんだ!」

 

「いえ! 帰らねばならないのです! だからドビーめはブラッジャーを使って、」

 

「ブラッジャーだって?」

 

ドビーの言葉に、僕の鎮まっていた怒りが再燃した。

 

「君だったのかい? 手紙や特急だけじゃなく、あのブラッジャーさえ君がやったものなのかい!? 君は僕を殺そうとしているのかい!?」

 

ドビーは驚愕しながら応えた。

 

「殺すなど滅相もございません! むしろドビーめはあなた様を助けたいのです! 今年のホグワーツは危険なのです! あなた様は積極的に狙われる可能性すらある! だから、ドビーめは大怪我をしてでも帰ってもらおうと、」

 

「その程度の怪我なわけがないだろう! 僕は危うく死にかけたんだ! もし本当に帰ってほしいなら言ってよ! 今年はホグワーツのどこが危険なんだい!?」

 

僕の怒りの声に、ドビーはノロノロと話し始めた。

 

「今年、『秘密の部屋』が再び開かれたのです。闇の帝王を倒したあなた様は必ず狙われてしまう……」

 

「待ってドビー」

 

僕はドビーの言葉の一部に違和感を覚えた。

 

「君の言い方だと、本当に『秘密の部屋』はあるんだね? それに再び開かれるって言ったよね? それじゃ以前にも部屋は開かれたのかい!? ドビー、教えてよ!」

 

「ド、ドビーはこれ以上しゃべるわけにはいかな、」

 

ドビーが言葉の途中で突然凍り付いた。何事かと思ったが、僕もすぐそれに気が付いた。

廊下の外で、こちらに向かってくる足音がしていた。

 

「ド、ドビーは行かねば! ハリー・ポッター、あなた様はすぐに家に帰ってください!」

 

それだけ言って、ドビーはまるで最初からそこにはいなかったかのように掻き消えた。

僕も医務室で騒いでいる所をみられるわけにはいかず、すぐにベッドに倒れこんで狸寝入りを始めた。

僕がベッドに倒れこんだ直後、医務室のドアが開き、数人の人間が部屋に入ってきたみたいだった。複数の足音は僕のベッドの端を通り過ぎる。そして僕とは離れたベッドに()()()置く音がしていた。

 

「何があったのです!?」

 

再び入り口から声がする。今入ってきたのはマダム・ポンフリーみたいで、先程入ってきた人たちに声をかけていた。

 

「また襲われたのじゃ。それも今度は生徒がのう」

 

マダム・ポンフリーに答えたのはダンブルドアだった。

僕はダンブルドアがいることに、そして彼が言ったことに驚き、薄目をあけて様子をうかがった。

僕の視線の先には、マクゴナガル先生、マダム・ポンフリー、そしてダンブルドアが、まるで石像のようなものを乗せたベッドの周りに集まっていた。

 

「グリフィンドール一年生のコリン・クリービーです。階段のところにいました。おそらく、この葡萄をポッターのお見舞いに届けようとしたのでしょう。その途中で……」

 

マクゴナガル先生の言葉で、僕は胃がひっくり返るような思いだった。

確かによく見れば、ベッドの上に置いてあるのは石像なんかではなく、カメラを構えたまま石になったコリンだった。

 

「この子も石に?」

 

「そのようじゃ」

 

マダム・ポンフリーに応えながら、ダンブルドアはコリンの構えたカメラを慎重に取り外していた。

 

「襲った者の写真が撮れているとお考えなのですか?」

 

マクゴナガル先生の質問に何も言わず、ダンブルドアはカメラの裏ぶたをこじ開けた。

するとまるでカメラの内側が溶けてしまったかのように、中から蒸気が噴出した。

 

「そんな!」

 

「これで確定じゃな」

 

ダンブルドアが静かに宣告した。

 

「『秘密の部屋』は再び開かれた」

 

マダム・ポンフリーはショックで今にも倒れそうになり、マクゴナガル先生はそんな彼女を支えながらダンブルドアに尋ねる。

 

「でも、アルバス……一体、誰が?」

 

「……さてのう。しかし、一体どうやっておるのじゃろうのう」

 

ダンブルドアの視線は、石になったコリンから離れることはなかった。

 

 

 

 

生徒がついに、『継承者』によって襲われた。



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ほころび……主人公挿絵あり

 

 ダリア視点

 

試合の次の日の日曜日。朝目を覚まし、お兄様達と共に大広間で朝食をとる。授業が休みのため、いつものようにダフネと図書館にこもり本を読む。

ここまではいつもの日曜日。

廊下を歩くたびに警戒された視線を送られるが、それはいつも通りの光景である。

 

そう、その日の午前中まではいつも通りの日曜日だった。

 

日常が狂いだしたのは昼食の時からだった。

これまたいつも通り私とダフネはお兄様達と合流して、今度は大広間に昼食をとりに向かった。

しかし、そこには午前と同じ光景はなかった。

午前中大広間に入った時は、中にいた生徒が一斉にこっちに振り向くものの、ただこちらに視線を時々送ってくるのみにとどまっていた。

 

だが今回は違った。昼食からの数時間の間に、事態は悪化していた。

 

大広間に足を踏み入れて最初に見たのは、朝に比べて格段に少なくなった生徒たちだった。そしてその数少ない生徒たちが、あちらこちらでグループになって固まっており、皆額を擦り合わせるようにして話し合っている。それはいつもは見ない異様な光景だった。

しかし、午前と様変わりしたのはそれだけではなかった。

大広間にいる扉の近くにいた女子生徒がたまたま視線を上げ、大広間に入ってきた私に気が付く。そして、

 

「きゃああああああ!」

 

絶叫したのだ。恐怖に彩られた叫び声が大広間にこだまする。

 

あからさまに警戒するのも相当失礼だと思うが、何だか今まで以上に失礼な生徒もいたものだと思った。が、どうやらそれは彼女だけではなかったらしい。彼女の悲鳴で何事かと大広間の全員がこちらを振り向く。そして扉の前にいる私を視界に入れた瞬間、

 

「きゃああああああああ!」

 

大勢の生徒が絶叫を上げ、食べかけの昼食をそっちぬけに、大広間の端の方まで逃げて行ってしまった。

突然のことに私は唖然としながらお兄様に尋ねる。

 

「……もしかして、私の顔に何かついてますか?」

 

「……いや、何もついていないぞ」

 

現実逃避気味な質問に対する律儀な回答を聞いた後、私はとりあえず入り口に立っていても仕方がないと、大広間の中で唯一生徒が逃げ出していなかったスリザリンのテーブルに向かった。

私達が入り口から立ち退いたことで、逃げた生徒が一斉に大広間から出ていく。それをしり目に、私はスリザリン生の一人に声をかけた。

 

「すみません。何かあったのですか?」

 

私が声をかけた男子生徒は、逃げこそしないがやはり瞳を恐怖に染めていた。

 

「マ、マルフォイ様。本日はお日柄も、」

 

「いえ、そういうのはいいので。何があったか早く教えていただけますか?」

 

私への『継承者』扱いで少し苛立ちながら再び尋ねると、彼は表情を真っ青にして応え始めた。

 

「き、昨日マルフォイ様が『穢れた血』を()()されたことが、もう学校中に広まっているのです! それであいつらはあのような態度を、」

 

「ダリアは『継承者』じゃない! 何度言ったら分かるんだ!」

 

お兄様が彼の発言を遮って怒鳴る。お兄様に怒鳴られた生徒は、真っ青な顔をついには土気色にしながら続けた。

 

「も、申し訳ありません! そ、そうですよね。こんなところでは……。え、ええ。そうです。マルフォイ様は『継承者』などではありませんね」

 

どうやら大広間で私が『継承者』だとバレる発言をしたことを怒鳴られたとでも思ったのだろう。取って付けたように取り繕う彼は、そのままそそくさと大広間から出て行ってしまった。

ほとんどスリザリン生以外いなくなってしまった大広間で、私はポツリとつぶやく。

 

「……ついに、生徒に被害が出てしまいましたか」

 

「……そのようだな」

 

「でも、これではっきりしたね」

 

私に応えるお兄様の横でダフネが元気な声を上げる。

 

「ダリアは『継承者』ではないって証明できるよ! だって、私は昨日の夜ずっとダリアと一緒にいたもん! アリバイ成立だよ! さっそくあの馬鹿達に言いに行かないと!」

 

「……ダフネ。残念だがそれは証拠にはならない」

 

元気いっぱいに言ったかと思えば、じゃあ早速と走り出そうとするダフネにお兄様が待ったをかける。

 

「どうしてよ!? だって、」

 

「お前はスリザリンだ。お前の意見をあいつらが聞くことはないだろう。それに、お前はいつもダリアと一緒にいる。それに聖28一族だ。最悪お前も共犯扱いされるだけだ」

 

「そ、そんなの、」

 

「ダフネ、お兄様の言う通りです」

 

お兄様の言に、ダフネが怒り出す前に私が遮る。お兄様の言うことは正しかった。そんなことで疑いが解消できるなら、最初から私は疑われてはいない。

 

「ダ、ダリア。どうして? そんなのおかしいよ。そ、そうだ、確かに生徒はそう思うかもしれないけど、先生達なら、」

 

「ええ。確かにスネイプ先生くらいなら信じてくださるかもしれませんね。でも、ダンブルドアあたりはどうでしょう?」

 

「っ……」

 

ダフネは何も言えなくなり俯いてしまった。彼女も分かってしまったのだ。ダンブルドアがダフネの話を信じてはくれないことを。正確には、ダフネの言葉を持って証拠とはしてくれないことを。

ダンブルドアは、私がミセス・ノリスが襲われた現場にいなかったのにも関わらず、躊躇わず私を疑った。なら今回も同じだ。ダフネと一緒にいたからと言って、それが私がやっていない証拠にはなりえない。

 

そのことに気が付いてしまったダフネは、俯きながら肩を震わせている。時々嗚咽が漏れることから泣いているのだろう。私はダフネに手を伸ばしかけ、そして引っ込める。

 

「こんなの……こんなの絶対おかしいよ……」

 

沈黙した私たちの間に、ダフネの嗚咽だけが響いていた。

その様子をどこか悲しそうに見ていたお兄様が、

 

「『継承者』は一体誰なんだろうな……」

 

そう小さく呟くのを聞きながら、私は私のために涙を流すダフネを見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

だから、この後起こることはきっと罰だったのだ。

ダフネを突き放すこともせず、ただ漫然と彼女と付き合っていた私への。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「時間がないわ」

 

「ああ、そうだね」

 

作りかけのポリジュース薬をかき混ぜながら呟く私にロンが同意する。でも、多分私が言っている意味と、彼の言っている意味は全く違うものだろう。

今朝、私達は昨晩コリン・クリービーが襲われたと知った。先生達が偶然話しているのを聞いてしまったのだ。

そして、それはどうやら私達だけではなかったらしい。お昼時にはもう、昨日の事件のことを生徒全員が知るところになっていた。

 

皆ついに生徒が襲われたことに恐れおののき、そして、

 

「ダリア・マルフォイに早く吐かせないと。そうでなくちゃ学校中のマグル生まれの子が石にされてしまうよ」

 

「……」

 

皆今最も『継承者』と思われているマルフォイさんを異様に恐れるようになっていた。いたる所でされるひそひそ話。その内容は、いかにマルフォイさんから逃げるか、そんな内容ばかりだった。

しまいにはお祓いグッズまで売られる始末。どうどうとダリア・マルフォイ避けと書いているグッズまで存在していた。午前中にネビルがウィーズリー兄弟から買っているのを見つけた時は、思わず全部没収して暖炉の中に放り込んでやった。

 

まだマルフォイさんの姿を見ていないけど、きっと彼女もこの状況にすぐ気が付くことだろう。彼女はこの状況を知って、あの無表情の下で一体何を思うのだろうか。

私は、いつもの冷たい無表情でも、その瞳から静かに涙を流す様子を思い浮かべてしまった。

 

「……はやく、完成させなくちゃね」

 

決意を込めて鍋をかき回していると、突然女子トイレの中に誰かが入ってきた。

濡れた地面を踏む音に驚きながらそちらを振り返ると、入ってきたのはハリーだった。

 

「ハリー! びっくりしたわ! 腕はもう大丈夫?」

 

「うん。この通りさ」

 

そう言って元気いっぱいに腕を振り回すハリーに苦笑していると、ハリーは急に真剣な表情になった。

 

「聞いてくれ。昨日の夜、実はコリンが襲われた」

 

またその話だった。今日はどこでもその話で持ち切りなため、正直うんざりしていた。

 

「コリンについてはもう知ってるわ。だからすぐに薬を作らなくちゃと思ったの」

 

鍋に顔を戻し、ニワヤナギの束をちぎりながらハリーに言うと、彼はまた続ける。

 

「それだけじゃないんだ。実は昨日の夜、医務室にドビーが来たんだ」

 

今度こそ私は驚いて顔を上げた。ドビーといえば、ハリーの家に夏休み現れた『しもべ妖精』だと聞いていた。その場でホグワーツに帰るなと言われ、さらに彼の暴挙で監禁生活になったとも。何故彼はまたハリーにもとに現れたのだろうか。

 

「ドビーは自分がブラッジャーを操ってたと言ってた。僕をホグワーツから家に帰すために……。それとこうも言ってた。『秘密の部屋』は以前にも開かれたことがあるって」

 

どうやらドビーはまたハリーを家に帰すために来たらしい。それも今度はブラッジャーを使うという強硬手段まで使って。一体なぜそこまでしてハリーを家に帰そうとするのか。分からないことだらけだった。でも、そんな中で分かったことが一つだけある。

 

「……とりあえず、ブラッジャーの件はマルフォイさんではないと分かったわね」

 

「……まあ、そうだね」

 

私の言葉にハリーがしぶしぶ頷いていると、横に座っていたロンが意気揚々と口を開いた。

 

「確かにブラッジャーはあいつの仕業ではなかったけど。これで決まったな。ダリア・マルフォイが『継承者』で間違いないよ」

 

……何故そういう結論になるのだろう?

 

私は怒りを抑えながら顎で続きを諭すと、ロンはしたり顔でつづけた。

 

「ルシウス・マルフォイが学生だった時に部屋を開いたんだよ。そしてそれをダリア・マルフォイに受け継いだ。間違いないね」

 

議論をする以前の問題だった。何故そんな結論になるのか想像もできなかった。

 

「ロン……以前扉が開けられたからと言って、それがマルフォイさんのお父さんかも、ましてやマルフォイさんが開けた証拠にもならないわ! それはあなたの願望よ!」

 

ここまで言ってもなおマルフォイさん犯人説を言いつのろうとするロンを無視し、私は鍋の中にヒルを叩き込んだ。

馬鹿と付き合っている時間がおしかった。

 

ポリジュース薬の完成まであとわずか。後二三材料を入れるだけで完成する。でも、そのいくつかの材料が問題だった。

 

「よし。もう薬はほとんど完成したわ。後はスネイプ先生の倉庫から残りの材料を盗み出すだけよ」

 

私の前でマルフォイさんの犯人の可能性を真剣に語り合っていた二人が、この世の終わりのような表情に変わった。

 

「……ハーマイオニー。でも、どうやって?」

 

ハリーが顔を青ざめさせながら聞いた。材料倉庫はスネイプ先生の私室、そして魔法薬学教室の横にある。授業中は勿論、それ以外の時間でも、ほとんどの時間を地下で過ごすスネイプ先生に見つかるのは必至だった。

だから、

 

「気をそらすのよ」

 

私は顔の青いロンとハリーを勇気づけるためきびきびと続けた。

私も怖いけど、これをやらないと薬は完成しない。マルフォイさんが無罪だと証明できない。

 

「あなたは授業中にひと騒動起こして。その間に私が盗みだすわ。私なら前科がないし見つかっても退校処分にはならないわ。あなた達はほんの5分くらいスネイプ先生を足どめしてくればいいの」

 

私は彼らを、そして自分自身を勇気づけるために言ったのだけど、

 

「授業中に騒ぎを起こした方が殺されそうだよ……」

 

ハリーはさらに落ち込んだ様子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

12月第2週目。魔法薬の授業。

僕の薬を散々馬鹿にした後、スネイプはネビルの机の方に歩いて行った。そしてスネイプが僕に背中を向けた時、ハーマイオニーが合図を送ってきた。

 

時が来てしまった。

 

僕は嫌な音を立てる心臓を抑えながら、そっとポケットの中の花火を取り出し、杖で火をつける。

これをやってしまえばもう後戻りはできない。ばれたら最後、スネイプは僕を嬉々として退校にしてしまうだろう。でも、これをやらなければダリア・マルフォイを捕まえれない。そうすればコリンだけじゃない、もっと大勢のマグル生まれの子が襲われてしまう。その中には、ダリア・マルフォイを未だに信じているハーマイオニーもいるかもしれないのだ。

 

僕はやるしかなかった。

大切な友達を守るために。

 

火をつけて数秒、僕は狙いを定めて花火を放り投げた。そしてそれは、

 

ゴイルの鍋に着弾した。

 

ゴイルの薬が爆発し、今製作中の『ふくれ薬』がクラス中に降り注ぐ。阿鼻叫喚だった。皆一様にいたる所が膨れ上がり、中には鼻が風船のようになっている生徒もいる。

皆が右往左往しながら悲鳴を上げる中、どさくさに紛れてハーマイオニーが教室を出ていくのが見えた。

 

「静まれ! 静まらんか!」

 

スネイプが怒鳴ることで、教室は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 

「薬を浴びたものは『ぺしゃんこ薬』をやるから並びたまえ」

 

そうスネイプが告げると、皆スネイプの前に進み出た。一番被害にあってほしかったマルフォイ達に目を向けるが、どうやら薬を浴びなかったのか前に出ていなかった。

マルフォイ兄妹と、確か……グリーングラスとか言うスリザリン生はスネイプの前に出ることなく、自分たちの机の前にいた。

 

そして何故か、もめているようだった。

三人からは、

 

「見間違いです!」

 

などとダリア・マルフォイの大声が聞こえる。いつもの教室なら皆が振り返るような声量だが、スネイプが静めたとはいえまだ教室の中はざわついており、僕以外がそれに気が付くことはなかった。

 

何をやっているのだろうと目を凝らそうとするも、

 

「取ってきたわ」

 

ハーマイオニーがいつの間にか帰ってきており、僕に作戦の成功を告げたため意識がそれてしまった。見れば彼女のポケットが盛り上がっていた。

 

「やったね!」

 

小声でハーマイオニーに返してから再び視線を向けると、三人は一人になっていた。

 

そこには、俯いたグリーングラスだけがいて、マルフォイ兄妹は教室のどこにもいなくなっていた。

 

どこに行ったのかさらに探そうとするも、

 

「これを投げ入れたものが分かった暁には、そのものを吾輩は間違いなく退学処分にする」

 

突然の冷たい声に振り向くと、そこにはこちらをジッと見つめるスネイプが立っていた。その手には僕の投げ込んだ花火を持っている。

 

僕は表情を取り繕うのに必死で、マルフォイ達を探す余裕などなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

それは見たのは偶然だった。

ダフネの鍋が噴出しているのに気が付き、それを指摘したところ、

 

「ぎゃあ!」

 

女の子が出してはいけない声を出しながら火を調節しようとするダフネ。

そんなダフネをどこか微笑ましく見ていると、ふと、ダフネの肩越しにあり得ない光景が目に飛び込んできたのだ。

 

授業中にあるはずのない小さな花火が、ゴイルの鍋に飛び込んでいたのだ。

それを見た瞬間、私はお兄様の肩を掴み、机の下にねじ込んだ。

 

「ぐえ」

 

お兄様のうめき声が聞こえた時には、ゴイルの鍋が爆発した。

 

教室中に『ふくれ薬』が降り注ぐ。私はそんな中杖を取り出し……ダフネに防御呪文をかけていた。

 

……いつもの私、いや、去年までの私であれば、とっさに私とお兄様だけに防御呪文をかけていただろう。でも、私はそうしなかった。

 

私は一瞬、私の防御呪文では私達とダフネを同時に守ることができない、そう考えていた。ダフネは、私とお兄様の机の隣の机で作業している。お兄様とダフネを同時に魔法で守ることはできない。

 

そして気が付いた時には、お兄様を机の下に押し込め、そして、ダフネに防御呪文をかけていた。

 

だからこれは必然だったのだろう。私のような化け物が、家族以外に情を持ってしまった。そんな過ちのつけが、今私に降りかかったのだ。

私が去年から見ないようにしていた罪が、私に返ってきた。

 

ダフネに保護呪文をかけた私に、容赦なく薬が降る。それは少量で、しかも腕にわずかにかかっただけではあったが、確かに私にかかってしまった。

 

私に()()()()()()()()()

 

私なら()()()治ってしまう。そんな傷を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

ダリアに指摘されて慌てて鍋を見ていると、それは突然起こった。

突然の大きな音。驚いて顔を上げると、そこにはゴイルの鍋が爆発している光景があった。

降り注ぐ薬。私はいきなりのことで、とっさに何もすることが出来なかった。

でも、私に薬がかかることはなかった。ダリアが私に防御呪文をとっさにかけてくれたのだ。

 

ダリア自身を犠牲にして。

 

ダリアは、自分に防御呪文をかける前に、私に呪文をかけていた。

教室中が阿鼻叫喚に包まれる中、私はダリアの腕に薬がかかるのを確かに見てしまった。腕にかかった薬が服を溶かし、彼女の白い肌を焼き、そして膨れさせる光景を。

 

皆が体のあちこちを大きくしながら右往左往する中、私はすぐにダリアに駆け寄った。

 

「ダリア! 大丈夫!?」

 

私が慌てて話しかけた時、ダリアは困惑したように返した。まるでなんで自分がそんなことをしたのか分からない。そんな態度だった。

 

「……ダフネ。怪我はありませんでしたか?」

 

どこか絞り出すように問う彼女に、

 

「うん! ダリアが呪文をかけてくれたから、私は平気! でもダリアは!? 腕を見せて! 薬がかかったんでしょう!?」

 

そう言って無理やり腕をとって見る。

 

しかし、そこには傷など()()()()()()()()。ただ服が溶けているだけで、いつもと同じ綺麗な白があるだけだった。

確かに彼女に薬がかかるのを見たというのに。

 

「あ、あれ?」

 

私が腕を見た瞬間、ダリアは一瞬目を見開き、慌てたように腕を引っ込めた。

 

「ど、どうやらダフネの見間違いですね」

 

それはひどく狼狽した声だった。

 

「で、でも。さっき、」

 

「見間違いです!」

 

ダリアはそう大声で私の言葉を遮った。そこには明確な、今まで以上の拒絶があった。

ダリアは私を無表情で睨みつけたかと思うと、教室から逃げるように出て行ってしまった。ドラコも彼女を追いかけるように教室から出ていく。

 

「ま、待て、ダリア!」

 

取り残された私は、今更ながら思い出していた。

 

吸血鬼の特徴に、驚異的な再生力があることを。

 

すでに彼女が吸血鬼であることを私が知っているとは、ダリアはまだ知らない。

私は、思いがけずダリアの秘密に土足で踏み込んでしまったのだ。

 

私を激しい後悔が襲う。

私がダリアに友達として認めてもらうには、いつかは彼女の秘密に触れないといけない。それは分かっている。

でも、少なくとも今ではなかった。

こんなダリアが苦しんでいる時では、余計にダリアを苦しめるだけだった。

だって、彼女が私を睨んだ時。確かに彼女の眼には涙が浮かんでいたのだから。

それはまるで、迷子のような表情だったように私は思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

私は誰もいない廊下を走っていた。当たり前だ。まだ授業中の時間帯なのだから。

 

私は走った。逃げるために。

私の秘密を知ってしまったかもしれないダフネから。

 

ダフネの瞳に映っているだろう自分自身から。彼女の私に対する恐怖心から。

 

「おい! ダリア! 待て!」

 

目的もなく走っていた私に後ろから声がかかる。お兄様の声だった。

 

「……お兄様」

 

私は立ち止まり応えるが、振り返りはしなかった。

今お兄様の顔を見れば、私は泣いてしまう。そんな気がした。

誰もいない廊下に、お兄様の荒い息だけが響いていた。

 

「……ダリア。……どうしたんだ? いきなり飛び出したりして」

 

「……お兄様。わ、わたし、ダフネに見られてしまいました」

 

「……」

 

「気が動転してて……。つ、つい失念していたんです。だ、だから……」

 

呻くように話す私を、お兄様が黙って後ろから撫でてくださる。でも、私の言葉は終わらなかった。

 

「わ、わたしのことがダフネにばれてしまったかもしれません。吸血鬼だとまでは分かっていないかもしれませんが、で、でも、わたしが化け物だってことは、」

 

「そんなことはない!」

 

突然の大声に私はようやくお兄様に振り向いた。

そこには、やはり優しいお顔をしたお兄様がいた。

 

でも、今の私には、その表情が辛かった。

 

「お前は化け物なんかじゃない! お前は、」

 

「だったらお兄様。お兄様はすぐに傷が治る?」

 

言葉に詰まるお兄様。私は続ける。

 

「お兄様はニンニクが苦手? お兄様は日光で肌が焼ける? お兄様は銀で傷がつく? お兄様はトロールより力が強い? お兄様は血を飲む? お兄様は蛇としゃべれる?」

 

私は最後に囁くように言った。

 

「お兄様は……人を殺すのが楽しいと思う?」

 

お兄様は……何も言えなかった。口を開きかけては何か話そうとしていたが、結局、何も言うことはできず口をつぐんでしまった。

 

「そうですよね、お兄様。お兄様はそんなことはないですよね。お兄様は優しいから」

 

私はきっと泣きそうな声で話している、そんな気がした。

 

「……昔、お兄様は言ってくださいましたよね? 私は誰かを傷つけることを望んではいないと。だから私は化け物なんかじゃないって。でも違うんです。違ったんです。私は知ってしまったんです。私自身のおぞましさを」

 

あの日のように静かな廊下。でも、あの日は遠く、そして前提も違ってしまった。私は、誰かを傷つけることを望んでいないわけではなかった。

 

「……ダリア」

 

「去年のクリスマス。私はダンブルドアに見せられたんです。私の心の奥底にある望みを。私は……心の底では誰かを殺したがってる! お兄様も見たでしょう!? 禁じられた森で! 確かに私は初めはお兄様を守ることで頭がいっぱいだった。でも、途中からは違ったんです! 私は!」

 

私は唸るように、まるで懺悔するようにポツリとつぶやいた。

 

「私は途中から……楽しくて仕方がなかったんです」

 

あの雪の日と同じ私たち以外いない場所。同じような懺悔。

 

でもあの日と違い、やはりお兄様から答えはなかった。

 

「どうしよう……お兄様。わ、わたし、ばれてしまった。私が化け物だって。家族に迷惑をかけてしまう。きっとマルフォイ家を穢してしまう。……ダフネが離れて行ってしまう」

 

ダフネから離れなければいけない。そう思っていたのに。

 

ああ……なんて愚かなのだろう。

 

彼女に好かれまいとしていたのに……

 

私は……どうしようもなくダフネのことが好きになってしまっていたのだ。

家族に迷惑がかかるかもしれない。そのことと同じくらい、ダフネが離れて行ってしまうことを恐れる程に。

ホグワーツ生徒の全員が私を恐れようとも構わなかった。でも、ダフネに怖がられることだけは……耐えられなかった。

 

「いやだよぅ……ダフネに嫌われるなんて……」

 

「……ダリア、大丈夫だ」

 

俯いたまま涙を流す私を、お兄様はただ大丈夫と繰り返しながら抱きしめていた。

 

 

 

 

この日から、私とダフネが共にいることはなくなった。

私は……ダフネから逃げ出した。

 

 

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決闘クラブ(前編)

 

 ダフネ視点

 

朝目が覚め、重い体をベッドから起こす。気が重い。魔法薬学の日から、私の体は鉛のように重かった。

何故なら……。

そっと私は隣のベッドを見やる。つい一週間前まで、まだこの時間帯であればそこに人が眠っていた。

でも、今はいない。誰よりも早い時間に起き、人目を避けるように、私を避けるようにベッドから抜け出していた。

 

そこには、ダリアが眠っているはずだった。

 

ダリア。暗闇にいた私を救ってくれた女の子。私が最も一緒にいたかった友達。

でも、今はいない。ダリアはこの一週間、徹底的に私を避けるようになった。まるで私から逃げるように。私に嫌われようとするように。

 

どうして……どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 

答えは簡単だ。私が悪かったのだ。

私がダリアを追い詰めてしまった。

 

ダリアが吸血鬼だということはもう知っていた。でも、彼女にそれを打ち明けてはいなかった。

私がダリアの秘密を知っていると分かれば、ダリアが追い詰められると分かっていたから。

 

あの図書室での一件を思い出す。自分のしようとしたことを知った時、彼女はひどく取り乱した。ただただ自分自身を怖がっていた。

 

そんな彼女に、彼女のことを中途半端にしか知らない私が、おいそれと彼女の秘密を知っていると言う。いい結果になるとは思えなかった。

言うとしても、こんなダリアに余裕がない時期にするつもりなどなかった。

 

それなのに、私は彼女の秘密に土足で踏み込んだ。

少し考えれば分かったはずなのだ。再生力の強い吸血鬼がやけどをした時、その傷が()()()()()()()()

 

なのに、私は注意を怠った。

その結果が……今の空のベッドだった。

 

「……ごめんね、ダリア」

 

私の嗚咽に応えてくれる人間は、今はこの部屋には誰もいなかった。

部屋にはパンジーとミリセントの寝息、そして私の後悔だけが満ちていた。

 

いくら最低な気分であっても、学校では変わらず授業が行われる。授業には行かなくてはいけないし、行きたくもあった。

今、ダリアは最も遅く寝室に入り、最も早く寝室から出て行く。

夜遅くまで待つか、ダリアより早く目を覚ましたとしても、

 

「お、おはよう、ダリア」

 

「……ええ」

 

そう悲しそうな無表情で返して、私が何か言う前にそそくさと出て行ってしまうのだ。

そんな中で、確実に顔を見ることが出来る数少ない時間が授業だった。以前のように隣には座ってくれないし、こちらを全く見ようともせず、私とは離れた席に座ってはいる。でもそこだけがダリアの顔を見れるほとんど唯一の時間だった。

食事の時間も見かけはするのだけど、私達とは離れた場所の上に、すぐに食事を終わらせてまたどこかへ行ってしまっていた。

 

制服に着替え談話室に重い足取りで降りる。

早朝、本来であればまだ誰もいないような時間帯。でも、そこには先客がいた。

 

ドラコだった。

 

誰もいない談話室のソファーに座るドラコは、私と同じく陰鬱な雰囲気を醸し出していた。

意外なことにダリアは、私だけじゃなくドラコも避けているみたいだった。

話しかければ応えるものの、その話しかけるタイミングが中々つかめていない様子だった。

 

「おはよう」

 

「……ああ」

 

だから最近私達はこうして、朝誰も起きていない時間に談話室でよく会った。

おたがい、ダリアと何とか二人っきりになって話したいと思っているのだろう。この時間以外にダリアと二人っきりになるチャンスはない。授業中は人目がある上、それ以外の時間はいつもフラリとどこかへ行ってしまうのだ。行っている場所は人目につかない場所というわけではないのだけど、いつも違った場所に行っていて、どうしてもその日のうちに所在を掴むことは出来なかった。広すぎる校舎というのも考え物だ。

 

「そっちが降りてきたということは……」

 

「うん。もうどこかに行ってしまったみたい……」

 

「……そうか」

 

予想通りとはいえ、私の答えにさらに落ち込んだ様子でソファーに沈むドラコ。

私はその対面に座りながらポツリとつぶやく。

 

「……ごめんね、ドラコ」

 

「何がだ?」

 

「私、ダリアが吸血鬼だって知ってたのに、あの時そこまで気が回らなかった……。だから、」

 

私の謝罪をドラコは遮った。

 

「いや、お前のせいじゃない。そうか……ダリアが吸血鬼だってことには気が付いていたんだな……」

 

「うん。何度か血を飲んでるところを見たの……。後、去年のニンニク……」

 

「そう……か……」

 

ドラコが黙ることによって、再び談話室は沈黙で満ちた。耳に届くのは時計の時を刻む音だけ。しばらく黙っていると、ふとドラコが話し始めた。

 

「あの時、お前もダリアも気が動転していたんだ。だから仕方がなかったんだ。お前もダリアも悪くない。一番悪いのは……僕だ……」

 

ドラコは沈んだ声でつづける。

 

「あの後、ダリアは僕に言ったんだ。自分が化け物だと。自分は人殺しが好きな化け物だって……」

 

「そんなの、」

 

私はとっさに否定しようとしたが、ドラコに手で止められる。

 

「僕もそう言おうと思った。でも……本当にそれでいいのだろうか?」

 

ドラコはついに涙を流し始めた。

 

「お前も見ただろう? トロールを殺した時、後この前ピクシーを殺した時のダリアの表情を!? 確かにあれらは人間ではなかった!? でも、僕は禁じられた森で見たんだ! あの時の表情を人間にも向けているのを! 僕はそれを見ても、ダリアはそんなことしない、ダリアは本当は優しい子だ。だからあの表情は何かの間違いだ! そう思おうとしたんだ! でも、もし本当に、ダリアの言うことが正しかったとして、それを僕が否定してしまったら……」

 

ドラコは絞り出すように言った。

 

「一体……誰がダリアの味方でいてやれるんだ? 誰が……ダリアを許してやれるんだ?」

 

「ドラコ……」

 

「だから僕はダリアに何も言えなかった……。ダリアの言葉を否定も肯定もできなかった。どっちをとっても、必ずダリアが傷ついてしまうから……。でも、結果はこれだ。僕が迷ってしまったから、さらにダリアは傷ついた。これはその罰なんだ。僕はただ……それでもダリアの味方だと伝えればよかっただけなのに……」

 

早朝の談話室。ドラコの嗚咽だけが耳に届く。

 

「ごめん……。ごめん……ダリア……」

 

そう繰り返すドラコを見ながら、私も涙を流して思う。

 

ああ……どうしてこんなことになってしまったのだろう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

お父様と試合を観戦したのが、まるで遥か昔の出来事のようだった。あの時間の輝きは、もう私のどこにも存在しなかった。

早朝、まだ誰も起きていない廊下を一人歩く。生徒は勿論、先生も、そして廊下にかかった絵達すらぐっすりと眠っている。絵の中から響く寝息を聞きながら、ただ一人歩き続ける。

目的地があるわけではない。しいて言うならば、ここではないどこか。一人静かにいられる場所を求めて歩いていた。

 

ダフネに嫌われたかもしれない……。お兄様に怖がられたかもしれない……。

 

こんな風に逃げても意味はない。そんなことは分かっていた。こうして逃げ続けても、後5年以上もホグワーツで過ごさないといけないのだ。いつかはダフネに向き合わないといけない。

でも、私は怖かった。

あんなに嫌われないといけない、嫌いにならないといけないと思っていたのに。

それでも、私はダフネの傍にい続けた。そこが居心地のいい空間だったから。家族を、そしてダフネを危険にさらすかもしれないのに……。

 

だからバレた。私が化け物だって、ダフネについに知られてしまった。

 

私の異常性を知ってしまった以上、彼女は私から離れて行ってしまうだろう。誰がこんな人殺しの好きな化け物のことなど好きになってくれるのだろうか。

 

でも、ダフネはそれでも私のそばにいてくれる。そんな期待感も私の中にあった。

何故かは分からないが、ダフネはあんなにも私を慕ってくれた。だから、もしかして私の正体に気が付いても、それでも私を……。

 

そんな甘い期待感が、余計に私を苦しめていた。

ダフネならと思う気持ち以上に、ダフネでもこんな私を好きになってはくれないだろう、そう思う気持ちの方が強かったのだ。だって、私ですら私のことが嫌いなのだから。

私は、私が大っ嫌いだ。

マルフォイ家の皆は、あんなにも私を愛して下さっているのに、私はこんなにも異常だ。

お兄様だって、()()()()()()異常だったから私を愛して下さった。私が皆と違って人間ではないと知っても、

 

「人を傷つけるものって言っていたけど、別にダリア自身に人を傷つける気はないんだろう?」

 

幼い頃、雪の降る庭でお兄様が言ったことを思い出す。

あの時は違うと答えたが、本当はその言葉こそが違ったのだ。

 

私は、人殺しが大好きだ。

 

理性ではそれが間違ってる。そんなことしていいはずがない。そんな事は分かっている。

でも、実際にその時になったら、私の理性はたやすく塗りつぶされた。

動物を、人を傷つけ、そして殺すことほど楽しいことはなかった。

 

こんな化け物を誰も好きになりなどしない。

 

現にそれをお兄様に告白した時、お兄様は何も答えてくださらなかった。

それもそうだろう。そんな殺人鬼のことなんて、どんなに優しいお兄様でも受け入れてはくれないのだ。お兄様なら受け入れてくださると、私が勝手に甘えていただけなのだ。

お兄様ですら、私の悍ましさを否定できなかったのだ。

 

「ダフネ……お兄様……。お父様……お母様……ご、ごめんなさい……」

 

大好きな人たちに申し訳なくて、私は廊下に独りうずくまりながら涙を流す。

こんな所で泣いていても仕方がない。何も解決しないし、何も彼らに報えない。

 

でも……。

 

ダフネだけじゃない。今私は大好きなお兄様からすら逃げていた。

だって、どんなに期待しても、どんなにそれでも大丈夫だと言われても、

 

私のことを知った二人の瞳に、ぬぐいようのない恐怖が映っているかもしれないから。

私は、いざ彼らの瞳を覗いて、それが本当に存在していることを確かめるのが怖くて仕方がなかった。

 

だから逃げた。こんなこといつまでも続くはずがないと分かっていながら、私はお兄様達から、そして自分自身から逃げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ロンとハーマイオニーと玄関ホールを歩いていると、掲示板の前に人だかりができているのが見えた。近寄ってみるとそこには、

 

「決闘クラブ?」

 

張り出されたばかりの羊皮紙にはそう書かれていた。

僕が読み上げたのを聞きつけ、同じく掲示板を見ていたシューマス・フィネガンが興奮したように話し始める。

 

「面白そうだろう! 今夜が第一回目だ! それに、決闘の練習なら悪くないよ。()()()から逃げるのに役に立つかも……」

 

名前こそ言わなかったが、誰のことを言っているかすぐわかった。

僕も白銀の少女を思い浮かべながら応える。

 

「そうだね」

 

「……部屋の『恐怖』に決闘の練習して役に立つのかしら」

 

シューマスにうなずく僕の横で、ハーマイオニーだけは懐疑的なことを言っていた。でも、どうやら『決闘クラブ』自体には興味があるらしく、張り出しを食い入るように見つめていた。

 

「僕たちも行かないかい?」

 

ロンも乗り気だったみたいで、僕達三人は仲良く全員で行くことになった。

 

夜八時。

僕たちは再び大広間へと向かった。『秘密の部屋』事件のせいで皆不安がっている中、大勢の生徒が『決闘クラブ』に集まると予想したのだろう。普通の教室ではなく、ホグワーツ内で一番広い大広間で行われることになっていた。

そしてその予想は正しかった。

食事用の長テーブルが取り払われた大広間は、学校中の生徒が集まっているのではと思えるくらいごった返していた。真ん中の舞台の周りで、皆興奮した面持ちで杖をせわしなく触っている。

 

「いったい誰が教えるのかしら?」

 

ペチャクチャしゃべる生徒の群れに割り込みながら、ハーマイオニーが言った。

 

「フリットウィック先生ならいいわね。若いとき決闘チャンピオンだったらしいわ」

 

目を輝かせながら話すハーマイオニーに、舞台上の人物を見てしまった僕は暗い声で応えた。

 

「誰だっていいよ。あいつでさえなければ……」

 

でも、現実は非情だった。

 

「静粛に!」

 

舞台上にいたロックハートが大声を上げた。きらびやかな深紫のローブをまとい、その真っ白な歯を見せつけながらロックハートは続ける。

 

「私が提案したところ、ダンブルドア校長からこの『決闘クラブ』のお許しをいただきました! 私自身が数えきれないほど経験したように、皆さんにも自らを守るすべを身に着けてもらうためです さあ、では助手の()()を紹介しましょう!」

 

そう言って指示した先には、二人の人物が立っていた。一人は真っ黒なローブをしたスネイプ。よほどここにいるのが不本意なのか、いつにもまして不機嫌な表情をしている。

そしてもう一人は……。

 

彼女を認識した瞬間、大広間は静寂に包まれた。

 

な、なんであいつがあそこにいるんだ!?

 

舞台の上に、冷たい美貌を持った少女が上がる。彼女は、やはりいつもの無表情で辺りを見回していた。

 

「皆さんご存知、スネイプ先生です。勇敢にも手伝ってくださるとのことです! そしてこちらも皆さんご存知、学年主席ミス・マルフォイです! 彼女の優秀さをご存知のダンブルドア校長から、是非にと紹介されました!」

 

最初の騒がしさはどこへやら、痛い程の静寂の中ロックハートは意気揚々と宣言していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セブルス視点

 

「……今、なんと?」

 

「うむ。明日の『決闘クラブ』じゃが、ダリア・マルフォイと助手をしてもらえんかのう?」

 

夜遅く急に呼び出されたかと思えば、ダンブルドアはそんなわけの分からないことを言い出した。

明日、あの無能教師が『決闘クラブ』なるものをやることは知っている。『秘密の部屋』の怪物に役に立つとも、そしてあの無能から何か生徒が学べるとも思えなかったので、考えるのも時間の無駄だと考えていたのだが……。どうやら吾輩も無関係ではいられないらしい。それに、何故ダリア・マルフォイもなのだろうか。彼女もこんな無駄な時間に付き合うとは考えにくい。

 

「……何故ですかな?」

 

「なに、悪いがギルデロイだけでは少々不安でのう。明日は大勢の生徒が集まるじゃろう。皆不安じゃろうしのう。じゃからせめて、君がいれば皆多少の安心と、少々の防衛手段を学ぶことができると思ってのう」

 

ロックハートに許可を出したものの、どうやらあれでは何の役に立たないことは分かっているらしい。それに、

 

「ミス・マルフォイは?」

 

「ホグワーツ内で最も優秀な生徒は彼女じゃ。生徒である彼女ならより生徒目線でものを教えれるじゃろう」

 

そしてダンブルドアは続けた。

 

「……それに、先程も言うたが、明日は多くの生徒が集まるじゃろう。それこそ全員がのう。彼女だけ参加しないのはまずかろう。もし、その間になにかあれば……。これは彼女のためでもあるのじゃよ」

 

「あなたはまだ、彼女を疑っているのか!?」

 

気が付けばいつのまにか怒鳴っていた。彼女が優秀だからなどと言っているが、こちらが本音なのだろう。ダンブルドアは未だにダリア・マルフォイを『継承者』と疑っていた。

 

「コリン・クリービーが襲われた夜、彼女は間違いなく寮にいたと多くの生徒が証言しております! それはあなたが我輩に命じて調べたことだ! 彼女の疑いは晴れたはずだ!」

 

「……前にも言うたが、彼女がその時間別の場所にいたからと言うて、それでやっていないことにはならん。『継承者』は犯行現場におらんでも、相手を襲える方法を持っておる」

 

「……ならば、どうすれば彼女の疑いがはれるのですかな?」

 

我輩はダンブルドアを睨みつけながら言った。

 

「あなたは吾輩に、彼女が()()()()何もしていなかったら疑いが晴れると言いました。それは、一体どういう状況なのですかな?」

 

「……」

 

ダンブルドアは何も答えなかった。それが、彼の答えだった。

 

「……最初から、彼女の疑いを晴らす気などなかったのですね?」

 

今までの校長の言動を見ていたら、我輩にはどうしてもそうとしか思えなかった。ダンブルドアは明らかにダリア・マルフォイに囚われている。何故そこまで彼女に拘るかは知らないが、いつもは飄々としながらも正しい答えを導きだしていたダンブルドアが、今回ばかりは判断を誤っているとしか思えなかった。

 

「……そうではない、セブルス。確かに、トムのことでわしはダリアに少々拘りすぎていると思わんでもない。わしが今のところ彼女以外の人間を疑っていないことも確かじゃ。わしは初め、彼女があまりに学生時代のヴォルデモートに似ておるから疑った。じゃが、今はそれだけが根拠じゃないのじゃよ」

 

ダンブルドアは一息つき続けた。

 

「ルシウスに会って分かったのじゃ。ルシウスは……マルフォイ家は今回の件の何かを知っておる。いや行っておる」

 

我輩は瞠目しながら聞いていた。

 

「ルシウスが何をしたかは分からぬ。じゃが、彼が何かを行った結果、『秘密の部屋』は開いた。現に事件が起こり始めた瞬間、彼は活発にわしを学校から追い出そうと動いておる。まるで最初から準備していたみたいにのう。勿論彼が犯人だとは思っておらん。彼はホグワーツにはおらんのじゃからのう。じゃが……」

 

ダンブルドアは吾輩の目をじっとのぞき込みながら言った。

 

「ダリア・マルフォイはどうかのう?」

 

「……」

 

ダンブルドアの言葉に、我輩は何も言えなかった。

 

「ルシウスが何かしらの準備をし、ダリアが実行する。そう考えるのが自然じゃろう? それに、最近一人で行動していることが多いそうじゃのう?」

 

ルシウスと昔から親交のある私には分かってしまった。奴は根っからの純血主義者だ。彼が『秘密の部屋』を開ける手段を持っていたとして、彼は一切のためらいをもたないだろう。

私はダリア・マルフォイが関わっているかはともかく、ルシウスが何か知っていることに反論できなかった。

 

「セブルスよ。じゃからそなたには『決闘クラブ』で彼女の実力を測ってもらいたい」

 

「……彼女の実力を測ってどうするというのですか? 彼女が優秀なのはもう分かっていることでしょう?」

 

「そうなのじゃが、わしが知りたいのは彼女が一体どんな呪文を使うかじゃ。彼女の使う呪文がもし闇の魔術じゃったら……彼女をより『継承者』として疑うしかない。セブルス、やってくれるのう?」

 

どうやら吾輩に拒否権はないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

大広間に設置された舞台の上。私はロックハート先生の演説をしり目に周りを見渡す。

そこには目を見開いてこちらを見つめる生徒の群れ。

本当にホグワーツ中の生徒が集まっていますね。

今にも壊れそうな檻の中の猛獣でも見る様な視線にさらされながら考える。

 

やっぱりダンブルドアの命令など無視すればよかったかな……と。

 

朝、一人で食事をとっている時、突然見たこともないフクロウが私に手紙を届けに来た。訝しみながら手紙を読むと、

 

『ダリア、すまんが今晩の『決闘クラブ』において、君に模範を務めてもらいたいのじゃ。皆が不安を持つ中で、少しでも皆が自衛手段を持てれば皆安心じゃと思うたのじゃ。おそらく、ホグワーツ生の()()()()が集まることじゃろう。じゃが、如何せん教えるのがギルデロイでのう。彼だけでは不安もあるのじゃよ。じゃから最も優秀な君に助手をお願いしたいのじゃ。しかし君もこの前の試合の件もあって、彼と一緒に行動するのは気分が悪いと思う。そこでセブルスも助手につけておいたので、どうかよろしくお願いできんかのう?』

 

凄まじく胡散臭いことが書いてあった。あの爺のことだ。絶対にこれを額面通りにとってはいけない。

思わず破り捨ててやりたかったが、必死にそれを抑える。正直断りたかったが、ある一文が非常に引っかかった。

 

『おそらく、ホグワーツ生のほとんどが集まることじゃろう』

 

この一文を読み返した時に、私はまた行く以外の選択肢がないことを悟った。

これは遠回しの脅しだ。その時間、もし事件があれば君の疑いが深まる。奴はそう言っているのだ。

 

本当に小賢しい老害……。

 

私は今度こそ手紙を破り捨てながら、黙々と残りの食事をとるのだった。

 

そして渋々やってきた私を出迎えたのは、明らかに歓迎されていない視線の山だった。

ため息をひたすら我慢している私の横で、

 

「では、まず私とダリアが見本をお見せしましょう!」

 

そう、ロックハート先生が宣言していた。

 

……とりあえず瞬殺しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「……ねえ、ドラコ」

 

「……なんだ?」

 

「私の目がおかしいのかな? あそこにいるのがダリアに見えるんだけど?」

 

「……奇遇だな。僕にもダリアに見える」

 

私とドラコは同時に目を擦るが、やっぱりダリアであることには変わりなかった。

 

正直最初は『決闘クラブ』に来るつもりはなかった。そんな下らないことをしている時間があったら未だにホグワーツをさまよってるダリアを探しに行きたかった。

でもドラコが、

 

「ダフネ。『決闘クラブ』に行くぞ」

 

そう、私を誘ったのだ。

 

「え? でも、私ダリアを探したい……」

 

「ああ、僕だってそうだ。だから『決闘クラブ』には行くが、別に参加はしない」

 

ドラコがよく分からないことを言い出した。

 

「どういうこと?」

 

「さっき他の連中に聞いたんだが、今夜の『決闘クラブ』にはどうやら生徒のほぼ全員が参加するらしい」

 

「うん。それで?」

 

回りくどい物言いにイライラしながら先を促す。

 

「……考えてもみろ。ほとんど全員が大広間に集まっているのに、ダリアだけが参加せずによそをほっつき歩くと思うか? 今でさえ一応人目につくところは歩いているんだぞ? ダリアは人目につかない場所で事件が起こった時、真っ先に疑いが深まるのを恐れているんだよ」

 

ドラコの言う通りだった。ダリアは私達から逃げ回っていても、絶対に人目のない所には行っていなかった。以前の周りを常に警戒しているダリアなら、知っていれば嬉々として人目のない場所にいっていることだろう。でも今は違う。ダリアは人目のない場所に下手に行くことが出来ない。何かあれば真っ先に疑われるのは自分だと知っているから。

 

「成程! じゃあそこへ行けば!?」

 

「ああ! ダリアをやっと捕まえれるかもしれない!」

 

そう思いやってきたのだけど……。

 

「いるにはいたが、まさか檀上だとは……」

 

「あれじゃ二人っきりになれないよ……」

 

私とドラコは肩を落とすしかなかった。

 

「……とりあえず、参加はしとくか。もしかしたらチャンスが来るかもしれない」

 

「そうだね……」

 

再び壇上に目を向けると、丁度クズ教師とダリアが礼をしあっているところだった。

綺麗な礼をしている顔は、遠目からでも私達には疲れを感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「ロックハート……死んだな」

 

ロックハートとダリア・マルフォイが礼をしあっているのを見ていると、隣のロンがボソリとつぶやいた。僕だけではなく、おそらく大広間にいるほぼ全員が同じ感想のようだった。皆ロックハートを売られていく仔牛でも見る様な目で見ている。皆次の瞬間には、ロックハートの石像が出来上がってると思っていた。

ハーマイオニーだけはどちらの応援をしようか迷うような仕草をしていた。輝くような瞳で二人を交互に見ている。

 

ロックハートはくねくねした大げさな礼をするのに対して、ダリア・マルフォイは見ている分にはうっとりさせられるような綺麗な礼をしていた。やはり彼女は見た目に関しては抜群によかった。

 

礼が終わり、二人とも杖を剣のように突き出した。

 

「御覧のように、私達は作法に従って杖を構えます」

 

ロックハートは自分が死刑台にいるとは知らず、観衆にのんきな説明をしている。

 

「三つ数えたら術をかけます。勿論、私は手加減します。相手は学年主席とはいえただの学生です! ダリアは大船に乗ったつもりでやってくださいね! 私が華麗にさばいてあげますから!」

 

死ぬなあいつ。皆確信した。ダリア・マルフォイはいつにもまして能面のような表情をしていた。

 

「1……2……3!」

 

数え終わった瞬間、ロックハートは杖を振り上げた。でも……。

その瞬間には勝負はついていた。

ダリア・マルフォイの杖から、呪文を唱えることなく放たれた。真っ赤な閃光が、ロックハートの胸に命中する。

それが当たった瞬間、ロックハートはすごい勢いで吹っ飛んでいった。

壁に激突したロックハートはそのまま地面に横たわり起きてはこない。

 

「きゃああああ!」

 

ロックハートの近くにいた生徒が、彼が死んだと思い悲鳴を上げる。かくいう僕も奴が死んだと思った。しかし、

 

「馬鹿者。失神しているだけだ。死んではおらん」

 

スネイプのどこか嬉しそうな声が大広間に響いた。

 

「ミス・マルフォイが唱えたのは『失神呪文』だ。二年生が使える様な呪文ではない上に、それをより高度な『無言呪文』でやっている。非常に見事だ。流石はスリザリン」

 

手放しにスネイプが褒めるのを聞きながら、皆安堵した。とりあえず人死にが出たわけではないらしい。スネイプは足の先で気絶したロックハートをつつきながら、

 

「しかし……()()()()()()()君がロックハートを沈めてしまったせいで、模範にはならなかったようだな」

 

そうにやけながら言った後、

 

「ではミス・マルフォイ。次は私と決闘をしたまえ。君がどのような呪文を使うのか見ておこう」

 

真剣な表情に変わり、ダリア・マルフォイに言っていた。

それに対して彼女は、

 

「……成程。そういうことですか……」

 

何故か納得したような、どこか呆れたような声で応えたかと思うと、二人とも先程と同じように杖を構えていた。

 

一難去ってまた一難。また人死にが出るかもしれない局面がやってきていた。

 



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決闘クラブ(後編)

 

 セブルス視点

 

今、ダリア・マルフォイが杖をこちらに向けて立っている。

 

凄まじいプレッシャーだった。とても学生を相手にしているとは思えない。

まるで闇の帝王に相対しているような……。

 

そんな印象すら感じさせる冷たい空気だった。

勿論顔立ちなどはまったく違う。しかし、彼女の放つ空気は間違いなく帝王の物に似通っているのだ。

 

……確かに、この空気だけならダンブルドアがあれほど警戒するのも理解できる。

 

彼女の人間性を、彼女の家族関係、そして去年使った『死の呪文』を考慮すれば警戒するのは当たり前なのかもしれない。

 

だが理解はできても、納得は出来なかった。

 

彼女の家は確かにマルフォイ家だ。未だに親交を持っているが、同時にルシウス・マルフォイがまだ向こう側の人間だということは分かっている。今回の事件も、奴が裏で動いている可能性があると言われてもさほど驚きはない。

 

だが、だからと言ってダリア・マルフォイを完全に敵として認識することは、吾輩にはできなかった。

 

確かに彼女の今放つ空気はどこか帝王を思い起こさせる冷たいものだ。去年ハロウィーンで使った呪文も、何かを本気で殺そうと思う残虐性がなければ使えないものだ。ルシウスの件とて、彼女が完全に関係がないと言い切ることは出来ない。むしろ奴が裏でコソコソ何かしていると知って、ダリア・マルフォイこそが実行犯だと考える方がしっくりくるとさえ思える。

 

しかし、それでも吾輩は彼女を疑い切ることが出来なかった。

 

彼女は『死の呪文』を、おそらくグレンジャーを助けるために使ったのではと吾輩は考えている。いくら闇の魔法を使ったからと言って、それをもって彼女の本性を測るのは早計だ。ルシウスが裏で何かやっているからと言って、彼女が実行犯である可能性は高くとも、絶対にそうだと言い切ることは出来ない。

 

だから吾輩は、ダンブルドアと同じようにダリア・マルフォイを闇の勢力だと断じることは出来なかった。認めがたいことだが、()()()()とはいえルシウスを敵だと断じたくはないという心もあるのかもしれない。

 

だが、だからこそ。だからこそ吾輩は、今、ダリア・マルフォイの実力を測らなければならない。

ダンブルドアが彼女に固執しすぎている印象を拭い切れないが、冷静に考えると論理的には彼の方が正しいのだ。彼女を今の状況だけで見たら、限りなく帝王側の可能性が高いのは事実だ。ただ吾輩がルシウスとの親交故に納得しきれていないだけやもしれない。

 

それでも未だに彼女を信じようとする吾輩は、彼女の実力を知っておかねばならない。

 

いざという時のために。

もし彼女が本当に敵だった時、吾輩が決して油断せぬように。

 

リリーの子供に危険が及ばないように。

 

我輩はそう己を無理やり納得させ、ダンブルドアの命令通り目の前の少女に杖を構えるのだった。

 

「用意はいいかね? ミス・マルフォイ」

 

「……ええ、いつでも」

 

冷たい空気を発しながら、彼女はゆっくりと頷いた。

 

「よろしい。では、1……2……3!」

 

動いたのはほぼ同時だった。

二年生相手に無言呪文を使うのはやりすぎだが、生憎相手はただの二年生ではない。ためらいなく彼女が先程使った『失神呪文』を無言で放つ。当たればロックハートと同じように即試合終了となるが、絶対にそんなことにはならないという確信があった。

 

このような空気を醸し出す者が、これくらいで倒せるはずがない。

 

案の定我輩が放った呪文は彼女に当たる直前掻き消える。おそらく『盾の呪文』を使ったのだろう。『盾の呪文』は高学年が学ぶ呪文だ。それを完璧に使いこなす彼女に一瞬驚きそうになるが、そんな暇は全くなかった。

彼女は呪文をかき消した瞬間、もう次の呪文を唱えていたのだ。

 

『エイビス、鳥よ』

 

何十羽の烏が杖から飛び出す。スリザリン生の何人かが何か思いだしたのか悲鳴を上げていたが、それをしり目にダリア・マルフォイは続けざまに呪文を唱える。

 

『オパグノ、襲え』

 

本来であれば小さな鳥が出てくるだけの呪文だが、彼女の力によって烏が凄まじい勢いで襲ってくるという驚異的なものになっていた。並みの魔法使いならこれで終わりだろう。

だが、我輩がこの程度をあしらえぬはずがない。

 

『デリトリウス、消えよ』

 

一つの呪文でこちらに襲い掛かる烏を一瞬で消す。何十羽もいる烏を一瞬で消されるとは思っていなかったらしく、ダリア・マルフォイは少しだけ目を見開いていた。

だが流石というべきか、彼女は驚きこそすれ決して油断はしていなかった。烏が消える前にはこちらに追撃の呪文を唱えている。

 

『ペトリフィカス・トタルス、石になれ』

 

『プロテゴ』

 

『盾の呪文』で飛んできた閃光を消す。

とても去年ホグワーツに入学したばかりとは思えない技の数々。本来であれば惜しみない称賛が送られるところなのだろうが、吾輩はこの段階になって、彼女の戦いに違和感を感じ始めていた。

 

呪文が一般的すぎるのだ。

 

速さ、威力。どれをとってもとても二年生のものとは思えないものだ。

だが、飛んでくる呪文があまりにも幼稚に過ぎる。勿論、並みの二年生では扱わないような呪文ではある。だがそれだけだ。彼女の実力では全く釣り合っていない気がした。

まるで本来の実力を隠すために、あえて不得意なものしか使っていないような。そんな印象を吾輩は感じていた。

 

やはり、ダンブルドアを警戒して本来の力は出してはくれんか。

 

彼女がこのようなホグワーツ在学レベルの魔法しか使わないとは到底思えない。

だが、魔法こそ在学生レベルを抜けきらないものの、魔法を放つ速度は非常に卓越したものだ。それこそ下手な『闇祓い』にすら勝ってしまうかもしれない。尤も『死の呪文』を使いだしてしまえば、彼女に勝てるものはそこまで多くは存在しないだろう。

 

彼女が魔法を出し惜しみしていても、吾輩は彼女の実力をある程度憶測することが出来た。

 

……そろそろよかろう。ダンブルドアは納得しないやもしれないが、吾輩の目的は達成することが出来た。

 

力を抑えて戦うことが少し苦痛なのだろう。このままでは押し切れないと分かっているのか、少しだけいつもの無表情が悔しそうに歪んでいる。

優秀とはいえ、まだ自分を律しきれない未熟さも残っている。

 

いくら優秀であろうとも、力を抑えた状態で、尚且つそのような未熟さを持ったものに負ける道理はない。

 

そして、その焦りが最高潮になった瞬間、吾輩は今まで以上の速さで魔法を放った。

決闘が始まって以来最も速い動きに驚いた様子のダリア・マルフォイに魔法を放つ。

 

『エクスペリアームス、武器よされ』

 

吾輩の呪文は、彼女の腕に命中した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「は、速すぎてよく分からなかった……」

 

ハリーが私の横で呻くような声を出していた。私も呻きこそしないが、ハリーと全く同じ感想だった。

二人の使っていた呪文は、二年生では習わないものの、あまり高度すぎる呪文ではなかったように思う。お互い終始無言だった上に、あまりにも威力が高そうだったため自信ははない。

しかし、呪文こそそこまで高度でなかったにしろ、その呪文を放つスピードは驚異的なものだった。多分私なら最初の呪文の段階で負けていた。

 

「やっぱり、マルフォイさんは凄いわ……」

 

負けたとはいえ、相手は先生。先生相手にこんな決闘が出来るのだから凄いとしか言いようがなかった。どうやらまだまだ目標は遠い存在みたいだ。

でも、どうやら負けたことが彼女にとっては不満なのか、遠目には少しだけ悔しそうな表情をしている気がした。そんな彼女に杖を返しながらスネイプが言う。

 

「ふむ。詰めが甘かったようですな、ミス・マルフォイ。押し切れぬからといってあのように焦るなど」

 

「……流石です、スネイプ先生。最後の動き……はじめは手加減されていたのですか?」

 

「いや、手加減はしておらん。確かに()()()()で、ごく一般的な呪文しか吾輩は使わなかった。だが、最後は君の焦りに付け込んだにすぎんよ」

 

「そう……ですか」

 

「詰めが甘いと言わざるをえない、ミス・マルフォイ。だが、詰めが甘いこそすれ君の動きは確かに素晴らしいものだった。君が()()()()を発揮すれば、吾輩も圧倒されていたやもしれん。スリザリンに10点やろう」

 

「……ありがとうございます」

 

点数こそ貰ったが、やはり負けたのが悔しいのかマルフォイさんは少し俯きながら返事をしていた。

俯くマルフォイさんに点数を与えると、スネイプ先生は今舞台の端の方で気絶しているロックハート先生に杖を向けた。

 

『リナベイト、蘇生せよ』

 

呪文を唱えた瞬間、打ち上げられたアザラシのように置き捨てられていたロックハート先生が飛び起きる。横にいたマルフォイさんが何故か残念そうな表情をしているのをしり目に、スネイプ先生がロックハート先生に話しかける。

 

「ッは! わ、私は何を!?」

 

「ようやくお目覚めかね、ロックハート先生?」

 

馬鹿にしたような声で、スネイプ先生は話しかける。

 

「君が寝ている間に、生徒たちには必要な模範は見せましたぞ。生徒を二人ずつに組み分けしたいのだが、手伝ってもらえるかな? もっとも、君がまだ無様にそこで寝ていたいなら話は別だが?」

 

「そ、そうですか。模範は終わりましたか! いや、ダリアの放った呪文が思いのほか強力でしてね! いえ、本来ならどうにでも対処できたのですが、学年主席の頑張りを無駄にするのは可哀想だったのでね。わざと受けて差し上げたのです……よ……」

 

ロックハート先生がそう言い終わるか終わらないかのうちに、スネイプ先生から凄まじい殺気がほとばしり始めたので、最後の方は尻窄みになっていた。

 

「……で、では、二人一組になって!」

 

慌てたように言うロックハート先生の指示で、皆動き始めた。

私は最初、近くにいたルームメイトのラベンダー・ブラウンと組もうとした。ハリーもロンと組もうとしていたのだけど、

 

「それはいかん、ポッター」

 

いつの間にかこちらに来ていたスネイプ先生に止められてしまった。一緒にいたマルフォイさんはどうしたのだろうと視線を舞台に向ければ、彼女はまだ舞台の上に立っていた。どうやら彼女は模範として呼ばれこそしたが、組み分けを手伝うつもりはないらしい。

 

残念ね……もしこちらに来ていたら、彼女と組んでみたかったのに。

 

私がそう残念に思っていると、うすら笑いを浮かべている先生は、

 

「ウィーズリー、君はフィネガンと組みたまえ。ポッターの相手は……ミスター・マルフォイだ。ミス・グレンジャーはブルストロードと組みたまえ」

 

そう言ってハリーを、少し離れたところで舞台をじっと見つめているドラコの方に引っ張って行ってしまった。代わりにこちらにやってきたのは、ひどくガッチリとした体格のスリザリン生だけだった。

 

……魔法使いの決闘より、レスリングの方が向いてそうねと、なんとなく嫌な予感を覚えながら思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「ミスタ・マルフォイ。手持無沙汰のようですな。君はポッターをさばきたまえ。ミス・グリーングラスもさっさと相手を決めないか」

 

スネイプに無理やり引っ張られてきた場所には、ドラコ・マルフォイとダフネ・グリーングラスが立っていた。何をするでもなく、ただじっと舞台の上のダリア・マルフォイを見つめていた二人は、スネイプが話しかけることでようやくこちらに気が付いた様子だった。

 

「……ん? あ、ああ、先生。ごめんなさい、何か御用ですか?」

 

こちらにドラコより先に気が付いた様子のグリーングラスが、スネイプに聞き返していた。

とぼけた返事にスネイプは眉をひそめる。

 

「……今は二人ずつに組み分けている最中だ。ミスタ・マルフォイにはポッターの相手をしてもらおうと思っていたのだが……。やる気がないなら出て行ってもらっても構わんのだぞ」

 

「い、いえ! すぐに誰かと組みます!……まだ帰るわけにはいきませんし」

 

最後の方だけ小声で言ったかと思うと、グリーングラスは相手を探しに行ってしまった。スネイプもグリーングラスがどこかに行くのを見届けると、僕らの方を一瞬歪んだ笑みで見つめて去っていった。この組み合わせなら僕が最も不幸なことになるとでも思ったのだろう。

その場には僕、そして非常に迷惑そうな顔をしたドラコだけが残された。

ドラコは僕を一瞥して、再び壇上に視線を戻しながら言う。

 

「……はぁ。ポッター、今僕は非常に忙しい上に機嫌が悪い。今は正直お前の相手をしている暇はないんだ。痛い目を見たくなかったら、そこで大人しくしていろ」

 

「……怖いのか、マルフォイ? 僕に負けるのが。この前の試合も僕に負けたもんな」

 

お前など眼中にないと言った態度に、僕は思わず頭にきて言ってしまった。

僕の挑発にドラコは眉間のしわをさらに深め、視線を再び僕の方に戻していた。

 

「……いいだろう。この下らない会もまだ終わらない様子だしな。暇つぶしに付き合ってやるよ」

 

そう言ってマルフォイが僕に向き合った時、タイミングよくロックハートの声が響いた。

 

「さあ、皆さん組み終わりましたか? では、皆さん、向き合って! そして礼!」

 

ドラコも僕も、まったく礼をしなかった。

お互い頭に血が上っていた。

 

「杖を構えて!」

 

ドラコも僕もこの指示には従った。

 

「いいですか、皆さん。あまり危険なことはしないでくださいよ。事故はごめんですからね。では……1……2……、」

 

ロックハートのカウントが3になる前に、ドラコは呪文を唱えていた。

 

『リクタスセンプラ、笑い続けよ!』

 

ドラコの呪文は僕に命中し、僕はその場で笑い続けるはめになった。当然、呪文を唱えることなど出来る状態ではなくなった。

ドラコはその場で七転八倒する僕を一瞥してから、

 

「……ふん。お前はそこでそうしていろ。僕は忙しいんだ」

 

再び舞台の方を向いてしまった。笑いすぎで涙が浮かんでしまっている目でそちらを見ると、相変わらず無表情で大広間を見渡しているダリア・マルフォイが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

大広間を見渡すと、そこは混とんを極めていた。

平和的に終わっている組などほとんどない。先生がスリザリンとグリフィンドールを組ませるという暴挙に出たせいだろう。中には魔法ではなく、取っ組み合いをしている組もあった。グレンジャーさん痛そうですね……。

 

「はぁ……。仕方ありませんね」

 

あまりの惨状を見かねて、私は呪文を唱えた。

 

『フィニート・インカンターテム、呪文を終われ』

 

私が呪文を唱え終わると、大広間のあちこちで起こっていた決闘もどきが終わりを告げた。まだ続いているのは、グレンジャーさんとブルストロードによるレスリングだけだった。あそこだけは魔法学校の決闘風景ではない。割って入ろうとも思ったが、私より先にポッターがブルストロードを引き剥がしにかかっていた。

 

「ダリア、止めてくれてありがとう。私も止めようと思えば止めれたのですが、学年主席に華を持たせてあげようと思いましてね。いやそれにしても……どうやら、非友好的な術の防ぎ方をお教えする方がいいようですね」

 

私の横で、何も出来ず大声を出すだけだったロックハート先生がスネイプ先生に提案した。スネイプ先生はそれをチラリと見ただけだったが、どうやらロックハート先生はそれを肯定の意味と捉えたらしい。

 

「……では、誰かにモデルをやってもらいましょう。ロングボトム君とフレッチリー君はどうですかな?」

 

「それはまずいですな。ロングボトムでは大惨事になるでしょうな。最悪、フレッチリーの残骸を医務室に運ぶことになる」

 

そうロックハート先生の意見を却下して、スネイプ先生は楽しそうに提案した。

先生には楽しくても、私にとっては全く面白くもなんともない提案を。

 

「……ミス・マルフォイとポッターはどうかね? 学年主席と英雄殿の対決。興味はないかね?」

 

何だか面倒くさいことをさせられそうな予感がした。

 

「おお! それは名案!」

 

スネイプ先生の意見に感激した様子のロックハート先生は、私の意見を聞くことなく、ポッターを壇上に手招きしていた。

私は一言もやるとは言っていないのだけど……。

 

「……スネイプ先生。何故私なのですか?」

 

ダンブルドアと違い、スネイプ先生に私を測ろうという意図はないだろう。おそらく、純粋にポッターの無様な姿を見たいのだろう。

……私が言えたことではないけど、人としてどうなのだろう。ダンブルドアにどこまで報告されるか分からない以上、呪文をごく一般的なものしか使わないで勝負したが、やはり自分があの場で出せる全力をああもあっさりやぶられたことの悔しさもあり少しぶっきらぼうな声を出してしまった。

しかしよほどポッターをいびるのが楽しみなのか、私の様子には気づかない様子でスネイプ先生は言う。

 

「なに、君ならポッターごときが何をしようと、絶対に怪我をせんだろう?」

 

私はこちらにやってくるポッターを見やるが、ポッターの横にいたお兄様と目が合いそうだったので慌てて視線を戻した。

 

「……ええ、まあ」

 

一応先生も建前はあるらしい。

確かに、私なら彼に怪我をさせることはないだろう。他の生徒ではそうとはいかない。実力が拮抗していれば、それだけ泥仕合になりやすくなる。その点私は理想的なのかもしれない。先生のポッターをいびりたいという欲求に目をつむればの話ではあるが。

 

「それに、君は先ほどと違って、呪文を選ぶ必要はない。今から吾輩が言う呪文を唱えるだけでよいのだ」

 

そう言ってスネイプ先生が選んだ呪文は、やはりあまり褒められたものではなかった。

呪文を選別しなければいけない私にはありがたいが、これで本当によいのだろうか?

 

「……本当にその呪文を使うのですか? その呪文はただ蛇を出すだけで、別に操ることができる呪文ではないはずです。下手をすればポッターだけではなく、周りの生徒が危険にさらされますが?」

 

「構わんよ。危険だと判断した場合は、吾輩が対処をする。それに、この程度のことがさばき切れんようなら英雄ではなかろう?」

 

スネイプ先生があまりに楽しそうだったので、私はそれ以上何も言えなかった。

 

……何かあれば先生に責任をとってもらいましょう。

 

そう考えながら、私はポッターの方に渋々杖を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「や、やばいよ。ハリーが殺されちゃうよ!」

 

「相手はマルフォイさんよ? むしろ下手な生徒より安全よ。少なくとも折れた杖よりね」

 

ブルストロードに殴られた部分をさすりながら、私はロンに反論する。相手はあのマルフォイさんだ。万が一の事故も起こり得ないだろう。

 

「な、なにを言ってるんだ、ハーマイオニー! だってあいつは、」

 

「いいから! 黙ってみてましょう!」

 

まだ何か言い募ろうとするロンを黙らせ、マルフォイさんが立つ舞台に目を向けた。

目を向けると、二人は丁度向き合って杖を構えているところだった。

 

「それでは……1……2……3!」

 

先に動いたのは、やはりマルフォイさんだった。

 

『サーペンソーティア、蛇出でよ』

 

呪文を唱え終わると、マルフォイさんの杖先からどう見ても毒蛇と思しき蛇が飛び出した。

 

「ハ、ハーマイオニー! だから言ったじゃないか! ハリーが死んじゃうよ!」

 

「だ、大丈夫よ! ロックハート先生も言ってたでしょ!? これはハリーがどのように対処するかの模範よ! だからいざとなればマルフォイさんが何とかしてくれるはずよ! それにハリーにはロックハート先生もついているから大丈夫よ!」

 

ちょっと考えたものより危険な呪文に、私も少し動揺する。でも、それでもマルフォイさんがやるなら安全だと思っていたのだけど、事態は思わぬ方向に転がり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

『なんだここは!? 人間ばっかりじゃないか!』

 

スネイプ先生の指示で出した蛇は、どこか混乱した様子で辺りを見回している。

 

……だから言ったのに。この魔法は蛇を呼び寄せるだけ。別に蛇を操れるというものではない。勿論、私なら『パーセルタング』で操ることは出来るだろう。でも、それはこれ程多くの人が場所で出来ることではない。

 

「……先生」

 

私の反対側で硬直しているポッターを見かねてスネイプ先生を促す。私が対処してもいいが、元は先生が言い出したことだ。先生に対処してほしい。

 

「ふむ。やはりポッター如きでは対処できんか。仕方がない。吾輩が追い払ってやろう」

 

ポッターが慌てふためくのを見て満足した様子のスネイプ先生は、私の言葉でようやく重い腰を上げた。ポッターを煽るようにゆっくりと歩く先生。しかし、先生の思惑通りにはことは運ばなかった。

 

「いえ! スネイプ先生! 私が対処しましょう!」

 

ロックハート先生が突然飛び出し、蛇に杖をふるったのだ。

当然、彼に対処できるわけがない。蛇は2、3メートル飛んだかと思うと、消えることなく地面に激突した。

 

『うおおお! 誰だ! 誰がやりやがった! お前か! お前がやったのか! 許せん! 噛んでやる!』

 

……事態は悪化した。

蛇は鎌首を上げ、一番近くにいたハッフルパフ生、確かジャスティン・フィンチ-フレッチリーとかいう生徒に攻撃態勢をとったのだ。

 

まずい! 

 

『パーセルタング』を使うわけにはいかない私は、咄嗟に魔法で蛇を消そうとした。が、それより先に蛇に近づくものが現れた。

 

『手を出すな! 去れ!』

 

今まで向こうで怯えていたポッターが、急に前に出て話し始めたのだ。

 

ポッターは……私と同じパーセルマウスだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

蛇を大人しくすることに成功した僕は、ジャスティンに笑顔を向けた。僕は彼を助けることが出来た。だから彼も、僕に安心した顔でお礼を言うものだと考えていた。

なのに、

 

「い、いったい何の冗談だ!」

 

ジャスティンは怒った表情をして叫んでいた。

思いもよらない反応に動転していると、ジャスティンは僕が何か言う前にさっさと大広間から出て行ってしまった。

 

……ジャスティンはいったいどうしてしまったのだろう?

 

そう訝しみながら周りを見る。

 

皆僕に鋭い視線を送っていた。彼らは皆、まるで恐ろしいものを見るような表情をしている。

 

何故そんな視線を送られるのか分からず焦っていると、

 

「ハリー、こっちに来て」

 

ロンが後ろからそっと話しかけてきた。ハーマイオニーも一緒に来ており、僕の袖を引っ張っている。

 

「ハリー、はやくここから出ましょう」

 

僕としても訳も分からず送られる鋭い視線に耐えかねていたので、ロン達の意見に従うことにした。

まるで僕を避けるように割れた人垣の中を通り大広間を出る。その間、ロンとハーマイオニーも何も言ってはくれなかった。

ようやく彼らが口を開いたのは、人気のない談話室にたどり着いてからだった。

 

「君、パーセルマウスなのかい?」

 

まるで怯えたようにロンは口を開いた。

 

「パーセル……なんだって?」

 

「パーセルマウスだよ!」

 

ロンは繰り返した。

 

「君は蛇と話せるのかい!?」

 

ロンの剣幕にたじろぎながら答える。

 

「そうだけど……。でも、そんな人間ここにはいくらでもいるだろう?」

 

僕がホグワーツに入る前、一度だけ動物園にいたニシキヘビと話したことがあった。それを僕は、当時度々身の回りで起こっていた不思議な現象の一つとしか考えていなかった。

 

「ハリー、それがいないんだよ」

 

ロンは困惑した顔で続けた。

 

「パーセルマウスはね、サラザール・スリザリンしか持ってない能力なんだ。それでスリザリンのシンボルは蛇なんだよ」

 

「そ、そんな。で、でも、僕があの時止めなかったら、確実にジャスティンは蛇に襲われてたよ! だから、」

 

「ハリー。残念だけど、そうは見えなかったわ」

 

どこか悩む表情をしながら、ハーマイオニーが言った。

 

「あなたが蛇に話しかけたとき、まるで蛇をそそのかしてるようにも見えたの。勿論私達はあなたがそんなことしないって分かってるけど。でも、この『継承者』が現れた時期にスリザリンの証であるパーセルマウスを持った生徒が現れる。皆あなたが蛇をけしかけたと思ってしまうかもしれないわ」

 

「そうだよ。きっと皆君のことをスリザリンの曾久久久孫だとか言い出しちゃうよ!」

 

「そ、そんな。そんなのって……」

 

どうやら僕が知らないうちに、事態は最悪の方向に向かったらしい。

ジャスティンを助けたことに後悔はない。あの時ああしなかったら、ジャスティンは蛇に噛まれていたかもしれないのだ。

でも、それなのに僕が疑われるというのには、非常に憤りを感じざるをえなかった。

 

 

 

 

僕たち、いや、あの場にいた全員が、あまりにも唐突に悪化した事態のことで頭が一杯で、周りを見る余裕などなかった。

 

だから気が付かなかった。

僕らのすぐ後に、舞台にいたはずの白銀の少女が、大広間からこっそりと抜け出していることを。

 

彼女の表情が、いつもの無表情ではなかったことを。

 

それに気が付いたものは誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

「ふふふ……。あはははは! なんだ、答えはすぐそこにあったのですね! ああ、やっと。やっと分かるのですね! 私が何であるか! 人を殺すために作られた生き物が、何を考え人を殺すのか! それは本能なのか理性なのか。私はいったいなんでこんなにも人を殺したいと思っているのか! その答えが、今このホグワーツの中にある! 探さなくては! 問わなければ! それを理解しなくては!」

 

誰もいない図書館で、私は一冊の本を開きながら笑う。

ああ、こんなにも楽しいのは久しぶりだ。今までも、そしてこれからもきっと分からないし、ずっと私を苦しめていくのだと思ってた問題の答えが、ようやく見つかりそうなのだ。

 

だからきっと、頬を冷たいものが流れている気がするのは気のせいなのだろう。

 

「待っていてくださいね! 私が必ず見つけ出してあげますから!」

 

私はそう言って、本を本棚に戻すのも忘れてホグワーツの散歩に出かける。

今まではお兄様とダフネがいる場所から逃げるためだったが、今は目的があってホグワーツ内を歩く。

あの声を聞くために。あの声を見つけるために。あの声に問うために。

 

誰もいなくなった図書館。

その机には、

 

『バジリスク』のことが書かれたページが開かれた本だけが残されていた。

 



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新たな容疑者

ダリア視点

 

最初に違和感を感じたのは、お父様から届いた手紙だった。

『秘密の部屋』が開かれたとお兄様が手紙に書いた次の日、お父様は部屋について少しだけ書かれた手紙を返した。

 

そこには、50年前にも部屋は開かれ、多くの生徒が襲われた末、ついに一人のマグル生まれの生徒が死んだと書かれていた。

 

私はそれを読んだ時、かすかな違和感を感じた。

今回襲われた猫は、死んだのではなく石になっている。この違いはどこからやってきたのだろうか?

その違和感は次の犠牲者が出たときも続いた。次に石になったというグリフィンドール生も死んではいなかった。

最初は前回とは違い、『継承者』は別の手段を使って生徒を襲っているのではないか?

私は初めはそう考えていた。

 

でも、『決闘クラブ』で起こった光景で、私はそれとは違った結論にたどり着く。

 

ポッターが蛇語を話した時、気が付いたのだ。

 

最近ホグワーツ中を歩き回っていた私には、よく『声』が聞こえることがあった。

それはハロウィーンの時聞いた声と同じものだった。以前のように私にしか聞こえない声。あの殺意に満ちた冷たい声。

それを再び聞いた時、最近の出来事のせいでとうとう私はおかしくなってしまったのだと考えていた。

 

でも、ポッターが蛇語を話したことで、私はようやくその声がなんであるのかを悟った。正確には、彼の言葉をまるで聞き取れていない生徒たちの姿を見て、それに気が付いた。

 

私以外には聞こえない上、理解できない声。私はそれを何であるか知っている。

 

それは蛇語に他ならなかった。

 

何故もっと早くに気がつかなかったのだろうか。

もし、あの声が蛇の声だったとしたら。それがスリザリンの怪物の声なのだとしたら全てが説明できる。

『秘密の部屋』にあるという恐怖。おそらく何かしらの怪物だろうとされるものが蛇の類なら、スリザリンの『継承者』のみが操れるというのも納得がいく。怪物が蛇ならパーセルマウスにしか操ることは出来ないのだから。

あの声が怪物のものだとしたら、『秘密の部屋』が開かれただろうタイミングで突然聞こえだしたことも説明できる。姿が見えないのも、壁の中の配管でも通っていると考えることができた。

 

そして、蛇の中で生物を石にすることが出来る怪物と言ったら……。

 

初め、私は生物を石にする能力と殺す能力は別物だと思っていた。

でも、もしそれが同じ能力で、ただ殺そうとしていたのが、たまたま()()()石にしてしまっているだけだとしたら……。

猫が石になっていた廊下は、確かよく水浸しになっている場所だ。例にもれず、あの日もあの廊下は水浸しだった。

襲われたグリフィンドール生も、大の写真好きで、襲われた時もカメラを構えた状態だったという。もし、彼らがそれらを通して()()()を見てしまっていたのなら……死ぬのではなく石になってしまった理由も説明がつく。

 

視線だけで生き物を殺すことが出来る怪物。

 

そんなことが出来る怪物は、私の知る限りでは『バジリスク』しかいない。

 

それは、自分の出自を知った時から少なくない興味があった生物だった。

 

この恐るべき蛇は、非常に強い毒、そして一にらみで生物を殺す力を生まれつき持っている。その瞳を直視してしまうと、どんな生物も死んでしまうのだと言う。

 

まさにスリザリンの怪物に相応しい生物。

 

でも、私がこの生物にもっとも興味をひかれたのはその部分ではない。殺傷能力だけなら、他にもいくつか同等な力を持った生き物はいる。

この怪物には、もう一つ大きな特徴があるのだ。

 

それは……この蛇が、雄鶏の卵をヒキガエルが孵すことによってのみ生まれるというものだった。

 

雄鶏の卵。そんなものは自然界には存在しない。それは魔法によってのみ生まれうるものだ。

そしてそんなものをヒキガエルが孵す。

これが意味することは……つまりバジリスクは、恐るべき殺傷能力を持った生物として、()()()()作られた怪物ということ。

 

私と同じように。

誰かを傷つけるため、人間が作り出した恐るべき怪物。

 

「あなたなら……私が()であるかわかりますか?」

 

クリスマス前に見た鏡を思い出す。

あの鏡は、確かに私の本質を映し出していた。

 

真っ黒な杖をいじりながら、血に染まる部屋で残酷に笑う私。

 

あの時、私は自分がどうしようもない化物であることを知った。

美しい家族の中に紛れ込んだ、どうしようもなく唾棄すべき怪物。

 

でも、あの鏡はそれだけしか教えてはくれなかった。

あの鏡が教えてくれたのは結果だけ。あの鏡は、私が怪物である理由を映してはくれなかった。

 

私のこの殺人に対する憧れは、いったいどこから来ているのか?

 

何故、私はこれ程殺人にひかれているのか?

 

それは怪物としての本能なのだろうか? それとも……

 

答えはすぐ近くにある。今もこの城の中を這いずり回っている。今も誰かを襲おうと、虎視眈々と狙っている。

 

「ああ、早くあなたに会いたい。そうでなくては……私は家族に顔向けできない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

「君はスリザリンでもうまくやってゆける」

 

組み分け帽子は、去年僕にそう言った。

あの時はそんなことあるわけないと思った。今でもそう思し、断言できる。

あんなマルフォイのような嫌な奴等ばかりの寮になんて、死んでも入るのは嫌だった。

なのに……

 

「皆君のことをスリザリンの曾々々々孫だとか言い出しちゃうよきっと!」

 

僕がダリア・マルフォイが出した蛇を止めた後、ロンとハーマイオニーが僕を大広間から連れ出して言った。

 

そして、それは残念ながら現実のものになっていた。

 

次の日大広間に行ってみると、周りはその話題で一杯だった。僕を好奇の目線で見るものもいれば、警戒したような視線を送ってきている生徒も存在していた。ロンの話を聞いてみると、どうやら僕が『継承者』であるダリア・マルフォイの共犯者、もしくは僕こそが『継承者』じゃないかと言う人間がいるとのことだった。それが一体誰なのか、そしてどれほどいるのかは教えてくれなかった。

多分それこそがロンなりの答えなのだろう。

 

「まったくどうかしてるよ! 僕はダリア・マルフォイが出した蛇を止めたんだよ! そうでなきゃジャスティンは噛まれていた! なんで僕がそれで疑われないといけないんだい!?」

 

「僕もそう思うよ。でも、確かに傍から見たら君が蛇をけしかけているように見えたからね……。それにパーセルマウスは……」

 

申し訳なさそうに話すロンに、僕は少しだけ頭が冷えた。

 

「ごめん、ロン。怒鳴ったりして。ロンは信じてくれてるのに……」

 

「いいや、別にいいよ。とりあえずジャスティンにありのまま話せばいいんじゃないかな? 皆だって、昨日のことがあまりにもショッキングだから言ってるだけで、冷静に考えれば『継承者』はダリア・マルフォイ以外いないわけだし」

 

「……うん、そうだね」

 

ロンの慰めにいったん落ち着き、僕はジャスティンと会えるだろうタイミングである『薬草学』の授業を待つことにした。彼にあの時の本当の事情を伝えれば、きっと事態は好転する。皆僕が無実だってことくらいすぐ分かってくれる。

そう自分を奮い立たせながら、皆の視線に耐えじっとその時を待った。

 

……でも、そんな時間はやってこなかった。

 

大吹雪のせいで、午後の『薬草学』の授業がなくなってしまったのだ。

これで僕が授業でジャスティンに会う機会は、クリスマス後までなくなってしまった。

突然空いてしまった時間、僕たちは談話室でくつろぐことにした。でも、僕は正直くつろぐような気分ではなかった。皆から向けられる好奇と警戒の視線。そして自分がスリザリンの子孫かもしれないという疑惑。そんなもの僕は耐え切れなかった。

僕が何もできない時間をイライラしながら過ごしていると、

 

「そんなに気になるのなら、君からジャスティンに会いに行けばいいじゃないか? ハッフルパフの寮に入ることは確かにできないと思うけど、あっちも僕たちと同じで空き時間だ。図書館にだったらいるかもしれないよ? 今こうしてそこで貧乏ゆすりしているよりかはいいよ」

 

ロンが僕の様子を見かねてそう提案する。

僕はロンの提案を受け、図書館にジャスティンを探しに行くことにした。図書館にいるかどうかは賭けでしかないけど、ロンの言う通り何もしないよりは遥かにましなような気がしたのだ。

 

でも、それは結果的には失敗だった。

 

図書館にいざついてみると、ジャスティンは当然のようにそこにはいなかった。代わりに、僕らと同じく『薬草学』の休講になったハッフルパフ生達がたむろして、僕の話をしていたのだ。

それもよりにもよって、彼らは僕がダリア・マルフォイの共犯者だと考えているようだった。

 

「僕、ジャスティンに言ったんだ。自分の部屋に隠れてろって。あいつ、ポッターに自分がマグル生まれだってばらしちゃったみたいなんだよ。あいつが襲われてしまうかもしれないだろう?」

 

手前にいた太った男子生徒が得意気に話している。どうやら彼らは僕の存在にまだ気が付いていないらしい。

 

「……アー二ーはポッターが『継承者』だと思ってるの?」

 

太った子の前にいる金髪を三つ編みにした女の子が聞くと、彼は重々しく話し始めた。

 

「……いいや。『継承者』はダリア・マルフォイだと思うね。あのダンブルドアがそう思ってるんだから間違いない。まだ捕まえていないのも、きっと彼女のやった証拠を掴み切れていないだけさ。でも、ポッターはパーセルマウスだ。なら、あいつはきっとダリア・マルフォイの共犯者に違いないよ。パーセルマウスは闇の魔法使いの証だ。そんな奴が今回無関係のはずがないんだ。ポッターはマグルの家族にいじめられたから、ひどくマグルを憎んでるって聞いたことがある。多分それでダリア・マルフォイに協力してるんだよ」

 

僕が聞けたのはそこまでだった。僕はあまりにも馬鹿馬鹿しい内容に腹が立った。

 

なんで僕が蛇と話せるだけで、あんな奴の共犯者だと疑われないといけないんだ!

 

僕はついに我慢できず、彼らの中に突入することにした。

 

「やあ」

 

彼らの反応は劇的だった。僕が話しかけたとたん、表情を真っ青になっている。

 

「な、なんだよポッター」

 

太った男の子は震える声で聴いてきた。僕は顔色の悪い彼らの様子に、どこか嗜虐感を持ちながら続ける。

 

「僕、ジャスティンを探しているんだけど、彼がどこにいるか教えてくれないかい?」

 

彼らの表情はついに青から土気色になっていた。

 

「あ、あいつに何のようなのさ!?」

 

どうやら僕がジャスティンを襲うために探していると思っているようだ。僕はそんな彼らにイライラしながら話す。

 

「いやね、僕、『決闘クラブ』で本当は何があったのか説明したかったんだよ。皆勘違いしているみたいだから」

 

「か、勘違いなものか!」

 

アーニーは相変わらず震えてはいるが、大声で話し始めた。

 

「あの時僕は見たぞ! 君が蛇に話しかけてジャスティンにけしかけているのを!」

 

「けしかけてなんかいない!」

 

僕も負けずに大声を出す。

 

「僕が話しかけたから蛇はおとなしくなったんだ! 実際、ジャスティンには傷一つついてやしない!」

 

「そうだね。でも、あと少しってところだった!」

 

アーニーは頑固に続ける。

 

「さ、最初に言っておくが僕は純血だぞ! 君がダリア・マルフォイの仲間だろうと、僕が純血な限り、」

 

「君がどんな血だろうと構うもんか! 僕とダリア・マルフォイは関係ない!」

 

僕の我慢もそこまでだった。もうこんな不愉快な連中と一緒にいたくもない。

僕はこちらを睨み付けるマダム・ピンスを無視して、図書館を後にした。

 

まったく! 皆なんで僕を疑うんだ!? 僕はジャスティンを助けただけなのに!

 

僕はあまりにも腹立たしくて階段を踏み鳴らすように歩く。授業中ということもあり、誰もいない廊下を一人肩を怒らせながら歩く。ジャスティンが寮に引きこもってると分かった以上、僕は外にいる理由はなくなった。早く暖炉のある談話室に戻ろうと、そう思った。そう、思っていた。

 

でも、僕が無事に談話室に戻れることはなかった。

 

それは隙間風で松明の消えてしまった廊下に差し掛かった時だった。

お昼なのに暗い廊下。足元がよく見えない上に、僕も怒りで足元なんか見ていなかった。そのため、僕は床に転がった()()()足を取られてしまった。

しこたま打ち付けてしまった額をさすりながら、僕は怒りに任せ振り返る。

 

そこには僕が探していたジャスティンが転がっていた。

 

まるで石になったかのように硬直し、恐怖に目を見開いている。

 

「ジャ、ジャスティン!」

 

背筋が凍るような思いでジャスティンに話しかけても、当然返事はない。

僕は必死にどうするべきか考えていると、ふと、視界の端に奇妙なものが映り込んだ。

 

それは何故かいつもの透明な真珠色ではなく、黒くすすけた色をした『ほとんど首なしニック』だった。じっと動かない彼の表情も、ジャスティンと同じで恐怖に染まっている。

 

それは紛れもない、第二、第三の犠牲者だった。

そのうちの一人は、ゴーストであるのに襲われていた。

 

まるで胃がひっくり返ったかのような衝撃を受ける。

正直、ここから早く逃げ出したかった。今僕はダリア・マルフォイに次ぐ容疑者だと思われている。そんな僕がこんな所にいれば、僕が『継承者』だと決めつけられてしまうことだろう。

でも、本当に二人を見捨てて逃げてもいいものなのだろうか?

助けを呼ばなくて本当に大丈夫なのだろうか?

 

そう二の足を踏んでいる時、僕の後ろから声がかかる。

 

「おや~。ポッター。こんなところで何をしているのかな~?」

 

現状考えうる限りで最悪の相手だった。声の方を振り返ると、そこにはポルターガイストのピーブズが漂っていた。彼は授業時間にこんな所にいる僕を意地悪な瞳で見つめていたが、ふと、視界の端に同じく空中を漂っているニックを映ったことで動きが止まった。一瞬驚愕とした表情になったのち、僕の静止を聞かず、ピーブズが大声を上げる。

 

「襲われた! また襲われた! 生きてても死んでても襲われた! お~そ~わ~れ~た~!」

 

一斉にドアを開ける音と、そこから大量に人があふれだす音が廊下に響き渡る。おそらく、近くの教室という教室から生徒が集まってきているのだろう。

授業を受けていた生徒も、皆授業を放棄してでもこちらに来ている様子だった。

 

そしてものの数分で、先程まで誰もいなかった廊下は人で埋め尽くされた。

石になったジャスティン、ニック、そしてその傍らに立つ僕を遠巻きにして。

 

「き、聞いてくれ、僕じゃないんだ!」

 

僕は大声で無実を訴えるが、誰一人として僕の話を聞いている様子ではなかった。生徒だけじゃない、死んでいるはずのゴーストさえ石にする力が僕にあると、皆本気で信じている様子だった。

 

彼らの目には、僕に対する恐怖がありありと浮かんでいた。

 

今まで向けられたことのない類の視線に立ちすくんでいると、授業を放棄された先生たちがやってきた。

 

「なにごとです!?」

 

数名の先生を連れ、マクゴナガル先生が生徒を押しのけ最前列にやってくる。

先生は石になった二人に瞠目した後、他の先生方に後処理を頼んで僕に向き直った。

 

「……おいでなさい、ポッター」

 

マクゴナガル先生の瞳には、他の生徒と違い恐怖こそなかった。が、態度はどこかそっけないものに思えた。

 

「せ、先生。僕じゃないんです。僕は、」

 

「ポッター。残念ですが、私の手に負えないのです」

 

やはりそっけなく告げると、先生は黙って前を歩き始めた。黙ってついてこいということなのだろう。

僕たちが歩き出すと、人垣はパッと左右に割れる。

彼らの間を通る際、やはりほとんどの生徒達は僕のことを凝視していた。

 

それはあの時と同じだった。

ミセス・ノリスが襲われた時と同じように、僕は生徒の作った道を歩く。

 

でも、あの時と違い、皆に恐怖されているのはダリア・マルフォイではなく僕だった。

 

どうして……どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

 

僕はただ、蛇からジャスティンを助けただけなのに。ここにいたのも、ただジャスティンにその時のことを説明するためだったのに。

 

僕は苛立ち、悲しみ、そして今からどこに連れていかれるのかという不安でジッと視線を下げながら人垣の中を歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

ダリアの様子がまた明らかにおかしくなっている。

 

以前のようなはしゃいでいるというわけではない。だがかと言って落ち込んでいるのかといえば、そういうわけでもない。

 

今僕は……ダリアの表情がまったく読めなかった。

僕はどんなに表情が乏しくても、ダリアの感情をそこから読み解くことができる。家族も、そしてダフネも読むことはできるが、僕の方が細部まで分かってやることが出来る自信がある。

 

でも、今はそれが全くできない。こんなことは今まで一度もなかった。

本当の無表情。ただジッと虚空を見つめ、ここではないどこかを見つめている。

 

まるで耳を澄ませて、何かを懸命に聞き取ろうとしているように。

何かを探すように。何かを問うように。

 

これが一時的なことであれば、そんな時もあるな、と思うことが出来た。

でも、この様子が何日も続けば話は違ってくる。

『決闘クラブ』の日までは、僕とダフネを避けこそすれ別にこんな無表情を浮かべているということはなかった。あの日、ポッターが巻き起こした衝撃的な事件に目を奪われているすきに、ダリアは大広間から消えていた。そして、ダリアと話す最大のチャンスを逃してしまったことに落胆しながら迎えた次の日には……

 

ダリアの表情が消えていた。

 

わけが分からなかった。

あの日あったことといえば、ポッターがパーセルマウスだったことぐらいしか思いつかない。次の日の午後にまたポッターが問題を起こしたらしいが、その日の午前から表情はもうああなっていたので、そちらは関係ないだろう。

 

パーセルマウス。

 

スリザリンの血統のみが持っているとされる能力。ポッターだけではなく、それをダリアも持っている。

だが、ダリアはおそらくそんな能力を誇りに思っても、ましてや望んでもいないのだろう。だからこそ、ああして無表情になっているのだろうが……一体何を考えているのかまではさっぱり分からなかった。

 

でも、これだけはわかる。

 

僕の知らない所で、何かダリアにとってよくないことが起きている。

 

それだけは、僕にも確実に分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

玄関ホールの掲示板には、ほとんど生徒全員の名前が書き込まれたリストが掲げられている。

 

クリスマス休暇に向けた、ホグワーツ特急の予約リストだ。

 

数日前まで、このリストに書かれた名前はここまで多くはなかった。

しかし、ジャスティンとニックが襲われた次の日には、このリストは埋め尽くされていた。

 

ゴーストさえ石にしてしまう謎の力。今まであった漠然とした不安が、明確な恐怖となるには十分な出来事だったのだろう。

そしてここまで生徒がホグワーツから逃げ出したいと思う理由が……

 

ダリア・マルフォイと僕の名前がこのリストに入っていないということだった。

 

「パパがクリスマスにあいつが家にいないことを悔しがっていたけど、これでハッキリしたな。こんな時にホグワーツに残るなんて。やっぱりあの兄妹は疑わしいよ。パパはパパであいつらの父親を捕まえて、僕らは僕らであいつらの尻尾を捕まえてやろう。あいつが『継承者』だって分かれば、おのずとあいつの隠し持っている物も分かるだろうし」

 

ロンはそう言って、僕達とマルフォイ兄妹、そしていつもあいつらと一緒にいるクラッブ、ゴイル、グリーングラスだけが残る状況を喜んでいた。これでポリジュース薬さえ完成すれば、あいつらに最高のクリスマスプレゼントを送れると。

けど、僕は正直複雑な気分だった。僕らと彼らだけが残る状況に、素直に喜べなかった。

 

皆が帰る理由に、ダリア・マルフォイだけではなく僕がホグワーツに残ることも含まれているからだ。

 

結局、僕はジャスティンとニックが襲われた日、特に何かお咎めを受けるということはなかった。

マクゴナガル先生に連れていかれた校長室で、『組み分け帽子』に余計なことを言われたり、部屋にいた『不死鳥』が突然燃え上がるなどのハプニングこそあったが、無事ダンブルドアに無罪放免を言い渡されたのだ。

ダンブルドアはやっぱり偉大な人物だった。僕が何か言う前から僕のことを疑ってなどいなかった。

 

でも、生徒はそうではなかった。

 

ダンブルドアから犯人ではないというお墨付きを貰いこそしたが、どうやら皆は僕を犯人だと思わざるを得ないらしい。

皆廊下で出会う度、僕を避けて通るのだ。まるで僕に触れると石になる。そう言いたげな態度だった。

唯一の救いは、同じグリフィンドール生の皆は僕を信じてくれていることだった。スリザリンも信じてはいない様子だったけど、彼らのそれは善意からくるものではない。

ロンとハーマイオニーは勿論、他のグリフィンドール生も僕を『継承者』だとも、ダリア・マルフォイの共犯者だとも思っていなかった。

フレッドとジョージにいたっては、この状況を楽しみだしている節さえあった。

僕の周りに纏わりつき、

 

「おい! ハリー様のお通りだ! ハリー様は今お急ぎである! 今から『秘密の部屋』でお茶をお飲みになるのだ!」

 

そう言って廊下を行進するのだ。おそらく、これは彼らなりの励ましなのだろう。彼らは僕が『継承者』などと考えるのは馬鹿馬鹿しいと思っているのだ。

それに、二人が僕にこっそり言ったことがある。

 

「ハリー。元気だしな。皆馬鹿だぜ。ハリーが『継承者』なんてあり得ないのにな。君が誰かを石にできる程優秀なわけがないだろう?」

 

「本当にな。それに……ここだけの話、犯人はダリア・マルフォイで決まりだぜ。ちょっと方法は企業秘密だが、あいつが最近夜中にホグワーツ内をうろついているのを僕らは()()()()()()()。……方法が方法だから先生達には言えないけど。まあ、ハリーにはいずれ教えてやるよ」

 

そんなグリフィンドールの仲間たちの励ましもあり、僕は何とか正気を保つことが出来ていた。彼らがいなかったら、僕はあまりの理不尽さに頭がどうかしていたかもしれない。

 

だって、

 

『ふ~む。君は私が組み分けを失敗したのではと心配しているね?』

 

校長を待つ間、僕は自分がスリザリンの血筋なのではという不安から被った帽子の言葉を思い出す。

 

『確かに……君の組み分けは難しかった。しかし、わたしが君に言った言葉は変わらんよ。……君はスリザリンでもうまくやってゆける』

 

『そんなことはない! あなたは間違っている! だって、僕はあんな連中とは違う! あんなマルフォイみたいな連中とは、』

 

『ふむ。マルフォイ家は今年二人おったのう。一人はスリザリンですぐ決まったが、もう一人は君と同様非常に難しかった。今思えば、君と彼女は非常に似通っておった』

 

『……どういうこと?』

 

『彼女も君と同じく非常に類まれなる未来を持っておった。恐れを知りながら進む勇気。じっと時を待つ忍耐力、そして素晴らしい知識欲、才能。そしてどんな手段でも目的を達しようとする狡猾さ。君と同じじゃよ。彼女と君は非常に似通っておる。ただ彼女はスリザリンを選び、そして君はグリフィンドールを選んだ。それだけのことだ』

 

あの時帽子は一体何を言いたかったのだろうか。

僕があんなマルフォイ家の奴に似ているはずがないのに、なのに帽子は僕とダリア・マルフォイは似ていると言った。

 

そんなはずはないと何度も否定する。

でもその度に、僕の頭の中で僕がささやく。

 

僕はパーセルマウスだろう。そんなスリザリンの証を持ってる僕が、スリザリンの資質を持っていないわけがないじゃないか。

 

皆から向けられる警戒の視線。そして自分の中に生まれた、本当に自分はグリフィンドールなのだろうかという迷い。

いくらグリフィンドールの皆が信じてくれると言っても、これらが僕の心をゆっくりと蝕んでいた。

 

でも……もうすぐこの状況に終わりが来る。

 

ハーマイオニーが、ようやくポリジュース薬を完成させたのだ。

 

これでダリア・マルフォイを捕まえることが出来るのだ。

 




ダリアちゃんは今城中を昼夜問わず歩き回ってます。


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ポリジュース薬(前編)

 ハーマイオニー視点

 

いつからだろう。

 

一体いつから、私はマルフォイさんに惹かれていたのだろう。

 

彼女を初めて目にしたのは、ホグワーツ特急の中だった。

初めて彼女を見た時、私は彼女から非常に冷たい印象を受けた。

まるで流れるような美しい白銀の髪。真っ白な肌に薄い金色の瞳。

何もかもがまるで雪の様に真っ白だった。そしてその少し鋭い目つきや無表情と合わさって、同じ人間とは思えないほど美人ではあったけど、やはりどこか氷のように冷たい印象を持たざるを得なかった。

 

でも、冷たいのは容姿だけだった。

 

今でこそグリフィンドールの皆は私を優しく迎え入れてくれているけど、入学当初はそうではなかった。勿論入学当初の私は、今考えると非常に嫌な女だったと思う。魔法を知る前の私と何も変わらない。ただ他人に押し付けるだけ。子供っぽい正義感を持て余しているだけの子供だったと思う。

でも、それでもマルフォイさんだけは、私のことをしっかり見てくれていた。

私が孤立し、私が一番つらかった時に、彼女は私の努力をいつも認めてくれた。私の実力を、嫉妬も偏見もなく見つめてくれたのは彼女だけだった。グリフィンドールではなく、敵であるはずのスリザリンの彼女が……。

彼女は他寮だったため、そこまで多くの時間触れ合ったわけではない。でも、そんな少ない時間だけでも、彼女は私を励ましてくれた。私に初めての憧れと目標をくれた。

 

彼女は、いつだって私を助けてくれた。

 

ハロウィーンの夜、私はトロールを見て死を覚悟した。誰にも相手にされず、誰にも求められることなく、ただ孤独に死んでいくのだと思った。

でも、マルフォイさんが助けに来てくれた。

あの時、トロールの後ろから現れた彼女は、私には何よりも美しく見えた。相変わらず無表情だった上に、最後には距離をとられてしまったけど、彼女はあの瞬間、間違いなく私の救世主だったのだ。

今思えば……あの時からマルフォイさんへの気持ちが、憧れから違った感情に変わっていたのだと思う。私より何もかもが優れている彼女に、もっと近づきたい、対等になりたいと思っていたのは、今多い返せば彼女への憧れからではなく、もっと別の感情からだったのだと思う。

 

その気持ちが何であるか気づいたのは……二年生になってからだった。

 

マルフォイさんの兄であるドラコに、

 

「この『穢れた血』め!」

 

そう言われた時、私は思い知った。今まで漠然としか考えていなかったものを、私は初めて深く実感した。

マルフォイさんの言動、そして私に対する行動を考えれば、彼女が純血主義でないことは分かってる。

でも、彼女の周りは違うのだ。

彼女が所属しているスリザリンは勿論、彼女の家族も純血主義一色なのだ。

 

彼女と私では、絶望的に取り巻く環境が違う。

 

それを認識した時、私は『寂しい』と感じていた。

彼女にどんなに憧れていても、決して私と彼女が交わることがないかもしれない現実に。私は確かな喪失感を感じていた。

その時、ようやく私は自分の気持ちの変化に気が付いた。今まで言葉に出来なかった気持ちに、ようやく理解が追い付いた。

 

彼女はもはやただの『憧れる目標』ではなく、『どうしても友達になりたい』人間になっていたのだ。ハリーやロンと同じような、そんな唯一無二な親友に。

 

彼女ともっと話がしたい。彼女ともっと一緒にいたい。

彼女と、友達になりたい。冷たい容姿、そしてどこか拒絶している態度とは裏腹に、いつもさりげなく私を助けてくれる。そんな彼女と……。

彼女に追いつきたい、彼女と対等な存在でありたいという考えは、私なりの彼女と友達になりたいという思いからだったのだ。

 

でも、そんな気持ちに気付いたとしても、結局環境が変わるわけではない。私はグリフィンドールで、彼女がスリザリンであることに変わりない。彼女の環境が、マグル生まれである私との交流を許すとは思えなかった。

それが私には寂しくて仕方がなかったのだ。

 

そんなことを悶々と考えている時に、事件は起こった。

 

『秘密の部屋』が開かれたのだ。

 

『秘密の部屋』が開かれたと言われても、最初はそれが何を意味するのか分からなかった。『秘密の部屋』という単語には聞き覚えがあったのに、その中身についてすっかり忘れていた。でも、その意味をすぐ思い出すことになる。それを思い出させてくれたのは、やはりマルフォイさんだった。

 

「貴女は今後気をつけたほうがいい」

 

無表情ながら、どこか心配そうに彼女は言った。ハリーとロンは、いつもの冷たい彼女だと言っていたけど、私には彼女の表情がはっきり見えていた。

いつものように、そっけなくはあっても、そっと私のことを心配してくれていたのだ。

マグル生まれの私が狙われやしないかと、スリザリンである彼女が心配してくれていた。

 

嬉しかった。周りが許さなくても、相変わらず彼女なりに私を心配してくれることが、嬉しくて仕方がなかった。

 

なのに……真っ先に『継承者』だと疑われたのは、私の心配をしてくれたマルフォイさんだった。

理由は彼女の冷たい容姿、家、そして何より……彼女のことをダンブルドアが疑っているということだった。

 

ダンブルドア……私が魔法について勉強した時、最初に知った最も偉大な魔法使い。

 

魔法に関しての様々な研究を行い、その中には去年私達が守った『賢者の石』も含まれている。そして研究の分野だけではなく、『名前を言ってはいけないあの人』が現れる前は最も危険な闇の魔法使いとされていた、『ゲラート・グリンデルバルド』に勝利する偉業も達成している。

まさに20世紀で最も偉大な魔法使い。グリフィンドール寮出身ということもあり、私が最も尊敬する人物であることは間違いない。

 

でも……そんな偉大な人物がマルフォイさんを疑っている。

 

正直信じられなかった。マルフォイさんはミセス・ノリスが石になった時あの場にはいなかった。よしんばあの場に彼女がいたとしても、彼女はそんなことをする子ではない。私には偉大な魔法使いも今回ばかりは思い違いをしているとしか思えなかった。

 

しかしそんな私の思いとは裏腹に、ハリーとロンはマルフォイさんが犯人だと思っている。それどころか二人だけではなく、ホグワーツにいるほとんど全ての人間が彼女を疑っていた。マルフォイさんと同じスリザリン生ですら、彼女を『継承者』だと信じ、恐れ敬っているという話だ。

 

彼女の味方は……ごくわずかだった。

 

おかしいと思った。何故彼女が疑われないといけないのか分からなかった。

彼女が苦しんでいるかもしれないと考えると、居ても立っても居られなくなった。

 

だから証明しようと思ったのだ。

彼女が『継承者』などではないということを。

いくら校則を破ったとしても、それだけは私がしないといけないことだ。

いくら周りが許さないからと言って、彼女と友達になりたい私が、彼女を見捨てていいはずがない。

彼女は私をいつも助けてくれた。彼女はいつだって私を励ましてくれた。

だったら、今度は私が彼女を救う番だ。

 

だから……

 

「……完成」

 

証明するのだ。

このポリジュース薬を使って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

誰もいない廊下をただ一人歩く。クリスマス休暇が始まり、廊下には人っ子一人存在しない。窓の外は雪が降り続けており、城は今銀白色に覆われている。

静寂に包まれた城を、私はただひたすら歩き続ける。

 

この静寂の中に、あの声が響くのを待ち望みながら。

 

私は自分自身のことが分からない。あんな悍ましい望みがあることだって、校長に鏡を見せられるまで知らなかった。そして知ったからといって、何故そうであるかは相変わらず分からないままだった。

 

私は私自身のことが分からない。知るすべがない。

 

だから問うのだ。

あの声に。あの怪物に。あの私と同じ存在に。

怪物が何者であるか。……私が何者であるかを。

そうしなければ……私は安心して家族の近くにいることが出来ない。

 

あの鏡を見て、私の心は自分の正体を知った時に戻ってしまっていた。得体の知れない自分の体と心。今まで信じてきたものが足元から崩れていく感覚が堪らなく恐ろしかった。

それでも自分を必死にごまかし、自分自身からずっと目をそらし続けてきた。そんなはずはない、私は家族を傷つけたりなどしないと。

でも、ダフネに体のことがばれてしまい、もう自分から逃げ出せれなくなってしまった。自分から逃げても逃げても恐怖が追いついてくる。ダフネに私のことがバレた、私が怪物だと知られてしまったと考えるだけで、私はどうしようもなく自分が許せなくなる。あの私を優しく見つめる瞳に、ぬぐい切れない恐怖が映っているかもと思うだけで、私は怖くてたまらなくなる。

自分が何者かも知らないまま、無自覚に、無責任にダフネや家族の近くにこんな怪物を解き放っている自分自身が許せなかった。

 

人を殺すことが好きな怪物を、一体誰が大切な人の近くに置きたがるだろうか。少なくとも私はそれを許さない。

 

ああ、今思えばクリスマスに家に帰らないのは正解だったのかもしれない。

こんな状態の私を見せれば、お父様達はさぞ心配されることだろう。

きっとお母様は優しく抱きしめてくださるだろう。きっとお父様は優しく頭を撫でてくださるだろう。私を安心させようと、二人は私を優しく包み込んでくれるだろう。

 

私は、こんなにもおぞましい生き物であるのに。

 

私の中で、私自身がそっと囁く。

家族ならきっとこんな私を受け止めてくれる。私を許してくれる。大丈夫。今までマルフォイ家は私のことを愛してくれていたではないか。だからこれからだって……。

 

でも、また心の中で私が囁く。

本当にそうなのだろうか? お父様達は本当の私を知らないだけ。知ってしまったら、お父様達は本当に私を愛してくれるのだろうか? 

 

現に、お兄様は本当の私に何も言えなかったではないか。

 

あの時、お兄様はそっと私を抱きしめてくださった。そしてただ大丈夫だと、私を安心させるように声をかけ続けてくれた。

でも、お兄様は私の心について何もおっしゃらなかった。

優しいお兄様のことだ。何があっても私を見捨てようとはされないだろう。

 

でももし、それが本心ではなかったら? 兄だからという義務感でしかなかったら? お兄様を見上げた時、お兄様の瞳に恐怖が映りこんでいたら?

 

そんなことはないという期待感と、そんな優しい家族ですらという自己嫌悪が鬩ぎあい、私を苦しめる。

こんな風に悩んでいても意味はないことは分かっている。こうやって逃げ続けていても、お兄様に迷惑をかけるだけだ。

でも、私にはどうすればいいかわからなかった。私自身、自分のことが分からないのに、一体どう向き合えはいいのだろうか?

 

でも、今は違う。

答えは私の中ではなく、外を今も這いずりまわっているのだ。

 

あの声に問えば分かるかもしれない。

 

私が一体何であるか。私の生まれてきた意味は何であるのか。

 

それが分かるまで、私は家族の近くに安心していることが出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

目覚めは最高の気分だった。休暇に入ったことで、僕に向けられるあの警戒の視線はどこにもない。思いのままグリフィンドール塔で過ごすことが出来る。

 

でも、目が覚めると同時に視界に入ったクリスマスプレゼントの山に、少しだけ気持ちに陰りが生まれる。

ベッドの横にできていたクリスマスプレゼントの山の一番上に、ウィーズリーおばさんからのものがあったのだ。おばさんからの手編みのセーターは、いつもらっても本当に嬉しい。両親がいない僕には、それこそが家族の温かみそのものに思えたからだ。

でも、僕は今それを素直に喜びきれなかった。

車の件で多大な迷惑をかけてしまった上に、今夜再びロンと校則を破ろうとしていることが、とても申し訳なかったのだ。

 

ホグワーツのクリスマス・ディナーは去年も味わったし、そしておそらく今後も味わうことになると思う。でも僕がこのクリスマスに飽きることはないだろう。

クリスマスツリーが何本も立ち並び、ヒイラギとヤドリキの小枝が飾られ、天井からは魔法で温かい雪が降り注いでいる。そしていつになく豪華なメニューは、これからポリジュース薬を飲むことを忘れるくらい素晴らしい出来だった。

唯一気になることといえば、今回の最大の目標であるダリア・マルフォイが大広間に来ていないことだった。他のスリザリンのメンバーは、皆何故か暗い表情ながら席についてはいたが、彼女だけはどこを見回してもいなかった。今頃どんな悪だくみをしているかは分からないが、休みの間でも寮の門限は存在する。きっと食事が終わる頃にはあいつも談話室にいることだろう。上手くいけば、あと数時間であいつは罪の報いを受けることになるのだ。

 

そしてクリスマス・ディナーが終わり、いよいよその時間がやってきた。

ハーマイオニーに追い立てられるように入った女子トイレで、僕たちは最後の詰めを行う。

 

「ポリジュース薬はもうほとんど完成しているわ。でも、二人とも知ってる通り、まだ材料が一つだけ足りてないの」

 

「……あいつらの一部だよね」

 

厳かに話すハーマイオニーに、ロンがいかにも憂鬱だと言いたげな表情で応える。

 

「そうよ。だからあなた達は、今からクラッブとゴイルの髪の毛を取ってきてほしいの。あの二人なら簡単だろうしね」

 

そう言ってハーマイオニーは、ポケットの中から二つほどチョコレートケーキを差し出した。

 

「眠る薬が入っているわ。これを二人の目の前に置けば事足りるわ。後は髪の毛を二三本もらって、二人を箒用の物置にでも突っ込んでおいてくれたらいいわ」

 

「……」

 

あまりにも杜撰な計画に、僕もロンも開いた口が塞がらなかった。こんな計画がはたして上手く……

 

いってしまった。

 

今僕とロンの目の前には、廊下で眠りこけているクラッブとゴイルがいた。

玄関ホールにチョコレートケーキを配置していると、大広間から出てきた二人は何の躊躇まなくケーキを口にしたのだ。

あまりにも馬鹿な二人に、僕とロンは呆れとも喜びともつかない感情を持ちながら、容赦なく髪を数本引っこ抜いた。

そして巨大な二人を何とか物置に押し込めると、急いで『嘆きのマートル』のトイレに駆け込む。

 

「取ってきたの?」

 

鍋をかき混ぜながら尋ねるハーマイオニーに、とれたてほやほやのクラッブとゴイルの髪を見せる。

 

「よかったわ。ああ、服はこちらで用意しておいたわ。洗濯物置き場から取ってきたの。()()()服は多分入らなくなると思うから」

 

三着ほど巨大なローブを僕たちに見せる。僕たちはそれぞれ個室で着替えると、皆ぶかぶかのローブで外に出てきた。ハーマイオニーもどうやら体の大きな人物に変身するつもりらしい。

 

「そういえば、君は誰の髪を使うの?」

 

「これよ」

 

ハーマイオニーは小瓶をポケットから取り出した。よく見ると、中には髪の毛が一本入っているようだった。

 

「これはミリセント・ブルストロードの髪よ。決闘クラブで取っ組み合った時、彼女の髪を少し引っこ抜いていたの。彼女も家に帰ってるから鉢合わせることはないわ」

 

確かにブルストロードはお世辞にも小柄だとは言えなかった。

そう話しながら、彼女は鍋の薬を三つのグラスにとりわけ始める。グラスの中の薬は黒っぽい泥のようで、とても飲めるような代物には思えなかった。

 

「では最後の仕上げよ。ここに各自の髪の毛を入れてちょうだい」

 

指示のまま髪の毛を入れると、ブルストロードの物は黄色に、ゴイルの物はカーキ色、そしてクラッブのものは暗褐色になった。

……もっと飲みたくない色になってしまった。

 

「そ、それじゃあ飲むわよ」

 

この中で一番やる気に満ち溢れているハーマイオニーではあったが、どうやら流石にこの薬を飲むのには抵抗があるらしい。顔を盛大にしかめながら、味を感じる前に飲み干してしまえと言わんばかりな勢いで薬を飲みほしている。

僕も毒を飲むような気持で薬を流し込む。

 

飲み込んだ瞬間、体中が焼けるような感覚に満たされる。まるで全身が溶けてしまうような気持ちだった。あまりの気持ち悪さに四つん這いになると、僕の目の前で手が大きく、そして太くなり始めていた。両肩はベキベキと広がり、胸囲もみるみる大きくなってゆく。

 

そして痛みが完全に消えた時には、僕の姿はクラッブに変わっていた。

 

横を見ると、ゴイルとブルストロードもいた。

 

「ロン? ハーマイオニー?」

 

「え、ええ。ハリーよね?」

 

「うん」

 

驚いたことに、僕らは声まで本人のものに変わってしまっていた。少しの間僕らは自分の変わり果てた姿に硬直していたが、ブルストロードの姿のハーマイオニーがハッとした表情になって言った。

 

「こんなことしている場合ではないわ! この薬、一時間くらいしか効果がないのよ! さあ、行くわよ!」

 

時間がないとハーマイオニーにせかされ、僕らはトイレから出る。スリザリン寮の場所自体はハーマイオニーが知っているらしく、その足取りに迷いはない。

……ただ、最後の最後に問題が生じた。

 

「合言葉は何かしら……」

 

「ハーマイオニー……」

 

ハーマイオニーは、最後の最後で詰めが甘かった。スリザリン寮の入り口にたどり着いたものの、その合言葉を調べ忘れていたのだ。

ハーマイオニーに任せきっていた僕に言えたことでないけど。どうしてこんな重要なことを忘れてしまうのだろうか。

 

「ど、どうするんだ!? ここまで来ておいて!」

 

「し、仕方がないじゃない! 薬を完成することで頭が一杯だったのよ!」

 

「おいおい! 君は、」

 

最後の最後で失敗したハーマイオニーに文句を言おうとするロンのわき腹をつついて黙らせる。

 

何故なら、

 

「クラッブ、ゴイル。あと……ミリセント? あなた、家に帰ったんじゃなかった?」

 

ダリア・マルフォイの取り巻きの一人、ダフネ・グリーングラスが廊下の向こうから現れたのだ。大広間で見た時同様どこか疲れた様子の彼女は、訝し気な様子でこちらを見つめている。

 

「あ、ああ。家で少し問題があったの。だから急遽ホグワーツに戻ることになって……」

 

「そっか。で、なんでこんな所で固まってるの?」

 

グリーングラスは未だに不思議そうな表情を浮かべながら、今一番聞いてほしくないことを聞いてきた。背中を嫌な汗が流れている僕をしり目に、ハーマイオニーもどこか慌てた様子で応える。

 

「え? あ、合言葉を忘れてしまって。……クラッブとゴイルが」

 

「……あなたは覚えてるでしょう?」

 

「う、うん、まあ。で、でも、クラッブとゴイルを甘やかしてはいけないと思ったから」

 

大分苦しい言い訳だった。しかし、どうやら僕達にそこまで興味がなかったのか、グリーングラスはなお訝し気にしていてはいたが、

 

「……クラッブとゴイルには悪いけど、私はさっさと入らせてもらうね」

 

入り口に向き直る。

 

「純血」

 

そしてスリザリンの合言葉と思しきものを告げた。

扉の方を向くグリーングラスの後ろで、僕らはそっと安堵の息をもらす。

一時はどうなるかと思ったが、何とかスリザリンの談話室に入ることが出来る。

 

グリーングラスに続いて中に入ると、そこは緑色のランプに照らされた部屋だった。壁と天井は荒削りの石造りで、前方には壮大な彫刻が施された暖炉がある。

 

そしてその前のソファーに、

 

「ドラコ……。ダリアは?」

 

「まだだ……」

 

ドラコ・マルフォイがグリーングラス同様疲れ果てた表情で座っていた。

 

ダリア・マルフォイは、談話室の中にはいなかった。



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ポリジュース薬(中編)

 ドラコ視点

 

マルフォイ家では、クリスマスに小さなパーティーを開く。

パーティーと言っても、家族だけしかいないものだ。父上としては、クリスマスに純血貴族を集めて盛大なものをやりたかったらしいのだが、母上とダリアがあまり大規模なものに出たがらないために、内輪だけのものに切り替えたのだそうだ。

 

マルフォイ家にとって、クリスマスとは家族で過ごす日だった。

だからこそ、ダリアはクリスマスを本当に大切な日だと考えている。

 

そしてそれはホグワーツに入学してより顕著なものになった。

ホグワーツに入学してから経験したクリスマスは一度だけだが、そこでしか父上と母上に会うことが出来ないということで、ダリアはより一層クリスマスを待ち遠しく思っていたのだろう。

 

だが、そのクリスマスが唐突に奪われてしまった。あの忌々しい『血を裏切るもの』のウィーズリーに。

僕達は、クリスマスに家に帰れなくなってしまった。

 

ホグワーツにいても家族からのプレゼントは届く。実際今日僕のベッドの横にもプレゼントの山ができていた。しかし、ダリアにとってクリスマスはプレゼントをもらう日ではなく、大切な人と過ごす日なのだ。クリスマスを奪われるということは、ダリアにとって家族との時間を奪われることと同義だった。

だからこそ、今年のクリスマスに帰れないと知って、ダリアは柄にもなく取り乱した。父上に説得されても、やはり落ち込んだ雰囲気を醸し出していた上、特急の中でダフネが来なければ、おそらくホグワーツに着くまでずっとダリアは落ち込んでいたことだろう。

 

それが曲がりなりにも元気を取り戻したのは、ダフネのお蔭だ。

 

他者と関りを持つべきではないと考えているダリアは絶対に認めないことだろうが、ダリアはその実ダフネのことを非常に気に入っている。一年しか一緒にいないが、自分自身を純粋に慕ってくれる同年代というのはダリアにとって新鮮かつ、非常に居心地がいいものだったのだろう。

そんなダフネが一緒にクリスマスを過ごしてくれると知って、家族と過ごせない悲しみはまだ残っていただろうが、ダリアの表情は多少明るいものに変わっていた。

 

確かに今年のクリスマスを家族と過ごすことが出来なくなってしまったのは、未だに残念に思う気持ちはある。だが、そんな状況でも多少今年のクリスマスを楽しみに思える気持ちを持っていたのは確かだった。僕とダフネ、そしてダリアにとっておまけではあるが、クラッブとゴイルと共に談話室でクリスマスを過ごすことに、かすかな喜びを感じていたことだろう。

 

家族と一緒ではなくても、それでも楽しいクリスマスを送ることは出来る。

たまにはこんなクリスマスがあってもいいではないか。

 

そう僕は、おそらくダリアも思っていただろう。

 

それなのに……今ここにダリアはいない。

後悔だけが頭に浮かんでは消えていく。

楽しいクリスマスはもはや幻想でしかなく、ダリアのいないクリスマスはただただ空虚なものに感じられた。

 

一体どうしてこんなことになってしまったのだろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

マルフォイ達の対面の席に出来るだけ慣れた風を装いながら座る。これまで入ったこともないスリザリンの談話室を見回したい気持ちはあったが、ここでそんな不審な行動をとることは出来ない。僕達はダリア・マルフォイのことを聞き出すきっかけを探るために、目の前のソファーに座るドラコとグリーングラスを見つめた。

マルフォイは少しの間心ここにあらずと言った様子で虚空を見つめていたが、ふと、

 

「……なんでミリセントがいるんだ?」

 

ようやく僕たちの存在に気が付いたと言った様子で、ミリセントに扮するハーマイオニーに訝し気に尋ねてきた。

 

「い、家の事情よ」

 

今考えると、ミリセント・ブルストロードの髪を使うのはあまりにも杜撰な計画な気がした。いくら途中で本物が来る心配がないとはいえ、一度特急で帰った人間がその場にいるのはどう考えても無理がある。合言葉の件もそうだが、ハーマイオニーはどこか詰めの甘い所があるような気がした。ハーマイオニーの応えにどうかドラコが違和感を持たないでくれと心の中で祈っていると、

 

「……そうか」

 

聞いたものの、ミリセントがここにいる理由事自体にあまり興味はなかったのか、はたまた他にもっと気になることでもあるのか、再び疲れ果てた表情でソファーにのめりこんでいた。グリーングラスにいたっては、こちらの話を聞いているのかも怪しく、じっと虚空を見つめ続けている。どうやらミリセントの件では難を逃れたらしい。

奇妙な空気が談話室に満ちている。ドラコとダフネ・グリーングラスは相変わらず心ここにあらずといった様子でソファーに座っているし、僕達は僕達でどうダリア・マルフォイについて聞きだせばいいか考えあぐねていた。しかしポリジュース薬を使っている以上時間は有限だ。時間を気にしたのか、ハーマイオニーが意を決したように沈黙を破った。

 

「そ、そういえば、マルフォイさんはどこに?」

 

当たり障りのない質問だった。これならダリア・マルフォイについてそれとなく質問を続けることが出来る。僕もロンもハーマイオニーの行動に称賛の目線を送るが、

 

「……マルフォイさん?」

 

どうやらいきなり失敗しているみたいだった。ハーマイオニーはいつもの癖で『マルフォイさん』と呼んでしまっていた。ドラコは訝し気な表情を浮かべている。グリーングラスも、流石に違和感を感じたのかドラコ同様の表情でこちらを見ていた。

 

「い、いえ、その、ダリアはどこに?」

 

「……それを知ってたら苦労はしない。寧ろ僕が聞きたいくらいだ」

 

「そ、そう」

 

慌ててハーマイオニーが言い直すと、ドラコは未だに訝し気にしているが、僕達が偽物だとは気づいていないようだ。

どうやらバレなかったらしいが、再び会話のきっかけを失ってしまい、部屋はまた奇妙な沈黙に満たされる。

ミリセント顔のハーマイオニーは立て続けの失敗に焦った表情をしているし、僕とロンはどう切り出せばいいのか分からない上に、そもそもクラッブとゴイルらしい会話というものが一切思いうかばなかった。しかし、この沈黙はドラコによって破られる。

 

「……ああ、そうだ。今朝父上が送ってきたんだが……。見るか?」

 

「う、うん。見たいわ!」

 

行き詰った状況で、これぞ天啓と言わんばかりにハーマイオニーが頷く。なんでもいいから会話のきっかけが欲しかったのだろう。

僕とロンもそれが分かったので、なるべくクラッブとゴイルらしく愚鈍に見えるように頷いた。

 

しかしドラコがポケットから差し出したのは、僕たちの高揚感を一瞬で壊すには十分な、あまりにも不快な内容だった。

 

それは、『日刊予言者新聞』の切り抜きだった。

そこには、僕らが飛ばした空飛ぶ車の件でウィーズリーおじさんが尋問にあったこと。そして金貨50ガリオン程の罰金を言い渡されたことが書いてあったのだ。

 

「面白いだろう?」

 

ドラコは弱弱しく笑いながら言った。

ハーマイオニーは何とか乾いた笑いを絞り出した。僕はというと、今にも殴り掛かりそうなロンを手で抑えるのに必死だった。気持ちは分かるけど、こんな所でドラコに殴り掛かれば一瞬でばれてしまう。

 

それに、ハーマイオニーが『マルフォイさん』と言ってから、グリーングラスがじっと僕達を見つめているのだ。正確にはミリセント顔のハーマイオニーを疲れた表情ながらずっと見つめている。

何も言ってこないからバレてはいないと思うのだが……。

 

そんな僕たちの様子に気が付かないのか、

 

「まったく。こんな下らない一族の記事が報道されるのに、どうして今城で起きてることは報道されないのか疑問で仕方がないよ」

 

マルフォイは相変わらず沈んだ声でつづける。

 

「多分ダンブルドアが口止めしているに違いない。……あの老いぼれ。本当に余計なことしかしない」

 

僕のロンを止める手が止まってしまった。ロンは突然硬直した僕をゴイル顔で見上げた。

 

「父上はダンブルドアがいること自体が学校を最悪にしていると常々おっしゃっていた。まったくその通りだ! あの老いぼれはもう耄碌しきっている。あんな奴が偉大であるはずがあるものか! あんな奴がいるから、」

 

「それは違う!」

 

ロンではなく、今度は僕が抑えきれなくなってしまった。僕を『継承者』ではないと信じてくれた、僕が最も尊敬している校長を馬鹿にされて思わず叫んでしまっていた。

マルフォイなんかが馬鹿にしていいような人ではない! 僕をいつも導いてくれたし、そしていつも助けてくれる先生をこんな奴が馬鹿にするのを僕は許せなかったのだ。

 

しかし当然のことながら……それはハーマイオニー以上の大失敗だった。

 

頭に血が上ってしまったが、一瞬遅れて我に返る。

慌ててマルフォイを見ると、まさか反論されるとは思っていなかったのか、唖然とした表情でこちろを見つめている。それはそうだろう。彼にとって置物同然だった存在が、突然自分に異を唱えてきたのだから。しかもスリザリンの生徒がダンブルドアを庇うという前代未聞の行動付きで。

やってしまったと冷や汗をかいているうちに、マルフォイの表情はみるみる怒っているものに変わっていく。

そしてマルフォイが何か言おうとした時、意外な人物から声がかかった。それは部屋に入ってからというもの、ずっと疲れた表情で黙りこくっていたダフネ・グリーングラスだった。

 

「……へえ、クラッブ。教えてよ」

 

グリーングラスの方を見ると、今までの疲れ果てた表情と打って変わり、その瞳には怒りが満ちていた。静かな口調ではあったが、それがなんだか非常に恐ろしいものに感じられた。

 

「ダリアをあそこまで追い詰めている人間が、どうして最悪じゃないと言えるのか教えてよ。あなたはダリアの味方だと思ってたんだけど、まさか違ったの? それとも他に最悪な人間がいるのかな? ダリアを追い詰める人間以上に最悪な人間が……。ねえ、クラッブ、どうなの?」

 

憎しみすら感じる様な表情に、僕は何も言えなかった。単純に自分の失敗で頭が真っ白になっていたのもあるが、それ以上に、なんでここまでグリーングラスが怒るのか分からなかったのだ。

蛇に睨まれたカエルのようになっている僕を見かねたのか、

 

「ハ、ハリー・ポッターよ!」

 

ハーマイオニーが慌てて助け船を出してくれた。僕はすぐにハーマイオニーに同意するように頷く。僕をやり玉に挙げるのはどうかと思ったが、ここは仕方がない。

でも、それはどうも逆効果だったらしい。

 

「はぁ? ハリー・ポッター? 彼がなんでダンブルドアより最悪なの? 確かにいつもダリアに鬱陶しい視線を向けてるけど、それは忌々しいことに今のこの学校では普通でしょう? 彼はただ誘導されてるだけ。それを誘導したのがあいつ、ダンブルドアよ? なんでそんな奴よりポッターが最悪なの? ミリセント、もしかしてあなた、ダリアが『継承者』だからそれも当然って言いたい、」

 

怒りの方向を僕からハーマイオニーに移したグリーングラスは、まるで今までためてきたものが噴出してしまったようにまくし立て始めた。しかし、同じく怒った表情をしているものの、グリーングラスのあまりの剣幕に逆に冷静になったのか、

 

「ダフネ! 落ち着け!」

 

途中でマルフォイが止めに入った。

グリーングラスはマルフォイの静止で我に返ったようで、少しの間気まずげな表情をしていたが、最後にポツリと、

 

「ごめんね……。ちょっと疲れてて……」

 

「こ、こちらこそごめんなさい」

 

突然矛先の変わった怒りに唖然としていたハーマイオニーだったが、グリーングラスが誤ったことで慌てて謝り返していた。

 

「……ダフネ。お前は少し休んだ方がいいぞ。お前、あんまり眠れてないだろう?」

 

「うん……。でも、それはドラコも同じでしょう?」

 

「……僕はいいんだ。僕は家族なんだから……」

 

二人はよく分からない会話をしていたが、ドラコはポツリと呟いた。

 

「それにしても、ポッターか……」

 

マルフォイがその名前を口にするのも汚らわしいと言わんばかりに話す。

 

「みんなあいつをダリアの共犯者だとかぬかしてる。そんなわけないだろうに。あいつは()()()パーセルマウスだ。パーセルマウスなだけで闇の魔法使いの証明になるものか。あいつは『継承者』でも、継承者の共犯でもない! あんな愚鈍な奴が『継承者』だったらこんなに苦労などしない! どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!」

 

どうやら僕が『継承者』一味だと思われるのが気に食わないらしい。おそらく自分の家の功績を横取りされたことに腹を立てているのだろう。

僕は息を殺して待ち構えた。ダリア・マルフォイ本人がいないやら僕達は失敗続きだはと一時はどうしようかと思っていたが、どうやら兄が妹の犯行を証明してくれるかもしれない流れだった。このまま兄ともどもダリア・マルフォイを捕まえれるかもしれない。

 

そう思ったが、

 

「まったく、一体どこのどいつなんだろうな『継承者』は……。そいつさえいなければ、ダリアはこんなことにならずに済んだのに……。全く、余計なことをしやがって! そいつが捕まったら父上に言って必ず報いを受けさせてやる!」

 

それは全く予想していなかったことだった。僕はドラコがここでダリア・マルフォイの犯行を証明するものだと信じ切っていた。

でも実際は、ドラコの口ぶりからすると……どうやらダリア・マルフォイが継承者ではないような話し方だった。

ロンもその可能性すら考えていなかったのか、口を大きく開けて驚いている。その反対に、ハーマイオニーはミリセントの嬉々とした表情だった。おそらくこの学校でほとんど唯一ダリア・マルフォイの無実を信じ切っていた彼女は、自分の正しさが証明されて嬉しくて仕方がないのだろう。ハーマイオニーはさらにダリア・マルフォイの無実を確信すべく質問を続ける。

 

「でも、誰が裏で糸を引いてるのか、あなたは知ってるんじゃないの?」

 

「いや、ない」

 

マルフォイの応えはきっぱりとしていた。

 

「父上は今回の件について何も教えてくださらなかった。前回の『部屋』が開かれた時のことすらもだ。50年前のことということもあるのだろうが、おそらく僕達が知りすぎるのは怪しまれると思われたのだろう。ダリアはそんなことなくても疑われているがな……。あの老害のせいで……」

 

マルフォイは長い溜息をついた後続ける。

 

「僕が知っていることと言ったら、前回『部屋』が開かれた時に、『穢れた血』の一人が死んだということだけだ。今回もそうなるだろうな……」

 

そう言い切ったきり、再び思考に埋没しそうなマルフォイに慌てて尋ねる。未だに信じられないことだが、ダリア・マルフォイが犯人である可能性が()()()()なくなってしまった以上、なるべく多くの情報を手に入れたかった。

 

「前に『部屋』を開けた奴は誰だったの?」

 

「ああ……うん……僕は知らない。追放されてはいるらしいけどな。でも、今頃は捕まってアズカバンだろう」

 

「アズカバン?」

 

初めて聞いた単語に、僕はオウム返ししてしまった。しかしどうやらそれは魔法界における常識だったらしく、マルフォイは信じられないものを見る様な目つきで僕を見た。

 

「おいおいクラッブ。お前アズカバンすら忘れたのか? アズカバンは魔法使いの監獄だろ? まったく、お前はどこまでウスノロになれば気が済むんだ」

 

マルフォイは呆れたようにこぼした。

 

「とにかく、僕は今回の件を何も知らない。父上はダリアが疑われていることに非常にお怒りになっているが、僕にはただもうすぐこの状況も終わるとしか仰らない。ただもう少しだけ『継承者』の好きにさせておけとしか。……まぁ、父上も今はお忙しい時期なのだろう。ダンブルドアはもうすぐ追い出せるからいいとして、他にも立ち入り調査の件もある。今頃我が家にあの忌々しいウィーズリーが上がりこんでいると考えると反吐が出るよ」

 

「……」

 

今はゴイルであるため何も言えないが、ロンがマルフォイの口ぶりに拳を握りしめていた。僕はロンが殴り掛かりやしないかとそちらを見やると、ゴイルの毛が赤くなり始めていた。

 

 

 

 

その様子を、グリーングラスはやはりジッと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

階段を駆け上がり、私達は『嘆きのマートル』のトイレに走りこんだ。

 

「な、なんとか帰ってこれたわね」

 

ゼイゼイ息を切らしながら呟くと、同じように地面にへたり込んでいるハリーとロンが無言でうなずいていた。

 

ロンの変身が解けだしたことに気が付いた時、ロンも私とハリーを見て驚愕の表情をしていた。きっとロン同様私達も時間切れだったのだろう。

そしてその推測は正しかった。

適当な言い訳を叫びながら談話室を逃げ出し、廊下を走っている頃には丁度良かった大きさの服が、私達には大きすぎるものに変わっていた。

ダブダブになってしまった服を引きずりながら、私達は廊下を走りつづけた。

 

何とか誰にも会わずにトイレに逃げ帰ることに成功した私達が地面に腰掛けていると、ロンがおもむろに口を開く。

 

「まったく時間の無駄だったよ!」

 

ロンがまだ整い切れていない息でつづける。

 

「絶対にダリア・マルフォイが『継承者』だと思ったのに! しかもあの口ぶり……あいつら今日パパが立ち入り調査することを知ってたぞ!?」

 

「……そうね」

 

腹立たし気に大声を上げるロンとは裏腹に、私の心は非常に晴れ晴れとしていた。ロンには悪いけど、私にとってはこの作戦は大成功なのだ。

 

「でも、これでマルフォイさんが無実だってことは証明できたわ」

 

私の明るい声音に、ロンの苛立った言葉は止まった。恨みがましくこちらを見ているけど、彼にももうマルフォイさんの無実は確実なものとなっているのだろう。唯一ハリーだけが私の言葉に反応せずに考え込んでいるのは気になるが、今の私にはたいして気にならなかった。私はこの後すべきことで頭が一杯だったのだ。

 

「後はこの話をダンブルドアに持っていくだけよ! この話をすれば、きっとダンブルドアもマルフォイさんを信じてくれるわ! さあ、そうと決まればさっそく、」

 

この時、私はこれでマルフォイさんの疑いは晴れると信じていた。

このことをダンブルドアに伝えれば、きっとダンブルドアなら信じてくれる。そしてダンブルドアさえ信じてくれれば、皆だってマルフォイさんのことをもう『継承者』だなんて思わなくなる。

 

そう、無邪気に信じ切っていた。

 

でも、

 

「やっぱり……。あなただったのね、グレンジャー」

 

私はこの日思い知った。

誰かを救うには、決して『思い』だけではいけないのだと。

 

私は今回と同じようにマルフォイさんが疑われたら、きっとまた彼女を助けるために行動するだろう。彼女が疑われるなんて間違っている。その気持ちに嘘はない。

 

でも、それだけではダメなのだ。

 

私はこの日、よかれと思って行ったことであっても、決していい結果になるわけではないことを知った。

 

浮かれた気分に冷や水がかけられるような声音だった。

トイレの入り口から突然かかった声に驚いて振り向く。ハリーとロンも、ここに現れるはずのない第三者の出現に慌てて入り口に顔を向ける。

 

そこには……先程まで談話室にいたはずのダフネ・グリーングラスが、瞳に憎悪をやどらせてこちらを見つめていた。

 

「グレンジャー。あなたは違うと信じていたのに……」

 

 

 

 

私は……一体どこで間違えてしまったのだろう。



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ポリジュース薬(後編)

 

 ダフネ視点

 

違和感自体は初めからあった。

ここにいるはずのないミリセント。いつもより知性を感じる瞳のクラッブとゴイル。

ただ、最初は疲労のためその違和感に気付くことはなかった。

 

でも、ミリセントが。いや、ミリセントの姿をした()()が、

 

『マルフォイさん』

 

と口にした瞬間、強烈な違和感が私を襲った。

まず、ミリセントはダリアのことを『マルフォイさん』などとは呼ばない。その呼び方は、聖28一族ではないスリザリン生達。そしてスリザリン寮以外では、()()しかダリアのことをそう呼ぶことはない。

 

そのことに気が付いた時、私はどうやって()()が談話室にいるのかを考えた。

先程談話室にいた時、どう見ても彼女たちはミリセント、そしてクラッブとゴイルの姿をしていた。

 

そして、そんなことが出来る方法は一つだけだ。そして彼女たちならそれが可能だということを、私は知っていた。

 

『ポリジュース薬』

スネイプ先生の授業で、話の中ではあるが一度だけ登場した薬。誰かの姿に完全に変身することが出来るという危険薬物。

危険な薬物であるため、当然生徒がそんな薬を作ることは出来ない。よしんば作ろうとしても、『禁書棚』に分類されている本を読まない限り、その製法すら生徒が知ることは不可能だ。勿論、スネイプ先生に贔屓されているスリザリン生であれば、比較的簡単にその本を読むことが出来る。実際、ダリアはスネイプ先生からいとも簡単に閲覧許可をもらい、私も彼女が読んだ後にその項目を読ませてもらった。でも、彼らはスリザリン生ではない。本来なら()()()が本を読むことは不可能なのだ。

 

しかし、私は知っている。()()もその本を借りていたことを。

わざわざスネイプ先生以外の先生から許可をもらってまで。

 

普段であれば彼女の好奇心の賜物くらいにしか思わなかっただろう。でも、今なら分かる。あれは紛れもなく、今回の行動の前準備だったのだ。

そして製法を知った彼女達は、どうやったのかは知らないがクラッブとゴイル、そしてミリセントの髪の毛を調達し、何気ない顔で私たちの談話室に忍び込んだのだ。

 

何のために?

何のために、そんな危険を冒してまでスリザリン寮に忍び込もうと思ったのか?

 

……決まっている。

この時期にわざわざ『ポリジュース薬』まで作ってスリザリンに忍び込む。

そして先程の質問の数々。それらを総合的に考えれば、彼女たちの目的なんて簡単に想像できる。

それを認識した時、私の心の中に激しい怒りが燃え上がっていた。

 

彼女達は……ダリアが『継承者』だと証明するために、ダリアを捕まえるために、スリザリン談話室に入り込んだのだ。

 

()()()……ダリアを裏切ったのだ。

 

突然立ち上がった私に戸惑うドラコを無視し、熱く煮えたぎる思いで談話室を飛び出すと、私はこっそり()()たちの尾行を開始した。彼女たちが飛び出した直後に私も談話室を出たため、彼女たちの背中をとらえるのは比較的早かった。廊下の向こうを走る彼女たちの背中は、案の定先ほどまでのものとはまるで違っていた。

階段を駆け上がる彼女達にばれないように、私は足音を忍ばせてついていく。後ろを振り返ることなく廊下を駆け抜ける彼女達に、私も必死についていく。

そしてたどり着いた先が、この『嘆きのマートル』のトイレだった。

確かに、ここなら誰も来ない場所だろう。まさに危険な薬物を作るにはうってつけの場所。彼女達は、あの本を借りてからずっとここで薬を作っていたのだろう。

 

ダリアを犯罪者扱いするために。ダリアを捕まえるために。

 

私は怒りの赴くまま、トイレのドアを押し開けた。

そしてそこには、案の定彼女達がいた。先程までの見慣れたスリザリン生達の姿はどこにもない。

 

床に転がるように座る、ハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー。

 

そして……ハーマイオニー・グレンジャー。

 

彼女達がそこにはいた。

 

「やっぱり……。あなただったのね、グレンジャー」

 

トイレに入り声をかけると、彼らはひどく驚いた表情になった。あんな杜撰な計画だったのに、彼らは私にバレてないとでも思っていたのだろう。

でも、今はそんな彼らの愚かさなどどうでもいい。彼らが愚かなのは今に始まったことではない。

私は驚きの表情から次第にバレたことに対する恐怖と、そしてスリザリンに対する敵意の混ざったような表情に変わるポッターとウィーズリーを無視し、ただただハーマイオニー・グレンジャーを睨み続けた。

ポッターとウィーズリーも勿論許しがたい。でも、最も許せないのは……

 

「グレンジャー。あなたは違うと信じていたのに……」

 

丈の明らかに合わなくなった服を身に着け、グレンジャーはこちらをポカンとした表情で見つめ返していた。

ポッター達と同様、彼女も作戦が上手くいったとでも思っていたのだろう。突然現れた私に対して、未だに理解が追いついていないらしい。ポッター達と違って敵意こそ感じないが、その表情は驚愕で彩られている。

その表情を見ていると、私の心の中はさらに煮えたぎってきた。

 

グレンジャーを睨みつける私の瞳から、知らず知らずのうちに涙が零れ落ちていく。

 

私は……悔しかった。

 

ただ悔しくて。

 

悔しくて悔しくて、ただ悔しくて仕方がなかった。

 

ダリアのことを思うと、悔しくて、悲しくて、苦しくて、そして彼女を裏切ったグレンジャーが憎くて仕方がなかった。

 

ダリアはあんなにもグレンジャーを守っていたのに。人を避けなければならないと考えているダリアが、それでも必死に守ってくれたのに。

なのに、当のグレンジャーがダリアを裏切ったことが、私には悔しくて仕方がなかった。

ダリアの純粋な好意、そしてそれに付きまとう彼女の苦悩と葛藤。それらが土足で踏みにじられたような気がした。

 

ダリアのことを思うと涙が出てくる。

 

どうして……。どうして皆ダリアをこんなにも簡単に裏切ることが出来るのだろうか。

一体あの子が何をしたというのだろうか。

 

「信じていた……。あなたは違うって。貴女もダリアを裏切ったりしないって。でも……あなたはダリアを裏切ったのね。あれだけ助けてもらっておきながら、あなたはダリアを『継承者』だと疑ったのね?」

 

震えそうになりながら絞り出した声は多分、今までの人生の中で一番冷たいものだったと思う。

信じていたのに。

ダリアは彼女のことを気に入っていた。それは去年のハロウィーンの時からもう知っている。別の寮であるにも関わらず、たった数か月でダリアに気に入られた彼女に嫉妬していなかったかというと嘘になる。でもそれ以上に、グリフィンドールでありながらダリア自身をしっかり見ようとするグレンジャーに、私は確かな信頼感も持っていたのだ。話したことは数える程しかなかったけど、奇妙な親近感と期待感を私は持っていたのだ。

彼女もきっとダリアを守ってくれる。ダリアを決して独りにしようとはしない。彼女もきっと、ダリアを信頼してくれる。

たとえ寮が違ったとしても、彼女はダリアの心を癒してくれる。

 

そう思っていた。

 

なのに……。

 

「ち、ちがうの!」

 

私の言葉で、先程の犯行がバレていると確信したのだろう。『ポリジュース薬』を作るのは、その薬の特性上どう考えても校則違反だ。下手をすれば退学も考えられる。

それは分かっているのか、グレンジャーが顔を真っ青にしながら慌てて言い訳をしようとする。

でも、私はグレンジャーの言葉など聞きたくもなかった。こんな裏切り者の言葉なんて。ダリアに守ってもらいながら、ぬけぬけと彼女を傷つけるような人間の言葉なんて。

 

あふれる涙を拭いもせず、グレンジャーをひたすら睨み付けながら話す。

 

「談話室に入って、私達からダリアの犯罪行為でも聞き出そうとでも考えたの? それでダリアを捕まえようとでも思ったの? ダリアがいれば、本人に聞こうとでも思ったの? あなたは『継承者』なのかって。ダリアの気持ちも考えずに……。あの子が今どんな思いをしているかも考えようとせずに! あれだけダリアに気にかけてもらっておいて、あなたはダリアを犯罪者のように扱おうとしたの!?」

 

「お願い、聞いて!」

 

「一体何を聞くっていうの!? ダリアは『継承者』なんかじゃない! そんなことすら分からないような連中から、一体何を聞くことがあるの!? もううんざり! あなたにも、この学校の生徒にも、ダンブルドアにも! あなたみたいな奴等がいるからダリアは……」

 

腹が立って、悔しくて、悲しくて、苦しくて、頭がどうかしてしまいそうだった。

こんなはずじゃなかった。去年は思った以上に距離を縮めれなかったけど、今年こそはダリアに友達だって言ってもらうんだと思っていた。そして家族と過ごせず落ち込んでいたダリアには悪いけど、私は今年のクリスマスは非常に楽しみにしていた。彼女と一緒に過ごすクリスマスは、さぞ幸せなことだろうと期待していた。

 

その全てが、『秘密の部屋』が開かれてからおかしくなってしまった。

 

ただでさえ辛そうだったダリアがさらに追い詰められ、挙句の果てに寮にすら帰ってこない程になってしまった。

楽しいはずだったクリスマスは、ただただ空しいだけのものになった。

何もかも理不尽で。ただただダリアのことを思うと胸が張り裂けそうだった。

そしてその理不尽を体現したかのような所業をなしたグレンジャーが、私はどうしても許せなかった。

 

「ま、待って、そんなつもりじゃ、」

 

「もういい! ダリアを捕まえるつもりだったのかもしれないけど、捕まるのはあなた達よ! ポリジュース薬を作ってスリザリンに忍び込んでたって先生に伝えるわ! ダリアを貶めようとしたこと、絶対に後悔させてやる!」

 

尚何か言おうとするグレンジャーや、急転直下に危機的状況に陥ったことで顔を真っ青にしている二人を横目に、私はトイレの個室に向かって足を進める。

今スリザリンの生徒の言葉は紙くず同然に扱われている。その証拠に、グリフィンドール生が襲われた夜、私達スリザリン生はダリアがその時間帯何をしていたか尋ねられた。勿論、皆の答えはダリアの潔白を証明するものだった。……でも、それでダンブルドアが意見を変えた様子は一切ない。

『継承者』はサラザール・スリザリンの思想を受け継いだものとされている。そのスリザリンが創った寮の生徒の言葉など、信頼に値しないということなのだろう。だから今私が先生の元に駆け込んだとしても、ダンブルドアはこの件を黙殺するかもしれない。

でも、証拠があれば別だ。証拠さえあれば、言葉ではなく、彼女たちが校則を破ったという確固たる証拠があれば。

 

そして、それはすぐに見つかった。

 

入口から一番近くにあった個室の中に、彼らの作った『ポリジュース薬』の残りが入った鍋が置いてあった。

わずかではあるが、未だに中身の残っている。鍋の中には、私が勉強した通りの特徴を持った薬が入っていた。

鍋を持ち上げながら宣言する。

 

「これが動かぬ証拠よ! これさえあれば、貴方たちがどんなに言い繕おうと、必ず先生方も貴方たちを処罰するわ!」

 

これを今すぐにでも先生の元に持っていくつもりだった。他の先生方は知らないが、スネイプ先生なら必ずグレンジャー達を喜々として退学に追い込んでくれる。いくらダンブルドアが何か言ってこようと、この証拠さえあればスネイプ先生が何とかしてくれる。

そう思いながら、私は鍋を片手にトイレのドアを目指そうとして……

 

止まった。

 

振り返った先、トイレの入り口の前には、

 

「お願い! 話を聞いて!」

 

ハーマイオニー・グレンジャーが必死の形相で手を広げ立っていた。

 

その瞳からは、私と同じように冷たいものが流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「……さっきも言った。貴女の下らない話をこれ以上聞くつもりはない。私はこの薬を持って、今すぐ先生の元に行くつもり。貴方たちが嫌いなスネイプ先生の元にね」

 

残った薬の入った鍋を抱えたグリーングラスさんは、未だ憎しみを宿した瞳で私に告げる。

 

彼女は本当に怒っていた。

その理由は、私達グリフィンドールがスリザリンに忍び込んだからなんかではない。

 

彼女は……マルフォイさんのために、こんなに怒っているのだ。

私達がマルフォイさんを陥れようとした。そう考え、彼女はこんなにも怒っているのだ。

彼女はマルフォイさんのために、こんなにも怒り、悔しくて涙を流しているのだ。

 

その事実が……私には耐えられなかった。

それこそ、今から退学になるかもしれない事実がどうでもよくなってしまう程に。

 

スネイプと聞いてが恐れおののいているハリーとロンを横目に、私は絞り出すように言った。

 

「……お願い、話を聞いて。話を聞いてくれたら、薬のことを先生に言いに行っても構わないから」

 

グリーングラスさんの動きがわずかに止まった。

 

「おい! ハーマイオニー!」

 

「ロンは黙ってて!」

 

私の発言に憤るロンを黙らせ、再びグリーングラスさんに真剣に話かける。

もしかしたら、私はマルフォイさんを、そして彼女の友達を傷つけてしまったかもしれない。

その事実に耐えられなくて、私は溢れる涙を拭うこともせず、真剣にグリーングラスさんにお願いした。

 

「お願い……」

 

グリーングラスさんは、私がスネイプ先生に告げ口しても構わないと言ったことを訝しんでいる様子だった。

 

「どういうつもり?」

 

「私は……退学になりたくない。この学校に来て、私はいろんなことを知ることが出来た。いろんな人に出会うことが出来た。だから、私はこの学校が好き。そんな学校を退学になるなんて耐えられない」

 

私はグリーングラスさんに静かな口調で話し始める。

私はこの学校が好き。この学校に来て、私は初めて勉強より大切なことを学んだ。初めて友達が出来た。初めて誰かに憧れることが出来た。

 

初めて、誰かと友達になりたいと思えるようになった。

 

それを教えてくれたこのホグワーツから、私は退学になりたくなんてない。でも……それ以上に……。

結局私が始めたのがただの命乞いだと思ったのか、グリーングラスさんはさらに怒りを募らせながら大声を上げようとする。でも、その前に、

 

「でもね。私はそれ以上に、貴女に誤解されたままこの学校を去らないといけないことが嫌。マルフォイさんを裏切ったって思われたまま、この学校を去らないといけないことが嫌なの。私は裏切ってなんかない。マルフォイさんを疑ってなんかいない。それだけを、貴女に言いたいの。お願い、話を聞いて。私の話を聞いて、それでも私のことを許せないなら、すぐに先生たちの所に行ってもいいから。だから……お願い」

 

もし、このまま薬のことが先生にばれてしまったら、私が薬を作った理由はマルフォイさんを捕まえるためだったと思われることだろう。それは生徒のみならず、きっとマルフォイさん本人にも伝わってしまう。それだけは……どうしても耐えられなかった。

不名誉だからとかそんな理由ではない。私の行動が、結果に的にマルフォイさんを傷つけてしまう。そんな自分を、私は許せない。

 

「……」

 

口を開きかけたグリーングラスさんは、そのまま何も言わずに口を閉ざした。少しだけ私の話を聞いてくれるつもりになってくれたらしい。

でも、未だにその瞳には怒りと疑心が映っていた。彼女は無言で私に話の先を促す。

一応私の話を聞いてくれる気になったグリーングラスさんに感謝しながら私は話し始めた。

 

「……私は、ポリジュース薬を使ってスリザリンの談話室に入れば、きっとマルフォイさんと警戒されずに話をすることが出来ると思ったの。今回彼女はいなかったけど、彼女のお兄さんのドラコや友人の貴女からなら、きっと彼女について話をしてくれる。そう思ったの」

 

「なら、」

 

早とちりしたグリーングラスさんが再び怒りの声を上げようとするのを遮り続ける。

 

「でも、それは彼女を捕まえるためなんかじゃない! 私は彼女が『継承者』だなんて思っていない! でも、皆はそんな風に考えてない。マルフォイさんがマルフォイ家だから、彼女が無表情だから。彼女のことをダンブルドアが疑ってるから。そんな理由でマルフォイさんのことを疑ってる。でも、私は知ってる。彼女がそんなことをするはずがない。彼女はミセス・ノリスが襲われた直後、私を心配してくれた。マグル生まれの私が襲われやしないかって、彼女は真っ先に心配してくれた! そんな彼女が『継承者』なはずがない!」

 

私はそこで一息つき、

 

「私は悔しかった。私を真っ先に心配してくれたマルフォイさんが、皆に真っ先に疑われたことが。だから……私は彼女の無罪を証明がしたかったの。彼女が無防備にした話なら。彼女と最も近い場所にいるあなた達の無警戒にした話なら、きっと彼女がやっていない証拠になる。そう思っただけなの。お願い……許してなんて言えない。でも、私はマルフォイさんを疑ってたわけじゃないの。それだけは信じて……」

 

私はそう、静かに言い終えた。

この学校を退学にはなりたくない。でも、マルフォイさんに誤解されたまま去るのはもっと嫌だ。

彼女が助けた私に、彼女が裏切られたとは思われたくなかった。

 

マルフォイさんに……嫌われたくなんてなかった。

彼女を……傷つけたくなんてなかった。

 

言いたいことを言い終え、ただ涙を流す私を、グリーングラスさんはじっと見つめていた。

 

奇妙な沈黙がトイレの中を満たしていた。

先程から立ち尽くすばかりのハリーとロンは、ただ青い顔をして成り行きを見守っている。

そしてグリーングラスさんは、ただ私をじっと探るように見つめていた。

今トイレの中で聞こえるのは、時折『嘆きのマートル』がたてる水の音だけだった。

 

何分くらいそうしていただろう。

一分くらいだったかもしれない。実は数秒だったのかもしれない。逆にもっと長い時間そうしていたかもしれない。

ハリーとロンの緊張がいよいよ限界に近付いてきた時、グリーングラスさんが大きなため息をついた。それはまるで、自らの中の熱を無理やり追い出すかのようなため息だった。

 

私の気持ちが伝わったのか、グリーングラスさんの瞳に写る憎悪は、わずかながら薄まっていた。

 

「……本当に、ダリアを疑ってたわけじゃないの?」

 

「ええ。それだけは信じて」

 

未だに疑り深く私を見つめるグリーングラスさんに、私は真剣にうなずいた。

 

「私が言いたいことはこれだけ。……後は貴女の好きにしていいわ」

 

言いたいことは言い終え、目的を果たした私は、そう言ってトイレの入り口の前から体をずらした。

少なくとも、グリーングラスさんの誤解は解けた。退学になるにしても、これでマルフォイさんに誤解されながら学校を去ることだけはなくなる。

私の話を聞き終えたグリーングラスさんは、鍋を小脇に抱えたままトイレの入り口まで歩いてきた。

 

……やっぱり許してはくれないのだろう。

 

私は静かに目をつむりながら、今までこの学校であった色々なことを思い出す。

ホグワーツから手紙が届いた時から、この日まであった辛いことも楽しかったことも全部。

そんな色々なことを思い出している私の横を、グリーングラスさんは通り……過ぎなかった。

 

「……グレンジャー。もう一度聞くよ。……本当に、ダリアを裏切ったわけじゃないんだね?」

 

グリーングラスさんが再び静かに問いかけてくる。

私はそれに勢いよく頷いた。

 

「勿論よ」

 

「……」

 

私の前で立ち止まったグリーングラスさんは、少しの間考え込んでいる様子だったけど、

 

「……いいよ。貴女がダリアを疑っていなかったってことは信じる」

 

「……ありがとう」

 

グリーングラスさんはぽつりと絞り出すように告げた。

どうやら誤解は完全に解けたようだった。でも、

 

「でもね……やっぱり私は、貴女を許すことが出来ない」

 

グリーングラスさんは続ける。私も、マルフォイさんを疑ってないと信じてもらったとしても、それだけで許してもらえるとは思っていなかった。理由はどうあれ、私達は彼女達をだまそうとしたのだ。許されるとは思っていない。

でも、彼女が私を許さないと言った理由は、私の予想とは違ったものだった。

 

「……ねぇ、グレンジャー。あなた、『ポリジュース薬』を作るのに、どうやって材料を集めたの?」

 

思いがけない質問に、私は一瞬言葉に詰まった。

何故今そんな質問がされるのか、私には分からなかったのだ。

 

「え? そ、それは、」

 

おそらく、『ポリジュース薬』を作る過程において最も退学になりうる理由の一つ。

それを突然尋ねられ、私は答えに窮してしまった。そんな私を無視してグリーングラスさんは続ける。

 

「薬を作るのにいくつか生徒には手に入らないはずの材料があるよね? それこそ、スネイプ先生の倉庫に入らない限り。……グレンジャー。あなた、材料を盗むのに、魔法薬学の授業中に花火を使ったでしょう」

 

「……ええ」

 

ここで嘘をついても仕方がない。私は素直に彼女の言葉にうなずいた。

それに嘘をついたとしても、先生に薬のことを言われれれば、いずれ必ず分かることだ。

 

「やっぱりね……」

 

グリーングラスさんは、先程々ではないが、静かな怒りを宿しながら私を見つめる。

 

「それが理由だよ。私は、あの時の貴方たちがあんなことしたことが許せないの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

目の前で事態は二三転していた。

作戦と達成したと思っていたところに突然現れたスリザリン生。烈火のごとく怒る彼女に、ハーマイオニーが必死に自身の思いを訴える。

ハーマイオニーの言葉を受け、怒りがわずかに収まったと思った矢先に、グリーングラスはまた何かに腹を立てだしていた。

 

「……あの時、あなた達が花火を使ったせいで、ダリアに薬がかかっちゃったんだ」

 

「え?」

 

グリーングラスの言葉に、ハーマイオニーは目を見開いていた。

 

「少量だったから大事にはならなかったけど、確かにダリアに薬はかかったんだ。そのことが……ダリアを追い詰めたの。あれのせいで……ダリアはあんなにも傷ついてしまったの」

 

「そ、それってどういう、」

 

「……ごめん。訳が分からないよね。本当は私も分かってるの。貴方たちが悪いわけじゃない。あの時注意を怠った私が悪いの。でも……貴方たちがあんなことしなかったら、ダリアはこんなに追い詰められることはなかった。ダリアはクリスマスを……心穏やかに過ごすことが出来た」

 

グリーングラスの言葉は意味の解らないものだった。そもそも、僕たちに分かるように話しているようなものでもないのかもしれない。

彼女の言葉は、僕たちにではなく、どこか自分に向けて話しているような響きを持っている気がした。

でも、ハーマイオニーはそう思わなかったらしい。ハーマイオニーの顔は、グリーングラスが言葉を進めるうちにみるみる真っ青になっていた。

 

「……私はそこまで人間が出来ていないから、あんなことした貴方たちを許せない……」

 

そして言いたいことを言い終えたのか、グリーングラスは今度こそトイレから出て行ってしまったのだった。

トイレに残されたのは、慌てふためく僕とロン、そしてグリーングラスの言葉に何故か打ちのめされた様子のハーマイオニーだけだった。

 

 

 

 

談話室に戻ってきた僕の気分は最悪なものだった。

朝目覚めた時、僕は最高の気持ちだった。

友達から届いたプレゼント。久しぶりに手に入れた視線のない生活。そして、今夜あの忌々しいマルフォイ兄妹を捕まえることが出来る。

僕はそう思い、ここ最近辛かった生活が嘘であるかのように幸せな気持ちになっていたのだ。

 

それが今はどうだ。

ダリア・マルフォイを捕まえれる証拠をつかむどころか、スリザリン生の一人にばれてしまった。今頃あいつは、スリザリンらしく喜々としてスネイプの元に薬を届けているに違いない。

そうなれば、僕たちは明日にも退学になってしまうかもしれないのだ。特に僕とロンは、今年の登校の件で後がなくなっている。暴れ柳から命からがら逃げ延びた後、僕らはダンブルドア直々に次はないと言われているのだ。

 

「やばいよ! どうするんだよ!? このままじゃ僕たち、明日にも退学になってしまうかもしれない!」

 

ロンもそれが分かっているのか、血の気が引いた真っ青な表情で慌てふためいている。

一方、

 

「……」

 

ハーマイオニーはすっかり黙りこんでしまっていた。ロンと同じく真っ青な表情をしているが、慌てふためくといった様子ではない。彼女はグリーングラスの言葉を受けてから、じっと黙り込むばかりだった。一言も話さず談話室に戻ってきた彼女は、そのままじっと思い詰めたように床を見つめていた。そんな彼女の横で、ロンはわめき散らしている。僕もわめき散らしこそしないものの、頭の中では非常に慌てふためいていた。

 

「ど、どうしよう、ハリー、ハーマイオニー!? このままじゃ僕たち退学になるよ! 僕、きっとママに殺されちゃうよ!」

 

「僕も、ダーズリー一家の元に戻されちゃう……。でも、あいつらは僕が退学になったことを喜ぶだろうな……。僕の不幸で三度の飯が食べられる奴等だから」

 

僕とロンはただ明日来るであろう破滅に慌てふためいていた。でも、ようやくしゃべったハーマイオニーは、僕らとは全く別の言葉を話した。

 

「私……退学になってもいい。ううん……。私は、退学にならないといけないの……」

 

ぽつりと呟いた彼女の言葉は、僕らには信じられないようなものだった。

 

「な、なにを言ってるんだ、ハーマイオニー!? どうして退学になってもいいなんて言うんだ!? 君は僕らと違ってまだ退学にならない可能性があるんだぞ! 僕らはもう後がないけど、君は校則を破ったのは今年はこれで初めてじゃないか!? そんなことより、ハーマイオニー、どうしてあいつをあのまま帰したんだ! あいつの好きにしていいって!? 君は大丈夫かもしれないけど、僕たちは間違いなく退学になっちゃうかもしれないんだぞ!」

 

グリーングラスを黙って行かせてしまったハーマイオニーに、ロンが大声を上げる。でも、それ以上の剣幕で、

 

「登校の時は貴方たちの自業自得でしょう! それに、私達は退学にならないといけないの! さっきグリーングラスさんが言ってたじゃない! 私は、マルフォイさんを助けるつもりで、彼女を知らず知らずのうちに追い込んでしまっていたの! あの日花火を使えば、こんなことも起こるかもしれないって簡単に分かることだったのに! 私はそんなこと考えもしなかった! こんなバカな私がここにいていいはずがないの!」

 

そう大声で叫ぶと、ハーマイオニーは僕たちの制止も聞かず、女子寮の方に駆け込んでしまった。

残された僕とロンは唖然とした表情で見つめあった。突然すさまじい剣幕で叫んだハーマイオニーの姿に、僕たちは何だか冷静になってしまった。

 

「……どうしたんだ、あいつ」

 

ロンの疑問に対する答えを僕は持ち合わせていなかった。先ほどのグリーングラスの言葉は、正直僕には意味不明なものだった。それにハーマイオニーがなにを思ったのか、僕には想像出来なかったのだ。

訝し気につぶやくロンに肩をすくめると、僕は疲れはてた体を談話室のソファーに沈めた。

 

どれくらいそうしていただろうか、ややあってロンも僕の対面に沈み込みながらつぶやく。

 

「ああ、退学だ……。よりにもよってスリザリンに退学にされるのか……。今回、僕たちは何をしたんだろうな……。結局、ダリア・マルフォイが『継承者』じゃないって分かっただけだし」

 

「……そのことなんだけど」

 

ハーマイオニーがいなくなったので、僕はロンに思っていたことを喋ることにした。

ハーマイオニーは、今回の件でダリア・マルフォイを完全に信じてしまっている。そんな彼女に、僕は自分の考えを言うわけにはいかなかったのだ。

明日にも退学になってしまうかもしれにない現実から目を逸らすため、僕はずっと思っていたことを語り始めた。

 

「……本当に、ダリア・マルフォイは犯人じゃないんだろうか?」

 

作戦前からダリア・マルフォイを信じ切っていたハーマイオニーは、スリザリンの談話室でされた話を聞いて、さらにその信用を深めてしまった。でも、僕は騙されてはいなかった。確かに、ドラコとグリーングラスからダリア・マルフォイの犯行を確定することは聞き出せなかった。でも、

 

「……どういうことだい? だって、さっきドラコとさっきのスリザリン生が言ってたじゃないか。ダリア・マルフォイは犯人じゃないって」

 

「うん、そうだね。それは間違いないよ。でもね……」

 

僕は、半ば確信をもって言った。

 

「ドラコとグリーングラスが知らないだけで、今回の事件はダリア・マルフォイ単独でやってるんじゃないかな」

 

「……どういうこと?」

 

僕の言葉を咄嗟には理解できなかったらしいロンに答える。

 

「……ダンブルドアは、ダリア・マルフォイだけを疑ってるんだよ。同じスリザリン、いや同じマルフォイのドラコだっているのに、ダリア・マルフォイ個人をダンブルドアは真っ先に疑ったんだ。つまり、今回はあいつ一人の犯行で、あいつの兄も知らないだけじゃないかな。それならドラコがダリア・マルフォイのことを知らない理由になる。ダンブルドアは最も偉大な魔法使いだ。そんな人が間違った人間を疑うはずがないんだ」

 

「……確かに」

 

「それに、さっき僕たちが知ったのは、ドラコ達がダリア・マルフォイの犯行を知らないということだけじゃない。……さっきのあいつらの雰囲気。もしかして、最近ダリア・マルフォイは談話室に帰っていないんじゃないかな。それこそ、昼夜問わず」

 

ダリア・マルフォイが最近どこかを歩き回っていることは、事前にフレッドとジョージに言われていた。でも、いつも冗談ばかり言う彼らだ。今回も『継承者』だと疑われた僕を励ますための優しい嘘の可能性があった。しかし、今回の作戦でそれは確信になった。

ダリア・マルフォイは、今獲物を探して学校中を歩き回っている。

こんな時期に外を出歩く理由なんてそれくらいしか思いつかない。

 

「そうか! あいつ!」

 

理解が追いついたのか、ロンが退学のことを忘れたように大声を上げた。

 

「うん。きっと次の犠牲者を探してるんだと思う」

 

もしかしたら、僕たちは明日退学になってしまうかもしれない。

でも、今回の行動は無駄ではなかった。もし僕たちが退学になっても、ダリア・マルフォイに一矢報いることができる。あいつが単独で学校内を歩き回っていることが分かれば、きっと先生たちはあいつを今以上に警戒してくれる。もしかしたら、それを知らせた僕らを許してくれるかもしれない……。

それだけじゃない。これで僕らは、少なくともハーマイオニーは守れるのだ。

今回の件で、ハーマイオニーだけは退学にならないかもしれない。その時、学校に残った彼女を僕たちは最後に守ることが出来る。流石に先生たちに警戒されれば、ダリア・マルフォイも次の犠牲者を探し回ることも難しくなるだろう。それどころか、今度こそあいつの悪事を暴くことが出来るかもしれない。

 

退学になってしまうかもしれない状況の中に、わずかな希望を見出すことが出来た。

退学になりたくなんてないが、全く希望がないわけではない。僕達が手に入れた情報で、もしかしたら状況がひっくり返るかもしれないのだ。

 

……後は明日、喜々として僕らを呼び出すであろうスネイプにどこまで抗うことが出来るか。

それだけを考えながら、僕らは男子寮の階段を上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

誰もいない廊下の真ん中で、私はじっとまだわずかに温かい鍋を見つめて立っていた。

 

先生に告げると言ったものの、私は迷っていたのだ。この鍋を先生の元に持っていくべきかどうか。

 

この鍋をスネイプ先生の元に届けるのは簡単だ。これはグレンジャー達が校則を大きくやぶった確固たる証拠だ。グリフィンドール嫌いのスネイプ先生のことだ。絶対に彼らを退学に追いやってくれるだろう。

 

でも、それを本当にやってしまっていいのだろうか?

退学になる彼女らが可愛そうになったわけではない。グレンジャーがダリアを裏切っていなかったのは分かったとはいえ、彼らのせいでダリアに薬がかかってしまったのは間違いないのだ。

いくら私がダリアの体のことを忘れてたとはいえ、あれさえなければダリアは傷つくことすらなかったのだ。

 

それを私はどうしても許すことが出来なかった。

 

彼女達をこのまま退学にしてやりたいと思った。おそらくグレンジャーと違い、私の当初の予想通りダリアを貶めに来たポッターとウィーズリーは勿論、疑ってなかっとはいえ、これを計画し実行したグレンジャーも私は未だに許すことが出来なかったのだ。

 

でも、同時に思う。

 

もし、彼女達を退学にしてしまえば……それは本当にダリアのためになるのだろうか?

 

ダリアは今回のことを当然知らない。私だって、今回のことがなければグレンジャーが花火をゴイルの鍋に投げ込んだなんて想像もしなかっただろう。

ダリアは……自分に薬をかけた元凶がグレンジャーだとは、夢にも思っていないことだろう。

 

それを知ってしまった時、ダリアは一体何を思うのだろうか。

 

グレンジャーを退学にしてしまえば、当然彼女がやったことは明るみにでる。勿論、花火の件も含めて。

薬をかぶってしまった原因がグレンジャーにあると知ったダリアは、一体何を考えてしまうのか。

 

今、ダリアが何を思って談話室に帰ってこないかは分からない。

でも、そんな彼女が今回の件を知って、いい気持になることはないことだけは、私にもはっきりと分かっていた。

グレンジャーが本当に裏切っていたのなら迷う余地などなかった。ダリアのために、そんな人間をこれ以上この城にいさせてはならないと考えただろう。でも、彼女の心を知って、わずかながら迷う余地が生まれてしまったのは事実だった。

 

私の中で、グレンジャー達に罰を与えたいと思う気持ちと、ダリアを思う気持ちがせめぎあう。

 

そしてその勝負は一瞬で終わった。

 

私はダリアが幸せになってほしい。それの邪魔になるというのなら、たとえ私の感情だって押し殺してみせる。グレンジャーを許すことは出来ないが、それをダリアに気付かれないようにそっと胸の内にしまい込むことは出来る。罰を与えるだけなら、もう既に彼女達罰は与えることが出来た。今頃彼女達は、明日訪れる退学の知らせを震えながら待っていることだろう。

 

ベッドで震えているだろう彼らの姿を想像して僅かに溜飲を下げると、私は鍋の中身を魔法で消し、鍋を抱えたまま()()()()向かって足を()()()()()()()のだった。



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告発(前編)

 ハリー視点

 

目覚めは……最悪だった。

クリスマスの朝は最高の目覚めだった。目覚めた途端目に映るプレゼントの山。豪華なクリスマスディナー。死ぬほど不味いポリジュース薬を飲まないといけないことを除けば、最高の一日になる()()だった。それなのに……。

一夜にして僕の気分はどん底まで落ちていた。昨日に対して、今は最低最悪の目覚めだ。そもそも目覚めたと言っても、本当に眠れていたかも疑わしい。あれからベッドに戻ったものの、僕はずっと今日訪れるだろうホグワーツ最後の日に震えていることしかできなかったのだから。

 

「……おはよう」

 

ベッドから気だるげに起き上がる僕に声がかかる。そちらに視線を向ければ、目の下に大きな隈を作った上に顔色もあまり良くないロンがこちらを見ていた。その表情を見るに、おそらく彼も僕同様一睡もできなかったのだろう。鏡を見れば僕にも同様の隈ができていると思う。

 

「……うん、おはよう」

 

挨拶を交わした僕らは、未だかつてない程鈍重に着替えを済ます。正直、朝食を食べる元気などあるはずもなかった。それに、大広間にはスネイプが僕達を手ぐすね引いて待っていることが想像できたため、あまり大広間に行きたくもなかった。でも、ホグワーツ最後の日だと考えると、ここの豪華な朝食を最後に食べずに追放されるのも惜しかった。僕にとっては、これが最後のまともな食事かもしれないのだ。ホグワーツを追放された僕を、ダーズリー家は今まで以上にゴミクズ扱いするだろうから。最も、今でもゴミクズ扱いではあるけど。ロンは僕と違ってゴミクズ扱いされることはないだろうけど、僕同様決して明るい未来が待っていることはないだろう。

 

何とか着替え終えると、ロンと共に重い足を引きずりながら談話室に降りる。グリフィンドールのイメージカラーである紅を基調とした談話室。

そこにはハーマイオニーがすでに待っていた。暖炉前のソファーに、几帳面な彼女らしくない程気だるげに座っている。

 

「……おはよう」

 

「……」

 

ハーマイオニーはいつも以上にボサボサの髪、そして僕らと同様の死人のような表情をしていた。彼女も多分眠れなかったのだろう。

ハーマイオニーも退学が恐ろしかったのか、僕に返事をする元気もなさそうだった。最も、僕らと違ってハーマイオニーは校則を破るのはこれが初めてだ。彼女だけは退学にはならないと信じているが、やはり恐ろしいことは恐ろしいのだろう。

 

「……行こうか」

 

「……ええ」

 

僕らはいつも以上にゆっくりとした足取りで大広間に向かう。この光景を目に焼き付けておくために。これが最後かもしれないのだから。

僕ら以外いない廊下には多くの絵がかかっており、中にはまだ寝息を立てている絵もあったが、朝だということで多くの絵はもう起きだしている。廊下の先に行けば動く階段があり、いつも決まった場所につながっているとは限らない。

入学当初、この絵や階段には非常に苦労させられた。

絵は基本的に親切だけど、中にはひどく偏屈なものもある。訳の分からない話をされる場合もあるし、中には嘘をついてくるものさえあった。階段はいつも気まぐれで、この階段のせいで授業に遅刻させられそうになったことは少なくない。去年などフィルチから逃げる際この階段を使ったら、その先に三頭犬がいて死にそうになったこともある。

苦労も多かった。でも、入学当初はこの全てが未知の世界であり、何気ないもの一つ一つに感動を覚えた。見たことも聞いたこともない経験が、楽しくて仕方がなかった。

その気持ちは今でも変わらない。ここは不思議なもので満ちており、それで苦労することも多かったけど、いつも僕を最後には楽しい気分にさせてくれた。ここにはダーズリー家にはない暖かさがあった。

 

ここは、僕の本当の帰るべき場所だった。

 

でも、それも今日が最後なのだ。

僕らは今日、退学になってしまう。スリザリンの告げ口によって。

この学校の最大の汚点である、スリザリンの手によって。

 

「着いちゃった……」

 

遅い足取りであったため、いつもの倍は時間がかかってしまったが、ついにここにたどり着いてしまった。

僕らは今、大広間の扉の前に立っていた。ただでさえ見上げる程大きな扉が、何だか更に大きく重い扉になっているような気すらした。

 

「……扉を開ければスネイプが仁王立ちしているんだろうな」

 

「……うん、多分今までで一番の笑顔のおまけつきでね」

 

扉の向こうに広がっているであろう光景に憂鬱な気分になる。スネイプのことだ。僕達を退学に出来ることが嬉しくて仕方ないに違いない。

 

「とにかく入りましょう……。スネイプ先生に、とりあえず最後の朝食だけは食べさせてもらえるよにお願いするのよ……。それくらいなら、マルフォイさんとグリーングラスさんも許してくれるはずだわ……」

 

ハーマイオニーは最後に何かつぶやいた後、意を決したように大広間の扉を開ける。

扉の先にいるであろう育ちすぎた蝙蝠に、僕とロンは表情を土気色にしながら身構えた。

 

でも扉の向こうには……誰も立ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

今私は、ドラコ、そして今朝まで大広間横の物置に閉じ込められていたクラッブとゴイルと朝食をとっている。

ダリアは……今朝の朝食にも現れなかった。

昨日女子トイレから帰った私は、突然出て行ったことを訝しがるドラコを適当にやり過ごすと、二人で夜遅くまでダリアの帰りを待っていた。別に授業があるわけではないのだ。最悪朝まで起きていることもできる。

 

でも……結局ダリアが帰ってくることはなかった。

私達のクリスマスに、ダリアが現れることは最後までなかった。

そして今も……。

 

私と同じく暗い顔で朝食をとるドラコに話しかける。

 

「……ダリア、今頃何してるのかな……」

 

「……」

 

返事はなかった。当たり前だ。そもそも応えることが出来たのなら、こんなにも不安な気持ちになるはずもない。ドラコだって知りたくないはずがないのだ。何と言ってもドラコはダリアの兄なのだから。

 

「……ごめん」

 

「ああ……」

 

馬鹿な質問をしたことを謝罪すると、心ここにあらずと言った様子でドラコが返事をする。

 

「こんな休暇……はやく終わってしまえばいいのに……」

 

普通の生徒であれば、この休暇を非常に楽しく、そしてずっと続いてほしいとすら思いながら過ごしていることだろう。休暇が終わり、ホグワーツの寮に戻ることを嫌がっている生徒もいるかもしれない。

皆大切な家族、あるいは友人とこのクリスマスを有意義に過ごしていることだろう。

 

でも、私とドラコは違う。

 

私達はこの休みが、一刻も早く終わることを願い続けていた。こんな無意味な休暇なんて、ただただ辛いだけだった。

ダリアがいない時間になんて、なんの価値もない。ダリアが傍にいないホグワーツは……とても惨めなものでしかなかった。

 

休暇でなければ、私達はダリアの姿を授業だけでも見ることができる。

ダリアは元気にしているだろうか。ダリアはちゃんと寝ているのだろうか。ダリアはちゃんと食事をとっているのだろうか。

いくらでも不安が脳裏をよぎるが、少なくとも授業にちゃんと出ていることは確認することが出来る。ダリアがちゃんとここにいることが確認できる。

それに僅かながら安心することが出来るのだ。

 

でも、この無意味な休暇の間は違う。私達がダリアの姿を確認することが出来ない。あの子は……決して私達の元に戻ってこない。

授業もなく、人目も気にすることなく、ダリアは今もどこか私達のいない場所にいつづけている。

この時間にも、ダリアに何かよからぬことが起こっていないかと不安で仕方がなかった。

 

ダリアの姿を一目だけでも見たくて仕方がなかった。ただ彼女の無事を確認したかった。

 

「本当に……どこにいるんだろうね、ダリアは」

 

私はそう呟きながら、大広間の扉を見やる。こうして願っていれば、ダリアがそこから入ってくる信じて。こうして見ていれば、ひょっこりダリアが現れると信じて。

 

あの子に会いたい。たとえ避けられたとしても、ただあの子の元気な姿が見たかった。ダリアがちゃんと元気にしていてくれると、それだけを知りたかった。

 

そう願いながら扉を見やった時、大広間の扉がゆっくりと開いた。

まさかと思い目を見開く。祈るような気持で扉を見た直後、その扉が開いたのだ。あり得ないと思いながらも、私の心は一瞬で期待感で満たされる。

もしかしたら、願いが通じたのかも。クリスマスは駄目だったけど、一日遅れて願いがかなったのかも。

 

「ダリ、」

 

でも、当然そんなことは起こりうるはずはなかった。思わず上げた声は、急速に小さなものになる。

 

実際に大広間に入ってきたのは……ダリアではなく、昨日の夜スリザリン寮に入り込んだ三人組だった。私が告げ口をしていないことを知らない彼らは、昨夜一睡もできなかったのか三人とも酷い顔色をしている。仕切りに辺りをキョロキョロ見回しながら席に着く様子は、見るからに挙動不審だった。

 

入ってきたのが待ち人ではなく、()()()()()()連中だったことに膨らんだ期待感が勢いよくしぼんでゆく。

残ったのは、どこか虚ろな感情だけだった。

彼らがどんなに不安な夜を過ごしていようがどうでもいい。ダンブルドアに唆されたとはいえ、ダリアを疑っていた連中がどうなろうと興味がない。グレンジャーは疑っていなかったみたいだけど、それでも昨日の侵入計画を実行したのだ。ダリアを傷つけるきっかけを作ったことが、私は一晩たっても許すことが出来はしなかった。

 

「……どうかしたのか?」

 

突然声を上げたかと思いきや、再び暗い顔で席につく私を訝しんでドラコが声をかけてくる。私はかぶりを振りながら、

 

「……ううん。なんでもないよ。()()()()()()ことだから」

 

そう言って朝食に視線を戻す。ダリアがいない朝食は、やはりとても味気ないものだった。

 

 

 

 

しかし、一見いつも通り他の教員と話しているようにしか見えないが、()()()の視線だけは、ジッと彼らを見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

結局、スネイプが朝食の席に笑顔でやってくることはなかった。スネイプが扉の前にいなかったことに拍子抜けしたが、まだ安心できないと震えながら朝食をとっていたが、結局最後まで何も起こることはなかった。退学にされるかもと怯える僕らの様子を見てほくそ笑んでいるだけかもとも思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。休暇中のためほとんど生徒がいない大広間で、いつもの不機嫌顔で朝食を食べているのを見かけるだけだ。特別こちらに注意を払っている様子ではなかった。

 

「どういうことだい……? スネイプなら朝一で僕らに退学を告げに来ると思ったんだけど……」

 

大広間を出た途端、不安と安堵を混ぜたような表情でロンが訝し気に首をかしげる。僕もロンも、スネイプのことだから真っ先に僕らに引導を渡しに来るものだと思っていたのだ。よしんば朝食前に来なくても、この時間の間に何かしらの行動をとると思っていた。僕らを退学に出来る口実があるにも関わらず、何もないなんてあるはずがないのだ。

いつも通りの朝食の風景に不思議がっている僕らに、ハーマイオニーが暗い顔でこたえる。

 

「もう少し様子を見ましょう……。グリーングラスさんがまだスネイプ先生に伝えてないだけかもしれないわ……」

 

ハーマイオニーの声音は、どこかそうであることを、自分に罰が与えられることを望んでいる風な響きがあった。

 

そして昼食を終え、さらに夕食を終えた時間になっても、スネイプが僕らを訪ねてくることはなかった。

 

「スネイプは何で来ないんだ? いや、別に来てほしいわけじゃないけど。でもおかしいだろう? あいつなら嬉々として僕らに退学を言い渡しに来るはずなのに」

 

無事に夕食を終え一日が無事に終わろうとしていることに、大広間を出た途端ロンが首をかしげながら話し始める。

僕も望んではいないとはいえ、起こると思っていたことが起こらないことが不思議で仕方がなかった。

そんな僕らに、

 

「……きっと、グリーングラスさんが黙っててくれたのよ」

 

またハーマイオニーがあり得ないことを言い始めた。

 

「え? どういうことだい?」

 

ハーマイオニーの突拍子もない答えに、ロンは素っ頓狂な声を出す。

 

「……あの薬、『ポリジュース薬』は本当に危険な薬物なのよ。それこそ作ってたことが分かればそれだけで退学になってもおかしくない程のね。だからこそ、『最も強力な魔法薬』は禁書棚にあったのよ。それなのにこれまで先生が私達の所に来ない理由なんて一つしかないわ」

 

ハーマイオニーは疲れ切った声で言った。

 

「……昨日、グリーングラスさんは薬をスネイプ先生の元にもっていかなかったのよ。彼女は……私達を見逃してくれたのよ」

 

「でも、そんなのありえないだろう? あいつはスリザリンだぜ? こんな僕らを退学にするチャンスをみすみす見逃すはずがないよ」

 

ロンの言葉に僕も頷く。

相手はあの嫌な連中しかいないスリザリンだ。それに、昨日グリーングラスは()()()非常に怒り狂っていた。そんな奴が僕らの弱みを黙ってるとは到底思えない。

そんな疑問を呈する僕らに、ハーマイオニーが相変わらず青い顔をしながら話す。

 

「だったらどうこの状況を説明するの?」

 

ハーマイオニーは一瞬、今しがた出てきた大広間の方を見やった後、

 

「今日一日先生たちはいたっていつも通りだったわ。特に私達を注視している様子もなかった。もし私たちのことがばれているのなら、今までに何かしらの反応があるはずよ」

 

そう言われて、僕も今日一日の先生達の様子を思い出す。

そうなのだ。ハーマイオニーの言う通り、確かにスネイプ、そしてそれ以外の先生も皆いつも通りに夕食をとっているのは間違いなかった。もし僕らのことがばれているなら、いくらか僕らに注意を向けていないとおかしい。

 

でも、だからと言ってハーマイオニーの推察には賛成出来なかった。

スリザリン、その上ダリア・マルフォイの取り巻きであるグリーングラスが、僕らのことを見逃すなんてことはあり得ない。ハーマイオニーの言う通りなら、確かにまだスネイプは僕らのしたことを知らない可能性は高い。でも、それが僕らを見逃したことを意味しているとは考えられなかった。スリザリンのことだ、何か企んでいると考える方が自然だ。きっとドラコにも知らせて、あいつと何かしらの悪知恵を働かせているに違いない。ドラコのことだ。スネイプと同様、僕らが苦しむことにかけては天才的な頭脳を働かせていることだろう。

ロンも僕と同じ考えだったらしく、

 

「……あいつが()()スネイプに言っていないだけなんじゃないか? 昨日の夜言わずに、今日一通り僕らの怯える様を見てから告げ口するつもりだとか」

 

僕もそうとしか思えない。教員席ばかり気になっていたためスリザリンの方を見ていなかったが、あいつらなら僕達の様子を楽しく見ていたことだろう。僕らが恐怖に震えている様子は、ドラコ達スリザリンにはさぞいい見世物に思えた。

でも、ハーマイオニーはどうやら僕らの見解には反対らしく、

 

「……時間が経てばそれだけ薬を私達が作った証拠にはならなくなるわ。あの薬、一日放置すれば『ポリジュース薬』でもなんでもなくなってしまうの。ただのよく分からないもののごった煮よ。だからこそ私達は誰も来ないトイレであれを温め続けていたのよ? それこそ私達がいない時も火だけは消さなかった。グリーングラスさんが今もあれに火をかけているとは思えないわ。彼女がスネイプ先生に間をおいて薬を届けるメリットなんて何もないのよ……」

 

そう自分の意見を固持した。僕とロンはこのハーマイオニーの突拍子のない意見に反論しようかと思ったが、意味がないと止めておいた。あのグリーングラスが何を企んでいるにしろ、ハーマイオニーの発言が正しければ、もう僕達が『ポリジュース薬』を作った証拠は意義を失っているはずだ。あいつ等に僕らの震える姿を見られたのには腹が立つけど、結果的には、

 

「僕らもしかして……退学せずにすんだ?」

 

ロンが恐る恐る尋ねると、ハーマイオニーは苦虫を噛み潰したような表情をしながら頷いた。

 

「やった!」

 

僕とロンは喜びを爆発させた。一日震えているしかなかった分、退学せずにすんだことが嬉しくて仕方がなかった。朝から最低な気分だったのが嘘みたいだ。退学になったとしても、せめてハーマイオニーだけは守れると自分を慰めてはいたが、退学になりたくないのは間違いなかったのだ。僕とロンは思わずその場で小躍りするように喜びを露にする。

しかし、

 

「そうね……確かにグリーングラスさんは見逃してくれたわね。だからこそ私たち自身で……自首するのよ」

 

ハーマイオニーの発言に、僕らは凍り付いた。

 

「な、なに言ってるんだ、ハーマイオニー! 正気かい!? せっかく退学にならずにすんだのに!」

 

思わず噛みつくように叫ぶロンに、ハーマイオニーも大声を上げた。

 

「だって、私は耐えられないわ! 私はマルフォイさんをとっくの昔に傷つけていたのよ! こんなこと許されていいはずがないのよ!」

 

「ダリア・マルフォイは『継承者』だぞ! あいつがどうなろうと知ったことか! ざまあみろだ!」

 

ロンの言い分に、ハーマイオニーはさらに気色ばむ。

 

「ロン! 何を言ってるの!? 昨日マルフォイさんが『継承者』でないと分かったじゃない!?」

 

ハーマイオニーの反論に、僕とロンは気まずい表情になる。マルフォイを頑なに信じるハーマイオニーの手前、僕らはまだあいつが『継承者』である可能性について話していない。僕らと違い退学にならないだろう彼女は知る必要がないと思ったのだ。知れば彼女の心労を増やすだけだ。でも、退学がなくなった今は……。ハーマイオニーの安全のためにも、話した方がいいのかもしれない。

僕とロンは少しの間逡巡した後、

 

「……ハーマイオニー。そのことなんだけど……」

 

意を決したように、昨日僕らが出した可能性について話始めた。

 

「多分ダリア・マルフォイは……単独で生徒を襲ってるんだ」

 

「……どういう意味?」

 

あからさまに怒りを滲ませるハーマイオニーに、僕はゆっくりと言い聞かせるように話す。

 

「確かにドラコ達はダリア・マルフォイを『継承者』だって思ってはいなかったよ。でも、それはあいつ等が知らないだけじゃないのかな。あいつ等には隠れて、ダリア・マルフォイが単独で『継承者』を名乗ってるんだと思う。それなら全部納得がいくんだ。ダンブルドアはダリア・マルフォイを、マルフォイ家とかスリザリンだからという理由で疑ってるわけじゃない。それならドラコも疑わないとおかしいよ。でも、ダンブルドアはダリア・マルフォイだけを名指しで疑ってる。多分、ダンブルドアにはダンブルドアであいつだけを疑う理由があるんだよ」

 

「……」

 

僕の言葉に、ハーマイオニーは段々と項垂れてゆく。表情の見えない彼女に僕は続ける。

 

「それに、あいつは昨日談話室にいなかった。それも多分昨日だけじゃない。ドラコ達の口ぶりだと、多分ここ最近ずっとじゃないかな。こんな時期にそんなことするなんて……。僕はあいつが『継承者』だと思うよ」

 

僕はそう言い切った。

信じていたものに裏切られたハーマイオニー。項垂れる彼女から、すすり泣きの音が聞こえ始める。僕とロンはどんな声をかければいいか分からず、ただそっとハーマイオニーのそばにいることしかできなかった。ただ何も言わず涙を流すハーマイオニーに本格的にどうすべきか考えだしたころ、

 

「……だったら」

 

「え? 何?」

 

ハーマイオニーがポツリと話し始めた。

 

「……だったら、私がやったことは何なの? ハリー達の話は分かったわ……。今回のことで、マルフォイさんが無実だと()()()()()()()()()()()。でも、証明できないからって、彼女がやったという証拠にはならないわ。私、あなた達の話に少しも納得できない……。でも、だからこそ……。私がやったことって何なの?」

 

「ハーマイオニー?」

 

ハーマイオニーの声は震えていた。

 

「彼女から受けたものを、少しでも返そうとして……。だから少しでも彼女の役に立とうと思って。彼女のことを守りたくて……。でも、私がやったことは、ただ彼女が()()()()()証明しただけで……。しかもその過程で、ただ彼女を傷つけて! それなのに私は……退学になることすら出来ない!」

 

そう最後に叫んだかと思うと、ハーマイオニーは走って行ってしまった。走り去る時、一瞬見えた彼女の横顔は……やはり泣き顔だった。

 

取り残された僕とロンは、突然の出来事についていけてなかった。

 

「あいつ、どうしたんだ?」

 

それは僕の方こそ聞きたかった。

僕は肩をすくめてロンに応える。所在なく立ち尽くしていたが、そろそろ夜も遅いと思い、

 

「寮に戻ろうか……」

 

「うん……」

 

そう言って、僕らも寮に向かって足を進め始めた。

 

 

 

 

 

その時、

 

「こんばんは、ポッター君、ウィーズリー君」

 

突然、背後から声がかかった。それはいつも僕に勇気を与えてくれる声だった。

慌てて振り返ると……

 

ダンブルドア校長がいつもと同じ優し気な表情をして、僕らの後ろに立っていた。

 

「二人とも、まだクリスマス休暇じゃというのに随分と暗い表情をしておるのう? 何か悩み事でもあるのかね?」

 



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告発(後編)

 ハリー視点

 

「ダ、ダンブルドア先生」

 

まるで初めからそこにいたかのように現れた先生に、僕とロンは驚きの声を上げた。

 

「ほっほっほ。驚かせてしまったようじゃのう」

 

「い、いえ」

 

朗らかに笑うダンブルドアはいつも通りの優しい声音であったが、先生の突然の来訪に僕達は内心慌てふためいていた。退学はもうないと思っていたが、実はグリーングラスがもう僕達の鍋を先生に渡しており、スネイプではなくダンブルドア先生が直々に退学を言い渡しに来たのかもと思ったのだ。しかしダンブルドアは、僕達の焦りに反して相変わらず穏やかな声音で続けた。

 

「せ、先生、どうしてここに?」

 

「いや何、先程言うた通りじゃよ。君達がクリスマス明けじゃというのに、朝から随分と顔色が悪そうじゃったからのう。ちと気になってしもうたのじゃよ。特にハリー、君は去年『鏡』のことがあったからのう。ただの年寄りの心配性じゃ」

 

先生はどうやら退学を言い渡しに来たわけではなく、朝から表情の優れない僕達が、また去年と同じく厄介なことに巻き込まれてはいやしないかと心配して下さっただけのようだった。

確かに、僕が去年『みぞの鏡』の虜になってしまったのも、このクリスマス休暇中の出来事だった。人の心の奥底にある望みを見せるという鏡に、僕はもうこの世のどこにもいない『家族』を見た。僕の背後に立つ、ヴォルデモートに殺されてしまった両親や親戚。もう絶対に手に入ることのない光景に、僕はどうしようもなく引き付けられてしまった。

でも、それはただの幻でしかなかったのだ。

鏡に映るのはただの『のぞみ』。決して現実を映すものではなかったのだ。

しかし僕はそうとは考えることが出来ず、ついには鏡の虜となり、もうすぐで生きることすら忘れてしまう寸前にまでなってしまった。僕を心配するロンの静止を無視し、毎日のように鏡の前に入り浸った。

そんな時に救ってくれたのが……ダンブルドア先生だった。僕に鏡の現実を教えてくれた。僕をそっと教え導き、鏡から僕を引き離してくれた。

思えば、僕がダンブルドアと会話したのはあの時が初めてだった。

あれからというもの、いつもここぞという時に僕を導いてくれたのは、いつもダンブルドア先生だった。鏡の時しかり、賢者の石を守った時しかり、そして……僕が『継承者』と疑われた時も。

 

僕はダンブルドア先生の優しい口調に、内心の不安が少しだけ和らいでいく気がした。この人なら、本当に僕らを心配して来てくれただけなのだと思った。

でも、ロンはそうは思わなかったらしく、

 

「ぼ、僕達、別にどこも悪くは……」

 

早くこの場から離れたいと言わんばかりの様子だった。僕もロン程不安に思う気持ちはなかったが、早く寮に帰った方がいいという考えには賛成だった。ダンブルドアがたとえ僕達を心配して来ただけとはいえ、あまり長々と話すとボロが出てしまうかもしれない。ダンブルドア先生は、僕が知る中で最も偉大な魔法使いだ。彼なら僕らの些細な異変からでも真実にたどり着いてしまうかもしれない。僕らが校則を破ったという真実に。

 

「ふむ……」

 

でも、もう遅かったのかもしれない。ダンブルドアは挙動不審な僕達の瞳を、あの()()()()()()()()()()()眼差しで見つめた後、一つ頷くと、

 

「ポッター君、ウィーズリー君」

 

そうやわらかな口調で話し始めた。

 

「確かに君達は体調には問題なさそうじゃのう。じゃがそれとは別に、何かワシに言いたいことがあるのではないかね? そうじゃのう、例えば……今ホグワーツで起こっている痛ましい事件のことで……」

 

まるで心の中を見透かされたようにピンポイントな質問だった。

 

「ど、どうしてそう思われたのですか?」

 

「ほっほっほ。何、ただの年寄りの勘じゃよ。ワシはち~とばかし君らより長生きしておるからのう」

 

ダンブルドアは再び朗らかに笑った後、

 

「しかしのう、もし君達が何か知っておるのなら教えて欲しいのじゃよ。恥ずかしい話じゃが、今回のことでワシは()()()証拠を掴めておらんのじゃよ。些細なことでもよい。気になることがあるのなら、是非教えて欲しいのじゃ。……グレンジャーさんのためにものう」

 

最後の言葉に、僕達は雷に打たれたような衝撃をうけた。

そうだ……。退学が怖くて言えなかったが、これは本来先生達に伝えないといけない情報なのは間違いないのだ。僕が以前聞いた『声』の話とは違い、これは今回の事件に深く関わる話なのだ。ダリア・マルフォイに裏切られるかもしれないハーマイオニーのためにも、あいつの今やっていることだけは絶対に先生に伝えないといけないと思った。それに、薬なら今あのグリーングラスが持っているのだ。ハーマイオニーの話ではもう証拠にならない可能性は高い。なら、うまく僕らのことを隠しながらでも、あのダリア・マルフォイのことを伝えるのは可能だと思った。

 

「せ、先生。実は……」

 

そして僕達は話し始める。ダリア・マルフォイが夜中城をうろついていること。それはもしかしたら、あいつが次の生贄を求めての行動かもしれないこと。僕達は、昨日得た情報の大部分をダンブルドアに話した。言わなかったのは、やはり自分たちがどうやってその情報を得たかだけだった。

僕らの話をダンブルドアは静かに聞き終えた後、

 

「成程のう……。ダリアが夜出歩いておる。そう、二人は言いたいのじゃな?」

 

そう、事実を噛みしめるように言った。

 

「はい。先生」

 

「……それが真実じゃとすると、驚くべき情報じゃ。無論それが彼女が『継承者』であると断言するモノではない。じゃが、ワシは彼女がもっと品行方正な優等生じゃと思っておったのじゃがのう」

 

僕達は、ダンブルドアにダリア・マルフォイが『継承者』である証拠を伝えれたと喜んだ。でも、話はそれだけではなかった。次の言葉で、僕達の表情は再び凍り付くこととなる。

 

「しかし、ハリー。君の話には一点だけ抜け落ちている所があるのう。この驚くべき情報は……一体どうやって手に入れたものなのかのう?」

 

まったく誤魔化せてはいなかったらしい。

 

「え、えっと、その」

 

僕等はしどろもどろに答えるしかなかった。先程の話も、まるで僕らがいつの間にか手に入れた情報のようにしか話さなかったのだ。

喜びから一転、再び訪れた退学の恐怖に挙動不審になる。

 

「……ポッター君、ウィーズリー君。ワシは以前、君たちが次校則を破ろうものなら、二人を退校処分にせねばならぬと言ったのう?」

 

口の開閉をただ繰り返すばかりの僕らに、ダンブルドアは静かに続ける。

 

「ワシとしては、君たちが如何にしてこの情報を掴んだかも非常に気になるところじゃ」

 

終わったと思った。奇跡的にスリザリンの告げ口を回避したと思ったのに、まさかダンブルドア先生に自分自身で罪の告白しないといけないのかと絶望した。

次の言葉で、ダンブルドアは僕達に退学を言い渡すのかもと絶望し、僕らは項垂れた。しかし、

 

「もしや君達が、()()校則を破ったのではと勘ぐってしまうのじゃが……。証拠がないからのう」

 

僕とロンははじかれたように顔を上げた。

 

「……それに、君達は友達を思って行動したのじゃろう? それは称賛に価することじゃ。どんなに困難な時も、その友情があれば大丈夫じゃ。それを大切にするのじゃぞ。グリフィンドールに点を与えたいところではあるが、生憎今は休暇中じゃ。これで我慢してくれるかのう?」

 

そう言って僕らにレモンキャンディーを差し出すと、ダンブルドアは最後に優しく微笑んでから、どこかに歩き去ってしまった。

残されたのは、レモンキャンディーを三つ手渡された状態で硬直する、僕とロンだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

クリスマス休暇、生徒が戻ってくるまでの最後の夜。私は誰もいない廊下を相変わらず一人で歩いていた。

遠くで時計の鳴る音がする。この音は、門限まであと僅かであることを示していた。今このホグワーツに残っている数少ない生徒達は、この音を聞いて自分の寮に戻っていることだろう。

 

でも、私は地下の談話室には足を向けなかった。寧ろ反対方向に足を進める。

 

……まだ戻るわけにはいかない。まだ会いに行くわけにはいかない。

まだ……そばにいるわけにはいかない。

あの声から『答え』を得るまでは。

 

だというのに……。

 

クリスマス休暇に入り、私はさらに長い時間をあの『声』探しに費やすようになった。休暇には授業も、そして生徒達の鬱陶しい視線もない。時間も人目も気にすることなく私は『怪物探し』に専念できる。これなら、少なくとも休暇中には『答え』を得ることが出来る。

 

そう思っていた。それなのに……。

 

休暇前は、あの声を私はよく耳にした。声の正体に気が付いてからはタイミングが悪いのか中々聞こえてこないが、意識を集中すれば、気配だけはちゃんと壁の中からいつも感じ取ることが出来ていた。

それがどうだ。休暇に入ってからというもの、一度たりとも『声』が聞こえてこない。それどころか気配すらしない。まるで最初からそんなものは存在しなかったかのように。

 

何故? 何故怪物を見つけ出せない? こんなに探しているのに、それこそ寝食の時間すらつぎ込んでいるのに、何故未だに声すら聞こえてこない? 私はこんなにも『怪物』を求め、必要としているのに。

 

 

壁に書かれた文字を信じるのなら、秘密の部屋はもう開かれている。怪物は今も壁の中を這いずり回っているはずなのだ。事実、休暇前はそこかしこで声を聴くことができた。

それがどうして、休暇に入った途端聞こえなくなってしまうのか? 何故、私が探し始めた途端、私のもとに現れてはくれなくなったのか。怪物が何かを殺すことを()()()()生き物なら、何故獲物を、『継承者の敵』を探していないのか? こんなことは絶対に()()()()()()

 

そうでなければバジリスクは……。

 

休暇ももう終わる。明日にはまたあの忌々しい視線が戻ってきてしまう。あと僅かな時間しか残っていないことに焦り、そしてある可能性から()()()()()()()()、私はほとんど走るような勢いで足を進める。走っていないと、頭が焦りと不安、そして頭から離れないこの恐怖でどうにかなってしまいそうだった。足を進めなければ、怖くて仕方がなかった。

階段を足早に駆け上がり、大広間の前を横切りながら考える。

 

こんなはずではなかった。今頃はバジリスクから答えを得ているはずだったのだ。

怪物が何であるか。私が『何』であるか。

何も知らない私が、ようやく自分自身を知ることが出来る。

私の中に潜むこの悍ましさが、一体どこから来るものなのかを。

 

私がはたして……このまま大切な人のそばに、存在していいのかを。

 

心にへばり付いて離れない恐怖感を振り払うように、私は大広間前の階段を駆け上がる。

そして階段を登り切り、そのまま廊下に入ろうとして……止まった。

 

いや、止まらざるを得なかった。

 

目の前の光景に、言いしれない違和感を覚えたのだ。

違和感と言っても、そこに特別何か変わったものが見えているわけではない。

ただ何か……何かがそこにいる気がした。透明な何かが、ジッとこちらを見ているような……そんな気がした。姿こそ見えないが、確かに目の前には何かがいるような気配がした。

 

私の気のせいだろうか? いや、そんなはずはない。ここには、確かに透明になっている()()()存在する気配がする。ここは魔法学校だ。透明になることが出来る存在など幾らでもいる。

でも、私の呪文を見破る存在はそこまで多くはない。

 

今の私は『目くらましの呪文』をかけている。この呪文は一年生の頃から使い慣れており自信があった。自慢ではないが、この呪文を見破るのは並の魔法使いには不可能だ。でも、この透明な何者かはこちらに明らかに視線をよこしている。透明になるという高度な呪文が使え、尚且つ私の呪文を見破ることが出来る程の能力を有する。

そんな()()は、私が思いつく限りで一人だけだ。

 

「……何をしておられるのですか? ()()()()

 

私が不機嫌な声音で話しかけると、今まで何もなかった空間に、髭の長い老人がまるで最初からそこにいたかのように姿を現す。予想通り現れたのはダンブルドアだった。老害は私に魔法がバレていたというのに、それに全く頓着なくいつもの()()()好々爺のような表情をしていた。

面倒な人間に、面倒な時間に会ってしまった。

 

「こんばんは、ダリア。何、年寄りの些細な悪戯じゃよ。それにしても……よくわかったのう」

 

いつも通り、()()()()()朗らかに取り繕ったダンブルドアはおどけた様に話す。それに対して、私は表情に現れることのない不機嫌さを、声で表現しながら返した。

 

「……気配だけはしましたので」

 

「流石主席じゃのう。ワシも学生の頃は主席じゃったが、君ほど優秀ではなかったのう」

 

「……御冗談を。それに、姿こそ透明でしたが、本当は隠れる気はなかったのでしょう? 先生程の方が、私くらいに気付かれる魔法をお使いになるはずがありません」

 

この老害は、曲がりなりにも『今世紀最も偉大な魔法使い』と称される程の存在だ。本気で隠れるつもりがあったのなら、私くらいの小娘に見破られるはずがない。ならばこれは、本当にこいつの言う通りただの()()だったのだろう。見破れたのならそれだけ私の実力を証明でき、見破れなかったらそれはそれで私を驚かせるつもりだったのだろう。驚かせれば、最初に少しでも自分の有利な方向に話を持っていくことが出来る。少なくともこいつが、私と下らない世間話をするつもりでここにいたわけでないことくらい分かっている。その証拠に、こいつの目だけはいつも通り警戒感を露にしていた。

 

「買いかぶりすぎじゃよ。じゃがまぁ、確かに君と話をしたかったのは事実じゃよ。気付かなんだら、こちらから声をかけるつもりじゃった」

 

ダンブルドアは一呼吸置き、

 

「ダリアよ。ワシが呆けておらなんだら、もうすぐ門限の時間じゃと思うがのう。なのに君はどこに行こうというのかな? こちらもワシが覚えて折る限りでは、スリザリンの寮は地下にあったはずじゃが?」

 

私は咄嗟に舌打ちしそうになるのを我慢しながら謝罪する。どうやら有耶無耶にはさせてもらえないらしい。

 

「……申し訳ありません。その通りです」

 

「そうじゃろうて。休暇とはいえ、こんな遅くに出歩くのは感心せんのう。休暇ということで減点こそせんが、以後気を付けるのじゃよ」

 

「……はい」

 

普通の生徒なら、減点されなかったことで安心するのだろうが、私は騙されはしなかった。こいつはこんな場所で、態々透明になってまで私を待ち構えていたのだ。こんなことで話が終わるはずがない。

これがこいつのやり方であると、私は去年のクリスマスに痛い程学んでいる。

そして案の定こいつの話には続きがあった。朗らかな仮面を捨て、真剣な面持ちでダンブルドアは言った。

 

「ダリアよ、君の事じゃ。ウィーズリー兄弟とは違って、()()()()()に、君は無意味に夜歩き回るようなことはせんじゃろう?」

 

それは、こいつにだけはされたくない質問だった。

 

「君はどうして夜歩き回ろうと思うたのかな? いや、夜だけじゃないのう。君は最近いつも共におる友達から離れて行動しておるのう。 何か……悩みでも……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

今ほど自分の無表情が有難かったことはなかった。

そうでなくては多分……私は冷静な表情を保てなかっただろうから。

心の中をどす黒い感情が暴れまわる。禁断の森やロックハートの授業でお兄様が襲われた時とは違う、でもそれと同じくらい強い怒りと殺意で心が満たされていく。

お前に何がわかる。私はお兄様達から離れたくて離れてるんじゃない。こうして夜出歩いているのだって、お前が私に『鏡』さえ見せなければ!

 

私は思わず杖に手を伸ばしかけ……止まった。

 

落ち着け。こいつは私の反応を見ているのだ。こいつに私の心を見せてはいけない。

それに、こいつの言うことは何も間違っていない。……本当は分かっている。『鏡』のことだって、こいつはただ私に見せただけだ。あの鏡にあの光景を見たのは、私が化け物だからだ。こいつにその責任はない。お兄様やダフネから離れたのだって、私がこんな怪物だから。それだけだ。これは()()()なのだ。こいつを責めるのはお門違いだ。

 

私は自分を何とか納得させ、でも少しぶっきらぼうに答えた。

 

「……考えすぎですよ。ただ、まだ眠れそうにないと思っただけです」

 

納得はしても、決して頭から怒りが消えたわけではなかった。これ以上こいつの顔など見たくない。そうでないと、またこいつを()()()()()()()()()()()()

 

「すみません。もう門限の時間ですので帰ってよろしいでしょうか? ()()()()()ですし」

 

私の応えにダンブルドアが何か言う前に、私はそう宣言する。こいつの口ぶりからすると、こんな危険な時期に私が出歩いていることに警戒している様子だった。だからそれを逆手に取った。こんな時期に、生徒である私をこんな所にとどめておいていいのかと、私は言外に問うたのだ。こいつの質問に何一つ答えていないため、多少警戒されるかもしれないが、それは今更だ。

ダンブルドアは一瞬警戒した視線を強めたが、同時にこれ以上留めることが出来ないとも思ったらしく、

 

「そうじゃのう……。引き留めてしもうて悪かった。おやすみ、ダリア」

 

そう、私を解放した。

 

ダンブルドアの目は、やはり最後まで私を警戒しているものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

遠ざかってゆくダリアの背中を見つめながら、ワシは昔のことを思い出していた。

 

この光景は……あの時と同じじゃ。あの時、トムがハグリッドに罪を擦り付ける直前の時と。

あの時も、トムは精力的に夜ホグワーツを歩き回っておった。ダリアと違い、当時のディペット先生に呼び出されたという言い訳が用意されておったが、確かにトムは夜に出歩いておった。彼の罪を肩代わりする生贄を探すために。

 

何もかもが、とても偶然とは思えない程の一致が、ダリアとトムにはあった。

今思い返せばあの時、トムと話した場所すらも、この大広間前の階段上じゃった。

 

あの時の後悔が蘇る。わしはあの時、愚かにもトムが何か企んでいると感ずいておりながら、彼の犯行を見逃してしもうた。愚かにもトムをそのままにしておいてしまった。その結果、ハグリッドはホグワーツから追放され、杖も折るように言い渡された。最終的にはワシがディペット先生に頼み込むことで、ハグリッドは森番としてホグワーツに留まり、杖は今も折られず彼の傘の中に隠されている。じゃがそれでも彼の人生を大きく狂わせてしまったことには変わりはない。

 

わしは一体……あの時どうすればよかったのじゃろうか。

 

わしは昔から、人一倍他者より賢かった。じゃが、その分間違いも他者より人一倍大きかった。

年を取り、周りからは今世紀最も偉大な魔法使いともてはやされてはおるが、実際は後悔ばかりの人生じゃ。

ハリーのこと。リリーのこと。ジェームズのこと。ハグリッドのこと。トムのこと。ゲラートのこと。

 

そして……アリアナのこと。

 

長く生きた分、数えきれない程の後悔が生まれた。いや、おそらく後悔だけならワシと同じ長さを生きた人間でも多い方じゃろう。

 

そして今も、その数多い後悔の一つがわしを苛む。

 

わしは一体どうすればトムを止められたのじゃろうか。一体どうすれば、ハグリッドを犠牲にせずにすんだのじゃろうか。

答えはなかった。全てが過去。もうどうすることも出来ぬこと。考えても、全てはたらればの話でしかない。

 

じゃが、これだけは分かる。

あの時と同じことを繰り返してはならぬ。

あの時と同じように、一人の少年が居場所を失い、そして一人の少年が闇に落ちたことを繰り返すわけにはいかないのじゃ。

 

じゃが、それが分かっておりながら、ワシに出来ることはあまりに少なかった。ダリア・マルフォイが『継承者』であったとしても、彼女の犯行を証明するものは何一つとして存在しない。トムの時と同じように。

じゃからワシが大ぴらに何かをするわけにはいかぬ。あからさまに何かすれば、ダリアと裏で繋がっているであろうルシウス・マルフォイが、ワシをここから追放するじゃろう。それはあってはならない。ハリーがトムと戦えるようになるまで、ワシはここから追放されるわけにはいかん。

 

じゃからせめてワシに出来ることは……。

今後の計画を練りながら、ワシはあるべき未来に思いをはせる。

 

今度こそ、誰も死人が出ることがないように。誰も罪を擦り付けないように。

 

トムと同じ空気をした生徒が、これ以上闇に落ちることがないように……。



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張り出し

 ハーマイオニー視点

 

クリスマス休暇を終え、生徒達がホグワーツに帰ってきた。ホグワーツに残っていた私達のクリスマスは、おそらく過去最低のものになってしまったけれど、彼らはそんなことはなかったのだろう。クリスマスプレゼントに久しぶりの家族との時間。寮になだれ込んできた皆の表情は、クリスマス休暇明けらしく非常に明るいものばかりだった。

ただそんな明るい顔の生徒ばかりの中で、私のルームメイト、パーバティ・パチルとラベンダー・ブラウンだけは、彼らとは少し趣の違った表情を浮かべていた。楽し気な周りの空気に反し、二人は()()をありありと浮かべた表情で、私に声をかけてきた。昨日までとは比べ物にならない程の人口密度になった談話室で、パーバティ・パチルが私に抱き着きながら話す。

 

「ハーマイオニー! 大丈夫だった!? 私、クリスマス休暇中あなたが心配で仕方がなかったの!」

 

パーバティの第一声に、とても嫌な予感がした。

 

「私もよ! ホグワーツに残ったマグル出身の子は、ハーマイオニー、あなただけだったもの! 休暇中、あなたが襲われていやしないかと不安だったのよ! それにほら、クリスマスは()()()も残っていたし……」

 

『あの子』が一体誰のことなのかを想像するのは、そう難しいことではなかった。私の思考が勢いよく凍り付いてゆくのを感じる。

二人に悪意なんてないことは分かってる。彼女達は、グリフィンドールの仲間として、『マグル生まれ』の私を純粋に心配してくれただけに過ぎない。

 

でも……今はそれが酷く腹立たしかった。彼女達の言葉の端々に、マルフォイさんが『継承者』だという思いが見え隠れしているから。

 

「……大丈夫よ。私はこの通りピンピンしてるわ……」

 

クリスマスの夜から碌に眠れていない脳から、何とか言葉をひねり出す。それだけしか……今の私には言えなかった。

本来なら、私は既にマルフォイさんの疑いを晴らしているはずだった。いつも私を助けてくれた彼女を、今度は私がこの状況から救い出しているはずだった。校則を破ってまで作った『ポリジュース薬』によって。本当であれば、ここで彼女達の誤解を解くことだってできたはずなのだ。

でも、それは大きな間違いだった。私がやったのは、ただ彼女に薬を()()()だけ。薬がかかったことで、マルフォイさんとグリーングラスさんの間で一体何があったのかは分からない。けど、それによって彼女を傷つけたことだけは確かだった。

 

私は結局……マルフォイさんを傷つけることしか出来なかったのだ。

 

そしてまた一つ、私は彼女を傷つける要因を作ってしまったようだった。

 

「そうは見えないわ!? ハーマイオニー、あなた顔が真っ青よ! まさか、ダリア・マルフォイに何かされたの!?」

 

どうやら私は思った以上に酷い顔色になっているのかもしれない。大丈夫だという言葉とは裏腹に、私の顔色が悪いのを二人は勘違いしてしまったようだった。

私は疲れ切った表情で、首を横に振る。

 

「……違うわ。彼女は何もしていないわ。()()()()()()()()。寧ろ……()()マルフォイさんを傷つけたの……」

 

絞り出すようにそう言った私は、私が何を言っているか分からず怪訝な表情を浮かべるパーバティとラベンダーをしり目に、重い足取りで寝室に上がっていく。これ以上、彼女達の言葉を聞きたくはなかった。そうでないと、ただ私を心配してくれているだけの彼女達に、私が何をしてしまうか分からなかったから。

二人の視線から逃げるように寝室に戻ってきた私は、投げ出すようにベッドに沈み込む。

 

体が重い……。明日からまた授業があるというのに、体はただただ鉛のように重かった。

重い体をベッドに横たえながら、私は明日からの授業について考えようとする。でも、私がどんなに考えようとしても、思考はこれっぽっちも前に進むことはなかった。

明日からどうすればいいのか……私にはさっぱり分からなくなってしまった。

 

明日から私は……一体どんな顔をしてマルフォイさんに会えばいいのだろう。

 

マルフォイさんのことを思うと、心がどうしようもない罪悪感に満たされる。

彼女を裏切るつもりなんてなかった。私はただ、彼女の無実を証明したかっただけなのだ。

でも、私は結果的に彼女を裏切ってしまった。私の気持ちはどうであれ、私の行動は、彼女をさらに追い詰めてしまうものだった。

考えれば考える程、このどうしようもない罪悪感は大きなものになっていく。

 

謝りたかった。ただ彼女に一言謝罪をしたかった。薬をかけてしまったことを。結果的にとはいえ、彼女を疑うような行動をしてしまったことを。去年のホグワーツ特急前でのように。

でも謝りたくても……彼女に謝ることは出来ない。彼女は私のしたことを知らない。知ってしまえば、きっと彼女を今以上に傷つけてしまうから。

 

謝れないのなら、いっそのこと退学になってしまいたかった。それくらいしか、今の私に見合う罰は思いつかなかった。

でも、それも出来ない。私の退学になる理由は、『ポリジュース薬』を作ってしまったこと。しかしそれを先生に話すということは、同時にスリザリン寮であったことを話すことと同義だった。もし、私達の得た情報がマルフォイさんの無罪を証明するものなら、私は躊躇わず先生に話したことだろう。でも……実際は違う。私達の得たものは、彼女の無罪を証明するものでもなんでもなく、ただ彼女が単独犯かもしれない可能性を示すものだった。夜出歩いているという情報だって、それで彼女が犯人だとする理由にはならないだろうけど、彼女の疑いを更に深めてしまうものであることには間違いなかった。

ハリーの意見を先生が鵜呑みにするとは思えない。けどハリーの話は()()()()()()()()()、理解は出来る話だったのも確かだった。

この話を先生にしてしまえば、さらにマルフォイさんを苦境に追いやってしまうかもしれない。それだけは、絶対にあってはいけないことだった。

 

マルフォイさんを助けることも出来ず、挙句の果てに彼女を傷つけ、そしてその罰を受けることも出来ない。

行き場のない罪悪感が私を苛む。眠りたくても眠ることが出来ず、どんどん顔色が悪くなっていく。

そしてそれがまた、私がマルフォイさんに何かされたのではと噂を呼ぶ。何もかもが悪循環だった。

 

……とにかく眠ろう。クリスマス休暇は終わり、明日からは授業が始まる。今日はグリフィンドールの子だけにしか見られなかったけど、明日からは他の寮の子にも見られてしまう。その時顔色が悪ければ、()()私はマルフォイさんを傷つけてしまう。

 

そう頭では分かっていても、やはり中々眠ることが出来なかった。

結局私が眠りに落ちたのは、談話室で土産話でもしていたのだろうパーバティとラベンダーがベッドに入った後のことだった。

 

 

 

 

今回のことで私は、良かれと思っても決してそれがいい結果を呼ぶわけではないことを知った。

一向に前に進まない思考。でも、そんな中でもこれだけは、私は無意識の中で決断していた。

もし、次があるなら。もし、次が許されるのなら、私は次こそは間違えない。次こそはもっと慎重に、完璧に完遂してみせる。そうでなければ、マルフォイさん、そして彼女の友達であるグリーングラスさんに申し訳が立たない。今回の失敗を、必ず次に生かして見せる。謝罪も、罰を受けることも出来ないのなら、次こそ彼女を救わなければならない。

そう、私は鈍い思考の中でぼんやり考えていた。

 

次なんてものが、本当に許されるのかも分からないのに。

 

私はどこか信じていたのかもしれない。甘えていたのかもしれない。

()()()()()

こんな事態になっているというのに、私はどこかそのことに甘えていたのかもしれない。()()()()()私はマルフォイさんに守られ、そして愚かにも私は彼女を傷つけたかもしれない。でも、()()()()()違う。これからは、今回の失敗をいかし、必ずうまくやって見せる。そう、どこか安易に考えてしまっていた。

 

でも、今回の行動の結果は、これまでも、そして()()()()()彼女を傷つけていくことを、私は気が付くことはなかった。

 

愚かにも私は、その()()()()を見た時も、初めはそれに気が付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

休暇明け初日。今日からまた授業が始まるため、昨日までとは比べ物にならない程人であふれた談話室。でも、人は多いものの、談話室は異様な静けさに満たされていた。皆まるで息を殺したように押し黙っている。

まるでそうしなければ、次は自分が石にされてしまう。そう言いたげに、皆の表情は恐怖に満ちている。

そして皆の視線の先、超満員の談話室の中で唯一ぽっかりと開けた場所に……ダリアが立っていた。

掲示板の前に立つ彼女は、表情だけならいつもの無表情だ。でも、彼女の垂れ流す空気は、傍からでも分かるほど不穏なものだった。いつもはダリアの表情が分かるのは私とドラコだけだ。でも、今は全員がダリアの怒りを分かってしまうほど、彼女の放つ空気は冷たく、痛かった。

 

そんな普段ではあり得ない程怒り狂っているダリアは、ジッと一枚の羊皮紙を見つめている。

その掲示は今朝談話室に張り出されたのものだった。

 

『全校生徒は夕方六時までに、各寮の談話室に戻るように。六時に寮監が点呼をとります。それ以後は決して寮を出てはなりません。しかし、クラブ活動に関してはその限りではありません。それぞれの寮監にあらかじめ許可を貰いにいくように』

 

掲示板の前に立つダリアを遠巻きに見つめている私に、ドラコが声をかけてくる。

 

「……あの爺。どういうつもりだ?」

 

ドラコの疑問は尤もだった。

そもそもこの手の措置は、『秘密の部屋』が開かれた段階で行うべきものだ。それをあの老害は、特に何の手立ても講じず、ただ漫然と今まで事態を放置していた。ただ『継承者』でもないダリアを疑っただけ。そんなものは放置と同じだ。

ところが、クリスマス休暇が明けた瞬間、あの爺は急にこの様な強硬的措置を取り始めたのだ。

クリスマス休暇中、何の事件も起こっていなかったのにも関わらず。

そしてその内容も妙なものだった。何故、()()()()()()()()()。確かに、ミセス・ノリスとグリフィンドール生は夜襲われたものだった。でも、ハッフルパフ生は違う。彼は授業中、つまりまだ日が高い時間に襲われたのだ。夜だけをピンポイントに狙う理由にはならない。本来であれば夜だけではなく、それこそ教室の移動に護衛をつけるなどの昼間の警戒も必要なのだ。

 

クリスマス明けというタイミング。そして()()()を狙った警戒態勢。

不可解なことだらけな中、それでも気づかわし気にダリアを見つめるドラコの横で……私は顔から血の気が引いていくのを感じながら立ち尽くしていた。

 

ドラコと違い、私はこの下らない張り出しが出された()()()()を知っているかもしれない。

そして私の想像がもし正しければ……私は取り返しのつかないことをしてしまったかもしれないから。

 

クリスマス休暇中にあった変わったこと。私が思いつく限りでは、そんなものは一つしかない。

わざわざ『ポリジュース薬』を作ってまで、スリザリン寮に入り込んだ愚か者三人組。これしか私には思いつかない。

彼女達にダリアのことで不利になることを言った覚えはない。グレンジャーはともかく、ポッターやウィーズリーがお気に召すような、ダリアが『継承者』だと示すような話は一切していないはず。

でも同時に、ダリアは談話室にいなかった。もし、彼女達が何かしらの()()に取りつかれ、それを先生の誰かに告げていたとしたら……。

 

私はそれに思い至った途端、未だダリアの怒りに静まりかえる談話室から駆け出す。

 

休暇が終わる直前、ダリアは突然戻ってきた。休暇前ですら帰ってこなかった、門限直後の時間。私とドラコは談話室で待っていてはいたものの、休暇が終わるまでダリアの姿を確認できないだろうと薄々は思っていた。

でも、私達は諦めることなんて出来なかった。いや、諦めることなんて許されるはずがなかった。ダリアを傷つけてしまった私達が、彼女の帰りを諦めることなんて絶対に許されていいはずがなかった。

そんな中思いがけずダリアが帰ってきたことに、私とドラコは狂喜した。邪魔な生徒はいないため、ダリアと話が出来るチャンスかもとも思ったが、ダリアが相変わらず私達を拒絶する態度をあからさまにしていたこと、そして彼女の表情に隠しようのない疲労が見えたため、私達はダリアと話すことを諦め彼女にはすぐ寝室に行ってもらうことにしたのだ。

あの時、私とドラコは本当に喜んだ。

ダリアと必要な話は何一つ出来なかったけど、ダリアの無事を一日でも早く確認することが出来た。

休暇なんて早く終わってほしい。ずっとそう思っていた。彼女のいない休暇なんて、ただただ無価値で無意味な時間だったから。でも、それも終わり。

本当は彼女に言いたいことは山ほどあった。

私のしてしまったことを謝りたかった。ダリアが吸血鬼であると知っていたことを告白したかった。たとえ吸血鬼であろうとも、私はダリアのことが大好きなのだと伝えたかった。

どんなことがあろうとも、ダリアが本当はどんな存在であったとしても、私はダリアの味方であると言いたかった。

でも、それはあの時すべきことではなかった。あの時はただ、ダリアの無事を確かめたかっただけなのだ。怪我をしてはいないか。ちゃんとご飯は食べていたのだろか。ちゃんと睡眠はとっていたのだろうか。

それだけを、私はまず確認したかったのだ。あの時は、ただただ疲れ果てた様子のダリアを休ませてあげたかった。

話は出来なかったけど、ダリアはようやくこんな時間に帰ってきてくれるようになったのだ。今まで許してはくれなかったけど、少しだけ、少しだけは私達を許す気になってくれたのかもしれない。まだまだ避けられるかもしれないけど、ダリアは確かに戻ってきてくれたのだ。明日からゆっくりとでもいい、彼女とまた以前の関係、いや、それ以上の関係を築いていくんだ。

そう私は微かに期待し、()()()()()()()

 

そう、()()()()()()()

 

ダリアが何であんな時間に帰ってきたのか深く考えず、ただもしかしてという甘い考えに縋ってしまった。

少しでも考えれば、あんな時間にダリアが帰ってくるはずなんてないのに……。

私がダリアにしてしまったことは、簡単に許してもらえるようなものであるはずがないのに……。彼女の苦しみを理解したいと思っていながら、私はどこか彼女の強さに甘えてしまっていたのだ……。

 

私はひたすら走る。

お願い。お願いだから、そうであってはくれるな。私の罪を、これ以上増やさないで。これ以上、私はダリアを裏切りたくなんてない。

 

そう願いながら走り続け、ついに目的の場所にたどり着いた。

 

皆が朝食をとるために集まる、ホグワーツの大広間に。

 

大広間には、昨日までは考えられない程の音があふれていた。談話室で身動きが取れなくなっているスリザリンとは違い、他の寮は皆もう朝食をとり始めている。クリスマス明け、そしてこの場にダリアがまだ来ていないこともあって、大広間の空気は非常に明るい。

そんな忌々しい空気の中、私はわき目もふらず、自身の所属するスリザリンではなく()()()()()()()()()()を目指して足を進める。途中、スリザリンである私が何でグリフィンドール席を歩いているのかと、疑問と敵意に満ちた視線を向けられたが、全て無視して前に進む。私にとって、今やこの学校にいるほとんど全ての人間は無価値な生き物だった。あんなに優しいダリアを『継承者』と疑うような低脳など、私にとってどうでもいい存在だ。

 

そんな有象無象の中から、私は目的の人物を探す。

この愚かな寮の中で唯一ダリアを疑っていないものの、同時にこの中で最もダリアを傷つけてしまった女子生徒を。

でも、どこにもいなかった。まだ来ていないのだろうか。

私は内心の苛立ちを隠すことなく、すぐそばでこちらに恐怖の視線を送るロングトムに話しかける。

 

「ロングボトム。グレンジャーはどこ?」

 

スリザリンである私が恐ろしいのか、ロングボトムはしどろもどろに話し始めた。

 

「な、なんで、ハーマイオニーを探してるの? も、もしかして、ハーマイオニーに何かするつもりじゃないだろうな!?」

 

恐怖と警戒に満ちた瞳をしながらも、まるでなけなしの勇気を絞っているような態度だった。スリザリンである私が、彼女に何かよからぬことをしようとしているとでも思っているのだろう。その見当はずれな態度に私はさらに苛立ちを募らせ、声を荒げようとして、

 

「……グリーングラスさん?」

 

背後から声がかかった。振り返ると、それは私の探している生徒のものだった。

 

「……どうしたの? な、何か用?」 

 

ハーマイオニー・グレンジャー。以前見た時より多少顔色の良い彼女は、後ろにポッターとウィーズリーを連れ立っていた。

敵意と警戒に満ちた表情のポッター達と違い、グレンジャーはただ私がここにいることが疑問の様子だ。

私はそんな彼女に、

 

「グレンジャー……。貴女に聞きたいことがある」

 

そう、()()()()()()声で話した。

まだ確証はない。でも、私には彼女達が何かしたという可能性しか思いつかなかった。こいつらには思慮はないくせに、行動力だけは備わっている。

あの掲示は、こいつらの差し金だとしか思えない。

 

「グリーングラス! なんでお前なんかにハーマイオニーがついていかないといけないんだ! ここはグリフィンドールの席だぞ! スリザリンは自分の席に行けよ!」

 

私の敵意に反応して……というより、私のつけている緑のネクタイに反応して、ウィーズリーは私に噛みつこうするが、

 

「ロンは黙っていて! 私行くわ! グリーングラスさん、どこで話すの?」

 

グレンジャーが言葉を遮り、私に了承の意を返してきた。

手間が省けた。もし少しでももたつこうものなら、魔法で脅してでも連れて行こうと思っていたのだ。

私はグレンジャーに返すことなく、無言でついてこいと示し歩き出す。私がクリスマスの夜のように怒り狂っているのが分かるのか、どこか不安そうにしているグレンジャー。そして彼女を心配したのかしらないが、求めてもいないのに彼女に同行するポッターとウィーズリーを連れ、私達は大広間の外に出た。

グレンジャーに心配そうな視線を送るグリフィンドール生達を無視して大広間を出た私達は、そのまますぐ横にある部屋に入った。そこは以前、組み分けの前に一年生が待機させられた部屋だった。

扉を閉めたことを確認した私は、すぐにグレンジャーに質問する。

 

「単刀直入に聞くよ。グレンジャー……。あなた、何をしたの?」

 

「え? どういうこと?」

 

彼女のとぼけた態度に殺意がわいた。何もしていないで、なんであんな張り出しが出ると言うのだろうか。

 

「とぼけないで。今朝の掲示。あんなもの、クリスマスに何かなければダンブルドアが出すはずがない。もう一度聞くわ。……あなた、なにしたの?」

 

「な、なにをしたかと聞かれても……」

 

グレンジャーは尚も応えようとしない。私は内心の怒りを抑えることがいよいよできなくなり、ポケットの杖に手を伸ばそうとしたところ、

 

「グリーングラス。ハーマイオニーは何もしていない。やったのは僕等だ」

 

今まで私を睨みつけるだけの案山子だったポッターが話し始めた。

彼はグレンジャーを庇うような位置に移動する。

 

「……どういうことかな?」

 

「クリスマスの後、ダンブルドアが僕らの話を聞きに来たんだ! ハーマイオニーは関係ない! ダンブルドアは僕らがダリア・マルフォイについて何か知ってるんじゃないかと気が付いていたんだ! だから僕は話した! ダリア・マルフォイは夜中に出歩いているって!」 

 

最悪の予想があたってしまった。よりにもよってこいつは……。

これで全てが繋がってしまった。ダンブルドアは、こいつの話を真に受けてあの晩、ダリアに会いに来たのだ。そしてダリアを寮に送り返し、クリスマス明けにはあんな張り出しを出したのだ。

 

あの張り出しは……ダリアを狙い撃ちにするものだった。

 

「僕達がスリザリンの談話室に入った時、ダリア・マルフォイはいなかった! それに、君達も最近あいつが帰ってこないって言ってたじゃないか!」

 

「……まれ」

 

昔、私は愚かな純血主義者だった。『マグル生まれ』や『血を裏切る者』なんて()()()()()()と言ってしまったことだってある。でも、あれは本気なんかではなかった。ただ、そう言わなければ心を穏やかに保てない愚かな子供だったのだ。殺すなんて、本気で思ってなどいなかった。ただのかっこつけ。愚かにも純血主義を、ただのファッションとして扱っていただけのなのだ。

 

でも、今は違う。多分、これこそが本当の殺意なのだろう。

私は今、ポッターを本気で殺したいと思っていた。

 

「君とドラコはあいつが『継承者』だって知らないみたいだけど、あいつが最近夜誰もいない時間に何かしているのは間違いないんだ! ダンブルドアもそう思っているんだ! だからこそ、今日あんな掲示が出たんじゃないのか!? ダリア・マルフォイの悪だくみを防ぐために!」

 

「……黙れ」

 

ポッターに続きウィーズリーが得意顔で話し出す。

 

「言っておくが、僕達がスリザリンに忍び込んだことを告げ口しても無駄だぞ! ダンブルドアも僕達の話の出所を訝しがっていたけど、証拠がなければ何も出来ないって許してくれたぞ! お前がどういうつもりだったのかは知らないけど、もうお前の持っている『薬』は何の意味もないからな! だから、」

 

「私は黙れと言ってる!! ウィーズリー!!」

 

あぁ……どうして。どうしてこんなにも上手くいかないのだろうか。

私はただ、ダリアが平穏であればいい。そう願っただけなのに。どうしてそんな簡単な願いすら叶わないのだろう。

私はこいつらを退学にしておくべきだった。退学にしておけば、ダリアがあんなに怒ることはなかった。

 

いや、それはないか。こいつらを退学にしようとも、ポッター達は必ずダリアの話をしただろう。それを受け、あの老害が何もしないとは思えない。

こいつらがスリザリンの談話室に入った時から、この未来は決まっていたのだ。

きっとダリアも気が付いている。

こいつらがダンブルドアに告げ口したからとまでは知らないだろうけど、それでも、ダンブルドアが何の目的であの張り出しを出したのかは分かっているのだろう。

だからこそ、ダリアはあんなにも怒っていたのだ。

 

ダンブルドアはダリアに警告しているのだ。

夜お前が出歩き、何か企んでいるのを知っていると。

 

私は敵意を露にこちらを見つめるポッターとウィーズリーを無視し、黙って部屋のドアを目指した。

聞きたいことは全て聞けたこともあるが、これ以上こいつらと同じ空気を吸いたくなかったのだ。

 

これ以上こいつらの話を聞いていると、私はこいつらに何をするか分からないから。

 

しかし部屋を出る直前、

 

「グリーングラスさん……私、こんなつもりじゃ……」

 

今まで絶句したように黙っていたグレンジャーが話しかけてきた。

私は振り返り、グレンジャーの顔を眺める。

ポッター達の話が進むにつれ、顔色がみるみる土気色になっていたグレンジャー。きっと彼女は何も知らなかったのだろう。この様子だと、グレンジャー本人はダンブルドアに話す気などなかったのかもれない。グレンジャーが知らないうちに、ポッター達にダンブルドアが接触したのだと想像できる。

 

でも、それでも私は……。

 

「……疑ってごめん。グレンジャー。貴女が言ったわけじゃなかったんだね……。それは疑ってごめん……。……でもね、一つだけあなたにお願いしたいことがあるの」

 

私は扉を閉める直前告げた。

 

「もう二度と……ダリアに近づかないで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「言うまでもありませんが、これからの時間寮の外を出歩くことは許されません。早い時間だとは思いますが、これも皆さんの安全のための措置です」

 

コリン以外の全員がいることを確認したマクゴナガル先生は、名前の書いてある羊皮紙をクルクル巻きながら宣言した。先生はそのままグリフィンドール寮から出ていこうとしたところで、

 

「この措置はいつまでやるんですか!?」

 

ウィーズリー兄弟と仲良しである、リー・ジョーダンが先生の背中に大声を上げた。

彼の隣にいるフレッドとジョージもそうだけど、休暇明け早々いつもであればまだ城の中を歩き回れる時間帯に寮に押し込められるということに、彼は強いストレスを感じている様子だった。先生はそんな彼の方に鷹揚に振り返ると、

 

「犯人が捕まるまでです。襲われた者はまだ二人と一匹、そしてニコラスしかおりませんが、このまま襲撃が続けば学校の閉鎖も検討される可能性があります。犯人について何か心当たりがある生徒は申し出るよう強く望みます」

 

そうマクゴナガル先生は話し、今度こそ肖像画の裏の穴から出て行った。

先生が出て行った途端、集まっていたグリフィンドール生は口々に話し始める。

そんな中、一際大きな声で、そして最も注目を集めたのは先程先生に質問したリーだった。

 

「今まで襲われてきたのはグリフィンドールの生徒とゴーストが一人ずつ。そしてハッフルパフが一人。レイブンクローはともかく、こんな状況で最も怪しいのは()()()だけだ」

 

リーの言葉は続く。

 

「先生方は誰も気が付かないのか!? こんなことするのはスリザリンに決まってる。()()()()()()継承者。()()()()()()怪物。全部スリザリンに関係するものばかりだ。それにあの寮には()()()がいる。犯人に心当たりがあるかだって!? そんなのダリア・マルフォイ以外にいるわけないじゃないか! いや、あいつだけじゃない! 他のスリザリンだって、『継承者』じゃなくても、あいつを支持してるのは間違いないんだ。だったら、どうしてスリザリン生を全部追い出さないんだ!?」

 

リーの演説に同感なのか、ほぼ全員が頷き拍手を送っている。

ただ一人、談話室の端で青い顔をするハーマイオニーを除いて。

昨日以上に顔色を悪くしているハーマイオニーは、拍手することもなく、ただ足を抱えた状態で椅子に座り、何をするでもなく宙を見つめている。クリスマス休暇を挟み、ハーマイオニーとは逆に顔色が良くなっているジニーがしきりに話しかけても反応しない様子だった。

 

彼女のこんな姿は、朝食前グリーングラスが話しかけてきてからのものだった。あれからというもの、授業に出ることもなくただジッと談話室で椅子に座っている。クソが付くほど真面目なハーマイオニーが授業をさぼるなど、去年僕らの心無い言葉に傷つきトイレに籠ってしまった時以来だった。

 

「ハ、ハーマイオニー、大丈夫かい?」

 

「……ごめんなさい、ハリー。今は放っておいて……。一人になりたいの……。今、あなたと話したくないの……」

 

ずっとこの調子だ。ジニーだけでなく、僕とロンが話しかけてもただ一人にしてくれの一点張り。後ろにいるロンを振り返るも、彼も途方に暮れているのか、ただ肩をすくめるだけだった。

結局僕らがいくら話しかけても、最後までハーマイオニーがまともに反応することはなかった。

 

「まったく。あいつどうしちゃったんだ? あいつが授業をさぼるなんて絶対おかしいぜ。それこそ世界の終わりが来ようとも、授業だけは出る様な奴なのに……」

 

「そうだよね……」

 

ハーマイオニーがルームメイトに引きずられるように寝室に戻った後、僕らも寝室で彼女の心配をするがやっぱり答えは出ない。

正直彼女が心配なため、寝ているような気分でもなかったが、

 

「……少し様子を見よう。でも、もし明日も授業に行かないって言い出したら医務室に連れて行こう」

 

「……そうだね。それしかないか……」

 

僕等の助けも拒絶するハーマイオニーに、これ以上何が出来るか分からないのも事実だった。

昨日までと違い、明日からも授業が続く。とりあえず今日はもうベッドに入り、ハーマイオニーへの対応は明日考えようということにした。

 

ロンがローブから寝巻に着替える横で、僕も着替え始める。ローブを脱ぐ際、まだポケットに物が入っているのに気づき、中身を机の上に置いた。

 

それは昼に『嘆きのマートル』がいるトイレで拾ったものだった。

 

 

 

 

本日午後。授業に出てこないハーマイオニーを心配しながら次の教室に移動している時、三階の廊下がいつも以上にずぶ濡れになっていることに気が付いたのだ。もう勝手知ったるマートルのトイレに行ってみれば、案の定マートルが癇癪を起しているみたいだった。

 

「どうしたの? マートル」

 

何だか放っておくことも出来ず、僕がマートルに話しかける。

 

「どうしたかですって!? 白々しい! どうせあなたも私に物を投げつけにきたんでしょう!?」

 

どうやら藪蛇だったようだった。酷く面倒くさいことになってしまったが、やはりこのまま無視することも後が引けるので話し続ける。

 

「僕らはそんなことしないよ! 何か投げつけられたの?」

 

マートルは胡乱げに僕を見つめながら、

 

「そこにある本よ。誰が投げたのか知らないけど、私がU字溝で死について考えていた時に、突然頭のてっ辺から落ちてきたの」

 

そう言ったきり、彼女は再び泣きわめきながらトイレにダイブしてしまった。トイレの奥から聞こえるゴボゴボというマートルのすすり泣く音を聞きながら、僕は彼女が先程指示した場所に目を向けた。

手洗い台の下、確かにそこには一冊の薄い本が落ちていた。

 

「なんだろ、これ」

 

落ちていた本は、ボロボロの黒い表紙で、トイレの中の他の物と同じようにビショ濡れだった。

 

「ハリー、触らない方がいいよ! 危ないものかもしれない! 一見そうは見えなくても、危険かもしれない本は山ほどあるんだよ!」

 

ロンは不審げな様子で本を見ていたけど、

 

「だけど、見てみないと危険かどうかわからないだろう?」

 

僕はロンの制止をかわして、本を拾い上げた。

 

後から考えると、おかしなことばかりだった。

何で僕はロンの制止をかわしてまで、あんなボロボロの本を拾い上げたのだろう。別にあんなボロボロな本、放っておいても問題はなかったはずなのだ。

なのに僕は拾った。それどころか、持ち帰ってすらしてしまった。

 

見るからにボロボロで、普段なら何の興味もわかないような代物。

 

でも、それを見た時、僕は何故か()()()()()感じていたのだ。まるでこの本には

最後まで読み終えてしまいたい物語が書いてあるような気がしたのだ。

 

ベッドに座りながら本を開く。

その『トム・リドル』と表紙に書かれた本は、全てのページが白紙だった。

 

でもやっぱり、僕はこの本に、どうしようもない()()()()()感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

全てが計画通りにいっているはずだった。

小娘から聞き出した情報で、ハリーが襲ってもおかしくない生徒を算出する。そしてそれが犠牲となる現場に、たまたまハリーが居合わせるように綿密に計画を練った。おかげで当初はダリア・マルフォイのみを疑っていた生徒達は、ハリーにも疑いの目を向け始めたようだった。

 

僕の計画通り、ハリーは孤独になった。

 

でも、まだまだ足りない。多くの生徒に疑われるようになったとはいえ、まだ彼と同じグリフィンドール生は彼のことを疑っていないとの話だった。

最も偉大な魔法使いである()()貶めたのだ。彼にはもっと孤独を、罰を与えなければならない。

そう思い僕は次なる犠牲者を出そうとして……出来なかった。

 

忌々しいことに、ここに来て小娘、ジニーが僕を疑い始めたのだ。

小娘は僕の日記を開くことも、ましてや書き込むこともなくなった。

そしてついに……僕をトイレに捨てやがった。

 

小娘は僕に魂を注ぎ込み、それによって僕は力を得る。そして僕はそのお返しに、僕の魂を彼女に流し込むことで彼女の肉体を操り、秘密の部屋を開けた。

でも、今僕に出来るのはその程度のことだった。()()、僕は小娘の力を完全に吸い切れてはいない。出来ても短時間小娘の体を使うことだけだ。そしてそれすらも、小娘が僕を使わなくなったことで出来なくなってしまった。

 

不幸中の幸いは、小娘が僕のことを誰にも言わなかったことだ。

僕のことを他の人間に、それこそダンブルドアにでも伝えてしまえば、今この城で起こっている事件は終わりを迎える。残念なことに、どんなに()()偉大な魔法使いだとしても、今の僕はただの日記に過ぎない。今の状態でダンブルドアに対抗することは不可能だ。

でも、この娘は僕のことを伝えなかった。この娘は、僕が乗り移ったとはいえ、自分がやったことが他人に伝わるのを恐れたのだ。他人に知られてしまい、自らが軽蔑され、退学に追いやられるかもしれないことに恐怖したのだ。

僕を放置すれば、さらなる犠牲者が出るかもしれないというのに。

 

本当に馬鹿な子供だ。だが、トイレに偉大なる僕を投げ込んだとはいえ、この愚かさによって僕の命運が繋がったのもまた事実だ。ハリーの情報を僕に書き込んだ功績もある。

だからもし次があるとすれば、その愚かさの褒美に、次こそは完全にその魂を吸い取ってあげよう。偉大な僕の糧になるのだ。さぞかし光栄に思ってくれるはずだ。

 

そう考えながら、僕はジッと次の犠牲者が僕を手に取ることを待つ。

小娘の愚かな行動があったとはいえ、ハリーをグリフィンドール寮以外から孤立させることには成功している。次僕に奉仕する人間は、出来ればハリーに近しい人間が望ましい。そうであれば、今度こそハリーを孤立させるのが容易になるだろうから。

 

 

 

 

そして……ついにその時がやってきた。

だが僕を手に取ったのは、ハリーに近しい人間ではなかった。

しかし、それに僕が不満を持つことはなかった。

 

何故なら、僕を手に取ったのは……ハリー本人だったのだから。

 




 


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追放(前編)

ハリー視点

 

冬は終わり、淡い陽光がホグワーツを照らす季節になってきた。ホグワーツを厚く覆っていた雪が解け始めると同時に、城の中もどこか明るい空気が漂い始めているような気がした。

というのも、ジャスティンとニックが石になって以来、誰も襲われてはいないのだ。クリスマス休暇をあけてから、ホグワーツの中は平和そのものだった。

そして明るいニュースがもう一つ。

ある日の午後、僕はマダム・ポンフリーがフィルチに、

 

「マンドレイクがもうすぐ収穫できる時期になりますから、ミセス・ノリスももう間もなく帰ってきますよ!」

 

そう優しく話しかけているのを目撃した。

マンドレイクが収穫できれば、ミセス・ノリスだけでなく、コリンを含む今まで襲われた生徒も皆元に戻ると言うことだ。そうなれば誰に、そして何に襲われたのか話してくれるかもしれない。

クリスマスの夜、僕らは結局決定的な証拠を得ることは出来なかったけど、薬さえ完成すれば今度こそダリア・マルフォイもお終いだ。

学校中が神経を尖らせて警戒しているため『秘密の部屋』を開けることも出来きず、かと言ってこれ以上犯行を起こさなかったとしても、もうすぐ決定的な証拠をダンブルドアは手にする。今頃あいつは表情こそいつもの無表情であるものの、自分が捕まる時がすぐそこまで来ていることに内心恐怖していることだろう。そう考えればこそ、今夜六時に寮に押し込められる生活にも我慢することが出来た。

 

本当に明るいニュースばかりだ。

でも、全てが全ていい方向に行っているわけでもなかった。

 

ほとんどの生徒が、ダリア・マルフォイがもうすぐ捕まるかもしれないと思っているものの、いまだに僕が犯人、もしくは共犯者だと疑っているものもまだ大勢いるのだ。特にハッフルパフのアーニー・マクラミンが顕著だった。未だに僕を見かける度に警戒の視線を送ってくる。ピーブズもその状況が面白くて仕方がないのか、廊下に現れる度に、

 

「お~♪ マルフォイ~♪ ポッタ~♪ いやなやつだ~♪」

 

と歌っていた。ホグワーツが平和になったと言っても、僕に対する疑いが晴れたわけではないのだ。

 

そしてもう一つ、今僕を最も悩ませている問題が……ハーマイオニーだった。

ジニーと入れ替わるように顔色を悪くしているハーマイオニー。一日授業をさぼってふさぎ込んだ時は一時はどうなるかと思ったが、今は授業にちゃんと出るようにはなっている。でも元通りとは到底言い難く、未だに授業に集中しきれているというわけでもなさそうだった。授業外においても、相変わらず僕とロンが声をかけても反応が鈍い。

ハーマイオニーがどうしてこんな状態になったのか。最初はよく分からなかった。けど、ハーマイオニーが時折漏らす独り言を聞いているうちに、彼女が一体何に悩んでいるのか僕にも少しだけ分かるようになってきていた。

結局のところ、ハーマイオニーは未だにダリア・マルフォイを信じてしまっているのだ。ハーマイオニーは未だにダリア・マルフォイを『継承者』だとは思っておらず、あいつを追い込んでしまったのは自分だと考えてしまっているようだった。彼女の信頼は強固なもので、僕とロンがいくら話しかけてもただ首を横に振るだけだった。

……こんな状態で、本格的にダリア・マルフォイの証拠が挙がってしまうとどうなってしまうのか。

あいつは『継承者』として生徒を襲ったのだ、捕まることは絶対に避けることは出来ないだろうし、そんなことが許されていいはずがない。

でもそうなってしまえば、今度こそハーマイオニーのダリア・マルフォイへの信頼は裏切られてしまう。ハーマイオニーが何でドラコの妹で、スリザリンで、そしていつもあんな冷たい表情をしているような奴を信頼するのか分からない。でも理由は分からないものの、ハーマイオニーのあいつへの信頼が本物であるのも間違いないのだ。

 

「ハーマイオニー……いい加減元気出してくれよ」

 

でもハーマイオニーがふさぎ込んでいる理由が分かったところで、僕等にはどうすることも出来ない。ダリア・マルフォイの話をしようにも、ハーマイオニーは話を聞いているのかも怪しい様子だ。結局僕らに出来るのは、ハーマイオニーが元気になるまで根気強く傍にいてやることだけだった。

今も僕等は、授業が終わるとただ茫然と談話室で座り込むハーマイオニーに声をかけていた。一応授業の復習をする気力はあるのか、教科書だけは開いている。でも、ページは一向にめくられる様子はなかった。

 

「……なあ、ハーマイオニー。君らしくないよ。まったく集中できてないじゃないか。いや、確かに君は少し勉強のし過ぎだったけど、やってないのも何か気味が悪いというか……」

 

そうロンがしきりに話しかけても、

 

「……」

 

やっぱり反応することはなかった。

ロンが、

 

どうしよう?

 

とでも言いたげな視線を送ってきたが、僕も何も思いつかない以上、肩をすくめることしか出来ない。

まったく僕らに反応することのないハーマイオニー。僕等はいよいよ手持無沙汰になり、でもこんな彼女を置いていくわけにも行かず、仕方ないので僕らもハーマイオニーの横で教科書を広げることにした。

 

「試験までまだまだあるんだけどな……」

 

ロンは不満そうに『薬草学』の教科書を開くが、やはりというかあまり集中出来ていない様子だった。数分もすると、教科書からクィディッチ雑誌に変わっていた。

僕も僕で勉強には全く集中出来ず、教科書から視線を上げ、ポケットに入っていた『トム・リドル』と書かれた日記を何気なく取り出した。

見れば見る程不思議な日記だった。中は完全に白紙。裏表紙にロンドンのホグゾール通りの雑誌店の名前があることから、この『トム・リドル』という生徒がマグル出身であることがわかることくらいしか、僕の興味を引きそうなことはない。

にも関わらず、僕はこの何の変哲もない日記にどうしようもなく引き付けられていた。

僕が何気なく日記を開き、白紙のページをめくっていると、

 

「ハリー。まだその本持っていたのか?」

 

ロンが雑誌から顔を上げ、驚いたような顔をしていた。

 

「その本、何も書いてないんだろう? 何で捨てないんだ?」

 

「……僕も分からないんだ。でも、どうしても気になって……」

 

「ふ~ん」

 

そう言ってロンは胡乱気に日記を見つめていたが、

 

「うん? トム・リドル?」

 

表紙に書かれている名前を見て反応した。

 

「その名前知ってる。T・M・リドル。そいつ、()()()()()学校から『特別功労賞』を貰ったんだ」

 

「何でそんなこと知ってるの!?」

 

僕は感心しながら尋ねると、

 

「そいつの盾を50回以上磨かされたからね。ほら、僕ら『暴れ柳』の件で処罰を受けただろう? 君はロックハートとファンレターの返事を書く作業だったけど、僕はトロフィー・ルームで銀磨きだったんだよ。あの時フィルチの監視だったから、僕、そいつの盾をずっと磨かされてたんだ。いやでも覚えちゃったよ」

 

ロンの言葉に、僕は何だか嫌なものを思い出してしまった。あの時は本当に大変だった。ロックハートはずっと意味不明な話をしてくるし、途中『あの声』が聞こえてくるし、碌なことがない一日だった。

ロンと二人でちょっとげんなりしていると、今まで何の反応も示さなかったハーマイオニーがこちらをジッと見つめていることに気が付いた。正確には、ハーマイオニーはジッと僕の持つ日記を見つめていた。

 

「ハーマイオニー、どうしたの!?」

 

今まで僕らを無視するが如く反応を示さなかったハーマイオニーが、やっと興味を示したことに喜びながら声をかける。ハーマイオニーは日記を凝視しながらロンに尋ねる。

 

「ねえ、ロン。この日記の持ち主、50年前に賞を貰ったって言ったわよね?」

 

「う、うん。そうだけど……」

 

ロンはハーマイオニーの鬼気迫る様子にたじろぎながら応えた。

するとロンの答えを聞くやいなや、ハーマイオニーは日記を僕から奪い取り、

 

『アバレシウム、現れよ!』

 

と唱えた。が、何も起きない。すると今度は、カバンから真っ赤な消しゴムを出したかと思うと、思いっきり白紙のページをこすり始めた。

 

「な、なにをしてるんだ、ハーマイオニー!」

 

「『現れゴム』よ! ダイアゴン横丁で買ったの! これなら!」

 

ハーマイオニーは僕の制止を聞かず、ゴシゴシとページが千切れんばかりにこするが、

 

「……何も出ないね」

 

やはり何も起こることはなかった。こする前と変わらず、ただの白紙だった。

 

「どうしたんだよ、ハーマイオニー。急にこんなことして」

 

ロンが急に活動的になったハーマイオニーに恐れおののきながら尋ねる。

それにハーマイオニーはまた憔悴しきった表情に戻りながら応えた。

 

「……この日記は50年前の物なのよ。『秘密の部屋』は50年前に開かれたって、ドラコは言ってたわ。そして部屋を開いた犯人は追放されたともね。もし、このトム・リドルが50年前、スリザリンの継承者を捕まえたことで、賞を貰ったとしたら? この日記は全てを語ってくれるかもしれない! 何も書いてないように見えるけど、『秘密の部屋』のことがその辺を転がってる日記に書かれてたら駄目でしょう!? だから何か普通では読めない手段で書いているはずだと! 思ったのだけど……」

 

ハーマイオニーはおもむろに立ち上がり続ける。

 

「私には無理だった……。その日記がただの紙切れで、私の考えはただの考えすぎかもしれない。でも、もし、私の考えが正しかったとしても……私にはその日記の秘密は読み解けなかった……。私はやっぱり……」

 

そう言ったきり、ハーマイオニーはフラフラと覚束ない足取りで寝室の方に上がって行ってしまった。時計を見ると、確かにもう遅い時間だった。

 

談話室には、僕とロン、そしてやはり何かを感じさせる日記だけが取り残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

忌々しい。

最近の私の心情を表現するのなら、この一言に尽きていた。

ダンブルドアが夜歩きしていた私をそのままにしておくはずがないとは思っていた。が、まさかあんなあからさまな張り出しをするとは……。

 

あの夜のみを警戒した張り出し。ご丁寧にもクラブ活動だけは許可する旨を書いてあるそれは、どう考えても私を狙い撃ちにしているものだ。

そしてそれに私が気付くことも織り込み済みなのだろう。

 

『秘密の部屋』が開かれてから、あの老害はひたすら私にこんな警戒とも警告ともつかないことをしてきた。これもある意味ではその延長なのだろう。

しかし、今回のこの警告は、今までものの中でも一際私を苛立たせるものだった。勿論今までのものが我慢できるものかと言ったら、今までのものは今までのモノで腹立たしいものだった。秘密が露呈するのではないかといつも緊張を強いられていたし、何よりどうでもいい人間達とはいえ、彼らから露骨な敵意と警戒の視線を送られ続けるのは決して気持ちいいものではない。

しかし、我慢できるか出来ないかと言えば、まだギリギリ許容範囲のものだった。……許容するつもりはないが。

 

でも今回は違う。今回のことは、私だけに関わることではないのだ。私の大切な人たちとどういう距離で付き合えばいいのか。それを決めるのに私が知らねばならないこと。私のかけがえのない時間を保つのに必要なものを探す時間を、あいつは奪ったのだ。

あの老害にそんな意図はなかったのだろう。あの爺は単純に、私の『継承者』としての作業を邪魔しようということぐらいの気持ちだったのだろう。それは校長の立場として正しいものだ。彼には生徒の安全を守る義務がある。寧ろ何もしないことの方がどうかしている。

 

尤も、それは私が本当に『継承者』であればの話だ。

 

私が『継承者』でない以上、こんなことに何の意味もない。ただいたずらに私の時間を奪うだけだ。

あの老害は見当違いの推理で、結果的に私の時間を奪ったのだ。私は一刻も早く、怪物を見つけ出さなければならないのに! 門限など関係ない。私には怪物を探す義務があるというのに! それが唯一、私が私自身を知ることの出来る方法だと言うのに!

授業が始まってからも、一向に『あの声』が聞こえてはこないことに対するいら立ちもあり、私は前からなくなりつつあった心の余裕を完全に失っていた。

 

本当に忌々しい。張り出しを無視して抜け出そうにも、あの老害がまた私を待ち伏せしている可能性もある。次見つかってしまった時は、今度こそ何かしらの罰則が与えられるかもしれない。それこそ何かしらの理由をつけて、また校長室に呼ばれてしまうかもしれない。

八方ふさがりだった。今私は……あの声を探すことすら出来ない。夜は談話室に閉じ込められ、そして昼は……

 

「やあ! ダリア!」

 

ロックハート先生がやたらと私に纏わりついてきてくるのだ。次の授業への移動中、廊下に生徒が溢れているにも関わらず、ロックハート先生は果敢に私に話しかけてきた。

これが私の心の余裕を奪う、もう一つの要因だった。

実のところ、纏わりついているのはこの先生だけというわけではない。最も会話していて鬱陶しい先生がこいつであることは間違いないのだが、ロックハート先生が()()と思われる時以外は、別の先生が私の周りには必ず存在していた。一見そうは見えないが、必ず視界の端に私をとらえ続けるように、先生たちはいつも私の周りに立っていた。そして私が少しでも生徒のいない所に行こうとするものなら、何かしらの理由をつけて話しかけてくるのだ。唯一自由に出来るのが、一日の最初の授業がある時間まで。授業が終わった瞬間、その授業の担当の先生が何かしらの理由をつけて、私の近くに必ず存在していた。

つまるところ、私は夜だけではなく、昼さえも、生徒と()()()()()()()()監視されているのだ。

 

「相変わらず表情が硬いですよ、ダリア! どうしたのですか!? 有名な私に声をかけられて緊張しているのですか!?」

 

「……違います」

 

私は平坦な声で返すが、ロックハート先生の鬱陶しい程の勢いは止まらない。

 

「ではもしかして、秘密の部屋のことが心配なのですか!? そのことなら大丈夫ですよ! 部屋は今度こそ永久に閉ざされました! 犯人は私に捕まるのも時間の問題だと観念したのでしょう! 私にコテンパンにやられる前にやめるとは……中々利口な奴ですよ!」

 

周りの生徒の空気が凍っていた。彼らからしたら、ロックハートが『継承者』である私に喧嘩を売っているようにしか見えなかったのだろう。私と先生を囲んでいた生徒の輪が一気に広がる。

しかしそんな空気の中をもろともせず、もしくは気づくことなく、ロックハート先生が話し続けようとしたところで、

 

「先生! 私達次の授業があるので、これで失礼します!」

 

私達を囲う輪から、突然ダフネとお兄様が飛び出してきた。そして私を強引にその場から引っ張って歩き始めた。

その場から一刻も早く私を連れ出そうとするお兄様達の後ろから、

 

「おや、そうですか!? それは残念! それはそうと、私は今度皆さんの気分を盛り上げる様なことを企画しているのですが、ダリアも期待しておいてくださいね!」

 

そうロックハート先生は、大声で意味不明なことを話していた。

 

でもその時にはもう、私の意識はロックハート先生にはなく、ただこの大切な人達から一刻も早く離れなければ……ただそれだけを考えていた。

私は……この人達の傍にいてはいけない。私はまだ……自分のことを何も知らない!

 

そんな私の心境に気付くことなく、もしくは敢えて無視したお兄様とダフネは、私を連れしばらく無言で歩いていたが、ロックハート先生が完全に見えなくなった辺りで急に話し始めた。

それはこの沈黙が気まずかったのもあるのかもしれないが、多分、久しぶりに話す私を気遣う彼らなりの優しさだったのだろう。

 

「……まったく! あいつはいつもいつも何でダリアに絡むんだ! それはダリアが美人なのは間違いないがな!」

 

「まったくだよ! まぁ、他のアホ共と違って、ダリアを『継承者』だとは思っていないことは評価できるけど……。でもそれにしても、」

 

「お兄様。それとダフネ」

 

私が二人の言葉を断ち切るように話しかけると、お兄様達は気まずそうな表情で私に向き直った。私は咄嗟に顔を逸らし、二人の目を見ないようにする。

まだ、私は怖かった。こうやって私に話しかけてくれる二人は、やはり本当に優しい人達なのだろう。そんなこと、最初から分かっていることだけど。

 

でもだからこそ、そんな二人を本当は怖がらせているのではと考えるのが、恐ろしくて仕方がなかった。二人の瞳に、ぬぐい切れない恐怖があるのではと考えるだけで足がすくんだ。

二人の瞳を覗く勇気が、私にはなかった。この恐怖に、自分自身を少しも信用出来ない私が抗うことなど出来なかった。

 

「先程はありがとうございます。でも……もう私のことは放っておいてください」

 

だから私が口に出来たのは、そんな拒絶の言葉だけだった。こんなこと、お兄様達に言いたくなんてなかった。でも、こうしなければ、お兄様達はいつまでも私を追いかけてしまう。お兄様とダフネは優しいから……。

 

「そ、そんなこと出来るか! お前は僕の妹だ! お前を放っておくことなんて、出来るわけがないだろう!」

 

「そ、そうだよ! 私だって、」

 

やはり、優しいお兄様達はこんな言葉だけでは離れてくれない様子だった。私は努めて冷たい声を意識して、ダフネの言葉を遮る。

 

「いいえ、お兄様、ダフネ。放っておいてください。それが、お兄様のためでもあるのです」

 

そう、これは二人のためでもあるのだ。こんな怪物の傍に、二人はいていいはずがないのだ。ただの人間である二人が、こんな化け物に優しくすることがまず間違っているのだ。

……そう思わないと、私はお兄様達のいない時間に我慢できないから。

 

「……それは、どういう意味だ?」

 

「……お兄様が知る必要などありません。ただ……もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので」

 

私はお兄様の質問に答えることなく、その場から踵を返す。

お兄様達との久しぶりの会話。……まだ私には許されないことなのに。こんな短時間、そしてこんな一方的で理不尽な会話なのに、私にはこの時間が……とてつもなく掛け替えのない時間に思えた。

それは多分……心のどこかで、もう永遠に訪れることはない時間かもと思っていたからかもしれない。

 

先程の授業がロックハート先生でよかった。

先生たちの監視は、幸い今はない。おそらく、ロックハート先生は私の監視をしているという意識はないのだろう。彼が担当の時だけは、その場を振り切りさえすれば自由な時間だった。

 

そうでなければ……ダンブルドアの手先である先生方に、この頬を伝う冷たいものが見られてしまったかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラコ視点

 

季節も移ろい、冬の寒さが少しずつ消え去っている。城の空気も()()()()()()()明るくなっているが、それに反して僕とダフネの上だけには暗雲が立ち込めている気がした。

あの張り出しの()()()、ダリアは夜だけは寮に帰ってくるようになった。だが朝は相変わらずだ。寧ろ以前より早い時間に出て行っているような印象すらある。まるで夜に出来なかったことを、朝に取り戻そうとしているような……そんな印象を僕は持っていた。授業は僕らと離れた席に座り、食事を僕らがいない時間にとり、夜は寮にいるものの、決して僕らと目を合わせようとしない。休暇中と違い、無事に過ごしている姿こそ確認できるものの、相変わらず僕とダフネはダリアとまともに会話できていなかった。最近での唯一の会話が、先日ロックハートに絡まれているダリアを連れ出した時のものだった。

……こんなにダリアと一緒にいない時間が続くのは初めてのことだ。思えば僕とダリアは、いつも一緒の時間を過ごしていた。僕がダリアに一方的に嫉妬していた時だって、ダリアは何だかんだで僕の傍にいつもいてくれた。それこそ僕が生まれてから、ダリアと離れて過ごしたことなんて一度もなかった。

ダリアが傍にいるのは……僕にとって当たり前のことだった。僕が嬉しい時も、楽しい時も、怒った時も、悲しい時も、苦しい時も、辛い時だって、いつもダリアは僕の傍に寄り添ってくれた。ダリアはいつも僕の味方でいてくれた。

 

なのに……僕はいざダリアが辛い時に、何の力にもなれていない。

僕は、ダリアの苦しみを何一つとして分かってやれない。

 

先日のロックハートに絡まれていた時だって、僕はダリアをあの場から連れ出すことは出来たものの、結局根本的な解決は何一つとして出来ていない。

僕はあの時、ダリアの言っていることが何一つ理解してやれなかった。直前まで、ダリアの表情はクリスマス前同様全くの無表情だった。僕でさえ一切読み解くことのできない、本当の無表情。でも、あの時、ダリアが僕らに傍に寄るなと言ったあの瞬間だけは……ダリアの表情はどうしようもなく悲しみに満ちていた。

 

『……お兄様が知る必要などありません。ただ……もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので』

 

僕に知る必要がない? もう私に近づくな?

 

そんなわけあるか! 僕が知らないで、誰がダリアの苦しみを知るというのだ! 僕がダリアの傍にいないで、一体誰がダリアの傍にいるというのだ!

あの時の泣きそうなダリアの表情から、あれがダリアの本心でないことは分かっている! なのに僕は、なんでこんなにも無力なんだ!

 

そう頭の中で叫び続けていても、現実が変わることはなかった。

結局あれからも、一度としてダリアと話すチャンスは巡ってこない。周りには大勢の生徒。そして()()()()()()、生徒のいないタイミングですら教師の誰かしらが近くにいる。ダリアと話を出来るはずがなかった。

 

僕は、結局無力で駄目な兄だった。僕は唯一救いたい妹すら、満足に救うことが出来なかった。

 

いたずらに時間は過ぎてゆく。

そしてあれからしばらくした二月十四日。……それは起こった。

 

その日も僕とダフネ、そしてダリアを()()いつものメンバーで朝食をとりに来ていた。ダリアはいつも通り、ここではないどこかで何かをしている。僕は暗い表情で大広間の扉を開き……そっと閉めた。

 

「ドラコ、どうしたの?」

 

「いや……ちょっとな……」

 

遂に僕は幻覚まで見始めたらしい。大広間は大理石でできた荘厳な空間だったはずだ。でも、僕の目には一瞬……けばけばしいピンク色の空間に見えたのだ。

僕は目をゴシゴシこすった後、再び扉を開き……絶望した。どうやら僕の見たのは幻覚ではなかったらしい。

 

大広間の壁という壁が、けばけばしいピンク色の花に覆われ、おまけに天井からはハート型の紙吹雪が降り続けていた。昨日までの厳かな雰囲気はどこにも存在しない。

 

朝から気分が悪くなる光景に絶句しながらテーブルにつく。丁度その時、教員席の無能教師が立ちあがり、皆に『静粛に』と合図をしているところだった。無能は、この悪夢のような大広間と同じけばけばしいピンク色のローブを着ている。あいつがこの惨状の元凶だと、僕は一秒で理解した。

 

「バレンタインおめでとう!」

 

ロックハートが演説を始めた。

 

「皆さんを驚かせようと、私がささやかながら準備させていただきました! こうしてみると、皆さん非常に気に入ってくれているようですね!」

 

少なくとも奴の横に並んでいる教員連中は、その『皆さん』の中に入っていないことは間違いない。どの教員も、『継承者』に石にされたのではと疑ってしまう程無表情だった。おそらく今ならダリアの方が表情豊かだろう。

 

「ですが、皆さん驚くのはまだ早いですよ! 私の用意したのはこれだけではありません!」

 

どうやらこの大広間の惨状だけでは飽き足らないらしい。

ロックハートはそう言って手を叩くと、玄関ホールに続く扉から、酷く不愛想な表情をした小人がゾロゾロと入ってきた。ご丁寧に全員が金色の羽を生やしているのが、より小人の場違い感を強めている。

 

「彼らは今日、学校中を巡回してバレンタイン・カードを配ります! そしてバレンタインはそれだけではありません! 先生方もこのお祝いムードにはまりたいはずです! さあ、スネイプ先生に『愛の妙薬』の作り方を教えてもらってはどうですか!? フリットウィック先生に『魅惑の魔法』について聞くのもいいかもしれません!」

 

スネイプ先生の表情を見るに、『愛の妙薬』の『ア』の字も出してはいけないだろうことは確かだった。

 

「……ダリアがいないのは不幸中の幸いだったね」

 

ダフネのしんみりとした言葉に、僕は黙って頷いた。僕達ですらこの状況に吐きそうなのだ。今のダリアがここにいれば、多分そのまま気絶していたことだろう。

僕等はこのどこを見ても気分が悪くなりそうな空間から、一刻も早く逃げ出すために食事を掻っ込む。

そしていつもの倍の速さで食事を済ませた僕らは、大広間から一目散に逃げ出した。

 

「最初の授業って何だっけ?」

 

「……『闇の魔術に対する防衛術』だ。あの毒々しい色をしたローブを、授業の時はしていないことを祈るばかりだ」

 

そうダフネの質問に答えながら歩いていると、大広間前の階段で、

 

()()()・ポッター! あなたに歌のメッセージです!」

 

どうやらこの狂った企画における最初の犠牲者が出ているようだった。

階段の踊り場。どう考えても邪魔な位置を陣取っているポッターと小人。どうやらポッターが転んだところを、間が悪く小人に捕まったらしい。奴の持ち物が階段に散乱している。僕はそんな奴らに近づき、

 

「一体何をしているんだ?」

 

冷たい声で話しかける。ポッターは余程僕の前で歌とやらが詠まれるのが嫌なのか、慌てて逃げようとするが、見た目以上に力が強いらしい小人にガッチリと捕まれ、その場から離れられないようだった。

そして、小人は歌い始めた。

 

『あなたの目は緑色、まるで青いカエルの新漬のよう♪ あなたの髪は真っ黒、まるで黒板のよう♪ あなたがわたしのものならいいのに♪ あなたは素敵♪ 闇の帝王を征服した、あなたは英雄♪』

 

歌が終わり、その場にいた()()()()全員が笑い始めた。ポッターも、おそらく本心からではないだろうが、誤魔化すような笑みを浮かべている。

 

だが、僕とダフネは全く笑っていなかった。ダフネに至っては、先程からポッターにゴミでも見る様な視線を送っている。

 

いつもであれば、僕も後ろのクラッブとゴイル同様笑っていたことだろう。でも、今の僕にそんな余裕などなかった。

ダリアが辛い思いをしている時に、こんな下らないやり取りをしている連中に腹が立って仕方がなかった。

ダリアの苦しみも知らず、こうしてただ漫然と暮らしている人間達が、僕は憎くて仕方がなかった。

 

ダリアを苦しめる人間達が、こうして笑っていることが許しがたかった。

 

僕はこれ以上こんな奴らと同じ空気を吸いたくなかったため、そのままポッターの横を無理やり通ろうとした。

 

でも、その途中……何故か一冊の本に目が釘付けになってしまった。

 

「……なんだこれは?」

 

それはポッターが転んだ時に散乱した本の一冊だった。

日記帳とおぼしき本。それがぶちまけられたインクの中にポツンと転がっていた。

 

……何故だろう。僕は一刻も早くここを離れたいのに。この本だって、特に僕の興味を引くような見た目もしていないのに。何故、僕は……。

 

「ドラコ? どうしたの?」

 

階段の途中で突然止まった僕を訝しく思ったのか、ダフネが心配そうに声をかけてくる。

 

「いや……。でも、何だ……この本は……」

 

僕は戸惑いながら、その本を拾い上げる。

何故だ……見れば見る程ただの本だ。何の変哲もない日記帳。

なのに……。なのに何で僕は、この本から……。

 

「ドラコ。それを返せ」

 

ポッターの声に、僕ははじかれるように顔を上げた。どうやら思った以上に深く考え込んでいたらしい。

周りに一瞬視線を向ければ、ポッターと小人のせいで立ち往生していた見物人達も、ポッターの静かな怒りの声に静まり返り、固唾を飲んで僕らを見つめている。そんな中で、唯一ウィーズリーの末娘だけが、青ざめた表情で日記を見つめているのが妙に印象に残った。

 

「……いや、ちょっと見てからだ」

 

しかし大勢の人間が見ているからと言って、この本から感じる違和感を無視することは出来なかった。僕はポッターを無視し、再び本を調べようとした。が、

 

『エクスペリアームス、武器よ去れ!』

 

どうやらポッターは日記帳の中身を見られるとでも思ったのか、僕の手元にあった日記を強引に取り上げた。僕の手元にあった本が、ポッター目がけて飛んでゆく。僕が憎々し気にポッターを見やると、僕に勝ったとでも思ってるのか、どこか得意げな表情を浮かべている。横にいるウィーズリーも満足げに笑っていた。僕は怒りに任せポッターに杖を向けようとするが、

 

「ハリー! 廊下での魔法は禁止だ! マルフォイお前もだ! その杖を今すぐおろさないと、君のことも報告させてもらうぞ!」

 

厄介な邪魔が入ってしまった。ウィーズリーの兄、確か……()()()()・ウィーズリーが騒ぎを聞きつけてきたのだ。ウィーズリーのクズの意見など無視したいところだが、こいつは厄介なことに監督生でもある。ウィーズリーなどが監督生に選ばれるなんて世も末だと思うが、ここで必要以上に波風を立てるのも馬鹿らしかった。

僕はこちらを得意げに見つめるポッターに舌打ちすると、さっさとその場を後にすることにした。苦し紛れに、先程の詩をポッターに送ったと思しきウィーズリーの末娘に、少し馬鹿にした表情を送ってから階段を登り始める。よく考えると、あの本に拘る理由などない。先程本から感じた違和感だってただの気のせいだろう。

 

ただ……

 

「ドラコ、さっきの本、どうしたの? 私にはただの日記帳にしか見えなかったけど?」

 

ポッターから十分離れた場所で、ダフネが話しかけてきた。

 

「いや……そうなんだが。僕にもただの日記帳にしか見えなかったのは確かだ。でも……」

 

「でも? 何?」

 

戸惑いながら話す僕に、ダフネが言葉の続きを催促する。それに対し、やはり僕は戸惑いながら、

 

「あの日記から……何だかダリアと同じ空気を感じたような……そんな気が一瞬したんだ……」

 

そう絞り出すように答えた。

そんなはずはない。あれはただの日記だ。日記がダリアと同じ空気を醸し出すはずがない。

そんなことは分かっている。

 

なのに僕は……。

あの本が、()()()()()()()()()()()()……心のどこかで感じてしまっていた。

 

「ダリアと同じ空気? え、どういうこと?」

 

ダフネには僕の言葉の意味が分からなかったらしい。当然だ。話した僕も意味が分からないのだから。

 

「いや……忘れてくれ。それより、そろそろ教室に行かないとな。最初の授業は何だ?」

 

考えても仕方がない。それに、どうせ先程のは僕の気のせいなのだ。最近疲れが溜まっているからそのせいだろう。僕は頭を切り替えるために、ダフネに今日の予定を聞く。

 

「……さっき自分で言ってたじゃない。『闇の魔術に対する防衛術』だよ。……あ、それと今思い出したけど、次の時間、グリフィンドールと合同だよ」

 

「……朝から疲れることばかりだな」

 

つくづくロックハートが関わってくる日だ。しかもただでさえ鬱陶しい授業が、グリフィンドールなんぞと合同。

すぐそこまで迫っている想像するだけで胸糞が悪くなる時間のことで すでに僕の頭の中は一杯になっていた。もうこの時点で、先程感じた違和感のことなど僕の頭の中にはなかった。

 

 

 

 

尤も、たとえ次の授業がグリフィンドールとの合同でなかったとしても、僕は先程の違和感など忘れ去っていただろう。

朝一番の授業で起こった出来事は……それくらい僕に衝撃を与えるものだったのだから。

 

それは僕達には非常に腹立たしいことだったが……同時に、ダンブルドアにとっては致命的なことでもあった。

 



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追放(中編)

 ダリア視点

 

私がピクシーを()()して以来、ロックハート先生が教室に生き物を持ち込むことはこなくなった。ロックハート先生の頭がいくら残念なものだと言っても、あれが失敗だったということくらいには流石に理解出来るらしい。かく言う私にとってもあの初回の授業は、お兄様が怪我をしそうになったり、私がピクシーを思わず殺してしまったりと散々な結果だったと思う。

ただ、魔法生物を実際に教室に持ち込み、それに対する対処方法を生徒が実践を交えて学ぶ。その発想自体は非常に的を射ているものであるとも思う。出来ることなら来年以降来るかもしれない()()()()()()には、是非引き続きやってもらいたいものである。あの事件の根本的な問題は、ピクシーを無計画に放したこと。そしてそのピクシーを御する能力を、ロックハート先生が欠片ほども有していなかったことにある。数が多かったとはいえ、ピクシー自体の危険度はそこまで高いものではない。『闇の魔術に対する防衛術』における内容としては、初歩の初歩とすらいえる。そんなものを世界有数の魔法学校、ホグワーツの教師ともあろう者が対処できないことがどうかしているのだ。ましてや自身の著作で書いている事を本当にやったというのならば、対処出来ないということはどう考えてもおかしい。

ただどんなにロックハート先生が無能だったとしても、もう着任している以上は我慢するしかない。来年この無能教師がクビになり、もっとましな先生が選ばれるのを祈るのみだ。ロックハート先生には任期の残りをただただ大人しく過ごしていただきたい。

 

と、思っているのだけど……。

 

今目の前で行われている授業は……ある意味初回のものより酷いものだった。

というより、もはや授業と言えるものではなかった。

 

「ほら、ハリー! 恥ずかしがらずにもっと牙をむき出しにして!」

 

今私の()()()では、ポッターがロックハート先生直々に()()()()されていた。私の思い違いでなければ、『闇の魔術に対する防衛術』の授業とは、教師が生徒に闇の魔術に対する防衛の仕方を教える内容のはずだ。……でも今ポッターがさせられているのは、どう見てもただの演劇の練習でしかなかった。

どこか諦観したような表情を浮かべているポッターは、仕方なさそうに僅かに口を開く。

ポッターはうんざりとした表情を隠してもいないが、先生はそのことに気がつかないらしい。先生は満足そうに、ポッターが口を開けるのを見て頷いていた。

 

この下らない授業というよりただの演劇の時間と化したものは、初回の惨劇より以降ずっと習慣化しているものだった。

初回の授業で惨劇を起こしてしまったスリザリンにだけ行われていたのだと思っていたが、あのポッターの諦めきった表情を見るに、おそらくグリフィンドールでも恒例に行われているものなのだろう。

そしておそらく、先生の抜擢する悪役も、恒例でポッターであることが想像できた。

ロックハート先生は、自分の著作の一部を演劇で再現し、時折相方、大抵は先生にやり込められる悪役を生徒にやらせる。ポッターの知名度に内心嫉妬しているであろうロックハート先生のことだ。グリフィンドールの授業ではさぞ彼を悪役にして楽しんでいるであろうことは、先生の性格とポッターの表情から想像に難くなかった。

ただそれだけなら私も、

 

『有名人は大変ですね』

 

くらいの感想しか持ち合わせていなかっただろう。

 

でも残念ながら……私にとって、今現在ポッターのことは他人事でも何でもなかった。

 

何故なら、

 

「では、ダリア! 君は今襲われそうになっています! 大声で助けを呼んで下さい!」

 

私も今、ポッター同様演技を要求されているからだ。

ロックハート先生はポッターと同様に立たされている私に、にこやかに指示を出した。

 

グリフィンドールと違い、スリザリンにはポッターのように()()()()有名な生徒は存在しない。

だからスリザリンにおいて、悪役として呼ばれる生徒は完全にランダムだ。いつも適当な男子生徒が前に呼び出され、心底やる気のない表情で演技指導されているのが常だった。

 

それが何故か今回、私はポッターと共に呼び出されている。

悪役ではなく、ロックハート先生に助けられるヒロイン役として……。

 

……そもそもロックハート先生の本にヒロインなど存在しない。先生の()()は、終始先生が敵を愉快痛快にやり込める。()()()()()()の内容のはずなのだ。行動の結果女の子を助けた話はあっても、別にその助けられた女性が恋人になったという話はない。

であるのにこの下らない劇では急遽ヒロイン役が追加され、何故か私がそれを担当させられていた。

 

意味不明な上に……鬱陶しいことこの上ない。

 

「ほら、ダリア! 恥ずかしがらずに!」

 

百歩譲ってヒロイン役の追加を許容したとしても、いつも無表情な私がヒロイン役というのはどう考えても適役とは思えない。その旨を最初にそれとなく先生に伝えたのだが、ただ私が恥ずかしがっているだけと判断されたらしく、未だに私はこの無駄な時間を余儀なくされている。半ば強制的に前に連れ出された私は、

 

「……タスケテクダサイ」

 

仕方なく出した声は、案の定ひどく平坦なものだった。

我ながら助けを求めている声でないことは分かっている。今まで出した声のなかで、一番感情のこもっていないものだったことは間違いない。いつもも大して感情のこもった声などしていないが、今日のものは特に酷かった。

何故なら、

 

「ダリア! もっと感情豊かに言わないといけませんよ! 今君は、恐ろしい()()()に襲われる直前なのですから!」

 

私は今、私が最もやりたくない役を演じさせられていたから。

先生は私とポッターを教壇の前に引きずり出した直後、

 

「今日は『バンパイアとバッチリ船旅』での一場面を、皆さんに教えて差し上げます!」

 

と宣言した時から嫌な予感はしていた。

この本は名前の通り、とある吸血鬼とロックハート先生が船旅をする内容だ。その一場面に、一緒に旅をする吸血鬼とは違う()()()()()に襲われるというものがある。そしていつものように()()()()な方法で悪い吸血鬼を退治し、最終的にその吸血鬼を()()()()()()()()()()()()()()()()笑い者にするという内容だ。

この本はその退治方法の斬新さから、ロックハート先生の書いた本の中でも特に売れたベストセラー本になったらしい。

 

この本を初めて読んだ時……私は限りなく不愉快な気分になった。

 

半分吸血鬼である私にとって、この本が面白いものであるはずなどなかった。

ロックハート先生と一緒に旅をしたという吸血鬼も、お人好しだがどこか間抜けな生物として描かれている。先生を襲う吸血鬼も、恐ろしいがどこか間抜なところがあった。

要するに、吸血鬼は人間とは違った、劣った生き物として描かれているのだ。

 

この本を読んだ時、私は思い出してしまった。

……自分が人間ではないということを。

私という生き物が人間などではなく、本来はマルフォイ家の中にいていい生物などではないと、間接的に馬鹿にされているように感じてしまったのだ。

 

お前はマルフォイ家に相応しくないと、そう言われている気がした。

吸血鬼が差別されているとか、そんなことが嫌なのではなく、ただ単純に、私が本当のマルフォイ家の一員でないことを強制的に思い出さされ、ただただ悲しい気持ちになった。

 

そしてそんなただでさえイライラさせられる内容のものを、私がその中の登場人物として演じさせられる。しかも()()()()()()()間抜けな吸血鬼役ではなく、それに襲われるか弱い人間役を演じさせられるということに、酷く吐き気を覚えた。別に吸血鬼の役がやりたいというわけではない。ただ、本物の吸血鬼である私が、目の前で間抜けな吸血鬼を演じられるということに、酷い嫌悪感を感じたのだ。

 

この教室、いやこの学校の中で唯一本物の人間ではない私には、この光景の全てが矛盾していて、何だか酷く歪な光景に見えるのだった。

 

最初は当然のことながら、私はこの役を断ろうとした。でも、半ば強引に演劇を開始されてしまえば、私にはどうすることも出来ない。役を強引に打ち切ろうにも、何故吸血鬼に襲われる役がそこまで嫌なのかと問われれば答えることが出来ない。まさか自分が本当の吸血鬼だからですというわけにはいかないのだ。よしんば強引に断っても、ロックハート先生は気づかないだろうが、私の一挙手一投足に注目しているであろうダンブルドアは気付きかねない。私が吸血鬼だと即座には気が付かないかもしれないが、この役に何かあるということには気が付くやもしれない。そこから連想ゲームで真実にたどり着きかねないのが、あの老害の恐ろしい所だ。今奴の目がどこにあるか分からない以上、下手なことは出来ない。結果、私はこの無意味で不快な演劇に付き合わされている。

ただそうは思っても、内心の苛立ちは抑えることが出来ているわけではない。話が進むにつれて私の苛々した空気が漏れ出しているらしく、授業始めはただ私に警戒心むき出しの視線を送っていたグリフィンドール生の表情が、何だか凍り付いたものに変わりつつある。

そしていつもと同様、グリフィンドールとは反対の席に座っているスリザリン生の表情はというと……私は確認していなかった。スリザリンの方を見れば……私は必ずお兄様とダフネの表情も目に入ってしまうだろうから。

そんな徐々に冷たくなりつつある教室の空気に、ロックハート先生は当初気付かない様子であったが、私の全く気持ちの籠っていない声に、ようやく異変に気が付きだしたらしい。

 

勿論明後日の方角にだったが。

 

私の異変には気が付いたものの、ロックハート先生は私の声が平坦なのは、いつものごとく私が緊張しているからだと勘違いしたらしい。

 

「ダリア! 表情と声が硬いですよ! まだ恥ずかしがっているのですか!?」

 

本当に学習能力のない人間だと思う。私がいつ先生の前で緊張したのだろうか。何度否定しても、彼は私のこの無表情が先生に対して緊張しているからだと思うらしい。何故ここまで自信過剰になれるのか理解に苦しむ。

 

「……いえ」

 

おそらくこの声も、あまり起伏のあるものではなかっただろう。正直、今の精神状態でロックハート先生に応えるのはつらかった。いつまで経っても進まない怪物探し、お兄様達と共にいない生活、常に周りにある監視の視線。度重なるストレスが、確実に私の精神状態を追い詰めていた。

でもそんな私の状態に頓着するはずもなく、ロックハート先生の勢いは止まらなかった。

 

「ではどうしたのですか!? ああ、ダリア! もしかして、君はまだ『秘密の部屋』のことが心配なのですか!? 以前も言ったではありませんか! 部屋はもう閉ざされたのです! 『継承者』は私に恐れをなしたのだと思いますよ!」

 

「……」

 

有名な先生に緊張しているわけではないとは分かってくれたようだが、どうもまたもやあらぬ方向に勘違いしているらしい。

よしんば『秘密の部屋』が、()()()()()()再び閉ざされたのだとしても、少なくとも先生の()()などではないことは明白だった。

私が先生の戯言にどう返答すればいいか悩んでいると……

 

先生は突然とんでもないことを話し始めた。

 

「ほら、ダリア! まだ表情が硬いですよ! これだけ言っても、まだ『部屋』のことが心配なのですか!? ダリアは心配性ですね! 大丈夫ですよ! もしですよ、もし万が一でも、『継承者』が破れかぶれに『部屋』を開いたとしても、()()大丈夫です! この学校で最も闇の魔術と戦った経験のある私は勿論、()()()()()()()君のことを()()()()()()()()()!」

 

ただでさえ冷たかった教室の空気が、完全に凍り付いた。

 

 

 

 

それはまぎれもなく、ダンブルドアが教師を使って私を監視しているということを認める内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラコ視点

 

僕は多分、今人生の中で最も忍耐を要求される時間を過ごしている。拳を必死に握りしめ、無意識に自分の知る限りの呪文を放とうとする自らを抑え込む。多分隣に座るダフネも同じなのだろう。先程から視界の端に、血が滲むほど握りしめられた拳が映っていた。

 

でも、僕達はこんな状況でも我慢しなくてはいけない。

何故なら、見ているだけしか出来ない僕等なんかより……ダリアの方がもっとつらい思いをしているのだから。

 

きっかけは無能教師のいつもの妄言だった。

奴の大のお気に入りであるポッターとダリア。二人が同時に教室内にそろったことに大興奮した様子の奴は、授業開口一番にとんでもないことを言い始めた。

 

「では! 今日はせっかくグリフィンドールとスリザリンが同時に私の授業を受けるのです! グリフィンドールのそこそこ有名であるハリー・ポッターと、学年主席であるダリアに今回の栄えある演技をお願いしましょう!」

 

何を言っているのか、一瞬理解できなかった。こいつが選び出す犠牲は、いつも男子生徒の誰かだった。こいつが求める役は、いつもこいつにやられる間抜けな悪役だったからだ。

突然の事態に理解の追いつかない僕とダフネを後目に、ダリアを前まで半ば強制的に連れ出したロックハートは興奮したように続けた。

その言葉で、僕らの理解はようやく現実に追いつくこととなる。

 

それがいい意味になることは決してなかったが。

 

「今日は『バンパイアとバッチリ船旅』での一場面を、皆さんに教えて差し上げます!」

 

僕とダフネの瞳が、同時に見開かれる。『バンパイア』という言葉に、とても嫌な予感がした。

 

「今回、せっかくグリフィンドールとスリザリンが私の教室内にいるのですから、授業を盛り上げるために私なりにこの感動的な場面をアレンジしてみました! その一環として、ダリアには栄えあるヒロイン役をやってもらいます! 僕に助けられるか弱き女性の役です! 対して、ハリーには彼女を襲う恐ろしい吸血鬼役をやってもらいましょう!」

 

理解が追いついた時、僕は激しい怒りを覚えた。

 

よりにもよってこいつはダリアに……吸血鬼に襲われる役を演じさせるのか!

 

僕はダリアが半分吸血鬼であることを知っている。僕は、いや、父上と母上も含めて、そんなことを気にすることなどない。ダリアがどんな肉体であろうと、たとえどんな存在であろうとも、ダリアは僕らの大切な家族だ。ダリアは誰が何と言おうとも、マルフォイ家に欠かせない一員なのだ。

 

でも、ダリアは僕らがそう思っていると知っていても。どうしても、自分の出自に罪悪感を感じている様子だった。

ダリアが僕らを家族だと思っていないわけではない。

逆に、ダリアは僕らを愛しているが故に、自分の中にある矛盾を無視できないのだ。

 

ダリアはずっと、内心で自分が本当のマルフォイ家でないことを責め続けている。

僕等がダリアを愛しているように、ダリアも僕等を愛しているからこそ、自分の中にある異物に納得できないのだ。

 

そんな自分を責め続けている妹に、よりにもよってこいつは……最もダリアの罪悪感をえぐる役を……。

 

「せ、せんせ、」

 

咄嗟に立ち上がりそうになる衝動を抑えていると、隣のダフネが声を上げようとする。

ダリアの事情を完全には理解できていなくても、ダフネも直感的に理解しているのだろう。ダリアがこの役をやってはならないということを。吸血鬼であるダリアがこの役を演じるということが、決してダリアにとっていいこととはいえないことを。

 

でも、僕はそんな彼女を、

 

「止めろ、ダフネ」

 

()()()。僕はダリアが傷つくのを知っていながら、止めたのだ。何故なら、

 

「……どうして? どうして止めるの、ドラコ? 確かに、私はダリアの事情を完全に理解したなんて、口が裂けても言えないよ。でも、それでもこれだけは分かる。ダリアはこのままじゃ、」

 

「そんなこと……僕だって分かってる」

 

僕は声が周りに聞こえないように必死に抑えながら応えた。

 

「だがな……お前はここで声を上げて。それをどう言い訳するつもりだ?」

 

「そんなの……」

 

僕の言葉に、ダフネの理解はようやく追いついてきたようだった。言葉がしりすぼみになっている。

ダフネも分かってしまったのだ。ここでダリアを庇う意味を。

 

確かにここでダリアを庇えば、一時的にダリアを助けることは出来るだろう。だが、その後は?

ロックハートに絡まれていた以前の状態と違い、今は授業中だ。次の授業を言い訳には出来ない。

そして何より……今ダリアがやらされている劇の内容が問題だった。

もし、これが狼男など、吸血鬼とは全く関係ない内容だったら躊躇わずダリアを連れ出しただろう。遮る理由など、ダリアが困っているというだけで充分だ。どんなに教師陣に睨まれようと、たとえ罰則が与えられたとしても構うもんか。

だが、この劇の内容は……吸血鬼だ。

ダリアの体のことを秘密にする以上、慎重に行動しなければならない内容だ。僕の不用意な行動一つが、ダリアに危機をもたらしてしまうかもしれないのだ。

勿論、こんな無能教師の下らない劇を遮ったくらいで、ダリアのことがバレるとは思わない。

 

ダンブルドア以外には……。

 

ダリアは既に、多くの情報を学校側にさらしている。日光を遮る服と傘。力を抑える手袋。どれもダリアにとって必要不可欠なものだ。だが、確かに一つ一つは結びつかなくても、ダリアが吸血鬼だと分かった上でこの情報を改めて見ると、これらは致命的なものであるように思えた。後もう一つでも情報を老害に与えてしまえば、ダリアが吸血鬼であるという真実にたどり着いてしまうかもしれない。ダリアの秘密は、そんな危ない橋の上に成り立っているものなのだ。

だから僕らは慎重にならなくてはいけない。もし万が一、この劇を遮り、ダリアと吸血鬼を結びつける僅かな可能性を与えてしまったら……。ダリアが吸血鬼だと一瞬でも疑う要素を与えてしまえば、あの老害はダリアの秘密にたどり着いてしまうかもしれない。

平時ならいい。生徒もダンブルドアも、いつもならダリアにそこまで着目しているということはないだろう。それにたとえダリアが吸血鬼だとバレようと、最終的には父上が必ず守ってくださる。多少社会的地位が下がるかもしれないが、父上なら最終的にそんなダリアに対する悪評を打ち消して下さるだろう。

 

だが、今は違う。()ダリアが吸血鬼だとバレるのは駄目だ。『継承者』だと疑われている今、少しでもダリアの不利になることは排除しなければならない。今ばれてしまえば、最悪ダリアこそが『秘密の部屋の恐怖』なんて言われてしまうかもしれない。ダリアもそれが分かっているのだろう。時が経つにつれ不機嫌になっているのが手に取るように分かるが、決してロックハートを強く拒絶出来ない様子だった。

 

だから僕らは……ダリアのためにも、ダリアが苦しむ姿を黙って見るしかなかった。ダリアの我慢を、僕らが無駄にしていいはずがないのだから。

 

「……くそっ」

 

「……」

 

見ていることしか出来ない僕とダフネ。ただただ無力感だけが募ってゆく。

最近こんなことばかりだ。何故ダリアがこんな目にあわなくてはいけないんだ。ダリアが一体何をしたというのだ。

ダリアはただ、表情を作るのが下手なだけだ。

ダリアは確かにいつも冷たい無表情をしている。だが、別にダリアに感情がないわけでも、本当に冷たい人間だというわけではないのだ。

ダリアはただ、少し他人とは違った体をしているだけだ。

ただ少しだけ人間ではない血が混じっているだけ。吸血だって、別に人を襲っているわけではない。ただ単純に、人間とは違ったものを必要としているだけだ。

 

ただそれだけだ。ただそれだけの理由で、どうしてダリアはここまで苦しめられなければならない?

考えれば考える程不当だと思える扱いをダリアが受けているというのに、僕とダフネはやはり黙っていることしか出来なかった。

無力感で頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

そんな時だった。

無能がとんでもないことを言い始めたのは。

 

「この学校で最も闇の魔術と戦った経験のある私は勿論、()()()()()()()君のことを()()()()()()()()()!」

 

この下らない時間においての、二度目の衝撃だった。

 

こいつは今、なんと言ったんだ?

ダリアを……なんだって?

 

どうやら違和感を感じたのは僕等だけではなかったらしい。完全に凍り付いたように静まりかえる教室で、グリフィンドールの一人がそろそろと手を挙げていた。

 

「せ、先生。それは一体どういう意味ですか?」

 

確かあいつは……ポッターとルームメイトのシェーマス・フィネガンとかいう奴だったはず。フィネガンが恐る恐る尋ねると、いつも通り無駄に興奮気味なロックハートが答えた。

 

「うん? 実はダンブルドア先生から私を含めた先生方にお願いがあったのですよ! ダリアをそばで()()()()()()()()! それを聞いて私にはすぐに校長先生の意図が分かりましたとも! ええ、私もダンブルドア先生の意見にも一理あると思いましたね! 確かに、私の存在で『継承者』は恐れをなしたのか部屋を閉じました! しかし、私以外にも彼に()()()脅威になりえる存在がいると、私も認めましょう! それが校長先生と()()()ですね! 先生はおそらく、もし万が一ですよ。万に一つもありませんが、まだ『秘密の部屋』が開かれていた場合、三人の中で最も狙われやすいのは誰かと考えたのでしょう! 私は闇の魔術を何度も撃退したエキスパートですし、ダンブルドア先生も……まあ、()()()()ご経験をされておられるようだ! しかし、ダリアはどんなに優秀だと言ってもまだ学生です! そこで真っ先に狙われてしまうと考えたのでしょうね!」

 

無能はしゃべる度に興奮が増すのか、さらに顔を紅潮させながら続ける。

やめろ……。やめてくれ……。お前らは、ここまでダリアを追い詰めておいて、まだ足りないと言うのか。ダリアは『継承者』なんかじゃない……。ダリアは無実であるというのに……。なのに……。

 

「だから校長先生は、常にダリアを守れるように、先生方の誰かが()()ダリアの周りにいるように指示されたのですよ! 勿論、ダリアを守るのに私だけで充分なのですが、残念ながら君達に『闇の魔術に対する防衛術』をお教えすることも大事な仕事です! ですからダリア、ご安心ください! 君は決して不安に思う必要などないのですよ!」

 

もはや誰もロックハートの話など聞いてはいなかった。

皆一様に青ざめた表情で、教壇の前で俯くダリアを見つめている。

ハッフルパフが襲われてからというもの、この数か月の間誰も襲われてはいない。皆不思議がっていたのだ。

何故、『継承者』は新たな犠牲者を出さなくなったのか? クリスマス明けから夜の外出禁止が厳しくなったが、そんなもので本当に抑え込めるのだろうか?

皆内心で疑問に思っていたことだった。ダンブルドアがとった対策と言えるものは、ただの外出規制だけだ。そんなものが、何故効果を発揮したのか?

でも、その答えが今示されたのだと、皆()()()()思ったのだ。

 

今ホグワーツが平和なのは……夜だけではない。朝と昼さえも、ダリアが監視されているから。

そう理解したのだ。

ダリアに『継承者』である証拠などない。何故ならダリアは『継承者』などではないのだから。

 

だがもし、ここまで徹底的にダリアのみを監視した状態で、不意に何の前触れもなくホグワーツに平和が戻ったら?

 

それは紛れもなく、ダリアこそが『継承者』だったという証拠になってしまうのではないか?

 

ロックハートの声だけが響く中、ダフネが僕だけに聞こえる声で話しかけてきた。

 

「ねえ、ドラコ」

 

その声は、僕が聞いた中で、ダフネの最も怒った声だった。怒りと殺意という激しい感情に満ちた声。

でも、それに僕が何か思うことはない。何故なら、僕も今猛烈に怒り狂っていたから。

 

()()を社会的に抹殺する時にね……お願いだから、グリーングラス家にも一枚かませてよね」

 

僕はダフネの言葉に無言でうなずき返した。

 

あいつだけは……絶対に許してなるものか。

僕は俯きジッと耐えるように地面を見つめるダリアの横で、今も興奮したように話し続ける無能を睨みつけた。

 

ダリアは知っていたのだ。自分が監視されていることを。生徒のみならず、教師にすら監視されていることを、ダリアは知っていたのだ。だからこそ、ダリアは最近一人では行動していなかったのだ。ダリアがスリザリンに戻ってきたのは、学校が始まったからでも、ダリアが僕らを許す気になったわけでもなんでもなく……ただ離れられなくなっただけだったのだ。離れてしまえば、後で何を言われるか分かったものではなかったから。

思い返せば、いくらでも兆候はあった。

授業の合間に、常に誰かしらの教師がいるなとは思っていた。でも、僕は能天気にもそれはただの偶然だと思っていた。そんなわけあるはずがないというのに。

まただ……。ダリアは早くに気が付き、またそれに独り耐えていたというのに……。僕は……。

 

僕が恨みを込めて睨みつけるロックハートの隣には、相変わらず俯き表情の見えないダリアがポツンと立っていた。

 

ダリアは……相変わらず独りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「では、ここにサインをいただけますかな?」

 

私はただ淡々と、今目の前に座る理事の一人に宣告した。こいつは12人いる理事の一人だ。残りの人間は全員もうこの書類にサインした。まだ()()を終えていないのはこいつだけだったのだ。

 

「……ル、ルシウス。君の気持は分かるが、これはその……。ダ、ダンブルドアを学校から追放するなど、」

 

他の理事の時もそうだったが、こいつも他と同様サインを渋っている様子だった。こいつはこの期に及んでも、未だにダンブルドアが校長に適任だと信じているらしい。

 

ふざけるな……。ダリアを傷つけておいて、何が今世紀最も偉大な魔法使いだ……。

 

私は内心の怒りを抑えながら、平坦な声で続ける。

 

「ほう? 学校がこんな事態だと言うのに必要な措置も取らず、それどころか全く関係のない我が娘を教師を使って監視するなど……。そんなことが許されるとお思いなのですかな?」

 

それを知ったのは、私が今日昼食をとっていた時のことだった。突然ドラコから急ぎの手紙が届けられたのだ。ドラコにはホグワーツで少しでも異変があれば、すぐに連絡するように命じてある。この時間に手紙が届くということは、今日の午前中に何かあったのだろう。私はすぐに中身を確認したところ……。

 

そこには、午前の授業において、あの無能がダリアが監視されていることを暴露したと書かれていた。

 

ダリアが疑われている以上、あの老害のことだ。何かしらの監視は必ず行われているとは思っていた。

だがそれを証明するには、如何せん証拠が足りなかったのだ。あいつは生徒全体に対してやっていることで、これは生徒の安全を守るためだと嘯くばかり。奴がダリアのみを対象にした監視体制をとっていると、証明するものが何一つなかったのだ。

 

だが、今証明された。これで奴は言い逃れが出来なくなる。よしんばロックハートの暴走と片付けようにも、奴にはクィディッチの時の前科がある以上、奴に対する管理不行き届きの誹りはもはや避けられない。

 

これでチェックメイトだ。

 

ある程度はごり押しするつもりであったが、これで奴の追放に他の理事は同意せざるを得ない。後で何を言われようとも、これだけ大きな証拠があれば後でどのような言い訳もすることが出来る。

本当であればロックハートもついでに始末しておきたかったが、理事には校長の任命権はあっても教員の任命権はない。あれは校長の権限だ。その校長を今から追放する以上、あれの始末はもう少し先延ばしにするしかない。全てが片付いた暁には、必ず報いを受けさせてやる。

 

「……だ、だが、ダンブルドアは、」

 

この愚か者は、まだ現状を理解出来ていないらしい。これ以上ダンブルドアを校長の座につかせるということが、マルフォイ家を敵に回すことを意味することを。

未だにサインしようとしないこの愚者に、私は最後の手段を使うことにした。

 

「何か勘違いされているようですな」

 

私の冷たい声に、目の前の愚者は黙り込んだ。

 

「私は別に相談に来ているわけではない。これは決定事項なのだよ。君がこれ以上この件に反対するというのなら、私にも考えがある」

 

一度言葉を切り、私はまるで幼子に言い聞かせるように続ける。

 

「……君の母親は今、聖マンゴ魔法疾患傷害病院にいるそうだね。お可哀そうに、庭仕事中に蛇にうっかり噛まれたとか。確か命に別状はないが、しばらく入院はしなければならないそうだね?」

 

こいつの家族関係はもうとっくの昔に調べ終えている。家族構成から、その者たちが今どうしているかという細かいことまで。だから……

 

「実は我がマルフォイ家は聖マンゴ魔法疾患傷害病院にも出資していてね。私は少々職員の数人に顔が利くのだよ。中には私が頼めばどんなこともしてくれるような連中もいてね……。いや、癒師にはあるまじきことだがね……」

 

「……」

 

「君の母親……生きた状態で病院を出た方がいいとは思わんかね?」

 

足が付かない方法など幾らでもあるのだ。こんな愚か者の家族の一人を消すくらいなんということはない。それをようやく理解したらしく、

 

「……わ、分かった。サインすればいいのだろう……」

 

やっと書類にサインをすることに同意した。まったく……初めからそうしておればよいものを……。

 

「そうですか。分かってくれたようで実に助かるよ」

 

サインしたのを確認すると、すぐさま書類を丸めて帰り支度をする。

急がねばならない。あの老害を一刻でも早く追放しなければ。時間が経てばたつほど、ダリアの心が傷ついてしまう。

 

「では、私はこれで。私にはやらねばならぬことが、まだありますのでね」

 

私は未練がましい視線を断ち切るように扉を閉めると、すぐに次の目的地に姿くらましする。

魔法省大臣、コーネリウス・ファッジの元へと。

 

「もうすぐだ、ダリア……。あともう少しで、お前を守ることが出来る」

 



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追放(後編)

 

 ダンブルドア視点

 

ルシウスから突然届けられた手紙には、

 

『本日9時、先に行くであろうファッジと共に森番の小屋まで来るように。校長にお伝えせねばならないことがある』

 

そんな簡潔な伝言のみが書かれていた。一体どのような用事なのか一つも書かれておらん。

 

じゃが、ワシには何が伝えられるのか大凡の見当はついておった。

 

遂にルシウスはハグリッドをアズカバンに入れると共に……ワシの追放を他の理事に認めさせたのじゃ。

 

「……考えが甘かったようじゃのう」

 

ワシはこれ以上犠牲者を出さんようにするため、ダリアの監視を先生方に頼んだ。生徒達だけでは監視の目が足りんということに、ニックとフレッチリー君が襲われた時に悟ったからじゃ。その上その生徒の監視ですら、ハリーへの警戒で僅かながら緩んでしまっている。こんな時期の夜中にダリアが出歩いている以上、彼女がまだ何かしらの狙いを持っておるのは間違いない。このような緩んだ警戒態勢の中では、彼女が次の犯行を起こすのも時間の問題でしかないと思うた。

 

じゃからワシは夜の出歩きを厳しく制限し、さらに先生方にも注意深くダリアを見てもらうことにした。セブルスだけは渋っておったが、ミネルバをはじめ、多くの先生方はワシの言うことならばと頷いてくれた。

じゃが、ここで問題が発生した。教師の数が圧倒的に足らんかったのじゃ。選択科目の先生方を動員しようにも、ダリアの監視に回そうものなら、今度は先生方の本来の職務が立ち行かんくなる。現実的な方策として、ダリアの受ける授業の担当が監視を行うしかなかった。

じゃから不安ではあったが、あのギルデロイにも頼らざるを得んかった。いくら彼でも、ダリアを文字通り見守ることくらいなら出来るじゃろう。そう、安易に考えてしまっておった。

 

それが今回の失敗じゃった。まさかギルデロイが生徒にそれを打ち明けてしまうとは……。それはワシの想定外のことじゃった。まさかあそこまで考えなしの言動をとってしまうとは……。

 

ワシの敷いた監視体制が功を奏しておるのか、今ホグワーツの中は以前の平和を取り戻しておる。それが生徒達にも分かっておるのか、ハリーへの警戒が消し飛ぶくらいには、今全員の生徒がダリアを『継承者』じゃと再び疑っておる。

じゃが、それはあくまで生徒達の話じゃ。世間的に見れば、ワシは何の証拠もなく生徒を監視した愚か者でしかない。

そこをルシウスに突かれてしもうた。今までは、決してダリアを疑っているわけではないとなんとか誤魔化しておったが、今回のことでワシの疑いが遂に明るみに出てしもうた。ワシが何の根拠もなく一人の生徒を疑い、監視し、傷つけていると、ルシウスは主張したのじゃ。それを根拠に、遂にワシの追放まで漕ぎつけられてしもうた。

 

「まだ何一つ判明しておらんのじゃがのう……」

 

今回の事件について、ワシは未だに何一つ証拠を掴めておらん。50年前の事件も同様じゃ。犯人は分かっておるのに、彼女がどのように犯行を行っておるのか、どこに『秘密の部屋』があるのか、何一つ確たるものはなかった。今回は前回の失敗を踏まえて、さらに踏み込んだ対応をしておるというのに、やはり何一つ新たな情報を得れてはいなかった。

こんな状態で生徒達を……ハリーを残して学校を去るわけにはいかん。彼がいくら選ばれた少年とはいえ、まだ12歳の子供なのじゃ。闇と立ち向かうには、まだまだワシの助けが必要じゃと思った。

じゃが、そう思ってもワシにはどうすることも出来ん。ワシの指示した監視が明るみに出た以上、理事は渋りながらも、最終的にワシの追放に同意せざるを得ない。渋ったとしても、ルシウスが必ず脅してでもサインをもぎ取るじゃろう。

 

まさに万事休すじゃった。

 

「……はぁ。ままならんものじゃのう」

 

ワシは疲れ果てたため息を一つつくと、背後でワシを心配げな瞳で見つめておったフォークスに話しかける。

 

「フォークスよ……。残念じゃが、ワシは一時的にこのホグワーツを離れねばならん。じゃからのう、お主にはワシの代わりに、いざという時にハリーを助けてやってほしいのじゃよ」

 

フォークスの美しい瞳を見つめながら続ける。

 

「あの子はまだ何も知らぬ子供じゃ。大いなる闇に立ち向かうには、残念ながらまだ力不足じゃ。おそらく、ワシがここからいのうなれば、必ずダリ……『継承者』は行動を起こす。その時に、お主にはハリーの手助けをしてやってほしいのじゃ。お主なら、ハリーがどんな場所にいようとも、すぐにたどり着くことが出来るじゃろう? じゃから……」

 

ワシがおらんようになれば、いざという時にハリーの場所にたどり着けるのは、おそらくフォークスしかおらん。それに彼には人並み以上の知恵、癒しの力を持つ涙、そして重たい荷物ですら運べる強靭な翼を持っておる。きっとハリーが闇と立ち向かう時の役に立ってくれるはずじゃ。

そんな期待を寄せるワシの懇願に、フォークスはそっと、じゃが力強く頷いてくれた。

 

「すまんのう……」 

 

ワシはフォークスを一撫ですると、ああ、ついでにと棚からあるものを取り出す。

それは一見古ぼけた帽子に見える……『組み分け帽子』じゃった。

 

「いざという時、ハリーにこれを届けてほしい。ハリーは今迷うておる。自分が果たして本当にグリフィンドールでよかったのかと。自分の中にあるスリザリンへの可能性に、彼は自身を見失いかけておる。その迷いはいざという時に、彼の命取りになってしまいかねんものじゃ。じゃからいざという時、彼にこの帽子を届けてほしいのじゃ。これを受け取れば、彼はきっと取り出すはずじゃ。彼が真のグリフィンドール生、彼が持つ勇気は本物じゃという証明を」

 

そう言ってワシはフォークスに『組み分け帽子』を渡すと、一つフォークスに頷き部屋を後にした。

 

ワシの背中を、やはり心配げな瞳で、フォークスはジッと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「ロン! ハーマイオニー! ハグリッドだったんだ! 50年前に『秘密の部屋』の扉を開いたのは、ハグリッドだったんだ!」

 

談話室に飛び込むと、相変わらずどこを見ているか分からないハーマイオニー、そしてその横でクィディッチの雑誌を読んでいるロンに、周りに聞こえないような声音で宣言した。

僕の言葉を聞いた途端、

 

こいつは何を言っているんだ?

 

とでも言いたそうな視線を受けながら、僕は二人に先程見た光景を話し始めた。

 

きっかけは些細な思い付きだった。

マルフォイから日記を取り返した時、僕はそれに気が付いた。こぼれたインクの中に沈んでいたというのに、日記のどこにもインクが付いていないことに。開いてみると、相変わらず中身は白紙のままだった。

そのことに違和感を持った僕は、寮に押し込められると同時に、ハーマイオニーとロンを談話室に残して寝室に籠り、日記の謎を調べてみようと思ったのだ。

ベッド横の机に日記を置き、僕はさっそくインクを一滴たらしてみた。するとやはりインクはまるで吸い込まれていくように消えてしまった。

その光景を見た僕はあることを思いつく。それはこの日記に、僕が文字を書き込むことだった。僕は興奮しながら、今度は羽ペンを走らせた。

 

『僕はハリー・ポッターです』

 

変化は一瞬だった。文字はあっという間に吸い込まれたかと思うと、今度は文字が浮かび上がってきたのだ。

僕の推察は当たった。この本は、僕に返事をしようとしている!

 

『こんにちは、ハリー・ポッター。僕はトム・リドルです。僕はトイレに捨てられていたのですが、()()()()拾われたのは幸いでした』

 

『それはどういう意味ですか?』

 

僕は自分の推理が当たったことに興奮しながら、書きなぐった。

 

『僕はこの日記に、ホグワーツに関する忌まわしい記憶を残しました。()()()()()人間ならいざ知らず、その辺の生徒に僕が渡るわけにはいかないのです』

 

『その恐ろしい記憶とは、もしかして秘密の部屋に関することですか?』

 

僕の脳裏にはハーマイオニーの言葉が浮かんでいた。

 

トム・リドルが50年前、スリザリンの継承者を捕まえたことで、賞を貰ったとしたら?

 

彼女の推理が正しければ、トムの言う恐ろしい記憶とは……。

 

『その通りです。僕が学生の頃、それは開かれました。数人の生徒が襲われ、ついには一人の女子生徒が殺されたのです。僕は犯人を捕まえ、その人物は追放されました。その褒美に僕はトロフィーを貰ったのですが……当時の校長は、それを僕に渡す代わりに事件のことを沈黙するように求めました。おそらく外聞を気にしたのでしょう。でも、僕は知っていました。犯人が捕まっても、怪物は生き残っていることを。だから僕はこの日記を残した。再び部屋が開かれた時に、ホグワーツの助けになるように。それに、犯人は追放はされましたが、まだ投獄はされていない』

 

ハーマイオニーの推測は正しかった。この日記は、この事件の真実を知っている!

 

『今、また部屋が開かれています! 教えてください! 事件の背後には、一体誰がいたのですか!?』

 

ダリア・マルフォイが今の『継承者』なら、前回の『継承者』はルシウス・マルフォイのはずだ。彼なら、今『継承者』が投獄されていないことにも説明が付く。その事実がようやく明るみに出ると、僕は興奮した。

今朝の授業でロックハートが暴露した事実。先生達がダリア・マルフォイを監視していたという事実。これで今誰も襲われていないことの理由が分かったと、皆納得した。でも、これだけでは駄目なのだ。これだけでは、ダリア・マルフォイを本当の意味で追い詰めることが出来ない。

 

だから期待した。

この日記によって、決定的な証拠が挙がることを。ここでルシウス・マルフォイの名前が上がれば、ようやく今度こそダリア・マルフォイを追い詰めることが出来る。

 

そう思った。

 

でも……。

真実は僕の思っていなかった方向へと転がり始めることになる。

 

『お望みならお見せしましょう。僕が犯人を捕まえた夜へと、僕がお連れしようではありませんか。信じる信じないは、あなた次第です』

 

リドルの文字が浮かび上がると同時に、本が突然光り始める。

目もくらむ閃光の中で、一瞬見たこともない青年が、()()()()()()()()()()()()残酷な笑顔を浮かべているような……そんな気がした。

 

そして僕は目の当たりにすることになる。その日の真実を。

当時の校長、ディペット校長に呼び出されたこと。その帰り道、ダンブルドアと大広間前の階段で出会ったこと。ダンブルドアに、このまま被害が続くようであれば、学校が閉鎖されるであろうと伝えられたこと。トムが孤児院に戻りたくないがために、『継承者』を捕まえようと決心したこと。そして地下牢教室の前で待ち伏せしている時、一人の生徒が通りかかったこと。その生徒が、何か毛むくじゃらの胴体、そして絡み合った黒い足を持った怪物を隠し持っていたこと。その怪物をトムが取り逃がしてしまったこと。

 

そして……その怪物を隠していた生徒が、僕らの友達であるハグリッドであったことを。

 

全てを話し終えた時、ロンもハーマイオニーもまるで苦虫を嚙み潰したような表情になっていた。思いがけない真実に戸惑いながら、ロンがポツリとつぶやいた。

 

「い、いや、でも、まだ決まったわけじゃないだろう? 確かに、ハグリッドのことだ。昔から怪物の一つや二つ、可哀想なんて理由で飼っててもおかしくはないさ。でも、それが『秘密の部屋の怪物』だっていう証拠はないんじゃないか? リドルはきっと勘違いしてたんだよ」

 

僕もロンの意見に本当は賛同したかった。でも、

 

「……ハグリッドがホグワーツを追放されたってことは間違いないんだ。追い出されたからには、誰も襲わなくなったんだよきっと。そうでなければ、リドルは表彰されないはずだよ」

 

ロンは咄嗟に反論しようとしていたが、すぐには言葉が出ない様子だった。それもそうだろう。ハグリッドを追放した途端、誰も襲われなくなった。それは奇しくも、ダリア・マルフォイが監視され始めた瞬間、誰も襲われなくなったことと同じ状況なのだから。

友達に突然浮かび上がった疑惑に僕らが困惑したように口を閉ざしていると、今まで黙り込んでいたハーマイオニーが突然話し始めた。

 

「ハリー。すぐに透明マントを取ってくるのよ」

 

いきなりのことに、僕はポカンとした表情で応える。

 

「え? なんで透明マント?」

 

去年のクリスマス、ダンブルドアから送られてきたお父さんの形見である『透明マント』。それの名前が、何故今突然あがるのか理解できなかったのだ。

しかしハーマイオニーはそんな僕の様子に苛立っているようで。

 

「今からハグリッドの所に行くためよ! 分からないのなら、本人に直接尋ねればいいのよ! 真実がどんなものにせよ、ハグリッドに真実を聞かない限り、これ以上私達が前に進むことは出来ないわ! だから一刻も早く、本人に聞きに行くのよ!」

 

「で、でも、それはハグリッドが、」

 

「ええ。ハグリッドには無神経な質問でしょうね……。50年前のことを蒸し返すことになるんだから……。でもね、もう一刻の猶予もないのよ! 今日の一件で、()()の疑いがまた深まってしまった! このまま放っておくなんてこと、やっぱり私には出来ない! 失敗を恐れてるだけじゃ、何も前に進めないの! 私はこのまま彼女が傷ついているのを、ただ見ていることなんて、やっぱり出来ない! だから、そのためには! 私達は今すぐハグリッドの元に行かないといけないの! 私達は、一刻も早く真実にたどり着かないといけないの! ほら! 分かったら早く『透明マント』をとってきて!」

 

「う、うん」

 

ハーマイオニーのあまりの剣幕に思わず頷いてしまった。でも確かに、ハーマイオニーの話にも一理ある。勿論、ハーマイオニーが匂わせている、ダリア・マルフォイが無実であるという話ではない。

ハーマイオニーが言うように、今一刻も猶予がないかもしれないのも確かだった。

 

クリスマスの夜、僕らがスリザリン寮に忍び込んだ時、ドラコは仄めかしていた。

 

ダンブルドアの追放を。それはもうすぐ行われることだということを。

あの時はただのドラコの妄言だと思った。でも、もしそれが本当だとすれば……。

 

ルシウス氏がどのような手段でダンブルドアを追い出すかは分からない。でも、もし彼が今のダリア・マルフォイの状況を知ったら……。彼はすぐにでも、自分たちの計画を邪魔しているダンブルドアを排除しようとするだろう。

 

ダンブルドアは偉大な魔法使いだ。簡単にマルフォイ達なんかに追い出されることはないと思うが、奴らがどんな手段を使っているのか分からないことも確かなのだ。

もし、ダンブルドアが追放でもされれば……今の仮初の平和は終わる。今までは皆石になっていただけだけど、今度こそ誰かが殺されるかもしれない。

 

そしてその誰かは、未だにダリア・マルフォイを信じるハーマイオニーかもしれないのだ。

 

それに思い至った僕は、ハーマイオニーの気迫もあり、急いで『透明マント』をとりに寝室に戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

はやる気持ちを抑え込みながら、一歩ずつ慎重に足を進めていく。『透明マント』は三人が入るには小さすぎたのだ。慎重に足を進めなければ体の一部がはみ出してしまう。それは今致命的なミスにつながってしまう。何故なら、

 

「……止まって」

 

私の小さい声で呟いた指示に従い、後ろにいるハリーとロンも止まる。

物音ひとつ立てないように立ちすくむ私達の前を、ゴースト二体がスーっと通り過ぎた。

彼らが完全に通り過ぎたのを確認した私達は、そっとため息をついた。

 

誰かとすれ違うのは、もう何度目のことか分からなかった。

去年夜出歩いていた時は、こんなに城の中は込み合っていなかった。

先生や監督生、そして今しがた見たゴースト達のように、皆二人一組になって行動しているようだった。皆常に二人で行動し、少しでも不審な動きはないかとそこら中に目を光らせている。

 

この全てがマルフォイさんを警戒してのことだと思うと、やるせない気持ちになる。

この警戒の全てが私達の行動に起因した結果なのだと思うと、心が罪悪感に満たされ足がすくんでしまう。

 

『もう二度と……ダリアに近づかないで』

 

グリーングラスさんの怒りに満ちた言葉が蘇る。あの時の彼女の怒りは尤もだ。私は……取り返しのつかないことをしてしまったのだ。私は『ポリジュース薬』を作ろうと思った瞬間から、ずっと無意識にマルフォイさんを傷つけ続けていたのだ。そして、私の行動の結果は今も彼女を……。

 

顔向けできるはずなどなかった。私みたいな勉強しかできない愚か者が、これ以上何かすることこそ罪だとさえ思った。

 

でも、今私は再び行動しようとしている。

 

真実が目の前にあるかもしれない。事件解決の望みが、今度こそ手の届く場所にあるかもしれない。その可能性を感じた時、私はやはり以前と同じように行動を起こしてしまった。

本当に馬鹿な人間だと思う。あんなにもマルフォイさんを傷つけてしまったというのに、私はまた性懲りもなく行動しようとしている。今度もまた、私は彼女を追い詰めてしまうかもしれない。

 

でも、私は行動した。

 

彼女を助けられる可能性があるのに、それを黙殺することなど出来なかった。失敗を恐れるあまり、ここで立ち止まることが許されるはずがない。

 

警戒と敵意の視線の中、ただ俯く彼女の姿を思い出す。彼女のあんな姿を見て、行動しないことなんて私には我慢できない。

 

それに、今学校中の全ての警戒心が彼女に注がれている。彼女は『継承者』なんかじゃない。それだけは絶対にないと、私は断言できる。

それならば、今のこの監視体制は確実に無駄なものでしかない。何故本物の『継承者』が大人しくなっているか分からないけど、今その本物の『継承者』が何の監視もされていないのは間違いないのだ。だから次の犠牲者はもう時間の問題でしかない。次の犠牲者を出さないためにも、そしてその時、マルフォイさんがこれ以上辛い思いをしないようにするためにも、私は一刻も早く真実にたどり着かないといけない。

 

「……行きましょう」

 

益々はやる気持ちを抑えながら足を再び進めた。

この後も何度か先生方をやり過ごし、何とか正面玄関を抜けた先、星の輝く夜にポツンと見える小屋の明かりを目指して私達は急いだ。

ようやくたどり着いた時、私達は無事にたどり着いた安堵からホッとため息を一つつき、戸を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

戸を叩くと、すぐにハグリッドが出てきた。

石弓を携えながら。

 

「誰だ!」

 

ひどく警戒した様子のハグリッドの前で、僕らは『透明マント』を脱いだ。

 

「僕達だよ!」

 

真正面にヌッと現れたのが僕達だと確認すると、ハグリッドは安堵した様子で尋ねる。

 

「なんだ、お前さんらか……。こんな所で何をしとる? 今は六時には寮におらんといけんはずだ」

 

「う、うん。でも、ちょっとハグリッドの話を聞きたくて……」

 

僕がモゴモゴと話すのを、ハグリッドは訝し気に見つめていたが、

 

「まあ、なんだ。ここに突っ立っていても仕方がねえ。とりあえず入ってくれ」

 

ハグリッドに急かされるように小屋に入った僕達は、思い思いの位置に腰掛けた。イソイソとお茶の準備をしている横で、僕らは奇妙な沈黙で満たされていた。

勢いでここまで来たものの、いざハグリッドになんて尋ねればいいのか分からなくなったのだ。あんなにやる気に満ちていたハーマイオニーも、いざここに到着すると少し気まずそうに眼を泳がせている。

しかしどうやら気まずい気持ちになっているのは、僕達だけではなかったらしい。

 

バリン!

 

という音に驚いて顔を向けると、ハグリッドがポットを取り落としてしまったようだった。

 

「ハグリッド、大丈夫?」

 

「い、いや、大丈夫だ。な、なんでもねえ。ちょっと手が滑っちまっただけだ……」

 

僕等を安心させるように言っているが、全く大丈夫そうに見えなかった。よく見れば不安そうにチラッチラッと窓の外を見ている。外に何かあるのだろうか?

 

「ハグリッドは座ってて。私がお茶をいれるわ」

 

どこか落ち着きがない様子のハグリッドの代わりに、少し気を紛らわしたいのであろうハーマイオニーがお茶をいれるため立ち上がる。

 

「す、すまねえ」

 

ハグリッドはそれに素直に従い椅子に座るが、やはり落ち着きなく外を見ていた。

ハーマイオニーがお茶を全員分配り終えても、奇妙な沈黙が続いた。僕達は僕達で会話のきっかけがつかめず、ハグリッドは相変わらず心ここにあらずの様子だった。

 

どれだけ時間がたっただろう。僕達がハグリッドに話を持ち掛ける役を、目で押し付けあっている時、ハグリッドがようやく声を出した。

 

「そういえば……。お前さんらは一体何しにここに来たんだ? さっきからお茶を飲むばかりだが。何か聞きたいことがあるっちゅう話だったが?」

 

「そ、そうなの。私達、ハグリッドに聞きたいことがあって……」

 

ハグリッドの言葉に、ハーマイオニーがようやく決心のついたように話し始めた。

 

「ハグリッド……。落ち着いて聞いてね。私達、決してあなたのことを責めようとか、疑ってるというわけではないの。それだけは分かってね……」

 

ハーマイオニーは前置きを話すと、静かにハグリッドに尋ねた。

 

「ねえ、ハグリッド。私達50年前の……前回『秘密の部屋』が開かれた時の話を聞きに来たの」

 

変化は劇的だった。ハグリッドは手に持つお茶を取り落とし、目を皿のように見開いていた。

 

「な、なんでそんなことを!?」

 

「私達……知ってしまったの。あなたが50年前、『継承者』として追放されたこと……。お願い、ハグリッド。あなたの知っていることを話して。私達、あなたを責めるつもりなんてないの……。ただ真実が知りたいだけ。そうしなければ、また次の犠牲者が出てしまうかもしれない。お願いよ、ハグリッド……」

 

「……」

 

ハグリッドはマジマジとハーマイオニーを見つめていた。僕とロンは固唾を飲んで見つめあう二人を見る。ハグリッドに非常に酷なことをしている自覚はある。出来ることなら、友達である彼の忌まわしい過去なんて放っておいてあげたかった。

でもそれは出来ない。これはいつか必ず知らないといけないことでもあるのだから。

ハグリッドはしばらくハーマイオニーを見つめていたが、ふと疲れ果てたようなため息を吐くと、

 

「……ハーマイオニー。それとハリーとロン。これだけは分かってほしいんだが、俺はあの時、人を殺そうと思ったこともねえし、殺してもいねえ。それだけは分かってくれ……」

 

「勿論よ! 別に私達、あなたを疑っているわけじゃないの!」

 

「そうか……。なら、ええ……」

 

ハーマイオニーの間髪入れぬ返事で、ようやくハグリッドが重い口を開いた。

 

「俺が何であの時追放されたかは、知っとるか?」

 

「ええ。怪物を飼っていたから、でしょう?」

 

日記の光景から、ハグリッドが怪物を飼育していたことは間違いない。彼のことだ。怪物が閉じ込められるなんて可哀想だなんて言って解放するくらいしそうだった。

 

「……そうだ。俺は当時、アラゴグっちゅう()()を飼っとった」

 

どうやら日記で見た怪物はアラゴグというらしい。巨大蜘蛛の名前なんて興味もないが、どうやらハグリッドはそうでもないらしい。当時の怪物のことを思い出したのか、先程の表情とは打って変わり、どこかうっとりとした表情でつづけた。

 

「あいつが赤ちゃんの頃から飼っとった。目が八つあるんだが、キラキラしたつぶらな瞳で可愛かった。俺の手の中で長い足をせわしなく動かしてて、」

 

「ハグリッド……」

 

いつまでも続きそうな怪物談話を、ハーマイオニーの冷たい声が遮った。

 

「お、おお、そうだった。で、そのアラゴグだが、ある時()()()()()に見つかった。それで皆信じ込んでしまったんだ……。あいつが『秘密の部屋』の怪物だってな」

 

「え? じゃ、じゃあ、そのア、アラゴグは怪物ではないの?」

 

「違う。あいつは決して人間を傷つけたりなんかせん。あいつの牙は確かに()()を持っとったが、あいつが誰かを殺すようなことをするわけねえ」

 

……信憑性は限りなくゼロだった。牙に猛毒を持っているのに、どうして誰も殺さないと断言できるのか理解できなかった。

ハーマイオニーもそう思っているのか、

 

「……ハグリッド。何でアラゴグが誰も殺してないって断言できるの?」

 

今は完全に犯人を見つめる目をしていた。ハグリッドもそれを感じ取ったのか、慌てた様子で続ける。

 

「ア、アラゴグは誰も殺してねぇ! アラゴグは『秘密の部屋の怪物』じゃねぇ! それに、あいつを物置から出したことすらねぇんだ! 殺された生徒はトイレで見つかったんだ! だから『怪物』は他にいる! そうアラゴグも言っとった!」

 

「え? アラゴグって蜘蛛は喋るの?」

 

どうやら蜘蛛が苦手らしく、蜘蛛という単語が出る度に肩を跳ねさせているロンが、心底嫌そうな顔で尋ねる。

 

「そうだ。あいつは賢い奴でな。人間の言葉だって喋ることができる。この前だって話して来たばかりだ。今度紹介してやる」

 

「……その蜘蛛、今どこにいるの?」

 

聞き出した場所には絶対に近寄らないという決意が見え隠れするロンに、ハグリッドが機嫌よく話す。

 

「禁断の森だ。今はあそこに家族ですんじょる」

 

家族という不穏な言葉が聞こえたが、僕らは敢えて無視した。森の中に猛毒を持った蜘蛛が山ほどいるなんて、想像もしたくない。それにそろそろ本題に話を戻さないと、いつまでも怪物自慢が続いてしまう。

 

「で、ハグリッド。アラゴグが『怪物』は他にいるって言ったのよね? それってどういう意味なの?」

 

ハーマイオニーの質問に、僕達が何しにここに来たのか思い出した様子でハグリッドが話す。

 

「そうだ。アラゴグがつい最近言っとった。いやこの前だけじゃねぇ。()()()()見つかる前も、同じことを言っとった。あの城には『怪物』が住んどる。その怪物は、蜘蛛が何よりも恐れる太古の生き物らしい。そいつがあの時、そして今城の中を動き回っている気配がする。だから気をつけろと、俺に言った……。あいつは『怪物』なんかじゃねえ。あいつの言う、今城を動き回っている奴こそが『怪物』だ」

 

「そ、その生き物って、」

 

僕がハグリッドに質問しようとしたその瞬間、

 

ドンドン!

 

突然、戸を叩く音が鳴り響いた。

ハグリッドは再びお茶を取り落とし、僕とロン、そしてハーマイオニーもパニックに陥りそうになりながら、慌てて『透明マント』を被って部屋の隅に移動した。

ハグリッドは僕らがちゃんと透明になっているかを確認した後、扉をゆっくりと開けた。

 

「こんばんは、ハグリッド」

 

外にいたのはダンブルドア先生だった。僕達は思わず安堵しそうになったが、来たのはダンブルドアだけではなかった。深刻そうな表情をしたダンブルドア先生の後ろに、もう一人見慣れない人物がいたのだ。

ダンブルドア先生に続いて入ってきた人物は、背の低い恰幅のいい体に、くしゃくしゃの白髪頭の人物だった。

その人物を認識した瞬間、隣のロンがささやいた。

 

「魔法省大臣だ! パパのボスのコーネリウス・ファッジだよ!」

 

透明マントの中で僕がロンを黙らせているのをしり目に、ファッジは青ざめた表情をするハグリッドに言った。

 

「状況はよくない。ハグリッド。だから来ざるをえなかった。マグル出身者が二人襲われたというのに、ダンブルドアが何もしておらんどころか、無意味に()()()()()()を傷つけていると、魔法省内で強硬に主張する人間がおる。もうこれ以上、()の声を抑えることは出来んのだ。本省が何かしなくては、収まるものも収まらんくなる」

 

「だ、だが、俺は決して。決して何も……。ダンブルドア先生様も知っておられるでしょう?」

 

縋るようにダンブルドア先生を見つめるハグリッドの言葉を受け先生は、

 

「コーネリウス。ワシはハグリッドに全幅の信頼を置いておる。このようなことをしても無駄じゃと、ワシは君に何度も言ったはずじゃが?」

 

眉をひそめながら話した。

 

「しかし、アルバス……。彼には前科がある。魔法省としても、何もしないわけにはいかんのだ。どうか私の身にもなってほしい。彼を連行せねば、」

 

「れ、連行!? まさか、アズカバンじゃ!?」

 

ダンブルドア先生に気まずそうに話すファッジの言葉に、ハグリッドがかすれた声で噛みついた。

それにファッジはさらに気まずい表情に応えようとしたところで、

 

ドンドン!

 

再び激しく戸を叩く音がした。

ダンブルドアが戸を開けると、そこには……

 

「ああ、こんばんは。……ふむ、全員そろっているようですな。結構結構」

 

満足げな表情をしたルシウス・マルフォイ氏が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

小屋に入り、ここにいる全員を見渡す。間抜け面のファッジ。神妙な顔をしているが、瞳だけはメラメラ燃えている老害、そして、

 

「俺の家から出ていけ、マルフォイ! お前なんぞが俺の家に入るんじゃねぇ!」

 

蛮人が激しい口調で怒鳴ってきた。

 

「……威勢がいいことだ。言われなくとも、私もはやくこんな……まあ、そうだね、()()()()()()()に長居はしたくないのでね。さて、私もファッジも暇ではないからね。さっさと用事を済ませるとしよう」

 

ああ、ようやくだ……。ようやくこの時が来た。

私はもったいぶったように、2枚の羊皮紙を取り出した。

 

「ここに皆さんに集まって貰ったのは、これを皆さんに見てもらうためなのだよ。校長室に集まって貰おうと最初は思ったのだが、そちらではおそらく、ダンブルドアがハグリッドを呼んでくれないと思ったのでね……」

 

老害の薄っぺらい考えなど分かり切っていると、私は皮肉を込めて言った。

 

「……一体どういうことかな、ルシウス」

 

ダンブルドアの言葉は丁寧だったが、相変わらず瞳には怒りの炎が燃えている。私のこれからなすことが許せないのだろう。

まったく……実に愚かな老人だ。こやつに怒りを覚える権利などないというのに。本当に怒っていいのは……ダリアだけだと言うのに。

私は内心の怒りを抑えながら続ける。

 

「何、簡単な話だよ、ダンブルドア。君はどうやらホグワーツがこんな事態だと言うのに、必要な措置すらまともに取れない様子なのでね。私が代わりに措置を講じたまでだよ」

 

私はまず一枚目の羊皮紙を差し出した。

そこには、ルビウス・ハグリッドのアズカバンへの拘留を指示する旨が書いてあった。

 

「まったくダンブルドア……。理解に苦しむよ。何故前回の犯人を野放しにしているのかね? これでは何の措置も講じていないのと同じことだ。これは一番初めに行わなければならぬことだろう? だが彼を庇っているあなたのことだ、校長室に呼び出しても君はまた何だかんだ理由をつけてハグリッドを庇うと思ったのでね。それでここに呼び出させてもらったのだよ。おっと、この命令書を無視しても無駄であると、あらかじめお教え差し上げよう。これにはここにいるファッジも同意済みだ」

 

即座に抗議しようとする老害と蛮人に、私はせせら笑いながら宣告した。

そして相変わらず所在なさそうに立っているファッジを睨みつける両者に、本命の二枚目を見せつける。

 

それは12人の理事が署名した、ダンブルドアの『()()()停職命令』だった。

 

「さて、私の話はこれで終わりではないぞ、ダンブルドア」

 

私はなるべく()()()()見えるように演技しながら続けた。

 

「非常に残念なことだがね、ダンブルドア。君が必要な措置を講じず、あまつさえ私の娘を監視するよう命じていたと報告があってね……。無関係な一生徒を監視するように指示するとは……一体どういうおつもりですかな、ダンブルドア?」

 

しかし私の演技は、ダンブルドアの一言で消し飛ぶことになる。

 

「……なんの話か分からんのう、ルシウス。以前にも言うたが、それはまったくの誤解じゃよ。ワシはただ、」

 

「誤魔化すのはいい加減にしろ、ダンブルドア! 私も以前言ったぞ! ダリアをこれ以上疑うのなら、私はしかるべき措置を取るとな! お前はそれにも関わらず、我が娘を苦しめたのだ! その罪を今贖うがいい!」

 

そう大声で叫ぶと、私は老害の鼻先に羊皮紙を突き出した。

 

「これはお前に対する『無期限停職命令』だ! お前の行いを話したら、他の理事全員が()()署名したぞ! 他の理事もお前が退く時が来たと感じたのだ! お前がどんなに取り繕おうとも、もうこれは決定事項だ! よしんばお前がダリアの監視を指示していないと主張しようとも、生徒の全員がお前の指示したものだと考えている以上、お前の責任逃れは出来ない! お前は必要な措置を講じることも出来ず、それどころか見当違いの対策をとってしまう程に耄碌したのだ!」

 

私が言い終わると、小屋は静けさに満ちた。()()は私の怒りに飲まれて声も出ない様子であった。今聞こえるのは、声を突然荒げたために未だに整っていない私の息遣いだけだった。

しかし沈黙は長くは続かなかった。いち早く沈黙を破ったのは、ようやく現状を理解した様子のファッジだった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ、ルシウス! ダンブルドアを『停職』だと? しかも無期限? ……ダメだダメだ……今という時期に、それは絶対困る!」

 

「ほう? では魔法省大臣は、我が娘がこの老害に苦しめられるのをよしとする……そういうことですかな?」

 

驚愕した様子のファッジを睨みつけると、彼は慌てて目を逸らした。

そんな彼を鼻で笑うと、私はダンブルドアに向き直った。

 

「校長の任命、そして『停職』は、理事会の権利であり義務だ。この決定事項は校長、そして魔法省大臣にも覆すことは出来ない。……今回このようなことになって、非常に残念だよ。だが残念ではあるが、仕方がないことなのだよ、ダンブルドア。君は今回の事件を食い止められる力はなかった。それを理事12人全員が認めたからこそ、」

 

「一体何人脅した?」

 

私の言葉を遮った蛮人の方を見ると、丁度彼が立ち上がっているところだった。

 

「マルフォイ。お前は一体何人脅したんだ!? そうでなけりゃ、ダンブルドア先生様の停職なぞ誰が認める! お前のやったことなんざお見通しだ! ダンブルドア先生様をやめさせてみろ、今度こそ『殺し』が起きるぞ!」

 

まったく……。何故こんな老害がここまで慕われるのか理解に苦しむ。それにこの蛮人は己の心配だけしておけばいいのだ。

 

「……今からアズカバンに行くというのに、随分威勢がいいな、ハグリッド。君が()()()気に障らぬことを祈るよ」

 

私は吐き捨てるように告げ、今度こそダンブルドアに宣告した。

 

「退陣。飲んでくださいますな、ダンブルドア?」

 

奴の明るいブルーの目と、私の灰色の目がかち合う。奴は黙って私の目をのぞき込んでいたが、ややあって静かに告げた。

 

「理事たちがワシの退陣を求めるなら、ルシウス。ワシはそれに従おう」

 

勝った……。私は内心で喜びを爆発させた。

これで……これでダリアを守ることが出来る。ダリアの安寧を、ようやく取り戻すことが出来る。私は……ようやく父親としての責務を果たすことが出来た。

 

しかし、ダンブルドアの言葉は終わりではなかった。

 

「しかしのう、ルシウス……。これも以前言うたが、わしに忠実なものが一人でもいる限り、わしはここに留まり続ける。ワシがここを離れるのは一時的なことじゃ。救いを求めるものがいる限り、ワシが本当にこの学校を離れることはない」

 

ダンブルドアの視線は一瞬私から外れ、小屋の片隅に向けられた。そちらに目を向けても何もないというのに。

老害が何をしたかったのか少しだけ気になったが、どうでもいいことだ。こやつにはもう、何もすることは出来ない。

私は依然残る喜びのまま告げる。

 

「あっぱれなご心境ですな。あなたのことを、あー、そうですな、いずれあなたの個性的なやり方を懐かしく思う日が来るでしょうな。ご心配なく、後任はすぐ決めますので。あなたは()()になった後のことを考えればよろしい」

 

そう云い捨てた後、私は大股で小屋を後にした。こんな汚らしい場所に、そしてこんな下らない連中とこれ以上いることは我慢できない。

 

勝利を祝福するように輝く星空の元、私は懐かしい校庭を歩きながらそっと呟いた。

 

「ダリア……。これでお前は自由だ。私は、お前を守ることが出来たぞ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「大変だ……」

 

先程までここで話していた人間達全員がいなくなり、僕達が『透明マント』を脱ぎ捨てた瞬間、ロンがかすれた声で言った。

 

「ダンブルドアがいなくなれば……一日一人は殺されちゃうよ……。これからどうすればいいんだろう……」

 

僕はそれに答えることが出来なかった。最悪の予想は当たってしまった。僕達は間に合わなかったんだ。こうなる前に、ダリア・マルフォイを何とかしたかった。でも、あいつを捕まえる前に、ダンブルドアはいなくなってしまった。

絶望感に打ちひしがれる僕とロン。

そんな中、ハーマイオニーがポツリと、

 

「結局、また振りだしね……」

 

そう呟いた彼女の視線の先には、まだ湯気を出しているマグカップが()()置いてあった。



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怪物の正体(前編)

 

 ハーマイオニー視点

 

ハグリッドの拘留とダンブルドア校長の追放。

そのニュースはすぐに学校中の知るところとなった。それに対しての反応など……考えるまでもなかった。

 

本当に……嫌になる。

 

()()()に決まってる! 自分を監視しているダンブルドアを、()()()が親に言って追い出させたに決まってる!」

 

先日その知らせがもたらされた時、シェーマスの叫び声が談話室に響いた。ダンブルドア()()()()()彼女を抑え込めていると()()()()()矢先に、ダンブルドアが消えたのだ。皆の動揺は並大抵のものではなかった。

あれからというもの、未だに皆混乱し、そして恐怖の形相を浮かべている。ネビルに至っては、純血だというのにまず自分が()()()狙われていると信じて疑わない様子だった。

そしてそんな光景は、何もグリフィンドールに限った話というわけではない。ハッフルパフもレイブンクローも、廊下ですれ違えば誰も彼もが緊張した顔をしていた。笑い声、それどころか話し声一つ廊下に響くことはない。皆怖いのだ。ダンブルドアという今世紀最も偉大な魔法使いがいなくなってしまったことで、『継承者』を止めるものがいなくなったと考えているようだった。辛うじて理性を保てているのは、()()()()()()()()()()()()のおかげだった。

 

私もその考えには同意だった。ダンブルドア校長がどんなに間違った生徒を疑っていたとはいえ、先生の存在こそが『継承者』に対する抑止力だったのは間違いない。次の犠牲者が出るのは、もはや時間の問題であることは疑いようのない事実だった。

不幸中の幸いは、誰もハグリッドが『継承者』だとは思っていないことだった。けれど、それも()()を犯人だと断定しているからだと考えると、なんとも不愉快な話にも思えた。

 

今までとは比べ物にならない程の恐怖感が学校中に広がっている。あれ程賑やかだった学校は今や静まり返っている。唯一廊下でも大声をあげているのはフレッドとジョージだけ。二人なりに必死に学校を盛り上げようとしている様子ではあったけど、あまり効果が出ている様子ではなかった。二人が何をしようとも、曖昧な笑顔を見せるだけ。二人もそれが分かっているのか、時折見たこともない程深刻な表情を浮かべていた。

 

いや……二人だけではなかったみたい。もう一人だけ、この状況でも大声を出している生徒がいた……。

 

それは()()()()()()()、次の授業へ向かう途中のことだった。

静まり帰る廊下に大勢の足音が響く。彼らのネクタイ色を捉えた瞬間、廊下にいた生徒の視線が恐怖に染まる。

皆の視線の先には、スネイプ先生に率いられている緑のネクタイをした集団がいた。スリザリンの二年生達だった。

 

その中には当然()()もいた。

 

すれ違うスリザリンの集団は、他の寮よりは遥かにまともな表情をしている。純血の多いスリザリンは襲われる心配がないと、彼らは本気で思っているのだろう。

それとも……()()と親しいから襲われないと思っているからなのだろうか……。

 

しかしそんな彼らも遥かにまともではあるが、僅かにどこか恐怖の滲んだ表情を浮かべている。その中にあって、恐怖などまるで無縁の表情を浮かべている生徒が三人いた。

一人はマルフォイさん。恐怖の視線を一心に集める彼女は、感情の見えない完全な無表情だった。あの無表情の下で、彼女は一体何を考えているのだろうか……。

 

いや……何を馬鹿なことを考えているのだろうか。彼女が辛くないはずなんてない。彼女が無表情だから感情が分からない。そんなことを、私が考えていいはずがない。

湧き上がる罪悪感を抑えながら、私はそっと彼女から視線を外す。そこには……

 

「ふん! ダンブルドアがいなくなってこの学校が少しはましになったって言うのに、何故皆暗いのか理解に苦しむね! ダンブルドアがこの学校が始まって以来の最悪の校長であることは間違いないんだ! 父上がやったのは当然の処置だ! 遅かれ早かれこうなっていたのさ!」

 

フレッドとジョージ以外で唯一声を出して廊下を歩く、マルフォイさんの兄、ドラコ・マルフォイがいた。ただ純粋にマルフォイさんを心配そうに見つめているグリーングラスさんの隣で、彼は怒りとも喜びともつかない表情で声を上げる。

 

「次はもっとまともな奴が校長になるのを祈るばかりだ。マクゴナガルがしばらく校長の代わりをするって話だが、それも単なる穴埋めだ。次はもっと、()()()()()()を持った人間がやるべきだな」

 

私の隣にいたロンがドラコに殴り掛かろうとするが、ハリーががっちりと羽交い絞めにして止める。しかしハリーも本当は止めたくないと内心では思っているのか、顔を不快気に歪めてドラコを見つめていた。二人は怒っているのだ。尊敬するダンブルドア先生を侮辱されたことに。こんな状況で、まるで『継承者』の最大の障害がなくなったことを喜んでいるドラコの姿に。

 

でも私は……ハリー達と違い、ドラコに対する怒りはほとんどわかなかった。それどころか、彼の気持ちに共感すらしているところがあった。

 

ダンブルドアを尊敬している気持ちは今でも変わらない。あの人は今世紀最高の魔法使いであることに間違いはない。あの人のなしてきたことは皆が認めることなのだ。

でもそんな先生も、今回ばかりは間違った判断をしているとしか、私には思えなかった。

ダンブルドアはマルフォイさんを疑っている。ダンブルドア先生のことだ。私なんかには想像もつかない理由で、彼女を犯人だと疑っているに違いない。

でも、私には断言できる。彼女は『継承者』なんかじゃない。ダンブルドアがどんな理由で彼女を疑っているとしても、今回ばかりは絶対にダンブルドアが間違っている。

 

そう思うからこそ、私はドラコの態度を責める気持ちが湧かなかった。

私はマルフォイさんと対等な存在、友達になりたいと思っている。だからこそ、彼女が無実であるにもかかわらず、どこまでも追い詰められていく様子を見ているしか出来ないのは非常に辛かった。

でもそんな私の気持ちも、家族であるドラコに比べたら遥かに小さなものなのだろう。

 

マルフォイさんの方を見る時、彼女の隣にはいつもドラコがいた。マルフォイさんと話している時の彼は、私達に突っかかってくるいつもの姿からは考えられない程優し気な空気を醸し出していた。そしてそんな彼を、無表情の上からでも感じられるほど、マルフォイさんもいつも優しく見つめていた。

彼らからはいつも暖かい、本当の家族愛を感じさせられた。彼らが本当にお互いを大切に思っているのだと、傍から見ているだけでも感じることが出来た。

 

だからこそ、いざマルフォイさんが貶められた時のドラコの気持ちは……想像を絶するものであったと思う。

あんなに妹思いの彼に、ダンブルドアに対する怒りを持つなという方が無理な話だとさえ思った。

彼には……ダンブルドアに対して怒る正当な権利があった。

 

「本当に……誰なのかしらね、『継承者』は……」

 

通り過ぎるスリザリン生達を眺めながら、私は誰にも聞こえない程の声量で呟く。無表情でどこを見ているのかすら判然としないマルフォイさん、そして内心の怒りを吐き出すように話すドラコとグリーングラスさん。彼女達を見ていると、どうしようもない程の焦燥感を感じた。

 

時間を無駄にしてしまった私には、もう立ち止まっている暇はない。行動を起こさなくちゃ。一刻も早く真実にたどり着かなくては、きっとマルフォイさんは壊れてしまう。そんな焦燥感を感じたのだ。

 

先日の出来事を思い出す。あの日、ハグリッドの小屋で聞いた事実を。ハグリッドの言う、『秘密の部屋の怪物』の真実を。

私はあの時、ようやく真実の一端を掴めると思っていた。ハグリッドには申し訳ないけど、これでマルフォイさんの無実を証明するきっかけが得られるかもと考えていた。

でも結局、私達が得た情報はまたもやマルフォイさんの無実につながるものではなかった。真実はいつもするりと私達の手のひらから零れ落ちていく。外堀ばかり埋まり、確信に手が届く情報は一切ない。

 

でも本当にそうなのだろうか……。私はこのどうしようもない無力感と同時に、どこか違和感のようなものも感じていた。

まるで既にパズルのピース自体はそろっている。ただそれを上手く組み合わせられてないだけのような……そんな違和感を感じていたのだ。

真実はもしかして既に私の手の中に……

 

「スリザリンの怪物……。人を石にすることが出来る怪物……。太古から生きる、蜘蛛が最も恐れる怪物……」

 

後一つだけ。後一つだけ怪物についてのピースがあれば、パズルは組上がる。そんな予感を感じていた。

 

 

 

 

そしてその最後の一ピースを、私が既に持っていることに、私はまだ気づいていなかった。

 

事件の最後の幕が、今上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

クィディッチの試合が迫っている。ダンブルドアがいなくなったことで、クィディッチの試合などなくなってしまうものだと僕は思っていた。そんなことをしている事態ではない。先生達ならそう判断すると思っていた。でも、どうやらダンブルドアはいなくなる直前、マクゴナガル先生に伝言を残していたらしく、

 

「こんな時だろうとも、学校は出来るだけ普段通りにやっていくようにとのダンブルドア校長の言付けです。ですからクィディッチの試合も行います。私はこんな時期に行うなど本当は反対なのですが、行動を制限されている皆さんのストレス解消にもなるだろうとダンブルドア校長が……」

 

そう話すマクゴナガル先生は、口調とは裏腹にどこか嬉しそうな表情をしていた。スリザリンに勝ったグリフィンドールは、次のハッフルパフ戦を制すればクィディッチ杯を獲得する。先生はどうしてもそれを逃したくはなかったのだろう。

その嬉しい知らせを受けたグリフィンドール生は、皆寮の中で歓喜した。ダンブルドアの追放、そしてそれを受け大幅に強化された()()()()。次の犠牲者を出さないようにするためとはいえ、行動が大幅に制限されるのは中々にストレスのたまることだったのだ。せめてクィディッチの楽しみぐらいがないとやってられない。

恐怖が蔓延る生活の中で、僕らは僅かに残った明るい話題に熱中するようになった。そしてそれは試合が近づくにつれより顕著なものとなり、談話室での話題はダリア・マルフォイの話かクィディッチ杯獲得かの二択になった。廊下に出れば皆怯えた表情になるが、寮に戻れば外のことを忘れようとするように、グリフィンドール優勝について熱く語り合う。そんなささやかな楽しみのある生活が続いた。

 

しかし、そんな楽しい気分に水を差す出来事が起こる。

 

それは試合前日。僕が練習を終え、寝室への階段を登っている時のことだった。

パニック状態のネビルが降りてきたのだ。

 

「ハリー! そ、その、僕、今見つけたばかりで……。だ、誰がやったのか分からないんだ!」

 

要領を得ないネビルの言葉を訝しみながら寝室に戻ると……部屋の中が荒らされていた。

僕のトランクはひっくり返り、その中身をそこら中にまき散らしている。それだけじゃない。マントどころか、ベッドのカバーもずたずたに引き裂かれ、辺りに羽毛が舞っていた。

 

あまりの惨状に呆気にとられている僕の後ろから、

 

「いったいどうしたんだ?」

 

ロンの声がかかった。僕は未だに現実に追いつかない頭で、

 

「さっぱりわからない……」

 

とだけ応えた。

しばらく変わり果てた部屋を三人で茫然と眺めていたが、ややあってロンが話し始める。

 

「取り合えず、片付けよう……」

 

その言葉に、僕とネビルは黙って頷き部屋を出来るだけ元の状態に戻そうとする。

そしてその途中、僕は気付いた。僕の持ち物がなくなっていることを。

 

「ない……」

 

僕はネビルに聞こえないように声を抑えてロンに言った。

 

()()がなくなってる!」

 

僕等が持っている中で、『秘密の部屋』の真実に最も近いであろう日記。ハグリッドの言葉を信じるなら、リドルがやったことはただの勘違いでしかない。でも、『秘密の部屋』が開かれた50年前のことを知ることが出来る、僕達が持ち得る唯一の証拠であることに変わりはないのだ。

 

僕とロンは急いで談話室に戻る。そして相変わらず本を開きながらも、1ページも前に進んでいない様子のハーマイオニーに話しかけた。

 

「『リドルの日記』がなくなってるんだ! 部屋が荒らされていて、日記だけが部屋からなくなってる! 盗まれたんだ!」

 

僕の『盗まれた』という声に、ハーマイオニーが訝し気に顔を上げた。

 

「盗まれた? いったい誰に?」

 

ハーマイオニーの質問に、僕は間髪入れず、

 

「そりゃ、あれは『秘密の部屋』について詳しく()()()()日記だよ? それを盗むなんて……」

 

()()()の名前を言おうとして……出来なかった。

 

「……言っておくけど、()()はあり得ないわ。だって、ここはグリフィンドール寮よ? 他の人は誰もここの合言葉を知らない。日記を盗むとしたら……」

 

ハーマイオニーはお茶を濁したが、僕にだって彼女の言いたいことくらい分かった。寮の談話室に入るには必ず合言葉が必要だ。寮ごとにある程度の特徴が存在するとはいえ、毎月変わる合言葉を予想するのは不可能だ。だから他の寮の生徒がグリフィンドールの談話室に入るのはあり得ない。()()()にだって無理だ。()()()でないなら、一体誰が日記を盗んだのか。

 

それはグリフィンドール生しかありえない。

 

「……でも、なんでグリフィンドール生が? それに、なんであの日記なんだろう……」

 

「……」

 

僕のつぶやきに、ハーマイオニーは考え込むばかりで応えることはなかった。

 

そんな謎の残る不愉快な事件は起こったが、別にクィディッチの試合がなくなるわけではない。

同じグリフィンドール生が何故日記を盗んだのかは分からない。ハーマイオニーは強く盗難届を出すことを勧めてきたが、結局僕はそれに従うことはなかった。

 

そんなことをすれば、先生に日記のことを全て話さなくてはならない。そうなれば、ハグリッドの疑いがさらに深まってしまう。

 

ハグリッドが拘留されたことで、彼を『継承者』として皆疑っているかというと……幸いなことに疑ってはいなかった。いてもロックハートくらいのものだ。

ハグリッドが捕まったのはただの言いがかり。真の継承者であるダリア・マルフォイが、自分から目を逸らすために選んだ憐れな生贄だとしか、皆思っていなかった。

 

でも、この日記のことが……50年前のことが知られてしまえば、この状態がいつまでも続くとは限らない。ハグリッドが50年前に『継承者』として追放されたと知れば、僅かながらダリア・マルフォイから疑いの目がそれてしまうかもしれない。それではあいつの思うつぼだ。

 

ハグリッドのため、そして少しでも真の犯人から皆の意識を逸らさないようにするために、僕は日記の問題を今は棚上げすることにした。

それに今の僕には昨日の犯人より、今日の優勝をかけた試合の方が大事なことだったこともある。それだけ今日の試合は大事なのだ。何しろクィディッチ杯の優勝は、寮対抗戦の優勝にも直結する。寮対抗戦自体はスリザリンに負けているので、是が非でもここで優勝しておきたかった。

 

「ハリー、がんばれよ! 今日は申し分のないクィディッチ日和だ! 今日勝てば我々グリフィンドールの優勝だ! そのためにも、朝飯はしっかり食っておくんだぞ!」

 

興奮したウッドが盛り付ける大量の朝ごはんを食べ終わると、僕とロン、そしてハーマイオニーは一緒に大広間を出た。玄関から見える景色は、確かにウッドの言う通りさわやかな天気だった。まさにクィディッチ日和。これなら最高の気分で空を飛ぶことが出来るだろう。

僕達が待ちに待った試合に向かって、玄関をくぐろうとしたその時、

 

それは聞こえた。

 

『殺してやる……引き裂いてやる……』

 

それは以前聞いたあの冷たい声だった。

あまりにも冷たい声に、僕は思わず叫び声をあげた。

 

「あの声だ! また聞こえたんだ! 君達には聞こえた!?」

 

ロンは驚いたように首を横に振っている。ハーマイオニーもそれに続こうとして……ハッとした表情で口に手を当てた。

 

「わ、わたし……なんで今まで気付かなかったのかしら……。もう、全部分かっていたのかもしれない……。ううん。きっとそうだわ。もし、本当にそうだとすれば……」

 

ハーマイオニーは何かブツブツ言ったかと思うと、突然今までとは逆方向に走り始めた。

 

「ハーマイオニー! いったいどうしたんだい!?」

 

ロンがハーマイオニーの後ろ姿に大声で話しかけると、

 

「図書館に行かなくちゃ! あなた達は先に行ってて!」

 

そう大声で返しながら、ハーマイオニーは走り去っていった。

 

「……彼女、一体何を思いついたんだと思う?」

 

「計り知れないよ……」

 

残された僕らは、あまりの突然の出来事に茫然としていたが、そろそろ試合の時間だということに気が付いたので慌てて競技場に足を進めた。

 

 

 

 

僕等は油断していた。いつもならハーマイオニーを一人で行動させることなんてしなかった。でも、最近強化された監視体制で、ダンブルドアが追放されたのに城は安全だとどこか油断していた。

油断と試合に対する興奮。これらで僕の思考は麻痺していたのだ。

 

「ジニー? どうしたの?」

 

「何でもないさ。ああ、先に行っててくれるかい? ()はちょっと野暮用が出来たからね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

遠くで歓声が聞こえる。グリフィンドール対ハッフルパフの試合が行われるのだ。この試合の勝者こそが、今年のクィディッチ杯をつかみ取るまさに大一番。窮屈極まりない生活のガス抜きもかねて、学校中の生徒、そして教師達がこの試合を見に行っているのだろう。

 

私を除いて。

学校中の人間が競技場に集まる中、私だけは競技場に行かず、今城の中をさまよっていた。怪物を探すために。私には、こんな時間くらいしか自由はないのだ。私の居場所は、あそこにはないのだから。

 

ダンブルドアがいなくなったとしても、私の監視がなくなったわけではない。寧ろ強化されたくらいだ。

確かに、ダンブルドア追放の決め手になったのは、老害の行き過ぎた私個人への監視だった。先生達もそれを分かっているのか、老害が追放された今、大っぴらに私個人への監視をしているということはない。しかしその代わりに行われているのが、全校生徒を対象にした()()()()だった。()()()が駄目なら、全校生徒を対象としてしまえという発想らしい。

ダンブルドアが追放された直後、生徒は寮ごとに教師の引率の元行動することが義務付けられた。建前としては生徒を守るためと嘯いているが、昨日の今日でそんなものを信じる人間など存在しない。皆分かっていた。この引率の本当の目的は、私を引き続き監視するために行われているものだということを。

 

より一層鋭くなった生徒達の視線。そして今までとは違い、私のすぐ傍にいる教員の引率という名の監視体制。

私の自由な時間は、完全に終わりを迎えたのだ。もう朝すら自由に行動することは出来ない。

 

だからこそ、もうこの時間しか私にはない。クィディッチの試合ともなれば、全校生徒が競技場に集まる。こんな時間に学校に残っている生徒は皆無だろう。私がいつもの教員席にいないことを訝しがるかもしれないが、競技場に集まるのは別に生徒の義務ではない。

犠牲になりそうな生徒もおらず、私が大手を振って城を歩き回れる時間。

この時間を逃すわけにはいかなかった。

 

それに……今怪物を探さないわけにはいかない。今が最大のチャンスなのだ。

 

何故なら、()この城には、確実に怪物が這いずり回っている。

 

それを感じたのは今朝のことだった。

あんなにしなかった怪物の気配が、今朝からはずっと漂ってくるのだ。私が求めてやまなかったものを、私は今日この日にようやく感じることが出来た。

自然と足が速くなる。

 

私はここにいる。早く……早く私の元へ。私は純血どころか人間でもない。あなたの襲う条件はそろっている。だから私の元へ早く来て……。

私にはあなたが必要なのだ。私は私自身のため、そして何より私の大切な人達のために、あなたに会わなくてはならないのだ。あなたに会って、私は答えを得なければならないのだ。

 

私は人のいない城の中をさ迷い歩く。怪物を探すために。私の存在に気が付いてもらえるように。

 

でも、私が最初に出会ったのは……

 

「……マルフォイさん?」

 

それは図書館の前を通り過ぎようとした時だった。誰もいるはずのない廊下。

そこには何故か、絶対にここにいるはずのない。いや、ここに決していていいはずのない少女が立っていた。彼女は今まさに図書館に入ろうとしている格好でこちらを見ている。

彼女も私と同じように、何故相手がこんな所にいるのか分からないという表情を浮かべていた。



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怪物の正体(中編)

 

 ハーマイオニー視点

 

何故こんな所にマルフォイさんが!?

 

初めはそんな疑問で頭が一杯だった。

今学校中の生徒は競技場に集まっている。生徒、それどころか教師も含め、学校にいる人間がこんな所に今いるはずがない。ダンブルドア校長がいない今、今日だけは安全に窮屈な生活から脱せられると皆我先にと競技場に行っているはず……。そう思った。

 

そう思ってしまった。

 

でも……それは間違いだとすぐに気が付く。

私は何を馬鹿なことを考えているのだろう。彼女が息抜きのために、あんな人の集まる所にいくはずなんてないのだ。

確かに、皆久しぶりに訪れた休日と言える休日に熱狂している。魔法界で最も人気であるクィディッチ。しかも今日の試合で優勝の決まる大一番。久方ぶりの楽しい行事に、皆今の窮屈な生活を一時的に忘れることが出来ることだろう。

 

マルフォイさんをのけ者にして。

 

どんなに学校中の生徒がクィディッチに熱狂しようとも、()()だけはその限りでないのだ。

マルフォイさんは今『継承者』として学校中から疑われている。そんな彼女にとって、生徒や教師が集まっている空間こそが、最も窮屈な空間なのだ。

常に向けられる警戒の視線。出会う度に上げられる恐怖の声。たとえクィディッチの試合中であっても、その状況に変わりはないだろう。

それに今日の天気は晴天。肌が弱い彼女にとって、この開放的な天気はより一層鬱陶しいものに思えたことだろう。

 

私は罪悪感で僅かに視線を伏せた。

私は……そんな簡単なことにも気付かなかった。私のせいで彼女は辛い立場に追いやられているというのに、私はそんな考えればすぐ分かるようなことにさえ気づけなかった。

なんて声をかければいいか分からなかった。理不尽な状況に陥っている彼女に、その理不尽の一端を担ってしまった私が、一体何を話せばいいのか分からなかったのだ。

 

『もう二度と……ダリアに近づかないで』

 

私がマルフォイさんに近づいていいはずがない。それに近づいたところで、謝罪も、言い訳も、そして何より彼女の心労を少しでも和らげてあげられる言葉さえ、私はマルフォイさんにかけることが出来ない。

思考が同じところを回りだす。マルフォイさんに近づきたいという気持ちと、マルフォイさんに対する罪悪感とで思考は一向に前に進もうとしない。

何も話すことが出来ず、ただ口の開閉を繰り返すばかりの私。そんな私に、

 

「……何故、あなたがここにいるのですか?」

 

冷たい声が投げかけられた。マルフォイさんの声には……明確な怒りが含まれていた。

彼女の怒りに、私の思考は今度こそ完全に停止する。

はじかれる様に顔を上げると、マルフォイさんの冷たい相貌と視線が交差した。

 

「な、何故って?」

 

マルフォイさんの突然の怒りに、私は素っ頓狂な返しをしてしまう。私がここにいることが、何故彼女を怒らせたのか分からなかったのだ。

一瞬、私のしてしまったことをマルフォイさんが知っているのではないかと思った。

でも、それはないと思いなおす。グリーングラスさんは確かにあの時、信じられない程の怒りを私に向けていた。しかし彼女が私達のしたことをマルフォイさんに話していないことは、マルフォイさんの最初の反応で分かっている。そうでなくては、マルフォイさんは私に話しかけてさえ来ないだろう。それくらいのことを私はしてしまったのだ。

では何故、彼女はここまで怒っているのか。

その疑問はすぐ氷解することになる。

 

「……マグル生まれの貴女が、何故一人でこんな所を歩いているのですか?」

 

一瞬、彼女の言っていることが理解できなかった。何故、そんなことを彼女が気にするのか分からなかったのだ。

でも、その意味を理解した瞬間、私は激しい衝撃を感じた。

 

あの時と同じだった。

彼女の言葉は紛れもなく……私を心配してくれたものだった。

『秘密の部屋』が開かれた日。彼女は私を真っ先に心配してくれた。私が『継承者』に襲われやしないかと、彼女は案じてくれたのだ。そして今も、『マグル生まれ』である私が無用心に出歩いていることを、彼女は心配して怒ってくれたのだ。

 

マルフォイさんは、自分が辛い立場にあるというのに、それでも尚初めに私の身を案じてくれたのだ。

 

私は俯き……そっと涙を流す。

 

間違っている。彼女を『継承者』として疑うなんて……絶対に間違っている。こんなに優しい彼女が、『継承者』であるはずがない。冷たい表情を浮かべているからと言って、彼女の心が凍っているわけではない。彼女は無表情の下に、いつも温かな心を隠し持っている。

今この学校で、ドラコやグリーングラスさんを除けば、私はマルフォイさんが『継承者』でないと知っている唯一の人間だ。

だからこそ、私は……必ず彼女を。

 

「私は以前言いましたよね? あなたは気を付けるべきだと。貴女はマグル生まれなのです。つまり『継承者』の恰好の的です。ならば……グレンジャーさん? ……泣いているのですか?」

 

私の涙に気が付いたマルフォイさんが訝し気に尋ねてくる。私は急いで涙を拭き、彼女をこれ以上心配させないように、なるべく元気に聞こえるだろう声で応えた。

 

「いいえ! 何でもないわ! マルフォイさん、ごめんなさい、心配させてしまって! あなたに忠告されたのに……」

 

私の上げた大きな声に、マルフォイさんは一瞬驚いたようにその薄い金色の瞳を見開いていたけど、

 

「……いえ。別に構いません。貴女のことなどどうでもいいことなので。ただこれ以上犠牲者が出れば、理事であるお父様の名にも傷がつくと思っただけです」

 

彼女はいつものように冷たい言葉を話した。まるでこちらを突き放すような言葉。

それに対して私は、

 

「相変わらずね」

 

ただ苦笑するだけで応えた。冷たい態度を取られようと関係ない。私は知っている。彼女が本当は優しく温かい人間であることを。たとえこのホグワーツにいる全員が彼女を疑おうとも、私だけは彼女を疑ったりしない。

今はそれで十分だと思ったのだ。

マルフォイさんは、ただ苦笑をもって答える私を胡乱気に眺めていたが、ややあって、

 

「……いいのですか?」

 

ポツリと呟いた。その声は、先程の冷たい声とは一転し、心なしか寂しげなものだった。

 

「何が?」

 

唐突な言葉に私は意味が解らず、ただ短く聞き返す。マルフォイさんは少し逡巡した後、やはりどこか独白するように、まるで懺悔するような口調で話し始めた。

 

「あなたも知っているのでしょう? 私が『継承者』だと疑われていることを……」

 

マルフォイさんの言葉を聞くにつれ、私の心が熱くなる。クリスマスの時から感じていた罪悪感を、一時的に忘れてしまう程の熱量を感じる私を横目に、マルフォイさんの言葉は続く。

 

「今この城にいる全員が私のことを疑っている。あのろう……ダンブルドアが私を疑っているから……。貴女はそんな私といて……怖くない、」

 

「怖くなんてないわ!」

 

私はマルフォイさんの話を遮るように大声で応えた。

マルフォイさんに対する罪悪感は未だに大きく存在する。正直こうして話し続けていいものなのかも分からない。

でも、これだけは……これだけは、今言わなくてはいけないことだと思った。

 

「貴女が『継承者』なんかじゃないって、私は知ってるわ! 間違ってるのは皆の方よ! どんなに皆が貴女のことを『継承者』だと言おうとも、私だけは違うと答えるわ! だから、私は怖くない!」

 

怖いはずなんてない。怖がっていいはずがない。だって彼女は『継承者』なんかじゃないのだから。怖がる必要性なんてどこにもない。

内にある熱を吐き出すように大声を上げる私に、

 

「そ、そうですか……」

 

マルフォイさんは戸惑ったように視線を右往左往させていた。けどすぐに我に返ったのか、咳払いをし、改めて私に尋ねてきた。

 

「そ、それで、結局何故こんな所に。正直非常に迷惑なのですが」

 

「ご、ごめんなさい。でも、私、どうしても調べたいことがあったの。……『秘密の部屋の恐怖』のことで」

 

私はそう話しながらマルフォイさんに背を向け、図書館の扉を開ける。そういえばそうだった。マルフォイさんとの会話で忘れそうになっていたけど、私がここに来た目的は他にあったのだ。

私が図書館に来た理由……それは目的の本を探すためだった。

私の考えが正しければ、()()()には必ず怪物の正体が記されている。怪物の正体さえはっきりすれば、『秘密の部屋』の真実にたどり着くきっかけになるかもしれない。

そうなれば今度こそマルフォイさんの無実を証明することが出来るのだ。

 

私は興奮しながら図書館の中に足を進める。

 

 

 

 

私が怪物の正体について触れた瞬間、どこか優し気に私を見つめていたマルフォイさんの瞳が、冷たいものに変わり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

私はまた同じ間違いを犯してしまったのだろうか……。

グレンジャーさんの背中を見つめながら、私は何となくそう考えていた。

 

秘密を抱える私には、大切な人なんて家族だけで充分だ。ダフネのことだって、化け物である私が大切だとさえ思ってはいけなかったのだ。

 

それなのに……。それなのに、私は何故……グレンジャーさんに疑われていないと知って、心のどこかでホッとしていたのだろうか。

 

確かに、私はグレンジャーさんのことを気に入っている。それは認めよう。彼女の知的好奇心、そして私に向ける純粋な憧れの視線。常に緊張を強いられる生活を送る私にとって、それらはどこか私の気持ちを和らげるものであったのは間違いない。

 

でもそれだけだ。

彼女は私にとって、マルフォイ家やダフネのように大切な人間なはずがない。そもそも接点がない。スリザリンとグリフィンドールでは、あまりに関わりあう時間が少ないのだ。

去年助けたのだって、単に見捨ててしまえば、私の心の奥底に存在していた()()()失われる。そんな恐怖感に突き動かされただけだ。決してグレンジャーさんが大切な人間だったからというわけではない。

 

……そのはずなのに。そうでなければいけないのに。

私はグレンジャーさんに見捨てられていなかったと知って、どうしてあんなにも安心していたのだろうか考えた。

こんな感情は間違っている。絶対にあってはならない。私は彼女を嫌いにならなければいけないし、同時に彼女に嫌われなければならない。

ダフネのことだって、私は本来そうあるべきだったのだ。それなのに私はダフネを好きになってしまった。ダフネに好かれてしまった。

 

だから私が化け物だと、一番知られたくない人間に知られてしまった。

自分自身を傷つけ、そして何よりダフネを……いつの間にか家族と同じくらい大切になった人の心を傷つけた。

 

その間違いを、私は再び犯そうというのか。そんな間違い、私は二度と犯してはならない。

 

だから……。だからこそ……私は今証明しなければならない。

目的の邪魔になるグレンジャーさんを……私は()()()()()()()()()()

 

今目の前には、グレンジャーさんの無防備にさらされた背中があった。彼女は先程の言葉の通り、私を心底信頼しきっているのだろう。

化け物である私には、そんな価値なんてないというのに。

 

「この本よ! これになら、『秘密の部屋の怪物』のことが……」

 

グレンジャーさんは興奮したように『闇の魔法生物』を開いている。

『闇の魔法生物』。それは奇しくも、私が吸血鬼であることに気が付くきっかけになった本だった。吸血鬼のページを通りすぎ、目的のページを探すグレンジャーさん。

 

そんな彼女の後ろで、私はそっと杖に手をかけていた。

でも、内心では……

 

ああ……どうか間違っていて欲しい。彼女が間違った推測をしていて、全く違う生き物を怪物と疑っていることを、私は性懲りもなく願っていた。

 

そんな()()()()、どこまでも未練がましい願いをどこかで持っている自分自身を軽蔑する。

私の大切なものは家族だけだ。何故知り合って間もない、碌に接点もない少女のことを気にする必要があるのだろう。

それに……どんなに願ったところで、結論が変わるわけではない。

 

「あったわ! これよ! 『バジリスク』! なんでもっと早く気付かなかったのかしら! スリザリンの継承者のみが操れる怪物。そんなの蛇以外考えられないのに! ハリーが近くにいたというのに、うっかりしていたわ! それにこの蜘蛛が最も恐れる生き物! これならハグリッドの言っていたこととも辻褄が合うわ!」

 

グレンジャーさんはそこで言葉を切り、ようやく私の方に振り向いた。

彼女の瞳には、()()()()()()()の私が映りこんでいた。

 

「怪物の正体は分かったわ! これさえ分かれば、いずれあなたの無実を……マルフォイさん? ど、どうしたの?」

 

私の雰囲気が変わっていることに、彼女はようやく気が付いたのだろう。グレンジャーさんは戸惑ったように私を見つめている。

まあ、戸惑うのも当然だ。彼女に理解できようはずがない。彼女には何の落ち度もないのだから。悪いのは……全て私なのだから……。

逆に彼女は称賛されるべきことをしたのだ。あのダンブルドアでさえ気が付かなかったことを、彼女はただの二年生でありながら探り当てたのだ。

でもそれは、私にはとうてい認めることが出来ない話だった。何故なら……

 

「グレンジャーさん……。貴女は知りすぎた……。ええ、そうです。怪物の正体は『バジリスク』です。だから、貴女は私にとって邪魔なのです。怪物の正体が今知られるのは、私には迷惑なことなので」

 

私の言葉に、グレンジャーさんは目に僅かな恐怖を抱えながら応えた。

 

「な、なにを言ってるの!? だ、だって、怪物が『バジリスク』だって知らせれば、それこそ対策を立てることが出来るわ! ううん。それだけではないわ! 怪物の正体がわかれば、きっと『継承者』を探す手がかりになる! 貴女が無実だってことも、」

 

「いいえ。繋がりませんよ。怪物の正体が分かったところで、『継承者』の正体までたどり付けません。現に私は……未だに『継承者』が誰か分かっていないのですから」

 

「……どういうこと?」

 

私が何を言っているのか分からないのだろう。戸惑うグレンジャーさんに、私はそっと告げた。

 

「だって……私は怪物が『バジリスク』だと、とっくの昔に気が付いていたのですから」

 

そう私は知っていた。怪物の正体を。でも、言わなかった。

バジリスクによって犠牲者が出るかもしれない。その可能性もあるのに、私はダンブルドアに怪物の正体を伝えなかった。

私は……怪物のことを教師達に、ダンブルドアに知られるわけにはいかなかったからだ。

『継承者』の正体などどうでもいい。ただダンブルドアに、『バジリスク』に対しての対策を取られるわけにはいかないのだ。

私には……怪物がどうしても必要なのだ。私自身を知るのに、私にはバジリスクの存在が必要不可欠なのだ。

 

「ど、どうして……。どうして怪物の正体を言わなかったのよ。それを先生に、ダンブルドア校長に伝えればあなたの疑いだって……」

 

「……貴女が知る必要はない。それに、どうせ貴女は……」

 

私はそう言って、手に持っていた杖を構えた。グレンジャーさんの瞳に映る恐怖が明確なものになる。

その瞳の中にある恐怖に、私は身勝手に傷ついている自分自身を見つけていた。

 

そしてふと気づく。

 

私は今……全く()()()()()思っていない。

 

私は怪物だ。何かを殺すことが、この上なく好きな()だ。去年の禁じられた森での時だって、ピクシーの時だって、私はいつも殺しを楽しんでいた。

でも何故か、私はグレンジャーさんを殺す姿が想像できなかった。

こうして杖を突き付けているというのに、私は何故か、彼女に魔法を放つ自分自身を考えることが出来なかった。

家族のために、邪魔な人間を殺す。私にはうってつけの状況のはずなのに……。

 

いや、きっと殺しは拙いと()()()()分かっているからだろう。殺すことは出来ない。それはあまりにも短絡的すぎる。

今この城の中には、おそらく私とグレンジャーさんだけだ。グレンジャーさんがいないことは勿論、教員席以外ではクィディッチを観戦出来ない私が不在であることは、既に誰かが気が付いている。そんな状況でグレンジャーさんが死ねばどうなるか……考えるまでもないことだった。

 

私は殺すという選択肢を()()()除外し、バジリスクに関する記憶を消すことに計画を変更する。

 

殺すことに比べて、記憶を消すことに成功する可能性は低い。記憶を消すにあたって、最も障害になるのは()()()()()せることだ。記憶を消したところで、周囲の人間との関係がなくなるわけではない。どうしても記憶に違和感が出来てしまう。違和感を出来る限り小さくするには、『忘却術』のエキスパートでなければならない。

そして残念なことに……私は『忘却術』がそこまで得意というわけではない。

 

でも……それしか方法がないのも事実だった。

後で多少違和感を持たれるだろうが、殺せない以上仕方がない。

 

「マ、マルフォイさん……。な、なにをしているの!」

 

私が内心でより()便()()方法を考えていようとも、杖を突き付けられたグレンジャーさんの状況が変わったわけではない。何が起こったのかも分からず、ただ怯えた表情を浮かべている。

 

私はそんな彼女に『忘却術』をかけようとして、

 

『殺してやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……』

 

突然、その声が私の耳に届いた。

それは……私の待ちに待った声だった。

でも同時に、今最も聞きたくない声でもあった。

 



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怪物の正体(後編)

 ドラコ視点

 

ハッフルパフとグリフィンドール。それぞれの寮カラーを身にまとい、両チームの選手達が颯爽と競技場に現れた。

この試合を制したものこそが、今年のクィディッチ杯を獲得する大一番。ハッフルパフとグリフィンドールは勿論、レイブンクローの生徒も皆興奮したように、各々が応援する寮の旗を振っている。スリザリン生も旗こそ振っていないが、やはりクィディッチということで内心熱いものを感じながら選手達を眺めていた。

選手を包み込む万雷の拍手。皆久方ぶりに訪れた心躍るイベントに熱狂し、まるで競い合うかのような大声で応援や野次を飛ばしている。

 

そんな連中を僕は……心底()()()()()思った。

 

クィディッチだと言うのに、僕の心は一切沸き立たない。寧ろ今の競技場の熱狂が、吐き気を催す程醜い光景にさえ思えた。

僕とダフネは、()()()()連中を背に競技場を出ようとする。

 

ダリアが大変な時に、呑気にクィディッチなんて眺める気になんてなれるはずがない。ここに来たのだって、ダリアが教員に強制的に連れてこられているかも……そう思ったからだ。

ダンブルドアがいなくなった所で、ダリアの監視は今も続いている。生徒を守るための()()などと銘打ってはいるが、その実態はダリアの継続監視であることくらい僕にだって分かる。

あの老害が疑っているからという、たったそれだけの馬鹿馬鹿しい理由でダリアを監視するような愚かな連中だ。クィディッチ中も監視するために、嫌がるダリアを無理やり連れてくるくらいのことはやりかねないと思ったのだ。

 

だが、どうやら杞憂だったらしい。ダリアがいつも座っている、教員席で日陰になる場所。双眼鏡で確認したが、ダリアはそこにはいなかった。監視しているわけではないと言い張る以上、流石に日光に弱いダリアをあそこ以外の場所に座らせることはないだろう。教員席にいないということは、ダリアはどうやらここには来ていないことを意味していた。

安堵のため息をつきながら、隣にいたダフネに声をかける。

 

「戻るぞ。ここにいない以上、ダリアは城にいる。ダリアがいないなら、こんな所にもう用はない」

 

「うん、そうだね。早く戻ろう!」

 

ダフネが頷くのを確認し、僕は何の未練もなく競技場の出口に向かう。

出口を潜った瞬間、僕らの背に一際大きな歓声が届いた。おそらく、今この瞬間試合が始まったのだろう。

 

本当に……下らない。ダリアを苦しめる連中が、ダリアがいない中試合に熱狂する。学校中が送る歓声が、僕には試合の開始を告げるものではなく、ダリアの不在を喜ぶものにしか聞こえなかった。

 

ふざけるな……。

 

知らず知らずの内に、血が滲むほど固く拳を握りしめていた。

不愉快だった。何もかもが不愉快で、同時にダリアのことを思うと酷く心が痛んだ。

この歓声は、城にいるダリアにも聞こえているのだろうか。そしてこの歓声を聞いた時、ダリアは一体何を思うのだろうか。

皆が集まり、試合に熱狂する競技場。そしてそれとは対照的に、ダリアだけが置き去りにされた、人っ子一人いなくなった静かなホグワーツ城。

生徒はおらず、ただ絵の立てる物音だけが時折響く廊下でこの歓声を聞いた時、ダリアは一体何を感じるのだろうか。

 

それは酷く歪で、酷く孤独な光景に思えて仕方がなかった。

 

知らず知らずの内に歩くスピードが速くなる。

 

「ダリア……どこにいるんだ……」

 

「……」

 

僕とダフネは、後ろから聞こえる()()から逃げるように学校を目指す。一刻も早くダリアを見つけ出すために。

不幸中の幸いは、今学校中の人間が城にはいないということだ。ダリアをのけ者にしてクィディッチに熱狂していると考えると腹立たしい限りだが、状況に限った話なら寧ろ好都合でもあった。

今ならダリアと二人っきり……いや、ダフネを含めると三人きりで話すことが出来る。監視は続いているとはいえ、ダンブルドアは追放されたのだ。最も警戒すべき相手はもういない。これ以上、あの老害にダリアが苦しめられることはない。

 

ダリアが拒絶しようと関係ない。もう我慢できるものか。

ダリアをこれ以上、独りにするわけにはいかない。

 

僕とダフネはダリアのことを思いながら、出せる限りのスピードで学校に向けて足を進めるのだった。

 

 

 

 

……この日、()()の生徒が城から行方不明になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

マルフォイさんが何を言っているのか分からなかった。

 

「私は怪物が『バジリスク』だと、とっくの昔に気が付いていたのですから」

 

意味が解らなかった。怪物の正体を知っておりながら、彼女がそれを秘密にしていた理由を想像も出来なかった。

マルフォイさんが『継承者』なら、バジリスクのことを黙っていたことも説明できる。でも、それだけは絶対にない。天地がひっくり返っても、それだけは絶対にあり得ない。

 

なら何故彼女が怪物について口をつぐんでいたのか……私には皆目見当がつかなかった。

 

答えを探し求めるように、私はマルフォイさんの瞳を見つめる。

 

しかし私が見たのは答えなどではなく……もっと別のものだった。

 

当惑しながら目を向けた先。

そこには……いつもの薄い金色はなく、血のような赤に染まった瞳がこちらを見つめ返していた。

 

マルフォイさんの赤い瞳を見た瞬間、何故か急速に私の心が凍り付いてゆく。

目的の本を見つけた時、私は興奮した。そして狼男、鬼婆、()()()。そんな()()()()()()達の中から、目的の怪物を見つけ出した時など、私は思わず歓声を上げそうになる程歓喜した。これでマルフォイさんの無罪を証明できるきっかけを得た。今まで失敗続きなうえ、マルフォイさんを追い詰める要因を作ってしまう始末だったけど、これでようやくマルフォイさんに恩を返すことが出来る。そう思ったのだ。

でも、今その興奮は急速に薄れつつある。熱く燃え上がった心は、血のような赤にすっかり冷やされてしまった。

 

マルフォイさんの真っ赤に染まった瞳を見た私の心に浮かんだのは……紛れもない恐怖だった。

 

彼女の真っ赤な瞳を見ていると、心の奥で警鐘が鳴り響く。

 

ここから今すぐ逃げなきゃ! 

私の本能が全力でそう言っている気がした。

それ程までに、彼女の赤い瞳は不穏な空気に満ちていた。

 

でも、私は思わず逃げ出しそうになる体を全力でその場に押しとどめる。

 

何故逃げなくてはならないのだろう。彼女の瞳は綺麗な薄い金色だ。きっと今赤く見えるのだって、ただの気のせいでしかない。それに多少赤く染まったくらいで、何故私はマルフォイさんに怯えなくてはならないのだろうか。

これは許されない感情だ。自分の心に突然浮かび上がった、決して恩人に向けてはならない感情。

私は今……あんなに優しくしてもらったというのに、マルフォイさんを怖いと感じている。ただ瞳が赤く見えたくらいで。それは決して許されないことだ。

私は内心の恐怖を振り払うように口を動かし続ける。

 

そうしなければ、私は今すぐにでも逃げ出してしまうかもしれないから。

 

「ど、どうして……。どうして怪物の正体を言わなかったのよ。それを先生に、ダンブルドア校長に伝えればあなたの疑いだって……」

 

咄嗟に口にした言葉。それは彼女の行動の理由を、少しでも理解したいという思いからだった。この恐怖から逃れるために。

でも、私の中に芽生えた、小さいけれども確実に存在する感情は……次の瞬間より明確なものとなる。

 

彼女の持つ、まるで闇を染み込ませたかのように真っ黒な杖。

マルフォイさんはゆっくりとその杖を持ち上げ……その杖先を私に突き付けたのだ。

 

相変わらず赤く見える瞳。

彼女の瞳には、今や私がいつも感じていた温かさはどこにもなかった。

 

「……貴女が知る必要はない。それに、どうせ貴女は……」

 

魔法界において、杖とは魔法を使うために必要不可欠なものだ。杖は生活を支える道具であり、同時に……人を呪う武器でもある。

マルフォイさんの突然の豹変、向けられた杖。目まぐるしく変わる状況に頭が追いつかない。

でもこれだけは、恐怖に支配される頭でも理解することが出来た。

 

彼女は……私に魔法をかけようとしているのだ。それも決して『()()()()』とは言えないような魔法を。

魔法界で、一般的には『闇の魔術』と称されるような……そんな魔法を。

 

「マ、マルフォイさん……。な、なにをしているの!」

 

杖を構えたまま、何故か動きが鈍い様子のマルフォイさんに声を上げる。

 

信じたい。これはただの冗談だ。こんなことは起こるはずがない。マルフォイさんが私に危害を加えることなどあるはずがない。

彼女はいつだって私をそっと気にかけてくれた。そんな彼女が、私に何かは分からないけど、『()()()()』をかけるはずがない。

でも……マルフォイさんの口ぶりと雰囲気が、私の彼女への信頼を揺らがせていた。

 

彼女の目は冗談などではなく、ただ本気で私に魔法をかけようとしているものだった。

 

逃げなければいけない。そう私の心が訴える。

それでも尚私が今逃げ出していないのは、彼女が……

 

恐怖に思考を支配されながらも、何とか逃げ出さないように踏みとどまる私。

 

そしてそんな私にマルフォイさんが杖を振り下ろそうとしたその時……それは聞こえた。いや、聞こえただけじゃない。()()()

 

『シュー……シュー……』

 

突然図書館に響き渡る異音。でもその耳慣れない音を、一体何が立てているのか私が疑問に思うことはなかった。

 

「ま、まさか、バジリスク!?」

 

何故なら。杖を構えるマルフォイさんの肩越しに見える本棚。その向こうから、見たこともない程()()()()の頭部が現れていたからだ。

 

それは毒々しい鮮緑色の肌をしていた。

樫の木のように太い胴体。全てが本に書いてあった通りだ。

でも、本など読んでいなくても、それが真の怪物であるとすぐに理解できただろう。

一目で分かる威容。それが魔法界最強最悪の毒蛇だと、姿かたちを一度も見たことがなかったとしても一瞬で理解できるような、そんな一目で分かる程の怪物。

本棚の向こうから現れた怪物は、まさに蛇の王に相応しい姿かたちだった。

突然現れた化け物。突然の事態に、私はマルフォイさんに感じていた以上の恐怖を覚える。

 

そしてそのサラザール・スリザリンの残した伝説の怪物は、今まさにその()()()()をこちらに向けようとしていた。

 

視線を合わせては駄目だ!

 

そう咄嗟に思い、私は咄嗟に目を逸らそうとして……出来なかった。

バジリスクの一睨み。つまり怪物と視線が合った者は例外なく即死する。それは分かっている。でも私は、そんなことすら忘れる程、この伝説の怪物の()に一瞬魅入られていた。

 

別にバジリスクの目に人を引き付ける魔法がかかっているわけではない。

ただ……怪物が目の前に現れた恐怖の中で、私はふと似ていると思ってしまったのだ。

 

バジリスクの持つ()()()()と、マルフォイさんの持つ薄い()()()()

それらは色だけではなく、どこか醸し出す空気も似通っていた。

 

どちらも冷たく、力強く。でもどこか深い悲しみを内包しているような……そんな気がしたのだ。

 

それらが似ていると思った時、私は思わずその瞳に魅入られ、そしてのぞき込もうとしてしまった。マルフォイさんに惹かれ始めた時のように。

そんな私とバジリスクの視線が交差しようとして、

 

「見ては駄目です!」

 

マルフォイさんが大声を発すると共に、手で私の視界を覆い隠す。真っ黒な杖をいつの間にかポケットにしまっていた彼女は、私の顔面に手を添え、もう片方の手で私の腕をつかんだかと思うと、猛然と図書館の出口を目指して走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

『殺してやる……』

 

私は一体何をしているのだろうか。

グレンジャーさんの腕をつかみ、必死に廊下を走りながらも、私はどこか冷めた思考で考えていた。

 

今、全ての答えが私の後ろに()()

この数か月。求めてやまなかった人生の答えが、今まさに私の背後に。

 

私は早く答えが欲しかった。マルフォイ家の異物である私が、一体何()で、一体何のために生まれてきたのか。私という存在が、一体どういう()なのか。

その答えを得るチャンスが、今まさに訪れているのだ。

 

それを何故、私は今棒に振ろうとしているのだろう。

何故、私はこうしてグレンジャーを連れて逃げ出しているのだろうか。

 

答えを得るには、今この場にグレンジャーさんは邪魔な存在だ。彼女がこの場にいると、私は蛇語を使えない。パーセルタングも吸血鬼と同じで、いや、それ以上の秘密なのだ。パーセルタングは……私の中に闇の帝王の血が混じっていることの……私が本当の意味でのマルフォイ家の一員でないことの最大の証拠なのだから。

だからこそ私は、今すぐグレンジャーさんの腕を離さなければならない。彼女を離してしまえば、私は心置きなくバジリスクと話すことが出来る。

問題は私までバジリスクの排除対象になっていることだが、まあ、問題はないだろう。要は目を直接見さえしなければいいのだ。牙には猛毒があるらしいが、()()()さえいなければ手袋を外した状態で戦うことも出来る。巨大すぎるためか、想像したほど俊敏ではない蛇など大した敵ではない。

 

高々猛毒を持っている程度の怪物を黙らせる闇の魔術など、私はいくらでも知っている。

バジリスクは確かに怪物かもしれないが、同時に、()()バジリスクに劣らぬ怪物なのだから。

 

『怪物』。それは人を殺すことを目的に造られた生き物の総称だ。それはサラザール・スリザリンに造られたバジリスクのことであり、同時に、闇の帝王に造られた私自身を指し示すものでもあった。

私がそれに気が付いたのはつい最近だ。ダンブルドアに見せられたあの鏡。あれを見るまで、私は自身が何()であるのか気付くことさえなかった。

私は……私自身のことをまるで知らなかった。体が化け物であることは知っていた。でも、心も化け物だとは、私は気付きもしなかった。

 

だから知らなければならない。私を愛してくれる、私の愛する家族のためにも。家族を傷つけないために、私には知る努力を行う義務がある。

私は自分自身を知るために、あらゆる手段を講じなけれならない。こんな所で立ち止まっている暇は、もう一秒たりともないのだ。

 

そう思い、私はグレンジャーの腕を離そうと試みるのだが……何故か出来なかった。

何度も離そうとした。何度も何度も。私はグレンジャーさんを見捨てようとした。

 

でも、結局出来なかった。

この手を離してしまった場合、彼女は一体どうなってしまうのか。そんな()()()()()()想像が、手を離そうとする度によぎるのだ。

 

この手を離し、グレンジャーさんを置き去りにすればどうなるか。

答えは簡単だ。

 

グレンジャーさんは……確実に死ぬだろう。

 

私と違い、彼女は真っ当な()()だ。彼女がバジリスクに対抗できるような『闇の魔術』を知っているはずがない。

グレンジャーさんにバジリスクに対抗する術はない。

つまり手を離せば、彼女は確実にバジリスクに殺されるだろう。

 

そう考えると、私はどうしても手を離すことが出来なかった。

邪魔な存在なのに。私は一秒でも早く答えを知らなければならないのに。グレンジャーさんなんて、私にとってはどうでもいい存在のはずなのに。

彼女を見捨てるという選択肢は、私が自身のために取れる最も合理的なものであるというのに。何故私は……。

 

誰もいない廊下をただ走る。思い悩む私が立ち止まったのは……結局バジリスクの声がいつの間にか聞こえなくなってからだった。

我武者羅に走り、気が付いた時には、もう私の求めていた声は聞こえていなかった。

 

 

 

 

どれくらい走っただろう。気が付けば、大広間の目の前まで走ってきている。

誰もいない廊下。辺りに響くのは、ただグレンジャーさんの荒い息と、遠くから聞こえる歓声のみ。

 

バジリスクの声はもう……聞こえない。

 

「……して」

 

私は結局、答えを得るチャンスをつかめなかった。その代わりに、グレンジャーさんを守るという、()()()()()()行動をとってしまったのだ。

 

私はどうしようもなく愚かだ。

 

「はあ……はあ……。あ、あれがバジリスクなのね……。マ、マルフォイさん……あ、ありがとう。ここまで来ればもう、」

 

「……どうして」

 

私が無意識にこぼした言葉が、グレンジャーさんの言葉を遮る。グレンジャーさんが驚いたようにこちらを見ているが、私はそんなことに気付かない程、()()()()()怒り狂っていた。

 

「どうして! どうしてどうしてどうして、どうして! 何故私は逃げ出したの!? 私はバジリスクが必要なのに! 私にはもう、一刻の猶予もないというのに! 私は何故!? これが最後のチャンスだったのに! バジリスクのことが露呈すれば、もう二度と私が彼に巡り合うチャンスなんてないというのに! 私は、何故こんなことを!」

 

「マ、マルフォイさん?」

 

頭がおかしくなりそうだ。自分自身が一体何を考えているのか分からない!

自分のことなのに! 怪物の考えることが、私には理解できない! 

 

慟哭は続く。隣にグレンジャーさんがいるというのに、私の決壊した言葉は止められなかった。

自身に対する不安と恐怖。家族と会えない孤独な日々。常時さらされる恐怖と警戒の視線。窮屈な監視生活。

 

私の心はもう……どうしようもなく壊れかけていた。

 

「どうして……。どうして私はグレンジャーさんを助けたの!? 私は怪物のはずなのに! 私は、そんなことをするような生き物ではないのに! そんなことが出来るなら、なんで私は……。分からない……私が一体()なのか、私には分からない!」

 

答えが手のひらをすり抜けていく。もう何も信じることが出来ない。一寸先も見通せない闇の中、私はどこまでも……独りぼっちだった。

 

何故あんなことをしたのか分からない。でも、これだけははっきりしていた。

 

私は、愚かにも自身を理解する唯一のチャンスをどぶに捨てたのだ。

グレンジャーを助ける。そんな意味不明な行動の代償に。

 

私に残されたのは、ただただ大きな不安と孤独感だけだった。

孤独を感じた瞬間、私は身勝手にも大切な人達の温もりを求め始める。

 

お父様に会いたい。お父様に、いつものように優しく頭を撫でてもらいたかった。

お母様とお話ししたい。お母様に、いつものようにそっと抱きしめてもらいたかった。

お兄様の傍にいたい。他人に対していつも気取っているお兄様が、私にだけ優しく微笑むお顔を傍で見ていたかった。

ドビーの作った食事が食べたい。最近元気のないドビーの様子を確かめたかった。

 

そしてダフネと……私は一緒にいたかった。いつも傍に寄り添って、純粋に私個人を見守ってくれていたダフネと、私はこれからも一緒にいたかった。

 

私の願いはただ一つだけ。ただ大切な人達と、私は一緒にいたいだけなのだ。

 

でも、それは出来ない。

だって私は……どうしようもなく、独りでいなければならない怪物だから。

こんな合理的な判断すら出来ない程、私は自分のことを知らないから。

 

いつ人を襲うか分からないような生き物を、大切な人達の傍に置いておけるはずなどないのだから。

 

「……」

 

私の言葉の意味が解ろうはずがない。()()()()()()()()

言葉もなく、ただ唖然とした表情でグレンジャーさんが私を見つめている。

そんな彼女に私は、

 

「……行ってください。もうここなら安全です。ここまで来たら、貴女に魔法をかける必要はない。どうせ、もう()には会えないのですから……。どこにでも好きな所にいくといいです……。今は……一人にしてください」

 

絞り出すように言った。

正直、これ以上彼女と一緒にいれば、私は彼女にどんな醜い言葉を吐いてしまうか分からなかったのだ。彼女は私の問題とは何の関係もない。私が勝手に彼女を助けただけだ。

それに、私は先程彼女に魔法をかけようとした。杖を向けられたのは、酷く恐ろしい光景だったことだろう。私が口にすべきは、まず謝罪であることは間違いない。

それなのに私は、どうしてあの場に貴女がいたのかと、完全に無関係な彼女に八つ当たりしそうになっていたのだ。

 

本当に。どこまで愚かであれば気がすむのだ……。

 

そんなただただ暗い思考に沈んでいく私を、どこか戸惑ったような表情で見つめていたが、

 

「……分かったわ」

 

最後にはぼそりと呟いた。

 

その答えに、私はまた身勝手にも心が傷ついた気がした。

 

彼女は私の横を通り過ぎ、玄関の方へ足を進める。

 

まるで私とは正反対だった。

 

光り輝く、遠くからクィディッチに熱狂する歓声が聞こえる外に向かうグレンジャーさん。

その反対に、誰もいない、いても人を襲う怪物のみがいる城に残された私。

 

何もかもが正反対で、どうしようもなく私は……独りだった。

 

「ま、まって……」

 

無意識に声が漏れる。とても小さな声、それこそ言った私にしか聞こえないような声だが、それは確実に私の声だった。

私はグレンジャーさんに置いていかれると思った瞬間、何故か咄嗟に声を上げていたのだ。

 

おかしい。私は完全におかしくなっている。()()()孤独を感じたくらいで、私は何でこんな弱音を吐いているのだろう。

しかもその相手が、なんで()()()グレンジャーさんなのだろう。

 

彼女はどうでもいい存在だと言うのに……。

 

伸ばしかけた手を必死に抑え込み、私は無表情の仮面の下で歯を食いしばる。

そうしなければ、私はまた弱音を吐いてしまいそうだったから。

 

グレンジャーさんがみるみるうちに玄関に近づいていく。そして彼女は外に出る直前、

 

「すぐに戻るわ! 先生にバジリスクのことを伝えてくる! 今の天気だと、貴女は外に出れないでしょう? マルフォイさんはここで少しだけ待ってて!」

 

そう言って外に飛び出していった。

 

私は、城にたった独り残されたのだった。

グレンジャーさんがいなくなった途端、私は地面にへたり込む。

 

何だか酷く疲れた。出来ることなら、このまま消えていなくなってしまいたい。

 

そう暗い気持ちで地面を見つめていた時……突然、私に赤い閃光が命中した。

 

まさに気を抜いた瞬間の出来事だった。

薄れゆく意識の中私は、

 

「本当に……君はどこまでも僕の邪魔をしてくれたね。マルフォイ家の人間でありながら、実に嘆かわしい。いや、そう言えば君は……()()()()()()()()()

 

そう呟く、忌々しい赤毛の女の子を見たような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

競技場から上がる歓声を背後に、僕とダフネは城を目指して足を進めていた。

その途中、僕達の視界に城から走り出してくる生徒の姿が映った。

今、学校にいる生徒は皆競技場にいるはずだった。競技場にいないのは、あそこに居場所がないダリアだけのはずだ。

 

その上『マグル生まれ』である()()()が、誰もいない城の中にいるはずがない。いや、いていいはずがない。

 

「なんであいつがこんな所にいるんだ?」

 

眉根にしわを寄せながらダフネに尋ねるも、ダフネはただ無言で肩をすくめただけだった。心なしか不快気な視線すらあいつに送っている。

 

ダフネは特にあいつに思うところはないと思っていたのだが……何かあったのだろうか?

 

そんなやり取りをしている間にも、こんな所にいるはずのない人間の姿が段々と大きなものになってくる。

そしてついに息遣いまで聞こえる距離に近づいた生徒は……案の定ハーマイオニー・グレンジャーだった。

余程急いでいるのか、荒い息遣いでこちらに向かって走っている。

 

「なんでお前がこんな所に、」

 

「ド、ドラコ! 早く行って! マルフォイさんは今大広間の前にいるわ!」

 

こいつがどうなろうとどうでもいいが、こいつが傷ついてしまえば、ダリアの心も傷ついてしまう。そう思い嫌味の一つでも言おうとしたのだが、それはグレンジャーの切羽詰まったような声に遮られてしまった。

尋常ではないグレンジャーの様子に、僕はさらに眉根にしわを寄せながら尋ねる。

いつもはこんな奴の言葉など聞く気さえ起こらないが、今こいつは聞き捨てならないことを言った。

 

「ダリアがどうしたんだ!?」

 

「襲われたの! 『秘密の部屋の怪物』に! 怪物に襲われた私を、マルフォイさんは逃がしてくれた! 今彼女は大広間の前にいるわ! 彼女は今日傘を持ってない! だから城から出られないのよ! 私は早くこのことを先生に伝えないといけないと思って! 彼女は純血だから大丈夫だと思うけど、でも、あの子をこれ以上一人にしないであげて! あの子は何故かとても悲しそうな顔をしていたわ! だから早く、」  

 

僕とダフネは、最後までグレンジャーの話を聞くことはなかった。

息の荒いグレンジャーを捨て置き、僕達は大広間を目指して走る。

 

何故ダリアが怪物と出くわすんだ!?

 

必死に走る僕の思考は疑問符に満ちていた。

 

ダリアは()()()()純血だ。しかもマルフォイ家という純血の中でも、さらに上位の家柄の娘として認知されている。……本当は違うということを知っているのは、マルフォイ家の人間、そしてダリアが吸血鬼だと気が付いているダフネだけだ。

 

襲われるはずがないのだ。『継承者』がダリアが純血だと思っている以上、ダリアが襲われることなんてあり得ない。そう思ったからこそ、僕はダリアの独り歩きを黙認していたのだ。

 

だからダリアが襲われるとしたら理由は一つだけだ。

 

ダリアは……グレンジャーが襲われた所に、たまたま居合わせたのだ。ダリアはただ……グレンジャーの軽率な行動に巻き込まれたのだ。

グレンジャーは、先程ダリアが逃がしてくれたと言っていた。それが何よりの証拠だ。

 

それが分かっているのか、隣を走るダフネも歯を食いしばった表情をしている。ここで怒りの声を上げないのは、今は怒っている場合ではないと考えているからだろう。

 

グレンジャーの奴。ダリアを危険に巻き込みやがって! 襲われるなら一人で勝手に襲われればよかったのだ! ダリアを巻き込むな!

ダリアを見つけた後で、絶対にグレンジャーを締め上げてやる。

 

そう考えながら、僕達は大広間に向かって走ったのだが……そこには、ダリアの姿はどこにもなかった。

 

代わりにあったのは……

 

「ね、ねえ。ド、ドラコ。あれ……」

 

大広間の前で、必死な形相で辺りを見回す僕に声がかかる。

そしてダフネが指さす先。大広間前の壁には、

 

()()()の白骨は、永遠に『秘密の部屋』に横たわることだろう』

 

そう、真っ赤なペンキで書かれていた。

 

 

 

 

それは紛れもなく、三階廊下に書かれたものと同じく……『継承者』からのメッセージだった。

 

この日。()()の生徒が、城から行方不明になった。

 



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秘密の部屋(前編)

ハリー視点

 

風を切って()()()()()僕を包み込んだのは、割れんばかりに送られる歓声だった。紅の旗を振るグリフィンドールは勿論、レイブンクローや今戦っていたハッフルパフの生徒すら、皆立ち上がり熱狂的に叫んでいる。

 

そんな熱狂の視線の先。つまり今掲げている僕の右手の中には……金色に輝くスニッチが握られていた。

今年のクィディッチ杯を、グリフィンドールが獲得した瞬間だった。

 

未だかつてない程の歓声に包まれた僕の頬が自然と緩む。

 

嬉しかった。

グリフィンドールがクィディッチで優勝する。それは暗い事件が続く最中、僕にとっては最高の出来事だった。

でもそれ以上に、今この競技場の光景こそが僕には嬉しく思えた。

 

今この競技場にいる人間は、ほとんど全員が余すことなく笑顔を浮かべているのだ。

緑色のネクタイをした連中()()は、皆寮関係なく、今戦った選手達に惜しみない拍手を送っていた。

 

僕は口笛や歓声を上げている観客を眺めながら思う。

僕は『生き残った男の子』などと呼ばれているけど、実際のところ人より優れたところなどほとんどない。

魔法界とはかけ離れた生活を送っていたため、こっちの世界での常識は全くないと言っていい。同じようにマグルの世界で育った人間と比べても、ハーマイオニーは勿論のこと、他者よりも優れた成績であるとは口が裂けても言えないものだった。

僕が本当に得意なものなんて、それこそクィディッチくらいのものだ。クィディッチだけは、それこそ箒にまたがった瞬間から得意だった。これだけは絶対に誰にも負けない。そう思えるものは、情けないことにクィディッチだけだった。

 

でも、今はそれでよかったと、僕は熱狂する観客を見て思った。

廊下を歩けば、皆ただ怯えたような表情を浮かべるだけだった。いつ襲われるか分からない不安。ダンブルドアさえ追放させてしまう()()()に、皆怯えるしかなかった。

 

でも、今はどうだ。

皆城での事件などすっかり忘れ去ったように興奮し、今の城では決して出せないような笑い声をあげている。僕に向けられていた疑いの目だって、試合の興奮で今は称賛と感動に彩られていた。

 

これこそが……。これこそが僕の大好きな、僕の最も得意とするクィディッチの力なのだ。

ダリア・マルフォイがどんなに城に恐怖を振りまこうと、このクィディッチの力だけは折れないのだ。ダンブルドアは確かに追放されたけど、僕らは決して恐怖に屈したりしない。この光景はそれを証明するには十分なものに思えた。

 

興奮で鼻血を流し始めているウッドを先頭に、グリフィンドールのチームメイトが駆け寄ってくる。そんな仲間を横目に、僕は反抗心を込めて、()()()がいつも座っている場所を睨みつけた。

 

ダンブルドアは必ず帰ってくる。僕達もお前なんかに屈したりはしない。

 

そう決意を込めて、教員席で唯一暗がりになった場所を見やるのだが……あいつはそこにはいなかった。いつもあいつが座っている席。そこには白銀の髪をした少女の姿はどこにもなかった。

 

代わりに教員席に見えたのは……何故かハーマイオニーが、興奮したように拍手をしているマクゴナガル先生に走り寄っている姿だった。

 

なんでハーマイオニーがあんな所に?

どこか必死な様子のハーマイオニーは、マクゴナガル先生に駆け寄ると何かを叫んでいる様子だった。

その姿に、僕は言いしれない不安を覚えた。

ハーマイオニーが何を言ったのかは分からない。でも、決していい知らせではないのだろう。

マクゴナガル先生は、先程まで興奮していた姿が嘘だったかのように真剣な表情になると、リーが持っていた解説用のメガフォンを手に取った。そして、

 

「生徒は全員、しばらくの間ここに待機してください! 我々教員が城の安全を確認した後、教員の引率の元寮に速やかに帰るように!」

 

突然告げられた不穏な知らせ。あんなに熱狂していた生徒達の熱が、引いていく波のように消えていく。

何があったのかは分からない。でも、試合直後だと言うのに、あまりにも切羽詰まった声で発せられた宣告は……城で何かが、『秘密の部屋』に関わる何かが起こったことを表していた。

 

そしてその予想は当たっていた。

しばらくした後、先生たちの引率で寮に戻る途中、僕らはそれを見ることになる。

 

『彼女達の白骨は、永遠に『秘密の部屋』に横たわることだろう』

 

その見覚えのあるペンキで描かれた文字は、城で何があったのか知るには十分なものだった。

 

この日、ロンの妹であるジニーが……城から行方不明になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「あいつだ! ジニーはあいつに攫われたんだ! 君に怪物の正体が『バジリスク』だってバレたから! あいつは破れかぶれになってジニーを『秘密の部屋』に攫ったんだ!」

 

「だから、ロン! 何度も言ったでしょう!? マルフォイさんはバジリスクに襲われそうになった私を助けてくれたのよ! マルフォイさんは『継承者』なんかじゃないわ!」

 

グリフィンドールの談話室に響くのは、ただ私達が上げる怒鳴り声だけだった。寮生のほとんど全員が集まっていると思しき談話室。私とロンの声以外、誰一人として声を上げようとしない。

でも、彼らが誰に賛成し、誰に反対しているかは一目瞭然だった。

 

皆ロンの話にはしきりに頷き、私の話にはただ眉をひそめるだけだった。

パーシーやジョージとフレッド。ジニーの兄である彼らもその例に漏れず、ロンの上げる大声に項垂れながら聞き入っている。

 

私の……いや、マルフォイさんの味方は、この空間には誰一人として存在しなかった。

 

「マルフォイさんは『継承者』じゃないわ! バジリスクから逃げる時、彼女は決して私の手を離そうとはしなかったわ! 彼女が『継承者』で、バジリスクを私に嗾けていたとしたら、絶対にそんなことしないはずよ! それに、壁には『()()()』と書かれていたわ! マルフォイさんも連れ去られたのよ!」

 

「……ハーマイオニー。なんであいつが君を助けたのかは知らないよ。でも、それは絶対にまともな理由じゃないよ。それに、『彼女達』って書いてあったのも、きっとあいつのアリバイ工作だ。今この学校で行方不明なのはジニーとダリア・マルフォイだけなんだぞ!? なら、あいつが『継承者』でなけりゃ、一体誰が『継承者』だって言うんだい?」

 

ロンの言葉に、私は言葉を失った。

確かに、ロンの意見を覆すことは現状出来なかったのだ。

怪物の正体がバジリスクだと伝えた時、これでマルフォイさんの疑いはいずれ晴れると思っていた。怪物の正体、私とマルフォイさんが襲われたこと、バジリスクが現れる前の出来事以外は、全て先生に伝えた。怪物の正体を知った先生達が、すぐに城の安全確認に向かう後ろ姿を見て、私はこれで今年の事件は終わる、マルフォイさんの疑いが晴れるのも時間の問題だと……そう思っていた。

 

でも現実は、私の楽観的な予想通りには進まなかった。

 

城に戻った私達が最初に見たのは、壁に書かれた不吉な文字だった。

そして寮に帰ってから知ったのが……ジニーとマルフォイさんがいなくなったというニュースだった。

 

状況証拠だけなら……私をマルフォイさんが助けたという事実を無視するのであれば、ロンの言う通り『継承者』がマルフォイさんだと疑わざるを得ない状況だった。

現状二人以外に行方不明になった人間はいない。方や純血主義でないどころか、純血主義を嫌悪してすらいるウィーズリー家の娘。もう一方は、冷たい表情の、そして純血主義の信奉者として知られるマルフォイ家の娘。

どちらを疑うべきかなんて考えるまでもなかった。

 

押し黙る私に、ロンの言葉は続く。

 

「あいつは純血だ。もしあいつが『継承者』でないと仮定しても、そもそも狙われるはずなんてないんだ!」

 

「……ジニーも純血よ。その理論が正しいなら、ジニーだって襲われる理由はないわ」

 

そう私は反論するが、ロンはもう私の話を聞いてはいなかった。気づかわし気にこちらを見ているルームメイト達の方に行き、そこでジニーのことで慰めの言葉を受けていた。

 

残された私は、全く釈然としない気持ちを抱えながら、談話室の片隅に腰を下ろす。

私とロンが話すのをやめたことで、再び談話室に居心地の悪い静寂が戻ってくる。聞こえるのは、ロンを必死に慰めるハリーとネビルの声。そしてウィーズリー兄弟が時折もらす大きなため息だけだった。

 

居心地が悪かった。グリフィンドール生から飛んでくる、若干の非難を含んだ眼差しが突き刺さる。自分が()()()()()よかったのか、そしてこれから()()()()()()()のか分からなかった。

ロンに悪気がないことは分かっている。彼だけではなく、パーシーやフレッドとジョージだって、ただ妹のことが心配なのだ。たった一人の妹がまだ無事なのか、ただそれだけを案じているだけなのだ。

勿論私だってジニーのことは心配だ。ジニーはホグワーツに入って出来た初めての後輩で、正直私にとっても妹のように可愛らしい存在だった。心配でないはずがない。

 

けれども、彼らの気持ちがわかるからと言って、彼らの疑いが間違った人間に向くのを許容するわけにはいかない。

それがマルフォイさんであれば猶更だ。彼女もジニーと同じで純然たる被害者なのだ。

彼女の行動に謎が残っているのは確かだ。バジリスクのことを知っていたと思われる言動。私に突如向けた杖。彼女が多かれ少なかれ、今回の事件に関りを持っているかもと思えるものばかりだ。

 

でも()()()()()。彼女が何を考えていたか分からない。でも、彼女が私を助けてくれたのだって確かなのだ。彼女は私を襲おうとしながら、結局私を助けることを選択したのだ。

 

それに……。

私はあの時の状況を思い出す。杖を構えるマルフォイさん。

 

あの時、私に杖を振り下ろそうとした彼女の表情は……無表情ではなかったのだ。

 

彼女の表情はその行動や瞳とは違い、今にも泣きそうなものだったのだ。

 

初めて見るマルフォイさんの表情と言える表情。それは今年何度も想像した、独りぼっちで泣く、まるで迷子のような表情だった。

 

あの時の表情を思い出しながら考える。

彼女は確かに私に魔法をかけようとした。でも彼女は……本当に私に魔法を()()()のだろうか?

 

考えるまでもない。

彼女は結局……私に魔法を使うことはなかっただろう。

 

杖を突き付けられた時、私は動転してしまった。彼女の醸し出す空気と、彼女の何故か赤く見える瞳に、私はただ恐怖した。でも、心の奥では確信していたのだ。

こんな表情をしているマルフォイさんが、決して私に害を及ぼすようなことをするはずがない。

だから逃げなかった。私はマルフォイさんに恐怖しながら、最後まで逃げるのを思いとどまったのだ。

 

彼女は無事なのだろうか。

 

あの時のマルフォイさんの表情を思い出すと、ただでさえ大きかった不安がさらに大きなものとなる。

 

ジニーとマルフォイさん。彼女達は無事なのだろうか。特にマルフォイさんは、私が巻き込んでしまったようなものだ。マグル生まれの私に関わらなければ、彼女は『秘密の部屋』に連れ去られずに済んだのだろうか? 競技場に向かう時、もうここなら安全だ、マルフォイさんが襲われるはずがないと油断せず、私もあの場に残っていれば彼女は攫われずに済んだのだろうか?

答えはない。ただ時間ばかりが過ぎてゆく。この一刻一刻が過ぎていく間にも、ジニーとマルフォイさんの助かる可能性はなくなってゆく。

 

何か自分に出来ることはないか。そう苛立つ思考で、考え始めた時、

 

「クソ! ハーマイオニーのおかげで、怪物の正体自体は分かっているのに……。肝心の『秘密の部屋』はどこにあるんだ……? こんな時、ダンブルドアさえいれば……」

 

そう呟くロンの声が、私の耳に届いた。

ダンブルドア校長……。ロンの言う通り、校長さえいて下されば、こんな事態なんとかして下さったのかもしれない。

彼はマルフォイさんを『継承者』だと()()()()疑いを持っている。でも偉大な先生なら必ずや、最後にはマルフォイさんへの疑いが間違いだったと気が付いてくれる。

そしてこんな事態だって、今世紀最も偉大な先生なら、必ずや()()()()無事に解決してくれる。

 

でも、ダンブルドア校長は城にいない。

この学校における最強の切り札である校長は……もう、いないのだ。

 

ダンブルドア校長がいなくなって、私達は誰に助けを求めればいいのだろうか。

他の先生が優秀じゃないわけではない。でも、どうしてもダンブルドア校長と比べれば力不足に思えた。

校長程偉大な功績を残した人物は、どこを探してもいはしな……。

 

いや……一人だけいた。

 

談話室のテーブルに置いてある、一冊の()()()が視界に映った時、私の脳裏に一人の()()()人物の姿が浮かんでいた。

 

「……そうだ。()()()なら」

 

どうして思いつかなかったのだろう。この学校には今、ダンブルドアの次に偉大な人物がいるのを忘れていた。ダンブルドア程ではないけれど、他の誰もが真似できない程のことをなしてきた人物。彼ならきっと……。

 

ここでこうしていても、何も事態は改善しない。それならいっそ、()()()に助けを求めに行こう。

そう思い立ち上がったところ、

 

「ハーマイオニー? どうしたんだい?」

 

項垂れるロンの傍にいたハリーが声をかけてきた。

 

()()の所に行くの! ()()ならきっと助けてくれるわ! それに、ここでじっとしているよりはましよ!」

 

これが軽率な行動だとは分かっている。マルフォイさんだって、マグル生まれの私が無警戒に出歩いていたから巻き込まれた。

でも、今はそれでも行動しないといけないのだ。今行動しなければ、マルフォイさんに謝る機会すら失ってしまう……。

そんな焦りを露にする私に、ハリーは少し考え込んでいる様子だったけど、

 

「そうだね……。うん。そうしよう。ここで何もしないよりかは遥かにいいよ……。だから僕も行く。それに、君はさっき襲われたばかりだ。君一人で行かせることなんて出来ないよ」

 

そう言ってからロンの方に振り返ると、

 

「ロン……。僕等は行くけど、ロンはどうする?」

 

なるべく刺激しないように、そっと優しい声音で話しかけた。ロンもハリーと同じように、少しだけ考えてからポツリとつぶやいた。

 

「……僕も行く」

 

多分彼も何もしないことに耐えかねたのだろう。

ロンの同意を得ると、私達はそっと談話室を後にする。皆すっかり落ち込んでいたし、ウィーズリー兄弟が気の毒で何も言えないのもあり、寮を出るまで結局誰にも止められることはなかった。

 

談話室を出ると、私達は闇に包まれた廊下をひた走る。

 

そんな中、ハリーが尋ねてきた。

 

「で、誰の所に行くの? マクゴナガル先生?」

 

私は闇の中、ハリーの方に振り返らず叫んだ。

 

「ロックハート先生よ! ロックハート先生なら、きっと何とかしてくれるわ!」

 

振り返っていないため、二人がどんな表情をしているのか、私には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スネイプ視点

 

「とうとう起こりました……」

 

突然集められた職員室で、現校長代行であるミネルバがそっと話し始めた。

 

「生徒が二人、怪物に連れ去られました。『秘密の部屋』そのものの中へです」

 

この場にいる全員が分かっていた。何を隠そう、あの文字を最初に見たのは、生徒ではなく我々教員だったのだから。

だが、やはり認めたくはなかったのだろう。どうか違ってくれと願いながらここに来たわけだが……ミネルバの言葉に、願いはたやすく打ち砕かれた。

静まり返る職員室に、一人ひとりが漏らす悲鳴、呻き声が響く。

吾輩も悲鳴こそ上げてはおらんが、気が付けば椅子の背を固く握りしめていた。

そんな中、フーチがポツリと、

 

「誰ですか?」

 

椅子にへたり込みながら呟いた。

 

「一体、どの子が連れ去られたのですか?」

 

ミネルバは全員から向けられる視線の中、そっとその名前を告げた。

 

「ジニー・ウィーズリーです。それと……ダリア・マルフォイ」

 

ミネルバの答えに、吾輩以外の全員の眉が吊り上がる。

 

「ダリア・マルフォイは……本当に連れ去られたのですか?」

 

スプラウトの言葉は、遠回しながらここにいるほとんどの教員の気持ちを代弁しているものだった。

我々教員は、ここの所ずっとミス・マルフォイを監視していた。彼女が人目に付かない所に行かぬように、教員による引率という名目で行動を制限していた。

 

何故か。答えは簡単だ。

ダンブルドアが、そうするよう我々に命じたからだ。

ダンブルドアが、ダリア・マルフォイこそが『継承者』だと疑っていたからだ。

勿論ダンブルドアは明言はしていない。だが、彼女を疑っているのは火を見るよりも明らかだった。

 

このダンブルドアの命令に教員の全員が納得していたかというと……完全には納得していなかっただろう。吾輩程完全に納得していない教員はいなかっただろうが、皆少なからず納得はしていない所があった。

確かに、彼女以外の人間に今回の事件を引き起こせる程の実力と家庭環境がないのは明白だ。だがそれだけで彼女を『継承者』扱いすることに。明確な証拠がないにも関わらず彼女を『継承者』だと断定することに抵抗があったのだろう。

 

だが、結局監視は実行された。

何故なら、ダンブルドアの言葉はいつも正しかったから。そして、ダリア・マルフォイ以外に疑える生徒がいなかったから。

かくいう吾輩も、教員の中で唯一ダンブルドアの言葉がいつも正しいわけではないことを知っておりながら、監視自体は実行していた。ダンブルドアの命令を遵守することを、リリーを助けるために誓ったからということもあるが、この監視があくまで生徒全員を対象にしていたからということが理由だった。

 

ミス・マルフォイにとっては、どちらも同じ監視であることに変わりはないのであろうが……。

 

吾輩がミス・マルフォイについて考えている間も、会話は続いていく。ミネルバはフーチの言葉に少し考え込んだあと、

 

「……分かりません。ですがこれだけはハッキリしています。今現在、この城の中で行方不明なのは、ジニー・ウィーズリーとダリア・マルフォイだけです」

 

事実だけを明言した。

だが、それは紛れもない事実であるからこそ、最もミネルバの言いたいことを表していた。

 

悲痛に満ちた沈黙が職員室に再び舞い降りる。

不安、恐怖、怒り、そして後悔。それぞれが思い思いの表情を浮かべている。

 

そんな中……突然ドアが大きな音を立てて開かれた。

 

そして扉の向こうには()()が立っていた。

 

「大変失礼しました。ついウトウトしていたもので。何か聞き逃してしまいましたか?」

 

ただでさえ苛立った心がさらに燃え上がる。

憎しみすら感じながら見やった先には、ロックハートがいつもの鬱陶しいほど爽やかな笑顔で立っていた。

 

こんな時にこんな奴に付き合っている暇はない。

 

ミネルバの方を見ると、彼女もまったくの同意見なのだろう。

吾輩に、

 

やってください。

 

とでも言いたげな視線を投げつけながら、そっと頷いた。

吾輩もそれに頷き返すと、この愚か者を速やかに排除するために一歩踏み出す。

 

「これは、これは……。まさに適任者のご到着だ」

 

いつもはこれ程鈍い人間など存在するのだろうかと思わされるほど、鈍すぎる程に鈍い男であるが、今回ばかりは吾輩の声音に不穏なものを感じ取ったらしい。笑顔が少しだけ引っ込んだ。

 

「まさに適任。ロックハート。女子が二人程怪物に拉致された。グリフィンドールの女生徒と、スリザリンの女生徒一人ずつだ。『継承者』の言を信じるのなら、今彼女達は『秘密の部屋』にいるらしい。さて、いよいよあなたの出番というわけですな」

 

吾輩の言葉が進むにつれ、血の気が引いていくロックハートにスプラウトが追い打ちをかける。

吾輩の第一声で、一体吾輩が何をしようとしているのか理解したのだろう。

 

「その通りだわ、ギルデロイ。いつも仰っていたではありませんか? 自分はとっくの昔に『秘密の部屋』を見つけていたとか」

 

「わ、私はその、」

 

わけの分からない言葉を口走る無能に、フリットウィックが口をはさむ。

 

「そうですとも。怪物がバジリスクであると、ミス・グレンジャーが気付く前から知っていたと。そうあなたは競技場で言っていたではありませんか?」

 

「そ、そうですか? 記憶にございませんが……」

 

「吾輩も覚えておりますぞ。ああ、そう言えば、ハグリッドが逮捕された時も、自分が怪物と対決するチャンスがなかったのは残念とおっしゃっていましたな? あの時は既に怪物がバジリスクだと知っておられたのですかな? いやはや、英雄殿は言うことが違いますな」

 

そこまで言った吾輩は、最後のとどめを任せるためにミネルバに視線を送る。それを受け彼女は、

 

「そうですね。では、ギルデロイ。あなたに全てお任せしましょう」

 

絶望的な目で周りを見渡すロックハートに、最後通牒を言い渡す。

 

「あなたが実力を示す絶好のチャンスです。どうぞご自由に、お一人で怪物と戦ってください。誰も邪魔することはありません。『秘密の部屋』の場所はお分かりなのでしょう? 怪物がバジリスクだと知っておられたのでしょう? なら大丈夫でしょう。どうぞお好きなように」

 

ロックハートは、なお助けを求めるように視線を泳がせていたが、誰も助けてくれないと悟ったのか、

 

「……よ、よろしい。で、では、部屋に戻って……支度をします」

 

どう考えても今から戦いに行くものではない声音で宣言し、ようやく職員室から出て行った。

職員室にいる全員が、どこか一仕事終えたような空気を醸し出している中、ミネルバが再び話し始める。

 

「……邪魔者は消えました。寮監の先生方は寮に戻ってください。明日一番の特急で生徒を帰すのです。支度をさせなくては。他の先生方は、二人ペアで見回りをお願いします」

 

彼女の通達が終わると同時に全員が一斉に動き出す。

吾輩もすぐにスリザリン寮に向かうため、人影一つない廊下に足を進めた。

 

一人地下へと向かっていると、思考が再びミス・マルフォイのことに戻り始める。

 

彼女が現状において、『継承者』と疑わざるを得ないことは間違いない。

現状城での行方不明者が二人しかいない以上、どちらかが『継承者』だと疑うのが最も妥当だ。そしてウィーズリーの末娘とマルフォイ家の娘のどちらが『継承者』に相応しいかと言えば、10人中10人がダリア・マルフォイと答えることだろう。

 

だが、理性ではそう思っても、どうしてもミス・マルフォイが『継承者』であると思えない自分がいるのも確かだった。

 

吾輩らしくないことは分かっている。理性ではなく、感情でミス・マルフォイが『継承者』でないと考えるなど愚の骨頂だ。だがそれでも、彼女の時折見せる冷たい外面とは真逆の行動に、吾輩の彼女に対する疑いは揺らがされているのもまた真実なのだ。

 

……愚かだ。こんなことを考えていても意味はない。それに彼女が『継承者』であろうとなかろうと、吾輩のやるべきことは変わらない。

吾輩が、教員が出来ることなど、今は生徒を一刻も早く家に帰宅させることくらいのものなのだから。

 

そう思考を無理やり切り替え、ちょうど辿り着いたスリザリン寮の扉を開けた。

 

 

 

 

このしばらく後、吾輩は気付くことになる。

ダリア・マルフォイとは別に、()()()()生徒がいなくなっていることを。

 

妹が行方不明になったことで、意気消沈した様子のドラコ・マルフォイに意識が行き過ぎてしまい、吾輩はそのことにすぐには気付かなかったのだ。

 

この時。ダリア・マルフォイの()()。ダフネ・グリーングラスの姿は、談話室のどこにもなかった。



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秘密の部屋(中編)

新しい挿絵いただきました。前のも神がかっていましたが、今回のはもう凄すぎて……。『ほころび』に挿入しました。


ハリー視点

 

ハーマイオニーはダリア・マルフォイだけではなく、ロックハートのことまで未だに信じている様子だった。

ロックハートの部屋に向かうのに、彼女の足取りはやけに明るい。

ロックハートに頼れば何とかなる。攫われたジニー、そしてダリア・マルフォイ()()()ロックハートなら助け出してくれる。そう信じて疑わない様子だ。

 

暗い廊下の中。先を急ぐハーマイオニーの後ろで、僕とロンは互いに肩をすくめあう。

正直なところ、上手くいくという気はあまりしなかった。

ハーマイオニーは未だにロックハートが偉大だと思っているみたいだけど、僕とロンは寧ろあれ程無能な人間を他に知らない。

 

あいつにバジリスク、そして『継承者』であるダリア・マルフォイを何とか出来る程の能力があるとは到底思えなかった。

 

でも、今はそれに縋るしかないのもまた事実だった。あいつは驚くほどの無能だ。でも、もし、万が一、ほんの僅かな可能性で、あいつが言う通り『教科書』に書いてあることを、本当にあいつが成し遂げてきたのだとしたら、このどうしようもない状況で火事場の馬鹿力を発揮してくれるかもしれない。

 

今は残念なことに……そんな万に一つの可能性に賭けるしかないのだ。

 

ロックハートの部屋にはすぐにたどり着くことが出来た。先導するハーマイオニーの足取りが軽かったのもあるが、警戒していた先生たちの見回りに出くわさなかったことも理由の一つだろう。先生に出くわしてしまえば、必ず寮にまた閉じ込められてしまう。ジニーが攫われたというのに、再び不安な気持ちを抱えたまま寮にいなければいけないなんて我慢できない。

ここまでは全てが順調すぎる程に順調だ。後はロックハートと対策を練るだけ……そう思っていたのだけど、部屋の前についた辺りから少し雲行きが怪しくなった。

 

部屋の中から、やけに慌ただしい音が聞こえてくるのだ。まるで急いで()()()()()()()()()()()()……そんなことを思わせるような音だった。

 

しかしハーマイオニーは興奮で音に気が付かなかったらしく、ここまで来た勢いのまま、

 

ドンドン!

 

大きな音でノックをした。

中から聞こえていた音が急に止む。そしてドアがほんの少しだけ開くと、隙間からロックハートがこちらを覗いているのが見えた。

 

「あぁ……ミ、ミス・グレンジャー。それと……ポッター君とウィーズリー君まで……」

 

何だか非常に迷惑そうな声音だった。

 

「わ、私は今取り込み中でね。急いでくれると……」

 

「先生! 私、先生にどうしてもお願いしたいことがあるんです! どうか、どうかジニーとマルフォイさんを助けてください! 先生しかもう、この城で頼りになる人がいないんです! お願いします、先生!」

 

興奮したハーマイオニーは、扉をこじ開けんばかりの勢いで大声を上げた。

ロックハートはハーマイオニーの訴えを受け、まるで彼女の大声が()()()()()()()()()()()()()()不安そうな表情を一瞬浮かべていたが、

 

「ミ、ミス・グレンジャー! あまり大声を出さないでいただきたい! 他の先生に聞こえてしま……。いえ、なんでもありません。いや、その……まあ、いいでしょう」

 

まるで意を決したかのように、音をなるべくさせないようにドアを開けた。

相変わらず興奮した様子のハーマイオニーに続き、僕とロンも部屋の中に立ち入る。

しかしハーマイオニーの興奮は、すぐに鎮火されることとなる。何故なら、

 

「先生! お取込み中ごめんなさい! 先生のことです! もう既にジニーやマルフォイさんを助けるために準備をされていたのだとは思います! でも、私達、どうしても居ても立ってもいられなくて! だから先生にお願いしようと……思って……」

 

ロックハートの部屋の中は、ほとんど全てのものが既に片付けられていたのだ。あれだけ壁にかかっていたロックハート自身の写真も、机の上の箱に押し込められている。床に置いてあるトランクからは、いつもロックハートのしているような派手な色のローブがいくつかはみ出していた。

 

それはどう見ても、今からジニーを助けに行く準備をしていたようには見えなかった。

どう考えても……これから()()()()()()()支度をしていた様子だった。

 

万に一つの可能性は望むべくもない有様だった。

 

「先生……どちらに行かれるんです?」

 

部屋に入るなり見えてしまった光景に、未だに理解が追いつかず口を開けたままのハーマイオニーの代わりに、僕はそっと尋ねた。

 

「あ~。その~。まあ、なんだね」

 

ロックハートは残り少ない自身の写真を取り外しながら話した。

 

「私は緊急の用事が出来てしまってね……。だから仕方がないんだよ……」

 

それがロックハートの答えだった。片付けられた部屋、そして今の言動。これらから、こいつの今やろうとしていることの全てが分かった。

 

こいつは学校の教員でありながら……ジニーを見捨てる気なのだ。城が大変な事態だと言うのに、我先にと逃げ出す腹積もりなのだ。

 

「僕の妹はどうなるんだ!」

 

ロンが顔を真っ赤にしながら叫んだ。

しかしロンの怒りに頓着することなく、ロックハートはただ迷惑そうな表情を作りながら応える。

 

「あ~。妹ね。そう。そのことだが……まったく気の毒なことです。ですが……あ~。まあ、私も残念には思っているよ。そう。残念だ。この学校で一番そう思っていますよ」

 

あまりの言いぐさに、僕の堪忍袋の緒が切れた。

 

「あなたは『闇の魔術に対する防衛術』の先生じゃありませんか!? それなのに、」

 

「ああ、ハリー、ハリー、ハリー。そうなのですけどね。でも、職務内容にはこんなことは含まれてはいなかった。だから私は……行かなくてはいけないのですよ」

 

呆れて物も言えない。ただあまりにも情けない人間に、僕とロンは一瞬茫然としてしまった。

その間に、今まで黙っていたハーマイオニーがようやく口を開いた。

 

「先生……。冗談ですよね? そんな、先生が逃げ出すなんてことあり得ませんよね? だって、先生は本に書いてあるような、あんなに素晴らしい偉業をいくつも成し遂げてきたではないですか。だから今回だって、」

 

「ああ、ミス・グレンジャー。君は誤解しているようだ。本は誤解を招くものなのだよ」

 

ロックハートは微妙な言い回しをした。

 

「ちょっと考えればわかることだろう? どうして私の本があんなに売れていると思う? それは本に書かれている話が、私こそがやったことになっているからだ。『チャーミング・スマイル賞』を受賞している、この私がね」

 

ロックハートの世迷言は続く。ハーマイオニーは、彼の話をただ静かに涙を流しながら聞いていた。

 

「それがどうだい? もし、本当の話を書いていたとしたら? 私ではなく、あの醜い魔法戦士がやったと、本当のことを本に書いていたとしたら? 結果は分かり切っている。誰も本を買いはしなかった。売り上げは半分以下だっただろう。要するに……真実なんてそんなものなのですよ……」

 

「それじゃあ、先生」

 

ハーマイオニーが絞り出すような声で尋ねた。

 

「先生の本は……。先生の書いていたことは、本当は他の人がやったことなのですか? 他の人がやったことを、さも自分がやったことのように書いていた……。そう、先生は仰っているのですか?」

 

信じたくない。自分の信じていた先生が、ただ上っ面だけの人間でしかなく、それどころかただのペテン師でしかなかったなんて思いたくない。

そんなハーマイオニーの思いが伝わってくるような。そんな悲しみに満ちた声音だった。

 

でも、ハーマイオニーの祈りは届くことはなかった。

 

ハーマイオニーの信頼は……ダリア・マルフォイ()()()()()()、ロックハートにすら裏切られたのだ。

 

「ミス・グレンジャー。そんなに単純な話ではないのですよ。私は私なりに仕事をしましたとも。私の仕事はね、まずそういう素晴らしい活躍をなした人を探し出すこと。そしてどうやってそれを成し遂げたかを聞き出し、最後に……その活躍を()()()()()()()()()私の仕事なのですよ。いえ、勿論私の仕事はそれだけではありませんよ? 『忘却術』をかけた後、私はそれを大衆にうけるような文章に仕上げなくてはいけない。そしてサインをしたり、広告写真を撮ったり……。そんな有名になるための弛まぬ努力が必要な仕事なのですよ」

 

聞くに堪えない話が終わると同時に、彼の()()()()()も出来上がったのだろう。トランクのカギをバチンと閉めると、杖を取り出し、僕らの方に向き直った。

 

「さてと。支度は完了しました。()()()()()()()()()()()残念ですが、私にはどうすることも出来ない。()()()()に相応しい女性だと思っていたのですが、まことに残念です。()()()()()()、遠い空で冥福をお祈りしますよ。では、私はこの城での最後の仕事として、君達の記憶を消さなくては。私の秘密をペラペラ話されては困りますからね」

 

ロックハートはそう言うと、今までの彼からは想像できない程の滑らかな動きで、杖を僕達三人に振り上げた。

杖が折れているロンは勿論、未だに茫然自失している様子のハーマイオニーは対応できない。

 

ロックハートはそんな彼らに杖を振り下ろそうとして、

 

『エクスペリアームス、武器よ去れ!』

 

僕の放った魔法で後ろに吹っ飛んだ。積み重なったトランクの上に倒れこみ、杖は空中に高々と放り投げられる。それを僕は急いでキャッチすると、躊躇わずへし折った。

 

「『決闘クラブ』を開催したのは間違いでしたね」

 

僕がそう冷たく言い放ちながら杖を突き付けると、ロックハートはひどく怯えた表情でこちらを見返した。

 

「わ、私にどうしろというのだね?」

 

「一緒に来てもらおう。あなたは教師としての義務を果たすべきだ」

 

僕は怒りのままロックハートを立たせると、部屋の外に追い立てた。

 

もう時間がない。他の先生を頼っている時間すらもうないかもしれない。

ジニーを助けるには、もう僕達だけで行動を起こすしかない。

 

ロックハートに杖を突き付けながら部屋を出る僕の後を、僕同様、自力で妹を助ける決意を固めたロンと、勢いよく涙をふくハーマイオニーが続く。

 

僕達に何が出来るか分からない。怪物の正体が分かっていても、そもそも『秘密の部屋』の場所すら分かっていない。

でも、行動しなければ確実にジニーはダリア・マルフォイに殺される。このまま引き下がるなんてことは許されないのだ。

 

そう決意を新たにした僕達は、暗い廊下の中で足を進めるのだった。

 

廊下には……5()()()の足音が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

目が覚めると、私は酷く薄暗い場所に寝そべっていた。

 

「……ここは?」

 

まだ覚め切らない思考で辺りを見回す。すると薄暗い視界の向こうに、蛇の絡み合う彫刻が施された石の柱が見えた。それも一本ではない。同様の柱が何本も辺りには立ち並んでおり、上へ上へとそびえ立っている。柱を伝い視線を上げるが、相当高い場所にあるのか暗くてよく見通せない。

 

完全に見覚えのない空間だ。一体私はどこにいるのだろう? 私は先程まで大広間にいたはず。それに、私は気を失う直前……。

 

そう不明瞭な思考で考えている私に、すぐ後ろから聞き覚えのない声がかかった。

 

「目が覚めたようだね、ダリア・マルフォイ」

 

見回した時はいなかったというのに、振り返った先には、()()()()()()()()()()()()()()その男は立っていた。

背が高く、黒髪の少年。十代だと思われる少年は、ホグワーツの制服を着ており、そのネクタイは緑色をしていた。

 

こんな生徒、スリザリンにいただろうか? 私の交友関係は広いわけではないが、一応スリザリン寮に所属している人間の顔くらいは覚えている。その中に、こんな生徒は存在していなかった。

それにこの少年は……。

 

私はポケットに杖はないものかと探りながら、少年を静かに観察する。

ハンサムな顔立ちをした少年は、人を魅了するような表情を張り付けながら、ジッと私を見つめている。

そんな少年の輪郭は……何故かぼやけていた。まるで曇りガラスの向こう側の人物を見ているようだ。ここが薄暗いこともあるが、それにしては輪郭がぼやけすぎている。

 

明らかに彼は、人間ではない存在だった。

 

「あなたは……一体()ですか?」

 

一向に見つからない杖を探りながら、私はそっと声をかける。

見覚えのない、明らかにまともでない場所にいる、明らかに人間ではない少年。警戒しないはずがない。私は混乱しそうになる思考を理性で抑え込みながら尋ねた。

そんな私の警戒感丸出しの態度を受け、彼は、

 

「何とは……随分なご挨拶だね。まったく。君にだけは言われたくないよ」

 

先程まで浮かべていた人の好い微笑みを引っ込め、まるで嘲笑うようなものに変えた。

 

「君には聞かなければならないことが山ほどあるが……。まあ、いいだろう。時間はたっぷりある。()()()が来るまでには、まだ時間がかかりそうみたいだからね。君が疑問に思っていることも少しは答えてあげよう。どうせ君は……」

 

彼は話しながら手をポケットに入れると、

 

「ここから出ることはないのだからね」

 

()()()を取り出した。

私はこの瞬間確信した。目覚めた瞬間に現れた得体のしれない男。そしてその口ぶりや態度。こいつは……私の敵だ。

 

「……それを返してもらえますか?」

 

「いいや。これはもう君には必要のないものだ」

 

苛立ちを露にした私の声を受けても、少年は私の杖をいじるだけだった。どうあっても返す気はないらしい。それどころか、こいつの言が正しければ、こいつは私を……殺す気なのだ。

でも同時に、すぐには行動する気はないのだろう。特に何かするわけではなく、ただ私をあざ笑うように杖を弄んでいる。

 

「そうですか……それは、まあ、残念です。それで、あなたは一体何ですか? それに、ここは一体……?」

 

ここで殺されるつもりなど毛頭ない。私にはまだやるべきことがあるのだ。こんなわけの分からない状況で、こんなわけの分からない奴に殺されてたまるものか。

私は隙を伺うためにも、実際今気になっていたことを尋ねた。

少年は私の全く動かない表情同様、私の心が一切自分に恐怖感を持っていないことを感じ取ったのだろう。少しの間胡乱気に私の無表情を眺めていたが、

 

「僕が一体何か、か……。その質問に答える前に、ここがどこかという質問にお答えしよう」

 

少年は手を広げて宣言した。

 

「この場所こそ、偉大なるサラザール・スリザリンが残した部屋。そう、君達の言う『秘密の部屋』だよ」

 

演説でもするように大仰に話す少年の言葉を受け、私は思わず辺りを再び見回した。

 

「ここが?」

 

確かに言われてみれば、ここの内装は『秘密の部屋』に相応しいものだった。どこもかしこも蛇の彫刻だらけだ。

 

「ふふふ……。光栄だろう? なにせ()()開くまで、ずっと伝説上のものだと思われていた部屋に入ることが出来たのだから」

 

「開いた……? ということは、あなたは、」

 

「そうだ。僕こそが『継承者』なのだよ。ハリーでも。ましてや君などでもない。僕こそが『継承者』だ。まあ、残念ながら、今回は僕だけの力で『秘密の部屋』を開いたわけではないけどね」

 

そう言って彼は部屋の奥を指示した。その先に目を凝らすと……暗闇の中に、忌々しい赤毛が転がっていた。

 

「あれは……ジネブラ・ウィーズリー? 何故『秘密の部屋』に? いえ、あなたの言葉から察するに、彼女がここを開いた? それに私が気を失う直前、確かにあの忌々しい赤毛を……。でも、何故ウィーズリーの末っ子が……?」

 

「そう、君の考えている通りだよ。たかだか『血を裏切る者』の小娘ごときが、『秘密の部屋』を開けられるわけがない。そんな偉大になる資格など、あの馬鹿な小娘に本来あるはずがないだろう? だが……そう、それこそが、君の最初の質問に対する答えに繋がるものなのだよ」

 

彼は私の杖をしまっていた方とは反対のポケットから、今度は一冊の日記帳を取り出した。

 

「僕は50年前の記憶だ……。僕の偉業を引き継ぐための、『秘密の部屋』を再び開くための記憶なのだよ」

 

彼は日記帳を愛おしそうに捲りながら続ける。

 

「僕はずっと待っていた。そして選ばれたのだ。あの小娘が。僕は彼女の魂を吸い取り、逆に僕の魂を彼女に注ぎ込むことで、再びこの偉業を成し遂げることに成功した。あのダンブルドアの目をすり抜けて、僕は、」

 

私はそっと手袋を外しながら、酔いしれたように話す彼の言葉を適当に聞いていた。

意味不明な言葉の羅列。そもそも私に理解させるために話してはいないのかもしれない。奴の言葉通り、単純に暇つぶしでしかないのだろう。

私も私で、こいつの話をもはや話半分でしか聞いていない。確かに『秘密の部屋』を開くための記憶と言った辺りは、少しだけこいつに興味がわいた。もしやこいつも『バジリスク』や私と同じような存在だと言いたいのか? そう思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。

 

『秘密の部屋』を開くことを、こいつは()()と言った。こいつにとって『秘密の部屋』を開くことこそが目的であり、その先にある犠牲は()()でしかないのだろう。私とは違う。怪物である私が『継承者』なら、犠牲こそが()()になるだろうから。

こいつは……私とは違う。こいつは人間ではないが……怪物でもない。

 

とりあえず意味は分からないが、こいつがウィーズリーの末娘を使って『秘密の部屋』を開いたことは分かった。こいつが結局どういう存在なのかは分からないが……まあ、どうでもいいことだ。

そんなもの、今の私にとっては些末な問題だ。私の目的はたった一つなのだから。

 

もういいだろう。こいつには時間があるかもしれないが、私には時間がない。それに、グレンジャーを助ける代わりになくなった『バジリスク』と話すチャンスが、再び巡ってきたのだ。ここが本当に『秘密の部屋』なら、ここには必ずバジリスクがいるはずだから。

 

杖がなくとも、私には相手を無力化する手段などまだいくらでもある。

元々、私には『継承者』に対する興味は全くない。私は『継承者』の御託を無視し、行動を開始しようとして、

 

「さて、僕の話はこれくらいでいいだろう。そんなことより……君は僕に一体()かと尋ねたね。その質問、そのまま君に返そう」

 

私の動きが止まった。

 

「君は……一体()だ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

()()()()に頼ろうとしていたなんて! 私の人生最大の汚点だわ!」

 

「アイタッ!」

 

()()()()の足を蹴りながら、私は前を歩くハリーに続く。

今までこんな奴を信じてしまっていたと考えるだけで、私は腸が煮えくり返りそうだった。

思い返せばいくらでも予兆はあった。あまりに実践的とは言い難い授業内容。クィディッチ試合の時、ハリーに対して行われた()()。数え始めればきりがない。

それなのに、私はずっとそれらから目を逸らしていたのだ。彼にも不調な時がある。彼はただ私達を試しているだけだ。そう思うことで、私は彼の作り上げてきた幻想に固執してきた。

 

でも裏切られた。あの数々の偉業は、この無能によって行われたものではなかった。私の信じていたこの男は、『忘却術』を使って他人の功績を奪い取っていただけの、ただのペテン師でしかなかった。

 

「アイタッ!」

 

苛立ちのままに再度無能の足を蹴りあげる。あんなに素晴らしいと思っていた声音が、今では聞いていて最も不快な音でしかなかった。

私は足を進めながら、また足を蹴り抜こうとしたところで、

 

「ハーマイオニー……。気持ちは分かるけど、今はそれどころじゃないんだ……。そいつのことは後回しにしてくれるかい?」

 

「……ええ、そうね。確かに、こんな奴のことで時間を使っている暇はなかったわね」

 

前方を歩くハリーから声がかかった。

そうだった。()()のことが衝撃すぎて今の状況を一瞬忘れていたけど、今はこんな()鹿()に付き合っている時間はないのだ。こうしている間にも、ジニーとマルフォイさんの助かる可能性はなくなっていくのだ。

でも、

 

「で、これからどうするんだい? 結局、僕らはまだ『秘密の部屋』の入り口がどこにあるかすら分かっていないんだぞ」

 

ロンの言う通りだった。無能を頼れば何とかなると思っていたけど、それはもう幻でしかない。こんな状況の中、私達は自分自身の力で入り口を見つけないといけない。

そう考えていると、突然廊下の向こうから物音が聞こえてきた。おそらく、生徒が歩いていないか見回っている先生の誰かだろう。

 

「とにかく、いったん考える時間が必要だわ。誰も来ない場所……。そうだ、『嘆きのマートル』のトイレに行きましょう。あそこなら近いわ」

 

私の言葉を受け、ハリーを先頭に私達は階段を下り、ミセス・ノリスが襲われた暗い廊下をひた走る。

そして半ば私達の秘密基地と化している女子トイレに駆け込むと、急いで扉を閉めた。

 

「ハーマイオニー。こうなったら君だけが頼りだ。怪物の正体を見破った君しか、もう入り口を見つけられる人間はいない」

 

震えるペテン師に杖を突き付けながら、ハリーは訴えるように私に言った。

 

「分かってるわ。少しだけ。少しだけでいいの。考える時間を頂戴」

 

そうは言ったものの、すぐに入り口が見つかるとは思えない。確かに私は怪物の正体を見破った。でも、それで終わり。私はその先の秘密に未だ手が届いてはいない。

 

それでも私は今ここで、『秘密の部屋』の真実にたどり着かなければならない。

それが出来なければ、私は妹のように可愛がっていたジニーも、私が憧れ、そして対等になりたいと願っていたマルフォイさんも死んでしまうのだから。

 

「バジリスク……。人を視線だけで殺せる蛇……。そもそも何故、今までの犠牲者は死なずに石になっているのか……」

 

私はブツブツ呟きながら、水浸しのトイレの中を歩き回る。

手持ちの情報は少ない。私は今まで得た情報に少しでもヒントがないか考える。

トイレの中には、私の呟きと、マートルが立てるゴボゴボという音だけが響いていた。

 

「死なずに石になった理由……。それは皆直接はバジリスクの目を見ていないから……。ジャスティンはニックを通して……。コリンはカメラを通して……。そしてミセス・ノリスは……」

 

私はそっとトイレの床を見つめた。床は()()()と同じで水浸しだった。

 

「……水に映った姿を見ただけだから。それは分かってる。でもだめ……これでは入り口は分からない」

 

私は思考を別のことに移す。

 

「バジリスクはどうやって移動してるの……。あの巨体、普通に移動していては人目に付きすぎる。それに、ハリーの聞いていた声……」

 

泳ぐ私の視界に、一本のパイプが映った。

 

「そうよ……。パイプだわ。バジリスクは配管を使って移動しているのよ。でも……駄目だわ。これも……」

 

必死に考える。今まで得た情報を全て考え直すのだ。そうでなければ、ジニーとマルフォイさんは……。

私は焦りそうになる思考を必死に抑える。まだある。まだ私の手持ちの情報が尽きたわけではない。この時のために、私はマルフォイさんを傷つけてしまってまで情報を得たのだ。

 

「50年前……。トム・リドルとハグリッドはなんて言ってた? 確か『秘密の部屋』が開かれた時、女子生徒がトイレで死体になって見つかったって……」

 

パイプ……トイレ……女子生徒……。何だか引っ掛かる情報な気がした。どこかで……どこかでこれら全て連想させる情報を得ている気がする。

思考にどこか違和感を覚えながらトイレの中を歩き廻る。そして一番奥の小部屋のトイレの前を通りかかった時、

 

「ねぇ、さっきからブツブツうるさいのよ。私は自分が死んだときのことをゆっくり考えているのよ。用がないなら出て行ってよ」

 

突然、『嘆きのマートル』に声をかけられた。

そりゃ、彼女にとっては私達の存在はさぞ迷惑だろう。でも、私には今彼女に付き合っている時間はない。

そう私は苛立ちながら口を開こうとして……止まった。

 

思考が急速にある可能性にたどり着く。

 

いや、そんなことあるのだろうか? そんな奇跡のような可能性が。だって私達は数か月ずっとここにいたのだ。もし、私の今考えていたことが当たっていたとしたら、私達はずっと……。でも、もしこれが正しかったとしたら……。

 

私は内心の興奮を抑えながら、努めて冷静にマートルに尋ねる。

 

「マートル。ごめんなさい、あなたの思案を邪魔して。でも、よければ貴女が死んだときの様子を聞かせてくれない?」

 

マートルの変化は一瞬だった。今まで苛立ち気に私を見つめていた表情から一転、ひどく嬉しそうなものに変わっていた。

 

「怖かったわ!」

 

内容のわりに誇らしげだった。

 

「ここよ。私はここで死んだのよ! よ~く覚えてる。私、あの日は眼鏡のことでからかわれたの。だからここに隠れて、ずっと泣いていたの。そしたら、誰かが入ってきたわ。何を言ってるのか分からなかったけど、声から男が入ってきたのだと分かったわ! ここは女子トイレなのに! だから、私は出て行けって言おうとして、この小部屋からでたの! そして……」

 

マートルはたっぷり時間をためた後、

 

「死んだの!」

 

やはり誇らしげに言った。

 

「……ここで死んだってことは分かったわ。でも、どうやって死んだの?」

 

「分からないわ。覚えているのは、最後に見たのが大きな黄色い目玉だってことくらい。それを見た瞬間、私は死んでたの」

 

大きな黄色い目玉。間違いない。それはバジリスクの目玉だ。

彼女は……まぎれもなく50年前の被害者なのだ。

まさか、本当にこんなことがあるなんて……。私はそっと額を抑えながら確信した。

 

ここだ。こここそ、『秘密の部屋』の入り口だ!

 

突然黙り込んだ私に、ハリーが声をかけてくる。

 

「ハ、ハーマイオニー、どうし、」

 

「ここよ! ここが『秘密の部屋』の入り口よ! まったく何で気付かなかったのかしら! 私達はずっとここで過ごしていたのに!」

 

私の突然の大声に驚くハリー達を横目に、私はトイレを調べだす。

ここが入り口なら、必ず『秘密の部屋』を示す目印があるはず。パイプ、便座、目に入るものは全て調べた。

そして……

 

「見つけたわ!」

 

それを見つけた。

手洗い台の蛇口。そこには……小さな蛇の彫刻がなされていた。

 

 

 

 

私達は、ついに『秘密の部屋』の入り口を見つけたのだ。

 



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秘密の部屋(後編)

 ハリー視点

 

ハーマイオニーは突然トイレのあちこちを探し回ったかと思えば、突然、

 

「見つけたわ!」

 

大声を上げ、銅製の蛇口の一つを指示した。近づいてみると、蛇口には蛇の彫刻が施されている。スリザリンとは全く関係ないはずの、何の変哲もないただの女子トイレ。そんなところにスリザリンを象徴する蛇の彫刻がされていることなど本来はあり得ない。ならこここそが、

 

「本当だ……。ハーマイオニーの言う通りだ。ここだよ。こここそが、『秘密の部屋』の入り口だ」

 

僕が興奮したように言うと、ロンも僕同様興奮したような表情を、反対にロックハートはひどく怯えた表情を浮かべていた。

 

「ハリー、何か蛇語で言ってみろよ。ここが本当に入り口なら、蛇語が合言葉のはずだよ。()()()だって、隠してるけどきっとパーセルマウスだったんだ。そうでなきゃ『バジリスク』を操ることは出来ないはずだからね」

 

ロンの言葉を受け、僕は必死に蛇語を話そうとする。僕が今まで話したことのある蛇は、全部本物の蛇だった。昔行った動物園の蛇。決闘クラブでダリア・マルフォイが僕に嗾けた蛇。全部生きている本物の蛇ばかりだった。

僕は蛇口の彫刻を見つめ、必死にそれが本物であると思い込もうとする。

そうやってじっと見つめていると、ふとろうそくの明かりが揺らめいた。それに合わせ、蛇の彫刻も動いているように揺らめく。

 

そして、

 

『開け』

 

自分の言った言葉なのに、その言葉を僕は正確には聞き取れなかった。ただ

 

『シュー……シュー……』

 

という音が耳に届いただけだった。でも、それは紛れもなく、部屋を開くための合言葉だったのだろう。

蛇口が突然光り始め、次の瞬間には手洗い台が動き始める。見る見るうちに沈み込んだかと思うと、代わりに太いパイプがむき出しになり始める。

そして全てが終わった後残されたのは、大人一人が滑り込めるほどの大きな穴だけだった。

 

言葉はなかった。僕、ロン、そしてハーマイオニー。三人とも、突然現れた伝説上の『秘密の部屋』の入り口に、ただ圧倒され息を吞んでいたのだ。

 

そんな中、一番初めに声を上げたのはロックハートだった。いつもの無駄に自信に溢れた声からは想像できない程弱弱しい声を上げる。

 

「わ、私はもう必要ないみたいですね。では、私はこれで、」

 

でもロックハートの言葉はそこまでだった。ロックハートの声を認識すると同時に、ハーマイオニーは無理やりロックハートをパイプの前に立たせると、

 

「や、やめて! わ、私は本当に何の役にも、」

 

パイプの中に放り込んだ。

ロックハートの消えたトイレの中に、奇妙な沈黙が満たされる。僕とロンが唖然とした表情で見つめる中、ハーマイオニーは穴を覗きこみながらポツリと、

 

「安全確認は出来たわね」

 

どこかスッキリしたような声で呟いた。耳を澄ませると、穴の中からロックハートのうめき声が聞こえていた。

……確かに、とりあえずここを下りても、いきなりバジリスクに出くわすことはなさそうだ。

気を取り直し、僕は二人の方に視線を上げる。

僕は行かなければならない。ジニーが生きている可能性は、正直なところほんの僅かなものだろう。でも、それが僅かでもある限り、僕は行かなくてはならない。

 

ダリア・マルフォイから、僕はジニーを救うのだ。

 

「じゃあ……僕は降りるよ。君達は、」

 

出来ることなら、僕は二人を巻き込みたくはない。下にいるのはダリア・マルフォイだけではない。視線だけで人を殺すことが出来るという怪物も、この下には待ち構えているのだ。友達を巻き込むわけにはいかない。

でも、

 

「僕も行くに決まってるだろ。ジニーは僕の妹なんだ。僕が行かないわけないだろう」

 

「私もよ。それに、あなた達と()()だけでは『バジリスク』に対応できないでしょう?」

 

ロンとハーマイオニーは僕の言葉を遮った。二人とも本当は怖いのだろう。手が少しだけ震えている。

 

しかしその目は、恐怖ではなく決意に満ち溢れていた。

 

去年もそうだった。二人は危険も顧みず、賢者の石を守るために僕に最後までついてきてくれた。彼らはいつも僕に勇気を与えてくれた。この二人がいるからこそ、僕は行動を起こせるのだ。

本当に……僕はいい友達を持った。

 

これ以上彼らに言葉は不要だ。

僕は二人の決意が固いことを悟ると、何も言わずただ頷き、パイプの中に飛び込んだ。

 

ヌルヌルとした滑り台を急降下していく。パイプはあちこちで四方八方に枝分かれしていたが、僕が今滑っている物ほど太いものはなかった。

どこまで続いているのだろう。地下牢よりもずっと深くまで落ちている気がする。

そして本当に下まで落ちて行って大丈夫なのかと不安に思い始めた頃、

 

「うわ!」

 

急にパイプが平らになったかと思うと、出口から放り出された。

薄暗い場所だった。それに空気もジメジメしている。

僕は放り出されるとすぐに立ち上がり、辺りにバジリスクがいないか警戒する。でも周りにいたのは、少し離れたところで腰を抑えているロックハートだけだった。

僕がホッとして杖を下げているのをしり目に、ロンが、そして彼に続いてハーマイオニーが落ちてきた。

 

「ここ、学校の何キロも下よ。たぶん湖の下だわ」

 

立ち上がると、ヌルヌルと湿った壁を見やりながらハーマイオニーが言う。

僕はハーマイオニーの言葉に頷きながら、杖に明かりを点した。

 

『ルーモス、光よ!』

 

効果は僅かだった。明かりが点っても、目と鼻の先くらいしか見通すことが出来ない。

でも、僕達は進むしかない。ジニーのために。

 

「行こう」

 

真っ暗な闇の中、僕らは足を進める。明かりを点す僕が先頭になり、ハーマイオニーに後ろから杖を突き付けられているロックハートが続く。全員が息をひそめ、時折聞こえるのはロックハートの息を呑む音のみ。途中、後方からドスンと大きな物音が響いた時は全員が飛び上がったが、それ以外に大きな音は聞こえてこない。皆出来る限り音を立てないように細心の注意を払っていた。

そんな中、ロンが急に声を上げた。

 

「ハリー! あ、あれ!」

 

決して大きな声ではなかった。でも、僕達にはどんな叫び声よりも大きなものに思えた。

何故なら、ロンの指さした先には、

 

何か大きく。そして曲線を描いたようなものが横たわっていたから。

 

全員に緊張が走る。覚悟を決めていたとはいえ、実際に怪物が目の前に現れるとどうしても恐怖が勝ってしまう。僕達は凍り付いたようにその場に立ち止まってしまう。

 

しかし、そんな僕らの緊張をよそに、横たわっている巨大な影は動かなかった。

 

「……眠っているのかもしれない」

 

僕は息をひそめ、なるべく声を殺して後ろの三人に言った。そしてゆっくりと近づき、杖明かりで影を照らしだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

談話室は騒然としていた。全員が思い思いに声を上げている。

 

だが、話している内容は全員同じものだった。

 

全員が、ダリアが何故ウィーズリーの末っ子を攫ったのかを話し合っていた。

 

「怪物の正体が『バジリスク』だとバレたからだろう? マルフォイ様は、あの『血を裏切る一族』を人質にダンブルドアと交渉なさるおつもりなんだろう」

 

「いや、マルフォイ様がそんな安直なことをすると思うか? それに、バジリスクだってバレたからと言って、すぐにマルフォイ様がやったという確定的な証拠になるわけではないだろう? きっと俺たちには想像もできないような計画をお持ちなのだろう」

 

……馬鹿馬鹿しすぎる。あまりにも愚かな内容に加わる気にもならない。

 

もしダリアが『継承者』だと仮定したら、こんな安直な手を使わないだろうということには僕も同意する。生徒を一人誘拐したのだ。『秘密の部屋』がどんな部屋かは知らないが、いつかは必ず出てこなければならない以上、ダンブルドアか闇祓いがどこまでも追いかけてくることだろう。怪物が『バジリスク』だとバレたくらいで、ダリアがそんなやけっぱちとしか思えないような行動をするとは到底考えられない。

だからこそ、こいつらはダリアの行動の裏を考えようとしているわけだが……。

そもそも前提が違う。

こいつらが話しているのは、ダリアが『継承者』だった場合の話だ。ダリアが『継承者』でない以上、こんな議論は無価値だ。

 

ダリアが『継承者』ではないという、()()()()()()()()()()知っている僕としては、そんな無意味な議論に時間を使う気などないし……たとえこれが違う話題だったとしても、僕は到底加わる気にはならなかっただろう。

 

あの文字を見て、僕の時間は止まってしまったような気がした。

 

『彼女達の白骨は、永遠に『秘密の部屋』に横たわることだろう』

 

グレンジャーはあの時、ダリアは大広間の前にいると言っていた。なのに大広間の前に僕とダフネがたどり着いても、ダリアの姿はどこにもなかった。それが示す事実はたった一つだ。

ダリアが攫われた。

そんなことあり得ない。僕は最初その事実を否定した。

ダリアはどんな奴にも負けないくらい強い、僕の自慢の妹なのだ。そんなダリアが、たかだか生徒数人を石にしただけの『継承者』なんぞに負けるはずがない。『秘密の部屋』の怪物にだって、ダリアであれば負けることはない。

だからこのメッセージはただの嘘っぱちだ。それかあまり考えにくいことではあるが、ダリア以外にもクィディッチの試合に行かなかった生徒がいたのだろう。いや、そうに違いない。そうでなくては間違っている。

 

そう、僕は思おうとした。

でも、現実は非情だった。

 

生徒全員が教師共の指示で寮に戻っても……ダリアは寮にはいなかった。

周りの生徒達の話によれば、ダリアと同時にウィーズリーの娘もいなくなっているとのことだが、そんなことはどうでもいい。ダリア以外の人間がどうなろうが、知ったことではない。

 

ダリアが本当に攫われたかもしれないという事実を、いよいよ受け入れなければならない状況になった時、僕の頭は真っ白になった。

 

ダリアは無事なのだろうか。『秘密の部屋』なんかに連れ去られて、ダリアは本当に生きて帰ってこられるのだろうか。

攫われるはずのないダリアが攫われた。もう何が起こってもおかしくはない。もうダリアの無事を無邪気に信じることなんて出来るわけがない。

 

不安な気持ちを抱えながら、僕は心の中で呟く。

 

ダリア……僕は今、不安な気持ちでいっぱいなんだ。お前が帰ってこないのではないかと思うと、僕は怖くて仕方がないんだ。

なのにどうして……お前は今僕の隣にいてくれないんだ? 

お前はいつだって、僕が辛い時は僕のそばにいてくれたじゃないか。

ダリアがいたから、僕は辛い時、悲しい時、腹がたった時、どんな時だって立ち上がることが出来たんだ。お前がいないと、僕はどうしようもなく駄目な人間になってしまうんだ。

 

だから……お願いだから、早く帰ってきてくれ。僕を一人にしないでくれ。お前がいない人生なんて、何の意味も価値もない。お前がそばにいない時間なんて、ただ苦しいだけのものなんだ。

 

僕は今すぐにでも寮を飛び出したい衝動を抑えながら、ただ祈るように、

 

()()()……早くダリアを連れ戻してくれ……。お前の口車に乗ってやったんだ。だから早くダリアを……」

 

僕はダリアの秘密を知る、この学校におけるもう一人の共犯者の名前を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハーマイオニー視点

 

照らし出されたのは、巨大な蛇の()()()だった。

あの時見たものと同じ、毒々しい程の緑の皮。あまりに巨大な抜け殻は、『バジリスク』の巨大さをこれでもかと雄弁に物語っていた。

 

「……なんてこった」

 

ロンが弱弱しい声を出した。

彼の気持ちは尤もだ。一度本物の『バジリスク』を見た私ですら、この抜け殻を見て震えあがりそうなのだから。

 

ジニーとマルフォイさんはまだ無事なのだろうか。

 

バジリスクの抜け殻を見ていると、酷く不安な気持ちになった。

こんな怪物を相手にして、到底()()()無事でいられるとは思えなかった。そして、彼女達を助け出そうと部屋に向かっている私達も、その例外ではないのだ。

 

震える手を必死に抑える。

逃げ出したい。今すぐここから逃げ出してしまいたい。こんな大きな怪物を、私達だけでどうにか出来るはずがない。マルフォイさんだって、怪物を目の前にしたら逃げ出すしかなかったのだ。私達が逃げ出したところで、誰も私達を責めはしないだろう。

 

そう思い私は足を……()()()進めた。

 

怖いという気持ちは本物だ。正直、必死に足を前に進めなくては、私の足は無意識に反対方向に進んでいることだろう。

でもそれは出来ない。

 

だって、マルフォイさんを助けたいという思いも本物だから。

 

バジリスクに対して、私達が何が出来るか分からない。寧ろ何も出来ない可能性の方が高い。でも私達は行動だけはしなくちゃいけない。行動しなければ、確実にジニーとマルフォイさんは死んでしまうのだ。

 

それに私達以外の人間が、ジニーはともかく、マルフォイさんを助けるために行動するとは思えない。

マルフォイさんは今、学校中から『継承者』だと、ジニーを『秘密の部屋』へと攫った人間だと思われている。よしんば私達以外に『秘密の部屋』を見つけた人間がいたとして、マルフォイさんを助けるために行動するとは思えない。最悪、マルフォイさんは『継承者』として対処されてしまうことだろう。

 

私は必死に恐怖を抑え込み、『バジリスク』の抜け殻の向こうへと踏み込もうとする。ハリーとロンも恐怖に屈しなかったのか、顔を青ざめさせながらも足だけは前に進ませている。

 

私達は決意を新たに、いざ『秘密の部屋』の奥深くへと進もうとして……出来なかった。

 

もう一人の同行者である()()()()が、腰を抜かして倒れこんだのだ。

 

……まったく、なんでこんな奴が偉大だと信じ込んでいたのかしら。

 

「立て」

 

ロンが冷たく言い放つ。でも、ロックハートは余程抜け殻が恐ろしかったのか、すぐには立ち上がらない。ロンは軽く舌打ちすると、杖をロックハートに突き付けて立たせようとする。

 

杖を突き付けられたことで、ペテン師はようやく進むしか道がないことを理解したのか立ち上がろうとして……ロンに跳びかかった。

 

突然の出来事に、私とハリーは対応できない。いつもの無能な姿からは想像できない程俊敏にロンの杖を奪い取ったかと思うと、輝くような笑顔と共に杖を私達に突き付けた。

 

「お遊びはここまでです! こんな怪物を相手に、君達に何が出来るというのですか!?」 

 

ペテン師は興奮したようにまくし立てる。

 

「有名になりたいという気持ちは分かりますが、引き際も肝心ですよ! 私は付き合いきれませんね! だから、私はこの皮を持って帰り、女の子達を救うには遅すぎたと報告しましょう! そして君達は彼女達の死体を見たことで、哀れにも気が狂ってしまったと言おう! どうせこのまま進めば死ぬのです! それなら、たとえ記憶をなくしたとしても、ここで生きて帰った方がいいですよね!? 君達の抜け殻は、私が有効に使ってあげますよ! さあ! 記憶に別れを告げるといい!」

 

ペテン師はそう叫ぶと、ロンの()()()()を振り上げ、

 

『オブリビエイト、忘れよ!』

 

杖の爆発に自分自身が吹っ飛ばされた。

轟音がトンネル内に響き渡る。天井が崩れたのか、大きな岩が落ちてきたのだ。土煙にぼやける視界の中、()()()()()咄嗟に近くの岩場に身を隠す。

そして音が鳴りやみ、崩落が終わったのを確認した私達は、急いで辺りの様子を確認した。

 

幸い私達の()()()崩壊はなさそうだった。

でも『秘密の部屋』に続く道の方には……壁が出来上がっていた。岩の塊が道を塞いでいたのだ。

それに、

 

「ハリー! 大丈夫なの!?」

 

岩の向こうに向かって私は大声を上げる。

ハリーが見当たらないのだ。ロンは私の隣にいる。この状況を引き起こしたペテン師も……すぐそばに転がっていた。

 

「アイタッ!」

 

ロンが試しにペテン師の脛を蹴ってみると、どうやら生きてはいるらしい。

私は再度蹴り上げようとするロンを横目に、ハリーの返事を待つ。

どうか返事があってと願う。そうでなければ、ハリーはこの岩の下にいるということになるのだから。

 

「大丈夫! 僕はこっちにいるよ!」

 

でもどうやら私の心配は杞憂だったらしい。ハリーの声は、岩の向こうからすぐに返ってきた。

私はホッと胸をなでおろしながら、再度大声を出す。

 

「少し待ってて、呪文で岩を壊すから。でも一気に壊すとまた崩れてしまうかもしれないから、ちょっとづつ壊すわね。だから少しの間だけ、」

 

「いや、ハーマイオニー! もう時間がない!」

 

私の切羽詰まった声に、同じく切羽詰まった声が返された。

 

「僕は先に進むよ! 君達はロックハートとそこで待ってて! もし一時間たっても戻らなかったら……君達は戻ってくれ」

 

「いいえ! 私達もすぐに行くわ! お願いよ、ハリー! そこで待っていて!」

 

ここで引き下がることなんて出来ない。私はマルフォイさんを助けないといけないのだ。

私の言葉にハリーは少し逡巡している様子だった。少しの時間沈黙が私達の間に舞い降りる。

でも結局、ハリーは私の決意が固いことを悟ったのか、ため息を一つはいた後返事をした。

 

「……分かった。でも、僕は先に進むよ。君達は後から来てくれ! ゆっくりでいいから! また崩れたら元も子もないんだ! だから、ハーマイオニー、君は()()()()来てくれ!」

 

そう言ったきり、ハリーは進んでしまったのか返事をしなくなった。

ハリーは……行ってしまった。

 

「早くいかなくちゃ。ハリー一人だけで『バジリスク』の相手をするなんて危険すぎるわ」

 

私は内心の焦りを抑えながら、なるべく急いで岩を崩す。本当は一気に崩したいところだけど、またトンネルが崩れたら元も子もない。じれったくはあるけど、ここは慎重にやっていくしかない。

倒れたままのロックハートの脛を蹴り上げるロンをしり目に、私は慎重に岩を崩していく。

 

早くハリーに追いつかなくちゃ。

ジニーを、そしてマルフォイさんを助け出すために。

 

 

 

 

私はこの時、目の前の岩を崩すことに集中するあまり、自分たちの背後にまったく気を配っていなかった。

 

だから私達は気が付かなかった。

私達の後方の闇の中で、一人の女子生徒が佇んでいたことに。

そして彼女が、ジッと私達に()()()()()()()()()()

 

私達は気が付くことはなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ハーマイオニーが岩の後ろでよかった……。

 

僕は暗いトンネルを進みながらそんなことを考えていた。

 

ハーマイオニーは未だにダリア・マルフォイを信じている。あいつがジニーと同じ被害者だと無邪気に信じ切っている。

 

そんな彼女がこの先にあるだろう光景を見た時、何を思うのだろうか。

考えるまでもない。間違いなく、裏切られたと感じることだろう。

 

ハーマイオニーはロックハートに裏切られたばかりなのだ。そんな辛い思いを、彼女に今させるわけにはいかない。

友達に傷ついてほしくない。

全てが終わった後、真実を知れば彼女は必ず傷ついてしまうだろう。でも、少なくとも今は彼女をそっとしておきたかった。これが先延ばしでしかないことは分かっている。でも、もう少しだけでも、彼女に猶予を与えてあげたかったのだ。

 

僕はくねくねと曲がりくねったトンネルを進み続ける。

進むにつれ、心臓が嫌な音を立て始める。

 

怖かった。

ジニーのために前に進まなくてはいけないとはいえ、曲がり角から『バジリスク』が出てくるのでは。『継承者』であるダリア・マルフォイが襲い掛かってくるのではと思うと、怖くて仕方がなかった。

早く『秘密の部屋』にたどり着かなくてはという思いと、なるべくそんな所に行きたくないという思いが複雑に混ざり合っていた。

 

そして……その時が遂にやってきた。

何度目の曲がり角だっただろう。そっと曲がったその先に、それはあった。

 

二匹の蛇が絡み合った彫刻の施された壁。蛇の目には大粒のエメラルドがはめ込まれ、侵入者である僕をじっと睨みつけている。

『秘密の部屋』の入り口に間違いなかった。

 

僕は唾を飲み込むと、恐る恐る入り口に近づく。

本物であると思い込む必要はなかった。思い込もうとしなくても、蛇の目はどうしようもなく生き生きとして見えたから。

 

『開け』

 

再び僕の口から掠れたような異音が漏れる。

そして僕の口から洩れた異音が辺りに鳴り響いたその瞬間、

 

ゴゴゴ

 

壁が二つに裂けた。

絡まっていた蛇が動き出し、スルスルとどこかに這ってゆく。

 

『秘密の部屋』の入り口が、ついに開かれたのだ。もう後戻りすることは出来ない。

 

僕は震えながら中に入っていく。

もう少しも油断することは出来ない。どんな小さな音も聞き漏らすまいと全神経を研ぎ澄ましながら前に進む。

 

そんな僕の耳に突然、

 

『アバダケダブラ!』

 

大きな叫び声が届いた。

 

それは間違いなく……ダリア・マルフォイの声だった。

部屋の奥に緑色の光が輝いていた。



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造られた怪物(前編)

 ダリア視点

 

「……何を言っているのですか? 私はどこからどう見ても人間です。あなたと一緒にしないでください」

 

得体のしれぬ『継承者』の放った言葉は、私が最も言われたくないものだった。

そんな言葉に、私は警戒感を露に固い声で返す。

 

こいつに私が人間ではないと分かるはずがない。

 

私は外見においての話のみであれば、普通の人間と大して変わらないのだ。他の人にない特徴と言えば、()()肌が人より白いことくらいのものだ。

初対面のこいつに分かるはずがない。()()()()()()()()()()()

普段であれば、ただの根拠のない嫌味でしかないと思ったことだろう。ただ適当に言った言葉が、私の真実にたまたま掠っただけ。そう断じて気にも留めはしなかっただろう。

 

でも何故だろうか……。私はこいつが適当なことを言っているだけだとは、どうしても思うことが出来なかった。

彼の言葉の中には……どこか確信めいたものが見え隠れしているのだ。

そして案の定、彼から返ってきた言葉は、

 

「ふふふ。どこから見ても人間……か。確かに、この僕でさえ、君が僕に()()()()()()()()()()気が付かなかっただろうね。でも、君をこうして初めて()()確信したよ。()()()僕が感じたことは勘違いなどではなかった。君は人間ではない。まさか君は気付いていなかったのかい? まったく、君は実に滑稽な()()だよ。こんな()に僕の計画が邪魔されていたとはね……。実に忌々しいと言いたいところだが……まあ、最終的な目標は達せそうだからね。君をここに連れてきたことで、()もきっとここに寄り道することなく向かってくるだろう。そのご褒美だ。本来なら君が質問する時間は終わっているのだが、特別に教えてあげよう」

 

酷く残酷なものだった。

『継承者』はひとしきり私を嘲笑した後、まるで幼い子供に言い聞かせるような口調で話し始めた。

 

「僕はね……他者の魂に触れることが出来るんだよ。魂に触れることで、僕はその人間の悩みや弱みを知り、そいつを操ることさえ出来るようになる。なのに……君の魂には触れることが出来なかった。君の魂は、あまりにも肉体と()()()()()()()。まるで本来の体でないものに、無理やり魂を詰め込んでいるような……。だが、それだけが理由ではないな。それだけでは、ここまで魂と肉体の距離は離れはしない。現に僕も()()()()()()だからね」

 

茫然とする私に、彼は話し続ける。

 

「君の魂……いや、これは正確ではないな。君の()()()()()()()と肉体が離れている理由。それはね……君の魂は、魂と呼べるようなものなどではないからだよ」

 

「……どういう意味ですか?」

 

私はかすれた声で尋ねた。

本当は耳を塞いでしまいたかった。彼の言葉が進むたびに、私の足元がどんどん崩れていくような気持だった。

信じていたものが壊れてゆく。彼の言葉が真実だとしたら、私はいよいよただの人を殺すためだけの()()でしかなくなってしまう。少なくとも人間とはもう決して呼べない。そんな話、私は本当は聞きたくなんてなかった。出来ることなら今すぐにでも逃げ出してしまいたい。

 

でもそれは出来ない……。私には知る義務がある。自分のために。そして……私の大切な人達のためにも。

私はなけなしの勇気を振り絞り、そっと続きを促した。

 

でも私はすぐに後悔することになる。

何故なら、彼が語る真実はどこまでも残酷なもので、どこにも救いなんてないものだったから。

 

「そのままの意味だよ。君の魂は人間のものではない。ただの無機物だ。肉体を動かすためだけに、ただ肉体の中を満たす為だけにある代用品のようなものだ。()()()()()()()()()()()、人間の魂でないことだけは間違いない。だからこそ、君の魂は肉体になじみ切れていないのだろう。その証拠に……」

 

彼は私の顔を指さした。胸がこんなにも張り裂けそうなのに、それでもピクリとも動かない私の無表情を。

 

「君には表情と言うものがない。小娘が君のことをいつも無表情だと書いていたが、全くその通りだったよ。僕は他人の表情を読み取るのは()()だけど、その僕にすら読み取れないとはね」

 

私はそっと手を顔に添える。相変わらず動くことのない、私の顔に。

自分の表情が動かないことを気にしたことなど、今までの人生でほとんどなかった。時折自分でさえ分からないものではあったが、家族だけはいつも私の表情を読み取ってくれていた。だから私はこの無表情で悩んだことなどほとんどない。愛する家族さえ読み取れるのなら、他の人間に読み取れる必要性など皆無だと思っていたからだ。特にこの学校に入学してからは、ダンブルドアに私の感情を読み取られないようにするためにも、この無表情の仮面が有難いものにすら思えたこともある。

 

でも、今は違った。

今程この無表情が嫌になった時などない。

 

この私の動くことのない表情は……私が人間では……マルフォイ家ではないことの証でしかなかったのだ。

私はこんなものを……ダンブルドアと会う時に有難がっていたのだ。

 

なんて滑稽で、愚かな怪物なのだろうか。

 

悲しみで胸が張り裂けそうだ。

手で抑えられた口角が、少しだけ下に動いたような気がした。

 

「さて。君が人間でないことは自覚したかな? では今度こそ質問に答えてもらおうか。君は一体()だ? 君のような()()が、何故マルフォイ家のような純血の娘として存在しているんだい?」

 

私は()()()()()()指の隙間から『継承者』を睨みつける。

マルフォイ家の人間ではないと言われ、私の感情が悲しみから怒りに変わってゆく。

 

「まったく。ルシウス・マルフォイは一体何を考えているのやら。マルフォイ家は純血だと言うのに、君のような得体のしれない()を家に招きいれるとは……。マルフォイ家も落ちたものだ」

 

私が人間でないことは最初から分かっていた。私は『闇の帝王』が造った、人を殺すためだけの存在。日常という名の幸福とは、まさに真逆に存在する怪物。それが私だ。

 

でも、そんな私をマルフォイ家は家族として迎えてくれた。たとえ私の真実を知らなかったからだとしても、マルフォイ家は私を()()()人間のように扱ってくれた。私はそんな心優しいマルフォイ家に迎えられたことが……マルフォイ家の一員であることが誇りだった。

 

なのに、こいつは私の誇りを踏みにじった。私の家族の在り方を馬鹿にした。

 

別にこいつは間違ったことを言ったわけではない。事実、真実を知った()()()がマルフォイ家と共にいるあり方を否定しかけているのだ。私が優しい()()であるマルフォイ家に相応しくないのは、間違いではないのだ。

 

でも、それをこいつには言われたくなんてない。私なんかを迎え入れてくれた家族を愚弄することは許さない。

人間でもなく、怪物でもない得体のしれない生き物に、私の家族とのあり方を語られたくなんてない。

 

……聞きたいことは全て聞けた。今度こそこいつにはもう用はない。

()()()マルフォイ家を馬鹿にするけれど、本当に愚かなのはお前だ。杖を奪ったくらいで私を無力化出来たと思うとは。私が人間でないと分かっているくせに、未だにどこか私のことをただの小娘だと侮っているのだろう。このくらいの距離で、私に対応できると思うとは……。

 

その愚かさを身をもって知るがいい!

 

私は一気に身をかがめると、未だに嘲ったような笑みを浮かべながら話す『継承者』にとびかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

急いでは駄目だけど、急がなくちゃ。

そんな矛盾した思いで頭が一杯になりながら、私はこの穴掘り作業を続ける。

 

早く行かなくては、ハリーだけでバジリスク、そして()()()()()()()()()()()()『継承者』と戦わなくてはならなくなる。

彼は私より偉大な魔法使いなのは分かっている。彼は知識があるだけの私と違い、知識はなくとも、代わりに本物の勇気を持った偉大な魔法使いなのだ。彼ならバジリスクにだって立ち向かえる。そう信じている部分も心の中には確かにあった。

でも、今回は彼だけに任せていられない。いや、任せていいはずがない。

 

マルフォイさんのことは、他の誰でもなく私が助けなくてはならないのだ。

彼女を傷つけたのは私だ。だからこそ、私は罪滅ぼしのためにも、そして彼女から与えられた恩を少しでも返すためにも、()()()彼女を助ける義務がある。

 

でもそれが分かっていても……私はなるべく作業を慎重に行う他なかった。

やはり思いのほか大きく岩が崩れ落ちていたのだ。一気に崩れた岩を吹き飛ばすことも出来るが、その場合またトンネルが崩れてしまう可能性が高い。ロンもいるから二人でやれば早いかもとも思ったが、複雑に重なった岩を見て、一人で作業した方が安全だと判断したのだ。ロンは今手持無沙汰なのか、今はこの事態を引き起こしたペテン師を蹴り上げている。

 

逸る気持ちと緊張のあまり額に汗が伝う。

 

一つ一つ慎重に、けど素早く岩を魔法で移動させていく。少し離れた位置で作業しているから安全だとはいえ、一つ間違えればまた最初からこの作業を行わなくてはならないと思うと、どうしても慎重に作業をする必要がある。

 

でも、もうすぐそれも終わる。

 

だって……。

 

私は緊張と共に、その最後の一個の岩をトンネルの脇にそっと下した。

 

目の前には、人ひとりが通れるほどの大きさになった隙間が出来上がっていた。

触ってみても崩れる様子はない。これなら前に進むことが出来る。

 

「やったな、ハーマイオニー! これで僕らもジニーを助けに行けるよ! この馬鹿がやらかした時はどうしようかと思ったけど……。やっぱり君は天才だよ!」

 

ロンの声に頷きながらも、私は振り返ることなく前を見据える。

やっと進める。少し時間はかかってしまったけど、行かないという選択肢はもとより存在しない。

待ってて、ジニー、マルフォイさん! 今助けに行くから!

 

「ロン、ありがとう。でも、今はそれどころじゃないわ! さあ、そんな馬鹿なんかほっといて先に、」

 

私は額の汗を拭いながら、今度こそ後ろにいるロンを振り返ろうとして、

 

「ご苦労様」

 

ロンの向こうから飛んできた赤い閃光に当たった。

 

それは以前マルフォイさんが『決闘クラブ』で使っていた『失神呪文』だった。

私は凸凹した地面の上に倒れ伏す。

薄れる意識の中、

 

「ダフネ・グリーングラス! なんでこんな所に!? やっぱりお前もダリア・マルフォイの仲間だったのか!?」

 

「仲間……? そんなの当たり前でしょう?」

 

そんな会話が聞こえたような気がした。そして再び赤い光が洞窟を照らした時、私の意識は完全に闇に堕ちていた。

 

 

 

 

私は……結局マルフォイさんを救うことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リドル視点

 

この小娘はただの餌だ。

ハリーを『秘密の部屋』へと導く、ただの餌に過ぎない。

ハリーがこいつを『継承者』だと思い込んでいるのならば、ウィーズリーの小娘とこいつが学校から消えれば、彼は必ず『秘密の部屋』を探しに来るだろう。ジニーだけでもよかったのだが、その場合ハリーは『秘密の部屋』ではなくスリザリン寮に行ってしまう可能性がある。だから僕は、我が忠実な僕であるマルフォイへの褒美も含めて、ジニー共々ダリア・マルフォイを『秘密の部屋』に連れ去ることにしたのだ。

唯一の懸念材料は、ハリーが『秘密の部屋』にたどり着けるのかということだが……おそらく心配はないだろう。ジニーの話ではハリーはパーセルマウスの上、もう『秘密の部屋』について多くの情報を得ているとのことだった。それに友人である『穢れた血』が襲われたのだ。彼ならどんなことをしてでも謎を解き、この『秘密の部屋』にたどり着くことだろう。仮にも僕からたった一つの傷跡だけで逃げ延びたのだ。それくらいしてもらわねば拍子抜けだ。

まあだが、ハリーが入り口を見つけるのに、多少の時間はかかってしまうのは仕方ないだろう。

偉大なスリザリンの血統である僕でさえ、入り口を見つけ出すのに5年もかかってしまったのだ。多くのヒントがあるとはいえ、これといって特別な魔力を持たない、ただの十二歳の子供にすぐに見つけ出せはしないだろう。

僕は寛容だ。まだジニーの魂を完全には吸い切れていないこともあるし、少しの間だけなら待っていてやろう。たとえそれが()()()()を貶めた愚か者だとしても、僕は待ってやろうではないか。

そう思いながら、僕はもう用のなくなった人形で暇つぶしでもしていようと思っていたわけだが……。

 

なんだこの状況は?

 

僕が茫然と見つめる先には……ダリア・マルフォイがこちらに杖を向けて立っていた。

 

あり得ない。あれは決して人間の出せる動きではなかった。

この人形風情は、唐突に人間とは思えないような素早さで僕に跳びかかってきたのだ。そして突然の事態に一瞬茫然としてしまった僕のすきを突き、自身の杖を僕から奪い返したのだ。

 

ダリア・マルフォイは人間ではない。それは分かっていた。

肉体と魂の在り方、そして僕にさえ読み取ることの出来ない完全な無表情から、この小娘が一見人間に見える『何か』であることは間違いない。

だがそれだけだ。人間ではなかろうと、僕は杖を持っており、こいつは持ってはいないのだ。ただの小娘に、この状況を打破できるはずがない。

そう思い高をくくっていたのだが……だが現実は違った。

僕はこの人形のことを人間ではないと理解していながら、どこかただの小娘だと侮っていたのだ。

 

なんという屈辱だ……。たかが人形如きに出し抜かれ、あまつさえ杖を向けられるなど屈辱以外の何物でもない。杖を奪われた際に、杖とは反対の手に持っていた日記を取り落としたのも腹立たしい。こいつが日記ではなく僕へ杖を向けている以上、どんな呪文が放たれようと『記憶』でしかない僕に決して効くことはないが、それでもこの状況は屈辱以外の何物でもないのは間違いなかった。

 

僕は怒りで表情を歪ませながら、こちらに杖を向けるダリア・マルフォイの無表情を睨みつけた。

 

「……やはりお前は人間ではないな。人間にそんな動きが出来るはずがない。本当に……お前は一体『何』なのだ?」

 

僕は屈辱に震えながらも、頭に残った冷静な部分でこの人形を分析する。ジニーから得た情報のほとんどはハリーについてのものであったが、中にはこの人形のことも少しだけ含まれてはいた。恐ろしい上級生として、時たま日常の出来事の話に上がるくらいではあったが、その中にいくつか気になる情報があった。

曰く、ダリア・マルフォイは日光に弱く、外に出る時はいつも肌の露出部分を極限まで減らしているとか。

正直話半分にしか聞いていなかった情報ではあるが、先程の人間離れした動きと合わせて考えれば……。

 

「……そうか。先程の動き、それとジニーの書いていた、日光に当たれない体。お前のことが少しだけ分かったぞ。お前の体はやはり人間のものですらない。それだけでは君の魂のことは説明出来ないが、君の体の中には、一部きゅうけ、」

 

しかし僕の言葉は最後まで続くことはなかった。

何故なら僕が言い切る前に、

 

『アバダケダブラ!』

 

相変わらず無表情のダリア・マルフォイが、僕に呪文を放ってきたから。

僕の視界は緑の光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

早鐘のように鳴る胸を押さえ、僕は部屋の奥へと進んでいく。薄暗い部屋のあちこちに、蛇が絡み合った彫刻の施された柱が立ち並んでいる。僕は一歩一歩慎重に、足音をなるべく立てないように前へと進んだ。

 

恐ろしかった。

あいつはもうすぐそこにいる。ここまで来たのはいいが、僕があいつと正面から戦っても決して勝てないだろうと思っていた。あいつの試験での成績は勿論、『決闘クラブ』で示された実力を目の当たりにすれば、何の力もない僕が勝てると思う方がどうかしている。

 

でも、どんなに恐ろしくても進むしかない。ロンの妹であるジニーがここにいる限り、ダリア・マルフォイがいようと、そして『バジリスク』がいようと逃げるわけにはいかない。僕は戦わなくてはならないのだ。

だからこそ、僕はなるべく慎重に前に進まなくてはならない。少しでもあいつとの勝率を上げるために。僕は杖を構え、そっと声のする方に足を進めた。

 

そして、遂にその光景が見えた。

 

「ジニー。それに……。あれ? なんで彼がここにいるんだ?」

 

柱の陰から恐る恐る覗った先には、何故か茫然とした様子のダリア・マルフォイ。彼女の奥に見える、床に倒れ伏しているジニー。

そして……ここに決して居るはずのない、僕に『秘密の部屋』の真実を教えてくれたトム・リドルが立っていた。

 

何故彼がここに?

 

僕の頭の中は疑問符で一杯だった。

彼は日記の中だけの存在のはずだ。その上、そもそも彼は50年前の人間だ。何故彼が当時の姿のまま、こんな所でダリア・マルフォイと対峙しているんだ?

 

何が起こっているか理解できず、柱の陰からのぞき込む僕の耳にダリア・マルフォイの声が届く。

 

「……『死の呪文』が効かない? いや、そもそも貴方に当たった手応えすらなかった……。あなたは……本当にそこにいるのですか?」

 

当惑したような声を出すダリア・マルフォイに、

 

「言ったはずだ。僕は『記憶』だと。まだ『記憶』でしかない僕に、君の呪文は効かない」

 

トムがどこかあざ笑うような雰囲気で応えた。そう言いながらそっと彼が視線を送った先には、一冊の本が床に開かれた状態で落ちていた。それは僕がトイレで見つけた、あの50年前のことを教えてくれた日記で間違いなかった。

彼は相変わらずどこか嘲笑するような表情で話すが、

 

「さて、君の無駄な行動のせいで最後まで言えなかったではないか。君は、」

 

「黙りなさい! 私は……私は!」

 

ダリア・マルフォイの叫び声に遮られた。

ダリア・マルフォイはいつもの姿からは考えられない程取り乱した様子で叫び声をあげると、杖を振りかぶり、

 

『アバダ、』

 

『エクスペリアームス、武器よ去れ!』

 

僕の呪文を受け、杖を弾き飛ばされた。彼女の真っ黒な杖は弧を描き僕の手の中に収まる。

 

「ダリア・マルフォイ! そこまでだ! トム、大丈夫!?」

 

僕は興奮をした声で、ダリア・マルフォイに杖を向けた。

トムが何故ここにいるか分からない。でもあのままでは彼にダリア・マルフォイが何か良くない呪文を使っていた。それにさっきの瞬間、ダリア・マルフォイはトムに集中するあまり隙だらけだった。このチャンスを逃せば、僕はジニーを救えない。

そしてその考えは正しかった。これで、僕は今年ダリア・マルフォイが起こしていた事件を解決することが出来た。拍子抜けするほどあっけなく。

 

「ははは! ハリー! 来ていたんだね! ()()()()()()()()! それに、ありがとう。君のおかげで()()()()()()()

 

こちらを睨みつけるダリア・マルフォイに、少しの油断もせず杖を向けながら歩く僕にトムが話しかけてくる。

先程の嘲笑といった笑顔ではなく、どこか人を安心させるような微笑みを浮かべた彼に、僕は少し当惑しながら応えた。

 

「トム。何で君がここに……。君は50年前の人物のはずだよね。君はゴーストなのかい……? ……いや、今はそれどころじゃないね。僕の方こそありがとう。君のおかげで、こうしてダリア・マルフォイを、」

 

「……ポッター。何故あなたがそいつのことを知っているのかは知りませんが、それ以上近づかない方が賢明ですよ。そいつは『けいしょ、」

 

「ハリー。杖を借りるね」

 

こちらに何か言おうとするダリア・マルフォイの言葉を遮り、トムは僕の持っていた彼女の杖を搔っ攫うと、

 

『シレンシオ、黙れ!』

 

ダリア・マルフォイに呪文を放った。彼女はまるで猿轡をされたように黙り、その上、

 

『ブラキアビンド、腕縛り!』

 

続いて放たれた呪文によって縛り上げられた。

 

「お前はそこで大人しくしていろ。そうでなくては……僕は君の秘密をハリーに話してしまうかもしれないよ」

 

縛り上げられながらも尚こちらを睨みつける彼女の瞳が、少しだけ見開かれた気がした。

 

「君の体の一部のことをジニーから聞いた覚えはない。つまり、君は君の体のことを学校の人間には隠しているということだ。それに、君はハリーに杖を奪われた時、また先程のように動けばいいのに、そうはしなかった。それをしてしまうと、ハリーにバレてしまうと思ったのだろう? いや、その後ろにいるダンブルドアにかな? まあいい。ともかく、バラされたくなかったら、大人しくそこで見ていろ。ハリーが来た以上、君のことを聞くのは全てが終わった後だからだね」

 

「トム。どういうこと? こいつの秘密っていったい、」

 

「いいや、ハリー、それを君に話している時間はもうないんだよ。それよりも、彼女はもうこうして無力化したんだ。今彼女は声を上げることもできない。きっと『バジリスク』も()()()()()()()()。奴は呼ばなければ来ないからね。それに、君にはやらなくてはいけないことがあるんじゃないのかい?」

 

ダリア・マルフォイに何か話すトムにその言葉の真意を尋ねようとしたところ、彼は僕の言葉を遮り、そっと未だ地面に倒れ伏しているジニーを見やった。

 

「そうだ、ジニー!」

 

僕は大声で叫び、部屋の奥、見上げる程巨大な、まるで年老いた猿のような顔をした魔法使いの像の足元に転がっているジニーの傍に駆け寄る。膝をつき揺り起こしながら名前を叫んでも、彼女は一向に目を覚ます様子はなかった。

 

「ジニー! 死んでは駄目だ! ジニー!」

 

僕はついに杖を脇に投げ捨て、ジニーの肩をしっかりと掴んで起き上がらせようとする。

でもジニーの顔はまるで大理石のように白く、冷たかった。

一向に目を開ける様子のないジニーの肩を再度揺さぶる。

 

「ジニー! お願いだ! 目を覚まして!」

 

必死に叫ぶ。ダリア・マルフォイを倒せても、ジニーが死んでしまってはまったく意味がない。

どうか生きていてくれ。そう願いながら再度叫ぼうとした僕に、

 

「その子は目を覚ましはしないよ」

 

近くから静かな声がかかった。

いつの間にかこちらに近寄り、僕の投げ出した杖を()()()()()トムがこちらを見降ろしていた。

 

「目を覚まさないって、どういうこと!?」

 

「生きてはいる。でも、それもかろうじてだ。もうすぐしたら……その子は死ぬ」

 

「なんでそんなこと分かるのさ!?」

 

彼がどういう存在なのかよく分からない。でも、ジニーがこんな状態でも平然と話す彼に、僕は苛立ちを露に大声を上げた。助けられたとはいえ、赤の他人に友達の妹が死ぬ等と軽々しく言ってほしくない。

しかしそれに返ってきた答えは、

 

「どうして分かるか……か。それはね、ハリー。僕が……僕こそが、この『秘密の部屋』の『継承者』だからだよ」

 

トムは相変わらずの微笑みを浮かべたまま、何でもないことを話すような気軽さで、僕にとんでもないことを言った。

 

静まり返る『秘密の部屋』には、僕の息を呑む音だけが響いていた。



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造られた怪物(中編)

 ハリー視点

 

「な、なにを言っているんだい、トム。い、今は冗談を言っているような場合じゃ、」

 

「いや、ハリー。冗談ではないよ。『継承者』はダリア・マルフォイなんかじゃない。僕こそが偉大なるスリザリンの意志を継ぐ『継承者』なのだよ」

 

僕の言葉を遮り、トムはゆっくりと噛みしめるように告げる。

言葉の内容とは裏腹に、トムはどこまでも穏やかで、いっそ不気味にすら思える程人のよい微笑みをたたえている。

 

決して冗談を言っているような雰囲気ではなかった。

 

意味が分からない。そんなはずがない。これは何かの間違いだ。

そんな思いで僕の心が満たされる。

だから僕は、彼の言葉が冗談であると証明するためにカラカラの声で尋ねる。

 

「だ、だって、君は僕に50年前のことを教えてくれたじゃないか!? 君は()()()()ハグリッドを捕まえたけど、」

 

「勘違い? それこそ君の勘違いだよ」

 

でもトムの答えは、僕の期待を裏切るものでしかなかった。

 

「僕はね、ハリー。君に僕を信用させるために、あえてあのウドの大木を()()()場面を見せたのだよ。僕はどうしても君のことを知りたかったからね。あの時はハグリッドのことなんてただの囮くらいにしか使えない奴だと思っていたけど、こうして再利用できるのだから彼も捨てたものではないね。おかげで僕はこうして君と顔を合わせることが出来た」

 

「ト、トム……君は本当に……」

 

トムの言葉を理解した瞬間、僕の声が怒りで震え始める。

50年前のことは、ただトムが勘違いしただけだと思っていた。ハグリッドは怪物好きという困った趣味がある。そんな彼のことを、トムや当時の先生達が勘違いしただけだ。そう思っていたのに……。

よりにもよってこいつは僕の友達を……。

リドルは怒りで震える僕をあざ笑いながら言葉を続ける。

 

「君は本当に僕の思い通りに動いてくれたよ。君にハグリッドを捕まえる場面を見せても、君がすぐにはハグリッドが犯人だと思わないことくらい分かっていた。本来なら君を寮内からも孤立させるつもりだったんだが、君が僕を拾ったことで計画を変更したんだよ。どうにも僕の計画は、そこにいるダリア・マルフォイに邪魔されてばかりだったからね。まさかあのダンブルドアまでこの小娘のことを『継承者』だと疑うとは思わなかったよ。実に滑稽なことではあったが、同時に僕の計画を毎回駄目にしてくれるのは腹立たしくもあった。だが……最後に勝つのはやはり僕だ。僕はこうして……目的を果たすことが出来るのだからね」

 

「ダリア・マルフォイが君の邪魔を……? いったいどういう意味だい?」

 

僕はトムの続ける言葉で我に返る。

そうだ。そうなのだ。もしこいつが『継承者』であるなら、ダリア・マルフォイは……。

 

「ふふふ。ここまで言ってまだ気が付かないのかい? そうだよ。君達が散々疑っていたそこの小娘は『継承者』なんかじゃない。そいつがそんな偉大なことが出来る()()だと思うかい? 馬鹿馬鹿しい。ダンブルドアも耄碌したものだ。僕がハグリッドを嵌めた時は、奴だけが僕を疑っていたというのにね。奴だけは僕が本物の『継承者』だと気づき、ハグリッドを森番にしてまで守っていた。それが今回はまったく見当はずれな人間を疑うのだからね」

 

驚いたように見つめた先には、魔法で縛られながらも、トムと僕をいつもの無表情で見つめているダリア・マルフォイがいた。

 

僕は彼女こそが『継承者』だと信じて疑わなかった。

彼女はスリザリンでマルフォイの人間だ。心底嫌な奴であるドラコにいつもくっついているような奴だ。そして去年『禁じられた森』で見たあの笑顔。彼女が危険な人間であることは間違いない。彼女なら『継承者』としてマグル生まれの生徒を襲い始めても何ら不思議はない。

そしてその思いは、ダンブルドアも彼女を疑っているという事実によってより強固なものとなった。

ダンブルドアは僕の尊敬する最も偉大な魔法使いだ。彼が間違いを犯すことなんてあるはずがない。だからダンブルドアが『継承者』として疑っているダリア・マルフォイが、『継承者』ではないなんて可能性は考えたこともなかった。

 

でも……それはトムによって否定された。

他でもない、『継承者』自身によって。

 

それが事実なら、僕は一体今まで……。

今まで僕は、いや、僕達は彼女を散々『継承者』として警戒していた。彼女が危険人物であるという思いには変わりはない。でも、僕達が今年中彼女を警戒していたのは、彼女が人を石にする『継承者』だと思ったからだ。

でもそれは間違いだった。

僕は『継承者』だと疑われた時感じた視線を思い出す。皆から向けられる警戒と恐怖の視線。決して気持ちのいいものとは言い難かった。その不快さを僕は知っていたのに。僕はそれを、少なくとも今回の事件とは無関係なダリア・マルフォイに向けていたのだ。

 

「で、でも、君は50年前の人間のはずだ! そんな君がどうやって『秘密の部屋』を開けたっていうんだい!? いや、そもそもどうしてそんな風に存在しているんだい!?」

 

僕は自分の罪をすぐには認められず、罪悪感を振り払うために大声で叫んだ。

何もかもおかしいことだらけだ。『継承者』ではなかったダリア・マルフォイ。存在するはずのないトムの存在。

意味不明なことばかりで、頭がどうかしてしまいそうだった。

 

訳も分からず叫ぶ僕にトムは、

 

「いい質問だね、ハリー。どうやって僕がここに存在しているか、か……。話せば長くなるが、君になら話してあげよう」

 

愛想よく答えたトムが話し始める。

今年起こった事件の真実を。僕も、そしておそらくダンブルドアでさえ予測していなかった、残酷な真実を。

 

「君が()を拾う前の持ち主は……そこに転がっているジニーだったのだよ。僕が返事をする日記であることに気が付いた彼女は、僕に自分の秘密を洗いざらい打ち明けた。自分をからかう兄達のこと。家が貧しいせいで、自分の持ち物は全てお下がりであること。そして……」

 

トムの目がチラリと()()輝いた。

 

「ハリー・ポッター……君が学校の人気者であること。人気者の君が、自分のことを好いてくれるチャンスなんてないということをね……。まったくうんざりだったよ。何でこの僕が小娘なんぞの下らない悩み事を聞かないといけないのか……。でも、僕は耐えたよ。君のことを徹底的に知るまでは、小娘の情報は少なからず有用だったからね。でも……」

 

トムはぞっとするような笑みを浮かべて続ける。

 

その笑顔を……僕は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「君の情報をこれ以上聞けないと思った時。僕は彼女に最後の奉仕をさせることにした。彼女は秘密を僕に書き込むたびに、少しずつ魂を僕に注ぎ込んでいた。彼女の恐れや秘密に触れることで、僕はどんどん強くなっていった。そして小娘が憔悴し、僕の力が彼女を超えた時。僕は彼女に魂を注ぎ返し、彼女の体を操ることに成功した」

 

「……そ、それって」

 

絞り出した声はひどくカラカラなものだった。

彼の言うことに、僕の理解がようやく追いついて()()()()

自分こそが『継承者』だという言葉。そして今のトムの言ったことを総合すれば、今年の事件を起こしていた人物は、

 

「そうだよ。君の考えている通りだ。ジニーなのだよ。今年『秘密の部屋』を開き、バジリスクを使()()()生徒を襲っていたのは、そこにいるジニーなのだよ」

 

最悪の予想が当たってしまった。『継承者』はダリア・マルフォイでないどころか、まさかロンの妹であるジニーだったなんて。

 

「彼女は最初自分のやったことに気がついてはいなかった。でも、時間が経つにつれ自分自身のやったこと……僕がやらせていたことに気が付いた。そして小娘はあろうことか僕を捨てようとしたんだ。本当に馬鹿な小娘だよ。僕のやらせていたこととはいえ、本当に偉大な事業を自身はなしていたというのにね。でも、それは結果的にはよかったのかもしれないね。僕は最終的に君に拾われたのだからね」

 

「何が偉大な事業だ!?」

 

何故か僕の額の傷を舐めまわすように見つめるトムに、僕は怒りのまま声を上げた。

 

「ジニーがやったというけど、全部君がやらせたことじゃないか! 君がやったことは偉大でもなんでもない! 君のやったことはただ生徒の何人かを石にしただけだ! 猫一匹だって殺せてやしない! それもマンドレイクが完成すれば元に戻る! ハグリッドのことだって、ダンブルドアは全部お見通しだったんだろ!? 君は何も成し遂げなんていやしない! 君は、」

 

「ハリー……。先程から言ってるじゃないか」

 

リドルは静かに僕の言葉を遮った。

 

「僕の目的はもう『穢れた血』を殺すことじゃない。僕の狙いは……ずっと()だったのだよ。僕はずっと君に会うことだけを目的に動いていた。だから再びジニーが僕を取り戻した時は怒り狂ったよ。彼女は君に自分の秘密が漏れるとでも思っていたのだろうが、僕としてはいい迷惑だ。だから僕は、彼女の手に戻った瞬間最後の罠をしかけた」

 

怒りで拳を握りしめる僕に、トムは話し続ける。

 

「君の友人である『穢れた血』を殺し、ジニーにメッセージを書かせることで、君をここに誘導することにしたんだ。そう。本来の計画であれば、『穢れた血』は死ぬ予定だったのだよ……。でも、そうはならなかった。そこにいるダリア・マルフォイが邪魔したからね。()()()マルフォイ家を名乗っている()が、まさか僕の邪魔をするとはね……」

 

ハーマイオニーの言っていたことは間違いではなかった。本当に、ダリア・マルフォイはハーマイオニーを助けたのだ。

 

「こいつのせいで僕の計画は最後まで散々な結果になったが、同時に彼女の存在で君をここに導くことも出来た。これでようやく……君に色々聞くことが出来る」

 

「何をだ?」

 

吐き捨てるように言った僕に、トムは、

 

「……どうやって」

 

やはりトムはむさぼるような視線を送りながら言った。

 

「何の特別な魔力を持たない君が。それも赤ん坊の時にどうやって偉大な魔法使いを破ったんだい? ヴォルデモート卿に狙われたというのに、君はどうやって傷一つだけで逃げ延びれたんだい?」

 

「何故そんなことを聞くんだい? 君はヴォルデモートのずっと前の人間じゃないか?」

 

「ヴォルデモート()は……」

 

トムの声は静かだったが、同時に力強いものだった。

 

「僕の過去であり、現在であり……未来なのだよ」

 

トムはそう言ったかと思うと、僕の杖を振り上げ、そして……空中に文字を描いた。

 

 

 

 

『TOM MARVOLO RIDDLE(トム・マールヴォロ・リドル)』

 

 

 

 

ただの自身の名前を示した文字列。

でもその空中に浮かぶ文字は、トムがもう一度杖を振った時、まったく別の言葉に並び変わっていた。

 

 

 

 

『I AM LORD VOLDEMORT(私はヴォルデモート卿だ)』

 

 

 

 

「理解したかい?」

 

目を見開く僕に、トムはささやいた。

 

「この名前は僕が在学中の頃から使っていたものだ。僕のような偉大な血筋を引く人間が、いつまでもマグルの父親の名前なんて使うわけにはいかないからね。勿論親しい者にしか明かしてはいなかったが。でも僕は知っていた。この名前こそが、僕の本当の名前になると。この名前こそが、いずれ全ての人間が口にすることも恐れるようなものになるのだと。ヴォルデモート卿である僕こそが、この世界で最も偉大な魔法使いになることを!」

 

僕の思考は今度こそ完全に停止していた。

こいつが……こいつこそが、将来僕の両親を、それどころか他の大勢の魔法使いやマグルを殺すことになる人間だったのだ。

 

恐怖。怒り。憎しみ。悲しみ。

様々な感情がごちゃ混ぜになり、僕はただ食い入るようにトムの顔を見ることしか出来ない。

それでもややあって、僕は口を開こうとした。

 

違う。お前なんかが最も偉大な魔法使いなはずがない。お前はただの人殺しだ! 

 

そう言ってやろうとした。

でも出来なかった。

 

何故なら、

 

「あははははは!」

 

突然、静まり返った空間に笑い声が響いたから。

 

笑い声の発生源は……魔法で黙らされているはずのダリア・マルフォイだった。

 

笑う彼女はいつもの無表情ではなく、かといって『禁じられた森』で見た笑顔でもなく……どこか悲しみがにじみ出た表情で、ただただ声を上げて笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

滑稽だ! 

私は心の底から笑い……そして心の底で泣いていた。

 

ああ……なんて可笑しな話なのだろうか! 

 

こいつは、こいつこそが闇の帝王だった! 将来最も恐ろしい闇の魔法使いと言われる男。それこそが、今私の目の前にいる少年の正体だった! 私を造った男! 私を死喰い人の長となるように造った男こそ、この少年なのだ!

 

でも……そんな彼は私を否定した! 私が人間でない、そんな理由で私を否定したのだ!

自分自身が造った存在であるにも関わらず! 自分自身の『偉大なる血』とやらを混ぜ合わせてでも造ったにも関わらずにだ!

 

なんて滑稽で……なんて救いのない話なのだろうか!

ああ。笑いが止まらない。なんて愚かで……なんて救いようのない! こんなもの、もう笑うしかない!

 

だって笑わなくては……私の心はもう立ち直ることなんて出来ないだろうから。

私という存在がこんな人間に造られた怪物であると考えると、本当に自分の存在価値が分からなくなってしまうから。

 

「……魂と肉体が離れているというのは実にやっかいだね。君にはこういった魔法が効きにくいのかもしれないな。しかし……ダリア・マルフォイ、僕の話のどこがそんなに面白かったのかな? ヴォルデモート卿である僕の話の一体どこが、君の琴線に触れたというんだい?」

 

『継承者』……いや、闇の帝王は自分の話が遮られたことが余程屈辱なのか、私を睨みつけながら口を開いた。

ああ、まだ気が付かないというのか……。私は少しだけ笑みを引っ込め、将来闇の帝王になるという少年に語り掛ける。

 

笑うのを止めた私の心には、ただどうしようもない悲しみだけが残されていた。

 

「何が面白いか? 面白いに決まっているではないですか!? なんて滑稽な方なんでしょうね、あなたは。私がマルフォイ家に相応しくないと言っていましたね。ふふふ。馬鹿なことをおっしゃいますね。マルフォイ家に選んだのは()()()()だというのに!?」

 

私の言葉を受け、トム・リドルという少年は目を見開いた。私が人間ではないと知っている彼には、私の叫びで今度こそ私の秘密の一端を理解したのだろう。

私がどういう存在であるかという真実の一端を。私という存在が、一体誰によって造り出されたものであるかを。

ハリー・ポッターは私が何を言っているのか分からないのか、ただ訝し気な表情でこちらを見ている。理解できるはずがない。いや、していいはずがない。こんな怪物の事情など、今まで闇に触れてこなかったであろう少年に理解できるはずがない。私という存在が、まさか人間ですらない物であるなんて誰が想像出来るだろうか。

 

私は……闇に染まった人間にしか理解の追いつかない、どうしようもなく悍ましい怪物なのだから。

 

「純血に相応しくない? その言葉、そのまま貴方にお返しします! スリザリンの血は何よりも偉大!? そう考えたからこそ、貴方は()()()造ったのではないのですか!? 貴方の力をより強固にするために!」

 

私の中には、吸血鬼の血と帝王の血が流れている。子供の頃、私が初めて自身の中に吸血鬼の血が流れていると知った日、お父様は仰っていた。

 

『闇の帝王はご自分の血と、吸血鬼の血でお前を造りだしたとおっしゃっていた。私たち死喰い人の上に立つ存在として』

 

亜人であるはずの吸血鬼を、純血主義を掲げる闇の帝王がそう簡単に『死喰い人』の上に立たせるはずがない。だからこそ、自身の『スリザリンに連なる偉大な血』とやらを混ぜ合わせることで、亜人である吸血鬼でも『死喰い人』の上に立てると自分を納得させようとしたに違いないのだ。

 

亜人である『吸血鬼』は、我々魔法使いより劣った存在である。だがそれ以上に、我がスリザリンの血は偉大である。だからこそ、我がスリザリンの血が微量でも入ったこの怪物は、忠実なる『死喰い人』の上に立つことが出来る……。

そんなことを『闇の帝王』は考えていたのだろう。

 

それがどうだ。ただ私のことを()()()()()()()、この少年は私の事情に気が付くこともなく、それどころか私を純血に相応しくないとも言ってのけたのだ!

 

だからこそ気が付いた。

こいつの純血主義はただの言い訳だ。中身なんて存在しない。ただ自身を特別だと思おうとするため。ただそれだけのために用意した、ただの言い訳だ。

そうでなければ、私を見た瞬間自分と同じ血が流れていると理解するはずだ!

 

私は悲しみのあまり、目の前にいる少年こそが『闇の帝王』であることを鑑みることなく声を上げた。

 

「貴方のやっていることはただの誤魔化しだ! 貴方は先程、自分の父親はマグルだと言いましたね!? それを否定するために、貴方は母親の血に縋りついているだけだ! 貴方に信念なんてものはない! 貴方がやっていることは結局、」

 

『ステューピファイ、麻痺せよ!』

 

私の言葉が終わらないうちに、闇の帝王から赤い閃光が放たれる。

薄れゆく意識の中私は、

 

「……やはり君にも聞きたいことが山ほどあるようだ。ハリーのことが片付いた後は、君にもゆっくりと質問をさせてもらおう」

 

そんな闇の帝王の声が聞こえていた。

 



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造られた怪物(後編)

 ハリー視点

 

「ふん……。大人しく黙っておけばよいものを」

 

忌々しいと言わんばかりに言い放つトムを尻目に、僕は今しがた床に倒れ伏したダリア・マルフォイを見つめていた。

 

彼女が何を言っていたのかは分からない。

 

純血に相応しくない? 怪物を造った? 

 

彼女の放った言葉は支離滅裂で、彼女がトムに何を言いたかったのか僕には理解できなかった。

でもこれだけは分かる。

ダリア・マルフォイは……まだ何かを隠している。

彼女は『継承者』ではなかったけど、やはり危険人物ではあるのだ。

 

でも……それを今トムに問いただしている暇はない。

何故なら、

 

「さて、今度こそ邪魔する者はいなくなった。では、ハリー。答えてもらおうか。君はどうやって僕から逃げ延びたんだい? 君の知っていることは全て話すのだ。そうすれば君は少しでも長く生きることが出来る」

 

そう言って僕に杖を向けるトムのぼんやりとしていた輪郭が、時間が経つにつれハッキリとしたものに変わってきているから。

 

もう時間はない。それは分かっている。でも僕とダリア・マルフォイの杖は、今どちらともトムの手の内にある。僕は完全な丸腰だ。

どうする。どうすればいい?

僕は必死にこの事態を打開する方法を考えながら、少しでもトムに隙を作るために口を開く。

 

「……君が僕を襲った時、どうして君が力を失ったのかは分からない。でも、これだけは分かる。君が僕を殺せなかったのは、母が僕を守ったからだ!」

 

口を開くたびに、僕の心に怒りが湧き上がってくる。

こいつはただの人殺しだ。こいつは大勢の命を奪った。その中には僕の両親もいたのだ。

こいつに殺されていなければ、僕はダーズリー家なんかではなく、もっと温かい家庭で育っていただろう。こいつさえいなければ、僕は家族を失うことはなかった。僕の家族を奪ったこいつに、僕は怒りの声を上げずにはいられなかった。

 

「君は僕の母に負けたんだ! 君が誇っているような純血じゃない! 君はマグル生まれの母に負けたんだ! 僕は本当の君を去年見たぞ! 辛うじて生きている、ただの残骸になり果てた君を! 君は今逃げ隠れすることしか出来ない! 本当に汚らしい! 君が偉大な人間であるものか! この世界で最も偉大な魔法使いはダンブルドアだ! 現に君は、全盛期ですらダンブルドアに敵うことはなかった! そして今も、君は彼から逃げ続けているんだ!」

 

僕は息を切らしながら言い終えた。トムは端整な顔を歪ませていたが、それを無理やりぞっとする笑顔で取り繕った。

 

「……そうか。やはり君には特別な力なんてないわけだ。僕はね、ハリー。君にはもしかして、僕にも感じ取れないような力があるのではと思っていたのだよ。君と僕はどこか似ているからね。混血、孤児、マグルに育てられた環境。僕と共通点の多い君なら、僕の力に匹敵する何かを持っているのではないかと思っていたのだが……やはり思い違いだったらしい。君が助かったのはただの偶然だ。君の母が死ぬ直前、君に()()()()反対呪文をかけたからに過ぎない」

 

トムは笑顔をさらに広げながら続ける。その手には、相変わらず僕の杖が握られていた。

 

「それに、ダンブルドアが僕よりも偉大だって? 君をがっかりさせて申し訳ないが、ダンブルドアは僕に負けたんだ。記憶に過ぎない僕にね。彼は追放され、この城にはもういない」

 

「ダンブルドアは負けていない! 彼は言っていた! 自分がホグワーツを去るのは、彼に忠実な人間がいなくなった時だと! ならきっと、彼はすぐに戻ってくる! 君が思っているほど、ダンブルドアは遠くへは行っていない!」

 

当然、そんなこと信じてはいなかった。リドルに言い返したかったために吐いた、ただの願望。

そうあってほしい。そうあってくれと思い口にしただけの願い事。

 

でもそれは……思わぬ形で叶うことになる。

 

突然、どこからともなく音楽が聞こえてきたのだ。

リドルにも聞こえたのか、凍り付いた表情で辺りを見回している。音楽は段々と大きなものとなり、そして……突然ドーム型の天井から、深紅の鳥が炎を纏って現れた。

 

孔雀の羽のように長い金色の尾羽を輝かせて飛ぶその鳥は……以前校長室で見た、『不死鳥』フォークスで間違いなかった。

 

それは紛れもなく、ダンブルドアが送ってくれた援軍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「は?」

 

バリン!

 

静まり返る書斎に、取り落としてしまったインク瓶の砕ける音が鳴り響く。

辺りにインクが飛び散り、書斎の高価な絨毯を染め上げていく。遠い先祖から受け継がれてきた非常に高価な絨毯であるが、今はそんなことを気にする余裕などなかった。

 

私は目を見開き、ただただ自分が今開封した手紙の中身を見つめることしか出来なかった。

 

最初はただこの手紙の送り主の名前に苛立つだけだった。

あの()()……。追放してやったというのに、まだ未練たらしくこのような手紙を……。

どうせただの命乞いに違いない。未練たらしく校長への復職を頼み込むだけの手紙。

読む価値もないとも思ったが、どれ程惨めな文言が並んでいるのか眺めるのも一興だと思い直し、私は手紙を開いてみたわけだが……。

 

そこに書かれていたのは、復職への嘆願でも、ダリアへの謝罪などでもなく……

 

『ダリア・マルフォイが『秘密の部屋』に()()()。ジネブラ・ウィーズリーと共にじゃ。すぐにマクゴナガル先生の部屋に来てほしい』

 

そんな内容が、ただ淡々と書かれているだけだった。

私はただ茫然と手紙に書かれた文字を凝視する。暫くしてようやく()()()()()を理解し始めた私の頭は、理解が進むにつれさらなる混乱に満たされ始めた。

 

『秘密の部屋』に消えた。

 

意味が分からない。この手紙の送り主は違った意味を含めて、ダリアが『()()()』と表現しているのだろうが……私にはダリアの()()()正しく理解できている。

ダリアは『継承者』ではない。そんなことは、私が他の誰よりも理解している。何故なら、私は本物の『継承者』を知っているのだから。

 

だが、だからこそ、ダリアが()()()()意味を理解できない。

何故ダリアが『秘密の部屋』に、私が選んだ生贄と共に消えるのだ? あの子はこの事件に無関係なはずだ。いや、それどころかダリアは()()()()()()()()()なのだ。『継承者』の()()になるなどあり得ない。

 

意味が分からないことだらけだ。もう校長でも何でもないはずの()()からの手紙。そしてその中に書かれていた、ダリアが『継承者』に攫われたことを意味する内容。

理解不能な状況に頭が追いつかない。だが一つだけ理解出来たこともあった。

 

今ダリアは良からぬ状況に陥っている。この手紙が嘘であれ真であれ、ダリアは今確実に危機的な立場にある。今私がすべきことは、ここで頭を抱えていることなどではないのだ。

 

……何はともあれ情報を得ねば。この手紙だけではダリアの状況がどうなっているかなど分からない。

()()の指示通りに動くのは癪だが、今はそれに従うより他に方法はなさそうだ。

 

私は善は急げとホグワーツへ『姿くらまし』しようとして……止めた。

 

これが最速の手段ではないことを思い出したのだ。

ホグワーツの内部に『姿くらまし』することは出来ない。出来るとしても、広大な敷地の外にある門前にくらいだ。そこから徒歩で敷地を踏破し、副校長の部屋まで行かなくてはならない。

 

時間の無駄だ。ダリアが危険な状況にいるかもしれないというのに、そんな悠長に時間をかけている暇など私にはない。

私は一瞬の逡巡の後、普段は絶対に使わない手段に頼ることにした。

 

偉大な純血魔法使いである私が、あのような()()()()の手を借りるのは癪だが、それが最も迅速な手段であることも確かなのだ。

純血としての誇りとダリア……どちらが大切かなど、比べるまでもない。

 

「ドビー! 来い!」

 

私の大声と共に、書斎にバシリという音が鳴り響く。

目をそちらに向けると、我が()()()()()()の『屋敷しもべ』がこちらを怯えたような表情で見上げていた。

 

「ご、ご主人様、ど、どうかなさいまし、」

 

「ドビー。すぐに私を連れて、ホグワーツへと『姿くらまし』しろ。行先は副校長室だ」

 

『下等生物』に付き合っている時間すら惜しい。そう思い私はドビーの言葉を遮り、ツカツカと歩み寄るのだが、

 

「ひっ!」

 

ただ怯えたように蹲るばかりで、一向に『姿くらまし』しようとはしない。

あまりに愚鈍な対応に、私は思わず蹴り上げたいという衝動にかられた。ダリアが危ない状況だというのに、この愚図はどこまで愚鈍なのだ!

 

私は衝動のままドビーを蹴り上げようとしたが、すぐに思いなおすことになる。

ここで蹴り上げるのは簡単だ。ダリアが止めるまでは、私は毎日のようにこいつを蹴り上げていたのだから。

だがそれは出来ない……ダリアが嫌がるというのもあるが、何よりそんなことをしている場合ではないのだ。

 

「ドビー……。一度しか言わん。よく聞け。ダリアが『継承者』に攫われたやもしれん」

 

逸る気持ちを抑え、私はただ単純な事実をドビーに告げた。

そしてそれは正解だった。今まで怯えるだけだったドビーの表情が一変し、ただ驚いたものに変わった。

 

「勿論間違いである可能性の方が高い。ダリアはマルフォイ家の人間だ。『継承者』がダリアを襲う理由は皆無だ。それに『継承者』は私が……いや、これは今は関係ないことだな。……とにかく、ダリアが今危ない状況にあることは間違いないのだ。あの()()から手紙がきた以上、私はすぐにでもホグワーツに行かねばならん。後はドビー……いかに愚鈍なお前でも、私の言わんとしていることは分かるな」

 

どこまでも愚かな生き物ではあるが、こやつがダリアに対して忠誠心を持っているのも確かなのだ。

私の言葉を受けたドビーの反応は劇的だった。怯えた表情は何処へやら、今は決意を固めたような表情で、

 

「はいです! す、すぐに!」

 

私の袖を掴み、即座に『姿くらまし』を行った。

腹の辺りが引っ張られるような感覚の後、目の前には石でできた廊下が続いており、その先に木の扉が佇んでいる。

 

そこは間違いなくホグワーツの廊下だった。

 

「行くぞ」

 

私は即座に扉に向かって歩き出す。下らん生き物のために数秒を無駄にしてしまった。

半ば走るように足を進める私のすぐ後ろをドビーが付いてきているのを感じながら、私は勢いのままドアを開いた。

 

焦る気持ちのまま辺りを見回すと、部屋の中には4人の人物がいた。

 

一人はこの部屋の主であるミネルバ・マクゴナガル。どこか難しい表情でこちらを見つめている。そして私と同じ理由で呼ばれたであろうウィーズリー家夫婦。愚かにもダリアが小娘を攫ったとでも思っているのであろう二人は、こちらを何か言いたそうに睨みつけている。

 

だがそんな下らない連中に構っている暇はない。

私は三人を無視し、ひたすら暖炉の前に佇むもう一人の人物に目を向けていた。

 

「おお。ルシウスも来たようじゃな。()()()()()早かったのう」

 

そこには私が追放したはずの()校長、アルバス・ダンブルドアが怒りに燃える様な目をしながら、こちらを見つめ返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リドル視点

 

「不死鳥と……それは、『組分け帽子』か?」

 

突然どこからともなく現れた鳥は、紛れもなくダンブルドアのペットである不死鳥だった。

一瞬恐れていたことが現実のものとなったのかと思った。今の僕は()()ただの記憶に過ぎない。今僕がダンブルドアと戦っても、残念ながら万に一つも勝ち目はないだろう。

だから僕は、一瞬追放されたはずのダンブルドアが舞い戻ってきたのかと思ったわけだが……。

 

どうやらそういうわけではないらしい。

 

不死鳥が現れても、ダンブルドア自身が現れる様子はない。

それどころか、不死鳥が運んできたものは……ただの『組分け帽子』でしかなかった。

 

「……ふふふ。あはははは! なんだ! ダンブルドアが君によこしたのは、その鳥と帽子だけか! ハリー! さぞ心強いだろう! 実に安心できたのではないかい! なら、君の力を見せてもらおうか! 君に聞きたいことは全て聞けたからね! 最後に『生き残った男の子』である君が、君の言う最も偉大な魔法使いからの贈り物でどこまで戦えるか見てみようではないか!」

 

やはりあの爺は耄碌したに違いない。まさかこんな鳥と帽子を送っただけで、ハリーが『秘密の部屋の恐怖』に立ち向かえると思うなんて……。もはやダンブルドアも恐れるに足らない。あれはもうただの老人でしかない。彼が偉大だった時代はもう終わったのだ!

 

僕は実に愉快な気持ちのまま振り返ると、サラザール・スリザリンの石像に向かって口を開いた。

 

『スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最も強きものよ。我に話したまえ』

 

僕がスリザリンの血統である何よりの証拠。偉大な魔法使いしか使いこなすことが出来ぬパーセルタングを使い、僕は……バジリスクを解き放った。

 

開かれた石像の口から、『秘密の部屋』に長年()()()()()()()()()怪物が這い出して来る。

 

この光景は何度見ても興奮を禁じ得ない。

人を一睨みで殺すことの出来る怪物。スリザリンの叡智によって造り出された、世界で最も偉大な事業をなすための道具。

それが今、僕の()()()()()()()にある。

 

やはり僕は特別な存在だ……。バジリスクという本物の怪物を、僕以外の一体誰が制御することが出来る? ダンブルドアでさえ不可能だ。

ダンブルドアさえも超越した、真に偉大な魔法使い。

 

それが僕……ヴォルデモート卿なのだ!

 

ダンブルドアはもう耄碌した。確かに、僕は彼のことを倒すべき敵として、僕が越えなければならぬ壁だと認識したことはある。事実彼にはいつも邪魔ばかりされていた。ハグリッドが犯人だと皆がいう中、唯一僕のやったことを見抜いていたのも彼だ。僕の優等生としての仮面は完璧だった。なのに、彼は僕と()()()()()()()()から僕のことを疑っていた。そして僕が怪物を使って女子生徒を一人殺した時など、彼はついに僕への警戒を隠すこともしなくなった。彼は忌々しいことに、いつも僕の真実を見抜いているような視線を送っていたのだ。

それがどうだ。今彼がやったことと言えば、絶体絶命のハリーに古ぼけた帽子を送っただけ。それどころか、彼は今でも違った物を『継承者』と誤認していることだろう。彼はハリーに、ダリア・マルフォイと戦うためにあの帽子を……。

 

『貴方のやっていることはただの誤魔化しだ!』

 

ダリア・マルフォイのことを思い出した瞬間、僕の陶酔した思考に一瞬のノイズが入り込む。

それは紛れもなく、先程ダリア・マルフォイが僕に言い放った言葉だった。

折角いい気分に浸っていたのに、一瞬余計なことを思い出したせいで興がそがれた。

僕はバジリスクが降りてくるのを横目に、そっと人形の方に目を向けた。

 

ダリア・マルフォイ……。今無様に床に転がっている人形は、おそらく未来の僕が造った存在なのだろう。自らの陣営の強化のために。

吸血鬼の他に一体何を混ぜ合わせたのか……。支離滅裂な言葉だったため今は想像するより他にないが、もし、僕の()()の想像が当たっているのなら……吸血鬼と混ぜ合わせたのは、他ならぬ僕の血の可能性がある。

未来の僕は……結局のところやはり僕なのだ。思考回路も僕と全く同じものだ。

なればこそ、もし吸血鬼の血を使って配下を創造するとすれば、自分であれば自らの血でその穢れを濯ぐだろう。もしくは僕の血を吸血鬼の血を使って穢すことで、僕に匹敵しないだけの特別性を備えた配下を創り出すかだ。

 

しかしそれが事実だとすれば……僕は僕自身を馬鹿にしていたことになる。

 

僕の血が入っているのなら、あれはマルフォイ家に相応しくないなんてことは決してない。

僕の中にあるスリザリンの血は、決して何物にも穢されることのない程の偉大な血だ。マグルの血が半分入ったくらいで色あせることはない。それ程に尊い血であるはずなのだ。

 

であるのに僕は……ダリア・マルフォイを純血に相応しくないと言った。

それは紛れもなく、僕自身に返る言葉でもあり……。

 

いや、何を馬鹿なことを考えているのだ。僕は何か致命的なことを考えそうになっている思考を無理やり断ち切る。

そもそも僕とは前提が違う。僕は人間であるのに対し、あれはそもそも人間などではないのだ。

 

そうだ。何を馬鹿なことを考えそうになっているのだ僕は。僕は偉大な()()だが、あれはそもそも人間でも、ましてや亜人ですらない。

あれはただの人形だ。確かに僕の血を一滴でも持っている以上、僕の配下を統率するだけの能力と資格はあるだろう。

だがそれだけだ。所詮は駒に過ぎない。僕の偉大さを世に知らしめるための道具。僕と比べるなど実に烏滸がましい話だ。

 

僕はかぶりを振ると、今度こそハリー・ポッターの方に振り返る。

未来の僕から二度までも逃げ延びた男の子。僕のように特別だからではない。ただその幸運だけで生き延びてきた男の子は……今はただ怯えた表情で立ち尽くしていた。

苛立った心が、それを上回る嗜虐心に塗りつぶされてゆく。

 

可哀想に……。僕から偶然逃げ延びてしまったばかりに、こんな恐怖を味わわないといけない。彼は赤ん坊の時に死ぬべきだったのだ。そうすれば、彼はこうして『バジリスク』に立ち向かう必要もなかった。恐怖もなく、何の苦しみもなく死ぬことが出来たのだ。

だから今度こそ終わらせてあげよう。君の母親の犯した()()()()、今僕が正してあげよう!

 

僕は湧き上がる嗜虐心のまま、床に降り立った『バジリスク』に()()()

 

『あいつを殺せ』

 

パーセルマウスであるハリーには、僕の言った言葉が分かったのだろう。ハリーは目を閉じた状態で、一目散にバジリスクとは反対方向に走り出した。

 

「ははははは! ハリー! さっきまでの威勢はどうしたんだい! 君にはダンブルドアの助けがあるのだろう! なら逃げずに『バジリスク』と戦いなよ!」

 

ハリーのあまりに無様な姿に、僕は思わず笑い声をあげる。

やはり彼が生き残ったのはただの偶然でしかない。こんな情けない少年に、僕の偉大な経歴が傷つけられたと考えると実に腹立たしいが……それももうすぐ終わる。ハリーはバジリスクに手も足も出ず、この『秘密の部屋』で死ぬのだ!

 

そう思い、今まさにハリーにその毒牙を突き立てようとするバジリスクを見やった僕の眼に……信じられないような光景が飛び込んできた。

 

何の役にも立たないと思っていた『不死鳥』の嘴が、バジリスクの眼に突き刺されていたのだ。

 

凄まじい悲鳴が『秘密の部屋』に響き渡る。どす黒い血を目から滴らせながら、バジリスクは苦痛にのたうち回っている。

滅茶苦茶に振り回される尾が偶然『組み分け帽子』をハリーの手元に弾き飛ばしているのを横目に、僕は再び苛立ちながら声を上げる。

 

『鳥にかまうな! 目が潰されたくらいで、僕の命令を果たせないとはどういう了見だ! お前は偉大なるスリザリンに()()()()怪物だ! 目が駄目なら臭いで探し出せ! はやくその小僧を殺せ!』

 

そう命じると僕はバジリスクから目を離し、地面に這いつくばっているハリーの方に視線を戻す。

……確かに、『不死鳥』は強力な助っ人だった。ダンブルドアが何を思ってあの鳥を送ったのかは知らないが、確かに無価値な存在ではなかったらしい。

だがこれで終わりだ。バジリスクの眼はつぶれたが、まだその強力な毒がある。あれに噛まれれば、ハリーは確実に死に至る。『不死鳥』で目は防げても、バジリスクの牙を防ぐ手段はない。

何故ならハリーはまったくの丸腰だか……ら……。

 

僕は目を見開きハリーを見つめる。

 

まさか、あり得ない。そんなもの今まで持ってなどいなかった! いったいどこからそんなものを出したというのだ!

 

僕が凝視する先、そこには『組み分け帽子』を片手に、()()()()()()()を構えたハリーが立っていた。

 

ハリーは丸腰などではなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

それは無我夢中の行動だった。

目を潰されたとはいえ、一切の安心は出来ない。バジリスクにはその巨大な体と猛毒がある。それらは僕を殺すには十分すぎる程のものなのだ。

僕は滅茶苦茶に暴れまわるバジリスクから離れながら、必死な思いで『組み分け帽子』を被った。

 

ダンブルドアが無駄なことをするはずがない。フォークスだってこんなにもバジリスクと戦ってくれているのだ。ならこの帽子にだって、何か意味があるはずなのだ!

 

僕は何か起こってくれと願いながら、帽子を深くかぶった。

 

そして……僕の願いは届くことになる。

突然帽子が重くなったのだ。先程まで何もなかったというのに、今は確実に帽子の中には何かがあった。

 

僕は即座に帽子を脱ぎ、帽子の中に手を突っ込む。果たしてそこには……何か細長いものが存在していた。

 

僕は手に触れたものを一気に引き抜く。これこそがダンブルドアの送ってくれた、それこそバジリスクにだって打ち勝つことが出来る武器に違いない!

 

その考えは正しかった。

中から出てきたものは()だったのだ。

しかもただの剣ではない。眩いばかりに光を放つ銀の剣。柄には卵ほどもあるルビーが埋め込まれたその剣は、持つものに勇気を与えてくれるような不思議な光と力を放っていた。

 

この剣なら、バジリスクを倒すことが出来るかもしれない!

 

剣に勇気を与えられた僕は立ち上がり、それを構えた。視線の先には、少し落ち着きを取り戻したバジリスクが鎌首をもたげている。

 

来るなら来い! 今の僕は逃げも隠れもしないぞ!

決意を胸に剣を構える僕に、バジリスクが口を大きく開き襲い掛かる。人一人くらいなら簡単に飲み込めると思える程大きな口が僕に迫る。

 

その口に向かって僕は……手に持った剣を突き立てた。

 

ズブリといった感触が手につたわる。視線を向けると……僕の高く掲げた剣が、バジリスクの口蓋に深々と突き刺さっていた。

 

『ぎゃあああああああ!』

 

バジリスクの悲鳴が再び響き渡る。口蓋を貫いたのだ。明らかに致命傷のはずだ! やはりダンブルドアの判断は正しかった! この剣はバジリスクだって打ち倒すことが出来たのだ!

そう勝利を確信した次の瞬間。

 

ブスリ

 

肘のすぐ上に強烈な痛みを感じた。目を向ければ、僕の腕にバジリスクの牙が一本深々と突き刺さっていた。

 

それは紛れもなく、バジリスクの猛毒を含んだ牙だった。

僕は確かにバジリスクに勝利した。でも、僕も無傷では終わらなかったのだ。

 

バジリスクが倒れ、僕の腕に折れた牙だけが残される。

 

『ぐが……。が……』

 

床に倒れ伏しただヒクヒクと体を震わせるバジリスクの横で、僕は剣を横に置いて突きたった牙を引き抜く。

体中が熱い。全身に毒が回っているのか、意識も段々と薄らいでゆく。

 

ああ……バジリスクには勝てたのに……。ジニーを救うことは……僕には出来なかった……。

 

満足感と後悔の入り混じった感情を胸に横たわる僕の視界に、うっすらと紅いものが見えた。

 

「フォークス……」

 

それは間違いなく、ダンブルドアが送ってくれたフォークスだった。薄らいでゆく視界の中見えたのは……フォークスが涙を流す姿だった。

 

「フォークス……ごめん……。せっかく君が……頑張ってくれたのに……。僕は……」

 

「ハリー。君はよく頑張った。まさかあのバジリスクを倒すなんて……。()()()()()()、君はよく頑張ったよ。しかし……それももう終わりだ。偉大なるヴォルデモート卿から逃げおおせた君も、ようやく終わる。寧ろ長すぎたんだ。十二年間も君は生き延びてしまった。その代償に、君はそうやって苦しみながら死ぬことになった。下らない母親を恨みながら死んでいくといい……。僕はここで君の最期を見届けさせてもらおう」

 

僕がフォークスに話しかけているのを遮り、酷く不愉快な声が聞こえた。

目を向けると、にやけた表情で僕の前に座り込むトムの姿が()()()()()見えた。

 

こんな奴に負けたのか僕は……。ジニー……ごめん。君をこいつから救えなかった……。

 

僕は段々と()()()()()()痛みの中、そう思いながら目をつぶろうとして……逆に目を見開いた。

 

痛みが消えた! それどころか、意識もはっきりとしてきている!

 

辺りを見回すと、視界も実にハッキリとしている。さっきまで死にかけていたというのに、一体何が!?

そう思い僕は牙が刺さっていた傷を見ようして……傷がなくなっていることに気が付いた。

 

「どけ! 鳥!」

 

トムの焦った声がした。

僕の杖をフォークスに向け何か呪文を放っている。トムは呪文をよけて舞い上がるフォークスを忌々しそうに眺めながら、低い声で呟いた。

 

「忘れていた……。そうだ。不死鳥の涙には癒しの力があるのだ……。まさかバジリスクの毒も消せる程とは……。くそ! 僕としたことが!」

 

トムは悔しそうに表情を歪めた後、僕の顔をジッと見つめながら続ける。

 

「だが結果は同じだ! バジリスクではなく、この僕自ら殺すのだから!」

 

そう叫んだかと思うと、トムは杖を振り下ろそうとした。

しかし、それは未遂に終わった。

どこかに舞い上がったと思っていたフォークスが、僕の前に何かを落としたのだ。

 

僕の足元に落とされたのは……トムの日記だった。

 

僕に迷いはなかった。それが当然のことであるかのように……僕はバジリスクの牙を掴むと、日記帳に()()()()()

 

効果は劇的だった。

日記に牙が突き刺さると同時に、トムが耳をつんざくような悲鳴を上げたのだ。

日記帳からインクがほとばしり、床の一部を黒く染め上げていく。その間にも、トムは悶え、苦しみ、悲鳴をあげながらのたうち回り……消えていった。

 

残されたのは、未だに苦しみの声を微かにあげているバジリスク、息も絶え絶えの僕、そして未だに床に倒れ伏すジニーとダリア・マルフォイだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「ジニー! 目を覚ましたんだね!」

 

目が覚めた時に聞いた第一声はそんなものだった。

 

確か私は……『継承者』に『失神呪文』をかけられて……

 

眼だけを開け周りの状況を掴もうとする私の耳に、先程とは違った声が届く。

 

「ハリー! あぁ! 私、何度も打ち明けようと思ったわ! で、でも、その度に、もしかして退学になるかもしれないと思うと……どうしても言えなかった! 私が……私が全部やったの! でも、そんなつもりはなかったわ! 全部トムがやらせたことなの! ト、トムは私に乗り移って……だ、だから……」

 

「分かってるよ、ジニー。全部分かってる。大丈夫。ジニーが()()()悪いことはしていないって、ちゃんと分かってるから」

 

どうやら私が寝ている間に状況は動いたらしい。先程から()()の声が一切聞こえてこず、尚且つこんな風に能天気な話が繰り広げられていることから、帝王はおそらくハリー・ポッターが倒したのだろう。先程から聞こえるのはポッターとウィーズリーの末娘の声だけだ。よく見れば、私のすぐそばに私の杖も転がっているのも見えた。

 

本当に愚かな男だ……。私が手を下すまでもなく、こんな少年に負けてしまうのだから。

あんな男が私を造ったなんて……本当に反吐が出る。彼はスリザリンの血をひたすら()()()()()()()()誇示していたけれど、私はそんなものいらない。私が欲しいのは、ただマルフォイ家の血なのだから……。

 

……さて、帝王が敗れた以上、私もいつまでも寝たふりをしているわけにはいかない。そう思い私はそっと起き上がろうして、

 

「もう大丈夫だよ、ジニー。ほら見てごらん! トムはもうこの通りおしまいだ! 日記を破壊したからね! それに、」

 

すぐに計画変更することとなる。意気揚々といった雰囲気で語るポッターから、私の絶対に容認できない言葉が飛び出したから。

 

「『バジリスク』もだ! ダンブルドアが送ってくれたこの剣のおかげで、バジリスクも倒すことが出来たんだ! だからもう、」

 

『ステューピファイ、麻痺せよ!』

 

私は即座に転がっていた杖に飛びつくと、私が起きていたことに驚き目を見開くポッターを()()()()

 

「ハリー! ダ、ダリア・マルフォイ、あなた、」

 

『ステューピファイ』

 

続けざまに何か話そうとした赤毛を黙らせた私は、すぐに辺りを見回して()()を探した。

 

そしてそれはすぐに見つかった。何故なら、それはあまりにも巨大な体をしているから。

 

テラテラとした毒々しい鮮緑色の体。樫の木のように太いその胴体はあまりに巨大で、探す必要もないくらいに目についた。

しかしその体には、以前見た時ほどの力強さはない。以前は力強く地面を這っていた体は、今はただ力なく横たわるのみだった。

 

バジリスクは……明らかに死にかけていた。

 

私は急いでバジリスクに駆け寄りながら叫ぶ。

 

『バジリスク! 生きていますか!? 返事をしてください!』

 

私は横たわるばかりのバジリスクに話しかける。

 

死んでもらっては困る。私はまだ答えを得ていない。私はあなたをずっと探していたのだ! 死ぬなんて結末は許されない!

私の本来の目的は下らない『継承者』なんかではない。私のずっと探してきたのは、この私と同じ怪物なのだ。

だからお願い……私に答えを……。貴方が、いや、私が一体何者であるのか教えて……。

 

そしてそんな私の願いは叶うことになる。

 

『……だ、誰だ? お、俺に、()()()()……パーセルタングなんぞで……話……かけるのは……?』

 

『生きている! よかった! なら死ぬ前に教えてください! ()()()()人を殺したいという衝動はあるのでしょう? それは何故ですか!? 本能からくるものですか? それとも理性からくるものですか? 貴方も私と同じく造られた存在だ! だから、貴方には分かるはずです! 怪物とは何かを! 私達が生まれた意味を! 私達が一体、どういう存在であるかを!」

 

同類と話すことで、私は自分自身のことを少しでも理解できる。私が一体何者であるか、そして家族と一緒にいても大丈夫な存在であるかを。

そう思い、私はずっと願っていた。

私と同じく造られた怪物。そんな同類と話をする機会を得ることを。

 

そして叶った。私はようやく、探し求めていた『バジリスク』と話すことが出来たのだ。

 

 

 

 

でも……私が得たのは、話をする機会だけだった。

何故なら……

 

『小娘……。一体……何を言っている……のだ……? 人を殺したい衝動……? そんなもの……』

 

彼の答えは、私には酷く残酷なものだったから。

 

『俺には……()()……』

 

 

 

 

目を僅かに見開く私のずっと高い場所、それこそ見上げなければ気が付かない場所を、紅い鳥が旋回していた。

 



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蛇と怪物

 ダフネ視点

 

「ドラコ。私はダリアの所に行くよ」

 

下らない議論に紛糾する談話室の中、私は静かに立ち上がりドラコに告げた。

 

私はずっと待っている()()()()()

待って、待って。ただ待って、待ち続けて。ただ漫然とダリアの帰りを待ち続けているだけだった。ダリアが再び平穏な気持ちでいられることを、私はただ待ち望むだけ。そんなの、もう何もしていないのと同じことではないか。

 

生徒の眼がある? 先生の監視がある? ダンブルドアが警戒している?

 

そんなもの、ただの言い訳でしかない。ダリアは苦しんでいたのだ。誰も味方はおらず、皆の警戒の中独りぼっちで俯くダリア。それなのに、私が行動しないなんて本来は許されなかった。許せなかった。許していいはずがなかった。

私はもっと知恵を絞るべきだったのだ。どんなことをしても、()()()()()使()()()()、どんなに憎まれることをしようとも、私はまず行動を起こすべきだったのだ。

 

それなのに私がしたことと言えば、ただダリアを待つことだけだった。

 

だからダリアは消えた。『継承者』に『秘密の部屋』へと攫われる……そんな考えうる限りで最も最悪な形で。私が行動出来なかったばっかりに……。

 

もう時間はない。

私にはもう悩んでいることすら許されない。私は今度こそ行動を起こさなければならない。ダリアを救うために、私は今度こそ手段を選んではならない。

幸いなことでは決してないけれど、生徒の眼、先生の監視、そしてダンブルドアの警戒も今はダリアには向いていない。それらが届かないような場所に、ダリアは連れていかれてしまったのだから。

 

勿論、それ以外にもまだ問題が山積みなのは分かっている。でももうダリアに、そして私にも、そんなことを気にする余裕はないのだ。

 

『秘密の部屋』がどこにあるか分からない?

そんなもの言い訳にもならない。分からないのなら、学校中をくまなく探せばいい。何のために、私には二本も足が付いているというのだ。たとえ足が引きちぎれようとも、私は絶対に『秘密の部屋』を見つけ出して見せる。

 

部屋には伝説の怪物、一睨みで人を殺せるという『バジリスク』がいるかもしれない?

そんなこと関係ない。どんなに危険な生き物がいようとも、ダリアがそこにいる以上私は行かなくてはならない。たとえ私が死ぬことになったとしても、ダリアを独りっきりなんかにしない。

 

『バジリスク』だけではなく、未だ正体の分からない『継承者』がいる?

それこそ言い訳にならない。寧ろ望むところですらある。どうせダリアに隠れて行動していたような奴だ。ダリアが負けるはずがないし、私もそんな奴を五体満足な状態で部屋から出すつもりはない。ダリアに罪を着せようとしたこと。必ず報いは受けさせてやる。

 

私はそんな決意を胸に、ドラコに別れを告げた。

 

これが最後に見るドラコの姿かもしれないのだから。

 

上手く『秘密の部屋』にたどり着く可能性は極めて低い。でもそれ以上に、『秘密の部屋』にたどり着けた私が帰ってこられる可能性の方が低い。

だからドラコを連れて行くわけにはいかない。ダリアを探しに行くのは、私一人で十分だ。

 

しかし、どうやらドラコに私の思いは伝わらなかったらしい。

ドラコは私の宣言を受け、ただ一つ頷くと、

 

「……そうか。そうだな。僕は何をここで待とうなんて腑抜けたことをしようとしていたんだろうな……。行くか……ダリアのところへ」

 

そう言って立ち上がり、そのまま談話室を出ていこうとしていた。

……どうやらドラコもついてくるつもりらしい。

私は慌ててドラコを止める。

 

「ちょっと待って、ドラコ! ドラコはここに残っていて!」

 

「……お前は何を言っているんだ?」

 

ドラコは怒りに燃える瞳で、私の方に振り返った。

 

「僕はダリアの兄だ! 僕が行かないで誰が行くっていうんだ! 僕は、」

 

「だからだよ、ドラコ。貴方がダリアのお兄さんだから。だから貴方は行くべきではないんだよ」

 

私はドラコの叫びを遮り、ただ淡々と事実だけを告げた。

 

「ダリアの兄である貴方は、今この学校でダリアの次に警戒されている人間だもの。皆ダリアが攫われたっていうのに、未だにダリアが『継承者』だと思っているみたいだからね。本当に……愚かだよね」

 

私は周りで頻りに議論している連中を一瞬見やった後続ける。

 

「もし貴方が今ここからいなくなれば、先生達は全力で私達を探すよ。『継承者』であるダリアと合流しようとしてる……そんなことを()()()()()。そうなれば、ただでさえ低い『秘密の部屋』に辿り着ける可能性がもっと低くなってしまう。だから、ドラコはここに残っていて」

 

きっと今も、先生達は城の中を巡回しているはずなのだ。それをこれ以上強化されては困る。

でもドラコは未だに納得出来なかったらしく、

 

「……だが……それでも……。それでも、僕はダリアの兄なんだ。ダリアが苦しんでいる時に……ダリアが危険な目にあっている時に、ただ待っているだけなんて耐えられるわけがないだろう」

 

ドラコは拳を固く握りしめながら呟いた。

理性では分かっているのだろう。自分がここを離れる意味を。自分が今ここを離れてしまえば、ただでさえ低い可能性が限りなくゼロになってしまうことを。

 

でも、それでも、ドラコはどうしようもなく家族のことを、()()()()()()()愛しているのだ。理屈なんかでは抑えられない程、ダリアのために行動したいという感情が強いのだ。

だから私は……酷く冷たい声で言い放った。そうしなければ、ドラコは決して折れてはくれないから。ダリアを救う可能性がなくなってしまうから。

 

「ドラコ……残念だけど、ここで待ってるのが貴方の出来る唯一のことだよ。貴方が来ると()()()()()なの。先生達の警戒が強くなることだけじゃないわ。たとえ『秘密の部屋』にたどり着けたとしても、貴方に出来ることは何一つない。寧ろ邪魔なの。ピクシーにすら対応できない貴方が、『バジリスク』を相手に出来るはずがないでしょう?」

 

自分が酷く矛盾していて、尚且つ酷く残酷なことを言っている自覚はある。

バジリスクを相手にする。そんなこと、私にだって出来るはずがない。グレンジャーが暴いた『秘密の部屋』の怪物。バジリスクは一睨みで人を殺すことが出来る怪物だと聞いている。そんなものに対応出来るのは、生徒の中ではダリアくらいなものだろう。私などが相手をするなんて愚の骨頂だ。ドラコよりはましだろうけど、『バジリスク』の前では二人の差にさほど意味はないだろう。同じく無力な人間でしかない。殺すために必要な時間が、一秒から二秒になるだけだ。

それなのに、私はドラコには待つことを強要している。ドラコだって、待つだけはもう嫌だ、そう思っているはずなのだ。ダリアに対する思いで負けているつもりなんてないけど、それでもドラコはダリアのお兄さんなのだ。残っているだけなんて我慢できるはずがない。私だって我慢できない。

 

でも……それでも私は、ドラコを連れていくわけにはいかない。ダリアを迎えに行く。その可能性を少しでも上げるためには、もう手段なんて選んではいられないのだから。

 

私は少しだけ口調を和らげながら、こちらを涙を流しながら睨みつけるドラコに続けた。

 

「ダリアのことだから、攫われたからといって『バジリスク』に大人しくやられているとは思えないよね? 私が『秘密の部屋』にたどり着いた時、ダリアのことだからもうすでに『バジリスク』を倒しているかもしれない。でも、もしダリアがまだ戦っている最中だったら? ダリアが戦っている時、もし兄である貴方がその場にいたとしたら? 貴方は確実に足手まといになってしまう。ダリアは貴方を絶対に見捨てることなんてしないから。でも、私は違う。私ならいざという時、ダリアは()()()()()()()()()()。私なら、ダリアの足手まといにならずに済むの。だからドラコ……お願い、ここに残って。貴方には、ここでダリアを迎えるっていう大事な役目をしてほしいの」

 

少しの()を織り交ぜた私の言葉を受け、ドラコは少しの間悔しそうにこちらを睨みつけていたが……ややあって脱力したようにソファーに沈み込んだ。

涙をぬぐいもせず、ドラコは談話室のゴツゴツした天井を仰ぎ見ながら話し始めた。

 

「お前は酷い奴だ……。兄である僕に、ここでダリアを待てなんて……。お前は酷く残酷で、狡猾な奴だ……。でもそれ以上に……僕はなんて惨めな奴なんだろうな……」

 

ドラコは表情を悔しさに歪ませながら続ける。

 

「お前の言ったことは()()()()が事実だ……。お前の言う通り、僕が行ったとしても何も出来ない。いや、それどころか足手まといにすらなってしまう……。僕がそれを認めなければ、ダリアの助かる可能性が下がってしまう。それなら、僕は認めるしかないじゃないか! ……僕にもっと力さえあれば。僕にもっと、ダリアの役に立てるような力さえ備わっていれば!」

 

そう叫んだかと思うと、ドラコはテーブルに血が滲むほど強く拳を打ち付けた。

周りの生徒が一瞬こちらを見やるが、すぐに視線を元に戻した。『継承者』の親族の怒りに関わりたくない。そう言いたいのだろう。

 

ドラコは拳を打ち付けた体勢のまま、長い長い溜息を一つつき、私に静かに告げた。

 

「行け……。僕はここで教師共の注意を引き付ける。それは兄である僕にしか出来ないことだからな。でも、絶対に忘れるな。必ずダリアを連れ戻してこい。僕にここで待てと言ったのはお前だ。お前の口車に乗ってやったんだから、失敗なんて絶対に許さない。絶対にダリアを連れ戻してこい。それが出来なければ……僕はお前を絶対に許さない」

 

こちらを血走った目で睨みつけるドラコに、私はただ頷く。言葉はいらない。もとより私もそのつもりなのだから。ダリアを連れ戻せなかった私を、ドラコが許さないまでもなく、私自身が許さない。

私は頷くとすぐに談話室の出口を目指す。

ドラコを説得するためとはいえ、随分と時間を使ってしまった。もう時間は無駄に出来ない。ダリアのために。そして……ここで待ってくれることを承諾してくれた、ドラコのためにも。

 

だから当然、

 

「……お前は本当に狡い奴だよ。ダリアがお前なら見捨てることが出来る? 馬鹿も休み休み言え。ダリアがお前を見捨てるわけなんてないと……お前も知っているはずだ。本当にお前は……狡猾なスリザリン生に相応しい奴だよ」

 

後ろから聞こえたドラコの呟きを無視し、そっと談話室を後にしたのだった。

 

 

 

 

これが、私が偶然にも、何か『秘密の部屋』のことについて知っているに違いない4人組を発見する、たった数分前の出来事だった。

 

私はもう……手段を選ばない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

『……何を言っているのですか? こんな時に冗談はやめてください』

 

息も絶え絶えのバジリスクの言葉に対し、私は静かに話し始めた。

 

『貴方に衝動がない? そんなはずがないでしょう? 貴方も私も、人を殺すためだけに造られた怪物だ。なら私にはあるものが、貴方にないはずなんてことはあり得ない。私達はそういう風に造られているのですから』

 

彼はサラザール・スリザリンによって。そして私は、先程までここにいたであろう『闇の帝王』によって。私達は彼らによって、ただ邪魔者を殺すという目的のためだけに生み出された存在だ。

なら違いなどないはずだ。いや、()()()()()()()()。あっていいはずがない。

 

『さあ、勿体ぶらずに()()()()()()()。貴方は一体どのような存在なのですか? 私と同じこのどうしようもない衝動を抱えて、一体どのようにして今まで生きてきたのですか?』

 

私は捲し立てるように尋ねる。先程から、少しずつバジリスクの息遣いが静かなものに変わりつつある。もはや時間はない。バジリスクが死ぬ前に、私はどうしても答えを得なければならない。彼から紡がれた言葉の中から、私は自分自身が一体何()であるのかを理解しなければならない。

 

それに……このどうしようもない殺人への憧憬を抑えこむ方法を、あるいは彼なら知っているかもしれない。

 

私は期待を込めて、今まさに死にゆこうとしている『バジリスク』を見つめる。

はやく……はやく私に答えを教えて。少しでもはやく、どうか私を安心させてほしい。私達の持つこのどうしようもなく悍ましい感情が、決して()()()()()ではないのだと。そして私達のような怪物でも、大切な人と共に過ごすことはできるのだと。

私はそんな思いを胸に、今にも死にそうなバジリスクを急かすのだった。

 

そして紡がれることになる。息も絶え絶えに、バジリスクはまるで()()()()()()()()()()()言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

でもそれは……私の思っていたものとは全く異なるものでもあった。

 

 

 

 

『俺が一体……何を考えて生きていたか? それをお前ら……パーセルマウスが尋ねるのか……? ふざけるな……。俺は……お前らのパーセルタングのせいで……今まで一度として……()()()()()()()()()

 

彼の言葉は、紛れもなく怒りに満ちたものだった。

 

『俺はずっと……眠らされていた……。スリザリンに造られた……その瞬間からずっと……。一度だけ起こされたことがあったが……。それも一瞬だった……。すぐにまた、あいつは俺に……『パーセルタング』なんぞで話しかけやがった……』

 

ただ黙って話を聞く私に、彼の怒りの声は続く。

 

『俺には魔法がかけられている……。『パーセルマウス』は本来なら……ただ俺たち蛇と話が出来るだけだ……。だが……俺は違う……。俺は……スリザリンの血が入った人間の命令を聞くように……そう生まれながらに強いられている……』

 

私はあまりの事実に、その場にへたり込む。

 

彼の殺意は……彼の物ではなかった。

 

私は立っている気力も失い、地面にただ蹲る。

それでも尚バジリスクの言葉は止まらない。致命傷を負っているだろうに、彼は無理やり言葉を吐き出し続ける。何故なら……私がそう命じたのだから。

私にはマルフォイ家の血は一滴もなく……ただ()()()()()()()と吸血鬼の血だけがあるのだから。

 

それが紛れもなく、彼の紡ぐ言葉が真実であることを示していた。

 

彼は苦しそうに言葉を続ける。

 

『だから……俺は一度として人を殺したいと思ったことなどない……。あったのはどうしようもない空腹感と……命じられた人間を殺さなくてはならないという……()()()だけだ。人を殺し()()という衝動……? そんなもの……俺にはない……。お前らに植え付けられた義務感に従って……俺はただ見ろと言われたものを見ただけだ……。そして俺が見た瞬間……お前ら人間が勝手に死んだだけだ……。面白くも何ともない……。俺は……己の視界に入れるものですら……お前らに『パーセルマウス』に決められていたんだ……!」

 

そう言い切ったきり、バジリスクは血を吐くと、再び荒い息を繰り返すだけになった。しゃべり続けさせられたせいで、余計に寿命が縮んだのだろう。先程以上に彼の呼吸は荒く、そして静かなものだった。見るからに、彼の命はもうほんの僅かなものだった。

 

でも……私には、()()()()()()気にする余裕はもはやなかった。

 

私は答えは得たのだから。……ただ私()()が怪物であるという、そんなどうしようもなく残酷な答えを。

 

予感は……確かにあった。

バジリスクを追い求めていた時だって、その可能性がまったく頭をよぎらなかったと言えば噓になる。でも認めるわけにはいかなかった。認めたくはなかった。

だから藁にも縋る思いで、ただひたすらにバジリスクを追い求めていた。答えを得ることで、少しでも早く安心感を感じるために。

 

そうでなければ……私は自分のことがもっと嫌いになってしまうから。

 

私はその伝説を昔から知っていた。

 

『秘密の部屋』の恐怖。『継承者』が『秘密の部屋』を開いた時、それを使ってホグワーツに相応しくない生徒、つまりマグル生まれの子を追放するという。

 

『恐怖』バジリスクのことだと知った時、私は疑問に思った。バジリスクという怪物が、何故そんな()()()価値観に従っているのだろうか?

バジリスクが真に人を殺すことを楽しめる怪物であるのなら、『マグル生まれ』とは言わず、そこら辺の生徒を片っ端から殺していけばいい。バジリスクにとって、学校にどんな生徒がいようと関係ないはず。『秘密の部屋』に閉じ込められていたと仮定しても、部屋自体は今年ずっと開かれていたのだ。事実一時はそこら中で彼の声を聞くことは出来た。誰だって襲える状況であるのに、彼はそれでも頑なに『マグル生まれ』だけを襲っていた。今年に限れば、ゴースト、猫、そして()と、人間ではないものも交じってはいたが、それでも彼による人間の犠牲者は、やはり『マグル生まれ』だけだった。

 

その事実に、私は希望を持った。

『マグル生まれ』を追い出すために『バジリスク』を造ったのなら、『純血』の生徒まで襲う可能性のあるバジリスクを使うのは危険すぎる。だからサラザール・スリザリンは、バジリスクにあるであろう殺人嗜好を抑える手段を持っていたのだろう。()()()()()()()()()()()()『バジリスク』を制御下に置く方法を、スリザリンは何かしらの方法で残していたのだろう。

 

若しくは、()()()()()()()()自分を自制する能力が備わっているのだろう。

 

そう思い、私はずっとこの可能性から目を逸らしていた。答えを『バジリスク』が持っている。私は『バジリスク』と出会うことで、ようやく答えを得ることが出来るのだと。そう安直に思い込もうとしていた。一番楽な手法で、一番能天気な考えに縋りつこうとしていた。

 

そして……私は真実に裏切られた。私の能天気な希望は、残酷な現実によって一閃された。

確かにバジリスクが制御下にあったという事実は間違いではなかった。

でも、前提が違った。バジリスクは……そもそも誰かれ構わず殺そうとする怪物ではなかったのだ。

 

彼は……人を一睨みで殺せる能力をもっただけの……ただのとてつもなく大きな()でしかなかった。

私とは違い……人を殺すことに喜びを見出す怪物などではなかった。彼が人を殺すのは、彼の本能でも、ましてや彼の意志でもなかったのだ。

 

ああ……なんということだろう……。

 

私は『バジリスク』から聞こえる荒い息遣いを横目に、ただ湿った地面を見つめながら思う。

人を殺すために造られた怪物である私は、どうしようもなく人を殺すことに喜びを見出している。それは私という存在が、『闇の帝王』にそうあれと造り出されたから。造られた怪物というものは、皆須らくそういう存在であるべきなのだと……私はずっと信じて疑わなかった。

だからバジリスクの存在を知った時、私は期待した。このどうしようもない衝動を持っているのは、この世界に私だけではない。私は独りぼっちなんかではない。そう思い込もうとした。

 

でも違った。

 

私はこの世界にただ一人の怪物であり、バジリスクは怪物ではなかった。私は……世界に独りぼっちの怪物だった。

 

しかも……彼の言葉が示した真実はそれだけではない。

『バジリスク』のこと以上に、私は酷い思い違いをしていた可能性すらある。

 

私は……一体どうして人を殺すことが楽しいと思っているのだろうか?

私が人を殺したいと望むのは……別に『闇の帝王』の()()ではないかもしれない……。

 

私はずっと信じていた。この悍ましい感情を持っているのは、決して()()()()()()()()()のだと。ただそうあれと造られたから。創造主が、私達をただ悍ましく造ったからなのだと。

それでも私達は、この恐ろしい感情を制御できるかもしれない。創造主の望むあり方ではなく、自分自身の意志で、自分の最も大切な人達の()()()存在できるようになれるのだと……私は心のどこかで信じていたのだ。

 

でも、バジリスクも私と同様の目的で造られたというのに、彼には私と同じ悍ましさはなかった。

私と同じく、人を殺すために造られたというのに……。

 

この事実が導く答えは一つだけだ。

 

……私がこんな悍ましい物であるのは、『闇の帝王』がそうあれと造ったからではなく……()()()()ただ最初からそういう化け物であったからなのだ。

『闇の帝王』はただ私の肉体を造っただけ。『闇の帝王』は全く関係ない。

私がこんなにも恐ろしい心を持っているのは、私の()がそういうものだったからなのだ。

 

つまり……私がこんなにも悍ましいのは……誰のせいでもなく、ただ()()()()()()()()()()()

 

「ああああああ!」

 

自然に嗚咽が漏れる。

胸が苦しかった。心が張り裂けそうで、私は自分の胸を搔きむしりながら蹲る。

 

「嫌! 嫌です! どうしてこんな! 私は、もう()()()()()()()()()()! な、なんでこんなことに……。私はただバジリスクに出会えれば……それで答えを得られると……そう思っていたのに。なのに私は……。大好きな人達と一緒にいることも出来ない! だって私は……()()()()……。誰かにそうあれと造られたとか……そんなことはなかった……。私が悍ましいのは……最初から私が……」

 

こんなことなら、私は最初から知りたくなどなかった。こんな救いのない答えを、私は求めていたわけではない。

私はただ、大切な人達と一緒にいたかっただけなのだ。それ以外、私は何一つ望んではいないはずだった。

 

それなのに私が得たのは……私が知ったのは、ただ自分がどこまでも悍ましい生き物であるという、たったそれだけの事実だった。

 

私は胸の内から湧き上がる悲しみに、ただ言葉にならない嗚咽を漏らす。

 

そんな私に突然、

 

『……うるさいぞ、小娘……。最期くらい……静かにしていろ……』

 

横から声がかかった。

それはもはや虫の息になっていた『バジリスク』のものだった。

目を潰され、のどを貫かれたのか頭と口から血を垂れ流している彼は、もはや最後の力を振り絞って話していた。

 

最期の瞬間を、せめて静かに過ごすために。

今まで縛られていただけの生から、最後の瞬間だけ解放されるために。

 

『俺は今……とても気分が……いいんだ……。だから……お前は黙っていろ……。忌々しいお前ら……スリザリンの人間の声なんざ……最期に……聞いていられるか……』

 

私はそっとバジリスクを見やる。

よほど痛むのだろう。よほど苦しいのだろう。スリザリンの血を持つ私に反抗的な態度をとってこそいるが、その実あまり余裕はないことが分かる。時折せき込むように血を吐いている。よく見れば体のあちこちが痛みに耐えるように痙攣すらしていた。

 

『……そうですね。貴方の今までの生を考えると……私の声なんて聴きたくもないでしょうね……。私と違い、貴方は『怪物』でもないみたいですしね……。最期くらい、穏やかに逝きたいのでしょうね』

 

悲しみを胸に無理やり押し込めながら、私は静かに立ち上がり尋ねる。

どんなに望んではいなかった答えでも、彼は苦しみながらでも応えてくださった。

スリザリンがバジリスクを部屋に閉じ込めてから1000年。彼の言によると、彼はその生のほぼ全てをこの部屋の中で過ごしていたのだろう。何をするまでもなく、()()()()()()()()()、ただ漫然と『継承者』を待たされる日々を過ごしていたのだろう。

 

それなのに、私は彼に答えを強要してしまった。苦しかっただろうに、彼はそれでも私に答えをもたらしてくれた。

 

何の救いもない、残酷な答えを。

 

私は純粋な()()()からバジリスクに声をかける。

 

『……苦しいのでしょう? 楽にして差し上げましょうか?』

 

真っ黒な杖をゆっくりと持ち上げる私に、バジリスクは即座に応えた。

その声には私への怒りと同時に、どうしようもない喜びが満ちていた。

 

『断る! 俺は今まで……お前らに強制されるだけの生だった……。最期の瞬間くらい……俺自身が決める……。どんなに苦しくても……俺は今確実に()()()()()のだから……』

 

そう言ったきり彼は再び黙ってしまった。しゃべる余裕がいよいよ無くなったということもあるだろうが、それだけが理由ではないのだろう。

 

彼は話すのを止めたのだ。一瞬でももたされた自由を謳歌するために。彼は……死ぬ瞬間しか、自由に生きることを()()()()()()()()()()()()()()

 

そんな彼の在り方を理解して私は、せめてそれだけは、私と()()()()()()()()()()()()……無責任に考えていた。

 

 

 

 

……結局、これだけの致命傷を受けておりながら彼が死んだのは、それから少ししてからのことだった。1000年も生きる彼の生命力が、彼の苦しみを長引かせてしまったのだろう。

彼が満足していたのは間違いないが、それが良かったことなのか分からない。

 

かくいう私は、段々と静かになっていく息遣いを聞くしか出来なかった。

私は人を殺すことは得意でも、見るからに致命傷を負っている生き物を癒すことは出来ないのだから。

 

こうして、1000年もの間ホグワーツ魔法魔術学校の伝説であり続けていた『バジリスク』は死んだ。

 

 

 

 

そしてやはり私は……そんな彼の死を受けながら、どこか心の中で()()()()()()()()()残念に思っているのであった。

 

部屋に残されていたのは、倒れ伏すポッターとウィーズリーの末娘。

そしてただの『バジリスク』の死体。

 

立っていたのは……『怪物』である、私だけだった。

 




次回救済回


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優しい怪物(前編)

ダリア視点

 

……たとえば月明りに照らされた書庫。

月明りに照らされた本を読む私に、お母様が優しく話しかけてくださった。

いつだってお母様は、私を愛する家族の団欒へといざなってくださった。

 

……たとえば人が集まる駅のホーム。

離れ離れになることを悲しむ私を、お父様は優しく撫でてくださった。

私に甘いお父様が、やはりどこまでも私に甘く、お母様に抱かれる私をそっと撫でてくださった。

 

……たとえば雪の降りしきる庭。

自身の生い立ちを知り打ちひしがれる私を、お兄様は優しく慰めてくださった。

いつだってお兄様は、私が傷ついている時に寄り添ってくださっていた。

 

目を閉じれば、今まであった何気なくも、本当に掛け替えのなかった光景が数えきれない程脳裏に浮かんでくる。

 

美しい家族だと思った。

上品に微笑むお母様。どこか素直でない笑みを浮かべるお父様。そしてお父様にそっくりな、でもどこかお母様の優しい微笑みをも感じさせる笑みのお兄様。

マルフォイ家の日常は心地よく、どこまでも美しい光景だった。

私は断言できる。マルフォイ家こそが、この世界で最も偉大な家族であると。マルフォイ家以上に優しく、そして美しい家族などどこにもいないのだと。

 

だというのに……美しい日常の光景は、私という存在によってどうしようもなく穢されていた。

 

あんなに美しかったのに……。心の中に大切に仕舞っていた数えきれない程の思い出が、今は酷く汚らしいものにすら思える。

美しい家族の日常。その中に、どうしようもなく悍ましい怪物が紛れ込んでいたのだから。

 

人間の姿をしておりながら、人ならざる()を持った怪物が。

殺人という悍ましい行為を、()()()楽しむような怪物が……人の姿をして、美しい家族の中に紛れ込んでいたのだから。

 

嘘みたいに幸福だったのに。()()怪物である私を、それを知っても尚愛してくれていたのに。たとえ血が繋がっていなくとも、私がマルフォイ家の中にいていいのだと言ってくれていたのに。

 

私は体だけではなく、心も怪物のそれであったのだ。

 

だからもう……私は家族の元へ、大切な人達の元へは帰ることが出来ない。いや、帰ってはいけない。

私がどんなに家族を愛していようとも、私はただの怪物なのだ。()()()()()()()()()()を、これ以上大切な人達の近くに置いておくことなどできない。

 

バジリスクに託した望みも、もう幻でしかないのだから。私を救える同類など、この世に最初から存在しなかったのだから。

 

「あぁ……もう私には、どこにも居場所なんてないのですね……」

 

縋っていた希望がただの妄想でしかなかったと知った私は、虚ろな目でバジリスクの死体を眺めながら呟く。

当然、いくら見つめても応えはない。彼はやっと自由を手に入れ、そしてその短すぎる自由を胸に死んでいったのだから。それにたとえ応えたとしても……決して私の望む答えは得られないだろう。

彼はただの『バジリスク』であって、私と同じ『怪物』ではなかったのだから。

 

私はこの世界にたった一人の怪物だったのだから。

 

何をする気にもならない。もう全てのことがどうでもいい。マルフォイ家と共にあれない、家族に愛されない人生など、何の価値も見いだせない。

夢のように幸せだった日々は酷く遠いものになり、怪物である私に残されたのは、ただ失ってしまった虚しさと悲しみだけだった。

 

「これからどうしましょう……」

 

私は自分の愚かな呟きを、即座に鼻で笑った。

口から出た言葉とは裏腹に、もうすでに私の心は決まっていたのだ。……何をする気力がなくとも、私がすべきことだけは分かっていたのだ。

 

マルフォイ家と一緒にいられないのなら、私が生きている意味はない。『闇の帝王』が私を造ったのだとしても、この命はマルフォイ家のものなのだ。

 

だから私は……家族を()()()()()()()()()、そっと杖を()()()()に向けた。

 

私が人殺しを望むのなら、その望みを叶えてやろうではないか。マルフォイ家を傷つけてしまう前に。

あの美しい家族に、こんな怪物はいらない。あの美しい光景を、これ以上穢してなるものか。

 

恐れはない。迷う必要もない。方法も知っている。それこそ()()()()()

私は記憶に残る大切な人達の笑顔を思い浮かべ、そして、

 

自分を殺そうとする時は、特に楽しいとは思わないのですね……。やはり……私は人ではないからだろうか。

 

そんな益体のないことを最後の最後に考え、()()()()()()を唱えようとした。

しかし、

 

「ダリア!」

 

決してこんな所で聞こえるはずのない声に私は思わず振り返った。

果たしてそこには私の予想通りの人物、私の大切な人に()()()()()()()女の子……ダフネ・グリーングラスが立っていた。

 

私は突然な出来事に、思わずずっと避け続けた瞳に目を合わせてしまう。

 

 

 

 

……たとえば本棚が立ち並ぶ図書室。

本からふと視線を上げると、彼女もこちらに視線を上げていた。視線が交差した私達は、何だか無性に可笑しくて小さく笑いあった。

思えば彼女の視線はいつも親し気で……そして温かかった。

 

いけないことなのに。秘密しかない私には、彼女に大切に()()()()()()()、彼女を大切に()()()()()許されなかったのに。それでも私は、いつの間にか彼女のその優し気な瞳が大好きになってしまっていた。

 

そして今も……彼女は変わらず私の大好きな視線を送りながら叫んでいた。

 

その瞳には、私がずっと恐れていたような、私への恐怖は欠片ほども存在しなかった。

 

「ダリア! 迎えに来たよ! 一緒に帰ろう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダフネ視点

 

彼ら4人組を見つけたのは、本当にただの偶然だった。

談話室を飛び出したのはいいものの、特に『秘密の部屋』の目星がついていたわけではない。巡回しているかもしれない教師達に見つからないよう気を付けながら、取り合えず第一の事件現場にでも行くかという軽い気持ちで三階廊下を歩いている時……私は彼らを見つけたのだ。

 

彼らは私と同じく、今ここには絶対にいるはずのない存在だった。

ポッター、ウィーズリー。あと、何故かポッターに杖を突き付けられながら歩く無能教師。

 

そして……怪物の正体を見事に見破った、ハーマイオニー・グレンジャー……。

 

明らかに尋常ではない様子の4人組が視界に入った時、私は咄嗟に物陰に隠れて彼らの様子を窺った。

こんな状況で、そしてこんな場所で出会った、明らかに様子のおかしい人間達。

 

『秘密の部屋』について何か知っているのは火を見るよりも明らかだった。

 

「私は本当に……運がいいみたい」

 

私は女子トイレに駆け込む4人組を眺めながら呟く。

もしあの集団が、グレンジャーを除いた三人組であったのなら、私は特に何も思わずこの場を早々に後にしていたことだろう。無能教師は勿論、ポッターやウィーズリーに『秘密の部屋』がどこにあるかなど探し出せるはずがない。

でも、彼らには今グレンジャーがいる。怪物の正体が『バジリスク』だと見破ったグレンジャーのことだ。ダリアを無自覚に追い詰めたことはともかく、彼女になら『秘密の部屋』の在処など簡単に見破れてしまえる能力があるのは間違いなかった。

 

そして私の予想は当たっていた。

 

しばらくブツブツ聞こえていた声が消えた時、私がトイレに突入して初めに目にしたものは……大人一人が滑り込めるほどの、大きな穴だった。本来そこにあるはずの蛇口は消え、絶対にあるはずのない穴だけが目の前に開かれていた。

この穴こそが……『秘密の部屋』の入り口であることは疑いようがなかった。

 

なら……私が取るべき行動は一つだけだ。

 

この下にどんな光景が広がっているかは分からない。辺りに見当たらないことから、グレンジャー達は皆ここを下りて行ったのだろう。無事に降りられたのならいいが、そうでない可能性も十二分にある。『秘密の部屋』には『バジリスク』がいるのだ。彼女達がもう食べられてしまった可能性すらある。そして、今ここを下りようとしている私も……。

 

でも、そんなことは関係ない。

 

私は何のためらいもなく、トイレに不自然に開かれた穴の中に飛び込む。

私は……もう待つことは止めたのだから。

 

長い長いトンネルを下りた先……そこには、暗くジメジメした空間が広がっていた。

急に出口になっていたため私は咄嗟に受け身を取れず、盛大に尻餅をついてしまった。

 

ドスン!

 

辺りに酷く大きな音が鳴り響いた。私は慌てて辺りに杖を向けながら警戒する。

ここはもはや安全地帯とは言えない。ここにはバジリスクは勿論、私より先に降りたであろう4人組もいるのだから。

しかしどうやら、私の警戒は杞憂だったらしい。辺りを見回しても、バジリスクも、そして馬鹿4人組もいない。

私はほっと溜息をつきながら杖を下すと、なるべく足音を立てないように気を付けながら前に進み始めた。

 

焦りは禁物なのは分かっている。でも、これ以上ダリアを独りぼっちにしておきたくない。

そんな焦りと共に、私は先を出来る限り急ごうとして……出来なかった。

 

……私の歩みはあまり長くは続かなかったのだ。

 

ドーン!

 

暗いトンネルに突然轟音が響いた一瞬後、まるで岩が崩れるような音が続いて鳴り響いたのだ。

 

そして、

 

「少し待ってて、呪文で岩を壊すから」

 

ハーマイオニー・グレンジャーの声が暗闇の向こうから聞こえてきた。

私はじっと暗闇に身を潜め、彼女達の様子を窺う。

 

「僕は先に進むよ! 君達はロックハートとそこで待ってて! もし一時間たっても戻らなかったら……君達は戻ってくれ」

 

「いいえ! 私達もすぐに行くわ! お願いよ、ハリー! そこで待っていて!」

 

……ダリアを疑っていた分際で、何やら下らないドラマを繰り広げているらしい。

私は下らない話に耳を貸さず、現状の理解だけに注意を傾け……どうやら、彼らはトンネルの崩壊で分断されてしまったらしいことを理解した。

 

岩の向こうにいるのはハリー・ポッター。彼だけがこの先に進める状態にあり、グレンジャー、ウィーズリー、無能……そして私は、先に進めなくなってしまったようだった。

 

盛大に舌打ちしたい衝動を必死に抑えながら、私はどうするべきか必死に考える。

 

ここで即座に飛び出し、トンネルを塞いでいる岩を退けるべきだろうか?

いや、それは出来ない。そもそもこの愚図共は、未だにダリアを『継承者』だと思って行動していることだろう。ならダリアの()()()()()私が今飛び出したところで、事態は決していい方向にはいかないだろうことは容易に想像できた。グレンジャー辺りは何を考えているか分からないが、今ここにいるのは彼女だけではない。リスクは出来る限り最小限にとどめておきたい。

 

ならどうするべきか。答えは一つだけだ。

幸いこちら側にはグレンジャーがいるのだ。口惜しいことに、彼女は私よりも優秀だ。彼女なら道を塞いだ岩を、私よりも早い時間で取り除くことが出来るだろう。私と彼女、どっちか一人しか作業が出来ないのであれば、彼女がやった方がより早くダリアの元へたどり着ける。ならここで彼女達を無力化するよりも、グレンジャーに岩だけ取り除かせるのが最も()()()()手段だろう。

 

そう結論付けた私は、じっと()()()()()()()グレンジャー達の様子を窺う。

必死に杖を振るうグレンジャー。そしてその横で無能()()が手持無沙汰に遊んでいるのを、私はただ忍耐強く眺め続ける。

 

しばらくして……その時がやってきた。

 

「やったね、ハーマイオニー! これで僕らもジニーを助けに行けるよ! この馬鹿がやらかした時はどうしようかと思ったけど……。やっぱり君は天才だよ!」

 

辺りにウィーズリーの歓声が響き渡った。ここからは暗くてよく見えないけど、グレンジャーが岩を退け終えたのだろう。

 

これで私とダリアとの障害物は、()()()()()()()()とポッターだけになった。

 

なら、私も行動を再開しなければ。私は構えていた杖を、まずグレンジャーの方に向けた。ウィーズリーの杖は折れているから、彼には反撃する能力はない。それならば、まず狙うべき相手は一人だけだ。

 

「ロン、ありがとう。でも、今はそれどころじゃないわ! さあ、そんな馬鹿なんかほっといて先に、」

 

「ご苦労様」

 

グレンジャーが振り返った瞬間、私の魔法が顔面に命中する。彼女は驚愕した表情のまま、ゆっくりと気を失っていった。

……罪悪感が全くないわけではない。阿呆二匹とは違い、彼女だけはダリアを疑っていない可能性が高いのも事実だ。そんな彼女を問答無用で排除することは、彼女が今までしたことを加味しても、ほんの少しだけ罪悪感を覚えざるを得ないものだった。

でも結局、私は躊躇わずやった。ダリアの秘密を守るのに必要なことだったから。この先にいるダリアと私の会話を、彼女に聞かせるわけにはいかなかったから。

 

ダリアを追い詰めたグレンジャーに、ダリアの秘密を知る権利があるものか。

 

グレンジャーに呪文を放ったことで、ウィーズリーも私の存在に気が付く。

彼は私に折れた杖を向けながら、

 

「ダフネ・グリーングラス! なんでこんな所に!? やっぱりお前もダリア・マルフォイの仲間だったのか!?」

 

案の定馬鹿な発言をした。やはり未だにダリアが『継承者』だという愚かな勘違いをしているらしい。間違いだらけの認識。彼の認識の中で唯一正しいのは、

 

「仲間……? そんなの当たり前でしょう?」

 

私がダリアの仲間であるという事実だけだ。私は絶対にダリアを裏切らない。お前たちとは違う。私はダリアを疑ったりなんかしない。

私は尚何か叫ぼうとするウィーズリーを気絶させると、続けざまに無能に呪文をかける。『失神呪文』とは違う、無能に相応しい呪文を。

 

『ペトリフィカス・トタルス! 石になれ!』

 

頭が()()()可笑しくなっているのか、こんな状況なのに何故かヘラヘラしていた無能に、私は体の自由を奪う呪文をかける。この呪文は動けなくなったとしても、意識はそのまま保たれるものだ。ダリアをひたすら傷つけたこいつに、簡単に意識を手放させるものか。この何が現れるか分からない暗闇の中、じっと動けずただ恐怖に震えているがいい。本当は殺してやりたいくらいだけど、ドラコもこいつに罰を与えたいと思っているのだから、私がここで殺すわけにもいかない。

私は最後に無能ご自慢の顔面を思いっきり蹴り上げると、用は済んだとばかりに前だけを見据えて足を進めた。

 

馬鹿どものせいで大分時間をくってしまった。先に進まなくては。今三人は無力化したけど、まだこの先にはハリー・ポッターがいる。あの無駄に行動力だけはある愚か者のことだ。ダリアの足手まといになっていることは想像に難くない。あの馬鹿も早く潰さなくては。

 

曲がりくねったトンネルを進み続ける。早くダリアの元にたどり着きたい。それだけを願いながら。

『バジリスク』と『継承者』以外の障害物は、もうポッターだけなのだ。そんなこと気にしていられないと、自らが立てる音を気にすることなく走り続ける。だから私がそれにたどり着いたのは、比較的すぐのことだった。

 

いくつもの曲がり角を曲がった先。そこには不自然に割れている壁があった。割れた壁の向こうには、今まで進んでいたトンネルとは比べ物にならない程広い空間が広がっている。

 

そこは間違いなく、『秘密の部屋』だった。

 

私は一つ深呼吸をして、そっと中に足を踏み入れる。

トンネルを抜けた先、そこには暗闇の中に蛇の彫刻が絡み合う柱が立ち並ぶ、酷くだだっ広い空間が広がっていた。

 

私はダリアの声が少しでも聞こえないかと耳を欹てながら、少しでもあの綺麗な白銀の髪が見えはしないかと目を凝らしながら前に進む。

 

ダリアは絶対に『継承者』なんかに負けたりしない。ダリアは絶対に『バジリスク』なんかに殺されたりしない。確かに、『バジリスク』が()()倒されていない可能性もある。それも覚悟の上でここに来てみたわけだけど、正直ダリアが簡単にやられるわけがない。()()()()()()()()()()()()、寧ろ『バジリスク』なんてもう倒してしまっている可能性の方が高いとすら思っていた。

 

だから聞こえるはずだ。見えるはずだ。あの子の声を、姿を。

あの綺麗な声を、私が聞き逃すはずがない。あの何よりも綺麗な姿を、私が見逃すはずがない。私はいつだって、あの子の隣にいたのだから。

 

そして……私は彼女をすぐに見つけることが出来た。

 

暗闇の向こうに私は見た。まるで死んだように倒れ伏すポッターとジネブラ・ウィーズリー。そして……巨大な蛇の前に佇む()()を。

そこには……見間違いようがない、白銀の髪が微かに光り輝いていた。

 

「ダリア……」

 

ああ……やっと見つけた。私の大切な友達。

小さい頃からずっと憧れていた……私を救ってくれた大好きな友達。

 

私は噛みしめるように足を進める。

 

倒れ伏すポッターやウィーズリーの妹なんて気にもかけない。彼らが何故倒れているのかなど、どうでもいい問題だ。死んだように横たわる『バジリスク』も、今は問題にはならない。私の予想通り、ダリアが『バジリスク』を倒しただけのことだろう。唯一残された懸念は、本物の『継承者』がどこに行ったかという問題だけど、今の私にはそれを気にする余裕はなかった。

 

ダリアが生きてここにいる。その事実だけが、私の今最大の関心ごとだったのだ。

彼女の何よりも綺麗な髪を見てしまった私の心に、今まで抑えていた思いがあふれ出す。

 

ごめんね。ダリア。

 

深い後悔と罪悪感、そして愛情が心に満たされる。

 

ずっと……私は待つだけだった。ダリアが独りぼっちだと知っていたのに、私は決して自分から歩み寄ってはいなかった。いつだって、貴女が歩み寄るのを期待するだけだった。

友達なのに。友達に()()()()()思っているのに。

 

ごめんね、ダリア。

 

私は心の中で謝罪を繰り返し、前に進む。

 

……辛かったよね。寂しかったよね。悲しかったよね。ダリアが何に悩んでいたのかは分からない。でも、ダリアが辛かったことだけは分かっていたの。それなのに私は、ダリアをずっと独りぼっちにしてしまった。方法なんていくらでもあったのに。私は色んな言い訳をするばかりで、結局あなたを助けようとなどしていなかった。

 

結局私は、貴女に嫌われることが恐ろしくて仕方がなかったのだ。

貴女の秘密を知っていると知られたくなかった。貴女が傷ついている時、貴女の悩みを理解していないと気づかれるのが怖かった。

 

だから逃げたのだ。それらしい言い訳ばかり並べ立てて、結局私は逃げていただけだったのだ。

 

貴女に嫌われることから。貴女のことより、私は貴方と一緒にいる自分を優先してしまった。

私は貴方との関係を気にするばかりで、貴女のことを考えてはいなかったのだ。

 

そんなの……友達とは言わないよね。ごめんね。ごめんね、ダリア。

でも、私はもう逃げないから。貴女を救う。だからもう、私は迷わないから。

 

たとえ卑怯だと言われても、私はもう迷わない。

たとえ貴女に嫌われたとしても、私は貴方が救いたい。今ならそう思える。

 

だから……お願い、もうこんなところで独りぼっちにはならないで。

 

「ダリア!」

 

私はそんな決意と共に、ダリアに話しかけた。

 



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優しい怪物(中編)

 

ダリア視点

 

私はすぐにダフネの瞳から目を逸らし、

 

「……ダフネ、どうして……。どうして……貴女がこんな所に?」

 

ただ困惑しながら、ダフネの突然な登場の理由を尋ねた。

しかし、私は言葉を発したすぐに、何を当たり前のことを聞いているのかと思い直す。

 

ダフネは本当に優しい子だ。私なんかには勿体ないくらい。それに先程の言葉。

 

『ダリア! 迎えに来たよ! 一緒に帰ろう!』

 

これらから考えられる答えなど一つだけだ。

 

彼女は……私を迎えに来て()()()()()()

強化されているだろう警備体制、場所すら定かではない『秘密の部屋』の入り口。様々な困難の中、彼女がどうやってここまで来られたのかは分からないが、最終的に彼女は私をここまで探しに来て()()()()()()

ここは『秘密の部屋』なのに。『秘密の部屋』には『バジリスク』がいるというのに。その上、『バジリスク』を操る『継承者』がいるかもしれないのに。

彼女はそんな危険を顧みず、こんな所まで来てしまったのだ。

 

私を迎えに来る……そんな()()()()ことだけのために。

彼女はもう……私が人間ではないと知っているはずなのに……それでも私を迎えに来てしまったのだ。

 

私にはそんな価値なんてないというのに。私には、そんなことをしてもらう資格なんてないというのに。

『怪物』である私には、そんなダフネの優しさに応えることすら出来ないというのに。

 

「それは勿論、ダリアを迎えに来たんだよ!」

 

それなのに、ダフネは相変わらず、私には()()()()()()温かい声を上げていた。

私が化け物だって知る前と少しも変わらず……ロックハート先生から助け出してくれた時とも変わらず、彼女は私に優しい言葉をかけていた。

 

嬉しくないと言ったら……嘘になる。彼女が私をどう思っているかに関わらず……私に変わらぬ温かさを与え続けようとするダフネの優しい心が嬉しかった。彼女の美しいあり方が嬉しくて仕方がなかった。彼女の傍に()()()()()()()という事実が、私にはとても幸福なことだと思えて仕方がなかった。

 

……でも、だからこそ、

 

「私、ダリアが攫われたって聞いた時、すごく後悔したの……。ごめん。ごめんね、ダリア。私、貴女をずっと独りにしてしまっていた。貴女が苦しい時に、私は貴女に寄り添ってあげることすらしてあげられなかった。だから、」

 

「ダフネ。貴女は何を言っているのですか?」 

 

大好きなダフネの声を、私は酷い言葉で遮った。

 

「貴女が私に寄り添う? 何を馬鹿なことを言っているのですか? 私は貴女と一緒にいたくない。いえ、貴女だけではない。お兄様とだって一緒にいたくない。だから私は貴女たちから離れたのです。それなのに、私に寄り添う? 馬鹿も休み休み言って下さい。わざわざこんな所まで……どうやってここを探し出したかは知りませんが、そんな下らないことで来たのですか? 本当に……迷惑な人ですね」

 

私は嬉しいが故に……苦しかったのだ。許されないというのに、ダフネを遠ざけも近づけもせず、ただ漫然と曖昧な関係を続けていた私の罪を見せつけられているようだったから。彼女を突き放さなかったせいで、彼女を本当に下らない理由で危険にさらしてしまったと思い知らされているようだったから。

 

それに……彼女の言葉は、もう絶対に私には叶わないことだと知ってしまったから……。

私という『怪物』は、もう誰とも一緒にいてはいけないのだと知ってしまったから。

 

夢のように幸せな日々は……()()()()()()()()()()()()になってしまったから……。

 

だから遮った。これ以上ダフネを私という怪物に近づけさせないように。そして……私がこれ以上苦しまないように。

 

でも……。だというのに……。

 

私は()()()()()苦しくなった胸に手を添えた。

どうして……。どうして胸がこんなにも苦しいのだろう。ダフネから今度こそ離れる。出会ったその瞬間から行うべきだったことを、今果たしているだけだというのに。これをしなければ、私はずっとダフネを苦しませてしまうし、私もずっと苦しいだけだ。どんなにダフネのことを好きになってしまったからと言って、私はもう手に入らない未来を見せつけられる方が辛いのだ。自分自身のため、そして何よりダフネのためにも、私は()()()大切な人を遠ざけないといけないのだ。それが大切な人達のためにできる、私に残された唯一のことなのだから。

 

なのに……ダフネが離れてしまう、その可能性を考えただけで、私は今まで以上に胸が張り裂けそうに痛いのだろう。

 

矛盾している。間違っている。こんな気持ち、あってはならない。

自分の気持ちや考えが、私にはさっぱり理解出来ない。自分のことだというのに、私は自分のことを何一つ理解できていない。

 

私が理解しているのは……自分が『怪物』である、たったそれだけの事実だけだ。

バジリスクと話をして理解した、自分が世界にたった一人の怪物であるという、どうしようもない事実をだけだ。

 

しかし、そんな自分自身の考えすら理解出来ていない怪物に、

 

「本当に……ダリアは嘘が下手だね。もういい。もういいんだよ、ダリア」

 

ダフネはただ、微かに笑って応えただけだった。

彼女の瞳に映る温かみは……少しも薄れはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

私はずっと、ダリアの秘密に踏み込まないことは、彼女との関係を漫然と続けるためにも必要なことだと思っていた。彼女の秘密にさえ触れなければ、私はずっと彼女と一緒にいることが出来る。そう自分自身を誤魔化し続けていた。

 

でも、それはただ私の勇気が足りないだけだったのだ。

 

どんなに秘密に気が付いていないふりをしようとも、ずっと一緒にいようと願う限り、いつかは彼女の秘密に踏み込まなければならない時が来る。それどころか、今回のように私が秘密を知ってさえいれば防げた事態も起こりうるのだ。私が前に進まなくては、私はこの漫然とした関係性すら失ってしまう。ダリアを永遠に失ってしまう……。

だから前に進むのだ。私は今回の事件で、ようやく前に進む勇気を得たのだ。

 

それに……今私が前に進まなくては……

 

私はダリアの方に足を進めながら、じっとダリアの表情を見つめる。

私の瞳から目を逸らしながら泣きそうに歪められている、その美しい顔を。

 

ダリア……。貴女は本当に賢いのに……自分のことになると、どうしようもないくらい鈍いんだね。

 

私はグリフィンドール二匹を跨ぎながら思う。

おそらく、ダリアは今度こそ私に嫌われようとして、先程の言葉を吐いたのだろう。

彼女の以前言った言葉を思い出す。

 

『いいえ、お兄様、ダフネ。放っておいてください。それが、お兄様のためでもあるのです』

 

無能に絡まれているダリアを助け出した直後、彼女は私達にそんなことを言った。

 

『……もう私の傍には近づかないでください』

 

あのような言葉を言ったのはあの時ばかりではない。私が近づこうとした時、そして……グレンジャーが近づこうとした時、ダリアはいつもそんな不器用な拒絶の言葉を発していた。

ダリアが何を知り、何に悩み続けていたのか、私には分からない。彼女が吸血鬼だと知っても……彼女が人間ではないと知っていても、私はダリアのことを全て知っているわけではないのだ。

でもこれだけは分かる。

彼女は決して、本心から離れたいわけではないのだ。

孤独にならねばと思っていると同時に、彼女はどうしようもなく孤独を嫌っているのだ。そう今なら確信できる。

 

その証拠に……ダリアは今、泣きそうな表情を浮かべていた。彼女自身は……多分気が付いていないのだろうけど……。

私がダリアを傷つけてしまった日、あの時と同じく、彼女はまるで迷子のような表情を浮かべていた。

 

あの時、私は彼女の秘密に土足で踏み込んでしまったことから、ダリアがショックを受けてしまったのだと思っていた。

でも、違った。

彼女は結局、自分の秘密がバレたことに傷ついたのではなく、私が彼女が人間ではないという、()()()()()()()()()()()で離れてしまうと思ったから、あんなにも傷ついていたのだ。

それは私から嫌われようとしながらも、実際はまったく真逆の表情を浮かべていることが証明していた。

 

そして……それでも尚、彼女が頑なに私達から距離を取ろうとしていた理由は、

 

『自分のためというより、僕たち家族のためだ』

 

『お兄様のためでもあるのです』

 

血が繋がっていなくても、心の奥で通じ合っている兄妹の言葉を私は思い出す。

彼女はいつだってそうだった。彼女はいつだって、自分の大切なものを守るために孤独になろうとしていた。

 

あぁ……なんて貴女は意地っ張りで、頑固で、そのくせ寂しがり屋で……優しすぎるんだろう……。

 

どんな理由であるか分からない。彼女が自分という存在を、どうしてそこまで孤独であらねばならないと責め続けているのかは分からない。彼女を孤独から連れ出されることを、彼女が望んでいるかも分からない。

 

でも、私は必ず貴女をここから連れ出して見せる。貴女が嫌がろうが関係ない。私は決めたのだ。必ず貴女を救って見せるって。貴女が孤独であることを嫌がる限り、私は絶対に諦めたりなどしない。

 

だから……

 

「本当に……ダリアは嘘が下手だね。もういい。もういいんだよ、ダリア」

 

私はダリアの精一杯であろう罵詈雑言を無視し、静かに語り掛けた。

薄暗い空間。静まり返る空間に、ダリアの軽く息を呑む音だけが響いていた。

 

「貴女が独りになろうとしていたのは知ってるよ。一年生の頃から、貴女は私と出会ったその瞬間から、私から何とか離れようとしていたのを私は知ってるよ。ううん。私だけじゃない。貴女は会う人間全員を遠ざけようとしていた。貴女の家族以外全員の人間を……。それに……今はドラコからすらも」

 

私はダリアをなるべく刺激しないように、ゆっくりとした歩調で近づいていく。そして、

 

「ドラコはともかく、貴女が秘密を守るために人を遠ざけようとしていたんだよね。それも家族を守るために。でもね……ダリア。実は私……知ってたんだ。ずっと知っていて、黙っていたんだ……貴女の秘密を……」

 

私はついに言ってしまった。私が勇気を持てず、今までずっと隠し続けていたことを。

案の定酷く驚いた様子のダリアに、私は続ける。

 

「ダリア……貴女は吸血鬼なんでしょう? 私はずっと気が付いていたよ。日光に浴びれないことだけが理由じゃないよ。ニンニクの臭いで顔をしかめてみたり、あと……隠れて血を飲んでたり……」

 

そう、私はずっと知っていた。ダリアが吸血鬼だということを。人間ではない、人の血を吸う亜人であるということを。

それでも私は、

 

「でも。それでも、私は貴女のことを怖く思ったことなんてないよ。貴女と離れたいなんて思ったことないよ。だからね、ダリア。もう離れようとしなくてもいいんだよ。私を遠ざけなくても、貴女の秘密は守ることが出来るんだよ。だから、」

 

貴女のことが好きだった。小さい頃から憧れだった少女と、私はずっと友達になりたかった。それは貴女が亜人だったなんて理由で色あせるものではなかった。

だからお願い、私と一緒にいて、孤独になんてならないで

 

そう言おうと思ったのだ。しかし、

 

「それだけですか?」

 

私の言葉は、ダリアの冷たい声に遮られた。

彼女の表情は先程までの驚いたものではなく、酷く冷たいいつもの無表情に戻っていた。

 

彼女の金色の瞳には、先程より深い絶望だけが暗く輝いていた。

 

「貴女が知っていたのは、その程度のことですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

何も知らないわけではなかった……。でも、だからこそ……。

 

確かに、以前からダフネが私の半分に気が付いているのではと疑ったことは何度もあった。お兄様を除けば、ダフネはホグワーツで最も多くの時間を共有する人間だ。ただでさえ日光に当たれないなんてヒントをさらしている中、彼女程私の真実に気付きやすい立場の人間はいない。……私の秘密を隠すには、あまりにもダフネが近くにいることを許しすぎた。

 

でも、それが分かっていても、私は結局彼女の傍にいることを選んでいたのだ。

彼女が私の秘密に気付いているはずがない。気付いているのであれば、必ず彼女は私から離れていくはず。吸血鬼である私から、彼女は必ず逃げていくはずだ。だから今彼女が逃げていないのだから、彼女は決して私の秘密に気が付いていない。

 

そんな都合のいい妄想に、私はずっと縋りついていた。

 

でも違った。実際は、ダフネは私のことに気が付いていながら、それでも私と一緒にいることを選んでくれていたのだ。

私は改めて、自分が傍に居続けてしまった子のことを()()()()思った。

本当に……貴女は勇気があって、優しい子ですね……。私がそんな貴女のことが好きになるのは当然のことだった。

 

でも、だからこそ……絶対に貴女と()()()()()()()()()()

 

ダフネが吸血鬼であることを許容してくれたとしても、私のやるべきことは変わらない。いや、寧ろ私の決意はより強くなった。離別の悲しみを、私の決意が上回ってゆく。

 

彼女は……私の秘密の半分しか知らない。それも、もはや()()()()()思えるような秘密しか。

 

吸血鬼だと気が付いていたからこそ、私の傷がすぐ治った後も、彼女は私に必死に近づこうとしていたのだろう。お兄様と同じく、私の()()()()化け物だと思っていたのだろう。

でも違うのだ。もう私は、ダフネが許容していた以上の怪物であると知ってしまったのだ。以前の関係には……もう戻るわけにはいかない。戻れはしない。

 

……秘密の半分を知って尚私の傍にいてくれる程優しい彼女を、もう私は危険にさらすわけにはいかない。『怪物』のそばに、これ以上いさせてはいけない。

()()()()()()のことで私を許していたダフネに、今度こそ()()を教えてあげないといけない。

 

「貴女は本当に優しく、勇気のある子ですね…。私が吸血鬼だと気づいて尚傍にいてくれたのです。本当に……貴女は私には勿体ない子です」

 

「……ダリア?」

 

訝し気なダフネを無視し、私は続ける。

 

「でも、だからこそ貴女とはもうお別れです。私の秘密の半分を理解していても、私はもう貴女の傍にいるわけにはいかない。だって……貴女は私が吸血鬼だってことしか知らないのですから」

 

「……確かに、私は貴女のことを全て知ってるわけではないよ。でも、それでも私は、」

 

「いいえ、ダフネ。全てを知れば、貴女は私を今までのように許容などしない。いえ、許容してはいけない。私の残りの半分は、吸血鬼以上に悍ましいもので出来ているのですから」

 

そして私は語りだす。家族にも怖くて明かさなかった秘密を。

恐れはない。何故なら、もうダフネが離れてしまうことを恐れる必要がないから。寧ろ離させるために語るのだから。

 

それに……どうせダフネが去った後、私が生きていることはない。

死ぬ前くらい、誰かにこの胸の内に秘め続けていたものを吐き出したかったという思いもあったのかもしれない。

 

私の生まれながらに背負った罪を、誰かに罰してもらうために。

 

「私はね、ダフネ……。貴女の知る通り、吸血鬼です。()()()。でもね、それは私の家族が吸血鬼と子をなしたからではない。私はね……吸血鬼の血と『あるお方』の血を混ぜ合わせて人工的に造り出された生き物なのです」

 

「それってどういう……。造られた? それに……あるお方?」

 

本当の闇を知らないダフネには想像出来ないのだろう。当然だ。いきなり人工的に造られたなどと言われても、訳が分からないことだろう。だから私は一つ一つゆっくりと話すことにした。ダフネが真実を理解し、私から離れることを選択するように。

 

「ええ。貴女も知っている人物ですよ。尤も、その本当の名を口にする人はあまりいませんが」

 

現在魔法界の中で最も有名な人物。善悪に拘らず名を上げるのなら、そんな人物は一人しかいない。最も多くのマグル、マグル生まれ、そして魔法使いたちを殺し、苦しめてきたお方。誰もが恐れ、誰もが知る最も危険な人物……。

 

「皆はその人のことを……『名前を呼んではいけないあの人』と呼びます」

 

名前など言わなくても、それが誰を示す呼称なのか誰でも知っている。あのお方の存在が頭をよぎった瞬間、ダフネの瞳に今度こそ明確な恐怖が宿っていた。

 

それはやはり、私がマルフォイ家には相応しくないことを示していた。

 

「ま、まさか!?」

 

「ええそうです。私は『闇の帝王』によって造られた、人を殺すための怪物です」

 

私はただ淡々と続ける。

 

「お父様は仰っていました。私はこの世からマグルや穢れた血を一掃するために、『死喰い人』の上に立つ存在として造られたのだと。……私のこの体に、一滴もマルフォイ家の血は流れてはいない。私を構成しているのは、そんな人を殺すことを前提としたものばかりなのです。吸血鬼の血は、おそらく強靭な肉体と再生力を与えるために」

 

手袋は外したままだ。私は近くに転がっていた石ころを一つ掴むと、軽く握りつぶした。多少手のひらに傷が出来たが、瞬く間に塞がっていた。『魔法薬学』でダフネに見られた時と同じように。

 

「そして吸血鬼の血に『帝王の血』を混ぜ合わせることで、私は最高の純血たるスリザリンの血を与えられた。帝王は自身に流れる『偉大な血』とやらで、私に『死喰い人』を超える力を与えたかったのでしょう」

 

「……」

 

ダフネは突然突き付けられた事実に言葉も出ない様子だった。先程から、何か言おうとしては口を閉じるという行動を繰り返している。

無理もない。ホグワーツに入学してからずっと、彼女の隣に『帝王』の血が混ざった得体のしれない化け物がいたのだから。『闇の帝王』への恐怖を植え付けられている魔法界の人間には、吸血鬼のことなど些末な事実にしか思えないことだろう。

 

でもまだ足りない。()()()()()()、ダフネは私を心から嫌ってはくれない。ここまでの事実はマルフォイ家の人たちも知っていることなのだ。彼らと同じくらいの優しさを持ち合わせているであろうダフネが、これだけで離れてくれるとは思えない。

だから私は……決定的な真実をも告げることにしたのだ。

 

大切な人達の傍に、私が絶対にいてはいけないことを意味する真実を。

 

「それに……帝王が与えたのは、この人間ですらない体だけではなかったのです。肉体だけ造っても、中は満たされていない。だから彼は私の中に入れたのです。ただの無機物でしかない、ただ肉体の中を満たす為だけの代用品を……。魂とも言えない……無機物の何かを……」

 

先程までこの場にいた『闇の帝王』の言葉を思い出す。

 

『君の魂は人間のものではない。ただの無機物だ。肉体を動かすためだけに、ただ肉体の中を満たす為だけにある代用品のようなものだ』

 

他でもない、私を造った人間がそう言ったのだ。なら、彼の言葉はそのままの意味なのだろう。私の魂のようなものは……人間のものではなかった。

それもそれどころではなく……。

 

私は一瞬地面を盗み見る。『秘密の部屋』の床は水浸しで、まるで鏡のように私の姿を映し出していた。

その中に、一瞬だけ()()()と同じ光景が見えたような気がした。

 

「この代用品は……この世に生み出された瞬間から汚染されていたのです。何かを殺すことが……人を殺すことが楽しいと思うような……そんな穢れたものだったのです。『帝王』がそうなるよう造ったのではない。私は……私という『怪物』は……私自身だからこそ、人を殺したいと思っている。貴女も見たことがあるはずです。私がそこに転がっているウィーズリーの末娘を殺そうとしていたところを……」

 

「……ダリア、何を言っているの?」

 

ダフネが何やら声を上げていたが、私は聞いてはいなかった。あふれ出した懺悔は、もう止めることなど出来ない。

もう疲れてしまったのだ。大切な人からすら秘密を守り抜くことに。私自身を恐れ続けることに。

 

これからも、秘密に怯え続けて()()()()()()……。

 

「『闇の帝王』が私に人を殺させるために、このような悍ましい感情を与えたのだと私は思っていました。でも……違った。人殺しを目的に造られたとしても……本当に人を殺したいと思わされているわけではなかったのです……。その証拠に『バジリスク』は人を殺したいと等思っていなかった」

 

ダフネから視線を外し、私は後ろに振り返る。そこには変わらず、『バジリスク』の死体が横たわっていた。

 

「私はね……貴女やお兄様と離れている間、ずっと彼を探していたのです。ポッターが()()()()『パーセルマウス』だと知った時、怪物の正体が『バジリスク』だということにも気づくことが出来ましたからね。『バジリスク』と言えば、人を一睨みで殺せる怪物の代名詞。しかも人を殺すために造られた怪物……。私と同じ存在だと思ったのです。彼なら教えてくれる。私が何者であるか。私はどのような存在で、何故生まれてきたのかを……」

 

私はそっと彼の死体に触れながら続けた。こんなことしても、もう意味などないというのに。そこにはもう、救いなどなかったというのに。

 

「でも前提そのものが違っていた。彼とようやく話す機会を得た時……彼は私に言いました。自分は人を殺したいと思ったことは一度もない、と……。ただ私のようなスリザリンの血が入っているものに命じられているから……ただ操られているから、結果的に人が死んでいるだけなのだと。私とは全く違っていた……。同じく人を殺すために造られたというのに……私とは違い、人を殺したいという衝動はなかった。彼は怪物ではなくただの『バジリスク』だった……。怪物は……私だけだった」

 

私は決してダフネの方を振り返らなかった。振り返らずとも、彼女の表情がどうなっているかなど()()()()()()()()

私の大好きな明るい表情ではなく、私に心底恐怖した表情になっていることは想像に難くなかった。

 

「私が世界でたった一人の怪物である以上、私が自分を制御する術を学ぶことは出来ない。私が11年間気付くことすら出来なかった、この悍ましい衝動を抑えることは決して出来ない。だからね……ダフネ。貴女とはここでお別れです」

 

いよいよ終わりの時が来る。どんなに後悔したところで、幸福だった時間にはもう戻れない。

 

「私が自身を制御しきれない以上、私は貴女たちの傍にいることは出来ない。私はマルフォイ家の家族を……そして貴女を傷つけたくなんかないのです。でも、私が私でいる限り、いつか私は貴女を傷つけてしまう。私は怪物だから……。どんなにあなた達を守りたいと思っても……私は怪物である限り、いつかはあなた達のことだって殺したいと思ってしまうことでしょう。だから、」

 

だから心置きなく、私をここに残して逃げてください。怪物を恐れるのは間違ったことではない。私から逃げたって、貴女は決して後悔してはならない。

 

そう私は続けようとしていた。しかし、

 

「ダリア! 貴女は間違ってる! そんなの絶対におかしいよ!」

 

今度は私の言葉が、ダフネの叫び声によって遮られることになる。

 

私は決して振り返りはしなかったが、彼女の声音から、彼女が怒っていることだけは感じ取っていた。

彼女は、私が今まで感じたことがない程怒り狂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

私は今猛烈に怒り狂っていた。でも正直、一体何に対して怒っているのかはよく分からなかった。ただ心の奥底から、怒りとしか言いようのない激情が湧き上がり続けていたのだ。

怒りの対象はここまでダリアを追い詰めたダンブルドア、それか上にいるダリアを疑い続ける有象無象達のような気もしたし、彼女を造ったという『闇の帝王』に向いているような気もした。そして……他でもない、私に真実を教えてくれたダリアに、若しくは彼女をここまで放置してしまった私に向いているような気もした。

 

何もかもが間違っている。ダンブルドア、生徒達……そしてダリアや私すらも。

 

私は湧き上がる怒りのまま、声を荒げながら叫んだ。

 

「貴女は怪物なんかじゃない! 確かに、貴女の秘密はすぐには信じられないようなものばかりだよ! 『あの人』が造ったって言われても、馬鹿な私にはすぐに理解できないよ!? それに、貴女の魂が魂じゃないって言われても、私には何のことだかさっぱりだよ!? でも、それでも、これだけは私にだって分かる! 貴女は怪物なんかじゃない! だから貴女の言っていることは間違ってる!」

 

そこまで叫び終えた時、今までこちらに背を見せていたダリアがようやく振り返った。

しかし、その瞳に映る絶望は決して薄らいではいなかった。それにやはり、ダリアは決して私の瞳を直視しようとはしなかった。

 

「……何も間違ってはいませんよ。貴女は突然のことに理解が追いついていないだけです。無理もありません。貴女は純血貴族とはいえ、私のような『闇』とは無関係な存在なのですから。ですから、もう一度言ってあげましょう。私は『闇の帝王』に造られた怪物です。それも人を殺すために造られた、人を殺すことに喜びを見出すような怪物です。そんな私はいつか貴女たちを、」

 

「分かってないのはダリアの方だよ! 貴女が『あの人』に造られたとか、人を殺したいと思ってるとか、そんなことは()()()()()()! 私が間違ってると言ってるのは、貴女が私やドラコをいつか傷つけるってことだよ! 私は断言できるよ! 貴女は間違っている! 貴女は絶対に私やドラコを傷つけない、殺さない! 貴女は怪物なんかじゃないんだから!」

 

彼女の秘密のもう半分は、確かに『吸血鬼』のことなんてどうでもよくなるようなものばかりだった。ダリアの秘密が『吸血鬼』だけではないと分かってはいたけれども、あまりの内容に頭がついていききれていないのが正直な感想だ。頭の中は、衝撃的な事実の連続でぐちゃぐちゃだ。

『例のあの人』の血が混じっているなど、下手すれば『吸血鬼』以上に化け物扱いされることだろう。それどころか、『例のあの人』自らが人を殺すためだけにダリアを造ったというのなら、それがバレた時はもはや完全に化け物として見られてしまうことだろう。

何より彼女が、生き物を()()()()()愉しみを見出していることも間違いではない。トロールやピクシーを殺した時に彼女の見せた笑顔は、それをどうしようもなく証明するものだった。……きっと私が止めなければ、ジネブラ・ウィーズリーを殺した後も、彼女は同じ笑顔を浮かべていたことだろう……。

 

でも、それが何だと言うのだ! 

私は理由もよく分からない怒りに突き動かされ、心の中で叫び続ける。情報整理を仕切れず、頭の中がぐちゃぐちゃな状態でもこれだけは分かり切っている!

それは全く怖くないかと言ったら、私だって()()()怖いとは思う。でも、それが理由でダリアから離れるなんてことはあり得ない!

ダリアが生き物を殺しても、人を殺したことは一度だってないのだ! それに彼女が生き物を殺したのだって、最終的にダリアが楽しんでいたとしても、きっかけはいつも大切な人を守るための行動だった!

トロールは……悔しいことにハーマイオニー・グレンジャーを守るために。ピクシーは、兄であるドラコを守るために。そしてウィーズリーは……家族との時間を失った悲しみ故に。

いつだって彼女は、大切な人が切欠で行動しているだけだったのだ。

 

殺すことを愉しんでいようと関係ない。行動の切欠がいつも彼女の『優しさ』から来ているものである以上、私は絶対にダリアを怖がったりなんかしない。だって彼女の殺意の切欠が『優しさ』なら、その殺意が私やドラコに向くことなどあり得ないのだから。

それに、ダリアは殺しを愉しんでいると同時に、殺しに対して罪悪感を感じているのだ。

 

『何かを殺すことが……人を殺すことが楽しいと思うような……そんな()()()ものだったのです』

 

なら、彼女は怪物なんかじゃない! 彼女はただの賢くて優しい、私の憧れの女の子なのだ! ダリアはいつだって殺しを愉しみながら、それ以上に強い罪悪感を感じているのだ! 彼女は人を殺したことはないし、これからも殺すことはない! それだけは馬鹿な私にだって分かる! だからこれ以上、私の大好きな()()を見当違いなことで馬鹿にするな! 

 

そう心の中で叫び終えた瞬間、ようやく私は自分の怒りの根源が分かった気がした。

 

ああ……そうか。私はただ、ダリアが馬鹿にされたのがどうしても許せなかったのだ。

 

未だに湧き上がる怒りの中、私はどこか静かな思考で考える。

私は、大切な友達であるダリアが馬鹿にされたことに腹を立てていたのだ。優しいダリアが、ただ生き物を殺すことが好きだというだけで危険人物扱いされることに、私は我慢できなかったのだ。その対象はダンブルドアであり、生徒達であり……そして何より、自身を責め続けるダリア自身でもあり、こんな馬鹿な考えを声高に否定してこなかった私自身でもあったのだ。

 

でも、怒りの正体が分かったところで、ダリアに思いが伝わったわけではない。ダリアは相変わらず暗い瞳で、私をぼんやりと見つめていた。

 

「いいえ……私は怪物です。私はいずれ貴女達すら傷つけてしまう怪物です。それはどんなに優しい貴女が否定しようとも、決して覆らない事実なのです。だから……そんなに、私に優しくする必要はないのですよ」

 

ダリアの声は静かで、でもどこまでも優しく、自分自身のことを諦めきっていた。

私の我慢の限界はそこまでだった。ただでさえ焼き切れていた理性がはじけ飛ぶ音がした。

 

「だったら、今すぐ私を殺しなよ!」

 

気が付けば、私のかつてない大声がダリアの話を遮っていた。

あまりにもダリアの言い分に腹が立っていたため、自分でも何を言っているのかよく分かってはいなかった。

 

「私は貴女の秘密を全部知ったよ! 他でもない、貴女自身が全部話してくれたからね! どんなに私が馬鹿だって、貴女の言った秘密を言いふらすことくらいは出来るよ!」

 

私は高すぎて見えない天井を指さしながら続ける。

 

「私は上に行けば、そのままダリアのことを話すかもしれないよ! だから、早く私を殺しなよ! 今ここで殺せば、全部そこの『バジリスク』のせいに出来るよ! ポッター達の話とかみ合わなくなるかもしれないけど、ならポッター達も今殺せばいいじゃない! さあ、はやくやりなよ! 貴女は人殺しが好きな怪物なんでしょう! なら出来るよね!? こんな絶好の機会はないよ! 貴女が本当に人を殺すことに楽しみしか見いだせない怪物なら、こんなチャンスを逃すはずなんてない! だから、さあ! はやくやりなよ!」

 

私は捲し立てるように言い放つと、手に持っていた杖を投げ捨て、ダリアが放つかもしれない呪文を受け入れるかのように手を広げた。

呪文が飛んでくるはずがないという確信はある。でも同時に、来てもいいとすら思える程、私の心は今煮えくり返っていた。彼女に殺されるなら本望だ。悲しむかもしれないけど、恨みは絶対にしない。それはただ、優しいダリアをそこまで追い詰めてしまっただけのことなのだから。

 

でも……やはり呪文が飛んでくることなどなかった。

 

「な、何を!? 自分が何を言っているのか分かっているのですか!? 私は怪物です! 私にそんなことを言ったら、」

 

「だから言ってるでしょう! 貴女は怪物なんかじゃない! 貴女自身がいくら言い張ろうとも、私はいくらだって、いつまでだって否定し続けてやる! それでも自分が人を殺したいだけの怪物だっていうなら、証明してって私は言ってるの! 言っておくけど、私は本気だからね! 貴女がここに独りで残るって言うなら、私は必ず貴女の秘密を言いふらしてやる! 貴女に『あの人』の血が混じってるって、私は言いふらしてやる! そしたらドラコにだって迷惑がかかるよね! マルフォイ家の人たちが、『吸血鬼』だけじゃない、『あの人』の血筋を匿ってたって騒がれるよ! だからほら、やれるものならやってみなよ! やれって言ってるでしょう!?」

 

そこまで言うと、ようやくノロノロとダリアは杖を構え始める。私の言うことに半信半疑なのか、酷くうろたえたような動きをしている。

彼女の葛藤が手に取るように分かった。私がダリアの秘密を言いふらすということが嘘であると、ダリアも分かっているのだろう。

でも()()()()()()可能性は、決してゼロというわけではない。何より、彼女の大切な家族に危害が加えられると宣告されてしまえば、たとえそれが冗談であっても、彼女がそれを許容することはあり得ない。

自分を誰からも恐れられる存在だと()()()()()()()ダリアは、私が恐怖の末こんな行動をとることもあるかもとでも思っているのだろう。私への信頼と、自分への嫌悪感とで揺れているのが見えるようだ。

だからこそ、彼女は今()()()杖を構えようとしているのだろう。

 

ダリアは……ゆっくりと杖をこちらに向けようとして、そして、

 

「冗談は止めてください……。なんで……なんでそんなこと言うのですか?」

 

結局……杖を私に向けきることなく、即座に下していた。

迷子のような泣き顔は少しも変ってはいない。でも、彼女の瞳の色は……絶望から、当惑へと変わっていた。

 

 

 

 

私の思った通り、ダリアは私に杖を向けることさえ出来はしなかった。

 



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優しい怪物(後編)

 

 ダリア視点

 

何故ダフネがここまで怒り狂っているのか分からない。この反応は、私の理解の範疇をあまりにも超えるものだったのだ。私の予想としては、私の残りの秘密を聞いたのだ、『闇』に触れたことのないダフネなら必ず何かしらの恐怖感を覚えるものだと思っていたし、それが()()()()()()思っていた。

しかし実際のダフネの反応は恐怖ではなく……理由も分からない怒りだった。これがダフネを騙し、無自覚に私という怪物を傍に居させ続けたことに対しての怒りだったのであれば、私にだって理解できた。でも彼女の放つ言葉の数々は……どうもそういうわけではないように()()()()()。彼女の怒りが何に対してのものなのか、私には理解できなかった。

 

しかし彼女の反応が予想外だったからといって、私がやるべきことが変わるわけではない。

私の秘密を知ったのに、彼女は少なくとも()()()()()()()()()()()()恐怖は感じていない。なら、彼女に再度恐怖を教え込むだけだ。彼女が恐怖を感じ切れていないのだって、きっとこれだけ言ってもまだ、彼女が事実を理解しきれていないからだろう。突然告げられた事実は、その全てが日常と乖離した悍ましいものばかりなのだから。だから私は、

 

「私はいずれ貴女達すら傷つけてしまう怪物です。それはどんなに優しい貴女が否定しようとも、決して覆らない事実なのです」

 

今度こそ直接的に私の傍にいる危険性を伝え、私という怪物から離れてもらおうとした。しかし彼女の反応は、

 

「だったら、今すぐ私を殺しなよ!」

 

……さらに予想外のものだった。

 

「私は貴方の秘密を全部知ったよ! 他でもない、貴女自身が全部話してくれたからね! どんなに私が馬鹿だって、貴女の言った秘密を言いふらすことくらいは出来るよ!」

 

何故か先程以上に怒りを燃え上がらせた様子で、ダフネは私に捲し立て続けた。

自分を今殺さねば上で私の秘密を言いふらすという、そんな()()を……。

 

……彼女の話が嘘であることは()()間違いない。彼女の話が本当であれば、彼女の声には怒りではなく恐怖が宿っているはずだ。それなのに彼女の声には、恐怖は微塵も含まれていないようにすら感じられた。ただ純粋に、対象が明確ではない怒りだけが含まれていた。

 

しかし……心の中の私が、そっと私自身に呟く。

本当に……彼女はただ怒っているだけなのだろうか? 本当は事実を理解していて、ただあまりのことに恐怖を通り越しただけなのではないのか? 

 

何より……私の悍ましさは、ダフネの優しさをもってしても受け止めきれるようなものなのか?

 

心の中にいる、私の最も恐れる私自身が続ける。その間にも、ゆるゆると私の杖腕が無意識に上がり続けていた。

 

私がいつものように現実逃避しているだけで、実際は彼女の怒りは私に向いているのではないのか?

怪物であることを隠し続けてきた私に……。

11年間も自分のことすら正しく認識していなかったのだ。そんな私が、どうしてダフネの感情を正しく理解できていると言えるのだろうか?

もしそうであるのなら、彼女が今言っていることも、実は本当のことではないのか?

 

危険な怪物を傍に置き続けていた私に復讐するために……。それを知りながら放置した、マルフォイ家を貶めるために……。

 

彼女は私の秘密を言いふらそうとしているのではないのか?

 

 

そんなはずがない!!

 

 

そこまで考え、私は今まで以上の激しい自己嫌悪感に襲われた。杖を上げるごとに頭痛すら感じ始める。

私は何て馬鹿なことを考えているのだろうか。そんなことがあるわけないではないか。ダフネは優しい子だ。今までずっと私なんかの傍に居続けてくれた、私がマルフォイ家と同じくらい信頼している子なのだ。私は()()()()()()()()、彼女のことを信用している。そんな彼女を、私はなんて愚かな想像で貶めようとしているのだ! 

 

「冗談は止めてください……。なんで……なんでそんなこと言うのですか?」

 

頭の中がぐちゃぐちゃだった。何もかもが間違っている、矛盾している。ダフネの言動に対する私の反応だって、酷く矛盾している。何故私はダフネが裏切らないと、こんなにも未だに確信しているのだろう。ダフネから離れなくてはと思っている私が……。

それに……今の状況はあの時と同じだ……。あの時、図書館でグレンジャーさんに魔法をかけようとした、あの時と……。

状況的には似ても似つかない。あの時は今とは違い、魔法をかけねばならない状況にあったし、何より相手はダフネとは違い、()()()()()()人間であるグレンジャーさんだった。

 

しかし、根本的な部分では同じだった。私は誰かを傷つける絶好の機会が訪れているというのに……一切楽しいとは思っていなかった。それどころか私は今回、ダフネに()()()()()()()()()出来なかった。私がグレンジャーさんを見捨てなければならない状況で、最後まで決して見捨てられなかったように……。

 

怪物であるはずの私が取るはずのない行動。

……私はより一層、自分という存在がよくわからなくなっていた。

 

「酷いです……。どうして、ダフネはそんな私を困らせるようなことを言うのですか? 貴女は私から離れないといけないのです……。私は怪物だから……。なのに……どうして分かってくれないのですか。なんで、私から黙って離れてくれないのですか……。貴女がそんなこと言わなければ、私はこんなに苦しまなくて済んだのに!」

 

もう何も理解できない。何も考えることが出来ない。どうすればいいのか、もう私には分からない。

胸が苦しい……。頭が割れそうに痛い……。全部……全部全部、ダフネが私に下らない冗談を言うから!

 

私は胸に感じるより一層強まった苦しみと、混乱のあまり割れそうなくらい痛む頭をどうすればいいか悩もうとして……一つの()()()()()()答えにたどり着いた。

 

……いや、どうすればいいかだけは分かっている。

 

混乱しきった思考の中、一つの答えに私は思い至る。

 

そうだ……私は何を悩んでいるのだろうか。

ダフネが何を考えているかは分からないが、私のやるべきことは一つだけだ。こんなに言ってもダフネが離れてくれないのなら、()()()離れればいいだけのことなのだ。それに、これは最後には必ず私がやるべきことだった。

……本当はこの手段を取りたくはなかった。やるなら、ダフネが去ってからにしようと思っていたのだ。そうでなければ、彼女にいらぬトラウマを植え付けてしまうかもしれないから。でも、もう私がとれる手段がこれしかないというのなら……。

 

私は今度こそ杖を構え、その先を()()()()()向けた。

 

「な、何をしているの?」

 

離れられないのなら、私から離れればいい。苦しいのなら、その元凶を消せばいい。

 

ダフネに杖を向けられないのなら、()()()()()()()()

 

「……さようなら、ダフネ。……アバダケダ、」

 

私の行動にダフネは驚きの声を上げているが、私は構わず呪文を唱えようとして、

 

「駄目!」

 

突然飛びついてきたダフネによって止められた。

私の手を抱きかかえるように絡みつくダフネが叫ぶ。

 

「何てことをしようとしているの、ダリア! そんなことしちゃ駄目だよ!」

 

「放してください! 私は、怪物を殺さなくてはいけないのです! 貴女達の傍に、これ以上怪物を置いておくわけには、」

 

「だから! 貴女は怪物なんかじゃない! そんなことしても、何の意味もないんだよ! ただ無駄にドラコを悲しませるだけだよ! 私だって、ダリアが死んじゃったら悲しいよ、許せないよ! 貴女に何かあったら、私は、」

 

尚何か言いつのろうとするダフネを、手袋を外している私は()()()()()()()()()()()()慎重に引き離す。そして、また私が少しでも不審な動きをしようものなら、再び飛びついてやると言わんばかりのダフネに対し、

 

「何故!」

 

私は睨みつけながら尋ねた。

 

「何故、貴女は私が怪物でないと言い切れるのですか!?」

 

何故貴女は私にありもしない救いを見せつけようとするのか……そんな憤りのような感情を感じながら。

たった一つの希望であった『バジリスク』は、ただの幻でしかなったのだ。もう、私を救えるものはどこにも居はしない。

 

「私は言いましたよね? 私の秘密を。こんな悍ましい怪物の話をされて、何故それでも貴女は私を『怪物』ではないって言い切れるのですか!? それに……」

 

私は先程ダフネが言った言葉を思い出す。

 

『貴女は間違っている! 貴女は絶対に私やドラコを傷つけない、殺さない! 貴女は怪物なんかじゃないんだから!』

 

あの時の言葉には、何故か確信が含まれているように感じられた。根拠になる事実など、どこにもありはしないはずなのに。

私はさらに視線を鋭くしながら叫ぶ。

 

「私が貴女やお兄様を傷つけない? 何故そんな適当なことを言うのですか!? 貴女はいったい、私の何を見て、そんな()()()()()()言っているのですか!?」

 

私の怒りすら含まれた叫び声。

邪魔しないでほしかった。私を怪物でないなんて()()()()言うくらいなら、寧ろ放っておいてほしかった。離れてほしかった。再び杖を自分に向けようにも、ダフネが飛びついてくる気満々な以上、彼女の安全のためにも行動を起こすことすら出来ない。私は今度こそどうすることも出来ず、ただ怒りのままに声を上げるしかなくなっていた。

 

しかし私の叫びを受けたダフネの反応は……またもや私が予想出来ないものだった。

 

何故かダフネはキョトンと驚いた表情をした後、ふっと口元を綻ばせながら応えたのだ。それは先程までの怒りや当惑といった表情ではなく、どこか慈愛に満ちた表情ですらあった。

そして彼女はまるで誰もが知っている常識を教えるような気軽さで言葉を紡ぎ始める。

 

「ダリア……貴女は本当に賢くて、勇気があって、それにどんな手段を使っても前に進むスリザリンらしい子だよ。だからこそ……だからこそ、貴女は今間違った結論にたどり着いているの」

 

私が自分の中の闇に囚われるあまり、決して見ようとしていなかった私のもう一つの一面を。

 

「賢すぎるから、勇気がありすぎるから、狡猾だからこそ、貴女は心の奥に入り込みすぎたんだと思う。決して自分の中の闇から逃げずに、()()()向き合い続けたからこそ、貴女はそこまで間違ってしまったの。その上貴女は優しいから……少しでも貴女の家族を貶める可能性があることに我慢できなかったんだろうね。でもね、ダリア。だからこそ、貴女は簡単な事実を見落としてる。でも私は馬鹿だから。だから気付くことが出来たんだよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダフネ視点

 

ダリアが自分に杖を向けた時はどうなることかと思ったけど、私が飛びついたことで一応()()は思いとどまってくれた様子だった。

 

よかった……ようやく少しは私の話を聞いてくれる気になったみたい。

 

でも油断は出来ない。何故ならダリアが思いとどまっている理由が、彼女の精神状態が回復したからではなく、再び飛びつかれたら()()危険だとでも彼女が思っているのが()()()想像に難くなかったから。

 

ここからが正念場だ。少しだけだったとしても、ダリアが私の話を聞く気になっているこのチャンスを逃すわけにはいかない。

私は必ず、ダリアをここから無事に連れ出してみせるのだ。

 

どんな手段を使っても。

 

私は困惑したような空気を醸し出すダリアにゆっくりと話し始める。

先程まで感じていた怒りを抑え、ダリアが少しでも安心できる表情を浮かべながら。

 

「ダリア……確かに貴女は何かを傷つけることに喜びを見出している()()()()()()。……それは私だって否定しない。ピクシーを殺していた時貴女は……()()()()楽しそうだったからね……。でも、()()()()()()。私は()()()()()()貴女を否定したりなんてしない。貴女は傷つけたり殺したりすることに喜びを見出していても、今まで人を殺したことは一度だってない。それに、貴女が殺しで理性を忘れるくらい()()()()思っている時はいつも、貴女の大切な人が傷つけられた時だけだった。貴女はいつも人を殺したいと思っているわけじゃない。そうでなくちゃ……」

 

そして私は少し笑いながら言い放った。

 

「そうでなくちゃ、ダンブルドアなんて何度も死んでると思うよ?」

 

……場の緊張をほぐすための、私なりの冗談だった。しかし当然のことながら、彼女はまったく反応を示さなかった。そんな余裕などないのだろう。

私はダリアが何の反応も示さないのを見て、少し残念な気持ちになりながらもすぐに話を続けた。

 

「ダリアは考えすぎているだけだよ。貴女は貴女自身ですら知らなかった一面に、過剰反応しているだけなんだよ。自分の知らなかった闇を見つめすぎて、それが起こすかもしれない可能性を考えすぎていただけ。貴女は絶対に私やドラコを傷つけない。それはさっき私に杖すら向けることが出来なかったことが証明している。他の人間だって、貴女は切欠がない限りは決して傷つけない。さっきも言ったけど、そうでないと今頃この学校は校長を含めて死人だらけだよ。今年は貴女を心底馬鹿馬鹿しい理由で追い詰めた連中ばっかりだから」

 

今年は……いや、今年だけではない。去年だって私が知らないだけで、ダリアが不快に思うこと、我慢できないことは山ほど起こったことだろう。主にダンブルドア関連のことで。

それなのに、ダリアはほとんど私の前でその殺人に対する憧れを見せることなどなかった。私が目撃したダリアが()()殺そうとしている場面なんて、ジネブラ・ウィーズリーの一件くらいのものだ。今年はともかく、去年だけならば私はずっとダリアと一緒にいたというのにだ。

 

「貴女はいつだって我慢できていたんだよ。人を殺したいと思っていたとしても、貴女はそれを普段は感じることすらなかった。そうでなきゃ、貴女みたいな賢い子が11年間気付かなかったなんてあるはずがないの。それに貴女が殺しを愉しむようになる切欠だって、いつも貴女にとって大切な人を傷つけられた時くらいのものだった。貴女の殺人への憧れは、いつだって貴女の優しさ故でしかないんだよ! 図書館でのウィーズリーに杖を向けた時だって、貴女は結局殺してはいない! だから貴女は人を殺したことはないし、これからだって殺すことはない! 貴女は人を殺したいと思っていると同時に、それが罪であることを知ってる! だって貴女はいつだって優しいから!」

 

私はただ事実を言っているだけだ。何も間違ったことを言っているつもりはない。

それなのに、これだけ言っても尚あまり反応を示さないダリアに業を煮やし、私の声が段々と大きなものとなってきていた。

 

「そんな貴女が怪物? 馬鹿なこと言わないでよ! 貴女は優しい子なんだよ!? どんなに貴女自身がそれを否定しても、それだけは絶対に変えられない事実なんだよ! 人殺しが楽しいと思っていたとしても、その切欠が貴女の優しさで、そしてそれを抑え込んでいたのも貴女の優しさであるのなら、それはただ人殺しに()()()()()()()()、ただの優しい女の子だよ! 怪物なんかじゃない!」

 

私は最後はあらん限りの声で叫んでしまっていたため、少し息を整える必要があった。そして女の子らしからぬ声でぜぇぜぇ言っている私に、ダリアがようやく口を開いた。

 

少しも納得した声などではなかったけど。

 

「……貴女に何が分かると言うのですか?」

 

ようやく反応を示したダリアの表情は、酷く冷たいものだった。

 

「貴女は私を優しいと言いましたね。怪物である私には最も程遠い、『優しい』などという評価を……。貴女は私の何を見てそんな愚かな評価を下したのですか? 貴女に私の何が分かると言うのですか? 一年しか私を見ていない貴女に……。何故たった1年間しか私と話していない貴女が、私より私のことを知っていると言えるのですか!?」

 

ダリアの言葉は間違っていない。彼女からしたら、私はたった一年前からの知り合いでしかないのだ。それなのに訳知り顔で自分のことを断言されれば、それは腹も立つだろう。自分のことを怪物だと()()()()()()()状態なら尚更だ。

 

でも私は、

 

「……知っていたよ。私が貴女のことを知っていたのは、たった1年の間のことじゃないよ。私はずっと昔から……組み分けで貴女と出会う前から、貴女のことを知っていたよ」

 

一方的なものではあるけど、たった一年前からの知り合いというわけではない。

 

これを話せば、少しはダリアも納得してくれるかな……

 

昔の自分に対する恥ずかしさから、今までダリアに隠し続けていたことを話すことにした。ダリアが自分の秘密を教えてくれたのだ。なら、私も自分の愚かさを話さなくては公平ではない。

それにダリアを説得できる可能性が少しでも上がるなら、私が多少恥ずかしい思いをすることなどどうでもいいことだ。

私は訝し気なダリアに、静かに語り始めた。ダリアも黙っていることから、少なくともこちらの話を聞く気はある様子だった。

 

「『組み分け』の時……私は貴女を見たこともないように振舞っていたけど……本当は私、ずっと前に貴女を見たことがあったの。6歳の『お茶会』の時に……。ごめんね……ダリア。私、貴女にずっと隠していたの。私は……当時本当に愚かな人間だったから。マグルやマグル生まれを殺せと平然と言ってしまうような……それも今思えば自分の寂しさを和らげるだけに言っているような……そんな信念も余裕もない、どうしようもないくらい愚かな人間だったの」

 

「……」

 

突然の話ということもあるが、今の私からは想像もできないこともあるのだろう。ダリアが()()()()()()()()でこちらを見つめている。当然だ。私は彼女の前で、昔の愚かな自分をひた隠しにしてきたのだから。

 

「私の両親は純血貴族の例に漏れず、自分の血に誇りを持っているの。それは今の私だって同じだけど、でも、当時の私はパパとママの愛をどうしても信じ切ることが出来なかった……。純血であるという誇りと私自身への愛が両立できるとは……あの時の私にはどうしても信じることが出来なかった……。だから私は、両親の私への愛が私が純血であるという、それだけの理由からくるものではないかと疑ってしまっていた。それだけでも十分愚かなのに……私はその寂しさを和らげるために、私を苦しめていた『純血主義』にのめり込むなんていうさらに愚かな選択肢を取ってしまったの。他人を見下すことで、自分の空虚な心を埋めようとしていたの。本当に……愚かだよね……。そんな愚かだった私を……貴女にだけは、本当は知られたくはなかった……だから、私は隠していたの……」

 

私はそこで今まで暗かった口調を変え、出来るだけ明るく聞こえるように続けた。

愚かな私の話は終わり、これから私の大切な恩人の話になるのだ。

 

「でもね、六歳の『お茶会』の時、私はそんな愚かな自分に向き合うことが出来た。自分の愚かな価値観を、見つめなおすことが出来た。貴女に出会ったから」

 

「……私に……ですか?」

 

困惑したような声を出すダリアに、私は早口に話し続けた。

ダリアに迷うだけの時間を与えてはいけない。

 

「そうだよ。といっても、私は貴女と話したわけではないのだけどね。遠目から貴女を見た私は、貴女を見て思ったの。なんて綺麗な子なんだろうかって。貴女はなんて美しい子なんだろうかって。純血筆頭の『マルフォイ家』だとかそんな理由ではなく、貴女個人はなんて輝いている人間なのだろうかって……。私は貴女を見た時、その時感じていた見当違いな寂しさなんて吹き飛んでしまったの。それくらい、私にとって貴女の存在は衝撃的だった。だから知りたかった。こんなにも綺麗な子はどんな人間なのか。貴女のキラキラした瞳は、一体何を見つめているのか。私はそれを知りたくて、貴女と話したくて仕方がなかった。……結局、大人たちが貴女に纏わりつくせいで話すことは出来なかったけど、それでも分かったことはいくつかあった。貴女は純血だからではなく、貴女だからこそ家族に愛されていること。そして……私が思った通り、貴女が信じられないくらい優しい女の子であること……」

 

当時私はたったの六歳。あの時はもう遥か昔の出来事。でも、今でも私の脳裏にはあの時の光景が焼き付いている。目を閉じれば、今でもあの『お茶会』を思い浮かべることが出来る。

 

「貴女は大人に囲まれたことに疲れて、ルシウスさんに休みたいって言っていたよね? あの『お茶会』は、貴女が主役だっていうのに。それなのに、貴女のお父さんはそれを許可した。貴女を純血としてしか見ていないなら、そんな対応はあり得ない。あの時のルシウスさんは、貴女をただ純粋に心配していた。貴女は純血だから愛されていたのではなく、ただ貴女自身だから、マルフォイ家の人たちに愛されていた」

 

「……ええ。その通りです。正確には私は純血ではありませんが……。マルフォイ家は、私に吸血鬼の血が流れているというのに、私を愛してくれた」

 

愛情あふれる言葉。慈愛すら感じられる呟きを漏らすダリアの無表情には……その声音とは裏腹に、どこか苦しさが浮かび上がっていた。

おそらく家族と一緒にいたいという思いと、家族から離れなければならないという()()()()認識との狭間で苦しんでいるのだろう。

 

そんなことで悩まなくてもいいというのに。

 

「そうだね。だからこそ、当時家族の愛情を信じ切ることが出来なかった私は、貴女により強い興味を持ったの。貴女からなら、私が心の奥で求め続けていた答えを得ることが出来る。そう思った私は、どうしても貴女と話したかった。なのに、貴女は大人たちと少しだけ話したら、すぐに引っ込んでしまったよね。私は我慢できなかったの。貴女と話せないまま『お茶会』を終わることなんて、どうしても耐えられなかった。だから……私は追いかけたの。会場を出た貴女を……」

 

「……そう言えばあの時」

 

どうやらダリアもあの時、誰かが自分を追いかけて会場を抜け出していることは覚えていたらしい。

 

「ごめんね……あの時勝手に家の中を歩き廻ったりして。ダリアも覚えていたんだね。うん、そうだよ。あの時、貴女を追いかけていたのは私だったんだ。私は貴女に隠れて追いかけていたことを気付かれてしまった。そこで観念して貴女に話しかければよかったんだろうけど、私も自分が悪いことをしている自覚はあったから逃げちゃった。でも……おかげで私は貴女のことを知ることは出来た」

 

私はあの時の光景を噛みしめるように続ける。

 

「貴女はあの時『屋敷しもべ』と話していたよね? それもすごく優し気に。貴女は彼のことを、本当の家族のように扱っていた。『屋敷しもべ』は普通害虫のように扱われるのが一般的なのに……マルフォイ家でもそれは同じことだっただろうに……貴女は決して彼をそんな風には扱ってはいなかった。それで私は知ることが出来たんだ……貴女はいつも冷たい無表情だけど、その内面は決して冷たくも、ましてや貴女の言う怪物なんかじゃないんだって。貴女は決して周りに流されない強い心と、どこまでも他者を労われる優しさを持っているんだって」

 

そう、あれこそが、私が彼女のことを知る切欠になった光景。おそらくあの場面を見ていなかったとしても、私は彼女の優しさにいずれは気が付けたことだろう。でもあれを見たからこそ、私は本当に彼女と出会ったその瞬間から、真っすぐに彼女の表情とは真逆の性質を見つめ続けることが出来たのだ。

 

私はあの『お茶会』からずっと、貴女の優しさに心奪われていた。

 

「あんなに『屋敷しもべ』に優しく出来る貴女が、優しい心を持っていないはずなんてない。私はずっと知っていたんだよ。1年前からではなく、ずっと昔、あの『お茶会』の時からずっと。だから貴女と一緒に過ごすことの出来たこの1年と少し、貴女の日々見せるちょっとした優しさを私は見逃したことなんてなかった。貴女はいつも、そっと他者を思いやり続けていたよ。家族であるドラコは勿論、家族ではない人間達のことも……。特にグレンジャーのことなんか……。と、とにかく、私はずっと前から貴女が優しいことを知っていたよ! 確かに貴女と話したことがあるのはホグワーツに入った時からだけだよ!? でも、貴女の優しさだけなら私は絶対に間違ったりしない!」

 

私は大声で言い切ると、これでどうだとダリアの方を睨みつける。

でも、ダリアはやはり強情だった。彼女は未だ揺れ動く声音で呟いた。

 

「……ドビーは私の家族です。家族に優しくするのは当然ではありませんか。私は決して、家族以外に優しくしたことなんて、」

 

「あるよ!」

 

暗く静かな『秘密の部屋』に、何度目かの叫び声が響き渡った。

 

「どうしてそんなに頑固なの! どうしてダリアは自分のことになると、そんなに自分を責め続けるの! 貴女が家族以外に優しくしたことなんてない!? そんなの、考えればいくらでもあるじゃない! 『屋敷しもべ』のことだけじゃないよ! 1年生の時なら、貴女は飛行訓練の授業でロングボトムを助けたじゃない! つい最近のことなら、貴女が殺そうとしたジネブラ・ウィーズリーを保健室まで運んであげたじゃない! そ、それに……グレンジャー……貴女はずっと彼女のことを助けてあげていた! トロールの時だけじゃない! 貴女はずっと彼女のことを陰ながら助けてあげていたじゃない!」

 

「ロングボトムの時は……正直()()()()()()()()でしたのであまり覚えていませんが……確かあの時は、お兄様の目の前で人が死ぬのはまずいと思っただけですよ。そこに転がっているウィーズリーを運んだのは、私が優しいからではありません。貴女が優しいからです。私は放っておいてもよかったのですが、ただ貴女が運ぶと言ったから運んだだけです。グレンジャーは……私は彼女を助けたことなど一度もありません……。ただ私が行動した結果、彼女が勝手に助かっているだけです。寧ろ私は、彼女を傷つけようとしたことすらある……」

 

何を思い出しているのかは分からないが、グレンジャーの時だけ酷く狼狽した態度のダリアに、

 

「なら私は!?」

 

絶対に否定できない事実を突きつけた。

 

「貴女はグレンジャーはともかく、私のことは絶対に助けてくれていた! 否定なんてさせないよ! 貴女が私とドラコから離れたあの日だって、貴女は私を助けてくれた! 自分のことを顧みずに! 自分に薬がかかることを厭わずに! 貴女は自分を犠牲にしてまで私を助けてくれたよ! あの時は咄嗟のことだったから、貴女が打算的な考えで私を助けたなんてことはあり得ない! 貴女は無意識に、私を助けることを選んでいたんだよ! ほら、貴女は他人を助けたことがあったじゃない! 私はマルフォイ家の人間ではないのに、貴女は助けてくれていたじゃない!」

 

まさかあの魔法薬学での出来事を持ち出されるとは思っていなかったのだろう。ダリアは少しの間戸惑うように口を開け閉めした後、絞り出すように何か言おうとした。

 

「だ、だって……貴女は……貴女だから……。マ、マルフォイ家ではないけれど……貴女は……わ、わたしの……」

 

言葉にならない、ただの独白のような呟き声。

 

でもそれは紛れもなく、他者を遠ざけなければならないと思い続けていた彼女の心の鎧に、ひびが入っている音だった。

 

やっと……私の言葉がダリアの本音を、心の奥底にあった本当の望みを引き出せた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「何!? はっきり言ってくれないと分からないよ!?」

 

私の口から漏れ出す言葉に、ダフネがまるで食いつくような勢いで尋ねてくる。

でも、私にはそんなダフネの態度を気にしている余裕などなかった。

畳みかけるようにかけられる言葉の数々に、私の思考はどんどん混乱していたのだ。

まるで私が今まで否定し続けていたものを暴き出すような言葉の数々。『闇の帝王』の言葉のように、私を傷つけるものではなかったけど、私を混乱させるには十分な言葉の数々だったのだ。

 

私は……『怪物』であるはずなのに……。私は……マルフォイ家の人間ではないのに……。綺麗なマルフォイ家を穢してしまう、汚い存在なのに……。

激しくも温かい言葉の数々。それは人間であることを諦めきっていた私には、寧ろ苦しいものであったはずなのに……どうして……。

 

そして混乱する思考の中、私は遂に言ってしまったのだ。

 

私がダフネには絶対に言ってはいけなかった言葉を。

ホグワーツに入ってからずっと、私が我慢し続けていた言葉を。

 

「あ、貴女は……私の家族ではないけど……。私は貴女のことが……()()()()()()……。だから……」

 

口から漏れ出した無意識の言葉。私はすぐにそれに気づき、咄嗟に口を閉じる。

 

私は今なんと言った!?

なんて愚かなことを私は!

 

激しい後悔が私を襲い、私は唇を嚙むように口を閉ざした。これ以上、私が()()を言ってしまわないように。

 

でも、もう遅かった……。

もう解き放ってしまった言葉は、決して戻ってはこないのだから。

 

「ダリア……やっと言ってくれたね……」

 

私が余計なことを言ってしまったばっかりに、ダフネの表情がみるみる温かなものになってゆく。

 

幸福そうな、私のいつまでも見ていたい程()()()()、見ていていつも苦しくなるほど()()()()()笑顔へと変わってゆく。

 

ダフネが私のことを好いてくれていることは知っていた。でも、私は彼女を近づけてはいけなかった。好きになってはいけなかった。好きになられてはいけなかった。

彼女から秘密を守るために。彼女を、()()()()()()守るために。

 

でも、私は言ってしまった。秘密と……そして私のあってはならない思いを……。

 

「い、今のは忘れてくだ、」

 

私はこんなことをしても意味はないと気が付いていながら、すぐに先程の言葉を否定しようとする。あんな言葉を言ってしまったら、ダフネにいらぬ期待を持たせてしまうと思ったから。私は決して誰にも近づいてはならないのに、あんな言葉を言ってしまったら、いざという時彼女にも、私と同じ苦しみを与えてしまうかもしれないのだから。

でも、

 

「ううん。絶対に忘れないよ」

 

私が与えてしまったダフネの微笑みは、決して消えることはなかった。

ダフネはゆっくりと、混乱する私を鎮めるように静かな声を紡ぎだす。

 

その声に私は……いけないことだと()()()()()()()、どうしようもなく惹かれてしまっていた。

あふれ出してしまった思いを、再び自分の中に押し込もうとしているのに……口を閉ざしたとしても、思いはどこまでもダフネの言葉を求め続けていた。

 

苦しいのに、苦しかったのに、苦しくなければいけないのに。私はどうして、こんなにも彼女の言葉に耳を傾けてしまっているのだろうか。

 

「私ね、白状すると少しだけ不安だったんだ。貴女が私のことを、本当は何とも思ってはいないんじゃないかって。でも……ようやく言ってくれたね。だから何度だって言ってあげる。もういい……もういいんだよ、ダリア」

 

そこに救いなんてないはずなのに。もう、私にはどこにも居場所なんてないはずなのに。

私はどうしようもなく、ダフネの言葉が温かく感じられていた。

 

その温かみは私をどうしようもなく傷つけるのに、私は決してそれから耳を離せなかった。

それは……彼女がもう私の秘密の全てを知っていると、知っても尚私に優しくしようとしていると、私が心のどこかで安心して()()()()()()からなのだろうか。

 

「私が貴女にずっと言ってきた通り、貴女は怪物なんかじゃない。そして私は、もう貴女の秘密を知ってしまった。だからもう、貴女は私を遠ざける必要なんてないんだよ。貴女は私を傷つけない。貴女は私のことを大切だと思ってくれているんだから。それに、私は貴女の秘密を知っても、少しも貴女のことを怖いなんて思ってはいないんだから」

 

私が自分のことをひた隠しにしてきた理由。

それをダフネは、一つ一つ私の逃げ道をなくしていくように、噛みしめるように、私を言いくるめるように話し続ける。

 

「だからね、ダリア。もう、一人になる必要なんてないんだよ。貴女は自分のことを、独りにならなければならない怪物だって思う必要はないの」

 

ダフネはそう言い終えると、じっと私の顔を窺ってくる。そして私の無表情から、いつものように私の感情を読み取ってしまったのか、

 

「まだ……自分のことを信じられない?」

 

困ったように、まるで幼い子供の駄々を見つめる母親のように。私にそっと尋ねてきた。

ダフネの私を心配してくれる、私の大好きだった表情。どんな表情をしているダフネも大好きだが、この表情は私の特に好きな表情だった。

 

彼女が私にそっと寄り添ってくれていると、どこか安心できるから……。

 

しかしそんな表情を向けられようとも、

 

「自分を信じることなんて……出来るはずがないではありませんか……」

 

当然、私が自分を信じられるはずなどなかった。信じていいはずがなかった。

彼女の言い分は、彼女が優しいからこそ成り立つ暴論だ。私が今彼女に上手く反論しきれないのだって、私がどうしようもなく混乱しきっているからだ。本当のマルフォイ家でない私に、何の罪も異常性もないなんてことはあり得ない。それに、

 

「貴女はジネブラ・ウィーズリーを私は殺さなかっただろうって言っていましたね? でも、私はあの時、本当に人を殺すことについて一切の躊躇いなどなかった。たとえ貴女の言う通り、私が家族や貴女のような大切なひ……か、家族を傷つける存在ではなかったとしても、私はいつか絶対に人を殺してしまう存在です。そうなれば……私はもう、人ではなくなってしまう。家族に大切だと言ってもらえるような存在ではなくなってしまう……。私は、今度こそ家族に迷惑をかけてしまう……」

 

彼女の先程の発言には、今の混乱している私にですら確実に間違っていると言える箇所があった。

あの時の私は、完全に無意識に行動していた。いつも抱えているような殺人に対する忌避感は存在せず、私は人を殺すことが当然のことであるかのように感じていたのだ。

 

あれこそが……私の異常性の全てを表しているものだった。

私が人間ではなく怪物である理由。私が大切な人と一緒にいてはいけない原因。

 

しかし、そんな私の渾身の反論に対するダフネの反応は、酷くあっけらかんとしたものだった。

 

「正直な話ね。私はそこのウィーズリーやポッターも含めて、今上にいるドラコ以外の人間なんて()()()()()()()()()()()()のだけど……。でも……貴女が言う通り、あの時人を殺すことに何のためらいがなかったとしても、貴女は決して人を殺すことはないと思うよ。それに、もし万が一貴女があのままウィーズリーを殺していたのだとしたら……それこそ私やドラコから離れてはいけないよ。私達なら、貴女を止めることだって出来るんだから」

 

先程以上に酷い暴論だ。私の悩みも苦しみも、彼女はただ私を信頼しているということだけで切って捨てたのだ。

私の中には……どこにも信じられるところなんてないというのに。

私の全てが嘘と秘密で出来たものだ。体も嘘。心も嘘。私はずっとダフネに嘘をつき、自分の悍ましい真実を隠し続けてきたというのに。

 

なのに……何故か彼女は私の全てが嘘だったと知り、私の汚らしい真実を知っても尚、いつまでも私を信じると言い続けるのだ。

そんなこと、私には到底できない。

 

「……何故、そんな風に私を信じていられるのですか? 何故、そこまで私に自分を信じろと言えるのですか?」

 

私は思わずダフネに、まるで縋りつくような声を上げていた。

今まで感じていた激しい罪悪感とは違う、何か不安のような、それとも期待のようなよく分からない感情に突き動かされ、私は声を張り上げていた。

 

「私は11年間ずっと、自分が怪物であるということさえ気づけなかったのですよ!? そんな自分を、どうやって信じられるというのですか!? 私のどこに、信じられる要素があると言うのですか!?」

 

彼女が何を言おうとも、この事実は変わらない。私は自身のことを、あの鏡を見るまでまるで理解などしていなかったし、今でも理解などしていない。そんな私自身を、私はどうしても信じることなどできない。

そんな私の叫びを受けとめたのは、相変わらずの優しい微笑だった。

 

「……ダリア。自分のことを自分一人で理解できる人間なんて、この世界にはいないと思うよ。昔の私もそうだった。自分一人で自分自身の闇から逃げ出そうとして、結局逃げるどころか取り込まれかけてしまった。それを助けてくれたのが貴女だった……。結局ね、自分の中の闇は、自分一人では照らすことが出来ないんだと思う。答えを示してくれる誰かの存在を感じることで、私達は初めて自分の闇に立ち向かえるんだよ。貴女はずっと独りで答えを探し続けてきた。それこそ家族にすら頼らずに。貴女は頑張り屋だとは思う。とても勇気のある子だと思う。でも……それじゃ駄目だったんだよ。貴女がどんなに賢くても、一人では、決して照らし出せない闇もあるんだよ。貴女が自分のことを知らなかったのだって仕方がなかったんだよ。だからね……少しは妥協してもいいんだよ? 自分を許してもいいんだよ? 自分のことを知らなかったからといって、自分を責め続ける必要なんてないんだよ?」

 

そして私にそっと手を伸ばしながら、

 

「今からは、私が一緒に闇を照らしてあげる。多分、上で貴女を待ってくれているドラコだって同じだよ。貴女はもう一人で闇に立ち向かう必要なんてない。だからね……少しは自分を信じてもいいんだよ?」

 

ダフネは私が手を伸ばし返すのを待ち続けていた。

しかし当然のことながら、私は手を伸ばせるはずがない。突然そんなこと言われても、『はいそうですか』と言って自分を信じられるはずがない。

 

マルフォイ家ではないのにも関わらず、無自覚にマルフォイ家を穢し続けていた私を、私は絶対に許すことが出来ないのだから。

 

「これだけ言っても……駄目?」

 

「……駄目です。私には……出来ない」

 

一向に手を伸ばさない私に業を煮やしたのか、困ったような表情で問いかけるダフネに、私は拒絶の言葉を吐いた。

出来るはずがない。ダフネが何と言おうと、私は自分を信じることなど決して出来ない。

結果、私はただ項垂れることしか出来なくなった。

 

マルフォイ家唯一の汚点を消すことも出来ず、だからと言ってダフネの言うように自分を信じることが出来るはずもなく、私はただ何をするでもなく地面を見つめ続ける。水面に映る、マルフォイ家の人間とは似ても似つかない怪物を見つめ続ける。

 

でも、私は今までで一番衝撃的で、一番狡猾な言葉で顔を上げることとなった。

 

ダフネはしばらくの間私を見つめた後、

 

 

 

 

「だったら……私のことを信じてよ」

 

 

 

 

絶対に見過ごせないことを言ったから。

 

「貴女が自分のことを信じられないのは分かった。確かに今までずっと責め続けていたものを、すぐに信じろと言うのも酷な話だとは思う。でもそれなら……自分のことを信じられないのなら、私のことを信じてよ」

 

ノロノロと顔を上げる私に、ダフネは朗々と続ける。

 

「貴女はさっき、私に杖を向けることさえ出来なかった。それに、さっき貴女は私のことを大好きだって言ってくれた……。ありがとうね……。私、本当に嬉しい。今私、本当に幸せだよ。だからね、今度は私がお返しする番。貴女に与えられた恩を、今度は私が貴女に返す番。ダリアがそこまで言うのなら、()()()()自分のことを信じなくてもいい。だから……お願い……私のことを少しでも好きだと……さっきの貴女の秘密を言うといった嘘を見抜くくらいに私を信じてくれるなら……貴女がただの優しい女の子で、貴女が私やドラコから離れる必要ないっていう私の言葉を信じてよ。私が傍に居ていいということを信じてよ」

 

それは酷く優しくて、同時に……酷く狡猾な言葉だった。

そんなこと……そんなことを言われてしまったら……。

 

「……ずるい。ずるいです……」

 

信じる以外、私に選択肢はないではないか!

 

「ずるいずるい! どうしてそんなこと私に言うのですか!?」

 

私は狼狽した声で喚き散らした。

 

「そんなこと言われたら、私は信じるしかないではないですか!? こんな私とずっと一緒にいてくれた貴女のことを、私が否定出来るはずがないではないですか!? 貴女は本当に狡猾で……どこまで……優しい子なんですか!」

 

ダフネを信じないということは、ダフネが私に復讐しようとしていると認めてしまうことと同義だ。それならば、私はダフネを()()()()()()()()()()()()。そんなこと、私に出来るはずがない。

今までずっと私と一緒にいてくれたダフネ。私の秘密に気付きながら、それでも私をそっと見守ってくれたダフネ。秘密を知っても尚、私にこんな温かい言葉をかけ続けてくれるダフネ。

 

私が……信じないなんて言うことが出来るはずがない。ダフネをこれ以上、私の心の卑しさで貶められるはずがない!

 

しかしそれでも尚、私は信じていないと()()()()()言わないといけないのは分かっている。でも、それでも私は……彼女に杖を向けられなかったように、彼女を否定する言葉を言うことさえ出来なくなっていた。

 

私の心の奥底に、ピシリ、ピシリと何かにひびが入っていく音がする。

今までずっと抑え続けていた何かが、心の奥底に決して見ないように抑え込んでいた何かがあふれ出し始めている。

 

理性を得体のしれない感情が凌駕する。

 

自分のため、そして何より家族のために秘密を守り続ける。大切な人を守るため、自分という存在を人から遠ざける。

そんな今まで義務だとすら思っていたことに、私は今まで以上の強い苦しみを感じ始める。

 

自分を信じられないけど、ダフネのことなら信じざるを得ない私に、ダフネが追い打ちのように声をかけてくる。

 

「ダリア……お願い、もう一度言って。私は貴女のことが大好きだよ。貴女の無表情でも豊かな表情が好き。貴女の賢いけど、自分のことになると途端に不器用なるところが好き。……貴女の優しい心が好き。だから、私にも言って。貴女が私の傍に居てくれるって。決して、一人になんてならないって。その思いをもう一度私に教えて……」

 

否定しなければならない。遠ざけなければならない。信じてはならない。そして……好きになってはならない。

そう私は必死にあふれ出す自分自身を押し込めようとするが、

 

「……好きです……」

 

一気にあふれ始めた思いを、もう止めることなど出来なかった。

理性とは裏腹に、私の言葉は感情にまみれていた。

 

口から……心から、私の本当の思いがあふれ出す。

 

去年からずっと隠していた、ダフネへの思いが。

 

「貴女のことが好きなんです……。私はずっと、貴女と友達になりたかったんです……。私とずっと一緒にいてくれて、心配してくれていた貴女のことが大好きなんです……。家族じゃなかったとしても、貴女と一緒にいたかったんです……。だから……」

 

そして、私はついに言ってしまった。

 

「私を傍に居させてください……。私を、貴女の友達にしてください……。私を……見捨てないで……」

 

……私の罪が、また一つ増えた。それも今までで一番大きな罪が。

ダフネのことを信じたとしても、私のことを信じられたわけではない。私が怪物であるという事実が変わったわけではない。大切な人を傷つけるはずがないという、ダフネの言葉を完全に鵜吞みにしたわけではない。

でも、それでも、私はもうダフネから離れる選択肢さえも取れなくなってしまった。

 

私は……遂に果たすべき義務からすら逃げ出してしまった。

 

ああ……私はなんて愚かなのだろう……。

 

今までずっと、かろうじて踏みとどまっていたというのに。この選択を切り捨てきれなかったからこそ、私はこんなにも苦しい思いをしてしまい、これから大切な人を傷つけてしまうかもしれないのに、私は完全に道を踏み誤ってしまったのだ。

 

何より救いようがないのは……間違った選択をしてしまったのに……私がどこか後悔しきれていないということだった。

 

義務から逃げ出したというのに……怪物を殺すことから逃げ出したというのに……私は何故、こんなにも苦しさと同時に、嬉しさに満ちた感情を持ってしまっているのだろう。

 

「うん……。うん! 勿論だよ! 私はこれからも、それにこれまでだって、ずっと友達だよ!」

 

ダフネの瞳から、彼女の優しい涙があふれ出す。その涙に、私は余計心が締め付けられる。

 

あぁ、この痛みはきっと私への罰なのだ。

優しいダフネに、言ってはならないことを言ってしまったことへの。ダフネと一緒にいるという……心底無責任な選択を選んでしまった私への……。

私はこの痛みを、これからずっと感じ続けていかなければならないのだ。

 

そう後悔しているのに、私は何故か、この痛みすら愛おしいと感じていた。

 

薄暗く、どこまでも闇に包まれていたはずの『秘密の部屋』に、ただダフネの嗚咽だけが響き続ける。

言葉はお互いにない。何を話せばいいのか、お互い分からない。ダフネは止めどなく流れる涙を拭くのに忙しく、私は私でダフネにどんな言葉を掛ければいいのか分からない。

 

結果、私が発した言葉は、

 

「ダフネ……泣いているのですか?」

 

そんな見れば誰でも分かるような頓珍漢なものだった。私はやはりどうしようもなく愚かだ。

ダフネは涙を流しながらも少し笑った後、

 

「嬉しいの……。嬉しくて仕方がないから、涙が出て止まらないの……」

 

再びローブで自分の瞼を拭く作業に戻って行ってしまった。

僅かに見える彼女の頬が赤いことから、少し恥ずかしい気持ちもあるのだろう。

 

「本当に貴女は……」

 

私は先程までの激しさとは真逆の対応を示すダフネに苦笑しつつ、思わず手を伸ばし……止めた。

去年の学年度末パーティーの時のように。今年の『魔法薬学』の直前、『継承者』と疑われた私に涙してくれた時のように。

 

あの時の私は、決して彼女に触れることなど出来なかった。彼女に近づいてはならないと、私は決して彼女を慰めることすら出来なかった。

 

でも、今は……。

 

いけないことだとは分かっている。

でも……後悔したっていい。苦しくなってもいい。

こんなにも近づいてしまったのだ。それならもう……ここで我慢する必要があるのだろうか。

勿論答えは必要あるだ。私が怪物ではなくなったわけではないのだから。

 

でも、今だけは……。今だけは、この感情に従ってみたい。

 

ごめんね……ダフネ……。

 

私は心の中でダフネに謝りながら、そっと今まで触れることすら出来なかった彼女の頭に手を置き、

 

「あぁ……。やっと……貴女に触れた……」

 

ハッと見上げたダフネの瞳を直視した。

そこには昔から少しも変わらぬ私への愛しみと……いつもの無表情ではなく、後悔しているはずなのに、何故か()()()()()()()()()()私の顔が映りこんでいた。

 




百合ではありません。友情です。


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失われた家族(前編)

帰るまでが遠足です。


ダリア視点

 

「ダリア……そろそろ行こうか」

 

心行くまで頭を撫でていた私に、ダフネが静かに声を上げた。先程まで止めどなく流れる涙を必死になって拭いていたが、どうやら落ち着きを取り戻したらしい。

私は少し残念に思いながらも、一つ頷き手を退ける。確かに、ダフネと一緒にいると言ってしまった手前、いつまでもここにいるわけにはいかない。

 

私はダフネから視線を外し、一歩目を歩き出そうとして……出来なかった。

 

まだ怖かったのだ。ダフネに言い包められてしまったとしても、私の現実が変わったわけでは決してない。相変わらず私の心の中には、どうしようもない程の恐怖と自己嫌悪が蔓延っていた。

それにここを出ると言うことは、上にいるお兄様と会うということだ。私は随分と長い間お兄様を避け続けた。今更お兄様にどんな顔をして会えばいいのか分からない上に、お兄様がまだ私の真実を知らないことへの恐怖もあった。ダフネには受け入れてもらえたとはいえ、本来なら私は受け入れてもらえるような存在ではないのだ。

 

お兄様に会うのが怖い……。もし、お兄様に拒絶されてしまったら……。

 

一歩目だというのに恐怖で足が前に進まない。立ち止まる私の心の中に、再び『秘密の部屋』に立ち込める暗闇が入り込もうとして、

 

「大丈夫だよ」

 

再度ダフネの明るい言葉によって照らし出された。

視線を向けると、ダフネが泣きはらした瞳でこちらを見ている。そして私の手をそっと包み込みながら、彼女は再びただ一言だけ呟く。私の大好きな、彼女の優しい声音で。

 

「いいんだよ」

 

かけられた言葉はたったの一言。

だというのに、私の心に再び温かいものがあふれ出す。

 

あぁ……本当に貴女は。

 

私が手を握り返すと、ダフネは微笑みながら前へと歩き始めた。

今度は……私も一歩踏み出すことが出来ていた。

 

『大丈夫』『いいんだよ』

 

何を指しているものなのかも分からない短い言葉。でも私には、

 

『大丈夫。貴女は誰かと一緒にいて……貴女の家族と一緒にいてもいいんだよ』

 

そう言ってくれているような気がしたのだ。私が誰かの傍にいてもいいのだと、彼女はたった一言で私を許してくれたのだ。

 

……その言葉を、私は誰かにずっと言ってほしかったのだ。

 

本当に……私はいい友達を持てた。こんな優しい子が、ずっと私の傍にいてくれていたのだ。ずっと私に寄り添ってくれていたのだ。

こんな優しい子が、ずっと私の友達でいてくれたのだ。

 

私の表情が少し明るくなったのが分かったのだろう。

ダフネは小さく頷くと、私の手を握る力を強めながら歩きだす。

そして……ポッターとジネブラ・ウィーズリーを()()()()()言った。

 

……あまりに自然な行為に一瞬反応が遅れてしまった。感動的な場面で突如として行われた暴挙に唖然とする私に、ダフネが不自然な程明るい声をあげていた。

完全に確信犯だった。

 

「さぁ! ドラコだって首を長くして待ってるよ! それに、上の馬鹿どもに今度こそダリアが無実だってことを伝えなきゃ! だから上がろう! ()()()!」

 

……やはりダフネは優しいと同時に、どこまでもスリザリンらしい子だった。

 

「……ダフネ。流石に彼らをここに置いていけば問題になりますよ」

 

二人のことを()()()()()()くらいにしか思っていない様子のダフネに、私は思わず苦笑交じりの声をかけた。

おそらくダフネは、ポッターが私を『継承者』と疑っていたことに腹を立ててくれているのだろう。ここで何があったのかまだ話してはいないが、以前からポッターが私に向けていた視線などから、ここで何があったのか大凡の検討をつけているのだ。ポッターが()()()ウィーズリーを救うために、わざわざこんな所まで来たのだと。

正直、私としては別に彼らからどう思われようがどうでもいいことだし、同時に彼らが()()()()()()()どうでもいいことだ。

しかし彼らを置いていくわけにはいかないのもまた事実だった。

ダフネの話しぶりから、生徒の大半は私が攫われても尚、私が『継承者』だと思っている様子であることが窺える。そうである以上、ここに彼らを放置すれば当然私が犯人だとますます疑われることだろう。私が『継承者』でないことも証明できなくなってしまう。最悪の場合私はアズカバンに送られ、マルフォイ家の名に泥を塗ることになってしまう。

……いや、それより悪いことに……ここで彼らを無事に帰せなければ、私だけではなくダフネも疑われることになってしまうかもしれない。ダフネは私の()()だ。彼女も私の共犯と思われてしまうことだろう。私はともかく、ダフネが傷つくことだけは絶対にあってはならない。

ダフネは賢く狡猾な子だ。私が止めたことで、私の言いたいことは大体理解してくれたのだろう。彼女は本当に渋々と言った様子で頷いてくれる。

 

……本当に残念そうな顔をしながら。

 

「……そうだね。うん、そうだよね。()()()()()だけど。こんな奴ら放っておきたいんだけど、よく考えれば放っておくのも()()()()()()にならないよね……」

 

「いえ、そこまで残念がらなくても……」

 

特にポッターを起こすことを残念がっている様子のダフネを横目に、私は杖を振るう。

 

『エネルベート、活きよ』

 

杖を振るい終えると、ノロノロとした動きで二人が起き上がり始める。そして先に声を上げたのはポッターの方だった。

彼は目が覚めてすぐはまだどこか眠たげな表情で辺りを見回しているだけであったが、私とダフネが視界に入った瞬間目を見開き、

 

「ダ、ダリア・マルフォイ! どういうつもりだ!? 何故君は僕に呪文をかけたんだ!? それに……何故ここにダフネ・グリーングラスがいるんだ!? いや、君がいるなら、ハーマイオニーやロンがいないとおかしい! 彼女達を一体どうしたんだ!?」

 

警戒心にまみれた叫び声をあげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

意識を取り戻して最初に目に飛び込んできたのは、僕を気絶させたダリア・マルフォイと、ここにいるはずのないダフネ・グリーングラスが手をつないで立っている光景だった。

寝ぼけた思考が一気に冷え切ってゆく。

 

そうだ僕はダリア・マルフォイに!

 

僕は目を覚ますと同時に飛び起き、僕と同時に目覚めたらしいジニーを庇うように立ち上がりながら叫んだ。

 

「ダ、ダリア・マルフォイ! どういうつもりだ!? 何故君は僕に呪文をかけたんだ!? それに……何故ここにダフネ・グリーングラスがいるんだ!? いや、君がいるなら、ハーマイオニーやロンがいないとおかしい! 彼女達を一体どうしたんだ!?」

 

『継承者』でなかったとしても、ダリア・マルフォイが危険人物であることに変わりはない。彼女はダンブルドアに真っ先に疑われる程謎と危険の多い人間なのだ。全ての事件が終わったにも関わらず、僕に突然呪文をかけてきたこともある。僕が気絶している間何をしていたのか……何をされるか分かったものではない。

そして突然現れたダフネ・グリーングラス。彼女はここに来るまでの道すがらにはいなかった。ここまでの道は一本道だったにも関わらず……。ということは、彼女は僕達より後に来たと言うことになる。それは後ろにいるはずのハーマイオニーやロンをやり過ごしここにたどり着いたことを意味する。ダリア・マルフォイの腰巾着であるグリーングラスが、ハーマイオニーやロンが見当たらない中でここに存在している。グリーングラスが二人に何かしたことは明らかで、彼女についても僕が警戒し怒りを覚えるのは当たり前のことだった。

 

しかし警戒心を露にした大声に応えたのは、

 

「……やっぱりダリアがポッターを気絶させていたのね。どうせそんなところだろうと思ってたよ」

 

ダリア・マルフォイからの返答ではなく、訳知り顔で頻りに頷くグリーングラスの冷たい声だった。彼女はどこか納得した表情を浮かべた後、嘲るような口調で話し始める。

 

「ポッター。どうしてダリアが貴方に呪文をかけたかですって? そんなことも貴方には分からないの? そんなの、貴方が邪魔だからに決まってるじゃない。どうせ貴方のことだから、バジリスクと戦っているダリアの邪魔でもしたんでしょう? ダリアが『継承者』だとか戯言を抜かして。寧ろダリアに感謝した方がいいと思うよ。足手まといにしかならない貴方を、ダリアが()()()()()()()()()()()気絶させてくれたんだから。近くをうろつかれるよりよっぽどマシだと思うなぁ」

 

反論など許されない程の勢いだった。矢継ぎ早に繰り出される罵倒の言葉。唖然とする僕に、グリーングラスの勢いは止まらない。

 

「それとも何? 貴方はもしかして、まだダリアが『継承者』だと思ってるわけ? バジリスクが倒されて、今年の事件が終わっているのに? 本物の『継承者』が誰だったのか知らないけど、ここにはもういなくなっているというのに? 馬鹿な貴方ならそれもあり得ると思うけど、それならとんだ()()()だね。貴方なんかが大した力を持ってるはずがないでしょうに。貴方は老害に操られるだけのただの道化の一人よ。勿論、貴方のお友達()()もね。ああ、安心して。彼女達は私が気絶させておいただけだから。少し寝てもらってるだけ。まぁ、一人は眠らせてもあげてないけど、命に別状はないよ。今頃はまだトンネルの中に転がってるはずよ。ダリアが貴方を失神させた理由と同じで、ただの足手まといにしかならなそうだったからね。……グレンジャーだけは、私がここにたどり着くために役立ってくれたけど。でも、貴方達なんて、」

 

「ダフネ。そこまででいいです」

 

あまりの勢いに気おされていたところ、ダリア・マルフォイの声が上がった。突然の言いがかりから助けられたのはありがたかったが、しかし当然、彼女は僕に助けを出すために声を上げたのではなかった。

グリーングラスを遮った言葉は、僕だけに向けられたものではなかったのだ。

 

「彼も流石にもう私が『継承者』だとは思っていないでしょう。私も彼も『継承者』の正体を知りましたから」

 

訝し気なグリーングラスを尻目に、彼女はいつもの冷たい無表情を……僕の後ろに隠れているジニーに、まるで今思い出したかのように向けながら言い放つ。

 

その冷たい声は何故か、憤りと後悔と……そして悲しみに満ちているような気がした。

 

「記憶に過ぎないという彼が、一体どういう手段で……()()使()()()、『秘密の部屋』を開けたのかも……」

 

何故ここにいるのかは分からないが、グリーングラスはまだここで何があったのか、そしてここで明らかになった真実を知らないのだろう。冷たい視線を投げつけるダリア・マルフォイと、睨みつけられているジニーを不思議そうに見つめている。でも、僕には彼女が何を言いたいのか理解できていた。

 

彼女は……ジニーを責めているのだ。意識はなく、ただ操られていただけのジニーを、彼女は何故か責め立て、そしていつも以上に冷たい表情で見つめているのだ。本来被害者として扱われるべきジニーを……。

 

そして彼女が責めていると感じたのは、どうやら僕だけではないみたいだった。僕の後ろにいたジニーはどっと涙を溢れさせながら叫ぶ。

 

「わ、私じゃない! あ、貴女はあの時目が覚めて間もなかったから知らないかもしれないけど! 私じゃないの! 私がやったわけじゃ! 私はそんなつもりはなかったの!」

 

「そうだ。ジニーは何も悪くない。やったのは全部トムだ。それは君も聞いたはずだよ。だからジニーがそんな目で見られる謂れはない」

 

僕はさめざめと泣くジニーを支えながら、ダリア・マルフォイを睨みつける。

確かに、僕が彼女を『継承者』だと疑ったのは悪かったと思っている。でもだからと言って彼女が()()()()()()であるジニーを責めていい理由にはならない。何も知らないのであろうグリーングラスに、無責任なことを言うなんてあっていいはずがない。

ダリア・マルフォイは少しの間僕とにらみ合っていたが、ややあって僕から視線を外し、彼女の後ろに横たわるバジリスクを振り返りながら言った。

 

彼女の表情までは見えないが、やはりその声は……どこか悲しみをはらんでいるように、僕には聞こえた。

 

「……まぁ、いいでしょう。成程、操られていたから罪はない……ですか。全くその通りですね。ええ、本当にその通りなのでしょうね。本当に、羨ましいくらいに当たり前のことです。確かに貴女が本当に()()()()()()()()()、貴女に決して罪はないのでしょう。彼がただの『バジリスク』だったように……。私とは違う……。でも、それなら何故……。あぁ……本当に、世の中は理不尽ですね……」

 

後半何を言っていたのかは分からないが、彼女が少しも納得していないのは明らかだった。

やっぱり、僕はこいつとは相容れない。

僕はさらに鋭く彼女を睨むが、彼女はそれに頓着することなく宣言する。

 

「……今考えても仕方がありませんね。では上がりましょうか。ここにいつまでもいたら、ダフネが風邪をひいてしまう」

 

そう言って彼女はさっさとグリーングラスと歩き出そうとする。もう僕達に用はないと言わんばかりの態度だ。こちらに見向きもせず、ただスタスタと手をつないだ状態で歩き去ろうとしている。

 

が、僕は騙されてなどいなかった。グリーングラスの突然の詰問に驚いてしまったが、僕はまだ彼女達が質問に答えていないことを忘れてはいない。

 

「待て! 君はまだ僕の質問に答えていない! ジニーに言いがかりをつけて、それで話を逸らそうとしても無駄だ! 君はなんで僕に呪文を放ったんだ! それにどうしてこの『秘密の部屋』に、さっきまでいなかったはずのダフネ・グリーングラスがいるんだ!? 答えろ! ダリア・マルフォイ!」

 

このまま適当に流されていいはずがない。グリーングラスの言葉が本当ならば、ハーマイオニーとロンは無事なのだろう。でも、それ以外の疑いに対する答えは得ていない。彼女の答え次第によっては、僕はもう一度『バジリスク』以上の()と戦わなくてはならなくなるのだ。

杖を構えて答えを待つ僕に、彼女はため息一つついた後、

 

「私が貴方に魔法をかけた理由ですか……。質問に質問で返しましょう。逆に貴方は、一体どういう了見で私に『武装解除』を放ったのですか? 『継承者』と戦っている最中であるというのに。お陰様で私は彼に囚われてしまった。『バジリスク』がいつ現れるかも分からない状況で……。一体どういうつもりだったのですか?」

 

逆に質問で返してきた。それは僕にとって最も返してほしくない返答だった。

それを言われれば何も言えなくなってしまう。誤魔化されてはならないと分かっているのに、僕の中にあった敵対心が急激に及び腰になる。僕は少し言葉に窮しながら応えた。

 

「そ、それは、君が『継承者』だと信じていたからで……。あの時の僕はトムが味方だと思い込んでいた。だから君と戦っている彼を、僕は咄嗟に助けなくてはと思ったんだ……。それに関してはごめん……。『継承者』でも何でもなかった君を、僕はずっと『継承者』として疑っていた。それに関しては……本当に悪かったと思ってる……。ごめん……。で、でも、それとこれとは別問題だ。君は全てが終わった後に、僕に呪文をかけた。それは何故だ?」

 

罪悪感に及び腰になる心を必死に叱咤し、僕は再び詰問する。しかし続けられた言葉は、

 

「……()()、私も貴方と同じ理由ですよ。『継承者』を追い詰めるまであと一歩というところで呪文をかけられたので、貴方が敵だと思ってしまったのです。私と同様、貴方も()()()()『継承者』だと疑われていたみたいですしね。それに、全てが終わった状況だと貴方は仰いますが、私はあの時目覚めたばかりだったのですよ? 本当に全てが終わった後なのか分からなかったのです。ごめんなさいね。私も貴方と同じで勘違いしていたのですよ。でも()()()()()()()()()()()? 貴方も勘違いしていたのですから。これでお相子です」

 

胡散臭いにも程があるものだった。彼女が本当のことを言っているとは到底思えない。そもそも適当に相手をされているのがまるわかりの言いようだった。そもそも隠すつもりすらないのかもしれない。

でも、僕はこれ以上の追及を出来なくなってしまった。追求しようにも、僕の心の奥から湧き上がる罪悪感が邪魔をする。彼女がいくら危険人物であったとしても、あまりに酷いことをしてしまったという思いもあるのだ。まったく身に覚えがないというのに、周りから勝手に『継承者』だと、人を石にする怪物だと疑われる気持ちは僕も知っている。あの時の辛い気持ちを、無意識に彼女に与え続けていたというのは本当に悪かったと思う。あの気持ちは、僕と彼女にしか分からないだろう。

だからそのことを引き合いに出されてしまえば、()()()()引き下がるしかなくなってしまったのだ。

全く納得していないものの、僕が不満顔で口をつぐんだのが分かったらしい。再びどうでもよさそうに僕から視線を外すダリア・マルフォイの横で、今度はグリーングラスが口を開いた。

 

「私も貴方と同じ理由だよ。()()()()がそこのジネブラ・ウィーズリーを助けに来たみたいに、私も『継承者』に攫われたダリアを助けに来ただけだよ。()()、あなた達と違ってダリアが()()()()()()だって知ってたからね。それと、私も()()謝っておくよ。貴方の愉快な仲間達を気絶させて。でもさっきも言った通り、命に別状はないから安心してね」

 

「……」

 

今度こそ完全に何も言えなくなってしまう。ダリア・マルフォイの話はどこまでも胡散臭かったけど、グリーングラスの話は()()()()()筋が通っているのだ。ダリア・マルフォイが『継承者』ではなかった以上、僕は彼女の話を否定できない。彼女はダリア・マルフォイの友達だ。彼女も僕がジニーを助けたように、ダリア・マルフォイを助けに来てもおかしくはない。

 

あくまで彼女達が本当のことを言っていたらの話ではあるが……。

 

「じゃあ今度こそ()()()ことがなさそうだし行こうか。ああ、自力で帰れるっていうなら、別に後から来てもいいよ。私も貴方なんかと一緒にいたくもないし。大丈夫。この先で()()()()三人も、こっちで呪文自体は解いておくから」

 

連れだって歩きはじめる二人の背中を悔しい気持ちで見つめながら、僕は真ん中に大きな穴が開いた日記と剣を拾い、ジニーを支えながら立ち上がらせた。

あいつらにハーマイオニーとロンのことを任せられるはずがない。二人の安全を確認するためにも、早くここを出なければいけない。

 

「……行こう、ジニー。あいつらのことはまだ警戒しておいた方がいいと思うけど、今すぐ何かしてくるつもりはなさそうだ。それに、あいつらの言う通りいつまでもここにいるわけにはいかない。特にジニーはさっきまでトムに酷い目に遭わされていたんだ。暖かい場所に早く行かなくちゃ」

 

「うぅ……」

 

項垂れるジニーを何とか歩かせながら、僕は二人の後を追いかけ始める。

 

「あたし、退学になるわ! ビ、ビルがホグワーツに入ってから、ずっとこの学校での生活を楽しみにしていたのに! も、もう退学になってしまうんだわ! パパやママがなんて言うか!?」

 

歩きながらもジニーはやはり悲しみに満ちた呟きを漏らす。

僕はそれに対しただ大丈夫だと繰り返していたが……ふと、そう言えばフォークスはどうしたのだろうと思い辺りを見回した。

僕が目を覚ましてから、まだ彼の姿を見てはいない。あんなに目立つ容姿をしているというのに。まさかあの二人に何かされたかと思い始めていたその時、僕の肩に何かがとまった。

 

慌ててそちらを見ると、そこにはあの美しい不死鳥、フォークスが僕の肩にとまっていた。あいも変わらず優しい視線で僕を見つめてくれている。

 

「よかった、フォークス。そうだ、君にはまだお礼を言っていなかったよね。ありがとう。君には感謝してもしきれないよ」

 

僕は彼の無事に一安心しながら礼を言う。彼のおかげで僕はバジリスクに、『継承者』であるトムに打ち勝つことが出来た。

 

僕はさらにお礼の言葉を重ねようとする中、彼は気にするなと言うように首を縦に振ると……再び飛び立ち、前を歩くダリア・マルフォイの方に飛んで行った。

 

そして何故か彼女の肩にとまり、突然のことに驚いた様子の彼女の頭を、その燃える様な赤い羽根で撫ではじめた。

 

まるで労うように、慰めるように……謝罪するように……。

彼は何の前触れもなく、危険人物であるはずのダリア・マルフォイに親し気な態度を示していた。

 

何故フォークスがあいつの肩に? それに、なんであんなに親しげな様子で?

 

予想もしていなかったフォークスの仕草に僕が疑問を持っていると、僕の耳にダリア・マルフォイの訝し気な声が届いた。

 

「この鳥は一体……。いえ、これは不死鳥ですね。しかし、何故不死鳥がこんな所に? 『秘密の部屋』とは特に関係ないと思うのですが……。いえ……そういえば、どこかでこれを見たことがあるような……」

 

そういえば、フォークスが助けに来てくれたのは彼女が気絶している間のことだった。彼女はフォークスのことを知らないのだろう。『秘密の部屋』には一見何のかかわりもなさそうなフォークスを不思議そうに眺めていた。

 

が、しばらく眺めていると、何か雲行きが怪しくなってきた。

 

「まさか。いえ、流石にそんなことは……。しかし、あの老害なら……。い、いや、そんなことより、もしそうであるのなら!」

 

突然何かに思い至ったのか目を見開き、グリーングラスに酷く慌てたような声で尋ね始めた。

 

「ダフネ! 貴女が来た時、この鳥を見ましたか!?」

 

突然錯乱したように叫ぶダリア・マルフォイに、グリーングラスは戸惑ったように答える。

 

「どうしたの、ダリア? ううん。私は見てないよ。この鳥がどうしたの?」

 

「そ、そうですか……。いえ、見ていないならいいのです……」

 

しかしグリーングラスの返事に完全には満足していないのだろう。グリーングラスが心配そうに見つめる中、ダリア・マルフォイはしばらくブツブツと何か言っていたが、僕とジニーが近づくと……そういえばこいつらもいたと言わんばかりの態度で、

 

「ポッター。貴方はどうやらこの鳥のことを知っているみたいですね。一体この不死鳥は何ですか? それと……こいつは()()()()この部屋にいたのですか?」

 

有無を言わせないような態度で尋ねてきた。彼女の表情はいつもの無表情であったが、何かに焦っているのは明らかだった。

それに対し僕は、

 

「フォ、フォークスはダンブルドアの不死鳥だよ。いつ来たかは……ついさっきじゃないかな?」

 

咄嗟に嘘をついていた。

彼女が突然慌て始めた理由。彼女から漏れ出る呟きで、僕はそれを何となく察したのだ。

 

もしかして彼女は、フォークスに見られたと思っているのではないのだろうか。僕を気絶させた後、彼女がやっていた、誰かに見られてはいけない何かを。

 

彼女の危険性を示す何かを……。

 

もしそうであるのなら、フォークスは全てを見ている可能性がある。フォークスはダリア・マルフォイが気絶している間にここに来た。そして僕が気絶した後に来たであろうグリーングラスも気が付いていなかったのなら、フォークスはダリア・マルフォイに気が付かれることなく、彼女の()()の全てを見ていたかもしれないのだ。

 

なら、僕のすべきことは一つだ。

どんな手段を使うかは想像も出来ないけど、きっとダンブルドアなら、あの世界で最も偉大な魔法使いならフォークスから情報を聞き出してくれるに違いない。今ホグワーツに戻っているのかは分からないけど、必ず先生は戻ってくる以上、僕はフォークスを無事に上に返さなくてはならない。

 

もしフォークスが彼女の心配するようにすべてを見ていたのなら、彼女の秘密を暴くことが出来るかもしれないから。

 

そう、僕は決意と共にダリア・マルフォイに嘘をついた。

 

でも……。

 

「……嘘はいけませんよ」

 

ダリア・マルフォイはそんなに甘い存在ではなかった。

突然彼女が僕の瞳を覗きこんだかと思うと、僕は時折ダンブルドアに見つめられた時と同じ気持ち……まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()気持ちになったのだ。

 

何かが……僕の中に入り込んでくる。僕の内側を覗きこんでいる。

 

そしてその感覚は間違っていなかった。彼女はまるで僕の考えを読んだかのように続ける。

 

「……不死鳥がダンブルドアのものであることは間違いなさそうですね。……残念です。でも今さっき来たと言うのは嘘ですね。いつ来たのかは、」

 

何故こんな風に確信をもって……まるで心を読んだかのように話し続けるのか分からない。彼女が心を読んでいる、まるでそんな風に思わされるような確信が彼女の言葉には含まれていた。

 

このままではまずい!

 

僕は思わず杖を構えようとして、

 

「……何の真似です?」

 

フォークスがダリア・マルフォイの視界を羽で覆ったことで未遂に終わった。どうやらフォークスがダリア・マルフォイの注意を逸らして僕を守ってくれたらしい。

彼女の視界が覆われた瞬間、僕の心の中を覗き込まれているような感覚も消え失せた。

 

さっきまでの感覚は一体なんだったのだろう……。

 

『秘密の部屋』に奇妙な沈黙が流れる。ダリア・マルフォイとフォークスはじっと瞳を見つめあっており、グリーングラスはそんな彼らをハラハラした様子で見つめている。

 

しかしそんなグリーングラスの様子に頓着することなく、ただじっとダリア・マルフォイとフォークスは見つめあっていた。ダリア・マルフォイはいつもの冷たい表情で。フォークスは、僕に向けるものと同じ優しい瞳で……。何かを語り合うように、慰めるように……謝罪するように、ただじっとまるで語り合うように見つめあっていた。

 

 

 

 

……どれくらいそうしていただろう。しばらく両者は見つめあった後、ポツリとダリア・マルフォイが呟いたことで、ようやくこの沈黙に終わりが告げられる。

 

「ダンブルドアのペットがいまさら何を。でも……どの道信用するしかなさそうですね」

 

ダリア・マルフォイは一応の納得をしたらしい。

フォークスはフォークスで、苛立たし気に声を上げるダリア・マルフォイの耳を、まるで安心させようとするかのように甘噛みしている。

僕にはただ見つめあっているようにしか見えなかったけど、一体彼らは何をしていたのだろうか。

 

でも、どうやら僕らは事なきを得たらしい。その上フォークスの持っているであろう情報も、ダリア・マルフォイは()()()()()()()()()

一時はどうなるかと思ったけど、これでダンブルドアにここで起こった()()()伝えることが出来る。

でもまだ安心できない。相手はドラコ・マルフォイとは違い、ダンブルドアですら警戒する奴なのだ。

 

「……何を騒いでいたのか知らないけど、用が済んだのならすぐに行こう」

 

僕はダリア・マルフォイに思考するすきを与えないために、まるで急き立てるようにしゃべりながら歩き始めた。これ以上僕を追及できないと思ったのか、まだどこか未練がましくジッとこちらを睨みつけながらも、ダリア・マルフォイもグリーングラスを連れ立って歩き始める。

 

僕はそんな二人の後を追って歩く。

これ以上何かされないために、ダリア・マルフォイの方を決して見ないように気を付けながら。

ジニーを支えている方とは反対の腕に、決して杖を離すまいと握りながら……。

 

『秘密の部屋』を抜け、長い長い薄暗がりに4人分の足音が響く。前から時折何か相談するようなひそひそ話も聞こえるが、少し距離があるせいか内容までは聞こえてこなかった。

 

そして暗いトンネルを数分歩き、そして岩が崩れてしまった辺りに差し掛かった時、

 

「……こいつらも起こさないとだね」

 

ダフネ・グリーングラスの声が響き渡った。見ればハーマイオニーとロン、そしてロックハートが床に転がされている。彼女の言った通り、ここにくるまでの間に気絶させていたのだろう。ハーマイオニーがこんな奴に簡単にやられるとは思えないことから、おそらく岩を必死に除けている隙を狙ったことが想像に難くなかった。

 

「グリーングラス……。これは君がやったのか?」

 

ここまで一緒に来てくれた大切な友達をこんな風にしたことに怒りを覚え、僕は先程から射殺さんばかりに睨みつけているのだが、それを完全に無視して、

 

『エネルベート、活きよ』

 

ハーマイオニーとロンに呪文をかけた後、

 

『フィニート・インカンターテム、呪文を終われ』

 

やはり横たわったまま動かない様子のロックハートに呪文をかけていた。

ロンとハーマイオニー、そして詐欺師がゆっくりと動き始める。そして真っ先に動いたのは……ロンだった。

 

「ジニー! よかった! 生きていたんだな! 夢じゃないだろうな!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

端の方にいる私とダフネの存在にまだ気が付いていないのだろう。ウィーズリーは喜びのあまり末の妹に抱き着きながら叫んでいた。

 

「ジニー! よかった! 生きていたんだな! 夢じゃないだろうな!?」

 

死んだと思われていた妹との再会。おそらく万人にとっては、まさに感動的な場面であるのだろう。

 

しかし赤毛の一族がどうなろうが知ったことではない私としては、当然全く感動出来る様な場面などではなかった。隣のダフネも表情から見るに、全くと言っていいほど感動していない様子だった。先程から、

 

『早く終わらないかなぁ』

 

と言わんばかりの態度で天井を見上げている。

私も私で、ノロノロと起き上がりつつあるグレンジャーさんを何とはなしに眺めていると、どうやらまったくの無関心である私達をよそに話は進んでいたらしい。

 

「ハリーもよかった! トンネルが崩れた時は一時はどうなることかと思ったけど、無事に『バジリスク』とダリア・マルフォイからジニーを助け出せたんだな! そういえば、あいつはどうしたんだ?」

 

妹の無事をひとしきり確認して満足したのか、今度は別のことが気になり始めたのだろう。ウィーズリーはポッターに不思議そうな表情をしながら尋ねている。そしてポッターが黙って指さす方向を振り向くと、

 

「ダ、ダリア・マルフォイ! ど、どうしてここに! それにグリーングラス! そうだ、思い出したぞ! お前は僕とハーマイオニーに! 何でお前らがここにいるんだ! ハリーが倒したんじゃないのか! いったいどうしてこいつらが五体満足でここに立っているんだ! 縄くらいはかけた方がいいんじゃ、」

 

予想通りの反応を示してきた。どうせポッターと同じような反応をするんだろうなと思っていた私達は、面倒だからお前が説明しろと言わんばかりの視線をポッターに送る。これ以上馬鹿と付き合っている程暇も心の余裕もない。

しかしポッターが答えたのは、

 

「……ダリア・マルフォイは『継承者』じゃなかったんだ。彼女もジニーと同じで『継承者』に攫われただけだったんだよ。……だから一応今のところは大丈夫だよ。グリーングラスも、彼女を助けに来ただけみたいだね。多分だけど……。……とにかく、ここから出よう。説明はここから出てからにしよう」

 

酷く短い説明だった。本当に説明する気があるのだろうか。当然ウィーズリーの表情に納得の色は浮かばない。ただ少し訝し気に顔を歪ませただけだ。

でもまあ、ここで長々と話し出されてもそれはそれで困るので、私としても有難いことでもあった。私は『秘密の部屋』にたどり着くために少し濡れてしまっているダフネを見つめながら、ウィーズリーに向かって適当に言い放った。

 

「そういうことです。とにかく、早くここを出ましょう。説明なら後からでも出来ます。貴方もポッターが私を『継承者』ではないと言ったことで満足でしょう? ダフネがあなた達を気絶させたのも……まあ、言ってしまえばただの手違いです。今騒ぐほどのことではない。それよりも、貴方にはやるべきことがあるはずです」

 

今ずぶ濡れの状態でいるのは何もダフネだけではない。寧ろダフネはまだましな方だとさえ言える。

 

「お前の言うことなんて信じられるか……。だから、後できっちり説明してもらうからな。でも、少しでも妙な真似をしてみろ。無事にここを出られると思うなよ。なんでハリーがお前らを野放しにしているのか知らないが、僕は容赦しないからな」

 

ポッターの説明に納得はしていなし、私のあしらうような態度も気に障っているのだろう。力強く、彼の()()()()()()()()()()()()()折れた杖を握りしめている。

しかしそれでも尚、体がすっかり冷え切っている様子のジネブラ・ウィーズリーを、これ以上ここにいさせるわけにはいかないという理性はある様子だった。私を睨みつけながらも、未だに泣きじゃくる妹を支えながら歩き始める。

 

私は小馬鹿にした笑いを漏らしているダフネを横目に歩き出そうとして、そう言えばまだ二名程全く話しだしていないなと思い出し、先程までぼんやり見つめていたグレンジャーさんに視線を戻す。

 

そしてそこには……静かに涙を流しながらこちらを見つめるグレンジャーさんの姿があった。

 

「マルフォイさん……。よかった……。よかった……。無事だったのね……。本当に……よかった……」

 

それは私を責めるものでも、ましてや疑っているものでもなく、ただ純粋に私の無事を喜んでいる表情だった。

 

ダフネが私を見つけてくれた時と同じように。

 

……どうして? 

 

私は戸惑いながらグレンジャーさんの不可思議な表情を見つめる。

彼女は私を嫌いになっているはずだ。そうでなければおかしい。

私はそれだけのことを、彼女にしてしまおうとしていたのだ。あの時私は、彼女を殺すことすら選択肢の一つとして考えていたし、実際杖も向けることまでした。彼女がそれでも私を慕うことなどどう考えてもおかしい。

あまりに予想外の反応に驚く私に、グレンジャーさんは静かに続ける。しかし、彼女の言葉はそう長くは続くことはなかった。

 

「ジニーと貴女が攫われたと聞いた時、私居ても立ってもいられなくなったの……。皆が貴女のことをジニーを攫った誘拐犯だと騒ぎ立てるし……。でも、よかった。ああ……生きてる。貴方が無事で本当に、」

 

「ダリア。そろそろ行こうか」

 

ダフネの冷たい声に、彼女の声は遮られたのだ。私とグレンジャーの間に体を割り込ませながら、ダフネは静かに私に声をかける。先程まで私に向けていた温かいものとは似ても似つかない程冷たい空気。ダフネは、明らかにグレンジャーさんを私から遠ざけようとしていた。それに対して私は、

 

「……ええ、そうですね」

 

今度こそグレンジャーさんから視線を外すことで応えたのだった。後ろから聞こえるすすり泣きを無視するように、ただ前だけを見つめる。

……これ以上、私はグレンジャーさんの視線を受けとめきれなかった。結果的に私が助けていようとも、私は少なくとも一度は彼女を殺そうと思い、そして杖さえ向けてしまったのだ。言うなれば、私は自分の目的のためだけに彼女を殺しかけたのだ。

たとえピクリとも動かないものであっても、どんな顔をして彼女に向き合えばいいのか私には分からなかったのだ。

 

私は咄嗟に、グレンジャーさんへの罪悪感から逃げ出したのだ。

 

そしてようやく私達は歩き始める。私とダフネを先頭に、ウィーズリー兄妹、時折すすり泣き声を漏らすグレンジャーさん。そしてそんな彼女を慰めるポッターと……何だか妙に明るすぎる程のロックハート先生。

 

「どうして泣いているのかな!? やはり暗闇が怖かったのでしょうね!? ということはここに住んでいるわけではないのですね!? よかった! 暗くて怖かったのは私だけではない! しかしそんなことより、前を歩くあの子! 本当に綺麗な子ですね! あの子がなんてお名前か知っていますか?」

 

……おそらく倒れた際頭でも打ったのだろう。妙に明るいと同時に、ただでさえおかしかった頭がさらにおかしくなっている様子だった。

 

しかし私にはどうでもいいことだ。あの鬱陶しいのが話しかけてこなければなんでもいい。

 

後ろで記憶がどうのとか、杖の逆噴射がどうのと話し合っているが、私は極力無視し、ただ隣にいるダフネの存在だけに意識を傾けながら足を進めていた。

 

私の世界には……家族とダフネさえいてくれればそれで幸せなのだから。

私はグレンジャーさんから目を逸らすと同時に、自分の中に生まれた何だかモヤモヤした感情にもそっと蓋をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

ここに来た時ほどの緊張はないこと……そして手から感じる親友の温もりが嬉しくて、帰り道はなんだかとても短いもののように感じられた。

馬鹿5人組を引き連れ歩いていた私達の目の前には今、上に伸びる暗くて長いパイプの出口が広がっている。

 

「ダリア。多分貴女は気絶していたから知らないだろうけど、私達はここから『秘密の部屋』に入ったんだよ。どうやって出ようか?」

 

私は完全に後ろの連中を無視し、肩に謎の鳥を載せているダリアに尋ねた。グレンジャーはともかく、このトンネルを登っていく手段が思いつけるような連中ではない。無駄で不快な作業をわざわざする必要はないのだ。

それに比べ、ダリアなら必ず何とかしてくれるという確信があった。私の親友は誰よりも偉大なのだから。

そしてそれは正しい判断だった。

 

「ああ……ここが『秘密の部屋』の入り口なのですね。おそらく地下にあるものだとは思っていましたが、このトンネルが入り口なら納得です。しかし……そうですね。私とダフネだけならともかく、この人数全員を上に上げる手段となると……。箒を呼び寄せるとか……。いえ、それではこの人数を一気に運び出すことは出来ませんね。そうなると私達が取れる手段は……。いえ、そもそも『継承者』はどうやってここから出入りしていたのでしょうね……。あぁ、『バジリスク』ですね。彼は『バジリスク』にでも乗ってここから出たのでしょう。しかし私達には『バジリスク』はいない。いるとしたら……」

 

ダリアは少しの間顎に手を当ててブツブツ呟いていたが、突然何か閃いた様子で、肩に乗っている鳥を()()()()()見つめながら言った。

 

「……『不死鳥』といえば、どんなに重い荷物を持っても飛ぶことが出来ましたね。……そのために、あいつは貴方を送ってきたのですか? いえ、それにしては……。まぁ、今考えても仕方がない。貴方、私達全員が掴んでも飛ぶことは出来ますか?」

 

ダリアに『不死鳥』と呼ばれている鳥が、任せろと言わんばかりに一声鳴いた。

ダリアの肩から飛び立ち、羽をバタバタいわせている。そしてビーズのような明るい瞳でダリアを見つめ、その長い金色の尾羽を振っているのだ。

 

……一体この鳥は何なのだろうか?

 

この鳥はどこからか突然現れたかと思うと、ダリアに異様に親し気な様子で纏わりついていた。

まるで慰めるように。そしてどこか……今までの行いを贖罪するかのように。

 

この鳥が何なのか、そして何がしたいのかは私には分からない。見たこともない種類である上に、唐突すぎる登場をした鳥のことを、私は何一つとして理解してはいなかった。

しかしダリアは私よりかはこの鳥のことを理解しているのか、この鳥が来た瞬間は妙な態度を取ってはいた。今はただ戸惑いと苛立ちを足して割ったような表情で見つめるだけだけど。彼女とこの鳥との間に一体何があったというのだろうか。先程トンネルを歩いた時に尋ねても、今は人目があると言って決して応えてはくれなかった。

 

……後で詳細を聞かないと。先程のダリアは、一瞬ではあるがあの『魔法薬学』の時と同じくらい焦っていた様子だった。それだけダリアにとって、この正体不明の鳥の存在は深刻な問題なのだろう。なら友達である私は、彼女の悩みを聞かなくてはならない。

以前のダリアは話してはくれなかっただろうけど、ダリアはもう私を友達と認めてくれたのだ。だからきっと応えてくれるはず。きっと私にも、彼女と一緒に悩むことを許してくれるはず。だからここを出たらきっと聞こう。今は愚か者が4匹もいるから聞けないけど、ここを出たら絶対にダリアの力になってみせるのだ。

そう思い、私はここから出た後の決意をより強固なものにしていた。

 

そんな私を横目に、ダリアが後ろの馬鹿どもに話しかける。

 

「だ、そうです。この『不死鳥』が上まで連れて行ってくれると言っています。私とダフネはこちらの足を掴むので、あなた方は反対の足を掴んでください。どうせ私と同じ足を掴むのはお嫌なのでしょう?」

 

そしてダリアは『不死鳥』の左足を掴み始める。ポッターとウィーズリーは何か言いたそうにダリアを見つめていたが、この鳥に掴まることくらいしか上がる手段はないと理解したのか、渋々ながらと言った様子で右足を掴んでいた。ウィーズリーは妹を抱え込み、ポッターは不満顔で無能を掴みあげている。ダリアの言う通り、ダリアと同じ部位は掴みたくないのだろう。飛んでいる途中に落とされかねないと疑っているのは火を見るよりも明らかだった。

私は当然ダリアと同じ部位を掴む。そして残った一人、グレンジャーは……図々しいことに、私達と同じ部位を掴もうと近づいてきていた。

 

「……グレンジャー。貴女は当然あっちだよ。私が前言ったこと忘れたの? 貴女はここを掴む()()がないと思うけど……」

 

私は決してグレンジャーのことを許したわけではない。ダリアのことを疑っていなかったとしても、ダリアを取り戻すために存分に役に立ったとしても、私はダリアを傷つけた彼女を決して許しはしない。あの『魔法薬学』で見せたダリアの涙を、私は決して忘れはしない。

 

でも、だというのに……。

 

何故、心が苦しくなっているのだろう。

私の言葉にグレンジャーが表情を悲しみに歪ませるのを見て、私はどうしてこんなにも胸が締め付けられる程の罪悪感を感じているのだろう。

許してなんかいないのに。彼女のことが邪魔なのに。私は一体なぜ……。

 

答えはなかった。そして答えを出す時間もなかった。

グレンジャーが悲し気に反対の足ではなく、『不死鳥』の尾を掴んだと同時に、全身が異常に軽くなったような気がしたのだ。

次の瞬間、ヒューと風を切ったように『不死鳥』と彼に掴まっている7人が飛び上がる。ダリアが言っていた通り、本当に『不死鳥』は飛ぶ力が強いらしい。

そして途中、

 

「すごい! まるで魔法のようだ!」

 

なんて馬鹿なことを言っている魔法教師を横目にダリアとの飛行を楽しんでいると、あっという間に『秘密の部屋』の入り口である3階のトイレに着地した。

 

パイプを覆い隠していた手洗い台がスルスルと元に戻る音を聞きながら、私はダリアに今後のことを尋ねる。

 

「さて、ここまで戻れば大丈夫だね。どうしようか? まずドラコの所に行く?」

 

「……いえ、私の疑惑を晴らさず戻ればいらぬ混乱を巻き起こしてしまいます。まず適当な先生に事情を話させた後、談話室に戻った方がいいと思います」

 

そう言ってダリアは、トイレの扉を開けたと同時にまるで先導するように飛び始める『不死鳥』を指さす。そして、

 

「お先にどうぞ。私が先頭を歩いていると、出合頭にあらぬ誤解をされかねませんからね」

 

後ろにいた馬鹿どもに先を歩くように先を諭した。確かにダリアが前を歩いていれば、ジネブラ・ウィーズリーだけではなく、他のグリフィンドール生と教師までをも人質にとっていると受け取られかねない。

ポッターとウィーズリーは、私達を後ろにして歩けるかとばかりの顔をしているが、グレンジャーが何の疑いも持たずに歩き出したのを受け仕方なさそうに前を歩き始める。

 

そして『不死鳥』に従って7人がたどり着いたのは、マクゴナガル先生の部屋だった。

 

 

 

 

私とダリアはまだ知らない……この部屋で起こった出来事で、ダリアが大切にしていたものの一つを失うことを。

 

 

 

 

世界は残酷で……そしてどこまでも不平等だった。

罪と罰とはいつでも理不尽なもので、けっして公平には与えられないものなのだ。

 

それを示す光景を、私は目の前でまざまざと見せつけれることになる。

人はどんな性質を持っていたとしても、その人間が生まれ持った立場や知識、そして環境によって善にも悪にもなり得るのだと。

 

思えばあの『不死鳥』は、()()()の『もしも』の姿だったのだ。立場や環境、そして穴だらけの知識。それらが取り払われ、ただ寛容と優しさだけでダリアを見つめたらという、あいつのあったかもしれない『もしも』だったのだ。

 

あり得たかもしれないが、決してやってはこない未来の形。

 

そう……私はずっと後、もう事態がどうにもならないことになった後に、そう思ったのだ。

 



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失われた家族(中編)

ルシウス視点

 

「……ダンブルドア。本来ここにいるはずのない貴様に言いたいことは山ほどあるわけだが……私が今聞きたいことは一つだけだ。ダリアは……私の娘はどこにいる?」

 

怒りの炎を燃やすダンブルドアを睨み返しながら、私はそれ以上の怒りを言葉に乗せて言い放った。

娘が()()()()父親としては、実に極々当たり前の質問だ。ダリアの父親として、他に何を尋ねればよいというのか。

だが、どうやら()鹿()()()はそうとは思わなかったらしい。

実に愚かしいことだが、私の第一声がダリアの()()に対する言い訳だとでも思っていたのだろう。目の前の老害以外の人間は一瞬驚愕の表情を浮かべた後、

 

「ルシウス・マルフォイ! 貴様!」

 

等といきり立ち始めた。アーサー・ウィーズリーなど、副校長の制止がなければこちらに飛び掛かっていたことだろう。余程私がダリアの犯行とやらを認めなかったのがお気に召さないらしい。

無論、私はそれらを完全に無視してただ一人を睨み続ける。馬鹿どもの反応など、どうでもいいことだ。私にはただの()()風情に付き合っている余裕はないのだ。

喧騒の中、私はただダンブルドア一人を睨みつけながら繰り返す。

 

「黙っていないで答えたまえ。お前は手紙にダリアが『消えた』と書いていたな。それはどういう意味だ?」

 

「……」

 

しかし一向に返答はない。この老害は周りの喧騒を気にすることなく、ただ静かに私を睨みつけるだけで一向に私の質問に答えようとしないのだ。

じっと……まるで私が焦ってボロを出すのを待つかのように。私自身にダリアの犯行を裏付けさせようとするかのように。

 

本当に……忌々しい爺だ。こんな時に、私を揺さぶっているつもりか!? 

 

この耄碌した爺に付き合っているだけで、刻一刻と時間が無為に過ぎ去ってしまう。ダリアが危険な目に遭っている可能性があるというのにだ!

一切私の質問に答えようとしないダンブルドアに、私が自分を抑え込んでおけたのはここまでだった。

 

「黙ってないで……何か答えたらどうなのだ、ダンブルドア!」

 

私は杖に手を伸ばしながら、今度こそ答えを引き出そうと怒鳴りつける。次何も答えないようであれば、この老害に『磔の呪文』すら放ってやろうと考え始めていたところ、

 

「……ルシウス。言葉通りの意味じゃよ。ダリアは『秘密の部屋』に『消えた』のじゃ。ジネブラ・ウィーズリーが()()()()のと同時にのう」

 

ダンブルドアがようやく口を開いた。しかし、それはただ含みのある言い方でしかなく……私が知りたい情報は一切含まれてなどいなかった。

ダリアがどこにいるのか、一体何故攫われたのか、今無事でいるのかどうかなど一切分からない。

分かったことは、明らかにこの老害がダリアを疑っているという、最初から()()()()()()()()事実のみだった。

 

私は貴重な時間を無駄にしてしまったのだ。

 

「なんだ、それは。……ふざけるな」

 

この期に及んでまだこの爺は……。まだ……ダリアが攫われても尚まだ、ダリアを追い詰めようというのか……。

怒りに震える私を気にした風もなく、ダンブルドアが言葉を続ける。

 

「君はダリアがどこにおるかと尋ねたのう。それについて、残念ながらワシは何の答えも持ち合わせてはおらんのじゃよ。じゃが、」

 

「呆れたものだ。それでも曲りなりに『今世紀最も偉大な魔法使い』と()()()()()()()()のだろう? それが何の答えも持ち合わせておらんだと!? ふざけているのか貴様!」

 

ダンブルドアがさらに何か続けようとしていたが、私はそれに構うことなく大声を上げた。

腸が煮えくり返るような思いだった。この老害は散々ダリアを苦しめておきながら、最後の最後に何の役にも立たないのだ。今なお『継承者』とは無関係なダリアを疑い続けている。

 

こんな男が今世紀最も偉大な魔法使いであるはずがない! ただの老人であるというのなら、私はここで得るものは何もない! 

 

ここに来たことが完全な無駄足だったと悟った私は、時間をこれ以上無駄にしないためにも即座に行動を開始することにした。

 

「貴様が何の役にも立たないなら、私がここにいる理由はない! わざわざ呼び出して貴重な時間を潰しよって! ここにいても無駄なら、私はここを出させてもらうぞ! 私は私でダリアを助けに行く! 来い、ドビー!」

 

「は、はい、ご主人様!」

 

ここに許可なく舞い戻っている理由も含めて、この老害を怒鳴り散らしたいという思いもあるにはあるが……今はそんなことをしている暇はない。

私は急ぎドビーを連れ、副校長室を出ようとした。『継承者』の正体が分かっていても、『秘密の部屋』の所在が分かっているわけではない。私に何ができるかは分からんが、ここにいるよりかは遥かにマシだ。

だが、私が部屋を出ようと背を向けたその時、再びダンブルドアの声が私の背中にかけられることになる。

 

私の怒りを無視したようなその言葉は、案の定酷く不愉快なものであると同時に……酷く心をえぐるものでもあった。

 

「そうじゃよ、ルシウス。君の言う通り、ワシは情けないことに何の答えも持ち合わせてはおらん。どんなに偉大だと持ち上げられようと、ワシは今回の事件について何の手がかりも得てはおらんのじゃ。じゃが……」

 

下らない言を無視しそのまま部屋を出ようとするも、老害はしかしと続けた。

 

「お主は知っておるのではないのか? ダリアが『秘密の部屋』に『消えた』理由を……。君こそが、本当は知っておるのではないのかね? ダリアが何をなしたか。そして……今年の『秘密の部屋』に関する事件が、一体どのようにして起こされたのかを。ダリアを()()ことが出来る方法を、君こそが知っているのではないのかね?」

 

「……どういう意味だ?」

 

その言葉に……私は何故か思わず振り返ってしまっていた。

老人の言葉が、今まで私の心に一切響くことはなかった。今まで老人が吐き続けてきた、ダリアを疑うような言葉の数々。それらが事件の()()を知る私の心に響くはずがない。

 

……だが今の言葉だけは、どうしてか私の心に響き渡ってしまっていた。

ダンブルドアの何気なく言い放った、

 

『ダリアを救うことが出来る』

 

本来なら何の意味も感じず、私の心には決して響くことのないだろう戯言。実際老害の意味するところは、

 

『犯罪を犯したダリアを止めることが出来る』

 

という今まで通りの馬鹿な見解に基づくものだろう。額面だけなら相変わらずダリアを疑ってはいないというスタンスを崩してはいないが、こちらにはダリアへの疑心がハッキリと感じさせるものだった。

だが私には一瞬……ダンブルドアの戯言が、

 

『今年の事件の全てを知っているお前なら、ダリアに何が起こったか分かるはずだ』

 

そう言われた様に感じられたのだ。老人の戯言が、何故か心の奥からの木霊のように、私の心の声として耳に響き渡っていた。

何気ない一言に、私の心の中がざわつく。それは紛れもなく……心の中に押し込めていた()()()から来るものだった。

 

今年の事件の全ては、ダリアをダンブルドアから守るために始めたものだ。ダンブルドアの脅威にさらされ続け、日に日に消耗していく我が愛する娘。私は父親として、どんな手を使ってでもダリアを救う義務があった。

だから実行した。愛する娘を守るために、わざわざ『闇の帝王』から預かったものまで投じた。全てはダンブルドアを追放するために……。()()()間違ってなどいなかった。ダリアが攫われた今でも、己のやろうとしたことに間違いはなかったという確信がある。

 

だが現実は……私の引き起こした事件はダリアを守るどころか、逆にダリアをさらに追い詰めるものでしかなかった。目的が間違ってはいなくとも……私の選んだ()()()、絶望的なまでに間違っていたのかもしれなかった。

 

事件が進むにつれ、本来の『継承者』であるはずのジネブラ・ウィーズリーではなく、守られるべきダリアが『継承者』だと疑われた。ダリアは疑われ、追い詰められ……挙句の果てに『秘密の部屋』に攫われたどころか、それでも尚『継承者』として処理されようとしている。ダンブルドアを追放するという目的を果たしたとしても、決してダリアの辛い状況が覆ることはなかった。寧ろダンブルドアがいた時よりも、ダリアは孤独な生活を強いられているくらいだった。

 

……こんな馬鹿なことがあってたまるものか。ダリアがこんな仕打ちを受けていいはずがない。私は事態が進むたびに、こんな愚かな状況を生み出したダンブルドア、そして学校にいるダンブルドアの信奉者共にさらなる怒りを募らせた。

 

だが同時に……。

ダンブルドアの瞳を今度は直視できず、少し俯き気味に目を逸らしながら私は……心のどこかで、この状況を真に生み出しているのはもしや()()ではないのかと考えていたのだ。

 

ダリアを追い詰めたのは、ダンブルドアであることは間違いない。だが、こうも思った。

私が安易に『秘密の部屋』を開かなければ……。私がダリアを守るためとはいえ、何が起こるか見通せない魔道具に頼ってしまったから……。

 

いやそもそも、私は本当に、()()()()()()()()()()()『秘密の部屋』を開いたのだろうか?

私はダリアを守る目的だけではなく……自分の利益や感情を優先させてしまったのではないのか?

ダリアを真に追い詰めていたのはダンブルドアではなく……。

 

ダリアが責められ、そして攫われたと知ってから、心のどこかで思い続けていることだった。最初は自分でも気づくことはない程小さかった罪悪感は、ダリアが追い詰められるたびに大きなものとなり……

 

そしてダンブルドアの一言で、その思いはもう一つの形をとって心に浮かび上がってしまったのだ。

 

『今真実を話せば、少なくともダリアの無実だけは証明できる。今ダリアに何が起こっているのかを最も理解しているのは、他ならぬ私なのだから』

 

ただの幻聴でしかないことは分かっている。だがどうしても……それを私は無視することが出来なかった。

だから一瞬とも言える時間。だがダンブルドアに、私が何か知っていると悟られるには十分すぎる時間思い悩んでしまった。

しかし罪悪感を感じたところで、

 

「……貴様が何を言いたいのか、私には皆目見当もつかん。私が知るわけがなかろう。私が知っているのは、ダリアが『継承者』であるはずがないということだけだ。純血であるダリアが何故『継承者』に()()()()のか、私に分かるなら苦労はせん」

 

私のすべきことは何一つ変わらない。視線を更に鋭くするダンブルドアから目を逸らしながら、私は絞り出すように呟いた。

もう賽は投げてしまったのだ。もう……後戻りは出来ない。一度始めてしまった以上、私は前に進むことしか出来ない。それはダリアのためでもあるのだ。

それに私が真実を今吐露したことで、状況が改善されるわけではない。ただアーサー・ウィーズリーを喜ばせる結果になるだけだ。私が今なすべきことは、もっと別のことなのだ。

そう私は自分の心の中に生まれた僅かな迷いに蓋をし、こちらを観察するようなダンブルドアの視線から逃げるように扉に向かって歩き出した。

 

しかし……私の歩みは今度も長くは続かなかった。

 

「失礼します」

 

突然扉が開き、7人の人間が部屋になだれ込んできたのだ。

部屋にいた全員が、静まり返ったようになだれ込んできた人間達を見つめる。

 

そしてその中でも最も人目を集めていたのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

私達が戸口に立った瞬間、部屋の中に沈黙が流れた。

部屋の中にはウィーズリー夫妻、この部屋の本来の主であるマクゴナガル先生、追い出されたはずなのに何故か我が物顔で部屋にいる老いぼれ、そして……私の愛する家族達の姿があった。

それぞれの人間が、それぞれの表情を浮かべて私達を見つめている。

ウィーズリー夫妻は末娘の生存に対する安堵と私への敵意。マクゴナガル先生は信じられない物を見たと言わんばかりの驚愕の表情。表情の一切読めないダンブルドア。

 

でも私にとって、彼らの表情など何の興味もわかないものだった。

私はそれぞれの表情や感情を無視し、ただ愛する家族達だけを見つめ続ける。

 

二人の家族の顔は種族差のせいで似ても似つかないものだけど、でも今は全く同じ表情を浮かべていた。

お父様。そして私のもう一人の家族であるドビーの顔は……二人とも共通して驚愕の後、安堵の表情……私の無事に安心する、ただそれだけの感情に彩られていた。

 

あぁ……やはり、家族は私を待ってくださっていた……。

 

喜びと同時に……後悔や悲しみを抱えて立ち尽くす私に、お父様が静かに声を上げようとする。私が家族に最初に与えられた、私の最も大切にしている名前を。

しかし、

 

「ダリ、」

 

「ジニー!」

 

ウィーズリー夫人の体と叫び声で、私とお父様の間が遮ぎられてしまった。

 

いつもいつも、この忌々しい赤毛共は……。

 

お父様との時間に水を差され苛立っている私を尻目に、暖炉の前に座り込んでいたウィーズリー夫人が飛び上がり末娘の元に駆け寄る。ウィーズリー氏もすぐ後に続き、二匹は娘に飛びつくように抱き着いた。そして一しきり抱きしめた後、今度は私とダフネの前で突っ立っていたグリフィンドール三人組をも抱きしめ始める。

お父様とドビーを、何故か警戒心を露にした表情で見つめていたポッターが、

 

「ぐえっ」

 

というカエルが潰された時のようなうめき声を漏らしているが、どうやらウィーズリー夫人には聞こえなかったらしくそのまま力いっぱい抱きしめていた。

 

「あぁ、ジニー! よかった! 本当によかった! あなた達()()がこの子を助けてくれたのね! この子の命を! でも、どうやって!? どうやって『継承者』からジニーを!? それにどうして『継承者』がここにいるの!? よくも……よくも私の娘を!」

 

ポッター達を抱きしめたことで少し喜びが落ち着いてきたのだろう。今度は喜びより怒りが勝ってきたのか、敵意に満ちた視線を私とダフネに送ってくる。言葉通り私を『継承者』として、そしてダフネを共犯者として断定していることは想像に難くはなかった。

 

「ち、違います! マルフォイさんは『継承者』ではないんです! グリーングラスさんだって、」

 

必死にウィーズリー夫人に声を上げるグレンジャーさんを眺めながら、私は思う。

……やはりポッター達を連れて帰ってきたのは、私のとれる唯一の選択肢だった。

『不死鳥』共々()()()()することも考えたが、ダフネが疑われた場合の言い逃れが出来なくなってしまう上、私がグレンジャーさんを()()傷つけることが出来ない可能性もある。

 

私には……あの鳥を信じるしか道はなかったのだ。

 

部屋に入った途端ダンブルドアの肩に飛んで行った鳥を私が忌々し気に睨みつけていると、ウィーズリー夫人は私の態度を無視だと()()()()()()()()()()()()()。どうやらグレンジャーさんの言葉は聞き届けられることはなかったらしい。彼女が発する結論だけの言葉では不足なのだろう。

私へ向けるウィーズリー夫人の視線が段々と鋭いものに変わっていく。誰かがちょっとでも余計なことを口走れば、部屋の中が凄惨な現場に変わるだろうことは火を見るより明らかだった。

そんな張り詰めた空気の中、

 

「……ポッター。説明してもらえませんか? 私達全員が、あなた達が何をなしたのかを知りたいと思っています」

 

マクゴナガル先生がポツリと呟いた。

空気を変えようという意味もあるのだろうが、どちらかと言えば、いい加減何故私達がここに何の拘束もなく立っている理由も含めて、『秘密の部屋』で起こったであろう真実を知りたくて仕方がなくなったのだろう。それはウィーズリー夫人も同様なのか、私とダフネに向ける視線は緩めないものの、ポッター達を腕の中から解放する。

そして抱擁から解放されたポッターはデスクまで歩き、『組み分け帽子』と宝石の散りばめられた剣、それに真ん中に大きな穴の開いた日記を置き、話し始める。

 

『秘密の部屋』で起こった、彼の()()()()真実を。彼の体験した、()()()()()()()()彩られた冒険譚を。

 

ハローウィーンに姿なき声を聞き、後にそれが『パーセルタング』だと気が付いたこと。ハローウィーン以降も壁の中から『パーセルタング』が聞こえるようになったことや、森番が追放された50年前の状況を聞いたことで、グレンジャーさんが遂に怪物の正体を突き止めたこと。ウィーズリーの末娘を助けたいという思いで居てもたってもいられず談話室を飛び出し、その際にこれまたグレンジャーさんが『バジリスク』が水道パイプを通って移動していることや、『嘆きのマートル』のいるトイレこそが、『秘密の部屋』の入り口であると突き止めたことを……。

当然のことではあるが、そこに私の抱えていたような絶望や切望はなく、ただ自分たちが成してきた危険だが冒険的な事実だけがあった。

 

「そうでしたか」

 

ポッターが15分は話したであろう頃、ポッターの息継ぎのタイミングで、マクゴナガル先生が先を促すように言う。部屋にいる()()全員……私と、いつの間にか私の隣まで移動されているお父様、そして酷くつまらなさそうに欠伸を漏らしているダフネを除いた全員が、ポッター達の冒険譚に夢中になって耳を傾けていた。

私の頭をまるで割れ物でも扱うような優しい手つきで撫でるお父様を横目に、彼らの話は進んでゆく。

 

「そうやって『秘密の部屋』の入り口を見つけたのですね。その間一体何百の校則を破ったのかは知りませんが……。ポッター、しかし一体どうやって、あなた達はここまで生還できたというのですか?」

 

「それは、」

 

さんざん話をしたせいで、ポッターの声は少し枯れ気味だった。しかしそんなことに構わず、彼は話を進めた。

()()()()()()()()()()()()救い出すために、ウィーズリーとグレンジャーさん、そしてロックハート先生と共に『秘密の部屋』に乗り込もうとしたこと。その途中道が崩れてしまい、ポッターだけが先に進まなくてはならなくなったこと。

そして……

 

「僕達はずっと、そこにいるダリア・マルフォイこそが()()()である『継承者』だと思っていました。僕は彼女からジニーを助け出すために、『秘密の部屋』に乗り込もうとした。でも、違ったんです。彼女は『継承者』()()なかった。それを僕は……『秘密の部屋』で知ることになりました。本当の『継承者』自らの口から……」

 

私への疑いが完全に的外れであるということを、彼はやっと口にしたのだった。……当然だ。これを言わせるためだけに、私は彼らを連れて帰らねばならなくなったのだから。

ただ静かに彼の話を聞いていた全員の顔に衝撃が走る。それはジッとこちらを窺うような視線を投げかけていた老害も例外ではない。あの澄み渡りすぎて、逆に何も映していないであろう青い瞳を見開いている。

私の学校での状況を知らなかったのか、こちらを彼らとは別の意味で驚いた様子で見つめるドビー。そして当然のことだと言わんばかりに頷くお父様とダフネだけが、彼らとは全く違う反応を示していた。

 

しかし、どうやらすぐには納得できないらしい。私を散々疑い続けていた面々からさらに詳しい説明を求める声が上がる。

 

「で、では、()()()『継承者』とは一体誰だったのですか? ミス・マルフォイでなく、一体誰が『継承者』だったというのですか?」

 

あまりの驚愕に、私を疑ってはいないという薄っぺらな建前も吹っ飛んでいるのだろう。マクゴナガル先生の明け透けな質問に、ポッターは今まで淀みなく紡がれていた言葉が初めて途切れた。まるで戸惑うように、ジネブラ・ウィーズリーの方をチラリチラリと盗み見ている。

おそらく悩んでいるのだろう。もし真実を話して、誰も彼女が『闇の帝王』に操られていたと証明できなければどうしようか。彼女が純粋な被害者であると、皆に信じてもらえなければどうなってしまうのかと。

彼はなるべく穏便な言葉を探すように、中々口を開こうとしない。

 

()()()()()、私はポッターに助け舟を出してやることにした。勿論、本当にポッターやジネブラ・ウィーズリーを助けるためではない。

早くこの茶番を終わらせてしまうためだ。

私にとってウィーズリーの末娘がどうなろうと知ったことではない。彼女の無実が証明されようが、彼女が疑われたまま退学させられようが私にとってはどうでもいい。そんなことより、ダフネを早く暖かい談話室に返してあげることの方が重要なことなのだから。

 

しかし、ポッターに口を開かせたのは私ではなく……これまで一言も発していなかった老害だった。

私が言葉を紡ぐより早く、奴はいつもの()()()()()()()()()()()()()()声音で先を促す。

 

「ハリー……大丈夫じゃ」

 

それは私に向ける様な疑念や警戒など……これっぽっちも含まれてはいない物だった。

 

「君はジニーのことを心配しておるのじゃろぅ? じゃが、大丈夫じゃ。どんな真実があったにせよ、彼女が悪いことをしておらんことは、ワシだけではなくここにいる()()が分かっておることじゃろぅ。彼女が事件に関わっていたとしても、それはどんな状況でも被害者としての立場じゃ。じゃから、何も不安に思うことはないのじゃよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ああ……やっぱりこの人は偉大な人だ……。僕の心の中にうねるような安堵感が溢れる。

この人なら真実をきちんと判断してくれる。ジニーを疑うようなことは絶対にしないはずだ。彼には最初から、()()()()()()()()であるかなんてお見通しだったのだ。

だから僕は再び口を開く。もう迷いはない。ダンブルドアがジニーの安全を約束してくれたのだから。

 

「ヴォルデモートだったんです。ヴォルデモートこそが今年の、いえ、50年前も含めての『継承者』の正体だったんです。前回は彼が学生の時に開き、そして今回はジニーに魔法をかけて操ることで、『秘密の部屋』を開き、『バジリスク』を使って生徒を襲わせたんです」

 

「な、なんですって? 『あの人』? な、なんで突然『あの人』の話が? そ、それにジニーが魔法で操られていた? でも、ジニーはそんな……ジニーはこれまでそんな……ほ、本当なの?」

 

ヴォルデモートの名前に怯みながらも、ウィーズリーおばさんが必死な形相で尋ねてくる。それも当然だろう。疑われて当然であるダリア・マルフォイが『継承者』ではなく、それどころか自分の娘こそが操られていたとはいえ本物の『継承者』だと言われたのだから。ウィーズリーおばさんにとって、ダリア・マルフォイに襲われたという方が遥かに単純で疑いようのない話だったに違いない。

 

でも、それは単なる杞憂でしかない。だって、

 

「ジニーは悪くありません。彼女はこの日記に操られていたんです」

 

僕はこれ以上ウィーズリーおばさんを心配させないように、急いで日記を指さしながら話した。

ジニーは悪くない。この日記こそが全ての元凶なのだ。彼女には責められるべき点など一点もないのだ。ジニーを責めるなんてことは、絶対に間違っている。

 

それにダリア・マルフォイの件だって……。

 

僕はいつもの無表情で立つダリア・マルフォイと、そして彼女の後ろにまるで僕から()()()()()()立つドビーを盗み見ながら思う。

彼女はやはり疑われて当然の人間だった。ジニーではなく、彼女こそが本来なら罰せられるべき存在なのだ。

僕は燃え滾る怒りを抑えこみながら、一つずつ説明を重ねていく。

 

「トムは16歳の時にこれを書きました。この日記にはあいつの記憶が植え付けられていたんです。これを持った人間に、再び『秘密の部屋』を開かせるために。だからジニーは操られていただけなんです」

 

「で、でも、ジニーが……どうして『あの人』の日記なんかを? なんでうちのジニーが、『あの人』の日記を持っているの?」

 

僕の説明にまだ戸惑いを隠せない様子のウィーズリーおばさんに、

 

「わ、わたし、ずっとその日記に書き込んでいたの! 今学期中ずっと! 書き込んだら、その度に親切に応えてくれたから!」

 

ジニーがしゃっくりを上げながら叫び声をあげた。

 

「パパがいつも、独りで勝手に考えるものは信用しちゃいけない、それは闇の魔術がかかっているものに違いないからって言ってたのは覚えてたよ! でも、彼はいつも親切だったから……私思わずこれに書き込み続けていたの! そ、それに……この本は、ママが準備してくれていた本の中に()()()()あったから……」

 

「な、なんで……どうしてそんなものが?」

 

ジニーの悲痛な叫びを受け、ウィーズリーおばさんは益々戸惑ったような表情を浮かべていた。ウィーズリーおじさんも同様の表情だ。紛れ込むはずのない闇の道具。それが最初からジニーの手元にあったと言われたのだから、彼らの戸惑いも当然だろう。

だけど……それももう終わりだ。僕は、誰がこの一連の事件を引き起こしたのか……そして誰がそれを手引きし、()()()()()()()()()()()に気が付いたのだから。

僕は二人の不安を取り除いてあげるため、そして抑え込んでいた怒りを解放するために、怒りの眼差しを部屋の端に立つ四人に向けながら口を開いた。

 

「おじさん、おばさん。何故ジニーがトムの日記を持っていたか……それを一番知っているだろう人が、この部屋にいます。そうでしょう? マルフォイさん……。あと……」

 

僕の中にあったダリア・マルフォイへの罪悪感は、もうすでに僕の心の中のどこにもありはしなかった。

 

 

 

 

「ダリア・マルフォイ」



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失われた家族(後編)

  

ハリー視点

 

話しかけられると思ってもいなかったのか、どこかギョッとした表情を浮かべるルシウス・マルフォイ。変わらず無表情のままのダリア・マルフォイの横から、僕に食ってかかるように大声を出す。

 

「何故ここで私と……ダリアの名前が挙がるのだ? 馬鹿な小娘がどうやって日記を手に入れたかなど、私とダリアが知るわけがなかろう!」

 

「いいえ。貴方は知っているはずだ。だってジニーに日記を与えたのは……()()なのだから」

 

効果はルシウス氏に関して()()()劇的だった。顔面を蒼白にし、落ち着きなく手を開いたり握ったりしている。そしてまったく表情を変えないダリア・マルフォイを、チラチラを盗み見始めるルシウス氏に僕は糾弾を続けた。

 

「ジニーはウィーズリーおばさんの準備していた本の山に、日記が最初から入っていたと言いました。でも、ウィーズリー家がそんな品を持っているはずがない。あるとすれば、ジニーが本を買う段階で紛れ込むくらいしか、ジニーが日記を手にする機会なんてないはずです。そしてフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で出会ったのが……貴方だ。貴方が日記をジニーの持っていた鍋に紛れ込ませたんだ」

 

僕は声高にルシウス氏に言いつのる。怒りをぶつけるように。ジニーがこれ以上、自分を責めなくて済むように、僕は声を張り上げて本当に罰せられるべき人間()をなじる。

でも、

 

「……何を言うのかと思えば。君は何を馬鹿なことを言っておるのだ? よしんば書店で私と出会ったとして、何故私が犯人だということになるのか理解出来ん。そもそも本当に書店で日記が紛れ込んだかも分らぬ上に、私以外にも書店には大勢いた。言いがかりにも程があるぞ、ポッター」

 

「そ、それは……」

 

表情こそ慌てたものになっているものの、ルシウス氏に僕の言葉が届くことはなかった。

それどころか、僕の攻勢は早々に途絶えてしまうことになる。

 

だって、僕がルシウス氏とダリア・マルフォイの犯行だと確信した理由を言ってしまえば……。

 

僕はダリア・マルフォイの陰にソロリソロリと移動するドビーを見つめながら、これ以上何も言えなくなってしまった。

僕が言葉に詰まったとみるや、ルシウス氏は畳みかけるように話し始める。

 

「……ふん。それ見たことか。所詮は子供の癇癪か。ポッター。よしんば日記がウィーズリーの持ち物でなかったとしても、それを私の仕業だと言い張るのは無理があると思うがね。()()()()私からしたら、実に不愉快な話だ。それともこの学校は、無実な人間に罪を押し付けるよう教育されているのかね? ダリアが『継承者』として疑われたように……。やはりダンブルドア、貴方は校長職から退くべき人間であったみたいですな。生徒の教育も碌に出来ないらしい」

 

「ダンブルドアを侮辱するな! 校長は、お前みたいな奴が侮辱していいような人じゃない!」

 

こいつが犯人だという確信、そして決定的な()()()ある。それなのに、こいつは言葉巧みに逃げおおせようとしているばかりか、ダンブルドアのことまで侮辱しようとしているのだ。スリザリン談話室でのドラコ・マルフォイのように。

本当に嫌な奴らだ! こんな奴ら、絶対に許すわけにはいかない!

頭に血が上ってしまった僕は、のらりくらりとかわし続けるルシウスの代わりに、もう一人の罪人に目標を変えることにした。

 

もう一人の容疑者であるダリア・マルフォイに。『継承者』でなかったとしても、やはり事件には無関係ではなかった罪人に。

 

「それにルシウス・マルフォイ、罪を犯したのは貴方だけじゃない! ダリア・マルフォイ、君は確かに『継承者』ではなかったけど、今回の事件に無関係だったわけではないのだろう!?」

 

「……」

 

答えはなかった。彼女はいつも通り一切表情を変えず、僕を無表情に眺めている。僕が糾弾しているというのに、こちらに何の興味も示していないかのような無表情。反応したのはどちらかと言えば彼女ではなく、彼女の周りにいる人間達だけだった。グリーングラスはただ蔑んだような表情に変わり、ルシウス氏も同様の表情に変わっている。

そんな中、ドビーだけはただでさえ大きな瞳を見開きながら、

 

「ち、違います! ダ、ダリアお嬢様は……」

 

と小さな声で何か言いかけたが、すぐさま自分を罰するように耳をひねり始めていた。

期待していた反応が返ってこずイラつく僕に、しびれを切らしたのはマクゴナガル先生だった。

 

「ポッター、どういうことなのです?」

 

マクゴナガル先生の問いに、僕は必死に裾を引っ張るハーマイオニーに構う余裕もなく続けた。

 

「……僕が『秘密の部屋』に入った時、彼女はトムと何か話していました。何を話していたのかは、支離滅裂でよく分かりませんでしたが、確かに何かトムと話していたんです! それに僕が『バジリスク』を剣で倒した後も、彼女は僕を気絶させたんです! ダリア・マルフォイ! 君はあの時、僕が『武装解除』したから呪文をかけたって言ったけど、本当は何をしていたんだ!? あの時は君を『継承者』だと疑っていたことを悪く思っていたから追求しなかったけど、今は違う! 君の父親が今回の事件を手引きしていたのなら、君が無関係なはずがない! 君は余りにも不可解な行動が多すぎた! それにグリーングラス、君もだ! 君はハーマイオニーやロンを気絶させてまで『秘密の部屋』に来た! ジニーを助けるために来た二人をだ! 一体何の目的があったんだ!? 答えろ! ダリア・マルフォイ! ダフネ・グリーングラス!」

 

「……」

 

今度こそは言い逃れすることは出来ない()()。『秘密の部屋』に突入した僕でさえ知らない行動を、彼女が行っていたという()()。彼女が怪しい人間であることは間違いない。その証拠に、先程まで『継承者』ではなかったということで和らいでいたダリア・マルフォイへ向けられる視線が、再び厳しいものへと変わっていく。

しかし、ルシウス・マルフォイの時と同様、僕の必死な糾弾は通じることはなかった。相変わらず馬鹿にしきったような表情のグリーングラスが何か言う前に、ルシウス氏の方を一瞬見上げていたダリア・マルフォイが口を開く。

無表情ながら、その声音は言い逃れをするものではなく、寧ろどこか僕を挑発するような響きを持っていた。

 

……僕がルシウス氏への怒りを()()()()()()()()程の、強烈な嘲りの響きを。

 

「……『秘密の部屋』で言った通りですよ。貴方はそんなことすら忘れてしまったのですか? 貴方に呪文をかけられたので、貴方が敵であると誤認してしまっただけです。ダフネだって、貴方のお友達達と同じ動機で来ただけですよ。『継承者』に私が攫われたと思って助けに来てくれた。責められる理由などどこにもない。優しい彼女を否定することなど、絶対にあってはならない。……それと、私が何か『継承者』と話していたと仰いますが、それがどうしたというのですか? 貴方には関係ないことです。『継承者』の戯言を信じるなんてどうかしています。最後に……貴方が寝ている間に何をしていたかですか? それこそ、何故あなた如きに話さないといけないのですか? それに、私が何か言ったところで、()()()が信じてくれるのですか? 私が『秘密の部屋』で何をしていようが、あなた方にそれを証明することは出来ない。……お父様の()()()()()()()を問えないように」

 

淡々とした物言いでありながら、どこまでも僕の神経を逆なでする言い方だった。

頻りに頷くグリーングラスを横目に、ダリア・マルフォイはダンブルドアを睨みつけてから続ける。

 

「本当に愚かですね、ポッター。証拠もないのに騒ぎ立てる貴方は、実に滑稽です。それとも、何か証明できるものがあるというのですか? そんなもの、絶対にありはしないでしょうけど」

 

僕は煽るように話すダリア・マルフォイに反論したくても……実際は悔しさのあまり俯くことしか出来なかった。

……証拠ならあるのに。フォークスの見たであろう光景だけではない、さらに確固たる証拠が……。

僕はドビーがルシウス氏の傍に控えている光景を見た瞬間、()()()理解していたのだ。

ドビーは僕の元に現れた時に言っていた。

 

『これはご主人様を裏切る行為です! ご主人様だけではございません! ドビーめを大切に扱ってくださる()()()も裏切る行為なのです!』

 

それは紛れもなく、ドビーの主人とお嬢様とやらが今回の事件に関わっている決定的な証拠だった。ドビーがマルフォイの『屋敷しもべ妖精』であるのなら、ルシウス・マルフォイは勿論のこと、ダリア・マルフォイも何かしらの形で今回の事件に関わっている可能性があるのだ。

 

『継承者』ではなかったとしても、彼女は今回の事件を裏で手引きしたもっと許されない人間だった。

 

でもそれが分かっていたとしても……僕はドビーのことを言うわけにはいかない。

 

ドビーが僕のもとに来たことを言えば、ここでダリア・マルフォイ達の犯行を裏付けることが容易になることは間違いない。僕と……そして()()()()証言することで、必ずやダリア・マルフォイを追い詰めることが出来るだろう。ポリジュース薬の時は失敗してしまったけど、今度こそあいつの隠し事の全てを白日の下にさらすことが出来る。

 

でも、それは出来なかった。

何故なら……ドビーがダリア・マルフォイ達の犯行を証言してしまえば、その先ドビーは無事に過ごすことが出来ないだろうから。

ドビーはきっと……殺されてしまうことだろう。ダリア・マルフォイによって……証拠隠滅のために。人だって笑顔で殺そうとするような奴だ。ドビーだって、彼女は()()()殺すことだろうことは()()だった。

 

なら、ドビーの発言をもってダリア・マルフォイの犯行を証明するわけにはいかない。ドビーには散々迷惑をかけられてしまったけど、それらは全て僕を思ってのことでもある。ドビーが犠牲になるようなことを出来るはずがない。

彼が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、僕はドビーのことを持ち出すわけにはいかないのだ。

 

僕はやはり何も言えなくなってしまい……血が滲むほど固く拳を握るしかなくなった。フォークスのことだって、ダンブルドアにはどうにかすることが出来るかもしれないというだけで、実際はどうにも出来ない可能性すらある。

結果、僕は悔しくともただ睨みつけることしか出来なかった。

そんな僕に声をかけたのは、

 

「あぁ、ダリア。そなたの言う通り、誰も証明できんじゃろぅ」

 

やはりダンブルドアだった。

ダンブルドアは僕の方に微笑みながら口を開いた。

 

僕を優しく包み込む、あのいつも僕を導いてくれる声音で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

私の目の前では、酷く不愉快な茶番劇が繰り広げられている。

白々しくて、愚かで、下らない……そんな見るに堪えない茶番が。

 

「トムが日記から消え去った今、この日記が誰によってジニー・ウィーズリーの手元に置かれ……そして誰によってトムの犯行が()()()()()()()()()()証明することは出来ん。じゃがのぅ、ルシウスよ。わしはハリーのことを信用しておる。じゃからこそ忠告しよう。今回の事件は……非常に残忍で、狡猾な計画じゃ。もしハリーとその友人たちがこの日記を見つけておらねば……()()()()()()()()()()()助け出された後、彼女が全ての責めを負うことになったかもしれん。日記を見つけずして、どうしてジニーが真の『継承者』でないと証明できようか。そうなればどうなっておったか。君と不仲であろうウィーズリー家は()()()()()()で責められていたことじゃろぅ。残忍で……想像を絶するほど卑劣な計画じゃ」

 

ダンブルドアはルシウス氏と……視界の端に()()()()()を捉え続けながら続ける。

ルシウス氏のみに対する言葉とは裏腹に……ダンブルドアはどこまでも()()に対して警告していた。

 

「ルシウスよ……。今回はこれ以上追求せぬが、ヴォルデモート卿の学用品をバラまくのは止めることじゃ。もしこれ以上罪を犯すと言うのであれば、必ずや君の毛嫌いするアーサー・ウィーズリーが、君を真っ先に捕まえに行くことじゃろぅ」

 

「……」

 

……何なのだろうこの光景は。私は段々と冷たくなっていく思考で、このどうしようもなく馬鹿馬鹿しい茶番劇を眺めていた。自然とダリアの手を握る力が強くなる。

確かに、ルシウス氏の今の表情はお世辞にも無罪と思えるものではない。ダンブルドアの視線に立ちすくみ、ダリアの方をチラチラと青ざめた表情で見やっているのは、どう考えてもやましいことがないというわけではなさそうだった。もし本当にルシウス氏が『秘密の部屋』を開く手引きをしたのなら、それはダリアが追い詰められる原因を作ったのは、他ならぬルシウス氏だったということになる。

 

それはそれでダリアが可哀想で仕方がなく、ルシウス氏に自覚があったとしても絶対に許せないことではあるのだけど……私はそれ以上に、このどうしようもなくダリアへの行いを無視した光景に腹が立っていたのだ。

 

証拠がない状況でダリアを疑っていたくせに、今度は証拠がないのにルシウス氏どころか……ダリアさえも容疑者と訴えるポッターを信じる。こんな馬鹿な話があっていいはずがない。そんなの不公平だ。ダリアを一体なんだと思っているのだ。

言及こそしていないけど、ダリアのことに関してもポッターの意見を鵜呑みにしている様子のダンブルドア。そのダンブルドアの意見をさらに鵜呑みにするマクゴナガル先生とウィーズリー夫妻。夫妻と同じくルシウス氏とダリア、そして私を睨みつける()()。ダリアを追い詰める原因を作ったかもしれないルシウス氏……。そして……()()()()()()()()()()()()()()()()ジネブラ・ウィーズリー。

私はこの部屋の中を構成する全ての物が、どうしようもなく穢れたものに見えて仕方がなかった。でも、反論してもどうせ聞き届けられない上に、余計なことを言ってしまえばさらにダリアを追い詰めることになってしまう可能性がある。黙って馬鹿どもの話を聞かないといけない空間に、私は息をすることすら不快に思えて仕方がなかった。黙って出て行ってもよかったのだけど、それでも未だにこの部屋に踏みとどまっているのは、一番つらい思いをしているだろうダリアをここに置いていくわけにはいかないという思いからだった。

 

怒りを通り越して何も言えなくなっている私を横目に、ダンブルドアは顔面蒼白なルシウス氏から視線を逸らしながら話す。

 

「さて、事件はこれで全て解決したようじゃのう。タイミングがいいことに、先程マンドレイクから造られた薬も完成したとの連絡もあってのう。これで更に()()()()事件の謎も解決することじゃろぅ。ここは一つ、盛大に祝う必要があるのう。キッチンに言って御馳走を用意してもらわねばならん。じゃが、その前に……」

 

ポッターと愉快な仲間達に向き直りながら、老害は()()()()お茶目に宣言した。

 

「グレンジャーさんは別じゃが、二人にはこれ以上校則を破るようなら退学にすると言うたのう……それは撤回じゃ。君達は本当によくやってくれた。()()()『ホグワーツ特別功労賞』を授与すると共に、一人につき200点ずつグリフィンドールに与えよう」

 

()()()()()()()が喜色満面の笑みを浮かべる。グレンジャーだけが喜ぶ二匹とは裏腹に、まるで縋るような、今にも泣き出しそうな表情でダンブルドアを見つめているが、そんな彼女に気が付いていないのか、老害が今度は部屋にいたもう一人の人間に言及し始める。

 

「さて、ここまで話が進んでおるのに、未だに自分の行った役割について何も言おうとせぬ人物がおるのう。ギルデロイ、どうしたのじゃ? いつもの君らしぅないのう。何故そんなに静かにしておるのじゃ?」

 

それに対し、ウィーズリーが急いだように話し始めた。

 

「先生、ロックハートは……僕達にかけようとした『忘却術』が逆噴射したんです。今じゃ自分のことすら覚えていないみたいなんです」

 

……やけに静かだと思っていたらそんな理由だったらしい。いつもならダリアに空気も読まずに絡んでいるのに、何故こんなにも静かなのだろうと不思議に思ってはいたのだ。もしウィーズリーの言葉が真実であれば、今までの馬鹿どもが話していた中で最大にして唯一の明るいニュースだった。

……まぁ、()()()()()無能を許すつもりなんてないけど。

ウィーズリーの説明を受け、老害はわざとらしく首を振った後、

 

「なんとそうであったか! 自らの剣に貫かれるとはのう、ギルデロイ……。じゃが、このまま放っておくわけにはいかんのう。……おお、そうじゃ。わしとしたことが忘れておった。ジニーや、辛い時に長々とこの年寄りの話に付き合わせて悪かったのう。マダム・ポンフリーの元に行き、熱いココアの一杯でも飲むがよい。グレンジャーさんとウィーズリー君も同様じゃ。……マクゴナガル先生、ついでにギルデロイを連れて行ってもらってもよろしいかのう?」

 

考え()()()マクゴナガル先生に話しかけていた。万事解決、全ては丸く収まり世界は大団円とでも言いたそうな空気の中……退出をさとされる人間の中に、私達の名前が上がることはなかった。

どうやらルシウス氏……そして私とダリアを解放する気はまだないらしい。まだ私達から……ダリアから話を聞き出したいとでも思っているのだろう。特にダリアに関しては、犯行を裏付ける()()()()()()()()は皆無だ。やった証拠は勿論ないけど、同時にやってない証拠もないとでも思っているのだろうか。だからこそ、ダリアがやった証拠を何としてでもここで手に入れようとでも考えているのだろう。老害の底の浅い考えなんて手に取るように分かる。

でも、

 

「……()校長。何故これ以上追求しないと、()()()()()()()おっしゃった貴方が私達を帰そうとしないのか理解に苦しみます。()()()()()()()()、ダフネの服も濡れてしまっているのですよ? 私達をここに残しておく理由がないはずですが? それとも、あれだけ大言壮語を仰っていた手前恐縮なのですが、私達を残しておく理由になる()()()()証拠でもあったのでしょうか? ダフネが風邪をひいてもいいと思える程の」

 

ダリアの方が一枚も二枚も上手だった。最も、ダンブルドアと一緒の空気を吸いたくないという理由と共に、本当に私のことを心配してということもあるのだろうけど。

ダリアの怒りに満ちた声音に、部屋の中の空気が完全に凍りつく。

彼女の発言が厚顔無恥だとでも思っている様子の馬鹿どもは、ただでさえ鋭かった視線をさらに鋭くしていた。しかしダンブルドアだけは、やはり証拠がない以上ここに縛り続けることは出来ないと考えたのか、

 

「……よかろう。ミス・グリーングラスも、悪かったのう。もう戻ってよいぞ。じゃが……ダリアよ。一つだけ訂正せねばならん。実は今日君の父以外の理事から懇願されてのう。戻ってきてくれなければ、アーサー・ウィーズリーの娘が死んでしまう。家族を呪うと脅されたからワシの停職には賛成したが、やはりワシに校長に戻ってもらわねば困ると言われてしまってのう。()()()()()()、ワシはまた校長に復職しておるのじゃよ」

 

相変わらず警戒心丸出しの視線を送りながら応えた。

ダリアは老害の復職に無表情で舌打ち一つし、一瞬ダンブルドアの後ろにいる『不死鳥』と視線を合わせたかと思うと、これ以上ここにいるのは不快だと言わんばかりにサッサと扉に向かって私を引っ張り始める。

私も全く異論はなかったため、ダリアと……そして私達に続くような形のルシウス氏と共に部屋を後にしようと足を進めた。

 

しかし、

 

「……待ってください」

 

私達はまだこの不快な空間から出ることは出来ないらしい。

今まで泣きそうな表情でポッターの袖を引っ張っていたグレンジャーが、私達を呼び止めてから、ポツリと絞り出すように話し始めた。

 

「……ダンブルドア先生。……どうして? どうしてです? どうして貴方は、グリーングラスさんに『特別功労賞』と点数を与えないんですか?」

 

突然何の脈絡もなく発せられた言葉に……何だか酷く不愉快な話になりそうな予感がした。

グレンジャーは絶望に満ちた声で続ける。

 

「マルフォイさんもジニーと同じで『継承者』に攫われていたんです。彼女は『継承者』なんかではなかった。皆の疑いは間違いだった。でもそんな中で、グリーングラスさんだけはマルフォイさんを信じて、彼女を助けに行こうとした。それは私達の行動と何一つ変わらないものです。……それなのに、どうして私達は賞と点数を貰って、彼女には何もないのですか? 先生は……マルフォイさんとグリーングラスさんをまだ疑っているというのですか?」

 

……グレンジャーに胡乱気な目を向けるのは、私だけではなかった。この瞬間だけは、皆共通して訝し気な視線をグレンジャーに送っている。言葉にしなくとも、ダリアを犯人の一味という前提のもとに進められていく会話。その流れを完全に無視したグレンジャーの言葉に、全員が息を呑んだように静まり返っていた。

それはダンブルドアも例外ではなく、予想もしていなかった人物からの、予想もしていなかった言葉に目を見開いている。グレンジャーとしては、無理やりにでもダリアが犯人ではないという前提での話に持っていきたいのだろうが、ダンブルドアはそんな彼女の意図には気付かず、あるいは無視し、まるでグレンジャーが()()()()をしたかのような反応を示していた。

 

「……グレンジャーさん。ワシの認識が間違っておらんならば、ミス・グリーングラスは君達に『失神の呪文』をかけて、『秘密の部屋』に入っていったはずじゃ……。『継承者』と『バジリスク』がどこに潜んでいるか分からぬ中、君達を暗闇の中に放置したのはどうかと思うのじゃが……。それを君は()()というのかのう?」

 

グレンジャーがまるで慈愛からくる、とても()()()()()()言ったと示すかのような態度だった。ダンブルドアの声もどこか震えている。

 

……目の前の光景に酷い吐き気を覚えた。

これ以上、こんな茶番に付き合っていられない。

 

「ダンブルドア先生、そうではなく、」

 

「ふざけたことを言わないでもらえませんか? 反吐が出る」

 

ダンブルドアの言葉にグレンジャーが何か応える前に、私は遂に我慢できずに口を開いていた。

私が泣いて喜ぶとでも思っていたのだろう。突然の口汚い罵倒に、グレンジャーさん以外のダンブルドア信奉者たちが目を見開いた後顔を真っ赤にしている。

勿論、私がそんな視線にたじろぐはずがない。私は冷たい視線にさらされる中、自分の中でくすぶり続けていた怒りをぶちまけ始めた。

 

「私がどうしてグレンジャーに許されないといけないのですか? 確かに私がやったことは、ジネブラ・ウィーズリー()()を助けようとするグレンジャー達の邪魔だったかもしれませんね。それに貴方が言う通り、『継承者』と『バジリスク』がいる可能性を考慮したうえで、私はグレンジャー達をあの場に放置しました。でも、だからどうしたと言うのです?」

 

そう、それがどうしたと言うのだろうか。ダリアを傷つけた連中のことを、どうして私が気にする必要があるのだろうか。ポッターにウィーズリー兄妹。それに……グレンジャーがどうなろうと私が知ったことではない。

 

それなのに……どうして私は……。

 

燃え上がる怒りの中で、一瞬だけ感じてしまった()()()を無視しながら、私は言葉を続ける。

 

「『継承者』でもないのにずっと『継承者』だと疑い続け、挙句の果てに攫われても尚ダリアを追い詰めた貴方達のことを、どうしてダリアの親友である私が考慮しないといけないんですか? 私は自分がやったことにこれっぽっちも後悔なんてしていません。私の行いが悪だと言うなら、いくらでもそう言えばいい。でも、私は後悔だけは絶対にしない。同じ状況になれば、私は何度だって同じことをします。どんな手段を使っても、どんな犠牲が出ようとも、私はダリアの味方であり続ける。この思いを、貴方達の下らない茶番で穢されてなるもんか! 私は賞や点数を貰うために、『秘密の部屋』に行ったんじゃない! ましてや、ダリアを疑う人間から貰う点数なんていらない! ダリアと私を馬鹿にするな!」

 

私だってスリザリンの端くれだ。普段から手段なんて選ぶつもりはない。寮優勝のためだったら、それがどんなに汚い点数でも喜んで享受することだろう。

でも、こいつからの点数だけは違う。

老害から貰う点数、賞、言葉。それらは全て、ダリアを貶めてきた口から発せられたものだ。そんなもの、私は絶対に欲しくない。

 

そんな怒りをぶつけるように捲し立てたのだけど……案の定、これだけ言っても尚私の言葉は理解されなかったらしい。

ダンブルドアだけが妙な表情を浮かべる中、グレンジャー以外の人間は怒りを募らせている様子だった。

もう私の言うことは何もない。これ以上、ここにダリアを足止めするわけにはいかない。

私は何も言われないのをいいことに、今度こそ完全に彼らを無視し、ダリアの手を引っ張った。

 

「ごめんね、ダリア。下らない時間をとらせちゃって。こんな所早く出ていこう。ルシウスさんも……一緒に行きましょう。これ以上こんな所にいたら、私達まで腐った人間になっちゃうよ。それに、ドラコだって心配しているはずだよ」

 

ドラコの名前で一瞬ダリアの手が強張ったけど、私がそっと手を握りなおすと安心したように前へ歩き始める。

 

あぁ……やっと終わった。長い、長すぎる程続いた今年の事件が。

 

部屋のドアを開けながら、私はそっとため息をつく。私達の後ろをどこか所在なさそうな様子のルシウス氏と『屋敷しもべ』、そしてウィーズリー一家と無能教師に、

 

「ごめんなさい……。わ、私、そんなつもりではなかったの……」

 

と涙声で小さく呟き続けるグレンジャーが歩いているが、私はその全てを無視し、片手に感じるダリアの温もりだけに意識を向けながら思う。何故か感じていた罪悪感も、このダリアの温もりがあればドンドン小さなものになっていくようだった。

あの馬鹿どもの様子だと、結局ダリアに向けられる疑いの目は変わらないのかもしれない。ダリアを取り巻く状況は、実際は何一つ変わらないのかもしれない。

 

でも、一つだけ確実に変わったことがある。

私とダリアは……ようやく友達になることが出来たのだ。私からの一方通行なものではなく、お互いが認める、本当に一緒にいたい友達に。

だから恐れる必要はない。恐れてはいけない。

私は今度こそ、ダリアに真の意味で寄り添っていられる。大切なものを必死に守りながら、その過程で出来た傷を隠し続けるだろうダリアと、私は一緒にいることが出来る。

 

ダリアは孤独ではなくなった。

 

悩みを消すことは出来ないかもしれない。ダリアの代わりに傷ついてあげることは出来ないかもしれない。

でも、一緒に悩むことは出来る。一緒に傷つくことは出来る。……一緒に、傷つきながらも前へ歩き続けることは出来る。

だからもう……私は恐れることはない。ようやくダリアが孤独ではなくなったのだから。

 

 

 

 

そう思っていた直後……それは突然起こった。

 

それは紛れもなく……ダリアへの罰に他ならなかった。

誰かを犠牲にすることで、娘を守ろうとした父親の罪への罰。娘の敵を追放するという手段が、いつの間にか目的にすり替わっていたルシウス氏への罰を。

世界と人間はどこまでも残酷で理不尽だった。娘を守ろうとした父親への罰を、その娘自身が受ける。本当に……理不尽なことだと思う。

 

でもそれこそが……罰の本質なのかもしれない。

だって罰は……理不尽なものでないと、()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ドアの向こう側へと、ダリア・マルフォイ達が去ってゆく。何の証拠も挙がらず、それ故に何の罰も受けないまま。ジニーはあんなに苦しんでいたというのに……。

本当にこれで終わってしまっていいのだろうか。本当にこのまま、僕は諦めてしまってもいいのだろうか。

 

僕はダンブルドアと二人残された部屋で、必死に考えを巡らせる。

そして、

 

「……ダンブルドア先生」

 

僕は急いで口を開いた。

 

「その日記。ルシウス氏にお返しして来てもよろしいでしょうか?」

 

僕の必死な様子が伝わったのだろう。ダンブルドアはそっと僕の瞳を覗きこんだかと思うと、そのまま静かに言った。

 

「勿論じゃとも、ハリー。ただし急ぐのじゃよ。宴の件もあるが、君にはまだいくつか話したいこともあるしのう」

 

やはりダンブルドアは偉大な方だ。何の脈絡もない提案なのに、彼には僕が今から何をしようとしているかなど全てお見通しなのだろう。僕はダンブルドアへの感謝と畏敬の念を胸に、机の上にある日記を鷲掴みにしてから部屋を飛び出した。

 

……本当にこの計画が上手くいくかは分からない。でも、やるだけの価値はあるはずだ。たとえ失敗したとしても、誰も傷つくことはない。もし上手くいけばダリア・マルフォイを捕まえられるようになるばかりではなく、マルフォイ家という危険な一家の中に身を置くドビーを()()()()()()()()()かもしれない。

 

周り角で消えかけている一行の背中に急ぎながら、僕はソックスの片方を脱ぎ、日記の間に挟んだ。そして、

 

「ルシウス・マルフォイさん!」

 

目的の人物を呼び止めた。

走ったせいで息を弾ませながら、僕は不愉快そうにこちらを振り向くルシウス氏にソックス入りの日記を押し付ける。

 

「忘れものですよ!」

 

日記を手渡されることで、僕の言いたいことを理解できたのだろう。ルシウス氏は憎々し気に言い放った。

 

「何のつもりだ、ポッター。悪ふざけにも程がある。これは私の物ではない、そしてその証拠もない。君にはそう言ったはずだが?」

 

彼は怒り狂いながら僕に視線を移し、日記の残骸を無意識に()()()()()()()()()()()

計画の成功した僕が、必死に笑いを抑えているとも知らずに。

 

上手くいくかは五分五分だと思っていたけど、存外に上手くいってしまった。それはもう拍子抜けすぎて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思える程に。

僕は勝利を確信していた。これでドビーは……。一時はどうなることかと思ったけど、これでやっとダリア・マルフォイを……。

まだルシウス氏は勿論、グリーングラスも、そしてダリア・マルフォイでさえ僕の真の意図には気が付いていない。ただ僕が挑発のために日記を持ってきただけとしか思っていない様子だった。こちらを呑気に見つめる彼女達を横目に、ルシウス氏は言葉を続ける。

 

「あまり調子に乗っていると、君も君の両親と同じような目に遭うぞ、ポッター。連中も実にお節介で、どうしようもない愚か者だった」

 

口調こそ柔らかだったけど、紛れもなく脅しに他ならない。ルシウス氏は冷たく僕を睨みつけた後、これで本当にここに用はなくなったと言わんばかりに、

 

「ダリア、医務室に行くぞ。それと……ミス・グリーングラスも。馬鹿どもにこれ以上構ってはおれん」

 

そう言って、ダリア・マルフォイとダフネ・グリーングラスを伴い歩き出そうとした。

でも、

 

「あぁぁぁぁ!」

 

ドビーの上げた突然の大声で立ち止まることになる。ドビーは日記の中にソックスがあるのを見つけた後、声にならない悲鳴を上げたから。

彼が振り返ると、そこには遂に笑みを抑えきることが出来なくなった僕と、日記に挟んであったソックスを見つめるドビーの姿があった。

 

 

 

 

……僕は最初、悲鳴はドビーの()()からくるものだと思っていた。マルフォイ家から解放されたことに対する歓声。これで自由の身になった。もうマルフォイ家のような家にいる必要はない。だから絶対に、ドビーだって喜んでくれる……だからこそ彼は歓声を上げたのだと……そう思っていたのだ。

 

でも、違った。ドビーの悲鳴は喜びから来るものではなく……

 

「ち、違うです! こ、これは何かの間違いなのです! ド、ドビーめはソックスなど受け取っていないのです! お嬢様、ド、ドビーは決してソックスを受け取っておりません!」

 

驚愕と……悲しみや恐怖から来るものだった。

 

まるでこの世で一番恐ろしいものを見たかのような反応でソックスを放り出すドビーの姿を見て、ルシウス氏は僕が一体どういうつもりで日記を渡したのかようやく理解できたようだった。

ルシウス氏は目を見張りながら、予想も出来なかったドビーの反応に驚く僕を怒鳴りつけようとして、

 

「小僧! どういうつもりだ!? よくもマルフォイ家の召使を、」

 

「……ポッター、どういうつもりですか?」

 

ダリア・マルフォイの凍てつくような声音によって遮られた。その声音は……『禁じられた森』で聞いた時と同じ、どこまでも冷たく残酷な響きを持っていた。

この場にいた全員が、思わずといった様子でダリア・マルフォイの方を見つめる。

 

そして皆の視線を受けながら、それでも尚僕だけを睨み続けるダリア・マルフォイの瞳は……やはりあの『禁じられた森』での時と同じ、()()()()()()()輝きを放っていた。

 

「ドビーは私の家族です。そんな彼との絆を、貴方は引き裂こうとした。……どういうつもりですか? どういう了見で、私の大切な家族を奪うつもりなのですか? 答えなさい……。答えろと言っている! ポッター!!」

 

叫んだと思ったその瞬間には、もう彼女は杖を抜き放っていた。あまりの速さに、()()()()誰も反応出来ない。僕もダリア・マルフォイの凶行に一切反応出来ず、気が付いた時にはもう彼女が呪文を放とうとしているその瞬間だった。

……彼女は放とうとしていた。『秘密の部屋』で僕を気絶させたような生温い呪文などではない、『禁じられた森』で見せたような、決して人間に放ってはならないような呪文を。

僕を傷つけるために……。僕を……殺すために。

 

しかし、

 

「ダリア、駄目だよ!」

 

ダリア・マルフォイの凶行は、グリーングラスによって止められることになる。杖腕とは反対の、今までずっと握っていた手を引くことで、グリーングラスはいとも簡単にダリア・マルフォイを止めてしまったのだ。

ダリア・マルフォイの血のように紅い瞳を覗きこみながら、グリーングラスはゆっくりと繰り返す。

 

「落ち着いて、ダリア。大丈夫、大丈夫だから。貴方の『屋敷しもべ』は、ソックスは受け取っていないって言ってるよ。だから大丈夫。彼には貴女から離れようなんて意志はないよ。貴女の家族は、貴女から離れようなんてしていないよ。そうでしょう? ええっと……ドビー?」

 

必死に、でも決してダリア・マルフォイを刺激しないように話すグリーングラスが、ソックスを放り出した態勢で凍り付くドビーに尋ねる。

それに対しドビーは急いだように叫ぶ。

 

「も、勿論でございます! お、お嬢様、そしてご友人のお嬢様、ド、ドビーめは決して……決してお嬢様を()()()()()()()()()、」

 

ドビーの叫び声は紛れもなく、ダリア・マルフォイからの()()を拒むものだった。

彼は僕がソックスを与えたにも関わらず、それを受け取らなかったのだ。

僕は思わず大声を上げて()()()

 

この状況で、最も言ってはいけない言葉を。ドビーがマルフォイ家から解放されていない状態で、僕が決して言うまいと思っていた言葉を。

 

「ど、どうしてだよ、ドビー! 君はもう自由になったはずだ! 君は衣服さえ貰えば、マルフォイ家から自由になれるって言ってたじゃないか! だから僕は……。君だって、そんな奴らと一緒にいたくなかったはずだ! だからこそ君は僕を助けるために、夏休みも、それにクィディッチの試合の時も僕の所に来て、『秘密の部屋』について()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

……やってしまったと思った。僕は予想外の事態に驚くあまり、言ってはならない人物たちの前で、一番隠しておくべきことを言ってしまったのだ。

自分の失態に僕が気付いた時には、今度こそドビーは本当に凍り付いたかのように立ちすくんでしまった後だった。奇妙な静けさが廊下に満ちる。

そんな中、一番初めに声を上げたのが、

 

「……どういうことか説明しろ、ドビー」

 

先程以上の怒りの形相を露にしたルシウス氏だった。

僕の失言のせいで、ドビーは危険な状況に陥ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドビー視点

 

ご主人様の怒りに震えた声が廊下に響く。どこまでも冷たい……今まで向けられていたどんなものよりも冷たい声が……。それは間違いなく、ドビーめが向けられたことのない、本物の殺気だった。ご主人様には何度も殺してやると言われたが、今までの言葉はただの口上だけのものでしかなかったのだ。

身も震える程の恐怖を覚える。恐ろしくて、ご主人様のお顔も碌に見つめることが出来ない。しかしそんな恐怖の中でも……ドビーめはご主人様がお怒りになるのも当然のことだと心の奥で感じていた。

何故なら……ドビーめが行っていたことは、紛れもなくお嬢様に対する裏切り行為だったのだから。

 

「ポッターに警告だと? こいつは何を言っておるのだ? ……いや、そもそも何故ポッターがお前の名前を知っておるのだ? お前とは初対面のはずだが……。まさか。ドビー……答えろ。お前の知る真実を」

 

ご主人様からの『屋敷しもべ』に対する()()の言葉。それに対してドビーめは……。

 

従いたくなどなかった。ドビーめが真実を話してしまえば、きっとドビーめは……お嬢様とこれ以上過ごすことが出来なくなってしまうから。

しかし、心とは裏腹にドビーめの口は、まるで()()()()()()()()()()()ように話し始める。それはドビーめが未だにマルフォイ家の『屋敷しもべ』である証でもあり……同時に、ドビーめがお嬢様の『屋敷しもべ』ではなくなってしまう原因でもあった。

ドビーめの口から、ドビーめの意志に反し紡ぎだされ始める。ご主人様の怒りをさらに燃え上がらせるような真実が。

 

「ド、ドビーめは、ハリー・ポッターにお知らせしようとしたのであります……。今年のホグワーツは危険であると……。今年ハリー・ポッターはホグワーツに行ってはならない。行けば必ず危険な目に遭う。ド、ドビーめはそれをハリー・ポッターにお伝えしようと、」

 

お伝えするつもりなどはなかった。ドビーめはただ、()()『屋敷しもべ』を助けてくださったハリー・ポッターが御無事であってほしいと……そう思っていただけなのだ。ハリー・ポッターが助かれば、ドビーめは後はいつも通りの生活に戻るつもりだった。ドビーめが行ったことで、お嬢様をお助けしたいと思われているご主人様の計画を邪魔してしまうということは分かっている。ドビーめがハリー・ポッターの前に姿を現すことで、ご主人様の計画を露見させてしまう可能性を秘めていること。それによって、お嬢様にさえ危険が及ぶ可能性があることも……。それらを理解しながら行動を起こしておりながら、ドビーめはどこまでも厚顔無恥に、全てが終われば再び何の恥も外聞もなくお嬢様にお仕えするつもりだったのだ。

 

だから……ドビーめは罰を受けることになる。

自分を傷つけることなどよりも、もっと苦しい罰を。

 

「もうよい」

 

これ以上ドビーめの話を聞き続けられる程の余裕がなくなられたのだろう。ご主人様は、ドビーめの言葉を即座に遮っていた。

ドビーめがお話ししたのはほんの一瞬。しかし、それでもご主人様が全てを理解するには十分な時間だった。

 

そしてご主人様は怒りを鎮めるためなのか何度もため息を吐かれた後、最後に吐き捨てるように話され始める。先程の怒りに満ちた声とは違う、まるでご自分を抑えることで必死と言わんばかりの、能面のように冷たい声で。

 

「……成程、よく分かった。どうりでポッターがあのようなことを突然言い出すわけだ。何故突然日記が私のものであると言い出したのだと思えば……。お前だったのだな。お前のことを、あらかじめ知っておったからこそ、小僧は……。お前は裏切っていたのだな。主人である私を。……お前を大切に扱っていたダリアを。お前はダリアを裏切ったのだな」

 

「ち、違うのです! ド、ドビーめは決して、」

 

咄嗟に否定しようとするも、現実が変わるわけではない。何も違いはしない。ご主人様の仰ることは全て正しいことだ。しかし、ドビーめはやはり恥も外聞もなくご主人様に縋りつく。このままでは、ドビーはお嬢様といられなくなってしまうから。

だがやはり、

 

「何が違うものか。お前の余計な行動のせいで、私とダリアは……。いや、勿論私は日記のことなど、全く知らなかったわけだが……。と、ともかく、お前は邪魔をしていたわけだな。ダリアの幸福への道を……。お前は知っておりながら、()()邪魔をしていたのだな!?」

 

全てが遅すぎたのだ。ドビーめの行動が露見してしまった段階で、たどり着くべき未来は一つだけだった。ご主人様は一頻り大声でドビーをなじった後、突然糸が切れたように静かになり、

 

「ドビー。お前はソックスを受け取っていないと言ったな? だが、それは間違いだ。そのソックス。お前に与えよう」

 

昔はあれ程憧れていたのに、今や最も聞きたくなくなっていた言葉を口にされた。

 

ドビーめは……マルフォイ家の『屋敷しもべ』ではなくなって()()()()

 

「ご、ご主人様、どうか、」

 

「何度も言わせるな、ドビー。私は衣服を与えると言ったのだ。お前は晴れて自由というわけだ。……お前のような『屋敷しもべ』など、我が家には必要ない。お前の顔など二度と見たくない。お前のような裏切り者を、ダリアに二度と近づけさせるものか」

 

尚も縋りつこうとするドビーめから、こちらを茫然と見つめておられるお嬢様を隠しながら、ご主人様がハリー・ポッターに吐き捨てる。

 

「ポッター、よかったな。お前の計画通りというわけだ。さぞ嬉しかろう。だが、その成功に何の意味もありはしない。どれだけお前のような子供が叫ぼうとも……お前のお仲間の『屋敷しもべ』が一匹叫ぼうとも、日記が私のものであると……ダリアが今回の事件に関わったなどという戯言が証明されるわけがない。『屋敷しもべ』の証言なんぞで、我がマルフォイ家に傷一つつけられるはずもない。世の理というものを、その愚かな『屋敷しもべ』と学ぶことだ。来なさい、ダリア」

 

そう仰ったきり、日記のみを奪い取り、今度こそドビーめを押しのけ歩き出そうするご主人様。しかし、

 

「お、お父様、どうか、」

 

今度はお嬢様が縋りつかれることになる。

お嬢様は賢いお方だ。ご主人様がされたこと、そしてドビーめがしてしまったことも全て理解しておられることだろう。ドビーめが行ったことによる、ご自身へ及ぶかもしれない危険性すらも……。

それなのに……お嬢様はそれでもドビーめをお許しになろうとされていた。何より家族を貶められることを嫌うお嬢様が、ドビーめをお許しになる。それはお嬢様が……こんなことになっても尚、ドビーめのことを家族と認めてくださっている所作に他ならなかった。

 

未だかつてない罪悪感に身を引き裂かれそうになっているドビーを尻目に、ご主人様がお嬢様を諭すようにお話しになる。

 

「……ダリア、駄目なのだ。もうあれは、信用に値するものではなくなった。お前に全てを与えられておりながら、あれはお前を裏切ったのだ。お前が何と言おうとも、あれをお前の傍に置いておくことは出来ん。これはお前のためでもある。私には父親として、それを行う義務があるのだ。それに、これは寧ろ私なりの慈悲なのだよ。本来であれば殺してやるところを……お前のことを思って生かしておいてやっているのだ。だからダリア……来なさい。私は常々思っていた。このような汚らわしい生き物がお前の傍にいることなど、本来はそちらの方がどうかしている。これでやっと正常な状態に戻ったのだよ……。ドビー。お前を今殺さぬのは、ダリアのためでしかない。ダリアに感謝するのだな。これでも尚家に戻ってくるようなことがあれば……私は必ずや、お前を殺すことだろう」

 

お嬢様とご主人様の視線が交差する。必死に懇願するような瞳のお嬢様。そんなお嬢様の視線を受けながら、頑なに冷たい表情を保とうとされるご主人様。

 

そして先に折れたのは……お嬢様の方だった。

 

力なく項垂れるお嬢様。そんなお嬢様の横から、お嬢様のご友人が声を上げる。

 

「で、ですがルシウスさん。ダリアはドビーを、」

 

ご友人にもお嬢様の表情がお分かりになるのだろう。心配そうにお嬢様を横目にとらえながら、彼女は抗議しようとする。しかし、ご主人様のご意見は当然の如く変わることはない。

 

「ミス・グリーングラス。これは我がマルフォイ家の問題だ。それに……君はダリアの友人になったのだろう? ならばわかるはずだ。その『屋敷しもべ』はダリアを裏切っていたのだ。なら、後は分かるな? ドビーを……信用できない『屋敷しもべ』を、ダリアの傍にこれ以上置いておくわけにはいかんのだ。私は何か間違ったことを言ったかな?」

 

そう、ご主人様は正しい。ドビーめが諦めきれないだけで、裏切ったドビーめをそれでも受け入れてくださるお嬢様の方が異常なのだ。異常な程、お優しいお方なのだ。

お嬢様のことだ。きっと諦めた理由も、ドビーを思ってのことに違いないのは想像に難くなかった。

戻ってほしい。家族であるドビーめと、離れ離れになりたくなどない。そう思って下さると同時に、お嬢様は気付かれたのだろう。

ドビーめが戻っても、そこに安心できる空間はなくなっていることに。ご主人様がもう……ドビーめに辛く当たらない保証はどこにもないことに。

そうドビーめのことを案じて下さり、お嬢様は諦めてしまわれたのだ。

その証拠に、

 

「で、でも……」

 

「ダフネ、もういいのです……。もう、道はないのですから……」

 

「……ダリア?」

 

尚言いつのろうとされるご友人を手で制し、こちらに静かに視線を戻された。

その表情はいつもの無表情であるはずなのに……痛みをこらえるようなものに、ドビーめには見えていた。周りにはいつもの無表情にしか映ってはいないのだろうが……お嬢様の表情は、確かに絶望に染まっていた。

 

あぁ……こんな表情をさせるつもりなどなかった。ドビーめはただ、お嬢様と一緒にいたかっただけなのだ。

痛めつけられたって構わない。お嬢様に与えられた安息を失っても構わない。最悪殺されたって構わない。

ドビーめはどうなっても構わないから、ただお嬢様と一緒にいたかっただけなのだ。

その思いに突き動かされ、ドビーは最後の懇願をする。でも、

 

「お、お嬢様……どうか……。ド、ドビーめは決して、決して貴女様を裏切ったわけでは……。私のご主人様は貴女様なのです! ド、ドビーめを大切に扱って下さり、あまつさえ家族と言って下さったお嬢様にこそ、ドビーめは……」

 

「ドビー……さようなら。どうか……元気でいてね」

 

やはりお嬢様は、その優しさをもって、ドビーを悲しみと共に突き放したのだった。

ドビーへの罰は……そのままお嬢様への罰でもあったのだった。

 

ドビーめとお嬢様は、二人同時に、大切な家族の一人を失ったのだ。

 

引きずられるように歩くお嬢様の背中に、自然と意味も価値もない慟哭が漏れ始める。

 

「お嬢様……も、申し訳ありません。お嬢様を悲しませるつもりなどなかったのです……。お嬢様を、そのような表情にさせるつもりなど、ドビーにはなかったのです……。ドビーはただ……あのような手段では決して……。ドビーめはマルフォイ家を……お嬢様を貶めるつもりなど決してなかったのです……。お嬢様……どうか……ドビーめを見捨てないで……」

 

届きはしない。ご主人様に連れられたお嬢様の背中は、見る見るうちに遠くになってゆく。決してご主人様もお嬢様も振り返りはしない。

お嬢様の優しさ故に……。

 

それでも、ドビーめの口は動き続け……ようやく止まったのは、所在なげにドビーめの傍に立たれるハリー・ポッターに気付かず、ここではないどこかに逃げるように『姿くらまし』した後のことだった。

 

 

 

 

この日、ドビーめは自由となると同時に……大切な家族を失ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

今しがたハリーの出て行った扉を見つめながら、ワシは物思いにふける。

『屋敷しもべ』を()()しに行った後、どこかハリーは思い悩んでいた様子じゃったが……ワシがハリーのグリフィンドールに入った理由を教えることで、多少は明るい表情に変わっておった。

 

一体何を悩んでおったかは分からぬが……少なくとも、これでハリーの自身に対する迷いはなくなった。

自身が所属する寮が一体どこであるかを自覚し、その寮に相応しい資格が自身にはあるとの自信を取り戻したことじゃろぅ。

 

どれだけトムに似ていようとも関係ない。『組分け帽子』にいくらスリザリンに入る資格があると言われようとも、自らグリフィンドールを選ぶことが出来た。自身が最も大切にするものを、自身が進んでいくために最も寄る辺にすべきものを、自分の勇気であると選び取ることが出来たのじゃと。

 

「……彼なら大丈夫じゃろぅ。この先様々な困難が彼を待ち受けておる。じゃが、きっと彼ならそれを乗り越えて行ける。大切な仲間もおる。そして何より……彼は何と言っても、真のグリフィンドール生なのじゃからのう」

 

ワシは机の上に置かれた、ハリーが『組分け帽子』から取り出した剣を見つめながら呟く。

ハリーとその友達達は、去年と同様今年も本当に大きな困難を乗り越えてくれた。普通の少年少女には決して挑むことすら出来ないような困難に立ち向かい、そして最終的に()()()()で物事を解決することが出来た。本当に……

 

「ワシなんかには勿体ない程立派な子らじゃ」

 

微かな罪悪感を感じながら、ワシは惜しみない賛辞を口にする。

予言に従い、ハリーをヴォルデモートと対峙できるような英雄にする。そのために彼を導き、そして彼の手助けをしようと決意していたのじゃが……実際にワシに出来たことはあまり多くはなかった。寧ろまったくの無力だったとさえ思える。

ワシのしたことと言えば……

 

「……ダリアは『継承者』ではなかったか」

 

ダリアを『継承者』として疑い続けたくらいのものだった。トムと同じ空気を感じさせるダリア・マルフォイ。現在この学校にいる生徒の中で、唯一『継承者』足りえる家柄と実力を兼ね備えるダリアをワシは『継承者』であるとし、監視と共にこれ以上彼女の手を汚さすまいと必死に牽制することしか出来なかった。

しかしそれは、()()()意味のあるものではなかったのじゃろぅ。何故なら彼女は『継承者』()()なかったのじゃから。ワシの疑いは……まったくの的外れなものでしかなかった。

ハリーを導くなどと言うても、ワシは本当に無力で、無知な老人でしかない。

ダリアのことも、結局彼女が今回の事件にどのような形で関わっていたかワシには一切分からなくなってしまった。いや、そもそも本当に関わっていたのかも分かりはしない。

彼女が最も疑わしい人物であったことは間違いない。実力と家柄に加え、夜間の出歩き等不審な行動が散見されていた。彼女を疑わないという選択肢は、ワシにはなかった。じゃが、結果は違った。

ワシは結局……何一つダリアについて理解しておらんかった。

 

じゃがそれでも……。ワシがどんなに無力であろうとも、決して前に進むことを諦めてはならん。

トムはいずれ必ず復活する。今は弱っておっても、必ずやより強大な力を持って復活し、以前以上の闇を世界に振りまくことじゃろぅ。

そのいずれ訪れるであろう日に備えて、ワシにはなるべく不安の芽を摘み取っておく必要がある。じゃからワシは、

 

「フォークスよ。お主はトムとハリーの決戦の後、ダリアが何をしておったか見ていたはずじゃ。詳細までは分からんじゃろぅが、少しその時の光景を見せてもらえんかのう?」

 

まずダリアのことを少しでも理解するために行動することにした。

ハリーは言っておった。フォークスなら、彼女が何をしていたか知っているはずであると。もし彼と情報共有できるのであれば、必ずや彼女の罪を暴くことが出来ると。

確かにハリーの言う通り……ダリアが何を行っておったのか、その一端が分かれば彼女が今年の事件にいかに関わっておったか、それどころかどの程度彼女が()()()存在であるかを理解することが出来るやもしれん。

ワシは将来の戦いを見据え、フォークスの心をのぞき込もうとした。不死鳥であるフォークスに憂いの篩を使うことは出来ん。じゃが、心をのぞき込めば、ある程度の光景くらいは把握することができる。

そう思いワシはフォークスの瞳を見つめようとして、

 

「……フォークス? どうしたのじゃ?」

 

見つめることが出来んかった。フォークスはまるで、その光景を見せることを拒むように目を逸らしていた。

 

「……見せとうない。そういうことかのう?」

 

こんなこと今までに一度もなかった。ワシが内心当惑しながらフォークスに尋ねると……彼は首を縦に振り肯定し、やはり決してワシと目を合わせようとはしなかった。

 

「……『服従の呪文』がかかっているわけではなさそうじゃのう。何故じゃ? 何故ワシに見せとうないのじゃ? そなたも分かっておろう? 彼女には謎が多すぎる。彼女が何をしておったか、それを知れば彼女が今後の戦いにどのような役割を果たすのかも推し量ることが出来る。それを分かった上で、フォークス、お主は何故ワシを拒むのじゃ?」

 

フォークスは非常に賢い生き物じゃ。何故このような()()を見せておるのか分からぬが、彼ならきっとワシの言いたいことを理解してくれる。そう思ったのじゃが……

 

「フォークス……何故なのじゃ?」

 

ついぞフォークスがワシと目を合わせることはなかった。

目を合わせるどころか、ワシを拒絶するように飛び立ち、止まり木の上で眠り始めてしもうたのじゃった。

 

 

 

 

ワシが何故フォークスがワシを拒絶していたかを知るのは、これよりもずっと後のことじゃった。

その時になって、ワシはようやく理解することになる。

 

ワシには……資格がなかった。

 

ダリアを疑うばかりで、決して彼女に歩み寄ろうとはしていなかった。トムに対する後悔や警戒、そして『不死鳥の騎士団』での立場によって、ワシは目が曇ってしまっていた。教師という立場にありながら、トムとの戦いを意識するばかりで、一人一人の生徒の感情に真に目を向けることをしていなかった。

ワシは……教師でありながら、どこか自分のことを教師であると理解しきれてはおらんかった。

……フォークスはそれを見抜いたのじゃ。ワシの眼が曇っておることを見抜き、ダリアの真実を知らせても決してワシがいいようにはせんじゃろうと気付いておったのじゃ。

 

ワシは……ダリアを疑うばかりで、決してダリアが一人の悩める()()であることを理解してはおらんかった。

 

……じゃからじゃろぅ。

ダリアが()()()()()()()になってしもうたのは。

 

『選ばれた子が生まれる七月の末、闇の帝王はついに僕を完成させる。気をつけよ、帝王の敵よ。そして気をつけよ帝王よ。その子が司るのは破滅なり。その子は決してどちらの味方にもなりえない。この先どちらかに破滅をもたらすことだろう』

 

ワシは予言通りに行動するトムを愚かと断じておりながら、ワシもその愚か者と同類でしかなった。

もし、ワシがハリー達に向ける様な視線を彼女に送っておれば……。もし、彼女の無表情を少しでも理解しようとしておれば……。

 

もし、ワシが彼女の危うさの中に確かにあった、彼女の底知れない悩みや優しさに気付いておれば……。

 

後悔ばかりの人生の中で、()()()()()()()の後悔にワシが気付いた時には、全てはもう手の届かぬものになってしもうた後じゃった。

 

 

 

 

トムの時と同じ。

彼女を本当の意味で()()にしてしもうたのは……他ならぬワシ自身じゃった。

 

その残酷な真実に気がついたのは……全てが手遅れになった後じゃった。



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戻ってきた日々

  

 ハリー視点

 

今まで参加したホグワーツの宴会の中でも、今回のものは格別なものだった。

夜中だというのにズラリと並べられた料理や飲み物を囲い、皆パジャマ姿で飲めや歌えやの大騒ぎをしている。スリザリンの席だけは比較的静かだけど、奴ら以外の皆は満面の笑顔を浮かべていた。

 

何もかも嬉しいことばかりだ。ドビーの叫び声を聞いた時から感じている罪悪感を、一時()()()()()程に。

 

皆一様に僕とロン、そしてこんなにも楽しい宴会の中で唯一暗い顔をしているハーマイオニーの所に来ては、僕達のなした冒険を称えてくれること。僕に向けられていた疑いなどもう微塵も存在するはずがなく、ジャスティンやアーニーもハッフルパフの席から来て、僕を疑っていたことを何度も謝ってくれたこと。途中釈放されたハグリッドが宴会に現れたこと。僕等が600点という前代未聞な点数を得たため、クィディッチ杯優勝の点数も含めて他の寮を圧倒し、寮対抗優勝杯を二年連続でグリフィンドールが得ることが確実になったこと。学校からのお祝いとして期末試験がキャンセルされ、今年も最優秀賞をとる可能性のあるダリア・マルフォイによって、スリザリンが逆転する可能性が万に一つもなくなったこと。記憶を失ったロックハートが、療養のため学校を去ること。

 

そして何より……ジニーが日記に操られていたことを、ダンブルドアが公表しなかったこと。

 

皆には、ハーマイオニーが正体を暴いた『秘密の部屋の恐怖』は、僕らの手で打ち倒されたということ()()が伝えられていた。

ダンブルドアはジニーがこれ以上苦しい思いをする事態を避けてくれたのだ。引き換えに『継承者』が誰だったのか、そしてダリア・マルフォイがどのような役割を今回の事件で担っていたのかは有耶無耶になってしまったけど、少なくとも()()()()これ以上嫌な思いをすることはないだろう。ダリア・マルフォイの件だって、『継承者』ではなかった()()という意見より、これだけのことをしてもダンブルドアの手から逃げきれるような危険人物という認識に落ち着いているみたいだった。皆があいつへの警戒心をなくすことはない。流石に気まずいと思ったのか今大広間にいないけれど、おそらく明日からもあいつが警戒され続けることは間違いなかった。

 

本当に嬉しいことばかりだ。何もかもが丸く収まり、懸念すべきことは何一つないはず……なのに。

僕の元に代わる代わるやってくる挨拶の合間、ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。

あの時のドビーを。喜びではなく、恐怖と悲しみに満ちた、彼の叫び声を。

 

……あの時、僕は確かに()()()()()をしたはずだった。

真犯人であるルシウス・マルフォイとダリア・マルフォイの犯罪を裏付ける。そしてドビーをマルフォイ家から()()()()()()()。僕の目的は間違ってはいなかったはずだった。必ずドビーだって喜んでくれるはずだと、そう僕は信じて疑わなかった。

 

なのに、結果はどうだろう。

 

『お嬢様……どうか……ドビーめを見捨てないで……』

 

頭の中で繰り返しドビーの悲しみが響き渡る。油断すると、持たなくてもいいはずの罪悪感が心を蝕もうとする。

間違っていないはずなのに……どうして僕はこんなにも自分の行動が間違っていたと思ってしまっているのだろう。

僕は次に挨拶に来た生徒と言葉を交わしながら考える。

 

いや……僕は間違っていないはずだ。現に、ダンブルドアだって僕のやったことを褒めてくれた。だから僕が罪悪感なんて持つ必要なんてないのだ。

少なくとも今はこの宴会を心から楽しまないと。せっかくダンブルドアが開いてくれた宴会なのだ。皆も今までの鬱憤を晴らすように笑いあっている。『バジリスク』はもういないこと、そしてダリア・マルフォイがこの場に()()()こともあり、皆昨日までとは打って変わったように大声で騒いでいる。こんな楽しい宴会に水を差すことなんて出来ない。

 

僕はそう思い直し、再び心の奥底にある罪悪感に蓋をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「よし、結構な量を持ち出せたね。これくらいあれば大丈夫だね。ドラコも行けそう?」

 

「ああ、大丈夫だ。そんなことより、早く寮に戻ろう。ダリアが待っている」

 

そう言って私達は、大量の食糧を腕に抱えながら、今まさに宴会の()()()()ばかりの大広間に背を向け歩き始めた。

今私達の後ろでは、今まであったどんなものよりも盛大な宴会が催されている。夜中に叩き起こされたにも関わらず、ホグワーツの()()全員……私とドラコ、そしてダリアを除いた全員が集まっている。

……今年の事件が()()()()()()()喜ぶために。

 

「……本当に、おめでたい連中だよね。でも……」

 

今年の事件は、何一つ解決なんかされていない。何も終わってなんかいない。最大の問題が残されているのに、事件が解決したなんて言えるわけがない。

 

……だってまだ、ダリアが『継承者』ではないと証明されていないのだから。あの老害は……ジネブラ・ウィーズリーのことさえ言及しなかったのだから。

 

予想できなかったわけではない。寧ろ容易に想像できた。ジネブラ・ウィーズリーがやっていた……いや、()()()()()()ことによりダリアが苦しんでいたにも関わらず、あの老害共があの子を安心させようと躍起になっていることは分かっていた。その上ダリアを犯人と明言していなかった関係上、ダリアのことを疑っていたと今更言うとは思えない。ダリアに関しては、今回の事件と無関係であると証明出来なかった事から、これからも彼女をけん制し続けたいという思惑もあるのだろう。

 

それでも、私とドラコ以外の生徒は納得していた。今回の事件が全て解決したのだと。『継承者』であるダリアがジネブラ・ウィーズリーを攫い、ポッター達が『バジリスク』を打ち倒すことで事件は未遂に終わったのだと。証拠がなかったため、ダンブルドアはダリアを捕まえることこそ出来ず終いだったが、ダリアの『バジリスク』自体は打ち倒すことが出来たのだと。

今回の事件は、ダリアの敗北という形で終了したのだと。

 

……本当に、おめでたい連中だと思った。馬鹿も休み休み言ってほしい。冷静に考えれば間違いだらけの論理を、どうしてああも容易く鵜呑みに出来てしまうのだろうか。本当にここの生徒達には反吐が出る。私達は彼らとは違う。あんなにも優しいダリアを疑ったりなんかしない。ダリアを誤解したりなんかしない。

 

でも……。

談話室で待つダリアのために、私達は食料を取りにここまで来た。その際見かけた神妙な表情をしたスリザリンの皆を思い出しながら、ふと不安が口から洩れる。

 

「……でも? なんだ、ダフネ?」

 

でも、こうも思うのだ。本当に……私は彼らとは違うのだろうかと。

盛り上がる宴会の席で、ダリアが『継承者』として失敗したことを残念がるスリザリン生の姿は……紛れもなく、昔の私の姿と同じだったのだ。ダリアと出会うことのなかった、純血主義を自分への言い訳でしか考えていなかった、愚かでどうしようもない自分の姿と。

 

「ドラコ……。私はあいつらのことが嫌い。ダリアを傷つけておきながら、それでも尚彼女への罪を忘れて……ううん、気付きもしないで、ああやって笑い声を上げているあいつらが心底憎い。それはたとえダリアを笑ってはいなくても、スリザリンの皆だって同じ。一緒の空気を吸うことさえ嫌だと思う。でもね……私はダリアと出会わなかったら、こんなこと思わなかったかもしれない。昔のどうしようもなく馬鹿な私だったら、ダリアのことも考えずにああやって無邪気に笑い声を上げて、家でも中々食べれないような料理に舌鼓を打っていたのかもしれない。無意識に、何の罪の意識もなくダリアを傷つけ続けていたかもしれない」

 

『組分け帽子』は初め、私をグリフィンドールに入れようとしていた。でも、私は結局スリザリンを選んだ。ダリアと友達になるために……。ダリアの存在を知っているがために……。

なら私は……ダリアと出会っていなければグリフィンドールに入っていたのだろうか。あの連中と交じり、ダリアを貶め続けていたのだろうか。

……いや、違うか。そもそも私がダリアと出会わなかったとしても、グリフィンドールには入らなかっただろう。ダリアと出会わない私は、ただの純血主義者でしかない。グリフィンドールを選ばず、ダリアと友達になるためではなく、ただ純血であればここに入らなければならないという愚かな固定観念だけで、スリザリンを選び取っていたことだろう。

ただ、それでも結果は変わるわけではない。私は結局、ダリアを『継承者』として疑わなかっただろう。『継承者』の失敗を喜ぶにしろ悲しむにしろ、ダリアを『継承者』として扱うことには変わりはない。等しく……ダリアを傷つける罪人でしかない。

 

私は今でこそこうして宴会の外にいるけど、本質的には彼らと何一つ変わりはしないのだ。

 

私は断続的に大広間から上がる歓声を聞きながら、頭を一つ振りドラコに向き直る。

 

「……ごめんね、ドラコ。今のは忘れて。何の意味もない話だったね。さあ、帰ろう。宴会の目的はともかく、料理だけはいいもの出していたからね。これを持って帰ってあげれば、ダリアも久しぶりに落ち着いていいものを食べることが出来るよ」

 

「……」

 

私が意識を切り替えるように歩き出すと、ドラコもダリアの元に早く行きたいのか無言で続く。

しかし歩き出してすぐに、

 

「……ダフネ。お前が何を悩んでいるか、正直僕にはよく分からないが……。これだけは言える。『秘密の部屋』でお前は、ダリアに『お前は怪物じゃない』って言ったそうだな。自分は生まれつき怪物であると主張するダリアに、それでもダリアは誰も傷つけはしないと……」

 

どこか単純な事実を語るような口調で、何の前触れもなく話し始めた。

ドラコには『秘密の部屋』であったことを粗方話してある。ダリアが何を悩んでいたか、ダリアが何をしようとしていたか、ダリアを……どのように連れ戻してきたかを。

でもそれが今何の関係があるのだろうか? ここに来る間に話した私の言葉の一部を、どうしてドラコが突然話し始めたのかを訝しがっていると、

 

「それはお前も同じだ。お前がどんな人間で()()()かなんて関係ない。お前はダリアを傷つけたりなんてしない。今のお前はダリアと出会わなかったお前ではなく、ダリアと出会ったお前なのだからな。それ以外のお前など、お前ではないのだから。ダリアが怪物ではないのと同じようにな」

 

そんなことを言った切り、スタスタと驚く私を追い抜いて行ってしまった。

今のは多分……いや間違いなく、ドラコなりの慰めだった。

 

……成程。ダリアが懐くわけだ。いつもはポッターに幼い子供のように絡むのに、ダリアが少しでも関わると途端に大人になるんだから……。

 

僅かにあった不安が嘘のように消えてゆく。

私は両手に抱える料理を落とさないようにするため……と、恥ずかしさで少し赤くなった顔を隠すために、決してこちらを振り返ろうとしないドラコに続きながら礼を言う。

 

「ドラコ……ありがとうね」

 

「……」

 

結局返事はなかったけれど。

私はドラコの後ろで微笑みながら思う。

確かにドラコの言う通りだ。ダリアは怪物として造られたとしても、決して怪物なんかではない。それはダリアが優しい心を持っているから。そしてその心を作ったのは、紛れもなくマルフォイ家の環境なのだろう。たとえマルフォイ家に育てられなくても、ダリアが怪物ではなかった可能性はある。でも、そんなことを議論する意味はない。

大切なのは、今のダリアはマルフォイ家の一員であり、人を殺すような怪物ではないという事実のみなのだから。

 

でも、だからこそ……怪物って何なのだろう。

 

ドラコの言葉で持ち直した思考に、再び僅かなノイズが混じり込む。

ダリアは怪物を、『人を殺すために造られた、人を殺すことを愉しめる生き物』だと言っていた。確かに、その定義であればダリアは怪物と言えるのかもしれない。でも、ダリアは誰も殺したりしないし、真の意味で人殺しを愉しめはしない。だから彼女は怪物ではない。寧ろ私にとって怪物とは……。

 

「おい、今度はどうした? まだ何か悩み事か?」

 

「……ううん。違うよ。……行こうか」

 

ドラコの声に、私は今度こそ本当に意識を切り替え、ダリアが待つ談話室に向かって歩き始めた。

 

 

 

 

私達の後ろでは、まるで()()()()()()のような歓声が鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

「ドビー……」

 

誰もいないスリザリン談話室。緑色のランプに照らされた部屋で、私は独り佇んでいた。帰ってきた当初はここにお兄様もいたのだが、お兄様が何か言う前にダフネが、

 

『まあ、色々話はあると思うけど、まずは準備をしなくちゃね。馬鹿共が楽しんでるのに、私達は何もないなんて不公平だし! ほら、ドラコ行くよ!』

 

と言って、お兄様を強引に連れ出してしまったのだ。

おそらく、あれはダフネなりの気遣いだったのだろう。いつものように敏感に私の表情を読んだダフネが、私がお兄様と話す覚悟を決められるように、少しだけ時間を稼いでくれたのだ。

確かに、あのままお兄様とお話ししたとしても、私はまともな受け答えすら出来なかっただろう。久しぶりにお兄様とお話しするのが怖かったということも勿論あるが、突然失ってしまった家族のことで頭が一杯だったのだ。

 

()()()()()()()家族……。

 

……いや、何を無責任なことを考えているのだろうか。ドビーは……失ったわけではない。自分の罪から目を逸らしてはならない。()()……私自身が、ドビーを手放したのだ。誰かの選択ではなく、他でもない私の選択で、ドビーは家族ではなくなったのだ。

あのままドビーが家にいたとしても、彼には決して今まで通りの平穏な生活は来ない。だからこそ私は、ドビーをもうマルフォイ家の『屋敷しもべ』として縛ることは出来ないと思ったわけだけど……。そんなことは言い訳にならない。どんな理由であれ、私がドビーを、家族を手放したのは間違いないのだ。

私が見捨てた時のドビーの顔が思い浮かび、私の思考は一歩も前に進もうとしない。

 

「ごめんね……。ごめんね……ドビー……」

 

ああ……これからお兄様と話すというのに……。せっかくダフネが私のために時間を作ってくれたというのに……。思考が思うように纏まってくれない。お兄様に向き合わなくてはならないのは分かっているのに、ドビーのことをどうしても考えずにはいられない。

 

しかし現実はいつだって非情だ。現実は私を待ってくれるわけではなく、

 

「ただいま~。食べ物いっぱい取ってきたよ!」

 

私の一人で悩める時間は終わりを告げたのだった。お兄様に向き合わなくてはならない時間が、ついにやってきてしまった。

ダフネは部屋に入った途端、私の表情を見て悲しい顔をする。私が未だに覚悟を決めていないと悟ったのだろう。でもこれ以上お兄様を待たせられないと思ったのか、努めて明るい声を出して行動を開始した。

 

「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃったね。今準備するから!」

 

私とお兄様だけを放置するわけにもいかないが、同時に自分が話に加わるのも変だと考えたのだろう。あからさまに視線を逸らしながら、机に料理を並べ始める。話が変な方向に進めば、即座に介入する気でいるのは間違いなかった。

お兄様もダフネの気遣いに気が付いたみたいで、テキパキとした動作のダフネを横目に両手のものを乱雑に置くと、何も言えず俯くだけの私に、

 

「ダリア……ようやく、帰ってきてくれたんだな」

 

そう、優しくも厳しい口調で話し始めた。待ち焦がれたような、それでいて待たされたことに腹を立てているような話し方だった。

 

「ずいぶん待ったぞ。お前がいない間、本当に辛かったんだ」

 

「ご、ごめんなさい、お兄様。わ、私、」

 

私の恐れていたような……私を拒絶するような響きはなくとも、少し問い詰めるような口調に私はたじろぎながら応えようとする。

しかし、

 

「でも……お前も同じように辛かったんだろう?」

 

お兄様の声が一転する。私の言葉は、今度こそ優しさだけに彩られた言葉によって遮られたのだった。

そこには私の恐れていたような……私を拒絶するような響きはなく、ただ私が逃げる前の、どこまでも私を優しく包み込む響きだけがあった。

 

私の聞き間違いでなければだが……。

 

「ダフネから全部聞いた。お前が何に悩み、僕やダフネを避け続けていたのかをな……。それと、ドビーのことも……」

 

「……そうですか。……全部……聞いてしまったんですね……」

 

手間を省いてくれたダフネに感謝すると同時に、隠していてほしかったという身勝手な思いが湧き起こる。

正直怖かった。こうして戻ってきてしまったが、私にはやはりお兄様達を傷つけてしまう可能性がある。

 

私は体だけではなく、心も化け物なのだから。私は自分が怪物であると……自分が『闇の帝王』に造られた怪物であると、ずっとお兄様に隠し続けていたのだとバレてしまったのだから……。

 

だから、私は自分の耳を信じ切ることなどできない。私の秘密を遂に知ってしまったお兄様が、一体何を思うか。ダフネの様に決して怖がったりなんてしない……私の存在を許してくれる可能性は()()。でも同時に、そうならない可能性だって十分にあるのだ。ダフネの時と同じ恐怖が蘇る。私が自分に都合のいい解釈をしようとしているだけで、実際は私に恐怖しているかもしれない。

 

ドビーを捨てたくせに、今度は自分がマルフォイ家に捨てられるかもしれないという恐怖で何も言えなくなっていたのだ。

 

それでもやはりお兄様は……どこまでも優しい、私の大好きなお兄様だった。ダフネと同じ優しさを……お兄様が持っていないはずがなかった。

何も言えず、ただ俯くだけの私をお兄様は少しの間眺めていたが、ふと、

 

「ダリア……僕はすぐに傷が治るようなことはない」

 

そんなことを突然話し始めた。

唐突な語りだしに、私は一瞬戸惑ってしまう。でも、

 

「ニンニクが苦手ということはない。日光で肌が焼けるようなことはない」

 

すぐ気づくことになる。お兄様の言葉は紛れもなく……()()()の再現だった。あの日、私はお兄様から逃げ出した日の言葉を、お兄様はそのまま私に返していた。

一字一句あの時と同じで、それは紛れもなく、お兄様があの時のことをずっと考え続けていたことを表していた。

 

「銀で傷がつくことはない。トロールより力が強いことはない。血を飲むことはない。蛇と話すことは出来ない。それに……」

 

あの日の私の最後の質問のまま、お兄様は呟く。

 

「やったことはないが……人を殺すのが楽しいとは思わないだろう」

 

優しい口調とは裏腹に紡がれるどうしようもない事実。私がマルフォイ家の()()ではない決定的な真実。

何のつもりでお兄様が今返事をしているのかは分からないが、私の心は折れてしまいそうだった。

やっぱり……私は許されなかった。お兄様の声が優しく聞こえるのは、やはり私の願望に基づく幻聴。ダフネに許されたとしても、12年間騙し続けていたことが許されるわけがなかったのだ。

そう私が諦めかけた時、お兄様は、

 

「でもな、そんなことは関係ない」

 

単純な、子供でも知っているような当たり前の事実を話すように言い放った。

 

「お前がどんなに僕と違う()()を持っていようとも、マルフォイ家であることに変わりない。お前が僕の大切な妹であることは変わらない。……お前はずっとマルフォイ家にいてもいいんだ。どんなことがあろうとも、僕はお前の味方だ」

 

紡がれるのはずっと求め続けていた言葉。ただ私の傍に居てくれるのだと、そう誓ってくれる家族の言葉。

……それでも私は、顔を上げることが出来なかった。

12年間気付けずにいた、そして隠し続けていたことに対する自己嫌悪が染み付いた私には、すぐに顔を上げ、お兄様の瞳をのぞき込む勇気など湧くはずもなかった。

 

そんな私を後押ししたのは、

 

「ダリア……大丈夫だよ」

 

やはり、私の()()の言葉だった。

私達をそっと横目で見続けていたダフネが、私の背中を押すように話し始める。

 

「大丈夫。大丈夫なんだよ、ダリア。ドラコはずっと貴女を待っていたんだよ。貴女が帰ってきて、傍に居てくれるのを。そんなドラコが貴女を怖がったりするなんてあり得ないよ。大丈夫。ドラコはずっと、どんな貴女の真実を知ったとしても、貴女が大好きなお兄さんだよ。それに、貴女は私を信じてくれた。赤の他人であるはずの私を。なら、出来るはずだよ。だってドラコは貴女のお兄さんだもの。だから……ほんの少しでいい。自分を……許してあげて」

 

ずるい……。本当に……ダフネは……私の親友はスリザリンらしい子だ。

そんなこと言われてしまったら、どんなに怖くても顔を上げるしかないではないか。私がお兄様を信じないなんて、そんなこと言えるはずがないではないか……。

 

自分を許したわけではない。怖くなくなったわけではない。でも、私にはお兄様を否定することもより恐ろしい行為だったのだ。

私は顔を上げ始める。ノロノロとした、ひどくゆっくりな動き。でも確実に上へ。そして見上げた先には、

 

「ダリア……やっと、僕を見てくれたな」

 

ダフネの言う通り、私の恐怖したものは存在せず、ただ私が大好きなお兄様の優しい瞳だけが存在していた。

私への恐怖など微塵も存在してはいなかった。

 

ああ……全て、私の一人相撲だったのですね。

 

私は無責任にも……一瞬ドビーのことを忘れて涙を流していた。

 

「ダリア……お前がどんなに苦しかったか、僕は真に理解してやれていなかったかもしれない。僕はお前が傷つくのを恐れるあまり、本当にお前が必要だった言葉をかけてやることすら出来なかった。でも、それでもこれだけは変わらない。ダリア……どんなに情けなくても、弱くても、惨めでも、僕はお前の味方だ。お前がどんな隠し事や、変わった特徴を持っていようとも、僕は……マルフォイ家は、お前の味方だ。掛け替えのない家族なんだ」

 

……私はこんなにも近くにあったものを、ずっと自分を恐れるあまり見落としていたのだ。こんなにも簡単なことを、私は見ようとさえしていなかったのだ。

 

私の汚らわしさ以上に、マルフォイ家は偉大であるという単純な事実を……。

 

表情は相変わらず変わらないくせに、何故か頬に冷たい物だけは流し続ける私の瞳を見つめ返しながらお兄様は続ける。

 

「それに、人間でないことで家族でないと言い張るなら、ドビーのことはどうするんだ? あいつは『屋敷しもべ』だ。人間ではない。それなのにお前はあいつを家族だと言っているな? なら、どうして自分が人間でないという理由で家族でないと言い張れるんだ?」

 

そういえば、お兄様もスリザリン生なのだった。追撃とばかりにさらに狡猾なことを言い始めた。でもそれは、

 

「……私が間違ってました。人間でないなんて理由で、家族でないなんて、私は言ってはいけなかったんです……。でも、ドビーは……」

 

今言ってほしくない言葉でもあった。和らいでいた心に、一気に自己嫌悪が戻ってきてしまう。視界の端で、ダフネが手で額を抑えている。

私はこの数秒の間、ドビーのことをすっかり忘れそうになっていた。自分のことで精一杯で、大切な家族だった者のことを忘れようとしていた。ドビーは私が見捨てたというのに……。

私の表情が一変したことで、不用意な発言をしてしまったと思われたのだろう。お兄様が慌てたように言う。

 

「だ、大丈夫だ。それも全部聞いたぞ。正直、僕はあいつのことがそんなに好きではなかったが……。お前が言うなら、あいつも僕らマルフォイ家の一員だったのかもな……。でも、だからこそ大丈夫だ。家族の関係は一つじゃない。たとえ家の僕でなくなったとしても、あいつが死んだわけではない。今は無理でも、いつか必ずまた会うことも出来るはずだ」

 

お兄様の言葉は、徒の慰めに過ぎなかったのかもしれない。私の悲しみを和らげるための、優しい嘘。

でも、それが本当のことだと知ることになるのは……もう少し先のことだった。

 

家族の形は……一つではなかった。

切ろうとしても切れない絆のことを……人は『家族』と呼ぶのだ。

 

それに気づいていなかった私はただ涙を流しながら、お兄様とダフネに慰められるだけだった。

お兄様に嫌われたかもという恐怖はもう存在しない。でも、ドビーのことだけは、やはり私の心に暗い影を落とし続けていた。

 

3人しかいない談話室。料理が並べられたテーブルを、薄暗い緑色の明かりが照らし出す談話室。その中に響くのは、ただ私の安心と罪悪感が混じったすすり泣く声と、それを必死に慰めようとするお兄様とダフネの声だけだった。

 

 

 

 

こうしてようやく……長い長い今年の事件が、私の中で終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

()()()()()楽しい宴会からの月日はあっという間だった。

相変わらず鬱陶しい視線はあるものの、今の私には、そしてそれらが向けられるダリア自身にとってもそこまで気になるものではなくなっていた。何故なら、

 

「ダリア♪」

 

「ダフネ、なんですか?」

 

「ううん♪ 呼んだだけ♪」

 

私の隣には掛け替えのない親友がいるのだから。

出来立て熱々のカップルがするような会話をダリアと繰り広げながら、スリザリン談話室で穏やかな時間を過ごす。昔ならすぐに距離を取られていただろう会話でも、今なら無表情に微笑みを乗せながら応えてくれる。

『秘密の部屋』から戻ってきた日から……ダリアは前以上に私と行動を共にするようになってくれた。今までの行動を取り戻そうとするかのように。賢く勇気があるダリアでも、本質的には寂しがり屋なところがある。自分が人間ではないと思って遠慮していたものが、私に全てバレてしまったことでタガが外れてしまったのだろう。

心なしか物理的な距離も近い。時には甘えるようにピッタリとくっついてくる時もある。……ダリアの方から。

談話室で二人きりの時があると、時折無表情ながら子猫の様にすり寄ってくるのだ。

 

『どうしたの?』

 

と尋ねても、

 

『何でもないです』

 

と言ってそっぽを向くが、決して離れようとはしない時だってあった。 

 

……正直、その時は鼻血が出そうだった。

 

本当に幸せな日々だ。私が待ち望んで止まなかった日々。ずっと憧れていた女の子が、今親友として隣にいる。しかも今までのような距離感はなく、いつもは超然としたダリアが甘えてさえくれる。何もかもが充実していて、毎日が楽しくて仕方がない。一緒に本を読んだり、勉強したり、時には一緒のベッドに寝たり、そして来年の選択授業を選んだり……つい最近まで辛い日々を過ごしていたのが嘘のようだった。

自惚れでなければ、ダリアもそう思ってくれている様子だ。はたから見た分にはいつもの無表情らしくとも、私から言わせたらいつもより微笑んでいる時間は長いみたいだった。

 

しかし、全く心配事がないわけではない。明るいダリアの無表情にも、僅かであるがいつも影があった。

 

まずルシウス氏のこと。

『秘密の部屋』から戻ってしばらくして、ルシウス氏が理事を辞めさせられたという、心底不愉快極まりないニュースが流れてきたのだ。当然、あんな事件を起こされてもルシウス氏への愛情を変えないダリアがいい顔をするはずがない。

でも理事を辞めさせられる……逆に言えばルシウス氏のことを追求しきれなかった証左ではある。ルシウス氏がやったかもしれないことは、もし完全に証拠を掴まれているのだとしら、理事を辞める辞めないどころの話ではない。ダリアを傷つけたことは差し引いても、下手をしなくてもアズカバン送りはほぼ間違いないだろう。それがないということは、ルシウス氏を罪に問うことは出来なかったということになるのだ。

 

後あの『不死鳥』のこと……。ダリアから後から聞いた話では、老害の後ろに迷うことなく飛んで行ったことから想像はしていたが、やはりあの()()()はダンブルドアのペットだったらしい。ダリアはあのチキンに真実を知られたのではないかと恐れていたのだ。でも、これも大丈夫だろう。ここまで穏やかに過ごせるということは、あのチキンはダリアのことを黙っていてくれたということだ。

ダリアは『開心術』という魔法を使ってチキンと会話したらしいのだけど、その時に謝意や同情の感情と共に、ダリアのことを口外しないという決意が流れ込んではいたらしい。

でも……相手はダンブルドアのペット。正直どうなるか分からないとダリアは恐れていたが……監視が増えたり、ダリアをあからさまに追い出そうとしていないことから、老害がダリアの情報を得ていないことは間違いない。ダンブルドア()()()ペットというのは気にくわないが、まあ、ダリアのことを聞いて()()()()()()()()()()判断は出来たということだろう。当たり前すぎて褒める気にはならないけど。

 

そしてダリアにとって最大の心配事が……やはり『屋敷しもべ』ドビーのことだった。いくら時間が経っても、彼女の罪悪感は決して消えはしなかった。

ダリアはずっと、自分こそがドビーを見捨てたのだと悩み続けている。ドラコの慰めを受けても、ドビーのことだけは一切納得しようとはしない。家族を大切にするダリアにとって、ドビーのことは容易には納得できないことなのだろう。どんなに明るい表情をしていても、決してそのことを忘れようとはしない。

 

まるで忘れることこそが罪であるかのように。

 

……それは二年()()()宴会を迎える時()()続いていた。

 

 

 

 

二年の最後、学年度末パーティー。この日、ドラコの言葉が正しかったことが証明されることになる。

紅の旗で彩られる大広間で、

 

「皆の知っての通り、今年は大きな事件が起こったが、皆無事に一年を過ごすことが出来た! そして今年の寮対抗戦優勝じゃが、これまた皆の知っての通り、今年の事件を見事解決したグリフィンドールが優勝じゃ! 本当にようやってくれた!」

 

老害がいつになく嬉しそうに宣言することで始まった宴会。去年と同じく、スリザリンは異様に静かに席に着いているし、他三寮は三寮でこちらにチラチラと鬱陶しい視線を送ってきている。

本当に虫唾が走るような宴会だった。

 

……数多くの一年で一番豪華な料理と、ダリアの目の前にだけ置かれた()()()()()料理が並べられる時までは。

 

一年最後の宴会というだけあり、いつもより豪華な料理がテーブルに並ぶ。()()()()()()を悔しがるスリザリンも、目の前の御馳走の誘惑には抗えずにいる中……。

ダリアの前にだけ、酷く質素な食事が並んでいたのだ。

 

「ん? どうしたの、それ?」

 

ダリアの目の前の料理は、明らかに周りから浮いているものだった。言うなれば質素。勿論質素と言っても、周りのものに比べてというだけで、みすぼらしい食事と言うわけではない。でも明らかに周りの物よりも、例えるなら家庭料理と言っても差し支えないような食事。よく見れば端の方に焦げ目さえついている。

 

そんな明らかに場違いなものを……ダリアは食い入るように見つめていた。

 

「ダ、ダリア? 大丈夫?」

 

明らかにいつもの無表情とは違い、ただ茫然と料理を見つめ続けるダリアが心配になって声をかける。

しかしダリアは私の質問に答えることなく、やはりただ茫然と食事を見つめ続ける。そしてふと意を決したように口をつけ、

 

「この味……。()()()()のこの味……。……そう。これが……これこそが、貴方の選んだ道なのですね。私が貴方を見捨てたというのに……それでも貴方は……。ドビー……。ドビー……ありがとう……。ありがとう……」

 

突然泣き出してしまったのだった。無表情でありながら、瞳から止めどなく涙を流し続ける。

ダリアがこぼした言葉と涙。それを見て、私もこの料理が何を示しているか、この料理を誰が用意したのかを理解した。

 

ドビーは選んだのだ。『屋敷しもべ』でなくとも、ダリアに仕え続けられる方法を。ダリアと共にあれるあり方を。

 

『家族の関係は一つじゃない』

 

ああ……成程。ドラコにとってはその場しのぎの言葉だったのかもしれないけど、決して間違っていたものではなかったんだね。彼は確かにマルフォイ家の『屋敷しもべ』ではなくなったかもしれないけど……ダリアから離れたわけでは……ダリアの家族でなくなったわけではなかったのだ……。

 

よかったね……。本当によかったね……ダリア……。

 

そう思いながら、私はダリアの涙を見てギョッとする周りを無視し、ダリアの肩を寄せそっと頭を撫で続けるのだった。

 

 

 

 

ダリアは……去年までと違い、決して私の手を振り払おうとはしなかった。

周りの馬鹿どもにとって、事件が終わったのはあの宴会の時だったが……私にとって今年の事件が終わったのは、ダリアが失ったと思ったものを再び取り戻したこの時こそだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

本当に色々なことがあった一年が終わった。苦しく辛い一年ではあったが、失ったものは多くはなく、得たものは何よりも大きな年だった。

 

私は今年初めて……親友というものを得たのだから。

 

長いような気もするし、実はそこまで長くなかったような一年が終わり、今私達はホグワーツ二年生最後の時間を迎えようとしている。

汽車の中でトイレに行ったはずのダフネがあまりに遅いと心配になり探しに行ったところ、何故かグリフィンドール三人組とジネブラ・ウィーズリーのいるコンパートメントで見つかる事件こそあったが……()()平穏無事な旅を終え、私達はキングズ・クロス駅のホームで別れを告げる。 

 

「ダリア! 今年も夏休みの間、一杯手紙を書くよ!」

 

「……ええ。お願いします。私も手紙を書きますよ。……()()

 

「……うん! 私だって毎日書くよ!」

 

何だか去年とは逆の立場で話をしているような気もするが、私は勿論ダフネも特に気にしてはいないだろう。

心残りが()()()消え去った私は、今本当に幸せな気持ちでいっぱいだった。ホグワーツにいることは、去年までであればある程度の苦痛を伴う時間でしかなったけど……来年からは違う。大好きな親友もいれば……お兄様以外のもう一人の家族もいてくれるのだから。

 

「また夏休み後に! 手紙は毎日でも書くから!」

 

「ええ。私も書きます。機会があれば顔も合わせましょう」

 

そして私達も歩き出す。去年は彼女だけが、私たちが見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。でも、今年は違う。微笑ましそうにこちらを見つめるお兄様の横で、私も振り返っては手を振り返し続ける。

 

「……よかったな、ダリア」

 

「はい!」

 

ダフネが見えなくなった辺りで、お兄様がそっと声をかけてくる。それに私はいつになく元気よく返事を返していた。

本当に良かった。まだダフネに対する罪悪感、そしてその大元である自己に対する嫌悪感は健在だ。でも……この喜びだって本物なのだ。

 

もう少しだけでいい。もう少しだけ、この気持ちに従っていたい。いつか終わるかもしれない。いつかダフネを傷つけてしまうかもしれない。

でも、ダフネは言ってくれた。私は怪物ではないと。私はダフネや家族を傷つけることはないと。そしてそんなことを言う自分を信じてと……。

確証は全くと言っていいほどない。でも、今だけは……それを信じていたかった。

 

怪物として生まれてしまった私には、怪物でなくなるということは出来ない。私がどんなに平穏な人生を望んでも、決して叶わぬ夢なのかもしれない。あの怪物でも何でもなかった『バジリスク』が、怪物として生き、怪物として殺された様に……。でも、今の私は『バジリスク』のように孤独ではない。一緒にいていいと言ってくれる家族も親友もいる。

 

あぁ、どうか……この幸せが少しでも長く続きますように……。

 

私はそんな後悔と喜びを胸に、お兄様と手をつなぎながら愛する家族の元に足を進めるのだった。




秘密の部屋完結。
来年の選択授業の話を一話。そしてそれぞれの裏話を一話で、合計二話の閑話、もしくは一話にまとめたものを投稿したらいよいよアズカバンです。


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閑話 選択授業

 

 ダリア視点

 

 ポッター達が『継承者』を打ち倒し、そのお祝いとして期末試験がキャンセルされようとも……決して学生が勉強をしなくていい理由にはならない。

 O.W.L試験やN.E.W.T試験を控える上級生は勿論、まだまだ学校生活始まったばかりの二年生も例外ではない。これからもまだまだ学生生活は続いていく。来るべき輝かしい将来のため、日々の勉強もさることながら、来年からのことも考え、悩み、そして選択しなくてはいけない。これから先一体どういった職業に就くかをも決める重要な選択。

 

 それが私達に与えられた、期末試験以上に重要な課題……来年の選択科目を決める時間だった。

 

「『占い学』、『数占い学』、『魔法生物飼育学』、『古代ルーン文字学』、それと……『マグル学』。全部で5個だね。何と言うか……少ないようで多いね。将来に直結していると考えると何だかどれも取っておいた方が良さそうと思えるのに、実際取れるのは二つか三つだもんね。占い学、数占い学、マグル学。この三つなんて同じ時間にあるし。魔法生物飼育学と古代ルーン文字学と後一つで、三つ授業を取ろうと思えば取れるけど……」

 

スリザリン談話室で、ダフネが科目のリストを見つめながら唸る。ダフネは三つ授業を選ぶことも視野に入れているようだが、大多数の勉強がそこまで好きでない生徒達は二つの授業で悩んでいることだろう。私の横に座るお兄様も悩んでおられるのかリストと睨めっこしている。今談話室に私達しかいないため分からないが、きっと他の生徒も今頃悩みぬいていることは想像に難くなかった。

 しかしそんな中で、

 

「ダリアはどの科目を選ぶの?」

 

「私は数占いと古代ルーン文字学です」

 

 私は早々に科目を選び終わり、呑気にお茶を飲んでいるのであった。そもそも私にはこの課題はあまりにも簡単すぎるのだ。何故なら、

 

「すごいね、ダリア。もう選んじゃったの!? 私なんて中々決められないのに……。どうやって決めたの?」

 

「消去法です」

 

 私に選べる科目がまず二つしかないのだから。選べと言われても、選べる科目が二つしかないのなら選びようがない。

まずマグル学。純血主義を掲げるマルフォイ家である私が、この科目を選べば周りに何と言われるか分かったものではない。実際は純血主義でも何でもない私にとって、マグル学自体は興味が尽きないものではある上、学べるものなら学んでみたいのは山々である。だが、私はともかくマルフォイ家が馬鹿にされるような事態だけは避けなければならない。

 そして魔法生物飼育学。魔法生物を扱う関係上、全部が全部屋内で授業が行われると言うことはないだろう。当然屋外での授業があるどころか、それがメインになることだろう。であるならば、私が選択出来る道理はない。私の半分が吸血鬼で構成されていることがダフネにバレているとしても、それが他の人間にバレていいという理論にはならないのだ。言うならばダフネは例外。ダフネは()()()()()()いいのだ。

 

 この二つが除外される以上、残るは占い学、数占い学、古代ルーン文字学の三つしか選択肢はない。そして占い学と数占いは同じ時間にあるならば、この二つのどちらかと古代ルーン文字学を選ばないといけないわけであるが……占い学は正直論外だった。占いや予言自体を馬鹿にするつもりはないが、如何せんセンスに頼りすぎるところがある。センスがなければ全く学ぶ価値のない学問であるし、センスがあったとしてもそもそも私にはあまり興味が持てるようなものではない。昔お兄様と戯れに紅茶占いをしたことがあるが、自分で見た自身の未来が、

 

『不可避の破滅』、『死をもたらす災い』

 

 などという暗いものばかりだったので、私には面白くも何ともなかったのを覚えている。あの未来が当たっているのかどうかは知らないが、理由も過程もなく結果だけ示されるのはどうにも性に合わなかった。

 その点、数占いは理由は分かるからまだましだ。寧ろ興味深いと言ってもいい。確率論的な要素が、未来の不確実さを匂わせていて尚気分がいい。未来なんて確定しても何もいいことはないのだ。明るい未来なんて少しも想像できない私には、少しくらい不確定な方が希望が持てる。

 

 結果私が選んだのが数占いと古代ルーン文字学というわけだった。

 占い学以外の全てに興味があったが、これはこれで悪くない選択だと思う。消去法で残ったのが、全く興味もないどころか興味が尽きない科目だったのだから。選択肢があったとしても、私は結局はこの二つを選んでいたことだろう。

 

しかし、どうやらダフネとお兄様には私の選択方法がお気に召さなかったらしく、

 

「ダリア……」

 

とても悲しそうな表情でこちらを見つめ始めていた。私の短い一言で、私の考えに気が付いたのだろう。ダフネに至っては涙目にすらなっている。最初から選択肢のない私を憐れみ、尚且つそんな私の前で悩み続けていたことを後悔している様子だった。

 

……言葉足らずでした。

私が二つしか選べなかったことを悔しく思っていると誤解させてしまったらしい。早く誤解を解かなくては。

私は二人の表情の変化に気付くと口早に言った。

 

「いえ、そんな顔をしないで下さい。確かに家や体の影響で、私は最初から二つしか選ぶことは出来ませんでしたが……別に後悔もありませんし、悲しくも思っていませんよ。寧ろ悩まずに済んだことが有難いくらいです。占い学以外はそれなりに興味は尽きませんが、古代ルーン文字学は初めから興味がありましたし、他の科目もどれかを選べと言われればやはり数占いを選ぶと思いますよ。何だか性にあってそうな学問ですしね」

 

そう言って慰めるのだけど、それでもまだ思うところがあるらしい。ダフネはより悩ましい表情に変わっているし、お兄様に至っては、

 

「……僕も古代ルーン文字学と数占いを選ぼう」

 

そんなことを言って、リストの私と同じ欄にチェックをつけようとしていた。

言葉通り自分の選択に何の後悔もしていない私には、当然そんな見当違いの同情に基づいた選択を許容できるはずがない。勘違いでお兄様が道を誤ってしまえば、私はお父様とお母様に顔向けできない。

私はお兄様が本当に選択してしまう前に声を上げる。

 

「駄目ですよ、お兄様。言ったでしょう。私は別に後悔なんてしていません。これでよかったとさえ思っています。お兄様が変な同情をする必要はないのですよ。私のことはお気になさらず、お兄様はお兄様の将来に必要な科目を選べばよいのです」

 

私の言葉を受けお兄様はどこか思い悩んだ表情を一瞬浮かべていたが、最後には一応納得してくれた様子だった。未だ思い悩むダフネを横目に、初めのただ選択肢の多さに困っている表情に戻りながら呟く。

 

「だがなダリア……。将来に必要な科目って言われてもそれが一番難しいんだ。ダフネが言っていた通り、考えたらどれも必要な気がするしな。僕もダリアと同じでマグル学と占い学だけは選ばないつもりだが……。それでも数占い学、魔法生物飼育学、古代ルーン文字学の三つある。この中から一つ削れと言われてもな……」

 

「そうですね……」

 

……どうやらお兄様に三つの授業を選ぶという選択肢はないらしい。

私は片手に持っていた紅茶を置きながら、お兄様のリストをのぞき込みながら話す。

 

「そもそもお兄様の夢は、お父様の跡を継いで魔法省高官になることで間違いないですか?」

 

「……ああ、そうだな。僕はマルフォイ家長男だからな。当然のことだ」

 

マルフォイ家であることを誇りに思っているお兄様ならそう言うと思っていた。でも、それなら三つとも選べばいいとも思うが、実際二つしか選んでいない私は人のことを言えない。

胸を張るお兄様に微笑みながら、私はリストを指し示す。

 

「でしたら、古代ルーン文字学と魔法生物飼育学がいいでしょうね。数占いは占い学よりかは学術的であるとはいえ、占いという範囲であることは間違いないですからね。二つ選ぶなら、これ以外の方がいいでしょう」

 

「……その通りだな。よし、僕はその二つを選ぶとしよう」

 

思いの他早くお兄様の選択は終わってしまった。考えてみるとお兄様も私と同じような立場なのだ。人間であるという点は決定的に違っているが、マルフォイ家としての立場はあまり変わらない。それどころかお兄様の方がマルフォイ家跡継ぎとして下手な選択は出来ない。お兄様もそれなりに消去法で選ばないといけないのだ。

まぁ、過程はともかく決まったことに間違いはない。私は今度はダフネの方に向き直った。

 

「……ダフネはどの科目を選択するんですか?」

 

「……」

 

しかし応えはない。相変わらず思い悩んだ表情でリストを見つめ続けている。そんな彼女に再び声をかけようとして、

 

「ダフ、」

 

「……ねぇ、ダリアは体や家のことはともかく、占い学以外の科目には全部興味があるんだよね?」

 

ダフネの質問に遮られてしまった。私は唐突な言葉に戸惑いながら応える。

 

「……まぁ、そうですね。興味がないと言えば嘘になりますね」

 

別に隠す必要もないため素直に話す。どの科目に興味を持っていたとしても、どの道選べるのは二つなのだから。

ダフネは私の言葉を受け暫く考え込んでいたが、ふと顔を上げ、

 

 

 

 

「……決めた。私、魔法生物飼育学と()()()()を選ぶよ」

 

 

 

 

そんなスリザリンでは考えられないようなことを言い始めたのだった。

 

「魔法生物飼育学はともかく、マグル学を……ですか? 貴女も知っての通り、この寮は純血主義のスリザリンです。それなのに、貴女はどうしてそんな科を?」

 

おそらく、スリザリンでマグル学を選ぶ人間は誰もいないだろう。そもそも最初から選択肢として考えてすらいないに違いない。だからスリザリン内でマグル学を選ぶのは……とてつもなく勇気のいることだった。下手すれば寮内でつまはじきに遭う可能性すらある。

ダフネがそんなこと分かっていないはずがない。彼女なりの考えがあってマグル学を選ぶと言っているのだろう。私も私でダフネがいじめられるようなことがあれば、犯人を()()してでも解決するつもりであるが、だからと言ってすぐに納得できる話ではなかった。

訝しがる私に、ダフネが先程とは打って変わった明るい表情で話し始めた。

 

「理由は簡単だよ。だって、私も占い学以外の科目には興味があるからね。ダリアと同じ授業を受けられないのは残念だけど……これで私とダリアで占い学以外は全部網羅できるようになるよ! 将来に影響するって言っても、どれも勉強していれば関係ないだろうしね。それにマグル学を選ぶ人間がスリザリンにいないからって、それですぐに私が嫌な目で見られることはないよ。まあ、見られたところでどうってことはないけど、例えば『マグル学を学ぶのは、マグルがいかに愚かであるか再確認するため』なんて言っておけば簡単に騙されると思うな。ちょっと変わり者って思われるだけだよ。それは今更だから大丈夫! ダリアが『継承者』だって騙されるような連中だから、また簡単に騙されてくれるよ。だからね、ダリア。一緒に教えあいっこしよう?」

 

それは酷く魅力的な提案であった。確かにそれならば、私とダフネは全ての科目を勉強することが出来る上に、自由時間に一緒にいられる時間をより増やすことが出来る。授業時間は別々になるが、そもそも授業の間はおしゃべりしたり、()()()()()()()()()()出来ないのだ。ならいっそのこと別々の科目を取って、それを復習がてら教えあいっこした方がよほど有意義な時間を過ごすことが出来る。

 

でも、

 

「……ダフネ。貴女の提案は嬉しいし、とても魅力的な提案です。でも、それで本当にいいのですか? 貴女は本当にその二つに魅力を感じているから……その二つが、他のものよりも興味深いから選んでいるのですか? それに、どんなに言い繕おうとも、スリザリン内でマグル学を選ぶのは非常に危険です。そんなこと賢い貴女なら分かっていないはずはないと思いますが、本当に理解したうえで選んでいるのですか?」

 

私はダフネの提案に飛びつくことは出来なかった。

ダフネが私への同情や負い目という、愚にもつかない安直な理由で科目を選択したのではないとは分かっている。でも、少なからず私の科目が、彼女の選択に影響しているのは確かだった。なら私は親友として、彼女の行動を縛ってしまうなんてことは嫌だ。彼女は彼女のために行動すべきなのだ。彼女の足を引っ張るのではなく、彼女と対等な存在としてありたい。

そんな思いを乗せ私は言葉を紡いだのだが、ダフネは臆することなく返事を返してきた。

 

「……ダリアの言いたいことは分かるよ。そりゃ、貴女の選択が影響しなかったかと言ったら嘘になるよ。でも、それだけが全てではない。貴女が数占いとルーン文字を選んでいたから、()()()で魔法生物飼育学とマグル学を選んだんじゃないよ。私は勉強は好きだけど、その中でも今まで全く知らなかったことを学ぶのが好きなの。数占いとルーン文字は興味は尽きないけど……私の中では、他の二つに比べると真新しさが欠けているんだよね。その点私の選んだ二つは、今までのどの科目とも全く違うものだからね。マグル学に至っては、何を学ぶのかすら見当もつかないのがいいよね。だからダリアが数占いとルーン文字を選んでくれたおかげで、私は大手を振ってこの二つを選べるくらいだよ。ルーン文字の時間も選ぶことは出来るけど、そうしたら他の勉強をする時間が削られてしまうからね。ダリアより先生の方が授業が上手いとも思えないし。ダリアに教えてもらえると思って、未練なく二つを選ばずにすむからね」

 

ダフネのあっけらかんとした言葉は続く。そして、

 

「それに、スリザリンの皆のことはそんなに心配しなくてもいいと思うよ。何だかんだ言って全員が純血っていうわけじゃないし、私はグリーングラスだしね。マルフォイ家より格は落ちるけど、聖28一族だからね。表立っては皆文句は言わないよ。……『継承者様』の親友を傷つけられるような勇気ある人がいるとも思えないしね」

 

ダフネはそう、最後に悪戯っぽく笑って締めくくったのだった。

 

……本当にずる賢くて……大好きな親友だ。

 

最後の言い訳はどうかと思うが、ダフネの言うことも一理ある。ダフネが万が一いじめられるようなことがあれば、私も『継承者』として脅してやろうと思った。どうあっても『継承者』として疑われるなら、これくらいのことで利用してやっても構わないだろう。

ダフネの選択に納得し、ただ嬉しさだけが残った私はそっとダフネの方に身を寄せながら笑いかける。新しい授業が増えること以上に、来年がさらに輝かしく幸福な年なのではとさえ思えてくる。

 

こうして全員の来年の選択は終わり、今日も楽しい三人でのお茶会が始まるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

屈託なく笑うダフネと、一見いつも通りの無表情に見えて、いつになく明るい笑顔を見せているダリア。繰り広げているのは何でもない会話でありながら、二人とも本当に幸せそうな表情をしている。

取るに足らない、何の変哲もない日常の一幕。

 

でもこれこそが……ダリアがずっと求めながらも諦めていた光景なのだろう。

これこそがダリアのずっと欲しがっていた……友達というものなのだろう。

 

僕は目の前に広がる微笑ましい光景を見つめながら、何となく昔のことを思い出していた。

 

 

 

 

それは僕達が6歳になった時。純血貴族の伝統である『お茶会』が開催される前日の出来事。

僕は明日出来るであろう友達に期待を寄せながら、いつも通り書庫で本を読むダリアに興奮しながら尋ねていた。

 

「なあ、ダリア。明日の『お茶会』では、父上の選んでくださった()()に会えるんだよな?」

 

「……ええ、そのようですね」

 

しかし反応はあまりよくはなかった。気のない返事。本から一切顔を上げることはない。僕はそんなダリアの様子に気付くことなく続ける。

 

「どんな奴なんだろうな。ダリアはどう思う?」

 

浮かれていたのだ。ダリア以外の、初めて会う同年代の人間に。そこには夢と希望()()が詰まっているのだと、世界を知らない僕は無邪気に信じ切っていた。

 

でも、ダリアは知っていた。

自分が人間ではないと知ったあの日から、ダリアは決して世界が綺麗なものだけで出来ているのではないと知っていた。夢と希望もあるが、そこには打算や目的と言ったものも確かに含まれているのだと。

だからこそダリアは諦めていたのだ。いや、諦めるしかなかったのだ。

綺麗なものを守るためには、他者の打算はダリアにとって危険過ぎるものだから。

 

ダリアは本から顔を上げ、無表情に隠しようのない悲しみを湛えながら呟いた。

 

「……お父様がお選びになったということは、おそらく純血貴族の子供でしょうね。躾も()()()()()行き届いてはいるでしょうから、()()()()()()は務まると思いますよ」

 

「……いや、僕だけのじゃないぞ。お前にも紹介されるんだからな」

 

「いいえ。私には友達なんて必要ありませんよ。近づけば近づくほど、私の秘密が漏れる可能性がありますからね」

 

そう言ってダリアは、再び本に視線を戻してしまった。話はこれで終わりだと、いつも僕の話に最後まで付き合ってくれることからは考えられないような態度だった。

そんなダリアの対応に、僕は一瞬何も言えなくなってしまった。

 

僕は不覚にもこの時……ダリアの言葉を否定出来るような知恵を身に着けてはいなかった。

ダリアがどんなことがあろうと家族なのだと知っていても、同時に、ダリアの秘密が周りに露見してはいけないことだとも理解していたのだ。

 

だからこそ、僕は咄嗟にダリアの言葉を否定することが出来なかった。

その代わり僕が苦し紛れに漏らしたのが、

 

「そんな悲しいことを言うな。お前にだっていつか……いつか秘密を知っても大丈夫な友達が出来るはずだ。そ、そんなことより、ダリアは友達になるならどんな奴がいいと思う!?」

 

ただの話題転換だった。僕はダリアの悩みから、苦し紛れに逃げてしまったのだ。

 

「……ですからお兄様、」

 

「いいから! ダリアはどんな奴がいいんだ?」

 

後戻り出来なかった。この時の僕も、これがただの逃げだと分かってはいた。でも一度始めてしまった以上、僕には引き返すことも出来なかったのだ。

そんな僕の後ろ向きな考えに気が付いたのかどうか知らないが、ダリアは再び言葉を紡ぎ出し始めた。

 

仕方なさそうに。決して手に入らないものを、諦めきった表情で眺めるように。

 

「……一緒に本を読めるような子がいいですね。色んな知識を分け合えるような、お互いに切磋琢磨出来る様な子がいいです。賢くなくてもいいから、好奇心が強い子がいいです。それと……」

 

ダリアは最後に、本を閉じながら言い放つ。

 

「私のことを知っても、私をちゃんと見てくれる子がいいです。……そんな子、この世にいるとは思えませんけど」

 

そう言った切り、ダリアは本を片手に書庫を出て行ってしまったのだった。

残されたのは、ダリアの悲しみに満ちた表情が頭に残り続ける、ただ茫然と立ち尽くすしか出来ない僕だけだった。

 

 

 

 

遠い昔の出来事。

おそらく、あの時の出来事を覚えているのは僕だけ。ダリアは覚えてはいないことだろう。僕だってずっと忘れかけていた。

 

でも、今僕はあの時のことを確かに思い出していた。

 

……目の前に、ダリアがずっと望み続けていた友達がいるのだから。

 

「……僕の言った通りだったろう。いつか秘密を知ったとしても、大丈夫だと言ってくれる友達が出来るはずだと。本当に……よかったな、ダリア」

 

目の前の二人にも聞こえないような言葉を、僕はそっと口の中で呟く。

今年、ダリアは多くの試練を乗り越えた。

ダンブルドアからの謂われない疑い。奴に誘導された生徒達の視線。そして自分と同じ造られた存在であった『バジリスク』との邂逅。

それらを乗り越えたダリアがやっと手に入れた、ダリアを決して裏切らないだろう友達。

ダリアの友達になりそうな候補は、実のところ()()()()いるにはいるわけだが……マルフォイ家である以上純血であるに越したことはない。

 

僕はそんなダリアがやっと手に入れることが出来た幸福な光景を眺めながら、静かに紅茶を飲み続けるのだった。

 



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閑話 残された事実

 

ハーマイオニー視点

 

帰りの汽車に揺られながら、ロンとハリー、そして今年彼らによって助け出されたジニーが和気あいあいとした雰囲気で語り合っている。

でも、そんな彼らと同じコンパートメントに座る私は……どうしようもなく暗い空気を醸し続けていた。空気を悪くしていると分かってはいるけど、どうしても気持ちが沈みがちになってしまう。

ハリー達も私に何と言葉をかければいいのか分からないのだろう。明るい声で話しながらも、先程からチラチラと心配気な視線を送ってくるのを感じる。それでも、私には彼らに応えるだけの気力などありはしなかった。

 

『ロックハート氏、治療後のアズカバン収監が決定。マルフォイ氏とグリーングラス氏の両名の連名で、余罪調査の方針に』

 

今朝届いた明るいニュースを読んでも、私の心は決して晴れはしない。日刊予言者新聞を持った手が、力なく垂れ下がる。

私はただ一人暗い思考の中、何度も同じ問いを繰り返す。

 

私は結局……今年何をしていたのだろう?

 

『バジリスク』と『継承者』がハリーによって打ち倒され、確かに今年の事件自体は終わりを告げた。闇の帝王に操られていたジニーは明るい笑顔を取り戻し、1000年もの間隠され続けていた『秘密の部屋』も暴くことが出来た。今年起こった問題は全て解決したのだと、皆心より喜んでいた。

 

でも、私にとって問題は何一つ解決などしていなかった。

だって、まだ……マルフォイさんへの疑いが、一切晴らされてはいないのだから。

 

自惚れでなければ、私は『秘密の部屋の恐怖』の正体を暴き、部屋の場所を暴きもした。『秘密の部屋』に関わる事件解決に対し、私は多少なりとも貢献できたとは思う。

 

でもそれだけだった。

私は事件解決に貢献できても、マルフォイさんに掛けられた謂われない疑いに対しては全くの無力だった。寧ろ悪化させたと言ってもいい。

ポリジュース薬作成に始まった、今年の全ての行動がただの徒労だったのだ。

 

だから事件後、私は必死にマルフォイさんへの誤解を解こうと奔走した。マルフォイさんは『継承者』ではなかったのだと。マルフォイさんは、ただの被害者であるのだと。

でも、誰にも聞き届けられることはなかった。『秘密の部屋』での真実を……ジニーのことを言えない関係上、私の言葉に説得力などなかったのだ。皆にとって、私の穴だらけの言葉なんかより、マルフォイさんが『継承者』だったという説明の方が単純明快で分かりやすかったのだろう。

 

ではせめて……。マルフォイさんへの誤解が解けないのなら、せめて今も苦しんでいるであろうマルフォイさんに自分だけは信じているということを伝えよう、そう思った。皆が皆マルフォイさんを疑っているわけではない。彼女が無実だと知っている人間だってちゃんといるのだと、私は伝えようとした。

 

でも、それすら私には許されなかった。

 

私のせいでマルフォイさんが『バジリスク』に襲われたのだと理解しているドラコは勿論、彼女と最近ずっと一緒にいるグリーングラスさんが、決して私がマルフォイさんに近づくことを許さなかったのだ。

特にグリーングラスさんから向けられる視線はあまりにも鋭かった。元々スリザリン生から好意的な視線を送られることなどほとんどありはしなかったけど、彼女からの視線は別格だった。以前はスリザリン生の中でもマルフォイさん、そしてグリーングラスさんの視線はあんなにも敵対的ではなかった。マルフォイさんは無表情のため正確には分からないけど、彼女達の視線は寧ろ好意的だったとすら思える。

そんな視線を向けられることは……もうない。今の視線は殺気すら籠っていたように思う。

行動に行動を重ねた結果、私に最後に残されたのは、マルフォイさんを傷つけたというどうしようもない事実と、今まで以上に深くなった溝だけだった。

 

だからこそ私は自分に問いかける。

私は結局……今年何をしていたのだろう?

 

何度考えても答えは出ない。それどころか考えれば考える程、思考は暗いものに変わっていく。マルフォイさんとの溝を少しでも埋めようと……彼女と少しでも対等な存在になろうと、マクゴナガル先生に頼んで全選択科目を選んだりしてみたけど……彼女に近づけなければ何の意味もない。選択科目への知的好奇心も、今の暗い気持ちによって塗りつぶされてしまう。マルフォイさんを傷つけたと知った時と同じ、決して思考は前へと進もうとしてくれなかった。あの時との違いは、事件が解決した今、私に挽回のチャンスはもう廻ってこないだろうということだった。

そして私が再び同じ問いを繰り返そうとした時、

 

「ああ、ここにいたんだね、ジネブラ・ウィーズリー。探したよ」

 

突然、コンパートメント外からの声によって遮られることになる。

 

声をかけてきたのは……私に殺気だった視線を送っていた、ダフネ・グリーングラスさんその人だった。

彼女は()()一瞥も向けることなく、ドアの近くにいたジニー()()を見つめながら立っていた。

 

「グリーングラス! なんでお前がここに来るんだ!? それにジニーを探していただと!? 恥を知れ! ダリア・マルフォイの腰巾着のお前が、一体ジニーに何の用だっていうんだ!?」

 

思ってもみない来訪。当然、ロンとハリーは先程の空気からは考えられない程いきり立ち始める。素早く二人は立ち上がると、ジニーを庇うような位置に移動する。

しかし彼女はそんな二人を無視し、涼しい顔で……でも瞳にだけは昏い光を湛えながら続ける。

 

「いや、ちょっと聞きたいことがあってね。それを聞きに来たんだよ。……ダリアはもうどうでもいいと思ってるみたいだけど、私は納得できなかったからね。ダリアだけが苦しんで、貴女に何にもないなんてどう考えてもおかしいと思うし……」

 

グリーングラスさんは何事か呟いた後、ハリーとロンの後ろに隠れるように座るジニーの瞳を見つめなおすと、

 

 

 

 

「ねえ? どんな気分だったの? ()()()()()()()誰かが……ダリアが『継承者』として疑われているのは」

 

 

 

 

そう、どこまでも平坦な声で尋ねていた。

私達の罪を責めるように。皆が無意識に目を逸らしていた私達の……ジニーの罪を暴き立てるように。

 

「貴女は気付いてたんでしょう? 自分こそが『継承者』なんだって。日記に操られたとはいえ、自分が生徒を襲ってるんだって。それなのに、名乗り出なかった。ダリアが自分の代わりに疑われているのを知っていながら。さぞ楽だったんだろうね。自分が犯人なのに、ダリアが代わりに疑われている状況は。……いや、ダリアだけじゃない。そこにいるポッターも疑われたことがあったよね」

 

「わ、私は……」

 

ジニーの顔色がみるみる悪くなっていく。喘ぐように口を開くだけで一向に言葉が出てこないジニーに、グリーングラスさんが更に畳みかける。

 

「ダリアはスリザリン生だから、別に苦しんでも仕方がないとでも思ったのかな? グリフィンドールの貴女が責められる代わりに、ダリアなら責められてもいいと思ったの? でも、ポッターに対してはどうだったのかな? 同じグリフィンドール生だよね? 自分の持つ『日記』のせいで事件が起こっていると先生に伝えれば、ポッターが疑われることはなかったんじゃないかな? それに、今回死人は出なかったけど、もし出ていたらどうしていたの? 貴女が()()()()()()黙っていたから、人が死んだかもしれないわけだけど、そこのところはどう思っているの?」

 

「そ、そんな……。わ、私はただ……」

 

ジニーは答えられない。ジニーだけではなく、この部屋にいる私を含めた三人も……。ロンだけが、

 

「グリーングラス! 何を言っているんだ! ジニーはお前たちのせいで傷ついたんだぞ! 訳も分からないことを言って、ジニーをどうにかしようって魂胆だな!」

 

大声で喚いているけど、それは決してグリーングラスさんに対する答えではなかった。彼は喚くだけで、彼女の言葉を根本的に否定出来ているわけではなかった。

グリーングラスさんはそんな()()()()全員を冷たく眺めていたけど、ふとため息一つ吐いた後、

 

「……別に自分可愛さで誰かに罪を押し付けることが、完全に悪だとは言わないよ。()()()()()にならね。名前も知らない誰かのために、自分を犠牲にしろなんて私は言うつもりはない。私はスリザリンだから……手段を選ばないことを否定はしない。でもね……目の前の誰かが傷ついているのに、それでも自分が純粋な被害者だって言い張るのは間違っていると思う。ダリアはあんなにも負わなくてもいい罪悪感を持っているのに、彼女より罪深いことをした貴女が何の責も負わないなんて、私は許せない。これがただの八つ当たりでしかないことは分かっているけど、私は貴女を責めずにはいられないの」

 

彼女のどこまでも冷たい声音に、誰も声を上げることが出来ない。

そこで彼女は再び口を開こうとしたけど、

 

「……ダフネ? 随分遅いと思って探しに来たのですが、何故こんな所にいるのですか?」

 

言葉が続くことはなかった。

何故なら、彼女の背後から鈴の音のように綺麗で……でもどこか冷たい響きを持った声がかかったから。

グリーングラスさんが勢いよく振り返った先。そこには……私が憧れてやまない、私が傷つけてしまったダリア・マルフォイさんが立っていた。

 

「ダ、ダリア。う、ううん。なんでもないよ! ちょっと聞きたいことがあっただけだから! もう用事はないよ! ほら、行こう!」

 

まるで()()()マルフォイさんを()()()()()、無表情の上に訝し気な雰囲気を醸し出すマルフォイさんをそのままどこかに引っ張って行ってしまう。結局、彼女が私に目を向けることは一度もなかった。

 

明るいコンパートメントに突然訪れた嵐のような時間。

残されたのは、来訪前と真逆の暗い空気。真っ青なジニーと、逆に真っ赤な顔のハリーとロン。私は……多分ジニーと同じ表情をしていることだろう。

私はすっかり血の気の引いた顔で繰り返す。

 

私は結局、今年何をしていたのだろう?

 

そして……今度は答えを得ることが出来た。グリーングラスさんの態度で、私はようやく認めることが出来た。

 

 

 

 

私は……今年()()しなかったのだ。

皆が納得してしまっているから。ジニーが傷つくから。……ダンブルドアが決めたことだから。

 

私は結局……マルフォイさんを助けるための行動など()()()しなかったのだ。

 

そんなどうしようもない答えだけが、静かなコンパートメントに残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「では父上、おやすみなさい」

 

どこか非難がましい声音に聞こえるのは、おそらく私の考えすぎ……ということはないだろう。報告をし終えたドラコが、私の返事を聞くこともなく書斎を後にする。

そんな普段であればあり得ない態度を取るドラコを、やはり普段であれば私は叱るのだろうが……私は叱ることすら出来なかった。茫然としながら、ただ書斎のドアを見つめることしか出来ない。

虚空を見つめ続ける私の脳内を、先程ドラコから聞いた報告が駆け巡る。

 

『父上、お話があります』

 

そんな言葉で始まった話は、全てダリアに関するものだった。

ダンブルドアのせいでダリアが疑われたこと。ダリアの体のことが、グリーングラス家の()()()に露見したこと。ダリアが自己嫌悪から、ドラコからすら逃げ出していたこと。ダリアが『継承者』によって攫われたこと。

 

そして……自分がマルフォイ家に相応しくない怪物であると、一時は自殺すら考えていたこと。

 

既に知りえていたもの。ドラコから聞かされるまで知らなかったもの。今年ダリアを襲った、悲しい事件の数々。あまりに多くの情報を一遍に得たせいで、私の頭は未だに混乱している。

だがそんな混乱した頭でも、これだけはハッキリしていた。

 

私はあれだけの行動をしておきながら、結局ダリアを救うことは出来なかったのだ。

挙句の果てに理事を辞めさせられ、ダリアを守る手段すら失ってしまった。私は結局……。

 

「くそ! これも全てあの老害のせいだ! あの老害が余計なことをしたから、ダリアが傷つくことになったのだ! 大人しくホグワーツから去ればよいものを! 往生際の悪い!」

 

誰もいなくなった書斎でまず叫んだのは、今回の最大の標的であったダンブルドアのことだった。そもそも奴がダリアを追い詰めなければ、私は今回の事件を計画することはなかったのだ。

次にダリアを裏切ったドビー、()()()()犠牲にならなかったウィーズリー一家。

今年私の計画を邪魔した様々な要因に不満を叫び、そして……

 

「……この日記が。この日記さえなければ! こんな日記があるからダリアが!」

 

今回『秘密の部屋』を開くために使った、大切()()()闇の帝王からの預かりものに当たり散らし始めた。

 

「この役立たずが! そもそも何故マルフォイ家であるダリアを『秘密の部屋』に誘拐するのだ! あの子はマルフォイ家だ! スリザリン足る資格は十分あるはずだ! 『闇の帝王』の血を受け継いでいるんだぞ! それの何が不足だと言うのだ!」

 

日記を床に叩きつけ、何度も何度も踏みつける。蹴りつけ、踏みにじり、最後には呪文まで放つ。散々当たり散らし、思いつく限りの罵倒を口にし続ける。

そうして自身の内を吐き出し続け最後に残ったのは、

 

「……私がこんな日記を使ったから。私が……ダリアを追い込んでしまったのだ」

 

他人への不平不満ではなく、自分自身への強い自責の念だけだった。

私は……吐き出しきった後でしか、自身の罪を完全に認めることが出来なかった。

枯れ始めた声で、私は嗚咽交じりに呟く。

 

「すまない……。すまない……ダリア……」

 

応える人間は当然いない。ここにはドラコも、そして当のダリアもいないのだから。それにいたとしても、ダリアは何も応えてはくれないだろう。

あれ程傷つけられたというのに、一年ぶりに帰ってきたダリアは結局何も言うことはなかった。私のせいで今年の事件が起こったことに気付いているだろうに、

 

『お父様。私、友達が出来ました』

 

そんなことしかダリアは言わなかった。無表情の上で静かに微笑みながら、決して辛かったであろう心情を私に見せることはなく、あまつさえ私を責めることもしなかった。我慢しすぎる嫌いのあるダリアを、私は更に我慢させてしまったのだ。

いっその事責められた方が楽だっただろう。私のせいで傷ついたのだと。私のせいで苦しんだのだと。

 

だが結局……私は誰にも罰せられることはなかった。私を罰せられる唯一の人間であるダリアは……結局私を罰するのではなく、自ら罰を受けることを選んだのだ。

 

「すまない、ダリア……。わ、私は……何ということを……」

 

静かな書斎に私の嗚咽だけが響く。

残されたのは、私がダリアを傷つけたという事実と……もうそれを挽回する手段が私には残ってはいないという現実のみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

()()の前を、黒い頭巾をかぶった()()が通り過ぎる。近くを通り過ぎる度に、ガラガラという音を立てながら私の中にある()()を吸い取ろうとしているのが分かる。

だが今回も出来なかったようだ。冷たい空気を垂れ流しながら向こうへ行く『吸魂鬼』を見やり、一人思う。

 

……馬鹿め。もうお前達に私から奪えるものなど一つもない。

かつてあった幸福感は、()()()によって後悔の記憶になってしまったのだから。私に残されたものは、()()()に対する憎しみと、自分は無実であるという事実のみなのだから。

 

長い月日が経ち様々な感情が擦り切れても、この憎しみだけは決して色あせることはない。

あいつはまだ生きている。今もじっと、どこかで奴お似合いの『ネズミ』の姿で生きている。ジェームズやリリーを殺しておきながら、今ものうのうと。

本来であればこんな所をさっさと逃げ出してしまいたいが……たとえ『犬』になっても、まだこの独房をすり抜けられないばかりか、もうそんな気力も残っていない。奴の居場所が分かりさえすれば別なのだろうが……そんなことが出来るはずがない。

奴は今どこかに隠れている。ヴォルデモートの昔の仲間から逃げ隠れするために。真実を知っているのであろう奴らの一部は、あいつのせいでヴォルデモートが破滅したと思い憎んでいる。ずる賢く、どこまでも臆病なあいつのことだ、決して人間の姿で生きていることはないだろう。そんな奴をここから見つけだすことなど……藁山の中から針を探すようなものだ。不可能と言ってもいい。

 

だが不可能だと分かっていても、私にはどうしても諦めきれずにいたのだ。そうでなければ……死んでいった親友たちが浮かばれないから。

だから繰り返し思い続ける。擦り切れた感情や理性の中、僅かに残った自我を保つためにただひたすら繰り返す。

この憎しみと後悔だけに彩られた……どうしようもなく幸福だった記憶を。

 

とある囚人の脱走から始まる一連の騒動まで……あともう少し。




次回アズカバン


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アズカバンの囚人
少年の記憶


視点によって時間軸が違います。ご注意を。
ダリア視点⇒誕生日一週間前
ハリー視点⇒誕生日前後


 

()()()視点

 

世界は『弱肉強食』という名のルールの下に回っている。

物心がつく頃には、()はもうその真実に気が付いていた。

 

何故なら僕の住む()()()は、そのどうしようもなく単純で明確なルールによって支配されていたから。

 

ただでさえ日当たりが悪い立地であるのに、窓も少ないせいか風通しも悪い世界。そんな中で、皆同じ灰色のチュニックを着せられ、僕ら孤児には差異があることすら許されない。

管理人を名乗る女が毎日、

 

『皆仲良く、喧嘩しないようにね。どんな事情の子であろうとも、皆平等なのだからね』

 

等と口先だけの言葉を吐いているが、現実が変わるわけではない。きっとあの女も、自分の言っていることを信じてはいない。あいつにとって、僕らが平等である方が()()しやすいというだけだ。

そう……着るものを同じにされようが、たとえ皆仲良く平等にと言われようが、現実自体が変わるわけではない。

皆等しく違っており……誰一人として平等な存在などではない。必ず()()と言うものが存在している。

現に孤児の中には、明確な上下関係というものが存在していた。

実の親を知っている者。親が金持ちであった者。親戚に引き取られる予定がある者。

 

そして……力が強く、他者を支配出来る者。

 

様々なランク付けがある中で、一際重要な要素はこの一点だった。より大きな力を持ち、より相手を支配出来る力を持つ者こそが、この孤児院においては最も『特別』な存在だった。『特別』でない人間など、ただ他者に食われるだけの存在だった。

生きているようで……死んでいる存在だった。

かくいう僕は、生まれつき体格に優れていたわけでもなく、腕力で言えば寧ろ下から数えた方が早い方であったが……孤児たちの中では間違いなく、上位の存在に位置していた。

 

僕が『特別』な力を持っていたから。

 

それに気づくまでは、僕の生活は惨めなものだった。

管理人の目を盗んで、日々大きな体を持つものに食べ物を奪われる。食べ物を奪われればさらに力が弱まり、次の日も食べ物を奪われる。食べ物だけではなく、僕の数少ない持ち物さえ次々と奪われていく。力が弱いだけではなく、実の親を知らず、親が金持ちでもなく、親に引き取られる予定すらない僕は、当時最も下位な存在だった。

親のことで知っていることといえば、母親は僕を生んですぐに死んだこと、まだ生きているかもしれない父親が、『トム・リドル』なんて()()()()()名前であることくらいだ。そんなもの、全く知らないのと同義だ。

惨めだった。惨めであるのに、そんな惨めさにすら気づけない本当の惨めさ。『弱肉強食』の中で、ただ食べられるのを待つだけの存在。それが当時の僕だった。

 

だがある時、

 

『おい! お前の皿の物を寄越せ! お前は体が小さいんだから、そんなに量はいらないだろう! ただのトムのくせに、これ以上食べようなんて生意気なんだよ!』

 

クリスマスには毎年、いつもは食卓に並ばないような果物が出される。しかしそんな特別な日にも、もはや毎日の挨拶のように繰り返されてきた言葉が放たれる。理不尽だとは思わなかった。それがこの世界のルールであり、至極当たり前の真実であるのだから。

でも、その時の僕は本当にこの果物を楽しみにしていた。一年に一度にしか食べられないであろう果物。ここで奪われてしまえば、次いつ食べられるか分かったものではない。それにこの時の僕は酷く空腹だった。何日も食べ物を奪われ続け、もはやスープの一滴すら渡してなるものかと思っていた。後先も考えず、ルールに逆らわねば死んでしまうと思う程に。

だから必死な思いで、

 

『僕の皿に触れるな!』

 

そう叫んだのだ。叫んだ後、強い後悔を覚えた。

下手をしなくても、この後僕は殴られるだろう。抵抗むなしく食事を奪われるばかりか、今度こそ死ぬまで殴られ続け、僕は『()()()()()()()()』息絶えるかもしれない。

……でも、一向に拳が来ることはなかった。

 

予想通り僕に拳を振り上げた奴は……そのまま僕を殴りつけることなく、()()していたのだ。

 

最初、僕はそれが自分の力によるものだとは思っていなかった。ただの偶然。たまたま僕が叫んだ時、奴が勝手に気絶しただけだと、僕はそう思っていた。

しかし、その認識はいつしか疑いとなり……最後には確信となった。あのクリスマスの出来事から、不思議な事が度々起こるようになったのだ。

僕の持ち物を奪おうとした奴の手に突然水疱瘡が出来たり、僕を殴ろうとした奴が突然痙攣し始めたり。全て僕に都合のいいように、本来は起こりえないような不思議な現象が続いた。

 

僕は確信した。

僕には『特別』な力があるのだと。僕は……『特別』な存在なのだと。

 

そしてそれに気が付いた時には、僕はこの『特別』な力を制御できるようになっていた。

意識して命令すれば、簡単に他人が従うようになった。人だけでなく、動物さえも思い通りに動かせるようになった。必要であれば傷つけることさえ出来るようになった。

 

僕はいつの間にか食われる存在ではなく、食う側の存在になっていた。

果物を奪われる側ではなく、奪う側の存在に。

 

死んでいた僕は……あのクリスマスの日に、初めて()()()()のだ。

 

弱肉強食の世界には、二通りの存在しかない。食う側と食われる側だ。食われないためには、相手を食うしか道はない。食う側に回らなければ、ただ死ぬだけだ。

管理人は、

 

『世の中には、無償で物を与えてくれるような優しい人もいる。だからあなた達も他人に優しく、そして希望を持ち続けなさい』

 

なんて言うが、そんなのは嘘だ。現に、僕は一度として無償で物を与えられたことはない。物は与えられるのではなく、奪わなければならないのだ。奪わなければ、僕は果実を永遠に食べることは出来ない。

 

だから僕は正しく実行した。この身で経験し続けてきたルールに、僕はただ従った。この方法()()、僕は果実を得る方法を()()()()()()()()

 

なのに……どうしてか、僕は満たされることはなかった。

食べ物を奪えるようになることによって、僕は空腹ではなくなった。宝物と言えるような物も、大量に手に入れることができるようなった。

それなのに……僕はいつもどこか『渇き』のような感情を抱えていた。僕を見つめる他の孤児、そして管理人の視線も、以前の憐れむような……蔑むような視線ではなく、どこか恐れ、警戒するような視線になっていた。

僕は知っていた。奴等の視線の変化は、僕が『特別』である証なのだと。僕が奪う側である証明。

なのに、どうしてか僕は、その視線に少しだけ『渇き』を感じ続けていた。

『渇き』を癒すために、さらに僕は奪い続ける。でも何故か『渇き』はさらに強まっていく。

生きるために。誰かに……されるために。僕はただ奪い続けた。

 

そんなある日のことだった。

 

『はじめまして、()()。私はダンブルドア教授だ』

 

()が孤児院に現れたのは。

濃紫のビロードの、派手なカットの背広という頭のおかしな恰好をした奴は、その日突然僕の部屋を訪れた。

管理人に客だと紹介された奴は、突然部屋に入ってきたかと思うと、そのまま勝手に近くにあった椅子に腰かけながら、唖然とする僕を横目に言い放つ。

 

『私は先程も言った通り、ホグワーツという学校で教鞭をとっている者だ。今回は君に、私の学校への入学を進めにきたのだよ」

 

突然現れた狂った格好をした人間。そして学校という言葉。僕は怒りを露にしながら叫ぶ。

 

『騙されないぞ! 何が学校だ! どうせ精神病院だろう! それに……『教授』? ……ふん、何が『教授』だ! 本当は医者か何かだろう!? 僕は絶対に行かないぞ! 僕は狂ってなんかいない!」

 

最近、僕の『特別』を理解できない管理人が、僕を頻りに精神病院に入れようとしていることは知っていた。だからこいつだってその手合いだと思ったのだ。

でも、

 

『私は精神病院から来たのではない』

 

奴の一言で、僕は怒りを鎮めることになる。

 

『君は狂ってなどいない。それに、ホグワーツは狂った者の学校ではない。魔法学校なのだ』

 

僕は凍り付いた。今こいつは何と言った?

 

『……魔法?』

 

『その通り。その反応だと……君には心当たりがあるようだね?』

 

奴の言葉通り、僕には大いに心当たりがあった。

僕のこの『特別』な力。これは紛うことなき、魔法としか言いようのない力だった。

奴のことを信じたわけではない。でも、もし奴の言っている『魔法』と、僕の『特別』が同じものだとしたら……。

 

『……ある。僕は他の人間が出来ないような、『特別』なことが出来る』

 

『ほう。例えばどういうことかな?』

 

食いつくように質問する奴に、僕は興奮しながら応える。下を見やれば、期待に震える自分の握りこぶしが見えた。

 

『いろんなことさ。物や動物、それに人を触れずに動かしたり、従わせたりできる。その気になれば傷つけることだって。僕は……『特別』な存在なんだ』

 

『……『特別』かは分からんが、確かに君は魔法使いのようだね』

 

頭上からかけられる言葉に、僕は歓喜を持って顔を上げる。

世界はようやく『特別』な僕を認めた。親戚に引き取られていく孤児の様に、『特別』である僕はようやく、この狭苦しい世界から解放され、新しい世界に行くことが出来るかもしれない。きっとこの『渇き』も、外の世界なら癒すことが出来るに違いない。僕はこんな場所の『特別』ではなく、外の世界でも『特別』な……偉大な存在になることが出来る。

 

そんな期待を胸に奴を見上げ……僅かに()()した。

 

何故なら……今まで見たことのない恰好をした、聞いたこともない世界のことを語る奴の目は……その実どこまでも()()()()ものだったから。

 

奴の目は、管理人や他の孤児と同じく、見慣れた『()()』の色をしていた。

 

そして瞳に映る()は……どこまでも『秘密の部屋』で見た彼に似通っていた。

 

 

 

 

これが()の原風景。

()の魂のような物に()()()()()()、彼の小さかった頃の記憶。もう誰にも……それこそ『怪物』になった彼自身にも、そして夢から覚めた私にも思い出されないだろう彼の記録。無意識にしか行きつけない、一方通行の追体験。

 

夢の中で彼であった私には、そのことが少し悲しかった。

私は気付いたのだ。彼は知らなかっただけだった。愛を。愛し方を。そして愛され方を。

彼は愛を与えられも、そして愛を感じる機会すら与えられはしなかったし、両親に愛されていたかもという幻想すら描くことを許されはしなかった。

本物は勿論、偽りの愛さえ彼には与えられなかった。

与えられも、ましてや知りもしない物を他者に与えることは出来ない。彼は誰よりも才能に恵まれてはいたが、そんな単純な真実から逃れられる例外ではなかった。

彼を唯一救えたかもしれない奴も……彼に愛を与えられる程には、愛を理解していなかった。愛の力を知ってはいても、愛そのものを理解してはいなかった。

 

そうして愛を知らず、与えられもしなかった彼は、一人の女子生徒を殺すことによって死に、代わりに『怪物』として生まれ変わることになる。

 

『ヴォルデモート卿』という名の怪物に。

 

人を殺したことで、彼自身も死んだのだ。

『怪物』になることしか知らなかった彼が、その実『怪物』になることで永遠に死ぬことになった。結局彼は……『怪物』になることでしか生きられなかったのだ。

そのどうしようもない現実が無性に悲しいと思いながら……私はゆっくりと目を覚ます。

 

起きた時には、もう夢のことは覚えてはいなかった。

何故なら……これは私の中にあるだけで、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「……」

 

朝目が覚めると、外はすっかり明るくなっているみたいだった。カーテンが閉められていても、外がもう朝どころか昼に差し掛かり始めている時間だということが分かる。どうやら私は少し寝坊をしてしまったらしい。いつもは自分一人で起きられるのだが、時折こういった風に寝坊する時がある。そんな時は大抵ドビーが起こしに来てくれるのだけど……ドビーはもう家にはいない。彼はマルフォイ家の『屋敷しもべ』ではなくなってしまったから。

でも、悲しいというわけではない。

何故なら彼は、マルフォイ家の僕ではなくなっただけで、私の家族でなくなったわけではない。彼に会おうと思えば、ホグワーツに行くだけでよい。親友のダフネのように。

なら、私が悲しく思う必要はない。家族の在り方が少し変わっただけなのだ。

それに、

 

「ダリア? 起きているの?」

 

ドビーが起こしに来なくとも、私の大好きなお母様が起こしに来てくださるから。

 

「はい。今起きました。申し訳ありません、お母様。お手を煩わせてしまいました」

 

「いいのよ。ダリアはまだ学校での疲れが取れ切れていないのだから、家にいる時くらい寝坊しても構わないわ」

 

そう優しい微笑みを湛えながら、お母様は近づいてこられたが、

 

「あら? ダリア、泣いているの?」

 

ふと、私の顔を覗き込みながら言った。

お母様の言葉に、私も頬に手を当てると……確かに瞳から涙がこぼれていた。

 

「ダリア……また怖い夢でもみたの?」

 

「……そうなのかもしれません。でも大丈夫です。夢は見ていたとは思うのですが、今は思い出せませんから」

 

そっと背中を撫でてくださるお母様に、私は涙を拭きながら応えた。

一度拭いてしまえば、もう涙があふれるということはない。強がりではなく、本当に何故泣いていたのか分からなかった。どうせ変な夢でも見ていただけだろう。

 

強いて言うなら……夢の内容を思い出せないことが、何故か無性に悲しかった。

 

お母様は私の無表情を心配そうにのぞき込んでいたが、私の言葉に間違いはないと分ると、

 

「そう? でも、無理はしないようにね。貴女はため込みすぎるのだから」

 

そう言って私の頭を一撫でし立ち上がると、少し名残惜しく思っている私に、お母様は朗らかな声で続ける。

 

「さあ、朝食に行きましょう。お父様もドラコも待っているわ。それに、今日は貴女のドレスを仕立てないといけないのですもの。忙しくなるわ」

 

お母様の仰る通り、今日はやるべきことが詰まっている。私の本当の誕生日用のドレスのために、今日はダイアゴン横丁まで行く。毎年違ったドレスを着る関係上、今年も採寸から行わねばならないだろう。

お母様に見守られる中、私は身支度を整えると、急ぎお父様とお兄様が待つ食堂に向かう。

これ以上お待たせしないために、日常という幸福を、少しでも長く家族と分かち合うために。

 

それが何故か……彼への唯一の弔いであるのだと、心の奥で感じながら……。

彼が一体誰なのか、最後まで思い出せないまま……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

夏休み期間中、僕にとっていいことは起こらない。

それは13年という短い人生の中で、僕が痛い程経験して学んだことだった。

ダーズリー家に戻ってからの生活は、去年のように僕本人が監禁されるということはないまでも、決して良くなったと言えるものではなかった。

相変わらず勉強道具は真っ先に鍵をかけて仕舞いこまれるし、ヘドウィグは閉じ込められているせいで大騒ぎするし、そのせいで余計おじさん達の機嫌が悪くなるし……。

 

唯一いいことがあったとすれば、僕の誕生日くらいのものだった。

ホグワーツに入るまでは、自分の誕生日ですら楽しみな日などではなかったけど……入学してからは、必ずプレゼントを送ってくれる友達がいる。

ハグリッドは、

 

『こいつは来学期役に立つぞ。何故かはまだ言えん。続きは会った時にな』

 

と書いた手紙と共に、やたらとこちらに噛みつこうとする『怪物的な怪物の本』を。

まだまだ本調子ではないらしいハーマイオニーは、休暇最後の週にロンドンで過ごす予定だと書いた手紙と、『箒磨きセット』という本当に嬉しいプレゼントを。

くじで大量の金貨を得たらしいロンは、スキャバーズを肩に乗せる自身も写った一週間前の『日刊予言者新聞』切り抜きと、旅行先で買ったらしい『かくれん防止器』なる胡散臭い道具を。

ハーマイオニーのプレゼント以外は何だか酷く胡散臭い上に、ハグリッドの物に至っては危険ですらある気がしたが、どれも心から送ってくれたものだと分かっているので嬉しく、並べて眺めていると何だか心が温まるような気持ちだった。

 

こんなに嬉しい誕生日は、生まれて初めてのことだった。こんなに嬉しい日があるなら、夏休みだってそう悪いものではない。誰かに祝ってもらえる誕生日さえあれば、この先も辛い夏休みを我慢しながら過ごすことが出来る。

 

そう思っていた。

でも、やっぱり夏休みは辛いことばかりだった。唯一の楽しい記憶すら容易く塗りつぶされる。

何故なら、

 

「お前の両親は文無しで、役立たずで、ゴクつぶしのろくでなしだったのさ!」

 

「違う!」

 

マージおばさんが、ダーズリー家に訪れたから。

マージおばさんはダーズリーおじさんの妹で、兄と容姿も性格もそっくりな人だった。僕に会えば開口一番に悪態をつき、酷いときには両親のことも愚弄する。

この大嫌いな叔母さんが来ると知った時はショックだったが、今年から週末に行けるホグワーツ近くの魔法使いだけの村、『ホグズミード村』に行くためにはおじさんのサインが必要なため、なるべく機嫌を損ねないようにいい子であろうと決意していた。

でも結果は、

 

「いいや、違わないね! お前の両親は酔っぱらった挙句、自動車事故で死んだんだ! 情けない親だよ! そんなろくでなしの子であるお前もね!」

この有様だった。

あまりに酷い罵声につい言い返してしまうと、その何倍もの罵声が返ってくる。ホグズミード行きの許可証のことなど怒りで忘れてしまった僕は、お行儀などかなぐり捨て、ただひたすらマージおばさんに鋭い視線を投げかける。

今すぐに、この雑音を垂れ流す肉の塊を黙らせてやりたいと思った。ヴォルデモートの手から命懸けで僕を守ってくれた両親を、これ以上侮辱されるなんて我慢できなかった。

だから僕はひたすら睨みつける。怒りの赴くままに。この肉塊が、今すぐ黙りますようにと願う。

そして、

 

「お前は礼儀知らずで、恩知らずで、」

 

願いは聞き届けられた。

おばさんは言葉が詰まったかのように、急に黙りこくった。

怒りが膨れ上がったせいで、言葉も出なくなったのだろうか。

そう皆が思い見つめる中で、おばさんは膨れ上がり始める。怒りではなく……おばさんの体自体が。

巨大な赤ら顔は膨張し、小さな目は飛び出し、口は左右に引っ張られて喋るどころではない。

服のボタンははじけ飛び、いよいよ風船みたくなってきた時、おばさんは遂に浮かび始めていた。

 

「マージ!」

 

おじさんとペチュニアおばさんが飛びつくがもう遅い。

あれよ、あれよという内に、マージおばさんは天井まで浮き上がり、天井との間でバウンドを開始する。ダイニングルームは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

僕はその隙に部屋を飛び出し、物置から勉強道具を引っ張り出すと、そのままホグワーツに持っていく道具が詰まったトランクを片手に家を飛び出したのであった。

 

「ここに戻ってこい! マージを元通りにしろ!」

 

という叫び声が背後から投げかけられるが、僕は当然無視する。

当然の報いだ。あのまま中身のない風船のようになっていればいい。

僕はそのまま暗い通りに躍り出ると、目的もなくただ歩き続ける。

 

やっぱり、夏休みに碌なことは起こらない。

 

誕生日にあった温かい気持ちは、もう胸の中のどこにもなかった。ただどす黒い感情だけを原動力に、前だけを見据えて歩き続ける。

目的も、行く当てもない。どんなに歩き続けたって、両親のいない僕がたどり着くのは出口のない袋小路だ。

それは分かっていても、僕は歩き続ける。どこだって、ここよりかは遥かにマシな場所だろうから。

 

 

 

 

これが()()()に遭遇する、ほんの数分前の出来事だった。

暗闇から僕をギラギラした瞳で見つめる、ひどく図体の大きい真っ黒な犬を。

 

これが僕にとっての、事件始まりの合図。

去年同様、事件は僕の知らないうちに始まっていた。

そのことに、偶然上腕を差し出すことで呼んだ『ナイト・バス』の中でも……車掌が読んでいた、マグルを大量に殺したというとある脱獄犯の記事を見ても、僕が気付くことはなかった。

 

 

 

 

事件は、もうすでに始まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

私は気付かなかった……。

 

「今度は腕を上げてくださいね!」

 

朝刊に赤毛一族のニュースが載るという不愉快な出来事もあったが……概ね無事に朝食をとり終え、ダイアゴン横丁にある洋装店に訪れると、さっそくとばかりに採寸が始まる。

 

「毎年ドレスのご注文、ありがとうございます! お嬢様はお美しいので、私も楽しみにしているのですよ!」

 

毎年のことであるが、やけに張り切った店員によって様々な場所が計測されてゆく。恒例の作業であるし、これのおかげで家族にも喜んでもらえるのであるが……一向に慣れることはない。根本的におしゃれに興味がない自分としては、この採寸という時間は苦痛なものでしかなった。

女というだけで、やけに長い時間を費やされる。しかも終わってみれば、

 

「お嬢様は今年13歳におなりになるのですから……まぁ、あまりサイズ自体は変わっていませんね。で、ですが、美しさは去年よりも磨きがかかっておいでですよ! デザインもより大人に近いものにいたしましょうね!」

 

去年とあまり変わり映えしないという結果に終わっていた。長い時間をかけた割には、実に悲しい結果だ。お母様を長時間お待たせしてしまい、とても申し訳ない気分になる。

しかし店員が言う通り、

 

「……女の子は成長が早い分、止まるのも早いから仕方ないわね。残念がることはないわ。その分デザインを凝ったものにしましょうね」

 

「はい、お母様」

 

私ももう13歳になったのだ。成長期がそろそろ終わりを迎えてもおかしいことはない。それに、別に成長が止まったというわけではない。徐々にではあるが成長は続いてゆく。単に成長が遅くなっただけのことだ。

 

そう思い、私はお母様とデザインを考え始めたのだが……後で考えれば、この時からもう()()は始まっていたのだ。

力、再生力が強いこと。人間の血を飲むこと。日光や銀、そしてニンニクに弱いこと。吸血鬼にある、人間にはない特性。その中に、もう一つ重大な特性があることを、私は失念していた。それこそが、私という『怪物』を作るにあたって、『闇の帝王』が最も重視したことだというのに……私はこの時気付くことはなかった。

 

 

 

 

私は大切な人と、同じ時間すら歩んでいなかった。

 

今年起こる事件とは関係なく、私の体の()()()はゆっくりと……だが確実に進み続けていたのだった。



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親友デート(前編)……主人公挿絵あり

  

 ドラコ視点

 

ダリアの誕生日から数日。今日は()()()()であれば何一つ特別なことのない、ただホグワーツに必要な学用品を買うためだけの日であるはずだった。

だが、

 

「お兄様……」

 

今年は……いや、今年()()()、今日という日もダリアにとって特別なものになっていくのだろう。

暖炉の前には、約束の時間はまだだというのにダリアが既に待機している。無表情の上に、ハッキリと待ちくたびれたと書かれているようだった。よほどダイアゴン横丁に行くのが楽しみなのだろう。見送りに来た母上に微笑ましげに見つめられていることにも気付かず、どこか落ち着きのない態度で僕の方を見つめている。僕はそんな妹の様子に苦笑しながら謝罪した。

 

「すまない、ダリア。遅れてしまった」

 

「い、いえ。そんなつもりは……。申し訳ありません」

 

僕を非難してしまったと思ったのだろう。ダリアが慌てた様子で謝り返してくる。しかし、すぐに再びソワソワと落ち着きのない態度に戻っていた。去年父上がクィディッチの試合を観に来た時も同じようにはしゃいではいたが、あの時とは瞳の()()()が決定的に違う。普段のダリアからは想像も出来ないような態度。だがこの変化が、僕には酷く嬉しいものに思えるのだ。

 

何故ならダリアがこんな風になっているのは、ダイアゴン横丁でダフネと待ち合わせしていることが原因だから。

 

夏休みの間中ほぼ毎日と言っていい程手紙のやり取りをしているようであったが、実際に本人と会うのは今日が初めてのことだった。そもそも夏休み期間だけとは言わず、ダリアが他人とどこかで待ち合わせるという行動自体が生まれて初めてのことだ。

ようやく巡り合えた友達と、普通の少年少女のように遊ぶ……今までのダリアからは考えられないようなことだ。勿論ダリアの体の関係上、完全に何もかもを忘れて遊ぶということは出来ない。今回だってなるべく屋外にいる時間を減らすために、わざわざ約束の時間ぎりぎりに出立することになっている。

でも、それが分かっていても待ちきれないのか、

 

「お兄様。時間はまだですが、もう行ってしまいましょう! 日光対策も万全ですから、少しくらい早く行っても大丈夫ですよ!」

 

遂に僕の袖を引っ張り始めていた。

 

「こら、ダリア。貴女は日光に弱いのだから、あと少しだけ待ちなさい」

 

ダリアの滅多にない我儘は嬉しい様子であるが、流石に日光に関しては妥協するつもりはないらしい。微笑みながらも、すかさず母上が窘めようとする。

そんな母上に、

 

「いえ、もう行きます。時間までまだあると言っても、あとほんの少しですし。それに、あいつならもう待ってると思いますよ。あいつもダリア以上に楽しみにしているはずですから」

 

僕は少し早めの出立をする旨を伝えたのだった。

ダフネのことだ。どうせあいつも時間まで待つことが出来ず、早めに来ていることは想像に難くなかった。それならばわざわざ約束の時間を待つ必要はない。

それに……こんなにも楽しみにしているダリアを、これ以上待たせるのも可哀想だと思ったのだ。ダリアがようやく手に入れることが出来た、本当に細やかな我儘くらい叶えてやりたい。万が一ダフネが来ていなかったとしても、僕がしっかりしていれば何の問題もないのだ。それくらい僕にだって出来る……いや、出来なければならない。

窘めたとはいえ、母上も同じ気持ちではあるのだろう。母上は少しの間悩んでいる様子だったが、僕とダリアの決意が固いと分かったのか、

 

「そう……それならいいわ。私とルシウスは今回は行けないから、グリーングラスさんによろしく言ってちょうだいね。次は家にも来てほしいわ。ダリアのお友達ならいつでも大歓迎よ」

 

ため息を一つ吐いた後、諦めたように呟いたのだった。

本当は母上もいらっしゃりたい、というよりダフネに会いたいのだろうが……今回はそういうわけにもいかない。

理事を辞めさせられたせいで、父上はホグワーツへ口出しする最大の手段を失ってしまった。これではいざという時、ダリアを守ることが出来ない可能性がある。それを補てんするために、魔法省への影響力を更に強めようと父上は今躍起になっておられる。今日も忙しいのか、どこかの会合に朝から行ってしまっており、母上もそれを補佐するため、この後父上の元に向かわねばならない。

なら父上と母上が忙しくない日を選べばいいとも思ったが、ダフネもダフネで忙しいらしく、彼女の空いている日も今日くらいのものだった。あいつもグリーングラス家、聖28一族の一人だ。特にあいつの場合、今までお茶会など純血のコミュニティーに積極的に参加していなかったしわ寄せもある上、今年から『マグル学』を受けることもある。スリザリン生に露見した時のために、ある程度自分が『純血主義』であると周りにアピールする必要があるのだ。きっと何かしらの予定が詰まっていたのだろう。

……しかし振り返って考えてみれば、結果的にはこれで良かったのかもしれない。ダリアは両親共にいない状況を悲しんでいたが、ダフネのことを考えれば母上と父上……特に父上はいない方がいい。ダフネは去年の事件が()()()()()起こされたものなのか知っている。きっと父上と顔を合わせても、あまりいい顔をすることはない。

 

人生初の親友との待ち合わせ。ダリアの幸せに、一点の曇りもあってはならない。

 

僕はダリアが悲しみを思い出さないうちに、名残惜しそうな母上に返事をしながらダリアを暖炉の中に促す。

 

「分かりました。伝えておきます。ではダリア、行こうか」

 

「はい、お兄様! お母様、行ってまいります!」

 

僕の言葉を聞くやいなや、ダリアは放たれた矢のようにさっさと『煙突飛行』を行ってしまう。

そんな妹に続き、僕もダイアゴン横丁に飛ぶのであった。

微笑みながら。ダリアの幸せが、これからもずっと続くことを願いながら。

 

 

 

 

こうして何の変哲もない、でも掛け替えのない平凡で()()な一日が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

夏休み期間中のダイアゴン横丁。『漏れ鍋』横にあるカフェから、鬱陶しい程日差しの良い通りをかれこれ()()()()()は眺めているが、そこかしこにホグワーツ生の姿を見つけることが出来る。夏休み終了間近ということもあり、今年必要な学用品を買いに来ているのだろう。

かく言う私もその学用品を買いに来た生徒の一人なわけだけど……正直、学用品などどうでもよかった。今日最大の目的は別にあるのだ。

 

何故今日と言う日は、こんなにも晴れているのだろう。これでは()()()が十分に楽しむことが出来ないじゃない。

 

私は()()()()()嫌いになった太陽を睨みつけながら、ただひたすら訪れるはずの幸福な時間を待ち続ける。これから始まる、何気なくも幸福な時間を……。

そして、

 

「ダフネ!」

 

遂にその時がやってきた。目の前に、日傘を差した状態の親友の姿が現れたのだ。

夏休み前と()()()()、どこまでも綺麗な白銀の姿。この世にある綺麗なもの全てをかき集めたような彼女は、去年まで私に決して見せることのなかった()()()()()()()で話しかけてくる。

 

「お久しぶりです! ……待たせてしまいましたか?」

 

「ううん。全然待ってないよ。私も()()()来たばかりだから」

 

嘘ではない。実際、私にとっては『さっき』みたいなものだ。彼女を待つ時間はそれだけで幸せで、長いようであっという間のものだったのだ。一時間などあってないようなものだ。

でも、

 

「……あまり無理をしない方がいいぞ。途中で倒れたら、それこそダリアが心配する」

 

ダリアの兄はそう思わなかったみたいだった。

ダリアの後を追う形で、ドラコがこちらに歩いてくる。ダリアに微笑みこそ向けているが、視線だけは少し非難がましく私に向けられていた。おそらく私が倒れでもして、ダリアの楽しみに水を差されることを恐れたのだろう。私は苦笑しながら心配性のお兄さんに返し、

 

「大丈夫だよ。ちゃんと日陰で待ってたし、水もちゃんと飲んでいたから平気」

 

私は急いでダリアの手を握りながら言い放つのだった。

ダリアは……決して私の手を振り払わなかった。

 

「それより、行こう! 時間は有限だよ! 今日はするべきことは買い物だけじゃないんだから!」

 

「……はい!」

 

今私の手の中に、ずっと求めてやまなかった温もりが存在している。

今まで怠っていた純血貴族との顔合わせ。つまらないお世辞と、中身も信念もない戯言を聞き続ける毎日。グレンジャーに差をつけられないために、予定の合間にも勉強しなければならない日々。そんな中で、唯一の楽しみがダリアからの手紙だった。彼女からの手紙があるからこそ、私は頑張ることが出来た。

でも、手紙でのやり取りもよかったけど、やはり実際に会い、そしてこうして触れ合うことに勝るものはない。昔の私同様の下らない連中に、愛想笑いをし続けなければならなかった疲れがみるみる癒されていくようだった。

 

あぁ……少しでも長く、この幸せな時間が続きますように。

 

私達三人は、おそらく全員が同じ思いを胸に歩いている。

私とドラコは言わずもがな。ダリアも、今は無表情がほんの少し……つまりいつもは考えられない程ほころんだものになっている。

 

そうして私達は歩き出し、まず行きついたのが……学用品とは一切関係ないどころか、この中でドラコしか興味を持たないであろう『高級クィディッチ用具店』だった。

 

店を通りかかった瞬間、ドラコの足が遅々として進まなくなってしまったのだ。

 

「ドラコ……」

 

「い、いや。ぼ、僕もスリザリンのシーカーとして……こんな箒を無視するわけにはいかないんだ!」

 

ドラコの様子にダリアが幸せそうにしているからいいけど、本来であれば首をひっつかんででも引っ張っていくところだ。

彼もそのことは分かっているのだろう。何とか目を逸らそうと、足を前に進めようという努力は見えるが、現実は違った。目も逸らしては戻り、足は一歩も前に進もうとしない。

 

そんな彼の視線の先、新しく出来たであろう陳列棚には、

 

『炎の雷・ファイアボルト。箒の歴史を塗り替える、史上最速の箒』

 

宣伝通り、一目で今までの箒とは次元が違うと分かるような箒が置いてあった。

すっきり流れるような柄。尾の部分は小枝を1本1本厳選し砥ぎ上げているのか、他の箒にはない恐ろしく整ったフォルムをしている。

まさに速さのみを追求したと思しき箒。クィディッチを嗜む人間には、喉から手が出る程欲しいと思える代物だろう。ましてやドラコは寮選抜シーカーだ。これさえあればポッターに勝利することも可能かもしれない。そう思い、どうしても視線が釘つけになってしまうのは仕方がないようにも思えた。

でも、

 

「ほら、ドラコ。貴方がこの箒を欲しい気持ちは分かるけど、貴方にはニンバス2001っていう立派な箒があるんだから諦めなさい。せっかく去年お父さんが買ってくれたんだから大切にしなくちゃ。それに、そんな箒持っても宝の持ち腐れだよ。ニンバス2001も相当高かったけど、これはその20倍以上の値段はするんだもの。こんな箒生徒で持つ子なんていないって」

 

ゆっくり眺めるのはまたの機会にして欲しかった。

時間は有限な上に、ここは日陰ではない。どんなにダリアが幸せそうでも、あまり長時間いさせていいような場所ではないのだ。

私の声に、抑えきれなくなりつつある非難を感じ取ったのだろう。ドラコはハッとした表情で私とダリアの顔を見た後、残念で仕方がないといった表情で、渋々最新の箒から視線を引き離した。

 

「……そうだな。ここで見続けたとしても、箒が手に入るわけではないからな……。悪かったな、ダリア、ダフネ。さあ、今度こそ学用品を買いに行こうか」

 

出来る限り気丈に振舞った声音。でも口とは裏腹に私とダリアが歩き出しても、ドラコはどこまでも名残惜し気にクィディッチ用具店の方をチラチラと振り返っていた。

 

 

 

 

私達が再び『ファイアボルト』を目にしたのは、この買い物から半年後、クリスマス明け初めての試合の時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

不思議な気分だった。数日前まであんなに抑圧された生活を送っていたというのに、今はそれが一変している。好きな時に起き、好きなものを食べ、好きな時間に寝る生活。

変化はたった一夜の出来事だった。

偶然呼び出した『ナイトバス』で『漏れ鍋』にたどり着き、何故かその場にいた魔法大臣に無罪放免を言い渡される。時間が経つにつれマージおばさんを膨らませた罪で捕まるのではと恐怖していたが、それは杞憂に終わったどころか、『漏れ鍋』での快適な生活まで保障されるようになる始末だ。正直、意味が分からなかった。一夜にして180度変わった状況を未だに実感できない。

 

勿論実感できないだけで、不満があるというわけではない。あんな劣悪な環境には今年だけと言わず、もう二度と戻りたくなんてないのだ。

ダーズリー家の生活に比べれば、今の生活は天国みたいだった。『漏れ鍋』の朝食を食べ、ダイアゴン横丁に繰り出しては摩訶不思議な売り物や、横丁を行きかうこれまた不可思議な魔法使い達を眺めて楽しむ。『シリウス・ブラック』という大量殺人犯がアズカバンから脱走したせいか、夜だけは早めに帰るよう魔法大臣直々に指示されているが、そんなことは些末な問題でしかない。

輝いているような毎日。そんな中で特に楽しかったのが、

 

「アイルランド・インターナショナル・サイドからご注文いただいた、世界最速の箒、ファイアボルトです!」

 

『高級クィディッチ用具店』に並べられた最新型箒を眺めることだった。

店のオーナーの演説を聞きながら、食い入るように眺める。

手に入れるには、両親が残してくれた金貨のほとんどを使わないといけないだろう。僕は既にニンバス2000という素晴らしい箒を持っているため、この箒を手に入れることに何の意味もない。

……それが分かっていても、僕はファイアボルトを一目見たくて、ほとんど毎日のように店に通い詰める。

 

今日この日も。

 

矢のように時間が過ぎ、いよいよ休暇最後の一週間になったある日。ダイアゴン横丁にホグワーツ生が大勢やってくるようになり、中には同じグリフィンドール生のシェーマスやネビルの姿もあった。まだ大の親友二人には出会えていないが、グリフィンドールの知り合いを見かけるだけで何だか楽しい気持ちになった。

 

でも、ホグワーツ生は彼らみたいないい生徒だけではない。嫌な連中だってたくさんいる。

そんな嫌な生徒の筆頭みたいな連中に出くわしたのは、僕のもはや日課にさえなっていたファイアボルト見物に向かっている時だった。

 

「い、いや。ぼ、僕もスリザリンのシーカーとして……こんな箒を無視するわけにはいかないんだ!」

 

向こうから、いつも僕に喧嘩を吹っかけてくる声が響いてきた。僕は反射的に物陰に隠れてから、そっと声のした方向をのぞき込むと……そこには果たして奴らがいた。

一人は声の主であるドラコ・マルフォイ。いつも僕の神経を逆なでするようなことを言ってくる、僕の最も嫌いなスリザリン生。

 

「ほら、ドラコ。貴方がこの箒を欲しい気持ちは分かるけど、貴方にはニンバス2001っていう立派な箒があるんだから諦めなさい」

 

もう一人はダフネ・グリーングラス。スリザリンというだけで嫌な奴なのに、帰りの汽車でジニーに意味不明な言いがかりをつけてきた本当にスリザリンらしい奴。

そして最後の一人が、

 

「……」

 

僕が……いや、ダンブルドア校長も含めて、ホグワーツにいる全員が恐れ、警戒する、僕が知る中で最も危険なスリザリン生だった。ドラコの双子の妹であるダリア・マルフォイだった。日向ではいつも差している日傘を片手に持ち、こちらに背を向けドラコの方を見つめている。ここからでは彼女の表情は見えないけど、あのどこまでも美しくも冷たい無表情をしているだろうことは容易に想像できた。

 

今日はついてない。あんな嫌な奴らに出くわすなんて。

 

せっかく気分よくファイアボルトを見ようと思っていたのに、あいつらがいたら十分に鑑賞できない。近くによれば、また嫌なことを言われるだけだ。

僕はため息一つつくと、それまで通ってきた道を真逆に歩き始める。幸い丁度昼食の時間でもある。昼食をとっていれば、あいつらだってその内帰るはずだ。せっかく楽しいものになった夏休みを、態々気分の悪いものにする必要はない。ファイアボルトのことは残念だけど、今日までだって穴が開くほど見つめていたのだ。最悪今日くらいなら我慢できるし、別に明日からも鑑賞出来なくなったというわけでもない。

沈んでしまった思いを抱えながら、僕は『漏れ鍋』で昼食を食べるのも味気ないと、何気なく横道にそれる。いつもとは違う店にでも入って、少し気分を変えたかったのだ。

でも、

 

「ハリー!」

 

そんなことをする必要などなかった。新しいお店を探さなくても、十分気分が良くなることが起こったのだから。

突然かけられた底抜けに明るい声。振り返ると……そこには僕の親友二人がいた。

 

「やっと会えた! ハリーもこっちに来いよ!」

 

フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラスから、ロンが更に雀斑が増えた頬を緩ませながら、こちらに千切れんばかりに手を振っている。そして彼の横に座るハーマイオニーも……夏休み前に比べ少し痩せて見えるものの、小さく微笑みながらこちらに手を振っていた。

 

「ロン! ハーマイオニー!」

 

先程まで抱えていた嫌な気分が吹き飛んだ僕は、スキップでもするような軽い足取りで店内に入る。

 

「よかった、二人に会えて! 二人とも夏休みの間は元気にしてたかい!?」

 

僕の言葉にロンがニコニコしながら応える。

 

「もちのロンさ! 手紙にも書いたけど、くじで当たった金貨でエジプトに行ってきたんだ! もう最高だよ! ビルがエジプトのグリンゴッツ銀行で働いているんだけど、墓地という墓地を案内してくれたんだ! ミュータントになったマグルとか一杯いてさ! ちょっと元気のなかったジニーもおかげでかなり元気を取り戻して来たよ! それにほら!」

 

ロンは手元にあった袋から細長い箱を引っ張り出しながら続け、

 

「パパが新品の杖まで買ってくれたんだ! 三十三センチ、柳の木、ユニコーンの尻尾! 誰のお下がりでもない新品を貰えるなんて初めてのことだよ!」

 

自身の杖をうっとりとした表情で摩りだし始めてしまったのだった。

僕はそんな彼に肩をすくめた後、もう一人の親友に声をかける。

 

「ハーマイオニーはどうだった?」

 

「……私は特に何もなかったわ。ずっと家で勉強してただけだもの」

 

ロンとは違い、酷く素っ気ない返事。夏休みの話題は地雷だったらしい。心なしか涙ぐんでさえおり、夏休みを挟んだにも関わらず未だに元気を取り戻しきれていないのだろう。

彼女がここまで悩んでいる原因は分かっている。

彼女をここまで追い込んだ人間。彼女の信頼を裏切り、それなのに未だに信頼で縛り続けている女。

 

ハーマイオニーをここまで苦しめている人間が、先程見かけたダリア・マルフォイであるということは、僕もロンも十分に理解していた。

 

でもそれが分かっていても、僕とロンが出来ることはあまり多くはない。

僕らのダリア・マルフォイに対しての言葉を、ハーマイオニーは決して聞き届けようとはしないのだ。

だから僕らに出来ることは、根気よくハーマイオニーの傍に居てあげることと、彼女の意識を少しでも逸らしてあげることくらいだった。空気が変わったことに気付いたロンが、ハーマイオニーの思考が再び悪い方向に転がっていかないように、急いで話題転換を図る。

 

「……そ、そっか。ま、まあ、君は勉強熱心だからね! そ、それより、ハリー。おばさんを膨らませたって本当かい!?」

 

かなり無理やりである気がしたが、僕も急いでロンに乗っかる。

 

「そ、そうなんだ! でも、やろうと思ったわけではないんだ。両親を馬鹿にされて……それでちょっとキレちゃって……そしたらいつの間にかおばさんを膨らませてたんだよ。正直逮捕されると思ってたけど……最終的にファッジが無罪放免にしてくれたんだ。未成年は休み中魔法を使っちゃいけないはずなんだけど、どうして僕のこと見逃してくれたか、君のパパなら知ってる?」

 

「そんなの、君だからに決まってるじゃないか。魔法界の人間なら誰だって知ってるよ」

 

ロンは肩をすくめながら続けた。

 

「君は『あの人』を倒した英雄なんだぜ。君を退学か逮捕でもしようものなら、ファッジの支持はガタ落ちだよ。まあ、それでも気になるならパパに聞いてみるといいよ。君は『漏れ鍋』に泊まってるんだろう? 実は僕とハーマイオニーもなんだ! 今日から一週間、僕らウィーズリー一家は『漏れ鍋』生活さ! 本当にガリオンくじ様様だよ! これで一緒に学用品も買いに行けるな! なんたって今年は教科書まで新品に出来るんだから!」

 

ロンのお蔭で、先程まであった暗い空気は霧散しきっていた。暗い目をしたハーマイオニーも、少しだけ笑顔を取り戻している。

 

よかった。せっかく会えたというのに、友達が暗い顔をしているなんて悲しい。

僕とロンは会話を続けながら、視線だけで僅かに頷きあう。僕等の意志は一つだった。

 

ハーマイオニーを出来るだけ元気づける。彼女にダリア・マルフォイのことなんか忘れさせる。

 

そう思いながら僕らは出来るだけ長く歓談を続けたわけだが……ハーマイオニーとロンは、この数分後に大喧嘩をすることになる。最近元気のないスキャバーズのために寄った『魔法動物ペットショップ』で、ハーマイオニーが気まぐれに買ったペットが原因で……。

 

僕等はこうして、束の間の楽しい時間を過ごしていたのであった。

 




次回特急直前まで。

ダリア挿絵。少し成長したバージョン



【挿絵表示】


イラストレーター、匡乃下キヨマサ様が描いて下さいました!


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親友デート(後編)

ダリア「たーのしー」
ダフネ「……」
ドラコ「おい、ダフネ。鼻血が出てるぞ」
ダフネ「……貴方もね、ドラコ」


ダリア視点

 

辛い時間は酷く長く感じるのに対し、楽しい時間は実にあっという間に過ぎ去ってしまう。

去年までのホグワーツにおける時間、特に『闇の魔術に対する防衛術』は紛れもなく前者だった。

 

そしておそらく今年の授業も……。

 

今年の教科書は去年のような()()ということはなかったが、代わりに一年生の時と同じ、何の代り映えのしない初歩的なものに過ぎなかった。この教科書に則って授業をする限り、私が新しいことを学び取ることは出来ないだろう。ロックハート先生の破天荒過ぎる()()の反動で、老害は無難かつ大人しすぎる人間を教師に選んだに違いない。あいつに真面な教師を選ぶセンスは皆無だ。ニンニクの臭いがしないことが最低ラインだとさえ思えてくる。

 

今年の授業のことを思えば本当に憂鬱だった。何より憂鬱なのは……授業に期待してはいけないと分かっているのに、それでも期待している自分が存在することだった。今年もきっと裏切られ、つまらない時間を過ごすだけに終わるだろう。

 

……でも、たとえ一番楽しみにしている時間が一番つまらない時間になり果てようとも、ホグワーツに行くこと自体が憂鬱だということはない。去年までならお父様やお母様と離れ離れになるため憂鬱だったが、今年からは違う。『闇の魔術に対する防衛術』以外は寧ろ楽しみですらある。

 

だって……ダフネが友達になってくれたから。ダフネが一緒にいると言ってくれたから。

ダフネとお兄様が一緒にいてくれる限り、きっとどんな場所であろうとも私は楽しく過ごすことが出来る。

 

その証拠に……今日という日が本当に楽しすぎて、あっという間に過ぎ去った一日だった。ただ学用品を買いに行くだけの日だというのにだ。本屋で多少ひと悶着あったが、ほぼ完璧な1日と言える。ダフネとお兄様と一緒にいるというだけで、1日がどんな時間より輝いたものに思えた。

心の奥底でずっと憧れていた日常。()()でしかない私には、決して与えられることはないと思っていた普遍性。

今まで手に入らなかったものを得た私は、最後までこの幸福を楽しむのは義務であるとすら思っていたし、ダフネやお兄様にも出来る限り楽しんでいてほしかった。

 

だから私は……

 

「ダフネぇ……」

 

たとえ別れの瞬間が来てしまったとしても、決して悲しんではいけない。決して涙を流してはいけない。最後の瞬間まで幸せを感じていなければならない。

だというのに、

 

「もうこんな時間に……」

 

私はこの時間の終わりをどうしようもなく悲しく思ってしまっていたのだった。

いよいよ日が傾き出すという時間。安全のためにと、お母様が態々お決めになって下さった門限が訪れた瞬間、私の表情が知らず知らずに歪み始めていた。いつもはピクリとも動かない表情筋のくせに、こんな時だけ自分でも分かるくらい動いている。おまけにいつもは出さないような甘えた声まで……。

そしてお兄様たちの反応はというと……。僅かな変化でも読み取ってしまうのだ。当然、

 

「そんな悲しそうな顔をしないでくれ……」

 

お兄様達には気付かれてしまっていた。

ダフネは俯いていて表情がよく分からないが、お兄様は私の様子に苦笑しながら続ける。

 

「お前がとてもこの時間を楽しみにしていたことは分かっている。でも……流石にこれ以上お前をここにいさせておくことは出来ない。太陽がもう少しで低くなってしまう。そうなってしまえば、日傘で日光を防げなくなる可能性だって出てくる。それに……今世間は何かと()()だからな」

 

お兄様の言葉は何も間違ってはいないどころか、極々当たり前の事実だ。約束の時間は、何も私のためだけに設定されたものではない。私の体のこともあるが、ダフネだって今はあまり遅くまで外を出歩かない方がいいのだ。

今世の中は危険に満ちている。大量殺人犯がアズカバンから脱走したせいで。

しかも脱走して一週間以上も経っているのに、未だに彼の足取りすら掴めてはいない。こんな時に、ダフネとお兄様を長時間ダイアゴン横丁に留めておくことは許されないことだった。

 

だから、私はこれ以上悲しいとすら思ってはいけない。表情を動かしてはいけない。私の我儘でこれ以上お兄様達を困らせてはならない。

 

たとえ私の中に……こんな日常を送れるのが、これが()()なのではという僅かな不安感があったとしても……。

 

不安だった。初めての親友との待ち合わせが楽しければ楽しい程、いざ別れるタイミングになるとどうしても考えてしまうのだ。

ダフネとお兄様、そしてドビーがいるのならば、ホグワーツの生活だって楽しいに違いない。それは分かっている。

でも、それもいつまで続くか……いつ終わってしまうかも分からない、幻のような時間なのだ。私は()()()()()()()()

この掛け替えのない日常は、それこそ明日終わってしまってもおかしくはない。

人間ではない私は、こうやって日常を暮らすだけでも綱渡りだ。人前で日光を浴びたり、銀に触ってしまった瞬間に日常は終わりを告げる。そして理性が、私の奥底に蔓延る殺人に対する憧れに負けてしまった時も……。

 

私はそこまで考えた後、頭を振って雑念を追い払う。

何を馬鹿なことを……。

私は無理やり自分の弱い心を叱咤する。

感傷など無意味で無価値だ。いつか()()()()()()かもしれないが、それでもこの幸福な時間は本物で現実だった。次の瞬間には永遠に失われるかもしれない儚い時間だからこそ、私は最後まで全力で楽しまなければならないのだ。

私は急いで否定の言葉を口にしようとする。これ以上、お兄様達に迷惑をかけないために。これ以上私が不安を感じないために。

しかし、

 

「ごめんなさい……。お兄様、ダフネ。私は大丈夫で、」

 

「ダリア! 私、嬉しい!」

 

空気にそぐわない、底抜けに明るい声によって遮られたのだった。

顔を上げると……そこには同じく顔を上げた、満面の笑みのダフネがいた。

 

ダフネは『秘密の部屋』の時と同じ……私の心の奥底の不安まで見通すような目をしていた。

ダンブルドアのような人の心に押し入るような瞳ではなく、私に心から寄り添ってくれる……そんな優しい瞳で。

 

「私だって、『シリウス・ブラック』如きのせいで、もう帰らないといけないのは寂しいよ! せっかく友達になれた初めての夏休みなのに、中々会えないなんて悲しかったよ! でもね、ダリア。私、今は嬉しいの! 寂しいと思っているのは、会えないことが悲しいと思っているのは私だけではなかった! 貴女も私と同じように思ってくれていた! ただ買い物に行くだけの時間を、貴女はこんなにも惜しんでくれた! それが分かったから、私は確かに寂しい気持ちもあるけど、今はとても幸せだよ!」

 

笑顔のダフネは、私の手をそっと握りしめながら続ける。

 

「大丈夫! この気持ちさえあれば、大丈夫だよ! この時間は、これで終わりなんかじゃない! 貴女はずっと、こんな()()の生活を送ることが出来る! お互いが思っている限り、こんな時間がなくなることはない! たとえ周りの人間が貴女のことを避けるようになったとしても、私だけは貴女の日常を守り続ける! だから安心して……ホグワーツに戻っても、私は絶対に離れたりしないよ! 一週間()時間はあるけど……その後はドラコがいて、ドビーがいて……私だっている! そんな()()との時間は絶対に()()()()()! ()()()()()()! だからダリア……安心していいんだよ」

 

あぁ……本当に貴女は……。いつだって私の心の奥底にある悩みを見抜き、私に寄り添ってくれている。

 

心の奥底に燻ぶっていた不安感が消え、見る見るうちに私の表情が解されていくのが分かる。これが一時的な気休めでしかなくても……私はやはり、こうして誰かが私を人間扱いしてくれることに、途方もない安心感を得られるのだ。

『秘密の部屋』の時と同じ、現実は一切変わっておらず、未来に対する保証などこれっぽっちもない。でもダフネの言葉を聞けば、何故か無邪気に信じることが出来る。

 

怪物である自分を信じられなくても、ダフネの優しさを信じることくらいなら、私にだって出来るのだ。

だから、

 

「……はい! そうですね! その通りです! ホグワーツでも一緒にいましょう!」

 

「うん! じゃあ、また一週間後に! それまでも手紙を書くからね、ダリア!」

 

私はようやく、笑顔でお別れを言うことが出来たのだった。

お兄様と寄り添いながら、ダフネとは別々の方向に歩き出す。今年のキングズ・クロス駅での別れの風景をそのままに、私は何度も振り返っては手を振り、そしてあの時と同じことを繰り返し思う。

 

あぁ、どうか……もう少しだけ。もう少しだけ、この幸せな日々が続きますように。

ダフネの言葉を、いつまでも正しいものに私が出来ますように。

 

そんなことを思いながら、やはり私はダフネが見えなくなるまで手を振り続けていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

楽しい一週間だった。

本当の母親のように世話を焼きたがるウィーズリーおばさん。マグルの話を聞きたがるおじさん。主席になったことを頻りに自慢したがるパーシーに、それをことあるごとに揶揄するフレッドとジョージ。僕に命を助けられたからか、いつにもましてドキマギしている様子のジニー。

そして僕と一緒に買い物に行ってくれるハーマイオニーとロン。ただ二人に関しては、彼女が買った猫がスキャバーズを付け狙うことでいつもピリピリした空気が流れてはいたけど……。

 

本当に……本当に楽しい一週間だった。

一人で『漏れ鍋』にいた頃も楽しかったけど、やっぱり皆と一緒にいる方が遥かに楽しい。皆で下らない話で盛り上がり、ダイアゴン横丁に繰り出しては使い方も分からないような道具や、あの史上最高の箒を眺める。皆と一緒にいるから、何気ない時間が輝いていた。

 

だから……この一週間が終わり、ダイアゴン横町を離れることになろうとも、僕の楽しい時間は終わることはない。ホグワーツこそが僕の家であり、あそこにこそ僕の本当の家族……大切な親友たちがいるのだから。

 

「さあ、急いで汽車に乗るんだ! 汽車に遅れても、もうホグワーツまで飛んでいける車はないんだからな! それに、空いているコンパートメントを探すのにも時間がかかるだろう! さあ、急いで!」

 

あっという間だった一週間が過ぎ、僕らは9と4分の3番線ホームにいた。ホーム一杯に魔女や魔法使いが溢れかえり、子供たちを見送っては汽車に乗せている。ホグワーツという、世界最高の魔法学校に向かうために。

それはウィーズリー家も例外ではない。まだ発車まで二十分もあるというのに、ウィーズリーおじさんが子供たちを急かすように汽車に乗せていく。ウィーズリーおばさんも子供たち全員にキスをし、ハーマイオニー、そして僕にもキスをしてくれる。ただ、僕の時だけ、

 

「ハリー、()()()絶対に無茶しないようにね。決して無茶をせず、()()()()行動しないこと。いいわね?」

 

()()()潤んだ目をして、小声で呟いていた。

……大人しい生活を送っていなかったという自覚はある。フレッドとジョージのように破天荒な素行ではなかったけど、だからと言って模範的生徒であったわけでもない。一年生の時だって、そして去年の『秘密の部屋』の時だって、僕は数多くの校則を破っていた。それどころか命が危ぶまれる場面だってあった。僕を本当の息子のように思ってくれているおばさんが心配するのも無理はない。

 

でも……今の言い方はどこかおかしかった。何故『今年は』なのだろうか。何故一人になってはいけないのだろうか。

そして何より……何故僕だけに忠告したのだろうか?

無茶をして危険な目に遭ったのは、僕だけではないというのに……。ハーマイオニーやロンには言わず、何故僕だけに?

 

僅かに訝しく思いながら、僕は子供にサンドイッチを配りに向かうおばさんを見送る。

そんな僕に、

 

「ハリー」

 

今度はおじさんの声がかかったのだった。その声音は……いつになく真剣で、どこまでも警戒感に満ち溢れたものだった。

 

「君に少し話したいことがある。こちらに来てくれないかい?」

 

そう言っておじさんは僕を連れ立って柱の陰に潜り込み、やはりどこか警戒感に満ちた声音で話し始める。

 

「ハリー……。『シリウス・ブラック』が脱走したことについては知っているな?」

 

「はい、勿論です。『漏れ鍋』の客も、ずっとその話で持ち切りでしたから」

 

唐突な話題に困惑しながらも、僕は頷き返す。

シリウス・ブラック。アズカバンという魔法界の牢獄から、史上初めて脱獄に成功した殺人鬼。

魔法界の人々にとって、ヴォルデモートの右腕だったという彼は余程恐ろしい存在であるらしく、ダイアゴン横丁を歩いている時もそこかしこで彼の話題を耳にすることがあった。彼がどうやってアズカバンから脱走したのか、彼が今どこに潜んでいるのか、そして……彼に次殺されてしまうのは、一体誰なのだろうか。そんな話がいたる所でされており、僕も暇つぶしに話を聞いていた時だってある。

でも、正直僕にとっては、彼の話はテレビの向こう側のような出来事でしかなかった。マグルの世界で育った僕には、結局彼の本当の恐ろしさが理解できなかったのだ。

 

何故皆がヴォルデモートのことを、『例のあの人』と言ってまで恐れるのかが理解できないように。

 

それなのに……僕は何故、今おじさんから『シリウス・ブラック』についての話を振られているのだろうか。

そう訝しんでいる僕に、おじさんはやや迷うように言葉を重ねていく。しかし、

 

「そうだ、その『シリウス・ブラック』だ。それで……ここから聞く話は……どうか怖がらないで……というのは無理だろうが、どうか冷静になって聞いてほしい。出来ることなら君にこんなことを知らせたくはなかった。モリーやファッジも反対したんだ。だが、私は言わなくてはならない。知らないより知っていた方が、君にとっては安全だと思うからね。君は少々……フラフラ出歩く癖があるみたいだから、」

 

「アーサー! 何をしているの! もうすぐ汽車が出てしまうのよ!」

 

おばさんの声で迷っている暇がないと思ったのだろう。意を決したように声を低くし、急き込んだように言葉を紡ぎ始めたのだった。

 

今年のホグワーツも、絶対に平穏には過ごせないのだと分かる言葉を。

 

「ハリー、驚かずに聞いてくれ。奴は脱獄する前、繰り返し寝言を言っていたそうだ。『あいつはホグワーツにいる』と……。何度も何度も同じ寝言をね。そしてその後、奴はアズカバンから脱走した。もう何週間も経つのに、誰一人ブラックの足跡を見つけられていない。おそらく、我々がブラックを見つけ出すことは難しいだろう。本当に分からないことだらけだ。奴がどうやって脱走し、どうやって身を隠しているのか皆目見当がつかない。……だが、そんな中で一つだけ分かっていることがあるんだ。それは奴の狙いが……他ならぬ君だということだ」

 

唖然とする僕に、おじさんは続ける。

 

「ブラックは狂っている。奴はね……『例のあの人』の右腕だったんだ。そんな奴は、きっと君を殺せば『あの人』の権力が戻ると思っているんだ。奴は死に物狂いで君を狙うことだろう。君にとって、今年はホグワーツですら安全な場所だとは言えない。アズカバンの看守たちが学校の周りを警備するらしいが、あいつは彼らの監視を潜り抜けて脱走したんだ。今年のホグワーツにだって潜り込めることだろう。だからハリー……どうか約束してほしい。どうか城の外にフラフラ出歩くようなことをしないでくれ」

 

そう言っておじさんは言葉を締めくくり、真剣な顔で僕を見つめていた。僕はそんなおじさんに同じく真剣な表情で向き合っていたけど……正直おじさんの話は唐突すぎて、話を聞き終えても僕に一切実感など湧いていなかった。

ヴォルデモートに何度も殺されそうになったとはいえ、突然奴以外の殺人鬼に狙われていると言われても、はいそうですかと即座に納得することは出来ない。それに、

 

「ハリー……きっと君は怖い思いをしているだろうが、」

 

「いいえ、怖くなんてありません」

 

どんなに理屈っぽく説明されても、僕はこの地上でホグワーツこそが……ダンブルドアのいるところこそが、最も安全な場所だと確信しているのだ。たとえアズカバンを脱走しようとも、ダンブルドアは今世紀最高の魔法使いだ。ヴォルデモートだって恐れた彼を、『シリウス・ブラック』が恐れないはずがない。恐怖しろと言われても、そこまで恐怖心など湧いてくるはずがなかった。

そんな僕を、叔父さんは信じられないという顔で見つめている。僕はおじさんを少しでも安心させるため声を上げようとした……けど、

 

「僕、別に強がってこんなことを言ってるんじゃないんです。だって、ホグワーツには、」

 

「アーサー!」

 

今度は僕の声が遮られてしまったのだった。声がした方を振り返ると、おばさんがこちらを睨みつけており、その背後では汽車が蒸気を勢いよく吐き出し始めていた。

明らかに時間切れだった。

 

「おじさん! 僕もう行きます!」

 

僕は急いで汽車まで走り、今にも閉められそうになっていたドアに滑り込む。そんな僕の背後に、

 

「誓ってくれ、ハリー! 決して一人で城の外をうろつかないと!」

 

おじさんの大声が届く。

 

「分かってます! 城の外を一人でうろついたりなんてしません!」

 

ハグリッドの小屋は別にして、僕が好き好んで城外を一人で歩くことはあまりない。一年の時に『禁断の森』に立ち入ったことはあるけど、あれは罰則としてであって、自分から入ったわけではないのだ。ましてや夜中に外を歩いたことなど、よほど切羽詰まった時以外は存在しない。今年からはホグズミード行きというイベントもあったけど……おじさんの話を聞く限りでは、サインの有無に関わらず絶望的だ。皆僕が城の外に出ることを望んでいないだろうし、出ないように監視すらしてくるだろうから。

僕は若干の苛立ちと共に……でもそれ以上に、いつもお世話になっていたおじさんに応えたいという思いから返事を返す。

しかし、おじさんの話はこれで終わりではなかった。おじさんは動き出した汽車に向かって、ますます急き込んだように、

 

「それだけじゃない! ハリー、どうか……何を知ったりしても、決してブラックを()()()()()()()()()()!」

 

「……え?」

 

そんな更に意味不明な言葉をかけてきたのだった。

汽車は勢いよく煙を吐き出しながら走る。皆窓から身を乗り出し、親の姿が見えなくなるまで手を振り続ける。

手を振っていないのは、意味も解らずドアの前に佇み、ウィーズリーおじさんの方をただひたすらに見つめ続ける僕だけだった。




次回吸魂鬼……アップ開始


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吸魂鬼(前編)

 

 ハーマイオニー視点

 

ハリーやロンは20分も前に汽車に乗ることに不満を漏らしていたけれど、私からしたら寧ろ遅いくらいですらあった。全校生徒がこの特急に乗車する関係上、コンパートメントがすぐに埋まってしまうのだ。勿論完全に埋まり切る部屋はそう多くない。大抵のコンパートメントには数人分の空きがあり、いつもはそこに入れてもらうのが常だった。

 

……でも、今回はそれも出来ない。私達は今回、なるべく自分達のみで占拠できるコンパートメントを探す必要性に駆られていた。

何故なら、

 

『ロン、ハーマイオニー。君達だけに話しておきたいことがあるんだ』

 

汽車が動き出し、いよいよ見送りに来てくれていたウィーズリー夫妻が見えなくなったあたりで、ハリーがそんなことを言い始めたから。

何の話かは分からないけど、ハリーのあまりにも真剣な表情から真面目な話だということは分かる。出発直前、ウィーズリーさんに呼び出されていたことに関係しているのかもしれない。

私とロンはハリーに二つ返事で頷き、三人仲良くトランクを引きずりながら必死に誰もいないコンパートメントを探し始めたわけだけど……やっぱり中々見つけることは出来なかった。どこのコンパートメントもいっぱいか、他のグループが中で談笑していた。

そしていよいよ最後尾車両に差し掛かり、これはもう諦めた方がいいかもと思い始めたあたりで、私達はようやく空いている部屋を見つけることが出来たのだった。

 

……いや、正確には、完全に空いているというわけではない。窓際の席でぐっすりと眠っているけれど、客が()()()()コンパートメントの中に存在していた。

 

今までホグワーツ特急で、食べ物を売りに来る魔女以外に大人の客を見たことはなかった。でも()は生徒ではなく、大人の男性だった。

あちこち継ぎはぎだらけの、見るからにみすぼらしいローブ。病気でもあるのか、目元には隈がくっきりと浮かび上がっており、まだかなり若いはずなのに髪には白髪さえ交じっている。荷物棚に置いてあるカバンもくたびれたものであり、唯一()()()()『R・J・ルーピン()()』と書かれた名札も、急いで取り付けたものなのか今にも剥がれそうになっていた。

 

最初は特急内で初めて見る大人を訝しみ、ここの部屋もやめた方がいいかと思ったけど……もう他に選択肢はないと思いなおす。最後尾車両にも関わらず、やはり他のコンパートメントでは生徒が夏休みの話題で盛り上がっている様子だった。ハリーの秘密の話を聞くのなら、もうここに決めてしまうしかない。

 

「……残念だけど、ここしか空いてないみたいね」

 

ハリーとロンも同意見みたいだった。私が振り返りながら言うと、二人とも素直に頷いている。私達はそっと窓際から離れた席に陣取り、音を立てないように引き戸を閉めた。

 

「この人誰だと思う?」

 

そして荷物を棚に上げ、ようやく少し落ち着いた頃にロンが声を潜めて尋ねてくる。

それに私は、先生のカバンを指さしながら即座に応えた。

 

「ルーピン先生よ。そこのカバンに名札が付いているわ。きっと『闇の魔術に対する防衛術』の先生よ。空いている科目は一つしかないもの」

 

「……大丈夫なのかな、こんな人で。呪いを一発でもくらえば、それだけでやられてしまいそうに見えるんだけど……」

 

「……」

 

ロンの言葉に私は反論できなかった。ロンの言う通り、お世辞にも決闘に強そうには見えなかったのだ。まだ去年の()()()()の方が、見た目だけなら強そうに思えた。

 

「ま、まあ、新しい教師の話は別にいいんだよ。どうせ授業が始まればすぐに分かることなんだから。そ、それよりハリー。僕達だけに話したいことってなんだい?」

 

私達が入学してから今まで、真面な『闇の魔術に対する防衛術』の授業など一度たりともなかった。それが今年も続きそうなことに少し憂鬱な気分になったのか、ロンが急いで気分を切り替えるためにハリーに話を振る。私もロンと全くの同意見だったので、

 

「そ、そうね。ハリー。彼はぐっすり眠っているから、ここでなら秘密は守られるはずよ」

 

急いで彼の話に乗ることにしたのだった。

ハリーもこれ以上新しい先生の話をしていても仕方がないと思ったのか、どこか重々しく頷いた後話し始める。

 

ウィーズリー氏から受けた警告を。

 

シリウス・ブラックが脱走する前、ずっと『あいつはホグワーツにいる』と繰り返し寝言で言っていたことを。彼はハリーを殺すことで、『あの人』の権威を取り戻そうとしていることを。そして……

 

「だ、だけど、また捕まるでしょう? だって、マグルも総動員してブラックを追跡してるんだから。だ、だから、」

 

「……いいや、ハーマイオニー。ブラックがどうやってアズカバンから脱走したのかも分かってない。それどころか、あいつはアズカバンの中で一番厳しい監視を受けていたらしいんだ。それこそ面会できるのは魔法大臣ぐらいのものだった。それをあいつは史上初めて脱走に成功した。ホグワーツにだって入り込めてもおかしくないよ」

 

彼がホグワーツに入り込むかもしれないということを……。

ハリーは話の内容とは裏腹に、どこか楽観的にシリウス・ブラックのことを考えているみたいだけど……私はどうしようもなく不安な気持ちになっていた。不安感を和らげるためロンに救いを求めても、返ってきた答えはやはり無慈悲なものでしかなかった。不安な気持ちはさらに強まってゆく。

 

アズカバン。

『吸魂鬼』という生物が看守をしているというその場所は、()()()脱走者を出したことがないとされる魔法界一の牢獄()()()。誰も脱走者がいないという事実があるからこそ、皆安心して平穏な暮らしを送ることが出来ていた。

でもシリウス・ブラックが脱走した。世界一脱走の難しい牢獄から。それはつまり、この世界のどこにも彼から身を守れる場所がないことを意味していた。

勿論ホグワーツだって例外ではない。どんなに魔法的な守りがあろうとも、シリウス・ブラックがどうやって脱走したかが分からない限り、ホグワーツにだって潜り込める可能性は高い。

 

それに、ホグワーツが世界一安全だと言われる理由のダンブルドア先生だって……。

 

今世紀最も偉大な魔法使い。『ゲラート・グリンデルバルド』を破り、史上最悪の闇の魔法使いである『例のあの人』にすら唯一恐れられた存在。そんな彼がいるからこそ、ハリーだけではなく、魔法使い皆がホグワーツこそ世界で一番安全な場所だと言う。彼なら()()()()()。彼を信じろ。彼なら何とかしてくれる。そう彼を信じ切って……。

 

でも……私は去年知ってしまった。ダンブルドアだって間違えることはあるのだと。彼の間違いで、一人の生徒が苦しみ続ける羽目になることだってあるのだと……。

私にはもう、ダンブルドアがいるからという安直な理由で、ホグワーツが安全だと信じ切ることなどできなかった。

 

本当に今年は、まだ始まったばかりだというのに不安なことだらけだ。

授業のこと。()()()()()。ペットのこと。そして……()()のこと……。

夏休みを挟んでも、悩みが解決することはない。寧ろ悩みは増え続け、どんどん深みにはまっていくような気さえしていた。

一年目と二年目の頃は、こんなことはなかった。いつもこの特急に乗る時の私は、新しく始まる生活や、新しく得るであろう知識にワクワクした気持ちでいた。一年の始まりはいつも夢と希望に溢れていた。

 

それがどうだろう……。私はなぜ、今こんなに暗い気持ちになっているのだろうか。今年どころか、今後の学校生活にすら希望を見いだせない。

思考が再び暗い方向に転がり始める。

……しかし、再び帰りの汽車の時と同じような不毛な繰り返しに陥ることはなかった。

 

私の頭上に、

 

「このコンパートメントに新しい教師がいるって聞いたんだが……なんでいかれポンチのポッティーと、ウィーゼルのコソコソ君もいるんだ?」

 

突然気取った口調の声がかけられたから。

急いで見上げると、顎の尖った青白い顔に侮蔑の色を浮かべたドラコ・マルフォイ。彼に従うように付き添うクラッブとゴイル。そして……

 

「……」

 

何も言わず、ただドラコと同じような瞳でこちらを見つめるダフネ・グリーングラスさんと、いつもの無表情であるダリア・マルフォイさんが立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

夏休みが明け、私は一週間ぶりにダリアとの再会を果たすことが出来た。

 

『ダフネ! 一週間ぶりですね!』

 

『うん、ダリア! 今年もよろしくね! さあ、早く空いているコンパートメントを探そう!』

 

あのダイアゴン横丁での買い物からもミッチリ予定が詰まっていたわけだけど、その疲れが一気に消え去っていくようだった。ダリアの無表情を見ているだけで、私は心の底から幸せな気持ちになってくる。そして嬉しいことに、親友と一緒にいる時間が幸せと感じるのはダリアも同じであるらしい。私と会った瞬間から、ダイアゴン横丁で待ち合わせした時以上に表情がほころんだものになっている。しかも嬉しさあまってコンパートメントに入ってからも、私から決して離れようとはしない様子だった。

 

物理的に。

 

クラッブとゴイルも部屋の中にはいるというのに、窓から一番離れた席に座る私達はピッタリとくっついて座っている。まだ夏真っ盛り。正直暑いか暑くないかと聞かれれば暑いと答える。それにクラッブとゴイルの驚愕とした視線も先程から突き刺さってきている。彼らはダリアの幼馴染とはいえ、家の関係上完全には気を許すことは出来ない相手なのだ。

でも、私はダリアから離れる気にはならなかった。窓から入ってくる日光を遮るような位置を取りながら、私は黙ってダリアの体温を肩で感じ続ける。どんなに暑くても、不快な視線にさらされようとも、この時間は私にとって幸福そのものだったから。

私と会ったことで気が緩んだのだろう。黙って私の肩に頭を預けていたダリアが、いつの間にか静かな寝息を立て始めていた。私も私で黙ってダリアの綺麗な白銀の髪を撫で続け、この至福な時間を存分に楽しんでいた。

なのに……

 

「ダリア! 今他の奴から聞いてきたんだが、なんでも最後尾車両に新しい『闇の魔術に対する防衛術』の教師がいるらしいぞ! どんな奴か見に行かないか!?」

 

突然部屋に響き渡るドラコの大声によって、私達の幸福な時間は終わりを告げたのだった。

ドラコの声で目が覚めてしまったのか、目を閉じていたダリアがノソノソと体を起こし始める。そして私の鋭い視線にたじろぐドラコに、

 

「……行きます」

 

小さくもハッキリした声で応えていた。

ダリアは入学当初から『闇の魔術に対する防衛術』が一番好きな()()だと言っていた。同時に、一番嫌いな()()が『闇の魔術に対する防衛術』だとも……。

一年の時はニンニク臭のせいで授業どころではなく、二年の時はそもそも授業ですらなかった。だから『今年こそは』という期待と共に、『どうせ今年も』という不安が入り混じっていることは容易に想像できた。今も新しい教師がいると聞いて、早くどんな人間が着任することになったのか知りたくて仕方がなくなったのだろう。

ドラコもそれが分かっているからこそ、興奮した様子でコンパートメントに帰ってきたと分かっているのだけど……それでもダリアを起こしたことに、私は不満を隠すことが出来なかった。この特急が途中で止まることはないのだから、先生が途中でいなくなってしまうことはない。それならダリアが起きてからでもよかったはずなのだ。

 

「そ、そうか。なら行こうか。……ダフネ、お前はどうする?」

 

ドラコも私の視線で気が付いたのだろう。しかしダリアが行くと言った以上、もう一度寝てもいいなんて言えない。少し気まずそうにしながら、今度は私に意思確認をしてきた。

当然、私の居場所はダリアの隣だ。ダリアが行くのに、私が行かないという選択肢はあり得ない。それに、

 

「……私も行くよ。ちょっと大人数で押しかけることになるけど、私も早くどんな人をダンブルドアが選んできたか知りたいし」

 

始業式前に『闇の魔術に対する防衛術』の新しい教師を見ておくこと自体は悪いことではない。

去年も一昨年も、ダリアが苦しんでいるのを知っておりながら、着任している以上私は何もすることが出来なかった。ニンニク臭に低脳と、ダリアを苦しめる連中であると知っていながら……。でも、今年は違う。今年はまだ着任してもいない。無能であるだけならまだ自主勉強するだけで解決できるが、ダリアを傷つけそうな奴であるのなら排除しなければならない。まだ着任していない今なら、まだ間に合うかもしれないのだ。排除できなかったとしても、少なくとも対策だけは立てることが出来るだろう。

 

今年こそは……ダリアを守り抜いてみせる。

 

そんな決意を胸に、私はドラコへ向けていた視線を引っ込めながらダリアと一緒に立ち上がる。そしてダリアに付き従うクラッブとゴイルを連れ、新任教師がいるという最後尾車両まで来たわけだけど……。

 

辿り着いた先にいたのは、新任教師だけではなかった。

 

「このコンパートメントに新しい教師がいるって聞いたんだが……なんでいかれポンチのポッティーと、ウィーゼルのコソコソ君もいるんだ?」

 

何故かコンパートメントには、新任教師と思しき大人と一緒に、私が大嫌いな三人組の姿もあったのだった。

 

ダリアの()は、何も先生だけではないのだ。

私達は新任教師を見極めるどころではなくなっていた。

 

ダリア以外の表情が途端に不機嫌なものに変わる。ドラコも口調こそいつもの気取ったものだけど、その表情には隠しようもない侮蔑の色が浮かび上がっている。

ドラコには去年あったことを、()()()()()()()()()()()()()概ね話してあった。ドラコも私も、決してこいつらが去年ダリアにしたことを忘れてはいない。忘れられるわけがない。

こいつらはダリアをとことん追い詰めた。ダリアを『継承者』と疑い、『継承者』でないと分かった今だって、

 

「……マルフォイ、何の用だ?」

 

ポッターとウィーズリーは警戒した視線をドラコと私、そして後ろの方にいる()()()に向けていた。彼らはあれだけダリアを苦しめておきながら結局、何一つ反省などしていなかった。

 

「へぇ、随分なご挨拶だね、ポッター。僕は心配してたんだよ、そこのコソコソ君のことをね」

 

ドラコが不機嫌さを隠しもせず続ける。

 

「ウィーズリー、君の父親がこの夏小金を手にしたって聞いたんだが、大丈夫だったかい? 母親がショックで死にやしなかったかい?」

 

「黙れ、マルフォイ!」

 

ただ新任教師を見極めに来ただけのはずなのに、部屋の空気はいつの間にか驚くほど冷たいものになっていた。ダリアだけはじっと新任教師とグレンジャー、そして何故か荷棚の籠中にいるオレンジ色の猫を何とはなしに眺めているが、クラッブとゴイルは勿論、私も私で何かあればいつでも参戦する気でいた。去年までであればダリアに危害が及ばない限りただの傍観者に徹していたけど、こいつらには正直私だって腹を据えかねているのだ。

対して馬鹿共もドラコの揶揄にいきり立ち始める。

 

「ちょ、ちょっと、ロン止めて!」

 

唯一平静を保っているグレンジャーの制止を振り切り、ウィーズリーとポッターが勢いよく立ち上がる。

まさに一触即発。誰かがちょっとでも動こうものなら、すぐにでも殴り合いが始まりそうな空気になっていた。

しかし……事態は再び思いもよらない方向に進むことになる。

 

 

 

 

突然……汽車が速度を落とし始めたのだ。

それどころか、何の前触れもなく明かりが一斉に消え、辺りが急に真っ暗闇に包まれる。

あんなに晴れていた空はいつの間にか激しい雨模様に変わっており、明かりの消えた車内では一寸先も見通すことは出来ない。

 

そんな暗闇の中で、今までぐっすりと寝入っていた新任教師がそっと目を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

新しい『闇の魔術に対する防衛術』の先生を初めて見た時の感想は、

 

『ああ……今年も駄目そうですね』

 

というものだった。

継ぎはぎだらけのローブに、目元に刻み込まれた隈と少なくない白髪。カバンも見るからにみすぼらしく、唯一新品な名札も剥がれかけている。

見た目で人を判断する気はない。しかしダンブルドアが今まで選んできた先生達を鑑みるに、

 

『みすぼらしい見た目だけど、何かしらの事情があるだけの新進気鋭のやり手教師』

 

という可能性を考えるより、

 

『当てが最後まで見つからず、自暴自棄になった老害が数合わせのため適当に連れてきた浮浪者』

 

の可能性の方が遥かに説得力を持つものだった。ニンニクの臭いがしないだけまだましだ。

 

今年もやはり駄目なのでしょうね……。流石に去年のような演劇ということはないでしょうから、ダフネと自主勉強をしっかりやりましょう。

 

そんなことを考えながら、こちらをジッと見つめるグレンジャーさんと、彼女のペットと思われる()()()()()猫を何とはなしに眺めていた時……突然何の前触れもなく汽車が止まり、中の明かりが一斉に消えた。

 

「な、なんだ!? 故障か!?」

 

突然訪れた真っ暗闇の中、ウィーズリーの素っ頓狂な声が響く。

皆慌てているのか、暗闇の中明かりを灯すことも忘れ、ただ闇雲に部屋の中を動いているのを感じる。

 

「イタっ! ロン、今の僕の足だよ!」

 

「ダ、ダリア、大丈夫か! どこにいるんだ!」

 

「ちょっと! クラッブ……かゴイル! 貴方達は体が大きいんだから今動いちゃだめだよ! ダリア、大丈夫!?」 

 

「ん? 何だか急に()()()()()()()()?」

 

「さっきまであんなに晴れていたのに……」

 

「何だかあっちで動いているな。誰かが乗り込んでくるみたいだ」

 

暗くなっただけなのに、僅か数秒でカオスな空間が出来上がっていた。……何故魔法を使おうという発想が湧かないのだろうか。

全員が好き放題に動こうとする中、私は静かに杖を抜き明かりを灯す。

 

『『ルーモス、光よ』』

 

しかし点った光は一つではなかった。コンパートメントを照らし出す明かりは()()あった。

一つはコンパートメント入り口付近で私が出した光。もう一つは……窓際の席から出されたものだった。

 

「皆、静かに!」

 

今まで騒いでいた面々も一瞬で押し黙り、しわがれた声のした方に一斉に振り返っている。

そこには先程の寝入っている姿からは想像もできない程、研ぎ澄まされた瞳で辺りを警戒している先生が立っていた。

 

「動かないで。私はこれから運転手の所に行って、何事なのか尋ねてくるよ。君達は無暗に動き回らないこと。入り口にいる君達も、危ないからここで待っておくように。いいね?」

 

「……クラッブとゴイルはこのコンパートメントには入り切りませんが?」

 

「……クラッブとゴイルというのはそこの二人のことだね。仕方ない。君達は隣のコンパートメントに行きなさい」

 

疲れたような灰色の顔をしてはいるが、やはり目だけは油断なく鋭くしながら、先程と同じしわがれ声で先生が再び指示を飛ばす。

そして私達スリザリン組に狭いながらコンパートメントに入るように言い残し、クラッブとゴイルが隣のコンパートメントを()()しに行くのを見届けた後、先生は廊下へと出て行こうと()()

 

そう……行こうと()()

実際に彼が外に出て行くことはなかった。

 

何故なら、渋々ながらコンパートメントに入った私とダフネ、そしてお兄様と入れ替わりに……入り口には()()()のようなものが立ち塞がっていたから。

 

その黒い影は、顔をすっぽりと覆う頭巾を被っていた。大きなマントを揺ら揺らとはためかせ、マントからは水中で腐敗した死骸のような手が付きだされている。この世の穢れを一身に集めたような姿かたち。そんな生き物は、この世に一つしか存在しない。

 

吸魂鬼(ディメンター)……」

 

私の思わず漏らした呟きに反応したのか、吸魂鬼がこちらにゆっくりと顔を向ける。

しかしそれも一瞬。僅かに()()()()()()かと思うとすぐに私から顔を逸らし、ガラガラと音を立てながらゆっくりと息を吸い込み始めたのだった。

 

吸魂鬼は人間の幸福を餌とし、近くにいる人間に絶望と憂鬱をもたらすとされている。まさに今奴が行っている行動こそ、その幸福を貪ろうとするものなのだろう。まだ真夏だというのに酷く冷え切っていた部屋がさらに冷たいものになる。全員の顔から明るい色は消え去り、ただ絶望だけが残された表情に変わっていく。お兄様とダフネも例外ではない。ポッターなど余程辛いのか、気絶したように座席から滑り落ちている。

 

 

 

 

でもそんな中……()()()はあまりに平穏無事に過ごせているのであった。

空気の冷たさを感じても、それ以上何か感じることはない。音に聞く幸福を吸い取られるような感覚を感じる様な事もない。

 

私は吸魂鬼を目の前にしても、()()()()()()()()()()立つことが出来ていた。

 



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吸魂鬼(後編)

ドラコ視点

 

黒い影のような生き物が僕達を見回したかと思うと、急に背筋が凍り付くような気分になった。体だけではなく、心の奥底から凍てついていく気がする。まるで自分の中にある温かなものが吸い取られていくような……。

周りの奴らも同じなのか、()()()()()の人間は皆顔を青くし肩を抱きかかえており、ポッターに至っては気を失い床に倒れ伏している。

 

でも僕には今それを揶揄する余裕などなかった。

背筋が凍るような()()()を感じていることもあるが、どこからか()が聞こえてきたから。

その声は、

 

『……もう私のことは放っておいてください』

 

紛れもなく、隣で僕とダフネを必死に支えるダリアのものだったから……。

いや、正確にはダリアが出している声ではない。今隣にいるダリアは、

 

「お兄様、ダフネ、しっかり! 吸魂鬼! 何のつもりですか!? ここにシリウス・ブラックはいません! ここから今すぐ出て行きなさい! さもないと、」

 

そう大声で叫びながら、無表情を精一杯歪ませて黒い影を睨みつけている。僕が今聞いている言葉を発している様子は一切ない。

ではどこからこの声が聞こえてくるのだろうと考えている間にも、ダリアのものと思しき声は続く。しかも今度は、

 

『そ、そんなこと出来るか! お前は僕の妹だ! お前を放っておくことなんて、出来るわけがないだろう!』

 

『そ、そうだよ! 私だって、』

 

ダリアの声だけではなく、僕とダフネの声まで聞こえ始めていた。当然、僕達は今こんなことを言ってはいない。ダフネはダリアに()()()()()()()()し、僕も僕で肩を抱えるだけで一言も発する余裕などありはしない。

ではどこからこの声は聞こえてくるのか。

その答えは、続く言葉を聞いているうちに自ずと分かることになる。

 

『いいえ、お兄様、ダフネ。放っておいてください。それが、お兄様のためでもあるのです』

 

『……それは、どういう意味だ?』

 

 ……あぁ。そうか。そういうことか。

今聞こえるはずのない、()()()発して()()声。ここまで聞いてようやく僕は、

 

『……お兄様が知る必要などありません。ただ……』

 

この声がどこから聞こえているのかを理解したのだった。

この会話は、僕の()から聞こえているのだ。

これは()()()僕達がしていたものだ。去年ダリアが消える少し前、僕らが交わした最後の会話。

 

この会話を僕が忘れられるはずがない。たとえ全てが解決しダリアが僕らの許に帰って来ようとも、あの時僕が感じた無力感と絶望を忘れられるはずがない。

ダリアが目の前で傷ついているのに、それを見ていることしか出来なかった僕の無力さ。もうダリアが帰ってこないかもしれないという絶望感。

あの時の感情は、今なお色あせず僕の中に横たわっている。

 

『もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので』

 

これは紛れもなく、僕の人生で最も辛い記憶の一つだ。

何故こんなものが今聞こえるかは分からない。でも僕がそれを深く考えることはなかった。ただ()()()吸い取られた後に残った、どうしようもない程の絶望感に身を委ねるように意識が遠のいていく。……その瞬間、

 

「そこのお嬢さんが言っている通りだ。マントの下にシリウス・ブラックを匿っている者などいない。去れ! エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」

 

新任教師が杖から何か銀色のものを出し、黒い影に嗾けたのだった。

まるで銀色の何かに追いやられる様に黒い影がコンパートメントから去っていく。

 

部屋に暖かさと明るさが戻ってくる。

黒い影が消えても全員が蒼白な顔をしており、ポッターも未だに床で無様に転がっている。

 

そんな中で……やはりダリアだけが何の影響も受けていないかのように、いつもと変わらない無表情でいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

声が聞こえた気がした。

 

『ハリーだけは! ハリーだけは、どうかハリーだけは!』

 

『退け、馬鹿な女め……。さぁ、退くんだ』

 

誰かの必死に哀願する声と、それを無慈悲に遮る声が。

どこから聞こえているのかも、誰が出している声なのかも分からない。でも僕は声を聞きながら、どうしようもなく声の主を助けたいという思いに駆られていた。

 

……何故か無性に、その声の主を恋しく思ってしまったのだ。

 

必死に声のする方に手を伸ばそうとする。しかし濃い霧に囲まれたように、僕が手を向けている方向すら判然としない。僕は周りに手を伸ばしているのか、あるいは自分の()に手を伸ばしているのかも分からない。焦燥感だけが募っていく。僕がこうして手間取っている間にも女性の声は益々強まり、益々絶望に溢れたものに変わっている。

そして、

 

『お願い! 私はどうなっても、』

 

『アバダケダブラ!』

 

時間切れになってしまった。

あれだけ響いていた声が急に鳴り止む。同時に、

 

「ハリー! しっかりして!」

 

僕は()()()()()()()()()()

ハーマイオニーの声に僕は目を見開く。周りを見渡してもいつの間にか明かりの点ったコンパートメントがあるだけで、先程まで見つめ続けていた霧などどこにも存在しない。

 

「な、何が起こったの? あいつはどこに行ったんだ? そ、それに、さっきの叫び声は誰が出していたの?」

 

訳の分からない状況だった。声が誰のものだったのか、先程まで霧の中にいたのにどうして僕は床で寝ているのか。僕は困惑しながら、こちらを覗きこんでいたハーマイオニーに尋ねる。

しかしハーマイオニーが僕の質問に答える前に、

 

「あぁ、()()()。目が覚めたんだね。さぁ、これを食べなさい。気分が良くなる」

 

『闇の魔術に対する防衛術』の新任教師、ルーピン先生が話しかけてきた。

巨大な板チョコを割り、僕を含む全員に配りながら先生は続ける。

 

「そこにいる綺麗な髪の子も言っていたが、あれはディメンター……吸魂鬼という生き物で、アズカバンの看守だ。あれが近くにいるだけで……体が少々()()()()()()。それにはこのチョコが一番効くのだよ。だからそれをお食べ。すぐに元気になるから。私は少し運転手と話してくるよ」

 

そう言って先生は僕の脇を通り過ぎ、一瞬ダリア・マルフォイの()()()()()()の無表情を訝しそうに見やってから、部屋同様明かりの点った通路に出て行った。

残された僕達は、ダリア・マルフォイに無理やりチョコレートを押し込められているドラコとグリーングラスを横目に話し始める。

 

「そ、それで、結局何があったの?」

 

「……あの吸魂鬼が私達を見回したと思ったら、突然貴方が倒れてしまったの。そしたらルーピン先生が何か銀色のものを出してあいつを追い払ったのよ」

 

僕だけではなく、ダリア・マルフォイ達の方にも心配そうな視線を向けながらハーマイオニーが応えた。彼女に続き、ロンも心底憔悴した表情で応える。

 

「僕……妙な気持ちだった。何だか……もう一生楽しい気分になれないような……そんな気がしたんだ」

 

目の前にドラコ達がいるというのに、ロンが弱音のような言葉を吐く。それだけ彼も恐ろしかったということなのだろう。それはやはりダリア・マルフォイ以外は同じなのか、全員が全員皆青い顔をしている。……でも、

 

「でも、僕の他に座席から落ちた人はいる?」

 

気絶していたのはどうやら僕だけの様子だった。皆震えていても意識だけはハッキリしているし、ダリア・マルフォイに至っては平然としてすらいる。

僕は恥ずかしかった。他の人間が大丈夫だったのに、自分だけが気絶するなんて……。しかもよりにもよってドラコ・マルフォイ達の前で。

案の定僕が尋ねると、いつもの蒼い顔色をさらに蒼くしたドラコが馬鹿にしたように返してきた。

 

「ふん。そんな奴お前くらいのものだろうさ、ポッター。本当に情けない奴だな。あの吸魂鬼が気絶するほど怖かったのか?」

 

「……ああ、まだいたのか。失せろよ、マルフォイ。お前の妹とグリーングラスもな」

 

ドラコの言葉に、彼の存在を今思い出したかのようにロンが立ち上がる。

 

「ハリーのことを馬鹿にしているけど、お前なんてお漏らししかけてたんじゃないか? 今だって妹に支えられて、お前こそ情けなくないのか?」

 

「……黙れ、ウィーズリー」

 

変化は一瞬だった。元気がないながらも、再び部屋の空気が張り詰めたものに変わる。汽車が止まる前同様、放っておけばまた殴り合いの喧嘩に発展する空気であるのは火を見るよりも明らかだ。かくいう僕も参戦するつもりだった。ダリア・マルフォイがこちらに不穏な視線を投げかけていても構おうものか。

誰のものだったかは分からないけど、先程まで聞こえていた声が聞こえなくなったことに僕は気が立っていたのだ。何かとても大切なものを失ってしまったような……そんなどうしようもない喪失感を感じ、ドラコの揶揄に我慢できる余裕などありはしなかった。

しかし、

 

「おや、皆立ち上がって、一体どうしたんだい?」

 

再度喧嘩に発展する前に邪魔が入ったことで、またもやコンパートメント内で惨劇が起こることは未然に防がれたのだった。

穏やかな声がした方に振り返ると、今帰ってきたらしいルーピン先生が入り口に立っていた。

 

「喧嘩が出来るくらいなのだから、もう大丈夫だろう。ホグワーツに着くのはまだ時間がかかるとはいえ、君達ももう自分達のコンパートメントに帰った方がいい。特にそこの君達はここのコンパートメントではないのだろう? 隣の部屋にいるクラッブ君とゴイル君も連れて自分のコンパートメントに帰りなさい」

 

張り詰めていた空気が霧散する。

ダリア・マルフォイは剣呑な目つきを引っ込めており、ドラコも先生の目の前で喧嘩をする程馬鹿ではない。ドラコはルーピン先生の服装を値踏みするように眺めまわした後、皮肉を込めたように、

 

「そうですね。そろそろ着替えなくては。僕等は他にも()()()()服がありますから。えーと、()()?」

 

そう言い放ち外に出て行った。

本当に性根のねじ曲がった嫌な奴だ。先生に僕らは助けられたというのに、ドラコはまだ服装が多少みすぼらしいことを理由に先生を馬鹿にし続けるつもりなのだろう。

 

……でも奴の妹、ダリア・マルフォイだけは違った反応を示していた。

ドラコに続きすぐに外に出ていくのかと思いきや、顔色の悪いグリーングラスを支えながら一瞬こちらを振り返り、

 

「先生は『守護霊の呪文』を使えるのですね」

 

そんなことを呟いていた。振り返った表情は、やはりいつもと少しも変わらない無表情。表情だけならドラコ同様、恩人である先生に対して何の興味も示していないように見える。でも彼女の瞳には、何故かドラコと同じような侮蔑の色だけはないような気がした。寧ろ好意的ですらあるような……。

ダリア・マルフォイは無表情で数秒ルーピン先生を見つめた後、

 

「『闇の魔術に対する防衛術』の授業、楽しみにしています」

 

今度こそ自分たちのコンパートメントに帰って行ったのだった。

ようやく嫌な連中が部屋から消え、顔色がようやく戻りつつある僕達とルーピン先生が残される。そんな中ポツリと、

 

「……彼女は『守護霊の呪文』を知っているみたいだね。あの年でこの呪文を知っているとは、彼女は中々優秀な子なのだろうね。しかし、それにしたって……」

 

ルーピン先生の困惑したような呟きだけが静かに響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

吸魂鬼が突然汽車に乗り込んでくるという事件はあったものの、あれ以降は何事もなく汽車はホグワーツに到着することが出来た。お兄様とダフネ、そしてクラッブとゴイルの顔色も完全に元通りになっている。

 

そして到着後も何事もなく、去年と代り映えのしない光景を通り過ぎる……というわけにはいかなかった。

 

透明な何かに引かれる馬車に乗り込み、私達はホグワーツの校門、イノシシの像が横に並び立つ壮大な鋳鉄の門を走り抜ける。

左右に広がる広大な森。世界屈指の魔法学校に相応しい壮大かつ重厚な校門。そんな去年と代り映えのしない、何の変哲も不思議もない光景の中に……どうしようもなく非日常な生き物達が映りこんでいた。

顔をすっぽりと覆う頭巾。揺ら揺らとはためくボロボロのマント。周囲に垂れ流される冷たい空気。

 

門の両脇に『吸魂鬼』がいたのだ。

 

シリウス・ブラックはハリー・ポッターを狙っており、それ故警護としてホグワーツ周辺には『吸魂鬼』が配備される。それは出発前にお父様から聞き及んでいた。しかし聞き及んでいたからと言って、『吸魂鬼』の存在を容認できるかと言えばまた別の話だ。

脇を通り過ぎている間にも、お兄様とダフネの顔色がみるみる悪くなってきている。『吸魂鬼』に唯一対抗出来る呪文を()()()()()()()私には、お兄様達を見守る以外の手段が()()ない。今までは自分の興味を()()していたため練習してこなかったが、『吸魂鬼』がホグワーツ周辺にいる以上、出来るだけ早急に習得しておく必要がある。あの穢れた生き物は信用できない。今でこそアズカバンの看守をしているが、あいつ等は本来人間に大人しく従うような奴等ではない。

その証拠に、奴は私達がシリウス・ブラックを隠しているとは微塵も思っていないだろうに、それでも捜査を口実にお兄様とダフネから()()()を吸い取った。両親の殺害される場面を見たであろうポッター程酷い症状は出ていないが、ルーピン先生の対処がもう少しでも遅ければ二人とも意識を失っていたことだろう。そうなってしまえば確実に私の理性が吹き飛び、意味がないと分かっていながら闇の魔術を行使していたかもしれない。正直あの瞬間杖だけは引き抜きかけていたのだ。ダフネが意識を失いかけながらも私を抑えてくれたからこそ、私は自分を抑えることに成功していた。……でも理性で衝動を抑えられているとはいえ、奴らに対する恨みが消えたわけではない。『守護霊の呪文』を身に着け次第、絶対に報いを受けさせてやる。

 

 

今までは然程興味の引かれる生き物ではなかったが、私は今回の出来事で『吸魂鬼』のことが心底嫌いになっていた。

 

お兄様達を意味もなく傷つけようとしたから。

そして何より……。

 

 

私が苛立ち混じりの思考にふけっている間にも、馬車は滞りなく進み続ける。

『吸魂鬼』嫌いで有名な老害のお膝元ということもあり、奴らも今回は襲い掛かってくるようなことはなかった。ダンブルドアの考え方に同調するつもりはないが、あいつ等への嫌悪感だけは今なら素直に同意できるだろう。

何にも妨害されることなく馬車は順調に進み、ほどなくしてホグワーツ城入り口に続く石段の前で動きを止めた。

私は急いで外に出て、お兄様達が転げないように手を差し伸べながら尋ねる。

 

「さぁ、着きましたよ。お兄様、ダフネ。立ち上がれますか?」

 

『吸魂鬼』に近づいたのはほんの数秒のことではあったが、やはり全く影響がないというわけにはいかない。お兄様もダフネも、全くの絶好調というわけではなさそうだった。汽車の時程ではないにしろ多少顔色が悪い。クラッブとゴイルも顔色を悪くしているが……こいつらは放っておいても大丈夫だろう。どうせ御馳走を口に放り込んでおけば勝手に元気になる。

もしここで少しでもふらつくようであれば、迷わず医務室に連れて行こう。そう思いながら手を伸ばしていたわけだが……私の決意は杞憂に終わる。

 

「あぁ、大丈夫だ。ダフネ、お前はどうだ?」

 

「……私も大丈夫だよ。ダリア、心配してくれてありがとうね」

 

顔色は悪いものの何の問題もなく立ち上がり、二人とも馬車をしっかりとした足取りで降りることが出来ていた。私も二人の動作に納得し、医務室に連行するプランを棄却した。これなら無理やり医務室に連れて行く方が、二人に余計な体力を使わせてしまうと判断したのだ。()()の方も足取りはしっかりしている。御馳走がある限り、彼らは元気でいるだろうから何の心配もする必要がない。

 

馬車を降りた私達は生徒達の群がる石段を登り、松明で煌々と照らし出される玄関ホールに進む。そしてホールを横切って大きな扉をくぐれば、空中に星の数ほどの蝋燭が浮かぶ大広間にたどり着いた。テーブルには既に黄金の食器が並んでおり、生徒達が着席するのを今か今かと待ち構えている。皿は当然まだ空だった。

 

「御馳走を食べる前に『組分け』……はいいんだけど、あの爺の話を聞かないといけないんだよね……」

 

ダフネの残念そうな呟きに、私は肩をすくめることで応える。私もダフネと同じく、あんな老害の話を聞く前に食事を済ませ、奴が話し出す前にさっさと寝てしまいたかった。あの老害の声を聞く方が、私には『吸魂鬼』と一緒にいるよりよほど体力を使う。

私達は老害の声を聞かずに済むように、老害からなるべく()()()()に着席する。教員席から最も遠く、大広間入り口に最も近い席に。ここなら少なくともあの老害の姿を視界に収めることはなくなる。さりげなくクラッブとゴイルを教員側の席に配置して壁も作ってある。

 

……しかし、勿論ここも安住の地というわけではなかった。

たとえダフネやお兄様、そしてドビーがいたとしても……たとえ老害がいなかったとしても、この学校は私の安住の地というわけではないのだ。どんなにダフネとの時間が楽しくても、常に気を張っておく必要がある。

何故なら、

 

「ダ、ダリア・マルフォイ!」

 

私は未だに、生徒達にとって警戒対象でしかないから。

入ってきたばかりの生徒が私を見た途端悲鳴に近い声を上げ、逃げるように前の方に駆けて行く。私達の周りはいつまで経っても、ポッカリと穴が開いたように空いていた。

あまりに隅っこの席であること……そして()()座っているということもあって、私達の周りに着席する生徒はほとんどいない。同じスリザリン生ですらやけに丁寧な挨拶を()()してくるものの、挨拶を終えるとサッサと前の方の席に行ってしまう。

別に周りに誰か座ってほしいというわけではない。寧ろ知らない生徒が周りに座られても困るくらいだ。ただそれなら……それならこの鬱陶しい視線も送らないでいてほしかった。近づいては来ないくせに、視線だけは警戒したものを私に送り続ける有象無象達。

警戒していない視線を送る人間がいたとしても、

 

「ドラコ! 久しぶりね、元気にしていた!? ……それとダリアとダフネ。ダフネの方は夏休みの間何回か会ったけど、貴女達も元気だった?」

 

()()()()しか近くに寄っては来ない。

声がした方に顔を向けると、パグ犬顔のパーキンソン、がっしりとした体格のブルストロード。そして痩身で寡黙そうなセオドールに、軽い雰囲気のザビニがこちらに向けて足を進めていた。ザビニ以外は()()()()同じ『聖28一族』だ。そのため『継承者』である私を警戒しなくてよいと考えているのだろう。彼らが私を『継承者』と考えていることに変わりはない。それに彼らがたとえ私を警戒していなくとも、逆に私は彼らが『聖28一族』であるが故に、彼らを警戒しなくてはいけないのだが。

 

今年も油断しないようにしなくては。

ダフネとの時間を終わらせないためにも。

 

私の憂鬱な気持ちをよそに、パーキンソン達は私達の周りに陣取り始める。そして真っ先にお兄様の隣を陣取ったパーキンソンが、私達の返事を聞くこともなく甲高い声で続けた。しかも、

 

「それよりドラコ、聞いた!? ポッターの奴、『吸魂鬼』が怖くて気絶しちゃったらしいのよ! 本当に情けない奴よね! あんなもの気絶するほどでもないでしょうに! ドラコも当然気絶なんてしなかったでしょう?」

 

何だかさらに憂鬱な気分になりそうな話を。私のただでさえ憂鬱だった気持ちがさらに沈んだものに変わった。

 

 

私は『吸魂鬼』のことが心底嫌いだ。

お兄様を傷つけようとしたから。ダフネの幸福を奪おうとしたから。

そして何より、あいつは私のことを……。

 

 

一年の始まりから心が挫けそうだった。嫌な話の流れに、私は知らず知らずの内にダフネの手を握りこむ。

 

「……ふん、当たり前だ。英雄だのなんだの言われてるが、ポッターなんてその程度の奴さ。僕は勿論気絶なんてしなかったし、ダリアに至っては全く動じてもいなかった。ダリアはあいつと違って心が強いからな」

 

……違うのです、お兄様。

 

お兄様は知らないのだろう。『吸魂鬼』からの影響は、心の強さによって決まるものではないということを。

奴らは相手の幸福な気持ちを貪り食う。残されるのは最悪な経験と記憶のみだ。だから『吸魂鬼』からの影響は、その人間が如何に恐ろしい経験をしたかによって決まる。

その点ポッターは間違いなく最悪の経験をしていると言ってもいいだろう。気絶するほどの影響を受けるのも頷ける。彼以外の人間も彼ほど恐ろしい経験はしていないだろうが、全く影響がないということはあり得ない。誰であっても何かしらの嫌な経験というものはしているものだ。

 

だからこそ、私のように()()()()()()()()()ということは本来ならあり得ないことなのだ。

 

では何故私は影響を受けなかったか。寒気だけを感じ、幸福な気持ちを吸い取られるでも、絶望感に身を委ねるでもない。私が他の()()が受ける様な影響を一切受けない理由。

そんなの決まっている。それは、

 

『君の魂……いや、これは正確ではないな。君の魂のようなものと肉体が離れている理由。それはね……君の魂は、魂と呼べるようなものなどではないからだよ』

 

私が人間ではないから以外あり得ない。

『吸魂鬼』は目が見えない。その代わりに奴らは人間の心や魂を感じ取ることで、餌である人間がどこにいるかを知ることが出来る。私の場合も、心までは辛うじて感じ取ることが出来たのだろう。だからこそ一瞬だけ私の方に顔を向け反応を示していた。

しかし魂までは感じ取ることが出来なかった。挙句の果てに奴らは……。

 

「そうよね! そうだと思ったわ! ねえ、ドラコ! 明日からこれでポッターを揶揄ってやりましょう! あいつ『バジリスク』を倒したくらいで調子にのっているだろうから、身の程を教えてあげないと!」

 

「ああ、そうだな」

 

お兄様はパーキンソンの方に顔を向けているため、僅かな私の表情変化に気が付かない。他の連中は、勿論私の表情を読み取れるわけがない。

私の変化に気が付いたのは、私の手を握り返すダフネだけだった。

どんなに友人が出来ても、どんなに家族の一人が城で働いていようとも、去年と同じく一年の始まりは酷く憂鬱な気分で始まってしまったのだった。

 

 

 

 

私は『吸魂鬼』のことが心底嫌いだ。

お兄様を意味もなく傷つけようとしたから。

ダフネの幸福を奪おうとしたから。

 

そして何より、あいつは私のことを……()()()()()()()()()()()()()()

 

私が人間でないと……奴は()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

宴会が終わり寝室に入った私達は、明日から授業が始まるということで早々に眠ることにした。

今寝室には()()()の寝息が響いている。皆汽車での出来事もあり疲れていたのだろう。『吸魂鬼』の影響を受けていないダリアでさえ、()()によって今は深い眠りに落ちてしまっている。

 

そんな中で私だけは目を開け、隣のベッドにいるダリアの寝顔をそっと眺めていた。

 

別に疲れていないわけではない。『吸魂鬼』の影響を受けていないわけでもない。

ただ……

 

『……さようなら、ダフネ』

 

汽車の中で聞こえた声を思い出してしまい、中々眠ることが出来なかったのだ。

あの時聞こえた声は、紛れもなく秘密の部屋でダリアが発していたものだった。ダリアが自殺さえ考える程追い詰められたあの時の……。

『吸魂鬼』に幸福な感情を吸い取られてしまった時、人は自分の人生で最も恐ろしかった時の記憶を呼び起こされるという。確かにあれは私にとって最悪の記憶と言っていい。自分のせいでダリアが追い詰められ、自分のことを『死ななければならない怪物』とまで思うようになってしまった。私はダリアに救われた。それなのに私は、彼女が追い詰められていくのを眺めていることしか出来なかった。

嫌な記憶だった。恐ろしい記憶だった。

でも、忘れることは許されない。あの時の感情が自分にとって最悪なものだと言うなら、あれをもう二度と繰り返してはならない。

 

今年はもう間違えない。私はダリアにようやく友達だと言ってもらえたのだ。この幸せを、私は維持できるよう努力しなければならない。

それに……、

 

『新学期おめでとう! そして皆が御馳走でボーっとする前に、いくつかお知らせがある! まずはホグワーツ特急での捜査があったようじゃから皆知っておろうが、我が校は今年アズカバンのディメンター達を受け入れておる。あ奴らは学校の入り口におるのじゃが……決してあ奴らに近づいてはならん。あ奴らに言い訳やお願いは通じん。口実さえあれば、何の躊躇も容赦もなく皆に危害を加えるじゃろう』

 

今年だって平穏無事な年になることはなさそうだから。

老害は他にも、『闇の魔術に対する防衛術』に()()()()()()思われるルーピン先生が就くことや、逆に優秀ではなさそうな森番が『魔法生物飼育学』の教師になることを伝えていたが……そんなことは些細なことだ。

ダリアは『吸魂鬼』の影響を受けない。その一点においては、たとえ『吸魂鬼』に万が一ダリアが近づく事態になっても、彼女に危害が加えられるようなことはないだろう。

でも、彼女の()()()()には多大な悪影響を及ぼすことになる。

 

何故なら彼女は『吸魂鬼』からの影響を()()()()()()

彼女が自分が人間でないと再認識してしまうから。

 

ドラコはまだ気が付いていないみたいだけど、ダリアが『吸魂鬼』に近寄られても平気だと言われた時、彼女はハッキリと表情を悲しみに歪めていた。どんな論理でダリアが平気だったかは分からないけど、彼女がそれをよく思っていないことだけは確かなのだ。ドビーが作ったと思しき食事がダリアの前に並べられた時にはもう元の嬉しそうな無表情に戻っていたけど、あの時の表情を私は決して無視することは出来なかった。

 

「ダリア……絶対に、今年こそ貴女を守ってみせる。たとえどんな奴が相手だろうとも」

 

私はダリアの寝顔を眺めながら決意を新たにする。

ハリー・ポッターを狙っているという大量殺人犯の脱獄。『吸魂鬼』の配備。続くであろうダリアへの恐怖の視線。

問題は山積みで、今年も決して平穏な年になる気がしない。

 

でも、必ずダリアのことを……。

だって、私はダリアの()()()()の友達なのだから。

 

寝室に響いていた寝息が四人分になったのは、それからもう少し後のことだった。



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新しい授業(前編)

 ハリー視点

 

ホグワーツ三年目初日。大広間に朝食を摂りに来た僕、ロン、そしてハーマイオニーの三人をまず出迎えたのは、スリザリンの席から湧き上がる大きな笑い声だった。目を向ければドラコ・マルフォイを中心とした集団が、代わる代わる気絶する真似をして盛り上がっている。輪の端っこに座るダリア・マルフォイとグリーングラスを除いて、全員が全員馬鹿馬鹿しい仕草をしては、辺りにドッと笑い声を響かせていた。

考えるまでもなく、明らかに僕を馬鹿にする動作だった。

あいつらは昨日だけではなく、これからも僕が気絶したことをとことん馬鹿にするつもりなのだ。

 

「ハリー、知らんぷりよ。付き合うだけ時間の無駄。相手にするだけ損なんだから」

 

「……うん。分かってるよ」

 

すぐ後ろにいたハーマイオニーの言葉に頷きながら、僕はグリフィンドールの席に向かう。口調とは裏腹に、ハーマイオニーがどこか()()()()()()()ダリア・マルフォイとグリーングラスを見つめているのは気になるけど……彼女の言っていることも尤もだと思ったのだ。ホグワーツ初日から嫌な連中に絡んで、態々嫌な思いをする必要もない。

でも、ドラコ達はそうは思わなかったらしい。僕から絡まなくても、向こうは僕を放ってはおこうとしなかった。僕はどうあっても不快な思いをするしかないらしかった。

席に向かう途中、

 

「あ~ら、ポッター! ちゃんと起きてこられたの!? 昨日は怖~い『吸魂鬼』のせいで眠れなかったんじゃないの!?」

 

奴等に見つかってしまったのだ。パンジー・パーキンソンが僕の方に振り返りながら甲高い声を上げ、

 

「ほら、ポッター! 『吸魂鬼』が来るわよ! うぅぅぅぅ!」

 

相変わらず馬鹿にしたような仕草で気絶する振りをするのだった。下卑た笑い声の中、持てる忍耐力を総動員してグリフィンドールの席に座る。隣にはネビルが座っていた。彼は談話室の合言葉のメモと睨めっこしていたが、僕が隣に座ったことで顔を上げいつものおっとりとした声で話しかけてきた。

 

「おはよう、ハリー。ど、どうしたの? 怖い顔しているけど、何かあったの?」

 

「スリザリンの連中さ」

 

ロンも僕同様怒り心頭なのか、勢いよく席に着きながら応えた。

 

「あのろくでなし共……。あんな風にハリーを馬鹿にしているけど、ドラコの奴も『吸魂鬼』が来た時は随分な様子だったんだぜ? ダリア・マルフォイに支えられて、あいつもほとんど気絶しかかってた。『吸魂鬼』の前で平気そうな顔をしてたのはダリア・マルフォイくらいなものさ。あいつだって、表情が変わらなかったのはただ面の皮が厚いからに決まってる」

 

「……マルフォイさんは厚顔無恥なんかじゃないわ」

 

ロンの言葉を受け、ネビルは僕らの事情を理解したらしかった。ボソリと反論するハーマイオニーに対して曖昧に苦笑した後、僕に同情の視線を送りながらネビルが続ける。

 

「そ、そうなんだ。でも、ハリーが気絶したのも仕方がないと思うよ。僕も怖かった。あいつらは僕のいたコンパートメントにも入ってきたんだ。そしたら凄く空気が寒くなって……。銀色の何かがあいつらを追い払ってくれたから良かったけど、もしあのまま『吸魂鬼』がコンパートメントにいたら僕もきっと倒れてたよ。僕は君よりずっと臆病だから、ハリーが気にするようなことなんてないよ」

 

ネビルが僕を慰めようとしてくれていることは分かる。彼は少し物覚えが悪く、どこかいつもビクビク怯えているところがあるけれど、その実とても優しく、同時にグリフィンドールらしい勇気に溢れる人間なのだ。一年生の時だって、彼は僕らを思うからこそ『賢者の石』を守りに行く僕らを止めようとした。彼の発言に悪意などなく、彼の優しさから来ているものであることは僕だって十分に分かっていた。

でもそれが分かっていても、

 

「……だけど、結局気を失ったりしなかったんだろぅ?」

 

今の僕には彼の言葉を素直に受け取ることは出来なかった。

心に余裕がなかったのだ。ドラコに揶揄されるまでもなく、僕は一人だけ気絶したことが恥ずかしくて仕方がなかったのだ。まるで学校の中で、僕が一番弱い奴みたいに思われるのが我慢できなかった。特に今年は『シリウス・ブラック』という殺人鬼が僕を狙っているせいもあり、僕は特別過保護にされる可能性がある。僕が弱いと思われてしまえば、それだけより僕の監視は強いものになってしまうだろう。ホグズミード行きもただでさえサインがないことで絶望的なのに、今回の一件で更に絶望的なものになってしまう。今後のことを考えると不安ばかりで、心の余裕が生まれる余地など皆無だった。

しかも僕がこうして落ち込んでいる間にも、スリザリン席の方から笑い声が響いてくる。目を向ければ丁度マルフォイが恐怖で気絶する真似をしているところだった。

僕の我慢も限界に近かった。

いつもは僕に止められる方であるロンも、僕の様子の変化に気が付いたのだろう。先程まで僕と一緒にスリザリン席を睨みつけていたけど、慌てたように話題を変えようと明るい声を上げた。

 

「ま、まあ、ハーマイオニーが言うように、あんな奴ら放っておくに限るよ。それにドラコの御機嫌もすぐ終わることになるさ。クィディッチ第一戦はグリフィンドール対スリザリンだ。マルフォイなんて君がコテンパンにしてやればいい。空では妹の守りもないわけだしね。空で震える奴の目の前でスニッチを掴んでやれよ」

 

僕の唯一絶対の特技であるクィディッチ。ホグワーツで最も楽しい時間の話。だからロンの言葉は効果覿面。明るい話題に僕の気持ちも一気に持ち上がる……というわけにはいかなかった。

ドラコとクィディッチで戦ったのは去年が初めてだ。結果は僕らグリフィンドールの勝利。ニンバス2001を金にものを言わせて揃えたスリザリンに勝利したことによって、僕らはクィディッチ優勝杯を手に入れることが出来たとさえいえる。あの優勝のお蔭もあって、去年の僕らは寮対抗戦でもスリザリンに圧勝することが出来た。

しかし試合内容はと言えば、決して圧勝と言えるようなものではなかった。寧ろ辛うじて勝てただけとさえ言える。点数は勿論のこと、シーカー戦ですら辛勝だった。ドラコは口上だけはいつものように僕を小馬鹿にしていたけど、その目だけは決して油断せずに僕の方を見つめ続けていた。油断していなかったあいつは正しく強敵だった。箒の腕は遥かに僕の方が上だったけど、箒に関してはあいつの方が上だった。そして奴の箒の性能を最も活かした形でのプレースタイル。スリザリンらしい狡猾で卑怯な方法だったけど、間違いなく効果的な作戦でもあったのだ。ドビーがブラッジャーを僕にけしかけていなかったら、僕はあの局面を打破することすら出来なかったかもしれない。

そう考えると、去年と違い何の妨害もなされないだろう今年の試合を、必ず勝てるものと言い切ることは僕には出来なかった。依然僕の箒はニンバス2000で、奴の箒はニンバス2001だ。しかもドラコは去年の教訓を活かしてくることは間違いない。

クィディッチの話をされたからと言って、僕の気持ちが持ち上がるわけもなかった。

 

「……うん、そうだね。頑張るよ……」

 

僕の声色が変わっていないことに、ロンは所在無さそうに朝食を見つめている。微妙な空気が僕らの周りに立ち込めていた。

そんな空気の中全く違う話題を提供したのは、

 

「あら? 新しい学科は今日から始まるのね」

 

ロンの隣に座るハーマイオニーだった。どこか幸せそうな、でも同時に言いしれない疲労感と不安感を感じているような声音が微妙な空気を切り裂く。

僕は後ろから聞こえる笑い声を無視するためにも、ハーマイオニーの提供してくれた話題に飛びついた。これ以上スリザリンの奴らの話をしていても疲れるだけだ。ちょうど横から配られてきた今年の時間割に目を通しながら、僕は無理やり明るい声を上げる。

 

「……本当だ。僕が受ける今日の授業は『占い学』と『魔法生物飼育学』だね。特に『魔法生物飼育学』は今年からハグリッドが先生だから、絶対に()()()()()()()()()()! そういえば、ハーマイオニーは結局どの授業を選んだんだい? ロンは僕と一緒の授業を選んでいるけど、君の授業は知らないよ」

 

素朴な疑問だった。結局ハーマイオニーが何の授業を選んでいるのか、僕らは知らないことに気が付いたのだ。去年は尋ねても、

 

『マクゴナガル先生と相談中なの』

 

としか答えてはくれなかった。僕等も僕等で、『秘密の部屋』事件を解決したばかりで勉強のことなど一切考えていなかったこともあるけど、流石に親友が選んだ授業を知らないのはどうなのだろうか。だからこそ僕は質問したわけだけど、

 

「私は貴方達と同じ授業も取っているわ」

 

ハーマイオニーの答えは酷く素っ気なく、同時に以前同様曖昧なものだった。

……何だか違和感を感じる答えだ。どうして自分の選んでいる科目くらい簡単に教えてくれないのだろうか。

ロンもそう感じたのか、ハーマイオニーの肩越しに時間割をのぞき込む。そして、

 

「おいおい、ハーマイオニー! 君の時間割滅茶苦茶じゃないか! 一日()()()()に何科目もあるぞ! そりゃ僕等と同じ授業も取ってるけど、『占い学』の時間に『数占い』も『マグル学』も入ってるよ! 君は一体どうやって()()()()()()授業を受けるって言うんだい!?」

 

素っ頓狂な声を上げたのだった。僕も身を乗り出してハーマイオニーの時間割をのぞき込むと、ロンの言う通りのものが見えた。

ホグワーツには『変身術』『薬草学』『魔法史』『呪文学』『闇の魔術に対する防衛術』『天文学』『魔法薬学』と言った7つの必須科目と、『占い学』『マグル学』『数占い学』『魔法生物飼育学』『古代ルーン文字学』の5つの選択科目がある。僕達は三年に上がったことで、7つの必須科目といくつかの選択科目を受けることになるわけだけど……ハーマイオニーの時間割には、その全てが書き込まれていた。合計12の科目が割り振られており、いくつか時間が被っている物すらあった。酷い時には同時に3つの科目を受ける日さえある。

 

どう考えても、たとえハーマイオニーがどんなに優秀だったとしても、物理的に不可能な予定表だった。同じ時間にハーマイオニーが()()()()()()()()()()()無理だ。

 

「ハ、ハーマイオニー。これ、本当にマクゴナガル先生と相談を、」

 

「ええ、したわよ。私が出来るだけ多くのことを学びたいと先生に相談したら、先生は快く相談に応じて下さったわ。その結果がこれよ。ちょっと時間割が詰まっているかもしれないけど、全部先生との相談の上で決まったことだから大丈夫よ」

 

目を丸くしながら尋ねる僕への答えは、相変わらず無味乾燥なものだった。取りつく島のない答えに、僕とロンは困惑しながら肩をすくめあう。

でもこの時間割通りに物事が進めば、ハーマイオニーだって過労死してしまうのではないだろうか。僕はそれが心配になり、明らかに拒絶のオーラを振りまくハーマイオニーにもう一度だけ尋ねようとした。

その時、

 

「おお! ハリー、ロン! ハーマイオニー! 元気にしちょったか!?」

 

大広間に大きな声が響き渡った。目を向ければ、たった今大広間に入ってきたらしいハグリッドがこちらに手を振りながら歩いている姿が目に入った。教員席に向かう彼は僕らの前で立ち止まり、興奮しきっているという様子で話し始めた。

 

「ハグリッド! おはよう! そう言えば昨日、」

 

「そうなんだ! お前らももう知っちょると思うが、今年からの『魔法生物飼育学』は俺が教えることになっちょる! 本当に信じられねぇ! ダンブルドア先生様は本当に偉大なお方だ! 俺のやりたいことをちゃーんと見抜いておられたんだ!」

 

「おめでとう、ハグリッド!」

 

興奮したハグリッドの様子と昨日知ったあまりに嬉しい内容に、僕はハーマイオニーの時間割のこと、そしてドラコに揶揄われていた事実を一時忘れお祝いの言葉を返した。

友達である彼が新しい先生なんて、これ程嬉しい知らせはない。ハグリッドは怪物好きであるため、全く心配がないかと言えば嘘になるけど……まあ、彼が嬉しく思っているならそれは僕等にとっても嬉しいニュースだ。

 

「ありがとうな、ハリー! お前さん達ならそう言ってくれると思うちょった! ああ、そうだ! お前さん達がイッチ番最初の生徒だ! 昼食後すぐの授業だ! 記念すべき最初の授業だからな! すげーもんを用意しちょるぞ! 是非楽しみにしておいてくれ! なんせあの……おっと、お楽しみだったんだ! いやはや、先生になったからには、お前さんらに見せたいものが色々ありすぎていかんな! たとえば、」

 

ハグリッドの大興奮は続く。彼が満面の笑みを浮かべながら話していると、僕らも幸せな気分になってくる。たとえその内容が、どう考えても人間を襲う怪物のことであったとしても……スリザリンの奴らのことを話しているよりずっと楽しい話題だ。

先生になれた喜びを全身で表現するハグリッドに、僕らは時間が許す限り付き合おうと思っていた。ハグリッドの言葉に適当に頷き、時折朝食を食べながら相槌を打つ。ハグリッドと喜びを共有するために。

 

これが『占い学』の教室である北棟で、僕がトレローニー先生に『死神犬グリム』、以前見たような気がする犬を見たと……僕が死ぬと予言される数時間前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

『占い学』を今受け終わり、()()()()()()()()()『マグル学』の教室に一番乗りで待機する私は、念願かなって全ての授業が受けられているというのに酷く不機嫌な気分だった。

理由は勿論先程受けた『占い学』だ。

『占い学』の先生、シビル・トレローニー先生は開口一番私達に言った。

 

『皆さんがお選びになった『占い学』。初めにお断りしておきますが、他の科目と違って教科書が役に立ちませんの。『眼力』が備わっていない限り、そのお方は何一つ学び取ることは出来ないでしょう』

 

教科書が役に立たないような、何の根拠も確実性もない科目があっていいわけがない。

しかも挙句の果てに先生は、全員に信憑性のない不吉な予言をした後、ハリーに対しては一際大きな声で、

 

『まぁ! 貴方! 恐ろしい敵をお持ちのようね! 不吉なオーラを感じます! そ、それに……。まぁまぁ! この茶葉の形! 『死神犬(グリム)』です! これは死の予告です!』

 

誰でも知っているような事実を予言し、ただでさえ危険な状況にいる彼を無駄に不安がらせるようなことを言い出したのだ。無神経にも程がある。ハリーは必要以上に落ち込み、これでもかという程顔色を悪くしていた。

本当に下らない科目だと思った。まだ受けたのは一回だけだと言うのに、すでにこの科目を削った方がいいのではないかとすら思っている。

 

お茶の葉の塊に死の予兆を読んだ振りをするなんて……こんなのまるっきり時間の無駄よ! 

 

私はマグル学の授業を受ける準備をしながら、不機嫌な頭の中で先程の授業を罵倒し続ける。()()()()()()()()、私にとってもう一つ前の時間。それでも怒りが中々収まることはない。

そんな私の思考を中断させたのは、

 

「……あれ?」

 

突然耳に届いた女の子の声だった。

憧れのマルフォイさんといつも一緒にいるスリザリン生の声。この教室では聞こえるはずのない声に勢いよく振り返ると、そこには思った通りの子が立っていた。

金髪で目のパッチリとした女子生徒。本来は美人というより可愛い部類の瞳を、最近は私に対して鋭く殺気の籠ったものに変えていたダフネ・グリーングラスさんだった。

 

な、何故スリザリン生である彼女がここに!?

 

突然の事態に気まずさよりまず驚きが先行する。いつもであれば彼女に睨まれるだけで、去年私がしてしまったどうしようもない間違いを思い出してしまうのだけど……今はただただ思いがけない事態に困惑するばかりだった。純血主義ばかりのスリザリン生がここにいるという事実は、それだけ私にとっては信じられないようなことだったのだ。

でもそれは彼女も同じらしく、

 

「……おかしいな。教室はここだと書いてあったと思うのだけど。グレンジャーがここにいるはずがないし……間違ってたかな?」

 

何かブツブツと呟いた後、いそいそと扉を閉めて外に出て行ってしまったのだった。

どうやらマグル生まれである私が『マグル学』を受けるということより、自分が間違った教室に来たと考えた方が理解できると思ったらしい。ロンにも言われたけど、マグル生まれである私はそれこそ先生以上にマグルのことを知っていることだろう。ホグワーツに入学する前はずっとマグルの生活を送っていたのだから。

それでも魔法族がどのようにマグルを見ているかを知りたくてこの科目を選んだのだけど……どうやら魔法族には理解不能な考え方らしかった。確かによく考えれば、選択科目を取捨選択しないといけなかった人には猶更理解出来ないだろうことは想像に難くなかった。何せ貴重な授業枠の一つを溝に捨てたようなものだ。もっと選ぶべき科目があると考えるのが普通だ。私が今年行っている方法など、普通は選択肢にも上がることはないだろう。

おそらく彼女も同じような結論に達して、ここが『マグル学』の教室ではないと判断したみたいなのだけど……ここが教室であるという事実が変わるわけではない。

しばらくすると再び扉が開き、訝気な瞳をしたグリーングラスさんが再度教室に足を踏み入れてきた。そして視線同様困惑した声音で、

 

「……どうしてグレンジャーがここにいるの? ここは『マグル学』の教室だよ。多分教室を間違えてるよ」

 

そんなことを言ってきたのだった。私はやや物怖じしながら返答する。

 

「だ、大丈夫よ。私も『マグル学』を取ってるから。こ、この教室で合っているわ」

 

上ずった声が出てしまった。

先程は驚くばかりだったけど、やはり彼女と話しているとどうしても罪悪感を感じてしまう。彼女とマルフォイさん以外のスリザリン生には、私はただのスリザリン生として対応することが出来る。それは時々猛烈に腹を立てる時はあるけど、いつもはただの嫌な奴らとして、ただ適当に相手をして話を流すことが出来る。

でも、マルフォイさんとグリーングラスさんには違った。私が彼女達に他のスリザリン生達と同じ対応など出来るはずがない。

彼女達は他のスリザリン生達とは違う。私は彼女達と……。それなのに、私は彼女達を……。

グリーングラスさんは私の内心の葛藤を傍に、数秒私の方を胡乱気な目つきで見つめていたけど、すぐにどうでも良さそうな声を出しながら歩き始めた。

 

「ふ~ん。そうなんだ。変わったことするんだね。マグル生まれの貴女がマグルについて知ることなんてそれ程多くないと思うけど……まあ、頑張ってね」

 

そう言ったきり私の脇を通り過ぎ、そそくさと私からは離れた席に座ってしまう。

気まずい空間だった。これはチャンスなのに。まさかグリーングラスさんがこの科目を取っているとは思っていなかったけど、今なら二人きりで話すことが出来る。去年は大きな間違いを犯してしまったけど、私はこのまま彼女達と冷え込んだ関係などではいたくない。だからこそ私は今少しでも彼女と話をしなくてはいけないと分かっているのだけど……明らかな拒絶の空気に、私は再度声をかけることが中々出来なかった。

やっと声を出せたとしても、

 

「グ、グリーングラスさんは、ど、どうしてこの科目を選んだの? あ、貴女はスリザリン生なのに」

 

酷く唐突かつ、よく考えれば失礼極まりない質問をしてしまっていた。焦るあまり変な質問の仕方をしてしまった。まるでスリザリン生である彼女を馬鹿にしているような発言だ。大勢のスリザリン生が『マグル学』を選択しないというだけで、スリザリン生が選択してはいけないという決まりなどありはしない。

案の定こちらを振り返ったグリーングラスさんは眉を顰めながら応えた。

 

「何? 私が『マグル学』を選んだら、何か貴女に不都合でもあるの?」

 

「そ、そんなんじゃないわ! ごめんなさい! そんなつもりはなかったの! ただスリザリン生の貴女が、『マグル学』を選んで他の寮生に目を付けられないかが心配で……」

 

慌てて訂正するも、空気は先程以上に険悪なものになり果てている。グリーングラスさんはこちらをじっと殺気だった目つきで睨みつけており、私は完全に委縮して小さくなってしまっていた。でもグリーングラスさんは私の委縮しきった態度に冷静になったらしく、すぐにまたどうでも良さそうな瞳に戻しながら続けた。

 

「……貴女に心配してもらわなくても大丈夫だよ。私が『マグル学』を選んだ理由は、マグルが如何に愚かであるか知るため」

 

「え!? そ、そんなの、」

 

「……ということにスリザリンの中ではなってるから。私があいつ等にとやかく言われることはないよ。あいつ等を騙すなんて簡単だよ。どうせダンブルドアにさえ騙されるような連中だし。私がこの科目を選んだのは、単純に『マグル学』に興味があったからだよ。……ダリアも興味があったみたいだけど、あの子はマルフォイ家としての立場があるからね。私がこっちを選んだ方が教えあえるから」

 

グリーングラスさんの言葉に、私は少し恥ずかしい気持ちになった。私は一瞬、彼女がマグルを馬鹿にしたことに納得しかけてしまった。彼女は去年まで、私のことをマグル生まれとしてではなく、ただのハーマイオニー・グレンジャーとして見てくれていた数少ないスリザリン生だった。彼女が純血主義ではないことは分かっていた。それなのに私は、それでもどこか彼女のことをスリザリン生の一部として考えていたのかもしれない。私の知る大多数のスリザリンらしい答えに、私はそうであるかもと思ってしまったのだ。自分の愚かさに嫌気がさす。

……でも、今の私の感情は恥ずかしさだけではなかった。

グリーングラスさんの答えを聞いた私は今、恥ずかしさと共に嬉しさも感じていたのだ。

何故なら彼女の話の中には、

 

「そう……マルフォイさんも『マグル学』に興味を持ってくれているのね」

 

私の思っていた通り、やはりマルフォイさんが好奇心旺盛な子であると分かる言葉が交じっていたから。

マルフォイさんは私の憧れであり目標だ。それはどんなことがあろうとも変わることはない。彼女が純血主義なんかに侵されず、今も多くのことを貪欲に学び取ろうとしていることが嬉しくて仕方がなかった。

私は目を伏せ、恥ずかしさと共に嬉しさを噛みしめる。そんな私に掛けられた声は、

 

「グレンジャー。忘れたの?」

 

今日一番の冷たさを持ったものだった。

はじかれた様に顔を上げると、あの殺気すら含んだ瞳と視線が交わる。

今度は彼女がすぐに冷静さを取り戻すことはなかった。

冷たい視線に硬直する私にグリーングラスさんは冷たく続ける。

 

「去年も言ったよね。もうダリアに近づかないで。迷惑なの。それともなに? 貴女はまたダリアを傷つけたいの? あれだけのことをダリアにしておきながら、まだダリアを傷つけ足りないの?」

 

「そんなつもりはないわ!」

 

私は唐突な言葉に困惑しながらも即座に反論する。

嫌われても仕方がないことを私は去年してしまった。どんなに言い繕おうと、私がマルフォイさんを傷つけた事実を変えることは出来ない。でも私がマルフォイさんを傷つけようとしたという部分だけは絶対に否定しなくてはならない。しかし、

 

「ちゃんと貴女に言われたことだって覚えてる! 確かに私は貴女にあんなことを言われても可笑しくないことをしでかしたわ! でも、マルフォイさんを傷つけるつもりなんてなかったの! 寧ろ私はマルフォイさんを助けようと思っていた! 全部裏目に出てしまったけど、私はただマルフォイさんや貴女と友達になりた、」

 

「うるさい!」

 

私の言葉は途中で遮られてしまったのだった。グリーングラスさんは更に視線を鋭くしながら大声を上げる。

 

「あんなことをしておいて、何が友達になりたいだ! ダリアがどんな思いをしているかも知らないのに! ダリアのことを何一つ知らないくせに! 貴女なんかが何の覚悟もなしにダリアに無邪気に近づいて、ダリアがどれだけ苦しんでいるかも知らないくせに! いい! もうダリアには近づかないで!」

 

そう叫んだきり、彼女は黙って席に着き黙々と準備を始めてしまう。感情に任せたような荒々しい動作。羽ペンなどほとんど投げ出すように机に放り投げている。しかも余程感情が高ぶっているのか、時折すすり泣く声すら上がり始める。

私はこれ以上声をかけられなかった。マルフォイさんのために怒り、そしてこうして涙さえ流している彼女に、私は何と声をかけていいか分からなかったのだ。

 

「ご、ごめんなさい」

 

だから私は黙り、ただ心配して彼女を見つめることしか出来なかった。

 

もし私が彼女の涙が怒りから来るものではなく……先程の言葉に対する罪悪感から来るものであることに気が付いていたのなら、もっと違う言葉をかけていたのかもしれない。

 

だけど彼女の感情に気付くことが出来なかったこの時の私は、ただ黙っていることしか出来なかった。

気まずい空気の中、時間が経つにつれ一人二人と教室に人が集まり始める。その頃にはグリーングラスさんも涙は流しておらず、全員が全員ただスリザリン生がこの教室にいることだけを敵意が籠った視線を向けながら訝しがっている。それは『マグル学』の先生、チャリティ・バーベッジ先生が来てからも同じだった。先生も特に何も言うことはなかったけど、明らかにスリザリン生がここにいることを警戒しているのは明らかだった。時折何か言いたげにグリーングラスさんの方を見ている。

これに対しても、私は結局何一つグリーングラスさんに対し声をかけることが出来なかった。

 

これが私とグリーングラスさん、そして彼女の友達であるマルフォイさんとの距離だった。

同じ教室。それこそ歩けば数秒もかからないような距離。

それでも私と彼女達は大きく離れた場所に立っていたのだ。

 

この時の私達の間には、スリザリンとグリフィンドール、傷つけられた者と傷つけた者、そして知らない者と知っている者、そんなどうしようもなく大きな溝が横たわっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

後ろから気まずそうなグレンジャーの視線を感じながら、私は感情に任せて物を放り出すように机に揃えていく。感情を抑えることが出来なかった。知らず知らずの内に涙さえ出てきてしまっている。

これから初めての授業。内容を理解し、終わったらダリアと色々教えあわないといけないのに、私は正直授業など受けられる様な精神状態ではなかった。

 

本当に嫌な奴だと思ったのだ。グレンジャーがではない。彼女にあんな酷い言葉を吐いた()のことが。どうしようもない怒りと罪悪感で頭がどうにかなりそうだった。去年は傍で感じるダリアの温もりで自分を誤魔化していたけど、一人になった瞬間私は自分を誤魔化せなくなってしまっていた。

 

グレンジャーを未だに許しきれていないという気持ちは勿論ある。彼女に悪意がなくても、ダリアが去年受けた仕打ちを考えれば簡単に許せなかった。

でも、先程の怒りはそれだけが原因ではなかった。

私はグレンジャーからダリアの名前が出ただけで、自分の中にどうしようもなく嫌な感情を感じ、その感情の赴くままに暴言を吐いていた。

 

私は先程ダリアのためではなく、自分のためだけにグレンジャーに叫んだのだ。

 

ダリアのためと言いながら、自分のこのよく分からない感情に翻弄されていることにたまらなく腹が立つ。しかもそれをグレンジャーに身勝手にぶつけてしまった。感情の赴くまま、グレンジャーに大声を上げてしまった。

 

「ごめんなさい……」

 

小さく呟いた謝罪は、当然後ろのグレンジャーには届かない。そもそも私は彼女に謝罪することすら、この感情のせいでできなかかった。

 

 

 

 

この感情の名前を知るのは、私達が今年初めてルーピン先生の『闇の魔術に対する防衛術』の授業を受けた時だった。

 




次回後編
数占いと魔法生物飼育学予定


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新しい授業(後編)

ダリア視点

 

初めての授業ということもあり、私は朝食後すぐに『数占い』の教室に来たわけだが……流石に早く来すぎてしまったようだった。まだ教室には私しか来ていない。

私はため息交じりに、誰もいない教室でひとりこぼす。

 

「これならもう少しダフネと一緒にいればよかったですね……」

 

ダフネ達がどんな話をしているかは知らないが、朝一番に授業がある関係上そこまで長い話をしてはいないだろう。今更言っても仕方がないが、もう少しダフネとお兄様を待っておけばよかった。

私は少し後悔しながらも、今から戻ることも出来ないと諦めて準備を始める。

 

しかし後悔はそこまで長続きしなかった。

準備をしているうちに後悔も忘れ、段々と楽しい気持ちになってしまっていたのだ。理由は勿論、今から行われるのがホグワーツに来て初めて受ける授業、選択科目の『数占い』だからだ。元々ここに早く来てしまったのも、初めての授業が楽しみで仕方がなかったからということもある。

私はホグワーツに入学する前から多くのことを学んできた。重点的に勉強していたのは『闇の魔術』であったが、それなりに他のことも学んでいた。それこそホグワーツをトップで卒業できるレベルまでは。ただその中でも学んでいない物もいくつかあった。というより、『魔法生物飼育学』以外の選択科目はほとんど勉強していないものだった。

私の知識の大部分は主にマルフォイ家が所有する本に基づいているため、『マグル学』を勉強したことは皆無に等しい。純血主義を重んじる我が家に、『マグル学』に関して記された本など置いてあるはずがない。そして他の選択科目に関してもあまり蔵書が多くなかった。特に『数占い』はどんなに理論を重ねたものであろうとも、不確かな占いであるということに変わりない。その不確実性がいいことでもあるのだが、現実主義的なお父様はあまりこの手の本を揃えてはいらっしゃらなかったのだ。魔法とそこまで密接な関係にない『古代ルーン文字』も同様の理由であまり書棚に置かれていなかった。

だからこの選択科目は正真正銘、私にとって初めての『数占い』の授業だ。楽しみでないはずがない。

私は逸る思いで授業の準備をし、先生の到来をただ待ち望む。

 

そして数分後、やっと扉が開き誰かが入ってきたのだが……一番初めに現れたのは先生ではなかった。

私のみが待つ教室に一番初めに現れたのは、

 

「マ、マルフォイさん!」

 

まだ朝一番の授業だというのに、何故か既に()()()()()表情を浮かべているグレンジャーさんだった。

私を見た瞬間僅かに顔を輝かせてはいるが、その表情には隠しきれない疲労感があった。私は()()()その表情が気になり、入り口で固まっているグレンジャーさんに声をかける。

 

「グレンジャーさん、貴女も『数占い』を選んだのですね。……それより、私の記憶違いでなければまだ一時間目のはずです。随分お疲れの様子ですが……何かあったのですか?」

 

普段ならあり得ない様子に思わず尋ねてしまったが、当然私の行いは失敗だった。言い終わってからすぐに後悔する。私はまたも余計なことをグレンジャーさんに言ってしまったのだ。

しかし後悔したところで私の発言がなくなるわけではない。グレンジャーは更に顔を輝かせながら応えた。

 

「あ、ありがとう、心配してくれて! でも大丈夫よ! 今日はまだ()()だもの! こんなところで疲れていてはこの先やっていけないわ! 今日は色々あったけど、まだ授業が()()()()()()()方だものね!」

 

そんなどこか違和感を覚える発言をした後、グレンジャーさんは一瞬私の隣の席に目をやっていたが、

 

「……流石に図々しいわね」

 

何か小声で呟きながら、イソイソと少し離れた場所に着席したのだった。

私は彼女の行動に何故か一瞬胸が締め付けられるような気持ちになったが、本来ならこれが正しいことなのだと思いなおし、再び前を向くと黙って先生の到来を待つ。

しかし私から離れた席に座ったものの、どうやら私との会話を打ち切る気はなかったらしい。グレンジャーさんが再び声をかけてきた。

 

「ね、ねえ。マルフォイさんはこの時間以外にどの科目を選択しているの?」

 

私はこれを最後にすると決意しながら、もう一度だけ振り返った。

本当は無視してもよかったのだが、それはそれで何だか嫌な気持ちになる気がしたのだ。だから私は、無難な答えを返すことで話を打ち切ることにした。

無難といっても、

 

「……『古代ルーン文字』です。『魔法生物飼育学』は日光の関係で取れなかったので、この『数占い』と『古代ルーン文字』の2科目です。そう言う貴女も、この科目を取っているということは『古代ルーン文字』と『魔法生物飼育学』を選択したのですね。まぁ、どうでもいいことですけど。貴女が何を選んでいるかなど興味もありませんし」

 

決して懐かれないように、いつも通り冷たい言葉を添えているが。

最後のセリフで私にこれ以上会話をする意思がないと分かったのだろう。グレンジャーさんはブツブツと小声を漏らしてはいるが、

 

「う、うん。その二つも取っているのだけど……」

 

それ以上話しかけてこようとはしなくなったのだった。

グレンジャーさんの送ってくる視線を背中で感じながら、私はいつもの思考を繰り返す。

 

これでいいのだ。こうでなくてはならないのだ。

返事をしたとしても、どの道私には彼女を邪険にした受け答えしか出来ない。私はダフネ以外の人間と近づくわけにはいかないのだから。それに私はどう言い繕おうとも、去年彼女を襲おうとした。未遂に終わったとしても、私が彼女を害そうとした事実が消えるはずがない。そもそも私はまだ、あの時の行動を彼女に謝ってすらいない。何が疲れている表情が気になる、だ。私がまず口にすべきは彼女への謝罪のはずだ。

でも……私は彼女に謝罪することすら出来ない。彼女に事情を話せない以上、謝ったとしても私の自己満足でしかない。ただ彼女に余計な責任を押し付けるだけだ。彼女にいらぬ期待を持たせるだけに終わってしまう。……だからこれでいいのだ。

 

必死に自分を()()()()()()()、私は決して振り返らずただ前だけを見つめて授業開始を待つ。

結局私は大勢の生徒が集まり、ようやく最後に『数占い』の先生であるセプティマ・ベクトル教授が来るまで決して振り返ることはなかった。

しかしどんなに無視を決め込んでも、それこそあれだけ楽しみにしていた新授業が始まっても、この寂寥感が消えることはなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

朝から何だかとても疲れるような出来事があったし、正直あの精神状態で授業の内容を半分も理解できたか分からないけれど……『マグル学』の授業自体はとても興味深いものだったと思う。魔法を使えないマグル達がどのように暮らしているか、そしてどのような考え方を持っているかなど、まともな精神状態でさえあれば幅広い知識を得ることが出来そうだ。

全く知らない世界。それこそダリアですら知らないだろう世界を学ぶのはとても楽しい。あれで先生や生徒達からの視線さえなければもっと素晴らしい授業なのに……。

授業開始前どころか、授業中でさえ私に教室中の視線が集中していた。勿論好意的なものではない。敵意の籠った警戒の視線だ。

それだけ純血主義であるスリザリン生がマグル学を選ぶのは物珍しいのだろうけど……仮にもマグルと魔法族の融和をうたうなら、純血貴族をあぁもあからさまに警戒するのはいかがなものだろうか。まぁ、私が『継承者』であるダリアと友達だと思われていることも原因の一つなのだろう。ダリアを『継承者』と認識しているのは許せないけれど、それは今更のことだ。それだけ私とダリアの仲がいいということだから良しとしよう。

 

私は朝一番の記憶に無理やり()()()()()()、ダリアとの楽しい昼食を済ませ、今度は『魔法生物飼育学』の授業を受けるため校庭に向かう。

私の今の足取りは、朝の精神状態と打って変わり非常に軽いものだった。やはりダリアと一緒にいたというだけで、私の疲れや悩みは消え去っていくようだ。去年とは違いダリアが友達として隣に座っており、尚且つダリアも新しい授業終わりということで晴れやかな表情であったのだから猶更だ。授業終わりすぐは少しだけ悩ましい表情をしていたのが気になったけど、理由を尋ねれば、

 

『いえ、どうでもいいことです。……ただ『数占い』の内容を考えていただけですから大丈夫ですよ。何せ初めての授業なものですから。それより、はやく昼食を摂りに行きましょう。午後もすぐに授業がありますから、出来るだけ長い時間貴女と一緒にいたいのです。駄目……ですか?』

 

そんな嬉しいことを言った後、本当に嬉しそうな無表情に変わっていたから大丈夫だろう。

本当に、『マグル学』での出来事を除けば今のところ最高の一日だ。これからのダリアとの生活を考えるだけで気分が明るいものに変わっていく。決して明るいだけの未来ではなくとも、彼女と共に過ごせるなら大丈夫だと思える。今の私は絶好調だった。

 

しかし私の気分が明るい状態でも、私の周りの気分まで最高というわけではなかった。寧ろ最悪と言ってもいい。

原因は勿論、

 

「まったく……あの野蛮人が教師というだけで憂鬱なのに。なんでよりにもよってグリフィンドールと合同なのよ!?」

 

これからの授業にあった。いや正確に言えば、これから行われる授業の新教師が原因だった。

校庭にパンジーの悲痛な叫び声がこだまする。

皆不安なのだ。あの見るからに愚鈍そうな老害信者の森番に、果たして教師を務めることが出来るのだろうかと。

確かにあのウドの大木は森番ということもあり、この学校の誰よりも魔法生物に詳しいことだろう。でも詳しいからと言って、まともな授業が出来る人材だとは到底思えなかった。今年使われる教科書一つとっても安心できる要素など皆無だ。満足に開くことすら出来ない教科書をどうやって読めというのだろうか。魔法生物に詳しいことと、魔法生物について真面に教えられることは違うのだ。ダンブルドアがいつものように適当な人選をしたとしか思えない。今年の『闇の魔術に対する防衛術』の先生が()()……かは、まだ分からないけれど、彼だけが特別なのだ。犬猿の仲であるグリフィンドールとの合同授業というのも不安に拍車をかけている。

かくいう私も不安だった。今はダリアと昼食を摂ったから元気だけど、次の授業に対する不安感だけは他のスリザリン生と共有していた。

 

そしてその不安は見事に的中することとなる。

 

途轍もなく大柄な巨体。長髪に加え、顔の下半分を覆う針金のようなもじゃもじゃ髭。

忌々しい程に澄み切った青空の下、青々とした草原を横切った先に彼は既に立っていた。小屋の前に仁王立ちする彼こそが、今年から『魔法生物飼育学』の教鞭をとる森番、ルビウス・ハグリッドだった。

先に来ていたグリフィンドール生に囲まれた森番が、うずうずした態度で私達の到着と同時に大声を張り上げる。

 

「さぁ! 早く来いや! 今日は皆にいいもんを見せてやるぞ! なんせ俺の初めての授業だからな! きっと度肝を抜くぞ! ついてこいや!」

 

彼はそう言ったかと思うと大股で私達を先導し、森近くの放牧場のようなところに連れてきてから宣言した。

 

「皆ついてきているな! よし、じゃあ真っ先にお前さんらがやることは、教科書を開くことだ! 皆ちゃんと持っちょるだろぅ!? 『怪物的な怪物の本』だ! さぁ、開くんだ!」

 

……やはり先行きが不安で仕方がない。授業開始からいきなり無理難題なことを言い渡されてしまった。

これにはスリザリン生は勿論、森番と仲のいいグリフィンドール生でさえ顔をしかめている。おずおずと教科書を取り出しても、皆紐でぐるぐる巻きにされており、とても開けられるような状態ではない。紐で巻いてなければ誰かれ構わず噛みつこうとするのだから当然の処置だ。皆教科書を開けず、ただ茫然と立ち尽くすことしか出来ない。

 

……ただ一人、()()()()()()()

 

スリザリン生の中で唯一この授業以外が原因で暗い顔をしていたドラコが、皆が押し黙るなかで静かに紐の巻かれていない状態の教科書を開いていたのだ。紐をしていなくても、彼の教科書だけは信じられない程大人しくしていた。

あり得ない光景に驚く周囲同様、森番も酷く驚いた様子だった。もっとも、

 

「な、なんだ。マルフォイしかその本を開けられた奴はおらんのか? ハ、ハリーも……ハーマイオニーもか? な、なんだお前さんら、ただ撫でりゃええんだ。まったく……なんでよりにもよってマルフォイだけが……」

 

驚いた理由は私達とは違っているみたいだけど。

彼はグレンジャーの教科書を取り上げ、本を縛り付けていた紐を取り除くと、その巨大な親指で背表紙を一撫でする。すると教科書はブルっと身を震わせ、今までの凶暴さが嘘のように大人しくなっていた。皆が真似して背表紙を撫でるのを眺めながら、森番は気を取り直したように続け、

 

「え~と。これで教科書は開けられるだろう。うん。そんじゃぁ、俺は魔法生物を連れてくるから、ここで教科書を読んで待っとれよ……」

 

森の方へと歩いて行ってしまった。

残された生徒達は、初めて開けた教科書を眺めながら各々おしゃべりを始める。比較的近くにいたポッター達はいかにこの先行きの不安な授業を()()()()()()()()()を話し合っており、逆にスリザリン生達はいかに授業を()()()()()()を話し合っている。そんな彼らを尻目に、私は未だに暗い表情をして押し黙るドラコに話しかけることにした。これ以上暗い空気を垂れ流されても困ると思ったのだ。

 

「……ほら、ドラコ。気持ちは分かるけど、もういい加減元気出さないと。昼食の時は何とか誤魔化せたけど、このまま落ち込んでいたらダリアにばれちゃうよ」

 

私の声にドラコがノロノロとした動作で顔をこちらに向ける。その表情は、やはりどこまでも暗いものだった。

 

「……ああ、そうだな。いつまでも落ち込んでるわけにはいかない……。そうでないと、僕はまたダリアのお荷物になってしまうからな……。そう、ダリアの気持ちも考えないお荷物に……」

 

空がここだけ曇りなのでは思える程口調が暗い。朝のお説教が効きすぎたみたいだ。

他の馬鹿どもはともかく、ドラコだけは『吸魂鬼』のことを軽々しくダリアの前で扱ってはいけないと、私は朝食後すぐにドラコを大広間横の倉庫に連れ込んで叱った。最初は何故叱られているかも分かっていない様子だったけど、ダリアが考えているだろうことを話すにつれ顔色は悪くなり、最後には落ち込んだままほとんど喋らなくなってしまったのだ。

元気だったのは昼食の時だけ。それも無理やり笑顔を作っていただけだ。ダリアがいなくなると再び暗い表情に変わり果てていた。

私は段々と暗くなっていく口調のドラコに苦笑しながら応える。

 

「元気出しなよ。確かに貴方が『吸魂鬼』のことでポッターを安易に馬鹿にしたのが始まりだけど、別に貴方さえ軽率な言動を取らなければダリアは気にしないと思うよ。ただダリアは、()()()()自分のことを分かっていてほしいだけなんだから。他の奴らがどんな仕草をしようとダリアは無関心だよ。だからこれから貴方が気を付けていれば大丈夫だよ。昼食の時だって、ダリアはもう元気にしていたでしょう?」

 

私も別にドラコのことが嫌いになる程怒っていたわけではない。彼が暗い表情をしていればダリアが心配する……ということもあるけど、私もただ純粋に彼が元気でないと調子が狂うのだ。彼には元気でいて欲しい。そう思い慰めの言葉をかけたわけだけど、

 

「……ああ」

 

相変わらず暗い返事しか返ってはこなかった。声に力が入っていない。これは大分重症らしい。

私はここで作戦を変えることにした。これならいくら慰めても無駄だろう。()()()()()一言で回復させてしまうのだろうけど、妹でも何でもない私には無理そうだ。時間が解決してくれるのを待とう。

だから私は、せめて少しでも意識を別のことに逸らしてあげることにした。朝の話から、私が先程気になったことに話題を転換する。

 

「……そう言えば、よくこの教科書を開けられたね。紐を巻いてなくても暴れていなかったし。ダイアゴン横丁でそれを買った時は、まだ元気いっぱいに貴方に()()()()()()()でしょう? どうやって開け方を見つけたの?」

 

話題転換のためとはいえ、これはそれなりに気になっている疑問だった。

森番は背表紙を撫でることで教科書を開いていたけど、ドラコはそんな素振りをしたようには見えなかった。彼の教科書は、それこそ自分から開かれてすらいるように思えたのだ。そんなに大人しい本だったのなら私達は買う時に苦労などしていない。私はこいつを購入した時のことを思い出しながらドラコに疑問を投げかける。

 

本同士が噛みつき合う光景に泣きべそをかく店員。店員が必死な思いで取り出した教科書に噛まれそうになる私とドラコ。

そして……そんな教科書を血のような赤い瞳で見つめるダリア。

あの時だけは、あわやダリアの楽しい一日が壊れてしまいそうだった。輝くような一日の中で唯一にして最大の汚点だ。すぐに本屋から離れることで事なきを得たけど、あのままあそこで立ち往生していれば危なかった。

 

ドラコも私の言葉であの時のことを思い出したのだろう。私の質問にドラコは一転、暗いものから苦虫を噛み潰したようなものに表情を変えながら応える。少なくとも今にも消えてしまいそうな暗さではなくなっている。どうやら意識を別のことに向けることは出来たらしい。でも、

 

「ああ、お前の言う通りだ。こいつも買った時は元気だったさ。家でも何度も噛まれそうになったな。でも……ダリアがこの本を預かった後から大人しくなったんだ。そうだ……これは……結局僕は……」

 

「ドラコ?」

 

それも一瞬のことでしかなかった。どうあっても、今の彼は暗い思考に囚われてしまうらしい。

ドラコは再び悲しみの表情を浮かべながら続ける。

 

「ダリアはこいつを持っていく直前に言っていた。『別に教科書が生きている必要はありませんよね?』ってな。確かに教科書が大人しくなったのはありがたいし、返ってきた本が()()()()()わけでもない。あれ以来ずっと震えているがな……」

 

彼の言う通り、よく見れば『怪物的な怪物の本』は何かを恐れているように微かに震えていた。何かに怯えているように……。

 

「別に困ったことは特にないんだ。ダリアの様子が変わったということもない。実際お前に言われるまでこんなことを思ったこともなかった。でもな……この本が震えているのを見ていたら考えてしまうんだ。思い出してしまったんだ。去年の『闇の魔術に対する防衛術』で無能がピクシーを解き放った時を。あの時自分の無力さを呪ったのに、未だにダリアに頼りっきりの僕を……。考えすぎだとは分かっているんだが……どうしても思い出してしまうんだ。僕は『吸魂鬼』の件も含めて、何一つ去年から成長などしていない……」

 

私は今度こそドラコに何も言えなくなってしまった。

思いの外深い悩みに、私はおいそれと回答できなかったのだ。朝の出来事があったからこその悩みなのだろうけど、私は肯定も……そして否定も安易にすることが出来なかった。

でも私の無回答こそが、どんな応えよりも私の気持ちを代弁しているものだった。

 

私とドラコの間に奇妙な沈黙が舞い降りる。

授業の最中だというのに、私達の思考は完全に授業を受けるものではなくなっていた。

 

 

 

 

……それがいけなかったのだろう。

授業に集中していれば彼はその事態を回避してたかも、いや、()()()()()()()()()かもしれない。

ちゃんと授業に集中し、森番の話を聞いていたら……。

 

ドラコの未熟さによる過ちは、この後また一つ増えることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

意外だった。

グリフィンドールとスリザリンの合同授業だと聞いた時は、また朝の様にドラコから馬鹿にされるんだと思った。午前は突然先生から死の予言を告げられるし、午後は午後でハグリッドの初授業中にドラコの気絶する真似を見ていないといけない。本当に散々な一日になってしまう。そう思っていたのに……実際はドラコが僕を揶揄ってくることはなかった。

 

ハグリッドがどんな生き物を連れてくるのか。そしてどんな()()()()()()だろうと、()()()は喜んであげようと話し合っている僕らの近くにドラコとグリーングラスはいたわけだけど……彼らは僕に注意を向けてくることすらない。相変わらずドラコ以外のスリザリン生は時折気絶した振りをして盛り上がっているものの、ドラコ自身がそれに参加する素振りを見せることはなかった。教科書を一人だけ開けていたのもあるが、どうにも今のドラコはいつもの奴らしくない。

 

いや……まだあいつが馬鹿にしてこないと考えるのは早計か。ドラコのことだ。きっと僕を揶揄う最高のタイミングを狙っているだけに違いない。

 

そう思いながら注意を半分背後に向けていたところに、

 

「キャァァァァ!」

 

ラベンダー・ブラウンの甲高い叫び声が響き渡った。

驚きながら彼女の指さす方向に目を向けると、そこには奇天烈な動物たちがいた。

胴体、後ろ足、尻尾は馬。それなのに、前足と羽、そして頭部は巨大な鷲の形。

マグルの世界では見たことも聞いたこともない生物たちを連れ、ハグリッドが満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。

 

「さぁ、連れてきたぞ! ヒッポグリフだ! 美しかろう、え!?」

 

確かに美しくはある。でも同時に一目で危険であると分かる動物でもあった。嘴は鋭く、前足の鉤爪など15センチはありそうだ。あれに引き裂かれればどうなるのか……考えるまでもなかった。

僕は当初の初授業成功計画を忘れ……そして同時に、後ろにいるマルフォイ達のことも忘れて、ただ茫然とヒッポグリフを見つめた。

その間にもハグリッドの話は続く。

 

「だが美しいだけじゃないぞ。こいつらは美しいと同時に危険でもある。こいつらは誇り高い奴らだ。おまけに人間の言葉もある程度は理解できる程賢い。だから絶対に侮辱しちゃなんねぇ。そんなことしてみろ、それがお前さんたちの最後の仕業になるだろうな。それと勿論礼儀が大切だ。こいつの傍に来たら、まずこちらがお辞儀をしなければならん。それでお辞儀を返されるのを待つんだ。お辞儀を返されたら触ってもいいという合図だし、もし返されなければ……まぁ、すぐに離れるこった」

 

ハグリッドの生々しい説明に皆すぐに頷く。

……授業に集中していないドラコを除いて。彼が心ここにあらずといった様子で頷いていないのに、僕は前を向いていたため気が付くことはなかった。

 

「よ~し。誰が最初だ? 誰かまずやってみたい奴はおらんか?」

 

ハグリッドの説明を聞いて皆完全に腰が引けている。かくいうロンとハーマイオニー、そして僕も皆同様怖くて仕方がなかった。あんな獰猛そうな生き物に、まともに近づけるわけがない。

 

……でも、それでも。

 

「おぉ! 偉いぞ! ハリー!」

 

僕はソロリソロリと手を上げていた。

怖くないはずがない。近づいた瞬間八つ裂きにされる光景しか想像することが出来ない。

でも、それでも僕はハグリッドの友達なのだ。彼の最初の授業をどうしても成功させてあげたかった。

決意となけなしの勇気。そしてどうしようもない後悔を胸に手を上げる僕を嬉しそうに見やってから、ハグリッドは一匹のヒッポグリフを連れてくる。

 

「じゃあハリーにはこいつにしよう。名前はバックビークだ。この中でも特に賢い奴だ。……同時に一番誇り高い奴でもあるがな。まぁ、ハリーなら上手くやるだろう」

 

バックビークは灰色の羽毛をしたヒッポグリフだった。オレンジ色の瞳で僕の方を鋭く睨みつけている。まるで値踏みするような視線だった。

 

「まずはヒッポグリフの目を見るんだ。瞬きはするな。目をショボショボさせてる奴は信用されんからな。それと丁寧にお辞儀だ。ほらハリー、やてみぃ」

 

僕は出来るだけ丁寧に、でも内心はビクビクしながらお辞儀をする。そんな僕を少しの間バックビークは見つめていたが、ややあって、

 

「やったぞ! ハリー! お前さんはバックビークに認められたんだ! よし、触ってもええぞ! 流石はハリーだな!」

 

彼はお辞儀としか思えない恰好をしたのだった。こちらに向かって前足を折り、頭を下げている。どこからどう見てもお辞儀だった。どうやら一応の合格点は貰えたらしい。

僕は下がりたいという思いを押し込めながら、促されるままにバックビークに近寄り手を伸ばす。そして嘴を撫でてやると、彼は気持ちよさそうに目を閉じていた。

こちらも成功したのだろう。バックビークの仕草に、僕は今まで怖がっていたのが嘘であるかの様に安心して嘴を撫で続ける。いざ成功してしまえば怖いというより、美しいという感情の方が勝ってくる。

僕の成功を受け皆も安心したようだった。皆恐々ながらも、それぞれのヒッポグリフに近づいていく。

その様子に僕は無性に嬉しくなった。ハグリッドの初授業は大成功だ! 僕はバックビークから離れ、ハグリッドに微笑みながら話しかけた。

 

「すごいよ、ハグリッド! 初めての授業、大成功だよ!」

 

「いんや、ハリーのお蔭だ! 流石はハリーだ! 教科書を開けたのがドラコだけの時はどうなるかと思ったが、お前さんのお蔭で何とかなりそうだ! ありがとうな、ハリー!」

 

僕等の会話を横目に、あちこちで色々な光景が繰り広げられていく。

ハーマイオニーは栗色のヒッポグリフとお辞儀合戦を繰り広げており、ネビルはヒッポグリフがお辞儀を返さなかったので慌てて逃げている。

しかしそんな中でも、

 

「おい、ドラコ! おめぇさんもやってみろ! 横にいるお前さんもだ!」

 

ドラコとグリーングラスだけは暗い顔をするばかりで、授業には一切参加していなかった。スリザリン生が苦手であるハグリッドも、流石に先生になった以上何か言う必要があると思ったのだろう。大声を張り上げ、無理やりにでも授業に参加させようとする。

すると、まるで授業が行われていることに今気が付いたと言わんばかりの様子で、

 

「……ふん。何が授業だ、こんな時に……」

 

何か呟いた後、ズンズンと言った足取りでバックビークに近づいてきたのだった。グリーングラスはそんなドラコに続きながら、何故か怖気づかずにいる彼に声をかける。

 

「ドラコ。そんな風に勢いよく近づいちゃ駄目だよ。ハグリッド先生がさっき言ってたでしょう? まずはお辞儀をしないといけないらしいよ」

 

妙に物怖じせずに近づくと思ったら、授業内容を聞いていなかったらしい。何も知らず、何も考えず、ただ自分の中にある何かを()()しようとするかのような態度だったのが気になったのだ。

僕に懐いてくれたからといって、バックビークが危険な生き物でなくなったわけではない。ハグリッドの話を聞いていなかった彼が、あんなに無暗矢鱈に近づいて大丈夫なのだろうか。

僕は嫌な予感を感じていた。

 

その予感が的中したのは、この直後のことだった。

無事お辞儀を終え、かろうじてバックビークに認められたものの……彼はあり得ないことを口走ってしまった。

 

「ふん、ポッターにも出来るんだ。僕に出来ないはずがない。出来なければおかしい。出来なければならないんだ。こんなことさえ出来なければ僕は……。こんな簡単なこと、よくもまぁあそこまで持ち上げれたものだよ。こんな危険でも何でもない奴を撫でることなんてな。そうだろう?」

 

彼は侮蔑に溢れた、でもどこか疲れ切った顔で言い終えた。

 

「醜いデカブツ君?」

 

……それは彼にとって、別に侮辱するつもりで吐いた言葉ではなかったのかもしれない。彼の口から出た、単なる彼なりの表現。侮辱していたとしても、その対象はバックビークでなく、どちらかというと僕に対するものだったのかもしれない。

でも、そんなことを考えている余裕など僕にはありはしなかったのもまた事実だった。

何故なら、

 

「ヒィィィ!」

 

「馬鹿! ドラコ! なんてこと言ってるの!? とにかくはやく逃げなさい!」

 

侮辱されたと思ったバックビークがマルフォイに襲い掛かったから。

まさに一瞬の出来事だった。一瞬鋼色の鉤爪が光ったと思ったら、すでにドラコが腕を抑えながら倒れ伏していた。

ハグリッドが巨体に見合わぬ俊敏さでバックビークに首輪をつけている間にも、マルフォイのローブは見る見るうちに血に染まっている。傍に居たグリーングラスが支えようとするものの、ドラコは力なく地面に蹲り続けていた。

 

「死んじゃう! 僕、死んじゃう! ダ、ダリア! ぼ、僕は、」

 

「し、死にゃせん! ただの切り傷だ! ポピーならすぐ治してくれる! そ、そうだ、こいつを医務室に連れて行かにゃならん! お、お前さんらは動くんじゃねぇぞ!」

 

うわ言の様に妹の名前を繰り返すドラコを抱え、ハグリッドは城の方に走り去っていく。その後を顔を真っ青にしたグリーングラスが続き、放牧場には騒然とした生徒達が残される。

急転直下の事態に茫然とする僕とロン、そしてハーマイオニーの三人組を横目に、皆各々が好き勝手なことを言って騒いでいた。

 

「あんな教師、すぐにクビにすべきよ!」

 

「マルフォイが悪いんだ! ハグリッドの話を聞いていなかったから!」

 

意見は二通りだった。

ハグリッドが悪いというスリザリン生達と、マルフォイが悪いというグリフィンドール生。

 

 

 

 

でも皆色んなことを叫んではいるが、結局この授業がこれからどうなるかなどは誰にも分かっていない様子だ。

 

そんな中でも……一つだけ確かなことがあった。

 

ハグリッドの授業は……大成功どころか、大失敗に終わったのだ。

そのどうしようもない事実だけは、皆言葉にせずとも共有していたのだった。




次回みんな大好き『まね妖怪』


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まね妖怪(前編)

 ダフネ視点

 

「あぁ、ドラコは大丈夫かしら? まったくあの野蛮人! 何であんな危険な生き物を連れてきたのよ! そのせいでドラコが……」

 

「そもそもあんな奴を教師にしたのが間違いなんだ。去年もそうだったが、ダンブルドアは余程人を見る目がないらしい。この分だと『闇の魔術に対する防衛術』の教師も見た目通りだろうな」

 

ドラコを医務室に送り届けた後、私はすぐさま談話室に取って返したわけだけど、『魔法生物飼育学』を受け終えたスリザリン生達はまだ廊下に屯していた。

全員が全員森番に対しての罵倒を繰り返しており、そのせいで遅々として足が進んでいなかったのだろう。

私が合流しているのにも気付かず、彼らは言葉を続ける。

しかし、

 

「危うくドラコの腕は引きちぎられる所だったのよ! あんなことしでかしたのだから、すぐにクビにすべきだわ!」

 

「ふん、クビだけで済むといいが。どの道ルシウス氏が黙っていないだろう。今度こそダンブルドア共々おしまいさ」

 

「……ルシウス氏の前に、マルフォイ様が森番を()にしてしまう可能性の方が高いけどな」

 

一人の寮生が漏らした呟きで、廊下は一瞬にして静まり返った。皆今までの威勢が嘘であるかのように押し黙り、表情を一様に青ざめさせている。

皆思い出しているのだろう。去年の『闇の魔術に対する防衛術』で見せたダリアの殺戮行為を。血を浴びながら見せた、ダリアの心底嬉しそうな笑顔を。

そしてダリアに先程の授業で何が起こったのかを伝えた時、彼女が人を殺す大義名分を得てしまうのではないかと恐れているのだろう。ついでにドラコの近くにいながらも、彼を守れなかった自分達も巻き添えを食うのではと考えているのかもしれない。

かくいう私も心配だった。勿論他の連中の様に、ダリアが今回のことで即座に森番を殺すとは、ましてや私達が襲われるとは露程も考えていない。けど、少なくともホグワーツにいるヒッポグリフを根絶やしにしかねないとは思ったのだ。どんな理由であれ、ドラコが傷つけられた以上ダリアが平静でいられるとは思えない。彼女の言うところの『衝動』に身を委ねかねない。

だから私はドラコを送り届けた後すぐ談話室に戻ろうとしたのだ。ダリアに刺激的な情報を()()()()()()()

ダリアがヒッポグリフを殺してしまわないように。彼女が行動の結果、後で自分を責めてしまわないように。

それは当のドラコも分かっているのだろう。医務室に放り込まれたドラコは、

 

『ダ、ダリア! ぼ、僕は! やめるんだ、ダリア! お前がそんなことをしたら!』

 

そんなことを譫言の様に繰り返していた。ドラコはパニックに陥りながらも、それでもダリアのことを考えていたのだ。

勿論ドラコの言葉がなくても、私は同様の行動をとったことだろう。でもドラコの言葉で決意が固くなったのも確かだ。私にはドラコのためにも、必ずダリアを止めなければならない義務がある。

そんな覚悟を胸に、私は他のスリザリン生と共に寮に向かって歩き続ける。

 

そして……遂にその時がやってきたのだった。

 

寮の入り口をくぐった先には、

 

「ダフネ、おかえりなさい。『魔法生物飼育学』はどうでしたか?」

 

先に授業を終えたらしいダリアがいた。寛いだようにソファーに座り、私とドラコのためと思われる紅茶を三人分用意しながら彼女はこちらに声をかける。『魔法生物飼育学』でドラコが怪我をしたなどと夢にも思わないダリアは、いつになく穏やかな口調だった。

 

「森番が教師というのが少し気になりますが、彼なら珍しい生物を見せて下さりそうですね。最初の魔法生物は何だったのですか?」

 

ダリアはいつもの無表情であり、今は特段機嫌が悪い様子ではない。しかしその穏やかな口調が逆に恐怖を煽ったのだろう。周りのスリザリン生は、ダリアの言葉が進むにつれ顔色をさらに青くしている。そしてダリアはその様子に気付けない程鈍い人間ではない。普段とは違う反応を示すスリザリン生を訝みながらダリアは続ける。

 

「皆さん、どうされたのですか? そんなに青い顔をして。何か授業であったのですか? ……そういえば、お兄様の姿が見えないような」

 

ダリアがドラコに言及した瞬間、談話室の空気が冷たい物に変わったような気がした。スリザリン生はただでさえ青い顔を更に青くしており、ダリアはその反応に更に視線を鋭くしている。彼らの反応でドラコに何かがあったことを悟ったのだろう。彼らから視線を外し、ダリアは静かな口調で私に尋ねてきた。

 

「ダフネ……お兄様はどこにいるのですか? 貴女なら答えられますよね?」

 

ダリアの声は静かだけど、同時に有無を言わせない凄みを含んでいた。

私は意を決して声を上げる。慎重に、ダリアをなるべく刺激しないように。

 

「あのね、ダリア。落ち着いて話を聞いてね。ドラコはね……さっきの授業で怪我をしちゃったの」

 

しかし反応は劇的だった。

 

「お兄様が怪我!? 大丈夫なのですか!? ここにお戻りになっていないということは、今医務室ですか!? なら、私は今すぐお兄様の所へ、」

 

私の言葉にダリアは勢いよく立ち上がる。勢いあまってテーブルにぶつかってしまい、せっかく用意していた紅茶がひっくり返っている。私は興奮するダリアに慌てて続けた。

 

「落ち着いて! ドラコの怪我はたいしたことないから! ただ少しだけ大事を取って医務室に行っているだけだよ! マダム・ポンフリーならすぐに治してしまえるよ! そう、ただの掠り傷程度だから、」

 

「何がかすり傷よ!」

 

私の声に突然甲高い声が被せられる。

恐怖で黙っていればよいものを、パンジーが何を思ったのか急に話を遮ってきたのだ。

私の苛立ちに気付くことなく、パンジーはヒステリックな叫び声を上げ続ける。

 

「あの野蛮人! そう、ドラコが怪我をしたのは全部あいつのせいなのよ! 最初の授業でいきなりヒッポグリフとかいう危険生物を連れてきたのよ! それなのに碌に管理もしないで……あまつさえドラコに近づくように命令したの! そのせいでドラコはあのヒッポグリフに()()()()()()()()()! 危うくドラコの腕は()()()()ところだった! きっとあの野蛮人は最初からドラコを()()()だったのよ!」

 

パンジーの叫び声が止む頃には、もはやスリザリン生の顔色は青を通り越して土気色に変わっていた。

 

そして同時に……ダリアの瞳も血のような赤色に変わっていたのだった。

 

静まり返る談話室の中、ダリアが垂れ流される雰囲気とは真逆の落ち着いた動作で窓を見やる。スリザリン談話室は地下にあり、窓の外には湖底が広がっているため正確な時間は分からない。しかし、それでも日が沈んでいるかくらいは判別できる。ダリアはそっと外を見やった後、

 

「日は沈んでいますね。なら、私も外に出ることが出来ます……」

 

ひとり言を漏らしていた。

外に出て何をしようとしているかなど一目瞭然だった。心なしか口角が既に上がり始めてすらいる。

恐れていた事態が現実のものとなったことを悟った私は、慌ててパンジーの言葉を否定した。

 

「ダ、ダリア。ち、違うよ、パンジーは気が動転しているだけで、ドラコの怪我は本当にたいしたことないの! 森番だって別にドラコを傷つけようとしたわけじゃない! 単なる事故だったの!」

 

「……しかし、お兄様が怪我をしたことに間違いはないのですよね?」

 

「そ、そうよ! ダフネはどうしてあの野蛮人を庇うのよ!? 貴女だって、」

 

「パンジーは黙って!」

 

森番に対する怒りのためなのか、それともドラコのためという間違った義務感からなのか、ダリアをどこか嗾けようとしているパンジーを黙らせながらさとし続ける。

 

「ね、ダリア、落ち着こう。ドラコは少しだけヒッポグリフに引っかかれただけ。多少大げさに見えても、マダム・ポンフリーにかかればあっという間だよ。まずは落ち着いて、それからドラコの所へ行こう? ヒッポグリフの所なんて後からでも行けるでしょう? だから、まず医務室に行こうよ」

 

私とダリアの視線が僅かな時間交差する。

ダリアの瞳は相変わらず赤く、見ているだけで不安な気持ちにさせられる。彼女の瞳には、日常では決して感じることのない殺意だけが満ち溢れていた。

 

……でも、私は決して目を逸らさなかった。ここで少しでも折れてしまえば、ダリアは自分の『生き物を殺したい』という願望に従ってしまうかもしれない。彼女の持つ『優しさ』故に、ドラコを傷つけたヒッポグリフを殺したいという『衝動』に従ってしまうかもしれない。

そんな彼女が後で絶対に後悔するようなことは、私が必ず止めなくてはならない。

 

それが私の、ダリアと友達になる上での覚悟なのだから。

私は秘密の部屋で、理性を失いかけた彼女を止めると誓ったのだから。

 

そんな私の思いが、あるいはドラコへまず会いに行こうという言葉が通じたのだろう。

私と見つめあっているうちに、ダリアの瞳が段々と元の薄い金色に戻っていく。色が戻るにつれダリアの理性も戻っていくようだった。そして完全に色が戻り切った時、ダリアはポツリと、

 

「……分かりました。外にはいつでも行けますものね。まずはお兄様の所に行きます。……ダフネも一緒に来てくれますか?」

 

小さな声で呟いたのだった。彼女の声にはもう、先程まであった溢れんばかりの殺意はどこにもなかった。少なくとも、今すぐヒッポグリフを殺しに行くつもりがなくなったことだけは確かだった。

 

去年と違い、私でもダリアの怒りを抑えこむことに成功したのだ。

 

復讐よりドラコを優先するように言えば、どんなに理性が失いかけていてもダリアが反応しないはずがないという読みは正しかった。

作戦が取り合えずの成功を見たことに内心ホッとしながら、私はダリアに手を差し出し応える。

 

「勿論だよ! さあ、マダム・ポンフリーのことだからきっともう怪我なんて治してしまっているだろうけど、彼女の気性を考えれば一日医務室にいろと言われていても可笑しくないからね。ドラコが監禁される前に助け出しに行こう」

 

「……はい。……ダフネ、ありがとうございます」

 

伏し目がちではあるけど、それでもしっかり私の手を握り返すダリアと共に、私は医務室に向かって歩き始める。

 

 

 

 

……これが、医務室のドアに『面会謝絶』という文字盤を見る数分前の出来事だった。

結局この日、ダリアがドラコと会うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ハグリッドの初授業が大失敗に終わった次の日。『魔法史』を終えた後の昼食の席はひどく静まり返ったものだった。大広間の空気はどこまでも冷たく、全員が全員身を縮こませてテーブルに着き、時折チラチラとスリザリンの席に視線を送っている。

当然皆が視線を送る先には、

 

「ダ、ダリア。ドラコはもうすぐ帰ってくるって。き、昨日も話したでしょう? だから……」

 

「……」

 

食事を摂るでもなく、そして必死な様子で話しかけるグリーングラスに応えるでもなく、ただジッと大広間の扉を見つめ続けるダリア・マルフォイの姿があった。

昨日の出来事は一夜にしてホグワーツ中に広まったのだろう。兄を傷つけられたダリア・マルフォイが、それを()()()今にも暴れ始めるのではないかと皆恐れているのだ。

静まり返る大広間の中で、僕も時折ダリア・マルフォイと空席のハグリッドの席を見やっていると、ロンが小声で話しかけてきた。

 

「ダリア・マルフォイの奴、昨日のことで相当御立腹みたいだな。どうせドラコの怪我なんてたいしたことないだろに。それに、あの怪我はハグリッドの話を聞いていなかったドラコの自業自得だろう?」

 

「ええ……。でもあの様子だと、ドラコはまだ医務室から帰ってきていないみたいね。だったら、マルフォイさんが心配するのは仕方のないことよ……」

 

僕はハーマイオニーのまるでダリア・マルフォイを擁護するような返事を適当に聞き流しながら応える。

 

「マルフォイのことなんてどうでもいいよ。問題はハグリッドだよ。昨日から一回もここに来ていない。まさかクビになったとかないよね……」

 

ハグリッドの初授業は完全に失敗だった。いや、失敗させられたのだ。ドラコの下らない行動によって。あいつがちゃんとハグリッドの話を聞いてさえいれば、ハグリッドの授業は大成功だったのに……。

そんな友達の初授業を滅茶苦茶にした奴の心配などするつもりはない。ハーマイオニーのように、あいつの妹であるダリア・マルフォイの感情を考えるつもりもない。あんな奴らのことより、僕は今小屋にふさぎ込んでいるだろうハグリッドのことの方が遥かに重要だったのだ。

僕の返答に、どこかダリア・マルフォイの方を心配げに見つめていたハーマイオニーも神妙な表情をする。いくらダリア・マルフォイに理解不能な憧れを抱いているとはいえ、ハーマイオニーもハグリッドのことは心配なのだ。

 

「クビには……ならないと思うわ。ダンブルドアがそんなことするとは思えないもの。でも、ルシウス・マルフォイが黙っていないわ……。理事ではなくなったけど、まだ少なからず影響力を持っているはずよ。彼がどんな手を使ってくるか……」

 

僕等の席は暗い空気に包まれる。

心配だった。ハグリッドはあんなにも教師になったことを喜んでいたのに、一日にしてその喜びが水泡に帰し、残ったのは明日にもクビになるかもという不安のみ。ハーマイオニーが言うように、ダンブルドアが擁護してもルシウスがどんなことを言ってくるか分かったものではない。未来はどう考えても明るいものではなく、それ故にハグリッドが不憫に思えて仕方がなかった。

暗い空気の中、僕はハグリッドが来ないかと期待しながら食事を摂る。

 

しかし来たのは、

 

「ダリア! 今戻ったぞ!」

 

授業を滅茶苦茶にした張本人、ドラコ・マルフォイくらいのものだった。昼食の途中、ドラコがようやく大広間に現れたのだ。

午前の授業を休んでいたくせに、()()()()()()()元気いっぱいな様子で怪我したはずの右手を振りながらスリザリンの席に向かっている。目を向ければ、今まで無表情の上でも分かる程の不機嫌さが吹き飛んだ様子のダリア・マルフォイが兄に駆け寄る光景が広がっていた。大広間にいる全員の注目を浴びながら、ダリア・マルフォイが大声で叫んでいる。

 

「お兄様! お怪我は!? 腕は大丈夫なのですか!? 昨日は面会謝絶だったはずです! 大丈夫なのですか!? 本当はドアを破壊してでもお会いしたかったのですが、治療に関して私は詳しくないものでして……。お兄様、本当に、」

 

「ああ、この通り大丈夫だから安心しろ、ダリア。面会謝絶だったのも、いつものマダム・ポンフリーの心配性が原因だったのさ。昨日の段階で治り切っていたものを、あいつがグダグダ言っていただけだ。だから……お前は何も心配する必要も、何の怒りも覚える必要はないんだ、ダリア」

 

体のあちこちを妹に触られながら、ドラコは無駄に元気な表情で応えている。

案の定、あいつの怪我はたいしたことはなかったのだ。ハグリッドは大変な思いをしているというのに……。

ダリア・マルフォイが垂れ流していた冷たい空気が霧散していくのとは逆に、僕は言いしれない不愉快な気分になっていた。

これ以上、あんな不快な奴らを見ていたくなんてない。

 

「行こう……。あいつがピンピンしていることは分かったんだ。あいつの心配なんてする必要はないよ。どうせ次の『闇の魔術に対する防衛術』でも嫌という程顔を合わせるんだ。そんなことより、ハグリッドの小屋に行こう。まだ少しだけ時間がある。ハグリッドの小屋に行って、彼が生きているかを確かめることくらいは出来る」

 

そう言って僕らは急いで食事を摂り終えると、即座に大広間を後にする。

 

……僕等が外に出た時には、もうすっかり大広間の冷たい空気は霧散していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

「あの子がダンブルドアの言っていた……ダリア・マルフォイか……」

 

久しぶりの真面な食事を堪能しながら、時折スリザリン席に座る女子生徒を盗み見る。

真っ白な容姿のその生徒は、先程まで垂れ流していた冷たい空気を引っ込め、今は兄と思われる少年の横で穏やかに食事を摂っている。表情だけは先程と変わらない無表情ではあったが、それでも今の彼女が落ち着いていることだけは感じ取れた。

 

数分前とは打って変わり、今の彼女からはダンブルドアの言うような警戒すべきものは一切感じ取ることが出来なかった。

 

 

 

 

昨日のダンブルドアとの会話を思い出す。

初日の宴会が終わった直後、ダンブルドアに汽車での出来事を報告すると、

 

『災難じゃったのう、リーマス。就任前に吸魂鬼と出くわすとは。じゃが、生徒としては幸いだったとも言える。お主がおらねば、もっと多くの生徒が吸魂鬼に苦しめられたことじゃろぅ。やはりお主に頼んでよかったのう』

 

そんな嬉しいことを言って下さったのだった。

私のような人間ではないものを学校に迎え入れてくれた大恩人。そして自分を信用できないがために教職を断る私を、それでも信じると言って下さった偉大な人物。

彼に褒められるのはここを卒業した後でも嬉しいことだった。ダンブルドアと一緒にいれば、大人になった自分がまだまだ幼い人間にさえ思えてくる。

しかし、

 

『いえ、当然のことを成したまでです。寧ろもっと早く対応していれば、ハリーが傷つくことはありませんでした』

 

彼の言葉を素直に受け取りきれないのも事実だった。

ハリーはどんな人間よりも恐ろしい経験をしている。両親は目の前で殺され、その犯人である『例のあの人』には今でも命を狙われ続けている。吸魂鬼の影響を受けないわけがない。私はそれを知っておきながら、彼が気絶するまで対応することが出来なかったのだ。

自分のことを素直に称賛できるはずもなかった。

 

『……いや、君はようやってくれた。君がおらねば、それこそハリーは魂すらも吸い取られておったじゃろぅ。奴等にとっては、ハリーはさぞご馳走じゃろうからのぅ』

 

せっかくダンブルドアが就任祝いで呼んでくださったのに、校長室は重苦しい雰囲気になってしまっていた。

不安だったのだ。

ただでさえシリウスがハリーを狙っている恐れがあるというのに、その上彼を警戒する『吸魂鬼』のことまで注意しなければならない。学校の敷地に入るなと厳命しているとはいえ、奴らは元来命令に従うような生き物ではない。いつ同じことが起こったとしてもおかしくはないのだ。私のような自分のことで精一杯な『人間もどき』が、彼を守り切れるか不安で仕方がなかった。

私はそんな不安を今は断ち切ろうと、ハリー以外の話題を口にする。

 

『そういえば……あの場にはハリー以外の生徒も数人いたのですが、一人だけ表情を全く変えない女の子がいました。『守護霊の呪文』をすぐに言い当てるくらい優秀な子でしたけど、あの子は何故表情が変わらなかったのですかね……』

 

気にはなっていたが、正直ただの世間話くらいの気持ちだった。

優秀だが変わった子。そんな軽い認識での話題転換だったのだが、

 

『……リーマスよ。その女子生徒はもしや、白銀の髪をした娘ではなかろうか』

 

思った以上にダンブルドアの興味を引いてしまったようだった。

青い瞳をさらに鋭くし、僅かな情報も逃すまいという態度に私は僅かにたじろぎながら応えた。

 

『はい、確かに真っ白な髪をした子でしたが……あの子に何かあるのですか?』

 

『……実はのぅ』

 

ダンブルドアは話し始めた。

去年の事件の顛末を。ルシウス・マルフォイが持ち込んだ『あの人』の日記によって、秘密の部屋が開かれたこと。部屋の中にいた『バジリスク』をハリーが打ち倒すことによって、事件は一応の解決を見たこと。

そして……

 

『……あの子、ダリア・マルフォイが事件に関わっていた可能性があると?』

 

『そうじゃ。どう関わっておったかは分からん。じゃが、彼女が事件当時、不可解な行動をとり続けていたのは確かじゃ。あの娘は何かを行っていた。わしはそう考えておる』

 

彼女がルシウス・マルフォイや『あの人』に協力していた可能性があることを。

ダンブルドアのことだ。彼女がマルフォイ家だからという理由だけで、彼女のことを疑っているわけではないのだろう。彼が彼女を疑わしいと言うのなら、それは紛れもなく真実なのだ。

だからこそ、

 

『リーマスよ。すまんが、お主には『闇の魔術に対する防衛術』の教員や、ハリーを導く以外の仕事もやってもらいたいのじゃ。……どうか、ダリアを注意深く見守ってほしい。彼女が闇に堕ちてしまわぬよう、彼女のことを見守ってほしいのじゃ。如何せん彼女には秘密が多すぎる。どんな人間であれ、『吸魂鬼』から影響を受けないことはあり得ぬ。にも関わらず、彼女は影響を受けてはおらなんだ。彼女にはまだまだ秘密を隠し持っている可能性がある。去年のことも考えると、それがいいことばかりだとはワシには思えんのじゃ。じゃから……頼めるかのう?』

 

『……分かりました』

 

私はあの場ですんなりと頷くことが出来たのだ。

私に手を伸ばしてくれたダンブルドアの役に立ちたい。ダンブルドアの言葉に間違いがあるはずがない。

そう思い私は、何の悩みもなく彼女を初日から見守っていた。

彼女を見極めるために。ダンブルドアの言うように、彼女が闇に堕ちてしまわぬように。彼女が去年と同じ事件を引き起こさぬように……。

 

 

 

 

だが……まだ初日だというのに、私は自分のやっていることに微かな違和感を覚え始めていた。

 

「お兄様、腕は痛みませんか? 痛むのでしたら、私が食べさせて差し上げます」

 

「い、いや、大丈夫だ、ダリア。痛みはないし、食事も自分で摂れる」

 

今スリザリン席に見られる光景はどうだろう。

ハグリッドの授業で怪我をしたという兄を、ダリア・マルフォイが大げさなまでに気遣い世話を焼こうとしている。どこにでもある……と言うには些か距離が近過ぎる気がするが、兄と妹が繰り広げる極々日常的な光景だった。

 

そこにダンブルドアが言うような闇など一切感じ取ることが出来なかった。

目の前には、お互いを思いあうごく普通の兄弟の姿だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「……お兄様、本当に痛くないのですか?」

 

「ダリア。何度も言っているが、怪我はもう治り切ってる。元々大した怪我ではないんだ。父上にはもう昨日の授業のことを報告しているし、お前が気にすることなんて何一つない」

 

私は隣に座るお兄様と話しながら、新しく赴任した『闇の魔術に対する防衛術』の教師を待っていた。時間が来てもまだやってこない彼を、他の生徒もおしゃべりをしながら待ち続けている。時折こちらに物欲しそうな視線を送っているグレンジャーさんを完全に無視し、私は一心不乱に今から始まる授業について考える。

 

楽しみだった。『数占い』の授業も楽しみだったが、それ以上に楽しみで仕方がない

昨晩は本当に不愉快な出来事があったものの……お兄様が無事に帰ってきたため、私の衝動は今のところ下火になっており、残されたのは今日の授業に対する期待のみだったのだ。

 

やっとだ……。やっと、私は真面な『闇の魔術に対する防衛術』を受けることが出来る。

私には今回の授業が真面である確信があった。

 

汽車の中でルーピン先生が使った呪文。『守護霊』の呪文は非常に高度な呪文だ。ホグワーツを卒業した大人でもほとんど使いこなせない。あの呪文が使える以上、先生が優秀でないはずがない。少なくとも去年までの無能達には使いこなせないだろう。

勿論優秀な魔法使いだからと言って、教師として優秀だとは限らない。魔法生物について誰よりも詳しいのに、お兄様を傷つけるような授業をしたウドの大木がいい証拠だ。

でもそれが分かっていても、私はどうしても期待を持たざるを得なかった。去年までと違い、少なくとも教師が優秀であるという前提条件には立っているのだ。ニンニクの臭いがしないのもポイントが高い。ましてやこれは私のもっとも興味を惹かれる『闇の魔術』に対する防衛術。期待しない方がどうかしている。たとえ初回の授業がグリフィンドールとの合同だろうとも、私の期待感は少しも萎えることはない。今まで必死に抑えていたものが、先生の呪文一つで抑えきれなくなってしまっていた。あんなにも自分の内心を押さえつけていた日々が嘘のようだ。

そして溢れ出そうになる期待感を抱えながら、私はお兄様にピッタリと寄り添って先生を待っていると、

 

「やあ、みんな」

 

初対面より幾分か健康そうなルーピン先生がやってきたのだった。

遂に私の待ち望んだ授業が始まった。

ルーピン先生は朗らかに挨拶しながら続ける。

 

「今日の授業には教科書は必要ないよ。実地練習だからね。杖だけ持ってついておいで」

 

グリフィンドール生達は実地練習と聞き、嬉々とした表情で教科書をしまっている。しかしスリザリン生の方は、

 

「実地練習……だと? あいつ、まさか去年と同じようにピクシーを放つ気じゃないだろうな?」

 

苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。お兄様の呟きには皆同意見らしく、中には青ざめた表情で私を盗み見ている生徒まで存在している。どうやら実地練習という言葉に、皆嫌な記憶を呼び覚まされてしまっている様子だった。私とダフネはルーピン先生がピクシーも御せないような無能ではないと知っているが、先生のヨレヨレの服装しか見ていない皆にはロックハートの同類に見えているのだろう。

 

「よし、それでは行こうか」

 

そんなスリザリン生の様子には気付かず、ルーピン先生は生徒の準備が出来次第教室を後にする。そして皆を引き連れ、職員室の前に立ち止まると、

 

「さあ、お入り」

 

先生はドアを開け、皆を中にさとしたのだった。

あらかじめ机と椅子を端に寄せていたのだろう。職員室の中は酷く殺風景であり、真ん中にポツンと大きな洋箪笥が置いてあるのみだった。

明らかに風景にそぐわない洋箪笥。取ってつけたように置かれたそれはよく見ると、

 

「うわ!」

 

微かに震えていた。

近くにいたグリフィンドール生が驚き飛び上がっている。

 

「怖がることはないよ」

 

洋箪笥が独りでに震えていることに不安がる生徒達に、ルーピン先生が冷静に声をかけた。

 

「ただの『まね妖怪』、ボガートが入っているだけだよ。彼らは暗くて狭い所を好むんだが、こいつは昨日の午後にこの箪笥の中に潜り込んだんだ。君達は運がいいよ。ちなみに、ボガートが何か分かる子はいるかな?」

 

実に素晴らしい滑り出しだ。

ピクシーをいきなり解き放ち、あまつさえ解き放った当人が対処できないというような事態はやはり起こらなそうだ。

私が感心している間に、グレンジャーさんが勢いよく手を上げながら応える。

 

「形態模写妖怪です。私達が一番怖いと思うものに姿を変えます。彼らが本来どんな姿をしているか誰も知りません。でも人の前に姿を現した瞬間、彼らは姿を変えて襲い掛かってきます」

 

「素晴らしい! 私でもそんなに上手くは説明できなかったよ」

 

ルーピン先生はグレンジャーを称賛した後続ける。

 

「彼女の言っていた通りだ。付け足すことがあるとすれば……こいつは僕らの一番怖いものに変身する性質故に、今僕らはこいつより遥かに有利な立場にあることだ。ハリー、どういうことか分かるかい?」

 

汽車の中でも思ったが、先生はポッターのことを予め知っていたのだろう。彼は有名人とはいえ、額の傷以外の容姿はそれ程知られてはいない。そんな彼のことをすぐに判別できたのだから、先生はポッターと何かしらの関係があることが伺い知れた。

柔和な笑みを浮かべる先生に、ポッターは少し戸惑いながら応える。

 

「え~と。僕等の人数が多いから、何に化けたらいいか分からない……ですか?」

 

「その通り! ボガートに対抗するには、まず複数人でいるのが一番有効だ。それだけでこいつは何に変身したらいいか分からなくなる。でもいつも複数人でいられるとは限らないのも事実だ。そんな時の呪文は、『リディクラス、馬鹿馬鹿しい』。精神力も大切なことだが、こいつをやっつけるのは笑いなんだ。この呪文を唱えながら、君達が滑稽だと思えるものを思い浮かべる。そうすればこいつをやっつけることが出来る」

 

この段階で私の期待値は最高潮だった。ここまでの流れだけで、去年までの授業とはレベルが違うことが伺い知れる。いささか初歩的な内容ではあるが、非常にうまく生徒達の興味とやる気を引き出している。先生の小汚い恰好に眉を顰めていたスリザリン生ですら、この瞬間のみは真剣に話に聞き入っている様子だった。

まだ授業が始まって数分だというのに、私は早くも授業に引き込まれていた。

 

やはり私の予想は間違いではなかった。

これなら私は何の不安もなく『闇の魔術に対する防衛術』を受けることが出来る。今回の授業は大成功に終わり、きっとこれからこの授業はホグワーツにおける最大の楽しみになることだろう。

そう、私は無邪気に思い始めていた。

 

 

この数秒後までは。

 

 

期待感ばかりが先行する中で、私は見落としていたのだ。

 

実地練習という言葉の意味を。

少し考えれば、生徒が今からボガートの相手をすることなんてわかり切ったことだった。

私だってそれは何となく感じ取っていた。

 

でも……自分が相手をするということの意味を、この瞬間での私は真に理解していなかった。

 

ボガートは対処法さえ分かっていれば簡単に退治することが出来る。

教科書でしかこの生き物のことを理解していなかった私は、何の感慨もなくそんなことを考えていた。

 

私の一番怖いものは、そんな簡単に割り切れる様なものではないというのに……。

何故なら私が一番恐れるものとは……最も恐れると同時に、最も憧れているものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

とても楽しい授業だと思い始めていた矢先のことだった。

 

「では……まずは君が皆のお手本になろうか」

 

ルーピン先生が突然僕を指名してきたのだ。

僕は驚き飛び上がったけど、先生はただ優しく微笑むだけで、決して違う生徒を指名しなおそうとはしなかった。

優しい笑顔に誘われる様に前に進むも、足は目の前の洋箪笥より震えている。震える僕をグリフィンドール生は心配そうに見つめており、逆にスリザリン生達はあざ笑っている。

 

でも、僕にはそんな視線に構っている余裕などなかった。

僕はボガートが怖いと同時に、これからまた失敗してしまうだろうことが怖くて仕方がなかったのだ。

そしてその失敗のせいで、この時間もまた辛い時間になってしまうかもしれないことが嫌で嫌で仕方がなかった。

 

今まで僕が授業で目立ったことは山ほどあった。勿論ハーマイオニーの様にいい意味で目立ったわけではない。全部悪い意味で目立っただけだった。

 

特にスネイプ先生の『魔法薬学』が顕著だった。

 

僕は『魔法薬学』の授業で数えきれない程の失敗をしてきた。皆がしないような失敗をしてしまい、そんな馬鹿な僕をスネイプ先生が叱る。先生の嫌味が怖くて、僕はさらに慌ててミスをする。そしてまた先生に叱られる。最低な悪循環だ。

自分が悪いということは分かっている。グリフィンドールの皆はスネイプ先生が悪いと言ってくれるけど、僕自身は自分こそが一番悪いのだと分かっていた。

おばあちゃんにもよく、

 

『お前はもっとしっかりしなさい! お前の父や母のように!』

 

とよく言われていた。僕が元々とろくさいことは分かっている。

 

でも、自分が悪いと分かっていても、やっぱり叱られるのは嫌で仕方がなかった。

スネイプ先生に叱られるたび、心がどん底まで暗くなる気持ちだった。自分が周りから劣っているのだと、まざまざと再確認させられるようで辛かったのだ。

 

だからこそ、ここで再び失敗することで先生にあきれ果てられ、この授業も嫌な時間になってしまうのではないかと不安だった。

 

しかし、そんな僕の気持ちをよそに、先生の授業は続く。

優しく語り掛けるように、先生はゆっくりとした口調で尋ねてくる。

 

「君の名前を教えてもらえないかな?」

 

「ネ、ネビル・ロングボトムです」

 

僕の名前を聞くと、先生はさらに表情を明るいものにしながら言った。

 

「そうか! 君がネビルか! よ~し、ネビル。一つずつ行こうか。君の一番怖いものは何だい?」

 

……いきなり答えにくい質問だった。

僕には怖いものがありすぎる。しかもその中で特に怖いものは二つあるわけだけど、どちらも今この場では答えにくいものだった。

一つはスネイプ先生。

もはや僕を見た瞬間から嫌味を言うようになっている先生は、正直僕の中で恐怖の象徴のような人だった。

 

そしてもう一つが……。

僕はチラリとスリザリン生が固まっている場所を盗み見る。

 

そこには僕がスネイプ先生と同じく恐れてやまない、ダリア・マルフォイがいつもの無表情で立っていた。

彼女は僕のことなど眼中にないように、ただただ震える洋箪笥の方を見つめている。

 

僕は彼女のことが怖かった。いや、正確には彼女を見ていると不安な気持ちになるのだ。

彼女と話したことは一度もない。話した回数だけなら、彼女の兄であるドラコ・マルフォイの方が遥かに多いとすら言える。いつも僕に嫌がらせをしてくるのは彼の方なのだから。

でも、どちらが怖いかと聞かれたら、間違いなくダリア・マルフォイの方が怖かった。

彼女はいつ見ても同じような無表情を浮かべ、冷たい双眸で周りを見回している。

 

彼女は……何を考えているのか()()()()()のだ。

それがどうしようもなく不安で……怖かった。

 

彼女は美人ではあると思う。多分学校の中で一番きれいな容姿の子は誰かと聞かれたら、全生徒が彼女の名前を上げることだろう。でも同時に、彼女の無感情な瞳で見つめられる度、何か恐ろしいことをされるのではないかと不安な気持ちにさせられるのだ。一年生の時彼女に助けられたことがあっても、この不安感は変わらない。寧ろスリザリン生に合わない行動をとった彼女のことがより分からなくなったとさえ言える。

それに彼女を恐れているのが僕だけではなかったことも、彼女への不安感を強固にしている要因の一つだった。

ダンブルドアがダリア・マルフォイを『継承者』として疑っている。

その事実を知った時、ホグワーツ生のほとんど全員が納得していた。

だから僕は思ったのだ、

 

彼女の無表情の下には恐ろしいものが隠れている。

そう思うのは僕だけではない。

あのダンブルドアさえそう思っている。

 

なら、僕も彼女を()()()()()()()()

 

そんなことを……。

得体のしれない女の子。皆が恐れる『継承者』。そして『継承者』と露見した中でも、最終的にダンブルドアの追及からさえも逃れてしまう程の闇の魔法使い。

彼女が同年代の女の子だというのに、僕は彼女のことが怖かったのだ。

 

……でも、それを今言うわけにはいかない。

今彼女は後ろにおり、もしここでそんなことを言ってしまえば恐ろしいことが起きる。

だから僕は悩んだ末、

 

「ス、スネイプ先生」

 

ここにはいない、まだ被害が少ないであろう人間の名前を口にしたのだった。

次の授業でまた嫌味を言われてしまうかもしれないけど、ダリア・マルフォイに石にされてしまうよりは遥かにマシだと思ったのだ。実際ダリア・マルフォイより、恐怖感の方で言えばスネイプ先生の方が僅かに上だったこともある。少なくともダリア・マルフォイは授業中に嫌味は言ってこない。

僕の応えにグリフィンドール生が大笑いする中、ルーピン先生が真面目な表情で返す。

 

「スネイプ先生か……。確かに、グリフィンドールの君には少々怖い先生かもしれないね。ところでネビル。君はおばあさんと暮らしているね? それじゃあ想像するんだ。スネイプ先生が君のおばあさんの恰好をしているところを。おばあさんの恰好はいつも見ているだろうから、すぐに想像できるだろう?」

 

真面目な表情なのに、先生はとんでもないことを言い出していた。

これにはスリザリン生も少し笑っている。でもルーピン先生はいたって真剣らしく、

 

「皆も考えておくんだよ。自分の一番怖いものを。そしてその姿をどうやったら可笑しな姿に変えられるかを。ネビルの番が終わったら、すぐに皆にもやってもらうからね」

 

やはり柔らかくも真面目な口調で宣言していた。

先生は皆に後ろに下がるようにさとすと、僕の脇に立ちながら言った。

 

「ネビル、何も心配することはない。ただスネイプ先生が出てきたら、彼が君のおばあさんの恰好をしているのを想像するだけでいいんだ。それじゃ……いくよ! いち、に、さん!」

 

先生が杖を振ると洋箪笥が勢いよく開き、中から……漆黒のローブを纏ったスネイプ先生が出てきたのだった。

 

 

 

 

……僕の悩みなんて所詮この程度のものでしかなかった。

ダリア・マルフォイを怖がっておきながら、どちらかと言えば授業で叱ってくる先生の方が怖いという、そんなちっぽけな人間性。

それがこの時の僕だった。

一年生で夜歩きをしようとするハリー達を止めたのだって、これ以上寮の点数を減らされたくないなんていう小さな考えに過ぎなかった。ダンブルドアに必要以上に称賛されたとしても、結局僕はその程度の悩みしか知らない人間でしかなかったのだ。

 

少なくとも、僕が恐れる当のダリア・マルフォイの悩みに比べれば……僕の悩みは取るに足らないものでしかなかった。

僕の悩みは逃げられるけど、彼女の悩みは決して逃げられないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「リ、リディクラス!」

 

「よ~し! よくやった、ネビル! 君なら出来ると思っていたよ!」

 

部屋中笑い声に溢れており、皆の視線の先には……レースで縁取ったドレスを着たスネイプ先生が途方に暮れた表情で立ち尽くしていた。

随分不安げな表情をしていたが、ロングボトムは何とかボガートを困らせることに成功したのだ。

成功したことに本人が一番驚いている様子のロングボトムに微笑みながら、ルーピン先生が大声で呼んだ。

 

「次は君だ、前へ!」

 

指名された次のグリフィンドールの女生徒が何かを決意した表情で前に進みでる。すると今まで途方に暮れていたドレス姿のスネイプ先生が、今度は血まみれのミイラに変わっていた。足を引きずり、乾燥しきった手で彼女に触れようとしている。その前に、

 

「リディクラス!」

 

包帯が足に絡まり、頭から転がっていた。

再び部屋に笑い声がこだまする。

皆夢中だった。授業が楽しくて仕方がないのだろう。自分の順番はまだかと、どこかソワソワした様子でボガートと対峙する生徒を見つめている。

 

しかし授業が進むにつれ、私は極々当たり前の事実に気づき、段々と心が冷え切っていくような感覚に陥り始めていた。先程まで、この中で一番興奮していたのは私だったというのに……。

 

自分の順番が来る。それは私が今から、自分の一番恐れるものと向き合わないといけないということに他ならない。

私の一番恐れるものは……。

 

私の冷え切っていく思考をよそに、滑稽な場面が続いていく。

巨大なガラガラ蛇、巨大な蜘蛛、緑がかった女姿のバンシー。ごく当たり前の少年少女達が恐れる、ごく当たり前の怖いものが姿を現しては消えていく。

そして、

 

「よし、()()()! 前に出て!」 

 

ボガートの近くにいたポッターの順番を明らかに飛ばしたかと思うと、

 

「次は君だ!」

 

ついに私の番が来てしまったのだった。

先生の声に、教室中の視線が集まる。

私が一体何を恐れているのか、皆興味があるのだろう。心なしか先生の視線も鋭くなっているような気がする。

しかしそんなことを気にする余裕があるわけがなく、ましてや先生が私の名前を呼んだことを気にしている余裕もありはしなかった。

何故なら目の前には、

 

「あぁ……やはり……」

 

私自身が立っていたから。

真っ黒な自分の杖をいじりながら、ぞっとするような笑みを浮かべている私自身。

鏡で見た私自身が、そこには立っていた。

 

「あ、あれって……」

 

「どういうことだ? あいつ、なんで自分自身なんかが怖いんだ?」

 

「で、でも、ボガートの方が……」

 

「あ、あいつがあんな顔していたら……確かにゾッとするな」

 

意味が分からず騒めく周りを無視し、私は私自身を見つめ続ける。

 

私は恐ろしかった。

別に鏡が怖いわけではない。この姿が、私の色々な感情と未来を表していることが怖くて仕方がなかった。

この私は……私が『衝動』に負けてしまった未来そのものなのだ。

マルフォイ家である誇りを忘れ、血の味に酔いしれてしまっている私。殺人という行為を楽しみ、日常という幸福からどうしようもなく隔絶されてしまった『怪物』である私。

この私にはマルフォイ家から貰った愛情などどこにもありはしない。

 

それなのに……この『私』に対して私がどこか()()()()()()()()()ことが、私には怖くて仕方がなかった。

 

この()を滑稽な姿にすることなど出来ない。

だって、この姿は私の一番怖いものであると同時に、私の憧れている姿でもあるのだから。

 

他の生徒の様に自分の恐怖と立ち向かうことが出来ず、私はただ好奇の視線に晒され続ける。先生も思いがけない事態にどう対処していいのか分からないのだろう。他の生徒のような変身なら即座に対処したのだろうが、そもそもこれを何故私が怖がっているのかを理解できないのだ。

 

そんな中唯一動いたのは、

 

「ダリア。お前がそれを怖がる必要はない」

 

「そうだよ。ドラコと私が一緒にいる。なら、ダリアがこうなるなんてことはないよ」

 

この『私』の意味を理解している、お兄様とダフネだった。

私の耳元でそっと呟きながら、ダフネはボガートから私を庇うように立ち、そしてお兄様は私を後ろに引っ張り始める。

私はまた、ダフネやお兄様にいらぬ心配をさせてしまったのだ。

私はボガート如きに対処できなかったことを恥じ、小声で謝罪を口にするが、

 

「す、すみません。わ、私は、」

 

すぐにダフネの言葉に遮られる。

そしてダフネは私の方に微笑を浮かべた後、

 

「大丈夫だよ。ダリアは何も恥じることなんてないよ。それに、ボガートとはいえ、ダリアの姿が貶められるのは見ていて気持ちがいいものではないからね。私が対処する……よ」

 

目の前にいるボガートと向き合い……固まった。

 

生徒全員が驚いたように目を見開きそれを見つめる。ダフネ自身も驚いているのか、それを見た瞬間声が消えていた。

 

 

 

 

洋箪笥前にはもう私の姿はなく……代わりにハーマイオニー・グレンジャーが立っていたのだった。

 



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まね妖怪(後編)

 

 ダフネ視点

 

いつからだろう。一体いつから……私のダリアヘ向ける感情は、こんなにも歪んだものになってしまっていたのだろう。

 

ダリアの前に躍り出た時、私はボガートが昔の自分に変化するものだと思っていた。誇りも信念もない、ただの八つ当たりを根幹とした『純血主義』の信奉者。そんなダリアと出会わなかった『私』こそが、私の最も恐れるものだと考えていた。

 

でも実際に出てきたのは昔の私などではなく……ただの同級生であるはずのハーマイオニー・グレンジャーだった。

 

何故ボガートは彼女の姿なんかに!? 私がグレンジャーの何を怖がっているというの!?

あまりに予想外の姿に私はただ困惑した。何故私がグレンジャーなんかを怖がっていると判断されたのか、私は本当に分からなかったのだ。

しかし、私の疑問はすぐに氷解することになる。

 

何故なら……驚く私に向かって、グレンジャーの姿をしたボガートが囁き始めたから。

                                                                                                          

『グリーングラスさん。もう、()()()には近づかないで』

 

体が硬直したような気がした。

昨日私がグレンジャーに放った言葉をそのままに、彼女はまるで私を嘲笑うような表情で言葉を続ける。

 

「な、何を言って……」

 

『ダリアの友達は()()()。ダリアはずっと前から貴女ではなく、()()惹かれていた。貴女も分かっていたはずよ。いつかこんな日が来るかもしれないって。ダリアが友達になりたかったのは貴女ではなく、私だってことを。ダリアが貴女と仲良くなったのは、貴女がしつこく付きまとったから。そうでなくては、貴女とダリアが友達になることなんてなかった。だからもう……』

 

これ以上こいつの言葉を聞いてはいけない。こいつの言っていることは根拠のない戯言だ。そもそもこいつはボガートであって、本物のグレンジャーでも何でもない。私が話を真剣に必要なんてどこにもありはしない。

 

それなのに……私は全く動くことが出来なくなっていた。

戯言だと分かっているのに、どうしても目を逸らすことが出来ない。周りの生徒、それこそダリアや当のグレンジャーだって後ろでボガートの話を聞いているのに、私は何の反応も示すことが出来なかった。

 

何故なら……私はどうしようもなく、ボガートの発する言葉に恐怖を覚えていたから。

ただの戯言でしかない言葉に、私はどうしようもなく心をかき乱されていたから。

 

そして、否定の言葉すら口に出来ずにいる私に、

 

『貴女は用済みなの。貴女はもう、ダリアにとっての()()でも、()()でもなくなったのよ』

 

グレンジャーは決定的な言葉を発するのだった。

杖を持つ手にすら力が入らなくなり、私は杖を取り落としながらその場にへたり込む。

ボガートは私に確かな恐怖感を与えていることが御満悦なのか、グレンジャーの嘲笑うような表情をさらに嫌らしく歪めている。そして私にさらに恐怖を与えるために近づこうとして、

 

「こっちだ!」

 

今まで洋箪笥の横にいたルーピン先生に遮られたのだった。

ダリアの時と同じくボガートへの対応に苦慮していたけど、流石にもう傍観を決め込んでいる場合ではないと判断したのだろう。

先生は私とボガートの間に割り込むことによって、ボガートを別の物に変化させる。

 

バチン!

 

銀白色をした何か丸いものに。

私を含めた全員が訝気に宙に浮いた球体を見つめる中、先生は面倒くさそうに呪文を唱えた。

 

「リディクラス!」

 

そして球体を風船に変え、洋箪笥の中に押し込んだ後叫ぶ。

 

「よ、よ~し、皆よくやった! ダリアも、君も、本当によくやった! 君達の年でこいつと向き合うのは、それだけでとても勇気がいることだ。そうだね……ボガートと対決した子には、一人につき5点ずつ上げよう」

 

先生としては私やダリアの件を有耶無耶にしてしまいたかったのだろう。しかし、正直教室は微妙な空気に包まれていた。授業始めにあった高揚感は消え、皆どこか怪訝な表情をしてダリアと私を見つめている。先生もそれは感じ取れたのか、困ったように咳払いをしてから再度宣言する。

 

「今日はここまでとしようか。もう一度言うが、皆よくやった! 宿題はボガートに関するレポートを自分なりにまとめて提出すること! 以上、解散!」

 

先生の言葉と同時にチャイムが鳴ったことで、皆一斉に部屋の外に出て行く。

皆各々好き勝手なことを話しており、ボガートを倒した時の自らの勇姿や、ボガートと対決した時自分なら何に変化していたかなどを頻りに話し合っている。でも一番多い話題はやはり、

 

「結局、ダリア・マルフォイはなんで自分を怖がってたんだ? そりゃ、無表情のあいつは怖いし、ボガートが化けた笑顔のあいつなんてもっと怖かったけどさ……普通自分のことを怖がるか?」

 

「次からあいつに襲われそうになったら、鏡を用意しておけばいいってことなのかな?」

 

「ダリア・マルフォイのこともよく分からなかったが、ダフネ・グリーングラスもよく分からなかったな。あいつがハーマイオニーのことを怖がっていたなんて驚きだよ」

 

私とダリアについての話題だった。私達がまだ近くにいるため大きな声では話していないが、それでも耳に入るものは入ってしまう。皆一様に訝しみ、議論を交わし合っていた。

でも……やはり、私とダリアのボガートの意味を正確に理解している人間は一人もいない様子だった。いるはずもない。

理解できるとすれば、

 

「ダフネ……ごめんなさい。わ、私は、貴女の友達でありながら……」

 

「……」

 

無表情を僅かに歪ませているダリア当人と、そんな彼女を必死に抑え込んでいたドラコだけだ。

いや、正確にはドラコだけかもしれない。ダリアにも、私の悩みを正確に理解することは出来ないだろう。

だってダリアは……優しすぎるから。私みたいに、心が汚れた人間ではないから。

 

まだ立てずにいる私に近づくダリアは、その綺麗な瞳を潤ませながら続ける。

 

「私は……貴女の悩みに気が付いてあげられていなかった。私は散々貴女に救われたというのに……。それどころか、貴女が目の前で苦しんでいるというのに、私はボガートを()()()()()()ことも出来なかった。……ダフネ、何も心配する必要なんてないのですよ。私がどんな状態になろうとも、()()貴女を友達でないと思うことはあり得ない。貴女にどう思われようと、決して()()貴女を切り捨てることなんてない。だから……貴女が恐れる必要なんてないのです」

 

ああ、やはり……ダリアは半分しか理解していないのだろう。

そうでなければ、こんなにも無邪気に私と接してくれるはずがない。自分を独占しようとしている人間など、普通なら恐怖でしかないのだから。

 

ダリアはボガートの言葉から、私がダリアに見捨てられることに対する恐れを抱いているのだと理解した。私は勿論、ダリアを失うことも恐れている。それは間違ってはいない。半分は正解だ。ダリアに説明されるまで、彼女が吸血鬼であるということしか知らなかったように。

でも、彼女の理解は()()でしかない。

私が真に恐れていたのは、ダリアを失うことと同時に……ダリアに()()()()()()()()()()()だったのだ。

 

「こんな感情……気づきたくなかった」

 

一体いつから私のダリアヘ向ける感情は、こんなにも歪んだものになってしまっていたのだろう。

 

私がグレンジャーに対して嫉妬していることは、流石に昔から気が付いていた。ダリアと彼女は、おそらく出会ったその瞬間から惹かれ合っていた。お互いの好奇心の強さと才能の高さに、彼女達はすぐに気が付いていたのだろう。確かに、私から見ても彼女達はいい友達になれると思った。彼女が『ポリジュース薬』を作るまでは、嫉妬しながらもそのことを嬉しく思ってさえいた。

 

でも、今は違う。

彼女がダリアを貶める一助を為した時、私は彼女に激しい怒りを覚えた。そして時が経ち、私はダリアと友達になり、その怒りが弱まった時……私の中にはもう、いつの間にか彼女に対する仲間意識などなくなっていた。

あったのは彼女に対する強烈な嫉妬。

 

そして……ダリアに対する強烈な()()()だけだった。

 

私はそんな感情の名を、ボガートに見せつけられるまで気が付きもしなかった。でも、気が付いてしまった今なら分かる。

 

『私はただマルフォイさんや貴女と友達になりた、』

 

『マグル学』の授業前。私に遮られたグレンジャーの叫び声。私はあの時、グレンジャーがダリアの友達になる可能性が未だに存在することにたまらなく恐怖感を覚えたのだ。そしてこの醜い感情のままに怒鳴り散らし、無責任にも罪悪感まで抱いてしまっていたのだ。

 

なんて醜い人間なのだろう。

これでは昔の自分と何も変わらない。純血の代わりに、ダリアを信奉の対象にしているだけ。誰かを排除する理由にしているのが、純血主義か親友であるかの違いでしかない。親友である分尚悪い。

でも、それが分かっているというのに……

 

「……ダリア、私は大丈夫だよ。少し驚いただけ。ダリアがそう言ってくれて、私は心底安心できたよ。私は貴女の言う通り……貴女を失うのが怖い。貴女と折角友達になれたのに、貴女と友達でなくなることが、貴女に捨てられてしまうことが怖い。だからダリア……これからもずっと、私()()の友達でいて」

 

「はい! 勿論です!」

 

私は自分の醜い感情を押し隠し、ダリアを騙すように言葉を吐き続ける。

ダリアが人の少なくなった教室で、私にしがみつくように抱き着いてくる。私がそっと彼女の肩を抱くと、ダリアが僅かに身を離して小さな笑顔を見せてくれた。無表情の上に浮かぶ、私とドラコにしか分からない小さな、でもダリアにとっては大きな笑顔。

そんな彼女の笑顔にどうしようもない罪悪感を覚えながら私は思う。

 

あぁ……私の友達はこんなにも素晴らしい人間なのに、私はなんて醜い心を持っているのだろう。

だって……私は今この瞬間もダリアに対する独占欲を抱いている。ダリアを独り占めしたくて仕方がなくなっている。彼女の時間を、私だけのものにしたがっている。彼女の意志や尊厳に見向きもせず、私は私だけのためにダリアを独占したがっている。

 

その証拠に……私は先程残念に思ってしまったのだ。

 

グレンジャーに変身したボガートに、ダリアが『死の呪文』を放たなかったことに。

 

ボガートに怯えている間、私の横眼にはダリアが私の危機に怒り狂い、その瞳を僅かに赤く染め上げているのが見えていた。ダリアは私が貶められることに、ドラコが傷つけられた時同様に怒りを見せてくれていたのだ。

でも、彼女はボガートに……グレンジャーに呪いを放つことはなかった。『死の呪文』を放とうとしていると考えたのだろうドラコが必死に抑え込んでいたこともあるけど、彼女は決して杖を構えたとしても、呪いをかけることはなかっただろう。

 

ボガートがグレンジャーの姿をしているから。

ダリアはまだ、口では何と言おうともグレンジャーに惹かれてしまっているから。

 

私はその事実がどうしようもなく、嫌なことだと思ってしまっていたのだ。

 

 

 

 

まだ視線があるというのに、私とダリアは互いに互いを離すまいとするように抱き合い続ける。

そんな私達にドラコは複雑な表情を、ルーピン先生は戸惑ったような表情を、そして……唯一部屋に残っていたグリフィンドール生、ハーマイオニー・グレンジャーは、とても悲しそうな表情を浮かべながら静かに見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「あの帽子をかぶったスネイプ! 傑作だったよな!」

 

「僕がバンシーと対決するところ見たか!?」

 

「ミイラと私が対決しているところも見たでしょう!?」

 

談話室は夕食を終えた三年生達で賑やかだった。皆時間が経つにつれて再度興奮を取り戻し、狂ったように自分たちの『闇の魔術に対する防衛術』での武勇伝について話し合っている。対決しなかった生徒も、自分なら何に変身され、そしてどうやって倒したかとまるで実際に行ったかのように勇ましく叫んでいた。

……そして一通り叫び終えた後の話も皆同じものだった。つまり、

 

「それにしても……ダリア・マルフォイとダフネ・グリーングラスはボガートに手も足も出せてなかったな。去年はあれだけ学校を恐怖に陥れておいて、自分はボガートなんかに怯えてるんだからな。しかも怖いのが自分とハーマイオニーって……どういうことだ?」

 

「どちらとも意味不明だよな。まぁ、ダリア・マルフォイ避けに鏡を持とうなんて言っている奴いたが、そんなことしたら石にされるどころですまないことだけは分かるけどな」

 

「ハーマイオニーに化けたボガート、あれは一体なんて言ってたんだ? 友達がどうとか言ってたが……断片的すぎてよく分からなかった」

 

マルフォイさんとグリーングラスさんの話題だった。

教室を出る時もしていたけど、あの時は当人たちもいたため大きな声では出来なかった。それが夕食を終え、一通り自分たちの武勇伝を語ったことで気が多くなっているのだろう。彼女達がここには絶対に入ってこないこともあり、皆()()()な程大きな声で議論を交わし合っていた。

 

どれも的外れすぎて、議論の価値もないものだったけれど。

 

かくいう私の隣にも、彼らと同じ愚か者が一人いる様子だった。

興奮したロンが能天気に、イライラしながら『数占い』の本を読む私に声をかけてきた。

 

「今年の『闇の魔術に対する防衛術』は当たりだな! 今までで一番いい授業だったよな? それに、ダリア・マルフォイとダフネ・グリーングラスがボガートに対処できないなんて! 僕のボガートを見たかい!? あの大きな蜘蛛!足を消して転がしてやったんだ! それなのに、」

 

頭の中で何かが弾ける音がした。

私は気が付いた時には立ち上がり、ほとんど叫び声に近い程の大声を張り上げていた。

 

「ロン! 彼女達がボガートに対処できなかったのは、単に彼女達の怖いものが貴方のちっぽけな対象より複雑だったというだけよ! 実際、マルフォイさんの怖がっているものを、私も含めて誰一人として理解出来ていない! ボガートは貴方でも対処できる程簡単な生き物なのでしょうけど、それに優秀な彼女が対処出来なかったのは何か大きな理由があるからなんだわ! グリーングラスさんの方は少なくともマルフォイさんよりかは分かりやすかったけど……決して単純なものではなかった。彼女は私が怖いわけではないの! 私にされるかもしれない……私が()()()()()()()()()が怖いだけなのよ!」

 

私の大声に静まり返る談話室。叫ばれたロンもまさかここまで劇的な反応をされるとは思っていなかったのか、唖然とした表情でこちらを見上げている。ロンのさらに横で物憂げな表情をしていたハリーも驚いてこちらを見つめている。

私は凍り付いた空気の中、怒りに任せて速足に階段を駆け上り、寝室のドアを勢いよく閉じた。そしてベッドに飛び込むと、枕に顔を埋めて……静かに涙を流すのだった。

 

「どうして……。どうして皆は……私は、彼女達を分かってあげられないの!」

 

ロンに言った通り、私はマルフォイさんのボガートについて何一つ理解出来ていない。マルフォイさんのボガートは私の目から見ても彼女自身にしか見えなかった。いつもの彼女とは違い、目は図書館の時のように真っ赤であったし、口角は見たこともない程残忍に吊り上がっていた。元が美人過ぎる程美人であるが故に、あのボガートの姿は今まで見た何よりも恐ろしいものに見えすらした。でも、それでもあのボガートの姿はやはりマルフォイさんの姿でしかなかった。彼女が自分自身を怖がっていない限り、ボガートがあんなものに変化することはあり得ない。それは私だって理解している。

でも……何故、彼女が自分自身を怖がっているのか皆目見当も出来なかった。彼女があの姿の何を怖がり、あの姿の()()何を見ているのか私には分からなかったのだ。

 

そして……グリーングラスさん。

彼女のことは、私には何となくではあるが理解出来ていた。ボガートの姿、正確にはボガートが変身した私の発言で、私は彼女が何を恐れているのか少しだけ分かったのだ。

 

彼女は……私にマルフォイさんを奪われるかもしれないことを恐れているのだ。

 

マルフォイさんは何度も私を助けてくれた。自惚れでなければ、その理由はマルフォイさんが少しだけでも私に興味を持ってくれているからだろう。あくまで彼女の拒絶の言葉が嘘であればのことだけれど、彼女は私に少なくとも助けてくれるだけの興味は持ってくれている。

でも、それがグリーングラスさんには怖いのだ。彼女には……いいえ、彼女達には、彼女達以外の真の友達がいるようには見えない。マルフォイさんは寮内からすら恐れられ、グリーングラスさんはそんなマルフォイさんを唯一理解するが故に、彼女以外の友達を作ることが出来ない。

兄であるドラコを除けば、彼女達の世界はある意味で二人のみで完結している。完結させられている。

だからこそ、彼女は怖いのだろう。

私という異物が、不用意にマルフォイさんに近づいていることが。マルフォイさんを理解したいと思っている私に、彼女を理解され、奪われることが。

 

酷く歪な感情……なのだろう。もはや友情と言えるのかすら分からない、妄執に近い独占欲。

実際彼女もそう思ったからこそ、ボガートが消えた後も彼女は項垂れていた。そしてマルフォイさんに嘘をついたのだ。彼女は感情を理解して尚、マルフォイさんを独占することを選んだのだ。

 

でも……私にそれを否定する権利があるのだろうか?

 

彼女達が何故二人きりの世界で完結しなくてはならなくなったのか。

それは紛れもなく、私達のせいなのだ。私達が彼女達を追い詰め、陥れ、二人で完結することでしか精神を守れないようにさせてしまった。『継承者』と疑い続けた去年、そして真実をひた隠しにしている今年も、私達はずっと彼女達をせまい世界の中に押し込め続けている。

そんな私には……グリーングラスさんの思いを馬鹿にすることなんて絶対に出来ない。していいはずがない。

 

「ロンには思わず怒鳴ってしまったけど……私にも何も分からない。何も出来ない。去年だって私は結局……」

 

瞳から自然に涙があふれ、顔を埋めた枕が濡れていく。

まだ寝室には誰もおらず、ルームメイトであるラベンダー達はまだ下で話し合っているのだろう。……自身の武勇伝と、マルフォイさんとグリーングラスさんに対しての的外れな議論を。

誰もいない寝室で、私は一人涙を流す。

そんな私を慰めてくれるのは、

 

「にゃー」

 

今年から私のペットになったクルックシャンクスくらいのものだった。

彼は私のベッドに飛び乗ると、まるで私を慰めるようにオレンジ色の尻尾をこすりつけてくる。私は顔を上げ、彼の黄色い目を見つめ返した。

 

「……ありがとう、クルックシャンクス。貴方は本当にお利口さんね。私を慰めてくれるの?」

 

「にゃー」

 

あぁ、この子は私の味方でいてくれる。慰めてくれる。

猫でありながらどこか知性を感じる……それどころか色合いのせいもあり、どこかマルフォイさんの瞳すら連想させる彼の目を見ていると心が落ち着いてくる。

少しだけ落ち着いた気分で、私はクルックシャンクスの頭を撫でながら続けた。

 

「ねぇ、クルックシャンクス。私は……一体どうすればいいのかしら? 私はただ、マルフォイさんやグリーングラスさんと友達になりたいだけなの。それなのに……そんな単純なことが、どうしてこんなにも難しいことなのかしらね」

 

「……にゃー」

 

当然答えはない。

クルックシャンクスはただ一声鳴き、そのどこまでも知性に満ちた瞳で私を見つめ返すだけだった。

 



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閑話 思惑

ルーピン視点

 

「……実に興味深い記憶じゃ。ご苦労じゃった。これでまた少し、ワシはダリアの()()に近づくことが出来た」

 

液体とも気体ともつかない銀色の物質が入った石の水盆、『憂いの篩』から顔を上げたダンブルドアが真剣な声で呟く。

 

ボガートの変身した、残酷な笑みを浮かべ、自身の杖にまるで獲物を探すように触れる姿。

 

初授業で得た、ダンブルドアが警戒している生徒の内面に迫るだろう情報。私がその記憶を渡した後、ダンブルドアの上げた第一声がこれだった。

本来であれば、私はダンブルドアの役に立てたことを喜ぶべきなのだろう。何しろ彼に監視を命じられたとはいえ、この校長室には自らの意思で来たのだ。別に強制されたわけではない。

しかし、ダンブルドアの呟きに応える私の表情は、

 

「……はい」

 

とても複雑なものであるような気がしていた。少なくとも、自らの行いを真に信じ切れている人間の表情ではないだろう。

本当に自分の行ったことが正しいことだったのか、今の私には確信を持つことが出来なかったのだ。

()()で考えれば自分の行動に間違いなど見当たらない。ダンブルドアはいつだって正しかった。彼はその叡智でいつだって私達を導いてくれていた。そのダンブルドアが望むことを私は行っただけ。命じられた観察の任務、その記念すべき初日で得た情報をダンブルドアに伝える。何も間違っていない。間違っているはずがない行動。疑問を挟む余地などどこにもない。

 

それなのに……私は何故、自らの行いがこんなにも間違っているものと、()()の部分で思ってしまっているのだろうか。

 

私はそこまで考え、静かに頭を振りながら思い直す。

 

……いや、自分を誤魔化すのはよくない。本当は自分でも原因は分かっている。私はただ認めたくないのだ。

私が、

 

「リーマス。浮かない顔をしておるが、何か悩み事かのう?」

 

「……ダンブルドア。彼女のボガートは、一体何を表したものなのですか? ここまで来ておきながら、私には分からないのです。彼女が一体何を恐れているのか、貴方にはお分かりなのですか?」

 

当に答えを得ているはずの彼女のことを、理解出来なくなっているという事実を。

それを認めてしまえば、まるでダンブルドアに疑念をもっているように思われてしまうかもしれない。そう思い、私はすぐに自分の疑問をすぐに認められなかっただけなのだ。

 

正直、彼女のようなアンバランスな人間は初めてだった。セブルスも相当不可思議な人間だったが、彼以上に彼女は謎だらけな人物だ。意味不明と言ってもいい。それだけ彼女は矛盾だらけの存在だった。

『不死鳥の騎士団』に所属して来た関係上、私は色々な魔法使いを見てきた。光の魔法使いも、その逆の闇の魔法使い達も。

騎士団に所属していた光の魔法使い達は、ジェームズを筆頭に皆正義感に溢れ、日々広がり続ける闇に対して勇敢に戦っていた。その逆に『死喰い人』のような闇の魔法使い達は皆血に飢え、暗い瞳で世界を呪い続けていた。勿論全ての人間がこの二つの分類に当てはまるわけではない。騎士団にも死喰い人にも属さなかった人々なんて大勢いる。全ての人間を善と悪という分類では考えられないことなど当たり前のことだ。

しかし……ダリア・マルフォイのように両極端の面を完全に両立している人間を、私は見たことがなかった。

まるで『あの人』を思わせる冷たい空気を垂れ流す姿。そして彼女の前で変身したボガートの姿。あれらこそ闇の魔法使いの典型的な姿だったように思える。まさに『継承者』が生徒を石にしていくのを、陰で手助けするにふさわしい人物の姿。もしあれがいつもの彼女の姿であったのなら、私は何の迷いもなくダンブルドアの命令を実行し続けていた。ダンブルドアの言う、学生でありながら明らかに警戒すべき人物。私はそう信じて疑わなかったことだろう。

 

だが実際には……ボガートの姿はボガートのものでしかなく、その意味するところはダリアがあの姿を恐れているということだった。

 

それに兄の無事を知り、普段の姿に戻った彼女は……静かな大広間での姿からは想像もできない程穏やかで、家族思いの人間だったように思えた。ダンブルドアの前情報からは真逆の人物像。ミス・グレンジャーの姿に打ちひしがれる友人に寄り添う姿からも、彼女が人に優しく出来る性質を持ち合わせていることが窺い知れた。清々しくも、どこかほろ苦い青春を謳歌する少女でしかない。

 

だからこそ分からなかった。

どちらの彼女が、本来のダリア・マルフォイという人物を表しているものなのだろうか。

彼女は一体、あの姿の何を恐れているのだろうか。

あの姿は彼女の過去なのか、未来なのか、あるいは現在なのか。

私には何一つ、彼女について理解することが出来なかった。

 

自身でいくら考えても答えはない。

答えを与えてくれるとしたら、この人より他にいない。

私は混乱しつつある思考に終止符を打つため、目の前にいる今世紀最も偉大な魔法使いに疑問を投げつける。『不死鳥の騎士団』の全員が、かつてそうしていたように。

答えを得るために。自分を納得させるために。……ダンブルドアを信じ続けるために。

しかし今回のダンブルドアの答えは、

 

「……それが分からぬのじゃ」

 

私の求めるものではなかった。

 

「ワシには、彼女の恐れるものがこの姿であるという事実しか分からぬ。これが真に意味することが何なのか。それは今のワシには分からぬ。じゃが、これだけは分かる。彼女にはやはり何かがある」

 

ダンブルドアは重苦しい口調で続ける。

悩むように、考えるように……そして、どこか後悔するように。

彼が見つめる『憂いの篩』に一瞬、血のような紅い双眸が見えた気がした。

 

「よいか、リーマス。恐れるということは、その存在自体を彼女は知っているということなのじゃ。無理解は恐怖に繋がるが、そもそも存在を知らぬものを恐れることは出来ぬ。それが現実或いは妄想であれ、見て、聞いて、体験して、実感して……そうして初めて人はその存在を知り、恐れるようになるものなのじゃ。無論例外はある。経験せずとも、想像だけでそれを恐れるようになる場合もある。ワシが昔教えておったとある生徒も、おそらくその手の人間だったのじゃろぅ。死を誰よりも理解せぬ人間でありながら、奴は誰よりも死を恐れておった。理解出来ぬからこそ恐れる。じゃが存在自体は恐れながらも知っておるはず。ワシにはダリアがどのような経験をしたのかは分からぬ。じゃが、彼女が少なくともこの恐るべき姿を何かしらの形で実感したのは間違いないと、ワシは思うておる。今ワシが答えられるのはこれくらいじゃ……。お主の疑問に答えるには、まだまだ情報が足りぬ……。残念じゃがのぅ」

 

そう言った切り、ダンブルドアはいつになく真剣な表情で押し黙ってしまう。

その姿はいつも信じて疑わなかった『今世紀で最も偉大な魔法使い』ではなく、ただの一人の悩める老人のように、私には見えて仕方がなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

皆が寝静まった寝室。皆の寝息が部屋に響く中、いつもであれば私の隣のベッドから聞こえてくる寝息が今、私のすぐ隣から聞こえている。

目を向ければ、私の隣には金色の綺麗な髪を波打たせたダフネが静かに眠りについていた。

 

『闇の魔術に対する防衛術』の後。夕食を取り終えたダフネが真っ先に口にしたのは、

 

「ダリア……お願い。今日、一緒のベッドに寝させて。いい……かな?」

 

そんな言葉だった。可愛らしい瞳を僅かに潤ませながら、彼女は縋りつくような口調で尋ねてくる。

無論私の応えは、

 

「勿論です!」

 

肯定のものでしかなかった。

思えば私の方からダフネに甘えても、ダフネの方から私に甘えてきたことなど一度もなかった。私は不謹慎にも彼女の言葉を無性に嬉しく思いながら応えた。

すると今までの思い悩んでいた表情から一転、ダフネは喜び勇んで私に抱き着いてきて……今に至るというわけだ。

パーキンソン達の訝しむ視線を受けながらも、抱き合うように眠りについた私達。

そして夜中に目覚めた私はダフネを起こさないように、そっと手触りのいい金髪を撫でながら呟く。

 

「ダフネ……。怪物である私に出来た……初めての友達。こんな私でも認めてくれた、私には勿体ない親友」

 

彼女の寝顔を見つめ、すぐ傍で彼女の肌の温もりを感じていれば、自然と彼女への親愛の気持ちが溢れ出してくる。

 

「いつまでも……。どんなことがあろうとも、たとえ貴女に見捨てられようとも、

私は貴女のことが好きですよ」

 

私が怪物であるという現実は、どんなに否定したところで変わることはない。どんなに言い繕おうとも、私は化け物の魂を持った、人間の形をした『何か』だ。

でも、そんな私を知っても尚、ダフネやお兄様は私のことを愛してくれた。私が人間であると、私が日常の中にいてもいいのだという夢を見させてくれている。怪物である私に、それでも隣にいていいのだと言ってくれた。

そんな親友のことを、私が嫌いになることなんてあり得ない。たとえ私が怪物になり果て、ダフネに見捨てられ嫌われようとも、私がダフネを嫌いになることなどない。

たとえダフネが、

 

「馬鹿ですね、貴女は。貴女が私にどんな感情を持っていようとも、私が貴女のことが嫌いになるわけない」

 

私に()()()と思われるような感情を抱いていようとも。

彼女は私に新しい友達が出来ることを望んでいない。常に自分だけの友達であることを願い、私の隣にいる人間が、お兄様を除けば自分だけで在ってほしいと思っている。

 

『貴女はもう、ダリアにとっての唯一でも、一番でもなくなったのよ』

 

私はあの時咄嗟に隠してしまったが、そんなこと、グレンジャーに変身したボガートの発言を聞いていれば簡単に気が付く。ダフネは私をどこか絶対視しているため気が付いていないようだが、私は彼女の想像とは違い心まで汚れているのだ。彼女の持っている感情は、少なからず私も持っているため簡単に気が付くことが出来た。

 

大好きな人が、自分のことも愛してくれるようなってほしい。大好きな人に、出来るだけ長く自分のことを見つめてもらいたい。他人なんかではなく、自分だけのことを見つめて欲しい。あの人の視線、思いを独占してしまいたい。

 

確かに傲慢で、根本的には相手のことを考えてはいない感情なのかもしれない。ダフネもそう思ったからこそ、私の前でその感情を隠したのだろう。

でも、私はその感情を自分勝手なものだと思いながらも……汚いとまでは思わなかった。たとえどんなに汚い感情を持っていようとも私がダフネを嫌いになることなどないが、独占欲くらい私には何の問題にもならない。私だって少なからずダフネやお兄様を独占していたいという気持ちがあるのだから。

それに、

 

「それに、貴女の心配は杞憂です。私を怪物だと知って受け入れてくれるのは、世界広しと言えども貴女くらいのものです。私はどう頑張っても、貴女以外の友達を作ることは出来ない」

 

そもそもダフネが独占欲を持っていようと持っていまいと、私に彼女以外の友達が出来ることなどないのだ。怪物を受け入れてくれそうな人間など、この世にほとんど存在しない。起こりえないことを心配するダフネの気持ちはまさに取り越し苦労だと言える。

私は何度もダフネの頭を撫でながら、親愛の言葉を繰り返す。そしてその言葉を、

 

「だから貴女は汚くなんてない。貴女はこんなにも綺麗な子なんです。貴女はこんなにも綺麗で、心優しい子です。貴女はもっと自分に自信を持つべきです。貴女は私なんかより、」

 

「ダリア……。どこ? どこにいるの? どこにも行かないで……。私を一人にしないで。一人にならないで……。私の傍にずっといて……」

 

ダフネの寝言が遮ったのだった。

私の温もりが腕の中から消えたことに、夢から覚めないまでも気が付いたのだろう。どこか苦しそうな寝顔になったダフネが、私を求めるように腕を伸ばし始める。

私はそれを嬉しく思うと同時に、少しだけ悲しく思いながら、求められるままに彼女の腕の中に収まった。私を再び抱きかかえることで、ダフネの寝顔は安心しきったものに戻っていく。

私は彼女の寝顔を見つめながら小さな声でこぼす。

ダフネに、あるいは自分自身に言い聞かすように。慰めるように。そして……懺悔するように。

 

「どこにも行きませんよ。私はここにいますよ。貴女は汚くなんてない。貴女は綺麗です。貴女から離れることなどあり得ない。だって本当に汚いものがいるとすれば……」

 

私はダフネのおでこに額を擦りつけながら心の中で呟いた。

 

『だって本当に汚いものがいるとすれば、それは貴女ではなく、貴女が大切に思ってくれている私自身なのだから』

 

私は汚い。ダフネに今言っている言葉だって、今彼女が寝ているからこそ言える言葉なのだ。

 

あの授業終わり、私は……咄嗟に隠したのだ。ダフネの感情に()()()()()()()()()()()()()

 

それは勿論、私達の後ろにグレンジャーさんやルーピン先生がいたからということもある。赤の他人の前で、ダフネの恥ずかしいと思っていることを話すつもりなど毛頭ない。ダフネの私に向ける感情が、他人に下らない論理で評価されることなどあっていいはずがない。

 

だがダフネに自分の思いを隠した一番の理由は、ダフネのためではなく……自分自身のためだったのだ。

本当に自分勝手なのは私の方だ。

私は……グレンジャーさんの前でダフネの気持ちを話すことだけではなく、私の気持ちを話すことも躊躇ったのだ。ダフネの独占欲を肯定する言葉。彼女の気持ちを人前で話し、私の返事をグレンジャーさんの前で話すことにためらいを覚えたのだ。いや、グレンジャーさんの前だけではない。私は何故か……自分の口からダフネに独占されることを、他の誰かと親交を持つことを諦めることを口にすることがどうしても出来なかったのだ。

 

言おうとしても、何故か脳裏にいつも……()()()()()()が浮かんでいた。

 

……馬鹿馬鹿しいことだとは分かっている。こんなこと、親友であるダフネを裏切る行為以外の何物でもない。ダフネの心が傷ついていることを知っておきながら、私は優柔不断な言動を取り続けている。本当に酷い怪物だ。これでは親友失格だ。

それに私が()()をどんなに気に入っていようとも、私は彼女に友情を持つ資格を去年の時点で永遠に失っている。今更気になったところで全てが遅いのだ。

私は心の中で懺悔を繰り返し、再度自分に言い聞かせるように呟く。

 

「……ごめんなさい、ダフネ。私の弱さが、貴女を傷つけてしまった。でも……安心して。必ず断ち切ってみせるから。私は必ず、貴女を()()で安心させて見せるから。だから……おやすみなさい、ダフネ」

 

返事はない。代わりに返されたダフネの寝顔は、相変わらず穏やかなものであるようにも……どこか泣いているようにも見えた。

 

 

 

 

皆が寝静まる寝室。

そこには……役者は入れ替わっているものの、二日前の夜と同じ光景が繰り広げられていたのだった。

 

私とダフネは……どこまでも似た者同士だった。

初めての人間関係に戸惑う、そんなまだまだ子供のままの……。

 




次回『脱狼薬』予定


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脱狼薬

ダリア視点

 

最初の授業のことをお世辞にもいい思い出だとは言えないが、二回目以降の『闇の魔術に対する防衛術』は期待通りのものだった。

先生はどの授業にも新しい魔法生物を連れてきては、生徒自身に対処させている。そのためほとんどの生徒にとって、もはや『闇の魔術に対する防衛術』は最も刺激的で楽しい授業になっており、最初は先生のことを馬鹿にしていたスリザリン生ですら、今では先生の授業を楽しみにしている節があった。お兄様もその例外ではなく、

 

「あのローブのざまを見ろよ。僕の家の『屋敷しもべ妖精』の格好じゃないか」

 

と、口では馬鹿にしたことを仰っているが、その実授業はそれなりに楽しんでおられるようだった。先生のことを頑なに悪く言うのも、おそらく最初の授業でのことをまだ許しきれていないことが原因だろう。先生のことを悪く言っても、授業自体の悪口を言うことはほとんどない。

 

本当に……『吸魂鬼』や、()()()()()()()()『守護霊の呪文』など、多少の問題は存在するが、少なくとも去年に比べれば遥かに素晴らしい年だ。

最も興味を持っていた科目がようやく真面なものになり、新しい2科目も……グレンジャーさんと()()()()()()()ということを除けば、概ね順調な滑り出しだ。その唯一の問題点であるグレンジャーさんも、流石に授業内で話しかけてくるということはない。授業が終わり次第、私がすぐに教室を出てしまえば済む話だ。

それに、私の楽しみは何も新2科目だけではない。

授業終わりにダフネとお兄様とで開く勉強会。これも私の学校生活を潤す時間の一つだった。

私が『数占い』と『ルーン文字』、そして『魔法生物飼育学』を教え、ダフネから『マグル学』について学ぶ。本来であれば『魔法生物飼育学』についても教えてもらう予定であったのだが……初回授業以来、森番が扱うのは『レタス食い虫』だけとのことなので、何故か私が教えることになっていた。しかし、それで別に楽しみが減るわけではない。要するにダフネやお兄様と一緒にいることが重要なのであって、そこで何をしているかは特に問題ではなかったのだ。

 

極々ありふれた日常を満喫している間にも、時間は緩やかに過ぎ去ってゆく。

10月にもなると段々と空気が冷たいものになっており、皆の服は気温に反比例して厚いものになってきている。そしてクィディッチチーム以外の生徒は、多くの時間を暖かな談話室で過ごすようになっていた。

 

そんなある日のこと。

夕食を摂り終えた私とダフネが談話室に戻ってみると、部屋がいつも以上に騒めいている。大勢の生徒が掲示板に集まっており、どうやら新しく出された『お知らせ』が原因らしかった。

 

「何かあったのかな?」

 

「さぁ、何ですかね。少なくともクィディッチ関係ではないでしょうね。お兄様達はこんな時期から練習に明け暮れていますが、試合自体はもう少し先みたいですし……」

 

ダフネの疑問に肩をすくめながら、私は生徒が群がる掲示板に近づく。

 

「マ、マルフォイ様……。ど、どうぞご覧になってください」

 

そしていつもの()()()()()()()()道の先で見たのが、

 

「あぁ、そういえばこんなイベントもありましたね。一回目のホグズミード行きの知らせですか。しかもハロウィーンの日のようですね」

 

三年生から許されることになる、ホグワーツ近くの村、『ホグズミード』への外出許可だった。

ホグズミード。ホグワーツから徒歩でも行けるこの村には、ある最大の特徴がある。それはこの村がイギリスで唯一の魔法族のみで構成される村であることだ。そのため村に立ち並ぶ商品は全て魔法族用のものであり、それぞれのお店が思い思いの奇妙奇天烈なものを売り出している。私としては、絵画をも思わせる美しい街並みが楽しみなところではあるが、大勢の生徒にとっての楽しみはやはり売り物の方だろう。恐怖から私に場所を空けたとしても、湧き上がる興奮を抑えきれないみたいだった。小さい声ではあるが、それぞれが自分の行きたい場所の名前を上げ合っている様子が散見された。そしてホグズミード行きに興奮しているのはダフネも同じらしく、

 

「ダリア、やったね! ホグズミード、一緒に回ろうね!」

 

とても嬉しそうな笑顔で話しかけてきたのだった。

正直街並みさえ見られれば他のことはどうでもよく、寧ろダフネやお兄様と一緒に回れるのであればホグワーツ内で事足りる。その程度の物が、私の正直なホグズミード行きへの期待感だった。しかしダフネにこんな表情で言われてしまえば、私も何だかとても楽しみに思えてきてしまうのだから不思議だ。

私はダフネにつられる様に僅かな笑みを浮かべながら応えた。

 

「ええ、勿論です。練習から帰ってきたらお兄様にもお伝えしましょう」

 

暖炉で暖められた談話室が、幸福感でさらに暖かくなっていくようだ。どうでもよかったホグズミード行きがすっかり楽しみなものに変わっている。私はダフネと笑いあいながら、10月末に予定されているホグズミードに思いをはせるのであった。

 

 

 

 

しかし……ハロウィーン当日。結局、私とダフネがホグズミードに行くことはなかった。

 

当日の天気は……文字通り私の肌を焼くほどの快晴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ハロウィーンの朝。今日の天気はまさに外出日和の快晴。皆とても明るい表情で笑いあい、これからの予定を楽しそうに話し合っている。皆今日のホグズミード行きが楽しみで仕方がないのだろう。

 

しかし僕だけは、そんな明るい空気とは無縁だった。

皆と一緒に起き、皆と一緒に朝食を摂る。なるべく普段通りに取り繕ってはいたけど、内心は腸が煮えくり返りそうな思いだった。

 

結局僕は……ホグズミード行きの許可を貰えなかったのだ。

 

シリウス・ブラックが僕を狙っていると言われている以上、先生達が僕を外に出したがらないだろうとは分かっていた。バーノンおじさんから許可証も貰えていないし、先生達もそれ幸いと僕を城の中に閉じ込める。そんなこと言われなくても分かっていた。

でも、ホグズミードは魔法使いだけで構成された村。『三本の箒』や『いたずら専門店』、そして色々なお菓子が売っているという『ハニーデュークス』。皆から聞いた様々な場所に、僕はどうしても行ってみたかった。だから可能性は僅かだと知りながらも、僕はマクゴナガル先生に許可を貰えないか頼んでみたのだ。しかし答えは当然、

 

『だめです、ポッター。許可証がなければホグズミードは行けません。そしてサインを与えられるのは両親、または保護者だけです。残念ですが諦めなさい』

 

にべもないものでしかなかった。

残された手段は『透明マント』くらいのものだけど、『吸魂鬼』には効かないとダンブルドアが言っていた以上マントも使えない。まさに万事休すだった。

 

皆の笑顔に心がささくれ立つ。周りが明るければ明るいだけ、僕の心は暗くなっていくようだった。でも皆の楽しみに水を差すわけにはいかないと、必死に平気を装っているわけだけど……ロンとハーマイオニーの目は誤魔化せなかった。心底気の毒そうな顔をした二人が僕に慰めの言葉をかけてくる。

 

「だ、大丈夫さ、ハリー。夜には御馳走があるさ。そ、それに沢山お土産買ってくるから」

 

「そ、そうよ。ハニーデュークスからお菓子を沢山ね。だからそんなに気を落とさないで……」

 

最近何かとクルックシャンクスとスキャバーズのことで衝突していた二人だったけど、流石に今は喧嘩している場合ではないと考えたのだろう。クルックシャンクス論争を一時水に流し、二人仲良く僕を元気づけようとしてくれているのが分かった。

……本当にいい友達達だ。親友がここまで心配してくれている。なら僕のすべきことは、ここで少しでも彼らの楽しみを後押ししてあげることだ。これ以上彼らに迷惑をかけたくなんてない。そう思い、持てる理性を総動員し、より一層平気な顔を意識しながら応えた。

上手く表情を作れている自信は少しもなかったけど。

 

「ありがとう。でも、僕のことは気にしないで。僕は平気だから。パーティーで会おう」

 

そして尚も後ろ髪を引かれる様子の二人を玄関ホールまで見送り、内心の鬱屈した思いを押し隠しながら一人廊下を歩く。

 

惨めだった。

あんなに明るい声を聞きたくないと思っていたのに、一人になったらなったで、より惨めな気持ちが増してくる。まるでホグワーツ城にただ一人だけ取り残されたような気分だ。実際には下級生が城には残っているわけだけど、知り合いと言えばコリンとジニーくらいのものだ。同学年はほぼ全員、初めてのホグズミードに行ったに違いない。

いたとしても、

 

「ダフネ……。気持ちはありがたいのですが、本当にホグズミードに行かなくても、」

 

「もう! 私のことは気にしなくていいから! 何度も言ったでしょう!? 私はホグズミードに行きたかったんじゃなくて、貴女と一緒にいたかっただけなの! ハニーデュークスのお菓子ならドラコが買ってきてくれるはずだしね! ほら、談話室に行こうよ!」

 

僕の敵しかいないだろう。

声をした方に目を向けると、ちょうど向こうの曲がり角からダリア・マルフォイとグリーングラスが現れたところだった。

僕は咄嗟に柱の陰に隠れる。あいつらが何故城に残っているのかは分からないけど、僕も残っていることを知れば必ず揶揄ってくると思ったのだ。幸い二人は僕の存在に気付かなかったようで、おしゃべりをしながら僕の横を通り過ぎていく。

そして完全に声が聞こえなくなったタイミングで隠れるのを止め、僕はそっと小さなため息をついた。

何だか朝から酷く疲れた。何故ホグズミード行きの許可を貰えなかったというだけで、僕はこんなに惨めな思いをした上に、こんな風にコソコソとしなければならないのだろう。本当に理不尽なことばかりだ。

僕はもう一度ため息を吐くと、ノロノロとした足取りで廊下を歩き始める。目的地があるわけではない。何となく談話室の方に向かって足を進めているけど、動いていないと更に鬱屈とした気分になりそうだから歩き続けているだけだ。別に談話室に行きたいとは思っていない。

 

これから何をしよう。ハロウィーンパーティーまで時間が山ほどある。宿題はまだ残っているけど、今は勉強をするような気分ではない。どうやって僕は時間とこのどうしようもない虚しさを潰せばいいのだろうか……。

 

そんなことを取り留めもなく考えながら、僕は歩いていたわけだけど……その杞憂はすぐに終わることとなる。

廊下をいくつか歩いている時、とある部屋から声がかかったから。

 

「ハリー? こんな所でどうしたんだい? ロンやハーマイオニーは一緒じゃないのかい?」

 

落ち着いた大人の声。

声の主は、今生徒の中で一番人気の授業『闇の魔術に対する防衛術』の先生、リーマス・ルーピン先生だった。

自分の部屋のドアの向こうから覗いている先生は、声同様の優しい目つきをしながら僕に話しかけてきた。

 

「ちょっと中に入らないかい? あまり上手くはないけど、紅茶を入れてあげよう。君は運がいいよ。ちょうど次のクラス用のグリンデローが届いたところだからね。君が一番乗りだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「ダリア、どうかしたの? 後ろなんか振り返って。何かあった?」

 

「……いえ、何でもありません。行きましょう」

 

誰かが隠れていただろう廊下から視線を戻しながら、私はダフネを連れ立って歩き始めた。誰もいない廊下。窓が少ない廊下に、私とダフネの足音だけがこだましている。まるで自分達二人のみが城に取り残されたみたいだった。

……そういえば、去年もこんな光景を毎日のように見ていたような気がする。バジリスクを探すための散策。『怪物』を……私と同類なものを求めて歩く廊下はとても静かで、私には落ち着くほど暗くて……どうしようもなく孤独な光景だった。この光景は去年の私にも酷く悲しい光景でしかなったが、同時に極々見慣れたものでもあった。

 

でも、今は違う。この去年見慣れてしまった光景が、今はとても愛おしく思える。

去年と違い、私はもう孤独ではないから。私の隣には大切な親友がいるから。

口ではダフネに申し訳ないと言いながら、私は内心嬉しく思っていたのだ。

 

外に出られない私のために、ダフネが城に残ってくれたことが。

 

今日の天気は雲一つない快晴。私の秘密を守るためには外出は控えた方がいい日だ。勿論ダイアゴン横丁に行くときの様に日光対策を万全にしていれば、私の秘密が露見する可能性は限りなく低くなることだろう。しかし、私が今回行くのはホグズミード。ダイアゴン横丁ではない。ダイアゴン横丁とは違い、そこまで広くはない村だ。道は横丁の物より狭く、客は全員どういう行動をとるか分からない子供ばかり。ダイアゴン横丁に行くのとは危険度が違いすぎる。

 

『こんな天気の時に、お前をホグズミードには連れていけない。母上もここにいたら絶対に反対する。だからお前は城で待っていろ。僕もお土産のお菓子を買ったらすぐに帰るからな』

 

そのためお兄様の猛反対もあり、敢え無く私の留守番が決まったのだった。

せっかくのお兄様やダフネとの時間。それがふいになったことが悲しくて仕方がなかった。

しかし、ホグズミードに向かうお兄様の言葉は終わりではなかった。

 

『じゃあ、行って来るが……すぐに戻ってくる。ダフネ、少しの間ダリアを頼んだぞ。どうせお前は残るんだろう? もしお前が行くなら僕が残るが、』

 

『当然だよ。私はダリアと一緒にのんびりしてるよ。お菓子をよろしくね、ドラコ』

 

言葉にしなくとも、まるでお互いの行動など分かり切っていると言わんばかりの会話。ダフネとお兄様は頷き合いながら別れ……結果、私が何か言う前に、お兄様はホグズミードに買い出しに、そしてダフネは私と共に城に残ることになっていた。

 

嬉しかった。

まるで私と一緒にいる時間が、ホグズミード行きより楽しい時間だと言わんばかりの態度が嬉しくて仕方がなかった。

一年生の頃、同じように外に出られない私を気遣ってダフネとお兄様が城に残っていたことがあったが、あの時の私はそれを素直に受け取ることが出来なかった。でも、今なら素直に喜ぶことが出来る。

 

私はダフネの友達になれたのだから。

こんな怪物でも、ダフネは優しく受け入れてくれたのだから。

 

私は内心の嬉しさをひた隠しながら、隣を歩くダフネに尋ねる。丁度地下に下り、『魔法薬学』の教室を通り過ぎる前のことだった。

 

「さて……談話室に戻るのはいいのですが、帰って何をしましょう」

 

「そうだね。宿題は粗方終わってるしね。まぁ、取り合えず帰って紅茶でも飲もうよ。何をするかはそれから考えよう?」

 

私とダフネはどちらかと言うでもなく、自然な形で手を握り合いながら廊下を歩き続ける。

掌の中の温もりが愛おしい。これさえあれば、こんな何の変哲もない廊下でさえ、ホグズミードなどより素晴らしい観光地にさえ思える。

幸福だ。こういう瞬間のことを、人は幸せと言うのだろう。有り触れた瞬間であるからこそ、私にはどうしようもなく愛おしく思えた。

 

 

……次の瞬間、この幸福感に水が差されると知らないまま。

私とダフネは手をつなぎ合い、何とはなしに微笑みながら歩みを進めようとした瞬間、

 

「……ほう。では、ミス・マルフォイ。そしてミス・グリーングラス。君達は今、何もすることがないほど暇……というわけだな。あぁ、実に。実にタイミングがいい」

 

第三者の声によって、私の幸福な時間は終わりを告げることになった。

薄暗い地下の廊下。その中にある一室から、スネイプ先生が顔をのぞかせている。先生の声音はとても機嫌が良さそうで……しかし目だけは一切笑っていなかった。

 

「何、数分で終わる。ただ調合の仕上げと……出来上がった薬をルーピンの元に送り届けてもらいたいだけだ。やり遂げれば一人10点与えよう。ではミス・マルフォイ、部屋に入りたまえ。ミス・グリーングラスは見学しておくように。最後の仕上げだけとはいえ、この薬は大変調合にセンスが必要だ。後でミス・マルフォイに、何の薬かを聞くといい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「グリンデロー。つまり『水魔』だ。こいつはあまり難しくないはずだよ。何しろこの前河童を学んだ後だからね。コツはこの長くて細い指をどう解くかなんだ」

 

部屋の隅にある大きな水槽。その中にいる気味の悪い生き物の説明を受けながら、僕はさとされるまま席に着いた。そんな僕に微笑んでから、

 

「それで、こんな所に一人でどうしたんだい?」

 

熱いお湯がマグカップに注がれる音と共に、先生が穏やかな口調で先程と同じことを尋ねてくる。

先生の何気ない質問に、僕もなるべく何気なくという風を装いながら応えた。

 

「談話室に戻ろうと思っていたんです。皆はホグズミードに行っています」

 

「あぁ、成程……。そういうことか……」

 

でも、ハーマイオニーやロンに気が付かれたように、先生にも僕の内心はお見通しのようだった。どこか僕に向けられる視線に同情の色が浮かんでいる。

先生も知っているのだろう。僕がシリウス・ブラックに狙われており、そのためホグズミード行きを許可されてはいないことを。

先生は縁の欠けたマグカップを僕に渡しながら、気を取り直したように別の話題を振ってきた。

 

「おあがりなさい。すまないが、ティーバッグのものだ。君は今、お茶の葉にはうんざりなんじゃないかと思ってね」

 

話題転換自体はありがたかったけど、こちらもこちらで憂鬱になる話だった。

先生の言う通り、僕は今お茶の葉など見たくなかったのだ。

 

毎回の『占い学』授業でされる予言を思い出すから。

 

『お可哀そうに……。何度やっても、貴方の茶葉は『死神犬』を示していますわ。あぁ……本当にお可哀そうに……』

 

もはや授業恒例となった僕への死の予言。トレローニー先生の、口調とは裏腹にどこか嬉々とした様子で紡がれる言葉は、いつも僕を憂鬱な気分にさせる。

 

なんで僕ばっかりこんな目に遭わないといけないんだ!

 

ルーピン先生の言葉によって嫌なことを思い出し、僕は感情を押し隠せきれなくなる。

今の僕は、こんな小さな言葉で苛立つほど余裕をなくしていたのだ。ハーマイオニーとロンにも隠していたものが溢れ出す。

死の予言に、実際に見た『死神犬』。そしてシリウス・ブラックに、『吸魂鬼』に、ホグズミードへの外出禁止。考えれば考える程、本当に理不尽なことばかり。

気が付けば、僕は思わず頑なな態度を取ってしまっていた。

 

「なんでそんなことを思うんですか?」

 

我ながらぶっきらぼうな声音だったと思う。しかし、先生はそんな僕の態度を気にすることなく応えた。

 

「マクゴナガル先生が教えてくださったんだ。君が毎回のように当りもしない予言をされているってね。マクゴナガル先生は、中々『占い学』に対して辛辣な意見をお持ちのようだね。君も気にしたりはしていないだろうね?」

 

先生の返答に特段可笑しなところはない。それでも今の僕には火に油を注ぐ様な回答に思えた。

気にしていない……わけがない。『死神犬』を見ていなかったら多少はマシだったかもしれないけど、自分の死の予言をされて気にしないはずがない。

でも僕の応えは、

 

「……はい、勿論です」

 

本心からのものではなかった。

先生にこれ以上臆病者と思われたくなかったのだ。特に先生は『まね妖怪』の授業の時、僕とボガートとの対決を避けた節がある。いくら『吸魂鬼』のせいで唯一気絶している所を見られたとはいえ、先生にこれ以上臆病者扱いされるのは嫌だった。

僕は先生の言葉を否定した勢いで、さらに強い言葉を先生にぶつける。

 

「先生。僕は先生が思っている程臆病者ではないです」

 

僕の突然の喧嘩腰に、先生は初めて眉を上げながら応えた。

 

「……何か誤解しているようだね。僕は君のことを臆病者だと思ったことはないよ。君が今までやってきたことは、色々な先生から聞いたよ。全てが全て、十代の少年に出来る様なことじゃなかった。君は間違いなく勇敢な人間だよ。どうして僕が君のことを臆病だと思っていると誤解したんだい?」

 

「……ボガートです」

 

僕はやはり勢いのまま言い放った。

 

「先生は『まね妖怪』での授業で、明らかに僕に戦わせようとしていなかった。ボガートは僕の近くにいたのに、僕ではなくダリア・マルフォイに相手をさせた。何故、僕に戦わせてくださらなかったんですか?」

 

ずっと気になっていた。

『闇の魔術に対する防衛術』の記念すべき初授業。あの時、先生はボガートの相手として僕を明らかに避けた。結果的にダリア・マルフォイとダフネ・グリーングラスのせいで誰も気にしなかったけど、避けられた僕はちゃんと覚えている。『まね妖怪』にも立ち向かえない臆病者。そんな風に思われているだろうことが嫌で仕方なかった。

だから勢いではあっても、僕はずっと言いたかったことを吐き出したのだ。

 

どうせ先生は否定するだろうけど、先生が僕のことを臆病者だと考えているのは間違いない。僕は臆病者なんかじゃないんだ!

 

そんな思いを視線に乗せ、僕は挑戦的にルーピン先生の瞳を睨みつける。それに対しての先生の反応は、

 

「……ハリー。何故私が君とボガートを授業で戦わせなかったか……そんなこと、言わなくても分かるだろうと思っていたが……」

 

完全に予想外の物だった。否定の言葉ではなく、ただ純粋に驚いたような反応。先生は驚いた表情のまま続けた。

 

「考えても見てごらん。皆の前でボガートがヴォルデモート卿に変身する。そんなことになれば、教室中がパニックになってしまっただろう」

 

先生がヴォルデモートの名前を口にしていることも気にならない程の衝撃を受ける。

本当に予想外の答えだったのだ。

だって僕の一番怖いものは……

 

「……確かに、最初はヴォルデモートを思い浮かべました。でも、考えているうちに違うと気づいたんです。僕が最も怖いのはヴォルデモートなんかじゃない。怖いのは……『吸魂鬼』だったんです」

 

腐った手。見えない口から吐き出されるしわがれた息遣い。そして近くにいるだけで感じる冷たい空気。

あれこそが、僕の考える恐怖の姿そのもののように思えた。

今年僕を苦しめている要因の一つを思い出し、僕は怒りから一転、何だか不安な気持ちでいっぱいになる。

そんな僕に、

 

「そうか……。そうなのか……いや、感心したよ。それは恥じる様なことじゃない。何故なら、それは君の恐れているものが、」

 

ルーピン先生が何か言おうとして、

 

「ルーピン先生、お届け物です。入ってもよろしいですか?」

 

冷たい、表情同様無機質な第三者の声によって遮られたのだった。

ドアの向こうから聞こえた声は……ダリア・マルフォイのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「……」

 

ダリアの様子がおかしい。私は隣を無言で歩くダリアを考える。

 

薬の調合を手伝うようスネイプ先生から言われた時、ダリアは先生の頼みならと言って渋々ながら引き受けた。しかし、先生が手助けを求める薬がどんなものかは気になっていたらしく、調合を始める段階ではそれなりに楽しそうにはしていた。

 

それがどうだろう……調合が最終段階に近づくにつれ、ダリアの無表情は徐々に完全な無表情になり、口数もみるみる少なくなっていた。

最後に喋った言葉は、

 

『先生……。私の勘違いでなければ、この薬はその……。本当に、これをルーピン先生に……?』

 

というものだった。

 

『あぁ、左様。これはルーピンにとって必要不可欠なものだ』

 

そしてそれに対するスネイプ先生の答えを聞いたきり、ダリアは全く喋らなくなり、

 

「……」

 

今に至るというわけだ。

薬が完成し、いざルーピン先生のところへ運ぶ段になっても一切話そうとはしない。私が話しかければ多少の返事はするが、それでもどこか心ここにあらずといった様子でしかなかった。

まるで去年の『バジリスク』を探している時のような……。

私は不安な内心を打ち消すため、薬の入ったゴブレットを持って歩くダリアに話しかける。

どんなに反応がなくても、このまま黙っていたら、またダリアがどこかに行ってしまいそうな気がしたから。

 

「ね、ねぇ、ダリア。その薬なんだけど、何の薬なの?」

 

「……」

 

薬についての話題を出した瞬間、ダリアの瞳が揺れた気がした。

意識が多少私に向いたのか、ダリアがゆっくりとこちらに視線を合わせる。

 

「ス、スネイプ先生に何の薬か後で聞けって言われたからね。何の薬か気になっちゃって」

 

言葉はなくとも、視線だけはこちらに向けたダリアに、私は内心でガッツポーズをとりながら続けた。

ダリアがこんな状態になった原因は、この薬であることだけは間違いない。この薬の正体を聞けば、ダリアが一体何を悩んでいるか察することが出来ると判断したのだ。

 

 

でも、彼女の応えは……。

 

 

奇妙な沈黙が廊下に舞い降りる。

ダリアは足を進めながらも、私の瞳を静かに見つめている。そして沈黙に耐えかねた私が何か話す前に、

 

「……ごめんなさい。少し考え事をしていました。貴女にいらぬ心配をかけてしまいましたね……」

 

ダリアがため息を一つ吐いた後、今までの無表情を僅かに崩して話し始めた。

 

「心配せずとも、別に去年のようなことは考えていませんよ。ただ少し……先生がこの薬を飲んでいることが意外だったものですから……」

 

嘘を言っている様子ではなかった。

ダリアの言う通り、別に薬のせいで自分のことに悩みを抱いている様子ではない。もし去年の様に自分の体や心のことで悩んでいるのなら、こんな風にすぐには私の話に反応はしなかっただろう。

でも……全てが真実だというわけでもなさそうだった。

だってダリアはまだ、

 

「……そうなんだ。で、ダリア、その薬は一体何なの?」

 

薬のことを一切話していないのだから。しかもさらに尋ねても、

 

「……ただの()()()()()ですよ。ごく最近造られた薬なのですが……一部の()()()()の方々にとてもよく効くお薬なのです。心配はありませんよ。この薬を飲んでいる限り、先生がいきなり襲ってくることはありませんから。()()()()()()()()()のです……まったく羨ましいことですね」

 

お茶を濁すような回答でしかなかった。あんなに考え込んでいたのに、スネイプ先生が作ったのがただの『精神安定薬』であるはずがない。

私はさらに追及しようとした。ダリアが悩んでいるわけではなくとも、深く考え込むほど深刻な問題であることは間違いない。なら、親友である私が知っておくにこしたことはない。

そう思い口を開こうとして、

 

「ねぇ、ダリア。本当は、」

 

「着きましたよ。すみません。これ以上は先生のプライバシーに関わることなので……。スネイプ先生はあぁ言っていましたが、知らない方がいいこともあります。お互いのためにも。その方が貴女も、そしてルーピン先生も幸せです。スネイプ先生の単なる嫌がらせみたいですから……ダフネは何の心配もせず、これからも『闇の魔術に対する防衛術』の授業を受けてください」

 

時間切れとなった。気が付けばもう、私達はルーピン先生の個室の前に着いていたのだ。

ダリアはドアをノックしてから中に声をかける。

 

「ルーピン先生。お届け物です。入ってもよろしいですか?」

 

「……あぁ、お入り!」

 

そしてダリアの声に驚いたのか一瞬間が開いてはいたけど、問題なく返事が返ってきたためダリアに続き私も部屋に入る。

中には驚いた顔のルーピン先生と……何故か同じく驚いた顔のポッターがいた。

 

「や、やぁ、ダリア。どうしたんだい? 届け物と言っていたけど、誰からのものだい?」

 

ルーピン先生の言葉を聞きながら、ダリアはポッターの存在に一瞬目を細めたが、問題にならないと判断したのかそのまま続ける。それに対しての先生の反応は、

 

「先生、スネイプ先生からお届け物です。一鍋分煎じておられましたので、必要であればスネイプ先生に仰ってください」

 

「……」

 

劇的なものだった。ただでさえダリアの訪問に驚いていた様子の先生は完全に固まり、ダリアがテーブルに置いたゴブレットを凝視している。

この反応を見るに、やはりただの『精神安定薬』ではないことは間違いなさそうだった。

ダリアは先生の反応に頓着することなく、あるいは()()()()()()()()()をしながら言う。

 

「では、先生。私達はたまたま通りかかったところで、配達を頼まれただけですので。これで帰らせていただきますね」

 

「あ、あぁ……。ありがとう、運んでくれて……。ダリア、ダフネ」

 

そして中々真面な反応が出来ずにいる先生と、ゴブレットをまるで毒物か何かだと疑っているようなポッターを残し、ダリアはサッさと部屋を後にしようとした。

逃げるように……。そしてどこか……()()()()()()……。

 

「さぁ、ダフネ。行きましょう。用事はこれで済みました。談話室で紅茶を飲みましょう」

 

「……うん。それでは、先生」

 

私はダリアに続き、部屋から出ようとする。

しかしそんな私達の背中に、

 

「ちょっと待ってくれ! 君達はこの薬が何か知っているのかい?」

 

部屋を出る直前、ルーピン先生の聞いたこともない程の大声がかかったのだった。

当然私は薬の内容など知らない。知っているだろうダリアの応えも、

 

「……いえ、知りません。私達はただ届けろと言われただけですので」

 

素知らぬものでしかなかったのだった。

私達は今度こそ部屋を後にする。

部屋にはどこか怯えた表情の先生と、やはり疑い深く私達を睨みつけているポッターのみが残っていた。

 



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侵入

 

 ハリー視点

 

「ルーピンがそれを飲んだ!? マジで!?」

 

ハロウィーンパーティーでの豪華なお菓子が並べられた食卓。人生最高の時を過ごしてきたと言わんばかりの二人に、ダリア・マルフォイが運んできたゴブレットの話をすると、ロンが信じられないとばかりに大声を上げた。

 

「いやいや、可笑しいだろう!? なんでそんなものルーピンは飲むのさ!? ダリア・マルフォイが運んできたもの!? そんなもの、絶対毒に決まってるじゃないか! しかも作ったのはスネイプだ! ルーピンはまだ生きてるよな?」

 

ロンにつられて教職員テーブルを見やる。

テーブルに座っているルーピン先生は生きてはいたが、あまり元気そうではなかった。大広間に満たされた楽しい空気とは裏腹に、どこか青ざめた表情をしている。気のせいかスリザリン席に座るダリア・マルフォイの方をチラチラ見ているような気もした。

何故ダリア・マルフォイの方を見ているかは分からないけど、少なくとも絶好調な体調というわけではなさそうだ。

 

「……あの薬を飲む時、先生は言っていたんだ。あの薬でないと自分に効果はない、体調が整えられないって。……でも、体調が良くなっているようには見えない。寧ろ悪くなってる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って、そう我慢しながら飲んでたのに……」

 

ロンの言うように、僕はやはりあの薬が毒物であったとしか思えなかった。

作り手であるスネイプは『闇の魔術に対する防衛術』教師の座を狙っている。目的の授業担当の座を手に入れるためなら、あいつはどんな手段だってとるだろう。

そして運んできたダリア・マルフォイとグリーングラス。

ダリア・マルフォイがルーピン先生にどんな考えを持っているかは知らないけど、あいつの兄はいつも先生のことを馬鹿にしている。汽車の時は好意的な目をしていたような気もするが、今は先生に対していい感情を持っているとは思えない。それに、もしあいつが先生に悪感情を持っていなかったとしても、ダリア・マルフォイなら何の理由もなくゴブレットに毒物を入れることはやりかねない。人をいとも簡単に、寧ろ楽しんで襲えるような奴だ。これ幸いと先生の薬に毒物を入れるだろうし、一緒にいる取り巻きのグリーングラスもそれを止めないだろう。

ハラハラした様子で教職員テーブルを見やるロンを横目に、僕はスネイプとダリア・マルフォイにも視線を向ける。

見れば見る程怪しいような気がしてくる。スネイプは不自然な程ルーピン先生とダリア・マルフォイに視線を送っている気がするし、逆にダリア・マルフォイは不自然な程教員席に()()()()()()ようにしている気がした。

どう考えても、あいつらは何か悪いことをしている。

 

しかし、僕達の隣でパンプキンパイを頬張るハーマイオニーは違う意見らしかった。

ハニーデュークスの菓子をはち切れんばかりに食べただろうに、彼女はテーブルに並ぶ料理をおかわりしながら言った。

 

「マルフォイさんが毒を入れているわけがないでしょう。馬鹿なことを言わないで。配達を頼んだスネイプ先生は分からないけど、貴方がいる目の前でルーピン先生に毒を盛ることなんてあり得ないわ。マルフォイさんはそんなことしないし、そんな簡単にバレる様なことをする程馬鹿でもないわ。先生の体調が悪そうなのは元からよ。ここ最近あまり本調子というわけではなさそうだったから」

 

まるで簡単な計算式を教えるような言い方だった。

言いたいことを言ったきりお菓子を食べ続けるハーマイオニーに、僕とロンは肩をすくめあう。

彼女のマルフォイに対する評価は全く当てにならない。いつものダリア・マルフォイに対する妄言を聞き流しながら、僕とロンは顔色の悪いルーピン先生を盗み見続けた。

 

ルーピン先生が今にも死ぬのではないかと不安に思いながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

教員席から凄まじい視線を感じる。普段であれば、どうせ犯人は老害だと思うところだが……どうやら今回は老害ではなさそうだった。

困惑、不安、そして恐怖……。カボチャ尽くしのお菓子を食べる私に強く突き刺さる視線には、そんな複雑な感情が含まれているような気がした。

まぁ、それもそうだろう。何故なら、この視線を送ってきているのは、

 

「ダリア……。なんか、ルーピン先生が無茶苦茶こっちを見ている気がするんだけど……」

 

「……無視してください。……ダフネ、顔を向けては駄目です。気にしなくても大丈夫ですよ。先生はちょっと……疑心暗鬼に陥っているだけですから。悪意はないはずです。気にしないふりをすることこそが、お互いのためなのです」

 

『狼人間』であるルーピン先生なのだから。

 

スネイプ先生が調合していたのは『脱狼薬』だった。満月の時期においても、狼男が理性を保つことが出来るようになる薬。ここ数年で目覚ましい進歩を遂げ、つい最近実用化された薬ではあるが、まだまだ調合が難しく、薬を作れる人間はそう多くはない。かくいう私も『()()()()()』という点に惹かれたためレシピこそ知っているが、一から作るのは到底無理な話だ。出来たとしても、今回頼まれたような最後の仕上げくらいのものだ。

そんな調合の難しい薬を態々スネイプ先生に煎じてもらう。それは紛れもなく、ルーピン先生が『狼人間』であることを表していた。これなら先生のボガートが()()に変身していたことも説明できる。

 

「まったく……。スネイプ先生も嫌なことに巻き込んでくれますね……」

 

突き刺さる視線を無視して、私はダフネにも聞こえないような小さなため息を漏らす。

おそらくスネイプ先生は、私なら『脱狼薬』のレシピを知っていると判断したのだろう。だからこそ、部屋の前を通りかかったタイミングで、これ幸いと声をかけてきた。

ルーピン先生の正体をそれとなく教え、私に彼を城から追い出させるために。

 

何故そこまでルーピン先生のことを嫌っているのかは知らないが、私をあまり変なことに巻き込まないでほしい。今のところ、私にはルーピン先生を追い出す気など毛頭ないのだから。

 

勿論『脱狼薬』の存在がなければ、私も先生を追い出していただろう。『怪物』である私自身を家族の近くに置くことすら、ダフネの言葉がなければ許容できないのだ。他人である『周期ごとに理性の消える狼男』等許容できるはずがない。私には家族に危険が及ぶ可能性を最小限にする義務がある。

しかし、それはあくまで『脱狼薬』がなければの話だ。薬で理性が保たれるのであれば、狼男を恐れる必要など皆無だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()ならその限りではないが、今のところ私が先生を追い出す理由には到底ならない。

 

まぁ、それでも……。

私がそんなことを考えていたとしても、

 

「ルーピン先生もお可哀そうに……」

 

当然私の考えなど知らない先生は、不安で仕方がないだろうけど。

先生が半ば私に正体を見破られたと考えている原因が、どうせあの老害に何か適当なことを吹き込まれただろうことを含めても……私は先生の今の立場に深い同情の念を抱かざるを得なかった。いや、同情どころか……私は彼に強い()()の念と()()すら感じていた。

『狼人間』は、他の『狼人間』に噛まれることで生まれる後天的な怪物だ。元がどんな聖人君子であっても、満月の時期になれば理性を失い、人間を見境なく襲い始める。

後天的であるという点においては、私より『バジリスク』に似ているのだろうが、怪物である私が共感を覚えないはずがない。

 

お可哀想に……。

自分が怪物であると周囲に露見する。それは大切な人を傷つけることの次くらいに、怪物である私達には恐ろしいことだ。もし露見した可能性があるのならば、こうやって視線を送り続けることくらいしてしまうだろう。

私が直接この気持ちを先生に言えればいいのだが、今度は私のことが露見する可能性があるため言えない。薬を調合しても配達しなければよかったのかもしれないが、それはそれで、スネイプ先生が勝手に私が調合に参加したことを伝えてしまうかもしれない。そうなれば今より酷い疑心暗鬼にルーピン先生は駆られたことだろう。

当に万事休すだった。最良の手段はこうして先生を素知らぬ顔で無視することくらいしかない。

 

奇妙な時間だ。

去年まで同様飽きる程のカボチャ尽くしの食事を平らげつつ、なるべく教員席を見ないようにする。いつもは無意識にしている行動が、意識すればする程寧ろ難しく感じれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「結局ルーピンがパーティー途中で死ぬことはなかったな……」

 

「当たり前でしょう。マルフォイさんが毒を盛っているはずがないもの」

 

「……それはどうかな。あいつならそれくらい、」

 

思えば真面に過ごすことが出来た初めてのハロウィーンパーティーからの帰り道。ハーマイオニーとロンの口論を横に聞く僕は、ルーピン先生のことを除けば今最高の気分だった。

ホグズミードに行けなかったのは悔しいけど、その分パーティーは楽しみ尽くせたと思う。

今の僕はスリザリンの奴らが、

 

「ポッター! 吸魂鬼がよろしくと言ってたわよ! うぅぅぅぅ!」

 

気絶した振りで馬鹿にしてきても気にならないくらい気分が良かった。今ならパンジー・パーキンソンの馬鹿らしい仕草も気にはならない。

ルーピン先生の件だって、相変わらず顔色が悪いものの、結局ロンの言う通りパーティー中に何か起こることはなかった。だからと言ってハーマイオニーの意見が正しいわけではないだろうけど……。

 

僕達三人組はどこか浮かれた気分で廊下を歩き続ける。階段を上がり、いくつもの通路を通り、グリフィンドール寮がある塔へ歩みを進める。

大広間からのいつも通りの帰り道。去年のように、廊下に石になった猫がぶら下がっているということもない。

だから僕は、ホグズミードに行けなかったものの、今年こそは真面なハロウィーンを過ごすことが出来たと確信していた。

 

この時までは……。

 

寮入り口である『太った婦人』の肖像画のある廊下。いよいよそこに僕らがたどり着いた時、それは起きた。

 

「なんで皆入らないんだ?」

 

すし詰め状態になった、()()()廊下を見やりながら、ロンが怪訝そうな声を上げる。

当然答えを知らない僕は、彼の質問に背伸びして前をのぞき込むことで応えた。

 

僕に分かることは、入り口の肖像画が閉まったままらしいということくらいだった。

 

……嫌な予感がした。何か悪いことが起こっている気がする。

何故なら……寮に入れずにいる生徒達が、あまりにも()()()()()

ただ肖像画が閉まっているだけなら、先頭のネビルがまた合言葉を忘れたのだろうと思うくらいだ。でも、この静けさは明らかにおかしい。こんなにパーティー帰りの生徒がいて、廊下がこんなに静かなはずがないのだ。

 

そして、その予想は当たっていた。

静かな廊下に突然、前の方から大声が響き渡る。

 

「ダ、ダンブルドアを呼ばなくては! ちょっと通してくれ!」

 

パーシーのものと思しき声はとても緊迫したものであり、事態が深刻であることを表していた。

前の方から生徒を押しのけるようにパーシーが飛び出し、空いた隙間から一瞬肖像画の様子が見える。

そこには、

 

「あぁ、なんてこと……」

 

()()()()()()()()肖像画があった。

太った婦人は肖像画から消え去り、キャンバスの切れ端が床に散らばっている。

今年も何か悪いことが起こったのは間違いなかった。

 

「一体何が……」

 

息を呑み、不安な様子で僕の腕を掴むハーマイオニーを慰めながら、僕は率直な疑問を口にする。

太った婦人は肖像画の中で言えば比較的真面な性格だ。誰かに恨まれるような絵ではない。それに恨まれたとしても、こんなことをする人間がグリフィンドールの中にいると思えない。

訳が分からなかった。段々と喋る気になってきた周りの生徒も、口々に憶測を話しているが、結局誰も何が起こったのか理解出来ていない様子だ。

 

もし事態を正しく理解できるとしたら、

 

「通してくれるかのぅ?」

 

この人しかいないだろう。

声に振り返ると、僕等の後ろには今世紀最も偉大な魔法使い、アルバス・ダンブルドア校長が立っていた。

パーシーに呼ばれてきたダンブルドアに、生徒が押し合いへし合いして道を空ける。その空いた道をダンブルドアは通り抜け、無残な姿の肖像画を一目見るなり、暗い深刻な目で振り返った。

彼の視線の先には、ちょうどこちらに駆けつけてきたマクゴナガル先生がいた。

 

「婦人を探さねばならん。マクゴナガル先生。すぐにフィルチさんの所に行って、城中の絵の中を探すように言って下さらんかのぅ」

 

「分かりました! 貴方達! 貴方達は大広間に、」

 

事態解決に向け、先生達は迅速な行動をとり始める。

しかし、そんな行動は、

 

「おぉ~お可哀そうにね!」

 

突然現れた第三者によって遮られた。

事件が楽しくて仕方がないのか、突然現れたポルターガイストのピーブズが、皆の頭上をヒョコヒョコ漂いながら言った。いつも以上の気持ち悪いニヤニヤ笑いで。

 

「見つかったらお慰み!」

 

「……ピーブズ、それはどういう意味かのぅ?」

 

流石にダンブルドアをからかう勇気はないのか、少しだけ笑いを抑えてピーブズが答える。

 

「校長閣下。そのままの意味ですよ! 彼女は恥ずかしかったのですよ! あんなにズタズタにされて! 五階の風景画の中を泣き叫びながら走ってましたよ!」

 

「……婦人は誰がやったか話したかね?」

 

「ええ勿論ですとも、校長閣下!」

 

そして……彼は今日一番の爆弾を、相変わらずニヤニヤした表情で投下するのだった。

 

 

 

 

「いくら寮に入れなかったとしても、こんなに絵をグチャグチャにするなんて……まったく酷い癇癪持ちですね! あのシリウス・ブラックは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「毎年よくもまぁ……。今年は殺人鬼の侵入ですか……。この学校には、ハロウィーンに何か事件が起きないといけない決まりでもあるのですか?」

 

談話室に帰った途端、再び大広間に戻るように言い渡され、そこでグリフィンドール寮でのことを説明される私の感想はそんなものだった。

どうやって『吸魂鬼』の監視を掻い潜り、城に侵入しているかは知らないが、シリウス・ブラックの目的はポッター……との話だ。出会えば襲われるかもしれないが、普段通りにしている分には、恐らく()()()()()()()問題が起こることはないだろう。ポッターがどうなろうと大して興味はない。

唯一懸念があるとすれば、()()()()()()()()()グリフィンドール寮に所属しており、彼女にはシリウス・ブラックに遭遇する可能性があることだが……そもそも私がこれ以上彼女の心配をする()()()()もない。

 

私は自分の中に生まれた僅かな雑音を無理やり打ち切る。

そうだ……お兄様とダフネにさえ問題ないのなら、それは何も問題はないことと同義だ。何故私がグレンジャーさんの心配をしなければならないのだ。それに彼女はグリフィンドール生といっても、ポッターとは違い女子寮にいる。彼女がシリウス・ブラックと出くわす可能性は限りなく低い。だから……私は何も不安に思う必要などない。

この思考は無価値で無意味なものだ。

 

僅かな不安感を塗りつぶした私は、まだ前の方で話している老害に意識を戻す。

生徒を安心させようとしているのか、老害はいつもの()()()()笑顔を張り付けながら、生徒達にこれからのことを話している。

 

「……というわけじゃ。ワシらは今から城中を捜索せねばならん。気の毒じゃが、皆にはここで一晩過ごしてもらうことになる。皆の安全のためじゃ。監督生は入り口を見張ってほしい。何かあればすぐにワシに知らせるのじゃぞ」

 

そして、彼は杖を一振りすることで何百ものフカフカした紫色の寝袋を出した後、

 

「ぐっすりお休み」

 

大広間を出て行ったのだった。

どうやら私が別のことを考えている間に、話は佳境に差し掛かっていたらしい。私が聞いていたのは最初と最後だけだった。

まぁ、どうでもいいことだ。どうせあいつの話すことなど大したことではない。

老害が出て行った途端、大広間に音が満ちる。皆思い思いにグリフィンドール寮で起きたことを話し始めたのだ。グリフィンドールに対して忌避感の強いスリザリン生ですらその例外ではない。寮問わず皆思い思いのことを話している。

 

「どうやってブラックは侵入したんだ?」

 

「まだブラックが城の中にいると思うか?」

 

「ダンブルドアはそう思ってるみたいだな」

 

「なんでハロウィーンに侵入したんだ? 今夜は寮内に誰もいないのに」

 

「どうせ逃亡中に時間感覚が狂ったんだろう」

 

殺人鬼が城へ侵入したという事件が余程衝撃的だったのか、皆全く眠りだす様子もない。

そんな中、相変わらず興味の欠片もない私は、ダフネとお兄様と共に寝袋を掴んで隅に移動していた。

 

「さて、もう遅いですし寝ましょうか。ダンブルドアの用意した寝袋というのが気になりますが……まぁ、寝心地自体は良さそうですし、寝袋に罪はありません」

 

そしてさりげなくダフネやお兄様を()()()()()()配置して、私達は寝袋に入った。二人も特に異論はないのか、何も言わず私の隣に並ぶ。私の隣にダフネ、その向こうにお兄様という並びだった。

相変わらずお互い言葉はない。私同様、ブラックに大して興味がないのだろう。事実ダフネの開口一番の言葉は、

 

「ダリア、なんかキャンプに来ているみたいだね!」

 

ブラックには一切関係ないものだった。周りのように不安や恐怖など一切感じず、ただこの状況を楽しんですらいるみたいだ。

私はそんなダフネの様子に苦笑しながら、外と同じような星がまたたく天井を見上げる。

 

「ええ、そうですね。私は太陽の関係でキャンプをしたことはありませんが、夜の野外とはこういうものなのでしょうね。これで蝋燭の明かりも消えれば、もっとそれらしくなるでしょう」

 

そしてその言葉を合図にしたように、

 

「明かりを消すぞ! 皆寝袋に入れ! おしゃべり止め!」

 

一斉に蝋燭の光が消えたのだった。

暗闇の中、私はすぐ隣に眠るダフネの温もりを寝袋越しに感じる。

ダフネの言うように、本当にキャンプをしているみたいだ。私はキャンプをしたことがないが、親友と星空の下で過ごすというのはこんな風に気持ち良いものなのだろう。

未だに消えない周りの囁き声を聞きながら、私は静かにダフネに話しかける。

 

「綺麗ですね……」

 

「……うん。本当に……綺麗だね。グリフィンドール如きのせいで、なんで大広間で過ごさないといけないのかほんの少し不満だったけど……これは本当に綺麗だね。スリザリン寮は地下だから、星空なんてほとんど見ることないから」

 

周囲の不安をよそに、私達は穏やかな気持ちで魔法の星空を眺め続ける。

結局私達が眠ったのは、

 

「お休みなさい、ダフネ……」

 

「うん、お休み……」

 

それから一時間後のことだった。

周囲には相変わらず生徒達の囁き声が満ちている。しかしやはり私達の間にだけは、どこまでも穏やかな空気が流れていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

夜の三時。ようやく生徒達が寝静まったらしい大広間に入ると、監督をしていたパーシー・ウィーズリーが真っ先に声をかけてきた。

 

「先生、何か手掛かりは?」

 

()()()()()()ダリアが関わっているとは思えんが、念には念を入れておく必要がある。

ワシはダリアが()()()()()()で横になっていることを確認してから、パーシー・ウィーズリーに返事をした。

 

「……いや、何もありはせんかった。もう城にはおらぬのじゃろう。隠れておった『太った婦人』は見つけることが出来たが、彼がどこにいるかまでは知らん様子じゃったのう。復帰にはしばらく時間がいることじゃろう……。こちらは異常なしかの?」

 

「はい。異常はありませんでした」

 

「よろしい。ならば明日の朝にでも全員を寮に帰してあげるとしよう。今起こすのも可哀想じゃからのぅ」

 

パーシー・ウィーズリーはワシに一礼すると、生徒達の巡回に戻っていく。

しかし、どうやらワシに話があるのは彼だけではなかったらしい。待ちくたびれたと言わんばかりの様子で、今度はセブルスがこちらに歩み寄って来たのだった。

ワシは僅かに憂鬱な気分になる。彼の話は分かっている。()()()()()教員に選んだ時から、耳に胼胝ができる程聞かされた話。それをまた繰り返すつもりなのじゃろう。

ワシは近づく足音に振り返りもせず声をかけた。近くには、()()()()()()()()()()思わしきハリーや彼の友人達がおる。彼らに今からセブルスがするであろう話をあまり聞かせたくなかった。しかし、セブルスにはワシの意図は伝わらなかったらしく、

 

「セブルス。早かったのう。そなたがここにおるということは、やはり城にはもうブラックはおらん。そういうことじゃのう。彼がグズグズ残っているということはあるまい。ご苦労じゃった。お主は引き続きここの警護を、」

 

「校長。吾輩が言ったことを覚えておいでですかな?」

 

怒りに満ちた声で、ワシの話を遮ってきたのだった。

……気が進まんが、こうなればある程度付きやってやるほかあるまい。話を聞かねば、彼がどのような強硬手段に打って出るか分かったものではない。

ワシはため息を一つつくと、案の定怒った表情のセブルスに返事した。

 

「……いかにも。覚えておる。内部犯の犯行。それがなければブラックは侵入できん。そうお主は言っておったのう。じゃが、ワシの応えは変わらぬ。()()()、ブラックを手引きした者がおるはずがない」

 

セブルスに対しての応えに偽りも、そして今のところ変更もない。

セブルスが言うように、リーマスとシリウスが仲間だとは到底思えん。いや、正確には……

 

「……まさか、今年もミス・マルフォイを疑っているわけではありますまいな?」

 

「……セブルスよ。あまり老人をいじめるものではない。ワシは()()、ダリアを疑ったことは一度としてない」

 

教員は勿論、今年に関してはダリアが犯行の手伝いをしているとも思うておらぬ上……ワシはシリウスを裏切り者だとどうしても思い切れておらんかった。

去年のことを未だ納得しきれておらんセブルスを適当に受け流しながら、ワシはかつての教え子について思考する。

 

シリウス・ブラック……かつて『不死鳥の騎士団』に所属していた彼は、確かにジェームズ達の『秘密の守り人』であった。その事実に間違いはない。

じゃからこそ、ジェームズやリリーの居場所がヴォルデモートに露見したのは、ブラックが裏切ったことと同義であった。彼は親友たちを裏切り、()()()()()()()()()()()()良しとしたのじゃ。

 

じゃが……ワシはそんな自明の理があるにも関わらず……どこかブラックが裏切ったという事実に納得しかねていた。

理性ではなく、感情の部分が激しく訴えてくる。

 

彼は本当に裏切ったのだろうか……と。

 

この十年間。彼が脱獄するまでは考えもせなんだ。いな、考えることから避けておった。

ワシは最初、ジェームズ達に自分が『秘密の守り人』になると告げた。じゃが、彼らはブラックを選ぶことに決めた。それを最終的にワシは認めた。

……ワシはその決断を後悔した。彼らの選択を無視し、自分こそを選ばせればよかったのじゃと……。

 

じゃから全てが終わった後、ワシは徹底的にブラックから()()()。彼の裁判に多少の不備があったとしても、ワシは彼こそが犯人であると状況証拠で知っておった。じゃからこそ、ワシはこれ以上裏切られるのが恐ろしかったため……自らの罪をこれ以上見せつけられるのが恐ろしかったため、アズカバンにいるブラックに面会することもせんかった。

 

それがどうじゃろう……。いざ彼が脱獄した時、ワシはハリーが襲われるかもしれないという不安と共に、どこか違和感のようなものを感じていた。

本当にブラックは裏切り者で、本当にハリーを狙っているのだろうかと……。

酷い矛盾じゃと思う。いや、矛盾などと生易しい表現で済むものではない。何故理性で犯人と疑っておりながら、感情で無実を信じるのか。

ワシは愚かにもまたアリアナの時と同じく……。

 

酷い自己嫌悪……若かりし頃から続く人生最大の後悔がワシの思考を覆わんとする。

しかし、再びセブルスが憤懣たる表情で何か言おうとしていることに気が付き、ワシは急いで思考を打ち切り言葉を発する。

これ以上本当は寝ていないだろうハリー達に、リーマスの秘密のヒントを与えてはならん。リーマスはまだまだハリー達を導くのに必要な人材なのじゃから。

 

「この話はこれで終わりじゃ。ワシはこれから『吸魂鬼』に会いに行かねばならんのでな。捜索が終われば知らせると言ったのじゃ。もし伝えねば、あ奴らこの城に入り込みかねん」

 

そしてワシは逃げるように大広間を後にする。

これから会わねばならん連中のことを考えると更に憂鬱な気分になるが、あ奴らに城に入り込む口実を与えるわけにはいかぬ。

 

そう思考を新たにし、ワシは城外を目指して歩みを進めるのであった。

 



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閑話 孤立

ドラコ視点

 

僕は……いや、僕達はどこで間違ってしまったのだろうか?

 

 

たとえ寒かろうが、雨が降り続けようが、そしてシリウス・ブラックが城に侵入しようが、決して第一回目のクィディッチ試合がなくなるわけではない。

試合に近づくにつれ着実に天候が悪くなっても、僕らスリザリンチームは激しい練習に明け暮れていた。

 

今年こそはクィディッチ優勝杯をスリザリンが掴むために。

今年はもう、全員に()()()()ために。

 

去年スリザリンチームは、父上から全員分のニンバス2001を与えられたにも関わらず、グリフィンドールに敢え無く敗北した。あんなこと本来ならあり得ないことだ。いくらスニッチを掴まれれば一発逆転されるとはいえ、あんなことがそうそう起こっていいはずがない。

だからこそ、()()()()チーム全員が思っているのだ。

 

次スリザリンが負ければ、ダリアに何をされるか分からない。もしマルフォイ家の期待に応えられなければ、ダリアに殺されてしまうかもしれない、と……。

 

馬鹿馬鹿しい。勿論()()、チームが負けてもダリアが()()()何かするとは思っていない。

だが……後がないと考えているのは僕も同じだ。ダリアが怒ることはない。それが分かっていても、僕の安心材料になるはずがない。なっていいはずがない。これ以上兄として……()()()()、ダリアに無様なところを見せたくなどない。今年はどのチームにだって負けるわけにはいかないのだ。

だから練習した。今までにないくらい、僕らは練習に明け暮れた。どんな天候だろうとも、多少大切な妹と過ごす時間が短くなろうとも……たとえダリアを怖がる下らない人間達との練習を強いられようとも、必ず初戦のグリフィンドール戦に勝つために。

全てはダリアの笑顔のために。

 

しかし……

 

「土曜日の試合だがな……今回はグリフィンドールと戦わないことにするぞ。あいつ等にはハッフルパフと戦ってもらう。俺たちは高みの見物だ」

 

初戦前最後の練習終わりで、キャプテンであるマーカス・フリントがそんなことを言い出したのだった。

チーム全員がグリフィンドールを叩き潰すために練習してきたのに、肩透かしを食らうような決断を下したフリントに全員が食らいつく。

 

「おい、どういうことだ!? 血迷ったのか!? 試合はもうすぐそこなんだぞ! 折角グリフィンドールを叩き潰すチャンスを!」

 

「そうだ! それに、マルフォイ()にはどう説明するんだ!? マルフォイ様だって、今回は観戦すると仰っていたんだぞ! もし俺たちの試合でなくなれば……」

 

途轍もない剣幕だった。全員が()()()()()()()()()かの如く、まさに唾を吐く勢いで怒号を上げている。

そんな中、フリントはあらかじめ反対を予想していたのか、あまり驚いた様子を見せずに言葉を発した。

 

「……理由は二つある。まず、この天気だ。このままだと、確実に試合の時も激しい雨になる。そうなればいくら箒の性能が相手より上回ってても、文字通りの泥仕合にもつれ込む可能性がある。不利になるのは俺たちだ。相手のポッターは……まぁ、そこそこの奴だからな」

 

フリントは僕に一瞬、意味ありげな視線を送ってから続ける。

 

「そしてこっちが最大の理由だが、俺たちが試合に勝っても負けても……日程上俺たちが次に戦うのはハッフルパフだ。しかもハッフルパフとの初戦。いつもならハッフルパフ如き警戒などしないんだがな、今年のキャプテンはあのセドリック・ディゴリーだ。あいつはキャプテンになるなり、チーム編成を全部変えてきやがった。今までのハッフルパフとはまるで違う可能性がある。いや、必ず違う。そこでだ……グリフィンドールにはまず、ハッフルパフに当たってもらおうじゃないか」

 

トロール並みの頭の癖にどこか目を狡猾に光らせながら、フリントは舌なめずりするように締めくくった。

 

「万が一のあるかもしれない試合を戦う必要なんてない。俺たちはスリザリンだ。勝つためならどんなことだってする。だから今回、グリフィンドールにはハッフルパフのカナリアになってもらう。そしてその後、どっちのチームも俺たちが潰せばいい。何か異論はあるか?」

 

実にスリザリンらしい狡猾な言い分だ。

()()()()を追求するのであれば、フリントの話に矛盾はない。

確かにフリントの言う通り、今回の試合を無理やり戦う必要などないのだ。別にクィディッチの相手はグリフィンドールだけではない。今後のためにも、チーム編成の変わったハッフルパフの戦い方を見ておいて損はない。相手が優秀なキャプテンであるのなら尚更だ。

全員の瞳に()()()()()納得の色が浮かぶ。……しかし、それでも未だに同意の声が上がることはない。何故なら、

 

「……フリント、お前の言い分は分かった。だがさっきも言ったが、マルフォイ様にはなんて説明するんだ? 又聞きだが、マルフォイ様も楽しみにしていると聞いたぞ? それに、グリフィンドールにハッフルパフとの初戦を押し付けるにしても、理由はどうするんだ? 理由がなければフーチも納得しないぞ?」

 

この計画には目的はあっても、そこに至る過程がないから。

ダリアのことに関しては、正直僕にとってはどうでもいい。皆ダリアが今回のクイディッチ戦を楽しみにしていると思っているのだろうが、ダリアの楽しみにしているのはクィディッチではなく僕の出場だ。楽しみにしているとはいえ、正直試合がなくなっても、僕の出番が消えていないのであれば、

 

『あぁ、そうですか。残念です』

 

くらいの感想しか出ないだろう。そこまでショックを受けるとは思えない。何か()()()()()を抱えている状態なら尚更だ。特別な説明などいらない。ただスリザリンの選択した戦略を説明するだけでいい。それでダリアなら納得してくれる。

そもそもダリアが試合の延長ごときで怒るという前提が間違っているのだ。僕が考慮する必要など微塵もない。

 

だがフーチに言う理由に関しては、チームメイトの反論は尤もだと思った。

まさか天候が悪いだの、ハッフルパフといきなり戦いたくないだのと言うわけにはいかない。そんなことで試合相手を変更できるのなら、スリザリンでなくても全チームが同じことをしているはずだ。

全員の視線がフリントに注がれる。それに対して奴は神妙な表情で、

 

「お前達の心配も分かるが、まずマルフォイ()の前で負ける方が問題だろ。今回こそ俺たちは負けるわけにはいかないんだ。それとフーチに対してだが……おい、ドラコ。お前確か、少し前に授業で怪我をしていたよな?」

 

何だか面倒くさいことになりそうな質問をしてきたのだった。

 

振り下ろされる鉤爪に、森に響き渡る生徒達の叫び声。そして僕を心配するダリアの表情……。

 

あまりいい思い出とは言えない話に、僕は苛立ち交じりに応えた。

 

「……あぁ、それがどうかしたか?」

 

我ながらキャプテンに対しての返答ではないと思う。

しかしそれに対する応えは、

 

「お前、それがまだ治り切っていないことにしろ。怪我のせいだって言えば、フーチは何も言えなくなる。治り切っていない証拠なんてどこにもないしな。それに、それならお前からマルフォイ様に説明しやすくなるだろう? お前はマルフォイ様の兄なんだから、そこらへん上手くやれよ」

 

もっと僕を苛立たせるものでしかなかった。

どこか僕を見下すような声音。でも同時に……どこか縋りつくような必死さを感じさせる声音。

フリントの言葉は、僕の神経を逆なでするには十分すぎるものだった。

 

マルフォイ家である分、そして()()()()()である分僕の方が僅かに上ではあるが、聖28一族である以上、僕とフリントは()()()()()()()ほぼ同格の存在だ。

そう、寮内においては……。クィディッチ内では少し事情が違う。

シーカーはクィディッチの中では花形であり、本来なら決して下に見られるようなことはない。だからこそ僕は去年シーカーを目指した。憧れていたポジションを得るということ以上に、寮内での立場を絶対の立場にし、その立場をもってダリアを守るために。

だが去年の敗北によって、僕はチーム内で最も下に見られるようになってしまっていた。

それでもどこか縋りつくような声音なのは、やはりダリアが僕の妹だからなのだろう。あまりに僕を下に見る言動をすればダリアに告げ口されるかもしれないし、ましてや今回は僕の口添えが欲しいと思っていることは明らかだった。僕が目の前にいる中でダリアを恐れる発言を繰り返していたというのに……本当に都合がいいことだ。

 

僕へ向けられる言葉の節々に、今の僕が……ダリアが置かれた状況が垣間見えるようだった。

僕は人知れず奥歯を噛みしめながら思う。

 

ダリアが寮内からすら恐怖される状況は、何一つ変わっていない。寧ろ酷くなっているとさえ言える。そして僕の無力さも……どうしようもなく変わっていない。

僕はシーカーになっても……結局何も変えることが出来なかったのだ。

 

初試合前にまざまざと見せつけられた現実に、僕は遂に湧き上がる苛立ちを隠しきれなくなる。正直もう我慢の限界だった。

必死に()()()()()()だと思って我慢してきたものが、試合の延長という決定で溢れ出してしまったのだ。

 

こんな奴らとこれ以上一緒にいたくないという思いが……。

 

「ふん、ダリアにそんなこと言えるわけないだろ。フーチにはそれで説明すればいいさ。でも、何で妹に態々見え透いた嘘を言わないといけないんだ? そんなことしなくとも、ダリアは納得する。嘘なんて言う必要はない。お前らはそんな簡単なことも分からないのか?」

 

僕の答えを聞き、フリントを含めた全員が驚愕の表情を浮かべる。

案の定、僕の言葉は彼らには届いていない。

僕はチームメイトを完全無視し、さっさと談話室に戻る準備を開始する。もう今日の練習は終わっているうえ、試合はこの土曜日ではなくなってしまった。こいつらとこれ以上ここにいる理由などない。

 

「ま、待て、ドラコ! まだ話は、」

 

「……フリント、分かっている。ダリアがお前らを怒らなければいいんだろう? それで満足なんだろう? 安心しろ。それくらいなら()()()()()出来るんだからな」

 

そして僕は更衣室を後にし、城への帰路に就くのだった。

すっかり暗くなった外は雨が降りしきっており、ただでさえ低い気温は更に低くなっている。吐き出される息は白く、僕の心の温度を表しているようだった。

まるで世界には僕しかいないような気分だ。

 

「まったく……僕もダフネのことをとやかく言えないな」

 

暗い帰り道、去年の出来事のせいですっかり周りに頑なになってしまった妹の親友を、僕は何とはなしに思い出す。

去年……いや、今も僕等にとっては、ホグワーツにいる連中は全員敵のようなものだ。ダリアを恐れようが、逆に崇めようが、それはダリアを『継承者』だと考えているということだから。

だが周りを敵と定め、攻撃的態度を取ることがダリアのためになるわけではない。それではダリアが余計に孤立してしまう。

だからこそ、僕はなるべく周りには去年同様の態度を貫いていたわけだが……

 

「僕はお前と同じだよ、ダフネ。お前と同じで、僕も周りを許せないし、ダリアを()()()()()と思ってる。だから……お前が思いつめる必要なんてないんだよ」

 

雨がにわかに強くなる。僕の呟きはひっそりと雨音にかき消されるばかりで、決して誰にも届くことはない。

ダフネやダリアにこんな話が出来ない以上仕方がないことなのだが……その事実が何故か無性に悲しかった。

 

「……早くダリアの所に帰ろう」

 

一頻り感傷に浸った僕は雨に打たれながら、ただひたすら城に向かって足を進める。

暖かい暖炉のある談話室に戻るために。そこで僕を待っていてくれる、二人の元に戻るために。

 

僕以上に()()しているダリアとダフネを、決して()()にはしないために。



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取引(前編)

 ハリー視点

 

試合直前最後の練習前、ウッドが怒り狂ったように叫んだ。

と言っても、いつもであれば、

 

『あぁ、またか』

 

くらいしか思わなかっただろう。彼はクィディッチ狂いであり、試合前に興奮して奇声を上げるのはいつものことだったのだ。

しかし、今回はいつもの奇声とはどうやら趣が違うらしかった。

というのも、

 

「対戦相手が変わった! 相手は()()()()()()()()()! セドリック・ディゴリー率いるハッフルパフだ!」

 

彼が叫んだのは、僕等にとっても嫌な知らせだったから。

更衣室に固まっていた全員の表情が驚愕に染まる。せっかくスリザリンに対する練習をしてきたのに、その全てが今無駄になってしまったのだ。すぐに納得できるような知らせではない。

一瞬の後、チーム全員がウッドに聞き返す。

 

「ウッド、何があったんだ?」

 

それに対し、ウッドはやはり憤懣やるかたない様子で続けた。

 

「フーチに今さっき言われたんだ! フリントの奴から、初戦の試合相手を変えて欲しいと申請があったってな! 理由はドラコの腕がまだ治っていないとのことだ! ふざけやがって!」

 

全員の驚いた表情が、今度は怒りに満ちたものに変わった瞬間だった。

勿論僕も怒り狂って怒鳴り声を上げる。

 

「マルフォイの腕はとっくの昔に治ってる! あいつ自身だって、怪我をした次の日にはそう言ってたじゃないか! 今更治ってないふりなんて!」

 

本当にふざけた話だと思った。

元々大した怪我ではなかったくせに、あいつが大げさに喚いたせいでハグリッドの授業は滅茶苦茶になってしまった。そのせいでハグリッドはショックを受けてしまい、今も『レタス食い虫』を学ぶ不毛極まりない授業を延々と繰り返している。全部あいつのせいだ。

それなのにあいつは、今度はクィディッチすら駄目にしようとしている。許されていいはずがない。

僕は感情のままにウッドに噛みつく。それにウッドは吐き捨てるように応えた。

 

「そんなこと分かっている! あいつの怪我は治っている! しかし証明できない! それにフーチも認めてしまった後だ! 何と言おうともう決定が覆ることはない! あいつ等がこの天気で僕らとやり合いたくないだけだと分かっていてもな! 雨の中だと箒の優劣を十全には活かしきれないと考えたんだろう!」 

 

ウッドの怒りに満ちた言葉は続く。

 

「くそ! 僕らのこれまでの練習は、全てあいつ等を想定してのものだった! だが、ハッフルパフはあいつ等とは違うプレイスタイルだ! しかもハッフルパフのキャプテンは、あのセドリック・ディゴリー! あいつは強力なチームを編成した! 今までのハッフルパフとはわけが違う! もう時間がない! こうなったらただ練習あるのみだ! これが最後の練習の予定だったが、これからは()()()()()()()()練習についやすぞ!」

 

ウッドの言葉に、僕らは勢いのまま頷く。

スリザリンなんかの思い通りになってたまるものか。ハッフルパフを倒し、その次にスリザリンも一ひねりにしてやる。治り切ってる怪我を言い訳にするような奴らに目にもの見せてやる。

そう思い、僕らはウッドの言葉に頷いて()()()()のだった。

そう……頷いてしまった。

 

……その宣言を皮切りに、僕らグリフィンドールの地獄が始まるとも知らずに。

 

僕等は次の日にはもう、この時ウッドに同意したことを後悔することになる。

その日から、練習はより一層常軌を逸したものになったから……。

ウッドは言葉通りのことを実行した。骨休みのために設けられていた最後の数日間すら、練習に次ぐ練習によって塗りつぶされていく。どんな天気だろうと関係ないと言わんばかりに繰り返される練習。そして文字通りどんな時間だろうとも強要される練習。授業前は勿論、授業の合間まで。ウッドの情熱によって、もはや生活の半分以上をクィディッチに占められるようになったと言っていい有様になっていた。

そして、この日も……

 

「ディゴリーは優秀なシーカーだ! 彼は急旋回が上手い! だからハリー! 君は宙返りで奴を躱す必要がある! そのためには練習あるのみだ!」

 

ウッドの奇声が廊下に響き渡る。

この後授業があろうと関係ないと言わんばかりの剣幕に、僕は疲れ果てた表情を浮かべながら頷いた。数日しか経っていないというのに、僕のスリザリンへの怒りは鳴りを潜めてしまっている。

ただ休みたい。その思いだけで頭が一杯だった。

 

「……ウッド、じゃあこれから授業があるから」

 

「そうだな……。では、ハリー! また()()! いいか、ハリー! 宙返りだぞ! 忘れるな!」

 

僕はウッドの返事にため息をつきながら、『闇の魔術に対する防衛術』の教室に入った。

今僕が休める時間は授業の間くらいなものだ。このところ就寝ギリギリまでウッドの講義に付き合わされ、起床時間はまだ日が昇る前から叩き起こされる。正直あまり睡眠をとれているとは言い難い状況だ。だからこそ、ウッドの唯一入ってくる心配のない授業時間のみが、僕の唯一の休憩時間のような状況だった。

とりわけ『闇の魔術に対する防衛術』は素晴らしい気晴らしだ。ルーピン先生の授業は他のどの授業よりも面白く、一時的に試合のこと、そして何より練習のことを忘れることが出来る。今回行われる授業がたとえスリザリンと合同のものだったとしても、僕の楽しみは少しも衰えるものではなかった。

 

それなのに……

 

()()が今回諸君にお教えするのは、『()()()』である」

 

どこまでも追いかけてきそうなウッドから逃げ出し、ようやくたどり着いた『闇の魔術に対する防衛術』の教室にいたのは……ルーピン先生ではなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

グリフィンドールと合同で行われる『闇の魔術に対する防衛術』。私は授業が始まってもいないのに、何故か疲労感でいっぱいだった。

原因はグリフィンドールとの合同授業が嫌なわけでも、去年の様に私自身に問題が発生したわけでもない。

あったとしても、

 

『ダリア……。今度の試合だけどな、僕らの試合ではなくなった。今回の試合はグリフィンドール対ハッフルパフだ。フリントが雨の中グリフィンドールと戦いたくないなんて言い始めてだな……』

 

最近楽しみにしていた()()()()()()延期という問題くらいのものだ。しかし、正直そんなものは些末なものだ。お兄様の出番がなくなったわけではないのだ。私が気に病む必要性などない。

私を今悩ませているものは……

 

「本当に……スネイプ先生は……」

 

なりふり構わずルーピン先生を追い出しにかかっている、()()()()()だった。

私は小さくため息をつくと、本来ルーピン先生がいるべき場所にいる()()()()()()に視線を送る。

 

『闇の魔術に対する防衛術』の教壇には、舌なめずりをせんばかりのスネイプ先生が立っていた。

 

私に秘密が露見した可能性があること、そして何より満月の時期が近いことで、ルーピン先生の体調が最近優れなかったことは知っていた。パーティー以降も私に視線を送り続けていた先生の顔色が、日に日に悪くなっていたのだから気付かない方がどうかしている。

そしてそろそろ体調不良も最高潮の時期だろうから、先生の授業も一回くらいは自習になる。ルーピン先生の授業は確かに楽しいが、私もいい加減視線を無視し続けるのも疲れたのだ。これで少なくとも一回の授業分は休める……そう思っていた矢先に。

 

「どれだけルーピン先生が嫌いなのですか……」

 

あろうことか休んだルーピン先生の代わりに、スネイプ先生が教壇に立ったのだった。

しかも開口一番、

 

『吾輩が今回諸君にお教えするのは、『()()()』である』

 

と宣言したのだ。もはや隠す気がないどころか、積極的に宣伝しているとしか思えない。

 

特に今回の授業には私だけではなく、()()もいる。去年怪物の正体をバジリスクと見破ったくらいだ。下手に情報を与えると感づかれる可能性は高い。

 

私は視界の端に茶色の縮れ毛を捉えながら、シクシクと痛む胃を押さえつけた。

何故私がこんな意味もない心労を抱え込まねばならないのだ。喧嘩なら他所でやってほしい。

 

しかしそんな私の気分とは裏腹に、機嫌がいいのか悪いのか分からないスネイプ先生の言葉は続く。

 

「今日はルーピンは体調不良につき、吾輩が代わりに教鞭をとることになった。案ずるな、ルーピンに命の別状はない。()()()()()()()……。さて、お前たちの授業は遅れに遅れている。まったくルーピンの不甲斐ないことよ。何を教えたのかも記録しておらん。諸君は今までの遅れを取り戻すため、先程も言った『狼人間』を学ばねばならん。直ちに教科書の394ページを開け」

 

スリザリンの生徒は勿論のこと、ルーピン先生の授業でないことに不満そうな表情を浮かべてはいるグリフィンドール生すらも黙って教科書を開く。おそらくスネイプ先生の只ならぬ雰囲気に気圧されているのだろう。反抗的な……同時に疲労感に満ちた視線を隠そうともしないポッターですら、スネイプ先生と()()見るだけで、やはり黙って教科書を開いていた。

ただ一人、予定を遥かにすっ飛ばした工程にグレンジャーさんは何か言いたそうだったが、彼女が何か発言する前に先生の授業が始まる。

 

「諸君の中に、狼人間について説明出来る者はいるか?」

 

授業で習ったのは、生徒ですら対処可能な生物までだ。去年の()()を除けば、まだ狼人間など習ったことがない。だから私が手を上げない以上、当然手を上げる人間は()()しかいない。他は狼人間の存在、そして危険性は知っていても、何故危険なのかは分からない様子だった。

スネイプ先生は唯一上がっている手を無視し、口元に薄ら笑いを浮かべながら言った。

 

「おやおや、こんなことになろうとは思ってもいなかった。諸君らの誰一人として、この問いに答えられるものがおらんとは……。三年にもなって実に嘆かわしい」

 

……本当に楽しそうである。ルーピン先生の秘密を弄びながら、ついでにグリフィンドール生を思う存分詰れるのは楽しくて仕方がないのだろう。辺りを見渡せば、自分達も答えられないだろうに、スリザリン生も一緒になって笑っている。刻一刻と不快になっていく時間に、私は静かに顔を伏せた。

これならルーピン先生の視線に耐える時間の方がましだ。少なくとも先生の秘密がこれ以上広がる心配をする必要はない。スネイプ先生の授業を邪魔するつもりにはならないが、少しは自重してほしい。

というより、

 

「……だが、ミス・マルフォイ。君になら答えられるのではないのかね? この学校で最も優秀である君になら……。さぁ、ミス・マルフォイ。答えたまえ」

 

私を巻き込まないでほしい。

私は質問に答えることなく、スネイプ先生の瞳を見つめ返す。

心底現状を楽しめる程()()()に沈みながら、どこか冷静に私を探っているような……そんな暗く濁った瞳を。

スネイプ先生とルーピン先生の間に何があったのかは知らない。しかし私にルーピン先生を追い出す()()()()がない以上、私は先生の期待に応えることは出来ない。先生は私がルーピン先生の秘密を暴露しないことを訝しがっているのだろうが、何度同じことをされても答えは変わらないのだ。

 

私はルーピン先生の授業に、そしてルーピン先生自体に興味があるのだから。

 

結果私が選択したのは、

 

「……私には()()()()()()()

 

沈黙だった。

『出来ない』というより、『しない』というニュアンスを込めた返答。私の意志を正確に読み取っただろうスネイプ先生は不愉快そうに表情を歪め、他の生徒達は驚いた表情を浮かべている。

中でもダフネとお兄様、そしてグレンジャーさんは目を見開いて驚いていた。私が先生の質問に答えないことが不思議で仕方がないのだろう。

しかしそんな驚愕の時間は、一気に不機嫌になったスネイプ先生の声音に塗りつぶされる。

 

「……嘆かわしい。ならば代わりに罰則……ではないが、君には仕事をしてもらおう。ミス・マルフォイ。時期は追って連絡する。また()()()()()()()()()()があるのだが、()()()()はまずいのでな」

 

何を届けさせるかなど考えるまでもなかった。

先生は唖然とする私から視線を外し、今度は全員に教科書の『狼人間』の項目を書き写すように指示を出したのだった。

 

それからは、先生も含めて全員が無言だった。ただ羊皮紙に狼人間について書き込む音が響くのみ。生徒はチラチラと私に視線を送ってきはするが、誰一人として言葉を発しようとするものはいない。先生も先生で何か考え込むように黙り込んでいる。

ようやく無言ではなくなったのは、

 

「人狼の見分け方と()()()について、次の授業までに各自レポートを書き吾輩に提出するように。羊皮紙二巻き分だ」

 

授業終了を知らせるベルが鳴ってからだった。

私を含めて、全員が逃げるように教室から出て行く。

そして教室まで声が届かないところまで来た時、堰を切ったようにグリフィンドール生が話し始めた。

 

「なんだ今の授業!」

 

「本当よ! いくら『闇の魔術に対する防衛術』の先生になりたいからって、あんな風にルーピン先生を馬鹿にするなんて!」

 

「何が『狼人間』だよ! そんなの詳しく知るわけないだろ!」

 

ただ一人、

 

「……」

 

グレンジャーさんを除いて。

彼女だけは怒鳴り声を上げる寮生に交じらず、ただジッと私の方を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「やっぱりな! ボガートの時もそうだったけど、今年のダリア・マルフォイは大したことないな! スネイプの質問に答えられないなんて!」

 

授業終わり、談話室に響くロンの()()を無視しながら、私はただ黙々と物思いにふける。

 

 

『……私には()()()()()()()

 

 

ロンを含め、多くの生徒は安直にマルフォイさんが『狼人間』のことを知らなかっただけと考えているみたいだけど……彼女が説明できないなんてことは絶対にあり得ない。確かに『狼人間』のような夜行性()()は、私達が学ぶにしてもまだまだ先のことだ。普通の生徒が知らなくても問題はないだろうし、私のように予習をしていないのなら尚更だろう。

でも、彼女はその普通の生徒には絶対に当てはまらない。私ですら知っているのだ。学年どころか学内最優秀であるマルフォイさんが知らないはずがない。マルフォイさんなら私以上に『狼人間』のことを知っているだろうし、私以上に上手く説明することも可能だろう。

 

では何故彼女はスネイプ先生の質問に()()()()()()のか。

説明『出来なかった』という選択肢がない以上、考えられる可能性は一つだけだ。

 

マルフォイさんは……質問に答えることを()()したのだ。『狼人間』の詳細を知っておりながら、彼女は説明することを拒んだのだ。

 

でも、それはそれで疑問が残る話だった。

スネイプ先生はスリザリンの寮監だ。彼はグリフィンドールにこそ当たりは強いが、スリザリンには贔屓としか思えない程甘いことで知られている。マルフォイさんだってその例外ではなく、『魔法薬学』では随分と可愛がられていたようにさえ思う。マルフォイさんもマルフォイさんで一年生の頃、ハリーを助けようとする先生を手助けしようとするなど、彼女なりに先生のことを慕っていたはずだ。

 

それなのに、彼女は説明を拒否した。先生から直々に指名までされたにも関わらず……特段先生に反抗的な態度を取ったことのないマルフォイさんが……。

そのことが私には不思議でならなかった。

 

「マルフォイさんは何故説明()()()()()のかしら……?」

 

談話室の暖炉を見つめながら、私は呟きを漏らす。

その声は思ったものより大きいものだったのか、マルフォイさんからスネイプ先生への批難に移っていたロンが反応を示した。

 

「スネイプの野郎! 羊皮紙二巻きなんてどうかして……ん? ハーマイオニー、何か言ったか?」

 

「……いいえ、何でもないわ」

 

ロンに話したところで真面な回答は絶対に得られない。私は適当にロンの追及を受け流し、再び思考の渦に沈み込んでいく。

 

不思議な事と言えば、そもそもスネイプ先生の選んだ題材も意味不明なものだった。

ルーピン先生の体調が悪いことは知っていたし、先生の代理でスネイプ先生が教壇に立つこともあり得ないことではない。ここまでは特に不思議な事はない。

 

でも、何故『狼人間』なのだろうか。

 

勿論たまたま先生が選んだ題材が『狼人間』だっただけの可能性もある。学んでいない以上、私とマルフォイさんしか答えられないのは明白であり、スネイプ先生からしたらグリフィンドール生を揶揄する絶好の機会だ。そのためだけに、私達が絶対に学んでいないであろう『狼人間』を選んだのかもしれない。

……でも私には、どうしても先生がたまたま『狼人間』を選んだだけとはどうしても思えなかった。

 

ルーピン先生を必要以上に馬鹿にする発言。まるで生徒達に『狼人間』の危険性について刷り込むような教え方。そしてマルフォイさんとのやり取り……。

 

 

『また()()()()()()()()()()があるのだが、()()()()はまずいのでな』

 

 

考えても分からないことばかりの状況に、私は思考を一度切り、気分転換のために教科書を開く。

今これ以上のことを考えても仕方がない。考えるにしろ、まだ情報が集まり切っていないのは確かなのだ。ならまずは、宿題をかねて『狼人間』について学ぼう。予習しているとはいえ、私がマルフォイさんより知識を持っているとは到底思えない。まずは一つ一つ、彼女に追いつくために勉強しなきゃ。

 

そう思い私は、『吸血鬼』の()()()()()にある『狼人間』について読みふけるのだった。

 

 

この時、窓の外には少しも欠けのない満月が輝いていた。

 



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取引(中編)

 スネイプ視点

 

 バケツをひっくり返したような雨に、頭を低く保たねば飛ばされそうな程の風。しかも時折雷鳴まで響いており、実際近くに落ちているのが見える程だ。

 しかし……それでも今吾輩の視界一杯にホグワーツのほぼ全校生徒が集まっており、雷鳴に負けまいと声援を張り上げていた。

 グリフィンドール対ハッフルパフの学内クィディッチ対抗試合。

 天候がどうであろうが、凶悪犯が城に入り込もうが関係ないと言わんばかりの光景が、今吾輩の前に広がっていた。

 

理解に苦しむとしか言いようがない。

吾輩は昔からこのクィディッチというスポーツが嫌いだった。知性の欠片もなく、あの()()()()ですらプレーすることが出来る野蛮なスポーツ。何故ここまで生徒達が熱狂できるのか、空を飛ぶ事が得意なだけで何故あのような傲慢な男が人気者になれるのか……正直吾輩には理解出来ぬし、これからもする気はない。

……だが教師という立場になってしまった以上、吾輩にはここに来る義務があるのも確かだった。

 

「教員でさえなければこんな所には……」

 

教師がここで目を光らせておかねば、興奮した生徒達がいつ暴徒と化すか分からぬ上、いざという時に生徒を守ることも出来なくなる。どんなにクィディッチが嫌いであろうとも、吾輩がここに来ないという選択肢は最初から用意されてはいなかった。

 

雷鳴と声援が等しく鳴り響く中、吾輩は人知れずため息をこぼす。

本当に憂鬱な話だ。こんな天気なら試合を延期すればよいものを。

いや、天候のことを百歩譲ったとしても、何故今こんなイベントを開催するのか。城に殺人鬼が侵入し、その上奴を()()()()()()()と思しきルーピンも今日は部屋に()()()()()()()()。城に不安要素がある中で、それでも試合を決行する神経が我輩には分からなかった。

いや、分からないというより、解りたくなかった。

何故ならその決断をした人物は、

 

「セブルスよ。ちと気になったのじゃがのぅ……ダリアはどうしたのじゃ? まだここに来ておらんようじゃが? 折角のクィディッチ試合なのじゃ、体調でも悪いのかのぅ?」

 

最も疑わしい()()を疑わず、未だにミス・ダリアを危険人物として認識しているようであったから。

久方ぶりに試合を観戦しに来たダンブルドアの方に、吾輩は内心で何度目かの嘆息をつきながら振り返る。

確かに……ダンブルドアはミス・マルフォイをシリウス・ブラックの共犯とは考えていないのやもしれない。だが危険人物に変わりはないと、こうして吾輩にそれとなく彼女の所在を確認してきたのだ。

再三吾輩がルーピンのことで警告しているにも関わらず……。まるでシリウス・ブラックのことは二の次だと言わんばかりに……。

そんな判断を、吾輩は解りたくなどない。

吾輩は睨むように、()()()()()()()()()()()()ダンブルドアの瞳を見つめ返しながら応えた。

 

「……今回はハッフルパフとグリフィンドールの試合ですから、彼女は談話室におるのでしょう。彼女は兄の出る試合以外には興味ないご様子。今頃寮内で勉学に励んでおることでしょうな。彼女はそこらのボンクラとは一味違いますので。寧ろ()()()()()なのです。彼女の選択こそ正しいものと、吾輩は考えますが?」

 

「そうか……残念じゃ。何、少し気になっただけじゃよ。思えば彼女と試合を観たことなどほとんどなかったからのう。この天気なら、彼女も安心して試合を観戦できると思うたのじゃが……」

 

やはりと言うべきか、ダンブルドアの返事はどこまでも心にもないものだった。

校長は吾輩に応えを返した後、再び視線を試合に戻す。吾輩が予想した通り、ルーピンへの言及は一言もなく……。吾輩の含みを気にすることもなく……。

舌打ちをしたい気持ちを一心に抑え込みながら、吾輩は再度試合に目を向ける。

しかし吾輩は目を向けたとしても、決して試合には集中してはいなかった。暗い感情が奥底から湧き上がってくるようだ。

 

愚かにも程がある。何故気付かないのだ、考えないのだ。吾輩のこの()()()を理解しようとしないのだ。

ルーピンは狼男で、あのシリウス・ブラックの親友だった。おまけに学生時代、吾輩を()()()()()()前歴すらある。そんな奴が犯人でないはずがない。少し考えれば分かるような事実を、何故ダンブルドアは一考だにしようとしないのだろうか。吾輩には校長の考えていることが到底理解出来なかった。

 

いや……ダンブルドアだけではない。吾輩が理解出来ないのは、()()()()()()()()同様だ。

 

吾輩は彼女であれば、このシリウス・ブラックによって齎された状況の中で、いかに狼男であるルーピンが危険な存在であるかを認識できるものと考えていた。

優秀な彼女であれば、吾輩の真意を読み取れるはずだ。

故に彼女には間接的に奴の正体を教えた。そして優秀な彼女はやはり『脱狼薬』の存在を知っていた上に、実際ルーピンの秘密に気がつく素振りも見せていた。彼女はルーピンの学生時代のことを知らないとはいえ、間違いなく奴が狼人間であることには気が付いている。

しかし……。それなのに……ミス・マルフォイは一向にルーピンのことを周りに暴露しようとはしなかった。それどころか、彼女はルーピンを庇っている節すらあった。

 

まるで憐れむように、同情するように、そして……どこか()()するように。

 

理解不能な行動だ。吾輩には彼女が理解出来ない。ダンブルドアの様に彼女を危険な人物として疑っているわけではないが、彼女が何を考えているのか理解できないことは共通していた。

 

「……くそッ。何故だ。何故なのだ。何故吾輩だけがこんな思いをせねばならんのだ!」

 

怒りや憎しみで頭がどうにかなりそうだ。シリウス・ブラックが脱獄したというニュースを聞いてから、自分自身の感情を上手く制御できない。奴が今もノウノウと吾輩と同じ空の下で生きていると考えただけで、吾輩は正常な思考能力を失っていくような気さえした。取り留めのない思考で、思いつく限りの人物に罵詈雑言を浴びせ続ける。

 

吾輩の暗い瞳の先では、ハッフルパフとグリフィンドールが死闘を繰り広げている。グリフィンドールはどこか疲労感を感じさせる動きをしてはいるが、ハッフルパフに対して50点もリードをつけた有利な戦い方をしていた。

……しかし、そんないつもであれば腹立たしい光景さえも、今の吾輩には気になることはなかった。いや、そもそも吾輩は試合を視界に収めてはいても、決して観戦しているわけではなかったのだ。考えることはシリウス・ブラックと、奴を手引きしているであろうルーピンのこと。そのルーピンを擁護するダンブルドアとミス・マルフォイのこと。

 

そして……ブラックの裏切りによって死んだリリーのことだった。

 

暗い感情に支配された吾輩は、決して試合など見ていなかったのだ。

今の吾輩にとって、周りを取り巻く環境、人間の全てが敵であるように思えて仕方がなかったのだ。

 

 

 

 

だからだろう……吾輩はそれが起こった時、一瞬対応が遅れてしまった。

吾輩がここにいる理由は、生徒を守るためだったというのに。

そして、リリーの息子に襲い掛かった、今年最大の危機だったというのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

スリザリンの試合ではないとはいえ、スリザリン寮の()()全員が歓声を上げ続けている。

グリフィンドールよ負けてしまえ、と。

そんな中、風の音に負けないように、僕の隣に陣取っていたパーキンソンが大声で尋ねてくる。

 

「ねぇ! ダリアとダフネの姿が見えないわ! 教員席にもあの子の髪は見えないし! ダフネはダフネでどこにも見当たらないわ! 二人がどこにいるか、ドラコは知ってる?」

 

ここに来ていないたった二人のスリザリン生の所在を尋ねる質問。

僕はそれに対し、同じくあらん限りの声で応えた。

 

「二人は談話室にいるはずだ! 『守護霊の呪文』とかいう呪文を練習するって言っていたぞ!」

 

ダリアはここ最近、この『守護霊の呪文』とやらの練習をしていることが多い。驚いたことに、学校で最も優秀な我が妹ですら習得に手こずっている様子だった。守護霊が吸魂鬼に対抗する唯一の手段だということくらいしか僕は知らないが、ダリアに習得できないのだから相当難しい呪文なのだろう。

だからこんな天気で、尚且つ僕の試合でもなければ、教員席にダンブルドアがいるような悪環境の試合には来ず、ダリアは談話室に籠って呪文の練習をしているというわけだった。

そしてダフネはダフネでクィディッチにはそこそこの興味を持ってはいるのだが、この天気では流石に態々出てくる気にはならなかったのだろう。

その上ダリアの、

 

『ダフネも残ってくれるのですか? よかった。近くにダフネやお兄様がいてくれた方が、おそらくこの呪文は習得しやすくなると思うのです……。その方が、私はより幸福を実感することが出来るので……』

 

という発言もあって、彼女も談話室に籠ることにしたのだった。

ダリアの幸福は()()()()()()()()()。そんなことを言われて、ダフネが残らないはずがない。

しかしそんな事情を知らないパーキンソンは、二人がクィディッチの試合に来ていないことに、どうやら不満を持っているらしかった。彼女は僕の応えに僅かに顔をしかめた後、

 

「あらそう! 主席さんは大変ね! こんな時にも勉強だなんて!」

 

そんな嫌味のような言葉を吐き捨てて、再び試合に視線を戻したのだった。

僕も僅かにため息をつきながら、空で雨に打たれ続けているポッターを見やる。しかし奴を視界にとらえても、僕はあまり試合に集中しているとは言えなかった。

何故なら僕も、こんな試合を観るくらいなら談話室でダリアと一緒にいたかったのだから。

 

「まったくこんな試合……。とっととスニッチを見つけろよな……。それだけがお前の取柄だろうに」

 

確かにクィディッチ対抗戦は寮対抗戦に大きく関わるものだ。これを制すことが出来れば、そのまま寮杯に直結する可能性すらある。

だからこそ、ホグワーツのほぼ全員が試合を観戦する。今後の寮対抗戦を占うために。試合を観戦することは強制されてはいないが、半ば決まりと言っていいものであることに間違いはなかった。

だが……正直僕には、もはや寮杯などどうでもいいことになりつつあるものだった。

一年の時も、そして二年の時も、捻じ曲げられた点数によってグリフィンドールが優勝した。

一年の時は、ポッター達がたかが()()()を守ったという理由で。そして去年は、またもやポッター達が『秘密の部屋』にまつわる事件を()()したとして。ダリアがあれだけの点数を稼ぎ、そしてダリアがあれ程までに苦しめられたのにも関わらず……。

もはや寮杯に対する興味など、僕の中にはほとんど残ってはいなかった。

 

だから僕もスリザリンチームのシーカーでなかったら、こんな試合に来ることはなかった。

シーカー故に、流石にクィディッチの試合に来なければやる気を疑われてしまうと思ったから来たわけだが……正直ダリアと一緒にいた方が百倍有意義な時間であることは間違いない。

そもそもダリアが『守護霊の呪文』を習得しようと思った理由は、僕やダフネを『吸魂鬼』から守るためだ。ダリア自身は何も言わないが、『吸魂鬼』の影響を受けないダリアが『守護霊の呪文』を習得する理由などそれくらいしかない。だからダリアでさえ手こずる呪文を僕が出来るとはあまり思えないが、少なくとも一緒に練習し、そして少しでもダリアの手助けをしてやるのが筋というものだ。考えれば考える程、シーカーであるという理由以外にここにいる必要性などない。寮での立場を少しでも上にする足掛かりを失わないためにも、今シーカーを辞めさせられるわけにはいかないというだけなのに……。

 

ポッターをぼんやり眺めながら、僕は心の中で繰り返す。

雨のせいで酷く気温が低いが、ダリアはちゃんと暖かいところにいるのだろうか。ダフネが一緒にいるはずだが、ちゃんと魔法は習得できたのだろうか。呪文の習得には幸福感が必要だと言うが、ちゃんとダリアは今幸福を感じているのだろうか。

考えることはダリアのことばかり。時が経つにつれ益々試合に対する集中が落ちていくようだ。もう帰ってもいいのではないかとさえ思えてきてしまう。

僕はその場にいるだけで、ただクィディッチにおいて最大のライバルであるポッターの姿を視界に収めるだけだった。

 

 

 

 

そんな時だった。

あれだけ騒がしかった歓声が一斉に消え、皆が選手が飛ぶ空中ではなく、本来なら()()()()()()()()グラウンドを見つめることになったのは……。

 

この日、クィディッチ試合史上最悪の出来事が、ポッターに降りかかることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

「我々が50点リードだ! だがこの天気では、早くスニッチを取らないと夜にもつれ込むぞ! ハリー! 頼んだぞ!」

 

ウッドの宣言と共にタイムアウトは終わり、チーム全員が再び空へと戻っていく。その動きには猛特訓による多少の疲れこそあったが、それ以上の決意と覚悟が垣間見れるようだった。

ハッフルパフを倒し、そしてあの憎きスリザリンも打ち倒すことで、今年もあの輝く優勝杯を手にするのだという覚悟が。

かくいう僕もウッドの言葉に強く頷くと、今までずっと苦楽を共にしてきたニンバス2000と共に飛び上がる。

雨は今まで経験したことがない程強く、風の影響もあって空中はとても寒い。それでも決してスニッチを探すことを諦めず、僕は四方八方に目を凝らした。

 

チーム全体、そしてグリフィンドール寮の全員が、今僕に期待してくれている。スニッチを掴むことで、僕こそが試合に終止符を打つことを。なら、僕はその期待に応えなければいけない。

雨が何だ。風が何だ。雷が何だ。僕はそんなものを恐れたりしない。そんなもので、僕の決意は揺らいだりなんてしない。雨音や雷鳴なんかより、僕にとっては声援の方が遥かに大きく聞こえる。どんなことがあろうとも、僕はスニッチを必ず掴んで見せる。

そんな強い思いを胸に、僕は必死にスニッチを探していた。

 

そう……この時までは。

 

僕はずっと確信していた。ホグワーツは安全なところであると。だからこそウィーズリーおじさんにシリウス・ブラックのことを聞かされた時も、ダンブルドアのいるホグワーツは安全だと高をくくり、寧ろホグズミードに行けないことの方こそを心配していた。それこそシリウス・ブラックが城に侵入した後でさえも……。

だからこの時起こったことは……僕にとっては完全に予想外の物だった。

 

次の瞬間から、僕を取り巻く状況は急転直下に悪化していくことになる。

僕は雨や雷なんかより、ずっと恐ろしいものに襲われたのだから。

 

最初の異変が起こったのは、僕が丁度人がまばらなスタンドの方に目を凝らした時のことだった。

雷鳴が響き渡り、稲妻がスタンドを照らした時……僕は見てしまったのだ。

 

巨大な毛むくじゃらな黒い犬……『グリム』にそっくりなあの犬が、誰もいない席から僕をジッと見つめているのを。

 

試合で興奮していた脳が一気に冷め、まるで世界が止まったような気がした。

スニッチのことすら一瞬にして頭から吹き飛び、指が箒の柄から滑り落ちる。慌てて体勢を立て直した時には、僕は1メートルも落下しており、同時に……スタンドにいたはずの犬も消えていた。

僕は茫然とスタンドの方を見つめ続ける。

 

「な、なんでグリムが……」

 

魔法界では不吉の代名詞であるグリム。『占い学』の度に僕に齎される死の予兆。

そんなものを見てしまった僕は、もはや試合どころではなくなっていた。グリムがいなくなっても、僕の頭にクィディッチが戻ってくることはない。

 

……いや、戻ってきたとしても、

 

『ハリーだけは! ハリーだけは、どうかハリーだけは!』

 

すぐに忘れてしまっただろうけど。

この時僕に襲い掛かった異変は、グリムだけではなかったのだ。

次の異変も突然のことで、同時に立て続けのことだった。

 

あんなに騒然としていた競技場が奇妙な沈黙に包まれたかと思うと、今度はあの女性の声が聞こえてくる。

ただでさえ雨で冷えた体に、どうしようもなく冷たく恐ろしい、あの()()()()()()()()()()()()()ような感覚が流れ込んできた。

 

汽車の中で『吸魂鬼』と遭遇した時の様に。

 

そして……それは間違いではなかった。

まさかと思い下に目を向けると、少なくとも百人単位の『吸魂鬼』が蠢いていた。しかも全員が僕にフードに隠れた顔を向けて……。まずいと思った時には、もうすでに逃げることすら出来ない状態だった。

段々と遠のく意識の中、男女の声が頭に響き渡る。

 

『ハリーだけは! ハリーだけは、どうかハリーだけは!』

 

『退け、馬鹿な女め……。さぁ、退くんだ』

 

視界がぼやけていく。やはり汽車での時と同じ、まるで白い霧の中にいるような気分だ。

そういえば……僕はさっきまで何をしていたんだっけ?

 

『お願い! 私はどうなっても、』

 

『アバダケダブラ!』

 

霧の中に落ちていく。

甲高い笑い声と、女性の悲鳴。ぼくはそれらを聞きながら、やはりあの時と同じく……女性を助けなければという思いに駆られていた。

 

 

 

 

僕が()()()()()()、この数時間後のことだった。

同時に……僕が『吸魂鬼』に気を取らている内に、セドリック・ディゴリーがスニッチを掴んでいた後のことでもあった。

僕を出迎えたのは、試合で敗北したという事実と……僕が落ちたせいで遠くに吹き飛び、運悪く暴れ柳にぶつかったことで粉々になったニンバス2000だった。

 



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取引(後編)

 

ハーマイオニー視点

 

グリフィンドールにとって史上最悪の試合から数日。

事件の中心であったハリーは目覚めたものの、未だに試合での出来事がショックだったのか、マダム・ポンフリーの言いつけを守って医務室で大人しくしている。

そんな彼をいつも通り見舞ってから、ハリーとは裏腹にようやく活気を取り戻しつつある談話室で、私はスネイプ先生の出した『闇の魔術に対する防衛術』のレポートを書いていた。

ハリーのことは勿論心配だけど、学生の本分は勉強である以上こちらも疎かにするわけにはいかなかったのだ。

……あまり集中出来ているとは言い難かったけど。

いつもに比べてレポートが中々完成しない。ロンも同様なのか、まだ()()()()()()()()()()()()()の前で複雑な表情を浮かべていた。

 

「ハリーの奴……まだ落ち込んでいたな。でもまぁ、仕方ないか……。ニンバス2000はハリーが一年の頃から使っていたんだものな。試合にも負けちゃったし……」

 

ロンの言い分に、私のレポートを書く速度が()()()落ちる。彼の言い分に対し、私は全面的には賛成出来なかったのだ。

確かにニンバス2000や試合のことも、ハリーが未だに落ち込んでいる原因の一つであるとは思う。けど……彼を本当に落ち込ませているのは、『吸魂鬼』のことなのではと私は考えていた。

皆が『吸魂鬼』を恐ろしいと言う。私だって恐ろしい。あの冷たい空気、悍ましい容姿。そして幸福感を根こそぎ吸い取られていくような感覚。あれが恐ろしくない()()なんてきっと存在しない。

でも、彼らに近寄られる度に気絶するのはハリーだけだった。彼は思っているのだろう。

 

自分は弱い人間なのだろうか、と……。

 

自分だけが気絶するほど影響を受ける状況に、ハリーが傷つかないはずがない。特に今年は殺人鬼に狙われていたり、ホグズミードに行けなかったりと、色々嫌なことが続いているのだ。考えすぎてしまうのも頷ける話だった。

しかし、それを感情の機微の分からないロンに言っても仕方がない。私は()()()()()()のレポートを書きながら応えた。

 

「……確かに箒も試合も残念だけど、彼が無事だったのなら、そんなのは些細な事よ。彼、一歩間違えたら死んでいたのよ。ダンブルドアがいなかったらどうなっていたか……。校長先生が呪文をかけてくれなかったら、ハリーは死んでいたわ」

 

「うん、まぁ……そうなんだけど……。20メートルは落ちたもんな……。それに『吸魂鬼』を追い払ったのもダンブルドアだ。……僕、あんなに怒ったダンブルドアを初めて見たよ」

 

今度の発言は私も()()同意できるものだった。

ロンの言う通り、私もダンブルドアがあれ程怒ったことなど見たことない。雨越しでも分かる程顔を紅潮させ、グラウンドに集まる『吸魂鬼』に()()()()()を浴びせる姿は鬼気迫るものだった。

 

でも、あれ程怒るのなら……。

 

私はレポートを進める手を()()()止め、あの時のダンブルドアの様子を思い出しながら続ける。

 

「そうね……。でも、これでダンブルドアが()()()()『吸魂鬼』を敷地内に入れないようにしてくれるはずだわ」

 

知らず知らずの内に、私の返事は少しだけ険を含んだものになっていた。

別にダンブルドアの対応が悪かったと思っているわけでも、校長に対しての尊敬の念が揺らいだわけでもない。ダンブルドアは今世紀最も偉大な魔法使い。彼に防げなかったということは、誰にだって無理なことだったのだ。ダンブルドアに落ち度なんてない。そんなことは分かっている。

でも、それでも……。

 

『ワシは()()、ダリアを疑ったことは一度としてない』

 

不満がないと言えば、嘘になってしまうだろう。

シリウス・ブラックが城に侵入した夜の発言を思い出す。寝入ったふりをしていた私達のそばで、確かにダンブルドアはそう発言していた。

私にはあの言葉がどうしようもなく、マルフォイさんを去年は疑っていたことを……そして、()()()マルフォイさんを危険人物とは考えていることを表しているような気がした。

そんなこと、私が過敏になり過ぎているだけだとは思う。冷静に振り返ってみれば、ダンブルドアの発言にそんな意図は一切ないことが分かる。ただダンブルドアは、マルフォイさんがシリウス・ブラックの共犯ではないと言いたかっただけ。

でも、それでも……私は考えてしまうのだ。

 

もし……もしも、私が感じ取ってしまったことが正しかったとしたら……それはなんて理不尽な言葉なんだろうか、と。

 

マルフォイさんは『継承者』ではなかった。その事実を知っているのは、事件が解決した後に副校長室にいたメンバーだけ。それ以外の生徒達は、未だにマルフォイさんを事件の首謀者だと考えている節がある。私達はジニーがこれ以上辛い目に遭わないために、秘密の部屋の真実を黙秘したのだ。

マルフォイさんを犠牲にして。真実を話さないことで、マルフォイさんが煩わしい視線に曝され続けることを知っていて……。

それなのに……ただでさえ理不尽な目に遭っているマルフォイさんを、まだ危険な人物だとして疑う。それはどうしようもなく理不尽なことに思えて仕方がなかった。

本来なら彼女に謝るべきなのだ。ジニーのために謝ることが出来なかったとしても、少なくとも彼女が『継承者』ではなかったという事実だけは明言すべきなのだ。

それがどうだろう。ダンブルドアは謝りもしないどころか、彼女に対して未だに……。

 

考えれば考える程、心の中に何かモヤモヤした感情が渦巻いていく。ダンブルドアの発言を盗み聞いてから、何だか私の足元が少しだけ揺らいでいくような気さえする。

私はついに思考に没頭するあまり、レポートを書く手を止めてしまう。もはやレポートを書くような気分ではなかったのだ。

そんな私の思考を遮ったのは、

 

「ハーマイオニー! 手が止まっているじゃないか、どうしたんだい? 早くレポートを完成させてくれないと困るんだけど……」

 

私の完成したレポートを虎視眈々と狙うロンの大声だった。

声に反応して視線を上げると、相変わらずロンのレポートは一行たりとも進んではいない。どうやら彼は私のレポートを写す気で、こんな風に私の前に居座っているらしい。勿論ハリーのことが心配なのもあるのだろうけど、スネイプ先生の宿題を真面目にする気など最初からなかったのだろう。

いつもであれば、私はロン本人のためにも突き放すような発言をする。特に今回の『狼人間』は、魔法界において非常に重要な知識なのだから猶更だ。未だにスネイプ先生が何故この題材を選んだのかは分からないけれど、魔法界で暮らすなら必ず覚えていた方がいい知識なのは間違いない。他者の宿題を写すだけでは意味はないのだ。

……でも、今の私にはロンの将来まで真面目に考えている余裕などなかった。私はため息を吐き、まだ完成していないレポートをロンに差し出し応える。

 

「大丈夫よ、ロン。ちょっと考え事をしていただけ。それにほら、今なら写していいわ。私は少し気分を変えて、教科書の()()()()()を読むから」

 

「……いや、写させてくれることは嬉しいんだけどさ、何だかいつもの君らしくないよ。いつもならもっと反対するはずなんだけど……」

 

ロンの呟きを無視しながら、私は宣言通りに『狼人間』とは別のページを開く。

確かにレポートを続ける気分ではなくなったけど、勉強を止めるわけにはいかない。ルーピン先生の体調が戻らない間、スネイプ先生が『闇の魔術に対する防衛術』の教鞭をとり続ける可能性がある以上、私は他の夜行生物を予習しなくてはならないのだ。彼女は『狼人間』についての質問に何故か()()()()()()けど、必ず私以上の知識を持っているはずだ。マルフォイさんに早く追いつくためにも、私は勉強をし続けなければいけない。

彼女が質問に答えなかった理由……そして、スネイプ先生が『狼人間』を題材に選んだ理由を知るためにも。

 

そう思い、私は手始めに『狼人間』の前のページ、『吸血鬼』の項目を開く。

私の開いたページには、牙をむき出しにした恐ろしい吸血鬼の挿絵が描かれていた。

血に飢えたように牙をむき出し、今まさに恐怖に震える人に襲い掛かろうとしている、そんな恐ろしい絵が……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「お兄様、ダフネ。今の『守護霊』、どう見えました? 何かの動物に見えているでしょうか?」

 

ハッフルパフ対グリフィンドールの悲惨な試合が行われてから数日、試合での出来事を聞いた私は、今まで以上に深刻な気持ちで『守護霊の呪文』の習得に励んでいた。

もう一刻の猶予もない。老害を僅かでも信用し、『吸魂鬼』が校舎内には入ってこないと考えた私が馬鹿だった。やはりあの生き物は他者の命令を聞くような殊勝な心など持ち合わせていないし、老害に奴らを止める力もない。今回はお兄様の試合ではなかったから良かったが、次奴らが入ってこない保証などどこにもないのだ。

次箒から落ちるのはポッターなどではなく、お兄様の可能性だってある。

だから私は何としても自力でお兄様をお守りするため、こうしてお兄様達にも手伝ってもらいながら、『守護霊の呪文』の練習をしていた。最初はお兄様達の迷惑になるかもとも思ったが、習得できない方が遥かに問題だと考え直したのだ。

全てはお兄様が試合に出場された時、私が確実にお兄様達を守ることが出来るように。

しかし……

 

「う~ん。最初の靄よりかは形になっているが……何の形かまでは分からないな。すまない、ダリア」

 

「そうだね……。でも羽があるみたいだし、()のような気がするのだけど……何の鳥だろうね? まぁ、ダリアの守護霊なんだから、きっと綺麗な鳥で間違いないよ」

 

呪文の習得が上手くいっているとはお世辞にも言えなかった。

確かに銀色の霞のようなものは出せている。初めの頃はこの霞すら出なかったことを考えると、多少の進歩はしていると言えるのだろう。

だがそれだけだ。これではお兄様とダフネを同時に守ることは出来ない。せいぜい私一人を守る程度のものであり、それすら『吸魂鬼』の影響を受けない私には関係のない話だ。お兄様とダフネを守れないのであれば何の意味もない。

私の『守護霊』習得は、完全に行き詰っていた。

 

「これでは駄目ですね……。何が……一体何が()()()()のでしょうか」

 

私は二人に聞こえないように、口の中で小さく不満をこぼす。

しかし私が不満そうな無表情を浮かべているのに気が付いたのだろう。ダフネが私の守護霊もどきを突っつきながら、明るい声で話しかけてきた。

 

「それにしても、この『守護霊の呪文』って相当難しいんだね。難しい呪文だってことは知ってたけど、まさかダリアにさえ中々習得できないなんて。ルーピン先生はよくこんなものを出せたね。やっぱりあの先生は凄い先生なの?」

 

ダフネはやはり優しい子だ。かなり無理やりな話題転換である気もしたが、彼女なりに私の気分転換を図ってくれているのが分かる。

ダフネの気遣いに、私は先程までの不満顔から一転、思わず表情がほころんでしまっていた。

 

幸福だ。私は今、確かに幸福を感じている。

()()()()()()()、そうと知りながら愛してくれているマルフォイ家。そして私の大切な親友であるダフネ。彼らとの時間以上に、私は幸福な時間を知らない。

()()()()()()である私が、どうして他者に()()()()()()()()()()()()()()の幸福を求めることが出来ようか。

やはりダフネや家族といる時間こそが私の幸福なのだ。殺人を思い浮かべながら呪文を唱えても何も出なかったことから、これこそが私の幸福な気持ちであることに間違いない。望みと幸福は全くの別物ということなのだろう。

だから私の守護霊が完成しないのは、きっと()()問題があるからなのだ。

 

私は不満顔を引っ込め、ダフネの優しさに苦笑しながら応えた。

 

「そうですね。この呪文はダフネの言う通り、並の大人ですら習得に手こずるものです。少なくとも、今までの防衛術の先生達は習得すらしていなかったことでしょう。去年の詐欺師とは比べることすら失礼なのでしょうが……。ルーピン先生は間違いなく優秀な先生ですよ」

 

「……よかったね、ダリア。ようやくいい先生と巡り合えて」

 

私はダフネの言葉に素直に頷く。

本当に素晴らしい教師だと思う。狼男だったり、それに気が付いた私に少々鬱陶しい視線こそ送ってはくるが、それさえ無視すればどの教師よりも素晴らしい授業を行っていると言える。

私の大好きな『()()()()』に()()()()()()を教える先生でもあるため、私は今ルーピン先生の授業を一番楽しみにしていた。

そしてそれは私だけの意見というわけではなく、ダフネやお兄様のものでもあるようだった。ただ、

 

「ふん、あんな汚らしい恰好をしているんだ。()()()ボロを出すさ。だがそんなことより……ダリア。あいつのことでなんだが……何か悩んでいるんじゃないのか? 最近あいつと何かあったのか? もしそうなら、」 

 

「いいえ。大丈夫ですよ、お兄様。ただ何と言いますか……少し扱いに困る情報を得てしまっただけですので。これと言って私に不利益が降りかかることはないのでご心配なく。困るのはどちらかと言うと、ルーピン先生だけですよ。まぁ、それが悩みと言えば悩みなのですが」

 

「そうか……。ダリアがそう言うのなら、()()それでいい。だが、何かあったら必ず僕に言うんだぞ。去年のように、待っているだけなんて嫌だからな……」

 

多少私が先生のことで悩んでいることが気になっている様子ではあったが。

おそらく私へ送られる視線や、それに対しての私の僅かに余所余所しい態度に違和感を覚えたのだろう。しかし、それもそこまで強く追及されるようなことはない。去年のように自己の存在に対する悩みではない上、そこまで深刻に悩んでいるわけではないと思ったのだろう。

結果、二人は多少の懸念を持ちながらも、私の楽しみを心から応援し続けてくれていた。

本当に……今年は『闇の魔術に対する防衛術』の先生が真面目でよかった。今年も去年同様の先生なら、私はもうこの学校に期待することなどなくなっていた。お兄様達も、私を苦しめ続けていただろうこの科目から引き離していた。ルーピン先生だから、私は今年の『闇の魔術に対する防衛術』の授業を楽しめているし、お兄様達もそんな私を応援してくれているのだ。

 

……だからこそ不思議だった。

何故スネイプ先生はあそこまでルーピン先生を目の敵にしているのか。『脱狼薬』を作れるにも関わらず何故、人狼をあそこまで犯罪者の如く扱おうとするのか。

そして、

 

「マ、マルフォイ様。ご歓談中失礼します。その、スネイプから伝言を頼まれまして……。すぐに研究室に来るようにとのことです……」

 

何故こうまで執拗に、私に秘密を暴露させようとするのかが。

 

私の幸福な空間に、突如水を差すような言葉がかけられる。声の方に目を向ければ、たった今談話室に帰ってきたらしい男子生徒が、怯えた表情を浮かべて立っていた。

どうやら私の表情は読めないものの、垂れ流す空気が冷たい物に変わったことには気が付いているらしい。彼はさらに表情を青ざめさせながら続けた。

 

「わ、私もマルフォイ様にこのようなことを伝えたかったわけではないのです! ただ、相手は教師であるから仕方なく! と、ともかく、スネイプが先程()()()()()()ものがあるから研究室に来いと! そ、それでは、わ、私はお伝えしましたので!」

 

そして逃げるように男子生徒は去り、再び私達だけが談話室に残される。

しかし、先程まであった穏やかな空気ではもうなくなっていたのだった。

まったく……最近のスネイプ先生は本当に余計なことをしてくれる。

 

「……そう言えば、この前の授業の時にスネイプがそんなこと言っていたな。まさか本当に呼び出してくるとはな……。『狼人間』のことをダリアが()()()()()()くらいで、なんでダリアが罰則を受けないといけないんだ?」

 

「そうだよね。それに、運んでほしい物って前と同じものでしょう? それくらい自分で運べばいいのに……」

 

お兄様達の訝し気な声が談話室に響く。二人ともスネイプ先生の論理的とは言えない行動を不思議がっている様子だ。しかし私もそんな二人の疑問に答えることは出来ない。何故なら私もスネイプ先生の考えていることが理解出来てはいないのだから。それでも、

 

「……考えても仕方ないですね。罰則ではないことが救いと考えるしかありません。では、お兄様、ダフネ。少しだけ席を外します。()を届けたら、またすぐに戻ってきますので」

 

私に行く以外の選択肢はないわけだが。

正直罰則ではない関係上、私が先生の依頼を無視しても特に問題はない。しかしその場合、スネイプ先生がルーピン先生に薬を届けない可能性がある。まさか満月の期間中にそんなことをするとは思えないが、生憎今は満月の時期ではない。薬は謂わば予防のようなものだ。私が来ないなら仕方がないと、スネイプ先生が嫌がらせのために薬を運ばないかもしれない。

今の先生は何をしでかすか分からない、そんな危うさがあった。

私は先日のスネイプ先生の憎しみに沈んだ表情を思い出し、お兄様達に一言言った後、薬の配達をさっさと終わらせるために談話室を足早に後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

セブルスが私のことを心底嫌っているのは知っていた。

それもそうだろう。私、ジェームズ、ピーター、そしてシリウスの4人は、お世辞にもセブルスにとっていい人間だったとは思えない。あの輝ける学生時代、僕達はまだまだ子供だった。才能に酔いしれて傲慢になっていたのだ。後から振り返ると、何故あのようなことをしたのかと頭を抱えたくなるようなことなどごまんとある。その中でも、特にセブルスには多大な迷惑をかけたように思う。彼は彼で僕達に嫌がらせじみたことをしてはいたが、それでも僕達が彼にしていたことを考えるとまだ可愛いものだ。

だから彼が僕を嫌う理由は分かる。寧ろ友好的に接されると思う方がどうかしている。昔のいじめっ子であり、その上『人狼』である僕を警戒しない方がおかしい。

 

でも、だからと言って……

 

「先生。お届け物です」

 

こんな嫌がらせをしてくるのは、流石に納得しかねるものがあった。

満月の時期が過ぎ、ようやく夜に狼へ変身することがなくなったとはいえ、私の体調はまだ全快というわけではない。だから部屋に籠って休んでいたわけだが、そんな私の耳に届いたのは、私が今最も警戒し、恐れている生徒のものだった。

私に届け物。そんなもの、考えるまでもなく一つしかない。

 

セブルスは再び『脱狼薬』の配達を、ダリア・マルフォイに頼んだのだ。

私の正体を彼女に露見させるために。

 

いくら私を嫌っており、そしてシリウスの共犯者として疑っているとはいえ、これはあんまりではないだろうか。

『狼人間』についての講義をすることもどうかと思うが、これは正直常軌を逸脱しているように思える。よりにもよって、ダンブルドアが最も警戒する子に……。兄思いの面も垣間見える不可思議な子ではあるが、ダンブルドアが警戒しろと言う以上、私は()()()()()()()()()のだ。それをセブルスは……。

私はドアの向こうにいる人物に聞こえないようにため息をつくと、覚悟を決めて中に呼び入れる。

 

「あ、あぁ、ありがとう。ダリア、中に入ってくれるかい?」

 

「……はい。失礼します」

 

ドアがゆっくりと開かれる。案の定ドアの向こう側にいたのは、白銀の髪と薄い金色の瞳で彩られた少女、ダリア・マルフォイだった。

彼女は湯気の立ち昇るゴブレットを片手に持ちながら、()()()()()()()()()()()()何の躊躇いもなく入ってくる。

そしてゴブレットを近くのテーブルに置くと、

 

「前回の授業で体調が優れないとお聞きしたのですが、今の顔色は良さそうですね。体調は大分戻られたのですね。よかったです。()()()()()()()()()()()()、お体には気を付けてくださいね。ではここにスネイプ先生からの薬を置いておきます。それでは……」

 

どこか白々しいセリフを勢いよく言って、そのまま部屋を出て行こうとしたのだった。

私はそんな彼女に慌てて声をかける。

 

「待ってくれ、ダリア! 前回もそうだったが、折角運んでくれたというのに、私は何も出せていなかった。どうだろう、もしよければお茶の一杯でもどうだい?」

 

ここを逃してしまえば、私はずっとこの子のことで怯えなければならなくなる。

私はここ最近、ずっとダリア・マルフォイに視線を送っていた。彼女が『脱狼薬』の存在で、私の秘密に気が付いた可能性があったから……。

だから彼女を警戒し、恐怖していた。もし私が人狼だと周囲に言いふらされれば、私はこの仕事から追い出されてしまう。いや、教職から追放されることも恐ろしいが、もっと恐ろしいことに、私を推薦して下さったダンブルドアに迷惑をかけてしまう可能性がある。彼女は()()マルフォイ家だ。校長が狼人間を教員にしていたと分れば、必ずやそれを理由にダンブルドアを攻撃するだろう。そんなことだけは、絶対にあってはならないことだった。

 

今も視線を白々しく無視し続けるダリアに、私は重ねて声をかける。

彼女が本当に私の正体に気が付いていないかを知るために。もし知っているのだとすれば、彼女の目的を聞き出すために。

そして……彼女にどうしようもなく感じていた違和感を理解するために。ダンブルドアが話していた彼女と私の感じていた彼女、その違いを理解するために……。

 

「勿論大したものじゃない。何せティーバッグしかないからね。でもどうだろう。折角運んでくれたのに、何もしないというのも寝覚めが悪くてね……。私の我儘だが、付き合ってはくれないかい?」

 

正直これは賭けだ。こんなあからさまな誘い文句に、彼女がのってくる可能性は低い。ハリーは誘いに応えてくれたが、ダリアとは状況が全く違う。彼女の考えを()()()()()方法は思いついているが、誘いにのってこなければ何の意味もない。

だが、そんな私の心配は、

 

「そうですか……。ではお言葉に甘えて」

 

杞憂に終わったのだった。ダリアは私の誘いにいとも簡単に応え、そして、

 

「これ以上無視しても、先生がお辛いだけでしょうし……」

 

何事か呟いた後、僕の指し示す席に腰掛けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

誘いにのったのは迂闊な判断だった。先生との奇妙なお茶会が始まった瞬間、私はそれを悟ることになる。

 

自身の秘密が他者に露見する。

致命的な秘密を抱える人間にとって、これ程辛く恐ろしいことはないだろう。特にルーピン先生の場合、露見したかもと思われるのが私なのだ。老害に何か吹き込まれただろう先生にはさぞ恐ろしい時間だったに違いない。

怪物である私には、ルーピン先生の恐れが理解も共感も出来る。

だからこそ、私は先生が安心できるように、先生の分かりやすい誘いにのったのだ。本当はお兄様達のいる談話室に早く帰りたい。しかしここで先生の誘いを無視すれば、先生は今後も私に鬱陶しい視線を送ってくる。先生だって宙ぶらりんな可能性に怯える方が嫌だろう。私はそれを止めさせるため、こうして気が付いていない演技を目の前でして差し上げようと……そう思っていたのだけど、

 

「どうぞ、ダリア。ティーバッグで申し訳ないが飲んでくれ。私は紅茶を飲む前に、まずこの薬を飲むことにするよ。この薬はとても苦くてね……()()を取ってくれないかい?」

 

いきなり難題に向き合う羽目になってしまったのだった。ルーピン先生の言葉に、私の動きが静止する。

何故なら砂糖を渡せるわけがなかったのだ。

確かに『脱狼薬』はごく最近できた画期的な薬だ。これさえ飲めば、狼人間は満月でも理性を保てる。まさに夢のような薬。人狼であれば誰しも欲しがる薬だろう。

しかし、この薬には大きな欠点がある。ルーピン先生の言うように、この薬はとんでもなく苦いのだ。勿論私は飲んだことなどないが、文献にはとてつもなく苦いと書いてあった。しかも魔法薬の特性上砂糖を入れるわけにもいかない。

それなのに、

 

「どうしたんだい? 何か砂糖を渡してはまずいことでもあるのかい?」

 

先生は私に砂糖を渡すことを要求してきたのだった。優しい口調とは裏腹に、どこか探るような視線を送る先生を見つめ返す。そしてその僅かに細められた瞳を見た瞬間、私は悟った。

 

これは罠だった。私が『脱狼薬』を知っているのか、それを判断するための罠だったのだ。どうりでやや強引と思われる程私に紅茶を勧めるわけだ。私は見事に先生の罠にはまり、気が付けばもうどうにもすることが出来ない状況に陥ってしまった。私は先生の言葉に動きを一瞬止めてしまった。これではもう、どう言い繕おうと先生に気が付かれてしまう。

 

私は自分の失敗を悔やみながら、必死になって思考する。

私には選択肢が二つある。拒否することと、大人しく砂糖を渡すことだ。

だがもし私が砂糖を渡すことを拒否した場合、先生に私が『脱狼薬』について知っていたことが完全にバレてしまう。

 

『砂糖を入れるな』

 

とスネイプ先生が言っていたと言い訳できるかもとも考えたが、そんな初歩的なことを先生が伝えていないとは考えにくい。それにもしスネイプ先生が私に言っていたのだとしたら、一回目の運搬時に私が伝えなかったのはどう考えてもおかしい。満月直前の一回目は伝えず、満月を過ぎた二回目から伝えるなどあり得ない。ごり押しで話を通すことも可能かもしれないが、それでは決してルーピン先生の不安を拭うことは出来ないどころか、より一層不安感を強くさせてしまうことだろう。

 

では砂糖を渡すことを受け入れたとしたら……それはそれで問題がある。というより大問題だ。

確かに私が知っていたことを誤魔化せるかもしれないが、そもそも私はこの判断に時間をかけすぎている。もうどう言い繕っても駄目だ。それにあくまで予防としてとはいえ、薬を飲むにこしたことはない。いきなり理性が消し飛ぶことはないが、安全面では些か疑問が残ってしまう。

だからこそ私は、

 

「……先生、その薬に砂糖を入れてはいけませんよ。ご存じでしょう?」

 

こう応えるしか道はなかったのだった。私は迂闊に先生の誘いにのったことを激しく後悔する。

これで当初の、先生の疑いを完全否定する演技をするという作戦は完全に瓦解してしまった。

 

「先生も人が悪い……。こんなことで私を試すなんて」

 

私の呟きで、私が自身の罠に気が付いたことが分かったのだろう。先生は僅かに目を見開いた後、

 

「……まさか私の意図にすぐに気が付くとはね。でもやはり……君は気が付いていたんだね。私が『狼男』であることを……」

 

再び視線を鋭いものにして、私に対する警戒を露にしたのだった。どちらか分からない宙ぶらりん状態も恐怖を感じるが、やはり秘密が露見していたことも嫌なのだろう。まぁ、当たり前のことだが。

私だって、実は秘密がバレていたと分かれば軽い恐慌状態に陥る。ダフネのような大切な人間ならいざ知らず、赤の他人にバレること程恐ろしい物はない。

こうなっては仕方がないと、私はずっと無視し続けていた視線を見つめ返した。

 

「えぇ、そうですね。スネイプ先生の調合を手伝わされましたので。その時に『脱狼薬』だと気が付きました」

 

「そうか……やはりスネイプ先生の目論見通りというわけか」

 

それっきり、嫌な沈黙で部屋が満たされる。お互い何と言っていいのか分からないのだろう。先生は先生で益々視線を鋭くしているし、私は私で何と先生に言葉をかければいいのか分からなかった。

ダフネのような優しい子ならこんな時に言う言葉が分かるのだろうが、生憎私は優しくも、彼女の様に会話が上手というわけでもない。

結果少しの間、私達の間には緊迫した空気が流れ続ける。そんな空気を最初に破ったのは、

 

「それで……ダリアはそれを知ってどうするつもりなのかな? ずっと前から知っていたなら、いくらでも周りに言う時間があったはずだ。何故周りの子に私のことを言わなかったんだい?」

 

ルーピン先生だった。私が答えるとは思っていないのだろうけど、恐る恐るといった様子で尋ねてくる。先生にとって聞くだけで勇気がいる質問に違いない。

でも私の応えは実にあっさりとしたものだった。

 

「いえ、どうもするつもりはありません。お兄様や、()()()()にも話していないのですよ? 他人に言いふらして回るつもりなんて最初からありませんよ」

 

正直これしか答えようがない。理由を尋ねられても、

 

「どうしてだい? 私は人狼だよ。優秀な君のことだ。スネイプ先生が教える前から、人狼の危険性なんて分かり切っているのではないのかい? それなのに、何故?」

 

「いえ、何故と言われても……。『脱狼薬』があれば、先生は理性を失わずに済むのです。それをどうして態々追い出す必要があるのですか?」

 

理由の半分しか答えることが出来ないのだから。まさか私も秘密を抱えているからなんて言えるはずがない。どうしても当たり障りのない、且つどこか信憑性に欠けるものになるしかなかった。

案の定、ルーピン先生は少しも納得した表情をしていない。益々私のことが分からなくなったと言わんばかりの表情を浮かべている。

やはり大人しく砂糖を渡しておけばよかったか? 

宙ぶらりんの方が嫌だろうと思ったことが間違いだったのか? 

 

堂々巡りの状況に私も少し困ってしまい、所在無げに紅茶に口をつけたのだが……紅茶から立ち昇る()()()のような湯気を見た瞬間、私は名案を思い付くことになる。

そう言えば、先生は『守護霊の呪文』を使えていた。それで私は先生のことを優秀なのだと判断出来たのだ。汽車での守護霊は確かに完全に形になっているものではなかったが、それでも先生が何かしらの呪文のコツを知っていることには間違いない。

……そうだ、もしやこれは千載一遇のチャンスなのではなかろうか。これなら私は先生からもっと多くのことを学べるし、先生は先生で、私の()()()()()()()()()は秘密は露見しないと安心することが出来る。ようは先生は理由が知りたいのだ。理由を用意してしまえば、先生は少しは安心出来るのではないだろうか。

そう思いついた瞬間、私は一も二もなくそれを口にしていた。

 

これから約一年、先生との奇妙な時間を始める第一声を。

 

「納得されていないみたいですね。では……私と取引しませんか? それならば、先生も少しは納得できるでしょう?」

 

突然の申し出に先生は驚いてしまうだろう。下手したらより警戒させてしまうかもしれない。

でも、私はどうしても習得したいのだ。『守護霊の呪文』を。

そしてもっと知りたいのだ。先生の授業を。……先生自身のことを。

 

「……なんだい、その取引というのは? 君は私に何を要求するつもりなんだい?」

 

私は眉を上げる先生に言い放った。

 

 

「私に定期的に授業を、『守護霊の呪文』を教える授業をしてはいただけませんか? お恥ずかしながら、私はこの呪文がどうしても使えないのですが……先生はこの呪文が使えますよね? だから教えて欲しいのです。私に『守護霊』の出し方を。()()()()()()()()()。私は先生の授業をもっと受けたいのです」

 



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ホグズミード

 

 ダンブルドア視点

 

「申し訳ありません、ダンブルドア。私のせいで貴方にご迷惑を……」

 

「よい、よいのじゃ、リーマス。寧ろ謝るべきはワシの方じゃ。セブルスにもっと強く言うておけば、このような事態にならずに済んだのじゃ。本当に、すまなかったのぅ」

 

生徒が寝静まった時間。校長室に真剣な表情で入ってきたリーマスの話を聞き、ワシは内心頭を抱え込みたい気持ちを堪えながら話していた。

セブルスがリーマスを追放したがっておる。そのことにはずっと前から気が付いておった。セブルスは今、シリウス・ブラックに対する憎しみで我を失っておる。そしてその憎しみが、嘗てのシリウスの友人であったリーマスに向く恐れがあると、ワシはリーマスを教員にする以前から予想はしていた。

じゃが、まさかここまで強硬な手段を取ってくるとは……。しかもよりにもよって、

 

「しかし……まさかダリアにお主の秘密を洩らすとはのぅ」

 

彼女を選択するとは

認識が甘かったとしか言いようがない。ハロウィーンの時のように、適当に話を聞いておけばセブルスを抑えられると考えておったのじゃが……実際はもうあの時点でダリアに秘密を漏らしておったとは、ワシにも予想外の出来事じゃった。

確かにセブルスはただ薬の調合と運搬を依頼しただけ。一般的な生徒であれば、そのようなことでリーマスの秘密にたどり着くことは出来ん。『脱狼薬』はつい最近発明された薬じゃ。生徒の中でその存在を知っておる者など片手で数えられる程しかおらん。

じゃがその数人の中に、ダリア・マルフォイが含まれておることは間違いなかった。学年どころか学内で最も優秀な彼女が、最新の薬とはいえ、『脱狼薬』の存在を知らぬとは思えん。

そしてその予想は当たっておった。

 

ダリアは、リーマスが『狼人間』だと気づいておる。

リーマスの機転により、ダリア本人がそれを()()したのじゃから間違いはない。

……状況は考えうる限りで最悪の物じゃった。

よりにもよってダリアに露見してしまうとは……。

 

「まずい状況になったのぅ……」

 

ダリアが……トムと同じ空気を持った少女が、このような秘密を知って何もしてこないとは考えにくい。()()()()()彼の兄どころか、ワシを未だに学校から追放したがっておるルシウスが黙っておることから、彼女が周囲にリーマスのことを漏らしておらんことは分かる。じゃが、それもいつまでもつかは分からん。今はリーマスに謎の取引を持ち掛けるだけで終わっておるが、いつ彼女の気が変わるかなど分かったものではない。そうなればリーマスは良くて学校から追放させられ、悪ければ社会的に抹殺されてしまうことじゃろう。理事を解任されたとはいえ、ルシウスはそれだけの影響力を未だに持っておる。ワシも多少保護者から文句を言われるやもしれんが、リーマスが負うやもしれん苦しみに比べれば些細なことじゃ。

自身の失態がリーマスを追い詰めてしまったと考えると、ワシは彼に対して申し訳ない気持ちで一杯じゃった。

しかし、

 

「……私はどうすればよろしいのでしょうか?」

 

そんなワシの不安と後悔を、これ以上リーマスに見せるわけにはいかなかった。

ワシの呟きを聞いていたリーマスが、内心の不安を隠しきれない様子でワシに尋ねてくる。

失敗じゃった。今本当に不安な思いをしておるのは、ワシではなくリーマスの方じゃ。今ワシが不安な表情をしていて、一体誰がリーマスを安心させられるというのじゃ。

そう思いなおしたワシは、彼に対しなるべく安心できるような表情を作りながら応えた。

 

「……大丈夫じゃ。お主が心配するようなことは何もない。幸い、まだダリアがお主のことを周りに漏らしておらんことは間違いない。何故彼女が『守護霊の呪文』を、君に取引を持ち掛けてまで習得しようとしておるかは分からぬが……少なくとも彼女が呪文を()()()()()()()猶予があるはずじゃ」

 

「ということは……私は彼女の話に乗ればよろしいのですか? 私が彼女に『守護霊の呪文』を教えれば?」

 

ワシはリーマスに頷きながら続けた。

 

「そうじゃ。というよりも、それしか道はない。それに、これは見方によって好機なのじゃ。ワシらはダリアのことを()()()()()()。彼女の人となり、彼女の()()()()()、そして『秘密の部屋』に彼女がどのように関わっておったかまで……彼女について、ワシらはあまりにも知らぬことが多すぎる。じゃからのぅ、リーマス。彼女のことを、お主に調べて欲しいのじゃ。彼女はワシのことを警戒して、ワシにその心の内を見せようとはしてくれん。ワシはお主がダリアのことを調べておる間、お主のことが露見した時に備えて理事達に根回しするとしよう」

 

これがただの気休めだということは、言葉を口にしたワシにも分かっておる。しかし、リーマスを元気づけるためとはいえ、まったくの出任せというわけでもなかった。実際、これは好機はじゃとも思うておった。

『守護霊の呪文』には、人それぞれの幸福の記憶が必要になる。そしてその記憶の形に合わせ、その人物特有の形をした動物が現れる。

授業をしてくれと頼む以上、リーマスがダリアの幸福の形を知る機会は山ほどあることじゃろう。それは間違いなく……彼女の人となりを知る切欠になるであろう。

 

あるいは彼女が優秀であるにも関わらず、『守護霊』を()()()()()程危険な人物だという事実を……。

 

ワシは未来のために知らねばならん。

彼女の本質を。彼女の望みを。そして……彼女の本当の危険性を。

ワシは子供たちの未来のため、決して第二のヴォルデモートを生み出すわけにはいかぬのじゃから。

 

「分かりました……。貴方がそう仰るのなら」

 

ワシの言葉が功を奏したのか、先程とは違いどこか安心したような表情を浮かべるリーマスに頷きながら、ワシは何とはなしに校長室の窓の外を見やる。

時間もかなり遅いため外はすっかり暗くなっていたが、それを差し引いても外が暗くなっていることが分かった。

星すら覆い隠している曇り空を眺めながら、ワシは静かにこぼす。

 

「……この時期は天気はようないのぅ。この分じゃと、今週末のホグズミード行きも曇りになりそうじゃ」

 

外にはワシらの未来を暗示するような、暗澹たる曇り空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

遂に……遂にこの時がやってきた。

グリフィンドールの敗北から数日。ようやくやってきた週末に、私は思わず鼻歌を歌いそうな程興奮している。

何故なら今日は、

 

「外は寒いですね。ダフネ、よろしければ……手をつないでもらってもいいですか? そちらの方が温かいはずですから……」

 

ダリアと行く、初めてのホグズミード行きなのだから。

日光は厚く空を覆った雲に遮られているとはいえ、念のため日傘をさした状態のダリア。髪や肌とは対照的な黒色の服を着こみながら、私に少し恥ずかしそうな無表情で手を伸ばしてくる。

……いけない、あまりの可愛さに鼻血が出そう。

私は飛びつくようにダリアの手袋をはめた手を握り返しながら思う。

 

あぁ……これが幸福なのだ。ダリアは私といることこそが幸せと言っていたけど、それは私も同じなのだ。

大好きな親友と他愛もない会話をし、共に時間を過ごす。これを幸福と言わずに、一体何を幸福と言うのだろうか。

 

私は小さくも確かな幸福を噛みしめながら、手を繋ぐことで少し表情を綻ばせているダリアに応えた。

 

「勿論だよ、ダリア! ほら、こうやって手をつなぐと温かいよ! それにしても、今日は曇ってよかったね! これならどこにでも行けるよ!」

 

普通の生徒にとって、前回のような晴れの日こそが、最高のホグズミード日和なのだろう。周りの生徒達は少しだけ不満そうな表情を浮かべ、灰色に染まった空を見上げている。

でも、ダリアと私、そしてドラコにとっては違う。日光に当たれないダリアにとっては、この日光の届かない曇り空こそが最高の天気なのだ。

まさに今日こそが絶好のホグズミード日和と言えた。いつもドラコやダリアに纏わりついているメンバーは、今日という日を完璧にしたいドラコの()()で別行動。ダリアも今朝()()()()()()()()()()()()()手紙を読んでから機嫌は良さそうだし、ドラコはドラコでそんな上機嫌なダリアの様子に頬を綻ばせている。

全てが完璧なロケーション。きっと天気とは裏腹に、今日は一点の曇りもない日になることだろう。

 

そう、

 

「……ダフネ、お兄様。私の後ろにいてください」

 

ここを通り抜けさえすれば。

ダリアが静かな、でも緊張を孕んだ声音で私達をさとす。彼女の視線の先にはそびえ立つような黒い影。

ホグワーツからホグズミードに行く道には、『吸魂鬼』が見張りとして立っていたのだ。

ダンブルドアの脅しが効いているためか、汽車の時のように襲い掛かってこそこないが、それでも私達の幸福感を吸い取ろうと虎視眈々と狙っていることだけは分かる。いつもの冷気を垂れ流しながら、私達の方を物欲しそうに見つめていた。

『吸魂鬼』が近づくにつれ、私達同様、周りの生徒達も段々と表情が青ざめていく。ここを通り抜けさえすれば楽しいホグズミードだと言うのに、心を強く持たねば思わず引き返してしまいそうになる。倒れる程ではないとはいえ、決して気分がいいものではなかった。

しかしそんな中で、

 

「本当に忌々しい生き物ですね。いつもいつも私のことを……」

 

前回と同じように、ダリアだけが、いつもと変わらない無表情を浮かべていたのだった。

まるで『吸魂鬼』に()()()()()()()()()()()かのように……。

ダリアは『吸魂鬼』に対して忌々しそうな呟きを漏らしながら、私とドラコを支えるように歩みを進め続ける。そして奴らの脇をようやく通り過ぎ、冷気を感じない辺りにたどり着いた時、

 

「お兄様、ダフネ。ごめんなさい……私の『守護霊』が完成していないばっかりに。下手に刺激すると、逆にお兄様達を危険に晒してしまうかもしれませんので……。ご気分はいかがですか?」

 

やはり苛立った様子で尋ねてきたのだった。

勿論、彼女の怒りが私達に向いていないことは分かっている。彼女は私達を守れなかったこと、そして『吸魂鬼』の影響を受けなかったことに苛立っているのだ。

 

……私達が無力なせいで、ダリアの大切な一日に傷がついてしまった。

 

これ以上ダリアの意識を『吸魂鬼』に向けさせないために、気分が段々と戻ってきた私とドラコは即座に応える。

 

「だ、大丈夫だよ。ほら、もうこんなに元気だよ! ドラコもそうでしょう?」

 

「あ、あぁ! あんな奴らのこと、僕は何も怖くないさ! そ、それより、ダリア! どこか行きたい場所はあるか? 前回行った時に下見は済ませているからな! 行きたい場所があるなら、どこでも連れてってやれるぞ!」

 

かなり無理のある話だったかもしれない。ドラコのものに至っては、本当かどうかも怪しい。前回のホグズミード行きで、ドラコは誰よりも早く談話室に帰ってきた。宣言通り、ただダリアのためにお菓子を買いに行っただけだったのだろう。そんな彼がホグズミードの下見を済ませているとは思えない。

しかしそんな嘘をついてでも、ダリアのホグズミード行きに傷をつけたくないという思いだけは伝わってきた。ダリアは日光の関係で、次もホグズミードに行けるか分からない。こんな曇り空という絶好の機会を、『吸魂鬼』や不甲斐ない私達なんかに潰されてなるものか。

そしてそんな思いが伝わったのかは分からないけど、

 

「……そこまで話せるなら大丈夫そうですね」

 

ため息一つ吐いた後、ダリアも苛立った表情を引っ込めてくれたのだった。ダリアは黙って私達にチョコレートを手渡してから続ける。

 

「行きたい場所ですか……。正直二人と一緒に行ける場所ならどこでもいいのですが……。そうですね、ではまずハニーデュークスに行きましょう。……そこでしたらお兄様も行ったことがあるでしょうし」

 

最後は小声だったため聞こえなかったが、これで最初の行き先が決まった。

 

「うん! ハニーデュークスだね! じゃあ、ドラコ! 案内よろしく!」

 

「ふん。お前に言われるまでもない。さぁ、ダリア、行くぞ」

 

私とドラコはダリアを引っ張るように歩みを進める。

全員の顔に、先程まであった青ざめた表情や苛立ったものは浮かんでいない。

私達は明るい表情をしながら、まるで『吸魂鬼』から逃げるようにホグズミードに向かうのだった。

 

 

 

 

……私達は少しだけ浮かれすぎていた。

初めて行く親友とのホグズミード。その事実に、私とドラコ……そしてダリアも少しのぼせていたのだ。

『吸魂鬼』をやり過ごせば、もうこれ以降私達の障害となるものは何もない。そんな思い違いをしてしまっていた。

私達が警戒すべきなのは、別に『吸魂鬼』だけではなく……周りにいる生徒達もだというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

前回もそうだったが、ここハニーデュークスは非常に混雑する。入り口付近に至っては、もはや人が多すぎて真面に歩くことすらかなわない。

それもそのはず。ホグズミードには見どころが沢山あるが、その中でもここは生徒全員が必ずやってくる場所なのだ。

何故ならここには、

 

「……本当に色々なお菓子がありますね。これなど見たこともないものですが、マグルが売っている物でしょうか?」

 

魔法界どころかマグル界のものも含めて、ありとあらゆるお菓子が揃っているのだから。

お菓子に対し然程興味を持っていないだろうダリアも、流石に所狭しとお菓子が並んだ光景に驚いた様子で辺りを見回している。

ねっとりしたヌガー、ピンク色に輝くココナッツキャンディー、蜂蜜色のトッフィー。何百種類のチョコレートに、百味ビーンズや、炭酸キャンディーが詰まった大きな樽。

他にも『特殊効果』と書かれた看板の向こうには、食べれば愉快なことになりそうな名前のお菓子が立ち並んでいる。

当により取り見取り。目を輝かせているのはダリアだけではなく、ホグワーツから押しかけて来た生徒全員が、涎を垂らさんばかりに棚にへばり付いていた。

僕はダリアとはぐれないように、ダフネとは反対側の手を握りながら話す。

 

「ここは人が多いな。ダリアは特に菓子を買う予定はないだろう? なら、奥の方を見てみよう。奥の方なら人も少なそうだしな」

 

別にダリアは観光でここに寄っただけ。お菓子に然程興味がないのなら、態々人が多い空間に居続ける必要もない。

奥の方は一般的なお菓子ではなく、そもそも食べられるかどうかも分からないものが並んでいるため、生徒達の姿もまばらだ。

そう思い、僕はダリアを奥の方にいざなったわけだが……

 

「……異常な味?」

 

行ってすぐに、僕は自分の決断を後悔することになる。

『ゴキブリ・ゴソゴソ豆板』というそもそも食べる奴がいるのかも怪しいものの詰まった瓶の横に、()()()あった。

ダリアの読み上げた看板の下に、試食用と思われるキャンディが入ったお盆。キャンディはまるで()()()()()赤色をしており……一目で()()()()のものであることが窺い知れた。

 

「血の味がするキャンディですか……」

 

キャンディに複雑な視線を送るダリアを横目に、僕とダフネはアイコンタクトをする。

言葉がなくとも、お互いに言いたいことは分る。僕らは同時に、一刻も早くここからダリアを連れ出した方がいいと考えたのだから。

 

ダリアの中には半分だけ『吸血鬼』の血が流れている。それをダリアは、自分がマルフォイ家の人間ではない証だと考え、自身の秘密を知った幼い頃から複雑な思いを抱え込んでいた。

だからだろう。自身が『吸血鬼』であると思い出した瞬間、ダリアはいつも少しだけ悲しそうな無表情を浮かべる。そう今この時だって……。

 

僕とダフネは意志を視線で交わし合うと、即座にダリアの注意をそらすため声を上げようとした。

『吸魂鬼』が校門にいた時から、今日はこんなことばかりだ。だが、やらないわけにはいかない。今日と言う日を、ダリアにとって最高の一日にするために。

しかし、

 

「さ、さ~て、そろそろ外に出ようか! ホグズミードで行くべき所はここだけじゃないからね!」

 

「そうだな! ダリア、次は『三本の箒』に行くぞ! 雪が降る時期はもう少し先だが、今日も外は寒いからな! 『バタービール』でも飲んで、」

 

「ダフネ……。お兄様……。いいのですよ。そんなにお気になさらなくて」

 

ダリアの静かな言葉によって遮られたのだった。

慌てて目を向けると、そこにはどこか決意を固めたような無表情をして、やはり血のような赤色をしたキャンディを見つめるダリアがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

今日は私にとって人生()()()()ホグズミード行き。そして同時に、私の人生で()()()ホグズミード行きである可能性がある。

流石に後4年以上もある学生生活の中で、この一回しかホグズミードに行ける天気の日がないとは思っていない。だが、次がいつあるのか分からないのは確かだった。日光が当たる可能性が全くない天気の日などそう多くはないのだから。

そしてそれはお兄様達も分かっているのだろう。数少ないホグズミード行きを、精一杯私に楽しんでもらおうという気遣いが随所に見られた。いつも私達と行動しているパーキンソン達を別行動にさせたのだって、私が少しでも周りを警戒しなくて済むようにというお兄様の優しさだ。

 

本当にいい()だった。今朝ルーピン先生から授業をしてもよいという返事を受け取ったこともあり、私のホグズミード行き()()気分は最高潮の物だった。

 

それなのに……、

 

「さ、さ~て、そろそろ外に出ようか! ホグズミードで行くべき所はここだけじゃないからね!」

 

何故こんなことばかり起こってしまうのだろうか。

『吸魂鬼』が校門の辺りにいることは、あらかじめ予想できていた。あいつらはシリウス・ブラックを捕まえるためにホグワーツに来たのだ。ブラックが捕まっていない以上、あいつらがあそこに居座っているのは当然のことだ。

だから『守護霊』を完成させていない以上、私は『吸魂鬼』のことについては半ば諦めるしかない。お兄様達を守れないどころか、逆に私の方が気を遣われてしまう。それが分かっていて、私は『吸魂鬼』を通り過ぎさえすれば素晴らしい一日になると自分を誤魔化していた……のだけれど。

 

「そうだな! ダリア、次は『三本の箒』に行くぞ! 雪が降る時期はもう少し先だが、今日も外は寒いからな! 『バタービール』でも飲んで、」

 

お楽しみに水を差してしまったのは、一度ではなかったのだ。

私は自らの表情の変化を激しく後悔した。

『吸血鬼』用と思われるキャンディ。それを見た私の表情が僅かに歪むのを、お兄様達に見られてしまった。当然、私の表情を読み取れるお兄様達が気を遣わないはずがない。どこか必死な様子でお兄様達は言葉を紡ぎ始める。『吸魂鬼』の時同様、必死に私の注意を逸らそうとする言葉を……。

別に気遣いが嫌なわけではない。ただ私のせいでお兄様達がホグズミードを楽しみ切れていないことに我慢できなかったのだ。

 

何とかしなければ。折角お兄様達がおぜん立てしてくださったのに、このままだと全てが台無しになってしまう。これ以上、お兄様達に気を遣わせてはならない。

私は意を決してお兄様の言葉を遮った。

 

「ダフネ……。お兄様……。いいのですよ。そんなにお気になさらなくて」

 

そして周りに人影がないことを確認した後、件の血の味キャンディを睨みつけたのだった。

今なら……『吸魂鬼』と違い、まだこちらは挽回できる。『吸血鬼』だからなんだ。確かにその事実は、私にマルフォイ家の血が一滴も流れていない証拠であるが……私はそんなものなんかより、もっと()()()()秘密を抱えているではないか。ダフネはずっと私が『吸血鬼』だと知っていながら、それでもずっとそばに居続けてくれた。『秘密の部屋』では、それでも私のことを友人だと言ってくれた。お兄様だって、『吸血鬼』である私をそれでも家族だと言い続けてくれた。勿論他人に自身の体についてバレるわけにはいかないが、幸い周りに生徒の姿はない。

なら、私はこれ以上二人の前で『吸血鬼』であることを悩む必要はない。

 

私が悩むべきなのは、もっと()()()()なのだから。

これ以上、お兄様とダフネの楽しみに水を差してなるものか。

 

私は驚いた様子のお兄様達を横目に、自分を誤魔化しながらキャンディの一つを取る。

血のような赤色をした、見るからに()()()()()()キャンディを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ハリーへのお土産は何がいいかしら。前回とは違うものがいいわよね」

 

「そうだな。それなら、今回は少し奥の方のコーナーで買おう。少し食べられるか怪しいものもあるけど……まぁ、お土産としてなら大丈夫だろう。ハリーを元気づけないといけないからな、少し刺激のあるものの方が元気になるだろうさ」

 

私達は曇り空の下、ハリーのお土産を買うためにハニーデュークスを目指す。まだまだホグズミードで行かなければいけない場所は山ほどあるけれど、今回もここを外すわけにはいかない。

ハニーデュークスのお菓子は本当に沢山の種類があるため、一度行っただけでは到底楽しみ切れないのだ。

……ハリーのことを思うと、少しだけ申し訳なく思う。色々と悩み事の多いハリーを置いて、二人だけでホグズミードを楽しむなんて……。

でも、それが分かっていても、やはりホグズミードが楽しいという気持ちは衰えることがなかった。

だから私のロンに対する言葉も、内容とは裏腹にどこか浮かれているものだった。

 

「ロン。あまり変なものを買ったら、それこそハリーがショックで死んでしまうわ。変なものを買うのは次回辺りにしましょう。今のハリーはとても不安定なんだから。さぁ、早く行くわよ。行くべき所はいくらでもあるわよ」

 

私達はそんな他愛のない会話をしながらホグズミードの中を歩く。

周りには私達と同じく浮かれた表情の生徒達。三年生以上のほぼ全校生徒が来ているのだろう。360度どこを見ても、ホグワーツの生徒の姿を確認することが出来た。

何より、この天気ならおそらく()()も……。

私の歩調が知らず知らずの内に軽いものになってゆく。()()()()抑圧された生活を送っているであろう彼女が、今日だけは城の外で楽しめているかもしれない事実が、私は何だか無性に嬉しかったのだ。

 

 

そしてその予想は……ある程度は正しかった。

彼女は楽しんでいたことだろう。彼女が大好きな兄と親友。そんな二人と一緒に過ごすホグズミードは、彼女にとってさぞ楽しい空間だったに違いない。

でも……私は彼女の()()までは予想出来てはいなかった。

私はこの日、彼女の新しい表情を知ることになる。

 

 

「おい、あれは……誰だ?」

 

「い、いや、誰って……。いや、でも……あいつ、なんであんな表情をしているんだ?」

 

「あいつ……あんな表情も出来るのか……」

 

異変は突然の出来事だった。

いよいよハニーデュークスにたどり着くといった時、周りのざわめきが消え、生徒達が突然ひそひそ話を始めたのだ。

皆一様に驚愕したような表情で店の入り口を見つめ、中には()()()()()()()()生徒までいる。

前で何かが起こっていることは間違いなかった。

 

「ん? ハニーデュークスで何かあった……の……か?」

 

そして訝しがって顔を上げた私達の目にも……それは映ることになる。

周りの生徒同様、私とロンも目を見開いて驚く。

 

何故なら……ハニーデュークスの入り口には、マルフォイさんが立っていたのだ。

しかも……今まで見たこともない程の、飛び切りの()()を浮かべながら。

ボガートが浮かべていたような酷薄なものではなく、少女が本当に嬉しい時に浮かべる様な()()()()笑顔を。

 

「……え? マ、マルフォイさん……?」

 

あまりの事態に、私は時間が止まったようにマルフォイさんを見つめ続ける。

それだけ彼女の笑顔が衝撃的だった。

 

マルフォイさんは周りから非常に恐れられている。それは彼女の家がマルフォイ家だということもあるのだろうけど……おそらく、彼女がいつも無表情なことが一番の理由だ。

とてつもない美人だけど、彼女のまるで人を石ころか何かのように思っている視線に皆恐怖を感じていたのだ。

だからだろう。いざ彼女がいつもの無表情ではなく、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた時の破壊力は凄まじいものだった。

 

マルフォイさんの笑顔を見てしまった私達は、まるで金縛りにあったように動くことが出来ない。

この世のものと思えない程の美しさに、私達は何も言えなかった。

 

そんな中、

 

「……お兄様、ダフネ。早く次に行きましょう」

 

マルフォイさんの声だけが辺りに響き渡ったのだった。

私達と同じく頬を真っ赤にしたグリーングラスさんとドラコを連れ、マルフォイさんがまるで()()()()()()ハニーデュークスから離れてゆく。

その場には、ただ茫然とマルフォイさんが消えた方を見つめ続ける私達だけが残されていた。

 



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暴かれた秘密(前半)

ハリー視点

 

二回目のホグズミード行きがあったというのに、今から『闇の魔術に対する防衛術』の授業に向かうグリフィンドール生の顔色はあまり良いものではなかった。

理由は勿論、前回スネイプによって行われた最低最悪の授業の記憶があるからだ。

 

「スネイプが今回の授業も担当するなら……僕、絶対に病欠するよ」

 

ロンの言葉に、僕を含めた全員が無言で頷く。

当然だ。それだけあの時の授業は最悪の物だったのだから。今回もスネイプが教鞭をとると考えるだけで胃がムカムカするようだった。今回はスリザリンとの合同授業でないとはいえ、嫌なものは嫌なのだ。

……しかし、そんな心配は杞憂に終わることになる。何故なら教室の中にいたのが、

 

「ハーマイオニー。教室に誰がいるのか、チェックしてくれないかい? もしスネイプなら、僕はこのまま医務室に行くよ。スネイプアレルギーだ」

 

「はいはい……。あ、大丈夫そうよ」

 

「ん? ハーマイオニー。そんなところでのぞき込んでどうしたんだい? さぁ、早く入っておいで」

 

スネイプなんかとは違い、今まで最高の授業を行っていたルーピン先生だったから。

先生は本当に病気だったらしく、くたびれていたローブを更にくたびれさせ、目の下には大きなクマが出来上がっている。しかしそれでも先生の優し気な微笑みは変わっておらず、席に着く僕等に微笑みながら尋ねてきた。

 

「前回は授業が出来なくて悪かったね。私はあまり体が丈夫な方ではないから、大体()()()()くらいのペースで体を壊してしまうんだよ。でも代わりにスネイプ先生が授業をしてくれたね。彼は学生時代から優秀でね。先生の授業はどうだったかい?」

 

ルーピン先生の笑顔に緊張が取れたのか、全員が一斉に不平不満をぶちまけ始める。

 

「先生聞いて下さい! あのやろ……スネイプ先生ときたら、いきなり『狼人間』についての授業をしやがったんです!」

 

「何が『狼人間』について知らないなんて遅れてる、だ! あのダリア・マルフォイだって()()()()()()()()ことを、僕らが答えられるわけがないじゃないか! 分かってたのはハーマイオニーくらいでしたよ! しかもスネイプはそれすら無視するし! あぁ、今思い出しても腹が立つ!」

 

「しかも宿題まで出したんですよ! 『闇の魔術に対する防衛術』の教師でもないのに! 羊皮紙二巻も!」

 

怒涛のような勢いで漏らされる不満にルーピン先生は顔をしかめながら、

 

「セブルス……ダリアだけでは飽き足らず、そんなことまでやっていたのか。それに、ダリアもダリアで答えなかったとは……。一体彼女は何を考えて……」

 

何事か呟いた後、今度は再び元の笑顔に戻り、未だに不満顔の僕らに言い放ったのだった。

 

「よろしい! 『狼人間』なんて、まだ三年生には早すぎるからね。宿題のレポートも書かなくていいとも! スネイプ先生には私の方から話しておくよ」

 

生徒達から一斉に歓声が上がる。

やはりルーピン先生はスネイプと違い素晴らしい先生だ。ハーマイオニーのものを写したロン、そして更にそのロンのレポートを写した僕は宿題を一応終わらせていたけれど、どうせどんなものを提出したってスネイプに嫌味を言われてしまうのだから、宿題がなくなるに越したことはなかったのだ。唯一僕らの原本を作り上げていたハーマイオニーだけは、

 

「そんな! 私もう書いていたのに!」

 

酷くがっかりした表情を浮かべていたけど。

こうしてハーマイオニーの悲痛な叫び声と共に、ルーピン先生による素晴らしい『闇の魔術に対する防衛術』の授業が再開されたのだった。

 

その後の授業は相変わらずとても楽しいものだった。

先生が今回連れてきた生物は『ヒンキーパンク』と呼ばれるもので、『狼人間』なんかより遥かに興味を惹かれるとても面白い生き物だ。この一回の授業だけで、いかにルーピン先生が素晴らしい授業をしていたかがうかがい知れる。スネイプなんかには逆立ちしたって、こんな面白い授業を行うことは出来ないだろう。

しかも先生は、

 

「よ~し! 授業はここまでだ! 今回もよく頑張ったね! それと……ハリー、ちょっと残ってくれないかい? 話があるんだ」

 

落ち込んでいる生徒を励まそうという心遣いも出来るのだから。

先生は僕以外の生徒が教室から出て行ったのを確認すると、僕に優しい声音で話しかけてくる。

 

「残ってもらって悪いね。しかし、どうしても気になってしまってね。……試合のこと聞いたよ。箒のこともね。非常に残念に思うよ。箒は修理することは出来ないのかい?」

 

「いいえ……。『暴れ柳』にぶつかったせいで粉々になってしまったんです……。もう修理も出来ないって……」

 

数日経ったとしても、やはりあの試合での出来事は思い出すだけで落ち込みそうになるものだった。正直あまり話していて愉快な話題ではない。

しかし以前行った先生とのお茶会とは違い、僕はそんな話題を先生としていても腹を立てることはなかった。寧ろ自然な形で弱音が引き出されてしまう。

それはおそらく、先生が何かしらの答えを僕に与えてくれるという確信があったからかもしれない。

僕の最も恐れるものが『吸魂鬼』だと告白した時、先生は確かに何かを言いかけていた。

 

『感心したよ。それは恥じる様なことじゃない。何故なら、それは君の恐れているものが、』

 

前回のお茶会はダリア・マルフォイの乱入によって遮られてしまったけど、あのまま続けていれば先生は()()()()()()()()()を与えてくれたような……そんな気がしたのだ。

心の余裕を取り戻したわけではない。でも前回と比べ、僕の中での先生への信頼はより大きなものになっていた。

先生はどん底にいる僕にとって、一筋の希望の光だったのだ。

 

誰かに……僕は弱くないのだと証明してほしかった。

 

そして、その信頼は間違っていなかった。

先生は僕の応えにため息をついてから、静かな口調で語り始める。

 

「あぁ、あの木かい……。実はあの『暴れ柳』は、私の()()()()()()()()()に植えられたものでね。本当に暴力的な奴だったよ……。生徒でさえバラバラにされかけたんだ。箒なんてひとたまりもないだろう。それに、箒だけじゃない。ハリー……試合中、『吸魂鬼』に襲われたそうだね」

 

「はい……」

 

「そうか……。なら君が箒から落ちたのは無理もない話だ。君に落ち度なんてない。『吸魂鬼』は最近苛立っていてね、校内に入れないことが余程お気に召さないらしいんだよ」

 

先生はそこで言葉を一度切り、僕の心を見透かしたように続けた。

 

「ハリー……。前回君に言えなかったことでもあるが、君は『吸魂鬼』が一番恐ろしいと言っていたね。そしてもしかしたら、君はそのことで自分を弱い人間だと()()しているのではないかい?」

 

「は、はい。先生、僕は弱いから『吸魂鬼』の影響を受けやすいのでしょうか……?」

 

親友であるロンにも言っていない悩みを見抜かれ、僕は思わず肯定の意を返す。

そんな僕に先生は一つ頷くと、今まで見せたことがない程真剣な表情を浮かべていた。

そこにはダリア・マルフォイに()()()()()()()()を運ばれた時から見せていた疲労感ではなく、ただ僕に対する思いやりだけが見え隠れしていた。

 

「それは誤解だよ。君が『吸魂鬼』の影響を受けるのは、君が弱いからなんかではない。君は寧ろ同年代の()()()()強い人間だよ。あのダンブルドアだってそう思っている。ただ他の人間より影響を受けやすいのは、君の過去に、誰も経験したことがない恐怖があるからなんだ。『吸魂鬼』は周りにいる()()の幸福を吸い取ってしまう。楽しい気分も幸福な思い出も、正の感情の全てを吸い取られ、挙句の果てに彼らと同じ状態にしてしまうことすら出来る。魂のない、ただの抜け殻のような存在にね。心には最悪の経験しか残らない。……ハリー、もしかして君は『吸魂鬼』に襲われた際、何か聞こえているのではないかい?」

 

「はい、そうなんです……。あいつらが傍に来ると……声が聞こえるんです。必死に僕の命乞いをする女性と……そんなあの人を殺そうとする奴の声が……。あの声は多分……」

 

そこまで言って、僕はようやくあの声が誰のものであるかに気が付く。

ルーピン先生の言っていた最悪の経験。そして()()命乞いと、それを嘲笑するどこか()()()()()()()声。

そんなもの一つしか考えられないではないか。

 

あぁ……僕はなんで、今の今まで気が付かなかったのだろうか。

だって、僕の人生において最悪の経験と言えば、

 

「そうか……。そうだったんだ……。あの声は、母の物だったんだ。ヴォルデモートから僕を必死に守ろうとする母の……」

 

両親を失ったこと以外にあり得ないのだから。

酷い話だと思った。僕は何故、こんなにも理不尽な目に遭わないといけないのだろうか。

僕は結局、絶望の中でしか母親の声を聞くことはできないし、それを今まで母のものだと気づくことすら出来なかったのだ。

 

「先生……。そうだったんですね。僕の聞いていたものは……ヴォルデモートが僕の母を殺した時の声だったんですね」

 

「……」

 

僕の応えに、先生がすぐに応えることはなかった。

でも予想通りのものではあったのか、その瞳に驚きの色はない。

 

先生は相変わらず、僕に思いやりに満ちた視線だけを投げかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

本当に強い子だ。

悲劇としか言いようのない境遇でありながら、それでも自身の弱さや境遇と真っすぐに向き合って生きている。前回のお茶会の時も余裕がなかっただけで、本来であれば冷静に自分を見つめなおせる素直な子なのだ。まさにジェームズとリリーの子だ。

 

……後悔や絶望に塗れてしまった私などとは全く違う。

『狼人間』であることを受け入れてもらいながら、結局はその友人だと思っていた人物から裏切られた自分とは……。

 

私は内心の悲しみをひた隠しながら、ハリーに静かに語り掛ける。

私のような後悔に塗れた人生を歩ませないために。いつダリアにホグワーツから追い出されるかも分からない私が、少しでもハリーのためになれるように。

 

「……そうか。やはりそうだったのだね。なら、やはり君が恥に思う必要なんてどこにもない。君の最悪の経験は……他の人間に比べて遥かに辛いものだ。君のような目に遭えば、どんな人間だって箒から落ちてしまうことだろう。君は決して、恥に思うことないんだよ」

 

「はい……」

 

ハリーは一言返事をすると、そのまま黙り込んでしまう。

それもそうだろう。いくら彼が強い子だとはいえ、ハリーのような13歳の少年にとっては少々酷な話だ。誰だって自分の親が殺される場面を思い出していい気分になるはずがない。

僅かな時間、二人しか残っていない教室に沈黙が漂う。そして再びハリーが口を開いたとしても、

 

「皆僕みたいに、それぞれの声が……最悪の記憶がよみがえるものなんですか? そうであれば……アズカバンは本当に酷い所なのでしょうね……」

 

やはり暗い声音でしかなかった。

私は努めて優しい声音を意識して応える。

 

「あぁ、そうだ。皆君ほどではないが、自分にとって最も酷い記憶を呼び起こされる」

 

ハリーを慰めるためだけの嘘ではない。事実私も、

 

『リーマス……信じられぬと思うが、落ち着いて聞いてほしい。シリウスが……いや、シリウス・()()()()が、先程裏切り者としてアズカバンに収監された。彼は……友人より、自らの血に従うことを選んだのじゃ。ジェームズやリリーだけでは飽き足らず、彼はピーターまでその手で殺めてしもうたのじゃ……』

 

最低最悪の記憶を呼び起こされたのだから。

何よりも信じられると思っていたものが、足元から崩れていった瞬間を。

 

部屋に再び沈黙が訪れる。

ハリーはハリーで何か思うところがあったらしく、私も私で一瞬意識が深い後悔に奪われそうになったのだ。元はと言えばハリーを元気づけるために始めたことだというのに……我ながら実に情けない話だ。

だからだろう。結局再度沈黙を破ったのは、

 

「先生、お願いがあります。僕に『吸魂鬼』の追い払い方を教えてください!」

 

私なんかより遥かに真っすぐなハリーの方だった。しかも先程とは違い、真っすぐな決意を含んだ声音で。

彼はやはり私などより遥かに強い男の子だった。

 

「先生は汽車の中であいつらを追い払いましたよね!? なら、先生はご存知ですよね! あいつらに対する防衛法を! 確かに先生の言う通りなら、僕は心が弱くて『吸魂鬼』の影響を受けていたわけではないのだと思います……。でも、僕はこれ以上あいつらのせいで気を失いたくなんて……あいつらのせいで試合に負けたくなんてない。何より……母が死ぬ時の声なんて聞きたくない。だから先生、お願いです!」

 

静かな教室の中に、ハリーの真剣な願いがこだまする。

それに対し私は、

 

「……まったく。私は『吸魂鬼』の専門家というわけではないのだけどな。()()()だけど、何故皆、私から『守護霊』を学ぼうと思うのか……。でも……そうか。まぁ、うん、よろしい。何とかやってみよう。だが来学期まで待ってほしい。おそらくそれまでに、もう一度くらい体を崩しそうだしね。それに()()もあるんだ」

 

思わず頷いてしまっていた。

言葉通り、私は『吸魂鬼』の専門家などではない。『守護霊の呪文』も『不死鳥の騎士団』であれば全員が使える。私の様に()()()()()『守護霊』しか出せなくなった人間とは違い、もっとハリーの教師に相応しい人間などごまんといるのだ。私が教えて何かハリーにメリットがあるとは思えない。

 

だが、私は結局頷いてしまった。何故か、

 

『教えて欲しいのです。私に『守護霊』の出し方を。幸福とは何なのかを。私は先生の授業をもっと受けたいのです』

 

ハリーとは違い、ダンブルドアからすら警戒される生徒の声を思い出しながら。

立場も()()()()、まるで真逆のはずの二人の願い……しかしその真剣な声音だけは、二つとも共通したものだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

学期が終わる二週間前。つい最近まで外はあんなにも泥だらけだったというのに、その日の校庭は真っ白な銀世界に変わり果てていた。

もう少しでクリスマス。去年は下らない赤毛共のせいで帰ることは叶わなかったが、今年は何の問題もなく家族の元に帰ることが出来る。たとえ城中がクリスマス様の豪華な飾りつけになろうとも、私にとって家族がいる場所こそが最も美しく、温かく、そして幸福な場所なのだ。

 

……それに、今のホグワーツは私にとって輪をかけて居づらい場所になっていたのだから猶更だ。

何故なら、

 

「マ、マルフォイ様は次のホグズミードにも行かれますか? そ、そうであるのなら、是非僕とも、」

 

「……いえ、先約がありますので。私は肌の関係で、あまり大所帯で動くわけにはいかないのです。それに、そもそも当日行けるかも分かりません。申し訳ありませんね、是非別の人を当たってください」

 

前回のホグズミード行き以降、私に話しかけてくる連中が僅かに増えていたから。しかも全員が全員、何故か頬を赤らめた状態で……。

勿論私が周囲に恐怖されている状況に変わりはない。寮内外問わず、多くの人間が私の無表情に恐怖の視線を送ってくる。

しかしそんな生徒達の中に……突然今までにない反応をする生徒が現れたのだ。おそらくホグズミードで私の表情を目撃した人間達、その中でも特にスリザリン生が主な構成だった。

 

鬱陶しいことこの上ない。すぐにその場を逃げても、見られた事実を消せるわけではない。やはりあそこでキャンディを食べたのは失敗だった。

お兄様達の楽しみに水を差してはいけないと慌ててしまい、随分無理な行動をとってしまった。

いくらあのキャンディが()()()()()()見えても……私はあそこで食べるべきではなかったのだ。

お蔭で私の無表情以外の表情を見ようという奇特な連中に目をつけられてしまった。全く……私の笑顔など見て何が面白いのだろうか……。

 

キラキラとした飾りつけが施された大広間。一部のスリザリン生は私をホグズミードに誘い始め、それ以外の寮生は遠巻きに私を頬を赤らめて見つめている。敵意と何か良く分からない感情の入り混じったカオスな状況に、思わずため息がこぼれそうになる。

私はこれはこれで鬱陶しい視線に辟易としながら、私と男子生徒のやり取りを()()()で見つめていたダフネに声をかけた。

 

「ダフネ、お待たせしました。さぁ、寮に戻りましょう。……どうかなさいましたか?」

 

「ううん、なんでもないよ。……ただ表情一つで態度が変わった連中に腹が立っただけ。……信念なんて最初からないんだよね」

 

「え? 何か仰いました?」

 

「なんでもない! ダリアが気にしていないなら、私も気にしていないから! さ、行こう!」

 

何か小声で呟いていたダフネは、私の追及を断ち切るように宣言して歩き始める。何を言っていたのかは分からなかったが、ダフネがそう言うのならと私は深く追求せず、そのまま先程の出来事を話題にすることにした。

 

「しかし、意外とホグズミードに行ける機会は沢山あるのですね。次はクリスマス休暇直前ですか。まぁ、次の学期には試験の時期があるのです。前半に固まるのは仕方がないとは思いますが……」

 

「そうだね、次でもう三回目だものね。私ももっと少ないと思っていたよ。……次も一緒に行こうね」

 

「はい、勿論です。今回は余計な連中もいますが、出来る限り一緒にいましょうね」

 

クリスマスが近いため、次回のホグズミード行きは雪空になる可能性が高い。曇り空程万全な天気ではないが、私が外に出ても比較的安全と言える天気だ。寧ろこれを逃せば本当に次はない恐れがある。

勿論天気がいいからと言って、次のホグズミードが前回のように完璧なロケーションであるわけではない。未だに校門には『吸魂鬼』がおり、次は前回とは違いお兄様とダフネ以外の同行者もいる。流石にクラッブとゴイルをはじめ、『聖28一族』の面々を無視し続けるわけにはいかない。近すぎる距離も問題だが、険悪な関係にもなるわけにはいかないのだ。お父様に迷惑をかけないために、彼らとは適度な距離で付き合っておく必要がある。

しかしそんな欠点があったとしても、

 

「……まだ半年ですが、何だか今年はあっという間に時間が過ぎているような気がします。もうクリスマスなんですね……」

 

ダフネやお兄様と一緒にいられるのなら、やはりそれは素晴らしい時間であるように思えた。

窓の外では真っ白な雪が深々と降り続けている。今までの経験からして、雪の時期は大抵何か嫌な出来事が起こる。体の秘密に、自身の奥底にある歪んだ本性。そしてダフネ達との一時的な別れ……。昔はいい思い出の多い時期だと思っていたが、去年のせいで悪い思い出の方が遥かに大きなものになってしまっている。

だが……まぁ、今年は大丈夫だろう。だって私の手の中には、

 

「暖かいね……」

 

「ええ……。とても」

 

親友の手のひらが握られているのだから。

この手を離さない限り、私は決して不安に沈むことはないのだから。

 

「ルーピン先生との約束も、先生の体調もあって来学期になりそうですし……今年最後の楽しみはホグズミードとクリスマスですね。あぁ、本当に楽しみですね。……本当に、幸せですね」

 



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暴かれた秘密(後編)

 

 ハリー視点

 

シリウス・ブラックが捕まらない限り、ホグズミードに行くことが出来ないのだと……今年はずっと、こんな惨めな気持ちで過ごさなくてはいけないのだと、僕はこの日までずっとそう思っていた。

たとえルーピン先生に慰められ、先生に『吸魂鬼』に対する対抗手段を教えてもらおうとも、その事実は決して変わらない。そんなことを、僕はずっと思い続けていたのだ。

 

そう、この日までは……。

この日、僕を取り巻く状況は一変することになる。

いい意味でも……同時に、悪い意味でも。

 

僕はこの日、喜びを手に入れると共に……とてつもない憎悪も知ることになるのだから。

 

 

 

 

いよいよクリスマス休暇間近になった週末。つまり今日は()()()の生徒達が待ちに待った、学期最後のホグズミード行きの日だ。もうすでに城にはほとんどの生徒が残っておらず、城の中は完全に静まり返っている。

今年何度も感じた、まるで僕一人が城の中に取り残されたような気分だった。

 

「はぁ……新しい箒でも選ぼう」

 

もう三回目とはいえ、この置いていかれる感覚に慣れることはない。

僕は独り言ちながら、暇つぶしにとウッドから渡された『賢い箒の選び方』を片手に廊下を歩く。目指す先は談話室。皆が楽しい時間をホグズミードで過ごしている中、僕は一人寂しい時間を談話室で送るため、静かな廊下をひた歩いていた。

 

しかし、結局僕が談話室に辿り着くことはなかった。

四階の廊下に差し掛かり、背中に瘤のある隻眼魔女の像前を通りかかった時、

 

「ハリー! こっちだ!」

 

像の後ろから突然声がかかったから。

目を向けると、そこにはホグズミードに行っているはずのフレッドとジョージが立っていたのだ。

 

「フレッドとジョージ!? 何してるんだい、こんなところで!? ホグズミードに行ったんじゃ?」

 

「こら! 大きな声を出すんじゃない! いいからこっちに来いよ!」

 

そして慌てた様子で僕を近くにあった空き教室に誘うと、フレッドはにっこり笑顔で、

 

「よし、ハリー! ホグズミードに行く前に、君にお祭り気分を少し分けてやろう! 一足早いクリスマス・プレゼントだ!」

 

僕に()()()()()()()()羊皮紙を差し出したのだった。

二人の登場で生まれていた僅かな期待感が急速に萎んでいく。

……またフレッドとジョージの冗談か。別にこんな時に……こんな気分の時にしなくてもいいのに。

僕は少し苛立つ気持ちを抑えながら、二人に少し剣の籠った声音で尋ねる。

 

「これは一体何だい? 僕にはただの羊皮紙にしか見えないのだけど?」

 

しかしそんな僕の苛立ちに頓着することなく、二人はどこか誇らしげな様子で続けた。

 

「ただの羊皮紙だって!? そんなわけないだろう? これは成功の秘訣さ! これさえあれば何でもできる! 誰にも見つからずに夜出歩くことも出来るし、逆に夜出歩いている人間を見つけることも出来る! 去年言っただろう? ダリア・マルフォイが夜出歩いていることを、僕らは知っているって! それは何を隠そう、この羊皮紙があったからこそさ! 僕達はダンブルドアよりも早く、あいつが『秘密の部屋』に関わっている証拠を掴んでいたのだよ!」

 

「そうさ! これは本当に凄いものなんだぜ! 本当は君にやるのはおしい! だが、今これが必要なのは僕等ではなく君だ! それに、僕達はもう内容を暗記しているしな!」

 

僕が黙っている間にも、二人の意味不明な言葉は続く。

この時の僕は、正直二人の話をあまり真面目に聞いてはいなかった。羊皮紙は何処からどう見てもただの羊皮紙でしかなく、どう考えても二人の質の悪い悪戯にしか思えなかったのだ。

だから僕は声を荒げて二人の言葉を遮ろうとした。

そんな時だった、

 

「二人とも、僕を励まそうとしてくれるのはありが、」

 

『われ、ここに誓う。われ、よからぬことをたくらむ者なり』

 

ただの羊皮紙だった物に変化が現れたのは。

僕が何か言う前に、ジョージが杖を取り出し、羊皮紙に軽く触れる。そして合言葉と思われる言葉を言い放った瞬間……今までただの羊皮紙だった物に、文字が浮かび上がってきたのだ。

 

『ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ。我ら『魔法悪戯仕掛け人』の御用達商人がお届けする自慢の品。()()()()()

 

それは……ホグワーツ城と学校の敷地全体を記した地図だった。

 

 

 

 

この瞬間から、僕の皆を待つだけだった日々は終わることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

学期末最後のホグズミード行き。

雪雲によって日光は完全に遮られており、天気の状態としてはほぼ完璧と言える。

しかし共にいるメンバーはと言えば……完璧とは程遠いものでしかなかった。

降りしきる雪の中。興味深く()()を眺めている私の後ろから、パーキンソンの世迷言が聞こえてくる。

 

「ねぇ、ドラコ。私、これ以上ここにいるのは怖いわ。だから、ね? 次は()()()『マダム・パディフットの店』に行かない? そこでゆっくりお茶を飲みましょう? ね、()()()()()()

 

「……僕はあんなピンク色の店には入らないぞ。いくなら一人で行け」

 

耳に入るのは、思わずため息が漏れそうになる会話。よくもまぁここまで明け透けな媚びを売れるものだと、ある意味感心すらしてしまう。

しかし、この後ろで繰り広げられている光景は、決して他人事というわけではなかった。私にもお兄様に助け舟を出している余裕などない。何故なら、

 

「なら、ダリア。僕等は僕等で『マダム・パディフットの店』に行きませんか? あそこなら、温かい飲み物もありますし。ダリアとなら、僕はあの内装にも我慢できますよ」

 

「ダ、ダリア様が行くなら俺も」

 

「お、俺も」

 

私も同じような状況に陥ってしまっているから。

パーキンソンとブルストロードはお兄様に纏わりついているが、その他の連中は私に纏わりついているのだ。日傘を持っているため距離はそこまで近くないが、纏わりつかれて鬱陶しいことに変わりはない。唯一この状況を打開できるダフネも、今は()()()()()行くと言ってここにはいない。結果、私は全く楽しくない連中とこうして話す羽目に陥っていた。

 

「……いいえ。ダフネとはここで待ち合わせしていますので、先に行くことは出来ません。もうすぐ来るはずですから、もう少しだけ待っていましょう」

 

私は内心の苛立ちをひた隠し、なるべく普段の声音に聞こえるように意識しながら返事をする。

先程からやたらと私とお兄様を連れ込もうとしている『マダム・パディフットの店』は、ピンクを基調とした、フリルで所狭しと飾っているような少女趣味の喫茶店なのだが……同時に、カップル御用達の店としても有名な場所だった。そんな場所に、こんな家柄目当ての連中とで行けるわけがない。行ったら最後、これ幸いにと良からぬ噂を広げられるのは目に見えていた。

それに……誘われた場所がたとえカップル御用達の店でなかったとしても、私は今ここから動く気などない。ダフネがここで待ってくれと言っていたのなら、私はここから動くべきではないのだ。

 

ダフネのいないホグズミードなど何の価値もない。下手に動いてしまえば、それだけダフネと共にいない時間が増えてしまう。なら、私が取るべき行動など一つしかない。

 

私は尚言いつのろうとする連中を無視し、再び遠くにそびえ立つ『叫びの屋敷』に視線を戻す。

村はずれの小高い場所に建っている屋敷は、窓には板が打ち付けられており、遠目からでも薄気味悪い雰囲気を垂れ流している。話によれば未だに強力な呪いがかけられているという、実に興味深い建物とのことだった。ダフネのことがなかったとしても、一人でずっと見ていたいような建物だ。どんな呪いがかけられているのか考えるだけでワクワクしてくる。

しかし、どうやら周りの連中は同じ考えではなかったらしい。ダフネが帰ってくれば、私が今度は彼女に夢中になることに気が付いているのだろう。私の周りをうろつきながら、やはり頻りに別の場所に連れ込もうとあれやこれやと話しかけてくる。

 

「な、なら、『三本の箒』ならどうですか? あそこなら、ここへの通り道にありますし。ダフネが通りがかったらすぐ見つけることが出来ますよ!」

 

「ダ、ダリア様が行くなら俺も」

 

「お、俺も」

 

雪が静かに降りしきる中、ひたすら私を誘うブレーズと、これまた壊れた蓄音機のような豚二匹の声だけが聞こえてくる。

そんな時だった。

 

「げっ! なんでお前らがここに……」

 

「あっ! マルフォイさん!」

 

彼女達がやってきたのは。

突然聞こえてきた声に、私を含めた全員が振り向くと……そこにはロナルド・ウィーズリーと、グレンジャーさんが立っていた。

ウィーズリーとしては私達を見た瞬間踵を返そうとしていたのだろうが、思いのほかグレンジャーさんが大きな声を出してしまったのだろう。ウィーズリーは今まさに逃げ出そうという格好で、そしてそんな彼に引っ張られるような形でグレンジャーさんが立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

『いたずら完了!』

 

合言葉と同時に今までホグワーツの()()()映し出していた地図が、フレッドとジョージに手渡された時と同じ、一見何の変哲もない羊皮紙に戻っていく。

僕は興奮と歓喜を胸に、ここにはいない二人に感謝の言葉を漏らす。

 

「ありがとう、フレッド、ジョージ。正直、二人を疑っていた。二人の言う通り、これは凄い地図だよ!」

 

僕はもう、この薄汚れた羊皮紙のことを馬鹿になどしていなかった。二人がフィルチから盗んだというこの()()は、ホグワーツのありとあらゆる部屋や廊下、それどころか今ホグワーツにいる人間がどこにいるかも映し出す素晴らしいアイテムだったのだ。そしてその中には、

 

「これでホグズミードに行くことが出来る!」

 

『吸魂鬼』に見つかることなくホグズミードに行ける抜け道すら記されていたのだ。

僕は地図をポケットにしまい、僕をホグズミードに辿り着かせてくれるだろうトンネルを歩み続ける。

トンネルは『秘密の部屋』までの道と同じくらい暗く、あれに比べて遥かに狭いものだった。でも、それでも僕の興奮は止まることはない。この道を行けばホグズミードに行けるのだと考えただけで、寧ろこの狭さすら愛おしく思えてくる。

 

そして……ついにその時がやってきた。

 

急にトンネルが上り坂になったかと思った矢先、道の先に観音開きの撥ね戸が見えたのだ。

僕は恐る恐る戸を開けると、そこは木箱やケースがぎっしりと置かれた倉庫だった。箱には様々な種類のお菓子の名前が書いてある。

そこはフレッドとジョージの言っていた通り、『ハニーデュークス』の地下倉庫で間違いなかった。

 

「やった! やったんだ! 僕、本当にホグズミードに来れたんだ!」

 

小さい声ではあるが、思わず口から歓声が漏れ出てしまう。

ずっと来れないと諦めかけていた所に辿り着けたのだ。思わず喜びが出てしまうのは仕方がないことだった。

でも、別にここがゴールというわけではない。ホグズミードに来たからには、一刻も早くロンやハーマイオニーと合流しなければ。

僕は一頻り喜びを発散した後、再び行動を開始する。『透明マント』を被ると、すばやく、しかし慎重に倉庫から階段を上がり、店のカウンター裏を通り過ぎる。

そしてカウンターを通り過ぎると、そこには、

 

「す、すごい!」

 

今まで見たどの光景より素晴らしいものが広がっていた。

棚という棚に並べられた色とりどりのお菓子。それに群がる生徒達。お菓子を食べなくても、見るだけで楽しい気分になってくるような光景が、今目の前には広がっていた。

 

「……ロンの言う通りだ。こんな楽しい場所、他のどこにだってありはしないよ!」

 

周りを見渡しても、どの生徒の表情も笑顔一色。近くにいたネビルは、買ったばかりと思しきキャンディを幸せそうに頬張っており、そのさらに横のシェーマスも蜂蜜色のトッフィーを嬉しそうに平らげている。彼らだけではなく、僕の見える範囲の全員がその表情を幸せで満たしていた。

一人で城にいた時には感じられなかった、まさに幸せを具現化したような光景だった。

この光景を見ているだけで、ホグズミードに来れたことが嬉しくて仕方がなくなる。先程も一頻り喜んだというのに、僕は『透明マント』の中で再び喜びを爆発させた。

 

はやくロンやハーマイオニーと合流して、僕もこの幸せの輪の中に加わるんだ! だって僕は、ようやく『吸魂鬼』に見つからずにホグズミードに来ることが出来たのだから! もう僕は独りぼっちではないのだから!

 

僕は逸る気持ちを胸に、人混みをかき分けるように店の出口を目指す。何人か透明な僕にぶつかり訝し気な表情を浮かべていたが、今の僕を止めることなどできなかった。多少肩がぶつかったくらいで、僕の興奮は抑えることが出来なかったのだ。

 

しかし……それがいけなかった。店を出た直後、事件は起こった。

 

「きゃッ!」

 

それは店を出た直後のことだった。僕は勢いのまま店を出た瞬間、まだ入り口付近にいた一人の女子生徒を思いっきり後ろから突き飛ばしてしまったのだ。

やってしまったと思った時には、その女子生徒の持っていた大量の()()()()()の包み紙が雪の上にぶちまけられ、その子自身も床に倒れ伏した後だった。

 

「ご、ごめん。ぼ、僕……」

 

僕は『透明マント』に隠れているというのに、思わず駆け寄り声をかけそうになる。でも、それも寸前の所で止まった。何故なら、僕が今誰にも見つかってはならない状態であることに気が付いた……わけではなく、

 

「あいたた……。な、なにが起こったの?」

 

突き飛ばしてしまった生徒が、僕の最も嫌いな人間の一人だったから。

雪の上に転んでしまった金髪の女子生徒が、痛みに表情を歪めながらゆっくりと顔を上げる。

女子生徒は……僕の最も嫌いなスリザリン生の一人、ダフネ・グリーングラスだった。

 

手を伸ばした状態で固まる僕に気が付くことなく、グリーングラスは訝し気に辺りを見回し……数秒後、辺りに一面に散らばった真っ赤なキャンディをギョッとした表情で見つめたかと思うと、猛然とした勢いで回収し始める。そしてあれよあれよという間に回収し終えたかと思うと、まるで逃げるようにその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

残されたのは、僅か数秒の出来事に茫然とする僕と……ぶつかった時に、『透明マント』の下に潜り込んでしまったのだろう赤い包みに入ったキャンディだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「結局、さっきのはなんだったんだろう? 後ろには誰もいなかったし……何か躓くような所あったかな?」

 

私はダリアが待っているであろう『叫びの屋敷』を目指しながら、先程あった出来事を思い返していた。

店を出た直後、ダリアへのお土産を大量に買い込めたことを喜び、思わず綻びそうになる表情で袋をのぞき込んでいた時……何か透明なものに後ろから突き飛ばされたかのように、私は盛大に転んでしまったのだ。そのせいでドラコと共同出資で買ったキャンディを辺り一面にまき散らしてしまった。奇跡的に()()()()()()()()()()()タイミングだったからよかったものの、もし誰かにこのキャンディを見られたらと考えると肝が冷えるような気持だった。

 

「何に躓いたかは分からないけれど、次はこけないように気を付けて行動しないと……」

 

たとえ小さな失敗だったとしても、それがダリアの秘密にどのような影響を及ぼすのか分かったものではない。生徒はともかく、ここにホグワーツの教師だって足を運んでいるのだ。どこからダンブルドアに情報が伝わるか分からない以上、慎重に行動するに越したことはない。

私は再度気を引き締め直すと、再び足元に気を付けながら歩みを進める。

……しかし、すぐに意識が足元ではなく、遠くにいるダリアの方に流れて行ってしまう。美しい茅葺屋根の家や身を通り過ぎている間にも、私はそんなものに目もくれず、ただこの先にいるであろう親友について考え続けていた。

 

今頃ダリアはどうしているだろうか。彼女がパンジー達を引き付けている間に、彼女の()()()のキャンディを買ったはいいけど……果たして彼女は楽しく過ごすことが出来ているだろうか?

 

ダリアと離れていた時間は僅かだというのに、彼女と一緒にいないというだけで不安な気持ちになってしまう。特にこんな雪の日は尚更。

私の知らない間に、彼女にイレギュラーが起こっているかもと考えただけで、私は何だか去年のことを思い出してしまうのだ。

 

雪が降りしきる冬の日。ふとした出来事でダリアが私達の元を去った、最低最悪のクリスマスのことを。

 

そしてその不安は、あながち間違ったものではなかったのだった。

ホグズミードの見どころの一つ『三本の箒』を通り過ぎ、周りの建物がまばらになってきた時、その光景が見えたのだ。

ダリアを取り巻くパンジー達と、ウィーズリー、そしてグレンジャーが険悪な空気を垂れ流しながら睨み合っている光景が。

私が少し目を離したすきに、ダリアが面倒な事態に陥っていたのは明白だった。

私が近づく間にも、彼らから大きな声が聞こえてくる。

 

「なんでこんな所にウィーズリーと『穢れた血』がいるのよ!」

 

「僕らがどこにいようと勝手だろう! なんでお前らなんかにとやかく言われないといけないんだ! お前らこそどこか違うところに行けよ! どうせ内心ではここが怖いんだろう! こんなに大勢でここに来て、恥ずかしくはないのか!?」

 

「な、何よ、生意気ね! 目上の人間に対する言葉遣いも知らないの!? たかがウィーズリーのくせに! 住んでいる家は、あの屋敷よりもみすぼらしいくせに!」

 

「なんだと!」

 

実に頭が痛くなる光景だ。こんなにも嫌いあっているのなら、お互い無視すればいいのに。いや、無視とまではいかなくとも、少なくともダリアに迷惑をかける行動は慎んでほしかった。何故私が少し目を離したすきに、ここまでカオスな空間を作り上げることが出来るのだろうか。

私は軽くため息を吐いた後、なるべくこちらを凝視しているグレンジャーを無視しながら、ダリアの方に何気ない風に近づいた。そして私の登場に唖然とする連中に、私は捲し立てるように宣言し、

 

「ダリア、ドラコ……それと皆、待たせちゃったね! ほら、ダリア! これあげる! ドラコと一緒に買ったものだから、()()()()()()()()! さ、もうこんな所にいても仕方がないね! じゃあ、そろそろ行こうか!」

 

ダリアの手をそっと引き始めるのだった。

折角雪雲のお蔭でホグズミードに来れたのに、こんな連中のせいでホグズミード行きが台無しになったのではダリアが可哀想だ。ダリアが来れる回数が有限である以上、少しでも一回一回を楽しんでほしい。

しかし、そんなことを思っていたのは、どうやら私とドラコ……そしてグレンジャーだけらしかった。私の勢いに唖然としていたパンジーが再び口火を切り始める。

 

「ダフネ! ようやく帰ってきたと思ったら、なんで貴女が仕切り始めるのよ!? ここを出て行くべきなのはこいつらの方よ! 貧乏人と『穢れた血』は、大人しく私達純血の言うことを聞いていればいいのよ!」

 

「黙れ、パーキンソン!」

 

醜い言葉の応酬が再開する。果てはパンジーを皮切りにミリセントまで参戦し始め、より事態は混迷を極め始めた。セオドールやザビニは参加こそしていないけれど、そのウィーズリーとグレンジャーを嘲笑したような表情から、少なくとも止める気がないことは確かだった。参加していないのは私とダリア、そして面倒くさそうな表情を浮かべて黙っているドラコと、こちらを相変わらず凝視しているグレンジャーだけだった。

事態は刻一刻と混迷を極めていく。そしていよいよこの場にいるのが馬鹿らしくなり、私は純血貴族との繋がりなど無視してドラコとダリアを連れ出そうと思い始めた矢先、

 

「ふん! でも、生意気な態度が取れるのももう少しだけよ! だって、パパが言っていたわ! もうすぐしたらあの()()()()()()が……な、なに!? 誰よ!? 今雪を投げてきたのわ!?」

 

それは起こったのだった。

突然パンジーの顔に雪玉が投げつけられたのだ。パンジー達が急いで辺りを見回しても、周りには私たち以外の人影はない。それどころか更に誰もいないはずの虚空から雪玉が投げつけられる。今度はクラッブの横顔に命中し、彼の顔にハッキリとした恐怖が浮かんでいた。

 

「一体何!? 誰がやっているの!?」

 

「あそこから来たぞ!」

 

パンジーはほぼ恐慌状態に陥り、ミリセントを盾にするように縮こまっている。クラッブとゴイルに至ってはそこら中をキョロキョロ見回しながら、同じところをグルグル回り続けていた。グリフィンドール勢を含めて、誰一人として犯人を見つけられず、各々があちらこちらに首を振り続けている。

そんな中、唯一ダリアだけは、

 

「別に呪いの仕業……というわけではなさそうですね」

 

と、一人冷静に呟きながら、ある一点だけを見つめ続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「なんてすごい地図なんだ! フレッドとジョージめ! なんで僕にくれなかったんだ!? 僕は弟なのに!」

 

『三本の箒』で『忍びの地図』についての一部始終を話すと、ロンが憤慨したように大声をあげた。

僕はそんな彼に苦笑しながら、大ジョッキに並々と注がれた『バタービール』を一口飲む。かじかんだ体が、一口飲むだけで隅々まで暖まる心地だ。僕はこんなに美味しいものを、今まで飲んだことがない。

やはりここに来れてよかった。『忍びの地図』がなければ、僕は今頃ホグワーツ城で一人寂しく過ごしていたことだろう。この『バタービール』一つとっても、僕は地図をくれたフレッドとジョージに感謝の念を禁じ得なかった。

しかし……どうやらハーマイオニーは違う意見を持っている様子だった。ハーマイオニーは店奥にある小さなテーブルを囲む僕ら三人の中で、唯一難しい表情を浮かべながら話し始める。

 

「ねぇ……私だってハリーと一緒にホグズミードを周れて嬉しいし、出来ればこんなことを貴方に言いたくはないわ。でも……ハリーはシリウス・ブラックに狙われているのよ? 彼がもし今日ホグズミードに現れたら……。それにその地図も、ちゃんとマクゴナガル先生にお渡しするのよね? 地図には他の抜け道も書かれているわ。もし、それを使ってブラックが侵入しているとしたらどうするの?」

 

実にハーマイオニーらしい意見だった。

僕のことを心配して言ってくれていることは分かる。でもこんな素晴らしいものを、シリウス・ブラックなんかのせいで見す見す奪われるわけにはいかない。

ロンもそう思ったのか、正気を疑うような視線をハーマイオニーに送りながら応えた。

 

「気は確かかい!? こんなにいい物を先生に渡せって!? そんな馬鹿なことがあるかい! いいか、ハーマイオニー! これを渡したら、先生にどこで手に入れたのかを言わないといけないんだぜ! 君はフレッドとジョージを先生に売り渡すつもりかい!? それにホグズミードへの抜け道だって、シリウス・ブラックが使っているはずがない! 一本は出入口の真上に『暴れ柳』が埋まっていて、もう一本はさっきハリーが通ってきた『ハニーデュークス』の倉庫行きだ。そんなもの、店のオーナーが物音に気が付かないはずがないぜ! だからあいつはホグズミードにはいない! いたとしても、こんなホグワーツの生徒だらけの中ハリーを見つけるのは無理だろうさ!」

 

捲し立てるように話すロン。それに対し、ハーマイオニーは尚何か言おうとしたのだが、

 

「……それはそうかもしれないけど。でも……」

 

「はい! この話は終わりにしよう! いいじゃないか、ハーマイオニー! もうすぐクリスマス! ハリーだって楽しまなきゃ!」

 

ロンの更なる言葉に遮られたのだった。

ロンは心配そうな表情を隠しもしないハーマイオニーを無視し、興奮したように先程あった出来事について言及し始める。

 

「それにしても、あいつらのあの表情は傑作だったな! パーキンソンなんて半狂乱だったし、ドラコもダリア・マルフォイの後ろで青ざめた顔をしていたぜ! ダリア・マルフォイ本人は……まぁ、いつもの無表情だったけど。でも、あいつにも雪玉を投げつけていれば、あの無表情だって崩れただろうさ! なんであいつにも投げなかったんだ? そうすりゃ、もっとあいつ等をコテンパンにしてやれたのに」

 

ロンは自分も最初は僕の仕業とは分からず、半ば恐慌状態に陥っていたことを忘れているらしい。

しかし僕はそんな野暮なことには突っ込まず、僅かに苦い気持ちを抱きながら答えた。

 

「……僕も最初はあいつにも投げてやろうと思ったよ。でも、投げられなかったんだ。あいつ、ドラコとグリーングラスを庇うように立ちながら、じっと僕の方を見つめていたんだ。僕はあの時透明だったというのに……。流石に僕がやっているとは気が付いていないだろうけど、あいつは僕の位置を正確に見抜いていたんだ。本当にあいつは……」

 

透明になっているはずなのに、それでもジッとこちらを見つめ続けるダリア・マルフォイ。正直あの時は恐怖でしかなかった。もしあいつに……あいつの兄や一番の()()()()であるグリーングラスに雪玉を投げつけていれば、あいつが何をしてきたか分かったものではない。パーキンソン達が逃げ去った後、ドラコやグリーングラスをまるで庇うように()()()()()どこかに歩き去ったから良かったが、正直あいつが僕の方を見つめ始めてからは生きた心地があまりしなかった。

僕は思い出してしまった苦い感情を飲み干すようにバタービールを口に含む。ロンも僕の言葉に何か思うところがあったのか、何か複雑な表情を浮かべながら、黙ってバタービールを飲み始める。

そんな中声を上げたのは、

 

「マルフォイさんならそれくらい出来るでしょうね。やはりマルフォイさんは凄い子だわ」

 

この中で唯一あいつに対して正常な考えを持っていないハーマイオニーだった。

唖然とする僕とロンを放置し、ハーマイオニーの言葉は続く。

 

「それにしても……今日のマルフォイさんはいつもの表情だったわね。私、このホグズミードなら彼女も笑顔になれるんだと……ここでなら、彼女も城での嫌なことを忘れられるのだと思って、彼女の笑顔を期待していたの。でも、今日はいつもの表情だった……。流石に『叫びの屋敷』は笑顔になる程のものではなかったからかしら……。それとも、今回一緒にいるメンバーが問題だったのかしら。だから、あんな風に彼らと別れるために……」

 

ハーマイオニーの意味不明な言動は続く。僕とロンはそれに対し、僅かに首をすくめるだけだった。こうなってしまえば、ハーマイオニーはどこまでも妄言を重ねていくだけになってしまう。いくらダリア・マルフォイが危険だと説明しても、この状態のハーマイオニーは僕達の意見を一向に受け入れようとはしないのだ。ある程度放っておいて、元の状態に戻ってくるのを待つしかない。

僕とロンは手持無沙汰になり、やはり何とはなしにバタービールを飲み続ける。そしてこれまた何とはなしに、僕はバタービールのつまみ代わりに、先程グリーングラスが落としていったキャンディをポケットから出し……()()()()()

 

その瞬間、口の中に異様な味が広がる。

それは紛れもなく、()()()だった。

 

「おぇ! な、なんだこのキャンディ!」

 

僕は思わず口に運んだキャンディを吐き出し、勢いよくバタービールを飲み干す。

無意識内の行動だったとはいえ、僕は内心このお菓子に少しだけ期待していた。グリーングラスはダリア・マルフォイの取り巻きであり、ジニーに意味不明な言いがかりをつけてくるような奴だ。でも、そんなスリザリン生のあいつは、マルフォイと同じ純血のお金持ち。悔しいけれど、奴のような人間はさぞいいお菓子を買っているに違いないと期待し、僕は人の買った物だと僅かな罪悪感を持ちながらも奴の落としたキャンディを頬張った。

それなのに……

 

「ハリー。これ……()()()キャンディよ。きっと『吸血鬼』用ね。どこでこんなものを拾ったのよ」

 

何故、こんな()()()()()()()()ではなかったのだろうか?

訝し気に残りのキャンディを観察するハーマイオニーに、僕はバタービールで口をゆすぎながら応える。

 

「さっき、ハニーデュークス前でグリーングラスとぶつかった時に拾ったんだ。ぶつかった拍子に、いくつか『透明マント』の中に紛れ込んでた。まさかあいつに返すわけにもいかないと思って、こうして持ってきたんだけど……」

 

「なんでそんなものをグリーングラスが買ってるんだ?」

 

僕の応えに、ロンも不思議そうな表情を浮かべる。唯一ハーマイオニーだけは、

 

「……ぇ? グ、グリーングラスさんが? だってさっき彼女は……」

 

驚愕としか言いようのない表情を浮かべていたけれど。

この時の彼女は、明らかに何かに気が付いた様子だった。

 

 

 

 

……僕がハーマイオニーの話をきちんと聞いていれば、僕だってあいつの秘密にたどり着けたのかもしれない。

でも、僕は聞かなかった。尋ねなかった。

それはこの次の瞬間、

 

「メリー・クリスマス、ロスメルタのママさん! ラム酒を一杯貰えないかな? ミネルバとハグリッドはどうするかね?」

 

「私はギリーウォーターのシングルを」

 

「俺はホット蜂蜜酒の4ジョッキ分を」

 

魔法大臣コーネリウス・ファッジやマクゴナガル先生、そしてハグリッドが店になだれ込んだせいだった。

そして急いで隠れた僕の近くで話された、

 

「大臣! よくものこのこ顔を出せましたね! 最近『吸魂鬼』がここにも顔を出すようになってから、商売あがったりですわ! 一体全体どういうおつもりなのですか!?」

 

「し、しかたなかろう。これも全て、ハリーをシリウス・ブラックから守るためなのだよ……」

 

僕には隠されていた、シリウス・ブラックの秘密があまりにも衝撃的な内容だったから。

僕はこの日、ホグズミードに来るという楽しみと引き換えに知った。シリウス・ブラックがかつて起こした事件の真相を。

奴はかつて父や母と親友であり、僕の名付け親であったこと。そんな奴はヴォルデモートから狙われた父と母を隠すため、『忠誠の術』で『秘密の守人』となり、二人の居場所を知る唯一の人間になったこと。それなのに……その秘密を、あっさりヴォルデモートに暴露したこと。挙句の果てに、裏切りに気が付いたもう一人の親友、ピーター・ペティグリューを指一本だけ残して吹き飛ばしたことを。

そんなあまりに衝撃的で、今まで感じたことのない程の憎しみを抱かせた内容に……僕はハーマイオニーに尋ねることを忘れてしまったのだ。

 

だから気が付かなかった。

僕が暴いた秘密は、シリウス・ブラックのものだけではなく……ダンブルドアが最も警戒する、ダリア・マルフォイについての秘密もだったことを。

 

でも、僕は気が付かなかった。

唯一彼女の秘密にたどり着いたのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

皆が寝静まった寝室。

今日もホグズミードで目いっぱい楽しんできたのだろう。ルームメイトのラベンダー達は、如何にも幸せそうな表情で眠りについている。

 

でもそんな幸せそうな寝息の聞こえる中で、私だけはどうしても眠りにつくことが出来ずにいた。

何故なら……

 

「何故今まで気が付かなかったのかしら……。今までヒントはいくらでも転がっていたのに。私は彼女が苦しんでいる姿を、今までずっと見ていたというのに……」

 

私はようやく、()()()秘密に気付いてしまったから。

確かにシリウス・ブラックについての事実も十分衝撃的で、ブラックのせいで親を失ってしまったハリーのことを思うととても悲しい気持ちになる。でも今の私にとって、それは残念ながら二の次でしかなかった。それくらい私が気が付いてしまった彼女の秘密は衝撃的で……悲劇的なものだったから。

 

「ようやく分かったわ。何故あの子があんなにも他人を拒絶しているのか。あんなにも……悲しい瞳をしているのか。あぁ……それなのに、私はなんて馬鹿なことを。グリーングラスさんが怒って当然だわ……」

 

私は一人涙を流しながら、以前読んだ教科書のあるページを見つめ続ける。

私の開いているページには、血に飢えたように牙をむき出し、今まさに恐怖に震える人に襲い掛かろうとしている恐ろしい生き物の挿絵が描かれていた。

 

思えばいくつもヒントはあったのだ。

彼女は一年生の頃、『闇の魔術に対する防衛術』の授業で異様な程顔をしかめていた。彼女と授業で一緒になることはほとんどなかったけど、クィレルの担当する授業だけはずっといつもの無表情ではなく、ひたすら不快としか言いようのない感情をその顔に表していた。

そして彼女が抱える最大の障害と言うべき、日光に一切当たれない体。

私は……いや、このホグワーツにいる全員が、それを彼女の病的なまでに白い肌のせいだと思っていた。でも違ったのだ。彼女は肌が白いから日光に当たれないのではなく……。

 

正直、これだけでも十分な証拠だったと思う。

一つ一つ、彼女が()()だと分かっていれば、そうとしか思えないような情報ばかり。解ってしまった今となれば、何故気付かなかったのかと……何故秘密を抱える彼女に、あんなにも無神経な言葉を吐き続けてしまったのかと頭を抱え込みたくなってしまう。

でもようやく気が付くことが出来た。思いがけず、最大の証拠を手に入れてしまったから。

 

『これあげる! ドラコと一緒に買ったものだから、()()()()()()()()!』 

 

あの時、『叫びの屋敷』前でスリザリン生と喧嘩していた時、グリーングラスさんは確かに彼女にそう言っていた。

ハリーの話が確かなら、グリーングラスさんが買っていたのは血の味キャンディだ。それを彼女に渡すと言うことが意味することは……もはや一つしかなかった。

 

点と点が繋がり、全ての事実が線として描かれていく。

描き出されたのは……決して素晴らしい真実ではなかったけれど。

 

「マルフォイさんは……純血ではなかった。彼女は……『吸血鬼』なんだわ」

 

私はこの日、マルフォイさんの秘密の()()を知ってしまったのだった。



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最後のクリスマス

 

 ダリア視点

 

私のクリスマスは平凡に満ち溢れている。

待ちに待ったクリスマス休暇。昨日ようやく家に帰ることが出来た私とお兄様は、目を覚まし食堂に向かうとまず優しい家族に出迎えられる。

 

「お父様、お母様。おはようございます」

 

「あぁ、おはよう」

 

「おはよう、ダリア、ドラコ。さぁ、座りなさい。折角の朝食が冷めてしまうわ」

 

食堂に入る私達に、優しい微笑みを浮かべるお父様とお母様。私が日光に当たれない関係で距離こそあるが、柔らかな日差しを取り込んだ窓が食卓を優しく照らしている。

まさに絵にかいたような家族との時間。そこには私がずっと待ち望み、いつだって幸福を感じられる空間があった。

 

「はい、お母様」

 

家に帰った時も散々喜んでいたというのに、こんな何気ないやり取りだけで、私はどうしようもなく喜びを感じてしまう。自分では分からないが、おそらくこの無表情も綻んでいることだろう。そしてその予想は正しかったらしく、私の表情を見たお母様の視線は更に微笑ましいものに変わっていた。

そんなお母様の反応で、私の無表情も更に綻んだのは言うまでもない。

 

私達が食卓に着いたことで、静かだが穏やかな食事が進んでいく。食事中であるためそこまで会話があるわけではない。しかし会話などなくともお互い深い信頼感を持っているため、決して緊張感などが生まれることはない。ただただ穏やかで幸福な時間。それは食事が終わり、食後の紅茶を楽しんでいる間も続く。

何気ない会話がポツリポツリと食卓に響く。

 

「ダリア。私は理事ではなくなってしまったが、お前の学校での活躍はよく聞いている。今年も素晴らしい成績を残せそうだな。流石は我がマルフォイ家の娘だ」

 

「ありがとうございます、お父様。決してマルフォイ家の名に泥を塗るようなことはいたしません」

 

「いや……そんなことは一切心配してはおらん。だが……ドラ、」

 

「そ、そういえば父上! 後期はスリザリンのクィディッチ試合がありますけど、去年みたいに観戦には来ないのですか!?」

 

「……まぁ、よい。お前の成績については次の機会だ。しかし観戦か……。おそらく試合を観戦に行くことは出来ないが、その内ホグワーツに……森番に会いに行く()()がある。可能であれば、その時に少しだけ時間を作ることにしよう」

 

「本当ですか、お父様!?」

 

聞こえるのは極々ありふれた家族との会話。そこには何の変哲も変化もなく、ただただどこまでも続く退屈な日常があるだけだ。多くの人間にとって、この平凡な日常はただ過ぎ去っていく一日でしかないのだろう。

でも、この日常こそが……私にとって最も感動的で、退屈とは程遠い幸福な時間なのだ。

この暖かい家庭に戻ってきたというだけで、私は胸がいっぱいになるような気持になるのだ。

 

お父様が私を褒め、そして不器用に私の頭を撫でてくださるのが好きだった。

お母様が私とお父様の会話を聞き、そっと見守るように微笑む姿が好きだった。

そして……

 

「よかったな……ダリア」

 

「はい、お兄様! お父様、その時を楽しみにしておりますね!」

 

両親に甘える私を、お母様そっくりの視線で見つめるお兄様の姿が大好きだった。

 

朝食が終わり、昼食を食べ、そして夜に細やかな家族だけのパーティーを開こうとも、この穏やかな時間は決して変わらない。

私は本当に幸せな『怪物』だと思う。

本来であれば決して受け入れられないような生き物なのに、それでもこんなに素晴らしい家族が私を愛してくれている。非日常の化け物が、それでもいいと受け入れられ、そっとその何気ない日常の中にいることを許される。それを幸福と言わずに、一体何を幸福だと言うのだろうか。

 

今日も一日、ただ平凡な一日が過ぎ去ってゆく。

私にとって今年のクリスマスはそんな何の変化もなく、同時にとても幸福感に満ちたものでしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私はずっと信じて疑わなかった。『吸血鬼』とは、人の血を吸う闇の生き物……()()なのだと。

マグルの世界において『吸血鬼』は物語に度々登場する()()であり、それは彼らが実際に存在する魔法界においても同じだった。彼らには銀やニンニク、そして日光に当たれない等の大きな弱点があるものの、それを補うだけの強靭な力と半不老不死の体がある。食事の代わりに人の血を啜り、『あの人』が全盛期だった頃は闇の勢力として人々を襲った()()()()怪物。それが私が知り、そして疑いすらしていなかった吸血鬼の実態だった。

 

でも今の私には……それを俄かに信じることは出来なくなっていた。いやそれどころか、それが完全な嘘だったのではとすら疑い始めている。

何故なら、私の知った()()()吸血鬼は、あまりにも教科書に書かれていたものとはかけ離れていたから。私が見つめ続けていたマルフォイさんは、あの教科書に描かれていた絵とは似ても似つかなかったから。……ペテン師の()()に書かれていたような、愚かで醜い怪物などでは到底なかったから。

 

彼女はいつだって私を助けてくれようとしてくれた。どんな時だって……それこそ自分が追い詰められ、私なんかより遥かに辛い思いをしている時だって、彼女は何だかんだ言って私を助けてくれた。最終的に私を拒絶しようとも、彼女はいつだってその瞳に悲しみを湛えながら、他人である私のことを心配してくれていた。

そこには血に飢えた怪物の姿などなく、ただ一人の心優しい少女の姿があるだけだった。

それなのに……

 

「それなのに私は……なんて身勝手なことを」

 

ほとんど人のいなくなったグリフィンドール談話室で、私は真っ白に染まる外を眺めながら独り言ちる。談話室にはシリウス・ブラックの真実を知り落ち込むハリー、そして何を話すでもなく黙り込む私達に戸惑うロンがいるけれど、それでも私の暗い思考が止まることはなかった。親友であるハリーが落ち込んでいるというのに、放っておけば意識はマルフォイさんの方に流れてゆく。

私はずっと、マルフォイさんと友達になりたかった。いつだって私の目指す先に立ち、そしていつだって私を助けてくれた彼女と、私はずっと友達になりたいと……ハリーやロンと同じ親しい関係になりたいと考えていた。

『吸血鬼』を化け物だと考えるその頭で……。

彼女が『吸血鬼』と知らなかったとはいえ、私はずっと彼女に近づこうとする一方、『吸血鬼』のことを化け物だと罵っていた。去年あんなにも()()において『吸血鬼』が馬鹿にされていたのに、私はそのことに何の疑問も違和感も覚えてはいなかった。私は無意識に、『吸血鬼』を人間より劣った生き物で当然だと考えてしまっていた。

勿論マルフォイさんにそんな考えを伝えたことなど一度もない。でも無意識のこととはいえ、私は彼女のことをずっと馬鹿にしていたのだ。

 

そんな私に、マルフォイさんと友達になる資格など最初からありはしなかった。

 

マルフォイさんが周囲を、それこそ同じスリザリン生すら拒絶するわけだ。私と同じように多くの生徒が『吸血鬼』のことを、ただ血を吸う化け物なのだと信じ切っている。私のようにマルフォイさんが本当は優しい女の子だと知っている人間ならいざ知らず、ほとんどの生徒が彼女の秘密を知れば思うことだろう。

 

マルフォイさんの無表情は……彼女の人を人とも思わないような冷たい視線は、私達をただの()だと考えているからなのだと。彼女は誰かの血を吸おうと、ただ無感情に品定めしているのだと。

誰よりも賢い彼女が、そんな簡単な事実に気付かないはずがない。

 

悲劇的だった。考えれば考える程彼女は他者を拒絶するしかなく、彼女の未来はどうしようもなく行き詰っている。おそらく彼女が信頼できる人間は、ドラコを含めた家族、そして彼女の親友であるグリーングラスさんのみなのだろう。その小さな世界のみが彼女に許された交友であり、それ以外の全ては彼女にとって敵でしかないのだ。そしてその敵の中には、マルフォイさんを未だに『継承者』の共犯と疑うダンブルドアがおり……勿論、何も知らなかったくせに、ただ徒に彼女に近づこうとしていた私も含まれていた。

 

……一つの事実を知ったことで、次々と彼女の行動の理由が明るみに出て行くようだ。

今なら分かる。彼女が私を助けながら、それでも最終的に私を拒絶した理由が。バジリスクから逃げた後、何故彼女が自身のことを『怪物』と呼び、あんなにも私を助けたことに取り乱していたのか。前回のホグズミードで、何故彼女があんなにも晴れやかな笑顔を浮かべていたのか。

……何故彼女がスネイプ先生の質問に答えないことで、『狼人間』のルーピン先生を庇ったのかが。

 

時間が経つにつれ、思考がどんどん暗いものになっていく。

私の視線の先には、相変わらず校庭を白く染め続ける雪景色。もう明日にはクリスマス当日のため、窓はクリスマス風に飾り付けられており、外にもベルの垂れ下がった木が何本も見え隠れしている。そこかしこに漂うクリスマスの空気に、他の生徒達がいればさぞ談話室は明るいものになっていたことだろう。でも……現実は違う。明るい談話室の空気はどこまでも暗く、言葉を発している人間はロンくらいのものだった。

結局()()()()()は、私とハリーが会話することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

いよいよクリスマス当日。城内はいよいよクリスマスムードに包まれ、冷たい色をして漂うゴーストですら、その冷たい顔色を明るいものに変えている。

でも……

 

「おい、ハリー……元気出せって。ハーマイオニーもホグズミード以来、何故かずっと黙り込んでいるし……。な、何かやろうぜ、折角のクリスマスなんだし! ほ、ほら、外はすっかり雪景色だ! 雪合戦でもして、パ~と気分転換でも、」

 

「ロン、折角のクリスマスなのに……ごめん。でも、今はそんな気分じゃないんだ。少しだけ……静かにしていてくれないかい?」

 

僕等の垂れ流す空気は相変わらず冷たい物でしかなかった。

親切でロンが話しかけてくれているというのに、僕はバッサリと彼の言葉を遮る。もう何度目か分からない会話。このようなやり取りが、クリスマス休暇始まってからずっと繰り返されていた。

相変わらず黙り込むハーマイオニーの横で、ロンが気まずげな表情をしているのが分かる。でもそれでも、今の僕にはどうしても彼のことを気にしている余裕などなかったのだ。

憎しみでどうにかなってしまいそうだった。『忍びの地図』で念願のホグズミードに行けたというのに、僕の中にその熱はもうどこにも存在していない。あるのはただ激しい憎しみだけ。経験したことのない憎しみが毒のように体中を這いまわり、ただ座っているだけで頭がどうにかなってしまいそうだった。

 

シリウス・ブラック。両親の親友でありながら、本当はヴォルデモートの手下であり、最終的に二人を死に追いやった裏切り者。奴は今もアズカバンではなく、何の不自由もなく外を堂々と歩き続けている。『吸魂鬼』が近くにいようとも、僕の様に母の声で苦しむこともない。その事実が僕には堪らなく憎かった。

 

僕が黙り込むことで談話室に再び沈黙が舞い降りる。窓の外は真っ白なのに、談話室の中はどこまでもどす黒いものでしかなかった。

そんな暗い沈黙を破ったのは、

 

「わ、分かったよ……。でも、ほら。その前にプレゼントだけは開けておこうぜ。今年もママがセーターを送ってくれているはずだし……。な、ハリー……プレゼントを開けていれば、少しは気分が変わるかもしれないだろう?」

 

やはり僕の大切な親友であるロンだった。

僕の醸し出す異様な空気にたじろいではいたけれど、それでも僕を放っておくわけにはいかないと思ってくれたのだろう。少しでも僕の気分を変えさせるため、勇気を振り絞って僕に声をかけ続けてくれる。

そして()()()彼の発言は効果的だった。流石に気分が落ち込んでいたとしても、夏休みの間あんなにお世話になったウィーズリーおばさんの話を持ち出されたら反応するしかない。

僕は渋々といった様子で、ロンの方を振り返り応えた。

 

「分かったよ……。どの道、プレゼントは開けておく必要があるしね……」

 

プレゼントの山自体は比較的近くにあったため、僕はすぐにプレゼントの開封作業に取り掛かる。そして実にノロノロとした動きではあったけど、一つ一つプレゼントを開けていく。

目当てのプレゼントはすぐに見つかった。ウィーズリーおばさんから毎年贈られる深紅のセーター。山の一番上にあったこともあるが、僕には()()()()()()()()()()()()()()()、簡単に見つけることが出来たのだ。

 

「僕にも来てたよ! ママからのセーター! また栗色だけど……。君のはどうだった?」

 

「深紅のセーターだったよ……。愛情溢れるいいプレゼントだよね。本当に……()()()()()

 

ロンへの返答が、知らず知らずの内に刺々しい物になっている。

駄目だ。ただのプレゼントだというのに、ささくれ立った心が余計な解釈をしてしまう。

僕は思わずウィーズリーおばさんからのプレゼントから目を逸らす。おばさんからのプレゼントは本当に嬉しい。でも今の僕には、正直他人の幸せの家庭を見せつけられるのは本当に辛いものだったのだ。

しかし……。

 

「あれ? これは……?」

 

目を逸らした先にあった、一つのプレゼント箱に視線は引き寄せられたのだった。長くて薄いプレゼント箱。何の変哲もないプレゼント箱に、僕は何故か一瞬で引き寄せられた。

 

「ん? どうしたんだい、ハリー? その包みは何だい?」

 

「い、いや……。で、でも、折角だし開けてみよう」

 

僕は不思議な引力に導かれるまま、プレゼント箱を開けた。そこには……

 

「な、なんてこった! ハ、ハリー! それ、ファイアボルトだ!」

 

すっきり流れるような柄。1本1本厳選し砥ぎ上げているかのような尾といった、他の箒にはない恐ろしく整ったフォルムをした箒が転がっていたのだった。手を伸ばすと、箒は僕が丁度跨り易い高さに浮かび上がり、箒の柄には金文字の登録番号が燦然と輝いている。

僕はあまりの事態に先程まで感じていた憎しみを一時忘れ、ただ食い入るように夢にまで見た箒を見つめる。突然の事態に、頭が中々ついてこない。

そんな僕に、ロンが横から大声で話しかけてくる。

 

「す、すごいや! これは史上最高の箒だぜ! だ、誰がこんな大金を君に使ったんだい!? カードか何か入ってないかい?」

 

僕は停止した思考で、ロンにさとされるままカードを探す。しかしカード類が見つかることはなく、僕は相変わらずボーっとした思考で応えるしかなかった。

 

「……いや、見当たらないよ。少なくともダーズリーではないことは確かだけど……。一体誰が送ってきたんだろうね?」

 

「ダンブルドアじゃないかな!? ほら、一年の頃、名前を伏せて君に『透明マント』を送ってきたわけだし! きっとあの人だよ! ダンブルドアなら、この箒も簡単に買うことが出来るよ!」

 

「……う~ん。多分ダンブルドアではないと思う。『透明マント』は元々僕の父さんの物だったから、それを僕に返しただけだよ。先生が僕のために何百ガリオンもの金貨を使ったりはしないよ」

 

「いや、だからこそ名前を伏せてるんじゃないか! マルフォイみたいな下衆なら、先生が依怙贔屓しているって()()するだろうけどさ!」

 

そこでロンは突然歓声を上げ、喜びのまま談話室の絨毯の上を転げまわった。

 

「そうだ、マルフォイの奴! 君がこの箒に乗ったらどんな顔をするんだろうな! あのただでさえ青白い顔が更に青白くなるのは見ものだぞ! なんていったって、ファイアボルトは国際試合級の箒だ! あいつの持ってるニンバス2001だって、この箒には追いつけやしない! これでグリフィンドールの勝利は決まりさ!」

 

そして歓声を一通り上げた後、彼は起き上がり言った。

 

「よし、じゃあ早速外に出て乗ってみようぜ! それで……君が乗り終わったら、僕も試しに乗ってみてもいいかな?」

 

「う、うん……そうだね。そうしよう」

 

思考はまだ追いついてはいないが、これがどん底にいた僕に訪れた最高のプレゼントだということだけは理解出来た。

僕とロンは早速と言わんばかりに外に出ようとする。外に出るためのローブも羽織ろうとせず、ただ興奮のまま外に駆けだそうとして、

 

「待って!」

 

休暇中ずっと黙り込んでいたハーマイオニーに止められたのだった。 

今までずっと虚ろな瞳をしていたというのに、今はただ不信感を露にした表情で僕のファイアボルトを見つめている。そして訝し気に振り返る僕達に、ハーマイオニーは静かな口調で話し始めた。

 

「……ねぇ、本当にその箒には差出人が書かれていなかったの? それはとっても高い箒なのよね?」

 

「う、うん。それがさっぱり分からないんだ。カードもついていなかったし」

 

僕の返答に、ハーマイオニーは更に顔を曇らせながら続けた。

 

「……おかしいわ。その箒は私もダイアゴン横丁で見たけど、とても生徒に買い与えるような値段の物ではなかったわ」

 

「そうだぜ、ハーマイオニー! これは現存する最高峰の箒なんだ! スリザリンの持ってる箒を束にしてもこれには届かないよ!」

 

「そうね。だから……だからこそおかしいの。そんなに高価なものを送って、それでも自分の名前を伏せる人間って一体誰なの? そもそも、一体()()()()ハリーにその箒を送ったの?」

 

ハーマイオニーの回りくどい言い回しに、ロンが苛々したように言う。一刻も早くこの箒に乗ってみたい。その思いが溢れ出しているようだった。しかし、

 

「誰だっていいじゃないか! それにこの箒を送ってきたのは、ハリーのニンバス2000が壊れてしまったからだろう! それ以外に何があるって言うんだい! ほら、ハリー! 早く行こうぜ! 朝食に行く前に、まずその箒の乗り心地を、」

 

「駄目よ! 行っては駄目! まだ誰もその箒に乗ってはいけないわ!」

 

ハーマイオニーの甲高い叫び声によって、再び行く手を阻まれたのだ。

そして彼女は僕の手から箒を奪い取ると、毅然とした表情で告げたのだった。

 

「ハリー! 貴方はおかしいと思わないの!? こんな高価な箒を、匿名で送りつけてくるなんて! この箒はおそらく……シリウス・ブラックが、貴方を()()()()()送り付けてきたものなのよ! これは今すぐ、マクゴナガル先生に預けるべきよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

クリスマス休暇が終わる。平穏だった日々は終わりを告げ、私は再び常に警戒心を持たねばならない生活へと戻る。

ホグワーツにはダフネがいるとはいえ、やはり両親と別れるこの時間だけはどうしても寂しいものだった。

 

「ダリア、ドラコ。ホグワーツでも体調には気を付けるのよ。特にダリア。貴女は無理をしすぎないようにね」

 

「はい、お母様」

 

「ダリア。ドラコがしっかり勉学に励むよう、しっかり監視しておくのだぞ」

 

「はい! お父様、お任せください!」

 

「い、いや、ダリア、そんなに張り切らなくても……。それは程ほどにしてくれよ。僕は今からクィディッチの試合もあるんだからな……」

 

おそらく寂しさを感じているのは私だけではないのだろう。マルフォイ家は私が如何に家族との時間を大切にしているか知っている。取り留めのない会話をしてはいるが、皆瞳だけは悲しみを湛えていた。しかしどんなに悲しもうとも、このまま家に残っているわけにはいかない。遂に汽車が汽笛を鳴らし始める中、お父様が私の頭を撫でながら言う。

 

「ダリア、そう悲しい顔をするものではない。ダンブルドアの妨害のお蔭でまだ時間はかかりそうだが、一度はホグワーツによる機会があるのだ。それで我慢してはくれないか?」

 

「はい……そうですね、お父様」

 

不器用ではあったが、お父様なりに私を慰めようとしてくださっているのが分かった。何とか笑顔をひねり出そうとしている私を、今度はお母様が優しく抱きしめてくださる。

 

「……ダリア、何度も言うわ。でも、私は貴女のことが心配なのよ。だから……辛いことがあったら、いつでも知らせてくれていいのよ。ルシウスは確かに理事ではなくなったけど、まだ魔法省の地位はある。貴方のことを必ず守ってくださるわ。だから……辛いことがあったら、必ず私達にも知らせるのよ」

 

「お母様……ありがとうございます。でも、私はいつだってお母様やお父様に甘えていますよ」

 

そして、遂にその時がやってきたのだった。

汽車が最後の汽笛を鳴らし、いよいよ動き始める気配を漂わせる。駅でたむろしていた生徒達も急いで汽車に乗り込み始め、もう既に乗り込んでいた生徒もまだ外にいる生徒を呼び込んでいる。その中には私の大親友も含まれていた。

 

「お~い、ダリア~! 久しぶり~! 早く乗らないと汽車が出ちゃうよ~!」

 

声の方に振り返れば、汽車の窓から顔をのぞかせるダフネの姿が見える。

流石にもう時間切れか。幸いもう荷物自体は運び込んでいるが、これ以上ここにいては本当に汽車が動き始めてしまう。それにダフネのことをこれ以上待たせるわけにもいかない。

私はダフネに手を振り返し、最後にお父様達に挨拶してからかけ始めた。

 

「あ、ダフネ! す、すぐに行きます! ではお父様、お母様! 行ってまいります! お父様は城にいらっしゃる前に、必ず連絡をお願いしますね!」

 

「あぁ、行ってきなさい、ダリア、ドラコ」

 

「気を付けるのよ! 無理はしないのよ!」 

 

「はい、行ってまいります! お父様! お母様! また夏休みに!」

 

私とお兄様が乗り込むと同時に、汽車はゆっくりと動き始める。急ぎダフネと合流し、コンパートメントの窓から顔を出すと、離れたところに未だに駅に立つ両親の姿が見えた。

一年の頃、私が初めてホグワーツに入学した時と同じく、お母様は片手で目元を拭きながら手を振り、お父様は片手を優雅にたてておられる。

どんなに成長しようとも、私に変わらぬ愛を注いでくれる両親の姿がそこにはあった。

私は二人が見えなくなるまで、手を振り続ける。いつまでも……いつまでも……。

 

こうして、私の知らぬ所で事件は進む中……私がダリア・マルフォイとして家族と過ごす、()()()()のクリスマスは終わりを告げたのだった。

 



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親友の不在

  

 ハリー視点

 

今年、ロンとハーマイオニーは度々喧嘩することがあった。ロンのネズミであるスキャバーズを、ハーマイオニーが今年買ったクルックシャンクスが追いかけるというペット問題。それに端を発した喧嘩は今年中度々起こり、ハーマイオニーとロンは引っ付いては離れるという関係を繰り返し続けていた。

しかし、それも今回の件で決定的なものとなる。ロンとハーマイオニーの喧嘩に、遂に今まで傍観者であった僕も参戦することになったのだ。しかも今回はペットのことではなく、僕にプレゼントとして送られたファイアボルトが原因だった。

ハーマイオニーは結局、僕からファイアボルトを取り上げたかと思うと、本当にマクゴナガル先生の元に届けてしまった。僕がファイアボルトの主であれた時間はほんの一瞬。箒に呪いがかかっていないことが分かるまで、僕は箒に跨ることすらお預けになってしまったのだ。

僕だって、ハーマイオニーが善意でやったことだとは分かっている。でも、僕はそれが分かっていても、どうしても彼女を許すことが出来なかった。ファイアボルトは呪い崩しのテストのため、一度バラバラの状態に分解する必要があるのだという。そんなことをされてしまえば、僕の元に帰ってきたファイアボルトがどんな状態になっているか分かったものではない。ロンも同意見らしく、連日カンカンになって怒っている。

ハーマイオニーのせいで、僕らのクリスマス休暇は決定的に悲惨なものになり果ててしまったのだ。折角プレゼントのお蔭でシリウス・ブラックについて忘れられたというのに、彼女のせいで全てが台無しになってしまった。しかも……ハーマイオニーには決して反省する気はなく、未だに自分の行ったことが正しかったと主張し続ける態度が、事態を余計にややこしくしていた。談話室に決して戻らず、僕らと顔も合わせようともしない。クリスマス休暇が終わり、帰ってきた生徒から又聞きした話によると、どうも談話室には戻らず図書館に引きこもっているらしかった。

唯一顔を合わせる機会である授業の時だって、

 

「君、いつになったら反省して僕等に謝りに来るんだい?」

 

「私は悪いことなんてしていないわ! ロン、貴方はハリーが箒なんかのために死ねばいいって言うの!?」

 

「箒なんかのためって何さ! あれはファイアボルト! 世界最高峰の箒なんだぞ! それに、シリウス・ブラックがファイアボルトに呪いをかけているわけがないだろう! あいつがファイアボルトを買えるわけがない! あいつは逃亡中なんだぜ!? 国中があいつを見張ってる中、『高級クィディッチ用具店』に現れるわけがないんだ! 君はいつだってそうだ! あの化け猫のことも、ダリア・マルフォイのことも! 君は自分の間違いを認められない!」

 

そんなやり取りが毎回繰り広げられていたのだった。

クリスマス明けの『闇の魔術に対する防衛術』の授業終わり。まだ人が僅かに残る教室で、ロンとハーマイオニーの叫び声が響き渡る。

まだ体調が悪いらしく早々に個室に引きこもっていたルーピン先生と、僕が『吸魂鬼』への対抗呪文の授業について話をつけていた間に、二人の議論はヒートアップしていたらしい。周りから奇異な目で見られているにもかかわらず、二人は大声で罵り合い続ける。

 

「いい加減認めたらどうなんだ!? 君だって本当は分かっているんだろう!? シリウス・ブラックがハリーにファイアボルトを送ったりするはずがないって! 君は意固地になっているんだ!」

 

「そんなことないわ! 私は間違っていない! ハリーのためにも、あの箒はマクゴナガル先生に預けるべきだったのよ! いいわ! 私が正しかったって、いつか必ず後悔することになるから!」

 

「そうかい! そっちがそんな態度ならもういいよ! なんだよ、折角こっちから謝る機会を与えてやったっていうのに!」

 

ロンはそう言った切り、プリプリした態度でこちらに戻ってくる。そして尚苛々した態度で僕に尋ねてきたのだった。

 

「ふん! なんだよ、折角謝るチャンスだったっていうのに! あんな奴もう知るもんか! それよりハリー。ルーピンとの授業はどうなったんだい?」

 

「……今日の夕方5時になったよ。夕食の時間と被ってしまうけど、それより前には()()がいるらしくてね。僕はその後に授業を受けることになったよ。でも……正直大丈夫なのかな?」

 

僕はハーマイオニー問題を一時横にどけ、当面の不安についてロンに打ち明ける。

僕がクィディッチの試合に出るにあたり、不安に思っていることは二つあった。一つは箒。ニンバス2000を失ってしまった以上、僕は次の箒を入手しておく必要がある。それが幸運にもファイアボルトになりそうだったわけだけど……ハーマイオニーのせいで、違う箒を用意しなくてはならなくなった。また一から箒について考えなくてはならない。

そしてもう一つの不安が、『吸魂鬼』のことだった。ダンブルドアがいるとはいえ、吸魂鬼が次の試合に乱入してこないという保証はどこにもない。その時に備え、僕はどうしても吸魂鬼に対する防衛術を身に着けておきたかった。なのに……

 

「ルーピン先生、未だに体調悪そうだったし……。その時になってまた延期されたりしないかな?」

 

クリスマス休暇が明けたというのに、先生の容態は少しも良くなっていなかったのだ。あんな調子で、果たして僕に防衛術の個人授業を開くことが出来るのだろうか。

僕の不安に対し、ロンも同意見なのか頷きながら応える。

 

「そうだよな。本当に、ルーピンには早く良くなってほしいよ。君の授業もそうだけど、もしまた体調を崩されたら、またスネイプの授業になってしまうかもしれないからな……。まったく悪夢だよ」

 

ロンはカバンに教科書を放り込み、更にルーピン先生のことについて続けようとした。しかし、

 

「一体どこが悪いんだろうな? 未だに体調が悪いってことは、マダム・ポンフリーにすら治せないってことだろう? スネイプが調合して、ダリア・マルフォイが運んだなんて怪しげな物まで飲んで……寧ろそっちの方が病気に()()()()なものだけど。一体ルーピンは何の病気なんだろう、」

 

「……本当に馬鹿ばっかりね」

 

ハーマイオニーの苛立ち混じりの言葉に遮られたのだった。

ハーマイオニーは悪態をついたっきり、そのまま教室を後にしようとする。そんな彼女に、ロンが再び剣呑な表情を浮かべながら尋ねた。

 

「……何か言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

 

「なんでもないわ」

 

取り澄ましたようなハーマイオニーの応えに、更にロンが突っかかる。

 

「いや、なんでもないわけないだろう! 僕がルーピンのどこが悪いのかって言ったら、君はハッキリと何か言ったじゃないか! 何か言いたいことがあるなら、」

 

「何よ! ルーピン先生のどこが悪いかなんて、そんなこと()()()()()()ことじゃない! もういいかしら!? 私、次の『マグル学』に行かないといけないから忙しいのよ! 貴方達とは違って!」

 

癪に障るような優越感を漂わせた言葉だった。しかもそう言った切り、ハーマイオニーは何も言うことなく教室を走り去っていく。

残されたのはやはり憤慨したように立ち尽くす僕とロンだけだった。

 

「なんだよあれ! まったく、本当は何も知らないくせに! あいつ、どうせ僕達にまた口をきいてほしいだけさ! それに何が『マグル学』だ! あいつが次受けるのは、僕らと同じ『占い学』じゃないか! 『占い学』と『マグル学』を同時に受けられるわけがないのにな! やっぱりあいつの言ってることは出鱈目ばかりだよ! だからファイアボルトの価値も分からないのさ!」

 

 

 

 

彼女の言葉が本当は正しかったと知るのは……まだもう少し先のこと。

それに、どうせすぐに、

 

「なんでお前がここにいるんだ!?」

 

ハーマイオニーの言っていたことなんて忘れることになるのだから。

ルーピン先生に指定された時間。僕が教室を訪ねたところ……

 

「ポッター……。あぁ、成程。確かに貴方には『守護霊の呪文』を学ぶ動機は十分にありますね」

 

ちょうど教室を後にしようとする、ダリア・マルフォイが立っていたのだ。

この日ハーマイオニーが『占い学』の授業をサボったばかりか、()()()()()()()()()()()()ことを差し引いたとしても……僕が彼女の発言を思い出すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

休暇明け1日目の朝食。

クリスマス休暇から戻り、ドビーが作ってくれた専用の朝食を食べる私の元に届いたのは、

 

『今日の授業終わりすぐ、私の教室まで来てくれないかい? 君も知っての通り、私はまた体調を崩しかけていてね。崩れ切る前に、何とか君に授業を行っておきたいんだ』

 

そんなルーピン先生からの手紙だった。

随分と時間はかかったが、ようやく待ちに待った『守護霊の呪文』の授業が開始されることになったのだ。

私は持ち前の無表情を僅かに崩しながら、隣で幸せそうに朝食を摂るダフネに話しかける。

 

「ダフネ、今日の授業終わりですが、少し用事が出来ました。ルーピン先生に『守護霊の呪文』について学ぶ目途がようやく立ったのです。申し訳ありませんが、今日の勉強会はまた次の機会にお願いできますか? 今日の授業は『マグル学』でしたよね?」

 

選択授業が行われた日には、私達は必ずと言っていい程勉強会を開いている。勿論勉強会と言っても、私とダフネ、そしてお兄様のみの極々小さなもの。勉学というより、どちらかと言えば一緒にいることを目的としたものでしかない。私は今年、この勉強会と言う名の集まりを非常に楽しみにし、一年間ホグワーツで過ごす活力にしていた。

しかし、今日はより大切な用事が入ってしまった。先生の個人授業が楽しみであるということもあるが、それ以上に『守護霊の呪文』は必ず身につけなければならない呪文なのだ。

そう思い、私はダフネに断りを入れようとした……のだけど、

 

「うん、そうだよ! ダリアは『数占い』だよね。でも、そっか……。今日はルーピン先生との授業に行くんだね……。私はそれが終わってからでも構わないよ? 私にだって、ダリアと一緒に勉強するのは楽しいことなんだから」

 

そんな嬉しい提案をしてくれたのだった。

彼女の瞳には嘘の色は一切なく、純粋に私と一緒に勉強したい……一緒にいたいという思いだけがあった。私は無表情を更に崩しながら応えた。

 

「……分かりました。おそらく五時過ぎには終わると思いますので、まず夕食を食べて、それからお茶でも飲みながら今日勉強したことを交換しましょう。……ありがとうございます、ダフネ」

 

そして時間は過ぎ、『数占い』の授業に()()()()()()()()()()()()()()()事件はあったものの、無事授業を終えた私は今ルーピン先生の教室の前にいた。

私は逸る気持ちを抑えながら、教室のドアを静かにノックする。

 

「先生。ダリア・マルフォイです。入ってもよろしいでしょうか?」

 

「あ、あぁ、お入り」

 

やや緊張気味の声音に応え、私はドアを開いた。

中にはやはりどこか緊張しておられる先生がおり、私にぎこちない笑みを浮かべながら声をかけてきた。

 

「ダリア、よく来てくれたね。それに申し訳ないね。知っての通り、また満月の時期が近づいていてね。おそらく私はまた体調を崩すことになる。だからこんな時期になってしまったのだが、」

 

「先生、大丈夫ですよ。寧ろ体調が優れない時期に教えて頂けるのです。お礼こそ言えど、文句など言えるはずがありません。今回は私のお願いを聞いて下さりありがとうございます」

 

私に秘密が露見していること、そして老害に何か言い含められていることでやや緊張気味の先生に、私は出来るだけ安心してもらえる言葉を選びながら応える。折角先生が体調を押してまで授業をしてくれるのだ。取引という名目とはいえ、私には最初から先生の秘密を暴露する気などない。先生には出来ることならリラックスした状態で授業を行ってほしかった。

しかし、

 

「そ、そうかい? そう言ってくれるなら良かったよ……」

 

私の言葉が効果を発揮することはなかった。私のピクリとも動かない無表情が悪かったのか、先生の表情は更に硬いものに変わっている。どうやら余計に警戒させてしまったらしい。やはり私の表情を読めるのは世界広しと言えど、家族とダフネだけなのだ。

無駄なこと……どころか余計なことをしてしまったと悟った私は、ため息一つ吐くと急いで続きを促すことにした。

 

「それで先生。『守護霊の呪文』の授業ですが、どのように進めてくださるのですか?」

 

「あぁ、そうだね。それなんだが……正直あまりいい案が思い浮かんでいないんだ。もう一人『守護霊の呪文』を教えることにしている生徒がいるんだが、()の場合は『まね妖怪』を使おうと思っているんだ。彼の一番怖いものは『吸魂鬼』らしいからね。でも……君の一番怖いものは違うだろう? まさか本物の『吸魂鬼』を連れてくるわけにはいかないからね。それでどうしたものかと悩んでいてね。とりあえずは……まず今君がどれくらいのことが出来ているか確認させてもらえないかい?」

 

ある程度予想はしていたが、私が怒り出さないかとどこか心配しているような言葉だった。だがそれでも正直に答えて下さったのは、恐れると同時に、授業をする以上私に誠実でありたいという思いもあるのだろう。勿論私はそんなことで怒り、先生が『狼人間』であることを吹聴しようなどとは思わない。元々私が呪文の習得に行き詰ったから、先生にお願いした授業なのだ。先生が如何に素晴らしい先生だからといって、すぐに解決策が見つかるものだとは思っていない。

だから私は、

 

「勿論です。では……エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!」

 

二つ返事で呪文を唱えたのだった。

杖先から出るのは、いつも通りどこか()に見えなくもない銀の靄。形にはなっていても、完成とは程遠い不完全な守護霊。先生はそんな私の守護霊擬きを見つめながら、先程まで感じていた緊張を忘れたかのように話し始めた。

 

「……正直驚いたよ。優秀な君のことだ。呪文を使えないと言っても、それなりのものは出せるかもとは思っていた。でもまさかここまでとは……。ダリア、君なら知っていると思うが、この呪文は大人の魔法使いさえ使いこなせないような非常に高度な魔法だ。ホグワーツを卒業するまでに身に着けている生徒なんてほとんどいないだろう。確かに、君の守護霊は完全なものとは言えない。『吸魂鬼』に対抗出来ても、せいぜい一人が限界だろう。でも、それすら凄いことなんだ。君がこれ以上学ぶことなんてないと思うのだけど……」

 

「いいえ、先生。それでは駄目なのです。それでは、私は誰も守れない。私にはこの呪文を学び取る()()があります。仰る通り、自分一人を守る分にはこれで十分なのかもしれません。ですが、周りの人間を守れないようでは意味はありません。そんなものに、()()()()()()()()()。ですから……少しでもこの呪文を完成させられるよう、先生にはご意見してほしいのです。私には、どうしても先生の存在が必要なのです」

 

私と先生の視線が交差する。先生は少しの間、私の内面をのぞき込もうとするかのようにこちらを凝視していたが、ややあって、

 

「……分かった。取引でもあるしね。力及ばずながら、君が呪文を完全なものに出来るように手助けするよ。……君の守護霊が一体何の動物であるかも興味があるしね」

 

そう微笑みながら宣言したのだった。

その微笑みには先程まであった私への警戒心はなく、どこか確固たる意志のようなものが見え隠れするだけだった。

 

 

 

 

こうしてようやく、私と先生との授業はスタートラインに着くことが出来た。

()()ではない私とルーピン先生の()()が、この時ようやく始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点 

 

正直驚いていた。

ダリアが『守護霊の呪文』を使える。

それは私にとって、正直予想外の出来事だった。今目の前で練習を重ねる彼女には、

 

『優秀な君のことだ。呪文を使えないと言っても、それなりのものは出せるかもとは思っていた』

 

等と発言したが、正直使えない可能性の方が高いとすら思っていた。

確かにダリアはこの学校で最も優秀な生徒だ。最高学年までは勿論、教師ですら彼女には及ばない可能性がある。大人が使いこなせない呪文でも、あるいは彼女であれば悠々と使いこなせることだろう。

 

だが、『守護霊の呪文』だけは例外だと思った。

何故ならこの呪文は……決して闇の魔法使いには使いこなすことが出来ない呪文なのだから。

 

守護霊は一種のプラスのエネルギーで、生み出すためには生きる希望、幸福、意欲などが必要になってくる。それ故守護霊の呪文を使いこなすには、魔力だけではなく闇に侵されない強い心が大切になってくる。

それを人を殺すことを生業とする闇の魔法使いが持っているはずがなく、ヴォルデモートの配下である『死喰い人』にも呪文を使いこなせる人間はいなかった。魔法使いとして優秀であるかないかに関わらずだ。

 

だから……私はダリアもその例外ではないと思っていた。

ダンブルドアの言では、彼女は去年生徒を石にして回る『継承者』に加担している。殺しではなく、人を石にするだけとはいえ、それは立派な犯罪行為だ。そんなことをしていた彼女が闇の魔法使いでないはずがなく、彼女ももはや守護霊を生み出すことは出来ないことだろうと考えていたのだが……現実は違った。

 

確かに、まだダリアの守護霊は完成してはいない。()のような生き物であることは分かるが、それが何の鳥であるのかは覗い知れない。しかし彼女が守護霊を生み出しているのは紛れもない事実なのだ。それは紛れもなく、彼女が『闇の魔法使い』ではない証明だった。

それに、

 

『周りの人間を守れないようでは意味はありません』

 

彼女は先程こんな発言もしていた。

私にはダリアの無表情を見通すことは出来ないし、正直彼女の声音もいつも通り冷たい物にしか思えなかった……が、その言葉だけは何故か本物であるような気がしたのだ。

以前見た彼女の姿を思い出す。兄を傷つけられ怒り狂い、そしてその兄が帰ってきた時に過剰な程心配し、寄り添うダリアの姿を……。

そんな彼女のことを……私は本当に危険な魔法使いと断じることが出来るのだろうか?

 

ダンブルドアの見立てが間違っているはずがない。だが目の前の彼女から、ダンブルドアの語る彼女の人物像が感じ取れないのも間違いなかった。

私は今年何度目かの混乱した思考で考える。

私は見極めなければならない。彼女の本質を。彼女が一体何を考え私を見逃し、そしてこうして私に教えを乞うのかを。

それにそのために、私はこの授業を引き受けることにしたのだから。

 

 

 

 

思えばこの時初めて、私は彼女に対する恐怖感ではなく、ただ純粋な自分の意志で向き合うことにしたのだ。

ダンブルドアからの命令ではなく、自分の意志で彼女を見極めるために……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「お帰り、ダリア。あの雑巾のような恰好をした奴との授業はどうだった?」

 

一時間という短い授業が終わり、ポッターと入れ違うように寮に帰ってきた私をまず出迎えたのはそんなお兄様からの言葉だった。

私は苦笑交じりにお兄様に応える。

 

「はい、お兄様。……恰好はともかく、ルーピン先生との授業は素晴らしいものでしたよ」

 

「そうか……。なら、守護霊の呪文とやらは習得できたのか?」

 

「いえ……それはまだです。寧ろ内容的には全く進んでいないようなものでした。今日は一通り先生に見ていただいただけで、実際に色々教えて頂くのは次からということになりました」

 

一時間という短い時間だったこともあり、今回の授業では目立った成果は得られていない。あれ以上続けようにも、私に敵愾心丸出しのポッターがいたのでは授業どころの話ではなくなってしまう。

しかし、私の呪文を学ぶ目的が、老害の警戒するような事柄ではないとは理解して下さったのだろう。今回の授業で、少なくともルーピン先生の真剣度が変わったことだけは分かった。これなら次からもっと有効的な助言を貰える。そういう意味では、今回の授業は一概に無駄ではなかった。

それに、私の目的は何も『守護霊の呪文』を習得することだけではないのだ。先生のことを知ることも、私にとっては立派な目的の一つだった。

急いては事を仕損じる。慌てて何とかなるわけではないのだから、じっくり確実に学んでいくのが一番の近道なのだ。

私はルーピン先生への不満を隠しもしないお兄様を敢えて無視し、そう言えばと、

 

「そういえば、ダフネはどこにいるのですか?」

 

先程から全く見かけないダフネについて尋ねた。

談話室に帰ってきた当初から、私にダフネのあの明るい声がかかることはなかった。

彼女のことだから、こんな時真っ先に声をかけてくるはずだと私は思っていた。それに、彼女は私の帰りを待ってまで勉強会を開こうと言ってくれていた。なら、彼女はここにいなければおかしい。

しかし、

 

「いや、僕も見ていないぞ。僕は午後の授業がなかったからずっとここにいたが、あいつが戻ってくる所は見ていないな。あいつの授業は『マグル学』だろぅ? なら、他の奴も知っているわけがないしな……」

 

お兄様の応えはそんなにべもないものでしかなかった。

 

 

 

 

……結局この日、ダフネが寮に帰ってくることはなかった。

彼女が帰ってきたのは……次の日の朝のことだった。



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医務室での一夜(前編)

 

 ダフネ視点

 

……私はグレンジャーのことが嫌いだった。

ダリアを傷つける切欠を作ったのは間違いなく彼女であったし、何より私からダリアを奪うかもしれないと思えば彼女のことが憎く、そして恐ろしくて仕方がなかった。

だから私はグレンジャーをひたすら私から……ダリアからひたすら遠ざけていた。グリフィンドールとスリザリンといった関係以上に、私達との間には大きな溝が横たわっていた。

何故か多少の罪悪感を感じようとも、私はグレンジャーをこれからも近づけるつもりはなかったし、仲良くなる気などさらさらなかった。

 

でも……それが変わり始めたのは、おそらく……。

 

 

 

 

私は『マグル学』という学問が好きだ。

私は純血主義の家系に生まれたし、私自身も純血主義的な考えを持っている。でもそれは純血を尊ぶというより、魔法族が連綿と受け継いできた文化を愛するという面の強いものだ。決して『マグル』や『マグル生まれ』の人間を排除しようと考えたものではない。だから今まで見たことも聞いたこともない世界を学ぶというのは、私にとっては純粋に楽しくて仕方がないものだった。

 

でも、だからと言って『マグル学』の授業が楽しいかと聞かれれば……私は違うと答えるだろう。

授業内容は楽しい。先生の教え方に不満があるわけではない。

しかし私が授業を受ける環境は……絶望的に不快極まるものでしかなかった。

初めは我慢できていたのに、ここ最近は環境の更なる悪化もあり()()()()()が鼻につく。

 

「あいつ……休暇が明けてもまだいるんだ。なんでここにいるんだ? あいつはスリザリン生だろ? しかもダリア・マルフォイといつも一緒にいるような……。それって『継承者』の仲間ってことだろう? 純血主義者のくせに……こんな所にもやってきて。俺たちを監視でもしてるのか?」

 

「早く出て行ってくれないかな……。スリザリン生なんかが『マグル学』を受けるなんて聞いたこともないわ」

 

授業中だというのに、私の耳には近くに座っている生徒達の囁き声が届いてくる。そしてそれが聞こえていないのか……或いは聞こえていて敢えて無視しているのか、『マグル学』の教授であるチャリティー・バーベッジ先生も何も言わない。授業開始から半年が経っても尚私に不信感を露にした視線を送ってくることから、おそらく後者の可能性の方が高いだろう。

まさに四面楚歌。私のマグル学授業での状況はまさにその一言に尽きた。私に敵意を持った視線を送ってこないのは、逆に()()敵対心を持ってしまっているグレンジャーくらいのものだ。

この状況は私が授業を受け始めた瞬間に始まり、今なお止む気配はなかった。寧ろ段々と悪化してすらいる。休暇明けの今日は特に顕著だった。

 

……正直ダリアを未だに『継承者』と疑っているような連中に何と思われようと、私にとってはどうでもいいことだ。私もダリアと知り合わなければ()()()()()()()かもという恐れは未だにあったが、別に彼らと仲良くしたいなんて気持ちはこれっぽっちもない。私に()()()()()()()()状況であれば、こんな状況でも私は平然としていたことだろう。

 

でも実際は……最近の私は彼らに僅かな罪悪感を感じており、それがこの四面楚歌な状況に対して僅かな不快感を覚えている原因となっているのも確かだった。

私が『マグル学』を受けた理由。未だに私が『マグル学』を受講しているとは露見していないが、スリザリンの中では、

 

『マグルの愚かさを知るため』

 

という私が他人だったら鼻で笑うような理由で押し通される予定になっている。勿論完全な嘘っぱちなものでしかなく、実際の動機は全く違うものだ。しかしそれを標榜しなければ、こうして『マグル学』の授業に通うことすら叶わないこともまた事実だ。私が攻撃されるのはどうでもいいけど、その場合ダリアにだって迷惑が掛かってしまう可能性があることだけは我慢できない。

そしてそれはスリザリン生達に対してだけではなく、他の三寮に対しても同じことだった。どこから情報が洩れるか分からない以上、他の寮が考えるスリザリンらしさから逸脱するわけにはいかない。もしもの時でも()()()()()()言うわけにはいかない。私にはこんな嘘でも突き通し続けなければならないのだ。

 

それを聞いたマグル生まれの子たちが不快な思いをするだろうことを知っていて……。

 

僅かな罪悪感がノイズの様に私の思考を乱し続ける。本来ならこんな状況でも楽しめるはずなのに、私の思考が僅かに彼らの存在に引きずられてしまう。

そしてそれはこの日も……

 

「では、今日の授業はここまでにしましょう。次回はマグルが如何に箒を使わずに移動しているかについてです。……魔法族より劣っていると言われている彼らが、実際は如何に()()()()()()()のかについてこれからもしっかり学んでいきましょう」

 

最後だけ私を見つめながら、バーベッジ先生が授業の終わりを告げる。

それを皮切りに、授業中であったため多少控えめだった私への視線が一気に多くなった。

私はいつも通り逃げるように帰る準備を開始する。そんな私の背中にこれまたいつも通りの悪口が投げつけられる。

 

「……やっぱり『マグル学』を受講しておいてよかったよ。純血主義なんて凝り固まった考えに囚われるのは馬鹿げてるしな。スリザリンの連中の様に……」

 

「本当にね。スリザリンなら、もっと違う科目を選べばいいのにね。スリザリンの連中なんて……」

 

私には彼らに言い返す気力もなかったし、何より彼らに言い返せる言葉もなかった。

スリザリンの多くが排他的な純血主義であることは間違いなかったし、何より嘘に塗れた私も……。

 

だからこの後起きたことも必然のことだった。

 

荷物をまとめ上げ終えた私は、すぐさまスリザリン寮を目指して移動を開始する。今頃ルーピン先生の授業を受けているため寮にダリアはいないだろうけど、彼女が帰ってくると考えればこの僅かに感じる罪悪感だってすぐ忘れることが出来るのだ。ダリアとさえ一緒にいれば、私のこのちっぽけな悩みも嘘のように消えていくのだ。

しかし……

 

「ねぇ、グリーングラス。ちょっと貴女に聞きたいことがあるのだけど」

 

今日に限って、私が寮にすぐに帰ることはなかった。

いつもだったら背後からの悪口だけで終わるのに、休暇明けすぐだということで皆のテンションも上がっていたのだろう。教室を出てすぐ、地下へと向かう階段の直前で一人の女子生徒に声をかけられてしまった。

青色のネクタイをつけた彼女は、その表情を怒りに歪めながら私に尋ねてきた。

私が今まで敢えて黙ってきた、私の『マグル学』を受ける建前を。

 

「貴女、どうして『マグル学』を受けているの? スリザリンのくせに、私達と同じ『マグル学』を受けるなんて……一体何の悪だくみをしているのよ!?」

 

 

 

 

この日、私があえて無視し続けていた歪みが……遂に私に牙をむくこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私がマルフォイさんの秘密を知ろうが知るまいが、時間というものは問答無用で過ぎ去っていく。

たとえ私が()()()()()()()()()を持っていようとも、その事実が決して変わることはない。

クリスマス休暇明けの今日だって、私は休暇前同様ひたすら()()()()()授業を受け続ける日なのだ。だから私はハリーの箒や……マルフォイさんのことが気になりながらも、休暇が終わった以上、これからは詰まりに詰まった授業や宿題に忙殺されていくのだろうなと思っていたし、寧ろそれを望んですらいた。

忙しければ忙しい程、私はハリー達のことを考えずに済む。不用意に知ってしまったマルフォイさんの秘密について、これ以上自分を責めずに済む。

そんな無責任なことを、私はマルフォイさんに罪悪感を覚えながらも思っていた。

でも……

 

「貴女、どうして『マグル学』を受けているの? スリザリンのくせに、私達と同じ『マグル学』を受けるなんて……一体何の悪だくみをしているのよ!?」

 

すぐにそれは甘い認識でしかなかったことに気付くこととなる。

『マグル学』を終え、私は()()()()()であろう『数占い』に向かうため階段を降りようとしていたのだけど……後ろから響いてきた冷たい声音に思わず振り返った。

そこには一人のレイブンクロー生が、険しい表情を浮かべながらグリーングラスさんを問い詰めている光景が広がっていた。

 

「何よ! 黙ってないで答えなさいよ! スリザリンの生徒が、一体どういうつもりで『マグル学』を受けているのかって聞いているのよ!」

 

「……」

 

いくら鈍感な私だって、グリーングラスさんが『マグル学』において浮いた存在であり、彼女に対し皆があまりいい感情を持っていないことには気が付いていた。

しかし、私は結局何か行動を起こしたことなどなかった。

私には……彼女にどう声をかけてあげればいいのか分からなかったのだ。純血主義からではなく、純粋に私の今までしてきたことで私を嫌っている彼女に、私が何と言えばいいのか想像することも出来なかったのだ。

だから私は最初の授業以来グリーングラスさんに話しかけたことはなく、彼女の状況を分かっても尚彼女に話しかけることが出来なかった。

その付けを、この時払うことになるとも知らずに。

私が何事かと驚いている間にも、事態はどんどん進んでいく。

厳しい視線に晒されたグリーングラスさんが、遂に逃げるように行動を開始したのだ。しかし、

 

「なんで私がそんなことを貴女に言わなければいけないの? 私がどんな理由で授業を受けようと、それは私の勝手でしょう? ……私は忙しいの。私が『マグル学』を受ける理由なんて、勝手に考えていればいいよ。……まあ、多分貴女が考えている通りだと思うけど」

 

どうやら話はここで終わる様子ではなかった。

 

「何よそれ、私を馬鹿にしてるの?」

 

ただでさえ鋭い視線を更に鋭くしながら、レイブンクロー生は続ける。

 

「スリザリンの貴女には知ったことじゃないかもしれないけど、私のおばあちゃんはマグルだったの……。でも、お母さんが魔法使いだってことが分かって、ホグワーツを卒業して、同じ魔法使いのお父さんと結婚してからは少し疎遠になってた……。別に仲が悪くなったわけではなかったけど、何となく距離が遠くなっていた。だから私もそんなにおばあちゃんに会ったことがなかった。そんなおばあちゃんが……この休暇の間に死んじゃったのよ。私はおばあちゃんのことを少しでも知りたいから、この『マグル学』を受けることにしたのに……。それなのに……。あまり会ったことはなかったけど、それでも大好きなおばあちゃんだったのに……」

 

そこまで話したことで、彼女は更に感情が高ぶった様子だった。

見れば彼女の手が杖に伸びつつあった。それに気が付いたのは……この異常な空間の中で唯一グリーングラスさんに敵意を抱いていない私だけだった。

他の皆も、レイブンクロー生の言葉に感化されたのか、グリーングラスさんへ冷たい視線を投げ続けている。誰一人、グリーングラスさんへ危害が加えられているこの状況に疑問すら抱いていなかった。

 

まさにスリザリンであれば、こんなことを言われても、こんなことをされても仕方がないという空気がそこにはあった。

 

レイブンクロー生の言葉にたじろいだ様子のグリーングラスさんに、彼女は大声を上げ始める。

 

「それなのに……貴女は私が『マグル学』を受ける理由を馬鹿にするのね! スリザリンのくせに! どうせマグルを馬鹿にするために、この授業を受けているんでしょう! 授業を受けて、それでも影でマグルのことを馬鹿にしているんでしょう! 私のおばあちゃんを、純血でない私を貴女は陰で笑っているんでしょう!」

 

「わ、私は……。別に貴女を馬鹿にしてなんか……」

 

「何よ! なら、どうして貴女がここにいるのよ! 理由をはっきりと言いなさいよ!」

 

「そ、それは……」

 

彼女の『マグル学』を受けた理由。それは単純に、彼女とマルフォイさんが『マグル学』に興味を抱いてくれていたから。でも、彼女はそれを言うわけにはいけない。それはスリザリンの中ではタブーとされることだから。

それを言ってしまえば……彼女自身だけではなく、『吸血鬼』であるという秘密を抱える、親友のマルフォイさんにも迷惑をかけてしまう恐れがあるから。

それでも彼女が私に初めに言っていたような、

 

『マグルが如何に愚かであるか知るため』

 

という建前を今ここで言わないのは、おそらく目の前にいる女生徒に配慮してのことなのだろう。

感情の高ぶった彼女にそんなことを言えば、彼女が更に傷ついてしまうと思ったのだろう。

しかし、そんな彼女の優しさが通じることはなかった。

 

「ふん! やっぱり言えないのね! それにさっき貴女も言っていたものね! 多分私が考えている通りだとね! 本当に、何なのよ貴女は! そんなこと考えているなら、ここから出て行ってよ! 私達をこれ以上馬鹿にしないでよ!」

 

そして……悲劇が起きた。

 

もはや憎しみすら感じられる大声を出した後、レイブンクロー生が遂に杖を振りかざしたのだ。

彼女としては別に呪文を使うつもりなどなく、ただグリーングラスさんを脅すだけのつもりだったのかもしれない。実際、彼女が何か特定の呪文を使うことなどなかった。

 

でも、絶望的に場所が悪かった。

 

階段の直前に立っていたグリーングラスさんが杖に驚いたように後ずさり……突然無くなった足場にバランスを崩してしまった。

 

 

 

 

私は魔法を使えばよかったのだ。

人を宙に浮かせる呪文なんて、私ならいくらでも知っていた。だからこの時、咄嗟に私も杖を出していれば全ては穏便に片付いた。

しかし実際の私が取った行動は……ただ我武者羅に、転げ落ちそうになるグリーングラスさんを抱きとめることだった。

両手に抱えていた教科書を放り出し、ただ無意識にこちらに倒れるグリーングラスさんに飛びつく。

当然、杖がなければただの女の子でしかない私に、女子生徒の全体重を受け止めきれるはずがない。

 

結果私とグリーングラスさんは仲良く階段を転げ落ち……そこで意識をあっけなく失ってしまったのだった。

 

気が付いた時には……そこは医務室のベッドだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「マ、マダム・ポンフリー! でも、私は授業を受けなくちゃ、」

 

「いけません! 貴女()は階段から落ちてしまったのよ! 一晩医務室にいなければいけません! それに、授業ならもうとっくの昔に終わっています! 今頃は皆夕食を食べている頃です!」

 

「そ、そんな……」

 

横から響く大声のせいで私は目を覚ます。

目を覚ました私は、何故かベッドの中で横になっていた。

 

「あれ……? なんで私、ベッドの中にいるの?」

 

自分はさっきまで『マグル学』教室の近くにいたはず。そこで突然レイブンクローの女子生徒に絡まれて……その後、どうしたんだっけ?

私は自分の現状を訝しがりながら、まずはベッドから出ようと体を起こそうとする。

しかし、

 

「いたッ! な、何が……?」

 

まるで全身を打ち付けたかのような痛みに、思うように体を動かすことが出来なかった。

ここがどこなのか、そして私に何が起こったのか何一つ理解出来ない。

そしてそうこうしているうちに、どうやら私の立てた物音に近くにいた人達が気が付いたらしい。

ベッドの横のカーテンが開かれ、そこからマダム・ポンフリーが顔をのぞかせたのだった。どうやらここは医務室であるらしかった。

 

「ミス・グリーングラス! 気が付いたのですね! さあ、ベッドに横になっていて! どこか痛むところはありませんか!?」

 

私は彼女の勢いに飲まれながら、何とか返事を返す。

 

「マ、マダム・ポンフリー。少し体が痛いですが、そこまで大げさなものではありません。そ、それより、一体何があったのですか? 何故、私は医務室にいるのですか?」

 

私の質問に、マダム・ポンフリーは痛まし気に表情を歪めながら応えた。

 

「貴女は階段から落ちたのです。何があったか聞きたいのはこちらの方ですよ。その場の生徒がすぐ知らせてくれたから良かったものを……」

 

そしてため息を一つ吐いた後、私に飲ませるためと思しき薬を用意しながら彼女は続けた。

 

「さぁ、体が痛むなら寝ていなさい。今日は一晩ここに泊まるのですから、ゆっくりしていなさいね」

 

正直、未だに自分の現状が理解しきれているわけではなかった。レイブンクロー生が杖を構えたことに驚いてしまったせいで、階段を転げ落ちてしまったことは何となく思い出したけど……記憶がおぼろげで、あまり実感など湧いていなかったのだ。

でも、そんな中でもはっきりと分かったのは、

 

「そ、そんなわけにはいきません! わ、私は早く寮に帰らなくちゃ! ダリアが、ダリアが寮で待ってるんです! 授業が終わったら、一緒に寮で過ごす約束をしているんです! だから、私は帰らなくちゃ!」

 

ここにこれ以上いるわけにはいかないということだった。

私がどれくらいの間眠っていたかは分からないけど、少なくとも『マグル学』の授業が終わった後に私は気を失ったのだ。今頃は皆夕食を食べ終えてすらいるかもしれない。

私はダリアと授業が終わり次第、一緒に夕食を食べ、談話室で勉強会をすることを約束していた。それなのに私が談話室に帰らなければ、ダリアがとても不安な思いをしてしまう。

私はここで一晩過ごすことなど出来るはずがない。

 

しかし現実は非情なもので、マダム・ポンフリーの態度は頑ななものだった。

 

「駄目です! 私は貴女をここから帰すわけにはいきません! 意識を失っていたのですよ! 一晩ここで様子を見なければなりません! まったく、ミス・グレンジャーといい、どうして治療を受けずに皆帰ろうとするのですか! ……ミス・マルフォイには、スネイプ先生に貴女のことを伝えておくように言っておきます。それなら貴女も安心して治療に専念できるでしょう?」

 

「で、でも、」

 

「でももへったくれもありません! いいですね! ミス・グレンジャーと二人! 今夜は大人しくしているのですよ!」

 

ここまで来て、私はようやく医務室にいたもう一人の存在に気が付く。

マダム・ポンフリーが横にずれたことで、隣のベッドからこちらを心配そうに見つめるグレンジャーと目が合ってしまったのだ。

 

……そういえば私が階段から落ちる瞬間、誰かが私を抱きとめようとしてくれたような……それがもしかして……。

 

私とグレンジャーの間に、奇妙で気まずい空気が流れる。

 

 

 

 

こうして、私とグレンジャーの医務室での一夜が始まったのだった。




次回女子会


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医務室での一夜(後編)

 ???視点

 

()()()が所属するレイブンクロー寮の談話室は、広々とした円形の部屋で構成されている。中には優雅なアーチ型の窓があり、壁には青とブロンズの絹が掛かっている。そして所々に机、椅子、本棚が置かれており、更には寮に続くドアの傍には白い大理石のロウェナ・レイブンクロー像が立っていた。

そんなあたしが入学してから()()()()()過ごした寮に、上級生と思しき女子生徒の叫び声が木霊する。

 

「どうしよう! このままだと私……ダリア・マルフォイに殺されてしまうわ!」

 

それは落ち着いた空間には相応しくない、恐怖に彩られた声音だった。

あたしが突然の物音に驚き『ザ・クィブラー』から顔を上げる間も、上級生の叫び声は続く。

 

「グリーングラスを医務室に運んだ時、マダム・ポンフリーに詳しい事情は言わなかったけど……あいつが目覚めたら、必ずダリア・マルフォイに事情を話すわ! 全部自分に都合のいいことを! 私はダリア・マルフォイに暴れる口実を与えてしまったのよ!」

 

なんだ、いつものことかぁ……。

あたしが興味を持って聞いていたのはそこまでだった。あたしは再びパパの書いている雑誌に目を戻しながら考える。

 

ダリア・マルフォイがそんなこと、()()()()()()するようには見えないもん。

 

あたしはまだ少ししかホグワーツにはいないけど、その短い間でもあの人の名前を聞く機会は星の数ほどあった。特に去年はあの人が『継承者』だと()()()()年であるため、特にそれが顕著なものだったのだと今なら分かる。去年は皆、寮に帰る度に口を揃えたように言っていた。ダリア・マルフォイこそが『継承者』であり、マグル生まれの生徒を襲おうとしているのだと。

皆がダリア・マルフォイを『継承者』だと恐れる理由。それはあの人が純血主義筆頭のマルフォイ家であるということ以上に、あの人が恐ろしい程に無表情だということが主な理由である()()()()()

 

でも……あたしはいつだって、皆の話に納得することはなかった。

だってあたしには……あの人の表情が完全な無表情には見えなかったから。

親友のジニーからまるで()()するように真実を聞くまでもなく、あたしはあの人が『継承者』だと思っていなかったから。

 

確かに遠目から見たあの人の表情が豊かだったかと聞かれたら、それはあたしだって違うと答える。

見たこともない美人ではあるけど、表情が乏しく、あの人が何を考えているか()()()()分からない。それはあたしだって同意見。あの人の表情を読むには、何かコツのようなものが必要なのだ。

でも、表情が本当にまったくないかと言えば……あたしは違うと思っている。

あの人は表情こそ乏しくても……別に感情がないわけでもなく、寧ろ()()()()()()()()()ですらあった。

友達や家族が傷つけば怒り、一人で学校をさまよっていた時は寂しそうな表情を浮かべ……表情は乏しいのに、その実どこまでも感情豊かな人だった。

そんな人が生徒を喜んで襲う人物だとは、あたしにはどうしても思えなかった。

 

「……そんなことないもん。あの人、すっごく綺麗なんだもん」

 

あたしはそう呟きながら、再び『しわしわ角スノーカック』についての記事を読み始める。

しかしそんな私の読書を、

 

「……何よ、何か言った!? 変わり者の()()()()のくせに! 言いたいことがあるならハッキリと言いなさいよ! 私がこんなにも嫌な目に遭っているっていうのに! まったく! そんな下らない雑誌なんか読んで! あんたなんかに今の私の気持ちは分からないわよ!」

 

先程から談話室で騒いでいた上級生が邪魔してきたのだった。しかもあたしの呟きを聞きとがめて大声を出してきたものの、あたしに構っている余裕はないと言わんばかりにそのまま寝室の方に歩き去ってしまう。怒ったように、恐れるように……逃げるように。

叫んでいた彼女とその取り巻きが消え、談話室には何だか釈然としない気分になってしまったあたしだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

医務室の中は気まずい空気で満たされている。

私もグリーングラスさんも、お互い見つめあうだけで中々話し出そうとしない。

私は受けなければならなかった授業のことも忘れ、ただ怪我をしたグリーングラスさんに何か話さなければならないと思ってはいたのだけど……彼女に嫌われていると思えば、どうしても話し始めることが出来なかった。そして当のグリーングラスさんはグリーングラスさんで何か思うところがあるらしく、私の顔を気まずそうに見つめるばかりで中々話そうとはしなかった。

ただ気まずい時間が徒に過ぎ去っていく。

そんな中、ようやく沈黙を破ったのは、

 

「……ごめんなさい。あまり覚えていないのだけど……あの時私を庇ってくれたのは、もしかして貴女なの?」

 

グリーングラスさんの方だった。

流石に怪我をしたことで気が動転している上に、気を失っていた彼女はあの時の記憶が曖昧なのだろう。彼女はいつも私に向ける敵意を抑えながら私に尋ねてくる。

でもこんな時でさえ、私の応えは決して彼女にただ感謝されるばかりのものではなかった。

今までと同じ、彼女やマルフォイさんを傷つけ続ける言葉でしかなかった。

 

「……ええ。貴女が階段から転げ落ちた時、私が貴女を抱きとめようとしたの……。でも、ごめんなさい。今考えると、もっとやりようがあったはずだわ。自分で突っ込むより、魔法を使っていた方が遥かに貴女を安全に元に戻すことが出来た。それに何より……」

 

私はより一層気まずい気分になりながら続ける。

 

「何より……私はもっと早くに貴女を守るために行動すべきだった。あのレイブンクロー生が貴女に話しかけた時に、私はすぐにでも介入すべきだったんだわ。いえ、それよりも……私は貴女が授業で孤立しているのに気が付いた段階で、貴女にもっと話しかけるべきだったのよ。そうすれば、貴女はこんな風に階段から落ちずにすんだのに……。ごめんなさい。私には勇気がなかったの。貴女が孤立していることを知っていて、それでも私は貴女に話しかけることすら出来なかった。本当に……ごめんなさい」

 

ようやくグリーングラスさんと会話が出来ているというのに、私の口から洩れ続けるのはどこまでも懺悔でしかない言葉の数々。言葉にすればするほど、自分の中にため込んでいた罪悪感が溢れ出していくようだった。

私はいつだって手段を間違える。

ハリーの箒の件だってそうだ。彼に送られた箒に呪いがかかっていたかもしれないのは、今だって信じて疑わない事実。でも、もっとやり方があったのは間違いなかった。ただでさえ落ち込んでいた彼にもっと寄り添えていれば、彼やロンと喧嘩することなどなかった。本人たちの前では意固地になっているだけで、私だって謝りたいという気持ちはある。

そして今回の件も同じことだと思う。そもそも私がグリーングラスさんをもっと早くから庇っていたら、こんなことにならずに済んだのだ。私にグリーングラスさんに感謝される資格なんかない。グリーングラスさんを庇ったのは咄嗟の行動であったし、何より感謝されるためにとった行動などではない。それを差し引いたとしても、私が彼女にしてきたことを考えれば、私が感謝される資格などないのは明白だった。

こんなこと今更言っても仕方がないのに、私はただ謝罪の言葉を垂れ流し続ける。これがただの自己満足でしかないことを分かっていながら、私はどうしようもなく身勝手な言葉をグリーングラスさんに浴びせ続けることしか出来なかった。

だからだろう。そんな私に返ってきた言葉は、

 

「何よ、それ……。なんで、貴女がそんなことを言うのよ!」

 

怒りに満ちたものでしかなかった。先程まで忘れていた怒りを取り戻したように、グリーングラスさんが大声を上げる。

……ただ想像と違ったのは、その怒りの矛先は私ではなく、

 

「私は貴女を遠ざけていたのよ! 貴女のやったことに怒っていたし、貴女のことが……怖かったし、何より私は貴女に酷いことを言ったのよ! それなのに……それなのに、どうしてそんなこと言うのよ!」

 

彼女自身に対してだったけれど。

 

「そもそも、どうして貴女が私を庇う必要があるの! 私は貴女にとって、もうただの嫌なスリザリン生でしかないはずなのに! ダリアとの仲を邪魔する、嫌な奴でしかないのに! それでも尚、どうして貴女は私を庇ったりしたのよ! そうすれば……貴女はこんな風に傷つくことなんてなかったのに!」

 

静かにあるべきはずの医務室に、まるで泣いているような叫び声が響き渡った。

 

私達の間には様々な溝が横たわっている。

スリザリンにグリフィンドール。純血にマグル生まれ。そして……被害者に加害者。

たとえ知っている者と知らない者という溝が埋まろうとも、未だ残る溝はどれもどうしようもない溝ばかりで……これからもそれらが決して消えないことは確かだった。

 

でも……それでも私は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

意味が分からなかった。グレンジャーの言うことが、私には少しも理解出来なかった。

私は彼女に嫌われているはずだ。いや、そうでなければおかしい。

 

何故なら、私はダリアのためという名目で……その実自分のためだけにグレンジャーを遠ざけていたのだから。

 

それなのに何故、彼女は私を庇い、そして私を守りたかったなどと言うのだろうか。

私にはそれがどうしても理解出来なかった。ダリアに対してならいざ知らず、私にこんなことを言うなんてどう考えてもおかしい。

 

「私は貴女にとって、もうただの嫌なスリザリン生でしかないはずなのに! ダリアとの仲を邪魔する、嫌な奴でしかないのに! それでも尚、どうして貴女は私を庇ったりしたのよ! そうすれば……貴女はこんな風に傷つくことなんてなかったのに!」

 

私は感情のまま大声を出し、更にグレンジャーを……自分自身を詰ろうとする。

しかし、

 

「こらっ! 何を騒いでいるのですか! ここは医務室ですよ!」

 

私の大声が聞こえてしまったのだろうマダム・ポンフリーが、隣の部屋から怒鳴り込んできたのだった。

 

「怪我人は大人しく寝ていなさい! これ以上騒ぐようでしたら、騒げないようにするお薬を飲ませます! スネイプ先生とマクゴナガル先生にはもうあなた達のことは伝えました! お二方とも快くあなた達がここに泊まることを了承してくださいましたよ! ミス・グレンジャーが気にしていた授業も後日補習を行うことになりましたし……ミス・マルフォイについても、スネイプ先生よりお伝えして下さるとのことです。ですから、私は今日あなた方をここに縛り付けておくことだって出来るのですよ!?」

 

「す、すみません……」

 

「……ごめんなさい」

 

マダム・ポンフリーは私達が静かになったことを確認すると再び隣室へ戻っていく。残されたのは冷や水を浴びせられたように黙り込む私達だけだった。

再び医務室には気まずい空気が流れる。そして今度沈黙を破ったのは……グレンジャーの方だった。

 

「ご、ごめんなさい。私が余計なことを言ったばっかりに……」

 

「べ、別に……」

 

でもそれも一瞬。再びお互い黙り込んでしまう。

いつもであれば、私は自分の中に生まれた僅かな罪悪感を無視し、グレンジャーにそっぽを向いて終わるのだけど……今回は助けられてしまったこともあり、何故かそうすることが出来なかった。

私は内心のよく分からない感情にさとされるまま、意を決したように話し始める。

 

「……授業って、どういうことなの? だって、私達の受けた『マグル学』が今日最後の授業でしょう? あの後に授業なんてないよ」

 

口にしたのはただの世間話のようなもの。ただ沈黙を埋めるためだけの言葉。正直、感謝や謝罪の方が先だとは思う。私はまだ助けられたことへの感謝も、いきなり怒鳴ってしまったことへの謝罪もしていない。でも、どうしてもグレンジャーに素直になることが出来なかったのだ。

 

『貴女は用済みなの。貴女はもう、ダリアにとっての唯一でも、一番でもなくなったのよ』

 

脳裏にまね妖怪の化けた姿を思い出している私に、グレンジャーが意を決したように応える。

本来であればスリザリン生なんかに話さないであろう、彼女の抱える秘密を……。

 

「私……全部の授業を受けているの。貴女と一緒の『マグル学』や『魔法生物飼育学』は勿論、『古代ルーン文字学』に『占い学』、それに『数占い』も全部」

 

「え? 何を言ってるの? だって、『マグル学』と『占い学』『数占い』は一緒の時間だよ? そんなこと不可能だよ?」

 

「いいえ、可能なのよ。この『タイムターナー』を使えば」

 

そう言ってグレンジャーが懐から取り出したのは、真ん中に砂時計がついたような形をしたネックレスだった。

 

「これを使えば時間を巻き戻すことが出来るの。本来であれば私なんかが使えるものじゃないのだけど……マクゴナガル先生が魔法省と掛け合って下さったの。私が模範生だから、勉強以外には絶対使いませんって説得して……。私はこれを使って、同時にいくつもの授業を受けているの」

 

多分今の私の顔は驚愕に彩られていることだろう。

私だって『タイムターナー』のことは知っている。あまり詳しいことは知らないけど、何でも時間を巻き戻すことが出来る道具だとか。でもその危険性のため、魔法省の『神秘部』という所で厳重に管理されており、魔法省の特別の許可がなければ使用はおろか、持ち出すことすら許されない。グレンジャーの言う通り、本来では一学生が持っていていいものではない。それに、

 

「……ここまで聞いて悪いんだけど、それって私に言っていいことなの?」

 

サラリとした口調で語ってはいるが、そんなものを持っているということを私なんかに言っていいはずがない。私がスリザリン生だからということもあるが、本来なら同じグリフィンドール生にすら話してはならないことだろう。実際、

 

「ええ。本来なら話してはいけないことよ。これを受け取った時、マクゴナガル先生と誰にも言わないって約束したわ」

 

グレンジャーの応えも肯定のものだった。

私は表情を驚愕から訝し気なものに変えながら尋ねる。

 

「……なら、なんで私に言ったの?」

 

それに対し、グレンジャーは固い決意を滲ませた表情で答えた。

 

「だって……私は貴女を信用しているから。私はマルフォイさんだけではなく……貴女とも友達になりたいと思っているから」

 

「……はい?」

 

叫び出さないまでも、グレンジャーの言葉に私の思考は今度こそ完全に停止した。

先程の言葉もそうだが、グレンジャーの私への態度の意味が理解不能だ。彼女にとって、私はダリアとの障害物でしかないはずなのだ。いつだって二人は根幹の部分で惹かれ合っているのに、それを一々邪魔をするお邪魔虫。私さえいなければ、二人はもう今の段階で友達にすらなっていたかもしれない。二人とも強い好奇心と、それを満たすだけの才能を持っている。二人は何事もなければきっと素晴らしい友人関係を築けていた。それだけ二人の相性は、私から見ても抜群のものだ。でも、それを邪魔しているのがこの私。グレンジャーにとってさぞ邪魔で仕方がない人間であることは間違いなかったし……その上、その邪魔している理由が私自身のためなのだから猶更だ。

グレンジャー本人だって、

 

「こんなこと、貴女に言ってごめんなさい……。こんなこと突然言われても、貴女が困ることは分かっているの。でも私……今言わないと……。私……知っているわ。ううん、気が付いているわ。貴女がマルフォイさんに対して独占欲を持っているって。貴女の『まね妖怪』が言っていた意味を……私は理解しているつもり。貴女は……私がマルフォイさんを奪ってしまうことを恐れていたんでしょう?」

 

そのことに当の昔に気が付いている。ダリアはともかく、彼女に近づこうと必死だったグレンジャーが私の『まね妖怪』を見て気が付かないはずがない。

それなのに、

 

「でも、それでも私は構わないと思ってるの。マルフォイさんのこ……貴女達の去年の状況を考えると、それも仕方がないことだと思うわ」

 

ダリアのことで何か言及しようとしていたものの……やはり彼女の声音は、どこまでも優しいものでしかなかった。

 

「貴女達は去年あんなにも理不尽に追い詰められていた。それは今年も同じ。私達はジニーのことを守るために、未だに『継承者』だと疑われているマルフォイさんを放置してしまっている。こんな状況で、貴女達が自分たち以外を信用することなんて不可能よ。貴女がマルフォイさんを独占したい、マルフォイさんとだけ仲良くしていればいいと思うことは当然のことよ。……ううん。それがなくたって、自分の友達を独占していたいという気持ちは、決して貴女だけが持つ感情ではない。私だって少なからずそんな感情を持っているわ。だから私はそんなことで、貴女を責めるつもりなんてないの」

 

事態を飲み込めずにいる私に、グレンジャーは更に続ける。

 

「私は確かに……一年生の頃はマルフォイさんとだけ友達になりたいと思っていたわ。その感情に気が付いたのは去年のことだったけど、私は確かにそう一年生の頃思ってた。でも、今は違うの。今は私……貴女と友達になりたいと、マルフォイさんに対してと同じくらい思っている。私は貴女からマルフォイさんを横取りする気も、ましてやマルフォイさんが()()()()()()()()()()()()()()、彼女を貶めるつもりなんて全くないわ。ただ貴女達と友達になりたいだけ。……貴女と友達になりたいだけなの」

 

……より一層意味が分からなくなった。

彼女の言っていることに、私の思考が中々追いついてこない。私が彼女にしてきた所業と、彼女の私に向けてくる感情が一切釣り合っていない。

それに何より、私は彼女のことを、彼女が私に対して向ける程信頼してはいない。

結果私が取った行動は、

 

「……長々と話しているところ申し訳ないけど。何が言いたいのか、私にはさっぱり理解出来ないよ。そろそろ本当にマダム・ポンフリーが来そうだし、私はもう寝るね。明日は早く帰らないとダリアが心配するだろうしね……」

 

逃亡でしかなかった。

私はベッドに横になり、グレンジャーとは反対の方に寝返りを打つ。少し動くだけで体中が痛かったけど、そんなことを気にしている余裕などありはしなかった。

 

これ以上この子と話していると、私自身が何を考えているか分からなくなってしまう。

 

そう思い私は今度こそ、

 

「……でも、取り合えずお礼だけは言っておくね。助けようとしてくれて……ありがとう」

 

素直に言えなかった言葉を口にして、瞼を閉じたのだった。

……何故グレンジャーに対してこんなにも自然にお礼の言葉が出せたのか、自分自身でも分からぬまま。

そして……そう言えば彼女の話をまともに聞いたのは久しぶりだったな、という薄っすらとした思考を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

夜が明け、ようやく待ちに待った朝が来た。

マダム・ポンフリーが私達の体を隅々まで調べながら言う。

 

「……問題はなさそうですね。いいですか? 何か体に異常を感じたらすぐに医務室に来るのですよ?」

 

そしてどうやら問題ないと判断されたらしく、私とグリーングラスさんはようやく医務室から解放されたのだった。

私は出口を目指しながら、横で私から目を逸らすように歩くグリーングラスさんに声をかける。

 

「よかったわ。これで今日はきちんと授業を受けることが出来るもの。私、正直昨日の夜は頭が可笑しくなりそうだったの。でも補習もして下さるというお話だし、これで元の生活に戻れるわ」

 

「そう……よかったね」

 

しかしグリーングラスさんの返事は本当に素っ気ないものだった。

昨夜も結局あの私の告白の後、私とグリーングラスさんが言葉を交わすことなどなかった。グリーングラスさんは明らかに拒絶の意志を示していたし、私も私であれ以上何をグリーングラスさんに話せばいいのか分からなかった。今まで話す前に遮られていた物をようやく彼女に伝えるチャンスだと思っていたのだけど、真性の口下手である私にはあれ以上上手く言葉にすることが出来なかったのだ。

今だって、私達が流暢に会話しているわけではない。私達の間には、相変わらず気まずい沈黙が横たわっていた。

 

でも……今までのものよりかは遥かにマシな空気だ。

今までだったら、そもそも私が話し始めることすら、グリーングラスさんは許してくれなかったことだろう。

勿論彼女の私に対する不信感が消え去ったわけではない。彼女は以前私のしたことを完全には許していないだろうし、マルフォイさんを奪うかもしれない人間として恐れている。そしてよしんば私を恐れていなくとも、彼女がマルフォイさんのために私を近づけないという論理には間違いなどない。彼女が私がマルフォイさんの秘密に気が付いていることを知らないのなら、彼女は自分自身のためにも、そしてマルフォイさんのためにも私に気を許すわけにはいかないのだ。

でも、少なくとも私の話を聞いてくれるようにはなった気がする。少なくとも、今までの問答無用の態度ではなくなっていた。

その証拠に、

 

「……ねえ、『マグル学』の時、また話しかけてもいい?」

 

「……勝手にすればいいよ。私が返事をするとは限らないけど」

 

グリーングラスさんの返答は素っ気なくとも、別に否定と言い切れるものでもなかった。

私はほのかな満足感を感じながら、若干早歩きになっているグリーングラスさんに続く。

 

……今回の事件で、もう一波乱起こり得る可能性があるとも知らずに。

 

私から逃げるように先を歩くグリーングラスさんが、医務室のドアを押し開ける。

そしてその先には……いつもの薄い金色の瞳をしたマルフォイさんが立っていたのだった。

驚く私達に彼女は一目散に駆け寄ってくる。

 

「あぁ、ダフネ! 心配しましたよ! どこも怪我はありませんか!? もう治っているのですか!」

 

マルフォイさんの表情はいつもの無表情だけど、その仕草からグリーングラスさんを本気で心配していたことが伺えた。彼女はマダム・ポンフリー同様グリーングラスさんの体のあちこちを触りながら続ける。

 

「昨日貴女があまりにも帰りが遅いから、スネイプ先生に聞いたのです! そうしたら貴女が階段から落ちたって聞いて……。あぁ、無事でよかった……。どこも痛い所はありませんか?」

 

「……ううん。大丈夫。ありがとうね、ダリア。心配かけちゃったね……。それに、勉強会もしそこねちゃったし」

 

「いいのですよ、そんなこと。貴女が無事ならそれでよかったのです」

 

傍から見ているだけでも、二人が本当にお互いのことを大切に思っていることが手に取るように分かるようだった。

二人は私が若干の羨ましい視線を向ける中、お互いの無事を確かめ合うようにじゃれつき合っている。そんな中、ようやくマルフォイさんが私の存在に気が付いたのか、

 

「……そう言えば、グレンジャーさんはどうされたのですか? 昨日の『数占い』にも出席されていなかったようですし、体調でも優れなかったのですか?」

 

私に訝し気に尋ねてきたのだった。

それに応えたのは、

 

「マ、マルフォイさん、私は、」

 

「彼女は私が階段から転げ落ちたところを庇ってくれたんだよ。()()()()私が落ちたところを通りかかったらしくて……。それで一緒に転んでしまって……」

 

私ではなくグリーングラスさんの方だった。

どうやらマルフォイさんには彼女が転んだのではなく、半ば落とされたという事実を伝えないつもりらしい。

マルフォイさんはグリーングラスさんの応えに、少し驚いた無表情で続ける。

 

「……そうですか。グレンジャーさん、ありがとうございます。ダフネを助けてくれて。……貴女も怪我をされたようですが、大丈夫ですか? 貴女が『数占い』に来なくてしんぱ……不思議だったのですよ?」

 

「え、えぇ、大丈夫よ!」

 

「……そうですか。それは良かったです」

 

そして少し心配気に歪んでいた無表情を、いつもの完全な無表情に変えながら、

 

「では、私達はこれで失礼しますね。ダフネ、お兄様も大広間で待っています。まずは朝食を食べに行きましょう」

 

これまたいつもの拒絶的な態度になるのだった。

流石に、どうせ私も大広間に行くのだから一緒に行こうとは……今の私に言うことは出来なかった。

 

「……うん、そうだね、そうしよう! ……じゃあね、グレンジャー」

 

「う、うん」

 

私は手を繋いだ状態で歩き始める二人の大分後ろに続き、大広間に食事を摂るために足を進めた。

 

 

 

 

これが、

 

『バックビークが裁判にかけられることになった。本当は俺も裁判にかけられそうだったんだが、ダンブルドアが庇って下さって……。俺はバックビークのために証言台にたたなきゃなんねぇ。ハーマイオニー、お前さんにこんなことを言っても困るだけとは思うんだが、頭の悪い俺には他に方法なんて思いつかねぇ。相談に乗ってはくれねぇか? ハリーは今年こんなこと以上に大きな問題を抱えちょる。出来れば、あいつには伝えないでおいてくれねぇか?』

 

という、大粒の涙で濡れた手紙が届く少し前のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

グレンジャーからの視線を背中で感じながら、私はダリアと手を繋いで大広間を目指す。

そんな中、

 

「……ダフネ。グレンジャーさんと医務室で何かあったのですか?」

 

突然ダリアがそんなことを尋ねてきたのだった。

私は内心ドキリとしながら応える。

 

「な、何もなかったよ。……どうしてそう思ったの?」

 

「……いえ、何もなかったのならいいのです。それに、グレンジャーのことなどどうでもいいことですしね」

 

私の質問に返ってきたのは、いつものグレンジャーを否定する言葉。

いつもであれば……いや、今年の私であれば、このダリアの発言を内心喜んでいたことだろう。何故突然、私の独占欲に気が付いていないだろうダリアがこんなことを聞いてきたのかは分からないけど……私はこのグレンジャーを近づけまいとするダリアの発言に、心の奥底で暗い喜びを感じていたことだろう。

 

でも……何故か今は違った。

確かにダリアを独占できているという喜びは感じている。でもそんなあさましい考えと同時に……今は少しだけ、ダリアの発言が何だか()()()()()()いたのだった。

 

 

 

 

……私はグレンジャーのことが嫌いだった。

彼女はダリアを傷つけたし、何より私からダリアを奪うかもしれないと思えば彼女のことが憎く、そして恐ろしくて仕方がなかった。

だから私はグレンジャーをひたすらダリアからひたすら遠ざけていた。

グリフィンドールとスリザリンといった関係以上に、私達との間には大きな溝が横たわっていたのだ。

 

でもそれが変わり始めたのは、おそらくこの時だったのではと、後から思った。

 



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不完全な守護霊

  

 ルーピン視点

 

幼い頃に狼男になってしまった私は、どこに行ってもつま弾きにされていた。

どこに移り住もうとも、満月の時期毎に私のことが露見し、

 

『出て行け! この怪物が!』

 

再び石を投げられながら放浪する日々。

私の居場所など、この世のどこにもありはしなかった。

ただ狂った狼男に噛まれただけなのに……私は何も悪いことをしていないのに、それでも私は人を襲う怪物として扱われ続けた。

両親だって口でこそ私のことを大切に扱ってくれてはいたが、内心では私が狼男であることを苦々しく思っていることは間違いなかった。そもそも狂った狼男に目をつけられたのも、

 

『狼人間は生きるに値しない連中だ』

 

と、魔法生物規制管理部に所属していた父が口走ったからなのだ。同じ狼人間になった私を快く思っているはずがない。

私は誰にも受け入れられることのない、人間の形をしているだけの怪物。その形ですら、満月になると怪物のそれになり果てる。

幸い今まで実際に人を襲ったことはないが、それも時間の問題だ。私は誰にも認めてもらえず、ただ誰かを襲うことを恐れながら生き、そして誰かを襲ってしまうことで人生を終わらせていくのだと思った。

そう、ダンブルドアのお慈悲により、ホグワーツに入学した時だって……。

 

『君がリーマス君じゃの? まずはホグワーツ入学おめでとう。正直不安なことも沢山あるじゃろぅ。じゃが、それは杞憂じゃ。ワシは君が安心してここで過ごせるよう、最大限の努力を惜しまぬつもりじゃ』

 

そう言って私に、後に『叫びの屋敷』と呼ばれることになる隔離施設のことや、その屋敷への道に『暴れ柳』を植えてくださることを説明されていても、私の憂鬱な気持ちが消えることなどなかった。

ここだってどうせ同じだ。このダンブルドアという先生だって、今は私を受け入れてくれているが、最後には必ず私を恐れ放り出すことになる。よしんば先生が僕を放り出さなかったとしても、生徒達にいずれ露見する。結果は同じ。ここにだって、私の居場所が出来ることは絶対にない。

 

そう思っていた。なのに……。

 

「リーマスは馬鹿だなぁ。お前はちょっと毛深いだけじゃないか。そんなことで、僕らがお前を怖がるわけないだろぅ? な、そうだよな、シリウス」

 

「当たり前だろう、相棒。我ら『悪戯仕掛け人』はそんなことを恐れたりしないさ。ピーター! お前はどうなんだ!?」

 

「も、勿論僕も……」

 

私はホグワーツにおいて、人生最高の出会いを果たすことになる。

グリフィンドールで出会った三人組。ジェームズにピーターに……そして()()()()()()()()()。彼らは私が狼男だと知っても尚、私のことを友人だと言ってくれた。それどころか私のために『動物もどき(アニメーガス)』にまでなって、私の傍に居続けようとしてくれた。

 

世界に彩りが戻ってくるような気分だった。

いつもくすんだ色をしていた景色が、友人たちのお蔭でとても素晴らしいものに変わっていく。狼男であることが嫌で仕方がなかったのに、友人たちのお蔭で寧ろ喜ばしいことにすら思えてくる。

狼男は人間しか襲わない。だからこそ『アニメーガス』である友人たちといる時は、私はただの大人しい狼でしかない。『叫びの屋敷』で友人たちと夜を過ごし、時にはその屋敷の外にすら繰り出す生活。そんな日々が私には楽しくて仕方がなかった。

 

私のホグワーツでの生活は人生で最も輝いていた時間だ。最初恐れていたダンブルドアの裏切りもなく、最初の宣言通り最後まで私の面倒を見てくださった。

友人達との関係も決して変わることはない。卒業してもダンブルドアが私の恩師であることは間違いなく、大切な友人たちもずっと友人であり続ける。たとえヴォルデモートが台頭する闇の時代であろうとも、私達の関係は決して変わることはないのだと……寧ろ我々の友情こそが、この闇の時代を終わらせるのだと、私はずっと確信していた。

私の幸福とは、この人達と一緒にいることだった。

 

そう、あの日までは……。

 

それは13年前の10月31日のことだった。

いつものように『不死鳥の騎士団』として『死喰い人』との戦いに備えている時、その知らせが届いた。

 

『闇の帝王滅ぶ』

 

その号外には、ヴォルデモートがたった一人の赤ん坊に敗れ去ったと書かれており……その赤ん坊の両親に当たる、ジェームズとリリーが殺されたことが書かれていた。

私は最初その号外の意味が分からなかった。ヴォルデモートが敗れたことの喜びより、何故どうしてといった戸惑いの方が大きかったのだ。

 

何故なら、そんなことは本来起こりえないことだったから。

リリーとジェームズの居場所は、シリウスを『秘密の守人』にすることで完璧に守られている。彼らがヴォルデモートに襲われるとしたら、それはシリウスが裏切って情報を漏らさない限りあり得ない。シリウスは私達の大切な友人だ。そんなこと、天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。

それなのに、

 

『リーマス……信じられぬと思うが、落ち着いて聞いてほしい。シリウスが……いや、シリウス・()()()()が、先程裏切り者としてアズカバンに収監された。彼は……友人より、自らの血に従うことを選んだのじゃ。ジェームズやリリーだけでは飽き足らず、彼はピーターまでその手で殺めてしもうたのじゃ……』

 

現実は非情なものだった。

彼は拷問されて情報を漏らしたのではなく……自ら望んでヴォルデモートに親友たちの居場所を伝えたのだ。

今世紀最も偉大な魔法使いであり、私をいつだって導いてくださった大恩人。そんな彼に断言された現実によって、私が今まで素晴らしいと思っていたものはただの幻想であり、私が友人だと思っていたシリウスは、その実彼の方は私達を友人だと思っていなかったのだと思い知らされた。

 

 

 

 

あの日から綺麗な銀色をしていた狼の『守護霊』は、何故かただの()()()()にしかならない。『吸魂鬼』をニ、三体追い払うのが限界で、完全とは程遠いものだ。

 

……私の幸福な日々は遥か遠く。そして何より、ただの幻想でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「……先生、どうかなされましたか? 少しボーっとされているようですが?」

 

「ッ! いや、すまない! 少しだけ考え事をしていたよ。君の守護霊を見ていると、何だか昔を思い出してしまってね……。それに、ここのところ()()調()()()()と忙しくて……」

 

もはや恒例となりつつあるルーピン先生の個人授業。最近ではようやく私への恐怖心が薄れてきたのか、()()()()()()()先生もある程度は普通の会話をしてくださる。

しかしそんな中で、今日は何だか心ここにあらずというような態度だった。それでも一応話しかければ反応をしてくださるし、顔色も別に悪くはないことから体調に問題があるわけではないのだろう。そもそもまだ満月の時期ではない。

先生は私の視線に一瞬気まずそうな表情を浮かべていたが、すぐに気を取り直したように続けた。

 

「……態々この時間に来てもらったのに、本当にすまない。今からはちゃんと集中するよ。……それにしても、どこが問題なのだろうね」

 

少し無理やりな話題転換である気がしたが、あながち間違ったことを言っているわけでもない。

私は先生から、再び()()()()()()()()()()守護霊擬きに視線を戻しながら応じた。

 

「やはり……先生にもお分かりになりませんか?」

 

「うん。君の杖の使い方や、呪文の唱え方には一切の問題は見当たらない。おそらく魔力の使い方に関しても大丈夫だろう。あと問題があるとすれば……」

 

先生に指導していただくことになっても、少しも私の守護霊が完成に近づくことはなかった。あまり可能性があるとは思っていなかったが、やはり先生に確認していただいても私の杖の使い方に問題があったわけではない。あと問題があるとすれば、

 

「問題があるとすれば……前回言った通り、君の幸福な記憶がまだ十分ではないからだと思うのだけど……。そちらはどうなんだい? 内容までは聞いていないが……つまり、ちゃんと気持ちを集中できるようなものなのかい?」

 

「ええ、勿論です。これ以外の記憶などあり得ません」

 

私の幸福な記憶だった。が、それこそあり得ないことだ。

私の幸せは家族やダフネと一緒にいること。()()()()()怪物を受け入れてくれた人達と共にいること以外に、幸せなことなどあるはずがない。

私のきっぱりとした応えに先生は一瞬驚いたような表情を浮かべていたが、再び考え込むような態度に戻る。

 

「そうかい……。それなら何が問題なのか私には分からないな……」

 

「そうですか……」

 

何だか暗い空気になってしまった。それを変えようと、先生は今度は慰めの言葉を発する。

 

「そう落ち込むことはないさ。君はこの学校で最も優秀な生徒とはいえ、この魔法は本来なら学生が出来る様なものではない。実際今ハリーにもこの呪文を教えているのだけど、彼も中々苦労しているよ。私だって守護霊を習得したのは学校を卒業してからだ。それに比べたら、今の段階でここまでのものを出せている君はやはり優秀だね」

 

下手な慰めだが、先生が真剣に私を慰めようとしてくれていることは分かった。私は無表情に僅かな苦笑を浮かべながら尋ねる。

しかし、

 

「そういえば先生の守護霊はどんな動物なのですか?」

 

「……私のものかい? 私の守護霊は狼なんだよ。いや、だったと言うべきかな。皮肉な物だろう? 狼人間である私の守護霊が狼なんて。だが、以前の私はそれが気になることはなかったんだ。寧ろ誇らしく思ってさえいた。でも……今は違うんだ。どうしても、元の完成したものを出すことが出来ない」

 

どうやら聞いてはいけない話らしかった。

先生は表情を苦痛と後悔に満ちたものに変え、静かに呪文を唱える。

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

先生の杖先から銀色の靄が溢れ出す。そしてその靄は、私の物よりかは遥かに形になっていたが、確かに先生の言う通り完全には程遠いものだった。

思えば最初に出会った時も、先生が出したのは完全な守護霊ではなかった。あの時は『吸魂鬼』が一人だったため、この形でも事足りるからだと思っていたが、どうやらそういうわけではなかったらしい。先生はやらなかったのではなく、出来なかったのだ。

だから先生は最初頑なに、

 

「最初に言ったが、私が『守護霊の呪文』について教えるなど本当は烏滸がましいことなんだ。私は君が守護霊を完成させられない理由が分からないのと同時に、自分が何故守護霊を()()()()()()()のかも分からない。すまない……。幻滅させてしまったね……」

 

『守護霊の呪文』の講義をすることを渋っていたのだろう。

そう言って先生は黙って俯いてしまう。今日の先生は相当重症らしい。本当にどうしてしまったのだろうか。

軽い世間話のつもりだったのだが、思いのほか重い話になってしまった。私は内心この展開に驚きながら応えた。

 

「えっと……。そうだったのですね。ですが、そんなことで幻滅したりなどしませんよ? 出来ないからといって、それが教えるのが下手だということにはなりませんし……。実際今までの授業に私は満足しております。それに、よいではありませんか。こんなことを言って申し訳ありませんが、寧ろ先生が完成した守護霊を出せなくなったというのは、私にとってはいいことです。それは先生の守護霊が再び完成した時、理由によっては私の守護霊も完成させられる可能性があるということですよね?」

 

私の言葉に、先生は本日何度目かになる驚きの表情を浮かべる。

ある程度私への恐怖が薄まっているとはいえ、私がこのような発言をするのはまだ驚きなのだろう。先生はしばらく私の無表情を眺めていたが、ややあって、

 

「……あぁ、そうだね。君の言う通りだ。こんな不甲斐ない教師だけど、一緒にキチンとした守護霊を出せるように頑張っていこうか」

 

「はい、勿論です」

 

朗らかな笑顔を見せながら頷いてくださったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

あの医務室での一件から数週間が経った。

あれからというもの、『マグル学』でのグリーングラスさんへの当てつけのような言葉は消え去っている。勿論皆がグリーングラスさんを受け入れたわけではなく、いつマルフォイさんに報告するかと恐れているだけなのだけど……それを含めても以前よりかは遥かにマシな環境と言えるだろう。

それに何より、

 

「ね、ねぇ、グリーングラスさん」

 

「……今度は何、グレンジャー」

 

グリーングラスさんは以前と違い、私を無視することはなくなっていた。

皆の恐怖の視線。特に件のレイブンクロー生からの強い視線を感じる中でも、私が話しかければ多少険のある声音なりに応えてくれる。話す内容は授業の内容であったり、

 

「だから私、ハリーとロンは警戒心が足りてないと思うの。なんでファイ……新しい箒が匿名で送られた段階で、それがシリウス・ブラックからのものという可能性を考えないのかしら」

 

「……私から言えるのは、グレンジャー。警戒心以前の問題として、貴女はもっと友達を選んだ方がいいよ」

 

「……そ、そこまで悪い人達ではないのよ? ただちょっとなんて言うか……」

 

自分の身内話であったり、果ては天気の話なんて言うどうでもいいことであったけど、それでもグリーングラスさんは律儀に応えてくれていた。

警戒心や恐怖心が全く消えたわけではない対応。でもそんな中でも、少なくとも私をもう一度見つめなおしてもいいという思いがあることは確かで、そのことが私には無性に嬉しくて仕方がなかった。

 

……しかし、私の近況でプラスの面なことはそれくらいのものだった。

寮に帰れば、再び暗い気持ちを抱えなくてはならない状況が続いている。

 

「やっぱり凄いな、この箒は! こんな綺麗な流線形をしている箒なんて、今まで見たこともないよ! ハリー、今度乗せてもらってもいいかい!?」

 

「まったく、こんなものどこで手に入れたんだよ!」

 

「もう乗ってみたのかい!?」

 

「これでレイブンクローとスリザリンに勝ち目はなくなったな! レイブンクローはクリーンスイープ7号、スリザリンはニンバス2001だが、ファイアボルトの前では赤ん坊も同然さ!」

 

まさにお祭り騒ぎ。

マクゴナガル先生が、遂に()()()()()()()()()()()()()()ファイアボルトをハリーに返したのだ。

寮内で唯一騒ぎに参加せずに勉強を続ける私をよそに、ファイアボルトをほめたたえるバカ騒ぎは続いていく。

たとえ終わったとしても、

 

「ハーマイオニー! ほら、ファイアボルトが返ってきたんだ!」

 

「言っただろう! マクゴナガルがフリットウィックにも、ルーピンにだってシリウス・()()()()()()()()()()()()()()()聞いたらしいけど、箒にはな~んにも呪いはかかっていなかったってさ!」

 

不愉快であることに変わりはないけど。

ファイアボルトを掲げた状態でこちらに輝く瞳で話しかけるハリーとロンに、私は憮然として返した。

 

「あら、かかっていたかもしれないわ! 私は箒が届いた段階で当然のことをしただけよ! そんなことより、勉強に戻ってもいいかしら!? 私は今とっても忙しいの!」

 

本当に不快な話だった。

確かに箒に呪いはかかっていなかったかもしれない。でも、かかっていた可能性だって十分にあった。一体どこの誰が、無償かつ匿名で最高級箒を送るだろうか。そんなもの、ハリーを狙っているシリウス・ブラック以外考えられない。それは私だけではなく、この話を聞いてくれたグリーングラスさんだって同意してくれていた。私が責められる謂れなんて一つもない。

私は再びテーブルに山積みになった教科書に視線を戻す。

このところ嫌なことばかり。ファイアボルトのことだけではなく、試験が迫ってきたことにより大量の宿題が出ており、私の生活が悲鳴を上げ始めている。一つ一つの授業の宿題はまだ許容範囲内なのに、私の場合全ての授業を選択しているため、とんでもない量になってしまっていたのだ。

いいことなんてグリーングラスさんのことくらいで、他にいいことなんて一つもない。

ファイアボルト、クルックシャンクス、大量の宿題……そしてビックバークの裁判に向けての資料集め。頭がどうにかなりそうだった。

しかし私の不愉快な気持ちなどつゆ知らず、目の前の二人は箒のことでのぼせ上がっているようで、

 

「う、うん、そうだね。でも、もうちょっと話せないかな? 箒を寝室に持って行ってから、」

 

「僕が持っていくよ! スキャパーズにネズミ栄養ドリンクを飲ませないといけないしね! ね、いいだろう!?」

 

「うん。じゃあお願いするよ」

 

私とのいざこざも忘れた様子で、ハリーは私の隣の席へ、ロンはスキップでもするような足取りで階段を上がっていった。

ハリーが興奮冷めやらぬ様子で話しかけてくる。ただ、

 

「その、あ~と。最近どう?」

 

多少の後ろめたさは感じているようだった。

流石に箒が返ってきたことで冷静になれば、私が正しいことをしたという意識はあるのかもしれない。

 

「見ればわかるでしょう? 私、とても忙しいの。まだ『数占い』のレポートも出来上がっていないわ。やっぱりこの前の授業を休んだのが痛かったの。それに『マグル学』の宿題も、『古代ルーン文字』の翻訳までしなくちゃならないのよ!」

 

私の大声に、ハリーは根気強く返してくる。

 

「え、えっと。よくこんなに沢山の宿題が出来るね。いったいどうやったらできるの?」

 

「ただ一生懸命やるだけよ」

 

教科書を持ち上げながら適当に答える私に彼は続ける。

 

「い、いくつか止めたらどうかな? 今の君、何だかとっても疲れているみたいだ」

 

ハリーの言葉に、私の理性がはじけ飛んだ気がした。ハリーは私以上に辛い立場だというのに、何だか無性にこの苛立ちを彼にぶつけてしまいたかった。

私の気も知らないで!

私は思わずヒステリックな声を出そうとする。でも、

 

「そんなこと出来るわけないでしょう! 私は早くマルフォイさんに追いつきたいの! それに、私が全部の科目を取るためにマクゴナガル先生がどれほど、」

 

「ハーマイオニー! おい! これはどういうことだ!」

 

突然男子寮から響いた叫び声に遮られたのだった。

談話室は静まり返り、皆声のした方に釘付けとなる。そんな中談話室に飛び込んできたのは、声の主であるロンだった。

彼はベッドのシーツと思しきものを引きずりながらこちらにやってきて、テーブルにそれを投げつけながら叫んだ。

 

「見ろ! 血だ! こんなに沢山! それに、スキャバーズがいなくなってる! それで……」

 

そして彼が次に私に投げつけたのは、

 

「それで、こんなものも一緒に床に落ちてた! ハーマイオニー! これは一体どういうことなんだ!」

 

数本の長いオレンジ色の()()()だった。

それは明らかに、私のペットであるクルックシャンクスのものであり……同時に、スキャパーズを食べてしまった動かぬ証拠であるように思えた。

 



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あるはずのない名前

 ダフネ視点

 

一言でいえば酷い試合だった。

レイブンクロー対グリフィンドール。スリザリン生である私が言うのもなんだが、2チームとも選手の質は素晴らしく、正直どちらが勝ってもおかしくはない試合だった。勝敗のカギを握るシーカーにしても、レイブンクローで一番の美人と名高いチョウ・チャンと、業腹ではあるが()()()()()()()()才能豊かなポッター。両シーカー共に優れた乗り手だ。試合が実際に始まるまでは、私達スリザリンの誰もが試合の結果を予想することが出来ずにいた。

 

でも、実際の試合は予想とは違っていた。

結果はグリフィンドールの圧勝。ものの数分で両シーカーがスニッチを見つけ、それを()()()()()を誇るポッターが軽々とつかみ取ったのだ。

チョウ・チャンの箒はクリーンスイープ7号。かたやポッターの乗っていた箒は最新型である『ファイアボルト』。しかもファイアボルトはニンバス2000どころか、去年までの最新型であるニンバス2001すら及びもつかない性能を誇っている。箒の腕など関係ない、まさに性能差を見せつける様な試合模様だった。

 

「こ、これは酷いね……」

 

「……」

 

私とドラコはやや茫然としながら、曇り空の中飛び続けるポッターを見上げる。

グレンジャーの言葉から、ポッターがニンバス2000に代る箒を手に入れていることは知っていた。シリウス・ブラックから贈られたと思しき箒。ポッターが今使っていることから何も魔法がかかっていなかったことは分かるが……まさかファイアボルトだとは思わなかった。

 

「スリザリンも去年、シーカー含めて全員が最新型の箒に変えたからあまり人のことは言えないわけだけど……ちょっとこれは狡いんじゃないかな? というより、去年あれだけ私達を批難しておきながら、自分たちも同じ手を使うんだね……」

 

「……」

 

あまりの衝撃にドラコから返事が返ってこない。

それもそうだろう。去年は箒の性能が勝っていたから互角の勝負を挑めたのだ。それが性能が勝っているどころか、もはや超越してすらいる箒を持ち出されたのなら言葉も出ないことだろう。人のことをとやかく言えないが、正直卑怯どころの話ではない。どんなにシーカーがへぼでも、ファイアボルトさえあれば楽々と勝利を掴むことが出来る。

しかし、そんなことを思っているのはスリザリンの生徒だけであるらしかった。

勝利したグリフィンドールは勿論、どちらのチームも応援していたハッフルパフ、そして負けて悔しいはずのレイブンクローですら、

 

「グリフィンドール! グリフィンドール!」

 

グリフィンドールの圧倒的な勝利を讃えている。

これならスリザリンに勝つことが出来ると。これなら去年卑怯な手を使ったスリザリンに、さらなる屈辱を与えることが出来ると。

特にハッフルパフはつい先日スリザリンに負けたばかりなことから、声援の大きさも一入だ。選手もチーム全員が肩を組みながら喜び合い、笑顔で握手を求めるチョウ・チャンにポッターが顔を赤らめているのが見えた。

 

「……折角ダリアも来てくれたのに、こんな試合じゃ正直あまり楽しめなかっただろうね」

 

「……」

 

相変わらず茫然としているドラコを放置し、私は教員席の方に双眼鏡を向ける。

今回はドラコが出場するわけではないものの、次の試合に向けての重要な試合と言うことで、前回のハッフルパフ対スリザリンの試合に続きダリアが観戦しに来てくれているのだ。どうも理由はそれだけではなさそうだけど……。

私はこちらに()()()()()()()視線を投げつけてくるスリザリン生を無視しながら思う。

談話室で『守護霊の呪文』の練習をしていたかっただろうに、それでも態々ここまで来てくれたのだ。それならば、せめてドラコの試合ではないとはいえ、少しでも見ていて面白い試合運びになってほしかった。

でも、それももう叶わぬことだ。結果は酷いものだったのだから。

折角ダンブルドアが近くにいることを我慢してまで来てくれたのに、見せつけられたのは箒の品評会紛いの試合。次の試合に不安しか残らない。双眼鏡から見えるダリアの表情も、無表情の上からどこか白けたものを窺わせるものだった。

私はため息を吐きながらダリアから視線を外し、ようやく意識が回復し始めた様子のドラコに声をかける。

 

「流石にいつまでも談話室に籠っているわけにはいかないから、ダリアも私も今回の試合に来たわけだけど……。あの子にとって、本当に見たい試合は次の試合だよ。言うまでもないけどね。だから……勝てるの?」

 

私の言葉に対し、ドラコの応えは簡潔なものだった。

 

「……勝てるかではない。()()()()()()()()。ダリアの前で、これ以上無様な姿を見せられるわけがない」

 

試験期間が近づき、いよいよ今年の終わりも見え始めている。

しかし試験直前に予定されている最後の試合、レイブンクロー対スリザリン戦は……ひどく不安要素を抱えたものでしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

私は試合開始一秒からここに来たことを後悔していた。

何故なら、

 

「ほっほっほ! こうしてダリアと試合を観戦できるのはいつ以来じゃろぅかのぅ?」

 

態々私の隣にやってきた老害が、頻りに話しかけてくるから。

声音とは裏腹に、老害の瞳だけはいつも通りどこか私を観察するものだった。

私は舌打ちしたい気持ちを必死に抑えながら応える。

 

「……去年のお兄様の試合以来ですね。去年ロックハート先生が私を日向へと連れ出そうとした事件がありましたから、ここに来るのが怖くて仕方がなかったのです。誰があんな人を任命したのかは知りませんが、碌に私のことも伝えてなかったみたいでして。彼を連れてきた人間は余程人を見る目がなかったのでしょうね」

 

「……そう言わんでくれ。去年のことは本当にすまなかったと思っておる。じゃが、老人をあまりいじめんでくれ」

 

私はもはや礼儀をかなぐり捨てたような返答を繰り返す。

正直こんな所に来たくはなかった。いくら天気が曇り空とはいえ、お兄様の試合というわけでもなく、近くには不愉快極まりない老害までいる。普段であれば観戦には来ず、いつも通り談話室で『守護霊の呪文』の練習でもしているところだ。

でも、今回に限りそういうわけにはいかなかった。私自身は談話室に籠っていても良かったのだが、

 

『マ、マルフォイ様……少しお話よろしいでしょうか? グリーングラスの件なのですが……あいつが『マグル学』を受講していることは、マルフォイ様はご存知ですか?』

 

ダフネをこれ以上私に付きっきりにさせるわけにはいかなかった。

ここ最近、ダフネがトイレに行っているなど私が一人になった時を見計らって、スリザリン生が私にダフネのことについて忠告してくるのだ。

私は、勿論ダフネ自身も周りには『マグル学』受講のことを言ってはいなかったが、半年以上経ってようやくダフネが『マグル学』を受けていることに気が付き始めたらしい。

勿論私の答えは、

 

『勿論知っております。彼女は『マグル学』を通して、マグルの愚かさ、そして純血の偉大さを再確認すると言っていました。それがどうかしたのですか? それとも……私の()()に何か問題があると言いたいのですか?』

 

『い、いえ、マルフォイ様が御存知なら何も……』

 

予め決められたものだった。

ダフネがマグル学を受講すると決めた段階から予定していた言い訳。このスリザリン生受けしやすい言い訳と共に、ダフネが夏休みの間ずっと純血貴族コミュニテイーに顔を出していたことから、今のところ表立った問題には発展していない。しかしダフネの立場があまりいい方向に向かっていないことも確かだった。ほとぼりが冷めるまで、もう少し友好的な態度を取る必要がある。

そのため試合に来ていないことがあまり快く思われていないことをお兄様から聞いていた私は、今回の試合はダフネを談話室に縛り付けておくことは出来ないと、私が残ればダフネも必ず談話室に残ってしまうと判断してここに来たわけだが……

 

「それはそうと、最近ルーピン先生と個人的授業をしておるそうじゃのう? なんでも『守護霊の呪文』について学びたいと、お主が随分熱心に頼んだとか。勉強熱心なことは感心じゃのぅ。他の生徒もお主のように好奇心旺盛であってくれたらよいのじゃが」

 

「……はぁ」

 

やはりこの判断は失敗だったかもしれない。

ここに来た瞬間からずっと非友好的な対応をしているというのに、老害がそれにもめげずに声をかけ続けてくる。

 

「しかし()()()()()()()()()()()、お主はもう既にそれなりの守護霊を出せるそうじゃのう? 流石じゃよ。ワシがダリアの年の頃は、未完成でも守護霊を出すことは出来んかったじゃろぅ」

 

「……教えてくださる先生がいいからです」

 

鬱陶しいことこの上ない。

しかもこの老害は、

 

「それにしても、ワシの守護霊は不死鳥の形をしておるんじゃが、ダリアの守護霊は一体どのような動物か気になるのぅ? それに、お主はどのような記憶で守護霊を形作ろうとしておるのじゃ?」

 

チョコチョコと探りのような質問を投げつけてくるのだ。

帰りたくなるのも仕方がないと思う。

私は老害の方を一瞥もすることなく応える。

 

「……何故貴方に私の幸福について話さなくてはならないのですか?」

 

「いやなに、ただ気になっただけじゃよ。ただの知的好奇心じゃ。思えばダリアと話すのも久しぶりじゃからのぅ。少しでも生徒のことを知りたかったというだけじゃ」

 

こんな苦しい時間など早く終わってほしいと願い続けながら、私は両チームのシーカーを睨みつける。何だかんだ言ってクィディッチが好きなダフネ辺りは、折角私がここまで来たのだから楽しい試合になってほしいと思っているのだろうけど、正直私の願いは一刻も早くこの試合が終わってくれることだった。

 

そして……その願いはすぐに叶えられる。

 

「おぉ、どうやら試合終了のようじゃのぅ」

 

ポッターが凄まじいスピードでスニッチをつかみ取ることで、試合は過去最速と思える程早く終了する。

試合内容自体は相当つまらないものだったが、今はそんなことを言っている場合ではない。私は未だに空中でスニッチを見せびらかしているポッターを一瞥した後、

 

「もう次の試合には間に合いませんか……。しかし、これで()()()お兄様へのクリスマスプレゼントは決まりましたね……」

 

隣の老害に最後まで顔を向けることなく宣言した。

 

「では校長先生。私はこれで」

 

返事など聞く必要がない。私は宣言すると同時に、すぐさまこの場を離れるために行動を開始する。

そして後ろから感じる視線を振り払いながら階段を降り切り、丁度こちらに向かってきていた大切な人達と合流した。

 

「ダリア! 大丈夫だった!? 隣にあの爺がいるように見えたのだけど! ごめんね、こんな試合に連れ出してしまって! まさかこんなしょうもない試合になると思ってなくて……」

 

「……ご想像通り、ずっと愚にもつかない話をしてきましたが……ですが大丈夫です。貴女を見て、今疲労はなくなったので」

 

私の無事を確認するように抱き着くダフネをあやしながら、今度は後ろで暗い表情を浮かべているお兄様に声をかける。

 

「……お兄様はどうでしたか、今回の試合は?」

 

「……ふん。箒の性能に頼りっきりじゃないか。あんな奴がシーカーなんて、グリフィンドールの底が知れるな」

 

他寮の人間がいればさぞ突っ込まれるだろう発言であるが、去年のお兄様が何だかんだ言って箒の性能に頼り切ってはいなかったと知っている私は、ただ苦笑いを浮かべながら応えた。

 

「そうですね。確かにただでさえ強力だった敵のシーカーは、ファイアボルトを手に入れたことで更に強力になりました。ですが、まだ勝ち目が完全に消えたわけではありません。そうでしょう? お兄様」

 

「……あぁ、勿論だ。次の試合、僕は必ず勝つからな。見ていてくれ、ダリア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

グリフィンドールの談話室はお祭り騒ぎだった。

今回倒したのはレイブンクローであり、怨敵スリザリンを倒したわけではないというのに、最早クィディッチ優勝杯を勝ち取ったかのような空気だ。

 

「あっという間に決着がついたな! これならスリザリンも一ひねりさ!」

 

「今からでもあいつ等の悔しがる表情が目に浮かぶよ!」

 

「今年のクィディッチ優勝杯も決まったな! 去年に続いて今年もグリフィンドールがいただきさ!」

 

多くの生徒がもはや勝鬨としか思えないような声を上げている。

勿論反対に、

 

「いや、まだ勝ったわけじゃない」

 

「そりゃシーカーに関しては、箒はファイアボルトだし、相手は()()()()()()()()()()ドラコ・マルフォイだ。負ける要素なんてどこにもない。でも、それ以外の連中は皆ニンバス2001に乗ってるんだ。まだまだ侮れないよ。こっちは初戦のハッフルパフに負けてるから、少なくとも80点以上差をつけないと優勝杯は手に入らない」

 

懸念の声を上げている生徒もいたけど。

僕も彼らの意見に賛成な部分はある。シーカー対決では、おそらくほぼドラコに負けることはない。去年はドラコの箒が勝っていたからこそ苦戦させられたが、今度はこちらが勝っている以上、僕があいつを恐れる必要はない。

でも試合で勝っても、優勝レースに勝てるとは限らないのが現実だった。

ハッフルパフに一敗を喫しているグリフィンドールと違い、スリザリンは今の所全ての試合で勝利を収めている。そんな彼らを抑えて優勝杯を手にするためには、必ず次の試合で80点以上の差をつけて……つまり、80点以上のリードを許す前に、スニッチを掴まなくってはならないのだ。

しかしそれでも、

 

「心配すんな! ハッフルパフ戦の前、俺たちはしっかりとスリザリン対策の練習をしていたんだ! それこそ死にそうになる程な! それに、我らが優秀なシーカーが必ずスニッチをつかみ取ってくれるさ! さあ、そんなことよりしっかり飲み食いしようぜ! ほら、お菓子もこんなに取って来たぞ!」

 

僕の中にあまり不安な気持ちはなかった。

 

「いったいどこからこれを?」

 

「ちょっと助けてもらったのさ! 先代の『悪戯仕掛け人』にね! ハリーも今度行ってみるといいぜ! 地図にはちゃんと厨房の場所も載っているからな!」

 

いつも通りテンションの高いフレッドと話しながら思う。

大丈夫だ。僕等なら絶対に勝てる。僕もいくらファイアボルトという最高の箒を手に入れたからといって、必ず相手が80点未満の時にスニッチを取れると慢心するつもりはない。でも、僕にはグリフィンドールの最高の仲間たちがいる。去年の様な試合運びになることは絶対にない。僕らグリフィンドールの絆があればスリザリンなんて恐れるに足りない。たとえ吸魂鬼がなだれ込んできたって、彼らとさえ一緒にいれば守護霊で追い払うことだって出来るだろう。

 

今回の試合で完全に自信を取り戻した僕らの宴会は、その後夜遅くまで続いた。

結局宴会がお開きになったのは、

 

「今何時だと思っているのですか! もう夜中の1時ですよ! まったく、私もグリフィンドールが勝ったのは嬉しいです! ですが、これはいくらなんでもはしゃぎ過ぎです! さ、もうベッドに行きなさい! 今すぐに!」

 

部屋着のマクゴナガルが怒鳴り込んできた時だった。

しかし興奮しきっていた僕らがすぐに寝付けるはずがなく、僕とロンは寝室に戻っても尚、ベッドに腰掛けながら話し合った。

 

「そう言えば、さっきの宴会にハーマイオニーの姿が見えなかったけど、彼女はちゃんと試合に来てくれたのかな? 何だか忙しすぎて切羽詰まってるみたいなんだよね……。大丈夫かな?」

 

「……ふん、あんな奴知るもんか! あいつ、スキャパーズにあんなことがあったっていうのに、まだあの怪物を野放しにしてるんだぜ! しかもあんな状況でも、まだ状況証拠でしかないとか抜かすんだ! あいつが謝るまで、僕は絶対に口をきかないからな!」

 

「……もう許してあげなよ。少なくとも箒に関しては、ハーマイオニーは僕達のことを考えてくれていたわけだし」

 

二人になったことで何だかもう一人の親友のことを思い出し、話は若干暗いものになってしまったが、まだまだ眠くない状況に変わりはない。

僕は気分転換兼、ハーマイオニーがちゃんと生きているかを確認するため『忍びの地図』を開く。

 

「……うん。無事みたいだね。ちゃんと寝室にいるみたいだ」

 

ハーマイオニーの名前はちゃんと女子寮の寝室の中に確認できた。周りに彼女のルームメイトの名前もあることから、ちゃんと生きた状態で寝ているのだろう。

ロンが地図をのぞき込みながら言う。

 

「ハーマイオニーはともかく、本当にこの地図は凄いよな。城中の秘密通路と隠し部屋だけじゃなく、こんな風に城にいる全員の名前まで載ってるんだからな。しかもそいつがどこにいるかも分るときた」

 

僕はロンの言葉に素直に頷く。

ロンの言う通り、見れば見る程素晴らしい道具だと思う。ホグワーツのありとあらゆる部屋や廊下、それどころか今ホグワーツにいる人間がどこにいるかも映し出す素晴らしいアイテム。これがあるからこそ、僕はホグズミードにだって行くことが出来るのだ。そう思えばこの地図が素晴らしい道具であること以上に、まるでこれこそが自分に幸運を運んでくれたように思えて愛しくて仕方がなかった。

僕らは飽きることなく地図を見つめ続ける。

校長室ではダンブルドアがこんな時間であるにも関わらず動き回っており、去年は夜中に外で悪だくみをしていたダリア・マルフォイも、今は地下の寝室にいるのが分かる。

 

 

 

 

そんな時だった。

 

「あれ? こんな時間に外を歩き廻っている奴がいるな。一体誰が……ん? ()()()()()()()()()()()()? そんな名前の奴、ホグワーツにいたっけ?」

 

僕らがその名前を見つけたのは。

 

「え? ピーター・ペティグリュー? その名前は確か……」

 

それは紛れもなく、死んだはずの人間の名前だった。

シリウス・ブラックの裏切りに気が付いたことで、奴に指一本だけ残して吹き飛ばされた……かつての父や母の親友の名前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

それは私が夜中の警備のため、ホグワーツの中を巡回している時のことだった。

 

シリウスがグリフィンドール寮に侵入しようとした事件以来、ホグワーツの教師には交代で夜の警備が義務付けられている。去年の警備体制がどんなものだったかは分からないが、今年のものも相当なものなのだろう。先程も警備担当と思しきゴーストとすれ違っている。

この警備を見ているだけで、いかにシリウスの侵入が重く見られているのかが分かるようだった。

 

私はかつて親友だと思っていた男のことを思い出し、僅かに憂鬱な気分になりながら廊下を歩き続ける。

 

そんな時だった。

 

「あれ!? 地図ではここにいるはずなのに! なんで誰もいないんだ!?」

 

「ロ、ロン! 声が大きい!」

 

本来こんな場所、そしてこんな時間に聞こえるはずのない声が聞こえたのは。

私はその声を認識した瞬間、まず何故という疑問を持ち……その後、激しい怒りを覚えていた。

 

今の声、聞き間違えでなければ()()()とその親友の声だ。

彼らの素行がお世辞にもよろしくないことは、ここに着任した時から聞き及んでいた。たとえそれが様々な事件解決につながっており、そもそも彼らの義憤から始まった行動だったとしても、教師の立場からしたらあまり褒められたものではないことは確かだ。動機が全く違うとはいえ、父親そっくりの行動に苦笑いを浮かべたものだ。

しかし、今回は……今年は違う。

今年は今までと違い、ハリーは完全に犯人に狙われているのだ。そもそもこの警備も、半分はハリーを守るために敷かれているものなのだ。彼はこの期に及んで、未だに自分の置かれている立場を理解していない。

 

私は声のした方に急いでかけてゆく。あの子を叱りつけるために……あの子を今夜も侵入しているかもしれないシリウスから守るために。

 

私が駆け付ける音が聞こえたのだろう。暗闇の向こうから息を呑む音、そして慌てたように()()()()()()()()()音が聞こえる。

そして案の定と言うべきか、駆け付けた先には人影一つなかった。他の教師ならこれで騙されるのだろうが、彼の父親が持っていたマントのことを知っている私にはこの手の手段は通じない。寧ろこの誰もいない空間を見たことで、より彼らがここにいることを確信した。

私は怒りを露にしながら、一見誰もいない空間に声をかける。

 

()()()。それとロン。『透明マント』だね。君達がそこにいるのは分かっている。大事な話があるからマントを脱いで出てきなさい。今出てくるなら罰則や減点はしない。出てこなければ……スネイプ先生に引き渡してもいいのだよ?」

 

私はダンブルドアのように『透明マント』を見通すような力はないが、彼らが隠れている大体の位置なら判断できる。そして……どうやら間違ってはいなかったようだ。

今まで何もなかった空間から、気まずげな表情をしたハリーとロンが現れる。二人ともここまで言われれば、流石にこれ以上隠れても無駄だと思ったのだろう。

ハリーが表情同様気まず気な声を上げる。それを私は、

 

「ル、ルーピン先生。す、すみません、僕ら……」

 

「いや、それ以上はいいよ、ハリー。君がどんな動機で出歩いたか、私は知りたいと思っているわけじゃないんだ」

 

内心の怒りのまま遮った。

 

「ハリー、ロン。君達が去年や一昨年、夜な夜な学校内を出歩いていたことは知っている。勿論、それがフレッド君やジョージ君のように悪戯心から来たものでないこともね。でも、今年は駄目だ。君達はシリウス・ブラックに狙われている。だからこそハリーはホグズミードに行かせてあげられず、私達教師がこうやって夜の見回りをしているんだ。ハリー、君には辛い思いをさせているかもしれないが、君も私達が何故そんなことをしているか理解していると、私はそう思っていたんだ」

 

でも、と私は続ける。

 

「でも、どうやら君は理解していなかったようだ。色んな大人に説明されただろうに、君はそれでもシリウス・ブラックのことを深刻に受け止めてはいないらしい。いや、それだけじゃない。君は両親が亡くなった意味も、真には理解していないのだろうね。いいかい? 君の両親は、君を生かすために自らの命を捧げたんだ。それを『吸魂鬼』が近づいた時、君は理解したはずなんだ。君ならそう思って、それに報いるためにも命を粗末にすることはない。両親の犠牲の賜物を、決して危険に晒したりしないと……待て、もしかしてそれは!?」

 

そこで私は、ハリーが何か羊皮紙のようなものを片手に持っていることに気が付く。

私達『悪戯仕掛け人』が作り、悪戯の限りをつくすために愛用した……どこか懐かしさすら覚えるものを。一見ただの羊皮紙にしか見えないが、製作者の一人である私が見間違えるはずがない。

私は再度燃え上がった怒りを感じながら、唖然とするハリーの手から『忍びの地図』を奪い取った。

 

「……これもそうだ。これが何年も前にフィルチさんに没収されたこと、そしてこれが実は地図だということを私は知っている。勿論これの使い方すらね。でも、これがどうやって君の物になったかなど聞きたくない。ただ君がこれを私達に提出しなかったことに大いに驚いている。これさえあれば、シリウス・ブラックは君の居場所をいとも簡単に見つけ出すことが出来る。まったく危機感が足りていないじゃないか」

 

ここまで言うと、流石にハリーもロンも自分たちが如何に愚かなことをしていたかを悟った様子だった。

最初はどこか私が笑って見逃してくれるだろうとでも思っていたのだろうが、今はそんな考えは一切見せず、ただ打ちひしがれた様に項垂れている。

言い過ぎたとは思わないが、こんな表情をされると流石に怒りを保つのは難しい。

私は中の熱を吐き出すようにため息をつくと、今度は少しだけ優し気な声音を意識しながら言った。

 

「……私の言いたいことを理解してくれたようだね。なら、ベッドにもう戻りなさい。先程も言ったが、君達に罰則も減点もするつもりはない。ハリーも次の個人授業はちゃんとやるから、何も気にせず来なさい。でも、この次はもう君達を庇ったりしないよ。このまま真っすぐに戻らないと……私には分かるからね」

 

「はい……ごめんなさい、ルーピン先生」

 

「ご、ごめんなさい」

 

二人は私に謝罪の言葉を述べてから、トボトボといった足取りで寮への道を歩いてゆく。

しかし、

 

「先生……その地図、どうやら完全に正確な物じゃないみたいです」

 

最後の最後に、特大の爆弾を落としていくのだった。

 

 

 

 

「その地図に……さっきあるはずのない名前が書いてあったんです。それを確かめに僕らはここまで来たんですけど……来てみても、その人の姿はどこにもありませんでした」

 

「……ほう? その名前は誰だったんだい?」

 

「……ピーター・ペティグリューです。それはもう死んだ人の名前ですよね?」

 




スリザリンとの点数は80点。
クアッフルは10点。スニッチは150点。
スリザリンが60点リードでスニッチを掴めば、グリフィンドールの勝ち。
スリザリンが70点リードでスニッチを掴めば、同点になるが、スリザリンにグリフィンドールが勝ったと言うことでグリフィンドール勝利。
スリザリンが80点以上リードでスニッチを掴めば、スリザリン勝利。


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裁判の行方

 ルシウス視点

 

「バ、バックビークは危険じゃねぇです! あ、あいつは本当に賢い奴なんだ!」

 

本来であれば厳かであるべき法廷に、粗暴な野蛮人の声が木霊している。仕立ての悪い茶色の背広に、黄色と橙色の品のないネクタイ。無様な格好も合わさり、所々もつれながら話す様子はもはや滑稽ですらあった。陪審員も私と同意見なのか、そこかしこで嘲笑が漏れ聞こえている。陪審員に対する奴の印象は最悪の一言だろう。

しかも事前に用意されていただろう何かが書かれたメモも、ボロボロと落とすばかりで一切読もうとしていない。誰が用意したのか知らぬが、これで奴の逆転する可能性は完全になくなった。これではもはや論理的な反論は不可能だろう。

私は最後のとどめを刺すべく、ただ妄言を繰り返す野蛮人を遮る。

 

「そこまでにしたまえ。もう君の下らない話は聞き飽きた。さて、お集りの皆さん。もうご納得していただけたでしょう。彼は件のヒッポグリフが危険でないと言うばかりで、本当に危険ではないという証拠を一切示そうとはしない! 私の息子の腕を、何の()()()()()()()()()()()としたというのにだ! こんなことをした生き物の処刑を、何故反対しているのか理解に苦しむ」

 

そこで私は傍聴席に座っている老害を一瞥しながら続けた。

 

「実に……実に理解に苦しむことだ。こんな自明な結論を、態々裁判で決定せねばならんことが。……こんな簡単な判断も出来ず、あまつさえ私の息子を傷つけておきながら、このような野蛮人を未だに庇おうとする人間が校長であることがな」

 

本来であればこのヒッポグリフ事件を使い、私はダンブルドアを引きずり下ろす予定であった。

去年のロックハートもそうだが、明らかにこの老人に真面な教師を選ぶ能力はない。今回のことも、真面に生徒も授業素材も管理できない教師を選んだとして、ダンブルドアに責任を取らせることが出来たはずだった。

しかし、

 

「ミ、ミスター・マルフォイ。き、君の気持ちは分る……。息子を傷つけられたのだ、心中穏やかなはずがない。だが……も、もう結論が出ているだろう? ダンブルドアは今回の事件に一切関係ない上に、その彼が保証して下さったハグリッドにも責任はない。そ、そう前回の審議で結論が出たではないか」

 

実際に老害を引きずり下ろすことは出来なかった。

陪審員たちは去年の理事達と同じく、ダンブルドアを責めることで、世間から自分たちが責められることを恐れたのだ。

そんな無能極まりない連中のお蔭で、私の当初の計画は完全に頓挫していた。

 

まったく理解に苦しむとしか言いようがない。

何故この様な老害が、未だに『今世紀最高の魔法使い』としてもてはやされ、そしてここまで支持され続けるのか私には欠片ほども理解出来ない。

この老害は未だにダリアを監視し、傷つけ続けているというのに……。

 

正直陪審員の言葉に、内心では腸が煮えくり返りそうだった。

だがこれ以上ここでダンブルドアの責任を追及しても、実際に奴を引きずり下ろすことは叶わない上に、寧ろ陪審員の印象を悪くし必要最低限の結果すら勝ち取れなくなる可能性がある。

私は内心の怒りを抑えこみながら、何とか次の一言を言い放った。

 

「……ふん、今回はそういうことにしておこう。しかし……ダンブルドアの責任はないにしても、そのバックビークとかいうヒッポグリフの責任は明らかだ。無論最も重い刑を行ってくださいますな?」

 

ドラコが怪我をしてからはや半年近く。今まで何度もダンブルドアを貶めるために根回しを繰り返してきた。ここまで手間暇をかけたのだ。せめて奴の追放に手が届かなくとも、少しでも奴の心情を傷つけなければ腹の虫がおさまらん。

そしてそれは陪審員たちの方も分かっているのだろう。ヒッポグリフの責任が明白なこともあるが、たかがヒッポグリフ一匹の命で私の怒りを抑えられ、尚且つ自分の家族を守れるのだ。ここで肯定しないはずがなかった。

 

「も、勿論だとも。私達もこれ以上の議論が必要だと思っていない、では、皆さん。件のヒッポグリフ、バックビークは後日処刑の方針でよろしいですかな?」

 

「ま、待ってくだせぇ! バックビークはそんな危険な奴じゃ、」

 

「異議なし」

 

野蛮人の叫び声に上乗せする形で、陪審員たちの宣言が響き渡る。無論今回はただ傍聴席に居るだけのダンブルドアも、ただその瞳に怒りの炎を燃やすだけで反論など出来ない。

 

私の勝利が確定した瞬間だった。

 

宣言が終わると同時に、傍聴席で静かにしていたダンブルドアが野蛮人に駆け寄る。

 

「ハグリッド、大丈夫かのぅ? お主の力になれんで、すまなんだ……」

 

「いえ、校長先生! 先生は本当に良くしてくだせぇました! これ以上先生に迷惑をかけることは出来ねぇ! お、俺が悪いんだ! 俺がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかった! ハーマイオニーがせっかく用意してくれたメモだって、焦って読むことすら出来なかった!」

 

私が冷たい視線を送る中、愚か者共の茶番劇は続く。

 

「いや、お主はようやった。出来ることならバックビークをどうにかしてやりたいが、」

 

「いや! 本当にこれ以上校長先生に迷惑をかけらんねぇ!」

 

「……そうか。じゃが、せめてバックビークの最後には立ち会わせておくれ。せめて最期くらいは傍にいてやりたいのじゃ」

 

どこまでもダリアを苦しめている分際で、何故ここまで野蛮人如きに労わりの姿勢を示せるのだろうか。

私はこの不快な茶番劇を終わらせるべく、愚か者共に近づき言い放った。

 

「まったく。たかが獣一匹のために、ここまで手間をかかせおって。どうやらホグワーツは、態々裁判を起こさねば獣一匹処理できぬらしい」

 

「ルシウス・マルフォイ! お前! よくもぬけぬけと! この腐り切ったマルフォイが!」

 

「よすのじゃ、ハグリッド!」

 

森番が立ち上がり、私に拳を振るおうとするが、老害がそれを遮り言った。

 

「ルシウスよ。もうよいじゃろぅ。これでお主の気もすんだのではないのかね? ならば、すぐにここを去るがよい。どの道処刑担当の『危険生物処理委員会』はお主の息のかかったものばかりなのじゃろぅ? 処刑日はいつにするつもりなのかね?」

 

流石にここでは分が悪いと思ったのだろう。殊勝なことを言うダンブルドアに、私は僅かに留飲を下げながら言う。

 

「流石『今世紀最も偉大な魔法使い』と勘違いされるお方だ。己の分くらいはよく分かっておいでだ。そうだな……ホグワーツはそろそろ試験が行われる時期ではないかね? その時期にするよう委員会に要望しておこう。詳しい日程は後日に。……ダリアのいい息抜きにもなるだろうからな」

 

去年の私は決定的に手段を間違えていたのだと、今の私には分かる。

ダリアを守るためとはいえ、あんな得体のしれない物に運命を託すべきではなかった。

あの時は()()()()()()()のだ。その詰めの甘さが、結果的に寧ろダリアを追い詰めることになってしまった。

だからもう間違えたりしない。今回の件でダンブルドアを再び追放することは叶わなかったが、少なくとも奴の名声を傷つけることは出来たはずだ。こうやって少しずつ奴を追放する布石を敷き、今度こそ私がダリアを救って見せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ルーピン先生の本気のお説教から数日。

怒られた直後は酷く惨めな気分だったし、放っておけばルーピン先生の個人授業ですら先生と顔を合わせずらくなっていたことだろう。

あの時は、

 

『……あ、あり得ない。君がどこから彼の名前を聞いたのかは知らないが、彼はもう死んだんだ。いや、殺されたんだ。シリウスの手でね……。だからその君が見たという名前もきっと見間違えだ。そうでなくては……。さぁ、もう帰りなさい。それと次の個人授業はきちんと来るんだよ。君には『守護霊の呪文』が必要だからね』

 

そう先生は仰ってくれたけど、正直気まずいものは気まずいのだ。

しかし、今の僕はそんなことを言っていられる状況ではなかった。何故なら、

 

「ハグリッドは貴方が辛い状況にあるから、こんなこと伝えなくてもいいと言っていたのだけど……。あ、貴方達も知っておくべきだと思って……」

 

久しぶりに話しかけてきたハーマイオニーが、ハグリッドから届いたとんでもない手紙を見せてきたから。

スリザリンとの試合がもう数日後までに迫った午後。ハーマイオニーが泣きそうな顔をして差し出した手紙には、

 

『ハーマイオニーへ。俺たちは負けた。バックビークは処刑される。詳しいことはまだ決まってねぇが、試験期間のどこかでやるとルシウス・マルフォイがぬかしやがった。ハーマイオニーには色々迷惑をかけた。おめぇさんも大変だろうに、俺やバックビークのためにようやってくれた。俺はお前さんが助けてくれたことを絶対に忘れねぇ』

 

そんなことが、大粒の涙で滲んだインクで書かれていた。

突然の事態に中々頭がついてこない。

バックビークの件は、ドラコの怪我が次の日には治っていたことで、もうとっくの昔に解決したことだと思っていた。それが僕達の知らない間に、こんな事態に陥っていたとは……。

 

「で、でもだって、こんなことあるはずないよ。だって、ドラコの怪我はすぐに治ったじゃないか! しかもあれはドラコの自業自得なのに! 今更になって何で……」

 

「そ、そうだ。あれ以来何にもそんなこと言って……。そりゃぁ、ルシウス・マルフォイがあんなことあって黙ってないとは思ったけど……」

 

唖然とする僕らに、表情同様震えた声音でハーマイオニーが話し始める。

 

「ほ、本当は私も貴方達に言うつもりなんてなかったわ……。ハリーは今年シリウス・ブラックに狙われたり、とても辛い時期なんだから……。で、でも私は……。わ、私がもっとしっかりしておけばよかったの……。勉強のことだとか、マルフォイさんやグリーングラスさんのことで頭が一杯で、ハグリッドの力になってあげることが出来なかったの! 過去の裁判だとか、ヒッポグリフの生態について色々調べたけど……そんなもの何の意味もなかったのよ! あぁ、私のせいでバックビークは処刑されてしまうの!」

 

そう言った切り、ハーマイオニーは泣き崩れてしまう。

遠目から見ていた最近の彼女は常に余裕が無さそうな表情をしていたが、ここに来て完全に力尽きてしまったのだろう。

そして彼女をここまで追い詰め、余裕のなくなっていた彼女を放置していたのは……僕達だ。

僕とロンはこの瞬間、ようやく自分達が呑気に箒やペット、そしてクィディッチのことで逆上せている間に、この親友が如何に苦しんできたかを悟ったのだった。

僕達がルーピン先生に叱られた時以上の罪悪感を感じている間にも、ハーマイオニーの嗚咽は続く。

それを最初に遮ったのは、

 

「も、もう望みはないわ! これ以上裁判が続くことはないし、たとえ控訴したところで何も変わりは、」

 

「いや、諦めるのは早いよ、ハーマイオニー」

 

意外にもロンだった。

ハーマイオニーの涙に慌てる僕が何か話し始める前に、今まで彼女と喧嘩していたはずのロンが続ける。

 

「どうせくそったれのルシウス・マルフォイが裁判官を脅したんだろう? 多分ダンブルドアを追い落とすために、こんなことが起きるのを虎視眈々と待っていたのさ! 裁判はあいつの思い通りってわけさ! でも、まだ何かやり方はあるはずだぜ! 考えようぜ、僕達で……。もう僕達に隠さなくてもいいんだ。今度はちゃんと手伝うからさ……」

 

突然知らされたハグリッドの危機にスキャバーズ問題が霞んだということもあるのだろうけど……今まで意固地になっていただけで、内心ではロンもハーマイオニーと仲直りしたかったのかもしれない。

ハーマイオニーもそれが分かったのか、今まで以上の大声で泣きだしながらロンに飛び付いた。

 

「あ、ありがとう、ロン! あぁ、ごめんなさい! スキャバーズのことは本当にごめんなさい! わ、私、最近疲れすぎていて意固地になっていたの! ほ、本当は私が悪いって分かっていたのに! 箒のことだって、」

 

「いや、うん。いいんだよ。ファイアボルトを先生に渡したのは、ハリーを心配したからだろう? それにもう箒は返ってきたんだ! レイブンクローにもそれで圧勝できたし、スリザリンだって捻りつぶせるんだ! 君が気に病むことはないよ。そ、それと……スキャバーズのことも……仕方がないよ。あいつは年寄りだったし……ちょっと役立たずだったから。これでパパとママにフクロウを買ってもらえるかもしれないから、寧ろいいことだよ、うん」

 

顔を何故か赤らめた状態で、ロンは不器用ながら抱き着くハーマイオニーの頭を撫でている。

……取り合えず、これで二人は完全に仲直りできたみたいだ。

でも、それをただ喜んでいるわけにはいかない。別に仲直りしたところでハグリッドの問題が解決したわけでも何でもないのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

初回の授業以来、しばらくの間『魔法生物飼育学』は真面な授業内容ではなくなっていた。

ひたすら『レタス食い虫』の世話をさせられる授業。しかも世話と言っても、『レタス食い虫』の前にレタスさえ置いておけば、こいつらは最高に元気なのだ。実質授業中に何もやっていないようなものだ。

しかしあの衝撃的な初回授業から半年も経つと、流石にこのままではまずいと森番も思ったらしく、『火蜥蜴』のようなそれなりに安全な生物を扱うようにはなっていた……はずなのだが、

 

「またレタス食い虫に戻ってる……」

 

「……」

 

何があったかは知らないが、どうやら森番の精神状態は振出しに戻ってしまったらしい。

今私達の目の前には、相変わらず放っておけば元気になるレタス食い虫が鎮座ましましていた。

 

「……どうしよう。授業中暇になっちゃったね」

 

「あぁ、そうだな……」

 

一応森番の方を見ても、グレンジャーと愉快な仲間達に囲まれながら泣くばかりで授業をする気配はない。本当に何があったというのだろうか。

まぁ、でも、授業としてはどうかと思うが、実際問題今はありがたくあるのも確かだ。先程から反応の悪いドラコもそう思ったのか、レタス食い虫の入った箱から少し離れた辺りに腰掛け、私に話しかけてきた。内容は、

 

「……ダフネお前、この前怪我をしたと思ったら……『マグル学』の生徒に突き落とされていたんだな」

 

「……正確ではないかな。彼女は多分魔法を使う気はなかったと思うよ。ただ私をちょっと脅そうとしただけ。それに驚いて私が転んじゃっただけだよ」

 

今朝遂にダリアに露見してしまった、先日の『マグル学』での出来事だった。

 

それは今朝のこと。険しい顔をしたパンジーが、大広間でダリアと共に食事を摂る私に話しかけてきたのが始まりだった。

 

『ダフネ! 貴女、今『マグル学』を受講しているそうね!? 『魔法生物飼育学』以外何を受けているのか知らなかったけど……よりにもよって『マグル学』なんて! なんだってそんな科目を選んだのよ!?』

 

人の口に戸は立てられぬと言うが、ここにきてようやく私の受講科目が露見してしまったのだろう。最近スリザリン生から妙な視線を感じるなとは思っていたが、どうやらこれが原因だったらしい。私より格下の家はともかく、私と同じ聖28一族のパンジーは私を直接批難出来ると踏んだ、というところだろうか。 

私は隣に座っているダリアが何か言う前に、対スリザリン生用にあらかじめ用意していた言い訳を吐く。

 

『そんなの当然、マグルの愚かさを知るためだよ? それ以外に何があるって言うの?』

 

昔の自分に戻っているようであまり言っていて気持ちのいい言い訳ではなかったが、相手はマグル生まれの人間ではないためまだ罪悪感は少ない方だ。少なくとも自分を馬鹿にしているものとは受け取られない。それにこれは純血主義のスリザリン生に対しての、唯一にして最も効果的な方便でもある。事実私の話を聞いたパンジーは、先程まで見せていた怒りを僅かに引っ込め、不満ではあるがまだマシな表情へと変わっている。

ここまでは私の予想していた通りの反応。でも、これからが、

 

『そ、そうなの? な、なら分からなくもないのだけど……。でも、それでもなんだってそんなことのために『マグル学』なんかを選ぶのよ。馬鹿みたい。この前の夏休みの間、貴女はずっと純血の集まりに出ていたから、別に貴方の言葉を疑うわけではないけど……態々そんなことをしなくてもいいでしょうに。マグルの愚かさなんて、態々学ばなくても分かることよ。そんなことするから、あそこの『穢れた血』共に階段から突き落とされるのよ』

 

予想外のことだった。

気が付いた時には時すでに遅く、隣で私達の会話を聞いていたダリアが静かに声を上げていた。

 

『……突き落とされた?』

 

『あら、ダリアも知らなかったの? ずっと一緒に居るのに? 私もさっき聞いたのだけど、この子、『マグル学』の授業の後でレイブンクローの生徒に階段から突き落とされたらしいの。その話をさっき聞いて、私はダフネが『マグル学』を取ってるって知ったのよ。まったく……マグル学を受ける生徒なんて、『血を裏切る者』くらいしかいないでしょうにね。そんなところに行くから、こんな……こと、に……』

 

パンジーの言葉が続くことはなかった。

顔を青ざめさせるパンジーを尻目に、今までの穏やかな空気を一転させ、瞳を血のような赤色に変えたダリアが尋ねてくる。

 

『私はただ階段で転んだだけだと聞いていたのですが……どうやら違ったみたいですね。ダフネ、()()()詳しく話してくださいますよね? あぁ、勿論貴女に怒っているわけではありません。私はただ、一体誰を()()()()()()()()知りたいだけです』

 

あのダリアの発言から数時間。

今回の件で、スリザリン生にとっては完全に私の『マグル学』受講は触れてはならない話題になったのだろうが、そんなことを悠長に喜んでいる場合ではない。

結局私に杖を突き付けたレイブンクロー生が誰だったかは誤魔化せたけど、おそらくまだダリアの機嫌は相当悪いことだろう。放っておけばレイブンクロー全員を血祭りにあげ、私への攻撃を放置したとしてバーベッジ先生まで殺しかねない。今は下手な刺激を与えるわけにはいかない。

 

「まったく……。確かに僕もお前の立場だったら、絶対にレイブンクロー生のことは隠すだろうが……それでもやり様はあっただろう? どうするんだ、これから。僕も怪我をしたから人のことは言えないが、今のダリアは完全に神経質になってるぞ。『マグル学』もそうだが、今朝は僕達がこの授業に行くことすら不安がっていたからな」

 

「そうだよね……」

 

今年に入ってからというもの、ドラコと私、立て続けに医務室に入れられる事件が続いている。ドラコは授業中にヒッポグリフに引っかかれるという、一歩間違えれば大惨事になりかねない事件で。そして私は生徒に階段から半ば突き落とされるという形で。

私が本当にただ転んだだけだったのなら、私を心配するものの、最終的にはダリアもそこまで気にすることはなかっただろう。しかし突き落とされたとなれば話が違ってくる。

 

『……あの森番の授業ですが、最近は『レタス食い虫』だけのものから普通のものになってきているのですよね? ろうが……ダンブルドアが選ぶような教師です。また何かやらかす可能性があります。お兄様だけではありません。ダフネも気を付けてくださいね。……そして怪我をしたら、今度こそ正しい情報を私に伝えてくださいね? もう私の知らない所で貴女が怪我をするのは嫌なのです……』

 

私達の安全を何より重要視するダリアが気にしないはずがない。特に今年はシリウス・ブラックの侵入や、それに伴う『吸魂鬼』の配備があることから尚更だ。今朝からどこか私達が自分の目の届かない場所に行くことを恐れている節があった。

 

「まぁ、時間が解決してくれるのを待つしかないよ。今はただ突然の情報に驚いて、少し過敏になっているだけだろうし。お互い怪我しないように気を付けていれば大丈夫だよ」

 

私達はただダリアに心穏やかに過ごしてほしかった。

去年はあれだけ苦悩し、そしてようやく少しだけ人に甘えることを覚えてくれたのだ。私という秘密を共有する人間が出来ることで、ようやくダリアが警戒しなくていい場所が出来たのだ。今の平和をずっと保っていてほしい。少しでも、彼女が言う『殺人に対する憧れ』を感じずに済むようにしていたい。そしてその後に感じるであろう、激しい後悔と自己嫌悪を感じずにいてほしい。

そう思ったからこそ、私達は自分が怪我した状況を隠し、ダリアにただ怪我をしたということだけを伝えた。しかし後から露見してしまえばそれに意味はない。

 

「でも……ある意味ではまた『レタス食い虫』の授業に戻っていて良かったね。このことを伝えたら、少しはダリアも安心してくれるはずだよ。まぁ、授業としてはどうかと思うけどね」

 

私とドラコはそもそも怪我をしないことを誓い合い、少なくともダリアが気にしているような『魔法生物飼育学』での怪我はもうないだろうなと思っていたわけだけど……。

 

「ね、ねぇ、グリーングラスさん! 突然話しかけてごめんなさい! でも、どうしても聞いてほしいお願いがあるの!」

 

「ハ、ハーマイオニー!」

 

「おい! ハーマイオニー! そんな奴に何を言おうとしてるんだ!? 早く戻ってこい!」 

 

すんなりこの話が終わることはなかった。

先程まで森番の傍に居たはずのグレンジャーが、ウィーズリー達の制止を振り切る形でこちらに近づき、今まで見たことない程必死な形相で話しかけてきたのだ。

 

「……『マグル学』以外の時間にあまり話しかけて欲しくないのだけど」

 

「そうだぞ、グレンジャー。お前がなんでダフネに、」

 

「ドラコ、貴方には用はないわ!」

 

「……いいよ、ドラコ。それでどうしたの、グレンジャー? 出来れば手短に、」

 

「マルフォイさんに伝えて! ううん、出来れば直接伝えさせてほしいの! バックビーク……ドラコに怪我をさせてしまったヒッポグリフの処刑を取りやめてって!」

 

突然のお願いに、この子はいつも何故こうもタイミングが悪いんだろうかと……私は何となく思っていた。

 



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変わり始めた感情

 

ハーマイオニー視点

 

ハグリッドとバックビークが大変な状況に陥ろうと、別にハリーの置かれた状況が変わるわけではない。

シリウス・ブラックは未だに捕まっておらず、彼がどうやって城に侵入したかも分かっていないのだ。日が暮れてからハグリッドの小屋を訪ねるなど言語道断。

そのため私達がハグリッドと話せるとしたら、結局『魔法生物飼育学』の授業中くらいのものだった。

裁判のことを知っていたのだろうパーキンソン達が嘲りの笑みを浮かべる中、私達は完全に放心状態のハグリッドに声をかける。

 

「ハ、ハグリッド、元気出して! 私達はまだ諦めていないわ! まだ何か方法があるはずよ! 私達がちゃんと考えるから、だから元気を出して!」

 

「そ、そうだぜ。そりゃぁ、もう裁判は終わってしまったけど、まだ何かあるはずなんだ!」

 

私達の必死な声が校庭に木霊する。しかしそれがハグリッドに届くことはなかった。

 

「ありがとうな……。だが、もう無理だ……。皆俺が悪いんだ。ハーマイオニーはよくやってくれた。折角ハーマイオニーが色々用意してくれたっていうのに、舌がもつれちまって……それどころか慌てて読むことさえ忘れたんだ。もうおしまいだ! 委員会は全部ルシウス・マルフォイの言いなりで、バックビークの処刑を考え直す気なんて毛頭ねぇ! 俺に出来るのは、もうバックビークに残された時間を幸せなもんにすることくらいだ……」

 

遂に我慢できなくなったのか、ハグリッドは両目から大粒の涙を流しながら大声を上げる。

私達の間に暗い沈黙が舞い降りた。

いたたまれなかった。正直、私だってもうバックビークの処刑は覆らないのではと諦めかけている。裁判が終わってしまった以上、私達に万に一つ逆転の目はない。でも、それでも私は諦めきれなかった。私達が諦めてしまえば、バックビークは本当に処刑されてしまうのだから。

 

……しかし、やはりどんなに諦め切れなくても、今のままではどうにもならない状況に変わりはない。

私は唇を噛みながら、私達に割り振られた『レタス食い虫』をそっちのけで物思いにふける。

 

裁判が終わった以上、もう正当な手段でバックビークを救うことは出来ない。だからと言ってバックビークを逃がすのも、露見すれば私達がアズカバンに送られる可能性があり、もし判決をひっくり返すとしても、ルシウス・マルフォイ以上の影響力がない限りそんなことは不可能だ。少なくともグリフィンドールにそんな両親を持つ生徒はいない。そんな生徒がいるとしても、

 

「貧乏人達は憐れよね。今頃裁判のことを知るなんて、少しでも両親が魔法省高官に関わっていたらそんなことないでしょうにね。これだから『血を裏切る者』と『穢れた血』は駄目なのよ」

 

それはスリザリン以外にないだろう。つまり打つ手は皆無と言うことだ。

不公平なことだらけだと思った。何故こんな嫌な人ばかりが魔法界で権力を持っているのだろうか。お金のない人間や、生まれが純血でないと言うだけで、どうしてここまで理不尽な目に遭わなくてはならないのだろうか。正しいことを言っても取り合われすらしない環境にどうしようもなく腹が立つ。

私はこちらに向かって大声を出しているパーキンソン達に怒りの視線を向ける。

しかし……それは長続きはしなかった。何故なら、

 

「でも……ある意味ではまた『レタス食い虫』の授業に戻っていて良かったね。このことを伝えたら、少しはダリアも安心してくれるはずだよ。まぁ、授業としてはどうかと思うけどね」

 

パーキンソン達の横に、()()の姿を見つけたから。 

パーキンソン達と私を嘲ることなく、ただ何か別のことをドラコと話している彼女の姿を見たことで、私は急速にあることに思い至る。

そうだ、彼女なら……彼女の()()なら、バックビークの処刑を覆すことが出来るかもしれない。何と言っても、彼女の親友は被害者であるドラコの妹であり、ルシウス・マルフォイの娘なのだ。何より他の意地の悪いスリザリンと違って、彼女はそんな意地の悪い人間などではない。きっと私達の願いを聞いてくれるはずよ!

そう思い至った私は、善は急げと足を進め、

 

「ね、ねぇ、()()()()()()()()()! 突然話しかけてごめんなさい! でも、どうしても聞いてほしいお願いがあるの!」

 

マルフォイさんの親友であり、私がマルフォイさん同様友達になりたいと思っているグリーングラスさんに声をかけたのだった。

 

「ハ、ハーマイオニー!」 

 

「おい! ハーマイオニー! そんな奴に何を言おうとしてるんだ!? 早く戻ってこい!」 

 

私が何をしようとしているか悟った様子のハリー達が何か言っているけど、私はそれを無視してひたすら目の前のグリーングラスさんを見つめ続ける。  

しかし突然私に話しかけられたグリーングラスさん達の反応は芳しいものではなかった。彼女は訝し気な表情を浮かべながら応える。

 

「……『マグル学』以外の時間にあまり話しかけて欲しくないのだけど」

 

彼女のこの反応は当然の物だろう。話を聞いてくれるようになったと言っても、別にまだ仲が良くなったわけではないのだから。それでも私はグリーングラスさんに視線で訴え続ける。間接的とはいえ、バックビークを死刑に追いやる原因を作ったドラコが話しかけてきても、

 

「そうだぞ、グレンジャー。お前がなんでダフネに、」

 

「ドラコ、貴方には用はないわ!」

 

即座に切って捨て、ただひたすらグリーングラスさんが応えてくれるのを待ち続ける。

そしてどうやら私の必死さが伝わったらしく、

 

「……いいよ、ドラコ。それでどうしたの、グレンジャー? 出来れば手短に、」

 

いかにも今聞かない方が面倒なことになりそうだからと言った態度だけど、彼女はしっかりと頷いてくれたのだった。私はそんな態度に頓着することなく、待ってましたと言わんばかりに勢いのまま言い切った。 

 

「マルフォイさんに伝えて! ううん、出来れば直接伝えさせてほしいの! バックビーク……ドラコに怪我をさせてしまったヒッポグリフの処刑を取りやめてって!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

おそらく、今の私の表情はダリアと同じくらいの無表情に変わっていることだろう。

よりにもよってこの子は、一体何故このタイミングでこんなことを言いだしたのだろうか。

私は不機嫌な声音を隠すこともせず、興奮しきった様子のグレンジャーに応えた。

 

「……まずどういうことか説明してもらえるかな」

 

そもそも私は裁判のことなど知らない。ヒッポグリフにドラコが怪我をさせられたのはかなり昔のことな上に、これまでの間ドラコから裁判になっているなどという話は聞いたこともない。

私の質問とどこか拒絶的な反応に、グレンジャーは困惑した態度を取りながらも質問に答え始める。

 

「え、えっと……貴女も見ていたでしょう? バックビー……ヒッポグリフがドラコに怪我を負わせてしまったところを。そのことで、ルシウス・マルフォイが裁判を起こしたのよ。あれはドラコが悪いのに……。そ、それでつい最近判決が出て、ヒッポグリフが処刑されることになってしまったの! いくらなんでも処刑なんてひどすぎるわ! 陪審員に圧力までかけて! だからお願い、処刑を止めさせるのを手伝って! これは貴女にしか頼めないことなの!」

 

……所々自分達に都合のいいことしか言っていない気もするが、取り合えず概ね事情は分かった。どうりでパンジー達が先程から嬉しそうな表情を浮かべているわけだ。休暇前のホグズミードでも、彼女は森番や裁判がどうのと言っていたけど、おそらくこのことだったのだろう。

私は更に情報を補完すべく、隣で私と同じく初めて事情を聞きましたと言わんばかりの表情を浮かべているドラコに話しかける。

 

「……裁判のことなんて初耳なんだけど、ドラコも知らなかったの?」

 

「……あぁ、僕も初めて聞いたよ。ダリアも知らないだろうな。クリスマス休暇の時も、父上はそんなことは一言も言っていなかった。おそらく父上は僕達に言わずに事を進めるつもりだったのだろう。()()()()()()。ただ森番に用事があるから、折を見てこちらに来るとだけ言っていた。ついでにダリアの顔も見に来るともな」

 

「去年と同じ、か……。なら、大方ダンブルドアを追い出すための布石を敷こうとしたってところかな。そんな強引な手段を使ってまで、態々ヒッポグリフの一匹を処刑する意味はないものね。まぁ、()()()()()間違ってないよ……」

 

成程。事情さえ知ってしまえば簡単な話だった。

ルシウスさんが去年同様、ダリアを守るために行動を起こしている。ただそれだけの内容だ。ドラコ達に話していなかったのも、去年のことでどこか後ろめたい気持ちを持っているからだろう。それともルシウスさんにとって、こんな裁判はドラコ達に話すまでもないことだからか。

まぁ、どちらにせよ結論は変わらない。

私は今度こそドラコからグレンジャーに向き直り、

 

「事情は理解したよ。でも……ダリアに伝えることは、断らせてもらうね」

 

きっぱりと否定の言葉を口にしたのだった。

私にとって一番大切なことは、ダリアが心穏やかに日々を過ごせることだ。この情報をダリアに伝えて、彼女がいい気分になることなどあり得ない。……いや、裁判の情報だけならダリアは寧ろ喜んでくれるだろう。でも、この情報が()()()()()()()()()()知った時、ダリアは必ず悩むことになってしまう。特に今はタイミングが悪い。今朝から私達の怪我を不安視している様子なのに、ここでドラコに怪我を負わせたヒッポグリフを許せなどと言おうものなら、ただでさえ最悪の機嫌が悪化しかねない。

しかしそんな私の思いなど分かるはずもなく、グレンジャーは唖然とした様子で口を開いた。

 

「ど、どうして!? だ、だってこのままだと、」

 

「ほら見たことか! ハーマイオニー! どうしてこんな奴に頼もうとしたんだ! 裁判のことを知らなかったなんて白々しい! こいつはダリア・マルフォイの仲間だぞ!? こいつだってバックビークを処刑しようとしているに違いないんだ!」

 

後ろで囀っている馬鹿はともかく、どうやら彼女の中で私に断られるという未来は想定外のようだった。

先程から驚きのあまり言葉が一向に前に進もうとしない。私はそんな彼女の言葉を遮りながら続けた。

 

「寧ろどうしてダリアに頼むのか、私には分からないよ。確かにあの時はドラコが悪かったところが多分にあるけど、それでもあと一歩で大惨事になりそうだった。そんな目に遭った人間の妹が、どうしてヒッポグリフを助けないといけないの? ルシウスさんが裁判を強引に進めたのだとしても、その事実は変わらないと思うけど? やるなら自分達だけでやって」

 

「で、でも、それでも、」

 

「それに、特に今はタイミングが悪いんだよね。私が『マグル学』で怪我した本当の原因が、今日ダリアにバレちゃったんだよ。だから今はかなりご機嫌斜めになってるから、今ダリアにこの話をしたところであの子が困るだけだよ」

 

「……そ、そんな」

 

私の言いたいことが伝わったかは分からないが、少なくともダリアに今回のことを伝えるつもりがないことだけは分かってくれたらしい。

しかし、

 

「……貴女の言い分も分るわ。た、確かにバックビークはドラコに怪我を負わせたわ。それはどうあっても変えられない事実だし、マルフォイさんが怒るのも当然なことだと思うわ。で、でも、ドラコは結局軽症だったわ。バックビークは罰を受けるべきなのかもしれないけど、処刑はあまりにも重すぎるわ! そ、それに、どんなにマルフォイさんに隠しても、いつか必ず今回のことは知れてしまうわ! 貴女の怪我のことだってバレてしまったのでしょう? なら、今回も同じようになるかもしれないわ! その時にマルフォイさんが何を思うか……。今は怒っているかもしれないけど、後になってマルフォイさんが後悔しないはずがないわ!」

 

「……」

 

グレンジャーの言葉に、今度は私の方がたじろぐことになる。

おそらくグレンジャーの言いたいことは、優しいダリアなら尊い命が奪われたことを悲しむ……くらいのものだ。ダリアが優しいことは全面的に認めるが、生憎ダリアはそれ以上に家族を大切にする気持ちが強いため、普段であればヒッポグリフの命など見向きもしないだろう。寧ろ今自分の手で処刑していない方が不思議なくらいだし、怪我した日には実際に殺しに行こうとしていた。

でも、それがグレンジャーに関わることなら話が少し変わってくる。ヒッポグリフが殺されれば、もしかしてグレンジャーが悲しんでしまうかもしれない。そうダリアが考えれば、ヒッポグリフの処刑を喜びきることが出来なくなり……そしてそこにダリア特有の悩み事が生まれてしまうことだろう。人を遠ざけないといけない現実と、それでもグレンジャーに惹かれてしまっている自分自身。そんな彼女の悩みが……。

しかも今回はルシウスさんが処刑を推し進めていることもある。父親に逆らうことになる行為に、ダリアがそうやすやすと納得する可能性はゼロだ。

だからこそ、私はそんな悩みをダリアに感じてほしくないため、今回のこともダリアには秘密にしておこうと思っていた。

 

しかし……本当に秘密にできるものなのかという問いに、私は明確に頷けないことも確かだった。現に私の怪我のことがダリアに露見したばかりなのだ。しかも前回の『マグル学』を受講している生徒だけが知る事件とは違い、今回はパンジー達スリザリン生全員が知りえていることだ。よく考えれば露見しないわけがない。

 

私は思わず黙り込んでしまい、グレンジャーはグレンジャーでダリアに負担をかけることが分かっているのか、こちらを必死な表情で見つめるばかりで何も話そうとしない。

唯一口を開いているのは、

 

「ハーマイオニー! いいからこっちに戻って来いよ! こんな奴に頼んでも駄目なのはもう分かっただろう!? 去年思い知ったじゃないか、こいつもダリア・マルフォイ同様性根が腐ってるって!」

 

相変わらずウィーズリーくらいのものだが、こいつの話など聞く価値もない。

ウィーズリーが叫び続けるだけの気まずい沈黙が舞い降りる。そしてそれを破ったのは、

 

「……ダフネ、ダリアにこのことを話そう」

 

意外にも今まで黙りこくっていたドラコだった。

しかもグレンジャーの言葉を肯定するおまけ付きで。

私達が唖然とする中、ドラコは毅然とした態度で続ける。

 

「お前も今回のことで分かっただろう? 認めるのは嫌だが、こいつの言うことは尤もだ。隠したところでどうせダリアには伝わる。ダリアがまた僕達に秘密にされていたんだと思えば、あいつは必ずそれを気に病むだろうな。初めてのホグズミードの時と同じだ。だからどうせバレるなら、サッサと言ってしまった方がいいに決まってる。まぁ、お前の言う通り、タイミングも大事だと思うけどな。少なくとも今はまずい。言うとしても、僕の試合が終わった後だ。それまでの間、僕からも父上に掛け合っておくさ。ダリアのために行動している父上が僕の言葉で判決を覆すとは思えないが、もし処刑を取りやめれば、そもそもダリアに伝える必要すらなくなるからな」

 

意外な人間からの、意外な言葉の数々。私はドラコの提案にただただ驚き、彼に返す言葉が思いつかなかった。

そしてそれは横で聞いていたグレンジャー達も同じだった。ダリアが関わっていないことに関しては、ドラコはただの我儘お坊ちゃまでしかない。彼のそんな部分しか見てこなかったグレンジャー達にとって、ドラコのこんな姿は青天の霹靂なのだろう。彼女達はしばらく唖然とした表情を浮かべ、その中でポッターとウィーズリーがややあって口々に話し始めた。

 

「ドラコ……なんのつもりだ? 何を企んでるんだ?」

 

「……ふん、何がダリア・マルフォイに伝える、だ……。どうせ伝えても、バックビークの処刑を止める気なんてないんだろう? 伝えたところで、ダリア・マルフォイなら処刑を止めるどころか、寧ろ喜んで見学に行くのは分かってるんだよ。そもそもお前らが知らなかったことすら疑わしいね」

 

次々に言い放たれる否定と疑念の言葉。

ポッター達の横でじっとドラコを見つめていたグレンジャーも、やっと口を開いたかと思えば、

 

「……どういう風の吹き回しなの?」

 

やはり疑心に溢れたものでしかなかった。

しかしそんな彼女達の態度を気にした風もなく、ドラコは淡々と続ける。

 

「ふん。別にお前らのためにやるんじゃない。全てはダリアのためだ。今回の件にグレンジャー、お前が関わっていると知った時、ダリアが何を思うか……。僕はただ、一番ダリアが後で傷つかなくてすむ方法を提案しているだけなんだからな。お前らが信用するかどうかなんてどうでもいい。疑うなら勝手に疑っていろ。僕は僕で勝手にやるだけだ」

 

そう言った切りドラコは黙り込み、目の前に置かれた『レタス食い虫』を意味もなくいじくり始める。もうグレンジャー達が傍にいる状態では話すつもりはないということだろう。しかも丁度タイミングを見計らったように、遠くの方から授業終了を知らせるチャイムが鳴り響く。そしてチャイムが鳴ったと同時に、依然訝し気にこちらを見つめているグレンジャー達を置き去りにして、ドラコはサッサと城に向かって歩き出したのだった。

私は急いでドラコを追いかけながら尋ねる。

 

「ね、ねぇ、どういうつもりなの? なんでグレンジャーに協力するなんて……」

 

「……」

 

返事はなかった。

ただチラリと私の方を見た切り、ドラコは何も答えることなく、皆を置き去りにするように大広間の方に足早に進んでいく。そして彼がようやく応えたのは、

 

「……ダフネ。お前は……怖くなかったのか?」

 

周りに人が全くいなくなった時だった。

突然の言葉に不思議がっている私に、ドラコは探るような視線を私に送りながら続ける。

 

「グレンジャーがあんな提案をした時、以前のお前なら、有無を言わせず断っていたはずだ。お前のダリアを守るという言葉に嘘はない。だがそれ以上に、お前はグレンジャーがダリアに近づくことが怖かったはずだ。それにグレンジャーの頼みごとで、ダリアが苦しむ可能性を考えることそのものを、お前は恐れていたはずなんだ……。でも、さっきのお前に、そんな様子はこれぽっちもなかった。お前は……本当に怖くなかったのか?」

 

長々としたドラコの言葉。

それを受けて私は……()()()()()()()()()、グレンジャーにダリアが未だに惹かれているという事実を、自分の中で当たり前の事実として認めていることに嫉妬と()()()恐怖を()()()()()のだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「そ、そうだ……。わ、私どうして……」

 

目の前にいるダフネは、僕の言葉に今ようやくグレンジャーへの恐怖感を思い出したようだった。しかもボガードの時程強いものでもない。

それはつい先日まででは考えられない態度だった。

……ダフネのグレンジャーに対する恐怖感は、明らかに変わってきている。

 

「……すまない、ダフネ。余計なことを言ったみたいだ。大丈夫だ、安心しろ。お前はただダリアのことを思って行動しただけだ。お前は何も怖がる必要はない。ほら、食堂に行くぞ。ダリアも待っているはずだ」

 

縋りつくような表情を浮かべるダフネに、僕は足を進めるようさとしながら考える。

以前のダフネなら、そもそもグレンジャーが話しかけてきても無視していたことだろう。たとえ応えたとしても、グレンジャーがダリアについて語ることを許さず、ダリアがグレンジャーに惹かれているという事実を考えることすら嫌がっていた。

グレンジャーからダリアへの願い。あんなことをお願いされようものなら、ダフネは感情のままに怒り、恐れ、そしてそんな感情を持ってしまっている自分を嫌悪していたと思う。

しかし、それがどうだろうか……。今は僕が言うまで、グレンジャーへの恐怖を感じていない様子だった。僕が指摘して初めて、まるで思い出したように僅かな恐怖感を感じる。それが今のダフネの姿だった。

 

まったく……僕がどうにかしてやるまでもなかった。ボガードの一件から心配していたが、どうやらいらぬ心配だったらしい。いつ頃から変わったのかは知らないが、これで一つ心配事が減った。

 

「……接点があるとしたら『マグル学』か。マグルなんて下らないくせに……。これじゃあ『マグル学』に行くな、なんて言えないじゃないか……」

 

「……ドラコ、何か言った?」

 

「いや、何でもない。ほら、行くぞ」

 

僕はダフネをさとしながら歩き続ける。この小さな変化がダリアに……そしてダリアの、()()()()にいい影響を与えてくれると信じながら。

今後のことを考えると、心配事がなくなったわけでは決してない。減ったと言ってもダフネのことだけで、寧ろグレンジャーのせいでまた一つ増えたとさえ言える。いくらダリアとグレンジャーの関係をこれ以上拗らせないためとはいえ、僕が父上の意見を覆せるとは思えない。父上はグレンジャーのことを知らないのだから当然だ。それにダリアに相談するタイミングも重要だ。ダフネも心配しているように、ダリアは最初必ず悩みを抱えてしまうことになる。それをどうやって支えていくかが問題なのだ。口が裂けても不安がないとは言えない。

しかしそんな状況でも……この時の僕は、どうしても将来が明るいものと感じずにはいられなかった。

 

「……もうすぐ試合か。ここで勝っておけば、ダリアの気分をもっと盛り上げてやれるんだがな……」

 



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優勝杯の行方

『あるはずのない名前』の後書きにも載せましたが、こちらにも。

スリザリンとの点数は80点。
クアッフルは10点。スニッチは150点。
スリザリンが60点リードでスニッチを掴めば、グリフィンドールの勝ち。
スリザリンが70点リードでスニッチを掴めば、同点になるが、スリザリンにグリフィンドールが勝ったと言うことでグリフィンドール勝利。
スリザリンが80点以上リードでスニッチを掴めば、スリザリン勝利。

トーナメントルールが明言されていないため、このような形を取らせていただきました。


 

 ダリア視点

 

「ダリア、見ていてくれ。必ず僕が優勝杯を掴んでみせるからな」

「はい、お兄様。期待してお待ちしています。……ただ、怪我だけはなさらないようにお願いします」

 

今まさに試合に向かおうとしているお兄様が、私の言葉に静かに頷き応えた。

いよいよスリザリン対グリフィンドールのクィディッチ試合が行われる。この試合を制したものこそが今年のクィディッチ試合を制する。この試合はそんなまさに今年最後の大一番の試合なのだ。

試合はとても厳しいものになることだろう。相手は何せあのファイアボルトを手にしたポッターだ。才能だけでなく、彼の所有する箒もお兄様より上と見ていい。彼に勝つのは困難を極めると思われた。

しかし、だからと言ってスリザリンが絶対に負けるかといえば、まだスリザリンにも僅かな勝機があった。何せスリザリンはグリフィンドールと違い、今までの試合を全勝しているのだ。グリフィンドールとの点数差は80点。つまりスニッチの点数が150点である以上、80点のリードをしておけば、クィディッチトーナメントの栄冠はスリザリンのものとなる。……まぁ、その80点リードが中々に至難の業なわけだが。()()()()()()に戦っていては必ず負ける。

 

お兄様もそんなことは分かっているのだろう。私の言葉に頷いたものの、どこか不安そうな表情を浮かべて中々歩き出そうとしない。私はそんなお兄様に、僅かに苦笑を浮かべながら続けた。

 

「大丈夫ですよ、お兄様。確かに相手は強敵です。去年と違い、箒は向こうの方が上なくらいなのですから。ですが、それでも勝機が全くないわけではない。お兄様なら大丈夫です。勝利は時の運。お兄様にはその勝機をつかみ取れる力がある。それは私が保証します。それに、私はお兄様が飛んでいるというだけで嬉しいことなのです。だからお兄様、何も不安がる必要はないのですよ。私にただ、お兄様のカッコいい姿を見せてください。……あと、やはり怪我だけはしないで下さい」

 

そしてお兄様の頭をそっと撫でる。まるで子供をあやすような態度だったが、お兄様の不安感を払うには十分なものだった。お兄様は先程の青ざめた表情から一転、少し顔を赤らめながら応える。

 

「……そうか。いや、そうだな……お前の言う通りだ」

 

もうお兄様の表情に不安はない。

最後には寧ろ逆に私を安心させるような笑みを浮かべながら、お兄様は、

 

「それでは……行ってくる。あと……この試合が終わった後、()()()()()()()()()()()。待っていてくれ」

 

そんなことを言って、今度こそ競技場に向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「ハリー! 頼んだぞ! スリザリンが80点取る前に君がスニッチを掴めば、僕らグリフィンドールの優勝だ! ま、君になら楽勝さ!」

 

「マルフォイの奴をやっつけるんだ!」

 

大広間を出ようとした瞬間、割れる様な拍手と一緒に様々な歓声が投げかけられる。しかもそれはどれも僕に好意的なものであり、更にはグリフィンドールだけではなく、レイブンクローやハッフルパフのテーブルからも上がっている。

それにその中には、

 

「ハリー! 頑張ってね!」

 

前回の試合でレイブンクローのシーカーだった、あのチョウ・チャンの声も含まれていた。

僕は自分の顔がほころぶのを感じながら、ロンやハーマイオニーと共に競技場に向かい始めたのだった。太陽の光がさんさんと降り注ぐ中、今度はロンの興奮した声が隣で響く。

 

「いよいよだな! ハリー! そのファイアボルトでマルフォイをコテンパンにしてやるんだぞ! 試合の後、あいつがまだ得意げな顔が出来るか見ものだよ!」

 

ロンの中ではもう勝利は確定していることなのだろう。朝からずっとこんな感じで、既に戦勝祝いが始まっているような興奮具合だ。大広間でもそうだったけど、ほとんどの人間が僕の活躍を期待し、僕を応援してくれている。

しかし一方で……

 

「……()()()()ね」

 

もう一人の親友であるハーマイオニーのテンションはどこまでも低かった。

何が気に入らないのか分からないけど、雲一つない空を忌々しそうに見上げている。しかも、

 

「この試合が終わった後、ドラコはちゃんとマルフォイさんに話してくれるのかしら……」

 

そんなこちらの気分まで落ち込んでしまいそうな話をするのだ。僕を応援する元気も余裕もない様子だ。

やはりハーマイオニーはまだドラコを……いや、ダリア・マルフォイのことを信じているらしい。

僕はそんな彼女に、試合前にこれ以上嫌な思いをしないためにも話しかける。

 

「ハーマイオニー……。そんなこと今言わないでくれよ。それに、あいつは勝っても負けても、どうせダリア・マルフォイには言わないよ。これまでの間、ハグリッドから処刑が取りやめになったって話はなかったんだ。なら、少なくともドラコからルシウス・マルフォイに何か言うことはなかったってことさ。そもそも僕らに協力する気なんてなかったんだよ。本当に嫌な奴さ。だからこそ、今日あいつをやっつけてやるんだ。……バックビークの仇をとってやるんだ」

 

「……」

 

ハーマイオニーからの返事はなかった。僕は当たり前の事実を話したはずなのだけど、どうやら彼女を試合に集中させるには至らなかったらしい。彼女の少しも納得していない表情からも、それは明らかだ。

しかし、これ以上ハーマイオニーに付き合ってはいられない。遂に競技場に僕達は到着したのだから。

 

「それじゃあ、僕は行くよ。次は談話室で会おう」

 

「あぁ! ハリー! しっかりな!」

 

「……ハ、ハリー。頑張ってね」

 

折角の試合なのだからハーマイオニーにもしっかり応援してほしかったのだけど、ここまで来てしまっては仕方がない。僕は二人の親友にしっかりとした動作で頷きながら、他のグリフィンドール選手が待つ更衣室に入った。

 

いよいよ、今年最後のクィディッチ試合が幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

いつも通りの光景だ。

今僕の視界には、怒涛のような歓声を上げる生徒達の姿が映っている。生徒達の四分の三は深紅のバラ飾りを胸につけ、グリフィンドールのシンボルであるライオンが描かれた深紅の旗を振っている。聞こえてくる歓声も、

 

「行け! グリフィンドール!」

 

「ライオンに優勝杯を!」

 

等のグリフィンドールを応援するものばかりで、僕らスリザリンを応援するものはほとんど聞こえてこない。生徒の4分の1しかスリザリン生がいないのもあるが、そのスリザリンの士気の低さも原因の一つだろう。選手自体の士気は大丈夫なのだが、観客の士気が異様に低いのだ。ポッターがファイアボルトを手に入れたと知ってから、スリザリン生の誰もがもはや負けが決定したものと思っている様子だった。ここから見ても、必死に旗を振っているのはダフネくらいのものだ。

 

でも、それでも僕のやるべきことは変わらない。皆が負ける試合だと思っていても、僕は必ず数少ない勝機を掴まなくてはならないのだから。

僕はこちらに一生懸命な様子で旗を振っているダフネに小さく手を振り返すと、もう一人の必ず僕を応援してくれている人間の方を見やる。教員席の中で、唯一日陰になっているその席を……。

 

「ダリア……」

 

去年と同じく、僕とダリアの視線が交差する。違いがあるとすれば、今回はダリアの隣に父上がおらず、代わりにスネイプが座っていることくらいだ。まるでダンブルドアからダリアを守るように座るスネイプの方を一瞬見やった後、僕はこれで安心してプレーできると前に向き直った。

 

結局父上が僕の頼みに取り合わなかった以上、この試合の後、僕はダリアにヒッポグリフのことを話さなくてはならない。グレンジャーには何の義理もないが、ダリアが余計に苦しむ可能性がある以上、僕にはダリアにこれを話す義務がある。だからせめて、その時のダリアの気持ちが少しでも明るいものであるようにしなければ……。

 

そんなことを考えていると、競技場に一際大きな歓声と拍手が響き渡った。

 

「さぁ、グリフィンドールの登場です!」

 

……さて、始めるか。

僕とポッターの実力は、箒、才能共に僕の方が劣っている。普通にプレーしていれば、万に一つ僕が奴に勝つ可能性はないだろう。

でも、それでもまだやり様はある。こんな方法、スリザリン以外の人間は誰一人思いつかないだろうし、思いついても実行などしないだろう。でも、僕は誇りあるスリザリンだ。結果のためには、決して手段は選ばない。

 

僕にとって一番大切な結果とは、ダリアが笑顔であること以外にあり得ないのだ。

そのためには、僕はどんなに卑怯だと罵られようとも、この作戦を実行してみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

前回の試合のこともあり、お兄様の試合でなければこんな所に来たくはなかった。誰が好き好んで老害の隣などに座るだろうか。折角のお兄様の試合だというのに、隣から老害の戯言が垂れ流されようものなら、正直殺意を抑え込める自信などなかった。

しかし、それはいらぬ心配となる。何故なら、

 

「スネイプ先生……ありがとうございます」

 

「なんのことかね? 吾輩はただ、スリザリン生と今回の勝利を共に祝いたいと思っただけだ。……それに、ここには危険な狼もおるのだ。狼の危険性も分かっておらん生徒を守るのは教師の義務だ」

 

「そうですね……」

 

私の隣には、前回と違いスネイプ先生が腰かけていたから。

試合開始がいよいよそこまで迫ってきた中、まるで老害から私を守るように座るスネイプ先生と私は和やかに話す。

まだルーピン先生の追放を諦めていない様子だが、それを除けば本当にいい先生だと思う。おそらくスリザリン生にはどこまでも甘い先生のことだ。流石に私が一番楽しみにしていた試合を、老害如きに邪魔されるのは可哀想だと思って下さったのだ。本当にスリザリン生にだけはいい先生だ。

私が半ばルーピン先生の件を無視しながら応えると、先生もこれ以上言っても意味はないと思ったのか、

 

「ミス・マルフォイ。君は今回の試合をどうみるかね?」

 

若干胡乱気な表情を浮かべながらも、そんな世間話を持ち掛けてきた。

私はこちらの話に混ざりたそうにしている老害を極力視界に入れないようにしながら応える。

 

「順当にいけばグリフィンドールの勝ちは揺るがないでしょう。ファイアボルトを手にしたポッターが、我々スリザリンが80点リードするまでスニッチを掴めないとは思えません。特に今日の天気は忌々しい程の晴天。天気すら彼にとっては有利なものです」

 

「キャプテン握手して!」

 

ですがと、私はフーチ先生が両チームのキャプテンに合図する中続ける。

 

「ですが、全くの勝機がないわけではない。お兄様にも何か策があるみたいですし、もしかするとスリザリンが勝つかもしれませんね」

 

「……そうなることを願うばかりだ。あの傲慢極まりないポッターを、これ以上つけ上がらせるなど……吾輩には到底我慢ならんのでな」

 

そうこうしている内に、遂に試合が始まった。

 

「さーん……にー……いちっ!」

 

12本の箒が一斉に飛び上がり、シーカー二人はその更に上空に飛んでいく。

そして大勢の選手がクアッフルに飛び掛かる中……やはりそれでもシーカー二人はくっつくように飛んでいた。

まるでお兄様が、ポッターの視界をひたすら邪魔するかのように……。

 

お兄様の思った通りの行動に、私は自分のほとんど動かない口角が上がるのを感じていた。

 

「そうです。それで正解です、お兄様。たとえ皆が卑怯だと罵ろうとも、私だけはお兄様を否定したりしませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「ダリアは大丈夫そうだね。良かった……」

 

私は教員席のダリアが安全な場所にいることを確認し、ホッとため息を吐きながらドラコに視線を戻す。

そこにはポッターに張り付くように飛び、決してスニッチを探させないようにするドラコの姿があった。

彼の動きから、彼が何を狙ってそんなことをしているかは明らかだ。

彼は……スニッチを探すのではなく、ポッターの妨害をすることに専念しているのだ。

 

「まぁ、それしか方法はないよね。チーム全員がニンバス2001である以上、私達スリザリンのリード自体は確実だもんね。ただポッターがスニッチを掴むまでに80点リード出来るかが問題だったけど……これなら何とか……」

 

考えれば簡単なことだ。寧ろこれ以外にドラコが取りえる手段はないと言っていい。

しかし……どうやらスリザリン寮以外の人間には、この行動は到底受け入れられるものではなかったらしい。

 

「マルフォイの野郎! 先程からひたすらハリーの邪魔ばかりしています! なんて卑怯な野郎なんだ!」

 

競技場に実況のリー・ジョーダンの声が響き渡る。現在進行形で試合は進んでいるというのに、彼は先程からドラコに対する罵詈雑言ばかりを口にしていた。そしてそれは実況者だけではなく、

 

「あいつ、何やってるんだ! 汚い手を使いやがって!」

 

「正々堂々戦え! 卑怯なスリザリンめ!」

 

多くの観客もまた怒号を上げていた。果てや実況者のマイクから、

 

「このカス! 卑怯者!」

 

マクゴナガル先生のものと思しき声まで響き渡っている。喜んでいるのはスリザリン生ばかりだ。試合が始まるまではこの世の終わりのような顔をしていたというのに、ドラコの作戦が始まった瞬間からひたすら喜びの歓声を上げ続けている。ポッターの邪魔が出来て嬉しいと言うのもあるが、卑怯とはいえ、これが実に有効的な方法だということもあるのだろう。事実私達が歓声を上げている間にも、

 

「クソ! スリザリンのゴール! 40対10でスリザリンのリード! ハリー! 早くスニッチを取るんだ!」

 

スリザリンは順調に点数を伸ばし続けていた。グリフィンドールで箒が変わったのはポッターだけな以上、去年同様シーカー対決以外でスリザリンが負ける道理はない。それに相手を妨害しているのがドラコだけではなく、スリザリンチーム全員が行っている作戦なのだから猶更だ。先程からビーターの棍棒で殴り掛かるなどのラフプレーが散見されている。

試合は当初誰もが予想してものと違い、まさに泥仕合と言える様相を呈し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

慢心しているつもりはなかった。

たとえファイアボルトを手に入れようとも、相手だってニンバス2001という去年までの最新型を手にしているのだ。油断しすぎればドラコの方が先にスニッチを手にする可能性はゼロではない。最終的に僕がスニッチを掴もうとも、80点のリードを許せばトーナメントに負ける可能性だってある。だから慢心なんて決してしない。

そう考えながら、僕は今回の試合に臨んでいたわけだけど……

 

「こ、こいつ! 放せ!」

 

流石にこんな卑怯な戦法に出られるとは想像だにしていなかった。

あろうことかドラコはスニッチを探すのではなく、僕を徹底的に邪魔する戦法に打って出たのだ。挙句の果てには、やっとスニッチを見つけて飛び出そうとした僕のファイアボルトの尾を握りしめるという有様だった。もはやルールもへったくれもない。

観客席から一斉に上がるブーイングの中、スルスルと自分のニンバス2001に戻るドラコを睨みつける。

やっぱりこんな卑怯な奴が、バックビークを助ける手伝いをするなんてことはあり得ない。どうせ僕達に協力した振りをして、処刑までの時間稼ぎをしたというところだろう。こんな卑怯なことをする人間が考えそうなことだ。

 

僕がドラコに妨害されている間にも、徒に時間は過ぎ去っていく。

グリフィンドールもゴールを決めてはいるけど、

 

「あいつめ、わざとやりやがった! くそ! 今のファールまがいのプレーの隙に、スリザリンがまた汚らしいゴールを決めました! 90対20でグリフィンドールの劣勢!」

 

やはり相手がニンバス2001ということもあり、スリザリンのリードを止めるには至っていない。しかも正々堂々と戦うグリフィンドールと違い、スリザリンは最初からなりふり構わぬプレーをしているのだ。どんなにスリザリン対策の練習をしていても、奴らのリードを止められるわけがない。

現在スリザリンは70点のリード。もう一刻の猶予もない。この嫌な連中を倒すために、早くスニッチを掴まなければ……。

 

「やった! ざまぁ、みろ! グリフィンドールのゴール! 90対30! そのまま行け、グリフィンドール! あぁ、駄目だ! またスリザリンのくそ野郎にクアッフルが取られた!」

 

その時だった。

僕の視界を邪魔するように飛ぶドラコの向こうに、再び僅かな金色の光を見たのは。

 

取るなら今しかない! 今度こそドラコに邪魔されるものか!

 

僕はドラコを騙すため、一旦スニッチとは真逆の方向に加速する。

 

「あぁ……100対30! なんてこった! あ! 今度はフリントの野郎が、」

 

慌てて僕の箒にしがみつこうとするドラコを躱し、僕は一気に急降下しながらスニッチを目指した。

 

もっと……もっと速く! 今度こそドラコを振り切れたのだ! こんなチャンスを逃す手はない!

 

流石はファイアボルト。一度リードしてしまえば、もはやドラコなんか敵ではない。ドラコがノロノロと後ろを飛ぶ間にも、ぐんぐんと僕はスニッチに近づいていく。

あと少し。あと二メートル……。あと一メートル!

 

そして……

 

「やった!」

 

僕は遂にスニッチを掴んだのだった。

僕は急降下から反転し、空中にスニッチを掴んだ手を突き出す。

しかし、

 

「せ、先生、そりゃないぜ! スリザリンはあんなプレーをしてたんだぜ! それにハリーがスニッチを掴んだ方が早かった気が……」

 

現実は悲惨なものだった。

リーの悲痛な声に振り返ると、そこには……110対180という、どうしようもなく認めがたいスコアが映し出されていた。

 



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気付かれていた思い

 

 ダリア視点

 

私には去年まで、友人と言える人間など一人もいなかった。

自分と家族のみで完結された世界。それが私が生きることを許された世界だった。

お茶会で紹介されて以来の知り合いであるクラッブとゴイルは、確かに他の人間よりかは親しい間柄にあったかもしれない。しかし純血貴族という関係上、お兄様ならいざ知らず私が必要以上に彼らと親しくなるわけにはいかなかった。彼らはあくまで私がマルフォイ家の取り巻きとして紹介されたのであり、彼らは彼らで私がマルフォイ家の長女であるが故に私の傍に居たからだ。

 

マルフォイ家の中にあって、その実マルフォイ家に相応しくない秘密を抱えていると周りに知られれば……私の大切な家族にどのような迷惑がかかるか想像に難くなかった。

 

だから私はこれまでも、そしてこれからもずっと家族以外の人間とは誰とも分かり合えず、誰とも親しい関係になれないのだと思っていた。その運命こそが私の家族を守る唯一の手段であり、寧ろ私に課せられた義務ですらあるのだと思っていた。クラッブとゴイルとてその例外ではない。

私は誰とも親しくはしてはいけないし、親しく出来るはずもない。

そう、私はずっと信じて疑わなかったのだ……。

 

しかし、そんな状況が去年突然一変することになる。

ダフネという存在が現れることによって……。

 

思えば最初から彼女は不思議な存在だった。

正直に言って、最初はグレンジャーさんのように興味が惹かれるような存在ではなかった。彼女の様に知性や才能を感じたわけではなく、その元気いっぱいな姿に寧ろどこか御転婆な性格を想像すらしていた。同じ聖28一族であっても、彼女と真に親しくなる未来など想像だにしていなかった。

でも、それは最初の印象だけ。元気いっぱいな性格と同時に、実際にはダフネにもグレンジャーさんと引けを取らない程の知性や好奇心が備わっていた。そして何より……彼女はいつだって、私の傍に自然な形で居続けてくれていた。彼女はいつだって、マルフォイ家の私ではなく、ダリアとしての私の傍に居続けようとしてくれていた。

 

私が諦めつつも心のどこかで求め続けていた……お互い切磋琢磨でき、そして私のことを見てくれる友人の理想像が、彼女の中にはあった。

 

彼女の言では、私が唯一参加したお茶会の時から私のことを知っていたらしい。こんな無表情な人間のどこが彼女の琴線に触れたのかは分からないが、お茶会で見かけた私に惹かれ、あれ以来ずっと私の友達になることを望んでいたのだと、彼女は『秘密の部屋』で言っていた。それはともすれば、最初彼女の惹かれた点は私の外見でしかなかったと言えるのかもしれない。でも、それでも入学式で会った彼女は確かに私の内面を見ようとしてくれていた。老害の様に無理やり私の中に踏み込んでくるのではなく、拒絶的な反応を示す私に忍耐強く寄り添い、決して私が寂しい思いをしなくていいように気遣ってくれた。彼女の私と友達になりたい、私の傍にいたいという思いは間違いなく本物だった。

 

そんな彼女のことを、許されないと知りながら大好きになったのは……おそらく必然だったのだろう。

 

そして見るに堪えない程の悍ましい秘密を知りながら、彼女が私のことを受け入れてくれた時、私は確信した。

あぁ、この子のことを嫌いになんてなれるはずがない。どんなに離れなくてはならなくても、この子を突き放すことなんて私には出来ない。許されないのに、後悔しなければならないのに、私はどうしようもなく彼女のことを好きになってしまったのだ。

ダフネは……私の人生で初めてできた掛け替えのない親友なのだと。

 

だから私は……絶対にダフネを失いたくなんてなかった。

ダフネがいつの間にか私に独占欲を抱いていようとも関係ない。私なんかに出来た初めての友達を、私はどうしても守りたかった。彼女の悩みから、彼女の苦痛から、彼女の……()()()()()ものから。たとえ()()()()()()()()()()()()

 

だから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

スリザリンの談話室は未だかつてない程カオスな様相を呈していた。

 

「スリザリン万歳!」

 

「うぉぉぉ! 純血に栄光あれぇぇ!」

 

所々で意味もなく歓声を上げる生徒がおり、いつもは厳かな雰囲気を醸し出している談話室の壁もキラキラした緑色に塗り替えられている。しかし、そんないつもであれば考えられないような空間に誰も文句一つ言わず、寧ろ積極的にいつもは考えられない馬鹿をやらかしている。まぁ、それもそうだろう。何故なら今この部屋には、

 

「これが優勝杯! ようやく優勝杯が、俺たちスリザリンの手に!」

 

光り輝くクィディッチ優勝杯が鎮座しているのだから。

僕がシーカーに就任し、全員にニンバス2001がプレゼントされた時も凄まじいお祭り騒ぎだったが、今はそれの比ではないだろう。皆代わる代わる優勝杯に触れ、意味もなく歓声を上げながら次の人間と交代する。そして今度は僕の方にやってきては、

 

「ドラコ! 本当によくやってくれた! 今回の功労者はお前だ! いや、見直したぞ!」

 

「マルフォイ! お前こそがスリザリンのシーカーだ!」

 

「あのポッターの顔を見たか! ファイアボルトを手に入れたからって調子に乗りやがって! いい気味だったぞ!」

 

口々に僕を誉めそやすのだ。あまりの騒ぎに、少しだけ顔を見せに来たスネイプが黙って頭を振りながら帰ったくらいだ。この談話室で静かにしている人間など、おそらく僕の隣でずっと嬉しそうな無表情を浮かべているダリアくらいのものだろう。

 

「ドラコ! おめでとう! やったね! これでもう誰も貴方のことを馬鹿になんてしないよ! 他の寮の連中が何か言ってきても、そんなのただの負け犬の遠吠え! だから胸を張っていいんだよ! ダリアもそう思うでしょう!?」

 

「えぇ、ダフネの言う通りです。他寮はスリザリンのことを卑怯だと言いますが、相手もファイアボルトを持ち出したりしているのです。彼らにお兄様を批難する権利などありません。彼らは勝てる方法を選択せず、お兄様達は選択した。ただそれだけのことです」

 

周りのバカ騒ぎには参加しないものの、ダリアにへばり付くようにして大声を上げるダフネに応える形で、ダリアが静かな口調で話しかけてくる。

 

「お兄様は本当によくやってくださいました。かっこよかったですよ、お兄様」

 

「あぁ、ありがとう、ダリア」

 

僕は今まで、スリザリンでの地位を確固たるものにするためにシーカーをしてきた。そしてそれが今叶い、スリザリンの全員から口々に賞賛の言葉を送られている。もはや僕のスリザリンにおいての地位は揺るぎないものに変わっていることだろう。

しかしそんなものより、僕はこのダリアの言葉こそが一番嬉しかった。別に他の言葉が嬉しくないわけではない。でも、やはりダリアの言葉こそが、僕は最も嬉しい物であり、最も求めていたものだったのだ。今年は自分の不注意で怪我をしてしまったりと失敗続きだったが、これでようやく真の意味でダリアの笑顔を見ることが出来た。そもそもシーカーの地位だって、全てはダリアのために求めていたのだから当然だ。

自分の頬が自然に綻んでいるのを感じる。そしてそんな僕の笑みを受け、ダリアの無表情が更に綻び、それがまた僕の気持ちを更に明るいものに変えていくようだった。

今ならどんなことだって出来るような気がする。今ならどんな困難だって乗り越えられるような気がした。

 

だから僕は……このタイミングでグレンジャーからのお願いを叶えることにしたのだ。

そうだ今なら……今のダリアなら、僕の要求をすんなり呑んでくれるかもしれない。数日前とは違い、今のダリアは僕の怪我を忘れる程機嫌がいい。なら今言ってしまえば、きっと物事はすんなり上手くいくはずだ。

僕はそんな安直な思考をしながら、明るい表情のままダリアに話しかける。

 

「ダリア……試合前に言ったことを覚えているか?」

 

「えぇ、試合の後大事なお話があるとか。何のお話でしょうか?」

 

「あぁ、実は……」

 

この時の僕は、すぐ後にダリアが何と答えるか想像だにしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

スリザリン対グリフィンドールの試合があってから、城はまるで葬式でもやっているかのような空気だった。騒いでいるのはスリザリン生だけで、他の寮は一様に暗い表情を浮かべ、ただボンヤリと虚空を見つめ続けている。それは特にグリフィンドール生が顕著であり、チームメンバーに至っては自殺しかねない程表情が暗かった。ハリーなんて、

 

「僕のせいだ……。僕がもっと早くスニッチを見つけていれば……」

 

先程からそんな言葉しか発していない。

 

「去年の試合で、ドラコがあんな汚い手を使ってくるのは分かっていたのに……。あの試合だって、僕は苦戦していたのに……。なのに……僕はファイアボルトを手に入れたことで、どこか油断していたんだ……。それでこんなことに……」

 

昼食の席にハリーの虚ろな言葉が響き続ける。

空気が限りなく重い。皆譫言のような言葉しか発せず、何をするでもなく虚空を見つめ続ける空間に息が詰まりそうだった。

 

でも、私はそんな中でも忙しなく行動するしかなかった。項垂れるハリーやロンを放置し、私は次の予定のために昼食のオートミールを流し込むように食べる。

 

私だってグリフィンドールが負けたことは悔しい。スリザリンが行ったプレー内容に憤りを覚えないわけでもない。あれは誰がどう見たって、卑劣極まりないプレーだった。でも私にはそれに一々構っている程の暇がなかったのだ。

試験がもうすぐそこまで迫っており……尚且つ、バックビークの処刑日もすぐそこまで近づいてきているから。

ドラコがマルフォイさんにバックビークの処刑について話しているかは分からない。彼との約束では、試合が終われば彼女に話すということになっている。でも今の所処刑が取りやめになったという話も、マルフォイさんからのアプローチも何もない。彼がちゃんとマルフォイさんに話しているかどうかも怪しかった。

だから私は大量の試験勉強以外にも、マルフォイさんに頼らずにすむ方法を模索し続ける必要があった。マルフォイさんに直接嘆願しに行くこと方法もあるけれど、それはグリーングラスさんに申し訳ない。そもそもこちらがお願いする段階で、マルフォイさんに……そして彼女を私に奪われるかもと恐れるグリーングラスさんに相当の負担をかけるのだ。お願いを承諾されないからと言って、事件に直接関係しているわけでもない彼女達を責めるのはお門違いだし、これ以上を彼女達に求めるのは無責任だ。前提として、自分から怪我をしたドラコが責任をとるか、若しくは私が自分自身の力で事態を何とかしなければならない。最初から彼女達に頼ろうという考え方自体が甘かったのだ。

 

そう思い、私は周りの皆に引きずられそうになる気持ちを奮い立たせ、まず目の前にあることを一つ一つ済ませるため『マグル学』の教室に向かったわけだけど……。

 

「グレンジャー……話があるのだけど」

 

どうやら事態は私の知らない所で、一応の進展はしていたようだった。

他のスリザリン生ならいざ知らず、このタイミングでグリーングラスさんの方から話しかけてくるなど、バックビークの件について以外あり得ない。

試合が終わっても少しも好転しない状況に、何とか自分を誤魔化し続けていたけど……彼女の方から話しかけてくれたなら別。

まだ私達以外の生徒が来ていない教室。私は思わず逸る気持ちを何とか抑え込みながら返事をする。

と言っても、

 

「グ、グリーングラスさん。そ、それで、どうだった? ドラコはちゃんとマルフォイさんに話してくれたの?」

 

やはり溢れ出る期待感を完全に抑え込むことは出来なかったけど。

グリーングラスさんはそんな私に、一瞬悲しそうな表情を浮かべた後応えた。

 

「……うん、話していたよ。試合が終わった後の祝勝会中にね。グリフィンドールの貴女には申し訳ないけど、スリザリン中がお祭り騒ぎだったし、ダリアもその例外ではなかったからね。ドラコもあのタイミングなら、ダリアもすんなり貴女のお願いを聞いてくれると思ったのだろうね。実際は貴女のお願いという形ではなく、ドラコ自身からのお願いという形で話していたけど……」

 

どうやらドラコが約束を破ったわけではなかったらしい。グリーングラスさんが言うのだから間違いない。彼はきちんとマルフォイさんに伝えてくれたのだ。

それが分かった瞬間、私は喜びを爆発させた。

 

「よかった! ありがとう、私のお願いを聞いてくれたのね! 正直、もう自分達だけで処刑を止めさせるのは無理なのかもと思っていたの! でも、これで止めることが出来るわ! いくらルシウス・マルフォイでも、マルフォイさんの意見なら必ず聞いてくれるはずよ! あぁ、本当にありがとう! グリーングラスさん、全て貴方のお蔭よ! 本当は私のお願いなんて聞きたくなかったでしょうに、それでも貴女は聞いてくれた! なんて言えばいいか、」

 

この時の私は、もはやバックビークに関わる事件は解決したものと確信していた。問題はグリーングラスさん……若しくはドラコがマルフォイさんに伝えてくれたかどうかで決まる。確かに私は問題解決の糸口に喜ぶばかりでマルフォイさんの気持ちを考えてなどいなかったけど……それでもやはり彼女に伝わりさえすれば、彼女なら必ず処刑を止めてくれる。ドラコが怪我をしたことから、彼女がいい顔をするはずはないけど……最終的には必ずバックビークの命を救ってくれるはず。そう私は確信していた。

でも、

 

「ううん、グレンジャー。礼を言うのはまだ早いよ。だって……」

 

現実は違った。

グリーングラスさんからの返事は、前回のもの以上に信じがたいものだった。

私は次の瞬間、何故グリーングラスさんが悲しそうな表情を浮かべているかを知ることとなる。

 

「だって……ダリアはドラコの話を聞いても、処刑の中止を絶対にしないと言っていたからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

それは談話室での祝勝会中の出来事だった。

劇的……とは言えないけど、誰もが負けると確信していた試合をひっくり返したことで、ドラコも含めて皆が最高の気分に浸っていた。

そんな中、グレンジャーとの約束を守る……ダリアが最も傷つかずに済むのはこのタイミングだと思ったのか、突然ドラコが話し始めたのだ。

確かにダリアにいつかは話さなくてはならないのなら、このタイミングしかないだろう。今ならそれなりに自然に話を終わらせることが出来る。でも、

 

『あぁ、実は……父上に、ダリアからヒッポグリフの処刑を止めるように言ってほしいんだ』

 

『……はい?』

 

どうやらドラコの目論見は外れたようだった。

一瞬、ダリアの周りの空気が凍ったような気がした。

試合直後から続くスリザリン生の馬鹿騒ぎが終わったわけではない。相も変わらず、皆普段は上げないような奇声を上げ続けている。

しかしドラコの発言の瞬間、ダリアの醸し出す空気だけは明らかに変わったのだ。先程までにこやかな無表情を浮かべていたというのに、一瞬で完全な無表情になりながらダリアが尋ねる。

 

『……申し訳ありません、お兄様。まず、ヒッポグリフの処刑のことを私は知らないのですが……。ヒッポグリフと言うと、お兄様に怪我を負わせたという野獣のことですか?』

 

『あ、あぁ、そのヒッポグリフのことだ。僕も知らなかったんだが、実は父上がそいつの処刑を推し進めているみたいでな。ぼ、僕も特段それに反対と言うわけではないのだが……処刑されるのはそれはそれで寝覚めが悪いからな。この前、父上に止めるように頼んでみたんだ。そしたら処刑はダリ……ぼ、僕のためだから止めるわけにはいかないって言うんだ。おそらく父上は僕の意見は聞いて下さるつもりはないのだと思う。だからな、ダリア。お前の方から父上に言ってもらえないか?』

 

ドラコの言葉が終わった瞬間、騒がしい談話室の一角に気まずい沈黙が舞い降りる。ダリアはじっとドラコを見つめるばかりで何も話そうとしないし、ドラコはドラコで、黙り込むダリアの反応が意外だったのかしどろもどろしている。しかもダリアが再び口を開いたとしても、

 

『……本当に、それはお兄様の願いなのですか? 私には、それが本当にお兄様の願いだとは思えないのですが。そもそもお父様が私にすら隠していた情報が、一体どこからお兄様に伝わったのですか? 他のスリザリン生達からなら、お兄様がこのようなことを言い始めるはずがありません。お兄様、嘘偽りなく、本当のことを話してくださいますか?』

 

明らかにこちらの嘘を見抜くものだった。

ドラコとしてはグレンジャーのことを言わずに事を終わらせようとしたのだろうけど……こうなったら本当のことを言うしかない。

ドラコは私の方に助けを求める視線を送ってきたが、私が頭を振ると諦めたように話し始めた。

 

『……あぁ、お前の言う通りだ。これは……実はグレンジャーから頼まれたことなんだ。あの野蛮人と友人のグレンジャーが、お前に処刑を止めるよう言ってくれと頼んできたんだ。だから……』

 

空気が更に凍っていく気がした。

周りで騒いでいた連中も、流石にダリアの垂れ流し始めた不穏な空気に気が付いたのか、チラホラとこちらを不安そうに見つめている生徒が見え始める。

そんな空気の中、ダリアが静かに応え始めた。

 

『成程……。ようやく合点がいきました。お兄様が突然こんなことを言い始めるなんて、どう考えてもおかしいと思ったのです。お兄様に怪我を負わせた下等生物を、私が助けたいなど思うはずがないとお兄様なら分かるはずですから。あぁ、しかし……グレンジャーさんからのお願いでしたか。なら尚更……』

 

そしてダリアは一瞬私の方を見やってから、キッパリとした口調で続けた。

 

『お兄様、申し訳ありませんが、この話は断らせていただきます。何故お兄様のお願いならいざ知らず、グレンジャーさんのお願いを聞かねばならないのですか? お兄様に傷を負わせたヒッポグリフなど、殺されて当然です。寧ろ私が殺してやりたいくらいなのです。それをどうして、グレンジャーさんからのお願いで許さねばならないのですか? 私にとって、グレンジャーさんはどうでもいい人間なのです。私の友達は……ダフネだけで充分です』

 

 

 

 

その発言の直後、ダリアはまるで逃げるように寝室に行ってしまった。

談話室に残されたのは、茫然と彼女の後姿を見送る私達だけだった。

 

……少し前の私なら、ダリアの発言を喜んでいたことだろう。

ダリアは……グレンジャーではなく私を選んでくれた。私こそがダリアの唯一にして一番の友達なのだと。そんな暗い喜びを、罪悪感を覚えながらも感じていたことだろう。

でもこの時の私の心を占めていたのは……喜びなどではなかった。

私は気付いてしまったのだ。ダリアが本来、こんな発言をすることはないことに。

一年生、そして二年生の頃も、ダリアはいつだって口ではグレンジャーを否定していても、なんだかんだ言って彼女を助けていた。他者を拒絶しなくてはならないと思い悩みながら、それでもグレンジャーにだけは手を伸ばし続けていた。

それがどうだろう。この時だけは問答無用と言わんばかりに、グレンジャーの願いを完全否定したのだ。ドラコのお願いという形を取ったにも関わらずだ。

いつもであればヒッポグリフに対する恨みやマルフォイ家に対する義務感と、グレンジャーに対する複雑な思いの合間でダリアは思い悩んでいたことだろう。でも、それがこの時はなかった。それは何故か……。

答えは簡単だ。私はこの時、ようやく気が付いたのだ。いや、気が付いてしまったのだ。

 

ダリアは……私のこの独占欲に、とっくの昔に気が付いていたのだと。

 

そうでなくては説明がつかない。私とドラコは、ダリアがグレンジャーのお願いだからこそ思い悩み、そして最終的には彼女のお願いを聞き届けると思っていた。だからこそ思い悩むなら、せめて少しでもダメージの少ない時期に話そうと考え、試合の直後に話すことになった。それが悩むどころか、

 

『私の友達は……ダフネだけで充分です』

 

等という発言まで残して、キッパリと断ったのだ。こんな普段であれば考えられない行動をとった理由など、少し考えれば明らかなことだ。

ダリアは私を傷つけないために、私が恐れているダリアの新しい友達が出来る可能性を感じさせないために、ドラコのお願いですら断ったのだ。

 

それに気が付いた時、私は喜びではなく……どうしようもない羞恥心と罪悪感を感じていた。

ダリアは心も綺麗な人間だから、私を未だに避けていないことから、彼女は決して私のこの醜い独占欲に気がついてなどいない。そんなことを考えていた私を、正直殴り飛ばしてやりたかった。

私は知っていたのに。私がどんなに醜い人間であろうとも、ダリアはそれを受け止めてくれる優しい人間なのだって。

 

私は結局……ダリアに憧れるばかりで、彼女のことを本当に理解しているわけではなかったのだ。『秘密の部屋』で最後まで寄り添うと言ったのに、私は身勝手にも彼女を一人にしてしまっていたのだ。

 

思い返せば気が付けるタイミングなどいくらでもあった。それなのに私は……。

 

私には生まれてこの方、友人と言える人間など一人もいなかった。

パンジー達を友達候補と紹介されても、彼女達の純血主義を見ているとどうしても昔の自分を思い出してしまい、彼女達のことを真の友達だと思うことが出来なかった。

だから私にとって、本当に親友だと言えるのはダリアだけだった。ダリアだけが、私の人生で初めてできた友達だった。

 

そんな友達を私は……。

 

私とダリアは……どこまでも似た者同士だった。

初めての人間関係に戸惑う、そんなまだまだ子供のままの……。

 

 

 

 

刻一刻とヒッポグリフの処刑日が近づいてゆく。

こうしてそれぞれがそれぞれの思いを抱えながら、短くも濃い、たった一夜の群像劇が始まろうとしていた。

 



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友情の在り方(前編)

 

ダリア視点

 

スリザリンの勝利から数週間。スリザリンの馬鹿騒ぎと、他寮の葬式のような空気はしばらく続いていたが、試験が本格的に迫ってくると流石に既に終わったクィディッチ杯のことをいつまでも話してはいられなくなる。いつもは閑散としている図書室も段々と人気が増していき、最終的には席の取り合いすら見られる様相を呈している。あの勉強嫌いのパーキンソン達ですら、私に勉強を教わりに来ていない間は図書館に籠っているようだった。

しかし私とダフネに関しては、特段いつもと変わらない生活を送っていた。そもそも試験勉強などしなくとも、いつも授業終わりに勉強会を開いているのだから今更慌てる必要などどこにもない。

試験前だろうと変わらぬ日常。宿題の量が多少増えようが、周りから質問される機会が増えようが、決して私とダフネの生活が変わるわけではない。

そう、私達の日常が変わることは決してない。

 

ただ一つ……ダフネが最近、どこか余所余所しいことを除いて。

 

別に去年の私がダフネにしていたように、私が避けられているというわけではない。寧ろダフネとの距離は()()()に近いとさえ言える。ここ最近私が談話室にいると、いつの間にか私の真隣りに腰掛け、

 

『……ねぇ、ダリア。こっちに来て』

 

等と言って私を抱き寄せ、私の頭を自身の肩に乗せるのだ。私の方からよくやっていたこともあるが、今年になって私達の背丈に()()()()()()()()()のもあるせいか、ダフネの中ではどちらかと言うと私の方が甘えるポジションになっているのだろう。別にそれに対しての文句は一切なく、寧ろこうしてダフネの方から私を求めてくれるのは嬉しいことだ。

しかし……

 

『ダリア……。私は……貴女の重しになっていない?』

 

なんて聞かれれば、話は少し違ってくる。呑気にダフネに身を委ねている場合ではない。

私はそう聞かれる度に慌てて返事をする。

 

『そんなはずがありません! ダフネが重みになるなんて、そんなこと絶対にあるわけない! 貴女がいるから、私はこうして幸せを感じられるのです! 貴女が傍に居てくれるから、私は安心して毎日を過ごすことが出来るのです! だから、そんなことを言わないで下さい!』

 

そう返せばダフネも、

 

『……ありがとう。安心したよ』

 

と返してくれるが、私はそれでも安心することは出来なかった。

こんなにも近くに、それこそ触れ合える程近くにいると言うのに……何故かダフネがとてつもなく遠い場所にいるような気さえする。

正直、原因が分からない。いや、正確にはどのタイミングから、どの発言によってダフネがこんな態度になってしまっているかは分かっている。最近の出来事の中で変わったことなど、グレンジャーさんのお願いとやらをお兄様の口から聞いたこと以外にあり得ない。明らかにあの出来事があってから、ダフネがこんなにも不安そうな表情を度々浮かべているのだ。

だが私には、あの出来事の何がそんなにもダフネに不安を与えているかが分からなかった。

あのお願いがお兄様のものではなく、グレンジャーさんのものであることは明白だった。ならばグレンジャーさんをこれ以上私に懐かせないために……そしてダフネの前でこれ以上グレンジャーさんへの憧れを見せないためにも、あのお願いを断ることこそが正解だったのだ。それなのに何故ダフネは……。

 

時間だけが徒に過ぎていく。ダフネはやはり時折不安そうな表情を浮かべており、私は私で臆病にもダフネが不安を感じている理由を聞けずにいる。ただダフネの気が済むまで抱き枕にはなっているが、それでも一向に改善しない状況に悩むばかりだった。

そしてそれはこの日も……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

試験期間が遂に始まり、既に半数の科目は終了した。

私は今日の『マグル学』をやり終わりさえすれば、数日後に『闇の魔術に対する防衛術』の試験を控えるのみだ。実に順調なペースで試験は進んでおり、内容自体も自信を持って去年より素晴らしいものだと言い切れる。これも全てダリアとの勉強会のお蔭だろう。

 

しかし勉強以外の面も順調かと聞かれれば……残念ながら違うと答えるしかない。

ダリアが私の独占欲に気が付いていたと知った時から、私の心の中は不安でいっぱいだったのだ。

 

思考が上手く纏まらない。ダリアへの羞恥心、親友である私が彼女の行動を制限してしまっている罪悪感、そしてグレンジャーに対しての名状しがたい感情。色んな感情や思考が混じり合い、結果私の中にはただ漠然とした不安だけが残されていた。

しかも挙句の果てに、

 

『ダリア……。私は……貴女の重しになっていない?』

 

等と更にダリアの負担になるようなことまで口走ってしまうのだから質が悪い。こんなことを聞けば、ダリアが困惑してしまうのなんて少し考えれば分かることだ。事実ダリアは猛然と反論しながら、その綺麗な瞳の中に困惑の色を浮かべていた。

 

私の余計な一言が、ダリアにも強烈な不安感を与えているのは明らかだった。

 

試験は順調に終わっているというのに、肝心のダリアとの関係がどこかギクシャクしたものになっている。どうにかしようという思いはあるのだけど、そもそも私が何を感じているのか、私が本当はどうしたいのかすら自分でもよく分かっていない。こんな状態でダリアと話せば……私は今以上に彼女を悩ませるかも、彼女に嫌われてしまうかもと思うと、私はどうしても前に進むことが出来なかった。

だからだろう、

 

「グ、グリーングラスさん。マグル学のテストお疲れ様。テ、テストはどうだった? 私実はさっき……多分貴女の時間なら今現在『占い学』のテストを受けたばかりなの。何が『内なる目』で未来を見る、よ! あんなの出任せに決まって、」

 

「テストのことはどうでもいいよ、グレンジャー。特に『占い学』のことなんてね。それより午後には処刑の時間でしょう。まだ時間があるとはいえ、貴女は行かなくてもいいの? 処刑を止められなかった私が言えたことではないけど……。ドラコを傷つけたとはいえ、貴女の大切な友達のペッ……友達なのでしょう? だったらこんな所で油を売ってないで、すぐに行ってやりなよ」

 

グレンジャーに対して余計なことを言ってしまったのは。

処刑の阻止を断ったというのに、グレンジャーは未だに私に対して明るい口調で話しかけてくる。しかもダリアに対しても、特に何の悪感情を持ち合わせていない様子だった。

私がダリアの発言を伝えた時も、

 

『そうなの……なら、残念だけど仕方がないわ。無理を言ってごめんなさい。今考えれば、そもそも貴女達に責任を押し付けようとしたことが間違っていたのよ。ドラコはともかく、貴女達にこれ以上無理をさせることなんて出来ないわ。ただ……相談に乗ってくれて、ありがとうね』

 

なんて発言をするものだから、もう意味が分からない。

今回だって私が余計なことを言ってしまったというのに。グレンジャーは気にした風でもなく、寧ろ私に心配されたとでも思っているような表情を浮かべながら応える。

そこには私への敵意など微塵も見受けられなかった。

 

「ありがとう……。そうね、貴女の言う通りだわ。でも大丈夫よ。処刑の時間は日没だもの。それに、今私はテストを受けている時間だから、今ここから離れるわけにはいかないの。心配してくれて……ありがとう」

 

途端に、私の精神状態は更に不安定なものとなる。

以前の様にグレンジャーに対して叫び出したいという感情はない。でも、この感情を何と呼んでいいのか分からない点は共通していた。

そんな私が捻りだせたのは、

 

「そう……」

 

そんな何の変哲もない一言くらいのものでしかなかった。

私は逃げるようにその場を後にする。これ以上ここにいたら、私は本格的に自分自身が何をしたいのか分からなくなってしまうから。

その場に残されたのは、こんな私でも心配した表情を浮かべてくれているグレンジャーだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「それじゃあ行くわよ。せめて最期くらい、私達も一緒にいるべきよ……。それが何も出来なかった私達に出来る唯一のことよ……」

 

いよいよ日が沈み、辺りが暗くなり始めた時間。

私達はハリーの『透明マント』を被り、薄暗い校庭を突き進む。お互いに会話はない。ハリーも『占い学』のテスト後何か言いたそうにしていたけど、今はそれどころではないと真剣な表情で押し黙っている。皆一様に暗い、自らの無力さを噛みしめるような表情を浮かべているのだ。

それもそうだろう。だって、

 

「ハグリッド、私達よ。中に入れて。貴方が一人で死刑執行を待つなんて、そんなことさせられないわ」

 

私達は結局、バックビークの処刑を止めることが出来なかったのだから。マルフォイさんに頼むことくらいしか、馬鹿な私には方法を思いつけなかったのだから。

 

私達はハグリッドの小屋に辿り着くと、ドアを静かにノックする。それに対しハグリッドは、

 

「……お前さんらも来てくれたのか。バックビークの最期に……」

 

やはり私達と同じく、静かな口調で応えた。

クィディッチ杯が終わった直後も暗い空気だったけど、今はそれ以上に暗いものが私達の間に漂っている。それは私達が中に入ってからも続き、小屋の中はただ沈黙だけで満たされる。私達はこの期に及んでハグリッドに何と言っていいか分からず、彼は彼で茫然自失しているのか、ただ空中を眺めるばかりで何も言おうとはしない。ようやく沈黙を破ったとしても、

 

「ハ、ハグリッド。バックビークはどこなの?」

 

などという、気遣いも何もない言葉でしかなかった。

バックビークがどこにいるかなんて、少し考えれば分かることなのに……。

まずいことを聞いてしまったかなと青ざめる私に、ハグリッドが震える声で応える。

 

「お、俺は……あいつをカボチャ畑に繋いでいるんだ。あいつはあそこが好きだった。だから、あいつが好きな場所で木やなんかを見た後で……そ、その後で……」

 

ハグリッドの言葉はそこまでだった。

より一層手が震えたかと思うと、手に持っていたカップを取り落とし、そのままサメザメと泣き始めてしまう。私が声をかけたところで、

 

「あ、新しいお茶を出すわ。ハグリッド、だから、」

 

「もうおしまいだ! もうどうにもなんねぇ! ダ、ダンブルドアだって、ルシウスの奴が決めた決定を覆せない! あの方は偉大だ。それでもバックビークの最期には一緒にいてくださると言っていた。俺が不甲斐ないばかりに、ダンブルドアに迷惑をかけたというのに……。俺はそれに比べて、なんて情けない奴なんだ! あぁ、バックビーク! なんて可哀想なんだ!」

 

もはや私達の声が届いているかも怪しかった。

ここまで来たのはいいけど、本格的に身の置き場が分からなくなってしまう。ハリーやロンに至っては、ここに来てから一言も発していない。

かくいう私もいよいよハグリッドに何と声をかけていいのか分からず、カップを取り落としてしまった彼に黙って次のお茶の支度を始める。

 

その時だった。

私が何気なくミルク入れを取り上げた時、中にネズミが入っているのを見つけたのは。

そのネズミが、

 

「きゃ! し、信じられない! ス、スキャバーズよ!」

 

クルックシャンクスに食べられたと思っていた、ロンのペットだと気が付いたのは。

 

「何を言っているんだい? そんなわけ……って、スキャバーズ!」

 

そしてそれは私の錯覚ではなく、彼と十年以上寝食を共にしていたロンも認めるものだった。気まずい空気から逃げるため私の叫び声に飛び付いたロンが、私の抱えるネズミを見た瞬間同様の叫び声を上げる。流石に飼い主だけあり、前より痩せこけ、毛が所々抜け落ちていても……()()()()()()()()()()()()()、スキャバーズだと即座に気が付いたのだろう。

ロンはジタバタ暴れるスキャバーズを鷲掴みにしながら続ける。

 

「よかった! もう大丈夫だぞ、スキャバーズ! ここにあの猫はいない! ここにはお前を傷つけるものなんてなんにもない! だからそんなに暴れるな!」

 

思いがけない再会に、一瞬だけ小屋の中の空気が和らいだ気がした。

私も私で、あれだけ騒いだのにスキャバーズが生きていたことに少しだけ釈然としないものを覚えたけど……生きていないよりかは、生きていた方が遥かにいいことであるのは間違いなかった。皆が一瞬だけ、どこか優しい視線をロンとスキャバーズに送る。

でも……

 

「あぁ……来おった……。ダンブルドアと……あいつは処刑人のマクネアか……。それとルシウス・マルフォイとコーネリウス・ファッジに……くそ! ドラコに()()()()()()()()()()()来てやがる! あいつらバックビークの処刑を見世物にするつもりだ!」

 

その時が遂に来てしまったのだった。

ハグリッドの声に急いで窓の外を見ると……そこには彼が言った通りの人影があった。

 

先頭にダンブルドアと魔法大臣らしき人物。その後ろに大鎌を持った人物とルシウス・マルフォイ。

そしてそんな一行に続くように、ドラコ・マルフォイと……薄暗くなった校庭でも光り輝いているように見える、白銀の髪をしたマルフォイさんの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「くそ! やっぱりだ! やっぱりマルフォイ家の奴は皆狂っているんだ! 何が自分が止めるだ! 何がダリア・マルフォイに伝えるだ! あいつらは最初からバックビークの処刑を止めるつもりなんてなかったんだ! 挙句の果てに、ああやって態々処刑されるところを見に来てるんだ! 本当に腐った連中だよ! 期待を持たせるようなことを言って、僕らが苦しむのを見て楽しんでたんだ! グリーングラスだって同罪だ! あいつだって、今から処刑を楽しく眺めるに違いない!」

 

ロンの叫び声が『透明マント』の中に響く。声の大きさから、もしかしたらマントの外にだって漏れ出しているかもしれない。

でも、僕にはそれを止めるつもりなんて少しもなかった。

何故なら、僕だってロンと同じ気持ちだったから。

僕の中には、今まで感じたことのない程の怒りが渦巻いていた。

 

『僕からも父上に掛け合っておくさ』

 

ドラコが以前言っていた言葉を思い出す。

何が掛け合うだ! 

結局、あいつにバックビークを助けようなんてつもりは微塵もなかったのだ。僕等が手をこまねいているのを眺めながら、スリザリン生らしく楽しんでいたに違いない。

その証拠に、あいつはこの処刑のタイミングで妹と共に現れた。もし本当に止めるつもりが……ダリア・マルフォイを説得するつもりがあったのなら、このタイミングで現れるはずがない。きっとハグリッドやダンブルドアの悔しがる顔を見に来たのが関の山だ。

しかもそれはドラコやダリア・マルフォイだけに言えたことではない。ダフネ・グリーングラスも同じ穴の狢だ。僕等が裏口から出たタイミングで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()グリーングラスを、僕らは『透明マント』の中から見たのだ。ハーマイオニーだけは頻繁に小屋の方を振り返っていたから気付かなかった様子だけど、僕とロンはあいつの姿をはっきりと捉えていた。きっとバックビーク事件の当事者でないことから、あいつは処刑に立ち会う許可は下りなかったのだろうが……それでも一つの尊い命が奪われるところを楽しむつもりなのは間違いなかった。そうでなければ、あいつだってこのタイミングで来るはずがない。

 

本当に性根が腐った奴らだ! スリザリンの奴なんて、皆狂っている!

 

僕は未だにダリア・マルフォイの登場に困惑した様子のハーマイオニーを引っ張り、ひたすら城に向かって足を進めていく。背後にはダリア・マルフォイ達が入って行ったハグリッドの小屋。僕等はただ湧き上がる怒りを抑えこみながら丘を登っていく。ハグリッドに追い出される様に裏口から出たけど、正直あのまま残っていたらドラコ達に殴り掛かっていたことだろう。気付いた時にはもう遠かったけど、もし近くにいたらグリーングラスに呪いの一つでもかけていたことだろう。

 

しかしどんなにここで怒り狂っていたとしても、

 

「あぁ……今、ハグリッドの小屋のドアが開く音がしたわ!」

 

裁判の結果が変わることは決してない。

僕らはいよいよホグワーツに辿り着こうとした辺りで、小屋の方から男たちの話し声が漏れ聞こえてくる。何だか()()()()()()()()()()()みたいだけど、いよいよ処刑が始まるのだ。

 

僕らはマントを脱ぎ捨て、ハグリッドの小屋の方に振り返る。

辺りに響くのは、ロンの手の中で喚くスキャバーズのキーキー声のみ。夜の校庭はゾッとする程静まり返り、森から聞こえる鳥の鳴き声すらここまで届くようだった。

そしてそんな静寂の中に、

 

シュッ! ドサ! ザシュ! ドザ!

 

何かが切り落とされる音が()()響いたのだった。

 

「本当に……本当にやりやがった!」

 

「あぁ……なんてことなの……」

 

太陽が沈み血のような色をした空の下、僕らはただ茫然と立ち尽くす。

お互いに言葉はない。ただただ真っ白になった頭で、茫然とハグリッドの小屋の方角を見つめ続ける。

 

 

 

 

それはこの後、スキャバーズが突然ロンの手の中から抜け出し………それを追った先にあの真っ黒な犬、『グリム』を見つけるまで続いたのだった。



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友情の在り方(中編)

 ダリア視点

 

「お父様! お待ちしておりました!」

 

「あぁ、ダリア。元気にしていたか?」

 

「はい、勿論です! お父様の御心配されるようなことは何もありません!」

 

「……本当にそうであれば良いのだがな。シシーも心配していたぞ。お前はやはり無理をしすぎる。何かあれば、必ず私達に報告するように」

 

試験期間がいよいよ終盤に差しかかった今日。残る科目は『闇の魔術に対する防衛術』のみで、いよいよ試験の終わりが見え始めたタイミングで……待ちに待ったお父様の来訪がやってきたのだった。

太陽が沈み、血のような()()()()()に染まった空が見える玄関ホール。私はいつものようにお父様に縋りつき、そしてお父様もやはりいつものように私の頭を撫でて下さっている。学校であろうとも……たとえダフネとの関係が微妙に上手くいっていなくとも、この時間の幸福が些かも衰えることはない。

 

そうたとえ……このお父様の来訪が、実はヒッポグリフの処刑のためのものだったとしても、だ。

たかが下等生物一匹の生死など、私の幸福には何の関係もない。

しかし、

 

「それにしても……。ダリアは大丈夫であろうが……。ドラコ、お前は勉強をしていなくとも良いのか? 私はダリアを呼びはしたが、お前を呼んではおらん。もう終盤とはいえ、まだ試験は残っているのであろう? ならばお前は勉学に励んでおった方がよいのではないか?」

 

「はい、父上……」

 

お兄様には何か引っかかるものがあるらしかった。

お父様が話しかけて下さったというのに、明らかな生返事でしかない。折角ついてこられたものの、何か違うことを考えておいでなのは間違いなかった。先程から大広間横倉庫の扉をチラチラ見てばかりだ。

そんなお兄様に対しお父様が何か仰ろうとされていたが、私は急いで声を上げ遮る。

 

「ドラコ、何を呆けておるのだ。まったく、これでは先が思いやられる。この前も突然処刑を止めるようになどと、戯けた手紙を送ってきおって。……どこで聞いたのかは知らんが、こ、これは()()()()()()()()()()()()だ。お前達に隠しておったのも、全てが終わってからでも構わんと思っておったからで……。それをお前には理解出来ないのか? それに、あの倉庫に何か、」

 

「そ、そんなことより、お父様! こうしてここまで来られたのです! ホグワーツは去年の……あの事件以来でしょう? なら、お久しぶりの学校のはずです! 一緒に校内を歩きましょう!」

 

折角のお父様との時間を、お兄様への小言で終わらせたくなどなかったということもあるが、出来る限り一緒にいる時間を引き延ばしたいという思いからの提案だった。お父様もそれがお分かりになったのだろう。お兄様に向ける厳しい表情から一転、僅かに綻んだ優しい表情で私の無表情を見つめて下さる。

この瞬間、私はこのお父様との時間がより長く、そしてより幸福なものに変わったと確信した。

たとえこの後処刑が控えていようとも、私に甘いお父様ならきっと時間ギリギリまで私といてくださる。たとえ短い時間であろうとも、きっとお父様は私の小さな我儘を聞いて下さることだろう。

そんな風に、私は楽観的に確信していたのだ。

そう、お父様が私の提案に一瞬頷こうとしたところで、

 

「まったく、やっと我儘を言ったかと思えば……。そうだな。お前と会うために、態々早めに来たのだ。まだ予定まで時間はある。前回はゆっくりとここを見て回ることも出来なかったからな。ではまず、」

 

「ルシウスよ。随分早い到着じゃのう。コーネリウスとマクネアは既に到着しておったが、お主はもっと遅ぅに来ると思っておったよ」

 

老害が現れるまでは。

私は幸福な空間に突然湧いて出た生ゴミを睨みつける。そこには果たして予想通りの人物と、奴に続くように二人の男性が立っていた。

一人は細縞のマントを着た恰幅のいい小柄な男性。予言者新聞でもよく目にする魔法省大臣その人だ。もう一人は真っ黒な細い口髭を生やした大柄な男性。誰かは知らないが、大鎌を持っていることから処刑人であることは窺い知れた。

こんな時間にこんな場所にいるのだ。ヒッポグリフのことを聞き及んでいる以上、このメンバーが何のためにここに集まっているのかは簡単に想像出来る。私としても彼らの目的自体にとやかく言うつもりはない上に、寧ろよくぞここまで来てくれたと老害以外のメンバーに関しては歓迎したい程だ。

だがこのタイミングで現れたことに対して不快感を持たないかと言えば……それはまた話が別だ。

私は不機嫌な感情を隠すことなく、ただこの場に現れた邪魔者達を睨み続ける。それに対し、後ろの二人は怯んだように立ちすくんでいたが、

 

「おぉ、なんとダリア達と会うために、ここまで早く来ておったのか。それはすまんことをしたのぅ」

 

やはり老害だけは何の反応も示さず、心にもない言葉をかけてくるのだった。

 

「ダリアも、折角の家族との団欒を邪魔して悪かったのぅ。じゃが、実はワシらはこれからやらねばならんことがあるのじゃよ。ルシウスから何か聞いておるかの?」

 

「……お兄様に怪我を負わせた下等生物の駆除という、本来なら裁判を経ずとも学校側が為すべき義務を為すとなら聞いていますよ」

 

私の返事に、本来は処刑のことを私に知らせるつもりはなかったのだろうお父様が顔を顰めている。そんなお父様の反応に頓着することなく、私と老害の会話は続く。

 

「そうか……やはりダリアも知っておったか。確かにドラコ君を傷つけたのは、まことに残念な()()じゃったとワシも思うておる。校長として、ワシも少なからず責任を感じておるよ。本当にすまなかった。……じゃが、それが()()()()()()()()()()()()()()()()。ダリアよ、この世界で最も尊いものとは……命なのじゃ。誰にもそれを奪う権利などありはせん」

 

「ダンブルドア、何のつもりだ。今更処刑を覆すなど、」

 

「ルシウスは黙ってくれぬかのぅ。ワシは今ダリアと話しておるのじゃ。……ダリアよ。止められるとすれば、もうお主だけじゃ。ダリアよ。どうか……お主から、ルシウスに言うてはくれんか? バックビークの処刑を止めるようにと」

 

まったく……何を言い出すかと思えば。

黙って聞いていれば、随分好き勝手な御託を並べ立てて……。

誰にも命を奪う権利はありはしない?

そんなこと、怪物である私にだって分かっている。だからこそ、殺人に憧れる私はどこまでも醜く、どこまでも悍ましい存在なのだ。そんなこと、老害に言われなくとも分かっている。

でもそれ以上に……私はマルフォイ家こそが、ダフネ・グリーングラスこそが尊いと思っている。

だから……私はダフネやマルフォイ家を守るためなら、たとえ穢れた行為であっても喜んで行う。たとえこの処刑のことで、多少の罪悪感をグレンジャーさんに感じていたとしても。

それは私の権利ではなくとも……私の義務なのだ。

だからこそ、

 

「……お断りします。何故私が、お兄様を傷つけた下等生物を許さなければならないのです? それに、寧ろこれはお父様の慈悲なのです。本来であれば貴方か森番が責任を取らねばならないところを、たかがヒッポグリフの命一つで許すと仰っているのです。感謝されこそすれ、非難されるいわれはありません」

 

私の答えはこれしかないのだ。

老害からの提案は勿論、グレンジャーさんからのものだろうが……ダフネからのものだろうが、私の選べる選択肢はこれしかなかった。

しかし、老害がそんな私の事情に理解を示すはずなどない。老害はそんな私の応えに、数秒今までとは違った本当に悲しそうな表情をしてから、

 

「そうか……本当に、本当に残念じゃ。……やはりリーマスの勘違いじゃったようじゃのぅ」

 

いつも私に向ける、どこか警戒した視線に戻ったのだった。

もはや見慣れた視線を私に向けながら、老害はきっぱりとした口調でお父様に話しかける。

 

「では、ルシウス。時間までまだ少しあるが、メンバーが揃った以上もう行くことにするかのぅ。コーネリウスも忙しい中、態々ホグワーツまで来てくれたのじゃ。これ以上ハグリッドを待たせるのも可哀想じゃ。のう、コーネリウス?」

 

「あ、あぁ、正直こんな役目は早く終わらせてしまいたい。久方ぶりにホグワーツに来たかと思えば、まさか凶暴なヒッポグリフの処刑なんて……。ルシウスも、そ、それにミス・マルフォイもすまないね」

 

魔法大臣にそう言われてしまえば、いくら魔法省高官のお父様とて従うしかない。

私の無表情も僅かに歪んでいるだろうが、更に苦虫をダース単位で噛み潰したような表情をされたお父様が、いかにも渋々といった態度で応えた。しかし、

 

「……コーネリウスがそう言うのなら、まぁ、仕方ないですな。ダリア、それとドラコ。楽しみにしていたところを短くなってしまい、すまないな。特にダリア」

 

その発言はすぐに、意外な人物によって遮られることになる。その人物とは、

 

「お前が折角我儘を言えたというのにそれを叶えられず、すまない。この埋め合わせは次にするとしよう。夏休みまでに考えておきなさい。では、」

 

「いえ父上。僕は父上についていきます。僕はヒッポグリフに襲われた当事者です。あいつの死ぬところを見てみたい。だから……僕も処刑についていこうと思います。……ダリア、お前は先に帰っていろ」

 

意外にも、今まで黙り込んでいたお兄様だった。

意外な人物からの意外な言葉。お兄様の言葉に、この場にいる全員の視線がお兄様に注がれることとなる。

 

お兄様がずっと見ておられた、倉庫に隠れていた人物の視線も含めて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

いよいよ太陽が沈んだ時間。

私は一人事務所で『忍びの地図』を開いていた。地図の上にはいくつもの名前が記されており、それぞれの人物が今どこにいるかも手に取るように分かる。そしてその中には勿論、

 

「まったく……あれだけ叱ったというのに……。また懲りずに城から出るなど……。いくらヒッポグリフの処刑前にハグリッドに会いたいからといっても、こんな時間に城を抜け出すなんて言語道断だよ。これは流石に罰則を与えなくてはいけないかな」

 

ハリーとその親友達の名前も記されていたのだった。

私は校庭を動く三人の名前を『地図』で確認しながら、漏れ出そうになるため息を何とか抑え込む。

ハリーがまったく反省していなかったとは言わない。今回のことだって、ハグリッドのことを思えば当然の行動だとさえ言えるだろう。きっと彼の父親だって、彼と同じ立場であれば同じ行動をとったことだろう。いつもハリーのストッパー役であるハーマイオニーも一緒であることから、彼らがただ友達を慰めるために行動していることは分かる。

でも、それを教師であり……ジェームズの親友であった私が肯定していいものではない。私にはハリーを守る義務がある。たとえハリーに恨まれようとも、私にはハリーを叱ってやる義務があるのだ。

 

やはり地図で見張っておいてよかった。今夜は無理だが……明日になれば、必ずハリーを叱ってやらねば。

 

今は外に出るわけにはいかない私は、せめて『透明マント』を外で脱いでくれるなと祈りながら、ハリー達の周辺にシリウスがいないかを確認する。

まず地図の右側。大広間前のロビーには、ダンブルドアにコーネリウス・ファッジ、ワルデン・マクネア、ルシウス・マルフォイ。そしてダリアとドラコ・マルフォイに……倉庫に隠れるように()()()()()()()()()()()の名前が刻まれている。ダリアやドラコ、そしてダフネが何故その場にいるのかは判然としないが、おそらく今から処刑を行うメンバーであることは分かった。

 

「大広間前にこのメンバーが集まっているということは、いよいよ処刑が始まるということか」

 

私は少しの間黙祷し、今度は地図の左側に目を向ける。そこにはいよいよハグリッドの小屋に辿り着いたハリー達三人組。小屋の中で彼らを迎え入れるハグリッドがいた。

しかし、

 

「な、何故この名前がここにあるんだ!?」

 

小屋の中に刻まれた名前は……彼らだけではなかった。

息をすることすら忘れて見つめる先には……『ピーター・ペティグリュー』と書いてあったのだ。

 

「馬鹿な……あり得ない。彼は死んだはずだ! シリウスに殺されたはずだ! それが何故……?」

 

誰もいない事務室に、私の驚愕に満ちた声が響き渡る。

私が驚いている間にも、まるでピーターと()()したかのように小屋から出て行く三人組。

訳の分からないことばかりだ。ハリーが以前、ピーターの名前を地図で見たと言っていたが、自分で見たとしても俄かには信じがたい事態だった。

 

そして、訳の分からない出来事はそれだけではなかった。

 

ハリー達はダンブルドア一行、そして彼らの後をつけるように動くダフネとすれ違うと、一気にもうすぐ城に辿り着くであろう場所まで駆け抜ける。

その横から突然……地図の外から猛スピードで駆け寄る『シリウス・ブラック』という文字が現れ、ロンとピーターを引きずるような形で『暴れ柳』に引きずり込むのが見えた。

 

彼が狙っていると思われていた、ハリー・ポッターを置き去りにして。

何かが……私の思いもつかなかった何かが起こっているのは間違いなかった。

 

私は『地図』を片付ける手間も惜しみ、急いで杖だけをひっつかんで外に飛び出す。

何が起こっているのかは分からない。しかしハリーを守るためにも……真実を知るためにも、私は今行くしかないことだけは分かっていた。

部屋を飛び出した私の中には義務感と焦燥感……そして僅かな()()()だけが渦巻いていた。

 

 

 

 

何故私が今夜外に出てはいけないと思っていたか、まだ私が薬を飲んでいないという事実を振り返る余裕は……残念ながらこの時の私の中にはありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

何だかよく分からない状況になった。

何故お兄様は、あんな心にもないことを言ったのだろうか。お兄様は言っては悪いが小心者であり、いつもの口調とは裏腹に人並みの良心や良識を持ち合わせているお方だ。

だから、

 

『あいつの死ぬところを見てみたい』

 

なんてことを、お兄様が本来口にするはずがない。平時はともかく、このような土壇場になってそのようなことを言うなどあり得ない。

そもそもグレンジャーさんからの頼みとはいえ、一度は処刑自体を止めるよう私に言ってきたのはお兄様だ。明らかに言動が矛盾している。

しかも、

 

『……ドラコ君や。そのようなことは言うものではない。生き物が死ぬところを見たいなどと……。お主はまだその意味を理解しておらんのじゃ。それを見れば、お主は必ず後悔することになる』

 

という老害の言葉はさておき、何度お父様や私が真意を問いただし、談話室に帰るよう言っても、お兄様は頑なに意見を変えるつもりはなさそうだった。

何度言っても、

 

『僕は当事者だから。僕にはそれを見る権利と義務がある』

 

の一点張りだ。

それはこうして実際に外に出てきても変わらない。お兄様を一人にするわけにはいかないと私もついては来たが、

 

「お兄様、本当に処刑に立ち会うおつもりなのですか? お兄様には何と言いますか、少し刺激が強すぎる光景だと思いますが?」

 

「……いや、僕は行くよ。寧ろお前は帰れ、ダリア。今から起こることは、寧ろお前にこそ刺激が強すぎる。……お前は()()()()()()なのだから」

 

やはりお兄様の意志が変わることはなかった。

時折前から送られてくる視線の中、お兄様はただ黙々と前だけを見て歩き続ける。結局所定の時間がいよいよ迫っていた上、

 

『ルシウス。すまないがもう時間がない。本来は戻ってほしいところであるが……彼がここまで言っておるのだ。彼は本件の最大にして唯一の被害者だ。彼の意見を尊重する必要がある。彼にも何か思うところがあるのだろう。それに何より、私はもうこれ以上この件に時間を取りたくないのだよ』

 

『待て、コーネリウス! 私の息子は、』

 

『……コーネリウスがそう言うのなら、仕方ないのぅ。ドラコ君……それにダリア、言いたいことがあれば、いつでも言うのじゃよ』

 

土壇場になれば私達が止めてくれるやも……若しくは私達の行動の結果を見せつける目的があるのか、ダンブルドアが一転して私達の同行を認めたわけだが……お父様は未だに反対しているのは間違いない。

先程から時折振り返り、私とお兄様にいかにも複雑そうな視線を送ってくる。

しかしその視線も長続きはしなかった。遂に森番の小屋に私達はたどり着いてしまったから。

老害が全員を代表し、小屋のドアをノックする。

すると中から森番が出てきて、

 

「バックビークの処刑は見世物じゃねぇ!」

 

開口一番、私とお兄様を見つめながら言い放ったのだった。

どうやら森番にとって、私達の同行はそういう風にしか受け取れなかったらしい。いや、そもそもお父様や私以外のメンバーがお兄様の言動に違和感を持っているかどうかも怪しい。彼らはお兄様が一度は処刑を取りやめようとしたことすら知らない。違和感を持っていないからこそ、最終的には諦めたように同行を許可したのだ。

 

マルフォイ家なら、こういう行動をとっても可笑しくはない……と。

 

しかし、こいつらはそれで納得するのかもしれないが、私はお兄様がそんなことをする性格だとは思っていない。

 

私はお兄様にそぐわない行動に首を傾げながら、事の成り行きを黙って見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

やはり……リーマスの言っておったことは間違いだったのじゃろぅ。

ワシは心の底から湧き起こる失望感を感じながら、目の前の光景を見つめる。

 

「ヒッポグリフのバックビーク。以降被告と呼ぶが、本日6月6日の日没をもって処刑さるべしと決定されたため、本日執行することをここに宣言する。死刑は斬首とし、委員会任命のワルデン・マクネアによって執行される。ハグリッド、ここに署名を」

 

狭い小屋の中。突然人口密度の上がった室内で、ファッジが規定通りの文言を読み上げており、そんな彼を何の感情も感じさせない無表情で見つめるダリア。そしてその兄であるドラコも、妹同様何を考えておるのか分からぬ無表情で虚空を見つめていた。

 

少なくともバックビークの処刑に対し何らかの負い目や恐怖を覚えている様子は皆無じゃった。

 

ワシは彼らに聞こえぬよう、小さくため息を漏らしながら思う。

正直そこまで期待しておったわけではない。ダリアは最初こそここに来るつもりはなかったようじゃが、処刑を止めるつもりがないどころか、積極的に支持しているのは間違いなかった。ドラコ・マルフォイに関しては()()()()()()()()()()()()()()、人間はいざ知らず、ヒッポグリフの命なら喜んで奪うことくらいするやもしれんとは思っておった。

しかしここまで来てしまえば……いざ一つの命が目の前で奪われる段階になれば、彼らとて何か感じ、上手くいけば処刑を取りやめてくれるやもと期待しておった。

じゃがそんな良心は……残念じゃが彼らの中にありはしなかったのじゃ。

 

ドラコ・マルフォイはともかく、ダリアに関してはリーマスからの報告でもしやと思っておったのじゃが……。やはり当初のワシの()()()()()、彼女は『秘密の部屋』に関わるような危険な少女であり、もはやトムと同様更生の余地はないのやもしれん。リーマスはダリアがもしやただの優しい少女なのやもしれんと、どこか懐疑的に言ってはおったが……悲しいかな、これが現実じゃった。生き物の命が奪われるというのに、それでもいつもの無表情を崩さんとは……。

 

ワシはそこまで考え、小さく頭を振って邪念を追い出す。

いや、ワシは何を考えておるのじゃ。これでは教師失格じゃ……。入学式の時も同じ思考をし、あの時も自らを律したというのに、ワシはあの時から何も進歩しておらん。

まだダリアやドラコの未来が決まったわけではない。もしかしたらこの処刑を、自身の行動の結果目の前で命が奪われる場面を見れば、彼女達も或いは何かしらの罪悪感を感じてくれるやもしれん。

そうであれば僅かでも彼女達の中に良心が残っておるという証明になる。教師であるワシが、子供たちの未来を信じないでどうするというのじゃ。

 

そうたとえ、

 

「さて、マクネアの署名も終わった。さっさと片付けてしまおう。マクネア、処刑の準備を、」

 

「……大臣、待ってください。まだ僕の用事が終わっていない。僕はまだ……この()()()()()()()()を聞いていない」

 

処刑の直前、ただでさえ精神的に追い詰められているハグリッドを更に詰るような、理解不能なことを言いだしたとしても……。

小屋にいる全員の視線を集めながら、ドラコ・マルフォイはただ淡々と話を続ける。

まるであらかじめ用意していた台本を読み上げるかのように。

 

「あのヒッポグリフの処刑は当たり前のことだ。()()()()()()()()僕を、ただの掠り傷だったとはいえ傷つけたんだからな。だが、あれはただの理性のない獣だ。あれに責任があるというなら、そもそもあいつを授業で取り扱うと決めたこいつも悪いに決まっている」

 

「ドラコ君……と言ったかね? 君の言いたいことは分かる。だが何度も言ったように、もう時間がないのだ。私はさっさとこんなこと片付けてしまいたい。それに、裁判でもうハグリッドに責任がないことを証明している。彼に処罰を与えることは、」

 

「ええ、だから分かっています、大臣。ですが、大臣も先程言っていたではありませんか。僕の意見を尊重する必要があるって。時間は取らせません。()()()()()()()。それだけで()()()()()()()()()。僕はただ……この森番からの謝罪が聞きたいだけだ。あまり期待してはいないが……そうすればどんな結果であろうと、少しは()()()()()()()()()なんだ」

 

小屋の中は痛いほどの沈黙に満たされる。それぞれがそれぞれの反応をし、すぐには言葉が出ない様子じゃった。

マクネアやコーネリウスはとにかく処刑を早く執行したい一心で、ハグリッドにいいから早く謝罪しろと言わんばかりの視線を送っておる。そしてルシウスは息子の言葉に一理あるとでも思っておるのか、どこか複雑な表情を浮かべており……ダリアだけはいつものごとく何を考えておるのか分からぬ無表情じゃった。ハグリッドに至ってはもはや怒りのあまり言葉も出ない様子じゃ。

かくいうワシもすぐには言葉が出んかった。

何と言うか……ドラコの主張がどこか支離滅裂で、一体何を目的にしておるのか理解出来んかったのじゃ。

何故今頃になってこんなことをドラコは言い始めたのじゃろうか。そもそも彼は本気でハグリッドの謝罪を求めておるのじゃろうか。ただハグリッドを詰るためだけにこのような発言をしておるとと考えるのが一番妥当じゃが……果たして彼の目的がそれだけじゃとは、ワシには思えんかった。

じゃからこの中で最も早く衝撃から覚めたワシは、ドラコの意図を推し量りながら、ゆっくりとした口調でまずハグリッドを庇うことにした。

 

「……ドラコ君。先程も言うたが、今回校長としてワシも少なからず責任を感じておる。君には本当にすまんかった。じゃが、ハグリッドをこれ以上責めるのはいかがなものかのぅ。ハグリッドはすでに十分にショックを受けておる。これ以上彼に求めるのは、あまりにも酷というものじゃよ」

 

今にも暴れ出してしまいそうなハグリッドに配慮した、ワシなりの時間稼ぎのつもりだったのじゃが……ドラコはワシに一瞥もくれず、ただハグリッドだけを見つめながら続ける。

 

「お前には言っていない。僕はもう、お前に何の期待もしていないんだ。老害は黙ってお茶でも啜ってろ。それで、僕に謝るのか謝らないのかどっちなんだ?」

 

もはや挑発的とすら言える言葉の数々。何かが切れる音がしたと思うた時にはすでに遅く、振り返ればハグリッドが怒りを露にドラコに掴み掛ろうとすらしておった。

 

「ドラコ! お前、よくもぬけぬけと! バックビークを見世物にした挙句……ダンブルドア先生まで侮辱しおって! よくもそんなことが言えたな!」

 

視界の端で即座にダリアが杖を抜き放ち、ハグリッドに呪文を放とうとしておるのが見える。

まさか、これが彼の目的だったのじゃろうか? バックビークだけではなく、今度こそハグリッドにも刑を与えるために挑発を?

ワシは自身の思考にやはり僅かな違和感を感じながら、ハグリッドを抑え込む。

 

「ハグリッド! 止めるのじゃ! どんな理由があれ、お主は生徒を傷つけてはならんのじゃ!」

 

理性を失いかけても、ワシの声ならばハグリッドに届いたようじゃった。

今まさにドラコに殴り掛かろうとした姿勢で静止し、ゆっくりとした動作で元の位置に戻ってゆく。

そして、

 

「すみません、ダンブルドア先生。す、少し頭に血が上っちまって。お、俺は教師なのに……。俺みたいな体だけが大きい奴が殴れば、子供がどうなるかなんて分かり切ったことだってのに……。ド、ドラコも……すまなかったな」

 

バックビークのことではなく、今しがた殴り掛かったことに対してじゃが、ハグリッドが静かに謝罪の言葉を口にしたのじゃった。

それを受け、ドラコもドラコでダリアを抑え込ながら応える。

 

「……まぁ、それでいいだろう。もう()()()()()()()。すみません、魔法大臣。()()()()()()()()()()()()()()。僕の方からもう大丈夫です。……後は()()()が上手くやってくれるはずだ」

 

最後は何を言っておるか分からんかったが、本当に彼の目的はこれで達したということなのじゃろう。

本当に何がしたかったのか分からぬ()()じゃった。ワシも含めて、ドラコの発言から始まった一連の事態に頭がついてきておらん様子じゃ。

そんな中、考えても仕方がないと思うたのか、コーネリウスが真っ先に声を上げる。

 

「よ、よく分からないが、ドラコ君がそう言うのならもういいのではないかね? ハグリッドが生徒に殴り掛かろうとしたことは由々しきことだが、今回の件はまた別件だ。さぁ、マクネア、行こう」

 

しかし、

 

「ん? バックビークはどこだ?」

 

彼の注意がドラコに注がれることは、もうなかった。

小屋を出て、本来バックビークが繋がれておるべきカボチャ畑には……影一つなかったのじゃから。

 

 

 

 

その光景を、周りの人間達が大騒ぎする中……ドラコは何の感情も感じさせない表情で眺めておることを、ワシは最後まで理解することが出来んかった。

ワシの中には結局どんなに言い繕おうとも、家柄で人を判断する愚かしさが少なからずあったのじゃから。

 

じゃから……ワシはこの後ハリー達から今年の事件の真相を聞いた時も、今までシリウスを犯人だと自らを納得させていた理由を直視しようとはしなかったのじゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ハリー、急ぐのよ! それに静かに! ()()()()()()()にバレたら駄目なんだから!」

 

「わ、分かってるよ、ハーマイオニー。……君の方こそ声が大きいよ」

 

私達は今校庭の中を『透明マント』を被って横断しているであろう()()()バレないよう、慎重に、且つ急いで駆け抜けている。

 

罪のない命……バックビークとシリウス・ブラックを助けるために。

 

まだ私達の中で一日、現実ではまだ()()()()()()()()()()だと言うのに、私はあまりにも目まぐるしい展開、そして齎されたあまりの真実に頭が完全にはついてきていなかった。

私達は知ってしまったのだ。グリムが実はシリウス・ブラックであったこと。彼はルーピン先生と学生時代の友達であり、同じく同級生であったスネイプ先生を一度悪戯で殺しかけてしまったこと。そんなシリウスは……実は無罪であり、今までハリーではなく、本当の『秘密の守り人』であったピーター・ペティグリューを狙っていたこと。そして……そのペティグリューは生きており、今までロンのネズミに変身して生きながらえていたことを。

一夜にして明かされた、まさにどんでん返しと言えるような真実の数々。

しかもそれらが明かされた後も、城にペティグリューを連れて行こうとしたタイミングでルーピン先生が狼人間になってしまったり、シリウスとハリーが『吸魂鬼』に襲われたりと大変だった。

多くのことが短時間に起こりすぎて、もう正直頭がパンクしそう。

 

でも……それでも私は行動し続けなければならないのだ。

何故ならドサクサに紛れてペティグリューは逃亡し、シリウスの無罪が証明できなくなってしまったせいで……彼は『吸魂鬼』の()()を執行されることになってしまったのだから。

 

だから私とハリーはこうして時間を巻き戻し、夜の校庭を駆け抜けているわけだけど……。

 

「ねぇ、ハーマイオニー。バックビークを助けるのは僕も賛成なのだけど……その後どうするつもりなんだい? 何か計画でもあるの?」

 

「……ないわ。そもそも過去を変えることはとても危険なことなの。今の時間にいる誰かと接触することなんて出来ないわ。だから必然的に私達の出来ることなんてそう多くはないの。本当に慎重に行動しなくちゃ……。でも、バックビークだけはまず助けなくてはならないと思うの」

 

正直無計画どころの話ではなかった。

全てが行き当たりばったりの行動。

一応方針としては、

 

「ハーマイオニー。こんなのはどうだろう? ダンブルドアは西の塔にシリウスが閉じ込められているって言ってた。だから……バックビークに乗って、シリウスを助け出せばいいんだ! そうすれば、シリウスはバックビークに乗って逃げることも出来る!」

 

「そうね……でも、そんなこと誰にも見られずにやり遂げたら、それこそ奇跡だわ!」

 

ハリーの言葉通りのものは考えていたけど、難易度が高いなんてものではない。

それでも、私達はやり遂げる以外に道はないのだけど……。

 

私達は誰にも見つからないように森まで駆け抜け、今度は森の端を縫うように木々の間を進む。

鬱蒼とした木々の中にいるため見つかりにくいけど、もし誰かが窓から見ていたらと思うと気が気ではない。

 

そしてそんな焦りばかり生じる行軍の末、ようやくハグリッドの小屋横のカボチャ畑に辿り着いたのだけど……。

 

「行く?」

 

「まだ駄目よ! 今連れ出したら、ハグリッドが逃がしたと思われてしまうわ! 今小屋の中にいる私達とも出くわしてしまうかもしれない! だからバックビークが外に繋がれているところを、ルシウス・マルフォイ達が見るまで待たなくちゃ!」

 

「それじゃ、やる時間が60秒くらいしかないよ! あいつらはバックビークを殺したがってるんだ! 小屋からすぐにでも出てきてしまう!」

 

「でも見られるわけにはいかないわ! 分かって、ハリー!」

 

再度難関に直面してしまうのだった。まさに息をつく暇もない。

しかも私達が議論している内にも事態は進み、裏口から私達自身が出てくるのが見える。入れ違うようにマルフォイさん一行が到着し小屋に入っていく場面も見え、もはや一刻も猶予がないのは明らかだった。

しびれを切らしたように、ハリーがカボチャ畑の中で佇むバックビークに飛び出そうとする。

 

「ここで待ってて。僕が、」

 

 

 

 

しかし、彼が実際に飛び出すことはなかった。

何故なら、

 

「こんばんは、バックビーク……だっけ? ()()()()()()()()()

 

薄暗くなったカボチャ畑の向こうから、彼女が先に飛び出してきたのだから。

 

茂みから驚愕の視線を私達が送る先には……グリーングラスさんが、どこか吹っ切れた表情を浮かべながら立っていたのだった。



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友情の在り方(後編)

   

 ドラコ視点

 

試験期間の終わりが近づいてきているため、談話室の中は内装とは裏腹に比較的明るい空気に満ちている。

各々がそれぞれのグループに分かれ、試験明けの予定や、気が早い奴に至っては夏休みの予定なんかを話し合っていた。

しかしそんな中、

 

「マグル学のテストは終わったのか。……ダリアなら大広間前にいる。父上がいつ来てもいいように待つと言っていたぞ。お前は行かなくてもいいのか?」

 

「……ううん、今はいいよ。ダリアの楽しみを邪魔したくない。……今こんな精神状態でダリアの傍にいれば、私はあの子の重みになってしまうもの」

 

唯一ダフネの醸し出す空気だけは、お世辞にも明るい物とは言えなかった。折角ダリアの居場所を教えてやったというのに、ただただソファーに暗い顔で沈み込むばかりだ。

別にこのダフネの反応は今日だけに限ったことではない。クィディッチ優勝の後からずっと、こいつはダリアの前でこそ無理やり明るく振舞っていたが、ダリアのいない所になると酷く不安定な表情を浮かべているのだ。

しかし、その中でも今日の様子は特に酷いものだった。傍に居るだけで、まるで部屋の中でここだけ照明が当たっていないような気分になる。

 

まぁ、だがダフネが今日こんな風になっている理由自体は分かっている。

『マグル学』試験後に何かあった可能性もあるが、おそらく最大の理由は、

 

「……今日だったか? バックビークとかいう野獣の処刑日は」

 

「……う、うん、そうだよ。ルシウスさんもそのために来るんだから……。ダリアと会った後に、多分森番の所に行くんだと思う」

 

いよいよ今日が処刑日だということだろう。

本人はダリアとの関係を悩んでいるのであり、処刑のことなど気にしていないとでも思っているのであろうが……傍から見れば処刑のことで悩んでいるのが一目瞭然だ。日が近づくにつれダリアの前でも不安定になるのだから、気付かない方がどうかしている。

 

まったく世話の焼ける……。どうせいつかは解決する問題だと思って心配していなかったし、本来僕が言うことではないと思っていた訳だが……そろそろ時間切れだな。このまま今日を放っておいたら、こいつはいつまでもグチグチと悩みそうだ。ダリアもダリアでそんなダフネに苦しむだろうし……。

 

僕は隣に座るダフネに聞こえないようにため息を一つ吐くと、意を決して話し始めた。

 

「……そうだな。父上は森番に用があるから、そのついでにダリアに会いに来ると言っていたからな。だから……僕も父上に会いに行けば、そのまま処刑に立ち会うことが出来るかもしれない。……処刑を止めるならその時だ。ダフネ、お前も手伝え」

 

僕の隣から息を呑む音が聞こえた。

おそらく驚愕の表情を浮かべてこちらを見ているのだろうが、僕はそれに頓着することなく先を続ける。しかし、

 

「僕の役割は()()()()だ。今朝確認したが、どうやらヒッポグリフとやらは森番小屋横のカボチャ畑に繋がれている。なら処刑場所はそこだ。おそらくだが、処刑前の手続きを小屋でとるはずだ。僕はそこまで何とか同行して、父上とダリアの気を逸らし続ける。その間にお前は後ろからこっそりつけて、あの野獣を何とか解放しろ。最初は大広間横の倉庫にでも、」

 

「ちょ、ちょっと待って、ドラコ! さっきから何を言ってるの!? なんで私がそんなことしなくちゃいけないの! だってダリアは処刑を止めないって言ってたでしょう!? なんで私達が!?」 

 

ようやく意識が追いついてきたダフネの声によって遮られたのだった。

僕の突然の発言に、張り詰めていた何かが切れたのだろう。ダフネは堰を切ったように話し始めた。今まで僕に、それこそダリアにすら打ち明けていなかった、ダフネの中に溜まりにたまった苦悩と矛盾を。

 

「なんで貴方が処刑を止めるだとか、挙句になんでそんなことまで言い始めたのかは分かるよ! 貴方はいつだって、全てはダリアのために行動している! 私だって、今回の処刑を本当にするべきものなのか悩んでるよ!? で、でも、あ、貴方だって分かっているんでしょう!? 私のこの……ダリアを独り占めしたいという気持ちに! ダリアだって、それにずっと前から気付いていたことを! で、でも、それでも私はこの気持ちを捨てることが出来ない! 去年傍にいるって言ったのに、結局あの子を一人にしていた! 一人になってほしいと思っていた! これ以上、ダリアに嫌われたくなんてないの! 私は……あの子の重みになんてなりたくない! 分からない! 私は自分がどうしたいのかも分からないの!」

 

……どうやら思った以上に、ダフネの中はこんがらがった状態にあるらしい。言っていることが支離滅裂だ。おそらく本人ですら、言葉通り自分が何を言っているか分かっていないのだろう。

まるで去年のダリアを見ているような気分だった。自分の中に生まれた初めての感情を自分自身ですら理解出来ず、ただ混乱したように自分を責め続ける。まさに去年のダリアの姿そのものだ。自らの感情や希望を押し殺し、ただ自分だけを責め続けながら彷徨うダリアの姿と……。

やはりダリアとダフネはどうしようもないくらい似た者同士で……親友だった。

 

ダフネの突然の大声に、談話室中の視線が集まっている。

僕は鋭く周りを睨むことで視線を散らし、誰もこちらに注意を払わなくなったことを確認した後、そっと静かな口調で応え始めた。

 

「ダフネ、いいから聞け。前から思っていたが、この際だから言ってやる。……確かに、お前がダリアに対して独占欲を持っていたことを、僕はあの『まね妖怪』を見た時から気付いていた。いや、あれで目に見える形になっただけで、お前の中にそんな感情があることは、僕は何となくではあるが最初から気が付いていた。何故なら……僕の中にも、お前と同じ感情があるからな。僕だって大切ないもう……ダリアを独占していたいという気持ちはある。多分、それはダリア自身だって同じだ。お前の気持ちに気が付けていたのも、ダリアの中にだって同じものがあるからだ。お前だけが特別なんかじゃない。お前の中にあるものは、誰にだってあるものなんだよ。お前は最近になって、それを自覚したに過ぎない」

 

そこで一息吐き、僕はダフネに言い聞かせるように続ける。

 

「今回のことだってそうだ。お前も気が付いているのだろう? グレンジャーからの頼みにも関わらず、ダリアが処刑を止めない理由。一年生の時、それこそ他人と関りを持ってはいけないと信じ切っていた時でさえ、トロールからあいつを助けに行ったダリアが、なんで今回はあいつを助けようとしないのか。それは全てお前のためだ。他の人間、それこそグレンジャーを含めた人間ではなく、お前のことを思ってダリアは今回の決断を下した。去年までずっと、それこそ僕達家族にだけ信頼を寄せていたダリアがだ。お前を守るために……お前をこれからも独占し続けるために。結局、お前がずっと汚いと思っていた気持ちは、ダリアの中にだってあるものなんだ。ダリアが僕ら家族に対して持っていた気持ちを、お前は去年手に入れたからに過ぎない。だからお前が気に病む必要なんてない。お前は誰が何と、それこそお前自身が何と言おうと、どうしようもなく親友同士だ。ダリアの家族である僕が保証してやる」

 

「……」

 

一気に言い切った僕に対し、ダフネからの反応が中々返ってこない。

ただ困惑したように僕の方を見るばかりで、返事をしてこないのだ。どうやら僕の言葉を頭の中で咀嚼しているらしい。

僕はそんなダフネの反応を忍耐強く待つ。しかし、ようやくこいつから返ってきた言葉は、

 

「……貴方の言いたいことは何となく分かった。貴方は私を慰めようとしてくれている。ダリアだって、私に対して独占欲を持ってくれている。それが本当なら、私のこの感情だって一概に汚いものと言えないのかもしれない。でも、それでも……だからこそ、私はダリアの重みになっているの。貴方も今言ったでしょう? ダリアは私のために、この処刑を続行しようとしている。私が独占欲を持ったばっかりに、ダリアを苦しませてしまっているの。ダリアの交友関係を、他でもない私自身が制限してしまっている。結局私は、ダリアを少しも理解しようとすらしていなかったというのに……。そ、それなのに、それでもこちらに歩み寄ろうとしているグレンジャーに対して、私は何を考えているのか分からないの。ここ最近ダリアを苦しめてしまっているのに、それでもグレンジャーを許すことも、気を許すことも出来ずにいる。私はグレンジャーに対して、自分が何を考えているかも分からないの……」

 

やはり困惑に満ちた、あまり僕の言葉に納得しているものではなかった。

僕が言えたことではないが……ダリア同様、ダフネも余程友達付き合いが苦手であり、グレンジャーという人間に複雑な感情を抱いているのだろう。

聞けば聞くほど、こいつとダリアが似た者同士なのだと確信する。

『マグル生まれ』であるグレンジャーに何の魅力を感じているのか僕には分からないが、結局こいつの今抱えている感情は、去年のダリアの問題の焼き直しなのだ。ダリアが抱えているダフネへの思いが、結局グレンジャーに置き換わっただけ。なら僕が言えることは……。

僕は一度目をつぶり、去年の忌まわしい記憶を思い出しながら再び話し始めた。

 

「お前も知っているだろうが……ダリアはずっと、自分は家族だけとしか交友関係を持ってはいけないと思っていた」

 

「……どうしてダリアの話を、」

 

「まぁ、聞け。……だが、そこにお前が現れることで、ダリアの考え方が少しずつ変わったんだと思う。お前と仲良くしたい、お前と友達になりたい。お前と付き合っているうちに、ダリアはそう思うようになったんだろうな。グレンジャーに惹かれてはいたが、あいつが本当に仲良くなりたいと思ったのはお前だったんだ。だが、お前も覚えているだろう? ダリアはそれでもやはり、お前と仲良くすべきではないとずっと思っていた。『秘密の部屋』に行くまで、その矛盾にずっと悩み続けていた。僕だって、お前と出会うまでは同じ考えだった。ダリアに友達が出来て欲しい。ダリアが少しでも安心して暮らせる場所を作りたい。そのためには、どうしても僕ら家族以外の理解者が必要だ。でもな……正直難しいとも思っていたんだ。ダリアの事情は簡単に理解され、受け入れられるものではない。中途半端な理解だと、逆にダリアが苦しむ結果になってしまう。だからこそ僕は、ダリアに友達が出来て欲しいと思いながらも、決して警戒だけは緩めなかった。でもな……」

 

僕はそこでダフネの瞳をしっかり覗き込みながら続けた。

 

「お前だけは違った。お前だけは、すぐに警戒しなくてもいい人間なのだと僕は直感した。グレンジャーではない。()()()()。お前はいつだって、ダリアを本当の意味で理解しようとしていた。いつだってダリアを守ろうとしていた。それが傍から見ている僕にですら分かった。そんなお前だからこそ、僕はお前こそがダリアの友達に相応しいと思ったんだ。お前でなかったら、僕がダリアの傍に居ることを許可するものか。お前がダリアにいつの間にか独占欲を持っていようといまいと、お前以外の人間をダリアの傍にいさせることを僕が許すわけがないんだよ。他の奴らがダリアを理解することはあり得ないからな」

 

「でも、私はダリアのことを結局一人に……」

 

そこでダフネが口を挟もうとするが、それがただの戯言であると分かっている僕はそれを更に遮って話し続ける。

 

「あぁ、確かにお前は今回、ダリアを絶対視するばかりで本当にあいつの気持ちを理解出来ていなかったかもしれない。でもな、そんなの当たり前のことなんだよ。たった二、三年しか一緒にいないお前に、ダリアの全てが理解出来てたまるものか。僕だって、ダリアの全てを理解しているとは言えないんだ。……言えるわけがないんだ。なのにどうして、家族でもないお前に、たった数年でそれが出来ると思ったんだ? それこそ傲慢と言うものだ。僕を馬鹿にしてるのか? お前は友達というものに理想を抱きすぎている。僕が言えたことではないが、今まで友達もいなかったお前は友達と言うものに理想像を持ちすぎているんだ。知らないのなら、今から努力すればいい。去年までの、ダリアに友達と認められていなかった時だって、お前はずっとそうしてきたじゃないか? ダリアの事情を少しも知らなかった時ですら、お前は十分ダリアの友達だったじゃないか。それに、お前は決してダリアを一人にしてなんかいない。本当の意味でダリアを理解していなくても、たとえダリアの交友関係を無意識に縛っていたとしても、お前にはダリアの顔が一人でいる時の物に見えていたのか? 去年のように、悲しみを抱えながら、それでも何かを思い求めていた顔に? ……ダリアの表情が分かるお前なら分かるだろう?」

 

僕の質問に、しばらくダフネは思案顔をしていたが……ややあって、ようやく僕の言葉に肯定の意思を示したのだった。

 

「……ううん。ダリアはずっと、こんな私でも傍に居ることを許してくれていた……ように思う。寧ろ私が傍に居ることを、幸福なことだとさえ言ってくれていた……。もうあの時には、私の独占欲に気が付いていたのに……」

 

「そうだ。何がダリアを一人にしていた、だ。何が一人になってほしいと思っていた、だ。何がダリアの重みになんてなりたくない、だ。お前はいつだって、ダリアを一人にしてなんかいなかった。お前はいつだって、ダリアの笑顔を後押ししていたんだよ。そんなこともお前は忘れてしまったのか? それにな……」

 

濁り切った瞳にようやく明るいものが混じりだしたダフネに、僕は更に違う話を畳みかける。

 

「グレンジャーのことだって、お前は結局ダリアのことがあるからこそ悩んでいるんだ。お前自身で答えがでないなら、僕が代わりに言ってやろう。お前はグレンジャーに対して、自分が何を考えているか分からないと言っていたな? そんなこと、傍から見ている僕からしたら簡単なことだ。何せお前の悩みは、去年のダリアの悩みと()()()()だからな。……さっきも言ったが、ダリアはずっとお前と仲良くなりたいと思いながら、ずっと僕たち家族のために、お前と親交を持つわけにはいかないと思っていた。全ては自分の大切な人を守るために……。結局、お前も同じなんだよ。同じなんだ。お前は最初、グレンジャーのことをそれ程不快には思っていなかった。トロールからグレンジャーを助けに行くダリアを止めなかったくらいだ。お前は確実に、グレンジャーに対して仲間意識すら持っていたのだと思う。でも、それが去年変わった。いつ頃かは分からないが、お前はいつの間にか、グレンジャーのことを敵視するようになっていた。一体何が原因なのか、僕はよく知らないがな……。大方グレンジャーがダリアに何かやらかしたのが原因だろう。あいつはポッター同様、何も知らないくせに行動力だけはそれなりにあるからな。でも……それが今年……いや、正確に言えばつい最近、気付けばまた反転していた。具体的にはお前がレイブンクロー生に階段から突き落とされたくらいからだ。お前はいつの間にか、グレンジャーに対して恐怖感や敵愾心を感じなくなっていた。それは僕が今回の処刑を止めると言った時に、僕が言うまで恐怖感を思い出していなかったことから分かっている。……『まね妖怪』がグレンジャーに化ける程の恐怖を、お前は感じていたのにな」

 

「……そ、そんなこと、」

 

「いや、お前の恐怖感は確実に減っているさ。機会があれば今度確かめてみるといい。きっと目に見える形で現れるはずだ。お前がどんなに否定しようとも、な。……とにかく、お前はもうグレンジャーに対して強い恐怖感や敵意を抱いていない。それなのに、何故お前はそんなに迷っているのか……。それはな、お前が結局は()()()()()()()迷っているからだ。ダリアが許していないのに、お前がグレンジャーを許すわけにはいかない。自分はグレンジャーに対して怒りを覚えていなければならない、ダリアを差し置いて自分がグレンジャーに好意を抱いてはいけないと、お前が思い込んでいるからに過ぎない。……お前は結局、ダリアの気持ちを考えていなかった時など一度たりともない。それに……今はもう、お前がダリアを縛っているのではなく……お前の中のダリアこそが、お前の行動を縛っているんだよ」

 

長く話しすぎた。まだまだ時間があると思っていたが、思った以上に時間を使ってしまった。僕はダフネから視線を上げ時計を確認すると、ソファーから立ち上がりながら最後の言葉を投げかけた。

 

「……僕は行くぞ。最後の判断はお前に任せる。僕はお前が来ようが来まいが、僕自身の役割を果たすつもりだ。だが……これだけは最後に言っておく。……おそらくだが、ダリアはお前が思っている程、今回の件に悩みを感じていない……と思う。確かにグレンジャーに対して多少の負い目を感じているだろうが、それでもお前のことに比べたら遥かにどうでもいい問題だと思っているはずだ。お前の悩みが、図らずともダリアの注意を処刑から遠ざけているからな。全部、僕達の思い過ごしだったんだよ。ただ……今回の件が、トロールの時と同じ状況であることは確かだけどな。でも、それでも大丈夫だ。もうダリアには、お前と言う友達がいるのだからな」

 

そう言って僕は、今度こそ談話室を後にしようと歩き始める。

父上に呼ばれてはいないが、ダリアの家族としての義務を果たすために。この作戦はダフネの協力がなければ何の意味もないものであるが、そんなことは僕には関係ない。僕は僕でやるべきことを果たすだけだから。

それに……

 

「……ずるいよ。去年の仕返しのつもり? そんなこと言われたら私はもう……。本当にドラコは狡いね。本当に……貴方はスリザリンらしいスリザリン生で……どこまでもダリアの家族だよ」

 

僕はダフネのことなど、やはり少しも心配してはいないのだから。

少しだけ……そう、少しだけこいつは自分の気持ちに素直になれなかっただけに過ぎない。背中を押してやった以上、こいつがとる行動など決まっているのだ。

だから、

 

「……貴方も気が付いているんでしょう? いえ、気が付いていない振りをしているの? もう貴方のダリアに向ける感情は……()()()()()()()()()()()()()()()()()。貴方のダリアへの感情は、」

 

後ろで微かに聞こえたダフネの声を遮り、僕は振り向きもせず談話室の扉を閉じるのだった。

 

 

 

 

さぁ、これからが勝負だ。

結果の見えた勝負であるが、僕は失敗するわけにはいかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「こんばんは、バックビーク……だっけ? 貴方を助けに来たよ」

 

今私の目の前には、柵から伸びる綱に縛り付けられたヒッポグリフが鎮座している。

ダリアが目を離した一瞬のすきに倉庫に忍び込んだり、演技が絶望的に下手なドラコが倉庫の方をチラチラと見ていた時はどうしようかと思ったけど……ここまで来ても、まだまだすんなりと問題が終わることはないらしい。バックビークは私にお辞儀し返すものの、決してその場から動こうという素振りを見せようとはしなかった。

 

……でも、それでも私はもう躓かない、迷わない。

だって私はもう……うじうじと一人で悩むことを止めたのだから。

 

まだダリアへの独占欲が消え去ったわけではない。いや、ドラコの話を鵜呑みにするのなら、そもそもこの感情は消え去るものではないのかもしれない上、消し去る必要性すらないものなのかもしれないけど……まだ私自身が完全に納得してはいないことは確かだった。

でも、それでも分かる。

今回の処刑が執行されれば、やはりダリアにとってあまりいい結果になることはないことを。

そして何より、ダリアのためという理由だけではなく……私自身が、今回の処刑を自分で止めたいと思っていることを。

だってもう私の中では……グレンジャーは敵ではなく、以前のダリアをいずれ守ってくれるかもしれない仲間だという認識に戻っていたのだから。

 

「笑っちゃうよね。自分の気持ちなのに、ドラコに言われないと気づきもしなかったなんて」

 

私は今小屋の中にいる人たちに聞こえないように、静かに綱を柵から外しながら一人呟く。

ドラコが言うように、私は昔グレンジャーに対して仲間意識すら持っていた。ダリアの最初の友達の座を譲る気は更々なかったけど、それでも将来一緒に何かと苦労の多いダリアを助けてくれるものだと思っていた。

それが去年のクリスマス。あのポリジュース薬から始まる一連の事件が起こり、一度は失ってしまった認識だったけど……いつの間にか、私の中には昔と同じものが戻っていたのだ。

……いや、本当はいつ戻って来たかなんて分かっている。そんなの、

 

『ただ貴女達と友達になりたいだけ。……貴女と友達になりたいだけなの』

 

あの医務室での一夜以外にあり得ない。

思い返せばあの日から、私はグレンジャーに対しての嫌悪感を徐々に失ったのだ。

グレンジャーの真摯な言葉や、今まで私が彼女に行ってきた所業をあたかも気にしていない態度に、私は彼女に対する怒りを保つことが出来なかったのだ。

それどころか、

 

「……本当は、私はグレンジャーに対しての仲間意識を……そもそも失ってすらいなかったのかもね。だって……そうでなければ、私はそもそも彼女に『マグル学』を受ける理由を話しもしなかっただろうから……」

 

私はグレンジャーのことが嫌いになっても、彼女に対する信頼感だけはずっと持ち続けていたのかもしれないのだ。

思い返せば簡単な話だ。私はレイブンクロー生には『マグル学』を受講した表向きの理由を言わなかったというのに、グレンジャーに対しては表裏どちらの理由もすぐに話していた。二人とも同じマグル生まれであるにも関わらず、だ。

理由は簡単。私はおそらく無意識のうちに……私が、

 

『マグルの愚かさを知るため』

 

などと話しても、グレンジャーは決してそんなものを信じない、彼女なら私の『マグル学』を受ける本当の理由を理解してくれると信じていたから。あの時はまだ、私は彼女に対して去年の怒りを感じていたというのに……。

 

ドラコの言葉を受け、ようやく自分の気持ちに整理が付いた。

同じく友達のいなかったであろうドラコに言われるのは癪だけど、彼の言葉を聞いて初めて自分自身のこの気持ちの変遷に気が付くことが出来た。

いざ言葉にしてしまえば、こんなに簡単なことだった。

私は結局、去年のダリアと同じように……自分の中の好意を認めることが出来なかっただけなのだ。

ドラコの言うように、私とダリアはどこまでも似た者同士だった。

去年一人で悩み続けるダリアにヤキモキさせられたけど、そのままの感情をドラコに抱かせていたに違いない。傍から見る分には、さぞ見ていてもどかしくなる一人相撲だったことだろう。

 

「去年は私がダリアを説得したのにね……。情けない話だよ。……今度会った時には、ちゃんとグレンジャーに謝らないとね。あの子には散々迷惑をかけちゃったから……。でも、その前に……ほら、バックビーク、立って! 貴方が死んでしまったら、ダリアが困ってしまうの。だからほら、立ちなさいって!」

 

認めてしまえば簡単なことだった。

私は結局、ドラコの言う通り自分の感情を認めることが出来なかっただけだった。ダリアがグレンジャーの謝罪を受けていないから、私も彼女を許してはいけないと思っていただけだった。そもそもダリアはグレンジャーのしたことを知らない、私が伝えてさえいないというのに……。全ては私の自己満足。ダリアが望んでもいないのに、自分が勝手に自分の中のダリアのイメージに沿っただけの行動。それが今年における私の全てだった。

 

『お前の中のダリアこそが、お前の行動を縛っているんだよ』

 

でも……今は違う。

自分のグレンジャーへの感情を理解した私は、もうダリアへの独占欲だけで行動したりなんてしない。私はもう、自分の感情より大切なものを取り戻したのだから。

今回の件は決してダリアのためや、ましてやグレンジャーだけのための行動ではない。トロールの時と同様、グレンジャーを完全に切り捨てることでダリアが大切な何かを永遠に失えば……多分私との間ですら、ダリアは最終的に壁を作ってしまうようになるだろうから。あの時私がダリアを行かせた理由、それと同じ理由で私は自らの手でこの事件を解決しなければならない。

 

これからもダリアの友達であり続けるために。彼女の心からの笑顔を、ずっとそばで見続けるために。

 

迷いが吹き飛び、いっそ清々しい程の気分の私は、今まで鬱屈していたものを更に発散させるように綱を引っ張る。

心の迷いがなくなった以上、もうこれが最後の難関と言ってもいい。今頃小屋の中ではドラコが時間稼ぎをしてくれているはず。私の背中を押してくれたり、ルシウス氏やダリアの決定に逆らってまで行動を起こしてくれているのだ。そんな彼の努力や決断を無駄にしてはいけない。

そう思い、私は何度も綱を引っ張り……その場から一ミリたりとも動こうとしないヒッポグリフに絶望した。

先程から引っ張っても、前足で踏ん張って動こうとしないのだ。

 

「ちょっと! 貴方分かっているの!? ここにいたら殺されちゃうんだよ! だから動きなさいって!」

 

ヒッポグリフにこの場で出せる範囲の大声を上げても、こちらを睨むばかりで決して歩き出そうとはしない。

私如きの命令を受けたくないとでも言いたいのだろうか。

私は更に力を込めて綱を引く。しかしやはり結果は同じだった。小屋の中からは、

 

『お前には言っていない。僕はもう、お前に何の期待もしていないんだ。老害は黙ってお茶でも啜ってろ。それで、僕に謝るのか謝らないのかどっちなんだ?』

  

『ドラコ! お前、よくもぬけぬけと! バックビークを見世物にした挙句……ダンブルドア先生まで侮辱しおって! よくもそんなことが言えたな!』

 

等と怒号が聞こえ、まだもう少しこちらに来るには時間がかかりそうな様子だったが、あまり油断しているわけにはいかない。

私はヒッポグリフの瞳を睨み返しながら、再度綱を引こうとする。

その時だった。

 

「ちょ、ちょっと待って、ハーマイオニー! 何をしようとして、」

 

「グリーングラスさん! 手伝うわ!」

 

後ろの茂みからグレンジャーさんが飛び出してきたのは。

 

「貴女なら……ううん、貴女達なら絶対に助けてくれると信じていたわ! さぁ、バックビーク! 行きましょう! 私達が自由にしてあげるわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「……ということは、今の貴女は二周目の貴女……ということなんだね? 今のあなた達は城にいる。まさに完璧なアリバイだね。誰も未来の貴女達がここにいるとは思わないからね。……でもそれって私に接触していいものなの? 時間がどうなるか分からないから、絶対に今の時間の人に会っちゃいけないはずじゃないの?」

 

バックビークを何とか茂みの中に連れ込んだ私達は、小屋の中からマルフォイさん達が出てくるのを待っている。そんな中、グリーングラスさんは私の短い説明でも一瞬で事情を理解したようだった。私は二人分の訝し気な視線を受けながら、ただ小屋の方を見つめて応えた。

 

「大丈夫よ。確かにマクゴナガル先生からも、絶対に誰にも見られてはいけない、気が付かれてはいけないって言われているけど……貴女なら事情を知っているし……それに何より、貴女なら絶対に大丈夫だと思ったから」

 

私のあっけらかんとした応えに、横から息を呑む声が聞こえる。

以前であれば、

 

『何が言いたいのか、私にはさっぱり理解出来ないよ』

 

という返事が返ってくるだろう言葉。

でも何故か今回は、

 

「……本当に、貴女には敵わないよ」

 

というどこか苦笑すら感じる返事でしかなかった。

いつもと違う反応に、私は思わず小屋から視線を外してグリーングラスさんの方を見やろうとする。

でもその前に、

 

「……ハーマイオニー、君は一体何をしているんだい? 誰にも見られちゃいけないって言ったのは、他でもない君自身じゃないか。よりにもよって、なんでグリーングラスなんかに話しかけるんだよ!」

 

もはや敵意すら籠った視線を向けてくるハリーによって遮られたのだった。

私はため息を一つ吐くと、ハリーに静かな口調で応える。

 

「仕方ないでしょう? もう時間がなかったのだから。それにグリーングラスさんは信用できるから大丈夫よ。今の時間にいる私達自身ならともかく、彼女は私達の状況も理解してくれているわ。彼女はずっと前から私がタイムターナーを使っていることを知っているから」

 

「……僕達にも言わなかったことを、こいつなんかに話していたのかい?」

 

「……貴方を信用していないわけではないのよ。でも、彼女なら決して他の人に……それこそマルフォイさんにだって話さないと思ったから。それにこの場合、彼女に話しかけなければ話は進まなかったわ。私達はシリウスを救うためにも、バックビークをまず助けなければならない。ドラコ達がいつ外に出てくるか分からない以上、もう時間がなかったのよ」

 

「……シリウス?」

 

「ま、まだその話をしていなかったわね。その事情は後で話すわ! ほら、静かに!」

 

グリーングラスさんの疑念を遮ると同時に、小屋の裏口がバタンと開く。

辺りに静寂が満ち、聞こえるのは私、ハリー、グリーングラスさん三人の息遣い。そしてバックビークが僅かに身じろぎする音だけ。

緊張に満ちた空間。その中に再び響いたのは、

 

「ん? バックビークはどこだ?」

 

そんな魔法大臣の間の抜けた声だった。

魔法大臣に続き、処刑人のカンカンに怒った声が響く。

 

「おい、ここに繋がれているはずだろ! 俺は見たぞ! なんでここにいないんだよ!? まさかハグリッド、お前が逃がしたんだな!」

 

「お、俺は何にもやってねぇ! あぁ、バックビーク! きっと自分で自由になったんだ! なんて賢い奴なんだ!」

 

「……ハグリッド、落ち着くのじゃ。嬉しいのは分るが、今は静かにの。それとマクネア。お主も確認したのじゃろぅ? バックビークがそこに繋がれておったことを。ならハグリッドは無実じゃよ」

 

「……では貴方はどうなのだ、ダンブルドア。森番が無理なら、この場で最も怪しいのは貴方だろう? この責任はどうとるおつもり、」

 

「それこそ言いがかりじゃよ、ルシウス。ワシは何もしておらんよ。ワシも先程まで一緒におったじゃろうに。さて、皆さん、この状況でもまだバックビークを探すのなら空を探すことじゃ。ワシはその間……ハグリッドにお茶を一杯貰っておこうかのぅ。ハグリッド、頼めるかの?」

 

「勿論でさぁ、校長先生!」

 

木の間から見える、大人たちが怒声を飛ばし合っている光景。

よかった、作戦は大成功したみたい。誰もハグリッドやダンブルドアの責任にすることは出来ず、この処刑を推し進めていた人達はただ悔しそうに歯軋りするばかりだ。

でもそんな中……

 

「……なぁ、ハーマイオニー。ダリア・マルフォイ……こっち見ていないか?」

 

「し、静かに! で、でも、確かに……」

 

「……ダリア」

 

マルフォイさんだけは、ただ黙ってこちらの方を見つめていた。

大人達の言い争いに参加するでも、横で彼女を見つめるドラコに応えるでもなく、ただこちらをじっと見つめている。

木々の僅かな隙間の中、私とマルフォイさんの視線が一瞬だけ交差したような気がする。

そんな彼女が動いたのは、

 

「くそッ!」

 

処刑人が癇癪を起して斧を柵に振り下ろした時だった。

シュッという音が鳴ると同時に、彼女は杖を取り出したかと思うと、

 

『デメット、刈り取れ!』

 

畑の中に立っている案山子に向かって、呪文を唱えたのだった。

その場にいた全員が突然の行動に驚く中、案山子の頭が面白いくらい簡単に零れ落ちる。

そしてマルフォイさんはもう一度だけ私の方を一瞥すると、やはり何も話すことなくその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

これが私達の夜の折り返し地点。

この後、

 

「私はもう戻らないと。ダリアがきっと談話室で待っているはずだから。じゃあね、グレンジャー……。また明日」

 

グリーングラスさんと別れ、まだまだシリウスを吸魂鬼から救ったり、その後捕まった彼をバックビークで迎えに行ったりという冒険が続いたわけだけど……それはまた別の話。

 

こうしてこの時、マルフォイさんの()()と共に……バックビークの処刑に関連する事件はようやく終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

決して許したわけではない。

お兄様を傷つける。それはどんな理由があろうとも、私の中では罰せられなければならない大罪でしかない。平時であれば、私はそれを喜んで執行していたことだろう。

でも今は……。

 

私はお父様とお兄様が後ろから続くのを感じなら、黙って城だけを見て歩き続ける。

正直、今の私には誰かと話している余裕などなかったのだ。

黙っていなければ、ダフネへの罪悪感……そして僅かに感じる違和感で押しつぶされそうだったから。

私はグレンジャーの存在を木々の向こうに感じておりながら、それをあの場で追求せず、彼女もろともヒッポグリフを見逃してしまったのだから……。

 

私は愚か者だ。

正確にはあの場にいた三人組の正体を完全に確認したわけではない。しかしこんな時間にあの場におり、尚且つヒッポグリフを逃すなどという行動をとる人間は、グレンジャーさんたち以外にあり得ない。

だからこそ、冷静に考えればあの時彼女を見逃すことは許されることではなかった。私にはダフネのために、この処刑を必ずや成功させなければならない義務があったのだ。私の親友のために、私が他の友達など欲していないことを示すために……。

 

それなのに、結局私はグレンジャーさんを見逃してしまった。更に忌々しいのは、あの見逃した瞬間、ヒッポグリフに対する怒りや、殺さなければならないという義務感を感じてはいても……決して()()()()()()()()()()()自体は感じていなかったことだった。

これでは『まね妖怪』の時から何も進歩していない。私の親友に、口ではなく行動で示すと誓ったのに、私は結局去年と同じように……。

 

「ごめんなさい……ダフネ」

 

静まり返る校庭に私の呟きが僅かに響く。

本来なら誰も応えることのないただの独り言。しかしこの場には、

 

「……何を謝っているんだ? お前がダフネに謝る必要性なんかこれっぽっちもない」

 

幸か不幸か、一人だけ応えてくださる人がいたのだった。

これからのことを思案している様子のお父様を横目に、お兄様が静かな口調でただ一言だけ応える。そしてその一言でお兄様の話は終わりではなく、

 

「……ダリア。お前の考えていることは大体わかっている。でもな、僕から今回の件で何も言うことはない。ただ……ダフネと会った時……明日の朝でもいいから、しっかり話し合え。今までの様に、お互いがお互いに遠慮するのではなくな……。怖がるな。もうお前らはちゃんとした親友なんだから」

 

そんな謎めいた言葉を残し、再び黙り込んでしまったのだった。

お兄様が正直何を言っているのかよく分からない。

でも、それなのに、

 

「……はい、お兄様。そうしてみます」

 

何故か私は自然に頷いていた。

 

どこか……ダフネのためにヒッポグリフを殺さなくてはならない、グレンジャーを見殺しにしなければならないと考える思考自体に違和感を感じながら……。

 




次アズカバン編最終話。その次一話だけ閑話を挟み、いよいよゴブレッド


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銀色の鳥……主人公挿絵あり

 

 ダフネ視点

 

「た、ただいま~。ダリアは、」

 

「ダフネ!」

 

やはりと言うべきか、私が談話室に帰った時には既にダリアはルシウス氏と別れた後だった。談話室に恐る恐る入ると、部屋の中をウロウロしているダリアの姿が見える。

しかし私を見つけた時、彼女の開口一番に発した声音は決して愛する父親と会っていた満足感に満たされたものではなく、どこか緊張感すら感じさせられるものだった。

 

「ダフネ、どこに行っていたのですか!? どこにもいないから心配していたんですよ!?」

 

……どうやらドラコは私の居場所や、私が何をしていたかを伝えてはくれなかったらしい。

怪我の有無を確認するように私の体を触るダリアを宥めすかしながら、私はドラコの方に少し非難するような視線を送る。しかし、ソファーで紅茶を注いでいたドラコは私の視線に応えることなく、ただ視線でダリアの方を指し示すだけだった。自分の事情は自分で話せとでも言いたいのだろう。判断は任せるなんて言っておきながら、結局は私に他の選択肢を与える気などなさそうだ。

私はため息を一つ吐くことで覚悟を決めると、まだ私の体のあちこちを触っているダリアに話しかけた。

 

「ダリア、私はどこも怪我なんてしていないよ。それとどこにいたかってことだけど……私はさっきまで校庭の方にいたんだ。……ヒッポグリフの処刑を止めるために」

 

「……え?」

 

途端にダリアの動きが止まる。

ダリアのことだ。あの時のこちらをジッと見つめる様子から、茂みの中の私達三人組とヒッポグリフの存在は感じ取れていたに違いない。しかし、そのうちの一人が私だとまでは断定出来ていなかったようだった。私の言葉が余程意外だったのだろう。驚いたような無表情を浮かべるばかりで、中々次の言葉を発しようとはしない。

私はそんなダリアの様子に苦笑すると、彼女をソファーに誘いながら続けた。

 

「ごめんね、ダリア。ダリアは処刑を止めないと言っていたけど……それは全て私のためだったんだよね? 勿論怪我をしたドラコのためでもあったのだろうけど……ドラコが処刑を止めると言った時、それでも処刑すると言っていたのは、全ては私のためだったんだよね? 私がグレンジャーに恐怖感を持っているから、彼女の要望に応えるわけにはいかないと思ったんだよね? でもね……もういいの。もういいんだよ、ダリア。もう私のためだけに、グレンジャーに対して無関心になる必要はないんだよ」

 

「ダフネ……何を言っているのですか?」

 

思いがけない事態に困惑するダリアに、私は独白するように話し続ける。

 

「確かに私はグレンジャーのことが怖くて仕方がなかった。彼女に貴女を取られるのではないかと、私は心配で仕方がなかった。そしてそんな貴女に対する独占欲のような感情を、貴女に知られていたことが……恥ずかしかった。貴女に嫌われるかもと思うだけで、貴女と一緒にいることさえ怖くなった」

 

「そ、そんなこと! 私が貴女を嫌いになることなんか、」

 

「そうだよ! そんなことないなんて、当たり前のことだったんだよ! 私だって、それを疑ったわけではなかった! でも私は……私自身を信じることが出来なかったの! ダリアに私を信じてと言ったのに、私が私を信じてはいなかった! 初めての感情に戸惑うばかりで、自分自身さえ最後には見失っていたの! だから処刑が近づくにつれて、私はどんどん自分を見失っていた。グレンジャーのことで貴女に無理を強いているのではないか、貴女のやりたいことを私なんかが制限しているのではないかって……ずっとそんなことばかり考えていたの。でも、ドラコに言われて初めて気づいた。本当に処刑を止めたいと思っているのはダリアではなくて……」

 

「……ダフネ、大丈夫ですか?」

 

多分ダリアからしたら、私の言葉は支離滅裂で何を伝えたいのかすら分からないものなのだろう。突然意味不明な行動を暴露したかと思えば、更に意味不明な独白をするのだから当然。先程から私を心配そうな無表情で見つめるばかりだ。実際私だって自分が何を言いたいのかよく分かっていない。友達に自分のことを伝えるなんて、私にとっては初めての行動なのだから。

でも、そんな中でも一つだけ分ることがある。

それは……私が処刑を止めたというのに、ダリアは驚きこそすれ、私に怒りを覚える様子はないということだ。ダリアの中に、やはりもうヒッポグリフに対する怒りはそれ程残っていなかったのだ。いや、正確にはあの案山子の首を切り落とすことで、自分自身の中の怒りと折り合いをつけたのかもしれない。でもそうであったとしても、グレンジャーに頼まれた段階で、ヒッポグリフへの怒りはその程度のものとなっていたのは間違いなかった。

私はそんな事実に以前のような恐れを感じることなく、逆に喜びすら感じながら考える。

 

私の行動は、やはり間違ったものではなかった。怒りや憧れではなく、私への義務感で動いていたダリアを止める。それは私とダリアが今後も対等な友達であるために必要なことだった。……私とグレンジャーが、再びダリアの仲間になるために絶対に必要なことだったのだ。

 

「大丈夫だよ。ごめんね、訳が分からないよね。でも……これだけは聞いて。ダリア、私達には今まで友達と呼べる存在なんていなかった。だから私達にとって、お互いは初めてできた友達。これからもずっと、私達は一緒にいるんだと信じて疑わなかった。でも、それだけじゃだめなの。私達は、もっとお互いのことを話し合うべきなんだと思う。光の部分も、それこそ闇の部分も。勿論隠し事をするなというわけではないの。誰にだって親友にも話せないようなことはある。でもね……今回は別。私達はお互いを守ろうとするあまり、結局お互いを傷つけあうばかりだった。だから……これからはもっと話し合おう? 私達はもう親友なんだから。……手始めにグレンジャーについて話し合おうか? ダリアはあの子のどんな所に興味を持ったの?」

 

「……何故そこでグレンジャーのことなのですか? 私はグレンジャーに対して何とも、」

 

「いいからいいから」

  

私達は夜通し語り合う。ドラコは途中ソファーで眠りこけていたけど、私達はここ最近のギクシャクした関係を埋めるかのように語り合った。

何かが変わったわけではない。ダリアが今回の行動の理由を理解することはなかったし、最後までグレンジャーのことを認めることもなかった。そして私も私で特に踏み込めた話が出来たわけではない。結局いつものじゃれ合いに毛が生えたようなものだ。

 

でも、それでいいと思った。

ゆっくりでもいい、時折後退したっていい。

だって私は……グレンジャーのお願いを聞くことで、初めて自分自身をダリアの友達だと認めることが出来たのだから。

 

 

 

 

これが私の一夜限りの冒険の終わり。

微睡みのような友情から、ようやく自分自身と向き合うことを決めた始まりの一日。

そして……

 

『あぁ、ルーピン。昨日は随分とはしゃいでいたようだな。()()()()()()()()()、さぞ満月の晩は楽しかったことだろう』

 

スネイプ先生が朝食の席でルーピン先生の秘密を暴露することで……ダリアの慕っていた数少ない先生がいなくなってしまう数時間前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

「それじゃぁ……さようならだ、ハリー。たった一年とはいえ、君の先生になれて嬉しかったよ。またいつかきっと会える。それまでは……元気にしているんだよ」

 

私は部屋に訪ねてきたハリーを残し、一人城の外を目指し歩き始める。

背中にハリーの悲しみの籠った視線が突き刺さるが、私は決して歩みを止めはしない。

……私はもう、この学校の教師ではなくなったのだから。

今朝シリウスが逃亡したことで怒り心頭のセブルスが、私の体の秘密を遂にダリア以外の生徒にも暴露してしまったから……。

今頃シリウス再逃亡の知らせなどそっちのけで、生徒達は自分の親にこのセンセーショナルなニュースを伝えていることだろう。後少しでもここに居座れば、大量の抗議文が私の下に届くのは想像に難くなかった。

勿論彼が暴露しなかったとしても、私は自ら今日の内に辞表届は出したことだろう。

どう言い訳しても、私は昨日『脱狼薬』を飲み忘れた。そして未遂とはいえ、ハリー達を襲いかけてしまった。その事実がある以上、私にはもう教師を続ける資格などありはしない。ここはとても居心地がいい仕事場ではあったが、私にもうここに居残る権利などありはしないのだ。

 

しかし……そんなどうしようもない状況であっても、私の心の中は不思議と穏やかなものだった。セブルスへの怒りは勿論のこと、自身への自責の念で一杯になることはない。寧ろ晴れやかな気持ちであるような気さえする。

今まで心の奥にたまっていた淀みの様な感情が綺麗さっぱりなくなっていた。

 

昨日の夜、『暴れ柳』下のトンネルを潜り抜けた先、あの青春の思い出が詰まった『叫びの屋敷』で、私はシリウスの真実を知った。裏切ったと思っていたシリウスが、その実友を裏切ったわけではなかった。私がこの14年近くの間持っていた劣等感が、実は間違いだったのだと知った。……私達のあの輝いた日々は、決して嘘ではなかったのだ。

教師でなくなったとしても、この久方ぶりに感じた幸福感を打ち消すことは出来なかった。

現金な話だ。あれだけ悩んでいたというのに、たった一夜友と語り合うだけで悩みが消えてしまうのだから。

 

私は大広間前の階段を降りながら考える。

これでもうここで思い残すことは()()()()ない。

最後の試験内容はもうマクゴナガル先生に伝えており、この試験さえ終われば私の一年間での授業は完遂することが出来る。そして個人的に行っていた授業、『守護霊の呪文』における授業も、生徒の一人であるハリーが昨日守護霊を出せたことは本人から確認済みだ。彼の幸福は……失った両親を含めた親しい人間に囲まれること。その幸福感に集中することが出来た彼は遂に守護霊を完成させ、一匹どころか大勢の吸魂鬼を撃退した。もう私が彼に教えられることは何もない。彼はこれからも研鑽を続け、両親に恥じない立派な魔法使いに成長することだろう。

そう、私にはもう、ここでやり残したことなどほとんどない。

後私が唯一心残りとすることがあるとすれば、

 

「……先生。行ってしまわれるのですね」

 

「……あぁ、ダリア。君も見送りに来てくれたのかい? ……君は私が狼人間であることを最初から知っていた。なら他の生徒の様に恨み言ということはないだろう? ……すまない、軽口が過ぎたね。君のことだ。止めに来てくれたのかい?」

 

「……いいえ。聞いたところでは、先生は昨日薬を飲み忘れてしまったのですよね? なら、私に貴方を止めることは出来ません。……それにたとえ止められたとしても、先生自身も辞職を取りやめなどしないでしょう?」

 

「そうだね……。あぁ、その通りだ……」

 

ダリア・マルフォイのこと以外にありはしなかった。

思い返せば彼女は最初から不思議な存在だった。ダンブルドアの話を聞くまで、私の中での彼女はただ少しばかり無表情が過ぎる子でしかなかった。それが去年のホグワーツで起こった事件のことを聞いたことで変わり、私は彼女に最大限の警戒を持つようになった。

どこか実際に見た彼女とのギャップを感じながら……。

それがどうだろう。彼女に私が狼人間だということが露見し、いざ彼女と接する機会が増えてくると……私はいつの間にか、彼女に対しての警戒感を維持することが難しくなってすらいたのだ。挙句の果てに私はダンブルドアに、

 

『ダンブルドア……貴方が仰るのです。ダリアは確かに、去年『秘密の部屋』に関わる何かを実行したのかもしれません。ですが……私は思うのです。彼女は……本当に闇の魔法使いなのでしょうか? 私は彼女と授業で接していて、どうしても彼女を悪だと思うことが出来ないのです。彼女の言葉を信じるのならば、彼女が『守護霊の呪文』を習得したいと思った理由は家族のため。私の前での彼女は、ただ家族のことを大切に思う心優しい少女でしかない。それに彼女は私のことを周囲に……今の今まで漏らした様子はない。そんな彼女が、本当に悪い人間だと断言できるのでしょうか?』

 

ヒッポグリフの処刑日直前、そんなことまで意見するようになっていた。

本当に不思議な少女だ。私が今まで出会ってきた人間の中で、断トツとも言える程不可思議な少女。一見無表情で何を考えているか分からないどころか、ともすれば他人を見下しているようにさえ見えるというのに……角度を変えれば色んな表情や一面が見える様な気がしてくる。こうして城を追い出される段になってしまえば、寧ろ何故あんなにも恐ろしいと思っていたのかすら分からなくなる。

私はそんな未だに理解しきれているとは言えない少女に、少しだけ後ろめたい気持ちを感じながら続けた。

 

「……すまない。君との取引は、君に『守護霊の呪文』を習得させることだったというのに、それはどうも完遂することが出来なさそうだ」

 

「いいえ。仕方がないことです。悪いのは先生ではありません。あれ程親身になって授業をしてくださったというのに、それでも習得出来なかった私が悪いのです」

 

ダリアの返事に私は僅かに苦笑を浮かべる。

やはり不思議な少女だ。

私の唯一の心残り。ハリーとは違い、ダリアには最後まで『守護霊の呪文』を習得させられなかったというのに、彼女はやはりどこまでも私を責めることはなかった。ホグワーツ最後の時間だというのに、益々彼女のことは分からなくなるばかりだ。

そんなダリアは私の笑みに僅かに首を傾げた後、仕草同様訝しそうな声音で続けた。

 

「……何かいいことでもあったのですか?」

 

「ん? 何故そう思ったんだい?」

 

「いえ、ここを追い出されるというのに、あまり悩んでおられる様子ではないので。最近あったことといえばスネイプ先生が遂にやらかしたことと……殺人鬼の逃亡くらいしか思いつきませんが……何か他にありましたか?」

 

仕草はともかく、彼女の表情自体はいつも通りの無表情だ。表情だけなら、私からは彼女の心情を推し量ることは出来ない。だが彼女の方からしたら、私の心情は表情から明らかなのだろう。私が何故晴れやかな表情をしているのか不思議がっている。

本来警戒すべき相手だったとはいえ、ここまで一緒に学んできた仲なのだから、それなりに真実を言うことは私もやぶさかではない。

しかしまさか彼女の質問に、

 

『実はシリウスは私の学生時代からの友達でね。彼が再び逃亡したのが嬉しいんだよ』

 

などと馬鹿正直に応えるわけにはいかない。

私は少しだけお茶を濁した回答をすることにした。

 

「……実はつい最近、昔の友人と連絡をとる機会があってね。彼とは昔喧嘩をして以来、随分連絡をとっていなかったのだけど……それがようやく仲直りすることが出来たんだ。私は彼が裏切ったものだと思っていたのだけど、それが違うとようやく分かったんだ。だからここを追い出されることになっても、もう私は孤独ではない。そう、私は思えるようになったんだよ」

 

具体的な内容を一切含んでいない、どこか掴みどころのない話。事情を知らないダリアからしたら意味の分からない話だろう。

だがそんな私の話にも彼女は決して嫌な態度をとることなく、

 

「……そうですか。いえ、友達が誰かなど知りませんし、先生の事情もよく分かりませんが、先生がご納得しているのならよかったです。少なくともまた孤独の生活には戻ることはなさそうです。本当に……安心しました」

 

今までとは違う、どこか優しさすら感じさせる無表情で応えたのだった。

今まで見たことのないダリアの表情に、私は一瞬思考が停止する。そんな私をよそに、いつもの無表情に戻りながらダリアは質問を続けた。

 

「ですがいくら友達との仲が戻ったとしても、職を失うことに変わりはありません。ここを出てからはどうするのですか? そのお友達の所でお仕事を?」

 

「い、いや、それが仕事自体が決まっているわけではないんだ。友人も人を雇える程余裕のある生活は送っていなくてね。気分は晴れやかだけど、幸先自体はあまりよくない。どこかにいい仕事があればいいのだけどね。これからゆっくり考えるさ」

 

「そうですか……。成程、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

後半は小声だったため何を言っていたのか分からないが、ダリアは私のしどろもどろとした答えを聞いたきり、何かを考え込むように黙り込んでしまう。私も私で、そんな彼女に何と会話し続ければいいのか分からなかった。

そしてそうこうしている内に……時間が来てしまう。

沈黙に耐え兼ね時計を確認すると、まだ汽車の出発まではいくばくかあるものの、もうそろそろ移動しておいた方がいい時間になっていたのだ。

私は咳払い一つすると、今度こそ最後のお別れをダリアに告げる。

 

「では、ダリア。お別れの時間だ。ハリーとも先程会ったのだが、君にも最後に会えて嬉しかったよ。それと改めて、君を最後まで指導することが出来ず悪かったね。もし次があるとすれば……その時にまだ君の守護霊が完成していないようであれば、及ばずながらまた見させてもらうね」

 

「……はい、先生もお元気で。その時はまたよろしくお願いします。……先生も、その時には守護霊を再び出せるようになっていることを祈っています」

 

最後の最後に痛い所を突かれてしまった。確かに次と言われても、不完全な守護霊しか出せない私では説得力がないだろう。

私はダリアの返事に肩をすくめると、最後の授業と言わんばかりに杖を振り、

 

『エクスペクト・パトローナム。守護霊よ来たれ』

 

二人の友人を失った日からずっと完全な形を取らない守護霊を出そうとした。

……だが私の杖から出てきたのは、

 

「な、なんてことだ! いつのまに!」

 

不完全な靄なのではなかったのだ。

 

 

 

 

私の杖の先には……完全な形をした、銀色の狼が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

誰もいない大広間前のロビー。それこそ私とルーピン先生しかいない空間に、私の声が木霊する。

 

「完成していますね……。おめでとうございます。いつの間に完成させていたのか知りませんが、何か思い当たる節はありませんか?」

 

本来であればここに先生との別れを惜しみに来たわけだが……私はそんなことも忘れ、どこか藁にもすがるような気持で先生に尋ねた。

情けない話だが、今年もいよいよ終わりに近づき、それどころか肝心の吸魂鬼がホグワーツから離れる段になっても、私は未だに『守護霊の呪文』を習得してはいない。あれだけお兄様やダフネを守ると誓ったというのにだ。いくら吸魂鬼がいなくなったとしても、大切な人を守ることが出来ない可能性など許容出来るはずもない。

だから私はこれが最後の希望だと思いながら、ルーピン先生に縋るような気持で尋ねる。これからも、私がお兄様達を守り抜けるように。

しかしそんな私の思いに応えたのは、

 

「……何故だ? つい先日まで、確かに私は守護霊を出せなくなっていたはず。それが何故、今になって出せるように……。この城を追放される段になって何故……。私の中で変わったこと、そんなことは……」

 

しばらくしてからのことだった。

先生は自分で守護霊を出したというのに、どこか困惑したように独り言を繰り返す。

そして、

 

「……あぁ、そういうことか。そういうことだったのか。成程、ようやく合点がいった。結局、ダリアへのアドバイスはそのまま私に当てはまることだったのか。まったく、私は最後まで……」

 

一通り何か呟いた後、ようやく私に向かって最後のアドバイスを始めたのだった。

 

「ダリア……。ようやく分かったよ。私が何故守護霊を出せなくなったのか。そして何故、君が守護霊を出せていないのかを。……私は以前君に、君の幸福な記憶がまだ十分ではないから守護霊が出せないのだと言ったね。あの時君は否定したし、私も君がそう言うのならそうなのだろうと思ったが……。やはり私の言ったことは間違ってはいなかったんだ。いや、少なくともあの言葉は、私には当てはまっていたことなんだ。私は……私達は、幸福な記憶に集中しきれてなどいなかった」

 

「いえ、そんなことは、」

 

「いや、最後まで聞いてくれ。私の幸福な記憶は、学生時代に私を受け入れてくれた友達と共にあった時間。あの時の私は、彼らが受け入れてくれるなら、こんな私でも生きていてもいいんだ、こんな私でも立派な人間であれるんだと思えていた。……こんな私だからこそ、彼らと仲良くなれたのだと思った。それがどうだ。友に裏切られたと思った時、私は守護霊を出せなくなった。幸福だと思っていた時間が、実はただの嘘だと思うようになってしまったんだよ。……私は自分自身に価値を見出すことが出来なくなったんだ。……だが、それが再び出せるようになった。先程も言ったね? シリウ……友人とようやく仲直りすることが出来たんだと。彼と仲直りした瞬間、私は再び守護霊を出せるようになった。ここまで言えば分るだろう? 私は君に偉そうなことを言っておきながら、実は自分こそが幸福に集中してはいなかったんだよ。……幸福な記憶を、どこか自分のせいで台無しにしてしまったのだと思っていたんだ。……私は、自分自身を汚い存在だと思ってしまっていたんだ」

 

「……」

 

沈黙する私をよそに、先生は真摯な視線を私に向けながら続ける。

 

「勿論君も私と同じだと断言することは出来ない。私がそうだったというだけで、君もそうだと断言するのは間違いだ。だが『闇の魔術に対する防衛術』を一年間教えてきた私に、それ以外の理由が思いつかないことも事実だ。……ダリア、これが最後の授業だ。どうかもう一度だけ考えて欲しい。間違っていたらそれはそれでいい。だがもう一度だけ……。君は本当に、幸福な記憶に集中しきれているかい? どこかそれが嘘だと。自分こそがその幸福を汚している存在だと思ってはいないかい?」

 

「……」

 

先生の言葉に、やはり私はすぐに返事をすることが出来なかった。

言葉を切り真摯な表情でこちらを見つめる先生の前で、私は言葉もなく立ち尽くす。

何故なら……先生の言葉に、私は思い当たる節しかなかったから。

 

『幸福な記憶を、どこか自分のせいで台無しにしてしまった』

 

思い返せば、先生の言う通りだった。

私の思い浮かべる幸福な記憶。それはマルフォイ家やダフネと共にあること。そして……こんな怪物である私を、彼らが受け入れているということ。

私の幸福な記憶の中には……常にそれを穢す私という存在があり続けていた。

 

『君は本当に、幸福な記憶に集中しきれているかい? どこかでそれが嘘だと。自分こそがその幸福を汚している存在だと思ってはいないかい?』

 

分かれば簡単な話だ。

いくら素晴らしい人間に囲まれていることを幸福に思っていても、そんな彼らを穢してしまっていると思っていてはその幸福感に浸りきれるはずがない。

自身が怪物であることが当たり前のことだと思い、ずっとそんな簡単なことに気付いていなかったが……先生に指摘されることでようやく気付くことが出来た。

何故今まで不完全な守護霊しか出せなかったかを。

そして……

 

「……成程。言われてみれば、私は幸福な記憶に集中しきれてはいなかった。私の記憶には、常に私という穢れた存在がいた。確かに先生の言う通りです。ですが……ならばどうすればいいのですか?」

 

「ダリア?」

 

これからも、決して私は守護霊を完成させることは出来ないだろうという事実を。

 

「……私は私のことが大嫌いです。それは多分これからも同じ。私はどう頑張っても……私にしかなれないのだから。マルフォイ家やダフネは、こんな私でも愛してくれている。でも、私という汚らわしい存在が変わるわけではない。こんな私が、一体どうやって自分を認めろというのですか?」

 

私が絞り出すように話し終えると、再びロビーには気まずい沈黙が満たされる。

気を利かせてくれた先生が再び口を開いても、

 

「……私が言っておいてなんだが、君がそんなことを言うなんて正直驚いたよ。君がそんな風に自分のことを考えているなんて、私は想像もしていなかった。君はこの学校で……いや、この学校が始まって以来一番優秀な生徒だと多くの先生が言っている。家柄だって……まぁ、()()()()()()()()恵まれたものと言えるだろう。それなのに何故、君は自分のことをそこまで嫌いなんだい?」

 

「……()()()が知る必要のないことです」

 

そんな失礼極まりない返事しか出来なかった。

こんなつもりはなかった。今年一番お世話になった先生がここを去るのだ。たとえ先生が私に警戒心を持っていたとしても、せめて最後くらいは笑顔で送り出して差し上げたかった。

でも、私自身に向ける感情のせいで守護霊を習得できないと言われて、私は自分自身を抑えることが出来なかったのだ。

 

こんなことになるのなら、先生の見送りになんか来るのではなかった。こんなことなら、先生の答えなんて聞きたくなかった。

 

沈黙の中、私は遂にはそんな身勝手なことすら考え始める。

そう、

 

「ダリア……。私は君の事情を知らないし、君が私に……いや、ダンブルドアに自分の事情を知られたくないと思っていることも理解しているつもりだ。だが、そうだな……少しだけ私の話を聞いてほしい」

 

先生が優しい声音で再び話し始めるまでは。

老害がポッターに向け、決して私には向けることのない……どこか見守るような優しい視線を送るまでは。

 

「先程も言ったが、私は自分自身に価値を見出すことが出来なくなったから守護霊を出せなくなった。だが、昔は出せていたんだ。この狼人間である私がだ。君も知っている通り、私達狼人間は世間から怪物だと思われている。当然だ。満月の時期になると親しい人間ですら襲ってしまうのだからね。皆が恐れるのは当然のことだ。特に『脱狼薬』がなかった当時なら尚更だ。でも……本当に小さい頃狼人間になった私には、そんな風に達観した考えを持つことが出来なかった。周りの人間どころか、親にさえ内心疎まれていた私はよくこう思っていたよ。自分は人間の形をしているだけの怪物だ。そんな怪物の私はいつか誰かを襲ってしまうことで、このつまらない人生を終えるんだろうなってね」

 

どこかで聞いたことのあるような話だ。

そう思っている私に、先生は静かな口調で続ける。

 

「だが、ダンブルドアの御厚意でこの学校に入り、そこで……ある人達と知り合うことで、私の考えは変わった。彼らは私とは同級生だった。彼らは何かと派手な人間達でね。その才能をいつも下らないことに発揮してばかりの奴等だったよ。丁度グリフィンドールのウィーズリー兄弟みたいにね。そしてそんな彼らが……ある日僕に近づいてきた。こういっては何だが、僕も学生の頃は優秀な生徒だったからね。彼らの悪戯のために、私の才能が必要だと思ったのだろう。私は最初、彼らと仲良くするつもりなんてなかった。愉快な奴らだとは思っていたよ。でも、私には誰とも仲良くなるわけにはいかない事情があった。満月の時期には、私はとある場所に隔離されることになるからね。私が狼人間であることが露見すれば、彼等から避けられるどころか、この学校にさえいられなくなる。だから私は決して彼らと仲良くなるわけにはいかないと思ったんだ」

 

それはやはりどこまでも……私と同じで。

 

「でも、ある日私の秘密が遂にバレた。原因は……私が結局、彼らを邪険にし続けることが出来なかったからだ。私がいくら拒絶しても、それでも私と仲良くしたいという彼らに、私は悪感情を持つことが出来なかった。彼らを拒絶することが出来なかった」

 

どうしようもなく、共感を感じざるを得ない話だった。

 

「愚かな話だろう? 結局私の中途半端な態度が自分自身を苦しめることになったんだから。あの時の私はとても後悔したよ。何故彼らを拒絶しなかったんだろうかってね。私がきちんと拒絶していれば、私も……彼らも傷つくことはなかったのにってね。だが……」

 

「……だが?」

 

「彼らは私の秘密を知っても、それでも私に近づくことを止めなかった。それどころかアニ……ちょっとした違法行為を犯してでも、満月で怪物になり果てた私の下にやってきたんだ。彼らには私が狼人間であることなんて関係なかったんだ。彼らはこう言っていたよ。私はただ毛深いだけだってね。私の秘密を周りに言いふらすなんてことをせず、私をそれでも友達だって言ってくれた。それからは輝かしい日々だったよ。満月になっても、彼らと一緒に過ごす本当に輝かしい時間。私はいつの間にか……狼人間でよかったとすら思えるようになった。狼人間でなければ私達は知り合うことも、あれ程仲良くなることもなかっただろうからね。私達三人は、それ程素晴らしい友達関係だったんだ。そうだな……君で言うと、君とダフネと同じくらい仲が良かったように思う。本当にいい友達だったよ」

 

そう言い切った先生は、最後にやはり優しい瞳をしながら話を締めくくった。

 

「私の事情が完全に君のものと一致しているとは思わない。寧ろ君からすれば、私が何を話しだしたのかすら分からないかもしれない。だがもしかしたら……君には少しだけ私のことを理解出来ている、そう私には思えて仕方がないんだ。根拠なんて全くないのだけどね。でも、もし私のこの直感が正しいのなら……少しだけ考えて欲しい。君は自分のことが嫌いだと言ったが、本当にそれは悪いことばかりだったのかい? それがなければなかったことや、それがなければ出会えなかった人達がいはしないかい? もし少しだけでも心当たりがあるのなら、この場だけでもいい。自分を少しだけ……少しだけでも許してあげたらどうだい? そうすれば、君はきっと守護霊を出すことが出来るようになることだろう。……きっと少しずつ、自分のことを好きになることが出来るだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

長々と語ってしまったが、何故自分がここまで踏み込んだ話をしてしまったのか、正直自分自身でもよく分からなかった。

ただ授業を完遂できなかったということだけの後悔のはずが、何故こんな自らの身の上話になってしまったのだろう。

だがそんなことを冷静に考えている思考の中で、それでもダリアなら私の話に共感してくれるのではと思う自分がいたのも確かだった。私とは似ても似つかない境遇にいるはずのダリアに、何故か私はどうしようもなく共感を感じていたのだ。

そしてその思いは、

 

「……それがなければなかったことや、それがなければ出会えなかった人達」

 

あながち間違いではなさそうだった。

ダリアは何かを考え込むように、目をつぶり私の言葉を繰り返す。彼女の様子から、私の言葉に何か感じ入る部分があったことは間違いなかった。

私はそんな彼女を見守りながら、じっと彼女の中に何かしらの答えが生まれるのを待つ。

 

私がこの学校にいられるあと僅かな間に、彼女が少しでも救われるように……。

 

私は……いや、私どころか、この世で何一つ知らないものがないはずのダンブルドアでさえ、ダリアのことを何も知らない。彼女について知っていることと言えば、彼女がドラコ・マルフォイの双子の妹であるという、そんな誰でも知りえているような事実しか知らない。そんなもの何も知らないのと同じことだ。

それなのに、私は彼女を苦しめていた。彼女が去年の事件に関わってたとしても、確たる証拠がない以上彼女を疑うことは……()()()()()あまり褒められたことではない。

だから私は出来ることなら少しでも贖罪をしたい……そう無意識に思ってしまったのだ。それに一年間だけの教師とはいえ、授業を完遂せずにここを去るのはあまりにも寝覚めが悪い。

そして、

 

「……先生と私では抱える事情が全く違う。先生と違い、私の事情は改善することすら叶わない。でも、それでも……。あぁ、先生の言う通りですね。もし私がそうでなければ……私は決してお兄様やダフネ達とは……。皮肉なものです。本当に世界は理不尽で……残酷。でもそれだけではない。先生はそう言いたいのですね。ならば……」

 

そんな私の思いは無駄になることはなかった。

少しの間ダリアは目を閉じていたかと思うと、ふと目を再び見開き、

 

『エクスペクト・パトローナム。守護霊よ来たれ』

 

その呪文を唱えたのだった。

しかも杖から出た銀色の靄は、今までの不確かな形ではなく、

 

「これは……『()()()()()』のようだね」

 

未だに完全とは言えなくとも、確かに何の生き物か分かる程度の形にはなっていた。

 

「……今までただの鳥の形でしかなかったのに、こんなことで少しでも前に進むなんて……。しかし……」

 

私は自分ですら驚いている様子のダリアに、思わず拍手を送りそうになりながら応えた。

 

「おめでとう、ダリア。まだ完成した守護霊とは言い難いが……これでやっと前進することが出来た。しかし君の守護霊がまさかオーグリーとはね」

 

目の前に羽ばたく銀色の守護霊はおそらくハリーが出したものほど完全なものではなく、吸魂鬼もそれ程大勢の数を撃退できるものではない。形も未だに霞の域からは脱していない。

しかしこのおぼろげな形からでも、私達は何の動物かくらいは判別することが出来た。この特徴的なシルエットを、私達が見間違うはずなどない。

 

ほっそりとした悲し気な目つき、そして小型のハゲワシのようなシルエット。アイルランドの()()()として知られる『オーグリー』で間違いなかった。

 

オーグリーの形を僅かに保った守護霊は、その動物と同じく儚い軌道で飛び、やがて虚空に消えてゆく。

私は今度こそ拍手をすることでダリアの進歩を祝福しようとした。しかし、ダリアはどうやらこの成果を手放しに喜ぶ気持ちにはなれなかったらしい。いつもの無表情とは裏腹に、どこか不満そうな声音を隠そうともせず続けた。

 

「……本当に、私にお似合いの守護霊でしたね。オーグリーはその鳴き声から死を予兆すると言われる鳥。私には実にピッタリです」

 

ダリアの反応に思わず苦笑が漏れてしまう。表情はやはりいつもの冷たい無表情にしか見えないが、どうやら今日の彼女は少しばかりナイーブな思考をしているらしい。いつもであればオーグリーのもう一つの話に気付くだろうに、ただ世間一般に知られている負の一面しか見ていない。これではいつぞやの授業で、自身が守護霊を出せなくなったと告白した私とあべこべだ。

私は何故苦笑されてるのか分からない様子のダリアに話しかける。

 

「それはどうかな。確かにオーグリーは世間一般では死を予兆すると言われているね。私は聞いたことないが、何だか胸が張り裂けそうになるような哀しい鳴き声なんだってね。しかしそれは世間一般での話でしかない。優秀な君のことだ。たとえ『魔法生物飼育学』を受講していなくとも、本当ならオーグリーのことは知っているのだろう? ……本当は、別に彼らの鳴き声は死の予兆でも何でもないってことを」

 

「……」

 

「気付いたかい? いや、思い出したかい? そう、オーグリーの鳴き声は本来、ただ雨が近づいていることを知らせてくれるものでしかない。ただそれを人間が勘違いしていただけだ。一時期天気予報にオーグリーを飼うことが流行りもしたが……それもすぐ廃れてしまった。彼らはまた死を予言する不吉な鳥に逆戻りだ。悲しいことにね……。だから君はそんなに自分のことを嫌う必要などない。他ならぬ君が生み出した君自身の形だ。()()()()()()()なだけで、君も自分の形を誤認する必要なんてないさ。実に君らしい……本当に綺麗な守護霊だと私は思うよ」

 

本心からの言葉だった。

ダリアのオーグリーを見た瞬間、私は今まで感じていた違和感のような何かにようやく気付けたような気がした。

 

あぁ、そうか……彼女はただ勘違いされやすい、ただ表情がないだけの女の子でしかなかったのだ、と。

 

銀色の鳥の形をした彼女の内心を見て、私はようやくその考えに行きつけたような気がしたのだ。

ダンブルドアの守護霊と同じ不死鳥でありながら、彼のものとは違い、どこまでも誤解や偏見に満ちたその鳥を見て……。このホグワーツ最後の瞬間に……。そう、

 

「あ! す、すまない、ダリア! もう本当に行かなくては! 走って間に合うだろうか……。と、とにかく、君が最後に守護霊を習得出来て良かったよ! これで心残りなくここを去れる。ではね、ダリア! 機会があればまた会おう!」

 

本当に最後の最後の瞬間に。

思い出したように時計を見た瞬間、私はもう本当に時間がないことに気が付き走り出す。

 

何故か、

 

『先生……私はずっと先生を信じていたのに! 私は誰にも言わなかった! マルフォイさんは先生のことを知っていても周りに言わなかった! ()()()()()()()()先生なら大丈夫だと信じているのなら、私だって先生を疑う必要はないって、ずっとそう思っていたのに……! でも、先生はずっとマルフォイさんを()()()()()()()()! 先生はずっとシリウス・ブラックとグルだったのね! 狼人間なんか信じるべきではなかった!』

 

昨夜シリウスを助けた際、未だに彼のことを誤解していたハーマイオニーの発した言葉を思い出しながら。

彼女の言葉の中に、グリフィンドール生でありながらダリアを信じているという言葉があったことに……何故かほんの少しの安堵感を覚えながら。

だから急ぐだけでなく、そんな取り留めのない考えに支配されていた私は、

 

「……先生、ありがとうございました。先生の未来に祝福を。どうかこれから、少しでも先生が心穏やかに過ごせますように。……たった一年でも、先生との出会いは何物にも代えがたいものでした」

 

背後で小さく呟かれた言葉と……彼女が見せていた、無表情ではない本当の笑顔に気付くことはなかった。

 

 

 

 

こうして、私の一年という短いようで長かった教師生活は終わりを迎えたのだった。

 






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イラストレーター、ジンドウ様に描いていただいた作品


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終わりの始まり

 

 ダリア視点

 

殺人鬼の再逃亡とルーピン先生の件で一時は城中大騒ぎであったが、試験期間中ということもあり騒ぎ自体はすぐに落ち着いていた。あれだけ朝食の席に舞い込んでいたフクロウ便も、抗議先の先生自身がいなければ意味はないと2日で収まった。今朝もいつも通りの静かな朝でしかない。

今まであれだけ先生の授業を楽しみにしていたくせに、狼人間だと分かった瞬間手のひらを返した生徒達でさえ、

 

「次の教師は一体誰が来るんだろうな?」

 

「……吸血鬼なんじゃないか? 狼人間でなければなんでもいいよ。狼人間に比べれば吸血鬼の方が有難いくらいさ。勿論どちらも願い下げだけどな。そんなことより夏休みはどうするんだ?」

 

「それこそ決まってるだろぅ! 今年はなんといってもクィディッチ・ワールドカップがあるんだからな!」

 

今では試験明けの夏休みの方が遥かに重要な話題である様子だ。

先生がいなくなったとしても、城の中には穏やかな時間が流れている。そして唯一残った『闇の魔術に対する防衛術』の試験も、

 

「ではこれより試験を開始します。幸いにもルーピン先生はここを去る前、私に試験内容を伝えて下さっておられました。皆さんには順番にこの試験を受けてもらいます」

 

特に問題なく執り行われるようだった。

試験だというのに何故か校庭に連れてこられた私達の目の前に、様々な障害物と思しきものが設置されている。水魔『グリンデロー』が入った深いプールに、赤帽のレッドキャップが潜む穴。ヒンキーパンクを躱した先には……いつぞや見たことのある震える洋箪笥。いい意味で前代未聞の授業ばかり執り行っていた先生だが、こうして残していった試験もまた前代未聞であった。

見たことも聞いたこともない試験を前に唖然とする生徒達をよそに、代理で今回の試験を行うマクゴナガル先生は少し興奮した様子で続け、

 

「試験内容は皆さんお察しのお通り、この校庭に設置された障害物を潜り抜けるという内容です。どれもルーピン先生の授業で取り扱ったものばかりだそうです。……先生はここを去りましたが、だからこそ貴方達はこの試験を立派に成し遂げなければなりません。大丈夫です。先生も、貴方達ならきっと最後までやり遂げられると仰っておられました。では、最初は……」

 

試験が始まったのだった。

マクゴナガル先生の開始宣言が終わると、次々と生徒達が障害物競争に挑んでゆく。

たとえ狼人間であることで嫌われたとしても、先生の成してきた功績が消えて無くなるわけではない。最終的な先生の評価とは裏腹に、皆この見たこともない形式の試験を特に問題なくこなしている。途中でリタイアする生徒も数人はいたが、それも極々わずかだ。多くの生徒は先生が教えてくださった通りに魔法生物を退けている。

そして遂に、

 

「ダリア! やったよ! マクゴナガル先生が私の点数は満点だって! ドラコも! 貴方の言った通り、もう私のボガードは()()()()()()()()()()! 取りあえず、昔の私に猫耳を生やしておいたよ! ……あれって似合う人と似合わない人がいるね。ダリアは似合うだろうね……。そ、それじゃあ、ダリア、頑張ってきて! その間、私はあそこでまだ落ち込んでいるグレンジャーにでも話しかけておくから!」

 

ダフネの順番が終わり、私の番が来たのだった。

ダフネは未だに、

 

「マ、マクゴナガル先生が! わ、私の試験は全部落第だって! あ、あぁ、どうしよう!」

 

「ハーマイオニー、落ち着いて! 君が会ったのはただのボガードだ! 本物のマクゴナガル先生はあそこにいるじゃないか!」

 

ボガードに受けたショックから立ち直れない様子のグレンジャーの下に向かう。その後ろ姿を眺めていた私に、()()()マクゴナガル先生が話しかけてくる。

 

「ミス・マルフォイ。次は貴女の番です。準備は出来ていますか?」

 

「……はい、勿論です」

 

私は合図と共に走り出し、障害物を次々と潜り抜けていく。幸い今の天気は曇り。日傘をさす必要性もないため、私は手袋をつけた状態での全力を出すことが出来る。

レッドキャップにグリンデローにヒンキーパンク。私も他の生徒同様、いやそれ以上の速さで切り抜ける。確かにそれなりに脅威のある生き物ではあるが、もとより私の敵ではなく、更にルーピン先生の授業を真剣に受けていた私にとって問題になるはずがない。先生がいなくなったとしても、先生の教えは確かに私の中にも生きている。ポッターを除けば、先生と最も長い時間を共有してきた生徒は私なのだ。そんな私がたかが魔法生物如きに手をこまねくわけにはいかない。

そう唯一、

 

「洋箪笥を見た時から嫌な予感はしていましたが……これだけは変わりませんね」

 

私が授業ですら撃退できなかった『まね妖怪』を除けば。

試験最後の関門。震える洋箪笥に入ると、中には外からは想像もつかない程大きな空間が広がっており、その真ん中にポツンと……やはりあのクリスマスの夜に見た私自身が立っていたのだ。

真っ黒な自分の杖をいじりながら、ぞっとするような笑みを浮かべている私自身。心の奥底にある望みを映す鏡で見た私自身が……。

 

「……あの様子だと、ダフネは自分自身の闇に向き合えたのですね。そして打ち勝った……。いえ、受け入れたというのが正解でしょうか。本当に……彼女は私には勿体ない程強い子です。でも私は……」

 

私はただ立ち尽くしながら、自身の恐怖と憧れを表した姿を見つめる。

先生は自身の体について、

 

『それがなければなかったことや、それがなければ出会えなかった人達』

 

と言っていた。

私だってそうだと思う。いや、他でもないルーピン先生の言葉だからこそ、私にもそうだと思えた。

思えばこの忌々しい体でなければ、私はマルフォイ家に預けられることもなければ、ましてやこの世に生まれることすら無かった。ダフネだって、こんなにも私に興味を持ってくれることなどなかっただろう。

どんなに否定しても、私のこの汚らわしさがなければ、私がもっと孤独であることは間違いなかった。

その点に関しては……私も自身の秘密についてまだ前向きに見る余地はある。どんなに異常なものでも、マルフォイ家やダフネと出会えた幸福さえあれば、少しは我慢してやろうという気持ちになれた。

 

でも、()()姿()()()()()()

この私の恐怖と憧れを煮詰めたような、この自分自身の成れの果ての姿だけは違うのだ。

この姿の私には、もはや大切な人達と共にある幸福感など存在しない。あるのは血に飢えた狂気のみ。到底前向きに考えることなど出来る代物ではない。

だけど……それなのに。私は決してこれを受け入れてなどいないし、こんなものに成りたくないと思っているというのに……何故かそれでも、心のどこかでこの姿に憧れている自分がおり、完全に否定しきれていないことが……『()()』になりたいと思っていることが怖くて仕方がなかった。

あのルーピン先生の記念すべき初授業と同じく、私は何も出来ずにただ茫然とボガードを見つめ続ける。あの時と違い、ダフネやお兄様が助けに来てくれることはない。

自身の闇を乗り越えたダフネや、そんな彼女を後押ししただろうお兄様と違い……私はどこまでも弱く……孤独だった。

しかも、

 

「私も知っていることでしょう? 何を驚いているの?」

 

あの時とは違い、今回は()()があったのだ。 

ボガードが突然話し始めたことに驚く私に、こいつはいつか見た夢と似通った内容を話し続ける。そして、

 

「だって、これこそが。貴女の本質なのだから。貴女はいつか絶対に、()()()()()()。どんなに否定したって、たとえ私が私だったから家族になれたのだとしても……」

 

最後に、()()()からそう思っているかのように……酷薄に笑いながら締めくくったのだった。

 

()()である私は、最後には必ず大切な人達でさえ殺してしまうのだか、」

 

『アバダケダブラ!』

 

 

 

 

この後、私がどのようにして洋箪笥から出てきたのか正直あまり覚えていない。

唯一分るのは……私は結局、ボガードを既定の方法では撃退することが出来なかったということだけだった。

内容こそ覚えていなくとも、通知された『闇の魔術に対する防衛術』の成績で、自己最低点を叩き出していることで……私は自身の失態に気が付いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

『闇の魔術に対する防衛術』の試験が終わってしまえば、僕以外の生徒が楽しみにしている夏休みまではあっという間だった。天気は比較的良かったし、学校の雰囲気もスリザリンが調子づいていること以外は最高だった。皆談話室や校庭で、試験終わりの解放された時間を思い思いの方法で過ごしていた。

そしていよいよホグワーツでの三年目が終わり、僕達は今特急に揺られながら一路ロンドンを目指している。ロンとハーマイオニーのいるコンパートメントの中、僕はやや上機嫌な心持で外を眺めていた。

思い返せば色々なことがあった年だった。いいことも悪いことも沢山のことがあった。でも最終的には、

 

「今頃シリウスはどこにいるのかしらね?」

 

「さぁ? でも、今頃バックビークと元気にやっているはずだよ。こんな手紙を送ってくれたくらいだしね」

 

やはりいいことの方が多かった年だったのだと、今なら思える。

何故なら今僕の手の中には、名付け親から届いた、

 

『わたくし、シリウス・ブラックは、ハリー・ポッターの名付け親として、ここに週末のホグズミード行の許可を与えるものである』

 

ホグズミード行きのサインが握られていたから。

僕はずっと、もうこの世の中にダーズリー家以外の家族など存在しないのだと思っていた。両親どころか、僕を良く思ってくれていた親戚は全てヴォルデモートに殺された。そうでなければ、僕がダーズリー家なんかに未だに預けられたままなのはおかしい……あんな地獄のような環境に置き去りにされているのはおかしい。そうずっと思い続けていた。

でも、それは大きな間違いだった。僕にはまだ、僕をずっと大切に思い続けてくれていた名付け親がちゃんと存在してくれていたのだ。謂れのない殺人容疑でアズカバンにいただけで、彼は決して僕を忘れたわけではなかったのだ。

そしてこれからも、シリウスは僕を愛し続けてくれる。彼はバックビークに乗って逃げる際、僕に別れ際こう言った。

 

『いつの日か、私が本当に無罪だと証明された時……その時は今一緒に暮らしている連中と別れて……私と一緒に暮らすつもりはないかい? 君がよければだが……』

 

彼の真実を知った後だからこそ思う。どうして僕はこんなにも優しい人のことを、恐ろしい殺人鬼だと信じて疑わなかったのだろう。あのいつも僕を見守ってくれていた黒い犬を、どうしてグリムなんかと思っていたのだろうか、と。

彼の言葉はそれくらい僕に対する思いやりに満ちており、彼が送ってくれたファイアボルトやホグズミード行きのサインよりも嬉しいものだった。

 

僕は今年、決して孤独ではないことを知ったのだ。

 

勿論シリウスの真実を知ったからと言って、一概に今年がいいことばかりの年だったと言えるわけではない。

今年の寮対抗の優勝杯は、結局クィディッチで優勝したスリザリンのものになってしまった。僕達がシリウスを救ったことは皆に秘匿されている。未だに彼の無罪が証明されていない以上、ダンブルドアも僕達に点数を与えることは出来なかったのだ。その上……

 

『闇の帝王は、夜もなく孤独に、朋輩に打ち捨てられて横たわっている。その召使は十二年間鎖につながれていた。今夜、真夜中になる前、その召使いは自由の身となり、ご主人様の下にはせ参じるであろう……。闇の帝王は、召使の手を借り、再び立ち上がるであろう。以前より更に偉大に、より恐ろしく……』

 

将来に不安が残る様な出来事もあった。

『占い学』の試験直後、部屋を出ようとした僕にトレローニー先生はいつもとは全く違った雰囲気で告げた。まるでいつもとは違い、本物の予言をしているかのように。

しかも挙句の果てに、本当にその夜ピーター・ペティグリューは逃亡してしまった。そのことを伝えた時、ダンブルドアさえ予言だと断言したのだから間違いないだろう。

 

それは紛れもなく、ヴォルデモートの復活が近い可能性を表していた。

 

正直不安でないと言ったら嘘になる。

僕は今まで散々ヴォルデモートと対決し、何とか最終的に生き残りはしたものの、奴が恐ろしい魔法使いであることは疑いようのない事実だ。僕は偶々運よく生き延びてきたにすぎない。

でも、それがどうしたというのだろうか。ホグワーツには今世紀最も偉大な魔法使いがおり、更に今年からは頼もしい名付け親が僕のことを遠くから見守ってくれている。僕は決して孤独なんかではない。僕には強い味方が大勢いる。その事実は、本当に起こるかも分からない予言に対する不安を打ち消すには十分なものだったのだ。今の僕は今年最初の気分とは違い、寧ろ晴れやかな気持ちですらあった。

僕は思わず表情を綻ばせながら、シリウスからの手紙を握りなおす。

 

……そう、そんな僕をどこか微笑ましそうに見ていたハーマイオニーが、

 

「あ、グリーングラスさん! どうしたの? あ! そういえばこの前はありがとう。私のこと慰めてくれて……。私ったら、偽物のマクゴナガル先生に取り乱してしまって……。ご、ごめんなさいね、私ばかり話して。このコンパートメントに何か用?」

 

突然入ってきた嫌な奴に声を上げるまでは……。

ハーマイオニーの声に視線を向けると、コンパートメントの入り口にダリア・マルフォイの取り巻き、ダフネ・グリーングラスが立っていたのだ。

 

「え、えぇ、ちょっと貴女に話があって……」

 

折角の晴れやかな気持ちに泥を塗られたような気分だった。去年もそうだが、こいつは何故いつもいつも最後のホグワーツ特急で僕らを訪ねてくるのだろうか。どうせ今年も訳の分からない言いがかりをつけてくるに違いない。

穏やかな空気は消え、僕も……そして先程までお菓子を頬張っていたロンも一気に臨戦態勢を取っている。そんな僕らの態度に頓着していないのは、僕らの警戒した視線を受ける当のグリーングラスと、

 

「はなし?」

 

この中で唯一、奴を警戒していないハーマイオニーだけだった。

ハーマイオニーにとって、あのバックビークの処刑を見物にすら来たダリア・マルフォイの取り巻きは未だに警戒対象ではないらしい。……たとえグリーングラスが処刑を止めたといっても、こいつが何故()()()()の意思に反してあんなことをしたのか分からない以上、警戒するに越したことはない。警戒を解くのは、こいつが何故あんなことをしたのかが分かってからだ。今までの行いを全て無視し、こいつが実は真面な奴だったという僅かな可能性を考慮したとしても、ダリア・マルフォイの意向で動いている可能性もある以上警戒しなくてはならない。しかし相変わらずダリア・マルフォイに対して無防備な様子のハーマイオニーは、

 

「……そう、ちょっと話をさせてくれないかな。ここではない所で……ちょっとこいつらには聞かれたくないの。ついてきてもらってもいい?」

 

「えぇ、いいわよ。そう言うことだから、ハリー、ロン。私は少し出てくるわね。少しの間クルックシャンクスを……あら、貴方もついてきたいの? ご、ごめんなさい、グリーングラスさん。この子も連れて行っていいかしら?」

 

「……まぁ、猫なら別にいいよ」

 

あまりにも能天気な声音で誘いに応えるのだった。

このままではハーマイオニーが何をされるか分かったものではない。僕とロンはそんな悲惨な未来を避けるため慌てて声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと! ハーマイオニー、君は何を考えているんだ!? またそんな無警戒にこいつの話を聞いて! こいつはダリア・マルフォイの仲間だぞ! いつも言っているじゃないか!」

 

「そうだよ。君はあの夜のことを忘れたのかい!? ダリア・マルフォイとその兄は、あの夜バックビークの処刑を見物に来てたんだよ!? 処刑を止めると言っていたくせに! そんな奴らになんで君は、」

 

だがどうやら僕達の言葉は、やはりいつもの如く親友の耳に届くことはなかった。

ハーマイオニーは僕らの声を遮りながら、いつもの妄言を続ける。

 

「あら。ハリーこそあの夜のことを覚えているの? グリーングラスさんはあの夜、バックビークを助けに来てくれたはずよ? それにマルフォイさんだって処刑を見に来てはいたけど……最後にはバックビークのことを見逃してくれていたわ。あの件でマルフォイさん達を責める必要なんて無いはずよ。はい、この話はもう終わりにしましょう。ごめんなさい、グリーングラスさん、少し待たせてしまったわね。行きましょう。私も貴女達に話さないといけないことがあるし……」

 

そしてそう言った切り、ハーマイオニーは僕達の制止も聞かず、クルックシャンクスを引き連れてどこかに行ってしまったのだった。

しかも結局、彼女が僕らのコンパートメントに帰ってくることは無かった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

グリーングラスさんが、

 

『ついてきてもらってもいい?』

 

と言ってきた段階である程度予想はしていたけど……

 

「お帰りなさい、ダフネ。随分時間がかかっていましたが何かありましたか? それにお兄様達にしばらくここに帰ってくるなとはどういう……どうしてグレンジャーさんも一緒にいるのですか?」

 

やはりと言うべきか、私が連れてこられたコンパートメントはマルフォイさんのものだった。グリーングラスさんはマルフォイさんの一番の親友。この二人が一緒でないはずがないと思っていたら案の定だった。

しかしどうやら、グリーングラスさんはマルフォイさんにすら私の来訪を伝えてはいなかったらしい。マルフォイさんがいつもの無表情ながら、どこか訝し気な仕草で私を出迎える。

そして私をここに連れてきた当のグリーングラスさんは、

 

「うん、ちょっとね。これから私がする話は、ダリアにも是非聞いておいてほしい話だから……。さぁ、グレンジャーも入って。他のスリザリン生なら大丈夫だよ。ドラコにもしばらくは帰ってこないように言っておいたから。きっと彼のことだから、多分私がそんなこと言い出した段階で、私のしたいことに気付いているはずだよ。だから早く入って」

 

そんなマルフォイさんにお構いなく、私をコンパートメントの中に誘い、私がおずおずと席に着いたタイミングでこれまた唐突に話し始めた。

 

「ごめんなさいね、態々ここまで来てもらって。でも、私……どうしても貴女に謝らなくてはいけないと思ったの。本来なら貴女の所に出向いてするべきだと思ったのだけど……ダリア以外の人間に聞かれたくはなかったから……」

 

「え? グリーングラスさんが私に謝りたいこと? わ、私、貴女に何かされたかしら?」

 

横から無言で突き刺さるマルフォイさんの視線と……突然のグリーングラスさんの謝罪に私はただ困惑する。謝りたいと言われても、私には心当たりが全くなかったのだ。

でもグリーングラスさんにとっては、そんな私の反応こそ予想外だったらしく、

 

「……え?」

 

「え? ほ、本当に何かあったかしら。私が()()()に何かしてしまったことはあっても、グリーングラスさんから何かされたことは無かったように思うのだけど……」

 

「……成程。そう言えば、貴女はそういう子だったね。まったく……敵わないよ、貴女には。でも、それでも私は……」

 

どこか遠い目を遠い目をした後、気を取り直したように続けた。

 

「……私が謝りたかったのは、今までの貴女に対する態度のことだよ。去年からずっと、私は貴女に酷い態度を取ってしまっていたよね……。本当にごめんなさい……。()()()気付いていたと思うけど……私、ずっと貴女に嫉妬していたの。自分に自信がないから、貴女にその自分の弱さをぶつけていたの。そのことを、どうしてもここで貴女に謝りたくて……。本当に、今までごめんなさい」

 

グリーングラスさんの言葉に、今度は私が慌てて応える。

 

「え!? あ、謝りたいってそんなことなの!? グ、グリーングラスさん! そ、そんなこと謝る必要なんてないわ! 貴女は嫉妬でやったと言うけど……そもそもその原因を作ったのは私なのよ! 私が去年あんなことをしなければ……。と、とにかく、貴女が謝る必要なんてどこにもなどこにもないわ! 寧ろ謝るべきなのは私の方よ! 本当に、ごめんなさい! グリーングラスさん! それにマルフォイさん!」

 

「……去年何があったのか知りませんが、何故私にも謝るのですか? それこそ身に覚えがないのですが?」

 

「な、何故ってそれは……。と、とにかく、悪いのは私の方だったの! 私の方こそ、本当にごめんなさい!」

 

何だかよく分からない状況になってしまった。私とグリーングラスさんはお互いに譲らず謝り続け、唯一事情を()()()()()()()()マルフォイさんは私達を交互に見つめている。しかも挙句の果てにマルフォイさんまで、

 

「……グレンジャーさん。私も貴女に……ご、ごめんな……。いえ、何でもありません。事情を言えもしないのに……本当に身勝手ですね、私は……」

 

何か謝ろうとし始めるのだから状況は混乱を極めていた。彼女が何を謝ろうとしたのかも分からない上に、後半何を言っていたのかもよく分からないけど……本当に私が何をされたのか見当もつかなかった。唯一考えられることは、彼女に図書館で襲われそうになったことくらいだけど、それもそもそも私が無自覚に校内を歩き廻っていたことが原因だ。よしんば私に原因がなかったとしても、あの後バジリスクから命懸けで守ってくれたのだから帳消しになるだろう。

私達三人の間によく分からない沈黙が満たされる。そんな状況を最初に打ち破ったのは、

 

「っぷ! あははは!」

 

突然グリーングラスさんが上げた笑い声だった。

突然の笑い声に訝しむ私達の視線を受けながら、グリーングラスさんはどこか晴れやかな表情で続ける。

 

「ごめんなさいね。でも、あまりにも私達が似た者同士だったから、つい可笑しくなってしまって! 私だけではなくて、皆同じように思っていたのね! あぁ、ドラコの言っていたことは全部本当のことだった! 結局私が持っていた感情は、誰もが持っているものだったのね……。今、ようやく実感出来たような気がするよ」

 

そして彼女は一頻り笑った後、

 

「ねぇ、グレンジャー。あの時の……医務室での返事を、今更ながらさせてもらうね……。私と貴女はスリザリンとグリフィンドール。多分滅多に友達同士になる関係ではないかもしれないけど……。私達、いい友達になれると思うんだよね。本当に今更だし、どの面下げてこんなこと言ってるんだと思われるかもしれないけど……私なんかでよかったら、()()()()()友達として付き合ってくれると嬉しいな」

 

そんな嬉しいことを提案してきてくれたのだった。

待ちに待った言葉の嬉しさよりも、急変し続ける事態に混乱してばかりの私をよそに、横で静観していたマルフォイさんが声を上げる。

 

「……ダフネ。処刑を貴女が止めたと言った時も驚きましたが、どうしてそこまでグレンジャーさんに拘るのですか? もし私のために無理をなされているのなら、それは思い違いです。私はグレンジャーさんのことを何とも思っては、」

 

「ううん。ダリア、違うよ。無理なんてしていないよ。この前も言ったでしょう? 私はもう、自分がダリアの親友でなくなるなんてことを欠片ほども疑っていない。だからもう、グレンジャーに嫉妬する必要なんてなくなったんだよ。それに、確かに私はいつだって親友である貴女のことを思っているけど、今回は違うんだよ。私は別に貴女のためじゃなくて、私のために、グレンジャーとこれから付き合っていきたいなと思ったんだよ」

 

マルフォイさんの言葉を遮って上げられた言葉に、私とマルフォイさんは再び黙り込むしかなかった。

何故なら……そう言い切って微笑むグリーングラスさんの表情は、本当に晴れやかで……見ていて眩しいものだったから。

 

そこには三年目最初、濁った瞳で私に変身したボガードを見つめる姿や、その後マルフォイさんをまるで捕まえるように抱き着く心の闇はどこにもありはしなかったのだ。

 

あまりに綺麗な笑顔を真正面から受け、マルフォイさんはしばらく無表情で茫然としていたが、ややあってどこか苦笑したような仕草で話し始めた。

 

「まったく……。貴女には敵いませんね。私も貴女の気持ちを分かっていたつもりでしたが、今ようやく自覚しました。あぁ、嫉妬というものはこういう感情なんですね……。貴女がグレンジャーさんと友達になりたいと言った時、私は確かに、僅かですが嫌だと感じてしまいました」

 

「……ごめんね、ダリア。勝手に盛り上がちゃった……。ダリアは反対? 私はダリアを苦しめたくなんて、」

 

「いいえ、反対しません。貴女がそうしたいと言っているのに、私にそれを反対することなど出来るはずがありません。それに、そんな晴れやかな顔をされてしまったら……反対したくても出来るわけがないではないですか。……貴女がようやく苦しまずにいられるというのに、私がそれを喜ばないはずがないではないですか。それに……私は何とも思っていませんが、グレンジャーさんは、そうですね……それなりに信用できる人物だとは思います。別に私は交友関係を持つつもりは一切ありませんが。私にはダフネだけいれば十分です。……私を理解してくれるのは、貴女しかいません」

 

「……本当にダリアは頑固だね。でも……ありがとう。いつか絶対、ダリアが素直になれるよう私も頑張るね」

 

まだ彼女達と共に過ごした時間など無かったと言っても過言ではないため、彼女達が話している内容を本当に理解したとは言えないけど……どうやら彼女達の中である程度の結論は出たらしい。しかも私にとっては嬉しい方向に。

ここまで来てようやく思考が事態に追いつき始めた私に、グリーングラスさんが再び話しかけてくる。

 

「ごめんね、グレンジャー、放っておいてしまって。……返事を聞かせてもらってもいいかな?」

 

……正直、この申し出に素直に頷いていいものなのか悩んでいる。

何故なら私は、未だに自分が去年行ったことを自分でも許せていない。グリーングラスさんの方が先に謝っていたけど、そもそも彼女にあんな強硬な態度を取らせてしまったのは私であることに変わりはない。本来まず謝るべきだったのは……他でもない私の方だったのだ。

それなのに、私は未だに一番の被害者であるマルフォイさんにすら真面に謝れていない。彼女に真実を伝えることで、私が一時的とはいえ彼女を寮にさえ帰れない程傷つけたのだと……決して知られるわけにはいかなかった。私はここまで来ても、どうしようもなく臆病者でしかなかった。

 

でも……それでも私のとった選択肢は結局、

 

「本当に……私なんかでいいの? 本当に、貴女は無理をしていないの? 私は貴女達の事情を理解……しようとは思っているわ。だから、貴女達が私を警戒するのは当たり前だと思っている。でも、それでも……私を友達だと思ってくれるの?」

 

自分に都合のいいものでしかなかった。

私が彼女達の立場なら、きっと激怒すらしていただろう。なんて身勝手な人間なのだと、本来なら怒られても仕方がない。

しかし……グリーングラスさんの応えは、

 

「……ねぇ、これからはハーマイオニーって呼んでいい?」

 

やはりどこまでも優しいものだった。

あぁ、私は何故彼女達に……グリフィンドールと対を成すスリザリン生の彼女達に、どうしてここまで惹かれていたのか改めて理解した。

スリザリンだとかグリフィンドールだとか……勉強熱心で気が合いそうだとか……そんなことはどうでも良かったのだ。

 

私はただ……この人達の底なしの優しさに触れ、そんな彼女達の優しさに惹かれていたのだ。

ハリーやロンが持つ、いやそれ以上の優しさに私はずっと憧れを抱いていたのだ。

 

あまりの嬉しさに涙を流す私は、一時的に自身の中に燻ぶる罪悪感を無視して声を上げる。

 

「えぇ! 勿論よ! 私も……ダフネって呼んでいいかしら!? それに……マルフォイさんも、ダリアって呼んでも……?」

 

「うん、いいよ、ハーマイオニー!」

 

「……まぁ、それくらいなら、()()()()()()()()

 

 

 

 

罪悪感に塗れた感情の中、何か……本当に大切な何かが始まったような気がした。

今までずっと停滞していた何かがやっと……。

そこからは、全てがあっという間だった。最初はどことなくぎこちなかったのに、

 

「あ! そういえばまだ授業のことを伝えていなかったわ! 私、今年で『占い学』と『マグル学』を止めることにしたの! 結局どの科目もいっぱいいっぱいで、成績が軒並み落ちてしまったから……」

 

「そうだね。その方がいいよ。『闇の魔術に対する防衛術』はともかく、いくつかの科目で私が貴女に勝てたのはそれが主な理由だろうからね。貴女が万全な時に勝たないと意味ないよ」

 

「そうね。だからごめんなさい、ダフネ。これから『マグル学』の授業は一人で受けてもらわないといけないの……。大丈夫かしら?」

 

「大丈夫だよ。いざとなればダリアが殴り込みに来てくれるはずだから。……でもダリア、今度は絶対に怪我した時には言うから、その時は必ず一度深呼吸をしてね」

 

「……善処します。それより……グレンジャーさんはマグル学も受けていたんですか? あれは確か数占いと同じ時間なのでは?」

 

「あぁ、それはね……」

 

いつの間にか……それこそまるで最初から同じ寮で過ごしていたのかと思えるくらい、私達の会話は弾んでいたのだった。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。

ダフネはともかく、ダリアはまだ私を認めたとは言い難い。私とダフネの話に参加することもあまりなく、どちらかと言えばいつの間にか彼女の膝の上に乗っていたクルックシャンクスと戯れていた時間の方が長かったかもしれない。しかしそれでも、私にはこのようやく手に入れた時間がとても楽しくて仕方がなかった。

 

こうして私は、ダフネ……そしてダリアとの友情の()()()()()()()にようやく立てたのだった。

 

そう、今年が彼女にとって……だとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ダフネとグレンジャーさんの話はともかく、可愛い猫と存分に戯れていた私は少しだけ無表情を緩ませながら汽車を降りる。何だかダフネやグレンジャーさんから生暖かい視線を送られているような気もするが、今はそんなことも気になることはない。

何故なら汽車を降りた私の視界の端には、

 

「あ、ダリア。あそこにルシウスさん達がいるよ。なら、私達はここでお別れだね。ダリア、今年もまた毎日手紙を書いていい? ワールドカップの話もしたいしね!」

 

「えぇ、勿論大丈夫ですよ。私も手紙を書きます。()()……。では、ダフネ……グレンジャーさん。ここで一旦お別れです。特にグレンジャーさんはすぐにここを離れた方がいい。……お父様達に見つかる前に」

 

私の大切な家族が映っていたのだから。

私はようやく、また愛するマルフォイ家の下へと帰ってこられたのだから。

 

私の言葉に、グレンジャーさんは潮時を悟ったのか別れの挨拶を始める。

 

「そうね……。えぇ、そうよね。そ、それじゃあ、ダフネ。ダ、ダリア。またね! 私も夏休みの間手紙を、」

 

「ダフネへはともかく、マルフォイ家への手紙は止めておいた方がいいかと」

 

「そ、それもそうよね。分かったわ! でも、機会があれば会いましょう! 実は私もロンに誘われて、クィディッチ・ワールドカップに行くかもしれないの! 二人も来るのなら、是非折を見て会いましょう! そ、それじゃあね、二人とも! 特にダフネ! 今年は負けちゃったけど、来年こそは勝ってみせるわ!」

 

「えぇ、楽しみにしてるよ!」

 

「……グレンジャーさん。またどこかで」

 

そして遠くでこちらの様子を窺っているポッター達の下に戻っていくグレンジャーさんに続き、今度はダフネが私に別れを告げる。

 

「ハーマイオニー、行っちゃったね」

 

「えぇ、どうでもいいことですが」

 

「ふふ、その割には寂しそうな表情をしているよ」

 

「そんなことはありません。たとえそうであったとしても、私は貴女と別れることが辛いだけです」

 

「……そうだね。そういうことにしておくよ。でも、いつかは……。では、またね、ダリア! 手紙の件もそうだけど、ワールドカップでまた会おうね! ()()()!」

 

私の答えを聞くことなくダフネが去ることで、その場には私だけが残される。そこにどこからともなくお兄様が現れ、

 

「ダリア。よかったな」

 

そんなことを言い始めたのだった。

何が良かったと言いたいのか、別に問いただすまでもない。

ダフネもそうだが、何故お兄様までグレンジャーのことをそんな風に言うのだろうか。やりたいことと、出来ることは全く違うものだというのに。私には、グレンジャーさんと親しい間柄になる権利などないというのに……。

しかしそれを私が指摘しようとしても、

 

「……お兄様。私はグレンジャーさんとは別に、」

 

「ふん。そうであればどれだけいいことか。何であいつなんかを……。でも、お前がそんな表情をするなら、やはりお前には必要なのだろうな。まったく忌々しいことだ」

 

これまたダフネと同じく、私の意見に取り合うことなく歩き始めたのだった。

私はどこか釈然としない気持ちで、汽車の窓ガラスに反射するいつも通りの無表情を眺めた後、前を進むお兄様に続いて歩き始める。

そしてそんな私達を、すぐそこまで来ていたお父様達が温かく迎えて下さる。

 

「ダリア、ドラコ。良く戻って来たな。今年のことは聞いている。スリザリンが見事に優勝杯を掴んだそうだな。ダンブルドアめ、流石に今年はグリフィンドールを贔屓することは出来なかったとみえる。それとダリア……今年も素晴らしい成績を収めたそうだな。流石我がマルフォイ家の娘だ。『闇の魔術に対する防衛術』だけは去年程の成績を振るわなかったと聞くが……お前が躓くのだ。きっと何か試験の方に問題があったのだろうな」 

 

「ルシウス、それくらいにしましょう。二人とも疲れているのだから、続きは帰ってからに。二人とも、おかえりなさい」

 

私の無表情が、()()()()本当に私も自覚できるほど綻んだのを感じた。

そうだ。この家族との時間こそが私の幸せ。そこに加わるのは後にも先にもダフネだけ。私にはそれ以上を望む権利などありはしないのだ。

私は少しの寂寥感と、それを上回る圧倒的な幸福感を胸に答える。

 

「はい、お父様、お母様。ただいま帰りました!」

 

そう、これが私の三年生の終わり。

親友の成長と、新しい交友関係の予感。そして何よりこれからも続く私達マルフォイ家の家族愛。

そんな中、ようやく私の三年目のホグワーツ生活は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

……私の幸福な日常と共に。

 

「さぁ、帰るぞ。あぁ、そうだダリア。家に着くまでに我儘を考えておきなさい。あの夜は結局お前の我儘を聞くことは出来なかったからな……」

 

「……はい、お父様。ですが……我儘ならもう考えおりますので大丈夫です。魔法省高官であるお父様に、一人()()()()()してほしい方がおりまして」

 

「……驚いた。お前がそのような我儘を言うとはな。よかろう。家に帰った時、それが誰なのか教えなさい。では、私の腕に」

 

「はい。お兄様も」

 

本当に何気ない仕草だった。

私達が駅から家に帰る時に、『姿現し』をするお父様の腕を掴むだけのただの動作。

いつもなら掴んだ瞬間、私が待ち望む我が家に辿り着く。

 

しかし今回は、

 

「ッ! な、なんだ!」

 

「お父様?」

 

「いや、何か痛みが……」

 

そうはならなかった。

私が腕を掴んだ瞬間、お父様が突然痛みを感じたように自身の腕を掴み、袖をめくる。

 

そこには……()()()()()()()()()()()()()()がうっすらと……しかし確実に浮かび上がっていたのだった。

それは世間一般で……『闇の印』と呼ばれるものだった。

 

「な、何故今頃になってこれが……。ま、まさか、い、生きておられたのか? 闇の帝王が!」

 

幸福な日常が終わる。

終わりの足音は、すぐそこまで迫っていた。



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閑話 かつての友人達

 シリウス視点

 

憎かった。ただ憎くて。憎くて憎くて仕方がなかった。

今だって、私はあの日のことを鮮明に覚えている。どんなに吸魂鬼に幸福感を吸われようと……いや、幸福感を吸われたからこそ、あの人生最悪の日のことを何度も思い出した。

あの、

 

『ジェームズ! リリー! 無事か!? 返事をしてくれ!』

 

大切な親友を、一夜にして二人も失ってしまった日のことを。

瞳を閉じれば、あの時の光景が目に浮かぶようだ。

『秘密の守人』であるピーターの隠れ家に行ってみれば蛻の殻。しかも争った形跡もない。嫌な予感がしてジェームズ達の家に行ってみれば、そこには必死に抵抗した様子のジェームズ、そして子供を守ろうとしたのであろうリリーの……無残な死体があったのだ。

永遠に続くと思っていた日々が、唐突に終わりを告げた瞬間だった。

 

許せなかった。許せるはずがなかった。

何故私はあんな奴を親友の一人だと思っていたのだろうか。何故あいつに『秘密の守人』を任せたりしたのだろうか。私が予定通り『秘密の守人』をやっていれば、親友二人が死ぬことはなかったというのに……。

 

だから私は恨み続けた。

たとえ奴の策略にかかり、アズカバンに長年収監されようとも……あいつの消息がチラリとでも聞こえれば、必ず奴を今度こそこの手で殺してやろうと思った。

……そうでなければ親友たちは浮かばれない。あの日は間違ったまま。()()()()()()()()()人間が生き残り、()()()()()()()()()()()()()人間達が死んだ。この間違いを正さなくてはいけないのだと、私は冷たい監獄の中でも信じ続けていた。

 

そして遂に奴がウィーズリー家の息子のペット鼠として潜伏していると知り、奴を追ってホグワーツに忍び込んだ時、私は確信したのだ。これで止まっていた時計の針が再び動き始める。奴を殺すことで、初めて私が殺してしまったも同然の親友達を救うことが出来るのだと。

私達の青春の思い出が詰まった『叫びの屋敷』に潜伏し、やけに賢い猫の力を借り、ようやく奴を引きずり出すことに成功した。リーマスだって、ピーターの生存を知れば即座に真実に気付いてくれた。後は実行に移すのみ。途中『忍びの地図』でリーマスの向かう先を知ったセブルス・スネイプが乱入したりと邪魔こそ入ったが、極々些細な問題だ。あんな屑の様な奴に私の邪魔が出来るはずもない。

私はようやく、かつての親友の一人だったピーター・ペティグリューを殺すことが出来る。

 

そう、私は思っていた。

しかし、

 

『止めて! 殺しては駄目だ! 殺してしまえば……シリウスは今度こそ本当に殺人者になってしまう! だから駄目だ!』

 

結局奴を殺すことは出来なかった。

この世界に唯一残った親友との繋がり……彼の息子であるハリーがそんなことを土壇場で叫んだから。

ハリー・ポッター。他でもない私が名付け親になった、親友達の残した忘れ形見。10年以上アズカバンにいた私からですら、吸魂鬼が吸い切れなかった幸せの形。

私はアズカバンにいたため、何一つとして彼に名付け親らしいことはしてやれなかったが、それでも彼に対する愛情だけは溢れていたと思う。ピーターへの恨み以外の感情を持っていたとすれば、おそらく彼に会いたいという思いだけだろう。思い返せば私が犬に変身してアズカバンを抜け出した時、真っ先に行ったのはピーターの居場所などではなく、ハリーが今住んでいるプリペット通りだった。ピーターへの恨みを募らせている間にも、気付けばハリーを陰ながら見守っていたり、彼へのプレゼントとして『ファイアボルト』を注文したりしていた。誰が何と言おうと、私のハリーに対する愛情は本物だ。

だからこそ彼が叫んだ時、私は一瞬躊躇ってしまったのだ。ピーターを殺さねばならないという考えがなくなったわけではない。しかし彼の言うように、もしピーターを殺してしまえば、私は無実を証明する手段を失い、永遠にハリーと共に暮らすことが出来なくなってしまうかもしれない。そんな風に、一瞬だけ躊躇ってしまったのだ。

そしてその一瞬の躊躇いが致命的だったらしく、

 

『……いいだろう。本当に決める権利があるのはハリー、君だけだ。両親をこいつに殺された君だけに、彼を殺すかどうかを決める権利がある。残念だがシリウス……ここまでだよ』

 

ハリーに続き、リーマスがそんな発言をしたことで……私はついぞ永遠に復讐の機会を失ったのだった。

……正直、あの時の選択を後悔していないかと聞かれれば、私は間違いなく後悔していると答えるだろう。あいつは今もノウノウと生きている。あいつはリーマスが狼人間になった一瞬のすきに、再び鼠に変身して逃げ去った。もし私とリーマスがきちんと奴を殺してさえいれば、あんな奴が再び野に放たれることなどなかっただろう。後悔しない方がどうかしている。

 

しかし、だからと言って今の私の心が以前の様に暗いものなのかと言えば、そういうわけでもなかった。寧ろ晴れ渡っているような気さえする。

原因は勿論、

 

「……バックビーク。今頃ハリーはどうしているんだろうな? きちんと私からの手紙は届いたのだろうか?」

 

私の復讐を阻止した、ハリー・ポッターその人に他ならない。

アズカバンでこそほとんどの思考は復讐に占められていたが、いざ外に出て、今まで心の奥底で大切に守っていたハリーに会えば、彼への思いを抑えきれなくなったのだ。

私は同じく逃亡者であるバックビークの嘴を撫でながら、一人月夜を見上げてハリーを思う。

彼は無事に日々を過ごせているだろうか。私が不甲斐ないばかりに、彼は意地悪な親戚の家に住まわされているらしいが……きちんと食事は摂れているのだろうか。私が保護者であれば、あんなに痩せた状態になどしないというのに。真実を知ったダンブルドアが今度こそ私の無罪を証明をしてくださったなら、その時は必ずハリーを迎えに行こう。今まで名付け親として不甲斐ない人間だったが、その時こそ私はハリーを……ジェームズの忘れ形見を守るのだ。

だから今は……何としても生き延びようと思った。

今までの様に復讐のためだけに生きるのではない。これからはハリーのためにこそ生きるのだ。

あの日の間違いを正せないのならば、せめてハリーだけは守らなくては……ジェームズやリリーに今度こそ顔向けできないから。

 

「さぁ、行こう、バックビーク。ここもじき居場所が割れる。次の場所に行こう」

 

私はバックビークに跨り、脇腹を踵で締める。巨大な両翼が振り上げられ、私達は月夜に向かって羽ばたくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

「リ、リーマス・ルーピンです。こちらに来るよう言われていたのですが……」

 

「あぁ、入りたまえ」

 

おずおずと地図に書かれた場所に出頭し、これまたおずおずとドアをノックすれば、冷たささえ感じられる硬質な声音で招き入れられる。

中にいる人物が私に良い感情を持っていないのは火を見るよりも明らかだった。

 

やはり今回の出頭命令は狼人間に関わることなのだろう。私は何もしていないが、狼人間であるというだけで、何かしらの事件における犯人として扱われることはよくあることだ。

 

私は思わずため息を吐きそうになるのを我慢しながら、重たい心持で『闇祓い局』のドアを潜るのだった。

 

来るべきではなかった……とは言わない。というより言えない。ずいぶん昔のことであるが、以前にも同じようなことはあった。突然の闇祓いからの呼び出し。行ってみれば謂れのない言いがかりと容疑者扱い。理由を聞いてもただ、

 

『お前が狼人間だからだ! お前がやったのだろう! 罪を認めたらどうだ! お前ら狼人間は、存在そのものが罪なのだ!』

 

と言われるのみで、真面に私の反論が受け取られることは無い。結局事態をどこからか聞きつけたダンブルドアが助けて下さって、私は何とか事なきを得たが、あのまま誰も助けに来てくれなかったらどうなっていたことか。そしてそれはおそらく出頭しなかった場合も同じだろう。いや、命令を無視すれば余計に疑いを強めることとなり、事態は更に悪化するのは目に見えている。

だからこそ、私は嫌々ながらここまで足を運び、こうして闇祓い局長の話を聞いているわけだが……

 

「……私はルーファス・スクリムジョール。ここ闇祓い局の局長をしている。……正直な話、私はそこまで暇な人間ではない。結論が決まっているものにあまり時間をかけている暇はない。だが、面接を行わずに()()()にするわけにもいかないのも事実だ。無駄だと分り切っているが、少しだけ君に時間を割かねばならない。では、さっそく……何故君はここ闇祓いに()()することを望むのかね?」

 

どうやら今回に関しては、犯罪者として呼び出されたわけではなさそうだった。

どの道意味わからないことに変わりはないが。

就職? 確かに未だ仕事が見つからずにいるが、だからと言ってここに就職希望を出した覚えはない。局長が何の話をしているか全く分からない。

私は突然の頓珍漢な物言いに首を傾げながら、目の前に座るスクリムジョール局長に疑問をぶつける。

 

「……あの、申し訳ありません。話が全く見えないのですが……。何故私は面接されているのでしょうか? ここに就職希望を出した覚えがないのですが……」

 

しかしどうやら私の質問は、逆に局長のただでさえ悪い機嫌を更に下げたらしく、

 

「今更白を切るとは。そちらがそのつもりなら、私も単刀直入に聞くとしよう。……一体何のつもりだ? 何故お前はここに来たのだ? 一体ルシウス・マルフォイからどのような指令を受けて、ここに来たというのだ!? たとえ奴の様な魔法省高官からの推薦状があろうとも、私には人々の安全を守る義務がある! どんな脅しにも屈しはしない! お前は()()()()()()()()()()とどのような繋がりを持っているのだ!?」

 

そんなことを大声で言い始めたのだった。

話がますます見えなくなってしまった。もはや自分がどのような事態に陥っているかもよく分からない。

私が弁解しようとしても、

 

「ル、ルシウス・マルフォイ!? な、何のことか益々分かりません! 私は奴と何の関りも、」

 

「まだそのような嘘を! 正直に言わぬのなら、アズカバンに行ってもらうことになるぞ!」

 

局長は少しも私の話に耳を傾けようとはしない。

そしていよいよ事態は二進も三進もいかなくなり、私は……おそらく局長自身もこの状況に混乱しきったあたりで、

 

「スクリムジョール局長。何をそんなに大声を出されているのですか? 外にまで漏れています……ん? リーマス? 何故ここに君がいるんだ?」

 

ようやく話が分かりそうな人間が登場したのだった。

声のした方を振り返ると、そこにはブラウン色の瞳をした、背の高い男が立っていた。私は知り合いの登場に大きな安堵感を覚えながら、どこか人を落ち着かせる雰囲気のある声を上げる彼に返した。

 

「あぁ、キングズリー! そう言えば君も闇祓いだったね! よかった! いやね、私もよく事情が呑み込めていないんだよ。ここに突然呼び出されたかと思えば、局長が突然就職がどうのと言い始めてね……」

 

「ほう、君も闇祓いになるのか! それはいい! 君が入ってくれば百人力だ! 常々君が仕事についていないことは間違いだと思っていたんだ!」

 

私のつたない説明に喜びの声を上げるキングズリーに、私は僅かに苦笑を浮かべる。

キングズリー・シャックルボルトとは、昔いつもの如く狼人間であるというだけで犯人扱いされた際、私を偏見のない思考で助けてくれた時からの知り合いだった。あれから私の何が気に入ってくれたのかは分からないが、私に時折連絡を取ってくれる数少ない友人だ。私自身も彼の正義感が強く、どこまでも公正に物事を判断できる人間性を気に入っている。ヴォルデモートが猛威を振るっていた時代、彼がもしもっと年齢を重ねていたのなら、私は間違いなく彼の類まれなる才能も合わせて『不死鳥の騎士団』に勧誘していたことだろう。

そんな彼から手放しに頼ってもらえるのは素直に嬉しいことだ。

しかし当然、

 

「……キングズリー。この男は君の知り合いなのかね?」

 

彼の明るい声音は局長の鋭い声音に遮られるのだった。

益々意味が分からんと言わんばかりの局長に、キングズリーもどうやら状況がそう簡単な話ではないと悟ったのか訝し気に応える。

 

「はい局長。彼とは昔からの知り合いです。彼はあのダンブルドアからも一目置かれている、実に優秀な男です。彼が中々職に就けないことはどうかしていると思っていたのですが……。局長がスカウトしたわけではないのですか?」

 

「……いや、私ではない。正直、私も今何が起こっているのかよく分かっておらんのだ。最初はこの男には絶対に何かあると疑っていたが……キングズリーの昔からの知り合いであれば、闇の魔法使いとも思えんな。私の思い過ごしなのか……?」

 

キングズリーの登場によって、多少なりとも私への警戒心が薄れた様子の局長が一枚の羊皮紙を差し出しながら続けた。

 

「もしかしたら、実は君も被害者なのかもしれんな。その様子だと、本当に何故ここに呼び出されたのかも知らんらしい。……私が君を呼び出したのはこの推薦状が届いたからだ。この日に面接を行うよう態々指定までつけてな。差出人は……あの悪名高きルシウス・マルフォイからだ」

 

「あのルシウス・マルフォイから……」

 

話の流れから予想はしていたが、本当にルシウス・マルフォイからの推薦状が届いていたらしい。羊皮紙を受け取り、キングズリーと二人でのぞき込むとそこには、

 

『私、ルシウス・マルフォイは、昨今の闇祓い局における人手不足を鑑み、リーマス・ルーピンなる男を推薦するものである。かのものは()()()()()を有しており、魔法省に勤めるものとして()()()であるが、闇祓い局()()の仕事はこなせるものと考えられる』

 

等と書かれていた。内容は本当に推薦する気があるのかも怪しい物であったが……。節々から本当は推薦などしたくないという気持ちが垣間見えるのは気のせいだろうか。

局長は私達が手紙を読み終わるタイミングで、再び話し始める。

 

「内容はあべこべだが、推薦状の態を取られれば一応面接をするしかない。……忌々しいことに、奴は魔法省高官であるからな。無視すればどのような手段をとるか分かったものではない。だが採用するかは別だ。私としては、ルシウス・マルフォイの手下である人物を闇祓いなどに入れるつもりはなかった。君がここに来ると分かった際、君のことは色々と調べさせてもらったよ。幸い……と言えば君に失礼だが、君は狼人間だ。それを理由にしてしまえば、君を追い返すのは容易だ。奴が何故このような見え透いた手を使ってきたのかさえ聞き出せば、体よく君を不採用にしようと思っていたのだよ」

 

しかし、と局長は続ける。

 

「しかし、キングズリーや……あのダンブルドアが人間性や能力を認める人間であるのなら、私としては是非とも欲しい人材ではある。ルシウス・マルフォイなどに指摘されるのは癪だが、実際闇祓いは人手不足であることに間違いはない。猫の手も借りたいと言うのが今の現状だ。もし君が良ければだが、これも何かの縁だ。本当にここに勤めてもらいたいと思っている」

 

「……お言葉は嬉しいのですが、私は狼人間です。局長も仰っていたではないですか。狼人間を闇祓いにするわけにはいかないと」

 

「いや、それは君を断るための建前でしかない。『脱狼薬』が無かった頃ならいざ知らず、今はかの薬によって狼人間も理性を保つことは出来る。狼人間だからと言う理由で、有能な魔法使いを排除するなど愚の骨頂だ。薬のサポートも、ここ闇祓い局でなら十分に可能だ。聞けば君はまだ仕事がないと聞く。臨時要員としての採用であるが、君としてもこの話は渡りに船だと思うのだが?」

 

「……え、えぇ、それは勿論。私としては些か急な話ではありますが、嬉しい話であることには変わりありません。実際生活にも困っていたものですから……」

 

「そうであろう。それにもしよければ、そのまま君には闇祓いの仕事を手伝ってほしいとさえ思っている。キングズリーの人柄は私もよく知っているからね。だが、勿論それは本当にルシウス・マルフォイとの繋がりがないことを証明してからだ。……あの狡猾な男が、無条件に君の推薦をするなんてことはあり得ない。もう一度聞くぞ、リーマス・ルーピン。君は本当に、ルシウス・マルフォイと繋がりはないのか? どんな些細なことでもいい。何か心当たりがあったら是非教えてもらいたい」

 

私は必死に考える。私とルシウス・マルフォイとの繋がり。奴は今でこそノウノウと魔法省高官をしているが、ヴォルデモートが健在の頃は『死喰い人』として働いていた。お互いあまり前線に立つことはなかったが、顔を合わせた回数はゼロではない。言葉を交わした仲ではないが、決して仲がいいと言える関係ではないだろう。そんな彼と私との接点など……。

 

そう考えていた時、ふと白銀の髪をした無表情の女の子のことを思い出した。

そう言えば、一つだけ彼に繋がるような間接的な接点を私は持っていた。ルシウス・マルフォイとは接点がなくとも、あるいは彼女であれば……。もし彼女の意見ならば、あのどこか推薦する気があるのかも怪しい推薦状の意味も理解出来る。そして別れ際に彼女が呟いた言葉、

 

『ですがいくら友達との仲が戻ったとしても、職を失うことに変わりはありません。ここを出てからはどうするのですか? そのお友達の所でお仕事を?』

 

私の仕事を心配するような言葉を思い出せば、自ずと今回の件が誰の発案であるかは分かってくる。

私と悪名高きルシウス・マルフォイとの唯一の接点。こんなことを考えるのは、あの無表情とは裏腹に、どこか優しい心根を持ち合わせているダリア・マルフォイ以外にあり得ない。

 

まったく……最後の最後まで私はあまりいい教師であったとは言えないのに。彼女はこんな私のどこをそこまで気に入ってくれたというのだろうか。

 

私はたった一年の……しかしどうしても忘れられそうにない教え子を思い出しながら、局長の質問に返した。

 

「……思い当たることが一つだけあります。私の経歴を調べられたのなら、私が去年までホグワーツの教師をしていたのは御存知ではありませんか? 私はそこで……マルフォイ家の娘を個人的に教える機会があったのです」

 

「娘……? 確かダリア・マルフォイと言ったか? その娘は闇祓いの中でも有名な娘だ。一部の純血貴族が……とりわけかつて『死喰い人』であった奴らの中で有名な人物だからな。まだまだ13歳の娘とはいえ、その筋では要注意な人間であることに変わりはない。その娘がどうしたというのだ?」

 

「……ここでもそうなのか。学内だけではなく、こんな魔法省内でも。まったく、あの()()()()()は本当に……」

 

「何か言ったかね?」

 

「……いえ、何でも。と、とにかく、私はそのダリアに『守護霊の呪文』を教える機会があったのですが、その際いたく彼女に気に入られたようでして。おそらく私がルシウス・マルフォイにこの仕事を推薦されるとすれば、それが原因でしょう。……彼女は見た目や評判に反して、ただの優しい女の子でしたから」

 

私が言い終えると、室内は奇妙な沈黙で満たされる。

局長……どころかキングズリーさえ、まるで私が『服従の呪文』でもかけられていることを疑うような視線を送ってきている。しかし、どうやら最終的には私とルシウス・マルフォイとは直接の関係を持っていないと判断したのか、

 

「……まぁ、いいだろう。どの道最初から正規の闇祓いとして雇う気など無い。ルシウス・マルフォイのような男が、娘が多少世話になったくらいで態々このような推薦状を書くとは思えんが……これ以上君を追及しても何もではすまい。君が優秀な以上、私がこれ以上何か言っても始まらん」

 

そう言って、私がずっと悩み続けていた就職問題はあっけなく終わりを告げたのだった。

どこからか、

 

『先生の未来に祝福を。どうかこれから、少しでも先生が心穏やかに過ごせますように。……たった一年でも、先生との出会いは何物にも代えがたいものでした』

 

表情同様冷たい……だがその表情からは想像もできない程の優しさを内包した、かつての教え子の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

これが私の『闇祓い』としての第一歩。

私のある意味で第二の人生の始まりの瞬間。仕事面でも……そして、

 

『わ、私、トンクスと言います! ニンファドーラ・トンクス! でも、ニンファードラという名前はあまり好きではないので……トンクスと呼んでくれると嬉しいです!』

 

その他の面でも、私の人生が再び歩き始めた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピーター視点

 

私にとって最も幸福な時代はいつだったかと言えば……おそらくホグワーツにいた時こそだったと思う。

ジェームズにシリウスに、そしてリーマス。昔から落ちこぼれだった私には不釣り合いな程輝いていた友人達。何をするにも派手だった彼らは、当時の私には光り輝いて見えていた。

いつだって輝いていて、いつだって楽しくて仕方がなかった時間。

リーマスが狼人間であると分かった時こそ、

 

『リーマスは馬鹿だなぁ。お前はちょっと毛深いだけじゃないか。そんなことで、僕らがお前を怖がるわけないだろぅ? な、そうだよな、シリウス』

 

『当たり前だろう、相棒。我ら『悪戯仕掛け人』はそんなことを恐れたりしないさ。ピーター! お前はどうなんだ!?』

 

『も、勿論僕も……』

 

正直内心では怖くて仕方がなかったが、それだって友人達と共に『動物擬き』になることで払拭された。

私が一番『動物擬き』になるのが遅かったというのに、

 

『まったく、お前はいつも本当にとろくさい奴だな。俺たちがいないとお前は何も出来ないな! ほら、こうやってやるんだよ! お前が早く習得しないと、リーマスが可哀想だろう!』

 

何だかんだいって僕の手助けまでしてくれた。口では色々言われていたが、()()()()()()それでも皆にとって私も掛け替えのない友人の一人だと思っていたのだ。

嬉しかった……。こんな私でも、彼らといれば光り輝くことが出来る。私だって、彼らと一緒にいさえすれば主人公になれる。

そう思っていたのだ。

 

そう、

 

『……お前がピーター・ペティグリュー……奴等からはワームテールと呼ばれているのであったか? ふふふ。まさに呼び名に相応しい奴だな。一層憐れになる程弱弱しい男よ』

 

あの恐怖を具現化したような、闇の帝王その人に出会うまでは。

戦いなど怖くて仕方がなかったが、友人達が入るならと参加した『不死鳥の騎士団』。戦う能力に乏しかった私は、それでも必死に皆の役に立とうと自分なりに頑張っていた。

しかし、突然私の前に現れた闇の帝王を見た時、私は確信してしまったのだ。

 

あぁ、この方には誰も敵わない。抵抗など無意味だ。抵抗しても、それは何の意味もない死でしかない。

私は最初から……『不死鳥の騎士団』なんかに入るべきではなかったのだ。そもそも騎士団に入った理由だって、

 

『不死鳥の騎士団! いいじゃないか! ヴォルデモートだって、俺たちの力さえあれば倒せる! そうだろう、相棒!』

 

『ああ! おい! ピーター! お前も当然加わるよな! もしかして、お前はそんな腰抜けなんかではないよな!?』

 

『も、勿論だよ、シリウス……』

 

心の底では嫌で仕方がなかったのだ。

それなのに、私は何故戦わないといけないのか。何故無駄死にしなくてはならないのか。

私は闇の帝王に対する恐怖と共に、どこか怒りの感情さえ持ちながら項垂れる。私にはもう、『不死鳥の騎士団』として戦うつもりなど欠片ほどもなくなっていたのだ。私はここで、誰にも助けられることなく死んでゆくのだと思った。

しかし……その瞬間が訪れることは無かった。何故なら、

 

『……ふん。殺す価値もない男だが……俺様に逆らわないという点においては賢い選択をしたと言える。どうだ。その様子だと……ほう、お前は友人達に誘われて、この俺様に逆らう愚か者共の仲間入りをしたのか。俺様には()()()()()()分かるぞ。しかし、悲しいことよ。お前の大切にしていた友情など、所詮まやかしにすぎぬ。事実……今お前が窮地だと言うのに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

闇の帝王は()()()()()()()()()()()()思うと、先程とは打って変わり優しささえ感じられる声をかけてきたから。

唖然とする私に、闇の帝王はやはりどこか優し気の声音で続ける。

 

『どうだ。そんなお前に一つ提案だ。お前は今後、俺様に騎士団の情報を流すのだ。何、ほんの些細な情報で構わぬ。お前の友人に対する細やかな復讐だと思えば良いのだ。……やらぬというなら、ただここで殺すだけだ。俺様の寛大さが、そう易々と与えられると思わぬことだな』

 

そして私は結局……その申し出に頷いてしまったのだった。

最初は友人達に申し訳なく思った。私は彼らを裏切っている。あの場で生き残るためとはいえ……流している情報も、なるべく大勢には影響しない小さなものばかりとはいえ、私は確かに闇の帝王に情報を流している。そのことが、私にはどうしようもなく後ろめたく思えて仕方がなかった。

 

しかし、それでも私が闇の帝王に情報を流し続けていたのは……

 

『お前の大切にしていた友情など、所詮まやかしにすぎぬ。事実……今お前が窮地だと言うのに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

あの言葉に、私はどこかで……共感を感じていたからなのだろうか。

 

そしてあの日。あの運命の日、私はシリウスの、

 

『おい、ワームテール! この前話していた『秘密の守人』の件だがな……俺ではなくて、お前にやらせることに決めたぞ!』

 

()()()()()()()()によって、遂に限界を迎えることになる。

騎士団の中にスパイがいることがいよいよ露見し始め、私が内心の罪悪感に押しつぶされそうになっていた矢先……私はシリウスとジェームズ。そしてリリーによって呼び出され、開口一番にそんなことを言われたのだ。

唖然とする私にシリウスは何でもないことのように続ける。

 

『なに、本当は俺の方が適任なのだろうけどな、敵も俺が『秘密の守人』であることは当然予想しているだろう。あいつらは全力で俺を狙ってくる。だから……『秘密の守人』はお前がやるんだ。愚図なお前なら、誰だってその役目を負っているとは思わない。お前はいつも通り、コソコソ適当な場所に隠れておけばいい。今まで足を引っ張ってばかりだったんだ。それくらいは役に立ってくれよな!』

 

その言葉に、私にあった何かがはち切れる音がした。

何が、それくらいは役に立ってくれ、だ! 私が今までどんな思いをしてきたと思っているんだ!

それにジェームズやリリーだって、

 

『そうだな。ワームテール。確かにシリウスの言う通りだ。だから僕らの『秘密の守人』になってくれないかい? 君なら、隠れ潜むことくらいは出来るだろう?』

 

『お願い、ピーター。()()()()()()()()()()()()()()

 

どうしてシリウスの言葉を否定してくれないんだ! 狙われるのは私なんだぞ! 守られる立場にありながら、どうしてノウノウと僕にそんなものを押し付けようとするんだ!

これではまるで……私はただの捨て駒でしかないではないか。私は今まで……彼らに本当に友人として扱われていたのだろうか? 

彼等が私に求めていたのは、彼ら()()()()()()()()()()ではなく……自分達を引き立ててくれる、ただの愚図で使えない人間でしかなったのでは?

 

私が彼らを友人だと思っていたとしても……実は彼らは私のことを友人だと思っていなかったのでは?

 

そう思った瞬間には、全てが遅かった。

まるでこうなることを狙いすましていたかのように、再び私の元に闇の帝王が現れたこともあり、私は全てが信じられなくなり……気が付いた時には、私は()()()闇の帝王にジェームズ達の居場所を話していた。

そして……自身が何をしてしまったかを、

 

『ピーター! お前! お前がジェームズとリリーを殺したんだ! お前がヴォルデモートに二人を売り渡したんだ! お前の様な卑怯者のせいで、二人は死んだ! ()()()()()()()()()()()()! 私達に友情を持っていたのなら、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

二人の死を受け、裏切り者である私を殺しに来たシリウスの言葉で知ったのだった。

私にはもう……かつて友人達と過ごした幸福な時間を思い出すことは出来なくなっていた。

 

 

 

 

思えば、あの日から私は真面に食事を摂っていない。

ウィーズリー家にネズミとして隠れ潜んでいたこともあるが、人間に戻ってまで食事を摂りたいとも思えなかったのだ。

もはや自分が生きているのか、それとも死んでいるのかもよく分からない。

思い浮かぶのは、私を最初に裏切ったかつての友人達への怒りと……そんな彼らに対する罪悪感、そしてどうしようもない程の死への恐怖。

 

しかしこうも思うのだ。

私はきっとあの日……怒りに任せて友人を売った日。彼らが死ぬと同時に、()()()()()()()()()()

私は彼らを殺すことで、その実生き残ったのではなく……()()()()()()()()()()()()()()()()

何故こんな簡単なことを誰も教えてくれなかったのか。誰かを殺すと言うことは、自分自身を殺すことと同義だということを。

結局私は……寧ろ辛いだけの選択を選んでしまったのだ。

 

だから必死に否定し、自分が生き残ることだけを考え、今まで生き続けていた。恥やプライドなんて考えはもう私の中にはない。一番大切にしていたものを、自身の手で自分ごと壊してしまった私には、もはや何もかもが価値のないものだった。

 

ただ死が恐ろしく……()()()()()()()()()()()()()()()()ために、自分を生かし続けることだけを考え生きていた。

 

そうでなければ……()()()()()()()()()()()であるという事実に向き合わなくてはならなくなるから。

 

 

 

 

だから私は……

 

「……俺様の下に最初にはせ参じるのが、まさかワームテール。貴様だとはな。だが……よかろう。それがたとえお前の生きぎたない感情によるものだとしても、俺様はそれを許そう。復活の暁には真っ先に殺してやろうと考えていたが……これで俺様の役に立てば、貴様のせいでこのような有様になっていることも許してやろうではないか。俺様は寛容だからな」

 

「……は、はい、ご主人様。なんなりとご命令を」

 

今日も生きるために必死に行動し続ける。

せめて自分が、今も生きているのだと証明するために。

 



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炎のゴブレット
不気味な夢


いよいよゴブレット開始です。
……そして連載開始2周年です(ぼそ)


 

 ()()()視点

 

夢を見ているような気がする。

僕は確かにダーズリー家のベッドで眠っていたというのに、今は見たことも聞いたこともないような場所にいる。意識がいまいちハッキリしない。僕が誰なのか、いまいちハッキリしない意識の中で……気が付けば、僕は()()()()()()()()()

どこか暗い屋敷の中、埃の厚く積もった床を這いずり、僕は()()()を目指す。

 

彼はあそこにいる。昔の力を失い、あの一噛みで殺せそうな小男の助けが必要な程弱ってしまった彼は、この時間は大抵暖炉の前にある椅子に座っている。

今だって、

 

「何度言えば分かるのだ……。俺様が力を取り戻すには、()()()()()()()()()()()()()()()()! ……他の者では代用できぬ。これは決定事項なのだ! ……確かにお前は俺様の下に最初に現れ、俺様に恐怖心からとはいえ献身的な世話をしている。お前が捕まえたあの憐れなバーサ・ジョーキンズによって、俺様は完璧な計画と()()()()()()()()を取り戻すことが出来る。俺様が復活した暁には、お前にも特別な褒美を与えることもやぶさかではない」

 

あの人の声が、彼のお気に入りの部屋から聞こえてきている。

僕は長細い体を波打たせ、彼の待つ二階の部屋を目指す。その間にも、彼と小男の会話は続く。

 

「ご、ご主人様。ですが、その……バーサを殺す必要はあったの、」

 

「くどい! 貴様は俺様の命令に黙って従えばよいのだ! ……この臆病者め! あの女は用済みであった! お前はあの女に『忘却術』でもかければよかったと、そう言いたいのか? お前は忘れたのか? あの女を尋問した際、奴には()()『忘却術』がかけられていた! だがそれでも俺様はあの女から情報を聞き出した! 強力な魔法使いであれば、呪文を破り情報を聞き出すことなど容易いのだ! それに今の魔法省は、魔女が一人消えようが気にもすまい。今はなにせクィディッチ・ワールドカップ中なのだからな。魔法省も警備で手一杯なことだろう。お前が心配するようなことは何もない。あぁ、もうすぐだ……。もうすぐ俺様はかつて以上の力を手に入れることが出来る」

 

響いてくる声音から、最初は彼の機嫌は悪いものだと思っていたが……どうやら別に全くの不機嫌だというわけでもなさそうだ。今は寧ろその声音に喜びの感情すら伺える。

よかった。彼の喜びは、()()喜びでもある。彼の今発している言葉は、()()()()()()()()()()()()()()……それでも彼が喜んでいることが声から分かる。

私がついに階段を登り切っている間にも、彼の嬉しそうな声が聞こえてくる。

 

「すべては俺様の手中にある。ダンブルドアが必死に守っているハリー・ポッターとて、計画が上手くいけば……俺様の忠実なる僕が戻り、仕事を完遂すれば……必ず俺様の下に()()()()()。実に……実に愉快なことだ。全ては俺様の計画通り。バーサの献身により、晴れて()()になったことだしな……」

 

「む、六つとは一体?」

 

「それこそお前の知るべきことではない。……ワームテールよ。恐れることなど何もない。何、お前に一人でやれと言っているわけではないのだ。我が忠実な僕は、戻り次第()()()()()()()()予定だ。それに、ホグワーツには()()()()()()()のだ。必ずや、俺様の役に立ってくれることだろう」

 

あぁ、本当に今日は機嫌が良さそうだ。

そして彼は遂に、

 

『ん? この音は……ナギニ、戻ってきたか』

 

()()()()()()()()で話しかけてきたのだった。

ようやく彼のいる部屋の目の前までたどり着いていた私は、()()()()()()()()()()()()()()を無視し、中に滑り込みながら応える。

 

『ご主人様。機嫌が良さそうですね。下の階まで声が響いておられましたよ。何かいいことでもあったのですか?』

 

『お前にも分かるか? あぁ、俺様は今とても気分がいい。初めはこの無能な小男の力を借りねばならんのかと、自身の不幸な境遇に絶望もしたが……やはり俺様は特別な存在だった。全ては俺様に都合のいいように動き始めている。それに今日は特に体調が良いのだ。ここまで話を続けられたのはいつ以来であろうか……。全てはお前がいたためだ、ナギニ。もはや()()()()()()()であるお前の毒があったからこそ、俺様はここまで力を取り戻すことが出来た。お前の献身には感謝しているぞ』

 

彼の言葉で、ただでさえ気分が良かった私の心も更に浮き立つ。やはり彼に出会えたことは素晴らしい幸運だった。どこか()()()()()()()()()()()をしている彼と出会えたことで、私はより強力な存在になることが出来た。

彼と半ば()()()()……特別な存在に。

森の中でも最強の個体であった私が、外においても最強の存在になることが出来た。私に力を与えてくれた存在に尽くせる。これ以上の喜びがあるはずがない。

 

『いいのです。ご主人様のお力になれたのなら、それだけで私は嬉しいのです』

 

『……やはりこの世で信用できるのはお前だけだ。お前だけは、この俺様に尽くすことを真の喜びとしている。やはり俺様が信用できるのは、俺様自身だけ……ということなのだろうな』

 

彼はそう言って、彼特有の冷たささえ感じさせられる笑い声を上げる。私はそんな彼の笑い声が好きだが、周りの人間にとっては違ったらしい。彼の傍に控える小男……そしてドアの外にいる老人が体を震わせているのが私には分かった。

そんな彼らの反応で、私は思い出したように彼に報告する。彼に会うことで頭が一杯であったため一度は無視したが、そういえば外にいる老人は不審者であることに今気が付いた。人間の顔など、彼以外は特徴的な顔などしていないから分からないが……確かにあんな老いた人間はいなかったと思ったのだ。

 

『そういえば、今この部屋の前に見たことのない……年老いた人間がいるのですが、ご主人様の僕ではないですよね? 私には人間の顔など判別出来ませんが、あれは初めて見た顔の様な……それに、ご主人様や、そこにいる小男の様な力を感じることも出来ませんでした』

 

『ほう……ということはマグルか。確かこの屋敷には庭番がいるという話だったが……その男であろうな。愚かなことだ。こんな夜更けに屋敷に踏み入るなど……。大人しく寝ておけば、ここで死なずに済んだというのに……』

 

やはり私の予想は正しかったらしく、彼は不敵に笑った後、

 

「ワームテールよ。ナギニが面白い報せを持ってきたぞ。こやつが言うには、どうやらこの部屋のすぐ外に老いぼれたマグルが立っているらしい。さぁ、ワームテール。中にお招きするのだ」

 

再び私には分からない言葉を発し、小男に侵入者を中に連れ込ませるのだった。

小男は急いで部屋の外に飛び出すと、すぐに引きずるような形で老人を中に入れる。連れ込まれた老人は、酷く怯えた様子で震えるばかり。そしてそんな彼に、

 

「あぁ、可哀想にな、そんなに震えて。よほど俺様のことが恐ろしいと見える。それもそうだろう。力が衰え、このような姿になれ果てようとも……マグル如きにはこの俺様はやはり強大な存在に見えるのだろう。……喜べ、マグルよ。俺様は寛大だ。こんな夜遅くに眠れなかった老人に、俺様は永遠の眠りを与えてやろうではないか。……アバダケダブラ!」

 

彼は緑の閃光を浴びせた。

年老いた人間が、床に倒れ伏す。息はもうしていない。彼が倒れ伏すことで、その濁った瞳に()の姿が映りこむ。

 

 

 

 

その移りこんだ姿が蛇ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ところで……僕はハッと目を覚ましたのだった。

……何百キロも離れた場所にいるはずの、当のダリア・マルフォイと同時に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「っが! は! う、うぇぇ!」

 

あまりにも生々しい夢を見てしまった私は、こみ上げる吐き気を何とか抑え込みながらベッドに突っ伏す。

そして何とか荒い息を整えた私は、近くにあった水差しから水を呷り、今見た夢のことを思い出すのだった。

 

何だったのだろう、今の夢は。いや、夢……というにはあまりにも生々しかった。夢から覚めた今だって、私はハッキリと()()()()()()()から見た光景や会話を思い出すことが出来る。あれが普通の夢であるはずがない。

暗い廊下。暖炉前の椅子に腰かける『何か』と、その横に侍る小男。そして……『死の呪文』を受け息絶えた老人。

全てがあまりにも生々しく、まるで私が本当にその場に……その場にいた蛇だったかのような気分だった。本当に今の夢は何だったのだろうか……。

 

水を飲み終えた私は重い体をベッドから起こし、カーテンに遮られた窓を見つめる。カーテンは閉められているが、その明るさからまだ外が夜中であることだけは分かる。まだ起きる様な時間ではなく、まだまだ家族が起き始めるまでには時間があることが伺えた。

しかし、私はどうしても再びベッドに戻るような気分にはなれず。何とはなしにカーテンを開け、丁度月に照らされる位置に置かれた椅子に腰かけながら、再び夢のことについて考える。

 

あの日。あの私がホグワーツから帰省した日、

 

『な、何故今頃になってこれが……。ま、まさか、い、生きておられたのか? 闇の帝王が!』

 

と、お父様が腕に浮かぶ『闇の印』を見て叫んだ時から、私はうなされる夜が度々あった。ダンブルドアに鏡を見せられてから時折見る様な、漠然とした不安による悪夢などではない。もっと具体的な恐怖を投影したような悪夢。そう、あの私を造り上げた闇の帝王に関する悪夢。

私は決して突然もたらされた闇の帝王生存の報を喜ぶことが……受け入れることが出来なかったのだ。突然生きていると言われても、すぐに信じ切るなど出来るはずがない。

だから私は何度も夢を見た。自身を帝王の()()だと名乗るあの少年が出てきて、

 

『ダリア・マルフォイ……と名付けられたのだったな。道具には大層な名前だ。……だが、そんなことはどうでもよいことだ。さぁ、迎えに来たぞ。お前はこれから僕の右腕として、マグルや穢れた血、そして血を裏切る者を皆殺しにするのだ。それが僕がお前を()()()目的なのだからな』

 

などと言ってくるのだ。私を愚かな人形と呼んだその口で。それは悪夢以外の何物でもない。

 

しかし……今回の夢は違う。今回の夢は、いつもの具体的……でも本当に起こったわけではない夢とは違い、まるで今現実に起こったかのようなものだった。

しかもその夢の中では、

 

「あれが……闇の帝王。ヴォルデモート卿……。本当に生きていた……ということなのでしょうか?」

 

本物の闇の帝王が出てきていた。

私には分かる。蛇の視界で見た時、一瞬椅子の上に奴が見えた。たとえあそこに見えたものが、()()()()()()()のような姿形をしていようとも……私にはあれが闇の帝王その人であると分かったのだ。

髪の毛はなく、まるで鱗に覆われたようなどす黒い体からは、痛々しい程に細い手足が生えている。しかし、あの赤い目だけはギラギラと力強く……。

どんなに弱弱しい姿をしていようとも、嘗て魔法界に君臨していた程のオーラは隠しきれてはいない。去年見た奴の記憶が行きつく先……。あれを闇の帝王と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。

夢の中だというのに……確かに私は、あの闇の帝王の姿や醸し出す空気に恐怖を感じていたのだ。

 

「何故あんなものを見たのかは分からないですが……もし本当に闇の帝王が生きていて、あれが本当にあったことだとしたら……私はどうすればいいのでしょうか」

 

漠然とした不安感で、ただでさえ無くなっていた眠気が更に消えていくようだ。

何故遠く離れた場所の光景を私が見たのかという理由も分からないのに、それがただの夢と断じることも、だからと言って完全に現実のことだと断言することも出来ない。闇の帝王が復活した根拠とて、お父様の腕に再び浮かんできた『闇の印』以外にはないのだ。お父様の、

 

『……何とかせねば。このままでは、私はただの裏切り者として処罰される可能性もある。それだけは何とか……』

 

日々書斎から垂れ流される不安な声音に、私もつられて不安を感じていたために見た()()()()()()()()()()妄想という可能性を、どうして否定しきることが出来るだろうか。考えれば考える程、何が正しくて、何が間違っているのかも分からなくなってくる。

私の生きる意味は、私を造った闇の帝王などにではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。でもそのマルフォイ家のために、私はどう行動すればいいのかが全く分からなかった。

 

ただ一つ分かることは……私の与り知らない所で何かが進行しており……私が行動しなければ、この()()()()()()()()()()()()()()()()()だろうということだけだった。

 

猛烈な不安感を感じた私は、まるで助けを求めるような手付きでベッド脇のテーブルを探る。

手に触れたのは二枚の手紙。お守りの様に大切にしていた手紙を持ったことで少しだけ気分が落ち着いた私は、更に精神を安定させるためにまず一枚目の手紙を見直す。

一枚目の手紙には……去年私にずっと『守護霊の呪文』を教えてくれたルーピン先生の名前が刻まれていた。

 

『やぁ、久しぶりになるのかな? 教員を辞めて以来色々目まぐるしかったから、何だかホグワーツにいた頃が酷く懐かしく感じるよ。()()闇祓い局を紹介されてから、私はとても充実した日々を過ごしている。君には本当に、いくらお礼を言っても言い足りないくらいだ。私はあまり立派な教師ではなかった上、君を教えることが出来たのも一年という短い期間だった。それなのに、君は狼人間である私を笑顔で送り出してくれたばかりか、こうして仕事まで斡旋してくれた。この恩は決して忘れない。君はおそらく、これからも多くの困難に直面するかもしれない。何せ君はとても誤解されやすい人間みたいだからね。そんな時に、少しでも君が助けを欲するなら、私は必ず駆け付けたいと思っている』

 

大変お世話になった恩師の近況報告。ルーピン先生からの手紙など、本来であればお父様が私に届く前に燃やしてしまうのだろうが、内容が私への感謝の言葉ということで渋々ながら私に手渡してくださったのだ。お蔭でこうして、この手紙を読む度に先生が無事でいること……そして先生が私に言ってくださった、

 

『それがなければなかったことや、それがなければ出会えなかった人達がいはしないかい?』

 

あの時、私の心を少しだけ軽くしてくれた言葉を思い出すことが出来るから。

 

「先生……結局最後の試験は失敗してしまったけど……貴方の教えてくださったことは、今でも私の中で生き続けています。どうか……これからも貴方の未来に祝福を」

 

私はもう一度だけルーピン先生からの手紙を撫でると、今度はもう一枚の手紙を開く。

開くだけで、先程以上に幸せな感情が私の無機質な魂に流れ込んでくるようだ。私は自身の表情が僅かに動くのを感じ、ダフネ・グリーングラスと書かれた文字を撫でながら、手紙に書かれた文字を視線で追う。

 

『ダリア! 昨日ぶりだね! 毎日のように手紙を書いているから、何だかいつもダリアと一緒にいるような幸せな気持ちです。でもそろそろ直に貴女に会いたいという思いもあります。ダリアも知っての通り、今年はクィディッチ・ワールドカップの年! イギリスが開催地になるのは30年ぶりなんだから! クィディッチにあまり興味のないダリアも、ワールドカップなら楽しめるはずだよ! そこで是非一緒に観戦しましょう! 大丈夫! 行くとしたら、ダリアはおそらく貴賓席に座るのだろうけど、私も何とか貴賓席を取ることに成功したよ! 滅多に使わないんだけど、パパが珍しく魔法省のコネを使って手に入れてくれたんだ! やっぱり持つべきものは権力だね! あとここだけの話だけど、ハーマイオニーも同じ席に来る可能性があるみたいだよ。出来れば三人で観戦したいね!』

 

ダフネから最新の手紙。彼女からは毎日のように手紙を送られているが、少しもその有難味が薄れることはない。彼女は私と一緒にいることを幸せだと言ってくれたが、それは私も同じことだ。私にとって、ダフネとこうして交流することこそが幸せの形なのだ。決して薄れはしない……決して失いたくはない幸福の形。

手紙を見直したことで少しだけ不安感を取り除けた私は、再度手紙を握りなおしながら呟く。

 

「大丈夫……。やるべきことは分かっている。ただマルフォイ家と……ダフネを守る。彼らの幸せを私が守る。そのために、私は……たとえ何を犠牲にしても……」

 

夜が更けてゆく。

耳をすませば遠くから家族達の寝息まで聞こえてきそうな静かな夜。

そんな静かな空間に響くのは、

 

「ハリー・ポッター……。忠実な僕……。……ホグワーツから()()()()()?」

 

私の漏らした、小さな呟きだけだった。

 




感想よろしくお願いします。


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クィディッチ・ワールドカップ(前編)

 

ハリー視点

 

あの悪夢を見てしばらくの間、僕はあまり陽気とは言えない生活を送っていた。

ダドリーのダイエットにダーズリー家総出で付き合わされていたこともあり、僕に十分な食料が与えられていなかったこともあるが……やはりあの夢をどこかただの夢と断じきれないことが大きな原因だった。

椅子に座るヴォルデモート。見たこともない老人の殺害。そして……()()()()()()

あれから額の傷が無性に痛む。こんなことは一度もなかった。あいつが傍にいる時にしか痛まなかった傷が、どうしてこうも痛んでいるのだろうか。何か……何か悪いことが、僕の知らない所で起ころうとしている。

そんな不安な思いが僕の中に生まれては消えていく。相談しようにも、誰に何と相談していいのかさえ分からない。親友であるロンやハーマイオニーに話しても、こんな夢か現かも分からない内容を聞かせたら心配させるだけだ。一番頼りになるダンブルドアにだって同じこと。僕は誰にも相談できず、ただ徒に不安を募らせる毎日を過ごしていた。

 

でも……今日は違う。

今日だけは、日々不安な気持ちを隠しきれていなかった僕も、ヴォルデモートのことさえ忘れることが出来ていた。

何故なら、

 

「よく来たわね、ハリー! 待っていたのよ!」

 

「ウィーズリーおばさん! 少しの間お邪魔させていただきます」

 

「お邪魔だなんて! ハリー、貴方はここを自分の家のように思ってくれていいのよ。こんな小汚い上に……『O・W・L(ふくろう)試験』そっちのけで、下らない悪戯玩具ばかり作っているような息子達がいる所でよければですけど。まったく、なにが『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ』ですか……」

 

僕は今日ようやくダーズリー家から解放され、世界で一番好きなウィーズリー家にやってきたのだから。

暖炉から出る僕を笑顔で出迎えるウィーズリーおばさんの後ろには、僕の親友であるロンをはじめ、おばさんの小言に居心地の悪そうな表情を浮かべているフレッドにジョージ、顔を赤らめた末妹のジニーがおり、

 

「やぁ、君がハリーかい? 君のことはいつも弟達から聞いているよ。俺はビル。今はグリンゴッツで働いているんだ。よろしくな」

 

「俺はチャーリー。と言っても、君とはノーバードの時に色々あったから、あまり初対面な気がしないな」

 

今まで会ったことのなかった長男と次男もいたのだった。いないのは去年魔法省に入職したパーシーだけだ。きっと彼のことだから、こんな時でも仕事をしているのだろう。

僕は初対面のウィーズリー兄弟と握手を交わした後、こちらに笑顔で手を振っているロンに話しかける。

 

「ロン! 元気にしてたかい!?」

 

「あぁ、もちのロンさ! 何と言ってももうすぐクィディッチ・ワールドカップだからね! これが元気でないはずがないさ! 寧ろ君はよくここに来れたね。こんなチャンス逃す手はないと思っていたけど、正直君の……親戚の人達がここに来ることを許すのか疑問だったんだ。まぁ、許されなかった場合は、去年みたいに無理やり連れ去る予定だったけどね。何はともあれ、平和的に解決できてよかったよ。何せ今はママが兄貴達のせいであまり機嫌がよろしくないからね……。一体どうやって説得したんだい?」

 

「……シリウスが名付け親だと言ったら、二つ返事で了承してくれたよ。()()()()彼が無実であることは話し忘れたけど。きっと僕が幽閉されていると知ったら、大量殺人犯が家にやってくるとでも思ったんじゃないかな」

 

「成程! そりゃいいや! 今後も困った時はそれを使っていこうぜ!」

 

シリウスのことは僕とロンやハーマイオニー、そしてダンブルドア校長だけの秘密であるため小声で話していたが、それでも僕とロンが和気藹々と話しているのが分かったのか皆笑顔でこちらを見つめていた。

本当に素晴らしい一家だと思う。ここにいるだけで、僕の中の不安が洗い流されていくようだ。僕を家族として暖かく迎えてくれるこの空気に、僕はどうしようもなく幸せを感じることが出来るのだ。

あまりの生活の落差に少しだけ涙が出てしまいそうだ。そんな僕に、今度は僕と同じく暖炉から帰ってきたウィーズリーおじさんが話しかけてくる。

 

「おや、ハリー。まだこんな所にいたのかい?」

 

「あ、ごめんなさい。それと、僕を態々迎えに来てくれてありがとうございます。でも……随分戻ってくるのに時間がかかってましたけど、まさかダーズリー叔父さん達が何か迷惑を?」

 

「いや、それがね、私も早くお暇した方がいいとは思ったのだが、何だか面白そうなものが一杯あってね。そう、プラグ……と言ったかね? あの()()なるものを使う。実は私のコレクションの中にプラグがいくつかあってね。この機会に使い方を教えて頂こうと思ったのだよ。……まぁ、実際は空振りに終わってしまったがね。あのダドリー君には悪いことをしてしまったよ。始終お尻を抑えて怯えてばかりだった……」

 

一瞬叔父さん達が何か失礼な態度を取ったのかと思ったけど、どうやら()()()()酷い態度は取っていないようだ。いつも通りのおじさんの様子に、僕は更に明るい気分になる。

しかしそんないつも通りのウィーズリーおじさんの姿が気に入らないウィーズリーおばさんは、

 

「まったく! またそんな迷惑をかけて! アーサー! そんなのだから、この子達が人様に迷惑をかける生き方をするんです! フレッドとジョージがあぁなのも、貴方がきちんと言わないから!」

 

大きな声で何故かウィーズリーおじさんと共に、フレッドとジョージまで叱りつけ始めたのだった。

ここに到着したすぐといい今回といい、どうやらフレッドとジョージが何かやらかしたのは間違いなさそうだ。

突然始まったお説教に当惑する僕に、ロンが小声で再び話しかけてくる。

 

「と、とにかく、僕の部屋に行こうか」

 

「う、うん。そうだね」

 

確かにこれ以上ここにいても仕方なさそうだと思い、僕は素直にロンやジニーに従いキッチンをそっと抜けた。

そしてグラグラする階段を抜け、キッチンに声が聞こえないくなったあたりで二人に尋ねた。

 

「おばさん不機嫌だったけど、何かあったのかい?」

 

僕の質問に、ロンとジニーは笑いながら応える。

 

「えっと、ママがフレッドとジョージの部屋を掃除した時、二人が発明したものの価格表が出てきたんだ。昔から何か作っていたのは知っていたけど、それが全部悪戯道具だと思わなかったな~。それでママが『O・W・L試験』であまりいい点を取らなかった原因はそれだと思ったらしくて……」

 

「でも、二人が作ったものは本当に凄いものなのよ。『だまし杖』とか、『ひっかけ菓子』とか、ちょっと危険だけど本当に面白いものばかりなの」

 

 

 

 

ウィーズリー家での時間がゆっくりと過ぎ去っていく。

和気藹々と空気が家全体に満ちており、たとえ喧嘩をしたとしても、根底にある家族同士の信頼関係が揺らぐことは無く、少しすれば再び楽しい空気に戻っている。

僕がもう一生取り戻すことの出来ない……家族達との絆。

それでも……決して僕は彼らウィーズリー一家の一員でなかったとしても、それでも僕を家族の様に扱ってくれることに、僕はたまらく幸せを感じていた。

そうだ、彼らと一緒にいれば……そしてまだここにはいないハーマイオニーを含めた親友達と一緒にいれさえすれば、ヴォルデモートなんて恐れるに足りない。更にホグワーツには今世紀最も偉大な魔法使いがおり、シリウスまで今年から僕を見守ってくれている。僕はもう、孤独ではないのだから。

そう思い僕は少しだけ軽くなった気持ちで、間近に迫ったクィディッチ・ワールドカップについて思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私は今『隠れ穴』近くに向かうバスに揺られている。

窓の外はまさに夏真っ盛り。忌々しい程の日光がこれでもかと言わんばかりに降り注いでいる。バスの中は適温に保たれているけど、一歩でも外に出れば灼熱の炎天下であることは間違いなかった。

私はもうすぐバスから降りなければならないことを憂鬱に思いながら、つい先日ロンから届いた手紙を開く。

 

『ハリーは無事にこちらに来れそうだよ。去年のことがあるから、もしかしたらハリーの親戚に断られるかもしれないと思ったけど、ハリーが何とか許可を取り付けたみたいだ。ハリーの家には僕のパパが迎えに行くよ。ハリーの家は事情が事情だからね、特別に煙突飛行を使えることになったんだ。一時的だけど、ハリーの家と煙突ネットワークを繋げれたみたいだよ』

 

それはハリーが無事『隠れ穴』に来れることを示した手紙。この手紙通りに物事が進んでいれば、ハリーは今頃既にロンの家に到着していることだろう。

ハリーはクィディッチのシーカーであるため、クィディッチ・ワールドカップをとても楽しみにしていた。そんな彼が試合を観られないなんてあってはならないと考えていたのだけど……どうやら大丈夫みたいだ。私は初めて観戦することになるプロのクィディッチ試合に興味はあるものの、ハリーやロン程楽しみにしているわけではない。でも、ホグワーツで出来た友人達と共に夏休みを過ごすイベントという意味では、今回のことは非常に楽しみなものであった。これで皆で試合を観戦することが出来る。そう、ハリーやロン、ウィーズリー家の皆、そして、

 

「これで皆試合に行けそうね。()()()も……ダ、()()()も」

 

去年できた、初めてのスリザリンの友人達と。私はまだ呼び慣れない名前を小さく口の中で繰り返す。

私がずっと憧れ……そして去年やっと交友を持つことが出来た人達と、私はようやく同じ時間を過ごすことが出来るのだ。

勿論彼女達……というよりダフネが私のことを許してくれたからといって、私が彼女達と常に一緒にいることは出来ない。彼女達は私の友達であっても、ハリーやロンの友達というわけではない。未だにダリアのことを警戒している様子のハリー達は、その友人であるダフネのことも疑い続けている。バックビークの件があったとしても、あまりにもスリザリンらしくない行動に困惑しはすれ、警戒を解くわけにはいかないと考えているのだ。

彼等が私のためを思って、あんなにも彼女達のことを警戒していることは分かっている。冷静に考えればダリアはマルフォイ家の娘であり、その表情も常に冷たい無表情で固定されている。それに彼女も決して周りに対して友好的な人間とは言えない。寧ろドラコやダフネに対してのみ友好的であり……周りの人間、それこそ同じスリザリン生……そしてダフネの友達である私にさえ拒絶的な態度を取り続けている。あのダンブルドアでさえ疑っているのだから、二人が彼女を警戒するのは極々普通な反応なのかもしれない。

でも、私はそれが分かっていても……彼らの誤解を解くことが出来ない。それも当然。私は……彼らに何故ダリアがそんな態度をとり、決して誤解を解こうとはしないのか、いや()()()()()()知っているから。根底にある原因を()()()()()私に、ハリーやロン、そしてダンブルドアを説得など出来はしなかった。

情けない話だと思う。私はあんなにもダリアのお世話になっておりながら、かつてない程彼女に近づいた今になっても、私が彼女の助けになることは出来ていない。今回のことだって、もし私がしっかりしていればダリアは私やハリー達と同じ時間を過ごせていたかもしれないのだ。確かに私がどんなに努力していても、

 

()()()()()()()! これが記念すべき初めての手紙ですね! でもそんな初めての手紙で悪い報せです。私も貴女と同じ貴賓席を取って、ダリアも同じ席が取れたことを確認したのだけど、おそらく長時間貴女と話すことは出来ません。ダリアも試合を観戦しに来るけど、それは両親と一緒にみたいだから。ルシウスさん達も貴女とダリアが話すことにいい顔をしないし、ダリアも両親や()()()不快な思いをさせたくないと思うだろうから』

 

結局はダリアの両親の意向で私達と一緒に過ごすことは出来なかったかもしれないけど、それでも私は悔やまざるを得なかった。

私がもっとしっかりしていれば……。私がもっと早く彼女と近づいていれば。一昨年彼女にあんなことをしでかさねければ……。

後悔はつきない。戻れるならば、彼女の無罪を証明しようとするばかりで、その結果に一切目を向けようとしていなかった以前の私を引っ叩いてやりたい。

でも、

 

「……そんなこと考えている暇があるなら、これからのことを考えないとね。折角、ダフネが私に与えてくれた機会なのだから……」

 

私はもう、後ろばかりを見ていられないのだ。だってようやく、前に進む道が開けたのだ。去年の様な堂々巡りの思考に囚われているばかりではいけない。これからは、私は前に進まなくてはならない。

これからダフネの本当の友達になるために。……これから、『吸血鬼』であるがために孤独でなければならないと思っている、ダリアの平穏を少しでも守るために。

私は再度決意を固め、丁度『隠れ穴』近くのバス停に停泊したバスを降りる。

バスを降りれば案の定外は灼熱の炎天下。見上げれば雲一つない青空が視界一面に広がっている。ロンの家はマグル対策のため、ここからまたしばらく歩いた所にあると考えると、この晴れやかな青空と反比例して暗い気持ちになるけど……これからの楽しい時間を考えるとそんなことも言っていられない。私は暑さにうだる感情と共に、これからのことにどこか明るい気持ちを持ちながら前に歩き始めたのだった。

 

 

 

 

そう突然、

 

「わ! な、何!? フクロウ!? て、手紙!?」

 

その手紙が届くまでは。

『隠れ穴』に向かって歩く道すがら、突然見たこともないワシミミズクが私に飛び掛かってきたのだ。そのフクロウの足にはたった一枚の小さな羊皮紙が括りつけられており、私がそれを手紙だと認識し解くと同時に再びどこかに飛び立っていく。マグルの世界を離れたと同時に襲い掛かった事態に困惑する私は、炎天下の中一人手紙を開く。

この慌てよう、そして魔法界において私に手紙を送る人間なんてハリーとロン、そしてダフネくらいしかいないなと思いながら。

しかし手紙には差出人の名前はなく、ただ、

 

『クィディッチ試合の後、絶対に一人にはならないように。試合の後、すぐに()()()()()

 

そんな短い文章が綺麗な文字で書かれているのみだった。

 

私は()()()()、この何も遮ることのない日光が嫌いだ。

その晴れやかな日差しの中、これから行われるイベントとは裏腹に、どこまでも不吉な手紙にただ立ち尽くすのであった。

私の与り知らぬところで……何か良からぬことが起きようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

夏休みに入ったことにより、我がマルフォイ家の誇る二人の子供達が家に帰ってきている。

一人は私とシシーの()()子供であるドラコ。当の本人には絶対に言わないことであるが……母親より私に似た、実に誇らしい息子である。まだまだ未熟であり、誇りあるマルフォイ家に相応しくない言動をとることも多い我が子であるが……それでも将来的には我がマルフォイ家の当主として相応しい人間に成長するであろうという確信があった。

 

そしてもう一人の子供こそが……赤ん坊の頃から闇の帝王より預かることになった、我が愛する娘、ダリア・マルフォイだ。

私とシシーの実の子でなくとも、それでも今では私達の子供だと断言できる愛娘。その類まれなる優秀さもあって……いや、たとえ優秀な子供でなかったとしても、もはや我がマルフォイ家の一員であることに何の異論もない子供だ。

私はダリアの将来が楽しみで仕方がなかった。ドラコの未来も楽しみであるが、それ以上にダリアのこの先の未来が楽しみで仕方がない。勿論ダリアの将来は、闇の帝王によって『死喰い人』と()()()()()()()。たとえ闇の帝王がいなくなろうとも、将来的にダリアが『死喰い人』以外の道を進むことを私は()()()()()()()()()()()()()()()。しかし、闇の帝王が()()()()()()()()()今、()()としての『死喰い人』は役割を終えているのだ。純血主義の象徴たる死喰い人としての信念さえ持ってくれれば、どのような職業についてくれてもいい。そうたとえ私を散々苦しめてきた闇祓いにとて。私は長い年月で自身をそう納得させていた。

ダリアは一体何になるのであろうか?

ホグワーツ在学生どころか、もはや闇祓いにすら勝てる程の能力を持った子供だ。戦闘能力もさることながら、『闇の魔術に対する防衛術』以外の課目でも最高の成績をたたき出し続けている。将来は教師か研究者か、はたまたドラコと同じ魔法省高官……いや、魔法省大臣だろうか。マルフォイ家の歴史においても、魔法省大臣にまで上り詰めた人物はそこまで多くはない。きっとダリアのことだ。その優秀さにより、今までで最も偉大な大臣になることが出来るだろう。

何と言っても……ダリアは私とシシーの()()()()なのだから。

 

私は娘と息子の将来を考えると、いつだって明るい気持ちになることが出来る。たとえウィーズリーの馬鹿共と関わらねばならん不愉快な時間においても、娘たちの将来のためだと思えばこそ我慢できた。

まさに私の人生は、この愛する子供たちのためだけにあったのだとさえ思える。

だからこそ、私はいつだって子供達がホグワーツから家に帰ってくる瞬間が楽しみだった。シシー程表情に出すことなど、誇りあるマルフォイ家当主として出来はしなかったが、正直内心ではこれ程嬉しい瞬間などありはしなかった。

いつもは表情同様冷静沈着なダリアが、その表情とは裏腹に全身で嬉しさを表しながら私やシシーに抱き着く。そしてそんな妹の姿を見守るドラコは、いつもの年相応な子供らしさは鳴りを潜め、どこか大人の様な表情を浮かべる。そして家に帰れば、再び子供らしい様子で学校でのことを話し始めるドラコに……そんな息子を窘めるようで、やはり時折興奮したように、楽しそうに話をする愛娘。

これが幸せなのだと思う。『死喰い人』として活動していた私が、その誇りある活動の傍らで守り続けてきた日常。子供達が家にいるこの日常こそが、私の守るべきものであり、最も幸福を感じられる時間なのだと疑いもせず思っていた。

 

しかし……

 

「一体……私は何を間違ったのだろうか? いや、分かり切っている……。あの日、私が闇の帝王を死んだものと考えていなければ……こんなことにはならなかった」

 

その日常は、一瞬の内に崩れ去ってしまったのだった。

あの日から……あの今まで消えていた『闇の印』が再び腕に浮かび上がった日から、私は不安で夜も眠ることが出来ない。子供達が折角家に戻ってきているというのにだ。子供達が……特にダリアが私の不安を感じ取ったのか、私と同じように不安そうな無表情を浮かべているというのに、私はどうしても自身の不安な心情を抑えることが出来ない。

 

私は……自身の決定的な間違いによって、他でもない愛する子供達を危険に晒しているかもしれないのだから。

 

私は今まで、闇の帝王は亡くなったものと考えていた。

話によれば、闇の帝王は当時まだ赤ん坊だったハリー・ポッターに対し『死の呪い』を放ったらしい。そしてその呪いが何故か帝王自身に跳ね返り、あのお方は忽然と魔法界から消えた。『死の呪い』には決して対抗呪文などありはしない。相手に必ず永遠の死を与える絶対の呪文。それが跳ね返ったのだ。いくら闇の帝王とて、決して死から逃れることは出来なかったのだろう。あの日以来一切の消息を絶ったのだから猶更だ。

そう私は考えたからこそ、私はいち早く闇の陣営を離れ、魔法省に自身が『服従の呪文』にかけられていたのだと説明した。

全ては家族を守るために。

しかし……結果はどうだ。闇の帝王は……実際には死んでなどいなかった。たとえ死んだも同然な程弱っていたのだとしても、こうして再び『闇の印』を浮かび上がらせる程の力を取り戻しつつある。この腕に刻まれた『闇の印』は、闇の帝王が生きていたことを示す証拠そのもの。どんなに否定したところで、この印が意味することは一つなのだ。もはや闇の帝王の生存、そして復活は疑いようのない事実だった。

 

もはや一刻の猶予もない。まだ()()()()こそないものの、日を追う毎に印は嘗ての輪郭を取り戻している。いつ帝王が『死喰い人』の印に触れることで、我々()()()()たちを呼び出すか分かったものではない。もし呼び出された時、まだ日和見な態度を取り続けていたと知られれば……私だけではなく、私の家族さえ恐ろしい罰を受けることになるだろう。

闇の帝王は決して裏切り者を許すことは無いのだから。絶対的な力をお持ちになっているあのお方に逆らうなど愚の骨頂だ。

何か……私が未だに『死喰い人』であり、闇の帝王への忠誠を決して失ってはいないことを示す何かを行わなければ……。

 

「私は何をすれば……シシー、ドラコ……ダリアを守るために、私は一体何をすればよいのだ……」

 

私の呻くような声が書斎に響く。

いままでの夏休みであればこの時間ダリアとドラコの話を聞いているというのに、私はただ書斎にこもり、こうして堂々巡りの思考に囚われ続けている。まるで底なしの沼に入り込んでしまった気分だ。

そしてたとえ答えを出したとしても、

 

「そうだ……クィディッチ・ワールドカップ。確かに警備は厳重だが、穴は必ずある。いや、私なら作り出すことさえ出来る。もしそこで『死喰い人』は滅んでなどいないと示せれば……全世界に帝王の存在を思い出させることが出来る。そうすれば私は……()()()()ダリアを守ることも……」

 

それは決して……正解とは言えない代物でしかなかったのだった。

 

 

 

 

クィディッチ・ワールドカップが近づいている。

世間のお祭り騒ぎとは裏腹に、どこまでも暗い決意に満ちた運命の日が……。

 

間違いを正すために……更に間違いを重ねる日がすぐそこまで迫っていた。




旅行に行くため、少し投稿遅れます。


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クィディッチ・ワールドカップ(中編)

 

 ハーマイオニー視点

 

魔法界において最も人気のあるスポーツといえば、誰もがそれはクィディッチだと答えるだろう。

元々魔法界で育ってきた人は勿論、ホグワーツに入るまでクィディッチのクの字も知らなかった人でさえ、今ではこのスポーツの魅力に取りつかれている。かくいう私も、この野蛮極まりないスポーツ自体はあまり好きになれなくても、クィディッチの試合観戦は別に嫌いではなかった。寧ろ人生で初めて楽しいと思えたスポーツ観戦かもしれない。

寮対抗クィディッチ試合での熱狂。いつもはあまり大きな音が好きでない私でも、試合観戦に行かなかったことは()()()()()()。寮の仲間と共に精一杯応援し、勝てば皆で喜び、負ければ皆で悔しがる。勉強の息抜きという意味以上に、私のホグワーツ生活において欠かせない物ですらあった。

そしてそれは寮対抗試合ではなく、ワールドカップという場においても変わらない。

去年あまりにも多くの課目を選択していた私は、その実あまりにも広大な範囲の勉強をしなければならず逆に成績が落ちてしまった。ダリアとの差は広がるばかり。いくつかの教科に至っては、ダフネに追い抜かれてすらいた。だからこそ私は、この夏休みの間も寝る間を惜しんで勉強をしなければならない。だというのに私は今勉強もせず、試合会場に向かうと言って歩くアーサー・ウィーズリーさんに続きながら、隣で大騒ぎしているハリー達の話に聞き入っている。

 

「絶対アイルランドだ。準決勝でペルーをペチャンコにしたんだからな。あんなに強いチームは他にないさ」

 

「でも、ブルガリアにはビクトール・クラムがいるぜ? 彼は最高のシーカーだ!」

 

「確かにクラムは素晴らしい選手だ。それは認める。だが、それだけだ。アイルランドには彼クラスの選手が七人いる。個人で勝っていても、チームでは負けたも同然さ」

 

「だけど……」

 

キッパリとアイルランドの勝利を断言するチャーリーとビルに、それでも尚クラムと言う選手の素晴らしさを言い募るロン。周りにいるハリー達も、

 

「クラムってそんなに凄い選手なの?」

 

「凄いなんてもんじゃないさ! 史上最高のシーカーさ! 天才なのさ! ハリーも直ぐに分かるぜ!」

 

三人の話に加わらないまでも、同じように今回のワールドカップについて話している。

フレッドとジョージはハリーに滔々と、ロンと同じようにクラムの素晴らしさを語っており、ジニーはそんなハリー達の周りをウロチョロしている。

試合に向かう直前に、

 

『まったく! どんな理由があってワールドカップ試合会場に、このウィーズリー・ウィザード・ウィーズの品物を持ち込むの!? こんな物を作っているから、『O・W・L試験』の点が低かったのよ!』

 

そんなウィーズリーさんとのやり取りがあったなんて今では思いもよらない。家を出た直後は()()を捨てられたことで不機嫌だったフレッドとジョージも、今ではそんなことを忘れたように興奮した様子だった。

早朝で空気が綺麗な上に、今日は曇りとは言えないまでもそこそこ空に雲のかかった当に絶好の観戦日和。試合は夜ではあるけど、()()()この天気なら今日の試合を存分に楽しむことが出来るだろう。私もハリー達の話に参加しないまでも、この試合が楽しみであることに変わりはなかった。

私達は皆、どこか明るい心持を隠すことも出来ず歩き続ける。それはたとえ日も出てない早朝に家を出たにも関わらず、何故か日が昇るまで坂を登り続けていても変わらない。

いつまでも沸き上がる興奮のまま私達は歩き続ける。しかし物事には限度があり、皆の息が苦し気なものに変わり、そろそろ誰かが不平不満を漏らし始めるのでは思い始めた所で……

 

「アーサー、おはよう! 随分遅い到着だな! 私と息子がもうとっくに()()()()()()()()!」

 

「すまない、エイモス! なに、家を出る前にひと悶着あってね……」

 

ようやく私達はゴールに辿り着けたのだった。誰もそこが本当にゴールだと気づかぬうちに。

何もない草むらの中、まだまだゴールは先なのだろうなと思い始めていた私達の前に、二人の人物が現れる。一人は褐色のゴワゴワした顎髭を生やした、血色の良い顔の魔法使い。そしてもう一人が、

 

「……セドリックだ。相変わらず憎たらしい程爽やかな顔してやがる」

 

ハッフルパフのシーカー、セドリック・ディゴリーだった。去年グリフィンドールが優勝できなかった最初の理由を造ったためフレッドは敵視しているけど、彼はあまり他寮の男子生徒を知らない私でもいい噂しか聞かない生徒だ。それも当然。絵に描いたようなイケメンである彼は、勉強も出来る上にハッフルパフのシーカー。女子生徒の中ではカリスマ的な人気を誇っている。私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()けど、彼がいい男であることは認める所であった。 

そんな彼と私達が挨拶を交わしている間に、大人たちの会話は続く。

 

「ずいぶん疲れた様子じゃないか! まさか歩いてここに来たのか!?」

 

「あぁ、子供達はまだ『姿現し』が出来る年ではないからね。出来る年の子は直接会場に行くんだよ。幸い遠いとはいえ、ここは歩ける距離であるからね。そういうエイモス達はどうしたんだ?」

 

「私は『姿現し』で来たよ! 息子が『姿現し』の試験を受けていれば良かったのだが……いや、勿論私の優秀な息子であれば、試験さえ受けていれば問題なく受かっただろうけどね。……これ以上は愚痴だな。と、とにかく、君が間に合ってよかった! 君の後ろにいるのは皆君の子供かい?」

 

「まさか、赤毛の子供だけだよ。後の二人はロンの友達さ。ハーマイオニーに……あのハリー・ポッターだ」

 

「なに!? ハリー・ポッター!」

 

そこで初めてハリーの存在を知ったらしいセドリックのお父さんが、この中で唯一赤髪ではない男の子を見つめる。

 

「おぉ! 君がハリー・ポッターだったのか! 君のことはセドから聞いているよ! 何でも君も寮対抗戦のシーカーなんだとか。だが、私の息子は君に勝った! セドはただの事故だと言っていたが、セドは謙虚な男でね! 息子は実力で君に勝ったんだ! あの生き残った男の子にだ! 君もそう思うだろう!?」

 

一瞬気まずい空気が辺りに流れたような気がした。

ウィーズリー兄弟は勿論のこと、セドリック本人でさえ微妙な表情を浮かべている。ハリーは勿論先程とは打って変わり仏頂面。唯一笑顔を保つことに成功したウィーズリーさんも、表情とは裏腹にどこか慌てたような声音で話題転換を図る。

 

「おや、そろそろ時間だ! さて、エイモス。今回の『移動キー(ポートキー)』はどこかね?」

 

苦し紛れなものではあったけど、時間がないこと自体は本当のことだったのだろう。ウィーズリーさんの言葉に対し、まだ息子自慢を続けたい様子だったディゴリーさんも渋々応えた。

 

「……あぁ、確かに時間だな。今回の『移動キー』はこれだ。まったく、いくらマグルの目に触れないようなものにするとはいえ、こんな汚い物にするとはね」

 

そして彼は……黴だらけの古いブーツを掲げたのだった。

ウィーズリーさんとそれを見つけていたディゴリー親子、そして『移動キー』が何なのかを知っている私以外は、古びたブーツを不思議そうに眺めている。私はそんな彼らに僅かに呆れながら、それについて解説を始めた。

 

「……『移動キー』は定められた時間に、定められた場所に到着できる魔法具よ。おそらくこれはワールドカップ会場に飛べるよう設定されているのね。この形をしているのも、マグルがうっかりこれを触らないための仕掛けよ。よく考えられているわ」

 

しかしどうやら彼等にとって分かりやすい説明ではなかったらしく、皆一様に未だ不思議そうな表情を浮かべている。

私は更に詳しい説明をしようとするが……時間切れのようだった。

 

「ほう、君はこれのことを知っているのかい? だが、君の解説を聞いている時間はないのだよ。さぁ、あと一分しかない。皆の衆、この『移動キー』に触れるんだ。なに、指一本でも触れていればそれで事足りる。急ぐんだ!」

 

だだっ広い草原にディゴリーさんの大声が響く。そして彼の掛け声に半信半疑ながらブーツに触れるウィーズリー兄弟達。そして、

 

「三……ニ……一……来たぞ!」

 

突然臍の裏を引っ張られたような感覚を覚えたかと思うと、気が付いた時には……

 

「よし、到着だ! ようこそ、クィディッチ・ワールドカップへ!」

 

あちこちにテントが立ち並ぶ空間に立っていたのだ。

しかもただの一つも真面なテントなど立っていない。明らかに()でできた素材のピラミッド型テント。アイルランドの紋章である三つ葉のクローバーがこれでもかと飾られたテントに、逆に、

 

「これが例のクラムっていう選手?」

 

「そうさ! ビクトール・クラム! ブルガリア最高のシーカーさ!」

 

「……なんだかとっても気難しそうな顔ね」

 

「気難しい!? そんなことどうだっていいさ! 彼はとにかく凄いんだから! 今晩見たら分かるよ!」

 

植物こそ生えていないものの、自国の選手のポスターを所狭しと貼っているテント。マグルのテントなら、こんな風に真っ黒なゲジゲジ眉の、不愛想を絵に描いたようなポスターを貼っていることなどない。全てが魔法使いの非常識なテントであることは間違いなかった。

 

「ではね、アーサー! 私達は競技場の方なんだ! バグマンに息子が優秀なシーカーであることを話したら、快く競技場近くの場所を紹介してくれてね! これでテントからすぐに競技場に行くことが出来るよ! やはり持つべきは優秀な息子だな! 君達は()()だろう!? ここでお別れだ!」

 

そして最後まで無自覚に息子自慢を垂れ流すディゴリーさんと別れると、私達は自分達に割り振られた端っこの方の区画に向かって歩き始める。

私としてはとくに立地に問題はなかったのだけど、どうやらウィーズリー家的には問題だったらしく、

 

「……いや、本当はもっと競技場の近くにテントを張る予定だったんだ。観戦席もバグマンのコネで貴賓席を取れたし、テントもそのついでにという話だったのだが……つい先日、急に()()()()()()()()()()()()()()()()言われてね。バグマンに聞いてみても、ただ()()()()()()だとしか言わないんだ。……大方ルシウス・マルフォイあたりの嫌がらせだとは思うがね。……観客席を移動させられなかっただけマシなのかね」

 

そう語りながら歩くウィーズリーさんの背中は、どこか哀愁の香るものだった。

ウィーズリーさんとしても立地に対しては文句はないのだろうけど、突然何者かの意向によって変更されたことが気にくわないのだろう。

 

 

 

 

でも、それでも私にとっては、

 

「あれ!? ハーマイオニー! 久しぶりだね! 貴女もここの区画なんだ! 良かった! ダリアは競技場の近くらしくてね、丁度寂しかったんだよ!」

 

問題ないどころか、寧ろ嬉しいものでしかなかった。

煙突が生えていたり、城の様な豪華絢爛なテント……には見えない城が聳え立っている摩訶不思議な空間を通り過ぎ、いよいよキャンプ場の端に辿り着いた時、そこに彼女が立っていたから。

金色に輝く髪に、美人というより可愛いといった表現が似合うパッチリとした目。しかし夏休み前と比べてどこか急に成長した様子のダフネ・グリーングラス……私の新しい友達がこちらに手を振っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「いよいよだね、ハーマイオニー! これでやっとダリアに会えるよ!」

 

「えぇ、そうね。……私はあまり長時間彼女と話すことは出来ないでしょうけど、それでも観戦する席は一緒だから近くにいることは出来るわ。彼女のことだからまた一段と綺麗になっているのでしょうね。貴女も少し見ないうちに随分大人びてきたし」

 

太陽が地平線上に沈み、いよいよ試合開始の時間が近づいてきた頃。私とハーマイオニーは連れ立って一行の先頭を歩いている。私達のすぐ後ろでは、

 

「こうやって話すのは初めてですな、ウィーズリーさん。……マグル製品不正使用取締局局長に就任されたとか。そちらの方はどうですかな?」

 

「……えぇ、順調ですよ、グリーングラスさん。そ、それより、バーサの方はどうなっているのですか? まだ見つかっていないと聞いていますが?」

 

「……まだですよ。今魔法省はどこも人手不足ですからな。まぁ、バーサは元々フラフラ動き回る魔法使いでしたから、その内戻ってくるでしょう」

 

どこかぎこちない会話を繰り広げているパパとウィーズリー氏。そしてその更に後ろからはウィーズリー兄弟やポッターからの敵意の籠った視線を感じるが、そんなことはどうでもいいことだ。ジネブラ・ウィーズリーに至っては私のことを恐れているのか、ポッターの陰に隠れてしまっている。が、私はそんな()()()()人間達の反応に頓着することなく、ただハーマイオニーのみに意識を向けながら話し続ける。

 

「そ、そうかな。で、でも、ハーマイオニーだって綺麗になったよ! 何だかいきなり成長したみたいで、最初に会った時は何だかビックリしちゃった!」

 

「そうなの? 本当にそうならいいのだけど……。でも、本当に楽しみだわ。家の事情を考えれば、私から彼女に手紙を送ることも出来ないし、彼女からも私に手紙を送ってくることはなかったから……」

 

「ま、まぁ、()()そうだね。でも、いずれはね……」

 

何だか……とても楽しかった。

私達はお世辞にも、今まで決して仲のいい関係ではなかった。私は一方的に彼女を敵視し、ダリアに決して近づけないようにしてすらいた。当にグリフィンドールとスリザリンが取るべき模範的な関係。振り返れば、それが私のハーマイオニーにとっていた態度だったのだ。

でも、今は違う。色々な悩みを乗り越え、ようやくダリアの本当の友達として自分を認めることが出来た私は、もうハーマイオニーに対して何も恐れを抱く必要はない。私はもう……彼女に対して抱いていた仲間意識を否定する必要がなくなったのだ。

だからこそ、

 

「本当に楽しみだね……。ちなみにハーマイオニーはどこのチームを応援するの?」

 

「そうね……私としてはここに来れただけで満足なのだけど、どちらかと言えばアイルランドかしら」

 

私達はごくごく自然な形で手を取り合い、ようやく近くに見え始めたスタジアムに向かって歩き続ける。

それはスタジアムが近づくにつれ、周りにたくさんの魔法使い達がひしめくようになっても変わらない。周りから笑ったり歌ったりと大きな声が響く中、私達も負けじと大きな声で取り留めのない話を続ける。

 

今まで止まっていたものを、今こそ取り戻そうとするように。今度こそ、私達が本当の友達になれるように努力するように。

……ダリアを守る仲間であることを、お互い再確認するように。

 

そして私達は遂にスタジアムに着くと、一番近くの入り口に向かって歩く。そこには魔法省の役員だと思われる魔女が立っており、私達の姿を見つけると切符を出すようにさとしながら言った。

 

「おや、アーサーに……グリーングラスさんじゃないか! あんたらが一緒にいるなんて珍しいね! ルシウスさんみたいに喧嘩している所は見たことないけど、別に仲良くもないだろう!? おっと、そんなことを話している場合じゃなかったね! ほら、特等席だよ! 最上階貴賓席! まっすぐ上がって、一番高い所だよ!」

 

観客席への階段は深紫の絨毯が敷かれていた。私とハーマイオニー、そして後ろに続くパパやウィーズリー一家はひたすら上を目指して足を運ぶ。周りにいた他の観客が、一人、また一人とそれぞれのスタンドへ消えていき、

 

「わ~! す、すごい!」

 

「本当に広いのね!」

 

私達はそこに辿り着いたのだった。あまりの光景にウィーズリー一家やポッターでさえ、私とパパへの敵意も忘れて辺りを見回している。

そこは小さなボックス席で、紫に金箔の椅子が20席程並んでいた。見ただけでそれが高級であると分かる席。そしてその席から一望できるのが……10万人の魔法使いがひしめく、楕円形の競技場内部だった。両サイドの三本のゴールポストは勿論のこと、ここからは360度全ての方向の観客席も一望できる。まさに特等席に相応しい席だ。試合も楽しみだけど、この光景だけでも十分に楽しめるだろう。実際ウィーズリー一家は、いつもは見ないであろう高級な光景に興奮しっぱなしだ。

 

……しかし、私とハーマイオニーはただこの光景に興奮しているわけにもいかない。

私達がここに来た目的は、別に試合観戦だけというわけではなく……

 

「……おやおや、これはこれはアーサー。君がここの席を取ったという眉唾な噂を耳にしていたわけだが……本当のことだったとは思わなかった。一体何をお売りになったのかな? 君の貧相な家を売ったとしても、ここのチケット代にはならないと思うが? それに……グリーングラス。君のことだから偶々共にいただけだとは思うが、一緒にいる人間は選んだ方がいい。……君の娘は私の娘の友人なのだ。あまり品位のない人間とつき合わせないでもらいたいね」

 

たった一目だけだったとしても、彼女と会うことなのだから。

未だ屋敷しもべと思しき観客しかいないボックスを見渡す私達に、突然冷たい声音が浴びせかけられた。突然の罵声に、私達の一行は一斉に振り返る。ウィーズリー家とポッターは敵意を込めて、そして私とハーマイオニーは……馬鹿にされたにも関わらず、期待を込めた表情で。

そこには案の定、青白い顔にプラチナ・ブロンドの髪と瓜二つの父と息子。ブロンドで背の高い美人である、昔お茶会で遠目に見たナルシッサさん。

そして……

 

「……お父様。それは杞憂です。ダフネやグリーングラスさんは、()()ウィーズリー氏のテントの近くだったというだけですから」

 

家族の誰とも似ず……かつ、まるで()()()()()()()()()()()()、去年とまったく同じ美しさを湛えた私達の親友が立っていたのだった。

 

 

 

 

折角のクィディッチ・ワールドカップであり、親友との再会であるにも関わらず……どこか悲壮な決意を湛えたような無表情を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ワールドカップの明るい空気が一瞬にして壊されたような気分だった。

もはや敵と言ってもいい一家の登場に、僕らはこぞって暗い気持ちになっていた。一年生の時から敵同士であるドラコに、二年生の時にはホグワーツを恐怖に陥れたルシウス・マルフォイ。元は美人なのであろうが、どこか不快気な表情で僕らを見つめているせいで、その美貌を損ねてしまっているドラコの母親と思しき女性。そして……

 

「……お父様。それは杞憂です。ダフネやグリーングラスさんは、()()ウィーズリー氏のテントの近くだったというだけですから」

 

ダンブルドアに最も警戒されながら、未だにその悪事の全貌を掴ませないダリア・マルフォイが現れたから。

競技場の明かりに照らされる流れる様な白銀の髪。そしてその髪と同じくらい真っ白な肌をした彼女は、その美しくも、どこまでも冷たい美貌を湛えながら……夏休み前と全く同じ姿形で、これまたいつも通りの無表情で立っていた。

いかにも高級な観客席に、今にも喧嘩が始まりそうな空気が流れる。マルフォイ家の登場を喜んでいるのは、

 

「ダリア! やっと会えたね! でも、よく分かったね! 私と……ええと、()()()()()()()()()テントが近いって! なんか昨日、魔法省から()()()()()()()()()()()()()言われたんだ! ダリアにはスタジアム近くのテントを確保してたって伝えてたはずだけど?」

 

「……偶々ですよ。ただ……小耳にはさんだもので」

 

僕達一行の中で唯一敵側の人間……ダリア・マルフォイの取り巻きであるグリーングラス一家と、何故か最近突然彼女達と仲良くなった様子のハーマイオニーだけだった。ダフネ・グリーングラスは勿論、今までウィーズリーおじさんと話していた父親も、どこか決まりが悪そうにルシウス氏の横に歩き出す。そしてハーマイオニーは何も言わないまでも、先程からチラチラとあいつの方ばかり見ている。前からダリア・マルフォイ達に理解不能な憧れを持っていることは分かっていたが、やはり去年のホグワーツからの帰り道に何かあったのだろう。『隠れ穴』にいた時も、時折ダリア・マルフォイやグリーングラスを褒め称える話をしていたのだから重症だ。

でも……いかにハーマイオニーが奴らに気を許そうとも、決して現実が変わるわけではない。今だって、

 

「……ダリア。それにミス・グリーングラス。積もる話はあるだろうが、とりあえず席に着こうではないか。これ以上、お前たちを愚かな連中とつき合わせるわけにはいかんからな」

 

ルシウス・マルフォイが嫌味なことを言いながら、ウィーズリー一家、僕、そして……ハーマイオニーをも見下したような目で見まわしたのだから。しかもハーマイオニーがマグル生まれだと知っているのか、彼女に対してはより一層目を冷たく光らせたのだから質が悪い。この反応にはいくらダリア・マルフォイに幻想を抱いているハーマイオニーも、僅かに怯んだような表情を浮かべた後、キッと強気な顔で睨み返していた。

そしてその態度にルシウス・マルフォイが何言おうとしたところで、

 

「おや、これはこれは皆さんお揃いだな。ハリーにアーサー、赤毛の子は皆アーサーの子供たちかな? それに……あぁ、ルシウス。君ももう着いていたのか。一家お揃いかな?」

 

第三者の登場によって、あわや一触即発の事態は避けられたのだった。

見れば魔法省大臣、コーネリウス・ファッジが今しがた到着したと言った様子で、こちらに親し気な挨拶を送っていた。今まで険悪な態度を取っていたが、流石に魔法省大臣の前で同じ態度を貫くことは出来なかったのだろう。ルシウス・マルフォイはどこかぎこちない笑顔を取り繕いながら応えた。

 

「あぁ、ファッジ。お元気ですかな? 妻のナルシッサは初めてでしたな?」

 

「これはこれは、お初にお目にかかります」

 

「それと、息子のドラコと娘のダリアだ。この子達とは一度会っていますな?」

 

「あぁ、覚えているとも。特に娘さんの方は……」

 

目の前で繰り広げられる官僚同士の挨拶。

しかしそこで魔法省大臣は一度言葉を切り、奇妙な会話を始めた。

 

「ミス・マルフォイ。あの時は急いでいた故、あまり話が出来なかったね。ただ、君のことはよく聞いていたよ。純血の皆さんの間でも、君は非常に優秀だと有名だ。そんな君と一度は話してみたいと思っていたのだが……まさか()()()()()連絡を送ってくれるとはね。突然の手紙で驚いたが、他ならぬ()()()()()。あれで良かったのかな?」

 

「……えぇ、十分です。突然な上に、あのような内容で心苦しかったのですが……大臣が快諾して下さって本当に嬉しく思っております。本当にありがとうございました」

 

何故か僕達の方にチラチラ視線を送ってくる魔法省大臣に、その大臣の言葉に淡々と答えるダリア・マルフォイ。

意味が分からない会話だった。会話からダリア・マルフォイが大臣に何かを頼んだということだけは分かるが、彼女が一体何を頼んだのかは一切分からなかった。しかもそれは僕達だけではなく、

 

「……何の話かな? ダリア、大臣に何を頼んだというのだ?」

 

「いえ、大したことではないですよ、お父様。……ただ、より快適に試合を観戦するために、大臣に少し環境整理をお願いしただけですから。お兄様達にはより楽しく試合を観戦してほしいですからね」

 

彼女の父親であるルシウス氏も同様であることから、もう意味が分からない。

どこか人の好さそうなファッジ大臣の関わっている話だから、そこまで悪い話をしているとは思いたくないけど……相手はあのダリア・マルフォイだ。こいつがどんな悪巧みをしているか分かったものではない。しかも実際、

 

「そ、そうだな。この話はここまでにしよう! なに、ルシウス。私はただ君の娘さんの、ちょっとした人間関係について配慮してあげたまでのことだよ。年頃の女の子なのだ。きっと色々思うところがあるのだろう! では、私はここで失礼させてもらうよ! この席も今からドンドン観客が入るだろうからね! おっと、噂をすればだ! パイアス! 君もここの席なのかね!?」

 

ファッジ大臣はあからさまに話を逸らし、どこか逃げる様な態度で他の観客への挨拶回りに行ってしまったのだった。怪しいにも程がある。

その後ウィーズリー家は勿論、マルフォイ家やグリーングラス家の奴らも自分達の席に着いてしまったため追及はされなかったが、このどこか疑わしい会話が僕の中で少しだけひっかかり続けた。

 

 

 

 

だからだろう。

 

「……ダリア。どうして……()()()()()()()()()()?」

 

隣でハーマイオニーが、ダリア・マルフォイの背中を見つめながら呟いているのに気が付かなかったのは……。

しかもそのすぐ後に、唯一の『しもべ妖精』の観客であるウインキーとの会話や、いよいよ始まった試合のこともあり、僕はそもそもダリア・マルフォイの存在をすら一時的に忘れてしまったのだった。

悲劇はもう既に始まっていることに気付かないまま……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

上手くいくかは正直賭けだった。

 

『魔法省大臣。突然の手紙、申し訳ありません。大臣に是非お願いしたいことがあり、このような手紙を書かせていただきました。今回のクィディッチ・ワールドカップの件なのですが、数人程()()()()()()()()()()()頂きたい人がいるのです。大臣にこのようなことをお願いするのは不躾であると思うのですが、大臣しか頼れる方を知らないのです。実は学校での人間関係に少し悩みを抱えております。それが、』

 

グレンジャーさんのことはともかく……ダフネのことを悪く書くなんて、私にはとても耐えられるような作業ではなかった。しかも相手は魔法大臣。何故知りもしない第三者に、私とダフネは実は仲が悪いなんて大嘘を書かなくてはならないのだ。思い出すだけで悍ましい。

しかし……ダフネや、()()()()()であるグレンジャーさんを守るためには、こうするしかなかったのも事実だ。

 

『ダリア、ドラコ。試合の後、私は昔の仲間達と共に少々……何と言えばいいのか、そう、少々()()()()()を執り行う予定だ。しかしお前達をそこに参加させるわけにはいかない。お前たちは先に()()しておきなさい』

 

お父様の昔の仲間達。『死喰い人』と呼ばれる彼らが集まってすることなど簡単に想像がつく。

……私はそのために造られた存在なのだから。

ならば大切な友人を、私は少しでも安全な場所に移さなければならない。

ダフネに関しては私の傍に置いて守ることも考えたが、それでは全てが終わった時()()()()疑われることになってしまう。『死喰い人』としてお父様が動く以上、お父様は勿論、その家族である私が疑わるのは必定だ。そんな私と共に行動していた純血貴族の女の子。疑われないはずがない。

私は……ダフネをそんな立場にすることなど許せない。出来るなら、ダフネには常に安全な立ち位置にいてほしい。ダフネが安全でない状況など、私に許容できるはずがない。

 

「ままならないものです……」

 

「ダリア? 何か言った? ……それに、どこか体調が悪いの? 何だか表情が、」

 

「いえ、ダフネ。何も言っておりませんよ。それに、表情は特に動いてはいません。貴女の見間違いですよ。ほら、貴女の言っていたクラムが出てきますよ」

 

私達の眼前では、今スタジアムに集まった観客たちの大歓声……そして色黒で黒髪の痩せた選手、まるで育ちすぎた猛禽類のような姿をしたビクトール・クラムを含めた選手達が、箒に跨った状態で勢いよく競技場に飛び込んできている。見れば全員がファイアボルトを使っているのか、まるで彗星のような速さで飛び続けている。ホグワーツにおける寮対抗戦とはレベルの違う動きに、しもべ妖精とその隣の()()()()()の前にいるウィーズリー一行も興奮した様子だ。視界の端には、あのいつも冷静沈着なグレンジャーさんさえ立ち上がって拍手している姿が見える。

まさに今の平和な時代を象徴するような光景。誰もかれもが目の眩む様な光景に興奮し、平時ではあり得ない程の声援を上げ続けている。

 

しかし……そんな中、私達マルフォイ家、そして事情を知らないまでも、私の表情から何かあると察した様子のダフネだけは、どこか不安な表情を浮かべながら試合を観戦していた。

 

あぁ、私はダフネにこんな顔をさせたくなどなかった。彼女だけは何も知らず、ただこの晴れやかな試合を観戦していてほしかった。だからこそ、私は今こそこの自由に動くことのない表情筋を動かす必要があったのだ。ダフネが安心できるよう、この試合風景に相応しい本当の笑顔に。

でも、実際に私の表情がそんな風に動くことはない。

 

何故なら……今日、試合が終わった後、()()()()ことになるかもしれないのだから。

知りもしない誰かが死ぬことなど、正直どうでもいいことだ。だが今日の人死が帝王への変わらぬ忠誠を示す意味があるのだとすると……私はどうしても憂鬱にならざるを得なかった。

闇の帝王が生存していた以上、マルフォイ家が取れる行動が少ないことは分かっている。でも、私は……。

 

「この時間がずっと続けばいいのに……」

 

いよいよ試合が始まり、ファイアボルトに跨った選手たちが縦横無尽に飛び回っている。私が今まで見たこともない程ハイレベルな試合。誰もかれもが幸せな表情を浮かべる時間。でもそんな時間にも終わりがある。私がどんなに願おうとも。

170対10とアイルランドがリードしたタイミング。もはやアイルランドのリードは変わらず、ブルガリアに逆転の目がないと分かり始めた状況で……せめて散り際は美しくあろうとするように、ビクトール・クラムがスニッチを掴んだのだから。

 

幸せな時間が終わる。今から始まるのは、誰もが予想していなかった地獄の一幕。皆の幸福を、一瞬にして絶望へと叩き落す悪趣味な()

でも、それでも……

 

「絶対に……守ってみせる」

 

惨劇の夜がもうすぐ始まろうとしていた。

私の予想とは違い、もう()()()()()を交えた状態で……。



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クィディッチ・ワールドカップ(後編)

 ハーマイオニー視点

 

最初に違和感を感じたのは、試合が終わり、いよいよ私達も寝ようとしていた時だった。

確かに今までのテントの外は、お世辞にも静かなものではなかった。勝利したアイルランド側のサポーター達が大声で歌を歌い、負けた側のブルガリアもお酒でも入っているのか楽しそうに騒いでいる。正直眠れるような環境ではなかったけど、その騒音が試合後の興奮であることは分るので、騒がしくも明るい環境に対して別にそこまで不快な気持ちにはならなかった。

でも……今この瞬間に外から聞こえる騒音は、明らかに先程までの物とは別物だった。

歌声は止み……代わりに聞こえてくるのは叫び声や悲鳴ばかり。外で何か起こっているのは確実だ。

そしてそれを裏付けるように、

 

「皆、起きるんだ! さぁ、起きて! 緊急事態だ! もう時間がない! 上着だけ着て外に出なさい! 森の中に早く逃げるんだ!」

 

ウィーズリーさんの切羽詰まった声が、テントの中に響き渡った。

未だに寝ぼけ眼を擦っているものの、父親の只ならぬ空気に何か良からぬことが起こっていることだけは察したらしい。ウィーズリー兄弟達は慌てた様子で上着を着ると、我先にと外に飛び出す。

そんな私達がまず目にしたのは……緑色の閃光に照らされる逃げ惑う人々。そして……遠くの方ではあるけど、空中にまるで()()()()()かのように漂う数人の人影だった。

 

「な、何が起こっているんだ!?」

 

フレッドの大声の質問に、ウィーズリーさんはただ一言だけ、唸るような声音で応えた。

 

「……『死喰い人』だ。あいつら、どこからかマグルを攫ってきて、ああして弄んで楽しんでいるんだ!」

 

その言葉にハリーを除く全員が息を呑む。目を凝らせば確かに宙を舞う人影の下にはフードを被った一団がおり、まるで髑髏のような仮面をしている姿が見えた。

それは私が以前本で読んだことのある、『例のあの人』の忠実な僕……『死喰い人(デスイーター)』の格好に間違いなかった。

『例のあの人』が消えたこの平和な時代、そしてこのクィディッチ・ワールドカップという最も警備が厳しいだろう時に、何故『死喰い人』なんかがここで暴れまわっているのかは分からない。でも確実に言えることは、あれが本物の『死喰い人』であろうとなかろうと、私達がここに留まるのは危険だと言うことだった。

そう思い至った瞬間、私は今まですっかり忘れていた手紙のことを思い出す。あの夏の昼下がり、バスを降りた直後の私に届けられた手紙を……。

 

『クィディッチ試合の後、絶対に一人にはならないように。試合の後、すぐに逃げなさい』

 

差出人も、何が言いたいのかもはっきりしない手紙。ただの悪戯である可能性や試合での興奮もあり、今まですっかり忘れていたけれど……

 

「このことだったのよ……。あの手紙を書いてくれた人……ううん、あんな警告を書いてくれるのは()()()しかいない。あの子はきっとこれを警告したくて、私に手紙を送ったのよ」

 

確証はない。私の都合のいい妄想かもしれない。でも私には、どうしてもあの白銀の髪をした少女のことを思い出さずにはいられなかった。今思えば彼女のあの表情や……

 

『より快適に試合を観戦するために、大臣に少し環境整理をお願いしただけですから』

 

ダフネや私達の突然の配置転換も説明がつく。彼女は自身の親友と、その親友の友達をより安全な場所に避難させようとしていたのだ。

しかし今まで謎だった手紙の差出人に思い至った所で、私達の置かれている状況に変わりがあるわけではない。

私達がこうして呆けている間にも、遠くに見える『死喰い人』の一団はこちらにゆっくりと近づいている。時々緑の閃光を辺りに飛ばしながら、テントに火をつけ、吹き飛ばして前に進む。しかも一団は『死喰い人』だけではなく、段々と()()()()()使()()も交じり始めているようだった。浮かぶ影を指さし、笑いながら周りの魔法使いが次々と行進に加わっていく。辺りに響く悲鳴の中、確かに彼らの奏でる下卑た笑い声が聞こえた気がした。

彼等は笑いながら……楽しみながら、罪もない人間達を嬲り者にしていた。

 

「正気じゃないわ……。あの人達は皆、狂っているのよ……。なんで笑いながら、あんなことが出来るのよ!」

 

「……あぁ、その通りだ。あいつらは獣だ……」

 

私の小さく漏らした呟きにウィーズリーさんは頷くと、周りの大混乱に負けじと大声で私達に指示を出した。

 

「ビル、チャーリー! すまないが援護を頼む! 後の子供達は急いで森に逃げなさい! ……森がすぐそこでよかった。お蔭で()()()()()()()()! バラバラになるんじゃないぞ! 片が着いたら迎えに行く! 私達は魔法省を助太刀する!」

 

そう彼は叫ぶと、名前を呼ばれたウィーズリー兄弟達と一団に向かって走り出す。見れば他の魔法省職員と思しき人達も、四方から飛び出し騒ぎの現場に向かっていた。

フレッドとジョージはウィーズリーさん達と戦いたそうにしていたけど、流石に私達の中にはジニーもいることから、ここで戦いに行くのは自分たちの役目ではないと思ったらしい。

 

「さぁ、行くぞ! ジニー! 手を掴むんだ! 他の奴らもはぐれるんじゃないぞ!」

 

フレッドがジニーの手を掴み、森の方に引っ張り始める。それにジョージが続き、その更に後ろを私とハリーやロンが走る。そして森の中に逃げ込み、周りが静かになり始めた辺りで、

 

「ハーマイオニー! 良かった! 貴女もちゃんと逃げていたんだね!」

 

今度はダフネが合流したのだった。彼女は試合前同様ウィーズリー兄弟の敵意を無視しながら、怪我の有無を確かめるように私の体のあちこちを触り始める。

 

「森に入ってきても貴女の姿が見えなくて心配したんだよ!? 私は試合直後にダリ……あの子に何だか不吉なことを言われていたから良かったけど、もしかしたら貴女は何も言われていないのかなって」

 

「……いいえ、大丈夫よ。ただ私がドジだっただけよ。それより、貴女のお父さんの姿が見えないのだけど、そちらこそ大丈夫?」

 

「うん、それは大丈夫だよ。試合直後、ルシウスさんから魔法省での仕事を言い渡されてたからそちらに行ったよ。パパは渋々って感じだったけど、後でルシウスさんに感謝すると思うな。私も帰れと言われたんだけど、流石にダリアを置いては帰れないよ……」

 

「そうね……」

 

その時、再び森の中にまで届く轟音が響き渡る。

ダフネに敵意を持っているどころか、彼女の父親もあの一団に交じっているのではと言いたそうなロン達も、これ以上ここに留まっているわけにはいかないと思ったらしい。ロンがダフネにも渋々と言った様子で話しかける。

 

「とにかく、話は後だ。先に進もう。ここはまだ危ない」

 

しかしそれに対し、

 

「私はここに残るよ。まだダリアがここまで辿り着いてないもの。ハーマイオニー……それにポッターにウィーズリー。貴女達は先に行って。私は大丈夫だけど、()()()()()危険だよ。私は後からダリア達と一緒に行くね」

 

ダフネはそんなことを言い始めたのだった。

今キャンプ場で暴れているのは『死喰い人』。どうして私が一番危険なのかは考えるまでもないけど、神経の高ぶっていたロンには突っかからずにはおられなかったのだろう。ロンがすかさず苛立ったようにダフネを問い詰める。

 

「それはどういう意味だ! ハーマイオニーがなんで危険なんだよ!?」

 

しかしそんなロンの質問に答えたのは、

 

「お前はそんなことも分からないのか、ウィーズリー。連中はマグルを狙ってるんだ。あそこで吊るされているのだって、どこからか攫ってきたマグル達だ。なら、グレンジャーが一番狙われるのは自明の理じゃないか」

 

更に合流した第三者の声だった。

私達がそれこそ一年生の頃から聞いてきた、どこか気取ったような腹立たしい声。私達がキッと振り返った先には、声の主であるドラコ、そして……。

 

「ダリア、ドラコ! よかった! 上手くたどり着けたんだね! 良かった! ()()()()()()()()()()心配したんだよ!」

 

「……心配をかけたみたいですね。大丈夫ですよ、ダフネ。少しだけ……思うところがあって……。あぁ、グレンジャーさんもいるのですね。……良かった」

 

綺麗だけどどこか冷たく……でも聞く者にとっては温かく聞こえる、彼女の声が響いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

「では、ダリア、ドラコ。お前たちはすぐに森の方へ。シシー。お前はすぐに帰りなさい」

 

「……はい、お父様。お父様もお気をつけて。お兄様もお早く」

 

「……あなた。やはりドラコ達も家に帰すわけには?」

 

「……私もそうしたいところだが、これは子供達に……特にダリアに疑いを向かせないための措置なのだ。ダリアは何かとダンブルドアなどに疑われている。それを回避するためには、ダリアが誰かに目撃されている必要があるのだ。我が家に帰ればそれも望めない。分かってくれ……」

 

試合終わりのテントの中、私は最後の最後までごねるシシーを説得する。

私とて、正直僅かでも子供達に危険があるやもしれない状況は好ましくはなかった。だが、ここでリスクを下げる努力をしてしまえば、それこそ一昨年の二の舞になってしまう。ダンブルドアの様な人間にダリアもこの場にいたのではと疑われてしまい、ダリアが余計に苦しい環境になってしまうだろう。

それに……ここで逃げたとしても、『闇の帝王』が生きていた以上、ダリアはいずれ()()()()()を進まねばならなくなるのだ。私と同じマグルや『穢れた血』を殺す、『死喰い人』としての道を……。

ならばせめて数年間は疑われない道を取るとしても、ここで我々の仕事を見せておくのも悪いことではない。思えば私は闇の魔術を教えても、実際に何かを殺す場面をダリアに見せたことはほとんどない。人間に至っては皆無と言っていいだろう。この際だ。ダリアのためにも、『死喰い人』として何を為さねばならないかを見せなければならぬ。

 

……そう、私は思っていた。思っていたのだ。

それなのに何故……私はこんなにも違和感を感じているのだろうか。

 

最初に違和感を感じたのは、

 

「わはは! 見ろ、ルシウス! あの女! 下着を見せまいと必死だな! 魔法も使えないなど、マグルはやはり下等だ! そうは思わないか!」

 

「あぁ……そうだな」

 

『死喰い人』特有の髑髏の仮面を被ったマクネアが、杖から宙に伸びた見えない糸でマグル女のネグリジェを捲っている光景を見た瞬間だった。

ダリア達と別れた後、私は同じく闇の帝王生存に少なからず()()()を感じていた連中と合流した。そしてあらかじめ捕まえておいたこのキャンプ場近辺に住むマグル一家を宙に浮かべ、我々はいよいよ自身が『死喰い人』である……まだ我々は『死喰い人』として矜持を失ってはいない、そう世間に思い知らせてやろうとしたのだ。

宙づりにしているマグルは三匹。一匹はまだ年端も行かぬ子供で、途中で意識を失ったのか力なく首をグラグラさせている。母親と思しき女は頻繁にひっくり返され、何度も何度も捲れたネグリジェからズロースをむき出しにしていた。

闇の帝王が健在だった時代であれば、何度も見たもはや日常的とすら言える光景。

 

それなのに……私は何故か、この光景にとてつもない違和感を感じていた。

私はダリアのためにも、この久しぶりな『死喰い人』としての生き方を示さねばならない。闇の帝王が生きていた以上、私は多少のリスクを負ってでも、自身が『死喰い人』であり続けていると暗に主張せねばならない。全ては家族の……ダリアのための行動。そのために私はこの魔法使いとしてごく当たり前の行動を……正義を行わなければならないのだ。それなのに、何故私は……。

 

周りから下卑た笑い声が響く。最初は闇の帝王を恐れての行動であったと言うのに、久しぶりに嗅いだ血の匂いに興奮しているのだろう。仮面の上からでも、皆が興奮したように笑い声を上げているのが見えるようだ。そしてそれは何も『死喰い人』だけに限ったことではない。闇の帝王が一度力を失おうとも、あのお方の示された道が否定されたわけではない。未だにマグルを排除せねばならない害虫と考え、純血こそが偉大であるという自然の摂理を理解している者は多い。今もこうして、

 

「はは! いいぞ! もっと足掻け!」

 

「マグルにはお似合いだな! 魔法を使えないなんて、本当に下等な奴らだ!」

 

自ら我々の輪に加わり、仮面をつけていないにも関わらずマグルに罵声を浴びせている魔法使いは大勢いる。純血主義とは何も我々闇の勢力だけの考え方ではないのだ。多かれ少なかれ、魔法界の人間は誰しもその考え方を持っている。ウィーズリー家のような『血を裏切る者』はいざ知らず、誰もがマグルのことを劣った存在……魔法界から排除すべき存在だと思っている。ただ我々『死喰い人』は、その考えを強く主張しているだけに過ぎない。そう、私は何も間違ってなどいない。これは魔法使いであるのならば誰しもが行わなければならない聖戦なのだ。そのように我がマルフォイ家の人間は……それこそホグワーツが造られる以前から教わり、そして次世代にも教え込んできた。

 

だがそんな当たり前の光景が、

 

「よし、今度はパンツも脱がせてやる! おい、このマグル女の下着の中身が見たい奴はいるか!?」

 

「おぉ、やってやれ、やってやれ! どこまでマグルが抵抗できるか見ものだぞ!」

 

今の私には、とてつもなく醜悪なものに見えてしまっていた。

あれだけ当たり前だった光景が、今の私にはとても受け入れがたい物になっている。昔の様に、このマグル達を人間扱いしないということに没頭出来ない。

こんな状況でも思い浮かぶのは……

 

『……お父様は、人を殺すのは楽しい……いえ、何でもありません。お父様、ご無事を祈ります』

 

去り際に見せた、ダリアのどこか物悲しい無表情だけだった。

テントがあちこちで燃え盛り、周りから興奮したような笑い声や叫び声が聞こえる中、私は一人静かな思考で考え続ける。

 

これしか道はない。これ以外の道など、私は知りはしない。これこそが私の取れる最良の選択肢であり、唯一の生存と幸福への道なのだ。それなのに何故……。

答えはない。()()()答えを与えてくれる者もいない。たとえ私の静かな問いに答えてくれたとしても、

 

「おら! もっと足掻け! もっと俺たちを楽しませろよ! それくらいしかお前らマグルには出来ないんだからな!」

 

私同様、これしか道を知らない者達でしかなかった。

 

 

 

 

結局この日、同じ『死喰い人』を集めはしたものの、私が一度たりともマグルに()()()使()()()()()()()()()。そのことに気が付いたのは……()()()が夜空に上がり、家に逃げるように姿現しした後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

こんな状況の時に、嫌な奴らに出くわしたと思った。

目の前にはロンにいつものように小馬鹿にしたような言葉を投げつけるドラコ。そしてグリーングラスと戯れながら、ハーマイオニーにこれまたいつもの冷たい視線を投げつけるダリア・マルフォイ。

ただでさえ目まぐるしく変わる状況に興奮しているというのに、こんな嫌な奴等から嫌な言葉をかけられればロンでなくとも腹が立つだろう。

案の定突然のマルフォイ兄妹の登場にいきり立つ僕らを代表して、ロンがドラコに殴り掛からんばかりの勢いで返事をする。

 

「ドラコ! それにダリア・マルフォイ! お前らがなんでこんな所にいるんだ! それに、今お前はハーマイオニーになんて言った!? ハーマイオニーは魔女だ! なんでハーマイオニーが一番に狙われるんだよ!?」

 

しかしそんなロンの怒りの声も、ドラコみたいな嫌な奴には届きはしない。ドラコはロンの言葉を受けても、心底馬鹿にしたような声音を崩さず続けた。

 

「お前がそう思いたいなら、勝手にそう思っているといいさ。だが連中が穢れた……マグル生まれを見つけられないとでも思うか? そう思うのなら、ここでじっとしていればいい。そうすればあそこでぶら下がっている人間がまた一人増えることになるだろうさ。空中で下着を見せびらかしたいならご随意に」

 

「この野郎! ハーマイオニーになんてことを!」

 

ドラコの心のない返事に、遂にロンの堪忍袋の緒が切れて飛び掛かろうとする。正直僕だって今がこんな状況でなければロンと同じ行動をとったことだろう。ダリア・マルフォイがこちらに杖を構えようと知ったことか。しかしこの状況を止めたのはそのダリア・マルフォイではなく、

 

「気にしないで、ロン! ドラコはただ……ダリアが言いたくても言えないことを言ってくれているだけだから。……私を心配してくれているだけだから」

 

当の罵倒を浴びせかけられたハーマイオニー自身だった。彼女は怒ることもなく、ただ真剣な瞳を浮かべながらドラコを見つめている。ドラコはそんな彼女が怒らなかったことが気にくわないのか、少しだけ苛立ったように舌打ちをした後、まるで吐き捨てるように続ける。

 

「……ふん。僕がお前みたいな奴のことなんて心配するもんか。寝言は寝て言うんだな。お前は大人しくもっと森の奥に逃げていればいいんだ。臆病者らしくな。そう言えばウィーズリー、お前のパパはどうしたんだ? お前らに隠れるように言った後、あの集団に向かっていきでもしたか? 本当に余計なことをするな、お前の愚かな父親は。自分の子供も守らずに……あのマグル達でも助けるつもりかい? いったい何を考えているやら」

 

今度こそ僕の堪忍袋の緒が切れた瞬間だった。僕等を逃がすために今戦っているウィーズリーおじさんが、こんな奴らに馬鹿にされたのだ。我慢なんて出来るはずもない。僕は沸き上がる怒りのままドラコに返した。

 

「そっちこそ、君達の両親はどこにいるんだ!? もしかしなくても、あそこの集団に交じっているんじゃないのか! あんな仮面をつけて……恥を知れ、マルフォイ!」

 

しかしやはりドラコに僕の怒りは通じはしない。ドラコは一瞬相変わらず無表情なダリア・マルフォイを見やってから、より一層平坦な声音で応えた。

 

「さぁ……どうかな。たとえそうだとしても、僕がお前なんかに教えるわけがないだろう、ポッター」

 

ドラコの態度に一触即発の空気が辺りに漂う。しかしそれも再度、

 

「いいから、ハリー! 行きましょう! こんな所で喧嘩している場合ではないわ! はやく行かなくちゃ……。ここにはジニーもいるの……あら? いないわね」

 

ハーマイオニーに遮られたのだった。しかも今回はとんでもない話付きで。ハーマイオニーの漏らした呟きに慌てて辺りを見回すと、確かにジニーどころかフレッドとジョージの姿まで見えなかった。思い返せば彼らがマルフォイ兄妹との喧嘩に参加してはいなかった。おそらく僕らがドラコ達の方に振り返っている間に、そうとは気づかず先に進んでしまったのだろう。

僕とロンはここに至って、ようやくここで時間を無駄にしてしまっていることを実感した。

慌てる僕らを他所に、ハーマイオニーがマルフォイ達に声をかける。

 

「まったくもう……ほら、行くわよ、ハリー、ロン。それにダフネにダリア……それとドラコも。貴女達も行きましょう」

 

お人好しにも程があると思った。あんなに馬鹿にされたにも関わらず、どうしてこんな奴らにも逃げるように言うのだろうか。それにどうせこいつ等の親はあの集団に交じっているのだ。こいつらが危険な状況になることなんてありはしない。寧ろ一緒に逃げるとしたら、

 

「……では、お言葉に甘えます。お兄様、ダフネ。さぁ、行きましょう」

 

「いいのか、ダリア? 正直お前からしたらこいつらはただの足手まといだぞ?」

 

「いいのですよ。寧ろ彼女といる方が、()()()()()()()()()()役に立つはずですから……」

 

キャンプ場で暴れている集団どころか、自分たちの背後を心配しなければならなくなる。こいつらが大人しく僕等についてくるなんてことはあり得ない。

しかしハーマイオニーはそうは思わなかったらしく、ダリア・マルフォイの言葉に何が嬉しいのか笑顔になりながら応えた。

 

「そう! よかったわ! それでは行くわよ!」

 

僕はそんなハーマイオニーに渋々付き従いながら、後ろを走るスリザリン三人組に聞こえないように話しかける。

 

「ハーマイオニー! いいの!? あいつらの親はあの中に、」

 

「いるでしょうね。少なくともルシウス・マルフォイは。だからこそ彼女は……。でも、大丈夫よ。彼女の家はともかく、彼女自身は本当にいい子だから」

 

返ってきたのはいつもの戯言。しかしそれを今議論している暇がないのも確かだ。何か不審な行動をとるようであれば、ハーマイオニーのためにも僕とロンがこいつらを叩きだそう。

そう決意する僕らの背後で再び轟音が鳴り響く。振り返れば、木々の間から相変わらず非人道的な光景が垣間見える。あんなことをしている奴らの子供が真面なはずがない。

僕は揶揄も込めて、ウィーズリーおじさんも言っていた言葉を繰り返した。

 

「……あいつらは獣だ。あいつらは皆狂ってる!」

 

僕はそう言って、後ろへの警戒を怠らないようにしながら走り続けた。

 

 

 

 

だから僕の言葉に対するダリア・マルフォイの、

 

「……()()()人間ですよ。彼らはそれしか生きる術を知らないだけ。まだ戻れる……。()()()()()……」

 

そんな意味不明な答えが、何故かどうしようもなく耳に残ったのだった。




長かったのでここまで。次回闇の印


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闇の印(前編)

ゼロんさんから大量の挿絵を頂きました! 本当にありがとうございます!
各話に挿絵を入れておきましたので、是非!


 

 ???視点

 

「何が『死喰い人』だ……。あいつらに闇の帝王の僕を名乗る資格などあるはずがない。あのお方に忠実なのは……俺だけだというのに」

 

暗い森。たとえキャンプ場の明かりが途絶えたとしても、未だに森の外の喧騒だけは微かに聞こえ続けている。俺はそんな喧騒に耳を澄ませながら、心の底から沸き上がる憎悪を吐露していた。

まったく……ようやく『服従の呪文』が解けたかと思えば、未だ闇の帝王は復活しておらず、あんな奴らがのさばっているなんて。

本当に腹立たしい話だ。あの方に忠実だった俺はアズカバンに入れられ、抜け出せたとしても実の父親によって『服従の呪文』をかけられる。朦朧とする意識の中で部屋に閉じ込められ、自分が生きているのか死んでいるのかも分からない。俺はそんな生き地獄を味わったというのに、あのお方を真っ先に裏切った奴らは逆に何の不自由もなくノウノウと生きている。挙句の果てに『死喰い人』として大手を振って、あのようにマグル達を弄んで楽しんでいるのだ。許せるはずがなかった。

 

「今に見てろ……。お前達がそうして笑っていられるのも今の内だ。俺はお前達とは違う。あのお方は生きておられる。必ずあのお方を探し出し、力を取り戻して差し上げるのだ」

 

隣で倒れ伏している屋敷しもべに目もくれず、俺は左腕に浮き上がった印を撫でつける。

偉大な主に頂いた忠誠の証。今でこそお隠れになっているが、それでも闇の帝王が未だ健在であることを表す()()の証。

未だに自身こそが忠実な僕であることを再確認した俺は、僅かに留飲を下げながら思う。

 

今だけだ。闇の帝王が戻りさえすれば、奴らは残らず粛清される。いや、帝王に最も貢献するであろう俺が願うのだ。帝王は必ずや俺の望みを叶えて下さる。その時になって悔いても全てが遅い。

俺は誰もが願っても得られない地位に、闇の帝王の真の右腕となるのだ。『死喰い人』を()()()、その頂に……。

あぁ、考えるだけで素晴らしい気分だ。あの高慢ちきなルシウス・マルフォイ……そしてあの臆病者の()と息子を殺せるとしたら、一体どんなに素晴らしいことだろう。あの子供達を殺した時、奴は一体どのような表情を浮かべるのだろうか。想像しただけで楽しい気分になってくる。

そもそも親子というものは、両親の勝手な都合で子供を生んだだけなのであり、そこに愛情なんてものは本来ありはしないのだ。あってはならないのだ。俺の父親が俺に自分と同じ名前を付け、あたかも俺の功績が自身の物であると吹聴しようとしたように……。親が子供を愛する。そんなことは正義を遂行する闇の勢力には不要な物であり、そんなものを持っているからこそ、ルシウスのような軟弱者が平気で帝王を裏切る結果となるのだ。愛など人を堕落させるだけのもの。闇の帝王が復活した後、益々俺たちの陣営が力を手に入れるためにも奴等だけは排除せねばならない。

 

それにルシウス・マルフォイが裏切った事実を抜きにしたとしても……どうにもあのマルフォイの娘だけは気にくわない。あの娘はクィディッチ・ワールドカップの試合中俺が透明になっていたにも関わらず、俺の存在に気が付いている素振りを見せていた。俺と家族を隔てるように座り、試合を観戦しながらも決して俺から意識を逸らしてはいなかった。それに……あのマルフォイ家の()()()()()()()()冷たい容姿と瞳。あの瞳を見ていると、何故か無性に闇の帝王のことを思い出してしまう。俺や闇の帝王の様に、親から不当な扱いを受けていない人間にも関わらず、闇独特の強者を匂わせる空気。あの不合理なアンバランスさを思い出すだけで、何故か俺は無性に腹立たしくなってくる。

まるで俺が全くの無価値な人間であり、俺の苦悩や境遇など本当に無意味なものであるような……そんな気分にさせられるのだ。

何故何の闇もないはずの小娘が、俺を一瞬でも怯えさせるほどの……まるで闇の帝王と同じ空気を醸し出しているのだろうか。奴には資格などないはずなのに……理不尽極まりない。

何の不自由もなく育ったはずの小娘が何故……。

折角少し盛り上がっていた気分が、奴の娘の存在を思い出した瞬間どん底まで落ちていく。自分でも酷く不安定な心だと思う。だがまだまだ呪文から覚めたばかりのため、どうにも自身で自分の気持ちを制御することが出来ない。俺は沸き上がる怒りのまま、クィディッチ・ワールドカップで前の席の()()から奪い取った杖を空に掲げる。

 

どうせこの状況だ。どの道あの父親に、いずれ俺が『服従の呪文』を破ったことはバレてしまう。ならば今俺がどんな行動を取ろうとも結果は変わらない。どうせバレてしまうのなら、ここで俺が()()()帝王の僕であることを示し、尚且つあの偽物達を震え上がらせてやる。それにあの父親のことだ。自分の地位や権力ばかりが大切な人間なのだから、俺のことが露見しようとも必ず最後まで隠し通そうとするはずだ。俺のことを最初からいなかったものとして、最後まで探さない可能性すらある。ならば付け入る隙はあるはずだ。今度は俺の方が奴を支配下に置いてやる。奴に虐げられ続けた自分を、今度こそ取り戻してやるのだ。忌まわしき父親こそを、闇の帝王への最初の供物にしてやる!

そして俺は唱える。闇の帝王が健在であった際、()を殺した際唱えていた呪文を。

 

ここに忠実な僕が残っているのだと、どこかにいる闇の帝王に示すために。……自身が忠実な僕だと名乗る偽物達に、本物は俺なのだと示すために。

 

『モースモードル!』

 

 

 

 

俺はまだ知らない。この後家に()()()()父親に()()()()()()時、

 

「ほう。自力で『服従の呪文』を破ったか。……やはりお前は使えそうだな。今回の役目は、お前こそが相応しい。見事成し遂げた暁には、お前に()『死喰い人』を率いさせてやろうではないか」

 

こちらから探しにいくはずのあのお方が俺を待っていたことを。

そしてあの殺意すら抱いた少女が、俺が夢見た地位に……既に座ることが決定しているという事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「あれ!? そ、そんなはずは……で、でも。僕……杖をなくしちゃった!」

 

それは唐突かつ切迫した声音だった。

森の奥に進むにつれキャンプ場の明かりも届かなくなり、私が魔法で明かりを創り出した時、前を歩くポッターがそんなことを言い始めたのだ。大声に意識を向ければ、ポッターはどこか必死な形相で自身のポケットを弄っていた。

思わず舌打ちしそうな気分だった。ポッターなど生きようが死のうがどうでもいい存在なのだ。そんな無価値な存在のせいで逃げ遅れるなど許される事態ではない。しかし案の定私の懸念は当たり、ロナウド・ウィーズリーだけではなく、

 

「冗談だろ! どこに落としたんだ!?」

 

「そんな! こんな時に!」

 

ハーマイオニーまで地面を魔法で照らしながら、ポッターの杖を探し始めたのだった。

こいつらは本当に、自分達が……いや、ハーマイオニーが置かれた状況を正しく理解しているのだろうか。彼ら『死喰い人』の狙いはマグル、そしてマグル生まれの魔法使い達だ。見つかればどんな目に遭うのかなんて想像に難くない。ハーマイオニーの安全のためには、森の奥にいくら進んでも進みすぎるなんてことはないのだ。これではダリアが態々、

 

『ダリア! 凄い試合だったね! 私のお父さんは何だか急ぎの仕事があるとかで帰っちゃったけど……ダリアはこれから、』

 

『ダフネ! 何故帰っていないのですか!?』

 

『え? だって、ダリアがまだここにいるのに帰れないよ』

 

『……やはり念のためとはいえ、貴女のテントを移動させておいて正解でした。ダフネ、すぐにここを離れてください。今からここは戦場になります』

 

『ど、どういうこと!?』

 

『説明している暇はありません。……グレンジャーさんも逃げているはずです。貴女も一刻も早く森の方へ』

 

『ダリアはどうするの!?』

 

『……私も後から行きます。大丈夫です。私は安全な立場ですから。さ、私のことは心配せず、先に!』

 

私とハーマイオニーを森近くのテントに移した意味がないではないか。ハーマイオニーのことを思うならポッターの杖なんて放っておいて、一刻も早くこの場を離れるべきなのだ。

それに……。

 

「今はそんなことをしている暇はありません。ポッター、杖のことは諦めてください。ここにないのなら、ここに来るまでのどこかで落としたということです。それを探している暇がないことくらいは、貴方にだって分るでしょう?」

 

私はポッターに先をさとすダリアを一瞬見やりながら考える。

ダリアをこれ以上ここに……たとえあの中に彼女の父親が交じっていようとも、いや交じっているからこそ『死喰い人』の近くに置いておくわけにはいかない。ダリアにこれ以上、自分が『死喰い人』を凌ぐ存在として造られたことを思い出させるわけにはいかないから……。

 

『お父様は仰っていました。私はこの世からマグルや穢れた血を一掃するために、『死喰い人』の上に立つ存在として造られたのだと』

 

あの時、『秘密の部屋』で自身の秘密を苦しそうに話すダリアを思い出す。今キャンプ場で騒いでいる連中の中には、間違いなくルシウスさんが交じっている。だからこそダリアは事前に私やハーマイオニーに危険を知らせることが出来たのだ。何故10年以上もの沈黙を破ってルシウスさんが行動を始めたのかは分からない。でもあの仮面やローブを被っている以上、ルシウスさんは紛れもなく『死喰い人』として行動しているのだ。ダリアがその造られた理由とは裏腹に、決して『死喰い人』になりたいとは思っていないにも関わらず……。

ならば私のすべきことは一つだ。ダリアをこれ以上苦しませないために……たとえダリアがあの集団に襲われる心配がないとしても、ダリアがあれを見て複雑な感情を抱いているのが間違いない以上、私はあの集団からダリアを引き離さなければならない。幸い私やハーマイオニーの護衛、そして彼女達マルフォイ家が今回の件に関わっていない()()()()()()のために、ダリアは私達と同行することを選択している。私はこのままハーマイオニーやドラコと森の奥に進めばいいだけだ。

なのに……

 

「そ、それはそうなんだけど……」

 

ダリアの言葉にポッターは少しだけ不満そうな返事をするだけで、即座には行動しようとはしなかった。

流石にここを急いで離れないといけないのは分かっているためダリアに反論こそしないが、この危機的状況で杖がないというのは不安で仕方がないのだろう。私はそんな彼の事情などに頓着することなく、ダリアの援護射撃をしようとする。

しかし、

 

「ポッター。分かってるならさっさと、」

 

『モースモードル!』

 

突然聞き覚えのない声が森に響き渡ったことで、私の言葉は遮られたのだった。

そこまで近いわけではないが、逆にそこまで遠くもない木の陰。呪文と思しき声に警戒するする私達は一斉に声のした方に振り向く。そしてそんな私達の視線の先、暗がりの向こうから薄緑色の閃光が空に立ち昇り……()()が空に現れたのだった。

 

エメラルド色の星のようなものが集まって描かれた巨大な髑髏。その口からは舌の様に蛇が這い出し、辺りを威嚇するように首をもたげている。

それは紛れもなく……『闇の印』に他ならなかった。

森中に悲鳴が響き渡ったのは、その直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

皆息を潜めていたため静かだった森から爆発的な悲鳴が上がる。

そしてそれは僕の周りの人間達も例外ではない。隣にいるロンは、

 

「ひっ」

 

声にならない悲鳴を上げ、ハーマイオニーは必死に悲鳴を抑えようと口を手で覆っている。ドラコやグリーングラスも悲鳴こそ上げないが、目を見開きその瞳に恐怖を宿している。この場で恐怖を感じていないのは、闇夜に打ち上げられた髑髏の意味を知らない僕。そして、

 

「全員、行きますよ! 早く! ダフネ、お兄様! 絶対に私のそばを離れないで下さい!」

 

この状況の中でも一切いつもの無表情を崩しもしないダリア・マルフォイだけだった。

彼女は不気味な髑髏を一瞥した瞬間、目を見開きはしたものの即座に声を上げる。その声に皆我を取り戻し、ハーマイオニーが未だに事態についていけていない僕の袖を引っ張り始めた。……その手は彼女の表情同様、酷く蒼白で震えたものだった。

 

「ハリー、行きましょう! あれは『闇の印』……『例のあの人』の印なのよ!」

 

僕はこの瞬間、ようやく皆が何故あの印をここまで恐れているのかを理解した。

しかし理解したところで、

 

「伏せなさい! プロテゴ!」

 

『麻痺せよ!』

 

その『闇の印』というものが何故上がったかなんてことを考える余裕はなさそうだった。

僕達が数歩も歩かないうちに辺りに、

 

「バシッ」

 

という音がいくつも響いたかと思うと、周りから一斉に赤い閃光がこちらに飛んできたのだ。僕はダリア・マルフォイの声にロンとハーマイオニーを地面に引き下ろし、彼女は彼女でドラコとグリーングラスを覆う程の魔法の盾を創り出す。いくつもの閃光が頭上を駆け抜け、あるいはダリア・マルフォイの作った盾に跳ね返りながら、互いに交錯して暗闇へと飛び去って行く。そのうちのいくつかは先程『闇の印』が打ち上がった方向にも飛んでいる。僅かに顔を上げれば、見たこともない魔法使いが手に杖を構え、僕達の方に警戒した視線を投げかけていた。

突然の事態変遷に頭は混乱しているけど、これだけは分る……。今僕達はとてつもなく危険な状況にいるのだ。しかしそこで、

 

「何をやってるんだ! 止めろ! 私の子供がいるんだ! 今すぐ杖を下せ!」

 

聞き覚えのある声が聞こえたのだった。

声の方を見ればウィーズリーおじさんが必死に手を振りながら、僕らの方に駆けよっている。そして僕とロン、ハーマイオニーをスリザリン組から()()()()()()()引っ張りながら続けた。

 

「お前達、皆無事か!? フレッド達はもう安全な所にいたが、お前達とはぐれたと聞いた時は肝を冷やした、」

 

「アーサー! 何を世間話をしようとしている! いいからそいつらをこちらに引き渡せ! 今ここで尋問せねばならん!」

 

そこで冷たい声音におじさんの話は遮られた。一瞬おじさんの登場に緊張が緩んでしまったけど、やはりどうやら危機的な状況を脱したわけではないらしい。見れば短い銀髪を不自然な程真っすぐに分けた初老の魔法使いが、こちらに苛立ったような表情を向けていた。そして彼は、

 

「じ、尋問だって! クラウチ! 貴方は何を言っているんだ! この()()()私の子供とその友人だぞ! 一体何の罪で尋問など、」

 

「アーサー、お前は黙っていろ! そいつらが『闇の印』を出したのは間違いないのだ! 現行犯だ! 何故なら、」

 

事態を静観するように、それでも決して杖を下ろさずに立ち尽くす、

 

「ルシウス・マルフォイの子供達と一緒にいたのだからな! お前達も少しでも動いてみろ、即座に拘束することになるぞ!」

 

ダリア・マルフォイ達に視線を向けながら、鋭く言い放ったのだった。

 



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闇の印(後編)

 

 ダリア視点

 

何だか面倒な事態になった。

そう思っている私の視線を受けながらも、目の前のクラウチなる人物は捲し立てるように続けた。

 

「なんだその反抗的な目は!? お前達は犯罪の現場にいた! しかもルシウス・マルフォイの子供達がだ! お前達が犯人に決まっている! 言い逃れは出来んぞ!」

 

未だに私の『盾の呪文』が発動中であるため意味がないだろうに、それでも健気に私に杖を向けるクラウチ氏の表情はどこか狂気じみていた。余程私が現行犯でないと気が済まないらしい。

そしてその必死な表情を眺めているうちに、私はようやくこのクラウチ氏が何者であるかに思い至った。今の魔法界で、クラウチという家名を背負っているのは一人しかいない。

バーテミウス・クラウチ。成程。彼は『死喰い人』と戦うことで権力を手に入れ、そして身内にその『死喰い人』がいたことで何よりも欲しかった権力を失った。『死喰い人』であった身内がアズカバンで()()()()一度失った権力は戻らない。再び上にのし上がるために、今回のことを足掛かりにしたいとでも思っているのだろう。ご苦労なことだ。

しかし彼の事情に思い至った所で、私には何の関係もない話だ。マルフォイ家に盾突くゴミが何を考えていようとどうでもいい。

と言っても、私はこの事態を少しでも打開するため声を上げようとするが、

 

「……クラウチさん。私達は今回のことに何の関係もありません。そもそも『闇の印』を、」

 

「白々しい! この期に及んで言い逃れか!? さぁ、すぐに呪文を解くのだ! さもなければ力づくで連れていくぞ! 我々は強力な魔法使いだ! 逃れることは出来んぞ!」

 

一切取り合われることはなく、事態打開には何の役にも立ちそうになかった。それは同じマルフォイ家であるお兄様、

 

「おい! ダリアを疑っているのか!? ダリアは何もしていない!」

 

「そうです! それに『闇の印』が上がったのもここではなくて、」

 

「黙れ! お前達も共犯であることは分かっている! お前達も大人しくしていろ!」

 

そしてダフネも同様であるようだった。しかも今まであまりにもクラウチ氏の態度が強硬であったため気が付かなかったが、周りの連中も同様に私達のことを疑っている様子だ。クラウチ氏と『姿現し』してきた連中も、グレンジャーさん達三人が()()()()()()私達に敵意の籠った視線を送っている。彼女達が私の人質だとでも思っているのだろうか。目を向ければアーサー・ウィーズリーですら、私を子供達を人質にしていた凶悪犯であるかのような目をしている。もし本当にそうなのであれば、そもそも私からすんなり彼女達を救い出せたのはどういう理屈なのだろうか。

一体どうすればこの事態を打開できるか……。この場で彼らを無力化することは至極簡単であるが、そんなことをすれば事態は後で悪化するのは目に見えている。ダフネも連れていくことは許せないが、ここは大人しくついて行きお父様の助けを待つか、もしくは、

 

「違います! マルフォ……ダ、ダリア達は何もしていません! ずっと私達と一緒にいて、『闇の印』を打ち上げる時間なんてありませんでした! 私達も同じです! そもそも呪文すら知りません! あれを出したのは……あの木立の向こうに誰かいました。何か叫び声がして……たぶん呪文だと思います。そうしたらあそこから印が……。そ、そうでしょう、ロン、ハリー!」

 

「あ、あぁ……」

 

「そ、そうです。あそこに誰かいたんだと思います」

 

この中でクラウチ氏()()には疑われていない、グレンジャーさん達が証言するしかない。

グレンジャーさんの大声に全員の意識がそちらに向く。見れば必死な形相で私の無罪を訴えるグレンジャーさん。そしていつもは私に敵意を向けている二人も、今回ばかりは私が犯人でないことをその目で確認しているため、素直にグレンジャーさんの言葉に頷いている。

その様子に流石に彼女らも共犯だとは思わなかったのか、

 

「……ハーマイオニー。それにロン、ハリー。本当にそうなのかい? 脅されている……ということはないね? もしそうなら、」

 

「ウィーズリーさん! なんてことを言うの!? 私は脅されたりなんかしていません! ダフネとダリアは私の友達です! 二人は何もしていません! さっきも言った通り、向こうから『闇の印』が上がったんです!」

 

「……そうか。ハーマイオニーがそこまで言うのなら、本当にそうなんだろうね。()()()彼女達も無関係か……」

 

クラウチ氏を除く全員の視線から、()()()警戒の色が消えていった。クラウチ氏だけは、

 

「ふん……。誰が信じるものか。どうせ貴様らも共犯に決まっている」

 

やはり強硬にグレンジャーさんを含む全員の犯人説を唱えているが、別に大勢に影響が出るわけではない。役人の何人かが私に意識を向けながらも、杖をグレンジャーさんの指示した方に構え始めている。

そして更にそのうちの何人かが木立の向こうに消え、

 

「おい! 誰かがここに倒れているぞ! そうか! 先程の『失神呪文』が当たったんだな! ということはこいつが犯人か! ならば……な!? なぜこやつが!?」

 

疑念に満ちた声音がこちらにも届いたのだった。

向こうに行っていた役人が何かを腕に抱えた状態で戻ってくる。その腕の中には……

 

「……しもべ妖精?」

 

私の大切な家族であるドビーと同じ、魔法使いの家に代々仕える魔法生物『屋敷しもべ妖精』が、杖を手に持った状態で気絶したように眠っていた。

それは紛れもなく、クィディッチ・ワールドカップにおいて私の前に座っていた『しもべ妖精』に間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「……ウィンキー?」

 

私は『屋敷しもべ妖精』という生き物を実際に見たことは一度しかない。その一度もドビーを除けば、今目の前で気を失い、魔法省の役人の腕の中で眠るウィンキーでしかないのだけど……別にしもべ妖精という存在自体を知らなかったというわけではない。

『屋敷しもべ妖精』。特定の魔法使いに仕え、その魔法使い家族の家事や雑用などを行う存在。『魔法生物学』の教科書にだって載っている生き物なのだ。その存在を、私は魔法界に入った段階から知っていた。でも、私が知っていたのはその存在だけ。彼らの実態については、

 

『エネルベート、活きよ!』

 

「……う、うん? こ、ここは?」

 

私はおそらく何一つ知らなかったのだろう。……私が『吸血鬼』について、何も知らなかったのと同じように。

ウィンキーは呪文により目が覚めたのか、その大きな茶色の瞳を開き、辺りを眠気眼で見回す。そして周りの魔法使い達が自分を見つめているのを見て、更に上に目を向けたところで、

 

「ひっ!」

 

空に浮かぶ『闇の印』を見つけ、小さな悲鳴を上げるのだった。

悲鳴を上げた後、狂ったように辺りを見回し、最後には身を抱え込むようにして啜り泣き始める。誰がどう見ても、彼女がこの状況に怯えているのは明らかだった。

でもそんなことをお構いなしに、彼女を抱えていた役人は彼女を放り出し、まるで犯罪者でも扱うような声音で詰問し始めたのだ。

 

「おい、しもべ! 状況は見ての通りだ! 今この空には『闇の印』が打ち上げられている! そしてその真下にいたのがお前だ! 何か申し開きがあるか!?」

 

「あ、あたしは何もなさっていませんです! や、やり方すら知りませんです! あたしは無関係にございますです!」

 

「嘘を吐くな! お前は見つかった時、杖すら持っていたのだぞ! これは明らかに『杖の使用規則』違反だ! 人にあらざる生物は、杖を携帯しても、ましてやそれを使ってもならない! これはお前の様な生き物が持っていていいものではないのだ!」

 

まるで彼女を物か何か……それこそ同じ生き物ととは認めていないような態度。

私はその態度に、ウィンキーと初めて会った時のことを思い出していた。

 

 

 

 

クィディッチ・ワールドカップ試合観戦中。彼女は私のすぐ後ろで()()で座っていた。しかもどこか怯えているのか、全身をブルブルと震わせた状態で……。私は気の毒に思い、彼女に話しかけたのだ。

 

『ねぇ、貴女大丈夫? 酷く震えているけど?』

 

それに対しての彼女の応えは、

 

『だ、大丈夫でございます! あたしめはただ高い所が苦手なだけでございますです! ですがここにいろというのがご主人様の御命令です! あ、あたしはここにいらっしゃらねばならないのです!」

 

予想の斜め上のものだった。何故高所恐怖症である彼女が、ご主人様の命令というだけで怖い思いをしなければならないのだろうか。

私が彼女の答えに驚いている間に、今度は隣に座っていたハリーが彼女に話しかけた。

 

『ねぇ、君は屋敷しもべ妖精だよね? 僕、ド……ひ、一人だけ君と同じしもべ妖精を知ってるんだ』

 

おそらく彼なりに彼女の気を紛らわしてあげようと、適当な世間話を振っただけだったのだろう。そしてその意図は成功したらしく、彼女は自分が高い所にいることも忘れた様子で話に乗ってきた。

しかし、

 

『そうでございます。あ、これは申し遅れましたでございます。あたしはウィンキーといいますです。貴方様はあたし達しもべ妖精のお知り合いをお持ちなのですね。なんというお名前のしもべでしょうか?』

 

『い、いや、それは……』

 

ハリーがドビーの名前を言えなかったことによって、

 

『……な、何かご事情があるのでございますですね。し、失礼したでございますです……』

 

再びウィンキーは現実に戻ったのか、体を震わせ始めたのだった。ハリーとしてはダリアの前でドビーの名前を出したくなかったのだろう。この時のダリアは何故かウィンキーの隣の()()をジッと見つめていたため、私達の会話に気が付かなかった様子だけど……もしドビーの名前が出ればこちらに意識が向いていたのは間違いない。そうなれば彼女があのドビーとの別れの瞬間を思い起こすのは、私にだって容易に想像できた。ハリーのように彼女が怒り始めるとは思わないけれど、彼女が悲しい気持ちを思い出すのは間違いない。だから私だってハリーの対応を批難するつもりは少しもなかった。

でも……それでも……。

 

『……いつになったら、彼女のご主人様とやらは来るのかしらね?』

 

この状況自体に、私が少しでも納得できることはなかった。

私達との会話が途切れたウィンキーはいよいよ高い所が怖くなったのか、手で目を完全に覆い始めている。そんな彼女を放置したまま、一向に現れようともしないご主人様。あまりに酷い主従関係に怒りすら湧いた。

 

 

 

 

そしてそれは、

 

「そ、そんな杖も、あたしはご存知ないのでございます! あたしは杖を盗んでなど、」

 

「ではどうして『屋敷しもべ』である貴様がこれを持っているのだ! 言え! 誰からこの杖を盗んだのだ!?」

 

今目の前でも繰り広げられていることであった。 

……何だか目の前の光景に酷く吐き気を感じ始める。何だか全てが矛盾していて、とてつもなく醜いものにさえ思えてくる。

しもべ妖精を劣った生き物として考え、何をしても、どんな傷つく言葉を投げかけても大丈夫だと思っている役人達。そして……ダリアを先程まであれだけ疑っておきながら、そんなことを忘れてしまったかのように……彼女が疑われるのは()()()()()()と言わんばかりに話を進める人間達が。

今目の前にいる人達が、何故かどうしようもなく今キャンプ場で騒いでいる人達と同じに見えていた。

私が心の内静かな怒りを湛えている間にも、事態はダリア達スリザリン組を置き去りにして進んでいく。

 

「あれ? その杖、僕のだ!」

 

「な!? なんだと、それは自白のつもりなのか!? 君がアーサーの息子の友人だからと見逃していたが、君はこれで『闇の印』を作った後投げ捨て、」

 

「おい、何を言っているんだ! この子は()()ハリー・ポッターなんだぞ! ハリーがそんなことをすると、君は本気で思っているのか!?」

 

「ハ、ハリー・ポッター! そ、そうか、君があの……。いや、すまない……。君がハリー・ポッターだとは知らなかったのだ」

 

どうやらウィンキーの持っていた杖は落としたはずのハリーの杖だったようで、一瞬ハリーが犯人として疑われかけるが、ウィーズリーさんの言葉に即座に役人の一人がハリーに謝罪する。同じく疑われたダリアにはまだ謝罪の言葉すらないというのに……。

そして、

 

「……いや、ハリー・ポッターもそうだが、そのしもべを疑うのも間違っている。そのしもべは……私のしもべ妖精なのだからな」

 

そこに更にとんでもない発言が投下されることで、事態はより一層混迷を極めていくのだった。

この場にいる全員の目が言葉を発した人間の方に向く。そこにいたのは……ウィンキーの登場から何故か黙り込んでいた、クラウチという役人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

正直、事態に正しくついていけているとは言い難かった。

ダリアに突然かけられた嫌疑。それはルシウスさんがあの『死喰い人』の集団に交じっていると疑われ……るどころか本当に交じっている以上、ダリアがここで何かしていたと疑われるのは仕方がないことなのかもしれない。しかも多少位置がずれていたとはいえ、私達はほぼ『闇の印』の真下にいた。『闇の印』とは、闇の勢力が誰か人を殺した後に打ち上げる忌まわしき印。役人が()()を疑うのは当然だ。

でも理解出来ると言っても、納得できるかといえば話は違う。

だから私は即座に声を上げた。ダリアの親友である私が、ダリアに謂れのない疑いをかけられて怒らないはずがない。

しかしそんな私の怒りを他所に、事態は凄まじい速度で進んでいくこととなる。

まずはダリアの無罪を主張したハーマイオニー達。そんな彼女達を、いとも容易く信じた馬鹿な大人達。更には『闇の印』の本当の真下にいた『しもべ屋敷』の持っていた杖が、私達と一緒にいたポッターだったというのに、あの『ハリー・ポッター』だという理由だけであっさり彼を信じる軽薄さ。そして……

 

「……いや、ハリー・ポッターもそうだが、そのしもべを疑うのも間違っている。そのしもべは……私のしもべ妖精なのだからな」

 

突然そんなことを言いだしたクラウチ氏によって、私の思考は完全に置いてけぼりになってしまったのだった。

こいつは何を言っているんだ?

そんな私の戸惑いを他所に、先程まであれ程威勢よくダリアに噛みついていたクラウチ氏は静かに語り始める。それは、

 

「私はそのしもべに試合の観戦後、テントから決して出るなと言い渡しておいたのだが……どうやらその命令をこのしもべは無視したらしい」

 

「な!? 貴方がウィンキーの主人だったのね! それになんてことを言うのよ! ウィンキーは高所恐怖症だったのよ! その上そんな命令まで! やっぱり貴方は酷い主人よ! 『屋敷しもべ妖精』を何だと思っているの!? 今キャンプ場では『死喰い人』達が暴れているのよ!? それを命令を無視したなんて……よくもそんなことが言えるわ! 貴方はウィンキーが踏みつぶされてもいいと言うの!?」

 

ハーマイオニーの怒りに満ちた言葉に遮られようとも続いた。クラウチ氏は怒れるハーマイオニーに一瞥もくれることなく、ただ淡々と……でもどこか()()()様子で続けた。

 

「だとしても、私の命令は絶対だ。私の命令を聞けないようであれば、それはもはやしもべ妖精などではない。だが……そんな愚かなしもべ妖精ではあるが、これだけは絶対だ。私のしもべ妖精が、あの『闇の印』を創り出せるはずがない。それとも何かね? この『闇の勢力』と戦い続けてきたバーテミウス・クラウチが、日常的に『闇の印』を出す練習をさせていたと……君達はそう言いたいのか?」

 

「そ、そんなことはないが……だが、クラウチさ、」

 

「そうだろうとも。おそらく『闇の印』を作り出した()()かは、あれを打ち上げたすぐに『姿くらまし』をしたのだろう。あとで足が付かぬよう、あらかじめ盗んでいたハリー・ポッターの杖を使った後でな……。私のしもべはその直後に、偶々杖を拾った……。そういうことなのだろうな」

 

……ウィンキーというしもべ妖精が登場するまで、あれ程必死に私達の有罪を訴えていた人物とは思えない。この場にいる全員がそう思っているのか、クラウチ氏のどこか只ならぬ様子に気圧されてすらいる。そんな中、彼はやはりどこか急いだ様子で言葉を紡ぎ続けていた。

 

「さて……このことで皆納得してくれたようだな。ではこのしもべのことは、私の家の問題ということでよいな? ウィンキー。お前は今夜、私が到底あり得ないと思っていた行動を取った。これは洋服を与えるに値する」

 

「な! ご、ご主人様! それだけは、」

 

「黙るのだ! もうお前の顔など二度と見たくない! ()()()どこかに行ってしまえ!」

 

そしてウインキーに、クラウチ氏は今しがたつけていた片方の手袋を投げ渡す。それは紛れもなく、しもべ妖精を家から解雇する時に行う行動だった。

辺りに奇妙な沈黙が舞い降りる。誰一人として急変する事態についていけていないのか、最大にして唯一の犯人に繋がる証人が泣き叫ぶのを見ていることしか出来なかった。

そうただ一人、

 

「いえ、お待ちください。ウィンキー……と言いましたか? 貴女にはまだ聞かねばならないことがあります。今すぐここを離れるのは待ってください」

 

こんな中でも冷静な思考力を持てるであろうダリアを除いて。

 

「……マルフォイの小娘。確かダリア・マルフォイと言ったか? お前がルシウス・マルフォイの娘であることは分かっている。お前の噂は私の元にも届いている。お前のような人間が私のしもべに指図など、」

 

「これは可笑しなことを言いますね? 貴方のしもべ? たった今、貴方自身がこの子を捨てたばかりではありませんか。もうこの子は貴方のしもべではないのでしょう? 何故貴方の命令を聞く必要があるのですか? 虫けらは黙っていなさい」

 

ダリアはクラウチ氏の抗議を無視し、そっとウィンキーに尋ねる。

 

「ウィンキー、教えてください。ワールドカップ試合の時……貴女の隣にいた()()()()()は、貴女の知り合いですか? それと……もしかして、その人物が『闇の印』を打ち上げたのですか?」

 

瞬間ウィンキーの……そして何故か、今まで冷静だったクラウチ氏の目が驚愕に彩られることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ウィンキーという『屋敷しもべ妖精』が現れてからというもの、事態は混迷を極めており、誰一人として事態の変化についていけていない様子だった。かくいう私もその例外ではない。

だが、だからと言って私は見逃しはしなかった。

 

『ま、まさか……あり得ない』

 

ウィンキーが現れた瞬間、今まで必死な形相で私達を責めていたクラウチ氏が明らかに狼狽していたのを。そして私だけがジッと見つめているのにも気付かず、ブツブツと何かを呟きながら木立の向こうを見つめたかと思うと、意を決したように、

 

『そのしもべは……私のしもべ妖精なのだからな』

 

そんなことを言いだしたのを。彼がウィンキーの存在に何かを察し、そして重大な何かを隠そうとしているのは火を見るより明らかだった。

そしてその隠し事とは、

 

「ワールドカップ試合の時……貴女の隣にいた()()()()()は、貴女の知り合いですか? それと……もしかして、その人物が『闇の印』を打ち上げたのですか?」

 

私の予想が正しければ、おそらくウィンキーの隣に座っていた透明人間のことだろう。

しかもその推察を、

 

「な、何を言っておるのだ! と、透明な人物? そ、そんな人間が私のしもべの隣に座っていた!? で、出鱈目だ! あの席は空席だったのだ、」

 

「クラウチ氏。何故先程の試合に現れもしなかった貴方が、ウィンキーの横が空席だったのだと分かるのですか?」

 

「そ、それは……」

 

クラウチ氏本人の反応が決定的に裏付けているのだから間違いない。

考えれば簡単なことだ。ウィンキーがクラウチ氏のしもべ妖精だとすれば、いくつか説明のつかない矛盾点が浮かび上がってくる。

そもそも、何故クラウチ氏はウィンキーを試合席に送ったのだろうか。グレンジャーさんの言葉が正しければ、彼女は高所恐怖症だ。よしんばそうでなかったとしても、別にウィンキーを態々観客席に送る必要性などない。指定席である以上、別にしもべ妖精に席取りさせる必要性すらないのだ。

そしてこのまるで最初からウィンキーの隣が()()()()は空席であることを予め知っていたような態度。彼がウィンキーの隣に座るつもりであったのなら、彼がここまでウィンキーを奴隷同然に扱うのはおかしい。ならば彼は本来ウィンキーの席に座るはず。だがそれが可笑しい以上、彼は本来本当は一人分の席しか取っているはずはなく、隣が空席であるかなど分かるはずがないのだ。

座らせる必要のない『屋敷しもべ妖精』に、いるはずのない透明人間。クラウチ氏のまるで何かを隠すような態度。

これらを考えるなら、彼がウィンキーを観客席にいた理由は一つだ。

彼は元から透明人間のことを知っていた。彼は透明人間を席に座らせ、そのお世話、もしくは監視のためにウィンキーを観客席に行かせたのだ。

そして私の予想が間違っていなければ……

 

「ウィンキー……貴女はもうクラウチ氏のしもべ妖精などではない。この男は、あろうことか()()である貴女を捨てたのです。だから教えてください。あの『闇の印』を打ち上げた人物は……試合で貴女の隣に座っていたのではありませんか? そうであるのなら、ポッターの杖が()()()()理由も分かる。彼の真後ろに、当の人物は座っていたのですから」

 

ポッターの杖を使った人物。つまり『闇の印』を打ち上げた人物も、その透明人間であるのだ。

私は少しでも()の情報を掴むために、ウィンキーに真実を尋ねる。

しかし彼女……そしてクラウチ氏から帰ってきた答えは、

 

「な、何を仰っているのでございます? あたしは誰も()()になっておりませんです……。い、言い掛かりは止してほしいのでございますです!」

 

「な、何を言うかと思えば……とんだ出鱈目だ。お前の論理は矛盾だらけだ! そもそもルシウス・マルフォイの娘が言うことなど、何の信憑性もあるものではない! さては言葉巧みに私達を惑わし、自分の父親から捜査の目を逸らす気だな! ルシウス・マルフォイの娘が考えそうなことだな!」

 

私の言葉を完全否定するものでしかなかった。クラウチ氏はともかく、ウィンキーはこの期に及んでも尚彼に忠誠心を持っているのだろう。

()()()()()()()()()。そのような嘘ではない言葉を言うことで……。

クラウチ氏が今しがた、彼のために行動していたウィンキーを捨てたというのに。家族であるはずのウィンキーを切り捨てたというのに。そう、ドビーを切り捨てた私の様に……。

それなのにこの『屋敷しもべ妖精』は……私の大切な家族であるドビーと同じく……。

先日見た悪夢の件もあり、闇の帝王に関わる不穏な事態について私はなるべく多くの情報を欲しいと思っていた。あれが現実であれ夢であれ、お父様の腕に『闇の印』が浮かび上がった以上、闇の帝王の復活の可能性は否定しきれない。今回空に打ち上がった『闇の印』も復活とは無関係なものであると断言できない。だからこそこうしてウィンキーに柄にもなく追及の言葉をかけたわけだが……一瞬思考に紛れ込んだノイズのせいで、私の追及は一時的に止まってしまった。

そしてその一瞬の隙を、クラウチ氏が見逃すはずはなかった。

 

「も、もうよい! お前のこれ以上の戯言に付き合うのはごめんだ! ウ、ウィンキーも、何をボさっとしているのだ! 私はもうお前の顔などもう二度と見たくないのだ! 早くどこかに行け! 今すぐに!」

 

「わ、分かりましたです……()()()()

 

私が黙り込んだ隙に、クラウチ氏が大声でウィンキーに再度命令する。その命令を受け、もはや彼のしもべ妖精でなくなったとしても……それでも彼に未だに忠誠心を持っているウィンキーは、涙を両目いっぱいに溜め込みながらも『姿現し』でどこかに消え去ったのだった。

最大で唯一の証拠であるウィンキーがいなくなることで、私はこれ以上『透明人間』のことを追求することが出来なくなる。そして周りの連中については、試合中ウィンキーに隣に座っていた『透明人間』をあの時感じ取っていたわけもなく、私の話をただ訝し気に聞いているだけの様子だった。クラウチ氏は腐っても魔法省の中のそこそこの実力者。そんな彼がウィンキーに対して行った私的な処罰を、

 

「……その娘が何を言っていたのかは分からないが、クラウチさん。あのしもべは今回の重要な証人だ。も、勿論貴方を疑っているわけではないが、このように勝手に処罰をされると、」

 

「何か問題があるのかな? ……先程も言ったが、あれは今回の『闇の印』とは無関係だ。……それとも、やはり君は私を、」

 

「も、勿論違いますとも!」

 

咎めきれるはずもなく、今回のことは最後には完全に有耶無耶にされてしまったのだった。役人の幾人かに至っては、今回のことはやはり私の偽装工作で、私が話したことはただクラウチ氏に疑いの目を向かせるためだけの狂言だったのではと考えている目をしている。

もはや万事休すだ。これ以上透明人間について追及しても私が得るものは何もない。私は小さく舌打ちをすると、隣で茫然と成り行きを見ていたダフネとお兄様に声をかける。

 

「お兄様、ダフネ。行きましょう。もうここにいる必要は無さそうです」

 

悔しいことではあるが、ここでこれ以上駄々をこねても仕方がない。それに『闇の印』が打ち上がってからというもの、キャンプ場からの騒音が()()()聞こえてきていない。ならばお父様主催のパーティーは終了したのだろう。闇の帝王が失踪した際は魔法省からすら逃げおおせた上、

 

「ま、待ちたまえ。君達にはまだ、」

 

「いいえ、もう話は終わりです。私達はそろそろ戻らせていただきます。それとも……私達を捕まえる、何か決定的な証拠でもお持ちなのですか?」

 

「……」

 

ここにいる役人達が私達を強制的に連行しようとしていないことから、お父様がむざむざ捕まったとは考えにくいがそれも絶対というわけではない。あの『闇の印』が実はお父様が企画した物である可能性とて完全に否定することは出来ない。グレンジャーさんの安全が確保された以上、私がすべきことはまずお父様達との合流だ。

そう意識を切り替えた私は、お兄様とダフネを引き連れキャンプ場の方へ引き返し始める。

その後ろ姿を心配そうに見つめるグレンジャーさん、未だにぬぐい切れない警戒を含んだ視線を向ける役人達、そして……()()()()()の視線を送るクラウチ氏を置き去りにして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後々、私は思う。

もし私がここで諦めずにクラウチ氏を追求し続けていれば。もし私がここで……木立の向こうに倒れていた奴を見つけ出せていれば。私が少しでも今年起こることの一端を掴んでさえいれば。

私は……()()()()()済んだのではないか? 怪物になる、その第一歩を踏み出すことは無かったのではないか?

そう、私は今年の最後に思ったのだった。

 

でも、こうとも思っていた。

 

もし私が気付いていても……私は結局彼を()()()殺すことになったのではないのだろうか?

義務感からでなくとも……その魂から湧き上がる衝動によって……。

私という怪物はどう足掻いても、どう運命に逆らおうとも……決して怪物であるという事実から逃れることは出来ないのだから。



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宣言

 

 ハリー視点

 

『ああ! 良かった! 本当に良かったわ! 皆無事なのね! あぁ、お前達!』

 

『い、痛い! ママ、窒息しちゃうよ!』

 

『あぁ、ごめんなさい、フレッド、ジョージ! お前達にあんなにガミガミ言って! 『例のあの人』がお前達に何かしていたら……母さんが最後にお前達に言った言葉が『O・W・L試験』のことになっていたわ! あぁ、本当に無事でよかった……』

 

クラウチ氏達から解放され、何とか『隠れ穴』に帰ってきてから数日。最初こそあの鮮烈な出来事を中々忘れることが出来なかったけど、今はすっかり平穏な毎日を取り戻している。

事件直後は、

 

『あぁ、ダフネやダリアは無事かしら……。あんなことがあって、どれ程ダリアが傷ついているか……。それにウィンキー。そうよ、あのクラウチとかいう役人! あんなのってないわ! ダリア達を疑っただけでは飽き足らず、あんな風にしもべ妖精を扱うのだから! まるで奴隷よ! 最後には何だか全部有耶無耶にしようとするし……。本当に信じられないわ!」

 

いつもの発作を発症していたハーマイオニーも、今ではすっかり落ち着きを取り戻している。

顔を真っ青にして僕達を迎え、自分の息子達を絞殺せん勢いで抱きしめていたウィーズリーおばさんも、

 

『ほら、フレッドとジョージ! またそんなものを作って! そんなものを作っている暇があるなら、さっさとホグワーツに行く準備をおし!』

 

何とかいつも通りの状態に戻っていた。

あんな事件があったなんて、今では信じられないような平穏な日々。変わったことと言えば、事件の影響なのかウィーズリーおじさんがよく魔法省に呼び出されていることくらいだ。あまりに平穏な日常に、事件のことや()()()のことはどこか遠い出来事に……記憶も朧気なものになり始めている気がする。やはりあの夢はただの夢でしかなかったのだろうか。

そしてそんな日常が過ぎ、遂に、

 

「ウィーズリーおばさん、色々ありがとうございました。『隠れ穴』での生活は本当に楽しかったです」

 

「あら、いいのよ、ハリー。私も何だか息子と娘が新しく増えたみたいでとても楽しかったわ。アーサーも見送りに来れたら良かったのだけど、今朝がたマッド・アイのことで魔法省に呼ばれてしまって……。マッド-アイも、()()()ちゃんと間に合うのかしら……」

 

僕の本当の家とさえ思えるホグワーツに帰る日が来たのだった。

仕事の関係でパーシーやウィーズリーおじさんこそ見送りに来なかったけど、それ以外のウィーズリー家のメンバーは勢ぞろいしている。

僕を抱きしめて送り出すウィーズリーおばさんの横から、チャーリーが楽し気に声をかけてくる。

 

「ハリー、ホグワーツ生活を楽しめよ。あそこは最高の学校だからね。特に今年は……」

 

何だか含みのある言い方に、僕は思わず聞き返す。

 

「ん、チャーリー、今年はってどういうこと?」

 

「今にわかるさ。今言えるのは、多分僕とはまたすぐに会えるだろうってことくらいさ」

 

しかしチャーリーの返事は曖昧な答えでしかなかった。

曖昧な答えに僕の頭は疑問符だらけになる。しかしそんな合間にも汽車の出発の時間は刻一刻と近づき、

 

「ハリー! もう汽車が出ちゃうぞ!」

 

本当に時間切れとなった。

ロンの声に振り返れば、汽車が汽笛を鳴らしながらゆっくりとした動きで走り始めている。僕は慌てて汽車に飛び乗り……ついぞ今年ホグワーツで何があるか知ることはなかったのだった。

 

 

 

 

僕が今年ホグワーツで起こるイベントのことを知るのは、組み分け後の晩餐会でのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

「本当に……下らないです」

 

ホグワーツへ向かう特急の中、私は内心の不機嫌を隠すこともなく手に持っていた日刊予言者新聞を投げ出す。

新聞の見出しには、

 

『クィディッチ・ワールドカップの恐怖』

 

というどこか事態の深刻さに似合わない見出しが書かれており、見るものの神経を逆なでしている。

そして内容も、

 

『魔法省に対する失望が広がっている。クィディッチ・ワールドカップ後に『闇の印』が出現してからしばらく、未だに魔法省の主張は『死人なし。()()()()()()』といったありきたりなコメントでしかない。それは我々が()()()()()()()ではない上、そもそも本当に正しいものでもないの()()しれない。我々が掴んだ()によると、数人の遺体が森の方から運び出された()()というものすらあった。これが事実だとすれば、魔法省は事実を隠匿したことになる。魔法省始まって以来の信用問題に関わる事態と言っていい。今後彼らが我々の()()()事実を発表する時が来るのか……甚だ疑問である』

 

低俗すぎて読む気にもならないものでしかなかった。事実私は半分も内容を読んでいない。そもそも記者がリータ・スキータだと分かった段階で、私は真面に読むことを放棄していたのだ。事実誰も死んではいない……それこそあれ程何かに追い立てられるように行動していたお父様が、何故か土壇場になってマグル一家を殺さなかったことは事実なのだ。絶対に誰かが死ぬと思っていた私としてはあまりにも拍子抜けな顛末。結局あそこに集まっていた『死喰い人』は……私の予想通り()()()()()でしかなかったのだ。その事実を知っている私としては、この愚かな記者が何を喚こうがどうでもいい。

あとこの新聞に書いてあることといえば、元闇祓いであるアラスター・ムーディが誰かに襲われたと()()()という更にどうでもいいニュースだけだ。このムーディとか言う人物は被害妄想が強いことで有名だ。どうせいつものように外の物音に過剰反応しただけだろう。

だからこそ、私のこの苛立ちの原因はこの三文記事などではなく、

 

「ダリア……気持ちは分るが、少し落ち着け。そう苛立っても……クリスマスに戻れるようになるわけではないんだ」

 

「そ、そうだよ、ダリア。そ、それにほら! これは二年生のクリスマスを挽回するチャンスだよ! あの時はちょっとした問題があって一緒に過ごせなかったけど、今回は一緒にいられるんだから! しかも盛大なパーティー付きでね!」

 

人生二度目の家族以外と過ごさねばならないクリスマスにあった。

 

クィディッチ・ワールドカップから数日。数日間は薄汚い記者連中や闇祓いが屋敷に押しかけてきたが、案の定お父様は何の証拠も残していなかったため騒ぎ自体は数日で収まった。勿論あれだけの騒ぎ且つあれ程多くの人々を恐怖に陥れながらも、蓋を開けてみれば死人どころか、怪我人さえほとんどいなかったのも主な原因だろう。お父様曰く、『闇の印』出現直後にキャンプ場を離脱したことで、マグルを殺す時間がなかったというお話だが……おそらくそんなことはないだろう。そしてお父様のみならず、私まで何人かの闇祓いに目をつけられていたが……それこそ何の証拠もあがるはずがない。このためだけにお父様と別行動し、尚且つグレンジャーさんと一緒にいたのだから。

かくして僅か数日で表面上は平穏な毎日を取り戻した私達マルフォイ家。決して拭い切れない不安を感じてはいるものの、あれだけの騒ぎを起こした以上、お父様とて立て続けに事を起こすわけにはいかない。私も後は大人しく残り少ない夏休みを過ごし、再び家族と過ごすクリスマスを待つのだと……そう思っていた。しかしそんな私に、

 

『あなた……今年はきちんと、』

 

『わ、分かっている……。今伝えようと思っていたのだ……。ダ、ダリア。それにドラコ。今年のクリスマスだが……おそらくホグワーツで過ごさねばならなくなる』

 

突然冷や水を浴びせられるような情報が舞い込むこととなったのだった。

聞けば今年は『三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)』なる()()()()イベントが開催され、その一環としてクリスマス・パーティーがホグワーツ城で執り行われるらしいのだ。生徒達の意思は関係なく、強制参加のイベントとして……。腹立たしいイベントにも程がある。何故私の大切な家族との時間を犠牲にして、そんな下らない催しに参加せねばならないのだ。

しかし思い返せば思い当たる点はいくつかあった。クリスマスの話題になると妙に歯切れの悪いお父様。逆にいつになく張り切った様子で、私のドレスを発注するお母様。今年に限って何故か必需品に追加されたドレスローブ。一つ一つは小さなものであっても、事実を知ってしまえば簡単なことだ。分かった所で何一つ嬉しくない事実でしかないが。

家族と過ごせないクリスマスなどクリスマスではない。

それに新しいドレスと言っても、折角買って下さったお母様に申し訳ないが、私の体の成長が完全に止まってしまっている以上デザインで勝負するしかない。私は同年代に比べて成長が早い方だと思っていたが、どうやら早くに止まってしまう質でもあったらしい。最終的には同年代の女の子に比べてどこか幼さを残した見た目になってしまった気がする。ダフネはそんな私でも綺麗だと言ってくれてはいるが……そんな状況の中でパーティードレスを楽しみにしろと言われても少しだけ無理があった。

 

あれから数日経ち、いよいよホグワーツに向かう段になっても気持ちが整理されることはない。少しでも気を抜けばため息が漏れ、行き場のない怒りが次から次へと湧き上がってくる。一昨年の様に()()()()でクリスマスに帰れないわけではないが……寧ろ逆にその事実が私の苛立ちを長引かせていた。

唯一喜べることは、

 

「……ダフネ。……いえ、そうですね。貴女が一緒なのですから……とても楽しみです」

 

「うん! いっぱい楽しもうね! 私は今からダリアのドレスが楽しみだよ!」

 

今度こそダフネとクリスマスを過ごせるということくらいだ。

しかしダフネも楽しみにしているのに、それに私がこれ以上水を差すわけにはいかない。私は隣に座るダフネに無理やり笑顔を作ろうとして、

 

「ダフネ! それにダリアも! 良かった、貴女達も大丈夫そうで!」

 

突然コンパートメントに響いた声によって、そちらに振り返らざるを得なくなったのだった。

見ればコンパートメントの入り口には満面の笑顔のグレンジャーさん。そしてその後ろから彼女のボディーガードをするかのように立つ、ポッターとウィーズリーが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「あのマグルの人達……どうやら無事だったようね。良かったわ……」

 

私は新聞を丁寧にたたみながら、コンパートメントに窓辺で静かにため息を吐く。ウィーズリーさんの話を信じていなかったわけではないが、こうして新聞に彼らの無事が書いてあれば更に安心することが出来る。勿論新聞の文面自体はマグル達の無事を訝しむものであるが、この新聞は昔からどこか憶測で物を書く傾向にある。マグルが死んだと書いていないということが、真にマグルが死んでいないことの証明でもあった。やはりウィーズリーさんの言っていた通り、『死喰い人』達は闇の印に恐れをなし逃げ去ったのだろう。マグルを傷つける前に……。

 

良かった。マグルの人達が無事で。誰も死者などいなくて。……ダリアのお父さんが、()()()()()()()()()

 

ルシウス・マルフォイが許されないことをしたのは間違いない。証拠自体は挙がっていなくとも、彼があの集団に交じっている。それはダリアの反応から明らかだ。

でもそんな中でも……彼は最後の一線だけは踏み越えなかった。人だけは決して殺してはいなかった。

それがダリアにとって……どれ程の救いになることだろうか。優しい彼女がどれほど傷つかずに済むのだろうか。

 

ダリアの存在に思い至った瞬間、私は無性に彼女の顔が見たくなる。どこまでも美しく、でもまるで成長が止まったかのように少しだけ幼さを残す彼女の顔を。

彼女は無関係な私をいつも気にかけてくれるような優しい少女だ。事件の前だって、どこか不安そうな無表情を、そして私に向かって心配そうな視線を投げかけていた。

そんな彼女の表情が、今は安心しているものに変わっているところを無性に見たくなったのだ。

だから私は、

 

「少し出てくるわ。そう言えばまだダリアやダフネにお礼を言っていなかったもの。あの日は『闇の印』のせいでお別れも言うことが出来なかったし」

 

即座に彼女や、彼女の……いや、私の親友に会いに行くことにしたのだった。

しかし案の定、一緒にいたハリー達には私の意図は伝わらなかった。ハリーとロンはギョッとして私の顔を凝視すると、一斉に飛び掛からんばかりの勢いで制止の言葉を口にし始める。

 

「また何を言っているんだ、ハーマイオニー! あいつの父親は『死喰い人』なんだぞ! ……そりゃ証拠は何もないし、あいつ自身も今回の『闇の印』には関係なさそうだけど。でもそれにしたって、ドラコの口振りでルシウス・マルフォイがあの集団に交じっていたことはほぼ間違いないんだ! なんでダリア・マルフォイの所に君がお礼なんて言いに行かないといけないんだ?」

 

「そうだよ、ハーマイオニー。それにあの試合からそう日が経っていないんだ。いくら君だって警戒心が、」

 

でも私の意見は変わらない。私はハリー達の言葉を振り切るようにコンパートメントの出口に向かい、そのまま振り返りながら言う。

 

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。彼女の父親がどんな人だって、彼女は彼女なんだから。それに彼女だけではなく、彼女のコンパートメントにはダフネもいるわ。ダフネは私の友達だから」

 

そして私はコンパートメントを出てダリア達を探し始めるのだった。後ろには肩をすくめながらも、まるで私を護衛するかの如くついてくるハリーとロン。正直二人にはついてきてほしくはなかったけど、頑固な彼らに今何を言っても無駄だろう。彼等にはダリアが決して私を傷つけることなんてないところを見せればいい。

そう思いながら私は、渋々ながら二人を連れて汽車の中を進み……ほどなくしてそこに辿り着いたのだった。

 

「……ダフネ。……いえ、そうですね。貴女が一緒なのですから……とても楽しみです」

 

「うん! いっぱい楽しもうね! 私は今からダリアのドレスが楽しみだよ!」

 

彼女達の声を、友達である私が聞き逃すはずがない。私は微かに漏れ聞こえてきた声に表情を綻ばせると、その声の発生源に向かって足を進める。そしてそこに特徴的な白銀の髪と友達の柔らかな金髪の髪を認めると、私は勢いのままコンパートメントの扉を開いた。

 

「ダフネ! ……それにダリアも! 良かった、貴女達も大丈夫そうで!」

 

久方ぶり……とは言えないけど、試合後初となる再会。『死喰い人』やら『闇の印』のせいで、何だかあの日がとても昔のことのように感じられる。ダフネとは何度か手紙をやり取りはしたが、顔を合わせること自体は全くなかった。私は彼女達と再会できた喜びを一杯に、親友達に声をかけたのだ。

しかし、

 

「……あぁ、グレンジャーさん。試合後以来ですね。その様子ですと怪我は無さそうですね……。でも……私が無事?」

 

「こら、ダリア! 前向きに考えるって言ったばかりでしょう!? あぁ、気にしないで、ハーマイオニー! ちょっとダリアは今年のクリスマスでナイーブになっているだけだから」

 

いつも元気いっぱいなダフネはともかく、ダリアの方はあまり元気のない様子だった。……この際ダリアは勿論、ダフネでさえ後ろのハリー達二人を自然に無視していることは置いておこう。ハリー達が不快気に眉を顰めているのを背中で感じながら、私はダフネに尋ねる。

 

「えっと、クリスマスって何のことかしら? 今年のクリスマスに何かあるの?」

 

最初は彼女の父親のことで悩んでいるのかと思ったけど、どうもそういうわけではないらしい。

私の質問に答えたのは、今まで成り行きを見守っていたドラコだった。……完全に私の疑問を晴らす答えではなかったけど。彼は、

 

『え? 知らないの?』

 

と言わんばかりの表情を浮かべているダフネ達の代わりに声を上げる。

 

「グレンジャー、お前……。まさか知らないのか? 今年のクリスマスは全員参加のダンスパーティーだ。……今年は()()があるからな」

 

彼の教えてくれようとしてくれているのか、私をただ揶揄いたいのかよく分からない返答。私にはドラコが何が言いたのかさっぱり理解出来ない。

そして理解出来なかったのはどうやら私だけではなかったらしく、私の後ろで怒りを募らせていたロンが喧嘩腰に尋ねた。

 

「おい、ドラコ。何が言いたいんだ? 言いたいことがあるならハッキリ言え! 試合の時みたいに、ハーマイオニーをただ馬鹿にしたいだけなら承知しないぞ!」

 

あぁ、いつもの喧嘩が始まった……と思った時には時すでに遅く、ドラコも先程までなかった蔑みを感じさせる表情を浮かべながらロンに応じた。

 

「おや? その様子だとウィーズリー、君も知らないのか? 君の父親は魔法省の役人だろうに。しかし、まあ、それも仕方がないことかもしれないな。僕達の父上はいつも魔法省の高官と付き合っているが、君の父親はただの下っ端役人だ。……今回のクィディッチ・ワールドカップでのことで、更に降格されるんじゃないか? なんせ意気揚々と『死喰い人』に突っかかった割には何の成果も得られなかったらしいしな。マグル三匹を助けたくらいか? そんなことは何の成果にもなりはしない。そんな無能だから、君の父親には誰も重要事項を話さないんだ」

 

今度こそ明らかにこちらを馬鹿にしたような声音。見ればロンは勿論、ハリーでさえその表情を怒りに歪めて、放っておけばドラコに飛び掛かりそうな様子だった。私はここに二人を連れて来ればダリアとダフネはいざ知らず、ドラコとはこのような化学反応を起こすことは自明だったと悔やみながら即座に声を上げた。

 

「ロン、ハリー! 落ち着きなさい! それにドラコ、そうやってすぐに喧嘩を売るのは貴方の悪い癖よ!」

 

「……なんで僕がお前にそんなことを言われないといけないんだ? 僕は事実を言った、」

 

「とにかく! ダリアとダフネが無事でよかったわ! 今年何があるにせよ、もうすぐ分かることなんだから私達はもう戻るわ! ではダフネ、ダリア、また後でね!」

 

私としてはもう少しここにいたかったし、ダリアが何故あんな風にクリスマスについて悩んでいるのか友達として知りたかったけど……これ以上ここに居れば更にダリアとダフネを困らせてしまうことになる。そう思った私は少しだけ名残惜しい感情を感じながらも、今にも杖を抜き放ちそうな勢いの二人を引っ張り、元居たコンパートメントに足を進めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

途中私とダフネやお兄様との交流を妨げる余計な()()があったことすれ、汽車の運行自体は実に順調極まりないものだった。天気が打って変わり豪雨になろうが、汽車の進行の邪魔になることは決してない。日が完全に地平線の向こうに消えた時間。いよいよホグワーツ特急が速度を落とし、駅に到着した時間を見れば定刻通りのものだ。

そして汽車を降り、去年同様見えない馬に引かれた馬車に乗り込むと、私達は一路ホグワーツ城に向かって進む。その道すがらには、去年の様に『吸魂鬼』がいることもない。未だにシリウス・ブラックが捕まったわけではないが、一年以上アズカバンの牢番をここに置いておくわけにはいかないと判断されたのだろう。お蔭で私のつたない『守護霊の呪文』を披露する必要もなさそうだ。

羽の生えた彫像が両脇に並ぶ校門を通り過ぎ、馬車は数メートル先すら窺えない土砂降りの中を悠々と進んでいく。そして正面玄関の前で止まった馬車から降りた生徒達は、ずぶ濡れになりながらも巨大な樫の扉を潜り城の中に入っていくのだった。

しかしこんな所で濡れてしまえば、お兄様とダフネが風邪をひいてしまう。私がそんなことを許すはずもなく、

 

「お兄様、ダフネ。少しお待ちください。『インパービアス、防水せよ』。はい、これで大丈夫です」

 

「ありがとう、ダリア!」

 

生徒達の中で唯一魔法を使いながら、びしょ濡れになる生徒達を尻目に悠々と玄関に向かって足を進めた。……周りの生徒がどこか恨みがましい視線を送ってくるが、そもそも何故魔法学校の生徒がまず魔法を使うという発想に至らないのだろうか。

私は後ろの馬車に乗っていたクラッブとゴイルがびしょ濡れになりながら玄関にたどり着くのを確認すると、今度は彼らの服を乾かす呪文を唱えてから大広間に向かって歩き始める。

大広間は例年のように、この後の祝宴に備えて見事な飾りつけが施されている。テーブルに置かれた皿は全て金色に輝いており、宙には何百という蝋燭が浮かび上がり、テーブル上の皿を煌々と照らしている。私達はそのテーブルの中でも一番端……スリザリン寮のテーブルの更に端っこに腰掛けた。それは勿論びしょ濡れになっている生徒達に湿気を移されたくないという思いもあるが、

 

「マ、マルフォイ様。こ、今年もよろしくお願いいたします……」

 

「……えぇ、今年も()()()をよろしくお願いいたします」

 

他者となるべくなら関わりたくないという思いからでもあった。相変わらずスリザリン生からは恐怖と敬意に溢れた挨拶を、他寮からも同じく恐怖と警戒の視線を送られる。居心地のいい空間であるはずがない。こちらを顔を赤らめながら見ている人間も何人かいるが、あれはあれで危険なのは間違いない。結局私は誰とも仲良くするべきではないのだから。

そんな中、他者の中で唯一の例外であるダフネが話しかけてくる。

 

「そう言えば、今年の『闇の魔術に対する防衛術』の先生は誰なんだろうね? まだ姿が見えないみたいだけど……」

 

大広間という人の多い空間に入ったことで、私の無表情に僅かに影がさしたことにダフネは気が付いたのだろう。私は少しだけ明るい気持ちに戻りつつ、教員席の方に顔を向けながら答えた。

見れば確かに一年生の引率をしていると思しきマクゴナガル先生や森番の席を除けば、空席であるのは一つだけだ。その他の席は全て今まで見たことのある教員で埋まっている。まだ来ていない教員が教える科目が『闇の魔術に対する防衛術』であることは間違いなかった。

 

「さぁ、どうでしょうね。あるいは今年はまだ誰も教員になれそうな人間を見つけられてないのかもしれませんね。……もっとも、去年の例外を除けば、あの老害は無理やりにでも席を埋める様子ですが。少なくともロックハート先生より酷いことはないと思います」

 

「そ、それもそうだね……あれは本当に酷かったものね」

 

どこかしみじみと二人で話している間にも、大広間には次々と生徒がなだれ込んでくる。最初は私達の周りに誰も腰掛けようとはせず、まず教員席に近い前の方から皆座っていたが、

 

「あら、ドラコ! またこんな端っこにいたのね! それにダリアとダフネも、お久しぶりね」

 

パーキンソン達聖28一族組が私達の傍に座ることで、チラホラと私達の周りにも生徒が座り始める。

そしていよいよ全員が集まったというタイミングで、

 

「可哀想に……タオルくらい貸してあげることは考えなかったのでしょうか」

 

上級生同様、完全に濡れネズミの状態の一年生たちが、マクゴナガル先生に率いられて大広間に入ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

組分けは滞りなく進み、

 

「スリザリン!」

 

最後の一年生がスリザリンに選ばれることで、今年の一年生全てが何れかの寮に所属し終えたのだった。

今しがたスリザリン寮に選ばれた一年生が、満面の笑みを浮かべながらスリザリン寮に歩いていく。彼は果たしてスリザリン寮が多くの闇の魔法使いを輩出してきたという事実を知っているのだろうか。スリザリン以外の生徒はおざなりの拍手を打ち、フレッドとジョージに至っては嘲るように舌を鳴らしている。

そんな微妙な空気感の中組分けが終わった瞬間、いよいよ待ちに待ったダンブルドアの宣言が始まり、

 

「ワシが皆に言う言葉は二つだけじゃ。……思いっきり、掻っ込め!」

 

一瞬にして終わった。

今まで空っぽだった金色の皿に食べ物が満たされる。皆ずぶ濡れの上、空腹感で頭がおかしくなりそうだったのだ。冷えつつある体を温めるためにも、皆目の前の料理に齧り付くように手を伸ばす。

そして先程の組み分けのことなど忘れ、更に、

 

「ほら、デニス! あそこにいる人が誰だかわかる!? あの黒い髪で眼鏡をかけた人! あの人こそが、僕の話していたハリー・ポッターだよ!」

 

「うわー!」

 

同じグリフィンドール席に座るコリンが、今年同じくグリフィンドールに組み分けされた弟に僕を紹介しているのを極力無視している時、

 

「皆さんお楽しみですね。……本当に羨ましいことです。温かい食事が食べられるというのは、生きている皆さんの特権ですね。ですが今晩はご馳走が出たことだけでも幸運だったのですよ」

 

グリフィンドール寮のゴースト、『ほとんど首なしニック』がどこか恨めし気な様子で話しかけてきたのだった。

マッシュポテトを口いっぱいに溜め込んだロンが聞き返す。

 

「ん? ニック、何かあったの?」

 

「いえ、実はピーブズがこの祝宴に参加したいと駄々をこねましてね。ですが当然彼をここに入れるわけにはいかない。ここを滅茶苦茶にするのが落ちですからね。ですがそれに怒ったピーブズが厨房で大暴れし始めたのですよ。お蔭で『屋敷しもべ妖精』がすっかり怯えてしまって、」

 

「な、なんですって! こ、ここにも『屋敷しもべ妖精』がいるの!?」

 

ピーブズがはた迷惑な存在であることに変わりはないが、彼の話ですら、僕にとってはこの愛すべきホグワーツに帰ってきたと思える何気ない日常話。僕はそんな楽しい話をどこか夢見心地で聞いていたわけだが、突然隣から発せられた大声に思わず視線を向けた。

見ればまるで恐怖に打ちのめされたような表情を浮かべたハーマイオニーが、今まさに手元にあったステーキ肉を切り分けようとした姿勢のまま固まっている。そしてその表情のまま、僕同様訝し気に彼女を見つめているニックに尋ねた。

 

「ほ、本当にここにしもべ妖精がいるの? 私は今まで一人も見たことがないわ!」

 

「さよう。それがいいしもべ妖精であることの証ですよ。それに日中は大体厨房にいますからね。ですが何にそこまで驚いているのかは知りませんが、ここにはイギリス中のどの屋敷よりも大勢のしもべ妖精がいますよ」

 

まるで今日の天気でも話すような軽い調子で答えるニック。しかしハーマイオニーは彼の答えに納得していない様子で、更に表情を青くしながら続けた。

 

「でも、お給料は貰っているわよね? それに勿論お休みも。彼らにだって労働者の権利が、」

 

しかしそんな彼女の言葉に、今度はニックの方が驚いたように話した。

 

「給料に休み!? そんなもの、屋敷しもべ妖精は望んでもいません! それはしもべ妖精に対しての侮辱ととられますぞ!」

 

そしてそう言ったきりニックはどこかに飛び去ってしまい、釈然としていない様子のハーマイオニーだけがこの場に残された。彼女はナイフとフォークを置き、皿を遠くに押しやり始める。

彼女が何のためにそんな行動をとっているかは火を見るより明らかだった。

僕はなるべくハーマイオニーを刺激しないように話しかける。

 

「ハ、ハーマイオニー。君が未だにウィンキーのことで怒っているのは分るし、僕もあのクラウチさんの態度はどうかと思っているよ。でも、たとえ君が絶食したって、ここにいるしもべ妖精に給料や休みが与えられるわけじゃないんだ。それにここはダンブルドアの、」

 

「奴隷労働」

 

しかし僕の気遣いは虚しく、ハーマイオニーの一言によって断ち切られたのだった。

 

「信じられないわ! この城は真面だと……ダンブルドアは大丈夫だと思っていたのに! でも、ここも駄目だったのよ! このご馳走も奴隷労働の賜物なのだわ! やっぱりドビーだけが……()()()()()()()でしかなかったのよ!」

 

ハーマイオニーがダリア・マルフォイにどんな幻想を抱いているかは窺い知れないが、いつもの如く奴を絶対視するあまり、その行動から少しでも外れたことに過剰反応してしまっているのだろう。何故ドビーが彼女の言う『奴隷労働』させられていなかったということになるのだろうか。

そしてそのまま彼女が宣言通りに食事を止め、いよいよデザートすらテーブルから消えた時、

 

「さて! 皆もよく食べ、よく飲んだことじゃろう!」

 

彼女の事情など知るはずもないダンブルドアが、意気揚々と言った様子で声を上げた。

ハーマイオニー以外の皆は腹が満たされ、そろそろ服も乾き始めたこともあり幸せそうな表情でダンブルドアを見上げている。かくいう僕も世界で一番尊敬する先生が話す言葉を、少し夢見心地で聞いていた。そう、

 

「しかし皆には最初に残念な知らせをせねばならん。今年の寮対抗クィディッチ試合は取りやめじゃ」

 

この時までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

いよいよ来たな。

そう思う私の視線の先で、老害はグリフィンドールから上がる、

 

「な、なんで!?」

 

「そ、それじゃあ去年の雪辱を晴らせないじゃないか!?」

 

悲痛な叫びを無視しながら続ける。

 

「ワシも非常に残念に思うておる。この件に関してはマクゴナガル先生も残念そうじゃったが、これは十月より始まるイベントのためなのじゃよ。しかもこのイベントは今年度の終わりまで続く。そのため先生方はほとんどのエネルギーをこのイベントにつぎ込み、クィディッチに力を回す余裕などありはせんのじゃ。しかし、その代わり皆がこのイベントをクィディッチ以上に楽しんでくれるものとワシは確信しておる。何を隠そうこのイベントは……『三大魔法学校対抗試合(トライウイザード・トーナメント)』なのじゃから!」

 

ダンブルドアの宣言に、一気に大広間が騒然としたものに変わった。口が堅いようで軽いお父様に予め教えてもらっていた私達はいざ知らず、今までこのイベントが行われることを知らなかった生徒達も、『三大魔法学校対抗試合(トライウイザード・トーナメント)』自体は知っている様子だ。知らないのはマグル出身の子供達ばかりだ。

そんな彼らにも分かりやすいように、老害は丁寧に試合のことを説明していく。

曰くこの試合はおよそ7百年前に、ヨーロッパの三大魔法学校……ホグワーツ、ダームストラング、ボーバトンの親善を目的に行われ始めたこと。各校で一人ずつ代表選手を出し、三人が三つの魔法競技を争うこと。5年ごとに三校が持ち回りで主催していたが、夥しい死者が出たため何世紀も中止されていたこと。そして今年やっと、魔法省の全面協力もあり再び執り行われることになったことを。

老害の説明が進むにつれ、大広間は更に騒然としたものに変わっていく。皆が皆クィディッチのことなど忘れた様子で、自分こそがホグワーツ代表になるのだと息巻いている。それは、

 

「しかしこのイベントは先程も言った通り、とてつもなく危険を伴うものじゃ。勿論参加三校の校長、並びに魔法省も十分な安全対策を施すつもりじゃが、それも絶対というわけではない。じゃから今年の選手には年齢制限を設けさせていただこうと思う。今年は17歳以上の生徒のみが、自らを代表選手候補と名乗ることが許されるのじゃ。言うておくが、年齢対策にはワシ自ら目を光らせる上、公明正大な選考の審査員を出し抜くことは()()()()魔法使いには出来ん。無駄な努力はせんことじゃ」

 

「そりゃあないぜ!」

 

「いや、知ったことか! 俺はそれでも出るぞ!」

 

今年から設けられた年齢制限の話がされようとも変わらない。老害があからさまに目を向けるウィーズリー悪戯兄弟に至っては、制限されたことで寧ろ燃え上がっている様子だ。

皆が皆本当に楽しそうにこのイベントについて話し合っている。

しかし当然このイベントに参加資格もなければ、そもそも参加できたとしても最初からする気がなく、ただ徒にクリスマスを潰されただけの私が楽しみに思えるはずがない。私はこんなイベントより、寧ろ未だに姿を現さない『闇の魔術に対する防衛術』の教師の方が気がかりだった。周りの興奮を他所に、私はただ教員用に設けられている大広間脇の扉を見つめ続ける。去年程素晴らしい先生ではないかもしれないが、少なくともロックハート先生よりは使える教師の来訪を心待ちにしながら。

そして、

 

「ボーバトンとダームストラングの生徒はこの十月に来校する予定じゃ。そしてハロウィーンの日に学校代表選手3人が選考され……おお来たか! 待っておったよ、アラスター!」

 

遂に()()()が姿を現したのだった。

耳を劈くような雷鳴と共に扉が開いたかと思うと、そこから馬の鬣の様な長い暗灰色の髪をした男が入ってくる。彼はどこもかしこも傷だらけで、口はまるで切り裂かれた傷のように斜めに歪んでおり、鼻も誰かに削ぎ落されたかのようだった。あまりに平穏とはかけ離れた容姿の男の登場に、あれ程興奮した様子だった生徒達も今は押し黙って彼を見つめている。

しかし生徒達が食い入るように見つめている理由は傷以外にもあった。それは彼の片方の目が……まるでコインのように大きく、そしてもう一方の目とは無関係にグルグルと動き続けているためだ。明らかに普通の目ではない。

一度見たら夢にまで出てきそうな容姿だ。事実この中の私も含めた数人には見覚えのある人物だった。大広間の中に、誰かがポツリと漏らした声が木霊する。

 

「マ、マッド-アイ・ムーディ……」

 

そう何を隠そう今目の前にいる人物は、かつて闇祓いとして多くの犯罪者をアズカバンに送り……今では今朝の朝刊にも載る程被害妄想を垂れ流すトラブルメイカーだった。

かくいう私も彼とは実際に会ったことはないが、その存在だけは知っていた。勿論マルフォイ家である私には、到底好意を持てる人物とは思えなかったが。今でもお父様の犯罪の証拠を掴もうとしている人物を、私がどうして好意的に思うことが出来ようか。

 

「……実戦経験は間違いなく豊富ですし、実力も間違いないお方でしょう。ですが……厄介な人物を連れてきましたね、あの老害は」

 

これはたとえ実力は十分でも、素直に『闇の魔術に対する防衛術』を楽しむことは出来ないなと警戒する私の前を、マッド-アイことアラスター・ムーディが進む。

 

「では『闇の魔術に対する防衛術』の新しい先生を紹介しよう。ムーディ先生じゃ。彼はちと今朝方野暮用があったため遅刻したが、こうして無事にたどり着けてよかった」

 

そして老害の紹介の後、あまりに迫力のある容姿に気圧されて拍手を忘れる生徒を置き去りに、彼は身を投げ出すように席に着いたのだった。

隣にいたお兄様が心配そうに私に声をかけてくる。

 

「……去年は()()()()()真面だったから、もしかしたら今年も大丈夫なのかと思っていたが……まさかあんな『闇祓い』くずれが来るとはな。ダリア、大丈夫か?」

 

私には秘密がある以上、たとえ教師にだって警戒を怠るわけにはいかない。それはお父様を未だにつけ狙っている人物には尚更だ。少しでも敵に弱みなど見せるわけにはいかない。だから正直大丈夫か大丈夫でないかと聞かれれば、それは大丈夫ではないと答えるしかないわけだが、

 

「……大丈夫です。私がいつも以上に気を付ければ済むことですから。実力自体は十分にある方なのです。生徒と教師の関係であれば、それで問題ないはずです」

 

これ以上お兄様を心配させないためにも、私は気丈に振舞うしかなかった。

思わぬ経歴を持つ人物の登場に、私は僅かに困惑しながらマッド-アイを見つめ続ける。随分幸先の悪い年だと思っていたが、ここでもこんな伏兵が現れることになるとは。

そんな思いで見つめていると……ふと、彼の魔法の目と普通の目、その両方と目が合った気がした。

一瞬のみの視線の交錯。彼も一瞬だけ私を見やっただけで、特に何か反応を示したわけではない。すぐに目の前にあるソーセージの皿に視線を移している。

 

 

 

 

しかしそんな中で私は何故か……この人とはマルフォイ家だとか『闇祓い』とかお互いの立場は関係なく、おそらく一生分かり合えないし、仲良くもなれないだろうと思っていた。

 




次回みんな大好き『白イタチ事件』


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優しき少女の殺意(前編)

 

ダリア視点

 

『闇祓い』とは魔法省における治安部隊のような役職だ。

その任務内容は多岐にわたり、闇の魔法使いを捕まえたり、また彼等から要人、はたまた一般人を守ることが彼等には求められる。いずれにしろ並みの実力ではすぐに命を落とす過酷な職場だ。人気がある職業とはいえ、その職に就ける程の実力を有する魔法使いはそう多くない。

だがそんな中でも、ルーピン先生なら恐らくそんな厳しい職務でも全うすることが出来る。そう私は確信していた。

自己評価が低い先生ではあったが、その実この学校でも有数の実力を備えている人物だっただろう。あんなにいい先生が、狼人間であるというだけでこのまま世間に低く評価されたままでいいはずがない。対処可能な狼人間と、私のような怪物は違う。あれ程お世話になった私が、先生の不幸を見過ごしていいはずがないのだ。

……しかし正直な話、私が『闇祓い』という職業がそこまで好きかといえば、そこまで好きではなかった。無論彼らの職務が必要なことは百も承知だ。彼らは彼等で優秀であり、魔法省の職務にただ()()()()()に従事しているだけ。だがその職務の中にお父様を捕まえるというものが入っていることで……私にはどうにも彼らを認めることが出来ないのだ。寧ろルーピン先生のことを考えるまでは、彼らをどこか見下してすらいたと思う。

そしてその認識は今でも変わらない。ルーピン先生の最も輝ける仕事は何かと考えた結果、先生は『闇の魔術に対する防衛術』の教師であったことから『闇祓い』を勧めただけ。『闇祓い』の中でもルーピン先生が特別なだけだ。

そう、私はたとえルーピン先生に勧めようとも、『闇祓い』のことがそこまで好きなわけではない。とりわけ……

 

「本当に厄介な人物を城に招き入れましたね、あの老害は……。私への牽制のつもりでしょうか? ……いえ、それは流石に考えすぎですね。私まで被害妄想に取りつかれてどうするというのですか」

 

昨日この学校に赴任した、アラスター・ムーディという人物は。

彼はおそらく『闇祓い』の中で最も有名な人物と言えるだろう。かつての闇の帝王との戦いにおいて、片目、片足、鼻の一部を失いながらも多くの闇の魔法使いを捕まえた。闇の帝王を倒したポッター、そして帝王すら恐れたダンブルドアを除けば、彼こそが闇の勢力との戦いの最大の功労者なのだ。そしてそれは彼が闇祓いを引退してからも変わらない。彼は()()()()ことに引退後も闇の魔法使いを付け狙うことを止めなかった。戦争時代に植え付けられた被害妄想に苦しみながらも、決して戦うことを止めなかったのだ。彼は職務だからという理由ではなく、ただ()()()()()()からお父様と敵対し続けた。

 

つまり彼、アラスター・ムーディはお父様の、マルフォイ家の……私の敵で間違いなかった。

 

彼と顔を合わせたことがあったわけでも、ましてや言葉を交わしたわけでもない。しかし彼の経歴を見れば、彼が私の敵であることは疑いようのない事実だった。

今年のことを考えると不安で仕方がない。去年との落差があまりにも激しすぎるのだ。しかもそれが実力面での落差であればそれなりに我慢できた。こう言っては何だが、ロックハートという最底辺を知ってしまっていることからある程度の耐性は出来ている。だが去年の様にそれなりに胸襟を開いて話ができる人物がいたというのは、やはりどこか私の精神を弱くしていたのだろう。ルーピン先生にだって決して警戒感を捨てきってはいなかったというのに、いつも以上に……それこそダンブルドア以上に警戒しなければならない相手の登場に不安感を禁じ得ない。

でも、それでも、

 

「……大丈夫。私はいつも通りに行動すればいい。今までだって、それこそスネイプ先生にだって出来たんです。たとえ『闇祓い』が教師になろうと、何も変わりはしない」

 

私はやり遂げるしかないのだ。

ホグワーツ初日の朝。スリザリン寮は湖の底にあるが、水底からでも外の天気が晴れやかなことが分かる。私は晴れやかな天気とは裏腹に、どこか憂鬱な気分を抱えながらベッドから身を起こした。

そしてまだ横で寝息を立てるダフネの顔を見て、私は僅かに笑顔を取り戻してから自身に言い聞かせる。

私は何をここまで恐れているのだろうか。私の秘密を守るため、適切な距離を保てばいいだけだ。つまりいつも通り。大丈夫だ。たとえ『闇祓い』とはいえ、ただ教師に赴任しただけに過ぎない。ダンブルドアだって、私を疑いはすれ一昨年以外は積極的に私に介入してくるようなことは無かった。多少疑いの目を向けられようとも、それらをすべて無視していればいい。寧ろ奴の実力だけは本物なのだ。相手が教師である以上、私にだって魔法を教える義務がある。ならば奴の力を吸収し、より将来マルフォイ家の力になれるように頑張らねば。

そう自分を奮い立たせた私は、

 

「ほら、ダフネ。起きてください」

 

「……も、もう朝?」

 

幸せそうな寝顔を断腸の思いで起こしたのだった。

 

 

 

 

……奴がそんな甘い相手でないことに気付いたのは、この日の午後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

『三大魔法学校対抗試合』の発表に、今までとは一線を画す容姿の新任教師。

いずれも一夜では到底忘れられないようなセンセーショナルな出来事だった。それは一夜明けた大広間の様子からでも窺い知ることが出来る。皆未だに興奮した様子で三校対抗試合や教師について話しており、

 

「年齢対策はダンブルドア自身がやるって言ってたし、それに審査員もつくって言ってたな。一体どんな対策をするつもりなんだろうな」

 

「知ったことか! 要するにダンブルドアの魔法を掻い潜ればいいんだ! こんなチャンスはまたとないんだ! 絶対に代表選手の座を手に入れてみせる!」

 

「しかしあの新任教師! まさかマッド-アイとはな。相当狂ってるって話だが、どんな授業をするんだろうな」

 

朝食の席のあちらこちらから大声が響き渡っていた。フレッドとジョージに至っては既にグリフィンドール寮の席の端っこで、『老け薬』なる怪しい薬について話し合っている。

しかしそんな中で一人だけ様子が違う人物がいた。僕やロンすら皆と同じくいかに試合に参加するか、優勝すればどれ程素晴らしいかという話で盛り上がっている中、()()だけはただ黙々と朝食を食べていたのだ。まるで三校対抗試合やマッド-アイなど眼中にないと言わんばかりの態度。

……どうやら奴隷労働に対する断食ストライキは止めにしたらしい。ロンが今まさにバターの塗りたくられたトーストを食べる()()()()()()()に話しかける。

 

「おや、ハーマイオニー。もう抗議するのは止めたのかい? そりゃ腹も減ったしな。無駄なことは止めた方がいいよ」

 

あのまま食事を拒否して餓死するのではと心配していたこともあるが、あんなに頑なだったのに一夜で態度を変えた彼女を少し揶揄っているのだろう。ロンの言葉の端々に安堵と揶揄が含まれている気がする。しかしそんなロンの言葉に頓着することなく、ハーマイオニーは毅然とした態度で言い放った。

 

「お腹が減ったから食べているのではないわ。私、しもべ妖精の権利を主張するのにもっといい方法を思いついたのよ」

 

そしてそう言った切り、やはり彼女は周りの話題に最後まで参加することなく食事を摂り終えると、

 

「さて、では私は先に行くわ。確か午前の授業は『魔法生物飼育学』だったわね。準備しなくちゃ。……それに、授業終わりにダリアとダフネに()()()()()()()があるの。それだけをまず伝えておかなくちゃいけないわ」

 

そんなとんでもないことを言い始めたのだった。しかも僕らが何か言う前に、さっさとスリザリン席を目指して歩き出してしまう。

入学時から行動力がある且つ、一度集中すれば周りのことなど視界に入らなくなる女の子だと思っていたけど、今日は特に周りの様子が目に入っていないらしい。一体何をダリア・マルフォイなんかに相談するのか知らないが、本当に彼女のあの信頼感は一体どこからくるのだろうか……。

僕とロンはスリザリン席に果敢に挑み、

 

「なんであんたみたいな『穢れた血』がスリザリンの席に来てるのよ! どこかに行きなさいよ!」

 

「貴女に用なんてないわよ、パーキンソン!」

 

案の定パンジー・パーキンソン達から追い返されているハーマイオニーを見やりながら呟く。

 

「……今年も気が抜けそうにないね」

 

「……うん、そうだね。僕等がしっかりしないと。まったく、ハーマイオニーの奴も懲りないな」

 

僕らの心配をよそに、ハーマイオニーはただ二三言ダリア・マルフォイ達と交わしただけで大広間を去っていく。しかも追い返されたというのに、どこか晴れやかな表情のおまけつきで。僕とロンは優秀だけどどこか能天気な様子のハーマイオニーに小さなため息を吐いたのだった。

 

 

 

こうしてホグワーツ初日の朝が始まった。

そう、たった一日だというのに、どこまでもイベント盛りだくさんの一日が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダフネ視点

 

ホグワーツ4年目にして最初の授業。ホグワーツに入学してから数年間、振り返れば色々な出来事があったと思う。ダリアとの友情に、ハーマイオニーとの和解。本当に色々あった。でもそんな色々なことがあった中でも、ホグワーツに来たこと自体を後悔したことはそこまで多くないだろう。特にここの授業については本当に素晴らしいものが多いと思う。『闇の魔術に対する防衛術』は例外的に去年以外はゴミだったけど、その他の課目はとても素晴らしいものだった。

そう、私はホグワーツの授業で後悔した事はほとんどない。そのはずだった……なのに、

 

「……ねぇ、ドラコ。私、今初めてこの学校に入学したことを後悔しているよ」

 

「……ほう、奇遇だな。僕もだ」

 

私とドラコは、今猛烈な後悔を感じていた。

ハーマイオニーからのお願いを聞いた後私はダリアと別れ、ドラコと共に『魔法生物飼育学』の授業に来たわけだが……記念すべき4年目初の授業で扱われる生き物がとんでもない物だったのだ。

今私達生徒の目の前には、無数の化け物が蠢いている。殻から剥かれた奇形のイセエビの様な姿。青白いヌメヌメした胴体からは勝手気ままに足が生えており、時折尻尾らしきものからは火花が飛び散っている。どう考えても真面な生き物であるはずがない。

そんな化け物の威容に絶句している生徒達を他所に、今年も引き続き教師を務めている森番が嬉しそうな大声を上げた。

 

「どうだ! 素晴らしかろう!? これは今孵ったばかりの『尻尾爆発スクリュート』だ! まだまだ生まれたばかりの生き物だからな! まだ分からんことも多い! 今年の授業は、こいつをお前さんらが自分達で育てるものにしようと思うちょる!」

 

今日どころか、今年一年の授業が絶望的なものになった瞬間だった。流石にこれには如何に森番を擁護しているグリフィンドール生も絶句している。しかも、

 

「……お言葉ですけどね、それに何の意味があるっていうんですかね?」

 

ドラコがいつものように森番を揶揄しても、ポッターをはじめとしたグリフィンドール勢が何も言わないことから事態はかなり深刻だ。

そんな中森番は一瞬だけ黙った後、ぶっきらぼうにドラコに応える。

 

「……マルフォイ。そいつは次の授業だ。今日は皆で餌をやるだけだ。さぁ、皆色々試してくれ。今の所、これを孵した俺にもこいつらが何を食べるか分からん。色々用意したから、全部ち~っとずつ試してみろ」

 

こうして、今年一年ずっと続く絶望的な時間が始まった。

 

 

 

 

そして短いようで、体感的には絶望的に長かった午前が終わった頃には、私達は全員憔悴しきった顔に変わっていた。

結局色々試してみたが、私達に分かったことはあの『尻尾爆発スクリュート』に針を持つ個体がいること、そして針を持っていない個体にも血を吸うための吸盤があるということだけだった。意外と変わったものが好き且つ、ああいう見るからに危険な生き物が好きなダリアあたりは気に入るような気もするが、実際に血を吸われる私達が好きになれるはずがない。何しろ彼らが一番好んだ餌は私達の指なのだから。

全員が暗い表情を浮かべ押し黙る中、ドラコがどこか絶望に満ちた声音を上げる。

 

「……いよいよ何故僕らがあんなものを育てないといけないのか分からなくなってきたよ。火傷させて、刺して、噛みつく。あの見た目だ。ペットにもなりはしない。……ダリアは何と言うか分からないがな。とりあえず、僕らの怪我は早く治しておこう」

 

もはや答える元気もない。いつの間にか私の隣に移動していたハーマイオニーも、

 

「……今すぐ殺すべきだわ。大きくなって私達を襲いだす前に」

 

そんなことをポツリと呟いていたのだった。森番を唯一擁護出来るだろう彼女がそう言うのだからもはやどうしようもない。

……しかしハーマイオニーの話はそれで終わりではなかった。こそこそと私に近づいてきた段階で分かっていたことであるが、彼女は私に用があるのだろう。もはや森番の授業などどうでもいいと言わんばかりに私に話しかけてくる。

 

「ダフネ、朝食の時のお願いを覚えてる?」

 

彼女が口にしたのは今朝の出来事のことだった。私はまめな性格の友人に苦笑しつつ応える。

 

「うん、覚えてるよ。何か相談事があるんでしょう? あの時はパンジー達に邪魔されたから待ち合わせの話しか出来なかったけど、昼食が終わり次第大広間横の倉庫に行けばいいんだよね?」

 

「そうね、ダリアと一緒に。お願いね」

 

周りの邪魔が入らないようにするためなのか、彼女の声は極々小さな声だった。そうでなければ朝の様にスリザリン生や、

 

「……ねぇ、ハーマイオニー。またグリーングラスなんかと何の話をしてるんだい?」

 

「またそうやって……。ハーマイオニー、朝もそうだったじゃないか。君はどうしていつも、」

 

彼女のお節介な友人達に邪魔されると思ったのだろう。その判断は間違っていなかった。私がハーマイオニーを襲うとでも思っている様子のポッター達が、私と彼女が話しているのを見つけてすかさず邪魔してくる。しかし確認だけが目的であった彼女は、ポッターに続いて何か言いかけたウィーズリーを遮って、

 

「何でもないわ! じゃあダフネ、そういうことでお願いね! 私は先に行くわね! ほら、ハリー、ロン。早く昼食を摂りに行きましょう! 私、もうお腹がペコペコなの!」

 

サッサと城に歩き始めてしまったのだった。

ハーマイオニーが去り、彼女に続くようにポッター達が去った後、未だに授業の疲労感でいっぱいいっぱいの様子のドラコが呟く。

 

「……()()()があいつのどこを気に入っているかは知らないが、本当にご苦労なことだ。朝もそうだが、何もお前達のことを邪魔するのは別にスリザリンの人間だけではない。それこそグリフィンドールは野蛮な連中だからな」

 

そして数秒沈黙した後、やはりどこか絞り出すように小さな声で呟いたのだった。

 

「……今日の昼だけは、僕が()()()()しといてやる。だがいつも僕が何かできるわけではないからな。あいつにも、そのことをちゃんと伝えておけ。もうちょっと上手くやれってな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

昼食を摂り終えた私は一人大広間横の倉庫の扉を開ける。中には二人の人物。ダリアとダフネが既に適当な椅子に腰かけ、どこか寛いだ様子で談笑していた。

私は自分が彼女達を誘ったというのに、自身が遅れてしまったのだ。

私は慌てて扉を閉めながら話しかける。

 

「ごめんなさい! ちょっと二人を引き離すのに手間取ってしまって! ドラコ達が二人に話しかけてきたから何とかなったけど……今は関係ないわね。ごめんなさい、待たせてしまったわ!」

 

しかし私の言葉に特に気にした様子もなく、相変わらず表情の読めないダリアの横にいたダフネが明るい口調で答えた。

 

「いや、いいよ。私達もさっき来たところだから。そうだよね、ダリア」

 

「……えぇ。ダフネの言う通り、私達も今来たところです。ただ何故私が貴女の相談に、」

 

「ほら、ダリアもこう言ってるから大丈夫! でも、確かに今回は()()()()()()()()()()()()みたいだから良かったけど、次からは何か連絡手段を考えた方がいいかもしれないね。フクロウ便とかどうかな? あ、でもこの中で個人のフクロウを飼っている人はいないね……」

 

ダフネの優しい気遣いに、私は少しだけ涙が出そうになりながら答える。

 

「ええ、確かにそうね。次からは少し方法を考えるわ。……ありがとう、ダフネ。……ダリアも」

 

確かにいつもそうだけど、ハリー達はダリア達……特にドラコが一緒にいる時には必ず喧嘩を引き起こしている。ドラコはともかく、出来ればハリー達にもダリアやダフネと仲良くしてほしいけど……今は時期尚早なのかもしれない。ダリア達の気分を害さないためにも、しばらくはハリー達の前で彼女達と予定を作るのは止めておこう。

そしてそう私が決意していると、今度はダリアが声を上げた。

 

「……それで、そろそろ何故ダフネだけではなく、私までここに呼ばれたのか教えて頂いてもよろしいですか? 私としてははやくお兄様の所に行きたいのですが……」

 

ダリアの表情同様無表情の声音に、ハリー達がいなくとも私がこうしてグズグズしていれば結果は同じだと覚り、私は気を取り直して本題に突入した。

 

「そ、そうね。お昼時間も有限だものね。早速本題に入らせてもらうのだけど……ねぇ、ダリア、ダフネ。しもべ妖精の扱いについて、貴女達はどう思う?」

 

我ながら何の脈絡もない話だとは思う。突然湧いて出た『屋敷しもべ妖精』の話。案の定二人……正確にはダフネは訝し気な表情に変わっている。ダリアも表情こそ無表情のままだけど、雰囲気はどこか戸惑ったものに変わっていた。

そんな彼女達に私は続ける。

 

「私はね……どう考えてもおかしいと思うの。貴女達も見たでしょう? あのクラウチとかいう役人が、ウィンキーにどんな態度で接していたか。しかも他の役人もあの態度に何の文句も言わなかった。魔法界ではあれがしもべ妖精に対する態度としては一般的ということよ。彼らにだって考えや心があるというのに……まるで物みたいに。こんなことは絶対におかしいわ。だから変えなくちゃいけないと思うの。マグル生まれである私が……。それでこれからどうすればいいのか、二人にも是非とも聞いてほしいの」

 

倉庫が一瞬奇妙な沈黙で満たされる。でもそれはこんな突拍子のない話でも、ダリア達が真剣に考えてくれている所作でもあった。ロン達に話してもただ一笑に付されるだけだろう。

その証拠にまずダリアが静かに、何の嘲りも含まれていない声を上げる。しかし、

 

「貴女の考えは解りました。確かに()()()魔法使いにとっては、貴女の話はただの笑い話でしょうね。おそらくグリフィンドールでも笑われたのでしょう? ならば他寮の知り合いに相談しようとしたことも頷けます。まぁ、他の寮でも結果は同じだと思いますが……。ですが……まずお尋ねしたいのですが、何故私とダフネにこれを相談したのですか? 私達も生まれた時から魔法界の住人です。クラウチ氏と同じ考えを持っていてもおかしくはないと思いますが?」

 

最初の質問は少しだけ私には答えにくいものだった。

彼女の前で、果たして()のことを話してもいいものなのだろうか。彼女にとって、彼との別れはとても辛いものであったはずだ。そんな思い出を、私は再び抉り出してしまっていいものなのだろうか。それを迷ったからこそ、私はクィディッチの時ですら彼の名前を出すことを躊躇ったのだ。今ここで彼の名前を言うことが、果たして正解なのだろうか。

でもそんな逡巡を感じ取ったのか、ダフネが、

 

「あぁ、成程。そういうことか……。そう言えば()()()、ハーマイオニーもあそこにいたものね……」

 

何か小さく呟いた後、あっさりとその名前を口にしたのだった。

 

「ダリア、多分だけど……ハーマイオニーは()()()のことを言いたいんだと思うよ。……『秘密の部屋』から帰ってきた時、貴女がドビーを大切に扱っているのを彼女も見ているから。あれを見たら、ダリアがしもべ妖精をぞんざいに扱っていないと分かると思うな」

 

「成程。そういうことですか」

 

……確かにダフネの言葉通りなのだけど、こんなにあっさりと話していいものなのだろうか。

『秘密の部屋』から帰還した後、ハリーの工作のせいでダリアはドビーと別れねばならなくなった。あの時のダリアは激怒していたし、本当に別れる時となると私でも分かる程の悲しい表情を浮かべていた。きっと彼女にとって、あの時の出来事はトラウマになっているはずだと私は悩んで……いたわけだけど、何だかダリアの反応は酷くあっさりしたものだった。勿論少しだけ悲しそうな無表情にはなっているけど、私が予想していた程激烈なものではない。これは一体どういうことだろうか。

そんな私の疑問に、またもやダフネがあっさりとした口調で応えた。

 

「そう言えばハーマイオニーには言っていなかったね。実はドビー……今はこのホグワーツで働いているみたいなんだよ。確かに彼はもうマルフォイ家のしもべ妖精ではなくなったけど、彼は決してダリアの家族でなくなったわけではない。その証拠に今もダリアの食事はドビーが作っているみたいだよ。どこに厨房があるか分からないから、まぁ会ってはいないんだけどね。……だから貴女がそこまで気に病む必要はないよ。そうでしょぅ、ダリア?」

 

「えぇ……。それに、ドビーを捨てようとしたのは私自身です。きっかけはポッターだったかもしれませんが、最後にそれを後押ししたのは私です。あの場にいただけの貴女が、最初から気にする必要などないことです。……そんなことを気にしていたのですか?」

 

それはとても嬉しいニュースだった。今まで小骨の様に引っかかっていた何かが、ようやく外れたようなスッキリとした気分になる。私達がダリアとドビーをバラバラにしてしまったと思っていたのに、実は私が知らなかっただけでドビーは決してダリアの元を去ってはいなかった。その事実が私には無性に嬉しく、気が付けば目から自然と涙が零れ落ちていた。

しかし今その話をしている時間はない。私はただそっと涙を拭うと、突然涙を流し始めた私に驚く二人に続けた。

 

「ダフネの言う通りよ。……私はウィンキーを見るまで、しもべ妖精をドビーしか見たことなかったの。彼はダリアを本当に親しく思っていて、ダリアも彼を本当の家族だと思っているように、私には見えたわ」

 

「その通りです。彼は誰が何と言おうと、私の掛け替えのない家族です」

 

「そうね。だからこそ、それが私には普通の関係だと思ったの。でも違った。貴女とドビーの関係は、魔法界においては一般的なものではなかったのよ。……彼らにだって心があるのに、それを踏みにじるようなことをして。私は変えなくてはいけないと思ったわ。こんなこと、いつまでも……今までがそうだったからという理由で許されていいはずがないわ。でも私だけで魔法界を変えるなんて到底無理。だから仲間が必要だと思って、まず絶対にしもべ妖精を大切に扱っている……ううん、私が()()()()()()()()貴女達に相談しようと思ったの」

 

そして私は懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、それを彼女達にも見えるような位置にかざす。それは私が昨夜徹夜で書いたものだった。そしてその一番上に、

 

「S・P・E・W?」

 

今回二人に一番見てもらいたかったものが書かれていた。

 

「そう、『S・P・E・W』。エスは協会、ピーは振興、イーはしもべ妖精、ダブリューは福祉の頭文字よ。つまりしもべ妖精福祉振興協会のことよ。昨日私が作ったの」

 

私は湧き上がる情熱に従い続ける。

 

「この会の短期目標は、まず酷い扱いを受けているしもべ妖精の保護。そしてしもべ妖精の正当な報酬と労働条件を確保することよ。長期目標としては、これをしもべ妖精だけではなく、他の魔法生物にも適応すること。あの時の役人が言ってたような、魔法生物の杖の使用禁止を撤廃させるわ。考えや心がある生き物を私達と同じ土台に乗せる。どうかしら!?」

 

しかし二人の反応は何とも微妙なものだった。まずダフネは、

 

「……うん、その長期目標については私も全面的に同意かな。魔法生物の杖使用禁止なんて、馬鹿馬鹿しくて目も当てられないからね。でも短期の後半は……ちょっとどうだろう?」

 

ダリアの方をチラチラと伺いながら、私の長期目標のみに賛成していた。

ダリアが()()()()()()()()()()()()だろう彼女が長期目標に反対することはないと思っていたけど、まさか短期目標に反対してくるとは……。

そしてダリアの方と言えば、

 

「……」

 

ただ何も言わず、どこか思案する仕草をしながら押し黙っていた。彼女にとってもこれが全面的に支持できるものでないことは確かだった。

そしてやはり静かな口調で、彼女はこちらに質問を投げかけてきたのだ。

 

「私も長期目標については大変すばらしいものだと思います。そしてほぼ虐待同然のしもべ妖精を保護することも賛成です。しかし……。一つグレンジャーさんに質問なのですが、貴女はしもべ妖精と話したことがありますか?」

 

「……いいえ、私が話したことがあるのはウィンキーだけよ。それも数秒だけだったから、話したことがあるとはあまり言えないわね」

 

「そうですか……成程」

 

そう言ったきり、彼女は再びどこか考え込むように押し黙ってしまう。一体何が彼女達の反対にあっているのか分からない私は、少しドギマギした気持ちでダリアの言葉を待つ。

でも再び彼女が話し始めた言葉は、

 

「……貴女のお願いは、この『S・P・E・W』に参加してほしいということですか?」

 

「え、えぇ、そうよ」

 

「分かりました。私もこの会に参加してもいいと思いました。貸せるのは名前くらいですが、微力ながら力になりたいと思います。ダフネはどうされますか?」

 

「ダリアが参加するなら私も参加するよ」

 

態度とは裏腹に、賛成のものでしかなかった。私は少し訝しみながら尋ねる。

 

「……いいの? ダフネもそうだけど、あまり全面的に賛成してくれているようには見えないのだけど」

 

でもやはり彼女の答えは相変わらずだった。しかも、

 

「まぁ、細かいことで少々……。ですがそれも、おそらく貴女が活動している内に是正されるでしょう。今言っても()()がないと思いますから。それに私は本当にこの試み……いえ、貴女の考えは素晴らしいものだと思いますよ。おかしいと思う人間はいても、それをどんな方法であってもまず実行しようとする人間はあまりいません。それを貴女は小さいことからでも実行しようとしている。貴女は本当に……優しい方なのでしょうね」

 

そんな聞いていてこちらが恥ずかしくなるような言葉つきで。そんなことを言われてしまえば、私は何も言えなくなるではないか。ダフネもどこか生暖かい視線で私とダリアを眺めている。私は私で顔が随分赤くなっていることだろう。

そしてその反応で自身がどんなことを言ったかに気が付いただろうダリアは、どこか気まずそうな無表情に変わり、

 

「……ま、まぁ、貴女がどんな方であろうと、私には関係ありませんが」

 

やはりいつも通り、最後に私を拒絶する言葉で締めくくったのだった。

 

 

 

 

私はこの時思った。

ダリアは私のことを優しい人間だと言うけれど、本当に優しいのはこの子の方だ。

ダフネとダリア。スリザリンでありながら、どこまでも優しい心を持つ少女達。優しい人間というのは、本当は彼女達を指す言葉に間違いなかった。

 

だからこそだろう。……私はこのすぐ後で起こった出来事に、余計に心が痛くなったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

話題は何でも良かったのだ。

ただポッターとウィーズリーの注意を引きつけられれば良かった。二匹がグレンジャーの不在を気にしないように……ダリアが新しい友人候補と穏やかな時間を過ごせればいい。

当初の僕の願いはただそれだけだった。

だから、

 

『ねぇ、ドラコ! さっきこんな記事が届いたわ! ここにほら、あのウィーズリーの父親のことが書かれているわよ!』

 

パンジーが持ってきた記事は渡りに船だと思ったのだ。

それからの行動は早かった。パンジーが記事を持ってきた時には既にダリアとダフネは食事を摂り終わっており、グリフィンドールの席を見ればグレンジャーももう席を立ちかけている。

僕は一も二もなく立ち上がると、

 

「ダリア。先に約束の場所に行ってろ。ダフネと二人でな。僕は少しポッター達に用がある」

 

「……分かりました。お兄様、喧嘩は程々に」

 

ダリアに一言声をかけ、作戦を実行に移すのだった。

その記事で相手がどういう反応を示すかなど考えもせずに……。

僕はスリザリンの連中を引き連れながら、ちょうど食事を摂り終わり、ポッター達に纏わりつかれながら歩き始めるグレンジャーに近づいた。

丁度玄関ホールに出たグレンジャーとポッター達の間に割り込む様な形で。

 

「ウィーズリー! おい、これを見ろよ!」

 

僕は手元にある記事をウィーズリーに見せつける様な形で掲げる。こうすれば記事の内容から、ウィーズリーは僕を無視することは出来ない。

そしてその作戦は功を奏した。グレンジャーはダリア達との約束に遅れるわけにはいかないと思いつつ、だが同時にポッター達も連れていくわけにはいかないと思っていたのだろう。これは都合がいいと思ったのか、ポッター達を少し心配そうに見やりながらもイソイソとその場を離れていく。これでダリアとダフネ、そしてグレンジャーとの時間に邪魔が入ることは無い。

正直この時点で僕の行動目的はほぼ完遂していた。しかしこのまま何もせずに引き下がるのも格好が悪い上、放っておけばこいつらが再びグレンジャーを探し始める可能性もあるため、僕はそのまま記事の内容をウィーズリーに見せ続けた。

 

「……マルフォイ、一体何の用だ?」

 

「なに、お前の父親が新聞に載っているから、是非お前にも見せてやろうと思ってな!」

 

僕はウィーズリーだけではなく、隣にいるポッターは勿論、この場にいる全員に聞こえるように記事を読み上げる。

ウィーズリーの父親が昨日マッド-アイ・ムーディの件で魔法省に赴き、彼をほぼ無罪放免で解放させたこと。マッド-アイは明らかに被害妄想に侵されており、今後も世間に迷惑をかける可能性があるにも関わらず、アーサー・ウィーズリーはそれを一顧だにしない愚かな判断をしたのだと。しかも記事の写真にはウィーズリーの母親の写真も掲載されており、家らしき物の前で記者を追い払おうと躍起になっていた。

僕はアーサー・ウィーズリーを扱き下ろす記事を読み終えると、目の前で怒りに震えるウィーズリーに話しかけた。

 

「この写真に写っているのは君の家かい? そこらの犬小屋の方がよっぽどマシなつくりをしているだろうさ! それに君の母親は少し減量した方がいいと思うぞ!」

 

この時点で僕の意識の中にダリアのことはほとんど残っていなかった。僕の役目はこいつらの意識をここに縛り付けることだけ。それはただこうしてウィーズリー達を扱き下ろしておくだけで事足りる。

だから僕はこうして、ただ日頃のダリアに向けられる忌々しい視線に対する鬱憤を晴らすように揶揄し続けたのだ。

しかし次の瞬間、

 

「失せろよ、マルフォイ」

 

「いいや、まだだね。そうだポッター。そう言えばお前も夏休みの間この連中の家に泊ったんだろう? それなら教えてくれよ。ウィーズリーの母親はこんなにデブなのかい?」

 

「そう言うお前の母親はどうなんだ、マルフォイ」

 

ポッターの思わぬ反撃に頭が真っ白になる。

僕は今まで自身が相手の母親を馬鹿にしていたというのに、一瞬で頭の中が怒りで一杯になったのだ。

こいつは僕とダリアをあんなに愛してくれる母上を馬鹿にした。

そんな怒りの感情に支配された僕にポッターの言葉は続く。

 

「僕もクィディッチ・ワールドカップの時、君の母親を見たぞ。なんだあの表情は? まるで臭いものでも嗅いでいるような表情をして。君の母親は鼻の下に糞でもつけているのか? お前の妹と顔立ちはあまり似ていないけど、表情だけは同じくらい、」

 

僕が我慢できたのはそこまでだった。僕は気が付けば杖を抜き去り、突然の行動にまだ何も出来ていないポッターに呪文を放とうとする。

でも、

 

「卑怯者! そんなこと許さんぞ!」

 

それが叶うことは無かった。

辺りに大声が響いたと思った瞬間僕は杖を取り落とし、いつの間にか視点が酷く()()ものに変わっていたのだ。

一体何が起こったんだ?

当惑する僕を他所に、静まり返った玄関ホールにコツッ、コツッという音が鳴り響く。音の方を見上げれば、そこには昨日ホグワーツに赴任したばかりの、そして先程の記事に載っていたマッド-アイ・ムーディがいた。そして奴はポッターの隣まで来ると、両の目で僕を見下げながらポッターに声をかけた。

 

「やられたかね?」

 

「い、いいえ。先生」

 

事態に頭が付いてこない。一体何が起こったというのだろうか。何故、僕の目線はこんなに()()()()なのだろうか。

その疑問は次の瞬間氷解することになる。

僕は最初、自分はただ地面に倒れ伏しているだけなのだと思った。でも僕が立ち上がろうとした瞬間、それは起こった。

 

「逃がさんぞ! この卑怯者め! 相手が杖を構えていないにもかかわらず襲うとは、下劣極まりない! その根性を叩きなおしてやる!」

 

ムーディが突然そう叫んだかと思うと僕に杖を構え、僕を上下に魔法で跳ね上がらせ始めたのだ。何度も地面に叩きつけ、その反動でまた宙に浮かばせてはまた地面に叩きつける。

その酷い激痛に襲われる僕が見たものは、とても短くなり、更には白い毛で覆われた僕の四肢だった。

僕は何か違う生き物に変身させられていたのだ。

しかしその事実に気が付いたとしても、僕の置かれている状況に変わりがあるわけではない。

変身させられている僕が地面に何度も打ち付けられている光景が楽しいのか、ポッターを含めた周囲から笑い声が聞こえてくる。そしてムーディも、

 

「この、卑怯者が! 二度と、こんなことを、するな!」

 

息を僅かに荒げながら行為を止めようとはしなかった。

痛みで思考が混乱している。周りの音が聞こえても、痛みでそれを理解することが出来ずにいる。そんな中で唯一僕が理解できたのは、

 

「……一体何をしているのですか?」

 

僕の世界で一番大切な人物の声以外になかった。

 

 

 

 

その声が聞こえてきた瞬間、玄関ホールにあった全ての音が消え去る。

あれ程響いていた笑い声も消え、僕を打ち付けていたムーディを含めた全員が大広間横の倉庫の方に振り返っている。

 

そこには……

 

()()……楽に死ねると思わないで下さいね」

 

戸惑ったように立ち尽くすダフネとグレンジャー。そして彼女達に見つめられる、いつもの綺麗な薄い金色の瞳をまるで血の様な不吉な赤色に変えたダリアが立っていたのだった。

 



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優しき少女の殺意(中編)……主人公挿絵あり

長くなりそうなので分割です。


 ダリア視点

 

また言ってはならないことをグレンジャーさんに言ってしまった。

そんな気まずい気持ちで倉庫を出た私が最初に見たのは……マッド-アイが白イタチを地面に何度も叩きつけ、それを周りの生徒が笑いながら見ているという摩訶不思議な光景だった。

最初は何が起こっているのか理解出来なかった。何故この新任教師は白イタチを執拗に打ち付け、

 

「この、卑怯者が! 二度と、こんなことを、するな!」

 

その光景を周りの生徒が楽しそうに囲んでいるのだろうか。マッド-アイの頭がおかしいのは周知の事実だが、何故生徒までもが彼と同じわけの分からない行動を?

私には彼らの頭も可笑しくなったようにしか見えなかった。隣にいるダフネやグレンジャーさんも訝し気な目で謎の集団を眺めている。

しかしそんな玄関ホール中央を占拠している彼らに近づいた時、私は見てしまったのだ。

何度も地面に打ち付けられる白イタチの近くに……新聞記事が落ちているのを。それはお兄様が先程まで持っていたものに間違いなかった。

よく見ればおかしな点がまだいくつかある。笑っている生徒達の中に、幾人かただオロオロとしているだけの生徒がいるのだ。しかもそれは全員私の良く知る人物だった。クラッブにゴイル。そしてお兄様に記事を手渡したパーキンソンにブルストロード。私が良く行動を共にするメンバー達だ。

そんな中、そこにいるべきはずのお兄様の姿だけがなかった。

そこまで考えた瞬間、私はこの場で起きていることの全てを理解する。

あの白イタチこそがお兄様であり……そのお兄様は今、他寮の笑い声が響く中ムーディに晒し者にされているのだ。何度も何度も地面に打ち付けられ、それを他者に笑いものにされているのだ。

 

それを理解した瞬間、私の理性は一瞬にして焼き切れる。

ムーディに……あの老害に弱みを握られるとか、そんなことはもはやどうでもいい。最初に感じたのはただ純粋な殺意。私はただ……この虫けら共を苦しめぬいて殺さなくてはならない、そう考えていた。

 

「……一体何をしているのですか?」

 

私の口から知らず知らずの内に冷たい声音が漏れる。

その瞬間今まで笑っていた生徒とマッド-アイ、そして隣にいるダフネ達までこちらに恐怖を覚えたような視線を送ってくるが関係ない。

私はこいつらを、必ず殺さなくてはならないのだから。

一斉に向けられた恐怖の視線に私は義務感と共に、僅かに今から人を苦しめぬいた後殺せるのだという()()を感じ始めながら宣言する。

 

「全員……楽に死ねると思わないで下さいね」

 

そして私は未だに事態について来れていないダフネ達を後ろに追いやり、

 

『コンペース、閉じ込めろ』

 

完全に愚か者共の逃げ場をなくすのだった。

これで全ての舞台は整った。()()()殺戮の舞台が。

まず事態の変化に対応したのはやはり新任教師。だてに数多くの修羅場を潜ってはいない。ただ恐怖の視線を送るだけの生徒達の中、まるで構っている暇はないと言わんばかりにお兄様を放り出しながら、私に杖を向けて言う。その行動自体が私の怒りを更に燃え上がらせているとは気づかずに……。

 

「このような『闇の魔法』を使うとは。何のつもりだ、小娘。いや、ワシはお前のことも知っておるぞ。……お前がダリア・マルフォイだな。ふん、ルシウス・マルフォイの娘なだけはある。その人を見下すような目つき……。お前のような人間が真面な魔法使いであるはずがない。ダンブルドアに()()()()()()()()()、ワシには分かるぞ。だがワシはお前の様な小娘のことなど恐れはせん。お前の様なマルフォイ家の小娘のことはな。この小僧とてそうだ。ワシはこやつの根性を叩きなおすためにも、」

 

何か御託を並べ立てているが、こいつが何を話そうと関係ない。お兄様を傷つけた段階で、こいつは全くの無価値な存在になったのだ。私は放り投げられると同時にこちらに駆け寄ったお兄様イタチを抱きかかえると、必死に何かを仕草で訴えているお兄様に顔を向けながら呟く。

 

「大丈夫ですよ、お兄様。こいつらがこんなことをしていた理由なんてどうでもいい。ご安心ください、必ずこいつらに自分の行いを死ぬほど後悔させた後……殺してあげますから」

 

私はこの時、自分がどんな表情を浮かべているかなど分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

事態にようやく頭が追いつき始めた時には、既に全てが遅かった。

透明な()の中、白イタチを抱えるダリアが目にもとまらぬ速さで杖を掲げたかと思うと、

 

『インクネイト、ひれ伏せ』

 

ムーディを除く全員が地面に倒れ伏したのだ。全員がまるで背中に何か巨大な重しでも乗せられたかのような苦悶の表情を浮かべている。

しかもムーディも別に魔法がかかっていないわけではないらしく、何かに耐えるように片膝をつき、傷だらけの顔を苦痛に歪ませながら声を上げた。

 

「……このような強力な魔法まで使うとは。やはりお前のことは看過できんようだな。今すぐこの呪文を解くのだ!」

 

ムーディの声音は最後に大きなものに変わっていた。しかしそんな奴の言葉に怒り狂ったダリアが怖気づくはずもなく、

 

「……虫けらが。もう少し魔法力が弱ければ苦しまずに済んだものを。やはり愚か者はどこまでいっても愚か者ということですね」

 

やはりどこまでも冷淡な声音で一人呟くのだった。

私はここに来てようやく事態を完全に理解する。これはあの時と……ロックハートの初回授業でピクシーを皆殺しにした時と同じだ。ダリアの反応から、あの白イタチが実はドラコであることは間違いない。ならばダリアはドラコを傷つけられたことでここまで怒り狂っているのだ。

あの時と違うのは……あの時の相手はピクシーだったのに対し、今回は人間だということのみだった。

その事実に思い至った瞬間、私はダリアを止めなくてはと思い駆け出す。私と同じく壁のこちらにいるハーマイオニーは、

 

「ダ、ダリア、一体どうしちゃったの? あ、あのイタチはドラコなの? で、でも、それにしたって……」

 

未だにダリアの変化に戸惑っている様子だけど、彼女に一々ダリアの現状を説明している暇などない。今すぐダリアを止めなくては、彼女は必ず後悔してしまう。目の前には先程ダリアが張った魔法の壁があるため私の歩みは数歩のみで終わってしまったが、私は思いっきり、それこそ手から血が出そうな程壁を叩きながらダリアの後ろ姿に叫ぶ。

 

「ダリア! 駄目だよ、そんなことしちゃ! 前にも言ったでしょう!? 落ち着いて、一度深呼吸しよう!?」

 

しかしダリアの反応は芳しくなかった。こういう風にダリアの理性が消し飛んだことは以前にもあったが、その時はいつも私が彼女に飛び付くことで止めていた。それが今回は出来ていない。私の声だけでは彼女の行動を止めることは出来ないのだろう。私の叫び声が響く中、相変わらず冷たい声音で、

 

「ではお望み通り、苦しみながら死になさい。『パテンバス、傷よ開け』」

 

今度こそ決定的な呪文をムーディに放った。ダリアの最初の呪文に僅かに抵抗できてはいたものの、奴が身動きすら出来なくなっていることには変わりない。聞いたこともないダリアの呪文に当たり、彼の体中にある傷が一斉に()()()

 

「ぐあぁ! き、貴様!」

 

「ふふふ。あはははは! 苦しいのですか? いえ、苦しいのでしょうね! ですがお兄様を傷つけたのです! これくらい当然ですよね! まだまだ足りないくらいです! この呪文はただ傷を開くだけ! 本当の苦しみには程遠い! だからもっと苦しんで、私を()()()()()ください!」

 

目の前には壮絶な光景が広がっている。体中から血を流すマッド-アイ・ムーディに、彼の苦痛をまるで楽しんでいるような笑い声を上げるダリア。しかもこれだけのことをしでかしているというのに、ダリアは一向に止まる様子を見せないし、止めることが出来る人間もいない。地面に倒れ伏している生徒達は、今のムーディの姿が次の自分だと思っているのか顔を青くするだけで何も出来ない。

だからダリアを止めることが出来るとすれば、

 

「さて、次と行きましょう。クルーシ……お兄様? 何故止めるのですか?」

 

彼女の腕に抱えられたドラコに他ならなかった。

今まで必死にダリアに何かを仕草だけで訴えていた白イタチが、突然彼女の杖を引っ叩くことで注意を惹く。流石に理性を失ったダリアも杖の軌道を変えられれば意識を向けざるを得なかったのだろう。僅かに理性の戻った声音でドラコに尋ねたところで、

 

「な、何をしているのですか!」

 

ようやく事態を収束させることが出来そうな援軍が来たのだ。

声の方に振り向けばそこにはマクゴナガル先生。丁度階段から降りてきた様子の先生は、一目で異常事態だと分る光景に青ざめながら続けた。

 

「ム、ムーディ先生! 一体その怪我はどうなさったのですか!? そ、それにこの魔法は……。ミ、ミス・マルフォイ! これは貴女のしたことなのですか!? 今すぐにこの呪文を止めなさい!」

 

そこで初めてずっとムーディの方を向いていたダリアが振り返る。そして私が見たその表情は……やはりあの時と同じ表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

今しがた降りてきたマクゴナガル先生が驚愕したように……どこか恐怖したように足を止め、こちらを振り返るダリアの顔を見つめる。そこには先程まであった勢いは全くない。

 

でもそれもそうだろう。だってダリアは今……こんな光景を創り出したというのに、いつもの無表情ではなく()()を浮かべていたから。

しかも普通の笑顔などではなく、見る者を震えがらせる笑顔を。残酷な笑顔。まるで人を傷つけるのが楽しくて仕方がない……そんな感情を思わせるような笑顔を。

いつもの薄い金色の瞳でなく、真っ赤な色に変わった瞳を確かに楽しそうに歪ませていた。

 

壮絶な笑顔にマクゴナガル先生は勿論、私を含めた生徒全員がその場に凍り付いたように動けなくなる。そんな中動いていたのは、

 

「ダリア! お願い、止まって!」

 

ダリアの杖を叩いたドラコと、事態をすぐに理解したらしいダフネだけだった。

ドラコはダリアの杖を更に叩き落そうと必死に動いており、ダフネは相変わらず必死な形相で魔法の壁を叩いている。ダリアの注意がムーディ先生からマクゴナガル先生に向いた今こそ、彼女を止めるチャンスなのだと考えているのだろう。

そしてその判断は間違ってはいなかった。

ダリアは数秒の間は自分の邪魔をしたマクゴナガル先生を睨むように見つめていたけど、その内ようやくダフネの姿を認めたらしく、

 

「……分かりました。『フィニート、終われ』」

 

小さく呟いた後魔法を解除したのだ。その表情にはもう先程までの笑顔はなく、いつもの無表情に戻っていた。目だけはまだ……僅かに赤い色をしていたけど。

 

「ダリア!」

 

「ダフネ……。私は……」

 

「うん、大丈夫。大丈夫だよ、ダリア。全部分かっているから……。どんなことがあろうと、私はダリアの味方だよ」

 

魔法を解除したことで魔法の壁も消える。その瞬間ダフネが勢いよくダリアに飛び付き、何やらお互いに囁き合っていた。周りの地面に倒れ伏していた生徒達も、表情を青ざめさせながらもノロノロと立ち上がり始めている。そんな中、ダリアに警戒心を露にしながらマクゴナガル先生が血だらけのムーディ先生の元に駆け寄った。

 

「ムーディ先生! 大丈夫なのですか、その怪我は!? 今すぐ医務室へ! 事情はそこで聞きますので! ミス・マルフォイ! 貴女もついてきなさ、」

 

「いや、その必要はない。見た目は派手だが、大した怪我ではない。傷自体は全て浅いものだ。後で自分の薬で治す」

 

しかしムーディ先生はマクゴナガル先生の言葉を遮ると、ダフネと白イタチ越しに抱き合うダリアを睨みつけながら続ける。

 

「小娘……。よくもやってくれたな……。まさかお前の様な小娘に、ここまでいいようにやられるとは。お前の根性も叩きなおす必要がありそうだな」

 

再び緊迫した空気が玄関ホールに満ちる。放っておけば先生は今度はダリアをイタチに変えてしまいそうな空気を醸し出しており、ダリアはダリアで抱き合った恰好なものの、視線だけは剣呑に先生の方を睨み返している。ダフネが必死に抱き着く形で止めていなければ、ダリアは再度呪文を放っていてもおかしくはない空気があった。周りにいた生徒達は僅かに悲鳴を上げながら後ずさっている。

そんな中、マクゴナガル先生はゆっくりと自分の杖に手を伸ばしながら尋ねた。

 

「ムーディ先生、では事情を説明していただけますか? 私にはミス・マルフォイが一方的に貴方や生徒達を襲っているように見えましたが、その認識であっていますか?」

 

「忌々しいことにな。ワシがその小娘の兄を教育している最中に、不意を突かれてしまったのだ」

 

その瞬間、今までダリアを宥めすかせるように抱いていたダフネが声を上げる。

 

「違います! ダリアは悪くありません! 何が教育よ! あんなのは教育でも何でもないわ! 貴方はドラコをただ痛めつけていただけよ! そしてこいつらはそれを笑ってみていただけ! ダリアが怒って当然のことをしただけよ!」

 

「……それはどういうことですか、ミス・グリーングラス。ムーディ先生がミスター・マルフォイを痛めつけた? その彼は一体どこにいるのですか?」

 

マクゴナガル先生の質問に、ダフネが白イタチになっているドラコを差し出す。すると少しぐったりしている白イタチを見て、先生は驚愕の表情を浮かべながら続けた。

 

「ま、まさか! こ、これがミスター・マルフォイだと言うのですか!?」

 

「そうです。そいつがドラコをイタチに変えて、地面にずっと叩きつけていたんです! そんなの、ダリアでなくても怒りますよ!」

 

「そ、そんな! ム、ムーディ、貴方は何をしているのですか!?」

 

発覚した事態のあまりの大きさに、ダフネがムーディ先生のことを『そいつ』と呼んでいることにも気付かず、マクゴナガル先生は慌てた様子でドラコに杖を向けた。すると次の瞬間、今まで白イタチに変わっていたドラコが姿を現す。滑らかなブロンドの髪はバラバラになり、いつもは青白い顔色を赤色に変えながら彼はその場で立ち上がった。しかしいつもであれば自分をこんな目に遭わせたムーディ先生に罵倒の言葉を吐きそうなものだけど、彼はただダリアの方に振り返りながら声を上げる。

 

「ダリア、落ち着け。僕は無事だ。ちょっと痛かったが……怪我自体は大したことはない」

 

そうしている間にもマクゴナガル先生のムーディ先生への言葉は止まらない。いつの間にかムーディ呼ばわりに変えながら、マクゴナガル先生は大声で続ける。

 

「ムーディ、ダンブルドアからもお話があったはずです。本校で懲罰に変身術を使うことは絶対にありません! 居残り罰を与えるだけです! さもなければ寮監が生徒に話をするだけです!」

 

「あぁ……そんな話もあったな」

 

しかしムーディ先生の反応はあまり芳しいものではなかった。明らかに上の空な返事。先生は何かを考え込むようにダリアの方を見つめるだけで、マクゴナガル先生の言葉にあまり注意を向けようとしなかったのだ。マクゴナガル先生はそんなムーディ先生の反応に僅かに眉を顰めたが、今はそれだけが問題ではないと今度はダリアの方に振り返りながら言った。

 

「……この件はまた校長の方から貴方に言っていただきましょう。さて、しかしミス・マルフォイ。大まかな流れは解りましたし、ムーディ先生が行った指導も適切ではなかったのでしょう。ですが、だからと言って貴女が先生や周りにいた生徒を攻撃していい理由にはなりません! 先生は傷は浅いと仰っていますが、これは明らかに『闇の魔術』です! 大人しく私についてきなさい! スネイプ先生もお呼びして、ダンブルドアと話していただきます! 大人しくついてこない場合は……」

 

そう言って先生は今度こそ杖に手をかけ、ダリアに先をさとすように語り掛ける。

もはや生徒に語り掛ける様な態度では決してない。そしてその態度は、

 

「な! 何を言っているんですか、マクゴナガル先生! ダリアは何も悪くありません! そりゃ()()()()だけ、そいつの傷を開いたかもしれませんけど……。元はといえばそいつがドラコに怪我をさせたからです! 連れていくならそいつもです!」

 

「そうだ! こんなことして、父上が黙っていないぞ! ダンブルドアみたいな依怙贔屓野郎に公正な判断なんて出来るものか! 馬鹿も休み休み言え!」

 

ダフネやドラコの抗議があっても決して変わることはない。

 

「お黙りなさい、ミス・グリーングラス、ミスター・マルフォイ。……最後にミス・マルフォイの進退を決めるのは校長であるダンブルドアです。さぁ、ミス・マルフォイ。ついてきなさい。ムーディ先生は部屋で治療してからすぐに校長室へ」

 

誰もが固唾を飲んだように動けずにいる。生徒達が顔を青くしながら立ちすくむ中、マクゴナガル先生はダリアを睨みつけるように立ち、ドラコとダフネはまるでダリアを守るような立ち位置にいる。

そしてようやく事態が動いたのは、

 

「……分かりました。これ以上マルフォイ家に迷惑をかけるわけにはいきません。今回は私個人の問題です。お兄様は関係ないということであれば、私は大人しく校長の所についていきます」

 

ダリアが先程までとは違い、どこか悲しみすら感じさせる声で同意した時だった。

マクゴナガル先生はダリアが大人しくついてこない可能性も考慮していたのだろう。明らかにホッとした様子でダリアについてくるよう先をさとす。

そんな中やはり納得していない様子のドラコ達が声を上げる。

 

「ダリア、本当に行くの! だってダリアは何も悪くないのに!」

 

「そうだ、こいつらの言いなりになる必要は、」

 

「いいえ、お兄様、ダフネ。何が理由であれ、私が先生達を攻撃したのは事実です。これ以上ここで争って、マルフォイ家の迷惑になるわけにはいきません……」

 

しかしダリアの意見は変わらない。ドラコ達は言葉を遮られたことで、ダリアの決意の固さを感じたのだろう。数瞬黙り込んだ後、今度はドラコが違ったアプローチを口にする。

 

「……分かった。だが、僕もお前と一緒に行くぞ。僕は当事者だ。僕は事情を説明しないといけないからな。そうでしょう? マクゴナガル先生」

 

「ええ……。そうですね、ミスター・マルフォイもついてきなさい」

 

ダリアとマクゴナガル先生、どちらの意志も変えられないのなら、なるべく被害の少ない選択肢を選ぼうという作戦。そしてドラコの作戦は思いの外上手くいったようだ。傍から見てもダリアに都合のいい事情しか話さないのは明らかだが、ついてくるなと言えるほどの根拠もマクゴナガル先生は提示できなかったのだろう。でもドラコにはそれだけしか目的がないわけではないらしく、

 

「わ、私も、」

 

「いや、お前はここに残れ。事情説明だけは僕だけで十分だ。それにお前には、やることがあるだろう?」

 

自分以上にダリアを擁護しそうなダフネの同行は許可しなかったのだった。

ダフネの言葉を遮ったドラコは、静かな口調でダフネに語り掛ける。

 

「大丈夫だ。ダリアは必ず帰ってこれる。マルフォイ家をなめるな。お前はダリアが帰ってきた時、少しでも不快な思いをさせないよう努力しておけ」

 

そして、

 

「お兄様……。お兄様は今回の件とは、」

 

「何度も言わせるな、ダリア。ではマクゴナガル先生? 行くとしましょうか」

 

「……えぇ。では、私についてきなさい」

 

ダフネの反論を許すことなく、今度こそマクゴナガル先生とダリアに続いてこの場を後にしてしまったのだった。

 

 

 

 

残されたのは、

 

「……何がやることがあるよ。貴方だって、()()が心配ないことくらい分かっているでしょうに」

 

無力さを噛みしめる様にその場で俯くダフネ。そんな彼女の周りで相変わらず青ざめた表情の生徒達。

……そしてダリアの優しさを知りながら、徹頭徹尾彼女の変化に驚くだけで一切具体的な行動を取ることも、ましてや声を上げることすら出来なかった()()友人の私だけだった。

 

私は知っていた。いや、知っていると思い込んでいた。

私だって彼女がピクシーを大量虐殺した事件は知っていたし、ハリーからも何度か彼女の笑顔について聞いていた。去年のホグズミードで見せたような笑顔ではなく、人を傷つけることを喜んでいるような笑顔について。

でも、私は知っていただけ。決して理解はしていなかったし、理解を拒み続けていたのだ。

 

だからこそ、私は彼女が優しい人間であると知っていながら、彼女のいざ違う面が出てきた時には咄嗟に行動することが出来なかったのだ。





【挿絵表示】


イラストレーター、ジンドウ様が描いて下さった挿絵です!


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優しき少女の殺意(後編)

 ダンブルドア視点

 

「それではミス・マルフォイ。後日吾輩の研究室に来るように」

 

「はい……失礼します」

 

ダリアの丁寧だがどこか心のこもっていない挨拶の後、彼女とドラコ君は校長室を出て行く。そして扉が閉まる音と共に校長室には奇妙な沈黙が舞い降りた。

部屋にいる誰もが何かを訴える様にワシの方を見つめておる。罰則内容を決めたセブルス以外は、ワシの下した決定に少しも納得しておらんのじゃろぅ。そしてその予想は間違っておらんかったらしく、

 

「……ダンブルドア校長、本当にこんなに軽い罰則だけでよろしかったのですか? 罰則の内容を決めるのはスネイプ先生の権限ですが……。ですが、彼女はあれ程のことをしでかしたのです。校長もお判りでしょう? 彼女は人に対して『闇の魔法』を使ったのです。それは本来であれば退学どころか、すぐにでもアズカバンに入れられる行為です! それをただ部屋の掃除のみで済ませるとは……あまりにも罰が軽すぎます」

 

しばらくした後、ミネルバがどこか糾弾するような口調で口を開いたのじゃった。しかし彼女が反対しているからといってワシの結論は変わらん。ワシは彼女に少しだけ笑顔を向けながら応えた。

 

「そうは言うがのぅ、マクゴナガル先生。確かに今回彼女がしたことは許されるものではない。しかしそもそも彼女があのようなことをしでかしたのは、元はと言えばムーディ先生が原因という話じゃ。アラスター、昨日も話したと思うが、この学校で体罰は禁止じゃ。無論変身術を使うのもじゃ。今回はこちらにも非があると言えよう。じゃから彼女を退学にするのは流石にやりすぎなのじゃよ。まぁ、流石に掃除だけで罰とするのは、ワシも少し軽すぎるとは思うがのぅ。じゃが寮生に与える罰の権限はスネイプ先生にある。ワシがこれ以上口を出すことは出来ぬよ」

 

「当然の判断ですな」

 

「それはそうですが……」

 

「ふん……」

 

何故か勝ち誇った顔をしているセブルスはともかく、ワシの答えに傷を部屋で治した後こちらに来たアラスター、そしてワシに質問を投げかけたミネルバは僅かに表情を歪める。ワシの返答に納得していないのは火を見るより明らかじゃった。

じゃがそれでもワシは結論を変えるつもりは一切なかった。ミネルバに言うた理由も勿論あるが、それだけではなく、今ダリアを退学にするわけにはいかない()()()な理由があるのじゃから……。

今ヴォルデモートは力を取り戻しつつある。完全な復活には程遠いのじゃろうが、今までのような何の力もない状態からは脱したのじゃろう。それはセブルスの腕に浮かび上がりつつある『闇の印』が証明しておる。そして突然活発になりはじめた嘗ての『死喰い人』達の行動。クィディッチ・ワールドカップでの『闇の印』や、今まで頑なに『三大魔法学校対抗試合』の要請を()()()()()カルカロフの行動が、それを何よりも裏付けておった。ワシやセブルスが知らぬだけで、世界の裏側で何かよからぬことが始まっておる。そんな時期にダリアをホグワーツから放逐すればどうなることか。今回の件とて、

 

「で、ですがダンブルドア校長。彼女はあの時、確かに笑っていたのですよ? 切欠はムーディ先生の行動だったかもしれませんが、私にはそれを言い訳に人を傷つけることを愉しんでいたようにしか見えませんでした。……あのような面があることにただお一人()()()()()なっていたからこそ、貴方は一昨年あれ程彼女を警戒していたのではありませんか?」

 

そんなワシの不安を増強させるには十分な出来事じゃった。

マクゴナガル先生から受けた更なる反論を受けながら考える。もし今ダリアを放逐すればどうなるか。答えは簡単じゃ。まず間違いなくどこかに隠れておるヴォルデモートの元に彼女ははせ参じるじゃろう。そうでなかったとしても、奴がいずれ復活した際奴の尖兵になる。彼女はあのアラスターですら、多少不意打ち気味な攻撃であったとはいえ完封する程の実力を有しておる。二年時はセブルスにいいように抑え込まれたようじゃが、『闇の魔法』を使えばその限りではないことが今回の件で証明された。

アラスターは『不死鳥の騎士団』においても指折りの実力者。そんな彼を倒す実力を既に有しておるとなると……彼女は今後間違いなくワシらの脅威になる。

彼女がホグワーツにおれば監視も出来るが、一度退学にしてしまえばその限りではない。アズカバンに入れたとしても、今回の件はアラスターに多分に非がある以上ルシウスの力で必ず再び外に出るじゃろう。若しくは吸魂鬼を抱き込んだヴォルデモートに解き放たれるか……いずれにせよいい結果になるはずがない。ワシはこれからのヴォルデモートとの戦いのために、ダリアを決して今目の届かぬ所に解き放つことは出来んかった。

しかしそれをミネルバやアラスターに言うことが出来んことも確かじゃ。闇と今も戦い続けるアラスターなら理解してくれるじゃろうが、どちらにせよこれが生徒を導かねばならぬ教師失格な考えであることに変わりはない。ワシのような汚れた考えを知り、それに合わせて行動せねばならん辛い立場の人間はセブルスだけで十分じゃ。

ワシは自身の汚れた考えに辟易しながら、しかしそれを感じさせぬよう努めてミネルバに応えた。

 

「確かにダリアには危ういところが多々ある。それは間違いない。じゃが過程はどうあれ、始まりが兄が傷つけられたことである以上、彼女には()()更生の余地があるのも確かじゃ。少なくともそれを()()()()()()()()には、家族のことを愛しているということなのじゃからな。退学にするのは簡単じゃ。じゃがそれをしてしまえば、一体誰があの子を導いてやるというのじゃ」

 

まったくの嘘というわけではない。ヴォルデモートとの戦いを考慮した結果であるとはいえ、ダリアの将来のためという気持ちが全くないわけではない。いくら不安な面が強いとはいえ、教師という立場にあるワシが彼女を簡単に見捨てていいはずがないのじゃ。

ヴォルデモート……いや、トムと同じ失敗を再び繰り返さぬために。

それに……。

 

『ダンブルドア、私はこの度ダリアからの推薦で『闇祓い』の職に就くことが出来ました。私は思うのですが……やはり彼女は本当に闇の魔法使いなのでしょうか? 私の前での彼女は心優しい少女でしかないのです』

 

リーマスから送られてきた手紙の件もある。バックビークの件でややダリアのことを諦めつつある自分を感じてはいたが、実際はまだまだ可能性はあるのやもしれないのじゃ。何故ダリアがリーマスを本来マルフォイ家の敵であるはずの『闇祓い』に紹介したのかは分からぬ。しかしそれがもし彼女がリーマスに少しでも気を許していたからだとすれば……それは彼女の中に確実に()()()があるからに他ならない。人は闇や善、その一方だけを持っているわけではない。そのどちらかを自身で選び、何を為したかで人間は形作られてゆく。ダリアは一昨年の件があるとはいえ、まだまだ成長過程の少女でしかないのじゃ。両親や周囲を見下し続けた結果闇に堕ちたトムといかに似通った空気を醸し出していようとも、彼女はトム自身というわけではない。ワシが見守ってやらんでどうするというのじゃ。

 

「……分かりました。ダンブルドア校長、貴方の言葉は尤もです。……少し今回の事態に冷静さを失っていたのかもしれません」

 

「……話は終わりか? ふん、ではワシは行かせてもらうぞ。だが……スネイプ。ダリア・マルフォイの件もそうだが、今後ワシはお前のこと()しっかりと監視しておるからな。行動には気を付けることだ」

 

そしてそんなワシの思いが通じたのかは分からんが、ようやくミネルバ達は矛を収めて部屋を退出してゆくのだった。

唯一ワシの決定に反対意見を持っておらんかったセブルスも、

 

「では吾輩もこれにて。実に下らない、結論が最初から決まっていることに長々と時間を使わされましたからな。まだやるべきことが残っておるのです。午後の授業もありますしな。まったく、何故吾輩がムーディなどの尻拭いを……」

 

校長室を後にし、校長室にはワシだけが残される。

ワシは途端に静かになった部屋の中で、少し疲れた声音で呟くのじゃった。

 

「……今年は『三大魔法学校対抗試合』もあるというのに、不安は尽きんのぅ」

 

復活しつつあるヴォルデモート。相手が何をしようとしているかも分からん以上、ワシが出来ることは静観しかない。全てが後手。まだまだ子供であるハリーのことを考えると不安でないはずがないのじゃ。

しかしそんな強烈な不安感の中でも、ワシはまだまだ不安が増えていくという予想を禁じえることは出来なかったのじゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ホグワーツ4年目の初日。皆喜び勇んで昨日この城に帰ってきており、今朝に至っては『三大魔法学校対抗試合』についてあれほど楽しそうに議論していた、というのに……今グリフィンドール談話室の中の空気は最悪と言っていいものだった。初日どころか、まだ一日の半分しか終わっていないというのに……。

誰もかれもが痛みに耐えるような表情を浮かべている。事実僕も体が少し痛かった。その原因は勿論、

 

「ダリア・マルフォイの奴……。マクゴナガルに連れていかれたけど……あいつ、どうなるんだろうな? ()()()()退学になるといいんだけど……」

 

ムーディ先生の行動に怒り狂ったダリア・マルフォイにあった。

まるで何か重いものに地面に押し付けられるような魔法。明らかな『闇の魔術』に未だに体が痛む。そして何より……あの光景を思い出すだけで恐怖を感じるのだ。もしムーディ先生がやられていたら、マクゴナガル先生の到着がもう少し遅れていたら、僕らもかけられていたかもしれない。更に残酷な、ただ人に苦しみを与えるためだけの『闇の魔法』を。あの見るだけで身の毛がよだつ様な笑顔で。ムーディ先生は傷自体は浅いと言っていたけど、僕にはそんな風に思うことなど出来なかった。血だらけで地面に倒れ伏す自分自身の姿。……考えただけで身が凍るような気持になった。

静まり返る談話室の中、ロンの漏らした呟きに返事をするものは誰一人としていない。皆ロンの発言に同意したくとも出来ないのだ。一昨年あんな事件が起こったというのに、ダリア・マルフォイが今でも何一つお咎めなく学校に通っている事実を知っているがために。ドラコの醜態にダリア・マルフォイの校長室への連行など、本来なら狂喜乱舞していそうなロンもどこか自信のなさそうな表情を浮かべている。結果、誰一人として口を開かない暗い空間がグリフィンドール談話室に広がっていた。

そんな中僕はふと、この部屋の中で唯一違った理由で暗い表情を浮かべている人物に目を向けた。

この部屋の中で唯一ダリア・マルフォイに呪文をかけられなかった人物。あいつと直前まで一緒にいたらしいハーマイオニーは、痛みに耐える様な仕草をしてはいなくとも、やはりどこか暗い表情を浮かべながらソファーで俯いている。あいつを信じ切っていたハーマイオニーが今回の件でようやくあいつの危険性に気が付いたのかもと思ったが、どうやらそういうわけではないらしく、

 

「ダリア……大丈夫かしら? もし、これで彼女が退学なんかになってしまったら……。あぁ、私は何故あの時……」

 

耳を澄まさなければ聞こえないような声音で、寧ろダリア・マルフォイを心配する言葉を垂れ流していた。

それを耳にした瞬間、僕の暗い心境の中に僅かな怒り、そして彼女に対する心配が渦巻き始める。

……確かにあの時ムーディ先生は()()やりすぎだと思うし、それを笑っていた僕達にも()()の非があったと思う。元はと言えばドラコがウィーズリーおばさんを馬鹿にしたことが原因とはいえ、イタチに変身させて地面に叩きつけるのはやりすぎだ。あいつの妹だったら怒って当然なのかもしれないと、後で冷静になれば考えることが出来る。

でもだからと言って、あいつのやったことの方が遥かにやりすぎなことな上、人に『闇の魔法』を使うなんて普通の魔法使いがすることではない。それこそあいつが父親と同じ『死喰い人』……()()魔法使いである証拠に他ならない。僕なんかより遥かに賢いハーマイオニーのことだ。そんな簡単なことが分かっていないはずがないのに……それでも何故ダリア・マルフォイなんかのことを心配出来るのだろうか。まるであいつではなく、()()()()()()()()()()かのように……。どうせ心配するなら僕らの方を心配してほしい。

僕はそんな思いをぶつけるようにハーマイオニーに話しかける。

 

「ハーマイオニー。何故君がダリア・マルフォイなんかの心配をしているかは知らないけど、君も分かっているんだろう? ダリア・マルフォイは危険な奴だって。君も見たじゃないか。あの笑顔を……。しかも今回は『まね妖怪』が化けたものではなく、あいつ本人が浮かべた笑顔を。君はいつも僕の話を聞き流していたけど、君は今まであの笑顔を直接見たことがなかったから実感がなかっただけだ。でも今回のことで、」

 

「ハリー! 何を言っているの!?」

 

僕の言葉は些か攻撃的なものだったかもしれないが、これもハーマイオニーのためだ。ダリア・マルフォイの進退がどうなるかは分からないけど、今度こそハーマイオニーはあいつとの関係を断ち切らないといけない。あの身の毛のよだつ笑顔が、いつかあいつを信じ切っている()()()()()()()()向けられる前に。

しかしそんな僕の思いはいつも通り通じることはなかった。ハーマイオニーは僕が話しかけると同時に顔を上げ、僕を睨みつけながら言葉を遮ったのだ。

 

「確かにあの子は()()()()……()()()()()()()()を持っているのかもしれないわ! ()()()()()()()()()()()()、私は彼女のことを何も知らないのかもしれない! 今回の件だって、いざという時に動けなかった私がとやかく言う権利なんてないのかもしれない! でも、それでも私のダリアを信じる気持ちに変わりはないわ! ダフネとダリアは私の友達よ! 彼女達を裏切ることなんて、私は絶対にしないわ!」

 

そしてハーマイオニーは皆が唖然とした顔で見つめる中、猛然とした勢いで談話室を出て行ったのだった。ダリア・マルフォイのあんな常軌を逸した行動を見た人間とは思えない発言。ハーマイオニーは本当にどうしてしまったというのだろうか。

しかしそんな彼女の行動を僕らがとやかく言うことはなかった。何故なら彼女が出て行った直後、

 

「……あ! そろそろ時間じゃないのか!? 次の授業は何だっけ!?」

 

「そういえば! 確か次は……『占い学』のはずだよ! あそこは北塔だ! 早く行かないと!」

 

僕らは実は今こんな風に談話室でくつろいでいるわけにはいかないことに気が付いたのだから。

僕とロンの声に、皆が現実に引き戻された様に動き始める。でもいくら現実に戻って来ようとも、先程受けた痛みが消えたわけではない。皆やはり痛みに耐える様な表情をしながら、次のそれぞれの授業に向けて動き始めたのだった。

 

 

 

 

だから僕は失念していた。

僕らの中で唯一『数占い』を受講しているハーマイオニーが……次の時間一体誰と一緒に授業を受けるかということに。

 

僕らの心配通り、あいつが退学になっていないというニュースを聞いたのはこの数時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

足早……というより、もはや走っていると言ってもいい速度で私は『数占い』の教室を目指す。息が切れようと、滝の様な汗を流していようと関係ない。

私は今……一秒でも早くダリアに会いたくて仕方がないのだから。

正直な話、ダリアが無事に授業に来ている可能性は少ないのではないかと思っている。いくらムーディ先生やハリー達のせいでダリアが怒ったのだとはいえ、彼女が使ったのは『闇の魔術』に他ならない。何の罰則もないということはないだろう。下手をすれば退学の可能性だって……。

 

「急がなくちゃ……。はやく、はやくダリアに会わなくちゃ!」

 

でもそんなことが、私が走らない理由などにはならない。私は一刻でも早くダリアの安否を確認しなければならないのだから。

それくらいしか……今の私に出来る贖罪はないのだから。

そしてその思いは、

 

「ダリア! いた! よ、よかった!」

 

「……グレンジャーさん。私は……ちょっ、ちょっと!」

 

何とか天に届いたのだった。

私が飛び込んだ教室の中にはダリアが一人佇んでいる。手元には教科書類が置かれており、彼女が少なくとも退学だけは逃れたことだけは窺い知ることが出来た。そうでなければこうして授業を受ける態勢など取っているはずがない。おそらく後日に何かしらの罰則を受けることのみで事態を解決することが出来たのだろう。

しかし彼女が何の罰則を言い渡されたかなんて今は関係ない。私は教室に駆け込んだ勢いをそのままにダリアに抱き着く。そして彼女の体が表情同様強張るのにお構いなく、私はほぼ叫ぶように声を上げた。

 

「ご、ごめんなさい! わ、私……あの時貴女に何もしてあげることが出来なかった! 私はただそこに立ち尽くすばかりで、貴女に何の言葉もかけることが出来なかった! あぁ、ごめんなさい! ごめんなさい、ダリア!」

 

私は自分が情けなくて仕方がなかった。何がダリアと友達になりたいだ。あの時私はダリアの変化に驚くばかり……それどころか()()()すら感じるばかりで、一向に足を動かすことも声を出すことも出来なかった。ダリアにあれだけ迷惑をかけながら、それでも彼女に救われ続けた私がしていいような所業ではない。本来なら私に彼女の友達を名乗る資格などあるはずがない。事実事件直後は罪悪感で頭が一瞬どうにかなりそうだった。

でも、それでも、

 

「……グレンジャーさん。貴女は私が怖くないのですか? いえ……私は何を。怖くないはずがない。私は()()()相応しくないのは間違いないのです。貴女はダフネの友達でさえあればいい。私の様な怪物とは……。引き返すなら、」

 

「そんなことないわ! 確かにあの時、私は動くことすら出来なかったけど……それでも、私が貴女を怖がるなんてことはないわ! 貴女が私のことを友達だと思い切れていないことは分かっている! でも、それでも私は貴女のことを友達だと思っている! 友達になりたいと思っている! それだけは決して変わることはないわ!」

 

私は決して、これ以上ダリアから逃げたりなんかしない。これ以上、ダリアを裏切るような真似は絶対にしたくなんてない。もし次が許されるなら、私は必ず一番に動いてみせる。

だって……こんな私でも、()()()は信じてくれているのだから。

 

 

 

 

私はダリアが連れていかれた直後のことを思い出す。

 

『ハーマイオニー……。その、多分今何を言っても自責の念が消えるわけではないと思うけど……とりあえず、私の話を聞いてくれるかな?』

 

連れていかれるダリアの方に手を伸ばすものの、それでもやはり声を上げられなかった私にダフネが話しかけてきたのだ。

正直呆れられても可笑しくはなかった。知っているのに理解はしておらず、いざその光景を見た時にそれを否定してしまった臆病者。私はダフネやダリアに自分から友達になりたいといつも言っておきながら、その実いざという時一切の行動をとることが出来なかったのだから。

しかしそんな私にも、ダフネは一切の失望を感じさせない表情で続けた。

 

『わ、私……』

 

『いいから、私の話を聞いて。大丈夫。私も()()()()、貴女がダリアを裏切ったなんて思っていないから。貴女はただダリアの変貌に驚いただけ。それは仕方のないことだと思う。周りにいる馬鹿どもはともかく、貴方にとってダリアは優しい存在でしかなかった。でも、そんな彼女の新しい一面を今知った。……いえ、どうせグリフィンドールのことだから、ダリアのそういう面だけならいくらでも聞いていたと思う。でも実際に見たのは今回が初めて。そうだよね?」

 

『え、えぇ……』

 

想像もしていなかった切り出しに驚く私に、ダフネはやはり穏やかな口調で続ける。

 

『……私もそうだった。私が初めてダリアのあの表情を見たのは一年生の頃なんだ。あの時の私も、ただ驚くばかりでダリアに気の利いたことを言ってあげることが出来なかった。ダリアは苦しんでいたと言うのに……。でも……いえ、これは言い訳でしかないのだけど、それは仕方がないことなのだと今なら思う。それだけ彼女の抱えている()()は、私達には想像も出来ないものなのだから。……だからこそ、ダリアはあんなにも悩み苦しんでいるのだから』

 

そこまで言ったダフネは、初めて表情を真剣なものに変えて私に尋ねた。

 

『多分貴女はこれからダリアと付き合ううちに、彼女の隠していたことを少しずつ知っていくのだと思う。ダリアはその可能性を無視しているけど、バジリスクのことを暴いた貴女ならいずれ彼女の秘密にも気付いていく。まぁ、絶対に全てを知ることはないと思うけど。それこそダリア自身が話さない限りね。今回のことは序の口に過ぎない。あの子の抱える残酷な真実は、これからも唐突に私達の目前に現れることになると思う。どんなにダリアが優しい女の子であろうともね。だから貴女に聞くね。……ダリアには貴女はもちろん、私にさえ言っていない秘密がある。彼女の家族すら知らないことだってある。だからこれから先、何があってもおかしくはない。それでも私は、どんなことがあってもダリアの味方でいると決めた。貴女はどうなの?』

 

まるで()()()()()()()()()を、()()()()()()()()私に尋ねているような何かを諳んじるような口調。彼女の口調とは思えない言葉も所々混じっている。

でも、私はそんなことを気にしもせず、ただ最初から決まり切っている答えを口にしたのだった。

 

『そんなの決まっているわ! 私は誰がなんと言おうと、ダリアの友達よ! だから、何があっても()()()()()()のそばにいる! 私はそう決めたの! もう私が貴女達に抱いているのは憧れだけではないのだから!』

 

 

 

 

私は、

 

「な、何を言っているのですか。は、離してください。私は貴女のことなんか、」

 

「だめよ、お願い。もう少しだけこうさせて」

 

腕の中でもぞもぞと動くダリアを無理やり抱きかかえながら考える。

あの質問の後ダフネは、

 

『……あぁ、やっぱり私と貴女は似た者同士だね。答えまで同じだなんて。……信じるよ。貴女は決してダリアを裏切らないって』

 

そう澄み切った笑顔で私の答えに応えた。

ダフネが私の答えに何を思ったのかは分からない。でもあんな何も出来なかった私をも、彼女が今でも信じてくれていることは間違いない。私はいつまでも自身のしでかしたことで立ち止まっているわけにはいかない。

 

「私……絶対にもうダリアを裏切ったりしないわ。貴女がどんな秘密を抱えていようと、私はもう逃げたりなんかしないわ」

 

私はダリアがどんなに拒絶の意志を示そうと、それすら飲み込むようにダリアを抱きかかえ続ける。

ダリアが吸血鬼であることは分かっている。ダフネもまだ私がその事実を既に知っていることには気が付いていない。でも、ダフネの言葉からダリアの秘密がそれだけではないことが分かる。何より、吸血鬼であるということだけではあの表情に説明がつかない。

ダリアにはまだ何か……私の知らない秘密があるのかもしれない。

でもそんなことは関係ない。私がすべきことは決まっているのだから。

今までの自称などではなく、今度こそ本物の友達になるために。

私はもう、決してダリアを裏切ったりしないと決めたのだ。

 

私は弱弱しく抵抗するダリアを黙って抱きしめ続ける。

結局私が彼女から離れたのは、私達以外の生徒が教室に来てからのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

「くそッ! あの小娘!」

 

()()()()自室となった研究室に戻った()は、周囲に誰もいないことを確認してから内心の苛立ちをぶつけるように机を蹴り上げる。

言うなればここは敵地。俺の正体が露見してしまえば俺の身の安全は勿論、『闇の帝王』から頂いた偉大な使命すら脅かされることとなる。いくら自室とはいえ、本来ならここですら俺は()()をし続けなければならない。

だが今はどうしても演技することが出来なかった。腹の底から沸き上がる怒りに頭がどうにかなりそうだ。

それもこれも全て、

 

「あの小娘! 少し魔力が強いからと調子に乗りやがって! 俺は負けていない! す、少し油断していただけだ! あんな小娘が『闇の帝王』の右腕になるなんてどうかしている!」

 

全てダリア・マルフォイのせいだ。

思い出しただけで腸が煮えくり返る。……多少奴の杖捌きが速く、魔法力が強いことは認めよう。だが俺があいつにあんないいようにやられたのは、あいつをただの小娘だと侮っていたからだ。あの父親から解放された後、俺に命令を下さった帝王が、

 

『ホグワーツには俺様の右腕となるであろう()()……いや、娘がいる。あれにはまだやってもらうことがあるのだ。よってお前の正体を話すことは許さんが……今回の件にも何かしらの利用価値があるはずだ。あれは将来素晴らしい『死喰い人』に……俺様の役に立つだろう。お前が上手く使えば、それだけあれにも箔をつけることが出来る』

 

そんなことを仰っていたのだが、それでも俺は見た目に騙されていただけだ。次があるとすれば、俺の方が勝つに決まっている。俺の方が帝王の右腕に相応しいに決まっているのだ。

断じてあのように家族を傷つけられた()()()()怒るような娘が、俺より優れている、俺より帝王に注目されているなどということはあってはならない。

正直に言えばあんな小娘、今回のことで退学にしてしまいたかった。あの瞬間、怒りのせいで一瞬演技を忘れそうになったのだ。退学にしてしまえば少しは留飲を下げることが出来る上、あの忌々しい小娘を少なくとも()()()()見なくて済む。

しかし結局それは叶わなかった。ダンブルドアが余計なことを言いだしたために……。挙句の果てに裏切り者であるスネイプまで、あいつに大した罰を与えはしなかった。俺が()()()()()()()()以上、ダンブルドアの出した結論に必要以上反論するわけにはいかない。結果俺の怒りは行き場所を失い、こうして自室の机に当たるしかなかった。

 

「くそッ! マルフォイ家のくせに! 帝王を裏切った愚か者のくせに! 絶対に、絶対に許さんからな!」

 

一向に収まらない怒りを発散させながら思考を巡らせる。

今回の件で、ダンブルドアにああ言われた以上俺があの小娘に出来ることなどない。ならば作戦を変えよう。闇の帝王の仰っていた通り、あの小娘を徹底的に使い倒してやるのだ。勿論奴の功績になるようなことはしない。幸い退学にこそしなかったものの、ダンブルドアがあの小娘に警戒心を抱いているのは間違いない。赴任初日に小娘に対する()()を命じたくらいだ。あいつを警戒していないはずがない。

そしてそれを徹底的に()()()()。少し切欠を与えれば、あの小娘に目が行くようになり、俺がよりこのホグワーツで暗躍しやすくするのだ。そして目的を成し遂げ、いざ復活した帝王の元にはせ参じる時に、

 

「あいつが本当は無能であることを示すのだ。いや、無能であることにするのだ。あわよくばあいつを殺して……。あぁ、それがいい。それがいいぞ。帝王の部下に無能はいらない。帝王の右腕は、俺だけで十分だ……」

 

俺の方が優れていることを示すのだ。あわよくば消してさえ……。

俺はそこまで思考を巡らし、僅かに収まった怒りを更に抑えこむように……()()()()()()を笑顔に歪ませるのだった。




次回『許されざる呪文』。感想お待ちしています。


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許されざる呪文

ナギニの設定どうしよう……ちょっと様子見で。


ダリア視点

 

『これで借りを作ったつもりか?』

 

それがダンブルドアの決定を受けた私が感じた最初の感情だった。

確かにあの()()を攻撃してしまったことで、私は最初退学どころか最悪アズカバン送りになることを覚悟した。

あれだけあのゴミに弱みを見せまいと誓っていたのに、それをたった一日で破ってしまった。私の軽率な行動でマルフォイ家に迷惑をかけてしまう。

そう思っていた矢先のダンブルドアの決定。本来であれば有難く思わなければならないのだろうが……私にはどうしても素直に感謝することなど出来ようはずがなかった。本来であればあいつが私を庇うことなどあり得ない。あの老害は私を一年生の頃から警戒し続けている。そんな私が退学相当の問題を起こしたのだ。嬉々として私を退学にするだろう。

それなのに私を庇う? あまつさえスリザリン贔屓のスネイプ先生に任せる? 

あの老害は何かを企んでいるに違いない。

しかし奴の狙いが分からない以上、現状において私に出来ることが何もないことも確かだ。表面上は今まで通りの生活。私は今まで通り()()()()に過ごしていればよいし、

 

『ダリア、良かった! あの爺に何もされなかった?』

 

『いえ、大丈夫でしたよ、ダフネ。結局スネイプ先生に研究室の掃除を言い渡されたくらいでした……』

 

『ふん、当たり前だ。ダリアは何も悪いことをしていないんだからな。それにあの爺が退学なんて言い出そうものなら、今度こそ父上があいつを追放してくれたはずだ』

 

『……ドラコ、事情はクラッブ達から聞いたよ。次からはもっとやり方を考えてね……』

 

ダフネや……グレンジャーさんが安心してくれるならば、この決定もそう悪い物ばかりではない。それに退学になればマルフォイ家の名に泥を塗る可能性もあったことを考えれば、私に文句を言う権利などあるはずがない。

 

でもだからと言って……

 

「そんな物しまってしまえ。教科書など何の役にも立たん」

 

()()()のことを許せるかといえばまた別の話だ。

私の鋭い視線の先で、マッド-アイ・ムーディが生徒達に向かって唸るような声で指示を飛ばす。お兄様が()()()()されてから数日。遂に世界で一番嫌いな人間が担当する授業の日が来てしまったのだ。

ここ数日ムーディの授業を受けた()()()()()()()の生徒達は頻りに奴の授業を誉めそやしていた。曰く、今まで受けてきた授業の中で最も実践的だ。曰く、奴は『闇の魔術』と戦うことがどういうことか知っている。そんなことを皆口々に興奮したように語っていた。だが当然マルフォイ家の娘である私が、お兄様を傷つけた人間のことを許せるはずがない。どんなに素晴らしい授業をしようが、こいつが担当しているというだけで、それはもはや評価にも値しない不愉快な授業なのだ。楽しみに思えるわけがない。もはや昨日まであった、奴から技だけでも盗み取ろうなどという気概すら湧かない。

正直見かける度に奴を殺したいという衝動が湧き上がる。殺意だけでいえば、私個人に対してのみ監視を行うダンブルドアに向けるものより強いとさえ言える。出来れば今すぐ殺したい。今だって、

 

「ダリア、落ち着いて。ほら、ゆっくり息を吸って」

 

「ふぅ……。ダフネ……ありがとうございます」

 

少しでも油断すれば意識を持っていかれそうだった。ダフネが隣で私に声をかけてくれなければどうなっていたことか……。

幸い表情こそいつもの無表情から変わっていないようだが、私から漏れ出す冷たい空気だけは感じ取れたのだろう。周囲のスリザリン生達は勿論、合同で授業を受ける()()勇猛果敢なグリフィンドール生達も私の方をチラチラ見やりながら顔を青ざめさせている。顔色を変えていないのはダフネにお兄様、それとグレンジャーさんくらいのものだろう。尤も彼女達も私のことを心配そうな目で見つめていたが。

そんな異様な空気の中でも()()()実戦だけは積んでいる教師は、表情を変えることなく唸るように話し始めた。

 

「全員教科書はしまったようだな。よし、それでは授業を始めるとしよう。このクラスが今まで何を学んできたかはあらかじめ調べてある。闇の怪物達と渡り合う方法。それを満遍なく学んだようだな。だがそれだけだ。はっきり言ってお前達は遅れている。そう非常に遅れている。敵がいつも怪物だとは限らん。お前達は闇の魔法使いとの戦いを知らない。だからこそワシの役目はお前達にそれを教え、お前達を最低限のレベルまでは引き上げることだ。そうでなければ、お前達はいざ()()()闇の魔法使いと出会った時に何も出来んだろうからな」

 

そして一瞬奴は普通の目とグルグル動き続ける魔法の目、その両方で私を見つめた後続ける。

 

「まずお前達に本物の闇の魔術を実際に見せることから始めよう。魔法省によれば、ワシが教えるべきは反対呪文のみであり、実際に違法とされる闇の魔術を知るのは六年生からとなっている。要するにお前達は幼過ぎて、呪文を見ることさえ耐えられぬと考えられているわけだ。実に下らん。ワシに言わせれば、戦うべき相手は早く知れば知る程良いのだ。見たこともないものからどうやって身を守る? 違法な魔法をかけようとする魔法使いは、これからこんな魔法をかけると丁寧に教えてくれはせん。お前達は常に備えなければならん。緊張し、警戒し、常に襲われるのではないかと身構えなければならん。それをつい最近実感した者が多いはずだ」

 

私も人のことを言えないが、もはやこいつにも私に対する敵意を隠す気はないのだろう。今度はゴミ教師だけではなく、周りの顔色の悪い生徒までもが私の方に視線を向ける。

可能であれば挑発的な笑顔の一つでも浮かべてやりたいが、私の表情筋は自分でも動かせないために碌な反応を返してやることが出来なかった。それを無反応と取ったのか、あるいは最初から私の反応など気にも留めない予定だったのか、ムーディは即座に次の話題に移る。

 

「さて……ではまず魔法界において最悪と言われる闇の魔術を紹介するとしよう。魔法法律により最も厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者はいるか?」

 

何人かが中途半端に手を上げた。勢いよく手を上げているのはグレンジャーさんのみだが、他は意外なことにネビル・ロングボトムとロナルド・ウィーズリーが自信なさそうに手を上げている。

スリザリン生は誰一人として手を上げていない。スリザリン寮という特性上、私を筆頭に()()()呪文全てを知っている者も大勢いるのだろうが、全員怒り心頭な私に遠慮して手を上げないのだろう。ダフネやお兄様に至っては授業に参加する気も薄そうだ。

この反応にようやく苛立った様子のムーディが僅かに表情を歪めたが、ここでそれを指摘している時間はないと判断したのかウィーズリーを指名した。

 

「お前のその赤毛は……ウィーズリーの息子だな。確かにお前の父親なら教えていても可笑しくはないな。さぁ、一つ目を言ってみろ」

 

「えっと……ちょっと自信がないんですが、多分『服従の呪文』とかなんとか?」

 

「あぁ、正解だ。お前はもっと自分に自信を持て」

 

ムーディは見事正解を答えたウィーズリーを褒めると、おもむろに引き出しからガラス瓶を取り出し、中から巨大な蜘蛛を引きずり出す。

……ムーディに対する怒りが決して消えたわけではないが、僅かに、そう極々僅かに今から奴が行うであろうことに興味が出た瞬間だった。

そして私の予想通り、

 

『インペリオ、服従せよ!』

 

奴は本当に禁じられた呪文を蜘蛛にかけたのだった。

私が厭わしく思いながらも、どうしても()()()()()()()()最高にして最悪の『闇の呪文』を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

それらの呪文のことは勿論知っていた。寧ろ何故グリフィンドールの数名しかその呪文のことを知らなかったのか、その方が気になるくらいだ。

しかしもうそれを私が馬鹿にする権利などない。何故なら私も……その呪文の名前は知っていても、その呪文の恐ろしさを真には理解していなかったのだから。

 

『インペリオ、服従せよ!』

 

呪文と同時に、蜘蛛が糸を垂らしながら()()()()の手から飛び降りる。そして空中ブランコの様に前後に揺れたかと思うと、まるでマグルの曲芸師の様に空中で一回転しながら着地する。挙句の果てにどう見てもタップダンスとしか思えない動きまで始めたのだ。

教室中で笑い声が上がる。皆蜘蛛とは思えない動きが面白くて仕方がないのだろう。

でも私は決して笑えず、その呪文に……そしてその光景にこそ背筋が凍るような思いを抱いた。蜘蛛が蜘蛛らしくない動きをする。それはすなわち、

 

「面白いと思うか? わしがお前達に同じことをしても、お前達はそうやって笑っていられるのか?」

 

呪文をかけられれば完全な支配下に置かれることを意味しているのだから。

ムーディの唸るような声音に笑い声が一瞬にして消える。未だに笑顔を浮かべているのは、隣に座る()()()()()だった。

必死にダリアの手を握る私に頓着することなく、カスは呪文の説明を始める。その魔法の目だけはずっとダリアの方に向けながら……

 

「完全な支配だ。ワシはこいつを思いのままに出来る。それこそ窓から飛び降りさせたり、誰かを襲わせることもな。何年も前になるが、多くの魔法使いがこの呪文に支配された。呪文をかけられたせいで他人を襲い、時には殺しまでさせられた。しかもこの呪文の厄介なところは、一目では呪文をかけられているかどうか分からないということだ。お蔭で何人も誤認逮捕され、逆に何人もこの呪文にかけられただけと言われ逃げられることとなったのだ。……実に口惜しいことだ」

 

こいつ……またダリアに対する挑発を。

ルシウスさんが『服従の呪文』をかけられたと主張してアズカバン送りを脱したのは割と有名な話だ。彼の主張を信じている人間は皆無だけど。

それを彼の娘であるダリアの前で揶揄する。それはもはや明確な挑発行為に他ならない。事実何人かはそれに気づき、一瞬ダリアとドラコの方に顔を向けかけて……すぐに顔を戻している。ウィーズリーに至っては首を攣りそうなのか首を手で抑えていた。でも怖いのか実際にダリアの今の表情まで見た人間はいない。

何故それが分かるかというと……もし今のダリアの表情を見れば、確実に恐怖で目が釘付けになっただろうから。

先程まであんなに怒り狂った無表情を浮かべていたというのに、今はムーディの挑発も聞こえないくらい、タップダンスを踊る蜘蛛をそれは()()()()()笑顔で眺めているから。

ダリアの言うところの殺人に対する憧れ。あまりにショッキングな光景にそれを刺激されているのだろう。

見え透いた挑発に、ダリアの奥底にある衝動を刺激しそうな内容。……授業はまだ始まったばかりだというのに、私はとても嫌な予感を感じていた。

そしてその予感は正しく、

 

「……次だ。他の禁じられた呪文を知っている者は? ……どうだ、ロングボトム。お前も先程手を手を上げていたな。お前なら次の呪文が何か分かるのではないか?」

 

「……は、はい、一つだけ。は、『磔の呪文』です」

 

「あぁ、そうだ。……その通りだ」

 

間違ってはいなかった。

ムーディはロングボトムの答えを受けると、今ではとんぼ返りをしている蜘蛛に次の呪文をかけたのだ。

 

『クルーシオ、苦しめ!』

 

効果は劇的だった。

呪文を受けた蜘蛛はまるで脚を胴体に引き寄せる様に折り曲げてひっくり返り、七転八倒しながら痙攣し始める。蜘蛛は声を出すことが出来ないけど、おそらく声を出せさえすればとてつもない叫び声をあげていたことだろう。誰がどう見ても蜘蛛がゾッとする程の苦しみを感じているのは明らかだった。

いよいよ教室内は異様な様相を呈し始めている。周りの生徒達の表情は益々青ざめたものに変わっており、ロングボトムに至っては何かをに耐える様に指の関節が白くなるまで拳を握りしめている。……そんな中、やはり相変わらずダリアだけはとても楽しそうな笑みを浮かべ続けていた。

もはやこれを授業と呼べるのだろうか?

もう我慢することは出来ない。この異様な空間を壊すために、私は大声を上げた。

 

「止めなさい! 貴方は何をしているか分かっているの!?」

 

全員がはじかれた様に私の方を振り返る。私の大声にロングボトムが僅かにありがた気な表情を浮かべているが、そんなことはどうでもいい。私はダリアを庇うように立ち上がりながら続けた。

 

「こんなものはもう授業ではないわ! 貴方はただショッキングな光景を生徒に見せつけているだけ! おまけにダリアを挑発して! 一体貴方は何をしたいの!?」

 

しかし私の言葉はムーディに通じることはない。

カスは私の方をジロリと睨むと、こちらに未だにヒクヒク痙攣する蜘蛛を手に抱えながら近づき言った。

 

「……確かお前はグリーングラスだったな? ワシが何をしたいか? 最初に言ったはずだ。お前達に本物の闇の魔術を見せると。ショッキングな光景? お前は魔法使い同士の戦いでお綺麗な呪文だけが使われると思ったのか? 下らん。これが本物の闇の魔術だ。これを知らねば、お前達は前に進むことも出来んのだ」

 

そして私とダリアの間にそっと蜘蛛を置き、奴は最後の質問を()()()()したのだ。

 

「……最後の質問だ、ダリア・マルフォイ。先程は手を上げておらんかったが、お前は知っているはずだ。この中で、唯一()()()()()闇の呪文を見つめているお前なら。禁じられた呪文の中で、最も恐ろしいとされる呪文を。聞けばお前は一年生の頃からこれを使いこなせていたらしいな?」

 

絶句して言葉も出ない。あまりに教師の規範から逸脱した言葉だと思ったのだ。いくら、マルフォイ家と敵対する『闇祓い』とはいえ、14歳の女の子に普通こんなことを言うのだろうか?

おまけにダリアの今の表情を、あたかも皆に見せつける様なことを……。

彼は以前から頭がおかしいことで有名であったが、同時に正義感が強い人物としても有名だった。

そんな人間が本当にこんな行動を取るのだろうか?

 

私は一瞬、こいつが()()()マッド-アイ・ムーディなのかと……そんな突拍子もない疑問を抱いていた。

 

 

 

 

この疑念にもっと真剣に向き合っていたのなら、今年の結末はもっと別の物になっていたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

最初は呪文で操られ、次に苦しみを与えられる。蜘蛛は次の呪文で一体どうなってしまうのだろか?

そんな悠長な疑問を抱けるような空気は、今の教室にはどこにもなかった。

皆一様に笑顔を浮かべるダリア・マルフォイと、そんな奴を睨みつけるムーディ先生を恐怖の視線で見守っている。

こんな恐ろしい呪文を見ても笑顔を浮かべているダリア・マルフォイに恐怖を覚えたこともあるが、僕らが即座に思い浮かべたのはつい先日の光景。笑顔で人を傷つけるダリア・マルフォイと血だらけのムーディ先生。あの悪夢がいつ再現されても可笑しくはない光景だった。

しかし、

 

「……『アバダケダブラ』です、先生。最後の呪文は『アバダケダブラ』……死の呪文です」

 

ハーマイオニーの突然の発言によって、張り詰めていた空気は僅かに霧散することとなる。

思わぬ人物の横やりにムーディ先生が顔を歪める。傷だらけのため詳細に彼の表情を読むことは出来ないが、おそらくハーマイオニーの発言に鼻白んでいるのだろう。まるで何かの目的を邪魔されたかのような……そんな雰囲気だ。ムーディ先生は魔法の目でダリア・マルフォイを見つめ続けながら、普通の目でハーマイオニーを見やる。

そしてハーマイオニーも何故かムーディ先生にどこか敵意の籠った目つきで睨み返していた。

だがこうして見つめあっていても埒が明かないと思ったのか、先生はおもむろに蜘蛛に杖を向け、

 

「……正解だ、グレンジャー。『アバダケダブラ!』」

 

遂にその呪文を唱えたのだった。

目も眩む様な緑の閃光が教室を照らす。そして光が晴れた時には……ダリア・マルフォイの前に置かれていた蜘蛛は()()()()()。傷があるわけでも、どこか体の一部が欠損しているわけでもない。でもそのひっくり返る蜘蛛を見た瞬間、僕等全員が理解したのだ。あの蜘蛛は紛れもなく、今の呪文によって殺されたのだと。

あちこちで声にならない悲鳴が上がった。皆顔を青ざめさせ、蜘蛛嫌いのロンでさえ暗い表情を浮かべている。

そんな中で変わらず笑顔を浮かべているのは、やはりダリア・マルフォイだけだった。

ムーディ先生は恐ろしい呪文を目の辺りにしても表情を変えない奴を警戒したように眺めながら、静かな口調で続けた。

 

「……実に()()()呪文だ。……本来であれば笑ってなどいられないような呪文だ。しかも反対呪文が存在しない。つまり防ぎようがない。これを受けて生き残った者はただ一人。その者は今この教室に座っている」

 

前半はともかく、これは明らかに僕のことを指している言葉だった。それは皆も分かるのか、先程までダリア・マルフォイを凝視していたのが、今では僕の方を振り返って見つめている。

しかし僕はそんな皆の反応に応える余裕などなかった。

ムーディ先生の言葉に一瞬で様々な感情や思考が脳裏をよぎる。

去年『吸魂鬼』に見せられた光景では、母の叫び声と共に今見た緑の閃光が見えていた。そうだ……この呪文で両親は殺されたのか。この蜘蛛と同じように傷一つなく。ただ緑の閃光を見た一瞬の間に……。ヴォルデモートはこの呪文を使って、僕の両親を殺したのだ。

そしてこの呪文を……()()()()()()()()()()使っているのだ。

道理で一年生の頃、奴がトロールを殺した呪文に見覚えがあるはずだ。そして『秘密の部屋』でトムに使っていた呪文。いずれもあいつはこの見覚えのある緑色の閃光を放っていた。こいつはムーディ先生の言うようにこの呪文を使いこなせている。それこそ一年生の頃から。この忌まわしい、人を殺すためだけにあるような呪文を……。

悲しみ、喪失感、絶望、無力感、怒り、そして憎悪……。様々な感情が脳裏をよぎっては消えていく。思考が錯綜してまとまることがない。

そんな僕の思考を知ってか知らずか、ムーディ先生は再び話し始めた。

 

「さて、今日お前達はようやく、この三つの闇の呪文を知った。『服従の呪文』、『磔の呪文』……そして死の呪文『アバダケダブラ』。特にこの『アバダケダブラ』には先程も言った通り反対呪文がない。ならば何故お前達に見せたのか。それはお前達は知っておかねばならないからだ。最悪の事態がどういうものか、お前達は味わっておかねばならない。これらは『許されざる呪文』と呼ばれ、同類である人に対して使われることを禁じられている。使えばアズカバンで終身刑だ。だがお前達が将来立ち向かうものはそういう呪文なのだ。さぁ、羽ペンを出せ。これらの真の恐ろしさを更に理解するため、羊皮紙にこれらのことを書き写すのだ」

 

それからは静かな時間だった。皆が『許されざる呪文』についてノートに書きとることに集中している。

そしてようやく喧騒が教室に戻ったのは、

 

「ここまでのようだな。では次の授業までに更に羊皮紙二枚分、この『許されざる呪文』が何故アズカバンに送られるに値するかを書き記すこと。以上だ」

 

つまらなそうにムーディ先生が授業の終わりを宣言した時だった。

皆教室を出た瞬間、なるべくダリア・マルフォイを視界に収めないようにしながら話し始める。

 

「あの蜘蛛が痙攣している姿を見たか?」

 

「あぁ! それに最後の呪文! ムーディが殺した時、あっという間だった! すげーよ!」

 

皆がまるで最高の()()()を見たような雰囲気で話す。あれだけ笑顔のダリア・マルフォイを恐ろしがっていたというのに……。

だからと言って、

 

「……ダリア、大丈夫?」

 

「何がですか? あぁ、授業内容についてですか? 私は平気ですよ。確かに少しショッキングな内容でしたが……。あのような恐ろしい呪文を、まさか教師が使うなど……。ダフネこそ平気ですか?」

 

「……あ、ありがとう、ダリア。()()平気だよ」

 

()()()()()で、先程の授業を恐ろしいと評するのもどうかと思うけど。

僕の憎悪の視線の先で笑顔のダリア・マルフォイと、そんな彼女に当惑したように話すダフネ・グリーングラスが会話をしている。途中、

 

「……ねぇ、ダフネ。もしかしてダリアは今の自分の表情を……」

 

「……うん、分かっていないよ。()()()()()

 

僕の親友であるハーマイオニーが何か話しかけても関係はない。

 

「ハーマイオニー! またそいつらなんかに話しかけて! ほら、はやくこっちに!」

 

僕は無理やりにでもハーマイオニーを危険な()()から引き離しながら思う。

やっぱりダンブルドアは正しかった。最初から疑ってなどいなかったけど、今回の件で更に証明することが出来た。

ダリア・マルフォイが現時点でも危険な魔法使いであるということが。あんな呪文を見て笑顔でいられるなんて、それはこいつが最初から危険な闇の魔法使いである証拠に他ならない。

今思えばムーディは証明しようとしていたのだ。こいつを明らかに挑発している時には先日のことを恨みに思っているのではと思ったけど、彼はそんなちっぽけなことであのような言動を取っていたわけではない。彼は皆に示したのだ。僕等の近くに潜んでいる闇の魔法使いが誰なのかを。退学になっていなくとも、真の敵が今も近くにいることを。

 

僕の心の中に様々な感情が浮かんでは消えていく。

ダリア・マルフォイの方に振り返るハーマイオニーを引っ張りながら、僕は無性に叫びたい衝動を何とか抑え込むのだった。

だからそんな自分のことだけで精一杯だった僕は、

 

「……ねぇ、ロングボトム。顔色が悪いわよ」

 

「……だ、大丈夫だよ。……そ、そう言えば、さっきはありが、」

 

「勘違いしないでよ。私は別に貴方のために声を上げたわけではないわ」

 

あのハーマイオニー以外のグリフィンドール生に辛辣な態度をとるダフネ・グリーングラスですら、少し心配そうに話しかける程顔を青ざめさせている友人に気が付くことはなかった。



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越えられないはずの線(前編)

()()()()()視点

 

つい最近まで、私は世界で一番運のいい男()()()

純血の家に生まれ、何不自由ない生活を送る。そして闇の帝王が台頭し始めた時には、死喰い人として高い地位を確保することに成功した。当に順風満帆な人生。

闇の帝王が倒れアズカバンに収監された時はどうなるかと思ったが……かつての仲間を売ったことで何とか事なきを得た。

……恨みを買ったことは分かっている。しかしあのままアズカバンにいればいずれ死んでしまうのは明白だった。ならばその難を逃れるために仲間を売るのは当然ではないか。私は生き残るために当然の行動を取ったに過ぎない。それに仲間と言っても、元々闇の帝王に組した方が出世できると見込んでいただけのことだ。彼らがどうなろうとどうでもいい。いずれアズカバンで朽ち果てる人間達のことなどどうでも……。

そしてそんな私の考えは正しく、それからはまたとんとん拍子に物事がうまく進んだ。

ルシウス・マルフォイ達の様に身の潔白を証明したわけではないが、アズカバン行きを逃れることは出来た。それどころか死喰い人として純血主義を標榜していたのが功を奏し、ダームストラングの校長に推薦されさえした。元通りの生活どころか、より輝いているとさえ言える人生。ダームストラングは古巣であるホグワーツ程豪華な建物ではなかったが、子供が私に傅いてくるのはとても素晴らしい気分だ。汚らわしいマグル生まれがいない学校というのも実にいい。私はつくづく運のいい男なのだと私は確信して()()

そうつい先日、

 

「何故今頃になって……」

 

今まで消えていたはずの闇の印が腕に浮かび上がるまでは。

予想もしていなかった闇の帝王生存の報に、私の勝利者としての人生はいきなり暗転することとなったのだ。

暗い()()の中で腕を見つめながら考える。一体どこで何を間違ったのだろうか。

やはりかつての仲間を裏切った時か?

いや、だがあの時あぁしなかったら私は死んでいたことだろう。()()()()()()()を売ることで、当時裁判官だった奴を失脚させることも出来た。お蔭で私の追及が柔らかくなったのだ。他にどうすれば良かったと言うのだ。

だがあの時のせいで私が今窮地に立たされているのも否定しようもない事実。闇の帝王が本当に帰ってくれば彼らは解放される。私が売ったクラウチの息子はアズカバンで()()()()()が、他にも私に恨みを持っている死喰い人は大勢いる。きっと奴らは私を許しはしないだろう。そして何より……闇の帝王が私を許さない。あのお方が復活すれば、真っ先に私を殺しに来ることだろう。

腕に浮かび上がりつつあるどうしようもない事実に頭がどうにかなりそうだ。

自分が生き残るにはどうすればいいか。出来ることなら闇の勢力に戻りたいが、闇の帝王が私を許すはずがない。私が一人で何かを訴えたところで意味はないだろう。何やら活発に動き始めているルシウス・マルフォイに取り入れば何とかなるかもしれないが、奴も私を庇うことの危険性を承知しているのか、私がいくら手紙を送っても返事すらない。残された闇の勢力に戻る方法は、ホグワーツに在籍しているというルシウス・マルフォイの娘に取り入ることくらいのものだ。齢14の小娘でありながら純血貴族の中でも有名な人物だ。取り入ることが出来れば僅かな可能性が生まれる。今はその可能性にかけてホグワーツに行くしかない。

それにホグワーツには、

 

「セブルス……お前はどうするつもりなんだ?」

 

私と同じ立場のセブルス・スネイプがいるのだから。

あいつは私とは違い嘗ての仲間を売ったわけではないが、今では完全にダンブルドアの手先に成り下がっている。闇の帝王が復活した時にあいつも無事でいられるはずがない。きっと今頃は私と同じく恐怖で恐れおののいていることだろう。奴ならば私の相談にも乗ってくれるはずだ。もし闇の勢力に戻れなくとも、いざという時ホグワーツで匿ってくれるようダンブルドアに提案してくれるはずだ。ダンブルドアのことを信じているわけではないが、ホグワーツには闇の勢力とて()()()()()()()()()()()以上、奴がいるホグワーツこそがこの世の中で一番安全な場所であることも事実。いざという時のために利用しない手はない。そのためだけに態々『三大魔法学校対抗試合』などに参加することを許可したのだから。

生き残る可能性が見えてきたことで、僅かに気持ちが再び明るさを取り戻してくる。

しかもタイミングのいいことに、

 

「……校長、もうすぐホグワーツに到着します」

 

「あぁ、ビクトール。もうそんな時間か」

 

私にとって()()可愛い生徒であるビクトール・クラムがホグワーツ城への到着を知らせに来たのだった。

子供など私に傅く以外に存在価値などありはしないが、この生徒だけは違う。この子は世界的に有名なクィディッチ選手なのだ。この子を可愛がっておけば、私の将来も更に明るいものになる。ただ可愛がっているだけで、私には自動的に超有名シーカーの恩師という立場が与えられるのだ。可愛く思わないはずがない。

私はビクトールの肩を親し気に抱きながら船室の外に出る。外では帆を張る準備などとあくせく働いている生徒達がいるが、私はそんな無価値な生徒達に一瞥もすることなく階段を上がり……遂にその城を再び目にしたのだった。

 

「懐かしいな……昔と少しも変わっていない」

 

満点の星空の下に巨大な城の影が浮き上がっている。

当に難攻不落の城と言ってもいい佇まい。その嘗て通っていた学び舎に、私は期待感を込めた視線を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

三大魔法学校対抗試合。

『三校対抗』と言うからにはホグワーツ以外の二校も参加する。ダームストラングにボーバトン。二つともホグワーツと並び立つ世界的な魔法学校として有名だ。

だがお互い名前自体は知っていても、その実他校がどこにあるかだけではなく、どのような生徒が通っているかさえ定かではない。ダームストラングは純血主義であり闇の魔法も教えることがあるという程度の情報しかなく、ボーバトンに至っては知られていることは本当に名前だけだ。

だからこそ当然、

 

「凄いぞ! 見たかあのボーバトンが乗ってきた馬車! ほとんど屋敷だったぜ、あの大きさ! 引っ張っていた天馬も相当大きかったし!」

 

「ダームストラングも凄かった! なんだよあの船! 湖の中から突然浮かび上がってきたぞ! それにまさかビクトール・クラムがいるとは!」

 

いざ彼らが本当にホグワーツに現れる段となれば、ホグワーツ内は完全にお祭り騒ぎとなる。

マダム・マクシーム校長も含めて何もかも巨大なボーバトンに、突然湖に浮かび上がったダームストラングの船。そして世界的に有名なクィディッチ選手。実に話題の尽きないメンバーと登場の仕方だ。

しかし私にとってそれだけのことだった。

多少彼らの登場の仕方には興味を抱いたが、特段周りとその話で盛り上がる程の興味は持ち合わせていない。対抗試合に参加するつもりも、ましてや観戦するつもりさえ薄い私にとっては彼らのことなどどうでもいい。ただでさえ初回の『闇の魔術に対する防衛術』の()()()()狭苦しくなったホグワーツが更に狭くなるだけ。挙句の果てに彼らが来たことで私のクリスマスが奪われたのだ。別に二校の生徒が悪いわけではないのだが、家族との時間を奪われたと考えればそんな理不尽な怒りを覚えずにはいられなかった。

そしてそれは、

 

「ダ、ダリア! ビ、ビクトール・クラムだ! こ、こっちに来るぞ!」

 

「す、すごいよ! 本物だよ!」

 

「……お兄様、ダフネ。二人とも落ち着いて下さい。そんなに引きつった表情を浮かべていると、来るものも来なくなりますよ」

 

話題の中心であるクィディッチ選手がこちらに近づいていても変わらない。

ダームストラングの気質……というよりあちらの校長の意向なのか、ダームストラングの生徒は大広間に入るなり全員が全員スリザリン寮の机を目指して歩いてくる。その中には当然噂の人物もいるわけで、彼に至っては何故か私達の方に真っすぐに向かっている。最初は勘違いかもと思ったが、視線に気が付いた私が見つめ返しても方向が変わらないことから間違いないだろう。

しかも開口一番、

 

()()()()()ダリア・マルフォイですか?」

 

などと口にするものだからもう確実だ。

……当然のことだが、入学するまで家にほぼ引きこもっていた私の知り合いにクィディッチ選手などいない。このややぶっきらぼうな表情を浮かべている世界的有名選手も例外ではない。お兄様も彼にお熱であることから私も知っているだけで、向こうが私の名前を知っている理由などあるわけがない。

 

「そ、そうだ! と、隣に座っているのが僕の妹のダリアだ! ほら、ここに座りなよ!」

 

「そ、そうだね! ほら! 早く早く!」

 

「……二人とも何度も言いますが落ち着いて下さい。どうぞ、私の傍なんかでよろしければ」

 

私は大興奮するお兄様達を尻目に、僅かに警戒心を露にしながら有名選手に答えた。

だがそんな二人も、

 

「カルカロフ校長が言ってました。ヴぁなたの傍に座るようにと。ヴぁなたも何かで有名な方なのですか?」

 

いざビクトール・クラムがこちらに来た理由を聞けば、先程とは打って変わり緊張した表情に変わっていた。

 

「……おい、なんでお前がダリアのことを知っているんだ?」

 

「……ダームストラングの校長が言っていた? 詳しく話してもらえるかな?」

 

どうやら今年の一年は外部生にすら油断するわけにはいかないらしい。

私は出来る限りの愛想笑いを浮かべながら、目の前に座る他校選手に応えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

今日まで『三大魔法学校対抗試合』があるという認識はあまりなかった。

クィディッチの練習はないが、変化という変化はそれだけ。正直な話、今日まで『三大魔法学校対抗試合』が今年開催されるという実感はそこまでなかった。白イタチ事件やダリア・マルフォイの笑顔などいくつかの事件があっても、それらは全て対抗試合には関係ないものなのだから実感のしようがない。

しかし今は違う。

玄関ホール前に整列させられたと思えば、突然現れる空飛ぶ天馬に引かれる巨大馬車に、湖を潜航する巨大船。マグルの世界では決して見ることのできない光景が繰り広げられたのだ。

ここに来てようやく試合が行われるのだと実感できた生徒は僕だけではないだろう。

そしてそれは二校の生徒を大広間に迎えてからも変わらない。

少し見渡すだけで、昨日まで大広間では見られなかった光景がいくつも散見することが出来る。教員席を見ればダンブルドアの隣に見慣れぬ三人の人物。ハグリッドより大きいのではと思われるマダム・マクシームに、少し痩せた体格の山羊髭を蓄えたイゴール・カルカロフ校長。そして最後に唯一見覚えのある人物、おそらく魔法省から監督役として派遣されたであろうクラウチ氏が座っていた。

変化はそれだけではない。教員席から生徒達の席に目を向ければ、こちらにも見覚えのない人たちがいたる所に座っている。

薄物の絹の様なローブを着たボーバトン生はレイブンクローの席に固まって座っており、その中でも一際目立つ美少女が辺りの生徒の視線を集めている。長いシルバーブロンドの髪がさらりと腰まで流れており、大きな深いブルーの瞳がまるで輝いているようだ。まさに文句のつけようのない美少女。正直造形だけならダリア・マルフォイも同じくらいなんだけど……あちらには表情が絶望的にないため、僕にはボーバトン生の方が遥かに美少女に見えた。

そしてもう一つの変化であるダームストラング生。深紅のローブを身にまとう彼らは、スリザリン寮の席で興味津々な様子で星の瞬く黒い天井を眺めている。しかもその中にはボーバトンの美少女より注目を集めている人物がおり、

 

「ふん、何だよあのおべんちゃら野郎。クラムが目の前に座ったからっていい気になりやがって。でもどうせ無駄な努力だぜ。彼はいつでも誰かにじゃれつかれてるんだ。あいつの腐った性根もお見通しだろうさ」

 

その人物は何を思ったのか、スリザリン寮の中で端っこに座るダリア・マルフォイ達の目の前に座っていたのだった。

いつもであれば、同じスリザリン生ですらダリア・マルフォイの近くに座ることはあまりない。いてもスリザリン内で地位が高いと思われるお坊ちゃま連中だけだ。特にあの事件があってからはより一層それが顕著だった。クラムが座るまでは誰一人としてあいつの近くに座ろうとはしなかった。でも今ではクラムが何故かあいつの前に座ることでちょっとした人だかりが出来上がっているのだ。それもある意味でクラムと同じくいつもと違った光景と言えるだろう。

そんなあり得ない光景に、僕の前でソーセージに齧り付くロンが悪態をつく。彼の目からはクラムにダリア・マルフォイ……はいつも通りの無表情に見えているだろうけど、ドラコの方は彼に纏わりついているように見えているのかもしれない。でも僕とハーマイオニーは違う意見を持っていた。

 

「……ロン、私にはそんなにドラコが彼に纏わりついているようには見えないわ。寧ろドラコとダフネの表情が硬い気がするわ。それに、どちらかと言うと彼の方からダリアに近づいていたような……。彼、ダリアのことを以前から知っていたのかしら? ただ美人だから近づいただけだといいのだけど……」

 

先程までクラウチ氏を忌々しそうに見ていたのに、今ではダリア・マルフォイの方に心配そうな表情を浮かべるハーマイオニーに僕は首肯する。僕もハーマイオニーの意見に同意見だったのだ。

あの世界的シーカーが目の前にいて、あまつさえ自分に話しかけてきているのだ。いつものドラコであれば得意げな表情を浮かべてこちらを見ていることは間違いない。でも今の奴はそんなに楽しそうにクラムと話しているようには僕に見えなかった。奴の取り巻きであるダフネ・グリーングラスも同様だ。

一体クラムは何を思ってあんな人を何とも思っていないような無表情の奴に近づき、本来喜ぶはずのドラコ達は嬉しがっていないのだろうか。

僕は少しだけそんな疑問を抱きながら、()()()()何かされるのではないかと心配してスリザリン席を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ダリアは大丈夫かしら?

それがダフネとドラコの反応を遠目から見た時、私の中にまず最初に浮かんだ思考だった。

ドラコは勿論、クィディッチにそれなりに興味を持っているダフネが、果たしてビクトール・クラムが近くに来てあのような表情を浮かべるのだろうか。

ここからでは何を話しているかは分からないけれど、決してダリアにとっていい話をしていないのは間違いない。彼らがあんな警戒した表情を浮かべるのは、いつだってダリアが関わる時だけ。今この瞬間においても彼女にとって何かよからぬことが起きているのかもしれない。

私はそんな不安を込めて、いざという時今度こそダリアのために動き出せるよう身構えていたのだけど、

 

「さてホグワーツの生徒諸君! そして遠方から来られたダームストラングとボーバトンの生徒諸君! 皆存分に食事を楽しんでくれたことじゃろう! それではこれから、いよいよ『三大魔法学校対抗試合』を始めるにあたりいくつか説明させていただくとしよう」

 

その不安は杞憂に終わることとなる。

突然大広間に響き渡ったダンブルドアの声によって全員の注意が教員席に集中する。勿論ダリア達も例外ではない。未だにクィディッチ選手の方をチラチラ見ている様子ではあったけど、とりあえずダンブルドアの話を聞く姿勢にはなっていた。私はそんな彼女達の反応にホッとしながら、自身も教員席の方に耳を傾けた。

 

「皆も知っての通り、試合を競うのは各校から選出された三人の選手じゃ。三人は()()()()()()()()()()()()()()()課題を潜り抜けることで様々な面を試されるじゃろう。魔力、勇気、論理的な推理力、そして危険への対処能力をじゃ。代表選手は一つ一つの課題をどのように巧みにこなすかで採点され、三つの課題の総合点が最も高い者が優勝杯と……一千ガリオンと永遠の名誉を手にする。これらを審査員であるカルカロフ校長、マダム・マクシーム、ホグワーツ校長であるワシ、そして態々今回のことで魔法省から来てくださった『国際魔法協力部部長』バーテミウス・クラウチ氏が行う」

 

……やっぱりあの人は今回の審査員として来たのね。何故あんな『屋敷しもべ妖精』を奴隷労働させるような……ダリアに謂れのない言いがかりを吹っかける人を審査員に選ぶのかしら。

私はワールドカップにおける一件以来嫌悪感を抱いていた人間を僅かに睨む。しかし私が審査員にどんな感情を抱いているかなどに関係なく、ダンブルドアの話は続いてゆく。

そして、

 

「さてここまで話し終えたが、皆未だに気になっておることじゃろう。一体どうやってこの代表選手を選ぶのか。それは公正なる選者……『炎のゴブレット』じゃ!」

 

遂にそれが私達の目の前に現れたのだった。

ダンブルドアが宣言と共に杖を振ると、大広間の扉が突然開き、玄関ホールの方から何か木箱の様な物がゆっくりと姿を現す。そして生徒達の視線を一身に受けながら大広間の中央を進み、ダンブルドアの手元に到着した時、今度は箱から木のゴブレットが現れたのだ。

それは何の変哲もない、ただ木を荒削りして作ったゴブレットの見た目をしていた。ただ普通のゴブレットと違う点は、その縁から溢れんばかりの青白い炎を躍らせていることだった。

一体あれは何かしら?

そんな生徒の疑問の視線を受けながら、ダンブルドアは実に楽しそうに説明を再開する。

 

「これこそが最初の『三大魔法学校対抗試合』から使われ続けてきた『炎のゴブレット』じゃ。このゴブレットが名乗りを上げた者の中で、最も代表選手に相応しき者を選出するのじゃ。皆、我こそはと思う者は、羊皮紙に名前と所属校をはっきりと書き、このゴブレットに入れるのじゃ。期限は明日のハロウィーンパーティーまでじゃ。これから24時間の内にその名を提出するように。このゴブレットは今から玄関ホールに置いておくとしよう」

 

ここまでの説明で大広間は大興奮に包まれていた。皆声こそ上げていないけど、ランランとした瞳でゴブレットを見つめている。

優勝杯を手に入れれば、得られるのは永遠の名誉。皆欲しくてたまらないのだろう。

しかしそれもダンブルドアの次の言葉で、()()()は鎮静化されることとなる。

 

「……最後に、これは最初にホグワーツ諸君に言ったことじゃが、17歳に満たないものは出場禁止じゃ。軽々しく名乗りを上げぬことじゃ。『炎のゴブレット』に選ばれた者には試合を最後まで戦い抜く義務が生じる。ゴブレットに名前を入れるということは、魔法契約によって拘束されるということじゃからのぅ。安全対策が十分考慮された課題とはいえ、一歩間違えれば死んでしまいかねぬ危険な試練じゃ。しかし途中で気が変わったなどということは許されぬ。その点を十分考慮した上で、自らは本当に課題を耐えきる能力があると判断出来れば名乗り上げるのじゃ。17歳未満の者に対しては、諸君らがそれでもと思わんようにワシ自らが『年齢線』を引くことにする。これは()()()()()()使()()()()、17歳に満たない者が越えられぬ強力な魔法じゃ。諦めるのじゃな」

 

そして最後に解散を宣言することで、『三大魔法学校対抗試合』開始の宴は終わりを告げたのだった。

今日一日で一気に数の膨れ上がった生徒達が一斉に動き出す中、比較的近くにいたフレッドとジョージの声が聞こえてくる。

 

「はん! 何が『年齢線』だ! そんなことで諦めると思うなよ!」

 

「そうだな! それに『老け薬』でどうにでも()()年齢は誤魔化せるんだ! いったんゴブレットに入れてしまえばこっちのものさ!」

 

二人はダンブルドアの宣言を聞いても諦めていない様子だった。

私はそんな本当に危険に飛び込みそうな二人を諫めるべくことをかける。しかし、

 

「でも、17歳未満じゃ誰も戦い遂せることは出来ないわ。ダンブルドアも言っていたでしょう? とても危険な課題だって。私達じゃ圧倒的に勉強不足よ……。戦えるのはダリアくらいのものよ」

 

「……ハーマイオニー、君は俺たちがあんな奴にも劣るっていうのかい? 俺たちだってやれるさ。ハリーもやるだろう?」

 

どうやら私は諫めるための言葉を間違えてしまったらしい。

私はぶっきらぼうに返事をした後、今度はハリーを誘い始める二人を止めようと更に声をかける。

だから、

 

「は、初めまして、ミス・マルフォイ。わ、私はイゴール・カルカロフと申します。以後お見知りおきを……」

 

「……初めまして。態々ダームストラングの校長自ら……ご丁寧なことですね」

 

人混みの向こうでダリアにカルカロフ校長が近づいていることや……それをムーディ先生がジッと見ていることに、私が気付くことはなかったのだ。

 



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越えられないはずの線(後編)

 ハリー視点

 

17歳になっていないにも関わらず、その実力のため特例で代表選手に選出された僕。

ホグワーツ代表選手となり、様々な課題を乗り越える僕。

そして遂に優勝杯を手にし、全校生徒の大歓声の中祝福される僕。その中にはあのチョウ・チャンも含まれており、彼女が僕だけに向かって称賛の笑顔を向けてくれる。そんな彼女に、僕もやはり彼女だけに向けて笑顔を返す。

 

……そんな夢の様な光景を、一度でも夢見なかったかと言えば嘘になるだろう。

 

でも自分自身でも分かっているのだ。僕は決してダンブルドアの施した年齢対策を突破することは出来ないし、ましてや選出されたとしても、三つもあるという危険な試練を乗り越えられるような実力など持っていない。ヴォルデモートから逃げおおせることが出来たのも偶々僕の運が良かっただけ。次も乗り越えられると思う程、僕は自分の実力を過大評価してはいない。だからフレッドとジョージに誘われても、僕は『三大魔法学校対抗試合』に立候補するつもりはなかった。

しかしだからと言って、代表選手に対しての興味が失われたわけではない。寧ろ自分が試合には出ない分、誰がホグワーツの代表として戦うのかとても興味を持っていた。

そしてそんな生徒は僕だけではなかった。

今年のハロウィーンは土曜日にあるため、普段であれば遅い朝食を摂る生徒が多い。でもいざ早めに玄関ホールに行ってみれば、

 

「人のこと言えないけど、皆気になってるんだな」

 

「そうだね……」

 

大勢の生徒達が『炎のゴブレット』の周りをウロウロしていたのだった。

ホールの真ん中に設置されたゴブレットはいつも『組分け帽子』を載せる丸椅子の上に置かれており、そしてその周り半径5、6メートル程の床には細い金色の線が描かれている。おそらくあの金色の線こそ『年齢線』なのだろう。玄関ホールに集まっている生徒はその線の周りをウロウロしており、中にはまるでそこに壁でもあるような仕草をしている生徒までいる。あの様子から判断すると、17歳未満の生徒は線を跨ぐことどころか、指一本入れることも出来ないのだろう。僕も試しに触ってみれば確かにそこに見えない壁の様な物があった。分かっていたことではあるけど、やはり僕が代表選手になる可能性は万に一つもなさそうだ。

分かっていたこととはいえ、やはり突き付けられた現実に少しだけショックを覚えながら僕は近くにいた女の子に話しかけた。

 

「誰か今までで名前を入れた生徒はいた?」

 

「ダームストラングとボーバトンは朝早くに全員入れていたわ。だけど肝心のホグワーツ生は誰も……」

 

そこで隣にいたロンが笑いながら声を上げる。

 

「そりゃこんなに人がいる中で名前を入れられる奴はそういないよ。僕だったら昨日の夜の内、それこそ皆が寝静まった時間に入れるね。だってゴブレットに名前を入れた瞬間吐き出されたら嫌だろう?」

 

確かに僕もロンの言う通りだと思った。

名前を吐き出されるかはともかく、名前を入れて選出されないということは代表選手より僕が劣っていたという証明になる。勿論それがグリフィンドールの、他にもハッフルパフやレイブンクローの上級生であれば文句なんてないけど、スリザリンの生徒だったらと考えると反吐が出そうだ。それに単純に恥ずかしいという理由もある。こんな人だかりの中で名前を入れて、一体どんな顔をすればいいのか僕には分からない。

でもそんな恥ずかしさなど一切感じない人物も中にはいるわけで、

 

「いえーい! 『老け薬』が完成したぜ! これで年齢線を越えられるぞ!」

 

「一人一滴だ! 俺たちはほんの数か月分、年をとればいいだけだ」

 

玄関ホールに突如フレッドとジョージの笑い声が響き渡ったのだった。

振り返れば勝ち誇った表情を浮かべる二人。その手には小瓶が握られている。昨日あれだけハーマイオニーが反対したというのに、二人はやはり作戦を実行したのだ。ハーマイオニーが、

 

「……上手くいきっこないわ」

 

と小さな声で呟いているが、それも二人は聞き流している。

そして皆の興奮した視線を一心に受けながら二人は遂に、

 

「行くぞ! これで俺たちが一番乗りだ!」

 

まるで走り幅跳びでもする勢いで線の中に飛び込んだのだ。

本来であれば見えない壁に阻まれるはずの行動。しかし彼らは越えた。本来なら越えられないはずの線を。彼らが着地した時には『年齢線』の内側だった。

その瞬間、おそらくこの場にいる誰もが二人の企みは成功したのだと思ったことだろう。それは実行したフレッドとジョージは勿論、あれだけ批判的意見を述べていたハーマイオニーも例外ではない。ハーマイオニーは驚愕した表情を浮かべ、その他の生徒は皆喜びの歓声を上げた。

……でもダンブルドアがそこまで甘いわけがなく、

 

「ぎゃ!」

 

成功したと思った瞬間、ジュっという大きな音と共に、双子は二人ともまるで砲丸投げでもされたかのように円の外に放り出されたのだった。

しかも二人には床に叩きつけられた後、顔を上げれば真っ白な長い髭すら生えている。

唖然とする生徒達の耳に第三者の声が届く。

 

「忠告したはずじゃよ」

 

深みのある声に振り返れば、そこにはこの『年齢線』を引いた張本人であるダンブルドア校長が立っていた。先生は面白がったような声音で続ける。

 

「二人ともマダム・ポンフリーの元に行くがよい。既に何人かが君達と同じ手段を使い、同じ症状でマダムのお世話になっておる。尤も君達程立派な髭が生えた者は今の所おらんがの」

 

皆がダンブルドア校長の言葉に声を上げて笑う。上手くやり込められたフレッドとジョージでさえ、清々しいやられっぷりに笑っていた。

僕も笑いながら考える。

確かにフレッドとジョージの作戦は失敗したけど、まだグリフィンドールの挑戦者がいなくなったわけではない。出来ることならそれが僕と()()()()()()()()()()()であるのなら……そう、本来なら()()()()()()()()()()の外で僕は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「スリザリンでは誰が入れたんだ?」

 

「ワリントンさんが入れたらしいぞ。今朝一番に入れたって自慢してたよ。その他は……まだ聞いてないな」

 

「そうか……出場するならスリザリンでないと困るんだけどな。他の寮は……特にグリフィンドールなんかに代表選手になられたら目も当てられないよ。他の寮はどうなんだ?」

 

「ハッフルパフからはディゴリーが出るらしい。出来損ないのハッフルパフから選出されないとは思うが、あいつに関しては女子の間でも人気があるからな。それに一応あいつも純血だ。グリフィンドールが代表選手になるよりかはましだろうな」

 

まだ一日が始まったばかりだというのに、壊れたレコードのように繰り返される会話にうんざりしそうだ。どこに行っても代表選手、代表選手。どこの誰が代表選手になろうがどうでもいい。それがスリザリンだろうと、ハッフルパフだろうとレイブンクローだろうと、そしてスリザリンの仇敵であるグリフィンドールだろうとどうでもいい。何故そんなことを皆がこれほど気にするのか私には理解出来なかった。聞けば私達がここに来るより更に早い時間から、この大広間はこんな話で埋め尽くされていたそうだ。何故そこまで飽きもせず代表選手の話が出来るのか。下らない話を延々と繰り返されるこっちの身にもなってほしいものだ。しかも周りで話すだけならまだしも、

 

「マ、マルフォイ様は立候補されないのですか? マルフォイ様なら『年齢線』を超えられるのでは? 貴女様なら必ずや優勝できるはずです!」

 

「そ、その通りです! この学校でマルフォイ様以上に代表選手に相応しい者はいません!」

 

私にも話を振ってくることがあるのだから鬱陶しいことこの上ない。一体どういう思考回路を辿れば、大切なクリスマスを奪ったイベントなどに私が参加することになるのだろうか。考えただけで反吐が出る。ダフネとの時間を除けば、私はとにかく家に帰りたいのだ。たとえ私が17歳以上だったとしても、決してこのイベントに参加などしない。

私はそんな苛立ちを込めて、お世辞を言っているつもりなのであろうスリザリン生に応えた。

 

「……私は代表選手になるつもりはありません。そもそも私は肌の関係で外に長時間いることが出来ません。それとも貴方達は……私に日光の下で課題をこなせと言うのですか?」

 

少しずるい言い方だが別に間違ったことを言っているわけではない。私の対抗試合への心情を無視しても、私にはそもそも長時間日光の下にいることが出来ない以上、上級生ですら命の危険を帯びる試練に私が出られるとは思えない。全てが全て室内で行われる試験であるということはないだろう。日光に晒されれば私の秘密も白日の下に晒される。そんな危険を私は冒すことは許されないのだ。

そして秘密のことはともかく、私の嫌がることを勧めたという事実を伝えることは出来たらしい。

最近は皆私に近づくことすら恐れていた中、勇気を振り絞って話しかけてきた二名は血の気の引いた顔で慌てて応える。

 

「め、滅相もございません! ぼ、僕らはただマルフォイ様の実力なら可能だと思っただけなのです!」

 

「そ、その通りです! で、では僕達はこれにて!」

 

そして彼らは逃げるように大広間を後にし、私の周りにはお兄様とダフネ、そしていつものメンバーだけが残されたのだった。

私達の間に何とも言えない空気が漂う。ダフネやお兄様に至っては内容が内容のため言葉にはしないが、どこか心配そうな表情で私を見つめていた。そんな中、空気を読むという能力をどこかに置き忘れたらしいパーキンソンが私に話しかけてくる。

 

「まぁ、確かに日光のことを考えれば貴女が立候補するのは少し難しいかもね。でも貴女なら『年齢線』を破ることくらいは出来るんじゃないの? 日光のことも貴女なら最終的にはどうにかしてしまいそうだし」

 

思わずため息の出そうな話題の継続だったが、一応この子はお兄様の取り巻きの一人。お兄様とダフネが軽蔑した視線を送る中、私は仕方がないと適当に返事を返した。

 

「さぁ、どうでしょうね。試すつもりもないので」

 

その後私はドビーがいつも通り作ってくれた朝食を食べ終え、何も言わずにその場を後にする。そしてどこか気まずそうに続く取り巻き達を引き連れ大広間を出ると、そこには件の『炎のゴブレッド』と『年齢線』。ここに来る時にも目にしたが、実に邪魔くさい光景だ。何故こんな人の往来が多い場所を占拠しているのだろうか。『年齢線』に至っては幅が5、6メートル程もあるため態々玄関ホールの端を歩かねばならない。年齢がもう少し上であれば『年齢線』内を突っ切るのだが、周りに屯する生徒達の様子を見るに透明な壁でもあるのだろう。態々壁にぶつかりに行く趣味がない以上、線の外を通って談話室に戻るしかない。

しかしそんな邪魔な線を避けて通っていた時、

 

「……おい、マルフォイの小娘。お前は代表選手に立候補せんでいいのか?」

 

線より更に邪魔な人物によって歩みを止められてしまったのだ。

突然浴びせられた声に顔を上げれば、そこにはこの学校で最も忌々しい人物。魔法の目をギョロギョロと動かしながら、ムーディが階段の上から普通の目で油断なくこちらを見つめていた。思わず殺意を感じる自身を抑え込む私に、奴はまるで値踏みでもするように……でも同時にどこか挑発するように続ける。だが、

 

「お前の実力なら立候補しても誰も文句は言うまい。だが残念だったな。試合においては『闇の魔術』は、」

 

「ご心配なく。私は最初から立候補するつもりはありません。ご忠告丁寧にどうも」

 

私にそれを一々聞いてやる義理はない。私はこちらを睨みつけるムーディを無視し、再び談話室に向かって歩を進める。

まったく……何故皆こいつを含めて、私にひたすら代表選手になる可能性を説くのだろうか。勿論このクズ教師の言葉はただの私に対する当てつけでしかない。それでも、こいつがどこか私が代表選手になる可能性を危惧していることもまた確かなのだろう。そうでなければ一々こんなことは言わない。

だがそれが分からない。よしんば私に試験を乗り切るだけの実力、そして最大のネックである日光を排する手段を有していたとしても……残念ながら今の時点で私が老害の魔法を超えることは出来ない。『年齢線』がある以上、私に代表選手になる可能性は存在しない。一体皆は私を何だと思っているのだろうか。

 

私はそんな苛立ちを込めて、丁度すぐ横にある『年齢線』上の見えない壁を軽く()()()()()()

 

……これはただの何気ない行動だった。これ以上馬鹿な話に付き合っていられない。そこでただ私には『年齢線』を超えられない。そう軽くパフォーマンスするための軽い仕草の()()だったのだ。

 

しかし結果は、

 

「……ん?」

 

私の手は壁に触れることはなく……『年齢線』を跨いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

別にそこまで大きな結果を求めていたわけではなかった。

これからの計画において、俺はダリア・マルフォイとかいう小娘を徹底的に利用する。おそらく俺が何をするまでもなく、この学校にいる全員の疑いの目がいずれあの小娘に降り注ぐことになる。だがそれをより確実なものにするために、ただほんの少しの布石を打っておこう。そんな軽い気持ちで考えていただけなのだ。

奴が『年齢線』の近くにいる時、少しだけ挑発的な言葉を投げかける。俺は今ムーディを演じているためあまり奴の言いそうにないことを発言することは出来ないが、これくらいの挑発なら問題ないだろう。小娘が『年齢線』に触れば御の字。それだけで小娘が『年齢線』に興味を持っていた、『年齢線』を破る手段を見つけたのかもしれないと、後々作戦が成功した後小娘を陥れられる噂を立てることが出来る。そう思っていただけだったのだ。

それなのに……

 

「……ん?」

 

目の前で起こった光景は、俺の予想をはるかに超えるものだった。

本来であれば指一本入れることが出来ないはずの境界線。

小娘はダンブルドアの引いた『年齢線』を、何の障害もなく超えて見せたのだ。

 

俺を含めた全員の驚愕した視線が小娘に降り注ぐ。たまたまこちらのやり取りを見ていた、早朝からここで屯していた暇な生徒達も例外ではない。目の前で起こったあり得ない光景に理解が追いつかない。

そんな中、いつもながらの無表情を保ちながら、だがどこか困惑した雰囲気を醸し出す小娘が再び『年齢線』に触れようとする。

 

「……おかしいですね」

 

しかし結果が変わるわけではない。小娘は今度こそしっかり『年齢線』に両の手を伸ばすものの、やはりそこには最初から何もないかのように腕は空を切るばかり。

挙句の果てに物は試しと『年齢線』を実際に跨いでみても、

 

「さ、流石ね。もう! とっくにダンブルドアなんかの『年齢線』の対策が出来てるなら、最初からそう言ってくれればいいのに。試すつもりがないなんて嘘までついて」

 

それすら悠々と超えられてしまう始末。『年齢線』の内側で立ち尽くす小娘が外にはじき出される様子は一向になかった。

異様な光景に誰もが唖然とした表情で黙り込んでいる。玄関ホールに響くのは、小娘の取り巻きであるパグ顔の声くらいのものだ。

そしてようやく事態が変わったのは、

 

「……成程。私は老害にとっても想定外の()だった……そういうことですか」

 

小娘が何事か呟いた後、何をするでもなくサッサと『年齢線』から退き、そのまま何事もなかったかのように談話室に向かって歩き始めた時だった。

視線の先でグリーングラス家の娘と手を繋ぎながら歩く小娘に再度パグ顔の声がかかる。

 

「あら、いいの? これで日光対策さえしっかりすれば、貴女だって代表選手になれるのよ?」

 

「……」

 

しかし小娘がそれに応えることはない。表情通りの冷たい態度でただ前だけを見て歩き続ける。混乱しながらもようやく声を上げた俺にも、

 

「ふ、ふん。流石は学年主席なだけはあるな。だ、だが肝に銘じておけ。どんなに『年齢線』を超えられようと、どんなにカルカロフのような闇の魔法使いと結託しようと、ワシの眼がある内は好き勝手はさせんからな」

 

「……」

 

やはり小娘は答えることは無かった。チラリとこちらを一瞬見やりはしたが、そのまま何も言わずに取り巻き達を連れ立って談話室に帰って行ったのだった。

事の元凶である小娘がいなくなることにより、あちらこちで生徒達の声が上がり始める。

 

「……ダ、ダリア・マルフォイの奴。あっさり『年齢線』を超えてたぞ?」

 

「もしかして……あいつ、もうゴブレットに名前を入れたんじゃないか?」

 

「な、ならあいつがホグワーツの代表になるのか? 人格はともかく、実力だけはこの学校で一番だから……」

 

「でもそうなったら……他の代表選手が皆殺されることになるぞ?」

 

……完全に予想外の展開ではあったが、作戦自体は実に上手くいった様子だ。これでいざ()()の疑いが晴れたとしても、反比例するように小娘に疑いの目を向けさせることが可能になる。

何故小娘が『年齢線』を超えられたのかは分からないが、これで全てが俺の計画通りに……。

 

しかしそこまで考えて、俺は自身の思考に強烈な違和感を抱いた。一度は無視しようとした疑念に強烈な違和感を感じる。

 

いや……本当に何故小娘は『年齢線』をあんなにも容易く超えられたのだ。確かにあの小娘はこの学校で一番の実力を有していると言えるだろう。まだこの学校に赴任してそこまで時間は経っていないが、それくらいの隔絶された実力を奴が有していることは分る。だがそれだけだ。『闇の帝王』すら警戒するダンブルドアを超えるようなものではない。

だというのに、ああも容易く『年齢線』を超えた。それは本当は小娘がダンブルドアの力を上回っているか……もしくはもっと俺には分からない理由があるかのどちらかを意味している。

俺は帝王の言葉を再度思いだす。

 

『あれは将来素晴らしい『死喰い人』に……俺様の役に立つだろう』

 

……そもそも何故闇の帝王は小娘のことをご存じだったのだ? 

闇の帝王がお隠れになったのは10年以上前。その頃の小娘はまだ赤ん坊とさえ言える年ごろだ。いくら今優秀であろうと、赤ん坊の頃から闇の魔術が使えるわけではない。

 

闇の帝王は……()()()()小娘の存在を知り、奴を将来の右腕として見定めたのだ?

 

俺は突然湧いて出た疑念にその場で立ち尽くす。

周りには先程の光景を恐る恐る語る生徒達。それは作戦自体は上手くいきすぎる程上手くいったことを表している。本来の作戦も今夜の代表選出後に開始される。全ては闇の帝王と……俺の計画通りに動いている。

だが、それなのに俺は……何故か強烈な不安感を感じざるを得ないのだった。

 

 

 

 

ダリア・マルフォイとは……一体何者なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

いよいよハロウィーン・パーティの時間。

()()()()()()()相変わらずビクトール・クラムはダリアの近くに座っており、周りの視線を一身に集めている。

しかしそんな視線も昨晩よりかはいくらか軽いものでしかなかった。多くの生徒は今ビクトール・クラム以上に、教員席近くに移動された『炎のゴブレット』に注目しているのだ。

 

「グリフィンドールはアンジェリーナ・ジョンソンが入れたらしい。ほら、あのチェイサーの」

 

「あぁ、あいつか……。だがマルフォイ様が投票された以上、あいつが選ばれることは万に一つもないぞ。マルフォイ様より代表選手に相応しい人間がいるもんか」

 

だからその注目に比例して、今朝以上に鬱陶しい話題が耳に届き続けている。

本来であれば、このイベントに全く興味を持っていないダリアが話題に上がることはなかった。しかし今朝の事件のせいで、何故かダリアこそが現在の代表選手最有力候補として噂になってしまったのだ。

 

……ダリアの意志とは全く関係ない所で。

 

大広間は例年通りハロウィーン仕様の飾りつけが施され、宙に浮かぶ何百という蝋燭に明るく照らされている。しかしそんな中で、唯一ここだけ照明が当たっていないのではないかと思える程、私とダリア、そしてドラコの周りだけは雰囲気が暗かった。

原因は当然今朝のことだ。

それはそうだろう。周囲は無邪気にダリアが立候補できる、もしかしたら立候補したのではと騒ぎ立てているが、内情はそんな生易しい話で収まるものではない。

ダリアは『年齢線』を超えた時思ってしまったのだ……

 

『……成程。私は老害にとっても想定外の()だった……そう言うことですか』

 

自身がダンブルドアに()()()()()()()()()()のだと。

 

勿論いくらあの爺がダリアのことを警戒していても、彼女を本当に人間扱いしていない……というわけではないことは分かっている。いくら老害でもそれくらいの良識はまだ残っているだろう。しかし同時に彼が無意識にダリアを追い詰めてしまったことも確かなのだ。

この学校には今人間以外の血が混じった生徒、教師が何人も在籍している。ゴブリンの血が混じるフリットウィック先生、巨人の血が混じっているのでは思われるマダム・マクシーム校長、挙句の果てにヴィーラの血が入っているのではと噂されるボーバトンの女生徒。……そして私とドラコのみが知っている、吸血鬼の血を()()()()()ダリア。

ダリアはともかく、あの爺がボーバトンのことを考慮していないはずがない。ならば奴も『年齢線』を設定するにあたって、17歳以下なら人間以外でも除外、あるいは年齢を満たしていれば通れるように設定しているはずなのだ。

しかしダリアは通れた。17歳以下にも関わらず、何の障害もなく。

それはダリアに吸血鬼の血が混じっているから……などではなく、おそらくもう一つの特性が原因しているからだと思う。

 

それは魂の問題。

ダリアは『年齢線』に無視されたのだ。去年のホグワーツ行き特急で、()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 

自身が人間ではないと再確認させられてしまったのだ。ダリアが傷つかないはずがない。

でもそれが分かっていても、

 

「ダリア……き、気にすることないよ」

 

「……はい」

 

今の私にはこんな何の慰めにもならない言葉しかかけてあげることが出来なかった。

何が、気にすることがない、だ。親友ならもっと気の利いた言葉をかけられるはずだ。何故私はこんなにも、一番大切な時に一番必要な言葉をかけてあげることが出来ないのだろうか。いくら周囲の目があるため大っぴらなことを言えないのだとしても、もっとやりようはあるはずだ。

でもどうやらそんな不甲斐ない思いを抱えているのは、私だけではない様子だった。

私の隣に座るドラコは心配げな表情を浮かべているものの何か発言することはない。そして遠くのグリフィンドール席に座っているハーマイオニーも、周りにいる寮生達がダリアの方にチラチラと視線を送ってくる中、グリフィンドール内では唯一心配そうにダリアのことを見つめている。おそらく彼女の位置からでもダリアが異様な無表情を浮かべていることは分るのだろう。ただ距離もあることから具体的な行動を取ることは出来なさそうだ。

しかもそんな二進も三進も行っていない中、

 

「さて、皆今晩も存分に食べたことじゃろう! 丁度良いことに、ゴブレットは代表選手を選び終えたようじゃ!」

 

いつもの如く、どこまでも間の悪い老害が声を上げたのだ。お蔭でダリアにこれ以上声をかけてあげることが出来なくなってしまった。

私が間の悪い爺を睨みつける中、老害は何も知らない呑気な声音で続ける。

 

「ゴブレットに選ばれた代表選手は大広間の一番前に来るとよい。そして教職員テーブルに沿い、隣の部屋に進むのじゃ。そこで最初の指示が与えられることじゃろう」

 

老害がそう発言した瞬間、件の『炎のゴブレット』が突然一際明々と輝きだす。そして次の瞬間中から一枚の羊皮紙が吐き出され、老害はそれを掴みながらまず一人目の名前を宣言した。

 

「ダームストラングの代表選手は……ビクトール・クラム!」

 

私達の気も知らないで、大広間は大歓声の渦で満たされる。目の前の拍手を送られているご本人もどうやら騒がしいのはあまり好みではないらしく、少しムッツリした表情を浮かべながら指示された部屋に向かった。

……()()()話を聞いている限り、彼には別にダリアに対して何かしらの目的があったわけではないことは分かった。目的があったのはダームストラングの校長の方。彼は奴に利用されていただけに過ぎない。でも彼からどんな情報が奴に行くか分からない以上、私に警戒しないという選択肢は存在しない。

私がクラムが部屋に入っていく姿を見つめる中、次の代表選手の名前があがる。

 

「ボーバトンの代表選手は……フラー・デラクール!」

 

どうやらボーバトンの代表選手は、あのヴィーラの血が混じっている女生徒に決まったようだ。ダリアという最高の美少女を見慣れているため、私やドラコを含むスリザリン生はあまり騒いでいないが……グリフィンドールは先程のクラム以上の歓声を上げている。

でもその歓声も長くは続かない。何故ならいよいよホグワーツ生のほとんどが気にしていた、

 

「さて、ゴブレットが最後の選手を選び終えたようじゃな」

 

ホグワーツの代表選手が発表されるのだから。

ゴブレットが再び赤く燃え上がり、三枚目の羊皮紙が吐き出される。

 

「ホグワーツの代表選手は……セドリック・ディゴリー!」

 

そしてそれを掴み取ったダンブルドアが、高々とその名前を読み上げたのだった。

反応は激的だった。主にハッフルパフの席が。

ハッフルパフの生徒は雄叫びを上げながら全員総立ちになり、足を踏み鳴らしている。中には、

 

「やったぞ! あのダリア・マルフォイを抑えて、うちのセドリックが代表選手になったぞ!」

 

興奮極まったのか、そんなふざけたことをぬかしている生徒までいる始末だ。

別にセドリック・ディゴリーとかいう生徒が悪いわけではないが、今のふざけた発言でより一層応援する気がなくなってしまった……。

下らない勘違いの下で盛り上がる生徒達を睨みつける私を他所に、老害が朗らかに話し始める。

 

「これで三人の代表選手が決まった! 選ばれなかった生徒も、皆打ち揃ってあらん限りの力をもって代表選手を応援してくれると信じておる。選手に声援を送ることで、皆が本当の意味で自身の学校に貢献を、」

 

私の興味はそこで途絶えた。何故クリスマス・パーティー以外興味もないイベントで、知りもしない代表選手の応援をしないといけないんだ。

しかし……今朝から始まった不愉快な流れだったけど、代表選手が決まったことで終わりになることだろう。まだまだダリアが代表選手なんかに立候補したのではと思う生徒がいるかもしれないけど、試合が始まってしまえばそんな噂話に没頭している余裕はなくなるはず。

だから私の中で今日のパーティーはここで終わり。後はトットと談話室に戻り、まだ落ち込み気味のダリアを慰めるのだ。

 

 

 

 

……そう考えていた時に、それは起こった。

 

ダンブルドアの話し中に、突然『炎のゴブレット』が再び赤く燃え始めたのだ。

代表選手は()()()()()()()()()というのに。

 

私だけではなくこの場にいる全員が異変に気が付いたのか、大広間は完全に静まり返る。

そして静寂の中ゴブレットから一枚の羊皮紙が吐き出され、それを反射的に掴んだ老害が、

 

「……()()()()()()()()

 

そのあり得ない名前を読み上げたのだった。

 

……どうやらこの学校には平和な年なんてものは存在しないらしい。




さて……やるか。
感想よろしくお願いします。


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閑話 近くて遠い僕の友達

 ロン視点

 

物心ついた時には、既に僕は家族の中で最も()の存在だった。

兄貴達は皆優秀で、ママとパパの視線をいつも一身に集めている。ホグワーツで優秀な成績、それこそ主席を取り、卒業後も凄い職業についていく。2歳年上のフレッドとジョージも成績こそ上の兄達程いいものではなかったが、決して悪いと言うわけではなく……寧ろ上位に食い込むほどの物であり、彼らの人生をかけて行っていると思われる悪戯に至っては決してただの馬鹿には出来ない代物ばかりだった。

 

つまり……全員が全員僕がどんなに逆立ちしたって、決して超えられない存在ばかりだったのだ。

 

僕も努力しなかったわけではない。僕にだってウィーズリー家の、それこそ兄達と同じ血が流れている。ならば僕にだって出来るはずだ。ホグワーツに入る前から優秀である片鱗を見せ、必ずや学校で主席になり、いつかは兄達と同じ素晴らしい職業に就くのだ。そう信じ、ホグワーツに入る前だというのに努力した時だってあった。

 

……でも駄目だった。

努力すればする程、僕は気付いてしまったのだ。僕には兄達の様な才能なんて欠片ほどもなかった。

ビルやチャーリーの様に頭も良くない。パーシーの様に真面目でもない。フレッドとジョージの様に周りをあっと言わせる程の発想力もない。

何をやっても兄達のようには出来ない。どんなに努力しても、僕は彼らと並ぶことなどない。

僕は兄達の様に、優秀さをもって両親の関心を集めることが出来ない。いつだって僕に回ってくる物は兄貴達のお下がり。いつまでたっても、僕はウィーズリー家の目立たない末弟でしかない。

それこそ僕の中で唯一誇れる程力をつけたのは、チェスの才能なんて実生活には何の役にも立たないものだけだ。しかもそれも一般人に多少毛が生えたようなものでしかないだろう。兄達の様に第一線で活躍出来るようなものではない。何をやってもからっきし。()()()()も二流。そもそも兄貴達のように没頭できるものが見つけられない。それが僕が努力して得た、覆しようのない答えだった。

 

だから僕はよく思ったものだ。ここまで多くの兄達がいるのだ。きっと兄貴達は母の腹から才能を掻っ攫い、一番下の僕にはその才能の欠片すら残さなかったに違いない。

つまり僕はウィーズリーの出涸らし。

そう幼い頃の僕は優秀な兄達を見つめながら、そんな諦観にも似た感情を抱いていた。

 

しかしその考えが違うと、僕は一つ下の妹が成長するにつれて気付くこととなる。

……勿論悪い意味で。

ジネブラ・ウィーズリー。僕の一年後に生まれた妹。このウィーズリー家で唯一の女の子のことを、僕が物心がついた時には既に両親や兄達は目に入れてもいたくない程可愛がっていた。それこそ僕も含めて。初めてできた年下の女の子のことが僕だって可愛くないはずがない。

でも()()()()()。初めてできた女の子だから可愛がられているだけ。決して才能からではない。たとえ才能どころか性別でさえ何の面白みもない僕が彼女の下に見られていようとも、それは決して才能が彼女よりないからという理由ではない。純粋に性別の問題。ただそれだけによって、僕は妹より可愛がられない存在……この家族で最もつまらない存在になっただけなのだ。

そう心の奥底で……それこそ自分ですらよく分かっていない感情の奥で考え続けていた。

 

そしてその考えが間違えだったと……ジニーが成長するにつれて僕は気付くこととなる。

何故なら妹は天才だったから。兄弟の中で唯一どこか引っ込み思案な性格ではあったものの、やることなすこと全てを何だかんだ言って要領よくこなしていた。それこそ兄達が小さかった頃以上に。……僕が努力して出来るようになったこと以上に。

僕はジニーが成長するにつれて気付いてしまった。

 

妹は天才だ。つまり兄貴達はその才能の全てを、別に両親から奪い取っていたわけではなかった。

つまりウィーズリー家の中で才能がないのは……()()()なのだと。

 

その事実に気付いた瞬間……僕は心の奥でどうしようもない程嫉妬心を抱いた。

勿論両親や兄貴達、そして妹のことを愛していないというわけではない。寧ろこんなに素晴らしい家族を持って、僕はなんて幸福なのだろうと常日頃から思っている。カッコいいビルにチャーリー、口うるさいけど何だかんだ優しいパーシー、そして愉快なフレッドとジョージに、可愛い妹であるジニー。僕なんかには勿体ない程素晴らしい家族達。家が貧しかろうと、そんなことは関係ない。ウィーズリー家こそがこの世界で最も最高の家族なのだ。

でも……だからこそふと思ってしまうのだ。

どうして僕は……そんな素晴らしい家族の中で、唯一何の取柄もない人間なのだろうか、と。

そんな何の益体もないことを僕は時々考えてしまうのだった。一度感じてしまったどうしようもない嫉妬の炎を、僕はどうしても消しきれずにいたのだ。

 

……そう、()と会うまでは。

 

それはいよいよホグワーツに入学すると決まり、いざ城に向かう特急に乗り込んだ時のことだった。

 

『じゃあな、ロン! 俺たちはリーの所に行くから、お前は自分でコンパートメントを探すんだぞ! それともロニー坊やは寂しがり屋だから、俺たちの部屋に来たいのかな?』

 

『そ、そんなわけないだろう! 自分のコンパートメントくらい自分で探せるさ!』

 

兄貴達と別れ、誰もいない……若しくは同い年くらいの子がいるコンパートメントを探している時、

 

『ね、ねぇ、ここいいかな? 他は何処もいっぱいで……』

 

『あ、うん! 大丈夫だよ!』

 

僕は彼と出会った。

彼は丸眼鏡を掛け、クシャクシャな黒髪のくせ毛が後頭部の方でピンピン跳ねている。一見どこにでもいそうな特徴のない……とはその鮮やかな緑の瞳から言えないが、一見するとあまり目立たない容姿の男の子だった。その特徴のない容姿もあり、どこか大人し気な印象を抱かせる。それが僕が最初に抱いた彼の第一印象だった。

しかしそれは大きな間違いで、

 

『ありがとう、僕はロン。ロナウド・ウィーズリーさ。多分同い年……今年ホグワーツに入学するんだよね? 気軽にロンって呼んでよ』

 

『うん、分かったよ、ロン。あ、僕はハリー。ハリー・ポッターだよ』

 

彼は目立たない存在などでは到底無かったのだ。

目の前で名乗られた、魔法界では誰も知らない人間などいない名前に僕は目を見開く。確かに入学する直前、彼が今年ホグワーツに入学するというニュースは新聞に連日載っていた。しかしまさか目の前にいる男の子が、『闇の帝王』を赤ん坊にして倒した件の有名人だったとは思っていなかった。

 

『ハ、ハリー・ポッター!? じゃ、じゃあ、あ、あるの? その……』

 

『あ、あぁ、傷? ほらここに』

 

しかも彼の最大の特徴である額の稲妻型の傷を見れば信じるしかない。

思えばこの瞬間から、僕はこの兄貴達なんかより遥かに注目の的の少年に魅入られていたのだ。

 

それからの日々はあっという間だった。最初の出会いこそマルフォイの奴に水を差されてしまったけど、初対面から感じていた彼に対する親しみやすさが消えたわけではない。

そう、僕とハリーは不思議な程馬が合っていた。魔法界で一番有名な人間にも関わらず、それを鼻にかけないどころか自分に自信が持てずにいるハリー。そして優秀な兄貴達の下で、心のどこかに劣等感を感じ続けていた僕。そんな僕らが親友になるのに、そう多くの時間は必要なかった。

……有名なのに、名前に反比例して魔法界のことを何も知らないハリーに、何のとりえもない僕が色々なことを教える。そのことに多少の優越感を感じていたことは否定しない。でもそれ以上に初めてできた同年代の友達と共にいる時間が楽しくて仕方がなく、彼と共にいる時間が何よりも素晴らしいものだったのだ。

しかもその輪の中にいつの間にかハーマイオニーが加わり、僕らはいつでも仲良しこよしの三人組となった。最初こそどこか高圧的にものを話す上に……僕とは違い最初から何でもそつなくこなしているハーマイオニーのことが嫌いだったけど、彼女がただ人付き合いが不器用なだけだと、そして彼女が人並み以上に努力しているのだと知ってからはそんな嫌悪感はなくなっていた。

 

僕等はどこか何かが欠けている故に、どこまでも相性のいい三人組だった。まるで昔ながらの友達であるかのように、僕らはお互いにとってとても必要で、とても大切な存在だったのだ。

 

そしてそれはどんな苦難が僕らに待ち受けていようと変わることは無い。

一年は賢者の石にまつわる事件、二年はマルフォイ()()()()()()()秘密の部屋事件、そして去年はシリウスの脱走から始まった騒動。平凡なのにトラブルだけは引き寄せるハリーと共に、僕らは様々な難解事件を解決してきた。三人で力を合わせ、その時々で必死に事件を乗り越えた。誰か一人でも欠けていればそれも叶わなかっただろう。

気が付けば僕ら三人は、この学校で様々な難事件を解決した英雄になってすらいたのだ。家で優秀な兄貴達を見上げるばかりだった僕が、いつの間にか兄達すら成しえなかったことを成していた。それこそ特別功労賞を貰ったのは兄弟の中でも僕だけだ。

だからこれからだってそれは変わらない。ハリーは類まれなるトラブルメーカーだけど、きっと僕等ならこれからだって試練を乗り越えていける。ハリーにハーマイオニー、そして僕。僕ら三人ならどんな困難だって超えていける。僕等は強固な友情で結ばれている。だからどんなことがあったって大丈夫だ。これまでも、そしてこれからも三人で乗り越えていくのだ。

 

そう、僕は固く信じ切っていたのだ。

なのに、

 

「どうして僕には言ってくれなかったんだい? 僕らは親友じゃないか。いつだって僕らは三人でやってきたじゃないか。なのにどうして……君は言ってくれなかったんだ?」

 

僕はどうしてこんなにも、今その親友に対して醜い感情を抱いているのだろう。

僕はハリーの名前が『炎のゴブレット』から出てきた時思ってしまったのだ。

 

僕はハリーに裏切られた。僕はハリーに……置いて行かれてしまった。

 

その考えが間違っていることは僕だって分かっている。いつもトラブルに巻き込まれるハリーのことだ。どうせまた厄介なことに巻き込まれているに違いない。それにハリーが代表選手に憧れていたのだとしても、必ず名前を入れる時は僕を誘ってくれる。名前を呼ばれた時の青ざめた時の表情からも、彼がこの事態を予期していたとは到底思えない。

なのに僕は何故か、

 

「ロン、皆にも何度も言っているけど、僕はゴブレットに名前を入れていないんだ。他の誰かがやったに違いないんだ……」

 

「……僕にも言えないってことか? ふん、それならいいよ。あぁ、そうだ、君は早く寝た方がいい。明日は写真撮影とかで忙しいだろうしね」

 

そんな自身でも間違っているとしか思えない言葉しか言えなかった。

僕はベッドに潜り、自分の醜く歪む表情を隠しながら思う。

 

何故僕はここまで怒っているのだろう。何故僕はここまで……以前感じていた、あの懐かしい()()()に苛まれているのだろう。

 

そんな考えを抱きながらも、やはり僕は最後までハリーに謝罪も、そして()()()()()()()()()()()()()()()心配の言葉もかけてやれなかったのだった。



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ファーストコンタクト

IF ダリアが代表選手

ドラゴン「グアアアア!」⇒ダリア「アバダ」⇒ドラゴン「」
マーメイド「お兄さん攫ったった」⇒翌日のカルパッチョ
スフィンクス「問題を解けばここを、」⇒ダリア「アバダ」⇒スフィンクス「」


ハリー視点

 

もう意味が分からなかった。

僕は昨晩まであれだけ『代表選手』が誰なのかを楽しみに……同じグリフィンドールから選ばれるのを楽しみにしていたはず。聞けばアンジェリーナが『炎のゴブレット』に名前を入れたとの話だ。彼女なら優秀だし、それにグリフィンドールらしく勇気も満ち溢れている。きっと彼女が『代表選手』に選ばれるに違いない。ダリア・マルフォイが『年齢線』を越えたなんて噂もあったけど、たとえ奴が本当に名前を入れたのだとしても、アンジェリーナの方を『炎のゴブレット』は選ぶ。同じグリフィンドール生が選ばれれば、これ程嬉しいニュースはない。そう昨晩まで僕は思っていたのだ。

それなのに……

 

「よ! 我らの英雄の登場だ! まったく、本当にどうやって『年齢線』を越えたんだよ!?」

 

「……フレッド。昨日も言ったけど、本当に僕は名前を入れていないんだ……」

 

「またまた~憎いぜ兄弟! まぁ、いずれは教えてくれよな! ほら、朝食をしっかり食え! 体力をつけないと試練は乗り越えられないぜ!」

 

何故僕はこんな目に遭っているのだろう。

一夜明けたというのに、グリフィンドールの興奮が収まることはない。余程僕の名前が『炎のゴブレット』から出てきたことが嬉しくて仕方がない様子だった。名前を実際に入れたアンジェリーナでさえも、

 

「ハリー! 頑張ってね! これで私が出られなくても、少なくともグリフィンドールからは代表選手が出たんだから! ディゴリーに勝って、この前のクィディッチ戦のお返しをするのよ!」

 

そんなことを僕が大広間に現れた瞬間言い出す始末。他のグリフィンドール生も似たり寄ったりの反応だ。

一方他の寮の反応はと言えば、

 

「……何が代表選手だ。ただの目立ちたがり屋なだけだろ。セドリックがあんな卑怯者に負けるわけがない」

 

「……どうせ周りにチヤホヤされていい気になっているだけさ。ホグワーツの代表選手はセドリック一人で十分だ」

 

グリフィンドールとは打って変わって冷たいものでしかなかった。ハッフルパフに至っては軽蔑してすらいる視線を送ってきている。スリザリンはこちらに意味ありげな視線を送るだけに留まっているけど、皆でコソコソ集まって何かを話し込んでいる様子から、今後僕に何かしらの嫌がらせをしてくることは確実だ。

つまりグリフィンドールだけではなく、ハッフルパフやレインブンクロー、そして僕の敵であるスリザリンに至るまで反応こそそれぞれ違っても、僕自身が『炎のゴブレット』に名前を入れたのだという認識を持っていることだけは共通しているのだ。

事態を未だに理解しきれていないこともあるけど、突然陥ったこの状況に憂鬱な気分を抑えることが出来ない。

何より僕の現在の状況を、真の意味で理解してくれる人間が数人しかいないことが心細くて仕方がなかった。

状況を正しく理解してくれているのは、先生で言えば、

 

『……ポッター、ワシはお前が名前を入れたわけではないと分っとる。敵はおそらくお前の名前を四校目として提出したに違いない。そして『炎のゴブレット』を騙すには、並外れた強力な『錯乱の呪文』をかける必要がある。そんなことが出来る奴……そしてそんなことをする動機がある人間は、この学校でも数人しかおらん。ポッター……カルカロフとダリア・マルフォイには十分気を付けるのだ。奴らはお前の命を狙っているに違いないからな。『炎のゴブレット』から名前が出た以上、お前は魔法契約によってこの対抗試合を戦い抜かねばならない。おそらく奴らはそれを逆手に利用してお前を殺そうとしているのだ』

 

試合説明後、僕に助言をくれたムーディ先生。そして最後まで心配そうな瞳で僕を見てくれていたダンブルドアくらいのものだ。

そして生徒は、

 

「おはよう、ハリー。……これ持ってきてあげたわ。ちょっと散歩しない? ……ここは今の貴方にとって辛いだけだと思うから」

 

僕の親友の一人であるハーマイオニーくらいのものだった。

憂鬱な気持ちで朝食を摂ろうとする僕に、ナプキンに包まれた数枚のトーストを抱えた彼女が話しかけてくる。

……もう一人の親友であるロンの姿はどこにもありはしなかった。

昨晩ロンと交わした会話が夢でも何でもなかったことを再確認した僕はより一層憂鬱な気分になったが、それ以上にようやく現れた僕の味方に嬉しくなり、僅かに明るい声音でハーマイオニーに応えた。

 

「うん! 勿論! ……ありがとう、ハーマイオニー」

 

僕ら二人は素早く大広間を後にすると、湖に向かって急ぎ足で芝生を横切る。そして湖の上にダームストラングの船が繋がれているのを眺めながら、僕はハーマイオニーに昨晩名前を呼ばれてから何が起こったのか、その()()()()()()をハーマイオニーに話したのだった。

呼ばれた先で、僕はそこに集まっていた人達に自分が名前を入れたのではないと主張したこと。それを信じてくれたのはおそらくダンブルドアとムーディ先生くらいのものであり、それ以外のカルカロフ校長やマダム・マクシーム、そして他の三人の代表選手も信じてはくれなかったこと。……僕自身が名前を入れていないにも関わらず、僕は命懸けで試練を乗り越えなければならないことを。

案の定彼女は何の疑問も差し挟まずに僕の話を聞き終えると、さも当然であるかのように話し始めた。

 

「えぇ、私も貴方が名前を入れたんじゃないって分かっていたわ。あの名前が出てきた時の貴方の表情……とても自分で入れたとは思えない」

 

ハーマイオニーの言葉に僕は心が洗われるような気持ちだった。

やはり彼女なら僕が話す前から事情を分かってくれると思っていた。……こんな時にあんなことを言い始めたロンの方がどうかしているのだ。彼女なら必ず僕の力になってくれる。

そう一点、

 

「それに昨日ダリアも同じことを言っていたわ。貴方が『ゴブレット』に名前を入れたんじゃない。貴方は誰かに狙われているって」

 

ダリア・マルフォイに関することを除いて。

ハーマイオニーは僕に笑顔を向けながら、今この学校で最も警戒しなければならない人間の名前を口にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ハリーの名前が呼ばれた直後、騒然とする大広間の中で、

 

「ダリア、ダフネ! い、今いいかしら?」

 

私は人混みをかき分けてスリザリンの一団に近づくと、目的の人物達にそっと話しかけた。いつもであれば邪魔をしてくるスリザリン生達も、

 

「まったく、なんでポッターの名前が出てくるの! あんな奴が代表選手に選ばれるなんて……それに『年齢線』をあいつが越えられるはずがないわ! きっとずるをしたのよ! ダンブルドアが依怙贔屓したのよ!」

 

今はハリーに対する罵詈雑言を吐き出すばかりで、私が近くにいることにすら気が付いていない。同じグリフィンドール生も悪口こそ言っていないものの、同じくハリーのことに夢中であり、私が警戒すべきハリーはそもそも今隣の部屋に行くよう指示されている。ロンも険しい表情でどこかに行ってしまった。結果私は難なくダリア達に声をかけることに成功したのだった。

しかも当の声をかけられたダリア達も、

 

「グレンジャーさん……。えぇ、いいでしょう。私も貴女に聞きたいことありますから」

 

「それじゃあ、この前の倉庫がいいと思うよ。あそこなら誰も来ないはずだから。今は誰にも邪魔されないだろうしね。行こう、ダリア、ハーマイオニー」

 

私に話がある様子だった。私達はダフネの提案を受けるとすぐに人垣からすり抜け、そっと倉庫の中に潜り込む。

するとダリアは開口一番に私のしたかった話題を上げた。

 

「グレンジャーさん。貴方のしたい話は、先程のポッターの件で間違いないですか?」

 

「え、えぇ、そうよ」

 

「……ではまずこちらから質問です。彼は自分で名前を入れた素振りを見せていましたか?」

 

まるで前提条件を確認するような質問。私はダリアの質問に即答で応える。

 

「いいえ! 私はずっと彼と一緒にいたけど、そんな素振りは少しも見せなかったわ! それにあの名前が呼ばれた時の表情……あれが演技だとは思えない。彼はそんなに演技の得意な人間ではないもの」

 

「……そうでしょうね。えぇ、貴女がそう言うのだから、それは間違いないでしょう。……()()()()()()()

 

「そうだね、ダリアの言う通りだよ。そもそもポッター()()()『年齢線』を越える方法が思いつくはずがないもの」

 

いやにあっさりとした返答。案の定ダリア……そしてダフネさえも私の返答をある程度予想していたのだろう。しかしダリアは最後に何かを呟いたきり、暗い無表情で黙り込んでしまった。ダフネもどこか心配そうな表情でダリアを見るばかりで、続く言葉を中々発しようとはしない。しばしの沈黙の後、私はそんな彼女達に恐る恐る尋ねた。

 

「ねぇ、二人は一体ハリーに何が起こっているのだと思う?」

 

「……」

 

今度の返答はそうあっさりとしたものではなかった。私の質問を受けてもダリアはすぐに答えようとはせず、答えてくれたとしてもどこか悩むような声音でしかなかった。

 

「……分かりません。彼が何者かに名前を入れられた……何者かに狙われていることだけは確かですが、その目的がいまいち判然としません」

 

……正直私もダリアが答えたことくらいのことは分かっている。ハリーは毎年と言っていい程誰かに狙われていた。トラブルに巻き込まれやすいハリーのことだから、今年もその例に漏れなかったということだろう。でも分かっているのはそれだけ。誰が何を狙ってハリーの名前を入れたのか。それを私は全く見通すことが出来なかった。だからこそ私より遥かに賢いダリアに尋ねたのだ。この学校で現状を真に理解出来ているとすれば、それはおそらくダンブルドアを除けば彼女しかいない。グリフィンドール生達は彼女も『炎のゴブレット』に名前を入れたかもと馬鹿なことを言っていたけど、実際はこのイベントに大した興味を持っていない彼女であれば、きっとこの状況に対しても冷静な意見を言ってくれるはず。

そう考えて真っ先にダリア達に尋ねたわけだけど……やはり彼女でも無理であったようだった。

でも勿論それで彼女に失望することはない。自分に出来ないことを彼女が出来なかったからと言って、それに文句を言うなんてお門違いだ。私はただ彼女にも分からない事態にハリーが直面していることに対する不安のみを感じながら、

 

「そう……。そうよね。ごめんなさい、貴女にばかり質問してしまって。本当に……何が起こっているのかしらね」

 

小さくダリアに返答し、黙り込むしかなかった。

その後は誰も何も話そうとはしない。相変わらずダリアは何かを考え込むように黙り込み、ダフネはそんな彼女に寄り添うように立ち尽くすばかり。私も私で折角二人をここに呼び出したというのに、将来の不安で何も言葉をかけることなど出来なかったのだ。

今何が起こっているのかさっぱり分からない。ダリアにも分からないものが私に分かるわけがないのだから当たり前だ。

でも……これだけは分かる。

私の予想通り、そしてダリアの言う通り、ハリーはまた誰かに狙われている。それだけは間違いなかった。

 

 

 

 

結局この後私達が倉庫から出たのは就寝時間間直になってから。

私達がこれ以上話すことはなかった。

言葉を発したとしても、地下に向かう直前に、

 

「……やるべきことは一つだけ。私は何が何でも大切な人達を……今の生活を守る。考えうる限りの手段を……たとえ()()()()()()使()()()()()()()

 

ダリアが私にも聞こえない小さな声音で、何かを呟いただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

静まり返る校長室の中。ワシは今しがた報告し終えたアラスターに思わず問い返す。

 

「……アラスター。今の話は……本当なのかの? ダリアが……『年齢線』を越えていたというのか?」

 

「あぁ、間違いない。この目でしかと見たからな。それに大勢の生徒もそれを目撃しとる。……どんな手段を使ったのかは分からんがな」

 

眩暈がしそうな報告じゃった。何故今年はこのように問題ばかりが起こるのじゃろうか。ヴォルデモート復活の兆しに、死喰い人達の活発化。そんな状況の中ただでさえカルカロフという不安要素を抱えているというのに、今年もまたダリアが……。

警戒しておらんかったわけではない。寧ろ強い警戒感を覚えていたのが、先日の事件によって更に強まったとさえ言える。このヴォルデモート復活の兆しのある中、ダリアの警戒を解くことなどできようはずがない。じゃからこそ本来なら退学のダリアにチャンスを与えたのじゃ。

しかし……こんなことが起こるとまでは正直想像もしておらんかった。

『年齢線』は本来17歳以下の人間に越えられるはずがない。それは間違いない。抜けられる手段として上級生に名前を預けるという手もあるにはあるが……それでも本人が『年齢線』を越えることは決してできぬ。そしてそれは人間以外の種族であっても変わらぬ。他校の生徒には人間以外の血が混じっている生徒もおる。その子達のことも考え、ワシは人間以外もこの『年齢線』によって選別できるよう設定しておった。当に盤石の守り。これを越えられるとすれば、ワシを遥かに超える実力を有する魔法使い。ワシすら知らぬ手段……『闇の魔術』を有する魔法使い。もしくはそもそも()()()()()()()()()……。

ダリアに当てはまるのが最初と最後の選択肢でない以上、彼女がワシも知らぬ『闇の魔術』を有しているのは間違いない。それ以外に彼女が『年齢線』を越える手段など持っておるはずがない。

つまり彼女はワシの今までの予想通り、現段階においてホグワーツ内で最も警戒しなければならぬ生徒であることに間違いはなかった。正直カルカロフ以上に問題じゃと言える。

 

じゃがその事実を再確認したところで、今はどうすることも出来ぬこともまた事実じゃった。

もはや賽は投げられた。ハリーの名前が『ゴブレット』から出てきたということは、ヴォルデモートの何かしらの作戦が始まったということを意味する。敵の目的が何であれ、今はハリーが少しでも安全に試練を乗り越えることを考えねばならない。だからと言ってダリアの警戒を解くわけにはいかぬが、今彼女のみに注視しておれぬことも確かじゃった。退学にしようにも、彼女はただ『年齢線』を越えただけ。明確に彼女が今回の事件を引き起こしたと言えぬ以上、彼女を今更退学にすることなど出来ようはずがない。

それに何より……

 

「……すまぬな、アラスター。こんな夜分遅くに。お主ももう部屋に帰って休んでくれてよい。明日からもハリーと……ダリアの監視を頼んだぞ。あの子らをどうか導いてやってほしい。ハリーが安全に試練を乗り越えられるように。……ダリアが闇に堕ちてしまわぬように」

 

「ふん……言われるまでもない。ワシはそのためにここに呼ばれたのだからな」

 

ワシはアラスターに校長室から退出するようさとしながら考える。

ダリアが危険な、それこそワシの『年齢線』を越える程の『闇の魔術』を扱う。それが間違いない以上、彼女をより警戒せねばならぬのは間違いない。

 

じゃが彼女への警戒感を強めても尚……何故かワシにはどうしても、()()()()()()()ハリーの名前を入れたのが彼女だと()()()()()()()()()()()()

 

この学校で『年齢線』を越え、尚且つハリーの名前を入れる動機と実力を兼ね備えた人間がいか程おるじゃろうか。そんな人間はカルカロフとダリアしかおらん。カルカロフは如何に裁判の時にヴォルデモートを裏切っておろうとも、奴は生き残るためならなんでもする。ヴォルデモートから過去を許す代わりに指示を受けたなら喜んで従うじゃろう。そしてダリアは今まで見てきた中で、トムと並ぶほどの危険な潜在能力を持った生徒。謎の力で『吸魂鬼』の影響を逃れ、おまけに今年は『年齢線』を越えたのじゃ。本来ならこの二人をハリーの名前を入れた容疑者と考えてもおかしくはない。

じゃが何故じゃろうか……。ワシは何故かダリアに関しては……どうしても今回の犯人と思うことが出来んかった。

彼女が二年の時ワシは彼女を疑っておったし、今でもあの時の判断は間違っていなかったと思っておる。あの時の彼女は決定的な証拠こそ残しておらんかったが、あまりにも疑わしい人間じゃった。じゃから疑っておった。それは今でも変わらない。リーマスが何と言おうと、ワシのあの時の判断に後悔はない。

じゃが今はあの時とは違う。アラスターを躊躇いなく攻撃する残虐性、『年齢線』を越える実力、何をとっても状況証拠から彼女がハリーの名前を入れたとしか思えぬ証拠が揃っておる。本来なら彼女こそを犯人と疑うのが筋なのじゃろう。二年生の時以上の証拠が揃っておる。

 

じゃが同時に思うのじゃ……あまりにも証拠が()()()()()()()。寧ろ揃いすぎておることが不気味じゃと……。

 

ダリアは二年生の時ほとんど証拠を残さんかった。ワシが掴んだ証拠と言えば、彼女が夜な夜な歩き廻っていたということだけ。それはあまりにも証拠として扱うには弱すぎる状況証拠じゃった。そのせいでルシウスこそ理事から追放することに成功しても、未だに彼女の事件への関わり、そして彼女が一体どんな少女かという部分が一向に見えてはこぬ。当に八方塞がりじゃ。

じゃからこの証拠のあまりにも揃いすぎた状況でワシは思う。

あまりにも証拠が()()()()()()()。まるでワシにそう判断しろと言わんばかりに。……まるで誘導されてすらいるように。あれだけ証拠を残さんかったダリアが、こんなヘマをするとは思えぬ。何よりアラスターの話では、ダリアは()()()()『年齢線』に触れ、大勢の生徒の目の前で越えたという。もし彼女が実際にハリーの名前を入れたとすれば、彼女がそんなことを人のいる前でするじゃろうか。

少なくともワシには、この一連の流れがダリアによって作られたものとは思えんかった。

可能性があるとすれば、彼女が何らかの作戦における囮になっておるということくらいじゃ。それが彼女の()()()なものなのか、それとも誰かに誘導されたものなのかは定かではないが……。

 

全てが想定を超える勢いで進んでおる。ハリーのこと、トムのこと、そして……ダリアのこと。どんなに『今世紀最高の魔法使い』と持て囃されようと、ワシには一切先のことが見通すことが出来ておらん。全てが後手。今この時ですら、おそらくヴォルデモートの思い通りに事は進んでおることじゃろう。3年前のクィレルの時とは違い、今回は奴の方が上手じゃ。いずれにせよ今はハリーの安全を第一に考えるしか術がない。じゃがそのことがワシにはとてつもなく不安で仕方がなかった。

 

「本当に……トムは一体何を狙っておるのじゃろうな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セドリック視点

 

あれから数日たったのに……まるで夢を見ているような気分だった。自身が選んだ結果だというのに、未だにどこか信じ切ることが出来ずにいる。

しかし僕がどんな心持でいようと、

 

「セドリック頑張れよ! ポッターなんかに負けるなよ!」

 

「セドリック! お前はホグワーツ唯一の代表選手だ!」

 

決して現実が変わるわけではない。

すれ違いざまに掛けられた声に顔を上げると、同じハッフルパフの生徒達が僕に笑いかけている。胸に妙なバッジをつけているのは気になるけど、彼らは彼らなりに僕のことを真剣に応援してくれているのだろう。僕は彼らに応える笑顔がぎこちないものになっていないか心配しつつ考える。

どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

いや、僕自身が『炎のゴブレット』に名前を入れたからに違いない。でも正直、自分でも本当に選ばれてしまうとは心の底からは思っていなかったのだ。

それはほんの小さな出来心だった。自慢ではないが、僕はこの学校の中でもそこそこ有名な生徒だと思う。成績も上から数えた方がいい位置を維持しているし、クィディッチもそこそこの名選手だと思っている。全てはいい成績を残せば残す程喜んでくれる両親のためとはいえ、少しだけ自分に酔っている部分がなかったかと言えば嘘になる。だからこそ、僕は三大魔法学校対抗試合の話を聞いた時思ったのだ。

この学校でゴブレットに選ばれるとしたら、一体誰だろうか。

おそらく皆最初に思い浮かべるのは、あのスリザリンの女の子のことだろう。一昨年学校を恐怖のどん底に陥れた後輩。誰もが忌み嫌いながら、しかしこの学校で最も優秀だと思われるスリザリンの美しくも冷たい女の子。実力だけで言えば彼女以外に代表選手として相応しい生徒はいないことだろう。しかし彼女は僕より遥かに年下だ。年齢基準を満たしてすらいない。だから彼女が代表選手になることは絶対にない。

ならば次に思い浮かぶのは誰だろう。

そう考えた時、僕は自信過剰になっている自己に気付きながらも、それは自分ではないだろうかと思ったのだ。確かにこの学校には僕以外にも優秀な生徒達は少なからずいる。でも僕程ホグワーツ代表として相応しい他者からの評価を備えた人間がいるだろうか。

だから僕は『炎のゴブレット』に名前を入れた。選ばれなくても駄目で元々だ。でも選ばれ優勝さえすれば一千ガリオンと……永遠の名誉を手にすることが出来る。それらを手に入れれば、きっと両親は心の底から喜んでくれる。そして今まで以上に、自分自身に自信を持つことが出来る。両親や生徒達からだけではない、もっと広い世界からの評価を受けることが出来る。そうすれば今まで自分が必死になって身に着けてきた実力が本当のものだったと、真の自信を手にすることが出来るのだ。そう僕は内から湧き上がる情熱と……そして執着を胸に、喜び勇んで代表選手に名乗りを上げたのだった。

そんな一時的な気の迷いによって。

 

……でもいざ選ばれてしまった僕が感じたのは、実際はとてつもなく大きな()()()だった。

 

ダリア・マルフォイが『年齢線』を越え名前を入れたのではと聞き、これは自分が選ばれる可能性はなくなったかも……そう思っていた矢先の選出。年齢基準を満たしていない彼女が本当に名前を入れたのかは分からないが、もし彼女が本当に名前を入れていたのだとしたら、『炎のゴブレット』は彼女より僕の方を選んでくれたこととなる。それは大変名誉なことであり、それはそれで喜ぶべきことなのだろう。

でも実際自分の名前が出てきた時、僕はそんなことを喜んでいる余裕などなかった。ハリー・ポッターの名前が後から出てきたことに対する疑念だって、正直この恐怖感に比べれば些細なことだ。

ただただ、本当に選ばれてしまった。僕はダンブルドア校長が言うように、命の危険がある試練を三つも、しかも独力で乗り越えなければいけない。そんなマイナスの思考と共に、僕はとてつもなく大きな恐怖感を感じていた。

 

今なら思う。何故僕はあの時『炎のゴブレット』に名前を入れてしまったのだろう。

何が成績優秀だ。何がクィディッチのシーカーだ。そんなもの三大対抗試合に対して何の役に立つというのだろうか。周りが僕を持ち上げてくれるのだって、僕がそういう理想の姿を演じていたからに他ならない。周りが()()()()()()から……両親が喜んでくれるから、僕がそうなろうと努力していた、()()()()()()()()()()()。本当の僕は……今こんなにも恐怖感を覚える程臆病な性質を隠し持っている。

それに周りは僕をどんなに応援してくれたところで、今回の試練に関して僕を手伝ってくれるわけではない。試練の内容は分からず、ただ周りの応援の中不安をひた隠しにし続ける。名前を自分で入れたわけではないと主張するハリーが惨めな気持ちを味わっているのも分かっているが、それを助けようと思える程僕にだって余裕はない。勝つとか負けるとかではなく、ただ試練に生き残れるのか。それだけが不安で仕方がなかった。

 

僕は皆の笑顔に囲まれていながら……心の奥底でどうしようもない孤独と戦っていたのだ。

 

 

 

 

だからだろう。僕は本来なら警戒しなければならないというのに、

 

「こんにちは。セドリック・ディゴリー。こうして話すのは初めてですね」

 

ある昼下がり、偶々一人でいる廊下で、

 

「あぁ、警戒しているのですね。ですが大丈夫ですよ。私は貴方の恐怖感が()()()()()()()分かる」

 

()()の冷たい声音に一瞬耳を傾けてしまったのは。

今まで誰もいなかった廊下に突然、しかしまるで最初からそこにいたかのように現れた彼女。流れる様な白銀の髪に、まるで陶器のような白い肌。どこまでも美しくありながら、どこまでも冷たい後輩。そのホグワーツ生なら一度は噂を聞いたことのあるスリザリン生が、その薄い金色の瞳で僕の()()()()までのぞき込む。

そして彼女、

 

「ご安心ください。私は貴方の味方です」

 

ダリア・マルフォイが、突然の出来事に声も出ない僕にそっと囁きかけるのだった。

 

「私はただ、貴方に助言を言いに来ただけですから。第一の課題の内容、知りたくはありませんか? それさえ知れば、少しでも安心することが出来るでしょう?」

 



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見え隠れする彼女の影

 ロン視点

 

「ねぇ、ロン。いい加減にハリーと話をしなさい。貴方の悩みも分かるけど、そこでうじうじしていても決して前に進めないわ。ハリーだってそれを待っている。ハリーにだって、今貴方が必要なのよ」

 

グリフィンドールの皆が周りで騒いでいる中、一人暖炉の火を眺めていた僕にハーマイオニーがそんな言葉を投げかけてくる。

でも僕は彼女の言葉に答えることなく、ただジッと火だけを見つめていた。見つめるしかなかった。

……僕にだってハーマイオニーが正しいことを言っているのは分かっている。ここ最近のハリーは明らかに憔悴しきっている。リータ・スキーターとかいう新聞記者の、ゴシップ記事としか思えない内容の三文記事。スリザリン生が作ったと思しき妙なバッジ。そしてそれを胸に身に着ける生徒達。グリフィンドール生は着けていないけど、それ以外の三寮はほとんど全員が身に着けている。いつもであればグリフィンドールと仲のいいレイブンクローやハッフルパフも例外ではない。ハリーの味方は今やハーマイオニーだけと言っていいだろう。

 

その上これからある試練の内容は……あの()()()()と戦うことなのだからもう目も当てられない。

ハリーがこの情報を知ればさぞ肝を冷やすことだろう。

 

僕がその情報を手に入れたのはハグリッドの差し金だった。僕とハリーがまだ四六時中一緒にいると疑わないハグリッドが、

 

『ロン、お前さんに見せたいものがある。きっと驚くぞ。本当はハリーも一緒に呼んでやりてぇんだが、多分前情報なしに会ったらハリーは腰を抜かすだろうからな。それに、お前さんの兄貴も来とる』

 

朝食会場でこっそり僕に囁いてきたのだ。そして夜中ハグリッドについて禁じられた森に踏み入れば、そこにいたのは確かに僕の兄であるチャーリーと四匹のドラゴン。三大魔法学校対抗試合にドラゴンが使われるのは火を見るより明らかだった。

ドラゴンは生半可な魔法では対抗できない生き物。しかもその口は人を一飲みに出来る程大きく、周りの物を全て焼き尽くせる程の炎を吐き出す。到底魔法を学びたての学生が太刀打ちできるような代物ではない。()()()()()()()()()()()()()()()……何の覚悟も出来ていないハリーにこれと戦えと言うのはとても残酷な仕打ちに思えて仕方がなかった。

 

でも、僕はそこまで分かっていて……結局未だにハリーにこの事実を伝えられずにいる。試練がドラゴンと戦うことだと早く知れば知る程対策を取りやすくなるというのに……。

 

話さなければならない。()()()()()()()()。そう思っているというのに、結局僕はこの事実をハリーに自分で伝えられずにいたのだ。

ハリーが自分で名前を入れたわけではないと、自分でも分かっている。それなのに僕は未だに、自分のこの醜い劣等感に苛まれているのだろう。この劣等感が邪魔をして、どうしてもハリーと面を合わせた時に僕の素直な気持ちを伝えることが出来ない。

だからこそ、

 

「……ハーマイオニー。君からハリーに伝えてもらえないか? ハグリッドの所に行けって。それで最初の試練が何か、ハリーも知ることが出来るから」

 

僕はこんな選択肢しか取ることが出来なかった。

でもハーマイオニーにはそんな僕の気持ちなどお見通しらしく、

 

「……別に私は構わないけれど、貴方が言った方が貴方が楽になると思うわよ。ロン、私は知っているわよ。今日貴方、あのふざけたバッジを着けるスリザリン生と喧嘩したそうね」

 

相変わらず僕の今言われたくないことを指摘してくるのだった。

今日バッジ片手に馬鹿笑いしているスリザリンの集団に思わず突っかかってしまったのは確かだけど、辺りにグリフィンドール生がいないことを確認してからしたはずだった。僕がハリーのために怒ったと知られないために。でもどうやらハーマイオニーには筒抜けだったらしい。

何故いつもいつも彼女は僕の気持ちを、僕以上に知り尽くしているのだろうか。

僕はどこか気恥ずかしい思いを抱きながら、彼女に背を向けて一方的に告げる。

 

「……放っておいてくれ。僕が何をしようが君には関係ないだろう。ほら、いけよ。……ハリーにちゃんと伝えてくれよ」

 

しかしやはりハーマイオニーはすぐには僕の傍から離れず、一つ大きなため息を吐いた後、どこか呆れたような……でもどこか温かさを感じさせる声音で続けた。

 

「本当に男の子って不器用ね。心配なら心配って言えばいいのに。それに貴方が怒っているのも、ただハリーに嫉妬したからではないのでしょう? 貴方はただ……。まぁ、これは私が言っても仕方がないわね」

 

そう言って出て行った彼女に、僕はやはり自分がどんな顔をしているか分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

命の危険がある試練だということは分かっていた。特に僕は他の選手と違い17歳未満だ。他の選手よりかかる危険度は大きい。そんな僕が油断など出来ようはずがない。おそらく危機感だけなら他の代表選手を上回っていることだろう。

 

……でもだからと言って、まさか初めの試練がドラゴンを出し抜くことだなんて誰が想像できるだろうか。

 

ハーマイオニーの言付けに従いハグリッドの小屋に行ってみれば、いきなり透明マントを被るよう指示され、何故か森の方にズンズンと進んでいく。おまけにマダム・マクシームとまで合流し、そこで見たのが四匹のドラゴン。中にはハンガリー・ホーンテールなんていう、それこそ尻尾まで刺塗れの見るからに危険なドラゴンまで交じっていた。チャーリーとハグリッドの話を盗み聞くに、僕達代表選手はあれらのドラゴンを出し抜かなければならないという。途中コソコソしているカルカロフ校長も見かけたことから恐らく代表選手の()()()()が第一の課題の内容を知ることになるのだろうけど、一体どういう対策を取ればいいのか僕にはさっぱり分からない。どう足掻いてもあの鋭い刺に刺殺されるか、口から吐かれる灼熱の炎に焼き殺されるとしか思えなかった。

僕は逃げるように走り、少しでも早く談話室に駆け戻ろうとする。ハグリッドに別れの挨拶をしていないけど、ドラゴンとマダム・マクシームに夢中な彼は僕の不在に気が付くことはないだろう。

それに僕は一刻も早くドラゴンのいない空間に戻りたいというだけで、こうして急いで談話室に駆け戻っているわけではない。

何故なら僕は今日、

 

「ハリー、久しぶりだね」

 

「シ、シリウスおじさん!」

 

久しぶりに、世界で唯一残った僕を心配してくれる名付け親と会う約束をしていたのだから。

誰もいないはずの談話室の中。突然聞こえてきた声に振り返れば、暖炉の中にシリウスおじさんの生首が浮いていた。僕は思わず悲鳴を上げそうになるのを何とか抑え込み、暖炉の中のシリウスに近寄る。

彼から急に夜中の談話室で待つよう手紙を送られた時は、一体どういう手段でこちらに来るのだろうと思ったけど……まさかこんな方法で連絡を取りに来るとは。

 

「……シリウスおじさん。それ、どうやってるの? それにどうして僕のことを?」

 

シリウスは僕の質問に、以前会った時より肉付きの良くなった笑顔で応える。

 

「なに煙突飛行の応用さ。今とある魔法使いの家に忍び込んでいてね。少し暖炉を拝借させてもらっているんだ。そして君の現状をどうやって知ったかだが、日刊予言者新聞を読めば分るさ。毎日のようにリータ・スキーターが君のことを騒ぎ立てているからね。ほとんど嘘ばかりだろうが。だが分かる事実もある。……三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれたって?」

 

……僕は本来ならここで、

 

『大丈夫、心配ないよ』

 

と言わなければならないのだろう。シリウスおじさんから連絡が来た時も思ったけど、本来であれば彼は僕に構っている余裕などないのだ。何せまだ彼の無罪は世間的には証明されておらず、未だに彼は魔法省から追われたままだ。彼が捕まってしまえば、今度こそ『吸魂鬼』にキスされかねない。だからこそ僕は本来であれば今ここでシリウスおじさんを追い返し、自分は大丈夫だということを示さなければならなかった。

でも実際に僕の口から飛び出したのは、

 

「……そうなんだ。僕、名前を入れていないのに」

 

結局彼を更に心配させるような言葉でしかなった。

まるで堰を切ったように言葉が口から零れ始める。自分の意思でゴブレットに名前を入れていないのに、それを言ってもハーマイオニー以外誰も信じてはくれないこと。リータ・スキーターが日刊予言者新聞に僕について嘘八百を書いたこと。廊下を歩くたびに、皆が僕に向かって下らないバッジを見せつけながら揶揄ってくること。僕を揶揄ってこそこなくても、親友であるロンも僕の味方として傍に居てはくれないこと。

そして、

 

「それに……今しがたハグリッドに教えられたんだ。第一の課題は……ドラゴンを出し抜くことなんだって。僕……あんな怪物に勝てっこないよ。僕はもうおしまいだ」

 

最初の課題ですら僕には絶望的な内容であることを。

意思に反して全てを吐ききってしまった僕を、シリウスおじさんは憂いに満ちた目で見つめている。そしてしばらく悩んだ素振りを見せた後、おもむろに話し始めたのだった。

 

「……ハリー。君が今本当に辛い思いをしているのはよく分かった。一つずつ話していこう。まずドラゴンだが……何とかやりようはある。確かにドラゴンは強いし、強力な魔力を持っているからたった一つの呪文でノックアウトすることは出来ない。だが弱点がないわけではない。目だよ。ドラゴンは目だけは固い鱗に覆われていない。君は試練の時ドラゴンの目を狙いさえすればいい」

 

目を狙えだなんて無茶を言ってくれる。ドラゴンは巨体とはいえ、別に動きが鈍いわけではないのだ。目を狙っても呪文が当たる保証なんてどこにもない。

僕はそうシリウスおじさんに反論しようとした。しかしどうやらシリウスの伝えたい本題は違う所にあるらしく、僕が反論する前に急いで次の話題に移るのだった。

 

「だが今はそのことを長々と語っている暇はないんだ。先程も言ったが、今私は他人の家に忍び込んでいる身分だからね。家の主がいつ戻ってくるか分からない。だからその前に、君に警告しておかねばならないことがあるんだ。……それが二つ目のこと。君が誰に名前を入れられたかということだよ」

 

そして表情を更に真剣なものに変え、シリウスおじさんはおもむろにその名前を告げた。

 

「カルカロフ」

 

ムーディ先生が言っていた通りの名前に驚く僕に、シリウスはやはり表情同様真剣な声音で続ける。

 

「あいつは『死喰い人』だった。一時は捕まったんだが、仲間を売ることを条件に魔法省と取引してね。それで釈放されてからはノウノウとダームストラングの校長なんてしているのさ。おまけに自分の学校に入学する者には全員に『闇の魔術』を教えているときた。アズカバンにいる『死喰い人』から嫌われているとはいえ、奴が何かしてもおかしくはない。奴自身が何もしていなくとも、生徒に何かをさせている可能性もある。私は君の名前を入れたのは奴だと思うね。それを分かっているからこそ、ダンブルドアはムーディをホグワーツに呼んだんだ。それに……」

 

「それに?」

 

考え込むように言葉を切るシリウスおじさんをさとすと、今までも憂鬱になりそうな話題だったのに、更に気分が悪くなりそうな話が語られ始めた。

 

「……最近よくない噂ばかりを聞く。『死喰い人』が最近活発化してきたり、噂好きで有名な役人が、ヴォルデモートが潜伏していると噂される森で消えたり……ホグワーツ赴任直前にムーディが襲われたり。もし消えたバーサ・ジョーキンズが三大魔法学校対抗試合のことを知っていたとすれば、全てが繋がるかもしれない。ムーディが襲われたのも、おそらく敵の計画を邪魔されないためだ。つまり何が言いたいかというと……今ホグワーツでは何か恐ろしいことが起きているのかもしれない。()()()()()()()()。試合で事故に見せかけて君を殺すのは、忌々しいが実にうまい手だ。だからこそカルカロフやダームストラング生に気をつけなさい」

 

そこまで聞いて、僕は名前がゴブレットから出てきた直後ムーディ先生が言っていたことを思い出していた。

 

『ポッター……カルカロフと()()()()()()()()()には十分気を付けるのだ。奴らはお前の命を狙っているに違いないからな』

 

シリウスおじさんは知らないのだ。この学校には元死喰い人であるカルカロフ以外に、()()()()危険人物がいるという事実を。

ムーディ先生があいつを疑っている理由は『年齢線』を容易く超えたという噂があるからなのだろうけど……おそらくそれがなかったとしても、この学校にいる全員があいつのことを疑ったことだろう。ジニーを操り『秘密の部屋』を開ける()()()()()()あいつのことだ。今度はヴォルデモートの指示に従って僕を殺そうとしていてもおかしくはない。それに今考えればあいつが『年齢線』を超えたのだって、自分の名前をゴブレットに入れるためではない。()()()()()()()()ためだった可能性がある。

確かに全ては憶測でしかない。僕が得ている証拠は何一つないと言っていいだろう。でもダンブルドアに呼ばれたムーディ先生があいつのことを警戒し、そしてあいつこそが犯人なのだと断定している。僕にはそれこそが疑いのない証拠に思えて仕方がなかった。

そしてそう思っているのは、

 

「シリウスおじさん……実はムーディ先生にも言われているんだ。カルカロフを警戒しろって。でも……先生はもう一人警戒しろと言っていたんだ」

 

僕だけではないのだった。

僕はシリウスおじさんにダリア・マルフォイという同年代の女生徒について話す。スリザリン生であること。マルフォイ家であること。いつも冷たい表情で周囲を見ている嫌な奴であること。二年生の時に学校を恐怖のどん底に陥れたこと。そして……ムーディ先生どころか、ダンブルドアにも警戒されていることを。

僕の話を聞き終えたシリウスおじさんは最初こそ半信半疑な様子だったが、ダンブルドアやムーディ先生の話になった時にはもう、

 

「……ダンブルドアが警戒するなら間違いないだろうな。それにムーディもかつては本当に優秀な闇祓いだった。彼の嗅覚に引っかかるんだ。そのダリアとか言うスリザリン生は本当に危険な人間なのだろう。……思えばスネイプもそうだったしな。あいつも学生の頃から既に『闇の魔術』にどっぷりだった。あいつに俺達がどれだけ呪いをかけられたことか……。スリザリン生なんてそんな奴らの集まりさ。今でこそホグワーツの教員をやっているが、あいつだって死喰い人だったこともある」

 

彼も僕と同じくあいつのことを警戒した様子だった。

しかし彼が更に僕に警戒をさとそうとしたところで、

 

「まずい! 今家主が帰ってきた! ハリー! いいかい! ムーディの言っていたように、カルカロフとそのスリザリン生に警戒するんだ! そして試練はただ生き残ることだけを考えるんだ!」

 

遂に時間切れとなったのだった。

ポンという音共に暖炉に浮かぶ生首は掻き消え、談話室の中には僕だけが残される。

そして残された僕は……結局ドラゴンに対しての有効な対策を聞けずじまいだったことを、今更ながら気付いたのだった。

 

 

 

 

……しかも、

 

「セドリック……第一の課題はドラゴンだ」

 

「え?」

 

「ドラゴンだよ。四頭いるんだ。多分一人一頭。僕達はドラゴンを出し抜かないといけないんだ」

 

試練とは別に、どうやら僕の知らない所で違った事態も進んでいる様子だった。

それはただの気まぐれ。ただ他の三人は試練の内容を知っていて、セドリックだけは知らないなんてフェアではない。セドリックは僕とは違い正式に代表選手に選ばれた人間だ。それなのに僕が内容を知り、彼が知らないなんてどう考えてもおかしい。そんな思いを感じた僕は、彼が一人でいるタイミングでこうして話しかけた……わけだけど。

 

「そうか……。ということは、彼女は嘘を言ってはいなかったのか。本当に……何故あの子は僕に。それに僕の()()……?」

 

僕に話しかけられたセドリックは何故かどこか訝し気な表情でブツブツ呟いた後……おもむろに顔を上げ答えたのだ。

 

「ありがとう、ハリー。君も今は辛いだろうに、こうして僕を気遣ってくれたんだね。流石グリフィンドール生だね。でも……実は僕ももう最初の課題の内容を知っているんだ。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。君にも教えた方がいいとは思っていたのだけど、君に言われるまで正しい情報だという確信が持てなかったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

もはや闇の帝王の生存……そして私が見た夢が現実であったという事実は疑いようのないものだった。

本来であればゴブレットから出てくるはずのないポッターの名前。こんな異常事態が発生して尚、呑気にあれは夢だったのだと思う方がどうかしている。

しかし闇の帝王が生きており、今年何かしらの計画のためポッターの名前をゴブレットに入れたのだと分かった所で……私の出来ることはそう多くはない。

何故なら帝王の目的がいまいち判然としないためだ。

順当に考えれば帝王の目的はポッターを事故に見せかけて殺すこと。いくら老害が安全対策を講じようと、試練に多少の危険性が生まれるのは必定だ。よしんば試練で死ななかったとしても、事故に見せかけて直接的に殺す方法など幾らでもあるだろう。ポッターが赤子の頃に闇の帝王は敗れたのだ。権威復活のために彼を殺そうとするのは極々当たり前のことだ。

 

しかし私は思う。

本当に闇の帝王の目的は……ポッターを殺すことだけなのだろうか?

 

正直な話、私にとってポッターが殺されることはさしたる問題ではない。彼が生きようが死のうがどうでもいい。彼が死んだところで、闇の帝王の()()が多少復活するだけだ。帝王自身の力が戻るわけではない。帝王の鬱憤が晴れるならお好きにどうぞ。それくらいの感想しか湧いてこない。

だからこそ思うのだ。ポッターが試練で死んだところで、闇の帝王が復活するわけではない。そんな手間の割には効果が薄いことを、果たして闇の帝王が良しとするのだろうか。

ポッターの名前がゴブレットから出てきた以上、彼の名前を入れた犯人がこの学校のどこかに必ず潜んでいる。元死喰い人……ビクトール・クラムを使って私に何故かやたらと取り入ろうとしているカルカロフが最有力候補だが、先入観は判断を鈍らせるだけだ。彼を疑う理由が他に動機のありそうな人間がいないという消去法でしかない以上、彼に拘り他に目を向けないのは愚か者のすることだ。だがどちらにしろ、敵が異常な執念を持ってこの城に忍び込んでいることに変わりはない。それくらいあの老害を出し抜くということは難しいことなのだ。そんな努力をしてただポッターを殺すだけなど、努力に結果が一切見合っていない。

それに、

 

『すべては俺様の手中にある。ダンブルドアが必死に守っているハリー・ポッターとて、計画が上手くいけば……俺様の忠実なる僕が戻り、仕事を完遂すれば……必ず俺様の下に()()()()()

 

あの夢の中で、闇の帝王はそんなことを言っていた。如何せん夢であるため段々と記憶が朧気なものになっているが、あの発言だけは今でも鮮明に覚えている。『届けられる』という言葉がどのようなことを意味しているのかは分からないが、ただ殺すことが目的でないことは間違いない。それが何かは今の私にはさっぱり分からないわけだけど……。

 

現状で取りうる手段がほとんどないことに心底イライラする。

ポッターを守ることも考えたが、それはそもそも老害たちが対策していることだろう。それに老害達は勿論、ポッター自身ですら私のことを警戒しているのだから、私が近づけば事態を余計にこじらせるだけだ。

逆にポッターを敵の手に渡る前に殺すことも考えたが、それは後々マルフォイ家の迷惑になる以上最後の手段だ。

だからこそ私が出来ることは、現状この三大魔法学校対抗試合を全力でかき乱すことくらいのものだった。

ポッターに試合中に起こり得る状況は四つ。一つは途中で殺されること。二つ目は途中で攫われること。三つめが無事に試合を終えるが、健闘虚しく他代表選手に負けること。そして四つ目が……彼が()()()()()()

最も可能性があるのは二つ目であり、これに関しては老害達に頑張ってもらうしかない。そして一つ目と三つ目に関しては、正直そうなればそうなったで肩透かしの結果に落ち着くだけだ。帝王が復活しないのならなんだっていい。しかし最も可能性が低いとはいえ……四つ目の状況に何か隠された目的があるのなら、その僅かな可能性を潰すことこそが、私のすべきことだ。

そのためには私はポッター以外の代表選手に、なるべく優位になる情報を与えなければならない。幸い試練の内容自体は既に決まっている様子だ。お父様に尋ねれば、試練の細かな内容自体は分からずとも、物資や人の流れからある程度何が使われるかまでは推測することが出来る。

そして私が選ぶべき代表選手だが……接点の取りやすさや安全性を考えると、ホグワーツの正式な代表選手であるセドリック・ディゴリーが最善だろう。ボーバトンの選手は時折私の方に対抗心むき出しの視線を送ってきているし、クラムは背後にいる人物を考えると必要以上に近づくことは寧ろ危険だ。それにディゴリーだけは誰からの支援も受けられそうにないことから、私が手助けした時により彼の信頼を得られやすいように思われる。

 

……私の秘密が露見する可能性があるため本来なら他人に近づくことは危険な行為なのだが、この緊急事態に多少のリスクを負う覚悟はしなければならないだろう。

何しろこのまま手をこまねいていれば闇の帝王が復活してしまう可能性があるのだ。闇の帝王が戻ってきても尚、私のこの愛する平穏が保たれる可能性は皆無。であるならば私はとにかく行動をしなければならない。思いつく限りの、今できることだけでも。

 

だがそれが分かっていても、現状私が取れる手段がこれだけという事実に対する苛立ちは消えることはない。

寧ろ今やっていることが何の意味もないやり方である可能性の方が高いくらいだ。私というイレギュラーが行動することで、相手が予想していた試合の流れを変える。正直ただの嫌がらせの域を出ないことだと自分でも分かっているのだ。しかもあまりに強硬な手段を使っても、それが何の効果もなく闇の帝王が復活した場合……今度はマルフォイ家全体が帝王によって()()()()になる可能性だってある。強すぎもせず、だからと言って弱すぎるわけでもない。そんな微妙なバランスが求められる作業をせねばならない。

 

私は内心の苛立ちを隠すようにため息を吐くと、すっかり寝静まる寝室の中を見回す。

寝室には寝息が3人分響いている。私のことを心配してくれたのか、いつの間にか私のベッドに潜り込んでいたダフネも今は静かな寝息を立てるばかりだ。

私はそんなダフネの頬を撫でながら、一人寝室の中で呟く。

 

「大丈夫。私はやるべきことをするだけです。それに彼を手なずけておけば、後々何かの役に立つかもしれない。私はただ彼に情報を流すだけでいいのだから……」

 

そして私は自分の中に感じた僅かな()()()を押し込めると、静かに目を閉じベッドの中に再び潜り込むのだった。

 

 

 

 

第一の課題の日は、もうすぐそこまで迫っていた。



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動機

 

 ハーマイオニー視点

 

時間というものは……何故こうも必要な時に限って短いのだろう。去年あんな風に時間を湯水のように使っていたのが嘘のようだ。

第一の課題内容が分かってから数日。おそらく他の代表選手は確実なドラゴン対策を講じているだろうなか、私とハリーは()()()()()()()()アドバイスされた『呼び寄せ呪文』という不確かな策に賭けるしかなかった。しかもそれさえ今までの練習で一度も成功した試しはない。

明らかな準備不足。そもそもハリーは唯一の17歳未満の代表選手なのだ。時間はいくらあっても足りないのに、更に課題内容が分かったのはつい最近のこと。時間などいくらあっても足りるわけがない。

そしてそれはハリー自身も分かっているのだろう。

いよいよ来てしまった第一の課題の日……つまりハリーがドラゴンを出し抜かなければならない日。

何か他に気になることがある様子だったハリーも、そんなことより目の前の課題をまず潜り抜けようと頑張っていた。でもそれでもやはり一度の成功もなく、もはやぶっつけ本番でやるしかない状況は怖くて仕方がない様子だ。代表選手待機場所に向かう足取りは明らかに遅く、顔など血が通っているかも疑わしくなるほど青白い。しかも周りからの、

 

「ハリー、頑張れよ!」

 

「他の代表選手なんかに負けんなよ! グリフィンドールこそが優勝するんだ!」

 

という寮生の応援から、

 

「ポッター! お前が何秒持つか疑問だよ!」

 

「ちゃんと正々堂々やれよ! 卑怯な手を使うんじゃないぞ!」

 

などという他寮からの罵声に至るまで一切聞こえていないみたいだった。以前なら一々顔色を変えていたのに、今は青ざめた表情のまま固定されたまま。当然隣から声をかける私の声もあまり聞こえている様子ではなく、

 

「……ハリー。じゃあ頑張ってね。大丈夫よ。ただ集中すればいいの。そうすれば必ずファイアボルトは貴方の手元に届くわ。大きさや距離は関係ない。ただ集中すればいいの」

 

「……うん」

 

ただ言葉少なげに応えただけだった。私と別れたハリーはフラフラとした足取りで待機場所に歩いていく。明らかに大丈夫ではないけれど、この段階で私が出来ることは全くないと言っていいだろう。後はハリーの土壇場で見せる底力に期待するしかない。

私は今からでもハリーの背中に抱き着きたい気持ちを抑えながら、トボトボと重い足取りで観客席の方に向かう。

 

「さぁ、賭けだ賭けだ! 今のオッズで一番はビクトール・クラム! その次がセドリック・ディゴリーだ!」

 

「大穴でハリーに賭ける手もあるぞ!」

 

そしてまた馬鹿なことをしているフレッドとジョージの傍を通り過ぎると、未だに暗い表情でいるロンの隣に腰掛けた。

 

「ロン、隣に座るわよ」

 

「あぁ……」

 

でも彼に特に言葉をかけることはない。何故なら今も彼はハリー以上に青ざめた表情を浮かべているのだ。その上ロンはハリーが『呼び寄せ呪文』を練習している間、彼が集中して練習できるよう陰ながら人払いを行ってくれていた。今でこそ意地を張っていても、そんな風に本当は心の中では親友を心配し続けている彼にかける言葉なんてない。

そう……彼だって分かっているのだ。

ロンはただハリーに置いて行かれてしまった……彼の隣に自分は相応しくないのではと思っているだけ。ハリーのことを心配していないわけではない。寧ろ逆に彼を心配し……彼を親友だと思っているからこそ、彼に()()()()()()、彼に()()()()友達になりたいと思っているだけなのだ。

そんな純粋な思いを持つ男の子に、女である私がかける言葉なんてない。

 

「まったく……本当に男の子は面倒なんだから」

 

だから私はそっとそんな言葉を少しだけ()()()()()と共に噛みしめると、ただ黙って彼の隣に座り続ける。周りでは相変わらずの喧騒。皆どこか浮かれたように……どこかこれから起こることを他人事のように騒いでおり、ハリーを心配してただ黙り込む私達に話しかける人間などいない。

そうただ一人、

 

「あ、ハーマイオニー! 大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど?」

 

この試練に()()()()()()()()()()()ダフネを除いて。

不機嫌そうにそっぽを向くドラコを引き連れ、いつも通り元気いっぱいのダフネが私だけに笑顔で話しかけてくる。

 

でも彼女の隣には……彼女と私の親友であるダリアの姿だけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

こんな下らないイベントに興奮しきっている様子の生徒達と違い、ハーマイオニーだけは顔色悪く黙って観客席に座っている。

原因は分かっている。優しい彼女のことだ。おそらくポッター()()()が無事にやり過ごせるかどうかを心配している……そんなところだろう。ポッターがどうなろうがどうでもいいけど、ハーマイオニーの顔色がこれ以上悪くなるのは可哀想だ。私は彼女の隣からこちらに敵意の視線を送る()()を無視し、彼女をなるべく安心させてあげられるよう声をかけた。

 

()()()()()()()()()。最初の課題はドラゴンなんだってね。でもまぁ、大丈夫だと思うよ。……あの爺も言っていたでしょう? 魔法省も十分な安全対策を施すつもりだって。老害はともかく、流石に魔法省はそこらへんしっかりしてくれるでしょう? ポッターも……まぁ、()()()()()大丈夫だと思うよ」

 

「そ、そうよね……」

 

しかしどうやら私の言葉は、あまり彼女の安心に繋がった様子はなかった。私に答えたものの、返す笑顔はどこかぎこちないものでしかない。代わりに元気よく答えたのは寧ろゴミの方だった。

 

「あっちいけよ、ダリア・マルフォイの腰巾着は。僕は今お前らなんかを相手にしている暇はないんだ。早く行かないと、お前らのことをぶん殴るぞ」

 

『腰巾着』という言葉には一瞬呪いをかけてやろうかと思ったけど、こいつはダリアを未だに疑うような低脳だ。今更相手にしても仕方がない。私はそう考え適当に受け流そうとする。

でもダリアの不在でやや苛立っているドラコの方はどうもそう思えなかったらしい。一瞬今まで以上に苛立った表情を浮かべたかと思うと、嫌らしい笑みに表情を切り替え、彼自身が作ったバッジを見せびらかしながら言った。

 

「ふん、これだからウィーズリーは野蛮なんだ。そうだ、どうせなら一緒にポッターがどうなるか見ようじゃないか。きっと見ものだぞ。勿論あいつがどれだけ無様な姿でやられるかがね。セドリックと違って、ポッターは正式な代表選手ではないんだ。きっと卑怯な手を使って、更には無様に負けるに違いないさ」

 

そしてバッジを胸に押し付けると、今まで書いてあった、

 

『セドリック・ディゴリーを応援しよう! ホグワーツの真のチャンピオンを!』

 

という文字が、

 

『汚いぞ、ポッター!』

 

というギラギラ光る文字に変わる。この今ではホグワーツ中で爆発的に流行っているバッジは、ただポッターとその一味を馬鹿にするために作られたもの。案の定ウィーズリーはキレた様子で立ち上がり、ドラコの方に思いっきり拳を振り上げ殴り掛かろうとする。それを即座にハーマイオニーが羽交い絞めにして止めると、

 

「こ、こら、ロン! 止めなさい! ほら、ドラコもそんなもの仕舞って! ごめんなさいね、ダフネ! 話はまた今度ね! 次はダリアと一緒に!」

 

私達にそんなことを叫ぶのだった。どうやらもう彼女と話している場合ではないらしい。私は必死に踏ん張っているハーマイオニーに苦笑すると、

 

「そうだね。ではまたね、ハーマイオニー。ほらドラコも行くよ」

 

「ふん……」

 

私は私でまだ言い足りなさそうにしているドラコを引き連れ、ダリアがいつ帰ってきてもいいように日陰の席に向かう。

そんな私の背中にハーマイオニーの最後の大声が届く。

 

「それとダフネ! 貴女()はあのふざけたバッジをつけずにいてくれて、ありがとう! ダリアにもそう伝えておいて!」

 

私はハーマイオニーの言葉にやはり苦笑で答えるしかなかった。彼女の言う通り、確かに()()ドラコ製作のバッジをつけてはいない。でもそれは別にポッターを気遣ってのことではなく、ただハーマイオニーを思ってのことでしかない。ポッターなど私にとってはただの面倒な奴でしかないけれど、同じグリフィンドールである彼女にとっては違う。ハーマイオニーは私達の友達なのだ。そんな彼女を気遣うのは当然のことだ。それにドラコには悪いが、私にとってこのバッジはあまりセンスのいい物とは言えない。文字はギラギラ蛍光色に輝いており目がチカチカしてしまいそうなのだ。ポッターに特に興味もない私が持っている必要性などどこにもない。

しかしダリアの場合は少し毛色が違う。確かに私同様、ハーマイオニーを気遣って身に着けてこそいないけど……実は大量に隠し持っていることを私は知っている。と言っても、ポッターをその辺の石ころ程度にしか思っていないあの子にどうしてかと聞いてみると、

 

『……実はこれ、中々高度な呪文がかかっているのですよ。勿論私なら簡単に作れるものでしかないのですが、それをお兄様が作ったと思うと……感無量です』

 

という軽い理由でしかなかったけれど……。

それでもハーマイオニーがダリアの現状をどこか勘違いしていることに変わりはない。

結果私は彼女に何も答えられず、ただ苦笑を浮かべながら席に着くしかなかった。一番奥の日陰席を空け、ドラコと私は二人並んで座る。ハーマイオニーと離れた以上、私達の間に言葉はない。

ただ、早くダリアが来ないかな。

実は試練自体に大した興味もないそ私達の中にはそんな単純な思いしかない。特にハーマイオニーの言葉でダリアのことを思い出した今では尚更だ。

 

「後で行くと言われたから観戦に来たけど……。ダリアの用事って何だろうね……。またあの子一人で抱え込もうとしているのかな……」

 

「……お前も思い知っていると思うが、ダリアはかなり頑固なところがあるからな。去年はもっと話し合えと言ったが、今はダリアが落ち着くのをもう少し待とう」

 

 

 

 

結局この後ダリアが来たのは、第一の試練が始まり……セドリック・ディゴリーがドラゴンと戦い始めた時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セドリック視点

 

緊張で頭がどうにかなってしまいそうだった。少しでもジッとしていれば、それだけでもう動けなくなってしまう。そんな気がして何とはなしに待機所の中を行ったり来たりする。

そしてそれ程の強い不安感を感じているのは、どうやら僕だけではないらしかった。

片隅に置かれた椅子に座るフラー・デラクールは、常になく青ざめた表情でひたすら冷や汗を拭いている。代表選手の中で一番緊張慣れしてそうなビクトール・クラムは、いつもより更にムッツリした表情で何かをブツブツ呟いていた。彼らが今から挑まねばならない課題に緊張しているのは火を見るより明らかだ。

そしてそれは、

 

「せ、セドリック……」

 

「あ、あぁ、ハリーか。お互い頑張ろう」

 

「うん……」

 

四人目の代表選手であるハリー・ポッターも例外ではない。待機所に入って僕に話しかけてきたものの、僕とこれ以上の会話をする余裕自体はないのか、真っ青な顔にどこまでもぎこちない微笑みを浮かべて端の方に行ってしまった。お蔭で再び待機所の中は奇妙な沈黙で満たされる。

お互いに掛け合う言葉などない。ハリーの様に期せずして代表選手になったと主張する生徒はともかく、全員が優勝杯を争うライバルだから……ということもあるが、単純に皆未だかつてない程緊張しているのだ。

別に準備をする時間がなかったわけではない。ハリーの話ではクラムやフラーだって第一の課題内容を予め知っているとのことだった。ドラゴンは確かに普通の手段では対処のしようのない生き物であるが、手が全くないわけではない。17歳を超える生徒であればある程度の対策を思い浮かべるのは別に苦ではない。クラムとフラーもおそらく何かしらの対策を講じ、それを今日までミッチリと練習していたことだろう。

でもいくら対策があり、それを今日まで練習していようとも、緊張するかしないかというのはまた別の問題だ。弱点があろうとも、相手は腐ってもドラゴン。もし少しでも失敗すれば命を失う可能性だってある。ダンブルドアも対策を取ると言っていたが、それも絶対ではないだろう。僅かとはいえ、命の危険を前にして緊張するなと言う方が無理なのだ。

 

それに何より……もし失敗した時、僕に期待してくれている両親やハッフルパフ生のことを考えると……。

 

僕は皆が無言の中をしばらく右往左往していたが、途中でそんな体力を使っている場合でもないと思い直し、他の代表選手とは離れた端の方に陣取る。ただ何もしないのもやはり不安が増すばかりなので、ポケットから杖を出し、試練で使う予定の呪文の動きを練習し始めた。

しかし……

 

「こんにちは、セドリック・ディゴリー。あぁ、あまり大声を上げないで下さいね」

 

それもすぐに別のことに気を取られることになったけれど。

代表選手の待機所と言っても、別に小屋を新しく建てたわけではない。併設する急造会場の横に、小さなテントが設置されているだけだ。当然外の音、つまり会場の方から聞こえる生徒達のざわめき声だって聞こえてきている。そんな中で、今まで接点など皆無だったのに、何故か急に僕に近づいてきた後輩の声が聞こえてきたのだ。……テント越し、つまり()()()()()()()

思わず上げそうになった大声を抑え込みながら、僕はやはり()()()()声音で声の主に答えた。

 

「ダ、ダリア・マルフォイ。ど、どうして君がここに?」

 

「いえ、おそらく緊張されていると思いましたので。……()()()()()()()私には出来ませんがね」

 

後半は果たして僕に対しての言葉なのかは怪しかったが、どうやら一応()()では僕を励ましに来たらしい。

だからこそ僕は……更に彼女に対する警戒心を()()()()()考える。

確かに彼女が僕に教えてくれた試練の内容は間違っていなかった。同じ代表選手とはいえ、グリフィンドール生であるハリーと同じことを言うのだからそれは間違いない。それに彼女が出会い頭に言っていた、

 

『ご安心ください。私は貴方の()()です』

 

という言葉があの時の……いや、今でも僕が心から欲しかった言葉であったため、警戒しながらも彼女の話を聞いてしまったのも確かだ。お蔭でこうして僕はドラゴンへの対策を練ることが出来ている。

でもだからと言って、彼女への警戒感がなくなるかといえばまた別の話だ。

そもそも僕はダリア・マルフォイと面識などない。あるはずがない。彼女はスリザリン生の後輩で、僕はハッフルパフ。更に彼女はあの悪名高きマルフォイ家の娘だ。僕の父親も魔法省の役人だけど、あの家とは違い悪いことなど一つもしていない。本来ならこの恐ろしい少女と僕が関わることなど一生なかったはずなのだ。彼女の方から僕に近づく理由もない。

なのにこうして彼女はまるで僕を狙い撃ちするかのように近づいてきた。彼女が何か企んでいると考えるのが自然だ。

彼女は僕を利用するつもりに違いない。

しかしいくら怪しい人間だとはいえ、彼女は()()年下の女の子だ。目的があることとはいえ、僕に試練の内容を教えてくれた恩義もある。まさかいきなり、

 

『帰れ!』

 

なんて言うわけにもいかない。

僕はどうしたら平和的に彼女を追い返せるかと思案を巡らせる。しかし僕が有効的な彼女の追いだし方法を思いつく前に、彼女の方から更に会話を続けてきたのだった。

 

「……ところで、どういった方法でドラゴンを出し抜くおつもりですか?」

 

実に当たり障りのない質問。でも彼女の企みが分からない以上、彼女に馬鹿正直に自分の作戦を話していいものか判断に迷うところだ。

だがこれで彼女を追い返すタイミングを逃してしまった。しばらくの逡巡の後、僕はあと数分もすればどうせ皆の前で披露することだと思い直すことになる。そして他の代表選手に聞こえないような声音で答えたのだった。

 

「……変身呪文を使うつもりだよ。ドラゴンは目が弱点とよく言われるけど、上手く目に呪文を当てられる確証はないからね。代わりにドラゴンの高い縄張り意識を使わせてもらうよ。石を犬に変えてドラゴンの気を逸らす。その間にドラゴンを出し抜くという寸法さ」

 

彼女のお蔭で、考える時間も、そして練習する時間もたっぷりあった。しかし正直な話、これが最良の選択肢とは言えないだろう。自分でもドラゴン相手ならもっとやりようがあると思う。しかし僕の最も得意分野である『変身術』を活かすにはこのやり方が一番なのだ。僕より遥かに優秀と思われるダリア・マルフォイならあるいは違った手段を使うのだろうが、僕の得意分野を活かすならこれしか方法はない。

僕は少しの恥ずかしさを感じながら、それ以上にこれで彼女が満足して去ってくれないものかと期待して返事を待つ。

ところが彼女の答えは寧ろ、

 

「ほう……そのような手段でいきますか。いえ、確かに目を狙うだけでは能がありませんものね。私が思いつく手段は些か()()なものばかりだったのですが……。噂に聞く貴方の実力であれば、それでも十分通用すると思いますよ。ドラゴンを()()必要性もない。やはり代表選手に選ばれる生徒は違いますね」

 

否定的なものどころか、大絶賛なものでしかなかった。彼女の言う物騒な手段も気になるが、僕はそれから無理やり意識を逸らしながらもっと違うことを尋ねる。

 

「ちなみに君は……いや、そんなことを今聞いても仕方がないね。ありがとう、この学校で一番優秀だと言われている君にそう言ってもらえて、少しだけ自信を持つことが出来たよ。それに課題内容を教えてくれたことも……。ところでこちらも質問してもいいかい? 君は随分僕に肩入れしてくれているみたいだけど、それはどうしてだい?」

 

やや突っ込んだ質問だと思ったけど、ここでしり込みしている時間はない。彼女の言葉や態度で今後の方針を決めよう。

そう思い彼女の方に質問したのだけど、

 

「……ただの戯れですよ。皆が予想する結果を、少しだけ変えてしまおう。そんなちょっとした遊び心からです。特に意味はありません」

 

そんなどこか突っぱねるような声音で答えられただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダリア視点

 

まるで探りを入れる様な質問に、どこか固さすら感じられる声音。課題を間直に緊張していることもあるだろうが、理由はそれだけではない。

彼は警戒しているのだ。接点もないのに突然近づき、耳元で甘い言葉を囁くスリザリンの後輩を。

まぁ、その反応自体は別に最初から予想していたものだ。寧ろ彼は私を警戒して当たり前。最初こそ『開心術』で彼の欲しがっていた言葉を見つけ出し、それを使って彼に近づくことにこそ成功した。しかしいざ冷静になれば欲望より警戒心の方が勝る。当然の反応だと思う。一部の例外を除き周りの人間全てが敵な私程ではないが、不可解な行動で近づく人間など本来警戒対象にしかなりえない。彼は正常な感覚で、私を警戒しているにすぎないのだ。

 

しかしどんなに彼が私を警戒していようと、私には一切の関係はない。

 

私の目的はセドリック・ディゴリーに介入することで、試合を誰も予想していなかった方向に導くこと。他の代表選手と違い、彼には誰も有効的な情報を教えてくれるサポーターはいない。そんな状況の中、魔法省高官である父親を持つ私の情報は必ず彼の役に立つ。誰が優勝するにせよ、途中経過自体は必ず変えることが出来る。

敵の計画を少しでも狂わすことが出来る可能性がある。

つまり彼が私自身のことを信用しようがしまいが、私のもたらした情報さえ信用してくれればそれで私の計画は成功しているのだ。

少なくとも今こうして彼が私の話に応じているということは、私の話自体は信用しているということ。彼が私に何を思おうとどうでもいい。

 

所詮彼は私の()に過ぎないのだから。

 

そう私は自らに言い聞かし、彼の質問をはぐらかしてから更に違う質問を投げかける。

 

「それより、こうして協力していてなんですが、貴方が何のために代表選手に名乗りを上げたか聞いていませんでしたね。やはり名誉のためですか? いえ、馬鹿にしているわけではありません。それも素晴らしい動機の一つですから」

 

正直セドリック・ディゴリーが何を動機にしてようと私には関係ない。どうせ代表選手になりたがるような目立ちたがり屋のことだ。お金か名誉などという何の価値もないものに心惹かれたに違いない。しかし情報を与えたのに緊張で何も出来ませんでしたでは、私が態々こうして他人に近づいた苦労が水の泡だ。

せめて彼に何故自身が立候補するに至ったのか、それを思い出させることで緊張を和らげてやろう。

だから私の質問は、そんなどこか投げやりな感情から発した物でしかなかったのだ。

しかし、

 

「……名誉か。確かにそれが欲しくて僕は立候補した。そう言えるかもしれないね……。でも僕が本当に欲しいのは、それを手に入れた時見せてくれるだろうハッフルパフ生の……そして()()の笑顔なんだ」

 

私の適当な返事に対してため息を吐いた後、彼が発した答えに少なからず衝撃を受けることとなる。

どこか投げやりの口調、それこそまともに受け答えしない私との会話をさっさと切り上げたいと分るような声音。でもそうであるが故に、彼の言葉がどこまでも本気であることが分かったのだ。

 

「両親のため……ですか?」

 

「そうさ。僕の両親はこう言っては何だけど、僕にことのほか甘くてね。昔から何かする度に、僕のことをとても褒めてくれるんだ。……親馬鹿だとは僕も思うけどね。でも、両親ももういい歳だ。少しでも彼らを喜ばしてあげたい。それに同じハッフルパフ生も。彼らはこんな僕でも応援してくれる。いつもは劣等生と罵られてばかりだからね。……そんな彼らを少しでも喜ばせたい、勇気づけたい。そう僕は思っているんだ。確かに名乗りを上げた理由が、ただ名誉やお金が欲しいという動機がなかったとは言えないけどね……」

 

 

 

 

この後すぐ試練の説明のため老害がテントを訪れたため、私はダフネやお兄様がいる場所に移動せざるを得なかったわけだが……私はどうしても彼が最後に言った言葉を忘れることが出来なかった。

両親や同寮生のため。

ハッフルパフ生のためはともかく、彼は他でもない家族のためを思って行動している。それこそ命の危険があるであろう試練に、ただ家族の笑顔を見たいがために立候補するなんて……。

 

セドリック・ディゴリーがどんな成績を残そうとも、私にはどうでもいい。ただ番狂わせな結果を残してくれればそれでいい。

ただそういう思いしか私は彼に抱いてはいなかった。

しかしどういうわけか……私との会話で結果的に緊張が解れたのか()()()『変身術』でドラゴンをいなし、見事好成績で試練を乗り越えたセドリック・ディゴリーを見た私は……何故かそれが無性に嬉しく思えていたのだった。

 



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閑話 欲しかった言葉

 ハリー視点

 

最高の気分だった。

何を隠そう僕は土壇場でファイアボルトを呼び出すことに成功し、あの凶悪なハンガリー・ホーンテールを出し抜き……そして何より、最初の課題を生き残ることが出来たのだから。

テントの外から未だに盛大な歓声が鳴り響いている。ドラゴンを出し抜いている時はあまりにも必死だったため分からなかったけど、おそらくこの熱狂ぶりから察するに僕は上手くやれたのだろう。

事実先程から、

 

「いや~素晴らしいかったですね! 何と言っても()()()()()()()()時間で卵を取りましたかね! 最年少の代表選手に関わらず!」

 

何故か三大魔法学校対抗試合の解説者まですることになったリーの興奮しきった声がこちらにも届いている。周りから聞こえる歓声も試合前であれば考えられないような好印象なものばかりだ。

ドラゴン相手に生き残れたことだけで嬉しいことだけど、やはりこうして誰かに褒めてもらえれば更にいい気分になる。

そしてその気分を更に盛り上げてくれるかのように、

 

「よくやったな、ポッター」

 

「ムーディ先生!」

 

他でもない僕にドラゴンを出し抜く方法を教えてくれたムーディ先生が、態々僕を労うためにテントにやってきてくれたのだった。

傷だらけの顔を嬉しそうに歪ませ、更に魔法の目を眼窩の中で激しく躍らせながら先生が言う。

 

「簡単で上手い作戦だった。それにまさかあれ程の距離でファイアボルトを呼び寄せるとはな」

 

「いえ、全部先生のお蔭です! 先生がヒントを教えてくれなかったら、僕はこの作戦を思いつきもしませんでした!」

 

「いや、ワシはただヒントを与えたに過ぎん。箒を使えというヒントから、お前自身が導き出したのだ。お前はもっと自分に自信を持っていい」

 

本当にいい先生だと思った。見た目は怖いし、やることは多少過激な所があるけど、こうして危機的な状況にあった僕をそっと手助けしてくれる。おまけにこうして試練が終わってから労いにも来てくれるのだ。シリウスおじさんの言っていた通り、流石ダンブルドアが信用して学校に呼び寄せるだけのことはある。

僕は命の恩人とさえ言える先生との会話に心を躍らせる。つい数時間前まで心の中で渦巻いていた暗い感情が嘘のようだ。とりあえずの命の危機は去り、あれだけ学校中に渦巻いていた僕への憎悪は薄らでいる。馬鹿らしいバッジを見せつけられていた時とは気分が雲泥の差だ。

何より、

 

「ハリー! 貴方本当に素晴らしかったわ!」

 

「……」

 

ここ最近僕に近づきもしてこなかった親友が、ようやく僕の元に来てくれたのだから。

テントが捲られたかと思うと、顔を紅潮させたハーマイオニーが勢いよく飛び込んでくる。そして彼女の横には……無言で俯くロンが立っていたのだ。

 

「ふん、ワシはもうこれ以上いても邪魔なだけだな。ではな、ポッター。まだ対抗試合が終わったわけではないが、今は英気を養うのも大切なことだ」

 

そして空気を読んで席を立つムーディ先生と入れ替わるように、ハーマイオニーは勢いのまま僕に抱き着き続けた。

 

「あぁ、私、本当は不安で不安で仕方がなかったわ! だって貴方、練習の時は一度も成功していなかったのですもの! でも……あぁ、貴方って本当に凄いわ! 土壇場で完璧にやり遂げるんですもの! 一年生の時から分かっていたけど、貴方は素晴らしい魔法使いだわ!」

 

本来であれば嬉しくてたまらなくなるような言葉の数々。それに今回相手にしたのはあのマグルの世界でも有名なドラゴンだ。今まで乗り越えてきた試練に比べても遜色ない危険度だったと思う。それをこうしてハーマイオニーが絶賛してくれる程完璧に乗り越えることが出来たのだ。嬉しく思わないはずがない。

でも今の僕はそこまでハーマイオニーの言葉に耳を傾けてはいなかった。

 

何故ならロンの登場により、僕の頭の中には外の歓声どころではない程色々な感情が浮かび上がっていたから。

 

怒り、悲しみ、後悔、そして……とてつもなく大きい歓喜。

どうしてあんなに大変だった時期に僕の傍にいてくれなかったんだ。どうして誰も僕を信用してくれなかった時に、君こそが僕を信じてくれなかったんだ。どうして僕がこうして試練を乗り越えた段になって、そんな青ざめた顔をして僕の所に来たんだ。

暗い言葉が次から次へと頭の中に浮かんでは消えていく。でもその中の何一つ、僕は口にすることは無かった。ただただロンを見つめ、そんな僕を何か言いたそうにロンが口を開けては閉じながら見つめ返している。

お互い言葉はない。数秒の間二人とも黙り込み、そんな僕らをハーマイオニーが少し心配そうに見ている。

でもやはり……最後まで僕がロンに罵声を浴びせることはなかった。

 

それはそうだろう。だって僕は今怒りを覚えると同時に……どうしようもなくロンの登場を嬉しく思っているのだ。

やっと来てくれた。やっと傍に居てくれる。やっとまた僕らは仲良し三人組に戻ることが出来る。

そして気付いてしまった。

確かに僕らは()()してしまったけど……親友でなくなったわけではないのだと。

気が付けば簡単なことだ。僕にとってロンは傍にいてくれて当たり前の存在だと思っていた。だからこそ彼が離れてしまった時、あれ程の喪失感を味わっていたのだ。そしてロンも同じように思っていてくれたからこそ、こうして青ざめた表情でも僕の前に立ってくれている。

それに思えば甘えた考えを持っていたのは僕の方だったのかもしれない。僕はただ自分の不幸を嘆くばかりで、親友であるロンがどんな感情で僕の傍にいてくれたのか考えたことなどなかった。

ハーマイオニーの話では、ロンは小さな頃から優秀な兄弟と比べられるばかりの生活を送り、自分のことを過小評価している節があるとのことだった。そして彼は僕が持ち上げられる度に、僕と一緒に様々なことを成した自分を少しだけ見直し、でも同時にどこか寂しさを感じていたのだと……。

そんなこと、この四年間おくびにも出さずに。

僕がロンのことを完全に理解しているなんて到底言えないし、おそらくこれからもそうだと思う。親友であっても、僕等が別の人間である以上真に相手を理解することは出来ない。でもそれでも彼がそんな悩みを抱えながら、それでも僕のことをいつも笑顔で支えてくれたことの意味くらいは理解出来るつもりだ。

だからこそ、僕が今言わなければならない……言いたいのはロンを罵る言葉なんかではない。

僕が言いたいのは、

 

「いいんだ、ロン。気にしないでくれ。ただ……これからも僕等の傍に居てくれ。()()()()()()()()()()

 

ただそんな短い言葉でしかなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロン視点

 

たった数分の攻防だったのに、その間に何度もハリーが命を落としかけた瞬間があった。

炎を吐かれた瞬間、尻尾の刺がかすりかけた瞬間。一瞬の判断ミスが大怪我に繋がるような、そんな瞬間が何度もあった。

別に命の危険がないと思っていたわけではない。ダンブルドアが言っていたように、過去何人も三大魔法学校対抗試合で命を落としている。心配しないわけがない。

でもそれでは足りなかった。僕は自分の目で実際に見て、ようやく試練の真の危険を感じることとなったのだ。

 

今回は確かに上手くやれた。成績だって、岩を犬に変えてドラゴンの気を逸らしたセドリックの次にいいことだろう。

でもこの次は?

三大魔法学校対抗試合は別に今回の試練で終わりなわけじゃない。これと同じくらい危険な試練が後二回も続くのだ。次にハリーが犠牲にならない保証などどこにもない。

 

そう考えた時、僕は自然とハリーのいるテントの方に足を進めていた。あれだけ頑なに拒んでいたのに、今はスイスイと自然に向かってすらいる。

しかし、

 

「ハリー! 貴方本当に素晴らしかったわ!」

 

「……」

 

いざハリーの前に立つ段になった時、あれだけ勢いよく歩いていたのが嘘のように黙り込んでしまったのだ。

どの面を下げてハリーに向き合えばいいのか分からなかった。

今まで散々放っておいたのに。それこそハリーが不安で仕方がない時に、

 

『どうして僕には言ってくれなかったんだい? 僕らは親友じゃないか。いつだって僕らは三人でやってきたじゃないか。なのにどうして……君は言ってくれなかったんだ?』

 

『ロン、皆にも何度も言っているけど、僕はゴブレットに名前を入れていないんだ。他の誰かがやったに違いないんだ……』

 

『……僕にも言えないってことか? ふん、それならいいよ。あぁ、そうだ、君は早く寝た方がいい。明日は写真撮影とかで忙しいだろうしね』

 

あんな暴言まで吐いてしまったというのに。本心からのものでなくても、ハリーを傷つけてしまった言葉であることに変わりはない。

そんなことを言ってしまった、やってしまった人間が、一体どの面下げて会えばいいのか分からなかった。

口を開いては閉じ、言葉にならないため息がただ口から洩れ続ける。ハリーもハリーで何も声をかけてくることはない。彼はきっと厚顔無恥の僕の態度に腹を立て、どんな罵声を浴びせようかと考えているのだろう。僕ならそうするから間違いない。

ただ徒に時間だけが過ぎていく。でもいざ僕がようやく決心し、まず謝罪から口にしようとした瞬間ハリーが言い放った言葉は、

 

「いいんだ、ロン。気にしないでくれ。ただ……これからも僕等の傍に居てくれ。()()()()()()()()()()

 

僕の想像していた物とはかけ離れたものでしかなかった。

しかも驚きのあまりハリーの表情を凝視すると、やはりそこには何の怒りもなく、ただ純粋に温かい感情を湛えたものでしかない。

だからこそ僕は……自分の今までの行動をこれ以上ない程恥じていた。

 

やはり僕の親友は凄い奴だった。普通ならあれ程散々放っておいた上に、罵声まで吐きかけられたのだ。挙句の果てに実際に会いに来たのは、とりあえずの命の危機を乗り越えた後。本来なら激怒してもおかしくはない。それをこうして謝罪を要求するわけでもなく、ただ優しい言葉をかけるだけ。こんなすごい奴を友達に持ったというのに、僕はいつまでもウジウジと嫉妬していたことが恥ずかしかった。

 

でもそれ以上に……こんな状況だというのに、ハリーの、

 

『僕には君が必要なんだ』

 

という言葉をどうしようもなく嬉しく思っている自分が、恥ずかしくて仕方がなかった。

心に開いていた穴がすっぽり埋められているような気がする。今思えば、

 

『本当に男の子って不器用ね。心配なら心配って言えばいいのに。それに貴方が怒っているのも、ただハリーに嫉妬したからではないのでしょう? 貴方はただ……。まぁ、これは私が言っても仕方がないわね』

 

先日のハーマイオニーの言っていた言葉はこれだったのだ。

 

そう、ハーマイオニーの言う通り、僕はただ……誰かに必要だと……親友に()()()()()()()()()()()()だけなのだ。

 

昔から僕は大勢の兄弟の中埋もれるだけの存在だった。愛されていなかったわけじゃない。寧ろ他の家庭より愛のある家庭だと思っている。でも、それでも、やはりとびきり優秀な兄貴達や、女の子であると同時に兄貴達と同様優秀な妹に比べて、僕の存在はちっぽけなものでしかないのもまた事実だった。

誰も僕を見てはくれない。誰も僕を心から褒めてはくれない。誰も僕を……本当には必要としてくれない。

そう僕は心の奥底でずっと思い続けていたのだ。

 

でもそんな中……ハリーだけは僕を必要としてくれた。

 

魔法について何も知らなかった時。秘密の部屋がダリア・マルフォイによって開かれ、バジリスクが学校中で生徒を石にしていた時。シリウスが学校に侵入し、学校中が大騒ぎになった時。

そして今年もこうして……あれだけの仕打ちをしたにも関わらず、これから先の試練を乗り越えるために。

僕はハリーが代表選手に選ばれた時、一人選ばれた彼に嫉妬すると同時に……置いて行かれる、もう僕は必要とされないのではと、そういう恐怖に取りつかれていた。

でも違った。それは全て僕の思い違いでしかなかった。

ハリーはいつだって僕を必要とし続けてくれていたのだ。

 

僕は自分を恥ずかしく思いながら、でも同時にどこか満たされたものを感じながら、今度こそ謝罪の言葉を口にしようとする。

 

「ハリー。ごめん、でも僕……本当は気付いていたんだ。君の名前をゴブレットに入れた奴が誰だったにしろ、君はまた狙われている……殺されそうになっているんだって。でも僕は、」

 

「ロン。もういいんだ。気にするな! こうして戻ってきてくれたんだから、それでいいんだ」

 

でもそれを遮り、やはり温かい言葉でハリーは僕を許してくれたのだった。

 

「そうか……ありがとうな、ハリー」

 

 

 

 

こうして僕らの初めての、そして長く続いた喧嘩は終わりを告げた。

 

「まったく! 二人とも本当に大馬鹿なんだから! 私がどれだけ心配したと!」

 

……ハーマイオニーの叫ぶような泣き声と共に。

数秒後にはハーマイオニーに抱きしめられる僕らの……いつもの仲良し三人組の姿がテントの中にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

「よし、悪くないぜ! 40点満点中、31点だ! これで今の所クラムと()()()()だ!」

 

今俺の目の前には代表選手それぞれの点数が掲げられている。

近くからはロナウド・ウィーズリーの声。あの様子ではポッターとの仲は元に戻ったのだろう。傷心のポッターに取り入るのは実に楽であったが、いい加減立ち直ってもらわねば計画に差しさわりが出る。

まったく……何故この俺が態々事前に試練内容を教えたにも関わらず一位ではないのか。

俺は自分の表情が歪むのを必死に抑えながら、目の前に掲げられた……セドリック・ディゴリーの33点という点数を睨みつけた。

 

そもそも俺の想定では、一位にはセドリック以外の選手がなるものだと思っていた。フラー・デラクールやビクトール・クラムは事前に情報を得ることが出来る上、対策も十分に練るだけのサポート体制がある。事実デラクールは魅惑呪文を使い、クラムはドラゴンの唯一の弱点である目を狙った。対策を事前に入念に練った証拠だ。粗こそあったが、まずまずの及第点と言っていいだろう。

そんな奴らとただでさえ年齢の低いポッターは戦わねばならないのだ。事前に情報を流すことは勿論、奴の足りない脳を補ってやる必要がある。だからこそダンブルドアも気付かない程の助言を行い、奴が十分に他の代表選手と戦えるよう……絶対に優勝できるよう工作していたのだ。

 

だが現実はどうだ。ポッターは確かにそこそこ上手く立ち回っていたと言える。実際最年少でありながら何とかビクトール・クラムと並びさえしている。

だが一位ではない。

一位には想定もしていなかった、ハッフルパフの小僧がなっているのだから。

 

まったくの予想外だ。あの小僧は他の選手と違い、情報を他人から得ることが出来るサポートなどありはしない。本来であれば、奴は今日初めてドラゴンと向き合うはずであった。そんな状況で優勝するなどどんな人間でも不可能だろう。

それがほぼ完璧な『変身術』を使いドラゴンを翻弄する? 

あの動きは相当事前に情報を入手し、今日までずっと練習を重ねていなければあり得ない。

俺が態々サポートしてやったポッターが不甲斐ないこともあるが、()()()ディゴリーのサポートをしているということなのだろうか……。

 

まぁ……今考えても仕方がないことだ。どうせまだ試練は一つ目だ。まだいくらでもやり様はある。

最終的にポッターが優勝すればいいのだ。このままセドリック・ディゴリーが優勝すれば、そのまま闇の帝王の下に奴が送られるという大惨事になるわけだが……それもこれからしっかりと妨害すればいいだけのことだ。寧ろ最初の段階で、奴が警戒すべき代表選手であることが分かっただけ行幸と言える。

 

俺は自身に与えられた命令の重要性を再確認すると、城に向かって歩き始めるのだった。



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閑話 新しい仕事場

 

 ドビー視点

 

クリスマスが近づいている。

あちこちでドビーめと同じ『屋敷しもべ』が動き回っており、せわしなくクリスマスの準備に明け暮れている。いつもの掃除に加えて、城の飾りつけや特別な料理。

いつもこの時期は忙しいのだが、今年は輪をかけて忙しいクリスマスだった。何故なら今年のクリスマスは、いつもなら家に帰る生徒の皆さんがホグワーツに残り、更には他学校の生徒の皆さんまでクリスマス・パーティに参加されるのだから。

しかしいつも以上に忙しくとも、屋敷しもべ達の顔に不満などない。寧ろ忙しければ忙しい程、表情が明るくさえなっている。

かくいうドビーめもその一人だった。

何故なら忙しければ忙しい程、それは学校にいる皆さんの役に立っているということ。

 

……()()()のお役に立っているということだから。

 

今年のクリスマスは生徒の皆さん全員がホグワーツにお残りになる。ならばそれはお嬢様もこの学校にお残りになるということ。家族と過ごすクリスマスこそを何より大切にされていたお嬢様のことだ。必ずこのイベントのことをご不満に思っておられるに違いない。

ならばドビーめのするべきことは、そんなお嬢様の憂いを少しでも晴らして差し上げること。少しでも美味しい食事をお嬢様に作り、そして少しでもマルフォイ家で摂られていた味を提供することこそが、ダリアお嬢様を喜ばすことが出来る方法。

 

そうドビーめは決意を新たにし、より一層笑みを強めながら考える。

やはりここに雇われて良かった。他の屋敷しもべと違い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()立場でありながら……それでも校長先生様がドビーをここに受け入れて下さって、本当に良かった。

そう考えながら、ドビーめはここで働くことになった日のことを思い出すのだった。

 

 

 

 

ハリー・ポッターから靴下を受け取って数日。ドビーめは覚悟を決め……というより最後の望みにかけて、ダンブルドア校長先生様の前に立っていた。

確かにドビーめはお嬢様を裏切り、当然受けるべき罰を与えられた。今更お嬢様にお仕えしなおすなど厚顔無恥にも程がある。

でもドビーめは、それでもお嬢様から離れることを許容することが出来なかったのだ。

まだドビーめはお嬢様から受けた恩を返しきれていない。いやたとえ恩を返しきれたとしても、ドビーめはただお嬢様と共にありたい。……お嬢様に家族だと思い続けて頂きたい。

だからこそドビーめは、

 

『ではドビー。お主はここで働きたい。()()()()で……。そう言いたいのじゃな?』

 

『はいです、ダンブルドア校長先生様。大変失礼なことを申していると思いますが、何卒よろしくお願いしますです』

 

こんな普通の屋敷しもべは絶対にしないであろう願いを、校長先生様にぶつけたのだった。

これが如何に厚かましい願いであるかは分かっていた。本来なら給料を要求する『屋敷しもべ』など、魔法使いが雇う義理などない。いくら今世紀最高の魔法使いと謳われる校長先生様と言えど、こんなあり得ない条件で雇ってほしいと言うしもべ妖精などいらないに違いない。ドビーめもそれが当たり前の対応だとさえ思う。

しかしこれしかドビーめがお嬢様といられる方法など思いつかなかったのだ。お嬢様のためなら、たとえどんな愚かなことだってしてみせる。尊敬するダンブルドア校長先生様に罵られることになっても構わない。罰を与えられることになってもいい。それでも……どうしても、ドビーめはお嬢様の傍でお仕えしたかったのだ。

だからドビーめは頭を下げ、恥を忍んで懇願するように校長先生様に頼み込む。これで拒否されれば即座に頭を地面に叩きつけるつもりだった。

しかし、

 

『うむ、よいじゃろう。是非ともお主を()()()()。ここで嫌なことがあれば、いつここを去っても良い。その時はお主の次の就職先を斡旋しよう。それに給料も払おう。いや何、これは魔法使いの世界でもごく当たり前のことじゃ。いつもお主らしもべ妖精にも何かしら報酬を出した方が良いと、常日頃から思っておったのじゃよ。お主らにはいつもお世話になっておるからのう。じゃが何かすれば、寧ろお主らに対しての侮辱になると我慢しておったのじゃが……お主が望むのであれば、いくらでも給料を出す。とりあえず、週十ガリオンと週末休日で良いかのう? そなたらの働きは、それでも少ないくらいなのじゃから』

 

ドビーめの覚悟は杞憂に終わることになる。

やはりダンブルドア校長先生様はどこまでも偉大な方だった。

二つ返事どころか、十ガリオンという途方もない給料を出すと提案して下さったのだ。ドビーめは目を飛び出さんばかりに驚きながら言う。

 

『と、とんでもございませんです! ドビーめはそのような大金を頂くわけにはいかないのです! ドビーめはそんなにたくさんは欲しくないのです!』

 

『うむ……では、8ガリオンでどうじゃ?』

 

『も、もっともっと少なく……』

 

『何、これでも多いのか? では……4でどうじゃ?』

 

『ま、まだ……』

 

『分かった。では1ガリオンでどうじゃ。そして言うとくが、これ以上()()()わけにはいかんぞ』

 

そして値切り交渉の末、あっさりと1ガリオンなどという大金を払われることが決定したのだった。

覚悟の強さに反比例して、意外にもあっさりと決まった就職先に自然と体が踊り始める。

世界広しと言えども、こんなに偉大な方は他にいらっしゃらないことだろう。流石『例のあの人』が唯一恐れるお方だ。

()()()()()()()()()()()、掛け値なしに校長先生様のことを褒め称えることが出来る。

そうドビーめに、いや屋敷しもべにここまで優しくして下さるのは、

 

『しかしこれは純粋な興味なのじゃが、どうして給料や休みを欲しいと思ったのじゃ? お主らは自由という物を嫌う。それが何故、自由なしもべ妖精であろうと思うに至ったのじゃ?』

 

『それは勿論、()()()()()()()()()でございますです!』

 

ダンブルドア校長先生様とハリー・ポッター。そしてお嬢様くらいのものだろう。

ドビーめは校長先生様の質問に小躍りしながら続けた。

 

『ダリアお嬢様が卒業されるまで後5年! ここに()()()()()()、お嬢様のお食事や身の回りのお世話をすることが出来るのです! ですが卒業されてしまえば……ここに仕えていれば、その先お嬢様のお役に立つことが出来ないのです! だからこそ給金を僅かでも頂き、自由なしもべ妖精……ここで()()()()()()()()のしもべ妖精であれば、お嬢様について行くことも可能だと考えたのです!』

 

給料を受け取っているということは、決してその場所に縛り付けられていないことを意味している。給金さえ貰えば、それこそ自分に衣服を買うことだって出来る。

人ではなく、家や場所にお仕えするしもべ妖精ではない……つまりお嬢様に忠誠を誓いながら、自由なしもべ妖精であれるのだ。

校長先生様にとっては厚かまし過ぎる願い。しかし願いが受け入れられ、いよいよ本当にこれからもお嬢様のしもべ妖精を続けられるのだと思うと、どうしても嬉しく思わずにいられなった。

 

これでドビーめは……お嬢様は、家族を失わずに済む。

 

そして何よりこの条件によって、

 

『……なんとドビー。お主はまだダリアのしもべ妖精になりたい……そう言いたいのかのぅ? お主は確かマルフォイ家で酷い扱いを受けておったと聞いておるが? それをようやく解放されたのじゃ。何故未だにマルフォイ家に忠誠を持っておるのじゃ?』

 

『とんでもございませんです! ドビーめはいつもお嬢様に優しくしていただいたのです!』

 

お嬢様を未だに疑っている様子のダンブルドア校長先生様を牽制することも出来るのだ。この条件があればこそ、ドビーめはお嬢様の秘密を守り通すことが出来る。

今世紀最高の魔法使い唯一の欠点。それはダリアお嬢様のことを危険視していること。

確かにお嬢様は表情が乏しい上に、どこか何を考えているのか分からない所がある。家もあの悪名高きマルフォイ家。それに蓋を開けば吸血鬼な上、半分はあの闇の帝王の血で構成されている。上辺だけで見ればこれだけ危険な経歴な方はそうはいないだろう。ドビーめも愚かしくも、最初はそう思ってダリアお嬢様を恐れてすらいた。

しかしドビーは知ってしまったのだ。お嬢様のあの美しくも冷たい無表情の下には……恐ろしい系譜を持つ血の中には、とてつもない優しさが存在していることを。純血主義の家で育ちながら、皮肉なことにその血筋故に悪には染まらず、それどころかこの世界で誰よりも優しい方になったことを。

それこそただの屋敷しもべでしかないドビーめを、家族だとさえ言って下さる程愛情深いお方であることを。

そんな優しいお嬢様が誰かに誤解されたままでいいはずがない。

ドビーめは二度と同じ過ちを繰り返さないため……そして校長先生様に少しでもダリアお嬢様の素晴らしさを理解していただくためにも、この方法を取ることにしたのだった。

 

 

 

 

あの日から一年と半年。

未だに誰かとお嬢様を重ねている様子のダンブルドア校長先生様の誤解を解くことも出来ておらず、肝心のお嬢様と会うことも出来ていない。

決して全てが全て上手くいっているとはいえないだろう。

 

でもドビーめは今の環境がとても好きだった。

たとえマルフォイ家の屋敷しもべ妖精でなくなったとしても、こうしてダリアお嬢様に忠誠を捧げられる……家族であることが出来ている。

お嬢様の食事をお作りし、部屋のお掃除をする。お顔を見ることが出来なくとも、確実にお嬢様との繋がりを保つことが出来ている。

それがたまらなく嬉しくて仕方がなかったのだ。

 

だから、

 

「……ドビー」

 

こうしてお嬢様と実際にお会いするのは、身の丈に合わない幸せと言えるだろう。

 

ドビーめとお嬢さまの一年半ぶりの再会。

その時のお嬢様の表情は、いつもの見慣れた無表情などではなく……大粒の涙を瞳から流している、およそ無表情とは程遠い表情だった。



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家族との再会

 ハーマイオニー視点

 

グリフィンドール談話室の中はお祭り騒ぎを通り越し、もはや無法地帯と言って差し支えない様相を呈していた。

山のようなケーキやバタービールが所狭しと並んでおり、あちこちで本来なら談話室で使わないはずの花火が破裂している。大事になっていないのは偏に魔法のおかげだと思う。

挙句の果てにはただでさえ人が多い部屋の中で、大きな旗を振り回している生徒までいる始末。ファイアボルトでホーンテールの頭上を飛び回るハリーの絵から、頭に火がついたセドリック・ディゴリーの絵まで様々な絵が描かれていて見ていて飽きないけれど、正直邪魔で仕方がない。

でも……それでも、そんな窮屈な思いを我慢してでも、談話室の中で笑顔で居座る自分がいることも確かだった。

たとえ狭くても、たとえ騒々しくても談話室を出て行こうと思う程気になることはない。だって今この談話室でされているお祭り騒ぎは、

 

「ハリー万歳! グリフィンドール万歳!」

 

「流石はハリーだぞ! 最年少で代表選手に選ばれただけはある!」

 

第一の課題で優秀な成績を残したハリーのために催されているものなのだから。

皆口々にハリーを賛美する声を上げている。つい数時間前までハリーと喧嘩をしていたロンも、今ではハリーと肩を組み合って宴会に参加していた。ハリーもハリーで今ではあれ程思い悩んでいたのが嘘のような明るい表情を浮かべていた。

私は僅かに苦笑しながら周りの騒動を眺める。まだまだハリーの命の危機が去ったわけではない。それこそあと二つも試練が残っている。でも今は友達のあれだけ暗かった表情も明るくなり、ロンとの仲も元通りになったことがたまらなく嬉しかったのだ。

私が微笑ましく眺めている間にも周りの興奮はエスカレートしていく。そして遂にはハリーの勝ち取った卵に言及するに至っていた。

リー・ジョーダンが、ハリーがテーブルに置いておいた金の卵を持ち上げ、手で重さを測りながら言う。

 

「これは重いぞ! 一体何がこの中に入ってるんだ!? ほら、ハリー! 開けてみろよ! 中に何があるか見てみようぜ! 上手くいけば第二の課題の内容も分かるさ!」

 

「うん、いいね! 開けてみようか!」

 

そしてハリーもハリーで煽てに乗せられるように卵を受け取り、卵の周りについている溝に爪を立ててこじ開ける。

……中身は空っぽだった。中身など何もない。でも卵の様子に変化が何もないわけでもなく、

 

「な、なんだこれ! 黙らせろ! ハリー! 早く閉じてくれ!」

 

突然大きなキーキー声のような、まるで咽び泣くような音が部屋中に響き渡ったのだ。

あまりに不快な騒音に耳を塞ぎ、ハリーも急いで卵を閉じる。音が鳴りやんだ瞬間、皆が次々と声を上げ始めた。

 

「今の一体なんだ!?」

 

「バンシー妖怪の声みたいだったな。もしかしたら次の課題はバンシー妖怪か!?」

 

「いや、誰かが拷問された声だったぞ! 君は『磔の呪文』と戦わないといけないんだ!」

 

「馬鹿、あの呪文は違法だぞ」

 

次々に発せられる数々の憶測。でもあまり納得できるような意見が飛び出すことはない。私もまったく思い浮かばないため人のことは言えないけど、どれも的外れな憶測にしか思えなかった。

それを皆も分かっているのか、しばらくすると誰も卵の話をしなくなり、遂には部屋中に溢れるお菓子の方に興味が移っていく。

卵を獲得したハリー自身が、この大量のお菓子を運んできたフレッドに尋ねる。

 

……そしてそれこそが、何気ない会話ではあったものの、

 

「よくいつもこんなにお菓子を大量に持って来れるね……。どこから調達しているの?」

 

「あれ? 前も言ったが、まだ厨房を見つけてないのか? 地図に書いてあるはずだぜ。果物が盛ってある器の絵の裏さ。梨をくすぐれば中に入れる。今度行ってみるといいぜ! 屋敷しもべが何でも用意してくれるはずさ! 頼めば雄牛の丸焼きだって出してくれるさ」

 

私が……()()()()()求めてやまない情報の一つだったのだ。

 

『そう言えばハーマイオニーには言っていなかったね。実はドビー……今はこのホグワーツで働いているみたいなんだよ』

 

唐突に白イタチ事件直前にダフネが言っていたことを思い出す。

情報を手に入れた瞬間、私はもうこの宴が何のために行われているのかも忘れて、ただこの情報を一刻でも早く親友に伝えなくてはと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ドラゴンを使った試練が終わったのはつい昨日のこと。

学校内、それこそ他寮と敵対するスリザリンでさえも興奮冷めやらない様子だ。あちこちで昨日の試合についての熱い討論が繰り広げられている。

しかし私にとってはそんな興奮などどうでもよく、未だ次の課題に関する情報がお父様から届いていない現状においては、私のするべきことは何もないなとどこか他人事に思っていた。お父様がクリスマスまでには情報を仕入れると手紙を送ってくださったため、それまではのんびりできる。後はクリスマスに注文しておいたプレゼントが届くのを待つだけだ。そう思っていた……のだが、

 

「ダリア、ダフネ! 一緒に来て! 来なきゃダメ! やっと……私、やっと見つけたの!」

 

興奮しきった様子のグレンジャーさんが朝食の席に突然突撃して来たことで、私の平穏な時間は僅か半日足らずで終わりを告げたのだった。

……前回私達を誘うのに何かしらの手段を講じるはずになっていたと思うのだが、今の彼女は興奮のあまりそんなことも忘れているらしい。

当然周りにいるパーキンソン達は声を荒げて立ち上がり始める。

 

「またあんた! ちょっと、なんであんたみたいな『穢れた血』がダリアとダフネに用があるのよ! どっか行きなさいよ、汚らわしい!」

 

「黙ってなさいよ、パーキンソン! 私は今急いでるのよ! 私が用があるのはダリアとダフネだけ! 貴女なんてお呼びでないわ!」

 

「な、なんですって!?」

 

朝から騒々しいことこの上ない。不幸中の幸いは今この場にグレンジャーさんのお目付け役であるポッター達が居ないことくらいだろう。彼らが居たらこれ以上にややこしいことになっていたに違いない。

彼等を置いてくる思考が残っていたのなら、何故こんな後先考えない行動に出たのだろうか。

何をそこまで興奮しているかは分からないが、この場では彼女に応えない方がいいなと考え、そっと後で倉庫に来るよう伝えようとする。しかし、

 

「そうだ、パーキンソンなんてどうでもいいのよ! ダリア! 厨房を……()()()を見つけたわ! だから早く来て!」

 

「え!? 厨房の場所が分かったの!? 早く行こう、ダリア!」

 

次に発せられた言葉によって、私は今ここで行動せねばならなくなったのだ。

 

グレンジャーさんが口にしたのは……私が一度捨ててしまった()()の名前だったから。

 

ドビーの名前が出た瞬間、私は気付いた時には既に立ち上がっており、もはや後ろから聞こえてくるパーキンソン達の声を気にすることもない。

ただ無言でグレンジャーさんに先を促す。

 

「なっ! どうしたの、ダリア、ダフネ! どうしてそんな奴について行くのよ!?」

 

「ごめん、パンジー! また後でね! ドラコ、後はお願い!」

 

「……あぁ。そちらもダフネ、お前に任せる。()()()()()()()()()()()

 

「勿論!」

 

そしてやはり気が付いた時には、息を切らしながら先導するグレンジャーさんについて廊下を駆け抜けていた。

突然もたらされた情報に、ようやく後から感情と思考が付いてきて中々考えが纏まらない。

私はドビーを見捨ててしまった。たとえあのままマルフォイ家にいればドビーの身の安全が保障できなかったためだとはいえ、私が家族である彼を見捨ててしまったことに変わりはない。私にはもうドビーの家族である資格などない。

でもこうして無意識に走っているということは、私はまだ彼に未練がある……彼と会いたくて仕方がないと思っていることに違いないのだ。

事実私は彼と会いたいと思っていた。今の様に食事を作ってもらうだけではない。以前の様に彼と一緒にいたい、彼の頭を撫でてあげたい。……彼の声を聞きたい。

 

一度見捨てたにも関わらず、私はもう一度彼と以前のような家族に戻りたくて仕方がなかったのだ。

 

なんて厚顔無恥な思考だろうか。ドビーは確かにここに残り、今までの様に私に食事を作り続けてくれている。しかしそれが一概に私のことを許してくれたと言っていいことなのだろうか。

こんな風に会いに行って、寧ろ彼に不快な思いをさせないだろうか。

こんな私が……今以上のことを望んで果たして許されるのだろうか。

 

しかしそんな後悔にも似た感情を覚えながらも、私は最後まで走り続け、

 

「ここよ! ここのはずよ! この絵の裏に厨房があるはずなの!」

 

「ここが……」

 

遂にグレンジャーさんの言う厨房がある場所に辿り着いたのだった。

そこは意外にもスリザリン寮のある地下階にあった。もっとも地下牢に続く陰気な場所とは違い、明々と松明に照らされた廊下ではあったが。

松明に照らされた空間の中、一つだけぽつねんと一枚の絵がかかっている。主に食べ物が描かれた楽し気な絵。

その絵の中にある、巨大な銀の器に盛られた梨をグレンジャーさんはくすぐる。すると突然梨が大きなドア取っ手に変わり、それを引くと絵の向こうに更に廊下が現れた。

扉を開いた後、ようやく一息ついた様子のグレンジャーさんが言う。

 

「よかったわ。ここであっているみたいね。フレッドからの情報だったから、正直本当か少し疑っていたの。でもこの様子だと大丈夫そうね。ほら、ダリア。貴女から入って。ドビーと会うなら、貴女から入らなくちゃ」

 

……しかし私はそんな彼女の言葉に反して、扉の前から中々動くことが出来なかった。

ここまで来て……それこそ言葉もなく走ってきたくせに、いざ扉を潜る段になって怖くなってしまったのだ。ドビーに会いたいという気持ちより、ドビーに許されていないかもしれない……ドビーを見捨ててしまったという事実に向き合うのが怖くて仕方がない。

そもそも私はどんな言葉をドビーにかければよいのだろうか。

自己嫌悪に塗れた思考が止まることはない。

 

「ど、どうしたの、ダリア?」

 

「……」

 

扉を前にして急に動かなくなった私に、グレンジャーさんが訝し気な表情で尋ねてくる。しかしそれでも私の体が動くことはない。

……そんな時、やはり私の背中を押してくれるのは、

 

「大丈夫だよ、ダリア。貴女は心配性な所があるだけ、多分ドビーはとっくの昔に許してくれてる……ううん、それどころか貴女のことを恨んですらいないよ。ドビーだってダリアと会いたいと思ってくれているはずだよ。ほら、中に入ろう?」

 

私の傍にそっと寄り添ってくれていたダフネだった。

底抜けに明るい言葉に振り返ると、ダフネが私を安心させる笑みを浮かべながらそっと私の背中を押す。

 

「で、ですが、ダフネ……。ドビーは、」

 

「いいからいいから。さぁ、私を信じて……。大丈夫。どんなことがあっても、私が傍に居るから」

 

そしてやはり戸惑う私の背中を、今度は物理的に押しながら歩き始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

『……あぁ。そちらもダフネ、お前に任せる。()()()()()()()()()()()

 

ドラコに言われるまでもなかった。

ダリアの考えそうなことは私だって分かっている。一体何年一緒に過ごしていると思っているのだろう。確かに兄であるドラコには負けるけど、私だってホグワーツでは彼以上にダリアと一緒に居るのだ。それこそ一緒のベッドで寝たことだってある。私にも優しいダリアが家族と……それも一度見捨てたと考えている家族と会う時どんなことを考えるかなど分かるのだ。

 

ダリアはドビーに対して未だに罪悪感を捨てきれていない。ドビーが再び戻ってきたことを喜びこそすれ、決して自分のことを許しはしていない。

だからこそドビーに会いたいと思っていても、いざ会う段になれば必ず迷う。

本当に会っても良いものなのか。ドビーは自分を本当に許してくれるのだろうか。

自分はドビーの家族として、本当に相応しいのだろうか……と。

 

自分の出生に対して強烈な嫌悪感を抱いているダリアの自己評価は、その優秀な成績や優しい人格に比べて恐ろしく低い。そんな彼女が考えることはこんなところだろう。

ならばいざという時私がどうするべきかは自ずと判断できる。

 

「いいからいいから。さぁ、私を信じて……。大丈夫。どんなことがあっても、私が傍に居るから」

 

私はそっとダリアの背中を押し、彼女を厨房の中へと促す。

そう、これこそが私のするべきことだ。私がダリアの親友として、ダリアのために出来ること。

想像を絶する秘密を抱えるダリアの傍に寄り添い、そしてダリアが……

 

「ドビー……」

 

決して幸せを取り逃さないようにすることなのだ。

厨房は天井の高い部屋だった。大広間と同じくらい広い。石壁の前にはずらりと真鍮の鍋やフライパンが山積みになっており、奥には大きなレンガの暖炉まである。

そしてそんな立派な厨房の中のあちこちで屋敷しもべ妖精が忙しなく働いており、その中には当然……ドビーの姿もあったのだった。

二年生の最後に見た切りのドビーの姿に、私に背中を押されていたダリアが小さな呟きを漏らす。私には他のしもべ妖精とあまり区別がつかないけど、ダリアには彼の姿がハッキリと分かっているのだろう。大勢いる屋敷しもべの中から、先程から厨房で何か料理を作っているたった一人をダリアは見つめ続ける。

そしてドビーの方もドビーの方でダリアの声に気付き、

 

「……お、お嬢様」

 

大きな目を更に大きくして驚いている様子だった。

私もハーマイオニーも黙り込む中、二人はただお互いを黙って見つめ続ける。お互いに言葉はない。

でもそんな沈黙は長くは続かなかった。

後悔や罪悪感。家族の一人を見捨ててしまったという()()()()認識。それらを捨てきったわけでも、折り合いをつけたわけでもないのだろう。ダリアはそんな簡単に自分への評価を覆しはしない。

でも、それでもダリアは、ドビーは、

 

「ドビー……やっと会えた。やっと……やっと……」

 

「お嬢様……。ダリアお嬢様……」

 

やっぱりお互いを、どうしようもなく今でも家族だと思い続けているのだ。

後悔や罪悪感を感じていたとしても、再会が嬉しくないはずがないのだ。

ダリアのいつもの無表情がみるみる歪み、冷たい双眸からは止めどなく涙があふれ始めている。そして恐る恐るといった様子でドビーに近づき、そっと彼を抱きしめたのだった。

 

「よかった……。良かったわ……ダリア、ドビー。貴女もそう思うでしょう、ダフネ?」

 

「うん、そうだね、ハーマイオニー。本当に……良かった」

 

目元から溢れる涙を拭うハーマイオニーに、私も同じ仕草をしながら応える。

目の前にはただ涙を流しながら抱き合う家族という感動的光景。そんな光景を涙ながらに見つめながら、

 

「やっと……元通りになったね。これでダリアも……幸せを感じることが出来るよ」

 

小さく口の中で呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()が君の名前をゴブレットに入れた。これで()()()()()んじゃないか? おかしいと思ってたんだよ。いいかい、ダリア・マルフォイは年齢線を越えることが出来る。僕等と同じ14歳なのにだ。それはつまりあいつがダンブルドアの魔法を実力で掻い潜ったってことだ。そんな奴が普通自分の名前を入れて、代表選手に選ばれないわけがない。セドリックなんかより遥かに実力的には相応しいはずだよ。でも実際はセドリック・ディゴリーが選ばれてる。それってつまり、あいつは自分の名前ではなくて……君の名前をゴブレットに入れたってことなんだよ」

 

盛大な宴会から一夜明け、僕とロンは朝食の席に向かわずに……シリウスに手紙を送るためフクロウ小屋に足を向けていた。

昨日ようやく仲直りできた僕はロンに話したのだ。

試練前シリウスと話したこと。カルカロフが『死喰い人』であったと知らされたこと。ダンブルドアが何か不穏な空気を感じ取ったために、今年ムーディ先生をホグワーツに呼んだこと。そしてカルカロフと……ダリア・マルフォイまでもムーディ先生の警戒対象であり、彼女は何故かセドリックに第一の試練の内容を話していたことを。

それを聞いたロンは朝食の席にハーマイオニーが居ないことをいいことに、僕に提案してきたのだ。

 

シリウスに今回の顛末と……ダリア・マルフォイについて知らせることを。

 

ハーマイオニーが居れば確実に邪魔されることだろう。未だにダリア・マルフォイやダフネ・グリーングラスと話そうとする彼女のことだ。必ずあいつらのことを疑うような内容をシリウスに伝えようとすれば猛反発する。

だから今彼女が居ないのは僕等にとっては好都合だった。

おかげでこうして僕らは()()をシリウスに伝えることが出来る。

フクロウ小屋に着き、適当なフクロウの足に手紙を括りつけている間、ロンが興奮したように続ける。

 

「二人とも動機は十分だ! カルカロフは死喰い人だったんだろう? だったら、あいつは君を試練で殺すために名前を入れたんだ! それでもしダリア・マルフォイだったら、きっとカルカロフと同じ理由か、若しくは君に恥をかかせるためだ。ほら、あいつは二年生の時、君に秘密の部屋のことで邪魔されたわけだろう? それを恨んでこんなことをしたんだよ。そうでなきゃ、あいつがセドリック・ディゴリーなんかに試練の内容を話すなんてあり得ない。動機は十分さ。寧ろあいつら以外が犯人なんてあり得ないよ」

 

そして更に、

 

「でもどうだ! あいつらの目論見はこれでおじゃんさ! あのさ僕……この試合で君が優勝できると思うんだ。ハリー、僕、マジでそう思うんだ。それで……だから……あいつらが何を企もうが、君なら絶対に大丈夫。僕はそう思うんだ」

 

そう続けたのだ。

ロンのこの発言は、ここ数週間の態度を埋め合わせるためのものだということは分かっている。でも、それでも僕にはそれが嬉しくて仕方がなかった。

たとえそれがダリア・マルフォイについてなんていう不愉快な内容でも、僕のことを真剣に心配して、更に僕を応援してくれているものだと思えば嬉しくないはずがなかった。

僕は手紙を括り終えると、ロンの方を振り返りながら言う。

 

「ありがとう、ロン。君にそう言ってもらえて嬉しいよ。でもまだ優勝できるかは分からないよ。それに生き残れるかもね……。まだあと二つも課題があるんだ。一つ目であれだったんだ。二つ目に何があるのかと考えるだけで憂鬱だよ」

 

「いや、でも僕は、」

 

そして僕らは二人そろって今度こそ朝食を摂るために大広間に向かう。

……僕は嬉しかった。

口では殊勝なことを言ったけど、本当はこうしてロンと一緒に居るだけで心が弾んで仕方がない。やっと欠けていたピースが埋まったような……そんな気がするのだ。

正直次の課題が何であろうとどうでもいい。勿論命の危険がある以上本当にどうでもいいわけではないけれど、今はただこの幸福な気分に浸っていたかったのだ。

それに次の試練が何であろうとも、ロンとハーマイオニーさえ居れば何とかなる。たとえダリア・マルフォイがセドリック・ディゴリーに味方しようとも、二人が居れば僕は必ず試練を乗り越えることが出来る。

 

 

 

 

そう僕は思っていたのだ。

 

でも……

 

「あぁ、ここにいましたか、ポッター。探していたのですよ。クリスマスのダンスパーティーの件ですが、貴方は代表選手なのです。必ずパートナーを見つけなさい。代表選手はパーティーの初めにダンスをする。これは三大魔法学校対抗試合の伝統です。いいですか、ポッター。必ずクリスマスパーティーまでにパートナーを見つけるように」

 

どうやら二人が居てもどうしようもない課題も、この三大魔法学校対抗試合にはあるらしい。

大広間の手前、まるで待ち構えていたようにマクゴナガル先生に話しかけられた時、僕はそう思ったのだった。

 

段々と外の気温は下がってきている。もうじき誰もが楽しみにしているクリスマスがやってくる。

そんな中、僕はドラゴン以上に難しい課題を言い渡されてしまったのだった。



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パートナー選び(前編)

 ドラコ視点

 

『変身術』の授業終了直前にマクゴナガルからその宣言がされた時、僕は、

 

「クリスマス・ダンスパーティーが近づきました。これは三大魔法学校対抗試合の伝統であり、外国からのお客様と知り合う機会でもあります。全員参加のイベントです。パーティは大広間で、クリスマスの夜八時から始まり、夜中の十二時に終わります」

 

あぁ……遂にこのイベントが来てしまった。そう思っていた。

まったく面倒なイベントが来てしまったものだ。

しかしそう考えているのはどうやら僕くらいのものであるらしく、周囲の連中は今までの疲れた表情から一転、いつもからは考えられない程真剣な表情でマクゴナガルの話に聞き入っている。

全員の視線の中奴は続ける。

 

「クリスマス・ダンスパーティーは私達全員にとって……そう、髪を解き放ち羽目を外すチャンスと言えるでしょう。ですがだからと言って、決して羽目を外しすぎていいというわけではありません。ホグワーツ生であるのならある程度節度ある行動をするように。では本日の授業はここまでです。解散」

 

そして授業が終了すると同時に、全員がワイワイとパーティーについて盛り上がり始めたのだった。

あちこちで同性同士で固まり、そこかしこで誰を誘うかなどを話し合い始める。女子のグループからはくすくす笑いが。男子のグループからもどこか興奮したような声音が。まったくどいつもこいつもおめでたい奴ばかりだ。

誰とダンスパーティーに行きたいかなど考えたくもない。

僕は内心の苛立ちを抱えながら……でもどうして自分が苛立っているのかを()()()()()()()()()()、隣に座る同じくダンスパーティーに大して興味の無さそうなダリアとダフネに声をかけた。

 

「二人とも行くぞ。昼食後は選択科目だ。さっさと昼食を済ませておこう。特にダフネ、僕達の選択科目は『魔法生物飼育学』だからな。……心の準備は長い方がいい」

 

「う、嫌なことを思い出させてくれるね、ドラコ。あの尻尾爆発スクリュート……多分また大きくなってるよ」

 

「……尻尾爆発スクリュート? なんですか、その生き物は? 寡聞にしてそのような生き物の名前を聞いたことがないのですが……。あの森番、性懲りもなくまた危険な生き物を?」

 

「う、ううん、そ、そんなことはないよ? 大きくなってからは近づいてもいないから。でも、まぁ……見た目がちょっとね」

 

案の定二人とも特に異論無く立ち上がり、まだ無駄話を続けている連中を置き去りにして教室を後にする。

ダリアにとって強制参加のダンスパーティーは家族でのクリスマスを潰したイベントでしかない。そしてダフネにとっても、ダリアと過ごすクリスマスというものに興味を持ちこそすれ、男子生徒とダンスを踊るパーティーには興味がないのだから当然だろう。

しかし強制参加である以上、僕らにいくら興味がなかろうと無関係でいるわけにはいかない。

雑談をしながら大広間に着くと、ダリアは相変わらずドビーが作ったと思しき食事を食べながら、そういえばと言った様子でダフネに尋ねる。

 

「そう言えばダフネ。今回のダンスパーティー。一体誰を誘うおつもりなのですか?」

 

「え? ダリアを誘うつもりだよ? ダリア、一緒に踊ろうよ!」

 

「……ダフネ、パーティーの趣旨を理解していますか? おそらく女性同士でパートナーになることは、マクゴナガル先生もお認めにならないかと」

 

「大丈夫大丈夫! マグル学で、マグルの世界では女の子同士の方が絵になるって推奨されているって言ってたよ! 特に極東辺りで」

 

「……僕はマグル学を受けたわけじゃないが、お前は一体マグル学で何を教えられているんだ?」

 

……勿論受け答えはあくまで頓珍漢なものでしかなかったが。

どうやらこいつらも心底ダンスパーティーには興味がないらしい。

 

 

 

 

この時点での僕らのダンスパーティーに対する興味は所詮この程度でしかなかった。

それこそ僕だけではなく、ダリアとダフネすらも。

ダリアもダフネも率先してパートナー選びをするつもりはなく、僕は僕で誰をパートナーにするかなど()()()()()()()()()

ただ折角用意したドレスやパーティーローブを着て、三人で適当に談笑でもしておけばいい。それくらいの……()()()()()()()()()()()()、それだけで()()()()だというのが、僕の本心だったのだ。

だが、

 

「ダリア・マルフォイ。……僕と一緒にダンスパーティーに参加するつもりはありますか?」

 

それもビクトール・クラムがそんなことを言ってダリアに話しかけるまでだったが。

振り返ればいつも以上に仏頂面の世界的シーカー選手。ダリアを誘うのが明らかに不本意だと顔に書いてある。おそらく初対面と同じくダームストラングの校長に命令されてダリアを誘っているのだろう。

だが、それでも……僕はその言葉を聞いて、無性に心がかき乱される気分だったのだ。

 

僕には他人の指図であろうとも、こんなにも簡単にダリアを誘えるということが()()()()()仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

これならハンガリーホーンテールと戦った方がまだましだ。

僕には今の状況に対してそう思えて仕方がなかった。

ダンスパーティーに女子を誘う?

どうやったらそんなことが()()()()()()()()()()()()()()僕にはどうしても分からなかった。

女子の方から誘われないわけではない。今まで女子との接点などほとんどなかったのに、ダンスパーティーの宣言があってから、見ず知らずの女の子に誘われることが何度もあった。

でも、全く知らないような女の子に話しかけられてどうすればいいのだろう。彼女達の目当ては代表選手という肩書だけだ。そんな女の子とダンスパーティーに行った日には、後々面倒なことに巻き込まれるのは目に見えている。

誘われるのに……一緒に行ける、一緒に行きたいような子には話しかけられない。

それが現在の僕の悩みだったのだ。

そもそも何故女の子はあんなにも固まって行動するのだろう。廊下でクスクス笑ったり、ヒソヒソ囁いたり。男子生徒が傍を通り過ぎる度にキャアキャア笑い声を上げる。話しかけにくいにも程がある。

 

「どうして皆こんな時に限って行動するかなぁ。これじゃあ誰に話しかけても笑いものだよ。次の日にはホグワーツ中に誰と踊るかが知れ渡るって寸法さ」

 

そしてその思いを共有しているのは僕だけではなく、ロンも同じ様子だった。

僕を見ながらクスクス笑う団体の横を通り過ぎながら、僕はロンの発言に心から頷く。

……実は誘いたい女子がいないわけではなかった。チョウ・チャン。一年前のクディッチ試合以降どうしても視線が行ってしまうレイブンクローの女の子。恋している……とまではいかないけど、どうしても気になって仕方がない女の子だった。ダンスパーティーに一緒に行くなら彼女が良かった。……でも勇気を振り絞って彼女に話しかけてみれば、

 

『ごめんなさい、ハリー。私、もうパートナーが決まっているの。その……セドリックから先に誘われてしまって。私……もう()()()()()()()()

 

そんな返事を貰ってしまったのだった。セドリックに殺意を覚えたのは言うまでもない。何故僕は彼にドラゴンのことを教えようと思ったのだろうか。結局役に立たない情報だったとはいえ、あの時彼に教えるなんて愚の骨頂だった。次は絶対に教えないでおこう。ダリア・マルフォイの手先になり、挙句の果てに僕の目の前でチョウ・チャンを掻っ攫うなどもう僕の敵だ。

残ったのはどうしようもない遣る瀬無さと、あの時どうやってチョウ・チャンに話しかけれたのかという疑問だけ。

僕はどこかダンスパーティーに対して虚無感を感じると共に、女子に対しての気恥ずかしを感じざるを得なかった。

 

「とにかく……このままだと僕らは最悪()()()と踊らないといけなくなる。君はまだ選択肢があるだろうけど、僕なんて死活問題だ。まさかあのエロイーズと行くわけにはいかないだろう?」

 

でもどんなにチョウ・チャンに未練を感じていても、強制参加である以上パートナーを選ばないといけない。どうせ踊るなら、せめて鼻が真ん中についている女の子に越したことはない。

どんなにやる気をなくしていても、どんなに女の子が固まって行動していようとも、僕はもう行動するしかないんだ。

僕はロンの意見に神妙に頷くと、自分の中に燻ぶる虚無感を撥ね退けようと努力しながら言う。

 

「よし、こうしよう。僕等は今日誰かしらのパートナーを見繕う。談話室に帰ってきた時には、必ずそれを報告し合うんだ。それでいいかい?」

 

「……あぁ、そうだね。ここで地団駄踏んでも仕方がない。出遅れたとはいえ、まだ数人は可愛い子が残っているはずだからな」

 

そして僕らは走り出す。まだダンスパーティーが宣言されてからそう日にちが経っていないというのに、もう可愛い子はどんどん売れていっている。チョウ・チャンがいい例だ。残っているのは大してパッとしない容姿の子か……あるいは美人でありながら性格が絶望的、且つビクトール・クラムの誘いを大衆の面前で()()くらい人付き合いの悪いダリア・マルフォイみたいな人間くらいだ。もう一刻の猶予もない。

僕等は少しでも楽しいクリスマスを過ごすために、重い腰を上げるのだった。

 

 

 

 

「……何よ、女の子ならここにもいるじゃない」

 

僕等といつも一緒にいる女の子の存在を忘れたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

いつもは近づいてこないくせに、何故こういうイベントの時だけは積極的に行動できるのだろう。

私は目の前の()()()()を見つめながら、そんな益体のないことを考えていた。

 

「ダ、ダリア・マルフォイ様。ど、どうでしょうか、私とダンスパーティーに……。私の家もマルフォイ家程ではありませんが純血の家です。どうかこれからは、」

 

「お断りします」

 

下心が透けて見えるようだ。そもそも彼に私に対する興味はなく、私の所属する偉大なマルフォイ家に近寄るという目的以外は存在しない。まったく汚らわしいことだ。そんな人間をマルフォイ家に私が近づけるはずがないではないか。

……まぁ、逆に私に興味を持たれても困るわけだが。

逆に私に興味を持って近づく連中……特に去年のホグズミードから私の方をチラチラ見ている連中は、それはそれで気持ちが悪い方々だと思う。こんな無表情な人間のどこを気に入ったのか、私には理解不能だった。

何がダンスパーティーだ。私はこのイベントを企画した人間を殺したくて仕方がなかった。家族とのクリスマスを潰したということもあるが、そもそも私が一緒にパーティーに行ける人間などそう多くはない。スリザリン生は全員私に下心を、そして他寮生は私に敵意を。他校の生徒も何かしらの目的を。秘密を抱えている私にはどれも危険極まりない存在なのだ。一緒にダンスなど行けるはずがない。

唯一及第点と言えるのは、昔ながらの付き合いがあり、他の有象無象に比べれば多少気心の知れた中であるクラッブとゴイルなわけだが……。

右の豚と左の豚。どちらと貴女は踊りたいですか?

そう尋ねられても全くダンスをする気になれないのは、おそらく私だけではないはず……。よって私はパートナーを選ぶことすら出来ず、必然的にダンスパーティーへの興味を完全に失っていたのだった。

 

秘密を守るためにも誰かと必要以上にいるわけにはいかない。このような浮ついたイベントなら尚更だ。一緒に行ったら最後、後で何を言われるか分かったものではない。

それに何より私は……。

しかしそう考えていても、やはり次から次へと私に話しかける人間は現れる。先程まで目の前にいた生徒がどこかにトボトボと歩き去ったかと思えば、次の生徒がまた間髪入れず話しかけてきた。

……しかも今度は先程以上に忌々しい話付きで。

 

「マ、マルフォイ様。先程のやりとりを見ていたのですが……いえ、盗み見ていたわけではないのです! た、たまたま目に入っただけで! それより! マルフォイ様はまだパートナーを選ばれていないのですか?」

 

「……えぇ、そうです。それに選ぶ気もありません。私は一人でダンスパーティーに行くつもりですから」

 

「えぇ! そ、それはいけません、マルフォイ様! 一人でダンスパーティーに参加するなど、マルフォイ家の沽券に関わることです! ど、どうですか、その点私なら、」

 

「……お断りします」

 

「そ、そうですか……。い、いえ、マルフォイ様がそこまで仰るなら、な、何か目的があるのですね」

 

一瞬殺してしまおうかと思ったが、何とか自身の殺意を内に抑え込む。でもどうやら殺気だけは感じ取ったらしく、私に続けて挑戦してきた愚か者はどこかに逃げるように歩き去って行ったのだった。

内心の苛立ちをぶつける様に彼の背中を睨みつけながら考える。

マルフォイ家の沽券に関わる?

そんなことは私だって分かっている。でも私にどうしろというのだろう? 

確かに一般的にパートナーを伴わずにダンスパーティーに参加することは恥とされている。おそらくこのクリスマスパーティーも、よほどの売れ残り以外は全員パートナーを伴って参加するはずだ。残り得るのは私が唯一選べるクラッブとゴイルくらいのものだ。よってマルフォイ家という本来であればかなりの優良物件である私が誰ともパーティーに参加しないのは、客観的に見ればマルフォイ家に泥を塗る行為と言っていいのだ。

そしてそれが分かっているからこそ、いつも一緒にいざるを得ないセオドール・ノットやブレーズ・ザビニは、今の所私を誘っては来ていない。最後の最後に、それこそクリスマスパーティー直前に私に話しかけ、恥をかきたくなければ自分を選べとでも言うつもりなのだろう。流石に三年間以上私と過ごしただけあって、彼らも私の行動原理を少しは理解している。マルフォイ家のことを言われれば、私が一番揺らぐということを彼らは理解しているのだ。もっともちゃっかり()()()は用意しているようであるが……。

でも……だからと言って、今回だけは私も譲歩出来るはずがない。多少の恥をかいても、マルフォイ家の秘密を守るために。

そして何より……私は嘘でもいいからと他人と踊ることなど絶対に嫌なのだ。

 

私が異性と踊るとしたら、それはこの学校にたった一人しかいない。その方以外と踊る自分なんて、私には想像することすら出来ないのだから。

……()()()()()()()()と行けない以上、私はただダンスパーティーの時間を一人適当に過ごすだけだ。

 

日々過熱していく勧誘合戦に知らず知らずのうちに苛立ちが漏れ出す。

そのお陰なのか、先程の生徒を最後に今日私に話しかける男子生徒はいなくなったわけだが……同時に私の周りには人影一つなくなってしまったのだった。

私を心配そうに見つめる、ダフネとお兄様を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

ドビーの一件から数日間。この学校も今ではクリスマスムード一色に染まっている。

あちらこちらで繰り広げられるパートナー争奪戦。最初はダリアとクリスマスを過ごせるならダンスパーティーなんてどうでもいいと思っていたわけだけど……ここまで周りが白熱してきたら、私達も無関係というわけにはいかない。お蔭でドビーとの再会で機嫌の良かったダリアも、ここ最近は毎日のように行われるお誘いに辟易としている様子だった。

今も彼女に話しかけ、そして一瞬で断られている生徒が一人。そしてそのすぐ近くに更にダリアを誘おうと手ぐすね引いている生徒が数人。まだまだダリアの悩みは終わりそうにない。

私は隣で私同様ダリアを心配そうに見つめているドラコに話しかける。

 

「よくもまぁ、あれだけすっぱり断られているのに皆誘い続けるよね。自分も断られるって分からないのかな?」

 

「……マルフォイ家は聖28一族筆頭だからな。それにダリアはあの容姿だ。一か八かでも、もしダリアが頷けばそれだけでパーティーの主役になれる。……それにパートナーになれさえすれば、後々有利に事を進められるとでも思っているんだろう。……ダリアとのお見合いとかな」

 

うんざりするような話に、私は眉を顰めるしかなかった。

私だって聖28一族の端くれ。純血を保つためにも、将来的に結婚するなら純血の魔法使いの方がいいと思っている。でも正直こんな学校でのダンスパーティーなんかで将来に負担が出る程の家柄ではないのだ。こんな所まで気を遣わないといけないのなら、聖28一族筆頭というのも大変だと思う。

特にダリアの場合は出生に特大の秘密を抱えているため、そんな中でも更に行動に気を付けないといけない。全く理不尽極まりない話だと思った。

しかしだからと言って、私にはどうすることも出来ない。

出来ることはただ彼女の傍に寄り添ってあげることだけ。本当なら今もダリアにへばり付いている生徒達を追い出してしまいたいけど、それをしても何の解決策にもならない。どうせ後からダリアにすり寄るのは目に見えているし、何より追い出そうにも理由がない。

まさかダリアは秘密を抱えているから、皆さん彼女をダンスに誘わないで下さいとは言えないのだ。

……それに本来こういうことに対処できるのは、

 

「……ドラコ、それが分かっているなら、どうしてダリアをダンスに誘わないの?」

 

彼女の兄であるドラコの方なのだから。

次から次へとやってくる誘いを断つには、既にパートナーが決まっているという言い訳が一番効く。そりゃ多少は、

 

「……馬鹿なことを言うな。ダリアは僕のいも……()()だ。家族をパートナーにすれば、それはそれで馬鹿にされる。それこそマルフォイ家をな。そんなことをダリアが許すわけがないだろう。少なくともダリアは絶対に()()()()()()

 

それはそれで問題は出てくるけど。

ドラコの言う通り、兄妹をダンスパートナーにするのは一般的には最後の手段だ。つまり誰もパートナーを捕まえられなかった人間が、ただ数合わせのために誘ったと思われる。しかもダリアとドラコの両方が。あまりいい噂がされるとは思えない。

でもそれがどうしたと言うのだろうか。ダリアを今の勧誘地獄から解放するためだ。多少揶揄されようが、それは他寮だけの……特にグリフィンドールの話だから無視しておけばいい。あれだけダリアが断っている場面を見ており、尚且つ彼女を内心では怖がっているスリザリン生は絶対にそんなことを言わないだろう。

 

それに何より……結局二人とも一番踊りたいのはその兄妹同士なのだから、その欲望に忠実であればいいのだ。

 

私は仏頂面になっているドラコに内心呆れながら言う。

 

「まぁ、それはダリアからは誘ってこないだろうけど。でもそれなら尚更貴方が誘えばいいでしょ。馬鹿にする奴もいるだろうけど、そんなことは関係ないって。何より貴方が一番踊りたいのはダリ、」

 

「違う!」

 

しかし私の言葉はドラコの突然の大声に遮られてしまう。

驚いてドラコの方を見れば、仏頂面を更に苛立った表情に変えている。でもそれも一瞬だけ。すぐに自分が大声を上げたことを恥じたように、どこか気まずそうな顔をしながら、

 

「と、とにかく……僕はダリアをパートナーにする気はない。そ、それだけだ」

 

そう言ってどこかに歩き去ってしまったのだった。

一人残された私はひとりごちる。

 

「……素直じゃないんだから。もうダリアのことを妹だと思ってないくせに。……もうダリアのことを妹だと言えないくせに」

 



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パートナー選び(後編)

ドラコ視点

 

静まり返る寝室。ベッドに腰掛けるのは幼かった僕と、いつもの無表情を笑顔で綻ばせるダリア。

あの決意の記憶が何度も蘇る。

ダリアの真実を知ったあの夜。まだ無知な子供でしかなかった僕が生まれ変わった夜のことを。

 

『おにいさま、大好きだよ。おにいさまの妹で、わたし幸せだよ』

 

遠い昔の記憶。所々が曖昧で、だがそれでも決して色あせない決意の記憶を。

まだ僕らが小さかった頃。ダリアはいつだって、僕にとっては()()()()だった。

昔から優秀過ぎる程に優秀だった妹。それこそ僕がダリアに勝ったことは一度もなく、父上に褒められるのはいつだってダリアの方だった。

だが同時に様々な秘密とハンディキャップを抱えた妹は、いつだって僕にとっては守るべき対象でもあった。たとえ優秀であろうとも、銀の食器は使えず、日光の下にも行けず、常に手袋を嵌めねばならず……そして時折人間の血を飲まねばならない妹。だが自分だって辛いのに、それでもいつだって僕を必死に支えてくれようとする。そんな妹を僕は兄として守ってやりたかった。世の中にある全ての妹を傷つけようとするものから、僕が妹を守ってやりたかったのだ。

自慢の妹を、僕が立派な人間になって守る。今は駄目でも、必ずマルフォイ家の名に相応しい父上のような魔法使いになってみせる。たった一人の妹くらい、僕が必ず守ってみせる。

最初はそんな純粋な思いでしかなった。ダリアの事情を知らず、ただ優秀な妹に嫉妬するだけだった僕が……彼女の事情を知った時、最初に抱いた感情。自分が妹へしてきたことへの罪滅ぼし。そしてどんなに嫉妬していても、確かに持ち続けていた家族愛。それが僕を形作る原点だったのだ。

 

……でも今の僕がその原点のままかと言えば違っていた。

どうして……どうして僕は、ダリアにこんな感情を抱いているのだろうか。一体いつから僕は……ダリアをただの妹だと思えなくなっていたのだろうか。

気が付けばダリアの一挙手一投足を目で追ってしまっている。気が付けばダリアのことばかり僕は考えている。

 

気が付けば僕は……ダリアが()()()()()()()()()()と思っている。

 

そんな感情に気が付いてしまったのは、一体いつのことだろうか。

最初は、それこそ僕が一年生の頃はこの思いはそんなに強いものではなかった。ただ無意識にダリアのことを必要以上に目で追っている。ただそれだけの変化でしかなかった。ともすればそれは入学したての、それこそクラッブとゴイル以外の人間とつき合ったことがなかった僕が、ただ突然広い世界に放り込まれた寂しさを紛らわせるためにとっていたものだったのかもしれない。ダリアを守りたくとも、やはりダリアの傍こそが僕には一番安心できる場所だったから。

でもダリアが何度もひどい目に遭い、どんどん辛い無表情になっていくうちに、僕は知らず知らずの内にこの感情を肥大化させていたのだ。

ダリアを守りたい。それと同時に……ダリアを独占していたい。ダリアを手元でずっと置いておきたい。そんな妹には決して向けない感情を、僕は抱いていた。

勿論それをダリア本人にぶつけたことはない。ダリアはいつだって厳しい環境と、そして自分自身と戦い続けている。だからこそダリアの邪魔になるような行動などしたくなかった。どんなにダリアに醜い感情を抱いていようと、彼女を守りたいという思いもまた本物なのだから。

だからこそ僕は、去年ダフネがあれほどまでに苦しむ気持ちがよく理解出来た。ダリアのことを守りたいのに、どうしても彼女を独占したい、他の人間と付き合ってなんか欲しくない。そんな感情を抱いているのはダフネだけではなかったのだ。もっともあいつ程こんがらがった思いではなかったと思うが。

 

……でも同時に思うのだ。

ダフネのことは分かっていても……僕自身は一体ダリアとどうなりたいのだろうか。

心のどこかで誰かが叫ぶ。

ダリアは妹なんかではない。ダリアとは血が繋がっていない。ダリアは父上と母上の本当の子供ではない。だから僕はダリアと……家族ではあっても、決して兄妹などではないのだ。

僕はダリアと……してもいいのだ、と。

だが同時に誰かが叫ぶ。

何を言っているんだ!

ダリアは大切な妹だ。ダリアは僕が守るべき対象だ。僕はダリアの幸福を守らなくてはならない。そのためには、僕はダリアの兄でなければならない。

そうでなくては……僕はダリアが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そんな残酷なことがあってたまるか。ただでさえダリアは自分の出生について悩んでいる。自分がマルフォイ家でないということに罪悪感を覚えている。そんなダリアに僕は追い打ちをかけるのか。何よりダリアと僕は……マルフォイ家という()()()()で結ばれているのだ。それを断ち切るというのか。

……そう僕は心のどこかで葛藤していたのだ。

 

「こんな感情……気づきたくはなかった」

 

僕はこの感情にずっと目を逸らし続けていた。

たとえダリアを妹だと本心から言えなくなっていたとしても……それこそダリアを妹と呼ぶことすら出来なくなっていたとしても、僕は決してこの感情に目を向けようとはしなかった。いや、目を向けることなど出来なかった。

この感情に一度本当に向き合ってしまえば……僕は今までの様にダリアを見ることが決して出来なくなるだろうから。

 

でも四年生になり、忌々しいイベントでしかないダンスパーティーというイベントでダリアがダンスパートナーに誘われた時、僕は遂にこの感情を無視し続けることが出来なくなったのだった。

あのビクトール・クラムにダリアが真っ先に誘われ、それを皮切りに怒涛の如く押し寄せる勧誘合戦。幸いダリアはそのどれにも、それこそ世界的シーカーにもなびくことはなかったが、それでも僕はかつてない程心をかき乱された。

なんでお前らはそんなに簡単にダリアをパートナーに誘えるんだ。家柄を狙ってるのだとしても、たとえ誰かに指示されたからだとしても、何故あんな簡単にダリアを誘えるのだ。

美人で頭も良くて、優しいダリアはお前らなんかとは釣り合わない。

 

内心はともかく、世間では兄妹でしかない僕は決してダリアを誘えないというのに……。

 

理不尽な思いが浮かんでは消えていく。

何故僕はダリアの兄なんだ。何故ダリアはマルフォイ家に預けられたんだ。何故ダリアは半分吸血鬼なのに、死喰い人を導く目的で作られたんだ。

 

何故僕はそんなダリアを守りたい、家族でありたいと思っているのに……こんなにも家族に不釣り合いな感情を抱いてしまっているのだろうか。

 

「どうせなら……ダリアがマルフォイ家でなかったらよかったのに。そうすれば僕は……」

 

でも現実が変わるわけではない。

ダリアがマルフォイ家でなければ、僕とダリアは出会うことすら無かったかもしれない。僕はダリアを……守ることすら出来なかったかもしれない。

 

だから僕は……結局()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私は友達が少ない。

自分を振り返った時少し情けない気持ちになるけれど、これは覆しようのない事実だった。

勿論皆と仲が悪いということではない。一年生の最初こそギクシャクしたけど、今ではグリフィンドールの皆は私にとって仲間と言ってもいい。特にルームメイトの女生徒達とはよく話すし、別に喧嘩をしたこともない。何かあればお互いのことを心配し、他愛もない会話をする。

でも……それでも、親友と呼べる程の人はそこまで多くはなかった。

命を預けられると言えるまで信頼している親友なのは、それこそグリフィンドールではハリーとロン。そして……スリザリンではダフネとダリア。

彼彼女達だけが、私にとっては親友と呼べる人間達だった。

だからこそ私が今回のダンスパーティーの相談をするとしたら、

 

「で、話したい事ってなに、ハーマイオニー?」

 

「……あまりお役に立てないかもしれませんが、私に出来る範囲なら」

 

彼女達しかいない。

いつもの人があまり入ってこない大広間横の倉庫。態々学校のフクロウで彼女達に手紙を送り、今回誰にも知られないように彼女達には来てもらったのだ。

ドビーの一件以来、ダリアの私に対する態度が明らかに柔らかくなっている。今までは私の方から一方的に好意を寄せ、彼女は私に対する拒絶を必死になって示そうとしていた。それがあの一件以来、まだ距離感こそあるものの、口上で拒絶の意志を示すことはなくなっている。それどころかこうして相談事に積極的に乗ってすらくれている。私はこのいい流れを決して逃したくはなかった。

それに……一方のグリフィンドールの親友であるハリーやロンは、自分達のパートナー探しで頭が一杯。私という存在が傍に居るにも関わらず……。まるで私が女の子だと気づいていないみたいに。

だからそんな彼らに密かに腹を立てた私は、こうして同じ女子の親友である彼女達に来てもらったのだった。

他親友達への不満を込めて。

私は内心の苛立ちを隠しながら、二人に世間話でもするような口調で尋ねる。

 

「え~と、それなんだけど……。二人とも、もうダンスパートナーは決まった?」

 

しかしゆっくりと進めていこうと思っていた話は、彼女達の劇的な反応で頓挫することになる。

先程まで前のめりで私の話を聞いてくれていたというのに、二人ともまるで苦虫をダース単位で噛み潰したような表情に変わる。……ダリアの方は相変わらず僅かな変化でしかなかったけど。でも平時の彼女からすれば劇的な変化だった。私でも表情を判別できる程なのだから。

二人の反応に驚く私に、ダフネがどこかげんなりした口調で答えた。

 

「……あぁ、相談ってダンスパーティーのことだったんだね。それね……まぁ、私とダリア、二人ともまだパートナーは決まっていないよ。どうでもいいことだし。なんで皆あんな風に盛り上がれるのか、その方が私には疑問だよ」

 

どうやら彼女達は全くと言っていい程ダンスパーティーに興味がないらしい。

他の女の子達とはかけ離れた反応だけど、それはそれで彼女達らしいことではある。よく考えれば、寧ろ周り同様ダンスパーティーに一喜一憂している姿の方が想像できない。でも同時に少しだけ意外だった。何故なら彼女達なら、

 

「意外ね。貴女達なら引く手あまたでしょう? 二人とも美人だもの。男子が放っておくとは思えないわ」

 

興味がなくとも、絶対にもうパートナーが決まっているものだと思っていたのだ。

学校一番の美人であるダリアは言わずもがな、ダフネもとっても可愛い顔をしている。二人にアプローチする生徒は多いだろうし、逆に彼女達が申し込めば頷かない男子生徒は一人もいないと思われた。

でもどうやらそういう簡単な問題ではないらしく、相変わらずげんなりした無表情のダリアの隣でダフネが続ける。

 

「そりゃぁ、ダリアの方は下手したら十秒おきに声をかけられてるよ。今も丁度逃げてきたところだし。でも私はあんまりかな。横に巨大な誘蛾灯があるんだもの。全部そっちに吸い取られるよ。寧ろ私はそっちの方がありがたいけどね。阿保に話しかけられても困るだけだよ。というわけで、私達は今も漏れなくフリーというわけ。別にパートナーがいなくても死ぬわけではないから」

 

「……ダフネ、別に私に遠慮しなくてもいいのですよ。私は誰かと踊る気はありませんが、貴女は、」

 

「いいのいいの。私はダリアに遠慮しているわけではないから。私はただダリアとクリスマスを過ごしたいだけ。寧ろ男なんて連れていたら邪魔なだけだよ」

 

ここまでのダリア達の会話を聞いて、私はようやく彼女達の抱える事情に考えがいたり始める。

もっと早く気付くべきだった。……結局のところ、ダリアはホグワーツで大規模なダンスパーティーが開かれようとも、決して他人と密接に過ごすわけにはいかないのだ。どんなに周りが浮かれていようとも、彼女だけは決して浮かれるわけにはいかない。

私は彼女が吸血鬼であることを知っている。そのせいで一体彼女にどのような制約が課せられているのかは分からないけれど、ほんの些細なことにすら彼女が気をつけないといけないのは間違いない。

……そしてそれは華やかなダンスパーティーでも。他人を拒絶しているダリアが誰かをパートナーにするはずがない。

私は自分が如何に愚かな質問をしたのかを悟り、僅かに顔を伏せる。

意気揚々とここに来たのに、今は自分が恥ずかしくて仕方がない。

何が、いい流れを決して逃したくはない、だ。浅はかな考えにも程がある。ダリアが折角ドビーのことで私を僅かに許してくれたというのに、また彼女を悩ませるようなことをしてどうするというのか。

しかし今更気付いたところで話が戻るわけではない。私が自分を恥じている間にも、ダリア達の話は進んでいく。ダリアを慰めていたダフネが、今度は私の方に質問してきたのだ。

 

「で、私達のことはいいんだよ。それよりハーマイオニー。ここに呼んでダンスパーティーのことを聞くんだから、話したいことってパートナーのことなんでしょう? 何か困ったことでもあるの?」

 

「……え、えぇ、実はそうなの」

 

そしてダフネの質問に、私はしどろもどろではあるけど即座に飛び付く。

私はダリアの事情を()()()()知らない。どんなに恥ずかしくても、ここで話を進めないわけにはいかないと判断したのだ。

 

「わ、私も実はまだパートナーが決まっていなくて……。どうしたものかと思っていたのだけど……」

 

「……グリフィンドール生から声をかけられないのですか?」

 

ダリアの質問に私は更に情けない気持ちになりながら答えた。

 

「えぇ、誰も。グリフィンドール生からはまだ誰にも声をかけられていないわ」

 

「……グリフィンドール生は随分見る目がないのですね」

 

「まぁ、グリフィンドールだしね。それに勇気ある寮って言っても、男女関係に関してはただのチキンなのかもしれないよ」

 

ダフネはともかく、ダリアは中々嬉しいことを言ってくれていた。

少し顔が赤らむ私にダリアは続ける。でもその質問に、

 

「……グリフィンドール生が臆病なのはともかく、それでは誰か誘いたい方はいないのですか? そうであれば話は簡単なのですが。……こんな風に相談に来るということは、そういうことなのではないですか?」

 

「……」

 

私は何故か即座に答えることが出来なかった。

ここに来たのはロン達の行動に腹を立てたから。誰かに話を聞いてもらいたかったのだ。そりゃ私はダリアやダフネの様に美人というわけではない。髪はボサボサしているし、顔立ちも二人程整ったものではない。肌の手入れだって、お世辞にも完璧ではないし、性格も決していいとは言えないだろう。

でも……そうだからこそ、何故私はここまで()()()腹を立てているのだろう。私は改めて自分の感情を振り返った時、それがふと疑問に感じた。

ハリーとロンが私をいまいち女の子扱いしていないのは昔からのこと。それを何故私は今更になって、こんなにも誰かに話してしまいたい程怒っていたのだろう。

答えはなかった。

ただ口から、

 

「ロン……」

 

そんな呟きだけが漏れ出す。

しかしその瞬間、目の前の二人が突然驚きに満ちた表情を浮かべる。そして私が何か言う前に、

 

「ち、違うの、今のは、」

 

「え!? 誘いたい人間って、まさかあのロナウド・ウィーズリー!」

 

「そ、それは想像もしていませんでした」

 

二人が表情同様の慌てた声を上げ始めたのだった。

しかもすぐさまどこか憐れむ様な表情に変わり、

 

「……ハーマイオニー。貴女は頭はいいのに、絶望的に男を見るセンスはないと思うよ? ……多分貴女は疲れてるんだよ。もっと休んだ方がいいよ。どうせ今年も去年と同じくらい勉強に追われてるんでしょう? 駄目だよ、休憩もしっかりとらないと」

 

「……以前からボランティア精神溢れる方だと思っていましたが、まさかここまでとは」

 

そんなことまで言い始めている。私は二人の誤解を解くため声を上げた。

 

「だから違うったら! 別にロンはそんなのではないわ! わ、私は別にロンとダンスしたいわけでは……。そ、それに、貴女達はロンのことも誤解しているわ。貴女達から見たらただよく突っかかってくる男子生徒でしかないと思うけど、本当はいい人なのよ? この前もハリーと喧嘩した時、本当は友達のことをずっと考えていたわ。ただ不器用なだけで、人一倍友達思いなの。そこが()()()()()というか……な、なに? 二人ともどうしたの?」

 

でもどうやら私の話は通じなかったらしく、二人は更に憐れんだ表情になりながら、二人で何かコソコソと囁きだす。

 

「……私はこういう話にあまり詳しくないのですが、まさか……()()()()()()なのですか、ダフネ?」

 

「そ、そういうことなのかな……。もしかしてハーマイオニー……ちょっと駄目な男が好きなのかな?」

 

「だ、駄目な男ですか? そんな人が世の中にはいるのですか?」

 

「……正直ダリアも……ううん、何でもない。流石にあれは限度があると思うし。まぁ、今は温かく見守ってあげよう。多分他に男の子を知らないだけだと思うから」

 

そして一通り二人で話し合った後、今度はどこか決意を固めた表情でダフネが続ける。

 

「ごめん、少し待たせたね、ハーマイオニー。とりあえず、貴女の悩みは分かったわ! ウィーズリーのことはともかく、とにかくまだパートナーがいないことが悩みなんだよね!? だったら、私達が見つけてくるよ! 貴女に相応しいパートナーを! 実は()()()()()を一人知っているんだ!」

 

相談事が何かよく分からない方向に進み始めた瞬間だった。

 

 

 

 

……そしてその丁度いい人が実はとんでもなく有名な人だと知るのは、この女子会の数分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラム視点

 

僕の心はいつだって空を飛んでいた。

空は自由だ。僕を煩わせるものは何もない。あるのは味方と敵のクィディッチ選手、そしてあの黄金に輝くスニッチのみ。煩わしい言葉なんていらず、ただお互いの尊厳をかけた戦いだけがそこにある。これ程素晴らしい世界は他のどこにもない。僕は空を飛んでいる時だけは、いつだって自由であれた。

世間から最優秀シーカーなどと持て囃されようとどうでもいい。僕はただ飛んでいるだけで幸せであれたのだ。

……一方僕は地上にいる時間がとても嫌いだった。

呼んでもいないのに僕の周りに群がる女の子達。誰も彼もキャーキャーと甲高い声を上げ、時にはサインを求めて、そして酷い時には彼女にしてくれなんて厚かましいお願いまでしてくる。よくもまあ、こんな地上では不器用でしかない僕なんかにここまで夢中になれるものだ。彼女達がただ僕の名声に群がっているのだと思うと反吐が出る。

そして何より……

 

「ビクトール……君にはやはりダリア・マルフォイこそがダンスパーティーのパートナーに相応しい。他の有象無象の女など、君の名声に傷をつけるだけだ。いいか……必ずもう一度彼女に頼み込み、ダンスパートナーになってもらうのだ。いいか……必ずだぞ! そうでなければ私は……」

 

地上には僕の大っ嫌いなカルカロフ校長がいるから。

彼はとても不公平な人間だった。校長という立場でありながら、明らかに生徒達を差別している。自分の名声を高めるために役立つ生徒、そうでない生徒。両者への態度の違いは明らかで、酷いことにそれを彼は隠そうともしていなかったのだ。

……幸いなことに、僕は彼にとって役に立つ方の人間であり、今の所優遇された立場にいる。現在の船での暮らしだって、一人だけ快適な部屋を与えられている。でもどうしても納得することが出来なかった。快適な空間であればある程、内心に抱える罪悪感はより強いものに変わっていく。

しかもこいつは質が悪いことに、生徒達の反抗を許すことがない。元死喰い人らしく生徒達の背後関係を洗い出し、その一人一人にあった脅し方をする。それだけは役に立つ立たない関係なく平等だった。

だからこそ僕は、

 

「……はい、カルカロフ校長」

 

今の所こいつに表立って逆らうことが出来ずにいた。

どんなに嫌であろうとも、その後のことを考えると後先考えずに反抗することが出来ない。

僕は船から降り、ホグワーツ城に向かって足を進める。

何が代表選手だ。地上に下りて代表選手になれば何かが変わるかもと思い、カルカロフの言う通り応募してみたが……結局何一つ変わっていない。

空と同じく心躍る戦いではあるけど、結局それだけだ。状況自体は何一つ変わっていない。こんなことなら何かしらの理由をつけてダームストラング校に残っておけばよかった。

挙句の果てにダンスパーティーなんてイベントまで開かれる。これでは本当にいつもの辟易とする地上と変わらない。

群がってくる差異のない女達。サインを求めているかパートナーになることを求めているか、その程度の違いしかない。

 

……まぁ、確かに向こうから声をかけてくる女達に違いはなくとも、珍しくカルカロフから声をかけられるように命じられたダリア・マルフォイという女生徒は、今まで見てきた女の子とは全く違うタイプの人間ではある。

今まで見てきた中で一番の美少女。白銀の髪に、薄い金色の瞳。少し同年代の割には()()()()()()顔立ちではあるが、間違いなく一番の美少女だろう。女子の造形の美醜がいまいちよく分かっていない僕でも、文句なしでこの子は美人なのだと納得できる。

でもそれだけだ。いや、寧ろ他の女子と違っても……それはいい意味での違いだけではなかった。

こちらに自分から興奮したように話しかけてくることはない。でもその代わり……ジッとこちらを観察するように見つめてくるのだ。

 

まるで僕が同じ人間ではなく……ただの実験動物であるかのような冷たい視線で。

何一つ感情を感じさせない無表情で、ただジッと……。

観察するように。見透かすように。……カルカロフの言いなりになっている僕を非難するように。

ただただジッと……。

 

つまるところ僕は、ダリア・マルフォイのことが怖かったのだ。他の女生徒と違っても、近づきたくないという一点においては決して変わらなかった。そもそもカルカロフに近づくよう命じられる時点で普通の女の子であるはずがない。日常の中で明らかに浮いた人物。ちょっとした仕草に優しさを感じたとしても、逆にそれが彼女の構成する一つ一つに違和感を感じざるを得ない。それが彼女に抱く僕の印象だった。

ダームストラング校と違い煌びやか学校に向かうというのに、僕の足取りはどこまでも重い。不幸中の幸いは、何度ダリア・マルフォイを誘ったとしても、彼女の方が断ってくれるということ。それでもこうして無駄な時間を過ごしているということは、それだけで嫌な時間であることに間違いはなかった。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「あ! 丁度良かった! こっち、こっちだよ、ビクトール・クラム!」

 

最初、目的の人物であるダリア・マルフォイといつも一緒にいる、ダフネ・グリーングラスという女子生徒に話しかけられた時も、僕は何も思うことはなかったのだった。

次の瞬間、

 

「ダリア・マルフォイ。それにダフネ・グリーングラス。ヴぉくは、」

 

「あ、いいよ、どうせまたダリアを誘いに来たんでしょう? あのカルカロフとかいう校長の命令で。その答えならどうせ無理だから諦めて。それより、貴方まだパートナーが決まっていないんだよね。なら、紹介したい子がいるのよ」

 

「ちょ、ちょっと、まさかダフネ! さっき言ってた人って、」

 

「いいからいいから、ハーマイオニー! まだ誰も誘ってきていないし、誘いたい相手もいないんでしょう? なら、どうせなら今この学校で一番のビックネームを捕まえて、皆を見返してやろうよ!」

 

今まで見たこともない女子生徒のことを紹介されるまでは。

丁度大広間横の倉庫から出てきたと思しき三人の女生徒たち。一人はダリア・マルフォイ。そして僕に話しかけてきたダフネ・グリーングラス。そして彼女に押し出される様に前に出てきた女の子。

その子は茶色の多い縮れ毛の女の子で、肌もどことなく荒れているところがあり、造形も他の子に比べればおそらく劣っているとさえ言えるのかもしれない。

言うなればどこにでもいる普通の女の子。それが彼女の容姿に対しての僕の第一印象だった。

 

でも僕は何故か……この初対面の瞬間から、どこか引き付けられるものを感じていたのだ。



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細やかな幸せ(前編)

クリスマスイブ投稿。
アズカバン編の『親友デート前編』にイラストレーター、匡乃下キヨマサ様が書いて下さった挿絵を挿入しました。クリスマスプレゼントにどうぞ。


 ダリア視点

 

クリスマス当日の朝、私はすっかり冷えた寝室の中で目を覚ます。本来であればクリスマスである今日、私はマルフォイ家のベッドで目を覚ますはずであった。

それが今は学校のベッドで……。隣からはダフネやパーキンソン達の寝息が漏れ聞こえている。

クリスマスとは本来家族と過ごす時間。断じてこの学校が今浮かれ騒いでいるような、恋人と過ごす日などではない。

……しかし今の私はこの家族以外と過ごすクリスマスに対し、そこまで嫌な感情を抱いてはいなかった。ダンスパーティーなどという下らないイベントこそあるが、ダフネが私と過ごすクリスマスと喜んでくれているのだから、いつまでも悪感情ばかりを抱いているわけにはいかない。少なくとも表面上は……。

それに、

 

「お父様、お母様。今年もこんなに素晴らしいプレゼントを……」

 

どんなに離れていようとも、私と家族の絆は決して揺らぐことはないのだから。

ベッドから静かに起き上がり辺りを見回すと、ベッドの足元に巨大な山が出来ている。言わずもがな今年も送られてきたクリスマスプレゼントの山だ。私は躊躇うことなくその一番上に置かれていた()()のプレゼントだけを手に取り一つ一つ開いていく。

一つ目はお父様からのプレゼント。開けてみると中から出てきたのは、毎年恒例とも言える新しい本だった。でも以前の物もそうだが、どれも大変貴重な()()()()の本であり、お父様の様に特殊なルートを持っていなければ決して手に入らないような本だった。これが嬉しくないはずがない。

そしてお父様のプレゼント箱の中には、

 

『ダリア。以前から頼まれていた二番目の課題の情報だが、おそらく()()()で行われる課題だ。何を具体的にさせられるのかは不明だが、どうやら『水中人(マーピープル)』と魔法省が頻繁に連絡を取っている。この情報を何に使うかは聞かぬが、決して一人では抱え込まぬように』

 

私が求めていた情報も入っていたのだ。湖の中での課題。ということは水の中で行動しなければならない課題ということだ。そこで何をするかは今は問題ではない。水中行動が求められる課題と分かっただけで十分だった。それさえ分かればセドリック・ディゴリーは難なく課題を突破できるだろう。

 

「ありがとうございます、お父様。これで次の手を打つことが出来ます」

 

私はお父様からのプレゼントをベッドサイドテーブルに置くと、今度はお母様からのプレゼントを開ける。

お母様からのプレゼントは綺麗なイヤリングだった。金を基調とした、月の形を模した綺麗なデザイン。煌びやかで、でもあまり目立ち過ぎない気品のあるデザイン。流石はお母様と思える非常に素晴らしいプレゼントだった。

しかもお母様のプレゼントにも、お父様のと同じく手紙が入っていた。

 

『ダリア。今年のクリスマスは貴女とドラコが帰ってこなくてとても寂しいわ。ですが同時に嬉しくもあるの。貴女は今まで大きなパーティーには一切出ようとはしなかったから。そんな貴女が学校のパーティーとはいえ参加するのだから、これ程嬉しいことはないわ。間違いなく貴女が参加者の中で一番綺麗なはずだわ。ドレスに合うよう選んだものだから、是非パーティーの時につけなさい。そして帰ってきた時、またその姿を私に見せなさいね。来年帰ってくる時をとても楽しみにしているわ。だから今はクリスマスを楽しみなさい』

 

お母様の手紙に胸が温かくなるような気持だった。

あぁ、お母様はいつだって私のことを思って下さる。きっとお母様も分かっているのだろう。本当は私が家に帰りたがっていることを。でもそれが叶わない以上、こうして私が少しでもホグワーツのクリスマスを楽しめるような手紙を送ってくれている。こんな手紙を送られてしまえば文句など言えなくなってしまうではないか。

私はもう一度お母様の手紙をギュッと胸に抱くと、ダフネのプレゼントを手に取る。横目で確認すれば当のダフネはまだ夢の中。

 

「……う~ん。ダリア……ドレスが綺麗だよ……」

 

私は隣ベッドから寝言を漏らす彼女に僅かに苦笑しながら箱を開いた。

そして中から出てきたのは高級紅茶葉セットだった。そういえば最近()()()()でお茶会をすることが何度かあったなと思い出し、これは()()()()()()()()()()()なのだとまた少し苦笑いを強めながら、私は今度はお兄様のプレゼントを開く。

すると中からは何と金色の髪留めが出てくる。ほんの小さなアクセサリーのような物だったが、作りはかなり精巧で、よく見れば小さなデザインが所々に彫り込まれている。お兄様はクリスマスで大抵はお菓子を下さるのが常であったが、今年は何やら趣向を変えたのだろう。これをお兄様が買って下さっている場面を想像して少し温かい気持ちと……そして両親やダフネの物には抱かなかった()()()()()()()を抱いた後、私はようやくベッドから離れ、着替えの準備でも始めようとする。

そう、プレゼントの山の一番上に、

 

「……グレンジャーさん」

 

今年から時折行動を共にするようになったグレンジャーさんからのプレゼントを見つけるまでは。

重要なプレゼントを回収した以上、後のプレゼントはもはやどうでもいいものばかり。その山をどかして空間を作ろうとした時、一番上にハーマイオニー・グレンジャーと書かれたプレゼント箱を見つけたのだ。

……実は今年、私は彼女へのプレゼントを贈ってはいた。彼女が喜びそうな高度な変身術の本を一冊。彼女はダフネの友達だ。だから……ダフネの人間関係を円滑にするためにも、別に本の一冊くらい贈ってもおかしくはない。そう自分に言い訳してプレゼントを贈ったわけだが、正直彼女からプレゼントを貰うとは想像もしていなかった。

私は彼女のプレゼントを手に取り何とはなしに開けてみる。すると中からはマグルのものと思われるチョコレートと手紙が一枚。

 

『クリスマスおめでとう、ダリア。こうしてクリスマスプレゼントを贈るのは初めてね。()()()に何を送ればいいのか本当に悩んだわ。だって、貴女達の方が魔法界のことには遥かに詳しいから。だからマグル界のお菓子を送ることにしました。これなら貴女達にとっても物珍しい物でしょう? 何の魔法もかかってはいないけれど、味の方は魔法界の物と遜色ないはずよ』

 

グレンジャーさんからの手紙を読み終えると、私は先程とは打って変わり微妙な心持になる……と思っていたのに、何故か先程以上に温かな気持ちを抱いている自分に気づく。

確かにドビーの一件以来、私は彼女になるべく拒絶的な発言をすることを控えてはいる。一度離れ離れになってしまった大切な家族を引き合わせてくれたのだ。どれ程危険な他人であったとしても、一概に無下にすることが許されるはずがない。……しかしそれだけだ。どんなに否定的な言葉を取らないようにしたとしても、私とグレンジャーさんは結局は他人でしかないのだ。だからこそ私は口上はともかく、内心の距離感を決して見誤ってはならない。そう思っていたはずなのに……。

 

「……もっと気を引き締めなければ。……これはグレンジャーさんのためでもあるのだから」

 

私は気を引き締め直すと、今度こそプレゼントの山を端に退け朝の着替えを始める。

それにいつまでも自分のプレゼントばかりを喜んでいるわけにはいかない。何故なら今年のお兄様へのプレゼントは……。

私は朝お兄様がどのような表情で談話室に下りてくるか想像し、いつもは決して動かない無表情を僅かに綻ばせる。まだクリスマスは始まったばかり。ダンスパーティーは相変わらずどうでもいいが、ダフネやお兄様と一緒なら全く楽しくない一日ということはないはずだ。

 

 

 

 

そしてその思い通り、

 

「ダリア! お、お前のクリスマスプレゼント! ま、まさかこれは!?」

 

「えぇ、お兄様の()()()()ですよ」

 

今日という日は、お兄様の興奮したような奇声から始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

……目の前に天使がいる。それこそ私の手の届きそうな所に。

最近あれだけ情緒不安定だったというのに、ダリアから贈られたクリスマスプレゼントに大興奮したドラコに一日付き合い、いよいよ談話室でダンスパーティーに向けて準備を始めたわけだけど……

 

「……ドビー。手伝ってくれて、本当にありがとう」

 

「いえ! いえ、お嬢様! ドビーめは嬉しいのであります! このように再びお嬢様のお世話をすることが出来て! お嬢様! 本当にお綺麗でございますです!」

 

そんな一日のことなんて、今目の前で繰り広げられている光景で全て吹っ飛んでしまっていた。

ベッド横に備え付けられた鏡の前でドビーに髪の手入れをしてもらっているダリア。今まで離れ離れになっていた家族が、ようやくこうして再び元のあるべき姿に戻っている。厨房ではお互いただただ謝り合っていたが、時が経つにつれようやく自分に素直になり始めたのだろう。

正直これだけで私にとっては感動的な光景ではある。ダリアの親友である私が嬉しくないはずがない。

でもそれ以上に今は、

 

「ダフネ、どうですか? ……似合っていますか?」

 

「に、似合ってる!? そんなレベルじゃないよ、ダリア! すごい! 綺麗! 天使!」

 

目の前のダリアがあまりにも綺麗だったのだ。

ダリアの必需品である黒い手袋に合わせたように、漆黒の色をしたパーティードレス。まるで陶器の様に美しい白い肩を露出させた装いは、ダリアの最近同年代より少し幼さを感じさせるようになった顔立ちとは裏腹に色気すら覚える。そしてただでさえ綺麗な顔に化粧を載せ、もはや芸術品と言える顔立ち。身につけた宝石もどれも一級品で、耳には品のいい金色のイヤリングに、いつもは流れる様に伸ばされている白銀の髪は一部()()()()()()でサイドに纏められている。

当に天使。こんなのもはやダンスパーティーの主役は決まったようなものではないか。この瞬間だけは、ダンスパーティーを主催したダンブルドアに感謝出来る様な気がした。

 

「……そんな大げさな。私は成長が止まってしまったのか、少し幼い見た目ですから……。ダフネの方が断然綺麗ですよ。親友として鼻が高いです。その若草色のドレス、とても似合っていますよ」

 

「ありがとう、ダリア! でも、ダリアの方が凄いよ! あぁ、本当にいつまでも見ていたい!」

 

私は少し不満そうなダリアの言葉を流し、興奮のままに褒め称え続ける。成長が止まったからなんだ、最初は寧ろ同年代に比べて大人びていたのに、今では周りに追い抜かれたからといってなんだというのだ。ダリアはとにかく綺麗なのだ。それはダリアを恐れている馬鹿共だって認めることだ。学校中で、いや世界中で一番綺麗な人間がダリアであることは疑いようのない事実なのだ。

それに彼女は容姿だけではなく性格だって美しい。

 

「もう、恥ずかしいではないですか。冗談はそれくらいにして下さい。それでは……ドビー、準備を手伝ってくれて本当にありがとう。……またお願いしてもいいかしら?」

 

「勿論でございますです、お嬢様! ドビーめはお嬢様の屋敷しもべでございますです! どうかいつでも、どんなことでもこのドビーめに御命じ下さいです!」

 

「ありがとう……。それとドビー。これは細やかなクリスマスプレゼントなのだけど、受け取ってくれないかしら? お兄様へのプレゼントで今まで貯めてきたお小遣いのほとんどを使ってしまったから、あまり大したものは用意できなかったのだけど……」

 

「ク、クリスマスプレゼント!? お嬢様! なんとお優しい! ドビーめにクリスマスプレゼントなど!」

 

「いいの……。貴方は私にとって家族なのだから」

 

ダリアはドビーの方に振り返ると、鏡の前に置いてあった小さな箱を手渡す。ドビーが箱を開くと、彼の身を包む真新しい枕カバーにピッタリのピン止めが出てくる。しかもそれはただのピン止めではなく、端には花の飾りまで備え付けられている。明らかに普通の魔法使いがただの屋敷しもべにプレゼントするような代物ではなかった。それこそダリア以外の魔法使いは……。

幼い頃、彼女を初めて目にした時の記憶が蘇る。あのそれまでの自分を生まれ変わらせる程に鮮烈な出会いの記憶を。

冷たい無表情でありながら、一瞬にして会場全員の視線を引き付ける存在感。そしてドビーに対する止めどない優しさを。

ダリアはあの時と何も変わってはいない。誰よりも綺麗で、誰よりも優しい女の子。純血とかそんなことは関係なく、ただ個人の価値で輝き続けている。

あぁ、私はこの子に憧れ続けていてよかった。そして彼女の友達で本当に良かった。

幼い頃の記憶と今のダリアが重なり、私の思考が幸福感で浸食されていくようだった。そういえば……この後私達はどこに行く予定だったんだっけ?

そんな恍惚状態の私にダリアが冷静な声音で話しかけてくる。

 

「ダフネ……鼻血が垂れそうになっていますよ」

 

「おっと! ちょっと拭くね……これで大丈夫!」

 

そしてテイッシュで鼻血を拭く私にダリアが続ける。

 

「しっかりしてください。貴方は()()()()ダンスパートナーなのですから、ドレスに垂れたら大事です。折角そんなに綺麗なのに」

 

「……あぁ、それね。でもどっちも誘いが煩わしかったから、お互い虫よけのために行くだけだよ。実質二人ともフリーなの」

 

ダリアの言葉に私は僅かに現実に引き戻されながら答えた。

ダリアの言う通り、私とドラコはダンスパートナーとして今回のクリスマスパーティーに参加する。……でもおそらく私もドラコも、お互いがパートナーである自覚など欠片ほどもない。ただドラコはドラコで、クリスマスが近づき本格的に腰を上げ始めたパンジーの様な肉食系女子を煩わしく思い、私は私でダリアに断られてこちらに流れてきた男子生徒達を鬱陶しく思っていた。だからお互いの断る言い訳のために、ただ名目上のパートナーになったに過ぎないのだ。ダリアだけでなくドラコまでパートナーがいないのは外聞が悪いという打算的な思惑もある。勿論お互い嫌いあっているわけではない。そもそも嫌いなら名目とはいえ、お互いをダンスパートナーにしようとは思わない。ただ私達にとってお互いは友達……ダリアを思う同士であるだけ。そこに恋愛感情は勿論、異性だという感覚すら乏しい。だから私は、

 

「だからね、ダリア。気が向いたらいつでもドラコと踊ってもいいよ。私はただ貴方といられるだけで、貴女の姿を見ているだけで幸せだから」

 

ダリアとドラコがダンスすることをまだ諦めてなどいない。マルフォイ家に悪評がたつのを絶対に許容できない気持ちは理解できるけど……もっと自分に素直になればいいのに。それが私の嘘偽らざる感想だったのだ。

しかしダリアの回答も相変わらずのものでしかなかった。私の言葉にピシャリと返事を返すと、そのままドビーのほうに振り返って言葉をかける。

 

「……馬鹿なことを仰らないで下さい。さぁ、では行きましょう。お兄様をいつまでもお待たせするわけにはいきません。……ドビー、また会いましょう」

 

「はいであります、お嬢様! お嬢様のご友人も! 行ってらっしゃいませです!」

 

「ドビー、私の方もありがとう! ダリアだけじゃなくて、私の手伝いまでしてもらって」

 

「いえ! ダフネ様はお嬢様の大切なご友人の様子! お嬢様のご友人に尽くすのは当然のことであります!」

 

そして私達はドビーに別れを告げると、今度こそ大広間に向かって足を進めるのだった。

地下の談話室を抜け、階段を登り、また階段を降りてゆく。その間にも数人の生徒達とすれ違うが、皆まるで魂を抜かれた様に、ただ茫然とした表情で隣を歩くダリアを見つめている。極々当たり前の反応だけど、今はそれが無性に誇らしい。

 

 

 

 

私はダリアの隣を歩きながら、小さくほくそ笑む。

まだ私は諦めてはいない。だってダリアとドラコは絶対に二人で踊るべきなのだ。それがダリアの幸せのためなのだ。

ようは人目がなければいい。その条件さえクリアすれば、後はこっちのものだ。

だから……

 

「まずはドラコの反応が楽しみだね。……結果は目に見えているけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ハ、()()()()()()()()()()、ど、どうぞお手を」

 

「えぇ、()()()()()

 

「ごめんなさい。ヴぉく、まだ発音が、」

 

「いいえ、いいの。ゆっくり練習していきましょう」

 

私とビクトールは玄関ホールの真っただ中で挨拶を交わしていた。

ダフネから彼を紹介されて数日。最初こそ私の方はいきなり紹介された彼のことを警戒していたわけど、どういうわけか一目で私のことを気に入ったらしい彼に何度も必死に話しかけられると、流石に警戒心など持てなくなってくる。それに彼は見た目こそ不愛想で、いつも何を考えているか分からない仏頂面をしているけど、話してみれば意外と普通の男の子でしかなかった。飛ぶことが得意で、飛ぶことが大好きな普通の男の子。それが私が彼と話していて抱いた印象だった。

彼のような有名人が何故ダリアの様な美人に必死にダンスを申し込まず、私の様な勉強しか取り柄のない平凡な人間をパートナーに選ぶのか私には分からない。放っておいても女の子の方から群がってくるはず。そしてそれをダンスを申し込まれた時に尋ねても、

 

『クラムさん、本当に私で、』

 

『ヴぉくのことはビクトールとお願いします』

 

『そ、そう? ならビクトール。本当に私がダンスパートナーでいいの? 私なんかよりダリア達の方が美人だと思うのだけど』

 

『……ダリア・マルフォイにダフネ・グリーングラス。確かに二人とも、ヴぉくはとても綺麗な方だと思います。特にマルフォイさんは、ヴぉくの見てきた中で一番綺麗な女の子です。でも、ヴぉくはそんなことどうでもいいのです。ヴぉくは貴女と踊りたい。貴方の様な方こそ、ヴぉくは初めて見る方なのです』

 

そんなことしか言わないのだから、結局真相は彼の胸の中にしかなかった。

……でも今はそんなことはどちらでもいいだろう。

折角のクリスマスパーティー。どうせなら思いっきり楽しいものにしたい。こうして今まで全く知らない環境で学んできた男子生徒と交流し、人生で初めてのダンスパーティーに参加する。ダリア達が態々こんなチャンスをくれたのだから、この機会を最大限に活かしてみたい。

数日前までと違い、今の私はそんな明るい気持ちで一杯だった。

だからこそ今日の私はいつもと違い容姿に気を遣っているのだ。

 

「それより、ハ、()()()()()()()()()。貴女はとても綺麗です。いつもの格好もヴぉくは好きですが、今の姿はとても綺麗です。いつもより何だか輝いている気がします」

 

「あ、ありがとう。今日は少し化粧をしているから。それに髪も今日は真っすぐにしたし」

 

いつもは縮れ毛な髪を三時間もかけて真っすぐにし、いつもはしないような化粧を施す。ドレスローブも綺麗な青色をした新品のローブ。我ながら今日の格好には少しだけ自信があった。……手間がかかりすぎるため、いつもはこんなこと絶対にしないけれど。

しかしそんな手間をかけた甲斐はあったと思う。周りから感じる視線が別次元だ。隣にビクトールがいることもあるけど、少なからず私の方にも注目が集まっている。意趣返しのために今までビクトールのことを黙っていたハリーとロンも、今の今になってようやく私が私であることが分かったのか、口をあんぐり開いて驚いていた。もはや二人とも土壇場になって捕まえてきたパーバティー姉妹のことなど忘れ去っている様子だった。それ程までに普段の私と今の私では違っているのだろう。何だかちょっとした優越感を感じる。

もっとも、それもあと少しだけの間であることは私も分かっていた。

 

何故ならどんなに容姿に気を配っていようとも……決して敵わない子がこの学校には存在するから。

 

「グレンジャーさん。こんばんは。……とても綺麗ですね」

 

「ハーマイオニー、すごーい! 今日は何だかキラキラしてるね!」

 

後ろからかけられた声に笑顔で振り返った瞬間、玄関ホールから音が消えた気がした。

私を含めて玄関ホールにいる全員が彼女を凝視して目を離すことが出来ない。

私の視線の先には丁度階段を降りてきたと思しき二人組。一人はダフネ。若草色のドレスを着こなし、いつもの可愛らしい表情をやはり愛らしい笑顔で彩っている。ドレスの色合いもありどこか爽やかな印象を与える装いで、本来は明るい気質のダフネにはとてもよく似合っていた。

そしてもう一人が……

 

「ダリア……本当に綺麗……」

 

「……あ、ありがとうございます。先程も言いましたが、貴女もとても綺麗ですよ。そのブルーのドレス、とても貴女に似合っています」

 

この学校で一番の美人であるダリアだった。

しかもいつもはしないような化粧までして、もはや想像を絶する綺麗さを発揮している。おまけに肩を露出した真っ黒なドレス。同年代だというのに色気すら感じる。月をモチーフにしたイヤリングもあり、まるで月から来たお姫様でも見ている気分だった。

一瞬にして私へ集まっていた視線がただ一点、スリザリンの彼女にのみ注がれる。もう一人注目を集めていたフラー・デラクールも今ではただの添え物にしかなっていない。もはや誰一人として彼女以外の人間に、それこそこのパーティーの主役であるはずの代表選手にすら注目していなかった。

しかしそんな視線にも恥ずかしがることなく、それどころかどこか鬱陶しいと言わんばかりの仕草をしながらダリアは続ける。

 

「……ところでお兄様を知りませんか? 先程から見当たらなくて……。まったく、ダフネのパートナーなのにどこにいらっしゃるのか……」

 

どうやら結局ダフネはドラコで手を打ったらしい。そしてこの口調だとダリアは最初の宣言通りパートナーを選んでいないのだろう。

まぁ、このダリアの姿を見れば、パートナーの有無なんて些末な問題でしかない。これで文句を言う人間は嫉妬に狂った女生徒くらいのものだ。それもダリアの放つ圧倒的な存在感で、嫉妬する気にすらならないだろうけど。

そんな益体のないことを茫然と考えている私に代わって、ダフネが彼女の質問に答える。

 

「ドラコならあそこにいるよ? ほら、あの倉庫の前あたり。さっきから呆けた顔でこっちを見てるよ。……多分こっちから行かないとずっとあのままだと思うな」

 

ダフネの言葉に我に返りそちらを見れば、確かに黒いビロードの詰襟ローブを着たドラコが立っていた。まるで英国国教会の牧師の様な恰好をした彼は、はた目からでも分かるくらい顔を真っ赤にさせ、ただ茫然と()()()()()()見つめている。ダフネの言う通り、あれではあちらから声をかけてくることはないだろう。

 

「まったく……こういうことにはヘタレなんだから」

 

ダフネはそんなドラコにため息を一つ吐きながら近づいていく。

……ダフネが近づいても、ドラコは相変わらずダリアを見つめ続けるばかりだった。

 

「ほら、ドラコ。一応私のダンスパートナーということになっているんだから、もっとシャキッとして! ……見惚れるのは分かるけど、ダリアにドレスの感想を言わないと」

 

「ダ、ダフネか。そ、そうだな。い、言わないといけないな」

 

そして何か小さな声で言いあった後、ようやく正気に戻ったらしいドラコはギクシャクした動きでこちらに近づき、ダリアに真っ赤な顔で言う。

 

「ダ、ダリア……」

 

「……お兄様。どうですか、このドレスは。似合っていますか?」

 

「に、似合う? いや、勿論似合っている。ただもう……ダリア、すごく綺麗だ……」

 

「あ、ありがとうございます。お兄様もそのローブ、とても似合っていますよ……」

 

……もはや兄妹の会話ではないような気がした。何だか傍で聞いているこっちまで恥ずかしくなるような光景。それこそドラコだけではなく、ダリアまで無表情ながら頬を赤く染めている。肌がなまじ白い分、頬が赤くなると余計に際立っている。まるで初々しい恋人同士を見ているような……。何故か見ている私にはどこか胸がいっぱいになりそうな姿だった。

でもそんないつまでも見ていたいような光景はいつまでも続くことはなく、

 

「皆さん、時間です! これより三大魔法学校対抗試合恒例のクリスマスダンスパーティーを開催します! 代表選手から大広間に入ってください!」

 

マクゴナガル先生の宣言によって、いよいよダンスパーティーが始まったのだ。

 

「そ、それじゃあ、ダリア、ダフネ! また後でね!」

 

「……えぇ、グレンジャーさん。()()()ダンスパーティーを存分に楽しんでください。こんな機会は滅多にないのですから」

 



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細やかな幸せ(後編)

今年最後の投稿。来年もよろしくお願いします。


 

 ハーマイオニー視点

 

素晴らしいパーティーだった。

大広間の壁はキラキラと銀色に輝く霜で覆われ、星の瞬く黒い天井の下には何百というヤドリギやツタの花綱が絡まっている。ダンスをするためなのか各寮のテーブルは消え、代わりにランタンで照らされた10人程が座れる丸テーブルが百余り置かれている。いつものクリスマスパーティーも素晴らしい装いだったけど、これはこれでとても幻想的な空間だった。

そして私達代表選手ペアが座るテーブルに着けば、そこには金色に輝く皿が置かれており、小さなメニューが一人一人の前に備えられている。まだ空のお皿を不思議に思い眺めていると、

 

「ポークチョップ」

 

予め席に着いていたダンブルドア先生が皿に向かって注文をする。すると先生の皿の中には実際にポークチョップが現れたのだった。どうやら先生は私達のために見本を見せてくれたらしい。

今まで見たことも聞いたこともない空間。流石三大魔法学校対抗試合恒例のクリスマスパーティー。

 

「ヴぉく達の所にも城があります。でもこんなに大きくはないし、こんなにも居心地は良くないです。ヴぉく達の所は四階建てで、魔法を使う目的だけに火をおこしています」

 

私はビクトールの話を聞きながら、今注文したばかりのローストビーフに舌鼓を打つ。

本当に楽しいパーティーだった。ビクトールの話は今まで知らなかったダームストラングの話が多く、とても新鮮な内容ばかり。料理はいつもに増して種類豊富で美味しい。おまけにこの代表選手席には三校の校長や審査員も座る予定だったのだけど……審査員であるクラウチ氏はどうやら()()らしく、あの嫌な人間の近くに座らなくて良くなったと思えばとても気分が良かった。もし隣にでも座られようものなら、ウィンキーのことで嫌味の一つでも言っていたことだろう。

 

……でも全てが全て完璧というわけではなかった。

何しろ私の隣にはクラウチ氏の代わりに、

 

「これこれビクトール! それ以上我が校のことを何も話してはいけないよ! さもないとこの……実にチャーミングなお友達に、私達の学校のことが詳らかになってしまいかねないからね。……まったく何故こんな小娘を連れてきたのだ」

 

こちらに敵意をむき出しているカルカロフ校長が座っているから。

彼はビクトールがここに来た当初こそニコニコして彼を出迎えていたのだけど、そのパートナーが私だと分かるや否や常に敵意に満ちた視線を送ってくるのだ。

 

まるで誰か違う人を連れてくることを期待していたように……。

 

勿論視線こそ敵意に満ちたものだけど、私にかけてくる言葉は丁寧のものだ。……周りに聞こえないように時折何か呟いてはいるけど。

実害はないけれど気になることは気になる。

 

「イゴールよ、そんなに目くじらを立てるものではない。まるで誰も客に来てほしくないと思っておるようではないか」

 

「……何を言っておるのだ、ダンブルドア。我々はそれぞれ自らの領地と秘密を守る義務がある。その当然の義務を果たして何が悪い。貴方とて、私にこの学校の全てを語るつもりなどないのだろう?」

 

「おぉ、そんなことはないぞ。それにそもそもワシはホグワーツの秘密の全てを知っておるなどと夢にも思っておらん。たとえば先日のことなのじゃが、トイレに行く途中不覚にも道に迷ってしまってのう。長年ここで暮らしておるのに、未だにこの学校の広大さには慣れぬ。そしてトイレを見つけられず途方に暮れておったのじゃが……そこで見つけたのじゃよ。今まで見たことのない、見事に均整の取れた部屋を。尿意を一時忘れて入ってみれば、なんとそこには本当に素晴らしいオマルのコレクションがあったのじゃ。……しかしあれ以来、再びあの場所を訪ねても一向に部屋は見つからん。この学校にあのような部屋があったとは……未だにこの学校は謎ばかりじゃ」

 

ダンブルドア先生も彼の敵意に気付いているのか、先程からこんな馬鹿話をして彼の気を逸らそうとして下さっているけどあまり効果がない。

喉に刺さった小魚の骨の様に、少しだけ私の楽しいという意識を邪魔し続けていた。一体何なのだろうこの人は……。

私はなるべくカルカロフ校長の視線を無視するために周囲の様子を見渡す。

近くに座るハリーはパーバティ――と料理に舌鼓を打ちながら、時折彼の隣に座るセドリック・ディゴリーとチョウ・チャンの方に視線を送っている。チョウ・チャンに微かな恋心を抱いている彼は、おそらく未だに少なくない未練を感じているのだろう。どこかセドリックに向ける視線に敵意が混じっている気がする。

そしてやはり代表選手ということで同じテーブルに座っているフラー・デラクールはというと、

 

「……こんなの、なーんでもありませーん。ボーバトンのクリスマスパーティーは、もーと豪華です。料理も豪華でーすし、彫刻ももーとセンスありまーす。……それに参加する生徒も、ここの生徒よりもーと綺麗な子ばかりでーす。……わたーしは絶対に、負けてなどいませーん」

 

侮蔑したような視線を辺りに送り、更には時折()()()()()()()の方にハリー以上の敵意を伴った視線を送っていた。余程自分ではなく彼女に注目が集まっているのが気にくわないのだろう。

……まぁ、それもそうだろう。

私はフラーと彼女の話をうっとり聞いているレイブンクローのクィディッチキャプテンから視線を外し、ダリアが座っているテーブルの方を見やる。

遠目からでも分かる程、いつも以上に神秘的な雰囲気を纏ったダリア。私だけではなく、そこかしこで彼女の方に視線を送っている生徒が散見出来た。普段は彼女のことを恐れているのに、今は皆どこかうっとりした表情で彼女を見つめている。パートナーがいないことを馬鹿にしている様子の生徒は一人もいなかった。

フラーとダリア。二人のどちらの方が綺麗かなんて、周りの反応からも明らかなことだったのだ。

フラーには申し訳ないけれど、私はそんな光景を嬉しく思う。

確かにダリアは今回パートナーを連れてくることはなかった。それは一般的な魔法使いからしたら恥ずかしいことなのかもしれない。でも結果は彼女が心配していたようなことにはなっていない。皆から恐怖の視線ではなく感激の視線を受けている。そして彼女の隣にはドラコとダフネが座っており、三人は穏やかな空気で食事を楽しんでいる。一緒にいるメンバーは兄と友人といういつも通りのメンバーであり、おそらく一般的なダンスパーティーの楽しみ方ではないのかもしれないけど……それでもダリアが今幸せそうに、少なくとも嫌がっていない無表情を浮かべているだけで、私にはそれがとても素晴らしいことに思えたのだ。

 

「……よかった、ダリア」

 

私は感情のままに頬を緩ませながら呟く。

そしてその小さな呟きが聞こえたのかビクトールはダームストラングの話を止め、驚いたような表情で尋ねてきた。

 

()()()()()()()()()()。君は本当に……ダリア・マルフォイと仲がいいんだね。君と初めて会ったのも、彼女からの紹介だったです。君と彼女はどういう関係なのですか?」

 

「どんな関係って……。彼女は私の友達よ。……少なくとも、私の方はそう思っているわ。どうしてそんなことを?」

 

質問の意図が分からず問い返す私に、ビクトールはやはり驚いたような表情で続けた。

 

「……いえ、ヴぉくには彼女と貴女の接点が見えなくて。彼女はヴぉくに対して、いつもどこか冷たい態度でした。同じホグワーツの方が、彼女が冷たい人だと話しているところを聞きました。でも、貴女は彼女のことを友達だと言っています。それもそんな……どこか誇らしげな顔で。それをヴぉくは……少しだけ意外に思ったのです」

 

……成程。つまり()()()()()のことだった。誤解されやすい人間が更に誤解されやすい行動をとって、結果やはり誤解される。ダリアのことだから、たとえ世界的有名選手相手でも例外なくそっけない態度を取ったのだろう。私は他校にまで誤解が広がりそうな状況に顔を一瞬しかめてから、ビクトールにダリアの真実を話し始めた。

 

「……貴方はダリアのことを誤解しているわ。確かに彼女はいつも表情に乏しくて、正直何を考えているか分からないところがあるわ。それにあまり話すのが好きな子ではないから、態度もどこか素っ気ないものに見えるかもしれない。でも、それは表面上だけのことよ。本当の彼女はとても優しい子なの。自分のことより、いつも他人のことを考えているような子なの。たとえ自分が苦しい時も、いつだって他人のことを優先させてしまうような子なの。実際私は何度も彼女に助けられたことがある。だから……誰が何と言おうと、彼女は私の友達よ。ビクトール、貴方は一年しかここにいないし、おそらく彼女から貴方に話しかけることはないかもしれない。……先程も言った通り、彼女は()()()()だから。でもこれだけは知っておいて。あの子はいい子よ。それだけは、貴方にも誤解してほしくないの」

 

話し終わった私をビクトールが更に驚いたような表情で見つめている。私がここまでダリアのことを話すとは思っていなかったのだろう。

そしてそれは……

 

「お、お前は……い、いや、あ、貴女はミス・マルフォイの友人なのか、いや、なのですか?」

 

先程まで私に敵意を向けていたはずのカルカロフ校長もだった。

 

 

 

 

突然の声に、今まで敢えて見ないように努めていた方向に顔を向けると……そこにはこちらをどこか媚びるような目で見つめている彼の姿があった。

彼は一心に私の方を見つめている。

更に後ろから、微笑んでいる表情とは裏腹に、どこか警戒した瞳でダンブルドア先生が見つめていることにも気付かずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

僕は本来なら真っ先にハーマイオニーに言葉をかけねばならないのだと思う。

いつも分厚い本を山の様に抱えている姿と違い、今日の彼女は本当に女の子らしい恰好をしている。いつもはしないような化粧までして、今日の彼女はまるでいつもの彼女とは別人のような装いだった。彼女の格好を見て何故か不機嫌になっていたロンはともかく、親友である僕は本来彼女の格好を褒めに行かなくてはならないのだろう。

 

でも今の僕は……残念ながらそんなことをしている心の余裕を持ってなどいなかった。

何故なら隣には……

 

「あ、セドリック、これ美味しいわ。ほら」

 

「あ、あぁ、チョウ、そうだね」

 

チョウ・チャンとセドリック・ディゴリーが座っているから。

自分が何を食べているかよく分かっていなかった。美味しい料理のはずなのに、隣で繰り広げられている光景に一々味を味わっている余裕などありはしない。

 

「さて、皆の衆! いよいよお待ちかねのダンスの時間じゃ! 代表選手は前に!」

 

そしてそれはいよいよダンブルドア先生が立ち上がり、生徒にも立ち上がるように促してからも変わらなかった。

先生は杖を一振りすると、テーブルは壁際に退き広いスペースを作る。更には突然テーブルのランタンが一斉に消え、どこからともなく音楽が鳴り響き始める。

その幻想的なムードの中、代表選手たちはパートナーを伴って、今しがた出来たスペースの方に歩き始めたのだった。

その中には勿論、

 

「で、では私はこれで、カルカロフ校長。ビクトール、行きましょう!」

 

「ま、待て! いや、待ってくれ! 話はまだ、」

 

ハーマイオニーのペアや、当然件のセドリックとチョウの姿もあった。

 

「さぁ、ハリー! 私達も踊らないと!」

 

何が嬉しいのか笑顔いっぱいのパーバティにほぼ強制的に連れられ、僕もダンスフロアに躍り出る。

しかし人前でダンスをする緊張の上、やはりすぐ近くを踊る二人のことが気になってダンスどころではなかった。

二人とも美男美女であり、ダンスにも慣れているのかとても絵になっている。方や僕の方はと言えば、パーバティこそダンスに慣れていて動きがいいものの、僕はダンスなんて今までの人生の中で一度だってしたことがない。してもダーズリーのサンドバッグくらいだ。傍から見ればさぞ不格好な動きをしていることだろう。視界の端でシェーマス達が笑いながらこちらを指さしているのが見える。マルフォイ達がどのような顔でこちらを見ているかなんて想像するのも嫌だった。

 

つまり……僕はセドリック達のことが妬ましくて、そしてそんな彼らを妬ましく思っている自分が情けなくて、ダンス一つも踊れない自分が惨めで仕方がなかったのだ。

このパーティーの何が楽しいのかさっぱり分からない。

 

どれくらい僕達は踊っていたことだろう。流石に数時間ということはないだろうけど、体感的にはそれくらいの時間を過ごしていた時、ようやく観客の方も大勢ダンスフロアに出てき始める。僕は自分の役目が終わったことを悟ると、

 

「……パーバティ。僕、少し疲れちゃったよ。僕は休憩しているから、君は別の人と踊っておいて」

 

「あら、そう? じゃあ、またね、ハリー」

 

そろそろダンス下手な僕にじれったくなり始めた様子のパーバティを解放し、僕同様ダンスに参加せず、一人で席に座っているロンの方に向かったのだった。

パーバティの妹であるパドマもどこかに行ってしまったのか、ロンは一人ギラギラした瞳でハーマイオニーとクラムのペアを見つめながら座っている。正直近寄れるような空気ではなかったが、僕も僕であまり正気には程遠かったため、なるべく未だにダンスホールの中心で踊っているセドリック達を視界に入れないようにしながら尋ねた。

 

「やぁ、調子はどう?」

 

「……」

 

しかしロンからの答えはない。どうやら僕以上に何かに気を取られているらしい。ずっとハーマイオニーから目を逸らさずに見つめるばかりで、僕が隣に座っていることに気付いているかも怪しかった。

僕達の間に奇妙な沈黙が流れる。二人とも話すこともなく、僕はただ手持無沙汰に近くにあったバタービールの瓶を呷る。

そして再び話し始めたのは、

 

「はーい、ハリー! ここ座っていいかしら!?」

 

ロンがずっと見つめていたハーマイオニーが、実際に僕らの隣に来てからのことだった。

 

「どうぞ、ハーマイオニー」

 

「ありがとう。ここ暑くない?」

 

ハーマイオニーは紅潮した頬を扇ぎながら続けた。

 

「今までずっとダンスしてたの! マグルの世界でもこんなこと滅多にないから、ここまで踊っていたのは初めて! 今やっと休憩することになったのよ! ……カルカロフが話しかけてきそうだったしね。で、でも、本当に楽しいパーティーだわ! ビクトールは今飲み物を取りにいったところなの!」

 

「ビクトールだって!?」

 

ハーマイオニーの言葉にようやくロンが反応する。……勿論あまり有効的な声音ではなかったけど。

 

「君は何も分かってない! 何がビクトールだ! あいつはダームストラングだぞ! ホグワーツの敵だ! それにハリーの敵……ハリーの名前をゴブレットに入れた奴かもしれないんだ!」

 

「な、何を言っているの、ロン!」

 

ハーマイオニーは顔を更に赤く染めながら続ける。

 

「ビクトールはそんなことしないわ! ハリーの名前をゴブレットに入れるなんて……そんな大それたことをするような人ではないわ! ダームストラングというだけで疑うなんてナンセンスよ!」

 

「へぇ、だったら何故あいつが君のパートナーなんだい!? クラムが君を誘う!? あいつは……()()()()世界的に有名なシーカーだ! 本来ならあいつが君みたいな普通の女の子に声をかけるなんてあり得ない! 理由があるとしたら……そんなの、君からハリーの情報を得ようとしているからに決まっているじゃないか!」

 

「ひ、酷い! ビ、ビクトールにハリーのことを聞かれたことなんて一度もないわ! それにビクトールにダンスを誘われたのだって、元はダリアから紹介があったからよ! ビクトールからダンスに誘われていたダリアが、丁度パートナーのいなかった私に紹介した、それだけのことよ!」

 

「だったらダリア・マルフォイもあいつのグルってことだ! あいつはマルフォイ家だ! 君はいつだってそうだ! 信用しちゃいけない奴をすぐに信用する!」

 

「な、なんですって! ロン! ビクトールはともかく、ダリアのことをそれ以上馬鹿にするのは絶対に許せないわ! なんでこんな素晴らしい気持ちを台無しにするのよ!」

 

どこまでもヒートアップしていきそうな喧騒はそこで終わった。

ハーマイオニーが怒りを顕わにした表情で立ち上がると、憤然とダンスフロアを横切り大広間から出て行ったのだ。

残された僕とロンの周囲からは相変わらず楽し気な音楽が聞こえてくる。何だか嵐が去ったかと思えば、余計に惨めな気分だけが残されていた。ハーマイオニーがいようといまいと、とてもこれ以上ここに残っているような気分ではなかった。

僕は未だにハーマイオニーの去って行った方を睨みつけるロンに声をかけてみる。

 

「……ここにいるのもなんだし、ちょっと外を歩かないかい?」

 

「……うん」

 

どうやら僕の声自体は聞こえているらしい。ロンは僕の言葉に頷くと、ゆっくりとした動きではあるけど玄関ホールの方に向かって歩き始めた。

そして僕達は正面扉を抜け、灌木の繁みに囲まれた散歩道の方に向かう。散歩道は石の彫刻が立ち並び、噴水やベンチも設置されて静かな空間を演出されていた。クリスマス仕様なのか所々に妖精の光が淡く瞬いている。ささくれ立った僕達には丁度いい静かな空間に思えた。

しかしそんな幻想的な空間に、

 

「そこをどけ、セブルス! お前もそうなんだろう!? お前もミス・マルフォイに()()()()()助かりたいと思っているのだろう! なら、何故私の邪魔をする! まさか彼女を独り占めするつもりか!」

 

「イゴール……お前は無駄な努力をしようとしている。ミス・マルフォイは一介の生徒に過ぎん。多少家庭が()()であろうとも、お前の求めるものを彼女は持ってはおらんだろう」

 

突然今聞きたくもない大声がとどろいたのだった。

何事かと驚く僕らの下に、すぐ近くの繁みの向こうから更にスネイプとカルカロフ校長の声が届く。

 

「な、ならば何故お前はそこまで落ち着いておられるのだ! お前も私と同じ境遇だと思ったからこそ、私は態々ここまで来たんだぞ!? 見ろ! この()を! この数か月の間にますますハッキリしてきている! これが何を意味するか、お前にも分かっているはずだ!」

 

「……恐ろしいのなら逃げるがいい。それが最善の道だ。吾輩が言い訳を考えてやる。吾輩はここに残るが、それくらいのことは、」

 

「何が残るだ! 私だって知っている! この学校が今や一番安全な場所であることをな! お、お前は私を……匿ってもくれないつもりなのか!?」

 

何を話しているのかは分からないが、これが尋常ではない話をしていることだけは確かだと思った。

まさかダリア・マルフォイと同じく、僕の名前をゴブレットに入れたと疑われているカルカロフとスネイプがこんな風に話す程仲がいいとは。

ただ惨めな気持ちを紛らわすためだけの散歩だったのにとんでもない場面に出くわしてしまった。

でも僕達が聞けたのはそこまでだった。僕等が耳をそばだて、更に二人の話を聞こうとした瞬間……スネイプがいきなり僕等に声をかけてきたから。

 

「……イゴール、そこまでだ。後は別の場所で話そう。それと……お前達はそこで何をしておるのだ?」

 

繁みの向こうから現れたスネイプが、まるで僕らを射殺さんばかりの視線で睨みつけてくる。

それに対し一瞬心臓が止まりそうな気持になったけど、すぐに取り繕ったように切り返した。

 

「た、ただの散歩です。規則違反ではないですよね?」

 

「なら今すぐに戻るのだ! 次貴様の姿を見れば、今度こそ罰則を与える!」

 

スネイプの怒鳴り声に僕らはたまらず踵を返して歩き始める。それでも後ろを一瞬振り返れば、やはりこちらを睨みつけているスネイプと……明らかに動揺した様子で、神経質にヤギ髭を指に巻き付けたりしているカルカロフの姿があった。

二人の姿が完全に見えなくなった辺りで、ロンがおもむろに話し始める。

 

「これはおったまげだよ。まさかカルカロフとスネイプがグルだったとはな。いつからファーストネームで呼び合う仲になったんだ? あぁ、そうか……シリウスの話では、あいつら二人とも元『死喰い人』だったんだろう? ならそこか……。でもこれでまた一人容疑者が増えたな」

 

 

 

 

夜は更けていく。

遠くからは城から漏れ聞こえてくる音楽。最初は惨めな気持ちから始まった一夜も、今は突然もたらされたショッキングな場面に覆い隠されている。

そしてそれは、

 

「あんたは俺と同じだ。俺と同じ……半巨人なんだろう?」

 

「……」

 

別にスネイプ達の一件だけではなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

夜の散歩道。灌木の繁みでいくつも区分けされた空間で、

 

「どうやら行ったようですね……」

 

私とダフネとお兄様……そして何故か私達と共にいる()()()()()()()()は、いきなり遠くから響き渡った怒鳴り声に息を潜めていた。

別に悪いことをしているわけではないのだが、何故かこの空間を()()()()()()()()……そう私は思っていたのだ。

怒鳴り声も完全に止み、人の気配も遠のいたタイミングでようやく私達は声を上げ始める。

 

「やっと行ったのね……。まったく、何をあんなに怒鳴っていたのやら」

 

ダフネの呟きにグレンジャーさんも呆れた表情で続けた。

 

「そうね。声からしてカルカロフ校長だと思うのだけど……あの人、もしかして私を追ってここまで来ようとしたのかしら。ダンスの時もずっと私に近づこうとしていたわ。多分あの様子からダリアに近づくのが目的だと思うのだけど……」

 

「……どうしてそう思ったのですか?」

 

「え? どうしてって……あの人、私がダリアの話をし始めた瞬間に、まるで私に媚びを売るような態度を取り始めたから……」

 

頭の痛くなるような話だった。カルカロフ校長が私とコンタクトを取りたがっていることは知っていたが、まさか私達が見つからないことでグレンジャーさんにまで縋ろうとするとは。おそらく代表選手席で、グレンジャーさんはいつも通り私に対する過大評価でも語ったのだろう。そこで目をつけられたと考えるのが自然だった。

それでグレンジャーさんがダンスホールを離れたタイミングで、カルカロフ校長はここまで彼女を追ってきたと……。

それが分かっているのか、お兄様はジト目でグレンジャーさんに尋ねる。

 

「……僕からしたら何故お前がここにいるのかの方が気になるよ。グレンジャー。僕の記憶が正しければ、お前はビクトール・クラムとパートナーだったはずだが? ダリアがお前に押し付けたとはいえ、お前にとっては一生に一度あるかも分からない幸運のはずだ。まさかクラムに逃げられたのかい?」

 

お兄様の言葉の端々に含まれた嫌味に頓着することなく、グレンジャーさんはどこか疲れたような表情に変わりながら答えた。

 

「……クラムとは上手くいっていたわ。彼、私の何を気に入ったのか知らないけど、ずっと一生懸命に色々話してくれるのよ。ダンスもカルカロフ校長が来なければずっと踊っていただろうし。……ここに来たのは全部ロンのせいよ。ロンったら余程私がクラムとダンスすることが気にくわなかったらしいの。私が隣に座るなり怒鳴り始めて……。彼ったら本当に子供なのよ。不器用なばっかりで、本当に子供……。他の人と踊ってほしくないのなら、()()()()()()()私にダンスを申し込めば良かったのよ。ロンの馬鹿……。で、でも良かったわ。ちょっと頭を冷やそうと思ってきた先に、たまたま貴女達がいたんだから。怪我の功名ね」

 

……グレンジャーさんの言葉にお兄様の表情が更に微妙なものに変わっている。私とダフネもそんなお兄様の後ろで、

 

「……やはり私はこういう話にあまり詳しくないのですが、まさか……そういうことなのですか、ダフネ?」

 

「そ、そういうことなのかな……。クラム相手でもまだ変わっていない……のかな?」

 

「例の駄目な男が好きというやつですか? そんな人が本当に世の中にはいるのですか?」

 

「だからダリアも……ううん、何でもない。ま、まぁ、あの様子では先は長そうだし、今は温かく見守ってあげよう。まだ自覚自体はなさそうだから、その間に目を覚ましてくれるはずだよ」

 

コソコソと言葉を交わしていた。本当に何故グレンジャーさんの様な女の子が()()に惚れるのだろうか。マグル生まれなのに既に多くの純血の生徒を追い抜くほど勉強が出来、おまけに着飾ればこんなに綺麗な恰好が出来るのだ。()()にはあまりにも勿体なさすぎる。

……しかしいつまでもそんなことを話しているわけにはいかない。

 

「な、なに、どうしたの、皆」

 

「……いえ、なんでもありません。それよりダフネ。グレンジャーさんもここに来るというイレギュラーはありましたが、どうして皆でここに来たのですか? 魔法をかけているとはいえ、流石にそろそろ冷えてくると思うのですが」

 

私は皆の視線にたじろぐグレンジャーさんを放置し、隣にいるダフネに尋ねた。

ダンスの時間が始まった直後、もうここに用はないと思っていた私にダフネが言ったのだ。

 

『それじゃあ私達も行こうか』

 

『……いえ、私は踊りません。ダフネはお兄様と、』

 

『そっちじゃないよ。ここから出て、私達だけになれる場所に行くの。ほら、立って』

 

最初から食事を摂ったらさっさと帰るつもりであり、自分はダンスパーティーに参加するつもりも、参加できるとも思っていなかった。でもダフネからこんなことを提案されるとも考えてはいなかった。

ダフネは困惑する私の手を取ると、お兄様を伴いそのまま大広間を後にした。そしてただ無言で連れてこられた先がここだったのだ。グレンジャーさんが後ろから乱入してきた今になっても、ダフネの意味深に浮かべた笑みに変化はない。

そして彼女は、

 

「どうしてここに来たかって? そんなの決まってるでしょ! さぁ、皆でここでダンスしよう! ここなら誰も来ないし、パーティー会場の音楽も聞こえているからね! まずはダリアとドラコからね! ダリアはその後私と踊って!」

 

挙句の果てにそんなことを言い始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラコ視点

 

昨日まで感じていた苛立ちを、今日の僕はずっと抑え込むことに成功していた。

ダリアが今まで貯め込んでいたお小遣いで買ってくれた()。純血貴族である僕でさえ普通なら買えないような箒。僕の実力に見合っているとはお世辞にも言えない箒であったが、それでもまさかクリスマスプレゼントを突き返すわけにもいかず……それにこの箒を貰えたことがやはり嬉しくて仕方がなかったために、僕は今日一日を狂喜乱舞しながら過ごしていた。

何より……決してクリスマス当日にダリアを心配させることがないように。

最新鋭の箒が嬉しかったこともあるが、自分のことで手一杯のダリアがここまでしてくれたことに報いたかったのだ。

ダリアと踊れないくらいでなんだ。ダリアは家に帰れないことをあんなに悔しがっていたにも関わらず、それでも一生懸命表情にそれを出さないようにしてくれている。他人が見ればいつもの無表情に見えるのだろうが、長年ダリアと過ごしてきた僕にはそれがハッキリと見えている。全てはダフネと僕がクリスマスを存分に楽しめるように……。

だからこそ僕はそんなダリアの気遣いに応えなくてはならない。この箒を使う機会は今年なくとも、来年にはきっと役立ってくれるはずだ。その時までは他寮に、それこそスリザリン生にも箒のことは内密にしておかねばならないが、来年ポッターが箒を見た時の反応が今から楽しみだ。……そんな楽しいことを考えることで、僕は自分の表情筋をコントロールしなくてはならなかったのだ。

 

……ダリアのドレス姿を見るまでは。

 

『……お兄様。どうですか、このドレスは。似合っていますか?』

 

僕はダリアのドレス姿を何度も見たことがある。家でのクリスマスパーティーや、ダリアの本当の誕生日を祝う日。母上の意向があってこそではあるが、ダリアは毎回の様にドレスを着飾って食卓を囲んでいた。どれも綺麗で、ダリアにとても似合っているドレスを。

だが今回の姿は今までの物とはもはや別次元だった。

視線をダリアのドレス姿から離すことができない。自然に顔が紅潮してくるのを感じる。いつもはしないような化粧を施し、ただでさえ美人な顔が更に浮世離れした物になっている。真っ白な肩が艶めかしく露出され、視線が吸い寄せられそうになるのを必死に我慢する必要がある。

それに何より、

 

『に、似合う? いや、勿論似合っている。ただもう……ダリア、すごく綺麗だ……』

 

ダリアがいつもは流れる様に伸ばされている白銀の髪を一部、金色の髪留めでサイドに纏めていたから。

その髪留めは……今日僕がクリスマスプレゼントとしてダリアに贈ったものに他ならなかった。

それ程高い物ではない。勿論そこらにいる貧乏人に買える代物ではないが、ダリアの購入した箒に比べればゴミみたいなものだ。ただ偶々店先に出ていた物に目が行き、ダリアに似合うな……と思った時には既に無意識に購入していた物。あのプレゼントはただそれだけの物でしかなかったのだ。

それをあんなに大切そうに……。まるで他の身に着けている高価な装飾品と同じような扱いで……。

朝あんなプレゼントを貰ったことなど、ダリアのドレス姿を見た瞬間忘れ果ててしまっている。いつも以上に豪華絢爛な食事を食べても、ダリアの方ばかりに目が行ってしまい自分が何を食べているかもよく分からない。表情筋のコントロールなんて完全に忘れ、ただダリアの方を見ては顔が赤くなるのを感じる。

ダリアは妹なのに……。こんな感情を抱いては許されないのに……。

いつも僕を苦しめる悩みが浮かんでは、ダリアの姿に再び打ち消されていく。

そしてそこに、

 

「さぁ、皆でここでダンスしよう! ここなら誰も来ないし、パーティー会場の音楽も聞こえているからね! まずはダリアとドラコからね! ダリアはその後私と踊って!」

 

ダフネがとんでもない追い打ちをかけてきたのだった。

ダフネが何かを企んでいることは最初から分かっていた。意味深に僕とダリアに視線を送り、何かタイミングを測るようにどこかソワソワしていた。そしてダンスの時間が始まると同時に僕達を連れて大広間を飛び出すと、どう考えても予め下見をしていたと思しき場所に連れてきたのだ。こんな風に人が丁度おらず、尚且つダンスをするにはお誂え向きな空間があってたまるか。

僕はこの中で唯一のグリフィンドール生徒という不純物の存在も忘れ、したり顔でこちらを見つめているダフネを睨みつける。

こいつは僕のダリアへの思いに気が付いている。だからこそこうして僕達にお節介をかけてきているわけだが……余計なお世話にも程があった。

僕はダフネの余計な行動に逆に冷静になりながら考える。

ダリアとダンスを踊る。そんなことが出来るわけがない。たとえダリアのドレス姿が綺麗だったとしても……。本来なら僕とダリアの関係はただの兄と妹の関係でなければならないのだ。

だから……

 

「ほら、早く早く」

 

「で、ですが……私とお兄様はその……」

 

「そんなの関係ないって! ここに人目はないから……まぁ、ハーマイオニーはいるけど。で、でも、大丈夫だよ! ここでなら噂になることもない。だから()()()()()()()()()()それでいいんだよ」

 

「……わ、私は別に。それに、お兄様だって……」

 

僕は本来なら決して揺らいではいけないのだ。……たとえダリアの無表情が揺らぎ、まるで()()()()()()()顔を赤くしながらこちらを見つめてきたとしても。

ダリアの反応に体を硬直させてしまう。口ではダリアも僕と踊りたいとは一言も言っていない。だがこれではまるで……。

僕はカラカラになった喉を鳴らし、ただ茫然と顔を赤らめるダリアを見つめる。ダリアは僕に対して()()()()()()を持っているはずがない。なのにどうして……。

いくら自分の中で自問自答しても答えはない。徒に時間ばかり経っていく。

それなのに……ここにはダフネともう一人余計なことをする人間がいたのだった。

 

「ドラコ、何を迷っているの? 早く踊ればいいじゃない。別にダリアと踊るのが嫌なわけではないのでしょう?」

 

「黙ってろ、この、け……マグル生まれが。べ、別に僕は踊るのが嫌なわけじゃ、」

 

「なら別にいいじゃない。私は気にしないわよ。ほら、男らしくしなさいよ」

 

僕とダリアの関係を何も分かっていないというのに、ここぞとばかりにグレンジャーが僕の背中を押してくる。そして倒れこむように、こちらに上目遣いをしながら待っていたダリアと奇しくもダンスをする格好になってしまった。

最後のとどめと言わんばかりにダリアが尋ねてくる。

 

「……わ、私は構わないですが、お兄様は私と踊るのは……お嫌ですか?」

 

今まで散々男子生徒の誘いを断っていながら、僕に対してだけは全く拒否反応をせず……尚且つこの卑怯極まりない願い。

 

僕にはもう逃げ道などありはしなかった。

 

一瞬の逡巡の後、僕はダリアの質問に応えることなく、ただ黙って遠くから聞こえてくる音楽に合わせて踊り始める。

今までの悩みなど無関係に、今まで心ぽっかりと空いていた穴を埋められるような満足感と……僕の行動に嬉しそうな表情を浮かべているダリアにやはりどこか甘酸っぱい感情を抱きながら。

これがいけないことだという思い抱きながらも、僕はダリア(思い人)とのダンスを止めることなど到底出来なかったのだ。

 

「……私もあまりこういう話に詳しいとは言えないのだけど、まさか……そういうことなの? ダフネ?」

 

「……どう考えてもそういうことでしょう。ダリアの方は……まぁ、まだ自覚していないだろうけどね。ダリア()駄目な男が好きなんだと思うよ?」

 

「だ、駄目な男? 随分変わった趣味なのね……」

 

「……ダリアも貴女にだけは言われたくは……いや、なんでもない」

 

僕は横から聞こえてくる二人の小言を無視し、幻想的な空間の中でただダリアと踊り続ける。

明かりと言えばクリスマス仕様で宙を舞っている妖精の光と月明りのみ。あまり明るい空間とは言えない。でもそんな中でも……ダリアの顔が真っ赤であることだけは、僕にもずっと見えていたのだった。

 

 

 

 

クリスマスが終わる。

ダリアの本当に望んでいた家族とのクリスマスではなかったが、それでも兄である僕と……親友である()()と過ごす穏やかなクリスマス。最良ではなくとも最悪ではないクリスマス。当初心配していたダンスパーティーも、ダフネのお節介で少し違う形で過ごすことが出来た。

平凡や平穏を何よりも愛するダリアが望んだものと言えることだろう……。

 

あぁ、だからこそこの時の僕は……こんなダリアの望む、誰もが簡単に手に入れることの出来る()()()()()()がいつまでも続きますようにと……そんな()()()()()を抱いていたのだった。



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ゴシップ記事

お待たせしました。そして前回の話ですが、ちょっとここで話を入れるとゴブレットが更に長大になってしまうので削除しました。だから今現在はダフネはヴォル復活のことを知らず、ダリアもクラウチのことは知りません。前話読んでくださった方は申し訳ありません。
お詫びに挿絵を入れておきます。

ゴブレットの『優しき少女の殺意(中編)』の挿絵を入れておきます。是非ご覧ください。


 ハーマイオニー視点

 

ダリア達と過ごした穏やかな時間のことを私は思い出す。

昨日の夜のことを。クリスマスパーティーの夜のことを。

無表情ながらその頬を赤く染め、恥じらいながら兄にダンスをねだるダリア。その可愛らしいおねだりに根負けしたのか、やはり同じように頬を赤く染めながらダンスに応じるドラコ。その光景を本当に愛しそうに眺めているダフネ。兄妹のダンスが終わり、次は私とばかりにダリアとダフネが踊り始める。今度は困ったような無表情を浮かべていものの、ダリアも決してダフネを拒絶しようとはしない。それどころか後半はダフネの方をリードすらしていた。

そして最後には……私にも一緒に躍らせてくれた。ドラコとは勿論踊らなかったけど、ダフネと一緒に……ダリアと一緒に。

そこにはただ優しさだけが広がっており、マルフォイ家だとか吸血鬼だとか、そんな要素はどこにも見当たらない。

ただただ優しく……幸せな空間。今思い出しただけでも私まで幸せな気持ちで一杯になる。

 

でもそんな幸せな気分は、

 

「……まぁ、そうだろうとは思っていたわ。だって、彼の身長はとてもただの人間の物であるはずがないもの。勿論純()()だと思っていたわけでもないわ。それなら身長6メートル以上になるはずだから」

 

次の日の朝出された『日刊予言者新聞』によって台無しにされることになる。

今私の手に握られている新聞の内容は、それ程までに不愉快且つ下劣なものだったのだ。

 

『ダンブルドアの()()な過ち』

 

知らず知らずの内に震える手から零れ落ちた新聞の見出しには、毒々しい色合いをした文字でそんな言葉が書かれていた。

そして内容もハグリッドのお母さんが実は巨人であったこと、ダンブルドアはそれを知っていて彼を魔法生物飼育学の教師として雇っていること、そして彼が如何に危険な存在であり、授業でも生徒は日々脅されて過ごしていること。そんなことが実に厭味ったらしく書かれていたのだった。

 

クリスマスの翌日。多少()()()なことはあったけど、最後の最後に親友達が楽しそうにダンスをしている場面に居合わせれたため、朝の私は概ね機嫌が良かった。

ロンとハリーと少しだけ他人行儀な挨拶を交わした後、昨日のことを敢えて考えないようにしながら朝食を摂るため大広間に向かう。ここまでは私の機嫌も決して悪いものではなかったのだ。

でも今は……。

愚劣な記事を読みを終えた私は、新聞を横に放り出しながら吐き捨てる。

 

「だけどそんなことはどうでもいいことよ。本当に下らない記事だわ。ハグリッドはハグリッドだもの。今更半巨人だって分かった所で、彼の何かが変わるわけではないわ。それに巨人の全てが恐ろしいわけでもないはずよ。狼人間や()()()に対する偏見と同じことね。巨人というだけでヒステリーになるなんてナンセンスよ。それにハグリッドが私達を日々脅しているですって? インタビューを受けたのはきっとパーキンソンあたりね。馬鹿馬鹿しいにも程があるわ」

 

そう、私はこの魔法界の常識が全てが全て正しいとは限らないことを知っている。屋敷しもべに課せられた奴隷労働。狼人間であるルーピン先生の追放。そして……吸血鬼のはずなのにどこまでも優しいダリア。魔法界に間違った知識が蔓延っていることなんて今更のこと。

だから別に今更ハグリッドの事情が分かった所で、何故騒がなければならないのかさっぱり分からない。ハグリッドの優しさも知らず、彼の血筋ばかりで騒ぐなんて純血主義と何も変わらない。

そしてそれはハリーやロンも同意見であるらしかった。昨日の私との確執も忘れ、二人とも憤懣やるかたない表情を浮かべている。もっともロンだけは、

 

「……ん? 狼人間はともかく、なんで吸血鬼もなんだ? 君も吸血鬼には会ったことないだろ。吸血鬼はとても危険な生き物のはずだぞ?」

 

私の発言に少し訝し気な表情を一瞬浮かべていたけれど。私はロンの質問を黙殺し言葉を続ける。

 

「ともかく! こんな下らない記事があっても私達の彼への評価は変わらない。そう彼に伝えなくちゃ! 多分今頃小屋に籠っているはずだから……」

 

教員席の方を見ても、本来であればそこにいるべきはずのハグリッドの姿だけが見当たらない。まだ来ていないだけならいいのだけど、

 

「半巨人とか……一体この学校の採用基準はどうなっているんだろうな。去年の狼男だってどうかしているのに……」

 

「ママも今日抗議文出すって手紙で書いてたよ。僕は魔法生物飼育学を取ってないけど、本当に取らなくて正解だったよ」

 

もう学校中の生徒が彼のニュースを知っている様子であることから、あまりそれも期待できないだろう。グリフィンドールの席からはハグリッドの悪口が聞こえてこないことだけが唯一の救いだった。他の寮からはパラパラと彼への下らない戯言が聞こえてくる上、スリザリンの席からなんて下劣な喜びを爆発させている。新聞を黙って読んでいるダリアとダフネ、そしてどこか神妙な表情を浮かべているドラコの横でパーキンソンが大声を上げていた。

 

「これであの野蛮人を追い出すことが出来るわ! あの独活の大木! きっとあのでかくて醜い顔を晒せないのね! このまま森小屋から出てこなければいいのに!」

 

私達が聞くに堪えない暴言に耐えられていたのはそこまでだった。

私達は今すぐにパーキンソンの頬を引っ叩いてやりたい衝動を抑えながら、大広間を後にして森小屋に向かう。パーキンソンもそうだけど、あの空間にい続ければ自分が何をするか分からなかったのだ。

友人のハグリッドに対する罵詈雑言に耐えられずに。……人間とは違う血が多少混じっているだけで、まるで生きていてはならないと否定されているような気がして。

でもそんな中、ハリーが一人ポツリと呟く。

 

「でも……この記者」

 

「どうしたの、ハリー?」

 

「あ、いや、このリータ・スキーターっていう記者。ゴブレッドから名前が出た後散々僕のことを扱き下ろしていた記者だけど……どうやってハグリッドの情報を仕入れたんだろう」

 

「……今考えても仕方がないわ。今はハグリッドを部屋から出すことだけを考えましょう」

 

ハリーの疑問は実は私も最初から考えていたものだった。ハリー達の話では、彼らも昨日偶々ハグリッドとマダム・マクシームが立ち話をしている所に出くわしたのだという。周りには誰もおらず、その話を聞いていたのはハリーとロンだけ。それにその場以外の場所でハグリッドが自分の出生についての話をするとは思えない。友人である私達にだってしたことがない話なのだ。ましてやリータ・スキータみたいな下劣な記者になんて話すはずがない。それなのにスキーターは情報を手に入れた。一体どうやって、一体いつ……。

でも今はそれを考えている場合ではない。私は思考が別の方に流れそうになるのを抑えながら足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

今この学校は一つの話題で持ち切りになっている。なんでも森番が実は半巨人だったとか。彼と比較的仲の良かったグリフィンドールはそれでも彼を信じている様子だが、スリザリンを筆頭にもはや彼に対する非難の大合唱だ。スリザリン生だけではなく、ハッフルパフやレイブンクローにすら彼の追放を要求する生徒がいる。()()()()()()()()()()()()()()()()、彼の追放は時間の問題であるように思えた。

 

……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そもそも私にとって、彼が半巨人であるかどうかなんてどうでもいいことだ。去年のルーピン先生と違い、半巨人など別に後天的でも人工的に生み出された存在というわけでもない。ただ()()()()凶暴な巨人と人間の混血であるだけ。ゴブリンやヴィーラの混血との違いなど私にとっては皆無だ。ただただ社会的なデメリットのみを抱えた、自分自身の()()には何の悩みも抱えていない羨ましいだけの存在。それが私にとっての半巨人という存在だった。もっとも、ダフネとお兄様は少し気にした様子ではあったが……。

それに彼が半巨人であるかなどに関係なく、私は彼のことを教師だとは認めていない。バックビークとか言う名前のチキンにお兄様が傷つけられたのに、どうして私が彼の存在を認めることが出来ようか。たとえ逃亡を見逃したとしても、未だにあの時の怒りは私の中でくすぶり続けている。理由はどうあれ、このまま森番が教師から外された方がいいに越したことはない。

だから私にとってはそんなどうでもいい話題より、

 

「では君は今回の試練……湖の中で行われると言いたいんだね?」

 

「えぇ、その通りです。水の中で何をさせられるかまでは知りませんが」

 

「……いや、それだけ分かれば十分だよ。君も知っているだろうけど、第一の課題はドラゴンから金の卵を手に入れること。その卵に次の課題の内容が仕掛けられているという話だったのだけど……実はその卵を開けても何だかよく分からない悲鳴が聞こえるだけだったんだ。でも君の情報で少しだけ光明が見えたよ。成程……水の中か。今夜あたり卵を水につけてみるよ」

 

今はセドリック・ディゴリーの方が重要な問題であった。

朝食を摂り終えた私は彼が一人なったタイミングで話しかけ、第二の試練について私が仕入れた情報を伝える。すると案の定彼は未だに試練の情報を得ていなかったらしく、どこか納得した様子で私の話に頷いたのだった。

人影のない廊下の中には私と彼のみ。そんな中彼は私の与えた情報に頷きながらも、やはりどこか警戒心の籠った声音で続けた。

 

「しかし君はいつも有益な情報を持ってきてくれるけど……いや、別に迷惑というわけではないのだけど……本当にどうして僕にそんな貴重な情報を教えてくれるんだい? 他にも代表選手は3人もいるんだ。どうしてその中でも僕なんだい?」

 

それは以前もされた質問。だから私の答えも以前と変わることはない。私は以前と同じ答えを、少しだけ()()()()()()()()で繰り返す。

 

「前も言いました通り、ただの戯れですよ。皆が予想する結果を少しだけ変えてしまおう。そんなちょっとした遊び心からです。特に意味はありません」

 

しかし当然そんな私の答えで彼が納得するはずなどない。彼は更に警戒感を深めた表情を浮かべていた。それでもこれ以上私に尋ねても答えを得られないとも悟っているのか、頭を振ってから次の質問をしてくる。どうやら情報を聞いてすぐに私を追い払うのは非紳士的だとでも思っている様子だ。……本当にお人好しとしか言いようがない。

もっとも内容自体はありきたりな世間話でしかなかったが。

 

「そ、そうか……。君がそう言うのなら……まぁ、そうなのかもね。そ、それより、クリスマスパーティーはどうだったかい?」

 

「……えぇ、パートナーがいなかったため大広間のダンスパーティーにこそ参加しませんでしたが、パーティー自体は楽しませていただきましたよ。……()()()()()()()()()()()()()。そういう貴方はどうでしたか? レイブンクローの女子生徒と仲睦まじげに見えましたが?」

 

セドリック・ディゴリーは私の返事に少し驚いた表情を浮かべた後応えを返す。

 

()()……そうか、そうだね。うん、何を()()()()のことで僕は……」

 

「どうかされましたか?」

 

「い、いや、何でもないよ。そうだね、僕もクリスマスパーティーは楽しませてもらったよ。あまりホグワーツでのパーティーに参加したことはないのだけど、あんな盛大なパーティーなら参加してもいいね。それと彼女の名前はチョウ・チャンという名前なのだけど、君が言う通り彼女との時間もとても楽しませてもらったよ。女の子とダンスするなんて()()()だったけど、練習だけは昔から両親にさせられていたからね」

 

気が付けば何故かのろけ話が始まりそうな気配だ。話しにつれて顔が赤らみ、先程の警戒した表情からは打って変わりどこか夢見心地な表情に変わっている。それ程までに昨日のクリスマスパーティーが楽しかったということだろう。

そんな彼の姿を私はどこか微笑ましく思いながら眺める。

本来であればセドリック・ディゴリーも他の人間同様、私にとってはどうでもいい人間の一人のはずだ。よく言っても多少有益な駒でしかない。それなのに私は……今この瞬間、彼が楽しそうにしていることが少しだけ好ましく思えていたのだ。

しかし彼が恍惚とした表情を浮かべていたのはほんの一瞬。すぐに私が彼のことを無表情で見つめているのに気が付き、どこか気まずそうな表情に変わった。

 

「……すまない。君にはつまらない話だったね」

 

「いいえ、そんなことはないですよ。私はこういった話には疎いのですが、興味がないわけではないのです。友人ともこう言った話は全くしたことがないですから実に新鮮です。そうですか、彼女がチョウ・チャンなのですね。お名前だけは何度か耳に挟んだことがあります。なんでもレイブンクローの才女だとか。お二人はお付き合いしているのですか?」

 

セドリックは気まずそうな表情をそのままに、恥ずかしそうに頬を掻きながら続けた。

 

「随分今日は積極的だね……。いや、別に付き合っているわけではないんだ。ダンスを誘って、彼女が受けてくれた。それだけの関係さ。ま、まぁ、いずれは付き合いたいとは思っているけどね……」

 

「ふふ、成程。いえ、いいと思いますよ。ではこの試合も優勝しなければいけませんね。そうすれば彼女が本当に貴方に振り向いている可能性もぐっと上がりますよ」

 

「そ、そうかな……。いや、そうだといいな。なら、一層頑張らないといけないね。彼女のためにも。……情報をくれた君のためにも」

 

 

 

 

私にとってセドリック・ディゴリーとの関係は、本来はただ利用するだけの関係であるはずだったし、()()()()()()()()()

私はただ闇の帝王のシナリオを崩すために。彼はただ家族や友人、そして憧れの女性のために。ただ利益のためだけに繋がっていればいい存在でしかなく、全てが終わればまたお互い何の興味もない存在に戻るべき。そうあるべきだったのだ。

しかし実際は私は彼に多少の興味を抱き始めていた。彼の試合に臨む動機が……私にはとても好ましくて、眩しくて、そしてどこまでも共感できるものだったから。

ただ目立ちたいとか、有名になりたいとか。そんな非日常を求めるものだけではなく……どこまでも日常に立脚した純粋な思いから来るものだったから。

そしてそれは、

 

「あ! ダリア、ここにいたの!? もう、いきなり消えたから随分探したんだよ? ……なんでセドリック・ディゴリーと一緒にいるの? ディゴリー、ダリアに何か用なんですか?」

 

「……いいえ、ダフネ。彼には私の方から用事があったのです。大した用事ではありませんけどね。それにもう用事は終わりました。行きましょう。それでは、次の試合頑張ってくださいね」

 

「あ、あぁ……」

 

おそらく彼の方も同じだったのだろう。

乱入して来たダフネと共にこの場を去る私の背中に、セドリック・ディゴリーの小さな声音が届く。

 

「何故君は……そんな普通の女の子の様に僕と話すんだい。それではまるで……」

 

その声音には当初の警戒したような響きは一切なく、ただただどこか当惑したものだけが含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セドリック視点

 

彼女を初めて見たのは、彼女がこの学校に入学した時。つまり僕がまだ三年生の時だった。

自分が入学する時は全ての物事が新鮮であり、入学式もその例外ではなかった。

 

『ふ~む。君は勇気もあり、知識に対する貪欲さもある。しかし君の一番の特徴はその優しさじゃな。君の勇気も貪欲さも、全て君の優しさからくるものじゃ。ならば……ハッフルパフ!』

 

今でもあの時のことを忘れることはない。自分の今の生活が決定し、今の仲間達との絆を得られたあの日のことを。

そして二年目。もう自分の入学式というわけではなくとも、初めてできる後輩の登場にそれはそれで胸が躍ったものだ。一体この子たちの何人が僕と同じハッフルパフになるのだろうか。どんな子が入ってくるのだろうか。……先輩が僕らにしてくれたように、僕もちゃんと彼らを導くことが出来るだろうか。そんな思いで一杯だったことを今でも覚えていた。

しかし三年目の()()()、流石にもうそろそろ飽きてきた気持ちの方が勝っていたと思う。新しく入ってくる後輩達のことが楽しみでなくなったわけではない。でも三年も経つと、まだ後4回以上も同じ光景を見ないといけないのかという思いの方が強かったのだ。

 

もっともそれは……()()()組み分けが始まるまでのことだったけど。

 

表情に出さないように努めていても、どうしても組分けに対する注意が散漫になっていた。正直欠伸を抑えるのに必死だった。

 

『マルフォイ・ダリア!』

 

しかし彼女の名前が呼ばれ、彼女が前に進み出た時、僕の視線はどうしようもなく彼女に引き付けられてしまっていたのだ。いや、僕だけではない。大広間にいる学校中の人間が、ただただ彼女の存在感に圧倒されていた。

一言でいえば美しいとしか言えなかった。流れる様な白銀の髪をたなびかせ、歩き方もどこか確固たる信念を持っているかのように凛としている。他のオドオドした新入生とは明らかに空気が違っていた。そしてその思いは彼女がこちらに振り返り、他の新入生同様組み分け帽子を被った時確信めいたものに変わることになる。

どこまでも冷たく、まるで僕らのことをそこら辺の石ころくらいにしか思っていないような無機質な瞳。どう考えても真面な生徒であるはずがない。マルフォイ家という悪名高い家柄も合わさり、彼女を僕らと同じ生徒の枠で考えることなど出来ようはずがなかった。

美しくも冷たく恐ろしい、僕ら生徒とは一線を画す……まるで人間ではない()()。それが退屈していた僕らの視線をも引き付けた彼女への、嘘偽らぬ感想だった。

 

そしてその認識は一年を過ぎ、彼女が二年生に上がった時に学校全体の共通認識、もはや常識とさえ言えるものとなる。『秘密の部屋』が()()()()()()開かれたことによって……。

まずは管理人の猫から始まり、グリフィンドールの生徒からゴーストに至るまで。次々と学校にいる人間が襲われ、挙句の果てにダンブルドア校長まで追放されていく。学校中は恐怖のどん底に陥り、彼女はホグワーツにおいて恐怖の代名詞となった。しかもハリー・ポッターによって『秘密の部屋の怪物』が打ち倒されても尚、彼女だけは捕まることがなかった。彼女の父親が理事を解任されても、彼女だけは今までと変わらない学校生活を……。それは紛れもなく、ダンブルドアでさえ彼女を止めることが出来ない。そんなどうしようもない事実を表していたのだ。

学校中の人間が彼女の容姿を美しいと思いながらも、その冷たい双眸や雰囲気に恐れをなしている。それがこの学校における、三年間通してのダリア・マルフォイへの感情だった。

 

勿論僕もその例外ではない。スリザリンの後輩である彼女と関りこそなくとも、学校中で彼女が噂になれば流石に僕の耳にも届く。しかも関りがなくとも、大広間に行けば否が応でも彼女の方に目が行く瞬間がある。どんなに冷たい性格であろうとも、その存在感や容姿だけは圧倒的なのだ。視線が引き寄せられない方が少数派だろう。だからこそ彼女を見る度に、なるべく彼女と今後も関わらないようにしなければと心を新たにするのだけど……。マルフォイ家の冷たい少女と関わる選択肢などあるわけがない。どんなに美しくても、彼女は決して美しいだけの存在ではないのだから。

 

しかしそう思っていたというのに……

 

『こんにちは。セドリック・ディゴリー。こうして話すのは初めてですね。あぁ、警戒しているのですね。ですが大丈夫ですよ。私は貴方の恐怖感が手に取るように分かる。ご安心ください。私は貴方の味方です。私はただ、貴方に助言を言いに来ただけですから。第一の課題の内容、知りたくはありませんか? それさえ知れば、少しでも安心することが出来るでしょう?』

 

ある日突然彼女の方から僕に近づいてきたのだった。

話しかけてきた内容も胡散臭かったが、その行動があまりにも謎過ぎる。意味が分からないと言っていい。何故今まで僕のことだってその辺の石ころくらいにしか思っていなかったのに、急にこんな風に話しかけてきたのだろうか。

しかも、

 

『えぇ、パートナーがいなかったため大広間のダンスパーティーにこそ参加しませんでしたが、パーティー自体は楽しませていただきましたよ。……()()()()()()()()()()()()()

 

どういうわけか彼女と話せば話す程、僕の彼女への印象を保てなくなっていくのだ。

相変わらず行動は謎ばかりな上、雰囲気や表情が変わったわけではない。いつも通り冷たい無表情で固定されており、その薄い金色の瞳から放たれる視線は冷たいばかりだ。

なのにどういうわけか、僕は彼女と話して思ってしまうのだ。

 

まるで()()()()()()と話しているようだ、と……。

 

不思議で仕方がない。確かに彼女にだって友人の一人くらいはいるだろう。いつもスリザリン生の何人かを引き連れているし、その中でもダフネ・グリーングラスという生徒とは本当に四六時中行動を共にしている。しかしそんな彼女と行動している時でさえ彼女はいつも冷たい表情をしていた。僕は彼女がグリーングラスのことを本当の友達と考えているとは思えなかったのだ。

でも実際彼女がグリーングラスのことを話す時、その声は本当に温かい声音でだった。それに勘違いでなければその表情もどこか……。

それに、

 

『別に付き合っているわけではないんだ。ダンスを誘って、彼女が受けてくれた。それだけの関係さ。ま、まぁ、いずれは付き合いたいとは思っているけどね……』

 

『ふふ、成程。いえ、いいと思いますよ。ではこの試合も優勝しなければいけませんね。そうすれば彼女が本当に貴方に振り向いている可能性もぐっと上がりますよ』

 

僕が無理やりしていた世間話にも嫌な顔一つ……というわけではなく、やはりいつもの無表情ではあったけど最後まで付き合ってくれていた。それは本当に僕の味方であり、僕の優勝を心底願ってくれているかのように。

それはずっと憧れ、そしてようやくクリスマス・パーティーに誘えるまで関係が発展したチョウ・チャンですらしてくれないことだった。

別にチョウ・チャンが悪いわけではない。彼女はおそらく()()()()()()()()()がいるのだと思う。ただ僕が誰よりも早く彼女にダンスを申し込み、彼女はそれを了承してくれたに他ならない。彼女にこれ以上のことを求めるのはお門違いだ。

 

でもそれでも……僕は思ってしまったのだ。本当に今僕のこの寂しさや孤独感を分かってくれているのは……この学校で一番恐れられているダリア・マルフォイだけなのではないかと。

 

正直毎日恐怖で震えそうな思いなのだ。ドラゴンと実際に対峙した時など、それだけで気を失いそうな思いだった。そしてドラゴンを何とか掻い潜り、成績で今の所一番を取っていたとしても……卵の謎が解けないことがどれだけプレッシャーになっていたことか。刻一刻と第二の試合が近づくというのに、その取っ掛かりすらつかめない日々。恐怖以外の何物でもなかった。

でもそれを表情に出すわけにはいかない。僕はもうただのセドリック・ディゴリーとして代表選手になっているわけではない。僕の肩にはホグワーツ中の、そしていつもは劣等生と揶揄されるハッフルパフの仲間達や、僕をここまで育ててくれた両親の期待が置かれているのだ。そんな僕が無様な姿をさらすわけにはいかない。彼らを失望させないように……彼らを少しでも喜ばせてあげるために。

……しかしそれが分かっていても僕のこの恐怖感が消えて無くなるわけではない。寧ろ他人にひた隠すことでより一層強くなったとさえ言える。

 

そんな時こうして僕のこの恐怖感に気付き、あまつさえ味方だと言ってくれるのは彼女だけだった。

どこから得ているかは分からない情報を僕に流し、真の意味で僕をサポートしてくれるのは……。

 

「何故君は……そんな普通の女の子の様に僕と話すんだい。それではまるで……」

 

僕は連れ立って歩き去るダリア・マルフォイとダフネ・グリーングラスの背中を見つめながら、一人誰にも聞こえないようにこぼす。

頭の中は困惑で一杯だった。自分の中に生まれたよく分からない感情、どこか温かな感情があることに気づき、最初の頃の警戒心が保てなくなりつつあることに愕然とする。彼女の家柄や雰囲気が変わったわけではないのに、何故僕は彼女に……それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()を抱いているのだろうか。

僕はただ自身の中に生まれた矛盾した感情に戸惑うばかりで、中々その場を動くことが出来なかった。

 

 

 

 

だから……

 

「あ、あいつ……な、なんであんなに怒っているんだ?」

 

「馬鹿、声を出すな。早く朝食を食べてここから逃げよう」

 

僕は彼女が猛烈に怒り狂っているのを目にした時、彼女をいつものように警戒するのではなく……どこか心配な心持で見ることしかもう出来なかったのだった。

クリスマスから数日後。いよいよ二学期の授業が始まろうとしているその日、生徒で溢れる朝食の席は、その人口密度と反比例して完全に静まり返っていた。誰も声を上げず、ただ恐怖の視線をスリザリン席に座る彼女に向ける。

そして彼らの視線の先には……いつも以上に冷たい空気を垂れ流しながら、黙って朝刊の一ページを見つめ続けるダリア・マルフォイの姿があった。

 

『ハリー・ポッターのガールフレンド、ハーマイオニー・グレンジャーの()()()()

 

異様な空気に満ちた大広間。誰も声一つ上げない空間の中で、ダリア・マルフォイはただ怒り狂った空気を垂れ流しながら朝刊を見つめ続ける。

 

その瞳は……いつもの薄い金色ではなく、僕にはどこか血の様な赤色に見える気がした。



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交友関係

 

 ダフネ視点

 

『悲劇の少年ハリー・ポッター。魔法界において誰一人としてその名を知らぬ者はいないその少年は、両親の悲劇的な死以来14年間ひたすら孤独に耐え続ける人生を送っていた。その反動として今ホグワーツで行われている三大魔法学校対抗試合に、まだ年齢が基準に達していないにも関わらず()()名乗りを上げ、自身に周りの注目を一身に集めようとしたわけだが、彼の目的は未だに達しきれているかといえば疑問である。彼は注目こそ集められても、それが彼の本当に欲している愛あるものとは限らないからだ。その証拠に彼は今実に野心溢れる少女に付きまとわれている。マグル出身のハーマイオニー・グレンジャー。この美しいとは言い難い少女は今ハリー・ポッターの心の隙間に付け入り、彼に甘い言葉を囁くことで彼の関心を得ようと企んでいる。その上彼女はハリーだけでは満足できないらしく、先ごろ行われたクィディッチ・ワールドカップのヒーローであるビクトール・クラムにまで手を出そうとしているのだ。彼女は随分と有名な魔法使いがお好みの野心家であるらしい。二人の少年の心を弄び、二人のことを天秤にかけ続けている。しかし彼女のどこにそのような魅力があるのだろうか。少し傲慢な部分の目立つハリーに優しい言葉をかけるのが、ホグワーツにおいて彼女だけであったとしても果たしてここまで彼らの心を鷲掴みにすることが出来るのだろうか。先程も述べた通り、彼女はお世辞にも美しいとは言い難い少女でしかない。そんな彼女が少年達の心を掴んだ理由。それは彼女の雀の涙程度の自然な魅力だけではないのだろう。とある4年生の女の子は我々の前でこう答えた。

 

『あの子ブスだけど、勉強だけはそこそこ出来るの。きっと愛の妙薬を二人に盛ったのよ』

 

愛の妙薬は当然ホグワーツでも禁じられた薬物だ。生徒に盛るなどあってはならない事態だが、性根の腐っている彼女ならそんな手段を使ったとしてもおかしくはない。しかしそれでも疑問が残る。インタビューに答えてくれた彼女も、グレンジャーに果たして愛の妙薬を作り出せるだけの能力があるかについては疑問だと答えている。事実彼女の成績は上位でこそあれ、いつも()()()()()()に負けているものでしかないという。愛の妙薬の出所を含め、彼女には何かもっと深い闇がある可能性があるのだ。アルバス・ダンブルドアは先日お伝えした半巨人の人選を含めて、詳しくこの件を調査すべきである。そしてハリーの応援団としては、彼が次にもっと相応しい相手を見つけ出すことを願うばかりだ』

 

記事を読み終えた私は、自分の手がいつのまにか震えていることに気が付く。そしてそんな震える手を見た瞬間、私は自身が今激怒している事実にようやく気が付くのだった。

なんだろうこの記事は。もはや突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込めばいいか分からない。支離滅裂で内容についても何一つ理解することが出来ない。

 

この記事で唯一分かることは……この記事の筆者であるリータ・スキータがハーマイオニーを猛烈に愚弄しているということだけだった。

 

ダリアも先程から異様な空気を垂れ流しながら記事を見つめ続けている。彼女の醸し出す空気に大広間は静まり返り、辺りを見回せば皆一様にこちらにチラチラと視線を送ってきている。

そんな恐怖の視線を一身に浴びながら、ダリアは真っ赤な瞳で小さく呟くのだった。

 

「ふざけた記事ですね……。実に愚劣極まりない」

 

短い言葉。しかしそれが逆にダリアの怒りの強さを表しているようだった。

彼女は激怒しているのだ。……()()()()()であるハーマイオニーが馬鹿にされたから。口では何だかんだ言っても、結局彼女は怒っているのだ。自分の友達を馬鹿にされたことを。でもそんな嬉しい事実があったとしても、私は今それを指摘する気分になどなれない。何故なら……私も今ダリア同様怒り狂っているから。

私はダリアに努めて冷静な声音を心がけながら尋ねる。

 

「どうする? このリータ・スキータって記者……どうやって懲らしめる?」

 

しかしそれに対するダリアの答えは実に単純明快で……私の想定より遥かに過激なものだった。

 

()()()()。愚かさの代償を命でもって償ってもらいます」

 

これが冗談であれば良かったのだけど、おそらくダリアのこの様子では冗談でも何でもないのだろう。どうやらいつもの目が赤くなっている時同様本当に怒り狂っているらしい。今目の前にリータ・スキータがいれば本当に行動に移していたと容易に想像できた。

ダリアの理性が焼き切れた言葉で逆に冷静になる。私は自らの怒りを長い深呼吸で抑えこんだ後、ダリアと手を重ねながら言った。

 

「駄目だよ、ダリア。落ち着いて。そりゃ私だって今猛烈に怒っているけど……殺してしまうのだけは駄目だよ。そんなことをしたらダリアの方が最終的に後悔してしまう。だから駄目。一回深呼吸しよう?」

 

それに対しダリアはしばらく記事を見つめ続けるだけだったけど、流石に目の前にリータ・スキータがいるわけではない状況では長く怒りが続かなかったらしい。ダリアも私同様深呼吸一つすると、先程まで垂れ流していた冷たい空気を収めながら答えた。

 

「ダフネ……ありがとうございます。もう大丈夫です。……また私は、」

 

「ううん、いいの。だって今回の件はあまりにも酷過ぎるから。正直私も殺してやりたい程怒っているもの。ダリアが怒るのも当然だよ」

 

そこで私は一度言葉を切り、もう一度記事の方に視線を向けながら続けた。

 

「それにしても……これは本当にどうしようか? この記者はこんなふざけた記事書いてただで済むと思っているのかな。パパに言ってグリーングラス家からも抗議を、」

 

「それは無理だと思うぞ。勿論マルフォイ家もな」

 

しかし私が言葉を言い切る前に、今度はダリアのことを心配そうに見つめていたドラコが声を上げる。

 

「僕達マルフォイ家も、そしてお前のグリーングラス家も純血主義の家だ。それがマグル生まれのグレンジャーを庇えるわけがない。少なくとも父上は絶対に承知しないだろう。それにこんな記事でもあのリータ・スキータの書いた記事だ。あの記者に純血主義のマルフォイ家とグリーングラス家が抗議してみろ。必ず両家のあら捜しをしてくるぞ。それこそあの記者を喜ばせるだけだ。父上も昔あの記者には随分悩まされたらしいからな……。こんな記者でも影響力だけは絶大だ。こんな支離滅裂な記事を書いても問題にならないくらいにはな。だから今早計に奴に抗議を出すわけにはいかない。……()()()。今お前達に出来ることはそう多くはない。それより今お前達がすべきことは……グレンジャーに届いた()()を何とかすることじゃないか?」

 

そしてそこまで言い切ると彼は私達の背後を指で指し示す。私達も彼の意見に反論するより、今は彼の意図の方が気になり指さした方を振り返る。

するとそこには……

 

「こ、これって……」

 

「ハ、ハーマイオニー。それ、二年生の時僕に届いたのと同じ……『吠えメール』だ!」

 

今しがた届けられたと思しき真っ赤な手紙を握るハーマイオニーの姿があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

『ハグリッド! 何をふさぎ込んでいるの!? あんな頭のおかしい記事になんて負けては駄目よ! 貴方の血筋がどうであろうとも、私達はこれっぽちも気にしないわ!』

 

『そうじゃ、その通りじゃよ。ミス・グレンジャーの言う通りじゃ。どんなことが記事で書かれようとも、お主が今までやってきた素晴らしいことが消えるわけではないのじゃ。それにもしお主が全ての人間に好かれようと思うておるなら、それはお門違いというものじゃ。ワシなど校長になってから、少なくとも一週間に一度は苦情を受け取っておる。だがそれでワシはどうすれば良いと言うのじゃ? まさかお主の様に部屋に閉じこもっておるわけにもいかんのじゃ。ハグリッドよ……お主はもっと周りの素晴らしい人間に目を向けよ。特にお主を慕ってこうして励ましに来てくれる三人のことをな。家族がどのような存在であったとしても関係ない。お主をお主として見てくれる友人を大切にするのじゃ。じゃからこれ以上ここに閉じこもることは許さぬ。明日の朝八時半に、大広間でワシと一緒に朝食を摂るのじゃ。言い訳は許さぬぞ』

 

『ダ、ダンブルドア校長先生……それにハリーやロン、ハーマイオニーも。ありがてぇ……』

 

記事のことで案の定森小屋に閉じこもっていたハグリッド。そんな彼をその場にいたダンブルドア先生と共に励まし、何とか森小屋から引きずり出すことに成功した。確かに彼はショックを受けてはいたし、グリフィンドール以外の席からは少なからず冷たい視線を送られていた。でも……それでも次の日には笑顔で朝食の席に来れていたのだ。冷たい視線はあっても、それ以上に彼を温かく迎える視線があったから。

本当に良かったと思う。まだ()()()()()()のスリザリン生は騒ぐだろうけど、ハグリッドはまた『魔法生物飼育学』の授業を受け持つことが出来る。完全に元通りの状況とは言えなくとも、ハグリッドの尊厳がこれ以上不当に踏みにじられることだけはなくなったのだ。

勿論それでも……あのリータ・スキータとかいう記者のことが許せるわけではないけれど。

 

『貴女って最低の女よ! 記事のためなら、誰かが傷つこうともどうでもいいのだわ!』

 

『お黙り! 馬鹿な小娘の癖に! 分かりもしないのに、分かったような口をきくんじゃないよ! 生意気な小娘なこと! いいざんしょ! お前のことも、その()()()()()同様色々調べてやろうざんしょ! 毎日震えているといいわ!』

 

クリスマス休暇中、今年は家に帰れないことで生徒がストレスを感じないようにと許可されたホグズミード行き。そんな中、私はあの嫌な女に偶然出会ったのだ。

実際に出会った瞬間分かった。品の悪いバナナ色のローブに、長いショッキング・ピンクの爪。瞳は嫌らしい輝きを放っており、カメラマンと思しき男性と話す時の人を完全に見下しきったような言葉の数々。この人はなんて嫌な女なのだろうか。ハリーの記事の時から思っていたけれど、記者の癖に真実を書こうという意志なんて何一つない。より多くの人の注目を集めたいだけ。よりショッキングな記事を。……寧ろより人を傷つけるような記事を。そんな下衆な人間でしかないことが一目で分かるようだった。

だから感情のままにあの女を罵倒した。私の言葉で悔い改める様な人間ではないだろうけど、それでも私は言わずにはいられなかったのだ。

 

『ハ、ハーマイオニー! あまりリータ・スキータを刺激するなよ! あの女、君の弱みを確実についてくるぜ。そうなったら君は、』

 

『関係ないわ! やれるものならやってみればいいのよ! そもそも私の両親は『日刊予言者新聞』を読まないわ! 私はあんな女に脅されたくらいで逃げも隠れもしない!』

 

『で、でも……大丈夫かな。僕は君のことが心配だよ……。君は頭に血が上ると、僕やハリー以上にとんでもない行動を取り始めるから……』

 

ロンの本気で心配してくれている発言を受けても、私は後悔なんてするはずがないと思った。友達をあんな嫌な女に、何の理由もなく馬鹿にされて許せるはずがなかった。これが何の意味もない行動だと分っていても、私にはあの場であの女に罵声を浴びせる以外の選択肢はありはしなかった。

 

……でも、

 

「あんたのことは記事で読みましたよ! あんたはハリーを騙している!」

 

結局ロンの指摘通り、私は心のどこかでリータ・スキータの影響力を見くびっていたのかもしれない。

リータが私について中傷した記事が実際に発行され、その記事を読んたダリアとダフネが怒ってくれていることを嬉しく思っていた矢先……二年前ロンに送られてきた手紙と同じ、『吠えメール』が見知らぬ誰かから送られてきたのだ。静まり返る大広間の中、手に取った瞬間叫び始めた『吠えメール』が大声を垂れ流し続ける。

リータの報復を覚悟していたはずの私は……突然晒された悪意に茫然とするしかなかった。

 

「あの子はもう十分に辛い思いをしてきたのに、あんたは更にあの子を苦しめようとしている! 本当に酷い娘だわ! これで終わると思わないことね! 大きな封筒が見つかり次第、次のフクロウ便で呪いを送りますからね!」

 

そして言いたいことを言い終えたのか、手紙はいきなり燃え上がり跡形もなく消える。残されたのは……やはりただ突然の悪意に唖然とするだけで、今しがた何が起こったのかも理解しきれていない私だけだった。しかしリータの記事で作り出された悪意はそれで終わりではなかった。吠えメールが終わったと思った数秒後に、今度は違うフクロウが私を目がけて飛んでくる。今度は赤い手紙ではなかったけど、やはり同じ悪意の塊であることに変わりはなかった。

 

「アイタッ!」

 

私の目の前に落とされた封筒に触れた瞬間、それは独りでに開き、中から強烈な石油の様な臭いがする液体が噴き出す。そしてそれがかかってしまった私の手は、まるで分厚いボコボコの手袋をはめているかのように腫物だらけになってしまう。

立て続けに起きた事態に、私がこの場で我慢できたのはここまでだった。

 

「ハ、ハーマイオニー、はやく医務室へ! これ、『腫れ草』の膿を薄めていないやつだ!」

 

背後でロンが手紙を調べているのを無視し、私は急いで医務室を目指して駆け出す。走る私の瞳からは……自然と涙があふれ出していた。

薬がかかった部分が酷く痛むのもあるけど、突然自分がこんな理不尽な目に遭うことに腹が立って、そして悔しくて、悲しくて仕方がなかったのだ。

今思えばハグリッドもこんな気持ちだったのかもしれない。ぶつける先のない怒りに、何故こうなったかも理解出来ない理不尽さ。ただ突然の悪意に晒され、やり場のない怒りや困惑に耐えるしかない状況。

私は彼を励ましたにも関わらず、あの時の彼の心境を今この状況になって初めて理解したような気がした。

 

 

 

 

もっとも、

 

「グレンジャーさん。手の怪我は大丈夫ですか?」

 

「ハーマイオニー! まさかあんな馬鹿な記事に負けたりしていないよね!?」

 

私もハグリッドと同じように、大好きな親友達によって救われることになるのだけど。

医務室で手当てされ、それでも新学期初めの授業を受ける気分になれずにいた私に、本来この時間にかかるはずのない声がかかる。

振り返ればそこには……こちらに心配そうな表情を浮かべるダフネと、相変わらずの無表情ながら、声だけはダフネと同じ心配げなダリアが立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

新学期明け初めての授業は『魔法生物飼育学』、つまりハグリッドの担当する教科だった。

あの記事で一度は塞ぎ切ったハグリッドも、今は勢いよく森小屋に突撃していったハーマイオニーや、彼を心配しに来ていたダンブルドア校長のおかげで元気を取り戻している。

 

「おう、今日の授業は一度『尻尾爆発スクリュート』を離れて『ニフラー』をしようと思うちょる。さぁ、一人一匹ずつ選ぶんだ。金貨を何枚か庭に埋めておいた。無論レプコーンの出した偽物だがな。自分の二フラーに一番沢山金貨を見つけさせた者に褒美をやろう」

 

そして機嫌がいいからなのか、僕らにも心の底から喜べる授業内容を提供してくれていた。

……今度はハグリッドの代わりに医務室で塞ぎ切っているハーマイオニーを除いて。

 

「ん? ()()二フラーが残っちょるぞ。誰が来ていないんだ?」

 

「ハーマイオニーだよ、ハグリッド。朝彼女に手紙が届いて……その中に『腫れ草』の膿が詰まっていたんだ」

 

僕はこちらにニヤニヤした表情を向けているパーキンソンに聞こえないように返事をする。その返事でハグリッドは概ねの状況を悟ったらしく、表情を僅かに歪めながら答えた。

 

「成程な……。記事は俺も読んだ。あんなのは嘘っぱちだと俺なら分かるが……俺の時もそうだった。リータ・スキータが俺のことを記事に書いたすぐに、俺の所にも山程手紙が送られてきたもんだ。『お前は()()だ』とか、『お前の母親は存在してはいけない怪物だ。お前も同様の怪物なのだから、恥を知って死ね』とか。本当に酷い手紙ばかりだった」

 

「酷いね……」

 

「本当にな。やつらは頭がおかしいんだ。純血主義の連中と同じだ。あいつらは人間じゃねぇ」

 

黒いフワフワした生き物であるニフラーが庭のそこら中で走り回り、それを大勢の生徒達が笑顔で見つめている。久しぶりに行われた『尻尾爆発スクリュート』以外の授業内容。皆それが嬉しくて仕方がないのだろう。でも内容はとても楽しい授業だというのに、僕達はどうしても苦い気分を抱えずにはおられなかった。ハーマイオニーがリータに喧嘩を売ったことが原因とはいえ、そもそも彼女があんな行動を取ったのは僕やハグリッドのことで腹を立てていたからだ。彼女に恥ずべきことなど一つもない。悪いのは全てリータ・スキータや、あんな馬鹿げた記事に踊らされている連中だ。なのにこうして苦しんでいるのはハーマイオニーのみ。今頃彼女が医務室で一人泣いていると考えると、僕達にはどうしようもなく腹立たしくて仕方がなかった。

でも……

 

「あら! 今日の授業はニフラーだったの!?」

 

「え、嘘!? なんだ……また『尻尾爆発スクリュート』だと思って態々ゆっくり歩いていたのに」

 

「ダフネ……何だか随分とゆっくり歩くと思っていたら、そんなことを考えていたのね」

 

「でもハーマイオニーもそう思っていたから、こうして私の速度に合わせていたんでしょう?」

 

「ま、まぁ……」

 

何故か授業途中で現れたハーマイオニーは僕らが想像していた表情と違い、明るい表情を浮かべていた上に……一人でもなかった。彼女の隣には、何故かダフネ・グリーングラスが居座っていたのだ。

グリーングラスの隣にいる彼女には、今朝大広間から駆け出した時の暗さなど微塵もありはしなかった。

思っていた光景に唖然とする僕らを他所に、ハーマイオニーとグリーングラスは分かれてそれぞれのグループの下に向かう。グリーングラスはドラコが待つグループへ。そしてハーマイオニーは僕らのグループへと。そして彼女は僕らの困惑に頓着することなく話しかけてきたのだった。

 

「ハグリッド、授業に遅れてごめんなさい」

 

「い、いや、それはえぇんだが……」

 

「ありがとう。それにしても、今日の授業はニフラーなのね。本当に可愛いわ。でも本で読んだのだけど、ニフラーって、」

 

「ちょっと待って、ハーマイオニー」

 

僕等が我慢できるのはそこまでだった。僕は頭痛を感じそうになる思考を抑えながら、努めて冷静にハーマイオニーに尋ねる。

 

「何、ハリー?」

 

「いや……どうしてグリーングラスと一緒だったんだい?」

 

しかし僕の質問に対する彼女の応えは実にあっさりとしたものだった。

 

()()()が私のことを心配して医務室まで来てくれたからよ。二人とも授業中だけど、私が元気になるまで一緒にいてくれたのよ」

 

少し目を離したすきに、そんなことになっていたとは。しかもハーマイオニーの口振りからすると、グリーングラスだけではなくダリア・マルフォイとも一緒に医務室にいたのだと推察できる。返事に僕とロンはため息で応えるしかなかった。何故ハーマイオニーはあんな連中と一緒にいて平気な上、それどころか親友とまで言っているのだろうか。この点においてだけは、僕はハーマイオニーのことが全く理解することが出来なかった。

……もっとも今回に関してだけは、実際にこうしてハーマイオニーが元気に医務室から出てきたこともあり何も言うつもりはないけど。今あいつらの危険性をハーマイオニーに説いたところで逆効果なだけだ。だから僕とロンはため息を吐きつつも、彼女が元気になったことを今は純粋に喜ぶことにしたのだった。

そしてこの中で唯一ハーマイオニーのマルフォイ事情を知らないハグリッドも最初は訝し気な表情を浮かべていたけど、考えても分からないと思ったのか、若しくは最初から見なかったことにしたのか普段通りの口調で続ける。

 

「そうか……。まぁ、お前さんが元気そうで何よりだ。手紙のことだが、お前さん、」

 

「大丈夫よ、ハグリッド。もうそのことなら気にしていないわ」

 

「そ、そうなのか……。だ、だが、これだけは言っておくが、ハーマイオニー。手紙はおそらくまだまだ届く。俺の時もそうだった。だからまた来るようなことがあったら、しばらくは手紙を開けるな。全てすぐ暖炉に放り込むんだ」

 

「それも大丈夫よ。もう()()()()を講じてくれたから」

 

「そ、そうか……」

 

しかしそれもハーマイオニーの理解不能な言動によって受け流されてしまい、遂にこの件で話す内容が無くなってしまう。

結局僕らは彼女が講じた対策とやらが何かも分からないうちに、全てが有耶無耶にされてしまったのだった。

 

 

 

 

それに、

 

「ハリー。もう君は次の試練の内容を知っているかい?」

 

「いや……まだだけど」

 

「そうか……なら良かった。()()()()()予め教えてもらっていたとはいえ、君が僕にドラゴンのことを教えてくれようとしたことは確かだ。なら、僕も君に教えないとフェアではないね。ハリー、次の試練は水の中で行われる。金の卵を水につけたら、あの悲鳴みたいな声が変わるんだ。確か……探しにおいで、声を頼りに。我らが捕えし大切な物。探す時間は一時間。取り返すべし、大切な物。一時間のその後は、もはや望みはあり得ない。()()()ヒントを彼女から貰ったから、僕はあまり偉そうなことは言えないけど……とにかく、次の試練は水の中、おそらく湖の中で行われるんだ」

 

僕はこの日、ハーマイオニーのことだけに構っていられなかったこともある。

新学期がいよいよ始まり、そろそろ本当に次の試練の内容を探らないといけないと焦りだした時……チョウ・チャンのことで二度と話しかけまいと心に決めていたセドリックがそんなことを言ってきたのだ。

 

いよいよ次の試練がもうすぐそこまで迫りつつあった。

様々な疑問を置き去りにした状態で……。




そろそろゴブレッドも大詰めに近づきつつ……感想お願いします。


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試練対策

 ダリア視点

 

午後の授業終わり。夕食まで時間がまだある頃、

 

「では()()()。こちらの手紙をお願いね」

 

「はいであります、ダリアお嬢様! この手紙は必ずや()()()()()()()にお届けするです!」

 

そう言ってドビーは一枚の手紙を胸に抱きながら『姿くらまし』をし、寝室の中には私とダフネだけが残される。寝室にはパーキンソン達はまだ帰っておらず、中にいるのは私達だけ。そんな状況の中、ダフネがリラックスしきった口調で話し始める。

 

「しかし本当に良かったね。ドビーがホグワーツに残ってくれていて。これでしばらくの間ハーマイオニーに届く怪しい手紙をシャットダウン出来る上に、一々彼女に手紙を書くのにフクロウを介さなくて良くなったからね。ドビー様様だよ」

 

「えぇ、本当に。ただ彼の負担が増えると考えれば、少し申し訳なくもあるのですが……」

 

「まぁ、それはそうだけど、大丈夫じゃないかな? 彼もダリアの身の回りのお世話以外あまり仕事をしていないって言ってたし。彼が喜んでいたからいいと思うよ?」

 

「それはそうなのですが……」

 

私はダフネの言葉に多少複雑な気持ちを抱こうとも、やはり結局は頷くしかなかった。

愚かな記事により送られ始めた、グレンジャーさんへの悪意の塊のような手紙。本来これらを防ぐのは老害の仕事であるような気もするが……それらも含めて奴がチェックしていないお陰で、私へ定期的に送られてくる飲み物が露見していないこともありあまり文句は言えない。よって自分達自身で身を守るしかないのだ。

しかしそうなると取れる手段はあまり多くはない。全ての手紙を問答無用で暖炉に放り込む手段が最も効果的ではあるが、それではダフネからグレンジャーさんへの手紙まで燃やさねばならなくなってしまう。名前を確認しようにも、そもそもダフネから送られてくるものより圧倒的に他の手紙の方が多いのだ。一々確認していたら、それこそ『吠えメール』のような手紙が暴発してしまう。()()()()()、もはや普通の手段だけでは()()の交流そのものをしばらく諦めるしかないと思われた。

だがそこで名乗りを上げてくれたのが、

 

『ダリアお嬢様、それにダフネ様と……()()()()のご友人である、グレンジャー様。お話は聞かせていただいたです。手紙の件ですが……このドビーめにお任せいただけないでしょうか?』

 

私の家族であるドビーだった。

どうやら医務室での私達の話を聞いていたらしい彼は、自分がグレンジャーさんに届く手紙を選別してくれると言ってくれたのだ。最初は彼が怪我をしないかどうか心配だったが、彼曰くしもべ妖精なら魔法がかかっているか、中に危険な物が入っているかどうか簡単に分かるらしい。それに()()()()手紙のチェックをしたことがあるとかなんとか……。

だから私も渋々彼に任せることにしたのだ。もっとも、

 

『でも、ドビー。気持ちはありがたいのだけど、それだと貴方の負担になるのではない? ただでさえこの学校に奴隷労働をさせられていると思うのだけど……』

 

『いえ、とんでもございません、グレンジャー様! ドビーめは大変素晴らしい待遇で働かせていただいてるのです! 休暇の上に、お給金まで貰っているのでありますです! ドビーめは他のしもべ妖精に比べて遥かにお暇なのであります! それにドビーめが本来したいことはお嬢様のお世話なのです! お嬢様とご友人との交流を手伝わせていただくなど、ドビーめには嬉しくて仕方がないのであります!』

 

私と同じ疑念を抱いたグレンジャーさんへの返事を聞いて仕方なくではあったが……。

それなのに……何故だろうか。私は口では何と言っても……ドビーへの心配こそ感じていても、今回の方針をどうしようもなく()()()()()()()()()

今回の一件で、私達はしばらく実際に顔を合わせる場を控えた方がいいという結論に達している。あの愚劣な記者がどうやって情報を得ているか分からない以上、これ以上奴に醜聞になるような話題を提供するわけにはいかないのだ。秘密を抱える私のためにも……今現在狙われているグレンジャーさんに、今度はマルフォイ家と関りがあるという噂を立てられないためにも。今は必要以上に顔を合わせるわけにはいかない。

しかしそれがドビーが手紙のやり取りをしてくれることで、実際に会わずともそれなりに会話をすることが出来る。

そのことが私には……何故か堪らなく嬉しく思えていたのだ。

本当に何故だろうか……。別にグレンジャーさんとの会合は私が希望しているものではない。グレンジャーさんはダフネの友人であって、私の友人なわけではない。私は単なる同席者。それだけのはずなのに何故……。

いくら考えたところで、酷く()()()()()答えしか思いつくことはない。私は一度頭を振って自分の中の感情に蓋をし、目の前のダフネに話しかけた。

 

「ん? どうしたの、ダリア? 何か考え事?」

 

「……いいえ、何も。それよりダフネ。今日はお互い午後の授業に遅れましたから、図書館で授業の復習をしましょう」

 

「あ、それもそうだね! まだ夕食まで時間があるだろうから、行こう行こう!」

 

……その行動が、結果的に私の計画の邪魔になることも知らずに。

第二の試練がいよいよ間近。そんな中で対策を探してもがき苦しんでいるのは、別にセドリック・ディゴリーだけではないのだ。代表選手の力になりたいと願う生徒も……私だけではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()視点

 

僕は一体何故こんな無駄なことをしているのだろう。

そんな思いが浮かんでは消えていく。でもそんな思いを抱えていたとしても、僕は今ここで帰るわけにはいかないのだ。

だって……友人であるハリーが今とても困っているから。

 

『あぁ、本当にどうすればいいのかしら! 人を変身させる呪文なんて六年生でないと勉強しないわ! 私だって完璧に使えるわけではないのよ! それこそこの学校でそんな呪文が使えるのはダリアくらいのものよ!』

 

『……予め言っておくけど、僕はダリア・マルフォイに変身させられるなんて絶対に嫌だよ』

 

『分かっていたわ、貴方がそう言うことくらい。でもそれなら尚更他の呪文を探さないと。シリウ……()からの手紙でも、どうすればいいかは書かれていなかったのでしょう?』

 

『そうなんだよ。本当は直接会いたかったらしいんだけど、あんな記事があった後だからね。彼も警戒しているんだと思う。でも今起こっていることについては色々書かれていたよ。三大魔法学校対抗試合について知っていただろうバーサ・ジョーキンズの失踪、闇の印に死喰い人。それに赴任前に襲われたムーディ先生。どれも明らかにヴォルデモートが何かを企んでいる証拠だ。だからカルカロフとダリア・マルフォイに、』

 

『何故そこでダリアの名前が出るの?』

 

『い、いや、何でもない……。た、ただ僕は警戒した方がいい。そう彼は書いていたよ。それ以外のことは何も書いてなかった……。水の中で2時間以上も息を止めるなんて……一体どうすればいいんだろう』

 

グリフィンドールの談話室でされていた三人の会話を思い出す。本来ライバルであるはずのセドリックから次の試練の情報がもたらされたのはつい先日のことらしい。それまで金の卵からヒントを得ることは出来ていなかったらしく、随分慌てふためいた様子で本を捲っていた。でもあの様子からはまだ有効な呪文を見つけられていないみたいだ。ハリーの言っていた、水の中で2時間以上息を止める呪文。僕も彼等がセドリックからされた話を聞いた時は驚いたけど、まさかそんな呪文が必要な課題なんて。しかもあの優秀なハーマイオニーまでお手上げの様子なのだから、最早お手上げな課題に僕は思えた。

でもどんなに困難な課題であっても、ハリーは数日後には必ずその課題に臨まなくてはいけない。ハリーは決して逃げ出せる立場ではないのだ。

僕はそんな彼の立場が……とても不憫に思えて仕方がなかった。

僕なら絶対に逃げ出している。皆に注目されるだけでも嫌なのに、そんな中命の危険すらある試練を乗り越えるなんて僕には無理だ。それでも逃げることも叶わないハリーが、僕にはとても不憫で仕方がなかった。

 

だからこそ僕は考えたのだ。

何かハリーのために僕が出来ることはないだろうか、と。

勿論彼に僕の助けなんて一切必要ないことなんて百も承知だ。彼はあの誰もが予想していない中、第一の課題であのドラゴンを出し抜いた実績がある。それに今彼の周りにはロンやハーマイオニーがいる。僕の出番なんて万に一つもあるわけがない。

でもだからと言って、僕が何もしないでハリーの苦境をただ眺めているのもどうかと思ったのだ。ハリーが何を求めているのか知らなかったのなら、僕も気兼ねなくただ彼の応援に徹していたことだろう。でも知ってしまった。ハリー達が談話室でしていた会話を偶然聞いただけとはいえ、僕は知ってしまったのだ。なら何もしないのは間違っている。そう、僕は思ったのだった。

そして僕は一人図書室に来て、今こうして普段は見向きもしないような呪文書と睨めっこしている。正直内容が頭に入ってきているとは言えなかったけど、ハリーのためにもやらないわけにはいかない。何より何もしないでボーっとハリーの苦しむ姿を見ている方が何倍も辛いから。まぁ、この調子なら結局僕が何かしたところでハリーの役に立つことはなく、もし万が一僕が何かしらの呪文を見つけたところで、ハーマイオニーの方が既に見つけている可能性の方が高いけど……。

 

そして……()()と鉢合わせたのは、

 

「……あら、ロングボトム。ここ、貴方の席だったんだね」

 

そんな諦観にも似た気持ちを抱きながら次の呪文書を見繕い、元いた席に戻ろうとした時のことだった。

今まで僕が座っていた席が空席だと思ったのか、一人のスリザリン生が今まさに本を片手に座ろうとしている。そのスリザリン生は……いつもダリア・マルフォイと一緒に行動しているダフネ・グリーングラスだった。

スリザリン生の突然の登場に体が硬直してしまう。それも()()ダリア・マルフォイといつも一緒にいる子なのだから、僕の恐怖はとてつもないものだ。

そしてそんな考えは、実際に目の前にいる彼女にも伝わってしまったのだろう。今まで笑顔を浮かべていた表情が、恐怖で固まる僕を見た瞬間固い表情に変わる。そして僕を睨みつけてから、ため息を吐きながら彼女は言った。

 

「……ふん。あぁ、ごめんごめん。スリザリン生に話しかけられても迷惑だったよね。それとも私がダリアといつも一緒にいるから怖いのかな? ……本当にふざけた話だね。私はもう行くね。貴方が既に座っていた席だって知らずに座ってごめんなさいね。では、さようなら」

 

……明らかに怒っている口調に、何故か僕の方が悪いことをした気分になってしまう。いつも僕をいじめてくるのはスリザリン生だというのに、何故僕が彼女を怖がっただけで彼女はここまで怒るのだろうか。僕は何とはなしに急いで荷物を纏めるダフネ・グリーングラスを見つめながら、彼女のことを考えていた。

ダフネ・グリーングラス。おそらくこの学校で誰もが知っているダリア・マルフォイ一番の取り巻き。僕にとってもその認識自体は変わることはない。一年生の頃はどことなく明るく元気いっぱいにはしゃいでいるイメージを持っていた気もするけど、二年生の頃には他のスリザリン生と同じくどこまでも冷たい表情で周りのことを見ていたように思う。いつも隣にいるダリア・マルフォイと同じ、明らかに周りの人間のことを軽蔑しきった表情で……。

しかしそこまで考えた時……今まで思い出していた表情とは違った表情のことも思い出すことになる。

例えば二年生の時、

 

『ロングボトム。グレンジャーはどこ?』

 

クリスマス休暇明け初日に、大広間のグリフィンドール席にハーマイオニーを探しにやってきた時の表情。あの時の彼女は……何故か猛烈に怒り狂っていると同時に、どこか迷子のように泣きそうな表情を浮かべていたように思う。

例えば三年生の『闇の魔術に対する防衛術』の時。

彼女の前に佇むハーマイオニーの姿をした『まね妖怪』。何故あの時『まね妖怪』がハーマイオニーの姿をとったのか、今でも僕にはさっぱり理解出来てはいない。でもあの時の彼女も、いつも浮かべているような軽蔑しきったような表情ではなく、どこか泣きそうな表情を浮かべていた。

そして……

 

『……ねぇ、ロングボトム。顔色が悪いわよ』

 

『……だ、大丈夫だよ。……そ、そう言えば、さっきはありが、』

 

『勘違いしないでよ。私は別に貴方のために声を上げたわけではないわ』

 

今年の『闇の魔術に対する防衛術』で、顔色の悪い僕を心配して声をかけてくれた時。

両親を()()()()に追いやった呪文を目の前で見せつけられ、僕は思ったのだ。呪文で今目の前でもがき苦しんでいる蜘蛛は、僕の両親の姿そのものだ。僕のパパとママは、こうして闇の魔法使いに拷問され、今なお聖マンゴ魔法疾患傷害病院から出てこれないのだ、と。

そう思った時、僕の中で色々な感情が錯綜した。悲しみや怒り。自分ではどうしようもなく、どこにぶつければいいのかも分からない感情の渦に飲まれた僕は、ただそこに立っていることさえ困難な程の状態になったのだ。

でも、そんな僕の状態に誰も気がついてはくれなかった。グリフィンドールの皆でさえ興奮した様子で授業内容を語り合っている。……まるで先程の授業が最高の()()()()()()()()()であったかのように。授業内容に傷つき、こうして顔色を悪くしながら立ち尽くしているのは……僕だけだった。だから誰も僕になんて声をかけてくることはなかった。

そう、本来僕に声なんてかけてくるはずのない、ダフネ・グリーングラスを除いて。相変わらず冷たい口調ではあったけど、その中には確実に僕を本当に心配してくれている響きもあり、それが僕にはたまらなく有難かったのだ。

そこまで僕は思い出し、そう言えば僕はまだあの時のお礼をキチンと出来ていなかったことにも思い至る。あの時結局感謝の言葉を口にしようとしても、彼女自身によって遮られてしまった。でもそんなことは感謝を伝えない理由にはならないだろう。だから僕は今まさに目の前で苛立った表情のまま片づけをしている彼女に、なけなしの勇気を振り絞って声をかける。

 

「ご、ごめん。で、でもいいよ、君がここに座りなよ。ぼ、僕の方がここに荷物を置いてなかっただけだから……。それと、僕は君に言わないといけないことがあるんだ。……ムーディ先生の授業の時はありがとう。君が先生を止めてくれなかったら、僕は多分あのまま倒れていたかもしれない。だ、だからキチンとお礼を言わないと。こ、この前はありが、」

 

……一年生の時僕を飛行訓練で助けてくれたダリア・マルフォイには感謝の言葉をかけていないことも忘れて。

だからだろう、

 

「結構だよ。この席のことも、この前の授業のことも。この席が空いていると思ったから座ろうと思っただけだから。……それにダリアのことを誤解しているグリフィンドール生なんかの座っていた席に、私はダリアと座りたくなんてない。授業のことだって、別に貴方を心配して声を上げたわけじゃないもの。私はただダリアが傷ついてほしくなかっただけ。それだけのことだから、貴方がお礼を言う必要なんてないよ」

 

彼女がやはりどこか冷たい声音で僕の感謝をにべもなく遮ったのは。

冷たい声音に驚き顔を上げれば、そこには先程以上に鋭い瞳で睨みつけるダフネ・グリーングラスの姿があった。

 

 

 

 

思えばこれが……僕と彼女が()()()お互いのことを認識し、言葉を交わし始めた最初の時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

私は目の前でオタオタ戸惑っているロングボトムを睨みつける。これがただ後手に回るばかりで、リータ・スキータ本人に何のダメージも与えられていないことに対する苛立ちからくる八つ当たりだとしても、私はどうしてもこの愚かな男子生徒を睨まずにはいられなかった。

私にとってハーマイオニーのような一部の例外を除き、グリフィンドール生は勿論のこと、ホグワーツにいる生徒は全て敵と言っても過言ではない。それは勿論今私の目の前にいるロングボトムも例外ではなかった。いつもオドオドした態度で私に臨むロングボトム。私が彼をいつもいじめている連中と同じスリザリン生だということもあるのだろうけど、彼が私を恐れるのはそれだけが理由ではない。彼は私がダリアの友達だから恐れているのだ。つまり……他の有象無象と同じく、彼も等しくただ思慮の浅い愚か者の一人でしかなかった。しかもこいつは一年生の頃ダリアに助けられたにもかかわらず、未だにダリアのことを怖がっているのだから質が悪い。

何が、キチンとお礼を言わないと、だ。私はあの時お前のために行動したわけじゃない。全てはダリアのために行動しただけだ。私に礼を言うくらいなら、まずダリアの方に感謝すべきなのだ。

そんな怒りの感情を込めて私はロングボトムを睨みつけ、彼の方は彼の方で更にオドオドした態度になる。

しかし、そんな彼の態度がかえって、

 

「ご、ごめん。ぼ、僕、君を怒らせるつもりはなかったんだ。ただあの時僕に声をかけてくれたことにお礼を言いたくて。た、ただそれだけなんだ……。君を怒らせるつもりは……。ほ、本当にごめん」

 

私を冷静にさせてしまうのだった。見ていて可哀想になる程青ざめた表情になった彼に、私は寧ろ自分が彼をいじめているのではないかと錯覚する程の罪悪感を覚える。

どんなに怒っていたとしても、流石に目の前で倒れそうな程顔色を悪くされれば怒りを保てない。

勇気が売りのグリフィンドール生だというのに、少し怒鳴りつけただけでどうしてここまで青ざめるのだろうか。

いつもであればこんな奴は放っておいてダリアを探しに行くのだけど、流石にここまで震えられたら放置して去るのは後味が悪い。

私は少しだけ怒りを引っ込めると、優しく……とは言えないまでも彼が安心できる声音を心がけながら話しかけた。

 

「はぁ……なんで貴方みたいな生徒がグリフィンドールにいるのよ。まぁ、いいよ。何だか怒るのも馬鹿らしくなっちゃった。私はもう行くね。ダリアと合流しなくちゃ。また別の二人で座れる席を探すよ。……貴方はグリフィンドールなんだから、もう少し堂々とした方がいいよ。折角()()()()()()()()()()()に選ばれたんだから」

 

「う、うん……」

 

そしてそんな私の努力が報われたのか、ロングボトムはやや震えを抑えながら応える。

良かった。別に彼らグリフィンドール生のことが嫌いだとはいえ、別に態々踏みつぶしてしまいたい程彼らに()()()()()()()()()()()()()()()()。彼を震えたまま放置すれば、多分今からダリアと過ごす時間にも差しさわりが出る。私は彼が落ち着きを取り戻したのをいいことに、なるべく急いで広げていた荷物を片付けようとする。

でもそれがいけなかったのだろう。少し顔色が戻り、震えの収まったロングボトムが、

 

「……君は何だか他のスリザリン生とは違うんだね」

 

今度はそんな戯言をほざき始めたのだった。

こいつは何を言っているのだろう。少し優しくしただけで、何をこいつは勘違いし始めたのだろうか。そんな感情を込めた視線を送る私に、自分自身も何を言っているのか分かっていない様子のロングボトムが小さな声で続ける。

 

「ご、ごめん……。いきなりこんなこと言って……。ぼ、僕……何を言っているんだろう」

 

「……そんなこと私が聞きたいよ」

 

奇妙な沈黙が流れていた。私は彼から受けた突然の意味不明な言動に困惑し、彼は彼の方で自分自身の発言を訝しむように立ちすくんでいる。

そんな沈黙を破ったのは、目当ての本を見つけてこちらに帰ってきたダリアだった。ダリアはいつもより少しだけ明るい声音で私に声をかけてくる。

 

「ダフネ。お待たせして申し訳ありません。少し本を探すのに手間取ってしまいまして。……どうしてロングボトムと一緒にいるのですか?」

 

突然かけられた声に、私とロンボトムは同時に肩を撥ねさせる。

その反応にただでさえ訝し気な無表情を浮かべていたダリアはその表情を強め、今まで震えが収まっていたロングボトムは再びこちらが心配になる程震えさせ始める。どうやらダリアの登場で再び恐怖感が戻ってきたらしい。その反応にまた私も少しだけ苛立ちを取り戻してはいたけど、ダリアが戻ってきた以上もう無駄な時間は過ごしてはいられない。私はダリアの姿を確認すると、急いで彼女に声をかける。

 

「あ、ダリア。いやね、どうやらここはもう既にロングボトムが座っていた席らしいんだよ。それでたった今鉢合わせてしまっただけ。だから他の席に行こうよ。ここは広いから、まだまだ一杯席もあるしね」

 

ダリアは私の言葉ですぐに事態を理解してくれたようだった。無表情に浮かんだ僅かな困惑顔を引っ込めると、即座に震えるロングボトムにやはりどこか優しげな響きすら感じる声音で話しかける。

 

「成程、そういうことでしたか。ロングボトムも申し訳ありません。ここが貴方の座っていた席だと知らなかったのです。では、私達はこれで。……あと、何をお探しかは知りませんが、その本は貴方にはあまりにも不相応だと思いますよ。あまりにも内容が高度すぎます。その本はグレンジャーさんが読んで丁度いいくらいのものですから。何をお探しかを教えて下されば助言くらいはしますが?」

 

そんないつもはしないような優しい言葉まで添えて。どうやらダリアはダリアで彼女自身も気付かない中、ハーマイオニーと交流を続けられることに僅かにテンションが上がっているらしい。ダリアにとって路傍の石であるはずのロングボトムに、席を横取りしようとしたお詫びとはいえそんな言葉をかけるなんて。

 

 

 

 

……でもそれがいけなかったのだろう。

 

「え? そ、それは……水の中で2時間以上も息を止める呪文……なんだけど?」

 

「……()()()()()()()()()?」

 

()はこの後、決定的な情報を本来なら絶対に渡してはいけない相手に渡してしまうことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

それはほとんど条件反射に近いものでしかなかった。

ダフネ・グリーングラスと同じく、突然この場に現れた彼女以上の恐怖対象……ダリア・マルフォイ。いつも浮かべているこちらをその辺の石ころとしか見ていないような冷たい瞳に、僕は一瞬にして恐怖に囚われていた。……だからこそ、その瞳や表情と全く正反対の優しい声音に僕は驚き、半ば条件反射のように応えてしまっただけなのだ。

 

「え? そ、それは……水の中で2時間以上も息を止める呪文……なんだけど?」

 

「……水の中で息を止める?」

 

でもそんな僕の驚きの声に答えたのは、目の前でどこか訝し気な雰囲気を醸し出すダリア・マルフォイではなく、先程まで僕と話していたダフネ・グリーングラスの方だった。

 

「随分変わった呪文を探しているんだね。授業でそんな呪文が必要になることはないと思うけど……。なんでそんな呪文を探しているの?」

 

本当は逃げ出してしまいたかったのだけど、条件反射とはいえ答えてしまったのは僕の方だ。僕はこちらをジッと見つめるダリア・マルフォイから目を逸らしながら返事をする。

とは言っても、まさかスリザリン生である彼女達にハリーの事情を話すわけにはいかない。だから僕の答えは……どこまでもしどろもどろしたものでしかなかった。

 

「な、なんでって……ただ、何となく、かな?」

 

「……何となくって。貴方はもっと先に学ぶべきことが山ほどあると思うのだけど」

 

ダフネ・グリーングラスが僕の答えに訝し気な表情を浮かべながら応える。しかしどうやら彼女にとって僕の答えなんて最初からどうでもよかったらしく、即座に隣でこちらを無表情で見つめるダリア・マルフォイに尋ねた。

 

「……まぁ、なんでもいいや。ダリアは何か呪文を知ってる?」

 

「……いいえ。私はロングボトムが()()()()()()()は知りません。他を当たってください」

 

先程一瞬感じていた優し気な雰囲気など一切ない、表情同様冷たい返答。やはり彼女は怖い人なんだと恐怖する僕を他所に、そんな冷たい声音にも頓着することなくグリーングラスは続けた。

そしてその中で何気なく言った言葉が、

 

「え? ダリアでも知らないの? ……ダリアが知らないなら、私には到底無理だね。そういえば、ハーマイオニーにはもう尋ねたの? 貴方の寮で真っ先に聞くべきは彼女だと思うのだけど」

 

「う、ううん……。実はハーマイオニーも分からないみたいなんだ」

 

「なら、無理だね。どうやら私達は力になれそうにないよ。……だから呪文を探すのを止めて、他の手段を探してみたら? どうせ潜れれば別に呪文に拘らなくてもいいんでしょう? もっと自分の()()()()を探したらどうかな」

 

結果的に僕に()()を与えてくれたのだった。

 

 

 

 

……勿論グリーングラスの言葉一つでそれに気が付いたわけではない。

僕はこの学校で誰もが知る落ちこぼれであり、僕自身も悲しいことにそれを自覚している。得意分野と言われても、僕にとっては全てが不得意分野なのだ。薬草学のことは好きだけど、それも得意分野とは決して言えない。だから彼女に言葉をかけられても、スリザリン生である彼女達への恐怖も合わさり当初決して薬草学について思い至ることはなかった。

そうあと一押し、

 

「おい、小娘共。そこでロングボトムに何をしている。まさかコソコソ闇の魔術を使っているのではあるまいな?」

 

「な、何を藪から棒に! 突然現れて何て言い草ですか、()()()()……先生! ダリアと私はただ、」

 

「……いいから行きましょう、ダフネ。ムーディ先生、失礼しますね……同じ空気も吸いたくないので」

 

ムーディ先生の言葉がなければ。

どこからともなく現れた先生は目の前のスリザリン生二人を追い払うと、僕に振り返りながら言った。

 

「ロングボトム、大丈夫だったか? 何もされておらんな? 良かった。丁度お前を探していた時に、お前が奴らに囲まれているのが見えてな。……実はお前に渡したいものがあったのだ。何、以前の授業のお詫びだと思えばいい。お前は薬草学が得意だとスプラウト教授が言っておった。これを読んでみるといい。……今のお前には()()()()()が載っているはずだ」

 




感想よろしくお願いします。


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人質

 セドリック視点

 

いよいよこの日が来てしまった。そんなどちらかと言えば後ろ向きな思考に反して、待機場テントの周りからはまるで代表選手を押しつぶさんばかりの大歓声が響き渡っている。

 

「さぁ、いよいよ第二の試練です! 今審判員の先生方から教えて頂いた情報では、今回の試練は湖の中で行われるとのこと! そこであるものを取り戻さないといけないのだとか! 水の中でどのように代表選手が行動するのか、非常に楽しみな内容です!」

 

グリフィンドールのリー・ジョーダンの声が響くと同時に、ただでさえ騒がしかった生徒達の歓声も更に熱を帯びるようだった。表面を取り繕っているとはいえ、内心では試練に恐怖しかない僕には有難迷惑以外の何物でもない。……でも彼らを裏切るわけにもいかない。これだけ大きな歓声を出してくれているということは、逆に言えばそれだけ僕等に期待を持ってくれているということなのだ。僕は彼らのためにも絶対に無様な真似は出来ない。

僕は一つ大きな深呼吸をして自分を落ち着かせると、再度目前に迫る試練に集中するため思考を巡らす。

 

『探しにおいで、声を頼りに。我らが捕えし大切な物。探す時間は一時間。取り返すべし、大切な物。一時間のその後は、もはや望みはあり得ない』

 

あの金の卵の謎を解いたのはクリスマスパーティー直後のこと。お蔭で水の中で行動する対策も十分に立てられた上、ヒントの内容もしっかりと検討することが出来た。他の代表選手がいつ頃僕と同じ結論に辿り着いたかは分からないが、おそらく4人の代表の中でも僕が最も早かったと信じている。

 

でもだからと言って……まさか『大切な物』が人間のことだったとは思いもよらなかったけれど。

 

最初の違和感を覚えたのは、チョウ・チャンが観客席にいないことに気が付いた時だった。

僕が今絶賛片思いをしている女の子。そんな彼女がつい先日僕に言ってくれたのだ。

 

『セドリック! 次の試練の時は必ず応援に行くわ! 観客席から()()()のこと見ているからね!』

 

彼女がただダンスパートナーを務めた僕に対して、ちょっとしたリップサービス的な言葉をかけてくれたに過ぎないのは分かっている。でも真面目な彼女のことだから、ああして言葉にした以上必ず僕のことを見ていてくれる。応援してくれている。だからこそ僕は今日ここに到着した時真っ先に観客席を見回して彼女の姿を探したわけだけど……そこに彼女の姿を確認することはついぞなかった。

確かに最初は彼女が未だに来ておらず、今頃城でまだ彼女が好きな男子と一緒にいるのかもしれないと思いもした。でも時間が経つにつれ冷静になると、彼女はそんなことをするような子ではないと思い至ったのだ。そして最後に、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がどこにいるか知ぃりませんか? 先程から見当たらないのです。君はホグワーツ生だから、分からないですか?」

 

同じ代表選手であるクラムや、

 

「マ、マダム・マクシーム! い、妹が見つかりません! 一体あの子はどぉこにいるのですか!? 観客席にいぃるはずでぇす!」

 

フラー・デラクールの言葉を聞いて、僕は確信した。

『大切な物』が何か今まで分からなかったけど、これはもしかして代表選手とダンスを踊った人間のことではないのだろうか。少なくとも単純な持ち物ではないことは確かだ。今朝持ち物を確認しても何もなくなってはいなかった。

つまりそれ以外の()……それこそ本当に僕らが試練に対して真剣に取り組むための()()を指す言葉なのではないか?

フラーの人質は一緒にダンスを踊った相手というわけではなさそうだけど、それ以上に大切な存在であることに変わりはない。

 

考えがその真実に至った瞬間、今まで感じていた試練に向けての高揚感や緊張が鳴りを潜め、より大きな不安と焦燥感を感じ始める。

もし僕が考えている通り、本当に僕にとって大切な女性であるチョウ・チャンが攫われたのなら……僕はこれがただの試合だとかそんな悠長なことを言っている場合ではなくなる。ダンブルドアのことだから人質に命の危険があるとは思えないけど、万が一と言うこともあるのだ。少なくとも彼女のことが好きな僕が悠長に構えていることは許されない。クリスマスが明けたとはいえ、まだまだ外の気温は低く、それに比例して湖の水も冷たい。そんな冷たい水の中、そして何がいるかも分からない湖の中に彼女はいるのだ。試練のことがなかったとしても、今すぐに彼女を助けに行かねばならない。

そしてそんな思考に囚われるうちに、

 

「お、お待たせしました……」

 

「……課題が始まるのに、一体どぉこに行っていたのでぇすか!?」

 

「ご、ごめんなさい。ちょっと()()()()が中々届かなくて……」

 

今までいなかったハリーがようやくテントに到着し、遂に試合が本当に目前まで迫る。

人質のことに他の代表選手も気付き始めたのか、どこかソワソワした落ち着きのない態度でテントの中を歩き回っていた。フラーに至っては余程人質である妹が心配なのか、いつもは美しい表情を焦りに歪ませている。

もっとも僕もフラーのことが言えた口ではない。僕は僕で落ち着かない気持ちを静めるために、第一の試練の時と同じくテントの端により精神を落ち着かせようとする。あまりテントの中を動き回っていても逆に緊張感は増してしまう。今はただテントの端で大人しくしていた方が落ち着けるだろう。

 

……いや、本当は分かっている。僕がこうしてテントの端に態々陣取っているのは、別に一人で深呼吸するためだけではない。僕が前の試練と同じ行動を取っているのは、

 

「セドリック・ディゴリー。そこにいますか!?」

 

僕は心のどこかで、ここにいればまた()()が声をかけてくれるのではと期待していたからなのかもしれない。

こうして試合直前に僕の下に訪れ、僕の緊張を取ろうとしてくれることを……。

 

 

 

 

しかし、どうやら今回は前回と違い、

 

「……あぁ、ここにいるよ。……ありがとう。また僕の緊張を、」

 

「いいえ、ディゴリー。時間がないので手短にお話しします。ただでさえ試練のことで頭が一杯のところ非常に申し訳ないのですが、もし湖の底にチョウ・チャンと一緒にハーマイオニー・グレンジャーがいたのなら……どうか()()()()連れ帰ってもらうことは出来ないでしょうか? 勿論ビクトール・クラムが失敗しそうだった場合のみで構いません。こんなこと、貴方にしか頼めないのです!」

 

ダリア・マルフォイは僕を励ましにだけ来たわけではないらしかった。

テント越しのため表情を確認することは出来ない。でもその声音は……いつも浮かべている無表情とはかけ離れ、どこまでも焦ったものでしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

ダリアが何かコソコソ行動していることは以前から知っていた。四六時中一緒にいるというのに、時折ふらりとどこかに消え、尚且つその間の行動を決して言おうとはしないのだから私が気付かないはずがない。無表情なのに、ダリアはその実あまり嘘が上手ではないのだ。私が気付いていないと考えているのはおそらくダリアのみだろう。

でもダリアが今は言いたくないと思っているのなら……彼女の中で明確な答えが出るまでもう少しだけ待っていよう。去年お互いのことをもっと言い合おうと誓ったけど、それはお互いに全く秘密を抱えないことを意味しているわけではない。だからもう少しだけ彼女が自分から秘密を教えてくれるようになるまで見守っていよう。

私と……そしておそらく私と気持ちを同じくしているドラコはそう考えていたのだ。

 

でも流石にダリアがこそこそ会っていたのがセドリック・ディゴリーだったとは……私にも完全に想定外のことだった。

 

『ダ、ダリアお嬢様! た、大変でございますです! 湖の中にグ、グレンジャー様が攫われたのです! ド、ドビーめはいつもの様にお嬢様方からのお手紙をグレンジャー様にお届けしようとしたのであります! そ、その時に偶々見てしまったのです! 他校の代表選手が湖の中から取り戻されなければならない大切な()に、お嬢様のご友人が選ばれているのを! ド、ドビーめはこのことをお嬢様にお伝えせねばと思い……』

 

今日の試練は屋外で行われるということで、ダリアの日光対策を一緒に準備していた時。ドビーが突然現れそんなことを言う。正直私には突然現れたドビーが何を言っているのかチンプンカンプンでしかなかったけど、ダリアにとってはそうではなかったらしい。ドビーの言葉を聞いた瞬間立ち上がり、そのまま寝室から出て行ってしまったのだ。そして日光対策自体はもう出来ていて良かったと頓珍漢なことを混乱した思考で考える私を尻目に、そのまま城外に出て、

 

「……そういうことですか。何故彼女なのかと思いましたが、そういう選考基準ですか。ふざけたまねを。より場を盛り上げるためとはいえ、彼女を危険に晒すなんて。あの老害……」

 

一瞬もう満員になっている観客席を見回したかと思うと、一直線に代表選手の待機場と思しきテントを目指す。そしてたどり着いたテントで、

 

「セドリック・ディゴリー。そこにいますか!?」

 

「……あぁ、ここにいるよ。……ありがとう。また僕の緊張を、」

 

「いいえ、ディゴリー。時間がないので手短にお話しします。ただでさえ試練のことで頭が一杯のところ非常に申し訳ないのですが、もし湖の底にチョウ・チャンと一緒にハーマイオニー・グレンジャーがいたのなら……どうか二人とも連れ帰ってもらうことは出来ないでしょうか? 勿論ビクトール・クラムが失敗しそうだった場合のみで構いません。こんなこと、貴方にしか頼めないのです!」

 

本来であればダリアと全く接点のないはずのセドリック・ディゴリーと話し始めたのだった。

クリスマスパーティー直後に、私に隠れてダリアが彼と会っていたのは知っている。ダリアが今隠れてやっていることに彼が関わっていることは間違いない。でもこんな風にダリアが切羽詰まった声で彼にお願い事をする程の仲になっているとは想像もしていなかった。

何が起こっているのか、そして何故ダリアがテント越しにディゴリーに頼みごとをしているのか。現状に全くついていけず、ただ焦っているダリアの邪魔をするわけにもいかず黙るしかない私を他所に、彼女と彼の会話は続いていく。

 

「……君ももう気付いたんだね。僕等のやる気を出させるためなのかは知らないけど、湖の中に人質がいることに。でも……何故グレンジャーのことを? 確かに彼女はビクトール・クラムの人質だと思うけど、君と関係があるとは思えない。彼女のことは少しだけ知っているよ。なんでもグリフィンドール寮が誇る、マグル生まれで君に迫る程の成績を持つ生徒だとかなんとか。……失礼だけど、君と彼女はどういう関係なんだい?」

 

テント越しから聞こえる、どこか試すような声音を持った言葉。その言葉に私は遅ればせながらようやく事態を理解し、表情を青ざめさせる。

ダリアはずっと前から知っていたのだ。第二の試練が湖で行われることを。そしてドビーの発言を受けたことで全ての情報を一瞬で理解し、ハーマイオニーが今どこにいるのか、そして何のために彼女が攫われたのかを悟ったのだ。つまり今ハーマイオニーは湖の中で代表選手の……おそらく彼女のダンスパートナーを務めたクラムに対しての人質になっている。

しかしそれが今更分かったところで事態が変わるわけではないし、私のするべき行動が思いつくわけではない。

ただ少しだけ事態を理解したことで逆に更に表情を青ざめさせる。そんな私の横でダリアがディゴリーの質問に答えた。

 

「……ただの()()()()です。ただ彼女にビクトール・クラムを勧めたのは私だったから……少しだけ罪悪感を感じているだけです。ただそれだけの関係です」

 

「……分かっていると思うけど、君が予め僕に試練の内容を教えてくれているとはいえ、僕にもあまり余裕があるとは言えない。湖の中に何がいるかは分からないからね。……だから確約は出来ない。散々君に助けられたからなるべく要望には応えたいけど、それでよければ、」

 

「えぇ、それで構いません。……今頼れるのは貴方だけなのです。本当は試練関係なく湖の中に私自身が行きたいのですが、私は少々ここの老い耄れ……校長に警戒されていますので」

 

ダリアが答え終わると同時に彼女とディゴリーとの会話は途絶える。ディゴリーがダリアの強がった返答に何を思ったのかは分からない。ただテントの向こうで、

 

「そうか()()()あれ程君が怒っていたのは……。本当に、君の本性は一体何なんだ?」

 

セドリックが何事か呟いてはいるけど、あまりにも小さな声音のため聞き取れることはなかった。

 

 

 

 

待機所のテントにいよいよ老害をはじめとする審査員が集まり始めたため、私達は彼らにバレないように観客席を目指す。

その道すがら、私は恐る恐る隣を歩くダリアに尋ねた。

 

「ハーマイオニー……大丈夫かな?」

 

「……流石に命の危険まではないと思います。あれがいかに老害だったとしても、試練のために生徒の命を危険に晒すようなことはないはずです。……それでも万が一ということはあるわけですが。あの老い耄れ……」

 

無表情ではあるけれどその声にはハッキリと焦った響きがある。やはりディゴリーに頼んだとしても不安な気持ちは消えないのだろう。

そんなダリアを刺激しないように、私はなるべく平静を保った口調で重ねて尋ねた。

 

「そうだよね……。そう言えば、ダリア。セドリック・ディゴリーと仲がいいんだね。この前も一緒にいたし。ねぇ……ダリアはディゴリーと一緒に何をしているの?」

 

しかしダリアの答えは、

 

「……ただの気まぐれですよ。意味がないと分かっていても、ただ何もしない方が嫌だと思っただけです。それに彼と私は別に仲良くありません。彼は私にとってただの駒です。ただそれだけの関係で()()()()なのです」

 

やはりどこかはぐらかした物でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「さて、全選手の準備が整いました! 第二の課題がいよいよ始まります! 課題時間は一時間! 一時間の内に選手たちは奪われた者を取り返さなければなりません! それでは……はじめ!」

 

合図と共に他の代表選手は一斉に湖へと飛び込む。そんな中で僕だけは、ポケットに入れていた『鰓昆布』を口に押し込んでから、冷たい湖の中に入ったのだった。

効果はすぐに表れた。まるで首の両脇にナイフを差し込まれたかのような痛みを感じたかと思うと、急に水の中でも息が出来るようになる。触ってみるとそこには鰓と思しき裂け目が存在していた。

……正直これを()()()()()渡された時は半信半疑だったけど、もはや今となっては効果を疑う余地などない。

僕は鰓と一緒に生え始めた鰭足で水を蹴りながら、ネビルが僕にこの手段を提案してくれた時のことを思い出した。

 

『ハリー! 水の中で息をする手段! 僕、見つけたよ! さっき()()()()()()()貰った本に載っていたんだ! 『鰓昆布』だよ! これさえあれば水の中でも息ができる! この薬草の原産地は地中海なんだけど、確かおばあちゃんの知り合いに出身の人がいた……気がする。その人を頼れば、多分『鰓昆布』が手に入るはずだよ!』

 

『え、鰓昆布! そうよ! その手があったわ! 今まで呪文を探すことばかり考えていたけど、別に呪文に拘る必要はないのよ! 寧ろ鰓昆布の方がハリーの呪文を失敗した時のことを考えずに済むわ! ネビル! ありがとう、私には思いつきもしなかったわ!』

 

ネビルには本当に感謝だ。本当にギリギリのタイミングで『鰓昆布』が届いたとはいえ、彼の助けがなければこうして第二の試練に臨むことすら叶わなかっただろう。

僕は彼への感謝を新たにすると、彼の努力を無駄にしまいと先を急ぐ。試練の時間は一時間。その間に僕は『取られた大切な()』を取り返さなくてはならない。一体何を取られたのか想像もできないけど、とにかく急がなくてはいけない。

 

でもそんな僕の勘違いは……この後すぐに正されることになる。

 

水草の間に潜む『水魔』を撃退しながら進んだ先、20分くらい泳いだ頃僕の耳にあの歌が聞こえてくる。

 

『探す時間は一時間。取り返すべし、大切な物。一時間のその後は、もはや望みはあり得ない』

 

ようやく行先を見つけたと喜び、歌の聞こえる方に一直線に泳いでいくと……僕は見つけてしまったのだ。

 

灰色味を帯びた肌に、ボウボウとした長い暗緑色の髪。足ではなく大きな尾びれを生やした『水中人(マーピープル)』が囲む真ん中に、4人の()()ががっしりと縛られた状態で漂っているのを。

 

ロンにチョウ・チャンにハーマイオニー、そしてもう一人せいぜい八歳ぐらいの女の子の姿を見た瞬間、僕はこの試練の真意を悟る。僕ら代表選手が取られた大切な者とは……僕等にとって大切な人のことだったのだ。このメンバーから考えるにハーマイオニーはクラムの、唯一見覚えのない女の子はフラーの、ロンは僕の。そしてチョウ・チャンは、

 

「あぁ、ハリー! 君も来たんだね! 良かった! 正直誰も来ないんじゃないかと悩んでいたんだ!」

 

僕より早く来ていたらしく、彼女を縛り付けているロープを慎重に解こうとしているセドリックの……。

僕は試練でセドリックに先を越されたことに対する悔しさより、何とか人質を助けられないかという焦りの方が勝るのを感じながら彼に話しかける。

4人中3人も僕の友達や思い人なのだ。大切な者が人質だったことに驚いたこともあるが、友人達の危機に焦らないはずがなかった。

 

「セドリック! 先に来ていたんだね! クラムやフラーは!? 彼らの人質はどうなるの!?」

 

僕の声は水の中ではただガボガボという音を立てるだけだったけど、どうやらこの『鰓昆布』は水の中でも声を伝える作用があるらしい。セドリックは僕の言葉に間髪なく答えた。

 

「それがまだ来ていないんだ! だから他の人質も取りあえず解放だけはしようとしたのだけど……」

 

そう言って頭の周りに大きな泡がついたセドリックは、チョウ・チャンの横で漂うハーマイオニーのロープに手をかけようとする。しかし手を伸ばそうとした段階で周りにいた水中人達が動き、セドリックの方に手に持った銛を向ける。どうやら他の代表選手の人質には手を出すことは許されないようだ。僕は更に焦りを積もらせながら続ける。

 

「どうしよう!? 僕の人質はロンだ! でもそれだとハーマイオニーとその女の子が残ってしまう! 彼女達を置いてなんて行けないよ!」

 

チョウ・チャンとロンはセドリックと僕が連れ帰るとしても、それでは二人をここに取り残すことになってしまう。クラムとフラーがたどり着ければいいけど、彼らが本当にここに辿り着けるかどうかは分からない。よく見れば二人とも湖の冷たい温度のせいか顔色が青い気がする。僕には到底楽観的な思考で二人をここに放置することなど出来はしなかったのだ。

 

 

 

 

だからそんな状況下で、

 

「……そうだね。だったらこうしよう! 僕は取り敢えず、クラムがグレンジャーを迎えに来るまでここで待とう! もし彼が来なかったら()()()()()()()()()()()()()! だから君はこのフラーの妹を連れ帰ってくれ! 水中人に関しては……その時考えよう!」

 

彼がそんな提案をしてくれたことは、僕にはひどく有難い提案に思えてしまったのだった。

何故彼がハーマイオニーの方で、僕がフラーの妹を任されたのか考えもせずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セドリック視点

 

本当に僕は一体どうしてしまったのだろう。

 

そんな困惑した思いと同時に……どこか()()()()()()()()抱えながら座り込む僕の耳に解説員であるリー・ジョーダンの声が届く。

 

「レディース、アンド ジェントルマン! 先程水中人の長と審査員が話し合った結果、それぞれの代表選手の得点が今決まりました! 本日は審査員の一人であるクラウチ氏が()調()()()()()()()()()()、代理に魔法省勤務のパーシー・ウィーズリーが審査員に加わります! まずはビクトール・クラム! 彼はサメに変身する見事な変身術を披露してくれましたが、残念ながら変身できたのは頭のみ! ですが変身術自体は有効的だった上、人質を連れ戻したのは一番だったことから得点は30点! 実に高評価な点数と言えるでしょう!」

 

……やはりそうなったかと思った。

ハリーと湖底で話し合っていた時にクラムが到着したため、僕は結局グレンジャーを連れ帰らずに済んだ。しかし最後まで彼がちゃんと彼女を連れ帰るかを確認しながら戻ったために、僕は結局二番目に人質を連れ帰る結果になったのだ。彼が一番に評価されぬ道理などない。

でも同時にこうも思う。僕はクラムの後に到着しても、それでも二番目に到着したことには違いない。ならばクラムの次に呼ばれるのは僕であり、僕は彼の次の成績を収められることだろう。第二の試練は二位の結果とはいえ、最初の試練は一位で通過したのだ。ならば総合的にはまだ一位をキープする可能性だってあるはず。

僕はそんな自分の中に僅かに存在する悔しさを抑え込みながら、次は自分の番だとその場で立ち上がる。

しかし、

 

「そして次の発表は二番目に到着したセドリック・ディゴリーを()()()()、ボーバトンの代表選手であるフラー・デラクール!」

 

何故か次に僕の番が来ることはなかった。困惑する僕を他所に解説員の発表は続く。

 

「彼女は素晴らしい『泡頭呪文』を使いましたが、水魔に襲われゴールにたどり着くことは出来ませんでした! 当然人質も取り返すことが出来なかったため、得点は15点!」

 

そして間髪入れることなく、今度は最後にゴールしたはずのハリーの発表を始める。どうやら僕は最後に回されたらしい。

 

「次は我らがグリフィンドールのハリー……マクゴナガル先生、冗談ですよ! さて次はハリー・ポッター! 戻ってきたのは最後だった上、一時間の制限時間もオーバーしてしまいました! しかし彼の使った『鰓昆布』は非常に効果が大きく、しかも何と連れ帰った人質は()()! なんと彼は最後まで待ち、フラー・デラクールが来ないことを悟ると、水中人を魔法で脅してまで人質救出を優先したとのこと! 遅れたのは自分の人質だけではなく、全部の人質を安全に戻らせようと決意したからなのです! この道徳的な点を考慮し()()()()()()()()がほぼ満点に近い点数を彼に与えました! 点数は33点! クラム以上の高得点です!」

 

一番最後に到着したことで心が折れかけていたのだろう。顔を青ざめさせながら俯いていたハリーが、発表を聞いた瞬間弾かれる様に顔を上げている。

 

「やったぜ、ハリー! 君は間抜けなんかじゃなかった! 君は道徳的な力を見せたんだ!」

 

そして歓声を上げるロナウド・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーにもみくちゃにされていた。今までで一番高得点の彼に、他の代表選手も含めて全員が拍手を送っている。

そしていよいよ、

 

「最後にセドリック・ディゴリー!」

 

ハリーに対する大歓声の中、僕の順番が来たのだった。ハリーの解説に大興奮していた観衆が、そう言えば僕もいたなと思い出したかのように一斉に黙り込む。そんな沈黙の中、リー・ジョーダンの発表は発せられた。

 

「第一の試練でも高得点であったセドリック・ディゴリーですが、今回も彼はやってくれました! 彼が湖面に辿り着いたのは2番! しかし実は人質の解放は代表選手の中で一番早かったとのこと! 彼もハリーと同じく、他の代表選手が他の人質を解放するのを待っていたそうなのです! クラムが()()()()()()()()解放するのを見届けてから上がってきました! これはハリーと同じく非常に道徳的な点が考慮されます! しかも彼の『泡頭呪文』は完璧! フラーと違い水魔も撃退しながらゴールに辿り着いています! よって得点はハリーをも超える35点! 今までの試練で彼は独走状態となりました!」

 

……最後の最後に僕の順番を回されたのはそういうことだったのか。途端にハリー以上の歓声が辺りに満たされる。想像もしていなかった結果に茫然とする僕に、横で待機していたチョウが大興奮した様子で声をかけてきた。

 

「やったわね、セドリック! 本当に素晴らしい結果だと思うわ! 何だか私……貴方のことを見直しちゃった! 本当に貴方ってかっこいいわ!」

 

絶賛片思い中の女の子からの思いがけない言葉。

しかし僕はその言葉が……何故か今はそこまで舞い上がる程嬉しいものには()()()()()()

 

「ありがとう、チョウ。君にそう言ってもらえると本当に嬉しいよ。最後の試練も頑張るね」

 

本当に僕は一体どうしてしまったのだろう。

 

思いがけない最高得点、そしてチョウからの嬉しい言葉。全てが全て僕にとってはどれも嬉しくて仕方ないものであり、本来であればこの場で小躍りする程求めてやまないものだったはず。

 

でもどうしてだろうか……僕はこの一連の結果に驚きこそすれ、大して達成感のようなものを感じきれてはいなかった。

 

寧ろこの()()()()()()()()、僕の心は既にもう満たされ切っていた。

僕はチョウの言葉に微笑で返しながら、本来僕が目も向けることもなかったはずの、()()()()()()()が固まって応援しているスペースに目を向ける。

そしてその中には、

 

「っ! ……なんだ、君も()()()()()()

 

この学校で唯一、代表選手である僕を本当の意味で支え続けてくれた()()の姿もあった。

 

 

 

 

僕はおそらくチョウを連れて……いや、グレンジャーをクラムがちゃんと連れ帰ったのを確認し、自分の()()()()()()が終わった瞬間、彼女のあの無表情を見て思ったのだ。

あぁ、良かった……彼女が安心してくれている、と。

僕にはあの瞬間、彼女のいつもの無表情が……どこかとても()()()()()()()()()見えていた。

彼女のいる場所はスリザリン生が固まっている中でも日陰の中。僕の位置から正確に彼女の表情を確認することなど本来は出来はしない。でも僕には確かにそう見えたのだ。光の加減による勘違いだとしても、僕には確かに……。

そして今も、

 

「まったく……そんな表情が出来るなら最初からしてくれたら良かったのに。僕は今まで一体……」

 

僕には拍手をこちらに送ってきてくれている彼女の表情が、間違いなく()()()()()に見えていたのだった。

 

彼女の要望通りに行動したわけではないけど、彼女の()()の無事だけは確保することが出来た。そしてあんなにも焦っていた彼女が笑顔でいてくれている。

 

そのことに僕は……試合開始前にあれだけ望んでいた最高点を得た結果とは関係なく、どうしようもなく満足感を得てしまっていたのだ。

 

 

 

 

そんな僕と彼女の様子をムーディ先生が冷たい瞳で見つめていることにも気付かずに……。




ゴブレットも残り数話です(多分)


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閑話 遠い昔の幸せな記憶

 ()()()()視点

 

暗い森の中をただひたすら歩く。明かりと言えば木々の隙間から時折見える月明りのみ。自分が本当に正しい方向に歩いているのかも分からない。

しかし私はそれでも前に進み続けるしかなかった。一度止まってしまえば、

 

『戻ってくるのだ。()()の下に戻ってくるのだ』

 

頭の中に常に響き続ける声に意識を持っていかれそうになるから。戻ればどうなるかなど分かり切っている。このままでは()が本当に()()してしまう。もう私はこれ以上間違いを重ねるわけには……()()()()()わけにはいかないのだ。

朦朧とした意識の中でも、一歩進むごとに自分の寿命がすり減っていくのが分かる。限界などとうに超え、歩みを支えているのはただ気力のみ。

そんな歩みの中、自分の人生が脳裏に浮かんでは消えていくようだった。自然口からうわ言のような言葉が漏れ出て行くのを、私はどこか他人のような心持で聞き続ける。

 

「あぁ、今夜はファッジご夫妻とコンサートに行くのだ……妻と息子も伴ってな。そうだ、そうだとも。実に自慢な息子でね。最近『O・W・L試験(ふくろう)』で十二科目もパスしてね。満足だよ。あぁ本当に……自慢の息子だよ。流石は私と妻の子供だ」

 

こんな時に思い出すのは妻と息子の記憶ばかり。もはや後悔しかない記憶であるはずなのに、今この瞬間のみは何故か無性に愛おしい物に思えてしまっている。見向きもしなかった日常の日々が愛おしく、寧ろ今までずっと固執していたものこそが無価値なものに思えて仕方がない。

 

私は本当に……一体どこで間違え始めてしまったのだろう。

 

朦朧とした意識の中、私はそんなことばかり考え続けていた。

 

 

 

 

純血に連なるクラウチ家の嫡子として生まれた私は、生まれた頃からそれはもう厳しく育てられた。

 

『お前はいずれ私と同じ魔法省高官となるのだ。いや高官どころかそれ以上の、それこそ魔法大臣にまで上り詰める。それがお前の生まれてきた()()だ。そうならなければお前は()()()だ。私の息子ではない』

 

父親に何度そんなことを言われたのか、正直もう覚えてもいない。それこそ毎日のように同じ話をされるのだから覚えている方がどうかしている。今思い返せば、これは父にとって僕に対してのもはや挨拶の様な言葉だった。

正直辛いと思わなかったかと聞かれれば、辛くない日なんてなかったと答えるだろう。

生まれたその瞬間から感じる父からの重圧。そんな父から僕を庇いもしない母。将来を見据えてか他の純血家庭との付き合いはソコソコあったが、そのどの家庭とも明らかにレベルの違う重圧。

なるか、ならないか。息子か、他人か。常に結果を勝ち取り、()()()()()()()をし続けないといけない日々。

それが私が覚えている両親の全てだった。唯一私に優しくしてくれるのは、

 

「ご、ご主人様! どうかお坊ちゃまにもう少しだけ優しく、」

 

「黙れ! この役立たずのしもべ妖精が! お前は私の言いつけ通り家事でもやっておればいいのだ!」

 

代々クラウチ家に仕える高齢の屋敷しもべ妖精だけだった。が、その妖精も私が小さい頃に死に……その子供であるウィンキーとかいう気の弱い、それこそ父に何の口答えも出来ない無価値なしもべ妖精に代替わりしてしまった。

私を無条件に家族だと認めてくれる人間は、この世のどこにも存在していなかった。

しかし幸いなことに、私は優秀な父同様()()()()はそれなりに上手くこなすことが出来た。そのためホグワーツに入っても何とか優秀な成績を維持することは出来、私は常にクラウチ家の息子であり続けることが出来たのだ。

もっとも全てが全て上手くいっていたわけではない。

こと勉学以外の面となると……私はとてもではないが優秀とは程遠いものでしかなかった。父親もこの点は壊滅的であったことから学生時代に問題になることはなかったが、私の中ではコンプレックス以外の何物でもなかった。

端的に言えば……私には他者がその辺の石ころぐらいにしか思えなかったのだ。魔法省高官、とりわけ魔法大臣を目指すなら他者にあまりにも嫌われてはならないことは分かっている。だがそれが分かっていても、私にとって他人とは全員が()()()の集団でしかなく、何故このような愚か者共と私は付き合わなければならないのかという思いを捨てきれなかった。

 

何故皆私の様に努力しない? 何故努力していないのに、皆両親の子供であれるのだ? これでは()()()ではないか。この世は勝つか負けるかしかない。であるのに……何故勝ち取る努力もしていないのに、お前達は()()()()()()()のだ?

 

彼らを見ていると、私はどうしてもそんなしてはいけない思考をしてしまうのだった。

だから私は考えることを止めた。彼らのことがどんなに羨ましくとも、私はこうでしか両親の子供であることが出来ない。ならば彼らとの関係を表面上だけのものにしよう。彼らは私が魔法大臣になるための駒でしかない。内心はどれだけ嫌でも、表面上だけはそれなりに上手く()()()()()()()()。それが私の他者と付き合う上での()()()だった。

 

しかしそれでも他者との付き合いが上手くいくことは……あまりなかった。誰も彼も私と話す時妙に緊張した表情で話し、陰では、

 

『クラウチの奴、あいつなんであんなに偉そうなんだよ。ちょっと勉強ができるからって調子に乗りやがって。勉強ができることがそんなに偉いのか?』

 

私の蔭口に皆で興じているのだ。

後で考えれば簡単なことだった。彼らは結局、私のこの薄っぺらな仮面など最初からお見通しだったのだ。私の張り付けたような能面の下から見え隠れする、彼らを軽蔑しきった私の瞳を彼らは感じ取っていたのだ。

そしてそれはホグワーツ魔法学校を卒業し、いよいよ魔法省に勤め始めた辺りで本格的になり始める。学生時代はそれでも何とかやれていたが、いざ働き始めるとうまく回らないことが増えたのだ。些細な嫌がらせから始まり、最後にはもはや妨害としか言えないものまで。()()()、私の出世は人付き合いの一点で足を引っ張られ続けた。

理性では分かっている。どんな人間だったとしても、他者から見下されることはとても気持ちいいものではない。そんな単純な心理が人間関係に反映されているだけだ。だが理性で分かっていても、感情では納得することが出来ない。感情に行動が支配されるなど愚か者のすることだ。だがそれが分かっていても……私はどうしようもなく他者を軽蔑し、それ故にそんな自分自身がコンプレックスで仕方がなかったのだ。

 

もっとも……そんな中で奇跡的に上手くいった人付き合いも一つだけあった。

それは私が世界で唯一愛した妻……そして世界で唯一私を()()()()()()妻との関係だった。

 

『今日からここ『魔法法執行部』に配属されました! よろしくお願いいたします!』

 

彼女は私と同じ『魔法法執行部』の人間だった。私の入所した2年後に入ってきた新人。正直最初は他の人間同様なんて使えない人間なのだと思っていた。新人であることを差し引いても全てにおいて愚鈍であり、到底役に立てるような人間になるとは思えなかったのだ。

 

『また君か……何故このような失敗をするのか、私には理解不能だ』

 

『も、申し訳ありません!』

 

『まったく……君は本当に……』

 

……しかしその考えは数年で塗り替えられることとなる。

何故かいつの間にか……私はどうしようもなく彼女の行動を目で追い始めたのだ。相変わらずどんくさい行動の数々。別に何かしらの成果を出せたというわけではない。だというのに私は何故か彼女の行動をいつも見続けていた。

何故かと自分自身に問う。そしてその答えは考え始めてからほどなくして出た。

確かに彼女は他の人間に比べて愚鈍であり、いつも大した結果を出すことが出来ない。だがそれでも……彼女は他の怠け者共と違い、決して努力を怠ろうとはしていなかったのだ。

転んでも必ず立ち上がり、またどんなに高くても壁に体当たりしていく。そのありようが私には……まるで自分自身を見ているような気持ちにさせられていたのだ。私とは違い愛嬌のある性格でありながら、失敗ばかりのせいで人間関係がそこまで上手くいっていない点も私にはとても好感を持てた。

 

それに気が付いた時……私は人生で初めて他人のことを少しだけ優しい気持ちに見れるようになった。

 

だから私は彼女に結婚を申し込んだ。この感覚を手放すわけにはいかない。彼女を傍に置いておけば、私は今の感覚を維持できる気がする。そうすればこの他者を見下した感情とていつかは是正され、私は父が望むように魔法大臣にまで上り詰められるような気がする。

そう思えばこそ行動は早かった。幸い彼女の家柄自体は純血であったため、両親もすんなりと納得させられた。そして彼女も彼女で結婚を申し込んだ当初こそ困惑していたが、結局我が家の圧力に抗うことなど出来はしなかった。しかも最後には、

 

『……最初は確かに貴方に結婚を強引に申し込まれて困惑しました。でも今ではそれでも良かったと思えるんです。最初は貴方は私にとって怖いだけの存在でした。でも……貴方も苦しんでいる。なんでも出来る貴方はそれ相応の努力をしている。そう思ったら……何だか貴方のことがたまらなく愛おしくなったのです。だから……私は貴方と結婚出来て幸せです』

 

そんなことを言ってくれるようになったのだ。

その時に気が付いた。私は彼女に恋をしてしまっていたのだと。そして()()()、彼女に愛していると言われたかっただけなのだと。

 

おそらくこれが……人生で()()私が成功した人間関係だった。

そう唯一の成功。思えばここで私は満足しておけば良かったのだ。たとえ唯一であろうとも、これこそが私にとって最高の関係。

それなのに私は……。

 

私に愛を囁いてくれる妻。そしてようやく彼女への愛だけは素直に認められるようになった私。結婚後子供が生まれるまでそうはかからなかった。

今でも子供が生まれた時のことを覚えている。薄茶色の髪にソバカスだらけの肌。顔立ちはどことなく妻に似ている、本当に可愛らしい赤ん坊だった。

あの時思ったものだ。この愛すべき妻と、この可愛らしい子供のためなら私は何だってやれる。何だって乗り越えられる。私はそう自分の未来は明るい物なのだと信じて疑わなかった。

だから子供の名前も、

 

『バーテミウス・クラウチ』

という私と全く同じ名前を送ったのだ。私が今まで努力して積み上げていた物、これから積み上げていく明るい未来を、そのまま息子に全て()()()()()()()という願いから。妻も最初は呆れた表情を浮かべていたが、まぁ、貴方がいいのならと認めてくれた。私達の未来は希望で満たされていたのだ。

 

……しかしすぐにその甘い認識が間違いだったことに私は気付く。

初めは良かった。妻の指示に従い子供をあやす。食事を与える。仕事の合間に行うのはとても労力と根気のいる作業であったが、少なくとも方法だけはハッキリしていた。

問題は子供が成長し、言葉や考えを示すようになってからだった。

 

私は……子供をどう愛せばいいのかよく分からなかったのだ。

 

勿論この愛すべき妻が生んでくれた子供を愛していないわけではない。だが愛しているだけで……それをどう表現すればいいのか私には皆目見当もつかなかったのだ。

私が両親のことで想像できるのは、

 

『魔法大臣にまで上り詰める。それがお前の生まれてきた意味だ。そうならなければお前は無価値だ。私の息子ではない』

 

両親に幼い頃から言われていた言葉だけだ。両親に聞こうにも、

 

『いいか、バーティ・クラウチ・()()()()()()()を必ずクラウチ家に相応しい男に……魔法大臣になれる程の男にするのだ。私は結局なれなかったが、お前達のどちらかがなれば、私は無価値ではなくなる。私は自分の人生に意味を見つけ出せる。それが我がクラウチ家の……()()()()()()()()()願いだ』

 

という遺言を最後に数年前に亡くなっている。もはや聞きようもないし、聞けたところで違う答えが返ってくるとは思えない。

 

だから私が子供に対して取った行動は……結局は私が両親から受けてきたものと寸分違わぬものでしかなかった。

私は結局、()()()()家族との接し方を知らなかったから。

 

『いいか、バーティ・クラウチ……ジュニア。お前はこの私と同じ名前……名誉ある聖28一族であるクラウチ家を受け継いだのだ。お前はその名に恥じない男にならなければならない』

 

この態度が間違っているものだということは薄々感づいてはいた。息子も言われる度にどことなく寂しそうな表情を浮かべていたのだから当然だ。だが私はこれしか知らないのだ。知らないものを他者に提供することなど出来はしない。

それに私の母とは違い、妻は息子に対して違った態度を取っているようだった。なら私が厳しさを。妻が優しさを与えることはあまり間違っていないような気がしたのだ。

息子なら大丈夫だ。私の様になるはずがない。私とは違い彼には妻がいる。だから大丈夫だ……と。

 

それにこの時期息子のことに掛りっきりになれない理由もあった。

 

史上最悪の、それこそあのグリンデルバルドさえ超える闇の魔法使い『ヴォルデモート卿(名前を言ってはいけない例のあの人)』が台頭し始めたのだ。

 

奴の台頭により魔法界は恐怖のどん底に貶められ、その頃には魔法法執行部部長になっていた私はそれこそ家に帰る暇がない程大忙しだった。子供のことなど妻に任せっきりだったと言っていい。

毎日のように舞い込んでくる残酷極まりない案件をひたすら裁く日々。家に帰っている暇などどこにもありはしない。

だがそれも悪いことばかりではない。ただ規則に従って……或いは規則より厳しく闇の魔法使いを裁けば裁くほど私の名声は上がっていったのだ。無法な奴らを止めるにはこちらも強力な手段を使わなければならない。それこそ奴らの使う闇の魔術を使ってでも。そんな当たり前のことを言っただけで、今までからは考えられない程周りから称賛された。妻と知り合ったことで私の中では周囲に対する評価が変わったが、一方その周囲から私への評価が変わったわけではない。そんな状況下で急に私のことが持て囃され始めたのだ。

もっと厳しい処置を。もっと私に権力を。もっと私に……魔法大臣になれるだけの名声を。世間には悪いがこれはまたとないチャンスなのだ。息子が大きくなった時、彼に受け継げるだけの地位を。

家族と過ごす日々で抑えこまれていた出世への()()()が満たされるのが楽しく……そしてそれを()()()にして私はいよいよ家に帰ることがなくなった。

 

しかしそれがいけなかった。

私はどんなにそれしか知らなくとも、もっと自分の息子に真摯に向き合うべきだった。そうすれば多少すれ違おうとも、決してあの子に寂しい思いだけはさせなかったに違いない。

それに私が称賛されたのも、ただ彼らはあの異常な状況の中で、敵の目を引き付ける行動をしていた私のことをただの()()として歓迎していただけ。私自身が称賛されていたわけではない。

そう気づいたのは……全てがもうどうしようもない段階になった時のことだったが。

 

そう、あれはあの運命の日……。

 

()()()()()()()()()()。お前は魔法省に証拠を提供するために、アズカバンからここに連れてこられた。もし有益な情報を提供するのならば、お前の罪状をある程度考慮してやっていい。だが出来ないようであれば……分かっているな?』

 

『も、勿論です、閣下』

 

ようやく闇の帝王が倒れ、いよいよ闇の勢力の掃除が終盤に差し掛かった時。私は全ての代償を支払うことになる。

奴は()()()()の中、何の役にも立たない情報を垂れ流した後、

 

『もういい、カルカロフ。お前の出す情報は全て我々が既に掴んでいるものばかりだ。もう何もないなら、』

 

『……いいえ、閣下。では最後に言わせてもらいます。今から言う者は……ロングボトム夫妻を拷問し、彼らを廃人に追いやった人間です。苦しむ彼らに『磔の呪文』をかけ続けたのです!』

 

『……そいつの名前は?』

 

『バーテミウス・クラウチ……()()()()!』

 

あの決定的に私を破滅させる言葉を吐いたのだった。

私は息子から逃げ……その贖罪とばかりに積み上げていた物は、あの一瞬で崩れ去った。

……残されたのはクラウチ家が代々受け継いできた、それこそ私の()()()()()()()()のであろう、

 

『それがお前の生まれてきた()()だ。そうならなければお前は()()()だ』

 

()()のような言葉だけだった。

 

 

 

 

もうどれ程歩き続けただろう。

相変わらず頭の中に、

 

「俺様の下に戻ってくるのだ」

 

奴の声が響き続け、気を抜けば全ての意識が持っていかれそうになる。朦朧とした意識で辺りを見回せば、既に太陽が昇っているのか周囲は明るくなっている。

そんな中頭に浮かぶのは、やはりあの私が本当に欲しかったもので満たされていた光景のみ。

息子のことで心を病み死んでいった愛すべき妻。私の『服従の呪文』で生ける屍になることでしか生きる道のなくなった息子。そして……全てを失い、ただ再び自身の人生の意味と価値を見出そうとした私。

あぁ、何故だろう……全てを失ったはずなのに。全てが間違っていたはずなのに。もうどうしようもなく取り戻せない過去であるというのに、今はその全てが懐かしく……どこか愛おしくさえ思えてしまっている。

 

だから……

 

「今から妻と息子に……いや、違う。会わなければ……ダンブルドアに会わなければ!」

 

今は会わなければ、ダンブルドアに伝えに。

息子の……いや『闇の帝王』の恐るべき企みを伝えるために。

 

それが私が息子にしてやれる最後のことなのだから。



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心に開いた穴

 ハリー視点

 

第二の試練も何とか切り抜けることが出来た。今の所僕の成績は二位。断トツの一位であるセドリックに続き、僕は何とか二位の位置につけている。他の代表選手とは違い年齢も実力も足りていない中、よくここまで戦えているとさえ言えるだろう。正直自分で自分を褒めてやりたい。

しかしいつまでもそんな安心した心持でいるわけにもいかない。最初の試練と第二の試練の間には長い準備期間があったけど、どうやら最後の試練にはそれもないらしい。

最後の試練が終わって数日後、急にクィディッチ競技場に呼ばれたかと思えば、

 

「皆集まったな。では今()()()()のクラウチさんに代わって僕が説明する。第三の試練は見ての通り迷路。中に数々の障害物が設置され、迷路の中心に三校対抗優勝杯が置かれている。それを最初に取った者が優勝だ」

 

以前まで存在していなかった巨大な生け垣の目の前で、()()()()が意気揚々とした様子で宣言したのだった。

どうやら今回もクラウチ氏の代理を務めているらしい彼は、やはりどこか誇らし気な様子で続けた。

 

「障害物はハグリッドが育てた色々な生き物を置く。それに他の教師陣が仕掛けた色々な呪いも。これらは代表選手に選ばれた君達にも越えるのは中々厳しいものになるだろう。心してかかってほしい。油断すれば怪我では済まないかもしれない。勿論安全対策を講じてはいるが、それも絶対ではない。決して油断しないように。最後に迷路に入る順番は今までの成績で決める。一番はセドリック・ディゴリー、君だ。そして二番がハリー、三番がビクトール・クラム。最後にフラー・デラクールに入ってもらう。何か質問は?」

 

パーシーの声に誰も応えなかった。皆やる気に満ちた表情で生け垣の方を見つめている。どうやら今までの試練の中で一番単純明快な内容であり、尚且つ誰にでも優勝の可能性が残っていることに興奮しているのだろう。

……そんな中で僕だけは、この試練の内容の恐ろしさに戦慄して声を上げられなかっただけだったが。

ハグリッドの育てた生き物?

そんな生き物が安全なはずがない。間違いなくあの『尻尾爆発スクリュート』が紛れ込む。あの巨大な化け物に暗い迷路内で出会ったら僕は卒倒してしまうだろう。それに他の生き物だって真面であるはずがない。正直ハグリッドの前科を考えると寧ろ今までの中で一番危険な試練であるようにさえ思えた。いくら今回の試練でダリア・マルフォイがセドリックの助けにならないであろうとも、僕自身も危険であることに変わりはない。

しかしそんな僕の不安に頓着することなく、パーシーは僕らから質問がないことに満足したのか一つ頷くと、

 

「よろしい! 質問がなければ城に戻りなさい! 試練まであまり間がないからね、体調はしっかり整えておくように!」

 

一仕事終えたと言わんばかりの様子で解散の号令をかけたのだった。

フラーとセドリックはまだもう少し迷路を見るつもりなのか、城には戻らず生け垣の周りを歩き始める。城に戻ろうとするのは僕と、

 

「ちょっと話したいんだけど、いいですか?」

 

「あ、あぁ、いいよ」

 

クラムだけだ。城に向かって歩いている最中、今まであまり話したことない人間から話しかけられたことに驚く僕に彼は続ける。

 

「ヴぉく、君に聞きたいことがあるんだ。……君と()()()()()()()()の関係について。こちらの記事をヴぉくも読みました。それでは君と彼女が付き合っていることになっていました。彼女もヴぉくといる時、よく君の話をしていました。彼女が話すのはいつもダリア・マルフォイかダフネ・グリーングラス。それか君のことだけだ。……君は彼女と付き合っているのですか?」

 

ロンやシリウスの意見に完全に納得したわけではないけれど、クラムは一応ダームストラングの生徒、つまりカルカロフの生徒だ。寧ろいまやダリア・マルフォイと繋がりのあるらしいセドリックの方が警戒対象と言えるだろう。しかしクラムの方も一応警戒しておくに越したことはない。そう僕は思い身構えていたのだけど……思いのほか拍子抜けした話題に僅かに脱力してしまう。

僕はこちらを真剣に見つめているクラムに微笑みながら答えた。

 

「ハーマイオニーはただの友達だよ。彼女が僕の話をするのも、それは彼女と僕が友達だからさ。あんな嘘っぱちな記事を信じなくてもいいよ」

 

何だか彼を警戒していたのが馬鹿らしく思えてしまう。こちらを疑わし気に睨む彼は、どこからどう見ても恋に悩む同世代の人間でしかない。そこに闇の魔術を学ぶダームストラング生だとか、世界的に有名なシーカー選手などという肩書を僕は微塵も感じなかったのだ。

そしてそんな僕の思いが通じたのか、クラムも硬い表情を引っ込めながら答える。

 

「……そうか。良かった。ならいいんだ。君は嘘を言っているようには見えない。あ、そう言えば。ヴぉくは君が飛んでいるのを見ました。君は飛ぶのが上手いな。ヴぉくもあんな状況で飛べと言われたら、あんなに上手く飛べないかもしれない」

 

彼の言葉にもはや僕の中の警戒心は完全に消し飛ぶ。あの世界的シーカー選手が、僕のことをまるで同等のライバルのように扱ってくれている。それが僕には嬉しくて仕方がなかった。

 

 

 

 

……しかし、

 

「……あぁ、ウェーザビー、この仕事を任せたよ。……私は家族と大事な用があってね。……だからどうか。ダンブルドアに……ダンブルドアに」

 

木陰から突然飛び出してきた人影によって僕らの会話は遮られることになる。

最初僕は彼が一体誰なのか分からなかった。何日も旅をしてきたかのようにローブは破れ、所々に血が滲んでいる。顔は傷だらけで無精髭が伸び、いたる所に汚れがこびり付いている。しかも何か虚空に向かってブツブツと呟き、瞳の焦点も全くあっていないのかフラフラ歩いている。

どう考えても怪しい人物の登場に警戒する僕の横で、クラムがポツリと呟く。

 

「この人……審査員の一人でヴぁないのか? 確か……クラウチとかいう」

 

その言葉に僕もようやく彼の正体に気が付いた。

そうだ。以前見た時と違い、あまりに恰好はみすぼらしいものに変わっているけれど、この人は間違いなく本来審査員であるはずの……それこそ本来なら今日も最後の試練について説明するはずだったクラウチ氏だ。

何故彼がこんな所で、こんな変わり果てた姿で……。

でもいつまでもそんな疑問を抱えて立ち尽くしているわけにもいかない。明らかに正気でない様子のクラウチ氏が、

 

「会わなければ……会わなければならない。ダンブルドアに……。ダンブルドアに会って伝えるのだ……奴が……()()()()()()()()()()! より強くなって! 私のせいだ……あぁ、あの時バーサに……息子に……。全て私のせいなのだ!」

 

更に異常なことを口走り始めたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

「ではカルカロフは……ダリアに庇護を求めるために、彼女と接触しようとしておる。そうお主は言うのじゃな、セブルス」

 

「はい。正確には彼女を通してマルフォイ家にでしょう。実に愚かな考えですが、今の奴は闇の帝王の恐怖に正常な思考を失っている。生き延びるためならどんなに意地汚いことでもするでしょう。……奴が多くの『死喰い人』を売り渡した時と同じように。まったくどこまでも愚かで下劣な男です」

 

ワシとセブルスしかおらぬ校長室。ワシは彼の報告を聞き、カルカロフの目的についてある程度の確信を得る。

カルカロフはヴォルデモートの復活によりその立場を非常に危ういものにしており、本人もその自覚を持っておる。じゃからこそこの魔法界で最も安全と言われるホグワーツに逃げ込む目的で三大魔法学校対抗試合を受け入れ、そして、

 

『お、お前は……い、いや、あ、貴女はミス・マルフォイの友人なのか、いや、なのですか?』

 

明らかにただの生徒であるはずのダリアに取り入ろうとしておるのじゃろう。

クリスマス・パーティーの時。カルカロフはミス・グレンジャーに話しかけようとしておった。思い出すのはいやに丁寧な口調。それまで彼女を邪険にしておったにも関わらず。……本来であれば彼女は奴が最も軽蔑する『マグル生まれ』であるにも関わらず。

それは紛れもなく、奴がダリアに是が非でも取り入ろうとしている証拠に他ならなかった。

本来ハリーの友達であるべきはずのミス・グレンジャーが何故ダリアと交友関係を持っておるのかは未だに分からぬ。じゃが思い返せば一昨年の『秘密の部屋』事件が解決した時も、彼女はダリアのことを常に庇おうとしておった。リーマスといい、ミス・グレンジャーといい、よく分からぬ所で時折ダリアを庇う人間が現れる。ワシがダリアの全ての面を見つめておるとは言わん。じゃがそれでも、彼女の今までの行動を考えればどうしてあそこまで擁護しようと思うのか、ワシにはそれがよく分からんかった。特にミス・グレンジャーは『マグル生まれ』ということでダリアに冷遇されておるじゃろうに何故……。

しかし今はそんな取り留めのないことを考えておる場合ではない。

ワシはそこで一度思考を切り替え、ワシ同様深刻な表情を浮かべたセブルスに応えた。

 

「ふむ、そうじゃな。ワシもお主の意見に賛成じゃ。じゃがそうなると……やはり今回のハリーの件に、カルカロフは()()()()()()()ということになるのぅ」

 

「……えぇ、残念なことに。奴が首謀者であった方が話は簡単だったのですが……これで我々はいよいよ敵の尻尾を掴めていないことになります」

 

頭の痛くなるような話じゃった。カルカロフがダリアを通してマルフォイ家に取り入ろうとする。それはつまり奴がまだヴォルデモートの下で生き残る手段を確立できておらん、奴が今回の件に関わっておらんということじゃ。もし奴がヴォルデモートの指示でハリーの名前をゴブレットに入れたのなら、そんな回りくどいことを態々する必要などない。寧ろ奴のことじゃ。周りに吹聴せんばかりに傲慢な態度を取ることじゃろう。それこそダリアに対してさえも。

それがどうじゃ。人目も気にならん程取り乱した様子でセブルスに相談を持ち掛け、一女子生徒であるはずのダリアや、彼女のことを()()()()慕っていると思しきミス・グレンジャーにさえ尻尾を振る。行動に不快感を感じこそすれ、奴は今回の件において完全な白であることは間違いなかった。

そしてそれは同時に……今回の件において現状容疑者が一人もいないことも意味しておった。

 

唯一疑うことが出来るのは、年齢が達していないにも関わらず何かしらの手段で『年齢線』を越えたダリアのみじゃが、それはワシの直感が()()と告げておる。

何より彼女が行ったにしては大きな証拠が残りすぎておる。彼女が名前を入れたのなら、そもそも彼女はアラスターの前で『年齢線』を越えて見せる必要性すらない。それは逆に彼女がやっておらん証拠じゃとワシには思えた。

勿論そうワシが考えると読んでのダリアの策略である可能性も否定しきれん。じゃがそれを差し引いても……彼女はハリーの試合での行動に一切の興味を示しておらんかった。

第一の試練と第二の試練。ワシは試合の最中、なるべくダリアに気付かれぬように彼女を観察しておった。じゃがそんな中、彼女は試練を観戦しに来たことが奇跡じゃと思える程、選手たちの行動に対して興味を持っておらん様子じゃった。()()セドリック・ディゴリーの試練のみは前のめりで見ておった気もするが、それもいつもの無表情であったためワシの勘違いじゃろう。少なくともハリーに関しては間違いなく何の興味も示しておらんかった。彼女がハリーの件に関わっておるのなら、もう少し興味を持って彼を観察しておるはずじゃ。

 

結果ワシはもうすぐ最後の試練が行われるにも関わらず、未だに容疑者らしい者を特定できずにおった。現状ワシに出来ることはあまりにも少ない。出来ることと言えば、アラスターによりハリーの周りに注意を払うよう指示を出すことくらいのものじゃ。それは何も打つ手がないのと同じことじゃ。

このままでは全てがヴォルデモートの……トムの思い通りにことが進んでしまうことじゃろう。

 

何か……僅かなものでも切欠さえあればこの流れを変えれるかもしれんのに。そう、何か切欠が、

 

「ダ……ドア先生! 話たい……が! クラ……」

 

「……何か外が騒がしいですな。この声は……ポッターか。まったくあの小僧は……。父親に似て騒々しいことこの上ない。ましてや校長室の中にまで声が響くほど騒ぐなど。校長、吾輩が行って黙らせて、」

 

「よい、セブルス。その必要はない。それにセブルス、偏見でものを言うでない。ハリーはまだ未熟な部分があるとはいえ、意味もなく廊下で騒ぎ立てるような生徒ではない。何かしらワシに用事があるのじゃろう。それも緊急性の高いのぅ」

 

ありさえすれば。

セブルスと今後の話し合いをしようとした時、突然校長室の外からくぐもった声が聞こえてくる。どうやらここに入る合言葉が分からぬハリーが校長室の前で必死に大声を上げておるようじゃった。

ワシは微かに聞こえてくる彼の声が切羽詰まったものであることに気付くと、急ぎ校長室の外に出る。背後からセブルスの不満げな視線を感じるが、今はそんなことに頓着している場合ではない。

そしてその認識は、

 

「ハリー、何事かね?」

 

「ダ、ダンブルドア先生! 良かった! ク、クラウチさんがいるんです! 競技場から城に戻ろうとした時にあの人が急に現れて! あの人が言っていました! ダンブルドアに伝えなくてはって! ヴォ、ヴォルデモートが戻ってくるって!」

 

「……あのクラウチが!? いや、今はそんなことを聞いている場合ではないのぅ。すぐに案内するのじゃ! セブルスはマクゴナガル先生とアラスターをすぐに呼ぶのじゃ!」

 

どうやら間違っておらんかったらしい。

ワシはセブルスに指示を飛ばすと、駆け出すハリーと並びながら尋ねる。

 

「クラウチ氏はどのような様子じゃった?」

 

「……あの人は普通じゃありませんでした。何だか自分がどこにいるのかも分からない様子で、フラフラしながらずっと可笑しなことを言っていました。でもヴォルデモートのことを話す時だけはしっかりしていて……。だから僕、はやく先生を呼ばないといけないと思って。今彼のことはクラムに見てもらっています! 丁度彼と一緒にいたものだから……」

 

「成程のう。ハリー、君の判断は正しい。ようワシに知らせてくれた」

 

突然のハリーからもたらされた情報を頭の中で整理する。

三大魔法学校対抗試合を宣言してから一度も姿を現さなかったクラウチ。ただの体調不良であり、指示自体は代理のパーシー・ウィーズリーに届いていると聞いておったため問題視しておらんかったが、どうやらワシの認識は甘かったようじゃ。しかもハリーの説明してくれた状況が確かならば、彼はもしや今までヴォルデモートに……。

自身の思慮の甘さに辟易しそうになる。ハリーのことに頭が一杯になるあまり、このような違和感に気付かぬとは。

じゃがこれは好機でもある。クラウチがもし今までヴォルデモートに囚われており、今も『服従の呪文』に掛っている状態であるのなら、彼は奴の計画を知っておる可能性がある。ならば彼から事情を聞けば、自ずと奴の計画を破綻させることも可能になるじゃろう。

これはまさにようやく訪れた逆転の好機の様にワシには思えた。

 

 

 

 

……じゃが、

 

「ク、クラム! ど、どうしたんだ!? そ、それにクラウチさんは!? ここにいたはずなのに!」

 

ハリーに案内された先にはクラウチの姿はなく、ただビクトール・クラムが横たわっているのみじゃった。

地面に大の字に倒れておるミスター・クラム。ワシは彼が『失神術』に掛っておると瞬時に判断し、即座に反対呪文で彼の目を覚ます。そして倒れた時に頭を打ったのか、青ざめた表情で頭を抱える彼に尋ねた。

 

「ミスター・クラム、大丈夫かね? そして今しがた起きたところ申し訳ないのじゃが、何があったか話してはくれんかのう? 一体誰にやられたのじゃ? そしてお主とおったはずのクラウチ氏はどこに消えたのじゃ?」

 

彼の答えは、

 

「ヴぉ、ヴぉくも何が何だか……。ヴォくはハリー・ポッターに言われた通り、彼を見張っていて……。そうしたら、突然赤い閃光が飛んできました。それからは何も……」

 

ワシの期待通りの物ではなかったが。

どうやらワシは……再び好機を逃してしまったらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ???視点

 

一時はどうなるかと思ったが、何とか危機を乗り越えることが出来た。

本当に運が良かったとしか言いようがない。もし最後の試練でポッターを勝たせるために、念のためにと迷路を下見に行っていなければ。もしその帰り道に、偶然ビクトール・クラムと()()()が共にいる場面に出くわさなければ。……もしもう少し遅く到着し、後から到着したダンブルドアに鉢合わせていれば。

何が欠けていても、闇の帝王の……俺の計画は破綻していただろう。

俺は自室の洗面台で傷だらけの自身の顔を洗いながら今後のことについて考える。

あぁ、今後のことを考えるだけで笑いが漏れてくる。いや、無理やり笑顔を()()

 

「くくく……ふははは! もうすぐだ……もうすぐでやっと」

 

全ては順調だ。ポッターが現在二位という不甲斐ない位置にいるとはいえ、最後の試練は迷路。今までの試練とは違い、いくらでも他の代表選手を妨害する手段がある。

そして一位であるセドリック・ディゴリーを支援している人間にもようやく目星をつけられた。

あの()()……よもや闇の帝王の計画を邪魔しようとは。

奴が何を考えてセドリック・ディゴリーと通じているのかは分からないが、奴の行動は確実にこの計画の邪魔になっている。ポッターが優勝しなければいけない中、別の代表選手を支援するなど言語道断だ。流石に邪魔しようと()()()()行動しているとは思えないが、結果的に邪魔になっているのは間違いないのだ。カルカロフにすり寄られていることといい、今回のことといい、闇の帝王が復活すれば必ず奴に罰を与えてくださることだろう。

これで最後の詰めをしっかり行いさえすれば、セドリック・ディゴリーが誤って優勝する可能性を潰し、闇の帝王は確実に復活、そしてあの得体のしれない小娘を追い落とすことも出来る。

俺はこの試練が終わった後、誰もが望む闇の帝王の右腕にただ一人上り詰めることが出来るのだ。誰もが望みながら、決して手には入れられなかった至高の座へ。

 

「あぁ、最高だ! こんなに気分がいいのは久しぶりだ! ふははは!」

 

もう俺の邪魔をするものは何もない。俺は今日全ての問題を処理できた。俺はもう完全な自由だ。

そう、俺を今まで縛り付けていた父親も、もう()()()()()()()()。俺自身が()()()()。あれだけ俺を支配しようとしていた父親を俺自身の手で!

実にあっけない最期だった。あの愚かな父には相応しい。あれだけ威張り倒していたのが嘘のような、どこまでも惨めで孤独な最期。自分が今まで支配してきた息子の手であっけなく。これも闇の帝王に逆らったからだ。闇の帝王の『服従の呪文』に大人しく従っておけばいいものを愚かにも抵抗し、あまつさえダンブルドアに計画を伝えようとするから。どこまでも独善的で、どこまでも愚か。実に奴に相応しい最期だ。

 

だから俺は今最高に幸せな気分だ。あぁ、本当に最高の気分だ。最高の気分の()()()()()

だから、

 

「はははは! ははッ……はは……うぅぅ……ふぐ……」

 

俺は今……()()()()()はずがないのだ。

 

何故だ。顔をいくら洗っても、目からとめどなく冷たい物が流れ落ちる。どう考えても俺は今幸せの絶頂期であるはずなのに、俺は何故……こんなにもあの男の死を悲しいと思っているのだろう。

幸せなことを考えようとしても、後から後から奴の死の直前の顔が思い浮かぶ。

ビクトール・クラムを失神させ、奴に杖を向けた時、

 

『本当に……自慢の息子だよ。……よくここまで出来た息子を妻は生んでくれた。ここまで育ててくれた……。本当に……素晴らしい家族()()()()()()()()……息子よ』

 

奴は『服従の呪文』にかかっている中、俺に向かってそんな今まで見せたことのない()()で言い放ったのだ。

今まで俺に向けたこともないような……そんな笑顔を。

何を今更と思った。心に響くものなど何もない。あの男が俺を愛したことなんて一度もないのだ。あの男との思い出は、

 

『お前はこの私と同じ名前……名誉ある聖28一族であるクラウチ家を受け継いだのだ。お前はその名に恥じない男にならなければならない』

 

そんな冷たい言葉しかないはず。

だからこれはただの命乞いだ。混濁した意識の中で叩き出した、僅かでも生き残る可能性を上げるための見苦しい足掻きだ。

そう判断した俺は怒り……奴を()()()。何の感慨もなく、まるでそこらの虫けらを殺す心持で。

 

『アバダケダブラ!』

 

目の前で笑顔のまま崩れ落ちる父親。そしてその死体を急いで近くの草むらに埋め、俺は急いでその場を後にしたあと、何食わぬ顔で、

 

『ダンブルドア! くそ、この脚め! 何やら騒ぎがあったと聞いたのでな! 何があった!?』

 

辺りを見回すポッターとダンブルドアに話しかけたのだった。

計画始まって以来の最大危機であったが、これで全ては元通り。ダンブルドアは再び闇の帝王の計画を見抜く好機を失い、俺は邪魔で仕方がなかった父親を排除出来た。この過程のどこにも問題などあるはずがない。寧ろ喜ばしいことばかりだ。

 

なのに何故……俺はこの結果を少しも嬉しいと思えていないのだろう。

何故あの時何も感じなかったはずの父親の顔が……こんなにも苦しいものに思えてしまっているのだろう。

 

 

 

 

湧き上がり続けるあり得ない感情を拭い去るため、俺は必死に洗面台で自身の顔を洗い続ける。

そしてこれから始まる幸福と栄光で頭を一杯にしようと必死に考える。しかしいくら考えても、

 

『愛している……息子よ』

 

俺の頭の中から、あの死を目前にした瞬間の父の顔が消えることはなかった。

挙句の果てに小さい頃。それこそ俺が本当に幼かった頃、まだ父親が俺に優しかった時の記憶ばかりが蘇ってくる。

いつも優しかった母さんがいて、そんな母さんの横でいつも誇らしげに……優し気な表情で俺を見つめている父さんの顔を。

 

「うぅぅ……()()()……どうして!」

 

だがどんなに嘆いても、もうこの世に父さんはいない。俺は今まで自分を縛り続けていたと()()()()()()()父を殺したのだ。

だから奴を殺した時俺に残されたのは決して自由などではなく……闇の帝王と共に()()()()()()()()()()栄光と、この胸の中にぽっかりと開いた穴だけだった。

 



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二度目の悪夢

 ハリー視点

 

クラウチ氏が消えてから数日。その間に僕は本当に色々なことを知った。

僕はあの後ダンブルドアに連れられ校長室で詳しい事情を聞かれた。その間にファッジ大臣が現れたけど、

 

『ダンブルドア! どういうことだ!? クラウチがホグワーツで見つかったと!? 彼は今体調不良で休養中と私は聞いていたのだが!? それがどうしてホグワーツで、』

 

『コーネリウスよ。その話は別の場所でじゃ。ハリーにこれ以上精神的な負担は……』

 

『そ、そうだな。子供の前でこのような話は……』

 

ダンブルドア先生は僕に彼との話を聞かせたくなかったのか、途中僕に校長室で休んでいるよう指示して別の場所に移動してしまったのだ。

そしてその間に……僕は見てしまった。

 

()()()()()()()()を。

 

それはただの出来心だった。

ここで待てと言われて大人しく待っていたけど、流石に一時間近く待たされれば手持無沙汰になってしまう。僕はそれまで座っていた椅子から立ち上がると、校長室に置いてあった様々な魔法具を見て回る。止まり木で眠りこけているフォークスや、棚に陳列された組み分け帽子、僕が二年時に帽子から取り出した剣。そんな思い出の詰まった品もあれば、何に使うのか見当もつかないような品まで色々な物が置かれている。

そしてその中に……何故か一際僕の目を惹く物が置いてあったのだ。

それは一見ただの水盆のように見えた。縁にぐるりと不思議な彫り物が施してあるけれど、それ以外は特に何の変哲もない水盆。しかしその中に満たされている水は……明らかにただの水ではなかった。

銀色の水の様な何か。見ていても液体なのか気体なのかよく分からない。明るい白っぽい銀色の物質は絶え間なく動いており、水の様に表面が漣だったかと思うと、今度は雲のように千切れ、滑らかな動きで渦巻き始める。

 

それに僕は興味の赴くまま指の先で触れる。すると気が付けば……僕はそれまでいた校長室ではなく、何故かどこかの裁判所のような場所に立っていたのだ。

 

その不思議な空間で見たのは、クラウチ氏が実の息子をアズカバン送りにした裁判の風景。

まだ少年の域を出ない男の子が恐怖でブルブル震え、そのソバカスだらけの肌を蝋のように白くしている。そしてそんな少年の様子をどこか感情を押し殺したような表情で見つめるクラウチ氏。そして最後に『吸魂鬼』に連行されていく少年。

校長室に戻ってきたダンブルドアに()()()()()()引き揚げられた時、先生が言うにはあれはどうやら『憂いの篩』という、過去の記憶の中に潜り込むことが出来る道具だったらしい。それまで『死喰い人』を徹底的に……それこそ無実のシリウスを碌な裁判もせずにアズカバン送りにする程厳しく追い詰めることで権力の座を駆け上っていた彼が、一夜にしてその全てを失った時の記憶。それが僕の見た光景の正体だった。

ダンブルドアは言っていた。あの後捕まったクラウチ氏の息子はアズカバンの中で死に、その後を追うように奥さんも亡くなったのだと。

そして全てを語り終えた後、最後に僕にこうも言ったのだ。

 

『……ハリー、好奇心は罪ではないが、同時に慎重に使わなければならぬものじゃ。特に今このような時にはのぅ。……ヴォルデモートが最後にいたと思われる場所から跡形もなく消えたバーサ・ジョーキンズ。そしてこの学校の敷地から突如消えたクラウチ氏。ワシにはどちらも偶然じゃとは思えぬ。まるでヴォルデモートが権力の座に昇り詰めていたあの時代そっくりじゃ。……お主を怖がらせるつもりはないが、この事件の裏には必ず奴がおる。そして今もお主を陰から狙っておるのじゃ。じゃから十分気を付けるのじゃぞ』

 

 

 

 

あの日から不安のあまり中々寝付けない。

今までボンヤリとしていたヴォルデモート復活の可能性が、何だか急に現実味を増してきたような気がするのだ。それには僕の話を聞いたハーマイオニー達も同意見なのか、

 

『……おそらく何かしてくるとしたら第三の試練でよ。それがハリーを襲う最後の機会だもの。なら今からでも呪文の練習をしなくちゃ』

 

『僕としてはそもそもの元凶を叩いた方がいいと思うな。犯人はカルカロフかスネイプ。それとビクトール・クラムにダリア、』

 

『何か言ったかしら、ロン? ビクトールに……誰が犯人ですって?』

 

『い、いや、何でもないよ。でもあいつ等を取りあえず試練中眠らせておけば、問題は起こらないんじゃないかな?』

 

『馬鹿なことを言わないで。そんなことは現実的ではないわ。スネイプ先生はともかく、カルカロフは審査員の一人なのよ。いなくなればすぐにばれるわ』

 

本当に僕のことを心配してくれている様子で色々な意見を出してくれていた。そして空き教室の中で、ハーマイオニーが試練に使えそうだとピックアップしてくれた『妨害の呪い』、『粉々呪文』、『四方位呪文』、そして『失神の呪文』を練習するのも根気強く手伝ってくれた。お蔭で『妨害の呪い』で相手の動きを鈍くし、『粉々呪文』で邪魔なものを粉砕、『四方位呪文』で自分の向いている方向を正しく認識し、『失神呪文』で相手を文字通り失神させられるようにまでなった。これで迷路対策及び、ハグリッドの仕掛ける危険極まりない怪物対策も十分だ。唯一候補に上がっていた『盾の呪文』はまだ十分に習得できなかったけど、全くないよりはあった方がましだ。こればかりは最後の試練に臨む未来の僕に期待するしかない。しかしそれでも自分達の考えうる限りの準備を整えたと言えるだろう。

 

でも……それでも僕はどうしてもこの不安を取り除くことが出来なかった。

今年初めに見た夢から始まり、遂にはクラウチ氏が忽然と消える事件まで発生した。去年までの事件はそれなりに事件概要がハッキリとしていたのに、今年は何が起こっているのかすら五里霧中だ。ただ漠然とした不安感だけが増すばかりだ。

そしてその不安は、

 

「ワームテールよ。ではお前はこう言いたいわけだな……。お前は自分の不注意で……()()()()を逃がしたと……。お前が居眠りしたばかりに」

 

日を追うごとに益々増していくこととなる。

今年始まりの出来事の再現によって……。

窓が僅かしか開いていない占い学の教室。暖炉の火で暖かい空気が満ちている中、かすかに外のそよ風が僕の頬に吹き付ける。トレローニー先生が時折不吉な予言をする以外は、そんな睡眠に絶好の場所であり、尚且つ最近寝付けなかったことのよる睡魔のため僕は敢え無く眠りに落ちてしまったわけだけど……僕は何故かいつの間にか教室ではなく、どことも分からない暗い部屋の中にいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()視点

 

全ては()()の思い通りに、それこそ一点の問題もなく進んで()()

一人残った忠実なる僕をホグワーツに潜伏させることに成功し、計画通りポッターを代表選手に選ぶことに成功した。全ては俺様の計画通り。後はポッターの到着を待つのみ。俺様が力を取り戻すのはもはや時間の問題でしかなかったのだ。

……だというのに、

 

「ワームテールよ。ではお前はこう言いたいわけだな……。お前は自分の不注意で……クラウチを逃がしたと……。お前が居眠りしたばかりに」

 

「ご、ご主人様、ち、違うのです! 決してそのような、」

 

「ほう、この期に及んで口答えとは、お前も随分偉くなったものだな」

 

「そ、そのようなつもりは……ど、どうかお許しを」

 

俺様の計画は最大の危機に瀕し()のだ。それも愚図な部下の不手際によって……。

怒りで手が震える。このような愚鈍な部下しか手元にいないことが腹立たしくて。そしてそのような愚鈍な部下であっても、今の俺様はそ奴に頼るしかない現実がもどかしくて。

しかし俺様はなけなしの理性を総動員して杖に思わず伸びそうになる手を何とか押さえつける。

今は出来ない。今は忍耐の時だ。このような愚図でも、今殺してしまえば一体誰が俺様の面倒を見るというのだ。こんな奴でもいなくなれば、俺様はすぐに森の中で隠れ潜む生活に後戻り。どんなに愚かな部下でも、今は処分するわけにはいかぬのだ。

俺様は随分小さく、そして弱弱しくなってしまった体を震わせながら、目の前で縮こまるワームテールに努めて優しい声音を意識して話しかけた。

 

「……よかろう。お前の愚かさを一度は許そう。……俺様は寛容だからな。一度はお前を許そうではないか。幸い逃げ出したクラウチを処理することは出来た。俺様の計画は今の所順調と言える。……だが一度だけだ。もし次失敗するようであれば、俺様はお前に直々に罰を与えるとしよう。俺様の言いたいことは分かっているな、ワームテール?」

 

「は、はい、勿論です、ご主人様!」

 

愚か者の返事に鷹揚に頷きながら俺様は考える。

今は忍耐が重要な時だ。一体俺様は何年間耐えてきたというのだ。力を持っていた以前ならともかく、今の俺様は虫けらにも劣る力しか有していない。自力で歩くことすらままならない。

しかしそれでもポッターさえ手に入れれば状況は変わる。

俺様は手に入れるのだ。以前より偉大な力を。……決してハリー・ポッターなどに、奴の母親などに邪魔されない力を。

そのためであれば、この愚かな小男も許してやろうではないか。無論計画が失敗するようなことがあれば、この男に相応の罰を与えることになるが。

 

「さぁ、行け、ワームテール。そろそろナギニの毒を採取する時間であろう? 満足に『服従の呪文』のかかった男さえ管理できんのだ。それくらいは出来るな?」

 

光源は部屋の暖炉一つという薄暗い部屋から、小男がまるで逃げ出すように走り去ってゆく。部屋には俺様のみが残された。

そして自身を落ち着かせるためにソファーに身を沈めたところで……

 

「ダリア! ッダリア! 大丈夫!?」

 

()()目を覚ましたのだった。

突然の声に飛び起きれば、そこは『数占い』の教室。辺りを見回せば、『数占い』の先生であるセプティマ・ベクトルを含め、教室にいる全員が私のことを訝し気な瞳で見つめている。

そんな中、唯一グレンジャーさんだけが酷く心配そうな表情を浮かべながら私に尋ねてきた。

 

「どうしたの、ダリア? 酷くうなされていたわよ? それに貴女が授業中に寝るなんて……」

 

どうやら私を起こしてくれたのは、最近私の隣に陣取るようになったグレンジャーさんだったらしい。私は必死に混乱する思考を抑え込みながら、努めて冷静な声音を意識して答えた。

 

「……なんでもありません。ただ少し……悪い夢を見てしまっただけです。ベクトル先生も申し訳ありません。少しウトウトしていました」

 

「……そうですか。貴女が授業中に寝るなど今までありませんでしたから、私も少し驚いてしまいました。本当に体調が悪いわけではないのですね?」

 

「えぇ、体調に問題はありません。グレンジャーさんも驚かせてしまいましたね」

 

「そ、それはいいのだけど……」

 

私の質問を打ち切るような態度で、先生はどこか訝し気な表情を浮かべながらも授業を再開する。そして未だに心配そうな表情を浮かべているグレンジャーさんも、授業が再開されると今はそちらに集中した方がいいと考えたのか、チラチラとこちらに視線を送りながらも改めて先生の方に向き直るのだった。

私は彼女達が元の状態に戻ったのを確認すると、授業に集中している振りをしながら先程の夢のことを考える。

 

一体この夢は何なのだろうか。夢にしてはリアル過ぎる上、夢の中での私は()()()()()()()。前回は蛇。そして今回は……闇の帝王。いまいち一貫性が判然としない。私は何故違った人物、それも片方はそもそも人ですらないものと感覚を共有していたのだろう。それに私は確かに授業に集中していたはずなのに、何故突然……それこそ()()()()()()()()()様に夢を?

いや、今はそんなことよりも夢の内容……闇の帝王の発言だ。

 

『幸い逃げ出したクラウチを処理することは出来た。俺様の計画は今の所順調と言える』

 

逃げ出したクラウチ……。そう言えば最近彼の姿を全く見ていない。最初の三大魔法学校対抗試合発表の時に見たっきり、彼は本来審査員の一人であるはずなのに試合に一切顔を見せていないのだ。

闇の印が打ち上げられた時から彼には何か裏があるとは思っていたが……。まさか今回の一連の事件にも関わっていたとは。

しかしそれが分かった所で、現状私には相変わらずどうすることも出来ない。それに今の夢が現実であるとすれば、クラウチ氏はもう……。

 

焦燥感だけが募っていくようだ。次から次へと出てくる整合性のない情報。そして起こり続ける不可解な夢。何が現実で何が夢なのかもよく分からない。

ただ一つ言えることは……私の行動が闇の帝王の行動を何一つ遮れていないということだけ。それだけが唯一現状私にも分かっている、どうしても覆せない事実だった。

私は隣のグレンジャーさんにも聞こえないように、小さな声でため息交じりに呟く。

 

「最後の試練まであともう少し……闇の帝王が何か仕掛けてくるとしたらそこしかない。何とか……何かしなくては……」

 

 

 

 

……結局私はこの時間授業に集中することなど出来はしなかった。

そして授業中であるにもかかわらず、終始こちらに心配気な視線を送っていたグレンジャーさんにも、私は思考に集中するあまり気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ホグワーツに入学してからの数年間。たった数年だというのに、私はそれまでの人生からは考えられない程多くの事件に巻き込まれている。

賢者の石に秘密の部屋。そしてアズカバンから脱走したシリウス。本当に色々なことがあった。

でも例に漏れず今年も事件に巻き込まれたわけだけど、ここまで同時に様々な悩み事を抱えたのは初めてだと思う。

まず目下の悩みは、

 

「では貴方が『占い学』で倒れた時、貴方は夢を……『例のあの人』の夢を見たと言うのね。それも今年の初めに見た夢と同じものを……。どうしてそんな大事なことを早く言ってくれなかったの!」

 

「ご、ごめん……でも、あの時はまだ現実で起こったことと確信が持てなかったんだ。それに君達を心配させてはいけないと思って……」

 

全ての事件に中心にいるハリーのこと。

数占いの授業から戻った時、ロンとハリーが嫌に真剣な表情で話し込んでいると思えば、占い学で何かあったとのことだった。

そして渋る彼等から聞き出してみれば、どうやら占い学の授業中ハリーが突然叫び出したらしく、その間ハリーはずっと夢を……『例のあの人』がピータ・ペティグリューと話している夢を見ていたと話したのだ。それも到底夢のような曖昧なものではなく、どこまでも実感のある明瞭な夢を。

これがハリーではなくロンであれば、私もまた寝ぼけたことを言っているだけと判断したと思う。でも夢を見たのはハリー。彼がこれは夢ではなく現実だと言うのなら、私もそれは確かに現実なのかもしれないと思ったのだ。何せ彼には様々な前歴がある。額の傷が痛むときはいつだって『例のあの人』に関わる何かがあり、今回のことも私には一概にただの偶然だと言い切ることが出来なかったのだ。

クラウチ氏のことは嫌いだけど、まさか死んでほしいとまで思ったことなど一度もない。クラウチ氏が消えたことはハリーから聞いていたけど、夢の内容を考えるとクラウチはもう……。

それに今のままでは全てが『例のあの人』の計画通りに進んでしまう。今までの試練はハリーも上手くやり過ごすことが出来ていた。でも夢の内容が正しければ次の課題こそが『例のあの人』の計画のかなめということ。

 

つまり次の試練における()()()()で……『例のあの人』はハリーを()()つもりなのだ。

 

あぁ、このことをもっと早くに知っていたら、もっと色々な対策を立てることが出来たのに。

試練対策にハリーに覚えてもらった呪文はたった四つ。迷路を掻い潜るだけであればこれで十分だと思うけど、ハリーを殺すために態々彼の名前をゴブレットに入れたのなら、最後の試練がただの迷路で終わるはずがない。ハグリッドの用意した怪物や、先生方の仕掛けた罠だけではなく……もっと別の何かが待ち構えているはず。

いくら心配しても不安が尽きることなどなかった。

 

しかも今私が抱えている悩み事はそれだけではない。

ハリーの殺害計画が目前に迫っているというのに、煩わしい問題がまるで蠅のように私達に纏わりついている。

それは……

 

「またリータ・スキータの記事が出てるよ……」

 

あの愚劣極まりない記事を書く、私が知る限り最低最悪の記者のことだった。

ハリーから夢のことを聞いて数日。いよいよ最後の試練が目前に迫った時……またあの女の記事が発行されたのだ。

 

『ハリー・ポッターは情緒不安定であり、もしくは非常に精神的に危険な状態にある。そうホグワーツ内でも噂されていたが、遂にその奇行の驚くべき証拠を手に入れた。なんと本紙の特派員であるリータ・スキータが、授業中に突然奇声を発し、額の傷が痛むと訴え始めるポッターの姿を()()したのだ。この情報を専門家に伝えると、それはただ他人の気を引くために痛い振りをしているだけと断じた。また他にも彼の精神状態が危険であることを疑わされる証拠がある。なんと彼は蛇語が話せるというのだ。ホグワーツのとある女子生徒は証言する。彼は二年生の時、大勢の前で男子生徒に蛇をけしかけたと。また彼の友人には狼人間や巨人がいるとも。これにもまた『闇の魔術に対する防衛術連盟』の会員の一人は匿名希望で我々の質問に答えた。

 

『個人的には蛇と会話することが出来る者は、それだけで非常に怪しいと思いますね。というより間違いなく犯罪者です。直ちに尋問し、アズカバンに収監する必要がある。何しろ蛇というのは、闇の魔術の中でも最悪の術に使われることが多いですし、歴史的にも邪悪な者達と関連性がありますから。また邪悪な生き物と親交を持つなど、それは暴力を好む傾向がある証拠です』

 

ハリー・ポッターは一体どうなってしまったのだろうか。これでは彼が赤ん坊の頃に打ち倒したという『例のあの人』とまるっきり同じだ。アルバス・ダンブルドアはこのような少年を本当に三大魔法学校対抗試合に出場させるべきか考慮する必要がある。彼が承認欲求の赴くまま、他の代表選手に闇の魔術を使わないか心配するばかりだ』

 

朝食の時届いた記事を読み終えた私は、また馬鹿な記事が出たなと思った。阿保らしくて頭が痛くなりそう。

何から何まで愚劣極まりない内容。唯一の救いは、

 

「僕に愛想が尽きちゃったみたいだね」

 

記事で扱き下ろされたハリー本人が、あまりに頭の悪い内容に逆に気にしていないことだろう。ハリーは記事を片手に馬鹿笑いをしているスリザリン席を無視し、どこか気軽な口調で言いのける。

私はそんな彼の態度に少しだけ胸をなでおろしながら、今回のこの記事で最も心配なことを尋ねた。

 

「ねぇ、ハリー。この記事では占い学の教室にリータ・スキータがいたと書いてあるけど……あの女はあそこにはいなかったのよね?」

 

「うん、それは間違いないよ。いくらあの部屋が蒸し暑くても、流石にあいつが教室にいれば僕にも分かるよ」

 

そう、正直この馬鹿な記事自体は其処まで問題ではない。勿論不愉快極まりないけれど、あの記者が頭の悪い記事を書くのは今更のこと。喜ぶのはダリアとダフネ以外のスリザリン生くらいのものだ。

だから一番の問題は……あの女がどうやってハリーの情報を手に入れたかということだった。

占い学の授業にスリザリン生はいない。同じグリフィンドール生がハリーのことをあの女にペラペラと話したとは思えない。ならそれは間違いなく、記事の通りリータ・スキータがあの場でハリーの姿を目撃したということを表している。

でもそれもまたハリーの証言が否定している。今回のことといい、ハグリッドのことといい、その場にあの女の姿はなかった。一体あの女はどうやって情報を得ているの……。

そんな疑問で頭が一杯になる私にハリーが話しかけてくる。

 

「あいつは本当にどうやって聞き耳を立てているんだろう……。窓が開いていたんだけど、そこから聞いていたのかな?」

 

もっともそれはあまりにも馬鹿馬鹿しい意見だったけど。私は少し呆れながらハリーに返事をした。

 

「馬鹿言わないで。貴方は北棟の天辺にいたのよ! 塔の壁に()()()()()()()()()()そんなこと出来っこないわ!」

 

「そ、そうだよね……。う~ん。だったらもしかして僕に()でもつけているのかな?」

 

「虫って?」

 

「盗聴機のことだよ。マグルが使う機械のこと」

 

「へ~マグルってそんなものを使うんだね」

 

苦し紛れのハリーの言葉に続き、彼とロンがまた見当はずれの会話を始める。

 

それに対し私は何を馬鹿なことをと言おうとして……思考にとてつもない()()()を覚えた。

 

ハリーの言っていた()。私は何故かその単語にひどく引っかかりを覚えたのだ。勿論彼らの言う盗聴器が正解だとは思えない。このホグワーツではマグルの使う機械は全て使い物にならなくなる。

それは私だって分かっている。ホグワーツの歴史を知っているなら最早それは常識と言える。でも何故だろう。その虫という単語に私は……一つの答えを見つけたような気がしたのだ。

 

そうよ。虫なら気付かれずにハグリッドの話を聞くことが出来る。虫ならダンブルドアにも気付かれずにホグワーツに侵入し、スリザリン生のインタビューを受けることも出来る。

……虫なら誰にも気付かれずに北棟の窓際に陣取り、ハリーの奇行を目にすることも出来る。

 

そしてそれを可能にする手段が……この魔法界には存在する。

それどころか私達は、その手段を()()目の辺りにしてすらいる。

 

確証があるわけではない。可能であるというだけで、それが実際に行われた証拠は皆無。全くの思い付きと言っていい。

でももし私の思い付きが本当なら、あの女は明確に魔法界の法に触れていることとなる。シリウスと同じ無登録の……。

 

私はそこまで考え、自分の中に生まれた思い付きでしかない発想を頭の隅に追いやる。

今まで知っていながらも思いつかなかった方法に思い至ったことは確かだ。でもこれだけに囚われてはいけない。もし違っていたら目も当てられないことになる。

 

だってもしこれ以上あの女の傍若無人なふるまいを許せば……。

 

私はそこで意識を切り替え、決意を新たにしながらスリザリンの一角に視線を送る。

そこには今日の『日刊予言者新聞』を紙ごみでも投げ捨てる要領で脇に置くダリアとダフネの姿。

ハリーやリータ・スキータの問題以上に、()()にして唯一それこそ()()()()()()()()()()()()悩み事を抱えながら、私は一人心の中で自問自答する。

 

何が何でもあの女の問題を今年中に解決しなくてはいけない。今はドビーを介したやりとりをしているけど、私は彼女達と直接話をしたいのだ。それにはあの女がいつどこで私達を監視しているかを知っておかねばならない。

そうでなくては……多くの秘密を抱えるダリアに迷惑がかかってしまうから。

 

彼女は本当は吸血鬼だから。

そして彼女は……()()()()()秘密を抱えているから。

 

白イタチ事件の時、ダフネは私に言った。

 

『ダリアには貴女はもちろん、私にさえ言っていない秘密がある。彼女の家族すら知らないことだってある』

 

あの口ぶり……ダフネは私が吸血鬼に関する事実を知らないと思っていることもあるのだろうけど、それだけではないように私には思えたのだ。

人を傷つける時見せた笑顔。時々彼女が感情の高ぶった時に発する言葉。謎めいた行動。

そして……

 

「本当にあの時彼女が()()()のは……ただの偶然なのかしら?」

 

ハリーが倒れた時とほぼ同時刻と思われる時間に、彼女もまた『数占い』の授業で倒れたこと。

彼女は寝てしまっただけだと言い張っていたけど、隣に座っていた私には到底そうは見えなかった。まるでいきなり意識が途切れたような……。それに机に突っ伏している時だって、奇声こそ上げなくても酷く苦しそうな無表情を浮かべていたのだ。息もどこか苦しそうなものだった。あれがただ授業中に眠ってしまっただけだとは思えない。

そしてそれがもし偶然でなかったらと考えると……私はそこに何か恐ろしい事実が隠されているのではと不安に思えて仕方がなかった。

 

 

 

 

不安は尽きることはない。ハリーのこと、リータ・スキータのこと。そしてダリアのこと……。

何一つとっても確かなことはなく、不確かな事実のみが積もっていく。

 

それでも時間は容赦なく過ぎ、いよいよ運命の日が始まりを告げるのだった。

 

第三の試練がいよいよ始まる。



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別れの夜(前編)

 セドリック視点

 

客観的に自分を見つめなおしても、僕はおそらく生まれた頃から所謂いい子だったと思う。

両親に反抗したことは数える程しかないし、寧ろいつだって彼らの希望通りに行動したいとさえ思っていた。

勿論そうでない子が一杯いることは知っている。そちらの方が大多数ですらある。近所にいる子はよく親に反抗していたし、悪戯だって山ほどしていた。それこそウィーズリー兄弟と並ぶほどの子もいた。彼等から見たら僕は実につまらない生き方をしているだろうし、何故そんな()()()()()生き方をしているのかと疑問で仕方がなかっただろう。

 

でも僕はそれでいいと思っているのだ。別に両親のことが嫌いではないのだから、態々彼等が悲しむことなんてしたくはない。

それに、

 

『セド! また一番の成績をとったのか! 本当にお前は自慢の息子だよ!』

 

何より僕が頑張った時、両親が手放しに喜んでくれるのがただただ嬉しかったのだ。段々と年をとってきた両親が満面の笑みを浮かべて喜ぶ。それが僕にとっての最高の喜びであり、もはや義務と言ってもいい目標だったのだ。

そしてその目標はホグワーツに入ったことで更に広がることになる。

 

『ディゴリー、頼んだぞ! このまま首位を独走してくれ!』

 

『他の代表選手なんかに負けないで! 今こそハッフルパフから三大魔法学校対抗試合優勝者を出すんだ!』

 

ハッフルパフに入ってから、僕はまるで家族が増えたような心持だった。

ハッフルパフは劣等生の集まり。

他寮ではそんな口さがない噂話をしているらしいけど、僕は寧ろこの寮こそが最高の寮だと思っている。他者への思いやり、寛容さ、誠実さ。そんな人間にとって最も大切な物が揃っている素晴らしい寮。それが僕にとってのハッフルパフだった。

ハッフルパフの皆は僕にとって最早第二の家族だ。だからこそ……僕は彼らを何としても喜ばせてやりたいと思った。僕に出来ることであればなんだって。

 

それこそが僕の義務であり、誇りであり……僕自身の喜びだから。

 

だから僕はこの試合に代表選手として立候補した。そりゃ多少の自己顕示欲や、莫大な金貨に惹かれる気持ちがなかったとは言わない。でもそれ以上に僕は、自分がもし優勝した時に皆が見せてくれるであろう笑顔が欲しかったのだ。

……それこそずっと隠し続けてきた臆病な本性を抑え込んででも。僕はこの試練を通して、初めて自分が今まで演じてきた理想の自分になることが出来る。もう演じる必要なんて無く、ようやく自分の価値を認めることが出来る。優しい家族やハッフルパフ生だけではなく、もっと大勢の人に認めてもらえる。そうすれば僕はより胸を張って、皆を本当の意味で喜ばせることが出来るようになる。

……そんな僕の願いはもうすぐ叶うのだ。

最終試練直前、僕らは大広間脇の小部屋に集合をかけられる。そこで僕らを待っていたのは満面の笑顔を浮かべる家族の姿だった。

フラーにそっくりの母親や妹、これまたクラムそっくりの両親。ハリーの家族だけは、本当の両親が亡くなっているため親友のウィーズリーの家族だったが……そんな小部屋の中で待機している家族の中に当然僕の両親もいた。

 

「セド! あ~やっと来たな、我が自慢の息子よ! お前の活躍は聞いているぞ! あのハリー・ポッターを抑えて一番なんだろぅ!? リータ・スキータの記事ではやたらハリー・ポッターだけを良くも悪くも取り上げていたが、実力では嘘をつけん! まったく愉快痛快だな!」

 

「あなた、声が大きいわ。彼に聞こえてしまったら可哀そうよ」

 

「なに、気にすることはない! 事実セドは勝っているし、今日もまた息子が勝つのだからな!」

 

僕は出会い頭に大声を上げている父の姿に苦笑する。やり玉に挙げられているハリーには申し訳ないと思う。事実父の話が聞こえてしまったのか、ウィーズリー夫妻と何とも言えない表情でこちらを見ている。でもこの喜びようも偏に僕のことを思ってのこと。ハリーの記事ばかり出て僕の記事は一切なかったことに腹を立てていた父は、こうして二位につけているハリーを牽制すると同時に僕に発破をかけているのだ。態々ここまで来てくれたこともあり、あまり父を咎めるようなことも言えない。

僕はハリーに謝罪の仕草を送った後、両親に微笑みかけながら話しかけた。

 

「ありがとう、父さん。大丈夫だよ。僕は必ず勝つ。正々堂々と戦ってね。だから僕の勝つところを見ていて」

 

僕の言葉を受け両親は感激したように頷いてくれる。自分の言葉に嘘はない。優勝すれば本当は臆病な自分を変えることが出来る。そう思っていたのに、何だか既に優勝が決まっているような気分なのだ。別に油断しているわけではない。ハリーにクラム、それにフラーのことを見下しているつもりは一切ない。彼らは正しく強力なライバルだ。実力的には誰が優勝してもおかしくはない。でも、それでも僕は彼等に負けるつもりはなかった。

……正しく言えば、僕はたとえ優勝できなくても、試合が終わった時点でもう本当に得たかったものを得ている……そんな予感がしたのだ。

そして少しの間家族と談笑した後、いよいよその時がやってくる。

 

「代表選手の皆さん、時間です。今から最後の試練が始まります。代表選手は競技場の方へ」

 

部屋に入ってきたマクゴナガル先生の掛け声で僕らは一斉に行動を開始する。代表選手の家族も観客席に向かうために一緒に部屋を後にする。

城の外に出ればもう夜のため、空は満天の星空。月明りや背後の煌々と明かりの点るホグワーツ城のため、周りにいる代表選手や家族の表情もうかがうことが出来る。

家族は皆一様にどこかワクワクした表情を。そしてハリーを筆頭に代表選手は緊張した表情を。ハリーに至っては今にも死にそうな表情をしていた。

 

……でも何故だろう。僕はそんな代表選手の中でも、何故かあまり緊張を感じていなかった。

第一の試練の時、僕はそれこそハリーくらい緊張していた。第二の試練の時も、最初の試練の時よりもマシだがかなり緊張していた。

でも僕は今最終試練に際して、前回までの緊張を感じてはいない。

 

いや、理由は分かっている。第二の試練の時と同じだ。あの時も第一の試練の時と比べて遥かに緊張していなかった。正確には緊張していても、それが和らぐことを()()()()()()()

今回も必ず、

 

「っ! 父さん! 先に行っておいて! 少し忘れ物をしてしまった」

 

「なんだって!? それはちゃんと間に合うのか!?」

 

「大丈夫。必ず試合には間に合うから。だから先に行って」

 

()()が僕のために来てくれると。

城を出て競技場に向かう時、僕には一瞬見えたのだ。月明りの下真黒の格好をしてはいるものの、あの特徴的な白銀の髪が綺麗に物陰から輝いているのを。

僕は両親に先に行くように言うと、皆が背中が見えなくなった頃に物陰に隠れている彼女に話しかけた。

 

「やぁ、ダリア。今回も来てくれたのかい?」

 

「……えぇ、貴方に優勝してもらわなくては私が困りますので。それに前回のお礼をまだしていませんでしたから。……グレンジャーさんを助けるために、自分の順位も顧みずに助けを待ってくれたのですよね。ありがとうございます。貴方のお陰で()()()()が安心することが出来ました」

 

「それは良かった。他でもない君の頼みだ。()()()()の安全を確保するのは当然のことだよ」

 

「……何を勘違いしているのですか? 私の友達ではありません。あくまでダフネの友達です。私の友人などでは……」

 

相変わらずの物言いに思わず苦笑する。何が私の友達ではない、だ。自分の友人でもないのに、あのリータ・スキータの記事を読んであそこまで怒るものか。全てを分かっているとは言い難いけど、僕だって少なからず彼女の人となりを理解し始めたと思っている。だから彼女がただ強がったことを言っているだけだと僕には理解出来たのだ。

そんな僕を何とも言えない無表情で見つめた後、彼女は表情同様無機質な声音で続けた。

 

「……まぁ、今はそんなことどうでもいいことです。そんなことより、最後の課題は迷路だと聞きました。私にもそれ以上の情報は入ってきていませんが……大丈夫なのですか?」

 

「あぁ、今回は今までの試練と違ってヒントがいることもないからね。迷路と障害物。純粋に能力が試されている。なら自分でやるしかないさ」

 

僕はそこで言葉を切り、彼女の薄い金色の瞳を見つめながら続ける。

最初は恐ろしくて仕方がなかった瞳を、今は綺麗な瞳だと思いながら……。

 

「今まで僕が上手くやってこれたのは全て君のお陰だ。君の情報がなければ僕は今の順位でいることなんて出来なかっただろう。君には感謝しきれないよ。改めて礼を言わせてほしい。……ありがとう、ダリア」

 

何だか初めてなんの警戒心もなく彼女にお礼を言えた気がした。あれだけ入学当初から彼女に抱いていた警戒心が嘘のようだ。

そしてそれは彼女も感じたのだろう。無表情の上からでも分かる程一瞬目を見開き、驚きを露にする。しかしそこからの反応はいつもの彼女らしく、

 

「いえ、礼を言われる程のことではありません。私が貴方に情報を渡したのはただの気まぐれです。貴方は私に感謝する必要などない」

 

やはりいつも通り素っ気ない声音で応えたのだった。

僕はその応えにさらに苦笑を強める。本当に自分はどうしてしまったのだろう。試練前の興奮で、少し思考回路がおかしくなってしまっているのだろうか。

僕には何故か彼女の素っ気ない答えが……ただ強がっているようにしか見えなかったのだ。まるで恥ずかしがる気持ちを隠すために必死になっているような……そんなただ恥ずかしがりやな普通の女にしか見えなかったのだ。本当にどうかしている。でも僕はあの彼女の笑顔を見てからずっと……。

 

何故僕は本来目的も分からない彼女のことを、こんなにも警戒せずに……。

 

そしてそんな僕の反応の変化にまた気付いたのか、彼女はやはり訝し気な雰囲気で僕の表情を見つめた後、咳ばらいを一つしてから話題を変える。

それすらただ恥ずかしがりやな女の子の行動だと、僕に思われているとも知らずに。

 

「どうやらそこまで緊張はしていないようですね。これから行く先にあるのは迷路。聞くところによると教師陣が罠を仕掛けているとか。貴方が言う通り、そこに私が介入する余地は少しもない。……今回は()()()もいますしね。だから貴方は正真正銘自分の実力だけで戦わなくてはならない。ですが心配はありません。貴方の実力は本物です。以前の試練は全て見ましたが、貴方は実に見事な方法で試練を切り抜けていた。今回も必ずうまくやれますよ」

 

「何だか照れるな。この学校一番の成績の生徒に褒めてもらえるなんて。君の言う通り不思議と緊張をあまり感じていなかったけど、君の言葉でより自信が出たよ。……今回も観戦してくれるんだよね?」

 

「えぇ……今回は観客席に多少の()()がありますが、観戦する分には支障は無いはずです。鬱陶しいことこの上ないですが……」

 

何だか引っかかる言い方だったが、観戦してくれるならいいかと考え、僕は歩き始めながら続けた。もう大分長いこと話し込んだ、そろそろ競技場に向かわなくてはと思ったのだ。

 

「そうか、なら良かったよ。そしてそろそろ時間だ。遅れたら折角一番に迷路に入る権利を得たのにそれをふいにしてしまう。歩きながら話さないかい?」

 

「えぇ、勿論です。と言っても、私は貴方と共にいるところを見られるわけにはいきません。こちらの事情もありますが、これは貴方のためでもあります。……()()()()と共にいれば、貴方の立場を危うくしてしまう」

 

「……僕は別に気にしないよ?」

 

「いいえ、私が気にします。それに私の事情もあると言いました。だから競技場前で私は観客席の方に行かせていただきます。……今回は席が指定されていますから」

 

そう言って彼女は僕の隣を歩き始める。僕もそんな彼女に小さな声音で、

 

「……本当に僕はもう気にしないのに。寧ろ君がいるからこそ、僕はこうして……」

 

そんなことを呟きながら、彼女に歩調を合わせて歩くのだった。

そして彼女の宣言通り、僕にとって楽しい時間はすぐに終わる。競技場が近づくにつれ、周りに屯している生徒達の姿が遠目にも見えるようになる。

本当にあっという間の時間だった。満天の星空の下彼女と歩いていると、僕はやはり不思議と落ち着く気持ちになっていたのだ。それこそずっとこうしていたいと思う程。

しかし彼女の意志は決して変わることはなく、人だかりを遠目に見た瞬間別れの言葉を告げ始めた。

 

「ではセドリック・ディゴリー。ここでお別れです。私は観客席の方に向かわなくてはならないので、貴方はここから控室の方に行ってください」

 

だが同時に、彼女の言葉はそれで終わりでなかった。彼女はそこで一度言葉を切り、今度はどこか不安そうな声音で続けた。

 

「……これは貴方を不安がらせるだけだと思いますし、貴方なら大丈夫だと思いますが……気を付けてください。迷路の中で何があるか分かりません。……試練とは関係ないような、何かもっと恐ろしいことが進行している可能性がある。絶対に油断せず、必ず()()()()()()()()()()()()。……私が言いたいのはそれだけです。どうか頑張って。……貴方が目標通り、家族や寮生を喜ばせてあげられる結果を得ることを祈っています。……()()ですよ」

 

……その言葉は何故か、どこか壁を作っているいつもの言葉と違い、本当に心の底から言われた言葉の様な気がした。

 

 

 

 

僕は心配の言葉を口にした後観客席に向かっていく彼女を目で追いながら呟く。

 

「勿論だよ。僕は必ず優勝するよ。家族のために、ハッフルパフの皆のために……チョウの……いや、()()()()()

 

僕の視線の先には、僕にとって今年改めて加わった大切な人の姿が。満点の星空の下煌めく白銀の髪は本当に綺麗で、

 

「……あぁ、そうか。僕はチョウではなく……もう君のことが()()()()()()()()()()

 

だから僕はようやく、自分の中の感情の変化を認めたのだった。

ずっと警戒心しか抱いていなかった彼女のことを、僕はもう同じ視線では見つめられなくなっている事実を……。

 

観客席に消えるまで、僕はずっと彼女の後姿を目で追い続ける。

決してこの光景を忘れないために。

いつまでも……いつまでも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

また余計なことを言ってしまった気がした。

セドリック・ディゴリーと私はただ利用し合う関係のはず。いや、そうでなくてはならない。

なのに最後に私が彼に言った言葉はそれを明らかに逸脱していた。私は彼を優勝させたい。彼を優勝させなくてはならない。それが夢を見て私が出した()()()()()。それで何か変わる可能性は限りなく低いが、何もしないよりは遥かにマシだ。この平穏な日々を守るために、私はあらゆる手段を講じるべきだ。

 

であるのに、私は最後の最後に彼の優勝より、まるで彼の無事を優先するような言葉を……。

 

まったく度し難い。闇の帝王が何か仕掛けてくるとしたらこの最後の試練でだ。私は今こそ冷徹に彼を利用しきれないといけないのに、何故私は彼のことを心配して……。矛盾しているにも程がある。

いや、今それを考えるのはよそう。私がやっていることに私自身も自信を持てずにいるのだ。それに反した行動を取ったところで何もおかしなことはない。こうしている間にも闇の帝王が何か企んでいるかもしれないと思うだけで、正直私は不安で仕方ないのだ。

しかも私には今決して真面な精神状態ではないもう1つの理由がある。何故なら私が今から観客席で一緒にいるのはダフネやお兄様だけではなく、

 

「おぉ、ダリア。よく来てくれたのぅ」

 

忌々しい老害までいるのだから。

観客席に踏み入った私を心配そうに見つめているダフネやお兄様の向こうから、ダンブルドアが表情だけは朗らかに話しかけてくる。

 

「すまんのぅ、この席に態々来てもろうて。君はおそらく本来であればこのミス・グリーングラスとミスター・マルフォイと共に観戦したかったのじゃろうが、今回はワシも共に観戦させてもらうのぅ。君達には悪いと思うのじゃが、こうせねばムーディ先生が納得しなかったのじゃ。少しの間我慢してくれるとありがたい」

 

奴が私に同席するように手紙を寄越してきたのは今朝のこと。なんでもあの()()()()が私を監視下に置かねば、安心して試合の審査員は出来ないとほざきだしたのだとか。それをこの老害は渋々仕方なく了承したとのことだが……どこまで本当なのやら。私は今こそ何かしなくてはならない状況の中、忌々しい老害の傍に縛り付けられている。

しかし鬱陶しいことに、考えようによってはそう悪いことばかりではない。ムーディに私の監視などではなく、きちんと迷路内の巡回をしてもらわなくては私が困る。そのために奴は城に呼ばれたのだから、キチンと仕事をしてもらわなくては。当初は私がこっそり迷路に突入することも考えたが、もしそれが『闇の帝王』に露見した時大変なことになる。ならば実力だけは優秀な人間に頼った方がいい。寧ろそれしか選択肢がない。

それに老害の近くにいれば、それだけ何かあった時に情報を得やすくなるメリットもある。

 

……もっとも、いくらメリットがあるとはいえ、心情的に嫌であることもまた確かだったが。

夢を見てからというもの何かしなくてはならないと焦っているのに、こんな所に縛り付けられるというのは決して気分がいいものではない。

それにダンブルドアと同じ空気を吸っていること自体がそもそも気にくわない。今年は二年生時のように私が監視下に置かれることはなかった。それはムーディはともかく、ダンブルドア自身は私のことを()()()()()()()()()()そこまで疑っていないことを表している。しかしそれだけだ。私がポッターの名前をゴブレットに入れたと思っていなくとも、奴が私のことを警戒している事実に変わりはない。

今だってどこか申し訳なさそうな声音で話しかけてくるものの、瞳だけは決して油断なく私を見つめている。

それをダフネ達も分かっているのか、

 

「すみません、校長。申し訳ないと思っているのなら空気になることに徹してくれませんか? ダリアが来たんですから、これ以上喋らないで下さい。というより、息もしないで下さい」

 

ダフネに至ってはいきなり失礼極まりない言葉をダンブルドアに投げつけていた。ここに来ることに当初からかなり反対していたが、やはり今でもその意見に変わりはないらしい。

突然投げつけられた暴言に、ただでさえこちらに警戒した視線を送っていた周囲がざわめく。私はそんな彼らを一睨みして黙らせると、気が立っているダフネがなるべく安心できるような声音で話しかけた。

 

「ダフネ、落ち着いて下さい。私は校長に言われて()()()()ここに来ましたが、私は貴女とお兄様さえ一緒にいれば、たとえどんな人間といようとも平気ですよ」

 

「でもダリア……こんな嫌な人と一緒にいたら、やっぱり貴女が、」

 

「そうだ。お前が嫌なら今すぐにでもここから離れて、」

 

「いいえ、いいのです。それに遠目からずっと見られるより、ここにいた方が遥かにマシですから」

 

「……ダリアがそう言うのなら。でも我慢できなくなったらすぐに言ってね。すぐにここから離れるから」

 

そこまで話した私はようやく老害の方に視線を向け、彼にぞんざいな一礼をする。最早こいつに失礼な態度を取るのは今更のことだ。向こうもこちらが普通の態度を取るとは思っていないだろう。老害は一瞬物憂げに目を伏せた後、やはり意見を変えることなく続けた。

 

「……すまんのぅ。じゃがムーディ先生を安心させるにはこうするしかなかったのじゃ。お主らも知っておるじゃろうが、彼は少し大げさな程の心配性なのじゃ。すまぬがしばらくこの老人の願いに付き合ってほしい。それにほれ、ワシとおればお主も面倒な人間に煩わされずにすむからのぅ」

 

一瞬老害が見やった先には、こちらに歯軋りせんばかりの表情で視線を送っているカルカロフ校長。……どうやらまだ私に取り入ることを諦めてはいないらしい。しかし老害の言う通り、奴と共にいることで私に近づけないのだ。秘密の話をダンブルドアに聞かれたくないために。

想定外のメリットに鼻を鳴らして応えると、私は黙って老害の隣に座る。そしてやはり黙って隣に座るダフネと手を握り、私は遂に迷路入り口前に現れた代表選手……セドリックに目を向けたのだった。

 

見逃すわけにはいかない。私にはその責任と義務がある。()()やれることは十分にやってくれた。後は彼の最後の頑張りに期待するのみだ。

たとえ何か起こるとしたら今回の試練だとしても、彼にはそんなことは関係ない。彼は私の思惑通りに優勝して、そして無事に帰ってきてくれさえすればいいのだ。

 

……家族や友達のために頑張る人間は必ず報われて欲しい。そう私は心のどこかで思っているから。

 

そんな大きな不安とほんの少しの希望を乗せた視線の先で、いよいよセドリックが迷路に突入する最初のホイッスルが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

ダリアや彼女の友人達がワシのことを嫌っておることは分かっておった。

それはそうじゃろう。いくら彼女に警戒すべき要素が多くあるとはいえ、その警戒を実際に向けられる本人はいい気分であるはずがない。無論それでも警戒せねばならん要素がダリアにはあるわけじゃが……それを分かっておっても、それに気づく技量が彼女にある以上、気付いた以上は不愉快に思うに違いない。

かつてのトムと同じように。

それに今回はワシ自身にも納得しきれておらん所があるにはある。

 

『今回の試練……ワシが迷路内の巡回に回るのはいいのだが……。ダリア・マルフォイ。その間奴の警戒はどうするつもりなのだ、ダンブルドア? ワシは奴こそがポッターの名前をゴブレットに入れたと考えとる。証拠は数えきれんほどある。もはや奴かカルカロフ以外の犯人など考えられん。それなのに奴を野放しにするなど、油断大敵にも程があるぞ。無論ダンブルドア、貴方自身が監視にあたってくれるのだろうな? そうでなければ巡回など出来んぞ』

 

先日のアラスターの言葉を思い出す。物事全てに警戒心の強い彼が心配する気持ちは分る。じゃがそれでも今回の件に関しては、ワシは何故かダリアを警戒しきれんところがあった。寧ろ彼女を疑うことこそが敵の目的であるようにさえ思える。冷静に考えれば、彼女こそ唯一と言っていい程の容疑者であるにも関わらず。

じゃがそれでも納得しきれんところは確かにあったのじゃ。それでもアラスターの要望に応えたのは、彼を納得させねばならんと思ったからに他ならん。迷路の巡回、つまりハリーの護衛を滞りなく行うにはこうするしかなかったのじゃ。ダリアがこのような要望を受け、不愉快に思うであろうと分かっておるにも関わらず……。

まったく考えれば考える程自身の思考が嫌になる。いくらハリーの……正義のためとはいえ、このような思考をせねばならんとは。まったく嫌な年の取り方をしてしまったものじゃ。

 

そこまで考え、ワシは思考を急いで切り替える。

今はこのような感傷に浸っている場合ではない。セブルスを含む教師陣は全て巡回係として出払っており、今ダリアを監視できるのはワシしかおらん。今は自身の出来ることに徹するのじゃ。それこそがダリアを守るためにもなるのじゃから。

ワシはいよいよ代表選手たちが迷路に突入するのを眺めるダリアにそっと話しかける。

 

「いよいよ始まったのぅ。これが今年最後の試合じゃと思うとどこか寂しいものじゃ。ダリアは誰が優勝すると思う?」

 

しかしワシへの返答は三人からの冷たい視線のみじゃった。ミス・グリーングラスに至ってはこちらを呪い殺さんばかりの視線を送ってきておる。ワシの声など聞きたくもないということじゃろぅ。

本当に随分と嫌われてしもうた。

じゃがそれでもダリアだけは全く返事をしないのも体裁が悪いと考えたのじゃろぅか。しばらくして無表情で一つ大きなため息を吐くと、彼女は渋々と言った声音で答えた。もっともその答えは、

 

「……セドリック・ディゴリーでしょう。今までの試練においても、彼は一番の実力を発揮しています。それに彼は他の代表選手とは()()()()()。おそらく彼の動機は他に比べて純粋で……それ故に強い。だから彼に負ける道理はない。いえ、負けて欲しくなどない。だからこそ彼こそが優勝しなければならないのです」

 

何を言っておるのかよく分からんものじゃったが。そもそもワシに返答しておるようで、本当にワシの話しかけているのかも怪しい声音。内容も意味不明じゃ。

唯一分かることは……何故かは知らぬが、ダリアがセドリック・ディゴリーのことを褒めちぎっておるということだけじゃ。

彼女のことじゃから、ワシはてっきり試合自体に対し無碍な発言をすると思うておったのじゃが……。一体どこでセドリックと知り合ったのじゃろぅ。全く繋がりを想像出来ぬ。彼女の行動すべてを監視できておるわけではないが、マルフォイ家の長女とハッフルパフの好青年であるセドリックが知り合う可能性など考えられぬ。

ワシはダリアの返答に驚き、彼女に発言の真意を尋ねようとする。彼女が真面に応えてくれるとは思えぬが、聞かねば分るものも分らぬ。

 

……じゃが結局ワシが彼女に質問することはなかった。

何故なら尋ねようとした瞬間、

 

「あれはもしや……救難信号ではないですか?」

 

迷路の中から赤い花火が上がったのだ。

しかも同時に()()

試合開始早々に起こった異常事態。迷路の中で明らかに何か良からぬことが起こっておる。

そんな事態にワシは結局、彼女の不可解な発言を考えている余裕などなくなったのじゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セドリック視点

 

聳える様な生け垣が通路に黒い影を落としている。生け垣は分厚く、魔法がかけられているのか観衆の声も迷路の中からは聞こえない。

そんな暗い迷路の中、僕は今全力疾走で走り抜けていた。

息が上がり、気を抜けば意識が飛びそうになるくらい苦しい。もはや僕に迷路突入前の余裕などありはしなかった。観客席から僕と()()()()手を振るチョウ……ではなく、ダンブルドアの隣に座っていたダリアを見つめていたのが遠い昔のことのようだ。

この迷路は本当に……()()()状態なのだろうか?

どう考えてもダンブルドアが今年初めに言っていた安全対策が施されているとは思えない。何故ならまだ迷路突入から数分しか経っていないというのに、

 

「ッ! またか! し、しかも……何故こんな奴がここに!?」

 

もう既に()()()()()怪物と遭遇しているのだから。しかもどう考えても人を殺しかねない怪物に。

曲がり角を曲がった先にいたのは巨大な蜘蛛。僕の記憶が正しければあれはアクロマンチュラという種類の危険生物だ。飼育禁止の生物な上、その危険度も折り紙付きだ。いくら怪物好きで有名なハグリッドだって、あんなものを迷路の中に解き放つとは到底思えない。今まで遭遇していた奇形のロブスターのような怪物すら可愛く思える。

蜘蛛は僕がここに来ることを()()()()()()()()かのように、僕に向かって即座に飛び掛かってくる。僕は間一髪で蜘蛛を避けると、

 

『ステューピファイ! 麻痺せよ!』

 

何とか弱点と思しき腹に向かって『失神の呪文』を打ち込んだのだった。

巨大な蜘蛛が長い脚を道に投げ出して転がる。僕は何とか息を整えながら、このどう考えても狂っている迷路について思考を巡らせた。

この状態がこの迷路の平常運転なのだとしたら、とても安全対策が施されているものとは思えない。寧ろ積極的に命を奪おうとしているのではとすら思えてしまう。代表選手はこれくらいこなせということなのかもしれないが、今回はハリーという例外もいるのだ。もし彼が同じ頻度で怪物に遭遇していると考えると……。彼は『闇の帝王』を赤ん坊の頃に打ち倒した英雄だが、これとそれは話が別のように気がした。彼が無事だといいが……。

 

しかし僕が息を整えながらそんな呑気なことを考えていられるのはそこまでだった。

人の心配などしている暇などない。怪物なんかより遥かに異常な事態が起こったから。

ようやく息が整い、そろそろ走り始めようと思った時、

 

『クルーシオ、苦しめ』

 

「きゃあぁぁぁ!」

 

すぐ近くから本来なら聞くはずのない恐ろしい呪文と、フラーのぞっとする悲鳴が響き渡ったのだ。何か良からぬことが起こっているのは確かだった。

僕は声のした方に急ぎ走る。そしてそこで見たのは……どこか虚ろな表情をしたクラムが、道に横たわるフラーに『磔の呪文』をかけている場面だった。

しかもあまりのことに呆気にとられる僕に、

 

「セドリック・ディゴリー……僕は君を脱落させなくては……」

 

クラムが杖を向けてきたのだ。

危ないと思った時には時すでに遅く、クラムは呪文を唱え始めている。しかもフラーにかけたものと同じ、人に決してかけてはならない呪文を。

しかし今度も突然のことが起こり、僕は呪いをかけられずに済んだ。僕に呪文をかけようとしているクラムの後ろから、

 

『クルーシ、』

 

『ステューピファイ! 麻痺せよ!』

 

突然ハリーが現れ、クラムを失神させてくれたから。

ハリーの呪文が当たったクラムはその場でピタリと止まり、芝生の上にうつ伏せに倒れる。そしてそんな彼を跨ぎながらハリーが心配そうに話しかけてくる。

 

「セドリック、無事!?」

 

「あ、あぁ、何とか……。ハリー、ありがとう。助かったよ」

 

僕はハリーに何とか返事をしながら、今もピクリとも動かず地面に倒れ伏すクラムを見つめる。

信じられない。クラムのことをそこまで知っているわけではないが、だが決してこのような凶行に及ぶような人間でないことは確かだ。不愛想だが、芯は真面目で優しい人間。それが僕が彼に抱いていた印象だった。それが何故こんなことを……。それにあの虚ろな瞳。あれは一体……。

そしてハリーも僕と同意見なのかあれ程のことをしたにも関わらず、どこか丁寧な仕草でクラムを上に向けてやると、

 

「……セドリック。僕等でクラムとフラーの救難信号を出さないかい? フラーも気絶しているみたいだし。このまま放っておくと、二人ともスクリュートの餌になっちゃうよ。だから僕がクラムの分を上げるから、セドリックはフラーの分を頼むよ」

 

そう提案してきたのだった。

僕はハリーの意見に一も二もなく頷くと、ハリーと同時に杖を掲げ赤い花火を打ち上げる。

これで二人は迷路の中で巡回しているという教師に助けてもらえるだろう。僕は人心地付くと、横で同じく安心した表情のハリーに話しかけた。

 

「しかし、ハリー。君も無事で良かったよ。この迷路の中でよく無事だったね。こんな怪物だらけの迷路の中なんて。僕が君の年だったらすぐに救難信号を出していたと思うよ。本当に君は凄いね」

 

しかし僕の言葉に対するハリーの反応は不可思議なものだった。

彼は僕の言葉に訝しそうな表情を浮かべると心底不思議そうに返事をしたのだ。

 

「えっと……。そんなにここって怪物だらけなの? 僕、今の所()()()遭遇していないんだ。強いて言うなら、今起こったことが初めてのことかな。セドリックはどれくらい遭遇したの?」

 

僕は驚いてハリーの顔を凝視する。本当にそんなことがあるのだろうか。運がいいというレベルの話ではない。若しくは僕の運が悪いだけなのだろうか。ともかくこれは果たして運だけで片付けていい話ではない。

 

まるで誰かの作為が働いているような……そんな気さえしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

試練が優しすぎる……というより、迷路に入ってから何の怪物にも遭遇していない。ただ迷路をさまよっているだけ。『四方位呪文』で正しい方向を探し、それに従って歩いているだけ。ハグリッドや先生達が仕掛けた障害物など一つもない。あったのはフラーに『磔の呪文』をかけていたクラムだけ。異常な光景ではあったけど、あれと迷路は無関係だろう。

つまり僕は今まで一度として試練の難題に遭遇してはいないのだ。

最初はこんなものなのかと拍子抜けしていたけれど、セドリックの話を聞いて嫌でもそうではないと分かってしまった。セドリックは怪物と何度も遭遇しているのに僕は一度もない。明らかに変だと思った。ヴォルデモートが僕を殺すつもりなら全くの逆ではないのか?

でもいくら不可思議なことが起こっているからといって、それを理由に救難信号を上げるなんて恥ずかしいことは出来ない。

優勝がいよいよ目前まで迫っている欲望もある。でもそれだけではなく、敵の目的が分からない以上今は全力で試練に臨むしかないと思ったのだ。

僕の名前を入れたのがカルカロフにしろダリア・マルフォイにしろ、そしてそれが僕を殺すためなのか僕に恥をかかせるためなのかにしろ、今は全力でやるしかない。個人的にはダリア・マルフォイがセドリックに肩入れし、僕に恥をかかせようとしているという比較的平和的な事態であることを祈っているけど……今はそんなことを考えている場合ではない。

試練の背後で何が起こっているか分からないのは今更のことだ。夢のこと。ゴブレットから出てきた僕の名前。セドリックに肩入れするダリア・マルフォイ。失踪したバーサ・ジョーキンズやクラウチ氏。そして……

 

「クラム……どうしてあんなことを」

 

フラーに『磔の呪文』をかけたクラムのこと。

確かに最初はクラムも警戒すべき対象だとは考えていた。一番の容疑者であるカルカロフの生徒。疑わないはずがない。でも共に試練を乗り越え、その間で話しているうちに、僕は彼が悪い人間でないと思ったのだ。決して優勝のために『許されざる呪文』を使うような人間ではない。彼に何かが起こったのは明らかだ。

考えれば考える程混迷を深める事態に頭が付いてくることはない。でも更に考える猶予など僕には与えられはしなかった。

 

なんと杖の示す方位に従い中心を目指し歩き続け、いよいよ迷路の中が暗くなってきた時……暗闇の向こうに見えたのだ。

暗闇の中で燦然と輝く()()()を。

それは僕から見て百メートル先の台座にドッシリと置かれていた。

 

僕は思わず目をこすって自分が今見ている光景が本当かどうか確かめる。でも現実は変わりはない。あの堂々と輝く杯。とても偽物や幻とは思えない。とても信じられなかった。今まで本当に一度だって怪物と出くわさなかった。最後の試練がこんなに簡単なはずがない。これではまるで僕が優勝に()()()()()()()みたいではないか。

しかも優勝杯までの道のりも不可解の物だった。生け垣があるのに、まるでそこに()()()()道を作ったような歪な形をしている。他の生け垣は一分の隙も無い形なのに、まるで『爆破の呪文』を使ったかのように丸い穴が生け垣に開いているのだ。本当に……これは本来最初からあった道なのだろうか。

 

……でも僕は優勝杯を見た瞬間、そんな些細なことを考えられなくなってしまった。

夢にまで見た優勝杯が目の前にあるのだ。あれを掴みさえすれば僕はこの三大魔法学校対抗試合における優勝になることが出来る。そうすればチョウ・チャンだって僕に振り向いてくれるかもしれない。

僕はフラフラと優勝杯の方に引き寄せられながら、自分が優勝した時の光景を夢想する。

優勝杯を手にし全校生徒の大歓声の中祝福される僕。その中にはチョウ・チャンも含まれており、彼女が僕だけに向かって称賛の笑顔を向けてくれる。そんな彼女に、僕もやはり彼女だけに向けて笑顔を返す。夢にまで見た光景が今僕のすぐ近くに。

 

でも事態はそう簡単には進まなかった。

いよいよ優勝杯に近づき、杯を置いてある広場に足を踏み入れた時、広場の別の入り口から違う人影が現れたのだ。

それは数分前に会った時より傷を増やした状態のセドリック・ディゴリーだった。あれからも怪物に何度か出くわしたのだろう。傷をいくつも増やし、肩で荒い息をしている。

彼は優勝杯を見た瞬間それに向かって走り出す。

 

別方向から優勝杯に走る僕や……彼の横から巨大な影が走り寄っていることにも気付かずに。

 

それは巨大な蜘蛛だった。生け垣の上から現れた蜘蛛は、音もなく生け垣から降り一直線にセドリックに向かって駆け寄る。

セドリックはまだ気付いていない。

 

「セドリック! 左を見て! 蜘蛛だ!」

 

僕の叫び声に彼は一瞬驚いたように僕を見てから、指示通りの方向に目を向ける。その時には既に蜘蛛は彼のすぐ近くに迫っていた。

 

「こ、こいつ! まさかさっきの!?」

 

蜘蛛にのしかかられセドリックは悲鳴を漏らす。

この時にはもう僕の頭の中に試練や優勝などありはしなかった。僕はただ蜘蛛に襲われている彼を助けるために呪文を放つ。

 

『ステューピファイ、麻痺せよ! インペディメンタ、妨害せよ!』

 

しかし蜘蛛が大きすぎるせいか、呪文をかけても蜘蛛を怒らせるだけで終わった。蜘蛛は遂に剃刀のようなハサミをセドリックの喉元に突き立てようとしている。

このままでは彼が殺されてしまうのは火を見るより明らかだ。

僕は意を決して蜘蛛に飛び掛かり、無理やり奴の意識をこちらに向かせる。そして僕の行動に驚いた様子の蜘蛛に我武者羅に飛びつきながら、再度先程と同じ呪文を放った。

 

『ステューピファイ、麻痺せよ!』

 

どうやら今回は効いたらしい。運が良かったのか、たまたま蜘蛛の弱点である部分に呪文が命中し、蜘蛛は僕を掴んだ状態であるもののゆっくりと倒れた。

たった一回の戦闘だったというのに、その一回だけで僕は満身創痍の状態だ。蜘蛛に掴まれた時にやられたのか僕の足からは夥しい血が漏れている。僕は蜘蛛の脚を何とか引き離し、喘ぎながら何とか立ち上がり辺りを見回す。

そんな僕に、僕と同じく満身創痍な様子のセドリックが話しかけてきた。

 

「大丈夫かい、ハリー? それにありがとう。君には二度も救われてしまったね」

 

僕はまだ肩で息をしながら答える。

 

「僕は大丈夫だよ。それに君を救ったと言ってもお互い様だ。セドリックが卵のことを教えてくれなかったら、僕は第二の試練に臨むことも出来なかった。これでお相子さ」

 

「そんなことはない。君はドラゴンのことを僕に教えてくれようとしたじゃないか」

 

「……でも君はあの時もうドラゴンのことを知っていた」

 

「いや、知っていたかどうかは問題ではないさ。同じ代表選手なのに関わらず、貴重な情報を教えてくれようとしたかどうかが重要なんだ。それに先程助けてもらっていなかったら……僕は間違いなく蜘蛛に殺されていた。僕はこの試練でリタイアしたも同然だ。だから……」

 

そこまで話した時、セドリックは突然不可解な行動を取り始める。

一瞬心底悔しそうな表情を浮かべた後、酷く長い溜息を一つ吐き、僕を優勝杯の方に押しやり始めたのだ。

 

「だから……この優勝杯は君にこそ相応しい。僕だってこの優勝杯が喉から手が出るほど欲しい。これを持って帰るよう、僕をずっと支えてくれた子もいるからね。でもここで僕が優勝杯を掴めば、僕は後々必ず後悔してしまう。こんな勝ち方では何の意味もない。だから君がこれを取るんだ」

 

意味不明な言動に僕はセドリックの顔をまじまじと見つめる。声もまるでありったけの意志を最後の一滴まで搾り取ったような声音だし、表情もやはりどこまでも苦々しいものだ。でも意志だけは固いのか、腕を組み、決してここから動かないぞというポーズを取っていた。

僕は彼のそんな態度を見て……初めてセドリックという人間自身を見た気がした。

 

あぁ……そうか。こいつは本当に……いい奴なのだ、と。

 

彼だって優勝杯が欲しくないはずがない。ダリア・マルフォイなんかの助力を受けるくらいだ。何としても優勝杯を掴みたいという気持ちは間違いなくあるはずだ。

でもそれでも今僕に優勝杯を譲ろうとしている。ダリア・マルフォイの手を借りても、決して卑怯な手段で優勝杯を掴みたいとは思っていない。正々堂々と競い、その果てに栄光を掴みたい。そう彼は考えているのだ。

その姿に僕は……とても共感すると同時に、とてもカッコいいものだと思った。これではチョウをダンスパートナーに取られても当然だと思う程に。

 

しかしセドリックの考えは僕の考えでもあった。僕だってここで、はいそうですかと優勝杯を掴みたくはない。それでは今までの試練で助言をしてくれ、尚且つ僕より多くの怪物と戦いながらほぼ同時にここに辿り着いた彼に申し訳ない。とても不公平な気さえする。

 

だから僕はしばらく真剣に思い悩み……

 

「分かった。優勝杯を掴もう。……でも二人ともでだ。二人一緒に取ろう。それならホグワーツの優勝に変わりはない。二人で引き分けだ」

 

そんな提案をセドリックにしたのだった。

 

 

 

 

その選択に、一生後悔することになるとも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セドリック視点

 

家族のため、ハッフルパフ生のため……そしてダリアのために優勝したい。いや、優勝しなければならない。そう思う気持ちに変わりはない。

でもそれはどんな手段を使っても優勝したいというわけではないのだ。

誰にも恥じないような勝利を収める。勝ったのに後で後ろ指をさされるような結果では意味はない。それでは僕は一生臆病な自分のままになってしまう。本当の意味で家族や仲間を喜ばせられなくなってしまう。そして彼女にも……決して正面から顔向けできなくなってしまう。

僕は試合開始直前に決めたのだ。

もし優勝したら、彼女に今まで警戒していたことを謝るんだ。そしてこれまで支えてくれたことの感謝をもう一度言葉にし、

 

『君のことが好きだ』

 

この温かな気持ちも伝えるのだと。

しかしハリーに命を救ってもらったにも関わらず、厚顔無恥にも彼の目の前で優勝杯を掴んでしまえば……僕は純粋な気持ちでその言葉を発することが出来なくなってしまう。

それだけはどうしても嫌だったのだ。僕を優勝させようとした彼女には申し訳なく思う。彼女に何か目的があったのは間違いないが、それでも彼女にこれからもキチンと向き合うためには、これはどうしても必要なことだと思ったのだ。

……だからこそ、

 

「分かった。優勝杯を掴もう。……でも二人ともでだ。二人一緒に取ろう。それならホグワーツの優勝に変わりはない。二人で引き分けだ」

 

ハリーがその提案をしてくれた時、僕は本当に嬉しかった。

何故ならそれは、彼女の望みと僕の望み、その両方を同時に叶えてくれるものだったから。

僕は突然の言葉に驚き、思わずハリーの方を凝視する。彼はどこか朗らかな笑顔でこちらを見ていた。

 

「き、君……自分が何を言っているか分かっているのかい?」

 

「勿論だよ。でも僕はそれが一番いいと思ったんだ。お互いにとってね。僕達は助け合って試練に臨んできた。そして二人ともここに辿り着いた。だから一方が優勝杯を掴むなんて間違ってる。僕が取ったら、僕もセドリックと同じように必ず後悔すると思う。だから一緒に取ろうよ。……ただ優勝賞金も山分けだけどね」

 

僕の戸惑った声にも、ハリーの意志は決して変わらない様子だった。

本気で彼は僕と優勝杯を掴むのが、彼にとっても一番いいと思っている。そんな心情がハッキリと分かる程の笑顔だった。

 

成程。これが『闇の帝王』を赤ん坊の時に倒した英雄。実力だとか、魔法力なんてそんなものは関係ない。彼は間違いなく、これこそが英雄だと思える程のいい奴だと思った。

 

僕はハリーの魅力的すぎる提案に引き寄せられるように、彼と一緒に優勝杯に近寄る。

そしてもう一度彼の意志を確かめ、

 

「……もう一度聞くけど、本当にいいのかい?」

 

「勿論。寧ろこれ以外の結果なんて受け入れられない」

 

「……分かった、ハリー。なら一緒に優勝しよう。では三つ数えるね。いち……に……さん!」

 

僕等は同時に優勝杯の取っ手を掴んだのだった。

掴む瞬間、僕は今から起こるであろう光景を幻視する。

ハリーと共に優勝杯を掲げ、そんな僕等に駆け寄る観衆たち。両親が歓喜のあまり僕の頭を撫でまわし、ハッフルパフ生も僕のことを興奮したようにもみくちゃにする。

そしてそんな観衆たちの向こうを見れば、そこにはこちらをあの時と同じ笑顔で見つめているダリアの姿。いつもの無表情ではなく、本当に喜んでくれていることが分かる綺麗な笑顔で僕に拍手を送ってくれている。

 

そんな光景を僕は幻視し、その光景を与えてくれたハリーに感謝した瞬間……僕は、いや、僕らは臍の裏側の辺りを引っ張られるような感覚を覚え、気が付いた時には……何故か薄暗い空間に立っていた。

 

「な、なんだここは? もしかしてこの優勝杯は『移動キー(ポートキー)』だったのかい?」

 

想像もしていなかった事態に困惑しながら僕らは当たりを見回す。

城を取り囲む山々はどこにもなく、暗い空間には所々墓と思しき物が乱立している。そして近くには丘があり、その上に古い館が建っていた。

ここはホグワーツとは全く違う場所にある、どことも知らない墓場であることに間違いはなかった。

何故僕らは優勝杯を掴んだと同時にこんな所に連れてこられたのだろう。これが三大魔法学校対抗試合の続きであればいいのだが、あまりに薄気味悪い場所に嫌な予感が止まらない。

 

『気を付けてください。迷路の中で何があるか分かりません。……試練とは関係ないような、何かもっと恐ろしいことが進行している可能性がある』

 

僕はダリアの試合直前の発言を思い出しながら、そっとあたりに杖を構えた。あの時は試合前の興奮で彼女の発言を深く考えなかったが、もしや彼女はこのことを言っていたのだろうか。

しかしそんなことを考えている暇はなく、今度は、

 

「ぐぁ! な、なんだ!」

 

僕同様辺りを見回していたハリーが、突然激痛に耐えるように頭を押さえながら倒れこんだのだ。

尋常ではない様子に僕はすぐにハリーに駆け寄る。

 

「ハリー、大丈夫か!?」

 

 

 

 

だがそれがいけなかったのだろう。

僕がハリーに駆け寄った隙に、暗がりから何者かが現れ、

 

「ワームテール、余計な奴は殺せ!」

 

『ア、アバダケダブラ!』

 

僕にあの呪文を浴びせたのだ。

声に振り返った僕の目の前に緑色の閃光が迫る。

 

僕が()()に見た光景は……

 

「父さん……母さん……。ダ、ダリア……」

 

視界一杯に広がる緑色と、その中に見える()()()人達の姿だった。



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別れの夜(中編)

 

 ダリア視点

 

今私の目の前では二つの花火が打ち上がっている。

それは紛れもなく、今迷路の中で何か異常事態が起こっていることを表していた。

 

「あれはもしや……救難信号ではないですか?」

 

「……そのようじゃのぅ。しかも同時に二つ。ただ事じゃないようじゃ」

 

老害の話を信じるのであれば、試練には最大限の安全策が講じられているはず。だが今目の前で起こったことはどうなのだろうか。救難信号が上がるということは、それは代表選手の誰かが命の危険にあることを表している。一般の生徒ならいざ知らず、代表選手にまで選ばれた彼等が命の危険以外で救難信号を上げるとは考えずらい。

それを彼らの誰かが上げた。しかも二人同時に。これを異常事態と言わずに何と言うのか。

ダンブルドアも流石にそのことは分かっているのか、救難信号を確認した瞬間立ち上がる。そして私にどこか有無を言わせぬ口調で話しかけてきた。

 

「すまぬがダリア。一緒についてきてはもらえんかのぅ。お主も分かっておる通り、何か良からぬことが迷路内で起こっておる。学内一の聡明さを誇るお主の意見も聞きたいのじゃ」

 

「えぇ、勿論です」

 

それに私は一も二もなく頷く。何か起こった時即座に情報を得られるためにここに座っていたのだ。それこそいけ好かない老害の隣に座ってまで。ここで行かないという選択肢など私には存在しない。……たとえ私の監視を続けるための方便だとしても、今それを議論している暇はないのだ。

しかしそれに、

 

「ダ、ダリアも行くの!?」

 

「ダンブルドア! またダリアをこんなものに連れまわして! 一体お前はどういうつもりだ!?」

 

「落ち着いて下さい、ダフネ、お兄様。これは別に付き合わされているわけではありません。私が今何が迷路の中で起こっているかを知りたいだけなのです。ですからお二人はここで待っていてください」

 

お兄様達までつき合わせる必要性はない。

私が立ち上がると同時にお兄様達が抗議の声を上げるが、私は即座に彼らの言葉を抑える。だがそれでもお兄様の意志は強いらしく、更に抗議の言葉を続けるのだった。

 

「……なら僕達も連れていけ。お前が最近何か不安げにしていることは僕だって知っている。お前が何を考えているかは知らないし、今ここで聞く気はないが、ただ傍に居ることだけは出来る」

 

「そうだよ! これ以上貴女を放っておくことなんて出来ない! こんな嫌な奴の傍に居て、ダリアが苦しくないはずなんてない! だからせめて私達もついて行かせて!」

 

あまりの意志の固さに寧ろ私の方が気圧されてしまう。全てを隠し遂せているとは思っていなかったが、やはり私が最近不安な気持ちで過ごしていることはバレていたらしい。ここまで強硬に反対されるとは思ってもいなかった。

そこで私は一瞬逡巡し、二人をどうするかどうか考える。答えはすぐに出た。この学校で一番安全な場所はどこかと考えれば、おのずと答えは出る。一度は反射的にここに残るようお願いしたが、

 

「……分かりました。では決して私の傍を離れないで下さい。そういうことで校長。二人にも同行してもらいますが、よろしいですね?」

 

よく考えれば別に二人を態々ここに残しておく必要性はないのだ。

迷路に突入するなら話は別だが、ダンブルドアもそこまで私を連れまわすことはないだろう。ならばこの学校で一番安全な場所はこの老害の傍に他ならない。それに今は緊急時。ここで二人を説得している時間はあまりない。それはダンブルドアも同じだ。ここで話している暇も、そして二人に私の情報を聞き出すために『開心術』を使う暇もないはず。

なら二人を連れて行かない理由はない。

そしてそれは老害の方も分かっているのだろう。一瞬苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてはいたが、即座に私達に先を促した。

 

「……良かろう。ダリアにマルフォイ君、そしてミス・グリーングラス。ワシについてきておくれ」

 

私達はダンブルドアのどこか諦めたような言葉の後、即座に行動を開始する。観客席を降り、迷路の入り口まで歩みを進める。すると老害は守護霊の呪文を唱えたかと思うと、

 

「セブルス、ミネルバ、それにアラスター。今手が空いておるようであれば、入り口まで戻ってきておくれ。そして迷路で何が起こっておるか説明してほしい」

 

不死鳥の形をした靄にメッセージを託して送り出したのだった。

果たして効果はすぐに現れた。スネイプ先生とマクゴナガル先生が同時に迷路の入り口から現れる。……二人ともそれぞれ、ビクトール・クラムとフラー・デラクールを魔法で浮遊させた状態ではあったが。どうやら先程の救難信号を打ち上げたのはこの二人であるらしい。

入り口から現れた瞬間、まずスネイプ先生が口を開く。先生も今が異常事態であることを把握しているのだろう。一瞬後ろに控える私達に目を見開くが、今はそれを議論している暇はないと考えたのか前置きもなく言葉を発した。

 

「二人とも迷路の内で気絶しておりました。ただ命に別状はない様子です。詳しいことは医務室に連れて行かねば分からないでしょうがな。ただ一つだけ問題が……」

 

先生はそこで一度言葉を切り、どこか戸惑った様子で言葉を続けた。

 

「直前呪文で調べたところ、二名とも救難信号は出していませんでした。それどころかビクトール・クラムの方は……『磔の呪文』を行使した痕跡が」

 

想定外の報告にその場にいた全員が唖然とする。特に私を含めたスリザリン三人の驚きはひとしおだった。そこまでビクトール・クラムと話した時間が長かったわけではない。寧ろ警戒していたため彼と話す時間は最小限にとどめていた。全てはカルカロフ校長に届く情報を最小限にするために。ただその中でもビクトール・クラムのこと自体を疑ったことはそこまでない。少し話しただけでも彼が実直な性格であることは分る。だからこそグレンジャーさんのパートナーに推薦したのだ。そうでなければダフネの親友である彼女に彼を推薦するものか。

だからこそあり得ないと私達は思った。彼が『磔の呪文』を人に使うはずがない。だが直前呪文で調べた限りでは、彼の杖は確実に『磔の呪文』を行使している。到底信じられることではない。想定外のことが迷路の中で進行している。

それに……

 

「何と言うことじゃ。彼には起きた時に何が起こったのか聞かねばならんのぅ。それに……アラスターはどうしたのじゃ?」

 

もう一人外に来るよう指示されたあのクズ教師がまだ現れていない。

ダンブルドアの質問に、今度は厳しい表情浮かべていたマクゴナガル先生が答えた。

 

「アラスターなら先程迷路内で会いました。まだポッターが中で試練に挑んでいるため、自分はまだ迷路内に残ると。それにポッターもミスター・ディゴリー、()()()()今何の問題もなく試練をこなしているとも」

 

何故かとてつもない違和感を感じた。

クズ教師の伝言にはどこも矛盾している点はない。気絶している代表選手二人を運んでいるスネイプ先生とマクゴナガル先生はともかく、いくら校長の命令でも迷路内をがら空きにするわけにはいかない。それは間違っていない。

でも二人とも何の問題もなく試練をこなしている?

代表選手が二人同時に脱落し、その内一人は『磔の呪文』を使った可能性があるのに? 

私には他の二人が問題なく試練に臨めているとは到底思えなかった。

 

「セドリック……」

 

私は小さく一人の代表選手の名前を呟きながら、目の前にそびえる生け垣を見つめる。

 

 

 

 

もうそこには、いやもうこの世界のどこにも……彼の姿などないことも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「セ、セドリック?」

 

何もかもが信じられなかった。今僕の目の前ではセドリックが大の字に倒れ伏しており、先程からピクリとも動かない。目は見開かれ、無機質な灰色の瞳は何も映してはいない。表情も少し驚いたような表情で固定されている。

 

信じられないことに……彼はどこからどう見ても()()()()()のだ。

 

数分前まで一緒に試練を乗り越えていたのに。優勝杯を共に取ろうと笑いあっていたのに。……ようやく彼と本当の意味で向き合えた気がしたのに。

彼は何の脈絡も、何の前触れもなく……僕の目の前で殺されていた。

信じられなかった。受け入れられなかった。信じられないという以外の全ての感覚が麻痺していた。頭痛と理解不能な感情で何も考えることが出来ない。

そんな硬直する僕をピーター・ペティグリューは引きずり、無理やりある墓石の上に縛り付ける。

 

その墓石には……『トム・リドル』と銘が刻まれていた。

 

縛り付けられた僕の目の前で事態は進んでゆく。ピーターは僕を墓石に縛り付けると、今まで小脇に持っていた小包を抱え直し、その小包に丁寧な口調で話しかけたのだ。

 

「ポ、ポッターを拘束しました、ご主人様」

 

そして驚いたことに……その小包から奴に返事がされる。

 

「よくやった! では大鍋で湯を沸かし、その中に俺様を入れるのだ! その後は手はず通りにな!」

 

それは先程セドリックの殺害を指示した声だった。身の毛のよだつような甲高い声。まるでこの世のものとは思えないような冷たい声。

でも僕は何故かこの声をどこかで……。ずっと昔どころか、つい最近聞いたような気がする。驚きでまるで靄がかかったような思考のせいか、声だけでは中々思い出すことが出来ない。

しかしその疑問はすぐに氷解することになる。ピーターが包みを開くとそこには、

 

「ヴォ、ヴォルデモート……!」

 

夢にまで見た奴がいたから。

縮こまった人間の子供の様な姿。ただそれは普通の子供などではなく、髪の毛はない上、肌も鱗に覆われたようなどす黒い色をしている。そして手足は異様に細長い形をしており、その顔は蛇の様なのっぺりした顔で、目はギラギラとした赤色をしていた。

たとえ弱弱しい姿をしていても僕には分る。

こいつこそが僕の両親を殺し……そして今セドリックまで殺した奴なのだと。

僕は奴を見た瞬間、恐怖と怒りに絶叫する。でもそれに頓着することなくピーターは指示通りどこからか取り出した大鍋に湯を沸かすと、奴をグラグラと沸き立つ湯の中に入れた。それで死んでしまえばいいと思ったが、話はそう簡単には進まない。

ピーターが間髪入れず何かの呪文を唱え始める。

 

『父の骨、知らぬ間に与えられん。父親は息子を蘇らせん』

 

その瞬間僕が縛り付けられている墓の足元が割れ、中から細かい塵のような物が浮かび上がり、奴が今しがた入っている鍋の中に降り注いでいく。

すると今までただのお湯だった水が突然鮮やかな毒々しい青色に変わった。

もはや何か悪いことが着実に進行していることは火を見るより明らかだ。

ピーターは今度はヒーヒー泣きながら、マントの袖から銀色に輝く短剣を取り出す。

そして、

 

『し、僕の肉、よ、喜んで差し出されん。僕はご主人様を……蘇らせん!』

 

自身の右手首にあてると、それを勢いよく切り落としたのだ。辺りにピーターの絶叫が響き渡る。もはや苦痛に息も絶え絶えな様子だ。なのにそこで儀式が終わればいいものを、

 

『敵の血……力づくで奪われん。汝は敵を蘇らせん』

 

最後に僕の方ににじり寄ると僕の腕に短刀を突き立て、血を回収すると再びそれを鍋に入れたのだ。

もはや棍棒で殴りつけられたような頭痛と腕の痛みを感じ、恥も外聞もなくもがき苦しむ僕を横目にピーターが呪文を唱え終える。

大鍋はグツグツと煮えたちながら、四方八方にダイヤモンドのような閃光を放っている。

 

そしてその閃光が止まった時、

 

「ローブを着せろ、ワームテール」

 

大鍋の中からゆっくりと、まるで骸骨のようにやせ細った高い影が立ち上がった。

 

 

 

 

骸骨よりも白い顔、細長い真っ赤な不気味な目。蛇のように平らな鼻に、切れ込みを入れたような鼻の孔。

 

……ヴォルデモート卿が()()したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴォルデモート視点

 

死を克服し、もはや悠久の時を生きる力を得た俺様にとって、しかしながらこの13年という年月は実に長く……そして惨めなものだった。

だがそれも今終わった。ようやくこの時が来た。今までの虫けらにも劣る状態とは違う。俺様は今ようやく嘗ての力を、いやそれ以上の力を取り戻すことに成功したのだ。

俺様は大鍋を跨ぎ、草が生い茂る墓場に降り立ちながら自身の体を確かめる。我が父の墓に縛り付けられたハリーや、たかが腕を失ったごときですすり泣くワームテールの声が少々煩わしいが、そんなことは今の俺様にとっては些細な問題だ。

 

「あぁ……ようやくこの時が……」

 

体を得ると言うことは何と素晴らしいことなのだろうか。13年前まではごく当たり前だと思っていたことが、今この瞬間はとても愛おしいことのように思える。両手で自身の体があることを確かめ、その感触を存分に楽しむ。そして一通り感触を楽しんだ後、俺様は未だにすすり泣くワームテールに話しかけた。

無論この男を労うなどという無駄な行為のためではない。自身の体は取り戻した。ならば次に必要なのは、

 

「ワームテール。俺様の杖を出せ」

 

俺様を真の特別にする、俺様が魔法使いである証である杖だ。

しかし愚か者は痛みに囀るばかりで中々動こうとしない。全く本当に使えない男だ。まだやるべきことは山ほどあるというのに、何をボさっとしているのだ。一応この復活に際して貢献をしていたことから生かしてはいるが、本来ならすぐにでも殺しているところだ。俺様は舌打ちを一つすると、未だに地面に転がるワームテールのポケットを探り俺様の杖を取り出す。

そして杖の状態を一通り確かめると、俺様はいよいよ最後の仕上げに取り掛かった。

 

「さて……これで何人戻ってくることか」

 

俺様は自身の偉大な力を取り戻しても、未だに全ての力を取り戻したとは言えぬ。それは組織力。嘗て魔法界を支配した程の組織力は地に落ちている。俺様を再び真に特別な存在にするには、俺様に忠実な僕である『死喰い人』の存在が必要なのだ。体を取り戻した今、俺様には奴らを呼び寄せる手段がある。

真に忠実な僕の多くはアズカバンに。一人はアズカバンから抜け出し、今はホグワーツで俺様の命じた仕事を。……そして奴らを統べるべく俺様の作った()()は、今もホグワーツにて研鑽を積んでいる。あれらを呼び寄せることは現在は不可能であるが、それ以外の連中を呼び寄せることは出来る。

何人戻ってくるかは分からぬ。戻ってきたとしても、約一名を()()()ある程度の仕置きは必要だ。

だがその洗礼の儀式を終えれば、再び俺様の復活は絶対的なものとすることが出来る。

 

今こそ俺様は、真の家族を取り戻す。そして再び偉大な存在に……特別な存在に返り咲くのだ。

 

そんな僅かな怒りと、それを上回る喜びを胸に、俺様は杖をワームテールの腕に押し当てる。片方の腕に描かれた、俺様の力を示す『闇の印』へと。

痛みのためかワームテールが再び耳障りな叫び声を上げるが、そんなものに俺様が頓着することはない。

俺様は叫び声に寧ろ笑みを強めながら、今から起こるであろう光景に思いを馳せた。

 

「あぁ、楽しみだ。実に……楽しみだ。お前もそうであろぅ、ハリー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

腕に激しい痛みを感じ、ローブを肘まで捲ればそこには未だかつてない程色濃い状態の『闇の印』が描かれていた。

それこそ嘗て闇の帝王が御健在だった頃程の……。

私はその『闇の印』を見て気付く。

 

あぁ、遂にこの日が()()()()()()のだと……。

 

何の手段も講じなかったわけではない。あの腕の痛みを感じた日からというもの、他の死喰い人と共にこの日に備えて準備を進めていた。警備の厚いクィディッチ・ワールドカップで騒ぎを起こし、魔法省にも盛んに根回しをしていた。いつ闇の帝王が復活しても……私が、いや、私の家族が決して裏切り者扱いされないように。

しかしそれでも準備不足としか言いようがなかった。闇の帝王は決して裏切り者をお許しにならない。亡くなったと早合点していたとはいえ、私はその消息を探そうともしなかったのだ。しかも『服従の呪文』にかけられただけと言い訳した上で……。闇の帝王がお許しになるはずがない。私が助かるためには、その失態を上回る功績を急ぎ成し遂げるしかない。いや、成し遂げるしかなかったのだ。全てが手遅れ。

この腕の痛みを感じるということは、遂に闇の帝王は復活し、我々死喰い人に今この瞬間に召集をかけていることだから。

もう時間はない。こうして躊躇している間にも、刻一刻と闇の帝王の心象は悪くなっているに違いない。

かくなる上は、

 

「せめて()()()()でも守らねばな……」

 

覚悟を決めて帝王の下に急ぎはせ参じるしかないのだ。

私はフードを深く被ると、死喰い人に与えられた髑髏の仮面を被る。そして……遂に13年ぶりに闇の帝王の下に姿現しを行う。

印を通して感じた場所は墓場だった。薄暗く、広い空間の所々に墓が立ち並んでいる。

その空間に、

 

「あぁ……我が君……」

 

やはりあのお方が佇んでいた。13年前。闇の帝王がお隠れになる直前と全く同じ姿形で。

何もかもを超越したような、まるで大蛇を思い起こさせる顔立ち。醸し出す空気は冷たく、一目で絶対的な強者であることが肌で感じられる。

……ここに来る時に覚悟を決めたつもりでいたが、そうではなかったらしい。闇の印が疼くのを感じていたが、やはり10年以上も信じていた認識を中々覆すことは出来なかったのだろう。

だが今は違う。今この瞬間、私は心の底から実感し、今目の前にある光景を信じた。

 

本当に闇の帝王は復活したのだと。

 

私は10年以上前まで絶対の忠誠を捧げていたお方に自然な形で近づき、その黒いローブの裾にキスする。そしてそれは私だけではなかった。辺りにバシリという音が響き、いくつもの影が墓場に突然現れる。それらは全員私と同じ仮面を被っており、誰かは判別できないが全員死喰い人であることが分かる。奴らは私同様一瞬闇の帝王に瞠目すると、やはり自然な形で近づき帝王の御傍に跪いたのだった。

闇の帝王はそんな我々を一瞥すると、静かな口調で話し始めた。

それはやはり13年前までよく聞いていた、聞いているだけで背筋が凍るような冷たい声だった。

 

「よく来た。我が忠実なる僕であり、俺様の真の家族と言える『死喰い人』達よ。13年……最後に我々があってから13年が経った。しかしお前達はそれが昨日のことであったかのように、今また俺様の呼びかけに応えた。やはりお前達は俺様の真の家族だ。我々は『闇の印』の下に結ばれておるのだ」

 

静かな口調。それこそ何の感情も感じさせない程の。

しかし私を含めた死喰い人全員が肩を恐怖で震わせる。全員が悟ったのだ。これは決して許されていない。これは闇の帝王が怒りを露にする前兆でしかない。そしてその認識は正しかった。静かな口調から一転激情を滲ませた声音で続けた。

 

「だが……これはどうしたことだ? 俺様にはお前達全員、無傷で健やかな状態に見える。魔力も全く失ってはおらん。今ここに来れず、今もアズカバンにおる真に俺様に忠実な死喰い人がおるにも関わらずだ! 何故今お前達は五体満足でここにおり、13年もの間俺様を放置したのか? 俺様は甚だ疑問だ。だから俺様は自問自答する。こやつらは信じたのだ。俺様がたかが赤ん坊如きの力に打ち破られ、死体も残らぬほど打ち据えられたのだと。俺様は死をとうの昔に克服しているにも関わらず……。そしてそんな愚かな考えに染まったこやつらは、あろうことか敵に無罪を主張し、まんまと敵の間にスルリと戻ったのだ。あぁ、失望した。俺様は失望させられたと告白する。どの面を下げて俺様の下にはせ参じたのだとな」

 

もはや恐怖しか感じなかった。やはり許されてなどいなかった。今までの対策は全くと言っていい程間に合ってはいなかったのだ。

恐怖のあまり、遂には隣にいた死喰い人の一人が闇の帝王の言葉を遮って大声を上げ始める。仮面で顔は見えないが、それはクラッブのもので間違いなかった。

 

「わ、我が君! ど、どうかお許しを! 我々は……いえ、私は決してご主人様を放置してなど、」

 

『クルーシオ、苦しめ!』

 

しかし即座にクラッブの声は途絶える。次の瞬間には奴は悲鳴を上げながら地面をのたうち回り、墓場には奴の悲鳴のみが響き渡る。

そして闇の帝王は一頻り悲鳴を楽しんだ後に、息も見絶え絶えの奴に話しかけ、

 

「何を勘違いしている、クラッブよ。許す? 何を戯言を言っておるのだ? 俺様は決して許さぬ。忘れぬ。13年だぞ。13年も俺様を放置したのだ。その分のツケは払ってもらうぞ。……勿論この場にいる()()全員にな。クルーシオ、苦しめ!」

 

そんな宣言と共に小さく悲鳴を上げる他の死喰い人達に杖を向けた。杖を向けられた全員がクラッブと同じく悲鳴を上げながら地面をのたうち回る。

 

……杖を向けられず、拷問もされずに立ち尽くすのは()()()だった。

 

周りでのたうち回る死喰い人達を恐怖の視線で見つめながら私は必死に頭を回転させる。

何故私は見逃されたのだろうか。いや、そもそも私は見逃されたのだろうか。これから『磔の呪文』とは言わず、もっと恐ろしい呪文……『死の呪文』をかけられてしまうのではないだろうか。もっとも早く敵の手元に潜り込み、今も純血貴族に相応しい生活を送れているのだ。殺される可能性とて十分にある。この危機を切り抜けるにはどうすればよいのだろうか。私は今殺されるわけにはいかない。私が殺されれば、私は息子たちの成長を見守ることも出来なくなる。それどころか息子達すら裏切り者として扱われるかもしれない。それだけは避けなければならない。

だがそう必死に考えても、いざ闇の帝王が私の目の前に迫ってこられた時に私に出来たことは、

 

「わ、我が君。わ、私は常に準備をしておりました。貴方様のなんらかの印があれば、必ずやご主人様の、」

 

クラッブと何も変わらない、ただの命乞いのような言葉だけだった。

これでは闇の帝王をより不快にさせてしまうだけだ。しかしいよいよ闇の帝王が私の目の前に立った時、帝王が口にされたのは他の死喰い人に対する冷たい言葉ではなく……意外にもどこか愉快そうなものですらあった。

 

「あぁ、ルシウスよ。そう怯えずともよい。俺様は言ったはずだ。この場にいるほぼ全員に罰を与えるとな。その中での例外は、お前とそこに転がっているワームテールのことだ。確かにお前は俺様を探しはしなかった。だがお前は俺様の命じた役目を十分果たしている。たしか()()()()()()()()()……そうお前は名前を付けたのだったな、()()に」

 

私は突然闇の帝王の口から出てきた名前に驚き目を見開く。視界の端で、何故そこにいるのかは分からないがとある墓に縛り付けられた状態の()()()()()()()()()目を見開いているが、今はそんなことに頓着している暇はない。

……確かにダリアはそもそも闇の帝王が私に預けた子供だ。死喰い人を統べるため、更に強大な死喰い人を育て上げる。そのために闇の帝王が私の娘として与えて下さったことがそもそもの始まりだ。闇の帝王がお亡くなりになったと考えても、私は出来るだけその目的に沿う形でダリアを育ててきた。純血の偉大さを体現する、誰よりも優れた娘として。マグル殺しこそさせることはなかったが、いつどこに出しても恥ずかしくない()()()()であるはずだ。その点で言えば、闇の帝王が当初求めた目標をクリアしていると言える。

だがまさか今闇の帝王がそのようなことを仰るとは夢にも思っていなかった。

 

……いや、それは正確ではない。私は自身の思考に僅かな違和感を覚える。

私は闇の帝王に言われる瞬間まで、ダリアの生い立ちをすっかり()()()()()()()。自分であの子を死喰い人として育てたにも関わらず……。

しかしそんな雑音交りの思考をする私を捨て置き、やはり闇の帝王は機嫌よさそうに続ける。

 

「俺様は3年前にアレの成長ぶりを聞いておるぞ。実によく育っていると。当に俺様の望んだ、お前達死喰い人を統べるに相応しい存在だ。後は俺様も多少の知識を与えるとしよう。更に強く、そして冷酷な存在にするためにな。その土台を作るのに、お前は見事役目を果たした。それをもってお前の罪を許そうではないか。どうだ、ありがたいだろぅ、ルシウス?」

 

「は、はい。勿論でございます、我が君」

 

半ば反射的に答えた私の返事に満足されたのか、闇の帝王はやはり私に何の呪文もかけることもなく次の僕の下へと向かう。

そして茫然自失する私を他所に、

 

「ワームテール。お前もその例外の一人だ。嬉しかろう? お前は俺様の下に戻ったのは忠誠心からなどではない。その上……ここにいる者はまだ知らぬだろうが、この者こそが俺様にポッター家の情報をもたらした張本人だ。お蔭で俺様は13年もの間実に惨めな時間を過ごす羽目になった。だが寛大な俺様はお前を許そう。お前がおらねば、俺様は体を取り戻すことすら叶わなかった。俺様は助ける者には褒美を与える。ほら、これがお前の新しい腕だ。今までの貧相な腕より使い心地がいいはずだ。これをもってお前への褒美とする。決して俺様への忠誠心を揺るがすなよ」

 

今まで地面に転がっていた小男の下に向かうのだった。

魔法で出来た銀色の腕を歓喜の表情で受け入れる小男をはた目に、私はようやく自身が助かったことを理解しながら荒い息を整える。

何故かは分からない……いや、私の今までの行動のお陰ではなく、()()()()()()()私は助かった。この一年気が気ではなかったが、何とか命を繋ぐことには成功した。これで家族が裏切り者の一族として扱われることもなくなっただろう。それどころかこれまで以上の待遇すら望めるかもしれない。

そこまで考えた私はようやく安堵のため息を吐き、寧ろこれからのことを考える。

何とか許された、それどころかお褒めの言葉すら頂けたのだ。これは好機だ。我がマルフォイ家が闇の帝王の下で確固たる権力を得るまたとない機会だ。そうすれば我々は更に純血貴族の中でも特異な存在になることが出来る。ダリアも()()()()()()()、闇の帝王の右腕として……それこそマルフォイ家である以上に偉大な存在になることが出来る。

だから私は……ダリアはもっと闇の帝王の力になれるよう励まねば。

 

そう……私は考えたのだった。

それがダリアの望む答えではないとも知らずに。

 

 

 

 

おそらく私は、いや闇の帝王すら意識してなどいなかっただろう。

この瞬間私を含むマルフォイ家は全員、闇の帝王のダリアに対する()()になったのだ。

 

内心では闇の帝王にいい感情を抱いていなかったダリアが、決してあのお方を裏切れないようにするための……。

 

この瞬間、ダリアは本当の意味で未来への選択肢を失ってしまったのだった。

 



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別れの夜(後編)

 ???視点

 

計画通りポッターが闇の帝王の居場所に送られるのを見届けた俺は、思わずにやけそうになる表情筋を必死に抑え込みながら迷路の入り口を目指していた。

これで俺は自身の役目を完遂できた。……あれだけ妨害を重ねたはずのセドリック・ディゴリーも送られることとなったが、まぁ些末な問題だろう。ポッターを送るという大目的は果たせたのだ。帝王があちらにおられる以上、ディゴリーは適切に処理されるはず。今はもうこの世にもいないはずだ。

俺は今大変気分がいい。あの男を殺してからというもの、何故か俺は胸にぽっかりと穴が開いてしまったような気分でいたが、今はそんな不快な感情も感じてはいない。いや、感じずにいられている。

もはや闇の帝王が復活するのは決定事項。俺のすべきことは、後は素知らぬ顔でこの城を抜け出すことだけ。そうすれば俺は真の帝王の右腕になることが出来る。

 

そうすればこの胸に開いた穴も塞がるはずなのだ。

今まで()()()()()()()の、誰もが羨む地位につきさえすれば。

幸せの絶頂にいる俺はもう、あの男が最後に見せた笑顔も思い出さないはずだ。

 

そして湧き上がる雑念を無理やり抑え込み、自分を無理やり高ぶらせていると、

 

「アラスター! よう戻ってきてくれた。迷路の中はどのような様子じゃ?」

 

入り口で待機していたダンブルドアが尋ねてきたのだった。

奴の周りにはスネイプにマクゴナガル、そして俺がダンブルドアに監視を命じておいた小娘に、奴の兄と友人の二人。得体のしれない小娘やその友人こそ俺に敵意を持った視線を送ってきているが、他の奴らは皆俺を欠片ほども疑っていない様子だ。それこそダンブルドアを含めて。まったくこの期に及んでまだ俺のことを欠片ほども疑っていないとは。

このような愚者が今世紀最高の魔法使い?

まったく笑わせてくれる。これでは笑みを抑え込むのに一苦労ではないか。やはりこの世で一番偉大な存在は闇の帝王のみ。世界最高の魔法使いはこのような老害ではなく、闇の帝王にこそ相応しい称号だ。

だがその愚か者のお陰で俺はここまで計画を完遂することが出来たのも事実。この後もポッターの()()がここに届いた後に起こるであろう混乱に乗じ、俺はこの一年を過ごした学校を去るのだ。今は内心大笑いしてやりたい気分でも、まだ数分の間演技を続けておく必要がある。

俺はなるべく神妙な表情に見えるよう意識し、同じく神妙な声音を意識しながら答えた。

 

「どうもこうもない、ダンブルドア。迷路の中は特に異常はなかった。だが……試合開始からずっとポッターを見ておったが、奴が今先程迷路から突然消えおった。どこに行ったのか皆目見当もつかん。だから俺はこのことを相談しにここに戻ってきたのだ」

 

「ハリーが……消えたじゃと?」

 

俺の返答にダンブルドアは明らかに動揺した表情を浮かべる。この一年俺の前でも中々表情を変えることがなかったが、初めてこいつの鼻を明かしてやった気分だ。

そして流石に奴もあまりに想定外の事態に即座に行動することも出来ないらしい。一瞬迷路の方に視線を送り、今何をするべきか思案する表情になる。

しかし奴が答えを導く前に、

 

「ぎゃああああ! こ、これは!?」

 

今度は第三者の声が辺りに響き渡った。

声のした方に目を向ければ、そこにはこちらに駆け寄ろうとしていたカルカロフの姿が。どうやらビクトール・クラムが脱落した件でこちらに駆け寄ろうとした時に、()()()()()()運悪くこのタイミングを迎えたのだろう。

更に笑いが漏れ出そうだった。奴が何を驚き、何に恐怖しているのか俺には手に取るように分かる。さもありなん。この瞬間に何が起こっているのか分かるのは、裏切り者である奴と、

 

「っ! ま、まさか……」

 

同じく裏切り者の一人であるセブルス・スネイプ。そして……帝王の忠実な僕である俺だけなのだから。

奴が叫び出した瞬間、俺もそれをはっきりと感じたのだ。今は『ポリジュース薬』でムーディに変身しているため見ることは出来ないが……確実に右腕に刻まれた『闇の印』が熱く疼いているのを。

それは紛れもなく闇の帝王が復活し、今この瞬間に死喰い人達を招集していることに他ならない。

今この瞬間、俺の栄光は確実なものと変わった。

捲って見ることは出来なくとも、知らず知らずの内に片方の手が闇の印が刻まれている部位に伸びる。確かめることは出来なくともそこには確かに痛みがあった。

だがそんな栄光ある未来を教えてれる腕を魔法の目だけで目でいると、視界の端にもう一人いつもの無表情ではなく、少し驚いた表情で他二人を見つめている小娘が映る。しかも驚いた表情の後、どこかハッと何かに思い至ったように俯くのが。

……成程。帝王の復活に気付いたのは俺達三人だけではなく、あの小娘もか。考えれば当然のことだ。あの小娘は厄介なことにソコソコ頭が回る。奴の父親がルシウス・マルフォイである以上、父親が再び浮かび上がった闇の印を見て怯えているところを目撃した可能性もある。ならば今この瞬間、闇の帝王が再び嘗ての力を取り戻したのだと二人の反応で気付くこともあるだろう。

そしてハッキリした。この小娘はやはり闇の帝王の忠実な僕などではない。俺の目的まで分かっていたとは思えないが、セドリック・ディゴリーに介入して帝王の計画を邪魔しようとした。そして今のまるで帝王の復活を残念がるような仕草。それはルシウス・マルフォイと同じく、奴が裏切り者の一族でしかないということだ。

ますます俺の未来は光に満ちているものになったと言えるだろう。今の俺は、いや()()は幸せの絶好調だった。

 

俺様と闇の帝王はこれで全てが同じになる。

父親を憎んでいたこと。その父親に同じ名前を付けられるという屈辱を味合わされたこと。……実の父親をこの手で殺したこと。

そして遂に唯一の相違点であった、ダリア・マルフォイへの評価もこれで同一のものとなる。

これで俺様は闇の帝王同様、父の死などで動揺するような軟弱者ではなくなり、真の意味での強者になることが出来るのだ!

 

 

 

 

が……そんな幸福な時間も長くは続きはしなかった。

数分後、本来なら迷路の入り口にはポッターの死体が運ばれる予定だった。ポートキーは決まった時間に決まった場所に移動する魔法具だ。それを違法に改造し、決まった時間ではなく掴んだ時間に、そして帰りは迷路の入り口に戻ってくるように作り替えたのだ。だから本来であればポッターは死体となって衆目の下に晒されるはずだった。

それが、

 

「こ、ここは……。か、帰ってこれ……た」

 

予定通り死んでいるセドリック・ディゴリーと……何故か予定とは違いまだ生きているポッターが現れることによって、俺の計画は根本からぶち壊しにされることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

臍の辺りを引っ張られるような感覚を覚えたと思ったら、今度は地面に叩きつけられるのを顔面で感じた。顔が芝生に押し付けられ、草の臭いが鼻腔内を満たす。

それでも僕は中々顔を起こすことが出来ない。ショックと疲労で起き上がる元気もないのだ。ただ優勝杯とセドリックの()()を握り続けることで精一杯。だから最初、

 

「おぉぉ! ハリーが優勝杯を掴んで迷路から帰ってきた!」

 

「これで優勝はグリフィンドールのものだ!」

 

うつ伏せに寝っ転がる僕の耳に、突然耳を聾するばかりの歓声が聞こえてきた時もただ困惑することしか出来なかった。

ほんの数秒前まで自分が置かれていた空間とのギャップに頭が酷く混乱している。

 

「こ、ここは……。か、帰ってこれ……た」

 

ようやく頭を上げても口から漏れ出るのそんな呟きのようなもの。自分がようやくホグワーツに戻ってこれたことに安堵はしても、中々脳が現状を理解しようとはしてくれない。

先程まで暗い墓場にいたのに。先程まで復活したヴォルデモートに決闘を……いや、ほとんどなぶり殺しにされそうになっていたのに。それを命からがら逃げ延びてきたというのに。

なのに今僕の目の前では、皆笑顔で僕の方に歓声を送っている。赤色の旗を振り喜びを爆発させる生徒。どこかしょんぼりと肩を落としながらも、それでも拍手だけはしている生徒。それぞれ違った反応を示していても、皆まだ気付いていないことに変わりはない。

僕が今誰から逃げ延びたかを。そして僕の横で倒れているセドリックがもう死んでいることを。

しかしそんな中でも、やはりあの人だけは僕の現状を理解してくれているみたいだった。再び倒れこみそうになる僕にサッと近寄り、あの人はいつもの優し気な声音で尋ねてきたのだ。

 

「ハリー。無事でよかった。何があったのじゃ?」

 

この世で最も僕が信頼する魔法使い。ヴォルデモートすら恐れるというダンブルドア校長の声を聞いた瞬間、僕の意識に掛っていた霞は僅かに晴れる。

混乱していることに変わりはない。ショックであることに変わりはない。でも少しでも早く、僕はこの恐るべき事実を伝えなくては。

そう思い僕は最後の体力を絞り出すように囁く。

 

「ダ、ダンブルドア先生……。あいつが……ヴォルデモートが帰ってきました。セ、セドリックもあいつに殺されて……。僕、彼を連れて帰らなくちゃと」

 

僕がその言葉を口にした瞬間、ダンブルドア校長はやはり全てを悟ったのだろう。霞む視界の中で、先生は一瞬瞠目したような雰囲気を醸し出していたが、

 

「そうか……ハリー。よう頑張った。もうよい、よいのじゃ、ハリー。君の話はまた後じゃ。とにかく、お主が無事でよかった」

 

ややあって再び優しい声音で僕にそっと話しかけ、そして痩せた老人とは思えない力で抱き起してくれた。それに伴い固く握っていた優勝杯やセドリックを僕は自然と放す。

しかしいくら抱き起されても失った体力が戻るわけではない。頭はズキズキ痛み、痛んだ足は自分の体を支えることすらおぼつかない。気を抜けばまた倒れそうだった。

周囲はそんな僕の様子にようやく事態を理解し始めたのか、歓声も段々と鳴りを潜め、中には悲鳴を上げ始めている生徒もいる。

 

「おい、ハリーはどうしたんだ?」

 

「どこか怪我をしたのか?」

 

「それよりディゴリー……なんでずっと倒れたままなんだ?」

 

「死んでる……ディゴリーが死んでる!?」

 

そんな中で今度は第三者の声が僕の耳に届く。

 

「ダンブルドア。ポッターを医務室に連れていく。こやつはもう限界だ。とにかく早く医務室へ」

 

それは僕がこの学校で今二番目に信用している教師。マッド-アイ・ムーディのものだった。声の主に気が付いた時には、既に彼は僕を半ば抱えるようにして歩き始めている。

後ろから、

 

「アラスターよ、じゃが、」

 

「心配はない。ワシが責任をもってポッターを医務室に送り届ける」

 

ダンブルドア先生の声がかかってもその歩みは少しも緩まない。僕は一瞬何故かとてつもない不安を感じ、後ろを振り返りダンブルドアの方を見つめる。

そこにはこちらに心配げな視線を送りながらも、優勝杯とセドリックの周りに押しかける群衆を押しとどめるのに忙しそうなダンブルドア。

 

そして視界の端に……ただ茫然とセドリックを見下ろす、あの白銀の髪を持った少女が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

セドリックの亡骸を見て悲鳴を上げる生徒達をなんとか宥めすかし、ワシはようやく医務室に辿り着いたわけじゃが……すぐに踵を返すこととなる。

 

「セブルス、急ぐのじゃ。ミネルバはファッジに連絡を。今すぐ城に来てもらうのじゃ。生徒が一人死に、ヴォルデモートが帰ってきたとな」

 

ワシは後ろに付き従う二人に指示を飛ばしながら、内心では深い後悔に苛まれておった。

何ということじゃ。ワシは何と愚かなのじゃろぅ。

よく考えれば簡単なことじゃ。この学校で誰が最も疑われずに事を為せるか。ハリーの名前をゴブレットに入れ、ワシの眼をダリアの方に誘導する。そして優勝杯を迷路の中心に置いたのは? 他の教師と違い、一人だけ迷路の中は異常なしと報告しておったのは?

今から考えれば疑う要素は山ほどあったのじゃ。それを疑いもしなかったのは、偏に彼が……いや、奴がワシの信頼する人物に変身しておったから。

何という間抜けじゃ。今世紀最高の魔法使いなどと呼ばれてもこの程度。一体ワシは今までどれだけの年月を魔法界で過ごしたというのか。

 

この魔法界にはいくらでも姿を偽る手段があるというのに。

 

しかし今自身の不甲斐なさを論じている場合ではない。今この瞬間にもハリーは危機的状況に陥っておる。医務室にハリーの姿はどこにもありはしなかった。ならばいるとすれば……奴の部屋しかない。

ワシとセブルスは急ぎ目的地を目指し走る。そして大広間を駆け抜け、階段をひたすら上り、ようやく、

 

「麻痺せよ! ハリー! 無事かのぅ!?」

 

()()()()()()()()()()の部屋に辿り着いたのじゃった。

部屋に突入すれば中には案の定の光景が広がっておった。椅子に縛り付けられた状態のハリー。そして彼に呪いをかけようとする、ムーディの姿をした何者か。当に危機一髪の状況じゃった。

ワシは突入と同時に下手人を気絶させ、油断なく奴に杖を構える。ワシの眼が節穴じゃったとはいえ、こやつは何気ない顔で一年間城の中を闊歩しておったのじゃ。油断出来ようはずがない。

ワシが警戒する間、背後でセブルスが心得た様子でハリーを解放する。そして彼を解放し終えると、セブルスは急ぎ部屋の中を物色し始める。

……それはほどなくして見つかった。

 

「校長。ポリジュース薬です。そしておそらくあの中に……」

 

セブルスはムーディがいつも携帯していたボトルを掲げ、次に部屋の隅に置かれたトランクを指し示す。

これでこやつがどうやってムーディに成りすましていたかは分かった。成程ポリジュース薬なら姿を完璧に成りすますことが出来る。そして薬の材料である変身する相手の一部も、こうして手元に置いておけば常に手に入るというわけじゃ。セブルスがトランクを開けると、中は拡大呪文がかけられているのか地下室のような空間になっており、底には本物のムーディと思しき人物が気を失って倒れておった。所々髪をむしり取られた状態で。

 

「せ、先生。一体何が……。そ、それにどうしてムーディ先生が……。ムーディ先生が僕をヴォルデモートの下に送ったのは自分だって……。それに僕を今殺そうとして、」

 

「セブルス。急ぎ『真実薬』を持ってくるのじゃ。ハリーよ、こやつはムーディ先生ではない。この中で気を失っておる者こそが本物のムーディじゃ」

 

ワシはセブルスに指示を飛ばした後、色々なことが短時間に起こりすぎたせいで未だに混乱しておるハリーに答える。

 

「実に見事な手口じゃ。ムーディは決して自分の携帯用酒瓶からでないと飲まなかった。中身がポリジュース薬であったとしても、ワシらの誰もそれに気づかんかったのじゃ。ごらん。ムーディの髪が所々取られておる。こうやって一年間、奴は彼から髪を採取し続けておったのじゃろう。ハリー、そのペテン師のマントを投げてよこすのじゃ。急を要する程ではなさそうじゃが、ムーディが凍えておる。……まったく本当に見事じゃよ。一年間もこのような単純極まりない手口で、城におる全員を騙しとおしておったのじゃからのぅ。じゃがそれも終わりじゃ。ポリジュース薬は一時間ごとに飲まねばならん。それを飲まねば元の姿に戻る。これでこやつが何者なのかが分かるはずじゃ」

 

そしてワシが未だに倒れ伏すペテン師を顎で指し示した時、丁度その変化が起こり始めたのじゃった。

傷跡はみるみる消え、肌が滑らかになり、削がれた鼻が真面になる。白髪交じりの髪は薄茶色に変わり、突然ガタンと音がしたかと思うと義足が落ち、正常な足がその場所に生える。次の瞬間には『魔法の目』が落ち、本物の目玉が現れた。

そこにはもう今までワシらが目にしていたムーディとは似ても似つかない人物が横たわっておった。少しソバカスのある、色白の、薄茶色の髪をした男。

 

……それは嘗てワシが一度だけ目にしたことのある人物。

バーテミウス・クラウチの息子であり、過去彼自身がアズカバンに送った人物。あの時より老けて見える、

 

「この人……たしか」

 

「そう言えばハリーも憂いの篩で見たのじゃったのぅ。そうじゃ。こやつは……バーテミウス・クラウチ・()()()()じゃ」

 

本来何年も前に死んでいるはずの人物じゃった。

思わぬ人物の出現に内心動揺する。何故この男がここにおるのか皆目見当もつかんかった。

しかし幸いそれを知る手段はある。廊下から急ぎ足でやってくる足音がしたかと思うと、セブルスが小瓶を片手に戻ってくる。

 

「校長。これを」

 

「ようやった。ではこやつにそれを飲ませるのじゃ。エネルベート、活きよ!」

 

そして彼が奴の口に薬を三滴ほど流し込むのを確認し、杖を男の胸に向け呪文を唱えた。

 

 

 

 

真実薬とは、その名の通り飲んだものに真実を語らせることの出来る薬物。これを飲んで話すことは、たとえその者にとってどんな不都合な事実であろうと真実のみ。

じゃからこれからワシらが聞いたことは全て……とても残酷なことであっても、真実のみじゃった。

 

この男が本当にバーテミウス・クラウチ・()()()()であったこと。心身共に衰弱しきった母親と入れ替わることで、彼がアズカバンから脱走していたこと。それを手助けしておったクラウチ氏によって、以降は『服従の呪文』で監禁されておったこと。監禁されておった事実を偶々家に来たバーサ・ジョーキンズに知られ、クラウチ氏は彼女に『忘却術』をかけたこと。

そしてあのクィディッチ・ワールドカップの日。遂に服従の呪文を破り、ハリーの杖を奪って闇の印を打ち上げたこと。父に連れ戻されたというのに……そこでバーサからこやつのことを聞きだしたヴォルデモートが迎えに来たこと。その後ヴォルデモートの計画に従い、ムーディに成りすまして城に潜入したこと。ハリーを手助けし、迷路の中でも彼が障害物に当たらぬように、そして他の選手が万が一優勝せぬようにビクトール・クラムに服従の呪文をかけたこと。

全てはハリーにポートキーである優勝杯に触れさせ、彼をヴォルデモートの下に運ぶために。

どれも頭の痛くなるような事実であり、聞けば聞くほど自身の不甲斐なさが情けなくなり、そしてこの男がしてきたことに怒りが湧いた。

 

じゃがこれすらまだ、こやつがしたことのなかでも可愛らしい事柄でしかなかったのじゃ。

 

「……成程。ではクラウチ氏、父親はお主が解放された後はどうしておったのじゃ?」

 

一通りの質問をした後、ワシがクラウチ氏のことを尋ねると、奴は静かな口調で答えた。

 

「闇の帝王が奴に『服従の呪文』をかけ、何事も無かったように振舞うよう命じられた。だがしばらくすると『服従の呪文』の効きが悪くなって、闇の帝王は奴を監禁することにした。それをあのワームテールの馬鹿の不注意で逃がしてしまった。俺は運が良かった。偶々奴が学校に辿り着くの場面に居合わせ、奴をこの手で()()ことが出来たのだから」

 

「……遺体はどうしたのじゃ?」

 

「急いで近くの草むらに埋めた。もう一度戻った後で骨に変えて、今度は禁じられた森の適当な場所に埋めなおした。急いでいたからもう場所も覚えていない」

 

……その言葉を受け、ワシは自身の中に存在していた僅かな慈悲が解けて消えるのを感じた。

 

「……ファッジに追加連絡をせねばのぅ。アズカバンから脱走した者がおると。この者をすぐにでもアズカバンに引き取らせるのじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私は自分の甘い認識を恥じていた。

確かに『例のあの人』が何かしてくるとすれば、この最終試練の中だという予想は立てていた。でも私はハリーが優勝杯と……そして横たわるセドリックと迷路入り口に現れた時、一瞬勘違いしてしまったのだ。

 

ハリーが無事に帰ってきた! 

それどころか彼は優勝して帰ってきた! 最年少の代表選手であるにも関わらず!

これでもう彼は安全よ! 彼は『例のあの人』の思惑を切り抜けたのよ!

 

……それは大きな間違いでしかなかったけれど。

現実はハリーは無事に帰ってきたわけでも、『例のあの人』を出し抜けたわけでもなかった。

それを思い知ったのは、

 

「これが僕が墓場で見たことです。僕……ただ必死で……」

 

「いや、本当によく頑張った、ハリー。今夜君はワシの期待を遥かに超える勇気を示した。君は嘗てヴォルデモートが最も力を持っておった時代、彼に立ち向かった勇敢などの魔法使いにも劣らぬ働きをしたのじゃ。そして今こうして、我々が知るべき全てを話してくれたのじゃ。こうして疲労困憊であるにも関わらずのぅ。ワシが願ったとはいえ、ここまでよう話してくれた。本当に……よう頑張ったのぅ」

 

ハリーがムーディ先生に連れだされたと思っていたら、今度は私達が医務室に呼び出され……そこで何故かベッドに座るハリーの話をダンブルドア先生達と聞いた時のことだった。

全てが予想外の内容だった。

ハリーがセドリック・ディゴリーと優勝杯を掴んだ時、どことも知らない墓場に飛ばされたこと。そこでハリーの血を使い、『例のあの人』が復活したこと。復活したあの人が、嘗ての死喰い人達を……それこそダリアの父親であるルシウス・マルフォイを含めて呼び出したこと。そんな彼らを拷問した後、あの人が見せしめの意味でハリーに決闘するよう言い渡したこと。そしてその決闘の際、運よくあの人が放った呪文とハリーの呪文が衝突し、するとあの人の杖から過去彼が殺したと思しき人物の影が現れたこと。

セドリックに謎の老人、バーサ・ジョーキンズと思しき物から、果てはハリーの両親の影が。

そんな影が現れ、ハリーを励ましてくれたこと。そしてその影にあの人が気を取られている間に、ハリーは何とか逃げおおせることが出来たこと。でも逃げおおせた後に真犯人であったムーディ先生……に扮するクラウチの息子に殺されかけたこと。

 

本当にあのハリーが観客の前に現れた瞬間、他の生徒達同様喜びの歓声を上げた自分が恥ずかしくて仕方がない。

彼は私達が呑気に最終試練結果を待っている間、それこそ命を奪われそうになる経験をしていたというのに。

私は謝罪の意味を込めて、ベッドで項垂れるハリーの隣に座り、彼の手をそっと握る。周りにはいつもの優し気な表情を浮かべているダンブルドアや、真剣な表情でハリーの話を聞いているスネイプ先生やマクゴナガル先生。そして私と共にここまで来て、今まさに心配げな表情でハリーを見つめているロンを含むウィーズリー一家。そんな中、私はただハリーの悲しみが少しでも癒える様に、彼の手を黙って握っていたのだった。

 

でも……

 

「で、でも……僕、セドリックを助けることが出来なかった! いや、それどころか()()()()()()()みたいなものなんだ! 僕がセドリックに一緒に優勝杯を取ろうとさえ言わなければ! ……あいつの杖からセドリックが現れた時、彼は僕に言ったんです! 僕を両親のもとに連れて帰って、と……。それに()()()に……」

 

ハリーの報告はそれだけではなかったのだ。

彼は懺悔するようにセドリックのことを話し始めたかと思うと、一瞬何かを思い出したかのように黙り込み……そしてやはり何かを振り切るように再びおもむろに話し始めた。

……今までとは違い、私には決して受け入れられないような内容を。

 

「そうだ……ダリア・マルフォイ。僕、聞いたんです。ルシウス・マルフォイが墓場に現れた時、ヴォルデモートはあいつにだけは手を出さずに言ったんです! よくぞダリア・マルフォイを育てたって! あいつこそ死喰い人を統べるに相応しい存在だって!」

 

私を含めた全員が思いもよらない名前に驚き言葉をなくす。ダリアは確かに誤解されやすい子だけど……何故『例のあの人』から彼女の名前が出るのだろう。ハリーが嘘を言っているとは思っていない。でもどうして彼女の名前がここで出るのか私には到底理解出来なかった。

しかしそんな私達の……いえ、()()疑問を他所に、ハリーの言葉は続く。

 

「あいつはずっと……セドリックを手助けしていたんです。そう彼が言っていました。ドラゴンのことも、湖のことも。全部ダリア・マルフォイから聞いたって! ダンブルドア先生……あいつは一体、()()()()()()()!?」

 

 

 

 

私はハリーの話を聞いた時、自分の甘い認識を恥じた。

彼が危機に瀕していたというのに、私は呑気に試合の観戦をしていたことを恥じた。

 

でも私はやはり甘かったのだろう。

ハリーの話を聞いた後……彼がダリアの話をした時、私はどこか彼の話を聞き流していたのだ。

なんだいつもの彼のダリアに対する妄言かと。彼がダリアのことを勘違いしているのはいつものこと。だから今回だって、少しだけ彼女にとって不都合な事実を拡大解釈しただけ。彼女の本質が変わるわけではない。

だから彼の話を聞いても、私は思ったのだ。

 

何も変わらない。たとえ『例のあの人』が復活しても、決して優しいダリアが変わるわけではないのだと。

あの人がダリアのことを知っていても……それこそ死喰い人にしようとしていたとしても関係ない。彼女は彼女。誰よりも優しく、そして決して()()()()()()()子なのだと。そう私は無意識に思っていたのだ。

 

だから私は……どうしようもない愚か者だった。

この後、

 

「な、何を言っておるのだ、ダンブルドア? あの人が帰ってきた? そんなことあるわけがない!」

 

ダンブルドアに呼ばれたファッジ魔法大臣があの人の復活を完全否定したり、

 

「ア、アルバス! ク、クラウチが……吸魂鬼に()()をされて!」

 

唯一の敵側の証人であるクラウチ・ジュニアが廃人になったこと。そして何より……

 

「この()……まさか!?」

 

窓辺に張り付いていたあの記者を見つけた時、もうほとんどダリアの話があったことすら覚えてはいなかったのだから。

 

 

 

 

そんな甘い認識すら持っていなかった自分に気づいたのは……ほんの数日後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

静かな夜だった。たとえ闇の帝王が復活しようと、たとえ生徒の一人が死のうと……皆寝静まってしまえば穏やかな夜となる。

でもそれは結局、皆にとっては今日起こった出来事がそれ程大した出来事ではないということだからだろう。

闇の帝王の復活はまだ発表すらされておらず、今日私の()()()で吸魂鬼にキスされた男のことも誰も知らない。

……そしてセドリックのことも。皆彼のことを知っていても、それこそ今まで応援すらしていたというのに……誰も真の意味で彼の死を悼んでなどいない。

どこかの誰かが死んだだけ。明日から再び今までと同じ毎日が続いていく。そう彼らは考えているのだ。

 

そうセドリックと……私を置き去りにして。

 

私は皆が寝静まったタイミングを見計らい、今までただ閉じていただけだった目を開けそっとベッドから起き上がる。

……勿論一人だけ私の行動に気が付いている人間はいる。私がイソイソと着替えていると、隣のベッドから私の大好きな声がかかった。

 

「……ダリア、ど、どこに行くの? こんな夜遅くに」

 

でも私はそんな声にも振り返らない。いや、振り返る余裕もない。

彼女がずっと私のことを心配してくれているのは分かっている。彼の死体を見た瞬間から、私は自分を取り繕えなくなっていることからそれも当然だろう。彼女を心配させて本当に申し訳ないと思う。でも今は……

 

「……ただの夜の散歩です。どうしても……寝付けないので」

 

「な、なら私も一緒に、」

 

「いえ、ダフネはここに残っていてください。少し……()()()()()になりたいのです」

 

私はただ彼と共にもう少しだけ一緒の時間を過ごしたかったのだ。

これから先の地獄で……彼のことを決して忘れないように。

 

この罪悪感を、決して忘れはしないために。それが私に課せられた義務なのだから。

 

だから私はまだ何か言いつのろうとするダフネの視線を振り切り、寝室から談話室への階段を降りる。

そこには今度はお兄様もいらっしゃった。誰もいない談話室の中、ただ一人暖炉の火を眺めておられる。……お兄様のことだ。きっと私がこういう行動を取ることは何となく分かっていたのかもしれない。しかし私の顔を見るなり、どこか諦めたような……そして悲しむ様な表情を浮かべた後、

 

「……夜は冷える。出来るだけ早く帰ってこい」

 

「……はい、お兄様」

 

私の行動を黙認して下さったのだった。

私は談話室を抜け、ただひたすら地下から大広間に向かう階段を上がっていく。歩みに迷いなどない。私の目的地はただ一つ。彼の()()眠る医務室へと、私は何の迷いもなく歩みを進める。

 

そしていよいよ医務室の扉を開き、中で眠るポッターの横を通り過ぎると、

 

「……こんばんは、セドリック」

 

私が殺してしまった、本来ただの駒であるべきだったはずの人間に話しかけた。



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別れの言葉……主人公挿絵あり

 ダリア視点

 

「……こんばんは、セドリック」

 

ポッター()()()の寝息が響く医務室の中、私は寝息も立てずに横たわるセドリックに静かに話しかける。

彼の死体には何処にも傷がなく、まるで本当にただ眠っているだけのような顔をしている。それこそ今この瞬間に再び起きるのでは思える程だ。

でも現実は違う。彼は死んでいる。試合前に、

 

『この学校一番の成績の生徒に褒めてもらえるなんて。君の言う通り不思議と緊張をあまり感じていなかったけど、君の言葉でより自信が出たよ。……今回も観戦してくれるんだよね?』

 

そんないじらしいことを言っていた青年は……もうこの世のどこにもいない。

それが分かっていても私はここに来ずにはいられなかった。私が行けば、彼はいつものように嬉しそうな声を上げてくれる。最初は警戒していたというのに、最後にはそれこそダフネと同じくらいの親しげな声で。そう心のどこかで思っていたのだ。

でももうその声も私は聞くことはない。

 

認めよう。いや、私は認めなくてはならない。私は彼のことを気に入っていた。最初こそ彼のことをただの駒だとしか思っていなかった上、今もそうであるべきだったと思っている。でも現実は違う。彼が死んでから、私は初めて自分の感情を素直に受け入れることが出来た。皮肉なことだ。もうどうしようもない段になって、私は自身の彼への感情を認めることが出来たなんて。

私は彼の……臆病でありながら家族を思い、家族や仲間のために勇気を振り絞る姿を非常に好ましく思っていたのだ。冒険や危険に憧れているわけではなく、等身大の普通の男の子としてただ家族のためを思う。その姿に私は非常に好感を抱いた。それこそただの駒でしかなかった彼を、ただ純粋な気持ちで応援し始める程に。

つまり彼はいつの間にか……私にとって初めてできた親しい年上の存在になっていたのだ。

 

「本当に愚かですね私は……。貴方もそう思うでしょう?」

 

当然答えなどない。いくら質問しても聞こえてくるのはポッターの寝息のみ。

聞こえてきたとしても、

 

『ダ、ダリア・マルフォイ。ど、どうして君がここに?』

 

そんな彼との思い出ばかりでしかなかった。

初めて彼とコンタクトを取った時のことを思い出し、何とはなしに表情が僅かに綻ぶ。思い返せば何だかつい先日のことのようだ。

初めは私のことを完全に警戒していたセドリック。当然のことだ。彼にとって私は恐怖の対象でしかなかった。他のホグワーツ生が全員私のことをそう思っているように。顔をこわばらせ、それでも必死に私に恐怖を悟られまいとしていた。

しかしそれも一時的なもの。最初に彼の一番欲していた言葉を与えたのが功を奏したこともあるが、彼はみるみる私のことを警戒しなくなっていた。クリスマス・パーティーの際に至っては、

 

『別に付き合っているわけではないんだ。ダンスを誘って、彼女が受けてくれた。それだけの関係さ。ま、まぁ、いずれは付き合いたいとは思っているけどね……』

 

私にチョウ・チャンとの恋愛話までする程に。もはや警戒も何もない。

本当に……彼は一体私なんかのどこに警戒心をなくす要素を見つけ出したのだろう。私はこんなにも……醜い存在であるというのに。結局彼に()()()()()()()()()()()()()、私は彼を最期まで焚き付け続けたというのに。

そこまで考え、少しだけ綻んでいた私の表情が再びいつもの無表情に戻るのを感じた。明るい思い出は全て暗い罪悪感に飲み込まれ、口から漏れ出る言葉は、

 

「ごめんなさい……」

 

もはや謝罪の言葉しかあり得なかった。

静かな医務室に私の謝罪の言葉が溶けていく。謝罪しても何も変わらない。謝罪をするべき相手はもうこの世にはいない。出来たとしても、これからのことを思うと出来るはずもない。本来なら彼の死を嘆き悲しんでいるであろう両親に謝るべきなのだろうが……それも私には出来ない。私は失敗したのだ。セドリックという犠牲を払ったにも関わらず、最終的に奴の復活を防ぐことすら出来なかった。

そう私を人を殺すための道具として生み出し、マルフォイ家を未だに縛り続ける()()()の復活を。

奴が復活した以上、私が今まで通りの平穏な日常を過ごすことが出来るとは到底思えない。だからこそ奴の邪魔を少しでもしようと、私にできる範囲のことを手探りで行っていたというのに……。しかもそれが今考えると本当に奴の計画を邪魔する最適解であったというのに……結局私は何もすることが出来なかった。

得たのはセドリックをただ殺してしまったという罪悪感のみ。私の平穏は今日をもって崩れ去ったのだ。

本当に嫌になる。セドリックを殺したというのに、結局未だに自分の心配ばかりしている。彼からすれば薄情極まりない怪物に思えることだろう。

 

だからこそ思うのだ。

確かに私はセドリックの死に対して罪悪感を感じている。でも……私は本当に彼のことを悼み切れているのだろうか、と。

 

本当は罪悪感より不安の方が強いのだ。

彼の死を悲しむ気持ちはあるのに、それ以上に将来の不安感の方が先立っている。寧ろ彼の死に罪悪感を感じることが、私に課せられた義務でしかないように感じている。

こんなことが許されるのだろうか。

こうしてここに来たのも、私自身に改めて自身の罪を認識させるためなのだ。そうしなければ彼の死を真の意味で実感することも出来ずにいる。未だに彼が突然起き上がり、

 

『やぁ、ダリア』

 

などと声をかけてくるのではないかと心のどこかで期待しているのだ。

頭では理解していても、突然彼が唐突にいなくなってしまったことに実感が湧かない。何だかセドリックと共に同じ時間に置き去りにされたような気分だ。

 

それとも私は……本当は彼の死をどうでもいいことと本心では感じているのだろうか。私は彼とこの一年ずっと会話していたのに……私が彼を殺したというのに、彼のことを本当はどうでもいいと本心では……。

これでは彼のことを忘れて眠りこけている城の連中と同じではないか。

だから私は繰り返す。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

何度も()()()言い聞かせるように。未だに湧かない実感を、決して忘れないようにするために。

私がセドリックを殺したのだと。だから……どんなに実感が湧かなくても、もうこの世にセドリックはいないのだと。

 

繰り返す。私はただ繰り返す。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

しかしそれでも……夜がいよいよ更け、私もそろそろダフネやお兄様が待つ談話室に戻らなくてはならない段になっても私は結局、

 

「ごめんなさい……」

 

私は彼の死を真の意味で実感することも出来ず、()()()()()()()()()()()()()()……人でなしの怪物でしかなかった。

 

 

 

 

……私は皆とは違う。

私はニンニクの臭いが耐えられない程嫌いだ。

でも大丈夫。そんな私を思って、お母様とドビーはいつも私の食事からニンニクを除けておいてくれる。

私は一月に一回血液を飲まなくてはいけない。

でも大丈夫。そんな私にお父様達は毎月血液を送ってくださっている。ホグズミードに行ったダフネが吸血鬼用の飴をこっそり買ってきてくれる。

私は人より力が強い。何も対策をせねば、それこそ日常生活すら満足におくれない。

でも大丈夫。そんな私にお父様は手袋を下さった。これをつけてさえいれば、私は少なくとも力に関してだけは普通の女の子になれる。

私は銀の食器を使えない。

でも大丈夫。そんな私にお父様達は木製の食器を与えて下さった。これさえあれば私も家族と食卓を囲むことが出来る。

私は日光の下を歩けない。皆と共に外で遊ぶことも出来ない。

でも大丈夫。私にはお兄様やダフネがいる。外に出れない私に付き添い、私と共に過ごしてくれる人達が。

私は蛇と話すことが出来る。それは私が奴に作られた存在であることを何より表している。

でも大丈夫。こんな人間でもない私を、マルフォイ家やダフネは受け入れてくれた。私の幸せはこの大切な人達の中にこそある。

 

でも……それなのに私は……やはりそれでもどうしようもなく、そんな美しい世界を穢す怪物でしかなかった。

何故なら私は……セドリックを()()()()()()()のだから。

 

罪悪感を感じてはいても、()()()()の死を悲しむことすら出来ないから。

……涙の一つも流してあげることが出来ないから。

 

私は思う。

もし私があの時少しでも今年起こることの一端を掴んでさえいれば。

私は彼を……セドリックを殺さずに済んだのではないか? 怪物になる、その第一歩を踏み出すことは無かったのではないか?

そう、私は今年の最後に思ったのだった。

 

……でも、こうとも思っていた。

 

もし私が気付いていても……私は結局彼を()()()殺すことになったのではないのだろうか?

義務感からでなくとも……その魂から湧き上がる衝動によって……。

 

親しい人の死に涙も流せない。私という怪物はどう足掻いても、どう運命に逆らおうとも……決して怪物であるという事実から逃れることは出来ないのだから。

 

……もう私には怪物になるしか道が残されていないのかもしれないのだから。

だから私は最後まで、

 

「ごめんなさい」

 

ただ涙もなく、中身のない謝罪の言葉を繰り返すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

「ダ、ダンブルドア! 一体どういうことだ!? ム、ムーディが偽物だった!? この学校は世界で一番安全な場所なのではなかったのか! だ、だからこそ私はここに来たのだぞ!」

 

校長室にカルカロフの怒鳴り声が響く。彼にはここに来た当初の余裕など欠片ほどもなく、表情や服装もどこかやつれたものにすら見えた。

原因は勿論ヴォルデモートの復活。今夜は彼にとって最も恐れていたことが起こった日じゃろう。

カルカロフは他の死喰い人を売ることによって生き延びた。それをあのヴォルデモートが許すとは思えぬ。つまり彼の運命は……今日決まったということじゃった。

彼に残された道は二つのみ。一つは何とかヴォルデモートから逃げ延びること。魔法省がヴォルデモート復活を認めておらん状況で、奴から逃げ延びるのは至難の業じゃろうが……もはやそれしか道はない。

無論もう一つの道もあるにはある。それは、

 

「そうじゃ、カルカロフ。その件についてはワシの目が耄碌しておったとしか言えぬ。全てはワシの責任じゃ。じゃが……カルカロフよ。それでもワシはここを世界で最も安全な場所じゃと……いや、そうしようと全力を注ぐ心づもりじゃ。ここには来年も生徒達が変わらず通い続けるのじゃからのぅ。じゃから……もしお主が良ければ、お主もここに身を隠さぬか?」

 

このままここに留まるという道じゃった。

彼を信用しておるわけではない。横に控えておるセブルスなど、表情からワシの提案を完全に間違ったものと思うておることが伺える。じゃがもしここで彼を見捨てれば、彼は十中八九殺されてしまうじゃろう。それを分かっておりながら、彼にむざむざ見捨てるのは人の道に反すると思うたのじゃ。

じゃが残念なことに、カルカロフの僅かにあったワシへの信頼感は今回の一件で完全に崩壊したのじゃろう。ワシの提案に更に怒りを募らせた様子で続けた。

 

「馬鹿なことを! そう言って私を使い倒すつもりなのだろう! そう言ってお前は私を殺すつもりなのだ! 何がここは世界で最も安全な場所だ! まんまと出し抜かれていながら、よくも抜け抜けと! それにここにはマルフォイの娘がいる! あの純血貴族の間でも有名な、ダリア・マルフォイ()がだ! 俺はあのお方に取り入ることに失敗した! そこにいるセブルスに邪魔をされたからな! 全てお前の差し金なんだろう!? お前は俺の命などどうでもいいと思っているのだ! そんな奴の場所が安全!? 馬鹿なことを言うな! 最初はセブルスに頼んでここで匿ってもらうつもりだったが、」

 

「無論吾輩は反対だ。こちらとしてもお前のことを信用などしておらん。出て行きたければ出て行くがいい。別に誰も止めはしない」

 

「そら見ろ! ここにいれば今度はお前達に……それにダリア・マルフォイに殺される! こんな所にこれ以上いられるか! 言っておくがな、セブルス! 今お前はそうやって平然としているが、お前も俺と同じ立場なんだぞ! ダリア・マルフォイに取り入ったからと言って、お前が助かる道などありはしない! 闇の帝王は決して裏切り者を許すことがないのだ! くそ! こうしていられない! 私は今すぐ逃げるぞ!」

 

「……お主の生徒達はどうするつもりじゃ? 今校長であるお主に置き去りにされれば、」

 

「知るかそんなこと! あいつらは私が権力を得るための道具に過ぎない! それも命があってのことだ! ガキ共のことなど考えていられるか!」

 

そして一通り怒鳴り散らした後、カルカロフは校長室を出てゆく。

これで彼は本当に逃げるしか道がなくなった。彼が逃げきれればよいが……それも望みは薄いじゃろう。

ワシはおそらくこれが()()になるじゃろうカルカロフの後姿を見つめた後、ため息を吐きながらセブルスに話しかけた。

 

「……残念なことになったのぅ。ワシとてカルカロフのことを信用してはおらぬが、死んでほしいと思うたことなどない。それにヴォルデモートに捕まれば、彼はもっと悲惨な目に遭うやもしれん。出来ることなら目の前の命を助けたかったが……」

 

「幻想ですな。奴は信用できない。奴は簡単に裏切るような男だ。もし闇の帝王が奴を許す代わりに、何かしらの情報をもたらすよう提案すれば……奴は間違いなく再び向こうに寝返ることでしょう。そんな者をこの城の中に置いておけるはずがない。だからこそ、貴方も止めなかったのでしょう?」

 

セブルスの言葉にワシは何も言えんかった。つくづく嫌な年の取り方をしたものじゃ。セブルスの言う通り、ワシは提案こそすれ最後まで彼を留めようとはせんかった。寧ろ彼がここを去ったことでホッとしてすらおる。彼が殺される可能性が高いと分かっておりながら……本当に嫌な立場になったものじゃ。

しかしそれを議論しておっても何も変わらぬ。事態は今こうしておる間にも刻一刻と悪化しておる。ファッジが護衛として連れてきた吸魂鬼によって、唯一の証人であるクラウチ・ジュニアは物言わぬ屍同然の状態になってしもうた。そしてファッジも恐怖のあまりヴォルデモートの復活を認めようとはせん。全てが奴の都合のいいように進んでおる。リリーの守り呪文も、ヴォルデモートがハリーの血を使って復活したため奴にはもう効かぬ。……もっともそれにより逆に奴がハリーを殺すことが()()()()()()()可能性もあるわけじゃが……今そんな不確かなことを考えている場合ではない。

やらねばならんことは山ほどある。ハグリッドにはもう出立の用意を言い渡しておる。彼が巨人と上手く交渉できれば、敵の戦力を大幅に削ることが出来る。そしてアラスターには嘗ての『不死鳥の騎士団』メンバーへの声掛けを。解放されたばかりのところを申し訳ないと思うたが、早急にこれを成し遂げねば敵の勢力に対抗出来ぬ。

そして最も大切な仕事は、

 

「セブルス……早速で悪いが、すぐに奴の下へ。これはお主にしか出来ぬことじゃ。お主に最も危険な仕事を任せることになるが……」

 

「分かっております。そのために吾輩はここにいたのですから」

 

セブルスに()()()()()になってもらうことじゃった。敵の狙いや行動を知るための、最も殺される危険の高い仕事を……。彼の罪悪感と愛情を利用しているようで申し訳ないが、彼ほどこの任務に適した人材はおらぬ。ワシには……いや、ワシらには彼の働きが最も重要なのじゃ。

じゃからこそワシは迷いながらもセブルスにその任務を与え、彼も彼でそれを分かっておるからこそ、こうして迷いなく校長室を後にしようとしておる。

 

全てはリリーの息子であるハリーを守るために。

 

……じゃが彼にも全く何も悩みがないわけではないらしかった。校長室のドアを開ける直前セブルスは一瞬立ち止まり、ワシが最も懸念しておる不安を口にする。

 

「それはそうと……。まさかダンブルドア。貴方までポッターの妄言を信じているわけではありませんな?」

 

「……妄言とは何のことじゃ、セブルス」

 

「分かり切ったことを聞かないでいただきたい。()()()()()()()()()に関してのことです。まさか彼女が……ポッターの言う通り、死喰い人を纏める存在だと信じておるわけではありませんな?」

 

その質問にワシは黙り込むしかなかった。

ワシはダリアを警戒しておる。彼女には嘗てのトムと同じ空気があり、そして今までの行動も不可解極まりないものが多い。じゃが今まで知り合ってもおらんはずの彼女をトムが気にかけておる。それもまだまだ14歳の少女を。それがワシにはどうしても納得できることではなかったのじゃ。

……じゃが同時にハリーが嘘を吐いているとも思えぬ。ハリーは素直な子じゃ。あの場で態々ダリアの名前を出してまで嘘を吐くはずがない。ハリーが証言したのじゃから、それは間違いなくトムがダリアのことを言及したということなのじゃ。

今回明るみになったセドリックへの介入、そしてヴォルデモートの言葉。ますます彼女への警戒心が募るばかりじゃ。彼女にはあまりにも不可解な要素が多すぎる。内心ではこれまで以上に彼女を警戒しなければならんと……ましてや彼女はただでさえあのルシウス・マルフォイの娘なのじゃから警戒せぬ道理はないと思うた。彼女が敵の戦力になればあまりにも大きな脅威となる。

もっともそれをセブルスに素直に答えても仕方がない。彼はスリザリンの寮監であることからダリアを気に入っておる節がある。どこか彼女への目が曇っている所のある彼に、重要な任務直前に余計なことを言うても始まらん。

ワシは一瞬の逡巡の後、セブルスに神妙な声音で答えたのじゃった。

 

「全てを信じておるわけではない。彼が勘違いしておる可能性も十分にある。じゃからこそお主の情報が必要なのじゃ。ハリーの発言の真偽を確かめるためにも、今は一刻も早く奴の下へ。何もかもが不確かなことじゃ。それをお主にこそ確かめてほしいのじゃ」

 

ワシの答えにセブルスの仏頂面が更に歪んだものになる。余計なことを言ったつもりはないが、やはりワシの答えに一抹の不信感を抱いたのじゃろう。じゃが今はそれを議論しておる暇はないと思うたのか、彼はそのまま何も言わずに今度こそ校長室を後にする。

 

残されたのは彼の今しがた出て行ったドアを何とはなしに見るワシと……そんなワシをどこか非難がましく、そして同時に悲し気な瞳で見つめるフォークスのみじゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「……まずはじめに、ワシらは一人の立派な生徒を失ったことを悼まねばならぬ。本来ならそこに座っておるはずじゃった。そして皆と一緒にこの宴を楽しみ、いつもと変わらぬ笑顔を見せてくれるはずじゃった。じゃが……彼は亡くなってしまった。さぁ、皆起立して杯を上げよう。……セドリック・ディゴリーのために」

 

一年最後の宴。大広間にダンブルドア先生の悲し気な声が響く。

一年最後の宴といえば、いつも壮大で華やかな装いが大広間中に施されていた。でも今はそんなものは一つもない。教員職テーブルの後ろの壁には黒の垂れ幕がかかっており、一目でそれがセドリックの喪に服しているものだと分る。そんな中まず初めにダンブルドアが発した言葉によって、大広間にいる全員が一斉に起立したのだった。

誰も彼もが悲し気な表情を浮かべている。ハッフルパフは勿論、あのスリザリン生達ですらどこか神妙な表情をしている。

 

ただ一人……ダリア・マルフォイを除いて。

あいつの方を見れば、この大広間でただ一人いつもの無表情を浮かべていた。そこにはセドリックの死への悲しみなど微塵も感じられない。

僕同様……あいつもセドリックを()()()人間の一人だというのに。

 

僕はあいつの無表情を睨みつけるが、その間も皆の唱和が響いた後ダンブルドアの言葉は続く。

 

「セドリックはハッフルパフ寮生の中でも特に模範的な生徒じゃった。忠実な良き友であり、勤勉であり、フェアプレーを尊んだ。更には誰よりも()()であり、皆も知っての通り三大魔法学校対抗試合にも挑んだ。いくら優勝者には大きな栄光が与えられるとはいえ、それに挑むだけで彼が如何に勇敢じゃったかが分かる」

 

その瞬間、僕は決して見逃さなかった。一瞬だけ表情こそ無表情であっても、ダリア・マルフォイがダンブルドアの言葉を鼻で笑うような仕草をしたのを。セドリックを勇敢だと言ったダンブルドアを小馬鹿にしたような態度だった。まるでダンブルドアは()()()()()()()()()と言わんばかりに……。

でも次に発せられたダンブルドアの言葉により、僕もあいつにばかり気を取られてはいられなくなる。何故なら彼の言葉は、

 

「……しかしそんな試合の最中、彼はヴォルデモート卿に殺されたのじゃ」

 

あまりにも唐突に示された真実だったから。

大広間に恐怖に駆られたざわめきが走る。僕もあまりの事実にロンやハーマイオニー以外の生徒に真実を話してはいなかった。知っているのはムーディに扮するクラウチから解放された後、医務室で僕の話を聞いたメンバーだけだ。だからこれが皆が真実を知る初めての機会だったのだろう。皆まさかという面持ちで、恐ろしそうにダンブルドアを見つめている。大広間の所々で、

 

「あ、あり得ない。だ、だってあの人は死んだって……」

 

「な、何の冗談だ? だって魔法省はセドリックのことは事故と……」

 

恐怖の声がしばらく上がり続けていたが、それをダンブルドアは手で制すと厳かな口調で続けた。

 

「……魔法省はワシがこのことを皆に話すことを望んでおらん。彼の死はただの事故じゃったと発表してすらおる。それは魔法省もヴォルデモート卿の復活を信じられぬから、いや、信じたくないからじゃ。しかしワシは大抵の場合、真実は嘘に勝ると信じておる。それに嘘で事実を塗り固めることは、死んでいったセドリックへの侮辱じゃ。彼は決して己の失敗で死んだのではない。ただ運がなかった。彼は偶々ヴォルデモート卿の前に躍り出てしまったばかりに殺されたのじゃ。それでも彼は最後まで勇気をもって敵に立ち向かった。それを決して忘れてはならんぞ」

 

今までざわめいていた大広間もダンブルドアの言葉で再び静まり返る。彼等が僕のもたらした事実を信じてくれたかは分からない。大広間を見渡せば恐怖に顔を青ざめさせている生徒もいれば、所々に胡散臭そうな表情でダンブルドアの方を見ている生徒もいる。スリザリン席に至っては完全に馬鹿にした表情で彼を見ている生徒ばかりだ。でも、それでも皆が黙り込んでいるのは、ここがセドリックの死を悼む空間だということにあらためて気づいたからだろう。表情はそれぞれ違っても、皆再び彼の死を悼むように黙り込んでいる。

 

……やはり一人だけ、ダリア・マルフォイを除いて。

 

あいつはあろうことか静まり返る大広間の中、突然外に向かって歩き始めたのだ。突然の行動にあいつの周囲の生徒だけは驚いた様子であるが、大多数の人間は悼むように俯いているためあいつの行動に気がついてはいない。僕が気付けたのも、あいつと同じく大広間で一番入り口に近い場所にいたのもあるが、僅かでもあいつの方に警戒する意識を向けていたからだ。視界の端で動いた白銀の髪に目を向ければ、そこには丁度大広間を出て行くダリア・マルフォイと、その後に続くグリーングラスにドラコの姿があった。

僕は周りの人間が目を伏せているのを確認すると、そっと奴らの後を追って大広間を後にする。

医務室で僕がダリア・マルフォイの話をした時、ダンブルドアやウィーズリー家の皆こそ信じてくれたが、ハーマイオニーなどは、

 

『またそんなことを……ダリアがそんなことになるはずがないでしょう』

 

そんなことを呆れた顔で呟いており、スネイプも小馬鹿にした表情で僕を見ていた。スネイプはどうでもいいが、ハーマイオニーがあいつのことを信じたままなのは非常に危険だ。

ヴォルデモートが復活した以上、来年からも呑気に敵側の人間と付き合っていればどうなるか……考えるだけで恐ろしかった。

だから僕はこれからあいつをハーマイオニーから引き離すためにも、あいつに()()を伝えるタイミングは今しかないと思ったのだ。

本当は言いたくなんてない。でも……()が僕が逃げる直前託してきた伝言だ。たとえあいつが彼の死を悲しんでいなくても、僕は彼の望みを叶えなくてはならない。

それが彼を、

 

『優勝杯を掴もう。……でも二人ともでだ。二人一緒に取ろう。それならホグワーツの優勝に変わりはない。二人で引き分けだ』

 

殺してしまった僕に課せられた義務なのだから。

あいつはいつも大勢の取り巻きを引き連れて行動している。セドリックの死を悼むこの式典で抜け出すのはどうかと思ったけど、あいつが数人で行動していることなどグリフィンドールである僕は滅多に見かけない。なら今しかないのだ。この際グリーングラスやドラコが一緒にいることには目をつぶろう。

そう思い僕は、

 

「ダリア……大丈夫?」

 

「……ごめんなさい。何だかあの老害が()のことを語っているのが……とても腹立たしかったもので。彼が試練に挑んだ理由はあんな陳腐なものではない。彼の勇敢さは、あんな薄っぺらな言葉で表されるようなものでは、」

 

「ダリア・マルフォイ!」

 

大広間から少し離れた廊下で、何かボソボソと話している奴らに話しかけたのだった。

僕の大声に三人が一斉にこちらに振り返る。そして一瞬でドラコとグリーングラスが、まるで僕からダリア・マルフォイを庇うような立ち位置に移動しながら返事をした。

 

「ダリアに何の用、ポッター? 貴方がダリアに話すことなんて何もないと思うけど。何故()()()()()()()()で貴方なんかが話しかけてくるのよ」

 

「そうだ。それにお前は大広間にいた方がいいのではないのか? ほら、お前は()()()なんだろう? きっとダンブルドアもあの後お前を讃える演説をしていたと思うぞ? 主賓が大広間にいなくて平気なのかい?」

 

出だしから挑発的な言動だった。特にドラコから発せられた言葉は僕が今最も気にしている事柄で、一瞬怒りで我を忘れそうになった。僕が話していないため、まだ生徒達の大勢はあの日何があったかを知らない。でもダンブルドアが大広間で話した以上、いずれは皆にもあの日のことは徐々に知れ渡っていくと思うし、ましてやこいつらの親はあの場にいたのだ。こいつらが既にあの夜のことを知っていてもおかしくはない。でもだからこそ腹が立った。全部を知っていながらこんな挑発的な態度を。こいつらはヴォルデモートの復活を恐れてはいない。それどころか歓迎してすらいる。そしてその過程で犠牲になったセドリックのことなんてどうでもいいと思っているのだ。

僕がこんなにも彼の死で苦しんでいるにも関わらず。

ダリア・マルフォイがどうしてセドリックを優勝させようとしていたのかは分からない。でもそれが()()()()であるはずがない。ハーマイオニーは、

 

『……それはダリアがあの人の復活を邪魔しようとしていたからよ。彼女は気付いていたんだわ。例のあの人が何をしようとしているかを。彼女だけは敵が貴方をただ殺そうとしているのではないことに気が付いていた。……あの子は誰よりも賢いから。でも……それで彼女は……。あぁ、()()()()ダリア……。きっと彼女は今頃……』

 

いつもの妄言をしていたけど、こんないつもの冷たい無表情を浮かべている奴がそんなことをしようとしたはずがない。少なくともセドリックをただの自分に都合のいい駒だと思っていたのは間違いないのだ。

こいつらを見ているとムカムカした熱い怒りが溢れそうだった。

でも僕はそれをグッと我慢し、こいつらから早く離れるためにも用件だけ口にした。

 

「……ダリア・マルフォイ。お前に伝言がある。……()()()()()からの。僕が逃げる直前、彼が僕に託した言葉だ」

 

その瞬間、いつもの無表情こそ変わらなくとも、ダリア・マルフォイは二人の影から勢いよく顔を出す。

言葉はない。ただ黙って僕の言葉を待っている様子だ。そんなあいつに、僕は吐き捨てるように彼の言葉を伝えたのだった。

 

ヴォルデモートの杖から出てきた彼が残した……ダリア・マルフォイへの最後の言葉を。

 

彼の影は出てきた時言った。両親のもとに死体を持ち帰ってほしいと。そして……

 

「ごめん、ダリア。()()を守れなかった……それがセドリックが最後に言った言葉だ」

 

そんな意味不明で短い言葉を。彼の影はどこか悲しそうに……そんな言葉を僕に託したのだ。

 

 

 

 

僕はそれを言った切り、即座に踵を返して大広間の方に戻る。これで義務は果たした。僕がこれ以上こいつらと不愉快な会話をする必要なんて無いのだ。

それにこれでもう……こいつらとは完全に敵味方に分かれるのだから。

だから、

 

「そう……貴方は最後までそんなことを気にしていたのですね。実に貴方らしい。……貴方は()()()()()()()()()()のですね」

 

背後にいたダリア・マルフォイが先程までの無表情ではなく、その薄い金色の瞳から一筋の()を流していることにも気付かなかった。

 

「さようなら、セドリック……。ようやく貴方に……お別れが言えました。ようやく私は……貴方の死を()()()()()()()()()()

 

……僕は最後まで気が付くことはなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

思えばもう全てが遅かったのだと思う。

あのハリーが三大魔法学校対抗試合最後の試練に挑んだ日。あの日の夜に、今まで信じて疑わなかった日々が終わった。……全てがもうどうしようもない所に行ってしまった。

でもそんなどうしようもない事実に私は気づいてはいなかった。……気付いていても、本当の意味で信じてはいなかった。

確かに例のあの人は復活した。ハリーが言うのだからそれだけは間違いないと思う。これから始まるのは戦争。きっとこれまで通りの生活は大きく変わる。

でも決して変わらない物もあると信じていたのだ。

 

そう、この日までは……

 

 

 

 

「ではカルカロフがいなくても、貴方達はダームストラングに戻れるのね?」

 

「そうです。カルカロフヴぁ、家事を全部ヴォく達にやらせていました。だからカルカロフがいなくなっても何も変わらない」

 

煙を吹きだし、今か今かと走り出すのを待っている汽車の手前、私は今年に仲良くなれたビクトールと最後の別れをしていた。

ハリーからビクトールが最後の試練で『磔の呪文』を使ったとは聞いていたけど、『服従の呪文』をかけられていたことでお咎めなしで済んでいた。だからこうして元気一杯に私の元に別れの挨拶をしに来てくれたのだ。辺りを見回せば彼だけではない。ダームストラング生どころか、ボーバトンの生徒もホグワーツ生と別れを告げ合っている。そこには純粋な名残惜しさだけがあり、皆お互いのことをもう本当の友人だと認識していることが雰囲気だけで察せられた。私達の近くではフラーとハリー、そしてロンがにこやかに挨拶しており、ハグリッドとマダム・マクシームの話し合っている姿まである。

それは三大魔法対抗試合が本来の目的を果たせたことを何よりも表していた。

 

そうこれこそが敵に立ち向かうのに必要なことなのだと思う。

友人達との絆。これこそが強大な敵に立ち向かう力に。

私はこの光景を見て表情が自然に綻ぶのを感じながら、そう心の中で再確認していた。

 

そしてそれは、

 

「それではね、ビクトール。手紙を書くわ! また機会があれば会いましょう!」

 

「あぁ! ()()()()()()()も元気で! いつでもブルガリアに来てほしい! ヴォくも君に会いにまた来るよ!」

 

いよいよ汽車が動き出し、彼と別れることになっても変わりはない。

私はあまり友達作りが得意な方ではないことは自覚している。でもそんな私に出来たホグワーツ生以外の友達。これが嬉しくないはずがなかった。

 

だから私はこの縁を作ってくれたダリア達に改めて感謝の言葉を口にしなければいけないと思ったのだ。

それにダリアのことが心配なのもある。彼女は最後の試練の日から、遠目にも分かる程()()()()無表情を浮かべていた。例のあの人が復活したから……そしてセドリックが死んでしまったから。ハリーの話を聞いて私は、ようやく彼女がどうしてあんな表情を浮かべているかに気が付けたのだ。

だから私はクラムやフラーに大きく手を振るハリーや、その横で少しだけ複雑な表情を浮かべながらもしっかり手だけは振っているロンに隠れて汽車の中を進む。あの日からどうにもハリーが本気で私をダリア達の下に向かわせないようにしていたことから、私は容易には彼女に近づくことが出来なかった。彼女達に会うならこのタイミングしかない。ドビーを介したやり取りも今では()()()()()()()上、手紙を出しても、

 

『……申し訳ありませんです、グレンジャー様。お嬢様から返事のお手紙は()()()()()()()()のでありますです。……ダリアお嬢様は今、とても落ち込んでおられるご様子で」

 

ダリアから返事が返ってこなかったのだ。これを逃せばいつ彼女と話せるか分かったものではない。

私は彼女に会って伝えなければならない。ビクトールと引き合わせてくれたことへの感謝を。そしてセドリックの死は、決してダリアのせいなどではないのだと。

果たして彼女がいるコンパートメント自体はすぐに見つかった。

視界の端にあの特徴的な白銀の髪が見える。そしてその周りにこれまた綺麗な金髪に、ホワイト・ブロンドの髪。三人のみで一つのコンパートメントを占拠しており、幸いにもいつも彼女達を取り巻く取り巻きは中にはいない。

 

私は友人達の存在に喜び、その喜びのまま扉を開け、

 

「ダリア、ダフネ! 良かった! ここにいた……のね」

 

その恰好のまま固まることになる。

 

何故ならコンパートメントの中は……異様な程()()雰囲気だったから。

 

別に部屋の中が暗いわけではない。ダリアの体の関係でカーテンこそ閉められているけど、それでもコンパートメント内を照らすには十分な光が入り込んでいる。

しかしそれでもコンパートメントの中が異様に暗いと思えたのは……偏にダリアの醸し出す空気があまりにも暗かったからだ。

ダフネの肩に頭を乗せた状態の彼女は、私の方に一瞬視線を向けても、またすぐにまるで私のことを()()()()()()するかのように視線を戻す。表情はあの最後の試練の後から変わらない、どこまでも悲しそうな無表情。私の登場に一言も発せず、ただ黙ってダフネの肩に頭を乗せ続けている。そしてそんなダリアを悲しそうな表情で見つめるドラコに、こちらに反応を示しても、

 

「あ、あぁ、ハーマイオニー。よく来たね……」

 

どこか困ったような曖昧な笑みを浮かべるだけのダフネ。彼女達の醸し出す空気はどこまでも暗く、とても外の天気が快晴だとは信じられないようなものだった。

私はあまりの空気に気圧されながら、それでもここで踵を返すわけにはいかないとコンパートメントの中に踏み入る。

そしてまず話の取っ掛かりとして当たり障りのない会話から始めることにする。……いきなりセドリックの話をすれば逆効果になる可能性がある。だからまずダフネが片手に持っている今日の『日刊予言者新聞』のことについて話題を振ることした。

 

……その間も、決してダリアがこちらに目を向けることはなかったけれど。

 

「その記事、何も書いていなかったでしょう?」

 

「う、うん、そうだね。私も今見てびっくりしちゃった。あんなことがあったのに、三大魔法学校対抗試合のことさえ何も書いてない。魔法省が黙らせているのだろうけど、まさかここまで何も書いてないとは思っていなかったよ。リータ・スキータ辺りは絶対黙ってないと思ったんだけどな~。あの記者、あんな嘘八百な記事を書きたてたくせに、こういう時にはだんまりを決め込んでいるんだね。いよいよふざけた記者だよ」

 

ダフネの少しだけ怒りが滲んだ言葉に私は内心ほくそ笑む。彼女達が魔法省の愚かな見解を信じていないと再確認できたこともあるが、これは彼女達の興味を引ける話題を提供できるかもしれないと思ったのだ。数ある嫌なニュースの中でも、これだけはいいニュースだった。きっとこの子達も喜んでくれるはず。

そう思い私は、

 

「それなのだけど……実はリータは記事を書いていないのではないの。今は()()()()()()。彼女は()()()にいるから」

 

カバンの中から一つのガラス瓶を取り出したのだった。

中には小枝や木の葉と一緒に、大きな太ったコガネムシの姿をした……リータ・スキータが入っていた。でも彼女達は私が何故このタイミングで一見コガネムシの入った瓶を取り出したのか理解出来た様子ではないため、私はやはりにこやかに話を続ける。

 

「つまりね、彼女は無登録の『動物もどき(アニメーガス)』だったのよ。この女はこれでホグワーツの色々な場所に忍び込んで、色々な話を盗み聞きしていたというわけ。これはハリーが盗聴器の話をしていたから気付けたのだけど、本当にこの女の秘密にたどり着けて良かったわ! 最後の試練の後、この女が偶然医務室の窓辺に張り付いているのを見つけたのよ。ほら見て、触覚の周りの模様があの女がかけていたやらしいメガネにそっくりだから」

 

話題の効果としてはてき面だった。ダフネとドラコは目を見開きながら瓶の中身を見つめ、ダリアも視線だけはこちらに向けてくれている。最も効果がありすぎて、

 

「成程! 流石はハーマイオニーだね! ちなみにどうやってあの記者だって確認したの?」

 

「この瓶に閉じ込めて、正直に反応しなければ一生この瓶の中よって言ったら、本当に素直に反応してくれたわ。あれでただのコガネムシということは無いはずよ。それに安心して。この瓶には汽車に乗る前、中からは外の状況が見えないように魔法をかけておいたから。これでこの女が私と貴女達が一緒にいるとは分からないはずよ」

 

「そうなんだ! 貴女がそう言うなら間違いなくそうだね! ねぇ、ついでに()()()を持ってないかな? それこそコガネムシを()()()()出来る奴!」

 

ダフネが少し暴走気味なことを言い始めたけれど。どんなに嫌な女であっても、まさかカエルの餌にするわけにはいかない。私は慌ててリータ・スキータをカバンに再び隠しながら次の話題に移ることにした。

 

「だ、駄目よ、そんなことしては。それに彼女とは約束してるの。もし魔法省に『動物もどき(アニメーガス)』のことをバラされたくなかったら、決してもう私の周囲の人間のことをコソコソ嗅ぎまわって、記事にしないようにって。つまりこれ以上私の目につくところにいないように言っておいたの。それを守れるのなら、ロンドンに着き次第解放することになっているわ。これで他人のことで嘘八百を書く癖が治るか見れるわ。……これでもうドビーに頼んで手紙のやり取りをしなくてもよくなるの」

 

私はそこで一度言葉を切り、これからが正念場だと覚悟して言葉を続ける。

でも、

 

「私、ハリーから聞いたわ。今年あった色々なことを。……貴女がずっとセドリックを手助けしていたことも。でも私は、」

 

「グレンジャーさん。用件はそれだけですか? ならすぐにここから出て行ってもらっていいでしょうか。私はこれ以上貴女の話を聞くつもりはないので」

 

その覚悟は……ここに入ってきた時同様、ダリアによっていきなり遮られてしまったのだった。

セドリックの名前を口にした瞬間、ダリアが無表情で私の方を見つめる。そこには明確な拒絶な意志だけがあり……以前まで私に見せてくれていた不器用でも暖かいものはどこにもありはしなかった。

 

 

 

 

思えばもう全てが遅かったのだと思う。

私はやはり甘かったのだと思う。 

 

何も変わらない。たとえ『例のあの人』が復活しても、決して優しいダリアが変わるわけではない。

あの人がダリアのことを知っていても……それこそ死喰い人にしようとしていたとしても関係ない。彼女は彼女。誰よりも優しく、そして決して敵にはならない子なのだと。そう私は無意識に思っていたのだ。

 

だから私は……どうしようもない愚か者だった。

 

考えてみれば変わらないはずがなかった。彼女自身が変わらなくとも、決して彼女の周りの状況は……彼女をただの優しい女の子であることを許してくれないのだ。

彼女の愛する父親が敵側にいるということは、すなわち彼女も敵側にいなければ、その父親の立場や命も危うくなることなのだから。

 

それは決して彼女と私が友人であっても……私達の道がもう()()()()()()()()()()を意味しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「……ダリア、本当に良かったの?」

 

「……もうこれしか道はないのです。それに彼女にとってもこっちの方がいいのです。寧ろ今までおかしかったのです。私と付き合いがあれば……彼女も危険な立場になってしまうから。だからこれでいいのです。……これしかないのです」

 

ホグワーツ特急がロンドンに到着し、汽車の中にいた生徒達も今はプラットホーム内で家族との再会に喜びの声を上げている。

そんな中私とダフネは、遠くからこちらに何かもの言いたげな視線を送るグレンジャーさんの存在を感じながら話し込んでいた。ダフネと違い、私は決して振り返らない。

彼女に決して残酷な希望を持たせないために。……私が決して、余計な希望を持たないために。

グレンジャーさんが私を慰めようとコンパートメントに来てくれたことは分かっている。彼女のあの様子だと、ポッターから全てを聞いたのだろう。それこそ私が今年何をしていたかを含めて。

それでも彼女は私の所に変わらぬ態度で来てくれた。それは彼女もまたダフネと同じように、

 

『ダリア……貴女は決してセドリック・ディゴリーを殺したわけじゃない。貴女のせいなんかではないよ』

 

そう言ってくれようとしたのだろう。グレンジャーさんもまた、ダフネと変わらぬ優しさを持っているから。

 

でもだからこそ……もう私は彼女と共にいるわけにはいかない。

闇の帝王が復活したから。私はもう……今までのように平穏な日常を生きることを許されないから。

 

だから私は決して振り返らない。グレンジャーさんが私を慰めてくれようとした瞬間、

 

『私はこれ以上貴女の話を聞くつもりはないので』

 

そう言って無理やり部屋から追い出した。彼女と決別するために。それを悲しそうな視線を送っているからというだけで彼女の方に振り返れば、先程の行動の全てが無意味なものになってしまう。

それにあくまで彼女は、

 

「……でも、ダリア。私は彼女とこれからも話し続けるよ。だって彼女は私の友達でもあるもの」

 

「……えぇ、彼女は()()()友人ですから」

 

私の友人ではなく、ダフネの友人でしかないのだから。寧ろこれまでがどうかしていたのだ。彼女にはドビーと再会させてもらった恩がある。でもそれだけだ。彼女と永続的に付き合い、彼女に()()を及ぼしていい理由にはならない。

 

だから……これでいいのだ。

 

私は内心で湧き上がる寂しさを抑え込みながら、何とか苦心してダフネに別れの挨拶をする。

 

「では、ダフネ。また……手紙は書きます」

 

「うん……今年も私は毎日書くよ。だからダリア……」

 

「そんなに悲しそうな表情をしないで下さい。……貴女()は私が絶対に守りますから」

 

そして今までで一番暗い雰囲気の別れを済ませた後、私は後ろで黙って待っていてくださったお兄様の下に向かう。

背中にダフネと……そしてグレンジャーさんの悲し気な視線を感じながら。

お兄様はそんな私を迎えると、そっと一言だけ尋ねてくる。

 

「ダリア。……大丈夫か?」

 

「えぇ、大丈夫です」

 

「ふん。そうであればどれだけいいことか。そんな表情をして大丈夫なはずがないだろう。……だからダフネとも()()()()()()、これからはきちんと話すんだ。僕だってお前を支えてやれる。……僕の言いたいことはそれだけだ」

 

しかしどうやら最初から私の返答など聞いていなかったらしく、私の返事に取り合うことなく歩き始めたのだった。

私はどこか釈然としない気持ちで、汽車の窓ガラスに反射するいつも通りの無表情を眺めた後、前を進むお兄様に続いて歩き始める。

そんな中ふと、去年も同じようなやり取りをお兄様としたことを思い出した。もっとも去年と今年では全てが逆なのだが……。

だがそんな益体のないことを考えていても、時間という物は問答無用に進み続けていく。ホームを歩いていると、これまた去年と同じく、いや、()()()()()()()()なお父様が私達を迎えて下さる。

……お母様の姿はホームのどこにも存在しなかった。しかもお父様は開口一番、

 

「ダリア、ドラコ。良く戻って来たな。だが帰ってすぐで悪いが、ダリア。お前にはすぐに会ってもらわねばならんお方がいる。シシーには()()()()のお世話をしてもらっているのだ。ダリアなら大丈夫だと思うが、決して失礼のないように。……あのお方こそ、我らマルフォイ家に栄光をもたらして下さるのだから」

 

そんな不吉な言葉を添えていたのだ。

あのお方。名前こそ明言されてはいないが、このタイミングでお父様がここまで丁寧な対応をする相手など一人しかいない。

 

つまり私は……これから()()()に会うことになるのだ。

 

いよいよこの時が来てしまったかと思う私の手を、お父様はやはり上機嫌に握った後『姿現し』をする。

果たしてそこは私の愛してやまないマルフォイ家だった。無能な魔法省のせいで奴はまだ世間では死んだことになっている。それを奴は最大限利用するため、こうしてどこかに隠れ潜みながらお父様を含む『死喰い人』に指示を出しているのだろう。そしてその栄えある隠れ家にマルフォイ家の屋敷を選んだと……。いよいよ気分が沈んでいくようだった。

 

「ドラコ、お前は自分の部屋に戻りなさい。お前にはまだ早い。だが……ダリア、さぁ、お前はこっちだ。あのお方は首を長くしてお前をお待ちだ」

 

しかし……私の運命は、相変わらず否が応でも決められた方に進んでいく。

不安そうなお兄様を置き去りにし、私はお父様の書斎に連行される。そしてそこにこそ、

 

「あぁ……ダリア・マルフォイ……で合っているな? 無論お前ならば俺様が何者であるか分かっているな?」

 

私を人殺しの道具として創り出し、今なお私の運命を縛り付ける……闇の帝王がいたのだった。

 

 

 

 

今年も色々なことがあった。

その中でも一番印象に残ったのは……おそらく別れだったように思う。寧ろ一年間色々あったというのに、もう私の中には別れしか残ってはいない。

 

セドリックとの別れ。あのムーディに化け続けていた男との別れ。グレンジャーさんとの別れ。

そして……今まで大切にしてきた、私の愛する日常との別れ。

 

別れたものは……失ったものは二度とは戻らない。どんなに望んでも、どんなに嘆いたとしても。

()()()()()()()()()()()()……もう二度とは戻らない。

だから私は告げる。セドリックの遺言を聞いた時と同じように、

 

「初めまして、我が主。私の……創造主(マスター)。私は貴方の忠実な僕。何なりとご命令を」

 

私は今までの日常に、そっとそんな()()の言葉を告げるのだった。

 




ジンドウ様に頂いた挿絵です!
タイトルは……『決して来ることはない未来』ですかね。


【挿絵表示】


これにてゴブレットは終了。あと2話程閑話を挟んで、不死鳥の騎士団に突入します。


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閑話 何者にもなれなかった男

 

 ()()()視点

 

ホグワーツ城の空き部屋の中で、俺は今杖を奪われ、一人椅子に縛り付けられた状態でいた。

俺を縛り付ける縄は異様な程頑丈で、どう頑張っても抜け出せそうにない。このままでは確実に再びアズカバンに収監されてしまうことだろう。

だが闇の帝王が復活した今、たとえアズカバンに収監されたところで再び出てこれるようになるのは時間の問題でしかない。ここから抜け出す計画自体は根本からぶち壊されたが、それでも俺の勝ちは揺るがない。これは別に闇の帝王の……俺の敗北を意味しているわけではないのだ。

あのお方は権力の座に戻られた。俺はこれから他の魔法使いが夢見ることも叶わぬ栄誉を手にする。つまり俺の望みは闇の帝王が復活した時点で必ず叶うことになるのだ。

 

……だがそれなのに、どうしてだろうか。

俺は項垂れ、抵抗する気力も湧かぬまま一人考える。

本来なら俺はこれを喜ばなければならない。喜ばなくては帳尻が合わない。今までの努力も()()も、全てが無駄になってしまう。

だというのに、

 

「何故俺は……まったく()()()()()()のだ?」

 

寧ろこの胸に空いた穴は大きくなっていたのだ。

もはや何も感じられない。何もする気が起きない。これから輝かしい未来が待っているというのに、いざ手の届く段になると俺は……何故かそれが酷くどうでもいいものにすら思えてしまっていた。

何故あれだけ欲していた地位を手に入れた瞬間、俺はこんなにも……もはや俺には()()()()()()()()とすら思っているのだろうか。

何故かこれから始まる未来のことを一向に考えられない。思い出すのはやはり、

 

『愛している……息子よ』

 

最期にあの男が見せた笑顔ばかりだ。考えが一向に纏まらない。どこかずっとこのまま静かなこの部屋の中にいたいとすら思っている。

しかしそんな俺に、

 

「成程。ムーディが闇の帝王の仲間だと気が付いた時はまさかと思いましたが……なるほど別人が彼に化けていたのですね」

 

突然あの忌々しい……美しくも冷たいあの小娘の声がかかったのだった。

視線を向ければ、本来こんな所にいるはずのない小娘……ダリア・マルフォイの姿があった。いつもの冷たい無表情に、まるでこちらに一切の興味を抱いていないような冷たい視線。

違いがあるとすれば……その瞳がいつもの薄い金色と違い、何故か()()()()()()()に見えることだけだった。そう、あの闇の帝王と同じ……血のような赤色に。

だがそんなことに疑問を抱く暇もなく、奴は俺に静かに話しかけてくる。

 

「貴方が誰かは知りません。知る気もない。どうせ貴方にはここで死んでもらうのです。貴方が持っているやもしれない情報は、これからの私にはあまりに不都合なものですから。それに貴方がセドリックを……」

 

唐突に現れ、そしてやはり唐突に不穏なことを言い始めた小娘は、その手に持つ真っ黒な杖を俺の方に向ける。

これが他の生徒なら俺も一笑に付しただろう。だがこの小娘……ダリア・マルフォイなら本当にやる。この小娘には俺を殺す理由がある。闇の帝王がお戻りになった以上、こいつが闇の帝王の計画を邪魔しようとしていたことが露見すればどうなるか……こいつの立場であれば全力で俺を消しに来ることだろう。

そしてなにより、こいつは殺人に対し迷いがないのだ。

思い出すのはこいつに呪文をかけられた日のこと。あの時こいつは俺どころか周りにいた生徒達にすら強力な呪いを放っていたというのに、こいつには何の迷いもありはしなかった。おそらくマクゴナガルが止めにこなければ、俺達は確実に殺されていたことだろう。とてもただの14歳の小娘とは思えない。他の生徒であれば、他者にたとえ呪いを放ったとしても必ずそこに迷いがある。認めたくはないが、この小娘が異常な存在であるという一点のみは俺も納得するしかなかった。

 

そうその一点において……こいつは俺の()()()()()闇の帝王そのものだったのだ。

 

だから当然、俺は本来であればこの危機的状況に恐れを抱く()()だった。

夢の実現を目前にして、こんな小娘に突然殺されてしまう。縛られている以上抵抗することも出来ない。俺の命運はここで尽きようとしている。

 

だが……やはり俺はこの状況になっても何の感情も抱くことはなかった。

感じるのは全てがどうでもいいという諦観のみ。もはやあれだけ感じていた小娘への敵愾心もすっかり消え失せていた。

あれ程この小娘のことを嫌い、あれ程この得体のしれない小娘を出し抜こうと考えていたのに、今この段階になって何故……俺はこの小娘に何の感情も抱いていないのだろうか。

そしてそれを目の前の小娘も疑問に思ったのだろう。冷たく俺を見つめていた赤い瞳を僅かに揺らし、僅かに躊躇ったような口調で尋ねてくる。

 

「……何故何の抵抗もしないのですか? 私が貴方を殺さないと高を括っているのですか?」

 

その言葉に俺は半ば投げやりな口調で返す。だが同時にそれは本心からのものでもあった。

 

「いいや……別に高を括っているわけではない。お前なら俺を何の躊躇いもなく殺すだろうな」

 

「ならば何故?」

 

「……もうどうでもいいと思ったからさ。もうここで死んでもいい。俺にはもう……()()()()()()()()()()

 

俺の言葉を受け、いよいよ訳が分からないとダリア・マルフォイは杖を下ろす。そしておもむろに俺に近づいてくると、小娘は俺の目をジッと覗き込んできたのだ。その瞬間俺の中に何かが滑り込んでくる感覚を覚える。それは紛れもなく『開心術』だった。今この瞬間、俺はこいつに俺の……それこそ心どころか過去さえも見られていた。

だがそれでも俺は抵抗する気力にならない。寧ろこの瞬間のみ、俺はこいつに俺のことを()()()()()すらいた。それこそ俺の()()()()()()()()()ことさえも。

結果小娘は俺の全てを理解したのか、赤からいつもの薄い金色に()()()瞳を見開き、驚いたように俺に話しかけてくる。

 

「驚きました。貴方はクラウチ氏の息子だったのですね……。そして彼を殺したのは……貴方だった。愚かな男ですね」

 

言葉だけなら俺を小馬鹿にしたものと思える。この小娘とは違い、()()()()()()()()()()人生をただ愚かと断じる言葉。

しかしその声音には俺への嘲りなど一切なく、先程までとは違いどこか同情的な響きすらあった。

そしてその言葉こそが、

 

「本当に……愚かな男ですね。結局いざ本当にどうしようもない段階になって……もう行きつくところまで行ってしまった時に、自分が本当に欲しかったものに気付くなんて。貴方はただ()()()()()()()()……ただ貴方のことを見て欲しかった。それだけのことだったのに……」

 

俺が奴に読み取らせた、俺すら気づいていなかった、いや敢えて見ないようにしていた心の奥底にあった感情だったのだ。

奴の言葉が俺の中にストンと降りてくる。他人に言われることで、ようやく俺は自分が本当は何を望んでいたかを理解した。奴の言う通りだ。今までの俺ならこの答えを聞いても決して受け入れはしなかっただろう。だが今全てを自らの手で失い、自身がここが果てだと思っていた所に来た今なら分かる。

 

そうだ……この小娘の言う通りだ。俺はただ普通の父親が欲しかったのだ。

普通に家に帰ってきてくれて、普通に俺を褒めてくれて、普通に俺を叱ってくれて……普通に俺を愛してくれる父親が。

少なくとも俺のことをちゃんと見てくれる父親が欲しかったのだ。

 

最初からそれを俺は持っていたにも関わらず。

 

何だかあまりにも簡単に手に入れてしまった答えに乾いた笑いが漏れる。

今なら分かる。俺が何故闇の帝王を目指していたのか。その本当の理由が。

俺はずっと闇の帝王と自分には多くの共通点があると思っていた。二人とも父親に失望し、二人とも父親と同じ名前をつけられる屈辱を味わった。()()()俺はあの人に憧れた。共通点の多い俺ならきっとあの人のようになれる。

何にも煩わされることなく、この世の頂点に君臨し続ける偉大な人物に。誰もが恐れ、そして()()()()人物に!

そうなれば俺は決してこんな煩わしい感情を抱かずに済む。俺は真の意味で父親から解放されるに違いないのだ。

そう俺はずっと思っていたのだ。

 

だが現実は違った。

闇の帝王のように人を殺し、そして最後に自分の父親を殺したとしても……俺は結局、()()()()()()()()()()()()

いや、自分でバーティ・クラウチ・ジュニアになることを放棄したのだ。人を殺した瞬間……自分の父親を殺した瞬間に。

 

あの瞬間に俺は何者でもなくなってしまった。

人を殺したことで……その時()()()()()殺してしまったのだ。

それを本当に闇の帝王と同じになってから気が付いた。

行きつくところまで行きつき、いざ一瞬振り返った瞬間、自身の後ろに何も残っていないことに。そして闇の帝王も結局……俺と同じ何者でもないことに。

闇の帝王とは結局ヴォルデモート卿という名前の()()でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない()()であるということに。

 

その点で言えば俺と闇の帝王は違うのだろう。闇の帝王は今も尚前に進み続けており、俺は振り返ってしまった。

そして思い出すのはやはり、

 

『愛している……息子よ』

 

やはり最期に見せた()()()の言葉だった。もう俺は前に進めないのだ……。

失ってから、俺はあの父さんの本当の気持ちに気付いてしまったから。闇の帝王とは違い、俺は()()()()()()()物を自分で捨ててしまったのだから。

 

俺は項垂れ、ただ乾いた笑いを漏らし続ける。もはや言葉はない。

俺はようやく人生の答えを得たのだ。得たとしてもそれは終着点であり、どうしようもなく取り返しのつかないものでしかなかったが。

そんな俺をダリア・マルフォイは、先程までとは違いどこか悲しそうな瞳で見ていた。表情こそいつもの無表情だが、それでも今の俺には分かった。

 

その()()()薄い金色の瞳が悲しそうな、同情的な色を放っているのが。

 

そしてそんな俺の認識は正しかったらしく、()()は声音まで同情的な様子で話し始めた。だが、

 

「貴方は……()()()似ている気がします。誰だったか今思い出せませんが……。貴方は知らなかったのですね。愛を。愛し方を。……愛され方を。だからもっと辛い道を選んでしまった。貴方は何者にもなれなかった。貴方は()()()()()だった。……他の死喰い人達と同じように。だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。セドリックを殺したのは結局、」

 

彼女の言葉が最後まで続くことはなかった。

部屋の温度が突然冷たくなる。ダリア・マルフォイが勢いよく顔を上げた先には吸魂鬼が一体。彼女の登場と同じく突然に、俺の最期へのお迎えが現れたのだ。しかも部屋の向こうからは、

 

「ま、待ちなさい! 勝手な行動は許しません! ファッジ大臣! 何故城に吸魂鬼などを!?」

 

「わ、私は護衛が必要だと思っただけだ! 君らから脱走犯がいると聞いていたからな! わ、私は魔法大臣として当然の権利を行使しただけだ!」

 

こちらに息を切らして走っている様子のマクゴナガルとファッジの声まで聞こえてきていた。もはや俺たちが言葉を交わすことは出来ない。

ダリア・マルフォイは急いで自身に『目くらましの呪文』をかけ姿を完全に見えなくする。こっそりこの部屋から抜け出すつもりなのだろう。……当初の彼女がここに来た目的を果たすこともなく。

だが彼女の目的は別のモノによって果たされる。

何故なら部屋の中に押し入ってきた吸魂鬼が何のためらいもなく俺の方に近寄り、その唇を俺に押し付けようとしていたから。吸魂鬼はその者が持つ幸福感を全て吸い上げ、そしてその最後に口づけをすることで魂まで吸い取るという。成程今この瞬間最悪の記憶しか残っていない俺は、奴にとっては最高の御馳走であることだろう。

 

まさに俺にピッタリな最期と言える。

自分で自らを切り刻んだ挙句、人に必要なものをすべて削ぎ落し……その果てに何もかもを失くしてしまった俺の最後に。

 

だから俺はこれから起こることを理解しながらも、その瞬間を諦めを持って受け入れる。

 

 

 

 

ただ一言、

 

「ダリア・マルフォイ……お前は俺みたいな人間になるなよ。家族のことで怒れるお前は……まだ間に合うのだから」

 

そんな言葉を、透明になりながらもまだこちらを見ているだろう彼女に残して。

表情は見えない。見えたとしても俺には理解出来るとは思えない。彼女が今怒った表情をしているのか、呆れた表情をしているのか、それとも悲しそうな表情をしているのか。俺にはもう分からない。

俺に分かるのはただ、

 

「間に合いはしませんよ。生まれたその瞬間から……私は既に人間ではないのですから」

 

そんな透明な虚空から漏れ聞こえてきた彼女の言葉だけだった。

 

その瞬間、俺の意識は永遠に覚めない眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンキー視点

 

一年前まであたしが仕えさせていただいていたお屋敷。今ではあたし()()が存在する屋敷。

そんな屋敷の中、今あたしの目の前には()()()()()が置かれている。参列者はしもべ妖精であるあたしのみ。これはご主人様達との別れを惜しむお葬式だというのに、誰も二人を見送りに来さえしない。

ですが考えてみればそれも当たり前のこと。

 

何故なら棺桶の中身は……二つ共()()()なのですから。

 

一つはあたしのご主人様の物。ですが未だにご遺体が見つかっていないため、こうして箱のみが用意されている。

そしてもう一つはお坊ちゃまの物。ですがお坊ちゃまは正確には……まだお亡くなりになっていない。永遠に覚めない眠りであることに変わりはないですが、肉体という一点においてはまだ生きておられる。だからこそ、お坊ちゃまの箱も空っぽ。

こんなに悲しくて、ですがどこまでも空虚なお葬式に誰が来られるというのでしょうか。

 

「あぁ……お可哀そうなご主人様、お坊ちゃま。あ、あたしは無能なしもべでございますです!」

 

誰もおられない屋敷の中で、あたしは一人悲しみから咽び泣く。

何故こんなことになってしまったのでしょう。疑問と後悔、そして罪悪感が心に浮かんでは消えていく。そして最後に残った答えは……やはり全てはあたしが悪かったのだという思いだけでした。

思えばいくらでも変えて差し上げる瞬間はあったのです。

たとえば、

 

『お前はいずれ私と同じ魔法省高官となるのだ。いや高官どころかそれ以上の、それこそ魔法大臣にまで上り詰める。それがお前の生まれてきた意味だ。そうならなければお前は無価値だ。私の息子ではない』

 

ご主人様が、ご主人様のお父様によくこのようなお言葉を浴びせられていた時。

あのお言葉を投げかけられた時、当時まだ少年であったご主人様はいつも泣きそうなお顔をされていた。ですがあたしはそれが分かっていてもお止めしようとはしなかった。あたしの母はお止めしようとしても、あたしはいつも震えるばかり。ただご主人様が陰で泣いているのを見ているばかり。ご主人様のお父様の大声に震え、決してご主人様のために行動しようとはしなかったのです。

そんなあたしをご主人様が信用なされなかったのは当然のことだったのでしょう。

 

たとえば、

 

『父さんは俺のことなんてどうでもいいんだ! あの人は家に帰ってきさえしないじゃないか!? おまけに俺にこんな名前までつけて! 父さんは……いや、あいつは結局自分のことしか考えていないんだ! 俺のことなんてどうだって……』

 

お坊ちゃまが奥様にそんな悲痛な言葉を吐露された時。

あたしは知っていたのです。言葉や行動こそ不器用であっても、ご主人様は確かにお坊ちゃまを愛されていたことを。奥様と同じく、とても深くお坊ちゃまを愛されていることを。

ですがあたしは結局お坊ちゃまの悲痛な思いを慰めて差し上げることも、ご主人様の本当の気持ちを教えて差し上げることも出来なかった。あたしは最後までその悲しいすれ違いを知っておりながら、ただの傍観者に徹していたのです。しもべ妖精がご主人様の人間関係に口を出すのは間違っていると、しもべはただご主人様の命令に従っていればよいのだと思ったから。

 

そしてたとえば……

 

『もうお前の顔など二度と見たくない! 今すぐどこかに行ってしまえ!』

 

ご主人様に追い出されてしまった時。

あの時もっとあたしが上手くやっていれば……。透明になられたお坊ちゃまが決して愚かなことをしないように監視してすらいれば。ご主人様に本当に大切なことが何か教えて差し上げてすらいれば。

もしあの時少しでもあたしが勇気をもって行動していさえすれば……ご主人様達はお亡くなりにならずに済んだのではないのだろうか。

 

考えれば考える程、自身の罪を再確認していくような気分でした。

もしあの時あぁしていれば。もしあの時少しでもこうしていれば。どの瞬間を思い出しても、あたし自身の愚かさと矮小さを再確認するばかりでした。

だからこそあたしは結局、

 

「あぁ、あたしは本当に無能で臆病なしもべでございます。も、申し訳ありません。……申し訳ありません」

 

そんな誰にも届かない謝罪を繰り返すしかございませんでした。

どんなにすれ違っておられても、

 

『ジュニアはちゃんと勉学に励んでいるか? ……いや、きちんとご飯は食べているのか? あの子はちゃんと健康か?』

 

『勿論よ。そんなに気になるのなら、貴方が確認すればいいのに』

 

『……そんなこと、私には出来ない。息子とどうやって話せばいいのかも分からないのだ。私が話せば、かえってあの子は意固地になってしまう。そんなことより……君の方はどうなんだ? 君は幸せか?』

 

『えぇ、それこそ勿論よ。今私は本当に幸せです……愛しているわ、貴方』

 

そこには確かに幸福な光景が広がっていたというのに……もうそれはこの世のどこにもありはしない。

全てはあたしが臆病だったせいで。

あたしは自身の愚かさのせいで、自身の全てを……そしてご主人様がようやく手に入れた幸福さえも壊してしまったのでした。

 

 

 

 

あたしは一人静かな屋敷の中で咽び泣き続ける。

この屋敷にあるのはもう二度と戻ってこない幸福な日々の名残のみ。

……結局お二人の別れには誰も来られず、お二人はこの世の誰にも思い出されることもなく、ただひっそりとその存在を忘れられていくのでした。



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閑話 戦争の始まり

 ダフネ視点

 

「ダリア……話して」

 

最終試練が終わった数時間後、どこかに行ったと思ったら、またふらりと戻ってきて談話室のソファーで項垂れているダリアに話しかける。

セドリック・ディゴリーの遺体を見てからというもの、ダリアの様子が明らかにおかしいのだ。どういう目的でダリアが彼に近づいていたかは知らないし、どうして彼が死ぬことでここまで様子がおかしくなるのかも分からない。

でもダリアが今とても悲しんでいることだけは私にだって分かる。傍から見れば彼女はいつもと同じ無表情なのかもしれないけど、親友である私には分かるのだ。

ならばもう黙っているわけにはいかない。秘密の部屋事件の時に犯した間違いを再び犯さないために、私にはもう沈黙は許されない。これまではダリアの心の整理がつくまで見守ろうとドラコと話していたけど、ここが最終ラインだ。ダリアが落ち込んだのならもう話さないわけにはいかない。

だから私は一人ソファーに座るダリアにそっと話しかける。他のスリザリン生はまだ外で噂話に花を咲かせているのだろう。今談話室の中には私とダリア、そしてただ黙って彼女の頭を撫で続けているドラコしかいない。

もうここで話すしかないのだ。たとえそれが……どんなに苦しくて、恐ろしい話であっても、

 

「ダリアが話したくないことは分かっているよ。……それも私のことを思ってくれているからだよね? でも……それを知らないと前には進めない。それを知らなければ、私は結局中途半端にしか貴女の悩みを分かってあげられない。もう私は貴女の苦しむ姿を黙って見ていることなんて出来ない。だから……教えて。一体何が起こったの? 私は貴女の力になりたいの」

 

彼女が話しにくそうにしていたことについて尋ねるしかないのだ。

そしてそんな私の思いを分かってくれたのか、ダリアも暗く沈んだ瞳をこちらに一瞬向けると静かに話し始める。

 

「……そうですね。もうこの段階になって隠しても無意味です。隠せば隠す程、寧ろ危険は増していく。本当はこんなことになる前に……。あぁ、本当に……全てが無意味だったのですね」

 

前置きにしてはあまりに暗い言葉。でも私とドラコはそんなため息交じりな言葉であっても、ダリアがようやく私に事情を話してくれるということ事実を一瞬喜んでいた。

これでようやく彼女の力になれる。どんな事実を話されようとも、私達が必ずダリアの力になってみせる。そう思い、私達は一瞬()()()()()()()のだ。

それが本当に……

 

「……()()()()です。闇の帝王が復活したのです」

 

「っ……」

 

「……え?」

 

()()()()()()中で最悪のものだとも知らずに。

私と、そしてダリアの後ろにいたドラコはその名を聞いた瞬間、今までの歓喜から一転恐怖に身を凍らせる。それはこの世界で最も恐ろしい者の名前だから。

……実のところ答えの予想自体は薄々出来ていた。クィディッチ・ワールドカップの時に打ち上げられた『闇の印』。『死喰い人』達の行動を予め知っていたかのようなダリアの態度。ポッターを狙い撃ちするかのごとき策略。ダリアがここまでひた隠しにする程恐ろしい人物。そんな人物は私の知っている限り一人しか存在しない。

それにダリアが何かに悩み苦しんでいる時は、自身の出生についてのことが多い。吸血鬼と史上最悪の闇の魔法使いの血を掛け合わせて造られた、人を殺すためだけの存在意義。ダリアの悩みは大体の場合ここに起因している。

だからこそ、その全てに共通している人物などたった一人しかいないのだ。

 

全ての元凶……10数年前まで多くの魔法使いやマグルを殺し、魔法界を恐怖のどん底に陥れた闇の魔法使い。『()()()()()』しか……。

今年一年起こり続けている一連の事件が全て繋がっており、それらの全てがダリアの悩みになっているとするとそれしか考えられない。

 

しかしダリアの態度からある程度予想していたとはいえ、別に以前からそうだと思っていたわけではない。

いや、()()()()()()()()()のが正解だろうか。

ここまでダリアが悩むなら、もしやまた闇の帝王や自身の出生に関する悩みだろうか。そんなことを薄々考えていたにすぎない。だからその可能性からずっと目を逸らし続けていた。

何より闇の帝王は世間では死んだことになっているのだ。何故今頃になって『あの人』が戻ってくるのだろうか。

どんなものであってもダリアの話をキチンと受け止める。そう思っていても、『例のあの人』と聞いて顔に浮かんでしまった恐怖を感じ取られてしまったのだろう。ダリアが申し訳なさそうな無表情を浮かべながら話しかけてくる。

 

「ごめんなさい、ダフネ、お兄様。本当は言いたくなかった。貴女達を怖がらせてしまうから。でも奴が復活した今、もう一刻の猶予もない。本当は、」

 

「ううん。いいの、ダリア。大丈夫。少しだけ……驚いただけだから。でも……そっか、『闇の帝王』か。で、でも、なんで今更? あの人は死んだと聞いていたのだけど。ダリアはどうして『あの人』が帰ってきたと思ったの?」

 

でも今更やっぱり信じられないなんて言えるわけがない。言うつもりもない。ダリアがそう言うのなら、間違いなくそれは今起こっている事実なのだ。

ただ話の大きさからすぐに完全に納得できないだけ。

根拠を尋ねる私に、ダリアが相変わらず申し訳なさそうな無表情で続けた。

 

「……最初の予兆はお父様の腕に浮かんだ『闇の印』でした。ダフネも私のお父様がかつては『死喰い人』であったことは知っていますよね? そんなお父様の腕に刻まれた闇の印。お父様によれば、闇の帝王がポッターに討たれた直後から、その印はほとんど見えない程薄いものに変わっていたそうです。だからこそお父様も疾うの昔に闇の帝王は倒れたものと判断していたのです。……ですがそれがまた浮かび上がってきた。それは紛れもなく闇の帝王が蘇った……死んでいなかった証。それから続けざまにクィディッチ・ワールドカップで闇の印が打ち上げられ、三大対抗試合が始まったかと思うと絶対に選ばれるはずのない人間が代表選手になった。だからこそ私は……」

 

ダリアはそこで一度言葉を切り、今度は先程と同じ悲しい表情に戻りながら話し始める。

その瞬間、私は……いや、私達は気付いた。()()()()()()()()、ダリアがここまで深い悲しみを感じている原因なのだと。

 

「だからこそ私は……セドリックを使()()()敵の計画を邪魔しようとしました。闇の帝王の目的がただポッターを殺すことだけだとは思えなかったのです。ただポッターを殺すにしてはあまりにも方法が迂遠すぎる。だからこそ相手の目的が分からない中、少しでも相手の計画をかき乱そうとしてセドリックに様々な情報を流し、彼を誰もが予想しない中優勝させようとしたわけですが……結果は見ての通りです。セドリックは無駄に死に、あのカルカロフ校長の取り乱し方から見ても闇の帝王は復活したのでしょう。私の行動は全てが無駄だった。私は結局……ただ徒にセドリック・ディゴリーという若者を()()()()()()()のです」

 

ダリアの言葉に私とドラコは絶句していた。

勿論内容があまりに想像を超えていたということもある。闇の帝王関連のことであると薄々予想していたし、ダリアが裏でコソコソ何かしていることも知っていた。でもまさか私達の知らない裏で、ここまでダリアが色々なことを考えて行動していたとは思いもしなかったのだ。特にダリアの家族ですらあるドラコはいくら情報を隠されていたとはいえ、それでも一切この事実に気付いていなかった自分に恥じ入っている様子だった。

でも私とドラコが絶句した本当の理由はそんなことではない。

私達は本当に驚き、そして自分達の犯してしまった罪を今自覚したのだ。

 

セドリック・ディゴリーの話をした時、ダリアの表情が今まで以上に悲しそうなものに変わったから。

 

無表情であることに変わりはない。おそらくダリア本人ですら自身の表情の変化に気がついてはいないだろう。でも私達には分かる。彼女は本当にセドリック・ディゴリーの死を悼み、その死を自身の罪だと認識しているのだ。一度だけ彼とダリアが話しているのを見たことがあり、あの時の様子から別に()()()()()()彼に恋愛感情を持っていたわけではないのだろうけど……それでも彼のことを彼女なりに慕っていたことは間違いない。

それこそ彼の死に対し、ここまで悲しい思いを抱くほどに。

私は悲しそうな無表情を浮かべるダリアに抱き着き、必死に声をかける。現状を全て理解したとは言い難いけど、それでも今私は彼女に言わないといけないと思ったのだ。

 

「ダリア、違うよ! そんな顔をしないで! ダリアが殺したわけじゃない! 私はダリアが今年何をしていたか本当に理解しているわけじゃない! でもこれだけは言える! ダリアは決してセドリック・ディゴリーを殺したわけじゃない! 貴女はただ彼が死んだことで困惑しているだけ! 貴女は人を殺したりなんてしない! それだけは絶対! だからダリア、どうか自分を責めないで! そんな表情をしないで!」

 

そしてその思いはドラコも同じなのか、私に続いてダリアに声をかける。

 

「そうだ、ダフネの言う通りだ。ダリア、確かに僕はお前と同じ屋敷に住んでいながら、今年起こっていたことにほとんど気付くことが出来なかった。僕は本当に不甲斐ないお前のあ……家族だと思う。だがそれでもそんな僕にだって分かることはある。お前は何も悪くない。お前はただ困惑しているだけだ。僕はセドリック・ディゴリーがどんな奴かなんて知らないが、あいつが優勝したのはあいつ自身の実力のお陰だ。お前が何をしようと、あいつは今年死ぬ運命だったんだ。だからダリア……お前が責任を感じる必要なんて無い。お前はセドリックを殺してなんていない。それより約束してくれ。もうこんな風に隠し事するのは止めてくれ。僕達は確かに不甲斐ないし、お前にとっては頼りないかもしれない。でも僕らはお前の味方だ。だからこれからはこんな重要なことを隠そうとするな。そうすれば僕等だってお前の力に……」

 

「いえ、ダフネ、お兄様。違うのです。私は確かに彼を殺したのです。何度も引き返せる瞬間はあった。それこそ優勝すれば彼に危険が及ぶやもと考えたこともあった。……ですがそれでも私は彼をただの駒として、彼を優勝へと焚き付けつづけた。これを殺したと言わずに何と言うのですか……。私は人を殺してしまったのです。その上涙の一つすら流すことも出来ない……」

 

しかし私達の言葉はダリアに届いている様子はなかった。

私達の言葉に対しダリアは一瞬寂しそうな表情で返した後、やはり暗い表情で俯き小さな呟きを漏らす。

 

「私はやはり怪物だった。でも、それでもやるべきことは変わらない。次こそは絶対に、私が貴女達を守ってみせる。……だから」

 

漏れ聞こえてきた言葉には相変わらず深い悲しみが刻まれている。私達の慰めなど少しも届いていない。

それは……もう無力でしかなかった私達にはどうすることも出来ない程、今年始まった悲劇が進んでいることを表しているようだった。

 

 

 

 

つい数時間前まで幸せな時間を過ごしていたのが嘘のようだ。

スリザリン寮は地下にあるため音は聞こえないけど、パンジー達が帰ってきていないことから未だに外で他の寮生から情報収集でもしているのだろう。

まるで噂話を楽しむかのように。パンジー達だけではなく、この学校の生徒全員が。

今この三大対抗魔法試合の裏で何が起こっていたのかも知らずに。……その過程でダリアがどれだけ苦しんでいたかも知らずに。

 

今年一年、ただ親友とダンスパーティーに行けるなんてはしゃいでいた私の様に。

ダリアの悩みを放置し続けていた私のように。

 

でも()()が分かったとしても、私にはまだ本当の覚悟というものが足りなかったのだと思う。

『例のあの人』が復活するということがどういうことなのか……それが一体何の始まりを表すことなのか、私には、いや、()()()()()()()()が分かっていなかったのだ。

 

人は正義や、ましてや善人かどうかなんて関係なく、ただそれに巻き込まれたというだけで殺し合い、そして死んでいくのだということを。

その人がどんな生まれで、どんな人生を歩み、どんな悩みを持って、どんな信念を持っていようとも……それは一切の躊躇もなく、無秩序に人の命を奪うのだということを。

 

そんなどうしようもない事実を……私達は実際にそれが起こってから知ることになる。

 

もうすぐ……魔法界を混沌の渦に陥れる()()が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

()()()()()()()、マルフォイ家は再び栄光の日々を迎えようとしている。それも闇の帝王が嘗て魔法界の頂点に君臨しつつあった時以上の、もはや誰にも揺るがしようのない程の栄光を。

私は本来であれば()()()()()で寛ぎながら、これからのマルフォイ家のことを夢想する。

本来この屋敷の主がいるべき書斎は()()()()が使われている。今頃ダリアに直々に闇の魔法を教えておられる頃だろう。全てはダリアを本当に闇の帝王の右腕に、それこそ私を含めた死喰い人全員を統べる立場にするために。それこそダリアの唯一の弱点である()()()()()()()()呪文を教えてくださるのだとか。これでダリアの、そしてマルフォイ家の栄光は決まったも同然だ。

私は一人椅子に座り、部屋の外に見える中庭を眺めながら呟く。

 

「これでよいのだ。これでようやく難を逃れることが出来た。だからこれで……」

 

考えれば考える程、マルフォイ家の明るい未来が脳裏に浮かぶようだ。

私を含めた全員が跪く前で、それこそ闇の帝王以上のオーラを醸し出しながら私達を見下ろすダリア。そしてそんな彼女の父親として闇の帝王にも一目置かれる私。今まで以上に贅沢な暮らしをすることが出来る家族。ダリアの立場が本物になれば、それは遠からず必ずやってくる未来だと言える。今年一年どうなるかと思ったが、今や闇の帝王の復活に対する恐怖など微塵もない。あの()()()()()()()絶対なるお方の陣営にいるのだ。もはや我々マルフォイ家の栄光は決まったも同然だ。

だが、

 

「あなた……少しいいかしら?」

 

この家でそう考えているのは、どうやら私だけであるようだった。

ドラコは帰ってきた時からずっとどこか不安そうな表情を浮かべており、シシーもこうしてことあるごとに私に話しかけ、

 

「なんだ、シシー? またいつもの話なら、」

 

「えぇ、でも、私は不安で仕方ないの……。本当に……本当にこれでいいのかしら? 何故か私、ずっと不安で……。ダリアは本当にこれで……」

 

いつも不安で仕方がないと言わんばかりの言葉を発するのだ。まるでこれではダリアが不幸になってしまう。そんなことを言わんばかりに。

だから私は何度でも言い聞かす。

 

「何度も言う。馬鹿なことを言うものではない、シシー。これこそが我々マルフォイ家が本来あるべき姿なのだ。闇の帝王はこの魔法界に()()()()をもたらして下さるお方だ。そんなお方の右腕として、これからダリアは最も栄光ある道を歩むことになる。これを幸福と言わずに何と言うのだ? 何も心配する必要はない。ダリアは出来た子供だ。我が歴代のマルフォイ家の中でも最も優秀な子供なのだ。あの子なら必ずや、()()()()()()()()に応えることだろう。だから心配するようなことは何もない。さぁ、シシー、元居た場所に戻るのだ。お前が不安がれば、それだけで闇の帝王に不快な思いをさせてしまう可能性がある。お前は安心して自分の責務を果たすのだ」

 

「……え、えぇ」

 

しかしシシーはやはり私の言葉にあまり納得した様子はなく、渋々と言った様子で元居た場所に戻ってゆく。あの様子ではまた消極的な発言を私にしてくることだろう。

まったく……彼女の気持ちが分からないわけではない。闇の帝王が復活した以上、元の生活を送ることは出来なくなる。私は任務に励まなければならぬし、ダリアも何かしらの責務を当られる可能性は高い。だからこそこれからの生活の変化を不安がる気持ちも分る。

だがそれでは私は一体どうすればいいというのか。

シシーの不安は分かっても、私にはこれ以上の答えなど出来はしない。何度考えても我々にこれ以外の選択肢はない。そしてこれこそが我々が最も幸福であり、正しくあれる道なのだ。

だから……

 

「これでよいのだ。だからこれで……ダリアも幸福になることが出来るのだ」

 

私は何度も繰り返す。シシーを納得させるために。そして……()()()()()納得させるために。

繰り返さねば、私もシシー同様ジワジワと湧き上がり続ける不安に飲み込まれそうだったから。

……気を抜けば、

 

『初めまして、我が主。私の……創造主(マスター)。私は貴方の忠実な僕。何なりとご命令を』

 

闇の帝王と遂に対面したダリアの、あの()()()()()()を思い出してしまうから。

偉大なお方に対面したというのに喜ぶでもなく、ただ無機質にあのお方を見つめるあの瞳を……。

私はダリアの父親であるにも関わらず、あの時のあの子の表情が読めなかった事実を直視したくないから。

 

私は繰り返す。ただ何度でも繰り返す。

 

「これでよいのだ。これで……」

 

だがそれでも、自分が何か決定的な間違いを犯し続けている。そんな不安は決して消えることはなかった。




次回騎士団開始


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不死鳥の騎士団
裏切り者の末路


不死鳥の騎士団突入です。


 ダリア視点

 

7月の末。この日は私の()()()()()()として、例年であれば家族だけで細やかな宴が開かれる日だった。

毎年のように新調したドレスを着飾り、家族に囲まれながらいつもより少しだけ豪勢な食事を摂る。お母様は私にいつもドレスをプレゼントして下さり、お父様はそんな着飾った私を微笑ましそうに撫でてくださる。……そしてお兄様も着飾った私に少し頬を赤らめながら、少しだけ不器用な口調で褒めてくださるのだ。

そんなどこにでも有り触れた、でも私にとってはどうしようもなく幸福な一日。

……自身を怪物ではなく、マルフォイ家の人間だと()()()()()大切な一日。

それが私にとっての誕生日である……はずだった。

 

そう、この日までは。

 

「お、お許しください! わ、私は決して裏切ってなど……。いやだ! 死にたく、」

 

『クルーシオ!』

 

「ぎゃあぁぁぁ!」

 

本来私はこの時間、例年のようにマルフォイ家の屋敷で誕生日に向けた準備をしているはずだった。いつもであればお母様に手伝ってもらいながら、普通の母と娘のようなどこにでもある時間を過ごしていたはずなのだ。

しかし現実は違う。今の私は屋敷ではなく、どことも知らない掘立小屋の中におり、しかも共に時間を過ごしているのは家族などではなく……闇の帝王や死喰い人達。そして涙と涎で顔をグチャグチャにした()()()()()()()()だった。

押し黙る死喰い人達の前で、カルカロフ校長は闇の帝王の呪文でのたうち回っている。そこには嘗て見たどこか気取ったような態度など微塵もない。今まさに地面を転がりまわっていることもあるが、その服もあちこちが擦り切れており、髭も無秩序に伸び続けている。この姿を見ただけで、彼がここまでなりふり構わず逃げてきたことが伺える。ここまで来るのに随分と苦労してきたのだろう。

でもその旅もここで終わる。彼はここで……遂に闇の帝王に捕まってしまったから。だから彼の運命はもう既に決まっているのだ。

叫んだことで口内のどこかが切れたのか、遂に口から血まで吐き出し始めた彼に闇の帝王が囁く。

 

「あぁ、カルカロフよ。そう恐れる必要などない。俺様は寛容だ。だからお前の罪を許し……俺様は最後に必ずやお前に()を与えてやろう。俺様を裏切った者に対し、実に寛容な処分だとは思わんか?」

 

「……あ、あぁ。だ、誰か助け……て」

 

カルカロフ校長が体を引きずりながら、必死に帝王から逃げるかのようにこの小屋唯一の、私達の背後にのみある出口に向かって這う。そんな彼が横を通り過ぎるのを闇の帝王は黙って見つめており、遂に彼は私の近くにまで這い寄ることに成功していた。

だが来れたとしてもそこまでだ。カルカロフ校長がここで死ぬことには一切の変わりはない。もう彼にはどこにも逃げ場は残されてはいない。ここまで逃げても、彼はこうして見つかってしまったのだ。

しかも死喰い人達への()()()()として殺される。彼の命はもう既にどうしようもなく行き詰っていた。

闇の帝王と……そして()()()()もう()()()()()、誰も笑うことなく彼の最後の醜態を見つめている。何故なら彼に数秒後に訪れる未来は、少しでも対応を間違えば彼ら自身にももたらされる未来だから。笑わなくてはならなくとも笑えるはずがない。

そしてそんな彼らの心情を全て分かった上で、闇の帝王はそれでも心底楽しそうに言葉を続ける。これこそが必要な事であり、そして何より最高に楽しく……()()なことだと言わんばかりに。

 

「た、助けて! どうかお許しを! これからは貴方様に忠義を誓います! 決して貴方様を裏切るようなことは致しません! わ、私は貴方様の忠実な僕! ですから、」

 

「……実に滑稽な末路だ。こうして俺様に口では忠誠を誓いながらも、体は実に正直なようだな」

 

闇の帝王はそこでこちらに振り返る。表情は案の定満面の笑み。その笑顔を見た瞬間、ただでさえ凍り付いていた死喰い人達は肩を震わせている。不幸中の幸いはこの場にお父様……そして()()()()()()がいないことだろうか。

お父様は私を育て上げたという功労がある上、今は魔法省での仕事があるためここにはいない。そしてスネイプ先生は老害の動向を探るためという名目でここには連れ出されてはいなかった。

まったく……先生は本当にうまく立ち回っている。羨ましい限りだ。先生が死喰い人として戻ってきたことにも驚いたが、まさか闇の帝王が戻ってきた時のために老害の傍に侍っていた……などという()()を本当に闇の帝王に信じ込ませるなんて。何故あんな冷静に考えればどう考えてもおかしい内容を信じ込むのだろうか。それとも私が多少なりとも学校での先生の人となりを知っているからそう思うだけなのだろうか。それにしたっておかしいとは思うが。

別に先生に死んでほしかったわけではないが、ここまで上手く闇の帝王を騙せるのなら私の苦労は一体何なのだと思ってしまう。

それにスネイプ先生の本当の所属が私の予想通りなら……これからの学校生活はより厳しいものに変わってしまうことになる。この段になればもはや今更の話であるが、鬱陶しいことに変わりはない。まったく先が思いやられるばかりだ。

しかしそんな()()なことを考えている間にも、事態はカルカロフ校長には都合の悪い方向に転がっていく。闇の帝王はカルカロフ校長の悲鳴に益々笑みを強め、反比例して死喰い人達の表情は益々青ざめたものに変わっている。

そして遂にその瞬間がやってきた。

 

「い、嫌だ! こ、こんなはずじゃなかったんだ! 私はこんな所で死ぬはずじゃ! だ、誰か助けて! まだ死にたくなんてない! そ、そうだ! ダ、ダリア・マルフォイ様! どうか私めをお助けください! 私は貴女様に……()?」

 

「くくく。最後に縋りつくのがまさか()()だとはな。最後の最後まで愚かな奴だ。……アバダケダブラ!」

 

闇の帝王の杖から緑色の閃光が放たれ、その瞬間カルカロフ校長は私の足元に縋りついた状態から、絶望の表情のまま地面に倒れ伏す。口からは血がにじみ出ているし、体にも地面を転がりまわった時に出来たのであろう無数の傷が出来ている。もっともその全てが致命傷になりえるものでは決してなかったが……だが現実に彼は死んでいた。まるで虫でも踏みつぶすような……そんな気楽な動きでいとも簡単に殺されたのだ。

彼の死によって小屋の中の緊張感が最高潮に達する。死喰い人達の表情はもはや青を通り越して土気色をしていた。そんな中、闇の帝王はやはり気味の悪い満面の笑みで死喰い人達に話しかける。

 

「……これで分かったな、我が忠実な僕たちよ。これが裏切り者の末路だ。愚かにも俺様の下から離れ、俺様に不快な思いをさせた者の末路だ。本来であればお前達もこやつと同じ罰を与えるはずだった。だが俺様は寛容だ。一度だけその罪を許そう。だが次はない。次もう一度こやつのような愚かしい判断をすれば……分かっているな?」

 

死喰い人達の行動は早かった。恐怖に震えながらも一瞬で闇の帝王の前に跪き、そのうちの一人が奴に頭をたれながら返事をする。

 

「も、勿論でございます! 私どもは決して貴方様を失望させは致しません!」

 

しかしあからさまなお世辞を闇の帝王は寧ろお気に召さなかったのか、一瞬顔をしかめた後、

 

「その言葉が嘘偽りでないことを祈っているぞ。……そのように震えた臆病者に何が出来るか疑問だがな。だがそれに比べて……あぁ、()()()よ」

 

再び笑顔に戻りながら、唯一この中で恐怖に顔を青ざめさせていない私に話しかけてきたのだった。

私がこの中で唯一帝王を13年間見捨てていた死喰い人でないこともあるが、彼には余程今この状況で恐怖に顔をこわばらせていないことがお気に召したのだろう。カルカロフ校長を痛めつけていた時より更に気持ち悪い笑みを強くしている。

 

……まぁ、私も人のことを言えはしないが。

何故なら今の私も……彼と同じ表情を、気持ち悪い程の()()を浮かべているのだから。

 

私は自分の表情の変化が自分自身ではいまいち分からない。だからそうかもしれないと思ってはいたが、確信を持ててはいなかったのだ。

でも今なら分かる。先程カルカロフ校長が私の足元にしがみつきながら見上げた時……彼の絶望しきった瞳には、彼の死に際を笑顔で見つめる私が写りこんでいたから。

そして人が目の前で拷問され、最後には殺されたというのに、私は何も感じていないどころか……どこか興奮する自分を感じていたから。

 

そんな笑顔の私に気をよくした様子の闇の帝王は続ける。

 

「やはりお前は実に素晴らしい()()()だ。俺様が考案した闇の魔術も習得し、その上このように殺しを楽しんですらいる。まさに死喰い人を率いるに相応しい素質だ。今はまだセブルス同様ホグワーツに潜入させるが、その後は存分に俺様の右腕として活用してやろう。無論休みの間は俺様の仕事を手伝ってもらうがな。どうだ、嬉しかろう、ダリア?」

 

「……はい、勿論です、ご主人様。貴方の期待に応えられるよう、これからも貴方に絶対の忠義を。私はそのためだけにあるのですから」

 

反射的に答えていたが、この蛇面男に声をかけられて内心では不快な気持ちですらあった。まずこの男にダリアと気安く呼ばれるのが気にくわない。その名は私の大切なマルフォイ家が付けて下さった名前だ。お前が気安く呼んでいい名前などではない。そして何より私はお前の右腕になるために存在するのではない。この命は全てはマルフォイ家のためにある。お前にこうして忠実な振りをして仕えているのも、全てはマルフォイ家のためを思ってのことでしかない。全てはお父様達が裏切り者として処分されないために……今しがた殺されたカルカロフのように。こいつは死からも蘇るような奴なのだ。どんなに不快であっても、裏切って殺されるよりは遥かにマシなはずだ。

だから私は今こいつに従ってこそいるが、こいつにこんな風に話しかけられ内心では不快で仕方がないはずなのだ。それこそ表情筋を自分自身でうまくコントロールできない私ならば、今の表情から一転不愉快そうな表情に変わるべきはずなのだ。

 

なのに……

 

「うむ。()()()()期待している。ホグワーツに戻るまでまだ時間はあろう。お前にはそれまでにより多くの闇の魔術を習得してもらうとしよう」

 

未だに闇の帝王の機嫌が変わらないことから、内心とは裏腹に私の表情は決して変わっていない様子だった。

 

 

 

 

7月の末。この日は私の本当の誕生日として、例年であれば家族だけで細やかな宴が開かれる日だった。

自身を怪物ではなく、マルフォイ家の人間だと思い込める大切な一日。それが私にとっての誕生日であるはずだったのだ。

しかしこれからの誕生日は違う。もう私の人生において、これから先自分自身を人間だと思い込める瞬間など来はしないだろう。

 

闇の帝王が復活してしまったから。私はその復活を阻止することが出来なかったから。そして……私はセドリックを殺してしまったから。

 

私はもう怪物であるしか道はないのだ。

 

闇の帝王は私の返答に頷くと、もう用はないと言わんばかりに小屋を出て行く。小屋の中には未だに体を震わせながら闇の帝王と()を見つめる死喰い人達。そして物言わぬカルカロフ校長が静かに転がっている。

そんな中、私は黙って自身の服を見下していた。服にはカルカロフ校長が縋りついた時にできたのだろういくつもの血の跡がついている。

私は何とはなしにその血痕を指で拭い、僅かに指に着いた血を舐めとりながら、

 

「……酷い誕生日になってしまいましたね」

 

そんなことを小さな声で呟くのだった。

自分が血を舐めることで、今どんな表情をしているかも知らずに……。

 

図らずも新調された服。誕生日に食べた最高の()()()

本来最悪であるはずの誕生日を……私は何故か()()()()()()()()()()()()()()()ことにも気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

ヴォルデモートの復活。それは想定される限り最も避けたかった事態の一つではあるが、いずれ訪れるであろう未来だとも予想はしておった。

ワシの予想が正しければ、奴を殺すには手段は一つしかない。いくら困難であっても、それを実行せねば奴を真の意味で倒すことは出来ぬ。

じゃから奴の復活自体は……最悪の想定であるものの、想定内ではあるものじゃったのじゃ。

じゃが、

 

「ではお主が伝え聞いた限りでは……ダリアは既にヴォルデモートから死喰い人として……それどころか奴の右腕として扱かわれておると?」

 

「……はい、吾輩はまだ彼女に直接会ったわけではありませんが、ルシウスの言を信じるのであれば」

 

ダリアのことに関しては完全に想定外と言えた。彼女はいつもワシの予想の斜めを行く。

勿論彼女が闇の陣営に属する未来自体は想定しておった。彼女の醸し出す空気、そして彼女の扱うであろう呪文を考慮しておらずとも……彼女がマルフォイ家の長女であることに変わりはない。ルシウスが今更こちら側に寝返る可能性は皆無じゃ。ならば彼女もいずれ闇の陣営に属するようになるじゃろう。どんなにワシが彼女のことを闇の陣営に属さぬよう見守っていたとしても……。

じゃがまさか既にそのような立場になりつつあるとは思いもよらんかった。ハリーの証言もあり、ヴォルデモートがダリアのことを既に認識しておることは分かっておった。それこそ彼女の優秀さから考えれば、奴が言うようにいずれ死喰い人を統括する立場になってもおかしくはない。じゃがまさかここまで早いとは……。

何故ヴォルデモートは……たとえ優秀であったとしても、今の所実績事態は皆無に等しいダリアを優遇するのじゃろうか。

これはかなり拙い事態になったと思うた。

彼女が敵側に回れば、一体どれだけの魔法使いが彼女に対処することが出来るじゃろうか。彼女はただの今年15歳になる女生徒ではない。その実力には底知れぬものがある。一年生の頃に既に『死の呪文』を使いこなすようなものに対峙できるのは極少数じゃ。ただでさえ敵の戦力の方が圧倒的じゃというのに、これで更にその差が開いてしもうた。

 

そして何より拙いのは……これで学校において彼女を必要以上に監視することが()()()()()()()ということじゃった。

勿論ハリーの証言がある以上、彼女への監視はある程度は仕方がない。じゃが必要以上に監視し……それこそ現在彼女が闇の帝王の右腕として扱われつつあると、こちらが既に気付いておると思われてしまえば……セブルスが二重スパイであると露見してしまう可能性がある。すぐにそのような疑いを持たれずとも、一瞬でもそうであるやもと疑われる可能性は排除せねばならん。今のところはヴォルデモートを騙せておったとしても、それがこの先も続く保証などどこにもないのじゃ。

あちらの情報がこちらに流れておる。そう一瞬でも思われることはセブルスの命を危険に晒し……それどころか敵に勝つことさえ難しくなるのじゃ。

 

ワシらはヴォルデモートと……そしてダリアを騙し続ける必要がある。たとえダリアが敵の側におり、尚且つ彼女が既に闇の陣営で高い地位に就き始めているとしても。ワシは闇の帝王を打ち滅ぼすために、今は素知らぬふりをしなければならんのじゃ。

 

校長室の中、ワシはセブルスの報告にため息を吐くしかなかった。ただでさえ魔法省のお陰で悪い報せばかりが届いておるのに、更に悪い報せが届いてしもうた。

セブルスもそれが分かっておるのか、いつも以上に不機嫌な表情を浮かべておる。尤も彼の場合は、ダリアがハリーの報告通りの立場になっておることに対する苛立ちじゃろうが。

いや、正確には、

 

「……だがまだ確定的な情報ではありません。先程も申し上げた通り、吾輩は彼女の姿を実際に見たわけではない」

 

まだ自身が手にした情報を信じ切れておらんのじゃろう。彼は不機嫌な表情のまま続ける。

 

「そもそもポッターの言う通り、本当に彼女が我々死喰い人を統括する立場であるのなら、吾輩がまだ彼女に会っていないのはおかしい。吾輩がルシウスから彼女の話を聞いたのだ、彼女もルシウスから吾輩の話を聞いているはず……。おかしい。必ず間違っているはずだ。どうせいつものルシウスの自慢話と……ポッターの戯言なのだ。あの小僧はポッターの息子だ。どうせ気にくわない人間の名前を適当にあげたに過ぎない、」

 

「そこまでじゃ、セブルス。気持ちは分るが、あまり自分の信じたいものばかりを見るものではない。特にお主は我々の計画において最も重要な仕事をしておるのじゃ。少しの判断ミスが敗北につながるのじゃ。確かにまだダリアのことは確定的な情報ではない。じゃが、じゃからこそワシらは尚のこと彼女のことをしっかりと見なければならん。無論お主も分かっておると思うが、彼女に警戒感を持たれぬ程度にの」

 

しかしワシはそんなセブルスの言葉を遮り、彼の本来あるべき思考に無理やり軌道修正する。

彼はスリザリンの寮監じゃ。その点において、ワシより遥かに彼女の人となりを掴んでいる……のじゃとは思う。いくらセブルスが自身の寮に肩入れする質とはいえ、校長であるワシよりかは彼女のことを知っておることじゃろう。じゃが今回のことに関しては、いくらなんでもワシの方が冷静にダリアのことを判断出来ておる。積み上げてきた事実が彼女を確実に闇の陣営と判断させておるのじゃ。もはや疑いの余地はない。その事実がある以上、このように間違った判断……どころかもはや私怨ともいえる理由でハリーを疑うなどあってはならぬ。

ワシはワシの言葉を受けても尚何か言いたそうな様子のセブルスに言葉を続けようとする。先程も彼に言うたが、これから先彼に課せられておるのは最も重要な任務。彼の働き如何によって勝敗が左右されると言っても過言ではない。

じゃから少なくとも彼女への警戒心だけは持ってもらおうと話を続けようとしたのじゃが……ワシの言葉は続くことはなかった。

何故なら、

 

「ダ、ダンブルドア!」

 

校長室の暖炉から突然第三者の声が響いてきたから。

暖炉を見れば、無精ひげを生やした、長い赤茶色のざんばら髪の男の頭が浮かび上がっておった。

それは今の時間、本来であればプリペット通りでハリーの警護を陰ながらしておるはずの不死鳥の騎士団の一人……マンダンガス・フレッチャーのもので間違いなかった。

今の状況において、校長室の暖炉で連絡を取り合うのは余程の緊急事態に限定しておる。そんな中でこの連絡手段を使ったということは、これは正しく緊急事態が起こったということ。

そしてその予想通りマンダンガスは目を血走らせ、焦りに焦った表情で急いで報告を始めたのじゃった。

 

「何事じゃ、マンダンガス?」

 

「ハ、ハリー・ポッターが襲われた! しかも()()()()! お、俺が少しだけ目を離したすきに……。と、とにかく貴方にお知らせせねばと! きゅ、吸魂鬼自体はハリーが撃退したみたいでさぁ!」

 

 

 

 

今ヴォルデモートは復活しても尚、闇に隠れて一向に姿を現そうとしておらんかった。

魔法省が彼の復活を未だに信じておらん、どころかその情報を必死に否定してすらおる今、奴にとっては勢力を陰で広げる絶好の機会なのじゃろう。

……じゃがそれは決して奴がこちらに攻撃してこんということではない。

奴は今勢力拡大と同時に、()()()()を手に入れるために行動しておる。ワシが聞いた()()()予言の一つ、セブルスが奴に伝えた予言を最後まで聞くために……。

そして今また奴は行動を起こした。

 

ハリーの守りを剥ぐ、その一手を……。

 

このままではまずい。おそらくワシの予想が正しければ、今この瞬間にも()()()()彼に手紙を送っておるはずじゃ。

ワシとハリーを貶めることしか考えておらん現在の魔法省のことじゃ。彼らは嬉々としてハリーを退学にすることじゃろう。

ワシとセブルスは即座にそのことに思い至り、

 

「報告ご苦労じゃった、マンダンガス。セブルス、ワシはすぐに魔法省へ行く。お主は騎士団に今の状況をすぐに伝えるのじゃ。……決して軽率な行動を取らせんように」

 

「了解しました」

 

行動を開始するのじゃった。

 

全ては未来を……ハリーを守るために。

 

彼こそがワシらにとって唯一の希望であり、闇の帝王を打ち倒すことが出来る唯一の男の子なのじゃから。



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騎士団

 ハリー視点

 

『優勝杯を掴もう。……でも二人ともでだ。二人一緒に取ろう。それならホグワーツの優勝に変わりはない。二人で引き分けだ』

 

あの時の夢を見る。何度も何度も。それこそ毎晩のように。

三大魔法学校対抗試合の優勝杯前で、僕がセドリックに言ってしまった言葉を。……そしてその後、

 

『ワームテール、余計な奴は殺せ!』

 

『ア、アバダケダブラ!』

 

彼がヴォルデモートに殺された瞬間を。

だからこそ何度も思い知らされる。夢を見る度に、僕はそのどうしようもない事実を毎回突き付けられる。

 

僕が殺したのだ。直接手を下したのはヴォルデモートとペティグリューだったけど、本当に彼が死ぬきっかけを作ったのは……他ならぬ僕なのだ。

そんなもう覆しようもない事実を……僕は毎晩のように思い出すのだ。

 

……でも、今の僕を憔悴させているのはそんなどうしようもない事実だけではなかった。

いつものように夏休みを監獄のようなダーズリー家で過ごす僕。それ自体は例年のことではあるのだけど……そもそも今年は去年までとは状況が違う。

去年まではたとえダーズリー家であっても、心配すべきものはバーノン叔父さんの嫌味かダードリーの強烈なパンチくらいのものだった。でも今年からは常にそれ以外のことも気にしなければならない。ヴォルデモートが復活した今、いつ敵がこのダーズリー家を襲撃しに来てもおかしくはない。それこそヴォルデモート本人が来ることすら……。24時間常に警戒して、身の回りで起こるどんな些細な物音にも驚かなければならないのは精神的に辛かった。

しかもそんな状況に僕が陥っているにも関わらず、誰も僕のことを()()()()()()()()()()()()尚更僕の精神状態を追い込んでいる。

誰も僕に今何が起こっているか連絡すらしてくれない。ヴォルデモートが今何をしているかだとか、それに対してダンブルドア先生が何をしただとか。手紙を送って尋ねても、

 

『今教えることは出来ない』

 

そんな内容の手紙が返ってくるばかりだ。ハーマイオニーからの手紙も、それこそロンからのものだって。誰も僕に現状を教えてくれはしないのだ。お蔭で僕は毎日マグルの新聞を読んで情報を探るしかなく、毎回そこには何の手がかりにもなりそうにない情報しか載っていないことに打ちのめされるのだ。まるで見えない敵と常に戦っている気分だった。

 

どうすることも出来ない現状に不安と恐怖、そして苛立ちばかりが募っていくようだ。

何故皆僕を放置しているんだ? 

僕はヴォルデモートに狙われている。そしてそもそも奴の復活を皆に知らせたのはこの僕だ。ダリア・マルフォイがあいつの右腕になったのを聞きだしたのも僕だ。僕が何とか奴の魔の手から逃れられたからこそ、皆奴の復活をいち早く知ることが出来た。ダリア・マルフォイがやはり危険な存在であると再確認出来たのだ。それなのに何故僕はこのような仕打ちを受けなければならないんだ?

こんなのあんまりだ。不公平だ。どう考えてもおかしい。何故僕ばかりこんな思いをしなければならないのだろうか。

 

鬱屈とした思いばかりが日々募っていく。家に籠っていても安全面は決して改善せず、それどころかバーノン叔父さんから浴びせられる嫌味で余計鬱屈とした思いになるばかりだ。

だから今日僕は意を決して、少しだけ外に出てみることにしたのだった。あの家にいれば更に頭がおかしくなりそうなのだ。気分転換のためにも外を少し歩いた方がいい。このままでは親友達や、尊敬しているダンブルドア先生にだって嫌な感情を持ってしまいそうだ。そう考え僕は少しだけ家の外を歩くことにする。

 

それが最大の間違いだとも気付かずに……。

その行動を後悔するのにそう長い時間はかからなかった。

 

それは丁度家に帰ろうとしているダードリーに出くわし、彼に杖をちらつかせながら嫌味を言っている時に起こった。

自分でも性格の悪いことをしていると思ったけど、この鬱屈とした思いを誰かにぶつけてやらずにはいられなかったのだ。

 

「やぁ、ダードリー。今お帰りか? 今日は誰を殴ったんだい? また10歳の子かい?」

 

「黙れ!」

 

「もしかしてまた生意気なことを言われたのかい? まるで二足歩行の豚みたいだとか。でもダードリー。悪いがそれは本当のことだと思うよ」

 

今まで散々やられていたことを仕返しするのは最高に気分がいいものだった。どんなに意地の悪いことでも、それこそどことなくドラコ・マルフォイと似たようなことをしている自覚があっても、今この瞬間はこれこそが僕にとっての最大のストレス解消だった。

でも次の瞬間、突然周りの温度が急激に下がったことで事態は急変することになる。

 

突然暗くなり、息が白くなる程の気温低下。そして何より……あの()()()()()()()()()()()()()()()()という感覚。

まさかと顔を上げれば……本来ここにいるはずのない吸魂鬼、それも()()頭上で旋回していたのだった。

 

それからはまさに怒涛の展開としか言えない。

家を離れてしまったことに後悔を覚える間もなく、吸魂鬼たちはまるで最初から僕達を狙っていたかのように僕等の幸福感を吸い始める。ダードリーなど一歩間違えれば魂すら吸い取られていただろう。そして何とか『守護霊の呪文』で奴らを追い払うことに成功はしたと思えば、今度はダーズリー家の近所に住んでいたフィッグおばさんがいきなり僕らの前に現れ、実は自分はスクイブで、更にはダンブルドアから頼まれてマンダンガス・フレッチャーという魔法使いと共に僕の護衛をしていたのだという。

吸魂鬼が襲ってきた時、マンダンガスの方は丁度違法の大鍋取引をしていたとのことだったけど……。彼がちゃんといれば、僕らは吸魂鬼なんかに襲われることはなかったのに……。

しかしそんなことに怒っている暇もなく、家に何とか辿り着いた僕等に二枚の手紙が届く。

一枚目は魔法省から。僕を魔法を使った罪でホグワーツから退校にするというもの。

そしてその後立て続けに届いた、

 

『ハリー。ダンブルドアが魔法省にたった今到着した。それで何とか事態を収拾して下さったよ。君はすぐに退校になるようなことはない。君の退学は後日開かれる尋問会で決まる。きっと大丈夫だ。君が退校になるようなことは絶対にない。だからこれ以上魔法を使わないで、絶対にそこから離れないこと』

 

ウィーズリーおじさんさんからの手紙だった。

色々なことが立て続けに起こりすぎて何が何だか分からない。僕は結局退校になったのだろうか、それとも退校になっていないのだろうか。何だか自分の置かれている状況すらよく分からない。

つい数時間前まであれだけ苛立ち、このままではまずいと外に出ていたのが嘘のようだ。

 

 

 

 

……でも僕が茫然としていられるのもまた、そう長い時間ではなかった。

 

退学の知らせに部屋で一人震えていた僕の耳に、突然階下から物音が響いてきたのだ。ダーズリー家は今ダードリーを病院に送っているはず。この家には僕以外の誰もいないはずなのに……下から物音が響いてくるのだ。

数時間ほどあまりの事態に忘れていた警戒心が一気に膨れ上がる。

そしていよいよ物音が階段を上ってきて、部屋の目の前で音は止まる。その時にはもう僕の緊張感は最高潮に達していた。

そんな僕がまず最初に聞いたのは、

 

「やぁ、ハリー。()()()()()()。君と会うのは()()()()かな? 迎えに来たよ」

 

敵の声などではなく、なんと三年生時の『闇の魔術に対する防衛術』の教員である……ルーピン先生の声だった。

扉の向こうには4人の人物。一人は去年僕が授業を受けていたと思い込んでいたムーディ先生。そしてやたら派手な色合いをした髪の魔女と背の高い黒人の魔法使い。その一番前でルーピン先生が……以前見たときよりはるかに()()()()()の格好をし、尚且つ以前よりはるかに()()()()()顔色で僕の方に手を振っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

本来ならこの作戦第一段階の成功に私は喜ばなければならないのだろう。だが目の前の人物の存在によって……。

魔法省における私の執務室。その中で私の前にたたずむ()()を眺めながら、私は取り留めのない思考をする。

私は基本的に()()()()の者に悪感情を抱くことはそこまで多くはない。

クラッブやゴイルのように役に立たない、取るに足らない者達という印象を抱いている者は多くいるが、それでも嫌悪感さえ抱くような者はそう多くはないのだ。

そう一部の例外、

 

「マルフォイ様。()()()()()、ポッターに吸魂鬼を送りつけることに成功いたしました。証拠は何もありませんわ。これであの少年の進退は魔法省のものです」

 

私の目の前にいる、ドローレス・アンブリッジを除けば。

ずんぐりした大きな顔は締りがなく、首は短く、反比例して口はパックリと大きい。丸い大きな眼はやや飛び出しており、まるでガマガエルを二足歩行させたような容姿。闇の帝王が復活し、それを魔法省が否定している現状において、このように()()()()()恩を売る形で意地汚く立ち回る狡猾さ。それに対し生理的嫌悪感を抱いていることもある。

だが私が彼女に対して最も嫌悪感を抱いているのは……その()()()に対しての差別感に他ならなかった。

魔法省高官である彼女が今まで推し進めてきた政策を振り返れば、ダリアの父親である私が嫌悪感を抱かぬはずがない。特に狼男が公職に付けぬようにする政策を推し進めようとしたのは記憶に新しかった。

正直狼男がどうなろうとも私にはどうでもよい。半亜人など()()()()()()我々魔法使いに比べて劣った存在にすぎない。その点彼女が言っていることも全てが全て間違っているわけではない。奴らは我々魔法使いに、マグル同様管理されてしかるべき存在のはずだ。

だが彼女が熱心に推し進めようとしている半亜人全てを差別する法案……つまり()()()()()差別する法案が可決した時、一体我が娘が何を思うか……想像するだけでも身の毛がよだつ思いだったのだ。それだけは何としても阻止しなければならない。

この女が吸血鬼を含む亜人に対し苛烈な政策を取ろうとする限り、それをダリアの父親である私がこの女と相容れることはない。どんなに今魔法大臣に気に入られようと……そしてどんなに同じ陣営に属していようと、私がこの女を真に信用することなど有り得ないのだ。

だが今はそんなことを言っている場合ではないことも確かだ。この女は忌々しいことに役に立つ。闇の帝王が陰で行動されることを選択されている以上、この女は現状実に役に立つ駒と言えるだろう。

だから私はどんなに忌々しい存在であっても、()()この女に嫌な顔をするわけにはいかないのだ。

 

それに今年はこの女が……

 

私は無理やり笑顔を作りながら、気持ち悪い笑顔を浮かべる目の前のガマガエルに応えた。

 

「あぁ、よくやってくれた、アンブリッジ女史。これであのお方も……いや、失敬。今のはただの世迷言だ。少なくとも()()世間にはな。……これで魔法界も本来あるべき秩序を取り戻すことだろう」

 

「勿体無いお言葉ですわ。聖28一族筆頭であるマルフォイ家当主に喜んでいただけて、これほど名誉なことはありません」

 

「そうか……」

 

しかし話していて嫌悪感が湧き上がること自体が止むわけではない。

媚びるようなニタニタ笑いに、まるで絡みつくような甘ったるい声。言葉も媚びるようなことを言ってはいるが、その目だけは決して獲物を逃すまいとギラギラさせているようだ。まるでハエを狙うカエルと同じだ。会話をすればする程嫌悪感が増していく。

これ以上この女と話していれば、私はなにか不用意なことを言ってしまうやもしれぬ。

ただでさえ同じ目的、同じ陣営とはいえ……この女を正式に死喰い人として迎え入れたわけでも、闇の帝王の復活を本当の意味で伝えたわけではないのだ。あくまでこの女が勝手に事情を憶測し、勝手に行動しているという体にしているのだ。これ以上余計な情報与える訳にはいかない。

だからこそ私は態とらしく時計を確認した後、咳払いを一つしながら言う。

 

「もうこのような時間か。では、アンブリッジ女史。これからもよろしく頼むぞ。ポッターは何としてもホグワーツを退学にならねばならぬ。あのような愚かな少年が魔法学校にいれば、これからの魔法界も……何より我が子供たちの教育に悪影響だ。君のこれからには期待している」

 

そしてそんな私の言葉に対しやはりこの嫌な女は絡みつくような甘ったるい声で、嫌悪感すら覚えるニタニタ笑いを強めながら応えたのだった。

 

「えぇえぇ、必ずやご期待に応えてみせますわ。……特に()()()は純血貴族の皆様の間でも有名なお方。必ずやお嬢様のことも()()()()()()

 

……私の苛立ちが強まったのは言うまでもない。部屋を意気揚々と行った様子で出て行くガマガエルの背中に溜息が漏れる。

少なくとも、今年の『闇の魔術に対する防衛術』が満足いくものにならないことは決まっているのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

()()()()。後ろは誰もついてきてはいないかい? ……アラスターではないけど、警戒するに越したことはないからね」

 

箒から降り立った私はハリーを背後に隠しながら、後から降りてきた()()に声をかける。

振り返れば色白のハート型の顔、()()キラキラした黒い瞳に、強烈な紫色の髪をしたトンクスが返事をする。よく見れば彼女の唇は青くなっており、体も少し震えている。何時間も空を飛んでいたのだ。寒くて早く家に入りたいと思っているのは火を見るより明らかだった。

 

「大丈夫! マグルにも見られていないはずよ! これだけ何回も進路変更したんだから、誰もついてこれはしないわ! それよりもう凍え死にそう! 早く中に入りましょう!」

 

「待て、馬鹿者。まだポッターは本部の場所を知らん。それではこいつは本部を見ることすら出来んのだ。だから少しだけ待て」

 

しかし彼女の返事に、同じく背後を警戒していたアラスターの声が被さる。どうやら彼はまだハリーに秘密を伝えていなかったらしい。

……やはり彼は私みたいな闇祓いの成り立てなんかより遥かに警戒心を持っている。

私は不満そうに腕をさすっているトンクスに苦笑いしながら話しかけた。

 

「まったく、なんで先に教えておかないのよ……」

 

「仕方ないさ。彼は途中で襲われたときのことを考えていたんだよ。護衛しているとはいえ、もし襲われたら最も危険なのはハリーだ。彼は今魔法を使うわけにはいかないからね。そんな彼が襲われて、もし本部の場所を吐き出されたとしたら……今度こそヴォルデモートに対抗することが出来なくなってしまう」

 

「……それもそうね。今は文句なんて言っている場合ではない。いくら寒くたって、今はそうした方がいいものね。それにすぐ気づくなんて、やっぱりリーマスは凄いね……」

 

そんな会話を私とトンクスが繰り広げている間にも、アラスターはハリーに本部の住所が書かれたメモを読ませ終えた様子だった。

訳も分からず連れ出された上、今度は意味不明なメモを読まされたことに困惑していたハリーの表情が驚いたものに変わっている。おそらく今まで見えていなかった扉が、今この瞬間から見えるようになったのだろう。

そう、『秘密の守人の呪文』で守られている、我ら『不死鳥の騎士団』の本部であるグリモールド・プレイス12番地の扉が。

我々は誰も欠くことなく、ハリーを無事ここまで連れてき終えたのだ。

 

ハリーが秘密を知り終えたところで、我々はようやくその扉をくぐり家の中に入る。

そして全員が家に入り終え、扉を閉めたところで私はハリーに話しかけた。

 

「ハリー、ようこそ我ら不死鳥の騎士団の本部へ。さっきはろくに挨拶できなかったからね。君と会えたのは実に1年ぶりだ。元気にしていたかい?」

 

おそらく今の私の声音には計り知れない安堵感が溢れていることだろう。

彼を無事ここまで連れてこれたということもあるが、彼が少なくとも1年間肉体的には健康に成長していたことに安堵したのだ。

彼の背丈は私が見なかった一年の間に随分と伸びている。顔立ちも彼の父親であるジェームズに似てハンサムになってきている気さえする。無論彼がこの1年大変な経験をしたことは知っている。でもそれでも、私は彼が少なくともこうして無事に成長していることが喜ばしくて仕方がなかった。

それはハリーも同じなのか、僕の1年前とは様変わりした格好を見ながら応えた。

 

「え、えぇ、ルーピン先生。先生もお元気そうで……。前より何だか……」

 

おそらく前より格好が清潔になったと思っているのだろうが、それを指摘するのは失礼だと考えているのだろう。私はそんなハリーの様子に苦笑しながら続ける。

 

「あぁ、構わないよ。見違えるようだろう。実は今闇祓いで働いているんだ。()()()()()()()()()()()()()()()けれど、まだ一応闇祓いにいるよ。それでこうして身だしなみを整えられているというわけさ」

 

この一年のことを思い出し何とはなしに口元がほころぶ。今でこそコーネリウス・ファッジ魔法大臣がダンブルドアに連なる人間を目の敵にしているため私の職は危ぶまれているわけだが……それでもこの一年の充実ぶりからするともはや些細なことであるように思えた。

誰かに必要とされ、誰かの役に立っている実感。この一年は本当に楽しい一年だった。それこそホグワーツで教鞭を執っていた頃と同じくらいに。

そして何より闇祓いに就職して、私は掛け替えのない仲間たちを得た。そう、

 

「リーマスは凄いのよ、ハリー。最初はスクリムジョール長官も渋っていたのだけど、彼の働きぶりを見て闇祓いの正式職員に認めたんだから。今では上から辞めさせろって圧力があっても抵抗しているくらいよ」

 

僕のことをこうして信用してくれるトンクスを含めて。彼女のように私が狼人間だと知っても尚変わらぬ態度を取ってくれるのは、トンクスの他にはリリーと……私をこの仕事に推薦してくれた()()()だけだ。

私はハリーに話しかける彼女にニッコリと笑いかける。そんな私に彼女が少し顔を赤らめたところで、

 

「……またか」

 

「……近況報告はいいが、そろそろ奥に進まんか。ワシらはいつまで玄関に居ればいいのだ? ……乳繰り合うのは後にしろ」

 

私達の背後から苛立ち気な声が掛かってしまったのだった。

振り返ればアラスターとキングズリーが何とも言えない表情で私とトンクスを見ている。どうやら完全に場違いなことを考えてしまっていたようだ。ハリーも同様の表情で私達を見ていた。

それに本部に帰ってきた以上、いつまでもここで油を売っているわけにはいかないのも確かだ。アラスターの言葉に急に恥ずかしくなった私達に、今度は奥の方から声がかかる。私達の話し声で気がついたのだろうモリーが玄関ロビーに顔を出し、ハリーに抱きつきながら私たちを奥に促した。

 

「あら、貴方達! 帰ってきていたのね! あぁ、ハリー! よく無事だったわね! 貴方が吸魂鬼に襲われたと聞いたときどれだけ心配したことか! ……どうしてこんな所に固まっているの? はやく中にお入りなさいな。もう会議は始まっていますよ。ハリーは上にお上がりなさい。ロンやハーマイオニーが待っていますよ」

 

その言葉に今度こそ私達は奥へと進み始める。ハリーのみは上に追いやられていたが、ここで長話をしている場合ではない以上に、まだ未成年である彼を不死鳥の騎士団の会議に参加させるわけにはいかない。

 

「そうだね、モリー。では、ハリー、また後で話を聞かせてくれるかい? モリーが言うように、上にはハーマイオニー達がもう到着している。彼女達も君のことを本当に心配していたよ。行って彼女達を安心させてあげるといい」

 

私は不満そうな表情を浮かべているハリーに別れを告げ、この家の食堂に当たる部屋の方に向かって足を進める。

そして食堂に足を踏み入れると、モリーの言う通りもう会議は始まっていたのか騎士団の主要メンバーが私達を出迎えた。

この家の本来の主であるシリウスにアーサー・ウィーズリー、敵側に潜入するという非常に危険な任務についているセブルス、それに……

 

「皆無事だったようじゃな。ようやってくれた。ハリーはワシらにとって唯一の希望。彼をよう守ってくれた」

 

この騎士団の創設者であり、今世紀最も偉大な魔法使いであるダンブルドアが。

ダンブルドアは多忙のためあまりこの本部にすら顔を出さない。そんな彼がこの本部に集合する。やはり事態は緊急なものであるという証拠だ。

私達は急いで席に着く。そして私は久しぶりに全員集まった騎士団の主要メンバーを見回しながら尋ねた。

 

「いいえ、ダンブルドア。騎士団の役目ならどんな危険な任務でもこなしますよ。それにハリーはリリーとジェームズの忘れ形見だ。騎士団でなくとも、私は必ずや彼を守ります。それより状況はどうですか?」

 

「……あまり良いとは言えぬ」

 

私の質問にダンブルドアが重々しく答える。

 

「魔法相に掛け合って何とかハリーの即時退学を防ぐことは出来た。彼らも分かっておるのじゃ。ハリーが使ったのは『守護霊の呪文』。それは他でもなく、彼が自身の身を守ろうとしたことを意味しておる。それ以外にあの呪文の使い方をハリーは習得しておらんからのう。守護霊にメッセージを載せるのはワシら騎士団のメンバーしか出来ぬ。法律的に見れば、ハリーの無罪は疑いの余地もないものじゃ。……じゃが魔法相は諦めてなどおらん。ハリーを退学にできれば、ワシをも失脚できるものと信じて疑っておらんのじゃ。それに何より……そう思うよう魔法相の中で彼らを誘導しておる者がおる。入念に対策を考えねば最悪の事態もありうる」

 

まさに一難去ってまた一難。ダンブルドアの言葉に私達騎士団のメンバーは沈み込む思いだった。先程までテーブル越しにセブルスと睨み合っていたシリウスも陰鬱とした表情になっている。そして私も先程までハリーの無事を喜んでいた気分は吹き飛んでいた。ハリーの危機は決して去ってはいないらしい。もしハリーが退学にされるようなことがあれば……これ幸いにと敵は必ずやハリーを今度こそ襲撃することだろう。

それを何より理解しているダンブルドアも決して楽観的なことを言いはしない。慢心や油断をしていて勝てるような戦いでないことを何よりも分かっておられるのだ。だからこそ厳しい表情で何かを考え込んでおられる様子だった。

そんな中、今まで黙っていたキングズリーが声を上げる。

 

「……その魔法相を唆しているのは、やはりルシウス・マルフォイですな?」

 

その名前を彼が上げたのは、彼こそが今現在奴の動向を監視する任務についているからだろう。今年初めて騎士団に参加した彼だが、その優秀さを買われて重要な任務を既に与えられている。それが敵側の幹部とも言うべきルシウス・マルフォイの監視だった。

成る程奴ならば魔法相を裏で操ることも可能だ。いや、寧ろ奴ぐらいしか考えられない程だ。他にも魔法相の中枢に在籍している死喰い人はいるが、奴ほどの影響力を持っている人間は他にいない。皆もそう思ったのか、セブルス以外の人間はキングズリーの言葉に頷いていた。

そしてそんな我々のダンブルドアも同感なのか、我々と同じく一つ頷きながら答え、

 

「おそらくそうじゃろう。彼ほど魔法相に影響力を持つ者はおらんからのう。おそらくファッジも彼に思考を誘導されておるところがある。お主がルシウスを監視していて何か不審な行動をしてはおらんか? 特に()()()に関して……」

 

「……はい。貴方が仰る通り、いくつか不審な行動が」

 

ルシウス・マルフォイ……いや、敵の今現在最も集中しているであろう問題に話題を移すのだった。

キングズリーがダンブルドアの質問に報告を始める。

 

「奴が魔法大臣やその他の高官とよく関わっているのはいつものことなのですが……それ以外にも、最近どうも『神秘部』の近くを彷徨いているのをよく見かけます。しかしあそこは関係者以外には完全なブラックボックスですから、未だに侵入自体は出来ていないようです」

 

ようやくもたらされた明るい知らせに僅かに場の空気が明るくなるが、同時にこれで敵の狙いがハッキリした。敵はやはり()()()を求めている。そうでなければ神秘部なんかにルシウス・マルフォイが近づくものか。

ダンブルドアはキングズリーの報告を受けて再度頷き、厳かな口調で次の指示を出す。

 

「そうか……ということはやはりセブルスの報告通り、ヴォルデモートの狙いは()()というわけじゃな。ならばそれをワシらは阻止せねばならん。奴が全てを聞けば、それだけでハリーの危険は今以上に増してしまうことじゃろう。キングズリー、それにセブルスよ、引き続き敵の監視を頼む。アーサーにリーマスにアラスター、そしてトンクスや。お主らはハリーの警護じゃ。ハリーがホグワーツに戻るまで、彼を何としても守り通してくれ。そして彼が戻れば、今度はお主らには神秘部に行ってもらうようになるじゃろう。厳しいとは思うが、ワシらには余裕などないのじゃ。どうかよろしく頼む」

 

その指示で私はこれで会議は終わりだと判断し立ち上がりかける。

上でハリーは友人達と共に待機しているはずだが、今頃彼は鬱屈とした思いでいることだろう。それもそうだろう。彼はいくたの試練を乗り越えたというのに、こうして何の情報も与えられずにいるのだ。いくら子供だからとはいえ、彼からしたら理不尽な仕打ちだと思うに違いない。

だからこそ私は、夕食間近であるが彼を少しだけ慰めに行こうと思ったのだ。

 

 

 

 

しかし……

 

「待ってください。まだ私の報告は終わっていません。ルシウス・マルフォイに関して、もう一つ報告しなければならないことが……」

 

キングズリーの更なる発言によって私は固まらずにはおられなかった。

何故なら彼が次に挙げた名前が、

 

「ルシウス・マルフォイは先程述べた通りなのですが……実は最近もう一人、彼とは別に神秘部の近くで見かける人物がいるのです。おそらく彼女の名前は……()()()()()()()()()

 

他ならぬ私を闇祓いに推薦し、そして私を狼男だと知りながら受け入れてくれた彼女のものだったから。

 




次回更新少し遅れます


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空虚な食卓

 

 ハーマイオニー視点

 

騎士団本部。シリウスが騎士団に提供してくれた先祖代々伝わるブラック家の屋敷。どこもかしこも掃除が行き届いておらず、薄暗い照明もあってどこか『叫びの屋敷』と同じ雰囲気すら漂っている。

その一角で、

 

「さぁ、今日はこの屋敷を掃除しますよ! 特にここの()()()()()()……あんなにドクシーが巣食っているなんて、一体ここの屋敷しもべは何をしていたのかしら。皆スプレーは持った?」

 

今私達の戦いが幕を開こうとしていた。

ウィーズリー兄妹達とハリーや私、そしてシリウスはウィーズリーさんの指示の下とある部屋の前でスプレーを片手に整列する。廊下も廊下で埃っぽくて汚いけれど、おそらくこの部屋の中はそれ以上な状態であることが伺える。中からはウィーズリーさんの言った通り、ドクシーのものと思われる羽音がいくつも聞こえるから。羽音の数から中の様子がどれほどのものなのか……想像するだけで嫌だった。

でもそんな私の緊張を他所に、

 

「では、皆……行くわよ。いち、にの……さん!」

 

その合図が出される。

合図と共に全員が部屋に突入し、一斉に自分のスプレーを噴霧し始める。一斉にまかれたスプレーに部屋は数秒の間霧に包まれていた。そしてその霧が晴れた時、部屋の床にはいくつものドクシーと思われるものが転がっていた。妖精に似た胴体にびっしりと黒い毛が生えており、その口からは鋭く小さな歯が見え隠れしている。昔教科書で見たピクシーに近い姿形だけど、その毒々しい見た目の体毛や歯もありよりこちらの方が危険性が高いことが伺えた。噛まれてしまえば一体どうなっていたのだろう。

でもそう緊張して見渡せば……動いているドクシーは一匹もおらず、部屋の中からあれだけしていた羽音も聞こえてはこない。戦いは終わったのだ。

全員がもう動いているドクシーがいないことを必死に確認している中、ウィーズリーさんは次の指示を飛ばす。

 

「さぁ、薬が切れる前にすぐに行動しましょう。全員、このバケツにドクシーを入れて頂戴。それでここの作業は完了よ」

 

部屋に突入する前は中からけたたましく聞こえている羽音に戦々恐々としていたけど、終わってしまえば実にあっけないものだった。

それは皆も同じなのか、もうドクシーが残っていないと分ると安堵のため息を吐き、それぞれが勝手気ままに雑談を始める。そんな中、ドクシーの一匹を摘み上げながらシリウスがぼやく。

 

「まったく……何故私がこんなことを。ドクシー退治? それが騎士団員の私がやることなのか? あのスニベルスさえ任務を与えられているというのに、私ときたら日がな一日狂った屋敷しもべ妖精とこの屋敷で過ごすだけ……。本当に嫌になる」

 

ハリーを含めた未成年の全員が未だ『不死鳥の騎士団』の一員として扱われていないため、他のメンバーがどんな任務に当たっているのか()()()()知らないけれど……そんな中、シリウスだけはこうして外に出ることすら禁じられていることは知っていた。騎士団員にはダンブルドアからの説明があり彼の無罪は証明されているけど……世間的にはその限りではない。そのため彼がここにいないといけないことは自明だと思う。でも彼は納得していないのだろう。だからこうして事あるごとに自分を恥じるような発言を繰り返していた。このような発言を聞くのは私がここに来てから初めてではない。

彼の立場を考えれば気持ちは分る。ある意味で似た立場と言えるハリーも同じなのか、暗い表情を浮かべるシリウスに同情的な視線を送っていた。本当ならハリーも愚痴の一つも言いたいことだと思う。実際ここに到着したばかりの彼は、今まで何の情報も与えられずにいたことに対する不満を爆発させていた。今こうしてただ同情的な視線を送るだけなのは、彼がキチンと最初に不満を吐き出せた上、ここに来たことで本当は私達すらほとんど何も知らないことを知ったからに他ならない。シリウスは騎士団の一員であるのに。そしてハリーは今まで何度も『あの人』と対峙し生き延びてきたのに。それでもほとんど情報を与えられず、こうして屋敷の中に閉じ込められている。愚痴の一つも出ないことの方がおかしいと、私だって思う。

 

……でもたとえ彼の立場に同情したとしても、彼の発言で訂正しなければならない所は指摘しなければいけない。

今のシリウスの発言は明らかにこの屋敷のしもべ妖精であるクリーチャーのことを見下していた。

私は『S.P.E.W.』の会長。()()()()も参加している以上、言うべき所はしっかり言わなければ。

ドクシーを摘み上げ、今まさにバケツの中に放り込もうとしているシリウスに私は言う。

 

「……クリーチャーは狂ってなんかいないわ。ただ少し彼は……そう、掃除が苦手なだけよ。この屋敷に何年も独りぼっちで過ごしていたのよ。少しずぼらな性格になったとしてもおかしくはないわ」

 

しかし私の言葉はシリウスには届かなかったらしく、意味不明なことを言われたとばかりに顔をしかめながら答えられた。

 

「ハーマイオニー。君はあれだけ下劣な言葉を投げかけられてもまだそんなことを言うのかい? 優しさは君の美徳ではあるが、そろそろ現実も見るべきだと私は思うね。あいつは狂っている。何しろこのブラック家の屋敷しもべ妖精だ。狂ってないはずがない。だからこそあいつは君に向かって穢れた……あんな言葉を言ったのだ」

 

そして溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、どこか大げさ気味に壁に掛ったタペストリーを指し示しながら続ける。

彼の指し示す方向には所々色あせ、ドクシーにいたる所を食い荒らされたタペストリー。でも金の刺繍糸で描かれた線や、その線で結ばれたいくつもの名前だけは色あせてはいない。そしてタペストリーの一番上には、

 

『高貴なる由緒正しきブラック家。純血よ永遠なれ』

 

と書かれている。

これは明らかにブラック家の家系図を表しているものだった。

 

「まったく狂った家だったよ。狂った家族に、狂った屋敷しもべ。そしてこの狂った内装。全てが全て純血主義なんて狂った思考に侵されたものばかりだ。たとえばこのタペストリー。これは我がブラック家のありがたい血筋とやらを表しているものでね。純血の血縁が生まれると魔法で勝手に書き足されるんだ。こんなものをありがたがるなんて、頭がおかしいとしか言いようがない」

 

苛立たし気な口調に私は更にクリーチャーのことで発言することが出来なかった。

でも無神経の塊であるロンがそんなシリウスの様子にも気付かず、タペストリーを見渡しながら言う。

 

「あれ? シリウスの名前が見当たらないけど、どこにあるの?」

 

そんなロンの言葉にシリウスは怒るどころか、当に我が意を得たりと言わんばかりに頷きながら答える。

 

「私の名前は載っていない。いや、今は載っていないと言うべきかな。私は16の頃家出をしてね。この家の何もかもが嫌になったんだ。すると我がお優しい母上が、私の名前をご丁寧にも消してくれてね。ほら、ここに焼け焦げた所があるだろう? ここが私がかつて書かれていた場所だ。本当にお優しいことだ。態々こんなタペストリーから名前を消して下さったのだから」

 

シリウスの言う通り、タペストリーにはドクシーの空けた穴とは別に所々焼き跡のような物があった。彼はその一つを何とも言えない表情で撫でながら続ける。

 

「……本当に狂っている。家族全員が、いや親戚中全員が純血主義な上、『死喰い人』が何人もいた。かくいう私の弟も『死喰い人』でね。ほら、私の隣に()()()()()()()()()()と書かれているだろう? 愚かな弟だったよ。両親の言うことは全て正しいと思っていた。闇の帝王に組したのも親の言いつけだ。それがどうだ。『死喰い人』になったものの、ヴォルデモートに与えられた任務の最中死んだと聞いてる。ようは無能だったのさ。戦いの最中に死ぬことも出来なかった小物。それが私の愚かなる弟だった。私の親戚はこんな奴等ばかりだ。少しでも真面な魔法使いが出ると勘当。私と同じように名前を消されてしまう。お蔭でどんどん狂った名前だけが増えていく。ほら、ここの焼き跡。ここにはトンクスの母親が描かれていた。アンドロメダ。私の大好きな従妹だった」

 

そこまで聞いた時、私達は本来であればトンクスとシリウスが親戚であったことに驚くべきだったのだろう。

でも私達は驚いてはいても、彼とトンクスのことで驚いていたわけではなかった。

 

私達の驚いた理由。それは……シリウスが丁度指さしている焼け跡の隣に、ベラトリックスとナルシッサという名前が描かれていたことだった。

しかもそのナルシッサという名前は金の刺繍の二重線でルシウス・マルフォイと繋がっており、その二人の名前から下に金の縦線が一本、今度はドラコという名前に繋がっていたのだ。

 

つまりシリウスとマルフォイ家は親戚ということなのだ。

 

「シ、シリウス! マ、マルフォイ家なんかと親戚なの!?」

 

「ん? あぁ、そうだとも。もっとも私も奴らも、お互いを親戚だなんて思ってはいないだろうけどね。純血の家はどこもかしこも親戚ばかりさ。狭い世界だ。純血を保とうとすれば、どうしてもこんな風にそこらかしこに親戚関係が出来てしまう」

 

ロンの嫌悪感に塗れた言葉にシリウスは飄々と答える。

しかしそんな会話すら私は聞いてはいなかった。私はただドラコの名前の横……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を見つめ続ける。

 

そこには他の焼き跡とは違い、ドクシーが空けたと思しき穴が開いていた。

当然……ダリアの名前は穴が空けられているためありはしない。

私はそれが……何故か無性に悲しく思えてしまっていた。

 

純血主義ではない上、それどころかマグル生まれである私には純血の有難さなんて分からない。分かる気もない。

でもダリアは違う。勿論ダリアも純血主義なんかではないから、別に自身が純血でなくても落ち込んだりはしないだろう。でもダリアは家族のことを本当に大切に思っている。純血であろうがそうでなかろうが、ダリアはどうしようもなく家族のことを愛している。それはあの子のいつもの態度から、グリフィンドールである私にだって分かる。

そんな彼女の名前がタペストリーにない。それもドクシーに齧られたせいで。

その事実が私には……とても悲しいものに思えて仕方なかったのだ。

 

しかしそんな悲しみと寂しさを込めて穴を見つめる私にハリーが苛立ち気に話しかけてくる。

 

「……ハーマイオニー。何度言わせる気だい? あいつは敵だ。僕はあの墓場でそれを確かめたんだ。なのに君はまだあいつなんかのことを庇うのかい?」

 

私は彼の言葉に一瞬言い返そうと思った。……でも結局声を上げず、ただ黙って穴を見つめ続けることだけで応えただけだった。

ハリーの言っていることも事実の()()ではある。ダリアは変わらず優しい子であったとしても、彼女の取り巻く環境は決して彼女がこちら側にいることを許しはしない。その事実を私はこの夏休みでようやく理解出来ていた。ダフネからダリアのことを心配する手紙を受け取ることによって……。ダフネの手紙からは、ダリアが今酷く辛そうに毎日を過ごしているということが記されていたのだ。彼女は今、『あの人』の陣営の中で苦しんでいる。

でもそれが分かっていても、他の人からすれば彼女が敵陣営にいること変わりはない。この騎士団でも彼女の味方をするのは私と、

 

『……実は最近もう一人、彼とは別に神秘部の近くで見かける人物がいるのです。おそらく彼女の名前は……ダリア・マルフォイ』

 

『……キングズリー。それは何かの間違いではないかい? いや、いたとしても彼女が本当の意味で『あの人』に組しているとは思えない。彼女は何かとやり玉に挙がっているが、彼女はただ勘違いされやすいだけの普通の女の子だ』

 

1年前まで私達の教師をしていたルーピン先生だけだった。

昨日の夜、ウィーズリー兄弟の開発した『伸び耳』で盗み聞いた会議の内容を思い出す。ドア越しだった上、最後にはクルックシャンクスに『伸び耳』を取られてしまったからほとんど内容は聞けなかったけれど……ルーピン先生とシャックルボルトさんの会話だけは聞こえていた。彼だけは私と同じく、ダリアの優しさを疑ってはいなかった。でもルーピン先生が信じていたとしても、彼女が騎士団メンバーに敵視されている現状が変わるわけではない。彼女がどんなに優しい女の子であろうとも、彼女は敵側の人間なのだから。

それが分かっているからこそ、私は今は何も言い返せない。言い返したところで何も変わらない。寧ろ彼女の立場を悪化させてしまう可能性すらある。おそらく彼女の立場は、私が想像するより遥かに危ういものであるから。

そんな思いで黙り込む私に、ハリーは更に言葉を続けようとする。黙り込んでいても、流石に私が少しもハリーの言い分に納得していないことが分かったのだろう。しかし、

 

「まぁ、こんな狂った家のことを話しても仕方がない。それより、ハリー。明日の君の尋問の件だが、」

 

シリウスが愚痴を言い終えて少しスッキリしたのか、今度はハリーの尋問の件を話し始めたことで彼の話が続くことはなかった。

私もハリーの今後が決まる重要なことだけに、タペストリーから意識が離れ再びシリウスに注目する。

 

 

 

 

……だからこそ私達は気付かなかった。

もっと注意深くこのタペストリーを見ていれば気付いていたはずなのだ。

確かにダリアの名前が書かれているべき場所には大きな穴が空いていた。

 

でもそれ以前に……その穴に向かって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

穴がたとえ空いていなかったとしても、ダリアの名前は最初からそこに存在していなかったことに。

 

私達は最後まで気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

気が付けば僕は暗い空間に立っていた。だだっ広い、ただただ暗い空間。ほとんど自分の足元しか見えやしない。

何故僕はこんな暗い空間にいるのか?

そんな疑問が頭をよぎるが、すぐにそんなことを考えている場合ではなくなる。

何故なら暗闇から、

 

『……お兄様。ここで貴方とはお別れです』

 

そんな言葉が響いてきたから。

声のした方に振り返れば、そこには暗闇でも分かる程綺麗な白銀の髪。そして透き通るような白い肌。そこにはいつも通り綺麗で美しい僕の大切な家族の姿があった。

いつも通り、大切な家族なのに()()()()()()()()()、僕の大切なダリアの姿が。

……しかし一つだけ違う点もある。

本来であれば、暗闇の中には彼女の薄い金色の瞳が輝いているはずだった。しかし今暗闇に浮かぶのは……あの血のように真っ赤な瞳だったのだ。

二年生の時ピクシーを虐殺した時と同じ、あの殺意を濃縮したような紅い瞳。それが今僕が目にしている彼女の姿だった。

でもそんな彼女に僕は恐怖など覚えることはない。どんなに冷たい空気を垂れ流していようとも、僕はそんなことに恐怖を感じなどしない。どんな姿になろうとも、ダリアはダリアだ。僕の大切な家族はどんな瞳の色をしていようとも、ただの優しい女の子であることに変わりはないのだ。

だがたとえ彼女の姿に恐怖を抱かなくとも、その言葉に僕は恐怖する。何故ならそれは僕がこの世の中で最も恐怖している言葉だったから。吸魂鬼に近づいた時僕が思い出す、

 

『もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので』

 

あの言葉にそっくりな物だったから。

だから僕はこの暗い空間がどこかだとか、そんな疑問を感じる間もなく感情のままにただ叫ぶ。

 

『何を言っているんだ、ダリア! 僕達はずっと一緒だ! たとえ何があろうとも、僕はお前の味方だ! お前の傍にあり続ける! 僕らが離れることなんて決してない! だって僕はお前を、』

 

『いいえ、ここでお別れです、お兄様』

 

だがダリアの言葉は止まりはしない。

その真っ赤な瞳に悲しみを湛えながら……その口元だけは何故か狂喜的に歪ませて続ける。

 

『だってお兄様と私は違う。お兄様は人間で、私はそれ以外の何か(かいぶつ)なのです。決して共にいれはしない。それは最初から決まっていた、私達の避けようのない運命なのですから。だから……ここでお別れです。さようなら……お兄様』

 

そしてそう言ったダリアは踵を返し、暗闇の向こう側へと進んでいく。

当然僕はダリアを追いかける。勢いのあまり転びそうになり、少し無様な姿を晒しそうになろうともそんなことを気にしている場合ではない。

 

『ま、待て! 待ってくれ! ダリア、何を言っているんだ! 僕を置いていくな! 僕はお前のことを……()()()()()()()!』

 

しかし決して僕がダリアに追いつくことはない。何故かどんなに走っても走っても、ただ歩いているだけのダリアとの距離は離れていくばかり。

何故だ? 何故僕はダリアに追いつけない?

僕はこんなにも彼女を大切に思っているのに。……僕はこんなにも彼女を愛してしまっているのに。愛していて、それでもこんなにも僕は我慢しているというのに、何故僕はダリアと離れ離れにならなければならないのだ?

 

『待ってくれ! ダリア! お願いだ、待ってくれ! 約束しただろう!? 決して僕から、ダフネから離れないって! 何でも僕等に相談するって!』

 

そして僕が、

 

『だからダリア……お願いだ、行かないでくれ!』

 

そう叫んだ時……

 

 

 

 

「ドラコ? 悪い夢を見ているの?」

 

僕は母上の声と共に目を覚ましたのだった。

荒い息と共にベッドから起き上がれば、目の前には僕を見下ろす母上の姿。慌てて辺りを見回すとそこは僕の寝室。

どうやら僕は悪夢を見ていたらしい。……それもとびっきり暗い悪夢を。

僕は荒い息のまま起き上がり、ベッド脇に置いてあった水を飲む。そして僕を心配そうに見つめていた母上に応えた。

 

「……はい、母上。でももう大丈夫です」

 

大丈夫なはずがない。目が覚めた今だって、目をつぶれば即座に今見た悪夢の内容を思い出すことが出来るのだ。

 

『ここでお別れです、お兄様』

 

しかしこれ以上母上を心配させるわけにはいかない。母上もここ最近少しやつれた表情をしている。ただでさえ母上は体が弱いのだ。これ以上心労をかければいつ倒れてもおかしくはない。

だから僕は出来る限り気丈に振舞う。多少悪夢を見たくらいで母上にいらぬ心労をかけないために。

だが母上の次の言葉で、

 

「そう……。ですが何か不安なことがあればすぐに言うのですよ。貴方もダリアと同じように、少し内に溜め込んでしまうところがあるから。……さぁ、朝食にしましょう。今日はルシウスとダリアは()()()に行っていますから、()()()()()()よ。ですが、朝食はしっかりと摂らないと……」

 

僕の表情は再び歪んでしまっていた。

心によぎるのは……また今日もか、という諦観した思い。この夏休みに入って、僕はダリアと食事を摂ったことがない。父上ですら時折家に帰ってきて食事を共に摂るというのに、ダリアはいつも闇の帝王にどこかに連れ出されている。この家に帰ってきて僕がダリアの姿を確認できるのは、彼女がダフネへの手紙を書いている時くらいのものだろう。それこそダリアの本当の誕生日の時ですら、僕はダリアの姿を確認してはいない。当然例年開くようなささやかなパーティーなど望むべくもなかった。

 

ダリアの本当に望むどこにでもありふれた日常。それは今のマルフォイ家のどこにもありはしなかった。

 

僕はベッドから離れ、母上に導かれるまま朝食を摂る。そこにはいつものような会話などありはしない。

ただただ空虚な時間。ダリアは別に口数の多い人間ではなかったが、彼女がいないだけで食事の席が酷く寂しい空間に思えて仕方がなかった。

 

だからこそ思う。

なんだ……あのどこにでもありふれた日常はダリアの望みでもあるが、同時に僕の望みでもあったのだ、と。

ダリアがいないだけで、こんなにも僕の朝食はまずくなってしまうのか、と。

 

そして……この状況はまだまだ続くのだろうな。僕はそんなことを思わずにいられなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アーサー視点

 

不死鳥の騎士団。

嘗て『例のあの人』が台頭し始めた時、ダンブルドアがあの人に対抗するために設立した組織。その任務は多岐にわたり、そのどれか一つでも欠けてはならないものばかりだ。

そしてその中で今最も重要な任務こそ、あの人に対抗しうる唯一の人間、生き残った男の子であるハリー・ポッターを守ること。

だからこそ現在その任務に当たっている私は、

 

「ハリー。悪いが私はここから入ることが出来ない。ここからは君一人で行かなければならない。……だが大丈夫だ。きっと何とかなるさ。何度も言うが、法律的には君は無罪なんだ。だから……大丈夫だ」

 

いよいよハリーの尋問の日、黒々した厳めしい扉の前でハリーを何とか安心させようと声をかけたのだった。

しかし私の言葉はあまり意味を成しているとは思えなかった。私の言葉にハリーは頷きはするものの、表情は酷く青ざめたままだ。

それもそうだろう。ただでさえ自分の進退を決める尋問である上に……本来ならただ『魔法不適正使用取締局』の執務室で適当に行われる尋問ですむはずが、いきなり神秘部横にある大法廷なんかに呼び出されることになったのだから。しかも時間を大幅に前倒しにされて。心の準備をする余裕もないまま、このように重苦しい空間に連れ込まれれば誰だってパニックになると思う。

一体何故こんなことになったのだろうか。

……いや、何故かなど考えるまでもない。こんな無茶苦茶なことを命じられるのは魔法省トップの魔法使い……つまりファッジだけだ。ダンブルドアを貶めることに必死になっている彼のことだ。こんな理に反することも、今の恐怖に駆られた彼ならやりかねない。

そしてそんな彼を操っているのがルシウス・マルフォイなのだ。キングズリーの報告がなくとも私には分かる。今の魔法省を腐らせている諸悪の根源は奴だ。元々ファッジが流されやすい意志の弱い人間であったこともあるが、ここまで酷い状況になっているのは奴の存在があったからこそなのだ。全く心底厄介な一家だ。

しかし今そんなことを言っている場合ではない。私は扉の向こうにハリーが相変わらず青い顔色で消えるのを見送ってから、尋問室の前をうろつく振りをしながらそれとなく神秘部の入り口を観察する。

これは不幸中の幸いとも言える。ハリーにとっては大法廷なんぞに連れてこられて不運でしかないが、『不死鳥の騎士団』からすればこうして神秘部の前にいる口実が出来たとも言えるだろう。どの道ハリーの護衛任務も、彼が法廷の中にいる間は流石に襲われることはない。

今の騎士団は人手不足だ。最初に闇の帝王が台頭してきた頃に比べればマシな方だが、それでも圧倒的に人手不足だ。実際に動ける人材は極端に少ない。それがこうして今敵が最も注視している場所に少しでも張り込むことが出来るのだ。今はそんな僅かな機会を喜ぶしかない。

それにハリーのことなら、

 

「アーサーよ。ハリーはもう中かのう?」

 

「ダ、ダンブルドア! はい、ハリーはもう中に! 貴方は彼の弁護に? よくここだと分りましたね」

 

「今のファッジならこのような手を打つやもと思うてのぅ。4時間は前に魔法省に来ておったのじゃよ。おぉ、こうして世間話をしておる場合ではなかったのぅ。アーサーよ、尋問が終わるまで()()()()見張りを頼んだ」

 

この今世紀最高の魔法使いがいる限り必ず何とかして下さるのだから。

一人の女性を連れて、暗い廊下に颯爽と現れたダンブルドアがやはりどこか人を勇気づける空気を醸し出しながら法廷の中に入ってゆく。女性もたしかハリーの近所に住んでいた騎士団の協力者だったはず。ハリーの証人として連れてきたのだろうか。どちらにせよ、あの方の登場に私は先程まで感じていた不安など取り払われていた。おそらくそれは中にいるハリーも同じことだろう。これで尋問は確実に何とかなる。私はダンブルドアの登場にそう安堵しきっていた。

だからこそ私はより一層身を引き締めて監視に当たる。

 

決して敵を神秘部に……予言に近づけさせないために。

 

しかしやはりこんな所にフラリと敵が近づくこともなかった。私もハリーの付き添いという言い訳がなければこんな所にいられないが、魔法省にいる死喰い人達もそれは同じだ。我々の調査が正しければ神秘部に関わっている死喰い人はいないはず。

だからこそ敵が来るとすれば……

 

「ダンブルドア! 尋問はどうでし、」

 

「悪いが、アーサーよ。ワシはもう行かねばならん。結果はハリーから聞くのじゃ」

 

裁判所から出てきたダンブルドアが急いだ様子で出て行き、

 

「あぁ、ハリー。ダンブルドアは何も言わなか、」

 

「無罪だよ! 無罪放免!」

 

ハリーが法廷から出てきた後のことだった。

 

「なんと! それは良かった! 勿論こうなるとは信じていた! どう考えても君が有罪なはずがないからね! こうしてはいられない。早速皆に知らせ、」

 

「これは、これは、守護霊ポッター殿と……アーサーウィーズリーではないか! こんな所に一体何用ですかな? ここは君がいるべき場所でないと私は思うがね?」

 

私とハリーが折角尋問結果を喜んでいたというのに、あの心底不愉快な冷たい声がかけられる。

振り返ればそこには私の天敵と言えるルシウス・マルフォイ。いつものいけ好かない他者を完全に見下したような視線を投げかけている。

 

 

 

 

そしてそんな奴の隣に、

 

「……」

 

キングズリーの報告にあった、あの白銀の髪をした少女が無言で佇んでいたのだった。

流れる様な白銀の髪に、薄い金色の瞳。そして何より特徴的な、美しくも冷たい完全なる無表情。

そこには我々が最も警戒すべき敵の一人である、マルフォイ家の長女、ダリア・マルフォイその人がそこにはいたのだった。



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閑話 決して忘れない……主人公挿絵あり

()()()()視点

 

今日も私はあの場所に行く。あの日から毎日、私にとってはもはや日課のようなその行動。気が付けば自然とあの場所に足を進めている。

それで何かが変わるわけでもない。何も得ることはない上に、寧ろ毎日失い続けている気分にすらなる。

失ったものはもう二度とは戻らない。

得るためではなく、ただ失ったことを確認するだけの毎日。

 

「あなた……今日も行くの?」

 

「あぁ……」

 

だが私は止めることが出来ない。それは妻も同じことだろう。私にどこか窘める様な口調で話しかけてきても、彼女も私同様既に支度は整えている。

彼女も私と同じなのだ。失ったものを……心の欠けてしまった物を何とか埋めようと、ただひたすらに無駄だと知りながらも同じ行動を繰り返す。

あの時から時間の止まってしまった私達には……もはやそれくらいしか出来ることが残っていないのだから。

だから私達は、

 

()()……」

 

今日もあの子のいる場所にやってくるのだ。『姿くらまし』で現れた場所は、昼間だというのにどこか薄暗く寂しい場所。()()()()()()ということもあるが、それでもやはりどこか寂し気な空気を感じざるをえない場所。辺りを見回せば、()()()と同じ無機質な光を反射している墓石ばかり。周りは生け垣に囲まれ、所々に生えた木々が立ち並ぶ墓石に暗い影を落としている。

そんな空間の中私と妻はいつもと同じく心の奥底から湧き上がる喪失感を胸に、嘗ての息子が埋まっている墓を見つめるのだった。

 

ここに立つだけであの子との思い出が溢れてくる。明るい思い出も、悲しい思い出も全て。

……私には自慢の息子がいた。

同年代のどの子供より優れた息子。それこそあのハリー・ポッターよりも。あのポッターにクィディッチで勝利し、成績に至っては彼など比較にすらならない。相手はあの生き残った男の子。この魔法界で最も有名な男の子にだ!

本当に自慢の息子だった。

思えばあの子は昔から他の子供とは違っていた。我儘などほとんど言わない、本当に大人しい子供だった。小さい子供など我儘ばかり言う存在だと同僚から聞いたことがある。あれが欲しいだの、あれが食べたいなどと、常にやかましく騒ぐばかりの存在だと。いくら自分の子供であろうとも、時折どうしようもなく疲労感を感じてしまうことがあるのだと。

だが私の息子は違った。幼い頃から大人しく、本当に我儘などほとんど言わない子供だった。偶には我儘を言ってもらうこともあったが、それこそ私の我儘というものだろう。

それにあの子はいつも私の期待に応えてくれた。私は純血の家であるがそこまで家柄は高くはない。魔法省でもそこまで高い地位についているわけではない。つく見込みもない。だがそんな私は、ならばせめて息子だけは高い地位に行ってほしい、そう思い常に息子に過度な期待をかけていた。思い返せば自身の身の丈に合わない、実に理不尽な要求ばかりだったように思う。

だがそれでも私の息子は常に私の期待に応え続けてくれた。応えようと努力し続けてくれた。小さな頃から勉学に励み、ホグワーツに入学してからは常に上位の成績を保っていた。その上あの子はシーカーまで務めた。当に文武両道。人の上に立つには十分すぎる素養だ。性格も勿論申し分ない。誰に対しても優しく接し、自分の有り余る才能を鼻にかけたりなどしない。ただ周りの人間を……私と妻を喜ばせたいという思いで努力している。そんな私には勿体ない息子だった。

寧ろ彼のことを自慢したくて仕方がなかったのは私の方だ。あの子が謙虚な分、私だけはあの子の才能を周囲に自慢し続けた。

 

私の息子は凄い子なのだ! あの有名なハリー・ポッターにだって負けない! あの純血貴族の間で有名なダリア・マルフォイにとて負けない! 私の息子は世界で一番なのだ!

 

だからこそあの子が三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれたと知った時、それはもう喜んだものだ。妻も私程興奮してはいなかったが、やはり知らせを受けた時はその瞳を喜びに輝かせていた。

やはり私の目に狂いはなかった。あの子は公平な審査を受けたうえでホグワーツの代表選手として選ばれたのだ。ホグワーツの誰よりも優秀で、誰よりも優れた人格者なのだと、炎のゴブレットに証明されたのだ!

 

……だが今なら思う。

何故私はあの時あんなにも喜んでしまったのだろうか。いくらセドリックが優秀とはいえ、三大魔法学校対抗試合には危険がつきものなのだ。それこそ歴代の試合の中で代表選手が命を落としたことなどいくらでもある。本当に息子のことを思うなら、私はあの時不安に思うべきだったのだ。あの子に命の危険があるかもしれない。そのことに私は多少なりとも不安を感じるべきだったのだ。

 

だからこれは罰なのやもしれない。そう全てを失った後にようやく私は自覚した。

私が息子の打ち立てる栄光の記録を称賛するばかりで、決してあの子のことを心配していなかったことに対する罰。

気を抜けば何度でもあの瞬間の光景が脳裏に浮かぶ。

 

三大魔法学校対抗試合最後の試練。その巨大な迷路の入り口に突如として現れた、体中傷だらけになりながら荒い息をつくハリー・ポッター。

そして……地面に横たわり、ハリー・ポッターと違いピクリともしない私の息子。

割れんばかりの歓声が段々と悲鳴に変わっていくあの瞬間を。つい数時間前まで元気に私と会話していた息子が、物言わぬ躯となって帰ってきたあの瞬間を……。

 

妻と共に墓の前に立てば、いつもあの子との思い出がよみがえる。だが最後に残るのは……やはりあの瞬間の記憶のみだった。

日に日に喪失感のみが大きくなっている。失ってから、改めて私達の中で息子がどれほど大きな存在であったかを認識する。あの子は私達にとって生活の中心とすら言える存在だったのだ。

 

なのにあの子は……もうこの世のどこにもいないのだ。それこそ毎日ここに来たところで、決してあの子の声を聞くことなどないのだ。

 

息子が生きていれば、一体今頃何をしていただろうか。

息子は本来であれば今年でホグワーツ最終学年のはずだった。今頃なら他のホグワーツ生と同じく、今年もホグワーツに行く準備を整えていたに違いない。

そしてホグワーツに行ってからは、一体あの子はどのような生活を送っていただろうか。最終学年ということもあり勉学により一層励まねばならないだろうが、優秀な息子のことだからきっと他のこととも両立出来たはずだ。それこそ優秀な上に、私とは似ても似つかぬ程整った顔立ちをしていた。きっとさぞ女生徒にモテていたはずだ。私達には隠していたが、ガールフレンドの一人や二人いてもおかしくはない。一体あの子は将来どんな女性を私達の下に連れてきたのだろうか。

考え出せばきりがない。息子を中心に生活していた私達が日々考えることはそのようなことばかりだ。あの子がいなくなった今、もう何の意味もないことだが……。

 

自然と涙がこぼれ、息子の墓石を僅かに濡らす。思い出ばかりが溢れかえり、思考が一歩も前に進みはしない。世間ではハリー・ポッターのことが再び騒がれているが、そんなことは私達にとってどうでも良いことだ。彼が嘘をついていようが、嘘をついていまいがどうでもよいのだ。

闇の帝王にセドリックが殺された? 

それが本当であれ、ポッターの嘘であれ、私の息子が死んでしまったことには何の変わりもない。魔法省の発表通り事故であっても、あの人に殺されていようとも、それはもはや等しく事故のようなものだ。抗いようのない死だ。ただ息子に二度と会えないという結果のみが私達に残される。

だからこそ私達は、

 

『あの……この賞金、貴方達に差し上げます。これは本来ならセドリックのものだと思うから。だから、』

 

『……いいえ、それは貴方の物です。それを受け取る資格など私達にはありません。どうか貴方が受け取ってください。そうでしょう、あなた?』

 

『……あぁ』

 

あの日ハリー・ポッターから差し出された、三大魔法学校対抗試合の優勝賞金も受け取りはしなかった。いや、受け取れなどしなかった。受け取りなど()()()()()()()

それを受け取ってしまえば、私達はあの子の死に何か汚点を残してしまうような気がしたから。……あの子の死を、本当の意味で受け入れねばならなくなってしまうから。あの子の死んだ理由を考えてしまえば、私はどんなことを考えるか分かったものではないのだから。

あの子の死の意味……そして価値など考えたくもない。

まるで本当に世界が止まったみたいな気分だ。世界の全てから色が失われたようだ。何を見てももう私達は感動することはない。何を見ても私達はあの子がもうどこにもいないという事実を思い出してしまう。

 

世界は私達を置き去りにしてしまったのだ。

 

……だがそんな時だった。

そんなことを取り留めとなく考えている時、私はふと視界の端に昨日までなかった物を発見する。

昨日まで殺風景だった墓の横。そこに昨日まではなかった一輪の花が供えられていたのだ

 

()()()()()()()()()()()()。灰色の空間の中に、その花は一輪だけそっと置かれていた。

 

ホグワーツが夏休みに入った直後はここにも息子の友人達が供えた花が多く置かれていた。それこそ色とりどりの花が。だがそれも日が経つにつれ段々と少なくなり、最後には誰も供えなくなってしまった。まるで息子のことなど忘れてしまったかのように。ただホグワーツの準備が忙しいからだとは分かっていても、どうしてもそう私には思えて仕方がなかった。

だがこのホグワーツ新学期直前に再び一輪だけとはいえ花が供えられた。おそらく()()()()()からの物だろう。それくらいしかこの時期に花を供える人間などいはしない。

それにこの花の花言葉は確か……。

 

「そう……私達も、()()()()()()()()()()()

 

妻が私の隣でそっとそんなことを呟く。

そして、

 

「……ありがとう。セドのことを覚えていてくれて……」

 

ハンカチで目元を拭きながら、そんな風に続けるのだった。

その言葉を聞いて私は……少しだけこのどうしようもない寂寥感や孤独感が薄らぐのを感じていた。

 

 

 

 

近くの木陰に、一瞬だけ()()()()()()()()()を幻視した気がしながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

セドリックの両親が墓場から去っていく。

その足取りはやはりどこまでも重く、それはここに何度も足を運んでも決して彼らの悲しみが和らぎはしていないことを表していた。

当たり前のことだ。彼らはセドリックの両親なのだ。きっと彼らはお父様達が私のことを愛して下さったのと同様、自分の息子であるセドリックのことを愛していたに違いない。だからこそ彼はその愛に応えようと常に努力し続けていたのだ。それは彼と交流していた時間が短い私にも分かること。

 

……だからこそ彼らの悲しみを思うと胸が引き裂かれそうだった。

彼等は失ってしまった。いや、()()()()()()

闇の帝王によって。……彼に造られた私という怪物によって。

私はとてつもなく大きな罪を背負ってしまった。そしてこれからも……私は奪い続けていくしかない。闇の帝王がこの世に君臨する限り。

 

私は決して、この悲しみを忘れてはならない。そうでなければ……私は本当に()()()()()になってしまうから。殺人に憧れるばかりで、その罪深さを自覚することもない人間の形をした何かに。

そんな存在に本当になってしまえば……私は決してマルフォイ家にいられなくなってしまうから。

 

怪物はあの尊い家族には相応しくない。

 

そこまで考え、私は少し自嘲気味に笑う。勿論表情筋自体はピクリとも動いていないが、私は心の中で自分を嘲笑いながら考える。

私は結局自分のことばかり考えている。セドリックの死をようやく実感出来たとしても、私は結局……。

 

だから私は繰り返す。一瞬切れてしまった『目くらましの呪文』をかけなおしながら、去り行く両親の背中に向かって小さく呟く。

 

「決して忘れはしません……。忘れてはいけない。忘れられるはずがない。彼は私にとってかけがえのない……」

 

傍には私の供えたカーネーションの花。これで誰かが救われるわけでもなく、寧ろ両親にはいらぬ心労をかけてしまったかもしれない。

それに何より、私は今彼等に何の謝罪も出来ていはしない。それどころか私は今年の夏休みから奴に協力してすら……。

 

「忘れはしない。忘れてたまるものか……。私は決してあいつと同じには……」

 

夏休みが終わり、いよいよ次の学年が始まろうとしている。

であるのに少しも明るい気持ちになることなどない。ダフネが待っている学校生活であるというのに、私は未来に決して希望など……ない。

 

私はもう……戻れない所まで足を踏み入れるしかなかったのだから。

 

……いよいよ私にとって5年目のホグワーツ生活が始まろうとしていた。今までの平穏とは程遠い、ただホグワーツを楽しむだけでいい学年とは違う生活が……。




決して忘れない……
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見えざる馬(前編)

 ハリー視点

 

あれだけ不安に思っていた尋問も無事終わってから数日。

尋問の場所と時間が突然変えられるし、法廷ではファッジ自ら僕の尋問をしてくるわ、その上彼の隣にいたガマガエルみたいな女が酷く僕を馬鹿にした態度を取ってきたりとあの時はどうなるかと思った。

でもダンブルドアがフィッグおばさんを証人に連れてきてくれたことで、僕はこうして無事にホグワーツに行く準備をすることが出来ている。

何だかあれだけ心配していた毎日が嘘のようだ。本当にヴォルデモートが復活したのかと自分でも疑いそうになる程穏やかな日々だった。

勿論復活していないわけがない。僕は奴の復活をこの目で見たし、騎士団内部も子供達こそ穏やかな生活を送っているが、騎士団員達は慌ただしく出入りしている所を時々見かけた。

……それに僕が少しでも奴の復活を疑ってしまえば、奴に殺されたセドリックが浮かばれない。

だからこそ僕は自分の中に生まれた緩んだ気持ちを打ち消し、ホグワーツに行く準備をしながらも緊張感を保とうとする。

どんなに一見平穏に見えようと、敵は今この瞬間だって活動し続けている。

 

ヴォルデモートしかり……そして奴も目をかけているダリア・マルフォイも。

 

あの尋問が終わった後、ルシウス・マルフォイと共にいた奴に僕は出くわした。あの時交わした言葉は、

 

『これは、これは、守護霊ポッター殿と……アーサー・ウィーズリーではないか! こんな所に一体何用ですかな? ここは君がいるべき場所でないと私は思うがね?』

 

『……そちらこそ、一体ここに何の用だい? そちらもここに職場はなかったはずだが? 娘まで連れて、一体ここに何の用だというんだい?』

 

『私と大臣との私的なことは君に関係ないと思うがね。……それにダリアは君の愚かな息子達と違い優秀なのだ。大臣の覚えも既にいい様子。まったく我がマルフォイ家の長女として鼻が高い。それではな、アーサー。私達は君のような愚者と付き合う程暇ではないのだ』

 

そんな短い会話でしかなかったし、奴は終始いつもの無表情で無言を貫いていたけど……あいつが何か企んであそこにいたことは僕にだって分かる。ウィーズリーおじさんも、あの嫌な親子が立ち去った後言っていた。

 

『やはりキングズリーの情報は確かなようだね。ダリア・マルフォイ……あの年で『あの人』に任務を与えられるようになるなんて……。本当に末恐ろしい。恐ろしい娘だよ』

 

やはり僕の得た情報は間違っていなかったのだ。あいつは何か良からぬことを企んでいる。それこそヴォルデモートの手先として。

ホグワーツは世界で一番安全な場所とはいえ、あいつがいる以上必ずしも安全とはいえなくなってしまった。これからも気を付けないといけない。ダリア・マルフォイに。そしてあいつの兄であるドラコや、取り巻きであるダフネ・グリーングラス。あいつらが二年生の時と同じく何か良からぬことをしないように。

……ハーマイオニーがあいつらに決して近づかないように。

ハーマイオニーはまだあいつ等のことを友人だと妄想している。去年の終わりダリア・マルフォイに酷いことを言われたというのに。彼女が何故そこまであんな奴に拘るかさっぱり分からないが、今年こそは僕も本気であいつと引き離さなければ……。

そしてそんなことを考えている時、

 

「ハリー! こ、これを見て!」

 

件のハーマイオニーが突然、僕に割り当てられた部屋に飛び込んできたのだった。

突然の訪問に驚きトランクの前で固まる僕に、ハーマイオニーが何かをかざしながら大きな声で続ける。尋問からの帰りに僕を出迎えてきた時も興奮していたけど、今の彼女はそれ以上だ。

彼女のかざした物は赤と黄色を基調にした、ライオンのシンボルの上に『P』の文字が刻まれたバッジだった。

 

「わ、私……え、選ばれたの! ()()()に! し、信じられないわ! 確かに5年生からは監督生になる資格があるとは聞いていたけど……ほ、本当に私が選ばれるなんて思っていなかったわ! 私、とても嬉しい! ねぇ! 貴方も選ばれたのでしょう!? 私が選ばれたのだから、貴方も選ばれているはずよ! 何せ貴方はこれまで多くのことを成し遂げてきたのだから!」

 

……どこかで見覚えのあるバッジだと思っていたら、やはり監督生バッジだったらしい。そう言えばパーシーがホグワーツに在籍していた頃、ことあるごとに彼にバッジを見せびらかされていたのを思い出す。当時からウィーズリー兄弟の中で唯一そこまで好きでない人間ではあったけれど、この前の尋問の時もファッジの横で僕に冷たい視線を投げかけていた。嘗て一緒の寮で過ごした時間は一体何だったのだろうか。

そんな嫌なことも同時に思い出し、僕は監督生バッジを少しだけ眉を顰めながら眺める。それにハーマイオニーが期待している中申し訳ないが、僕の下にバッジは届いてなどいない。ホグワーツからの手紙にはそのような物は含まれていなかった。

しかしそんな僕とハーマイオニーが全く正反対のことを感じている中、

 

「ハ、ハリー……。僕……。と、とにかくこれ……」

 

次に僕の部屋に現れた人物によって、部屋の空気は完全に凍り付くこととなる。

 

ロンが震える手で差し出してきたのはハーマイオニーと同じバッジ。

それは僕ではなく、ロンこそが今年の監督生に選ばれたことを表していた。

 

その事実に気づいた瞬間僕は……何故か『誰も僕のことを見てくれない』と、そんな孤独感のような感情に襲われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

『例のあの人』が復活したと聞いた時には、もっと慌ただしく危険な夏休みになるものだと思っていた。

『あの人』は嘗て魔法界を恐怖のどん底に陥れた人物。私はあの人の所業を本でしか読んだことがないけど、それだけでも恐怖を覚えるには十分なことを『あの人』はしたのだ。だから『あの人』が復活したからには再び魔法界は荒れる。それこそ大勢の人が亡くなり、あの人を赤ん坊の頃に倒したハリーは凄まじい攻撃に晒されるかもしれない。そうどこかで考えていた。

でも実際は違った。

表面上生活はどこまでも穏やかで、新聞に誰かが亡くなったというニュースは一つも載らない。それこそハリーが吸魂鬼に襲われたことも、彼がその後理不尽にも尋問にかけられたことさえ。新聞には何一つ不吉なものは載っていない。まるで『あの人』が復活していないかのように……。そんなこと()()()()()()()()と言わんばかりに。

でもだからこそ……私はより警戒感を強くしたのだった。

事態は私の想像より悪い方向に進んでいる。敵側が着実に準備を進めている中、不死鳥の騎士団以外の人々は誰も敵の襲撃に備えてすらいない。それどころかこの夏休み中、寧ろ真実を伝えているハリーやダンブルドアを誹謗中傷する記事で新聞は溢れていた。おそらくホグワーツに帰っても……ほとんどの生徒はハリーのことを信じていないことは想像に難くない。

 

こうしている間にも敵側は魔法界を再び恐怖に陥れるための準備をしているというのに。

……あの優しいダリアまで無理やり動員して何かを企んでいるというのに。

 

事態は静かだけど、だけどそれ故により危険な方向に進みつつある。だからこそホグワーツに戻っても決して気を抜くことは出来ないと思う。おそらく今以上に辛い目に遭うだろうハリーを守るために。せめてホグワーツにいる時だけは、ダリアが少しでも心穏やかに過ごせるように。

 

……でもそんな覚悟をしていたとしても、

 

「ほらロン、行くわよ! 私達は監督生なのよ!」

 

この新しい立場に対する喜びまでは抑えることは出来ないのだけど。

いよいよ夏休みが終わり、私達がホグワーツに戻る時が来た。ホグワーツ特急がプラットホームに煤けた蒸気を吐き出している。そしてそのプラットホームには出発を待つ生徒や家族が大勢いた。

そんな中、私は人混みをかき分けるように汽車に乗り込みながら、背後のロンとハリーに続ける。

 

「ロン、早く! もうすぐ時間だわ! また後でね、ハリー! 最初に監督生車両に集まる以外は、時折車内をパトロールするだけでいいらしいから! 後で貴方のいるコンパートメントに行くわ!」

 

5年生になると各学年各寮から二人ずつ選ばれるようになる監督生。品行方正かつ多くの功績を残してきた生徒が選ばれ、多くの特別待遇の上、生徒に罰則を与える権利すら有する。それ故にのしかかる責任も重大なわけだけど、私にとっては監督生に選ばれただけで本当に名誉なことに思えた。しかも5年生の段階で選ばれれば、よほどのことをしない限りはそのまま上の学年でも監督生になることが出来る。今まで頑張ってきたことが認められたようで嬉しくないはずがなかった。

 

それにもう一つ……もしかすると()()()……。

 

唯一気がかりなのはハリーが選ばれず、彼の代わりにロンが選ばれたことだった。今までの成してきた功績から考えると、申し訳ないけどやはりハリーが選ばれるとしか思えなかった。彼は今まで誰も成し遂げたことのないことを成し遂げてきた。それこそ大人達ですら出来なかったことを。そんな彼が選ばれないなんて客観的にはあり得ないことなのだ。

でも蓋を開けてみれば監督生に選ばれたのはロンだった。これには私だけでなく、当の選ばれたロン自身ですら驚いていた。何故ハリーではなく自分が選ばれたのだろうと……。

もっとも後で冷静に考えれば、これはこれで良かったのではないかと考えている自分がいるのも確かだけど。

確かにハリーはロンが選ばれた時には表面上は彼を祝福していたけれど、内心では何故ロンではなく自分が選ばれなかったのかと疑問に思っていたことだろう。勿論それは彼がロンを見下しているからではなく、純粋にダンブルドア先生に認めてもらえなかったことに対する不満からだと思う。特に最近の彼はダンブルドア先生にどこか放置されているところがあるから尚更。いくら先生が忙しくても、敵が一番狙っているであろうハリーからすれば何も知らされないのは不満で仕方がないと思う。そんな不満を抱える中、あれ程の功績を成し遂げながら監督生に選ばれなければその不満は益々増大するに違いない。実際彼が一番に浮かべた表情はロンに対する嫉妬ではなく、どこまでも寂し気なものでしかなかった。

でもそんな不満を抱いていたとしても、今考えるとハリーは監督生に選ばれない方が良かったのかもしれない。

何故なら彼は多くの功績を残してきたが故に……監督生なんて些末としか思えない程の重責を負っているのだから。これ以上監督生なんていう責任まで負わせてしまえば、彼を必要以上に追い込んでしまいかねない。今の余裕のないハリーにそんな思いは伝わらなくても、いつかそんなダンブルドア先生の思いは伝わるはずだと思う。今はどんなに心配でも一緒に寄り添うことくらいしか出来ない。

それにハリーには劣るものの、別にロンが監督生に相応しくないわけではない。彼だってハリーと同じく様々なことを成し遂げてきたのは間違いない。それに今だって、

 

「ハーマイオニー……そんなにせっつくなよ。ハ、ハリー、ほんの少しだけだから。僕、本当はあっちに行きたくなんてないんだ。だ、だけど仕方なく……。僕はパーシーと違うと言うか……」

 

ハリーの複雑な内心を気遣い、こうして不器用なりに声をかけようとしている。内心の嬉しさを抑えてまで、きちんと自分の友人の心配をしている。ロンはロンなりに監督生として相応しい気質を持ち合わせていると私は思う。……少しばかり頼りない所があるけれど、それは私がフォローすればいいことだろう。

 

「ロン、馬鹿なことを言わないで。選ばれたからには責任を果たさないと。それではね、ハリー。ロンの言う通りすぐに帰ってこれるとは思うから。少しだけ待っていて」

 

「うん、別に構わないよ。監督生頑張って。僕はその間皆が入れるコンパートメントを探しておくよ」

 

だからこそ私はロンの姿に頬が熱くなるのを感じながら、ほんの少しだけ寂しそうなハリーに別れを告げて足を進めるのだった。

 

 

 

 

『例のあの人』が復活した今、本来であれば私達は決して気を抜いてなどいけない。敵がこちらが油断しきっている陰で暗躍しているなら尚更のこと。

でも、それでも私はこの監督生という立場が嬉しくて仕方がなかった。

自らの頑張りが目に見える形で認められたから。

 

それにもう一つ……もしかすると彼女も……私と同じく選ばれているかもしれないから。

 

グリフィンドールでハリーが選ばれるに違いないと思っていたのと同様、スリザリン生の中で最も監督生に相応しいのは一人しか思いつかない。

同学年どころか、学校内でさえ最も優秀な成績を収め続けている彼女が選ばれないで誰が選ばれるというのだろう。まさかあの脳震盪を起こしたトロールより馬鹿なパンジー・パーキンソンがなるとは思えない。

だからこそ私は楽しみだった。彼女とは()()()()距離を取られてしまったけれど、これでまた監督生という繋がりを持つことが出来る。また彼女と話すきっかけを作ることが出来る。

そうほのかに思っていたのだ。

 

それがやはりどこまでも甘えた考えだとも気付かずに。

 

果たして監督生車両に辿り着くと、そこには数人の監督生と思しき姿があった。ハッフルパフの制服を纏ったアーニー・マクラミンとハンナ・アボット。レイブンクローはアンソニー・ゴールドスタインとパドマ・パチル。あまり話したことのない生徒ばかりだけど、皆同学年ということもあり一応顔だけは知っている。ここにいるということは皆今年監督生に選ばれたということなのだろう。

でもスリザリンの監督生は、

 

「……あっ、()()()()()()()。やっぱり貴女が選ばれたんだね」

 

「……」

 

ハリーと同じく、私の予想とは違った人物が選ばれていたのだった。

そこにはあの美しい白銀の髪を持つ少女ではなく、金色の髪をした私のもう一人の親友が座っていた。彼女の最大の特徴である可愛らしいパッチリとした瞳を、隣に座るドラコと同じく不機嫌に歪ませた状態で……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

スリザリン生で最も監督生に相応しい人物は一体誰か。その問いに対し、おそらく全員が同じ答えを返すことだろう。

 

そんなもの……ダリア以外にあり得ない。

 

ダリアは一年生の頃から最も優秀な成績を収め続けていた。それこそ彼女が一年生の頃から。それに彼女の影響力。純血貴族だということもあるけど、彼女には人を従わせるだけのオーラがある。彼女こそが最も監督生に相応しいのは自明の理だった。彼女以外では……それこそパンジーなんて選ばれた日には、決してスリザリン生が納得することはないだろう。そんな簡単なことはあの愚か者のグリフィンドール生だって分かることだ。

 

でも現実は違った。

私はホグワーツからの手紙を受け取った時、それに一番に気付いてしまったのだ。

私の手紙の中に……緑と銀色を基調にしたバッジが入っていた。それはつまり、ダリアではなく……私こそがスリザリンの監督生に選ばれたということに他ならなかった。

 

普通の女の子なら、この結果に何も考えずに狂喜乱舞することだろう。ダリアではなく、自分こそが監督生に相応しいと思われたのだと。

そんな馬鹿な……どこまでも浅はかな考えを。パンジーあたりならそう考え、翌日には寮全員に喜びの手紙を送りつけたに違いない。

でも私は違う。私はそのバッジを見た時真っ先に感じたのは……どうしようもない程の怒りでしかなかった。

この結果は別にダリアより私の方が監督生に相応しいと思われたからなどではない。ホグワーツ側は……あの()()は要するにダリアを監督生にしたくなかったのだ。あいつが生徒の中で最も警戒するダリアを、危険な人間に下手に特権など与えないために。

そんな浅はかな考えが透けて見える結論に、ダリアの親友である私が怒りを覚えないはずなどなかった。

 

入学当初から奴らは何一つ変わっていない。徒にダリアを警戒するばかりで、彼女の無表情の下に隠れた本質を何一つ見ようとしていない。彼女がマルフォイ家という名家の名や、そして彼女の最大の特徴であるあの無表情の下にどれ程優しい本質を隠しているかなんて見ようともしないで……。

 

たとえ彼女が今闇の帝王の下で()()()()()()()としても、彼女が優しい普通の女の子であることに変わりはないのだ。

 

だからこそ私にとってもはや監督生という資格自体が、それこそバッジを受け取った瞬間からどうでもいいものに変わり果てていた。

 

何が監督生だ。そんなもの、ダリアが選ばれていない以上何の価値もない。

そしてその考えはダリアも、

 

『……そうですか。ではダフネも……。あの老害……よくも私達の時間を……』

 

『う、うん。最初だけ……それこそ一瞬だけ監督生車両に行かないといけないみたいなの。で、でもダリアが望むなら私はここに、』

 

『いいえ。ダフネもお兄様と共に行って下さい。……私はここで帰りを待っていますので』

 

共通しているみたいだった。別に彼女自身が監督生になりたがっていたわけではない。私が監督生に選ばれたと知らせた時も、別に特に何の感慨もない様子でしかなかった。寧ろ最初からこの結果を予測している様子でもあった。

でもいざ私がこのホグワーツ特急で数分だけとはいえ彼女と離れなければならないことを告げると……途端に寂しそうな無表情を浮かべていた。結局彼女は監督生なんていう見せかけの立場なんかより、私やドラコとの時間にこそ価値を感じてくれていたのだ。そんな親友の可愛らしい反応を受けて、どうして今更こんな下らない物に価値を感じられるというのだろう。

 

もっともそれを今言っても仕方がないことくらいは私にだって分かっている。

特にもう一人の親友であるハーマイオニーがこの立場を喜んでいるなら、私が態々あの老害の魂胆を話して彼女の喜びに水を差す必要はない。彼女は()()()()実力で選ばれたのなら尚更だ。

だから私は、

 

「……あっ、ハーマイオニー。やっぱり貴女が選ばれたんだね」

 

なるべく自分の苛立ちを抑えようと努力しながら、ハーマイオニーに渾身の笑顔を向けようとしたのだった。

でも、

 

「ダ、ダフネ……久しぶりね。手紙には書いていなかったけれど、貴女が監督生に選ばれたのね。ど、どうしたの? 何だか怖い顔をしているけど……」

 

どうやら私の表情は上手く自分の内面を隠しきれてはいない様子だけど。

ハーマイオニーは一瞬ダリアではなく私がここにいることに驚きの表情を浮かべた後、すぐに気を取り直したのか不機嫌な空気を漏らす私におずおずといった様子で話しかけてくる。私は結果的に彼女の喜びに水を差してしまったことを悟り、小さくため息を吐きながら応えた。

 

「……うん、ちょっとね。それに別に取り繕わなくていいよ。本来ならダリアがここにいるはずだと思ったのでしょう? それが当然だよ。でも……だからこそ私は怒っているの。()()()が考えているだろうことが、あまりに下らないことだろうから……」

 

「それは……」

 

聡明なハーマイオニーのことだ。彼女も私が何を言いたいか一瞬にして理解出来たのだろう。背後で私とドラコに敵意の籠った視線を送るウィーズリー(あほ)とは違い、喜びの表情は途端に悲しそうなものに変わっている。

しかし彼女が続けて何か言う前に、

 

「皆集まってるな。よし、これから打ち合わせをするぞ。今日は5年生の諸君にとっては初日だからな。監督生の心構えも含めて話そうと思う」

 

レイブンクローの主席監督生と思しき生徒の声で、私とハーマイオニーの会話は無理やり遮られてしまったのだった。

 

 

 

 

監督生なんてどうでもいい。ただ老害に押し付けられたから仕方なくやっているだけ。本当ならこんな会合すら無視してしまいたいけど、無視すればそれはそれでダリアを面倒な立場に追いやってしまうかもしれない。監督生であることを純粋に喜んでいるハーマイオニーの手前もある。

だからこそ私は出来るだけ早くダリアの下に戻りたいという内心を抑え、監督生の心得なんていう心底どうでもいい話を黙って聞くしかなかったのだ。

 

……その間、

 

「あ、ダリア・マルフォイだ」

 

「どうやってここに……部屋には『人避けの呪文』を。いえ、そういう貴女は?」

 

「あたしは()()()。ルーナ・ラブグッド」

 

ダリアが奇妙奇天烈な出会いを果たしているとは知らずに。



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見えざる馬(後編)

 ダリア視点

 

ただでさえ家族と接する機会が減ってしまったというのに、これからまたホグワーツの生活が始まってしまう。

唯一の朗報はこれで闇の帝王の仕事からも離れられることだが……家族といられない時間など何の価値もないものだ。

それに私の()()()親友であるダフネも、

 

『……そうですか。ではダフネも……。あの老害……よくも私達の時間を……』

 

『う、うん。最初だけ……それこそ一瞬だけ監督生車両に行かないといけないみたいなの。で、でもダリアが望むなら私はここに、』

 

『いいえ。ダフネもお兄様と共に行って下さい。……私はここで帰りを待っていますので』

 

あの老害の下らない裏工作によって私から引き離されてしまった。僅かな時間とはいえ私からダフネを引き離したのだ。これでまた無意味で無価値な時間が増えてしまった。

本当に余計なことばかりをする老害だ。

そもそも私を監督生にしないのもあまりに露骨な嫌がらせなのだ。別に監督生になりたくもなかったが、私に少しでも特権を与えたくないという魂胆が見え透いている。それ程までに私に自由を与えたくなかったのだろうか。これでは実際にホグワーツに着けば一体どれ程の監視体制が敷かれていることか……。

まったく想像しただけで嫌になる。何故私は学校に行くだけでここまでの心労を負わねばならないのだろうか。ただでさえ吸血鬼であることを隠さねばならないのに、更にこれからは……。

私は憂鬱な内心のままに、一つのコンパートメントを魔法で占拠しながら一人黄昏れる。いつもであればここに一応の幼馴染であるクラッブとゴイルがいるはずだった。しかし今こんな気分で、それこそお兄様やダフネもいない中、ただ二匹の豚の飼育係になる心の余裕などない。パーキンソンやブルストロード、ノットやザビニも然りだ。今ダフネやお兄様以外の人間と話す元気など私にはないのだ。ここで不愉快なまでのお世辞やゴマすりを言われれば、私は彼等にどんな対応を取るか分かったものではない。特に『死喰い人』の親を持つ人間とは……。

だからこそ私は一人になるため、コンパートメントに『人避けの呪文』をかけていた。夏休み中()()()()()()()()()()()魔法だ。ここに入れる条件は、私に()()()()()()()()()()()()()こと。そんな人間はホグワーツ広しと言えども数人しかいない。それこそダフネとお兄様しか。唯一グレンジャーさんもその限りではなさそうだが……あれだけ拒絶したのだから流石に彼女もここまでは入ってくることはないだろう。そもそも彼女はグリフィンドールの監督生に選ばれているだろうから、私の懸念は杞憂に終わるに違いない。

だからこそここには新任監督生への話が終わらない限り誰も立ち入らない……はずだった。

 

なのに、

 

「あ、ダリア・マルフォイだ」

 

何故か私の魔法を突破し、あまつさえどこまでも気軽な調子で話しかけてくる女生徒がコンパートメントに乱入して来たのだった。

しかも入ってくるだけでは飽き足らず、

 

「どうやってここに……部屋には『人避けの呪文』を。いえ、そういう貴女は?」

 

「あたしはルーナ。ルーナ・ラブグッド」

 

そのまま自己紹介らしきものをした後、私の目の前の席に腰掛けてしまった。

訳が分からなかった。突然起こった予想外の事態に頭が混乱している。そもそもこの女子生徒は誰なのだろうか。いや、名前は先程名乗られはしたが……それでも彼女が何者であるのかサッパリ分からない。

濁り色のブロンドの髪が腰まで伸び、バラバラと広がっている。眉毛がとても薄い色のため目が飛び出しているように見え、普通の表情であるはずなのにどこかビックリした顔のようだ。普通にしていればそれなりに美人であろうに、あまりに格好や表情に無頓着なせいでどこからどう見ても変人にしか見えない。挙句の果てにバタービールのコルクを繋ぎ合わせたネックレスを掛けていたり、杖を左耳に挟んでいたりともう理解不能だった。

そして彼女はそんな変人な見た目通り、どこまでも無頓着な様子で私の目の前に座るとそのまま『ザ・クィブラー』という今まで見たこともない雑誌を読み始めてしまった。

許可を求めずコンパートメントに居座る態度もそうだが、彼女からは一切の私に対する恐怖心は伺えない。

 

……本当にこの子はどういう生徒なのだろうか。

 

今まで見たことも聞いたこともないタイプの女生徒にただ私は困惑する。しかしここで黙っていても何も話は始まらない。このまま放っておけば彼女はいつまでもここに居座るだろう。何故か雑誌を()()()()()()読んではいるが、こちらに一瞥もくれないことから集中して読んでいることは確かだ。このままではいつまでもここに居座られてしまう。

だからこそ私は不本意ながらも、何とか混乱する内心を抑えて彼女に話しかけたのだった。

 

「……それで、ラブグッドさん。一体どうやって……いえ、どうしてここに入ってきたのですか?」

 

しかし意を決して話しかけたものの、我ながら実に曖昧な質問だと思った。一方それに対する答えも、

 

「ラックスパートがいたと思ったんだもん。そしたらここにダリア・マルフォイがいたの」

 

見た目相応に頓珍漢なものでしかなかった。コンパートメント内に再び奇妙な沈黙が舞い降りる。

一体私はどうすればいいのだろうか。もはやどうするべきか全く案が浮かばない。分かるのは彼女が私に対して恐怖心を抱いていないという荒唐無稽な事実のみ。……ラックスパートって何?

いくらでも疑問はある。なのに私の口から次に出て飛び出したのは、突然浮かんだひたすらどうでもいい疑問でしかなかった。

 

「ラックスパート? 寡聞にして聞いたことのない生き物……なのでしょうか? それは一体何ですか?」

 

「人間の耳から頭に入り込んで、その人の頭をボーっとさせる生き物のことだよ。目に見えないけど、ここにいっぱいいる気がしたんだもん」

 

……質問しておいてなんだが、私は一体何の話をしようとしていたのだろう。

何だか平然と返されてしまったが、本当にそんな生き物は存在するのだろうか? 

益々疑問符だらけになる思考。もはや私は次に何を言えばいいのかも分からず、目の前の女生徒は女生徒で再び雑誌を読みふけっている。

しかしそんな沈黙は突然、

 

「あっ、ジニーだ。あたし、あの子の所に行くね」

 

他ならぬこの混乱をもたらした少女自身によって終わりを告げたのだった。

雑誌を真剣に読んでいただろうに、外を偶々通りかかった忌々しい赤毛に突然顔を上げ、そのまま勢いのままふらりとコンパートメントを後にした。

 

残されたのは、突然のことに未だ驚き……それ故に先程まで感じていた鬱屈とした感情が吹き飛んでいる私のみだった。

本当に一体彼女は何だったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「それじゃあ、ハーマイオニー。後はホグワーツに着いてからね。私達はダリアの所に戻るよ」

 

「え、えぇ。……ダリアにもよろしく言っておいてね」

 

「うん。……まぁ、伝えるだけ伝えておくよ」

 

ようやく監督生の話や仕事が終わり、私はドラコと共にダリアのいるコンパートメントを目指す。早く行かなくては。この夏休み中ずっと心労に晒され続けた彼女をこれ以上一人にすることは出来ない。どうせ今頃はクラッブやゴイルだけならいざ知らず、裏の事情をよく知るスリザリン生に絡まれているに違いない。

彼女が無表情の下でどんなことを考えているかも知らずに。

だから私達は先頭車両から全てのコンパートメントを覗き込み、彼女のあの美しい白銀の髪が見えないか探す。

 

しかしようやくダリアのいるコンパートメントを探し出したわけだけど、

 

「ダリア! ようやく終わったよ! もう無駄に長くて……あれ? ダリア一人だけ?」

 

意外なことに彼女のコンパートメントには彼女一人しかいなかった。それに表情も別れる前まで浮かべていた暗い無表情ではなく、何故かポカンとした表情を浮かべている。そして表情同様どこか驚いた様子の声で私の質問に答えたのだった。

 

「え、えぇ……()()一人です。この部屋には『人避けの呪文』をかけていたので。私に恐怖心を持っていない人間しか入れない()()です」

 

何故ダリアがこんな表情を浮かべているのかは分からないけど、彼女が独りでいた理由は理解した。

結局のところスリザリン生はどんなにダリアにすり寄ろうとしても、内心では彼女に対して強い恐怖心を抱いている。それは純血主義であればある程寧ろ強いのかもしれない。お近づきになれば圧倒的な権力が手に入るものの、もし睨まれれば社会的どころか物理的に死ぬ可能性がある。そう奴らは考えているに違いない。ならばこそ彼女の魔法を潜り抜けられるのは私とドラコ、そして他寮ではハーマイオニーしかいないのだ。

私はダリアが苦しい思いをしていなかったことに嬉しさを感じる一方、どこか釈然としない気持ちを抱えながらダリアの前に腰掛ける。

しかしドラコの方は彼女の事情は最初から分かっていたと言わんばかりに、ダリアの隣に腰掛けながら私がもう一つ気になっていたことを尋ねた。

 

「ダリア……どうかしたのか? 何か()()()()でもあったのか?」

 

そしてその質問にダリアはやはりどこか不思議な表情を浮かべながら、

 

「ラックスパートです……。ラックスパートが入ってきたんです」

 

更に意味不明な返答をしたのだった。

ラックスパート?

ダリアが悲しい思いをしていなかったことを喜んでいた様子のドラコも、この意味不明な答えには流石に困惑した表情を浮かべている。おそらく私も同様の表情を浮かべていることだろう。

 

「……ラックスパートってなんだ?」

 

「さぁ、私にも。……なんでも耳から頭に入り込んで、その人の頭をボーっとさせる生き物なのだそうです」

 

しかしダリアはそこまで答えると、ようやく意識がこちらに戻ってきたのか小さく、

 

「すみません。少し不思議なことがあったもので。……あんな子もホグワーツにいたのですね。そ、それより、お待ちしていましたよ、ダフネ、お兄様。この部屋には貴方達しか入れないはずですから、これからはずっと一緒にいましょうね!」

 

呟いた後、気を取り直したように渾身の笑顔を浮かべてくれていた。

そこには汽車に乗るまで浮かべていた暗い表情はどこにもなく、以前まで私達だけに見せてくれていた無表情の上からでも分かる笑顔があったのだった。

私達がいない間に何があったかは分からない。でもダリアの笑顔が少しでも戻ったのなら何でもいいや。たとえこれが一時的なものでしかなく……状況が何も変わっていなくとも、この時間もまた本物なのだから。

そう思い、私もようやく笑顔を浮かべることが出来ていた。

 

 

 

 

少なくとも汽車を降り、あのいつも見ていた透明な馬に引かれた馬車を見るまでは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

あれ程明るかった外は今は昏くなり、車内を照らすのは窓から入り込む月明りと車内ランプのみ。そんな中、

 

「やっと着いたみたいね」

 

「あぁ、早くご馳走にありつきたいよ。腹減って死にそうだ」

 

汽車がいよいよ速度を落とし始めたため、私達は急いで汽車から降りる仕度を始めたのだった。

私は膝の上で寝ていたクルックシャンクスを抱き上げ、元のケージの中に入れてあげる。彼は本当に賢い猫だからその間も文句ひとつ言わない。そしてそんな彼を愛おしく見ている私に()()が声をかけてくる。

 

「賢い猫だね。多分ニーズルの血が入っているんだと思うな」

 

空腹を訴えながら仕度を整えるロンの隣から、今日初めて知り合った彼女の声。

私はその声の主である()()()に飛び切りの()()で応えた。

 

「えぇ、私の自慢の家族よ。……()()()()彼のことを気に入ってくれているわ」

 

ルーナ・ラブグッド。ハリーやジニーと共にこのコンパートメントにいた彼女は、バタービールのコルクを繋ぎ合わせたネックレスを掛けていたり、『ザ・クィブラー』という胡散臭いことで有名な雑誌を読んでいたりと見るからに変人だと分かる見た目をしている。

でも私はそんな()()()()()など気にもならず、今日初めて会ったにも関わらず親し気な声で応えたのだった。

 

何故なら彼女は……私と同じく、ダリアとダフネに全く偏見を持っていない数少ない生徒の一人だから。

 

彼女はロンが部屋に入るなり言い始めた言葉に真っ向から反論したのだ。

 

『やっと終わったよ! 何が監督生だよ。まったく、スリザリンの監督生が誰だか分かるかい!? あのドラコとダフネ・グリーングラスだよ! ダリア・マルフォイでないだけいいとはいえ、よりにもよってあのグリーングラスを、』

 

『あれ? 監督生はダリア・マルフォイじゃないんだ。ダンブルドアも変な人選をするんだね。ダリアはいい人だとあたしは思うけどな。だってあの人あんなに綺麗なんだもの』

 

つい数時間前の瞬間のことを私は忘れはしない。

ジニーの友人である彼女はどうやらレイブンクロー生らしく、私は彼女のことを全く知らなかった。だから彼女のようにダリアに全く偏見を持っていない生徒がいたことに……私は少なくない驚きと感動を覚えたのだ。

考えればそもそも彼女の考えこそが正しい物であり、周りの人達の方が間違っていると言える。でも、それでも彼女のような生徒に会ったのは初めてなため、私はどうしよもなく嬉しくて仕方がなかった。

だから私は彼女への最初の第一印象など忘れ、もはや彼女のことを大好きな後輩だとすら感じていた。

今なら彼女の父親が編集者だという『ザ・クィブラー』でさえ素晴らしい雑誌に思える。内容が出鱈目であることは間違いないけど、今なら寛容な気持ちで読めることだろう。

そしてそんな私の気持ちを感じ取ったのかは知らないけど、

 

「そうなんだ……。ダリア・マルフォイも……」

 

ルーナも私の答えに僅かに口元を綻ばせていたのだった。

不安しか感じない一年の始まりだったけど、こうして素晴らしい後輩と知り合うことも出来た。そんな小さな幸福を私は噛みしめながら汽車を降りる。

 

……しかしその幸福感も、

 

「一年生はこっちに並んで! 一年生はこっちだよ!」

 

すぐに強烈な違和感によって遮られることになる。

いつもであればここでハグリッドの、

 

()()()年生はこっち!』

 

という独特な声が聞こえてくるはずだった。でも今聞こえるのはグラブリー・プランク先生という、去年一度だけハグリッドの代わりに『魔法生物飼育学』を代行した先生の声だけ。見れば突き出した顎とガリガリに借り上げた髪が特徴的な先生の姿のみ。あの懐かしい大きな体はどこにも見当たらない。

しかも去年までとの違いはそれだけではなかった。

どれだけハグリッドの不在を心配しても、私達がすぐにホグワーツに向かわなくてはならないことに変わりはない。しかしそのいつも通りの道のりの途中、

 

「な、なんだ、この()!?」

 

突然ハリーがそんなことを言い始めたのだった。

 

 

 

 

目の前にはいつも通り()()()の馬車が立ち並んでいる。

私達の……ハリー以外の人間が驚いている様子は一切ない。

でもハリーだけは恐怖したかのように馬車の前で立ち竦み、私達には見えない馬をひたすら見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーナ視点

 

ダリア・マルフォイ。

あの人をあたしが初めて見たのは一年生の頃、奇しくもあの人が『継承者』として疑われている真只中だった。

あたしが見た時、あの人は一人で廊下を歩いていた。それもいつもの無表情の上からでも分かる程、どこか寂しそうな表情を浮かべた状態を。

あたしは周りのレイブンクロー生が話しているのを聞いたことがあった。

 

『私……本当に怖い。私は純血なんかじゃないわ。きっとあいつに襲われてしまうわ。本当に……どうして学校はあんな奴を退学にしないの!? あんないつも人を見下すような目をして、偉そうに取り巻きを連れて歩くような奴を……。あいつが継承者であることは間違いないのに、どうしてまだ学校に残しておくのよ!』

 

でも実際にあたしがあの人を見た時の姿は、決して他の人達が言っていたような姿などではなかった。

無表情であることは間違いないけど、とても寂しそうで……どこまでも孤独で悲し気な姿だったのだ。その姿を見れば、決してあの人が『継承者』だなんてあたしには言うことが出来なかった。

 

……あたしにはあの人がただの表情を作るのが下手なだけな人にしか見えなかった。

 

だからこそあたしは決してダリア・マルフォイのことを恐れたことはないし、恐らくこれからもあの人に恐怖を覚えることはないと思う。あの人が『継承者』ではなかったのなら尚更。あたしがあの人を恐れる必要なんてない。

それにダリア・マルフォイは……あたしから見てもとっても綺麗な人なのだ。皆から変わっているとよく言われるあたしでも、あの人が本当に綺麗な人だということくらいは分かる。おそらく皆もあの人が綺麗だからこそ……寧ろ綺麗すぎるからこそ怖がっているのだと思う。

そしてそんなあたしの考えは正しく、

 

『ラックスパート? 寡聞にして聞いたことのない生き物……なのでしょうか? それは一体何ですか?』

 

『人間の耳から頭に入り込んで、その人の頭をボーっとさせる生き物のことだよ。目に見えないけど、ここにいっぱいいる気がしたんだもん』

 

実際ダリア・マルフォイはあたしの話を決して嫌がらずに聞いてくれていた。

あの人のコンパートメントが空いていたのを見つけたのは本当に偶然だった。ラックスパートを探して汽車の中を歩いている時、汽車の中で一番キラキラした部屋に入ったらあの人がいたのだ。まるで御伽噺に出てくるような綺麗な女の子。あたしが今まで見てきた中で一番綺麗だと思う人が、少し物憂げな無表情を浮かべながら窓の外を見ている。その光景に思わずラックスパートのことも忘れて中に入り、驚きながら質問してくるあの人に応えた。

交わした言葉は数秒だけ。でもあの人が他の人達とは違い、あたしを決して馬鹿にしていなかったことだけは分かる。

あたしはダリア・マルフォイがやはり皆が言うような人ではないという確信を得たのだ。

それに今日知り合ったハーマイオニー・グレンジャーも私と同じ意見の様子だった。いつもスリザリン生と反目しあっているグリフィンドール生が言うのだから間違いないと思う。

 

皆ハーマイオニー・グレンジャーのように、素直にあの人のことを綺麗だと思えばいいのに。そうすればあの人がただ表情を作るのが下手なだけで、本当は表情を隠すのも下手だと分かるのに。

そうあたしは考えていた。

 

でも同時に……

 

「な、なんだ、この馬!?」

 

それは今年も叶わないだろうとも思っていたけれど。

ホグワーツ城に向かう馬車が立ち並ぶいつもの光景。そんな光景にハリー・ポッターの声が響き渡る。声の方に目を向ければ、先程まで一緒のコンパートメントにいた彼がある一点を凝視して硬直していた。

そう、本来なら他の人に見えるはずのない……死を見たことある人しか見えない馬、セストラルの姿を。

肉の全くない、まるで骨に黒い皮だけを張り付けたような体。背中にはまるで蝙蝠のような翼を生やしたセストラルの姿が、確かに彼の緑色の瞳には映りこんでいた。

 

あの反応からすると、彼は()()()()()()()今年になって初めてセストラルのことが見えるようになったのだろう。理由は簡単に思いつく。皆は彼が嘘をついていると思っているけれど、『例のあの人』が復活して、その過程でセドリック・ディゴリーが殺されたのだ。それもハリー・ポッターの目の前で。それが彼がセストラルを見えるようになった理由だろう。

 

そしてもう一人……ハリー・ポッターの向こうで、

 

「ダリア? どうしたの?」

 

「……」

 

同じようにこの子達を見て驚いている様子の()()()()()()()()()()

あの人が誰の死を見たかは分からない。でもそれはあの人の家庭環境を考えると……決して本来見ていいものではなかったように思えて仕方がなかった。

 

だからこそあたしは改めて思う。

 

おそらく……今年もあの人の辛い状況は変わることはないのだろうな、と。



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魔法省からの監視員

ダリア視点

 

セストラル。人の死を見ることで、初めてその異形な姿を捉えることの出来る魔法生物。

おそらく魔法界の中では死の予兆を表すグリムやオーグリーと並んで不吉なことで有名な生き物だろう。名前だけならほとんどの魔法使いが知っている。

しかし知名度に反比例して、グリムとオーグリー同様この生物の姿を見たことのある魔法使いはそれ程多くない。何せ目の前で人が死にゆく姿を直に見なければならないのだ。身近な人の死とてそうそう見ることはない。

かくいう私も、()()()()()去年までセストラルの姿を見ることは出来なかった。透明な馬から何となくの予想自体はしていたが、姿が見えない以上予想に過ぎなかった。

 

でも今は……。

 

私とお兄様、そしてダフネを乗せた馬車は悠々とホグワーツ城への夜道を進んでゆく。馬車の窓にはホグワーツ城を囲む鬱蒼とした森が見え、空には満天の星空が輝いている。

ここまではいつも通りの光景。もう少し進めば学校の入り口にそびえ立つ猪の像も見えるはずだ。

しかしそんないつも通りの光景に、今年は去年までは決してなかったものが映りこんでいる。

この馬車……どころか他の生徒も乗る全ての馬車を引いている、まるで骸骨のような不気味な姿をした生き物が。それは人の死を見ることで初めて見ることが出来るセストラルの姿に他ならなかった。教科書のみでしか知らないはずの姿が、今私の目の前に実在しているのだ。

 

「……ダリア、大丈夫? さっきから様子が変だよ? 何か……何か馬車の前に見えるの?」

 

「……」

 

私はこちらに心配げに話しかけてくれるダフネに応える余裕もなく、ただ茫然とセストラルの歩く姿を見つめながら考える。

何故。一体何故私はこの生き物をこの段階で見えるようになってしまったのだろうか?

いや、そんなことは考えるまでもない。今年の夏休みに見た死。いくら闇の勢力に仕方なく身を置いているとはいえ、目の前で見た死など一つしかない。

 

『い、嫌だ! こ、こんなはずじゃなかったんだ! 私はこんな所で死ぬはずじゃ! だ、誰か助けて! まだ死にたくなんてない!』

 

カルカロフ元校長が足元に縋りついてくる感覚。小屋に響く彼の叫び声。呪文を受け、段々と冷たくなっていく彼の手。そしてその時覚えた()()()()……。

今でもあの時の感覚を鮮明に思い出せる。思えばあの時本当の意味で何かが変わった気がする。実際に初めて見た、人が目の前で死にゆく姿。それも寿命や病気ではなく、誰かに殺されるという()()な死に方で。

思えば闇の帝王が復活し、実際に目の前に姿を現しても本当には実感していなかったのかもしれない。

 

私の愛する日常は……本当に終わってしまったのだということを。

もう決してマルフォイ家は……私は後戻りできない、もう前に進むしかないということを。

 

それをカルカロフ元校長が目の前で死ぬことで、ようやく私は実感したのだ。そして今もこうしてセストラルの姿が私に再確認させる。この一見いつも通りの日常の足元には、もはや日常とはかけ離れた何かが蠢いているのだ。

 

「ダリア! ……どうかしたの?」

 

しかしそこまで考えた時、ダフネの大声が私の意識を現実に引き戻す。

大声に視線を戻せば、そこにはこちらを不安そうに見つめるダフネとお兄様の姿。お兄様も声こそ上げていないが、こちらに心配げな視線を送っていることに変わりはなかった。

私はそこで初めて自身の余裕のなさを自覚し、これではいけないと無理やり笑顔を浮かべようとする。ある意味で先程まで突然の出会いに全てを忘れていたことも、自身の今の状況を表していた。いつもの私であれば、あの程度の出来事にも適当に対処出来ていたはずなのだ。なのにただ私の魔法を突破され……聞いたこともない生き物の名前を言われただけで思考能力を奪われていた。

後から考えれば、どう考えても先程の私はいつもの私ではなかった。何故あのような得体のしれない生徒に、数分とはいえ同じコンパートメントに同席することを許したのだろうか。

 

結局あの不可思議な雰囲気の少女も、ただ私のことを知らなかったからこそ私を恐れていないだけなのだ。

私という存在を認識さえすればきっとあの女生徒も……。

 

尤もそれを今悔いても仕方がないのも事実。私はいつもの無表情に精一杯の笑顔が浮かんでいるのを祈りながら、目の前の大切な人達の視線に応える。

 

「……なんでもありません。ただ少し……外に見える景色に見とれていただけです。お二人が心配するようなことは何もありません」

 

「……ダリア」

 

しかしそれは逆に二人の不安を煽ったらしく、彼らはより一層何とも言えない表情を浮かべるだけだった。

 

 

 

 

夜は更ける。私達の事情などお構いなしに。たとえセストラルという不吉な生き物が見えようと、それは決して変わることはない。

しかも今夜私を憂鬱にさせる出来事は……

 

()()()()()()()! 皆さん初めまして。わたくし、この学校に再び戻ってこられて本当に嬉しいですわ!」

 

まだまだ終わりではなかったのだから。

この日自分の最も好きで、しかし同時に()()()()()を除いて最も嫌いな科目が……やはり例年通りの時間になることを知ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

汽車の中でも薄々感じてはいた。たとえ監督生バッジに浮かれていはしても、決して周りに目を向けていなかったわけではない。

それに、

 

『あ、ハーマイオニー……ハリーは一緒ではないの? ということはようやく貴女も分かったのね。彼の()()に。夏休みの間、貴女がまだ彼とべったりしているのではないかと思って心配していたのよ』

 

同じグリフィンドールであり、尚且つ私のルームメイトであるはずのラベンダーにあんなことを言われれば嫌でも分かってしまう。

ハリーの今年置かれるであろう立場を。

去年まで彼女は決してハリーに対してあんなことを言う子ではなかった。あの忌々しい占い学を信じる辺り、何事にも感化されやすい子ではあると思っていたけど……決してあんなことを言う子では。

振り返れば車両の中で彼女のようにどこか嫌悪感の籠った視線を送ってくる生徒は他にもたくさんいた。ハリーといつも一緒にいる私でさえこうなのだ。実際にハリー本人が向けられる視線はいか程の物だろうか。

そしてそんな私の懸念は見事に的中することになる。

()()な馬に引かれた馬車で城に辿りつき、いつも私達が食事を摂る大広間の中に入る。大広間には四つの寮の長テーブルが並んでおり、それぞれの席で大勢の生徒達が既に着席し、思い思いに夏休みについて話していたわけだけど……ハリーが大広間に足を踏み入れた瞬間、大広間の中が一斉に静まり返った。そして皆額を寄せ合い、ひそひそとこちらに軽蔑した視線を送りながら噂話を始めるのだ。

彼等の声が聞こえるわけではないけれど、彼等が一体何の話をしているかなど火を見るより明らかだった。

私は隣で今にも堪忍袋の緒が切れかけているハリーに話しかける。

 

「ハリー、放っておくのよ。あの人達はただ魔法省の出す下らない記事を信じ込んでいるだけよ。その内否が応でも自分達が間違っていたことに気が付くことになるのだから。それより早く座りましょう」

 

ハリーが辛い思いをしているのは間違いない。こんな侮蔑や警戒の籠った視線を受けて耐えられるのは、それこそダリアくらいのものだろう。傍に居るだけの私ですら嫌な思いをするのだから、ハリーの内心は本当に辛いものだと思う。

でもこんな状況になるのは今年の初めから分かっていたこと。そしてこの状況は魔法省が『あの人』が復活した事実を認めない限り続く。

だからこそ私は自分の嫌な予感が現実になってしまったことを嘆きながらも、本当は自分も怒りの声を上げたいのを我慢してハリーを諭すしかなかった。ここで怒りの声を上げようものなら、今以上に辛い思いをするのは目に見えている。一時の感情に流されれば、それだけ相手にハリーを攻撃する材料を与えてしまうことになる。だから今はとにかく冷静になるしかないのだ。

そしてそんな私の思いが少しでも通じたのか、ハリーも私の言葉に小さく頷いてから席に着く。未だに表情は硬いままだけど、少なくとも周りの人間に当たり散らすことはなさそうだった。

私はハリーの様子に安堵しながら彼の隣に座る。そう、今はこれしか方法がない。たとえどんなに辛くても、今は耐えるより方法がないのだから。

 

それに同じような境遇にあるダリアとは違い……ハリーには味方も沢山いる。

 

「そうだぜ、ハリー。ハーマイオニーの言う通りだ。ファッジが君に謝りに来るのも時間の問題なんだ。その時にあいつらがどんな顔をするか……見ものだよ」

 

ハリーを守るように、彼の対面に腰掛けるロン。私と同じくハリーの隣に座るジニー。他寮であれば、いつの間にかレイブンクローの席に行ってしまったルーナ。そして教員にはダンブルドア校長を筆頭に多くの先生方がハリーに気づかわし気な視線を送っているのが見える。

その証拠に、

 

『あぁ、願わくば聞き給え

 歴史の示す警告を

 ホグワーツ校は危機なるぞ

 外なる敵は恐ろしや

 我らが内にて固めねば

 崩れ落ちなん、内部より

 すでに告げたり警告を

 私は告げたり警告を……

 いざいざ始めん、組み分けを!』

 

新一年生が大広間に入り、いざ組分け儀式が始まった時……例年であればただ一年生を歓迎する歌を歌うはずの『組み分け帽子』が不吉な歌を発したのだ。

一年生達が入ったことで一旦は静まり返っていた大広間も、帽子が歌い終わったことで再び喧騒で満ち溢れる。皆ハリーの言葉を信じていなくても、否が応でも悟ったのだ。魔法省は否定していても、この学校の教師陣は勿論、あの今世紀最高の魔法使いであるダンブルドアも彼のことを信じているのだと。そしてこうして組み分け帽子を通して私達に再び警告して下さっているのだと。

そう、どんなに辛い状況であっても、ハリーは決して一人などではない。私を含めた大勢の仲間がいる。彼のことを信じ、彼の存在に希望を持つ人達が。

 

今は苦しくても、決して絶望する必要性なんてないのだ。

 

……もっともたとえ味方が多かったとしても、やはり、

 

「保持すべきは保持し、正すべきは正し、禁ずるべきやり方と分かったものは何であれ……()()であれ切り捨て、いざ前進しようではありませんか」

 

敵が多いことにも変わりはないのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

私にとってホグワーツにいる時間とは、すなわちダリアやドラコ……それに最近ではハーマイオニーと共に過ごす時間に他ならなかった。

特に人生で初めてできた親友であるダリアと一緒にいるのなら、それはたとえどんな時間でも輝いているものなのだ。たとえどんな場所、どんな時間であっても。

……でも今は違う。たとえどんなに豪華な食事が目の前に並んでいようとも、ダリアと一緒にいたとしても、彼女が幸せそうでなければ何の意味もない。あの透明な馬車を見てから、彼女の様子が明らかにおかしいのだ。本人は隠しているつもりでも私にはまるわかりだ。その上ただでさえダリアが不安そうな表情を浮かべているというのに、それに追い打ちをかける様に、

 

「マルフォイ様! お、お久しぶりです。ご、ご機嫌いかがですか?」

 

「……えぇ、それなりに」

 

去年にも増して、ダリアに対するゴマすりが数分毎にされているのだから。

恒例……とは今年の様子からは言い難かったけれど、無事組分け儀式も終わり、目の前に豪勢な食事が並んでいるというのに、ただでさえ固いダリアの無表情が更に冷たいものになっているのだから間違いない。まぁ、元々ダリアはこういう()()()()が嫌いだったのだからそれも当然だろう。その上こいつらがこんな風に話しかけてくる理由も、彼らの親が誰かしらの『死喰い人』に繋がっているから……水面下で蠢いている闇の勢力のことを知っているからと思えば、ダリアにとって愉快な話であるはずがない。

彼等は知っているのだ。魔法省の報告とは違い、本当に闇の帝王は復活していることを。口ではハリー・ポッターのことを馬鹿にしているけれど、内心では真実がどちらにあるのかとっくの昔に気付いている。その上で尚ポッターを馬鹿にしているに過ぎない。どちらが闇の勢力にとって有利に働くか知っているから。だからこそこうした場では、なりふり構わずダリアに媚びを売ろうとしている。15歳の少女でありながら、あの闇の帝王にも目をかけられている彼女に。

それが誰よりも聡明である彼女には分かっているからこそ、こうしていつもの無表情を不愉快そうに歪めているのだ。

 

「……ダリア、大丈夫?」

 

でも無力な私には今の彼女に気の利いた一言もかけてあげることが出来ない。何度も同じ質問ばかり。

大丈夫か?

そんなの大丈夫でないに決まっているのに。闇の帝王が復活したことによりダリアの生活は一変してしまった。あれだけ大切にしていた家族との時間も、任務やら教育とやらで時間を潰されてしまった。そして今もこうして自分が誰の物であるかを再確認させられる。どれもダリアが一番嫌がることばかりだ。大丈夫であるはずがない。

私はそれを彼女からの手紙で知っていたはずなのに……。ダリアは去年までのように事情を隠すことなく話してくれた上、夏休みの間だって時間はいくらでもあったはずなのに、私はこんなにも……無力だった。ダリアに真の意味で寄り添ってあげることも出来ていない。

でも優しいダリアはそんな無力な私に、寧ろ気づかわし気に、

 

「大丈夫ですよ。……貴女が心配するようなことは何もありません」

 

そんなとても信じられないようなことを、これまたどう考えても無理のある笑顔で応えるのだった。無理をしているのか口角がまるで痙攣しているかのように動いている。

私の無力さが、寧ろ彼女に負担をかけているのは明白だ。そしてそれはドラコも同じなのか、もはや悲痛そのものの表情でダリアのことを見つめていた。

しかしどんなに私達が心配していたとしても、ダリアの事情が変わるわけではない。媚びた表情を浮かべた男子生徒が去った後、今度はいつも私達を取り囲んでいるパンジー達がやってくる。

 

「あら、ドラコ! それにダフネに……ダ、ダリアも。汽車の中でも探したのよ。それなのに全然見つからないんだもの。一体どこにいたのよ」

 

「……」

 

……おそらく彼女も、そして彼女の背後に控えているミリセントやセオドール、クラッブにゴイルにブレーズもダリアのことを知っているのだろう。特にクラッブとゴイルは勿論、セオドールの父親は本物の『死喰い人』だから事情を知っていても何もおかしくはない。セオドールを含めて、どこか全員がダリアに対していつも以上に媚びる様な……そしてどこか恐怖したような表情で席に着いた。ドラコが不機嫌そうな表情でパンジーの質問にも黙り込んでいるのにはお構いなしだった。

しかし恐怖の方が勝っているのか、席に着いたものの中々話し始めようとはしない。いつもであれば口々にダリアに話しかけるであろう男子陣も、ダリアの垂れ流すどこか不機嫌な雰囲気に口をつぐむしかない様子だった。でもいつまでも黙っているわけにはいかない。気まずい空気が流れ始める中、パンジーが目ざとく私とドラコの胸に付けたバッジについて話し始める。

 

「あ、あぁ! ドラコ、そのバッジ! それって監督生バッジよね! 流石はドラコだわ! やっぱり貴方が今年の監督生に選ばれたのね! 貴方以外なんて考えられなかったけれど、あの爺なら何をしでかすか分からないのよね。それに……あ、あら!? 女子の監督生って、ダリアではなくダフネなの!?」

 

そこでようやくダリアに話しかける話題を手にしたと思ったのか、今まで黙り込んでいた男性陣も一斉に話し始める。

 

「そ、そんな馬鹿な! まったくふざけた話です! ダリア以外に監督生に相応しい生徒などいないというのに!」

 

「お、俺もそう思います!」

 

「俺も」

 

そこから始まる罵詈雑言の嵐。皆口々にこの采配をしたダンブルドアを馬鹿にし始める。ダリアの関心を引きたいがためにダンブルドアを貶していることもあるのだろうけど、ダリアが監督生に選ばれていないことに納得できないこともまた間違いなさそうだった。

かくいう私もその意見自体には全面的に賛成だし、今でもダンブルドアは愚かな選択をしたと思っている。

しかし彼らは絶望的に間が悪かった。あまりの大声に今まで監督生の件に気が付いていなかった生徒の視線も集めてしまった上、ただでさえ機嫌が悪かったダリアが、

 

「……私は監督生などに全く興味はありませんよ。それに皆さんは……もしやダフネが監督生に相応しくないとでも言いたのですか?」

 

そんなことを苛立たし気な口調で尋ねたのだった。曲解この上ない上に、ダリアは普段こんなことを言うはずはないのだけど……やはり余程余裕がなくなっているのだろう。彼らの思惑は完全に裏目に出てしまったのだ。

 

「そ、そのようなつもりでは……ど、どうかお許しを」

 

そんな言葉を最後に、パンジー達どころか辺り一帯の生徒達がダリアの殺気に黙り込む。もはやダリアの幼馴染であるクラッブとゴイルですら恐れをなしたように完全に黙り込んでいた。しかも表情を完全に恐怖に歪ませて。

それにダリアも自身の失敗に気が付いたのだろう。今度はダリアの方が慌てた様子で彼等に言葉をかけようとする。しかし、

 

「い、いえ、私の方こそ申し訳ありません。私はただ、」

 

「さて、皆またしても素晴らしいご馳走に満足したことじゃろう!」

 

毎度のことタイミングの悪い老害の言葉で、ダリアの言葉は遮られてしまったのだ。

私を含めた苛立ちの視線にも気付かず、老害は機嫌よさそうに話を続ける。もっともその言葉も、

 

「皆が眠くなってしまう前にいくつか連絡事項じゃ。例年と同じく『禁じられた森』は立ち入り禁止じゃ。一年生諸君および、上級生の幾人かは決して立ち入らぬように。そして次に今年は先生が二人替わった。ハグリッドが()()()()休養を取っておるため、以前まで教鞭をとっておられたグラブリー・プランク先生が『魔法生物飼育学』にお戻りになる。更にもう一人、今年はこちらのドローレス・アンブリッジ先生が『闇の魔術に対する防衛術』を担当される。さて最後に、今年のクィディッチ寮代表選手の選抜の日じゃが、」

 

()()()()()()()!」

 

あいつの紹介する新任教師によって遮られることになるのだけど。

ダンブルドアのことは大っ嫌いだけど、あまりに初めての事態にダリアも私も苛立ちの表情から一転、驚愕のものに変わる。何故なら老害の一年始めのスピーチが遮られることなんて一度もなかったのだ。そもそもそんなことをする教師がいるなんて想像もしていなかった。あの空気を読まないことで定評のあるスネイプ先生だって、どんなに不機嫌な時でもそんなことはしないだろう。それが遮られたことで私は驚きの後、少しだけ小馬鹿にした感情を抱きながら新任教師の方に視線を向ける。見ればずんぐりとした体の、それもけばけばしいピンクのアバンドの魔女が、まるで今からスピーチをしようとするかのように立ち上がっている。恰好同様、やはりどこまでも空気を読めない質の人間であるらしい。それは他の大勢の生徒も同じ感想らしく、大広間のあちこちから鼻で笑うような音が聞こえていた。

 

 

 

 

約二人の例外を除いて……。

一人はグリフィンドールの女子生徒、そしてもう一人は私の隣に座る女の子。いずれも私の親友である彼女達だけは、決して周りの生徒達とは違い……新任教師に侮った視線を送ってはいなかったのだ。

それどころかその瞳には酷く警戒したものが含まれていた。それこそダリアのものに至っては……ダンブルドア以上に警戒した視線を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ドローレス・アンブリッジ。その魔女の名前は、実はかなり昔から知っていた。

お父様から以前より耳にしていた、狼男の杖の所持まで禁止にしようとしていた高官魔女。聞けばその他の亜人に対しても同様に露骨な差別意識を抱いているらしい。狼人間に対する法案も含めて陰でお父様が潰しているからこそ何とか事態は収まっているが、放っておけば魔法界は私にとって更に生きにくい世界に変わっていたことだろう。

 

「ダンブルドア、素敵な紹介ありがとうございます。ぇへん、ぇへん! 皆さん初めまして。わたくし、この学校に再び戻ってこられて本当に嬉しいですわ!」

 

そしてその高官魔女の名前こそが……今私達生徒の前で演説している新任教師。ドローレス・アンブリッジに他ならなかった。

何故魔法省の人間が『闇の魔術に対する防衛術』教師に?

そんな疑問が咄嗟に浮かぶが、その答え自体はすぐに思いつくことが出来た。

現在闇の帝王は秘密裏に行動している。そしてそれを後押しするように、奴の復活を一切信じようともしない魔法省の愚図共。彼等が闇の帝王に対抗するために動いている老害をけん制しないはずがない。

 

だからこそ奴らは送り込んできたのだ。ダンブルドアが支配するホグワーツ城へ。教師という名の……

 

「さて皆さん、()()()()()は若い魔法使いや魔女の教育は非常に重要であると、常にそう考えてきました。皆さんが持って生まれた類まれなる才能は、」

 

()()()を。

私の警戒心を他所に、役人らしい回りくどく、何が言いたいのか結局よく理解出来ない話が続く。全身ピンク色の女が突然話し始めたことに注目していた生徒達も、話が進むにつれ興味を失ったのか好き勝手におしゃべりを始めている。真剣に話を聞いているのは教員達と、私を含めた数人の生徒くらいのものだ。

しかしそんな騒然としつつある大広間内でも、彼女は何も気にした様子もなく延々と何の益体もない話を続け……最後の最後に、

 

「保持すべきは保持し、正すべきは正し、禁ずるべきやり方と分かったものは何であれ……()()であれ切り捨て、いざ前進しようではありませんか」

 

決定的なことを発言したのだった。

それは紛れもなくダンブルドアへの宣戦布告に他ならなかった。

ダンブルドアの拍手でようやく生徒も彼女の演説が終わったことに気付いたのだろう。まばらな拍手が巻き起こる中、私は退屈な話にめげずに、今しがた再び老害の隣に腰掛けるガマガエルに視線を送りながら考える。

彼女が魔法省の監視員である以上、今年の『闇の魔術に対する防衛術』も望むべくもない。ダンブルドアの足を引っ張ることしか考えていない以上、彼女が真面な授業をすることはない。今年の授業も実に不愉快な授業になることだろう。

 

 

 

 

……そして同時にこうも考える。

本当に……彼女はただの魔法省から送り込まれた監視員なのだろうかと。

彼女の立場を考えれば、最も効果的に闇の帝王に取り入るには……。もし私の予想が正しければ、彼女は決して侮っていいような人物ではない。その思想や信念はともかく、彼女は決して……。

 

今年は始まったばかりだというのに不安が尽きることはない。カルカロフ元校長の死、闇の帝王に課せられた任務、見えるはずのないセストラル。そして……ドローレス・アンブリッジ。

 

あぁ、本当に……私の日常生活は終わってしまった。騒然とする大広間の中、私はそう思わずにはいられなかった。



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挑発

 ハリー視点

 

今年も僕の家であるホグワーツに帰ってこれた。ダーズリー家の中に僕の居場所なんて元よりない。騎士団本部の置かれているグリモールドはシリウス達がいて居心地こそ良かったけれど……やはり家とまで思えるのはここホグワーツしかない。ダーズリー家にゴミのように扱われていた僕を初めて受け入れてくれた、僕を認めてくれた居場所。それこそがホグワーツだったのだ。

そう()()()、のだ……。なのに、

 

「ほら、あそこ……あれが()()ハリー・ポッターだよ。新聞に書いてある通り、ホグワーツで一番頭がおかしい奴さ」

 

「あ、あれが……僕大丈夫かな。僕この学校に来るのが楽しみで仕方がなかったのに……。あんな人がいるなんて」

 

何故僕は朝からこんな嫌な気分にならなくてはならないのだろうか。

隣のハッフルパフ席から新一年生と上学年生との会話が漏れ聞こえてくる。しかも同様の会話は大広間のあちこちから聞こえてくる。同じグリフィンドール寮も例外ではない。昨日グリフィンドールに入った一年生が僕のことを何度も嫌悪感の籠った瞳で盗み見ている。

昨夜ホグワーツに帰ってきた後、談話室でルームメイトであるシェーマスに言われた。

 

『僕、ママに学校に戻るなって言われたんだ。ダンブルドアと……()()()()()。君が変な嘘をついて、それをダンブルドアが鵜呑みにしているからね。なぁ結局のところ、セドリックはどうして死んだんだい?』

 

同じ仲間だと思っていたはずのグリフィンドール、それも今まで苦楽を共にしてきたルームメイトからの言葉。

僕のことをよく知ってくれているはずのルームメイトですらあんなことを言うのだ。新しく入学した一年生なんて、まるで僕を怪物か何かだと思っている視線を投げかけていた。グリフィンドール席の一年生には新監督生であるロンがその都度鋭い視線を返しているけれど……残念ながら威厳がいまいち足りないのか効果を発揮していない。

唯一例外があるとすれば、それは意外にもグリフィンドールの()であるスリザリン寮くらいのものだ。ホグワーツ初日だというのに、一年生を含めて誰一人として声を上げようとしない。それどころか僕の方に視線すら送ってこない。

しかしそれは奴らが僕を馬鹿にしていないわけではなく、単純に僕以上の怪物が自身の寮にいるからに他ならなかった。スリザリン一年生達は、監督生であるダフネ・グリーングラス……の隣に座るダリア・マルフォイのことをチラチラと盗み見ている。まるで少しでも行儀の悪いことをすれば殺されるのではないかとでも思っているかのように。どうやら監督生バッジなどなくても、あいつは今年もスリザリンの生徒を完全な支配下に置いているようだった。あいつは敵側の人間だ。しかもダンブルドアでさえ警戒する、危険極まりない闇の魔法使い。あんな奴のお陰で僕に対する視線が減ったのだとしても、僕にとっては何の有難味もない。

僕は朝だというのに、心の奥底から沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じていた。しかしそんな僕の内心に知ってか知らずか、目の前に座るハーマイオニーが淡々とした口調で話しかけてくる。

 

「ハリー、無視するのよ。昨日も言ったでしょう? あの人達はただ魔法省の出す下らない記事を信じ込んでいるだけなのよ。いつか必ず貴方が正しかったということに気付く。だから今そんな風に怒っていても労力の無駄よ。ロン、貴方もよ。そんな風に一年生を睨みつけては駄目よ。貴方は監督生なのだから、しっかりお手本にならないと」

 

あまりに淡々とした口調に僕は思わず彼女を睨みつける。しかも腹立たしいことに彼女はあろうことか僕のことをひたすら扱き下ろす記事を書き続ける『日刊予言者新聞』を開いていた。

僕はついに我慢できず、内心の苛立ちのままに彼女に返事をする。

 

「……君はそう言うけど、実際にこんな馬鹿な視線を受ければ嫌味の一つも言いたくなるよ。それに、なんで君はまだそんな新聞を読んでるんだい? クズばっかりだ。読む価値なんてない」

 

しかしそんな僕の吐き捨てるように吐いた言葉に反応することなく、ハーマイオニーは相変わらず新聞に目を向けながら応えたのだった。

 

「敵が何を言っているのか知るためよ。どんなに不愉快な内容でも、これを知っているか知っていないかで全然違うわ。それにハリー。貴方が苛立つのは分かるけど、私に当たらないでくれるかしら。もし気付いていないようなら言いますけど、私もロンも貴方の味方なのよ。決して貴方を裏切ったりなんかしていなし、貴方を馬鹿にする連中に同調したりなんてしていないわ。それだけは忘れないで」

 

その言葉に僕は僅かに冷静さを取り戻し、自分が如何に余裕がなくなっていたかを自覚する。

……確かにハーマイオニーにこんなことを言っても仕方がない。彼女も僕の大切な仲間だ。こうして淡々と話しているのだって、僕を冷静にさせたいと思ったからなのだ。どんなに腹立たしくても、僕のことを本当に思ってくれているハーマイオニーに当たるのは間違いだ。

僕は大きなため息を一つ吐いて内側の苛立ちを追い出す。そしてその後小さな声ではあるが彼女に謝罪する。

 

「……ごめん」

 

「いいのよ。貴方が苛立つのも仕方がないわ。こんな状況になれば誰だって腹が立つもの。我慢できる人なんて()()()()いないわ」

 

しかし彼女は僕の謝罪に頓着することなく、それにと続けたのだった。

 

「それに、今重要なことは団結することよ。組み分け帽子も言っていたでしょう? ……ホグワーツ校は危機なるぞ。外なる敵は恐ろしや。我らが内にて固めねば。崩れ落ちなん、内部より。組み分け帽子が昨日歌ったものよ。今私達が分裂するなんてあってはいけないのよ。学校の皆もそのうち分かるわ。……団結するべきなのよ。この学校の()()が……いずれね」

 

 

 

 

ハーマイオニーの言葉はある()()()()()()いつだって正しかった。思えば彼女のことを、僕はいつだってダンブルドアの次くらいに信用していると思う。

今回のこの発言だって……彼女が『全員』という言葉にスリザリンという絶対に相容れない敵も含めていることを除けば、至極尤もなことを言っているのだ。

ヴォルデモートは僕らのことを分裂させたがっている。そうすれば奴はそれだけ魔法界を支配しやすくなるから。

だからこそ僕らは奴に対抗するためにも団結しなければいけない。今はあの馬鹿な新聞に踊らされていても、いつかはきっと……皆も分かってくれるはず。昨日あんなことを言っていたシェーマスだって。

そう僕は彼女の言葉を聞き、自身にそう言い聞かせていた。

 

「皆さん。ここではっきりとさせておきますわ。皆さんはある闇の魔法使いが再び蘇ったという話を聞かされてきました。それもこの学校の校長から……。ハッキリ言います。これは真っ赤な嘘です。それは魔法省が保証しますわ。貴方達は一人の目立ちたがり屋な生徒の嘘に唆されているのです」

 

尤もそんな僕の中に束の間生まれた思考も、今年現れた最大の敵によって粉砕されてしまったのだけど。

今年初めての『闇の魔術に対する防衛術』授業。そこであのガマガエルのような顔をした女が生徒に告げる。

 

そう言う奴はその顔立ちそっくりの、まるで獲物の蠅を見つけたガマガエルのような表情を浮かべていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

学校に戻り、いよいよ授業開始の日を迎えた時……私が感じていたのはどうしようもない違和感だった。

正直覚悟していた。スネイプ先生が『死喰い人』として闇の陣営に参加している。それは数年とはいえ彼のことを知っている私としては……彼が二重スパイをしている事実に他ならなかった。

あの先生が老害に面従腹背であり、実は闇の帝王に忠誠を誓っていた?

馬鹿も休み休み言ってほしい。何故そんな馬鹿らしい嘘を信じるのだろうか。確かにスリザリン生を依怙贔屓する先生ではあるが、死喰い人であるにしては……()()()()が違う。あれは人の死を……殺人がどういうものか()()()()()人の目だ。闇の帝王においそれとなびくとは思えない。そもそも今までの行動と辻褄が合わない。

だからこそ私は自分の今の立場のことが老害に既に伝わっているものと考え、今年から更に厳しい監視下に置かれるものと考えていた。2年生時のようなあからさまな物でないにしても、何かしらの策が講じられるのだと。想像するのも身の毛がよだつが、私が奴の立場でも同じことをする。敵の首魁に気にされている()()など警戒しない方がおかしい。

であるのに、奴は特段私を気にした素振りを見せてはいない。生徒達の鬱陶しい視線はいつものことだが、教師陣が特段私に注意を払っている様子はない。監視に最も適しているゴースト達も。巧妙に隠されている可能性はあるとはいえ、それにしては何の素振りもなさすぎる。『屋敷しもべ』まで動員されたら私が気付かないことにも納得できるが、それならドビーが何かしらの合図を送ってくれるはずだ。

……私が勘違いしていただけで、本当はスネイプ先生も忠実な死喰い人なのだろうか?

それとも老害の手下であっても、私のことを奴に伝えていない……のだろうか?

いや、決めつけるのはまだ早計だろう。まだホグワーツに来て一日しか経っていない。教員の目が多少こちらに向いていないだけで判断するのは早すぎる。あの老害のことだ。知っている上で敢えて私を放置している可能性だってあり得る。

それに何より、

 

「さぁ、こんにちは! あら? どうしたのかしら? 皆さんの返事が聞こえませんね。いけませんねぇ。皆さんどうぞこんな風に、『こんにちは、アンブリッジ先生』。もう一度いきますよ。はい、こんにちは、皆さん!」

 

今年はスネイプ先生とは()()()()()()()が学校にいるのだから。彼女がいる限りあの老害も決して下手な真似は出来ない。

『闇の魔術に対する防衛術』の教室に粘りつくような声が響く。教壇にはフワフワのピンクのカーディガンを着たアンブリッジ先生が。相変わらず趣味の悪い恰好も合わさって、気色の悪いピンク色のガマガエルにしか見えない。それは他の皆も同じ感想なのか少し馬鹿にした表情で彼女のことを見ている。挨拶を返す声もどこか笑いをこらえたものだ。

 

……この中で何人の生徒が気が付いているのだろうか。

確かに彼女の声は甘ったるく、表情もガマガエルがニッコリ微笑んでいるようにしか見えない。しかしその目だけは……決して笑ってなどいない。まるでこちらを品定めするようにジッと瞳だけで観察している。

あれは決して見た目に騙されていいような相手ではない。そもそも現状の時点でそれこそ()()()()()都合のいいように動いている。これは事態がどう転んでも彼女に都合のいいようにするために他ならない。このような姑息とも言える状況判断の出来る人間をどうして侮ることが出来るだろうか。

 

しかしそんな事実にも気付くことなく、相変わらずグレンジャーさんを除く生徒全員はどこか馬鹿にした表情で先生のことを見つめていた。

馬鹿にした視線の中、先生は皆の返事に頓着することなく、

 

「まぁ、今度は素晴らしいお返事ですね! では皆さん、杖をしまって羽ペンを出してくださいね。私が教えるのは、今まで貴方達が教わってきたものと違い……本当の『闇の魔術に対する防衛術』ですから」

 

やはりどこか回りくどい言い回しをした後、黒板にその文字を書き込んだのだった。

 

『基本に返れ。原理を理解すれば、実践なくとも行える』

 

頭が痛くなるような言葉を前に先生は白々しく続ける。

 

「この学科のこれまでの授業は実に乱れ、何を目的にしているかも分からない程曖昧なものでした。先生は一年毎に変わり、しかもその先生方の多くは魔法省指導要領に従ってはいません。その結果、昨今の学生のレベルは著しく劣化しています。だからこそ、今こそこの問題を是正しなければなりません! 今年は魔法省が慎重に構成した、()()()()の指導要領通りの防衛術を学んでもらいます。では教科書を開いて。5ページの『第一章、初心者の基礎』です。おしゃべりはせず、それを授業中しっかりと読んでくださいね」

 

そしてそこで話は終わりだと言わんばかりに黙り込み、ただ静かに生徒の観察に戻ってしまった。

……最初の演説でも明らかであったがこれで確信を得た。本当に彼女は……私達に何も教えるつもりがないのだ。

全ては自身の立場をより強固なものにするために。

少し考えれば簡単に分かる。今闇の帝王にとって最も都合のいい状況。それは自身の復活が世間に露呈しないことに他ならない。対策が遅れれば遅れる程、敵対するダンブルドア勢力が弱体化すればする程、闇の帝王が姿を現した時魔法界を簡単に支配できる。もし万が一彼女が闇の帝王の指示を受けて行動しているのだとしたら、彼女の今後の地位は安泰と言えることだろう。

そしてもう一つの可能性として……どうせどこからか情報を得ているのだろうが、もし闇の帝王の復活が魔法省の発表通り嘘であった場合。その時もただ魔法省の指示通りに行動していたと言い訳することが出来る。逆に世間がダンブルドアの言葉を信用するようになっても同じことだ。全てを魔法省の責任に押し付け、ただ闇の勢力に寝返ることが出来る。リスクが最小限に抑えられた、手っ取り早く権力を手に入れることが出来る身の振り方。それが今年の授業で示されたアンブリッジ先生の行動原理だった。

 

しかしそんなことにダンブルドア勢のスターであるポッターが納得できるはずもなく、先生の言葉に訝し気な様子で質問する。

 

「せ、先生。魔法を練習しないのですか?」

 

狡猾な彼女のことだ。おそらくこの質問を、そしてこの質問を()()()()()()がすることすら予想していたのだろう。ただでさえガマガエル顔だった物を、一瞬まるで蠅を捕まえたようなものに変化させながら、彼女はゆっくりとした口調でポッターに応える。

 

「ミスタ・ポッター。私の授業ではまず手を挙げること。それに聞き捨てならない言葉ですね。どうして貴方方が魔法を練習する必要があるのですか? 貴方が防衛術を使う必要のある状況など、この教室内では決して起こりませんよ」

 

「で、でも教室外は!? 理論だけで何の役に立つんだ!? もし外で僕達が襲われたら、」

 

「挙手を忘れていますよ、ポッター」

 

決して好意的とは言えない周りからの視線。自分の知る真実とはまるで違う魔法省の発表。今まで受けてきたことのない状況に、ポッターの堪忍袋の緒ははち切れる寸前だったのだろう。しかしそれでもこのただでさえストレスの溜まりやすい状況で我慢できていたのは、偏にグレンジャーさんがそれとなく彼のことを抑制していたからに他ならない。今は交流を絶っていてもそれくらいのことは分かる。

だがもうそろそろそれも限界だろう。グレンジャーさんが慌てた様子で、

 

「ハリー、駄目よ!」

 

と小声で話しかけても、分かりやすい挑発に乗ってしまっているポッターはアンブリッジ先生を今にも呪い殺さんばかりに睨みつけている。

しかも先生の挑発は終わらない。ポッターの視線を無視したまま、今度は手を恐る恐る挙げているグリフィンドール生の一人に話しかける。

 

「貴方は……ディーン・トーマスですね。それでミスタ・トーマス。貴方はどんな質問があるのかしら?」

 

「せ、先生。でも、これはハリーの言う通りだと思います。もし僕達が襲われるとしたら危険のない方法なんかじゃない」

 

闇の帝王の復活自体は信じていなくとも、流石に学校の外で襲われる可能性が万に一つもないと信じる程生徒は馬鹿ではない。特に去年の授業を一年も受けたのなら尚更だ。中身はともかく、学外への危機感のみならあの男も十二分に伝えていた。

それに彼らの視点からすれば()()()にも……。

チラチラと向けられる視線を無視する私を他所に、アンブリッジ先生は歌うような声音で続けた。

 

「あらあら、ミスタ・トーマス。先程も私は言いましたよ。一体誰が貴方達を襲うと言うのですか? ハッキリ言いますがそんなことはあり得ません。恐らく貴方方は疑心暗鬼になっているのです。去年は一日おきに闇の襲撃を受けると信じ込まされていたみたいですからね。無理もありませんわ」

 

おそらくこの応えに納得した生徒は皆無だろう。皆納得いかない表情を浮かべている。しかしこのまま同じ質問をしても埒が明かないと思ったのだろう。次は外のいるかも分からない襲撃者より、より心配な直近の危機について質問を始める。

 

「はい、ミス・パチル」

 

「先生! でもOWL(ふくろう)はどうするんですか!? 試験には実践もあるんですよね!? 一回も実践をしなくて、試験は本当に大丈夫なのですか?」

 

「安心なさい。魔法省の見解としては、理論を学べば十分試験は合格できます。結局学校というものは試験に合格するためのものなのです。たとえ一度も魔法を練習しなくとも、理論さえ十分に理解すれば実戦はいつでも可能です」

 

その頓珍漢な回答の瞬間、私は何かがはち切れる音が聞こえた気がした。

視線を向ければ勢いよく拳を上げながら立つポッターの姿。瞳は相変わらずアンブリッジ先生を鋭く睨みつけたままだ。

 

それは明らかに彼の我慢を超えた瞬間だった。

……ようはポッターなどより先生の方が遥かに上手だったのだ。

 

「そんなものが何の役に立つんだ!? 理論が現実世界にどんな役に立つんですか!?」

 

「……ここは学校ですよ、ミスタ・ポッター。それに外の世界に……一体どんな脅威が待ち受けているというのですか?」

 

「そんなの……()()()()()()()に決まっているじゃないか!」

 

あまりに考えなしの言動に、私は誰にも聞こえないようにため息を吐くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ハリー……いきなり罰則になったけど大丈夫かな? あのアンブリッジとかいう性悪ババア。絶対真面な罰則じゃないぜ」

 

『闇の魔術に対する防衛術』の授業があった夜。大広間の夕食にハリーの姿はまだない。

ハリーの発言に対し、あのアンブリッジとかいう新任教師が罰則を言い渡したのだ。まるでハリーを挑発するような態度に言葉、そしてあの発言を聞いた時の舌なめずりするような表情。あの人がもし私の想像通り()()()()意向通りに行動しているのだとしたら……ハリーが一般的な罰則のみで終わるとは思えない。

あの人の魔法省から与えられた任務は、おそらく私達に何も教えないことだけではないだろうから……。

でもだからと言って、教師の正式な権限として与えられた罰則に監督生である私が乗り込むわけにはいかない。どんなに不安でも、今私達に出来ることは我慢することだけ。今ハリーと同じく軽率な行動をとってしまえば、それこそ敵を喜ばせる結果になってしまう。

 

だから今は……我慢するしかない。

 

それにいくらあのアンブリッジ先生が嫌な人だからだって、

 

「……大丈夫なはずよ。ここはホグワーツなのよ。流石に、」

 

「ハーマイオニー、ロン」

 

流石に食事を摂らせない程非常識ではないだろうから。

声のした方に振り返れば、そこには無理やりな笑顔を浮かべたハリーの姿。時間が経ち少しだけ冷静さを取り戻したのか、最近見ていなかった私達を心配させまいという気遣いが見えた。

でもそれも一瞬のこと。私達が彼を笑顔で出迎えようとしたその瞬間、近くの席から……いえ、大広間のそこらかしこから聞こえてくる声がハリーの顔を曇らせる。

 

「セドリック・ディゴリーが殺されたのを見たって言ってる」

 

「それだけじゃない。あろうことか『例のあの人』と決闘したなんて……」

 

「誰がそんなこと信じると思ってるんだ? 自分を特別な人間か何かだと勘違いしてるんじゃないか?」

 

「まったく、あんな奴が同じホグワーツにいるなんて」

 

もはやハリー本人に聞かれても構わないと言わんばかりの声音。それどころか積極的に聞かせようとしてすらいるように思う。そうすればハリーが怒って、再び何かしらの情報を叫んでくれると言わんばかりに。

それがハリーにも分かっているのか、先程まで浮かべていた無理な笑顔が引っ込み、今はまた怒りに震えた表情に変わっていた。

もはやここにこれ以上いる方がハリーの精神状態に悪い。私は罰則のことをここで聞くのは得策ではないと覚り、急いで隣に座るロンも立たせながら言った。

 

「ハリー、ロン、行きましょう。ロン、少し食べ物を持って。談話室で食事を摂るのよ。少なくともここよりかは落ち着けるはずだから。そこで罰則についても聞くわ」

 

事態は日に日に悪い方向に向かっている。まだホグワーツ初日だというのに、もうハリーは罰則を言い渡されるはめになった。ハリーが少し軽率なこともあるけど、アンブリッジとかいう新任教員が魔法省から来ていることが一番の原因だと思う。ならばこれからもハリーに挑発だけではなく様々な難癖をつけてくるだろうし、授業も決して真面なものになることはない。そしてそんな事態を受けても、生徒達は罰則を受けるハリーが悪いとばかり判断し、決して『例のあの人』の復活を信じはしない。まだ初日だというのに、私達の未来への希望はあまりにも少なかった。

 

「何とかしなくちゃ……少なくとも、授業だけは何とかしなくちゃ。ただでさえ今年はOWL(ふくろう)があるのに……『あの人』と戦わなくてはならないのに。授業だけは少なくとも()()()で……」

 

不機嫌に大広間を後にしながら、私は後ろの二人にも聞こえない声で一人呟く。

状況がたとえ絶望的であろうとも。たとえ相談できる()()()()と中々相談する時間を作れなくても、私は決して立ち止まるわけにはいかない。ハリーが授業中叫んだ通り、学校の外には敵がいるのだ。絶対に相容れない、倒さなくてはならない大いなる敵が。

 

だからこそ私は、

 

「何とかしなくちゃ……」

 

自身の内に浮かびつつある、未だ朧気な私達に少しでもできることを必死に考えるのだった。

 

 

 

 

私の後ろを歩くハリーが、何かを()()()()()右手の甲を終始抑えていることにも気付かずに……。

あのアンブリッジが私の想像を遥かに超える女であることに気付くのは……まだもう少し先のことだった。



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閑話 二つの思惑

 アンブリッジ視点

 

ダンブルドアとの対話の後。政治闘争に明け暮れていた私でも経験したことのない相手。少しでも油断すれば、それこそ心の奥底まで見透かされてしまうような当に目の上のたん瘤。今奴は窮地に立たされているとはいえ、未だ強敵であることに変わりはない。気の抜けない相手に話をしたことで少し疲れが出てしまったのだろう。それともポッターの罰則を少し()()()すぎてしまったからだろうか。私は自身に与えられた教室の中、微睡む思考の中で取り留めのない思考をする。

遠い昔。私の現在を作り上げる切欠になった出来事。もう私ですら忘れてしまった出来事。それを私は微睡む思考の中、無意識のうちになんとはなしに思い出していた。

 

私がまだ小さく。純粋に世界が綺麗なものだと信じ切っていた頃のことを……。

すでに私の中でも擦り切れ、もはや夢の中でしか思い出すことの叶わない。そんな取り留めもない夢を……。

 

……思い返せば……私は小さな頃からピンク色の服が大好きだった。

切欠が何だったのかはそれこそ覚えていない。何故好きかと聞かれても、好きなものは好きなのだから仕方がない。それにどうせ切欠など些細なものでしかないのだ。当時見た流行を周回遅れしたマグル界のテレビ。あるいは父が取っていた『日刊予言者新聞』。……あるいは母のタンスに入れられていた、もうとっくに着られなくなった服など。切欠など後からいくらでも想像できる。貧しさの極致にいた私には外の世界は何もかもが光り輝く物。しかしフリフリしたフリルやリボンが付いた、ピンク色の可愛らしい服は特別。当に女の子にのみ許された特別な衣装。私が普段着ることを()()()()()()()とは正反対の服。それが私にはどうしようもなく愛らしくて仕方がなかったのだ。

だからこそ、

 

『ドローレス。……誕生日おめでとう。今まで何もしてやれなかったが、これは今までの……そして()()()()()分の誕生日プレゼントだ。大切に着るんだぞ。……それと母さんには内緒にしろ。お前にプレゼントをやったと知られれば私が怒られてしまう』

 

私は小さな頃、父がそんな服を一度だけ買ってくれたのが嬉しかった。まるで母に隠すようにくれたプレゼント。擦り切れた思い出でも、あの時感じた感情だけは鮮明に覚えている。

だからこそ、私は最後まであの父のことが邪魔に思え、そして憎くても……本当に彼を()()ことは出来はしなかったのだ。

父は純血でありながら出世欲がないことから収入は少なく、マグルの母は母で自由奔放なことから散財が激しい。ただでさえ少ない収入を湯水のように自分のために使ってしまう。結果魔法省での出世など望むべくもなく、貧乏の極みにあった私と父。そんな私が初めて買ってもらえたプレゼント。……そしておそらく()()()()であろうプレゼント。

文字通り食事を抜くほど我慢して貯めたお金で買ってもらえたプレゼントに心が躍ったことを、何十年も経った今でも覚えている。何があったか覚えていなくとも、あの時感じた感情だけは鮮明に。

 

たとえ最後のプレゼントだっていい。どの道今までだってプレゼントなんて貰えたことがないのだ。その日の食事すらままならないことがある家で、これ以上贅沢なんて言えるはずがない。母は毎日どこかに遊びに行っているけれど、私にそのお金が回ってくることはない。

 

『本当に貴女は私に似ず醜いわね。それに比べて貴女の弟は本当に私に似て……。あぁ、私の子がこの子だけなら良かったのに』

 

ましてや母は私ではなく弟ばかりを可愛がっているのだ。これからも私が貧乏であることに変わりはない。

でも……今までボロボロな服装しか着たことがなかったけれど、これで少なくとも服装だけは私も輝くような毎日が送ることが出来る。今までの自分とは違う自分に、私は変わることが出来るのだ。

そうそのプレゼントを受け取った時私は思い、気付けば急いでプレゼントの服に着替えて外に駆けだしていた。漠然と感じていた不安や不満から逃げる様に、ただただ新しい自分に変われた喜びのままに。

 

しかし……

 

『何、あの子? あんな可愛らしい格好して……本当に似合っていないわ』

 

『気持ち悪い。あんなに似合っていない子も珍しいわね』

 

『あれをよく恥ずかしげもなく着れるわね。親も何を考えているのかしら。まるで()()()()()()()()ね』

 

すぐに現実が私の認識を粉々に粉砕したのだった。

近所に住む連中の声が私の耳に響く。それはみすぼらしい恰好をしていた頃と何も変わらない、ただ私を見下しきったものでしかなかった。

 

どんなに恰好が可愛らしいものに変わろうとも、私はみすぼらしい人間……いえ、それ以下のまま。

あの瞬間、私の中にある何かが決定的に壊れた気がした。私は結局……。

 

微睡みの中、私は取り留めのない思考を繰り返す。思い出すのは疾うの昔に終わった、それこそもうどうしようもないことばかり。

 

しかしそんな悪夢とさえ言える微睡みに更にのめり込みそうになった時、

 

「アンブリッジ先生、お呼びだと聞いて来ましたが?」

 

私はその声によってようやく悪夢から目を覚ましたのだった。

鈴を転がすような、しかしどこか冷徹なものを感じさせる美しい声音。驚き目を向ければ、そこには冷たい無表情を浮かべる一人の少女が立っていた。

肌はまるで陶器のように白く、その薄い金色の瞳は表情同様冷たく他人を見下ろしている。まるで他者全てが無価値な物だと言わんばかりに。

私が彼女を呼び出したこともあるが、そんな特徴を持つ生徒などこの世界に一人しかいない。純血貴族の間でも幼い頃から有名な女の子。

 

私の目の前には……()()マルフォイ家の長女である、ダリア・マルフォイが静かに佇んでいた。

 

私は自身の失態に気付き、急いで姿勢を正す。いくらダンブルドアの相手をした後とはいえ、あまりにも気を抜きすぎた。他人に弱みを見せるなどあってはならない。特に目の前の少女は私の出世に関わる娘なのだ。下手に醜態をさらせば出世に響く可能性もある。

 

なにせ相手はマルフォイ家の娘であると同時に……闇の帝王にさえ一目置かれた存在であるのだから。

 

最初にその情報を手に入れた時は一体何の冗談かと思った。いくらマルフォイ家の娘とはいえ、まだまだ15歳になりたての小娘。絶対なる闇の帝王の目に留まる可能性など本当にあるのだろうか。

しかし実際にこの娘を目の当たりにしたことで納得がいった。この空気はたかだか15歳の小娘が出せるようなものではない。

闇の帝王はおそらく娘のこの超然とした、それこそあの方自身にも匹敵する冷酷な空気を気に入ったのだろう。

 

まるで()()()()とは思えない、そんな冷たい空気を……。

 

ならばこそ私の為すべきことは一つ。私は椅子に座りなおすと、ひたすら笑顔を心がけながら彼女に話しかけた。

 

「あら、ミス・マルフォイ。ごめんなさいね、態々来てもらったというのに。いえ、私から貴女に会いに行くのは少々()()()()()()()()具合が悪いと思いましたの。貴女は少し……校長に理不尽な扱いを受けているみたいですからね。貴女の所に私が出向いて、いらぬ誤解をされるのはお嫌でしょう?」

 

「……はぁ、そうでしたか。……それで? 結局どのような用件でしょうか? もうすぐ門限の時間です。あまり遅い時間に出歩くと、それこそ校長に付け入られてしまいますが?」

 

しかし私の()()()にも少女は表情を変えることなく、ただ冷たい視線で私に先を促したのだった。

いつもであれば可愛げのない反応に苛立ちを覚えるところであるが、今は闇の帝王を思わせる視線に怒りすら湧いてこない。一瞬雰囲気に気圧されそうになるのを抑え込むと、私はより笑顔を強めながら応えた。

 

「そ、それもそうね。貴女を呼び出したのは他でもありませんわ。ミス・マルフォイ……貴女の成績を見させてもらいました。大変優秀なのね。流石はマルフォイ家のお嬢様だわ。学年でいつも一番。()()()()の女生徒をいつも引き離した成績を残しているわ。でもそれなのに……監督生には選ばれていない。本当に理不尽なことだとお思いでしょう? 私、実は先程校長に抗議してきましたの。でもそこでは貴女の体の負担がというばかりで。貴女は高貴な純血であるのに、それをサポートしないなんて学校は間違っていますわ。貴女もそう思うでしょう?」

 

「……いえ、別に。私はそもそも監督生になりたいと思ったことはありませんので」

 

「い、いいえ、悔しいのは解りますから、別にもう隠さなくともいいのよ。ずっと不当な扱いを受けていたことが本当に悔しかったのでしょうね。今回のことばかりではなく、今までのことも貴女のお父様から聞き及んでおりますわ。でも御安心なさい。もうすぐこの堕落しきった学校には魔法省の指導が入る予定です。そうなれば()()()()()という小さなものではなく……貴女はもっと()()()()()()()に就くことが出来るわ。今日はそのことをお伝えしたかったの」

 

「……そうですか。それは態々ご丁寧に。……面倒なことを」

 

最後に何を呟いたかは分からないが、表情が無表情で固定されていることからあまり私の話を信じてはいないのだろう。そうでなければこの既に確定した未来に喜ばないはずがない。

ならばいずれ私の発言したことが現実になった時……彼女は本当の意味で私のことを評価するはず。これはある意味で彼女に……いえ、彼女の背後にいる闇の帝王に試されているのだとも言える。どれほど私が今の魔法省を上手くコントロール出来るか、それが今試されているのだ。

その時彼女が、そして彼女の父や帝王がどのような表情を浮かべるのかを想像した私は、今はこれ以上話しても仕方がないと彼女を今夜は帰すことにする。丁度門限前の鐘が鳴ったこともある。タイミングとしては丁度いいだろう。

 

「まぁ、今は信じられないでしょうね。ですがその時が来ましたら、是非私が今日この場で言ったことを思い出してくださいね。では、ミス・マルフォイ。態々ここまで来てくださって感謝します。何か困ったことがあればすぐに私に言うのよ。私が魔法省の代表として、出来る限り貴女の望みを叶えて差し上げますから。それではもう帰ってよろしくてよ。おやすみなさい」

 

「おやすみなさい、アンブリッジ先生」

 

待ってましたと言わんばかりに挨拶をサッサと済ませると、マルフォイ家の娘が部屋を後にする。私はそんな彼女の背中を見つめながら、そっと目を細めて思考する。

今が正念場なのだ。ようやく待ち望んだ最大のチャンスが巡ってきたのだ。どう転んでも決して損をしない、それどころか確実に成功するまたとない機会。ことが終われば、私は魔法省の中どころか……魔法省すら超越した組織の中で絶対の地位を得ることが出来る。

そのためにも、この同じ人間とは思えない少女に取り入り、ここで彼女と知り合えたうま味を利用しきらなければ。

 

もう決して誰にも見下されないために。今度は私が()()()()()()()にするために。

 

 

 

 

……そう()()()は、私は内から湧き上がり続ける野心のままに思考していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

ドローレスが校長室から去った瞬間、校長室に残されたワシとセブルスの二人は同時にため息を吐く。

何故じゃろう? 今までどんな人間と話すより体力を消耗した気がする。それこそヴォルデモートと神経をすり減らすような会話をした時すらこのような疲労感は感じなかった。やはりどこか他者に対しより上位の立場を示そうとする態度からじゃろうか。当時の彼女の環境を思えば仕方ないことじゃろうが、実際に面と向かって相手にするのは酷く体力を使う。

特に今年のような気の抜けぬ状況なら尚更じゃろう。彼女は魔法省から送られてきた監視員じゃ。ただでさえ気を抜けぬというのに……ましてや闇の勢力と通じておる可能性があるのなら尚更気を抜けぬ。

魔法省の送り込んできた、考えうる限り最悪の人選に今更ながらため息を禁じ得なかった。今はまだ彼女の権限は普通の教員と変わりない物じゃが、いずれ校長のワシすら超えたものになるじゃろう。そうなればどんなことが起こるか。ただでさえ初日じゃというのにハリーが()()()()()()を受けたやもしれん。ドローレスを問い詰めても、

 

『心外ですね。ただの()()()()の罰則です。悪い生徒に罰則を与えるのは、教員に許された()()()()()のはずです。もしや校長は私にそれを行うなと仰るのです? この魔法省の代表である私に? それは背信行為ですわ』

 

そのようなことを言うばかりで一向に詳細を話そうとはせんかったが、あの様子では真面な罰則を与えたとは思えぬ。

これで彼女により権力を与えられてしまえば……生徒だけではなく、教員にまで彼女の手が回る恐れがある。今は任務で留守にしておるが、ハグリッドなど彼女のいい標的になってしまうじゃろう。自身が出世するためには他者を見下す必要があると信じて疑わぬドローレスのことじゃ。巨人の血が半分でも入ったハグリッドを攻撃せぬはずがない。

まったく先が思いやられる。

それに彼女は、

 

『それにダンブルドア。私が不満に思っていることは魔法省に対する不敬な態度のみではありませんわ。聞きましたわ、()()()()()()()()()()()です。主席でありながら、彼女を監督生に選抜していませんわね。これには彼女のお父様、ルシウス氏も大変憤っておいででした。魔法省の重鎮である彼の娘さんを不当に低く扱うとは……本当に立場が分かっていませんのね。魔法省に対する敬意が足りていない証拠です。私は彼女に今からでも相応しい地位を与えるべきだと考えますが?』

 

ダリアのことも利用する気なのじゃから始末が悪い。

確かにスリザリン監督生の選抜には純粋な生徒事情だけではなく、いくらかの政治的理由が含まれておる。成績だけで考えるのならダリアを選ばぬ理由がない。どの学年においても常に主席以上の成績を収め続けておる生徒。本来ならよほどの事情がない限り監督生にならぬということはない。あまり深く追及されれば困るのはワシの方じゃ。

じゃがこれ以外に選択肢がなかったのまた事実。いくらドローレスに対する弱みになろうとも、この決定を今更覆すわけにはいかぬ。

これから先闇の勢力に勝つためにも……そして()()()()()()()()にも。

勿論彼女に監督生の責務という名の特権……()()()()()()を許可しとうなかったことが一番の理由ではある。監督生であればある程度門限の規制がのうなる。本来であればハリーのような夜出歩く生徒を取り締まるための制度ではあるが、彼女がそれをどのように利用するかは分からぬ。事実トムはそれを悪用して『秘密の部屋』を開いておった。それを許してしまえば、それこそ彼女が二年生の頃起こした惨劇を繰り返すやもしれん。嘗てトムが『秘密の部屋』を開き、一人の女生徒を犠牲にした恐ろしい事件。未だ当時の彼女の役割が何であったのかは不明じゃが、同じ状況を作り出す可能性は現状是が非でも最小限にしておく必要がある。外に強大な敵がおると言うのに、これ以上ドローレス以外の敵を内に抱えとうはない。

それにダリアに現状ワシらが打てる手はこれくらいしかないこともある。セブルスが二重スパイであると露見してはならん以上、ダリアにこちらが彼女の情報を持っていると思われることはどうしても避けねばならん。15歳にして闇の帝王の目に留まる。全く警戒せぬのは問題じゃが、よりあからさまに警戒しすぎるのも問題じゃ。それを踏まえた上で彼女を牽制し、ある程度の制御下に置くにはこの手段しかない。効果としては疑問であるが、まだワシが彼女を警戒していると示すだけなら十分じゃろう。監督生にしてしまえば、ドローレスが権力を掌握した時歯止めが利かぬ可能性がある。どの道ドローレスが今後するであろうことを思えば、このような手段は保険にもならぬじゃろうが……。

 

そして何より、監督生にならぬ方がダリアにとっては良いはずなのじゃ。

彼女の日光に当たれぬ体は監督生としては大きな負担になる。外に出るのに多大な準備が必要な彼女には酷な話じゃろう。それをサポートするのがワシら学校側であり、もう一人の監督生と言われればそれまでじゃが……学校を、何よりワシを信用しておらぬ彼女からすれば余計な手助けになる可能性の方が高い。余計に彼女の神経を逆なでてしまうじゃろう。

……それに彼女はただでさえ生徒から警戒されておる。ワシが仕向けた部分が多分にあるが、監督生になればその警戒した視線は余計に増えることじゃろう。ヴォルデモートの復活こそ信じておらんでも、2年時に大きな問題を起こした彼女が監督生に選ばれれば警戒されぬはずがない。彼女を警戒し、そして彼女を警戒させておるワシがこう考えるのは酷く矛盾しておるが……学校中が結束せねばならん今、必要以上に彼女を警戒し、彼女をこれ以上孤立させてしまうのは忍びないという思いがあった。

どんなに末恐ろしい子であろうとも、教師であるワシが彼女のことを見捨てるわけにはいかぬ。彼女がもう後戻りできぬようになってしまう前に、彼女を何とかこちらに引き留めねば。警戒せねばならんとはいえ、やりすぎるのは教育者のすることではない。

 

まったく……今年からは実に難しいかじ取りをせねばならん。2年時のようにただ我武者羅に警戒するわけにもいかぬ。じゃがまったく警戒せぬわけにもいかぬ。何よりドローレスのような不確定要素が多すぎる。ハリーに関しても不安なことが多すぎる。今までの不確定要素とは比較にならん。何もかもが不確かで、考えねばならぬことばかりじゃ。なのにヴォルデモートは決して待ってはくれぬ。

そんな不確かな中でもワシは決断だけはせねばならぬことが、ワシには酷く負担に思えてしもうていた。年を取ってしまったと今更ながら実感する。

昔であればもっと真面な選択が出来ていたはずじゃ。思考はより冴えており、それこそ未来まで見通せておったはずなのじゃ。

じゃが今では、

 

「ようやく出て行きましたな……。ですが彼女の言にも一理ある。吾輩も監督生にはミス・マルフォイを押していましたからな。それを、」

 

「セブルスよ。それに関してはお主も納得しておったはずじゃが? 彼女は体のこともある。日光に当たれぬ体に、建前とはいえ手袋を手放せぬ事情。そして何よりこれ以上彼女の精神的負担を増やすのは得策ではないと。()()()()()()じゃ。今彼女に監督生をさせるのは彼女のためにもならん。ただの15歳の女生徒に対し重荷を背負わせすぎておる。そうお主も納得したはずじゃ」

 

「……えぇ、そうですな。ですが、スリザリン生の多くがこの決定に納得していないこともお伝えしたはずです。特にミス・グリーングラスなど吾輩に抗議の手紙を送ってきた程憤っております。彼女はミス・マルフォイと友人である様子。おそらく本当に監督生に相応しい人間が誰であるか分かるが故に、貴方がそれを選択しなかったことに疑心を抱いているのでしょうな。……あの生徒はミス・マルフォイを絶対視している節がありますから。彼女を警戒する貴方のことを敵対視しているのでしょう」

 

こんな想像すれば簡単に思いつくような未来さえ予測することが出来ぬ。

ミス・グリーングラスがワシの決定に反発することくらい、今までの彼女の言動を見れば火を見るより明らかじゃ。じゃがそれにも関わらず、ワシはその事実に思い至らんかった。

……いや、敢えて考えぬようにしていたという方が正解じゃろう。容易に想像できるというのに、ワシはそれを些事として考えようともせんかった。いくらヴォルデモートの復活という大事を前にしておるとはいえ、生徒の事情を考えようとも……。昔であればもう少し融通が利いておったはずなのじゃ。権力を厭い、教師として邁進して……。

 

もっとも今それを考えても仕方がない。もう選択はなされた。今更後戻りは出来ぬし、これ以外の選択肢があるわけでもない。

ワシにはもう……ただ前に進み続けるしか()()()()()のじゃ。

 

「……残念なことじゃが、いかにミス・グリーングラスが納得しておらんでも、もう決定を覆すことは出来ぬ。スリザリン生のことはお主に任せるしかないのじゃ。無論ヴォルデモートに情報が流れぬ程度で構わぬから、お主が彼らを出来る限り正しい方向に導いてやってほしい。お主に負担ばかり押し付けて申し訳ないが……」

 

「……言われるまでもありません。この状況で彼らを少しでも導けるのは吾輩しかおりませんので。では吾輩も自室に戻ります。これ以上ここに留まれば、あの女にいらぬ詮索をされる恐れがありますのでな」

 

それをセブルスも分かっておるのか、これ以上は無駄な議論と早々に校長室を後にする。

ドローレスが訪ねてくるまではこれからのことを話し合っておったわけじゃが。今焦って話しても意味はない。どの道ドローレスがおる以上、ワシらはしばらくの間学校から離れることも出来ぬのじゃから。

 

本当に……ワシも年を取ってしまったものじゃ。

ワシはいつの間に何と無力になってしまったのじゃろうのぅ。ハリーのこと、ドローレスのこと、トムのこと……そしてダリアのことも。どんなに立場が上がろうとも、ワシはどこまでも無力な老人にすぎぬ。

そう……()()()()老い先短い老人になってしまったワシは、一人残された校長室で思考するのじゃった。



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相談

閑話 決して忘れない
の後書きに挿絵追加しました。いつもイラスト書いて下さるジンドウ様の作品です!
是非そちらも見てください!


 ダリア視点

 

ダンブルドア率いる光陣営。そして闇の帝王(マスター)率いる闇の陣営。概ね今の魔法界はその二つに割れている。

表面上は去年と何も変わることはない。闇の帝王が裏で活動しており、魔法省の間抜け共がそれを決して認めていない現状では、何も知らない人々はさぞいつもと変わらない日常を過ごしていることだろう。

だが事情に少しでも通じている人間には分かる。平和なのは上辺だけ。現状が決して平穏な状況ではないことを。そして迫られる。己がどの陣営に属すべきかということを。自身を、そして己が()()()()()()。どの陣営に属せば大切な物が守れるのか。倫理だとか、正義だとか、はたまた理念だとか。そんな心底どうでもいいことを叫ぶ奇特な人間はいざ知らず、ほとんどの人間はそんな自分本位で……それ故に決して()()()()()()行動原理に従っている。

かくいう私もそうだ。マルフォイ家とダフネが無事であれば、後のことはどうだっていい。戦いの中で人がどれだけ死のうがどうだっていい。正義を叫ぶ、本当に大切な物が何かも()()()()()()()()()連中であれば猶更だ。私は家族や親友が無事であれば何もかもがどうだっていいのだ。戦争なら他所でやってほしい。マグルを殺すだとか守るだとか、私には心底どうでもいい。私はただ大切な人達と幸福に過ごしたいだけなのだ。

 

だからこそ……

 

「……まだ新学期が始まったばかりなのに、本当に色んな出来事が起こるね。え~と、なにこれ? ()()()()()()()? 具体的に何をする役職なんだろう」

 

「……さぁ、偉い方の考えることはよく分かりません」

 

「それを言うならダリアのお父さんも……まぁ、いっか」

 

争うなら私を巻き込まない所でやってほしい。

初日のある意味で衝撃的な授業から数日。相変わらずアンブリッジ先生は魔法省の……闇の帝王の意向通りの授業を執り行っている。何も教えず、何もさせず、何も学ばせない。実に時間の無駄でしかない授業。それを大真面目にされるのだから生徒達は堪ったものではない。もっともその都度先生に突っかかり、これまたその度に罰則を言い渡されているポッターもどうかと思うが……。そのせいで益々アンブリッジ先生の明後日の方向への努力が熱を増している。

だがそんな代理戦争の様相な授業であっても、所詮は閉じた学校内で起こった出来事に過ぎない。どんなに先生が将来の芽を取り除こうとしても、どんなにポッターが気勢を上げようとも、所詮は狭い空間で起こった出来事に過ぎなかったのだ。先生の権限も普通の教員のものとそう大差はなかった。

でも……今日からは違う。アンブリッジ先生の権限は、今日この瞬間普通の教員とはかけ離れたものになってしまった。

最悪の予想は案の定現実になってしまったのだ。

ダフネが手に持つ新聞には、

 

『ドローレス・アンブリッジ。初代高等尋問官に任命。魔法省、教育改革に乗り出す』

 

そんなことが書かれていたのだから。

非常に無視してしまいたい記事であるが、残念ながら私が現状の情報を疎かにするわけにはいかない。戦争のほぼど真ん中に放り込まれている以上、どんな些細な情報が命取りになるのか分からないのだ。

私は頭が痛くなるのを我慢しながら記事に目を通し始めた。

 

『魔法省は昨夜突然新しい省令を制定し、ホグワーツに対しこれまでにない統率力を持つことを決定した。魔法大臣はここ数週間、魔法学校の改善を図るための新法を制定していたが、今回の措置は今までのものよりも遥かに()()()措置と言えるだろう。何故なら今回の措置により、予め魔法省より選定されていた教員、ドローレス・アンブリッジが直接ホグワーツの実情を報告、そして管理統率を行うことが決定したのだから。アンブリッジ女史はこれまで()()()()に対し実に有効な法律を数々成立させた実績を持つ。今回もホグワーツに対し彼女の有能さが実証されるだろうという魔法省での期待感は強い。昨今のホグワーツは学力低下、モラルの低下が叫ばれていた。その問題に対処するには魔法省が強い指導力を持つしか方法がないのは言うまでもない。

ある魔法省高官は語る。

 

『ここ最近のダンブルドアは常軌を逸した決定を何度も下していました。半巨人のルビウス・ハグリッドや狼男を教師にしてみたり、妄想癖のあるマッド−アイ・ムーディーを起用してみたり。もはや正気を疑うしかありませんし、未熟な魔法使い達を導く魔法学校校長の任に耐えれているとは思えません』

 

この魔法省高官が語る通り、昨今のホグワーツにいい噂はほとんど聞かない。一刻も早い魔法学校の改革が急務と言えるだろう。特に今の学校にはハリー・ポッターのようなただ目立ちたがり屋な、モラルの低下しきった生徒も存在するのだから。高等尋問官の任命によりホグワーツに新たな信用できる校長を迎えることが出来るか。アンブリッジ女史の手腕が今試されていると言えるだろう』

 

……読み終えて余計に頭が痛くなりそうだった。唯一の救いは新聞の中で『狼男』とは書いているが、お父様から圧力があったのかルーピン先生自身の名前は書かれていないことくらいだろうか。

お父様の変わらぬ()()()気遣いに申し訳なさと同時に温かい気持ちを感じながら、私は今後について思いを馳せる。

時間の問題だとは思っていたが、アンブリッジ先生がホグワーツ内で絶大な権力を持つのはこれで確定した。しかもこの記事を読む限りでは、それこそ生徒どころか教員の進退を決められる程絶大な権力を持つのだろう。勿論生徒や教員の心配をしているわけではない。進退が心配になるとすればスネイプ先生くらいのものだが、そもそも先生はアンブリッジ先生と()()()()同じ陣営だ。アンブリッジ先生が態々そこを追求するとは考えにくい。結果他の教員や生徒で心配になる方はおらず、それこそポッターやダンブルドアがどうなろうがどうでもよかった。しかし……その生徒の中で私やお兄様、そしてダフネも含まれて来れば話は別だ。

先日アンブリッジ先生は私に言った。

 

『監督生などという小さなものではなく……貴女はもっと素晴らしい立場に就くことが出来るわ』

 

おそらく先生としては私に媚びを売ることで、ついでに私の背後にいるお父様や闇の帝王にも媚びを売るつもりなのだろう。

まったく有難迷惑以外の何物でもない。私は出来るならなるべく戦争とは離れたところにいたいのだ。マルフォイ家がもはや闇の帝王から逃げられない関係で巻き込まれているだけ。本当は家族やダフネを連れて逃げ出してしまいたい。だが裏切り者の未来が確定している以上逃げることも出来ない。

だからこそ、せめて誰の目にも留まらない位置にいたかっただけなのに……これではその望みも完全に潰えたと言える。先生が私にどのような立場を用意するかは知らないが、随分と面倒なことになることだけは間違いない。立場を与えられた以上、何もしなければそれはそれで目立ってしまう。結果私はこの不毛な争いにホグワーツの中ですら巻き込まれることになるのだ。

 

私は盛大な溜息をこぼした後、

 

「っひ! マ、マルフォイ様!? な、何かご不快なことでも、」

 

「……なんでもありません。私のことは気にせず、ご自分の食事に集中してください」

 

「も、申し訳ありません!」

 

私のため息に反応したスリザリン生を黙らせ、更に零れそうになるため息を我慢し食事を再開する。

ダフネが心配そうに私の頭を撫でてくれるのを感じ、私はその温かな感触に身を任せながら思考する。

 

何とかしなければ。これでは完全なじり貧だ。私は全てにおいて現在後手に回っている。これではいつか必ず後悔することになる。

せめてダフネのことだけでも何とかしなければならない。彼女にはまだ()()()があるのだ。マルフォイ家はどうしようもなく今の道を歩むしか選択肢がないが、せめてダフネだけでも何とか守らなくては……。

 

しかしいくら考えたところですぐにいい答えが出るはずもない。

しかもそんな思考の最中、

 

「ダリア……。これ……今届いたのだけど、ダリアはどうする?」

 

更に私の思考をかき乱す手紙が送られてくる。

私の頭を撫でてくれていたダフネの下にフクロウが一枚の手紙を落とす。そしてその手紙には、

 

『ダフネ。それに()()()。どうしても相談したいことがあるの。ダリアは立場上来たくないことは分かっているわ。でもお願い。これはどうしても必要なことなの。今日の夕食後、()()()()()()に二人で来てくれないかしら? ハーマイオニー・グレンジャーより』

 

そんなことが書かれていたのだった。

……今度こそ我慢できず、再び大きなため息を吐いたのは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ハーマイオニー、どうしたんだい? 何だかさっきから落ち着きがないように見えるけど」

 

「な、何でもないわ。す、少しやることがあるから早く談話室に帰りたいと思っているだけよ」

 

ロンの質問に私はなるべくいつも通りの声音を意識しながら応える。

落ち着きがない?

そんなのは当たり前よ。今年に入って私が()()()と話せたのは汽車での一度切り。うち一人に至っては去年から一度も話せていない上、手紙の返事すらないのだ。もしかすると今日再び彼女達と話せるかもしれないと思うと、私は正直いてもたってもいられなかったのだ。

……でも今はそれをおくびにも出すわけにはいかない。今は今日も今日とて()()()()()()の罰則を受けた後であるため、ハリーはどこか疲れた表情で食事を摂っているけれど……私が今から彼女達に会うと分かれば、彼は烈火のごとく怒りだしてしまうだろうから。

ハリーは去年目撃した出来事から、今年は去年にも増して私と彼女達の接触を阻止しようとしている。彼の経験を考えれば当たり前のことだけど、彼女達の本質を理解している私からしたら有難迷惑以外の何物でもなかった。

でもそれを今議論しても仕方がないのも事実。ハリーはハリーで今いっぱいいっぱいなのだ。一々無駄と分かっていてアンブリッジに面と向かって盾突くことが原因の一つではあるけれど、それもそもそもは彼の余裕の無さが根本的な要因であることは想像に難くなかった。ただでさえ今も無遠慮な視線に晒され続けているのだ。今は余計なことをして彼に必要以上の刺激を与えるわけにはいかない。私はハリーのためにも、今から彼女達と隠れて会う必要性がある。

そう私は心の中で言い訳をして、素知らぬ顔を装いながらその時をじっと待つ。

そして自分の食事を疾うに終え、いよいよ手持無沙汰になり始めた時……ようやくその時が訪れたのだ。

視界の端に常にとらえ続けていた彼女達が席を立つ。しかも彼女達をいつも取り囲む取り巻きを置き去りにして。どうやら彼女の兄が足止めをしている様子だ。

 

それは紛れもなく私に……本来ならば会話するはずのないグリフィンドール生に会うための行動に他ならなかった。

 

だからこそ私は、

 

「わ、私は先に行くわね。早く行かなくちゃ。少しやりたいことがあるの」

 

未だにノロノロと食事を摂るハリーやロンにそう言い残し、彼らの返事を聞く前にサッサと大広間を後にする。

そしていつも彼女達と密会していた場所、つまり大広間横の倉庫に足を踏み入れると、

 

「あ、ハーマイオニー。ごめんね、中々あそこを離れるタイミングが見つからなくって。大広間でずっと私達が出てくるのを待ってくれてたんだよね」

 

「……」

 

やはり彼女達……私の親友であるダフネとダリアが中にいたのだった。

勿論私を歓迎するように笑顔を見せてくれているのはダフネの方だけ。ダリアは私の存在を無視するかの如く、明後日の方向を向いたまま私に視線を合わせようともしていない。彼女は仮にも敵陣営に属さざるを得ない以上、私への態度を決して去年までの物に戻すわけにはいかないと考えているのだろう。残念だけど、夏休みの間に私もそのどうしようもない事実については認めざるを得なかった。彼女は私の親友ではあるけれど、決して()同じ陣営にいるわけにはいかないのだと。

…でも同時に彼女の姿を見て思う。

あぁ、やはり彼女も来てくれた……と。彼女がどんなに口で私を拒絶しようとも、決して本心からそうしているわけではないのだ。私がどうしてもと手紙に書くと、こうして私を無視しながらも決してここから出て行こうとはしていない。彼女がどの陣営に表向き属していようと関係ない。優しい彼女は彼女のままだ。私はようやく改めてその変わりようのない事実を再認識出来、瞬間的に嬉し涙を流しそうになったのだ。

しかしそれで今悠長に涙を流しているわけにもいかない。ここで一々それに言及してしまえば、それこそ折角のダリアの気遣いを台無しにしてしまう。だから私もダリアのことに一切言及することなく、ただダフネに微笑み返しながら応えた。

 

「いいえ、こちらの方こそありがとう。こんな時期に態々ここまで来てもらって。でもどうしても相談したいことがあったから……」

 

「そうみたいだね。で、早速で悪いけど、相談したい事って何かな? 貴女の言うように、今は時期が時期だからね。()()構わないのだけど、手早く済ませちゃおうよ」

 

そしてダフネもそんな私の意図をお見通しなのか即座に私に続きを促す。私もそれに応え、そのまま本題を続けることにした。

 

「それもそうね。ではいきなり本題なのだけど。私、どうしても貴女達に知恵を借りたかったの。ねぇ、二人も気が付いているのでしょう? あの女……アンブリッジが魔法省から送られてきたスパイだってことに」

 

「あぁ、あの人……。そうだね、私もあんな授業されれば流石に気付いたよ。あの人、明らかに私達に何も教えないようにしてるもの。教師ではあり得ないことだよね。……正直教育意欲だけなら3年前のペテン師の方が上だものね。これで気付かない方がどうかしているよ。……まぁ、私もダリアの言葉がなかったらもう少し気付くのに時間がかかっただろうから、あまり偉そうなことは言えないけどね。それで、どうしたの? あの人のことが相談したかったことなの? あの人が酷いことは私達が話し合っても仕方ないと思うけど……。言っておくけど、私とダリアもあの人を追い出すことは出来ないよ? あれがあの人に()()()()()()()みたいだしね」

 

「いいえ、相談したいことは正確にはあの人のこと……というわけでもないの。確かにあの女が魔法省からの差し金である以上、あの女に何かを期待する方が間違っているわ。ファッジが『例のあの人』の復活を認めない限り、魔法省が今の方針を覆すとは思えない。私が相談したいのは……これから私達はどうやって『闇の魔術に対する防衛術』を学ぶべきかってことなの」

 

そこまで話した時、我関せずを貫いていたダリアが初めて少しだけこちらに視線を送ってくる。どうやら私の相談事は多少彼女も気になっていた事柄だったのだろう。

でもやはり私が今ここでそれに反応してしまえば、彼女の優しさを無下にしてしまうことになる。私はそのまま何も気づかない振りをして話を続けた。

 

「私達は今年OWL(フクロウ)を受ける年よ。あんな授業で試験に真面に合格することなんて出来ないわ。それに何より……『あの人』が復活した以上、私達は自分を守る手段を身につけないといけない。もしこの一年で私達が何も学ばなかったら……。だからこそ、私達は自分たち自身の力で『闇の魔術に対する防衛術』を学ばなくてはならないと思うの。それも本を読むことに頼らずに、もっと実践的な方法をね。それこそルーピン先生が教えてくれた時のように。それをするには一体どうするべきか……それをどうしても二人に相談したかったの。私は確かに勉強は多少できるかもしれないけど、頭が固くて中々いい方法が思いつかないの。思い浮かぶのはやっぱり本を読むことくらい。突然でごめんなさい。でも私が相談できるのは二人しかいなくて……お願い、何かいい案はないかしら?」

 

長々と話し終えた私は一息つき、目の前の二人の様子を窺う。

自分でも唐突過ぎる相談事だと言うことは分かっている。こんなこといきなり聞かれても他の人なら何が何だか分からないことだろう。それに、

 

「……よくもまぁ、そんなことを。闇の帝王が復活したから、ですか……。よく私にそのような質問をする気になりましたね」

 

特にダリアにこんなことを尋ねれば、彼女が返答に困ってしまうのは私にも分かっていたことなのだ。微妙な立場にいる彼女には、『例のあの人』が復活した事実を前提に話をされても反応に困ることだろう。どこに目があるか分からない以上明確な肯定は出来ず、だからと言って事実である以上()()()()安全のためにも否定も出来ない。結果彼女は私を無視することも忘れ、少し恨めし気な無表情で私を睨みつけていた。

しかしそれでも私はこの質問を彼女達にしなければならなかった。私が思いつくのは図書館で本を読むことばかり。実践が重要だと分かっていても、精一杯思い浮かべるのはルーピン先生や去年の偽ムーディ先生の授業の真似事でしかない。だからこそ、今こそ私が最も信頼する二人の意見が欲しかった。この学校で誰よりも賢い彼女達の意見が……。

そしてその期待通り、真っ先に混乱から立ち直った様子のダフネがダリアに尋ね始める。

 

「ま、まぁ、ダリア、少し落ち着こうよ。それより……『闇の魔術に対する防衛術』の自習か。私達もあの先生が来てからずっと二人で自習しているけど、ハーマイオニーはそう言うことが聞きたいのではないんだよね? 二人での自習ではなくて、もっと実践的なもの……。うーん、なんだろうね。自習の中でもっと実践的なもの。広い教室を借りて、決闘の練習でもするとか?」

 

流石は私がこの学校で最も信頼する二人。即座に私がまだ明確に思い浮かべていなかった案が上がる。ダリアもダリアで私に応えるのではなく、ダフネにならばと少し表情を和らげながら応えていた。

 

「……そうですね。ダフネが言うのなら……。しかし……決闘ですか。それはどうでしょう。決闘と言うと、どうしても3年前の記憶が……。あの時のことを考えると、とても身を守る手段になるとは思えません。結局一番いい方法としては、誰かアンブリッジ先生の代わりになりそうな人間を探すしかないと思います」

 

「それならスネイプ先生とかどうかな? 先生なら一度決闘クラブを担当した経験もあるし。先生の中でも真面な部類だと思うよ。()()()()()()()頼めばやってくれるはずだよ」

 

もっとも彼女達がスリザリン生だということもあり、多少認識の違う意見も出てくるのだけど……。

私は和気藹々と話し始める二人の軌道修正をするため一声かける。

 

 

 

 

その一言が、

 

「……スネイプ先生はどうかと思うわよ。スリザリン生の貴女達は大丈夫でしょうけど、グリフィンドールの私に何か教えてくれるとは思えないもの」

 

私が後々思いつくアイディアに繋がるとも知らずに。

私の一言にダフネは神妙な今名案を思いついたと言わんばかりの表情で答えたのだ。

 

「そうだね……。なら先生が駄目なら、()()はどうかな!? 今私の目の前にはこの学校で最も賢い生徒がいるからね! ダリア、私とハーマイオニーに『闇の魔術に対する防衛術』を教えてよ! 貴女なら先生達以上にいい授業が出来るはずだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

倉庫から談話室への帰り道。周りには生徒の姿はなく、彼らがまだ大広間で食事を摂っていることが伺える。誰にもハーマイオニーと一緒にいたところを見られないための措置とはいえ、いくらなんでも早く出過ぎただろうか。こういう機会ぐらいしか素直になれないダリアのためにも、もう少しあそこで粘るべきだった。少しだけそれを残念に思いながら、私は隣を歩くダリアに尋ねる。

 

「ねぇ、本当に断ってよかったの? 私としてはいい考えだと思ったのだけど……。この学校にダリア以上に『闇の魔術に対する防衛術』を上手く教えられる人間なんていないよ? ハーマイオニーも断られて凄く残念そうだったし」

 

「先程も言いましたが、私は教師役には不適です。……おそらくグレンジャーさんの求めている授業に私は向いていませんし、そもそもする気もありません。私が何かを教えるとすればダフネとお兄様のみです。勉強くらいなら他のスリザリン生にも多少付き合いますが、それ以外のことは……。それに……私が教えられることは、もう()()()()()()()()()()ことばかりになってしまった。……私の悍ましい知識で貴女を汚すわけにはいかない」

 

やはり先程と同じにべもない返答。

尤も私も口では期待したことを言っているけれど、内心ではダリアが絶対にそんなことをしないだろうということは分かっていた。ダリアは自分の家族を守るため……だけではなく、ハーマイオニーのことも守るためにも彼女を遠ざけている。そんな彼女がハーマイオニーの教師をするなんて選択をするはずがない。

その事実を再確認し、私は更に残念な気分になりながらダリアの手を握る。無表情の仮面の下で内心悲しい思いをしている、ダリアの気持ちを少しでも和らげるために。

ダリアの内面を考えると涙が出そうになる。

今回のことだって、本当はダリアもハーマイオニーを手助けしてあげたいと思っているのだ。でなければあのハーマイオニーの、

 

『どうしても相談したいことがあるの。ダリアは立場上来たくないことは分かっているわ。でもお願い。これはどうしても必要なことなの』

 

あの手紙に嫌々ながらも応えるはずがない。倉庫の中でもハーマイオニーを無視しながらも、ダリアは決して彼女の話を聞いていないわけではなかった。その上で自分では彼女の役に立てない、自分は寧ろ彼女の邪魔になってしまうと判断するのがどれほど苦しかったことか。ダリアの内心を想像するだけで、私は無性に悲しい気持ちになるのだった。

 

本当に……闇の帝王なんて復活しなければ良かったのに。

ダリアが何故こんな風に自分を押し殺して生きていかねばならないのか。その全ての元凶はあの闇の帝王が復活したからに他ならない。

嘗て魔法界を恐怖のどん底に陥れた闇の魔法使い。現在一見平穏な社会の裏側で、次の戦争に向けて着々と準備を進めているだろう危険人物。そして……ダリアを人工的に生み出し、今も家族を人質に彼女を縛り続けている()。そんな奴が復活したからこそ、ダリアはこんなにも悩みの多い立場になってしまったのだ。

私はダリアの温もりを手で感じながら、内心この状況を作り出した元凶に対し怒りの感情を覚える。そして……そんなダリアの現状を分かっていながら、それでもこうして手を握って上げることしか出来ない自分の無力さを恨みながら。

 

そんなことを内心で考える私を、ダリアが静かに見上げていたことにも気付かずに……。

 

 

 

 

この時私を見上げる彼女が内心どんなことを考えていたのか……そのことに気付くのはずっと後のことだった。



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高等尋問官

 ハリー視点

 

去年までにおいて、僕のホグワーツ内での最大の敵はスネイプに他ならなかった。いつも僕に嫌味を言い、隙あらばグリフィンドールの点数を減点する嫌な奴。ドラコやダリア・マルフォイを除けば、あいつこそ僕の最も嫌いな人間だったのだ。

でも今は違う。勿論今でもスネイプのことは大っ嫌いだけど、今この学校にはスネイプなんかより遥かに嫌な奴がいる。スネイプ以上に僕を貶めようと画策し、スネイプ以上に僕の仲間達を目の敵にする嫌な奴が……。

それこそが、

 

「ぇへん、ぇへん」

 

今年ホグワーツに新しく赴任した、あの魔法省の役人であるドローレス・アンブリッジに他ならなかった。

今僕達の前の前ではマクゴナガル先生の授業が執り行われてる。であるのに、この授業には何故か本来ここにいるはずのないアイツが存在していた。

魔法省から任命された『高等尋問官』として……。他の先生の授業にひたすらケチをつけるためだけに。

 

……本当に嫌な奴だ。

 

最初の方は完全にあいつの存在を無視していたマクゴナガル先生も、何度も何度もわざとらしく咳ばらいをされれば流石に無視できなくなったのだろう。眉を真一文字に結びながら、教室の隅で嫌らしい笑みを浮かべるアンブリッジのことを睨みつけている。

 

「何か?」

 

今まで聞いたマクゴナガル先生の声の中で、最も苛立ったものと思われる声音。しかしそんな声音にも更に笑みを強めながら奴は応えた。

 

「いえね、私がここに視察に来ていることにお気づきでない様子でしたので。私、今は『高等尋問官』として貴女方教員の査察をしておりますのよ。少しでもこのホグワーツに相応しくない教員を是正するために」

 

建前はそれっぽいことを言っているけど、こいつが本当はただ他の先生に嫌味を言いたいだけだということを僕らはもう知っている。マクゴナガル先生の授業の前に、既にいくつかの授業でこいつが査察している所を見たのだ。そのどれもが査察とは名ばかりのものだった。あのスネイプに授業中、

 

『本当は『闇の魔術に対する防衛術』の教員を希望されたと聞きましたが、どうして魔法薬学の教授をなされているの? 何か問題ありと判断されたのかしら?』

 

そんな嫌味なことを尋ねていた時は流石に吹き出しそうだったけど、それでもアンブリッジが嫌な奴であることに変わりない。トレローニーのこともあまり僕は好きではないけれど、ただひたすら授業中に存在否定までされる姿を見るのは忍びなかった。

そしてそれは、

 

「そうですか、ならばご心配なく。私も貴女がここに来ることは知っておりました。さもなければ私の授業に何の用かと尋ねています。ですから貴女はただ静かにそこにいるだけで結構です。私は通常自分の授業で私語は許しておりません」

 

どんなにマクゴナガル先生がアンブリッジをやり込める発言をしようとも同じだった。先生の言葉にもアンブリッジは気にした素振りを見せることなく、まるで見せつけるかのようにユックリと手元の書類に何か書き込んでいる。あの見ているだけで腹が立つ厭味ったらしい笑顔付きで。アンブリッジから目を逸らしたマクゴナガル先生も言及こそしないが、よく見れば表情が僅かに引きつっていた。

 

何をどうすればあんな嫌な奴が出来上がるのだろうか。本来なら楽しいはずのホグワーツ生活が、あいつのせいでただただどす黒いものに変わっていく。

しかも『高等尋問官』に就任してからどの授業にだって現れるものだから、もはやホグワーツ生活であいつの姿を見ない時間の方が少ないくらいだ。

マクゴナガル先生の授業を耐え忍ぼうとも、あいつに苛立たされる時間は続く。午後のスリザリン合同の魔法生物飼育学。案の定ひょっこり現れたアンブリッジは、不在のハグリッドの代わりに授業をしていたグラブリー・プランク先生に質問する。

 

「あらあら、貴女は確か、えっと……何と言いましたかしら、あの()()な生き物。あぁ、そうそう、確かハグリッドという()()()の代わりにこの授業を担当されているのでしたね? それで質問なのですが、何故貴女のような真面な人間が、あのような亜人の代わりを()()()()()()()のです? 半巨人は今一体どこで何をしているかご存じないかしら?」

 

内容もそうだが言葉の端々にハグリッドへの侮蔑が現れており、彼の友人である僕は思わず反論の声を上げそうだった。ハーマイオニーが腕を抓らなかったら、僕は思わずあいつに殴り掛かってすらいただろう。

 

「ハリー! 今は我慢するのよ! 今声を上げれば貴方だけの問題ではなくなる。あの女がハグリッドを攻撃する口実になるかもしれないのよ」

 

「……それは分かっているけど、」

 

「私、彼が今頃何をしているか不安ですの。このクラスではミスター・マルフォイが大怪我をしたと聞きましたので。また危険な生物を連れてくるのではないかと思うと、私心配ですのよ。貴方もそう思うでしょう、ミスター・マルフォイ。お父様からお聞きしましたよ。貴方は()()()()()()であるのに、()()()()()()()()不当に扱われていると。ですから、」

 

「ッ! 何が被害者だ! あれはそいつが馬鹿で、ハグリッドの言ったことを聞いてなかったからじゃないか!」

 

しかしどんなにハーマイオニーに注意を逸らされても我慢の限界がある。相変わらず生徒達から投げかけられる馬鹿にしたような視線、毎日のように僕やダンブルドアを扱き下ろす新聞。そして四六時中聞かなければならないアンブリッジの嫌味に……今まで受けたこともない屈辱的な罰則。どう考えてもマルフォイが悪かったことを、まるでハグリッドが悪かったように言う言葉。僕の忍耐はとっくの昔に擦り切れていて、些細なことで自分でも制御出来ない程僕は常に怒り狂っていた。

しかしそんな自分の行動で引き起こされる事態を想像出来ない程我を忘れていたわけでもない。僕の湧き上がる反抗心にも、やはりアンブリッジはその嫌らしい笑みを崩すことなく応える。

声を上げた時から半ば予想していた言葉と共に……。

 

「ハリー・ポッター。貴方はまだ分かっていないみたいね。あそこまで()()()()()というのに、まだそんな愚かなことを。貴方にはまだまだ罰則が必要だと痛感しました。今晩も私の部屋に来なさい。()()()()の罰則を命じます」

 

僕は右手の甲から感じる痛みを僅かに感じながら、嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見るアンブリッジを睨み返す。

これこそが僕が今できる奴への最大の反抗と思いながら。

 

 

 

 

アンブリッジに話しかけられながらも、始終不機嫌な表情を浮かべていたマルフォイの横で……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

学年で最も優秀な生徒であるダリアによる授業。ダフネからその案が出された時、私はなんて素晴らしい案なのだろうと感動した。ダリアが教えてくれるのなら、必ずそれは今後の戦いに役立つ知識に違いない。彼女程多くのことを知っている生徒はこの学校に、それこそ上学生も含めて存在しないのだ。彼女以上に代理の先生として相応しい人物はいないと断言できる。何故こんな当たり前のことに気付かなかったのか。自分の頭の固さを改めて自覚させられる思いだった。

 

でもそんな素晴らしい案が現実になることはなかった。

他ならぬダリアに断られてしまったから。……ダリアの置かれている立場がそれを許しはしないから。

そもそもあの場にいてくれたことが彼女の最大の譲歩であり、それ以上のことを彼女に望むなんて烏滸がましいことだったのだ。

 

あの時ダフネの言葉に一瞬でも喜んだ自分自身を恥じ入るばかりだ。けど、それを今言っていても仕方がない。ダリアという最高の選択肢が消えた以上、私は私で出来ることをしなければならない。もはや悩むばかりで行動しないなんてことは許されない。

それこそ最後まで私の相談に乗ってくれたダリアとダフネのためにも。

しかしそう覚悟を新たにしたところで、やはり状況自体が好転しているわけではなかった。振出しに戻ってしまった状況に私は頭を抱え込みそうだ。ダリアが駄目となると、一体誰に先生役を頼めばいいのか想像も出来ない。やはり彼女という最高の選択肢を失くしたことが少なからず私の思考を乱し続けている。それに私の悩みの原因はもう一つ……。

 

「……ただいま」

 

「お、ハリー! ようやく終わったのか? アンブリッジのババァの罰則は何だったんだい?」

 

「……いつもの書き取りだよ」

 

そもそも根本的な問題が、私の力だけではどうしようもないものであることだった。

もはや真夜中に近い時間になって、ようやくあの女の罰則から解放されたハリーが帰ってくる。そんな彼を談話室で待っていたのは私とロンだけ。いくら真夜中とはいえ、それが今のハリーの立場を如実に表している気分だった。

 

「お帰りなさい、ハリー」

 

「……うん。ありがとう、ハーマイオニ、ロン、こんな遅くまで待ってくれて」

 

疲労困憊で談話室のソファに座り込むハリーに紅茶を注ぎながら、私は授業の他にもう一つ抱えている大きな問題について思考を巡らす。

確かにハリーのアンブリッジに対する行動は軽率だと思う。マクゴナガル先生も罰則を受け続けるハリーを見かねたのか今は反抗するなと忠告していたのだけど、それでもハリーは必要以上にあの女の挑発に乗り続けている。

でも彼の置かれた状況を考えると、彼があれ程短慮に走ってしまう程余裕をなくしているのも仕方がないのだ。それにハリーの怒り自体は正当な物。その行動だってあの女に屈しない人間もいると示すことだけなら成功していると言える。ハリーを責めるわけにはいかない。悪いのは全てハリーを煽るあの女であり、それを裏で指示している魔法省なのだ。

……だからこそ同時に、今の私にはどうしようもない相手でもあるのだけど。

魔法省はこのイギリス魔法界を牛耳る強大な組織。いくら私達が正しいことを言っていようとも、彼等が本気でこちらの意見を潰そうとするならばどうすることも出来ない。現にあの『今世紀最高の魔法使い』であるダンブルドアですら今は大っぴらに行動出来なくなっている。現状『不死鳥の騎士団』に出来ることは陰で行動することのみの様子だった。シリウスに至っては騎士団本部にほぼ軟禁させられている。そんな中、私のような一介の生徒でしかない人間が何か大きなことが出来るはずがない。それこそどんなに憤ろうとも、苦しいハリーの立場をいきなり変えることなど出来ないのだ。

 

私はどんなに悩もうとも一向に答えが出ない問題を二つも抱えながら、疲れ果てた表情でソファーのハリーを見やる。これまで苦労し、そしてこれからも苦しい立場に置かれ続けるだろう彼に同情しながら。

 

しかし、

 

「ッ! ハ、ハリー! て、手の甲のそれ! 一体どうしたの!?」

 

そんなどこか諦観に満ちた思考も、彼の手の甲に刻まれた文字を見た瞬間吹き飛ぶことになる。

しまった!

と言わんばかりに体をこわばらせるハリー。でも一度見てしまった以上、その強烈な文字を忘れることなど出来はしなかった。

 

 

 

 

思い返せばここ最近のハリーはいつも右手の甲を隠していた。その行動に意味があるとは思えず、それこそその文字を見るまで思い至りもしなかったわけだけど……。成程、見てしまえば直ぐにハリーが隠していた理由に思い至る。

こんな文字を刻まれているのを見てしまえば、それこそ彼の親友である私とロンが心配しないはずがない。現にその文字を見た私とロンの表情は一瞬驚いたものを浮かべた後……怒りに満ちたものに変わっていたから。

 

私達の視線の先。つまりハリーの右手には、

 

『僕は嘘を吐いてはいけない』

 

そう、まるで()()()()()()()刻まれ文字が浮かんでいた。

何度も何度も、まるで尖ったもので刻み込まれたかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

あのアンブリッジとかいう女は、実は魔法省から派遣された監視員である。それもダンブルドアを魔法省が抑え込むために。

……それはもはやスリザリン内において公然の事実に他ならなかった。

このタイミングであのような授業をされれば嫌でも気づくこともあるが、そもそもスリザリン内にはその辺の事情を詳しく知る親を持つ生徒が、他の寮よりも遥かに多く在籍していることが要因の一つだろう。この寮には魔法省高官は勿論……父上のように『死喰い人』として活動している両親を持つ人間が多く存在している。アンブリッジの活動目的が寮内で知れ渡るのは時間の問題でしかなかったのだ。

 

だがたとえ事情を知っていようとも、実のところそれを歓迎的に受け入れている生徒はそれ程多くはなかった。

スリザリンには他の寮と違い、あの女から実害を被った生徒はいない。寧ろスネイプ以上に僕たちスリザリン生のことを贔屓しているとさえ言える。奴のお陰で今年のスリザリンの点数は他の寮を既に圧倒しつつある。本来ならば、手段を選ばないことを信条としている僕等にとってこれ程有難い教師はいないはずであった。

しかしそれにも関わらず……スリザリン内でもあの女のいい噂を聞くことはほとんどない。

理由は簡単だ。何故ならあの女のあの甘ったるい……まるで粘着く様な声が癇に障って仕方がないから。あのまるで僕達に媚びることで……僕達の両親が自分に感謝するのは当然であると思っているような、どこまでも押しつけがましい態度が気にくわないから。

 

「ポッターの奴、また今日もアンブリッジに罰則を言い渡されてたぞ。本当に馬鹿な奴だな。学習能力がないんじゃないか?」

 

「一体どんな罰則を受けてるんだろうな」

 

「でもあのアンブリッジの奴も……調子に乗ってるよな。あのふざけた格好。あれは何とかならないのか? あれじゃまるでピンクのガマガエルじゃないか。それにあの声。ポッターじゃないが、あのべたつく様な声なら誰だって反抗したくなるさ」

 

「それもそうだよな」

 

だからこそ、本来であれば称賛されるべき奴の行動も、最後には奴への悪口で締めくくられていた。スリザリン談話室での会話。ここでは身内しか聞いている人間はいないと、平然とあの女への悪口も囁かれる。

かくいう僕もあいつのことは嫌いだった。勿論理由は他の連中と同じく、あの押しつけがましい態度が気にくわないから……ということもあるが、実際はそれが最大の理由ではない。

 

僕のあいつを嫌う最大の理由はただ一つ。それはダリアがあいつのことを……酷く警戒しているから。

 

ダリアはあの女のことを、それこそ出会った瞬間からこう言っていた。

 

『お兄様。あの人を見かけで判断しては痛い目を見ることになります。あれは決して侮っていい存在ではない。あの人は……そもそも()()()()()()()()()()()分からないのですから』

 

ダリアのあの警戒心に満ちた口調。僕は口が裂けても今のダリアの事情を全て理解しているなんてことは言えない。でもあのダリアの言葉を聞けば、嫌でもあの女の今の立場を察することが出来た。

あの女は……ダリアの敵なのだということを。それも魔法省の人間だとか、そんな小さな理由ではなく……。

それに僕は父上からあの女のことをいくつか教えられている。あの女が教員として赴任してきた日、父上から手紙が送られてきたのだ。あの女が今までどのような主張で魔法省の中をのし上がってきたか。あいつが査察中に言っていた言葉を思い出す。

 

『何故貴女のような真面な人間が、あのような()()の代わりをさせられているのです?』

 

それはダリアを家族に持つ僕達マルフォイ家には到底容認できない話だった。

勿論あの野蛮人がどうなろうと知ったことではない。巨人のことだって別に好きではない。奴らが生きようが死のうがどうだっていい。だがダリアの中に同じ亜人である『吸血鬼』の血があるからと言って、ダリアまで差別される未来は断固として容認できない。そんな主張を繰り返す女に僕が好感を持てるはずがない。

僕は近くから漏れ聞こえてくる罵詈雑言から目を離し、目の前のソファーに座るダリアに意識を戻す。5人は座れるだろうソファーに、ダフネと二人だけでゆったりと腰掛けるダリア。しかしダフネと寄り添うようにしているというのに、ダリアの表情は決して明るいものではない。傍から見ればいつもの無表情なのだろうが家族である僕には分かる。それはダフネも同じなのか、隣に座るダリアに頻りに心配そうな視線を寄越していた。

原因は考えるまでもなくあのアンブリッジのことに他ならないだろう。正確にはあの女の背後にいる存在だろうが、直接的な原因はあの女に違いない。

そんな簡単なことは僕にだって分かるのに……。

 

「ダリア……大丈夫か?」

 

なのに僕はいつだって、今まで通り無力な人間でしかなかった。今年何度したか分からない質問を再び繰り返す。

当然その答えも、

 

「……えぇ、お兄様が心配されるようなことは何もありませんよ」

 

いつもの答えだと知っていながら。

この悲しみに溢れた無表情で、決して何も無いはずがないというのに……。

今学校の外では世界が大きく動いている。愚かな記事を垂れ流す新聞の陰で蠢く闇の勢力。その事実をマルフォイ家である僕は知っている。なのに僕はこんな壊れた蓄音機みたいに……ただ無力にダリアに同じ質問を繰り返すしかなかった。

僕は3年前……ダリアが『継承者』として疑われた時、自身の無力さをひたすら呪ったというのに……あの時から何一つ進歩などしていなかった。

 

……何が、大丈夫か、だ。

大丈夫であるはずがない。ダリアのあの表情を見て大丈夫だと信じるのなら、もはやあの子と家族であると口が裂けても言えなくなる。なのに僕はそれが分かっていて……いつだって自身の無力さを再確認するような質問を。

僕は無力感に苛まれながら、ただ不安と悲しみを滲ませた無表情で教科書を眺めるダリアを見つめ続ける。

 

それで何かが変わるわけではないと……僕がどれほど心配したところで、ダリアの取り巻く状況が変わるわけではないと知りながら。

 

 

 

 

夜は更ける。談話室には去年と同じく、能天気に世間話に興じる生徒達の姿。窓の外を見れば、月明りに照らされた湖底に水草が揺蕩っているのが見える。生徒達の会話からは所々物騒な内容も聞こえるが、それはスリザリン寮内では日常的な光景と言える。概ねいつもと変わらない平和そのものの光景だ。

だが外の世界は違う。喚き散らすポッターに共感するわけではないが、決して外は無防備に出て行けるような状況ではなくなってきている。

 

そしてその影響は、

 

「ダ、ダリア。何かテーブルの上に置いてあるよ? さっきまではなかったのに……」

 

「……本当ですね。こんなことが出来るのは……ドビーですね。こんな時間に手紙なんて、何かあったのでしょうか」

 

ゆっくりとだが、でも確実にこの城にも近づいているのだった。

その手紙は音もなくテーブルに、それこそいつの間にか置かれていた。ダフネが気が付かなければ、僕らがその手紙を読むのはもう少し後になっていただろう。

しかしいつの間にか置かれた手紙など怪しいにも程があるが……実のところ僕達は全員何の疑問もなくそれを読み始めていた。

こんな風にいつの間にか目の前に手紙を置くなど、そんな芸当が出来るものは『屋敷しもべ妖精』しかいない。そしてこんなことをダリアにするのも、この城にいる屋敷しもべの中に一人しかいない。同時に奴を連絡手段として使う人間も……一人しかいない。無論、老害辺りが違う屋敷しもべを使ってこんなことをした可能性もある。が、内容からそれは違うことがすぐに分かった。

何故なら手紙には、

 

『ダリア、ダフネ。再度の呼び出しでとても申し訳ないのだけど、次のホグズミード行きの日。天気が良ければでいいから、『ホッグズ・ヘッド』というパブに来てほしいの。そこでもし私の意見に賛同してくれるのなら、一緒に『闇の魔術に対する防衛術』の授業を受けましょう。先生役は()()()にしたわ。彼にはダリア程の知識や力はないかもしれないけど、間違いなく経験はこの学校でも桁違いのはずだから』

 

そんなあの老害ではあり得ない……実に能天気なことが綴られていたから。

手紙を読み終えたダフネが少し呆れたような表情を浮かべる。ダリアに至っては手紙を受け取った瞬間からどこか苛立ち気な表情であったが、読み終えた後は更にその表情を深めている。

()()()()()()()()……以前から勉強が出来るだけの頭でっかちだとは思っていたが、無力な僕にだって分かる。こんなもの受け取ったところでダリアが参加できるはずもない。まったくあの馬鹿は……所詮はマグル生まれということか。いや、所詮はグリフィンドールと言った方が正確かもしれない。あいつだってダリアの現状を理解しているだろうに、こんな手紙をダリアに……。大方送ればダリアが困ると知りながら、それでも送らないわけにもいかないとでも考えたのだろう。まったく浅はかとしか言いようがない。それに何がポッターを教師役にだ。いくら『闇の魔術に対する防衛術』を自習しなければならないとはいえ、あんな奴に今更ダリアが学ぶことなど何もない。ダリアとダフネからある程度の事情を聞いてはいるが、辿り着いた結論がお粗末すぎる。ダリアに教師役を頼むまではまだ理解できるが、最後の最後に何故こんなとち狂った選択をするのか。

そんな僕の考えに、一応あいつとの親交があるダフネも同じことを思ったのだろう。呆れ顔ながらも少しだけ擁護する言葉を探し……やはり最終的に言葉が見つからなかったのか、ため息を一つ吐いた後続けた。その言葉を、

 

「な、なんと言うか……少し切羽詰まっていたのかな、彼女も。で、でも、これで断りやすくなったね。彼女のお願いも聞いてあげたいところではあるけど、流石にこれは、」

 

「いいえ、ダフネ。これは私からもお願いします。……ダフネ、貴女はこの誘いに乗ってください。()()()()()

 

今まで黙っていたダリアに遮られるまでは。

僕とダフネ、二人同時に弾かれた様にそんな言葉を発したダリアの方に顔を向ける。

そこには先程までと同じ苛立った無表情の上に……どこか決意に満ちたものを浮かべたダリアの姿があった。

 

 

 

 

城の中は日常的な光景に溢れている。アンブリッジのような人間が城に来ていても、結局は概ねいつもと変わらない平和そのものの光景。

だが外の世界は違う。闇の帝王が復活した以上、否が応でも世界は変わりつつある。

そしてその影響は……ゆっくりとだが、でも確実にこの城にも近づいているのだった。



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集会(前編)

 ハリー視点

 

「……ねぇ、ハーマイオニー。本当にやるの? 僕が教師役だなんて……人が集まるとは思えないのだけど」

 

5年になって初めてのホグズミード行き。いつもであれば僕らは真っ先に『ハニーデュークス』で大量のお菓子を購入し、そしてその後『三本の箒』でバタービールを飲む。そんなホグワーツにいる時以上に開放的な日を送っているはずだった。天気も()()()()()()()ということもあり、本来であればさぞ楽しい一日を送っていたことだろう。

でも僕等は今そんな誘惑に満ちた店を通り過ぎ、それどころか少し汚らしい横道を進んでいた。大通りに響いている生徒達の明るい笑い声もここまでは届かない。そんな暗い小道を進みながら質問した僕に、同じく隣を歩くハーマイオニーが何でもなさそうに応えた。

 

「えぇ、結構な人数が集まってくるはずだわ。それもグリフィンドールだけではないわ。()()()からも沢山人が来ているはずよ。……それだけ貴方に教わると言うことが魅力的ということなのよ」

 

……こう言っては何だけど、こういう時の彼女の発言はあまり信用できない。彼女は僕なんかより遥かに頭がいいが、詰めがいつも甘い上、時折こういった突拍子のないことを言い始めるのだ。

そう本当に……何故かこんな突拍子のないことを。

 

 

 

 

そもそもハーマイオニーがこんなことを言いだしたのは、

 

『ッ! ハ、ハリー! て、手の甲のそれ! 一体どうしたの!?』

 

僕の手の甲に刻まれた文字を見たすぐ後のことだった。

もはや日常になってしまったアンブリッジからの罰則。その常軌を逸した内容を、僕はハーマイオニーとロンに言うつもりなんてなかった。内容を知られれば、彼女達は必ず僕のことを心配してしまう。最近は余裕がないため怒りに任せた行動を取ってしまうこともしばしばあるけど、それで彼女達に少なからず負担をかけてしまっているという自覚はあるのだ。これ以上彼女達を心配させるわけにいかない。そう思っていたのだ。

でも遂にバレてしまった。この手の傷を見られてしまえば、もう下手に隠し立てしても意味はない。寧ろ一層彼女達を心配させてしまう。

そう僕は観念し、今まであったことを洗いざらい話した。罰則初日からアンブリッジは魔法の羽ペンを僕に渡し、僕自身の手にこの、

 

『僕は嘘を吐いてはいけない』

 

という文字を刻み込ませたことを。

そして僕の話を唖然とした表情で聞いていたハーマイオニーとロンは、案の定話を聞き終えた瞬間怒りに顔を真っ赤にしながら大声を上げていた。

 

『あのアンブリッジの糞ババア! 嫌な奴だとは分かっていたけど、とんでもない奴じゃないか!』

 

『ひどい! こんなこと、どう考えてもおかしいことだわ! ハリー! 今すぐマクゴナガル先生とダンブルドア先生に訴えるのよ! こんなこと許されていいはずがないわ!』

 

黙っていたことを怒るのではなく、ただ純粋にこんなことをしたアンブリッジに対しての怒りの言葉。予想していた通りの反応に僕は罪悪感と同時に少しだけ安堵と嬉しさを感じていた。しかしそれでも最初から考えていた答えを僕は貫き通す。

 

『ロン、ハーマイオニー。……ありがとう。でも今あいつのことをマクゴナガル先生や校長先生に言うつもりはないよ』

 

『何故!? あの女のしていることは罰則の域を超えているわ! こんなの残酷すぎる! 今すぐこのことを、』

 

『いいや、言わない。これは僕なりの戦いなんだ。他の先生に言えば、僕はあいつに弱音を吐いたことになってしまう。あいつに屈したことになってしまう。それだけは絶対にしたくないんだ。それに今他の先生……特にダンブルドアは忙しいんだ。ヴォルデモートとの戦いに備えてね。そんな時に、こんな小さなことで皆を煩わせるわけにはいかない。……あいつが高等尋問官になった以上、どんなことで先生達をクビにするか分かったものではないんだ』

 

三人しかいない談話室に沈黙が満ちる。

表情から二人が僕に反論したいことは分かった。でも結局二人に反論することは出来なかったのだ。アンブリッジとの戦いに関しては僕の意地でしかないのは分かっている。でも僕があいつのことを先生方に報告し、その後その先生がアンブリッジに抗議した時何が起こるか。普段であればあんなことをした教師はダンブルドアが直ぐに追い出して下さることだろう。スネイプのいつもやっていることもどうかしているけど、アンブリッジの罰則はハーマイオニーの言う通り常軌を逸している。

でも今はそもそも普通の状態などではない。アンブリッジは魔法省がホグワーツに口出しするために送ってきている。それもダンブルドアや、その他の校長に忠誠を誓っている先生達を押さえつけるために。そんな中、僕の余計な一言で先生達が窮地に立ってしまう可能性を考えると……とても軽々しく相談など出来るはずがなかった。……それに今ダンブルドアは僕なんかに構っていられない程忙しいのだ。こんなことで頼ってしまえば、より一層僕のことを弱い人間と思うかもしれない。

それがロン達にも分かったのか、最初は何か言おうと口を開け閉めしていたけど、最後には渋い顔で何も言わなくなってしまっていた。

……もっとも、

 

『……それはそうだけど。でも、こんなこと許されていいはずがないわ。あの女は本当に酷い人よ。それもとんでもなく酷い人だわ。それを黙って見ていることなんて到底出来ないわ。……たとえ先生方に頼らないとしても、何もしなければ負けたことになってしまう」

 

ハーマイオニーは俯きながら、何か小言を言い始めたのだけど。

何かブツブツ言いだしたことを訝しがる僕らを横目に、ハーマイオニーは没頭したように小声で続けていた。

 

『そうよ。そもそもあの女の目的は生徒に何も学ばせないこと。それなら私達も当初の目的を果たせばいいのよ。それだけで誰にも迷惑をかけずに、あの女に反抗することが出来る。()()の意見を取り入れれば必ず上手くいくはず……。でも彼女を教師役にするわけにはいかない。他の誰かにやってもらわなくちゃ……。そうしなくては、折角無理をして相談に乗ってくれた彼女に申し訳ない。でも誰に? あの子以上に教師役に相応しい人間がいるわけ……」

 

その直後、天を仰ぎ見る様な動作をしようとした瞬間……僕のことが視界に入った瞬間、突然僕のことを凝視しながらハーマイオニーは続けたのだ。

 

『……そうだわ。何故今まで気付かなかったのかしら。あの子が一番ふさわしいのは間違いないけれど、ここにも教師役として相応しい人がいたんだわ。何故もっと早くに気付かなかったのかしら。彼なら経験豊富だし、何より多くの人に現実を伝えることも出来る。今の状況を打破するには守りに入るだけではだめなのに……。だったら』

 

そして彼女が言い始めたのが、

 

『ハリー、お願い! これは貴方にしかお願いできないことなの! ハリーがアンブリッジの授業で言っているように、私達は外の世界で待ち受けているものに対して準備が必要よ! 私達は外に出る前に、少なくとも自己防衛くらいは出来るようになっていなければいけない! それなのに、もしこの一年間何も学ばなかったら……それこそ『例のあの人』の思うつぼよ! だから私達は学ばなくてはならないの! 今までのような本から学ぶだけではなく、もっと実践的な内容を! 私達は必要なの! 呪文の使い方を教えてくれて、間違ったら直してくれる先生! そして本当に必要な呪文を選んでくれる先生! それが出来るのは……()()()()()()、貴方しかいないわ! 貴方には何より『例のあの人』と戦い続けてきた実績があるわ! ハリー! お願い! 人は私が集めるから、どうか私達に授業をしてほしいの!』

 

そんな突拍子のない内容だったのだ。

 

 

 

 

今思い返せば、あの時の彼女は『SPEW』の話をする時と同じくらいの熱量を迸らせていたように思う。こういう時のハーマイオニーは感情のままに勢いよく行動するため、僕とロンにだって容易には止めることが出来ない。

勿論僕は最初反対した。ハーマイオニーの言いたいことは分かる。僕だって今のままアンブリッジの思い通りになることは避けなければとは思う。自主的に授業をすることも悪い案だとは思わない。

でもそれを僕が教えるということには……どうしても賛同できなかった。ハーマイオニーは僕のことをあいつと……ヴォルデモートと戦い続けてきた実績があると言ったけれど、そんなものはそもそもありはしないのだ。僕は今まで運が良かっただけ。いつだって誰かに助けられ、それでようやくヴォルデモートからギリギリ逃げおおせていたに過ぎない。一歩間違っていれば僕は殺されていただろう。僕は何一つ凄いことを成し遂げたわけではない。自分が人より危険な目に遭ってきたことは間違いないが、それをもって人より凄い能力を身に着けていると勘違いされては困る。

そんな僕があいつと戦うため、皆に『闇の魔術に対する防衛術』の授業をする?

どう考えても無理だ。ハーマイオニーは勘違いしているのだ。あいつと戦うのに知識や経験なんて何の役にも立ちはしない。必要なのはその場の運だけだ。去年だって僕にはそれがあり……セドリックにはそれがなかった。たったそれだけの違い。彼の方が僕なんかより遥かに優秀な魔法使いだったのに、ただ運がなかっただけで死んでしまい……そして僕はそれがあっただけで生き残れた。ただそれだけで分かれた明暗。そんな理不尽極まりないことが現実なのだ。何を練習してもその事実は変わらない。

それに何より、僕は今この学校の中で一番嫌われている。ヴォルデモートが復活したと嘘を吐く人間だと言われて。魔法省がそう僕とダンブルドアのことを連日のように非難しているから。ホグワーツ内で僕のことを信じてくれている生徒なんて一握りだ。そんな状況で僕から授業を受けようなんて人間がいるはずがない。

そう僕は思い、熱く主張を繰り返すハーマイオニーに反論した。あまりに現実を見れていない能天気な思考に怒り、声を荒げながら反論すらした。

でも結局ハーマイオニーが意見を覆すことはなかった。それどころかロンまで最終的には彼女の意見に賛同し始める始末。僕がどんなに声を荒げて反論しようと、

 

『君達は分かってない! あいつと正面切って戦うってことが、本当はどんなことか! 君達はどうせ、あいつと戦うには授業みたいにありったけの呪文を覚えて、それをあいつに向かって唱えればいいと思っているんだろう!? そんなわけない! 本当にその場になったら、今まで必死に覚えてきた呪文なんて何の役にも立ちはしない! ほんの一瞬で僕が殺されるか、それとも一緒にいる友人が死ぬかが決まるんだ! 真面な思考でその場にいられるものか! 必要なのは運だけだ! 僕は偶々それが今まであっただけ! 次もそれがあるなんて保証はない! 実績があるから僕が教えたらいいだって!? そんなことは君達が何も知らないからこそ、』

 

『そうよ! 貴方の言う通り、私達は何も知らない! だからこそ知らなくてはいけないの! 貴方に授業をして欲しいと言うのは、別に普通の授業をしろというだけではないの! 普通の授業なら、悪いけれど()()()()()()()子がいるわ! でも実際に『例のあの人』と……ヴォ、ヴォルデモートと対峙したことがあるのは貴方だけ! その時貴方がどんなことを考え、どんなことが要因で生き残れたか! それを現実を知らず、ただ呑気に考えている私達に教えて欲しいの! その時が来て、決して後悔しないように……。ハリー、お願いよ。これはこの学校で貴方にしか出来ないことなの!』

 

そう言って押し切られてしまったのだ。

どんなに不満を抱いていても、ここまで言い切られてしまったら流石に反論し続けるのは難しい。というより、心のどこかでハーマイオニーの言っていることにも一理あると思ってしまったのだ。このまま何もしなければ本当にアンブリッジの思い通りになってしまう。それを防ぐために、出来ることは何でもしなくてはいけないのだと。

でもたとえ押し切られてしまったとしても、僕が完全に乗り気になったわけではない。だからこうして彼女が集会所として設定したホグズミードの中でも辺鄙な場所にある……ホグワーツでは胡散臭いと有名な『ホッグズ・ヘッド』に向かっている間も、僕はあまり気の乗らない質問を投げかけるのだった。

しかしどんなに質問しても、

 

「ハリーは心配し過ぎよ。人は必ず集まるわ。私が誘った時、皆本当に興味深そうにしていたもの。……()()()()来るか分からない子達がいるけど、少なくとも私が声をかけた以上の人数が集まるはずだから。皆には他の人を誘ってもいいと言っておいたから」

 

そう答えるばかりで、何一つ具体的なことを言おうとはしてくれなかった。

 

そしてそれは実際に『ホッグズ・ヘッド』に着いてからも変わらない。薄暗い横道を進み、ようやくたどり着いた小さな旅籠。ドアの上に張り出したボロボロの看板には、ちょん切られたイノシシの首から血が垂れている絵が描かれている。あまりにも胡散臭い外観に怖気づきながら中に入っても、やはり中は『三本の箒』とまるで違い、小さくみすぼらしく、何より酷く汚らしかった。中にいるのは長い白髪にぼうぼうと顎髭を伸ばした、常に不機嫌な表情を浮かべた年老いたバーテンだけ。

あまり生徒には相応しいとは思えない空間に怖気づく僕等に、バーテンダーが表情同様不機嫌な声音で尋ねる。

 

「注文は?」

 

「バ、バタービール三本お願いします」

 

「6シックルだ」

 

ハーマイオニーの注文に、愛想の全くない様子でバーテンが埃の被った汚らしい瓶を三本出す。あまりに歓迎されていない雰囲気に委縮する僕等はしばらく黙ってバタービールを飲む。

……やはりどう見ても、この汚いパブにいるのは僕らとバーテンだけ。ハーマイオニーの呼んだという生徒達の姿はどこにもありはしなかった。

 

「ハーマイオニー……。それで、一体誰が僕達に会いに来るの? そもそもここで合っているの? 誰も見当たらないんだけど……」

 

「あのバーテン……()()()()()()()()()()()のは気のせいかしら? そんなわけないわね。きっと気のせいね……。ハリー、ここで合っているはずよ。だいたいこの時間にここに来るよう言っておいたから、もうすぐここに来るはずだわ。場所自体は皆知っているはずだから。来る人は……来てのお楽しみよ。でも驚くと思うわ。貴方の味方は、貴方が思った以上にいるということよ。……二人だけ()()()味方とは言い切れない子もいるかもしれないけど」

 

何度も繰り返される曖昧な言葉に、僕は僅かに苛立った気分になる。何故ハーマイオニーはこんなにも誰が来るのか隠そうとするのか。彼女はただ僕が驚くと言っていたけれど、本当はもっと何かを隠しているような気がしたのだ。

しかしそれを追求する前に、遂にその時がやってきたのだった。

いよいよ本当にここであっているのかという疑念が確信に変わり始めた時、突然パブのドアが開き、この薄暗いパブには似つかない程大勢の人間が入ってきたのだ。

想像もしていなかった人数に驚く僕に、どやどやと多くの人間が近づいてくる。先頭にネビル、続いてディーンとラベンダー。その後ろにパーバティとパドマ・パチルの双子。ケイティ・ベルにアリシア・スピネット。マイケル・コーナー。新しくグリフィンドールのクイディッチキャプテンになったアンジェリーナ。いつも僕をカメラを片手に追いかけてくるコリンとデニスのクリビー兄弟。ジニーとジョージ、フレッド、二人と仲のいいリー・ジョーダン。アーニー・マクラミンにジャスティン・フレッチリー、ハンナ・アボット。この前汽車で一緒にいたルーナ・ラブグッドに……そして以前から僕が密かに思いを寄せているチョウ・チャン。僕が名前を知っている人間だけでもこれだけいた。更に名前を知らない生徒も何人か。グリフィンドール生が多いのは間違いないけれど、()()()()()()()の寮は全部いる。スリザリンがこんな所に来るはずがないため、全ての寮が集まっている言ってもいいだろう。

ハーマイオニーの言う通り、そこには僕の想像を遥かに超える生徒が集まっていた。

あまりの事態に茫然とする僕とロン、そして一人だけ、

 

「……やっぱり来てはくれなかったのね。分かっていたことだけど……残念だわ。また迷惑をかけてしまったのね、私は……」

 

何故かこの人数を呼びつけた張本人であるにも関わらず、どこか悲しそうな表情を浮かべるハーマイオニーに、先頭に立っていたネビルが話しかけてくる。

 

「やぁ、ハリー、ロン、ハーマイオニー。この会に呼んでくれてありがとう! ぼ、僕も何かしなくちゃと思っていたんだけど、こんな凄いアイディアを思いつくなんて流石だよ!」

 

そんなネビルの発言に多くの生徒が好意的な表情を浮かべながら頷いている。……数人ここに来たというのに、僕のことを馬鹿にした視線を送っている生徒もいるのはいたけど。好意と敵意、そしてただ一人夢見た表情で何を考えているか分からないルーナ。様々な種類の視線を一身に受ける。それでも好意的な視線の方が遥かに多い。チョウ・チャンも僕に好意的な笑顔を浮かべていることもあり、僕は少しだけむず痒いような気持になっていた。

しかしそうこうしている間にも、事態は僕を置いてけぼりにして進んでいく。おそらく嘗てない程の人数を収容したパブの中、フレッドがバー・カウンターに近づきながら注文する。

 

「やぁ、全員分のバタービールを頼むよ。全部で……25本といったところかな」

 

そして相変わらず不機嫌なバーテンからバタービールの瓶を受け取ると、全員からお金を回収しながら瓶を配り……そのまま僕の方をニヤニヤ見つめながら黙ってしまった。見渡せば全員僕の方を見つめて黙り込んでいる。どうやら僕が演説を始めるのを待っているらしかった。

こんなこと僕は聞いていない。僕は抗議の視線をハーマイオニーに送る。授業をすることも乗り気でないのに、その上こんな視線を受けながらしゃべるなんて冗談ではない。あまりに想像もしてなかった事態に頭が回っていないのだ。今皆の前で喋れなんてどう考えても無理だ。

すると僕の抗議の視線に応え、最後に未練たらしくドアの方を見つめた後、ハーマイオニーが少し緊張気味に立ち上がりながら話し始めた。

もっとも彼女の言葉は、

 

「え~と、あの、こんにちは。こ、ここに皆に集まってもらったのは他でもありません。つまり私の考えでは……あ、()()()()()()()! よかった! ()()()()()()待っていたの! 本当に来てくれて嬉しいわ!」

 

「……()()()()()()()。別に……来たくて来たわけではないよ。こんな天気だし……早く終わらせて帰らせて。あの子が城で待ってるんだから」

 

()()()がここに足を踏み入れたことで遮られることになるのだけど。

 

 

 

 

皆が来た時のように、突然キーっという錆びた音を立てながら開き、一人の女子生徒が中に入ってくる。

そいつの姿を見た瞬間、この場にいるハーマイオニー以外の全員が敵意の視線を送った。

当然だろう。本来こいつがここに来るはずがない。()()()()()()()()()。突然の敵の登場に、先程まで好意的な表情を浮かべていた生徒達も、その表情を敵意に満ちたものに変えて奴の方を見つめていた。

 

皆の視線の先には、金色の髪、そしてパッチリとした瞳を……バーテン以上に不機嫌に歪ませた生徒がいた。奴は僕らとは絶対に相容れない生徒達が身に着ける、緑色のネクタイを着けている。

 

つまりスリザリン生であり、尚且つその中でも最も警戒すべき生徒であるダリア・マルフォイ……その一番の取り巻きのダフネ・グリーングラスがそこに立っていたのだった。



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集会(中編)

 ネビル視点

 

世間では今、そして何より新聞ですら、今ハリーとダンブルドアの言っていることは嘘だと言っている。

『例のあの人』が帰ってきたなんてあり得ない。あの人は死んだのだ。もう僕らがあの人の影に怯える必要はない。皆の恐怖を煽る嘘を吐く二人はとんでもない危険人物なのだと。

 

でも僕の意見は違う。というより、僕のおばあちゃんの意見は違った。

おばあちゃんは常々言っていた。

 

『闇の帝王が死んだはずがない。あの人はただ隠れているだけ。簡単に死ぬなら誰もあんなに苦しい思いはしなかった。いつか必ず帰ってくる。あの恐ろしい時代は決して終わったわけじゃない。その時になって、ネビル。お前は自分の両親に恥じない働きをしなければいけないよ!』

 

僕は連日のように新聞に書かれていることをもう信じてはいなかった。『例のあの人』はいつ帰ってきてもおかしくはなかったのだ。なら今帰ってきたとしても嘘だなんて言い切ることは出来ない。

それに何より……4年以上ハリーと一緒にいて、彼が嘘を吐く人間でないことを僕は知っている。ハリーはとても僕と同学年の生徒とは思えない程凄い生徒だ。それにいつだって誠実で、こんな鈍間な僕にだって優しい人間だ。とても大切な友人なのだ。だから冗談で『例のあの人』が帰ってきたなんて言う人間だなんて思えない。

でも僕がどんなことを内心で考えていようとも、世間は決して『例のあの人』の復活を認めようとはしなかった。

鈍感な僕にだって分かる。皆はアンブリッジ先生のことを嫌っていても、決してあの人の繰り返す主張が間違っているとは思っていない。外の世界は安全で、僕らは何一つ実践的なことをしなくてもいい。心配すべきは『OWL(フクロウ)』のことだけ。そんな風に思っている……それこそが本当に間違ったことなのだと、僕だって分かるのだ。

僕等は本当は備えなくてはいけないんだ。決してアンブリッジ先生の言いなりになんてなってはいけない。学校の外は一見平和に見えても、実際は陰で大きな闇が既に蠢いている。僕等はそれらと戦うために、決して努力を怠ってはいけないのだ。

世間はハリーのことを嘘つき呼ばわりしているけど、僕はずっとそんな風に考えていたのだった。

 

……だからこそ、

 

『ネビル、お願いがあるの。私達、今『闇の魔術に対する防衛術』を自習する集会を作ろうとしているのだけど……貴方にも参加してほしいの。教師役はハリーにやってもらう予定よ。ネビル。貴方はハリーが嘘を吐いているなんて思っていないのでしょう? だからお願い! 少しでも多い人に参加してほしいの! ハリーにちゃんと味方がいると知ってもらうために! ……ヴォ、ヴォルデモートと戦うために!』

 

ハーマイオニーに声をかけられた時、僕は本当に嬉しかったのだ。僕はこんな愚図な人間であるのに真っ先に声をかけてくれたことが。こんな無力な僕でもハリーのために……友人のために出来ることがあるのだということが。

そしてそんなことを考えているのは僕だけではなかった。実際にハーマイオニーに指定された場所に集まった時、そこには大勢の生徒が集まっていた。それもグリフィンドール生だけではない。ハッフルパフにレイブンクロー。グリフィンドール生以外の生徒も大勢集まっていた。大勢の生徒が寮関係なく、どこか戸惑った表情を浮かべているハリーのことを好意的に見つめている。彼らの瞳には今学校に満ちている、彼を嘘つきと軽蔑する視線などありはしなかった。

勿論ここに集まったのは僕達のような考え方をしている人ばかりではない。僕のようにハーマイオニーに信頼してもらって声をかけられた生徒だけではなく、ここにはハリーの話をただ聞くためだけに集まった人も何人かいた。流石にグリフィンドール生にはそんな人はいなかったけど、僕が気付いただけでレイブンクローのブロンド髪の女子生徒や、ハッフルパフの男子生徒の一人がハリーを馬鹿にした表情を浮かべているのが見えていた。……ここにいるのはハーマイオニーに直接声をかけられたメンバーと、そんな彼等が誘った生徒達。今の学校の状況を考えると、多少こういった視線を投げかける生徒が入り込んでも仕方がないだろう。それにこういった人達に考えを改めてもらうことも目的の一つなのだから文句は言えない。実際グリフィンドール生の何人かはそんな彼らの視線に気づきながらも、多少不快感を表情で示すだけで何も言ってはいなかった。

でも多少の問題はあったとしても、概ね雰囲気は良好ということに変わりない。。

これならきっと上手くいく。ハリーは凄い人だから、彼なら多少の問題なんて軽々クリアする。そう僕は今いるメンバーを見渡しながら思っていたのだ。

 

……そう、この場に突然、

 

「よかった! 貴女のことを待っていたの! 本当に来てくれて嬉しいわ!」

 

「……ハーマイオニー。別に……来たくて来たわけではないよ。こんな天気だし……早く終わらせて帰らせて。あの子が城で待ってるんだから」

 

他の生徒と違い、あからさまにハリーに対する侮蔑を一切隠そうともしない生徒が現れるまでは。

突然の冷たい声音に振り返ると、そこには一人の女生徒が立っていた。

この学校で誰もが知っているダリア・マルフォイ一番の取り巻き。金色の髪に、パッチリとした大きな瞳。そんな特徴を持つダフネ・グリーングラスがパブの扉の前に。

唐突に現れた彼女は、一瞬ハーマイオニーには朗らかな表情を浮かべたものの、すぐにハリーや集まった僕等に敵意の籠った視線を投げかけていたのだ。

それは明らかにハリーから何かを教えてもらおうとも、それどころか彼の話を聞こうと思ってここに来た態度でもなかった。どう考えてもアンブリッジかダリア・マルフォイのスパイとしか思えない。

ここまであからさまな態度……そして何より本来ならここに来るはずも、ましてや呼ばれるはずのない人物の登場に、ハリーのために集まった皆が流石にいきり立ち始める。フレッドとジョージなどは特に拒絶反応が激しく、どこか怯えた表情でダフネ・グリーングラスを見つめるジニーを庇うように立ちながら大声を上げた。

 

「おいおい、なんでこんな所にスリザリンが来るんだ? ここはお前みたいな奴が来るところじゃないぜ? それにお前は……ダリア・マルフォイの()()()じゃないか。ここは今貸し切りなんだ。俺達が悪戯する前に早くどっかに行けよ」

 

そしてそんなジョージの言葉に続き多くのグリフィンドール生のみならず、他の寮生もが声高に続ける。

 

「そうだ! ここはお前が来ていいような所じゃない! 出て行け!」

 

「出て行けよ! まさかダリア・マルフォイのスパイのつもりか!? 僕らは()()何もやましいことなんてしていない! アンブリッジだって、生徒が集まることを禁じていないはずだ! 監視のつもりならお門違いだ! それとも……まさかダリア・マルフォイのスパイか!?」

 

先程まであった穏かな空気は完全に霧散している。しかしそんな非難の大声の中、

 

「待って! 皆は彼女と……ダリアのことを誤解しているわ! 彼女のことは私が呼んだの! だから彼女がここに来たのは間違いではないわ!」

 

当の集会を呼び掛けたハーマイオニーだけはダフネ・グリーングラスのことを庇うようなことを言い始めたのだった。

突然の意味不明な言葉に驚く僕等に、彼女はグリーングラスを庇うように立ち位置を変えながら続けた。

 

「ハ、ハーマイオニーが呼んだ? 正気か!? そいつはスリザリンだぞ! それもあのダリア・マルフォイの仲間だ! それをなんで、」

 

「彼女は大丈夫よ! ()()スリザリン生とは違うわ! ダンブルドアも言っていたじゃない! 今こそ学校内で団結しなければいけないって! 今私達は寮が違うからと言って仲間割れをしているわけにはいかないのよ! だから彼女を非難することは私が許さないわ! 彼女は私が呼んだから来てくれただけだもの! それにたとえ彼女以外のスリザリン生がここに来ていたとしても、私達は堂々としていていいのよ! 別に悪いことや禁じられたことをするわけではないもの!」

 

ハーマイオニーがグリーングラスを呼んだという事実に僕らは誰も頭が追いついていなかった。……スリザリン生とも本来なら仲良くしなければいけない。これは僕にだって分かる。ホグワーツの中で争っていては、それこそ『例のあの人』の思うつぼ。おばあちゃんからも『あの人』はそういった人同士の不和を利用するのに長けていたと聞いたことがある。

でも現実にそれは不可能であることも確かなのだ。僕はスリザリン生のことが怖い。彼らはいつだって僕のことをいじめてくるし、何より『死喰い人』の両親を持ち……敵陣営に()()属している。争わない以前に、もう既に味方でも何でもない。学校の中にいるだけの……ただの敵だ。ダンブルドアの言う団結だって、きっとスリザリン生以外のことなのだ。

だからこそ、僕らはハーマイオニーが何故こんな意味不明なことを言いだすのか理解出来なかった。特にダフネ・グリーングラスは、そのスリザリン生の中でも一番危険なダリア・マルフォイといつも一緒にいる。頭のいいハーマイオニーならそんなこと分かっているだろうに、何故こんなことを。

 

「……それで、ハーマイオニー。私はあまり歓迎されていないみたいだけど、帰ってもいいのかな? 私としては貴女に帰った方がいいと言われた方が、ここに行けと言ったダリアにも言い訳が立つのだけど」

 

「ご、ごめんなさい、ダフネ。無理をして来てくれたのにこんなことになって。で、でも折角来たのだから、もう少しだけここにいてくれないかしら? せめて話だけでも……お願い」

 

「はぁ……なるべく早くしてよね」

 

唖然とする僕らを放置して、ハーマイオニーの言葉を受けダフネ・グリーングラスはパブの中に入ってくる。そしてあろうことか、丁度席の空いていた僕と、どこか夢見た表情を浮かべるレイブンクロー生の間に腰を下ろしたのだった。

 

 

 

 

……そう、何故か彼女に横に座られた瞬間、

 

『……貴方はグリフィンドールなんだから、もう少し堂々とした方がいいよ。折角ハーマイオニーと同じ寮に選ばれたんだから』

 

『う、うん。……君は何だか他のスリザリン生とは違うんだね。ご、ごめん……。いきなりこんなこと言って……。ぼ、僕……何を言っているんだろう』

 

『……そんなこと私が聞きたいよ』

 

去年の第二の試練の直前。図書館でした彼女との一瞬の会話。あまりに沢山の衝撃的な出来事があったため、もはや忘却の彼方に追いやられていた……たった数分の出来事のことを思い出す僕の隣に。

そう言えばあの時会話した彼女は……他のスリザリン生とは全く違っていたな。

そう僕はチラチラと横に座るグリーングラスの顔を見ながら、そんなことを心のどこかで思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

歓迎されていない。

それはこのパブに入った瞬間から、どころかここに呼ばれた時から既に気付いていた。今こうしてロングボトムとレイブンクロー生の間に座っていても、周りからは痛い程鋭い視線を寄こされているのを肌で感じられる。敵意の籠っていない瞳で私を見ているのはハーマイオニーと……横に座る夢心地のレイブンクロー生くらいのものだろう。最初に声を上げたウィーズリー兄弟に至っては、もはや殺意と言ってもいい程の視線を投げかけていた。

……でもそれも当然だと思う。彼等からすれば何故私がここに現れたかすら理解出来ないのだろうから。今こうして私が席に着くのを黙って見ているのだって、ハーマイオニーの言葉に彼らの低能な脳ミソがついて来れてないからに過ぎない。もはや私は彼等に何の期待もしていない。

それに何より……私も私で彼らのことが大っ嫌いであるのだ。それを隠すつもりはないのだから、彼らは彼等で私に敵意を向けてくることに文句を言うつもりはない。何故私が彼等に媚びなければならないのだろうか。ここに来たのだって、ダリアにここに行ってと言われたからに過ぎない。勿論来たくなんてなかった。いくらハーマイオニーからの誘いとはいえ、何故ダリアから離れた時間を過ごさねばならないのか。しかも目的はポッターから『闇の魔術に対する防衛術』を学ぶなんて意味不明な物。ダリアに教わった方が何百倍もいいに決まってる。

なのに猛反対する私にダリアは言うのだ。

 

『ダフネ。お願いです。私も貴女とはなるべく離れたくない。……でも駄目なのです、今のままでは。このまま何もしなければ……私は()()()()()()選択肢を奪い取ってしまう。そんなことが許されていいはずがない。これは貴女の為であり、何より私の為なのです。別にポッターから何か学び取って来いというわけではありません。貴女が必要ないと思ったのなら、何も学び取る必要はありません。ただ彼らの集まりに参加する。必要なのはこの一点のみなのです。集まりに参加した……()()()()()()。だからダフネ……どうかお願いします』

 

いつになくどこか弱弱しい声音で続けられるお願い。でも表情はどこか決意に満ちたものを浮かべたダリア。

あんな表情されては、どんなに嫌でも来るしかないではないか。

ダリアが考えていることを正確に理解することは出来ない。おそらく私に()()()()()()()()()()()()()をさせたいのだろうけど……それもハッキリしているわけではない。

別に去年までのように正直に話してくれないわけではないのだけど、ダリア本人も手探りに行動している様子だから正確なことを説明することも出来ないのだ。ただマルフォイ家と……私を守るために、何かしなければと必死になっているに過ぎない。それなのにここでダリアの願いを断れば……それこそダリアの悩みを増やすばかりになってしまう。

彼女は今年になっていつも夜うなされている。寝言で、

 

『お父様、お母様……お兄様。ダフネ……。絶対に……絶対に守ります。だから……』

 

そんなことを言うのだ。彼女の心の余裕は今年完全になくなっている。いつも横で寝ている私が心配しないはずがない。

だから今はダリアの心の平穏のためにも、彼女の言う通りに行動してあげた方がいい。たとえ嫌々であっても、私が少しの間我慢すれば済む話なのだ。ダリアも言っていた。ただ私はこの集会に参加するだけでいいと。これが終わればすぐにダリアの下に帰ろう。それまで数分我慢するだけで事足りる。だから今はただ我慢するのだ。

たとえ周りから不愉快極まりない視線を投げつけられようとも。ただ理解していないだけとはいえ、ハーマイオニーの言葉のお陰で現状誰も私に直接的に非難を浴びせることだけはなくなった。私がスリザリン生とはいえ、別に自分達自身が悪いことをしているわけではない以上、今はただ警戒するだけでいいとでも思っているのだろう。敵意こそ収まっていないが、それも目をつぶっていれば何の関係もない。まだ我慢できる程度のことだ。

 

……でもやはり、

 

「え~と、どこまで話したかしら。その、つまり。私が言いたいのは、直接私が声をかけた人には言ったけれど、私達は学ぶべきだと思うの。あのアンブリッジが教えているようなクズは何の役にも立たなくて……もっと実践的なことを私達は学ぶべきなの。それは寮が何処かなんて関係ないわ。私達は決してアンブリッジの言う通りに……ただ何も戦う手段を知らない状態であっていいはずがないの。だから、」

 

「何故だい? 君は先程から頻りに戦う手段だとか、団結しなければいけないとか言っているけど、どうしてそう思ったんだい?」

 

この時間が不愉快極まりないことに変わりないけれど。

ハーマイオニーの演説を遮り、ハッフルパフの生徒が声を上げる。尋ねるにしては酷く馬鹿にした声音。質問の体をしているけど、その嘲りの表情から彼がハーマイオニーの答えを予想していることは間違いない。どうやらハーマイオニーが呼びかけた集団には……そもそも()()()()()()理解していない愚か者まで参加しているらしい。

本当に不愉快な時間だ。別にどんな人間がこの会に集まっているかなど興味もないが、何故かそんな愚か者と私が()()のような視線を送られれば流石に不愉快な気分にもなる。

 

「それは勿論……『例のあの人』が戻ってきたからよ。私達は『例のあの人』に立ち向かうためにも、」

 

「あの人が戻ってきた証拠がどこにあるんだい? そう言ってるのはダンブルドアと、そこにいるポッターだけじゃないか。それもポッターがそう言ってるから、ダンブルドアもそう信じているだけだ」

 

「まったく、()()()()()()()()といい……どうしてこんな奴等が紛れ込むかな。お前、一体誰?」

 

「ザカリアス・スミス」

 

ウィーズリーの言葉にハッフルパフ生は短く名乗った後、愚か者の分際で私にまで侮蔑の視線を送りながら続けた。

 

「ダリア・マルフォイの取り巻きなんかと一緒にされたくないけど、()()ポッターの言うことを俄かに信じられない人間の一人だよ。もっとも真面な人間は皆そうだけどね。学校の皆だってそうだ。ポッターの言うことは何の証拠もないことばかりだ。スリザリンじゃなくても信じられないのは当然さ。だからポッターは今ここで、僕等にもっと正確なことを言うべきだと思うな。ここに集まった僕等にはそれを聞く権利があるはずだ」

 

……実に鼻持ちならない奴もいたものだと思った。発言すればするほど、今まで私に向いていた敵意の視線が……得意顔で話し続ける()()()向けられつつある。まるで彼が私の一味であるとでも言いたい視線だ。

そしてただ聞いているだけの私ですら苛立つのだ。私の苛立ちはそもそも得意顔で話すハッフルパフ生に対する物と、そんな彼と私を一緒くたにする連中に対しての物であるのだが……直接馬鹿にされているポッターに比べれば微々たるものだろう。ただでさえポッターは忍耐強い人間ではない。ポッターはたちまち顔を真っ赤にし、得意顔のザカリアス・スミスと()()視界に収めながら応えるのだった。

 

「ちょっと待って! この会はそういったことを聞くためでは、」

 

「いいよ、ハーマイオニー。僕が直接話す。どうしてこんな所に、こんなに多くの人が集まったのか不思議だったんだ。しかもダフネ・グリーングラスまで。でもこれでようやく分かった。何故『例のあの人』が戻ってきたかだって? それこそ何故僕がお前らにそんなことを一々説明しないといけないんだ。僕はただあいつの復活するところを……セドリックを殺すところを見たんだ! それ以外に何の説明をしろって言うんだ!? 最初から信じる気のない奴らに話すだけ無駄さ。もし『あの人』がどんな風に人を殺すか知りたくて来たのなら、すぐにここを出て行った方がいい。僕は絶対に話さない。……あの時のことを、僕は思い出したくもない! セドリックの死を、君達の娯楽になんかするつもりはない!」

 

ただでさえ私の登場で険悪になっていた空気が更に凍り付いてくようだった。

私は何のためにここに来たのだっけ? 少なくともこんな空気を味わうためでないことだけは確かだ。ダリア……今頃談話室で何をしているんだろう。ドラコも残ると言っていたけど、ちゃんと兄妹水入らずの時間を過ごせてるかな?

しかしそんな現実逃避な思考をしていると、今度は違った人間がこの凍った空気を変えるために……これまた違う意味で不愉快な質問を始める。ザカリアス・スミスとは違い、ポッターに比較的好意的な視線を投げていたハッフルパフ生の一人が声を上げた。

 

「そ、そうだね。ぼ、僕達は別に『例のあの人』の話をしに来たわけではないんだ。僕等はただ今年の『O・W・L(ふくろう)』に受かるためにも、より実践的なことを学びに来ただけなんだ。それも今まで多くの偉業を成してきたハリー・ポッターからね。ハリー、噂では君は『守護霊の呪文』を使えるって話だけど本当かい?」

 

「……うん、そうだけど」

 

「しかも有体の守護霊をだろう!? それは凄いことだよ!」

 

苛立った表情を浮かべていたポッターも、先程とは打って変わった好意的な質問に戸惑っている。そんな中、今までの空気を変えようとポッター信者達が次々と声を上げ始めた。

 

「それだけじゃないぜ! なんたってハリーは二年生の時、あのバジリスクを倒したんだからな! ……それも()()()()()を暴いたのもハリーだったのさ! 確かグリフィンドールの剣でだろう!?」

 

「二年生の時だけじゃない! 一年生の時だってそうだ! ハリーは『賢者の石』を守ったんだ! 一年生の頃のことだぜ!」

 

「去年のことも忘れちゃ駄目よ! 彼はあの三校対抗試合を戦ったのよ! しかも最終的には優勝! 他の代表選手より年下なのに!」

 

「そ、それはそうなんだけど……」

 

私はどうやらどうあっても不愉快な時間を送らねばならない運命らしい。レイブンクローの女生徒の言葉に、僅かに得意顔を浮かべるポッターの顔面を殴り飛ばしてやりたかった。

ポッターに教えを乞うという段階である程度予想していたけれど、ここまであからさまだと腹が立って仕方がない。

一年生の頃のことはまだ理解出来る。ポッターが『賢者の石』を守ったのは事実だ。それに関して特に文句を言うつもりはない。でもそれ以外のことは駄目だ。

二年生の頃バジリスクを倒した? あれだけダリアを苦しめておきながら、よくもそんなことが言えたものだ。ダリアの犠牲の上に成り立った冒険譚などゴミみたいなものだ。そもそもダリアを黒幕とする認識自体がナンセンスだ。

去年三校対抗試合で優勝した? どこをどう考えればそう思うのだろうか。確かに生き残ったのはポッターだろうが、本当に優勝者として讃えられるべきはセドリック・ディゴリーの方だ。ダリアが肩入れしていた生徒なのだから間違いない。彼を優勝者として扱わないなど、それこそ死んだセドリック・ディゴリーへの……そして彼の死を未だに悲しみ続けるダリアへの冒涜だ。

それはポッターが得意顔から一転、気を取り直したように続けても変わらない。

 

「聞いてくれ。別に謙遜しているわけじゃないんだけど……僕が今までやってこれたのは全部誰かに助けてもらったからなんだ。ここにいるハーマイオニーにロン、それにダンブルドア。色んな人達が助けてくれたからこそ出来た。僕一人の力で出来たことなんて、」

 

「謙遜するなよ! 去年のドラゴンは君一人の力だろう!」

 

「あの時の飛行……本当に凄かったわ!」

 

放っておけばいつまでも称賛は続きそうだ。いよいよ何故私がここにいるのかよく分からなくなってくる。少なくともこんな風にポッターへの空虚な称賛を聞きに来たわけではないことは確かだ。

ハーマイオニーもそのことに気が付いたのだろう。どんどん不機嫌になる私の顔を一瞬見た後、慌てたように大声を上げた。

 

「そろそろ話を前に進めるわよ! ハリーに教えてもらうことに同意してくれているのは分かったから!」

 

そしてザカリアス・スミスや何人かの生徒……私を含めた何人か以外全員が頷いているのを確認し続ける。

 

「反対の人もいるみたいだけど、少なくとも『闇の魔術に対する防衛術』を自習することに反対する人はいないわね。納得できない人も、ハリー程実績を残してきた生徒がいないことは分かっているでしょう? 今日は顔合わせのために集まってもらったの。何か問題あればその都度協議するから、まずは次に集まる場所と時間を考えましょう。今日はそれで解散にしましょう」

 

ここにきてようやく会に終わりが見えてきた。議論に参加する気はないが、後は他の連中が勝手に話し合って終わる。少なくともこれ以上『あの人』が帰って来たかどうかの下らない議論や、ポッターへの称賛を聞かずに済みそうだ。

早くダリアの下に帰りたいな……。

そう思い私は目を閉じ、この会が終わる瞬間をジッと待つことにしたのだった。

 

 

 

 

……そう突然、

 

「ちょっと待ってくれ。次の場所について話し合う? その前に話すべきことが……追い出すべき人間がいるじゃないか!」

 

最初に収まっていたはずの議論が蒸し返されるまでは。

鋭い声音に目を開けると、ハッフルパフ生の一人が私を指さしている。先程ポッターに頻りに好意的な声を上げていた一人だ。彼はハーマイオニーの制止に構わず続ける。

 

「アーニー! 先程も言ったでしょう!? 彼女は私が、」

 

「いいや、いくらこの会の発起人の言葉でも、こればかりは僕には納得できない! 確かにこの会は合法だ! 別に何も咎められることはない! だからこそ先程は君の言葉通り黙っていたが……今度ばかりは言わせてもらうよ。皆の気持ちを代弁してね! グリーングラスの前で場所と時間を決める!? そんな馬鹿な話があるかい!? この女はスリザリンだ! それもあのダリア・マルフォイの取り巻きだ! 一番のね! そんな人間がこの場に参加しているだけでも我慢の限界なのに、どうしていよいよハリーに教えてもらう場所まで教えないといけないんだい!? それではいつかアンブリッジにも僕らが何を学んでいるかまで詳細に伝わってしまうじゃないか!」

 

見渡せばほぼ全員が彼の意見に賛成しているのか、私が何か言うのを敵意の籠った瞳で見つめている。

どうやらただ座っているだけでは、流石にこの会をただ乗り切ることは出来ないらしかった。



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集会(後編)

 ハーマイオニー視点

 

「どうしていよいよハリーに教えてもらう場所まで教えないといけないんだい!? それではいつかアンブリッジにも僕らが何を学んでいるかまで詳細に伝わってしまうじゃないか!」

 

ハッフルパフの男子生徒、アーニー・マクラミンの大声がパブ中に響く。

……別にこの事態を予期していなかったわけではない。ダリアとダフネが他のスリザリン生とは違うことを私は知っている。それこそダリアに至っては、たとえ『例のあの人』の陣営に()()()()()()()いようとも、決して敵側に心の底からついているわけではない。どんなに立場が変わろうとも、彼女は今もただ表情を作るのが下手なだけで……本当は他者を思いやれる優しい女の子のままだ。その事実を私だけは知っている。でも他の人からしたら、私の方こそ異常なのだ。これから講師役をしてくれるハリーも例外ではない。今は一言も言ってはいないけど、表情は他のメンバーと同じく敵意に満ちてたものだ。

彼等からすれば、やはり彼女達は他のスリザリンと同等……それどころかスリザリンの主導的立場ですらある。だからダフネに対して皆がいい顔をするとは最初から思っていなかった。寧ろダリアも来ていたら、もっと騒ぎは大きくなっていたことだろう。

そしてそれはダフネもある程度予想していたと思う。ダリアだって同じ。私以外の生徒もいる集まりで、自分達が歓迎されるわけないと聡明な彼女達ならとっくの昔に理解していたはずだ。彼女達はそんな状態を、それこそ入学したその瞬間から味わっているのだから。

でも……それでもダフネは来てくれた。ダリアは立場的に来ることは難しいとは思っていたけど、それでもダフネをここに送り出してくれた。正直私は二人とも来ない未来すら予想していたのだ。手紙を送ったのは、親友として全くの放置は許されないと思ったから。本当は難しいと知っていながら、それでもせめて何か行動を起こしたくて知らせただけだった。でも彼女達はそんな私の呼びかけにも応えてくれた。それは偏に彼女達が私のことを信用してくれているからに他ならない。どんなに非難の声が上がろうとも、私が必ず彼女を守るはず。そう思ってくれたからこそ、ダリアはダフネがここに来ることを許してくれたのだ。

団結が必要な今、スリザリン生を排除するような風潮を肯定するわけにはいかない。他のスリザリン生ならいざ知らず、ダフネのことをスリザリンだからという理由で排除するのだけは絶対に間違っている。でもそれ以上に、ダリアやダフネからの信頼を、彼女達の親友である私が裏切るわけにはいかない。私はそう心を新たにしながら、一旦深呼吸してから話し始めた。

 

「……彼女は問題ないわ。先程も言ったはずよ。彼女は私が呼んだのよ。彼女は決してアンブリッジに私達のことを教えることはない。彼女はスリザリン生でも他の人とは違うもの」

 

でも私の簡単な言葉で直ぐに皆の敵意が止むはずもなく、寧ろより一層激しさを増しながら続く。

 

「だからそれが理解不能と言っているんだ! 何故君がダフネ・グリーングラスなんかを庇うんだい!? こいつはダリア・マルフォイの取り巻き! たとえ君の言う通りアンブリッジのスパイでなくとも、あのマルフォイのスパイであることは間違いないんだ! あの狡猾な女のことだ、必ず僕らの弱みを握ったと思うはずだ! どうして君はそんな人間を庇うんだい! ま、まさか、君……『服従の呪文』をかけられているのでは!?」

 

「そ、そうなのか、グレンジャー!? それなら納得だ! ダリア・マルフォイの奴!? まさかそんなことを!?」

 

挙句の果てに私に『服従の呪文』がかかっているのではと疑う始末。こういう場だからこそ努めて冷静に話さなくてはと思っていたけど、流石にこの発言には私も声を荒げて応えた。しかしそれがいけなかったのか、

 

「そんなわけないでしょう!? 皆何てことを言うの! それ以上のダフネとダリアに対する侮辱は私が許さないわ! いい機会だから言いますけど、皆はあの子達のことを勘違いしているだけよ! それを、」

 

「何が勘違いだ! ハーマイオニー、君は本当にどうしちゃったんだい!?」

 

「今までダリア・マルフォイがやってきたことを君は忘れたのか!? あいつはスリザリンの継承者だぞ!? 二年生の時だけじゃない、去年だって大勢の生徒に『闇の魔術』を使ったんだ!」

 

より一層冷静さを失った空間が広がっただけだった。もはや先程まであった穏かな空気は完全に霧散している。皆口々にダリアとダフネに対する罵詈雑言を口にし、彼女を追い出そうと躍起になっていた。しかもその言葉を向けられるダフネはダフネで、もはやどうにでもなれと言わんばかりに少し小馬鹿にした表情で彼らのことを見つめ返している。彼女からすればこの場に集まった人間……それこそ私を含めた全員が滑稽に映っていることだろう。挙句の果てに、遂には表情のまま小馬鹿にした声音で話し始めてしまう。

 

「本当に貴方達は馬鹿だね。私やダリアがハーマイオニーにそんな呪文をかけるわけがないじゃない。貴方達の言っていることはどれも事実でないことばかり。前から思っていたことだけど、本当に貴方達は自分自身で考える能力がないんだね。馬鹿みたい。ポッターのことを信じない連中と何も変わらない。話を聞いているだけで反吐が出る」

 

ここに来た瞬間から気付いていたことではあったけど、どうやら彼女はここに来たのは心底不本意なことだったらしい。来た瞬間も彼女は言っていた。

 

『別に……来たくて来たわけではないよ。こんな天気だし……早く終わらせて帰らせて。あの子が城で待ってるんだから』

 

来たのは私が誘ったから……以上に、ダリアがここに行くように指示したからなのだと発言から分かる。そんな不本意な心持でも来てくれたのだ。本来ならこんな風に敵意を向けられた瞬間に踵を返しても文句は言えない。なのにこんな風に嫌味を返しながらも決して自分からはここを出て行こうとしないのは、不機嫌ながらも私に気を遣ってくれているからに他ならない。

……でもそれが分かっていても、

 

「み、皆落ち着いて! ダフネも挑発は、」

 

「なんだと!? スリザリンのくせに!」

 

「こいつ、やっぱり俺達をただ馬鹿にしに来ただけだ! こうなったら力づくでも!」

 

私にはもはやどうすることも出来ない程状況は悪化していたのだ。

私がどんなに声を上げようとしても、もう誰も私の話など聞いてはいない。この事態を唯一収められるだろうハリーも、寧ろ私の方を見ながら言うのだ。

 

「ハーマイオニー。これで気が付いただろう。そろそろ君は現実を見た方がいいよ。皆は疾うの昔に知っているんだ。こいつはダリア・マルフォイの取り巻きで、そのマルフォイは学校内で一番危険な奴だって。それどころかもうヴォルデモートの仲間。つまり僕らの敵なんだ。君は今度こそこいつと縁を切らないといけないんだ」

 

黙ってこの事態を見ていると思ったら、そんなことを考えていたらしい。隣に座るロンももっともらしい表情で頷いている。

これはもう彼等には期待できない。このままではダフネに直接危害を加えようとする生徒が出てくるかもしれない。ならもう()()()()()を使うしかない。本当は最後に告知する予定だったのだけど、もう冷静に皆を説得することは不可能。このままではダフネに危害が加えられるかもしれないし、何より私がこれ以上彼女に対する侮辱を許容できない。

だからこそ私はハリーの言葉を無視し、ポケットに入れていた()()()を取り出そうとした。このいつまでも終わらない非難の嵐を強制的に鎮めるために。もっともその前に、

 

()()()もハーマイオニー・グレンジャーの言っていることは正しいと思うなぁ。だってダリア・マルフォイはあんなに綺麗なんだもん」

 

どこかフワフワした声音の言葉が響くことによって、一瞬皆そちらに目を向けることになる。

場違いな声音に驚いてそちらを見れば、そこには声同様にどこか夢見た表情で座るルーナの姿。彼女は目の前で怒号が飛び交っていたというのに、ここに来た時そのままの表情でただ漠然と私達のことを見つめていた。

 

 

 

 

彼女と出会ったのは今年の汽車が初めて。その後は寮が違うこともあり、全く会話をする機会はなかった。

でもその一度切りの出会いでも、私は彼女に対し好感を持ち続けていた。

時折非現実的なことを言うけれど、彼女は物事の本質を見誤ることはないのだと思う。だって彼女はこの学校の中で、私と同じく数少ないダリア達の真の姿を見れる生徒だったから。

そしてその判断は間違っていなかった。今もこうしてどこか夢見がちな表情をしており、皆その場違いな雰囲気に唖然としているけれど……その瞳だけは知性に溢れているように、私には見えているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーナ視点

 

……ここにはラックスパートが一杯いるみたい。だって皆どこかボーっとしてるもん。

あたしは何とはなしに怒号を上げる皆を見ながらそんなことを考えていた。

ダフネ・グリーングラスがアンブリッジやダリア・マルフォイのスパイ?

皆声高に言っているけれど、そんなことは絶対にないと思う。少し考えれば簡単なこと。アンブリッジ先生がスパイを放つとすれば、こんな()()()()()()()()ような人選をするはずがない。あたしだったらもっと他の生徒を使うし、それをするだけの権力をあの人は魔法省で持っていると聞いたことがある。確かレイブンクロー内でもそんなことを話していた生徒が何人かいたはず。

そしてダリア・マルフォイのスパイである可能性は……アンブリッジ先生のスパイであること以上にあり得ない。……正確にはあの人はダフネ・グリーングラスからこの会の情報を聞き出すとは思う。でもそれは皆が口にしているような役割ではない。あの人がグリーングラスから話を聞くのは、おそらくあの人が純粋に友人のことを心配しているから。何故この会をグリーングラスを参加させたかは分からないけれど、あれだけ()()()()友人のことを大切にしている人がそんなことをするはずがない。そもそもこの会にはハーマイオニー・グレンジャーが参加している。ならばダフネ・グリーングラスをスパイのためだけに参加させる必要性すらない。あの様子だと放っておいてもグレンジャーがあの人に色々話すと思う。こんな疑われるような、友人を危険に晒すような行為を態々するはずがない。

そんなこと、少し考えれば簡単に分かるはずなのだ。そんなことも分からないのは、多分皆ラックスパートに取りつかれているから。だからあたしは、

 

「あたしもハーマイオニー・グレンジャーの言っていることは正しいと思うなぁ。だってダリア・マルフォイはあんなに綺麗なんだもん」

 

そう一言呟いた後、この部屋の中を飛んでいるであろうラックスパートを見つけるため空中に目を凝らすのだった。でもそんな私の呟きはどうやら思いの外大きかったらしく、皆一斉に黙り込んで私のことを見つめ始める。そして静まり返る空間の中、先程まで気取った口調で話してたハッフルパフの男子生徒が、どこか呆れた口調で話しかけてきた。

 

「……グレンジャーだけじゃなくて、こんなことを言う生徒がレイブンクローにもいたなんてな。君名前は何て言うんだい?」

 

でもその質問に答えたのはあたしではなく、何故か他のレイブンクロー生だった。レイブンクローの上級生はハッフルパフ生と同様呆れた表情を浮かべながら答える。

 

()()()()よ。この子レイブンクローの中でもとっても変わってるの。だから変わり者のルーニー」

 

……何故あたしの代わりに他人が答えるのだろうか。しかも名前も間違っている。あたしにはママから貰ったルーナという立派な名前がある。あたしは間違いを訂正すべく、ハッフルパフ生の方に視線を向けながら答えた。

 

「ルーナだよ。ルーナ・ラブグッド」

 

「別に名前なんてどうでもいいさ。で、君はなんでそんなことを言うんだい? この場でおかしくなってるのは、そこのポッターとグレンジャーだけだと思っていたんだけど」

 

なのにまたもや訳の分からない返事をされてしまった。自分で聞いておいて、何故この人はこんなことを言うのだろうか。確かザカリアス・スミスと名乗っていたけど……この人は嫌な人だ。この人がこんな馬鹿なことを言うのは、きっとラックスパートのせいだけじゃない。あたしは少し不機嫌な気持ちになり、思いっきりザカリアス・スミスのことを睨みつけた。……結局ザカリアスはそんな私の視線に肩をすくめただけだったけれど。代わりに私の言葉に応えたのは、隣に座る件のダフネ・グリーングラスだけだった。彼女は先程まで険悪だった雰囲気を少しだけ納め、あたしに、

 

「……ルーナと言ったよね。……飴いる?」

 

「……もらうもん」

 

優しい声音と共に、ハニーデュークスで買ったと思しき飴を一つくれたのだ。

やっぱりザカリアス・スミスと違って、ダフネ・グリーングラス()いい人だ。ダリア・マルフォイのことで……友達のことであんなに怒り、こんな風にあの人のことを褒めれば喜ぶのだから。悪い人がそんなことするとは思えない。

でも皆はそう思わなかったみたいで、黙り込んではいるけどジッと不信感の籠った視線をあたしとダフネ・グリーングラスに向けていた。それでも先程までの怒号が飛び交う状態よりはマシだと考えたのだろう。ここぞとばかりにハーマイオニー・グレンジャーが一枚の羊皮紙をかざしながら再度の大声を上げた。

 

「……皆の不安は分かったわ。でも先程も言ったけど、ひとまずは私の話を聞いてちょうだい! それにダフネに限らず、この中の人間()()が他の人に会のことを言えなくするつもりよ! だからダフネが万が一アンブリッジのスパイでも、他の人がスパイだったとしても絶対に大丈夫! そのためには皆、この羊皮紙に名前を書いてちょうだい! 日時に関しては後日連絡にするから、とにかくこの羊皮紙に名前を書いて!」

 

ハーマイオニー・グレンジャーがかざしたのは、一見何の変哲もない羊皮紙でしかなかった。何も書かれていない、ただまっさらな状態の羊皮紙。案の定皆何故そんな物をグレンジャーが出してきたのか分からず、不審な表情で羊皮紙を見つめている。そしてこれまた案の定、ザカリアス・スミスが厭味ったらしく羊皮紙を指差しながら尋ねた。

 

「なんだい、それは? 何故それに名前を書いたら、ダフネ・グリーングラスがスパイでないって証明できるんだい? 僕にはただの羊皮紙にしか見えないけど」

 

あの人は本当にこんな厭味ったらしい言葉しか言えないのだろうか。でも次の瞬間、

 

「ただの羊皮紙ではないわ。これには()()がかけてあるの。ここにいるメンバー以外にこの会のことを言えば、絶対にそれが分かるようになっている呪いよ」

 

グレンジャーの言葉にザカリアス・スミスだけではなく、この場にいる全員が黙り込むことになる。

 

「の、呪い?」

 

「えぇ、そうよ。これに名前を書けば、必然的にアンブリッジにも、その他の人にも私達のやろうとしていることを知らせないと約束したことになるわ。それにダフネに関しては皆がそう言うと思って、予め()()()()()()()に用意しておいたの。ダフネにはこちらに名前を書いてもらうわ。これで皆も納得してくれるわよね? さぁ、皆納得してくれたのなら名前を書いてね。大分時間を使ってしまったし、もうお開きにした方がいいわ。それとも……あれだけ私やダフネを馬鹿にしたのに、まさか名前を書かないわけないわよね?」

 

そう言って更にもう一枚の羊皮紙を出したかと思うと、勢いのまま皆に羊皮紙に名前を書くよう迫りだしたのだった。

 

 

 

 

『呪い』という強烈な言葉に皆驚いたのか、どこか怯えた様子で羊皮紙に名前を書いていく。ザカリアス・スミスは最後まで渋っていたけれど、皆の視線に耐えられなかったのか最後には名前を書き込んでいた。そして一番注目されたダフネ・グリーングラスも、

 

「ダフネ……ごめんなさい、こんなことになって。でも大丈夫。決して()()()にとって損になるようなことはしないから」

 

「はぁ……こう言っては何だけど、本当に面倒なことに巻き込んでくれたね、ハーマイオニー。でもまぁ……これを書かないとこの馬鹿達が帰してくれそうにないからね。名前を書くことは書くよ。……次の集会とやらに行くことはないと思うけど。……本当になんで私ここに来させられたんだろう」

 

「ご、ごめんなさい。だけど……また後で手紙を送るから」

 

ハーマイオニー・グレンジャーの特別に用意したという、やっぱり一見ただの羊皮紙にしか見えない紙に名前を書き込んだのだった。

辺りを見回しても未だに誰も納得した表情を浮かべてはいない。教師役のハリー・ポッターに至っては、グレンジャーの背後でまるで親の仇でも見る様な表情を浮かべている。グレンジャーは後で色々言われるに違いない。でも、それでも誰も何も言わないのは、皆グレンジャーのかけたという『呪い』を信用しているからだと思う。この学校で優秀だと有名なのは、ダリア・マルフォイの次にグレンジャーの名前が挙がる。あたしはそんな話には興味なかったけど、周りでそんな話をされれば嫌でも耳に入ってしまう。だからそんな実力のある人がかけた呪いなら、()()()()()信頼してもいいとでも考えているのだろう。

 

でもあたしにはグレンジャーの特別に用意したという羊皮紙が……皆の名前を書いた物と違い、本当に()()()()()()にしか見えなかった。

 

だってラックスパートを探すためにかけた魔法のメガネを通せば……皆の羊皮紙はキラキラ光っていたけど、グリーングラスの羊皮紙は何の光も出してはいなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「……ダリア、本当に良かったのか?」

 

「何がですか、お兄様?」

 

寮生のほとんどがホグズミードに出払った談話室。今この空間には僕とダリアしかいない。城には2年生以下の生徒も残っているが、学校内で最も恐れられているダリアがいる空間に好き好んでいたがる奴がいないのだ。……腹立たしい話だが、今この時で言えば都合が良かった。お蔭でこうして聞かれたくない話を堂々とすることが出来る。

本当は分かっているだろうに、それでも惚けた返事をするダリアに続ける。

 

「ダフネのことに決まってるだろう。いいのか、本当に行かせて。もう行ってしまったが、まだ連れ戻すことも出来るはずだ。お前だって分かっているはずだ。ポッターから魔法を教わる集まり? そんな奇特なものに集まるのはグリフィンドールの変人共くらいのものだ。グレンジャーがいるから怪我をするような事態にはならないだろうが……それでも歓迎されるなんてことは絶対にない。本当に……行かせて良かったのか?」

 

「……」

 

しかしすぐにダリアから答えが返ってくることはない。当然だろう。本当はダリアだって迷っているのだ。これが本当に正しいことなのか。本当にこれがダフネのためになるのか。全く見通せない未来の中、今できることを手探りで探しているに過ぎない。だが、

 

「……今はこれしかないのです」

 

結局のところ、ダリアはこの道をもうすでに選んでしまったのだ。……この道を()()()()()()()()のだ。ならばもう進み続けるしかない。どんなに未来が見通せなくとも、今立ち止まることだけは許されない。立ち止まってしまえば必ずダフネの身に取り返しのつかない事態が起こる。そんな強迫観念にダリアは今取りつかれている。だからこそ、ダリアは重い口調であるが続ける。

 

「ダフネがこの集まりに参加して、()()彼女が歓迎されないことは私にも分かっています。彼女は私の()()()親友です。今までの私の立場を考えれば歓迎されるはずがない。ですがこれをしなければ、彼女はもう()()いる側にいるしかなくなる。それでは駄目なのです。その道は……あの優しいダフネには似合わない。選ぶとしても最後の手段でなくてはならない。それにこれは決して向こう側に属するだけを意味するわけではありません。……アンブリッジ先生やスネイプ先生と同じです。これでいざという時……どちらにでも参加することが出来るようになる。彼等が属しているものとは違い、ダフネがこれから参加するのは所詮はごっこ遊びでしかない」

 

ごっこ遊び。無力で馬鹿な僕にはダリアが何を言っているのか正確に理解することは出来ないが、その言葉が意味することだけは僕にも理解出来た。成程、グレンジャーがどんなにご立派な口上を並べ立てようとも、奴らのやろうとしていることは所詮本物ではない。ポッターがいくら死線を潜り抜けたのだとしても、それ以外の奴らは結局いつまでもお遊び気分でしかないだろう。ポッターやダリアと違い、奴らにとって闇の帝王はまだ御伽噺の存在でしかないのだ。ポッターのことを詐欺師と呼ぶ連中達と何も変わらない。ただ立場が違うだけだ。

だが僕がそんなことに納得している間にも、ダリアの独白のような言葉は続く。当たり前だ。ダリアの言いたいことの要点はそこではないのだから。

 

「ですが彼らの背後にいる連中は違う。きっとあの老害……ダンブルドアも彼等の背後にはいるはずです。たとえごっこ遊びだとしても、それに参加するだけで奴等に多少含みを持たせることが出来るなら安いものです。それにいざとなればスパイをしていただけと言い訳することも出来る。スネイプ先生と同じ手法です。ダフネなら決して向こうに気を許しすぎることはないですから、万が一闇の帝王に『開心術』を使われてもどうとでも言い訳できる。だから、」

 

「ダリア……もういい。聞いた僕が悪かった。だからそんな辛い表情をするな」

 

僕から質問しておいて、冷静に聞けたのはそこまでだった。まるで言い訳のように紡がれる言葉の数々。どんなに将来のことを考えていても、ダフネが傷つく可能性が少しでもある以上ダリアが苦しまないはずがない。それは僕だって薄々分かっていた。

でも、今ならまだ間に合う。こんな不確かなことをしなくとも、ダフネを守る手段はいくらでもあるはずだ。それこそ取り返しのつかない事態になる前に、ただ我武者羅に前に進もうとしているダリアを一度立ち止まらせられるのは僕しかいない。この誰もいないタイミングこそが最大のチャンスだ。そう僕は思い、尋ねるなら今だと思って質問したわけだが……。

僕は感情のままに浅慮な質問をしてしまったことを恥じ、苦悶の無表情を浮かべるダリアの頭をそっと抱え込む。だがダリアの独白は止まらなかった。信頼する家族しかいない空間。ダフネだけでもこうはならなかっただろう。一度決壊してしまった思いは、僕以外誰もいないことでどんどん溢れ出していく。

 

「だから……私はこうするしかないのです。ダフネと一緒にいない時間なんて嫌です。でもこうするしか……あの子を守る術がない。それにポッターなら……いえ、グレンジャーさんなら、きっと正しい身の守り方を教えてくれる。少なくとも、もう私があの子に教える資格は……もうないのです」

 

僕は更に力を込めてダリアの頭を抱え込み、そっとその後頭を片手で撫でる。これ以上ダリアが自分を傷つけないように。思いを言葉にすることで、これ以上ダリアが必要以上に厳しい現実を見つめないように。

結局、僕にはそれくらいしか出来ることなどなかったのだ。

 

 

 

 

……だから、

 

「だから……もしダフネが傷つく様なことがあれば、()()()()()()()

 

僕に頭を撫でられるダリアが、今どんな表情を……どんな色の瞳をしているか僕には最後まで分からなかった。



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必要の部屋

 ダフネ視点

 

不愉快極まりない集会から数日。

何故あんな集会に参加させられたのか未だによく分からない。あの空間で真面だったのはハーマイオニーと……あのルーナというレイブンクロー生くらいのものだろう。今思い出しただけで鳥肌が立つ。心底考え方の違う連中ばかり。きっとあの中で誰とも分かり合えることはない。もう二度とあんな集まりに行くのは御免だった。

でも結局ダリアと……ハーマイオニーはそれを許してはくれなかった。私が何とか談話室に辿り着いた瞬間、ハーマイオニーがドビー経由で手紙を送ってきたのだ。

 

『ダフネ、今日は参加してくれてありがとう。私、本当に貴女が来てくれて嬉しかった。あの場では虚勢を張っていたけど、本当は心細かったの。ハリーに教師役をお願いしたけれど、それ以外は私がやらなちゃいけないから。だから貴女が来てくれてどんなに励まされたか。何かして欲しいというわけではないの。でも貴女がいるだけで、この会は本当に意味のあるものになるの。もし貴女がいなければ、この会は多分ただの仲良しグループに成り下がっていたわ。どんなに立派な目標を持っていても、それだけでは絶対にダメなの。それにこう言っては何だけど、親友が一人いるだけで私は安心することが出来る。ただの仲良しグループは駄目と書いたばかりだけど、それも嘘偽らざる気持ちなの。だから本当に来てくれてありがとう。()()()()()よろしくね。次こそは必ず貴女のことをもっと守るから。それと……貴女の書いた羊皮紙だけど、あれは本当にただの羊皮紙よ。他の人は呪いをかけた羊皮紙に名前を書いてもらったけど。貴女には特別な羊皮紙を用意した。嘘は言っていないでしょう? これでダリアにも会の内容を話しても大丈夫よ。ダリアもよろしくね』

 

ダリアに事情を必ず話すであろう私に、ハーマイオニーが呪いのかかった羊皮紙を差し出すとは思ってはいなかったけど……やはりそういう絡繰りだったらしい。変な言い方をするなと思っていたら、何ともずる賢い言い分だった。そもそもこの手紙だって、どこかダリアも読むことを前提にしている。前から思っていたけれど、彼女にはスリザリンにだって入れる素質がある。グリフィンドールなんかよりもっと相応しい寮があっただろうに。横から手紙を読んでいたダリアも一瞬『呪い』という言葉に厳しい無表情を浮かべていたけど、最終的にはどこか呆れた表情を浮かべていた。

……でもそのまま呆れ返ってくれればいいのに、

 

『ま、まぁ、これである程度安心ですね。グレンジャーさんはどこか抜けている所がありますから、もしや無策でダフネを迎え入れたのかもと思いましたが……彼女は彼女なりに考えていたのですね。これで次回も安心してダフネを送り出すことが出来ます』

 

『そうだな……。ダフネ、次の集会もあるんだろう? お前は次も必ず行け。これは()()()()必要なことだ』

 

そんなことを言いだしたのだ。おまけに行く前は難しい表情を浮かべていたはずのドラコまで賛成側に回ってしまった。最初はやや反対していたドラコがいつの間にか賛成に回る。そんなの、ドラコがこの行動こそがダリアにためになると判断したからに他ならない。ドラコの判断基準の大半はダリアが占めている。何があったかは知らないけど、これでは私がただ嫌だからという理由で逆らえるわけがない。ドラコのせいで私は内心どんなに嫌に思っていたとしても、次の集会にも参加せざるを得なくなったのだった。

だからこそ、私に出来ることはただ次の集会が来ないことを祈ることのみだった。ハーマイオニーの言う『闇の魔術に対する防衛術』の自習。その考えに反対というわけではない。寧ろ賛成してすらいる。そもそも彼女にこの話を焚き付けたのは私とダリアだ。最初はダリアを教師役にという話だったけれど、そこから発想を得たことは間違いない。言い出したのが自分である以上、会の存在理由自体に文句を言うわけにはいかないのだ。だからこそ、私はただ次なんてなければいいと祈っていた。ハーマイオニーには悪いけれど、あんな連中の集まる会なんて不愉快なだけ。次がなければそもそも私が参加するかで悩む必要すらなくなる。そう思っていたのだ……。

 

そしてその祈りは……意外なことに叶うことになる。

勿論集会の存在自体が無くなったわけではない。でもどうやら、ハーマイオニーは集会をやりたくてもやれない状態になっているらしいのだ。

原因は単純、まずこの集会の開催場所が中々見つからないことだった。

自習するだけならば図書館で事足りる。魔法の練習をするだけでも、無駄に広いホグワーツならば空き教室がいくらでもある。でもハーマイオニーが必要としているのは、皆で勉強したり魔法を練習したりするだけの空間ではなく、他の人間には絶対にバレない場所。その条件を満たすにはただの空き教室では駄目だ。流石のハーマイオニーもこの条件には難渋している様子だった。

 

そしてもう一つの原因が……メンバーの数人が集会以外の用事にかかりっきりになったことだった。

ホグワーツ中が最も熱狂するイベント。クィディッチ寮対抗戦の時期がいよいよ近づいてきたのだ。

あの時集まったメンバーには何人ものクィディッチ選手がいた。グリフィンドールなんて選手のほとんどがあの会に参加していたし、あの鬱陶しいことこの上なかったザカリアス・スミスも聞けばハッフルパフのチェイサーとのことだ。その他にもチョウ・チャンなど多くの選手が在籍している。いくら何よりも大切なことと言っても、ほとんどの生徒にとっては内心クィディッチの方が大切なのだろう。苛立った様子のハーマイオニーとは裏腹に、どうやらクィディッチ選手たちはこの時期での集会は望んでいない様子だった。

お陰で私はよくハーマイオニーの愚痴に付き合わされる羽目になる。いつもの倉庫にハーマイオニーの悲痛な叫びが今日も響く。

 

「もう! 皆クィディッチ、クィディッチって! あの人達は本当にこの集会の意味を理解しているのかしら! 挙句の果てにハリーすら今はクィディッチのことで頭が一杯みたいなの! これでは先が思いやられるわ!」

 

「……私としてはその方が助かるけど」

 

朝食後の情報交換会。倉庫の中にいるのは私とハーマイオニーのみ。これはただの情報交換でしかないことから、当然倉庫の中にはダリアの姿はない。ハーマイオニーが余程の危機に晒されれば来てくれるのだろう。でもこんな愚痴を聞くだけの会に流石に来てはくれなかった。お蔭で議論は堂々巡り。私がなるべく集会を先送りにしようとしていることもあるけど、ダリアを欠いた状態でいい答えが直ぐに出てくることはなかった。

 

「ねぇ、ダフネ。本当にどこかいい場所を知らないかしら? クィディッチのことは今更言っても仕方ないから我慢するわ。でも、そもそも場所が無いと、始められるものも始められないわ。まさかアンブリッジの目と鼻の先で集まるわけにもいかないもの。流石にただの自習グループと言い張るのは無理があるから。スリザリンの談話室は地下よね? 地下にどこかいい部屋は無いかしら?」

 

「……う~ん。地下にそういった部屋があるって聞いたことはないよ。それに私だってあまり城の中には詳しくないんだよ。ハーマイオニーに厨房の場所を教えてもらうまで知らなかったくらいだからね。寧ろハーマイオニーはどうやって厨房の場所を知ったの? 生徒の中でもあまり知っている人はいないよ」

 

「私も聞いただけよ。フレッドとジョージがこういったことに詳しいから。でも今回の条件に合致している場所は知らないみたい」

 

「そうなんだ。それは良かっ……()()だね」

 

そこで私達の会話は切れる。いつもの倉庫の中、ハーマイオニーは答えの出ない状況に頭を抱え、私はそもそも答えを出す気がない。結局どれだけ話しても、大して城の中に詳しくない私達では答えの出しようがないのだ。知らないものを答えることなんて誰にも出来ない。その答えを出す有効な手段を思いつける人間もいない。だから結局行きつく結論は、

 

「……ダリアはどこかいい場所知らないかしら?」

 

私達の最も頼れる親友である彼女に頼ることだった。ハーマイオニーも賢いし、何より『スリザリンの怪物』の正体を見破ったりと実績はあるのだけど、あの子に比べればどうしても見劣りしてしまう。

 

「さぁ。でも多分知らないと思う。あの子もあまり城には詳しくないから」

 

でも今は彼女に頼れない。

それは勿論こんなどうでもいいハーマイオニーの相談に彼女が乗ってくれないだろう上、彼女もハーマイオニーが求めているような場所を知らないだろうこともある。でもそれ以上に、今彼女は違うことで頭が一杯の様子だからだ。

今頃あの子も、ハーマイオニーが悩んでいる連中みたいにクィディッチに……と言うより、それに向けて練習する兄に夢中なんだろうな。

何と言っても今年のドラコの箒は……。

悩みが多い状況の中、少しでもあの子が気を逸らすことが出来るなら、もう少しだけあの子の邪魔なんてしたくない。それがたとえ一時的なものだとしても……久しぶりに浮かべてくれている明るい無表情を曇らせたくなどないのだ。

だから私はハーマイオニーの質問に曖昧な笑顔で応えるのだった。

 

そう、それが本当に……ただ一時的なものでしかないことを知りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「ド、ドラコ……まさかその箒は!?」

 

地下にある空き教室の一角。そこにスリザリン・クィディッチチームと……本来部外者であるはずのダリアが集まっていた。

そんな中、新しくスリザリンチームキャプテンとなったモンターギュが代表し声を上げる。視線の先には僕の新しい箒。去年ダリアからクリスマスプレゼントに貰った箒を指差し、顎が外れるのではないかと思える程大きく口を開けていた。そしてそれは他の連中も同じだ。声こそ上げていなくとも、それこそモンターギュと同じく驚愕の表情を浮かべている。新しいビーターであるクラッブとゴイルなど、いつもの阿保面がまだ賢そうに見える程だ。誰一人として、僅かに頬を紅潮させて僕を見つめているダリアの存在に疑問を持つ人間などいない。

まぁ、でもそれも仕方がないことだろう。何故なら僕が今持っているのは、

 

「あぁ、お前達の想像通りだ。これは何を隠そう……あの()()()()()()()で間違いない」

 

ニンバス2001すら遥かに凌駕する最新鋭の箒なのだから。

僕が肯定したことで、堰を切ったように皆が歓声の声を上げる。

 

「す、凄いぞ、ドラコ! ど、どうやってこの箒を!?」

 

「ニンバス2001の比じゃないだろう! 箒を全員分揃えるのとはわけが違う! いくらマルフォイ家でも、こんな高い物易々とは、」

 

「去年()()()()買ってくれたんだ。今まで貯めていた小遣いを使ってくれてな。だから感謝はダリアにするんだな」

 

「そ、そうなのですか、マルフォイ様!?」

 

「……えぇ。頑張っておられるお兄様にはこれくらいの箒は必要だと思いましたので。お兄様の為です。大した出費ではないですよ。元々使い道が思いつかないお金でしたから。寧ろ安いものです。……だから感謝はお兄様に」

 

「さ、流石はマルフォイ様! これで今年もまたスリザリンが優勝することが出来ます!」 

 

「ドラコ、こ、これは凄いぞ! やったな!」

 

今まで秘密にしてきた箒の存在に、皆の興奮はドンドン高まっていくようだった。もはや興奮のあまり、いつものダリアに対する恐怖など感じていない様子だ。かくいう僕のお披露目する姿を見に来たダリアも、明らかに興奮した様子で注目される僕にウットリとした無表情を浮かべていた。……こんな表情を浮かべるダリアの姿などいつぶりだろうか。

僕はチームメンバーに半ばもみくちゃにされながら、それでもどこか冷静な気持ちで思考する。

去年はクィディッチの試合が無かったためお披露目できなかったが、ようやくこれを見せる時が来た。皆もこれで多少はダリアに対する恐怖が和らいだことだろう。あくまでチームメンバー限定であるが、このファイアボルトを効果的に使えたと言える。所詮は無表情であるというだけでダリアを恐れる連中だ。ニンバス2001より優れた箒をそれこそ自費で買ったとなれば、恐怖より興奮の方が上回るに違いない。僕の予想は見事に的中したのだ。

でも、僕はこれくらいの結果で満足してはいけない。

この箒は所詮切欠に過ぎない。ダリアが僕に与えてくれた切欠。結局皆が興奮しているのはこの箒に対してのみだ。僕も箒を貰った時こそ興奮したが、本当に真価を問われるのはこれから。僕がこの箒をどのように使うかにこそ、本当の価値と意味がある。僕はこの最新型の箒を貰ったからといって、決して慢心してはいけないのだ。

ファイアボルトを貰った? だからどうしたと言うのだ。それは僕にこの箒をくれたダリアにこそ功績がある。それこそ今まで貯めていたお小遣いを使ってまで買ってくれたのだ。それは全てダリアのお陰に過ぎない。僕が誇れることなど何もない。僕は所詮ポッターと同じ土俵に立てただけ。これでようやく対等に戦うことが出来るだけ。僕は何一つとして成し遂げてなどいない。僕の戦いはこれからなのだ。

そしてその思いを分かっているからこそ、僕がそう考えると思ったからこそ……ダリアはこうしてここに来てくれて、こうして僕のことをを恍惚とした無表情で見つめてくれているのだ。僕が箒を持つ姿ではなく、そう決意を新たにする姿を見たからこそダリアは喜んでくれているのだ。ならば僕はこの思いを決して損なうわけにはいかない。

一時的とはいえ、今こうして久しぶりに笑顔を浮かべてくれているダリアのために。無力な僕に出来ることは、()()これくらいの物なのだから。

だからこそ、僕は皆の興奮を断ち切り声を上げる。

 

「それより、今まで通り箒のことは僕達だけの秘密にした方がいいが……これからの練習はどうする? まさか競技場で堂々と練習するわけにはいかないだろう」

 

そしてそんな僕の思惑通り、少し冷静さを取り戻したモンターギュが顎に手を当てながら応えた。

 

「そうだな……。グリフィンドールは他寮の練習を覗き見るなんて……()()行動を取ることは出来ない。だがそれも絶対ではないからな。なるべく最後まで箒のことは隠した方がいいだろうな。他のスリザリン寮生にも秘密だ。試合の時に驚かせてやろう。だが練習は……ニンバス2001を使うか?」

 

「いや、一時的にはそれでいいが、ずっとそれでいくわけにはいかないだろう。流石に本番だけこれを使うには無理がある」

 

しかし興奮した中出した割にはいい意見だったが、モンターギュの答えは完全に納得することの出来るものではなかった。

秘匿するだけなら奴の意見で十分だ。だがニンバス2001とファイアボルトは速度がまるで違う。流石にニンバス2001で練習して、本番だけファイアボルトを使うなんてことは出来ない。速度に翻弄されるのがオチだ。非常に悔しいことだが、ポッターにそんな付け刃な技術で勝つことは不可能なのだ。必然的にどこかでファイアボルトで練習する必要がある。

だがそれに対しての明確な得られなかった。結局こいつにも納得いく答えはないということだろう。

僕の返事にモンターギュを含めた全員が考え込むように黙り込む。それこそ、

 

「であれば、お兄様だけ透明化しながら練習するのはどうですか? お兄様のポジションはシーカーです。透明化しても特段問題は無いと思います。魔法なら私がかけますが?」

 

この中……どころか学校の中で一番賢いダリア以外は。

当に学校一優秀なダリアらしい意見。こんなことが出来るのはダリアくらいのものだろう。僕はダリアの方に顔を向けながら応えた。

 

「そうだな……。それが一番確実だ。だが毎回魔法をかけるんだ。ダリアの負担になりはしないか?」

 

「いいえ、問題はありません。たかが数時間の魔法をかけるだけです。負担になどなりはしませんよ。……それにどんなに負担になったとしても、お兄様の為です。私は助力を惜しみません」

 

最後に少し不安に感じる様なことを言ってはいるが、この様子だと本当に負担にはならないのだろう。それに何より、今こうしてクィディッチのことを考えてくれている方が、昨日まで浮かべていた思い悩んだ表情よりは遥かにマシだ。

ようやく始まったクィディッチ・シーズン。二年越しにやってきた、無力な僕だって活躍できるイベント。この期間の間であれば、たとえ少しであったとしてもダリアの苦悩を紛らわせてやることが出来る。ダリアの恍惚とした無表情を見つめ返しながら、僕はそう決意を新たにしていたのだった。

 

 

 

 

……そう。この後、

 

『ホグワーツ高等尋問官令』

 

絶望的にタイミングの悪い告知が出るまでは。

談話室に戻った僕らは、掲示板にその告知がデカデカと張り付けられているのを見てしまったのだ。

 

『学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブなどは、ここに全て解散される。再結成の許可は高等尋問官に申し出るように。許可なく再結成した場合は、それに属する生徒を全員退学処分とする』

 

正直これでスリザリンのクィディッチ・チームが無くなったとは誰も考えてはいなかった。スネイプ以上にスリザリンに対して便宜を図ろうとするアンブリッジのことだ。グリフィンドールならいざ知らず、スリザリンの再結成にそう時間はかからないだろう。どうせこれはグリフィンドールへの嫌がらせに過ぎない。だから本来であればこの告知を見たところで、スリザリン生が落ち込むことなどありはしないのだ。

だが……今までクィディッチに集中出来ていたダリアに、今自分の置かれた現実を思い出させるには十分なものだった。

談話室に戻り、先程までグレンジャーと一緒にいたと思しきダフネと合流したダリアは、それまではとてもいい明るい無表情を浮かべていた。だが告知を見た瞬間、今まで忘れていたアンブリッジの存在を思い出してしまったかのように、

 

「……あの女。いくら任務とはいえ、お兄様の活躍に水を差すようなことを。それにこの内容は……あぁ、本当に邪魔なことばかりを。これではグレンジャーさんの集会も……」

 

明るい表情を霧散させ、最近ずっと浮かべていた思い悩む様な表情に変わってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

こんなに幸せな気分は一体いつぶりだろうか。

あの集会は最後の最後に特大なケチが付いてしまったけど、それでもそれまでの鬱屈とした気分を吹き飛ばすには十分なものだった。

久しぶりに向けられた好意的な視線。僕の今まで成してきたことを称賛する言葉。そして何より、僕のことを見つめるチョウ・チャン。

ザカリアス・スミスや……明らかに敵であるダフネ・グリーングラスが集会に紛れ込もうと、あの時感じた幸福感は損なわれない。

そりゃ、あの時は本気で怒りもした。いつまで経ってもグリーングラスと縁を切らないハーマイオニー。挙句の果てにこそこそとあいつと繋がり、いつの間にか集会にまで呼んでいたのだ。現実を一向に見ようとしない行動に、何故僕がこれだけ言ってもあんな奴を信じるのかと本気で怒った。

でも流石にハーマイオニーも何も考えていないわけではなかったらしく、情報漏れに対する対策だけはしていた。勉強会と言っても、誰がどう考えてもそんな大人しい会ではない。アンブリッジにバレれば、必ず何かしらの罰則を与えられることになるだろう。グリーングラスを呼んだとしても、それだけはキチンとやっていた。マルフォイやグリーングラス以外のことに関しては、僕はハーマイオニーを最も信頼しているのだ。彼女が呪いをかけたと言うのならば、それは確実に有効な手段なのだろう。

だからこそ、僕は寧ろこれは好機だと思うことにしたのだ。腹が立ちはしたけど、寧ろこれでグリーングラスがアンブリッジやダリア・マルフォイにあれこれ報告することは出来なくなった。会に今後も参加しないのも良し、もし参加しても監視下に置くことが出来る。ハーマイオニーとコソコソ密会されるより遥かにマシだ。だからこそ僕は留飲を下げ、それ以外の明るい事実に目を向けることにしていたのだ。

でも、

 

「ダフネ・グリーングラスだ! あいつが! あいつがアンブリッジに言ったんだ!」

 

この告知を目にしてしまえば、どうしてもそのハーマイオニーへの信頼も疑わざるを得なかった。

グリフィンドール談話室の掲示板。僕とロン、そしてハーマイオニーの目の前には、アンブリッジの新しく出した禁止令が張り付けてあった。あまりにタイミングが良すぎる告知。まるで僕らが集会したのを知っているかのようなタイミング。僕には誰かがアンブリッジに集会のことを垂れ込んだとしか思えなかった。そしてそんな人間は……ダフネ・グリーングラス以外にあり得ない。次点としてザカリアス・スミスも考えられるけど、グリーングラスの疑わしさに比べれば微々たるものだ。もはやグリーングラスしか疑わしい人間が言えないとさえ言える。そしてロンも同じ意見なのか、掲示を見た瞬間真っ先にあいつの名前を叫んでいた。でも僕とロンの非難する視線を受けても尚、ハーマイオニーは自分の顎に手を当てながら応えた。

 

「あり得ないわ。ダフネがアンブリッジに報告するなんてことは絶対にない。そんなことは天地がひっくり返ってもないの」

 

それにと彼女は続ける。

 

「それに、ダフネ以外もそんなこと出来ないわ。少なくともしたら私に絶対に分かるようにしているもの。私がかけたのは強い呪いよ。だからあの場にいた生徒がアンブリッジに報告したなんてことはないの。……あの場に私たち以外の客なんていなかったわ。だからこれはタイミングが悪いだけで、おそらく私達の集会とは無関係のものだわ」

 

あまりに自信に溢れた声音に、僕とロンは思わずたじろぐ。ハーマイオニーの実力は学内屈指の物だ。彼女が絶対の自信を持っている呪文に、僕らがこれ以上論理的に疑問を差し挟めるはずもない。……尤も疑いが無くなったわけではないがけど。

口には出さないまでも胡乱気な視線で見つめ続ける僕らを他所に、ハーマイオニーは一人考え込むように呟いていた。

 

「本当にタイミングが悪いけれど……これは絶対に今回の集会とは無関係なはず。前から計画していた? あの女の目的は私達に魔法を学ばせないこと。ならその一環の行動ね。本当にタイミングが悪いけれど……。でも裏切り者が出てない以上、それ以外はあり得ない。本当に嫌になるわ。これで今まで以上に秘匿性の高い場所を探さなくてはならなくった。どこか……どこかないのかしら」

 

 

 

 

結局この後も、僕とロンがこれ以上ダフネ・グリーングラスが告発したのだと主張することはなかった。というより出来なかった。

ハーマイオニーがあまりに真剣な表情で何事か呟いていて、その後も彼女の思考を邪魔することが出来なかったのだ。

それに何より、

 

「ハリー! アンブリッジの告知は見た!? あの告知……どうもクィディッチ・チームのことも含まれてるらしいのよ! スリザリンは即座に許可が出たと言っていたけど……グリフィンドールはどうなのかしら!?」

 

談話室に今にも泣きそうな表情を浮かべたアンジェリーナが駆け込んできたから。

集会とは別に僕の心を明るくしてくれていたクィディッチ。次の集会が決まっていないこともあり、僕は最近そちらに集中していたわけだけど……アンジェリーナに言われるまでチームの解散の可能性について完全に失念していた。クィディッチはホグワーツ最大の行事。去年が例外なだけで、普段であればこのイベントが無くなることなんてあり得ない。まさかそれが無くなる可能性なんて思ってもいなかったのだけど、アンブリッジがそれすら止める権力を持つようになっていたとは。

僕とロンはあまりのことに泣き出しそうなアンジェリーナと話すため立ち上がる。頭にはもうダフネ・グリーングラスのことなどない。ただこのクィディッチ危機のことで頭が一杯で、その他のことに構っている余裕などありはしなかったのだ。

もう僕らには……

 

「どこか場所は……。地下は駄目ってダフネが言っていた。外は……禁じられた森くらいかしら。でもそれは危なすぎる。本当に……どこにもないの?」

 

やはり一人で考え続けるハーマイオニーを気にする余裕などありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

先程までクィディッチのことで騒いでいたチームメンバーも全員寝室に戻り、今談話室には物思いにふける私だけが残されていた。

そろそろ本格的に冷たくなってきた時期。それでも談話室を快適な温度に保っている暖炉を見つめながら、私は一人必死に思考を巡らせる。

内容は勿論次の集会のこと。ハリーやロン、そして集会に参加していたグリフィンドール・チームは集会よりクィディッチの方が心配の様子だったけど、私からすれば寧ろそちらの方がどうだっていいことだった。

おそらくアンブリッジの()()主目的はクィディッチなのでしょうけど、これでより一層次の集会がやりにくくなってしまった。それを他寮の生徒も分かっているのか、夕食の席ではチラチラとこちらを盗み見ている生徒もいた。それどころか、

 

『な、なぁ、ハーマイオニー。アンブリッジの告知だけど……ほ、本当に大丈夫なのかい? あの時は不正ではなかったけど、これからどうなるか……。それにこれはグリーングラスがスパイだったからだろう? 君の実力を疑いたくないが、本当に君のかけた対策とやらは大丈夫なのかい?』

 

なんて直接聞きに来る人までいた程だ。あの時ダフネを疑う言葉を吐いたアーニーには本当に呪いをかけようかしらと思ったけれど、冷静に考えれば彼の疑念も尤もなことなのだ。寧ろクィディッチのことで頭が一杯なグリフィンドール生達の方がどうかしている。

裏切り者がいた可能性は今の所皆無と言っていい。皆に名前を書いてもらった羊皮紙には強力な呪いをかけている。それこそもし他人に集会のことを言えば、その人は必ず後悔する程の呪いが。その上私にもそれが分かるようにしているのだ。自慢ではないけど、この呪いを解くことが出来る生徒はそうそういないと思う。解けるとすればダリアくらいのものだろう。

そして唯一羊皮紙に名前を書いていないダフネが裏切った可能性も皆無。私の親友がそんなことするはずがない。彼女ならダリアと……ドラコには集会の詳細を伝えるだろうけど、その情報がアンブリッジの下に届くことはない。ダリアやドラコが、態々ダフネが危機に陥るようなことを積極的にするはずがないのだから。そもそも集会にダフネを送ってくれたのはダリアなのだ。あの子達が味方であるのは自明の理だった。

だからこそ、今回の告知はただタイミングが悪かっただけなのだと私には分かる。……分かったところで、タイミングが最悪なことは確かなのだけど。

これで今まで以上に隠れて集合する必要が出てきた。空き教室でする案は勿論使えない。当に万事休すと言っていい状況だった。集まれたのは最初だけ。私達の次の行動は完全に抑え込まれているのだから。

 

「どうすればいいの……」

 

悩んでばかりいるせいで頭がどうにかなりそうだった。今ならハリーの気持ちが本当の意味で理解出来る。考えてばかりで、逆に余計なことが頭をよぎってしまう。何故私は一人で悩まなくてはいけないのだろう。考えるのは私ばかりで、他の人は誰も一緒になっては考えてはくれない。唯一相談に乗ってくれるダフネとも中々会えない。まるで独りぼっちになった気分。夏休み中のハリーもおそらくこんな気分だったのだろう。尤もそのハリーも今はクィディッチのことで頭が一杯なのだけれど……。

私は余計な雑念を頭を振って追いやり、何とか集中して集会候補地について考える。

 

「城には場所がない。ならば外ね。禁じられた森は危なくて無理。ホグズミードは練習に貸してくれるような場所を知らないし、間隔が離れすぎてしまう。そうだ! 叫びの屋敷! あそこなら誰も……いいえ、駄目ね。あそこは狭くて皆が入れない。入れたとしても練習には使えない。何より少しの衝撃で崩れてしまうかも。う~ん、駄目ね。やっぱり一人ではいい考えないんて出ないわ」

 

でもやはり答えが中々出てくることはない。ダフネと相談している時でさえ出ないのだから、夜こうして一人で考えても出るはずがない。それでも考えなくてはいけないだけ。もはや時間がない。このままではクィディッチ試合どころか、クリスマス休暇までもつれ込んでしまうかもしれない。こうしている間にも『例のあの人』の勢力は大きくなっているのだ。今歩みを止めるわけにはいかい。

 

そしてそう考えているのは……私だけではなかった。

 

「グレンジャー様」

 

一人であるはずの談話室に突然キーキー声が響く。私はその声に()()()()振り返りながら応えた。

 

「ドビー! なんとなく、今日来てくれると思っていたの! 本当に来てくれたのね!」

 

あの告知が掲示されたのはグリフィンドールだけではない。なら彼女だって必ず見ているはず。ダフネは彼女に事情を話したがらなかったけど、あの掲示を見て彼女も私達の状況を察してくれるに違いない。そう、この学校で一番賢く、事の重大さを真に理解しているダリアならば。

……本来なら私が彼女を当てにするのは間違っている。ダリアは今本当に難しい立場に置かれているのだ。あの子からすれば、以前と同じように彼女に纏わりつこうとする私は迷惑以外の何物でもないだろう。私も本当はそれを分かっている。あの子はただ家族とダフネ……そして私のことも守るために、あぁして私のことを拒絶している。その努力を私が壊してしまうなんて間違っている。

でも、それでも私には彼女がどうしても必要な時があるのだ。ダフネとダリア、二人の存在で私がどれだけ勇気づけられているか。彼女達が友人であり、どんな立場であろうと本当は仲間であると思えるだけでどれだけ嬉しいか。そしてこうして、

 

「やはりグレンジャー様は予期されておられました! 流石はお嬢様のご友人でありますです! ドビーめはお嬢様からの伝言をお預かりしているであります! ……本当はお嬢様から、ただドビーめの判断で伝えたことにするよう言われているのでありますです! ですがお嬢様はお優しい方だと、グレンジャー様は知っておられる! ドビーめが嘘をついても必ず見抜かれると思ったのです!」

 

不器用ながら陰で支えてくれることがどれだけ心温まるか。

私は零れた涙を拭いながら尋ねる。

 

「……本当に貴方の言う通り、ダリアは優しい子よ。どんなに拒絶されても、本当はあの子がいつも私を守ってくれていることくらい分かるわ。だからこそ……今回のことであの子が絶対に手助けしてくれると思ったの。それでドビー、ダリアはなんと言っていたの?」

 

しかしいつまでも感傷に浸ってはいられない。もう夜遅い。折角夜遅くに、それも私が一人でいるタイミングでドビーが訪ねてきてくれたのだ。必要以上に彼をここに縛り付けるわけにはいかない。それにダリアのことだから、それは必ず私が今まで思いつきもしなかった答えに違いない。私では散々悩んでも出なかった答えを、彼女が如何にして出すか気になって仕方がなかったのだ。

そしてそんな私の予想通り、

 

「はいです、グレンジャー様! ダリアお嬢様は仰りました! 城のことを知りたいのであれば、それはこの城に最も詳しいモノに聞けばいいと! つまりお嬢様は……()()()()()どこかいい場所がないかお尋ねになられたのです! この城に最も詳しいのはドビーめ達『しもべ妖精』でございますから! グレンジャー様と()()()()は、今誰にも知られずに魔法を訓練出来る場所をお探しだろうからと!」

 

今まで私が考えてもいない方法だった。

ドビーの言葉に私は目を見開く。言われてみれば単純なこと。城の構造に詳しい人に聞く。それは最初から思いつていた。でもそれはフレッドとジョージだと考えるばかりで、それ以上のことに考えが及んではいなかった。

 

「そうよ……何故今まで気づきもしなかったのかしら。この城に一番詳しいのは……貴方達『しもべ妖精』。考えれば本当に単純なことだったんだわ。答えは最初から近くのあったのよ。そ、それで、ドビー、貴方はどこかいい場所を知らないかしら!? ダリアの言う通り、今私達にはどこか秘密の練習場が必要なの!」

 

思わず前のめりになる私にドビーは事も無げに答える。

 

「一つだけドビーめは心当たりがありますです。……『()()()()()』。しもべ妖精はその部屋のことをそう呼んでおりますです。本当に必要な時にしか現れない部屋。それが現れる時には、いつでも求める人の欲しい物が揃っておりますです。その上、部屋のことを知っているのはほとんどおられません。ドビーめがお教えしましたダリアお嬢様と……そして今お伝えしたグレンジャー様のみです。お嬢様のお求めになっている条件にはピッタリかと」

 

 

 

 

これがこの先何度も通うことになる『必要の部屋』を初めて知った時だった。



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閑話 見上げる視線

 アンブリッジ視点

 

「ア、アンブリッジ先生。グ、グリフィンドール、クィディッチ・チームの許可申請書です。……サインしていただけますか?」

 

部屋で悠々と紅茶を飲む私の前で、グリフィンドールのキャプテンと思しき女生徒が声を上げた。

今にも泣きそうな震えた声。そんな彼女を支える様にミネルバが立ち、私に非難がましい視線を投げかけている。

あぁ……本当に素晴らしい視線ですこと。今私は彼女達より上の立場にいる。()()私と違い、私の方こそがこの様な視線を受ける立場にいるの。

私はそんな高揚感のまま、勿体ぶる様に紅茶に口を着けながら応える。

 

「何故です? どうして私がそんな物にサインをしなければならないのです?」

 

そして私の言葉に対する反応も案の定な物。私が言葉を発した瞬間、女生徒は更に表情を歪めながら続けた。

 

「な、何故!? これはただのクィディッチ・チームの許可証ですよ! スリザリンはもうとっくの昔に許可を貰ったと聞いてます! それがどうして、グリフィンドールは駄目だと言うのですか!?」

 

本当にグリフィンドールらしい直情的な言葉ですこと。私が学生であった頃から何も変わっていない。何も考えず、ただ自身の正義や善とやらが絶対だと信じて疑わない。そしてそれはどうやら後ろに控えるミネルバも同じらしく、

 

「えぇ、ドローレス。私もミス・ジョンソンと同じ意見です。何を勿体ぶる必要があるのです? スリザリンに許可を出したのなら、グリフィンドールにも許可を出す。当たり前のことです。それとも貴女はただのクィディッチ・チームが魔法省に盾突くとでも言いたいのですか?」

 

実に愚かなことを口にしていた。

スリザリンが許可されたからグリフィンドールも許可されるべき?

これだからグリフィンドールは……。人を追い詰めるにはいくらでも方法があるのだ。見せかけの公平性など何の役にも立たない。正しさに価値などないの。この世界にいるのは、ただ虐げられる者と虐げる者だけ。理由や論理などいくらでも後付できる。虐げられる者にどんな理屈があろうと関係ない。虐げられる者は虐げられるべき者なのだ。そこに正義や倫理など存在しない。……そう、嘗ての私がそうであったように。そこから抜け出すには、自身が虐げる者になるしかない。このような泣き言を喚いたところで現実は少しも変わらない。

だからこそ、私は彼女達に徹底的に現実を突き詰めるべく応えた。

 

「あらあら、ミネルバ。貴女までそのようなことを口になさるのですか? 私が公正に物事を判断していないと? 酷い言いがかりですわ。私は常に公明正大に判断しております。私は魔法省に仕えているのですから、それは当然のことですわ。……ですが、だからこそ私はグリフィンドール・チームに許可を出すことが出来ませんのよ」

 

「……一体全体どういった理由があると言うのですか?」

 

「本当にお分かりにならないの? 副校長ともあろう方が随分と危機意識が無いのですね。いいですか? スリザリン・チームは皆家柄の立派な、そして品行方正な生徒達ばかりですのに、グリフィンドールときましたら……。ミスタ・ウィーズリー達は随分と素行不良だと聞いていますわ。それに何より、シーカーなどあのミスタ・ポッターではないですか。そんな生徒達の集まりに許可など出せるはずがないでしょう?」

 

理由など何でもよい。しかし折角チーム内にあのポッターがいるのに、それを利用しない手はない。私に与えられた任務は()()()()あるが、そのうちの一つがポッターを徹底的に追い詰めること。魔法省にも……あのルシウス・マルフォイ氏にも指示されている。退学にこそ出来なかったが、あの直情的な少年を追い詰めることなど簡単なこと。追い詰めれば勝手にボロを出す。折角あの少年はグリフィンドールに属しているのだから、それを利用しない手はない。考えの足りないグリフィンドールのこと。あの子のせいで許可が出ないとなれば、少なからずあの子を責める発言をすることでしょう。当に一石二鳥。どう転んでも私の利益になるのは間違いない。

尤もこの策に固執するつもりはない。これはあくまで布石に過ぎない。あの愚かな少年を追い詰め、私が()()()()()()立場となったことを証明する手段。まだ()()()()私が意固地になる必要などない。

そしてそんな私の考え通り、ミネルバは不快感を露にしながら言い募り、

 

「貴女がポッターにどのような考えをお持ちなのかは知っていますが、これは明らかにやりすぎです。彼がシーカーであろうと、クィディッチを許可するか否かの判断基準にしていいはずがありません。何よりダンブルドアもそうお考えです。彼も今回のことで、」

 

「成程、ダンブルドア校長も同じお考えなのですね。ならばこれ以上何も言いませんわ。えぇ、言いませんとも。グリフィンドールに許可を出しましょう。ですが……私は今でも反対していることに変わりはありませんわ。ポッターが何か問題を起こした時、彼の立場がこれ以上悪くならなければ良いのですが……」

 

私にとって有利になる発言を発したのだった。

全てが思惑通りに進み、私はミネルバが前にいるというのに笑みを強める。何も私がこの学校から追放せねばならないのはポッターだけではない。ダンブルドアに……後はあの『占い学』のシビル・トレロニー。たかが『占い学』の教員如きを何故追放せねばならないかは知らないが、ルシウス・マルフォイ氏()()()指示されるのだからそれは必要なことなのだろう。ポッターやトレロニーを追放する目算は立った。残る課題はダンブルドアだけ。あの厄介な人間を追放するのは並大抵のことではないけれど……この愚かな教員や生徒を見るにそれも時間の問題でしょう。

私の言葉でようやく自身の失態に気が付いたのか、私のサインを奪い取る様に手に取ると、そのまま内心の苛立ちを隠せない様子でミネルバは部屋を後にする。グリフィンドール生も事態の深刻度に気が付いたのか、より一層不安げな表情を浮かべて後に続いた。

 

一人残された私は少し冷めてしまった紅茶を注ぎなおしながら考える。

本当に気分がいいわ。誰かを虐げるというのは。……私が虐げられる立場ではなくなったことを再確認できる。

そう、私はもう誰かに虐げられる立場ではないのだ。もう私が誰かに馬鹿にされることはない。馬鹿にされたとしても、その人間を文字通り消し去ることさえ出来る。雑音を打ち消すには権力が一番で唯一の方法。何がクィディッチの許可証よ。私からすればそんなことで一喜一憂出来ることを喜ぶべきなのだ。たかがクィディッチなどで悩めるのだから、悩みなどあってないようなもの。

……私は、

 

『あのスリザリン生、本当に気持ち悪いわね。()()()()()()()()性格が悪いのは当たり前だし、その上顔もまるでガマガエルなんて。本当に……()()()()()()()ってあるのかしら』

 

学生時代、それこそ自分が生きていることにすら悩みを抱いていたのだから。

思考の最中、私は学生だった頃を思い出し笑みを曇らせる。またこれだ。ここに帰ってきてからというもの、何度も昔のことを思い出す。夢見も悪いことがある。内容は思い出せないけれど、あまりいい夢ではなかった気がする。グリフィンドール生を見ていると、どうしても当時のことを思い出してしまうのだ。頭の奥底で響く、いつか投げかけられた言葉。誰がそんなことを言ったのかはもう覚えていない。というより、そんなことは()()()()()言われていたから、一々誰に言われたかなんて覚えていない。覚えているのは、その言葉を発していたのはグリフィンドール生だったということだけ。そう考えると私にはもっと彼女達グリフィンドール生を苦しめる権利があるはずなのだ。

 

思い返せば私はそれこそ入学した瞬間から虐げられていた。

ホグワーツに入学したことで、私は貧困と……もはや冷え切った家庭から抜け出す切欠を得た。最初は入学費用すら払えないと母に反対されたけれど……奨学金という制度で何とか私は家から逃げ出すことが出来た。あんな誰も私のことを認めてくれない、それこそ家族だというのにまるで私をいない者として扱う連中から離れることが出来る。味方は唯一父だけ。その父も貧困故に、味方であっても力にはならない。近所も私のことを気持ち悪い子供扱い。しかしそんな生活からようやく解放される。そう私は入学許可書を手に喜んでいたのだ。

……実際に入学し、

 

『ねぇ、あの子のこと見た?』

 

『スリザリンに入ったあの子? ガマガエルそっくりの?』

 

『狡猾って言うけど、多分あの子ただの愚図だよね。あの見た目よ? そんなに器用であるはずがないもの。性格悪いことはこれで証明されたし、長所なんてまるでないんでしょうね』

 

現実に打ちのめされるまでは。結局環境が変わったとしても、世界に敷かれたルール自体が変わるわけではない。私は入学したその瞬間から、周りから漏れ聞こえてくる言葉に現実を突き付けられたのだ。

結局どこに行ったとしても、世界には虐げられるか虐げるかだけ。私はホグワーツでも虐げられる側だった。

私は紅茶を飲み自身の精神を落ち着かせ、学生時代と違い、幸福なことで満たされるであろう未来に思いを馳せる。

やることは単純。グリフィンドール生を貶め、スリザリン生にはひたすら誉めそやす。学生時代、マグルの血が半分入っている私はスリザリン内でもそこまで地位は高くなかったけど、少なくとも当時媚びへつらったお陰で今の地位に就く土台を得ている。厳しい現実の中でも、スリザリンだけは少なくとも態度に気を付けてさえいれば、必要以上に攻撃される空間ではなかった。どんなにマグルの血が半分入っていようとも、別に一番下位の存在というわけでもなかった。それこそ私の下には人間の血すら一滴も含まれていない存在もいる。今では私の後押しすらしてくれている。やることは今までと何一つ変わらない。

 

そう、何一つ変わりはしない。

私はただ自身に与えられた任務と……この世界に敷かれた絶対のルールに従うだけよ。

 

勝手に湧き上がりそうになる記憶を笑みで無理やり抑え込む私は……もう紅茶を飲んではいても味わっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドビー視点

 

「お嬢様、ただいま戻りましたです」

 

「ご苦労様、ドビー。それとありがとうね、こんな夜遅くに。……早速で悪いのだけど、グレンジャーさんには気付かれていないかしら?」

 

「も、勿論でございますです、お嬢様! グレンジャー様にはキチンと、ドビーめの意志でとお伝えしておりますです!」

 

深夜の談話室。スリザリン談話室に残られていたお嬢様とグリーングラス様が、真夜中であるにもかかわらずドビーめを優しく迎えてくださる。それもドビーめを労うような言葉で。

やはりお嬢様はお優しい。

ドビーめはそんな当たり前の認識を再確認しながら、お嬢様の優しいお心を煩わせないように()()報告をしていた。

グレンジャー様にはお嬢様のお優しい気遣いは既にお見通しの様子だった。あの方はダリアお嬢様のご友人だ。それならばお嬢様の見え透いた嘘を見抜かれてもおかしくはない。お嬢様の優しさは表情がないことぐらいでは覆い隠すことなど出来ないのだから。グリーングラス様もそれがお分かりなのか、隣で何度もドビーめにウインクを投げかけておられる。結局ドビーめの細やかな嘘に気付かないのは、

 

「……そう、ならいいわ。本当にありがとう、ドビー」

 

当のお嬢様くらいのものだろう。相変わらずお嬢様は自己評価が低くていらっしゃる。

そんなドビーめの考えに気付かれず、お嬢様はどこか思案顔の無表情で続ける。

 

「これで場所は整いました。……まさかホグワーツにそんな場所があるなんて。『必要の部屋』ですか。私も彼女達が使っていない時に、こっそり使わせてもらいましょう。ダフネも一緒に来てくれますか? そこでなら人目を気にする必要はないですし」

 

「うん、勿論だよ! その時はドラコも誘おうね!」

 

何気ないお嬢様の言葉。しかしこのお嬢様の言葉にドビーめは僅かに恥じ入る気持ちになる。お嬢様がお使いになられるなら、ドビーめはもっと早くにお伝えすれば良かったのだ。ドビーめはお嬢様に求められ、グレンジャー様やハリー・ポッターに部屋の情報をお伝えしたわけだが……本当に部屋が必要なのはどちらかと言えばお嬢様のはずだ。

お嬢様は今この学校で孤立していらっしゃる。心底お優しいお方であるのに、家柄と表情によって多くの方がお嬢様のことを誤解しておられる。それはあのハリー・ポッターやダンブルドア校長も例外ではない。お嬢様の安心できる居場所は……この学校にはあまりにも少なかった。

しかし『必要の部屋』であれば、そんなお嬢様にも安心できる空間を提供出来る。何せ『必要の部屋』には何だってある。ドビーめ『しもべ妖精』が求めるものもあれば、それこそグレンジャー様の求めておられる、誰にも見られずに魔法の練習が出来る場所ですら提供できるだろう。お嬢様がただ静かにご友人と過ごすには最適な場所だ。

もしそのような空間を早めにお伝えできていれば、今のお嬢様の精神状態も多少は改善されていたやもしれない。学校の内と外どちらにも大きな問題を抱えておられるお嬢様が唯一逃げ込める場所。状況は変わらなくとも、お嬢様がゆっくり考えることが出来る場所。そんな空間さえあれば……。

今更そんなことを考えても仕方がない。しかしドビーめはお嬢様の何気ない言葉にそんなことを思わずにはいられなかったのだ。

恥じ入るドビーめの前で、お嬢様とグリーングラス様の会話は続く。

 

「楽しみだな~。私達だけになろうとすれば、こうやって夜遅くまで待つ必要があるものね。……いっそハーマイオニーに提供せずに、私達だけで使ってしまおうよ」

 

「……貴女が集会に参加するのは嫌なのは分かりますし、なるべく次回を先延ばしにしていたのも知っていますが……これも必要なことなのです。参加するだけで結構ですから、次の集会も、」

 

「分かってるよ。行くのは行くよ。ハーマイオニーもちゃんと私を守ってくれてるし、それに面白い後輩もいたからね。ルーナ・ラブグッドって名前のレイブンクロー生なんだけど、ダリアは知ってる?」

 

「……どこかで聞いた名前ですね。確か汽車の中で……」

 

お嬢様とグリーングラス様の会話から察するに、グレンジャー様の集会に参加するのはグリーングラス様だけであるらしい。それもお嬢様のためではなく、グリーングラス様のためだけに。危険な立場に立たされているお嬢様が、それでも尚ご友人であるグリーングラス様のことを第一に考えて行動されている。それにマグル出身であるグレンジャー様のことも……。

ドビーめはお嬢様の穏やかな無表情を見上げながら思う。

ただの『しもべ妖精』でしかないドビーめには、今の辛い状況におられるお嬢様を完全にお助けすることは出来ない。しかしどんなに無力であろうとも、ドビーめに出来ることが全くないわけではない。

 

ドビーめはお嬢様だけの『しもべ妖精』……家族なのだ。ならば必ずやドビーめの出来ることを全身全霊でしてみせる。たとえどんな小さいことであろうとも、それでお嬢様が救われるのであれば……。ドビーめは必ずそれを成し遂げてみせる。それがお嬢様()()の『しもべ妖精』であり……家族であるということなのだから。

 

そうお嬢様のお顔を見つめながら、ドビーめはお嬢様に対する忠誠心を新たにするのだった。



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ダンブルドア軍団

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!


 

 ダフネ視点

 

指示されていた時間を疾うに過ぎた時間。私は重すぎる足取りでホグワーツ内を歩く。

一歩進むごとに更に憂鬱な気分になっている。普通に歩けばもっと早くつけたのだけど、どうしても行きたくないという思いが強くてこんな時間になってしまった。

でもダリアに直接言われている以上、まさか実際には行かず、どこかで適当に油を売るなんて選択肢もとれない。

結果時間に大幅に遅れても、

 

「……本当にここなの?」

 

指定された場所に辿り着いてしまった。

そこは一見何もない場所だった。トロールがバレエをしているという奇天烈過ぎる絵こそ掛かっているけど、それ以外は特に何の変哲もない廊下。しかも指定されたのは奇妙な絵の向かい側だ。つまり一見ただの石壁でしかない。ここにドビーの言う『必要の部屋』とやらがあるようには見えない。

もっとも一見何もなくとも、別にドビーの言うことを信じていないわけではない。ドビーがダリアに直接伝えた情報。それが嘘であるはずがない。だから一見何もないとしても、それは確実にここに存在するのだろう。

私はため息を一つ吐くと、ドビーに教わった通りの行動を取り始める。入りたくはないけれど、今部屋の存在を確認しておけば後でダリアと来ることも出来る。ダリアに安心して過ごせる空間を提供することが出来る。そう自分に言い聞かせながら、私は言われた通りのことを考え、一見ただの石壁の前を往復し始めた。

 

『誰にも見つからずに魔法の練習が出来る場所』

 

傍から見れば実に馬鹿なことをしているように見えることだろう。ただ何もない空間で意味もなくブラブラしているのだから。しかし結果は激的だった。思考しながら石壁前を三往復したところで、遂に石壁に変化が現れたのだ。顔を上げると、そこには先程までは無かった扉が現れていた。

……成程、これは『しもべ妖精』くらいしか存在を知らないわけだ。自分の必要な条件を念じながら、こんな何もない空間を三往復する? そんなの、条件を知らなければ誰も見つけられない。見つけられたとすれば余程運が良かったと言える。これならダリアとの時間も邪魔されることはないだろう。

尤もその前に嫌な連中との時間を過ごさないといけないわけだけど。

扉の出現に一瞬驚いた後、私はこれ以上は先延ばしに出来ないと中に立ち入る。そして当然中には私の想像していた通りの人間達が既に存在していた。

中に入った瞬間、中の人間達が一斉にこちらを向く。しかも私のことを認識した瞬間、警戒と敵意に満ちた表情に変わるおまけ付きで。どうやら私が来るとは微塵も考えていなかったらしい。唯一私を歓迎しているのは、

 

「ダフネ! 遅かったわね! 門限はまだ大丈夫だけど、まさかアンブリッジに捕まったのかと心配していたのよ!?」

 

「あ、グリーングラスだ」

 

会の発起人であるハーマイオニーと、そんな彼女の横で小さく手を振っているルーナ・ラブグッドくらいのものだろう。この二人がいなかったら、私はそもそもダリアのお願いであろうともこんな所に来はしない。でも真面な人間が二人いたとしても、ここの連中の大多数が嫌な奴であることに変わりはない。ハーマイオニー達に続き、ザカリアス・スミスが厭味ったらしい声音で話しかけてくる。

 

「驚いたよ。……グレンジャーはこいつが裏切り者ではないって言い張っていたけど、まさか場所と時間まで教えていたとはね。……本当にこいつがいても安全なのかい? こいつはスリザリンの監督生だし、その上アンブリッジの高等尋問官令のこともある。呪いをかけたと言っても、本当にそれが機能している証拠はあるのかい?」

 

一々癇に障る話し方をする奴だ。本当にアンブリッジにこいつだけは通報してやろうか。そんな感想を抱くが、周りの連中はザカリアスの言い方にこそ不快感を抱いても、どうも奴の言い分自体には反論はない様子だ。アーニー・マクラミンとかいう、前回真っ先に私に噛みついてきたハッフルパフ生に至っては大仰な仕草で頷いている。

尤もハーマイオニーも何も考えていないわけではない。おそらく私が来るまでにも同じ話をしていたのか、少し疲れた表情を浮かべながらハーマイオニーが応えていた。

 

「先程も言ったでしょう? ダフネは大丈夫よ。監督生かなんて関係ないわ。それにもし彼女がアンブリッジにここのことを伝えていたら、今頃私達は全員捕まっているはずよ。今は前回と違って、この集会も違反にされたから。……この集会のことをアンブリッジが許可するはずないもの」

 

そしてさり気なく私を守るような立ち位置に移動しながら続ける。

 

「ダフネのことは私が全責任を持つわ。だからこの話はもう終わりよ。これ以上この話をするなら、私がこの会を抜けるわ。そんなことより私達が今すべきことをしましょう。まずはリーダー決めね。勿論ハリーが教師役な以上、彼こそがリーダーに相応しいと思うのだけど。反対の人はいるかしら?」

 

ハーマイオニーも彼等の説得を諦めたのだろう。彼女も私をこの会に残すには、ある程度私に対する意見を無視する必要があるとようやく覚ったのだ。私としては是非とも問題を大きくしてくれた方が大っぴらにここを離れることが出来るのだけど……流石に自分から喧嘩を売るつもりは今のところない。そしてその判断は正しく、少し腑に落ちない表情を浮かべながらも連中は答えた。中でも一人の女生徒が酷く熱心な様子で声を上げる。

 

「いるわけないわ。ハリー以外にリーダーに相応しい人なんているはずがないもの」

 

まるでハーマイオニーのことを、どうかしているんじゃないのかという風な視線で見ている。他の生徒も頷いてはいるけれど、彼女は特に熱心な様子だ。ハリー・ポッターの盲目的信者が多いとは思っていたけれど、どうやらあの女生徒はウィーズリーの妹()()、ポッターに特別な感情を抱いているらしい。本当にやっかいな場所に来てしまったものだ。

しかしそこまで考え、私はある事実に今更ながらに気付く。

前回も酷くポッターにご執心な様子だったけど、よく見ればこの女生徒……セドリック・ディゴリーとクリスマス・ダンスを踊っていた生徒だ。確かチョウ・チャンとかいう名前の。欠片ほども興味がなかったため今まで気付かなかったけど、確かにあの時彼と踊っていた女生徒。それが今ではハリー・ポッターにご執心な様子……いや、正確にはセドリック・ディゴリーはただの友人でしかなかったのだろう。セドリック・ディゴリーはともかく、彼女の方からすれば……。

別にセドリック・ディゴリーに()()思い入れがあるわけではない。でもどうしてだろう。何故かポッターを熱い視線で見つめるチョウ・チャンを見ていると……無性に悲しい気持ちになっていた。

誰が悪いというわけではない。このチョウ・チャンという生徒が悪いわけでは勿論ない。でも、ダリアのことを思うと……。

その事実に気づき少しナイーブな気持ちになる私を他所に、目の前でさして重要でもない話は続く。

 

「そうね。では賛成多数ということで、ハリーがリーダーで決まりね。では次ね。この集会の名前のことよ。いつまでも集会と呼ぶわけにもいかないでしょう? 何かいい案はないかしら?」

 

ハーマイオニーはもっともらしいことを言っているけど、私からすれば名前なんてどうでもいい。

 

「反アンブリッジ連盟なんてどう? あの女……散々私達グリフィンドールを馬鹿にして……」

 

「アンジェリーナ。クィディッチの件で苛立っているのは分かるけど、その名前はあまりに短絡的よ。その名前だと外で口に出来ないわ。どちらかと言えば、聞いても直ぐは私達の目的を悟られない名前。外でも安全に名前を呼べる方がいいと思うの」

 

私にとってこの集会はただ行けと言われて来ているに過ぎない場所。だから名前なんて何でもいい。それこそアンジェリーナとかいうグリフィンドール生の提案する『反アンブリッジ』でもいいくらいだ。どうせダリア以外とこの集会の話をする予定はない。他の生徒と違い、ハーマイオニーとダリア以外にこの集会の話題を振ってるくることもないだろう。

 

でもだからと言って、

 

「なら、『DA』なんてどうかしら。『防衛協会(ディフェンス・アソシエーション)』の略よ。これなら外で話しても問題にならないわ」

 

「……いいわね。それにその略なら『ダンブルドア軍団(アーミー)』の略でもあるわ。魔法省が今一番恐れているのはハリーとダンブルドアよ。これなら嫌がらせの意味も含めることが出来るわ」

 

私のこの世で一番嫌いな人間の名前がつくのだけは、どうしても我慢できなかったけれど。

チョウ・チャンの意見に、ジネブラ・ウィーズリーが余計な意味を加える。

その言葉を聞いた瞬間、私の表情は知らず知らずの内により険しいものに変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ハーマイオニー……。ここまで来ておいてなんだけど、私やっぱりこの会抜けていい? 私、()()()の名前がついている会に参加するなんて死んでも嫌。反吐が出そう」

 

多数決で会の名前が決まり、いよいよ魔法の練習をするために二人一組になり始めた時……ダフネが私の方に近寄り、開口一番にそう告げてくる。言葉通り表情いっぱいに嫌悪感を乗せた状態で。

原因は勿論先程決まった名前のこと。提案された瞬間から険しい表情を浮かべていると思っていたけど、やはり相当怒り心頭だったらしい。いつもの可愛らしい瞳を今は怒りに歪ませている。

尤も……私はダンブルドア校長のことを尊敬しているけれど、彼女の気持ちも痛い程分かる。今までのことを考えると、ダリアのことを第一に考えているダフネが怒らないはずがない。どんな理由があったとしても、ダンブルドア校長がダリアの苦しみの一端を造り上げているのもまた事実なのだ。校長同様無自覚にダリアを苦しめ続け、今でも彼女を困らせているだろう私にとやかく言う権利などないけれど。

ただでさえ嫌々参加している会に、その憎んですらいる人物の名前がつく。ダフネからすれば、それこそ吐き気がする程嫌な体験だろう。黙って帰ってないことの方が奇跡と言っていい。それだけの権利が彼女にはある。それでも帰っていないのは、偏にこの会の主催が実質私であるからだろう。彼女をここに踏みとどまらせている理由は、親友である私がここにいる以外にない。

でも……だからこそ、私は今彼女をここから帰すわけにはいかない。私もダフネがこの会に参加している以上、出来るならばこの『ダンブルドア軍団』という名前をつけたくはなかった。でも多数決で決められてしまった以上、もう私がいくら言っても意味はない。

それに何より、名前がどうであろうとこの会の趣旨が変わるわけではないのだ。

ダリアは嫌がるダフネを、そうと知りながらこの会に無理やり参加させている。友人や家族のことを第一に考える彼女が必要だと考えたのなら、必ずやそこにはダフネを守るための意図があるはず。なら私に出来ることは、必ずダフネに危険が及ばないように配慮しながら、この会の目的である『自分の身を守る技術を身に付ける』を完遂すること。それはダフネのことも例外ではない。ダフネは気にくわないかもしれないけど、ハリーの教えてくれるだろう話は必ず彼女の役に立つ。

だからまず私がすべきなのは、

 

「あぁ、別に出て行ってもいいんだぜ。こっちもその方が嬉しいくらいさ。なんならスリザリン談話室まで送って差し上げよう」

 

「出口はあっちだぞ。それと、もしダリア・マルフォイやアンブリッジのババアにここのことを教えたら……ただじゃおかないぜ。ハーマイオニーの呪いが出る前に、お前のカボチャジュースにこの薬を垂らして、」

 

「フレッドとジョージは黙っていて。それにその薬も仕舞いなさい。今までは見逃していたけど、もしその薬を実際に生徒に使ったら私も黙ってはいないわ。監督生として先生にも報告します」

 

ダフネを他のメンバーから守り抜くことだった。

ダフネの発言を近くで聞いていたフレッドとジョージに私は鋭い視線を投げる。彼らの手元にあるのは、彼ら自身が作ったと思しき魔法薬。去年ハリーが手にした『三大魔法学校対抗試合』の優勝賞金を資金源に造り上げたものだ。別に致死的な効果があるものではない。彼等が目指しているのは自分達の悪戯グッズ専門店。実験が本格的になり談話室の端で見かけるようになった光景も、ただ鼻血を出したり、一時的に顔色が変わったりと可愛らしいものばかり。どれも命に関わるようなものではなく、少し先生達を困らせる様な物ばかりと言える。でも今までの様に自分達が細々と実験台になるならまだしも、他の生徒、それどころか私の親友であるダフネに飲ませるなんて言語道断だった。何より私のことを信頼してくれているダフネやダリアを裏切ることになる。

 

「な、そりゃないぜ、ハーマイオニー。俺たちはただ、」

 

「まさかハーマイオニー。この腰巾着の肩を持つのかい? こいつのせいでジニーは今も、」

 

「言い訳なんて聞かないわ。ほら、今は組み分けの時間なんだから、早く二人組になって」

 

私は二人を追い払うと、今度はダフネの方に向き合いながら言う。

ダフネの気持ちは分かるけど、今ここで帰せばここまでの努力が全て無駄になってしまう。だから私はなるべく優しい声音を意識しながら言葉を紡ぐのだった。

 

「ごめんなさい、二人が馬鹿なことを言って。……これからも彼等のようなことを言ってくる人はいると思うわ。でも、私が必ず全力で守るから。……それと名前の件だけど、正式には『防衛協会(ディフェンス・アソシエーション)』よ。ダンブルドア軍団は彼等が勝手につけている名前。……私はそう思うことにしているわ。たとえ名前に別の意味を付け加えられようとも、この会の目的自体が変わるわけではない。ダリアもそう思っているからこそ、貴女をここに送ってきているはずよ。私はダリアの思いを裏切らないためにも、今ここで貴女を帰すわけにはいかない。……だからもう少しだけここにいてちょうだい」

 

卑怯な言い方だと自分でも自覚している。ダリアの名前を出して、ダフネが納得してくれないはずがない。

そしてそんな私の予想通り、ダフネは苦虫を噛み潰した様な表情で応える。

 

「……ハーマイオニー。本当に貴女はグリフィンドールよりもっと相応しい寮があったよ。本当にずるい言い方……。ドラコやダリアといい勝負だよ。そんなこと言われて、私がここで出て行くことなんて出来ないじゃない。分かったよ。いればいいんでしょう? まったく……あの糞爺。どこまでも私達の邪魔を……」

 

「ごめんなさい。せめて今回は私が貴女と組むわ。……いつかは違う人とも組んでもらわないといけないけど、それで今回は我慢して。実力が拮抗していないと訓練にならないこともあるから」

 

そうしてダフネは表情こそ厳しいままだけど、どうやら私の言葉に一応の納得はしてくれたらしかった。今すぐにも帰ろうとしていた姿勢を正し、一応私の方に向き合ってくれている。私と二人組になるという提案を受け入れてくれるらしい。

……最初は彼女を守るためにも、私と二人組になった方がいいだろう。実力的にはおそらく彼女もグループの中で頭一つ飛び出ているとはいえ、他の人と組んだ場合何をされるか分かったものではない。勿論最終的には私以外の人とも組んでもらう予定ではある。いつまでも私とばかり練習していたのでは意味がない。でも、今はその時ではない。せめて彼女の実力がハッキリとし、皆が少しでも彼女のことを認めてくれるまでは……。

そしてそんなことを考えていた私達の耳に、遂に教師役であるハリーの声が届いた。

 

「皆、二人組になったね! ではまず練習するのは『エクスペリアームス、武器よ去れ』、そう、『武装解除術』だ」

 

いよいよ始まった『防衛協会(ディフェンス・アソシエーション)』。場所決めから始まり、名前決めまで色々な紆余曲折があったけれど、ようやく私達はスタートラインに立つことが出来た。その栄えある最初の呪文は『武装解除術』となるらしい。私達が二年生の時に教わった呪文。基礎的な呪文ではあるけれど、ハリーが選んだのだからそれは間違いなく必要なことなのだろう。

でも当然納得しない人間もいるわけで、

 

「おいおい、頼むよ! 曲がりなりにもこの会は『例のあの人』から身を守るためのものなんだろう? それが『武装解除術』? そんなものが本当に役に立つのかい?」

 

ザカリアス・スミスが呆れたような声を上げていた。

いつも嫌味な彼はそう言うと予め予想していたけど、他にも何人か同じような表情を浮かべている。見れば目の前のダフネもどこか胡散臭そうな表情でハリーのことを見ていた。しかし今まで数々の実績を成し遂げてきたハリーの意見がそんなことで変わるわけではない。ハリーはそんないくつもの視線にも臆することなく、実力や経験に裏打ちされた余裕のある声音で返した。

 

「そうだ、この呪文は本当に役に立つ。僕が去年あいつと対峙した時もこれを使った。そして僕の命を救ってくれた。基礎的な呪文だけど、練習し過ぎなんてことは絶対にないんだ。それでもこの呪文じゃ程度が低すぎると言うのなら、いつでも出て行ってもいい。では構えて!」

 

集会までは恥ずかしかったのか、どこか嫌々な雰囲気すら感じられたハリー。でもいざ始まってしまえば、やはり私とロンの予想通りハリーは素晴らしい教師役だった。指導に迷いが一切ない。実力は確かにダリアの方が上だろうけど、今まで積み上げてきた経験が他の生徒とは段違いなのだ。冷静な声音に、反対していた誰もが何も言うことが出来ず、渋々ながら練習を開始しようとしている。ダフネもどこか忌々しそうにハリーのことを見つめた後、黙って私の方に杖を構えてくれていた。

そしてようやく、

 

「よーし、三つ数えて、それからだ。いち……にい……さん!」

 

今度こそ、私達の活動は始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

部屋中に、

 

『エクスペリアームス!』

 

という叫びが響き渡っている。呪文があちこちに飛び交い、それと同時にいくつかの杖が術者の手元から吹っ飛んでいる。

でも飛んでいる杖も数本でしかない。ほとんどの生徒はお粗末な呪文を放っているか、もしくはそもそも呪文を出せてもいない。やはり基本から始めるべきだという考えは正しかった。真面な呪文を使えているのは……悔しいことにハーマイオニーとダフネ・グリーングラスのペアくらいのものだ。後は呪文を放てていてもギリギリ及第点でしかない。とても実戦に役立つとは思えなかった。

ダフネ・グリーングラスなんかを褒めるのは癪だけど、実戦に耐えれるのはハーマイオニーとこいつくらいだろう。よりにもよって『ダンブルドア軍団』に紛れ込んだ()が一番優秀なんて。

でも今はそんなことを言ってはいられない。ダフネ・グリーングラスがいくらダリア・マルフォイの手下だとしても、この会に参加している以上何か出来るとは思えない。勿論ハーマイオニーのかけた呪いがしっかり発動していればの話ではあるけど、そこの所は僕もハーマイオニーを信用している。正確にはここまで入り込まれた以上信用するしかない。ヴォルデモートの手下であるダリア・マルフォイにもここの情報は伝わらないはずだ。なら僕の今すべきことはグリーングラスに注意を払うことではなく、今呪文を上手く使えていない生徒をサポートすることだ。

 

「ロン、少し誰かと練習しておいてくれるかい? 僕、他の皆の様子を少し見てくるから」

 

そう考えた僕はペアのロンと一旦離れ、まずは一番手近の、そして最も指導しなければならないだろう人物に声をかけた。

 

「ネビル、ジニー。どうだい、調子は?」

 

それはネビルとジニーのペア。『ダンブルドア軍団』の中で最もマズいと思ったペアだ。もっともジニーの方はそこまで問題ではない。荒削りではあるけど、年下であることを考えると十分優秀と言えるだろう。寧ろDAの中で指折りの実力者だ。

そう……問題はもう一人のネビルの方。一見するだけで呪文が出るわけがないと思える程の動きだ。構え方も、杖の振り方も、呪文の唱え方も何もかもが出鱈目だ。このままやっても彼が呪文を習得できるとは思えなかった。そしてそれはネビル自身も分かっているのか、声をかけた僕に青白い表情で応えた。

 

「ハリー……見ての通り最悪だよ。ジニーは本当にすごいんだ。僕より年下なのに、こんなに上手く呪文を使えてるんだから。それに比べて僕は……本当に駄目な奴だよ」

 

「そ、そんなことないわ、ネビル。ほら、もっと練習しましょう! そのための『ダンブルドア軍団』なんだから!」

 

暗い表情のネビルにジニーが励ましの言葉をかける。でもそれすら効果がなかったようで、より一層ネビルの表情は暗いものになっていた。

これではどんな慰めの言葉をかけても無駄だろう。彼に必要なのは第一に少しでも成功したという経験だ。ただでさえネビルは今まで多くの失敗をしてきた。それこそとんでもない物も含めて。成功した経験なんてほとんどなく、得意なのは僕の知る限り『薬草学』くらいのものだろう。それが彼の元からの自信の無さに拍車をかけているのだ。これを断ち切るにはまずはこの呪文を一回でも成功させるしかない。

 

「そうだよ、ネビル。大丈夫だ。君なら必ず出来る」

 

「で、でも、」

 

「でも、なんてない。僕を信じてくれ。まずは構え方からだ。そんなに体を強張らせていたら、出来ることも出来なくなってしまう。もっと体の力を抜いて。次に振り方だ。そんなに小さく振っても駄目だ。……あそこで派手に杖を振っているアーニー程はやらなくてもいいけど、もう少し大きく円を描くように杖を振らなければ。最後に呪文だ。『エクスペリアームス』。君は途中でどもっているんだ。呪文は間違っていないんだから、もっと自信を持て。後は唱えるだけで成功する。ほら、やってみて」

 

「う、うん……やってみる」

 

「大丈夫だ。君はもっと自信を持て」

 

だから僕は見える限りの場所を手取り足取り直し、何とか一回だけは成功させてあげようとする。そしてその思惑通り、

 

「……エクスペリアームス! や、やった! ハリー、ジニー! ぼ、僕出来たよ!」

 

つたない魔法ではあるけれど、何とか一回真面な呪文を放つことが出来たのだった。

別に実戦に使えるレベルのことが出来たわけではない。杖は軽く飛んだだけな上、反撃する気のないジニーに当てただけ。本当の決闘では、相手が杖をただ持った状態で立っていることなんてあり得ない。

でも成功は成功だ。今までの状態に比べれば当に劇的な進歩と言える。

だからこそ僕とジニーは手放しにネビルを褒めちぎった。

 

「すごいぞ、ネビル! やっぱり僕の言った通りだろう? 君は出来るんだ! もっと自信を持つんだ!」

 

「そうよ、ネビル! さぁ、もっと練習しましょう! ハリーの言った通りにやれば、必ずもっと上達できるはずよ!」

 

「う、うん、そうだね……。ありがとう、ハリー、ジニー」

 

もうこれなら安心だろう。この一回の成功で、少なくともコツを掴めたはずだ。ならばもう後は僕が付きっ切りで教えるのは逆効果だろう。何より僕が教えないといけない生徒はまだ大勢いる。未だに大げさに杖を振っているアーニーや、口では大きなことを言っていたけど、その実全く呪文が成功していないザカリアス・スミス。気の乗らない奴もいるけど、この会に参加している以上あいつのことも指導しなければならない。それに何より……この会にはチョウ・チャンだって参加している。彼女のことも僕は指導しなくちゃいけないんだ。

 

「それじゃぁ、ネビル。僕は次の場所に行くよ。ハーマイオニー! 君にも指導お願いしていいかい?」

 

「えぇ、いいわよ! それではネビル、先程出来たことをもう一回やってみせて」

 

そして僕は少しだけ湧き上がったやましい気持ちを抑え込みながら、次に指導すべきペアに向かって進む。

ネビルに自信をつけてもらうための指導だったけれど、僕の方も今ので自信が付いてきた。人に物を教えたことなんて一度もないから自信なんてなかった。でもネビルが自信を持ってくれたんだ。僕だって自信を持たなくては、僕を教師役として相応しいと信じてくれたハーマイオニーにロン、そして僕の言うことを信じてついてきてくれているネビルに申し訳ない。

そう僕は少しだけ胸を張り、でもそれが彼女に嫌味に見えないように注意しながら足を進めるのだった。

 

 

 

 

……だから、

 

「う~ん、ハリーのお陰で基礎は出来ているのだけど、まだ荒削りなのは間違いないわね。杖の振り方はこうよ。ダフネはどう思う?」

 

「……なんで私が。……まぁ、そうだね。ロングボトムはまずしっかりしたお手本を見るべきだと思うよ」

 

僕はうっかり、今しがたネビルの指導を任せたハーマイオニーの傍に……一体誰がいるのかということを失念してしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

ハリーは本当に凄い。

流石に『例のあの人』と何度も対決した人は実力が違う。とても同い年とは思えない。それに何より実戦だけではなく、教え方の方もとても上手かった。僕は魔法使いだというのに、人生で魔法を上手く使えたことがほとんどない。そんな僕でも『武装解除術』が使えたのだ。ハリーが一番最初に選んだ、闇の勢力と戦うために必要な呪文をだ。

だからこそ僕はハリーの言うように、少しだけ自分に自信を持てるようになっていた。傍から見れば小さすぎる一歩だとしても、僕にとってはそれ程大きな一歩だった。今の僕は到底ハリーが求める様なレベルではない。でもいつかは僕だって、ハリーの教えをちゃんと聞いていれば必ず戦えるようになる。嘗てパパとママがそうであったように、『例のあの人』の勢力と戦うのだ。

そう……思っていたのだ。

なのに、

 

「う~ん、ハリーのお陰で基礎は出来ているのだけど、まだ荒削りなのは間違いないわね。杖の振り方はこうよ。ダフネはどう思う?」

 

「……なんで私が。……まぁ、そうだね。ロングボトムはまずしっかりしたお手本を見るべきだと思うよ」

 

彼女が来た瞬間、僕はまたただ震えるだけの臆病者に逆戻りしてしまった。

ハリーと入れ替わりで僕の指導に来てくれたハーマイオニー。そんな彼女が振り返った先に、あのダフネ・グリーングラスがいたのだ。

話しかけられるとは全く思っていなかった生徒に話しかけられ、僕の体は先程までと同じくらい硬直してしまう。緊張しすぎて何もしていないのに杖を取り落としそうな程だ。そして助けを求めて辺りを見回しても、先程までペアを組んでいたジニーはどこか違うペアの所に行ってしまっていた。……前から思っていたことだけど、少し気の強いところのあるジニーも、ダフネ・グリーングラスのことだけはどうにも苦手の様子だった。年下の女の子を頼るなんて情けない限りだけど……一人になると心細くて仕方がない。

しかも一向に返事をしようとしない僕に業を煮やしたのか、ハーマイオニーが鋭い声音で話しかけてくる。

 

「ネビル、ちゃんと聞いているのかしら? 上達はしているけど、まだまだ実戦には使えないのよ」

 

「ご、ごめん」

 

その冷たい声音に更に委縮してしまう。ハーマイオニーは善意でやってきてくれたというのに、僕が臆病なばかりに彼女を不機嫌にさせてしまった。その事実に僕は身が小さくなる思いだった。

でも僕の謝罪を聞いた瞬間、ハーマイオニーは一瞬背後にいるグリーングラスの方を見たかと思うと、

 

「……あぁ、成程。そういうことね……。でも、ネビルなら……」

 

何か小さく呟き、こちらに再度視線を向けながら優しい声音で続けた。

 

「ねぇ、ネビル。ダフネのことが怖いのかもしれないけど……何度も言うわ。彼女は本当にいい子よ。貴方にいつも悪戯するスリザリン生とは違うわ。貴方も彼女に何かされたことはないでしょう?」

 

「う、うん……それはそうだけど」

 

「なら大丈夫よ。偏見なんて捨てなさい。これからは皆が団結しなければならないの。なら下らない偏見を持っていたら、勝てるものも勝てなくなるわ。まずは慣れる所から始めましょう。ダフネ、ネビルの指導を引き続きお願いできるかしら?」

 

……委縮している間に何かとんでもないことを言われた気がする。何故ダフネ・グリーングラスが僕の指導を?

突然の流れに驚く僕を他所に、話はあれよあれよと進んでいく。

 

「ちょっと待って、ハーマイオニー! さっきから思っていたけど、何故私がロングボトムの相手をしないといけないの!? 私は嫌だよ。ルーナ・ラブグッドならともかく、それ以外の相手なんて、」

 

「ダフネ、お願い! 貴女が嫌がるのも分かるわ。でもこのままではいけないの! ずっと私とだけペアを組んでいるわけにはいかないわ。その点ネビルなら安心よ。……今はこうして貴女のことを怖がっているけど、彼は何と言うか……素直で物事をキチンと見れる子だから。それに他の人とは違って、貴女に問答無用で襲い掛かるようなこともないわ。だからお願い。ネビルの指導をしてくれないかしら?」

 

「……ここに来てからずっと我慢することばかり。この埋め合わせはしてもらうからね」

 

「えぇ、勿論よ。今度ホグズミードに行った時に何かご馳走するわ。それじゃあ、ネビル。キチンとダフネから教えてもらってね」

 

そしてあっという間に、本当に何故か僕の指導をダフネ・グリーングラスがすることになってしまったのだった。僕の意思を完全に置き去りにして。ハーマイオニーは早口に言ったかと思うと、もうどこか違うペアの方に行ってしまった。残されたのは当惑する僕と、不機嫌さを隠そうともしないダフネ・グリーングラスだけだった。

 

 

 

 

……後から振り返れば、これが僕と彼女の奇妙な関係の本当の始まりだった。

今までも何度も彼女と話したことはあった。授業の合間や、去年の図書館での会話。でも表面的な話ばかりで、実際に長時間、そして濃密に話したことなどなかったのだ。

それがこの『防衛協会(ディフェンス・アソシエーション)』の中で、

 

「……仕方ない。じゃあ、まずは見本を見せるから。貴方は緊張しすぎなんだよ。ゆっくりやるから、最初は動きを真似してみて」

 

「う、うん……」

 

僕は今初めて、本当に彼女の人となりを知っていくことになる。

スリザリンだとか、無表情のダリア・マルフォイの友人だとか……色んな肩書に目が眩んでいた僕が、今まで見ようともして来なかった本当の彼女を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()視点

 

()()は非常に機嫌が悪かった。激怒していると言っていいだろう。肉体を取り戻してからというもの、俺様の計画は実に順調であったっというのに、ここにきて全くと言っていい程上手くいっていないのだ。

理由は分かっている。結局のところ、俺様が肉体を取り戻し完璧な存在になろうとも、

 

「……では()()()()。貴様は俺様にこう言うわけだな。()()()を手に入れる算段もついておらず……挙句の果てに()()を説得することも出来ておらんと。……貴様はそう言いたいわけだな」

 

俺様の部下がどうしようもなく使い物にならんのだ。

俺様は目の前に跪くルシウスに視線を向ける。ただでさえ青白い表情を土気色にし、体をいっそ哀れな程震わせている。とても優秀な『死喰い人』には見えない。何故俺様の下にはこのような使いものにならない者しかおらんのだろうか。しかもこのルシウスですら、俺様の現在使える戦力の中では使える方の部類ときている。まったくもって腹立たしい限りだ。

やはり俺様の駒として優秀なのは、現在()()()()ホグワーツに所属しておる()()。そして今はアズカバンに収監されている我が忠実な僕くらいのものだ。ルシウスなどはただアレを育て上げたことで俺様の怒りを買わなかったに過ぎない。本来であればカルカロフと同じく、裏切り者として相応しい末路を与えられるべき愚物なのだ。

しかも、

 

「そ、そのようなことは! わ、我が君! た、確かに現状どちらの任務においても目立った成果は得ておりません! ですが目に見えない成果でも、着実に、」

 

『クルーシオ!』

 

「ぎゃああああ!」

 

俺様に口答えするのだからもう救いようがない。

俺様は目の前でのたうち回るルシウスを見つめながら、疲労感に満ちたため息を一つ吐いた。

肉体を取り戻したというのに、何故俺様はこんなにも自身の無力さを感じなければならんのだろうか。本来であれば今の段階でもっと俺様の計画は進んでいるはずであった。確かに魔法省を骨抜きにするという計画はルシウスによって成し遂げている。だがその他の計画も、本来であればもっと進んでいるはずだったのだ。亜人共の中でも、()()()は俺様の勢力拡大に直接的に影響する。あれ程愚かで、それ故俺様の言いなりになりやすい戦力などそうはあるまい。単純な戦闘力という点においても折り紙付きだ。

そしてあの()()……。俺様が知りえているのは半分のみ。それで俺様は嘗て失敗したのだ。ならばもう半分を手に入れることが出来れば、俺様は今度こそ完璧な存在になることが出来る。

巨人族の懐柔、そして予言の入手。その二つは俺様の躍進に必要不可欠な要素。であるのに、そのどれもが果たされていない。これを無能と言わずに何と言えばよいのだろうか。考えれば考えるだけ怒りが湧いてくるのは当たり前と言えるだろう。

しかし現状俺様の使える戦力はこいつくらいのものだということもまた事実。実に不本意であるが、今はこいつを使うしか俺様には道がないのだ。ペティグリューを使うよりマシだと思うしかない。

だからこそ、俺様は一度大きなため息を吐くと、出来るだけ優しい声音を意識しながら続ける。

 

「ルシウスよ……お前も分かっているはずだ。俺様が求めているのはただ二つだ。たった二つなのだ。そのどちらもそう難しいことか? お前なら分かるはずだ。この俺様の苛立ちが。何故お前はこのような簡単なお使いとも言えることが出来ないのだ?」

 

「わ、我が君……どうかお許しを」

 

だというのに、ルシウスは相変わらず誇りある『死喰い人』らしからぬ言葉を吐くばかりであった。

まったく本当に情けなくなる。出来ることなら今すぐにでも殺してやりたいところだ。こやつにはその罰を受けるだけの資格がある。だが今ここで殺すわけにはいかないことが酷くもどかしかった。

ならばこそ、俺様はもはやこの愚かもにも見切りをつけ、俺様が本当に頼りにしている戦力について言及したのだった。

 

「あぁ、許そうとも、ルシウス。お前に対する罰はこれくらいにしておいてやろうとも。そもそもお前にはそれ程期待してはおらんのだ。本当に俺様が頼りにしておるのは()()()()……と俺様が下賜した()()だけなのだからな」

 

「我が君……ダリアはその、」

 

「あぁ、楽しみだなぁ、ルシウス。確かに今すぐアレを使うわけにはいかんが、少なくともクリスマス休暇にはホグワーツから帰還するのであろう。ならば巨人族の方には使えるはずだ。そうなればアレの実績はお前のモノとも言えるだろう。何せアレを……()()()()()()()()()という名前の()()を、お前こそが育て上げたのだからな」

 

アレのことを話すことで、俺様の機嫌は少しだけ改善していくようだった。

俺様が現状持ちうる最高の戦力。確かに今は隠れ蓑のためホグワーツに通わせているが、戦力としては最高級の物と言えるだろう。何せ俺様の偉大な血を分け、そして夏休みの間だけとはいえ、俺様の知識を存分に与えたのだから。もはや『闇祓い』とてアレに勝てる存在などいはしまい。俺様の期待に応えぬはずがないのだ。

 

「懐かしいな。確かホグワーツのクリスマス休暇まではもう少しだったか。俺様があそこの生徒であったのは遥か昔だが、今でも休暇の時期は変わっていないことだろう。予言についてはまだお前に頼るしかないが……少なくとも俺様の最も信頼するアレの力で前に進むことは出来るであろう」

 

「で、ですが、」

 

「あぁ、楽しみだ。俺様は優秀な駒に対しては寛容だ。アレこそ俺様が造り上げ、あそこまで育て上げた『死喰い人』なのだ。アレはお前達を統べる者。アレが真に完成した時、どれほど俺様の力になることか……今から実に楽しみだ」

 

……そしてそう一頻り自身に言い聞かせたところで、

 

「お父様!」

 

()はようやく目を覚ましたのだった。

あまりの悪夢に息を荒げながら辺りを見回すと、そこは先程まで夢に見ていたマルフォイ邸などではなく、私が本来いるべきスリザリン談話室に他ならなかった。時間は丁度九時を過ぎたか過ぎてないくらいの時間。ダフネが言っていた、集会とやらからもうすぐ帰ってくるくらいの時間だ。周りには誰もおらず、談話室にはダフネの帰りを待つ私しかいない。

……どうやら私はまたあのリアル過ぎる夢を見ていたらしい。

私は急いでダフネのために用意していた紅茶で吐き気を抑え込み、荒い息を整えながら思考を巡らす。

 

この夢が何なのか全く分からない。前から何度か見ているが、正直夢か現実かの区別もついてはいない。

でも何となくではあるが……この夢が現実であるという強迫観念に似た感触を私は感じている。とてもこれがただの夢だと思うことが出来ない。夢にしてはあまりにも実感が伴いすぎている。私の手には今でも……お父様に『磔の呪文』を放った感触が残されているのだ。これが本当にただの夢であるのだろうか。

 

私は紅茶を飲み干し、更に手に残った感触を打ち消すために何度も机を拳で叩く。

何が私の力で前に進むことが出来る、だ。ふざけるな。ふざけるなよ!

私はお前なんかの駒ではない! 私の力も命も、全てマルフォイ家のためのものだ! 

でもだからこそ、

 

「私には……選択肢などない! 私には……私には!」

 

私には……今出来ることなど何一つないのだ。

どんなにお父様の苦境に怒り狂おうとも、私に現状出来ることは嫌々ながらでも奴に従うことだけ。それしか私が今、何よりも大切な人達のことを守る術などない。それが私にはどうしようもなく腹立たしく、悔しくて仕方がないことだった。

紅茶の水面には()()()()瞳が映っている。まるで血のような真っ赤な瞳。いつもであればもはや自我を保ってなどいられていないが、今なら自分が客観的にも怒り狂っていることが分かる。でも、それでも……私が今出来ることなど何一つないことも事実だった。

結局私は……。

 

 

 

 

……ダフネが帰ってきたのは、

 

「ダリア、ただいま! もう大変だったよ! ハーマイオニーが一緒にペアを組んでくれると思ったら、なんか最終的にネビル・ロングボトムと組まされて! まったくハーマイオニーにも困ったもの……ダリア? どうしたの? 顔色が悪いよ? 何かあったの?」

 

「……いいえ、何でもありません。ただ少し……悪い夢を見ただけです」

 

それから数分してからのことだった。

しかし結局……私は夢のことなんて一言も言うことは出来なかった。



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新しいファイアボルト

 ハリー視点

 

最初の『ダンブルドア軍団』は正しく大成功と言っていい程の出来だった。

『武装解除術』に最初は懐疑的だった生徒達も、練習をすることで呪文の重要性に気が付いたのか一生懸命練習していた。それこそ嫌味ばかりを言っていたザカリアス・スミスでさえも。まだまだ練習する必要はあると思うけれど、あのネビルも含めて概ね及第点には達したと思う。最初の滑り出しとしては大成功だ。これで次回以降も自信を持ってDAを行うことが出来る。皆にせめて自分の身を守るだけの術を身に付けてもらう。その目的だけは何とか果たせそうだ。何よりあのチョウ・チャンとの距離も縮まった気がする。僕の指導を頬を赤らめながら聞いてくれていた。少なくとも僕に嫌な気持ちは持っていないはずだ。

 

……でもそれ以外の点においては、あまり順調とは言えない事態になりつつあることもまた事実だった。DA以外の点においては全て悪化しているように思える。

 

それは最初のDAが終わった直後から始まっていた。最初の成功を収めた直後から様々なことが立て続けに起こっているのだ。

まずはトレローニー先生がいきなり教職を解雇され、学校を追放されかけたことだ。

アンブリッジがトレローニーを何故か目の敵にしていることは、以前の授業視察で分かっていたことではあるが……まさか追放までするとは思っていなかった。今までの嫌味を言うだけの関係とは一線を画している。それもこれも、DAから数日、昼休みに大広間前で怒鳴り声が聞こえたため行ってみると、

 

『ホ、ホグワーツは私の家です! きょ、教師から外しただけでなく、私をこの家から追い出すなんて! 一体何の権利があって、』

 

『それが私には権利があるのよ、トレローニー()先生。私は『ホグワーツ高等尋問官』。貴女達教員を評価し、そして解雇する権限すらあるの』

 

涙を瞳に浮かべたトレローニー先生と、いつもの不愉快な笑みを浮かべたアンブリッジがいたのだ。

トレローニー先生の周りには先生の物と思われる荷物が散乱しており、今まさに追い出されようとしていることが伺われた。恥も外聞もなく泣き叫ぶトレローニー先生と、それをまるで舌なめずりする様に眺めるアンブリッジ。どう考えても同じホグワーツに勤める教員に対しての態度ではない。教員を解雇する程の権限をアンブリッジは手にしている。それを生徒全員に示すには十分すぎる光景だった。

結局騒ぎにかけつけたマクゴナガル先生とダンブルドア校長によって追放こそ免れたものの、トレローニー先生の解雇自体を覆すことは出来なかった。しかも、

 

『……いいでしょう、ダンブルドア。確かに今は私に彼女をここから追放する権利はありませんわ。それは未だ校長である貴方の権利です。()()ね……。ですが肝に銘じてくださいな。私は『ホグワーツ高等尋問官』。私は常に貴方方が魔法省に対して忠実であるかを監視していますわ。それをお忘れなきよう』

 

ダンブルドアにすら厭味ったらしい言葉を吐くアンブリッジの様子から、あいつはまだ諦めてはいないことだろう。

別にトレローニー先生のことが好きではないことから、先生自体にそこまで同情しているわけではないけれど……アンブリッジの権力を見せつけられることで、僕らが折角成功させたDAを台無しにされている気分だった。

 

そして何より問題はアンブリッジだけではない。寧ろアンブリッジのことはある程度最初から分かっていたことだ。だからこそ僕らはDAを作ったわけだから、今更アンブリッジの横暴について一々ショックを受けていても仕方がない。

最大の問題はもう一つの方。アンブリッジ同様最初から分かっていた問題ではあるけれど、それこそDA直後に再認識させられた最大の問題。

それは、

 

()()はお前達を統べる者。アレが真に完成した時、どれほど俺様の力になることか……今から実に楽しみだ』

 

この学校に紛れ込んでいる、学生でありながらもう敵の勢力の中枢にいるダリア・マルフォイのことだった。

僕はDAが終わり、メンバー達が無事に部屋から出て行くのを見送った直後、その夢を見た。いつものまるで……僕自身がヴォルデモートになってしまったかのような夢。奴の感情や言葉が僕の中に突然流れ込んでくる。ただの夢にしてはあまりにも現実感があり、今までの経験からもあれが決して夢ではないことは分かっている。ならあの時、確かにヴォルデモートはダリア・マルフォイの話をしていたのだ。文脈を理解するにはあまりに情報がないため正確なことは分からない。でも確かに、あいつがダリア・マルフォイのことを()()と呼び、自身の右腕として褒めちぎっていたことだけは間違いなかった。いよいよ僕のあの墓場で聞いた情報が正しかったことが証明されつつある。なのにそのことをハーマイオニーに話しても、

 

『……貴方が今見た夢の内容を信じるのなら、確かにハリーの言う通り、ダリアは『あの人』の勢力に属しているのかもしれないわ。でもそれで直ぐに彼女のことを危険だと判断するのは早計だと思うわ。彼女には彼女の事情があるの。嫌々従わされているに決まっているわ。本当は私達の味方のはずよ』

 

などという寝言のようなことを言うのだ。もうここまで来ると、彼女はロックハートの時と同じ状態になっているのだと思う。どんな証拠を突き付けられても自分に都合のいい解釈ばかりして現実を見ようとしない。いよいよ彼女の身に危険が迫っているような気がした。このまま行けば、いつかロックハートの時と同じくとんでもない裏切りにあってしまう。敵はあのダリア・マルフォイや、その背後にいるヴォルデモートだ。決して待ってと言って待ってくれる奴等ではない。いつかハーマイオニーは危険な目に遭う可能性がある。

そしてそんな危機感を抱くのが僕一人だけではなかったことが、より一層僕の考えを強固な物にしていた。それはハーマイオニーと同じく僕の話を聞いてくれていたロン。そして教員を解雇されたトレローニーの代わりに、新しく『占い学』を教えることになった()()()()()()のフィレンツェだった。

 

『ハリー・ポッター。また会えましたね。君に会うことは以前から星によって予言されていました』

 

一年生の時に『禁じられた森』で出会ったケンタウルス。明るい金髪に胴はプラチナブロンド、淡い金茶色のパロミノ。新しく『占い学』の教室になった一階の空き部屋に行くと、彼が一年生の時と同じ姿形で佇んでいたのだ。

聞けば彼はダンブルドアに乞われて一時的に『占い学』の教員になったらしい。アンブリッジは人間以外の生物のことを酷く嫌っている。だから直ぐに追い出されるだろうが、それまで少しでも生徒達を導いてほしいと言われたのだとか。勿論ダンブルドアとしては彼の教え方も考慮に入れたところもあるのだろう。彼の授業はトレローニー程頓珍漢なものではなかったが、やはり『占い学』という学問の性質なのかどこかフワフワしたことばかり言っていた。

 

『さぁ皆横になって、あの星を御覧なさい。あの星々の瞬きはこれからの世界を表しています。戦いをもたらす火星が明るく輝いている。もうすぐ大きな戦いが始まろうとしている。これを我々ケンタウルスは何年も前から予見しています』

 

正直誰一人として彼が指示した星とやらの話を理解してはいないことだろう。教室の天井に魔法をかけたのか、僕らの頭上では確かに現実そっくりの星が光り輝いていた。でも彼が指し示す星を誰も見つけることが出来なかったし、そもそも彼も僕等が理解することを求めているようにも思えなかった。内容も僕達……と言うより僕の話を信じてくれている生徒には分かり切ったものばかり。具体的な内容は一つもありはしない。ダンブルドアはきっと彼の授業がそもそも長続きするような内容でないことを知っていたに違いない。

でもそんな中で、授業終わり、彼は僕とロンを引き留めながら言ったのだ。

 

『ハリー・ポッター。そしてそのご友人。気をつけなさい。今世の中には危険が満ちている。気をつけなさい。……()()、ダリア・マルフォイにもね。彼女の星は異常だ。ある日()()()()()()かと思えば、常に破滅の光を放ち続けている。()()()()()()()()()()()()()()。そのような運命をあの娘の星は暗示しているのだ』

 

……思い返せば彼は一年生の時も同じことを言っていた。ダリア・マルフォイに気をつけろ。占いなんて信じてはいないけど、彼の真に迫る言葉を邪険にすることなんて僕には出来はしなかった。何よりダリア・マルフォイの危険性は今までの行動が実証している。占いだからと言って、トレローニー先生のインチキ話と同列にしていいようなモノではなかった。

勿論いよいよダリア・マルフォイの危険性が現実のものになったところで、僕に出来ることなんてほとんどない。出来ることと言えば、あいつの行動を出来る限り『忍びの地図』で監視すること。そしてあいつの仲間であるダフネ・グリーングラスをDAに縛り付けておくことくらいだ。それなら少なくとも学校内であいつが悪だくみをすることは難しくなるはずなのだ。尤も学校外に関しては僕にはどうすることも出来ないし、学内においてもあいつを止められなかったがために、二年生の時の惨劇が起こってしまったわけなのだけど。

 

DAが成功したというのに、その成功の直後から起こっている出来事に喜びきることが出来ない。何故こうも焦りばかり募っているのだろうか。前に進んでいるはずなのに、実は全く進めていないような……全て相手の手のひらの上なのではないかという気さえする時がある。

 

そしてそんな鬱屈とした気持ちを打ち破ってくれるはずのクィディッチでさえ、

 

「お、おい、マルフォイが持っている箒……。あ、あれは、」

 

「そ、そんな! 何故ドラコ・マルフォイがあの箒を持っているの!?」

 

どうやら僕の気持ちを晴らしてはくれないらしかった。

アンジェリーナがアンブリッジから許可を貰って安心していたというのに、いざ今年初めての試合……それも因縁のスリザリンとの試合が始まった瞬間、僕等グリフィンドールチームはとんでもない衝撃を受けることになる。

大勢の歓声に包まれた競技場に現れたスリザリンチーム。緑のユニフォームを身に着ける彼らを応援する声はほとんどない。グリフィンドールは勿論、ハッフルパフもレイブンクローも僕等の方にこそエールを送ってくれている。それはグリフィンドールチームに、今学校内で()()()()嫌われている僕が属していても変わりはなかった。競技場一杯にグリフィンドールコールが鳴り響いていた。

それがスリザリンチームが入った瞬間……正確にはドラコが手に持つ箒を認識した瞬間、一瞬で競技場は困惑した静寂に満ちる。スリザリンの生徒ですら黙り込んでいることから、どうやら彼等にも徹底的に秘密にされていたのだろう。競技場にいる全員がただ茫然とドラコの箒を見つめていた。

 

それもそうだろう。何故なら奴が持っていた箒は今までのニンバス2001ではなく、僕と同じ……世界最速の箒である『ファイアボルト』であったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「ミス・マルフォイ。どうですか、ここならば貴女のお兄さんの姿も存分に見ることが出来ますわよ。何よりここは日陰。貴女の体のことも気にしなくて済みますわ」

 

「……えぇ、ありがとうございます、アンブリッジ先生。先生には感謝してもしきれません」

 

「えぇえぇ、そうでしょうとも。ですが私はただマルフォイ家の御息女のお役に立ちたかっただけですの。それに試合に関しても……いえ、これは()()言わずにおきますわ。安心してお兄さんの試合をご覧になってくださいね」

 

「……はぁ」

 

大歓声に包まれる競技場の中、私は()()()試合を観戦している教員席に座っていた。今回はスネイプ先生のお誘いではなく、アンブリッジ先生の誘いで。

いつもの席であるというのに、アンブリッジ先生は何故か当に自分の手柄だと言わんばかりの表情を浮かべている。しかもお父様にまで媚びる様な声音で。

正直鬱陶しいことこの上なかった。ここには私の味方など一人もいはしない。唯一私を助けてくれそうなスネイプ先生も、アンブリッジ先生に関わることは嫌なのか、少し離れた席から私のことを心配げに見つめるばかり。あの様子では直接こちらに来てくださることはないだろう。

しかも敵はアンブリッジ先生だけではない。更に隣にはアンブリッジ先生以上に面倒な奴もいたのだ。

 

「こうしてダリアとクィディッチを見るのはいつ以来じゃろうのぅ。去年は『三大魔法学校対抗試合』があったからのぅ。ダリアも久しぶりに見るクィディッチは楽しみじゃろぅ?」

 

アンブリッジ先生の言葉を遮り、実に薄っぺらな内容の言葉が投げかけられる。相手は当然あの忌々しいダンブルドア(ろうがい)。おそらく私の監視もあるのだろうが、どちらかと言えば私とアンブリッジ先生が繋がることを阻止したい意図が窺われた。アンブリッジ先生と私との会話にまるで割り込む様なタイミングに、あまりに薄くて返答もする気が起きない言葉。そもそも返答も期待してはいないはずだ。

 

「……えぇ、そうですね」

 

だからこそ私は老害の言葉に短い言葉だけで応え、そのままお兄様がもうすぐ現れるであろう競技場の入り口に目を向ける。

 

この胸の中で灯るどこか温かい感情を決して消されないように。

 

最近は色々なことが立て続けに起こった。ダフネの所属するDAとやらのこと。闇の帝王からの指示だと思われる、『占い学』教師へのアンブリッジ先生の行動。そして何より……闇の帝王の夢。

今でもお父様に呪いをこの手でかけた感触が残っている。私はそんなこと絶対にしないのに、私の手にはまだあの悍ましい感覚が……。

どんなに手を洗っても拭えない感覚に頭がどうにかなってしまいそうだ。しかも奴は夢の中でこうも言っていた。

 

『今でも休暇の時期は変わっていないことだろう。予言についてはまだお前に頼るしかないが……少なくとも俺様の最も信頼するアレの力で前に進むことは出来るであろう』

 

闇の帝王が今推し進めている計画で、お父様が最も関わっているのは3つ。魔法省を骨抜きにすること。とある()()とやらを手に入れること。そして山奥深くに隠れ潜む『巨人族』を陣営に引き入れること。あの口調では、おそらく私が強いられるであろう任務は最後の物。クリスマス休暇中に私はとんでもない所に行かされるに違いなかった。

何が楽しくて、お父様を嬉々として傷つけるような人間の手先として働かなければならないのだ。しかもクリスマス休暇。私が家族と過ごせる数少ない時間にだ。

最近の私の内心は怒りや不安に満ちていた。ダフネやお兄様には、その内心はおそらく完全にバレていたことだろう。何せ私の表情筋は私にも上手く操ることが出来ない。無表情からでも感情を読むことが出来るお兄様やダフネにはさぞかし筒抜けだったと思う。私が何が起こったのか話していなくとも、時折私に心配そうな視線を投げてよこしていた。

でも、だからこそ、

 

『ダリア……僕の試合、必ず見ていてくれ。お前が最近落ち込んでいることは分かっている。だから……僕はこの試合でお前を少しでも元気づけたいんだ。クィディッチなんかでとお前は思うかもしれないが……でも、僕に今出来ることはこれくらいなんだ。僕は無力な奴だ。でも、だからと言って、僕がお前を笑顔に出来ないわけではない。見ていてくれ、僕の試合を。僕はお前の笑顔が見たいんだ』

 

お兄様とダフネの私への気遣いがどれ程……それこそ涙が出そうな程嬉しかったことか。

試合直前、お兄様は私にいつにも増して真面目な顔で言ったのだ。あんな平時では言わないような言葉を。でも、それこそがお兄様の真剣さや必死さを表していた。お兄様はきっと本当にただ私の笑顔のためだけに試合に臨む。ダフネもそんなお兄様の横で、私に涙ぐんだ瞳を向けてくれていた。

私はあの時思えたのだ。

 

あぁ、私は一人ではない。()()()()をこんなにも心配してくれている人がいる。この人達の為なら、私は何だってする。たとえ意に沿わないことだとしても、この人達の為なら何だって……。

 

だから私は今は少しだけ明るい気持ちだった。たとえアンブリッジ先生や老害が近くにいようが、この心の中の温かさを完全に消すことなど出来ない。させはしない。

そしてそんな私の忍耐がそう長く必要はなかった。遂に選手達が競技場に姿を現し、観客が爆発的な歓声を発した後……突然黙り込んでしまったのだ。

皆の視線の先にあるのはお兄様の新しい箒であるファイアボルト。この学校ではハリー・ポッターしか持っていなかった最高級の箒。それこそニンバス2001ですら足元にも及ばないものだ。皆はその存在に一瞬唖然とし、そしてどこか否定的な視線をお兄様に投げかけ始めている。ニンバス2001と同じく、金にものを言わせる卑怯者だとでも言いたいのだろう。

でも私は、

 

「お兄様は……頑張って。私はお兄様の味方です。たとえ皆がお兄様を否定しようとも、お兄様は私の中で一番かっこいいのです」

 

そんな愚かな視線を無視し、ただひたすらお兄様だけを見つめ続ける。

そもそもお兄様に箒を渡したのは私だ。ただお兄様がハリー・ポッターと同じ土俵に立てるように。ただお兄様の、自身の弱さを受け入れながらも、そこから決して逃げずに戦う高潔さを見るために。誰が何と言おうとも、私のお兄様は誰よりもかっこいいのだと証明するために。

お兄様もそれが分かっているのか、観客の愚かな反応など気にせず……私同様ただ私の方を見つめて下さっている。唯一好意的な視線を投げるスリザリンや、馬鹿の一つ覚えで愚劣な視線を投げる3寮など無視して。世界にはまるでお兄様と私しかいないみたいだった。

数秒経っただろうか。いよいよ試合が始まる段になり、ようやくお兄様が私から視線を外し、試合相手であるハリー・ポッターに視線を向ける。そこに油断などありはしない。3年生の時と同じだ。相手と自分の実力差を認めた上で、決してそこから目を背けずに戦おうとしておられる。唯一()()()があるとすれば……。

 

 

 

 

いよいよ試合が始まる。

待ちに待ったお兄様の晴れ舞台が。今までの試合とは意味がまるで違う。本当の意味でのお兄様の戦いが。

そしてそんな私の予想は正しく、

 

「あぁ、やはりお兄様は誰よりもかっこいいですよ。手が届かないと知りながら、必死に手を伸ばしもがく。それを滑稽だと誰が否定出来るでしょう」

 

お兄様は今までとは違い、ハリー・ポッターの邪魔に専念するのでは()()……彼と同じく、必死な形相でただスニッチを探し始めていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

いよいよこの時が来た。僕がダリアにしてやれる唯一のこと。沈みがちのダリアを、今度こそ僕が笑顔にしてやるのだ。

今競技場は静寂に満ちている。いつもであれば耳を塞ぎたくなるような喧騒も、今は全員僕の箒に驚いているのか静まり返っている。ダリアが練習の度に透明化の呪文をかけてくれたことが功を奏したのだろう。この静けさは僕らの作戦が上手くいったことを如実に表していた。観客は勿論、敵であるハリー・ポッターも唖然とした表情で僕のファイアボルトを見つめている。

でも僕はそんな奴の表情を見ても決して油断はしなかった。相手はあのハリー・ポッターだ。僕は何度もあいつに敗北し、チームが勝った時も奴個人に勝ったとは言い難かった。油断して勝てるような相手ではない。今は驚いていても、時間が経てば必ず本調子に戻ってしまうことだろう。この僅かな優越感に浸って負けてしまえば何の意味もない。

そう、僕の目的は別にファイアボルトを見せびらかすことでも、この世界最高の箒で飛び回ることでもない。

僕の目的はただ一つ。闇の帝王やアンブリッジ。そんな連中のせいで辛い目に遭っているダリアを笑顔にしてやる。それがたとえ一時的な物だとしても、僕にはそれをただ我武者羅に追い求めるしかないのだ。

 

僕はダリアを……家族として以上に愛してしまっているのだから。

 

僕は自分の決意をより強固にするため、観客の反応など無視して教員席の一角に視線を向ける。もはや自分が試合に臨む時にいつもとっている行動と言えるだろう。試合前はいつだってこうして、僕は教員席で日陰になっている場所を見つめていた。そしてそこには案の定ダリアの姿があった。

白銀の髪に、目を見張るような綺麗な顔立ち。いくら暗がりであり、今の僕から遠い場所にいようとも見間違えるはずがない。僕には彼女のいつもの無表情が僅かに曇っている所までハッキリと見えていた。

可哀想に……あんなにこの試合を楽しみにしていたのに、今はアンブリッジやダンブルドアが近くにいるせいで辛い思いをしているのだろう。本来であれば、あんな屑みたいな連中がいる場所になど来たくはなかったことだろう。でも、それでもここに来てくれているのは……他でもない僕を見に来てくれているからだ。

だから僕は決してみっともない試合など出来ない。

僕はそんな決意を胸に、ダリアと静かに見つめあい続ける。距離は遠くても、不思議とお互いが見つめあっていることが僕には分かっている。

そしてそうしている内にいよいよ、

 

「ふぁ、ファイアボルト……い、いえ、今は言うべき時ではありませんね。ではキャプテン同士、握手! 正々堂々と戦うのですよ! 全員箒に跨って!」

 

絶対に負けたくない戦いが始まったのだ。

マダム・フーチのホイッスルの音と共に、選手14人全員が一斉に飛翔する。しかしグリフィンドールは僅かに遅れて飛び上がっていた。どうやらまだ僕のファイアボルトに受けたショックから立ち直り切っていないらしい。あのポッターでさえまだ驚いた表情で箒を見つめ、次いでそれに跨る僕のことを憎々し気に見つめている。

でも僕はそんな奴の視線を完全に無視し、すぐにスニッチを血眼になって探し始めたのだった。

 

今までのようにポッターの邪魔に専念するのではなく……グリフィンドール的に言えば()()()()と。ポッターと純粋にシーカーの腕を競う。これが僕が今回選んだ戦い方だった。

 

僕は今まで箒の性能ばかりポッターと競い合っていた。僕が奴と戦い始めた頃から、僕と奴の箒が同等だったことは一度もない。でも今回は違う。僕と奴の箒は同じファイアボルト。箒に差などない。あるのは乗り手の技量差だけ。だからこそ僕は、こうして今までとは違う戦い方をしているのだ。

勿論僕だって、箒の性能が並んだ以上、今までと同じくポッターの邪魔をした方が勝機はあると分かっている。僕とポッターの箒が同じだとしても、チーム間の箒は決して変わったわけではない。未だに僕等スリザリンチームの箒はニンバス2001であり、グリフィンドールの箒はそもそも箒と言えるのかも怪しい物だ。だからこそ僕は今まで通りに邪魔に徹していれば、チームとして負ける確率を限りなく下げることが出来るだろう。

でも駄目なのだ。今回もその戦法を取ることだけは駄目なのだ。僕は確かにこの戦いに負けたくなんてない。でも、それはチームの勝利ではなく、ポッターとの……いや、僕自身との戦いのことだ。

ダリアが望んでいるのは僕の勝利ではなく、僕が成長している姿そのもの。なら去年と同じ行動を取るなんて何の意味もない。僕は示さなくてはならない。僕にだってダリアを守れるのだということを。今は無力でも、僕だってダリアを守るために成長していることを示さなくてはいけないのだ。

たかがクィディッチ。でもその小さな一歩ですら歩めないなら、僕には到底ダリアを守ることは不可能だ。だから僕はここで証明しなければならない。

 

それこそがダリアの笑顔につながるのだと信じて。

 

ダリアが今どんな表情をしているかは分からない。一瞬でも目を向ければ確認できるが、そんなことをしていて負ければ目も当てられない。こうして競技場を見回している間にも試合は進んでいるのだから。

 

「さ、さぁ、いよいよ試合が始まりました! マルフォイの奴がまたもや金にものを言わせて、」

 

「ジョーダン!」

 

「じょ、冗談ですよ、マクゴナガル先生! うっかり口が滑っただけです! さて、気を取り直して! おっと! アンジェリーナがクアッフルを取った! 本当に見ていて惚れ惚れする選手です! おそらくホグワーツ内で一番の……あぁ! モンターギュにクアッフルを取られた!」

 

グリフィンドール解説員の叫び声から、順調に下の戦いはこちらに有利に傾いていることが分かる。しかしクィディッチの勝敗はクアッフルの取り合いで決まるわけではない。シーカーにはシーカーにしか出来ない仕事がある。

しかも……僕が今最も警戒しているポッターが、既にいつもの状態に戻ってしまっているのだ。

一瞬僕の視界に映った奴は既に僕のことを見てはいなかった。いつもと同じく真剣な表情で競技場を見回している。そこには僕の箒に対する驚き等は微塵もない。もはや僕のことなど眼中にない……わけではないだろうが、少なくともシーカーとしての役割に徹することが出来ているのは間違いない。僕には余所見をしている暇などありはしなかった。

 

「どこだ……どこにあるんだ、スニッチ」

 

僕は必死に辺りを見回し、あの黄金に輝いたボールが飛んでいないかを探す。

下ではチーム同士が激しくクアッフルを奪い合い、その都度会場から歓声が沸いている。だがそんな喧騒は僕とポッターには関係なく、ただ二人だけの静かな戦いを繰り広げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ドラコの箒を見た時、まず初めに感じたのは驚き、次いで生じたのが怒りの感情だった。

現在世界最速である『ファイアボルト』。二年生の時と同じだ。あいつはまた性懲りもなく金で地位を買ったに違いない。そう僕は瞬間的に思ったのだ。

……でも今は違う。

あいつは箒と同時にシーカーの地位まで買ったわけではない。思い返せば、あいつは確かにお金に物を言わせて箒をチーム全員分買い揃えたりしてはいたけど、あいつのプレー自体は全くと言っていい程驕りなどありはしなかった。ただ純粋に僕に勝つために。卑怯な手段ばかりだったけど、そこにあいつの油断や慢心などありはしなかったし、クィディッチ自体には真摯に向き合っていたとすら思う。……やはり正々堂々とは到底言えないプレーだったけど。

それに今だってそうだ。正直空に上がってから、僕はファイアボルトを見た時以上に驚かされた。

 

あいつは……いつものように僕の邪魔に徹するのではなく、ただシーカーとしての本分を果たそうとしていたのだ。

 

最初は僕と同じ『ファイアボルト』を手に入れたことによる慢心かとも思った。でもあいつの目を見れば、それが違うってことは僕にだって分かる。ドラコは本気だ。僕と同じ土俵に立ったことで、今度こそ僕を正々堂々とした勝負で倒そうとしている。それが相対する僕には痛い程分かり、同時に……本当に慢心していたのは()()()であることに気が付いた。

確かに実力で言えば僕の方が上だろう。あいつだってそれは分かっているはずだ。同じ箒を手にしたからと言って、僕がドラコに劣っているとは思えない。

でも僕には分かる。2年や3年の時より、今のドラコの方が遥かに強敵だ。油断すれば負けるのは僕の方だ。チームとして負けても、僕自身は一度もドラコに負けたことはない。でも今回は違う。僕も全力で戦わなくちゃ勝てない。ドラコの鬼気迫る姿に、僕はそう認識を改めざるを得なかった。

何が金にものを言わせて箒を買った、だ。それは僕だって同じことなのだ。あいつは僕と同じ箒を手にしただけ。僕はシリウスからプレゼントされ、ドラコは家のお金で買った。たったそれだけの違いだ。僕の方こそが自分の箒に慢心していたのだ。思えば三年生の時には、僕はそれでも尚自制心を保てていた。箒が優れているからといって勝つとは限らない。そう謙虚に考えることが出来ていた。それがいつの間にか……僕は勝つのが当たり前だとすら自惚れていた。

最近の憂鬱な気分を晴らしてくれる可能性のあった唯一のイベントが、こんな予想外の展開になると誰が予想できただろう。嫌な奴を打ち負かして気分を晴らすだとか、そんな軽い気持ちで臨める試合ではなくなった。クアッフルでの戦いもすんなりとはいっていない。寧ろ負けに傾きつつある。まだ決定的な点数は入れられていないけど、このままでは……。なら本当に頑張らないといけないのは僕だ。

 

僕はドラコ同様、試合が始まって直ぐにスニッチを探して競技場中を見回す。

でも中々スニッチが見つからない。ピッチの周囲を飛び回り、時折マルフォイともすれ違う。お互いに意識を向け合うことはない。ただ意識を向けるのはスニッチのみ。視線も合わせることはなかった。これ程集中した試合が他にあっただろうか。まるで世界に僕とドラコしかいない気分だ。でも……それでもスニッチの影すら捉えられていない。聞こえるのは、

 

「よし! グリフィンドールがゴールを決めた! これで60対40! まだ挽回できるぞ、グリフィンドール! あぁ! またスリザリンにクアッフルを取られた! モンターギュがクアッフルを投げた! これは……あぁ、ゴール! 70対40! また突き放されてしまった!」

 

ファイアボルト登場の混乱からようやく立ち直った観衆と、必死にグリフィンドールの応援をするリーの声ばかりだ。

その内どんどん試合が進んでいく。下ではいよいよスリザリンが100点を獲得し、対するグリフィンドールはまだ50点。差は縮まるどころか拡がるばかり。焦りは禁物だけど、やっぱり焦りばかりが募っていくようだった。このままではドラコに勝ったとしても、チーム自体が負けてしまうかもしれない。時間が経つにつれ、そんな焦りばかりを感じ始めている。

 

……そしてそんな焦りがいよいよ頂点になり始めた時、

 

「140対60! どうしてしまったんだ、グリフィンドール!? ずっと点を入れられてばかりじゃないか! スリザリン野郎共なんかにどうした!? ファイアボルトにまだビビってるのか!?」

 

ついに僕は見つけた。小さな金色のスニッチが、丁度僕とドラコの中間辺りに浮んでいるのを。

最初の動きはほぼ反射的なものだった。あの黄金の輝きを瞳がとらえた瞬間、僕は気が付いた時にはもう既に前屈みになり、ファイアボルトに出せる最大速度で飛んでいた。

でもそれはドラコも同じだった。何とあいつも僕と同じ瞬間にスニッチを見つけたらしく、ほぼ同時に飛び出していたのだ。

スニッチは僕とドラコのほぼ中間、そして地面から数十センチの所に浮んでいる。同時に飛び出し、箒の性能が同じなのだから後は乗り手の技術で勝負が決まる。しかもチームの点数差はまだ80。スニッチを掴めば十分逆転が可能な点数だ。だからこそ僕らは未だかつてない程真剣に、必死の形相でただひたすらスニッチ目がけて飛ぶ。観客も僕等の動きに気付いたのか騒然としているが、そんなこと僕らには今関係ない。

スニッチまでの距離は大体10秒以内くらいでたどり着く距離だ。10秒。されど10秒。短い時間がとんでもなく長く感じられてしまう。

あと5秒の距離。いよいよ僕もドラコも右手をファイアボルトから離し、スニッチに向かって手を伸ばす。

 

あと少し……4……3……2……もうここまで来ると、ドラコの息遣いまで聞こえてきそうだ……1……。

 

そして、

 

「あぁ! ポッターとマルフォイが激突した! 二人とも箒から転落しています! だ、大丈夫か、ハリー! そ、それにどっちがスニッチを……」

 

僕とドラコは最高速度をそのままに、ほぼ正面衝突と言っていい角度でぶつかりあい、そのままファイアボルトから転落する。

一瞬の出来事で、気が付いた時には地面に仰向けに転がり、僕は空を見つめていた。今日の天気は晴れ。太陽が地面に転がる僕を照らしている。正直眩しくて仕方がないけど、全身が痛くて起き上がることも出来ない。

 

でも僕はそれでも……右手に()()()スニッチだけは決して離しはしなかった。

 

「やった! ハリーが! ハリーがスニッチを掴んでる! マルフォイのファイアボルトにハリーが勝ったんだ! これで140対210! グリフィンドールの勝利だ! ハリー! 凄いぞ、君は英雄だ!」

 

最初は騒然としていた観客も、僕の右手のスニッチに気が付いた瞬間爆発的な歓声を上げる。

点数は140対210。僕等グリフィンドールは二年前の雪辱を晴らし、遂にスリザリンにチームとしても勝利したのだ。

倒れ伏す僕の周りに次々とチームメイトが駆け寄ってくる。負けを覚悟しつつある中掴んだ勝利に皆大興奮している。アンジェリーナなど嬉しさのあまり咽び泣いている程だ。キャプテンになってからウッドの情熱が乗り移っていたこともあるけど、一時はチーム解散の危機もあったことが原因だろう。フレッドとジョージに揶揄われても涙が止まらない様子だ。

勿論僕も全身に痛みを感じていながらも、内心嬉しさを爆発させていた。絶対に勝ちたい試合に勝てた。一時はどうなるかと思ったけど、僕は確かにスリザリンに……マルフォイに勝ったのだ!

DAの成功以来、久しぶりに掴んだ勝利と言える勝利。

僕は再び掴んだ勝利に、胸に積もりに積もっていた鬱憤が晴れていくのを感じていたのだった。

 

 

 

 

そう、この瞬間()()は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

……あと少しだった。距離で言えば数センチくらいのものだろう。勝利はそんな小さな距離にあったのだ。スニッチに気が付いたのはほぼ同時。箒も同じ。ならばあとは単純な技術と運にかかってくる。あと数センチこちらにスニッチがあれば……今僕の目の前に広がる光景は随分と違ったものになっていたことだろう。たとえばスニッチがもう少し僕の近くにあれば。あともう少し僕の腕が長ければ。僕が勝てた可能性は考えればキリがない。

でもその小さな差が……このクィディッチでは大きな差なのだ。その小さな差を埋めてこその実力だ。僕は正々堂々ポッターに挑みながら、確かに完膚なきまでに負けたのだ。

 

なのに僕は何故か酷く晴れやかな気持ちだった。負けたことは悔しい。チームとしても負け、ポッター個人に対しても負けた。大歓声の中漏れ聞こえてくるスリザリン生の声も、もはや悲鳴に近い絶望的なものばかりだ。倒れ伏していて確認したわけではないが、近くからスリザリンチームの悔しがる声も聞こえてくる。スリザリンシーカーとして僕だって悔しくて仕方がなかった。

でもそれだけだ。僕は負けたことが悔しくても、あの時違う戦術を取るべきだったとは思わない。どんなにポッターの邪魔に徹した方が勝率が高くても、それだけは決して後悔していない。

理由は分かっている。僕は今回……確かに全力を出し切ったのだ。結果は残念でも、それでも僕は確かにポッターに全力で挑んだ事実は変わらない。しかもたとえ大きな差であっても、奴との差をあと数センチまで。僕は以前より遥かに奴に肉薄していた。それが嬉しくて仕方がなかった。

僕は結局勝負に勝ちはしたかったが、それ以上にダリアに自分の進歩を見せたかったのだ。ダリアは僕の飛ぶ姿と、そして何より僕の成長こそを楽しみにしてくれている。それこそを喜び、あの無表情を綻ばせてくれるのだ。だから僕はその結果こそを手に入れられれば、それだけで満足することが出来るのだ。

不思議な気分だった。ポッターを格上と認めた以上、勿論負ける可能性だって考慮していた。そしてその可能性を考慮した時、僕は必ず悔しくて仕方なく、それこそポッターに嫌味の一つでも言ってやりたくなるに違いないと思っていた。でもそれが今はない。清々しい気持ちで目の前に広がる青空を見上げている。もう少しで僕の下に、駆け寄ってくれたダリアの明るい表情が映るのを期待しながら。

 

……だからこそ、

 

「お兄様! お怪我はありませんか!?」

 

「あ、あぁ、ダリア。体は痛むが、そう大したことはない。動けないことはなさそうだしな。それより試合は……どうしたんだ、ダリア?」

 

競技場に現れたダリアの表情を見た時、僕はそれが理解出来なかった。

確かに今の僕は怪我をしている。ダリアには大丈夫だと言ったが、正直体中が痛くて仕方がない。家族や親友の怪我に敏感なダリアが心配しないはずがない。でもこれくらいならクィディッチではよくあることだ。医務室に行けばすぐに治ることだろう。最終的にはダリアも安心してくれる。そして僕の成長をこそ喜んでくれるだろう。あの僕の大好きな笑顔を見せてくれるだろう。

 

そう思っていたのに……何故かダリアはいつまで経っても()()()()()無表情をして僕を見つめていたのだ。

そこには僕の成長への喜びなどなく……ただ()()()に苛まれた悲しみだけが湛えられていた。

 

「ごめんなさい……お兄様。私は……」

 

僕は事態が呑み込めず、ただ黙ってダリアの顔を見つめ続ける。日光対策はしっかりしており、ダリアの顔は日傘のせいで暗がりになっている。でも僕にはそんな中でもダリアが罪悪感に打ちひしがれていることだけは分かっていた。

何故だ? 僕はダリアの笑顔のためだけに今回の行動を取った。なのに何故ダリアはこんな表情を浮かべている?

こんなことはどう考えたっておかしい。これでは僕の行動は全て無意味だったことになる。僕は大切な家族を……愛してしまった女の子すら守れない無能の極みになってしまう。

何故なんだ? 何故こんな結果になってしまったのだ? 一体何がいけなかったんだ?

 

しかしそんな困惑は次の瞬間氷解することになる。

何故ならスリザリン以外の歓声が響き渡る中に突然、

 

「えへん、えへん! ホグワーツの皆さん、盛り上がっている中申し訳ありませんが、私から重大な発表がありますわ」

 

あの忌々しい()の声が響き渡ったのだから。

解説員のマイクを奪ったと思しきアンブリッジは、あの聞く者を不快にさせる声音で続けたのだ。

 

「私、こういう事態に備えて良かったと心底思っていますわ。私が危惧した通り、今目の前でこのような事態が起こってしまったのですから。私、ドローレス・アンブリッジがここに宣言いたします。高等尋問官として、この試合は()()()()()()()()とします! これは今朝大臣から許可されたことです! 高等尋問官は学校の腐敗の温床であるクィディッチ大会を管理更生する権限を持つこととする! 故に私はこの現状を看過できません! ミスター・ポッターの行った途轍もない()()()()を! あのように箒で()()()()に及ぶなど、私は信じられませんもの! ミスタ・ポッター、いえ、グリフィンドールは()()()()クィディッチを禁止します! ゆっくりと自身の罪を自覚するように!」

 

先程まで喜びにあふれていた競技場が一瞬にして怨嗟の声に満たされたのは言うまでもない。

 

「ふ、ふざけるな! 何が不正だ!」

 

「ポッターのプレイのどこが不正なんだよ! スリザリンじゃあるまいし!」

 

しかしアンブリッジの下した判定が覆ることはない。教員が横やりを入れないことが何よりの証拠だ。マクゴナガルなど真っ先に怒鳴り込みそうなものだが、一向に奴の声が聞こえない。つまり全員が全員……アンブリッジの権力に判断を覆すことができなかったのだ。

僕の努力に水を差す判定を嫌悪するだろうダリアも含めて……。

 

 

 

 

僕は証明したかった。

今は小さな一歩でも、その一歩こそが重要なのだと。たかがクィディッチ。されどクィディッチ。僕のプレーが必ずやダリアの笑顔につながる。そう信じて疑っていなかった。

 

でも結局は……

 

「ごめんさい、お兄様……」

 

クィディッチはクィディッチでしかなく、小さな一歩は本当に小さなものでしかなかった。

ダリアが抱える事情に比べれば……やはり僕は無力なものでしかない。

そう僕はこの瞬間思い知らされたのだった。



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初代尋問官親衛隊

 ダリア視点

 

今までとは違い、正々堂々とポッターに挑んだお兄様。

別に今までのラフプレーを私は否定することはない。あれはあれで戦術的に正しいプレーであり、そもそもお兄様がポッターとの実力差を認めなければ出来ない行為だ。そこに驕りや逃げはない。現実を見据えた上で、それでも勝利を掴もうとするお兄様の戦術。それを私がどうして否定出来るだろう。寧ろお兄様のことをよりカッコいいと思える程だ。

でもそれを踏まえた上で……今回のお兄様の姿はより一層輝いていたのだ。

今までの戦術を捨て、正々堂々とポッターに挑む。そこにはどれ程の覚悟があっただろう。箒が変わっても、実力差が決して埋まったわけではない。条件が同じになっただけ。歴然とした実力差……いや、才能の差がそこには横たわっている。それはお兄様にも痛い程分かっていたはずだ。

それなのにお兄様は、最終的にポッターと同じ条件で挑むことを選んだ。私のプレゼントした箒に甘えず、それ以上のことを成し遂げようとした。言い訳や逃げなどそこには存在しない。それは戦術としては正しくなかったかもしれない。まるで届かぬ星に手を伸ばすような行為。事実敗北した時、スリザリンの席からはお兄様を罵倒する言葉が漏れ聞こえていた。

でも、それがどうしたと言うのだ。手が届かないからと言って、どうして星に手を伸ばしてはいけないのだろうか。ポッターに及ばないと知りながら挑んだお兄様の勇気を、私は美しいと思えて仕方がなかった。その成長と勇気に私がどれほど勇気づけられただろうか。試合が終わった瞬間など、私は思わず立ち上がり拍手を送っていた程だ。こんな感動的な試合をお兄様は私に見せてくれた。クィディッチなど私には欠片ほども興味はなく、試合の結果も私にとってはどうでもいい。ただお兄様の成長が私には嬉しくて仕方がなかった。

 

でも同時に思う。

あぁ、それなのに……どうして世の中はそんな私の細やかな喜びすら許してはくれないのだろうか、と。

 

『ミス・マルフォイ。お可哀そうに……こんな残念な結果になってしまって、私()悔しくて仕方がありませんわ』

 

今でもあの時アンブリッジ先生が発した言葉をはっきりと覚えている。

私が立ち上がり、未だ地面に倒れ伏しているお兄様の下に行こうと準備をしている時、アンブリッジ先生が突然わけの分からないことを言い始めたのだ。まるで心底私のことを理解していると言わんばかりの表情と声音で、先生は私の無表情を見つめながら続けていた。

 

『いえ、私は、』

 

『否定することはありませんわ。私には分かりますとも。お兄さんが怪我を負わされ悔しいのでしょう? ()()()()から私には分かりますわ。ミスター・ポッターの不正に憤っていないはずがありません。でも御安心なさって。私が今から正しい試合を正しい結果に導きますから。この試合、スリザリンの勝利ですわ』

 

その後は怒涛の展開だった。アンブリッジ先生の突然の発言に周りの先生達も騒然としていた。特にマクゴナガル先生など、私が今まで見たことがない程怒り狂っていた。ダンブルドアも然りだ。

 

『何を先程から言っているのですか、ドローレス。ポッターの不正? そんなものは存在しません! あれは実に正々堂々とした名勝負でした!』

 

『ワシもミネルバの言うことが正しいと思うのぅ。それにいくらお主と言えども、このような試合に一々口を出すのはあまり感心せぬ。どのような結果であれ、それこそが生徒達の成長を促すことになるのじゃ。それをお主は、』

 

しかしあのアンブリッジ先生が止まるはずもなく、ダンブルドア達の反論を気にすることもなく……それどころか益々笑みを強めながら答えていた。

 

『ミネルバ、それにダンブルドア校長。聞き捨てなりませんわね。貴方達の仰り様は、まるで魔法省に対する背信行為そのものですわ。こういう事態もあろうかと、私今朝コーネリウスより尋問官令を受け取っていましたの。私は生徒の活動について、そう、クィディッチの結果にも改善するべき点があれば介入する様にと。魔法省大臣直々のお言葉ですわ。そんな大臣から信を受けた私への抗議は、ひいては大臣に反逆するということです。私信じたくはなかったのですが……本当に貴方方は反逆を企てているのですか?』

 

どう考えても論理が飛躍しすぎているのだが、あれ程までにあからさまに権力を振りかざされればもう反論のしようがなかった。

マクゴナガル先生も、ダンブルドアも……そして私も。

アンブリッジ先生に一度として肯定の言葉を発しはしなかったが、だからと言って先生を否定することも出来なかった。アンブリッジ先生の言葉を否定してしまえば、決定的に先生との関係がこじれる可能性が出てくる。それが将来私に……何より家族にどのような影響を及ぼすのか予想できない。だからこそ、私には決して軽はずみな言動を取れるはずがなかったのだ。

 

たとえそれが……お兄様の勇気ある行動に泥を塗ることになるのだとしても。お兄様を傷つける行為なのだとしても、私にはどうすることも出来なかった。

 

あの試合から数日。学校全体がどこか暗い空気に包まれてしまっている。元気なのはスリザリンの一部くらいのものだろう。結果こそを重視するスリザリン生ですら、大部分の生徒は流石にこの結果を全肯定出来ずにいる。あれでは試合をしていないのと同じだ。最初から結果が決まっている試合など何が楽しいのか。思っても、負けずに助かった……くらいの感想くらいだろう。そして勝利させられたスリザリンですらそうなのだ。当のグリフィンドールに至っては、

 

「アンブリッジの奴……何が不正だ。ふざけんなよ」

 

「ポッターを目の敵にするのはともかく、あれは流石にやりすぎだろう。どう考えても正当な試合だった。これじゃ試合なんて何の意味もないぞ」

 

数日経っても怨嗟の声が鳴りやまない様子だ。

いつ見かけても暗い表情を浮かべ、時折ブツブツと何か不穏なことを口走っている。グリフィンドール席はまるで毎日葬式をしているのではと思える程暗い空気を放ち続けていた。

それはそうだろう。あの試合はスリザリンから見ても、間違いなくグリフィンドールの勝利以外の何物でもなかった。アンブリッジ先生から許可を何とか捥ぎ取り、その末にようやく手に入れた勝利。その勝利から一転、訳の分からない言い掛かりで敗北となったのだ。落ち込まないはずがない。アンブリッジ先生が教員に就いた瞬間から、常に寮全体が冷遇されていたのだから尚更。唯一の明るいニュースは、もはや思い出したくもない屈辱の記憶に変わっているはずだ。

 

……もっとも、ここまでであれば別に私もグリフィンドールの反応など気にすることはなかった。アンブリッジ先生のことは理不尽だとは思うが、私が罪悪感を覚えるのはお兄様に対してだけだ。それ以外の人間など無価値でしかない。私にとって世界は家族とダフネだけ。それだけが世界の全てなのだ。他の人間の気分の浮き沈みなど何の興味もない。

 

しかし今回は違う。意気消沈の彼等から、

 

「本当にアンブリッジの奴……それにダリア・マルフォイ。この学校を完全に支配するつもりなんだな」

 

「クィディッチまであんな奴らに左右されるのか? 世も末だよ。ダンブルドアは何をしてるんだ。あんな奴らのいいようにさせて。本当に耄碌したんだな、校長も」

 

私までやり玉に上げられれば流石に気になってしまう。それも何とも否定しづらい内容。私はアンブリッジ先生の暴挙を肯定もしなかったが、否定も出来なかった。

何せあの試合の直後、アンブリッジ先生は私を……。

彼等が言っていることも完全な間違いではない。何せアンブリッジ先生の行動は私を喜ばせようという思惑のためだ。無論ポッターや老害に現実を突きつけるのも目的だろうが、主目的は私に媚びを売ることなのだ。先生と私がこの結果を導いたと考えるのは、結論だけ言えば決して間違った認識ではない。その事実がどうしても私に彼等を無視することを許してはくれず、時が経っても私の罪悪感を刺激し続けていた。

そう今だって、

 

「そこのグリフィンドール生。何か私に言いたい事でもあるのですか?」

 

「ダ、ダリア・マルフォイ!? い、いや、俺達はその、」

 

「……先生への暴言は看過できません。グリフィンドール()()()()()

 

言葉とは裏腹に、私は内心苦しくて仕方がなかったのだ。

大広間手前でボソボソと話し込んでいたグリフィンドール生達に、私はなるべく冷たい口調を意識しながら声をかける。私の存在に今の今まで気が付いていなかったのか、彼らは顔を真っ青にして私の方に振り返った。そんな彼らの横を私は通り過ぎながら考える。

 

本当に嫌な立場になってしまったものだ。この下らない()()だってそうだ。学校にいたとしても、常に闇の帝王のことを念頭に置かなければならない。私はただ純粋にお兄様の試合を楽しみ、ただダフネと静かに学校生活を送れれば満足だというのに。

 

私はグリフィンドール生からの視線を無視し、ただ黙ってそのまま大広間に入る。

大広間の入り口には、もはや何個あるかも分からない程の『高等尋問官令』が張り出されており、その中の一つに、

 

『高等尋問官ドローレス・アンブリッジは、ここにダリア・マルフォイを()()()()()()()()()()に任命する。尋問官親衛隊は監督生同様の権限を持ち、ホグワーツの風紀と秩序を守るものとする』

 

そんな心底下らない張り出しがされているのを視界の端にとらえながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

『必要の部屋』における第二回目のDA。アンブリッジの()()でクィディッチという最大イベントが潰れ、思ったより早めに開催されてしまったのだ。まったく来たくはなかったけど、相変わらずダリアに参加するよう言われていることから来ざるを得なかった。

……正直今回ばかりは見逃してほしかった。アンブリッジの暴挙にすっかり落ち込んでしまったダリアの傍にいたかったのもある。それに何より、

 

「よくも恥ずかしげもなくここに来れたな! 恥を知れ、スリザリン! このダリア・マルフォイの腰巾着!」

 

「何が初代尋問官親衛隊隊長だ! この前の高等官令といい今回といい、そこまでして学校を支配したいのか! クィディッチまであんなことにして、お前らスリザリン生に恥はないのか!?」

 

ここに来れば、当然こんな声を投げかけられるのは分かり切っていたから。部屋に立ち入った瞬間、今まで以上に怒り狂った表情を浮かべた連中に私は取り囲まれていた。

いつだってダリアの傍にいた私に、今までこの手の抗議がされたことはなかった。当然だろう。ただでさえ学校中から恐れられているダリアは、試合直後に『初代尋問官親衛隊隊長』なんていう理解不能の地位に()()()()()。何故一人しかいないのに隊長なのか等、名称に疑問を持たざるを得ない点は多々あるけど、少なくともダリアが監督生以上の権力を手に入れたのは確かなのだ。本人は決してそれを望んでいなくとも、今では監督生にすら減点を科す権利をダリアは有している。下手に彼女の前で反抗的な態度を取るようなことは、流石のグリフィンドール生でも中々出来ない。陰から攻撃しようにも実力差がありすぎる。

しかし面と向かって出来ないからといって、別にアンブリッジやスリザリン、そしてダリアに対する下らない怒りが消え去ったわけではない。

奴らは勘違いしたのだ。いや……正確には自分達に分かりやすい答えに飛び付いたのだ。ダリアが『初代尋問官親衛隊長』に任命されたタイミング。そして試合中アンブリッジの隣にダリアが座っていたことから、ダリアとアンブリッジが結託してクィディッチ試合の結果を捻じ曲げたのだと。

そこに論理などありはしない。ただ怒りの捌け口にダリアを選んだだけのこと。『継承者』のダリアならあり得る。ダリアならやりかねない。監督生にダンブルドアが()()()()選ばなかったから、その意趣返しをしたのだ。そんな下らない意識だけが根底にあり、論理や事実など二の次でしかない。

でも、だからこそ、奴らの怒りはいつまで経っても消える様子はなかった。最初から事実などどうでもいのだから、どれだけ否定されようとも変わることはない。

そしてその燻ぶり続けた怒りがどこに向かうかと言うと……ダリアの傍を離れた私に他ならなかった。

 

「何とか言ったらどうなんだ、この腰巾着! 恥知らず!」

 

「今すぐここから出て行け! いや、それともDAの的にしてやろうか! お前のご主人様も闇の魔法使いだからな! 丁度いい練習になるさ!」

 

前回に引き続き、入った瞬間からの罵詈雑言。こうなることは簡単に予想出来ていた。ダリアという庇護者がいたからこそ、今学校中に渦巻いている暗い感情が私に向くことはなかった。でもここには絶対者たるダリアはいない。ましてここは密閉空間。馬鹿な連中が暴発するにはうってつけの空間と言える。こうなることは分かり切っていた。DAのメンバー達が口々に何かほざいているのを見つめながら、私はそんな諦観の様な感情を抱いていた。

……もっとも、学内で最も聡明なダリアがそのことに気付かないはずもない。彼女はここに私を送り出す時言っていた。

 

『予想外の出来事のせいで、今回は特に貴女に負担をかけることになります。でも、ごめんなさい……。今引き下がるわけにはいかないのです。ここで引き下がれば、今までの貴女の努力が水の泡になってしまう』

 

そしてこう続けたのだ。それにDAには、

 

『それに集会には……()()がいます。彼女なら必ず貴女のことを守ってくれるはずです。……それだけは、私も彼女を信用していますから』

 

ダリアの次に優秀であるハーマイオニーがいるから大丈夫だと。

その予想の通り、ハーマイオニーは私を庇うように立ちながら大声を上げていた。

 

「馬鹿なことを言わないで! クィディッチのことはダフネにも、それにダリアにも全く関係のないことよ! どうしてそれが分からないの! 寧ろ彼女達は被害者よ! 初代尋問官親衛隊隊長なんて意味の分からない役職、ダリアも迷惑しているはずだわ! だからダフネに当たるなんて言語道断よ! 彼女を傷つけるなら、私が相手になってあげるわ!」

 

いつもの冷静さからは考えられない程過激な発言。しかも遂には実際に杖まで構えようとしている。

……ここまでの反応をダリアも予想できたかと言えば疑問だけど、少なくとも私を守るという目的は果たされている。ハーマイオニーのあまりに過激な言動に、今まで怒声を上げていた連中も唖然としていた。あまりの過剰反応に驚く人間達に、ハーマイオニーは勢いのまま捲し立てる。

 

「ダフネとダリアを責めるなんて、それこそアンブリッジの思うつぼだわ! あの女はホグワーツの結束を壊したいの! どうしてそれが分からないの! 意味不明な肩書だとか、ダリアの仕方なく()()()()()()()減点だとか、そんなことはどうでもいいことなのよ! ダリアの()()()()を見て、彼女が平気だと思っているの! いい!? 次ダフネを攻撃しようとしたら、私が黙っていないわ! さぁ、クィディッチがあんなことになって、寧ろDAの機会が増えたんだから練習するわよ! それしか今私達があの女に対抗する術はないの! ほら、分かったのなら早く二人組になるのよ!」

 

自分達を遥かに上回る熱量の怒りをぶつけられた奴らは、結局反論らしい反論をすることは出来なかった。無論奴らが納得したわけではない。ウィーズリー兄弟など、私に隙あらば呪いをかけてやろうと意気込んでいるのは目を見れば分かる。教師役であるポッターも警戒心と敵意に満ちた視線を私に投げかけている。しかし奴らを含めて、ハーマイオニーのあまりの熱量を上回ることが出来なかったのだ。それだけ今のハーマイオニーは触れれば何をするか分からない程の勢いがあった。

 

「ま、またか……グ、グレンジャーの奴、本当にどうしてしまったんだ?」

 

「ダフネ・グリーングラスどころか、ダリア・マルフォイのことまで庇うなんて……グレンジャーは頭がいいはずなのに」

 

不満は見るからに解消などされていないけど、私に詰め寄っていた連中はすごすごと引き下がっていく。どうやら当面の危機は脱したようだ。

そこで私はため息を一つ吐き、少し呆れたような気持で目の前の親友を見つめる。前から思っていたけど、何だかグレンジャーの性格が最近パワフルになっている気がする。別に大人しい人間だとは思っていなかったけど、どことなく、

 

「ありがとう、ハーマイオニー。でも……ハーマイオニーって、何だか最近グリフィンドールらしくないよね。どっちかと言えばスリザリン的と言うか」

 

私やダリアに思考が近づいているような気がしたのだ。

私の漏らした言葉に、ハーマイオニーは何だか微妙な表情を浮かべながら振り返る。

 

「スリザリン……。グリフィンドールとしては余り嬉しい言葉ではないのだけど……どうしてダフネはそう思うの?」

 

「最近説得がどこか力づくだからね。一番最初の集会でもそうだったし。過程より結果を優先しているみたいだから、どことなく私達に近い思考なのかなって。まぁ、私としてはそっちの方が理解しやすいからいいんだけどね」

 

「べ、別に力づくなんてことはないわ。ただ彼らの言いように少し腹が立っただけよ。……ダリアのことを思うと、本当に酷い話だと思ったから」

 

ハーマイオニーの言葉に私は深々と頷く。ハーマイオニーの言葉は尤もだと思ったのだ。

私も内心では怒り狂っている。ならばハーマイオニーも怒っていて当然だろう。グリフィンドール生であると同時に、ダリアの友達でもあるハーマイオニー。この学校において、ハーマイオニーもダリアの表情を読める数少ない人間の一人だ。勿論ドラコや私の方が遥かにダリアの表情を読み取ることが出来る自負はあるけど、彼女もある程度のものは読み取れるに違いない。ならば彼女もダリアの今の無表情を見て、決して彼女が今喜んで『初代尋問官親衛隊隊長』をやっているとは思わないはずだ。クィディッチのことなんて、ハーマイオニーにすればもはや些末なことに違いない。

本当に……何故こんなにも世界はダリアに厳しいのだろう。

私はハーマイオニーの言葉に同意すると同時に、先程まで危機的状況に瀕していたことも忘れて落ち込む。いよいよダリアの下に帰りたくなってきた。一度目もそうだったけど、何故私はこんな所にいるのだろうか。辛い思いをしているダリアを放っておいて。

しかしそんな暗い気持ちを、

 

「それに、もし私がスリザリンらしくなっているのだとしたら……それは貴女とダリアの影響でしょうね。スリザリンの友人達を守りたい。そう思えたからこそ、私はここまで来たの。他のスリザリン生は嫌いだけど、貴女達のことは違うわ。だから……必ず私は貴女を、ダリアを守ってみせるわ。だから……これもスリザリンみたいな物言いになるけど、今貴女をここから帰すわけにはいかないの。ダリアがここに貴女を送ってきたということは、それは貴女にとってこのDAが必要だと判断したということよ。私が必ず守るから、もうしばらくこの会に参加していて」

 

「……やっぱり、ハーマイオニーにはスリザリンの素質があるよ」

 

やはりハーマイオニーが無理やり変化させるのだった。こんな卑怯なことを言われてしまえば、流石に今から帰りますなんて言えないではないか。

しかも彼女の話はそこで終わりではなかった。私の言葉に満面の笑みを浮かべると、今度は近くで立ち尽くしていたネビル・ロングボトムの方を指差しながら続けたのだ。

 

「今度は誉め言葉として受け取っておくわ。ではスリザリンらしい私は、また貴女にネビルと組んでもらおうかしら」

 

先程まで感じていた悲しみも忘れ、私はただ唖然とハーマイオニーのことを見つめる。今日のハーマイオニーは強引なところがあると思っていたけど、それは親友である私に対してでもあるらしい。

何故ネビル・ロングボトムと? 

前から疑問であったが、何故彼女は私とロングボトムを組ませようとするのだろうか。確かにロングボトムは他の生徒と違って大人しい人間ではある。いきなり襲ってくるようなことはないだろう。でもそれだけ。ロングボトムも他のグリフィンドール生と本質は何一つとして変わらない。ダリアの本質を理解しようともしない愚か者の一人。それ以上でもそれ以下でもない。

それなのにどうしてハーマイオニーは……。

でも私の疑問を他所に、ハーマイオニーはさっさと立ち尽くすロングボトムを呼び指示を飛ばしていた。

 

「ネビル、こっちに来てくれないかしら。貴女も今組む人がいないのよね?」

 

「ハ、ハーマイオニー。う、うん。皆僕と組みたがらないんだ。……僕何も出来なくて、すぐお荷物になってしまうから」

 

「そう。でもそれは好都合よ。下手な人が教えれば、それこそ間違った方向にいってしまうわ。その点ダフネならこの中でも優秀な子だもの。ネビル、またダフネと組んでくれるかしら?」

 

「えぇ!? ま、またグリーングラスと!? ハ、ハーマイオニー。ど、どうして僕と彼女を、」

 

「貴方が一番適任だからよ。貴方なら……彼女をキチンと見てくれるだろうから。それじゃあ、私も誰かと組むわね。ダフネ、近くにはいるから、何かあったら言ってね」

 

そしてハーマイオニーは矢継ぎ早にロングボトムを言いくるめると、本当にそのまま違う生徒とペアを組みに行ってしまった。

その場に残されたのは唖然としてハーマイオニーの後姿を見つめる私と、こちらを不安そうに見つめるロングボトムだけ。

 

前回に引き続き、今までも、そしてこれからも関わることはない()()()()()人物と、私は何故かペアを組まされることになってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

「失神の呪文、ね。これなら二年生の時に使ったことあるよ。一人は……ちょっとした手違いだったけど、邪魔者を一人排除するためにね」

 

ダリア・マルフォイ。この学校の誰もが知る、いわば恐怖の代名詞。学校中を恐怖のどん底に突き落とし、今も『初代尋問官親衛隊隊長』なんていう新しい地位に就いたことで、生徒の一人なのにそれこそ監督生以上の地位を得ている。グリフィンドールの皆だって言っている。

 

またダリア・マルフォイが動き出した。あいつはクィディッチの結果すら捻じ曲げた。あいつは学校中の全てを支配する気なんだ……と。

 

特にクィディッチ・チームの怒りは凄まじいものだった。試合直後の談話室はアンブリッジ先生とダリア・マルフォイに対する罵詈雑言で溢れかえっていた。チームへの許可を中々出さなかったことに始まり、今回の試合までに行われた悪行の数々。そして彼女達への罵詈雑言が吐き出され切った後、次にやり玉に挙がっていたのが……ダフネ・グリーングラスだった。

誰もが知るダリア・マルフォイの一番の手下。そんな彼女を擁護する人なんて誰もいない。それこそグリフィンドールだけではなく、他の2寮ですら。いてもハーマイオニーくらいのものだ。彼女だけはいつものように、ダリア・マルフォイとグリーングラスを擁護する言葉を発していた。それは今も……。

でもどんなにハーマイオニーが異議を唱えようと、僕は彼女の意見を信じることは出来なかった。当然だ。ダリア・マルフォイはあのマルフォイ家の娘で、尚且つ『継承者』だった女の子。そんな人間といつも一緒にいるような女子を、どうして信用することが出来るのだろうか。こんなことは思いたくないけど、ハーマイオニーもどうかしてしまったのではないかと心のどこかで思っていた。

それなのに……

 

「それじゃあ、さっさと練習しようか。時間は有限だからね。私は早くハーマイオニーの下に戻りたいの。そのためには貴方に早くこの呪文を習得してもらうよ。そうじゃないとハーマイオニーが認めてくれなさそうだし」

 

「う、うん……」

 

どうしてだろう。目の前にいる女の子のことを、僕は皆が言うような極悪非道の人間として見ることが出来ずにいた。友好的……とは言えないけど、少なくとも他のスリザリン生は決してしないような態度。他のスリザリン生なら僕に話しかけようともしないだろう。……そもそもスリザリン生がここに参加していることがおかしいのだけど。

友好的ではないけど、一人の人間として僕のことを認識してくれている少女。いつも不機嫌な表情をしているけど、今は素の可愛らしい表情を見せてくれている少女。

それが今僕が彼女に心の中で感じている印象だった。

本当に僕はどうしてしまったのだろう。

 

「まずは杖の握り方だけど……ちょっと、聞いてる?」

 

よくよく見ると、ダフネ・グリーングラスも凄く可愛い顔をしている。煌めく金色の髪。パッチリとした瞳。美人というより、どちらかと言えば可愛い顔立ち。こうして見ていると……。

 

「ちょっと、ロングボトム! さっきからボーっとして、一体何なの!? 集中していないなら、私はハーマイオニーの所に戻るよ! そっちの方が私にとってはいいからね。で、どうなの、やるの? やらないの?」

 

でも僕が素のグリーングラスを見ていられたのは一瞬のことだった。ただボーっと彼女のことを見ていただけの僕に、グリーングラスは再びいつもの不機嫌顔で詰め寄ってきたのだ。

僕は目が覚めたように意識を取り戻し、すぐに警戒心を持ちながら応えた。

 

「ご、ごめん。ちょっと……ボーっとしてた。や、やるよ。でも、僕なんかが上手く出来っこないと、」

 

「だから教えようとしているんでしょ! まったく……どうしてこんな奴がグリフィンドールなんだろう」

 

そして僕の言葉に対しての反応は、やはりいつものスリザリン生らしい対応だった。

何度が彼女と話したことがあるけど、やっぱりこちらの方が本当だったのだ。僕が今まで何度も感じていた感覚こそ間違いだった。やはり彼女は皆の言う通り、あのダリア・マルフォイ一番の取り巻き。それ以上でもそれ以下でもない。

僕は心の中のどこかで安心すると同時に……どこか悲しく思いながらグリーングラスに向き直る。

それなのに、

 

「本当に馬鹿みたい。他のアホ共程ではないけど、貴方も相当だよ。……貴方でなくても、別に最初から出来る人なんていないんだから。ちょっと不器用なぐらいで自信をなくしてちゃ駄目よ。仮にもハーマイオニーと同じグリフィンドールなのよ。アホ共は違うと思うけど……ここに参加したってことは、貴方も大切な人を守りたいってことなんでしょう? なら頑張らないと。ほら、時間は有限なんだから早く練習するわよ」

 

何故彼女はこんな優しい言葉を、先程までと同じ表情で言ってくるのだろうか。

驚き彼女の再び横顔を見つめる。でも彼女は何でもないかのように『失神呪文』の唱え方をそのまま解説し始めていて、僕の方をもう見てなどいなかった。

 

僕はチラチラとダフネ・グリーングラスの横顔を盗み見る。

動機は……間違いなくハーマイオニーだろうけど、それでも僕の指導を熱心にしてくれている。スリザリンなのに……。ダリア・マルフォイの取り巻きなのに……。

そんな事実と、目の前から入ってくる印象の違いに、僕は結局最後まで戸惑い続けていた。

 

 

 

 

そしてそれは……その発表があってからも変わらなかった。

 

「ダ、ダリア……落ち着いて。私は大丈夫だから……」

 

「……あの女。黙っていればどこまでも調子に乗って……」

 

DAから数日後、いよいよ本格的に外は寒くなり、クリスマス休暇も近づき始めた時、その新しい発表がされた。

学校中の皆が見つめる先、大広間前に新しく張り出された『高等尋問官令』には、

 

『初代尋問官親衛隊に、ドラコ・マルフォイ、パンジー・パーキンソン、ビンセント・クラッブ、グレゴリー・ゴイル、()()()()()()()()()()()を認定する。親衛隊員は生徒および他寮監督生に罰則を与える権利を有するものとする』

 

そんなまたとんでもないことが書かれていたのだ。

一番前で無表情に掲示を見つめるダリア・マルフォイ。そして彼女の傍に寄り添うダフネ・グリーングラス。そんな彼女達を遠巻きに見ながら、皆ヒソヒソとグリーングラス達のことを非難している。

でも僕には……その時、ただ二人が発表に戸惑い、不安を感じているようにしか見えなかったのだ。

 

そこには皆が言うように権力を得て喜ぶ姿なんてなかったように……僕には思えた。



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失われた幸福の鳥

 ドラコ視点

 

僕は間違っていたのだ。

何を? 決まっている。全てだ。僕は何を自惚れていたのだろう。

シーカーになれば少しでもダリアの力になれる? 僕の頑張りで、ダリアが少しでも元気になってくれる? 

僕がただ正々堂々戦ったくらいで……ダリアが勇気づけられる?

 

何を馬鹿なことを考えていたんだ。そもそもシーカーが誰でどう戦うかなんて、本当はどうでもいいことだったのだ。そもそも前提条件が違う。もはやダリアの立場は生徒に嫌われるとか、嫌われないとかそんな小さなレベルの話ではなくなっている。

ダリアは今継承者と疑われるどころか、あの闇の帝王に行動を日々縛られ続けている。そんな状態のダリアを、学校のクィディッチ試合ごときで元気づけられるはずがない。出来ても一時的なものだとは分かっていたが、それすら認識が足りなかった。

それに何より……僕が正々堂々と戦ったばかりに、僕はまたダリアを一人にしてしまっているのだ。

試合直後、そして新しい『高等尋問官令』が出た時、学校中がダリアとダフネを責めた。

ダリアは権力を得るためだけにアンブリッジに取り入り、神聖不可侵であるクィディッチを貶めた。ダフネ・グリーングラスはそんなダリアの()()()()として、新たな『初代尋問官親衛隊』になんてなったのだ、と。

実に馬鹿馬鹿しい話だが、今ではこの学校中の人間がその妄言を信じ切っている。それこそスリザリン生も含めて。パーキンソンなどダリアのお陰でダフネと同じ地位につけたと大喜びしていた。親衛隊は監督生を超える権限を持っている。監督生になれなかったが、これで他寮の監督生にすら罰則を与えることが出来ると。あいつはダリアに礼すら言っていたのだ。……その時のダリアがどんな無表情を浮かべているかも気付かずに。

しかしどんなにパーキンソンに怒りを覚えようとも、別にあいつが特別なわけではない。この学校中の人間がそうだ。ダリアを責め、ダフネを責め……そして本来同じ立場であるはずの僕を()()()にいる。それがこの学校に蔓延しているどうしようもない現実だ。

試合が始まった直後こそ、奴等は皆僕の箒に対し罵詈雑言を投げかけていた。おそらく去年までと同じ戦略でポッターに挑んでいれば、その評価は決して変わっていなかったはずだ。だが僕は正々堂々とポッターと戦って()()()()。箒は最新型にしたが、それでも正々堂々と、どちらかと言えばグリフィンドールのような戦い方だったように思う。それはいくら自分で考えることも出来ない低脳共であろうとも否定は出来ない様子だった。

……結果、僕に対する生徒達の評価は、少なくともダリアよりはマシだというものになっているのだ。

僕の評価が上がっているわけではない。ただ卑怯なダリアより、少なくともクィディッチでは真面に戦った僕の方が幾分かマシだ。そうこの学校中の人間が思っているのだ。事実僕への悪口も漏れ聞こえてくるが、ダリアとダフネに対する物に比べれば遥かに少ない。

 

つまり僕は……あんな下らない考えで試合に臨んだばかりに、ただでさえ孤立しているダリアとダフネを更に追い詰めてしまったのだ。

 

もっと僕が勝利にのみ拘っていれば。去年のようにただポッターの妨害にのみ専念していれば。そう僕は思わずにはいられない。勿論あの戦略を取ったからといって、必ずグリフィンドールに試合で勝利したとは限らない。いくらポッターと同じ条件になったとしても、それで必ず勝つことにならないのがクィディッチだ。だが少なくとも、ポッターとまともにやり合うよりかは遥かに勝つ可能性があった。そしてもし試合でも勝っていたならば、そもそもダリアがここまで生徒達に目の敵にされることもなかっただろう。ダリアと、そしてダフネがここまで学校中から非難されるようになった理由は、根本的にはただあのアンブリッジの理不尽極まりない決定に対する八つ当たりでしかない。ただ非難しやすい人間に当たっているだけ。元々ダリアとダフネは、『継承者』とその取り巻きと認識されていた。これ程叩くのに罪悪感の湧かない組み合わせはない。そんな馬鹿馬鹿しい奴らの性根を考えれば、今の現状は実に分かりやすかった。でもだからこそ、もし僕が勝っていれば……勝利にだけ拘っていればと思わずにはいられないのだ。

ダリアとダフネがやり玉に上がり、それに比べて僕に言及されない事実を認識する度に、僕は言いようのない後悔に囚われる。僕の行動で試合自体には負けたことを、スリザリン生がもはや気にもしていないことに対してもだ。せめて僕もダリア達と同様の立場にいたかった。僕にとっても、周りの生徒達など無価値な連中でしかない。そんな連中に非難されたとしても、僕はダリア達と共にいれば無関心でいられただろう。だが現実は違う。僕は……ダリアの隣にいてやることも出来ない。距離は近いのに……何故かこんなにも遠い。寧ろ僕自身もダリアを非難している連中と同じである気さえする。僕はダリアの家族なのに……僕はダリアをこんなにも愛しているのに、彼女と共にいない。それ程罪深いことがあるだろうか。

それなのに、

 

「おい、そこのお前! お前は『穢れた血』だったな! グリフィンドール10点減点!」

 

「そ、そんな!」

 

僕がどんなにダリアの今置かれている立場に行こうとしても、決してそれは叶わない願いだった。

一人で歩く廊下。僕は偶々近くを通りかかっただけのグリフィンドール生に向かって大声を上げる。ダリアは最近この『初代尋問官親衛隊』という立場を利用し、スリザリン以外の寮から度々減点をしていた。それはおそらくアンブリッジの意に反するわけにはいかないという思いからなのだろう。でもそれがダリアの立場を更に悪くしているのは間違いなかった。だからこそ、僕はそんなダリアと同じ立場になるために……クィディッチでの自身の印象を貶めるために、最近はダリアと同じような行動を繰り返していた。グリフィンドールから点数を減点し、それこそダリア以上に理不尽な理由で罰則を与える。それなのに、僕はどうしてもダリアと同じくらい学校中から嫌われることが出来ない。今だって減点を言い渡したグリフィンドール生から睨み返されてはいても、それでダリアに向けられている程の憎悪を受けることはなかった。

何故だ。何故僕はこんなにも無力なんだ? どうして僕はダリアをこんなにも愛してしまっているのに、こんなにもダリアに罪悪感を覚えることばかりをしてしまっているのだ?

いくら考えても答えは出ない。

……いや、正確にはもうとっくの昔に出ている。ただそれを認めたくないだけだ。

結局僕は……何をどんなに努力したとしても、何一つダリアのためにしてやれることが出来ないのだ。以前から薄々分かっていたことではあるが、結局僕は何一つダリアのために……。

スリザリンのシーカー? 今までと違ったプレーでダリアを喜ばせる? 

何を悠長なことを考えているんだ僕は。こんな下らないことを考えていた間にも僕は、

 

『ごめんさい、お兄様……』

 

いつだってダリアを傷つけてしまっていたのだから。

僕は試合直後のダリアの悲しそうな無表情を思い出す。試合前までは僅かに綻ばせていたものが、直後に悲しみに染まってしまった事実。今でもダリアの表情は一度も明るくなることはなく、何よりもうすぐクリスマス休暇が始まろうとしている。去年までのクリスマスは、ダリアは家族や親友と穏やかな夜を過ごすことが出来ていた。だが今年のクリスマスは()()

僕は目の前のグリフィンドール生から視線を外し、近くの窓から見える空模様に目を凝らす。外はもうすっかり白くなっており、曇り空からはチラホラと雪が降り始めている。以前はこの景色を見る度にクリスマスが近づいたことを喜んでいたが……。

 

クリスマス休暇までもう少し。……ダリアが新たな任務を言い渡されるまでもう少し。

僕がダリアの笑顔を見るチャンスは、他ならぬ僕の手で潰えてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「クリスマス休暇も近い! だから休暇前ということで、今回は今までとは違う呪文をやろうと思う! 今までのどちらかと言えば基礎的な呪文ではない。今回皆にやってもらうのは『守護霊の呪文』だ!」

 

グリフィンドールのクィディッチチームが実質解散になった後、この会は以前と違い頻繁に行われるようになっていた。グリフィンドールチームは勿論、他の寮もクィディッチに対する情熱を大いに削がれてしまったのだろう。頻繁な召集にも嫌な顔をしている人間は極端に少ない。一部の生徒を除けば、皆かなり高い士気を保った状態でここに集まっている。特に今回ポッターが宣言した呪文で、そんな連中は更に興奮している様子だった。

 

「しゅ、守護霊の呪文だって!? やった! 僕はこの時を今までずっと待っていたんだ!」

 

「今まではずっと基礎ばかりだったからなぁ。『失神の呪文』に、『妨害の呪文』だろう。ようやくって感じだよ」

 

メンバーから次々と肯定的な声が上がる。ハッフルパフのアーニー・マクラミンは興奮で奇声を上げ、ザカリアス・スミスも嫌味こそ言っているがどこか興奮した様子だ。ポッターはそんな連中の興奮に応える様に続ける。

 

「皆も賛成みたいだね。でも、これは僕が言うのも何だけど、正直かなり難しい呪文だ! 僕も習得するのにはとても時間がかかった! でも大丈夫! 僕だって出来たんだ! 皆が出来ない理由なんてない! それじゃあ始めようか! 今回は二人組になる必要はない! それぞれが自分の中で一番幸せだと思える記憶に集中して! そして唱えるんだ! 呪文は『エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ』。もし成功すれば何かしらの動物が出てくるはずだ!」

 

そしてポッターの演説がようやく終わると、皆部屋のいたる所に散らばりながら呪文を唱え始める。と言っても、全員が一人一人行動しているわけではない。それぞれ集中してと言われても、結局は皆友人同士で固まり練習している。友人同士笑いあいながら呪文を唱えているのだ。当然誰一人として有体の守護霊を出せている様子はない。

私はため息を吐きながら、()()集中して杖を構える。この呪文はあのダリアですら随分と手こずった呪文だ。あんな風におしゃべりしていて出来る様な呪文などではない。友人と練習することは悪いことではないし、それで必ずしも集中できないということではない。でも最初から雑談交りではとても集中しているとは言えない。私の耳に届く彼らの会話は、

 

「俺の守護霊ってどんな形何だろう?」

 

「可愛いのがいいな~。兎とかがいいわね」

 

などと、呪文の結果を夢想する物ばかりだ。成功までの過程ではなく、結果ばかりを夢想する態度。あれで成功するとは到底思えない。

どうやら連中は興奮しすぎて、逆にこの会の初志を忘れてしまっているらしい。……勿論私も一人になったところで、この呪文が簡単に習得できるわけではない。

 

『エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ』

 

杖から出てきたのは大量の銀色の靄。周りを見渡しても、これ程の靄が出ている生徒はいない。しかし有体でもない。分かるのは()()()()の生物だということくらいだ。完璧には程遠いだろうし、これでは吸魂鬼を撃退することは出来ない。ましてや本番は目の前にあの吸魂鬼がいると考えれば、呪文の難易度は今の比ではない。実戦では何の役にも立たないだろう。

幸福な記憶に問題があるわけではない。いや、あってはならない。私の幸福な記憶とは、ダリアやドラコと共に過ごしてきた時間。ダリアも同じ記憶で守護霊を作っているみたいだけど、それは私も同じだ。親友との時間以上に幸せな時間などないし、それが間違いであることなんて万に一つもない。

ではどうして私は有体の守護霊を出せていないのだろうか。この呪文が難しいことは間違いないけど、それだけが原因ではないだろう。

……思い当たるのはただ一つ。認めたくはないけど、それ以外にこんな不完全な守護霊しか出せない理由はない。ダリアも三年の終わり、『守護霊の呪文』を習得した後言っていた。自分は幸福な記憶に集中しきれていなかったのだと。だからあんなにも習得するのに時間がかかったのだと。少し恥ずかしそうに顔を赤らめながらダリアはあの時言っていた。

幸福な記憶に問題はない。呪文の唱え方にもおそらく問題はない。なら考えられる原因は一つ。つまり私はダリアと同じく、自分の幸福な記憶に集中しきれていないのだ。だからこそ、私は今有体の守護霊を出せずにいる。

しかしそれが分かったところで、すぐに集中出来るかというとそうもいかない。記憶に集中しきれていない原因は、今ダリアと()()置かれている現状のせいだからだ。ダリアが苦しんでいるのに、そんな彼女のことを思って幸福な気持ちになれるはずなどない。アンブリッジのせいで彼女の置かれている立場は日に日に悪化している。

そして私も……。

私は再度大きなため息を吐き、周りで杖を振っている連中を見渡す。するといつの間にかこちらを見ていた連中が、サッと視線を戻す姿が見えた。まるで私のことを敢えて無視するような態度。私はその姿を見て、また一つため息を零してしまっていた。

私が『尋問官親衛隊』に任命されてからというものの、この会の人間の態度は概ね二つに分かれている。一つ目は私に与えられた肩書に恐れることなく、寧ろより挑戦的な態度で臨んでくるようになった生徒。グリフィンドールの、というより主にウィーズリー兄弟がこれに該当している。ハーマイオニーが彼らの開発したと思しき悪戯グッズを没収してくれなければ、私は常に何かしらの悪戯を警戒しなければならなかっただろう。

そして二つ目は私のことをただ怯えたように見つめる、若しくは怯えていなくとも、私を完全にいないものとして扱っている連中だ。チョウ・チャンといつも一緒にいる女生徒など、最近では常に真っ青な表情で私のことを見つめている。その他大勢の生徒は私を遠巻きに盗み見るばかりだけど、私の存在を無視していることに大して変わりはない。おそらく恐怖や疑念が振り切り、もはや敢えて出来る限り関わらない方が自分達は安全だと思っているのだろう。私をここから追い出したくとも、もう私はここのメンバー全員を覚えている。それならここから追い出すより、私を出来る限り刺激しない方が安全だ。そんな小さな考えが彼らの態度から透けて見えていた。

正直あんな連中が私のことをどう思っていようとどうでもいい。私が学校中の人間から嫌われているのは今更のことだ。これ以上悪化したところで、私はダリアとドラコ、そしてハーマイオニーさえいれば後の人間のことなんてどうでもいい。けど、こうもあからさまな態度を周りで取られ続ければ、流石に呪文に集中しきれないことも確かだった。

チラチラと突き刺さる鬱陶しい視線に、私は何度目か分からないため息を零しそうになっていた。

 

でもいくら私がこの会で孤立していようとも、決して私が完全な孤独な状態になっているわけではない。案の定少しすると、この会で唯一私の友人であるハーマイオニーがこちらに近づいてくる。……いつものようにネビル・ロングボトムも連れてきたのはもはやご愛敬だろう。

しかもハーマイオニーはしかも他の生徒と違い、今私達がすべきことをキチンと理解している。他の生徒のように雑談に興じるのではなく、私の近くに来ると直ぐに『守護霊の呪文』について話し始めたのだった。

 

「お疲れ様、ダフネ。凄いわね。貴女の守護霊、まだ有体でなくても、かなり形になったものが出ていると思うわ。ハリーを除けば、この会で一番進んでいるのは貴女よ。ねぇ、何かコツとかあるの? 私、中々幸せな記憶というのが難しくて」

 

どうやら学年でダリアの次に優秀な彼女であっても、この呪文は流石に一筋縄ではいかないらしい。私は自分の問題点を洗い出すためにもハーマイオニーの質問に答える。

 

「私の幸福はシンプルなことだよ。ただダリアと一緒にいる時間。それが私の幸福な記憶。私にとって、ダリアと一緒に過ごす何気ない時間が一番幸せなことだから。多分これ以上の記憶なんてないし、本来ならこれで有体守護霊が出ると思うんだけど……。まだまだ集中力が足りないみたい」

 

「そう……そうね。貴女ならそうよね。ダリアとの時間を幸福と言えるのは、それはとても素敵なことだと思うわ。でも貴女の話を聞いて、やっぱり私の記憶では弱いと思ったわ。私は初めて魔法を使えた瞬間を思い浮かべていたのけど、それよりもっと根本的なことを考えないと……」

 

私に驚いた表情を浮かべているロングボトムを無視し、私はハーマイオニーの言葉に深く頷く。

確かにハーマイオニーの記憶は少し物足りないと思ったのだ。別に魔法を初めて使った瞬間が悪いというわけではない。それも確かに幸福な記憶には間違いないだろう。特にハーマイオニーはマグル出身なのだから、初めて魔法が使えて嬉しくないはずがない。でも、それが守護霊を呼び出せる程のものかと言えば……私にはどうにも印象が弱いように思えた。ダリアの記憶もそうだけど、この呪文にはもっと自分の根幹に関わるような、もっと本当に自分の奥底にある感情に基づていないといけない気がする。そうでなければあの吸魂鬼の空気に抗えない。あの冷たい空気に晒されても、それでも心の奥底から幸せだと思えるような記憶。吸魂鬼にも否定できない幸福。それは決してハーマイオニーが口にした記憶ではないだろう。

だからこそ私はハーマイオニーにそのことを話そうとした。でも、

 

「そうだね。ちょっとその記憶は……この呪文には弱いかもね。もっとこう、友達のこととか。貴女のグリフィンドールの友達は()()()()だし……。あ、そうだ! これは前から思っていたんだけど、ダリアがあんな立場になってしまったからそれを利用しない手はないよね。今度思い出作りに、ダリアと一緒に監督生用のお風呂にでも、」

 

「君は本当に……ダリア・マルフォイのことが大切なんだね」

 

横から声がかかったことによって、私の話は突然遮られてしまった。

おそらく独り言でしかなかっただろう言葉に視線を向けると、そこには先程までと同じく驚いた表情を浮かべるロングボトム。言葉を遮られた私が胡乱気な視線を向けても、彼はただ驚いた表情で私を見つめるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「何? 何か問題でもあるの? ダリアは私の親友よ。大切じゃないはずがないでしょう?」

 

ネビルの呟きに反応するダフネの声は、お世辞にも友好的なものではなかった。

これがもしネビルに向けられるものではなかったら、おそらく今この場で喧嘩が発生していたと思う。でも、実際はそんなことにはならなかった。ネビルはグリフィンドールの中で一番穏やかな性格をした生徒であるし、そもそも彼の言葉は、

 

「そ、そうだよね。……本当に、そうなんだよね」

 

決してダフネを馬鹿にするためのものではなかったのだから。

彼はダフネの言葉にもただ驚いた表情を浮かべ、そのまま一人考え込んでしまっていた。そんなネビルの反応に怒りが冷めたのか、ダフネが呆れた表情を浮かべながら私に話しかけてくる。

 

「……どういうことなの? この人は一体何が言いたかったの?」

 

「……さぁ。でも、決して悪いことではないと思うわよ」

 

私はダフネの言葉に少し微笑みながら応える。

ネビルはダフネの友人を慕う言葉に驚いていた。あのダリアを友人とし、彼女をこそ純粋に大切だと言う言葉に。それはネビルが他の生徒と同じくダリアのことを誤解していることに他ならない。でも同時に、そんなダリアと付き合うダフネに驚くということは……ダフネはもう他のスリザリン生と同じだとは思っていないことを表していた。ダフネをダリアの取り巻きとしてではなく、ただ純粋に友達思いの女の子であるのだと。そんなダフネが悪名高いダリアを友人と呼ぶ。その事実にこそ、ネビルはこんな風に驚いているのだ。今までのネビルならそんなことに一々驚かなかったと思う。ただダフネをダリアの取り巻きとしてしか見ていなかった、今までの、ダフネの人となりを知る前のネビルならば。

少しずつ……まだ一人だけど、確実にダフネの味方が増えつつある。今はまだ私とルーナ、そしてネビルだけだけど、ダフネのことをシッカリと見ているスリザリン生以外の生徒が確実にいるのだ。

その事実を私は感じ取り、思わず微笑まずにはいられなかった。

しかしそんな私の考えに気付くことなく、ダフネは胡乱気な表情で私を見つめてから続ける。

 

「ハーマイオニーも何を言ってるの? まったく……ロングボトムに何をさせたいんだか。まぁ、彼のことはどうでもいいや。そんなことより幸福な思い出の方だよ。さっきも言いかけたけど、今度一緒にお風呂に行こうよ! まだ使ったことはないんだけど、何でも監督生専用のお風呂があるんでしょう? ダリアも監督生の権限を得たことだし、折角だから一緒に行こうよ!」

 

「……それはいい考えね。私もまだ利用したことがないの。有体守護霊が生み出せるかはともかく、またダリアを誘っておいてくれるかしら? 私が誘っても、ダリアは絶対に来てくれないだろうから……」

 

「うん、いいよ! 偶然ハーマイオニーが一緒になったことにするよ!」

 

ダフネが私の言葉に満面の笑みを浮かべる。そんな彼女を横から見つめるネビル。彼の表情には相変わらず困惑が浮かび上がっているけど、それでもその瞳はどこか眩しいものを見つめるものだった。

ダフネは気付いていないのだろう。確かにここのメンバーのほとんどは未だ彼女のことを敵視している。それどころか『尋問官親衛隊』の一件以来、その敵意はより一層激しいものになっている。その事実が優しいダフネの心を僅かに傷つけ、彼女の『守護霊の呪文』を妨げているのは間違いない。そうでなければ幸福な記憶がハッキリしている彼女が呪文を完成出来ていない道理がない。でも同時に、全てが全て悪いことばかりではないのだ。今は辛いことばかりでも、ダフネがダフネであり続ける限り、いつかは皆だって分かってくれる。ルーナしかり、そしてネビルも。彼女の本質に気付き、今まで固執していた歪な偏見を捨ててくれる人だって確実にいる。その輪はネビルを皮切りにいつかきっと……。

 

 

 

 

城の外は雪が降り始め、一面真っ白な光景になっている。クリスマス休暇まで後もう少し。

私は休暇が迫る中……そんなどうしようもなく()()()ことを考えてしまっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

私の幸福とは家族やダフネと共にいること。それ以上でもそれ以外でもない。だからこそ私は彼らの幸福な姿を眺めるだけで満足であったのだ。

そんな幸福を、他ならぬ私自身が阻害していると心の奥底で感じながら……。

でもそんな認識もルーピン先生のお陰で少しだけ変えることが出来た。こんな怪物でも、彼らと存在していていいのだと。私が怪物であったからこそ、私は彼らと一緒にいることが出来たのかもしれないと。そんな風に少しだけ自分を許すことが出来ていたのだ。本当に……家族やダフネ、そしてルーピン先生には感謝してもしきれない。こんな私でも生きる意味を見つけ出すことが出来ていた。

そう……出来て()()のだ。なのに今は……。

 

 

 

 

いよいよ始まったクリスマス休暇。私とお兄様、そしてダフネはキングズ・クロス駅にいた。外の冷気に吐く息は白い。こればかりはどんなに世間が移り変わろうとも変わらない光景だ。

しかし全てが例年と同じかと言えばそうでもない。辺りを見回しも生徒の数は例年より少ない気がするのだ。老害が世間の信用を失っている以上、皆が皆喜んで城から帰るものだと思っていたが……僅かではあるがポッターや老害の言うことを信じている生徒や家族が存在しているのだろう。少なくとも見える範囲には、ダフネ以外の『ダンブルドア軍団』とやらのメンバーはほとんど存在しない。それは偏に例の会に参加するメンバーのほとんどが、ポッターの言うことをキチンと信じていることに他ならなかった。今は家よりもホグワーツの方が安全。それを彼らは正しく認識しているのだ。それでも帰っている人間はそもそも会に参加しながらポッターのことを信じていないか、それとも()()()()()があるのか。私はダフネから聞いていたメンバーの内、いつもチョウ・チャンと共に行動している女生徒を視界の端に抑えながら言う。

 

「それでは、ダフネ。よいクリスマス休暇を」

 

これもいつもとは違うことの一つだろう。いつもであれば、ここで彼女に手紙を書くと言うところだ。でも私は今はそんな()()()()()()約束は出来ない。

そしてそれをダフネも分かっているのか、その可愛らしい瞳を悲しみに歪ませながら応えた。

 

「……うん。ダリアも気を付けて。……ねぇ、やっぱり休み中は私も一緒にいてもいい?」

 

「……いいえ。何度も言ったでしょう、ダフネ。私はおそらく……そもそも家にいることもほとんどないでしょう。私の傍は決して安全な場所ではない。……今はどこも安全とは言えませんが、少なくとも私の傍よりは遥かにマシなはずです」

 

ダフネの言葉は優しさに溢れたものばかりだ。彼女の気遣いに私はいつだって助けられてきた。私はダフネにもう返しきれない程の恩を受けている。

でも私はダフネが優しいからこそ、こうして彼女の嬉しい言葉さえ断ち切らなくてはならない。私の望みは、私の大切な人達が安全で幸せな暮らしを送ること。そこに私の幸せなど介在する余地はない。彼らの幸せこそが私の幸せであり、そこに私が望む全てなのだ。ダフネや家族と共にいたいなどという感情が邪魔になるのなら……私はいくらでも自分の感情を殺してみせる。いや、殺さなくてはいけない。そうでなければ、私の存在する価値もないのだ。こんな無価値な命に意味と価値を彼女達が与えてくれた。それを彼女達に返すことこそが、私の生きる意味なのだから。

……だから、

 

「そんなわけないよ! それにどんなに危険でも、私はダリアの傍に、」

 

「ダフネ、そろそろ時間です」

 

私は本来なら、決してダフネとの別れを悲しいとすら思ってはいけないのだ。私はピクリとも動かない表情筋を、何とか笑顔に見えるよう努力しながら続ける。

 

「貴女のご両親も帰りを待っているはずです。大丈夫。別にこれで永遠の別れなんてことはないのです。休暇が終わればまた会えます。確か監督生用の風呂でしたか? ()()で行こうというお話でしたね。ホグワーツに戻ったら、すぐにそこに行くとしましょう。まぁ、そんなことをしなくとも、優秀な貴女ならば『守護霊の呪文』を出せるでしょうけど。貴女の幸せの形が何の動物か実に楽しみです」

 

「ダリア……」

 

果たして私の言葉に意味はあったのだろうか。優しいダフネの気持ちを少しでも和らげてあげることが出来ただろうか。

答えは当然……私の言葉に意味などないというものだ。

私が絞り出した言葉にもダフネの表情が決して和らぐことはない。当然だろう。私がダフネを騙し遂せたことなど今まで一度としてないのだから。

しかしだからといって私のやるべきことが変わるわけではない。私はダフネの頬をそっと撫で、そのまま迷いを断ち切るために歩き始める。背後からは、

 

「ダリア! 絶対に……絶対に怪我をしないでね! またクリスマス休暇明けに!」

 

ダフネの大声が響いているけど、私は軽く手を振り返すだけだった。

迷いを断ち切るために私は前を向いて歩き続ける。少しでも自分の中の迷いと自己嫌悪を振り切るために。なのにダフネの他にも、ここには私の迷いを呼び起こす方がもう一人いた。

 

「ダリア……本当にいいのか?」

 

前を向く私にお兄様が横から話しかけてくる。それも本当にどうしようもない内容の言葉で。私はお兄様の言葉を感情のままに無視した。おそらくこんなことをしたのは初めてのことだろう。でも、どうしようもないのだ。本当にいいのか? いいわけがない。現状私に出来ることなんて何も無いに等しい。ましてや、

 

「今ならまだ間に合うはずだ。このままホグワーツに戻ろう。家に帰ってしまえば、お前はまた『闇の帝王』に何か指示されるのだろう? ならホグワーツに戻るべきだ。今ならまだ、」

 

「いいえ、お兄様。そんなこと出来るはずがありません。ご安心ください。私が必ずお兄様のことをお守りします」

 

家族に危険が及ぶ可能性がある選択など出来るはずがないのだ。お兄様としては、私が今から行かされるだろう任務が心配で仕方がないのだろう。そしてその認識は間違ってはいない。以前見た夢が正夢なら、私が行かされるであろう場所は決して安全な場所などではない。だが安全ではないからといって私が任務から逃げ出したらどうなるかなど……考えるまでもなかった。ただでさえ()()()()でマルフォイ家は逃げるに逃げられなくなっているのだ。私は我儘を言っていいような立場ではない。家族の為ならば、たとえどんな場所でも赴き、たとえどんな行為でも成し遂げなければならない。それが今私に出来る精一杯なのだ。しかしお兄様はそれが分かった上で更に言葉を続ける。

 

「……僕達のことはどうでもいいんだ。僕はダリア、ただお前のことを心配しているんだ。……そんなに辛そうな表情を浮かべているのに、心配にならないはずがないだろう」

 

「いいえ、お兄様。そんな表情などしていません」

 

「してるさ。それに……この前も『守護霊の呪文』が、」

 

「それこそ関係ありませんよ。お兄様、そのことは忘れてくださいと言いましたでしょう?」

 

「だがお前の守護霊はあんなにも綺麗なオーグリーだったのに、()()()()、」

 

「関係ありません。さぁ、行きますよ。()()()()がお待ちです。もう……そんな出来もしないことなんて言わないで下さい。誰が聞いているかも分からないのですから」

 

やはりお兄様に()()を見られたのは拙かった。あの後からただでさえ心配性だったお兄様がより過保護になってしまった。

ダフネが『DA』から帰ってきた直後、会で『守護霊の呪文』を習得することになったと言ったのだ。その時彼女に請われ、私はその場で久方ぶりに守護霊を出そうとした。

 

でも出なかった……。私の幸福の形であるオーグリー。何故オーグリーなのだという疑問は拭い切れないが、それでも私の幸福の形であることに間違いなかった。ルーピン先生のお陰でようやく形になっていたのに……もはや形になってすらいなかった。何の動物か判別することも出来ない、ただの銀色の靄。それが今の私の形だったのだ。

 

あの時は調子が悪いだけと誤魔化したが、お兄様は、そしておそらくダフネも私の言葉を信じてはいないことだろう。だからこそお兄様とダフネはこんなにも心配そうな表情をされているのだから。

勿論だからと言ってやるべきことは変わらない。私は今度こそお兄様の制止を振り切り、そのままホーム出口に向かって歩み続ける。

 

 

 

 

私の幸福とは家族やダフネと共にいること。それ以上でもそれ以外でもない。だからこそ私は彼らの幸福な姿を眺めるだけで満足だ。

でもそんな幸福を他ならぬ私自身が阻害していると、私は心の奥底から気付いてしまっている。

一時的に自分を誤魔化せたことはあっても、今はまた……。

そして守護霊を再び失った時、私は同時に気が付いてしまった。()()()()()……私はあのオーグリーを見ることは出来ないだろうことを。私が、

 

「よくぞ戻った、ダリア、ドラコ。さぁ、ダリア。あのお方がお待ちかねだ」

 

「はい、お父様。……創造主(マスター)のお望みのままに」

 

闇の帝王の僕(かいぶつ)である限り、もう私は自分を誤魔化すことなど出来ないのだから。

ホーム出口には迎えに来てくださったお父様の姿。いつもであれば待ちに待った家族との再会。なのに今は……それをいつもより嬉しく思っていない自分がいるのだった。



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蛇の目

 ダンブルドア視点

 

「とうとうドローレスがやりおったのう。時間の問題じゃとは思っておったが、まさかダリアをあのような地位に就けるとは。これで彼女のタガが外れぬとよいのじゃが」

 

「……」

 

クリスマス休暇の校長室。城に残る僅かな生徒達、そして教員達すらベッドに入っておるじゃろう時間帯。そんな時間帯にこの部屋におるのはワシとセブルスのみじゃった。最も信頼するセブルスとの意見交換。しかしワシの愚痴とも言える言葉に返事はなかった。……彼は彼女の実情が明らかになっても、未だにその事実を受けいれられずにおる。

彼とて本当は分かっておるのじゃ。ダリアはもう……以前の彼女ではない。いや、今まで抑えられていたものが遂に解き放たれたと言うべきじゃろうか。報告によれば彼女は思うがままに他寮の減点を行い、罰則を与えるとのことじゃ。当にワシが彼女を監督生にするか悩んだ折の懸念通りの姿になってしもうた。ドローレス一人でも厄介じゃというのに、これでは何もかもがヴォルデモートの思い通りになってしまいかねぬ。それをセブルスとて分かっておる。彼はスリザリン寮監じゃ。寧ろワシ以上に彼女の情報を手にしておるじゃろう。

じゃが彼は未だに彼女の実情を認めようとはせんかった。彼女にも何かしらの事情があるのじゃと繰り返すばかり。勿論ワシとて彼女の立場を考えれば、ある程度あのようなことをせねばならぬということは理解出来る。ドローレスは間違いなくヴォルデモートと繋がっておる。その彼女に表立って逆らえばどうなるか、ワシとて彼女の立場を考えれば理解しておるつもりじゃ。本心から今の行動を取っておらぬ可能性とて十分にあるじゃろう。じゃがそれは彼女が今の立場を望んでいなかったらの場合じゃ。ワシには彼女が今の立場を完全に望んでいなかったとはどうしても思えぬ。今までの彼女の行動を考えれば、彼女が如何に闇の陣営に属しておったかは自明の理じゃ。リーマスが言う優しい一面が彼女に無いとは言わん。じゃが同時に多くの生徒を笑顔で傷つけたのも彼女のなのじゃ。不死鳥の騎士団としては、彼女の時折のみ見せる優しい面だけを評価するわけにはいかん。こうなる前に彼女を何とか自制させたかったわけじゃが……また一歩彼女が闇の魔法使いへの道を歩んでしもうた。彼女に何かしらの思い入れのあるセブルスには申し訳ないが、ワシらは正しく事実を認識せねば前に進めぬ。ワシは黙して語ろうとせぬセブルスを無視し、更に彼の本来の任務について尋ねた。

 

「……まぁ、よい。こうならんよう彼女を監督生にせんかったわけじゃが、現状ワシらに出来ることはない。それよりも今は現状の確認じゃ。セブルスよ、確かにお主にヴォルデモートから指令は来ておらんのじゃな?」

 

「えぇ。闇の帝王からはホグワーツに引き続き潜伏するようにとの指示があるのみです。潜伏し、貴方の行動を監視するようにと。今は闇の帝王も表立っては動けませんから、吾輩もこちらにいた方が有用と判断しているのでしょう。闇の帝王は吾輩が貴方のスパイだとは疑っておりません」

 

セブルスの返事にワシは鷹揚に頷く。ヴォルデモートを倒すには物事を慎重に進めねばならぬ。ワシらの味方は驚くほど少なく、敵の勢力はワシらを遥かに圧倒しておる。少しのミスが大勢の死に繋がるかもしれぬのじゃ。行動は慎重であれば慎重である程よい。そしてそのためにはセブルスの存在が必要不可欠。セブルスがヴォルデモートに信用されてこそ、ワシらは常に敵の裏をかけるのじゃ。その点今のセブルスは本当によくヴォルデモートを騙し遂せてくれておると言えよう。……じゃが同時に、

 

「そのようじゃのぅ。お主には引き続き当たり障りのない情報を流してもらおう。しかし……今の所奴らの情報も中々掴むことは出来そうにないのぅ」

 

現状セブルスの存在をワシらが活かし切れておらんことも確かじゃった。ヴォルデモートは愚かにもセブルスの言うことを疑ってはおらん。それは間違いない。この事実は今後ワシらの勝利に大きく貢献することじゃろう。じゃが現状セブルスはヴォルデモートに信頼されておるが故に、奴の最も警戒するワシを監視する任務に充てられておった。ヴォルデモートは今表立って行動してはおらん。じゃがそれ故に今はどんな些細な情報でも欲しいわけじゃが……全てが全て上手くいくわけではない。慎重にことを進めなくてはならんとはいえ、時を待つだけというのも何とも辛いものじゃ。

尤も敵の情報が全く入ってこぬわけではない。完全とは言えぬがセブルス経由で手に入る情報もある上、その他の団員達が搔き集めてくれておる情報もある。特に『神秘部』の近くには常に団員が張り付いておる。魔法省に潜伏する『死喰い人』達が何度も神秘部に入ろうと試みておるようじゃが、未だに団員達の頑張りによって侵入できた例はない。巨人達に関しても、ハグリッドから少なからず報告が来ておる。

死喰い人の他に、休暇始め辺りから何やら()()()()()()()()()を巨人集落で見かけるとの報告が少々気になるが……ハグリッドのことじゃ。必ず上手いようにことを進めてくれるじゃろぅ。現状巨人集落へ送れる余剰団員はおらぬし、今はハグリッドを信じる他にない。

じゃからこそワシに出来ることはこうして団員達を信じ、陰で蠢く敵が表舞台に出てくるのを待つのみなのじゃが……それを分かっておっても、どうしても何か焦りのようなものを感じるのじゃった。

それにワシが焦っておるのは、何も敵の動きが完全には把握できておらんのが原因ではない。ワシはもう若くはない。今世紀最高の魔法使いと持て囃されようとも、もう全盛期は疾うの昔に過ぎてしまっておるし、最近自身の老いを感じる時が多くなっておる。あまり先が長い人生とはもはや言えぬじゃろう。

ワシにはそんな短い時間の中で、まだやるべきことが少なからず残っておるのじゃ。このまま何もせんで死んでしまえば、それはあまりにも無責任というものじゃ。ワシはもう老いさらばえてしまったが、今の闇に包まれつつある魔法界にはまだ希望となり得る存在がおる。若き不死鳥の騎士団員達。ワシの下で育っておる希望溢れる生徒達。生徒達の中には勿論ダリアのことも含まれておる。闇に落ちさえしなければ、彼女は実に優秀過ぎる程優秀な生徒なのじゃ。今は絶望的にすら感じられるが、それでもワシの生徒であることに変わりはない。そしてワシが未来を憂い、同時に希望を持ちたいと望んでおるのは何も彼女だけではない。ハリー・ポッター。予言で示された選ばれし男の子。彼にもダリアと同じく未来に深い不安と希望を抱いておる。彼にもワシはまだまだやれることがあるはずなのじゃ。希望となり得る存在でも、まだ彼等が未熟であることも間違いないのじゃから。

特にハリーに関しては、ワシはとりわけ彼のことを心配しておった。……。彼にダリアのような()()()()不安を抱いておるわけではない。彼は眩しい程に真っすぐにな少年じゃ。グリフィンドールらしい、良くも悪くも素直な少年。

じゃが……些か真っすぐすぎることがワシにはどうしても不安で仕方がなかった。以前は何の疑いもなく彼の素直さを称賛することが出来ておった。この若さとも言える情熱こそが世の中を変える力なのじゃと。ワシが疾うの昔に失ってしもうた若さという力。それこそが彼の予言に示された力の一端なのじゃと。じゃがヴォルデモートが復活してからというもの、ワシは逆に不安で仕方がなくなったのじゃ。素直と言えば聞こえは良いが、ヴォルデモートはそんな人間を絡めとることを得意としておる。今は良いが、いつかハリーが後悔してしまう事態になるのではないか。特にワシの予想が正しければ、()()()()()にはおそらく……。疑うことしか出来なくなってしもうたワシは、そんな風に彼の純粋さを邪推してしまっておるのじゃ。

ワシは奥底から湧き上がる焦りと不安を抑え込みながら、セブルスに散々催促しておった事項を再度告げる。ハリーが必要以上に傷つくことがないように。

 

「情報のことは今言っても仕方がない。それよりもワシらは今出来ることに専念せねばならん。セブルスよ。以前から言っておるハリーへの()()()()はどうじゃ? お主は嫌じゃと言うが、お主とて必要性は十分分かっておるはずじゃろう? 何を渋っておるのじゃ?」

 

ハリーに対する特別講義。ヴォルデモートの得意とする『開心術』から身を守るために必要不可欠の呪文……『閉心術』を教えるための講義。ワシはそれを以前からセブルスに頼んでいた。

ハリーが時折見ておる夢は現実で間違いない。それもヴォルデモート自身や、奴と一心同体と思われる大蛇とリンクした夢。これ程大きな情報源はない。じゃが今の状況では、それは寧ろもろ刃の刃となり得る。今はヴォルデモートもハリーとの繋がりに気が付いておらんが、いつ気付かぬとも限らん。もし気付かれてしまえば、奴は繋がりを利用してハリーを罠にかけるやも。それだけは絶対に避けねばならぬ。そしてそのためには『閉心術』が必要不可欠であり、呪文の達人であるセブルスに授業を頼んでおるわけじゃが……

 

「……吾輩はお断りしたはずです。吾輩にはあの生意気な小僧を教える気はありません」

 

セブルスの応えは相変わらずにべもないものじゃった。更に彼は続ける。

 

「それに何より、あの小僧も吾輩に教わりたいとは思っておらんはず。必要性を訴えるのなら、貴方こそが奴に教えるべきと吾輩は愚考しますが? 何せ貴方の方が『閉心術』を上手く使いこなせている。貴方の『開心術』と『閉心術』は闇の帝王以上のものだ。何故貴方こそが小僧に教えないのですかな?」

 

「……これも以前言ったはずじゃ。ワシが今ハリーと話すことは出来んのじゃ。彼を特別扱いしておるなどと思われる行動は、今ワシがするわけにはいかんのじゃよ」

 

いつもの催促に、これまたいつもの返事をされてしもうたワシは表情を僅かに歪ませる。

ワシはハリーのために何かしてやらねばならん。これから先彼が直面する未来のことを思うと、その過酷さを知るワシが何もせぬなどという選択肢はありはしない。じゃが方法を間違っては何の意味もない。ワシがハリーを特別視しておると分かれば、それこそヴォルデモートはハリーに集中して狙いを定めかねぬ。未だ戦う準備の整っておらぬハリーに敵が集中すれば、それこそ彼の未来が断たれてしまう恐れがあるのじゃ。特にドローレスやダリアが城におる現状では、ワシの行動が敵に筒抜けになっておる可能性がある。

じゃからこそワシは現状出来ることとして、ハリーにワシとは別に最高の教員をつけてやりたかった。セブルスも無論疑われてはならん立場にある。不死鳥の騎士団としての重要度はワシ以上とすら言える。じゃが監視の目はこのホグワーツにおいてのみであれば、少なくともワシよりは融通が利くはず。ドローレスもダリアもセブルスまではまだ疑っておらんことじゃろう。それにワシの命令でとなれば、セブルスもいざという時に言い訳が立つ。じゃからセブルスにはどうしてもワシの提案に頷いてほしかったわけじゃが……彼は頑なに首を縦に振ろうとはせんかった。

話は平行線のまま、今日もただ焦りと不安ばかりが募っていく結果になりそうになる。

ワシは彼を自室に帰す前にもう一度だけ催促しようとした。じゃが、

 

「セブルスよ。事態の深刻さは分かっておるはずじゃ。お主とて、」

 

「アルバス! 申し訳ありません! ですが火急のことです! ポッターがまた夢を見たとの話です! それもアーサー・ウィーズリーが襲われたと! 貴方の予想していた通りのことが起こったのです!」

 

突然の来訪者によって、事態は今回大きく動かざるを得ない様子じゃった。

ノックもなしに部屋に踏み入ったのは3人じゃった。一人は大声でワシに報告するミネルバ。そしてもう二人は……先程まで話題に上がっていた件のハリーと、そんな彼を支えるロナウド君。

急いでやってきたのか三人共寝巻のまま。じゃが最も目につくのは、余程悪い光景を見たのか、酷い汗をかき震えておるハリーの姿じゃ。

 

……いよいよ本当にやらねばならん時が来た。そうワシと……おそらくセブルスも、ハリーのこの姿を見た時悟ったのじゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

休暇前に関してはもはや忘れたいことの方が多くなってしまったけど、クリスマス休暇中だけで言えば……僕の人生の中で最高のクリスマスだと思う。

勿論休暇中も城にはアンブリッジがいるし、残っている生徒も全員が僕の言っていることを信じてくれているわけではない。休暇中も僕は何度も冷たい視線に晒されることがあった。

でもいつもと違い僕には大勢の仲間がいた。彼らは……DAのメンバーのほとんどがヴォルデモートが復活したと信じてくれており、少しでも安全なホグワーツに残ることを選択してくれたのだ。そのため休暇中のホグワーツでは寧ろ僕の味方の方が多い状況だった。アンブリッジに目を付けられない範囲ではあっても、僕を度々庇ってくれさえいた。あんな風に僕の味方の方が多い状況というのは久しぶりだ。ダフネ・グリーングラスやザカリアスは家に帰っているのが尚いい。これで休暇中のDAは真面目に練習してくれる生徒だけが残ってくれた。

……正直な話、ダフネ・グリーングラスは僕から見ても決して不真面目な生徒ではなかった。常に斜に構えた態度のザカリアスとは違い、あいつは練習だけは真剣にいつも取り組んでいたように思う。それどころかDAの中でも一二を争うくらいの実力者だ。認めがたいことではあるけど……。でも、だからと言ってあいつのことを信じられるという話ではない。あいつがどんなにDAで真面目に見えたとしても、あいつがダリア・マルフォイの取り巻きである事実に変わりはない。しかも新しく『高等尋問官親衛隊』なんて地位にも就いている。スリザリン生というだけでも信用できないのに、そんな交友関係を持つ人間を信用できるはずがなかった。だからこそグリーングラスがいない休暇中は、DAにもどこかリラックスした空気が流れていた。下級生は特に安心した表情で練習に臨んでいたし、いつもより呪文の成功率が上がっていた程だ。

だから結局クリスマスで城に残っていたのは、正確には僕の本当の味方がほとんどだったのだ。

ウィーズリー兄弟にハーマイオニー。そしてグリフィンドールの仲間に、寮外の仲間達。休暇前には考えられなかった、それこそいつものDA以上の空間がそこにはあった。

 

それに何より残ってくれているDAメンバーの中には、あのチョウ・チャンがいたのだ。しかもクリスマスの夜、僕は遂に……彼女と()()してしまった。

 

クリルマス中の練習後、僕は勇気を出して彼女に話しかけた。今思えば城中に漂うクリスマスムードに当てられたに違いない。どうしてあんな行動を取ってしまったのか、未だに自分自身の行動が信じられない。クリスマスということで興奮しきっていたのは間違いないけど、それにしても行動が突拍子もない。

でも現実に僕は彼女に、

 

『チョウ……ちょっといいかな? こ、この後時間あるかな? す、少し話がしたいんだけど?』

 

そんなことを言い、皆がいなくなった後も部屋に残るように伝えたのだ。

正直な話、それ以降のことは緊張しすぎてあまり覚えていない。彼女と何を話したのか……今では酷く朧気ですらある。でも一つだけあの夜のことで鮮明に覚えていることがある。それはあの夜、僕はチョウとキスしたことだった。正確にはあの人生初めてのキスが強烈過ぎて他のことなど全て忘れてしまったのだ。近づく彼女の瞳。触れ合う唇。彼女の唇はとても柔らかく……何故か()()()()()。他のことは忘れてしまっていても、きっとあの感覚だけは決して忘れられないことだろう。

彼女が何故あの時笑顔を浮かべながらも、同時に涙を流していたかは分からない。多分嬉し涙……ということはないだろう。でも悲しみによる涙だとすれば、彼女は一体何を悲しんでいたのだろうか。尤も女の子の心はいつも複雑怪奇で僕には理解できた例はない。いつも一緒にいるハーマイオニーのことも分からない時が多いのだ。今までそこまで話したことないチョウ・チャンの気持ちが分かるなんて口が裂けても言えないだろう。

でもそれを差し引いたとしても、あのキスは僕を舞い上がらせるには十分なものだったのだ。彼女が泣いていた事実が魚の小骨のように気になりはしているが、それ以上の幸福に休暇中の僕は満たされていた。ホグワーツでのクリスマスに悪い記憶はそこまで多くはない。……一年毎に何かしらの酷い目に遭うことはあったけど、それでも概ねいい記憶の方が多いと思う。そして今年はその中でも特に素晴らしい年だと言えた。

 

……そう、その夜までは。

 

その日も別に特別何か悪いことがあった一日ではなかった。寧ろ素晴らしい一日でさえあった。数日前からの幸福感に包まれたままロンとハーマイオニーといつもの世間話に興じ、時折DAの今後について話し合う。外に出ればウィーズリー兄弟と雪合戦をし、食事の時に目が合ったチョウ・チャンと頬を赤らめ合う。そんな穏やかで幸福な一日を過ごしていた。

なのに、

 

『な、何故こんな所に蛇が!?』

 

『……邪魔な人間。かみ殺してやろうかしら』

 

僕はその夜とんでもない悪夢を見てしまったのだ。

気付けば僕は地面を這いずっていた。つい先ほどベッドに潜り込んだというのに、どことも知らない石床を這いずっている。しかも僕の体はいつものものではなく、恐ろしく滑らかで力強く、そしてしなやかだった。頭の中にあるのは使命感。

()()()()()の命令を遂行するため、暗く冷たい石床を進んでいた。

しかしそんな私の進みを邪魔する者がいた。居眠りしているのか床に座り目をつぶっている。燃える様な赤い髪を持つ男だ。私は人間の見分けがあまり得意な方ではないが、このような髪を持つ人間はご主人様の部下にはいなかったはずだ。ならば考えられる可能性は一つ。この人間は敵だということだ。

そしてその予想は正しく、私が近づいたことで目が覚めたのだろう。男は立ち上がると同時に、あろうことか私に向かって杖を構えたのだ。明らかな敵対行為に私は本能の赴くまま床から伸びあがり……何度も男の肉に牙を突き立てた。1回、2回、3回。1回毎に男は悲鳴を上げる。肋骨が折れる感覚が私の顎に直接響く。

あぁ、最高の感覚……。最近ご主人様が部屋から私を出したがらなかったため、この様に生き物を殺すのは久方ぶり。この男は敵なのだ。ならば殺しても構わないはず。それどころかご主人様や、()()()()()()()()()()()()()()()()()()も喜んでくれるはずだ。任務は今回も失敗したとはいえ、これでまた一人邪魔者が消える。ならばこのままかみ殺してしまえばいい。

そう私は再度鎌首をもたげたところで、

 

「ハリー! ハリー! どうしたんだ!? 何を叫んでいるんだい! 嫌な夢でも見てるのかい!?」

 

ロンの呼び声で目を覚ましたのだった。

目を開けた瞬間感じたのは、自分が今も体中から垂れ流している冷や汗だった。そして頭が割れんばかりの頭痛。まるで額の傷に火搔き棒を押し当てられたような痛みだ。ベッドに入るまで感じていた幸福感などどこにもない。酷く吐き気がする。僕は心配そうにベッド横に佇むロンを押しのけ、そのまま床に胃の内容物をぶちまけた。

 

「うわ! ど、どうしたんだい、ハリー! 気分が悪いのか!? 病気だよ! 誰か呼ばなくちゃ、」

 

「い、いや、ロン。そ、それより聞いてくれ。君のパパだ……。君のパパが襲われた! 蛇に噛まれたんだ!」

 

「そ、そんな馬鹿なことがあるか! ハリー、どうしちゃったんだい!? 悪い夢でも見たのか!? とにかく、今ネビルがマクゴナガルを呼びに行ったよ! もう少しの辛抱だ!」

 

僕は更なる吐き気を何とか抑え込み、何とかロンに言うべきことを伝える。

でもロンの反応は芳しいものではなかった。僕の危機感がいまいち伝わっていないのか、動揺するばかりで一向に僕の話に取り合おうとしない。同じルームメイトのディーンとシューマスに至っては、近くで僕のことを見つめながらブツブツ何か囁き合うばかりだ。僕だって突拍子のないことを言っている自覚はある。ロンがすぐ信じられるはずがない。でも先程までの現実感が夢であるはずがないのも事実なのだ。あれは僕がいつも見る()()だ。こんな夢を見た時には、いつだって夢の内容は現実に起こっていた。それに今もウィーズリーおじさんに噛みついた感覚が残っている。つまり僕は先程まであの大蛇で、そして……現実にどこか知らない場所で、ウィーズリーさんが蛇に噛まれたのだ。

一刻も早く信じてもらわなくてはウィーズリーさんの命が危ない。焦燥感ばかりが募る。

そしてそんな僕の焦燥感がピークに達しつつある時、ネビルがマクゴナガル先生をようやく連れてきてくれたのだった。

 

「ポッター! どうしたのです!? 夜中に騒いでいるとロングボトムが言っていましたが、具合でも悪いので、」

 

「マクゴナガル先生! 良かった! す、すぐに知らせなくちゃいけないんです! ウィーズリーおじさんが……ウィーズリーさんが襲われました! ど、どこかは分かりませんけど、今しがた蛇に襲われたんです! あの蛇はヴォルデモートの近くにいた奴だ! 僕は見たんです! あいつがウィーズリーさんを噛むのを! はやく助けにいかなくちゃ!」

 

正直マクゴナガル先生が僕の話を真面に取り合ってくれる思っていなかった。心のどこかで、今のロン達と同じ反応をされると思ってしまっていた。

でも、

 

「……ポッター、貴方は見たと言いましたね。それは……一体()()()()で見たのですか?」

 

先生は僕の捲し立てる様な言葉に真剣な表情で……そして何より何か知っているとしか思えない質問を投げかけてきたのだ。

敢えて伏せてはいたけど、こう聞かれてしまえば正直に答えるしかない。何より今一番重要なのはウィーズリーおじさんの安否なのだから。

 

「ぼ、僕が蛇だったんです。僕がおじさんを襲っていたんです! 僕がおじさんを噛んで……それで辺りが血の海に! 先生! これはただの夢なんかじゃない! どうか早く助けを!」

 

「……どうやらアルバスの言っていた通りのことが起こったようですね。分かりました、ポッター。貴方の言うことを信じます。さぁ、すぐに準備なさい。ウィーズリーも同様です。校長室に行くのです! 事態は急を要します。急いでアルバスに相談しなくてはなりません!」

 

やはり先生は何かを予め知っていたのだろう。僕の予想通り、先生はすぐ話に納得した様子で僕達に準備を促す。

先生が何をダンブルドアから予め言われていたかは分からない。ともすれば先生もダンブルドアから詳しい話は聞いてはいないのかもしれない。しかし今はそんな悠長なことを考えている場合ではない。僕はようやく事態の深刻さを理解し始めた様子のロンに支えられながら、マクゴナガル先生の先導の下校長室に歩みを進める。

 

 

 

 

最高であるはずだったクリスマスは、こうして最低最悪のものへと一晩で変わってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

実に3回。私は目の前に横たわる()()()()()()()()()。辺りは血の海と化し、もはや男に抵抗する力も残ってはいない。久方ぶりの餌にありつけて喜ぶ私が……

 

「マルフォイ様! どうかなさいましたか!?」

 

()()()()()と同時に聞いたのは、そんな野太い男の声だった。

辺りを見回せばマルフォイ家所有のテントの中だった。クィディッチ・ワールドカップでも使っていたテント。魔法により空間は拡張され、所々に高価な調度品が品良く置かれている。だが一人で過ごすには些か広すぎる空間には……当然私以外の人間はいない。クリスマス休暇だというのに、私はこんなテントの中で一人寂しく過ごしていた。本来ならば、私はあの愛する家族と共に過ごしているはずなのに……。

尤も全くの一人というわけではない。テントの中に入ることは許可していないが、外には二人程私の()()が待機している。今の声もその一人……ビンセント・クラッブの父親の物だろう。声こそしないが、彼の近くにゴイルの父親の気配もしている。……彼等がいたところで何の慰めにもなりはしないが。

私のうなされる声を心配してくれているのだろうが、いくら幼馴染の親とはいえ気を抜くことなど出来るはずがない。私は冷たい声音で彼に返す。

 

「……いいえ、何もありません。ただ少し悪い夢を見ただけです。お気になさらずに」

 

「そ、そうでしたか。それならば良いのですが……」

 

しかし彼等からすれば小娘としか言いようのない人間に冷たくされても、彼らの声音に不満の色はない。純粋に私に対しての恐怖に彩られた声音だ。思えば彼らは昔からそうだった。お父様に話しかけるものより、その娘に対しての方がどこか恭しかった。息子達にもお兄様より私にすり寄れと言っている程だ。

一体私のような怪物のどこが彼らの琴線に触れたのだろうか。今だってそうだ。闇の帝王の命令とはいえ、自分達の任務の応援に小娘が派遣され、尚且つ小娘の指揮下に入れなどという命令にどうして従えるのか。息子達もそうだが、全く人を見る目がないとしか言いようがない……。

そこまで考え、私はテント中のベッドから身を起こしながらため息を吐く。

いや、本当に愚かなのは私の方だ。寧ろ彼らは考える脳味噌が無いが故に……本能で感じ取っているのかもしれない。私が闇の帝王とは別の系統の()()であると。決して同じ人間とは言えない、人の形を模しただけの()()なのだと。彼らはそれを本能で理解しているからこそ、こうして怪物の怒りを買わぬように必死になっているのかもしれない。

 

……夢とはいえ、人に噛みつくことに喜びを感じるモノを人と定義出来るはずがないのだから。

 

私がテントを出ると、案の定入り口にはクラッブとゴイルの父親達が跪いている。彼等が闇の帝王を迎える時と同じ仕草で。そんな彼らを敢えて無視し、私は目の前に広がる光景に集中する。

時間はもはや深夜とも言える時間帯。しかも今私達が滞在しているのは禁じられた森と同じくらい鬱蒼とした森の中。辺りは真っ暗な闇に満たされている。そんな中でも見える明かりと言えば、木々の間から見える、山の麓にいくつも灯された篝火くらいのものだ。周囲が真っ暗であるが故に、その中で燃え盛る篝火は酷く目立つ。……その間でいくつも蠢く()()()()も。

そして視線を上げれば、私達の向かい側に巨大な山がそびえている。()()()()()は山と山の谷間になっている場所だ。向かいの山に明かりが灯っているわけではないため直に確認することはできないが、おそらく()はあそこに潜んでいることだろう。私がここに来る前に、集落で()()と思しき大きな人影を見たと二人は話していた。老害も闇の帝王の思惑をある程度把握しているはずであることから、ここを完全に放置しているとは考えにくい。老害も確実に説得要員を送り出しているはずだ。ならばあちらの山に潜んでいるのは……。

自分の()()()()()()特徴を再確認していても仕方がない。何より私には……マルフォイ家には時間がない。先程の夢がいつも通り現実であるとすれば、()()()に与えられた任務は失敗したことになる。あの忌々しいウィーズリーを殺せたかもしれないことは実に愉快な事実ではあるが、敵に見つかってしまった事実に変わりはない。()()もあれ以上先に進むことは選択しないはず。これでまたもや闇の帝王は予言を手に入れることに失敗したのだ。ならばその怒りがどこに向かうかといえば……予言を手に入れるよう指示されているお父様に他ならない。

せめてこちらの任務を出来るだけ早く成功させなければ、いよいよ闇の帝王の機嫌を損ねてしまう結果になりかねない。

 

いくら巨人達が最終的にこちらに味方する()()があったとしても、時間をかけてしまえば何の意味はないのだから。

 

「さて、仮眠は終わりです。そろそろ行きましょうか。創造主(マスター)も待ちわびておられます」

 

そう二人に声をかけると、二人とも勢いよく立ち上がる。私のことを恐れているのもあるが、彼等とて理解しているのだ。これ以上闇の帝王を待たせてしまえば、自分達の首が物理的に飛びかねない。彼等の仕事が遅いからこそ私が送られてきたのだ。彼等とてこの任務に文字通り命を懸けている。

そしてそんな彼らを尻目に私は自分自身に呪文をかけ始める。

 

『パラジェンス・テネブリス、闇よ覆え』

 

それは闇の帝王から太陽光を防ぐために教えられた呪文。しかし素性を隠すためにも利用できるため、私は『死喰い人』として活動する際もこの呪文を多用していた。

呪文を唱え終わると私の周りにはまるで黒い霧のように闇が纏わりつく。中からは普通に周りを見渡せるが、外からは()()()()()()()()()にしか認識できないことだろう。

これで準備は整った。後はあの()()()を説得するだけだ。

 

 

 

 

クリスマス休暇。例年であれば、私はこの時間家族と穏やかな時間を過ごしているはずだった。

でも今私がいる場所はマルフォイ家とは似ても似つかない森の中であり、一緒に過ごす相手もただの部下でしかない。

お兄様は今頃何をされているのだろうか? 私が家を出る時、酷く青ざめた表情をされていた。しっかり食事を摂れているだろうか。

お母様は何をされているだろうか? ただでさえ痩せておられたのに、家に帰った時には更に痩せておられた。ちゃんと元気に過ごされているだろうか。

お父様は闇の帝王に苦しめられていないだろうか? 今でもお父様が『磔の呪文』をかけられた光景を思い出すと、腸が煮えくり返りそうになる。お父様のためにも早くこの任務を完遂せねば。

……ダフネは元気にしているだろうか? 手紙のやり取りは、()()()()により途絶えてしまっているが、今頃家族と穏やかなクリスマスを過ごせているだろうか。彼女と会う時間がとても待ち遠しい。

気を抜けば取り留めのない、そしてもはやどうすることも出来ないことばかり考えてしまう。

私は闇の中で頭を振り、余計な考えを外に追い出す。

今はこの任務に集中しなければ。これさえやり遂げれば、私は更に自身の有用性を闇の帝王に証明できる。そうすればマルフォイ家を更に守る権力(ちから)だって手に入るはずなのだ。

 

そう、全てはマルフォイ家を、愛する人達を守るために。……家族と再び、穏やかなクリスマスを過ごすために。

 

私はこうするしかマルフォイ家を守ることが出来ないのだから。

たとえ()()()()()()()()()()()



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新たな脅威

 ハリー視点

 

『……セブルスよ。状況が変わったことはお主も理解出来ておるの? ならばこれは今までのような頼みではなく、ワシからの命令じゃ。事態は急を要する。今すぐ取り掛かるのじゃ』

 

ここ数日、僕は碌に眠れていない。

あの夢をダンブルドアに伝えた後、先生は即座にどこかに連絡し終えるとスネイプにそう告げたのだ。そしてスネイプは僕をすぐに地下室に監禁し、

 

『誠に不本意であるが、君の低脳さは吾輩の想像を遥かに上回っていたようだ。校長の仰る通り、もはや一片の猶予もない。非常に不本意極まりないことであるが……校長は喜ばしくない仕事を他者に押し付けること特権と思っている様子。ならば吾輩がやるしかない』

 

僕にこう続けた。

 

『吾輩が今から教えるのは『閉心術』という呪文だ。世間にはあまり知られておらん呪文であるが、君のような愚かな生徒には必要不可欠なものだ。この呪文をポッター、君がもし万が一習得することが出来たのだとすれば、先程のように()()()()()()()()こともなくなるだろう。何度も言うが、君が優秀であればの話だ。今までの成績から考えるにあまりに絶望的と言わざるを得ないがね』

 

それから始まった特訓は……決して特訓と呼べるような代物などではなかった。

訳も分からないうちに特訓を言い渡され、挙句の果てに教えるのはあのスネイプ。正直『閉心術』というものが一体何かも理解出来ていない。ヴォルデモートとの繋がりを断ち切る? 確かにあいつと繋がりがあるというのはいい心持のする話でない。でもだからと言って、こんな風に無理やり地下室に閉じ込めるなんてどうかしている。どうして僕がこんな扱いを受けなくてはならないのだろうか。これではまるで僕の中にヴォルデモートが潜んでいると言わんばかりではないか。僕はウィーズリーおじさんの危機を知らせたんだ。こんな危険人物に対するような扱いはあんまりだ。

なのに理由を聞いても、

 

『……僕はどうしてその『閉心術』を学ばなくてはならないのですか?』

 

『……やはり愚かだなポッター。分からないのなら教えてやろう。危険だからだ。君がではない。()()()()()()()()()。君の愚かさのせいで、多くの人間が傷つくのは君も本意ではないであろう? いいから黙って従うのだ。吾輩とて暇ではない。直ぐに取り掛かる。この呪文の基礎は、自分自身を空にすることだ。自分をコントロール、制御するのだ。何者にも侵害されないという強い気概が必要だ。では始めるぞ』

 

僕の反論など一切考慮されず、いきなり拷問のような時間が始まったのだ。

宣言と共に始まるスネイプによる心の蹂躙。何かが僕の中に侵入するような感覚に身の毛がよだつ思いだった。ダンブルドア校長と目を合わせた時も、時折()()()()()()()を覚える時はあるけど……スネイプのはもっと無遠慮なものだった。拒絶しようとしても撥ね退けられ、僕の心の中を無遠慮に覗き見されていく。そしてその感覚は正しく、スネイプが時折呟く。

 

『……まったく自制心がない。傲慢で愚か。ポッター、貴様に忍耐や自制心というものはないのか。吾輩を全く拒絶出来てはおらん。お蔭で吾輩は君の下らない記憶を見る羽目になっている。クリスマスにキス? 英雄殿は実に有意義なクリスマスを送っていたと見える。実に下らん、反吐が出る。貴様は自身の置かれた状況を理解しておらんのか?』

 

言葉からも、そして感覚からもスネイプが僕の記憶を盗み見ているのは間違いなかった。

なのに僕はどう頑張ってもスネイプの侵入を阻むことが出来ない。訳も分からず記憶を盗み見られ、何度も何度も罵倒を浴びせられるのだ。当然成果なんてあるはずもなく、ただただ疲労ばかりが溜まっていく。スネイプに対する不満を覚えても、それすら盗み見られて罵倒される。せめて僕が何故こんな特訓をいきなり言い渡されたのか、そしてそもそも何故僕がヴォルデモートと繋がりがあるのか。……僕はあいつと繋がっていることで、どんな人間に変貌しつつあるのか。少しでも僕の中で渦巻いている疑問を解消してほしかった。なのにスネイプはそんな僕の疑問を見ているだろうに、そこには一切触れず、

 

『……集中しろ、ポッター。これは騎士団のためであり、そして貴様のためのものなのだ』

 

そう繰り返すばかりで一切疑問に応えようとしなかった。もう意味が分からない。それともスネイプ自身も答えを持ち合わせていないのだろうか。

 

あんなに楽しかったクリスマスはもはやどこにもありはしない。スネイプの特訓もあの日だけではなく、それから毎日のように繰り返されている。しかもアンブリッジにバレないようにと夜遅くの時間帯。お蔭で寝不足で毎日が辛くて仕方がない。ここ最近でいいニュースと言えば、()()()()()()()()()()()()()()()ということくらいのものだ。ダンブルドアの指示ですぐに救援が駆け付け、何とか九死に一生を得たらしい。そのことでロン達ウィーズリー兄弟も随分と僕に感謝してくれた。夢を見たことをまるで非難されているような状況が続いていたから、彼らの言葉がどれほど嬉しかったことか。

でもそれだけだ。おじさんを救えたことがどんなに喜ばしくても、その喜びをスネイプが容易く塗りつぶしてくる。最近はDAも出来ず、チョウとも会うことが出来ていない。僕のクリスマス休暇はこのままスネイプ色に染め上げられるのではないかと半ば絶望していた。

 

……でも僕の絶望に反し、流石にクリスマスが完全に暗いものになることはなかった。それはそんな絶望にうなされている最中のことだった。

 

いよいよクリスマス休暇終わりが見え始めた日。スネイプの拷問が終わり、僕が談話室で項垂れていた時、

 

「あら!? み、見て、ハリー! ハグリッドの小屋の明かりがついているわ!」

 

心配して僕の帰りを待ってくれていたハーマイオニーが大声を上げたのだ。

この半年間何の音沙汰もなく消息を絶っていたハグリッド。ハーマイオニーの声にロンと一緒に窓辺に駆け寄ると、確かに今まで人の気配もなかったハグリッドの小屋に明かりが灯っていた。

ハグリッドが、僕らの友人がようやく帰ってきた!

その後の僕らの行動は早かった。監督生であり、あの規則の守護者であるハーマイオニーですらも、何も言わずとも外に出る準備を始める。スネイプのせいで今の時間帯は深夜だ。休暇中とはいえ、決して生徒が外を出歩いていい時間ではない。なのにハーマイオニーも含めて、僕らは何も言わずともあの友人の下に今すぐ駆けつけたくて仕方がなかったのだ。

この半年間、教師の役目を放ってどこに行っていたのか? 一体何をしていたのか? 戻ってきてくれたということは、休暇明けには『魔法生物飼育学』をまた担当してくれるのか?

聞きたいことは沢山あった。でもまずはハグリッドの安否を確かめたい。本当に彼が帰ってきたのか、彼が無事であることを確認したくて、気付いた時には体が勝手に動いていた。

そして僕らは最低限の防寒具を着こみ、すぐに『透明マント』を被ると談話室を発つ。誰もいない廊下を駆け抜け、雪が降り積もる校庭を進む。

積もりに積もった雪をかき分けて行けば、目の前には煙突から煙を吐き出している森番小屋。より近づけば、ハグリッドの声までこちらに聞こえてきそうだ。僕等はマントの中でより一層確信を強くする。

 

本当に……本当にハグリッドが帰ってきた! この味方の少ない城の中で、一人の本当に心強い仲間が帰ってきてくれたのだ! 

 

僕らは勢いのまま小屋の扉を叩く。中からファングの吠え声が響く。そしてそんなファングの吠え声の合間から、

 

「誰だ!? こんな夜遅くに!」

 

半年ぶりの友人の声が響いてきたのだった。

 

「ハグリッド! 僕達だよ!」

 

「む!? この声はハリーか!? まったく、帰って数分も経っておらんのに! まっとれ! 今開ける!」

 

中から閂が外され、扉がギーッと開く。……しかしその顔は、

 

「ハ、ハグリッド!? どうしたの、その顔!?」

 

何故か()()()()のものだった。お世辞にも無事な状態とは言えない程、彼の大きな顔はこれでもかと言わんばかりに傷だらけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ハグリッドもまだ帰ったばかりなのか、暖炉に火は灯っていても小屋の空気はまだまだ冷たい。

そんな小屋の中を、

 

「まったく、本来はいかんのだぞ。こんな夜遅くに出歩くのは。だが来ちまったものは仕方ねぇ。待ってろ、今茶を淹れるから」

 

ハグリッドがそろりそろりと歩いていた。

肋骨でも折れているのだろうか。体を動かす度に苦悶の表情を浮かべている。尤もその表情も、所狭しと埋め尽くす傷でいまいち判然としない。ムーディー先生の方が、今なら余程健康的に見えそうだった。当然そんな状態の彼にお茶を淹れてもらうわけにはいかない。

 

「何を言ってるの!? ハグリッドは座っていて! お茶なら私が淹れるから! い、いえ、それよりも今すぐ手当てすべきよ! 早くマダム・ポンフリーのところに行きましょう!」

 

どう見ても重症な状態である彼に私は着席を促す。そしてそれ以上に直ぐに治療を受けるよう言ったわけだけど、

 

「い、いや、それは出来ねえ。マダム・ポンフリーの所には行けねえ。今俺は城に行くわけにはいかねぇんだ。今日帰ったことを、あまり知られちゃいけねぇんだ」

 

彼はそれを拒否し、ただ席に着くだけに留まっていた。挙句の果てに彼は懐から緑色をした生肉と思しきモノを取り出し、そのままソレを顔に張り付け始める。

 

「あ~、やっぱりこれが痛みに効く。ズキズキ痛むのは、これで大分楽になるわい。ほれ、これで治療になる。だからマダム・ポンフリーには俺のことは言わんでくれ」

 

どう考えてもただの民間療法にしか見えず、根本的な治療になっているとは思えない。

でも彼が何かしらの任務のために今まで雲隠れし、こうして帰ってきてからもコソコソ隠れているのは十分に分かってしまった。ハリーとロンもそれは理解出来たのか、私がお茶の準備をするのを手伝いながらハグリッドに尋ねる。

 

「ハグリッドがそこまで言うなら……でも、本当にどうしたんだい、その怪我? どう考えても普通じゃないよ。まさか転んだだけなんて言わないだろう?」

 

「そうだよ。それに今までどこに行ってたの? 授業も放っておいて。今までずっと心配していたんだよ? 何の連絡もないんだもの」

 

しかしハグリッドの答えは相変わらずにべもないモノでしかなかった。尤も、

 

「すまねぇな。随分心配させたな。でも言えねんだ。任務で()()()に行っていたんだ。随分長いこと籠らなくちゃならなかったし、()()()()()()()()()()()()()だったんだが……何をしていたかは詳細には言えねえ。これも騎士団の任務なもんでな」

 

答えはハグリッドらしく、隠していても隠しきれていないものでしかなかったけれど。

深い森。危険な連中。騎士団の任務。

これだけヒントがあれば、彼に与えられた任務を察するのは簡単だった。ハグリッドの生い立ちを知っていれば尚更。ダリアの事情なんかより単純極まりない。

ハリーとロンは分かっていない様子だけど、私は全員分のティーカップを配りながら言う。

 

「……そう、騎士団の任務で()()()()()に行っていたのね。ハグリッド、隠せていないわよ。それで、どうして巨人の集落にってそんな怪我をしたの?」

 

あれだけ言っておきながら、本当に隠し遂せると思っていたのだろう。ハグリッドは驚きのあまり椅子からずり落ち、生肉も床に落としてしまっている。

 

「ハ、ハーマイオニー! だ、誰から聞いたんだ!? 巨人なんぞと、一体誰がお前さんに教えた!? それは秘密のはずだ!」

 

「いえ、貴方が今しがた言ったことよ」

 

彼の怪我のことも忘れ、私は一瞬ただ呆れ返る。本当にダンブルドアは彼に重大な任務を任せて大丈夫だったのだろうか。一年生の時もそうだったけど、絶望的に秘密保持が出来ていない。

ハリー達も私の言葉とハグリッドの反応に真実に気付いたのか、すぐさま彼に質問する。

 

「ほ、本当に巨人に会いに行ったのかい!? すげー! 森ってどこだい!? よく見つけられたね!? なんでそんな場所に行かされたんだい!?」

 

そしてそんなロンの質問に対して、相変わらず秘密を持つことが苦手なハグリッドが話し始めたのだった。

本当にこの先騎士団は大丈夫なのかしら?

全員分のお茶が揃うと同時に、ハグリッドはいかにも仕方がないと言わんばかりの口調で続けた。

 

……ハグリッドが今まで城にいなかった理由を。そして……おそらく()()も関わっているであろう事件のあらましを。

 

「……仕方ねぇ。お前さんらみたいな知りたがり屋は初めてだ。だが、そこまで知られてしまえばもう隠す意味はないな。……そうだ。俺はダンブルドアの命令で巨人を探しちょったんだ。奴らを何とか味方にするために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハグリッド視点

 

これが本来言ってはならんことは分っとる。だが相手はロンやハーマイオニー。そして何よりあのハリーだ。そこらの生徒達とはわけが違う。

秘密は守ってくれるだろうし、何よりハリーには知る権利があると思ったのだ。この子は今まで多くの戦いを乗り越えてきた。そしてこれからもまた過酷な運命が待ち構えちょる。そんな子が何も知らんと言うのは、流石に酷な話だと俺は思ったのだ。

ハリーは何より敵のことを知らなくちゃなんねぇ。

だからこそ俺は話し始める。ハーマイオニーが何か呆れた表情でこちらを見ちょるが、ここまで知られてしまえばもはや話しても話さんでも同じだ。根掘り葉掘り聞かれて俺がボロを出してしまうより、そっちの方は遥かにえぇ。

何より……どの道俺の任務が()()したことは分かっちまう。俺は巨人達を味方に引き込むことに失敗したんだ。

 

あの()()()()()()()()()()()のせいで……。

 

「まずロン、どこの森に巨人がいるかという話だが、奴らを探すのはそんなに大変なことじゃねぇ。ダンブルドアがある程度の場所は知っていらしゃった上に、何より奴らはでかい。見つけるのはそんなに苦労はせんかった。マグルですら奴らを見つけられるんだ。ただマグルの場合、出会えば必ず殺されちょる。そうなった場合、マグルの中では遭難という形で処理されとるだけだ」

 

巨人は魔法使いにとって危険な存在として認識されとる。そんな奴らが案外近くにおることに、三人共驚きを隠せていない様子だった。

だが俺の話の本旨はそこじゃねぇ。俺は驚き口をあんぐりしとる三人を無視し続ける。

 

「そんであいつらを見つけた俺は、まずは贈り物をすることから始めた。何せあいつらは森の中に()()されとる。外の物は何でも喜ぶのさ。そんでダンブルドアの話をしたんだ。ダンブルドアは前の前の戦いの時、敵であるあいつらにも慈悲深く対応なさっていた。あいつらは頭がちと足りねぇが、そのことを覚えておった奴も何人かいた。後はその繰り返しだ。ダンブルドアのことを覚えておる奴がいても、それが全員なわけではねぇ。……それに何より、巨人達に接触していたのは俺だけではなかった。あそこには『死喰い人』もいた。()()()二人。あの体型から見て、おそらくクラッブとゴイルの父親共だな。森にはあいつらも潜んどった。そんで俺とは違う時間に巨人共と接触していたのさ」

 

「……クラッブにゴイル。確かにあいつらの父親もあの墓場にいたよ。それじゃぁ……ハグリッドのその怪我は、あいつらにやられたものなの?」

 

ハリーの言葉に俺は表情を歪めた。任務を失敗したことに対する自責の念のためだ。

俺は頭を振り、少しだけ冷静さを取り戻しながらハリーに応える。

 

「いんや、あいつらじゃねぇ。あいつらだけなら、俺はこんな目には遭わなかった。任務も順調だったんだ。ダンブルドアから与えられた任務は、巨人共を味方に引き入れること。少なくとも敵にならんようにすることが俺の任務だった。それは数日前までは順調だったんだ。味方になったとは言わん。だが少なくともそこまで敵対ではない関係性までは築けとったんだ。クラッブとゴイルなんて相手にもなんねぇ。あいつらは巨人共より馬鹿な連中だからな。巨人を説得できるわけもねぇ。巨人共に体格は似てるがな。……話が逸れたな。まぁ、あいつらが相手の内は、全ては順調に進んどったんだ」

 

そこで俺は一度ハーマイオニーが淹れてくれたお茶を飲み、言葉を続けた。

今でも夢に出てきそうになる、あの見たこともねぇ死喰い人のことを。

 

「だがな……()()()が現れてから全てがひっくり返った。丁度お前さんらがクリスマス休暇になったあたりだな。村の中を……黒い靄をまとった何かが徘徊し始めたんだ。最初は何か別の生き物かと思った。巨人共も最初にあいつが姿を現した時は随分警戒しとった。そりゃそうだ。見るからに怪しいからな。俺も森に隠れながら見とったが、あれが新しく来た死喰い人だろうということくらいしか分からんかった」

 

「何だいそりゃ。黒い靄? どうしてそいつが死喰い人だって分かったんだい?」

 

「時折警戒しとる巨人共に何か話しかけとる様子だったからな。クラッブとゴイルもあいつの後ろに付き従っとった。あいつが何者かは分からんが、クラッブとゴイルの父親を従えとったんだ。クラッブとゴイルの父親は頭は息子達同様だが、純血であることに間違いないからな。死喰い人の中でもそれなりの地位にいたはずだ。それを従えとる奴が普通の死喰い人であるはずがねぇ。流石に『あの人』ではねぇと思うが、少なくとも並の死喰い人ってことはねぇはずだと俺は考えとった」

 

ロンの質問に応えながら俺は続ける。

 

「そんな俺の考えは間違っておらんかった。……悪い意味でな。最初はそんなわけの分からん奴が一人加わっても、大して状況は変わらんと考えとった。だがな……あいつが現れてからというものの、日に日に巨人共が俺のことを拒絶するようになった。俺の贈り物に喜んでいた連中も、また贈り物を渡しても喜ばんようになった。微妙な表情を浮かべるばかりで、贈り物には何も言わん。更にあいつらはこう言うようになった。『こんなもの貰わんでも、()()()の陣営に入れば()()()()()()()』ってな。あいつらは話すの得意じゃねぇから正確な所は分からねぇが、大体はそんなことを言っておったな。挙句の果てに……この通り、俺が姿を見せれば襲い掛かるようになったのさ。ダンブルドアの名前を出しても襲い掛かってくる。寧ろ怒り狂っとった。これはその時出来た傷だ」

 

実のところ傷が出来た原因は()()()()()()()()が……これはいくらなんでもこの三人に話すつもりはない。()()()のことは俺の問題でしかない。だから今話すことではない。

任務はあいつのせいで失敗した。それは間違いねぇ。クラッブとゴイルの父親だけで巨人共を説得できるわけがねぇ。あいつは今まで見たこともない脅威だ。前の戦いの時にはいなかった、新しい敵だ。ダンブルドアが折角俺を信用してくださったのに、全てはあいつのせいで……。

だがそれを今ここでずっと愚痴っていても仕方がねぇ。ここまで話したのは、ハリー達に知ってもらうためだ。敵の恐ろしさを。敵の姿を。何も知らねぇで、こんな小さな子供達が戦いを強いられるなんてあってはならねぇ。俺は落ち込みそうになる自分自身をもう一度叱咤し、暗い顔で考えこんでおるハリーとハーマイオニー、それに顔を青ざめさせておるロンに話しかけた。

 

「……あの様子だと、巨人共の中で俺達に味方するのはそう多くはねぇだろう。俺の失敗のせいで、今回の戦いも奴らは敵になっちまった。あいつらは馬鹿だが、それでも力に関してはどの亜人よりも強ぇ。それだけでも十分な脅威だ。今回の戦いも厳しいものになる。だからこそ、ハリー。それにハーマイオニーもロンも。お前さんらには知っておいてほしいんだ。敵は強大だ。魔法省があの体たらくな現状、前より戦いは厳しくなるかもしれん。だがお前さんらは戦わなくちゃならねぇ。どんなに敵が強大でも、それを知った上で立ち向かわなくちゃならねぇ。辛いかもしれんが、それだけは覚えておいてくれ。……大丈夫さ! お前さんらは今までも大人でも出来んかったことを沢山やり遂げてきた! それに俺達にはダンブルドアが付いておられる。あの方がおられる限り、必ず何とかして下さるはずだ」

 

敵を知らなければ話にならない。同時に奴らの強大さを知って絶望もしちゃなんねぇ。だからこそ俺は絶望的な話をしながらも、最後には俺達の知る中で最高のお方の名前で話を締めくくった……わけだが、最後まで、ハリーとロン、それにハーマイオニーの表情が明るくなることはなかった。特にハーマイオニーに至っては、

 

「あの子だわ……あの子以外、そんなことが出来る子はいない。でも……あぁ、本当にどうしてこんなことに」

 

何か呟き続けるばかりで、俺の話を最後まで聞いているかも怪しい。

結局俺のことを心配してくれてここまで来てくれた彼女達は、帰る際も暗い表情で城に戻っていくことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「ダリア、ご苦労だったな。見事初任務をこなしたというわけだ。やはり俺様の判断は間違ってはいなかった。……なぁ、そうであろう、ルシウス」

 

「は、はい。勿論です我が君。よくやったな、ダリア」

 

およそ文明が行き届いているとは言えない山中から帰還し、真っ先に私にかけられた言葉はそんなものだった。ここは私が最も愛するマルフォイ家のはずなのに、まるで別の人間の家みたいだ。ここはもうマルフォイ家の屋敷ではなくなったのだ。

この家の主はもはやお父様ではなく……私という怪物を作り出したこの男、闇の帝王なのだから。

正直声を聞くことすら汚らわしい。私の最も大切な名前をお前なんかが呼んでいいはずがない。ダリアはマルフォイ家が私に与えて下さった名前だ。何故お前のような怪物にこの名前を気安く呼ばれなければならないのだ。

しかしそんな不快感をおくびにも出すわけにはいかない。私の表情筋が自身では動かせない程剛直で良かった。それがたとえ私が怪物である証明だとしても、大切な家族がほぼ人質に取られている現在の状況では寧ろ好都合だ。そして案の定私の内心を読み取ることはなく、闇の帝王は機嫌よく続けた。

 

「俺様は久方ぶりに非常に機嫌が良い。最近は腑抜けた部下共のせいで、俺様の計画は遅々として進んではいなかったからな。……そうだな、ルシウス」

 

「……申し訳ありません、我が君。で、ですが、」

 

「そうであろう、ルシウス。お前に与えた任務は遅々として進んではおらん。魔法省でそれなりの地位に着いておりながら、未だに()()()()の一つも回収出来んとは。お前の願いでナギニを貸し与えても失敗した。本来ならば()()罰を与えねばならんところだ。……だが俺様は今気分がいい。お前に預けた()()が見事役目を果たしたのだ。その働きをもってお前を許そうではないか。……しかしダリアよ。確かにクラッブとゴイルには些か荷が重いとは俺様も思っていたが、まさかここまで早く任務をこなすとはな。一体どうやって巨人共を説得したのだ?」

 

私をダリアと呼ぶどころか、偉大なお父様をこのように脅すとは……本来なら殺してやりたいくらいだ。しかしこいつは殺しても殺しきれない謎の不死性を有しており、尚且つ私では決して敵わない程の力も持ち合わせている。それはこいつに闇の魔術を教示された時に嫌という程実感した。ならば私の今出来ることは、内心の怒りを何とか抑え込み、こいつの御機嫌が少しでも長く続くようにすることだけだ。

私はなるべく平坦な声を意識しながら答えた。

 

「特別なことは何も。……ただ彼等に自覚させただけです。ダンブルドア……あの老害の手下は彼等にこう言っていたそうです。ダンブルドアはお前達を気にかけて下さっている。お前達を今までずっとよくして下さっていた……と」

 

だから、と私は続ける。

 

「だから私は更に彼等に言いました。()()()()()()()()()、と。どんなに気にかけていても、貴方達は今もこうして山の中に()()()()()()()()()ではないか。本当の自由になるためには、現状維持を良しとするダンブルドアでは駄目だ。()()()()()()()()()()、貴方達は戦うしかない。そのためには創造主(マスター)に味方するしか、貴方達には道はない。そう言っただけです。そう続けて言えば、たとえどんなに頭が足りない彼等でも理解した様子でした」

 

私からしたら実に簡単な任務だった。寧ろ何故こんな簡単なことも出来ないのかと、クラッブとゴイルの父親達の能力を疑ってしまう程だ。

 

そこまで考え、私は内心自問自答する。

いや……それは酷な話かもしれない。純血貴族は勿論、あの老害達ですら根本的には()()()()の人間だ。()()()()()()()()他者への脅威となると言う理由で、狭い世界でしか生きることを許されなかった者達のことを、彼らは真に理解することなど出来はしない。そんな世界があると存在自体は知っていたとしても、真にその者達の考えや望みを理解することは出来はしない。

私の知る限り、出来るとすればルーピン先生くらいなものだ。先生が相手であれば私も失敗していたかもしれない。森番では力不足だ。彼も虐げられる側であったが、真の意味で他者を傷つける恐怖を感じたこともないだろうし、何よりダンブルドアのお陰で何不自由なく過ごすことが出来ている。巨人達に老害の偉大さとやらを説くだけの人間が、私の相手になるはずがない。

 

確かに老害は巨人達のことを気にかけてはいただろう。先の戦いのこともあり、彼らは皆殺しにされなかっただけでも有り難いことなのだ。実際アンブリッジ先生はそのようなことを主張していたという話は聞いている上、それを押しとどめたのもダンブルドアとも聞いている。老害は老害なりに彼らを気にかけているのは間違いない。森番という前例もある。

だが()()()()だ。実際に森の中に押し込められている彼等からすれば、そんなことは一切関係ない。彼らの生活を直に見てそれを私は確信した。彼らはその巨体さ故に、集団で生活するためにはもっと広い空間が必要だ。集落の中で何度も彼等が喧嘩をしている場面を見かけた。知能が低いことが原因の一つではあるかもしれないが、結局の根本原因は、彼等に居住を許された空間があまりにも彼等にとって狭すぎることなのだ。殺されなかっただけ有難いと思え? そこから出なければ悪いようにはしない? それは魔法使い側の都合だ。そんなこと巨人達からすれば理不尽極まりない話だろう。何故彼等が森番から受け取った外界の物を喜んでいたか。それは彼等が外に対する憧れと羨望を有していることに他ならない。それでも彼等が山の中に留まっているのは、外に出れば魔法使いに殺されるのが彼等とて分かっているからに過ぎない。

だからこそ……彼らは私の言葉に簡単に傾いてしまった。森番が()()()()外への憧れをプレゼントで強めてくれたから尚更簡単だった。他者を犠牲にしても、自身の幸福を手に入れたい。他人に虐げられる生を続けるのではなく、自分こそが虐げる側になりたい。魔法使い達が彼等にし続けていた態度と()()()()()()()。ただ彼らはそんな原理的な欲求に従ったのだ。どんなに知能が足りなくとも、生物である以上そんな損得勘定くらいは理解出来る。ただ私はそんな彼等の背中をそっと押してあげたに過ぎない。内心では隔離された生活から脱したがっていた彼等に、もはや縋るしかない選択肢を提示した。私のやったことはただそれだけだ。

……勿論その先にどんな未来が来るかも知っていながら。おそらくそんなことをしても誰も幸せにはならないだろう。広い世界に出ても、待っているのは闇の帝王に酷使される更に窮屈な生活。大勢の人間が死に、大勢の人間が不幸になることだろう。そんな未来を私は予測しながらも、彼等に安易な未来選択を提示した。

何故なら……私も彼等と同じく、他者を踏み台にしてでも大切なモノを手に入れたいから。……いや、それだけならば良かったが、私はそれ以上に……他者の不幸の上にしか幸福を成立させられない怪物でしかないから。きっとこれから起こるであろう地獄を想像して私は、

 

「そうか、やはりお前は素晴らしい手駒だ。……しかし、それしか道がないか。ククク……傑作だな。ダンブルドアも愚かだが、やはりそれ以上に巨人共は愚かだ。魔法も使えない連中など、捨て駒にしかならんというのにな。実に……実にこれからが楽しみだ。お前も楽しみなようだな、ダリア」

 

内心は兎も角、表情は彼らの破滅を楽しんでいるとしか思えない笑顔を浮かべているだろうから。

目線を上げた先、こちらに気持ち悪い笑みを浮かべる帝王の赤い瞳には……同じ笑みを浮かべた私の顔が写りこんでいた。

 

魔法使いは巨人達のことを怪物と呼び閉じ込めているが……そんな彼らを更に食い物にする私は、一体何と呼ばれる怪物なのだろうか。

そんな益体のないことを、私は血のように綺麗な紅い瞳を見つめ返しながら考えていた。



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休暇明け直前

 

 ルーピン視点

 

「おい、リーマス。ハリーへの手紙にあんなこと書いていいのか!? ハリーは父親を……ジェームズのことを聞いてきたんだろう!? スニベルスの奴が何をハリーに吹き込んだかは知らないが、あの卑怯者のやることだ! きっとハリーが迷うような下らないことを、」

 

「シリウス。いいんだ。下手に話を美化する必要はない。ハリーが知ったのは一側面でしかないとしても、少なくとも今まで彼が知らなかった一面なんだ。下手に否定しては意味がない。否定すれば、それこそハリーはずっと迷うようになってしまう。知ってから彼なりの答えを出せばいいんだ。信じよう。ハリーにはそれが出来る。……君だって私が狼男であっても、私の数少ない善良な面を見つけてくれたではないか。私達がハリーを信じなくてどうするんだ?」

 

不死鳥の騎士団本部、グリモールド・プレイス12番地の窓からフクロウを飛ばしながら、私は大声を上げるシリウスに応えた。ハリーから手紙が届いたのはつい数時間前のこと。どうやって知ったのかは知らないが、ハリーはどうやら私達とセブルスの学生時代の関係を知ってしまったとのことだった。決して私達だけが正しいとは言えない、寧ろ私達の方が間違っていたとすら言える過去を。その過去を知ってしまった彼は、私達の下に手紙を寄こしてきたのだ。

 

学生時代、私達はセブルスを理不尽な理由で攻撃していたのではないか、と。彼の父、ジェームズ・ポッターはその主導的な立場であったのか、と。

 

今までハリーはずっとジェームズのことを理想的な父親と信じて疑っていない様子だった。理想的な父であり、模範にすべき男だったと。だがここに来て急にどう考えても父親のことを疑っている様子の手紙を送ってきた。何かあったのは間違いないだろう。クリスマス休暇も残りほんの数日。ハリーが『神秘部』前で張り込んでいたアーサーの危機を夢で察知した事件もまだ記憶に新しい。この短い間に何があったのかは知らないが、内容から察するにセブルスと何か……。

だが何があったとしても、私に出来ることは決まっている。ただ正直にハリーに全てを話す。私に出来ることはただそれだけだ。それは私が教師であっても、教師でなくなった今でも変わらない。別に隠していたわけではない。だが私達は自らそれを話すことはなかった。我々はハリーが嘗て信じて疑っていなかったような完璧な存在ではない。今考えるとどう考えても間違ったことも沢山してしまった。その中の一つがセブルスのことだ。勿論私達が一方的に全て悪いことをしたとは思わない。セブルスも私達のことを一方的に敵視していた上、時折意味もなく攻撃を仕掛けてきていた。……それでも私達の方が理不尽に攻撃していたのは間違いないが。

下手に隠すべきではない。ハリーが聞きたいと言うのなら、私達は包み隠さず言うべきだ。我々が嘗ておかしていた間違いを。それがどんなに大人になった今恥ずかしく感じられることでも、それは今ハリーが知るべきことなのだ。知った上で彼は選ぶべきだし、彼なら選ぶことが出来る。

未来ある彼のことを、大人である私が信じなくてどうするというのだ。彼には私達と違い希望があり、未来がある。ならば私達が予定なことをすべきではないのだ。

 

「だが……ハリーは今辛い立場にある。今ジェームズについて下らないことを吹き込まれれば、ただでさえ苦しんでいるハリーを更に苦しめるだけだ。スニベルスはただの卑怯者だ。あいつが吹き込んだかもしれないことを考えれば、」

 

「シリウス。セブルスも今や私達の大事な仲間だ。そんな風にスニベルスなんて呼ぶな。それより、私達には他に考えるべきことがあるだろう?」

 

だからこそ私はシリウスの言葉を受け流し、今私達が最も話し合わなくてはならないことを告げる。

 

「……ここの所騎士団の状況は最悪だ。アーサーは襲われ、『神秘部』の守りに大きな穴が開いてしまった。……今なら敵が部屋に入り込むのも簡単だろうね」

 

今の騎士団には問題が山積みだ。それこそハリーのことだけを心配出来る程の余裕は我々にはない。

その問題の一つが『神秘部』のことだ。いや、我々が今最も頭を悩ませている問題と言ってもいい。それをシリウスも分かっているのか、どこか渋々といった様子で私に応えた。

 

「我々の賛同者はいても、魔法省はどちらかと言えば敵のテリトリーに近いからな。ルシウス・マルフォイのような下衆が要職についているのがいい証拠だ。昔から魔法省はそうだった。魔法省での味方は驚くほど少ない……。だが今に始まったことではないだろう? お前とキングズリーで何とか出来ないのか?」

 

「勿論キングズリーと私が闇祓いとして時折部屋の前を巡回してはいる。しかし、あまり大っぴらにするわけにはいかないんだ。特に今の魔法省はファッジに睨まれれば終わりだからね。私はこの体のこともあるから、いよいよ解雇直前だよ。本当にスクリムジョール局長には頭が上がらない。私がまだ定職にしがみつけているのは彼のお陰だ。本当に彼と……()()には感謝してもしきれないよ。……いや、話が逸れたね。とにかく、今の騎士団では『神秘部』を守り切ることは出来ない。中は『神秘部』の特性上ほとんどブラックボックスとはいえ、いつ敵が()()を手に入れるか分からない」

 

話している内に、より頭を抱え込みたくなるような気持になってしまった。シリウスも同様に顔をしかめている。

騎士団の主要メンバー全員がアレの重要性を分かっている。ダンブルドア曰く、アレは敵に知れ渡ってはいけない代物なのだとか。内容こそ我々には完全に知らされているわけではないが、アレには……あの予言にはハリーの重要性が示唆されているのだとか。敵にそれを完全に知られてしまえば、敵はハリーをより一層付け狙うかもしれない。そうなれば我々に更に勝ち目はなくなってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。ハリーのためにも……この世界のためにも。それが我々騎士団メンバーがダンブルドアから告げられたことだった。

……であるのに、現状我々が出来ることはあまりにも少なくなってしまった。アーサーが襲われる前ですら、あまり人手が多いとは言えない状況だったのだ。それが彼が襲われて更に苦しい状況になった。もはや予言を守れている状態とは決して言えない。当に状況は最悪だ。これで私まで魔法省から解雇されてしまえば……敵がアレを手に入れるのは時間の問題でしかない。

そして何より最悪の状況と言えるのは、この状況を覆す手段が我々にはないということだ。原因は勿論人材不足。シリウスが指摘する通り、魔法省には昔から味方がほとんどいたためしがない。消極的には我々の味方はいるのだが、自ら危険に飛び込んでくれる覚悟のある職員はいないに等しい。それで前回の戦いもクラウチが台頭するまで組織だった抵抗など碌に出来ずにいた。今回はそれ以上だ。コーネリウス・ファッジは今やルシウス・マルフォイの都合のいい言いなり。睨まれれば直ぐに解雇、それどころかアズカバンに送られる可能性もある。そんな状況で私達に手を貸してくれる人間が現れるわけもない。

当に万事休すだ。シリウスとあれやこれや話し合っても答えが出ることはない。ダンブルドアですら頭を抱え込んでいるのだ。我々がここで話し合っていても答えなど出るはずがないのだが、それでも話し合わねば、考え続けなければならない。たとえ決して答えが出ないと知っていようとも。そうするしか不利な状況にある我々に事態を覆す可能性はないのだから。

 

全く様々な可能性を考え、その方策が二人にないことを確認すればする程頭が痛くなる。

前回の戦い以上に苦しい状況だ。問題ばかりが次から次に起こる。予言のことも、そして、

 

「……アレのことはもうダンブルドアに頼るしかなさそうだね。しばらくはキングズリーと私で頑張るが、ダンブルドアの知恵を借りなければどうにもならない」

 

「だがダンブルドアも今は手一杯なんだろう? ここにも最近はめっきり姿を見せない。大方ハグリッドのことで苦慮しているんだろう。……まさかハグリッドが失敗するとはな。彼程の適任はいなかっただろうに。何だったか……黒い靄を纏った『死喰い人』だったか? 何だろうな、そいつ。以前の戦いにはいなかっただろう、そんな奴」

 

新しく現れた敵のことも。

シリウスの言葉に頷く。『死喰い人』は顔を隠す時、趣味の悪い髑髏のマスクを被っているのがほとんどだ。だがそんなことをしても大抵は誰だか分かる。マスクを被る程の幹部は数が限られており、声や仕草で誰か分かるのだ。あのマスクはもしもの時に言い逃れする道具に過ぎない。そもそもあいつ等にとって、『例のあの人』に与えられた殺しの任務は()()なものだ。本来なら自分の素性を隠すどころか、寧ろ誇らし気に自慢し始めるくらいだ。それがここに来て全く正体の分からない死喰い人が現れた。……それこそハグリッドの任務を一人で失敗に追い込む程の。戦闘力に優れた敵は何人もいる。だがそこまで頭が回る敵は今までいなかった。それも全くの正体不明。状況は前回より悪いとしか思えなかった。

 

……だが何故だろう。私はシリウスの言葉に同意しながらも、その新しい敵のことを考えた時……微かに思考にノイズが走るのだ。

本当に……本当に私は新たな敵のことを知らないのだろうか? 

ハグリッドという巨人達を説得する最適な人材を、いとも簡単に押しのける程頭が回る。誰も知らないような闇の魔術を使いこなす存在。そしてクリスマス休暇中に現れたタイミング。

本当に……私はそんな存在を知らないのだろうか? 考えれば考える程、私の脳裏に()()()()()()()()()()()()のことが……。

 

「クソ! 俺がこんな所に閉じ込められていなければ、俺もハグリッドの所にいけたというのに。俺は自分が不甲斐なくて……おい、どうした、リーマス。顔色が悪いぞ?」

 

「……いや、何でもないさ」

 

いや、違う。そんなはずがない。私は先程までの思考を断ち切りながら考える。

あの子はまだ15歳の少女だ。優秀なのは間違いない上、キングズリーの報告が正しければ、『神秘部』の方にも駆り出されているかもしれないわけだが……いくら何でも巨人族の村に派遣されることはないだろう。『例のあの人』が優秀だというだけで、15歳の少女をそんな重要で危険な任務に送り出すだろうか。奴が少女を危険に晒すのを忌避するような倫理観を持ち合わせていないのは間違いないが、そこまで意味のない行為をする程愚かでもない。だからあの子が新しい敵だなんて絶対にあり得ない。あり得るはずがないんだ。

私は自身にそう言い聞かせ、シリウスと議論を重ねる。時折買い物から帰ってきたモリーも交えながら、私達はただひたすら出口のない議論を重ね続けていた。

 

 

 

 

……やはり、何度もあの美しい少女、美しくもいつも冷たい無表情を浮かべていた、どうしようもなく勘違いされがちな()()()()()のことを思い浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

いよいよクリスマス休暇も終わり間近。休暇中にあった変わったことと言えば、ある日ハリーが突然夜中悪夢にうなされていたことや、ずっと留守にしていたハグリッドが戻ってきたことくらいだ。僕にとっては、このクリスマスもいつもと同じクリスマスでしかない。違いは家で過ごすか、城で過ごすかの違いくらい。

『例のあの人』が復活しているというのに……僕の生活は驚くほどいつも通りだ。本当に……恐ろしいくらいに。

あの人が復活したというのに、この半年間生活が普通通りなんてどう考えてもおかしい。家に帰っている多くの生徒は、それはハリーとダンブルドアが嘘をついているからと言うのだろうけど……ハリー達のことを知っている僕からすればそれこそあり得ない。なら敵は今も陰で勢力を拡大しているということだ。僕がこうして普通に暮らしている間にも、あいつらは……僕の両親を拷問した奴らは陰で勢力拡大を。なら敵は必ずいつか表に姿を現す時が来る。その時再び始まるのだ。以前と同じ、いや、それ以上の戦いが。

僕達はその時に備えて力をつけなくちゃいけない。たとえどんなに世界が平和に見えても、僕がどんなに何をやっても愚図な人間だとしても、少しでも敵と戦うために。

なのに、

 

「ネビル、大丈夫かい?」

 

「う、うん。でも、ハリーも大丈夫? 何だか顔色が悪いけど」

 

「……僕は平気さ。ちょっと嫌なものを見てしまっただけ……今は関係ないさ。さぁ、集中して。この『守護霊の呪文』は集中しないと成功しないんだ。家に帰っている連中に追いつくなら今のうちだよ」

 

今の僕はどうしようもないくらい訓練に集中出来ずにいた。

うなされていた日から顔色が悪いハリーも、今日は一段と表情を青ざめさせている。昨日の夜も何かあったのだろうか。でも、それでもハリーは集中力だけは失っていない。クリスマス休暇最後のDA。最近忙しそうだったのに、それでも少しでも僕等に色んなことを教えようとしてくれている。なのに僕はそんなハリーの努力も虚しく、こうして呪文に集中しきれずにいるのだ。

僕はただでさえ落ちこぼれだというのに。僕はハリーとは違い、休暇中ただ穏かに過ごせていたというのに。

 

なのに僕は……気付けば『必要の部屋』の中に()()()姿()を探している。あの輝く様な金髪を。あの時折見せる可愛らしく輝かせた瞳を。

僕は気が付けば彼女を……ダフネ・グリーングラスの姿を探し求めていた。

 

そして自分が一体誰の姿を無意識に探しているのかに気付き、すぐさま自分の思考を否定する。

何故僕は休暇中家に帰ってしまっている彼女のことを探しているのだろうか。彼女はスリザリン生なのに。それどころかスリザリンの監督生……『高等尋問官親衛隊』でもあるのに。何故僕は彼女のことを……。

そんな風に自分の思考を否定するのに、気が付けば再び僕は彼女の姿を探している。その繰り返しで、僕は一向に呪文に集中することが出来ずにいた。

こんな状態で『守護霊の呪文』を成功させられるはずがない。それでもハリーは根気よく僕に付き合ってくれているのは、偏にハリーが本当にいい人で、DAのリーダーとして相応しいからだろう。

 

「ネビル……もっと集中してくれ。さっきから上の空じゃないか。君にとって一番幸せな記憶。それに集中しない限り、有体の守護霊は決して出てこない。僕は次の組に行くけど、ちゃんと集中するんだよ。それは成功への第一段階に過ぎないんだ。……後は頼んだ、ルーナ」

 

しかし彼もいつまでも僕に構ってばかりではいられない。僕のペアであるルーナ・ラブグッドに後は任せ、彼は隣の組の指導に行ってしまったのだった。

後に残された僕は、自身のペアであるルーナを見つめる。僕が言えたことではないけど、正直僕らのペアは完全な余り者のペアでしかない。僕は当然あまりにも落ちこぼれだから。そして彼女は……ひどく変り者だから。今も僕の視線に応えず、虚空をジッと見つめるばかりで正直何処を見ているのか分からない。DAの中でも特に変り者であることは間違いないだろう。それでもハリーが彼女に任せたと……どこか釈然としない表情でも言っていたのは、彼女がDAの中でも数少ない『守護霊の呪文』の成功者であるからだ。あのハーマイオニーですら未だ守護霊が出せていない中、彼女の周りを今も銀色の兎が飛び回っている。紛れもなく有体の守護霊に間違いなかった。僕同様決して集中しているようには見えないけれど……。

僕はそこまで考え、すぐにそんなことを考えている場合ではないと頭を振る。年下である彼女に不満を持っていても仕方がない。寧ろ先輩であるにも関わらず、年下の女の子に指導されなければならない自分を恥じなければならない。だからこそ僕は自分の雑念を追い払い、再び杖を振るおうとした。でも、

 

「それじゃ駄目だと思うよ。だってハリー・ポッターの言う通り、全然集中できてないんだもん。ずっとあの人のこと……ダフネ・グリーングラスのこと探してるんだもん」

 

彼女の唐突な言葉に、僕は思わず杖を取り落としてしまった。

集中しようとした矢先に突然かけられた言葉に、僕は少しどもりながら応える。

 

「な、何を言っているんだい、君は!? ぼ、僕がグリーングラスのことを探してる!? そんなわけないだろう!? だって彼女は、」

 

「ダリア・マルフォイの友達。そうだよ。本当にあの人、ダリア・マルフォイのことが大切なんだろうね。あの人のこと話す時、グリーングラス本当に嬉しそうな顔してるんだもん」

 

尤もルーナらしく、僕の言葉を無視して彼女は脈絡もなく続けた。

 

「あんたといる時も、グリーングラス同じ顔してた。多分あんたのことをどうでもいいと思ってたんだね。グリーングラスはダリア・マルフォイのことを悪く言う人は皆嫌ってるもん。……でもあんたのことは、そんなに嫌いじゃなかったんだ。それにあんたも、グリーングラスのこと嫌いではない。見ていれば分かるもん。あたしもあの人のことは好き。だってあの人飴くれるの。ホグズミードで()()()()()()()()みたいだから、そのついでじゃないかな。スリザリンでそんなことしてくれる人はあの人くらいだよ。レイブンクローだって私に飴をくれた人いないんだもん。早く帰ってくるといいね。あんたの守護霊、あの人がいる時の方がよく出来てるよ」

 

本当に僕に話しているのかも怪しい、まるで譫言のような言葉。しかも僕の答えなんて期待していないのか、彼女はそのまま自分の出した銀色の兎と戯れ始めてしまった。残されたのは、突然の言葉に茫然とする僕だけだった。

 

 

 

 

変り者のルーナが一体僕の何を見ていたのか分からないし、彼女の言葉がどの程度本気の物だったのかも分からない。いつもラックスパートなんて意味不明な生き物の話をしているくらいだ。僕とグリーングラスとのことも夢見心地な気分で話しているだけなのかもしれない。DAの中で彼女の話を真面に聞いているのは、友人であるジニーと……何故か彼女のことを気に入っているハーマイオニーとダフネ・グリーングラスくらいのものだ。

でもこの時の彼女の言葉を……僕は何故かどうしても無視することが出来ずにいた。

何故ならこの後も、僕はずっとここにはいない彼女のことを無意識に探し続けていたから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「ダリア、眠たいなら寝ていてもいいんだよ? ……クリスマス休暇中忙しかったんでしょう?」

 

「いいえ、起きてます。まだ貴女とお話ししていたいですから」

 

ホグワーツに戻る汽車の中。私の隣にはダリアが座っていた。

……休暇明けだというのに、酷く疲れた表情を浮かべて。

何があったかなんて聞くまでもない。彼女の家には今『例のあの人』がいる。そして彼女はクリスマス休暇中ずっと任務を与えられていた。休暇なんて名ばかりで、彼女は常に気が抜けない生活を強いられていたのは間違いない。彼女は今ようやく安心できる空間に帰ってこれたのだ。今このコンパートメントにはダリアと私、そしてドラコしかいない。クラッブとゴイルは別のコンパートメントにおり、誰も入ってこないように魔法まで使っている。今ここならダリアも安心することが出来る。

だからこそ彼女はようやく気を抜くことが出来たのか、汽車の心地よい揺れもあり酷く眠そうにしていた。私と話したいなどと嬉しいことは言ってくれているが、今にも眠りそうに頭を揺らしている。

そして数分後、とうとう耐えきれなくなったのか、私の肩に頭を預けながら眠りについてしまった。当然私は彼女を起こすことはない。折角安心しきった状態で眠ってくれているのだ。彼女に今必要なのはまずは休息。私が出来ることは、彼女の眠りを出来る限り妨げないことくらいだ。

 

「……おやすみ、ダリア。本当にお疲れ様。今はゆっくり休んで。私は貴女が無事だっただけで嬉しいよ」

 

私は彼女の頭をそっと撫でる。すると彼女の無表情な寝顔が僅かに綻んだような気がした。

その僅かな笑顔に私も安心し、ジッとダリアの寝顔を見つめているドラコに小声で話しかける。

 

「ドラコも大変だったね。今日も駅に来るのが遅かったし。貴方も疲れているでしょう? 別に寝ていてもいいんだよ。ダリアもこうして寝ちゃったから」

 

最も大変な思いをしていたのはダリアなのは間違いないけど、ドラコもドラコで気苦労が絶えない生活を送っていたことだろう。何せダリアと同じく、今の家は『あの人』に占拠されているのだ。任務を与えられたダリア以上に、ドラコは四六時中『あの人』の気配を感じていたに違いない。その名前を呼ぶことすら恐怖を覚える闇の魔法使い。『あの人』の目的に賛成したとしても、決していつまでも傍に居て欲しい人間ではないはずだ。ドラコも疲れが溜まっているだろう。

そう思い私はドラコに話しかけたわけだけど、

 

「……僕はいい。今日遅かったのは、ダリアが少し()()()に行きたいと言ったからだ。僕は疲れてなんかいない。僕は何もしていないからな」

 

ドラコはやはりダリアの寝顔を見つめながら、私の言葉をにべもなく否定したのだった。

 

「苦労したのはダリアだけだ。僕はそんなダリアの帰りを待っていただけ。クリスマスだって、一応父上や母上と過ごすことが出来たんだ。ダリアは何処とも知らない山奥で過ごしてたのにな。そんな僕が休む? 必要ない。僕もこうしてダリアがゆっくり休んでいる姿を見るだけで満足だ。何せ家でもダリアは碌に眠れていなかったからな。あいつは……『闇の帝王』はダリアを物扱いするばかりで、真面に睡眠時間も与えないんだ。それなのにダリアは僕らのためにずっと……」

 

ドラコはそこで一度ため息を吐き、更に私の方に向き直りながら続けた。

 

「ダフネ。これだけはハッキリ言っておく。お前は絶対に……()()()()()()()()。敵になれと言っているわけじゃない。ただ……()()()()()()、ダリアの足枷になることだけは止めろ。ホグワーツに戻ったら、またポッターの主催する会とやらあるんだろう? ならそちらに顔だけは出しておけ。完全にこちら側だと認識されないために。……今思えばダリアは最初から分かっていたんだろうな。父上が言うような幸福は……ダリアにはもう来ないかもしれない。なのにマルフォイ家は……ダリアはもう抜け出すことも出来ないんだ」

 

ドラコはそこまで言い切り、もう話は終わりだと言わんばかりにダリアの寝顔を再び見つめる。

まるで今だけは……せめて夢の中だけはダリアが幸福であることを祈るように。

私はそんなドラコに反論も、それどころか返事をすることも出来なかった。

ドラコが無力感や罪悪感に苛まれる気持ちは、私にだって痛い程分かるのだ。だって私はドラコ以上に無力であり、ダリアの力にちっともなれていない。それどころか既に足枷になっている。私の行動は全てダリアが決めてくれたもの。ダリア自身の幸福のためではなく、私が少しでも平穏に暮らせるようにと彼女が考えてくれた道。私はそれに沿って行動しているだけなのだ。私が少しでも余計なことをすれば、それは私にではなくダリアに返ってくると知っているから。そんなのはもう足枷と同じではないか。

……私にドラコに反論する権利などありはしない。

 

 

 

 

汽車は刻一刻と城に向かって歩みを進めている。家よりかはマシかもしれないけど、決して城もダリアにとって安心できる場所などではない。

有象無象の生徒に、あの耄碌しきった爺。そして……アンブリッジ先生。ダリアの敵は多く、味方は驚くほど少ない。

仲間を作ろうにも、ダリアの複雑すぎる事情がそれを許さない。ダリアの未来はどうしようもなく行き詰っているように思えた。

だからこそ今だけは。せめて今だけは穏やかな夢を見ていてほしい。必ず私とドラコが貴女を救い出して見せるから。今は無力だけど、いつか必ず私だって貴女の力になって見せる。だから今は……。

そう私は願いながら、今はただ美しい白銀の髪を撫で続けるしかなかった。



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束の間の幸福(前編)

 ハリー視点

 

それはほんの少しの出来心だった。いつもの拷問のような特訓の中、スネイプが席を離した時偶々目についた『憂いの篩』。いつも僕を拘束し、毎日のように罵詈雑言を投げかけるスネイプにただほんの少し反抗してやりたい。そんなたった少しの出来心でしかなかったのだ。

……しかしそんな軽い気持ちが、思いもよらない程の後悔を生むことになる。

 

『よーし! 誰か、スニベルスのパンツを脱がせるのを見たい奴はいるか!? こいつは今しがたリリーを……穢れた何とかって呼んだような野郎だ! こんなスリザリン野郎は僕らが成敗してやろう! 皆見世物の始まりだぞ! こいつのパンツが何色か賭けだ!』

 

それはどう好意的に見ても、一言で言えば胸糞の悪くなる光景だった。

スネイプの記憶の中で繰り広げられる光景。それは昼間の校庭の中、大勢の生徒が一人の生徒を取り囲み、魔法で宙づりにしながら晒し者にする光景だった。こんな酷いことはマルフォイだってやらないだろう。兄の方はネビルに酷いことをしたことはあるものの、これ程悪質なことはやったことはない。妹の方は……より酷い惨劇を生み出したことはあるが、こんな風に陰湿な行為ではなかった。正直僕の人生の中で最も陰湿で卑劣な行為が、僕がスネイプの記憶の中で見た光景だった。

尤もそこまでであれば、僕はただ憤るだけで終わっていただろう。ともすればクィディッチ・ワールドカップの時、『死喰い人』がマグルにしていたものと同じ行為。こんな行為をしているのがスネイプで、その被害者が別の生徒。そうであれば僕はただ憤り、帰ってきたスネイプに嫌味の一つでも言って終わっていたことだろう。

でも現実は違った。被害者は寧ろスネイプで……加害者は僕の父さんだったのだ。父さんの周りには若い頃のシリウスにピーター・ペティグリュー。そして一歩下がった場所で困った笑顔を浮かべるルーピン先生。『悪戯仕掛け人』の周りには大勢のグリフィンドール生。どう見ても陰湿な行為の首謀者は僕の父さん、そしてその仲間達だった。

 

僕が見た光景はそこまででしかない。そこまで見た時、怒り狂ったスネイプに記憶から引きずり出されたから、僕はあの後スネイプがどうなったかも分からない。

怒りで顔を真っ青にしたスネイプは僕を部屋から追い出し、最後にはこの特訓はもう二度と行わないと告げた。もうこの拷問のような日々は終わり。僕はこの日をもって解放されたのだ。

……なのに僕の心は決して晴れやかなものではなかった。父さんが嫌な笑みを浮かべ、スネイプを嬉々として宙づりにしている光景が頭から離れない。僕は今まで信じて疑っていなかった。父さんは立派な人物で、当に善人代表のような人だったのだと。スネイプがことあるごとに父さんのことを侮辱していたけど、それはスネイプの性格が捻じ曲がっているから。事実スネイプ以外の人が父さんの悪口を言っていたことはない。だからスネイプこそが悪であり、父さんは完全無欠の善人なのだと……僕は信じて疑っていなかったのだ。

でもそれがスネイプの記憶で覆った。今では父さんが本当に善人だったかも分からなくなってしまった。スネイプの言葉こそ正しく、僕は傲慢で嫌な人の息子なのだろうか。今の僕にはあの時のスネイプの気持ちが良く分かる。どんな理由があったとしても、あんな風に晒し者にされていいはずがない。それが今学校中から理不尽な視線を投げかけられている僕には分かるのだ。2年生の時以上に理不尽で、昨年と同じくらい嘲笑を含んだ視線。そんなものに晒されている僕がスネイプの気持ちを分からないはずがない。

だからこそ、僕はせめて誰かにこの思いを否定してほしかった。変わってしまった僕の認識を正常な元の状態に戻してほしかった。父さんは善人で、スネイプこそ嫌な奴なのだと。そんな元の単純明快な認識に戻りたかったのだ。そこで父さんのことをよく知るルーピン先生に手紙を送った。スネイプと仲の悪いシリウスの方が強く否定してくれるだろうけど、今は指名手配中の彼に不用意に手紙を送るわけにはいかない。それでもルーピン先生だって父さんをよく知る一人だ。なら先生も父さんのことを必ず褒め称えてくれるに違いない。そう思い手紙をルーピン先生に送った。

しかし結局ルーピン先生からの手紙は、

 

『ハリー、それもジェームズの一面だ。彼は仲間内には本当にいい奴だった。だがそれだけではないのも確かだ。君の言う通り、客観的には嫌な面を持ち合わせてもいた』

 

僕の認識を元に戻してくれるものではなかった。

 

『彼は狼男である私を真っ先に受け入れてくれた一人だ。君が今まで彼に抱いていたイメージは決して間違ったものではない。だがそれだけではないのが人間だ。誰しもいい面だけを持っているわけではない。それが君が言うスネイプとのことだ。あれは決してスネイプだけが悪いなんてことはなかった。寧ろ私達の方こそが酷い奴等だったと今では思う。私達は傲慢だった。スネイプになら何をしてもいい。私達こそが正しい。そんな傲慢さを私達は抱いていたんだ』

 

寧ろスネイプの記憶を肯定するような言葉が書かれた手紙。ルーピン先生には悪いけど、より一層悩みが深まった気さえする。本当に足元が崩れ落ちてしまったような気分だった。

僕は今まで何も分かっていなかったのだろうか。スネイプが僕のことを嫌っていたのも理由があった。スネイプの性格が捻じ曲がっているからだと思っていたけど、あの光景を見た後ではそんなこと言えない。結局のところ僕がただ妄信していた世界は……酷く曖昧なものでしかなかったのだ。

 

……でもそんな風に悩んでいられる時間すらもまた、僕にはほとんどありはしなかった。

どんなに僕の根本的な認識が揺るがされようとも、DAを休むわけにはいかない。皆僕のことを信じてくれたからこそ集まってくれているのだ。僕が腑抜けていたら、誰が皆を導くというのだ。

それに何より……休暇が終わり、城に大勢の生徒達が戻ってきたから。スネイプがかつて向けられていたモノと同等の視線を僕に向ける連中。そんな奴らの前で、下手に沈んだ表情を見せるわけにはいかなかった。

クリスマス終わり最初の授業。ようやく帰ってきてくれたハグリッドの最初の授業。本来なら久しぶりに訪れた明るいニュースに僕の心は浮き立っているはずだった。

なのに、

 

「何が『例のあの人』が復活しただよ。休暇中も碌に事件なんてなかったじゃないか」

 

「家でもその話で持ち切りだったよ。日刊予言者新聞にも実に平和なクリスマスって態々書かれてたしな。あれって絶対頭のおかしい連中に対して書いてたよ」

 

周りから漏れ聞こえてくる会話のせいで授業に集中することも出来ない。

それどころか、この場には僕のことを馬鹿にする生徒だけではなく……()()()もいたのだ。

 

「まぁまぁ、随分と大きな怪我をなされているのね。そんな怪我で授業が務まるのかしら? いえ、愚問でしたわ。そんな傷がなくとも貴方は……。これは査察が楽しみですわね」

 

本来ならここにいるはずのない人物。趣味の悪いピンクの帽子にマントを身に着けた、まるでガマガエルみたいな顔をした嫌な女。

僕が今この学校で最も嫌いな人間、ドローレス・アンブリッジが、まるで舌なめずりでもしているような表情で授業に参加していた。

 

 

 

 

……僕には父さんのことで悩み続けていられる程の余裕はない。何故ならクリスマス休暇明け直後だというのに、ハグリッドの授業は無茶苦茶にされてしまいそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

クリスマス休暇終わり直後の授業は、まさかの森番による『魔法生物飼育学』だった。今まで何をしていたのかは……ダリアからそれとなく聞いているが、やはり平穏無事ではなかったみたいだ。

全身傷だらけの姿で、森番は一見何もいない空間を指差しながら大声を上げる。

 

「久しぶりの授業だからな、今回はとっておきの奴らを連れてきたぞ! ほれ、ここにいる連中が見える奴はおるか? いたら手を挙げてくれ! え~と、ハリーにネビル。二人だけのようだな。そんじゃ、ハリー。ここにどんな奴らがおるか皆に説明してくれるか?」

 

「え? えっと……なんだか酷く痩せた馬みたいな……それに蝙蝠みたいな翼が生えてる。ハグリッド、こ、この生き物は一体何なの? 前も僕にしか見えてないみたいだったんだ。こいつらが馬車を引いていたのに……。ぼ、僕は遂に頭がおかしくなったのかと、」

 

「いんや。お前さんがおかしくなったわけじゃねぇ。お前さんの言う通り、こいつらは確かにここに存在しとる」

 

そう言われても、私達にはただ森番が何もない虚空を指差しているようにしか見えない。一瞬頭の方も怪我をしているのかと思った。ポッターとロングボトム以外の生徒は皆不思議そうな表情を浮かべており、アンブリッジ先生に至ってはいつもの気持ち悪い笑みを強めている。ロングボトムはともかく、ポッターと森番はいつ頭がおかしくなってもおかしくない。

しかし森番の次の言葉で、少なくとも私とハーマイオニーの疑問は氷解することになる。

 

()()()()()。それがこいつらの名前だ。お前さんらには見えないようだが、それも無理もねぇ。こいつらを見るには条件がある。それが分かる奴はおるか?」

 

成程、セストラルか……。それならば私に見えないのも納得出来る。森番の言葉が正しいのならば、ここにいる生徒で彼らを見れるのはほとんどいないだろう。

そしてハーマイオニーもそれを理解しているのか、勢いよく手を挙げながら答えを述べる。

 

「セストラルが見れるのは、()()()()()()()()()()()()だけです! その死を()()、それを()()()()人間。その条件を満たした人間だけがセストラルを見ることが出来ます!」

 

「その通りだ! 流石はハーマイオニーだな。グリフィンドールに10点やろう」

 

そう、セストラルならば私達には見えないのも道理だ。セストラルを見るには条件がある。ハーマイオニーの言う通りの条件。人の死を見て、その死を実感で理解する。そんな経験を持つ生徒は中々いないことだろう。ロングボトムはよく知らないけど、ポッターは目の前でセドリック・ディゴリーを殺されている。両親のことは幼過ぎて理解していなかったのが、ディゴリーに関しては去年あったことだ。ならば彼にも見えるようになって当然だろう。彼は馬車のことも口にしていた。おそらくセドリック・ディゴリーの死を目の当たりにして初めてセストラルを見えるようになって……。

 

あれ、そう言えば……。

 

私はそこまで考え、ようやくある事実に気付く。

そう言えば……馬車に関して今年初めて反応を示していた子が、()()()()だけいた。もう半年以上前の出来事だけど、()()()が浮かべていた悲しげな無表情は今でも私の脳裏に焼き付いている。()()は馬車に乗った時、明らかに何かを見つめながら言っていたのだ。

 

『……なんでもありません。ただ少し……外に見える景色に見とれていただけです。お二人が心配するようなことは何もありません』

 

いつもと違う様子の彼女を心配してかけた言葉に対する応え。あの時は何でもないと言っていたけど、今思い返せば彼女にはやはり彼等が見えていたのだろう。

人の死を見て、その死を理解して初めて見れるようになる馬のことが。

 

彼女が一体誰の死を見たのか。そんなことは考えても仕方がない。だって……そんな候補は()()()()()いるだろうから。彼女が今置かれている立場は……そんな人の死と隣り合わせの場所なのだ。

 

そこまで考えた時、私は激しい後悔に襲われる。

あぁ、なんで私は今まで気付かなかったのだろう。何故彼女があんなにも悲しそうな無表情を浮かべていたのに、私はあの時そのままにしてしまったのだろか。半年以上経って、ようやくあの時彼女が感じていた悲しみに気付くなんて。しかもそれを森番如きの言葉で気付くなんて。先程の私は森番やポッターを馬鹿にすると同時に、ダリアのことも馬鹿にしてしまっていたのだ。見えないモノを無いものとして、それが見えてしまっている人間を馬鹿にして。これではこの学校中にいる愚かな生徒達と一緒だ。……私もそのどうしようもなく愚かな人間の一人だ。

でもそんな私の後悔を、まるでノイズのような不愉快な声音が妨害する。ダリアを追い詰める敵の一人である、ピンクガマガエルの甘ったるい声が。

 

「ェヘン、ェヘン! ちょっとよろしいかしら? 私の聞き違いかしら。セストラル……そう仰いました? そんなはずがありませんわよね? それは魔法省が危険生物に分類していますわ。そんな危険な生物を、まさか授業で使うなんて愚かなことをするはずがありませんものね? ……たとえ貴方が頭の足りない亜人であったとしても」

 

ダリアの悪化し続ける状況もあり、私はその状況を作り出す一因であるガマガエルを憎しみを込めて睨みつける。本当に癇に障る喋り方をする女だ。別にグリフィンドール勢に突っかかる分にはどうでもいいけど、こいつがいけしゃあしゃあと何か話しているのが酷く気にくわない。それにこいつは今、亜人全般のことを馬鹿にしたような気がするのだ。ドラコも気にくわなかったのか、表情こそ保っているものの拳を強く握りしめていた。そんな私達を横目に、アンブリッジは笑みを強めながら続けた。

 

「き、危険なもんか! ここのセストラルは大人しい奴らばかりだ! それに何より賢い! こいつらは行き先を言えばどこにでも連れてって、」

 

「まぁ!? 本当にセストラルの危険性をご存じない!? それとも敢えてかしら? 何せ貴方も攻撃的な亜人……生徒達の安全など気にかけてもいないのでしょう。少しでも期待した私が愚かでしたわ。さて、私は今から生徒達から聞き取りして回ります。普段通り……ではなく、出来るだけ大人しく()()()()()をして下さいね」

 

そしてアンブリッジはそう言ったきり、まるでもう森番のことなど眼中にないと言わんばかりに、スリザリン生が集まっているこちらに近づいて来るのだった。当然森番は唖然とした表情で先生のことを見ており、グリフィンドール勢は憎しみすら籠った表情で私達スリザリン生を含めて睨みつけている。勿論そんな視線ぐらいで先生も、そしてスリザリン生をも止められるはずがない。まるで示し合わせたかのように彼女達は白々しい会話を始めた。

 

「ミス・パーキンソン。この授業についてどう思いますか? 率直な意見を聞かせてくださるかしら? そもそも亜人が教員に相応しいと思う?」

 

「い、いいえ。だ、だって、あの人が何を言っているかよく分からなくて。いつも唸っているみたいだから」

 

応えたパンジー含めたスリザリン生の多くが大声を上げて笑い始める。笑っていないスリザリン生はやはり私とドラコくらいのものだ。私とドラコだけが、ダリアと同じくらいの無表情を保っている。

……もはや我慢の限界も近かった。自分の愚かさを激しく後悔した直後ということもあり、今目の前で繰り広げられている光景に、私自身がアンブリッジ側に扱われていることが我慢ならなかったのだ。私はスリザリン側でも、グリフィンドール側でも、ましてやアンブリッジ側でもない。私はダリア側だ。

しかし私とドラコの思いも空しく、パンジーの発言に更に気をよくした様子の先生が今度はこちらに話を振ってくる。それもドラコにとって最も忌まわしい記憶の一つをほじくり返すような話を。

 

「そうでしょうとも。私もそう思いますわ。実は私もあの亜人の言葉がよく聞き取れなかったの。ミス・パーキンソン。純血である貴女と意見が合って、私は非常に嬉しいですわ。……それで、この授業では大きな怪我をした方がいるとか。しかも純血貴族筆頭である、実に尊い血筋の生徒さんを。以前も同じことを尋ねようと思いましたのに……この学校一番の()()()さんに邪魔されてしまいましたから。そうですわね、ミスター・マルフォイ? それにミス・グリーングラスも。貴女もその時すぐ傍で危険な目にあったと聞きましたわ。その時の状況を詳しく聞かせて下さる?」

 

その瞬間、ドラコの表情が一瞬怒り狂ったものに変わった気がした。同じ質問に対し前回はポッターがキレたわけだけど、この話はドラコにとっても不愉快極まりないものなのだ。あの事件はドラコの不注意で起こったもの。そのドラコの不注意によって、ダリアを一日不安にさせてしまったのだから、それがドラコにとって愉快な記憶であるはずがない。

尤もポッターとは違い、彼は自分自身の立場をよく弁えている。自分の軽率な行動が、一体誰に跳ね返ってくるかドラコはこの一年中よく思い知らされている。

だからこそ、ドラコは一瞬浮かび上がった表情を再度隠し、ただ一言だけ返すのだった。

 

「……そんな昔のこともう忘れた」

 

「……そんなことありましたっけ? 私もあまり覚えていません」

 

それがドラコと私にできる精一杯の反抗だった。ポッターみたいに大っぴらに反抗するわけにはいかないけど、アンブリッジの喜ぶ姿も見たくはない。そして案の定ガマガエルは少し興が削がれた様子で、

 

「あら、そうですか? それは残念ですわね。まったく……これだから子供は嫌いなのよ」

 

最後に何か小さくつぶやいた後、次のグループに向かっていった。

 

 

 

 

私とドラコはそんなアンブリッジの背中を再び睨みつける。

やはり……アレは私達の敵だ。

未だに真の敵の姿は見えてこない。世の中は一見至って平和で、誰が足元でとんでもない闇が蠢いていると信じられるだろうか。ドラコはともかく、私は未だにダリアを不幸にしている敵の姿を見たことはない。おそらく本当に敵の姿を見たことがあるのは、この学校でもポッターとダリアくらいのものだろう。

でも今なら分かる。ダリアが最初から警戒していた通り、明確に……アンブリッジも敵の一人なのだ。

明らかに裏で闇の勢力と繋がっているであろう行動。亜人に対する隠すこともない差別意識。たとえ敵の駒の一つでしかないとはいえ、アンブリッジもダリアの敵の一人。同じ陣営に属していようとも、嫌々属しているダリアとは決して相容れない。アンブリッジはそんな、それこそダンブルドア以上に警戒すべき敵の一人なのだ。

そう認識を新たにし、私とドラコはジッと趣味の悪いピンク色の背中を睨みつけていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「あの腐れ、嘘つき、根性曲がり、怪獣ばばぁ!」

 

気が付けば、私の口からそんな人生で一度もしたことがないような罵倒が漏れ出していた。

ハグリッドによる久しぶりの授業。アンブリッジみたいな人でなしがいる以上、決して授業が平穏無事に終わるとは思っていなかったけど……まさかあの女があそこまで酷い人間だとは想像もしていなかった。ハリーへの罰則が分かって以来の怒り。

私は怒りのまま、城への道を歩きながら続ける。

 

「あの女の魂胆なんてお見通しよ! ハグリッドがただ混血だからという理由で毛嫌いしているんだわ! 巨人だとか吸血……亜人がどんな存在かも理解していないくせに! あぁ、本当に腹が立つわ! あの性悪!」

 

話せば話す程怒りが沸き上がるようだった。何故亜人との混血というだけで、あの女はあんなにも卑劣なことが言えるのか。私にはまったく理解できないし、したくもない。こんなことは生まれて初めて思ったけど、出来るなら今すぐあの女に呪いの一つでも放ってやりたかった。

でも私があまりに怒りを爆発させているせいで、逆に周囲の怒りは沈静化してしまったらしかった。先程まで私同様怒り狂っていたロンが、少し冷静な表情を取り戻しながら応える。

 

「お、落ち着けよ、ハーマイオニー。確かにあのくそ婆は狂ってるさ。で、でも今そんな大声を上げても仕方ないだろう?」

 

いつもであればロンの方が大声を上げている場面だけど、私が今までにない罵倒を繰り返していることで気勢が削がれたらしい。その姿に私も少しだけ落ち着きを取り戻す。でも決して怒りが収まったわけではなく、私は声を小さくしながらも不満を漏らし続けた。

 

「そ、そうね。でも、本当に酷い話だわ。査察官なんて言っているけど、あの人授業の内容を評価するつもりなんて最初から無いのよ。スリザリン生と一緒になってハグリッドを馬鹿にして。スリザリンの中で真面なのは……」

 

……そこで私はようやく、そう言えばまだ()()に感謝を述べていないことに気づく。二人はアンブリッジの誘導に対して、現状出来る精一杯の反抗を示してくれた。二人の立場を考えれば、それがどれほどギリギリの反抗であったかは自明の理だ。ロンの言う通り、今は大声で不満をぶちまけていても仕方がない。私にはもっとやるべきことがあるのだ。私は周囲を見回し、こちらに注意を払っているスリザリン生がいないことを確認してから、近くを歩いていた彼女達に声をかけた。

 

「ダフネ……それにドラコも。ありがとう。さっきはハグリッドを庇ってくれたのよね?」

 

私の言葉に二人は振り返る。ドラコはともかく、ダフネは私にとって大切な友人の一人。ならハグリッドを庇ってくれたことにお礼を言わないといけない。そしてそれをハリー達も分かっているのか、いつもはダフネに私が近づけば何としても阻止しようとするのに、今回は微妙な表情を浮かべるのみに留めていた。ドラコに関しては、休暇前のクィディッチ試合で多少彼を見直したこともあるのだろう。でも彼女達から返ってきた反応は微妙なものでしかなかった。

 

「……お前は何を言っているんだ、グレンジャー? 僕が何故あの野蛮人を庇わないといけないんだ? 僕はただあの女の気色悪い笑みをあれ以上見たくなかっただけだ」

 

ドラコのにべもない返答。ダフネもどこか曖昧な笑顔を浮かべるだけで、ドラコの言葉に反論しようとはしない。明らかに私の言うような、ハグリッドを庇っての言動ではなさそうだった。

瞬間ハリーとロンが何か言おうとするけど、私は直ぐに声を被せてそれを遮る。

 

「やっぱりお前たち、」

 

「そ、そう! でも、さっきの授業自体は素晴らしかったでしょう、ダフネ!?」

 

折角二人に話しかけるくらいは、ハリー達も私と彼らの関係を許容してくれるようになったのだ。それがたとえ一時的なものだとしても、それをこんなに早く壊してしまうわけにはいかない。

そしてそんな私の意図を組んでくれた……わけではないだろうけど、ダフネは私の言葉に素直に応えてくれた。

 

「……うん。授業内容については良かったと思うよ。セストラルなんて普段はお目にかからない……まぁ、私には()()見えなかったけど、授業内容で扱われることなんてないからね。それに関しては私も素直に凄いと思うよ」

 

でもハグリッドの授業を評価するダフネの表情は、言葉とは裏腹に決して明るいものではなかった。ドラコも彼女の言葉を受け、表情を暗いものに変えている。何か変な質問をしただろうかと訝しむ私に、ダフネは静かな口調で続ける。

 

「でもね……少し配慮に欠ける授業だったのは間違いないかな。死を見たことがある人間だけが見える生物なんて……。見えた人間がいい気分になるはずがないよね? ロングボトムもいい顔はしていなかった。ポッターだってそうでしょう? あの口ぶりだと、ポッターも去年から見えるようになったんだよね? ()()()と同じように……。どう? 本心から気分のいい授業だったと言える?」

 

……正直な話、私はダフネの今の話を聞くまで、ただハグリッドの授業を絶賛する気でいた。アンブリッジへの怒りで我を忘れ、周りのことを一切見ようとはしていなかった。

セストラルは本当に興味深い生き物だ。あんな素晴らしい生き物を連れてくるなんてハグリッドは凄い教師だ。私もセストラルのことが()()()()()()()()

そんな感想を私は無遠慮に言うつもりですらあったのだ。でもダフネの言葉で私はようやく本当の意味で冷静さを取り戻し、少し決まりが悪い気持ちでハリーの方に振り返る。そしてそんな私の視線の先には、どこか悔しそうな表情を浮かべながらも、やはりダフネの言葉に頷いているハリーの姿があった。

 

「……君の言う通り、あまりいい気分はしなかった。アレを見たら……否が応でもセドリックのことを思い出すんだ」

 

ハリーの発した言葉はそれだけ。でもそれだけで、私もどうしてダフネがこれ程暗い表情を浮かべているのかが分かってしまった。

ハリーの言葉にロンも含めた全員が黙り込んでしまう。彼の言葉は反論が許されない程重いものだったから。沈黙の中、私もただ暗い思考を巡らせる。

ダフネは……あの子も同じと呟いていた。彼女がそう言及する子なんて、私が知る限りでは一人しかいない。そして何より、彼女の立場を考えれば何の不思議もない。それを分かっているからこそ、ダフネはこんなにも暗い表情を浮かべているのだ。

それを私は能天気に、ハグリッドが如何に素晴らしい授業だったかと無邪気に尋ねていた。自覚や覚悟が足りないにも程がある。私はそこでようやく何一つ進歩していない自分を自覚し戦慄としたのだった。

 

 

 

 

私はいつだって後悔してばかりだ。今回のことは些細なことかもしれない。でも私はずっと同じ失敗ばかりを繰り返し、決して前に進めてなどいない。

たとえ不死鳥の騎士団の存在を知っていようとも。たとえDAを作ろうとも。たとえダリアの立場を理解していようとも……。

私は自分の無自覚な失敗に、そんな思いを抱かざるを得なかった。

でもそんな私の後悔を、

 

「……そういえば、ハーマイオニー。今晩時間あるかな?」

 

ダフネの言葉が一時的に断ち切ってくれることになる。

彼女は暗い表情を浮かべる私に近づき、そっと耳元で囁いたのだ。

 

「今日の夜、ダリアと一緒に監督生風呂に行くことになってるの。ハーマイオニーも一緒にどうかな? 以前言った通り、ダリアには貴女が来ることは内緒だけどね」



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束の間の幸福(後編)

 ダリア視点

 

休暇明け直後の夜。私は今ダフネと、

 

「……凄いですね。ここが監督生用風呂ですか。マルフォイ家の風呂よりも広いですね。これなら監督生に皆がなりたがるのも納得です」

 

本来であれば監督生のみが入ることを許される、まさに絢爛豪華と言える大浴場に足を踏み入れていた。

見れば見るほど一般の生徒が入れる風呂とは大違いだ。別にいつもの風呂に不満があるわけではないが、これは比べ物にならない。蝋燭の灯った豪華なシャンデリアが一つ、白い大理石造りの浴室を照らしている。床に掘られた大きな浴槽も勿論大理石だ。浴槽の周囲には百本程の金の蛇口があり、取っ手には一つ一つ違う色の宝石が嵌め込まれている。窓には真っ白なカーテンがかけられ、浴室の隅にはフワフワの白いタオルが積まれている。

夜の散歩で入口を見かけたことはあっても入ったことはなかった上、正直ここに来るまではあまり期待してもいなかった。しかし、このようなマルフォイ家以上に豪華な光景を見せつけられれば流石に興奮してしまう。

そしてそんな私の内心を無表情の上から即座に読み取った様子のダフネは嬉しそうな声を上げた。

 

「そう言ってくれると思ってたよ! まぁ、私も来たのは初めてなんだけどね。話には前から聞いていたんだけど、まさかここまで凄いとは思わなかったよ!」

 

その嬉しそうな声音に私の心も更に浮き立つ。隣を見れば、声音同様本当に嬉しそうな表情を浮かべたダフネの姿。最近は()()()()()暗い表情ばかり浮かべさせてしまっていたが、ようやく本当のダフネの笑顔を見れた。それが私には無性に嬉しく、ピクリとも動かないはずの表情筋が綻んだ気がした。

そんな私の内心を読んだのだろう。ダフネは笑みを更に強めながら続ける。

 

「さて! では早速お風呂に入るとしましょうか!? まずは服を脱ごうね! 手伝ってもいい!?」

 

微笑ましいことではあるが……どうやら彼女は興奮のあまり少し冷静さを失っているらしい。余程久しぶりの私との時間が嬉しいのだろう。私の方を見つめる彼女は若干鼻息を荒くしてすらいる。

ダフネの言動はともかく、彼女の笑顔が見れたのだ。監督生ですらなく、初代尋問官親衛隊隊長などという訳の分からない地位。そんなものに感謝などしたことなんてなかったが、そのお陰で大手を振ってここに来れたのだ。ならば少しぐらいアンブリッジ先生に感謝してもいいだろう。

勿論城での私にかけ続ける心労に目をつぶればの話だが。

 

「何を言っているのですか、ダフネ。ふざけてないで早く入りましょう」

 

私は興奮するダフネを適当にあしらい、服を所定の場所に畳んでから浴槽に向かう。そして浴槽脇の蛇口を2本ほど捻ってみれば、それぞれから違った色の泡が噴出した。どうやら一本一本違う種類の入浴剤の泡が出る仕組みになっているらしい。知れば知る程、これだけで監督生になる価値はありそうだ。私は勢いよく服を脱ぎ捨てるダフネを横目に見ながら、ゆっくりとした動作で湯につかる。

 

「どう、ダリア? 気持ちいい?」

 

「……えぇ。素晴らしいです。足も伸ばせますし。これはいいものですね。ダフネ、ありがとうございます。ここに連れてきてくれて。私一人では来ようとも思わなかったでしょうから」

 

「よかった~。貴女が喜んでくれて、誘ったかいがあったよ」

 

ダフネも私の横に腰掛け、私達の間にのんびりとした空気が流れる。こんな時間は何時ぶりだろうか。こんな風にダフネとゆっくりした時間を過ごすのは久しぶりだ。広々としたお風呂なのに、寄り添うように入っていることから時折ダフネと素肌が触れ合う。それが無性におかしく、嬉しくて、私達は何とはなしに笑いあっていた。お互いわざとと触れ合っている節もある。この他愛もないやり取りが私には無性に嬉しかったのだ。

まるで今この瞬間だけは、私が普通の女の子になれたかのように思えて……。

本当に、本当に久しぶりの時間だ。家ですらこんな時間を過ごすことが出来なかったのに、本来は警戒を怠ってはいけないはずのホグワーツでこんな穏やかな時間を過ごせている。

お兄様も誘えば良かっただろうか? ダフネが悪戯っ子な笑みを浮かべながら誘っていたが、お兄様は顔を真っ赤にしながら断っていた。私も何故だか恥ずかしいという思いが強かったためそのままにしたが……お兄様もいたら本当に完璧な時間だっただろう。見たところ男女に風呂が分かれている様子もない。ならば私と違い本物の監督生であるお兄様は大手を振ってここ来れたわけだけど……今更そんなことを言っても仕方がない。今はただダフネとの穏やかな時間を楽しむだけだ。

 

……尤も、

 

「あ、あら。き、奇遇ね、ダフネ、ダリア。こ、こんな所で一緒になるなんて!」

 

「ハーマイオニー! ほ、本当に奇遇だね!」

 

他人であるべきグレンジャーさんが、この場に唐突に現れなければの話であるが。

浴場に突然響いた声音に振り返れば、そこには私を見つめながら顔を真っ赤に染めているグレンジャーさんの姿。言葉の割に、私達の存在にそこまで驚いている様子ではない。

……考えるまでもない。彼女はダフネに誘われたからこそ、こんな時間にここに来たのだろう。

最初からある程度予測できていた事態。ダフネの性格上、グレンジャーさんを誘っていたことはある程度予測できていた。ダフネは隠しているつもりでも、時折見せる態度があからさまだったこともある。

私は半ば予想していた事態に無表情を僅かに歪め、いそいそと服を脱ぐグレンジャーさんを見つめ続けていた。

 

 

 

 

……心のどこかで、彼女の来訪に喜ぶ自分を感じながら。

そう、()()()()()()()()()……。

そしてその幸福感を感じた瞬間、私の中の感情が急速に冷えていくのだ。

頭の中で()()()()()()()()()が響く。

 

()に彼女と話す資格などあると思いますか? 大勢の人間を不幸にした()に?』

 

……その声が頭の中で聞こえた瞬間、先程まで感じていた感情が突然消え失せる。

残されたのは……幸福感とは似ても似つかない、冷たい罪悪感のみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

私は監督生風呂に入ったことは一度もない。

ここが素晴らしい場所だとは以前から聞いていた。パーシーからも、ここだけでも監督生になる価値はあると。ここに来ることに憧れたことがないかと言えば嘘になるだろう。

でも、実際に私がここに来たのは今回が初めてだった。監督生になってもう半年以上は経ったというのに、私はここに来ようとすら思わなかったのだ。

理由は簡単。私は別に何かしらの特権が欲しくて監督生になったわけではない。私はただ自分の今までの努力を認められたかっただけ。その努力の見返りが欲しかったわけではない。

それに何より、ハリーが監督生ではなく……それどころか監督生になれなかった事実に少なからずショックを受けているみたいだから。今は他の問題を抱えていてそこまで悩んでいるわけではなくとも、以前悩んでいた事実に変わりはない。そんな彼の目の前で、まさか監督生の特権をこれ見よがしに振りかざすことなど出来るはずがないのだ。ロンもそれが分かっているのか、私同様ここに来ようとすることはなかった。

 

……でも今日は違う。ハリーやロンに内緒とはいえ、私は今日初めてここに来た。

何故なら今日は、

 

「あ、あら。き、奇遇ね、ダフネ、ダリア。こ、こんな所で一緒になるなんて!」

 

「ハーマイオニー! ほ、本当に奇遇だね!」

 

「……」

 

彼女達と会う絶好のチャンスなのだから。この機を逃せば、彼女達と会話する機会がいつ巡ってくるかも分からない。ダフネはDAでも話すことは出来るけど、ダリアに関しては……。DA設立する時くらいの大きな相談事がない限り、彼女をこのような場に呼び出すなんてことは難しいのだ。

折角ダフネが用意してくれたこの機会を、私は何としても逃すわけにはいかなかった。

ダリアは去年までとは違い……私と関わることすら許されない立場になってしまったから。

尤も、だからこそ、

 

「ダ、ダリアもこんばんは。わ、私も入っていいかしら?」

 

「……」

 

ダリアは私の登場にも決して声を上げようとしなかったけれど。彼女はただジッと、私の方に吸い込まれそうな程綺麗な無表情で見つめるだけだった。

目の前に広がる光景に思わず怯みそうになりそうだ。それは部屋の設備に圧倒されたかではなく、目の前の二人があまりに綺麗だったから。ダフネはその可愛らしい瞳で、私とダリアのことをにこやかに見つめてくれている。でも今の彼女は愛らしいだけではなく、その金色の髪を僅かに濡らしていることでどこか色っぽさも醸し出している。……今の彼女をネビルに見せたら、彼はもう少し素直になるだろうか。

そして……こちらを無表情で見つめるダリア。今までもこの世の者ではないと思える程綺麗だと思っていたけど……今の彼女は今まで以上だった。数年前に、()()()()()()()()()()()()()成長が止まったダリアは、体だけで言えば少し子供らしさを残した体形に落ち着いている。でも今はそんなこと全く気になることはない。寧ろダフネ同様どこか色っぽい雰囲気。濡れた白銀の髪に、透き通るような金色の瞳。そして何より、いつもと違い手袋も外しているため、それこそ指先まで陶器のような真っ白な肌が露になっている。どこにもシミ等なく、女である私も思わず顔が赤くなる程綺麗な姿だった。

どこか非日常を感じさせる光景。そしてそんな綺麗な光景に見とれる私を、ただジッと無表情で見つめ続けるダリア。私は二つの理由で怯んでしまい、中々前に進みだせずにいた。

でもいつまでもそんなことを言っている場合ではない。

私は怯みそうになる自分を何とか奮い立たせながら、服を脱ぎダフネの隣に腰掛けた。そんな私にダフネが明るい口調で話しかけてくる。

 

「もう、ダリアってば。ごめんね、ハーマイオニー。でもダリアも喜んでくれているみたい、」

 

「喜んでいません」

 

「……まぁ、そういうことにしておくよ。そんなことより、凄いよねこのお風呂! 蛇口なんて一つ一つ違う泡が出るんだよ! うわ! この蛇口! なんか緑色の泡が出るよ! あ、でも見た目は変だけど、香りは凄くいいね」

 

そう言って蛇口の一つを捻るダフネ。まるで非日常的な光景にたじろぐ私を、日常の中に連れ戻してくれるような穏やかな声音だ。ダリアもダフネの無邪気な声音に毒気を抜かれたのか、穏やかな瞳で今度はダフネを見ている。気が付けば、先程まで内心感じていた気まずかった空気がダフネのお陰で一瞬で取り去らわれていた。

私はそんな無邪気な仕草を全力で()()()ダフネに感謝の気持ちで一杯になる。

ダフネの行動で、私達の間に気まずい空気が流れ続けずに済んでいる。……そのお陰でだろう。ダリアが私の存在を受け入れずとも、何も言わずにおいてくれている。ダフネは何時だってそう。彼女だって辛い立場なのに、いつだって私の背中を押してくれる。彼女がいたからこそ、私は今まで頑張ってこれたし、これからも頑張れるのだ。

だからこそ私は勇気を振り絞り、もう一度今でも黙っているダリアに話しかけた。

 

「ダリア。ほ、本当に久しぶりね。こうして話すのは……4年の最後以来かしら? あの時はあまり話が出来なかったけど、ちゃんと元気に……いえ、これは愚問だったわね。ちゃんと食事は摂れていた?」

 

無論なけなしの勇気を振り絞ったとしても、口下手な私に出来る質問はこんな愚かなものでしかない。でもダリアの事情をある程度知る私には、これ以上踏み込んだ質問をすることも出来はしなかったのだ。当然ダリアの反応もあまり芳しいものではない。

 

「……えぇ、食事はそれなりに摂れていますよ。御覧の通り、体調は良好そのものです」

 

私にも分かる程の、どこか呆れた様子の無表情。久しぶりに見た彼女の表情と言える表情が、休み明け直後の悲しみに溢れたモノや、こんな風に呆れかえったものなのは悲しい。

でも同時に、これこそが本当に久しぶりに彼女と交わした会話であることもまた事実だった。

こんな馬鹿みたいな会話だとしても、久しぶりに直接ダリアと交わした会話なのだ。

彼女は『例のあの人』が戻ってきてからというもの、決して私と会話すらしようとしなかった。DAのことは例外中の例外。何気ない会話なんて望むべくもない。それは彼女自身のためではなく、おそらく全ては私のための行動。決して私を闇に近づけないように、私のいる陣営から疑われないようにするための行動。しかしそれが私には分かっていたとしても、どうしても悲しい気持ちを抱かずにはいられなかった。

 

当然だ。だってダリアが私のことをどう思っていたとしても、私は彼女のことを掛けがえのない友人だと思っているのだから。

一年生の頃からずっと私のことを助けてくれた。1年生の時はトロールから。2年生の時はバジリスクから。3年生の時は、私のためにバックビークを見逃してくれた。4年生の時、私のために出鱈目記事に怒ってくれた。そして今年もそれとなくドビーに言付けまでして……。

どんなに立場が違っても、それこそ寮どころか、所属する陣営が違ったとしても、私は彼女を恩人であり友人であると思い……同時にそれが理由でずっと苦しい思いを抱えていたのだ。

 

それがこうして、どんなに意味不明な会話だとしても交わすことが出来た。現実は一つも変わっていないし、外に出れば再びダリアは私のことを無視することだろう。

でもせめて今だけは……今だけは昔みたいに。

そう思い私は決意を新たにし、

 

「……」

 

「……」

 

結局黙り込んでしまったのだった。

踏み出せたのは最初の一歩だけ。それ以上に何か話そうと意気込んでいても、そもそも口下手な私には次の会話が思いつかない。ダリアもダリアでどこか困った無表情を浮かべている気がする。ダフネはそんな私達を微笑ましそうに見つめているけど、当事者である私達二人は内心気が気ではない。どうやら今回は助け船を出してくれる気はないらしい。

そして数秒後ようやく口を開いたのは、

 

「……グレンジャーさん。そういえば、まだお礼を言っていませんでしたね」

 

今まで返事をするばかりだったダリアの方だった。

ダリアの方に顔を向ければ、そこには先程までと同じ無表情。

……でもどうしてだろう。私にはその表情が……先ほどまでとは違った感情を映し出しているように思えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

ハーマイオニーの登場。私の予想通り、ダリアは当初態度こそ頑なだったものの、表情自体は決して否定的なものではなかった。

彼女も久しぶりにハーマイオニーと話せる機会が嬉しかったのだろう。ダリアはハーマイオニーのことを拒絶していても、別に嫌いだからそうしているわけではない。寧ろ気に入っているからこそ、彼女を拒絶しているのだ。

ハーマイオニーと会話しているところを誰にも見られないように。ただの生徒同士の会話。でもそれだけで、自分の大切な人や、何よりハーマイオニー自身にどのような影響が出るかダリアは知っているのだ。ダリアは今のホグワーツが、そして外の世界がどんな風に変質してしまっているかを理解している。

……でも、それだけではあまりに悲しすぎるではないか。

外で拒絶するのは仕方がない。守られるだけの私がダリアの決定に何か言える資格はない。でもそれではダリアの心がいつか壊れてしまう。

だから、私はせめて私達以外誰もいない空間を無理やり提供してあげたかった。ハーマイオニーからの相談という形ではなく、もっと気軽で日常的な空間を。彼女が態度を変えられなくとも、今でも私達は貴女の優しさを知っているのだと。私は彼女にそれをどうしても伝えたかったのだ。切欠なんて何でも良かった。ただ折角の監督生権限。折角の親衛何とかの権利。これを使わない手はないと考え、この何もかもが開放的になる空間を選んだのだ。

 

なのに、

 

「……グレンジャーさん。そういえば、まだお礼を言っていませんでしたね」

 

ようやく自ら話し始めたダリアの表情は先程までとは違い……何故か決意に満ちた無表情に変わっていた。

それもどこか悲壮感に満ちた決意の表情に。

ハーマイオニーもダリアの変化に気が付いたのだろう。どこか不安げな表情でダリアの方を見つめている。

そんな彼女に、ダリアはやはり決意に満ちた無表情で続ける。

 

「お、お礼? わ、私何か、」

 

「貴女が開催している自習教室のことです。名前は確かDAと言いましたね。ありがとうございます。大変なことだと分かっていながら、その会にダフネを受け入れてくれて。……ダフネを守ってくれて」

 

ダリアの話が進むにつれ、頭の中で鳴り響く警鐘がどんどん大きくなっていく気がした。

ハーマイオニーはダリアとの話題にとてつもなく気を使っていた。だからこそ彼女は中々話題を見いだせずにいた上、結局だんまりを決め込まずにはいられなかったのだ。なのにダリアは突然、それこそハーマイオニーが敢えて避けていた話題に躊躇なく踏み込んだ。ただの学生のお遊びの延長とはいえ、紛れもなくダリアの愛する日常とはかけ離れた話題。本来ダリアはそんな話題を態々選択するだろうか。ましてや今まで拒絶してきたハーマイオニー相手に。何かがおかしい。

そしてその違和感は、

 

「……思えば貴女に真面にお礼を言ったことなどありませんでしたね。本当に……今までありがとうございました」

 

ダリアの言葉が続けば続く程、より大きなものに変わっていくのだ。

 

「貴女はいつだって私を信じてくれました。こんなにも汚れた化け……モノである私を。その素直さに私は少なからず救われてきましたし、だからこそダフネをこれからも安心して預けられる。ダフネに必要なのは私の知識などではなく、貴方の言う身を守るための技術です。決して()()()()()()()呪文ではない。これからもダフネをよろしくお願いします。たとえ私が敵になったとしても……」

 

ダリアの言葉が終われば、浴場に響くのはもはや蛇口から時折落ちる滴の音だけだった。

何故? 

私の頭はただひたすらに疑問や不安で満たされる。先程まであんなに幸せそうな表情を浮かべてくれていたのに。ハーマイオニーが入ってきた時も、特段嫌な表情を浮かべてはいなかったというのに。どうして今はこんな苦しそうにさえ見える表情を浮かべているのだろう。

何もかもがおかしいことばかりだ。

何故ダリアは突然こんな話をし始めたの? 何故ダリアはこんな辛そうな表情を浮かべているの? 

 

何故こんな……まるで()()ともとれる言葉を言うのだろう?

 

「ダ、ダリア、と、突然どうしたの?」

 

「ダ、ダフネのことは当然のことをしているだけよ? お礼なんていらないわ。で、でもどうして、」

 

当然私とハーマイオニーは即座にダリアに声をかける。何かがおかしいのだ。先程まであれ程幸福な時間が流れていたというのに、どうしてこんな風に突然彼女の醸し出す空気が変わってしまったのだろうか。分からないけど、このままでは決していいことにはならない気がする。

だからこそ私とハーマイオニーは半ば必死にダリアに声をかけようとした。でも、

 

「私が言いたいのはそれだけです。ダフネ、本当にいいお風呂でした。また()()()来ましょうね。では、私はもう上がります」

 

ダリアはそう言った切り、どこか逃げるような仕草で浴槽から出て行ってしまったのだ。

 

「ま、待って! どうしてしまったの、ダリア!? わ、私何か貴女の気に障ることを言ってしまったの!? お願い、待って!」

 

あれだけ幸福だった時間の唐突な終幕。ハーマイオニーが慌てた様子で引き留めようとするも、ダリアは決して振り返りもしない。

 

「ま、待っ、ダリア! ハ、ハーマイオニー! 私も取り敢えず行くね! この埋め合わせはまた今度!」

 

そして彼女は慌てて仕度する私をも置いて、服を着てそのまま浴場からも出て行ってしまった。

当然私もダリアを追いかけ、慌てて外に出る。まだ茫然と浴場に残されるハーマイオニーも気になるけど、今は彼女よりダリアの方が最優先だ。あんな表情を浮かべて、ダリアの精神状態が真面であるはずがない。

 

私はまた何か大きな間違いを犯してしまったのだろうか?

思えば私は幾度も間違いを犯してきた。その度に大切な友達を傷つけ、何度もあの綺麗な顔を歪ませてきた。

今回もなの? 私はまたダリアの心を傷つけてしまったというの?

結局私のやることなすこと全て……。

 

そしてその私の考えは、

 

「ま、待ってよ、ダリア! はぁはぁ、よ、ようやく止まってくれた。どうしたの、突然飛び出したりして?」

 

「……」

 

どうしようもないことに的中してしまったのだ。

浴場を飛び出し、半ば走るようにスリザリン寮に向かうダリアがようやく立ち止まる。そこは地下牢に向かう薄暗い廊下。僅かに灯った蝋燭の明かりが壁に私達の影をボンヤリと映し出している。

でも、何だか全てのものが朧げな光景の中……振り返ったダリアの瞳から流れる()だけはハッキリとしていた。

髪を拭く暇もなかったことから、ダリアの髪からはポタポタと水滴が零れている。しかし瞳から溢れるものが別物であることだけは、薄暗い廊下の中でも見間違えることはなかった。

 

「……ダフネ、ごめんなさい。折角貴女が気を使ってくれたというのに、私は逃げてしまった。貴女の優しさを踏みにじってしまった」

 

「ダ、ダリア、泣いてるの? 私のことはどうでもいいよ。でも、どうしてそんな悲しそうな顔をしているの? 訳を話してくれないと分からないよ」

 

「泣いてる? この私が?」

 

そこでダリアは初めて自分が泣いていることに気づいたらしい。目元を拭い、そこに自分の涙が付いていることに酷く驚いた無表情を浮かべていた。

 

「……愚かですね。私にはもう、涙を流す権利すらないというのに」

 

そして何事か小声で呟いた後、ダリアは観念した様に続けた。

 

「……ただ悟ったのです。認めがたいことですが、私は確かにグレンジャーさんが来てくれたことを喜んでいました。貴女が呼んでくれなければ、私からは決して彼女と会話すらすることはなかった。それを優しい貴女がそっと寄り添わせてくれた。認めましょう。私はグレンジャーさんのことが、別に嫌いではありません。寧ろ好意的に思っています。でもだからこそ……私にはもう彼女と会話する権利などない」

 

ダリアの独白に声が出ない。出来ることなら今すぐに彼女の言葉を否定していましたい。この子はいつだってそうだ。もっと気楽に生きられればいいのに。持つ必要のない罪悪感をいつだって抱いている。今回もそうだ。ダリアの言葉で、ようやく私はダリアの表情の変化の理由を理解できた。結局この子はハーマイオニーに……自分が傷つけてしまう()()()()()()人達に強い罪悪感を抱いてしまっているのだ。特に冬休み中、ダリアは闇の帝王から重要な任務を与えられていた。その任務が今後どれ程の人間を傷つけるものなのか、いくら愚かな私でも理解できているつもりだ。でも、だからと言ってどうすればいいというのだ。ダリアが闇の帝王に無策に逆らえば、彼女の大切な家族が危険な目に遭ってしまう。ルシウスさんがそれに気が付いているかは知らないけど、言うなればマルフォイ家はダリアに対しての人質同然な立ち位置になってしまっている。そんな状態のダリアに他の選択肢があるはずがないのだ。

ならばこそ、私は彼女の行動を全肯定する。誰かも知らない人達のことなんてどうでもいい。私はただ目の前の人が幸せならそれでいい。正直なところ、今までダリアを傷つけてきた人間など心底どうでもいい。ダリアが罪悪感を持つ必要なんてない。……そう私は()()()()()()

 

でも……私にはそんなこと、口が裂けても言えるわけがなかったのだ。

 

「そ、そんなこと、」

 

「出来ませんよ。私はもう後戻りできないところまで来てしまったのです。私はもう選択してしまった。……今更どのような顔をしてグレンジャーさんと話せばいいのか分からないのです。今も敵対し続けている、敵対するしか道がない私には、そんな資格などあるはずがない。……もう全てが遅いのですよ、ダフネ」

 

ダリアの続けざまに放たれた言葉に、私はようやく理解した。

 

結局のところ……もはやダリアにとって幸福は幸福ではなく、その罪悪感から幸福こそが()()に変わってしまったのだ。

私や家族と共に過ごす時間は、彼女にとって当たり前の日常。でもそれ以上の幸福は、ダリアはもう望むことすら出来なくなってしまった。

幸福であればある程、ダリアは考えるのだ。

 

自分には本当に幸せになる権利があるのだろうか、と。

まさに今この瞬間がそうだ。久しぶりのハーマイオニーとの会話にダリアが何を思ったのか、唐突にどのような感情を抱いてしまったのか、私には理解できてしまった。

 

私が呑気にクリスマス休暇を過ごしている間に、全てが変わってしまったのだ。

 

そして同時に、その一見偏執的とも受け取れる罪悪感を……私が否定しきれないのもまた事実だった。

守られるだけで、常にダリアの重荷であり続けている私には……

私に出来ることは、

 

「ダリア……」

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい、ダフネ……。わ、私はいつも、」

 

「いいんだよ。私の方こそごめんね、ダリア。苦しいよね。苦しかったよね。でも大丈夫。私は絶対に離れたりしないよ……」

 

結局のところ、ただダリアに無言で寄り添うことくらいのものだった。

 

 

 

 

……時間の流れというものは残酷だ。

どんなに私たちが無力な存在であろうとも、決して私達の準備が整える余裕など与えてはくれはしない。たとえ世界がどのような状況か理解していても、どんなにダリアがつらい立場であるかを分かっていても、

 

『アズカバンから集団脱獄! かつての死喰い人、シリウス・ブラックを旗印に結集か!?』

 

敵は決して無力な私のことを待ってくれはしないのだ。

数日後の朝刊第一面の記事を読んだ時、私は改めてそのどうしようもない事実に気づくことになる。

 

()()()絶望が……もうすぐそこまで迫っていた。



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変わらない流れ

 ダリア視点

 

私にとっての幸福とは、ひとえに私の大切な人達の幸福に他ならない。私のことはどうでもいい。ただひとえに私の大切な人達、マルフォイ家とダフネさえ無事であれば、他の人などどうでもいい。

それ以上の幸福を望むことは……罪ですらある。

私は罪人だ。人の世をかき乱す怪物だ。この世に本来ならば存在すらしてはならない異物。それが私だ。

ルーピン先生の言葉が脳裏をよぎる。

 

『君は自分のことが嫌いだと言ったが、本当にそれは悪いことばかりだったのかい? それがなければなかったことや、それがなければ出会えなかった人達がいはしないかい? もし少しだけでも心当たりがあるのなら、この場だけでもいい。自分を少しだけ……少しだけでも許してあげたらどうだい?』

 

あぁ、確かにルーピン先生の言葉は正しかった上、私はその言葉で一時的に自分自身に希望を見いだせもしていた。

だがそれも『闇の帝王』が復活するまでの話だ。

私はもう無邪気にルーピン先生の言葉に甘えることは許されないことをしてしまっている。巨人族のこともそうだが、グレンジャーさんと敵対している時点で私は……。

もう私のオーグリーが形になることはない……。

……認めがたいことであるが、認めよう。私は確かにグレンジャーさんに好意的な感情を抱いている。一年生の頃から分かっていたことであるが、敢えて、改めて私は認めなければならない。

でもだからこそ、私はダフネのお膳立てで彼女と会話した時に思ったのだ。

 

多くのモノを犠牲にしても家族とダフネの幸福すら守れていないのに、私にこれ以上の幸福を望む権利などあるのか……と。

 

答えは明白だ。そんな権利あるはずがない。()()()()()()()()()()。敵対しておきながら、それこそ彼女の友人、ひいては家族すら害することになるかもしれない私が、どのような顔をして彼女と向き合えばいいのだ。

……きっと彼らを殺す時も、闇の帝王と同じ笑顔を浮かべているだろう私が。カルカロフ校長の死を笑顔で見つめ、巨人の破滅に喜びを見出している私が。

私は人間ではなく、ただの人殺しが好きな怪物に過ぎない。これまでも……そして、これからも、

 

『アズカバンから集団脱獄! かつての死喰い人、シリウス・ブラックを旗印に結集か!?』

 

決して変わることはないのだ。

 

私とダフネが監督生風呂に行ってから数日。本来爽やかな朝食の時間であるはずの大広間は、朝刊の第一面記事によって今騒がしい様相を呈していた。

 

『昨夜遅く魔法省が発表したところによれば、アズカバンから十人以上の集団脱獄があった。それも元死喰い人である、特別監視下に置かれた凶悪犯罪者達がだ。コーネリウス・ファッジ大臣は次のように発表した。

 

『まことに残念ながら、我々は現在シリウス・ブラックが脱獄した時と同じ状況に直面している。無論多くの市民が考えている通り、これはブラックが脱走したことと無関係であるはずがない。誰の手引きかなど考えるまでもないだろう。特に今回脱走したベラトリックス・レストレンジ。奴はブラックと従妹の関係にある。努々市民の皆さんにおかれましては、おかしな流言に惑わされぬように』

 

大臣の言う流言が何かは語るまでもないが、ともかく危機的状況であることに変わりはない。ロングボトム夫妻を『磔の呪文』で拷問したベラトリックス・レストレンジを始め、多くの危険な脱獄囚達がブラックの下に集結しているのだ。魔法界は愚かな少年や老人に惑わされぬよう、より一層団結してこの危機に当たらねばならないだろう』

 

大広間を見渡せば、大勢の生徒がいくつものグループを作り、一つの記事を必死に眺めている。当然このような記事を読んで落ち着いていられる人間など、この学校の中では()()()くらいのものだろう。

朝刊一つ一つに大勢群がる他のグループと違い、記事を持つ私の周りにいるのはダフネとお兄様だけだ。いつもの取り巻き連中も私のことを恐れてか他の新聞を囲んでいる。無論私がそんな今更のことを気にするわけもなく、他のグループと違い静かな口調で言葉を発した。

 

「いよいよ来ましたか……。いずれこの日が来ると分かってはいましたが……」

 

こんなことが起こるのは予め予想が出来ていた。

闇の帝王は最近ずっと部下が成果を上げないことに怒り狂っている。有能な部下がいない。そもそも部下の数が圧倒的に足りない、と。

ならば現状を打開するため、奴が新しい部下を求めるのは必定だ。そして奴が求める条件に合致する部下は……今までアズカバンに収監されていた、奴に絶対の忠誠を誓っている死喰い人のみ。即戦力かつ、これ程奴のために行動する魔法使いなど他にはいない。特に巨人族という戦力を手に入れた今は……。

いよいよ訪れてしまった最悪の事態に、私は思わずため息を漏らす。ただでさえ憂鬱な気分が更に沈み込みそうだ。

事態がいよいよ悪化しつつあることに。……それなのにそれを、

 

「……この記事おかしくないか? こんなことになって、どう考えてもおかしいだろう。……考えたくないが、ポッターが言っていたことは正しかったのか?」

 

「その通りだよ。僕は常々言っていたじゃないか! 彼は英雄だ! 彼が嘘をつくはずがないってね!」

 

おそらく殆どの人間が理解してはいないことに。

記事を読んだ生徒達の反応は概ね三つだ。一つはこの惚けた記事を読んでも、未だに魔法省を妄信している間抜け。大体の生徒がこちらだ。次に記事に違和感を覚え、魔法省に疑問を投げかける生徒。そして最後に、隣のハッフルパフテーブルから漏れ聞こえてくるような、最初からポッターを信じていたと喜色満面になる生徒。そちらを見れば、少し小太りな生徒がまるで演説でもするかのように熱弁を振るっている。確かダフネからの報告にあったDAメンバーだったはず。彼も含め、DAのメンバーはポッターの正当性が証明されて嬉しいのだろう。

だが私に言わせれば、そのどの反応を示す生徒であっても真に現状を理解できてなどいない。

ポッターの言っていたことは正しい? だからどうしたというのだ。正しいことに価値など無い。問題はそこではないのだ。そこで思考がストップしているのは、やはり彼らがただお遊びの延長でDAに参加しているからだ。

 

何故考えないのだろう? 何故闇の帝王は、今アズカバンに収監されていた死喰い人を解放したのか。そんな自分の存在を薄々感づかれるようなことを、何故今の今まで隠れ潜んでいた闇の帝王が実行したのか。今まで部下が少ないと怒り狂いながらも行動しなかったのは一体何故か?

 

……それはもう、ある程度()()()()()()()()()()()からに他ならない。もういつ自身の存在が露見してもいい、いつでも戦える状態が整いつつあることに他ならないのだ。

ポッターの言っていたことが正しいとようやく皆が気付き始めた? 馬鹿々々しい。ようやくではなく、()()という表現こそが正しいのだ。……全てがもう手遅れなのだ。

 

そのどうしようもない事実に気が付いている人間が、一体いか程この大広間に存在しているだろうか。

私の無表情に何かを感じ取るダフネにお兄様、そしてこちらをジッと見つめている()()。その他に一体何人の人間が気付けている?

あのグレンジャーさんですら無理な様子だ。グリフィンドールの席を見れば、何人かの生徒に囲まれているポッターにウィーズリー、そしてグレンジャーさんの姿。囲む生徒はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべており、ポッターは戸惑った表情を、ウイーズリーとグレンジャーさんは勝ち誇った表情を浮かべている。あの様子では、彼女ですらポッターのようやく証明された正当性に酔いしれているだけだろう。

 

戦争が……本当の人の生き死にが等価に試される戦争がもう直ぐそこまで迫っている。善悪など関係なく、ただ純粋に運や実力によってのみ人の生き死が齎される。本物の戦争が……。

もう何もかもが遅いのだ。

 

「ダリア……」

 

「……ごめんなさい、ダフネ。大丈夫、大丈夫ですから。だからそんな悲しそうな顔をしないでください」

 

悲しげな表情を浮かべるダフネの頭を私はそっと撫でる。監督生風呂での出来事で唯でさえ彼女を悲しませてしまっているのに、余計に彼女の負担になるようなことを言ってしまった。

……いくら私にはグレンジャーさんと会話すらする権利がなくなったとしても、やはりあの場を衝動的に飛び出してしまったのは失敗だった。いくら彼女と一緒にいることに……幸福感を覚えることこそが苦痛になってしまったとしても、ダフネのことを思えば平静を装うべきだったのだ。あれは明らかな失敗だった。そのせいでダフネはこうしてずっと悲しげな表情を浮かべている。

責められるべきは私なのに、私だけであるはずなのに、ダフネはそれでも自分自身を責め続けているのだ。彼女は決して悪くないのに……。

 

 

 

 

大勢の人間が現状を正しく認識出来ていなくとも、決して闇の帝王は待ってはくれない。

今こうして、大勢の人間が呑気な話をしていたとしても、

 

『高等尋問官令。今日この日をもってルビウス・ハグリッドおよび、フィレンツェなる亜人を永久に教職より追放する』

 

着々と全ての物事が、闇の帝王の望む通りになりつつあるのだから。

大勢の囚人がアズカバンから脱走した当にその日。まるで今朝の朝刊など無かったかのような愚かな張り出し。このようなあからさまな告知をすれば、更に皆が魔法省に疑問を抱くのは必定だろう。

なのにこんな張り出しをアンブリッジ先生がしたというのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

流れが変わりつつある。私にはハッキリとその空気の変化が感じ取れていた。

今までは私にロン、そして何よりハリーが大広間に入った時、私達は皆からいつだって嘲笑されていた。隠そうともしない悪口。まるで異常者でも見るみたいな視線。それらに私達は談話室以外……いいえ、グリフィンドール談話室ですら晒されていた。誰もハリーの言葉を信じてくれはしない。何故なら()()()()()()()()。あまりに残酷な事実に対して、その証拠があまりにも乏しいから。それは今まで友人だったグリフィンドールの皆も同じだった。

でも今は違う。今朝の朝刊は確かに残酷な情勢を示すものだった。死喰い人の大量脱獄。敵の戦力が大幅に増強されたのは間違いない。戦いはより一層厳しいものになることだろう。

しかし、今回の事件で……ようやく皆の目が覚めつつあった。

ハリーのルームメイトでありながら、今までハリーを避け続けていたシェーマスもその一人。彼は気まずげな表情を浮かべながら私達に近づき、ボソボソとした声音で言ったのだ。

 

「ハ、ハリー、や、やぁ。実は僕……君に言いたいことがあって。その……僕、君を信じてもいいかなって。何というか、ここのところ魔法省はどう考えてもおかしいと思うんだ。死喰い人が大勢脱走したのに、それでも君の非難ばかり繰り返している。ママも手紙で言ってた。最近魔法省は何か隠しているって。だから僕……ごめん。今までずっと酷いことを君に言ってたと思う」

 

彼だけではない。今までハリーを馬鹿にしていた何人かが、それこそ寮関係なくハリーに近づき謝罪の言葉を口にする。スリザリン生は一人もいないけれど……それ以外の寮生は分け隔てなく。勿論まだ私達を嘲笑する声も聞こえる。でもそれも昨日までと比べて極々小さなものに変わっていた。

 

明らかに昨日までとは流れが変わっている。悪い方ではなく、間違いなくいい方向へ。休暇明け直後も、休暇明け中何も事件は無かったとハリーを馬鹿にしていた人がほとんどだけど、それを今更蒸し返しても仕方がないだろう。

ようやく……ようやく待ちに待った時が来た。いずれこうなることは分かっていた。皆が信じていなくても、『例のあの人』が復活したのは紛れもない事実。ならいずれあの人が帰ってきた時、必ず皆の目は覚めるはず。それがいつになるか正直分からなかったけど、ようやくその時が来たのだ。皆がようやく気付き始めた。真実に。ハリーの言葉が正しいことに。

 

今まで耐えるしかなかったけれど。ようやくこの時が来たのだ。これで全てが上手くいく。流れが変わった今、何もかもが正しい方向に向かうはず。敵の戦力が増強されようとも、それ以上にこちらの戦力も強まる。上手くいけば、それこそDAのメンバーだって増やすことが出来るはず。

 

それが()()()私が考えていた嘘偽らざる気持ちだった。暗いニュースばかりの中で、ようやくあった明るい知らせ。私は確かに……そう、確かに心が浮き立ってしまったのだ。

愚かにも、少し考えれば決して明るいはずのないニュースに。

それはアンブリッジが更なる『高等尋問間令』を出しても変わらなかった。

 

『今日この日をもってルビウス・ハグリッドおよび、フィレンツェなる亜人を永久に教職より追放する』

 

その張り出しを見た時、勿論ハグリッド達の心配をしていた。『占い学』はもう受講していないためよく分からないけど、ハグリッドは私達の友人。心配しないはずがない。

でも同時に思ったのだ。あのトレーローニー先生ですら、教員ではなくなっても城から追放されてはいない。ならばハグリッドも大丈夫。たとえ教師ではなくなっても、城に残っている限り必ず反撃の芽はある。本当に久しぶりに持てた明るい展望に、一度浮足立った心は中々落ち着くことはなかった。

 

そう……浮足立っていた。それがこの時の私を正しく表現した言葉だろう。

後から考えれば、どう考えてもおかしなことばかりだというのに、この時の私は決してその違和感に気が付くことはなかったのだ。

 

何故敵は今こんな行動をとったのか。今まで隠れ潜んでいた敵が、何故こんな大勢に存在を露見する可能性のある行動をとったのか。

ほんの少し。ほんの少しでも考えていれば、答えに簡単に辿り着いていたはずなのだ。

当に浮足立って考える力を失っていたとしか言いようがないだろう。

 

……若しくはダリアの、

 

『これからもダフネをよろしくお願いします。たとえ私が敵になったとしても……』

 

あの()()()()()()()を何とか振り払おうと必死だったのか。

どうしても……どうしたってあの浴場での彼女の無表情が頭から離れてくれない。

今まで私は何度もダリアに別れを突き付けられたことがある。それこそ一年生の頃から何度も。その度に何度も挫けそうになった。でも彼女に嫌われたとしても、私は決して彼女のことが嫌いにはなれなかった。なっていいはずがなかった。だからこそ私は何度も挫けそうになりながらも彼女に纏わりつき、ダフネのお陰もあり何とか彼女と自然と会話する仲くらいにはなれていたのだ。

なのにそれが……一夜にして本当の意味で崩れ去ってしまった。

去年終わりも彼女に完膚なきまでに拒絶されてはいた。でも後から思い返せば、心のどこかで信じていたのだろう。彼女は決して離れていきはしない。たとえ敵の陣営に身を置いていようとも、私達に敵対することは決してないのだと。そしてその予想通り、ダリアは態度こそ私のことを拒絶していても、最終的には決して私のことを見捨てることはなかった。私が困った時はそれとなく私に手を貸してくれた。それこそ一年の時から変わらない優しさをもって。

 

でも……今回は何故か前回の拒絶以上に心が落ち着かずにいる。

何故だろう。何故だか今回だけは、私は心の底から次を信じられずにいる。いつだって無神経に次こそはと信じ切っていたのに、今回だけはどうしても次を想像もできない。

 

心のどこかで、今度こそ私達の関係は終わりなのだと悟ってしまっているのだ。

勿論ダリアは陰ながら手助けはしてくれるだろう。でも、決してこれまでの曖昧な関係ではない。本当の意味で後戻りできなくなってしまった。そんな悲壮感を彼女から感じ取ってしまったのだ。

もう彼女にとって私といる時間は苦痛でしかない。彼女にいらぬ期待感を与えてしまっている。

そのどうしようもない事実に私は気が付いてしまったから。

 

 

 

 

私は心の中に広がり続ける不安と喪失感に気づかない振りをするため、ただ一つだけの希望に無我夢中に縋り付く。

 

「ぼ、僕、ハリーのことを信じてみようかなって。そ、それであの、ハッフルパフの連中がダンブルドア軍団っていう名前の組織のことを話してたんだけど……ぼ、僕も入れてもらうことできないかな?」

 

「えぇ、勿論よ。ハリーのことを信じてくれて、貴方も防衛術が必要だと考えたのでしょう? なら大歓迎よ」

 

朝刊から数日すると、何人もの生徒が私達に話しかけるようになった。知っている生徒も、それこそ全く知らない生徒も。でも皆ようやく真実に気が付き、現状を変えなければと理解した生徒達ばかり。これで少しは事態が良くなるはず。少なくとも今までのように、学校中から敵意の視線を向けられることはなくなるはず。少しだけでも状況は良くなったのだ。だからダリアだってきっと、いつか私達の味方になってくれるかもしれない。

そう愚かにも……この時の私は信じようと自分を誤魔化していたのだった。

 

それがどれだけ愚かなことなのか気づかないまま……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

休暇が明けてから初めてのDA。休暇中と違い、クリスマスに実家に帰っていた生徒も再び参加している。いや、それどころか……休暇前よりも人数が少し多くなっている様子だった。

今年に入ってずっとハリーを避けていたディーンにシューマス。それに名前も知らない他寮の生徒が数人。今までいなかった生徒が何人か参加している。しかもその生徒達全員が、他の今まで参加していたメンバーに負けない程熱心に練習に打ち込んでいるのだ。

今までとは明らかに変わった風景。これが意味することは、いくら頭の悪い僕にだって分かる。

つまり……ようやくハリーの言葉を皆が信じる気になったのだ。

これは今までとはあまりにも大きな違いだ。学校中の人間がハリーのことを信じるようになったわけでなくても、こうして一緒に()()仲間が増えたのは大きな違いだろう。

 

尤も……その事実だけで、あの朝刊を見た時に感じた怒りや苦しみを打ち消すことは出来なかったけれど。

 

ベラトリックス・レストレンジ。今回大量脱獄した囚人の一人。そして……僕の両親を拷問した死喰い人。僕が最も()()()()()敵。

あいつは今までアズカバンの中にいた。だからこそ僕の憎しみは今まで行き場がなかった。僕の両親を拷問し、もはや生きているとは言えない状態にした奴のことを憎みたくても、アズカバンにいるだけであいつは罰を受け続けている。そもそも僕は奴に会うことすら出来ない。恨み言の一つも言えない。だから多少もやもやした感情を抱えていてとしても、僕は何とか自身の感情を押し殺すことが出来ていたのだ。

……でも今は違う。あの朝刊を読んでからというもの、心の奥底で何かどす黒い感情が渦巻いている。こんなことは今まで一度もなかった。僕は臆病でいつだって弱い人間だった。だから誰かに本気で怒ることもなかったし、誰かを()()()()()()()なんて一度も考えたことない。奴が……僕の両親を、そして僕自身を今も苦しめている人間が、今ものうのうと外を出歩いていると考えると頭がおかしくなりそうだった。

スリザリン生に意地悪された時でも思い浮かばなかった考えが、次から次へと浮かび上がってくる。

出来ることなら僕自身の手でレストレンジに罰を与えてやりたい。いや、レストレンジだけでない。レストレンジの仲間、あいつを擁護する連中……つまりスリザリン生のことも、僕はコテンパンにしてやりたくなっていた。

グリフィンドールにハッフルパフ、そしてレイブンクローの生徒達はあの朝刊によって少なからず動揺していた。ハリーのことを信じるようになったかはともかく、少なくとも何かしら思うところがある様子だった。でもスリザリン生だけは相変わらずだった。いつも通りハリーのことを馬鹿にして、死喰い人が脱獄したことなんて気にもしてない。

それはスリザリン生がそもそも僕らの敵だからに他ならない。あいつらは最初から『例のあの人』側の連中なのだ。

レストレンジへの憎しみが増す毎に、僕のスリザリン生への怒りが増していくようだ。ぶつけようのない怒りが、手近な人間たちに向けられていく。それが()()()()()()()と僕自身も内心気が付いていても、今まで蓋をされていた感情が次から次へと湧き上がる。

そしてその対象は、

 

「……グリーングラス。なんであそこまで言われたのに、君はまだここにいるのさ」

 

DA唯一のスリザリン生、ダフネ・グリーングラスも、最初は例外ではなかった。

休暇前同様……いや、それ以上に意外な程練習に熱心に打ち込むグリーングラスに、気が付けば自分でも信じられないくらい冷たい声音で僕は話しかけていた。

DAのメンバーが増えたことで、当然会が始まった瞬間一悶着あった。いよいよ『例のあの人』の復活が現実味を帯びた状態で、その対抗組織に敵であるスリザリン生が交じっている。しかもあのダリア・マルフォイの一番の取り巻き。最初からDAに参加しているメンバーですら彼女のことを受け入れてはいないのだ。後から参加した生徒達には、さぞ彼女をここに居座らせている僕らのことがおかしく思えたことだろう。

 

『な、なんでここにグリーングラスがいるんだ!?』

 

『き、君達は正気か!? こいつがいたら、すぐにアンブリッジに僕等の活動がバレるぞ! い、今すぐこいつを追い出すんだ!』

 

『皆黙って! ダフネを馬鹿にすることは私が許さないわ! それに彼女は()()()()()()()()な羊皮紙に名前を書いてもらっているの! 彼女が裏切ることなんてあり得ないわ! だから下らないことを言っていないで、すぐに練習に取り掛かって! ただでさえ貴方達は遅れているのだから、余計なことを考えている暇はないわよ!』

 

勿論いつものように彼等の声は、平時からは考えられない程激高したハーマイオニーの言葉で黙らされた。でも彼等の不安や不信感が消えるはずもなく、寧ろ最初からのメンバーの不信感を再燃させてすらいた。言葉はなくても、今もグリーングラスに鋭い視線があちこちから突き刺さっている。

そしてそんな風にグリーングラスに、今僕も冷たい視線を投げかけていたのだ。他の人とは違って、僕のものは単純にただの八つ当たりみたいなものだ。彼女に冷たい視線や言葉を送ることにどうしようもない程()()()を感じていようとも、湧き上がり続ける黒い感情に自分を制御することが出来ない。

脳裏に浮かぶのは、聖マンゴ魔法疾患傷害病院のベッドに今も横たわるパパとママの姿。レストレンジに拷問されたせいで、二人が僕のことを認識してくれることすら……もう二度とない。

そんなどうしようもない事実に対する怒りを、僕は他の人の反応を免罪符に彼女にぶつけてしまっていたのだ。

 

でも、

 

「そんなの、私も自分の身くらい自分で守らなくちゃいけないからに決まっているでしょう? 馬鹿共が何を思っているかなんてどうでもいい。私はハーマイオニーの言葉は間違ってないと思った。私には力が必要なの。ただそれだけのことよ。そうでなくちゃ……私はいつまでも()()のお荷物になってしまう」

 

こちらに一瞥もすることなく、ただ黙々と『守護霊の呪文』を練習するグリーングラスに、僕の怒りは一瞬で鎮火されてしまうのだった。

スリザリン生への怒りが消えたわけではない。でも……やっぱり他のメンバー以上に集中した表情で呪文を唱えるグリーングラス。休暇前からそうだけど、今の姿を見て、彼女のことを他のスリザリン生と同じと考え続けることは到底出来なかったのだ。僕はもう、彼女を他のスリザリン生同様には見れななくなってしまっている。そんな彼女に一時的な感情をぶつけてしまったことで、僕は急速に冷静になっていく。スリザリンはともかく、彼女への怒りを保つことが出来ない。あまりに一生懸命な姿に一瞬にして怒りが鎮火された後、僕の中に残ったのは罪悪感のみだった。

吐き出した言葉に対する強烈な罪悪感を感じながら考える。

僕は何を馬鹿なことを考えていたのだろう。レストレンジのことが憎くても、その憎しみをあいつ以外に向けることは間違ったことだ。ましてや僕が一番に当たり散らしたのは、よりにもよってグリーングラスだ。彼女が一体何をしたというのだ。彼女はただこのDAに参加しているだけ。そんな彼女に当たるなんてどう考えても間違っている。

先程まであれだけ誰かに怒りをぶつけてやりたいと思っていたのに、気が付けば()()()に彼女のことを()()しながら、僕は急いで謝罪の言葉を口にしていた。

 

「……ごめん。僕、どうかしてた」

 

「でしょうね。いつもの貴方らしくなかったわ」

 

そして僕の謝罪に対して、グリーングラスは何でもないかのような口調で応える。それどころか練習を一旦止め、どこか気づかわし気な表情を作りながら僕に話しかけてきたのだ。

 

「……貴方がそんな風に怒っているのは、やっぱりあの脱獄のせいだよね。特に……ベラトリックス・レストレンジ。貴方が気にならないはずがないもの」

 

僕の事情を理解している言葉。これが他のスリザリン生であれば、僕は思わず激高して殴りかかっていただろう。同じグリフィンドール生にすら、僕は自分の家庭事情を話したことはない。魔法界出身でも知らない生徒は多い。それをスリザリン生の連中が知っている。それも僕の両親をあんな風にした奴の仲間が。そんなの、僕達家族を嘲笑っているとしか思えない。

でも実際には……僕がグリーングラスの言葉に怒りを感じることはなかった。彼女はスリザリン生なのに、あのダリア・マルフォイの取り巻きなのに……僕は最初に八つ当たりをしてしまったものの、どうしてもそれ以上の怒りの感情を向けることが出来なかったのだ。

頭に浮かぶのは、グリーングラスが一生懸命練習する姿、僕に呪文を教えてくれる姿……そして今目の前で僕を気遣う姿。僕にはどうしても、もう彼女をスリザリン生だからなんて理由で否定することは出来なくなっていたのだ。

僕は自分の変化に内心驚きながら彼女に返事をする。

 

「君も知っているんだね。僕の両親のこと……」

 

「いいえ、知っているとは言えないわ。レストレンジが貴方の両親を襲った。それだけしか知らないもの。……この前のセストラル。別に両親のことではないのでしょう?」

 

「う、うん。あれは僕のおじいちゃんだよ……。僕が小さい頃のことだよ。で、でも僕のパパとママは、」

 

「いいえ、無理に言わなくてもいいわ。セストラルのこともごめんなさい。少しだけ気になっていたものだから。辛いことは無理に話さなくてもいいわ。特に今は『守護霊の呪文』の練習だから。私が言いたかったのは、無理する必要はないってことだけよ。……私は今の貴方みたいに我慢して、今もずっと辛い思いをしている子を知っているから」

 

そして僕の返事にやはりどこか気遣わし気な口調で応えた後、再び前を向いて練習し始める。

 

『……エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ』

 

彼女の呪文と共に、杖から銀色の靄が噴き出す。それは以前の霞でしかなかったものとは違い、

 

「すごいわ……これは()かしら。前よりハッキリしてるわ。ダフネ、いつの間に出せるようなったの!?」

 

完全とは言えなくても、もう何の動物かハッキリと分かるモノに変わっていた。

少し靄のかかった銀色の狐が、グリーングラスの周りを元気よく跳ね回る。それを見たハーマイオニーもこちらに駆け寄り、興奮した様に声を上げた。

ハーマイオニーの言葉にグリーングラスが応える。

 

「……集中してるから。ううん、()()()()()()()()()()。監督生浴場のことで分かったの。もう私達に残された時間はそこまで多くない。ハーマイオニー、貴女もそうでしょう? もう私達に迷っている時間はない。……もう残された時間はないからこそ、今までの時間が()()()()()()()()()()()()()()。今まであの子と過ごした時間。私にはそれしかない。他のものは私には()()()()。それだけで私には十分なの」

 

……正直、彼女が何を言いたかったのかはよく分からない。ハーマイオニーは彼女の言葉を受けて真剣な表情を浮かべた後、すごすごと自分の練習に戻っていたけど、彼女にはグリーングラスの言葉の意味が理解できたのだろうか。グリーングラスとハーマイオニーの間のみでしか理解できない言葉としか思えない。

でも僕は……グリーングラスの先程までの言葉も含め、朧気ではあるけど彼女の心情を理解することが出来ていた。

ようするに……彼女()必死なのだ。僕もレストレンジのせいで余裕を無くしていたけれど、彼女も余裕がないのだ。それが何故なのかは、おそらくダリア・マルフォイのことで間違いないと思うけれど……今までグリーングラスのことをただのスリザリン生としか見てこなかった僕には詳細が理解出来るはずがない。でも彼女が()()のことで必死になっていることくらいは僕にだって分かるのだ。

でも、それを理解すると同時に、僕は先程まで感じていた怒りとはまた違う不安のようなモノを感じ始める。

 

何かがおかしい気がする。レストレンジの脱獄という大きな事実に目が眩んで、何か違うことを見落としている気がしたのだ。

どうしてグリーングラスもそんなに必死になるのだろう? 高等尋問官親衛隊隊長等、ダリア・マルフォイは順風満帆にホグワーツでの権力を手に入れている。なのに、どうしてグリーングラスはこんなにも必死になっているのだろう?

主の周りを飛び跳ねる狐を見ながら、僕はそんな朧げな不安を感じるのだった。

 

 

 

 

……僕らの様子を、それこそ僕以上に不安そうに見つめる()()()()()()()の存在に気が付くこともなく。



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閑話 誰でもない少女の告白

遅れて申し訳ありません!


 

 ()()()()()視点

 

私の両親はどこにでもいる魔法省職員だった。

低くもないけど、別に高くもない。そんな極々普通の、そこそこ代わりは利き、でもそれを悲観する程でもないくらいの地位。生活も困窮しているわけではないけど、贅沢が出来る程でもない。私の家庭はそんなどこにでも有り触れたものでしかなかった。

でもそれを悲観したことはそれほどない。勿論もう少し贅沢をしたいと思ったことは何度もある。もう少し家にお金があれば、もっと色んな服を着たりお化粧が出来たのに。そう思ったことは人生の中で何度もある。でもそれを不満に思った時もあるだけで、だからと言って自分の人生を悲観したことは一度だってない。

普通の家庭、普通の両親。そして何より……おそらくどこにでもいる、普通の女の子である私。オシャレと恋の話が好きな、どこにでもいる女の子の一人。私の人生は普通に満ち溢れており、それ以上の存在になるつもりもなかった。()()()()()を除けば、私の世界はそれで完結しているはずだったのだ。

 

なのに……ここ最近私を取り巻く事情はどんどんおかしな方向に進みつつある。

全ての始まりは、やはり友人であるチョウが……普通に溢れていた私の唯一の例外が、ほとんど騙すような形で私を『ダンブルドア軍団』に誘ったことだろう。

 

チョウは一年生の頃から同じ寮内で最も多くの時間を共にした友人だった。艶やかな黒髪が特徴の彼女は聡明で美人であり、至って平凡な見た目の私とは決して縁のない人間だと最初は思っていた。

誰がどう見ても、一目で彼女が特別な存在だと思ったことだろう。事実次の年にダリア・マルフォイが入学するまで、それこそ全学年の中で最も美人であったのは彼女に他ならなかった。ダリア・マルフォイが入学してからも、向こうの性格の悪さも相まって未だに人気だけなら学校一番だと私は思っている。

でもそんな一目で特別である彼女が……入学し同じレイブンクローどころか同じルームメイトになった時、私にまるで昔からの友人であるかのように話しかけてきたのだ。

普通であることに固執しているわけではないけど、特段特別な存在になりたいと思っているわけではない。ただ自分が特別な存在にはなれないと知っているだけだ。

こんな美人はさぞかし色々な面倒ごとに巻き込まれるだろうし、私も女である以上多少の嫉妬もある。それに美人は性格が悪いと相場は決まっている。と、当時の私は自分の普通さを慰めるための固定観念を抱いていた。私の家は別に純血の家系ではない。マグルのテレビ番組も家で見ることは出来たし、おそらくそこで妙な考えを吹き込まれたのだろう。

美人のドロドロした人間関係は遠すぎず、さりとて近すぎない所で楽しむのが一番なのだ。だからこそ、私は最初敵対はしなくとも、別に大して彼女と仲良くするつもりもなかった。

 

でも……実際はそうはならなかった。

 

それは彼女の人徳によるものなのだろう。こんな美人に上から目線で話しかけられでもすれば、私はおそらくルームメイトになったその瞬間から内心彼女のことが大っ嫌いになっていたと思う。でも彼女は自分の美貌を少しも鼻にかけることはなく、一人の人間として私に接してくれたのだ。それこそ見た目はともかく、中身は私と同じ普通の女の子であるように。最初は表面上だけ仲良くしていた私にも、ずっと根気強く。

だからだろう。私も知らず知らずのうちに、彼女にどこまでも心を許すようになっていたのだ。まるで彼女の態度と同じく、昔からの友人であるかのように。

これこそが彼女が特別だと言える理由だ。同じく、いや、チョウ以上に美人なダリア・マルフォイはほとんど全生徒から嫌われていることから、彼女がマルフォイ以上に特別な存在であることは明らかだ。チョウは顔だけではなく、性格も含めて美人なのだ。

美人で、性格がよく、頭もよく、挙句の果てにレイブンクローのシーカーでもある。ここまで完璧だと嫉妬する気持ちも失せてしまうというものだ。

平凡な私に出来た、特別としか思えない友人。それが私にとってのチョウ・チャンという存在だった。

入学してから数年。私達はほとんどずっと一緒にいた。ホグワーツの中でも上位の美貌を持つ特別な存在。彼女は私と過ごす間、最初の予想通り様々な恋愛問題に巻き込まれてきた。でも私は彼女と一緒にいても、それを楽しむつもりはいつの間にかなくなっていた。陰口のように、チョウの恋愛話を他の人間と楽しむ気なんて少しも起こらない。気が付けば彼女と同じように悩み、彼女に自分の出来る限りの助言をしていた。

 

『マリエッタ……私は貴女と友人になれて本当に嬉しい。貴女がいてくれて、私の話を聞いてくれて……本当に良かった。貴女だけよ、私にここまで寄り添ってくれるのは。貴女は私の唯一無二の親友だわ』

 

今でも去年チョウに言われた言葉は頭に残っている。セドリックが死んで、チョウは一時期酷く情緒不安定になっていた。当然だ。自分のことをあからさまに好きでいてくれた人間が突然死んだのだ。

別にチョウはセドリックが好きだったわけではない。私には到底理解できないことではあるけど、彼女はハリー・ポッターのことが好きだったのだ。それにセドリックも、今思えば最後は決してチョウのことではなく……。

でもセドリックが突然死んだことで、チョウは思い悩んでしまったのだ。自分のことを好きでいてくれた人間が、文字通りの意味で帰らぬ人になった。優しい彼女が気に病まないはずがない。他の人を思うことに罪悪感を覚え、そのことで毎日のように泣き腫らす。傍から見れば随分と情緒不安定に思えたことだろう。今まで私のようにチョウと一緒にいた生徒も、随分と苦しむ彼女から離れて行ってしまった。薄情とは思うけど……それも仕方ないと思えるほどの情緒不安定ぶりだったのも間違いない。チョウが唐突に泣き始める時も何度もあった。あれで一時的にでも彼女と離れたいと思ったのは客観的には仕方がないことだろう。

……でも私だけはチョウから決して離れはしなかった。離れたいと一度も感じはしなかった。気づけば彼女のことを我が事のように悩み、悲しんでいたのだ。だからこそ、私はひたすら彼女に寄り添い、ずっと彼女のことを励まし続けていた。自分でも不思議だとは思う。でもその時の私にはそれが当然のことに思えたのだから仕方がない。

そしてその感情の果てに、

 

『私は貴女と友人になれて本当に嬉しい』

 

彼女からそんな言葉をもらった時、私はとてつもない感動を覚えたのだから、私はどうしようもなくチョウに魅了されていると言えるだろう。

彼女に言われるまでもなく、私自身も認めている。極々平凡で、ありきたりな人間である私に出来た特別な友達。私は自分が決して特別な存在でないことは知っている。でもそんな私にも手を差し伸べてくれた、こんな素敵で特別な友人。私はそんな彼女に魅せられ、ここまで共に過ごしてきたのだ。

 

彼女は私のことを唯一無二の友達と言うけれど、私にとっての掛け替えのない友人が彼女だったのだ。

彼女は私に出来た最高の友人だ。彼女と一緒にいれば、私はそれだけで楽しい学校生活を送れる。

そう私は信じて疑っていなかった。

 

……なのに、

 

『マリエッタ! これから面白そうな集会があるの! 貴女も一緒に行きましょう! ねぇ、お願い!』

 

私はどこで道を間違ってしまったのだろう。いえ、()()はどこで間違ってしまったのだろう。

事の始まりはごく普通の誘い文句からだった。何の集会かは知らないけれど、まるでホグズミードで開かれる女子会にでも誘うような声音。私はいつものように、何の気負いもなくチョウの誘いにのった。

当然だろう。確かにホグワーツは去年までと違い、様々な問題を抱えるようになってしまった。セドリックの()()()に、ポッターとダンブルドアの()()。そして……両親の上司であるアンブリッジ先生の就任。どれ一つとっても大事件としか言いようがない。でもそれが私の生活に何かしらの影響があるとは思っていなかった。事故死や発狂はチョウに直接関係した事件であり、アンブリッジ先生のことは私に関係することであるけど、極普通の学生生活を送る私には影響自体は何もないと思っていたのだ。

なのにそんな私の甘い考えは一瞬のうちに砕け散ることとなる。

チョウに連れられ来た場所は、お世辞にも女子会に相応しい店ではなかった。店主は胡散臭く、店も汚らしい。そしてそこに集まっていたメンバーに至っては、ハリー・ポッターに彼の仲間達。店に入った瞬間、そこがまともな空間でないことが直ぐに分かった。

 

チョウの特別性に対してこんなにも腹が立ったのはこれが初めてだろう。

チョウがポッターのことを昔から好きなのは知っていた。ポッターは確かに魔法界一の有名人であるし、顔だってそこまで悪くはない。特別な人間と特別な人間が惹かれあうのは当然だろう。

でも特別だからといって、彼はあまりに有名な故に目立ちすぎるし、毎年のように何かしらの事件を起こすのだ。もうこれは運が悪いだけとは思えないし、明らかにポッターの意図も含まれていると私は考えていた。同じように考える人間も多い。特に今年は既に死んだはずの『例のあの人』が復活したなんて妄言まで……特別であっても、到底まともな人間だとは思えない。

でも、それでもチョウはポッターのことが好きだと言うのだ。いくら私が苦言を呈しても、彼女の意思が曲がったためしがない。ならばこそ私は半ば諦め、決して応援まではしなくても、彼女が納得できる結果になればいいと思っていた。

……なのに、半ば私が折れる形でいた結果がこれだ。私自身は決してポッターのことを認めたわけではないのに、チョウの勝手な行動に私は巻き込まれてしまった。

しかも会だけに参加して、後は逃げてしまおうと思ったのに……ダフネ・グリーングラスが会に現れたことによって、決して逃げ出せるような空気ではなくなってしまったのだ。誰もが知るダリア・マルフォイ一番の取り巻き。どう考えてもダリア・マルフォイのスパイとして送り込まれたであろう彼女ですら、グレンジャーの作った名簿とやらにサインさせられてたのだ。私だけ逃げれば、きっとグリーングラス以上に敵視されてしまうことだろう。というより、チョウにほとんど無理やりにサインをさせられてしまった。

これで怒らない方がおかしい。

 

『ご、ごめんなさい。で、でもこれは貴女にも必ず必要なことだと思うの! ハリーが言っていたでしょう!? 『例のあの人』が帰ってきた。それでセドリックは殺されてしまったの! なら私達は備えるべきなのよ! 貴女もアンブリッジ先生の授業は酷いと思うでしょう? なら彼に色々教えてもらうのは悪いことではないはずよ?』

 

ふざけないでよ、と思った。チョウの言い訳のような謝罪を聞いても、胸のモヤモヤしたものが晴れることがない。

何故ポッターが正しいことを言っている前提で話を進めるのだろう。前提条件として、『例のあの人』はもう死んだのだ。そう私の両親も所属する魔法省が発表している。魔法界を守護する魔法省と、有名人とはいえ一生徒であるポッター。どちらが信用に値するかなんて考えるまでもないだろう。チョウは騙されているのだ。彼女は特別であるが故に特別なものに惹かれるところがある。だからこそポッターのことが好きなのだろうし、セドリックへの罪悪感がより一層彼女の判断を惑わせているのだろうけど……客観的に見て彼女が間違っているのは明らかなのだ。

それに……たとえ万が一ポッターが正しかったとしても、この企みが成功することもあり得ない。何故ならポッター達が敵対しているのはアンブリッジ先生であり……そして何より、この学校を常に恐怖に陥れ続けてきたダリア・マルフォイなのだから。

この会は明らかにアンブリッジ先生に敵対している。そしてそんな先生から権力を与えられているダリア・マルフォイとも……。

アンブリッジ先生のことは両親から聞いたことがある。とても厳しい人で、決して自分の意に反する人間を許さない人であると。何よりスリザリンらしい狡猾さを持ち合わせ、人の裏切りに何より敏感な人だと。両親からも決して先生に逆らうなと厳命されていた。当然だろう。彼女に逆らえば、私だけではなく両親の立場にも影響するのだから。

そして……ダリア・マルフォイに目を付けられればどうなるかは、もはや学校中の誰もが理解している。彼女は二年生の時、『継承者』として学校中を恐怖のどん底に叩き落した。彼女に逆らえば石にされてしまう。しかもそれが分かっていても、誰も彼女を捕まえることすら出来ない。そんな彼女のスパイが会に紛れ込んでいるのだ。それもダリア・マルフォイが一番信用しているであろうスパイが。ハーマイオニー・グレンジャーが優秀なことは聞いたことがあるけど、同時にダリア・マルフォイも優秀なことで有名なのだ。常に学年どころか学校で一番の成績。それはつまり、グレンジャーが如何に呪文でグリーングラスを縛ろうとも、ダリア・マルフォイにはそれを凌駕する力があるということなのだ。未だに彼女が何の行動も起こしていないことは不思議だけど、それがより一層私の恐怖をあおっていた。

失敗することが確定している行動。それも失敗した時、人生そのものが狂ってしまうだろうことも確定している。そんなものに巻き込まれて怒らない方がどうかしている。

 

会の皆は怖くないのだろうか?

いや、怖くないはずがない。彼等だってダフネ・グリーングラスの存在に怒り、戸惑い……そしていつだって恐怖している。グレンジャーの強硬な態度で大っぴらなことが出来ないだけだ。グレンジャーが自分のかけた呪文に過信し、皆をそれを以て従わせようとしていなければ、疾うの昔に皆でグリーングラスを追い出している。

でも、彼らと私には決定的な違いが存在する。それは彼らは恐怖しながらも、それでもポッターの語る正義とやらを信じ切っていることだ。ポッターの言うことは正しく、いもしない敵と戦うことが絶対的な正義だと信じ切っている。それが彼らの恐怖を緩和し、恐怖しながらも戦っている自分に酔いしれさせているのだ。

私とは……全く違う。怖がりながらも自分を誤魔化している。

 

私は自分に酔いしれることなんて出来はしない。ポッターの妄言なんて信じる気も起きない。

毎日怖くて仕方がなかった。いつダリア・マルフォイに石にされてしまうか。アンブリッジ先生に呼び出されるか。そう考えるだけで体が震えそうだった。気が付けばいつもあの人達の姿を目で追っている。恐怖のあまり無意識に二人のことを見てしまっているのだ。しかもアンブリッジ先生はそれに気が付いていない様子だけど、ダリア・マルフォイの方は……。

こちらに向けられるあの冷たい瞳を思い出し、更に恐怖感が募っていく。入学当初から有名だった、美しいのに、それ以上に私達のことを人間として見ていないようなあの冷たい視線。目が合ったことは一度だけではない。あれは絶対にこちらの視線に気が付いている。あんな恐ろしい存在が、他寮の、それこそどこにでもいるような存在である私に視線を向ける理由なんてない。

私の予想通り、ダリア・マルフォイは疾うの昔から知っているのだ。グレンジャーがどんなに自分の力を主張しようと、あの人はもう私のような末端の会員のことまで知っている。情報源はダフネ・グリーングラス以外にあり得ない。結局のところ、ダリア・マルフォイにはグレンジャーの呪文など問題にもならなかったのだ。全ては……ダリア・マルフォイの掌の上。今も私の、いや私達の監視だけで済ませているのは、きっとタイミングを見計らっているからだろう。私達に最も残虐な罰を与えられるタイミング。()()ダリア・マルフォイなら十分あり得る話だった。

 

どうにかしなくちゃ。どうしようもない恐怖感の中、私はそれでも必死に思考を巡らせる。私は決して特別な人間ではない。でもそんな私にだって、踏みにじられたくない一線というものは存在するのだ。

チョウ……。私をこんな事態に巻き込んだ原因な上、未だ彼女に対するわだかまりのような感情は感じている。でもこのまま彼女の破滅を眺めるだけのつもりはない。どんなに酷い目に遭わされようとも……たとえ彼女にとって私が友達の一人でしかなかったのだとしても、私にとっては彼女こそが一番の親友なのだ。

今はポッターに対する恋愛感情で頭がのぼせているけど、きっと彼女も目が覚める時が来る。その時に既に全てを失っていては元も子もない。私はチョウのことを守らなくてはならない。

 

それに……私の両親のことも。

 

ママは今年初め私に言った。

 

『今年ホグワーツの教員になるドローレス・アンブリッジ先生だけど……決して逆らっては駄目よ。あの人は本当に、自分の意見に逆らう人間をとことん嫌っているから。どれだけの人があの人に逆らって辺境の部署に異動させられたことか。いい、決してアンブリッジ先生に睨まれるようなことはしないのよ』

 

私の両親はしがない一魔法省職員に過ぎない。アンブリッジ先生のような高官に睨まれてしまえば、あっという間に魔法省から追い出されてしまうことだろう。

だからこそママとパパは心配しているのだ。自分達が魔法省から追放されることを。……そして職を失うことにより、私達家族が路頭に迷うことを。……私の未来までもが閉ざされる可能性を。魔法省高官に逆らい追放されるということはそういうことなのだ。学校教師すら解雇できるような人間が、一生徒である私を追放できないはずがない。

自分達のことだけを心配しているわけではないことくらい、私にだって分かっている。もう何年両親の子供であっただろうか。二人が私のことを心配するからこそ、あんな風にいつもはしないであろう忠告をしたのは私にだって分かっているのだ。

でも私だって両親のことを守りたい。私がどんなに何の取柄もない人間だったとしても、そんな最低限の家族愛くらいは持ち合わせている。

 

私はチョウと両親を守るために何かしらの行動を起こさなくてはならないのだ。

 

だからこそ、私はただ恐怖に震えているばかりではいられなかった。

何かしなくては……何かしなくては、私は大切な人達を守ることが出来ない。このままでは破滅の未来しかない。誰も幸せにはなれず、あの何でもなかった日常が返ってくることはあり得ない。

 

私は何の取柄もない、ただ平凡な生徒でしかない。ただチョウという特別な人間の友人に偶然なれたに過ぎない。決して何者にもなれない人間の、その他多数の一人でしかない。

でもそんな私にでも……どんな些細なことでも、私にでも出来ることがきっとあるはずなのだ。ほんの少しの勇気さえ持つことが出来れば、私にだって大切な人を……。

 

私は今日も一人考える。恐怖に耐えながら。会の最中、恐怖など微塵も感じず、ただポッターに熱い視線を送っているチョウを横目に見ながら。大広間でチョウと朝食を摂りながら、私は必死に内心考え続ける。

 

 

 

 

そんな私を、私が視線を外した後もあの冷たい視線が見つめているとは気付かずに……。



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密告(前編)

 ハリー視点

 

DAのメンバーが増えた。この一点においても、事態が僅かながら好転している証だと僕は思っていた。

僕は今までこの学校内で完全に腫物のように扱われていた。どこに行っても陰口をたたかれ続け、冷たい視線を投げられ続ける。それはグリフィンドール内でも例外ではない。今まで友人だと信じていた生徒からも、僕はずっと裏切られ続けていた。

でも、それが少しでも改善してきたのだ。たとえ死喰い人の大量脱獄のニュースが原因とはいえ、僕らを取り巻く事情は確実に改善しつつあるのだ。DAのメンバーも最初のメンバーより格段に増えつつある。勿論それは脱獄によるものだけではない。DAの最大の頭脳であるハーマイオニーの努力によるところも多分にある。

ハーマイオニーは生徒達の魔法省への信頼が揺らいだ瞬間を見逃さず、更に積極的な行動を取っていた。思えばDAを最初に作ろうと言い出したのも彼女だし、

 

「……それで、優等生のお嬢さん。お前さんはあたくしに何をしてほしいんざんしょ? わざわざこんな場所まで呼び出して……」

 

()()()()()()()()。私が貴女にお願いしたいのはただ一つよ。ハリーの話をそのまま記事にしてほしい。ただそれだけよ」

 

こうして僕なんかには到底思いつきもしないことをするのも、いつだってハーマイオニーだった。

クリスマスが明けてもまだ外には雪が降り積もっている。そんな中僕らはホグズミードの一角、ただ表の綺麗な街並みとは無縁の、あのDA最初の会合を開いた汚いパブで顔を付き合わていた。メンバーは僕とハーマイオニー。そして去年散々僕を扱き下ろす記事を書いていたリータ・スキータに、何故かルーナ・ラブグッド。普通では考えられないようなメンバーを、ハーマイオニーはいつもの溢れんばかりの行動力で招集したのだ。

ハーマイオニーの今からやろうとしていることは予め聞いている。彼女はリータの弱みを握っているため、それで奴を脅して僕の主張を何の脚色もなしに記事にさせるのだとか。僕を馬鹿にする記事は今でも溢れかえっているけど、そんな中あのリータ・スキータが僕のことを擁護する記事を書くのは中々衝撃的なニュースになると思う。

でも、そこでどうしてハーマイオニーがルーナのことも呼んだのか、僕には理解できなかったのだ。

しかしそこはハーマイオニー。やはり僕が考えもしなかった理由を淡々と続ける。

 

「はぁ? お嬢さん、やはりお前さんは相当の世間知らずだね。脅迫状のような手紙を送ってきて、一体何をさせられるかと思えば……馬鹿々々しいにも程があるざんす。いいかい、百歩譲ってあたくしが御前さん達の望む記事を書いたとして、それを『日刊予言者新聞』が載せると思うかい? ファッジがそんな記事を許さないし、読者もそんなもの求めちゃいない。今は特にアズカバン脱獄で皆不安を募らせてる。ポッターの語る恐ろしい真実なんざ誰も聞きたくないざんすよ」

 

「そうね、貴女の言う通り『日刊予言者新聞』には載せられない。読者の大勢は今の状況でもハリーのことを笑うでしょう。でも、そうでない人だっている。今回の脱獄で、魔法省の言葉それ自体に不信感を持った人も大勢いるはずよ。そんな人達に今こそ真実を届けるのよ。ここにいるルーナのお父さんは『ザ・クィブラー』の編集長。……ほんの()()()()評判は悪いけど、どんな雑誌であれハリーの言葉をそのまま載せたとしたら、きっと多くの人が読みたいと思うはずよ」

 

ルーナをこの場に呼んだ理由を僕はようやく理解した。成程、ハーマイオニーの言う通り、確かに今の『日刊預言者新聞』が頼りにならない以上、別の新聞か雑誌を探さなくてはいけない。その点『ザ・クィブラー』はルーナがDAであるため直ぐに僕の記事を載せてくれることだろう。ルーナには初めから話を通していたのか、どこか嬉しそうな表情で頷いていた。……いつも存在自体怪しい生物の特集をしていることに目を閉じれば、実に理に適った選択肢と言える。寧ろそれ以外の選択肢が僕等にはない。

 

「ザ・クィブラー!? あのボロ雑誌の記事をあたくしに書けと!? あんな雑誌、あたくしなら庭の肥やしにするね! 馬鹿々々しいざんす! あたくしは帰らせて、」

 

「あら、帰っていいの? いいわよ、別に。でも明日には然るべき所に貴女のことが伝わることになるでしょうね。未登録の『動物もどき』……貴女の書くアズカバン囚人日記はさぞ売れるわ」

 

「こ、小娘……」

 

だからこそ、ここまで準備していたハーマイオニーがスキータを逃がすわけもなく、もはや露骨とも言える脅し文句で従わせるのだった。ロックハートを秘密の部屋に落とした時もそうだけど、彼女は時折とことん敵に対して容赦がない時がある。尤もそれが彼女のことが頼もしく思える理由の一つなのだろうけど。

インタビューとは名ばかりの、ただ僕の話を書きとらせるだけの作業が終わり、僕とハーマイオニー、そしてルーナはホグワーツに戻る道すがら話す。

 

「上手くいくかは分からないけど、これが切欠になればいいわね。今がチャンスなの。大勢の人が魔法省に疑問を持ち出している今だから、ハリーの言葉をもっと大勢の人に届ける必要があるのよ。多くの人がそれでしっかりと事実を知って、少しでも警戒してくれれば……今後の戦いにも影響するはずだから」

 

「うん、あたしもこれは大切な事だと思うもん。次の特集は『しわしわ角スノーカック』についてだったんだけど、こっちを載せるつもりだってパパも言ってたもん。……あたしはそっちの記事も楽しみだったんだけどなぁ」

 

「そ、その記事もとっても素敵だと思うわよ? えっと……しわしわ……何とか。わ、私もとても興味があるわ。でも今は一刻も早くハリーの記事を多くの人に届ける方が大切よ」

 

いつも通り夢見心地の雰囲気のルーナに、ハーマイオニーが気を使ったように話している。DAの時にも思っていたが、ルーナとハーマイオニーは仲がいい。ルーナの語る不思議生物なんて、ハーマイオニーからすればトレローニー先生の語る予言と同じくらいに胡散臭い話だろうに……いつもあまり邪険にせずに話を聞いている。

僕はそんな彼女達の会話に時折相槌を打ちながら今後について考えていた。

スネイプの記憶を見た後は酷く落ち込んだ気分になってしまったけど、落ち込んでばかりいられない程事態は動き続けている。アンブリッジは日に日に横暴さを増しているし、ハグリッド以外の先生達もいつクビにされるか分かったものではない。その上ホグワーツの外でも、脱獄事件のようにヴォルデモートが着々と活動している。いつまでもスネイプのことなんか考えている場合ではない。

今回のことで事態はどのように動くのだろうか。少なくともアンブリッジは激怒することだろう。僕のことをとことん貶めたいと思っている奴のことだ。僕の話が広まることですら嫌に思うに違いない。でもそれがどうしたというのか。怒るなら怒ればいい。望むところだ。僕だってセドリックのことを含めて、あの墓場での出来事を語るのは気持ちのいいものではなかった。誰が好き好んで目の前で人が死んだ時の話をするものか。でもそれを押しても僕は話すべきだと思ったのだ。ハーマイオニーに説得されたこともあるが、僕も今はこういう行動も必要だと思ったのだ。

今僕に出来ることは限られている。DAメンバーに生き残る技術を身に着けてもらうこと。僕に出来ることはこれくらいのものだった。でも今回の行動で、そのメンバーを更に増やすことが出来るかもしれない。そうすればより多くの人が戦いに生き残れる可能性が出てくるのだ。ならば僕の一時的な不快感なんて我慢すべきことだろう。アンブリッジがどれだけ僕を罵倒しようとも、それこそセドリックのことを話したことを非難しようとも、僕は決してあいつに屈したりはしない。これが僕等なりの戦い方だ。

 

 

 

 

しかし結果的に、僕らのこの企みはあまり効果のあるものではなかった。

確かに大勢の僕の言葉と経験は色んな人に届けられたと思う。ホグワーツの外の読者には何かしらの影響を与えることが出来ただろう。

でも……ホグワーツの中では。

脱獄があって……DAのメンバーが増えた。この一点においても、事態が僅かながら好転している証だと僕は思っていた。

なのに……ザ・クィブラーが僕の特集記事を出す前に、増えるだろうメンバーを受け入れる土台そのものが消滅してしまったのだ。

つまりDAは、『ダンブルドア軍団』は解散せざるを得ない状況に陥ってしまったのだった。

 

それも僕らの最大の敵、それこそアンブリッジ以上に危険である()()()()()()()()()の手によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

それはあまりにも唐突な出来事で、何の前触れもないことのように僕は思えた。

 

メンバーが増えたことでDAは活気づき、ハリーが先日『ザ・クィブラー』のインタビューを受けたということで更にヤル気に満ちている。フレッドとジョージのように、皆に配布する用の『ザ・クィブラー』を大量予約した他メンバーは流石にいなかったが、皆一人一部ずつ予約していた。皆ハリーの行動に勇気づけられ、これからのことを考えて興奮していたのだ。

話をしたハリーは本当に辛い思いだったと思う。でも、それを押してでも彼は話をしてくれた。これでより大勢の人が『例のあの人』を警戒することが出来る。これで勇気づけられないDAメンバーは、ザカリアスとダフネ・グリーングラスだけだろう。ハリーの言うことは信じていても、ハリーのことは尊敬していないダフネ・グリーングラスは完全に黙り込んでおり、ザカリアスはいつもの嫌味を口にしていた。でもそんな彼らを除き、皆いつも以上にヤル気に満ちた態度で練習に励んでいた。ダフネ・グリーングラスも別にヤル気がなくなっているわけではなく、いつも通り練習自体は真剣にやっている。

いつも以上の熱気に包まれた『必要の部屋』。僕が考えたいつもと違う印象と言えば、そんな寧ろ好意的なものでしかなかった。

 

でも、それは唐突に始まったのだ。

 

それは僕がダフネ・グリーングラスに指導されている時だった。

 

「うん、以前に比べれば格段に良くなっているわね、貴方の『盾の呪文』。やれば出来たでしょう? ロングボトムはもっと自信を持つべきだよ。今の貴方は他のメンバーとも遜色ないわ」

 

「そ、そうかな……」

 

「そうよ。勿論ダリアやハーマイオニーに比べれば足元にも及ばないけど、それでもここの他の連中に比べれば出来ている方よ。だから自信を持ちなさいよ」

 

クリスマス明けからというもの、何となくグリーングラスがより一層僕に優しくなってくれたような気がする。

僕はここまで来てようやく彼女に教えられることに恐怖感を覚えることがなくなりつつあった。スリザリンだとか、ダリア・マルフォイの取り巻きだとか。どんな事情があったとしても、僕の目の前にいるグリーングラスのことを、僕は他のスリザリン生と同じだとは思えずにいる。そんな内面の変化を僕はようやく肯定しつつあったのだ。だから僕は素直な気持ちでグリーングラスの称賛を受け、他のグリフィンドール生に対するものと同じくらい気兼ねない気持ちで応じていた。

 

「ありがとう……。君にそう言ってもらえて何だか自信が出てきたよ。それにやっぱり君の呪文も凄いね。ハーマイオニーが手放しで絶賛するだけはある。僕にだって分かるよ。君はハーマイオニーやハリーと同じくらいこの呪文が使いこなせてる。僕が上手く呪文が出せているのも、君が教えてくれたからだよ。本当に……ありがとう」

 

僕の言葉を受け、面食らったような表情を浮かべるグリーングラス。最近険しい表情しか浮かべていなかった彼女が、おそらく彼女本来の魅力であるはずの大きな目を見開いてこちらを見つめている。

綺麗というより、どちらかと言えば可愛らしいと思えるその瞳で……。

そんな彼女に知らず知らず顔が熱くなる僕に、彼女は少しどもりながら応えた。

 

「な、何を言っているの、貴方は……。そ、それはここにいるような低能達に負けるようなことは絶対にないけど……。ハーマイオニーに言われるより何だか照れるわね」

 

まるで普通の、それこそグリフィンドール内でもいる女の子と同じ態度。僕もこんな恥ずかしいことを女の子に言ったことはないけど、今の彼女の表情を見て誰があの悪名高いダリア・マルフォイの取り巻きだと思えることだろうか。皆が話すような悪意の塊でもなく、ましてや『高等尋問官親衛隊』として僕らを見下すようなこともない。

僕はそんな彼女に……。

あれ? 今僕は一体何を考えたのだろうか? 

僕は彼女の赤ら顔に不思議な雑念を抱く。何だか胸の中がポカポカするような、何だか不可思議な感情を。

 

でも……その感情を深く考えることはなかった。

何故なら、

 

「グ、グレンジャー様! ド、ドビーめはグレンジャー様にお伝えせねば!」

 

『必要の部屋』に突然、聞いたこともない甲高い声が響き渡ったから。

突然聞こえた声にDAメンバー全員が目を向けると、そこには『屋敷しもべ妖精』の姿があった。僕の家にはしもべ妖精はいないから見たのは初めてだけど、僕だって一応純血の家系だから彼らのことは知っている。でもホグワーツで一度も見たことない彼がどうしてここにいるのか、僕を含めDAメンバーには理解できなかったのだ。

そんな中、名前を呼ばれたハーマイオニーは彼のことを知っていたらしく、呼び声に即座に反応を示していた。

 

「ドビー! どうしたの! そんなに慌てて……まさか()()()に何か問題ごとでもあったの!?」

 

「い、いえ、お嬢様のことでドビーめは来たのではありませんです! ですが、ドビーめはお嬢様にここに行くようにと! グレンジャー様に直ぐにお伝えするようにと!」

 

ハーマイオニーと見たこともない屋敷しもべ妖精の会話は続く。隣にいるグリーングラスも彼に見覚えがあるのか目を見開いているけど、おそらく彼女以外のDAメンバーは誰一人として二人の会話を理解してないことだろう。でも、続く言葉の意味は僕等も理解できた。いや、出来てしまったのだ。

 

「あの人が……()()()()()がここに来ます! お嬢様も直ぐにここに来られます! ホグワーツのしもべ妖精は本来話してはならないのですが、ドビーめはお嬢様だけのしもべです! だから話せるのです!」

 

「あの女? あの女って誰の事?」

 

「アンブリッジ女史です! アンブリッジ女史に、ここの存在が露見しましたです!」

 

言葉を理解しても、その事実を飲み込むのに時間がかかった。このしもべ妖精が一体誰で、何故こんなことをここに伝えに来たのかなんて誰も考える余裕などなかった。

アンブリッジにここがバレた? 何故? どうして?

僕だけではなく、他のDAメンバーも例外ではないだろう。誰もが口をポカンと開けた状態でその場に立ち尽くしている。

そんな中で動けるとしたら、この中で最も実戦慣れしたハリーくらいのものだ。

 

「何をグズグズしてるんだ! 逃げろ! 今すぐ自分の寮に帰るんだ!」

 

ハリーの声に事態を飲み込む前に僕等の体が先に動いていた。何が起こったかは分からなくても、今すべき行動は僕等にだって分かる。

DAは決して『闇の魔術に対する防衛術』を学ぶだけの組織ではない。間違いなくアンブリッジのような人間に反抗するために出来た組織だ。それをあれだけ生徒を抑制するような規則を作っている先生が許すはずがない。

だからこそ僕等は考えるより体を動かしていた。全員が一斉に部屋出口に突進する。隣にいたはずのグリーングラスがいつの間にか()()()()()()()()ことにも気付かず、ただ談話室に帰ることだけを考えて走る。

真っすぐ談話室に帰るべきだろうか? いや、でもアンブリッジがここに向かっている以上、ただ真っすぐ帰ればあの人の思う壺だ。ハリーに色々教わった今の僕ならそれは分かる。なら一時的にトイレにでも隠れてやり過ごすべきだろうか。それとも図書館、フクロウ小屋? ここから近くても、あまり怪しまれない場所。今すぐに僕はそこに向かわなくては。

それが逃げ出す瞬間に僕が考えていることの全てだった。

 

 

 

 

……それはあまりにも唐突な出来事で、何の前触れもないことのように僕は思えた。

今日まで全てが順調のように僕には思えていたのだ。増えたDAメンバー。好意的になりつつあるハリーへの視線。そして……少しずつ打ち解けつつあるグリーングラスとの関係。

僕には全てが順調に思え、こんな日が来るとは正直想像だにしていなかったのだ。

 

でも、

 

『インクネイト、ひれ伏せ』

 

部屋から出た瞬間、あの冷たい声音を耳にした瞬間、僕の中にそんな甘い認識は欠片も残されてはいなかった。

部屋から出ようとした全員が地面に押さえつけられたように呻く中、廊下に彼女の声が響く。あの人を人と認識していないような、ただ冷たい無機質な声音が。

魔法で地面にひれ伏す中、僕は何とか顔を上げる。

そこには予想通り、学校で一番危険な人物として認識されている彼女の姿があった。冷たい声音に、あまりにも冷たい無表情。同じ人間とは思えない程綺麗なのに、ただ冷たさしか印象を与えない目つき。

そんなダリア・マルフォイの視線が、廊下にひれ伏す僕等を冷たく見下ろしていた。

 

おそらく僕だけではなく、他のメンバーも同じ印象を抱いていたことだろう。

なのに何故だろう……僕には冷たさの中に、何故か迷いのようなものを感じていたのだった。



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密告(中編)

 アンブリッジ視点

 

他者に見下されないためにはどうするべきか。それは自身が見下す側になるしかない。

そしてそうなるためにはどうすべきか。私は今までの人生でその秘訣を学び取っている。

それは耐える時はジッと機を待つ。そして機会が訪れた時は即座に行動すること。それが上に行くための秘訣だ。そうすることで私は最底辺の身でありながら上にのし上がることが出来た。私自身の実力で這い上がることに成功したのだ。

それはこのホグワーツに来てからも変わらない。そう、今も、

 

「さぁ、ミス・エッジコム。何か重要な話があるとのことでしたね。それもハリー・ポッターやダンブルドアの不正に関することだとか」

 

「そ、そうなんです。わ、私……実は……」

 

私の目の前にまたとないチャンスが転がり込んできたのだ。これを逃す手はない。

闇の帝王の準備は整いつつある。そのためもう私が遠慮する必要もない。だからこそ野獣達を教職から追放したわけだが、肝心なことは手を付けられないでいた。

だがようやくその手段を手に入れた。先程今目の前にいる女生徒が、廊下を歩く私に突然話しかけてきたのだ。

 

『ア、アンブリッジ先生……少しお話よろしいですか? わ、私はマリエッタ・エッジコムと言います。魔法省のエッジコムの娘です。実は私……先生にお話ししないといけないことが。……ポッターとダンブルドア校長に関することで。彼らが今やろうとしていることを、私は知っています』

 

この小娘の言が正しいのなら、私は強力なカードを手に入れる。たとえそれがどんなに小さく、ただ切欠に過ぎないものだとしても、今ならその切欠だけでも十分。私の権力はもはやダンブルドアなど歯牙にもかけないものとなっている。親愛なるファッジ大臣のお陰だ。日刊予言者新聞によって、世間でのあのいけ好かない老人の評価は地に落ちた。その最後の一押しをこの女生徒がもたらしてくれる。思わず舌なめずりしそうな気分だった。

たとえそれが愚鈍で取るに足らない生徒だったとしても、多少の甘い汁は与えてもいいと思える程機嫌が良くなるというものだ。

尤も私が名前を覚えていない程度の無価値な生徒。エッジコムという名前でようやくそんな魔法省職員がいたなと思いだす程度のもの。ここまで来たというのに、最後の最後に愚かな行動に走り出す。

 

「じ、実は……。で、でも……。やっぱり……」

 

ここまで来て躊躇するような態度に思わず舌打ちしそうになる。これだから機会を目前にしながら躊躇するような人間は嫌いなのだ。初めから私より恵まれた立場にありながら、その立場に甘んじるばかりでそれ以上に行こうという気概がない。いや、勇気がない。

私は何とか優し気な態度を保ちながら話かけた。

 

「えぇえぇ、私は貴女の気持ちがとてもよく分かりますわ。報復が怖いのね? あのダンブルドアやポッターが仕返しに来るのではないかと恐れているのでしょう? でも安心しなさい。私が必ず貴女を守ってみせるわ。勿論貴女のご両親のこともね。貴女のご両親はとても優秀な職員ですもの。私が最も信頼する職員ですのよ」

 

当然、本当はエッジコム夫妻のことなど顔も覚えていない。誰がそんな無価値な人間たちなど覚えていられるだろうか。私の役に立つでもなく、ただ私の下にいるだけの職員を。

だからこそ私は一度無価値な人間のことを持ち上げ、次いで馬鹿な小娘に容赦なく現実を突きつけた。

 

「ですから非常に残念ですわ。もし貴女がお話しくださらないのなら、優秀な職員が二人も失われてしまうのですもの」

 

「そ、それは!?」

 

「あら、何を驚いているの? 当然でしょう? 貴女の言葉が正しいのなら、あのポッターとダンブルドアの不正に関することを私に知らせないということですもの。それも今まで私に黙っていた……それはもう私のみならず、魔法省に背信していたということですわ。そんな愚かな娘を持つご両親をどうして信用することが出来ますの?」

 

そして震え上がる小娘に再度私は告げる。私に話しかけてきたのも衝動的なものだったのだろう。絶対な権力を手にしつつある私に恐怖し、思わず恐怖に耐えかねて私に密告しようとした。この程度の小娘の行動原理など私には簡単に予想することが出来る。だがここに来た以上、もう小娘に選択肢などありはしない。もはや私に利用されるしかこの小娘に価値はないのだ。

 

「さぁ、もう一度聞いてあげますわ。貴女はどんなことを私に話したいのです? これ程の時間を取らせたのですもの……私にどんな利益をもたらしてくださるのです?」

 

私の最後通告にようやく小娘も観念した様子だった。恐怖に顔を土気色に変えながら、おもむろに口を開き話し始めようとする。

勝った。小娘が何かを話し出そうとした瞬間、私の中にはもはや抑えきれない優越感が既にあふれ出していた。この小娘が何を言い始めるかは分からないけれど。内容などもはやどうでもいい。どんな些細な内容であれ、口実さえあればあの老人を追放することが出来る。野獣達を起用したことだけではダンブルドアの信奉者は納得しないだろうが、魔法省への背信行為と言及出来れば無理やり黙らせることが出来る。差別がどうのと馬鹿々々しいことを言う現実を見ない連中も、魔法省という絶対的な論理で見下すことが出来る。だからこそ私は次の瞬間には勝利宣言を発するような心持で小娘の言葉を待っていた。

 

 

 

 

……ですが間が悪いことに、

 

「失礼します。何やら興味深い話をされていますね。私にも話を聞かせていただけませんか?」

 

部屋に突然響いた冷たい声音によって、私の楽しみは少しではあるが遅れてしまうことになる。

弾かれた様に部屋の入口に目を向ければ、そこにはあのマルフォイ家長女の姿があった。その表情は冷たく、私の目からもいつもの如く人を人として見ていない程の冷たさを瞳に宿しているように見えたのだった。

……少なくとも、私の目には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリエッタ視点

 

それはあまりに衝動的な行動だった。

ここ最近の私は恐怖のあまり碌に睡眠も食事も摂れずにいた。もはや正常な思考など出来るはずがない。私だって最近の自分がおかしくなりつつあることは自覚している。チョウにも心配されたし、あまりの顔色の悪さからDAメンバーからも奇異な目で見られている。

でも……なら私はどうすればいいの?

皆私の気も知らないで。どうしてアンブリッジ先生のことが……ダリア・マルフォイのことが怖くないの? 恐怖感を馬鹿々々しい正義感で誤魔化せるの?

日に日に増す両親への罪悪感、自身の絶望的な未来に対する恐怖。そしてそんな私の感情を少しも理解しようとしない連中。色んな感情がごちゃ混ぜになり、もう私の中に真面な思考力など残されてはいなかったのだ。

だからこそ……廊下を歩くアンブリッジ先生に話しかけたのは、もうこんな恐怖感を早く終わらせたいという衝動的な行動だった。

 

『実は私……先生にお話ししないといけないことが。……ポッターとダンブルドア校長に関することで。彼らが今やろうとしていることを、私は知っています』

 

勿論話しかけた直後、私は自分の行動を激しく後悔した。まるで蠅を見つけたガマガエルのような表情を向けられれば尚更。いくら衝動的な行動だったとはいえ、直後に自分自身の行動を一瞬振り返るくらいのことは出来る。

でも、一度行動してしまった私に後戻りすることは許されない。私の馬鹿な行動は、

 

『もし貴女がお話しくださらないのなら、優秀な職員が二人も失われてしまうのですもの』

 

もう目の前のガマガエルに絡め捕られてしまったのだから。

両親から聞いていた通り、私がただの学生だからと許してくれるような雰囲気ではない。私が後戻りしたり、つまらない情報を話せば本当に両親にまで責が及びそうな口調だ。私は両親を守りたい一心だったというのに、これでは全くの逆になってしまう。

いや、両親だけで済めばまだいい方かもしれない。私は両親のことも守りたいけど……チョウのことだって守りたい。私をこんな状況に追い込んだのは他なぬ彼女ではあるけど、それでも彼女は私の大事な友達なのだ。出来るならば彼女のことも守ってあげたい。馬鹿な夢から覚め、その上で何の罰も与えられないようにしてあげたい。ここまで来れば全て洗いざらい吐き出した方が、友人を見逃してもらえる確率が上がるというものだ。でも、それも私がここで足踏みすればする程不可能なものになってしまう。何故なら時間が経てば必ず……もう一人、恐怖を体現したような人物がこの事態を嗅ぎつけるのだ。

 

「失礼します。何やら興味深い話をされていますね。私にも話を聞かせていただけませんか?」

 

それは人間の声でありながら、どこか人間のものではない印象を受ける声だった。

突然の声にアンブリッジ先生と同時に振り返れば、そこには案の定ダリア・マルフォイの姿が。彼女への一年生の頃から抱く印象と寸分も変わらない。ただ冷たく、無機質。人をその辺の石ころにしか思っていないような、まるで人ではない()()を思わせるような超然とした空気。この学校で最も恐れられる、それこそアンブリッジ先生よりも恐れられているだろう女生徒がそこにはいた。

監視の目がありながら、どこにでも現れて生徒を石にしていたような彼女のことだ。こんな誰かが今まさに破滅するだろう場に現れないはずがない。私は彼女の登場に恐怖こそ感じても、あまり驚きはなかった。ダリア・マルフォイならば何をしても驚くには値しない。ただ恐怖の対象になるだけだ。

尤もまだホグワーツに赴任してから半年たったかどうかの先生は、ダリア・マルフォイの異常性にまだ慣れてはいなかったらしい。先生は突然の登場に目を見開き、少し声を震わせながら応えていた。

 

「ミ、ミス・マルフォイ! な、何故こ、この部屋に入ってきているのです!? わ、私は貴女を呼んだ覚えはありませんよ!?」

 

「いえ、偶々ですよ、アンブリッジ先生。ただの通りすがりです。私の……そう、()()()()から、そこのエッジコムさんと先生が何やら面白い話をしていると聞きましてね。それで私も話に加わりたいと思ってきたのです。それに……私なら先生のお役に立つと思いますよ。エッジコムさんの話が私の予想通りなら……」

 

そしてアンブリッジ先生の言葉をも超然とした態度で受け流すダリア・マルフォイ。どう考えてもおかしな状況なのに、それを指摘させないだけの冷たい雰囲気をまとっている。普段であればいきり立つであろう先生が、納得していない表情でありながら一瞬黙り込んでいた。

やっぱり……アンブリッジ先生以上に、ダリア・マルフォイこそ恐ろしい人物なのだ。二人の姿を見て私は確信する。

普通に考えれば、教員であるアンブリッジ先生の方がダリア・マルフォイよりも立場は上のはずだ。部屋に勝手に入ってくるなど本来は減点もの。高等尋問官親衛隊なんて立場も先生から与えられたもの。でもあの厳しい先生はダリア・マルフォイの暴挙には何も言わなかった。いえ、何も言えなかったのだろう。

ホグワーツの人間なら誰だって知っている。ダリア・マルフォイは『継承者』であり、気に入らない生徒を何人も石にした恐ろしい人間だ。それどころか皆彼女が犯人だと知っているのに、誰一人として彼女を追放することが出来ずにいる。正真正銘、この学校で一番恐ろしい人間なのだ。アンブリッジ先生が魔法省から来ている人間とはいえ、彼女に対して何か出来るはずがない。出来るのならば誰も恐れてなどいない。

あぁ、こんなことになるのなら早くアンブリッジ先生に話しておけば良かった。私は足踏みしたばかりに、こうしてダリア・マルフォイにまで睨まれる羽目になってしまった。元々アンブリッジ先生が一人の時に話しかけたのも、心の中でどこかダリア・マルフォイに介入されたくないという打算もあってのことなのだ。ダリア・マルフォイに介入されれば、チョウのことだって守れなくなってしまう。アンブリッジ先生の目的がダンブルドアの失脚である以上、私たち生徒のことなど二の次のはず。なら密告することを条件にチョウだけでも救えるはず。

でも彼女は違う……。ダリア・マルフォイの目的は、アンブリッジ先生のような明確な目的などではない。ただ残虐に、他人が破滅する場面が好きなだけ。噂に聞く彼女は正にそんな恐ろしい人間だった。人を人として見ていない冷たい無表情。そんな無表情を唯一人を傷つける時だけ綻ばせる異常性。チョウと同じく特別でありながら、決して相容れてはいけない異常。それがダリア・マルフォイなのだ。私は勿論、チョウのことも決して見逃してくれるはずがない。どんな言い訳をしようとも、ダフネ・グリーングラスがスパイとして送り込まれている以上言い逃れなど出来ない。

 

私の恐怖感は更に強まり、もはや何も言えなくなってしまう。そんな私を見逃してくれるはずもなく、ダリア・マルフォイは私の体面に回り込みながら尋ねてくる。

 

「エッジコムさん。……ここまで来た以上、もう()()()()()()()()()()です。ならば私も()()()()()()を取るしかない。ですが……その前に一つだけ私は貴女に聞きたいことがあるのです。貴女が私やアンブリッジ先生に時折視線を送っていたことは知っています。貴女はずっと恐ろしかったのですよね。貴女の抱える秘密の重みが」

 

本当に異様な空気だった。突然現れた彼女にこの空間全てが既に支配されている。そしてそんな空気の中、更にダリア・マルフォイは私への冷たい視線を強めながら続けたのだった。

私の目を……まるで()()()()()()()()()()()覗き込みながら。

 

「ですが、それでも貴女には黙っているという選択肢もあったはず。なのに態々アンブリッジ先生に話に来た。それは何故ですか? 貴女は()()()()()()()……このような暴挙に出たのですか?」

 

私の目とあの冷たい金色の目が合わさる。色こそ明るいのに、その印象はまるで底なし沼のように冷たく暗い。その上視線を合わせているだけなのに、まるで心の中に何かが入り込んでくるような感覚すら覚える。何の魔法もかけられていないのに、無理やり心の奥底から真実を引きずり出されるような気分だった。事実気が付けば私は、私が()()()()に見開かれた瞳に応えていた。

 

「わ、私はただ……()()()()()を守りたくて。そ、それにチョウのことも……。いつか絶対に露見するなら、その前に私が言った方が皆を守れると思ったから……」

 

しかし私の答えを聞いた後、ダリア・マルフォイはただ私の目を見つめるばかりで中々言葉を発しようとしない。声を出すのは半ば蚊帳の外に追いやらつつあるアンブリッジ先生くらいのものだ。

 

「……ミス・マルフォイ。気が済みましたか? 突然部屋に入ったことはこの際何も言わないでおいてあげましょう。ですがこれ以上私の時間を無駄にすることは許されません。さぁ、ミス・エッジコムの話を私に聞かせなさい」

 

なのにダリア・マルフォイはそれでも先生の言葉には応えず。やはりただ私の瞳を見つめていたのだった。そしてようやく言葉を発したと思っても、

 

「ただ自分のためであればどうなろうと知ったことではありませんでしたが……そうですか。()()()()()……ですか。それなら仕方がないですね。貴女のような存在を認識出来なかった以上、グレンジャーさんの落ち度ですもの。いずれ破綻していたということでしょう」

 

相も変わらず誰に話しているのかも分からないものでしかなかった。

いや、それどころか、

 

「……貴女にグレンジャーさんの呪いが降りかかっても、もはや無駄な犠牲にしかならないでしょうね。ならば貴女はもう関わらない方がいい。貴女はただ巻き込まれただけ。これからはこんな馬鹿々々しいことに巻き込まれないように気を付けるのですよ。貴女の大切な家族のために。『オブリビエイト、忘れよ』」

 

次の瞬間私に杖を向け、あろうことかいきなり呪文を放ってきたのだ。

 

「な、何をしているのです、ミス・マルフォイ! 忘却呪文!? 貴女は一体何をしたというの! その娘は大事な証人ですよ! それを突然現れた貴女は、」

 

「先生、落ち着いてください。この生徒の話を聞いても精度の低い情報しか得られませんよ。今()()()()を見ましたが、やはり大した情報はありませんでした。聞くだけ無駄な上、先生に恥をかかせるだけです。それより、」

 

薄れゆく意識の中、私の耳に先生と彼女の会話が届く。でもそれも数秒のことで、私は直ぐに深い眠りに落ちていくのだった。

 

 

 

 

目が覚めた時、何故アンブリッジ先生の所に行ったのか……その理由を思い出せなくなるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「ダフネ、無事だったか!」

 

先程まで『必要の部屋』にいたはずなのに、気が付けば私は談話室に立っていた。談話室にいるのはドラコだけ。他の生徒は周りに見当たらない。

……何故先程まで違う場所にいた私が、次の瞬間ここにいるのだろうか。

その疑問は隣から突然響いた声によって氷解することになる。

 

「グリーングラス様! ドビーめはお嬢様にご命令いただいたのです! 御友人であるグリーングラス様を安全な場所にお連れするようにと!」

 

声は私のすぐ隣、ただ視線を下げなければ見えない場所から発せられていた。声のする方を見れば、そこにはダリアの大切な『屋敷しもべ妖精』であるドビーの姿が。他のしもべ妖精の区別はつかないけど、流石にダリアが家族と考えている子のことは私にも分かる。私は屈みこみ彼と視線を合わせながら尋ねた。

 

「ドビー、ありがとう。でも、ごめんね。正直、突然色々なことがありすぎて現状をよく理解できていないの。アンブリッジにDAがバレたことだけは分かったのだけど……最初から話してもらってもいいかな」

 

そんな私の質問に、まずドラコが最初に応えた。

 

「それはまず僕が話そう。こいつに話させると長そうだ」

 

「ド、ドラコお坊ちゃま」

 

「お前と顔を合わせるのは久しぶりだな、ドビー。だが今はそんなことどうでもいい。もうすぐ僕も出ないといけない。それにおそらくダフネもな。なら早めに事態を理解していた方がいい」

 

ドラコはドビーと短く話した後続ける。

 

「お前が集会に行っている間に、そこのドビーから連絡があったんだ。メンバーの一人がアンブリッジに接触しているってな。それもダリアが前々から裏切ると予想していた生徒がな。こんなこともあろうかと、ダリアはドビーにそれとなく注意するよう言っていたらしい」

 

「そうでございますです! お嬢様はアンブリッジ先生と誰かがお会いする時は、それとなく監視するようにと。それが生徒ならば尚更……とお嬢様が仰っていたのです!」

 

「……それで数分前にこいつがダリアに知らせてきたんだ。集会メンバーに裏切り者が出たってな。おそらくだが、裏切り者が一人でも出た以上、もうあの集会はお終いだ。一人処理しても、必ずまた同じような奴が出てくる。……グレンジャーはこれだから詰めが甘いんだ。アンブリッジにも接触された以上、もう事態を元に戻すことは出来ない。ダリアはそう考えたんだろう。それでグレンジャーに知らせを寄こすと同時に、お前をドビーに回収させたのさ。どうやら『屋敷しもべ妖精』は自由に城の中を飛び回れるらしいからな」

 

「ほ、本来ならしもべ妖精が人を連れて城内を飛ぶことは許されないのですが……ド、ドビーめはお嬢様のしもべ妖精でありますので」

 

ここまで聞いて、私はようやく事態の全貌をつかみ始めていた。

成程、ダリアは最初からこの事態を予測していたのだ。ダリアは最近ずっと浮かない顔をしていた。勿論『闇の帝王』が復活してからというもの、ダリアが明るい表情を浮かべてくれたことなど一度としてない。でもそれにしたって、ここ最近のダリアの一人で考え事をしている時間はあまりに多かった。

そしてそのダリアが懸念していた事態が……まさに今現在進行形で起こっているのだろう。

DAメンバーの裏切り者。私としては誰があんな下らないメンバーを裏切ったなんてどうでもいい上、これで『ダンブルドア軍団』なんて名前の集団が解散になるのなら清々するのだけど……そうも言っていられないことくらいは私にも理解できた。

思考が追い付かないなりに、私はまず聞かなければならないことを続けて尋ねる。

 

「何となく現状は分かったよ……。それで、当のダリアはどこなの? 他のスリザリン生も見当たらないし」

 

しかし結局私の質問に答えたのは、

 

「他の奴らは自分の部屋だ。お前が帰ってくるのを見られないように、ダリアが全員を部屋に帰した。……ダリア本人は今、」

 

「ドラコ! まだここにいたの!? ()()()は全員もう馬鹿共を捕まえに行ってるわよ!」

 

突然談話室に飛び込んできたパンジーだった。

彼女が入ってくると同時にドビーの姿は掻き消え、パンジーは私とドラコに目を向けながら続けた。

 

「あら? ダフネもここにいたの? 部屋にもいなかったから、どこにいるのかと思っていたのよ? まぁ、いいわ。それよりドラコ! 早く行かなくちゃ! アンブリッジ先生からも言われているでしょう!? これはグリフィンドールの連中に恥をかかせるいいチャンスよ! ()()()()()()()()()()()()()()()! このままだとダリアに手柄を全部取られちゃうわよ!」

 

 

 

 

……『ダンブルドア軍団』がどうなろうと私にはどうでもいい。

ハーマイオニーとルーナ……それと何となくネビル・ロングボトムには逃げ延びてもらいたいけど、その他の連中など知ったことではない。DAなんて解散されれば清々するくらいだ。

でもそんな呑気なことを言っていられる事態ではないと……この瞬間になって本当の意味で理解しつつあった。



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密告(後編)

いつの間にか連載開始してから4年が過ぎていました(ぼそ)


 ハリー視点

 

「さぁ! さっさと歩くのよ、ポッター! 今頃大臣も到着しているはずですからね! 私がお知らせしたところ、それはもうお喜びでしたもの! 大臣を待たせるわけにはいかないわ!」

 

手を魔法で縛られた僕は、今アンブリッジに追い立てられるように歩かされている。

何故こんなことになってしまっているのだろう。今日もいつもと変りなく……それどころかDAメンバーが増えたことで順調な一日ですらあったのだ。それが僅か数分の内に全てが崩れ去ってしまった。一体何が……誰が悪かったというのだろう。

答えは決まっている。あの()()()()()()()()()が全ての元凶だ。あいつがこの事態を引き起こしたのだ。ダフネ・グリーングラスはやっぱりスパイだった。そしてハーマイオニーの対策を遂にダリア・マルフォイは攻略し、グリーングラスから情報を得た。それがこの事態を引き起こしたに決まっている。

ただ()()()()()()()()はあるが……現状ではそう考えるのが一番辻褄が合う。

僕は今ここにいないダリア・マルフォイに怒りを募らせながら歩き続ける。勿論歩きたくもないのだけど、魔法で無理やり歩かされているのだからどうすることも出来ない。僕に出来ることは、ダリア・マルフォイにどこかに連行された皆の無事を祈ることくらいのものだ。

 

「着きましたわよ! 『フィフィ フィズビー』! ポッター、そろそろ観念なさい! 自分で歩くのよ!」

 

しかし僕がどんなに祈ろうと、遂にアンブリッジは校長室に辿り着いてしまう。アンブリッジが合言葉を唱えると、ガーゴイルの石像が飛びのき螺旋階段が現れる。そして奴は僕の服をむんずと掴んだまま階段を上り、ノックもせずに校長室に踏み込んだのだった。

 

「あら、あらあらあら! やはりファッジ大臣もいらっしゃいましたか!」

 

「おぉ、ドローレス女史! 勿論だとも! こんな一大事に、魔法省大臣として駆け付けないのは間違っているからな!」

 

校長室に入るとそこにはダンブルドアとファッジの姿があった。しかも校長室を見渡せば、マクゴナガル先生やキングズリー・シャックルボルト、それにパーシーの姿もある。分厚い羊皮紙を持って何か記録を取る構えのパーシーはともかく、以前ダーズリー家に迎えに来てくれた時より厳めしい表情のキングズリー。二人はファッジの後ろに控えており、まるでファッジの護衛のようだ。『不死鳥の騎士団』に参加している以上キングズリーは敵ではないと思うけど、今は表面上ファッジに逆らえないということなのだろう。

明らかに異常な空間で、ファッジが毒々しい満足感を浮かべながら話し始めた。

 

「さーて、さてさてさて。私はドローレス女史の報告によりここに来たわけだが、ここに至ってまさか言い逃れをしようなどという方はいまいな。聞けばここホグワーツでは、明らかな魔法省への反逆行為を企てていたとか。そうだな、ドローレス女史?」

 

「えぇえぇ! 先程ミス・()()()()()から重大な報告を受けましてね! ……もう少し情報が集まってからと本人は考えていたみたいなのですが、問いただしましたら話してくださいましたわ。ここにいるポッターが、魔法省の方針に背く行動を取っていると。皆で()()()()対抗するための訓練を行い、尚且つ団体の名前は『ダンブルドア軍団』だとか」

 

「なんと、『ダンブルドア軍団』! これはこれは何と恐ろしいことだ! 私の記憶に間違いなければ、校内でこのような学生組織を結成することは違法ではなかったかね? にも関わらず、名前にはダンブルドアの名前もある! これは立派な反逆行為ですぞ! 一体どう言い逃れをするつもりですかな、ダンブルドア?」

 

矢継ぎ早に、最早最初から決められていたとしか思えないようなファッジとアンブリッジの会話。ダンブルドアは相変わらず僕の方を見ないものの険しい表情を浮かべており、マクゴナガル先生も同様の表情だ。明らかに僕が引き起こしてしまったまずい状況。これを機にファッジ達がダンブルドアを貶めようとしているのは火を見るよりも明らかだった。

でもそんな状況でも、僕は心臓が激しく鼓動しつつあるのを感じてはいたけど、頭は不思議と冷静さを取り戻しつつあった。アンブリッジにここまで連れてこられた時は不安しかなかったけど、こうして敵の目的が明らかになってくれば否が応でも頭が切り替わってくる。

奴らの言葉で僕は現状を()()()理解し始めた。疑いでしかなかったものが確信に変わったのだ。

ようするに……やはりダリア・マルフォイが全ての元凶だったのだ。あいつがもたらした情報に、何が何でもダンブルドアを引きずり下ろしたかったファッジとアンブリッジが飛びついた。それが今回のあらましであり、全てなのだと僕は確信したのだった。

ならば僕の今すべきことは、今こうしてアンブリッジに引きずられていることではない。それも冷静さを取り戻しつつある僕は理解していた。僕は湧き上がる怒りを抑え込みながら、出来る限り惚けた声を意識して話し始めた。

 

「す、すみません。先生と大臣が何を仰っているか分かりません。そもそもどうして僕はここに連れてこられたのですか?」

 

それに対し敵の反応は劇的とは言えなくとも、少なからず流れを変えるものだった。アンブリッジは小馬鹿にしたように僕を見ているけど、ファッジは目を剥いて怒鳴りかかってくる。

 

「は? ポッター、君は何を言っておるのかね!? ここまで来て往生際の悪い! これだから嘘ばかりつく生徒は! 君は校則を破ったのだよ!? その自覚もないと!?」

 

僕自身も往生際の悪い話し始めだとは思うけど、ここは無理やりにでも話を進めるしかない。こうしてファッジが怒り心頭になり冷静さを失うことで、必ず逆転の目が出てくるはずだ。僕には無理でも、あの世界で一番偉大な魔法使いであるダンブルドアが見つけてくれるはず。だからこそ僕は話し続ける。

 

「校則? 何のことか全くわかりません。それにダンブルドア軍団? 僕の知る限りではそんな集まりをした覚えはありません。何かの間違いではありませんか?」

 

「こ、この、わ、私を馬鹿にしているのかね!? こ、校則はともかく、魔法省令で禁止されたはずだ! 校内で許可なく学生組織を作ることは禁止されているのだ! それを知らぬとは言わせんぞ! 魔法省大臣であるこの私が制定したものなのだからな! これに違反するものは校則違反どころか、魔法省に反逆するということなのだ! そして今日、その違法な学生組織が発覚した! そのことも初耳だと君は言いたいのかね!?」

 

「はい、大臣。初耳です」

 

のらりくらりと話す僕に、遂にファッジの顔は茹でたロブスターのような色合いになっていた。最早ファッジに冷静な思考は残されていないことだろう。アンブリッジはともかく、ファッジは大したことはない。僕は自分の行動が上手く行っていることを確信しながら、続けてファッジを挑発しようとする。

……でも、

 

「ま、魔法大臣である私に、」

 

「ハリー、それぐらいでよい。もうそれ以上ワシを庇う必要はないのじゃ。お主はよくやってくれた。お主のお陰で、今日()()()ワシの軍団……そう、()()()()()()()()が組織されるはずじゃったのじゃがのぅ。ファッジの方が上手じゃったということか」

 

そんな僕の企みは、僕が頼りにしていたダンブルドア本人によって頓挫してしまったのだった。

一瞬誰一人としてダンブルドアの言っていることが理解できていなかった。おそらくこの言葉を求めていただろうファッジもだろう。先程までの真っ赤な表情も、今はポカンとしたものに変わっている。マクゴナガル先生も、キングズリーも、パーシーも、アンブリッジも。……そして僕すらも。

誰一人としてダンブルドアの言い始めたことを理解できず、人目も忘れて間抜けな表情を晒していた。

 

 

 

 

ただ一人、普通ではない光景で、まるでいつも通りの微笑みを浮かべているダンブルドア以外は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

計画通りかと言えば……全てが全て計画通りではない。寧ろワシの予想は全て外れたと言える状況じゃった。

ワシも老いたものじゃ。昔のワシであれば……。

いや、そう言うのは傲慢というものじゃろぅ。ワシがどれだけ昔未来を予想出来ていたとしても、全てが全てワシの思い通りに物事が運んでいたわけではない。老いておっても、若かりし頃でも、ワシは無力な人間の一人でしかない。なればこそ、ワシの人生は……。

今はそんなことを考えておる場合ではない。ワシは自身の中に湧き上がり続ける思考を振り払い、今目の前に広がる光景に集中する。

 

「お主のお陰で、今日初めてワシの軍団……そう、ダンブルドア軍団が組織されるはずじゃったのじゃがのぅ。ファッジの方が上手じゃったということか」

 

目の前にはワシを見つめる数々の視線。皆一様に驚愕な色合いをしておる。ミネルバやハリーは勿論じゃが、ワシがこのような発言をすることを望んおったファッジですら同様じゃった。いや……ファッジも本当のところは望んでなどおらんかったもしれぬ。彼はただ恐ろしかっただけなのじゃ。ヴォルデモートのことが……。彼はその恐怖感をワシにぶつけておるにすぎぬ。現実から目を逸らし、心の奥底では決して反逆などせぬと信じておるワシに逃げた。じゃからこそワシの言葉を聞き、彼はここまで驚いておるのじゃ。

この中で唯一ワシの言葉を真の意味で望んでおったのは、

 

「……あ、あらあら、これはダンブルドア校長。それは自白と受け取ってよろしいのかしら? 今貴方はハッキリと仰いましたわね? 今夜の集まりが貴方の差し金であると」

 

ワシの失脚を企むドローレスのみじゃろう。

本来であればこのような事態が起こるとしても、もっと先のことじゃろうと思うておった。ハリーが何か行っておることは知っておった。彼なりに現状を打破するため、彼が必要と考える行動を必ずとるじゃろうと。じゃがそれがどんなに正しい行いじゃったとしても、何か行動を起こすならば何かしらの粗が出てしまう。ハリーは正義感が強く賢くとも、まだ15歳の少年。彼を支えるミス・グレンジャーも完璧ではない。そして小さな失態を見逃す程ドローレスや……彼女に従っておるダリアは愚かな存在ではない。じゃがまさかここまで彼女等の行動が早いとは……。

先程ドローレスは言っておった。

 

『先程ミス・()()()()()から重大な報告を受けましてね!』

 

この事態を引き起こしたのはダリア……ということなのじゃろぅ。ドローレスの言い分を鵜呑みにすることは出来ぬが、この事態を引き起こす力を持つのはダリアくらいというのも事実。全てダリアの思惑通りというわけじゃ。

ワシは今年、ダリアに対して特に監視の指示を出してはおらん。いや、出すことが出来んかった。彼女の洞察力を鑑みると、下手に監視を増やせば必ず彼女に感づかれることになる。そうなればワシが今年特にダリアを警戒していると露見し……下手をすれば情報源であるセブルスのことを疑われる可能性もある。一体誰が15歳の少女を『闇の帝王』すら目を掛ける死喰い人と疑う? 彼女を警戒すればする程、あちらのことを少しでも掴んでおる証拠になってしまいかねぬ。ダリアに疑われれば疑われる程、ワシらがヴォルデモートに勝利する可能性は低くなるのじゃ。

じゃがその結果がこれじゃ。ワシは為す術もなく城から追放されようとしておる。全てはワシの予想を外れ、敵の計画通りに事は運ぼうとしておった。

 

無論今までがアンブリッジやダリア……ひいてはヴォルデモートの計画通りに進んでおったとしても、ワシとて黙っておるわけではない。

計画とは違うが、まだ()()()()()に戻す手段はある。敵の計画を逆に利用する方法とてあるのじゃ。

ワシは努めて冷静な思考を意識し、目の前のドローレスに応えた。

 

「その通りじゃよ、ドローレス。お主の言う通りじゃ。計画では今宵、このワシの名を冠する組織にどれほどの人数が加わるかを調べるはずだったのじゃ。どうやら意外な程多くの者が集まってくれたようじゃが……招かれざる者も呼びよせてしもうたようじゃのぅ。まさかお主に全て見通されてしまうとは」

 

ワシの誤魔化しがどこまで通用するかは分からぬ。こうして何度も初めての会合と強調しておるが、ダリアが全てを掴んでおるのなら何の意味もない行動じゃ。じゃが彼女がどこまでDAのことを把握しておるか分からぬ以上、僅かな可能性にかけて打てる手は打っておかねばならん。それにハリーと同様、こうした発言をしておればファッジは冷静さを失い、

 

「ほ、本当に貴方が……貴方が組織したと? では本当に……貴方は私を陥れようとしていたのですか?」

 

「その通りじゃよ、ファッジ」

 

「お聞きになりました、大臣!? ダンブルドア校長! いえ、アルバス・ダンブルドア! 貴方を今から拘束し、アズカバンに連行します!」

 

ドローレスは望んだ以上の結果に舞い上がることじゃろぅ。ドローレスは今回の件でハリーを退学にするくらいは出来ると思っておったじゃろうが、まさかワシがここまでの発言をするとは思っておらんかったに違いない。もはや一番望んでおった事態にハリーのことなど忘れておる様子じゃった。後はミネルバが上手いことやってくれるはずじゃ。

唖然とした表情を浮かべるミネルバ、ハリー、そしてキングズリーにこっそりウインクした後、ワシはドローレスに向き直りながら続けた。

 

「あぁ、ドローレス。お主ならそう言うと思うておった。じゃがお主は勘違いしてはおらんかのぅ? まさかこのワシが……大人しくお主に拘束されるとでもお思いか?」

 

その瞬間、今まで恍惚とした笑みを浮かべておったドローレスの表情が歪む。彼女は政治的能力では、あまり褒められたものではないが光るものがある。じゃが戦力としては並の魔法使いレベルじゃ。彼女もそれが分かっておるのか、ここに至って自身の側の戦力を換算したのじゃろぅ。そしてファッジにウィーズリー君、そしてキングズリーで私に勝てるかを計算し……残念ながら彼女の方が分が悪いことを今悟ったのじゃ。そのことからも彼女がワシの言葉や行動を予想しておらんかったことが分かるが、ワシにとっては実に都合がよい。

 

「な、何を言うのだね、ダンブルドア! 貴方がそのようなことをするはずが……。い、いや、そんなことより、ほ、本当に逃げられると思うのか!? 私達は四人だ! ここには闇払いであるキングズリーもいる! いくら貴方でも4人相手に逃げられるはずがない! だ、だから無駄なことは止めるのだ!」

 

「ファッジよ、寧ろお主が無駄なことを止めるのじゃ。実に残念な事じゃが、事実としてこの中で一番ワシが強い。たとえワシに味方がおらずとも、」

 

「いいえ、アルバス! 貴方は一人ではありません! 貴方が戦うなら私も、」

 

「いや、ワシ一人じゃよ、ミネルバ。ワシ一人で十分じゃ」

 

そしてワシは杖を出そうとするミネルバをたしなめ、そのまま同じく杖を取り出そうとしておる面々に魔法を放った。銀色の閃光が迸った後に立っているのはワシにミネルバ、そしてハリーのみ。

無言呪文とはいえ、人四人を失神させるには十分じゃ。ましてやキングズリーはワシの意図を分かっておったのか無抵抗じゃった。実質三人を無力化した後、ワシは部屋で未だに立っておる二人に声をかける。

 

「大丈夫かね? ミネルバ、ハリー」

 

勢いよく呪文を使った影響で部屋には少なからず埃がまっておった。そんな中少しせき込みながらも二人が応える。

 

「えぇ! 大丈夫です!」

 

「ぼ、僕も問題ありません!」

 

事態の変化について来れておれんでも、それでも気丈に返事をする二人にワシは微笑みながら続けた。

 

「それは良かった。気の毒じゃが、キングズリーには眠ってもらっておる。彼が今疑われるわけにはいかんからのぅ。お主らもワシが立ち去った後、眠ったふりをするのじゃ。彼らは今ワシのことで頭が一杯になっておるはずじゃ。目覚めた直後はこれで大丈夫のはずじゃが……ミネルバ、上手く誤魔化しておくれ」

 

「勿論です。ですが、アルバス。貴方はどうするのですか?」

 

「ワシは直ぐにでもここを発つよ。ファッジらをこうした以上、ワシは本物のお尋ね者じゃからのぅ。じゃが、これは好機じゃ。ワシもここにおっては出来んかったことをするとしよう」

 

全てがワシの想定を超えて進行しておる。その末にワシはこうして城を出ねばならなくなったわけじゃが、ワシとてただ黙って追放されるわけにはいかぬ。まだその時ではないと思うておったが、今こそ敵の不確定要素を調べる時なのじゃろぅ。

ワシはこの機に調べねばならん。ヴォルデモートが如何にして死の淵から復活したか。凡その予想は出来ておるが、まだ確証を得たわけではない。確証を得ぬまま、ただの予想だけで事を進めれば取り返しのつかぬ事態に陥りかねぬ。

そして何より……ワシにはまだ最大の懸念事項、それこそヴォルデモートの秘密以上に、何一つとして理解しておらんことがあるのじゃ。ワシは嘗て聞いた予言のことを思い出す。

 

『選ばれた子が生まれる七月の末、闇の帝王はついに(しもべ)を完成させる。気をつけよ、帝王の敵よ。そして気をつけよ帝王よ。その子が司るのは破滅なり。その子は決してどちらの味方にもなりえない。この先どちらかに破滅をもたらすことだろう……』

 

()()()()の予言と違い、あの予言だけは未だに何一つ分かっておらん。僕? 完成させる? 破滅? 何を表しておる予言なのか、ワシには何一つ分かっておらんのじゃ。ただ一つ理解できるのは、この予言も極めて重要なものであり、ワシがこれを理解せぬ限り決してヴォルデモートには勝てぬということだけじゃった。

後回しにし続けてきた問題じゃが、城を出ねばならぬのなら今こそ調べるべきじゃろう。ヴォルデモートの足跡を辿る旅。その先にこそ全ての答えがあるはずなのじゃから。ヴォルデモートが力をつけつつある今もう一刻の猶予もない。

ワシは意識を切り替え、事態の変化に戸惑うハリーに続ける。

 

「ハリーよ、気に病むことはない。いずれにせよワシにはこのような時間が必要じゃったのじゃ。それが早まっただけのことじゃ。お主が気にすることはない。ではワシは行ってくるかのぅ。最後に一つだけ、ハリー。今回の集会を何としても初めての集会じゃったと言い張るのじゃ。()()()()()()()()()、決して何回目かの集会じゃと認めてはならん。それを認めてしまえば、必ずやお主を退学にしようとするからのぅ」

 

そしてワシは肩に舞い降りたフォークスと共に『姿くらまし』をし、城ではない鬱蒼とした森の中に降り立つ。もう後戻りすることは出来ぬ。予想外の出来事であろうとも、それを理由に立ち止まるわけにはいかぬのだから。後はハリーとミネルバを信じるしか出来ぬ。たとえ敵がどれだけ強大であり……たとえ本来であれば同じ学校の仲間であるべき人間でも。ワシに出来ることは今信じることしか出来ぬのじゃから。

 

「ままならぬものじゃのぅ。このような時にこうして自身を誤魔化すしかないとは。せめてハリー達が無事じゃといいのじゃが」

 

フォークスはワシの言葉には答えず、ただ何故か悲し気な瞳でワシを見つめるのみじゃった。

……その瞳の意味を、ワシは終ぞ気付くことはなかったわけじゃが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンブリッジ視点

 

今日私の下に転がり込んできたチャンスは、当に千載一遇のチャンスと言っていい程のものだった。

正直なところ、マリエッタ・エッジコムという名前の小娘がもたらす情報などたかが知れているとしか思っていなかった。私の記憶にも残っていないような生徒のこと。持っている情報も大したことはないだろうと予想していたし、何かしらの切欠になればいいと私は最初考えていたのだ。

しかし現実は違った。途中あのマルフォイ家の娘が乱入し、小娘の代わりに情報を話し始めたわけだが……それは切欠どころか、ダンブルドアを逮捕することすら可能であろうものだったのだ。

待ちに待った瞬間に私がどれほど高揚したことか。もはや小娘のことなどどうでもいい。おそらくマルフォイ家の娘が小娘の記憶を消したのも、このあまりに大きすぎる情報と手柄を独り占めするために違いない。私が彼女の立場でも同じことをするだろう。それ程今の情勢下においては、彼女の手にしていた情報は大きすぎるものだった。

 

何せ魔法学校の中で、校長が生徒を使って軍隊を組織していると疑われても仕方がないものなのだから。

ダンブルドア軍団。名前が入っている以上、ダンブルドアが関わっていないと言い張るのは難しい。

 

無論真実はそんなことはないのだろう。アルバス・ダンブルドアの性格や実力を考えれば、態々学生で軍隊組織を作ろうなどという発想をするはずがない。

しかし真実など何の価値もなく、結局他人がどう考えるかが全てなのだ。とりわけダンブルドアが反逆を企てようとしていると()()()()()()()()()()、コーネリウス・ファッジ魔法大臣がどのように考えるか……想像するまでもなかった。

あぁ、私は今日大きな成果を得る。校長室に向かう私はそう信じて疑っていなかった。私は今日何もかもを手にするのだ。多少時間はかかるだろうが、確実にあの忌々しいダンブルドアをアズカバンに送ることが出来る。そしてポッターも城から追放する。私は与えられた任務をたった一日で全て成し遂げるのだ。闇の帝王も必ずや私の功績を認めて下さるだろう。そうすれば私がどのような地位を得るのか。想像するだけで気分が高揚するというものだ。

 

……それがどうしてこうなったのか。気が付いた時には、手に入ると思っていた全てが零れ落ちていた。

本当に、一体どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

あれだけ成功間際だと思われていたのに、()()()()気が付いた時には全てが終わっていた。逃げ出そうとするダンブルドアに杖を向けようとした瞬間、校長室が光に包まれ……私達は気絶させられていたのだ。当然目が覚めた時にダンブルドアがいるはずもない。城から追放したことに変わりはなくとも、逃げられた以上ダンブルドアを自由にしてしまったのと同義だ。これでは闇の帝王がお望みの結果とは言えないだろう。

挙句の果てに、

 

「ドローレス、貴女は何を仰っているのですか? ダンブルドアも仰っていたでしょう? 今回の集会は初めてのものだったと。それも集まったすぐに……ミス・マルフォイの()()で捕らえられたのです。彼らは集まったのみで、未だに何も活動していない。それを退学など些か飛躍しすぎではありませんか?」

 

私はポッターすら逃しかけている。

私は歯軋りしながら目の前のミネルバを睨みつける。私と()()()()()()()()目を覚ましたと()()()()ミネルバは、今こうして私の計画をとことん邪魔するために行動していた。

ダンブルドアの失神呪文から目を覚まして数時間。ファッジとキングズリー、そしてウィーズリーの子供はもうここにはいない。慌ただしく魔法省に帰ってしまった。彼らはダンブルドアの逃亡で頭が一杯であり、ポッターのことなどもはや頭にありはしない。『闇祓い』にダンブルドアを探すことを命じるだけで精いっぱいだろう。お陰で今ホグワーツで戦わなくてはならないのは私一人という有様だった。

勿論ポッター単体の問題であれば私も躊躇しなかっただろう。しかしアズカバン送りは免れたとはいえ、ダンブルドアの追放というニュースがあるのだ。少数派とはいえ、ダンブルドアの信者はまだまだ魔法界には多い。そこに証拠不十分のポッター追放が重なれば、私への攻撃も無視できない程のものになってしまう。ましてやダンブルドアは今逃亡中。証言を得るにはダンブルドアをまず捕まえる他ない。

ダンブルドア追放に加え、更に一応魔法界の英雄とされているポッターの追放を強行するのはリスクが大きすぎる。確たる証拠があるならばいざ知らず、それを許す程ファッジ大臣は肝が太い人間ではない。私はいまいち決め手を欠く状態で、ミネルバと不毛なやり取りをするしか他なかった。

 

「ですから、ミネルバ。何度も私は言っているでしょう? 私が高等尋問間令を発して数か月以上。その中でこうして会合がなされていたのです。果たして本当に初回のことだと言えるのでしょうか?」

 

「ですから、私も何度も申し上げています。その初回でないという証拠はどこにあるのです? 確かに会合が続いていれば違法になるでしょう。ですが集会が続いていた証拠がどこにあるのですか?」

 

目の前のミネルバにありったけの呪いをかけてやりたい気分だった。出来ることなら魔法省高官としての権利を最大限行使してしまいたい。正直なところ私は魔法省職員というより、もはや闇の帝王の僕としての役割の方が大きい。ですがここで短気にはやれば、魔法省としての立場を一時的に下げかねない。そんな私を闇の帝王が価値ある者として扱うかは甚だ疑問だった。ダンブルドアが自由の身になった以上、ポッターもそうするわけにはいかないという現実もある。……まったく、大人しく私達の言いなりになっていればいいものを。今思い返せばダンブルドアは、

 

『今日()()()ワシの軍団……そう、()()()()()()()()が組織されるはずじゃったのじゃがのぅ』

 

ただひたすらこの愚かな学生集団が初回であると印象付けようとしていた。奴は最初からこのために行動していたのだ。勝利したのは私であるはずなのに、何故か私の方が敗北したような気分になる。

私に現状出来ることはこうしてミネルバと不毛な議論をするだけだった。

尤も私に逆転の手段が残っていないわけではない。たとえダンブルドアから失言を得られなくとも、私に有利な証言を得れさえすれば良いのだ。

 

「証拠? 証拠なら……もうすぐ来るはずですわ。()()のことです。もう既に全員を捕まえ終えたはずですわ。捕まえ終えた後、ここに全員連れてくるよう彼女には伝えておりますわ。ですからゆっくり聞こうではありませんか。彼女だけではなく……全員の証言をね」

 

私の言葉で今度はミネルバの表情が曇る。私の言葉で、一体今から誰がここに来るかを悟ったのだろう。ですがその表情を見ても、私の心が真に晴れることはない。彼女がどんなに私にとって有利な証言をしようとも、ダンブルドアが逃亡した以上ポッターをも即座に追放するのは難しい。無論無理やり追放することは可能であるが、それをするにはリスクが大きすぎる。リスクは最小限に留めねばならない。マリエッタという名の小娘に対してではないが、これこそただ切欠になればいいだろう。彼女がどんな証言をしようと、決してミネルバが認めることはないことも間違いないのだから。

しかし、

 

「失礼します。アンブリッジ先生。指示通り、捕らえたメンバーは全員連れてきました」

 

「えぇえぇ、待っていましたよ……()()()()()()()()! それに親衛隊の皆さんもいますね。実は私達は貴女のお話をお聞きしたくて待っていたのですよ」

 

私の予想は小娘の時とは逆に……()()()()()期待を裏切られることとなる。

私の選んだスリザリンにおいても高位の純血貴族家系。高等尋問官親衛隊と、そんな彼らに追い立てられるように歩く有象無象。彼らの先頭を歩くマルフォイ家の娘に声をかける。

部屋に入ってきた彼女に、ポッターとミネルバは表情を完全に青ざめさせていた。当然だろう。私を含めて、マルフォイ家の娘がダンブルドアに有利な証言をするはずがないと考えていた。真実がどうあれ、それこそ真実を捻じ曲げてでも私の望んでいる証言をしてくれるはず。

そう、私は信じて疑っていなかったのだ。

 

なのに、

 

「さぁ、まず聞かせて下さるかしら? 優秀な貴女のことです。もう既に尋問は終わっているのですよね? 今私の聞きたいことは一つですわ。それでこの者達が催していた集会は……一体何度めの集会でしたの? この者達は何度も、」

 

「……何度目の集会ですか? いいえ、私の得ている情報では、今回のものは()()()()()()()()()でしかないです。()()()()()()()()()()()()()()? 私としてはもう少し待ってから一網打尽にしたかったのですが……実に残念な話です」

 

ここに至って突然、マルフォイ家の娘はそんなことを言い始めたのだった。

ミネルバとポッターすら驚きの表情を浮かべていることにも気付かず、私はただ唖然としてあの冷たい無表情を見つめる。しかしいくら見つめようとも、そこに浮かぶ感情を読み取ることは私には出来はしなかった。



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閑話 かつての仲間

遅くなって申し訳ありません!


 ルシウス視点

 

アズカバンからの死喰い人大量脱獄。世間では一時的に大きな騒ぎになった事件。日刊予言新聞の一面に載り、客観的に見ればこの事件が多くの人間に衝撃を与えただろうことは明白だ。

だがこの事件のことを覚えている人間が……果たして今現在どれだけ存在しているだろうか。私は疑問を抱かざるを得なかった。

無論覚えている人間は覚えているだろう。その上魔法省に疑問を感じているだろう人間も大勢存在する。我がマルフォイ家に疑いと警戒の視線を送ってくる者達は間違いなく増加した。それは私とて肌で感じ取っている。

だが……結局のところそれだけだ。大勢を覆すには、疑問を抱く人間の数は圧倒的に少ない。何より魔法省に疑問を抱いたとしても、『闇の帝王』の時代を知れば知る程、あの時感じた恐怖から逃げられなくなる。魔法省の発表に疑問を持とうとも、信じざるを得ないのだ。闇の帝王が復活したという恐ろしい真実より、魔法省の穴だらけの報道を。

そしてそんな者達に追い打ちをかけるように、

 

「アハハハ! 見てみなよ、()()()()! あの爺、ホグワーツを追放されたみたいだね!」

 

「……あぁ。全ては我が君の計画通りというわけだ」

 

あの老害……ダンブルドアの反逆という衝撃的な記事が出たのだ。もはやほとんどに人間の頭には、死喰い人のことなど残っていないことだろう。正しく闇の帝王の計画通りと言えよう。

この時点で大勢は決しつつある。もはやどれだけの人間が魔法省に背を向け、我らに警戒心を抱こうとも関係ない。その上で闇の帝王は尚慢心することなく、最後の最後まで必要な手を打つよう指示されておられる。ダンブルドアが追放された今、もはや奴らに勝ち目はないのだ。

私は予言者新聞を置き、テーブルの向かいで奇声を上げる脱獄犯の一人……ベラトリックス・レストレンジに目を向ける。私と同じく記事を読む彼女の姿は、多少年を取ってはいるが収監される以前とほとんど変わらないものだ。我々が助け出した当初は痩せこけていたが、今では我が家の食事で何とか以前の姿を取り戻している。

これもまた私が闇の帝王の勝利を確信する根拠の一つと言えよう。闇の帝王に心底心酔しているが故にアズカバンに入れられた者達。その者達が世に解き放たれ、こうして以前の力を取り戻しつつある。世間の大部分が闇の帝王の復活を知らず、反対に我々は嘗ての力を完全に取り戻した。もはや勝利を疑うことの方が難しいだろう。

 

……尤も不安要素が全くないわけではない。力を取り戻したとはいえ、ベラトリックスを始め、多くの脱獄犯達の精神が以前同様のモノとはまだ言い難いのも事実だ。特に今目の前に座るレストレンジ。以前もあまり大人しい性格とは言い難かったが、解放されてからは精神年齢がどこか退行しているように私には見えた。以前ならこのように人前で奇声を上げるようなことはなかった。おそらくアズカバンに長年収監される内に性格が少しおかしくなってしまったのだろう。

今は未だ雌伏の時。このような精神状態で外にでも出そうものなら問題を起こしかねない。大勢の人間が今はダンブルドア追放のことで頭が一杯とはいえ、流石に問題を起こされれば再び我らに視線が集まってしまう。勝利が確定しつつある中での唯一の不安要素。今はマルフォイ家の中で飼殺すしかない。闇の帝王の偉大なる計画に支障を来すわけにはいかぬのだ。部下に何より完璧性を望む闇の帝王のこと。もしベラトリックスの問題行動により計画に変更を迫られれば、私の方が監督責任を追及されかねない。()()()()()()()()私の立場は辛うじて保たれているが、予言の奪取が遅々として進んでいない以上どうなるか分かったものではない。

 

「本当だね! やっぱり全ては我が君の思い通り! 流石は我が君!」

 

興奮しきった様子で、それこそ唾を飛ばしかねない醜態で叫ぶレストレンジに溜息が出そうだった。

何故勝利しつつある陣営において、私はこのようないらぬ心労を抱えなくてはならないのだ。無論予言のことは私に責任の一端はあるが、このような心労は完全に余計なものだ。シシーの実の姉でなければとうの昔に見捨てている。

何より彼女の不安要素は、

 

「……だけど、だからこそ分からない! どうしてあのお方は私にこそ任務を与えて下さらない!? ルシウス! ましてや()()()()()なんかに任務を与えて、どうして最も忠実な私には!?」

 

アズカバンの後遺症だけではなかった。

先程まで上機嫌であったというのに、突然人が変わったように苛立ちを込めて叫びだすベラトリックス。それも私の愛娘に対する当てつけの様な言葉を。

彼女の言葉に眉を顰めそうになるのを必死に抑える。言及された者が全く関係のない死喰い人であれば、私も無関心でいられただろう。ただ妻の姉に対しての感情しか抱かなかった。だが現実に彼女が嫉妬の感情を燃え上がらせているのは我が娘に対してだ。それもアズカバンに収監されるほど忠誠心溢れた己に対して、たかが小娘の分際で闇の帝王の覚えめでたいという……そんな事実に対する下らない嫉妬を。情緒不安定に陥っている彼女が何をしでかすか分かったものではない。ダリアがホグワーツにいる今は良いが、もしあの子が家に帰ってくれば……。

 

全く……何故私はこのような不安を感じねばならないのだ。

本来であれば、私は何の不安もなく闇の帝王に仕えているはずだった。闇の帝王は勝利する。それは確実だ。何せ負ける要素がない。

闇の帝王は誰しもに訪れる死を克服した。ならば老いるのみのダンブルドアに勝ち目などない。そしてあのお方の下に参集した勢力も以前と同等。……いや、以前と違い、闇の帝王自らが造り上げたダリアが存在する。我が娘は闇の帝王同様完璧な存在。我が娘が参加する以上、我が陣営は勝利する。そうなればダリアを含め、我がマルフォイ家は至高の地位を手に入れるはずだったのだ。全てが私の予想通りに進めば、私は今頃ただ気楽に食卓を囲んでいるはずだった。シシーがいて、休暇にはダリアとドラコが加わる。そんな今までと変わらない毎日を手に入れているはずだったのだ。

だが現実は違う。私は与えられた任務を果たせず闇の帝王に叱責され、私と食卓を囲うのはダリアに嫉妬するベラトリックスのみ。私の望んだ未来は……ここには存在しない。

 

「何度も言わせるな。お前は未だ体力を完全に取り戻したわけではない。それにお前が誰かに目撃される危険性を考えろ。お前は目立ちすぎる。その点娘はまだホグワーツ生だ。休暇のみに制限されるが、あの子であれば、」

 

「だからそれが納得できないと言っているんだ! 何故たかが学生を闇の帝王は!? 随分とおかしな話じゃないかい! たかが小娘如きを闇の帝王が認めるはずがない! ルシウス! お前が何かしたんだ! お前は卑怯な手でアズカバンから逃げおおせた! そんなお前が闇の帝王に何か吹き込んだんだ! だが……ふん、残念だったね! お前は結局闇の帝王のお与えになった任務を果たせていない! お前はもうすぐ闇の帝王から見捨てられる! そうなればその小娘も終わりさ!」

 

私が黙って聞いていられるのはそこまでだった。

いくら目の前にいる人間が妻の姉であり、アズカバンで精神を病んでしまった人間だとしても我慢の限界というものがあった。我が愛娘を愚弄されて黙っていられるはずがない。

 

「……私の任務が順調でないことは認めよう。確かに私は無能やもしれん。だが……我が娘を愚弄することは許さん! 我が娘は完全な存在だ! 何故なら闇の帝王があの子を……いや、そんなことはどうでもよい! よいか!? 私とて貴様には同情している! だがそれとこれとは別だ! これ以上我が娘を侮辱するならば覚悟してもらうことになる! 闇の帝王の不興も買うことになるだろう! だからその口を閉じろ! これは命令だ! お前はただ私の命令に従っておればよいのだ!」

 

当然私の恫喝で黙るような女ではない。ベラトリックスは一瞬呆気にとられた表情を浮かべたが、即座にその表情はこちらを馬鹿にしたモノに変えた。

 

「……おやおや、言うじゃないかルシウス。()()()()なんぞのために。随分と腑抜けたものだね。それでも純血たるマルフォイ家の男かい? 以前のお前も腑抜けた奴だったが、今はそれ以上だ! だから闇の帝王に最後まで忠誠を誓うことも出来なかった! あのお方はお許しになられても、私は絶対に認めないよ! いいかい!? いつか必ずお前と、お前の娘とやらの化けの皮を剥いでやる! 今は闇の帝王のご命令に従うけど、必ず私こそが最もあの方に忠実であり……最も『死喰い人』の頂点に相応しいと証明してやる! その時に自分の愚かさを思い知るんだね!」

 

そう叫んだと思えば、奴は私の言葉を聞くこともなく、手にしていた記事をテーブルに叩き付け部屋を後にする。

残されたのは私のみ。ベラトリックスなどいなくなっても清々するが、異様な程静まり返った書斎に言いようのない寂寥感を数瞬抱いた。

私は頭を抱え込みながら考える。

 

どうしてこうなったのだ。

私は確かに確実に勝利する陣営にいる。闇の帝王も私を許してくださっていた。ダリアも帝王のご期待に応えてくれている。ならば私は……私の家族は幸福であるはずなのだ。

であるのに、どうして私は今……こんなにも惨めな気持ちなのだろうか。

だがそこまで考え、私は直ぐに顔を上げた。私はマルフォイ家の長。シシーの夫であり、ドラコとダリアの父。今は泣き言を言っている場合ではない。

 

どうしてこうなったか?

……いや、考えるまでもない。結局のところ、私が闇の帝王のご期待に応えられていないことが原因なのだ。魔法省は我々のコントロール下にあり、巨人もダリアの手により服従した。だが闇の帝王が今最も欲しておられる成果はそれらではない。

()()。そう予言だ。神秘部にあるとされる、とある予言を手に入れない限り、闇の帝王の御心が真に晴れることはない。

つまりそれを手に入れられずにいる私は、常に闇の帝王より厳しい評価を受け続けることとなる。

私や家族が幸せになるには、今は予言を手に入れる他にないのだ。

 

愚かな気の迷いを振り払うように、私はベラトリックスの去ったドアを睨みつけながら考える。

確かに今のところ私の試みは全て失敗に終わっている。だが幸か不幸か、遅々として進まない計画に、遂に闇の帝王自らが重い腰を上げた。あのお方は気付かれたのだ。()()()()()()()()()()()()()()。機が熟せばそれを利用し、帝王は予言への道しるべを手にすることとなる。私はそれをただ辿れば良い。闇の帝王の深淵なお考えを全て理解することは出来ないが、私とてこれだけはわかる。

要するに、()()()()()()のだ。

その時に失敗しなければ、私は今までの失態を全て帳消しにすることが出来る。

 

私が失敗しなければ、必ずや私は手にすることが出来る。今度こそ望んだ未来を。

私と家族が幸せに食卓を囲む。そんな今まで当たり前だと信じていた未来を。

 

 

 

 

私はこの時、そう信じて疑わなかった。……信じ込もうと必死だったのだ。

……そうでなければ、その未来に疑問を抱かざるを得なかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベラトリックス視点

 

「くそ! ルシウスの奴! 調子に乗りやがって! シシーの夫でなければ、私の手で殺してやるものを!」

 

宛がわれた寝室に入るなり、私は壁を叩きながら叫ぶ。

今この屋敷には闇の帝王もいらっしゃらない。あのお方も普段はこの屋敷にいらっしゃるが、それもいつもというわけではない。あのお方は完璧な存在だ。それこそ死すらも克服する程。今こうしてどこかに行っておられる間も、おそらく我々には到底理解できないような崇高な行動をされているに違いない。無論常にあのお方の存在を感じていたい私としては寂しくはある。

だが今は寧ろそれがありがたくもあった。今あのお方にこのような無様な姿をお見せするわけにはいかない。私は怒りを抑えることが出来ず、今度は家具を呪文で破壊しながら叫ぶ。

 

「何故!? 何故あのお方はあんな臆病者をお使いになるのさ!? 今は私だってお傍にいる! それなのに私をお使いにならず……ましてやたかが小娘なんかに!」

 

闇の帝王に聞かれる心配の無い今、私は自制心をかなぐり捨てつつあった。声は益々大きなものとなり、もはや部屋で無傷な家具は一つたりともない。私の声はルシウスや、それこそ私の実の妹であるシシーにも聞こえているやもしれない。だがそんなこと些細な問題だ。寧ろ奴らは聞けばいいのだ。私は怒っている。こんな理不尽な思いをしているのも、元はと言えばあいつ等が原因なのだ。私がアズカバンにいる間にノウノウと外で暮らし、闇の帝王への忠誠を忘れ果てていた。闇の帝王に従うのは純血の義務だ。あのお方は純血を再び偉大な存在に導いてくださろうとしていた。それを奴らは忘れ、あまつさえダンブルドア率いる下等な連中に従っていた。許されていいはずがない。

……それなのに、現実は私の方がルシウスの下に置かれている。

こんなのはおかしい。どう考えても理不尽だ。闇の帝王にそう訴えても、

 

『ベラトリックスよ。お前の言わんとしていることは、俺様も十分理解している。だが他の連中はともかく、ルシウスは俺様の役に立つ存在を見事に育て上げた。それこそ今までの愚かな行動を許しても余りある程のな。……奴が育て上げた()()()()は俺様の期待通りの存在に育った。アレはルシウスに代わり、今後も俺様の役に立つことだろう』

 

そう仰るばかりで、一向にルシウスを任務から外す様子がない。

アズカバンから救い出され、闇の帝王にようやくお会いした時に感じた高揚感はもう存在しなかった。あるのはこの理不尽な状況に対する苛立ち、不安……そして何故か()()()()()()()という寂寥感。様々な感情が交じり合い、ただ持て余した感情に翻弄される。この感情を誰かにぶつけたい。ルシウス、シシー、そして未だ顔も見たことがない小娘。正確には小娘が赤ん坊の頃会ったかもしれないが、そんなことはどうでもいい。小娘の分際で闇の帝王からの関心を買うなど分不相応にも程がある。とにかくこの三人にこの怒りをぶつけられれば、それこそ呪いでもぶつけられれば鬱憤も晴れるのだろうが、流石にそれが拙いと分かるくらいの理性は残っている。代わりに『穢れた血』やマグルを殺せればいいのだが、それも未だ許可が下りない。とにかく私はこの屋敷の外に出てはならないと言われているのだ。結果私はどこにも発散できない感情を募らせるしかなかった。

 

何故? 何故私はこんな思いを抱えなくてはならないのだ?

こんな感情はとうの昔に()()()()()()()はずなのだ。闇の帝王に出会ったことで、私はこの感情を捨て去ったはずなのだ。純血であり、生まれながらにして偉大である私。なのにホグワーツでも、それこそ実家であるブラック家ですら抱え続けていた感情。そう、子供の頃からずっと母に言われ続けた、

 

『お前達は偉大な純血たるブラック家の娘。その自覚を持ち、ただ純血に相応しい夫に嫁ぐことを考えなさい。それが出来なければお前達に()()()()()。お前達は純血を保つために、ただ私の言う通りに行動していればいいの』

 

そんな()()()()()言葉にいつも感じていた感情。

私はいつだって疑問だった。自分のこの感情は一体何なのだろうか。私は純血で、生まれながらに偉大であるはずなのに。それで満たされたことがない。いつだって心のどこかに穴が開いていた。その上穴は年を取るにつれ益々大きなものになっていく。愚かなアンドロメダの出奔。いつだって私の後ろを歩いていたはずのシシーが……結婚してどこか満たされた表情を浮かべていた時。穢れた血と結婚した愚かなアンドロメダはともかく、シシーは純血と結婚した。なのにシシーの満たされた表情を見た時、私はより自身の中にある底なしの穴を実感したのだ。

 

いつだって私の後ろを歩き、私と全く同じであったはずの妹が……いつの間にか私とは違う生き物に変わってしまった。そう私は何故か感じていた。

 

……だが、その年々大きくなり続ける焦燥感も、闇の帝王が消し去って下さった。

あのお方は本当に偉大だ。我々純血のことを、いや、()()()()()真に理解してくださる。かのサラザール・スリザリン直系の血筋。圧倒的なまでの魔法。そして私にこんな思いを強いる現実を打ち砕くほどのカリスマ性、実行力。

あのお方はこの理解不能な感情を、下等で愚かで()()()()連中に発散する方法を教えてくださったのだ。

 

『ベラトリックス。この俺様に忠誠を誓うのだ。お前は純血であり、何より強大な魔力を有している。お前は俺様の役に立つ。全てが憎いのであろう? ならば俺様はお前に教えてやろう。お前達純血を狭い世界に閉じ込める、愚劣極まりないルールの壊し方をな』

 

()()()()()()()()()。この感情は私の中から生じるものではない。愚かな連中が私に強いるものなのだ。

だから闇の帝王が復活された今、私は幸福な感情で満たされているはずだったのだ。

 

 

 

 

それなのに……何故か全てが上手くいかない。こんなのはおかしい。

私は早く……こんな感情を捨て去りたいのに。

 

思考が振り出しに戻る。何故? 何故私はこんな思いをしている?

そしていつもの結論に至る。

 

誰が元凶か? 私は悪くない。ならば悪いのは誰だ? 誰が私の受けるはずだった闇の帝王からの寵愛を横取りし、私の存在を端に追いやっているのか?

そんなのは決まっている。ルシウスやシシー、そして闇の帝王も何度も口にする名前。

 

その名前は……

 

()()()()()()()()()……。私は絶対に認めないよ。いつかお前の化けの皮を剥いでやる」

 

 



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盲目の代償(前編)

 ハーマイオニー視点

 

ダンブルドアの追放。……正確には逃亡。

『秘密の部屋』の時程ではなかったけれど、このニュースはホグワーツ中に大きな衝撃を与えた。勿論多くの人がダンブルドアのことを信じなくなっている現状、あの時のように学校全体が恐怖に包まれるようなことはない。どちらかと言えばゴシップ的な印象を抱いている人の方が大多数と言える。

でも真実を知っている人には分かる。ダンブルドアがいなくなったことにより誰が最も得をするか。それはあの性悪なアンブリッジであり……そして何より、彼を恐れる『例のあの人』なのだ。『例のあの人』は今頃上機嫌なことだろう。何せ今世紀最高の魔法使いを……自身を最も脅かす敵を容易くお尋ね者にすることが出来たのだから。完全な排除とはいかなくても、ある程度ダンブルドアの行動を制限することが出来る。

 

『アルバス・ダンブルドア追放! 今世紀最高と謳われた魔法使いの凋落!』

 

朝刊の一面記事に我が物顔でそんな言葉が並ぶ。

ダンブルドアが学生を魔法省転覆のために先導しようとしていた。そしてその悪事が露見し、その場にいた魔法省職員を卑劣な手段で攻撃し、逮捕寸前のところで逃亡した。内容はそんな魔法省に都合のいい言葉の垂れ流しでしかない。

勿論こんな出鱈目な記事を載せれば、逆に魔法省に疑いを持つ人間は増えることだろう。死喰い人の大量脱獄の時以上に、大勢とは言えないけど記事に眉をひそめている生徒はいる。

……でもどれ程多くの人が魔法省に疑いを持とうとも、

 

「ハ、ハリー。それにグレンジャー。これから、ど、どうするんだい。ダンブルドアが追放なんて、魔法省は何を考えてるんだ!? 僕はこんな時こそ君の授業が必要と考えるけど……()()にアンブリッジにバレてしまったのは痛かったね。次はどうするつもりなんだい? このままでは、」

 

もう彼等のこと受け入れる集会自体が存在しない。前回とは前提条件そのものが違っている。

今度こそ、私達は完全に敗北しているのだ。

記事を読んで慌てた様子で話しかけてきたアニーに、私は胡乱気な視線を送る。ここは大広間。それも皆が集まる朝食の時間。誰が見ているかも分からない空間。事実視界の端に、こちらをジッと見つめている人物が映っている。

 

「……アニー、昨日の今日よ。今はこちらに来ては駄目よ。()()()()()()()……駄目! 今あいつの方を見ては駄目! あいつにこれ以上付け入るスキを与えては駄目よ! とにかく何もなかったような顔をするの! 今はハッフルパフのテーブルに戻って!」

 

私の言葉に危険を感じ取ったのだろう。慌てた様子でアニーがハッフルパフの席に戻っていく。その姿を見送る私の視界の端には、相変わらず蠅を狙うガマガエルのような表情を浮かべるあの女。今までもあんな視線を受けたことはあるけど、今日のものは別格だった。余程昨日私達を()()()()()()ことが悔しくて仕方ないのだろう。こんな状況でなければ勝ち誇った表情の一つでも見せつけてやりたいところだけど……今はそんな気分には決してならなかった。なるはずもない。何故なら……私があの女に勝ったわけではないのだから。

 

あの女に勝ったのは……()()()()()()()。現在の状況は彼女の勝ち取ったものだ。決して私なんかではない。

現実を見ようともしない私は……負けたのだ。

 

それをハリーとロンも理解しているのか、二人も何とも言えない表情を浮かべている。

他のメンバーとは違い、二人も今までの集会を()()()()()()()()()()()()()。二人も昨日何が起こったのか正確に理解しているのだ。だからこそ二人は何も言えない。今までの二人ならダリアに罵詈雑言を言っていただろうけど、今回は彼女の思惑がどうであれ助けられた側面が大きい。恨めし気にスリザリン席を見つめても何も言うことはない。言えば余計惨めな気持ちになってしまうから。

私は二人の顔を見つめながら考える。

 

()()はこれからどうするべきなのだろう。いえ、今回のことも元を正せば全て私の失敗が原因なのだ。私が前ばかり見て足元を見ていなかったから。そんな()は一体どうすればいいのだろう。

 

当然答えなんてない。……もう私に彼女が助言をくれることはないのだから。

 

 

 

 

『へぇ、これが貴方達が望んだ……『必要の部屋』ですか。成程、防衛術を練習するには理想的な広さですね。……まぁ、これでこの集会も最後になるわけですがね』

 

昨日、床にひれ伏す私達の頭上に響いた無機質な声音を思い出す。

その声は私やダフネといる時とは全くの別物の、どこまでも冷たいものでしかなった。それこそ本当に私達のことを転がる石ころくらいにしか思っていないような声音。『必要の部屋』前の廊下。あの時、魔法で地面に押し付けられている私達の他に、本来であれば彼女の味方であるはずの高等尋問官親衛隊メンバーの姿もあった。それこそ彼女の兄であるドラコの姿も含めて。

でも、彼女以外の誰一人として声を上げようとしない。いえ、上げることが出来なかった。

声の主である……ダリアの声音があまりに冷たく、あまりに冷酷な響きだったから。

私は当に部屋から逃げ出そうとした直後の格好のまま地面に倒れ伏していても、何とか頭だけ上げて彼女の顔を見上げた。そこにあったのは声音通り、ただただ私達のことを冷たく見下ろす瞳。やはりそれはどこまでも私の知っているものとは別物でしかなかった。

しかも、

 

『さて、それでは始めますか……と、言いたいところですが、余計な観客が多すぎますね。親衛隊の皆さん。お兄様以外は全員談話室に戻ってください』

 

『な!? 何を言い出すの、ダリア! さては手柄を独り占めするつもりね! そりゃ貴女が一番捕まえたのは事実だけど、私達にも少しぐらい、』

 

『何を勘違いしているのですか、パンジー? ……せっかくこれだけ()()()()()()()()()()()()人間がここに転がっているのです。私はただ少し強めのごうも……尋問をするだけです』

 

そんなことを言い始めたのだ。何とか声を上げたパーキンソンも青ざめた表情で黙り込んでいた。決して冗談を言っている雰囲気ではなかったのだ。全員の脳裏に浮かんだのは、去年ダリアがムーディー先生を拷問した時の姿。あの時と同じ光景が今度は自分達に起こるのではと、皆に想像させるには十分な雰囲気だった。

 

『それとも、皆さんも見たいのですか? それは残念です。私としては目撃者は少なければ少ない程、』

 

『だ、大丈夫! や、やっぱり私達は談話室に戻っているわね!』

 

ダリアの言葉で親衛隊は逃げるようにして寮に戻っていく。残されたのは未だに床に這いつくばる私達とドラコだけ。

その様子を……私もただ黙って見つめ続けることしか出来なかった。

そして声を上げることも出来ない私達に、彼女は決定的な行動を取り始めたのだ。

 

『さて、邪魔者は全員消えましたね。それでは始めましょうか』

 

『ま、待ってくれ! ぼ、僕に何かすればパパが黙って、』

 

『貴方に用はありません。それではさようなら、良い夢を。()()()()()()()

 

唯一声を絞り出せたザカリアスから始まり、次々とDAメンバーの意識を刈り取っていく。本来人に、それこそ同じホグワーツ生に決して使ってはならない類の呪文で。

 

『オブリビエイト、忘れよ』

 

二年生の時、あのペテン師が私達にかけようとした呪文。魔法を目撃したマグルに使うことがあるらしいけれど、決して日常生活に縁のある呪文ではない。寧ろ非日常的な呪文であり、ともすれば闇の魔術と言っても差し支えないものだろう。

それが何の躊躇いもなく、まるで何でもないことのように使われていることが信じられなかった。

そして次々と記憶を消され、最後に残されたのは、

 

「ダリア……」

 

「……これで必要な処理は済みましたね」

 

私を含めて数名のみだった。私にロン、そしてネビルにルーナ。何とか視線だけで見渡したところ、意識が残っているのはこの四人だけ。ハリーは疾うの昔にアンブリッジにどこかへ連れていかれていた。後の生徒は皆顔を地面に伏せてしまっている。呪文の影響で一時的に眠っているのだろう。しかも、

 

「ダリア・マルフォイ! この……悪党! お前は自分が何をしたのか分かってるのか!? お前が使ってる呪文は、」

 

『ステューピファイ』

 

遂に事態に頭が追い付き、大声で騒ぎ始めたロンも失神呪文で眠らされる。これで本当に残っているのは私と、何故かネビルとルーナだけになっていた。

私はただ信じられないという気持ちでダリアを見つめることしか出来ない。ダリアが私の前で、それこそ闇の魔術を使ったことは今までにもあった。あの時のことを決して忘れたわけではない。忘れられるはずがない。でも今回のことは、今までのそれとは別の性質なものである気がしたのだ。

もっと決定的で、本当の意味で()()()()()()()()()()()()()。そんな行動をダリアが目の前で取った。私は心の中でそう感じ、その感覚に思考が完全に麻痺してしまっていたのだ。

 

 

 

 

……結局、その後ダリアは私達と言葉を交わすことはなかった。

 

『……グレンジャーはともかく、こいつ等はいいのか? もしお前に躊躇う理由があるなら、僕が代わりに、』

 

『いいえ、お兄様。これで構いません。これらの記憶を消せば、ダフネがこの会に()()()()()()すらなくなってしまいます。ですから……これで良いのです』

 

ダリアとドラコは唖然とする私を尻目にそんな会話をした後、ルーナとネビルの目を数秒覗き込み……そのまま何も言わずに去ってしまった。

残されたのはやはり唖然とするだけの私達三人だけ。あの時、私達の誰もが状況を真に理解することも、流れに抗うことも出来ずにいた。

 

だから本当の意味で自分達に起こったことを……ダリアが何をしたのかを理解できたのはいくらか時間が経ってからのことだ。

それこそアンブリッジに連れていかれたはずのハリーが帰ってきた時。ハリーからダリアのしていた話を聞いた時にやっと、

 

『私の得ている情報では、今回のものは正真正銘最初のものでしかないです。彼等もそう証言していましたよ?』

 

私は理解したのだ。

何故ダリアがあんな呪文を使ったのか。ハリーが無事に帰ってくることが出来たのか。……私達が今もこうして退学にならずに済んでいるか。本来であれば勝者であるはずのアンブリッジが、あんなにも悔しそうな表情を浮かべているかを。

 

もはや誰が裏切り者だったのかなんてどうでも良かった。ダフネでないことに間違いはないけど、調べようにもメンバーの誰一人として顔に裏切るものである証が浮かんでいない。本来であれば顔全体に決して消えないニキビが浮き上がるはずなのだ。見れば一瞬で分かる。でもそんな姿のメンバーは誰一人としていなかった。誰かが裏切ったのは間違いないけど、その誰かが全く分からない。探そうにも誰もかれもが記憶を無くしている。探すには一人ずつ話す必要があるだろう。

でも、かと言ってその誰かを探す気にもならないし、もはやどうだっていい。

……だってそれが誰であろうとも、ダリアが戻ってくることは決してない。私はようやく自分の中にある甘い考えを捨て去った。いえ、捨てざるを得なかったのだ。

 

『これからもダフネをよろしくお願いします。たとえ私が敵になったとしても……』

 

あぁ、浴場でのダリアの言葉を、私は今ようやく本当の意味で受け取ってしまった。

ダリアは今回も私達のことを守ってくれた。それは間違いない。でも彼女はもう手段を選んでいる余裕などなくなっている。足手まといである私なんかのことを考えてはいられないのだ。彼女が守りたいものはダフネと家族。それ以外のものに配慮している余裕なんてない。それこそ『忘却呪文』なんて非情な手段を使ったとしても。

あれこそが彼女なりの最大限の譲歩。私とネビルやルーナ、そしてロン。あの場にいなかったハリー以外の人間は、全員今まで集会で学んだことすら忘れ去っている。当初の闇の勢力から生き残るすべも、決して十全とは言えないものに成り果てていることだろう。

でも、そうだとしても、忘れていなければ、今度は学校から去らなければならなかったかもしれない。この世界で唯一安全な学校から。それならばまだ忘れてしまっていた方がマシなのかもしれない。真剣に練習していた人間ならば、記憶がなくても体はある程度覚えているだろうから。そのための授業をハリーはしていたのだから。

 

本当に……自分自身が嫌になる。本来であればこれは私が負うべき責務のはずだったのだ。

自分のかけた呪いに慢心し、メンバー1人1人を見ようともしていなかった。メンバーが増えることを喜ぶばかりで、その真の意味を理解してなどいなかった。

そんな私の慢心の結果、結局ダリアに全てを背負わせてしまった。

何がダリアのやったことを信じられない、だ。私は結局信じたくなかっただけなのだ。あの別れの言葉を聞いても信じようとしなかった私が、目の前に現実を突きつけられてようやく信じざるを得なくなっただけなのだ。

 

ダリアと私は……本当にもう交わってはいけない関係になってしまったという、単純で絶対的な現実を。

 

これから私はどうすればいいのだろうか。

ダンブルドア軍団は消滅した。これから再結成することも、おそらくもう不可能だろう。私達最大の希望であるダンブルドアもいない。

こんな絶望的な状況の中で、私は一体どうすればいいのだろう。ある意味でダンブルドア軍団を結成する以前の状況に逆戻りしてしまった。

でもあの時とは一点全く違うところがある。

 

それは……もうダリアには頼れないということだ。何故ならもう、彼女は私と全く関係のない人間であらねばならないのだから。

そうでなければ、また私はダリアに辛い選択をさせてしまうことになるから……。

 

私には見えていたのだ。ダリアが去る瞬間、確かに冷たい無表情ではあったけど……どこか()()()()()()()を浮かべていた。

私にはそんな彼女の僅かな表情が見えていたのだ。

たとえ瞳が……あの血の様な赤色であっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

僕のこれまでやってきたことは何だったのだろう。

僕の思考はこの一言に尽きた。

アンブリッジから解放され、何とか退学だけは避けられた。でもそれだけだ。僕の今までの行動は完全に意味のないものになってしまった。

何故なら『ダンブルドア軍団』はもうなくなり、それどころか……メンバーのほとんどが集会のことを覚えてすらいないのだから。

 

「ハリー……次の集会のことだけど、どうするつもりなんだい? ()()があんなことになって……本当に、君はどうするんだい? ハリーがやるというなら僕等は、」

 

「……シェーマス。悪いけど、今は次のことなんて考えられないんだ。また何か決まったら必ず教える。だから……」

 

「あぁ……頼むよ。まだ君から()()()()()()()()んだ。最初に集まったきり終わるなんて嫌だぞ」

 

グリフィンドール談話室で項垂れる僕に話しかけてきたシェーマス。彼も集会のことを覚えていなかった。確かに彼がDAに参加したのは途中からだ。でも彼が参加したのが1回だけだったということはない。何度も参加していた。それが今では……最後の集会のことしか覚えていない。

彼は忘れさせられたのだ。彼だけではない。ハーマイオニーの話では、DAのことを覚えているのは僕を含めて5人だけ。ハーマイオニーにロン、そしてネビルにルーナ。それ以外の生徒は誰一人として覚えていない。シェーマス以外のグリフィンドール生。それこそロンの妹であるジニーや、あのフレッドとジョージですらも。

 

……ダリア・マルフォイに忘れさせられたから。あいつに忘却呪文をかけられたから。

あいつが僕達の今までの努力を一瞬で無意味なものにしたのだ。

アンブリッジから解放され、やっとの思いで寮に帰った僕を迎え入れたのは……ハーマイオニーとロン、そしてネビルを除けば、もはや何一つDAのことを覚えてもいないメンバーだった。

 

衝動的にテーブルを叩きそうになるのを何とか我慢する。

いつだってそうだ。あいつはいつだって僕等の邪魔をする。あの何を考えているか分からない無表情で、いつだって僕等の()としてあり続けている。今回のことだってそうだ。他人の記憶を消すなんてどうかしている。やっぱりあいつは『死喰い人』で間違いない。こんなことをする奴が真面であるはずがない。僕が教えていたのは敵から生き残る術。それを奴は奪ったのだ。それは皆の生き残る可能性を僅かでも奪ったということだ。

あいつは僕等と同じホグワーツ生でありながら……もう既に『死喰い人』の一員として相応しく行動しているのだ。

 

『ダリア・マルフォイ……そうお前は名前を付けたのだったな、アレに。俺様は3年前にアレの成長ぶりを聞いておるぞ。実によく育っていると。当に俺様の望んだ、お前達死喰い人を統べるに相応しい存在だ』

 

僕が去年墓場で聞いた通りに。

あいつのことを考えるだけで大声を上げたい衝動に駆られそうだった。

 

……でも、それが分かっていても、内心怒り心頭でも僕は今回ばかりは何も言うことが出来なかった。

言えば一時的に気が晴れるかもしれないけど、後でより惨めな気持ちになってしまうだろうから。

何故ならあいつの行動で僕達が助けられたことも間違いないのだから。

 

皆の記憶を消す。これでアンブリッジが僕等を追及する術がなくなったのも事実なのだ。

 

『私の得ている情報では、今回のものは正真正銘最初のものでしかないです。彼等もそう証言していましたよ? 私としてはもう少し待ってから一網打尽にしたかったのですが……実に残念な話です』

 

ダリア・マルフォイの言葉が頭の中で響く。僕は内心の怒りを無理やり抑え込み、長い溜息を吐き出しながら考える。

あいつは悪。ヴォルデモートに従う僕等の敵。それは間違いない。今回の行動だって、理由こそ分からないけど僕等のことを思ってのものではない。秘密の部屋の時と同じだ。あいつはいつだって陰で何かしらの行動をしていて、それが決して良いことであった事実はない。

でも今回のことだけで言えば、あいつの行動でDAメンバーの退学だけは避けることが出来た。あいつの悪事で、僕等も恩恵を受けてしまっているのだ。事実ダンブルドアを追放したというのに、アンブリッジが少しも勝ち誇った顔をしていない。朝食の席でも僕等のことを睨みつけるばかりだ。とても勝った人間の態度ではない。

僕等は結果的にダリア・マルフォイに救われた。僕等は本来なら退学させられてもおかしくない立場……完全に敗けた立場であってもだ。これで今あいつに対して文句を言えば、自分のことがより情けなくなってしまう。ロンもそれが分かっているからこそ、今は表情を歪めても何も言おうとはしない。

 

勿論文句は言えなくても、あいつに対する警戒感はより強くなっている。ロンも同じだろう。

今僕がすべきことは、失ったものを悲しみ続けることでも、ここにいないダリア・マルフォイに怒り続けることでもない。次こそあいつに出し抜かれないように考え続けることなのだ。

 

そもそも何故あいつはあんなことをしたのだろうか。僕等を追放できれば、それこそヴォルデモートはより一層喜んだに違いない。なのにそのチャンスを自ら逃した。まさか僕等のためなんてことは絶対にないはずだ。ならどうしてだ? どうして僕等を逃がすようなことをやったんだ?

正直考えても全く見当がつかない。ダリア・マルフォイのことなんか考えても仕方がないけど、ホグワーツ内にいる敵が理解不能な行動をとっているのは不気味でしかない。どんなに嫌でも、僕は考え続けるしかないのだ。

 

 

 

 

……尤も、考えても一向に答えなんて出ないと思われたこの疑問は、意外にも直ぐに氷解することとなるのだが。

それは記憶が消されたことで、急に余所余所しくなってしまったチョウ・チャンと話している時だった。僕は彼女にありのままの事実を話した。でも返ってきたのは彼女の悲痛な叫びだけだった。

 

「ごめんなさい……。わ、私も貴方のことは好きだけど……でも、ごめんなさい。わ、私何も覚えていないの! 貴方が言うことが私には全く分からないの! パブに集まった時はともかく、今回集会が初めてだったとしか思えない! 貴方と話したことも、私は覚えてもいない!」

 

取り乱した様子のチョウに、僕は他のメンバー以上の喪失感を味わう。僕は以前から彼女のことが好きだった。そしてクリスマスから彼女と付き合えることになったというのに……彼女は肝心な記憶を、それこそDA以外の記憶も全て奪われていたのだ。

あのクリスマスでのキスも、DAでの日々も全て。彼女にとって、僕はただの後輩に戻ってしまった。

僕は未だ彼女が好きだ。そして嬉しいことに、彼女も僕のことを好きでいてくれている。しかし……おそらくもう元の関係に戻ることは出来ないだろう。そのどうしようもない事実を僕は理解してしまったのだ。

ただでさえチョウは以前から情緒が不安定だった。それが今回のことで完全に崩れてしまった。……もう僕にはどうすることも出来ない。そう僕は心のどこかで理解してしまったのだ。

そしてそれは僕だけではなく彼女も同様だろう。でも彼女の場合、どうやら僕とは更に違った事情があるようだった。彼女は叫んだ後続けたのだ。

 

「それに……私はもうダリア・マルフォイに目をつけられてしまってる。昨日、突然()()()()()()()()()()()()()。今まで話したことなんてなかったのに。……貴女は()()()()()()()()()だって。ごっこ遊びではなく、身近な人を大切にすべきだって……。あれは脅しなのよ。私とDAに参加していたマリエッタ。彼女のことを人質にされているのよ! だからごめんなさい……私もう、どうすればいいのか分からない!」

 

この時ばかりは僕も我慢の限界だった。何故チョウなんだ。他のメンバーに対してはこんなことはしていないはずだ。ダリア・マルフォイが的確に僕の弱みに付け込んでいるとしか思えなかった。

 

「チョウ……くそ! ダリア・マルフォイ! どこまで僕のことを馬鹿にすれば気が済むんだ! 何が友人を大切にすべき、だ! あいつだって、ダフネ・グリーングラスをDAのスパイにしていたのに!」

 

流石に自分のガールフレンドを狙い撃ちにされては我慢できない。今まで何とか抑えていてものが溢れ出す。

……でも次の瞬間、

 

「……ダフネ・グリーングラス? ()()()()()()?」

 

「決まってるだろう!? DAの裏切り者はあいつだ! やっぱりあいつはダリア・マルフォイのスパイだったんだ! 君も覚えているだろう! あいつは最初にも、それこそ最後の集会にもいた! 君だって覚えているはずだ!」

 

「……え? どういうことなの? 私……彼女がいたことなんて()()()()()()()。何かの間違いよ。だってそんな怪しい人間がいる組織に私が参加するはずがないもの」

 

そんな訳の分からない言葉に黙らざるを得なかった。

 

ダリア・マルフォイの奪った記憶は……何もDAのことだけではなかったのだ。

 

 

 

 

この言葉の意味を最初に理解したのは僕ではなかった。この時の僕は、この行き違いを単にダリア・マルフォイの理解不能な行動の一つとしか考えていなかった。

それを教えてくれたのは……やはり僕等の中で最も賢いハーマイオニーに他ならなかった。

彼女の話を聞いた時、僕は最初否定したけれど。でも後から冷静に考えた時、確かに彼女の言葉に間違いはなかった。感情的には否定したいものであったし、ロンだって大声で拒絶していた。でも心の中で納得もしていたのだ。

 

あぁ、だからどこか違和感を感じ続けていたのか、と。

ダフネ・グリーングラスは……スパイにしては、DAに真剣に取り組んでいたな、と。



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盲目の代償(後編)

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!


 ネビル視点

 

『ドローレス・アンブリッジをアルバス・ダンブルドアに代わり、ホグワーツ魔法学校新校長に任命する』

 

談話室に張られた新しい掲示。僕はそれを見つめながら考える。

正直意外だった。あの人……アンブリッジが新校長に就任したことには別に驚きはない。ただ僕としては、正直もっと早くに就任すると思っていたのだ。ダンブルドアが追放されてからもう数日経っている。ハーマイオニーではなくても、それこそ頭の悪い僕にだって次の校長が誰かくらいは分かっていた。それがいいか悪いかはともかく。

今まで散々やりたい放題していたのに、校長になるには数日掛かった。それが僕には少し意外なことだったのだ。

そしてその疑問に答えてくれたのは、

 

「多分体面を気にしていたのでしょうね。ダンブルドアが学校を離れて、今は誰も校長室に入れなくなっているそうよ。あの女も例外ではない。校長室に入れない校長なんて情けないでしょう? だから何とか校長室に侵入してから校長になろうとしたのよ。どうやら無理だったようだけど」

 

いつだって僕等に正しい答えを教えてくれるハーマイオニーだった。

DA解散以来どこかやつれた表情を浮かべる彼女は、掲示板を僕と同じく見つめながら言う。僕の表情を見て、僕の内心の疑問を直ぐに見透かしたのだろう。

僕は何でもないように言う彼女を見つめながら思う。

やっぱりハーマイオニーは凄い。彼女も僕と同じように、そう多くの情報を持っているわけではないだろう。でも彼女は数少ない情報でここまで読み切って見せた。それこそ僕の内心の疑問も含めて。最近は眠れていないのか表情がやつれているけど、彼女の聡明さは少しも損なわれていない。

 

『ダリアがDAとダフネのことを忘れさせた理由なんて決まっているわ。……ダフネを守るためよ。ダリアの行動こそが、ダフネがDAへのスパイでない証拠なのよ』

 

そう……思えばダフネ・グリーングラスのことだって。

ハーマイオニーは最初から分かっていたのだ。

いつだってハーマイオニーは僕等が辿り着くずっと以前から答えを知っていた。何も今回のことだけではない。彼女が先に気付き、僕等はいつだって彼女に言われて初めて気付く。その繰り返しだ。

僕等が自分の力で気付けたことなんて一度だってない。

 

掲示板から、それこそここ最近ずっと考え続けていた内容に思考が絡み取られていくようだった。僕はハーマイオニーから視線を外し、ただその場に立ち尽くしながら考える。

……ダフネ・グリーングラス。最初、ただスリザリンだという理由だけで、僕が恐れ続けていた女の子。そしていつの間にか恐怖を感じなくなっていた……僕等の大切な()()

今なら嘗ての僕を冷静に見ることが出来る。半強制的とはいえ彼女と会話し、彼女の人となりを知り、そして彼女と離れ離れになった今なら。

結局のところ、僕は認めるのが怖かっただけなのだ。……今まで恐れていた少女が、本当は恐怖を感じる必要のない子だったという事実が。それを認めてしまえば、僕の今まで信じてきた世界が崩れてしまう。スリザリンだからという、()()()()()()()()()で考えなくて良かったことを、僕は真剣に考えなくてはいけなくなってしまう。それが僕は内心怖くて仕方がなく、その恐怖にすら目を逸らし続けていたのだ。嘗ての僕は何も考えてなどいなかった。

でも、今の僕はもうその恐怖から目を逸らすことは許されない。そうしたくても……僕はもうダフネ・グリーングラスのことを知りすぎてしまっている。ハーマイオニーに思い知らされてしまった。

DAで見た彼女の姿。どんなに冷たい視線に晒されようとも、誰よりも真剣に練習する姿。出来の悪い僕を最後まで見捨てずにいてくれた姿。

そんな姿を見てしまって、僕はもう盲目でいることなんて出来はしなかった。

……いや、これも自分の気持ちから目を逸らしている。これ以上自分の気持ちから目を逸らすことは出来ない。なら認めなくてはいけない。

 

僕はきっと……ダフネ・グリーングラスのことが()()になってしまったのだ。

 

今まで言葉にならなかった感情をようやく自覚する。彼女がいない時、いつだって僕は彼女の姿を探し求めてしまっている。彼女のことを考えると、恐怖ではなくもっと別の……何だか温かな感情を抱いてしまっている。

いくら頭の悪い僕にだって、ここまで時間が経てば分かることだ。こんなの恋としか言えないではないか。

 

思えばこうなることもハーマイオニーは予想していたのだろうか。彼女はいつだってダフネ・グリーグラスのことを庇い続けていた。そして僕をグリーングラスと引き合わせたのも彼女だ。他の生徒ではなく、いつだって僕だけを。ハーマイオニーなら最初からこうなることを見抜いてもおかしくない。

僕はそこまで考え、再度隣に立つハーマイオニーの顔を見る。彼女は未だに掲示板を見つめながら何か考え事をしている。

僕の予想が正しければ、これからのDAのことを。

尤も……彼女の頭脳でも答えは出ない様子だけど。

あの時、ハリーがDAからグリーングラスの記憶が奪われていることを伝えられた時、

 

『いい、ハリー? もし貴方の言う通りダフネがダリアのスパイだったとして、それでDAメンバーからダフネの記憶を奪うメリットなんて一つもないの。それならダフネは今頃ダリア以上の地位を与えられているはずよ。大々的な発表と共にね。でもアンブリッジはそんなことをしていない。それが何よりの証拠よ』

 

一瞬でダリア・マルフォイの考えを読み切った彼女でも……。

あの時彼女はこうも続けていた。

 

『そもそも何故ダリアは他のメンバーはともかく、私達にダフネのことを忘れさせなかったの? それは私達には覚えていてほしいから。ハリー、貴方だって気付いているのでしょう? ダフネはいつだって貴方の言うことを真剣に聞いていたわ。反感は間違いなくあっただろうけど、それでも練習だけはいつだって真剣にやっていたわ。そのことをダリアは私達に覚えて欲しかったのよ。決して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

彼女の言葉を聞いた時、ハリーは勿論、僕ですらも今まで感じていた疑問を解消することが出来た。

ダフネ・グリーングラスのこと。そして……あのダリア・マルフォイのこと。僕が今まで……どれ程彼女達のことを誤解し続けていたかということ。

それを教えてくれた彼女でも、流石に今回ばかりは答えが出せないでいるみたいだった。

 

 

 

 

ハーマイオニーにも分からないものが僕に分かるはずがない。

DAがどうなるか。そもそもメンバーに対してアンブリッジがこのまま何もしてこないのか。……ホグワーツの外は今どうなっているのか。

僕には分からない。

分かっているのは……このままでは今後グリーングラスと再び会話をすることすら出来ないだろうということ。

そして、その事実をどうしようもなく悲しむ自分がいるという事実だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルーナ視点

 

ダンブルドアが追放されても、表面上あたし達の生活が大きく変わることはなかった。

ダンブルドア軍団メンバーが大勢所属していたグリフィンドールがどうかは知らないけど、少なくともレイブンクローに関しては特段変わりはない。

皆以前と同じようにご飯を食べ、勉強して、時折あたしを揶揄う。以前とまるで同じ風景。ほとんどの人がダンブルドア追放を真剣に考えてもない。

アンブリッジ先生が校長になることは嫌みたいだけど、結局はそれだけ。どうしてあんな人が校長になるのか、校長になって何をしようとしているのか、あの人の背後に()()()()()()。誰も真剣に考えようとしてない。あたしには皆がラックスパートに頭を弄られているようにしか見えなかった。

勿論皆の頭に本当にラックスパートが入り込んでいるとは、あたしだって本気では考えてない。本当にそうならいいのだけど、皆が特段何も考えずに日々を過ごしているのはずっと昔から。特段今に始まったことではない。『例のあの人』が復活しようとしまいと、この光景が変わることはないだろう。

 

……でも、全くの変化がないかと言えばそういうわけでもない。

 

「チョウ? どうしたの、ルーニーなんて見つめて。ほら、早く大広間に行くわよ」

 

「え、えぇ。そうね、マリエッタ」

 

一見いつも通りに見える二人。談話室から出ていくチョウ・チャンとマリエッタ・エッジコム。あたしは二人が遠ざかるのを見つめながら考える。

あの二人はレイブンクローの数少ないDAメンバー。チョウの方はさっきあたしのことを見ていた。普段のあの人は良くも悪くもあたしに興味なんて持ってない。そんな人があたしを何か言いたそうに見つめていた理由は、おそらくDAのことに尽きるだろう。

そしてもう一人のマリエッタ・エッジコムの方は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

マリエッタ・エッジコムもDAメンバーだった。それまでただレイブンクローの上級生としか覚えていなかったけど、何回もDAで顔を合わせれば顔も覚える。そんなDAメンバーが全く今までと変わらず、まるでD()A()()()()()()()()()()()()()()行動しているなんてとても信じられない。というよりあり得ない。

皆には普段通りの光景に見えているのだろうけど、あたしには小さな変化……でも、だからこそ決定的な変化が見えていた。

そしてDAがどうしてあの日解散しなくてはいけなかったか……一体()()()()()()だったかもあたしには理解できたのだ。

 

「……結局、あんたはまた一人で抱えることを選んだんだね、()()()()()()()()()

 

DAメンバーで記憶を奪われなかったのは、あたしを含めて5人だけ。それ以外のメンバーは、話から察すると初回と最後以外のDA、そしてダフネ・グリーングラスの記憶を奪われてる。

そんな中マリエッタ・エッジコムだけ全ての記憶を奪われているとしたら、それはあの人に全ての記憶を消されなくてはならない要因があるからだろう。

あたしにはそれが何かは分からないけど、記憶を奪ったのはあのダリア・マルフォイだ。あの人の行動はいつだってダフネ・グリーングラスと家族のためのもの。ダフネも事あるごとにそう自慢してた。

なら今回の行動だってそうなのだろう。ポッターやロナウド・ウィーズリーはともかく、グレンジャーとあたし、そしてネビル・ロングボトムの記憶を消さなかったのは、DAでのダフネの味方を残すため。それが一番納得のいく理由。

それにあたしの予想が正しければ、マリエッタ・エッジコムから全ての記憶を奪った理由だって……。

DAでダフネからダリア・マルフォイのことは沢山聞いた。それこそ聞いてもいないのに。そんなダフネが語った印象から推測すると、マリエッタ・エッジコムをも守ろうとしたのかもしれないと思ったのだ。

エッジコムが裏切った理由自体は簡単に想像できる。エッジコムに限らず、DAメンバー全員が持っているリスク。それは自分の家族に他ならない。アンブリッジ先生は魔法省の高官だと聞いたことがある。なら今の状況で家族の立場を人質にすることだって容易だろう。あたしのパパみたいに周りのことを気にしないで済む人は珍しい……のだとあたしにだって分かる。

そして人質を守るために最も効果的な方法。それは結局のところ、争いにそもそも関わらないことが一番の方法なのだ。アンブリッジ先生に従うことも方法の一つだけど、それはそれで先生に骨の髄まで利用されつくされるのが落ちだろう。それにハーマイオニー・グレンジャーのかけた呪いが発動するはず。なら呪いが発動したようには見えず、DA全ての記憶を失ったと思われるエッジコムが何をされたかんなんて……考えるまでもないことだった。何のためにそんなことをされたのかも。

そんなの、エッジコム本人を守るため以外に考えられない。

これでDAで教わったことと引き換えに、エッジコムはアンブリッジ先生からの関心を失ったのだ。元々DAで熱心ではなかったのだから、どちらが得だったかは言うまでもない。

 

そこまで益体のないことを考えていたあたしは、手に持つ『ザ・クィブラー』に視線を戻し、これからのことに思考を移す。今頃はグレンジャーも考えていることだろうけど、あの人ばかりに任せるのは身勝手だ。あたしはあたしなりに今後のことを考えなくちゃいけない。

それがエッジコムと同じで守りたい誰かがおり、尚且つダリア・マルフォイに記憶を持つことを許された人間の義務だろうから。

 

 

 

 

状況は全てが全て『例のあの人』に都合のいいように進んでる。

アンブリッジ先生の校長就任もその一つ。あたし達DAメンバーが退学になっていないことは奇跡と言ってもいい。先生が諦めるとも思えない。あたし達はこれからも慎重に行動しないといけない。それも数名まで減ってしまったDAメンバーだけで。不安でないはずがない。

……それに、あたしは何だか漠然とした不安も感じるのだ。

何だかもうすぐ……今まで以上に良くないことが起こる。ホグワーツの中なんかではなく、もっと大きなことが外で起こる気がする。そんな予感がして仕方がなかったのだ。

 

そしてその予感は……残念だけど当たってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンブリッジ視点

 

……後から考えれば、ここで私は引き返しておけば良かったのだろう。

確かに()()を見た瞬間、本能で危険を感じ取ってはいた。これ以上踏み込んではいけない。これ以上見れば……私は後戻りできなくなってしまう。

それを知れば、私は破滅してしまう。

 

そう心のどこかで感じ取っていたのだ。

でも私は……。

 

 

 

 

ホグワーツ校長。私が手に入れた肩書は、肩書としてなら超一流のもの。この学校だけではなく、魔法省においてもそれなりの効力を持つ。事実アルバス・ダンブルドアはそうだった。あの老人がどれ程この肩書で得をしてきたか。

だからこそ、()()()()()()今の私は幸福の絶頂であるはずだった。ホグワーツの人事の全てを私一人が握る。もはや私に逆らうものは誰もいない。私の思うがまま、この学校の全てを手に入れるはずだったのだ。

……しかし現実は違う。

私は校長だというのに、そもそも校長室に踏み入ることすら出来ていない。……あの忌々しいアルバス・ダンブルドアが下らない小細工をしたせいで。そのせいで私は校長としての当然の権利すら行使できずにいるのだ。あの部屋にのみ、校長として必要不可欠の書類や道具が揃っている。校長室内にある歴代校長の絵画を使い、この学校中を監視することも出来る。校長として当然の権利よ。であるのに、私は何故このような屈辱を受けねばならないのか。これでは校長という肩書が逆に滑稽極まりないものになってしまうではないか。

 

「本当に忌々しい……もう以前の私ではないのよ。もう私は誰にも見下されたりなんてしない」

 

全てが台無しだった。完璧な計画に紛れ込んだ一点の間違いで、私の気分は最低なものに成り果てている。

今頃であれば私はホグワーツでも、魔法省でも、そして何より『闇の陣営』においても絶大な権力を手にしているはずだったのだ。指示された通りにポッターや教員達を追放し、学校中を私の理想とする空間に塗り替える。そして馬鹿な子供たちを大人しくさせることで、教育者としても成功し、更にはそれを以てダンブルドア以上の名声を魔法省から与えられる。ポッターを排除すれば、私は闇の帝王へ最も貢献した人間になれる。新校長になれさえすれば、何もかもが上手くいくはずだったのだ。

……それがアルバス・ダンブルドアに出し抜かれたばかりに、私はいらぬ苦労を抱えている。

今もそうだ。私は自室に籠り、手に持つ『ザ・クィブラー』なる下らぬ雑誌を見つめる。本来であれば手に持つことすらおぞましい程低俗な雑誌。しかし今回ばかりは無視することは出来なかった。

 

『ハリー・ポッターついに語る。名前を呼んではいけないあの人の真相。僕がその人の復活を見た夜』

 

何故なら雑誌の内容が、なんとあのハリー・ポッターのインタビューを前面に押し出したものだったから。

魔法省に真っ向から反抗するような態度に更に苛立ちが募る。何故『ザ・クィブラー』なんてマイナー雑誌がポッターのインタビューをしたかなどどうでもいい。子供は子供らしく、大人の言うことを黙って聞いていればいいのよ。そうすれば長生きできるだろうに、本当に馬鹿な子供だ。

 

しかし本当に腹立たしいのは……このような明らかな反抗行為に対して、私は何も出来ないということだった。

 

私がもし名実ともに真の校長であれば、誰が何と言おうともポッターを学校から追放しただろう。それは校長としての当然の権利。教員が何か言ってくるでしょうけど、結局のところそれだけ。校長の私が頓着する理由はない。

しかし現実は追放するためには魔法省、ひいては魔法大臣の許可が必要になる。そして腹立たしいことに、つい最近ダンブルドアを追放した今、ファッジ大臣は魔法学校に関して僅かに及び腰になっており、その許可も直ぐには出して下さりそうにない。あの大臣は……結局のところ臆病者でしかないから。

リスクを考えると、流石に自らに与えられた権利以上のことをすれば不興を買う恐れがある。余裕を完全になくした大臣に、今これ以上判断を仰ぐのは得策ではない。今の彼は不快という理由だけで私を遠ざける可能性もある。それだけ大臣にとって心のどこかで信頼していたダンブルドアの反逆行為は衝撃的だったのだろう。ここまで上り詰めたのに、それを崩す恐れのある行為はどんなに小さなものでも避けなければ。

何より記事を書いた人物も問題だった。リータ・スキータと言えば、今までポッターを貶す記事を書いてきた人間。それがここに来て急にポッターに味方する記事を書いている。出鱈目記事を書く記者であるが、影響力も無視できない。突然手のひらを返した理由が分からない以上、ここで急いでことを為せば、後々無視出来ない問題が発生する可能性もある。

そしてポッターがインタビューを受けたのは、『ダンブルドア軍団』を解散させる前のこと。後であればどうすることも出来たが、前では世間から反論される可能性が高い。

結果私は校長でありながら強権を発動することに躊躇いを感じずにはおれず、ポッターに首の皮一枚とはいえ逃げきられてしまった。今私に出来ることと言えば、『ザ・クィブラー』を即時禁止にすることくらい。それも生徒の何人かは既に手にしているだろう。それを回収し、これ以上行き渡らない様にすることだけだ。

こんな屈辱的なことが他にあるだろうか?

苛立ちのまま『ザ・クィブラー』を暖炉に投げ込み、私は次に目の前にうずたかく積み上げられた()()()()に目を向ける。何とか冷静にならなくてはと自身に言い聞かせるために。

このまま怒りに身を任せていては、次の手も打てなくなってしまう。このまま身の回りのものに当たり散らしてしまいたいが、栄光のためには次に進まなくてはならない。私は()()()()()()()()我慢してきた。ならば今回だって出来るはず。今は次の手を考えるために……目の前のことに集中するのだ。そう……目の前に積まれた()()()()荷物に。

そうすることでようやく、私は少しだけ怒りを忘れることが出来た。長い溜息を吐き出しながら、私は思考を巡らす。

ダンブルドア……決してお前の思い通りになんていかせてなるものか。十全とは言えなくても、生徒を監視する方法は他にもいくらでもあるのよ。

例えばこれ。生徒へ届く()()()()便()。私は秘密裏に、生徒へ届く荷物は全てこの部屋を経由して届くようにした。生徒が危険物を持ち込まないためにという名目で。これならば校長の権限内と言えるだろう。万が一露見したとしても、私に反論できる生徒はいない。無論絵画を使った監視の方が効果的だけど、それでも馬鹿な生徒の弱みを探す助けにはなる。ただあの老人の思い通りになってやるものか。子供の思考を読むことなど私には容易い。特にポッターなどは必ず郵便だけでボロを出すはず。簡単にこちらの挑発に乗るような子供など、今は無理でももはや時間の問題でしかない。

勿論すぐに効果がある手ではないことも確かだ。今探してみても、ポッターへの手紙は一通も見当たらなかった。そうそう毎日あの子への手紙が見つかるはずがない。残念ではあるが、これが現状出来る最も有効な手なのだ。それも必ず効果を得るであろう手段。私があの老人に負けるはずがないのだ。

荷物や手紙を検める度に、少しずつ自分の中にある怒りが鎮められていくようだった。今回は不発に終わったが、それでも私は先程までの苛立ちを感じることはない。私は次の手紙を手に取り、中身を検める。些細な情報であっても、どこでどうポッターの追放に繋がる情報を手に入れるか分からない。地道ではあるが、こういったことが最終的に私の栄光に繋がる。

私は次々と生徒達の手紙や荷物を検分し、ポッターへと繋がる情報を探す。

今回は手に入らなかった栄光を、今度こそ手に入れるために。

 

 

 

 

……そして、()()()そんな作業中の出来事だった。

 

「あら? これは……()()()()()()()()の」

 

私が偶々手に取った荷物が……あのダリア・マルフォイへの物だったのだ。

マルフォイ兄妹への宛名が記されている高級菓子の詰め合わせ箱。思い返せばあの兄妹に()()()()の頻度で、これくらいの大きさの荷物が大広間で届けられているのを見たことがある。特に気にも留めていなかったが……成程、他の生徒へ配るための物なのだろう。二人でこの量のお菓子を消費するのは無理がある。マルフォイ家がいくら純血貴族筆頭とはいえ、物わかりの悪い子供をそれだけで黙らせることは難しい。だからこそこういった細やかな()()()も必要ということだろうか。

何とはなしに箱を開け、私は中の菓子を弄びながら思考する。先程まで感じていたダンブルドアへの怒りを忘れ、今度はただミス・マルフォイについて考える。

私が幼い頃、こんな高級な物を目にする機会もなかった。それを毎月手に入れ、尚且つ他人に配ることが出るなんて……本当に純血貴族というものが羨ましい。私が忍耐に忍耐を重ねて得たものを、生まれたその瞬間から持っているのだ。

いえ、それは考えても仕方がない。この世界は虐げるか虐げられるか。そんな中、私は今虐げる側にいる。私がこの世界のあり様に……純血貴族が支配する仕組みに耐え続けてきたから。私がここまでのし上れたのも純血貴族あってのこと。なら感謝しなければならないだろう。現に私を更に偉大な存在にして下さるであろうお方は、あの純血の頂点であられる『闇の帝王』その人。私はあのお方のお陰で更に上がれる。更に虐げる側になれる。私を脅かす存在などいなくなる。

私はもう虐げられる存在ではないのだ。

……尤も、今のマルフォイ家に思うことがないわけではないけれど。

特にダリア・マルフォイ。あの子は学生にして、既に闇の帝王に気に入られている人物。あの娘の醸し出す空気は確かに同じ人間とは思えないものがある。まるで闇の帝王その人を見ているような……そんな錯覚さえ覚える程冷たい空気だ。あのような冷たい人間は必ずや闇の陣営で出世するに違いない。

ですが今回のことに限れば、あの娘のせいで私は出世を取り逃した節がある。()鹿()()()()ポッター達の活動が初回であったなどと話さず、その場で証言を捻じ曲げてさえくれていれば……私は今こんなことにならずに済んでいた。最も邪魔をしたのはアルバス・ダンブルドアだが、ダリア・マルフォイの対応に不満がないわけでないのだ。多少足を引っ張られたと考えるのは仕方のないことだろう。

まったくこれだけら子供は嫌いなのだ。

私はそこまで考え、手に持っていた菓子を元の位置に戻そうとする。多少の苛立ちを覚えたとはいえ、あの娘は今決して逆らっていい存在ではない。勿論荷物を検めらていると悟られていいはずがない。悟られればルシウス・マルフォイ氏からも非難されることだろう。だからこのまま元通りに……。

 

しかし、私の手はそこで止まる。

お菓子を戻そうとして……箱の中に他の物とはあまりにも()()()()()を見つけたのだ。

箱の中にあるものはほとんど全て詰め合わせの高級菓子ばかり。なのに一つだけ……明らかに本来入ってはいなかったと思われる()()()が入っていたのだ。

他の煌びやかな菓子類と違い、どこか武骨ささえ感じさせる魔法瓶。装飾など無く、ただ灰色一色のモノ。どう考えても元から入っていたものではなく、後から入れられたモノと推察できる。それ程一つだけ明らかに浮いた存在だった。他の菓子に隠されるように埋もれており、私が菓子をつまみ上げなければ気付かなかった。でも露わになれば、明らかに異物感がある。

まるで()()()()()()モノが露になったような……そんな違和感だった。

 

 

 

 

……後から考えれば、ここで私は引き返しておけば良かったのだろう。

確かにソレを見た瞬間、本能で危険を感じ取ってはいた。これ以上踏み込んではいけない。これ以上見れば……私は後戻りできなくなってしまう。

それを知れば、私は破滅してしまう。

 

そう心のどこかで感じ取っていたのだ。

 

でも、この時の私は……あまりの違和感に、好奇心から進んでしまった。

ここまで来たのだ。少し開けてみるくらいなら構わないだろう。魔法瓶に入っているのだから、何かの飲み物に違いない。あのマルフォイ家がここまでして送る飲み物だ。きっと特別なモノに違いない。それが何であるか確かめるくらいはしていいだろう。

そう安易に考えてしまったのだ。

 

だからこそ、

 

「うっ!? な、何なの、これ!? これは……まさか()!?」

 

本来であれば決して知ってはいけない、気付いてもいけないモノに気付いてしまったのだった。



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閑話 残影

 チョウ視点

 

私は決して特別なんかではない。

マリエッタは私のことを()()()特別だと思っている節があるけど……私自身は自分のことを特別だとは()()思っていない。少しばかり顔と成績がいいだけの、どこにでもいる女子生徒。そう私は自分自身のことを評価していた。せざるを得なかった。

自分自身の容姿が優れていることは自覚している。自惚れていると言われたらそこまでだけど、私の長所を態々貶めるつもりはない。

でも私が本当に自信を持てるのはそれだけ。成績も上位に入っているけど、それは陰で努力しているから。それも本当の天才には遠く及ばない。

 

そう……私は彼女、ダリア・マルフォイの存在を知って、自分の器の程度を自覚したのだ。

本物の特別とは一体何()()であり、そして私はソレではないことを……私は一瞬で理解させられたのだ。

 

私がまだ二年生の時。私がまだ自分を特別な存在だと信じて疑っていなかった時。私は学年で一番の成績で、容姿も他の子と比べて優れていた。今当時の私を振り返れば、ハッキリ言って増長していたと思う。けれどそれを外に出さない努力をしていたし……それ故に内心更に増長しきっていた。成績、容姿、そして性格がいい私。こんな生徒は他にはいない。それが私の自身に対する評価だった。一年生の時から私のホグワーツ生活は絶好調。レイブンクローどころか、他の寮生も私に一目置いてくれている。自分が特別な存在だと信じて疑っていなかった。マリエッタには悪いけれど、内心最初は彼女のことを友人だとは思っていなかった。ただ私の周りを彩るモノの一つ。笑顔と優しい言葉一つで簡単に手に入る人達。そんな人達に囲まれている私のホグワーツ生活は、これからも変わらず素晴らしいものだと信じていたのだ。

しかしその評価を一瞬で打ち砕く存在が現れることになる。それも二年生の始めも始め。新入生組み分け時のことだった。

あの時のことは今でも鮮明に覚えている。と言うより、あの場にいた人間なら忘れることなど出来ないだろう。

前に歩み始めた瞬間、大広間中の視線を一身に集める存在感。冷たく、まるで私達のことなんてそこら辺の石ころくらいにしか思っていない無機質な瞳と表情。それなのに目を離せない程美しい顔立ち。

同じ人間とは到底思えない程、その場にいるだけで空気を変えてしまう()()

それが私が……いえ、大広間中の人間がダリア・マルフォイに抱いた感想だった。だからこそ理解したのだ……本当に特別な人間というのは彼女の様な人のことで、決して私ではないのだと。正直なところ、あの『生き残った男の子』よりも強烈な印象を植え付けられたと思う。それがいいか悪いかはともかく、その場の注目を一身に集める存在感。私はあそこまで突き抜けた存在ではない。

そして学年が上がる度に、彼女への第一印象は決して間違ったものではなかったと証明されるのだ。一年生の時は容姿と成績で、二年生の時は『継承者』として。否が応でも学校中の生徒がダリア・マルフォイの名前を耳にし、彼女が二年生の時に至っては全員が恐怖のどん底に陥っていた。それこそ彼女の名前を聞かない日なんて無かった。

 

私は心のどこかで理解した。私は特別なんかではないのだと。

特別という名の()()には、私は決してなれないのだと。

私の中にあった自信はいつの間にか砕け散っていた。

 

尤もそんな現実を理解しても、私は直ぐにはそれを認めることは出来なかった。

ダリア・マルフォイは確かに特別な人間だと思う。でも、それは決していい意味ではない。その場にいるだけで他者に不安と恐怖を与える。それこそ私が4年生に遭遇した『()()()』のように。他に類のない性質ではあるけど、真似したいとは決して思わない。私が成りたい特別とは、彼女とは正反対のものなのだ。

私は彼女とは違い、()()()特別な存在になりたかった。

()()()()()私はハリーのことが好きになったのだと思う。……いえ、今思い返せば、私は本当はハリー自身のことはそこまで好きではなかったのかもしれない。でも私は彼の特別性に惹かれていた。一見普通の男の子にしか見えないけれど、でも実績はそれこそダリア・マルフォイを遥かに凌駕している。容姿は普通でありながら、彼女と違い正しい意味での特別。だからこそ、私は彼に惹かれていたのだ。

特別な人間のガールフレンドになれば、私も特別になれる。彼に恋するのではなく、恋に恋していた。心の中のどこかで、彼をただの道具としか見ていなかった。

そう今になれば、当時の私を振り返って自覚できる。でも当時の私は真剣に彼に恋していると思っていた。

ハリーにはとても申し訳ないけど、私は自分自身に思い込ませていた。彼の特別性を間接的とはいえ手に入れれば、今度こそ私も特別な存在になれるのだと。

 

本当に愚かだったと思う。()()()()()()()、客観的に自分を見つめなおした時、なんて身勝手な考えを抱いていたのかと恥ずかしく思う。

でも当時の私は真剣だった。本当の意味で他者を思いやることなど出来てなどいなかった。私は成績、容姿はともかく……性格は特別とは遥かに遠く及ばないものだった。

 

あぁ、だから当然だったのだろう。私の歪みが一人の男子生徒を()()()()()()()のは。

私が彼を……セドリック・ディゴリーを殺したのだ。

 

私はハリーのことが好きだった。いえ、好きだと信じ込んでいた。そんな中でも、自身に向けられた好意には気付いていた。それも一人だけではない。特別であるダリア・マルフォイと違い、私は万人が理解で出来る範疇の人間だ。その時点で特別などではないのだろうけど……だから彼女と違い、私は異性から純粋にモテていた。そんな私に惹かれている中の一人がセドリック・ディゴリー。私に好意を抱く多くの生徒の中で……ハリーを除けば一番特別に近かった男子生徒。

容姿も成績も優れており、尚且つホグワーツ代表選手として選ばれるほど勇敢な男子生徒。

自惚れでなければ、そんな彼は私のことを好きでいてくれた。数いる生徒の中から、彼は私をダンスパートナーに誘ってくれた。彼は私のことを好きでいてくれて、その上行動までしてくれたのだ。

揺らがなかったと言えば嘘になる。彼のことが好きだったかと言えば違うと思う。でも、ストレートに行動を移されれば思うことがないはずがない。彼は代表選手であり、ダンスパートナーに誘えば誰でも応じたはず。それこそあのダリア・マルフォイだって頷いたかもしれない。それなのに、彼は私を選んでくれた。それはどんな告白よりも嬉しいことだった。

 

……しかし私は結局彼の好意を知っておきながら明確な答えを出さず、ただ放置して彼の反応を楽しむだけだった。それを不誠実だとも思わず、ただ彼の気持ちを弄んでいたのだ。

代表選手にダンスに誘われた私。彼の大切な人として人質に取られた私。彼のことなんて全く見ていない。ただ彼を通して理想の自分を見ているだけ。

私はどうしようもなく愚かで……醜い人間でしかなかった。

 

セドリック・ディゴリーが殺されてしまったのは私のせいだ。直接的に何かしたわけではないけど、もし私が彼にしっかり向き合っていれば、彼の運命は変わっていたかもしれない。集中力、思考力。私が彼の足を引っ張っていたかもしれないのだ。私の存在がなければ……彼は僅かな運命の変化で、もしかしたら生き残っていたかもしれない。

これが自意識過剰な考えだとも分かっている。他人からしたら、それこそ悲劇のヒロイン気取りかと思われることだろう。でも彼がいなくなった時。唐突にそれこそ永遠に会えない存在になった時、私は無視し続けていた僅かな罪悪感を直視せざるを得ず……結果そういった『()()()』ばかりが頭に浮かぶのだ。彼のことをどこか道具としか見ていなかった私でも、その罪悪感を無視できる程は恥知らずになれなかった。

彼が殺されても、自分は関係ないと言えるだけ厚顔無恥であれば……何も悩まずにいたのかもしれない。そんな人間には決してなりたくないけれど。

 

だから当然、ハリーに()()()()()()()と言われた時は困惑した。

私の記憶に残っているのは、ハリーが作った『ダンブルドア軍団』最初の集会に行った時の記憶のみ。セドリックが殺されても、ハリーへの恋心は残っていた。でも彼と付き合い始めた記憶は全くない。ハリーはクリスマスから付き合っていると言われたけど、彼の言葉を聞いても困惑は増すばかりだった。

ハリーの言葉で何が正しくて何が間違っているか分からなくなるばかり。ただでさえ記憶にない出来事を語られて混乱するのに、その出来事があまりにも恥知らずなもので……正直身の毛がよだつ思いだった。

私はどんな心境でハリーと付き合っていたのだろうか。流石にセドリックへの罪悪感を完全に忘れ、ただ恋にうつつを抜かしていたとは思いたくない。

 

……でもハリーの話で、同時にこうも思ったのだ。

あぁ、これでハリーに対する()()()()()()()()。私はようやく……特別でない自分を受け入れられる切欠を得た、と。

 

困惑と自己嫌悪を感じると同時に、どこか安心している自分がいることに驚く。

それも、

 

『私が言えたことではないですが……貴女はもっと友人を大切にすべきです。愚かなごっこ遊びではなく、貴女は身近な人をこそ大切にすべきです』

 

数日前にあのダリア・マルフォイに言われた言葉を思い出しながら。

彼女に突然話しかけられた時は恐怖しか感じなかった。けど、何故かハリーの言葉を聞いてから、私の心に棘の様に刺さり続けている。

あの冷たい瞳に何もかもを見透かされている気がした。ハリーとの記憶こそ失ったままだったけど、私はセドリックが殺されてから感じ続けていた罪悪感を思い出し……そしてようやく理解したのだ。

結局のところ、自分自身を誤魔化すのはもう限界だったのだ。特別な何かになりたくて、ハリーやセドリックに惹かれても……私自身が特別になれるわけではない。私は結局のところ、どこにでもいる普通の女の子なのだ。

特別とは一体何であるかようやく理解する。ハリーとセドリック、そしてダリア・マルフォイ。彼らにあって私にないもの。それを私はようやく理解した。

特別な人間は、常に特別であるが故に刺激的で冒険的で……非日常的な死と隣り合っている。『生き残った男の子』であるハリー、継承者であるダリア・マルフォイ。そして殺されてしまったセドリック。彼らはいつだって事件の中心におり、それ故死の身近にいる。訳も分からず流されている私とは違う。

私には……自分や誰かの死と向き合う覚悟などありはしなかったのだ。注目ばかり集めることに必死で、自然と注目される人達の本質を理解しようともしていなかったのだ。

困惑や自己嫌悪、そして全てが終わってしまったことに対する僅かな諦観と安心感。

 

『貴女はもっと友人を大切にすべきです』

 

私は何度もダリア・マルフォイの言葉を思い出しながら考える。

あぁ、本当に彼女の言う通りだ。セドリックが殺される要因を作ったのに、それを自覚しながらハリーに惹かれ、最後までみっともなく執着した。そしてその歪みが結局色々なものを犠牲にしてしまった。ハリーの心を弄び……私の一番の友人であるマリエッタを巻き込んでしまった。

思い返せばマリエッタは最初から『ダンブルドア軍団』に参加することに否定的だった。彼女はハリーのことを嫌悪していた。私を騙しているとすら思っていた節がある。そんな彼女を私が無理やりDAに参加させたのだ。自分が一人で参加するのが寂しいばかりに……彼女は私が罪悪感で頭がおかしくなりそうな時にも離れずにいてくれた、本当に大切な親友だというのに。特別でない私を、最後まで特別な友人、親友として見てくれていたのに。

記憶を失くしたことで、私はようやく恋という悪夢から覚めることが出来た。

ハリーの記憶が正しいか正しくないかなんて、今となってはもうどうでもいい。この恋がもう元通りにはならないことくらい、私にだって分かる。いえ、元通りにしてはいけない。私の中では始まってもいない恋人生活は、いつの間にか終わりを告げていた。残されたのは、ダリア・マルフォイに強制的に与えられた抑圧された、でも限りなく平凡に近い日常。これに安心感を覚えた時点で、私の特別性なんてたかが知れているのだ。

私は少しばかり顔と成績がいいだけの、どこにでもいる女子生徒。そう私は思い知らさせてしまった。心の底から理解させられてしまった。

 

罪悪感でしか自分と向き合えなかった私はこれからどうするべきなのだろう。決まっている。特別ではなく、平凡に生きるしかない。それこそ特別な人とではなく、こんな私を最後まで見捨てないでくれていた親友と。私にはそうして生きることしか出来ないのだから。

だから……

 

「チョウ? どうしたの、ルーニーなんて見つめて。ほら、早く大広間に行くわよ」

 

「え、えぇ。そうね、マリエッタ」

 

私はいつの間にか消えた非日常と決別し、それでも罪悪感だけは捨てないようにしがなら日常を過ごす。

ハリーの言う通り『例のあの人』は復活したのだろう。でもそれと戦うことを口実に、本当に大切だった日常を捨て、特別になるための手段にしてはいけないのだ。私は今更ながらそれを理解した。

私は自分自身にそう言い聞かせ、隣を歩くマリエッタに応える。

 

今まで振り返りもしなかった日常、私にとっての本当の幸福を大切にするために。

……この罪悪感を、セドリックの死を決して無意味にしないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクゴナガル視点

 

私にとってダリア・マルフォイという生徒は……実に判断に悩まされる少女だった。

組み分けの印象こそ強烈だったものの、それはあくまで第一印象に過ぎない。教師である私がそれで生徒を判断することは許されない。事実一年生の頃の彼女に対する評価は悪いものではなかった。第一印象は強烈そのものであり、表情こそ常に冷たい無表情であったが……授業に臨む態度は常に真摯であり、教員に対しても謙虚だった。

無論グリフィンドールの寮監として、スリザリン生に学年一位を取られているのは面白いものではない。ですがそれ以上に、私が見てきた中で最も優秀な学生であることに、教師としての嬉しさも感じていたのだ。

 

しかし……その評価は残念なことに、次の年に完全に逆転することになる。

 

スリザリンの継承者。生徒達が彼女をそう疑い始めた時、私は初めその疑いに懐疑的であった。確かに彼女はスリザリン生であり、表情もいつも冷たいものだ。家柄も悪い意味で有名なマルフォイ家。生徒達が短絡的に疑っても仕方がない。

しかし私はそれだけの理由で彼女を疑うのは勿論否定的だった。無論全く疑念を抱かなかったと言えば嘘になる。しかし彼女が犯人に相応しいという理由のみで疑えば、それはもはや教師とは言えないだろう。彼女は表情こそ冷たいものだが、同時に真面目な生徒であることを私は知っている。私が最初から彼女を疑うなど許されない。

……しかし私の内心とは関係なく、実際には私はミス・マルフォイを半ば監視せねばならなかった。

理由は単純明快なもの。彼女のことを生徒だけではなく、あの『今世紀最高の魔法使い』であるアルバス・ダンブルドアが疑っていたから。

アルバスの行動に疑問を持ったことがないかと言えば嘘になる。最初は到底理解できないと思えたこともある。ただ私がどんなに疑問を持とうとも、最後にはいつも彼の方が正しかった。それこそ『例のあの人』が学生だった頃、彼を最初から疑っていたのはアルバスのみだったとも聞いている。アルバスは言っていた。

 

『彼女とトムは実に似ておる。皆、決してあの子から目を離さんでくれ。あの子がこれ以上闇に落ちぬように』

 

犯人であると明言こそしなかったが、あれは明らかに彼女を疑っての発言だった。『今世紀最高の魔法使い』が疑うミス・マルフォイが果たして完全に疑いなしと言えるだろうか。理性では否定したくとも、今までの経験からアルバスの言葉を否定することなど私には出来なかったのだ。

だからこそ、私は内心はともかくミス・マルフォイを監視する任に当たった。それは私だけではない。他の教員達も同様。それこそ最もアルバスに反発していたセブルスも含めて。私達にはアルバスの実績を覆す程の自信はありはしなかったのだ。

そして結局、私達は今回もアルバスの()()()を思い知らされることになる。

ポッターが事件を解決し、今年起こった出来事の凡その事情は明らかになった。……唯一ミス・マルフォイに関する真相以外は。事件が進むにつれ、彼女が犯人に相応しいという理由だけではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()だという事実に気付かされる。ポッターの証言からも、彼女が事件の中心に関わっていたことは明らか。教師として信じていたかったが、事実を突きつけられればもはや信じることも出来なくなる。彼女の父親であるルシウス・マルフォイに至っては事件の元凶ですらある。であるのに、唯一彼女が実際にどのような形で事件に関与していたかだけは……『秘密の部屋』での彼女の行動だけは、最後の最後まで暗いベールに包まれていたのだ。事件解決の最高功労者であり、同時に目撃者であるポッターに失神呪文を使ったことで。これで何も関与していないなどあり得ない。

 

一年生の頃、真摯で謙虚な生徒と評価していた。しかし2年生が上がる頃には……私もアルバスと同じく、彼女のことを危険な生徒と評価するようになっていた。

 

教師でありながら、生徒の危険性に気付けなかった罪悪感や恐怖。おそらくかつて『例のあの人』を教えていた教員もこのような気分だったのだろう。優秀で真面目な生徒と評価していた生徒が、実は危険極まりない人間だったと知った時。彼等もこのような気持ちになったに違いない。

そしてそれからのダリア・マルフォイは、度々その危険性を示す事件を起こすようになる。『闇の魔術に対する防衛術』最終試験において『死の呪文』を使用。教員と大勢の生徒達に闇の魔術を使用。秘密の部屋事件以降、もはや隠す気がなくなったとしか思えない。

更に去年の終わり、またもやポッターが彼女に関しての重大な証言をした。彼女は学生でありながら、既に『例のあの人』に一目置かれている、と。

 

……正直なところ、私は彼女に恐怖すら感じつつある。彼女はまだ学生の身。私などより遥かに若く、それこそ10代半ばでしかない。そうであるはずなのに、私はその少女に恐怖感を覚えるのだ。

この先彼女はどのような道に進むのだろうか。いつ『例のあの人』が彼女に注目したかは不明だが、何故注目しているかはハッキリしている。家柄、実力、そして何よりその危険な精神性。他人を笑顔で傷つけるような人間こそ、『例のあの人』は欲している。彼女はおそらく、この先恐ろしい『死喰い人』になることだろう。それも今まで対峙してきたどの『死喰い人』より強力な。

彼女に一体何人の仲間が殺されることになるか考えると、私は恐ろしくて仕方がなかった。

 

だからこそ()()()()()……。

 

「……愚かなことを。私は教師。生徒を導くのが仕事。そうですね……アルバス」

 

自身に与えられた教員室。その中で私は一人呟く。つい浮かぶ危険な考えを頭を振って追い出し、ここにはいない人間に一人語り掛ける。

私は何を弱気になっているというのか。確かにミス・マルフォイは危険な生徒だ。それこそ『例のあの人』の再来とすら言える。

しかし彼女はまだ学生なのだ。まだ未来は確定しておらず、このホグワーツでこの先も多くのことを学んでいく。

まだ可能性が僅かながら存在しているはず。

ならば私が導かなくてどうする。アルバスも言っていたではないか。

 

『彼女にはまだ()()の余地があるのも確かじゃ。退学にするのは簡単じゃ。じゃがそれをしてしまえば、一体誰があの子を導いてやるというのじゃ』

 

彼はそれこそ最初から彼女の危険性に気づいてたが、それでも彼は彼女のことを信じようとしている。彼女を正しい道に導くことを諦めていない。

たとえそのアルバス・ダンブルドアが追放され、今やこの学校を支配しているのがドローレスやミス・マルフォイであったとしても。それでも彼の信じた行いを、私も教師である以上否定するわけにはいかないのだ。

私は椅子から立ち上がり、机の上に置いていた生徒達の資料を持ち上げる。授業が終わり、今からの時間はほとんどの生徒にとって楽しい自由時間。しかし今年の5年生、OWL(ふくろう)を受ける予定の学年は違う。彼等には例年より多量の宿題を与えており、何より彼等の進路を決めなくてはならない。これから私がすることも、グリフィンドールの生徒一人一々を呼んでの進路相談だ。生徒は今までの様に遊んでばかりもいられない。

彼等自身のこれからの未来を、少しでも輝かしいもの、悔いのないものにするために。

 

……しかし、やはりふと考えてしまうのだ。

私が今から相談を受けるのはグリフィンドールの生徒のみ。スリザリン生の……彼女の相談を受けるのは、スリザリンの寮監であるセブルスだ。だから私が彼女のことを直接知るわけではないが……一体彼女はどのような未来を語るのだろうか。

 

せめて彼女が語る未来が……せめて口で語る未来だけは、決して()()()()()()ではありませんように。

私にはそう願うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

「このような所にも……。この調子ではまだまだあるじゃろうのぅ。時間がいくらあっても足りぬ」

 

鬱蒼とした森の中。今ワシの目の前には、ぽつりと一軒の屋敷が建っておった。

足元もおぼつかない闇の中に溶け込むように、黒を基調とした屋敷。人が離れて数年経っておるのか、外壁にはいくつも穴が開いておる。ようやく見つけ出したヴォルデモートの隠れ家の一つじゃが、この様子では外れと考えざるを得ぬ。無論本人がここにおるとは思っておらん。奴は今『死喰い人』の屋敷のどれかに隠れ潜んで居る。外に出たとしても、それは敵側の人間が居る場所じゃろう。今奴がやっておるのは勢力拡大。このような人が居らぬ場所ではない。

じゃがここまで打ち捨てられた場所じゃと、到底()()も存在しておる場所とも思えぬ。

未だ確証を得られたわけではないが、奴の不死性の原因。ワシの予想が正しければ、それは()()()()だけではないはずじゃ。そして奴の性格上、ソレは決して何の変哲もないものであるはずがない。それを隠す場所も。このような打ち捨てられた場所とは考えられぬ。

尤も、ここが違うじゃろうからと言って、何も調べずに立ち去ることも出来ぬ。ここが奴の昔使っておった隠れ場の一つであることに変わりはない。イギリス中を探す中で、ようやくその一つを見つけたのじゃ。どんな僅かな手掛かりであれ、今のワシには貴重なものじゃ。

 

「愚痴をこぼしても始まらぬか。さて、フォークス。行くとするかのぅ」

 

()()逃亡中のワシじゃが、時間は無限というわけでない。ワシの予想が正しければ、ドローレスがホグワーツを支配出来る期間は僅かなものじゃろぅ。ヴォルデモートの復活が公になれば、彼女は()()()()()()で失脚するはずじゃ。残された期間はあと僅かじゃ。

ワシはここでただ立ち尽くし時間を無駄にせぬよう、フォークスを肩に乗せ屋敷に踏み込む。暗い闇の中でも、フォークスは僅かに温かな光を放っておる。ワシの足元を照らしてくれておるのじゃろぅ。ワシは彼を一撫でし、中の様子を注意深く見渡した。

中はやはり所々崩れており、廊下の向こうには数多くある部屋があった。しかしそのどれもがただの空き部屋であり、何一つ、それこそ家具すら存在しておらんかった。人がおらずとも、そもそも人が生活しておった面影すらない。当然ヴォルデモートの秘密に繋がる証拠もない。

 

唯一つ……廊下の奥に見える、地下への階段を除けば。

 

空き部屋の全てを確認した後、ワシは唯一何かが隠されておるじゃろう階段を目指す。そしてその予想は正しく、階段を下りれば怪しげな液が入った鍋や、何に使うのかもわからないような器具が所狭しと並べられておった。どれも最後に使われてから随分経った様子じゃが、それ等が真面な物でないことは十分理解できる。怪しげな液などもはや腐って詳細こそ分からぬが、元が合法的な物ではないことは確かじゃ。匂いから何かしらの血液が混じっておったとワシには分かる。

 

そして何より部屋の中で一際目立つのが……一か所だけぽっかりと空いた空間に置かれた、()()()()()()()()()

何もないと思われた屋敷の中にあった地下への階段。そしてその先に置いてある闇の魔術に関する器具や、謎のガラスケース。怪しさ満点じゃ。

ワシは先程まで以上に集中し、それらの物を丁寧に観察する。ガラスケースは一部が割れ、今は中に何も入っておらん。じゃがやはり周りにある器具から考えると、ここで造られておった物が()()()()()()()()()()。他の器具からも、調べれば調べる程怪しい物が出てくる。何かしらの血液に、吸血鬼の物と思われる()()()()()()。この髪の主は一体どうなったのじゃろうか。吸血鬼は嘗てヴォルデモートに与した生き物達。奴は彼等のこともただの道具としか見ておらんじゃろう。この髪が何に使用されたかは分からぬが、奴の性格からすれば殺害され奪われたと考えざるを得ぬ。

調べて分かったのはこれくらいじゃ。他の物はワシにも見当もつかぬ物ばかり。改めてヴォルデモートの脅威を実感する結果となってしもうた。戦闘ではワシの方が()()()()で分があるが、奴の闇の魔術への造詣はワシを遥かに凌駕しておろう。今の杖がなければ、戦闘でもどうなることじゃろぅ。ワシ等はそのような敵と戦わねばならぬのじゃ。

労力に対し、得られたのは空恐ろしい実感のみ。割に合ったとは到底言えぬ。じゃがやらぬわけにはいかぬ労力。ここは何かしらの闇の実験がなされた痕跡はあるが、例の物が隠されてはおらん。どのような形であるかは分からぬが、アレはここに置いてあるような物ではないじゃろぅ。それが分かったことで良しとせねばならん。

 

「やはりここも外れじゃ。次からは奴の生い立ちに関係の深い場所に絞るとするかのぅ。奴が子供の頃のことを誇っているとは思えんが、虱潰しよりましやもしれんぬ」

 

ワシは最後にもう一度巨大なガラスケースを調べた後、いつの間にか肩から離れておったフォークスに話しかける。

じゃが、

 

「フォークス? どうしたのじゃ、その髪を見つめて。……その髪に何かあるのか?」

 

フォークスは数瞬ワシには応えず、ただジッと先程調べた白銀の髪を見つめておった。

どこか()()()()()で……まるでその髪を見て、()()()()()()()()()()()

しかしそれも数秒のこと。直ぐに彼は何でもないと言わんばかりに首を振り、再度ワシの肩に舞い戻る。今の態度からその髪に何もないとは思えぬが、最近のフォークスはワシの質問にも拒絶を示すことが時折あった。これ以上尋ねたとしても無意味じゃろう。それに何度見ても、それはただの髪にしか見えぬ。闇の魔術に使う材料の一つじゃろう。

ワシはフォークスを肩に乗せ歩きながら益体のないことを考える。何となくその白銀の髪を見て、()()()()()()()()()()のことを思い出したのだ。

 

今頃ダリアはどうしておるのじゃろうか。ワシがホグワーツから追放されれば、城の中で彼女を止めることが出来る人間はいなくなる。それこそ名目上の新校長であるドローレスすら、あの子のことを止めることは出来ぬ。セブルスは役目の関係上、下手に彼女と関わることも出来ぬ。

ワシが居らぬ間、彼女がこれ以上闇に落ちず……他の生徒達も安全に過ごしてくれておればよいのじゃが。

そんな自分でも信じておらぬ未来を願わずにおれんかった。



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自由への逃走

 ハリー視点

 

「ハグリッド! ぼ、僕たちはどこまで行くの!?」

 

「ハリー! あともう少しだ! もう少し歩けば目的地だ! だからもう少し頑張っちょくれ!」

 

ハグリッドに先導され、僕とロン、そしてハーマイオニーは『禁じられた森』の中を歩いていた。それも奥へ奥へと。道とすら呼べない獣道を歩くせいで、ただ歩くのでさえ苦労する。おまけに辺りは酷く暗い。木立がびっしりと立ち並んでいるせいで、まだ日が出ている時間のはずなのに、もう既に夕暮れ時のような暗さだ。

前を歩くハグリッドはいいだろう。彼は森の中を歩き慣れている。でも僕等は違う。彼が易々と歩いている後ろで、木の枝や刺々しい茂みのせいで傷だらけになっていた。

どうして僕等は傷だらけになりながらも、こんな風に森の中を歩いているのだろう。勿論ハグリッドに呼び出されたからだ。

彼は大広間に食事に向かう僕等に突然話しかけてきた。……それも廊下の陰に隠れながら。無論彼の大きさではどこにも隠れることなど出来はしない。隠れようとしていることが分かるせいで、寧ろ余計に目立ってすらいた。不幸中の幸いは、グリフィンドール寮を出た直ぐの場所ということくらいだ。でもそんな状態で、僕等を見つけたハグリッドは今までになく必死な様子で、僕等について来てほしいと言ってきたのだ。

彼の必死な表情に、僕等は二つ返事で応えた。教員から外された状態の彼がこれ以上目立つのは避けたいという思いもあったけど、それ以上に彼の様子に何か只ならないものを感じたから。

……でもまさか行き先が『禁じられた森』だとは、後ろで荒い息を吐いているハーマイオニーですら予測できなかっただろう。

薄暗い森は不気味で、どんな暗がりにも何かが潜んでいるような不安に陥る。しかも辺りからは僕等の歩く音しか聞こえない。この森の中は本来色々な生物で溢れているはずだ。なのに生き物の音がまるでしない。まるでジッと何かから隠れているように。正直不気味で仕方がなかった。

本当に何故僕等はここに連れてこられたのか。不安と恐怖ばかりが募る。なのに当のハグリッドに行き先を尋ねても、ただもう少しと言うばかりで一向に答えてくれない。

そしていよいよ僕等の不安が限界に達し始め、ハーマイオニーが少し泣き出しそうな声を上げた時、

 

「ハ、ハグリッド。ほ、本当にどこに行くの? 私達、」

 

「すまねぇ、ハーマイオニー。だが心配はいらねぇ。今着いたところだ」

 

ようやくハグリッドの足が止まった。

彼が僕等の方に振り返る。その表情はやっぱり、僕等をここに連れ出した時と同じく悲壮感を漂わせたものだった。

 

「悪いな、こんな所まで連れてきてしまって。だが、もうお前さんらにしか頼めんのだ。本当は関わらせたくなかった。だが俺は……」

 

僕等の息が整うのを待ち、ハグリッドは続ける。

 

「俺はもう……ここを離れにゃならん。お前さんらも知っちょろう? 俺は教員をクビになった。本来ならそれでもここにおれたはずなんだが、あのアンブリッジが俺をここから追い出したがっとる。フィレンツェはもう森に帰った。そのことでケンタウロス共の気が立っちょる様子だが……お前さんらには関係ないな。あいつらは少なくとも子供であるお前さんらに手を出さねぇ。話がそれたな。トレローニー先生はマクゴナガル先生達が匿うっちゅう話だが、俺は無理だ。俺は図体がでかいし、何より先生方に迷惑をかけられん。俺はしばらくホグワーツを離れにゃならん」

 

「そ、そんな! そんなの理不尽よ! ア、アンブリッジにそこまでの権限はないわ!」

 

突然告げられた事実に咄嗟に言葉が出なかった。あまりの内容にここまでのハイキングのことも一瞬忘れてしまう。息を何とか整えたハーマイオニーが反論するも、非情な現実が変わることは無かった。

 

「いんや、権限なんてもうどうでもいいんだ。もうこの学校はアンブリッジの支配下になってしまった。もう誰もあいつを止められねぇ。何かある前に隠れる必要があるんだ」

 

改めて今のホグワーツの現実が突きつけられた気分だ。アンブリッジが校長になってから、確かにいくつもの『高等尋問官令』が出されている。音楽禁止だの、廊下での談笑禁止だの、狂っているとしか思えない内容ばかり。あいつが任命した『高等尋問官親衛隊』の連中も無茶苦茶な理由で他寮に罰則や減点を与えている。生徒の生活は日々狭苦しいものになっている。が、それでも……まさか本当に教師の追放までしようとしているとは。

僕等のDAは解散せざるを得ない状況になってしまった。もう再結成することも出来ないだろう。今までの努力を文字通り白紙にされてしまったことで、僕自身のやる気も無くなってしまった。アンブリッジに反抗する人間はもう誰もいない。何より他DAメンバーだって、口ではDAのことを言っても……記憶を消されるなんて異常事態に晒されたせいで、いざ再結成することには及び腰だった。

それがここまでの事態を招いてしまったというのだろうか。ハグリッドのことだって、教員から外されても、学校から追放されるようなことはないと高をくくっていたのだ。それがいつの間にかこんな事態に。もうここが今までのホグワーツでないことを改めて痛感させられる思いだった。

……でも、ハグリッドの話はそれだけではなかった。

ハグリッドの続けた言葉で、僕等はただホグワーツの今後を憂うだけでは済まない状況に陥ることになる。

具体的には自分の命の心配をしなくてはいけなくなったのだ。

 

「だからお前さんらに頼みたい。こいつ……()()()()のことを」

 

ハグリッドがおもむろに木陰の一角を指し示す。最初はそこに何がいるか僕等に分からなかった。ただ木陰に大きな岩があるとしか思えなかった。

でもよく見るとそこには……大きな岩ではなく、そう見間違える程大きな生き物が横たわっていたのだ。

暗闇に目が慣れてくれば、その岩が規則正しく上下していることが分かる。何より僕等の息が整ったことで、()()の寝息が鮮明に聞こえるようになってしまった。

それが一体何かいち早く気付いたハーマイオニーが、先程までとは違う理由で泣きそうな声を上げる。

 

「ハ、ハグリッド……。ど、どういうこと? 何故こんなところに……きょ、()()がいるの!? この森には流石に巨人はいないはずよ!」

 

彼女の言葉でようやく自分たちの置かれた状況を把握した。

巨大な岩に見間違えるくらいの巨体。よく見ればその寝息に合わせて上下する曲線は、紛れもなく人と同じ形をしたものだった。

 

……本当に何故僕等はここに連れてこられた末に、こんな風に命を危険に晒しているのだろう。

しかもヴォルデモートのような敵ではなく、ハグリッドという味方のせいで。

僕は恐怖で硬直しながら、そんな益体のないことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「ミス・マルフォイ。そこに掛けたまえ」

 

「はい、スネイプ先生」

 

スネイプ先生の事務室に入った私に、先生は即座に目の前の椅子を指し示す。今から行われるのは5年生全員に実施される進路指導だ。だから無駄話をするような場面でもないわけだが……それにしても先生の機嫌はあまりいいとは言えなかった。

それもそうだろう。何故ならこの部屋には私達の他に、

 

「……高等尋問官殿。どうして貴女がここにいらっしゃるのですか?」

 

「ミ、ミス・マルフォイ。い、いえね、私は高等尋問官として、生徒全員のことを把握しておく必要があるのよ。別に貴女だけ進路指導に付き添うわけではありませんわ」

 

何故かどこか挙動不審なアンブリッジ先生もいたのだから。

まぁ、私としてもスネイプ先生と積極的に話すつもりはない。部屋に二人っきりでないということは有難くもある。以前は親しく会話していたスネイプ先生も、今はどのような立場であるか不透明だ。私からすれば先生が老害の二重スパイであることは明らかなのだ。どの程度私の情報を奴に流しているのか分からない。今年初めに警戒していたような私への監視はないみたいだが、老害が何を考えているか分からない以上、下手な期待は致命的なことになりかねない。ならば今は先生ともあまり会話しない方がいいだろう。その方が先生のためにも良いのだ。

そしてそれはスネイプ先生も分かっているのだろう。胡乱な視線をアンブリッジ先生に送った後、直ぐに自身も席に着きながら続けた。

 

「……招かれざるお方もいるが、ミス・マルフォイの貴重な時間を浪費するわけにはいかん。早速始めるとしよう。さて、聡明な君なら分かっていると思うが、この面接は君の今後に関わる重大なものだ。OWL(ふくろう)は過酷な試験……無論ミス・マルフォイは全ての科目において優秀な成績を収めるであろうが、それは結局のところ試験に過ぎない。どんなに優秀な成績を収めようとも、その先の展望が無ければ何の価値もないのだ。だからこそ吾輩は問おう。ホグワーツ卒業後、何をしたいと考えておるかね?」

 

極々事務的な、それこそどの生徒にもしているであろう質問。先生も本当にただ事務作業としてこの時間を過ごすつもりらしい。

私は表情こそ決して変わらなかったが、内心先生の質問に苦笑していた。勿論先生の態度にではない、質問の内容にだ。

卒業後に何をしたいか? 

分かり切った質問をよくするものだ。アンブリッジ先生がここにいることもあり、スネイプ先生がそれ以外の質問を出来るはずもないことは分かる。

ただあまりにも馬鹿々々しい質問に苦笑を禁じえなかったのだ。スネイプ先生とて聞かずとも答えは知っているだろう。

 

答えは簡単。そんな未来など……()()()()()()()

 

私の未来はどうしようもなく決定づけられている。闇の帝王が存在する以上、その未来は変更することなど不可能だ。

どのような未来を語ろうとも、それはただの夢物語でしかないのだ。

勿論()()()がいる以上、馬鹿正直にそんなことを言うつもりはない。ダンブルドアならいざ知らず、先生も別に悪気があってこのような質問をしているわけではない。

少しだけ悲し気に表情を歪める先生に、私は特段変わらない態度を心掛けながら応えた。

 

「そうですね……魔法省で働ければ良いなと思います。マルフォイ家はお兄様がお継ぎになりますから、私はお兄様のお役に立てる役職に就ければと。……『闇祓い』なんてどうでしょうか?」

 

尤も少し自暴自棄な返答になったのは否めなかった。今の私は未来になんの展望もない。それこそ私の望みは、ただ大切な人達が平穏無事であることだけ。

どんな職業をここで言ったところで、それはただ虚しくなるだけのことだ。

ならばどの道なることはない、それこそ嫌悪してすらいる役職の名前を口にした。ルーピン先生を推薦した職業とはいえ、お父様を苦しめ続けた職に就きたいとは思わない。

どのようなことが起ころうとも、私がマルフォイ家の娘である以上永久に関わることのない職業なのだ。

しかし、どうやらそうとは考えなかった人間が一人いたらしい。

スネイプ先生が何か言う前に、何故かアンブリッジ先生が話始める。

 

「す、素晴らしいですわね、ミス・マルフォイ。えぇえぇ、私本当に素晴らしい考えだと思いますわ! 『闇祓い』になるには最優秀の成績が必要ですもの。貴女の成績なら必ずなれますわ! それに適正もあるでしょう! よろしければ私が推薦いたしますわ!」

 

勢いよく話すアンブリッジ先生に、スネイプ先生が胡乱気な視線を向ける。

しかし、それはスネイプ先生だけではなく私もだった。ここにアンブリッジ先生がいることにすら多少の違和感を感じていたが、流石にこの異常を無視することは出来なかった。

……アンブリッジ先生はここまで愚かな発言をする人間だっただろうか。『闇の帝王』と魔法省との間で蝙蝠を演じている人物だ。先生のことを見た目で馬鹿にしている人間は多いが、決して甘く見ていいような相手ではない。ならばこそ、先生はどう考えてもこのような思慮の浅い発言をする人間ではないのだ。先生とて『闇の帝王』が復活したことは半ば確信している。

なのに私が魔法省に仕える? 私を闇祓いに推薦する?

私に媚を売ろうとしているとはいえ、そのような安直な発言をするだろうか。先生程の人間が、魔法省の在りもしない将来性に気付かないはずがない。

そして一度疑問を抱けば、最初から感じていた違和感にも思考がいく。

そもそも……何故先生はここにいるのだろうか。他のグリフィンドール生なら納得できる。スリザリン以外の生徒をいじめることに生甲斐を感じている先生のことだ。ポッターなどいい標的になることだろう。しかし態々私の進路指導に参加する理由が分からない。先生は私が『死喰い人』の中で一定の地位を築いていることを知っているはず。なのにこの場に態々参加し、あまつさえこのような見え透いた媚を。それに最初のどこか挙動不審な態度。

何かがおかしい。先生は何か私に……挙動不審になる何かを抱いている。それもここ数日の間に。そう疑わざるを得なかった。

何かあったとすれば、真っ先に思いつくのは『ダンブルドア軍団』のことだ。辻褄は何とか合わせたつもりではあるが、些か無理やりであったことは否めない。というより無理やりだった。私が同じ立場であれば必ず疑念を抱く。私がダンブルドアに与しているとは思われていないだろうが、何かしらの疑いは持たれてもおかしくない。

やはりグレンジャーさんのことは見捨てるべきだったのだろうか。だがそれではダフネが……それに、そもそも本当に『ダンブルドア軍団』のことなのだろうか。それにしては態度が謎すぎる。もっと別の……。

私もスネイプ先生と同じく胡乱な視線を向けることで、部屋の中に奇妙な沈黙が満ちる。その瞬間、アンブリッジ先生も自身の失態に気が付いたらしい。今度はしどろもどろな様子で弁解を始めた。

 

「い、いえね、私が推薦すれば、貴女程の才能が有ればどんな立場にでもなれると思ったの。べ、別に何か他意があるわけでは、」

 

話せば話す程怪しい。今までのアンブリッジ先生の態度とは似ても似つかない。

しかし先生がそれ以上の言い訳を並べ立てる前に、先生にとって天恵とも思われる事態が発生する。

 

「な、何事ですか!? この花火の音は!」

 

遠くの方か突然花火のような音が鳴り響いたのだ。それも一回だけではなく、何度も何度も。それこそ今も鳴り続けている。悲鳴などは聞こえず、花火に交じって聞こえるのがただの歓声であることから、おそらくは悪戯の類だと分かるが……アンブリッジ先生はそうは思わなかったらしい。取り繕うように発言した後、そのまま逃げだすように部屋を出て行った。

 

「こ、これは魔法省への反逆行為に違いありません! ミス・マルフォイ、私はこれにて失礼しますわね!」

 

最初から呼んでいないのだから、失礼も何もない。だがこれで邪魔者が消えたと同時に、私とスネイプ先生の二人きりになってしまった。

私は今スネイプ先生と正面から向き合いたくない。以前までとは違い、何を話せばいいのか分からないのだ。

しかもアンブリッジ先生が出て行ったタイミングも話が完全に終わり切る前のこと。このまま私も出ていくのも何だか気が引ける。そしてスネイプ先生の言葉で、いよいよ外に出にくくなってしまった。

 

「……邪魔者は消えたな。……ミス・マルフォイ。先程も言ったが、君の貴重な時間を浪費するわけにはいかん。……君が現状を()()()()()して()()()()()()ことは理解した。だからこそ、もはや他生徒同様の進路指導など意味はない。やらぬわけにはいかんが、これ以上無意味な会話を続けても時間の無駄というものだろう」

 

随分と長い前置きではあるが、それだけ先生も私と久しぶりに話すことに緊張しているのだろうか。

先生は数秒間を置いた後続ける。

 

「……君も今の光景で理解できただろう。高等尋問官殿は君に疑念を抱いている。おそらくポッターの犯した愚行が原因であろうが……その時の君の行動に違和感を抱いておるのだ。……残念ながらその事実を知る前にダンブルドア校長は城を去った。だが吾輩は何故君があのような行動を取ったかは分かっているつもりだ。だからこそ、吾輩は忠告しよう。……気を付けるのだ。吾輩はダンブルドア校長と違い、君を警戒ばかりするつもりはない。吾輩は敢えて言おう。気を付けるのだ。アンブリッジ女史は肩書だけとはいえ校長であることに変わりはない。どのようなことも自分の権限の内だと正当化することは目に見えている。それこそダンブルドア校長すらしなかったことも」

 

この発言で私は改めて先生の立場を理解する。今まで交流自体を避けてきた。しかし、それでも先生の気質からある程度のことは予想していた。

そして、やはり私の予想が正しかったことを再認識したのだ。

 

スネイプ先生は『闇の帝王』ではなく……やはりダンブルドアの二重スパイだ。

 

先生は私が何故ポッター達に対しあのような行動をとったか理解しておられる。その上でそれを黙認し、ただアンブリッジ先生への警戒のみを促しておられる。そんなことをする『死喰い人』がどこにいるだろうか。それは『闇の帝王』ではなく、ダンブルドア側にこそ身を置いている証拠に他ならない。本当に身も心も『死喰い人』であり、これまで『闇の帝王』のためにダンブルドア側に潜伏していたのなら、ある意味では背信行為と言える私の行動に何もしないはずがない。

尤もそんな今まで通りの認識を再確認したところで、現在の状況自体が変わるわけではない。

私は結局のところ、スネイプ先生のような行動は出来ないのだから。

私は曖昧にスネイプ先生の言葉に頷き、何か適当な返答をしようとした。しかし先生も返事が欲しかったわけではないらしく、

 

「そうですね……。今後は、」

 

「返答はよい。吾輩は言ったはずだ。君の時間を無駄にするつもりはないと。……もう友人の下に戻るとよい」

 

そのまま言いたいことは言い終わったとばかりに、私に退室を促したのだった。

私にも勿論異論はない。実際これ以上話せば、ただお互いの腹の読み合いになるのは間違いない。私とて今まで散々お世話になったスネイプ先生にそのようなことはしたくないのだ。私もスネイプ先生に一礼し、そのまま即座に退室する。

部屋を出れば、未だに鳴り響いている花火の音がより大きなものに変わった。方向からすると大広間が発生源だろうか。現在のホグワーツでこのようなことをする勇気……もとい無鉄砲さを持ち合わせている人間はたかが知れている。

まったく余計な事ばかりする()()だ。愚か者は大人しくしていれば良いものを。

しかしそこまで考え私は苦笑する。何を馬鹿なことを。余計なことをしたのは、他ならぬ私ではないか。スネイプ先生程ではないが、アンブリッジ先生にも違和感を持たれてしまった。いくらダフネを……ついでにグレンジャーさんを守るためとはいえ、もっと賢いやり方があったのではないか。今の段階でアンブリッジ先生に疑問を持たれるのは下策だ。闇の帝王と彼女がどのような繋がりを持っているのか不明な以上、私が真に闇の帝王に忠誠を誓っているわけではないと露見しかねない。

私はスネイプ先生に言われた通り、緩みかけた警戒心を改める。ホグワーツに元より安心できる場所など無い。確かにアンブリッジ先生には違和感を持たれた様子だが、まだ致命的ではないはずだ。ならばこれから気を付ければいいだけだ。まだ挽回しようがある。

 

私は自分自身の行動に慎重にならなくてはいけない。そうなれば私だけではなく、マルフォイ家に害が及ぶかもしれない。それだけは絶対に避けねばならないのだ。

……たとえ私自身がどれ程傷つくことになったとしても。

私には選択肢……他の学生達が当たり前に持っている輝かしい未来などありはしないのだから。

 

私はそう考えながら、薄暗い廊下を独り歩き始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「本当に信じられない! 今回ばかりはどうかしているとしか思えないわ!」

 

何とか這う這うの体で城まで帰ってきた私は、去りやまぬ興奮のまま叫び声をあげる。ハリーとロンも声こそ上げていないけど、おそらく私と同じ気持ちだろう。

ハグリッド追放はいつか起こると薄々予感していた。ダンブルドアがいなくなった以上、もうアンブリッジを止められる人間はいない。もう誰がどのような形で追放されてもおかしくないのだ。

……でも、このような形の置き土産をされるとは思わなかった。もはやハグリッドを心配する気持ちはほとんど無くなってしまった。

 

「巨人よ! 巨人! その世話をしろなんて、命がいくつあっても足りないわ!」

 

ハグリッドが態々森の奥まで私達を連れて要求したのは、言葉も碌に覚えていない様子の巨人の世話だった。

無茶苦茶にも程がある。

私はその場で見せつけられた巨人の実情を思い出すと、更に怒りがこみ上がるのを感じながら続けた。

 

「巨人の全てが恐ろしい存在とは言わないわ! 私はそんな愚かなことを言うつもりはない! でも、あのグロウプは別よ! こちらの言葉も分かっていないのよ! あまつさえ興味の赴くまま、私達の方に手を伸ばそうとしていたわ! 掴まれれば怪我で済むとは思えない! どんなにあの子がいい子であろうとも、最低限のコミュニケーションが取れない中で、私達だけで世話するなんて無理なのよ! ハグリッドは私達のことを何だと思ってるの!?」

 

私達の目の前で目を覚ました巨人が最初に取った行動は、なんと私達を鷲掴みにしようとすることだった。何とか全員避けることが出来たけど、私達の代わりに掴まれた松の木の惨状から想像すると……もし掴まれていたら大変なことになっていたはず。ハグリッド曰く、ただ私達と仲良くしたいだけだったらしいけど……そんなことは関係ない。巨大で、尚且つこちらの命を危険に晒すような幼児の世話など無理なのよ。

たとえその幼児がハグリッドの()()()()だったとしても……無理なものは無理としか言いようがないのだ。

そもそもハグリッドにすら世話が出来ているとは言えない。どうやってここまで連れて来たのかと尋ねた時、彼は散々渋った後に言った。

 

『……巨人の村から脱出する時偶然見つけんだ。こいつは巨人の中では小さい方だから、あいつらにいじめられとったんだ。だから人目に付かんように、夜中にこっそり移動させた。どうしても放っておけんかった。……まぁ、苦労はしたさ。何せ帰った時の傷は、村で巨人につけられてものがほとんどだったが……こいつにやられたものも少しはあった』

 

その後も、最初は私達に関わらせるつもりがなかっただの、これは自分の問題だからだの、散々言い訳がましいことを言っていたけれど……本当にどうかしているとしか思えなかった。何一つ安心できる要素がない。馬鹿も休み休み言ってほしい。こう言っては何だけど、ハグリッドの処遇に関してだけならアンブリッジに今は賛成することが出来る。

食事の世話はいらないとの情報は唯一の救いと言えるだろう。森の中で食べ物を確保する程度の知恵はあるらしい。でも安心できる要因なんてその程度だ。近づくだけで命を危険に晒し、そもそも辿り着くためには『禁じられた森』に入らなくてはいけない。

ハグリッドには悪いけど、私は絶対にそんな依頼を受けたくない。受けられるはずがない。

私は金輪際『禁じられた森』に近づかないことを心に誓い、無言の肯定を示すハリーとロンを引き連れ大広間に向かう。

一刻も早く先程体験した危険を忘れ、今まで通りの日常に戻りたくて仕方がなかったのだ。

勿論今のホグワーツは日常的とは言い難い状態ではある。何もかもがアンブリッジの思い通りになっており、毎日馬鹿々々しい『高等尋問官令』ばかり増えている。去年までと違い、城の廊下を歩く時ですら辺りを警戒しないといけない。いつアンブリッジや、あの女に忠実な『高等尋問官親衛隊』が難癖をつけてくるか分からないから。

でも少なくとも、気を抜けば巨人に握りつぶされるような事態は起こらない。

 

「ふぅ……。早く忘れて、今は食事を摂りましょう。今私達に必要なのは一刻も早く休むことよ。ハリー、貴方も明日進路指導があるのでしょう? 明日に向けて早く睡眠をとるのよ」

 

「うん……本当に腹ペコだよ」

 

……しかし、いざ大広間に辿り着いた時、そこは食事ができるような状態ではなかった。

大広間は阿鼻叫喚の様相を呈していたのだ。

 

「何してるのよ、クラッブ! そっちの花火を消さないと、また花火が増えて、」

 

「そ、そんなこと言われても」

 

大勢の生徒が歓声を上げ、そんな中パンジーを含め数人の高等尋問官親衛隊が悲鳴を上げている。彼等の視線の先には、巨大な魔法仕掛けの花火が。全身が緑と金色の火花で出来たドラゴンが大広間中を蠢き、火の粉をまき散らしながら連続で大きな音を立て続けている。そしてその周りには直径1.5メートルはあるだろうネズミ花火も飛び回っている。どれも燃え尽きる様子はなく、それどころか親衛隊員が何か魔法を使う度に数を増やしてすらいた。

当然この状況で食事を摂っている生徒など皆無だ。

皆いつまでも燃え続ける花火と、情けなく花火から逃げ回る親衛隊員の姿を楽しんでいる。ハリーとロンも現在の状況を認識するいなや、先程までの疲労も忘れ周りと一緒に笑い声を上げていた。

かくいう私も『禁じられた森』でのハイキングさえなければ、ハリー達同様笑っていただろう。ここ最近はずっとアンブリッジや親衛隊に煮え湯を飲まされっぱなしだったのだ。こんな風に愉快痛快に反抗出来たらなと考えることは山程あった。無論ダリアとダフネ、そしてドラコを除くメンバーに対してだけど。

幸い今も駆けずり回る親衛隊の中に彼女達の姿はない。ダリアはどこにいるのか分からないけど、ダフネとドラコは大広間の端っこでこの騒動を眺めている。

私はハリーとロンから離れ、疲労困憊な体を引きずりながら彼らに話しかけた。

 

「ダフネ、これは一体どういう状況なの?」

 

「……ハーマイオニー。その前に私も聞いてもいい? どうしてそんなに汚れた格好をしているの? 肩に枝がついてるよ? 一体どこをほっつき歩けばそんなことになるの?」

 

「す、少し森の中をね……。正直私も何故そんなことになったのか分からないから、この話はまた今度。それより、この状況は?」

 

ダフネは私の質問に、私同様疲れた表情を浮かべながら答える。

 

「……概ね見た通りのことが全てだよ。大広間にあの花火が投げ込まれた。それをパンジー達がアンブリッジ先生に媚を売るために消そうとして……見ての通り大失敗してる。あ、ちなみにダリアは今進路指導でスネイプ先生のところだよ。だからこの馬鹿騒ぎを止められる人間はここにはいないってわけ」

 

ダフネも本気になればこの事態を収拾できそうな気もするけど、彼女にはそんなつもりは毛頭ないのだろう。ドラコも含め、私と会話しながらも決して他の親衛隊の手助けをしようとしていない。ただ疲れた表情を浮かべ、大広間の壁に背中を付けている。

原因は考えるまでもない。ダフネとドラコも、アンブリッジのことが嫌いで仕方がないのだ。ほとんどの生徒はそんな簡単なことにも考えが及ばない様子だけど、ダリアは紛れもないアンブリッジの被害者なのだ。望んでもいないのに意味不明な肩書を押し付けられ、そのせいでより一層彼女の居場所を奪われてしまっている。ダリアのことを大切に思っているドラコとダフネが許せるはずがない。

だからこそ二人共、我関せずと言わんばかりの態度なのだけど……だからといって完全にこの事態を楽しみ切っているわけでもなさそうだった。

 

「本当に馬鹿みたい……。こんな状況だと、ダリアが帰ってきても落ち着いて食事が摂れないじゃない。まったく……これだからあの()()()()は」

 

ダフネの剣呑な視線を辿ると、そこには今まさに追加の花火を上げている二人組……フレッドとジョージの姿が。最初から分かりきったことではあったけど、やはりあの二人がこの状況の元凶らしい。

 

「さぁ、親愛なる高等尋問官親衛隊の諸君! 俺達を捕まえられるものなら捕まえてみな!」

 

「そして良心ある紳士淑女の諸君! この花火をお求めの場合は、我々悪戯仕掛け人にお手紙を! 『基本火遊びセット』は5ガリオン、『デラックス大爆発』は20ガリオンだぞ!」

 

少しダフネ達と話している間にも、双子は更に大広間の混乱を盛り上げ続けている。

私はダフネ達と違い、あの双子に思うところはないため苦笑するしかなかった。疲労感で早く食事を摂りたいのだけど、久しぶりのアンブリッジに対する反抗的な光景に胸がすくような思いであることも間違いなかったのだ。

 

でも、やはり今のホグワーツでこの馬鹿騒ぎも長続きすることはなかった。

親衛隊が元凶を断とうと二人に近づこうとし、それに対して二人が更に花火を投げつけ応戦する。パンジーやクラッブとゴイルのような親衛隊が近づけるはずがない。巨大なドラゴン花火に結局追い回されてるはめになっている。

でもそれは結局親衛隊相手でしかない。

 

「こ、これはどういう事態ですか!? 食事の時間に、このような花火を大広間に投げ込むとは!? しかもこれは……。犯人は貴方達ですか、ウィーズリー! これは明らかな反逆です! た、退学です! ここまでのことをされれば、もはや貴方達を庇える者などいません! 私の校長としての権限を以て、今この時をもって貴方達の退学を言い渡します!」

 

遂に今この学校を支配下に置いているアンブリッジ本人が大広間に登場し、形勢は俄かに逆転することになる。

今までどこにいたのかは知らないけど、ようやく大広間に突入してきたアンブリッジが開口一番とんでもない宣言したのだ。今まで騒然としていた大広間も、あまりの宣言に流石に静まり返る。……教職を追われた先生は今までいたが、生徒が退学にさせられたのは今回が初めて。誰もが唖然とし、突然の事態に顔を青ざめさせていた。

今までの馬鹿騒ぎが嘘のようだった。当に一瞬の出来事。先程まで騒いでいた人間は、自分も同罪として扱われるのではないかと恐怖している。

誰もが、それこそDAメンバー以外も、改めて今のホグワーツで最も力を持った人間が誰かを思い知らされた様子だった。

 

尤もその静寂自体も、

 

「おやおや、これはこれは親愛なるアンブリッジ先生! 貴女の到着をお待ちしておりましたよ!」

 

「ダリア・マルフォイがいないのは残念だが……。先生だけでも十分だ。先生、退学ですとな? それはそれは重畳! 我々から申し出る手間が省けたというものです!」

 

あの双子によって再び打ち破られることとなるのだけど。

二人の言葉に、今度は誰もが違う意味で沈黙する。皆何が今から起こるのか、固唾を飲んで見つめているのだ。

 

……ただこの事態にやはり一切興味を示さないダフネとドラコを除けばの話だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

「……まったく付き合いきれないよ。阿保らしい」

 

「……さっさと食べ物を持っていくぞ。今日はもう大広間で食事を摂れるとは思えない。ダリアもそろそろこちらに向かっているはずだ。ダリアと合流して談話室で食べるぞ」

 

アンブリッジが大広間に突入し、皆の注意がそちらに集まっているうちに私達はこっそり抜け出していた。

秘密の部屋から帰ってきた時と同じだ。今ホグワーツ内の人間はほぼ全員大広間に集まり、この馬鹿騒ぎに興じている。あそこには私達の居場所などない。居場所など欲しくもない。

だからこうして大広間を抜け出し、私達はダリアの下を目指す。あんな馬鹿騒ぎをしている場所に、ただでさえ心労が溜まっているだろうダリアを連れて行くわけにはいかないのだ。

そして私達の思惑通り、ダリアと私達は廊下で合流する。ダリアが進路指導にそこまで時間をかけないと予想していたけど、その予想通りになったというわけだ。こちらに向かっていたダリアが、食べ物を抱えた私達に驚いた無表情を浮かべながら話しかけてくる。

 

「あら? お二人共どうなされたのですか? そんな食事を抱えて。大広間で何か問題でも……いえ、愚問でしたね。……犯人はウィーズリーですか?」

 

流石はダリア。私達の様子と、そして背後から聞こえてきた今日一番の爆発音を聞いて、直ぐに事態を把握したのだろう。短く犯人だけ尋ねる質問をしてきた。

私も改めて説明せず、少しゲンナリしながら答える。

 

「うん、そうだよ。今のホグワーツでこんなことをするのはあの二人くらいだからね」

 

そして気を取り直し、両手に抱えた料理を示しながら続けた。

 

「そんなことより、談話室で食事にしようよ。今なら皆大広間にいるから、ゆっくり静かに食事が出来るよ」

 

「そうですね……そうしましょうか。私も一部持ちますよ。お兄様も大丈夫ですか? 少し持ちますよ?」

 

「僕は平気だ。お前は疲れているのだから、これくらいは僕が持つ」

 

断られるとは思っていなかったけど、ダリアが頷いてくれたことで私は何だか嬉しくなる。先程まで感じていた不愉快な気分が嘘のようだ。大広間の方から今度は盛大な歓声が聞こえてくるが、もはや私達には一切関係のないことだ。

私はダリアの返答に笑顔で応えながら考える。

未来のことを考えると憂鬱な気分になる。ダリアは家族や私のことばかり考えてくれているけど、その中に彼女自身の未来はいつだって含まれていない。いつだって自分自身が犠牲になるしかないと未来を悲観している。そしてそのどうしようもない未来を……私は否定しきれずにいる。

そんなの間違っている。間違っているべきだと叫びたい。……でもそれを否定するには、私はあまりに無力でしかなかった。せめてもとDAに参加したとしても、それは現状を覆す程のものではなかった。ポッターの力不足と責任転嫁出来れば良かったのだけど、おそらく誰がやっても結果は同じだっただろう。私の心情はともかく、寧ろポッターは良くやっていた方だ。でも、それでも私は現状に甘んじるしか出来ない。

勿論諦めるつもりはない。私は必ずダリアを助け出してみせる。助け出さなくてはならない。でも今は現実を受け入れざるを得ない。自分を正しく認識出来なければ、それだけダリアの足を引っ張ってしまうだけなのだ。

だからこそ私は思う。せめて今だけは私に出来ることをやろう。せめて今だけは日々悩み苦しんでいるダリアに、これ以上の苦痛を与えたくない。せめて少しでも安心できる空間で過ごしてほしい。それだけが今の私の望みだった。

 

……だから、

 

「おや、あれは……ウィーズリー達ですね」

 

「……本当だね。箒に乗ってどこに行くつもりなんだろうね」

 

「……案外あのまま卒業するつもりなのかもしれませんね。今のホグワーツに彼等の求める価値などありはしないでしょうから」

 

最初彼等の行動を私は気にも留めていなかった。

窓ガラスが割れた音で外を見れば、夕暮れの空に飛び立つ双子の姿が見えた。雄たけびを上げながら飛んでいる二人に城のどこかに着陸しようとする気配は一切ない。寧ろみるみる内に高度を上げ、禁じられた森の向こう側を目指してすらいる。

 

まるでホグワーツから逃げるように……外の広い世界に、自由な世界を目指すように。

 

「彼らは……自由なのですね。……私とは違う」

 

……だからこそ、私は最初彼等の行動を気にも留めていなかったけれど、心のどこかで理解していたのだ。

彼らとダリアが……真逆であるということを。

 

一方は誰にも止められることもなく、大勢の歓声の中、手を振り返しながら学校を飛び立っていく。そしてもう一方は……誰もに蔑まれ、城内どころか外にすら自由な居場所がない。

そのどうしようもない事実を、二人の遠ざかる後姿を見て理解してしまっていたのだった。



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事件前日(前編)

 

 アンブリッジ視点

 

世界には二種類の人間しかいない。

虐げられる側と虐げる側。この二種類の人間だ。どちらでもない人間などあり得ない。虐げられないためには他人を虐げるしかない。

それが私が今までの人生で学んだ唯一絶対の真理。

嘗ての私は残念ながら前者、虐げられる側の人間だった。スリザリンに入り、多くの純血貴族の生徒達と交流を持つようになったが、それでも私の立ち位置はそこまで高いものではなかった。寧ろ低かったと言っていい。

だからこそ私はいつも考えていた。いつかこのような生活から脱してやる。折角冷え切った家庭から抜け出せたのだ。だからあの家庭に戻らないためにも、私はもっと上に行かなくてはならない。

そう思いどんなに理不尽なことも耐え、私はホグワーツに在学中ひたすら耐えに耐えた。

他のスリザリン生達をひたすら褒め称えた。彼等の能天気さをどんなに内心見下していようとも。

グリフィンドール生に容姿を馬鹿にされても、決して怒りのまま手を出すことはなかった。……どんなに心の中で涙を流していようとも。

罵倒に耐え、貴族達とのコネを作り、その合間に魔法を磨いた。全ては将来、私が虐げる側に回るために。

しかし……そのために努力していたとしても、いずれ努力は報われると信じていたとしても、それだけでは私の心が平穏を保つことは出来たわけではない。

いずれ努力は報われる。私の忍耐が実を結ぶ時が来る。もう私は近所の人間、どころか家族にすら馬鹿にされていた無力で無知な人間ではない。私はここから這い上がる手段を手に入れたのだ。

でも、そのいつかはいつ来るのだろうか?

ホグワーツを卒業し、私は最も権力を手にする近道である魔法省に入るつもりだ。しかし卒業して直ぐに権力が手に入るわけではない。今手にしているコネが将来役立つとはいえ、卒業すればまた新たな人間関係が始まる。父は低級官僚のため当てにはならない。私は一体いつ……誰にも見下されない存在になることが出来るのだろうか?

本当は今すぐ結果が欲しい。本当は純血のくせに、あんなマグルの母と結婚した父が憎い。本当は私を馬鹿にするグリフィンドール生にありったけの呪いをかけてやりたい。

意味もなく叫びだしたい衝動に駆られる瞬間があった。いつも心の奥底にどうしようもない感情が渦巻き、私の内心をジリジリと焦がし続けていたのだ。

 

だからこそ……そんな私にとって、数少ない私より()に位置する者達は格好のストレス解消の的だった。

 

いくら私が半純血、それも実家は驚くほどの貧乏暮らしであったとしても、私より下の存在はいる。それが魔法使いの血が一滴も入っていないマグル生まれ。そして……人間ではない亜人共。

二つの存在は魔法界では最底辺に位置する存在だった。そもそも私もマグルのことは嫌いだった。私にとってマグルとは母のこと。家にいる間は怖くて仕方がない存在だったが、ホグワーツに逃げた今、私を縛り続けていた邪魔な存在でしかない。私は年々母から受けた理不尽な仕打ちに憎しみを募らせていた。当然魔法が使えるとはいえ、同じマグルである『穢れた血』のことが好きになれるはずがない。

そしてもう一つの存在である亜人。

正直なところ、マグルと違い私は奴らのことを最初は見下していたわけではない。それもそうだろう。私はホグワーツに入るまで、そもそも奴らの存在すら知らなかったのだ。存在も知らない存在を見下すことなど出来ない。

しかしホグワーツに入学し、学年が上がるにつれ……私は奴らのことをハッキリと()()()()ようになっていた。

最初は私より下として扱われる存在がいることに対する喜びだった。亜人が生徒の中にいたわけではないが、湖には水中人、森にはケンタウロス、城には屋敷しもべ妖精がいる。奴らはそもそも人間としてすら扱われず、それどころか危険生物としての扱いを受けていた。関わりこそ多くなくとも、そこには絶対に越えられない線引きが存在していたのだ。

しかも奴らの素晴らしいところは、どれだけ奴らを堕としても、誰も私に対して何も言わないことだ。……寧ろ寮関係なく、私の言動や行いが()()されすらした。

無論一部の教員や生徒は文句を言ってはいた。称賛も大っぴらなものではない。しかし亜人のことを蔑めば蔑むほど、奴らに対する対策を口にすればする程、私は裏で称賛され、文句を言う人間は陰口をたたかれていたのだ。

だから私は『穢れた血』や亜人を蔑むことで、自身の中に燻る感情をコントロールしていた。私も今は虐げられる存在だが、そんな私にも虐げれる存在がいる。私は少なくとも一番下ではない。私は上に這い上がれるが、奴らはこの先もずっと私に虐げられる存在だ。そう私は自分を安心させることが出来……いつの間にか、それが世の真理であると完全に()()することが()()()()()のだ。

 

最初は存在すら知らなかった亜人は……私の中でいつの間にか虐げても良い、虐げることが正義である存在として定着していたのだ。

ゆっくりと……奴らのことを口で蔑む度に、確実に。

 

そして、この私のストレス解消が寧ろ卒業後の出世を早めたのは行幸と言えるだろう。結局のところホグワーツの中も外も変わりはなかったのだ。どこに行っても穢れた血と亜人は蔑まれるべき存在。態々口にせずとも、表では平等がどうのと綺麗事を並べ立てても、結局のところ皆内心では奴らを蔑み、奴らを堂々と糾弾する私は持て囃された。スリザリンで忍耐の日々を送っていたこともあり、魔法省高官からの覚えも良かったのも勿論あるが……最終的な決め手は奴らに対する言動と政策だったように思う。

ある時は巨人やケンタウロスの居住範囲を狭めることを提言した。ある時は人狼の杖を没収するように提言した。全てが全て認められたわけではないが、確実に私の支持者は増えていったのだ。

そして今年に入り更なるチャンスが私に巡ってくることとなる。

何とあのハリー・ポッターとダンブルドアが魔法省と対立したのだ。それも『闇の帝王』が復活したかという事実で。純血貴族に様々なコネを持っていた私は、『闇の帝王』が復活した事実を掴んでいた。しかしそれをファッジ大臣は隠そうとしている。内心ではどちらが正しいか理解していながら。

当に千載一遇のチャンスだった。私は既に魔法省において上から数えていい存在になっていたが、だからと言って私を見下す存在がいないわけではない。私はもっと上に行ける。だからこそ、私はこの状況を利用することにした。魔法省と闇の帝王、どちらに転んでも私に損はない。闇の帝王は亜人共を受け入れているとのことだが、マグルは以前のまま最底辺。亜人も利用価値があるから利用しているだけ。別に地位が上がったわけではない。つまり私は今まで通り、ただ今まで通りの行動を貫けばいいだけなのだ。それも目障りなポッターとダンブルドアを貶めるだけで私の評価が上がる。ホグワーツ高等尋問官という立場も実に素晴らしい。あのダンブルドアさえある程度制御下に置ける上、全てが全て私の思い通りに運ぶことが出来る。ダンブルドアや彼に忠実な教員を除き、この城には私の言うことを聞くしかない生徒しかいない。

ここであれば私は全てを虐げることが出来る。私は決して、誰にも虐げられることはない。一部の例外を除き亜人はほとんど存在しないが、『穢れた血』は山程いる。しかしそんな連中がいなくとも、この学校において私こそが最も上の存在なのだ。

私の忍耐は遂に報われつつある。ようやくなのだ。私はようやく本当の意味で虐げる側になることが出来た。幼い頃のように、自分の母親にすら怯えるような日々を過ごさなくていい。私は真の意味で()()になる。

 

私はもう何にも怯えなくてもいいのだ。

 

……そう思っていた。信じ切っていた。

しかし、現実はそう上手くはいかなかった。

 

「ありがとうございます、ドローレス。私で花火は消せるのですが、いかんせん私にその権限があるか疑問でしたので。……最近は特に高等尋問官令が増えましたから。何が禁止されているのか、正直馬鹿々々しくて一々確認していないのです」

 

ここ最近、何もかも上手くいっていない。

全てが狂ったのは、あのウィーズリーの双子が城から逃亡した時だった。あの双子……私が大広間に突入すると同時に、なんと箒を呼び寄せそのまま城から飛び去ってしまったのだ。それもありったけの花火をまき散らしながら。

私をあそこまで愚弄した人間はあの双子が初めてのことだった。無論私を嘲笑したグリフィンドール生は沢山いたが、あそこまで私に真っ向から反抗してきた人間は初めてのこと。ダンブルドアを追放し、折角肩書だけではなく、名実共に私はこの学校の校長になる道筋を考えていたというのに……そんな私の努力を双子は木っ端みじんにしたのだ。

あの双子のせいで、全てが台無しになった。あまりに愚かな行動に、生徒どころか教員ですら私に対して反抗心をむき出しにするようになった。

今も私の目の前で、堂々とミネルバが思ってもいないことを口にしている。大人しくしていればいいものを、愚かにも生徒の多くが下らない反抗を犯すようになった。そこら中で花火が爆発し、下らない悪戯が横行している。誰も退学など恐れていない様子であり……しかし、その空気を他の教師陣も黙認していた。

今もこうして教室内に漂う花火を消すために、態々私を呼び出し、私がそれを消すまで決して手を出そうとしていない。

目の前のミネルバを含め、他の教員は皆理解しているのだ。亜人ならいざ知らず、他の教員を簡単に解雇することは出来ない。ダンブルドアのような名前だけは有名な校長なら困らないだろうが、腹立たしいことに私は特段ネームバリューがある人間とは言い難い。優秀な人間を簡単に探し出し、現在の反抗的な教師と入れ替えるのは難しいのだ。

私は感情的に解雇を言い渡してやりたい気持ちを何とか抑え込み、目の前のミネルバを睨みつける。しかしこの女はあろうことか私の目と鼻の先で扉を閉めてきたのだ。

私がこの学校を真の意味で支配下に置いていれば、何とでも理由を並べ立てて追放できただろう。だが現実は違う。私は現状生徒ならいざ知らず、教員をこれ以上意味もなく解雇するだけの余裕はない。私の現実を思い知らされる気分だった。私は虐げる側に立ったはず、なのにこのような下らない雑事に足元をすくわれ続けている。解決したと思ったら、また別の雑事で。終わりが見えない。衝動的に、手あたり次第に呪いをかけて回りたいと感じるのは無理からぬことだろう。

私は怒りで乱れる思考のまま考える。

今の私は考えるべきことが多すぎるのだ。本当に忌々しい。生徒とは教師の言うことを聞くべきものだ。私は内心はともかく、常に教員に目をつけられ過ぎないように気を付けてきた。全ては将来私が出世するために。なのに今の生徒達ときたら、私に反抗することを生甲斐にしているようですらある。何と愚かなのだろうか。これだから何も知らない子供は嫌いなのだ。子供なんて私の言うことを黙って聞いていれば良いのだ。そしてそんな簡単な道理をわきまえない教員など、私に言わせれば教員などではない。それはただの反逆者だ。

ミネルバが目の前で扉を閉めたことで更に怒りを募らせながら考える。

闇の帝王が復活した以上、私が権力を更に手に入れるのは確実。そんなことも分からない連中が多いせいで、一時的でも私はこんなに腹立たしい思いをしなければならない。全てが片付けば必ず本当に反逆者として、退学どころかアズカバンに入れてやる。

……しかし、全てを片付ける前にやるべこことが多すぎるのも確かだった。

 

遠くから響いた花火の爆音と歓声に、私の思考に再びノイズが紛れ込む。

今度はどこで下らない悪戯をしているの!? 花火は正直まだ可愛げのある方だ。この前は私の部屋にニフラーを放たれ、金目の物を散々に荒らされてしまった。他にも私の食事時に糞爆弾を爆発させたり、もはや片時も気を抜ける時がない。

私は貴方達の下らない反抗に付き合っている暇はないのよ! 私は考えなくてはならないことが多すぎるのに!

 

闇の帝王のこと、ホグワーツのこと、ダンブルドアのこと、ポッターのこと、そして……()()()()()()()()()のこと。

 

中でもミス・マルフォイのことは、妙な胸騒ぎがして仕方がない。あのお菓子箱に紛れ込んでいた血液は一体何だったのだろうか。彼女の素性を考えれば、何か違法な魔法薬の素材と考えるのが一番だが……何故かそれだけではないと、私の今まで積んできた経験が囁くのだ。

いつまでも小骨の様な違和感が着いて離れない。その違和感が気になって仕方がない。この違和感を解消した時、何かとてつもない答えを得られる気がする。本来であれば探ることすら危険な相手であるが、何かが引っ掛かり続けているのだ。

そう、本当はこの違和感の()()()()()()()()()()が……その()()()()()()()()()()()だけ。どんな突拍子のない事実であっても、私はその真実を知るためのピースを全て持っている。そんな違和感だった。

しかし現実は、

 

「アンブリッジが来てるらしいぞ!」

 

「おっしゃ! ありったけの花火に火をつけとくぞ! 皆この隙に逃げるぞ!」

 

いたる所で起こり続ける雑事に、私の思考は乱され続けている。

花火の更に爆発する音と同時に、生徒達が逃げる声がこちらに届く。本当に忌々しい。私はいつまでこのような下らないことに振り回されなくてはならないのだろうか。

私はようやく念願の権力を得たはず。なのに何故私は……未だに虐げる側にいる実感が湧かないのだろう。

私は乱れる思考の中、そんな不満を感じざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ウィーズリーの双子が城から逃亡した。しかも退学したその足で、何とダイアゴン横丁に悪戯専門店を開業したらしい。

まぁ、センセーショナルな出来事だとは思うが、私には心底どうでもいい出来事でもある。

強いて気になる点を挙げるとすれば、あの貧乏で有名なウィーズリーがどうやって店を作れたのかは疑問であるが……何のことはない、ポッターが去年の優勝賞金をそのまま彼らに渡したかららしい。

ダフネからの()()()ではあるが、今の世界には彼等の笑いが必要だとか……そんな理由で優勝賞金を渡したらしい。

セドリックのことを思えば思うところが無いわけではない。が、そもそも私にそれをとやかく言う資格はありはしない。それをとやかく言う資格があるのは、この世にはセドリックの両親だけだ。だからこそ、私にとっては双子の逃亡など何の関わりもなく、興味も大して湧かないものであるはずだった。

……本来であれば。

しかし、

 

「……今貴方は、一体誰に何を投げようとしたのですか? ダフネにこのような物を投げつけようとするとは……グリフィンドール20点減点です」

 

双子に感化され、下らない悪戯を私やお兄様、そしてダフネにしようとする連中が大勢現れれば話が違ってくる。

 

「わ、分かった! 分かったからもうしない! だ、だから、ぎゃぁぁぁ!」

 

「誰が口をきいていいと言いましたか? グリフィンドール更に20点減点。貴方にはどうやらまだ痛みが足りていないようですね」

 

「や、止め、ぎゃぁぁぁ! だ、誰か、助け、」

 

これで何度目だろう。私は今しがたダフネに糞爆弾を投げつけようとしたグリフィンドール生を魔法で跪かせ、彼の手を文字通り()()()()()()()考える。

全く愚か者は愚か者らしく黙っていれば良いものを。私に直接何かする勇気はないくせに、代わりにダフネやお兄様を狙う。小賢しいにも程がある。本来ならば死に値する愚劣さだ。ここがホグワーツでなければ『磔の呪文』を使っていたことだろう。手の骨を砕かれたくらいで済ますのだから、寧ろコレは感謝すべきだ。

その上腹立たしいのは、そんな愚か者がこれだけではないという点だ。今日でこの手の悪戯は何度目だろうか。他の親衛隊も標的になっており、どちらかと言えばそちらがメインらしいが……それでも私の大切な人達を狙う愚か者が多いことも事実だった。

彼らが何に反抗しようとしているかなど問題ではない。アンブリッジ先生に反抗するため花火をそこらかしこで爆発させる、そこら中で糞爆弾を投げる、授業を意味不明な理由でボイコットする、廊下の一部が沼に変えられる……大いに結構。でも私の大切な人間に被害を及ぼすのなら、それは明確に私の敵だ。

今まで隠れていたのに、ただ勢いで徒党を組むような連中の覚悟などゴミに等しい。DAなどというお遊び以下だ。

ただのごっこ遊びで私の大切な人達が傷つく? そんなことが許せるはずがない。

だからこそこのようなゴミが二度と湧かない様に、私は徹底的に対処することにした。幸い今の学校で私が何をしても、私を退学に出来る権限を持つのはアンブリッジ先生だけ。つまり私は決して退学になることも、それこそ罰則を受けることすらない。ダフネやお兄様への視線を私に集めるためにも、私は徹底的にやる必要があるのだ。

……だから私が今どんなに()()()()()()()()()、それは全く関係ない。私はただ自分のすべきことをしているだけ。

だから私は更に力を籠め、愚か者の骨を完全に粉砕しようとしたのだった。だって今の私は()()()()()()()()()から。でも、この場にいるのが私だけであればそれも出来たのだろうが、残念ながらここには私には勿体無い程心優しい人間が二人もいる。当然二人から制止がかかってしまった。

 

「ダ、ダリア、その辺で許してあげて。私達に被害はなかったわけだし……。そ、それに、アンブリッジが不問にするにしても、最初はマクゴナガル先生辺りがうるさいと思うし」

 

「そ、そうだぞ、ダリア。だからそろそろ放してやれ。それより談話室に早く帰ろう」

 

二人の言葉に、私は()()グリフィンドール生を解放する。二人の言い分はともかく、二人にこれ以上血生臭い光景を見せるわけにはいかないと思ったのだ。

足をどけたことで、グリフィンドール生は悲鳴を上げながら逃げて行った。周りからは恐怖を含んだ視線が降り注いでいる。他のグリフィンドール生に、ハッフルパフにレイブンクロー、少ないがスリザリン生もいる。私は彼等に視線を向けた後、ダフネとお兄様に向き直りながら応えた。

 

「えぇ、そうですね。阿保共はともかく、OWLもすぐそこまで迫っています。問題ないとは思いますが、帰って勉強しましょうか」

 

勿論二人にそう答えたとしても、私は決して周囲に対する警戒を怠っていない。二人に言ったように今5年生達はいよいよ間近に迫ったOWL試験にかかりっ切りになりつつある。そのため私達と同学年の人間は悪戯をする余裕は無さそうだが、その他の学年には悪戯を反抗と履き違えた有象無象が大勢いる。二人には勉強に集中してほしい。だからこそ私が警戒をおろそかにするわけにはいかない。

だから……心のどこかで次の生贄が現れるのを望んでいるのは何かの間違いなのだ。

私はぎこちない笑顔を浮かべる二人を引き連れ、恐怖の視線を周りから浴び続けながら歩く。目指すのは談話室。そこでなら私達は安心して自分達の時間を過ごすことが出来る。そこでなら、私達は下らない悪戯に悩まされずに済む。

 

……なのにどうして、私は今真逆の欲求を感じているのだろうか?

私にとって一番の幸福はダフネと家族といること。それ以外にない。いや、存在してはならない。なのに何故私は……。

私はダフネ達と歩きながら、心のどこかでそんな不安を感じ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

完全に鎮火されたと思っていた反抗の意思が、フレッドとジョージのお陰で今再び燃え上がっている。一つ一つの行動は、本当に取るに足りない悪戯に過ぎないかもしれない。でも、あれだけアンブリッジの横暴に黙り込むしかなかった皆が、小さいながらもあの女に反抗し始めているのだ。

DA解散で半ば諦めかけていたけど、事態は少しだけ改善されつつある。少なくとも今のホグワーツは以前のように、アンブリッジに黙って従うような空気ではなくなった。言うなれば誰も退学を恐れなくなり、そしてそれが結果的に犯人がより捕まりにくくなり、最終的に退学になりにくい状況になっているのだ。

当にフレッドとジョージの勇気ある行動のお陰だと思う。あの二人があのようなことをしなければ、今でも皆暗い顔をして日々増え続ける『高等尋問官令』に従っていたことだろう。たった二人の驚異的な行動力が、学校中を支配していた重い空気を一気に取り払ってくれたのだ。

勿論、だからと言って今のホグワーツの空気を完全に肯定できるかと言えば違う。皆がアンブリッジに反抗的になったと同時に、あの女に権力を与えられている『高等尋問官親衛隊』のメンバーに対しても悪戯をしかけている。パンジー達はどうでもいいけど、その中にダリアやダフネ、ついでにドラコも含まれれば話は違ってくる。

しかも三人の中で誰が最も標的にされているかと言えば……実は一番誤解されているダリアではなく、その親友であるダフネなのだ。理由は至極簡単。ダリアに反感を持っていても、それ以上に恐怖感が勝っている。ならばダリアの親友であるダフネの方が狙いやすく、同時にダリアの神経も逆撫で出来る。そんな心底卑劣な理由からだった。ドラコに関しては、以前のクィディッチ試合のことで評価は二人ほど悪くはない。それがより一層ダフネを狙う要因になってしまっているのだ。アンブリッジへの反抗はともかく、この親友達への卑劣な行動だけは絶対に肯定できない。出来るはずがない。

……尤も、私がどれだけ憤ったところで、彼女達に対する悪戯が成功した例もないわけだけど。

ダフネが一番狙われているとはいえ、彼女の隣にはほとんどいつもダリアがいる。ダリアがいる以上、ダフネは常に鉄壁の防御下にいることになる。しかも聞くところによれば苛烈極まりない報復のおまけつきで。選択授業は流石にその限りではないけれど、別にダフネも自分自身を守れないわけではない。ダリアには流石に及ばないが、彼女も本当に優秀なホグワーツ生なのだ。DAでの実力は上位に位置していた。彼女が自分を守れないはずがないのだ。私の親友達は狙われこそすれ、何だかんだ被害にあっているわけではなかった。

結果、ダリアに絶縁宣告されていることもあり、私は彼女達に何も言うことが出来ずにいる。

そして何より……これはダリア達も含めた5年生全員に言えたことだけど、今の5年生には城の空気以上の問題がいよいよ目の前に迫りつつあるのだ。

OWL(ふくろう)』……今後の私達の人生を決めると言っても過言ではない試験。ここでいい成績を取れるかどうかで、卒業先にどのような職業に就けるかが決まる。決して疎かにすることなど出来ようはずがない。この試験がいよいよ目の前に迫ってきた今、私達5年生は徐々に周囲に気を遣う余裕がなくなってきたのだ。

以前DA設立にあたって、私は闇の勢力と戦うことはOWLより大事なことと発言した上、事実心の底から信じ切っていた。親友達の問題も同様だ。でも自分の将来に関わる試験だとも分かっている以上、試験が近づけば近づく程、流石に存在を無視しきれなくなり……下手な成績は取れないと焦るようになっていた。城の空気に肯定的、否定的なものを感じてはいても、日に日にただ勉強しなくてはという焦燥感が増しつつあるというのが正直なところ。

日が経つにつれ、いよいよ肯定的に捉えていたアンブリッジへの花火音さえ煩わしく感じながら、私達5年生は少しの時間も惜しんで教科書にかじりついている。

彼女達なら大丈夫よ。何より今の私には何もすることが出来ない。それこそ彼女達に話しかけることすら迷惑になるかもしれない。だから今自分が出来ることを……少しでも力をつけるために勉強するしかない。

そうどこか自分に言い訳をし続けながら。

 

そして悪戯合戦がようやく熱を失い始め、5年生の緊張が頂点に達した時、

 

「最初に言っておきますが、カンニングは不可能です。今回お配りした羽ペンにはカンニング防止の魔法がかかっています。尤もこれを言っても、毎年自分だけは大丈夫だと考える愚か者は後を絶ちませんが……貴方方は違うと信じています。では、始めてください」

 

ようやくその時が来たのだ。

いよいよ今まで散々5年生を苦しめ続けていた試験が始まってしまった。最初の試験は魔法史。試験官はホグワーツの教員ではなく、専門の方が派遣されているとのことだ。

私は他のことを全て意識の外に追いやり、ただ目の前の試験に集中する。今の状況など関係ない。この試験を少しでもいい成績で乗り切らなければ、戦いの先にどんな選択肢が残されているかも分からない。そんな風に考えながら、私は能天気に魔法史の試験に向かい合っていた。

 

 

 

 

後から考えれば……()()()まであと数日のことだった。



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事件前日(後編)

 シリウス視点

 

今私の目の前にはブラック家の家系図が広がっている。所々焼き印のある心底狂ったタペストリー。

正直視界の端にも入れたくない代物であり、今こうして見ているだけで嫌悪感を感じている。私はそれこそ物心ついた時からこのタペストリーのことが嫌いだった。何もかもが狂っている。こんなものをありがたがる家族も、そんな家族に仕えるしもべ妖精も。意に沿わない家族を何のためらいもなく消す薄情さ。そしてこの家系図に記された人間のほとんどが闇の魔法使いである事実。何もかもが普通ではない。異常なものなのだ。疑問を抱かず、嫌悪感を感じないことこそがおかしい証拠だ。私はこの家に戻ってきてはいるが、これから一生このタペストリーを目にすることすらないと思っていた。

だが何故だろうか……今日は何故だか、この狂った家系図から目を離すことが出来なかった。何とはなしにタペストリーの前に座り込み、ただ本来私の名前が記されているはずの場所を見つめ続ける。

自分の行動がおかしいことは自覚している。どう考えてもおかしい。理屈に合わない。今こうして見ているだけで嫌悪感を感じるのだ。なのに何故かここを離れられない。こうして見つめていると、何故か嫌悪感以外の感情が浮かんでは消えていく。寂しさ、不安、悲しみ。何に対してのモノかも分からない感情がただ通り過ぎてゆく。考えが一向に纏まることはない。

だから残った冷静な部分で思考する。

あぁ、遂に私もおかしくなってしまったのか、と。

そしてそんな取り留めのない思考の中、何とはなくこんな下らない思考に取りつかれている原因にも思い立っていた。

ようするに私は……この狂った家に長居しすぎたのだ。他の『不死鳥の騎士団』メンバーは全員、それこそあのスニベルスも含めて任務に従事している。誰もがヴォルデモートと戦っている。なのに私ときたら、日がな一日この狂った家にいる。まるでアズカバンに収監されている時と同じように……。何の役にも立てないという一点において、あの時と全く同じだ。それが私がおかしくなった原因なのだと、私は確信を持って考えていた。

狂った思考の中で思い出すのは、今までの歪な人生そのもの。幼少期から、それこそこうして家に監禁されている現在まで。まるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 

……思えば私の人生は、大きく四つに分けることが出来るだろう。

幼少期、ホグワーツ、不死鳥の騎士団、そしてアズカバン。概ねこの四つだと言える。実に単純明快な人生だ。他の人間はもっと複雑なのだろうが、私の人生は実に単純と言える。いいか悪いかと言えば、その内の二つ……しかも時間にすれば半分以上が暗いものであることから、あまりいい人生とは言えないだろう。

幼少期。それは今こうして目の前に広がる家系図に支配されたものだった。愚かな弟はこの狂った家族に適応出来たため可愛がられていたが、私は結局最後の最後まで馴染むことが出来なかった。最後まで奴らが言う純血の尊さなど共感できなかったのだ。それこそ家族の誰一人としていなくなった今でさえも。

どうしてそうなったのかは分からない。自分が奴らと違い賢かったと思いたいところだが……そうでないことくらいは、流石に大人になった今ならば分かる。

弟とは違い、愛されないが故に馴染めなかったのか。馴染めなかったが故に愛されなかったのか。始まりがどちらかだったかを確かめる術はなく、そうすることに意味もない。ただ結果として、ただ反抗心だけに塗れた暗い時間があっただけだ。

母に言われた言葉は今でも覚えている。忘れたいが、忘れるにしては何度も言われ過ぎた言葉。

 

『本当に……何故お前なんかが生まれてきたのかしら。お前など生まれなければ良かったのに。ブラック家の恥さらしよ。レギュラスはこんなに可愛いらしいのに。お前はどうして……』

 

一体いつから言われるようになったかは思い出せない。いつも弟と比較され、兄である私の方が下に見られていた。純血なんぞを有難がる家ではよくあることだが、ブラック家も例に漏れず、家柄以外に何もない家だった。そこに本来あるべきはずの愛情など一欠けらもない。今思えば、可愛がられていた弟でさえも、本当に愛されていたかは定かでない。純血を保つための道具としてしか見ていなかったのではないか。

真偽を確かめることはもう出来ない。だが少なくとも私の幼少期には、そんな純血以外の家であれば当たり前にあるものが全くありはしなかったのだ。

 

だが幼少期こそ暗いものだったが、私はそれを必要以上に悲観するつもりはない。

何故ならその幼少期のお陰で、私のホグワーツ生活はより一層輝かしいものに思えたのだから。

ようやく家から離れ、ホグワーツに入学したその日。私はブラック家伝統のスリザリンではなく、奴らからはもっとも忌み嫌わているグリフィンドールに入った。最初はただの反抗心からだった。そもそも組み分け帽子にスリザリンを勧められなかったこともあるが、グリフィンドールという選択肢は私自身が選び取ったものだ。

何もかもがうんざりだったのだ。どうせ望み通りスリザリンに入ったところで、私がこれから愛されるなんてことはない。ならば今までと全く違う世界へ、今までのモノを全てリセット出来る場所に行ってしまいたかったのだ。

そしてその願いは、想像以上のものを私にもたらしてくれることとなる。そこで出会った掛け替えのない友人達。ジェームズにリーマス……そしてピーター。誰一人として私の家庭など関係なく私に話しかけてくれた。私と一緒に馬鹿なことをして、常に私と一緒にいてくれた。何をするにしても私達4人。寮も、授業も、休みも、悪戯も。いつだって私達は4人で行動していた。それこそホグワーツを卒業しても、私達は決して離れないと信じ切れるものだった。

無論全てが順調だったわけではない。リーマスの体のこともあった上、私が遂に家から追放される出来事もあった。人には言えない苦労も沢山した。だがそれも含めて、私のホグワーツ時代は幸せな物だった。

たとえ狼男だろうと、私達は彼と最後まで寄り添うことが出来た。たとえ家から追放されようと、ジェームズが私を家に受け入れくれた。たとえピーターが落ちこぼれであろうとも、私達は奴に最後まで付き合った。

あの時、入学した時に私が手に入れた友情は本物だった。それが私にとってどれ程救いだったか。家族に愛されず、入学当初の私は世界にたった一人の孤独な存在だった。それを彼らが埋めてくれたのだ。この心の穴を、彼等の友情だけが埋めてくれた。

だからホグワーツ卒業後、私達が『不死鳥の騎士団』に勧誘された時、私は当然心の底から喜んだ。これからも私達の時間は続いていく。その上スニベルスのような……私の嘗ての家族のような、純血以外を排斥しようとする闇の魔法使いと戦うのだ。

心のどこかで、これで私は本当の意味でブラック家を捨て去ることが出来ると思っていた。どんなにホグワーツ時代が幸福であろうとも、心のどこかに泥の様に幼少期のことがこびりついている。だが私達に不可能なことなどない。たとえ相手があの『闇の帝王』であっても、私達の冒険譚は続く。そう、私が不死鳥の騎士団に所属していた時、それは結局のところホグワーツ時代の延長でしかなかったのだ。

 

……今思えば自惚れ以外の何物でもなかったのだろう。学生時代の延長で考えられるほど『闇の帝王』は甘い存在ではない。

何より自分の理想と思い込みだけで突き進むだけで、私は自分の足元を見ようとはしなかった。ただこれまでの生活がこれからも続くと、そうあるべきだと妄信しきっていた。それこそ自分が親友と信じていた人間すら、真の意味で私は見てはいなかったのだ。

 

だから、私が『不死鳥の騎士団』で過ごした年数が数年だったのは、ある意味で当然の成り行きだったのだろう。

しかもよりにもよって、親友だと思っていたピーターの裏切りによって、私はアズカバンに送られることとなった。

私は一夜にして、ようやく手に入れたと思っていたモノを再び失った。

これが私の人生における次の節目。ホグワーツ、不死鳥の騎士団。その後に突然やってきた、それこそ幼少期より真っ暗なアズカバンでの生活。いや、生活と呼べるような代物ではない。ただ息をしているだけ。そこには何一つとして温かみのあるモノはありはしない。温かみのある感情は、全てあの『吸魂鬼』に吸い取られてしまう。それを真の意味で生きているとは言えないだろう。

あれだけ私に開いていた穴を埋めてくれていたというのに、何もかもを根こそぎ『吸魂鬼』に吸い取られていく。残されたのは幼少期に植え付けられた空虚さ、そして自分は無実である事実と……私が収監される原因であるピーターに対する憎しみのみ。友人達との幸福な感情は……それこそピーターとのものも含めて失ってしまった。

アズカバンにいる間私はただ憎かった。ただ憎くて。憎くて憎くて仕方がなかった。あれだけ幸福だったのに、檻の中で思い出すのは人生最悪の日だけ。

 

『ジェームズ! リリー! 無事か!? 返事をしてくれ!』。

 

永遠に続くと思っていた日々が、唐突に終わりを告げた瞬間。それを何度も何度も……。

不幸中の幸いは、私自身が無実であることを最後まで確信出来ていたことくらいだ。この間違いを正さなくてはいけないのだと、私は冷たい監獄の中でも信じ続けることが出来た。

だが逆に言えば……アズカバンにいる間、私にはそれ以外の感情などなかった。ただ憎しみを滾らせるだけの毎日。誰もが、それこそあのダンブルドアさえ私を裏切り者と考え面会に来てくれない。暗い牢の中、ただ一人だけで憎しみを募らせるのだ。そんな無意味な時間を12年も。私の人生の3分の1。幼少期を合わせれば半分以上だ。何と無意味で無価値な人生だろうか。

そしてそれは……アズカバンから解放された今も続いている。

ジェームズの息子であるハリーに救われ、今こうして私は『不死鳥の騎士団』に再び所属出来た。もう私を裏切り者として扱う人間はいない。

なのに何故だろうか。私は未だにアズカバンから解放された実感を持ちきれずいる。ハリーと出会い、ハリーに救われた時は清々しい気持ちになっていた。だが今はどうだ。再び幼少期を過ごした家に閉じ込められ、思い出すのは何もかもが失われた記憶のみ。家に常にいるのが狂った屋敷しもべであることもあり、私の現実認識はどんどん混濁していた。モーリーに以前言われたことを思い出す。

 

『貴方はハリーを何だと思っているの!? あの子はジェームズ・ポッターではないのよ!?』

 

ハリーの今後に関しての、ちょっとした言い争いで言われた言葉。彼女は何気なく言ったのだろうが、私の意識にはハッキリと刻まれている。

あぁ、モーリーの言う通りだ。私だってハリーはハリーでしかないことくらい分かっている。彼はジェームズの息子であり、私は彼の名付け親。それ以上でもそれ以下でもない。

だが私の認識はどこか……あの全てを失った日で止まってしまっているのだ。あの何もかもを失った日から、私は一歩たりとも前に歩みだせずにいる。歩き出す機会を完全に奪われてしまった。だからジェームズとそっくりなハリーのことを考えた時、どうしても認識が以前のモノに引っ張られてしまうのだ。

 

それが間違ったことだと分かっているにも関わらず。

 

……一体私の人生は何だったのだろうか。

タペストリーを見つめていると、そんな疑問が浮かんでは消えていく。私の人生には一体何の価値が……意味があったというのだろうか。

あの輝いていた時期ですら消え去った今、私は何を思うべきなのだろうか。何も分からない。過去の出来事が走馬灯のように頭の中を通り過ぎ、何一つ真面に思考することが出来ない。

 

『何故お前なんかが生まれてきたのかしら。お前など生まれなければ良かったのに』

 

純血なんぞのために生まれてきたわけではないが、それ以外の価値を私は果たして成せたのだろうか。

下の階で物音がしたような気がして、ようやくタペストリーから視線を外したものの、私の頭にかかった靄が晴れることはなかった。

まるで呪いでもかけられたように見つめていたタペストリーから離れ、私は立ち上がりながら考える。

 

私の人生を改めて振り返った時、驚くほど私の友人達との絆以外に価値があるモノはない。そしてそれも今ではリーマス以外失われてしまった。私は一体これまで……いや、これからどのような人生の意義を見いだせるのだろうか。

 

私はそんな益体のないことばかり、その時考えてしまっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリー視点

 

「おー、素晴らしい! 実に素晴らしい守護霊じゃ! 期待以上じゃ! 約束通り特別点を差し上げよう!」

 

僕の最も得意とする『闇の魔術に対する防衛術』の試験が、今ようやく終了した。OWL最後の試験。しかもこの科目においては大成功と言えるだろう。

実技の試験後、なんと試験官が僕に『守護霊の呪文』を出すように指示してきたのだ。何でも僕の裁判を担当した一人と知り合いだったとか。その繋がりで僕が『守護霊の呪文』を使えると知ったらしい。何よりこの初老の試験官は僕とダンブルドアに好意的だった。最初から興味津々と言わんばかりに僕の実技を採点し、最後にはこのように特別点までくれたのだ。学校外にも僕の味方がいる上、試験においても間違いなく全科目の中で最高の結果だ。この辛い試験期間の締めくくりとしては最高のものと言えた。

素晴らしい解放感だ。

フレッドとジョージのお陰で、今ホグワーツ中が反アンブリッジの空気に染まっている。今日もどこかの廊下でウィーズリー製花火が爆発し、アンブリッジの部屋にニフラーが投げ込まれた。DA程ではないにしろ、ホグワーツ生が思い思いの方法で立ち上がっている。それで多少なりとも溜まりに溜まった鬱憤も晴れていたけど、それでもどこか鬱屈としたものを感じていたのだ。それが試験がようやく終わったことによって、今だけは全てから解放された気分だった。一時的とはいえ、あのヴォルデモートのことさえ忘れることが出来る。

だから()()()、僕は解放感のまま考えていたのだ。

これからどうしようか。グリフィンドール生はクィディッチを禁じられている上、DAを再開することも出来ない。なら勉強のことも忘れ、ただ談話室で友人たちと雑談を交わすのはどうか。最近は友人達もOWLのせいでピリピリしていた。でも試験が終わったことで、その張り詰めた空気もなくなることだろう。一番張り詰めていたハーマイオニーでさえ、

 

「や、やっと終わったわ。まさか最後の試験が『まね妖怪』の相手なんて……。前回のようには流石にならなかったわ。失敗はないはずなのだけど……あぁ、心配だわ! 私、『数占い』で計算ミスした気がして仕方が無いの!」

 

まだヒステリー気味ではあったが、少し前までとは違いまだ会話可能な様子だった。少なくとも話しかけるだけで呪いを放ってくる雰囲気ではない。彼女に続いて歩いて来たロンも、全ての苦悩から解放された顔をしている。今なら全てを忘れて、ただ以前の様に他愛のない雑談をすることが出来るだろう。今僕達に必要なのは、まさにそんな何も考える必要のない時間だ。

僕は廊下の向こうから歩いてくる友人達に笑顔で応えながら考える。

今日くらいはいいだろう。僕等を取り巻く現状は何一つ変わっていない。ヴォルデモートは復活したままであり、生徒達がいくら反抗しようともアンブリッジの権力は揺るがない。DAという手段が奪われたとしても、僕は諦めてはいけない。

でも今日だけは。今日だけはただ親友達との時間を大切にしたい。あまりの解放感に何も考えたくない。ただ談話室に戻り、勉強以外の他愛もない話をしたかったのだ。

ハーマイオニーの自慢なのか愚痴なのか分からない発言は沢山聞くことになるだろうけど、それでも久しぶりの親友達との時間だ。ロンなどは対照的に勉強の『べ』の字も出さないに違いない。せめて今日だけは何もかもを忘れたかった。

 

……なのに、

 

「それを取れ。俺様のために……()()を持ち上げるのだ! 俺様は触れることが出来ぬ。しかし……お前には出来るのだ。さぁ、手を伸ばすのだ!」

 

突然辺りの景色が変わり、僕は何故かホグワーツの廊下とは似ても似つかない場所に立っていた。

突然意識が引っ張られた感覚。辺りを見回せば、そこはたくさんのガラス玉が置かれた場所だった。

何故こんな所に? 僕は今までホグワーツの廊下におり、今から友人達と何気ない時間を過ごすはずだった。なのに何故こんな見覚えのない場所に? 一体何が僕に起こっているのだろう?

……しかし、そんな疑問を感じるべきなのだけど、()()は次の瞬間、何故かとてつもない()()を感じながら続けていたのだった。

 

「……何故手を伸ばさぬ? この俺様が命じておるのだ。その意味を知らぬお前ではなかろう。それとも苦痛に塗れた死を望むか?」

 

俺様は目の前に倒れる男に杖を向ける。

あぁ、何もかもが喜ばしい。俺様は遂に望んでいたモノを手に入れる。ここまで辿り着くのにどれ程苦労したことか。それが今こうして、もうすぐ今までの苦労が報われようとしている。少なくともルシウスなどに任せるより遥かに有効な手だ。全てはこの()()()のお陰だ。この繋がりに気付けたからこそ、俺様は遂に突破口を見つけることが出来たのだ。不甲斐ない『死喰い人』に悩まされるのも今日までだ。俺様は今日ようやく完璧な存在にまた一歩近づくことが出来る。

だが、その前に、

 

「だ、誰がお前なんぞの命令に、」

 

『クルーシオ、苦しめ!』

 

「ぎゃあぁぁぁ!」

 

「愚かだ。実に愚かだ……()()()()()()()()()

 

俺様はまずこの罠を完遂せなばならん。真に笑うのはその後だ。

俺様は目の前のみすぼらしい男に呪文を放ち、その男が浮かべる苦痛に歪んだ表情を()()()()。やつれた顔が苦痛に歪みながらも、頑として俺様への服従を拒んでいる。()()()()()()()このような表情を浮かべることだろう。我ながら素晴らしい()()()()()。俺様は最後の一押しのため、そのまま男に顔を近づけながら続ける。長ければ良いというものではない。これが俺様の()()でしかない以上、長ければ必ず粗が出る。小僧は騙せても、他が小僧を制止する可能性がある。俺様はなるべく時間をかけず、端的に誘導せねば。

 

「く、くそ! こ、殺すなら殺せ! 私はどんなに拷問されようと、」

 

「言われずとも最後には殺してやるとも。しかしブラック、まずは俺様のためにそれを取るのだ。なに、時間はたっぷりある。最後には殺してやるが……それまでにお前がどれ程苦しむかは、お前の選択次第だ」

 

そして俺様は杖を振り上げながら、再度何とはなしに辺りを見渡す。

そこにはやはり所狭しと並ぶ多くのガラス玉。だが有象無象の()()などには興味はない。俺様の欲するものはただ一つ。視線の先。棚には99と番号が振られている。そして肝心のガラス玉の下には……『闇の帝王とハリー・ポッター』と記されていた。

これでどんな愚か者であろうとも、俺様の望む場所に辿り着くことが出来るだろう。俺様は興奮のまま、目の前の男に杖を構えながら告げるのだった。

 

「さぁ、このヴォルデモート卿は待っているぞ。はやく辿り着くのだ。この『()()()』へとな。俺様はお前を待っているぞ、()()()()

 

そして再び男に呪文を放った時……()は大声で叫びながら目を覚ましたのだ。

いつの間にか僕は廊下に倒れ伏し、ただ大声で叫び続けていた。必死に辺りを見回すと、僕に必死な形相で声をかけるハーマイオニーとロンの姿。その周囲には騒ぎを聞きつけたのだろう生徒達が遠巻きに僕達を見ている。

だけど僕はそんなことはどうでも良かった。数瞬前まで感じていた解放感も今は消え去っている。

僕の中にあるのはただ一つの感情だけ。僕はただ今しがた見た光景を思い返しながら考えていた。

 

シリウスが……僕に残された唯一の家族と言える人が攫われた。しかも今もあのヴォルデモートに拷問を受けている。

僕は唯一残った家族を……助けに行かなくてはならない。

それも()()()()

 

数瞬前まで感じていた解放感はもうどこにもなかった。



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誘導(前編)

遅れました!


 ハーマイオニー視点

 

「シリウスが……シリウスが攫われた! あいつに! ヴォルデモートに! ぼ、僕、今すぐ助けに行かなくちゃ!」

 

ようやく全ての科目が終わったOWL。勿論全てが全て完璧なはずもなく、私自身でも後から気が付いてしまったミスがいくらでもある。それはある程度仕方がないことは分かっているのだけど、この試験が一生に関わると思えば、心底穏やかでいられるはずもなかった。

でも……目の前で突然叫び始めたハリーの言葉を聞いた瞬間、流石に試験のことばかり考えていられなくなったのだった。

今も人目をはばからず大声を上げるハリーの言葉を受け、私は急速に冷える思考を巡らせる。

シリウスが攫われた? 一体どういうことなの? 彼は『不死鳥の騎士団』本部……グリモールド・プレイスにいるはず。彼は未だに指名手配中のため外に出ることは許されておらず、尚且つ本部は魔法によって守られている。なのに何故彼が攫われたりしたの? 

そこまで私は考えた後、ようやく今私がすべきことに気が付く。

ハリーの言っていることが事実かどうかは、今考えるべきことではない。ハリーがどうやってその情報を知り得たかは今更のことだ。私が今すべきことは、この大勢の注目が集まる場所から一刻でも早くハリーを遠ざけること。

恐慌状態の今のハリーなら、どんな機密情報を叫んでもおかしくはない。少なくともシリウスの情報が既に機密情報なのだから。

そのことに思い至った私は即座にハリーの口を塞ぎ、そのまま周りの視線から逃れるために近くの空き教室に入る。鈍感なロンも流石に今のハリーと私の鬼気迫る空気に気圧されたのか、黙って私達の後に続いていた。

ここでなら少なくとも話の内容を誰かに聞かれることはない。ハリーが大声を上げた現場を見られはしたけど、あの場には幸い『高等尋問官親衛隊』はいなかった。なら致命的な失態にはならないはず。私はそこでようやく人心地つき、ハリーに続きを促す。

 

「ハ、ハーマイオニー! 何するん、」

 

「ハリーこそ、あんな人目のある所でシリウスの名前を出すなんて! 彼は指名手配中なのよ! もしアンブリッジの耳にでも入れば、取り返しのつかないことになるわ! ……でも、今それを言っても仕方ないわね。ハリー、それでシリウスがどうしたの?」

 

「そ、そうだ、シリウスが……シリウスがヴォルデモートに捕まった! あいつに拷問を受けてるんだ! 僕、今さっき()()()()見たんだ! ウィーズリーおじさんの時と同じだよ! 僕がヴォルデモートで、シリウスを拷問しようとしてた! だ、だから僕、今すぐシリウスを助けに行かないと!」

 

目の前のハリーは再び叫び、頭を掻きむしり始める。よく見れば膝は震え、声もどこか震えたものだった。

挙句の果てに、

 

「場所は……そうだ、あいつは『神秘部』にいるって言ってた。そこがどこか……ううん、そんなことは今は後回しだ。と、とにかく僕は今すぐ助けに行かないと! ハーマイオニー、それにロン! ど、どうやったらそこに行けると思う!?」

 

そんなことを言い出すのだから、もはや冷静な思考が出来る余地はハリーに残ってはいないのだろう。

……だからこそ、ハリーの剣幕に私の思考は逆に冷静なものになっていくようだった。先程までただOWLのことばかり考えていたのが嘘のようだ。突然の事態に思考が完全に追い付いているとは言い難いけど、それでも現在の違和感に気が付くことは出来ている。

ダリアのことで、私は散々予想不可能且つ、突然の事態に対処を迫られてきた。今まで自分の行動が成功した例なんて一度だってないけれど、不測の事態にはある程度耐性が出来つつあるのかもしれない。

私は完全に冷静さを失っているハリーに、なるべく冷静さを意識しながら尋ねた。

 

「ハリー、まずは状況を整理させて。私達は今しがた試験を終えたばかりで碌に状況を理解していないの。シリウスが『例のあの人』に捕まった。それはまた夢で見た光景なの?」

 

「そ、そうだよ、だから僕、」

 

「そう、それはいいわ。で、どうしてそこが『神秘部』って場所だと分かったの?」

 

「そ、それも今見たからだよ! あいつがシリウスを拷問する時、ここは『神秘部』だって()()()()()! でも、そんなことを今話してる場合じゃないんだ! 君は事態をまだ理解してない! 早く助けに行かないと、シリウスが!」

 

そこまで話して、私は何とはなしに違和感の正体に気付く。

要するに……何か簡単すぎる気がしたのだ。ハリーの夢はいつだって唐突で、私達には到底理解できるものではなかった。全てを理解できていたのは、それこそ全ての事情を知っているであろうダンブルドアだけ。なのに今回は、全てがお膳立てされたかのように単純明快だった。

偶然であり、幸運だったと言えばそれまでだけど、それにしては違和感がありすぎる。

まるで……誘導されているかのような強烈な違和感を覚えてしまう。

それに一度違和感を感じてしまえば、更に様々な疑問が浮かんでくる。そもそも何故シリウスは捕まったのだろう? 彼の性格上、遂に我慢できずに外に出たところを捕まったと考えれば辻褄があうけれど……そこまで簡単に捕まるだろうか。彼は『動物もどき』。外に出るにも変身するくらいの判断力はあるはず。それがこうも易々と捕まってしまうのは違和感がある。

そして場所。ハリーは『神秘部』と言っていたけど、それは私の記憶が正しければ魔法省の一部所だ。『死喰い人』が魔法省の中で何か探しているのは、グリモールド・プレイスで盗み聞いた騎士団内での会話で何とはなしに気が付いている。でも、それにしたってこうも簡単にその詳細な場所まで掴めてしまったのはどうなのだろうか。

ハリーも含めて『神秘部』について今まで知り得たメンバーはいない。最初から知っていたのは『不死鳥の騎士団』の正式な団員のみ。なのにここにきて突然、それも夢なんていう曖昧な根拠で知った。

これで違和感を感じない方がどうしている。私はダリアに関わる多くのことで、ただ思いや感情だけで動いても良い結果にならないことを学んだ。私は常に考え続けなくてはならない。どんなに考えても正しい結果に辿り着けるとは限らない。でも、それでも考えることを止めてはならない。それが失敗続きな私にも残された最後の意地だった。

尤もそんな私の最後の意地も……今のハリーの前では無意味だったけれど。

 

「まずは落ち着きましょう。貴方の言葉にはいくつもおかしな点があるわ。まず、」

 

「おかしな点!? おかしなだって!? ハーマイオニー、君は今の状況を理解してない! 確かに僕の夢はおかしいことだらけさ! 何故僕がこんな夢を見たのか分からない! ダンブルドアは閉心術が必要って言ったけど、理由は最後まで言ってくれなかった! でも僕の夢はいつだって真実だった! 僕の夢のお陰でウィーズリーおじさんは助かったんだ! あのままではおじさんは死んでた! 今回も同じだ! それも今回はシリウスが! 僕の唯一家族と言える人が、今この瞬間も危険な状態なんだ! それを君はおかしな点と言ってるんだ! 僕等はこんな風に悠長に話し合っている場合ではないのに!」

 

捲し立てるような言葉。しかもウィーズリーさんに言及したことで、今まで戸惑うだけだったロンまで納得した表情を浮かべ始めている。私の反論でより一層ハリーは興奮してしまった。

私にもハリーの気持ちは分かる。ハリーが今見たのは、自分の名付け親の危機だ。今一緒に暮らしている家族と馴染めていない中、彼だけがハリーの家族であるのは間違いない。そんな彼が危機に瀕して……それも拷問にかけられようとしているのだ。冷静でいられるはずがない。

でもそれが分かっていても、私は考えることを止めずにはいられない。シリウスが捕まったという危機感以上に、私はどうしようもなく違和感を覚えてしまっているのだ。

このまま勢いに任せれば、間違いなく私達は後悔することになる。そんな気がして仕方が無かった。

このままでは私がどれ程反対しても、私を置いてハリーが暴走しかねない。だから私はこのままここで真偽を議論しても逆効果だと判断し、せめて時間稼ぎと方向転換を図ることにした。

 

「……分かったわ。でも、私達がすべきなのは、まず『不死鳥の騎士団』の誰かに連絡することよ。そうすればシリウスの安否を確認することも出来るわ。もし捕まっていたとしても、彼らがまず対処することが出来る。ダンブルドアとハグリッドは今はいない。いるのはマクゴナガル先生と……スネイプ先生ね。まずは彼等のどちらかに連絡しましょう」

 

「……分かった。ならマクゴナガル先生の所に行こう。スネイプに言っても取り合ってくれない。それに僕がまた夢を見たと言ったら……あいつは何だかんだ言って無駄な時間を使うと思う。だから今すぐマクゴナガル先生に会いに行こう!」

 

流石に冷静さを失っていたハリーも、私の提案には聞くべきところがあると判断してくれたらしい。酷く焦っているのは変わらなくても、現状取れる最良の手を選んでくれた。

私達は空き教室を出て、マクゴナガル先生がいるであろう教員室に向かって走り始める。

ハリーの夢が罠であれ真実であれ、私達だけで事態を判断していいはずもなく、解決するための力もない。だからこれが私達に出来る最大限のことなのだ。後はマクゴナガル先生が判断してくださるはず。もしかしたら未だ逃亡中のダンブルドアに連絡を取ってくれるかもしれない。最悪でも騎士団の誰かには知らせて下さるはず。

その上でハリーの夢が真実であるかが分かるのだ。

だから私達はまず……一刻も早くマクゴナガル先生の下へ。

 

 

 

 

なのに……

 

「マ、マクゴナガル先生! 先生に知らせなくちゃ、」

 

「あらあら。どうしたのです、そんな風に慌てて。それに……知らせなくては? あらあら、一体何を知らせるつもりなのかしら?」

 

教員室にはマクゴナガル先生と共に、あのアンブリッジもいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

「アンブリッジが一緒なら、マクゴナガル先生に相談するのは絶対に無理だよ! 無理やり引き離そうにも、僕等が先生に話したいことがあると知られてしまった! あの女が先生から離れるはずがない!」

 

「だからスネイプ先生に、」

 

「論外だ! あいつに話しても鼻で笑われるだけだ! これ以上時間を無駄にするわけにはいかないんだ! 他の先生にも()()()()()()()()()()()()()()……」

 

僕が大声で議論しているハリー達を見つけたのは偶然のことだった。OWLがようやく終わった後、僕は解放感のまま城の中を歩き回っていた時……突然廊下に口論をする声が響き渡ったのだ。しかもそれは僕がよく知った人達のもの。何となく皆の様に外に出る気持ちも湧かず、ただ気の向くまま……いや、()()を探しての行動だったけれど、友人達が喧嘩しているのなら無視するわけにもいかない。

僕が声のしている方向に向かうと、やはり思った通りの人物達がいた。酷く興奮した様子のハリー、どこか戸惑った様子のハーマイオニーとロン。

 

「それでもまずは相談なり、情報集めをするべきだわ! 行くのは最後の手段よ!」

 

「でもだからって、」

 

「ちょっと皆、ど、どうしたんだい? そんな大声出して」

 

だから僕は三人に話しかける。この三人が口論しているということは、それはきっと重大な事に対してなのだろう。でも今の三人の様子からあまり口論がいい方向に行っているとは思えなかった。僕が加わった所で役に立つとは思えないけど、せめて興奮した……どこか苦しそうなハリーの相談に乗るくらいなら出来るはずだ。

尤も僕の行動がただの余計なお節介になる可能性もある。事実僕が話しかけたことで、三人は一斉に困惑した態度になってしまったのだ。

 

「ネ、ネビル。い、いつから聞いていたの?」

 

「いや、何も聞いてないよ? で、でも皆が困ってそうだったから、僕も力になれればと思って……。ぼ、僕なんかじゃ役立たずだとは思うけど」

 

ハーマイオニーの質問に答えても、三人はどこか浮かない顔で視線を交わしあっている。でもやはり重大な困りごとだったらしく、ハリーがどこか渋々と言わんばかりの態度で話し始めた。

 

「いや、ネビル。ありがとう。実は僕ら……いや、僕は直ぐに行かないといけない所があって。僕の大切な人があいつに……ヴォルデモートに捕まってしまったんだ! だから助けに行きたいけど、その前にマクゴナガル先生に相談しないといけないと思って……。でもマクゴナガル先生の傍にアンブリッジがいて、他の先生の近くにも()()()()()()がいる。だから僕は今すぐ行かないといけないのに……」

 

聞いた瞬間、何故彼らが僕に話そうか悩んでいたのか分かった。どうしてそんなことになっているのか分からない上、どうやってそのことをハリーが知り得たかも分からない。でもハリーが焦っているのは確かだし、ハリーが突拍子がなくても真実を言っていたことは何度もある。クリスマスの時が当にそうだった。なら今僕がすべきはハリーに疑問を投げかけることではない。そんなことはハーマイオニーが散々したはず。なら僕はただハリーのことを信じるべきだ。ハリーも僕を信用して話してくれた。こんな何も出来ない僕のことをだ。なら僕もその信頼に応えなくてはいけない。

 

「ネビル、これには事情があって……つまり、」

 

「いいよ、ハーマイオニー。説明している時間は無いんだよね? で、僕には何が出来るかな? 僕が出来ることだったら協力するよ」

 

ハーマイオニーが気を利かせてくれるけど、僕はただハリーを見つめながら応える。

 

「驚いたわ。……本当に変わったわね、ネビル。これもダフネのお陰かしら」

 

それに対してハーマイオニーも何か小声で呟いていたけど、すぐに気を取り直して続けるのだった。

 

「ネビルも加わってくれたことで、出来ることは少し増えたわね。本当はまず先生に話してからと思ったけど、こうなれば仕方がないわ。まずネビルはDAメンバー……そうね、ルーナとジニーを探してくれる? ルーナは事情を覚えている一人だし、ジニーはハリーに家族を救われたことがある。だから彼女達ならすんなり協力してくれるはず。今は事情を知っている人が一人でも欲しいわ」

 

一呼吸置いた後、更に彼女は続ける。

 

「彼女達に声をかけ終えたら……そうね、アンブリッジを見張っておいてくれないかしら。それでマクゴナガル先生からあの女が離れたら、先生に伝えて。シリウ……本部の人、そう本部の人が捕まったって。至急確認して欲しいと伝えてくれるかしら?」

 

「うん、分かった。それくらいなら僕にも出来そうだよ。それで君達はどうするの?」

 

「……私達は別の方法で確認を取ることにするわ。フクロウでは時間がかかるから……何か他に方法が? 本部と連絡……いいえ、確認だけでいいはずよ。でも方法が……いいえ、そうだわ。確かハリーが以前、対抗試合の時、()()()()で彼と……」

 

そのまま考え込み始めてしまったハーマイオニー。何だか時間がかかりそうだ。尋ねたのは僕だけど、もう彼女は僕の方を見ずに考え込んでいる。だから僕は、

 

「じゃ、じゃあ、僕は先に行くよ!」

 

「あ、ありがとう、ネビル! こんなこと突然頼んだのに、」

 

「いいよ、ハリー。そのためのDAだったんだから! 僕も君の役に立ちたいんだ!」

 

そのまま彼等と別れ、僕は即座に大広間に走る。ジニーはともかく、ルーナがどこにいるか見当もつかない。でも幸いもう少しで食事の時間でもある。可能性が高いとすれば大広間だろう。ジニーは大広間が駄目なら談話室だ。だからまずはルーナを捕まえるため、僕は大広間に向かって走り始めたのだ。

今ハリーに何が起こっているのか正直よく分かっていない。ハリーの大切な人が誰なのかも、三人は明言をさけていた気もする。それでも今大変なことが起こっているのだけは確かなのだ。新聞でも城の外で事件が起こっているのは知っていたけど、今この瞬間、遂に僕等の身近に事件が起こったのだ。

『例のあの人』……闇の帝王によって。僕のパパとママを拷問した『死喰い人』によって。

僕は臆病で無能な人間だ。でも僕にだって戦わなくてはならない時くらいわかる。そのためのDAであり、そして今こそ戦うべき時が来たのだ。ならば今は事情を考えている場合ではなく、ただ行動を起こすべきだ。

だからまずは大広間に向かって走る。ハーマイオニーの指示を実行するために。

 

 

 

 

その行動が無駄になるとも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

OWLが終わった直後、談話室には今『高等尋問官親衛隊』のメンバーが全員集められていた。

他の生徒は誰一人としていない。いるのはただ親衛隊のメンバーのみ。他の生徒は皆、それこそ下級生も含めてどこかに逃げてしまった。親衛隊メンバーも、

 

「そ、それで、どうして私達はここに集められたの? 折角OWLが終わったのに、どうして私達は談話室に集められているのかしら?」

 

勇気があるのか、もしくは蛮勇の塊なのか分からないパンジーしか言葉を発していない。声を出したパンジーですら、顔を恐怖に引きつらせている。

それもそうだろう。何故なら、今彼女達の目の前で一人ソファーに座るダリアは……肌で感じられる程冷たい空気を醸し出していたから。

それこそピクシーを殺しつくした時と同じくらい張り詰めた空気を垂れ流している。しかも今まで閉じていた目を開けた時、

 

「っ! ダ、ダリア、わ、私そんなつもりで、」

 

「単刀直入に言います。貴女達にやってもらいたいことがあるのです」

 

ダリアの目は、まるで血の様な赤色に染まっていたのだ。

彼女の目を見た瞬間、ダリアの隣にいるドラコと私以外のメンバーは全員体をこわばらせる。表情こそいつもの無表情ではあるけど、その空気は怒り狂った時のダリアと相違ないものだった。

ダリアは親衛隊員に冷たい視線を向けながら続ける。

 

「私が貴女達にお願いするのは極々簡単なことです。今から一人一人が教員を監視するのです。方法は問いません。試験のことで質問する、ただ傍にいる。どのような方法でも構いません。ただポッターが……いえ、グリフィンドール生の誰かが教師と接触するのを妨害してください。そしてもし彼らが接触した場合、直ぐに私に知らせる。貴女達にお願いしたいのはただそれだけです」

 

何の脈絡もなく、ただただ突然の命令に親衛隊メンバーは困惑している様子だった。しかしそれでも疑問を差し挟まないのは、偏に今目の前のダリアの空気が反論を許さないものだからだろう。反論しようものならどんな呪いをかけられる分からない程の冷たい空気だ。無論私はダリアがそんなことをしないと知っている。でもそんな私でも、簡単には口をはさめない程の緊張感だった。

 

「これは……そう、命令。親衛隊隊長からの命令と受け取っていただいて構いません。もしこれに、」

 

「わ、分かったわ! か、監視すればいいのよね! やるわよ! い、今すぐに!」

 

だからこそパンジー達は疑問を口にするでもなく、まるで逃げるように談話室から走り出していった。今の彼女達であればダリアの命令に忠実に従うことだろう。たとえそれがどんなに要領を得ないものであったとしても。

談話室に残されたのはダリアとドラコ、そして私のみ。ここでようやく私は口をはさむ機会を得た。冷たい空気であっても、私はダリアのことを信じている。でもパンジー達がいては聞くことは出来ない。でも今しがた彼女達はいなくなった。残ったのは、ダリアが本当に信じてくれている人間のみ。ならば今ここで私は尋ねなくてはいけない。

それがどんなに過酷な現実であったとしても。

 

「ダリア……OWLが終わった後、()()()()()? 何を見て、貴女はこんな指示をパンジーに命じたの?」

 

正直聞きたいことは他にも山程あった。何故あのような命令を? どうしてそんな()()()()()表情をしているの?

でも結局私が口にしたのは、本当に聞くことのみだった。

ダリアの様子が変わったのは、それこそOWL直後のこと。ダリアは()()()()()()()()()()、その数分後に目覚めた後……今の様子に変貌していたのだ。何かあったと考えるのは当たり前のことだろう。

ダリアは普通の人間とは違う。口が裂けてもそんなことを言うつもりはないが、身体面だけを見れば決して平凡な物とは言い難い。吸血鬼と闇の帝王の血を混ぜた体。その精神は普通の女の子のものだと私は知っているけど、体のことを考えるとどんな可笑しな起こってもおかしくはない。だからこそ、私は単刀直入にダリアが今不安に思っているだろうことを尋ねたのだ。何もないというのに倒れ、尚且つその後に豹変することなんてあり得ない。

ダリアは確かにあの瞬間、倒れた瞬間に何かを知り得たのだ。ダリアがここまで余裕を無くさなければならない何かを。

だから私はまずそれを尋ねた。ダリアを独りなんかにしない。OWLが終わった解放感などどうでもいい。私にとって優先すべきはダリア以外の何物でもない。私がどんなに愚か者で無能な存在であったとしても、この気持ちだけは決して間違えたりしない。

でも……結局ダリアの答えは、

 

「……別に大したことは。ただ……私は今必要なことを為すべきと考えただけのことです。大丈夫です。何があっても、私が必ず貴女達のことを守ります」

 

そんな何もかもを隠したものでしかなかった。

 

「ダリア、それじゃあ答えになってないよ……。約束したでしょう? もう隠し事は、」

 

「いいえ、知らない方がいいこともあるのです。知れば貴女は……私と同じ立場になってしまう。だから貴女とお兄様はここにいて下さい。……私はもう行きます。時間が無いので」

 

そしてそのままダリアも談話室を出て行こうとする。当然私もドラコも彼女に続いた。

ダリアの答えに納得できるはずがない。今のダリアはどう考えてもおかしい。最近はいつだって張り詰めていたけど、今は特に雰囲気がおかしかった。

何かが……今この瞬間も、決定的な何かが起こったのだ。ダリアの様子からそれがうかがい知れた。

今これ以上ダリアに事情を聴いたとしても、頑固なダリアが答えてくれるとは思えない。余裕のないダリアの時間を余計に奪うだけになるだろう。でも、それでもダリアを一人にする選択肢などない。

しかもダリアは後ろに続く私達を一瞥し、溜息を一つ吐いたものの、そのまま談話室の出口を目指し歩き続ける。もはや私達を説得する時間すら惜しいということなのだろう。

 

私はダリアの背中を見つめる。その同年代からすれば少し小さく思えるようになった背中を。

小さいながら、どこまでも大きく重いモノを背負わされている背中を……。

何が起こったのかは分からない。私達に出来るのは、今現在においては結局のところダリアについていくことだけだ。でも、いつかは必ず……。

私は絶対にダリアを裏切らない。

 

私はダリアの背中を見つめながら、そう改めて心に誓うのだった。




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誘導(中編)

遅くなりました!


 スネイプ視点

 

吾輩にとってダリア・マルフォイという生徒は……実に判断に悩む、複雑怪奇な少女だった。

ルシウスと親交のある吾輩にはダンブルドア程警戒しきることは出来ず、かといって能天気に考えられる程ただ可愛げのある少女でもない。

大変認めがたいことであるが、ポッターの情報は正しかった。吾輩は闇の帝王にホグワーツでのスパイ活動を命じられているため、逆に言えば帝王自身の情報をあまり多く入手出来ているわけではない。だがそれでも、ミス・マルフォイの現状は微かに漏れ聞こえている。

初めはポッターの妄想話であり、ルシウスの自慢話であると断じていた。だが事態が推移するにつれ、一概に無視することが出来ぬ状況になっていた。

認めるしかない。吾輩らしからぬことであるが、感情で事実を否定しようとしている。だがそんな感情を排し、吾輩はいよいよ認めねばならぬのだろう。

 

ダリア・マルフォイという少女は……少女でありながら既に闇の帝王の右腕なのだと。

 

無論事実を認めたからといって、彼女についての根本的な疑問が消えたわけではない。

たかだか15歳の少女が何故闇の帝王に認められているのか。家庭事情を考えれば、彼女が闇の帝王に与していることには納得がいく。寧ろそれ以外の選択肢が彼女に与えられているとは思えない。だが、それでも15歳の少女なのだ。いくら実力があろうとも、闇の帝王と出会ったのは数日くらいのものだろう。果たして本当にそれ程重宝されるようなことがあるのだろうか。

それに……彼女の気質が悪であると、吾輩にはどうしても思うことが出来ないのだ。

根拠は明確な物ではない。ただ彼女が……何と言えばよいか、ただの他人とは思えないのだ。吾輩と彼女は、友人の娘であるという点を除けば、ただ教師と生徒という関係でしかない。実際彼女と言葉を交わしたことは数える程しかない。だが何故だろうか。吾輩には彼女がただ他人のためにしか生きていないように感じるのだ。

自身のことを罪人と、無価値な存在と考え、その穴を埋めるためにただ他者に尽くしている。

吾輩の場合はリリーの……吾輩が人生で()()()()()女性のため。そして彼女の場合は……。

何故吾輩がこんな風に考えているのか、吾輩自身も理解できない。理屈ではなく、感情で吾輩は思考している。実に不合理だ。だからこそ、吾輩は理路整然としたダンブルドアの見解に抗いきれずにいる。いつだってダンブルドアは腹立たしいくらい正しい。他者には反論を許されない程、彼は()()を正しく認識している。

闇の帝王は打倒されなくてはならない。そして15歳でありながら闇の帝王の配下であり、既に我々の脅威となりうる力を持つ少女を警戒するのは当然だ。放っておけば闇の帝王にすら辿り着けなくなる可能性もある。

その理屈を……吾輩とて理解しているのだ。そこに反論の余地など無い。闇の帝王の右腕になりつつあると知った今は尚更。ポッターの妄想と断じる余裕はもはやない。

だというのに、

 

「あぁ、よく来てくれましたね、セブルス。単刀直入に言うわ。『真実薬』を持ってきてくれないかしら。確か貴方は薬を持っていたはずよね? ポッターの尋問に使います!」

 

「……」

 

吾輩は彼女を敵と認識しきれずにいるのだ。

……今もそうだ。OWLという一年における一大イベントもようやく終わった時間、本来であれば生徒達は大広間に夕食を摂るために向かっているはず。そんな時間に吾輩は何故か突然アンブリッジ新校長の部屋に呼び出され……実に不可思議な光景を見せつけられている。

親衛隊に拘束されるポッター三人組に、何故かネビル・ロングボトムにジネブラ・ウィーズリー、そして確か……ルーナ・ラブグッドという名の女生徒。ポッター達の前にふんぞり返るアンブリッジに、彼女の横に静かに佇むミス・グリーングラス、ドラコ・マルフォイ。

そして……ダリア・マルフォイ。

狭いとは言えないが、そう広いとも言えない部屋に大勢の人間が存在している。どう考えても何かがあったのは間違いない。

ポッター達を見下ろすアンブリッジに、その隣に佇むダリア・マルフォイ。一見すればミス・マルフォイはアンブリッジ側に見えることだろう。

だが……だというのに、この状況を前にしても吾輩は彼女への印象を変えきれずにいる。

 

「どうしたのですか、セブルス? 何を黙っているのですか? 私は命じているのですよ! 高等尋問官であり、新校長である私が!」

 

「……」

 

わめくアンブリッジと違い、彼女はただ黙って佇むだけ。表情も普段の無表情だ。

だが何故だろうか。吾輩にはその表情がどこか……酷く思いつめたモノに見えて仕方が無かったのだ。

いずれにせよ、吾輩には彼女の言動と行動にも関わらず、どうしても好意的な解釈を捨てきれずにいる。

我ながら実に度し難い思考だとは思う。何故ダリア・マルフォイに関しては、吾輩は実に下らぬ感情などに引っ張られた思考をするのだろうか。

 

……いや、今はこんなことを考えている場合ではない。

吾輩はそこまで考え思考を切り替える。今は目の前のガマガエルに集中せねば。

 

「何を、」

 

「失礼、校長。少々事態が理解できませんで。で、真実薬をお求めになっておられるのは分かりましたが、何故それを必要なのですかな? ポッターに毒薬を使うのであれば無条件に賛同いたしますが、真実薬は非常に高価な物なのです。ポッター如きには勿体無い。真実薬は……残念ながら調合に一ヵ月はかかる。貯蔵していた物は去年全て()校長が使い切ってしまいました」

 

「な、なんですって!?」

 

ミス・マルフォイから無理やり意識を切り離し、吾輩はただ淡々と新校長に告げる。無論虚偽の内容だ。真実薬は確かに在庫は存在する。クラウチ・ジュニアに飲ませはしたが、全てを使い切ったわけではない。だが彼女に真実薬など渡そうものなら、ただでさえ口の軽いポッターからどのような秘密を引き出されるか分かったものではない。当然渡せるはずがない。

それにこうして挑発しておけば、

 

「こ、この! わ、私は高等尋問官ですよ! 私には貴方達教員には及びもつかない権利があるのよ! このポッターは私の暖炉を使って、誰かに連絡をしようとしていました! 間違いなくダンブルドアだわ! これは明らかな反逆行為! 貴方は黙って私の命令に従っていればいいのよ!」

 

アンブリッジは勝手に情報を吐き出してくれるのだ。普段は我々を苛立たせることに異様な才能を発揮しているが、今は冷静さを些か欠いている様子だった。吾輩の言葉にわめき散らし、重大な情報を吾輩にもたらした。

成程。やはりポッターがいつもの如く考えなしに行動したということか。本当に無思慮で、傲慢な小僧だ。何を考えたのかは知らぬが、もはやアンブリッジの部屋に堂々と侵入するとは。しかも暖炉を使って連絡を取ろうとした? 愚かにも程がある。露見しないはずがない。アンブリッジの部屋は今格好の悪戯対象に成り果てている。無論それに彼女が対処していないはずがない。生徒の侵入自体は許しているようだが……侵入したまま、ただ暖炉を使うために居座り続ける愚か者を捕まえるくらいには対処されている。

まったく余計なことばかりする小僧だ。それにその取り巻き達も。グレンジャーなど、こういう事態にこそ無駄な頭脳を働かせればよいものを、いざという時この少女もポッターの愚行に同行するきらいがある。所詮はグリフィンドールというべきか。いや、リリーのことを思えば、ただこの小娘が愚かなだけだろう。勉学だけが出来ても何の意味もない。たとえどんな事情があろうとも、少なくともグレンジャーだけは冷静に頭を働かせるべきだったのだ。

そう、たとえ、

 

「ス、スネイプ先生! ほ、本部で、」

 

「ハーマイオニー! 何を、」

 

「ロンは黙って! ほ、本部でシリ……パッドフットがあ、あいつに! あ、貴方にも良心はあるのでしょう!? なら、ダンブルドアに早く伝えて! ダンブルドアに伝えないといけないことが沢山あって! でも、先生にまだ良心が残っているのなら、この人に従うべきではないのだわ! だから早く本部のパッドフットを!」

 

本来ならあり得べからざる事態が起こったのだとしても。

吾輩は当然、最初この少女が何を言い始めたのか理解出来はしなかった。正直なところ、遂に気が狂ったのではないかとさえ考えた。

だが、本部という言葉に違和感を感じた瞬間、吾輩はようやくこの少女の言わんとしていることを理解したのだった。

今本部に……つまり『不死鳥の騎士団』本部にいる人間。それはシリウス・ブラックに他ならない。それに奴のことを、あの忌々しいジェームズ・ポッターが『パットフッド』と呼んでいたのも覚えている。ならば奴が捕まったということをグレンジャーは言いたいのか?

あり得ない……と言えないのが、あの男の愚かさだろう。情勢も読めず、ただ自分のちっぽけな不幸を嘆くだけの男だ。冒険と称して外に出るなんてことは十分にあり得る。

そしてそれを知り得た手段も……同じ愚かしさを持ったポッターで説明できる。吾輩の指導を完全に無意味なものとし、愚かにも再び『闇の帝王』の夢を見たというところか。

少なくとも一々詳細を気にしている場合ではないことは理解したが、それでも苛立ちを覚えずにはいられなかった。グレンジャーの言葉で事態を理解してしまった自身を恨みたくなる。知らなければ無視できたものを、もののの見事に吾輩も巻き込まれてしまったというわけだ。

シリウス・ブラック、ハリー・ポッターが愚かであることは今更考えても仕方がないことだ。ブラックは言わずもがな、ポッターもあのジェームズ・ポッターの息子だ。父親の蛮行を目にした時は流石に顔を青ざめさせていたが、そもそも他者の記憶を覗き見する段階で程度が知れている。吾輩の忠告も聞かず、性懲りもなく『闇の帝王』と繋がり続けているのがいい証拠だ。

そして今回の件に関して、やはりハーマイオニー・グレンジャーもその愚か者の一味と言える。確かに吾輩への伝え方に関しては及第点だ。アンブリッジには意図は伝わらない上、吾輩を巻き込まない最小限の演技もされている。これではアンブリッジが吾輩を責めることは困難だろう。

だがそれだけだ。そもそも彼女がもっと上手く立ち回れば、こんな厄介な事態にならずに済んだのだ。大方この城で誰にも見られずに連絡を取るには、寧ろ敵の懐に飛び込むのが最も安全なのだとか考えたに違いない。愚かにも程がある。小娘の浅知恵だ。もっとましな方法をどうして考えなかったのか。時間が無いにしろ、もっとやり様はあったはずなのだ。その努力を怠った結果がこの様だ。

 

尤も、今この愚か者共の愚劣さを挙げ連ねても仕方がないのも確かだ。

グレンジャーの言うことが真実であれ……あるいは()であれ、吾輩は早急に確かめねばならぬ。このままではポッターと愉快なお仲間共が退学にされかねないが、今はそれすら二の次だ。遂に闇の帝王が動いたと見ていい。グレンジャーの世迷言で動くのは癪だが、吾輩は今こそ動かねばならぬ。

 

「パッドフット? 一体何を言っているのですか? セブルス、この子は貴方に話しているみたいですが、一体何のことを言っているのですか!?」

 

「さっぱりですな。吾輩が思いますに、ミス・グレンジャーは錯乱したとしか。吾輩としてはこれ以上気が狂った生徒に付き合うのはごめんこうむる。新校長も用が無いのならこれで。あぁ、一つご忠告申し上げますに、ポッターとその仲間の妄言にあまり真剣に付き合わないことをお勧めします」

 

そう言って吾輩はアンブリッジの言葉を適当にあしらい、最後にもう一度ダリア・マルフォイの方に視線を向けた後に部屋を後にする。

……やはり一見冷たい無表情でしかないはずが、何故か吾輩には酷く思いつめたモノのように見える、あの少女の横顔を見つめた後に。

 

突然の事態であるが、吾輩は『不死鳥の騎士団』の一員だ。以前の戦いの時も、悲劇は突然、何の前触れもなく起こっていた。今回とてどんなに突然の事態であろうとも、吾輩が何をすべきかくらいは理解している。たとえこの事態が、どうしようもない愚か者共によって引き起こされたモノだとしてもだ。

怒りに引きずられそうになる思考を無理やり引き留めながら、吾輩はただ今為すべきことのみを考える。

まずはシリウス・ブラックの所在確認だ。捕まったかどうかはさておき、今奴が騎士団本部にいるかどうかを確かめる必要がある。もしいなかった場合は騎士団員を早急に招集せねばならぬし、いた場合も闇の帝王の罠を警戒せねばならない。ポッターがこれ以上愚かな行動を取らぬようにせねば。

 

どんなに愚かで、心底見捨てたいと思っていようとも……ポッターはリリーの息子である事実に変わりはないのだから。

それに、この行動こそがミス・マルフォイの真に望んで……。

 

 

 

 

これが吾輩がグレンジャーの言葉を聞いた直後のことであり……ポッター達の真の愚かさを再確認する直前のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンブリッジ視点

 

ようやく尻尾を掴んだ!

私はここのところ忍耐に次ぐ忍耐を、極めて不当な待遇を強いられてきた。それもこれも全てあのアルバス・ダンブルドアのせいで。

しかし、これでその忍耐も終わり。私はようやく掴んだのだ。今度こそポッターを破滅させる口実を。誰一人文句の言えない、完全無欠の口実を!

切欠は偶然でしかなかった。ただ偶々事務的な用事で教員室にいた時、何とあのポッター達が、

 

『マ、マクゴナガル先生! 先生に知らせなくちゃ、』

 

『あらあら。どうしたのです、そんな風に慌てて。それに……知らせなくては? あらあら、一体何を知らせるつもりなのかしら?』

 

突然あまりにも意味深なことを、それも慌てふためいた様子で叫んでいたのだ。

何事かまでは分からないが、どう考えても私に知られたくない何事かが起こったのは間違いなかった。しかも私を見た瞬間、黙り込んだのだから、もはや自白したも同然だろう。

だからこそ私はミネルバを監視し続けた。ポッターはホグワーツ教員の中で敢えてミネルバを選んだのだ。ならば必ず彼女でなければならない理由があるはず。私の直感が告げている。この降ってわいた幸運をモノにすれば、必ずやポッターどころか、それこそ現在のホグワーツで最も邪魔であるミネルバさえ排除できる。

私は自分のことをこれ程幸運だと思ったことなどなかった。どちらかと言えば、私程不運だった人間もそうはいまい。私には最初から何も無かった。家柄も、お金も……容姿も。何もかもが私には無かった。不公平極まりない。どうして私には何もないのか。どう考えても不公平ではないか。そう考えたことは何度もあった。

でも、それも今度こそ終わりなのかもしれない。遂に私の忍耐が今度こそ報われる時が来たのだ。一時は取り逃したと思っていた幸運が、再び私の手の中に舞い戻ってきた。これで私は今度こそこの城の全てを手に入れられる可能性がある。闇の帝王が望まれる全てを私が実行し、あのお方の目に留まる。その足掛かりを私は二度も手にしたのだ。今度こそ逃すことは出来ない。

 

そして、そんな私の予感は見事に的中することとなる。なんとポッター達が私の部屋に侵入し、あろうことか『煙突飛行』で誰かと連絡を取り合おうとしたのだ。

 

このホグワーツで煙突飛行そのものを実行することは出来ない。どの暖炉にも侵入は勿論、脱走も出来ないように魔法がかけられているのだ。しかし、体の一部を飛ばすことでの連絡くらいは取れる。子供とは完全な管理下に置かねば何をしでかすか分かったものではないのだから、このようなことは欠陥以外の何物でもない。大方ダンブルドアのホームシックにかかった生徒に対する余計な気遣いなのだろう。当然そんな愚かなことを、新校長である私が許すはずがない。だからこそ、私の暖炉以外は連絡すら取れない様に、魔法省の力すら使って監視をかけていたわけだけど……それが見事に功を奏したというわけだ。

私の暖炉を使おうとしたのはハーマイオニー・グレンジャーである様子だった。いつも私に賢しらに反抗的なことを言う小娘。教科書を文字通り丸暗記しているだけはあり、私が暖炉を監視している可能性に思い至ったことだけは認めよう。でも、所詮小娘に考え付く可能性などその程度のこと。大方私の暖炉なら盲点をつけると考えたのだろうが、私が部屋に侵入された時点で気付かないはずがないではないか。確かに生意気な学生の侵入を防げず、今も取り逃がし続けていることは間違いない。認めがたいことではあるが、ホグワーツの悪戯生徒のレベルは侮りがたいものがある。しかし、だからと言って私が何も対策していないと考えるのは、どう考えても私のことを過小評価しているとしか言えない。私が何も対策していないわけがないではないか。侵入を許しても、少しでも馬鹿な学生を捕まえられるよう対策は取っている。ましてや暖炉で長話しようとした生徒を捕まえられないはずがない。そんな簡単な事実を、グレンジャーは見逃したのだ。これを愚かと言わずに何というのか。所詮は『穢れた血』の小娘でしかない。私と違い、一滴たりとも純血の血が流れてはいない。そんな愚か者が私に敵うはずが無いのだ。

 

その愚かさの結果が、今目の前の光景という訳だ。

一人レイブンクロー生が紛れ込んでいるが、ポッターの愚行に加担したと思しきグリフィンドール生が数人。私の部屋に侵入したポッター達三人は当然のことだが、他の四名も私のことを明らかに監視していた。間違いなくポッターの一味であり、事実こうして捕まっても反論の一つもしていない。言い逃れの一つでもすればよいものを、それを黙っているというのは下らない正義感からの行動だろう。グレンジャーを含め、本当に愚かとしか言いようがない。

一体誰と、どのような内容を連絡しようとしていたのだろうか。

いえ、正直内容など、真実などどうでもいいことだ。私の予想ではダンブルドアで間違いないが、違ったとしてもどうとでもなる。要は私の部屋に侵入し、誰かと連絡を取ろうとした事実さえあればどうとでもなる。及び腰になっているファッジ大臣をも説得できる程の事実。結局のところ、理由や正義感などに何の価値もなく、ただ私が出世する機会が再び舞い込んだだけのこと。ポッター達の愚かさには感謝してもし切れないくらいだ。

 

だからこそ、たとえセブルスが思い通りにならなかったとしても、

 

『ダンブルドアに早く伝えて! ダンブルドアに伝えないといけないことが沢山あって! でも、先生にまだ良心が残っているのなら、この人に従うべきではないのだわ! だから早く本部のパッドフットを!』

 

『パッドフット? 一体何を言っているのですか? セブルス、この子は貴方に話しているみたですが、一体何のことを言っているのですか!?』

 

『さっぱりですな。吾輩が思いますに、ミス・グレンジャーは錯乱したとしか』

 

私は僅かに冷静さを保つことが出来たのだった。

セブルス・スネイプの行動に関して、正直なところ最初から違和感を感じていた。漏れ聞くところによると闇の帝王のスパイとのことだが、それにしてはあまりにも不可解な点が多い気がしたのだ。それに私の直感が、どうにもこの男を信用しすぎては駄目だと告げるのだ。根拠は実に曖昧なものであるが、疑いを持つに越したことはないだろう。計画が上手くいけば、いずれ私の方が上の立場になるのだ。セブルスがどういう立場であり、私が彼にどのような態度を取ろうとも関係のないことだ。

だから私はセブルスの言い訳がましい行動にも、どうにか冷静さを失わずにいられた。無論内心では怒りや焦りを感じていたが、決定的なものではなかったはずだ。去り行くセブルスの背中を睨みつけながら、私は冷静な思考で次点の策を考える。

『真実薬』を使えていれば、何の苦労もすることはなかった。だがセブルスにないと言われてしまえば、話はそこまでだ。私の勘ではセブルスが嘘を言っているようにも感じるが、それを今問いただす方が時間を取られてしまう。だからこそ、私は更に決定的な言葉をポッターから引き出すべく、次の手立てを早急に考え始めた。最終的に内容などどうでも良いが、決定的な情報であれば尚よい。

そしていよいよ『服従の呪文』や『磔の呪文』をも候補に挙げだした時、更にグレンジャーがとんでもない愚行を犯したのだった。

 

「そうだわ、『磔の呪文』を使いましょう……。これは正当な行為。あれを使えばポッターの口も、」

 

「アンブリッジ先生! そ、それは違法なことですよ! そ、そんなことをされるくらいなら、わ、私が正直に話します! だ、だからハリーに酷いことは!」

 

いかにも絶望的と言わんばかりの表情で、グレンジャーがそんなことを口走り始める。そういえば先程も決定的なことを話していたのはグレンジャーだった。やはり所詮は小娘。どれだけ大言壮語を吐いても、結局は恐怖に勝てないということだろう。

この世界は虐げられる側と、虐げる側の二択の人間しかいない。それをこの小娘もようやく理解し始めたということだろうか。

 

「ハ、ハーマイオニー! 君は一体何を、」

 

「ハリー、ごめんなさい! そ、それに皆も! で、でも私もう耐えられない! こんな()()を抱えておくなんて! ダ、ダンブルドアにも伝えられなかったし、もうお終いなんだわ!」

 

「だから君は一体何を、」

 

「お黙りなさい、ポッター。さぁ、ミス・グレンジャー! 貴女が話して下さるなら、私も文句はございませんわ! 貴女を特別に許してあげることも考えましょう! だから貴女のやろうとしたことを、私に早く話しなさいな! 貴女はダンブルドアと連絡を取ろうとしていたのよね! 今更嘘をついても駄目よ! 一体彼に何を伝えようとしたの! パッドフットとは一体何なの!」

 

私は大声を上げ始めたポッターを黙らせ、小娘の両肩を押さえつけながら尋問する。すると、

 

「パ、パッドフットは……そう、()()です。ダンブルドアに命じられて作った、魔法省に対抗するための武器です。アレは『禁じられた森』に隠してあるから……ダンブルドアにそれを伝えようとして」

 

小娘は私も想像していなかったレベルのことを言い始めたのだ。

私の僅かに残っていた理性が、予想を上回る事実に焼き切れる。これはチャンスどころの話ではない。本当に……本当にこれで全てを手に入れられるかもしれない。私は燃え上がった欲望のまま、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーナ視点

 

事の始まりはロングボトムに呼び出されたことだった。それも大広間で食事を摂ろうとしていたところをいきなり話しかけられ、

 

『ルーナ! そ、それにジニーも! よ、良かった! 僕、君たちに手伝ってほしくて! ハーマイオニーに言われたんだ! アンブリッジを見張ってくれって! 二人も一緒に! だから直ぐに来てほしくて!』

 

何だか意味不明なことを言い始めたのだ。あたしにとっても意味不明なのだから、周囲で話を聞いていた人達はもっと理解不能だったと思う。現に周りのレイブンクロー生は眉をひそめて、私とジニー、そしてロングボトムのことを見ていた。

でも、だからこそ、あたしは今この瞬間、本当の緊急事態が起こったのだと分かった。

グレンジャーに言われて、アンブリッジの監視。

その理由が何であっても、それが必要な事態が起こったということだ。それもあのハーマイオニー・グレンジャーの頼み。絶対に何かがある。あたしはただロングボトムに頷き、先を促しながら大広間を出た。そしてジニーも少し戸惑いながらもあたしについてきてくれるのを感じながら、ロングボトムに質問した。

 

()()()と戦う時が来たんだ。あたし達はどこに行けばいいの?』

 

DAという団体はもう無くなってしまった。でも、それでもDAが最初に作られた意味は、あたしの中ではまだ息づいてる。こんな明らかに不自然な状況で、ただグレンジャーに任せっきりにするのはどうかと思う。あたしはあたしなりに行動しなくてはいけない。それが明らかに何かが起こった今の様な状況ならば尚更。記憶することを許されたあたしは戦わなくちゃいけないのだ。

 

そう、戦わなくちゃいけなかったのだ。

……だというのに、あたしの戦いは一瞬にして終わりを告げることになる。

 

ロングボトムの呼びかけに即座に応えて、ジニーと一緒にアンブリッジ先生を見つけ出すまでは良かった。ジニーもDAの記憶こそなくても、戦う意味を十分に理解できてる。実力だって、DAでの練習が無くても上位だったように思う。だからジニーもついて来てくれたことが、あたしは少し嬉しかった。

でも、そんなあたし達が監視し始めた瞬間、即座にアンブリッジ先生自身に捕まってしまったのだ。

 

『あらあら、こんな時にグリフィンドール生と……レイブンクロー生が私に何の御用かしら? まさか私の監視ではないでしょうね? ポッターに何か言われたの?』

 

そしてそのまま問答無用に魔法で拘束され、先生の部屋に連れてこられてしまった。抵抗という抵抗も出来ないで……。実力で敵わなかったわけではない。最初から抵抗しなかったのだ。先生に魔法を使うという選択肢を、咄嗟に取ることすら出来なかったのだ。この先生は……間違いなく『例のあの人』に繋がっているというのに。

その結果が目の前の光景だった。

親衛隊のスリザリン生達があたし達を取り囲み、決してここから逃げられない様にしている。ポッターとグレンジャー、それにロナウド・ウィーズリーに至ってはアンブリッジ先生自ら尋問されそうになってる。とても逃げ出せそうにない上、今のアンブリッジ先生は興奮しきった様子で、下手な抵抗をしたら何をしでかすか分からない雰囲気があった。多分、生徒からの悪戯や、他の先生からのちょっとした嫌がらせに神経を高ぶらせてるんだと思う。だからこそ、やっとポッターの尻尾を掴んだと興奮しきっているのだろうか。

 

「そうだわ、『磔の呪文』を使いましょう……」

 

最終的にそんなことを呟き始めていた。

ポッター達が何に気付いて、何をこの部屋でしようとしたかはよく分からない。でもこの光景から考えると、あたし達同様、ポッター達も上手くいかなかったのだろう。この事態を打開出来そうなのは、DAメンバーの中で唯一アンブリッジ先生に存在を知られていないダフネ・グリーングラス。それに……ダリア・マルフォイだけだ。

尤もこの二人にも事態を打開するのは難しいと思う。グリーングラスもダリア・マルフォイも、グレンジャーこそ危険な目に遭いそうなら介入しくれるだろうけど、今尋問されてるのはポッターだ。立場が立場なだけに簡単に動けるとは思えない。

……あたし達がしようとしていたことは、結局何だったのだろう。あたしは目の前の光景をぼんやり見つめながら考える。

覚悟が出来ているつもりで、結局何も覚悟が出来ていなかった。状況は全てが全て『例のあの人』に都合のいいように進んでる。アンブリッジ先生の校長就任もその一つ。でもあたし達は焦ってはいけなかった。慎重に行動しないといけなかった。それも数名まで減ってしまったDAメンバーだけで。この部屋にいる人間がDA最後のメンバー。不安でないはずがなかった。でも、それでもあたし達は軽率な行動を取るべきではなかったのだ。

確かにホグワーツの中なんかではなく、もっと大きなことが外で起こる予感はした。そしてそれが今この瞬間、実際に起こったということなのだろう。でも捕まってしまっては何の意味もない。戦わなくちゃいけない時に戦えないのでは意味がない。

そこまで考えていた時、あたしの肩を掴んでいた親衛隊が力を強めたせいで思考が一瞬乱れる。

見上げると、そこには青白い顔をした男子生徒の顔があった。あのダリア・マルフォイの兄……ドラコ・マルフォイ。他の親衛隊は嫌な表情を浮かべている中、見上げたマルフォイの表情は、酷く苦しそうなものでしかなかった。親衛隊であるこの人がこの状況を喜ばない。別に不思議なこととは思わなかった。だってこの人にとっても、この状況は……。この人もあたし達と同じなのだろうか。戦う覚悟を決めても、それが決していい方向には運ばない。この人もきっと……。

しかしあたしの思考がまた別のことに移ろう前に、またもとんでもないことが目の前で起こり始めることとなる。

 

「アンブリッジ先生! そ、それは違法なことですよ! そ、そんなことをされるくらいなら、わ、私が正直に話します!」

 

予想もしていなかった事態。なんとグレンジャーが決して言わないようなことを言い始めたのだ。

最初、DAメンバーはあり得ないものを見る目でグレンジャーのことを見つめていた。ここに来て、突然裏切るような発言。今までのグレンジャーの言動からは決して考えられない。

でも、直ぐにその疑問自体は解決することになる。ポッターの制止を振り切り、グレンジャーは続けたのだ。

 

「ハリー、ごめんなさい! そ、それに皆も! で、でも私もう耐えられない! こんな秘密を抱えておくなんて! ダ、ダンブルドアにも伝えられなかったし、もうお終いなんだわ!」

 

その瞬間、DAメンバーの全員は再びグレンジャーに驚きの視線を送る。

だってそれは、

 

「貴女のやろうとしたことを、私に早く話しなさいな! 貴女はダンブルドアと連絡を取ろうとしていたのよね! 今更嘘をついても駄目よ! 一体彼に何を伝えようとしたの! パッドフットとは一体何なの!」

 

「パ、パッドフットは……そう、武器です。ダンブルドアに命じられて作った、魔法省に対抗するための武器です。アレは『禁じられた森』に隠してあるから……ダンブルドアにそれを伝えようとして」

 

あたし達にはどう考えても嘘だと分かる内容だったから。グレンジャーはこの絶望的な状況の中で、それを打開するための行動を取り続けていたのだ。

そしてそれは……おそらく()()()も同じなのだろう。

 

「禁じられた森に武器が? な、何を隠していたというの? それは一体何だというの!?」

 

「そ、それは……私達にも正直分からないんです。私達はダンブルドアの言う通りに作っただけで……ただすごく()()()()、ここに持ってこれるものではなくて」

 

何を考えているのかは分からないけど、あからさまな嘘を続けるグレンジャー。そしてどこかいつもの冷静さを無くしているのか、ただ騙され続けるアンブリッジ先生との会話に、

 

「……いいでしょう。ならば私を案内しなさい。私が直々にそれを確かめて、」

 

「おや、先生も行かれるのですか? なら、私も行きましょう」

 

突然酷く冷たい声音が響き渡った。

今度は親衛隊を含めた全員の視線が、部屋の中で静かに佇んでいたあの人に注がれる。皆の視線の先には、あの真っ白な容姿のダリア・マルフォイがいたのだった。

全員の視線に晒されても、あの人はいつもの金色の瞳と違い……何故か血の様な赤色に見える瞳をアンブリッジ先生に向けながら続ける。

 

「先生に護衛は必要ないと思いますが、万が一ということもあります。何しろ森の中では()()()()()()()不思議ではありませんから」

 



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誘導(後編)

200話!



 ハーマイオニー視点

 

全ては私の失態だった。

何とかシリウスの安否を確認する必要がある。そのために私が選んだ手段は……アンブリッジの部屋に侵入し、あの女の暖炉を使うことだった。

正直思いついた時は素晴らしいアイディアだと思った。アンブリッジは今どのような監視体制を城に敷いているか、正直あの女以外の誰にも分からない。でも、あの女が何もしていないとは到底思えない。どこまでのことが可能なのかは不明だけど、必ず監視しているはず。

だからこそ、私はこの学校で唯一アンブリッジに監視されていない場所……つまりアンブリッジ自身の部屋で連絡を取ることを思いついたのだ。

あの女がどんなに性悪であっても、まさか自分自身の暖炉は監視していないはず。それにいざという時のことを考えて、もしかしたら移動手段にすら使える可能性がある。流石にそう全てが期待通りにいくとは思っていなかったけど、それ以外の選択肢がないのもまた事実。なら危険を冒してでも実行する価値はある。少なくともこのまま直接魔法省に乗り込むよりは遥かに安全なはず。

そう思い私はハリー達と共に、アンブリッジの部屋に侵入したのだ。

 

……今考えると、何故こんな愚かな発想に飛びついたのか、自分自身でも不思議で仕方ないくらいだ。

 

確かにアンブリッジの暖炉は監視されていなかった。それは結果的ではあるものの、アンブリッジが後で私達が誰と連絡を取ろうとしていたか分かっていないことで判断できる。それに完全な煙突飛行こそ出来なかったけれど、連絡は出来る程の煙突飛行粉(フルーパウダー)は備え付けてあった。そこまでは確かに私の予想通りだった。

でも、私はアンブリッジのことを侮りすぎていた。

考えれば簡単なことだ。暖炉は監視ししていなかったとしても……いいえ、だからこそ、部屋自体の侵入を感知する方策は取っていてもおかしくはなかった。ここ最近は特にアンブリッジの部屋に悪戯が仕掛けられることは山ほどあった。ならばそんな悪戯生徒を捕まえるために、アンブリッジが部屋に何も対策をしていないはずがなかったのだ。

その結果、私達はあっという間に危機に陥ってしまった。

アンブリッジと親衛隊に囲まれ、私達は迂闊に逃げ出すことも出来なくなった。挙句の果てにあの女の監視をお願いしていたネビル達も捕まってしまう。その代償に得た成果も、『グリモールド・プレイス』にいるクリーチャーが、今日はシリウスを()()()()()という証言のみ。シリウスの所在は知らないの一点張り。シリウスが捕まったという確証とは程遠い。今の私達の状況と決して釣合がとれているとは言えなかった。

こんなことになったのは、全てが全て私のせいだ。このままでは何もかもがアンブリッジ、ひいては『例のあの人』の思い通りになってしまう。

何より……ダリアに余計な負担をかけてしまいかねない。

だからこそ、私は必死に挽回のチャンスをうかがった。スネイプ先生にサインを送った上、

 

「ま、まだ着かないの! い、一体どこまで入っていくつもりですの!? ここは『()()()()()()』なのですよ!」

 

「あともう少しです! それに奥に置いておかないと、生徒や先生に見つかってしまいますから!」

 

「そ、それもそうね……」

 

何とかアンブリッジを連れ出すことには成功した。あとは後ろを歩くアンブリッジを何とかし、城に戻ることが出来れば形勢逆転することが出来る。

アンブリッジが功を焦って、どこか冷静さを失っている状態で良かった。ある意味では日々の悪戯が効いたということだろう。悪戯のせいで部屋への侵入が露見したのも確かだけど、こうしてアンブリッジが冷静でないこともまた悪戯のお陰だ。上手くいけばアンブリッジをこの学校からすら追放できるかもしれない。

だからこそ私は今度こそ更に慎重に、決して失敗しない様に言葉を選んでいた。アンブリッジの興奮が冷めない様に、少しでも冷静な思考を取り戻さない様に。その甲斐もあって、アンブリッジは文句こそ言っているものの、決して私達から離れようとはしていない。私の企みは今のところ成功していると言えるだろう。

……尤も、全てが全て思い通りに事が進んでいるわけではない。そもそもこの行動自体が私の失態を挽回するためにしていることもさることながら……何故かアンブリッジにダリアまでついて来てしまっているのだ。

そっと振り返れば、滝の様な汗を垂れ流すアンブリッジの背後にダリアの姿が。曇り空の上、森の中で日光が差し込むことはない。でも彼女は念のために日傘も手に持ち、肌を極限まで隠す格好をしている。しかしそんな恰好であったとしても、彼女は表情同様涼し気な様子で、ただジッとアンブリッジのことを見つめていた。瞳はいつもの金色ではなく、何故か血の様な赤色に見えてしまっている。

私は彼女が本当は優しい子だと知っている。でも何故かあの瞳を見ると……無性に怖くなってしまうのだ。心のどこかで、あの瞳は同じ人間の物ではないと……そう感じているかのように。

そこまで考えた私は頭を振り、余計な思考を排除する。

何を私は馬鹿なことを考えているのだろう。今私のすべきことは目の前のことに集中することだ。ダリアが付いて来たのは想定外だけど、それはダリアなりに私のことを考えてくれたからに違いない。ダリアと私の道はどうしようもなく隔絶されてしまった。それはダフネに誘われて大浴場に行った日、そしてDAが解散させられた日にどうしようもなく思い知った。でも、それでもダリアが積極的に私を陥れる行動を取るとはどうしても思えない。

勿論だからと言って、私はもうダリアに頼りっ切りになることは許されることではない。許されていいはずがない。彼女は私と全く関係のない人間であらねばならないのだ。そうでなければ、また私はダリアに辛い選択をさせてしまうことになる。だから私の今すべきことは、今考えるべきことはただアンブリッジをどうにかすることだけだ。

私は思考を切り替えながら、喚くアンブリッジをひたすら誘導し続ける。

 

「で、ですが、本当に貴女達は道を分かっているのでしょうね!? このような森で本当に迷っては、」

 

「大丈夫です、先生。私達は何度も来たことがありますから! だからもう少しなんです! もう少しでつきますから!」

 

しかし実際のところ、もうそろそろ誘導も限界に近付きつつあるのも確かだった。ダンブルドアの逃走や、生徒の悪戯で冷静さを些か欠いているとはいえ、アンブリッジはどこまでも狡猾な人間なのだ。疲労の中にも、どこか猜疑心の籠った視線を私とハリーに向けつつある。それもそうだろう。よく考えなくとも、私の言う言葉は穴だらけなのだ。事情を知っているDAメンバーだけではなく、パンジーのようなお馬鹿な親衛隊でも少し考えれば分かることだ。

あのダンブルドア程の魔法使いが、たかだか武器を作るために私達学生を頼る? 逃亡中のダンブルドアと連絡を取り合う? 武器をこの『禁じられた森』に隠す? 

私であれば信じる気など毛程も湧かないだろう。それでもこうしてアンブリッジを騙せているのは、それだけこの女が冷静でない証拠。そしてそれも限界を迎えつつある。

私の目的地は、この女をグロウプの所まで連れて行くこと。……ハグリッドの弟を巻き込むことに罪悪感を覚えないと言えば嘘になる。世話を押し付けられて迷惑極まりなかった上、実際に世話をしに行ったことなど一度もないけれど、それでもグロウプ自身に罪があるわけではない。悪いのは態々ここに連れてきて、私達に世話をさせようとしたハグリッドだけ。グロウプに一切の非はない。

でも、私にはグロウプしか思い浮かばなかったのだ。この事態を変えられそうな劇薬。私達はアンブリッジに杖を突きつけられ、自分達の杖を奪われてしまっている。この絶望的な状況を覆すには、アンブリッジを杖なしでどうにかしなければいけない。その点グロウプの存在は理想的と言えた。グロウプは巨人なのだ。ならば彼を見た時、そして対処しようとした時、少なからずアンブリッジに隙が生じるはず。それしか私達に逆転の目はなかった。

 

……尤も、そんな私の目的は、別の手段で叶うことになるのだけど。

 

「……ミス・グレンジャー。まさかとは思いますが、貴女、私を騙そうとしているのではないでしょうね? よく考えれば、どうやって貴女達はこの森に通って……な、何なのですか、()()()()!?」

 

いよいよアンブリッジが疑いを確信に変えつつあった瞬間、突然私達の歩く音以外の物音が辺りに響き渡ったのだ。

まるで何頭もの馬が走ってきたような蹄の音。予想もしていなかった物音に辺りを見渡すと、そこには……馬の下半身に人間の上半身を持つ、ケンタウロスがいた。

しかも一人や二人ではない。少なくとも50人弱はいる。皆弓を構え、明らかに私達を狙っている。

グロウプに辿り着く前に、どうやら想定外の出来事に巻き込まれてしまったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

ダリア達が部屋を出て行ってから数分。アンブリッジの部屋に残された『親衛隊員』は、捕まったDAメンバーを拘束し続ける仕事を与えられていた。

本来ならば至極簡単な任務のはず。少し頭の足りないクラッブとゴイルにでも出来る任務のはずだった。何せ相手は杖を奪われた状態なのだ。しかも簡単な任務の割に、アンブリッジが帰ってきた時に与えられるであろう見返りは絶大なもの。親衛隊員のやる気も満ちており、私とドラコ以外の親衛隊員にとっては、それこそ失敗する要素を探す方が難しかったことだろう。

でも……今この部屋で意識を保っている親衛隊員は、

 

「ネビル! どういうつもりだい!? そいつは裏切り者……いいや、最初から仲間でも何でもなかったんだ! なんでそんな奴を庇うんだ!」

 

「ロン! グ、グリーングラスは裏切り者なんかじゃない! そ、それにドラコ・マルフォイもだ! 現に今僕等を助けてくれたのはグリーングラス達じゃないか!」

 

私とドラコ以外に存在しなかった。クラッブとゴイル、パンジーを含め全員が床に倒れ伏している。この部屋で立っているのは私とドラコ、そして本来なら拘束されているはずのDAメンバーだけだった。

理由は簡単。私とドラコが彼等を裏切ったから。

いや、正確には最初から仲間だと思ったことなど無いわけだけど……ともかくこっそりとDAメンバーに回収していた杖を渡し、私達自身も彼等の無防備な背中を魔法で打ち抜いたのだ。無論彼等に裏切りを悟られるような失態は犯していない。私達は完全に背後から魔法を放ったし、表向きはDAメンバーが突然反撃したように見えるようしていた。後でアンブリッジに睨まれるような……ダリアを困らせるような事態にはならないはずだ。

だからこそ、私達に残された問題は、

 

「そんなこと関係ない! こいつらはダリア・マルフォイの仲間だ! なら何を企んでるか分かったもんじゃない! なら他の奴らと同じように気絶させた方がいいに決まってる!」

 

「ぼ、僕はそんなこと許さないぞ! グ、グリーングラスだって僕等の大切な仲間だったんだ! DAでグリーングラスは僕にずっと呪文を教えてくれてた! だから彼女への乱暴は僕が許さないぞ!」

 

目の前で繰り広げられているDAメンバー同士の争いに他ならなかった。

私とドラコに杖を向けて叫ぶウィーズリー。そんな奴に立ちはだかり、何故か私達を庇おうとするロングボトム。そして二人に困惑した様子のジネブラ・ウィーズリーと、相変わらずどこか遠くを見つめているルーナ。実質争っているのは二人だけだけど、放っておいたらいつまでも争いを続けるか、あるいは自分達で呪いをかけ合いそうな勢いだ。

 

「ハーマイオニーも言ってただろぅ! グリーングラスがアンブリッジの仲間であるはずがないって! そうでないと辻褄が合わないって! ロンだって本当は分かってるはずだ! 彼女はDAでもいつも真面目に、」

 

「あ~、盛り上がってるところ悪いけど、ちょっといいかな」

 

だから私はいつまでも続きそうな争いに、嫌々ながらも介入することにした。私の目的……いや、ダリアの目的を叶えるために。

彼女は()()()ここでDAメンバーが無駄な時間を費やすことを望んではいないだろうから。

含まれた感情は多々あろうけど、取り合えずこの場にいる全員が私の方に注目させる。

 

「ウィーズリーは私のこと信用していないみたいだけど、別にそれはどうでもいいよ。実際貴方達を解放したのは、別に貴方達のためというわけではないから」

 

ウィーズリーがそれ見たことかといきり立ち始めるが、それはそれを無視して続ける。

 

「でもね、私とドラコはアンブリッジの味方でもない。私達が貴方達を解放したのは、あの女が嫌いだから。私達はあの女の邪魔をしたいの。このままだと全てあの女の思い通りになってしまう。それを何とか阻止したいの」

 

嘘は言っていない。……全てを話しているわけでもないけど。

尤も私自身が自分がどうしてこのようなことをしたのか、正確なところよく分かっていないこともある。

私はダリアの考えを全て理解しているわけではない。ダリアは親衛隊にDAメンバーがアンブリッジ以外の教師と接触するのを妨害するよう命じた。それはDAがしようとしていることを妨害しようとしたようにも思えるものだ。でも、いざアンブリッジにメンバーが捕まった後は、今度はアンブリッジについて部屋を出て行ってしまった。

 

『先生に護衛は必要ないと思いますが、万が一ということもあります。何しろ森の中では何が起こっても不思議ではありませんから』

 

あんなことをダリアは言っていたが、私には分かる。

あれは絶対に言葉通りの意味ではない。あの時のダリアの雰囲気は、私やドラコを守ろうとしている時と同種のものだ。

もしかしたら、アンブリッジがこの部屋に帰ってくることはもう……。

アンブリッジの利になることをしたかと思えば、そのアンブリッジを害そうとしている。私には訳が分からなかった。まるで何かを成し遂げるために、細かな調()()をしているような……そんな印象だった。

だから私はどうすべきか……正直私にもよく分かっていない。これで正解なのか。ダリアの目的に本当に沿っているのか。ダリアの迷惑になっていないか。私は本当の意味では分かっていない。

……でも、ダリアが私をDAに参加させた以上、原則的には私の行動は間違っていないはず。……そう信じたい。

それにルーナがパンジーに、そして()()()()()()()クラッブに肩を掴まれているのを見た時……何となく嫌な気分になったのだ。

無論嫌な気分になったからと言って、それを理由に行動したわけではない。最大の理由はダリアのことだ。しかし理屈でも、そして感情においてもこのような行動を取ったのは間違いない。

この行動が間違っているかも、その懸念は消えることはない。でももう賽は投げられた、いや、投げてしまったのだ。もう今更引き返すわけにはいかないのだ。

 

「……そんなこと言っても、僕は騙されないぞ。お前は、」

 

「だから別に貴方からの信用なんてどうでもいいよ。ただ私は私のやりたいことをやっただけ。それより……いいの? こんな風に時間を浪費して。私の認識が正しいのなら、貴方達は何かをしようとして、アンブリッジに捕まったのでしょう? ハーマイオニーとポッターはアンブリッジを禁じられた森に誘導してた。ダリアがいる以上、ハーマイオニーは安全だと思うけど……貴方達がここで無駄な時間を過ごす余裕はないはず。なら、ここで無駄な議論をしていないで、直ぐに行くべきだと思うけど?」

 

そこまで言ってようやくウィーズリーを含め、ルーナ以外のDAメンバーは自分達の立場を思い出したようだった。

ウィーズリーなど明らかに動揺した様に瞳を揺らしている。こいつも流石に分かっているのだ。私達の意図はどうあれ、自分達に残された時間はほとんどないということを。背後を襲われない様に私とドラコを黙らせようにも、DAでの私の実力も知っているはず。ロングボトムが私を庇っている状態で、ウィーズリーが私をどうにか出来る可能性は皆無だ。だから結局のところ、ウィーズリーは私とドラコを無視する以外に選択肢などない。どんなに私のことを信用しておらず、私とドラコが自分達を解放した意図を量りかねても、こいつに選択肢など無いのだ。

 

「……僕はお前のことなんか信用しない。ダリア・マルフォイは『あの人』の一味だ。そんな奴の仲間が真面なはずがない。ハーマイオニーは騙せても、僕は騙されないぞ。だから絶対にここを動くなよ。僕等を追ってきたら、その時こそどんなことがあっても僕はお前らを倒してやるからな」

 

こうして私達が直面している最後の問題が解決した。ウィーズリーは最後まで私達のことを警戒しながらも部屋を出て行く。それに慌てたようにジネブラ・ウィーズリーが続く。

 

「それじゃぁ、またね。あぁ……あたしはあんたのこと裏切ったと思ってないよ」

 

そして唯一現状を正しく理解していたであろうルーナが出て行き……部屋には私とドラコ、意識を失った親衛隊、そしてロングボトムだけが残っていた。

ロングボトムは出口に立ちながらも出て行こうとせず、こちらを何か言いたげに振り返っている。……だから私はロングボトムが何か言う前に話し始めた。

 

「グ、グリーングラス、僕も、」

 

「ロングボトム……ありがとうね」

 

本来ならばサッサと行かせるべきところなのだけど、最後まで庇ってくれた彼にだけは言わなければならないと思ったのだ。

 

「貴方なら知ってると思うけど、私は別に心底DAだとか、ポッターのことを信じてるわけではない。でも……それでも貴方が庇ってくれて、私は嬉しかった。だから……ありがとう。私が言いたいのはただそれだけ」

 

私の言葉にロングボトムは一瞬驚いた表情を浮かべる。そこまで驚くことかと思ったけど、よく考えればハーマイオニー以外で、感謝の言葉を伝えたのは彼が初めてだった。

でも、

 

「……グリーングラス。ううん……ダ、()()()。ロンはああ言っていたけど、僕は君のことを裏切り者だと思ってない。……きっとそれはハリーも同じだよ。ハリーだって、君が最後まで真面目に練習していたことは知ってる。だから……僕達に協力してくれないかい? き、君がいたらとても安心だと思うんだけど」

 

「……駄目だよ、ロングボトム……()()()。私は行けない。私は友達を裏切らない。あの子は強いけど……本当は寂しがりやだから。だから私は行けない」

 

彼に感謝こそしても、私は決して彼等の仲間にはなれないし、なるわけにはいかないのだ。

私はダリアの親友であり、どんなに彼等の敵ではなくとも、真の味方にはなれない。

それが誰かに……ダリアに選ばされたものなのではなく、私自身が選んだことだから。

そしてDAの中で私を最も見てきた人間であるネビルは、私の言葉で全て察したのだろう。駄目で元々ということもあったのか、彼はそれ以上言い募ることはなかった。

 

「……うん、分かった。僕はもう行くよ。君も気を付けて」

 

「えぇ、貴方も……それと、絶対に帰ってくるのよ。ポッターはどうでもいいけど、貴方に何かあったら、流石に寝覚めが悪いから」

 

「っ! あ、ありがとう。そ、それじゃあ!」

 

短い言葉の後、今度こそ彼は部屋を出て行く。そんな彼に私を手を振っていると、最初から最後まで一言も発していなかったドラコがようやく何かを呟き始めていた。

 

「……グレンジャーが駄目な男が好きと言っていたが、お前も意外に、」

 

「何か言った、ドラコ?」

 

「いや、何でもない。さて、やるべきことは済んだな。後はこの部屋でダリアの帰りを待つだけか。流石にこいつらを気絶させた手前、僕等が出れば疑われる。また僕等は待つしかないわけだ……」

 

結局何を呟いていたかは分からなかったけど、私達に出来ることが終わったことは事実だ。

本当はダリアを追いかけたいけど、それは彼女の本意とは言えないだろう。もし私達がDAメンバーを解放したと親衛隊に露見すれば、その親である死喰い人に私達の裏切りが伝わってしまう。そうなればダリアの立場を悪くしてしまう可能性がある。私達はあくまで裏切りを知られてはいけない立場。ここまでが私達の出来る限界だろう。

私達は適当に床に腰掛け、壁にもたれ掛る。誰かが入ってきた時、今しがた目が覚めたと思わせるためだ。

私とドラコの間に言葉はない。ただ黙ってダリアの帰りを待つ。彼女の無事と……ハーマイオニーにルーナ、そしてネビルの無事を祈りながら。

 

 

 

 

……しかし結局、この後部屋に誰も帰ってくることはなかった。

最初に部屋に来たのは、

 

「グ、グリーングラス様」

 

何故かダリアのしもべ妖精であるドビーだった。

突然バシリと音がしたかと思うと、部屋にドビーが現れる。そして妖精の表情に詳しくない私にも分かる程、顔色を悪くしながらドビーは続けのだ。

 

「ド、ドビーめは、お、お嬢様に命じられたのであります。()()()()()()グレンジャー様を()()()にお連れした後……グリーングラス様をお守りするようにと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンブリッジ視点

 

たかが小娘に騙されたと気付いた時には、もう既に私は半獣共に囲まれてしまっていた。

蹄の音に辺りを見渡せば、そこら中にケンタウロスの姿。私が実際にこの生き物を()()()()()()()のことであったが、この半分しか人間でない姿はケンタウロス以外にない。

しかも魔法を使うことを許されていない生き物でありながら、生意気にもこちらに弓を向けている。小娘はこの汚らわしい亜人共を使って、私との立場を逆転するつもりらしい。

折角手に入りそうだった決定的なチャンスが、たかがマグルの小娘によるブラフでしかなく、こうして小賢しい罠に嵌められてしまった。まんまと禁じられた森に誘い出され、亜人に取り囲まれる。興奮は一瞬にして怒りに変わり、私は自身の杖を強く握りしめた。

……しかし猛烈な怒りを感じると同時に、冷静さを取り戻せたのも事実だった。冷静であるつもりだったが、どうやら違っていたと言わざるを得ない。今考えれば何と杜撰な言い訳を信じてしまったのだろうか。小娘如きに騙されるとは、つくづく私は余裕を無くしていたらしい。

だからこそ、少しでも冷静さを取り戻した私は、周りのケンタウロスを冷静に見ることが出来ていた。

ケンタウロス如きに何が出来るというのか。魔法を使えない亜人にどれだけ囲まれようとも、それは何の脅威にもならないはず。私には杖があるのだ。それにこちらにはミス・マルフォイもいる。闇の帝王にすら認められた娘だ。ケンタウロスなど問題になるはずもない。

私は何故か困惑した表情を浮かべているグレンジャーを睨みつけた後、亜人共に強い口調で宣言する。

 

「ケンタウロスの分際で何のつもりですか!? 私はドローレス・アンブリッジ! 魔法大臣上級次官、並びにホグワーツ高等尋問官ですよ! 半獣如きが逆らっていい相手ではないのです! お下がりなさい!」

 

所詮は小娘の考えること。詰めが甘いに決まっている。亜人は魔法使いより劣った生き物。それはこの世界の常識なのだ。

……しかし亜人の反応は私の思ったものとは違うものだった。

私は最初、彼らはこれで大人しく引くものだと考えていた。私は亜人とは()()()()()()()()()、私は魔法省高官であり、魔法使いなのだ。こうして弓こそ構えているが、亜人共でも力の差くらいは理解できているはずだ。ならばそれを指摘すれば、悔しそうにすれど必ず私にある程度恐れをなすはず。そう信じて疑っていなかった。現に狼人間などはその通りの態度を取っていた。

だが現実は違った。私の言葉に返ってきたのは、何と言葉ではなく……放たれた2本の矢だったのだ。一本は私に。

そしてもう一本は……ミス・マルフォイに。

咄嗟の出来事に驚きつつも矢を魔法で防ぐ。そしてミス・マルフォイも難なく矢を防ぐのを横目に見ながら、私は声を上げようとした。なのに、

 

「な、なんてことを! この半獣が! 私を誰だと、」

 

「お前は黙っていろ。我々を獣と呼んだお前には相応の罰を受けてもらう。だが、今我々が相手にすべきはお前ではない」

 

亜人は私の言葉を無視し、ただ背後のミス・マルフォイだけを見つめながら続けたのだった。

 

()()()()……お前は一体()()だ? お前の星は突然現れ、以来不吉な光を放ち続けている。お前は……不吉だ」

 

唐突に亜人の一匹が口を開き、次々と背後のミス・マルフォイに言葉を投げつけ始める。

 

「ハグリッドが森に巨人を持ち込んでから、この森の平穏は消えてしまった。不吉なモノばかり森に入り込む」

 

「そもそもフィレンツェが城に行ったのが悪いのだ。ケンタウロスが人間に関わると碌なことがない。この娘が森に入り込んだのもそのせいだ。関わる者は全て破滅する。フィレンツェは良くないモノを森に呼び込んでしまった」

 

「我々は仔馬を決して傷つけぬ。そこの二人だけが森に入ったのならば関わるつもりはなかった。以前もハグリッドと共に森に入った時は見逃した。だが……我々ケンタウロスを侮辱する魔法省役人と、巨人以上に得体の知れぬ怪物が共にいるのならば話は別だ。お前の目的は一体何だ? このような時期に、何をしに森に入ったのだ?」

 

亜人共はそこで言葉を切り、ただ私達に……ミス・マルフォイに弓を向けながら黙り込む。それは明らかにミス・マルフォイの答えを待つものだった。が、彼女はそれらに対して無表情を少しも変化させることなく応える。

 

「……たかが星を見るだけの馬如きが、随分なことを言ってくれますね。何をしに森に入ったか? そんなこと、分かり切ったことでしょう? ……私に出来ることは破壊だけ。誰かを破滅させる、ただそれだけのために存在するモノ。それを貴方方は知っているのでしょう? 貴方方は知ることしか出来ないのだから」

 

明らかな挑発。私のように立場を分からせるでもなく、ただ亜人共を挑発するためだけの言葉。結果は私が発言した以上のものだった。

交わす言葉もなく、今度は一斉にミス・マルフォイに矢が放たれる。

無論その全てが何かに阻まれたように力を失い、ミス・マルフォイに辿り着く前に落ちた。それをつまらなそうに眺めた後、ミス・マルフォイは、

 

「潮時ですね……」

 

何かを呟き……何故か小娘、()()()()()()()杖を向けた。

 

「ダ、ダリア、い、一体何を、」

 

『……貫け、キュトカルネ』

 

「っ! あぁああ!」

 

おそらくこの場にいる全員、それこそ亜人共を含めて全員が、彼女の突然の行動に絶句した。彼女の意図がまるで分からなかったのだ。

小娘の心配などは欠片ほどもしていない。ただ単純に、この場でどうしてそのようなことをしたかが分からない。

片足から血を流しうずくまるグレンジャー、そしてそんな小娘をやはり無表情で見つめるミス・マルフォイ。無表情の下で何を考えているのか、私にはまるで分からなかった。杖を握る腕が()()()()()ようにも見えるが、それがどのような感情によるものか……私には、いえ、この場にいる誰にも分からないだろう。

 

「ハーマイオニー! ダ、ダリア・マルフォイ! よくもお前! どうしてハーマイオニーを! 彼女はずっとお前のことを! やっぱりお前はヴォルデモートの手下だ! お前なんか、」

 

「貴方に用はありません。貴方がどこで何をしようが、私にはどうでもいい。……ただ、グレンジャーさんだけは、これ以上()()()()()()()()()()()()。グレンジャーさんの出番はここまでです」

 

ミス・マルフォイの言葉はそこまでだった。そこまで話した時、固まっていた亜人共が再び動き始めたのだ。矢が無意味だと悟ったのか、一斉にミス・マルフォイと……私に襲い掛かってきた。それは小娘がこれ以上危害を加えられないようにするためなのだろう。私達に襲い掛かってはいるが、ポッターとグレンジャーは捨て置かれたままだ。

だが、そんな細かいことを考えている場合ではない。

私は襲い掛かる亜人共を何とか押し返しながら、隣ですまし顔で同じく奴等を魔法で拘束しているミス・マルフォイを睨みつける。

 

本当に理解不能な娘! 馬鹿正直にポッター達の集会が初回だっと報告したり、何者かの血液を持ち込んだり! 今回のこともそうだ! 何故私はこの娘のせいで、こんな状況に陥っているのだろうか!

 

しかし、私の恨み言も長続きはしなかった。

思いの外亜人共がさばき切れないのだ。一匹倒しても、次から次へと犠牲を恐れず襲い掛かってくる。そして遂には、

 

「は、放しなさい! な、何をするの! 私は魔法大臣上級次官! お前達が逆らっていいような存在ではないのです! き、聞きなさい! 私は魔法省の役人ですよ!」

 

亜人に両腕を掴まれ、そのまま持ち上げられてしまった。その拍子に杖も落としてしまい、更に亜人の一匹に杖を踏みつけられてしまう。

私はここに来て、ようやく本当の意味で私が危機的状況にあることを悟った。

杖を奪われ、私を守る存在は一人しかいない。なのにその存在さえ……

 

「だ、誰か助けて! そ、そうよ! ダ、ダリア・マルフォイ! 今の状況も貴女が悪いのよ! だから私を助けて……え?」

 

私の味方とは言えなかったのだ。

必死に振り返り、今も問題なく亜人を拘束し続けているミス・マルフォイに叫ぶ。しかし、その瞬間、私は見てしまったのだ。魔法を今も亜人共に放ちながらも……今までの無表情とは違い、酷薄ささえ感じる残忍な笑顔で私を見つめるミス・マルフォイを。

 

私は彼女の感情や意図を真の意味で理解できたことは一度もない。だが今この表情だけは、彼女が私の破滅に喜びを見出しているようにしか見えなかった。

 

茫然とする私を亜人共は抱え、容赦なく森の更に奥に駆け出し始める。

何も分からない。何故私のような魔法大臣上級次官が、社会の底辺であり、ただ虐げられるだけの存在のケンタウロスに連れ去られようとしているのか。グレンジャーのような小娘に嵌められ……ミス・マルフォイが何故あのような表情を浮かべていたのか。彼女が一体何をしようとしていたのか。私には……何も分からない。

 

ただ一つ分かることは……私が手に入れるはずだった栄光は、ただの幻だったということだけだった。



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神秘部での戦い(前編)

 ハリー視点

 

「ハリー! や、やっと見つけた! 君の荷物から『忍びの地図』を拝借したんだよ! それで君がここにいるって……ハーマイオニーはどうしたんだ? 地図でも名前が見つからなかったけど」

 

アンブリッジはケンタウロス達に連れていかれ、ダリア・マルフォイも彼等の残りを魔法で縛り付けた後、どこかへ行ってしまった。

僕は何とか森から帰ってこれたのは、正直運が良かっただけなのだろう。ケンタウロスはダリア・マルフォイ達にかかりっ切りだったし、帰り道で他の動物に襲われなかったのも奇跡に過ぎない。

不幸中の幸いは……

 

「……ロン、良かった。それにネビルにジニー、ルーナも。君達も抜け出せたんだね。それとハーマイオニーは……今医務室にいると思う。地図を貸してくれるかい?」

 

ハーマイオニーがドビーに連れられ、医務室にいることくらいだ。

森から何とか城に帰り着いた僕を、捕まっていた4人が大広間で出迎えてくれる。そして僕はロンから『忍びの地図』を返してもらうと、直ぐに医務室に目を向けた。

そこにはハーマイオニーの名前が書かれている。僕はホッと安心しながら、先程森の中で()()()が言っていたことを思い出していた。

 

『貴方に用はありません。貴方がどこで何をしようが、私にはどうでもいい。……ただ、グレンジャーさんだけは、これ以上行かせるわけにはいかない。グレンジャーさんの出番はここまでです』

 

あいつはハーマイオニーを突然攻撃したかと思えば、そんなことを言ったのだ。そしてアンブリッジが去った後突然、

 

『ドビー! 聞こえますか!?』

 

『お、お嬢様! はいです! ド、ドビーめはお嬢様のしもべ妖精です! お呼びとあれば、いつどこでもお応えしますです!』

 

どこからかドビーを呼び出し続けたのだ。あいつの周りには魔法で拘束されたケンタウロスが多数倒れていた。そんな凄惨な風景の中でも、あいつはケンタウロスに見向きもしていなかった。

 

『グレンジャーさんを医務室に連れて行ってもらえませんか。どうやらお怪我をされたようでして。あぁ、その後はお兄様とダフネの警護を。二人は放っておくと何をしでかすか分かりませんから。それと……いえ、これはまだ未定ですね。ごめんなさい、ドビー。突然呼び出して。私は貴方に負担ばかりかけていますね』

 

『い、いいえ! ドビーめはお嬢様に頼っていただいて嬉しいのでありますです! お嬢様の御友人をお守りすることであれば、ドビーめは嬉しいのでありますです! で、ではお嬢様! グレンジャー様はご無事に医務室にお届けするでありますです!』

 

『ま、待って、ダリア! ど、どうしてこんな、』

 

『……さようなら、グレンジャーさん。ここまでご苦労様でした』

 

そしてハーマイオニーの声に応えることなく、ただ淡々とドビーに命じてハーマイオニーを医務室に送ったのだ。

正直、僕は本当にあいつがハーマイオニーを医務室に送ったとは思っていなかった。そもそもハーマイオニーの信頼を()()()裏切り、彼女を傷つけたのはあいつ自身だ。ドビーに悪意がないことは知っているし、彼にはDAで助けられたこともあるけど、ダリア・マルフォイのことは全く信じられない。信じられるはずがない。

だからこそ、こうして『忍びの地図』を見るまで安心しなかったわけだけど……どうやら真実でなくても、嘘だけは言ってなかったらしい。

僕はハーマイオニーの名前を医務室に確認すると、ひとまず溜息を一つ吐く。これでダリア・マルフォイのことを信用したなんてことは勿論ない。あいつがそもそもハーマイオニーを裏切ったのだ。それ以外の行動も、正直意味不明なことばかり。あいつが何をしたいか僕にはさっぱり分からない。ただ分かることは、あいつが敵であるという事実だけだ。

事実、確かにハーマイオニーが安全な場所にいると分かったとしても、僕が一番有能な仲間を失ったことには変わりないのだ。僕はいつだってハーマイオニーに頼りっきりだ。彼女が言うことはいつだって的を射ていたし、間違うことは……ダリア・マルフォイ以外に関してありはしなかった。そんな彼女が僕の傍にいないという事実が、僕には心細くて仕方が無かったのだ。

でも……ダリア・マルフォイに感謝するわけではないけど、これでハーマイオニーを巻き込まなくて済むのも確かだった。僕はハーマイオニーの名前を確認した後、即座に目の前のロン達に告げる。

 

「僕は行くよ……。ハーマイオニーの無事も確認できた。なら、僕だけは行かなくちゃいけないんだ。ここまで来てくれたのに悪いけど、君達は城にいてくれ。僕は今すぐ魔法省に……神秘部に行かなくちゃ」

 

ハーマイオニーが傍にいないのは本当に心細い。彼女が傍にいてくれたらどれ程心強いか。そんな彼女を裏切ったダリア・マルフォイのことを許せるはずがない。でも、そもそもシリウスのことに関しては、ハーマイオニーも含めて、僕は誰も連れて行くべきではないのだ。

僕が今から行くべき場所は、おそらく危険に満ちた場所だろう。そもそもシリウスの傍には、あのヴォルデモートがいる可能性が高い。そんなところに友人達を連れていけるはずがない。

……僕だって本当は誰かについて来てほしい。僕は便宜上DAの教師役をやっていたけど、本当は皆と変わらず無力な存在なのだ。そんな僕一人で出来ることなんてたかが知れている。本当はハーマイオニーが言っていたように、誰か大人を頼るのが一番いいのだろう。僕だけで何かできると考えるのは傲慢なことだ。

でも、だからと言ってどうすればいいのか。シリウスが捕まってから、僕はとてつもなく長い無駄な時間を過ごしてしまった。もう一刻の猶予もないどころか、既にシリウスが殺されてしまった可能性すらある。ヴォルデモートが人を殺すことを躊躇うはずがない。なら、僕はこれ以上無駄に時間を浪費することは出来ない。たとえそこが危険だと分かっていても、それが無駄かもしれないと分かっていても、シリウスという……僕に最後に残された家族を失いたくないのだ。彼を失うくらいなら、僕が死んだっていいと思えるくらい。

シリウスを失ったら……僕はこの世にたった一人になってしまうのだから。

シリウスと出会ったのは、僕が三年生の時。最初こそ彼が両親の仇だと信じて疑っていなかったけど、その誤解は解け、彼こそが世界で唯一僕のことを想ってくれる残された家族だったのだと知った。彼は僕の悩みに、いつだって家族として相談に乗ってくれた。ダーズリー家しか親戚がいないと思っていた僕に、それがどれだけありがたく、なんて幸福なことだったか。他の人間には当たり前のことが、僕にはつい最近まで存在しなかった。他のホグワーツ生、それもハーマイオニーやロンを含めて、皆に嫉妬したことは何度だってある。他人は僕を英雄だの持ち上げるけど、僕は皆と同じ無力な存在で……そして皆が持っている当たり前のモノを持っていない。失われた者は二度と戻らない。そんなどうしようもない事実を抱えた僕は、決して彼等の言う特別な存在ではない。確かに何度も奇跡的な、僕みたいなただの生徒が成し遂げられないことを成しただろう。自惚れがないとは決して言えない。それでも僕が一番欲しいのはそんな特別ではなかった。僕の欲しかったものは、極々普通のものであり、だからこそ決して手の届かない所にいつだってあったのだ。

でもようやく僕は手に入れた。シリウスはアズカバンを脱獄してまで、こんな僕の所に帰ってきてくれた。何もかもが終わったら、僕と一緒に暮らしたいとまで言ってくれた。……彼がどこか父さんの代わりとして僕を見ていることは知っている。でも、それでも彼が僕の名付け親であり、家族であることに変わりはない。最初から無いと思って諦めていたモノを、僕はもう二度と手放したくない。

だから僕はどんなに無力な存在であったとしても、今行動しなくてはいけない。もうこの世にいない両親の様に、ヴォルデモートにシリウスを奪われないために。

 

……なのに、

 

「ハリー。ぼ、僕は君が何をしようとしてるか、正直よく分かってない。どうして魔法省の神秘部なんて所に行こうとしてるか、僕なんかにさっぱり分からないんだ。でも、これだけは僕にだって分かる。君だけで行くべきじゃない。僕等も行くよ」

 

突然今まで黙っていたネビルがそんなことを言い始めたのだった。

僕は突然の発言に……何より()()()()()がそんなことを言ったことに驚き、彼の顔を凝視する。

ネビルだって分かっているはずだ。僕がここまで言うということは、この先は決して安全ではないということを。なのに彼は、それを分かっていて尚、僕にそんなことを言い始めたのだ。

彼の表情は僕のよく知る自信のない、いつだって何かに怯えた表情ではなかった。

そこには覚悟を決め、恐れるのではなく、勇気を以てただ自分のやるべきことを見つめるグリフィンドール生の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

「……自分が何を言っているか、分かっているのか、ネビル。この際ハッキリ言うけど、これから僕が行く場所は危険なんだ。それこそ……ヴォルデモートがいる可能性すらある。それでも僕が行くのは、そこに大切な人がいるからだ。これは僕の問題なんだ。君達をこれ以上巻き込むわけにはいかない。確かに君達にアンブリッジを監視してくれと言ったのは僕だ。でも、

これから僕がすることは、そんな生易しいものなんかじゃない。それこそ本当に命を失う可能性がある」

 

僕の言葉に応えるハリーの声音は、明らかに拒絶の色合いを含んでいた。彼は僕等を心配してくれているのだ。

僕だってハリーの立場なら同じことを言うだろう。僕はダフネに協力してほしいと言った。それはアンブリッジくらいの問題なら命のやり取りをする心配はないと、心のどこかで甘いことを考えていたからだ。でも、今からハリーがしようとしていることは、どうやら本当の意味で命に関わることらしい。僕がどんなに覚悟を決めたつもりになっていたとしても、ハリーの言葉に改めて恐怖を覚えたのは確かだ。ハリーに協力を頼まれた時に覚悟を決めていたにも関わらずだ。

ここにもしダフネがいたら、僕は彼女に帰るように告げていただろう。特に彼女はダリア・マルフォイの友達だ。僕等に付き合う義理はない。僕は前言を撤回して、彼女を帰す義務すらあっただろう。ハリーも僕等に対し同じように感じているに違いない。

でも、僕はダフネと違って、自分の意志でDAに参加することを選んだ。彼女がダリア・マルフォイを選んだように、僕も自分自身でDAを選んだのだ。

 

「……それでも僕は行くよ。そのためのDAだ。そうでなければ、DAの存在意義すら無くなってしまう。君は言っていたよ。僕等が必死に練習したのは『例のあの人』と戦うためだ」

 

「……正確にはあいつから生き延びるためだよ」

 

「それでもだよ。僕等はずっと、君と同じで大切な人を失わないために練習してたんだ。なら、ここで僕が逃げるわけにはいかない。ハリー、僕が頼りないことは分かってる。でも、お願いだよ、僕にも手伝わせてよ。ここまで協力したんだ、君が嫌だと言っても、僕はついていくよ」

 

僕が言い終わると、ハリーの表情は酷く悩んでいるモノに変わっていた。僕の決意が固く、どう説得していいか分からなかったのだろう。

そんな彼に追い打ちをかけるように、僕以外のメンバーも次々と声を上げ始める。

 

「何水臭いこと言ってるんだよ、ハリー。ハーマイオニーがどうして医務室にいるかは知らないけど……彼女がいない中で、君一人で何が出来るっていうんだ。秘密の部屋にだって一緒に行った仲じゃないか。行くなら参謀役が必要だろう?」

 

「わ、私も行くわ! 私だってDAメンバーよ! だったら私にも資格があるはずよ!」

 

「お前は残ってろ、ジニー! お前はダリア・マルフォイに記憶を、」

 

「あら!? 私は参加した時から優秀だったっと慰めてくれたのは、貴方だったと思いますけど、ロン!」

 

「そ、それでもお前は、」

 

「貴方が何と言おうと、私は行くわ! 絶対についていくもの! ハリーが戦うなら、私だって今度こそ戦うわ! 1年の時とはもう違うの! 今逃げ出せば、私はもうずっと変わることが出来ない!」

 

ロンとジニーが大声を上げ、僕と同じく同行の意思を表明する。ルーナだけは何も言わず成り行きを見ていたけど、帰るつもりは全くなさそうだ。

そしてそんな皆の声で、ハリーはようやく半ば諦めたように言った。

 

「……分かった。皆で行こう。でもこれだけは誓ってくれ。危ないと思ったら……ヴォルデモートと出くわしたら、迷わず逃げるんだ」

 

僕等のことを説得する時間は無いと悟ったのだろう。何度も何か言いかけ、僕等の表情を見回して、ようやく本当に諦めた様子で続ける。

 

「……時間が無い。ハーマイオニーなら先生を探すべきって言うんだろうけど、本当にもう時間が残されていないんだ。これ以上待てない。それに先生への連絡なら、医務室にいる彼女自身がしてくれているはずだ。だから僕はこれから直接魔法省に乗り込む。行く手段は……そうだ、フレッドとジョージがしたように、箒で行けばいい。幸い僕はファイアボルトを持ってる。でも君達は、」

 

「箒なんて必要ないもん」

 

でも、彼が移動手段について言及し始めた時、彼の言葉は突然遮られた。

遮ったのは、今まで黙っていたルーナ。いつものどこを見つめているか分からない表情ではなく、ただ真っすぐにハリーを見つめながら彼女は続けたのだ。

 

「ホグワーツにはセストラルがいるもん。あの子達は箒なんかより速く、遠くに飛べる。この中ではあたしも、ハリーも、それにロングボトムも見えるはずだもん。それに、あたしはあの子達がいつもどこにいるかも知ってる。そっちの方が名案でしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「ミ、ミス・グレンジャー! いつの間にベッドに!? いえ、そんなことより! ど、どうしたのですか、その怪我は!?」

 

「こ、ここは……医務室?」

 

先程まで森にいたはずの私は、何故か次の瞬間にはホグワーツの医務室に横たわっていた。

いえ、理由は考えるまでもない。私は本来そこにいるべき『しもべ妖精』を探す。でも、彼はもう違うどこかに行ってしまった後だった。どこに視線を向けても、彼の姿はどこにもありはしなかった。

医務室にいるのは私と、この部屋の主であるマダム・ポンフリーだけ。ドビーも、ましてや先程まで一緒にいたハリーや……ダリアもいなかった。

私は足から感じる激痛の中、何とか思考をまとめようとする。

ダリアが私を攻撃した。でも、それは恐らく私を()()()()。私は散々彼女を傷つけてきたけど、それでも彼女は私を見捨てずにいてくれた。今更ダリアが私を何の理由もなしに攻撃したと考える程落ちぶれてはいない。ならば理由があるはず。この怪我の程度もそう。何故足なのか。それは私を動けなくするため。ドビーに医務室に送るよう指示したことからも、彼女が私をホグワーツから動けなくすることが目的と考えられる。

でも、それは何故?

 

「あっ……ぐ。ど、どうして、な、の。ダ、ダリ……」

 

「動かないで! 理由はともかく、直ぐに治療します!」

 

マダム・ポンフリーが足に触れたことで、思考に一瞬乱れが生じる。それでも私は必死に考え続けた。

そうだ、彼女の目的ならいつだってはっきりしている。家族とダフネ、そして……私を守ること。彼女の行動原理はいつだって同じなのだ。ならば今回だって彼女は私を守るために行動したのではないか。それ以外に考えられない。

そう考えると、今度は私に怪我させることが何故私を守ることなのかという疑問が湧く。ケンタウロスに連れ去られたアンブリッジはともかく、ハリーは何もされずに放置されていた。何より森まで態々ついて来たの? ハリーを無視して、私を攻撃する理由。私を守るという観点で見れば、まず考えられるのは私をハリーと()()()()()()()()ということくらいか。

そして引き離すということは、ハリーと一緒にいては()()()()()ということ。

そこまで考え、私は痛みとは違う理由で冷や汗をかき始めた。

そもそも私の考えていることが正しいとは限らない。痛みで思考は途切れ途切れな上、私が得られる情報には限りがある。私が確信できることは、ダリアが理由なく私を攻撃するはずがなく……彼女が自身の行動を悲しんでいるということだけ。彼女は2年生の時、私に杖を向けながらも私に呪文を使わなかった。DAがアンブリッジに露見した時も、私には呪文を一切使っていない。そんな彼女が今回は私の足を呪文で貫き、その後()()()()()()()を浮かべながら肩を震わせていた。それだけが私が知り得ている確かな事実。

でも、それだからこそ私は嫌な想像を止められずにいる。そもそもハリーがシリウスが捕まっている()を見た瞬間から、何か嫌な予感がしていた。彼の見た夢の内容が恐ろしいこともあるけど、それだけでは説明しきれない違和感を感じ続けている。ハリーの夢の内容がやはり簡単すぎる。全てがお膳立てされたかのように単純明快。まるで誘導されているかのような強烈な違和感を覚えてしまう。そしてダリアの行動。もしダリアはハリーの無鉄砲な行動の先に何が起こるか知っているとすれば……。ハリーは何か恐ろしいことに誘導されているのではないか。シリウスは餌に過ぎず、寧ろ目的は()()()()()()すること? 何もかもがそんな嫌な想像に繋がってしまうのだ。実際、それならばある程度全てのことに説明がついてしまう。ダリアは私のことを陰ながら守るとしてくれていても、決して味方というわけではない。寧ろ敵陣営に属している、いえ、属さざるを得ない子なのだ。私はともかく、ハリーは完全に敵として扱わなくてはいけないだろう。そして今までの状況。ハリーが夢を見てから、他の先生に相談しようにも、親衛隊員が先生達に張り付いていた。だからこそ誰にも相談できなかったわけだけど、それもおかしな話なのだ。親衛隊員は、クラッブやゴイル、それにパンジーみたいな生徒で構成されている。先生に質問しに行く程真面目な生徒達ではない。それがOWL後に先生に張り付いていることそのものがあり得ない。それこそ私達が先生達と接触することを妨害しようとしていたとしか考えられない。そしてそれを親衛隊員に指示できるのは……アンブリッジの他には一人しかいない。

私はそこまで考えた瞬間、私の足に包帯を巻いていたマダム・ポンフリーに猛然と話しかけた。

 

「マ、マダム・ポンフリー! 今すぐ! 今すぐマクゴナガル先生に連絡してください!」

 

「な! ど、どうしたのです!? 大人しくしていなさい! 傷口は綺麗です! これならば明日にでも怪我は治り、」

 

「そんなことはどうでもいいんです! お願いですから! ともかくマクゴナガル先生を呼んでください! ハリーが……ハリーが危ないんです! ハリーはあの人の……ヴォルデモートの()に嵌められているかもしれないんです!」

 

 



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神秘部での戦い(中編)

 ハリー視点

 

何かがおかしい。

そう僕が感じ始めたのは、魔法省に到着してからのことだった。

ルーナからセストラルに乗るという案を聞いた時はどうかと思ったけど、思いの外上手くいってしまった。確かに箒より速く、行きたい場所を伝えただけで魔法省まで真っすぐに飛んでくれた。ルーナのことを疑った僕の落ち度だ。彼女がいつも読んでいる雑誌から、彼女の言葉はどれも眉唾だと内心思っていたのだ。それがどうだ。僕なんかが考えるより遥かに早く、そして皆がここに魔法省に辿り着くことが出来た。ルーナのことを何も考えず疑った僕は間違っていたと言わざるを得ない。

……でも、そんな余計なことを考えている余裕は、実際に魔法省に辿り着いた僕にはありはしなかった。

僕は一度だけ魔法省に来たことがある。今年初めに呼び出された裁判の時だ。あまりいい思い出とは言えない。けど、あの時魔法省に立ち入った時の記憶は今でも覚えている。ロンドンの何の変哲もない電話ボックスから入り、地下に降りると大勢の魔法使いが歩いていた。お世辞にも静かな空間ではない。大鍋を抱えた魔女、号外と叫ぶ魔法使い。ダイアゴン横丁以上に色んな魔法使いがいて、静かとは程遠い場所だった。

なのに、今は僕等の他に誰もおらず、辺りは物音一つしない程静まり返っている。あの時あれ程賑わっていたことが嘘のようだ。

何かがおかしい。ここまで勢いで来てしまったけど、この時ばかりは僕も違和感を感じざるを得なかった。こんなことあるのだろうか。いや、シリウスを救いに来た僕には都合がいいのは間違いないのだ。すっかり悪い意味での有名に成り果てた僕だ。人が大勢いれば、それだけで騒ぎになってしまったかもしれない。それではシリウスを助けるのに足止めになってしまう。

でも、今はそれが無い。本来ならば、僕にとっては都合がいいはず。でも、ここまで静まり返っていると、何故か不安になってしまったのだ。

まるで僕が罠にはまってしまっているかのような……。ここまで誰かに誘導されているだけのような。

いや、弱気になるな。シリウスが捕まっているのは()()()()()のだ。僕が躊躇えば、誰が彼を救えるというのだ。

寧ろ全てにおいて僕に都合がいいのは間違いない。確かにハーマイオニーはいない。それどころか本来なら誰も連れてくるつもりはなかった。でも、ここにはハーマイオニー以外の心強い味方が一緒にいる。彼等を危険に晒すつもりはなかったし、今でも帰れるなら帰ってほしい。でも、彼等を説得する時間すらなかったこともある上、正直僕は彼等の存在を有難く思ってしまったのだ。本当は駄目だと分かっていても、僕は彼等に頼ってしまっていた。彼らがいれば、僕は何だって出来る気がする。その上ここまで僕に有利な状況が出来上がっている。ためらう理由がどこにあるのか。

僕は何とか内心で湧き上がった弱音をひた隠し、静まり返った魔法省の中を歩き続ける。目指す場所は『神秘部』。場所は……詳しくは分かっていない。ただ一つここまでくる間に思い出したのは、蛇の夢を見た時の廊下。あの廊下にはどこか見覚えがあるということだ。

今思い出すと……あの時の廊下は、僕が裁判に呼ばれた時に見たモノに似ているのだ。そして裁判の時、ダリア・マルフォイがいたのもあの廊下。これは偶然の一致だろうか。

ともかく、僕にはそれ以外の情報が無い。ならば少しでも可能性の高い場所に行かなくては。

ここまでなるべく最短で来たつもりだけど、シリウスがまだ無事である保証はどこにもない。ならば僕が不安なんて感じている場合ではない。皆も僕を信じてついて来てくれた。ならば僕は根拠のない不安に惑わされてはいけないのだ。それでシリウスが助かる可能性も上がるはずだ。

そしてそんな僕の予想は、()()においては正しかった。

記憶を辿りに魔法省の中を歩き、僕等は裁判所前の廊下、ダリア・マルフォイを見かけた廊下に辿り着く。そこには、

 

「神秘部……良かった。予想は正しかった。ここに……この中にシリウスがいるはずだ」

 

僕が探していた『神秘部』の表示が掲げられていたのだ。

やった! 禁じられた森から帰りついてから、ここまでは実に順調だ。僕は見覚えのある暗い廊下の先にあった、ただ黒い扉に手をかける。

その先で、僕の大切な家族が助けを待っていると信じながら。

 

 

 

 

……そう、僕の予想は()()()()においては正しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーナ視点

 

あたし達は……ハリー・ポッターは罠に嵌められてしまった。

その考えが至るのにそう時間はかからなかった。

ハーマイオニー・グレンジャー、ダフネ・グリーングラス。そしてダリア・マルフォイ。()()()機転で何とかアンブリッジから逃げ出して辿り着いた『神秘部』の中は、あまりにも複雑な作りだった。絶えず変化し続けるドアの行き先。あたしでも見たことも聞いたこともない正体不明の物体。先程通った大きな部屋には、一見何の変哲もない、人ひとりが通り抜けられる石のアーチが置かれていた。でも、あのアーチがただのインテリアなはずがない。事実アーチには、擦り切れたカーテンの様な物が掛かっており、そこから声が聞こえたのだ。

……幼い頃聞いた()()()()()、もう願っても二度と聞けない声で、あたしをアーチの中に誰かが呼んでいた。あたしには何だか、それがとても恐ろしかった。

でも、そんなアーチについていつまでも考えていられない。あたし達はアーチのあった部屋を抜け、更に奥へ奥へと進んだ。

そして辿り着いた場所が、

 

「ここだ。夢に見た通りだ。み、皆、静かに進もう」

 

辺り一面にたくさんのガラス玉が置かれた場所だった。天井は高いこともあるけど、部屋全体が暗くて上が見通せない。そんな部屋の中には所狭しと背の高い棚がいくつも聳え立っている。そしてその棚には、小さな埃っぽいガラス玉がぎっしりと置かれていた。

どうやらハリー・ポッターの目的地はこの部屋だったらしく、今まで以上に警戒した表情で足を進めている。ハリー・ポッターの表情が変わったことで、あたし達も真剣に辺りを見回した。当然のことだ。あたし達は別にここまで遊びに来たわけではない。あたし達は戦いに来たのだ。ここには『例のあの人』だっているかもしれない。警戒しない方がどうかしている。

 

「確かあいつは……そうだ、99。99の棚がどうとか。皆、99の番号が書かれた棚を探してくれ。そこにシリウスがいるはず……」

 

でも、あたし達の警戒とは裏腹に、部屋にはあたし達以外に誰もいなかった。響くのはハリー・ポッターの小声と、あたし達の足音だけ。一番恐れていた『あの人』の姿はどこにもない。……ハリー・ポッターが探しているであろう人の声も聞こえない。

ハリー・ポッターの言葉が正しければ、ここで誰かが『あの人』に捕まり拷問されているはず。なのに誰の声も聞こえないのはおかしい。

既にその誰かが殺されたか、別の場所に移動させられたか。あるいは……()()()()()()()()

 

「あ! あったわ! あったわよ、ハリー! ここに99って書かれてる!」

 

「ジニー! で、でもここにいるはずなんだ! なのになんで……」

 

「あら、ここに貴方の名前が書かれているわ。それも……()()?」

 

やっぱり何かがおかしい。あたしの中に先程までとは別種の警戒心と不安が急激に生まれる。でもそんなあたしを置き去りにして、事態が問答無用に進んでいた。

ジニーが棚の一つを指さし、皆の視線が一時的に集中する。ジニーが示したのは、無数に並んだガラス玉の()()

()()()()ガラス玉の下には、『闇の帝王とハリー・ポッター』と記されていた。

そしてもう1つには、

 

「どうしてここに君の名前が……。それに、なんでここだけ()()なんだ?」

 

『闇の帝王とハリー・ポッターと【…】』、そう書かれていた。明らかに誰かの名前が続きそうな空白には、しかし誰の名前も書かれてはいなかった。

そもそもこのガラス玉は何なのだろうか。先程のアーチのこともあるから、きっと良くないものなのだろう。でも、これが一体何なのか想像も出来ない。

名前の無い私達ですら気になったのだ。実際に名前の書かれていたハリー・ポッターが気にならないはずがない。彼は声を上げたロナウド・ウィーズリーに応えながら、半ば無意識と言った様子で2つのガラス玉を手に取った。制止する暇もなかった。それにガラス玉はあまり大きくはないため片手で両方握っているけど、バランスはあまり良さそうではない。

 

「……何か分からないモノを手に取るのはどうかと思う」

 

あたしに出来たのは、結局少しだけハリー・ポッターに苦言を呈したことくらい。それに対して彼は、まるであたしにだけは言われたくないといった表情を浮かべていた。

尤も、そんな不満を彼が実際に口にすることは無かったのだけど。

 

「よくやったぞ、ポッター。ここまでの案内もご苦労だった。成程、情報通り99の棚だったか。情報通りというわけだ」

 

突然、あたし達の背後からどこか気取った声がする。

あたし達は急いで杖を構えながら振り返ると、そこには黒いローブを羽織った人間が何人も立っていた。そいつらの先頭に立つ青白い顔をした男が、あたし達に手を伸ばしながら続けた。

 

「さぁ、それを渡しなさい。それは君には必要のないものだ。それは『闇の帝王』こそが……ポッター、何故()()()()()持っているのだ? そ、そんな情報は無かったはずだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

全ては『闇の帝王』の計画通りに進んでいた。

『神秘部』にあるという、全ての予言を保管された部屋。私を含めて全ての『死喰い人』は、その部屋の中に侵入することすら出来なかった。忌々しい『不死鳥の騎士団』に散々邪魔されていたのだ。少ない人数で、何の騒ぎも起こさずに侵入するのは不可能だった。

無論ただ手をこまねいていたわけではない。情報は常にかき集め続けていた。『神秘部』の連中は変わり者ばかりで、何を尋ねても要領の得ない答えしかなかったが、それでも分かったことはいくつもある。部屋には大量の予言が収納されていること。ハリー・ポッターの予言は99番の棚にあること。そして……予言は()()()()()()()()()()手に取れること。

たったこれだけの情報。されどこれだけの情報を手に入れるのに、どれ程労力と忍耐、時間を有したことか。そしてこの情報を『闇の帝王』にお伝えした時、遂にこの後戻り不可能な作戦が実行されることとなった。遅々として進まない計画に、遂に闇の帝王自らが重い腰を上げたのだ。私が必死にかき集めた情報。そしてあのお方がお気づきになった、ポッターと自身を結ぶ細い糸。今ならば騎士団員の警備が減っていることもある。闇の帝王は遂に機が熟したと判断され、この計画を私に授けられた。私はそれをただ辿れば良い。

遂にその時が来た。この作戦に失敗しなければ、私は今までの失態を全て帳消しにすることが出来る。

闇の帝王の深淵なお考えを全て理解することは出来ないが、私とてこれだけはわかった。

私が失敗しなければ、必ずや私は手にすることが出来る。今度こそ望んだ未来を。今まで当たり前だと信じていた栄光ある未来を。

計画の内容自体は実に単純なものだ。まず『闇の帝王』がポッターに()を見せる。奴の唯一の名付け親であるシリウス・ブラックが、『神秘部』で捕まり拷問される夢。実に馬鹿々々しい内容であるが、ポッター程度には十分すぎる内容だ。賢いダリアならば当然疑うだろうが、ポッターのような愚か者には効果は十分だ。奴のことだ。頭に血が上り、冷静な判断も出来ずに単身魔法省に乗り込んでくるに違いない。よしんば誰かに相談したとしても、最大の障害であるダンブルドアは城におらず、他の教員もドローレス・アンブリッジの手前大っぴらに行動は出来ない。ポッターは遅かれ早かれ、必ずこの『神秘部』に現れるはず。

そして私が出来るだけスムーズに奴らがここに辿り着けるよう、今日一日だけは魔法省の職員を出来るだけ出仕しない様に取り計らっていた。権力にものを言わせた手段であり、不死鳥の騎士団のみならず、一般の魔法省職員にすら疑念を抱かれかねない強引な行為。魔法省での私の地位は著しく失墜する可能性がある。この任務は極々単純なものであるが、二度目のチャンスはない。見返りも大きいが、失敗は許されない。私は必ず成功しなければならないのだ。全てはマルフォイ家のために。

 

だというのに、

 

「ポッター、何故()()()()()持っているのだ? そ、そんな情報は無かったはずだ!」

 

計画にない、全くの想定外の出来事が目の前で起こっていた。

本来であれば、我々はただ一つの予言を手に入れる手はずであった。そもそも『闇の帝王』とポッターに関わる予言は一つのみ。それ以外に存在したなど我々の情報にはなく、それこそ『闇の帝王』すらご存じない。

 

『七月の末、闇の帝王に三度抗った両親から生まれる子どもは、闇の帝王にはない力を持つ』

 

かつてセブルスが手に入れたという予言はここまで。どうやら続きがあったらしく、その続きを『闇の帝王』は必要とされた。ポッターには何かがある。私から見たポッターはどこにでもいる平凡な小僧であり、思考もごく単純な愚か者だ。事実この作戦にいとも簡単に乗せられている。だが、同時にそんな愚かな小僧が、幾度となく『闇の帝王』から逃げおおせたのもまた事実。たとえ全て奴自身の力ではなく、偶然によるものであったとしてもだ。奴には我々に知り得ない何かがあるのやもしれない。無論何もないかもしれないが、予言が無ければそれすら推測するしかない。

だからこそ我々はポッターを誘き出したというのに……予言が何故()()()あるというのか。

想定外の出来事に動揺し、思わず声を荒げてしまった。

だが私は直ぐに自身を落ち着かせ、何とか平静さを取り繕う。全く想定外のことであるが、目的自体に何の変りもない。ポッターが手に入れたということは、要するにそのどちらも奴に関係した物なのだ。ならばどちらとも手に入れれば何の問題もない。そうだ、よく考えれば何の問題もないのだ。それどころか、想定に無かったもう一つの予言すら手に入れれば、『闇の帝王』が更なる栄光を約束して下さるやもしれない。

 

「い、いや、今はどうでも良いことだ。さ、さぁ、ポッター。もう愚かな君でも分かっているはずだ。君は我々の罠にまんまと引っ掛かったのだ。逃げられはせんし、抵抗も無意味だ」

 

そう言って私は背後に控える『死喰い人』達にポッター達を囲ませる。ポッター達は僅か5人足らずの子供。それに対し我々はその倍の人数を有している上、皆『闇の帝王』に認められた本物の『死喰い人』だ。アズカバンに長年繋がれていたとしても、子供に太刀打ち出来るような存在ではない。

 

「そうだよ、ポッターちゃぁん! お前ら如きにはもう何も出来ないんだよ! 全てはあの御方の掌の上! 闇の帝王は全てをご存じなのさ!」

 

そしてこちらには、情緒不安定ではあるものの実力だけは確かなベラトリックスもいる。何をしでかすか味方であるはずの私でも分からないが、今この場の戦力としては十分以上だろう。

 

「……シリウスはどこだ? ここにいるはずだ。あいつがシリウスを捕まえて拷問しているところを、僕はこの目で見たんだ!」

 

「おやおや、ま~だ夢と現実との区別がついてないんでちゅか、ポッター坊や? これだけはルシウスの情報通りってわけだ。とんだ英雄気取りだね」

 

「止めないか、ベラトリックス。無駄に挑発するな」

 

私はベラトリックスを制止しながら、ポッターになるべく優しい口調で続けた。

 

「だが、確かにそろそろ夢と現実との違いが分かってもいい頃だろう。ポッター、君が見たのは、全て『闇の帝王』が作り出された幻想だ。君は罠に嵌められ、生き残る手段は一つしかない。さぁ、予言を渡すのだ。さもなければ杖を使うこととなる。それとも友人達共々ここで死ぬか?」

 

「シリウスがいない? ヴォルデモートが僕に魅せた幻想? そ、そんな。い、いや、今はそれより……。ルシウス・マルフォイ! これを……予言と言ったな! これを渡して、本当に僕達をお前達が黙って帰すと、僕が信じると思うか!? 僕はそこまで愚かじゃないぞ!」

 

聞き分けのない子供だ。やはりポッターは愚か者でしかない。私は更に愚か者に現実を教えるため続けようとした。

 

「信じようが信じまいが、そんなことは関係ない。ただ君にはそれしか生き残る術がない。そう言っておるのだ。だから、」

 

「おっと、だから……何だって言うんだ? ルシウス・マルフォイ。私の()()に一体何をする気なんだ?」

 

しかし、突然本来ならば()()()()()()()()()()()()の声が響き、私は杖を()()に向けざるを得なくなったのだ。

他の死喰い人達も一斉に杖を声のした方向に向ける。

そこには5人の魔法使いが立っていた。4人は『闇祓い』の人間だ。その内の一人は私がダリアに頼まれて推薦した狼人間もいる。

そして最後の一人が……

 

「さて、私の家族と友人達を傷つけようとした落とし前。きっちり払ってもらおうか」

 

ポッターの幻想でのみここに存在し、現実では絶対にこの場にいてはいけない……シリウス・ブラックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドビー視点

 

……こんな形でマルフォイ家のお屋敷に帰ってこようとは、ドビーめは今まで夢にも思っていなかった。

辺りを見回すと、以前ドビーめがここで働いていた時と、()()()()()()であれば何も変わっていない。昔ながらの純血一族らしく気品のあるロビー。ホグワーツで働く今であれば、どことなくスリザリン寮の談話室に似通った雰囲気だと気付く。つい3年前までは毎日見ていた光景。今では二度と見ることはないと思っていた光景。3年前と調度品の位置などは何一つ変わっていない。

しかし、ドビーめには……それでも何かが決定的に変わっているような気がしてならなかった。

何一つ変わっていないはずであるのに、一枚カーテンをめくれば何か悍ましいものが隠れているような感覚。人の気配が全くせず、ただ何かを隠すために取り繕われているだけのような。そんな感覚を覚えていた。

 

「ドビー、ありがとう。貴方には今日一日だけで何度も助けられたわ。ダフネのことも。それに……グレンジャーさんのことも。何度も突然呼び出して、また貴方にここに飛ぶようお願いして。貴方にはここにいい思い出なんか無いでしょうに……」

 

だが、ドビーめにはそれも今は些細な問題でしかない。ドビーめの傍には、ドビーめが忠誠を誓うお嬢様の姿があるのだから。そしてそのお嬢様が……またもや一人で全てを背負い込もうとされているのだから。

グリーングラス様の護衛をしていたドビーめを再びお嬢様はお呼びになり、今度はマルフォイ家に飛ぶよう指示されたのだ。それもお嬢様をお連れした状態で。ホグワーツでは校長以外の魔法使いは『姿現し』をすることが出来ない。しかし『屋敷しもべ妖精』は魔法使いのような魔法を使うわけではないため、それこそ他人を連れた状態でも他の場所に飛ぶことが出来る。それをお嬢様はご存じだった。『しもべ妖精』のことをよく見ておられるお嬢様なればこそだろう。

しかし、このお嬢様の願いに従ったことが、果たして正解だったのかドビーめには分からなかった。無論お嬢様が願われれば、ドビーめはどこにだって行く。お嬢様はドビーめの負担を気にされておいでだが、ドビーめはお嬢様の家族なのだ。お嬢様の願いを叶えて差し上げたい。それこそ一度捨てた場所であるマルフォイ家の屋敷にだって、お嬢様の願いであれば飛ぶことを躊躇わない。だが、今回だけは違う。ドビーめは薄々気が付いているのだ。お嬢様がこれからどこに行かれるか。そして何をされようとしているのか。

それがお優しいお嬢様自身を傷つける行為。どんなに必要な事であっても……家族や御友人を守るための行為であっても、お優しいお嬢様が傷つかないはずがない。

それに、お嬢様の命の危険さえ……。

 

「い、いいえ、お嬢様! ドビーめのことをお気になさる必要はございませんです! で、ですが、お嬢様は行かれる場所はもしや、」

 

「えぇ。()()です。魔法使い同士が殺し合い、誰かが死ぬかもしれない場所。だからドビー。貴方はここで待っていて。ただ、もし私が帰ってこなかったら……迷わずホグワーツに戻りなさい。これは命令よ。……ごめんなさい、貴方を巻き込んでしまって。でも、これはマルフォイ家に必要な事なの」

 

なのに、それが分かっているというのに、ドビーめはお嬢様を強く御止めすることが出来なかった。

お嬢様の目的は、ただ家族と友人の安全のみ。それをドビーめも分かっているからこそ、ドビーめはお嬢様を御止めすることが出来ずにいた。お嬢様は自分自身より、家族や友人方が傷ついた事実に心を痛められるお方だ。それを御止めすることなど……家族の一人として見なされているドビーには出来なかったのだ。

 

「ではね、ドビー。ここまでありがとう。もし帰ってこれたら、ホグワーツまでまたお願いね」

 

ドビーめの目の前で、お嬢様は黒い靄のようなものを体の周囲に張り巡らされる。靄のせいでお嬢様のお姿は完全に見えなくなった。そして暖炉に煙突飛行粉(フルーパウダー)を投げ込み、

 

()()()

 

お嬢様は本当に行かれてしまったのだった。

おそらくお嬢様のご家族もおられるであろう戦場に。



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神秘部での戦い(後編)

 ルーピン視点

 

シリウスが死んだ。

先程まで一緒にいた親友が、何の前触れもなく逝ってしまった。そのどうしようもない事実に、私の認識は現実に追い付いていない。

そもそもこの戦いは、正直なところ勝てて当たり前と言えるものだった。ハリーが何かしらの罠にかけられた可能性を報告したセブルス。そして怪我を負いながらも、迅速にハリーの居場所を伝えてくれたハーマイオニー。二人のお陰で、僕ら『不死鳥の騎士団』は速やかに救出チームを編成することが出来た。寧ろ奴らを一網打尽にするチャンスですらあったのだ。

無論侮ったつもりはない。長年アズカバンに収監され、力が昔より遥かに衰えているとはいえ……相手はあの『死喰い人』。子供が相手だと奴らは侮っており、尚且つ奴らの目的である予言を損なわないためには、あまり派手に暴れることも出来ない。それらを踏まえて我々の方が遥かに優位な状況だと思っていたが、決して油断しているつもりはなかった。

……しかし、実際のところ私達は油断していたのだろう。油断していなかったのは、歴戦の猛者であるマッドアイくらいのもの。私にトンクス、キングズリー。……そしてシリウスは、心のどこかで戦いを侮っていたのだ。

その結果が、今目の前の光景だった。

 

「……皆、怪我はないかい?」

 

「う、ううん。僕等は全員大丈夫。そ、それよりハリーを」

 

「あぁ、分かってるさ。今すぐ追いかける。君達はここから動かない様に。いいね、ネビル」

 

「わ、分かりました。それと……あいつは。あのベラトリックスは僕の、」

 

「それも分かっているさ。奴も必ず捕まえる。では、私は行くよ」

 

私はネビルやロン、それにジニーにルーナの無事を確認した後、一瞬辺りを見回す。

『死喰い人』はここにいないベラトリックス以外は全員拘束されている。奴らのリーダーであるルシウス・マルフォイもだ。彼には『闇祓い』に推薦してもらった恩があるが、敵である以上容赦していない。それに対し、()()()()()()()『不死鳥の騎士団』メンバーは誰一人怪我もしていない。予言も()()()のモノ以外は無事だ。今はネビルが大事に抱えている。一見何の異常もないはずなのだ。ただベラトリックスを追いかけたハリーと……アーチの向こうに消えてしまったシリウスがこの場にいないことを除けば。

一瞬の出来事。『死喰い人』と戦い、奴らをこのアーチのある部屋まで追い詰めた。次々と『死喰い人』を拘束し、遂にベラトリックスとルシウス・マルフォイのみになった時、偶然ベラトリックスが放った『死の呪文』がシリウスに当たったのだ。

……そして薄いカーテンに巻き取られるように、シリウスはアーチの向こう側に消えてしまった。この場には……いいや、おそらく彼はもうこの世のどこにもいない。

親友の死。それも死体がどこにもないことで、私の認識が全く現実に追い付いていない。だが、今は行動しなければならない。非現実的な事実に、悲しみを感じ切れていないことが上手く作用している。私が今為すべきことは、逃げたベラトリックスを追いかけたハリーを引き戻すこと。怒りと悲しみに我を忘れている今のハリーは、どんなことをしでかすか分かったものではない。最悪ベラトリックスの挑発に乗り、彼の方が返り討ちにあう可能性だってある。シリウス以外の犠牲者を出さないためにも、今私はただ行動し続けなければならないのだ。

 

「トンクス、キングズリー! すまないがここで子供達を守っていてくれ! それに『死喰い人』の監視も! アラスターは私について来てくれ!」

 

「言われるまでもない。人選としてはそれで良かろう。……小僧にしてはよく耐えたな。冷静さを失ってはおらん。それでは行くぞ! 残る二人も油断するな!」

 

「わ、分かったわよ。リーマス、気を付けて! 貴方にまで何かあったら……」

 

「あぁ、分かっているよ、トンクス。それではハリーを、」

 

私とアラスターはそう言って勢いよく部屋の出口に向かおうとした。

全てはシリウスの死を無駄にしないために。ハリーという未来を守るために。

 

しかし、それは出来なかった。

何故なら部屋の出口に……今までこの部屋にいなかった存在が佇んでいたのだ。

 

「……噂の新しい『死喰い人』か?」

 

「……どうやらそのようだね。ハグリッドの報告にあった特徴と同じだ」

 

全く気が付かなかった。先程までいなかったというのに、いつの間にか当たり前のように部屋の出口に佇む存在。何の気配も感じなかったというのに、視界に収めた瞬間、異様な存在感を醸し出している。それは黒い靄を纏った()()……としか言いようのない存在だった。

人型ではない。おそらく中身は人間なのだろうが、まるで辺りをうねる様に黒い靄が纏わりついている。『オブスキュラス』という存在があるが、それに近い印象を受ける。おそらくあの黒い靄も攻撃に使うことが出来る。そう我々の直感は告げていた。こんな奴は以前の戦いにはいなかった。そして私達の妨害をするように立ちふさがり、何一つ言葉を発しない。つまり目の前の存在は……明らかに我々の敵で間違いない。

()()()()()()()()()()()()()

()()は今ホグワーツにいるはず。ならばやはり私の杞憂だったのだろう。そう私は自身に言い聞かせ、油断なく杖を黒い靄に構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルシウス視点

 

私はダリアの実力を知っている。いや、知っているつもりだった。

幼い頃から優秀だった。優秀でない時など存在しなかった。何を教えても直ぐに習得し、更には知的好奇心も旺盛。運動能力も優れており、当に完璧な存在とすら言えるだろう。流石は我がマルフォイ家の娘。幼い頃の実力でも、そこらの『闇祓い』に負けるはずが無かったのだ。今ならば圧倒してもおかしくはない。そう考えていた。

……だが、ここまでとは私とて想像していなかった。

 

「な、なんだこの動きは!? くっ! アラスター! そっちに、」

 

「キングズリー! 口より前に手を動かさんか! ぐぁ!」

 

「アラスター!」

 

未だ拘束されたままの私は、茫然と目の前で繰り広げられる光景を眺める。

黒い靄を纏ったダリアは、状況を窺うように数秒杖を構える騎士団員共と睨み合っていた。しかし次の瞬間、キングズリーとか言う闇祓いに目にも止まらぬ速さで呪文を放った。その上奴がそれを間一髪とはいえ防いだのを予測していたのか、そのまま今度は決して人間では出せない速度で接近し、そのまま纏っていた靄でムーディを包んでしまった。当然マッドアイも抵抗し呪文を放っていたが、その全てを靄は無効化している。そして靄が奴から離れた時には、奴は体中から血を流しながら倒れ伏していた。

あの動きから察するに、ダリアは今手袋を外しているのだろう。吸血鬼の力を使った、それこそ『闇の帝王』にすら不可能な動き。事情を知らぬ騎士団員共が初見で対応できるはずもない。しかし不意打ちとはいえ、ここまで圧倒的に、それも騎士団員の中で最も脅威であるマッドアイを無力化するとは。私を含め、この場にいる全員が唖然とした表情でダリアのことを見つめている。

そして当然、これだけではダリアの快進撃は止まらない。

 

「くそ! よくもアラスターを!」

 

「待て、早まるな! キングズリー!」

 

今度は猪突した『闇祓い』の呪文を軽くいなし、やはり反応出来ない速度で何かしらの無言呪文を放つ。するとその呪文に当たった『闇祓い』は怒りの表情から一変し、どこか恍惚とした表情になった上……女の『闇祓い』に杖を向けたのだった。

 

「な、何をしているの、キングズリー! 何故私に杖を!? ま、まさか、ふくじゅ、」

 

『失神せよ!』

 

そこで初めてダリアが何の呪文を使ったのか、私はようやく理解した。ダリアは奴に『服従の呪文』を使ったのだ。そして私の予想は正しく、キングズリーなる『闇祓い』は女を失神させた後、そのまま自身にも呪文をかけて気を失った。

もはや蹂躙と言っていい程の実力差だ。おそらくムーディが撃破されたことで冷静さを失ったのだろうが、それでも蹂躙と言える程のものだ。残るは狼男のみ。ポッター以外の子供がまだいるにはいるが、ダリアに敵うはずもない。ダリアの勝利は確定した未来だった。

だが私は自身がダリアの力を過小評価していたことに歓喜すると同時に、自分自身のことが恥ずかしく思わざるを得なかった。

私は本当に情けない父親だ。『闇の帝王』に与えられた使命も果たせず、あろうことか我が娘に助け出されてしまった。予言は二つであったというのに、一つは戦闘中にポッターが不注意にも割ってしまい、もはや我々が手にすることはない。いくら目的の予言を手にしたとしても、予言の全容が分からなければ振り出しもいいところだ。闇の帝王が喜ぶはずがない。そして本来ならばダリアがここにいるはずもなかった。ダリアの登場など計画にはなく、そもそも娘にはこの計画を伝えてすらいない。それなのにダリアがここに来たのは、偏に彼女が優秀極まりないからこそだ。おそらくポッターの愚劣な行動から、闇の帝王の意図を正確に読んだのだろう。そして意図を読み、どうやってか本来ならば『姿現し』出来ないホグワーツからここまで来た。それも不甲斐ない私を助けるために。

その助けが必要ないと……私は言える立場にはなかった。これを情けないと言わずに何と言えばいいのだ。

しかし、そうやってただ自身の情けなさを再確認してばかりもいられない。私が呆けている間にも、

 

「……ダリア。ダリア、なのかい?」

 

「……」

 

「そうか。それならば、まだ間に合う。君はまだ人を殺したわけではない。これだけの実力があるのに、私達を殺してはいないのが証拠だ。君はまだ引き返せる。だから、」

 

「失神せよ。さようなら……」

 

ダリアは邪魔者を全て片付けてしまったのだ。

 

「……ダリア・マルフォ、」

 

「……貴方達もここまでお疲れ様。生き残れて良かったですね。これは私が貰います」

 

残る有象無象の子供達をも最後に無力化し、靄の中から手袋をしていない手が伸び、我々の最初の目標であった予言を回収する。

 

「さぁ、帰りましょう、お父様。……他の方も起こした方が良さそうですね」

 

そして何でもないことのように、我が娘は私に手を差し伸べるのだ。まるでそれが当たり前のことであり、自身に課せられた義務であるかのように。

私は内心の情けなさ、罪悪感を噛みしめながら、表面上は取り作り応えた。

 

「あ、あぁ、そうだな。すまないな、ダリア。他の連中も連れて帰らねば、闇の帝王に私だけ逃げ帰ったと思われるからな」

 

何故とは問わない。ダリアの行動に疑問の余地など無い。それくらいのことは、私とて娘を理解している。だからこそ無駄な問答はしない。無論、無駄な時間をここで過ごす余裕がないこともある。私はダリアと協力し、他の死喰い人達を解放していく。

 

「……お、お前は。い、いえ、貴女は、」

 

「無駄話をしている余裕はありません。直ぐにここを離れますよ。人払いされているみたいですが、それも限界でしょう」

 

「こいつらはどうします? 殺しておきましょう!」

 

「……そんな時間もありません。目的は達しました。今は速やかに撤退することが重要です。これ以上ここにいるのは無意味です」

 

ダリアと他の『死喰い人』との会話を尻目に、私は自由になった体で辺りを見渡す。石のアーチを中心とした部屋には、先程ダリアが沈黙させた不死鳥の騎士団員、ホグワーツ生が転がっている。誰も死んではいない。ただ気を失っているだけだ。そしてダリアはそれらを殺さないと言った。名目上は時間が無いとのことだが、本当のところはどうなのだろうか。

いや、それこそそんなことを考えても仕方がない。今はただ脱出あるのみ。ダリアをこれ以上ここにいさせるわけにもいかない。私も私で、急ぎ今回の事態を闇の帝王にお伝えしなければ。失態は失態でも、それを最小限に抑えなくてはならない。遅れれば遅れる程それも叶わなくなるだろう。

黒い靄の中からでもダリアの威圧感を感じ取ったのか、死喰い人達は倒れ伏した敵を名残惜しそうに見つめながらも、渋々と言った様子で外に出て行く。当然私も奴らに続く。ダリアを一刻も早く安全な場所に退避させなければならない。それが私に残された唯一娘に出来ることなのだから。

 

 

 

 

……だが、

 

「……やはり来ておったか。それに他の死喰い人達も一緒とは。アラスター達はどうしたのじゃ? 答えによっては、ワシも容赦せんわけじゃが。どの道ここから逃げられると思わん事じゃ」

 

私はやはり、どこまでも情けない父親でしかないらしい。

魔法省ロビー。ここまで来れば、後は煙突飛行で撤退するのみ。その段になったというのに、我々の前に一番会いたくない敵が待ち構えていたのだ。

ロビーのあちこちに、今しがた大規模な戦闘でも行われたかのように大穴が開いている。そして遠巻きにいるはずのない魔法大臣含め、魔法省役員が数人おり……戦闘跡の中心に、ハリー・ポッターと、アルバス・ダンブルドアが佇んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

危ないところじゃった。そうワシはハリーの危機を間一髪で救った時思うた。

 

守護霊の呪文による伝令。ミネルバより送られた守護霊は、ワシにいよいよ戦いの時が来たことを教えてくれた。じゃからこそ、ワシは急ぎ魔法省に『姿現し』した。ヴォルデモートの狙いは予言。ならばこそ敵が罠を張るであろう場所も容易に予想できた。

ホグワーツから離れ、多くの時間があったというのに、ワシはまだ何の成果も得ておらん。トムの母親の生家を次に調べようと思うておったが、それも期待薄じゃろう。

そんな中もたらされた知らせ。ワシは自身の無力さを情けなく思いながらも、敵の思い通りにさせるわけにはいかぬと急ぎ飛ぶ。

そして飛んだ直後に見た光景が、何とハリーがベラトリックス……そしてヴォルデモートに囲まれておる光景だった。当に間一髪と言ってよいじゃろぅ。

ベラトリックスは問題にならん。あ奴は確かに『死喰い人』の中でもかなりの実力者じゃが、長年のアズカバン暮らしで以前より弱っておる。尚且つ、全盛期であってもワシに及ぶものではない。じゃが、ヴォルデモートは違う。奴をワシより格下と侮ることなど出来ぬ。負けるつもりもないが、勝つのは至難の業じゃ。それ程奴は危険な存在に成り果ててしもうておる。そして予想外じゃったのが、奴自身がここに現れたということ。今まで裏に隠れ続けておった奴が現れたということは、今回予言を手に入れる作戦が上手くいかず、奴自身が現れるしかなかった所作でもあるが……同時に敵の準備が整った証拠でもある。

やはりいよいよというわけじゃ。もっと有利な状況で戦いを始めたかったわけじゃが、残念じゃ。ハリーを救うためにも、ここで奴と戦うしかない。

 

「……ダンブルドア。こうして直接会うのは何年ぶりだ? 老いたものだな」

 

「久方ぶりじゃというのに、随分な挨拶じゃのぅ、トム。お主も随分と様変わりしてしもうた。それに……ワシの生徒に何をしようとしておるのかね?」

 

「教育。そう、教育だとも。このポッターは俺様が求めてやまぬ物を壊したのだ。悪戯をした生徒に罰を与える。当然のことであろう? お前は生徒に対し随分甘いようだからな。俺様が代わりに教育しようというのだ」

 

そこまで言った直後、奴から強烈な殺気が吹き上がる。蛇の様に鼻の削がれた顔に、血のように赤い瞳。禍々しい光を放つ瞳は真っすぐにワシに向けられておる。

遠い昔、ワシが出会った幼い頃の彼とは程遠い姿形じゃ。人間性などもはやどこにもない。

湧き上がる後悔、罪悪感をひた隠し、ワシは淡々と奴に杖を向けながら続ける。

 

「ここに現れるとは愚かじゃな、トム。いくら人払いをしておるとはいえ、それも有限じゃ。ワシ等が戦えば、いずれ騒ぎを聞きつけて誰かがやってくることじゃろう」

 

「ふん。そんなことはもはやどうでも良い。予言が失われた以上、もはや俺様が隠れている意味はない。全ての準備は整った。それに、そうでなくとも無用な心配なのだ。何故なら……俺様は直ぐにここからいなくなる。そして貴様はこの世から消えておるのだ、ダンブルドア!」

 

そしてワシへの応えは、奴の放った『死の呪文』であった。奴が得意とする、最も強大且つ残忍な魔法。ワシは呪文で軌道を逸らし、尚且つ敵に囲まれておるハリーをこちら側に引き寄せる。ベラトリックスもヴォルデモートもハリーに攻撃を加えようとするが、その追撃も呪文で防ぎ、ハリーを保護することに成功した。

 

「ハリー! 今は後ろに隠れておるのじゃ! 下手に手を出そうと思うでない! 今は我慢の時なのじゃ!」

 

「は、はい」

 

これで不安要素は消えた。じゃが正直なところ、ここからのヴォルデモートとの戦いは予想外のものであった。それも嫌な方向に。

戦い自体はワシの方が優勢に進めたといえるじゃろう。『死の呪文』を防ぎ、逆に辺りに散乱した瓦礫を浮かせ、変身させ、様々な手段で相手を翻弄した。誰がどう見ても、それこそヴォルデモートさえそう思った事じゃろぅ。ベラトリックスは既に気絶しており、ヴォルデモートも歯軋りせんばかりにこちらを睨みつけておった。ワシとハリーには傷一つついてはおらん。

じゃが実態は違う。奴と戦い、優勢であるからこそワシには分かる。ワシと奴には差など無い。寧ろ地力であれば()()()()()()()()すらおる。闇の魔術は強力であり、一瞬の油断さえ許されん。それなのにワシが勝っておるのは、ただワシの杖が奴の物より優れておるからじゃ。

そう、ワシの杖は全ての杖に勝る『ニワトコの杖』。『死の秘宝』が一つであり、嘗てグリンデンバルドより勝ち取った物。杖からの忠誠さえ得られれば、持ち主に絶大な力を与えてくれる。杖の秘密を知らぬ奴は気付かぬじゃろうが、杖の力を知るワシとしては寧ろ心穏やかではなかった。

優勢じゃが、心穏やかではない数分間。幾多もの呪文がお互いを飛び交い、辺りはもはや元の状態を思い出せん程の惨状に成り果てておった。そしてその時間にもようやく終わりが来る。

 

「い、一体何の騒ぎだ! ダンブルドア! 貴様、魔法省に遂に乗り込んで……っひ! あ、あの人が!? あの人がいる!」

 

ようやく騒ぎを聞きつけたのか、ロビーに人が集まり始めたのじゃ。

 

「……潮時か。ダンブルドア、今回は退いてやろう。だが近いうちに、貴様に必ずや残酷な死を送ってやろう」

 

「ワシは死を、そしてお主を恐れはせんよ、トム」

 

いくら準備が整ったとはいえ、流石に人目が集まる中で戦う気は無かったようじゃ。奴は気絶したベラトリックスを回収し、そのままどこかへと消えてしまった。

突発的な戦いであったが、ようやく終わらせることが出来た。ヴォルデモートが消えたことで、この場には緊張が切れて座り込むハリー、

 

「ファ、ファッジ大臣! どういうことですか!? あの人が! あの人がいた! あの人は復活していたんだ! 貴方は違うと言っていたではないか!」

 

そして騒然とする人々と、今後のことに思いを馳せるワシだけが残されておった。

 

……危ないところじゃった。

今回は何とかヴォルデモートを退けることが出来た。今後については不安要素ばかりじゃ。ヴォルデモートがここに来たことから、奴らの作戦は()()()()()()()()()ことは分かる。おそらく下の階では駆け付けた騎士団員達が『死喰い人』を取り押さえておることじゃろう。予言も守れたに違いない。じゃがヴォルデモートは予想以上に強大であり、そんな奴を倒す手段はまだ確立できておらん。ワシはまだまだ奴の不死身の秘密を探り続けねばならん。戦いは始まったばかりじゃ。

じゃが、今だけは……今だけは急場の危機を脱することが出来た。それだけは数少ない明るい事実じゃのう。

 

そうワシはハリーの危機を間一髪で救った時……()()()()()()()()()のじゃ。

 

 

 

 

()()がロビーに現れるまでは。

 

『インクネイト、ひれ伏せ』

 

それは騒がしい中でも、不思議と全員の耳に届く声じゃった。大きな声というわけでもない。それどころか、男の物なのか、ましてや女の物なのか、それすら思考に霞がかけられるように判別できぬ声じゃった。じゃが何故かこの場にいる全員がその呪文を唱える声が聞こえておった。

その証拠にこの場におる全員が声のした方向に振り向き、そのまま地面に押し付けられたかのように倒れこまされてしまった。この場で立っておれたのは、咄嗟に防御したワシのみじゃった。

気を抜きかけた瞬間の出来事に、ワシは再び先程以上の警戒感を抱く。

何故ならワシの視線の先には、捕縛されたはずと確信しておった死喰い人共の姿が。作戦が失敗したからこそヴォルデモートが現れたはずであるのに、何故か多くの死喰い人が捕縛されずに立っておった。

そして何より……奴らを先導するように、以前の戦いでは見たこともない存在が佇んでおったのじゃ。

黒い靄をまとい、声も正しく認識出来ぬようにされておる。おそらく認識阻害の呪文を使っておるのじゃろう。完全に正体不明の……新しい()。それも騎士団員を破る程強力な。

 

ソレが現れたことにより、ワシはまだ今回の戦いすら終わっておらんことを悟ったのじゃった。



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二つの予言

 

 ダンブルドア視点

 

「……下にはワシの仲間がおったはずじゃが。無論その者達は無事なのじゃろうな? 答えによってはワシも手加減出来ぬのじゃが」

 

返答があるはずがない。それは分かっておる。じゃがワシは尋ねずにはおられんかった。ワシの予想では、奴らは全員下で倒されておるはずじゃった。現にヴォルデモートもそう思ったからこそここに現れ、そしてベラトリックスのみ回収して去ったのじゃ。ここから撤退するに当たり、回収できる部下のみ回収した。それ以外の死喰い人を助けなかったのは、奴らを助ける時間は無いと考えたから。そんなところじゃろう。ワシはそう考えたからこそ、数瞬前まで危機は去ったと確信しておったのじゃ。

じゃが……現実は残念ながら違うたらしい。

 

「……」

 

「答えは無しか。それとも話して正体を知られとうないのかのぅ。他の仲間と違い、お主は随分恥ずかしがり屋のようじゃ」

 

こうなればワシは最悪の想像をせざるを得ぬ。死喰い人が無事である以上、騎士団員が敗北したと考えるのが順当じゃ。その場合、奴らが態々騎士団員を生かすとも思えん。予言を手にしておる者は見えぬが、黒い靄に包まれた死喰い人が持っておる可能性がある。というより、そう考える他ない。

予言の全てがヴォルデモートの手に渡る。それも()()とも。予言が二つあることを知っておるのは、この世でワシ一人のみ。予言が二つあることは、それこそセブルスを含めた騎士団員の誰も知らぬ事実。それが敵の手に渡るのは非常にまずい。

それに……いくら戦いで誰かが殺される可能性があるとは知っておっても、それを許容出来ようはずがない。彼等はこんなワシを信じ、秘密の多いワシについて来てくれた。そんな彼らが殺されて、ワシは黙っておることなど出来ぬ。ワシは先程までとは違い、内心の怒りのままに杖を黒い死喰い人に向けた。

ハリーを含めた周囲の人間は、新たな死喰い人に地面に組み伏せられておる。彼等を助けるためにも、一刻も早くこの者を倒さねばならん。そして下におる者らの仇を。

じゃが、

 

「こ、これは? ま、待て。ダ、」

 

『クルーシオ!』

 

ルシウスに予言を投げ渡し、それに対し彼が何かを言おうとした瞬間、奴の方から攻撃を仕掛けてきたのじゃ。それも人間には到底考えられぬ速度で迫った上、とてつもない速度で杖を振るい……()()()()()()()、青い雷をワシに放ってきたのじゃ。速度もそうじゃが、驚くことに奴は杖無しでの呪文を同時に放ってきたのじゃ。両手で魔法を使ったということは、敵が手に入れた予言はルシウスに渡した一つのみ……そんなことを悠長に考える余裕はなかった。

一瞬あまりのことに驚愕し、思考が空転してしまう。これ程の脅威とは想像しておらんかった。ヴォルデモートもそうじゃが、ワシはまだまだ敵の脅威を見誤っておったのじゃ。異常としか言えぬ身のこなし、そして杖無しでの呪文。それを『磔の呪文』と同時に放つ悪辣さ。他の騎士団員では決して敵わぬじゃろう。それもこのように不意打ちとなれば、対応出来たとは思えぬ。尤も、ワシには効かぬ。流石にこのような不意打ちに敗北する程衰えてはおらん。

ワシは即座に思考を切り替え、奴の呪文や雷を逸らしながら、逆に黒い靄に呪文を放った。それを奴は予想しておったのか、やはり人間とは思えぬ動きで横に飛びのき、ワシの呪文を避ける。背後の死喰い人の一人にワシの呪文が当たったが、気にもしておらん。それどころか、今度は黒い靄を纏いながら宙を飛び始めたのじゃ。箒を使っておるようには思えぬ。ならば奴は杖無しで飛んでおることになる。そしてワシがまたもや驚いておる暇はなく、次の恐るべき呪文を放ってくる。

 

「っ! よもやこれ程とはのぅ」

 

それは『悪霊の火』と呼ばれる闇の魔術じゃった。バジリスクの形をした灼熱の炎がワシに襲い掛かってくる。それも完璧に制御されておる様子で、暴走しておる様子はなかった。

本当に何者じゃろうか。これ程完璧な程に闇の魔術を使いこなす残虐性、意表を突く立ち回り、そして何より人間とは思えぬ動き。このような死喰い人は前回の戦いにはおらんかった。正体不明の死喰い人は、予想通り新たな敵で間違いないのじゃろう。

ここまで考え、ワシはようやくヴォルデモートと先程まで戦っておった時と同程度に意識を切り替えることが出来た。確かに驚くべきことの連続じゃった。じゃが脅威であると分かれば、それこそトムと対する時と同様の心持で挑むまでじゃ。

ワシは多少の()()()を覚えながら奴の『悪霊の火』を抑え込み、付近に転がっておった瓦礫を剣に変え奴に放つ。それも奴と同程度の速さでじゃ。奴は()()()()()()()()()()でも無事地面に降り立つが、それを予想しておったワシは即座に近くの噴水の水を操り、奴をそれで包み込もうとする。靄は正体を隠すためのモノでもあるのじゃろうが、おそらく攻撃や防御にも使えるのじゃろう。それを削り切る意味でも、ワシは水で奴を包み込んだ。案の定激しい音と共に、黒い靄が少しずつ小そうなってゆく。そこで奴は初めて慌てた様子で、

 

『フィニート、終われ!』

 

「無駄じゃよ」

 

ワシの呪文を止めようとしたが、無論逃がすはずもない。奴を包む水は動きこそ止まりはすれ、奴を解放するまでには至らんかった。

そう、解放するには至らんかったが……動きは完全に止まっておった。

ワシは先程感じた違和感を再び覚える。ワシは決して油断しておらん。ほとんど全力を使い、敵に圧勝するつもりで戦っておる。事実奴は脅威でありこそすれ、ヴォルデモートやワシには及んでおらん。少しずつワシの方に有利に状況が推移しつつある。これはワシの実力が勝っておる上、やはり杖の力も勝っておるからじゃろう。

であるのに、奴を包む水は動きを止めてしもうた。ワシは奴が止めようとしても、問題なく動くように力を籠めておった。じゃが、現実は違う。先程の『悪霊の火』も、思い返せば必要以上の力を掛けねば抑え込めれんかった。実際の実力差が、何か()()()()()()によって均衡に保たれておる。そんな違和感を感じ取ったのじゃ。

そしてその違和感は、次の瞬間更に強まることとなる。

 

『ゲーレ、穿て!』

 

「……これは」

 

奴は呪文が失敗したのを瞬間的に悟ると、今度は水の中からワシめがけて呪文を放ってきた。ワシを攻撃する方が手っ取り早いと思うたのじゃろう。その目論見自体は正しく、ワシは大人しく水を操るのを止め、即座にワシの方も奴に呪文を放つ。そして奴とワシの呪文は互いにぶつかり、ワシ等の杖の間に魔法の橋が出来上がった。

このような時、本来であれば実力が高い方が相手を押し切ることが出来る。その上ワシの杖は『ニワトコの杖』。負けようはずがない。

じゃというのに、ここでもまたもや不可思議な現象が起こった。

なんとワシと奴の力が()()しておったのじゃ。『ニワトコの杖』を手に入れてから、いや杖を手に入れる以前からも経験したことのない現象。ワシはいよいよ違和感を認めざるを得ず、困惑する他なかった。

これは奴の力が脅威じゃとか、そういう次元の問題ではない。ワシが見落としておる違った要素があるのじゃ。そうでなければこの現象の説明がつかん。

そしてここにきて、目の前の敵とは別の問題が発生する。今までワシと黒い靄との戦いに茫然としておった『死喰い人』共が、遂に現実に認識が追い付き始めたようじゃった。奴らの一人が、茫然と立ち尽くすルシウス・マルフォイに言い募り始める。

 

「ルシウス! い、今のうちだ! この場はあの方に任せて、我々は直ぐに撤退するぞ!」

 

「だ、だが、ダ……あの方が戦っておられるのに、私が逃げるわけには。そうだ、私も手助けをせねば。私は何を呆けているのだ。それが私の出来る、」

 

「馬鹿を言うな! あんな戦いに巻き込まれて……い、いや、これは逃げるのではない! お前の持っている物は、『闇の帝王』が求めておられた物だ。ならばそれを無事に持ち帰る義務が我々にはあるんだ! さぁ、さっさと行くぞ! あの方がダンブルドアを食い止めておられる間に!」

 

「は、放せ! 私は()()()を、」

 

遂に逃げ始める死喰い人共。その上奴らに引っ張られるように連れていかれるルシウスの手には、我々が守るはずであった予言もある。じゃが、ワシには奴らを追う余力はありはせんかった。この場におる他の魔法使いも、ハリーを含めて未だ地面に倒れ伏しておる。それどころか、幾人かに至ってはワシ等の戦いの余波で地面を転げまわってすらおった。奴らを止めることは出来そうにない。これではいくら目の前の新たな死喰い人に勝ったとしても、ワシ等は敗北したと言わざるを得んじゃろぅ。何より不確定要素のため、ワシが今ここで奴に勝てる見込みも無くなってしもうた。ワシが負けることはないが、奴にも敗北はない。

そして不確定要素を考える時間もありはせんのじゃ。

死喰い人共が暖炉の向こう側に消えてゆくと、それに合わせて黒い靄も後退し始める。杖同士の間には未だ光の橋が架かっており、辺りに激しい火花と衝撃を放っておる。その状態を維持しつつ奴は後退りし、遂に呪文を終わらせたと同時に、奴も暖炉の向こうに消えてしもうたのじゃった。

 

後に残されたのは、倒れ伏した多くの魔法使い。そして全てを守り切ったつもりで……実のところほとんど何一つ守れておらんかったワシだけじゃった。

僅かな時間の出来事じゃったというのに、ワシはヴォルデモートと対峙した時以上の徒労感を感じておった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

「そうか……シリウスは逝ってしもうたか。年は無駄にとりとうないのぅ。良い人間は皆逝ってしまい、ワシはまた残ってしまった」

 

魔法省から何とかホグワーツに帰ってきた僕は、今校長室でダンブルドアに、魔法省であった全てのことを話していた。

本当に危険な戦いだった。敵は大勢の死喰い人に、挙句の果てにヴォルデモートの登場。生きて帰れる保証なんてどこにも無かった。

しかしそんな危険な戦いをしたというのに、僕等は何も得なかったどころか……僕の世界で唯一残っていた家族まで失ったのだ。それも僕の愚かな行動が原因で。戦いが終わった直後、幸いダンブルドアによってシリウス以外のメンバーの無事は確認されたけど、シリウスがいなくなった事実に変わりはない。

ダンブルドアは他メンバーの無事を確認後、魔法省から僕を即座に連れ出した。それは僕を群がる人混みから隔離する意味もあったのだろうけど、一刻も早く僕から何があったか知りたいのもあるのだろう。他のメンバーは皆下の階で倒れていて、まだ完全に意識が回復したわけではなかったから。

だからこそ僕は話した。……自分自身の罪を懺悔するために。

僕がシリウスが拷問される夢を見たこと。拷問は神秘部で行われていたため、僕はそこに行こうとしたこと。途中でアンブリッジやダリア・マルフォイの妨害にあったが、ハーマイオニーの機転で奴らを森に誘導したこと。アンブリッジは森でケンタウロスに連れていかれたが、その後ダリア・マルフォイはハーマイオニーを医務室送りにした上、どこかに消えてしまったこと。僕は何とかホグワーツに戻ることができ、神秘部に向かうのにDAの仲間がついて来てくれたこと。

……だがいざ神秘部に辿り着けば、実はそれが敵の罠であったこと。敵の狙いである二つの予言を手に入れた直後、死喰い人に囲まれてしまったこと。

 

そして騎士団員が救援に来てくれたが、予言の一つは割れてしまった上、シリウスが……ベラトリックスに殺されてしまったこと。

あの時の光景が脳裏に焼き付いて離れない。ベラトリックスが放った呪文がシリウスに当たり、そのまま彼が石のアーチに吸い込まれてしまった光景が……。

 

僕は全てを話した。僕は……罰して欲しかったのだ。自分の愚かさが嫌になる。今考えると、夢の中に矛盾点はいくつもあったのだ。ただ夢の凄惨さに目が眩み、何一つ自分で考えようとはしていなかった。アンブリッジの暖炉を使った時もそうだ。あの時騎士団本部に繋がった時、暖炉傍にいたクリーチャーは言っていた。

 

『今日はご主人様を見ておりません』

 

どこにいるかを尋ねても、シリウスの所在は知らないの一点張り。更に聞き出そうとした時には時間切れになってしまった。

でも少し考えれば分かることだった。クリーチャーはシリウスのことを嫌っていた。その逆もそうだったため、二人の関係は良好とは程遠かった。いつもシリウスはクリーチャーの悪口を言っていたし、クリーチャーもシリウスのことを無視していた。だからクリーチャーにいざシリウスの所在を尋ねても、決して真面な回答が得られるはずがなかったのだ。それなのに僕はクリーチャーの回答に更に慌てて、最後には大切な人達を大勢危険に晒してしまった。

シリウスを殺したのは、他ならぬ僕自身なのだ。

 

「先生……僕が、僕が殺したみたいなものです。セドリックだけじゃなく、シリウスまで僕は……」

 

「いや、お主のせいではない。……そしてましてやクリーチャーでもない。ハリー、お主が気に病む必要はないのじゃ」

 

「何故そんなことが分かるんですか!?」

 

でも、ダンブルドアはそんな僕に批難も罰も、何一つ与えてはくれなかった。僕に責任が無いなら、一体シリウスは何故死んだのか。ただ仕方がなかった。そう彼が言っているように僕には聞こえた。

だから僕は怒った。罪悪感で押しつぶれそうだった心が反転し、目の前の人間にただ大声を上げる。

これが八つ当たりでしかないことは分かっている。でもこの瞬間、シリウスの死という大きな衝撃もあったことから自分自身を抑えられなかったのだ。ダンブルドアには今年一年、様々な不満が溜まっていた。その不満がダンブルドアの言葉に対する反感を生じさせていた。

 

「先生は何も分かっていない! 先生に何が分かるっていうんです!? 先生は今年、一体何をしていたんです!? シリウスはずっとあの屋敷に閉じ込められていたし、僕もずっと先生に無視されていました! そんな先生にシリウスと僕の何が分かるっていうんです!?」

 

「ハリー、無論何もかも分かっておるとは言わぬ。ワシとてそこまで傲慢な人間ではないと思っておる。じゃが、今のお主に関しては理解しているつもりじゃ」

 

でも、僕の大声にもダンブルドアはどこまでも冷静であり、静かに言葉を続けるだけだった。

 

「お主は父や母を失い、そして今最後に残った唯一の家族を失った。それが悲しくないはずがない。自分自身を責める気持ちも分かる。じゃが、今回のことに関して、ワシは断言できるのじゃ。ハリー、お主は自身を責めてはいかん。そして、お主は同時にワシにも怒りを感じておるのじゃろう。残念ながら、そちらに関してはワシは否定せぬ」

 

こうもあっさり自分に責任があると言われて、僕は一瞬困惑してしまう。僕はダンブルドアに不満を感じてはいても、今回の責任を押し付けるつもりなんて毛頭なかった。そんな無責任なことが出来るはずがない。ただ、僕とシリウスに対しての言い様と、今年一年の態度が気に食わなかっただけなのだ。なのに思わぬ方向に話を進められてしまい、どう答えれば分からなくなっていた。

 

「それはどういうことですか?」

 

「簡単な事じゃよ。全てはワシの傲慢さが原因なのじゃ。ワシはシリウスを、そしてハリー、お主に対し、今年一年ひどい仕打ちをしたと思う。シリウスは今年一年、片時も騎士団本部より外に出ることを許さんかった。それは彼の安全のためでもあるのじゃが、思えばもっとやり様があったはずなのじゃ。一年同じところに、それも嘗て家族より追い出された場所に縛り付ければ、シリウスでなくても我慢できんかったはずじゃ。それをワシは安全のためと言うだけで、何の思案もせんかったのじゃ。それは彼をアズカバンに収監し、彼のことを一顧だにしなかったことと何ら変わらぬことじゃ。それをワシは彼を失った今、ようやく気付くことが出来たのじゃ」

 

先生は静かな口調で、でも有無を言わさぬ重たい口調で続ける。

 

「そしてお主に関してもそうじゃ。ワシはお主に関しても、今年一年不当な扱いをしておった。お主をダーズリー家に閉じ込め、情報も碌に与えんかった。城に戻ってからも、お主にただ忍耐を要求し、理由も話さず『閉心術』を習得するようせまりもした。そんな中でもお主が出来る限りのことをしてくれたのは知っておる。ダンブルドア軍団。素晴らしい考えじゃったと思う。お主はワシの期待に十二分に応えてくれた。じゃが、ワシはお主に甘えるばかりで、やはり何一つ与えることをせんかった。そのために起きた悲劇が今回のことじゃ。お主は何も責められる謂れはない。全ての責任はワシにある。これはお主の様な責任感から来る罪悪感ではない。厳然とした事実じゃ」

 

ここまで言われては、僕も再度大声を上げることは出来なかった。罪悪感が消え去ったわけではないが、今ここでそれを議論しても仕方がないと思ったのだ。何より、悲しみが強すぎて、これ以上大声を上げるのも疲れてしまった。正直なところ、今はもう誰とも話したくない。ただベッドに籠り、誰にも邪魔されずに泣き叫びたい。しかし先生の話は更に続く。

 

「ワシはのう、ハリー……恐ろしかったのじゃ。ヴォルデモートがお主と何かしらの繋がりがあるのは分かっておった。そのことで、奴がお主に目をつけるのが、ワシには恐ろしかったのじゃ。じゃからこそ、ワシはお主を特別扱いせず……それどころか、気にも留めておらん振りをせねばならんかったのじゃ。じゃが、そのせいでお主に随分辛い思いを抱え込ませてしもうた」

 

そこでようやくダンブルドアは言葉を止め、部屋は重い沈黙に満たされる。視線を上げれば、そこには僕同様項垂れる先生の姿があった。

そこには誰もが知る今世紀最高の魔法使いはおらず、ただ現実に打ちのめされる老人の姿があるだけだった。

 

その姿を見て、僕は改めて実感する。

あぁ、僕等は完全に敗けたのだ。それも最低最悪の形で。もう、シリウスが帰ってくることは永遠にない。

僕はそのどうしようもない事実を、ダンブルドアの姿を見て再び認識してしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

ハリーが部屋を去り、校長室にはワシとフォークスのみが残される。

久方ぶりの校長室。アンブリッジは終ぞこの部屋には入れんかったらしく、部屋はワシが去った当時のままじゃ。じゃが、そんなことで一々感傷に浸れん程の悲しみを、今のワシは抱えておった。事情を聞き出した後ハリーを解放したのは、何もハリーの心情を慮ったからだけではない。寧ろハリーのことのみを考えるならば、ワシは即座に様々なことを彼に伝える必要がある。彼は直ぐにでも戦いに備えなければならん。

じゃがワシはそうせんかった。何故なら他でもない、ワシ自身にも考える時間が必要があったから……。

考えるのはまずシリウスのこと。ワシは彼が幼い頃から知っておる。ホグワーツに入学してからというもの、ワシは常に彼を導いてきたつもりじゃった。じゃが、実際にはつもりでしかなかった。ワシは実際のところ、彼に一体何を与えてやれたのじゃろうか。ホグワーツで長年彼を見ておりながら、彼を信じ切ってやれんかったことで、不当にも彼をアズカバンに長年追放する結果となった。そして解放されれば解放されたで、ワシは今度は彼の生家に収監した。ワシはただシリウスの人生を弄んだだけ。ワシは何一つ彼に与えてはおらん。

彼の人生を思えば、ワシは罪悪感で胸が締め付けられる思いじゃった。思い返すのはグリフィンドールの友人達と城を駆け回り、悪戯し、笑い合う光景。卒業してもワシのことを慕い、盲目的とも言える程ワシを信じてくれた眼差し。純粋。そう、純粋過ぎる程純粋と言える、実に真っすぐな人間じゃった。そんな彼をワシは貶め、悲劇としか言いようのない人生にしてしまった。悲しみ以上に罪悪感の方が強いくらいじゃ。

……じゃが悲しいことに、ワシはシリウスの死に責任を感じ、それに押しつぶされる程繊細かつ純粋な人間ではなかった。ワシ自身でも嫌悪感を禁じ得んことに、ワシの僅かに残る冷静な部分が、これまた冷徹な程に次なる問題点を考え続けるのじゃ。傲慢にして非道。当にワシに相応しい言葉じゃろぅ。

嫌悪感に苛まれながらも、ワシは頭のどこかで冷徹な判断をし続ける。()()()()、今回失った戦力はシリウスのみじゃった。ワシの当初の予想とは違い、シリウス以外の騎士団員、そして勇敢な生徒達は誰一人として死んではおらんかった。思わぬ()()であると同時に、それ故に相手の意図が読めん。特にあの黒い靄の死喰い人は……。

あの死喰い人は何者なのじゃろうか。それにあの戦いの時に感じた違和感は一体?

いや、今は優先順位が違う。あの死喰い人は後でいくらでも考えられる。『憂いの篩』を使えば、あの時の光景を()()()()()()()()()のじゃ。その中に、少なからず()()()()()()()()()()が散りばめられておるはずじゃ。

今考えるべきは、今後に最も直結すること。これを考えねば、ハリーに伝えるべき事実、そして逆に伝えてはならん事実を選別することも出来ぬ。

そう、今考えるべきは奪われてしまった予言についてのこと。

奪われてしまった予言は一つのみ。ハリーは予言を割ってしまった時、微かに内容を聞いたという。

 

『選ばれた子が生まれる七月の末……気をつけよ、帝王の敵よ。……味方にもなりえない。……破滅をもたらすことだろう』

 

戦闘中に聞いたため、ほとんど内容は聞き取れぬかったらしい。じゃが、それでもワシには十分な情報じゃった。これも不幸中の幸いと言えるじゃろう。二つの予言の内、相手はもう一つの残り半分を手に入れたに過ぎぬ。その上敵にはもう一つの存在自体は露見しておる。これで敵はまた予言を完全には知らぬ状態に戻り、未知の予言の存在に疑心暗鬼になることじゃろう。それだけで奴らをある程度牽制出来るというものじゃ。尤も、その僅かな隙に、ワシは新たな予言の意味を理解せねばならんわけじゃが。

 

「……ままならぬものじゃのぅ」

 

ワシは椅子に深く腰掛け、天井を何とはなしに見上げながら呟く。

悲しみと罪悪感で心の中は荒れ狂っておる。じゃがそんな荒波の中でも、やはりワシの傲慢極まる脳みそは、現状を冷徹に分析し続けておった。

あの予言の存在を知るのは世界に唯一ワシ一人。それは秘密を知る者が少なければ少ない程良いということもあったが、それ以上に予言を聞いたワシですら意味を理解しておらんことが理由じゃった。ワシのみが予言を聞き、それを神秘部に預けたのじゃ。ハリーの見た、

 

『闇の帝王とハリー・ポッターと【…】』

 

という予言の表記を聞いた時も、ワシは特に驚きも、また落胆もせんかった。予言を寄贈したワシですら何者を示した予言かは分からぬのに、プレートに正確な名前が書いておるはずがない。無論それで何かプラスに働くこともないわけじゃが。

 

「……選ばれた子が生まれる七月の末、闇の帝王はついに僕を完成させる。気をつけよ、帝王の敵よ。そして気をつけよ帝王よ。その子が司るのは破滅なり……か」

 

何度も『憂いの篩』で聞き直すうちに、ワシは自然にあの予言を諳んじれるようになっておる。じゃが一向に内実が見えてこぬ。何か一つだけ……そう、何か一つでも手掛かりがあれば、何かしらの突破口が開けるのじゃが。

ワシは現状出来ることのあまりの少なさを再認識し、溜息を吐くしかなかった。そして現状を再認識した後に考えるべきは、次回ハリーを呼び出した時、彼に何を伝えるべきかじゃ。

ハリーは新たな予言を微かとはいえ聞いてしまった。今はシリウスのことで頭が回っておらんが、当然彼は後々疑問を感じるじゃろう。じゃが今の彼に話したところで、余計な心配事を増やすだけじゃ。内容を聞かれても、今は知る必要はないと言うしかないじゃろう。その代わり、彼には奪われた予言の内容を告げ、今度こそヴォルデモートと戦う真の覚悟を持ってもらう。ヴォルデモートが予想以上に強大であり、新たな敵が現れた。いつまでもワシが無事でいられる保証はなく、最終的に奴を倒すのはハリーなのじゃ。彼にはそろそろ本格的に戦う準備をしてもらわねばならん。『ダンブルドア軍団』なる会合での戦闘訓練や、セブルスとの閉心術訓練ではない。彼には敵を……ヴォルデモートがいかなる者であり、奴の不死の秘密を知らせねばならんのじゃ。それこそが今後のハリーの戦いに必要不可欠な、真っ先にせねばならぬことじゃろう。そうでなければヴォルデモートとの戦いの前提条件にもならん。幸い閉心術は今後必要性は減るじゃろう。ヴォルデモートは今回こそハリーを誘導することに成功したものの、自身の考えが逆に読み取られる危険にも気が付いたはず。奴が再びハリーに幻覚を見せる可能性は低い。ならばこそ、今できることを早いうちにしておかねば。

 

これで方針は決まった。しかしそれと同時に再び罪悪感、そして自己嫌悪感に思考が満たされる。

本来であればもっと考えるべきことはあるのじゃろうが、一先ず現状の思案がまとまったことで、ようやくワシの冷徹な思考を止めることが出来たのじゃった。

ワシは緩慢な動作で『憂いの篩』に近づき、今回の全ての記憶を流し込む。後日魔法省での光景を俯瞰し、改めて敵の手掛かりを掴むために。

 

 

 

 

……記憶を入れ終え、再び棚に仕舞い込まれた篩には、

 

『は、放せ! 私は()()()を、』

 

仲間の死喰い人に引きずられながら、必死に黒い死喰い人に手を伸ばすルシウス・マルフォイの姿が映し出されていた。



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近くて遠い友人(前編)

 

 ハリー視点

 

『名前を呼んではいけないあの人が復活。このような衝撃的なニュースを、コーネリウス・ファッジ魔法大臣は昨日夜緊急声明を発表した』

 

医務室のベッドで、僕等DAメンバーは皆一つの記事を見つめていた。戦いから城に帰った後、僕等は皆マダム・ポンフリーに強制連行されてしまい、全員医務室で連日目を覚ます羽目になっていたのだ。

そして戦いから数日後、そんな僕等に朝一番に届けられた物がこの記事だった。届けてくれたのはコリン・クリービー。狂喜乱舞した様子で医務室に乗り込んできたのだ。当然怒り狂ったマダム・ポンフリーに彼自身は医務室から摘み出されたが、記事だけは僕等の手元に残されていた。

記事を読みながら、真っ先に声を上げたのはロンだった。

 

「つまりなんだ。これで君は昨日までの頭のおかしい少年ではないってわけだ。あれだけ君を、それこそ狂いに狂った目立ちたがり呼ばわりしていたのにな。しかも僕等が魔法省で戦ってから何日経ってると思ってるんだ? 魔法省の奴らは随分と呑気だな。この間にあと何個予言が取られたか分かったものじゃないぞ」

 

呆れ果てたと言わんばかりの口調。皆も同意見なのか、同じような表情で頷いている。特段喜びの声を上げるメンバーはいない。

ようやく認められた僕の主張。あれだけ否定され、踏みにじられていたのに、それが突然一転したのだ。本来ならば僕等もコリン同様大喜びし、そのまま医務室から叩き出されていたことだろう。しかし実際にそれ程喜べないのは、やはりシリウスが死んでしまったことが原因だった。事情を知らなかったネビルとルーナも、昨日の内にロンにでも事情を聴いたのか、シリウスのことを指名手配犯ではなく、僕の大切な家族だったのだと知っている様子だ。結果誰一人として記事に喜びきれず、半ばただ呆れた表情だけを浮かべるに留まっていた。

重い沈黙の中、再びロンが何とか空気を変えようと声を上げる。

 

「そうだ……予言と言えば、ハリー。昨日ダンブルドアにまた呼び出されたんだ。予言の内容を聞き出せたのかい? あれは君に関わる予言だったのだろう?」

 

「ちょっと、ロン。声が大きいわ。この部屋には私達以外もいるのよ」

 

しかしハーマイオニーがロンを制止し、医務室の一角を指さした。そこには白いカーテンで覆われたベッドが一つ。カーテンのせいで中で寝ている人間の姿は見えないが、中身が誰か僕ら全員が知っている。

それは紛れもなく、今年一年僕等を支配し続けていたアンブリッジ。奴も僕等と同じく、ここ数日医務室の住人の一人だった。本来であれば僕等はこんな会話をして、万が一にも盗み聞かれてはならないような相手。でも、今回ばかりはハーマイオニーの心配は杞憂だろう。

 

「大丈夫さ。君も見ただろう。今のあいつは廃人同然さ。ずっとブツブツ言いながら天井を見てるし、ほらっ」

 

ロンが軽くパカッパカッと舌を鳴らす。すると今まで静かだったのが嘘のようにカーテン越しから悲鳴が響き渡った。そしてカーテンの向こうからアンブリッジが転がり出てくる。その顔には、以前のような人を見下した嫌らしい笑みは浮かんでいない。やつれ果て、どこか病人を思わせる程顔面も蒼白だった。今の奴を見て、あれだけ僕等を苦しめた人間と同一人物とは誰も思わないだろう。

 

「あれが! アレが来たわ! あ、あぁ、アレって……()()()!? 私は何故こんなにも! と、とにかく逃げなくては! また捕まってしまう!」

 

「ドローレス! 一体何事ですか!?」

 

「あ、あぁ、ポンフリー! アレが……いえ、()()が、彼女が来る! いえ、彼女とは……な、()()()()()()()()! 私は一体どうしてしまったというの! 私は森に行ってそれで……。いえ、そもそも私は校長を? 校長をしていたはず! な、何もかも記憶がぼやけて、」

 

「落ち着きなさい! 貴女はパニックになっているだけです! さぁ、深呼吸なさい。そしてベッドに戻るのです。()()には魔法省から迎えが来るそうです。ダンブルドアが今朝生徒にも発表していました。それまでは大人しくしているのです。これ以上貴女に問題を起こされるのは勘弁ですわ」

 

そしてマダム・ポンフリーに奴はベッドに押し戻され、しばらくカーテンの向こうで騒いでいたが、また死んだように静かになった。

医務室にいる間に何回か見た光景だが、とてもアンブリッジが正気を保てているとは思えない。したり顔でロンがハーマイオニーに肩をすくめると、

 

「……来るなら()()ね。……ロン、貴方の言う通りだわ。でも、万が一のことがあるから小声でね」

 

彼女は何か小さく呟いた後、僕に続きを促したのだった。

邪魔者が邪魔にならないことを再確認した僕は、ハーマイオニーに促されるまま先程の話の続きをする。正直なところ誰かに話すような気分ではないけど、医務室にいたハーマイオニーも含め、ここにいるメンバーは皆僕なんかを信じてついて来てくれた。ならば僕は嫌でも話さなければならない義務があると思ったのだ。

だから話した。僕の予言をダンブルドアが以前の戦いの最中に聞いたこと。それが『占い学』教師に復帰したトレローニー先生によるものであること。

 

「おったまげー。なら、君は本当に選ばれし者だったわけかい?」

 

「うん……予言ではそういうことになってるみたい。でも、」

 

「一方が生きる限り、他方は生きられぬ……あぁ、ハリー」

 

そして予言では、自分が殺すか殺されるか、それ以外に道はないとされていること。やはり話して気分のいい話ではない。シリウスのことが無かったとしても、こんな恐ろしい予言だと聞いて、僕は一体どんな顔をすればいいのだろうか。恐怖や不安の前に、どうしてそんなことになったのかと衝撃ばかり感じている。そして予言で名指しされた僕がそうなのだから、予言を聞かされた皆も同じ気分だろう。そんな中、このメンバーの中で最も悲壮な表情を浮かべたハーマイオニーが、せめて他の道は無いのかと縋るような声音で尋ねてくる。

 

「で、でも、ただの予言でしょう? それもあのトレローニー先生の。なら出鱈目の可能性だって、」

 

「僕もそう思いたいけど、ダンブルドアは真実だと思ってるみたいだ。だからトレローニーをずっと城に匿ってたわけだし。それにトレローニーはピーターの逃亡を予言したことだってある。あの時はいつもの頓珍漢な雰囲気ではなかった。多分あの時と同じなんだ」

 

「そんな……。そ、そうだわ。予言ならもう一つ。もう一つの予言があったはずよ。割れた予言はそちらだったのでしょう? なら、そっちに何か救いになる予言が入っていたとか?」

 

ハーマイオニーが僕のことを必死に考えてくれていることは分かる。今回のことだって、結局はハーマイオニーが一番正しかったのだ。ダリア・マルフォイのことを除けば、彼女だけが正解に辿り着いていたと言える。ハーマイオニーがダリア・マルフォイに不意打ちされなければ、僕の愚かな行動を止めてくれたのだろうか。ハーマイオニーはいつだって僕等のことを心配し、正しい方向に導いてくれる。それなのに僕はいつだってそれに逆らい、彼女に心配ばかりさせていた。

残念ながら、今回も僕は彼女を心配させることになりそうだ。僕はハーマイオニーの言葉に首を振りながら答える。

 

「……実はもう一つの予言については、ダンブルドアが内容を教えてくれなかったんだ。今は知るべき時ではないって」

 

「知るべき時ではない!? そんなのおかしいわ! その予言はハリーに関する物なのでしょう!? ならばハリーには知る権利があるはずよ!」

 

「……僕もそう言ったけど、ダンブルドアが譲らなかったんだ。いずれ時が来たら教えるから、今はただ待ってほしいって。その代わり、来年僕に特別訓練をするって言ってたけど……」

 

「貴方達! 何を大声を出しているのですか! そこまで元気になったのなら、もうここにいる必要はないようですね! ミス・グレンジャーは足の怪我がまだ治り切っていませんが、他の子は騒ぐようなら大丈夫でしょう! さぁ、大広間にお行きなさい! 皆貴方達のことを待っていると思いますわ」

 

ハーマイオニーの大声でポンフリーが部屋に乱入し、ハーマイオニー以外のメンバーは全員医務室から追い立てられる。無理やり連れてこられたわけだけど、僕等がいればハーマイオニーの治療にも響くと思われたのか。あるいはマダムなりの気遣いだったのかもしれない。いずれにしろ、医務室から解放されたからといって、僕等の気分が上がることはなかった。

思い返すのは僕の割った予言のこと。ダンブルドアは一旦忘れろと言っていたけど、そう簡単に忘れられるはずがない。時間が経てば感情が少しずつ整理され、その代わり余計なことに思考が奪われ始める。忘れろと言われれば、寧ろ気になるくらいだ。

それに漏れ聞こえた予言の内容も、決して忘れていいような物ではない気がしたのだ。

 

『選ばれた子が生まれる七月の末……気をつけよ、帝王の敵よ。……味方にもなりえない。……破滅をもたらすことだろう』

 

味方にはなり得ない。破滅。不穏な言葉ばかりだ。予言の一部しか知り得ていないわけだけど、冷静さを取り戻せば不安にもなる。

 

……それに破滅なんて不穏な言葉を、僕は()()()()耳にしていたような。

 

「あ! ハ、ハリー! 良かった! 医務室から出れたんだね! そ、それで……今朝の記事のことだけど」

 

大広間に戻れば、大勢の視線が僕に降り注ぐ。そこにはもはや僕に対する敵意や侮蔑は含まれていない。もう僕を嘘つき呼ばわりする生徒は一人だっていないだろう。

当に待ち望んでいた事態だというのに、僕の心が晴れることは一向になかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンブリッジ視点

 

暗い鬱蒼とした森の中、場違いな程涼しい声が響く。

 

「先生。探しましたよ。さぁ、城に帰りましょうか。……もう時間は充分です」

 

ケンタウロス共に森の更に奥まで連れ去られ、いよいよ私が拷問されかけた時……ようやく彼女は現れたのだ。

 

「なっ! い、いつの間に追い付いたのだ! 破滅の娘! この得体の知れぬ怪物め! 貴様など、」

 

「もう貴方達に用はありません。貴方達の役割は終わりました。ご苦労様」

 

何の気負いもなく、まるで散歩でもするかのように現れた彼女は、それどころか一瞬の間にケンタウロス共を気絶させてしまった。銀色の閃光が迸った瞬間、私を取り巻いていた風景がガラリと変わる。先程まで防戦一方であったがまるで嘘のようだ。既に立っているケンタウロスはおらず、立っているのはダリア・マルフォイと、傷だらけの私だけだった。

当然、私は倒れ伏すケンタウロスの真ん中で、彼女を大声で非難する。

 

「ミ、ミス・マルフォイ! い、いいえ、ダリア・マルフォイ! 今まで一体何をしていたの! 私がこのような目に遭っているというのに、そんな私を放置して! 貴女は私を助けるべき義務があったというのに! 今の貴女のホグワーツでの地位は、一体誰のお陰だと思っているの!」

 

先程まで感じていた恐怖のせいで、私はマルフォイ家に媚を売らなければいけない事実も忘れ、ただ興奮のままミス・マルフォイを怒鳴り散らす。

 

「何が『闇の帝王』の右腕よ! 私の安全も守れないで、一体何をしていたというの!? 私は高等尋問官であり、この学校の校長ですよ! いくらマルフォイ家とはいえ、私を怒らせればどうなるか分からないの!?」

 

生まれて初めて感じた死の恐怖から目を逸らすため、私はただひたすら大声を上げ続ける。亜人共があれ程恐ろしい存在だなんて、私は全く知らなかった。今まではただ自身の出世のために奴等への恐怖と憎悪を煽っていたわけだが……やはり私は間違っていなかったのだ。私は今日、奴らの脅威を改めて知った。私の人生の中で、これ程命の危険を感じたことがあっただろうか。どんな政敵と対峙しても、私は命の危機までは感じたことなど無かった。それが本当に殺される一歩手前だったのだ。恐怖を感じて当たり前だろうし、私には命を脅かされたことに対して責任を追及する権利がある。

しかし目の前の娘は私の言葉にも眉一つ動かさず、ただいつもの無表情で応えるのみだった。

 

「私の責任追及をされたいのなら、どうぞご随意に。ですが今我々がすべきことはもっと別のことです。ケンタウロスは御覧の通りですが、この森にはまだ他にも危険が満ちています。今ならば私が安全にお連れすることも可能ですが?」

 

その態度に更に怒りを募らせるも、流石に置いていかれては堪ったものではない。私は前を歩き始める小娘を追いかける。無論倒れているケンタウロスの顔を蹴り飛ばすのを忘れない。この愚鈍で下等な獣達。必ず駄馬共に復讐しなければならない。しかしこれ以上ここで亜人共に怒りを発散させる時間はないのも事実。ここは決して安全な場所ではない。それどころか、私は今杖さえ持っていないのだ。まずはここから無事に帰る。そして命の心配の無い場所で、私は必ず復讐してやるのだ。この亜人共に。……この目の前を歩く小娘に。私は暗い道を歩きながら、ただ怒りのままに呟き続ける。

 

「わ、私は高等尋問官で、ホグワーツ魔法学校の校長なのよ。私はそこらにいる無能とは違う。私は昔とは違う……。私は努力して今の地位に就いた。それがこんな危険な目に遭っていいはずがない。なのに何故私はこんな目に……。やはり亜人なんて危険な存在、もっと早く根絶やしにすべきだったのよ。私は間違っていなかった。それを反対する人間は、全て異常者に決まっているのだわ。それに、ダリ……ミス・マルフォイ。先程貴女は私が連れ去られるというのに、笑っていましたわね? 一体どういうつもりだったの? 恩知らずにも程があるわ。私がどれだけ貴女に配慮していたか。私が配慮したからこそ、今の貴女の地位があるのですわ」

 

小声とはいえ、最後は目の前の小娘にも聞こえるギリギリの声音で呟いていた。私は間違ったことを言っていない。ならばこの小娘も罪悪感を感じるべきなのだ。その怒りのまま、私は目の前の小娘に文句を言う。考えれば私が今下手に出る必要などない。それは当然の権利なのだ。何せ私はこの小娘のせいで命の危機に瀕した。マルフォイ家の娘だからといって、許されていいはずがない。ここまで馬鹿にされて、寧ろ黙っている方が沽券に関わる。そうよ、私はもう昔の様な虐げられるだけの存在ではない。何がマルフォイ家。何が闇の帝王に認められた娘。小娘は結局、当然守るべき私を守り切ることが出来なかった。それどころか、私を積極的に危機に陥れたではないか。今この瞬間において、私の方が上の立場のはずだ。

しかし、私の言葉にも小娘は何の反応も示さず、ただ黙々と歩き続けていた。まるで私のことを、そこらの石ころと同じだと思っているように。だからこそ、私は鈍感な小娘が少しでも私の怒りを感じ取れるように、決定的な情報を仄めかすことにした。

 

「そうよ。貴女の立場なんて、私にかかればどうすることだって出来るのよ。少なくともこの学校は、もう私の王国なの。全ての生徒を私は思い通りに出来る。どんな生徒にだって、探し出せば必ず弱みがあるはず。そう、現に貴女の弱みを私は知っているのよ。……マルフォイ家からのお菓子箱。中に随分()()()()を隠していますのね」

 

その瞬間、ようやく前を黙って歩き続けていた小娘が立ち止まる。当然この情報だけでダリア・マルフォイを追放することは不可能だ。それが可能であれば、ポッターなどもとっくの昔に追放出来ている。しかしようやく私は小娘に一矢報いることに成功したのだ。私の心の中に黒い喜びが湧き上がる。私は今まで耐えに耐え、誰からも虐げられない立場を手に入れた。私は虐げる側の人間になれた。この目の前の小娘に対してさえも。

 

……そう、だからこそこの瞬間、ようやく私は僅かに冷静さを取り戻し、思考の端で感じ続けていた違和感に気が付けたのだ。

 

そういえば、そもそも何故小娘は血液など持ち込んだのだろうか。校長として忙しかったこともある上、心のどこかで危険を感じていたからこそ、深くあの血液の正体を考えない様にしていたのではないか。何か危険な魔法薬を作るためと自分を納得させていたけれど、本当にそうなのだろうか。今この瞬間、彼女を陥れることを考えた時、私は小娘への贈り物の正体を本当の意味で考えた。そして自身の中で燻っていた違和感に気が付いたのだ。それと同時に、何かとてつもない危機感も。

ダリア・マルフォイ。マルフォイ家の娘にして、闇の帝王の右腕。優秀過ぎる程の実力、常に魔法の手袋をしていなければならない程の魔法力を持つが、日光には当たれない脆弱な肌。そして何かの材料と思しき血液。

どこにもおかしな所は無いはず。一つ一つの要素は、それ単体で見れば容易に常識的範囲で説明がつく。……であるのに、今私は強烈な違和感を覚えている。

何か……何か見落としている気がする。そう、情報は全て揃っているのに、その事実に目を逸らしているような。そんな違和感を感じる。

しかし、

 

「どうやら貴女は……知りすぎたようですね」

 

私はその違和感の正体に気付くことは無かった。

 

何故なら、目の前で立ち止まっていた小娘がいつの間にか振り返り……私を血の様な真っ赤な瞳で見つめていたから。

森は木々が生い茂っていて、今が昼なのか夜なのかも判然としない程暗い。そんな中でも不気味な赤い光だけが爛々と浮かび上がっている。その真っ赤な瞳が、ジッと私の心の中まで覗き込んでいた。

その不気味な瞳を見た瞬間、一瞬で私の中で燻り続けていた怒りが消し飛ぶ。感じるのはただただ恐怖の感情。何故か先程ケンタウロスに囲まれていた時以上の恐怖を感じている。

 

「ひっ! な、何ですか、その目は、」

 

「まだ私の秘密に辿り着いてはいないようですが、放っておけば危険ですね。予定外でしたが、仕方ないですよね。そう、これは仕方のないことなのです。先生が悪いのですよ? こんな誰もいない場所で……()()()()()()()()()()()()()場所で、そんな大事なことを話してしまったのですから」

 

後退る私にダリア・マルフォイが近づき、私が逃げられない様に腕を掴む。この娘は同年代に比べても小柄だ。それこそ体格だけであれば下級生に見える程。であるのに、掴まれた腕はピクリとも動かせなかった。いつの間にか手袋が外されていた手に掴まれ、私は逃げることすら許さなかった。

 

「は、離しなさい! 離して! 何なのこの力は! わ、私は、」

 

「大丈夫です。すぐに……何を恐れていたかすら、分からなくしてあげますから」

 

その声を最後に、私は意識を完全に失った。

 

 

 

 

夢を見ていた気がした。それも飛び切り恐ろしい夢を。

……次に目を覚ますと、そこは医務室のベッドだった。

ベッドから身を起こした私は混乱した。私が何故医務室のベッドで横になっているのか分からなかったのだ。直前の記憶は、確か森に行って……いえ、()()()()()()()()()()()()()? 森に入ったことは何となく覚えている。であるのに、その前後が酷く朧気だ。

そこまで考え、私は更に混乱する。思い出そうとした瞬間、私は気が付いたのだ。そもそも森に行く前の出来事……それこそ()()()()()()()()()()()()()()の記憶が全て曖昧なのだ。今日がダンブルドアがいなくなった翌日のような気さえする。それだけは違うと分かるのだけど、その過程が何もかも曖昧で、思い出そうとすれば頭痛すらしてくる。マダム・ポンフリーに尋ねても、

 

「ドローレス。何を馬鹿なことを仰っているのです? いえ、そこまで混乱しているのなら、やはり貴女に校長の任は重すぎたのでしょうね。もう数日すれば魔法省から迎えが来るそうです。貴女は校長を解任されたのです。当然ですわ。あれだけ好き勝手されたのですから」

 

などと訳の分からないことを言うのだ。まるで私が校長になった後、少なくとも数か月は経っているかのように。……私はその数か月を全く思い出せないと言うのに。

……僅かに思い出せるのは、

 

「ほらっ。……パカッパカッ」

 

「あれが! アレが来たわ! あ、あぁ、アレって……()()()!? 私は何故こんなにも! と、とにかく逃げなくては! また捕まってしまう!」

 

何かに森の中で捕まった、そんな夢の記憶ばかり。一体何に捕まったかも思い出せないというのに、その夢の中で味わった恐怖感だけが蘇る。頭に過るのはただ黒い影達。そして、

 

「ドローレス! 一体何事ですか!?」

 

「あ、あぁ、ポンフリー! アレが……いえ、()()が、彼女が来る! いえ、彼女とは……な、()()()()()()()()

 

暗闇に浮かぶ、血の様な赤い瞳だけだった。

……一体、私は何に捕まってしまったのだろうか。どんなに考えても、私はどうしても思い出すことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ハリー達もいなくなり、今夜医務室にいるのは遂に私とアンブリッジだけになった。会話なんてあるはずがない。尤も、私がどんなに根気強く話しかけたところで、今のアンブリッジが反応を返すとは思えないけれど。

静かな夜。私の怪我もある程度癒え、今ではすっかり痛みも無くなっている。黙ってベッドで横になっていれば、それだけで眠気を感じるものだけど……今はまだ眠るわけにはいかない。

()()()を待ちながら、私はこの数日間起こったことを振り返る。

全ての始まりはハリーの夢。シリウスが『例のあの人』に捕まり、『神秘部』で拷問されるという夢。それを助けに行こうとハリーは主張したけど、私は罠の可能性を考え、まずは真偽の確認を優先した。結果的には私の主張は正しかった。けど、それは勿論結果論でしかない。逆に私の愚かな提案のせいで、アンブリッジに捕まった上、真偽を本当に確認する時間すら失われてしまった。もっとやり様はあったはずなのだ。それを提案できなかった、寧ろ状況を悪化させた段階で、私が誇れることなんて何一つない。

そして事態が悪化したことで、ハリーは敵の罠に嵌められてしまった。医務室にいた私が即座に先生に連絡したことで、少なくとも騎士団員が早期に神秘部に到着することが出来たらしい。けど……戦いの最中、シリウスが殺されてしまった。敵の目的だったらしい『予言』は奪われ、しかも()()()を纏った『死喰い人』が参戦したことで、一旦捕まえた敵も取り逃がしたらしい。幸いにも予言は元々二つであったこと。『例のあの人』の復活がようやく世間に知れ渡ったこと。それらは明るいニュースと言えなくもないけど、逆に言えばそれくらいしか明るい話は無いのだ。

……でも、私は逆にこうも思うのだ。本当に全てが全て敵の思い通りだったのだろうか、と。

確かに結果だけ見れば、敵の完全勝利と言えることだろう。私達の有様は敗北としか表現できない。でも、敵の作戦は正直とても不確定な要素が多すぎるのだ。『あの人』とハリーとの不可思議な繋がり、ハリーの唯一の家族を人質にとること、そしてハリーの性格。それ等を考えると成功率は高いように思える。しかし、もし私だけでなく、ハリーも誰か先生に相談していれば? シリウスと騎士団本部で連絡が取れていたら? 他にも考えられる可能性はいくらでもあり、ちょっとしたことで結果は変わっていたかもしれない。

そう、敵の作戦がある程度上手くいったのは、敵の作戦が上手くいくよう巧みに()()()()()がいたからだ。医務室にいる間、私は()()の行動を必死に思い返していた。そうすることで、私はやっと彼女が何をしようとしていたかを分かった気がするのだ。

……そして、今から彼女のしようとすることも。

 

医務室のドアが静かに開く音がする。時間はもはや深夜とも言える時間。生徒や先生が医務室を訪ねてくるとは思えない。しかしドアは開く音はしたけれど、誰かが入ってきた足音も気配もしなかった。他の生徒なら、ただ風のせいでドアが開いたのかとしか思わないだろう。でも、私は予想していた。足音や気配がしなくとも、その上、

 

「こんばんは、()()()

 

そこに姿すら見えなくとも。

私はカーテンを開け、ただひたすら暗い虚空を見つめ続ける。姿は見えなくとも、必ず彼女は今この部屋にいる。彼女であれば、今晩必ず医務室に来るはずなのだ。

彼女の大切な人を守るために。

そして私の予想は正しく、

 

「……」

 

瞬きした瞬間、まるで最初からそこにいたかのように、目の前に彼女が佇んでいたのだった。

暗闇の中でも分かる程綺麗な顔立ち。どこか輝いてすら思える白銀の髪。そして、髪同様輝く黄金の瞳。

大切な人達のために、今回のことで一人奮闘していただろう彼女がそこにいた。

 



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近くて遠い友人(後編)

 ハーマイオニー視点

 

「こんばんは、ダリア」

 

「……」

 

「貴女はきっと来ると思っていたわ。貴女にとって、今夜は()()の状態を再確認する最後のチャンスだもの」

 

私はそう言って、アンブリッジのいる区画を指さす。カーテンで閉め切られているため姿は相変わらず見えないけど、今朝の様子から真面な状態であるはずがない。こちらの声など聞いてなどいない。だから私は久しぶりに二人っきりになったことをいいことに、親友であるハリー達にだって出来ない話を始めたのだった。

 

「安心して。あの人は何も覚えてはいないわ。ずっとブツブツ何か呟いているけど、森の中で何があったかも、それこそどうして森に行ったのかも覚えていない様子だから。ダンブルドアの代わりに校長になっていたことも半信半疑の様子だったわ。……貴女が心配すべきことは何もないわ。これが知りたくて、ここまで来たのでしょう?」

 

あの女に関して、ダリアにこれ以上説明する必要はないと思った。ダリアならばここまで言えば、直ぐにでも私が何故彼女がここに来ると考えたか……そして彼女がアンブリッジに何をしたかを理解していると悟るはずなのだ。事実彼女は無表情ながら目を見開き、ただ驚愕している様子だった。尤も、彼女が本当に驚いているのは、どちらかと言えば私が彼女の行為を容認していることなのだろうけど。

私は黙り込むダリアに苦笑しながら続けた。

 

「意外かしら? 貴女も知っての通り、私はもう規則を絶対だと思っていないわ。そうでなけばDAなんて立ち上げようとも思わないもの。それにあの女がどうなろうと、もう私はどうも思わない。それだけのことをあの女はしたのだと思っているわ。だから貴女がやったことを、寧ろ手放しで褒めたいほどよ」

 

そう言った後、ダリアに隣のベッドに座るよう示したのだけど、彼女はただ私を見つめるばかりで座ろうとはしなかった。私はそんな彼女に苦笑しながら腰掛ける。いつまでも立っていると、私の方が緊張に耐えられなくなりそうだったのだ。

……ここまで何の気負いもないように振舞っているけど、本当は内心とても緊張していた。彼女との会話が久しぶりであることもある上、彼女には一方的とはいえ別れを告げられた後。自分と相手の立場も、既にこれでもかという程思い知らされている。そんな中こうして話すのは、緊張と同時に罪悪感も生じさせていた。

でも、私は話さなくてはならない。ここを逃したら……明日になれば、また私達は敵同士になってしまう。なら今日ここで話さなければならない。

 

「……怒っていないのですか?」

 

「え、何が?」

 

「……貴女の足を傷つけたのは私です。貴女が怒りを感じないはずがない」

 

それに彼女の誤解も解かなければならないから。私は彼女の言葉を慌てて訂正する。

 

「怒ってなんかいないわ! それは呪文を使われた時は痛かったけれど……でも、貴女があんな呪文を使ったのは、私を守ろうとしてくれたからだもの。実際そのお陰で私は命を落とさずに済んだ。私に貴女を責める権利なんてありはしないわ」

 

私は言葉を続ける。まずは前提条件を再確認しなければならない。ダリアが今回の件で一体何をしていたか……そして何を守ろうとしていたかを。

 

「そう、私に責める権利なんてありはしない。……でも、まずは最初から確認させてほしいの。間違った認識で話せば貴女に失礼だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

声を掛けられた時から予感はあった。彼女には……聡明なグレンジャーさんには、私がアンブリッジ先生に何をしたか見抜かれている。

あの時は時間が無かった故に、先生の記憶は老害が追放された日から丸ごと消し去った。それはDAに参加していたダフネの安全を確実にするため。私の行動を闇の帝王にも知られないため。そして私の秘密を隠すため。先生の私に対する態度がおかしくなった時期は覚えている。おそらく私の進路指導に同席した時には、既に私の秘密の一端を掴んだのだろう。が、全てを考慮すると丸ごと消した方が安全だと判断したのだ。

愚かにも先生は、誰も目撃者のいない森の中で私を挑発した。大方命の危機から解放され、一時的に何もかもが敵に見えてしまったのだろう。あるいは最初から私を含めた全てを見下していたか。いずれにせよ、怪物である私に口実を与えてしまうとは、何とも運のない人だ。素晴らしい立ち回りで魔法省と学校、どちらでも絶大な権力を手にしかけていた。正直私はその立ち回りに感心すらしていたというのに……最後の最後に先生は選択を間違った。しかし多少同情したとしても、家族の安全のためには()()()()犠牲になってもらわなくては。

消し去った期間は数か月にも及ぶもの。しかし時間が無かったことから、どれ程の効果を発揮したかを確認出来てはいない。だからこそ、私は最後のチャンスであろう今夜医務室に侵入したのだが……グレンジャーさんには全てがお見通しというわけだ。

彼女のことだ。先生の様子から『忘却術』を掛けられた可能性に直ぐに辿り着いたことだろう。そして私が何故そのようなことをしたか……私の肉体の秘密を隠すためとは分かっていないだろうが、私の今夜取るだろう行動は把握していたのだ。

素直に素晴らしい聡明さだと思う。彼女は森で私と同行したことから、他の人間より多くのヒントを得ることは出来た。だが彼女程手に入れた情報を的確に分析できる人間は他にいない。

こうして会話すること自体に罪悪感を感じているが、今この瞬間において単純に驚きの方が勝っていた。

しかし私が今晩医務室に来ることを予測していたことにも驚いたが、グレンジャーさんの聡明さは私の想像を更に超えたものだった。

 

「まず私が疑問に思ったことは……私達が先生達を探していた時、先生一人一人の近くに何故親衛隊がいたかということ。あの時はただ慌てるだけだったけど……後から考えれば違和感があったの。親衛隊の人間は、貴女やダフネを除いて勉強熱心な生徒はほとんどいないわ。なのにあの時、どの先生にも誰かしらの親衛隊が張り付いてた。よりにもよってOWLが終わったタイミングに。彼等の性格を考えると、そんなことはあり得ない。だから当然、誰かが彼等に指示を出したことになるわ。それが出来るのは、アンブリッジか……貴女だけ。でも、アンブリッジは私達がマクゴナガル先生に会おうとするまで、私達のやろうとすることは知らなかったはず。そうでなければ、私達を尋問した説明がつかない。マクゴナガル先生と会うのを邪魔した後、直ぐに親衛隊に指示を出したとも思えない。だから彼等に指示したのは……」

 

そこでグレンジャーさんは言葉を切り、更に考え込む仕草をとりながら続けた。

 

「そう考えると、別の疑問が湧いてくるわ。どうして貴女は親衛隊にそんな指示を出したのか。でも、その答え自体は簡単なものだったわ。貴女は私達が先生達に助けを求められない様にしたのね。そうすることで、私達が……ハリーが神秘部に誰の助けもなく行くように誘導していた。……『あの人』の目的を()()()()()だろう貴女だからこそ出来ること。ここまで間違いはあったかしら?」

 

間違いなどない。私は肯定もしなかったが、否定もしなかった。

ただ彼女が唯一見抜けていない点は、私がどうやって『闇の帝王』の作戦を知り得たかという点だ。

彼女はその部分を敢えて省いた。彼女は言った。私が『闇の帝王』の目的を()()()()()、と。無論奴が求めている物は疾うの昔に知っている。何せ夏休み期間中は一時的に『神秘部』への偵察もさせられていたのだ。目的の物を知らないはずがない。ただあの日、私は初めて奴が一体どうやって予言を手に入れようとしているかを知った……というより()()のだ。()の中で。

それはいつもの奇妙な夢だった。夢だと言うのに、異様な程の現実感。そして私ではない人間になる感覚。それも今回も闇の帝王その人に。

ただいつもと違う点は、それが現実ではなく……明らかにポッターに向けられた罠であった点だ。

言葉の端々に違和感があり、それどころか私に流れ込む『闇の帝王』の思考は、ただただポッターを誘導しようとしているもの。まるでポッターに向けた幻想。いつも見る夢とは一線を画していた。それがいつも通りの現実であれば、私としては無関心でいられた。シリウス・ブラックがどうなろうと、私にはどうでもよいことだ。

しかし、それが私の考えた通り『闇の帝王』の罠であれば話が変わってくる。正直直感でしかなかった。何か具体的な根拠があるわけではない。『闇の帝王』の思考が……私とポッターに流れ込んでいる? それに気づいた『闇の帝王』が、その繋がりを利用してポッターを誘き出そうとしている? そう考えれば夢の内容に説明がつくが、考えれば考える程荒唐無稽な話だ。しかし、そもそも私が奴の夢を見ること自体が理解不能な現象なのだ。それがポッターとも起こっていたとしても、私は完全に否定することなど出来ない。何より夢を見てから胸騒ぎが止まらなかった。何かが……何か決定的なことが行われようとしている。そんな予感がして仕方が無かったのだ。

だからこそ、私は駄目元とはいえ行動を起こした。今現在、お父様は予言を手に入れられないことで苦しい立場に追いやられている。どんなに多大な功績を残しても、一つの失敗で機嫌を損ねるのが『闇の帝王』。お父様を救うためには、()()()()奴の納得する成果を示すしかない。駄目で元々なのだ。少しでも可能性があるのなら、私が行動を起こさないわけにはいかなかった。

これこそが私が行動を起こした理由……『闇の帝王』の作戦を知り得た理由。それは流石のグレンジャーさんにも見抜けてはいない。彼女は私が予め『闇の帝王』から作戦を知らされていたと考えているのだろう。ただそれに言及すれば、私を責めることに繋がると考えたのかもしれない。彼女には私を糾弾する正当な権利があるというのに……どこまでも甘く、優しい人間性だ。

私はただ沈黙を以て彼女に応える。そしてその沈黙を肯定と捉えたグレンジャーさんは続ける。

 

「……でも、計画には思わぬ邪魔が入った。『あの人』の目的はハリーを『神秘部』に誘導すること。それを知らないアンブリッジがハリー達を拘束してしまった。アンブリッジとしてはハリーを学校から追放するチャンスだと思ったのでしょうけど、それは『あの人』の思惑からは外れたものだった。だからこそ、貴女は邪魔者を排除しなければならなかったのね。それと……私の保護も。私がアンブリッジを森に誘導した時、貴女にとってはまたとないチャンスだったはずだわ。アンブリッジが森の中に入るのですもの。森に入れば、そこで何があっても証拠隠滅は容易だわ。貴女程の実力があれば、どんなアクシデントにも対応できる。実際ケンタウロス達は予想外だったのでしょうけど、それでも貴女はしっかりと辻褄を合わせた。貴女は森の中でハリーをアンブリッジから解放すること、そのアンブリッジを排除すること……そして私を盤上から外すこと。それらの全てに成功してみせたんだわ。その後のことは私は伝聞でしか知らないけど……概ね貴女の思い通りに事は進めれたと言えるでしょうね」

 

表情こそ変わっていないだろうが、私は内心苦笑していた。グレンジャーさんの予想以上の聡明さに驚いたこともあるが、自分自身の行動のあまりの行き当たりばったりさに笑いが込み上げたのだ。

グレンジャーさんは全て私が思い通りに事を成したように話すが、実際のところ全て後手に回った事ばかりなのだ。概要は間違っていない。罠の可能性に半信半疑であったとはいえ、ポッターが実際に動き始めたことで確信に変わった。そこから先は()()()()私の目論見通りと言えるだろう。尤もその目論見をグレンジャーさんに見抜かれたわけだ。流石はグレンジャーさんと言える。しかし細かな部分において、私には感心される点など一つもない。

正直なところ、私はアンブリッジ先生がポッターを拘束した時、それはそれで問題ないと心のどこかで思っていた。夢を見た直後の思惑とは矛盾するが、初っ端から作戦が頓挫する可能性に直面し考えてしまったのだ。先生のせいで作戦が失敗したのならば、それは全て先生の責任ということになる。お父様が責められる要素は無い。それに全て『闇の帝王』の思惑通りに事が運ぶというのも、それはそれで気に食わなかった。だからこそ、二重スパイであるスネイプ先生が部屋に呼ばれた時、この作戦は失敗する可能性が高くなったとすら思った。先生は必ずポッターが陥っている危機を他の騎士団員に伝えるはず。ならば騎士団は必ず『闇の帝王』の邪魔をするはず、と。『闇の帝王』自らの杜撰さで失敗が確定した作戦に、いつまでも付き合う方が墓穴を掘る可能性があると考えたのだ。

しかし、後から思えばこの甘い考えが矛盾の始まりだった。私が負うべき家族への責任を放棄した、まさに唾棄すべき発想だとさえ言える。

グレンジャーさんがアンブリッジ先生を森に連れ出したことで、再び責任の一端が私に戻ってきたのだ。グレンジャーさんならばアンブリッジ先生の誘導に成功した段階で、先生を無力化することに必ず成功する。それがポッターが拷問された末の出来事であれば、既にスネイプ先生の報告も騎士団に届いていたことだろう。しかしグレンジャーさんの聡明さがこの点では仇となった。グレンジャーさんが迅速に機転を利かせたことで、ポッターが神秘部に間に合う可能性が再び出てきたのだ。まさか逆にグレンジャーさんを止め、アンブリッジ先生の方を野放しにするわけにはいかない。それは後で責任問題に発展する可能性がある。

結果的に私は次善の策を取らざるを得なくなった。つまり今度は森の中でアンブリッジ先生のみを排除し、更にグレンジャーさんを事態から除外すること。そんな後手に回らざるを得なかったのだ。そんな矛盾を抱えるくらいなら、最初からスネイプ先生のことすら邪魔すれば良かった。グレンジャーさんが騎士団に連絡したことはともかく、スネイプ先生の邪魔さえしていれば、もっとお父様の救援は楽になっていたことだろう。あの矛盾した、一時の気の迷いのせいでお父様は危険に晒され、最終的にはダンブルドアと対決する羽目になった。()()()逃げ切ることこそ出来たが、いらぬリスクを負ったことに変わりはない。そう後で後悔することになるが、考えても事態は目まぐるしく変わり続けていたのだから、あの時はそれが最善策だと思っていたのだ。アンブリッジ先生も最初は記憶を消すつもりなど無かった。これも成り行きとしか言いようがない。

……そしてネビル・ロングボトムとルーナ・ラブグッド。あの子達に関しても行き当たりばったりだ。ポッターが一人で『神秘部』に辿り着けるとは思えないため、誰かしら補佐をつける必要があるとは思っていた。その点で言えばダフネ達の行動は間違っていない上、彼等とダフネが敵対しないという点でも予定通りと言える。そうなることを予想もしていた。しかし、その末に彼らが危険に晒されることを私は当初認識、容認しながらも……最終的には容認しきれなかったのだ。

無論ダフネ達の心理状態を慮ってのことでもある。私とは違い、ダフネは優しい子だ。だからこそ彼女は共にDAを過ごしたネビル・ロングボトム達を助けると私は予想していたのだが、彼女自身はその行動の末に彼らが危険に晒されるとは思っていなかっただろう。未だ今回の詳細を知らせていないため、特にロングボトム達について思い悩んだ様子はない。しかし、彼女もいずれ知ることになるだろう。その時に優しい彼女が何を思うか。想像は難くなかった。彼女のためにも、私は魔法省に乗り込み直接事態を掌握する以外に選択肢は無かった。

全く度し難いことだ。自身の優柔不断さに嫌気がさしてくる。何もかもが中途半端に終わってしまった。最初から最小限の……家族とダフネのことのみを考え、他を全て切り捨てていれば。

しかし、当然今そんなことを悩んだところで何か変わるわけではない。もはや全てが手遅れ。私はこれからも今回の矛盾に整合性を付けるために行動しなければならない。『闇の帝王』に関しては何とかなりそうだが、気になるのはダンブルドア……。直接対峙した以上、何かしらの情報を与えてしまった可能性は高い。今も私が追放されていないことから、何か決定的な証拠を握られたとは思えないが……あの老害は何を考えているか分からない。

私は自身の愚かさに内心苦笑した後、今度はグレンジャーさんの言葉に応える。いつまでも黙っていても仕方がない。折角グレンジャーさんがここまで口にしてくれたのだ。今度こそ彼女に現実を突きつけねばならない。

私という怪物に二度と関わらせないために。

 

「……貴女の仰る通りです。もうお判りでしょう? ……私は決して貴女の味方ではない。貴女は足を傷つけられたことを怒っていないと言いましたね。えぇ、確かにその怪我で、貴女が『神秘部』に行かずに済んだことは確かでしょう。ですが、それだけです。私の目的は、決して貴女達の得になるものではない。……この際だからハッキリ言いましょう。私は貴女方の敵です。私はポッターを『神秘部』に導いた。それがどのような結果を迎えるかを知りながら。……シリウス・ブラック。貴女達の仲間だったそうですね?」

 

今度はグレンジャーさんの方が黙り込む番だった。今回の件で人が実際に死んだのだ。それが彼女と親しい人間であるのだからこの反応が当然。嘗て殺人犯として追われていた彼が実際は冤罪であり、今は『不死鳥の騎士団』に属していることは私も知っている。グレンジャーさんはまだ学生とはいえ、あのハリー・ポッターの親友。騎士団メンバーとの交流は少なからずあったことだろう。交流のあった人間が私のせいで死んだ、いや、()()()()。ショックでないはずがなく、尚且つ私をこの件に関して許せるはずがない。許していいはずがない。

それはグレンジャーさんも分かっているのか、先程までとは打って変わり黙り込む。先程までの勢いは当然なく、話し始めても随分歯切れの悪いものでしかなかった。

 

「……そうね。シリウスとは……私も親しくしていたわ。……ダフネにもそう言えば話していなかったかしら。あの人が無罪だと知ったのは、実は3年生の時なの。それに彼は……ハリーの名付け親でもあった。騎士団以外の場所でも交流はあったし、私も彼のことは好ましく思っていたわ。ハリーは特に……残された唯一の家族だったから。だからシリウスのことについて、確かに私は貴女の行動を……勝手に許すことなんて出来ない」

 

俯きながら話すグレンジャーさん。しかし、そこで彼女は顔を上げ、勢いこそないまでも私の無表情をしっかり見つめながら続けたのだ。

 

「彼が貴女の行動を知った時、彼が何を思うか……。きっといい感情を抱くはずがない。だからこそ、私は貴女のことを許すなんて言えない。それは貴女の言う通りだわ。……でも許せないとしても、やっぱり私自身としては貴女を責める気なんてなれない。貴女がシリウスを殺そうと思って行動したとは思えないもの。貴女はただ家族を守ろうとしただけ。それに彼の死を招いた責任は私やハリーにだってある。だから貴女に責任の全てを押し付けるのは、寧ろ無責任と言えるわ。……勿論ハリーにそんなことを言うつもりはないし、詳しい事情を話す気もないけど」

 

あまりの強情さに再び私は言葉を失う。一体彼女の強情さはどこから来るものなのか。私の言葉を理解できない愚か者であれば話は早いが、彼女がそうでないことは今しがた再確認させられたばかりだ。彼女は理解した上で、このような強情を貫き通している。それが不思議で仕方なく……同時に心のどこかで安堵している自身に苛立ちを覚えざるを得なかった。

許すとか許さないとかの問題ではない。現実に私達は敵同士であり、私の大切な人達の安全のためには敵を犠牲にしなければならない。それが偶々シリウス・ブラックだっただけであり、最悪の場合グレンジャーさんも……。それが私達に横たわる現実であり、私はそのためにあの監督生風呂で彼女に別れを告げたのだ。私の方が揺らいでどうするというのだ。

なのに、

 

「貴女は『死喰い人』であり、私の敵。えぇ、認めがたいけど認めるわ。貴女は大切な人のために、今後も誰かを……私を含めて誰かを犠牲にするかもしれない。でも、私はその現実を受け入れた上で言うわ。……私は絶対に貴女を()()()()()()()。貴女を必ず()()()()()()()()

 

何故グレンジャーさんはこのようなことを言うのだろう。……何故グレンジャーさんの言葉に、こんなにも心がざわついてしまっているのだろう。

ただアンブリッジ先生を()()しに来ただけだというのに、予想外の出来事に翻弄されてしまっている。

私は当初の計画を忘れ、ただただ自身の内面に翻弄されてばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

「何を……仰っているのですか? 私を助ける? 意味が分かりません。私は助ける側であり、助けられる()()ではありません」

 

私の言葉に対する返事は、そんな拒絶を表すものだった。

無表情でこちらを見つめるダリア。暗闇の中でも浮かび上がる彼女の顔は、どこまでも綺麗なものでありながら、そこに何の感情も映し出していないように見える。

……でも、私には分かる。彼女は表情こそいつも通り無かったけれど、瞳は今も寂し気に揺れ動いていた。

彼女は紛れもなく……誰かに助けを求めている。そう私には思えて仕方が無かったのだ。

 

「……今はそれでいいわ。いいえ、私は別に貴女の答えを期待しているわけではないの」

 

私はダリアがここに来ることを予測し、彼女の来訪を待ち構えていた。それは彼女の行動を肯定や否定するためではなく、ただ彼女に告げたかったのだ。

私の覚悟を。現実を認識して尚、私が求める結果を。私はそれを彼女に告げるために、医務室でただ黙って待ち続けていたのだ。

私の行動が正しいか間違っているか。そんなことを問われれば、私を含めて誰もが間違っていると言うだろう。ハリーは唯一の家族を失った。その一つの要因と言えるダリアを勝手に許すなんて、本来なら間違っているとしか言えない。そもそもハリーはダリアのやったことを知らない。彼が彼女の所業を知れば何を考えるか、想像するまでもなかった。

でも私は最終的には選んでしまったのだ。ハリーに真実を告げないことを。ハリーが真実を知らず、ただ自分のみを責めることを。これを間違いと言わずに何というのだろうか。

それでも、私は自身の選択を後悔するつもりはない。ダリアはずっと私のことを守ってくれていた。今回のことも、彼女なりに私を守ろうとしてくれたのだ。そんな彼女を私の方が見捨ててどうするというのだ。

それに私はハリーやロンと同じく、ダリアのことも友人だと思っているから。ダフネにダリア。寮はグリフィンドールにスリザリン。ダリアに至っては敵の陣営に属してすらいる。でも、私にとっては彼女達も大切な友人なのだ。

どんなにダリアに否定されようとも、私はこの感情だけは決して捨ててはならない。現実はどこまでも残酷で、私一人の力で抗えようもない。でも友人を助けたい。どんなに困難な状況であったとしても、この思いだけは変えることは出来ない。

そんな自分の気持ちを再確認した時、私はようやく目を覚ますことが出来た。今まで悩んでいたけれど、気が付けばこんなにも簡単なことだったのだ。

私は今までずっと悩んでいた。彼女が敵である現実を。この現実が変わることがないことを確認し、その事実に日々打ちのめされ続けていた。どんなに望んでも、彼女は私の味方になることはない。彼女が大切な人を守るには、どんなに辛くても『あの人』の下にいるしかない。その大切な人が、他ならぬ『あの人』の下にいることを望んでおり……その上裏切ればどうなるか、彼女は知っているだろうから。彼女が私の側に来てくれる可能性は、私がどんなに頭を悩ませても見出せなかった。そんな答えのないことに延々と悩んでいたのだ。

でも、遂に戦いの最中に人が殺されたことで……いよいよ私が覚悟していた以上の事態が発生したことで、私はようやくこれが戦争であることを体感し、本当に考えるべきことに気が付くことが出来た。

結局のところ、私には延々と悩んでいる暇なんて無かったのだ。益体の無い思考に捕らわれている間にも誰かが死んでいく。それは今回はシリウスであり、今後は知らない誰かかもしれないし、彼よりもっと親しい人かもしれないのだ。変わりようのない現在に捕らわれ続けている場合ではない。本当に誰かを救いたいのなら、今は前に進むしかない。

だからこそ、私は現在に悩むことを止めた。止めざるを得なかった。彼女が敵だとか味方だとか、そんなことは後から悩めばいいことだ。私はただ彼女を救い出したい。このどこか不器用で、皆に誤解されがちな女の子を。暗闇に取り残され悲しい思いをしているのに、そこだけが自分の居場所だと信じ込んでいる友人を。私はその単純な気持ちを忘れなければいいだけだっのだ。今は違う陣営……たとえ敵であっても、この気持ちさえあれば最後には正しい結果に繋げられるはず。

だから私は決意を新たにし、再びダリアの揺れる瞳を見つめた。

 

「待っていて。私は必ず貴女を助けるわ。たとえ時間がかかろうとも貴女を私は諦めない。貴女は……どんなことがあろうとも、私の友人だから。私は今日、貴女にそれだけを伝えたかったの」

 

ダリアからの応えはない。ただ()()()()()()()()()()()視線で私のことを見つめるだけ。それどころか彼女は私の瞳を見つめた後、黙ったまま踵を返してしまった。もうアンブリッジのこともどうでも良くなったのだろうか。ただ黙ったまま、医務室から来た時と同じく音もなく去ってしまう。それは彼女の拒絶の意思でもあったのだろうけど……私には、やはり去り行く彼女の背中が助けを求めるように、寂し気なものに見えて仕方が無かった。

 

 

 

 

彼女はもう……本当の意味で後戻りできなくなってしまった。もう彼女にとって、私といる時間は苦痛でしかない。私の言葉は彼女にいらぬ期待感を与えてしまっている。それはどうしようもない事実。彼女が私の味方になることは、『あの人』がいる限りあり得ない。

でも、今はそれでいい。そんなことを今悩んでいても仕方がない。敵であっても、彼女が優しい女の子であり、私の大切な友人であることに変わりはない。私のすべきことは何も変わらない。

これが私の答え。ダフネやドラコとは違い、私もダリアとは反対の陣営にいることしか出来ない。だからこそ辿り着けた答え。これがただの妥協や諦めだとも分かっているけど、これが私がダリアを救える唯一の方法でもあるのだ。

先程まで近くにいたのに、()()決して手が届かない友人。言葉こそ交わせても、私達の間には厳しい現実が横たわり続けている。でも、私はいつか絶対に……。私は静かになった医務室で、ただダリアの消えた扉を見つめ続けていた。

 




次回、時限爆弾を連続爆破


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少女の正体

あけましておめでとうございます!(遅刻)


 ダフネ視点

 

「ワシの話は以上じゃ。……不安もあるじゃろうが、学生の本分は勉学であることに変わりはない。皆、休みの間に今年学んだことを忘れておらんことを祈っておるぞ」

 

長い一年がようやく終わった。老害のいつもより長ったらしい話がようやく終わり、私とダリア、そしてドラコは連れ立って大広間を後にする。

ホグワーツ生全員が外を目指すため、大広間外の玄関ホールには生徒が溢れかえっている。……しかし、いつもの如く私達だけは全生徒に距離を置かれているため、私達の周囲数メートルは随分歩きやすい空間になっていた。それどころか、心なしか今まで以上の距離を取られている気さえする。

彼らがいつも以上に私達を……ダリアを恐れる理由は単純明快だ。今のダリアを刺激すれば、何をされるか分かったものではないと思っているのだ。

心神喪失したアンブリッジがホグワーツを去り、『高等尋問官親衛隊』という馬鹿げた組織もなし崩し的に解体された。それどころか今まで『親衛隊』が好き勝手に減らしていた他寮点数も元に戻された。ついでにアンブリッジが増やしていたスリザリンの点数もちゃっかり無効にされ、スリザリンは逆に寮杯最下位に転落したのだった。だからこそスリザリンを除く全員が、ダリアの醸し出す暗い雰囲気の原因がソレだと考え、軽く優越感を含んだ視線を送りながらも距離を必要以上に取り続けているのだ。

正直なところ、呆れてものも言えない程の能天気さだ。私の勘違いであれば良かったのだけど、周りから微かに漏れ聞こえるヒソヒソ声から私の想像通りで間違いなさそうだ。

何故そんなに能天気でいられるのだろうか。遂に『闇の帝王』の復活が公のものとなり、老害もそのことについて先程言及していた。魔法省が『あの人』の復活を恐れるあまり隠匿し、それに抗ってハリー・ポッターは声を上げ続け、そして自衛を学ぶ組織を立ち上げていた、と。日刊予言者新聞でようやく認められたこともあり、もう誰一人としてポッターを嘘つきと思っていない。つまり今日の老害の言葉を聞くまでもなく、皆既に『闇の帝王』の復活を認めざるを得なくなっているのだ。

それなのに、まだこの程度の能天気さを発揮しているというのか。もっと真剣に考えれば、こんな風にダリアに対し馬鹿な言葉を吐かないはずだ。本当にこいつらときたら……。

しかしそこまで考え、私は頭を振って思考を止める。

……いや、彼等はおそらく、知ってはいても実感できていないだけなのだ。『死喰い人』の2度目の大量脱獄……どころか遂に『吸魂鬼』がアズカバンを放棄し、囚人ごと『闇の帝王』の下にはせ参じた。でも、まだ人が死んではいない。無罪認定されたシリウス・ブラック以外は……。そのせいで、恐怖はあってもまだ認識が追い付いていないのだろう。心の準備を整えるのに、そう長い時間があったわけではない。現時点で現状を正しく()()しろなんて酷な話かもしれない。

それに私こそ、彼等の能天気さを糾弾している場合ではないのだ。私には心の準備をする時間はいくらでもあった。ならば私が考えるべきことは、周りの有象無象のことなどではない。能天気なのは私の方だ。

私は周囲へ向けていた視線を、隣で無表情ながら憂鬱な空気を醸し出すダリアに向ける。彼女の機嫌が悪いのは寮杯が原因……なんてことは当然なく、彼女が現状を正しく実感しているから。ダリアからは決して話してもらえなかったけど、私はハーマイオニー経由であのDAメンバーが捕まった日に何があったのかを聞いた。ダリアが何を考え、何を為し……何を守ろうとしていたか。ダリアの現状を正しく実感していれば、私は他のことに構っている場合ではない。唯一の例外は、

 

()()()……ごめん。少しだけいいかな?」

 

「……()()()

 

私のせいで命の危機に晒されたDAメンバーのことだけだ。

声に振り返ると、私達を囲む輪からこちらに入り込んだネビルの姿が。当然彼も好奇な視線に晒されているが、真っ直ぐに私のことを見つめていた。以前のただ臆病だった彼の姿はない。彼は覚悟を決めて私に話しかけてきた。話の内容は当然あの日のことだろう。なら私も応えなくてはいけない。それが私の義務だから。

 

「ダリア、ごめんね。少しだけ先に行っていてくれる? 私は彼と話さないといけないことがあるから」

 

「……私もついていきましょう。貴女は何も悪くない。悪いのは全て、」

 

「ううん、大丈夫。これは私のためでもあるから。ドラコ、後はお願いね」

 

「あぁ……こちらは任せておけ」

 

ダリアに断りを入れ、私はネビルと共に輪から外れる。ダリアの視線を背後に感じるけど、ダリアを守るためにも、私は自身のやったことに……これからやることに正面から向き合わないといけない。ダリアは私に事情こそ話さなかったけど、ハーマイオニーから事情を聴いたことは察しているはずだ。だからこそ先程は私を庇うような発言をしかけていたのだろう。でも、私は決して責任から逃げてはいけない。ネビルやルーナのためにも。そして何よりダリアのためにも。ダリアの視線に後ろ髪を引かれながらも、今は我慢するしかない。

私とネビルはいつもハーマイオニーと密会していた大広間横の倉庫に入る。そして先に話し始めたのは私の方だった。結論が出ている以上、黙っていても時間の無駄だと思ったのだ。

 

「ネビル。貴方が何を話したいのか、私には分かっているつもりだよ。……私が貴方達をハリー・ポッターの場所に行くことを許してしまった件だよね」

 

「……う、うん。その様子だと、やっぱり僕等のことを聞いたんだね。……それはダリア・マルフォイから?」

 

「いいえ。ダリアは何も教えてくれない。私を出来る限り巻き込みたくないんだろうね。私に教えてくれたのはハーマイオニーよ。彼女が教えてくれたの。私が貴方達を解放した後、一体何が起こったのか」

 

単刀直入に話す私に、先程輪の中に勇敢に入ってきた彼も、流石に面食らった表情を浮かべていた。でもそれも一瞬のこと。彼は彼で私の少し急いでいる雰囲気を察して、そのまま結論を話し始めた。尤もその結論は、

 

「ぼ、僕、君に改めて言わないといけないと思ったんだ。ありがとう。君に助けられたことで、僕ら……()()()()()()()()()()()。結果は散々なものだったけど、それでも戦わないより良かったと、僕は思ってるんだ。だから、」

 

「ネビル。嘘をついたら駄目だよ。戦わないより良かった? 本当にそんな風に思ってるわけではないでしょう?」

 

随分歪曲しきったものでしかなかったけど。そもそも私の聞いた限りでは無用な戦いかつ、結果は目的の物を守れなかった上……人が死んでいる。戦ってよかったなんて結論に達するはずがない。

彼がこのようなことを言った理由は分かる。彼は私を庇おうとしているのだ。私は彼等の背中を最後の最後に押してしまった。私に責任が無いとは言えない。言ってはならない。私はダリアの望む通りに行動した。DAメンバーと私が対立することを望んでいないダリアならば、私がこうすることを望むだろうと考えたから。それは実際間違っていなかった。ただダリアの思惑が、それを見越した上だっただけ。ダリアは私が彼等を逃すことを前提として、その上で彼等を戦場に誘導した。それで誰かが死ぬ可能性を知った上で……。

それをネビルは分かっているから、()()()罪が無いと言おうとしている。私はただ彼等を助けようとしただけで、ダリアの思惑とは無関係だ、と。

彼が私を庇おうとしてくれていることは素直に嬉しい。DAで出来た数少ない……()()()と言っていいメンバーの一人が、私を見捨てずにいてくれているのだ。嬉しくないはずがない。

……でも、それとこれとは違うのだ。彼はとんでもない思い違いをしている。

 

「貴方達は私のせいで命の危険に晒された。今回死んだのは一人だけだった。でも、もっと死んでも本当はおかしくなかった。それこそネビル、貴方が死んでもおかしくはなかった。それにルーナも……。私はあの子のことが好きよ。あの子はいつだって偏見無くダリアを見ているから。……でも、そんな貴方達を危険に晒したのは、他でもない私なの」

 

「いや、それは君もダリア・マルフォイの考えていることを知らなかったか、」

 

「それに! 私は確かにダリアの考えていることを能天気に推し量れなかった。でも、そんなこと関係ない! ダリアがどんなに非情な結論を出していても……私は彼女の決断に従っていたはずだもの。……たとえどんな犠牲を払ったとしても、私は彼女が大切にしたいと願ったものを最低限守るために動く。その犠牲が貴方やルーナであったとしても。私はダリアのことだけは裏切れない」

 

「……ダフネ」

 

そう、彼は思い違いをしている。結局のところ、彼とルーナが助かったのは結果論でしかない。私がダリアの思惑を量り切れなかったことも、結局のところ何の言い訳にもなりはしない。

私は決めたのだ。ハーマイオニーがダリアの敵であることを決意した様に。私もどんな手段を使ってもダリアの傍に居続けることを決意したのだ。それは今回の事件があったからではなく、それこそホグワーツに入学する前から。私もハーマイオニーと同じくずっと悩み続けていた。どうしたらダリアを救い出せるか。どうしたらダリアが幸せに、穏やかな生活に戻ることが出来るか。色々悩んだ上、今でも悩みが消えることはないけど、それは全てダリアと……親友とずっと一緒にいるため。その原則だけは絶対に変わることはない。

今回のことも、本当にダリアの幸福を願うのであれば、ネビル達を見捨てるべきではなかったのかもしれない。現にダリアは彼等を見捨てたことに罪悪感を覚えているし、もし彼等が本当に死んでしまうようなことがあったのなら、その罪悪感は決して拭い切れないものになってしまったと思う。……でも、彼女を取り巻く現実はどこまでも非情であり、理想論だけでどうにかなるものでは決してない。少なくとも私には思いつかないし、あのハーマイオニーですら現状を半ば受け入れてしまっている。

だからこそ、私が今出来ることはダリアに常に寄り添い、多少なりともダリアの罪悪感を引き受けることだけ。そこにどこまで意味があるかは分からない上、実際のところただの卑怯者の戯言でしかない。先程のダリアの様子から見ても、私の考えや行動で何かが改善したとは到底思えない。でも、それでも私に今出来ることはこれくらいなのだ。()()これくらいしかない故に、これだけはしなくてはいけないのだ。だから私はネビルの優しさに現実を突きつけなければいけない。私は貴方達を死地に送った上、それは決して変えようのない事実だ、と。たとえそれが死地だと事前に分かっていたとしても、私は何度だってそうする。……()()貴方達を切り捨てたのだ、と。私は彼と……何より自分自身にそう言い放ったのだった。

部屋は沈黙で満たされる。ネビルは何度も口を開き何かを言いかけるが、結局何も言うことが出来ない様子だった。結論から入った短い会話だったけれど、彼にも私の意図は伝わったのだ。何度も口を開け閉めし、その都度悔しそうな、そして悲し気な表情を浮かべた後、最後に絞り出すように私に尋ねてきた。

 

「もう、君に呪文を教えてもらうことは出来ないのかな……」

 

「……そうだね。そういうことになると思う」

 

私は彼等の敵になりたいわけではない。ダリアもそれは望んでいない。ただ味方ではなく、限りなく敵に近い何かというだけ。ネビルもそれは最初から分かっていた。……ただ現実が思った以上に厳しかっただけ。でも、そうであったとしても、嘗ての様にネビルと仲良しごっこをすることはないだろう。私もそこまで厚顔無恥にはなれない。死んでもおかしくない場所に実際に送り出しておいて、今更仲良し面など出来るはずがない。

それに、ネビルには両親のこともある。彼は悲し気な表情のまま、絞り出すような声音で話す。

 

「……僕、『神秘部』でレストレンジを見たよ。アズカバンから逃げ出したとは知っていたけど、実際にあいつに会うことはないと思ってたんだ。でも……『神秘部』で見たあいつは笑ってた。僕の両親をあんな目に遭わせたのに、あいつは今もノウノウと外を歩いてるんだ。……そんなこと、許せるはずがないよ。あいつに味方する奴も……。だから……僕は正直、ダリア・マルフォイのことも許せない。彼女も『神秘部』にいたんだ。姿こそ隠していても、()()は確実に彼女だった。彼女があいつと行動している以上、僕は彼女のことを許せない……」

 

当然のことだろう。私はネビルの言葉を黙って聞いていた。ダリアの行動は全て家族の安全を守るためのもの。でも、それはもう一方の側からすれば身勝手なものでしかない。それはダリアも……そして彼女を擁護する私にも分かっていることだ。大っ嫌いなポッターにも言えることだけど、この点において私達に言い訳できる要素などあるはずがない。ただどちらかの安全と幸福が、もう一方の犠牲になるしかない。ただそれだけの残酷な真実があるだけ。家族のためだから正義なんてことは、天地がひっくり返ってもあり得ない。両親との時間を永遠に奪われたネビルに、私が反論出来ることなんて何一つない。反論していいはずがない。

私はネビルの話を黙って聞く。これで彼と話すのは最後になると思いながら。過程は酷く歪で、どちらかと言えばハーマイオニーに強制された部分は多々あるけど、それなりに彼とは打ち解けられたと思っていた。何も起こらなければ、私達はもっと仲良くなれていたかもしれない。でも、そんな未来はもう来ることはない。私と彼との道は別れ、もう取り返しのつかないものになってしまった。

そう私は覚悟を決めていた。なのに、

 

「……でも、僕はどうしてもダフネ、君のことが嫌いになれない。僕は君が……す、す……。い、いや、何でもない。と、とにかく、僕はダリア・マルフォイのことを許せなくても、君のことは嫌いになれないんだ。君の言いたいことは分かってるつもりだよ。君は僕達の味方ではない。でも、だからと言って敵ではない。そうだろう?」

 

ネビルはこの期に及んで、まだそんなことを言い始めたのだ。私の言葉を理解していると思っていたけど、実際のところは違ったのだろうか。そう思い始めた時、彼は更に続けた。

 

「だから……僕はダリア・マルフォイのことも、本当は敵ではないと思った。……いや、敵ではないと信じたいと思ったんだ。レストレンジと行動していても、本当はあいつの味方ではないと……僕は信じたいんだ。君と彼女は親友だから。君は言ってたじゃないか。彼女は強いけど……本当は寂しがりやだって。だから君の親友が、僕達が今まで思っていたような悪い奴とは思えない。……この考えは間違っているかもしれない。たとえ正しくても、ダリア・マルフォイがレストレンジと一緒にいることは間違ってる。だから……僕はダリア・マルフォイと君を、いつか絶対にこちら側に()()()()

 

私は相変わらずネビルの言葉を黙って聞いていた。けど、今度は全く違う理由からだった。

……目の前の男の子が、やはり昔とは見違える程の存在になっていたから。

 

「これは()()()()()()()()()()だけど、僕も同じことを決めたよ。今は一緒にいられなくても、いつか必ずレストレンジと『例のあの人』を倒して、君達を解放する。そのために、僕はDAに入ったんだから」

 

彼はそう言ったきり、そのまま部屋から出て行ってしまった。私と同じく、結論だけを伝えるように。

私は唖然としながら、ただ彼が出て行った部屋の出口を見つめ続ける。私が正気に戻ったのは、それから数分後のことだった。

 

 

 

 

長い一年が終わる。『闇の帝王』の復活に、アンブリッジの就任。……そしてDA。色々なことがあった割に、何一つ私には出来ず、何一つ手に入れることは出来なかったと思っていたけど……どうやら全くの無駄ではなかったらしい。

この繋がりが何を私やダリアにもたらすかは分からない。でも、もしかしたらダリアはこういうことを願って……。

そう、私は一年の終わりに朧気に考えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

「あぁ、ようやく帰ってきたのだな。我が忠実にして、最も頼りになる僕よ。さぁ、もっと近くに寄るがよい」

 

「はい……創造主(マスター)

 

いつも以上に憂鬱だったホグワーツでの生活が終わったというのに、僕が家に帰ってまず最初に見た光景は更に憂鬱なものでしかなかった。

家に帰るなり僕等は応接室に連れられ、そこで僕達を待っていたのは父上と母上に、僕の叔母であるベラトリックス・レストレンジ……そして『闇の帝王』その人。僕等マルフォイ家の主にして、ダリアを支配し続ける()()

骸骨よりも白い顔、細長い真っ赤な不気味な目。蛇のように平らな鼻に、切れ込みを入れたような鼻の孔。一目で人を恐怖させる姿をした『闇の帝王』が、その口元を残忍な愉悦に歪ませながら、僕の最も愛する家族の名前を呼ぶ。しかも、

 

「それと……ふむ。確かドラコという名だったな。ドラコ・マルフォイ。貴様もこちらに来い。そして俺様の下にひれ伏すのだ。お前にも()()()()のだからな」

 

「……」

 

「なんだ、緊張して声も出んか。返事はどうした、ドラコ? この俺様が直々にお前に声をかけているのだぞ」

 

「は、はい……我が君」

 

()は僕にも声をかけてきたのだ。

恐ろしくないはずがない。初めて実際に顔を合わせたベラトリックス・レストレンジが、何故か憎悪としか言いようのない表情をダリアに向けているが……それを気にする余裕もなかった。黙っているのに、目の前の化け物はそれ程の存在感を発している。『闇の帝王』がこの家を根城にして1年。そんな中、僕がこいつと顔を合わせたことは殆どなく、会ってもこいつは僕のことなど気にも留めていなかった。それでも、この家中に『闇の帝王』の寒気がするような気配を感じ、常に緊張を強いられていたのだ。実際に声を掛けられた今、背中を冷や汗が伝っているのを感じた。

一体僕に何の話があるというのだろう。僕はダリアの隣で奴に跪く。顔を伏せ、内心で湧き上がる恐怖と()()を隠しながら言葉を待つ。しかし奴は僕を無視し、まずダリアに言葉をかけた。

 

「さて、まずは俺様はお前を褒めねばならぬ。実に……実に素晴らしい働きだった。お前は学校に縛られているにも関わらず、俺様の助けになるよう必死に行動した。その成果が()()というわけだ」

 

奴の手には小さなガラス玉が一つ。それが何なのか僕には全く分からなかったが、それを奴は撫でながら続けた。

 

「俺様は思い違いをしていた。俺様が嘗て手に入れた予言は半分のみ。その半分のみ知り得なかったため、俺様は致命的なミスを犯したのだと考えていた。だが、どうやらそうではなかったらしい。もう半分を聞いても、やはりポッターには何か特別な力があるとは予言されてはいなかった。俺様とポッター。勝者はどちらかのみ。どちらかが必ずや死なねばならん。予言はそれのみしか言っておらん。……言われるまでもない。俺様は完全な存在であり、そうでなくてはならぬ。ならばこのままポッターを野放しにすることなどあり得ぬ。この俺様自らの手で殺す。予言にポッターの特別な力が何か明言しておらん以上、奴はやはりただ運が良かっただけなのだ。ならばもう俺様は予言などに煩わされることなく、心置きなく奴を殺すだけでよい。そう、()()()()()()俺様はそう結論付けるだけで良かったのだ。だが……」

 

そこで奴は突然不機嫌な声を上げ始める。

 

「だが……俺様はお前の成果を素直に喜ぶことが出来んのだ。お前はよくやってくれた。それは間違いない。流石は俺様が最も信頼する僕だ。お前はまだ学生の身でありながら、既にいくつもの成果を上げている。()()を厳選した甲斐があったというものだ。本来であれば、俺様はお前に何か褒美の一つでも与えていたことだろう。だが、そんなお前の成果を台無しにした者がおるのだ。そう……この部屋の中にな」

 

横に跪くダリアの表情は見えないが、微かに肩が揺れたのが横目に見えた。しかし、それを気にしている人間はこの部屋には誰もいない。部屋に同席していた大人達から微かな悲鳴が漏れ聞こえる。

 

「ベラよ……俺様はお前がアズカバンから帰還した時、俺様に対する真なる忠誠を嬉しく思っていた。活躍の場こそ与えていなかったが、お前も俺様の忠実なる部下に間違いはない。いずれお前に相応しい舞台を用意するつもりであった上、その舞台こそが今回の任務だった。だが、お前は俺様の期待には応えなかった。確かに俺様は……ダンブルドアに予言は一つだと思い込まされていた。それが二つあったのだ。予想外であったことは否定しきれん。それは認めよう。……だが認めた上で、俺様は敢えて言おう。ベラよ……俺様は失望した。たかがお使い一つ満足にこなせんとは。罰こそ与えんが、これではお前に与える仕事も選ばねばならんだろうな」

 

そして、奴は更に不機嫌な声音で続けた。

 

「……尤も、俺様はお前だけを責めるつもりはない。寧ろお前は足を引っ張られたものと考えている。そう、今回の計画で最も俺様を失望させたのは……ルシウス、お前だ。これまで何度も失望させられたが、今回も見事に俺様の期待を裏切ってくれたな、ルシウス。お前のお陰で、俺様の計画は振り出しに戻ってしまった。予言を手に入れたというのに、それは未だ半分のみ。もう一つの予言に何が示されているか分からん以上、俺様は慎重にならねばならん。これではポッターの問題は後回しにせざるを得んわけだ。これもお前が俺様の予言を全て持ち帰らなかったことが原因だが、何か俺様に申し開きはあるか?」

 

「わ、我が君。し、しかしあの状況では、」

 

「ルシウスよ。言葉は慎重に選ぶことだ。俺様は今非常に気が立っている。これ以上俺様を失望させれば、俺様はまたお前に少々()()を与えねばならん」

 

「お、お許しを、わ、我が君」

 

もはや部屋の空気は最悪のものだった。『闇の帝王』に返事を求められている父上も、もはや恐怖で呂律が回っていない。こんな父上の姿を見るのは初めてだ。父上はいつだって冷静で、純血貴族らしい気品を保っておられた。それが今、ただ目の前の『闇の帝王』に怯え切った表情を浮かべている。それは母上も、そして先程まで違う表情を浮かべていた叔母上も同様だった。誰もが恐怖し、ただ身を縮こませながら黙り込む。ただ一人、

 

創造主(マスター)。どうか発言のご許可を」

 

「……ほう。やはりお前だけはこの連中とは違うようだな、ダリア。良かろう。発言を許す」

 

ダリアを除けば。声に思わずダリアの表情を見ると、彼女は無表情で『闇の帝王』を見上げている。でも僕には分かる。僕だけにはダリアの表情を読み取ることが出来る。ダリアは今……怒り狂いながらも、声音だけは冷静に言葉を発していた。

 

「では。恐れながら創造主(マスター)。今回の件でお父様……いえ、ルシウス・マルフォイに責任は無いものと考えます。情報になかった事態に、騎士団の早期介入。予言を一つでも手に入れた手腕こそ評価すべきです。……失敗の責は寧ろ私にあります。私が早く魔法省に到着していれば、予定外の予言も手に入れられたかもしれません。全責任は私にあります。責めるのであれば、私にこそ罰をお与えください」

 

表情を読み取れる僕は、今ダリアが本当に言いたいことを分かっていた。本当はこの目の前の男にあらん限りの罵詈雑言を浴びせたいのだろう。今のダリアはそういった無表情だ。何も知らなかった僕でも、アンブリッジが森に入った日に何かしらの大がかりの作戦が行われたことは察している。それにダリアが巻き込まれたわけだが、作戦の大本がこの男であることは間違いない。なら失敗の責任はそもそも()()()にある。ダリアもそう考え、ただ父上に責任を押し付けるこいつに激怒しているのだろう。

……無論、そんな怒りをおくびにも見せるわけにはいかない。相手は『闇の帝王』。誰にも倒せない程の圧倒的な力を持ち、純血の頂点に君臨している。逆らえばどうなるか考えるまでもない。反抗はおろか、機嫌を損ねるような行為もしてはならない。だからこそダリアは内心とは裏腹に、ただ自分が責任を被ろうとするのが精一杯な様子だった。

部屋にいる全員の視線がダリアに集中する。ダリアの発言に対する反応は別々だ。叔母上は再び憎々し気にダリアを見つめており、父上と母上はダリアの表情に気が付いたのか、どこか戸惑った表情を浮かべている。そして件の『闇の帝王』は……先程までと打って変わり上機嫌な声音で応えていた。()()()()のことだが、『闇の帝王』にダリアの表情は読み取れなかったらしい。

 

「……実に殊勝な心掛けだな、ダリアよ。どうだ、ルシウス。このように庇われて、貴様は恥ずかしくないのか? 寧ろ俺様は恥ずかしい。お前の様な部下を持っていることにな。その点、ダリア。お前の忠誠心は素晴らしい。無論当然のことではあるがな。お前はそのために生まれてきたのだから。お前の様な存在が()()()()おれば、俺様は何の不満も持つことはなかろうな。そしてお前の責任だが……勿論お前に責任などあるはずがない。ホグワーツにいるお前に俺様の作戦を伝えてはおらんかった。それでも尚、お前は忠実に俺様の期待に応えたのだ。お前がいなければ、予言は二つどころか、一つたりとも手に入らなかったことだろう。お前に責を負わせるなど出来ようはずがない。責はルシウス……お前が負うのだ」

 

ダリアの表情が更に激情にかられたものに変わる。よく見れば手袋を付けた手が、少し杖に伸びかけているようにも見える。もし万が一、『闇の帝王』がこの場で父上に手を掛けるようなことがあれば……。

しかし、僕がダリアの表情を見つめていられるのはここまでだった。『闇の帝王』が唐突に、今度は僕に言葉をかけてきたのだ。

 

「だが、そうだな。お前にはもう何一つ期待しておらんが、チャンスを与えるのはやぶさかではない。……俺様は寛大にもお前の責任を帳消しにするチャンスを与えよう。無論お前に何一つ期待しておらん以上、ダリアの言ではないが……お前とは別の人間が責任を果たすことを認める。……そう、()()()()()が責任を果たすことを、俺様は寛大にも認めようではないか」

 

おそらくダリアも含めて、部屋にいる誰一人として奴の言っていることを最初は理解できなかっただろう。言及された僕も何を言われたのか理解できず、ただ唖然としながら奴を見つめることしか出来なかった。奴の言わんとしていることを理解し始めたのは、奴がやはり上機嫌に言葉を続けてからだった。

 

「なに、簡単なことだ。お前のお陰で、俺様はポッターを消す算段を練り直さねばならん。ならば今最も早急に排除せねばならんのは……アルバス・ダンブルドア。あの忌々しい老人の方だ。そしてあのダンブルドアを排除することが出来れば、それは今までの失態を帳消しにすることが出来る程の功だ。幸いお前の息子はホグワーツにいる。ならば奴を殺す機会も十分にある。……そうであろう、ドラコ? ドラコ、お前も父親の無様な姿は見たくなかろう? お前にも選ばせてやろうではないか。お前が父親に代わって責任を果たすか、父親のもがき苦しむ様を見るか。どちらをお前は望むのだ?」

 

この瞬間、ようやく僕は何故ここに呼ばれたのかを理解した。

さも今思いついたとばかりに『闇の帝王』は話しているが……結局のところ、これは最初から決定事項だったのだ。そうでなければ最初から部屋にいるよう指示するはずがない。予言とやらを手にし損ねた父上への罰。直接手を下すのではなく、奴は僕を見せしめにすることで、父上に精神的な罰を与えるつもりなのだ。

唐突な言葉に頭が混乱しているが、これだけははっきりしている。ダンブルドアを殺す。そんなことが僕に出来るはずがない。僕は今無理なことをを命じられてる。奴は老害であるが、曲りなりにも『今世紀最高の魔法使い』とされている。ダリアならいざ知らず、ただのホグワーツ生である僕が逆立ちしても勝てる相手ではない。ダンブルドアも、自らを殺そうとした人間に穏便に対応するはずがない。いや、よしんば成功したとしても、直ぐに他の魔法使いの報復にあうだろう。つまりどの道僕は死ぬことになる。これを見せしめと言わずして何というのか。

 

それに、これは『闇の帝王』は意図したことではないだろうが、()()という行為は……。この行為の意味を、僕はダリアを通して嫌という程……。

 

僕は突然の出来事に混乱し、ただ空回りする思考を取り続ける。しかし、目の前の男が待ってくれるはずもない。

 

「どうしたのだ、ドラコ。何を悩んでおるのだ? この俺様が聞いておるのだ。何故俺様の言葉に直ぐに頷かん。それとも……父親のもがき苦しむ様を見たいのか?」

 

僕に選択肢なんてない。ダリアがこの男に従わざるを得ないのと同じように。

 

「お、お待ちください、我が君! ば、罰であれば私が、」

 

「……やります、我が君」

 

だから僕は考える前に、ただ『闇の帝王』の言葉に頷くしかなかったのだ。

父上の言葉を遮り僕が答えることで、全員の視線が僕に注がれる。満足そうにしているのは『闇の帝王』だけであり、他の人間は全く違う表情を浮かべていたけれど。

 

「そうかそうか。やってくれるか、ドラコ。どうやらお前は自分の置かれた立場を理解するくらいには賢いらしい。お前には()()()()()()()。ルシウス、良かったな。息子がお前の代わりに俺様の期待に応えてくれるらしい。お前も嬉しかろう?」

 

「……は、はい」

 

父上と母上は引きつった表情を浮かべており、叔母上は今度は僕のことを睨みつけている。そしてダリアは……僕が目を向けた時には再び『闇の帝王』の方を向いており、その表情は先程と同じ激怒した無表情だった。

 

 

 

 

長い一年が終わった。だが、どうやら来年も暗く、どこまでも長い一年になりそうだ。いや、そもそも一年間僕が無事でいられる保証もなくなった。ダリアが身を置かされていた世界に、僕も遂に引きずり込まれてしまったのだから。だからこそ、ダリアはこんなにも怒っている。

尤もダリアは、

 

「……創造主(マスター)。私もホグワーツに在籍しております。ですので……私にもお兄様と同じ任務をお与えください。必ずや果たしてみせます」

 

「ふむ、そうだな。ダンブルドアをいざという時排除する意味でもお前をホグワーツに残しておったのだ。お前の兄が……まぁ、もし実行したとすれば、お前もどの道城にはおれなくなる。ならば多少の手助けを認めよう。だが、あくまでお前は手助けだ。それでは罰にならぬからな。実行は必ずお前の兄にやらせるのだ。……くくく、それにしても」

 

奴の何気なく発した言葉に、僕のことで怒っているだけにもいかなくなるのだが。

 

「お前は本当に期待通り、いや、期待以上の存在となったな。『神秘部』でのお前の健闘は知っている。ダンブルドアの足止めに成功したとな。俺様ですら手こずったのだ。真っ向から戦っては奴を殺せんが、お前であれば搦め手ならあるいは……」

 

奴はダリアを見つめながら、本当にただ世間話をするような軽さで……その真実を口にしたのだった。

 

「やはり俺様の理論は正しかったというわけだ。実力もそうだが、その肉体もな。この一年で()()()()()()()ところを見ると、目論見通りお前の()()()()()()()()()()()。多少若年で成長が止まっているところは難点だが、アレらの血を混ぜて造ったことは正解だった。これでお前は他の有象無象が寿()()()()()()()()()()、俺様に()()()()()ことも出来るだろう。()()()()()()()()()()()にな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

生徒が全員帰宅し、ようやく長い一年が終わった。本来であれば、ワシを含めて全ての教員が一時の休暇を満喫しておったことじゃろう。

じゃが、残念ながら、今の状況でそんなことが出来ようはずがない。教員の誰もが程度の差があれ『不死鳥の騎士団』に関わっておる。ヴォルデモートの復活がいよいよ表沙汰になった以上、ワシ等に休みなどありはせん。それぞれが戦いに備えねばならん。かく言うワシもそうじゃ。寧ろ騎士団を曲りなりにも率いておる以上、ワシは常に考え、行動し続けねばならん。

最優先事項は、無論奴の異様な不死性の秘密を暴くことじゃ。大方の予想は出来ておるが、如何せん()が分からぬ上、未だ見つけ出した物は()()のみじゃ。闇雲に探しても埒が明かぬ。この休暇中に奴の母親の生家に行ってみるつもりじゃが、はてさてどうなることじゃろう。正直なところ当たりとは思えぬが、この問題を解決せねば我々に勝利はないのじゃ。ハリーとヴォルデモートの繋がり、そしてドローレス。この問題は何とか片付けることが出来た。じゃからこそ、ワシはこの残された最大の懸案事項に改めて集中せねば。そう……考えておったのじゃ。

……じゃが、

 

『ルシウス! い、今のうちだ! この場はあの方に任せて、我々は直ぐに撤退するぞ!』

 

『だ、だが、ダ……あの方が戦っておられるのに、私が逃げるわけには。そうだ、私も手助けをせねば。私は何を呆けているのだ。それが私の出来る、』

 

『馬鹿を言うな! ……さぁ、さっさと行くぞ! あの方がダンブルドアを食い止めておられる間に!』

 

『は、放せ! 私は()()()を、』

 

どうやらヴォルデモートとは別に、ワシは恐ろしい事実を直視せざるを得んらしい。

それは最初、ある種の気分転換のつもりでしかなかった。奴の不死性の鍵を握る唯一の人物。自らの足でそれらを探す傍ら、ワシは()に秘密を聞き出すため手紙を送り続けておった。じゃが一向に彼から色よい返事が来ぬ。中々思うように進まぬ事態に、ワシは一旦別の事も思案することにした。それは魔法省で対峙した新たな『死喰い人』のこと。あの者は危険じゃ。明らかに前回の戦いにはおらんかった上、その実力も脅威としか言いようがない。ヴォルデモートの秘密よりは優先順位が下がるが、無視するわけにもいかん。じゃからこそ、ワシは空いた時間でようやくあの魔法省での出来事を『憂いの篩』で振り返ったわけじゃが……。

 

「……リーマスの言う通りだったわけじゃな。あの『死喰い人』は……()()()。お主じゃったのじゃな」

 

ワシはこの恐ろしい事実を突きつけられてしもうた。

予感が無かったわけではない。実際に戦ったリーマスもワシに言うておった。

 

『あの……ダンブルドア。これは私の予想でしかないのですが。あの子、いえ、あの黒い靄の死喰い人は……ダリア。ダリア・マルフォイではないでしょうか? いえ、確証があるわけではないのです。ですが……私にはあの子にしか思えないのです。……ダンブルドア、こんなことを言っておいて恐縮ですが、私は信じられないのです。あの子は本当に……()()()()の人間なのでしょうか。私はどうしてもそう思えないのです。あの子は嫌々あちら側にいる。あの子の気質を考えると、私にはそう思えて仕方が無いのです』

 

歯切れの悪い発言ではあったが、ワシも彼の言うことをある程度認めてはおった。彼女の人間性はともかく、彼女が例の『死喰い人』である可能性は最初から考えておった。ただ認めがたかっただけじゃ。今回の戦いで初めて現れた脅威であり、それ程の実力を持つ人物。そんな条件に該当する人物を、ワシはそう多くは認識しておらぬ。じゃが条件に合う人物じゃからと言うて……それこそヴォルデモートに認められておるという情報があるとはいえ、やはりただの生徒であるダリアを危険な『死喰い人』と認識することに些か抵抗があったのも確かじゃ。セブルスからも彼女の闇の陣営にての立場が知らされておってなお、ワシは理性のどこかでその情報を否定しておったのじゃ。

それがこうして事実を振り返れば、ワシはいよいよ事実を認めねばならんくなった。

ルシウスがあれ程までに動揺する人物。そして実力。それは彼女以外におらん。何と言うことじゃろぅ。今更であるが、大変認めがたい。いや、認めとうない。じゃが事実を認めねば、対策することすら出来のうなる。

ワシは椅子に座り、溜息を吐きながら思案する。

いよいよ彼女の脅威度が跳ね上がり、生徒としても見れぬ段階に入り始めてしもうた。しかも彼女の場合、一時的とはいえワシとの戦いで拮抗さえしておった。彼女の実力は確かに脅威じゃ。じゃが、流石にワシと拮抗できる程のものではない。ならば何かカラクリがあるはずじゃ。そう、例えばハリーとヴォルデモートの時の様な……。

そこまで考え、ワシは戦慄とする。今何とは無しに考えておったが、戦かった時の感覚からも……この可能性が一番高いように思える。

 

「ワシとダリアの杖が……()()()じゃと」

 

じゃが、果たしてそんなことが本当にあり得るのじゃろうか。ワシの杖は『ニワトコの杖』。決闘において、所有者に最強の力を与える『死の秘宝』。そんな物に対抗できる兄弟杖? 本当にそんなものが存在するのじゃろうか。

尤も、このことについて今考えても意味はない。ワシは杖の専門家というわけではない。事実を確かめるのならば、オリバンダーに聞くのが一番じゃ。ダリアも彼の店で杖を買ったのじゃろうから、彼ならば彼女の杖についても覚えておることじゃろう。ならば今ワシが考えるべきことは別のことじゃ。

いざ『死喰い人』の正体がダリアだと分かれば、それだけ他の疑問も湧き上がってくる。いや、寧ろ疑問だらけじゃ。

杖のことは置いておくとしても、あのとてつもない動きは一体何なのじゃろうか。あれは決して人間が出せる動きではない。魔法を使ったといえばそこまでじゃが、ワシの勘は違和感を覚えておった。あの時、杖無しでダリアは雷を発しおった。それと同時に、更に動きを早くする魔法を使えるものじゃろうか。そんなことが出来るのであれば、もはやワシ以上の力を有しておる。そんなことはないはずなのじゃ。じゃが、そうでなければ何故彼女はそのようなことが出来たのじゃろう。実際に出来た以上、何かしらの原因があるはずなのじゃ。

そして彼女が戦闘中に負ったと思われる傷。ワシが放った魔法の剣は、確かにあの靄の中をいくつか掠めておる。決して致命傷を与えるものではなかったが、それなりの傷を彼女に与えたはずじゃ。であるのに、以降の彼女にそのような素振りは微塵も感じておらん。この事実にも、ワシは強烈な違和感を覚えざるを得んかった。

正体が分かったというのに、逆に彼女の正体が謎に包まれてゆく。実力だけでは説明がつかん、何か得体の知れぬ感覚。

 

強靭な体に、謎の回復力。それはまるで……。

 

そこまで考え、ワシは先程以上の戦慄を覚えた。

ワシは今、何を考えかけた? 何に思い至ってしまった? 『死喰い人』の特徴が、あの()()に似ておる? そんなことがあるはずがない。ワシは何を馬鹿なことを考えておるのじゃろうか。ダリアは純血貴族であるマルフォイ家の娘。ならば、彼女が純血以外である可能性はない。であるのに、ワシは一体何に思い至ってしまったのじゃろうか。

ワシは自身の妄想を否定すべく、彼女の記憶を『憂いの篩』で振り返る。彼女と初めて会話した日の記憶。

 

『その手袋。それは魔法のかかったものだそうじゃな。その魔法の効果を教えてほしいのじゃよ。わしもこの学校の校長じゃからのう。念のためとはいえ、安全なものであるか確認したいのじゃよ』

 

『これは私の魔法力を抑えるものです。私は力が強すぎるのか、これがないと力が暴走してしまうのです』

 

そして彼女が2年生の時。

 

『は、離してください! わ、私は肌が弱いから、この席に、』

 

『そんなに恥ずかしがらなくてもいいのですよ! 大丈夫! 私が君にしっかりとクィディッチの楽しさを教えて差し上げますよ!』

 

あの闇の魔術のかかった手袋が、文字通り彼女の尋常ならざる力を抑えるものであったのならば? そして彼女が日光に当たれない理由も、ただ肌の問題でないとしたら?

一つ一つは些細な事象でしかない。じゃが、もし彼女が本当に()()であるのなら……全ての点が一本の線として繋がってくる。確認すればする程、思い返せば思い返す程、ワシは徐々にそうとしか思えんくなってくる。相変わらず荒唐無稽としか思えぬことじゃが、もしワシのこの思いつきが正しいのであれば、

 

「ダリア、お主は……()()()なのか?」

 

ワシはとてつもなく恐ろしい真実に辿り着いたのやもしれんかった。




不死鳥の騎士団終了です。
一話閑話をはさんで、いよいよ半純血へ


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閑話 友との再会

 シリウス視点

 

「ここは……どこだ?」

 

気が付けば、私は真っ白な空間にいた。ただ真っ白な空間ではあるが、何故か白いソファーやテーブルが置いてある。火の灯っていない暖炉も。

何もかもが白い。こんな奇妙な空間など知らない。知らないはずなのだ。……しかし、私はこの場所にどこか見覚えがあった。見覚えがあると感じた瞬間、急速にこの場所の正体に思い至る。そうだ、このソファーやテーブルの配置。

 

「グリフィンドールの談話室か」

 

私はこの()()()()空間を覚えている。家具の配置は、嘗て親友達と共に過ごした場所と全く同じだ。私の人生の中で数少ない明るい記憶。親友達と共に将来に何の不安もなく、ただ笑い合い、ふざけ合うだけで良かった日々。あの輝かしい記憶を、私が忘れるはずがない。

だが、そうなるといよいよ分からない。何故私は談話室にいるのだろうか。先程まで私は『神秘部』にいたはず。そこで『死喰い人』と戦っていた。罠に掛けられたハリー達を助け、あのルシウス・マルフォイとレストレンジ達と……。

そこまで考え、私は()()()記憶を思い出す。そして何故私がここにいるかに思い至った。というより、()()理解した。

 

「あぁ……そうか。私は死んだのか」

 

視界の端から飛んでくる緑の光。振り返れば、そこには残忍な笑みを浮かべたレストレンジの顔が。私は間違いなく『死の呪文』を当てられた。なら私が助かる道理はない。

思い出したことで、自然と自虐的な笑みを浮かべてしまう。まさか最後に見たのがあんな奴の顔とは。私とは血縁上の従妹。本当にただ血が繋がっているだけ。お互い血縁だなんて欠片ほども思っていない。会話するよりも、殺し合った回数の方が多い程だ。そんな奴の笑みが最後の思い出とは、つくづく私の人生は惨めなものだったらしい。せめてあんな奴の顔ではなく、ハリーの顔であれば幾分かマシな人生だったろうに。

私は真っ白ではあるが、どこか懐かしいソファーに腰掛ける。死んだというのに、こうしてよく分からない空間にいる。自分の死に不思議と理解と納得感はあるが、まだ実感は湧いてこない。私はただ懐かしいソファーに身を沈め、今までの人生について振り返った。死の実感より、まず自分の人生のあまりの惨めさに笑いが込み上げる。

 

あぁ……本当に惨めな人生だった。幼少期、ホグワーツ、不死鳥の騎士団、そしてアズカバン。大半は暗く、何一つ得られず、ただ奪われるだけの時間。いや、奪いさえした人生。私は本当に、何をするために生まれてきたのだろうか。

 

『本当に……何故お前なんかが生まれてきたのかしら。お前など生まれなければ良かったのに。ブラック家の恥さらしよ。レギュラスはこんなに可愛いらしいのに。お前はどうして……』

 

頭に響くのは母の言葉。私は大人になり、母はとうの昔に死んでいる。なのに私の中で未だに母の言葉が木霊のように響いている。

そして、

 

『ジェームズ! リリー! 無事か!? 返事をしてくれ!』。

 

あの人生最悪の日。私は一日にして、それまで大切にしていた全てを失った。それも自分自身の愚かさによって。その点で言えば、私は寧ろ失ったのではなく、彼等から奪ったとさえ言える。

思い返すまでもなく、私は人生で何も成し得なかった。誰も守ることは出来ず、寧ろ大切な友人達の人生を奪いすらした。私は友人達に全てを与えてもらった。暗い人生の中で、輝いている記憶は全て彼等とのものだ。ブラック家という牢獄から、ただ将来を絶望する私を連れ出してくれた。明るいと信じられる未来を与えてくれた。

なのに、私は逆に彼等に何を与えられた? 私が与えたのは明るい未来などではなく、ただ死と絶望だけだ。何も生み出さないどころか、有害もいいところだ。

結局、母の言っていた通りになったわけだ。私はそもそも生まれてくるべきではなかった。私が生まれてこなければ、親友達も死ぬことはなかったかもしれない。私がいなかったとしても、親友達は親交を深め、きっと現実以上に明るい将来を送っていたことだろう。彼等の存在を汚したのは私だ。私の人生は、結局最後の最後まで惨めなものでしかなかったのだ。

考えれば考える程、もはや私が死んだ後、何故この懐かしい空間にいるかなどどうでも良くなる。ただ分かることは、私の人生は終わり……このただ懐かしいだけの空間にいるしか出来ないということだ。私という罪人を閉じ込める、ただ懐かしいだけの空間だ。どんなに後悔したところで、私にはもう後悔することしか出来ない。私はもう死んでしまったのだから。

私の魂に絶望が満ち、ただソファーに項垂れることしか出来なくなる。

 

だから……突然の声に、私は咄嗟に反応することが出来なかった。

 

「私は何も為せなかった。……ジェームズ、リリー、リーマス。そしてハリー。私は、」

 

「いや、君は良くやったよ、シリウス」

 

私しかいなかった空間に、突然私以外の声が響く。それもこの空間と同じく、酷く()()()()声。どんなに願っても、私が二度と聞くことはないと思っていた声。10年以上前、私の愚かしさが原因で失ってしまった声が。

私が恐る恐る顔を上げると、対面の椅子には一人の男が座っていた。ハリーとそっくりな顔立ちに、ハシバミ色の瞳。失われた日から何一つ変わっていない……私が別れる直前の笑顔を浮かべながら。

そこには絶望も悲しみもなく、ただ再会を喜ぶ親友の姿があった。

 

私は……いつの間にか座っていた()()()()()に戸惑いながら話しかけた。

 

「ジェ、ジェームズ……」

 

「そうだよ、我が友よ。まさか俺の顔を忘れたわけではないだろう?」

 

「そんなわけがあるか! 私がお前の顔を忘れるわけがない! だ、だが何故お前がここに……」

 

「そんなの、君も死んだからに決まっているだろう? だから俺が迎えに来たんだ。ここは君の……なる程、この談話室が君の心象風景というわけだ。この談話室に迎えに来るのは、ここで君と最も多くの時間を過ごした俺が相応しいからね」

 

私は正直なところ、彼が何を言っているのかよく分からなかった。だが分からなくとも、やはり不思議な納得感があるのだ。先程までいなかった彼が、何故このような場所にいるのかも分からない。ただ、不思議とそれ以上の疑問が浮かばない。私と同じく死んだ彼が、そこに座っていることを自然なこととすら感じ始めている。これが死んだということなのだろうか。だからこそ、何故彼がこの白い談話室にいるかなど尋ねなかった。私はただ、

 

「……お前は本物のジェームズなのか?」

 

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。まぁ、戸惑うのも当然だ。だが、君も今ならば感覚で分かっているはずだ。俺の言っている意味が。俺が本物かどうかを議論しても意味は無いと、今の君なら分かるだろう? それが俺達魔法使いの死だ」

 

「……そうだな。あぁ、何となく分かる。お前の言うことに、不思議と納得してしまうんだ。ここはそういう場所なんだと」

 

最後の念押しをした後、もう今更何の意味もない後悔を吐露したのだった。ただ生前ため込んでいた後悔が、死んだ後溢れ出したかのように。私は意味がないと分かりながら、どうしても我慢することが出来なかった。これは私の魂からの吐露だった。

 

「だが、これだけは言わせてくれ。……すまない。私のせいでお前と……リリーを死なせてしまった。私のせいだ。私がもっと考えていれば、お前達は死なずに済んだ。今も幸せな暮らしをしていたはず。いや、その権利があった。今もハリーと……幸せな生活を」

 

涙が溢れてくる。死んだというのに涙が出るなんて可笑しな話だが、私は涙を流しながら吐露した。

 

「すまない……すまない。今更何を言っても、私がお前を殺してしまったことに変わりはない。お前やリリーが生き返るわけでもない。だが、私は本当に後悔しているんだ。本当にすまない。許せるはずがないのにな……だが、私はもう謝ることしか出来ないんだ」

 

皮肉な話だ。私はどうやら、死んだ後すらも何も生み出せないらしい。こんなことを今更彼に言って何になる。確かに彼は完全な本物と言えずとも、偽物では決してない。それは私も同じことだが、そんなことを死んだ後に議論しても仕方がない。ただ分かるのは、この吐露に何の意味もないということ。彼にはここで許すことも、逆に許さないことも出来はしない。ただ受け止めるだけ。私の吐露で、ハリーが今も生きる現実が何か変わるわけでもない。全てが無意味。

そう、無意味。そうであるはずだった。だが、

 

「シリウス。君は何を言っているんだ。寧ろ君は良くやってくれた」

 

ジェームズはやはり嫌な顔をせず、笑顔のまま続けたのだった。

 

「君は何も為せなかったと言ったな。それは違う。君がいなければ、ハリーはここまで生きていられなかった。……私とリリーは()()()に狙われた時点で、いつかは殺される運命だった。それはピーターではなく、君が守り人であっても変わりはなかっただろう。君のことを信頼していなかったわけではない。だが、()()()はそういう相手だった。実際に奴に殺されて実感したよ。あれには敵わない。それこそダンブルドアさえも」

 

彼にはここで許すことも、逆に許さないことも出来ない。ただ彼の生前の心を投影するだけ。真偽を考えることに意味はない。だが……だからこそ、彼ならば確かにこう言ってくれるだろうとも思った。彼の言葉は私の思考を飛び越え、ただむき出しになった私の魂に彼の心を直接訴えかけてくる。

 

「今のハリーが殺されていないのは、リリーが自身を犠牲に()()()()()をかけたからだ。そして……君が彼を守ってくれたからだ。罠に掛けられたあの子を、君は立派に守ってくれた。名付け親として、君はあの子の危機に駆けつけてくれた。君に恨みなんてあるはずがない。それは()()()()()()()……いや、これは今はいいか。どうせ()()同じ考えなのだから」

 

これは私にとって都合のいい幻想だ。私はそう思えて仕方が無かった。いや、そう思わなければいけないのだ。私は罪人だ。アズカバンに入れられたからこんなことを考えているのではない。私は友人達の死に責任がある。

だが、それなのに私は……。

黙り込む私に、ジェームズは苦笑しながら続ける。

 

「……いいさ、時間はいくらでもある。ここはそういう場所だ。君が戻ることを良しとするとは思えないが、ここで時間をかけていけない理由もない。君なりの答えをじっくり探そう。俺も付き合うさ。俺は君を許した……いや、恨んですらいない。君を許すのは……君だけだ。なに、まだまだ時間がかかるだろうが、残りの親友()も来れば君の考えも否が応でも変わる。……尤も、その内の一人は君以上に僕等に謝り倒すことになりそうだけどな」

 

彼の言う親友達というのが、誰を指しているのか考えずとも分かった。リーマスと……もう一人。

そこまで考え気付く。生きている時感じていた強い憎しみ。そう私が信じ込んでいた感情が、今はすっかり消えている。死んだ後、ここにあるのは剝き出しになった魂のみ。

自分を許すかはともかく……成程、今の私の感情こそジェームズが感じているものなのだろう。暗い絶望を忘れ、私はジェームズと同じ苦笑を浮かべながら応えた。

 

「……()()()が来たら大変そうだな」

 

「あぁ、そうだとも。だがまずは君だ。あいつの予行演習に、まずは君の望むだけ付き合うことにするさ」

 

何とはなしに上を見ると、やはりそこには真っ白な空間。だが懐かしき談話室。私達が青春を過ごした思い出の場所。

ただ懐かしいだけの……魂の牢獄。

そうつい先程まで思っていたというのに、今の私はそうは感じなくなっていた。




次話から新章です。救いなど一欠けらもない新章を始めましょう。


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半純血のプリンス
破れぬ誓い


 ダンブルドア視点

 

ここのところ、ワシの思考は事ある毎に昔の記憶に絡め捕られておった。

考えねばならんことは相変わらず多い。じゃが、()()()()()()に痛みを感じると、どうしても考えてしまうのじゃ。

ワシはこの無駄に長い人生の中で、一体何を為し得たのじゃろぅか。もう長いことはない人生で、何を残すことが出来るのじゃろぅか。

 

間違いばかりを犯したワシの人生は……一体何の意味があったのじゃろうか、と。

 

幼い頃のワシは、語弊を恐れずに言えば誰よりも賢い存在じゃった。

……少なくとも、当時のワシはそう信じて疑っておらんかった。現在でも客観的且つ、ある()()における事実としてワシは信じ続けておる。

理由は無論、ただ知識や魔法などではない。確かにワシは誰よりも勉学面において()優秀であったじゃろうが、それだけでワシは自身の優位性を確信しておったわけではない。

ワシには他の誰にも真似できぬ特性があった。他者がどれ程努力しても不可能であり、ワシだけが出来るただ一つの特性が。

 

何を隠そう……ワシには未来が見えておったのじゃ。

 

予言者の力があったわけではない。シビルのように根拠や論理などに頼らず、ただ直感的に未来を見通してはおらんかった。

ワシはただ些細な情報から、その裏側の事実、そしてその先に起こるであろう出来事を分析することが出来たのじゃ。風や天気に始まり、日刊預言者新聞の雑多な記事、他者の表情や仕草まで、ありとあらゆる情報によって先のこと分析しておった。些細なことであれば、おそらくワシ以外の人間であっても可能じゃろう。じゃが、ワシはそれを更に正確且つ広範囲に成し遂げることが出来たのじゃ。

幼い頃、ワシはどうして周りがそんなことも出来ぬのか理解できんかった。明日の天気がどうなるか。相手が次にどのような行動をとるか。世界が今後どのように変動するか。そのことで、更にその周りがどのようなことを考え、行動するか。ワシには手に取る様に分かり、間違うことなど殆どなかった。それはワシが物心ついた頃から出来ておったこと。周囲が何故そんなことも出来ぬのか、ある意味その一点のみがワシには理解できんかった。

常に周囲と、それこそ家族との会話にすら小さな齟齬が生じておった。相手の認識と、ワシの認識が上手く噛み合わぬ。ワシが話す当たり前のことを、相手が真には理解しておらぬ気配。そして後にワシの認識にようやく追いつき、ワシに賞賛や驚愕の視線を投げかける。日常に常に小骨の様に刺さり続ける違和感に、ワシは最初ただ戸惑うばかりじゃった。

そして成長するにつれ、ワシはようやく理解する。

 

そうか、ワシはただ周囲の人間より賢く……()()な人間なのじゃ。ワシが特別なだけで、他の人間はワシより劣った存在。

成長し、家族以外の大勢の他者と出会うことで……ワシはようやくその単純な事実を認識することが出来たのじゃ。

 

そう思い至った時から、ワシは分析した未来で、更に他人をどのように誘導するかを考えておった。分析するだけではなく、未来を作り出すことに注力し始めたのじゃ。ワシがどのような態度、表情をすれば、他人がどのように考え行動するか。その先にワシがどのような利益を得られるか。賢いワシには実に簡単なことじゃった。未来を分析するように、勉学においても困難を感じたことなど無い。ホグワーツに入学した後も、何故周りがこんなに簡単なことが分からぬのかが分からぬくらいじゃった。無論そんな本心を噯気にも出せば、ワシが周囲から孤立することも理解しておった。じゃからこそ、ワシは心の中で他者を見下しながら、それでも尚彼等を穏やかな笑顔の仮面で導き続けた。ホグワーツでの成績は当然主席。教員からの評価も最優。その上でそれなりに優秀な人材と交流を深め、ワシは未来への展望を深めておった。

ワシに()()()()未来は何じゃろうか。魔法界における最高位と言えば魔法大臣じゃ。ならば魔法省に就職すべきか? ワシにかかれば魔法大臣になるなど簡単なことじゃろう。じゃが、その魔法大臣という立場も、果たしてワシが就く立場として相応しいと言えるじゃろうか。ワシならばもっと偉大な存在になれるはず。ワシは既存の存在を遥かに超えた、それこそ史上最も偉大な存在になれるはずなのじゃ。

 

魔法界を超え、マグル界にすら絶大な影響力を持つ。この世の全てを統べる偉大な存在に。ワシならば成れるはず。何故ならばワシは特別な存在じゃから。

 

若かりし頃のワシはそう信じて疑いもしなかった。

今思えば傲慢極まりない存在じゃった。未来ばかりを見つめ、仮初の全能感に酔いしれる。賢くはあっても、その実反吐が出る程愚かな存在じゃったろう。

じゃが当時の自身を擁護するのであれば、そんなワシの醜悪さを咎めてくれる存在がおらんかったのじゃ。ワシが隠しておったこともあるが、そもそも気付けた人間が家族を含めておらんかったのじゃ。父は物心ついた頃にはアズカバンにおった。ワシは父親の顔を写真の物しか思い出すことが出来ぬ。母はワシのことを褒めるばかりで叱ることはなかった。優秀なワシより妹のことが心配で、真の意味でワシを見つめる時間が無かったのじゃろう。

そして……その妹である()()()()。小さな頃にマグルにいじめられ、その後遺症で魔力を度々暴走させる存在。父がアズカバンに入ることとなった原因。

正直彼女が厄介と感じたことは何度もあった。妹が度々魔力を暴発するせいで、ワシ等家族は『ゴドリック谷』などという田舎に住まねばならんかった上、何より母の関心を一身に集めておった。いくらワシが可愛げのない性格じゃったとはいえ、それは幼い時に面白いはずがない。無論それでもワシはそれなりに妹に愛着を持っておった。いつもワシに学校の話をせがみ、ワシに純粋な好意を向けてくる。煩わしくも、小さくない愛着を抱ける妹。……尤も、じゃからこそ彼女の方がワシを理解しておるとはお世辞にも言えんかったのじゃが。ワシの実態を知れば、あのように純粋な好意を向けられるはずがない。

結果、ワシに正面切って厳しい言葉を吐くのは、この世界に弟のアバーフォースのみじゃった。直情的で、ワシとは違い周囲との衝突が絶えなかった弟。皆は優秀なワシと彼を比較し、いつも彼を愚かと断じておったが、彼だけはワシの本質を見抜いておったのじゃ。

 

『兄貴がグリフィンドール? 何かの間違いだろう。周りにどんなにいい顔をしても、俺はお前の考えていることを分かってるぞ!』

 

彼がホグワーツに入学した時に放った言葉。同じグリフィンドール生達に囲まれたワシに、彼は開口一番にこう言い放ったのじゃ。

彼の言葉は何も間違っておらん。実際、『組み分け帽子』は最初ワシにスリザリンを勧めておった。純血との繋がりを考えるならば、それはそれで有用な選択肢じゃったじゃろう。じゃが、ワシは純血貴族の大半がマグルやマグル生まれに対して排他的であることも知っておった。それは最終的なワシの目標にはマイナスとなる。妹のことを考えればマグルのことがそこまで好きではなかったが、排除したいとまでは思うておらんかった。何よりそれなりに()()()()()じゃ。じゃからこそ、ワシはグリフィンドールを選んだわけじゃが……正直、このようなことを考える時点でスリザリンの素質は充分じゃろう。尤も、スリザリンの方からすれば、このような傲慢極まりない人間は願い下げじゃろうが。

このように、この世界でただ一人ワシのことを真に見抜いておったのは、アバーフォースだけじゃった。彼だけがワシの本質を理解し、真正面からぶつかり、相手をしてくれておった。少々気性の荒い弟であったが、真の賢者とは彼のことだったのじゃろぅ。

じゃが、ワシはそんな理解者がおりながらも、彼を理解者と見なそうとはせんかった。ワシに強く当たる存在は、ワシの最終的な目標の邪魔となる。人格者を演じ、それによって周囲を誘導するワシには邪魔な存在。そう当時のワシは弟を見なしておったのじゃ。だからこそ、ワシは彼とは違い、彼と真剣に向き合おうとせんかった。寧ろ彼の存在を利用し、愚かな弟を優しく対応する……そんな印象を周りに与えることに成功したのじゃ。

 

アバーフォースのことを考えれば、ワシに擁護できる余地などありはせんが、とにかくワシには理解者と思える存在がおらんかった。そう信じ込んでおった。

全てを予見し、全てを思い通りに操る全能感。そんな中でも感じる孤独感。その孤独感が、より一層ワシの傲慢な欲求を増幅し、よりワシは周囲を操ることに注視する。それが若かりし頃のワシじゃった。

 

そして……そんな全能感と孤独感に満たされておった時、ワシは()と出会った。

 

ワシとは違った方法であっても、ワシと同じく未来を知る人間と。ワシと同じく賢く……同じく傲慢な目的を持った魔法使い。

ゲラート・()()()()()()()()。彼と出会ったことでワシは……。

 

「……もって1()()。それが貴方に()()()()()()です」

 

そこでワシはセブルスの声に思考を引き戻される。

視線を上げれば、表情を歪ませたセブルスの姿が。黒ずんでしまったワシの右腕を調べ終えた彼は、痛みに耐えるようにワシの余命を告げたのじゃ。

いつも以上に不機嫌な表情のセブルスから視線を外し、ワシは深い溜息を吐きながら天井を見上げる。そこにはセブルス同様、心配気な表情を浮かべた歴代校長達の肖像画。そして背後からの羽音に振り返れば、ワシと長年共に過ごしたフォークス。彼がこちらに飛ぼうとしておるのを見たワシは、ただ頭を振りながら告げた。

 

「無駄じゃよ、フォークス。そなたの癒しの涙を以てしても、この呪いを解くことは出来ぬ。……この腕だけに呪いを封じ込めれたのが奇跡なのじゃ。どうあがいても、ワシは1年以内に死ぬ運命なのじゃ」

 

校長室に悲壮な空気が満ちる。じゃが、ワシには何の慰めの言葉をかけることも出来ん。

全てのワシの愚かしさが原因なのじゃから。

ワシはフォークスからも視線を外し、今度は机に転がる一つの指輪に視線を送る。趣味が良いとは言えぬ些か大きい金の腕に、これまた大きな()()()。黒い石は既に()()()おるが、ワシに死の呪いをかけた原因が目の前に転がっておった。

これを見つけられたのはつい最近のことじゃ。トムの母親、メローピー・リドルの生家を訪ねた時、ワシはようやく見つけたのじゃ。ヴォルデモートの秘密。今まで奴の日記しか見つけておらんかったが、ようやく他の物を見つけることが出来たのじゃ。ついに見つけた奴を亡き者にする手掛かり。あれ程求めておった物が、こうもあっさり見つかるのは正直拍子抜けじゃった。これ程簡単に見つかるのであれば、最初から奴の生い立ちに関わる場所に目標を絞っておくべきじゃった。

じゃが……思惑通りにいくのはここまでじゃった。奴の母親の指輪を見つけ、それを調べておるうちに知ったのじゃ。知ってしまったのじゃ。

 

指輪の石には、大いなる力が秘められておることを。この指輪は不死の要因であるだけではなく……『()()()()』の一つ。

それもワシが最も求めて止まんかった、『()()()()』。ワシの愚かさが原因で死んだ、アリアナに会える唯一の可能性。

 

その事実に気が付いた時、最初ワシは何が自身に起こったの理解出来んかった。当然じゃ。いくら未来を見ることを()()()とはいえ、あまりにこの発見は予想外じゃった。あの()()()()から、求めて止まんかった秘宝。手に入ることなどないと諦めておった上、そもそも手に入ってはいかんとも思っておった。じゃが、思いもよらぬ形でワシは手に入れた。手に入れてしまった。この秘宝は、おそらくヴォルデモートですら気が付いておらぬじゃろぅ。そうでなければ、母の実家とはいえ、あのような廃墟に隠しておくはずがない。ワシのように隅々まで調べたが故に辿り着いた秘密。正真正銘ワシだけが得た、後悔して止まぬ過去を修正する力。それがワシの手の中に……。

 

……そして誘惑のまま指輪を嵌めたワシは、自身の愚かさを再認識する羽目になったのじゃ。

過ちを正すことなど出来ようはずがなく、ただ指輪に込められた呪いに侵された。何かを得るどころか、逆に全てを失った。それも、自身を賢いと信じて疑っておらんかった頃の……どうしようもなく愚かな夢によって。

まったく……ワシに相応しい幕引きじゃ。じゃからこそ、ついつい考えてしまう。ワシに残された時間が、いよいよ1年と決まった時、ワシは自身を振り返り思うのじゃ。

 

ワシはこの無駄に長い人生の中で、一体何を為し得たのじゃろぅか。もう長いことはない人生で、何を残すことが出来るのじゃろぅか。

間違いばかりを犯したワシの人生は……一体何の意味があったのじゃろうか、と。

 

そしてその問いの果てに、ワシは考える。

ワシの人生には……何の意味もありはせんかった。大勢を救いもしたが、その分奪ったものも多かった。賢ければ賢いだけ、過ちもまた大きかった。差し引きすれば何も残ってはおらぬ。ワシは長い時間の中で、何一つ残せはせんかったのじゃ。

 

じゃが、ならばこそ……無意味な人生の最後に、ワシが何か出来るとすれば、

 

「ダンブルドア、」

 

「よい、セブルス。これ以上は無駄なことじゃ。それよりも、こうなってしまった以上、お主にやってもらわねばならんことがある。どうかワシを……()()()ほしい」

 

少しでも、ワシの死を意味あるものにすることだけじゃった。

ワシの言葉にセブルスだけではなく、校長室の全員が唖然とした表情で応える。痛い程の沈黙の中、ワシは後悔に満ちながらも、それでも次善の策を必死に考えるのじゃった。

 

……少しでも、世界をより善いものにするために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スネイプ視点

 

窓の外から激しい雨音が聞こえている。まだ日が高い時間だと言うのに、部屋の中も酷く暗い。ここは一年のほとんどを過ごす地下ではないため、日光を取り入れる窓があるというのにだ。外だけではなく、部屋の中も陰気な暗さに満たされていた。

原因は天気だけではない。吾輩が過ごすこのスピナーズ・エンドの家。一年に一度は帰る場所ではあるが、この家は……吾輩が幼い頃過ごした実家は、あまりに複雑な思い出が詰まっているのだ。

マグルの工場地帯のため、魔法が無ければ川の異臭が屋内にも漂ってくる。だが幼い頃、その匂いを遮断する魔法ですら使われることは無かった。マグルの父が、純血の魔法使いである母が魔法を使うことを許さなかったからだ。父は魔法と……何より魔法を使う母を何より嫌悪していた。

 

『お前も()()()と同じ力があるのだろう! この化け物め! お前なんぞ俺の子供ではない!』

 

酒を飲んだ後、いや、酒を飲まなくとも父は何度も吾輩を殴った。両親の不仲がいつ頃からだったのか吾輩は知らない。吾輩が物心つく頃には既に夫婦円満とは言い難い状態であり……父は常に母と吾輩に暴力を振るっていた。今思えば不思議なことだ。幼い吾輩はともかく、本来魔法使いである母は、暴力を振るうマグルの父に対抗する手段を持っていたはずなのだ。だが、母は父に逆らうことはなかった。ひょっとすると母の方は父に一欠けらの愛情を残していたのかもしれぬが、吾輩にとってはどうでも良いことだ。母はいつも父の暴力に無抵抗であり、同時に私に対する暴力にも無関心であったのだ。家庭の中で会話など無い。あるのは罵声と暴力、そして諦観。吾輩がこの家に親しみを覚えるはずがない。母の吾輩に対する愛情を感じたのは、父の反対を押し切り吾輩をホグワーツに送り出した時のみだ。あの時の母が何を考えていたのか、もはや確かめる手段はない。手段があったとしても確かめるつもりもない。どの道、あの時以外に母が吾輩を守ってくれたことなどないのだから。

この家には幼い頃の悲しみが満ちている。だが父と母が死んだ後も、吾輩はこの家を売りに出すことはなかった。ホグワーツに住むことも出来るが、吾輩は毎年一度はこの家に戻ることを選択していた。家に帰る度、この家で過ごした暗い日々を思い出すと言うのにだ。

理由はこの家から少し離れた場所にある。窓からその場所が見えることはないが、幼い子供でも歩いて行くことの出来る()()。どこにでも何の変哲もない公園であるが、吾輩には特別な場所だ。それこそこの家を手放すことを躊躇う程に。

あの公園はリリーと初めて出会い、そして共に幼い頃を過ごした場所だから。

私の幼い頃の記憶は実に複雑な感情に溢れている。この家においても、ここで思い起こす記憶は様々な記憶を呼び起こす。両親のこと、リリーとの出会い、ホグワーツへの入学……そしてリリーとの別れ。ここにいると、明るい記憶も暗い記憶も呼び起こされ、吾輩はいつも以上に陰鬱な気分になる。

 

尤も、この部屋が()()陰鬱な空気に満たされ、吾輩が黙り込んでいるのはこの家だけが原因ではないのだが。

 

「セブルス、こんな風にお訊ねしてすみません。でも、頼れるのは貴方だけ、」

 

「シシー、おやめ! 『闇の帝王』はあの場にいた人間以外に話すなと命じられた! 話すべきではないわ! それもよりにもよって、この蝙蝠なんぞに!」

 

「でも……()()()()を助けられるのは、もうセブルスしかいないのよ!」

 

吾輩が黙っている間に、目の前の2名が大声を上げ始める。家主を置き去りにして、お互いを睨み合いながら。この目の前で騒いでいる招かれざる客が、いつも以上に吾輩の気分を陰鬱にさせる原因だった。

ナルシッサ・マルフォイに、ベラトリックス・レストレンジ。この2名が何の連絡もなしに家に訪れたのは、つい数刻前のことだった。そして訪れてから今まで、ひたすらにこの調子だ。陰鬱な気分になるのも仕方がない。たとえ天気が晴れであり、ここがホグワーツであっても同じ気分になっていたことだろう。彼女達が……いや、ナルシッサが吾輩に何を求めているか、それが分かっていることだけが唯一の救いか。

吾輩は溜息を押し殺しながら、至って平穏を装い二人の間に割って入った。

 

「お取込み中すまないが、ここは吾輩の家だ。姉妹喧嘩ならば他所でやるのだ。それに、レストレンジ。貴様が吾輩にどのような印象を抱いているかは知らぬが、吾輩はミセス・マルフォイの言わんとしていることは把握している。隠す必要はない。尤も、吾輩がドラコに与えられた計画を知っているとは、どうやらお二人ともご存じなかったらしいが。もし吾輩が知らねば重大な命令違反でしたぞ」

 

「……お前が計画を知っている? そ、そんなはずがない。闇の帝王は私達だけの秘密と仰った! 秘密を知る人間は少なければ少ない程いいと! あの方は私達を信用されているから! 闇の帝王がお前なんぞに話すはずがないだろう!」

 

案の定というべきか、直情的なベラトリックスの標的がナルシッサから離れた。代わりに吾輩に怒りの矛先が向くことになったが、この手の人間の扱いは慣れている。こやつの()()()()()だ。いくら話しても、こやつが吾輩の話に納得することなどあり得ない。事実こやつは未だに吾輩のことを信用していない。あの闇の帝王すら、なぜ吾輩が帝王の下にはせ参じず、ダンブルドアの庇護の下にいたか納得されたというのに。無論結果論で言えば、ベラトリックスの直感は間違ったものではない。闇の帝王とは少々事情が違う。帝王は『開心術』の偉大な使い手だ。だからこそ、『閉心術』で心を守り切れる存在がいるなど考えてもいないのだろう。その傲慢さを突いて、吾輩は帝王の信頼を勝ち得たのだ。逆に言えば、直情的なこの女に、吾輩の嘘で塗り固めた言葉は通用しない。吾輩は最初から、この女に信用されることを諦めている。

ならばこそ、吾輩は適当にベラトリックスの怒鳴り声を聞き流す。ここで闇の帝王に対してした言い訳を長々と垂れ流すつもりはない。

 

「先程も言ったが、貴様が吾輩にどのような印象を抱いているかなど、どうでもよい。ただ厳然たる事実として、闇の帝王は吾輩のことを信用して下さっている。その事実があるのみだ。……それで、ミセス・マルフォイ。貴女はかの計画において、吾輩にどのような役割をお望みなのですかな?」

 

「わ、私は……あ、貴方にドラコを……それに()()()を助けてほしいのです」

 

そしてミセス・マルフォイもこれ以上無駄な姉妹喧嘩をしている場合ではないと悟ったのか、不満を隠そうともしていないベラトリックスを無視して用件を話し始めたのだった。

ミセス・マルフォイの性格は以前からよく知っている。闇の帝王がドラコとミス・マルフォイに与えた任務を聞いた時から、彼女がこのような嘆願をしてくることはある程度予想していた。その予想を元に、更にダンブルドアからの()()()()()を下されたわけだが……。懸念が現実になった以上、吾輩は対応せねばならん。

何より、これはダリア・マルフォイについて情報を得る機会でもある。彼女には謎が多い。年を追うごとに謎は深まる程だ。ルシウスから聞く自慢話ではなく、この極限とも言える状況で母親の口から語られる彼女の情報。どんな些細なものでもよい。その些細な情報が、彼女のことを知る切欠になれば良い。俄かには認めがたいことであるが、秘密主義のダンブルドアが溢す情報が無くとも、彼女がこの戦いの生末を左右する重要人物であることは疑いようがない。だからこそ、吾輩は慎重に言葉を選びながらミセス・マルフォイに応えた。

 

「助ける……。話が見えませんな。まず最初に言っておくが、かの任務を撤回するよう闇の帝王に進言するのは、いくら吾輩と言えども不可能なことだ。あの方がこの計画をドラコに命じられたのは……貴女もご存じの通り、ルシウスへの罰を意味している。彼が任務に失敗した以上、吾輩に彼を庇うことは出来ん」

 

「ふん、軟弱者の考え方だね。シシーもどうかしているよ。撤回などあり得ない。これは名誉ある任務だ。ルシウスへの罰であったとしても、これが大変名誉な任務であることは変わりないよ。ドラコは誇るべきだよ」

 

「そ、そんなこと……。あの子はまだ子供なのよ! 名誉だとか、名誉でないとか関係ないわ! ダンブルドアを殺す!? それは闇の帝王にすら出来なかったことなのよ! それがどうしてドラコのような子供に出来るというの! それは死ねと言っているようなものでしょう!」

 

「シシー、黙りな! それ以上は闇の帝王への侮辱と、」

 

「いいえ黙らないわ! こんなこと……こんなこと許せないわ! あの子が危険な目に遭うなんて、どう考えてもおかしいことだわ!」

 

途中ベラトリックスの横やりでミセス・マルフォイも激高し始めたが、吾輩は根気強く話題を誘導し続ける。ドラコではなく、謎めいた存在であるダリア・マルフォイの方へ。

……だが、

 

「……だが、ドラコにはミス・マルフォイがついている。つい先日吾輩が聞き及んだところによると、ダンブルドアと一時的とはいえ対抗出来たとか。彼女であれば、ドラコの危険も無いと、」

 

「……ダリアも普通の女の子です。あの子にどんな力があるかなんて……()()()()()()ことよ。あの子に誰かを()()()()()()()()()()()()わ。あぁ、可哀そうに……あんなに()()()()()()()()()であっても、貴女は私達の……」

 

吾輩の言葉に拒絶反応を示すだけだった。何かを小さく呟いたきり黙り込み、これ以上彼女のことは話したくないと態度で示している。

ベラトリックスの言葉にもその反応は同じだった。

 

「……まったく、マルフォイ家は腑抜けばかりだね。聞いてあきれるよ。あの小娘……私は最初から疑っていたんだ。あの爺に対抗した? はん! 何を馬鹿なことを言ってるんだい!? そんなの偶然に決まってる! どうせあの小娘は怖気づいたんだ! どんなに闇の帝王の前で息巻いても、あんな小娘に何が出来るって言うんだ! それに……そういえば、シシー。あの小娘のことで、あの方が最後に仰っていたことは一体、」

 

「あの子のことを話す気はないわ。あの子は私達マルフォイ家の……大切な子供よ。たとえどんなことがあろうと……あの子にどんなことがあろうと、あの子がマルフォイ家の子であることに変わりはないわ」

 

そう発言した切、再び吾輩に向き直りながら続けた。

 

「お願いです、セブルス。今回の任務はドラコには危険すぎます。……そしてダリアにも。どうかドラコを見守って、危害が及ばないようにしてください。ダリアがドラコを助けなくとも……あの子自身が手を下さなくともいいように」

 

どうやらこれ以上詮索することは難しそうだ。分かったことは、ミセス・マルフォイは娘に手を汚させたくない。その事実だけだ。これ以上は寧ろミセス・マルフォイにすら不審に思われる可能性がある。吾輩はこれ以上の詮索を諦め、多少予定外のこともあるが、予め想定していた流れに乗ることにした。

ドラコに任務が与えられたという情報を得た時から、()()()()()()によって決められた流れに。ダリア・マルフォイのことも、寧ろこちらとしては都合がいい。吾輩が任務に納得しきれていないことはまた別問題だが……。だから、

 

「そういうことであれば、吾輩にも手助けできる可能性はある。吾輩は、」

 

「本当ですか!? 本当に、あの子達を助けてくれますか!?」

 

「あぁ、やってみることは出来る。しかし、」

 

「シシー、そいつは口約束で終わらせるつもりだよ。約束を守らせるには『破れぬ誓い』を結ばなくては。そうでないと、こいつはまたあの老人に尻尾を振るかもしれないよ」

 

ベラトリックスの横やりは、ダンブルドアの計画には好都合なものだった。吾輩はつくづく厄介な役を押し付けられる質らしい。

『破れぬ誓い』。文字通り、魔法使い同士の間で結ばれる破れぬ誓い。破れば命を落とす程の魔法契約。

これを結べば後戻りは出来ぬが、ここで躊躇えば吾輩が二重スパイだと更に余計な警戒を抱かれる。ベラトリックスはどうでもよいが、こやつが嬉々として報告するであろう闇の帝王に。

吾輩は歪みそうになる表情を必死に抑え、静かにベラトリックスに応えたのだった。

 

「破れぬ誓いか。良かろう。結ぼうではないか。それでそなた達が納得するのであれば。……内容はマルフォイ家の子供達に危険が及ばぬよう守ること。そして()()()()()()……吾輩が手を下すことでよろしいですな?」

 

……もう後戻りは出来ぬ。この行動の先に、一体何が吾輩を待ち受けているのか分からぬ。ダンブルドア自身もおそらく分かっていないだろう。だが、こうなった以上……ダンブルドアは吾輩に殺されねばならんと決まった以上、もうただ我武者羅に前に進むしかないということだけは分かっていた。



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追跡

 ハリー視点

 

世の中が急激に動き始めている。闇の勢力が活動を始めた。今までのように世界の裏側ではなく、表を堂々と。去年までとは比べ物にならない程に。相変わらず騎士団の情報がそこまで手に入るわけではないけど、『日刊預言者新聞』を読むだけでそれを察することが出来た。

ファッジ魔法大臣が失脚し、ルーファス・スクリムジョールという『闇祓い』局長が新しく大臣に就任した。これにより魔法省は()()()()ヴォルデモートを警戒するようになり、ルーピン先生も首の皮一枚で失業を免れたと喜んでいた。

でも、それでも勢いを増したヴォルデモートが止まるわけではない。新聞には何人もの行方不明者が出たと書いてあった。ほとんどは知らない人ばかりだったけれど、知っている人も中にはいる。そう例えば、僕が杖を買ったオリバンダー……。あの人も忽然と店から消えてしまったらしい。そこまで好きな人ではなかったけれど、顔見知りが消えたというのは少なからずショックな出来事だった。

無論消えた原因も分かっている。といより、新聞にも隠さず書いてあった。『死喰い人』が彼を誘拐したのだ。魔法界で一番の杖職人を誘拐する理由は考えるまでもない。この事件に関して、つい()()()()()ダンブルドアさえもかなり悔しがっている様子だった。何でもオリバンダーに()()()()()()があったとか。

事態が急速に動いている。それは僕にだって分かっている。でも、僕には相変わらず出来ることがない。ただ新聞を読み、時折漏れ聞こえてくる騎士団での情報を皆で共有するだけ。出来ることなんて無いに等しい。出来たことと言えば、

 

「へぇ。新しい先生って、スラグホーンって名前なんだ。その人をハリーが勧誘にしに行ったわけかい?」

 

「うん。何の先生になるかは聞かなかったけど、僕が勧誘することが必要ってダンブルドアが……」

 

「有名な方なの? 今余っている枠は『闇の魔術に対する防衛術』だけど……。ダンブルドアが行くくらいだから、とても強いのかしら」

 

「そんな風に見えなかったけどね」

 

ホグワーツの新しい教員をダンブルドアと勧誘に行くくらいのことだった。

夏休み休暇も終わり間近。僕は親友であるロンとハーマイオニーとダイアゴン横丁のカフェで、つい先日あったことを話し合っていた。

ただダーズリー家で『日刊預言者新聞』を読む日々。僕への誹謗中傷は消えたが、決して明るいニュースは書いていない。そんな暗い記事を読むばかりの日々の中、突然ダンブルドアがプリペット通りに現れたのだ。そしてオリバンダーのことを含めていくつか世間話した後、校長はダーズリー一家の許可を無理やり取り付けて僕を連れて『姿現し』をした。それが新しい教員の隠れ家だったというわけだ。

隠れていたのはホラス・スラグホーンという名前の人だった。小太りの老人で、あまり強そうな人ではない。ただダンブルドアは、何としても彼に教員についてほしいらしく、そのために僕を餌に彼を引き入れるつもりだったらしい。何故僕が餌になるのか皆目見当もつかなかったが、結果的にダンブルドアの目論見は成功と言えた。最初こそ渋っていたスラグホーン先生も、僕のことが気に入ったらしく、最後にはホグワーツに行くことを承諾したのだ。

まるで僕をコレクションの一つに加えたいかのように……。

ダンブルドアどころか、これはスラグホーン先生本人が言っていたことだけど、彼は才能ある人間を()()することが何よりも好きとのことだった。才能ある人間と知り合い、導くこと。彼には僕がその才能ある人間に見えたらしい。何の取柄もない僕としては、そんな彼の感覚は間違いだと言わざるを得ない。ホグワーツで実際の僕の実力を知った時、果たしてダンブルドアから与えられた()()()を果たすことが出来るのだろうか。

彼の僕に与えた任務は、まずはスラグホーン先生を勧誘すること。そして彼と親交を深め、彼からある()()を引き出すこと。その情報が何かは()()教えてくれなかったけれど、いずれ教えてくれるとダンブルドアは言っていた。そのためにも、まずは先生と仲良くなることが肝心なのだと。

何故そんなことをしなければならないのか。僕には全く分かっていない。スラグホーン先生に対しても、僕は今のところそこまで好印象を抱いてはいない。コレクションの一つとして扱われて、とてもいい気がする人間ではないのだ。母とも交流があったと言っていたけど、

 

『リリー・エバンズ。いつも生き生きとして、魅力的な子だった。何より、彼女は非常に優秀な教え子の一人だった。いつも彼女に言ったものだよ。君は私の寮に……()()()()()に来るべきだったとね。彼女にはいつも笑って言い返されていたが、本当に残念だった。彼女はマグル生まれとのことだが、今でも信じられんよ。最初に会った時は絶対に純血だと思った。それ程優秀、』

 

『……僕の友達にもマグル生まれの子がいます。その子は学年で……()()優秀な子です』

 

『時折そういうことが起こる。不思議なものだ。ん? いや、無論私は偏見を持っているわけではないぞ! 彼女以外にもマグル生まれの子で私のお気に入りは大勢おる!』

 

それだけで信用するには些か癖が強すぎる人柄だった。それもスリザリンの寮監。正直上手くいく自信はこれぽっちもない。今あの時の会話を思い出しても、それ程いい気分になることはない。

だけど、今僕に出来ることはこれくらいのものでしかない。ならばこそ、僕はやるべきなのだ。

シリウスが殺されてから、悩まない日なんて一日だってない。今でも彼がアーチの向こうに消えていく光景が脳裏にこびりついている。僕が殺したのだ。僕の軽率な行動によって、シリウスは死んでしまったのだ。自分の気持ちに折り合いがついているなんて、口が裂けても言えない。だからこそ、僕は何か騎士団の役に立つことをしている意識が無ければ、罪悪感で頭がどうにかなってしまいそうだった。無論この前の様に、ただ闇雲に行動するわけにはいかない。僕の軽率な行動で再び誰かが犠牲になるなんてあってはならない。その点ダンブルドアから与えられた任務は、僕にとって非常に有難いものだった。ダンブルドアに従っていれば、僕は間違うことがないのだから。

僕はそんな自戒を込めて、目の前の二人に今までのことを話した。二人も去年のことで何か思うことがあったのだろう。僕の話を聞き終わった後、二人はしばらく何かを考えるように沈黙していた。そしてカフェ向かいに何とはなしに視線を送る。……店主のいない、半壊したオリバンダーの店へと。

何度も実感させられたことだけど、改めて痛感させられる思いだった。ダイアゴン横丁は、僕が初めて魔法の世界に足を踏み入れた場所。奇抜な格好をした魔法使い達で溢れ、常に奇想天外な賑わいに満ちている場所だった。でも、今目の前の光景はどうだ。人通りは少なく、賑わっている場所と言えば、唯一ウイーズリー兄弟が新しく作った『悪戯専門店』くらいのものだろう。あそこだけは異様に賑わっていたけれど、横丁全体が賑わっているとはお世辞にも言えない。挙句の果てにオリバンダーの店だ。今は窓ガラスも割れ、積んであった杖の山も全部黒焦げている。そして何より店主がいない。この横丁も変わってしまったのだ。悪い方向へ。……ヴォルデモートのせいで。

 

そして、そんな物思いに耽っている時、僕等は更に違和感を覚える光景を目撃したのだった。

視界の端にプラチナブロンドの髪色が映りこむ。僕が知っている中で、その髪色の人間はそう多くはない。それどころか、この髪色を見て不快な気持ちにすらなる。何故ならこの髪色をした人間で、僕が最も顔を知っているのは、

 

「……ドラコ・マルフォイだ。あいつ、一体何をしてるんだ?」

 

一年生の頃からお互い憎み合っている奴だから。

僕が気が付いたと同時に、隣に座るロンも奴の存在に気が付いた様子だった。訝し気に通りの向こうを歩くドラコの姿を視線で追う。普段なら不愉快なものを見たと無視するのだけど、ロンも僕もあいつの今の姿にどこかしら違和感を感じたのだ。

キョロキョロと辺りに視線を警戒しながら、まるで隠れるように道の端を歩いている。いつもであれば、自信満々に道の真ん中を歩いていたことだろう。それがまるで今から悪いことをすると言わんばかりの態度で歩いている。いくら父親が死喰い人と世間に露見したからと言って、あいつがそれを理由に態度を改めるとは思えない。寧ろ今まで以上に堂々と道を歩きそうな奴だ。

それに何より、あいつはそのままダイアゴン横丁から外れ、そっと暗い横道に消えて行ったのだ。……2年生の時に僕が迷い込んだ『ノクターン横丁』の方へ。

明らかに何か企んでいる態度で。……誰の護衛もなく、一人で。あいつの傍には、過保護であろう両親の姿も……あいつがいつも一緒にいる()の姿も無かった。

 

あまりの怪しさに僕とロンは視線を交わした後、そのまま黙って立ち上がる。

ハーマイオニーは一瞬悲しそうな表情を浮かべていたけど、やはり何も言わずに僕等と同じく立ち上がる。そして僕が取り出した『透明マント』に黙って入り込み、そのまま僕等はノクターン横丁の方へ足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

ダリアが今の情勢に巻き込まれている。それは疾うの昔に分かっていたことであるし、私もそれを現実として認めている。ダリアは敵側の人間。彼女が今年、更に厳しい立場に立たされていることは考えるまでもないことだった。

……でも、どうやら巻き込まれているのは彼女だけではないらしい。

 

「ここ……ボージン・アンド・バークスだ。話したことあるよね? 『煙突飛行』で迷い込んだって。闇の道具ばかり置いていて、」

 

「ハリー、今は黙って。声が聞こえなくなるわ」

 

ダイアゴン横丁とは全く違い、辺りは暗い上に小汚い。そんな場所で私達が一軒の店の前に張り付き、こうして窓から覗き込みながら聞き耳を立てている理由は一つ。

 

「……つまり、これの()()を修理すればホグワーツに。そう言いたいんだな」

 

「さぁ、私には何とも、()()。私はただ、そのような噂があると説明したまででして。それに、もう一つがホグワーツのどこにあるかはハッキリしておりません」

 

店の中でダリアの兄……ドラコ・マルフォイが闇の道具を買いあさっているから。

今の彼は一人きり。両親の姿も、それこそダリアの姿も辺りには無い。慣れた態度から、彼が度々ここに来ていたことは間違いないだろう。でも、彼がこのような治安が悪そうな場所に一人で来たことがあるとは思えない。ダリアならまだしも、彼には自衛の手段は無いに等しいのだから。

それが危険を覚悟でここに足を運んでいる。そして何より、中で商品を品定めしているのだ。何かあると疑うのは、ハリーでなくとも無理からぬことだった。

私達の疑惑の視線の先で、店主とドラコの会話は続く。覗き見るだけでなく、ウィーズリー兄弟開発の『伸び耳』で中の会話もある程度聞きとることが出来ていた。

 

「そうか……。ただ、あるとすれば……あそこかもな。それも確かめないといけないが。だが、手段はいくつもあった方がいい。僕のやろうとしていることは、それ程難しいことだからな。取り敢えず、これを誰にも売るなよ。ここに置いておくんだ。それと、このことは誰にも言うな。父上と母上。それに()()()……妹にもだ。もし誰かに話してみろ。必ず後悔させてやる」

 

「も、勿論でございます。()()()の指示なのでしたら、私は決して誰にも漏らしませんとも」

 

そう言ってドラコは、一見何の変哲もない()()()()()()()から視線を外す。店主の方は何か恐ろしい事に巻き込まれたかのように、恐怖に身を縮こませていた。透明マントを纏っていることもあるけど、そもそも二人共こちらには背を向けており、こちらが覗き込んでいることに気が付きそうもない。

 

「これは……まだあったんだな。この()()()()()を買うぞ。代金は今手持ちにない。だが来年には払える。計画を話したお前には、無論分かる話だと思うが、」

 

「え、えぇ……勿論。ですが本当に支払いは、」

 

「反論するな。僕が必要だと言うんだ。黙って従え」

 

ドラコは他の商品にもいくつか視線を送り、ようやく外を目指して歩き始める。ただ最後にもう一度、

 

「……もう一度言うが。ダリアには決して僕がここに来たことは言うな。後日いつもの物を買いに妹がここに来るかもしれないが、絶対に僕のことだけは言うなよ。素知らぬ顔をするんだ。分かったな」

 

店主に念を押し、彼は店から出てきた。透明マントを被っているとはいえ、監視していた人間が近くを通るのは中々緊張する。しかしドラコはこちらの存在に気が付くはずもなく、そのままどこか悲壮感を感じさせる表情のまま、ダイアゴン横丁の方へ歩き去っていた。

ドラコが視界から完全に消えると、私達はホッと一息つきながら話し合う。

 

「あいつ、何を買ったんだろう。少なくともクィディッチ用品を売ってる店じゃないだろう?」

 

「あの棚に……ネックレスって言ってた。棚はともかく、ネックレスは僕も見たことあるような……。何の道具だったか思い出せないけど、決して良い物ではなかったはずだ。あいつ、何のためにそんな物を買ったんだろう」

 

ハリーとロンの会話を聞きながら、私も思考を巡らせていた。

二人が言っている通り、彼が購入したのは闇の魔術がかかった品だと思う。でも、目的が分からない。ドラコが何かに巻き込まれている。それは間違いないけど、やはりそれが何であるか推察するには、あまりにも情報が少なかった。ダフネの手紙にはこんなこと一言も書いていなかった。そもそも、最近ダリアから()()()()()()()と嘆いていたくらいだ。ダフネにとってダリアが最大の情報源である以上、彼女もおそらく何も知らないことだろう。とにかく今私の分かることは、私達に必要なのはとにかく情報だということだった。

 

……私がダリアをこちら側に取り戻すためにも。

 

「二人共ここで待っていて。ちょっと確かめてくるから」

 

「ちょっと、ハーマイオニー! 君は一体何を、」

 

私はハリーの制止を無視し、マントから出てそのまま店の中に入る。

ハリーの言う通り、店の中には怪しげな物が満ち溢れている。自分で言うのは何だけど、どう考えても私はここの客層とはかけ離れているだろう。ドラコも容姿だけなら場違いだけど、店主もマルフォイ家の人間だと知っている。ところが私はただのマグル生まれの学生。当然店主は私の登場に不審な表情を浮かべていた。

 

「……ここに何のようだ。ここはお前の様な小娘が来る場所ではないぞ」

 

でもここで引き下がるわけにもいかない。私は素知らぬふりをしながら、咄嗟に適当な嘘を吐く。

 

「いえ、ちょっと素敵な店だなと思って寄っただけです。ここは……そう、わ、私の友人がいい店って言ってたから。彼女、マルフォイ家の子なんです。彼女を知っているのでしょう?」

 

「お、お前が……い、いえ、貴女はお、お嬢様の御友人なのですか?」

 

「え、えぇ、勿論。だから、中を見てもいいですよね?」

 

咄嗟に吐いた嘘だったけど、思いの外効果があった様子だった。やはりダリアの名前はここでも絶大なものらしい。先程のドラコの会話で想像していた通り。店主は未だに怪しんだ表情を浮かべてはいるけど、即座に店から追い出す気はなくなったらしい。黙って私のことを観察し続けている。尤も、この空間の居心地が良くなったわけではない。それに考える時間を与えれば、私の嘘は直ぐに露見してしまうだろう。何故ならダリアがここで買い物をすることを、たとえ友人であっても話すはずがないのだから。ここに置いてある道具はそういった類のものだ。

なるべく、それでも怪しまれない程度に早く終わらせた方が良さそう。私は心の中でダリアに謝りながら、そのまま闇の道具を観察する。説明書きがされている物はあまりない。ただ骸骨に、ひなびた人間の手など、明らかに危険な道具ばかりだった。しかし私が用があるのは、二つの道具でしかない。私はいくつかの商品をカモフラージュで見やった後、本命の道具を観察することにした。

 

「呪われたネックレス。これまでに19人の持ち主のマグルの命を……」

 

一つ目は豪華なオパールのネックレス。数少ない説明書きがされた商品であるけど、その説明がそもそも物騒極まりない。こんな碌でもない物を、ドラコはどうして購入したのだろうか。少なくともダリアへのプレゼントでないことは確かだった。

そして二つ目はキャビネット。ネックレスとは違い、豪華な見た目でもない。本当にただの家具にしか見えない。どこに興味が惹かれる要素があるか皆目見当もつかなかった。

駄目。これ以上の情報は掴めない。店主の疑惑もいよいよ限界に近付いている。ここで出来ることは、

 

「すみません。このキャビネットは何ですか? ……実はダリアにプレゼントを贈りたくて。他の人と被らないためにも、変わった物がいいかなって。……これも商品ですよね? それで、どんな効果がある物なんですか?」

 

最後に駄目元で店主に直接尋ねることだった。無論これが愚策だと言うことは分かっている。でも今出来る唯一のことがこれだったのだ。現に店主は遂に私への疑いが確信に変わった様子だった。表情を青ざめさせながら、私に大声を上げ始める。

 

「や、やはりお前……お、お嬢様の友人ではないだろう! このキャビネット!? な、何が目的だ! お嬢様の名前を使うなど、なんて恐れ知らずな! あの方がどんな御方か、お前は知らないのか!? あの方は……いや、今はそんなことはいい! と、とにかく、俺にもう関わるな! 出ていけ! この店から出ていけ! 二度と来るな!」

 

潮時だ。私は即座に店を出て、そのままダイアゴン横丁に向かって駆けた。後ろから同じく足音が聞こえることから、ハリーとロンも追いかけてきているのだろう。

私は走りながら考えをまとめる。

ドラコは何か良からぬことに巻き込まれている。それもあんな危険なネックレスを必要とするような。キャビネットは結局よく分からなかったけど、あのネックレスだけでも危険なことだと分かる。そして私の予想では……ドラコはダリアを()()()()()()()()と考えているのではないか。それが一体何か分からないけど、ドラコの性格からそう考えるのが自然と思ったのだ。

 

ドラコの奇妙な行動に……ダフネに手紙さえ送らないダリア。

何か……何か悪いことが起こっている。

私の親友と……その家族に。敵側にいるとはいえ、私が助けたい友人が苦しんでいる。ほとんど何も分かっていないけれど、それだけは私にも分かっていた。



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閑話 危険な陰謀

 ボージン視点

 

自分で言うのは情けない限りだが、私の店はそう大きな店ではない。

揃えている商品はそれなりのものだ。ノクターン横丁は闇の道具に満ち溢れているが、その中でも一級品と言える物がここにある。

だが、一級品があるからと言って、この横丁の中で上位の店かと言えば違うのだ。他にも上質な道具を売る店はいくらでもある。横丁の中では中の上。低級ではないが、一流でもない。それがこの店の横丁での立ち位置だった。更に言えば、その中の上の立場になったのもつい最近のことだ。昔は更に下だった。それこそ一級品など望むべくもない程に。

少しずつ物が集まり始め、顧客に信用されるようになったのはいつ頃だろう。元々父親とその友人が造った店だが、最初はそれこそ何も無い店だったらしい。ただちゃちな闇の道具を売り買いするだけの、ノクターン横丁では最底辺の店。正直いつ潰れてもおかしくなかったとのことだ。潰れても誰も気にしなかっただろう。それが曲りなりにも私の代まで継がれたのは、()()()()がバイトに入ったからだという。バイトなど雇う余裕などないのに、()()()()()()()()父親はその青年を雇っていた。そして何より、青年は自ら望んで雇われ、安い給料にも文句ひとつ言わなかったのだとか。それだけならば、ただ変わり者もいたものだと思うだけだ。だが不思議なことに……その青年が入ってからというもの、不思議と多くの闇の道具が集まるようになったらしい。それも上質な品が。それまで手に入れるとは夢にも思わなかったような品が。青年が純血貴族を訪ねると、何故か皆代々受け継いできた品を差し出してきたらしい。

……まるで持ち主が青年に()()するかのように。

それが何故なのか、父は終ぞ語ることはなかった。父親が言うには、青年の顔は非常に整っていたらしい。それこそ貴族のご婦人方を夢中にさせる程。実際何人かの貴婦人は、はした金とも思える金で一級品を売り渡してきたらしい。だが果たして顔だけが理由だったのか。何かもっと……もっと恐ろしい理由があったのではないか。私達が売る闇の道具より恐ろしい何か。不安や恐怖を口にしても、父はそれ以上の言葉を語ることはなかった。闇の道具を扱っているくせに、父はその青年を最後まで恐れていた。それこそ青年が何も言わずに店から消えた後も。

尤も、その青年のことなど知らない私にはどうでもよい話だ。事実青年が消えた後、この店は再び何の取柄もない店の一つに逆戻りした。私からすれば、何故そんな金蔓を取り逃がしたのか責めたくもなった。お陰で私の代で再び店の切り盛りに苦労する羽目になったのだ。文句の一つも言いたくなって当然だ。

 

だが……今の私はもう父に文句を言うつもりなど毛頭ない。

何故なら今の私は……父と同じく、目の前の御方にとてつもない恐怖を感じているのだから。

 

「こ、これはこれは、()()()。きょ、今日はどのようなご用件でしょうか?」

 

私の目の前に、一人の少女が……いや、少女の皮を被った()()が佇んでいる。闇の道具が所狭しに置かれている中、一見()()は酷く場違いな存在に見えるだろう。白銀の髪や陶器の様な白い肌に汚れは何一つなく、その存在自体がまるで著名な絵画の様に美しい。

だが、そんな美しい姿に見惚れるのもその瞳を見るまでの話だ。

 

「……えぇ、いつもの物を買いに。用意はありますか?」

 

その瞳は美しくありながら、どこまでも冷え切ったものだった。まるで全ての生物を、そこらの石ころだと思っているかのように。物腰こそ丁寧だが、私には彼女の瞳が恐ろしくて仕方が無かった。

何の前触れもなく現れた彼女をなるべく見ないようにしながら、私は彼女との出会いを思い出す。

初めて会ったのは随分昔のことだ。今まで付き合いなど無かったマルフォイ家が、突然この店との取引を持ち掛けてきたのが始まりだった。『聖28一族』筆頭であるマルフォイ家。その当主であるルシウス・マルフォイが突然店を訪ね、今まで聞いたこともない注文をしてきたのだ。

 

『これから君の店で……()()使()()()()を取り寄せてもらいたい。定期的にな。代わりと言っては何だが、この店で他の取引もすることにしよう』

 

今思い返せば、ルシウス氏は取引を秘密裏にするために、当時何の取柄もない私の店を選んだのだ。それこそノクターン横丁の住人すら見向きもしないこの店を。そしてそんな店を援助することによって、私が決して彼を裏切らない様にしたのだろう。

実際その目論見は成功と言える。あのマルフォイ家と取引が出来るのだ。どんな危険な香りのする取引でも、ここでチャンスを逃すわけにはいかない。何とかのし上がりたいと考えていた私は、何の迷いもなくその取引に飛びついた。魔法使いの血など、違法な手段で取り寄せる他なかったが……その見返りは確実にあると考えたのだ。

それからというもの、私の店は着実に成長している。私は賭けに勝った。少なくないリスクを孕んでいるのは間違いない。未だに取り寄せた血液が、一体何に使われているかも分からない。だがマルフォイ家は店の取るに足らない商品も購入し、時に一級の品を売り渡して下さる時もある。店の許容範囲を超える売却を持ち掛けられる時もあるが、今の地位に成長できたのは、確実にマルフォイ家のお陰と言っていいだろう。だからこそ、私はマルフォイ家に感謝ばかり感じていたのだ。

そう、ルシウス氏の長女たる……ダリア・マルフォイ様にお会いするまでは。

ある日、突然ルシウス氏が一人の少女を店に連れて来た。まだ幼い少女だった。年頃は6歳頃だったか。とにかく、あまりにも店に不釣り合いであり、そもそも何故このような危険な道具が満ちた場所に、ルシウス氏がこのような少女を連れて来たのか全く分からなかった。

だが、不審に思いながらその少女の顔を見た瞬間、感じていた違和感は即座に消え去る。その少女は完全な無表情で……目の前に立つ私のことにも無関心のようだった。それだけならば生意気な餓鬼だと思うだけなのだが、私はその表情に異様な恐怖感を感じたのだ。まるで魂からこの少女のことを恐れているように。云わば闇の道具を取り扱う商人の勘だったのかもしれない。危険だと心のどこかで分かっているのに、視線が妙に引き寄せられる。ある意味で私が扱っている道具と同じ香りがしたのだ。

何より、どこか思い起こされたのだ。何年も前にいなくなったはずの御方を。魔法界を恐怖で支配しかけた、この世で最も偉大且つ恐ろしい御方を。

ただの小娘であるはずの少女が、『例のあの人』と同種の空気を醸し出していた。

そしてその勘は決して間違ったものではなかったのだ。

 

『ボージン君、紹介するよ。我がマルフォイ家の長女。ダリア・マルフォイだ』

 

『……はじめまして、ボージン氏。いつも大切な商品で()()()()()()()おります。これからも頼りにしております』

 

何気ない言葉だったが、考えれば考える程おかしなものだ。

闇の道具しか売っていないのだから、当然マルフォイ家が買うのも呪われた商品だ。それが何故世話になっているという話になるのか。何より彼女が手に付けていたのは、先日売却した呪われた手袋だ。あれは決して人が身に着けていいような物ではない。本来であれば身に着けた人間を衰弱死させるようなものだ。それをあんな平然とした表情で。私の勘が正しければ、定期的に購入されている血液も……。

可憐な見た目と、肌で感じる異様な空気が一致せず……常に奇妙な違和感と恐怖を感じる。マルフォイ家の長女である以上に、何から何まで恐ろしくて仕方がない少女だった。理性ではなく、感情や魂から恐怖を感じる。彼女のお陰でこの店がある程度繁盛しているのだとしても、この恐怖感は拭い切れるものではない。青年を恐れていた父のことを馬鹿にすることなど出来はしない。

 

「いつもの物を買いに。用意はありますか?」

 

「え、えぇ、勿論です、お嬢様。いつもの……例のものですね。いつでも準備させていただいております」

 

「……それはそれは。いつもお世話になります」

 

今もそうだ。目の前の少女に対する恐怖感は年々増すばかりだ。目の前の存在に違和感ばかり感じる。例えばその()()()。本来ならば年頃の少女だ。年々見違える程成長するのが普通だろう。だが、彼女は一切()()()()()()()。まるでその状態が完成形と言わんばかりに。異様な空気を垂れ流しながらも、どこか幼さを残した容姿。少なくとも同じ人間ではないのだろう。私の様な俗物が同レベルで語ってはいけない存在。それが彼女に対する一貫した私の印象だった。

私は手の震えを何とか抑え込みながら、瓶に入った血液をお嬢様に手渡す。今日はルシウス氏と共にいないことに疑問も感じるが、考えればそれも当然のことだろう。ルシウス氏は『死喰い人』であることが露見した。アズカバン送りになってこそいないが、表を堂々と歩けるような立場ではなくなった。それに対して、お嬢様は少女でありながら『闇の帝王』の右腕。表立っては知られていない事実だが、裏の世界を生きる我々はある程度の情報を掴んでいる。そんな御方に危害を加える愚か者がいるはずもない。誰もこんな危険な存在に手など出したくないはずだ。

一刻も早く帰ってくれ。それが正直な私の思いだった。感謝は勿論あるが、怖くて仕方が無いのだ。ありがたいことに、商品を受け取った彼女はそのまま出口に向かって歩き始める。

溜息を噛み殺しながら、少女の皮を被った何かの後姿を見る。相変わらず後姿はただの幼い少女にしか見えない。だがその事実が何よりも恐ろしかった。

……それなのに、

 

「……あぁ、そういえば、もう一つ聞きたいことがあったのでした」

 

出口の手前で、()()は僅かに振り返りながら続けたのだった。

 

「つい先日、ここに()()()が来ませんでしたか?」

 

恐怖で背筋が凍る。

()()()()()()ことは分かっていた。先日来たマルフォイ家の息子は開口一番に告げた。

 

『僕はあの御方から命令を受けた。ダンブルドアを殺す……僕は必ずやり遂げねばならない』

 

子供の戯言と断じるには、些かマルフォイ家の事情は複雑すぎる。半信半疑ではあったが、大人しく従った方が身のためだ。そう判断し、彼の求める情報は話した。彼の言いつけ通り、誰にも情報は話さなかった。言われなくとも喋るつもりなどないが。誰が話すものか。私は一介の魔法具売りでしかない。巻き込まれてたまるものか。誰にも話さなければ、少なくとも私はただ道具を売っただけ。巻き込まれてはいるが、ある程度無関係でいられる。そう考えていた。

だが、私は今選択を迫られている。答えによっては重大な結果をもたらす可能性がある。若様は誰かに話せば必ず報復すると言っていた。特に妹には話すなと。何故妹に隠すのかは分からないが、話したことでどのような影響が出るのか。ある程度情報を掴んでいても、闇の勢力のことを隅から隅まで知っているわけではない。裏でどのようなことが起こっているのか分からない以上、報復が無いと言うことは出来なかった。

 

「その表情は……どうやらお兄様は来たようですね。そして口止めをされた。そんなところですかね」

 

しかし私に与えられた時間はそう多くは無かった。何が起こるか分からないが、それ以上に目の前の怪物の方が恐ろしい。

私は恐怖に耐えきれず、震えながら応えるしかなかったのだ。

 

「じ、実は……」

 

 

 

 

求められるままに答える。若様が話した言葉。何を購入されたか。道具にどのような効果があるか。……そして、若様のことを嗅ぎまわっていたと思しき()()の事。

恐怖に震えながら、私はただ急かされる様に話すしかなった。

 

何故なら、こちらを見つめる……あの冷たく光る()()()が恐ろしくて仕方が無かったから。私が売る血液より紅い瞳は、私のことを同じ人間とは見なしていなかったから。

 

私は一体、どれ程恐ろしい事態に巻き込まれてしまったのだろうか。私は恐怖感の中、そればかりを考えていたのだった。



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止まった時間

 

 ダリア視点

 

マルフォイ家の自室。今の時間は朝。つまり部屋のカーテンを全て()()()()()()ならない時間。

もうすぐこの部屋どころか、家からも出て行かなければならない。夏休暇が終わったのだ。いつまでも閉じこもっているわけにはいかない。

蝋燭のみが部屋を照らす中、私は鏡に映る自分自身を見つめる。身支度は既に終わっている。身に着けていないのは手袋のみだ。ただ、それでも鏡の前から離れず、私はただ目の前の人の姿をした()()を見つめていた。

 

数年前から何一つ成長していない……時間が止まった()()の姿を。ダフネ達は否定するだろうが、少なくとも人間では決してない。

 

……正直なところ、違和感自体は以前からあった。お母様とドレスの採寸をしても一向に変化が無い。周りの子達が年々成長し、休み明けに再会した時は見違える程大人に近づいている。なのに、私だけは何一つ変わらない。どんどん周りに追い抜かれ、いつまでもどこか幼さを残した容姿をしている。不思議でないはずがない。でも私はそんな疑念に蓋をし続けていた。ただ私は成長の遅い()()なのだ。それに周りより幼い容姿をしているからといって、それで私に不利益があるわけではない。背が多少低いからこそ、ダフネやお兄様もよく私の頭を撫でてくれる。お母様に優しく抱きしめてもらえる。だから私は別に疑念を深く考えることなく、日々何も考えずに生きていたのだ。

しかし、そんな愚かで、薄っぺらな日々は終わった。

私は鏡を見つめながら、あの日のことを思い出す。()()()が何気なく放った言葉を。マルフォイ家に罰を言い渡した後、あいつは本当にただ世間話をするような軽い口調で言ったのだ。

 

『目論見通りお前の肉体年齢も止まっている。多少若年で成長が止まっているところは難点だが、アレらの血を混ぜて造ったことは正解だった。これでお前は他の有象無象が寿命で死に絶えようと、俺様に仕え続けることも出来るだろう。俺様が望む限り、半永久的にな』

 

成長が止まる。混ぜられた吸血鬼の血。……闇の帝王と同じ不死性。

何気ない言葉ではあったが、私に現実を突きつけるには十分なものだった。何せ私を造った本人の言葉だ。否定など出来るはずがない。

何故こんな簡単なことにも気づかなったのか。私の体は人外のモノなのだ。ならばこの異常も、そこに起因しているのが自然なことだった。

吸血鬼の特徴はいくつもある。日光や銀、ニンニクなどの弱点もあれば、その逆に強力な身体能力……そして不老の肉体。最初からその特徴を、私はとっくの昔に知っていたのだ。それこそホグワーツに入学する前から。

なのに、私はその事実を無視し続けていた。これを愚かと言わずに何というのか。その他の特徴は、元から認識していたというのに。いつだって罪悪感を覚え、マルフォイ家に相応しくない自分を恥じていた。それでもこんな私を受け入れてくれた家族にダフネ。大切な人達に申し訳なく思いながらも、それ以上に感謝した。こんな私でも、彼等と共にいていいのかもしれない。ルーピン先生も言っていたではないか。私がこんな存在だからこそ出会えた人達もいる。だから私はこんな体でも、彼等と過ごしていたい。そう思っていたのだ。本当に愚かなことに……。

私は皆と違い、同じ時間さえ歩んでいないというのに。

他の特徴とは全く違う。これこそが『闇の帝王』が吸血鬼を()()にした理由。私に求められているのは半永久的に……それこそ私の大切な人達がいなくなった後も『闇の帝王』に仕えること。未来のことではあるが、私の甘い現状認識を打ち砕くには十分すぎる真実だ。私の存在意義は、マルフォイ家の中には何一つ無かったのだ。私がどんなに望んでいても。それこそ大切な人達がいなくなった後でさえ。今更私の異常性が一つ増えただけという話ではない。これからも大切な人達は成長していく。その中にあって、私の姿だけは永久に変わらない。まるで美しいキャンパスに残る一点の染みのようだ。そして彼等を汚しながら、彼等のいなくなった後も私は残り続ける。皆が成長する度に、私だけ取り残される。大切な人が一人もいない、何の価値もない世界に。その事実が無性に気持ち悪くて仕方が無かった。

私は怪物の姿が映る鏡を衝動的に叩き割る。今は手袋をしていないため、鏡を割るくらい実に簡単なことだ。ただ鏡の破片で手に多少の傷が出来てしまった。尤もその傷さえ、数秒後には消えてなくなるのだけど。

いよいよ自分自身の愚かさ、薄汚さに嫌気が差し、鏡から近くの棚に視線を背ける。棚には手紙の山が置いてあり、全てがダフネから届いた物だった。内容は全て私のことを心配するものばかり。当然だろう。私は彼女の手紙に一度も返事をしていない。私のような怪物でも慕ってくれる優しい彼女のことだ。きっと今は不安な気持ちさえ感じてしまっていることだろう。

でも、それが分かっていても私は彼女に手紙を返すことが出来なかった。というより、この部屋から出たのも一度切りだった。それも他人の血液という私に必要不可欠なものを買い出しに行った時だけ。碌な対応が出来ていないのは、何も手紙を送ってくれるダフネだけではない。部屋に閉じこもる私を心配する家族にすら、私は碌に顔を合わせていない。

……今どんな顔で彼等に会えばいいのか分からなかった。勿論それだけが理由ではない。他にも考えるべきことがあったこともある。が、それでも私は家族に合わせる顔が無かったのだ。私の異常性が一つ増えても、きっと大切な人達は私を受け入れてくれる。それは分かっている。今更そんなことを疑うつもりはない。でも、そんな優しい人達に対して、私自身がどのような態度をとればいいのか分からなかった。

 

「ダリア! 大きな音がしたけれど……手を、手を怪我しているの!?」

 

それはお母様が部屋に入ってきても変わらない。手の怪我が今当に治りつつあるのを確認したお母様は、私を悲し気な表情を浮かべながら抱きしめる。しかしそんなお母様にも、私は碌な反応を返すことが出来なかった。お母様はこんなにも優しい方なのに、私はどこまでも愚かだ。ただ硬直するだけの私に、お母様は優しく抱きしめながら言葉を続ける。

 

「手は大丈夫そうね……。ダリア、大丈夫。大丈夫よ。どんなことがあっても、貴女は私の可愛い娘よ。……たとえどんなことがあっても」

 

お母様が何を仰りたいかは分かっている。このやり取りも、休暇中何度も繰り返されたものだ。お母様は……全てを分かった上で私に話されている。

私の存在意義。生み出された理由。私の異常性の全てを……。全てを分かった上で、お母様はこうして私を抱きしめて下さっているのだ。

そしていつも通り私が大して反応出来ていないのに、それでもお母様はより力強く私を抱きしめながら続けていた。

 

「貴女が思い悩む必要はないわ。……今回の任務も、ドラコや貴女が関わる必要すらないの。貴女達は何もしなくていいのよ」

 

しかし私はお母様の言葉を聞きながらも……いや、お母様の言葉を聞いたからこそ、より一層ただ自分の為すべき()()について考え続けていたのだった。

この私という無価値な存在を、少しでもマルフォイ家の役に立てなくてはならない。今のマルフォイ家の状況も、本をただせば私が原因なのだ。私がマルフォイ家に預けられたばかりに、大切な人達は余計な気遣いをしなければならなくなった。そんな中でも、少なくとも今危機的状況に陥っているお兄様は救うことが出来る。それだけは私にでも直ぐに実行することが出来る。

 

ようはお兄様より……私の方が早くあの老害、ダンブルドアを()()()いいのだから。

 

何も私は家族と顔を合わせないためだけに引きこもっていたわけではない。私のことよりも、もっと重要なことが目の前に横たわっている。

優しいお兄様に殺人などさせるわけにはいかない。死喰い人達とは違い、お兄様は()()()()()を知っている。お兄様が罪悪感を覚えないはずがない。ならば私がお兄様の代わりに老害を殺すのはもはや義務とすら言えるだろう。幸いお兄様の計画は把握出来ている。お兄様の伝手は限られているため、ボージン氏を尋問して正解だった。そして何より……グレンジャーさんもお兄様の計画に気が付いている。ならば彼女もお兄様の計画を妨害してくれるだろう。元から成功率の高そうな計画ではなかったが、これでお兄様が老害を殺す可能性はなくなった。闇の帝王はお兄様が止めを刺せと言ったが、そんなこと知るものか。多少機嫌は悪くなるかもしれないが、ダンブルドアを殺せば功績としてはお釣りがくる。少なくともお兄様に殺人をさせるよりは遥かにマシな結果だ。

 

だから私がダンブルドアを殺すのは義務であり……()()()()()事なのだ。

 

無論私が殺すことも容易ではない。奴は今世紀最高の魔法使い。前回の結果は偶然でしかない。何より奴に勝利したわけではなく、勝利する見込みもない。ただそれでも私は……。

私はそこまで考え、ただ静かにお母様に応える。お母様の優しさにどのような態度をとればいいのか分からない。しかし私のやるべきことは決まっているのだから。

 

「……大丈夫ですお母様。私は必ず……お母様達の役に立ちますから。私の命は……全てお母様達のためのものなのですから」

 

「ダ、ダリア? 何を言っているの……?」

 

顔を上げれば、戸惑ったように私を見つめるお母様が鏡越しに見える。そして割れた鏡には、不気味な()()を浮かべた私の姿も見えた気がした。

いつか校長室で見た、あの魔法の鏡に映った同じ笑顔が……。

 

 

 

 

夏休みが終わる。最後まで、それこそ大切な家族とさえすれ違い続けながら、()()()夏休みがこうして終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナルシッサ視点

 

私達マルフォイ家はどこで間違ったの?

子供達が入学してから、私は毎年子供達が家に帰ってくる時を楽しみにしていた。ドラコはしっかり勉強し成長しただろうか。ダリアは我慢しすぎず、その優しすぎる内面を見てくれる友人を得ただろうか。子供達が目の届かない場所にいるとやはり不安な気持ちになる。だからこそ、子供達が家に帰ってきた時は嬉しく、何より安心することが出来た。

ホグワーツでの小さな自慢話をするドラコ。言葉数は少なくとも、そんなドラコを嬉しそうに見つめるダリア。私の可愛い子供達。休暇を長くすることは出来ないけれど、少しでも二人と過ごしたい。二人の姿を見ていたい。そう私はずっと思い続けていた。

しかし、そんな小さな幸せに満ちた日々は終わりを告げる。

子供達は家に帰っても暗い表情を浮かべている。誰も嘗ての様に笑顔を浮かべない。家も変わってしまった。家の主も変わり、家に満ちる空気が様変わりしたのだ。ここには嘗てあった細やかな幸福などありはしない。以前の戦いの時にさえあったものが、今回は完全に消え去ってしまった。

……こんなはずではなかった。『闇の帝王』は強大であり、またその主張も純血貴族の正義に沿ったもの。少なくとも私達はそうずっと教えられていた。誰もあの方には勝てない。負けることなどあり得ない。ならばこそ、ルシウスは『闇の帝王』に忠誠を誓った。あの方が消えた時こそ主張を翻したが、お戻りになれば再び忠誠を捧げている。全てはマルフォイ家のために。

であるのに私達は……いえ、子供達は全く幸福とは言い難い状態にある。

何かを間違った。それは疑いようのない事実。ただその間違いを、私やルシウスが認めたくないだけ。考え出せば切りがない。ダリアをホグワーツに入れたこと? ダンブルドアに横やりを入れたこと? ……そもそも『闇の帝王』に忠誠を誓ったこと? もはや何もかもを間違っていたとしか思えない。

尤も、今優先して考えるべきことは目の前の問題だった。私は目の前に立つ、愛すべき二人の子供達に目を向ける。

汽笛を鳴らす汽車の前に立つのは、私の愛するドラコとダリア。休暇明けにしても、二人の表情はあまりに暗い。ドラコはどこまでも思いつめた表情を。ダリアは一見いつもの無表情に見えても、母親である私にはこの子の苦悩が読み取れていた。

それもそうだろう。この子達は今非常に苦しい立場に置かれている。それもこの子達の責はないにも関わらず。子供が負うにはあまりにも重い責任を負わされている。全ては私とルシウスが悪いというのに。であるのに、私に出来ることは限られている。ルシウスはこの場にはいない。彼は『死喰い人』だと世間に露見した。このような場所には来れない。だからこそ、私は自身に出来ることを精一杯にするしかなかった。

それがどんなに些細なことであったとしても。それがたとえ自己満足としか言いようのないものだとしても。

 

「ドラコ……。ダリア……。何度も言うわ。私が言えたことではないわ。私を恨んでもいい。でも……決してダンブルドアに手を出してはいけない。それは貴方達がすべきことではない。大丈夫。代わりにことを成してくれる人はいる。だから……貴方達はただホグワーツでの生活を楽しめばいいのよ」

 

私に出来るのは、ただ何の慰めにもならない言葉を吐き続けるだけ。これが自己満足以外の価値がないことは分かっている。事実私の言葉で、二人の表情が明るくなることなどない。私の言葉だけで二人の責任感を覆すことなど出来ない。特にダリアに至っては、より一層決意を固めた表情すらしている。それでも私は言葉を続けるしかない。二人には……特にダリアには殺人などさせるわけにはいかない。その一線を越えてしまえば、ダリアは決してこちらには戻ってこれないだろうから。

ダリア。私が生んではいなくとも、私が愛する我が子。マルフォイ家の大切な娘。どんな目的で闇の帝王がこの子を作り上げたかは知っている。ダリアをルシウスが連れて来た時から。この子の事情が露見すれば、多くの者はこの子を人間ではないと蔑むだろう。しかしそれでも、私にとってこの子は人間であり……可愛い我が子でしかないのだ。それ以外の何者でもない。どんな表情を浮かべていても……それこそいつもの無表情でなくとも、母が愛する我が子の本心に気が付かないはずがなかった。

だからこそ、私は願いを込めて強くダリアを抱きしめる。情けないことに、これが私に出来る唯一のことだから。しかし、

 

「ダリア……貴女は我慢なんてしなくてもいいのよ。マルフォイ家のためなんて、貴女は決して考えなくともいいの。それは私とルシウスの背負うべきもの。だから、」

 

「いいえ、お母様。何度も言います。これは私の為すべきことなのです。お母様こそ責任を感じる必要性はありません」

 

やはりダリアに私の言葉は届くことはなく、ただ悲壮な声で応えるのみだった。

それどころか、ダリアはそのまま私を振り払うように汽車に乗り込んでしまう。それは今までの別れとはあまりに違う姿だった。私は自身の無力さを改めて痛感しながら、同じく硬い表情のドラコに話しかける。

 

「……ドラコ。お願い。貴方はダリアの兄よ。あの子を止めて。ダリアの代わりに目的を果たそうなど考えなくていいわ。……ただダリアを止めて。あの子は決して人を殺すことなんて、」

 

「分かっています、母上。……僕はダリアを人殺しなんかにさせない。あいつにそんな罪悪感は不要だ。優しすぎるダリアは幸福であるべきなんだ。だから僕が……必ずダリアを止めてみせます」

 

 

 

 

私達マルフォイ家はどこで間違ったの?

私に背を向け、汽車の中に乗り込むドラコの背中を見つめながら考える。

ドラコも結局、私の言葉に正確に応えることはなかった。ただダリアを止める。そう応えるのみで……その過程で何を為すかを語ることはなかった。血こそ繋がっていなくとも、妹と全く同じ表情を浮かべながら。お互いがお互いとも、相手が傷つかない様に自分を犠牲にしようとしている。こんな悲しいことがあるだろうか。

こうなればセブルスとの誓いに期待するしかないが……嫌な予感がして仕方が無いのだ。

 

もう何もかも手遅れであり……次帰ってきたダリアは、もう()()()()()()()()()()()()()()()()

そんな気がして仕方が無かった。

 

私とルシウスは何を間違ったの? その問いをただ繰り返す。当然答えなどない。

答えがあるとすればそれは……何もかもが間違っていた。それこそ私達が()()()()()()()()()()()()()()()()()()が。そんなもはやどうすることも出来ない答えばかり頭に浮かぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

ホグワーツに向かう汽車の中。僕は夏休み中見た光景を思い出しながら考える。

ノクターン横丁でのドラコの行動は、一体どんな意味があったのだろう。

あの時見たあいつの雰囲気は異様だった。行動も普段とは違った。何かを企んでいるのは間違いないのだ。けど、肝心の何を企んでいるのかはさっぱり分からなかった。

その上不可思議なのは、僕達の中で最も賢いハーマイオニーだ。ドラコの行動に対してどのように考えているか聞いても、

 

『……何も分からないわ。……今()()必要なのは、ただ忍耐よ。今はただ待つの』

 

いつもそんな曖昧な答えを返すだけだった。彼女の事だから、ドラコの行動をある程度理解はしているはずだ。その証拠に、僕の質問に何も答えてくれないわけではなかった。

 

『もしかしてハリー、君は……ドラコが死喰い人になったって言うのかい? そんなことあるわけないさ! あいつはとんだ無能な餓鬼だぜ! そんな奴を例のあの人が必要とするわけない、』

 

『いいえ、あり得ない話ではないわ。必要かはともかく……ダリアのことを考えればあり得ない話ではないわ。ただそれがどのような役割か……いいえ、何でもないわ』

 

ドラコが『死喰い人』になった可能性を指摘した時、ロンとハーマイオニーから返された言葉。ロンはともかく、ハーマイオニーは真剣にその可能性について考えてくれていた。なら僕の考えはそう間違ったものではないのだろう。そうでなければハーマイオニーはハッキリと否定していたはずだ。でも僕の言葉を肯定しても、詳細までは語ろうとしない。まるで何かを隠しているみたいに……。

僕等三人しかいないコンパートメント。僕は目の前のハーマイオニーの表情を盗み見る。彼女は真剣な表情を浮かべながら、何かを考え込むように窓の外を見つめていた。

……実のところ、ハーマイオニーが一人で考え込む原因は予想出来ている。ハーマイオニーが思い悩むのは、いつだって()()()のことについてだった。

怪しい行動をとるドラコ。その裏に必ずいるであろう……奴の妹であるダリア・マルフォイ。既に『死喰い人』の中で一定の地位にいる危険な人間。ハーマイオニーがドラコについて考える時、あいつについても考察しているのは間違いないだろう。

僕は溜息を押し殺しながら考える。ハーマイオニーは僕等の中で最も賢いのに、何故ダリア・マルフォイに関してのみそこまで拘るのだろう。あいつはいつだって裏で暗躍していた。去年に至っては、ハーマイオニーはあいつに怪我まで負わされたのだ。なのに一向にあいつについての考えを改めようとしない。以前のようにあいつを庇うことは無くなったけど、それでも何一つ考えを変えてないことは薄々気がついていた。

年々ダリア・マルフォイの危険性が増している。ヴォルデモートが隠れるのを止め、ダリア・マルフォイもこれまで以上に何かを企むはず。それこそ今年に至っては、ドラコまで操られている可能性がある。最大限の警戒をしなければならないところを、どうして余計且つ間違った考えを抱き続けているのだろう。

尤もそんなハーマイオニーの間違いに薄々気が付いていても、彼女が何も言わない以上ここで敢えて指摘するつもりはない。今ここで指摘して彼女の考えを変えられるくらいなら、疾うの昔に変えられている。ダリア・マルフォイの危険性が露になる度に、僕は何度もハーマイオニーに注意していたのだから。今ここで言っても意味はない。

それに僕は、

 

「あの……あ、貴方があのハ、ハリー・ポッターですか? わ、私、この手紙を届けるように言われてきました! どうか受け取ってください!」

 

ハーマイオニーのことばかり考えているわけにもいかなかったのだ。突然下級生の女の子がコンパートメントに入ってきて、僕に紫のリボンで結ばれた羊皮紙の巻紙を差し出してくる。そして顔を真っ赤にしながら、来た時同様転ぶようにコンパートメントを出て行った。

何が起こったのかよく分からず、とにかく巻紙を解いてみると……それは僕への招待状だった。

しかも差出人は、()()スラグホーン先生からだった。

 

『ハリー。コンパートメントCでのランチに参加してくれると大変うれしい。君のことをより知れる機会だ。ぜひ参加を』

 

「差出人は……スラグホーン? そんな教授は……いや、ハリーが休み中に会った奴か」

 

招待状を覗き込んでいたロンの言葉に頷く。正直行きたいかと聞かれれば、僕は行きたくないと答える。ただ相手はダンブルドアが直々に親交を持つよう命じられた人だ。ここで断るわけにはいかないのも現実だった。

 

「……ダンブルドアのこともあるし、行くしかないね。悪いけど少し、」

 

「あぁ、気にするなよ。どうせ僕等も監督生の集まりに顔を出さないといけないんだ。また後で。ランチはどうだったか聞かせてくれよ」

 

「そうね。私も……()()()と少し話したいことがあるから。……彼女も監督生だから集まりには来るはず。また後でね、ハリー」

 

僕は二人の後押しもあり、重い腰を上げてコンパートメントを出る。

考えないといけないことばかりだ。スラグホーン先生の事。ドラコの事。ダリア・マルフォイの事。……ハーマイオニーの事。ただホグワーツの生活を楽しみにしていただけの頃が懐かしい。僕を取り巻く状況は日々悪くなっていくばかりだ。

でも、それでも僕は立ち止まるわけにはいかないのだ。ダンブルドアの言葉が正しければ僕は『予言の子』であり……ヴォルデモートとどちらかしか生き残れないのだから。



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ナメクジ・クラブ

 

 ハリー視点

 

「ようこそ、ハリー! 君を待っていたぞ! さぁさぁ、席について! 何せ君は今回の主賓だ! 皆が君のことを知っている!」

 

コンパートメントCに辿り着いた瞬間、夏季休暇中に会ったスラグホーン先生の声が響く。テカテカの禿げ頭に巨大な銀色の口髭。金ボタンのスーツを着たオットセイのような先生は、僕がコンパートメントに到着した瞬間高らかに宣言した。

他の物より遥かに広いコンパートメントを見回すと、そこには先生以外にも何人もの生徒が机を囲んでいる。しかも顔見知りが何人かいた。というより、ほとんどが見知った顔だった。ネビルにジニー。そして()()()。『ダンブルドア軍団』のメンバーが三人もいる。他にはスリザリン生の……確かダリア・マルフォイの取り巻きの一人であるブレーズ・ザビニ。グリフィンドール生のコーマックも既に席についていた。何とも統一感のないメンバーだけど、僕は何とかにこやかな表情を意識しながら先生に応えた。

 

「先生。招待していただいて嬉しいです。こんな会に招待してもらって、」

 

「いいや、気にすることはないとも! 君のことは皆知っているのだから! 何せあのハリー・ポッターだ! いや、前口上はこれくらいで構わないな。さて、全員揃ったことだ、ランチを始めるとしよう!」

 

先生の示した席に着きながら、再度周りの招待客を見る。ネビルとジニーは何故この場にいるのか分からないと言わんばかりの表情を浮かべている。ルーナはいつも通りどこを見ているのか分からない。コーマックはしきりにジニーに視線を送っており、ブレーズ・ザビニは退屈そうな表情を隠しもしていなかった。最初の印象としては、どうにも統一感のない集まりという印象を拭えなかった。

僕の困惑が伝わったのか、隣に座ったスラグホーン先生が上機嫌に他メンバーの紹介を始める。

 

「さて、ハリーも来たことだし、改めて紹介しようか。と言っても、ほとんどは顔なじみではないかね? こちらはブレーズ・ザビニ。彼の母親とは知り合いでね。非常に綺麗な方で、色々と噂は絶えないが……それだけ皆に注目されているということだ。ブレーズ君も母に似て非常に顔がいい。ホグワーツでもさぞハンサムと有名なのではないかね?」

 

本人もだが、ジニーも先生の言葉を小さく鼻で笑っていた。確かにブレーズ・ザビニの顔立ちは整ったものだ。スリザリン生のためあまり詳しくは知らないが、スリザリンの何人もの女子と話している場面を見たことはある。ただやはりスリザリン生ということと……性格はともかく、もう一人顔立ちだけなら突き抜けた奴が一人いることで、ザビニくらいの顔立ちならば他寮で話題になることも無かったのだ。ハンサムとしてホグワーツで話題になっていた男子はセドリックくらいのものだろう。ザビニ本人もそれを自覚しているらしい。ただ目を閉じ、先生の紹介が終わるのをジッと待っている。そんな奴の様子を気にすることもなく、先生は次のメンバーの紹介を続けた。

 

「こちらはコーマック・マクラーゲン。同じグリフィンドール生なら知っているね。彼の叔父さんと私は友人でね。よくノグテイル狩りに行ったものだ。知っているかね、ノグテイル。優秀なハリーは知っているだろうが、あれを狩るには白い犬が必要でね。それを……いや、話が逸れたね。とにかく、彼の叔父さんとはよく会っていた。その時にルーファスとも出会えた。無論彼が今の魔法大臣になる前のことだ。叔父さんとはよく会うのかね、コーマック?」

 

「は、はい。叔父とはよく会っています。スクリムジョールさんとも何回か」

 

先生に話しかけられたことで、ジニーから視線を外したコーマック。コーマックの返答に更に上機嫌になった先生が、彼の方にパイの載ったお盆を押す。

ノグデイルが何かはさっぱり分からなかったけど、ここまで聞いた僕はこの集まりの目的には薄々気が付き始める。要するに、ここに招かれた客は有名人や有力者と繋がりのある人間なのだ。

 

「ネビル・ロングボトム。……君の両親も私は知り合いでね。実に……実に力のある、有名な闇祓いだった。君もさぞ優秀な成績を残しているのではないかね?」

 

その証拠にネビルの紹介も、彼の両親の話から始まっている。尤もネビルは先生の話が不快だったらしく、多少居心地の悪そうな表情を浮かべるのみだった。

僕はネビルに同情の視線を送りながら考える。

やはりスラグホーン先生に今のところいい印象はそれ程抱けていない。ここにいる生徒は、それこそ僕も含めて、先生にどこか品定めされているように感じる。まるで自分の人脈コレクションに加えるべきなのかを判断するように。有名になりたいと思っていない僕としては、あまり気持ちのいいものではない。悪人ではないのだろうけど、好印象かと聞かれれば何とも言えなかった。

ただその品評会に不釣り合いな人間達がいることも確かだった。この中で二人だけ、それ程両親に手広い人脈があるとは思えない子達がいる。僕がこの会の目的を確信しきれないのもそれが理由だ。いよいよ疑念が強まった頃、先生は遂に件の人物達に触れ始める。

 

「そしてこちらにいる可愛らしいお嬢さんは、君達の知り合いだとか! ジネブラ・ウィーズリー! いや、実は他の車両を通り過ぎた時、偶々彼女のことを見つけてね! あまりに見事な『コウモリ鼻糞の呪い』だった! あまりの見事さに思わず拍手を送った程だよ! まだ私は赴任していないからね、減点などしないとも。そんな彼女を誘ったところ、ハリーとそこにいる……えぇと、ル……そう、ルーナ・()()()()()さんも参加するならと言ったのだよ! いや、私としてもこの会に可憐な華が加わって嬉しい限りだ!」

 

「……ラブグッドだもん」

 

成程、家柄以外の理由もあるのか。僕はジニーとルーナの参加理由にようやく理解する。しかし理解しても、納得したかは別問題だ。先生はジニーのことは認めていても、ルーナをただのおまけ程度にしか考えていない。実際ルーナの抗議は聞き流されていた。

ジニーの才能を見抜くのは素直に凄いと思う。DAでもジニーは指折りの実力者だった。それこそ上級生にも負けない程の。でも、ルーナも素晴らしい魔法使いだ。確かに少々……いや、多分に変わったところはあるけど、本当は実力、洞察力共に優れた魔法使いなのだ。たとえ妙なコルクを眼鏡からぶら下げていても、彼女の実力が損なわれるわけではない。更に言えば、危険を顧みずに魔法省までついて来てくれた。彼女のことを馬鹿にしていいはずがない。

あまり先生の機嫌を損ねるわけにはいかないが、ルーナのことを馬鹿にされたままでいいはずがない。先生のルーナへの態度に、僕は細やかな抵抗をする。

 

「先生。僕はジニーのことは勿論、ルーナのことも知っています。二人共、僕と一緒に魔法省で戦った仲です。彼女達は命の危険があるというのに、最後まで僕と一緒に戦ってくれた。彼女達がいるなら僕にも楽しい食事会になると思います」

 

些か浮ついたセリフであったが、ルーナの重要性を先生に認識させるにはこれくらい言う必要があると思ったのだ。実際僕の目論見通り、先生は今まで少しも興味を抱いていなかったルーナをマジマジ見つめた後、彼女にも笑顔とパイのお盆を向けて始める。

 

「ほう! それは実に興味深い! ルーナ・ラブグッドさんだね、君もどうやら素晴らしい才能を持っているようだ! 君も是非この会を楽しみなさい!」

 

だが、どうやら僕の言葉は先生に要らぬ口実も与えてしまったらしく、そのまま僕にとってはあまり愉快ではない方向に話が進みだしてしまうのだった。

 

「ただ……そうか、魔法省での戦い。食事をしながらする話として、大変興味深い内容だ。皆、そろそろ食事も摂りたいだろう。このまま食事を摂りながら続けるとしよう。コーマック君、そこの雉肉は絶品だ。是非食べてみてくれ。ラブグッドさんもパイを食べるといい。さて、ハリー! 君の紹介は不要だ。君は何せあのハリー・ポッターだ! 夏休みに会ったのは数分のみだったが、無論君のことを私は知っていたとも! それこそ君が赤ん坊の時からね。そして君の赤子の時示した才能はつい最近も証明したね! 君の言うところの魔法省での戦い。それを経て、君はその才能を魔法界中に認めさせた! もう君のことを馬鹿にする記事などない! だからこそ私としては、件の戦いに興味があるわけだ。今日は是非その話を詳しく聞かせてもらいたいものだ」

 

そこからは先生からの質問攻めだった。どうやら僕を招待した理由は、この話を詳しく聞き出したい思惑もあったらしい。ただあの戦いは楽しい話題であるわけがない。そもそもあの戦いは敵の罠であり、僕は愚かにもその罠にかかっただけ。その結果……僕はシリウスを死なせてしまった。あの時のことを話したくなるはずがない。それもこんな何の関係もない人達に。

僕は勿論、ネビルとジニー、そしてルーナもあの時のことに関して固く口を閉ざす。結果先生は今までこの会……『スラグ(ナメクジ)・クラブ』に参加した有名人の自慢話をする合間、何度も魔法省でのことを聞き出そうとしていた。だが何度聞かれようとも、僕等が詳しいことを話すわけがない。

結果だらだらと時間だけが過ぎ、最後の方はただ苦痛な時間でしかなかった。失礼にならずに出る方法の見当もつかず、逃げ出すわけにもいかない。ルーナやジニーのように平然と眠りこける勇気もなければ、先生の機嫌を損ねられない事情もある。よって僕がこの会から解放されたのは、いよいよ日が沈みかけた時間になってからのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

酷く場違い。それが僕の嘘偽らざる感想だった。僕の両親は立派な人達だ。それは間違いない。でも、そんな両親の才能を僕が受け継いでいるかと言えば、そんなことは全くないのだ。僕には先生の言うような、誰からも注目されるような才能なんて一つもない。僕に才能を求められても、ただ先生の期待を裏切るだけだ。

それに先生がもし僕から魔法省でのことを聞くために呼んだのだとしたら、それこそ期待に応えることなんて出来ない。ハリーのために。あの戦いに参加した仲間のために。……そして何より()()のために。

何度目か分からない質問がされた後、先生はようやく現在の時間に気が付いた様子で宣言する。

 

「ん? おお、なんと! もうこんなに暗い時間なのか! いやはや、あまりに楽しくて時間を忘れてしまっていたよ! 皆帰ってローブに着替えた方がいい。皆、いつでも私の所においで。君達は特別な生徒だ! いつでも大歓迎だとも! 特にハリー! 君はリリーの息子だ! 何か困ったことがあれば、いつでも相談するのだよ!」

 

正直この会に参加していたほとんど全員がホッとしていたと思う。

ジニーとルーナは退屈そうな顔を隠しもしていなかったし、質問攻めにあっていたハリーもどこか安心した表情を浮かべている。ブレーズ・ザビニは何を考えているか分からない無表情ではあるけど、どこかようやく解放されたという空気を醸し出していた。残念がっているのはコーマックくらいのものだろう。彼だけはジニーに自分のことをアピールするチャンスだとでも思ったのか、先生に応えるようにひたすら親戚の自慢を繰り返し、その度にジニーの方に視線を送っていたのだ。無論ジニーはその全てを無視していたけど。

先生とコーマックから解放されたジニーが、まずハリーに声をかける。

 

「ハリー、お疲れ様。酷い会だったわね」

 

ハリーはジニーの言葉に苦笑いを浮かべながら応えた。

 

「うん……正直なところ、次があっても()()()()()()()参加したくないよ。それでジニー。どうしてここに参加する羽目になったの?」

 

「あぁ、私がザカリアス・スミスに呪いをかけるところを見られたの。あいつ、しつこく私に魔法省でのことを聞いてきたのよ。挙句の果てに自分も呼ばれたら勇敢に戦ったとか言っていたわ。あまりにも腹が立ったから呪いをかけてやったの。それをスラグホーンに見られたのよ。まぁ、正直今ではザカリアス・スミスの方が可愛らしかったわね。あの先生もしつこかったから。それにコーマック。あのナルシスト。本当に鬱陶しくて仕方が無かったわ。あんな奴がいると知っていれば、この会に参加しなかったのに。……いくらハリーがいても、あまりにつり合いが取れないもの」

 

「……君も本当にお疲れ様」

 

僕とルーナも二人の会話に深く頷く。次呼ばれたとしても、僕等はもう参加することはないだろう。呼ばれたとしても、それは魔法省での戦いを聞き出すためだ。先生には失礼かもしれないけれど、そんな会に僕等が参加することはない。

たとえ敵の罠だったとしても、僕等があの場で共に戦った事実は揺るがない。僕等は同じ戦いを生き残った仲間だ。なら僕等の中で裏切りなんてあるはずがない。

それがハリーにも伝わったのか、先程までとは違い笑顔を浮かべてくれていた。

 

「……皆ありがとう。今回は皆がいてくれて、本当に心強かった。それにあの時のことを話さないでくれて……」

 

でも、僕等が話していられるのはそこまでだった。もう日が沈んでいる。ならもう直ぐホグワーツに到着するということだ。そろそろローブに着替えなくてはならないだろう。

ハリーもそれに気が付いたのか、慌てたように続けた。

 

「先生の言いぐさではないけど、もうこんな時間だ。そろそろ着替えないと。皆、大広間で会おう」

 

「……そうね。私達も行こうか、ルーナ。ではネビルも、また後でね」

 

「うん。ネビル、また」

 

皆それぞれのコンパートメントに帰っていく。僕も彼等の背中を見送ると、直ぐに元々自分がいたコンパートメントを目指す。

まさかこんなに長い時間拘束されるとは思っていなかった。僕はすっかり暗くなった外に視線を送りながら考える。

本当はもっと違う人とこの汽車での時間を過ごすはずだったのだ。

魔法省で共に戦ったわけではない。寧ろ()()は僕等を罠に誘導してしまった。それでも、僕は彼女のことを大切な仲間だと……()()()()()だと思っている。

 

出来るなら彼女と……ダフネ・グリーングラスと過ごしたかった。

 

特に彼女はスリザリンである関係上、学校では中々一緒の時間を過ごすことが出来ない。DAのような集まりがまたあればいいのだけど、再結成されたとしても彼女が参加することはもうないだろう。なら彼女と落ち着いて話を出来る機会はこの汽車くらいのものだった。それを僕は無駄にしてしまったというわけだ。

彼女のことを考えると、心の中が寂しさと、それ以上に熱い何かで満たされる。思い出すのは去年彼女と過ごした日々のこと。輝く金色の髪に、パッチリとした可愛らしい瞳。いつもは不機嫌そうにその瞳を歪ませていたけど、ハーマイオニーやダリア・マルフォイといる時は本来の輝きを放っていた。最初は彼女のことが怖くて仕方が無かったのに、無節操にも今の僕が思い出すのは彼女の笑顔と……悲しそうな表情のみだった。

 

彼女のことを思い浮かべ、改めて思う。……本当に無駄な時間を過ごしてしまった。ハリーは心強かったと言ってくれた。しかし、そもそも参加すらしなければ先生に秘密を漏らすようなこともない。僕が参加したばかりに、寧ろハリーにいらない心労を負わせてしまった可能性すらある。先生からの呼び出しだと臆病になった僕自身のせいだ。

彼女は今も……親友であるダリア・マルフォイと共に敵側に捕らわれている。ダリア・マルフォイに関してはまだ信じ切れていないけど、ダフネが『闇の帝王』の味方でないことは間違いない。そんなことは僕だって確信出来ている。ならダフネは今非常に苦しんでいるはずだ。去年とは違い、敵は表を堂々と闊歩し始めた。ダリア・マルフォイも今まで以上に敵側に拘束されているはず。それをあんなにも友達思いのダフネが悩まないはずがない。そんな()()()を助けると、僕は去年誓ったのだ。なら僕はこの汽車での時間くらいは無駄にしてはいけなかったというのに……。

そこまで考え、僕は頭を振る。今更こんなことを考えても仕方がない。どんなに後悔しても、無駄にした時間が戻るわけではないのだから。

 

 

 

 

尤も、その後悔自体が完全に消えるわけではない。

それは、

 

()()()()()()()。いい加減話してくれよ。僕の『透明マント』まで()()()()()……。君は一体何を見たんだい?」

 

大広間で何一つ食事を摂らず、ただ青ざめた表情を浮かべているハーマイオニーの表情を見て一層強まったのだった。

皆が宴会の食事に舌鼓を打つ中、ハーマイオニーと……スリザリン席のダフネだけが暗い表情を浮かべているのが見える。ハーマイオニーに至っては、ハリーの呼びかけにも全く反応すらしていない。彼女達は共に監督生だから汽車の中でも顔を合わせただろうし……何より二人共ダリア・マルフォイのことを慕う親友同士だ。汽車の中で、僕がスラグホーン先生の会に参加している間に何かあったのは間違いなかった。

僕の知らない間にも、色々な事態が進み続けている。その事実が、僕の大切な人を守ることが如何に難しいかを物語っているような気がした。

 



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暗殺計画

 

 ハーマイオニー視点

 

たとえ闇の勢力が再び台頭しようとも、私達監督生のすべきことが変わるわけではない。

私とロンはハリーが新しい先生に呼ばれている間、去年と同じく監督生の会合に向かう。私達も6年生。学年で言えば上から数えた方が早い。去年以上に私達には重い責任がある。

……という責任感がないわけではない。けど、本当の目的は違う。実際私が監督生の車両に向かうのは、別に責任感だけからのものではなかった。

車両には彼女もいる。スリザリンの親友の一人。当事者以外で、唯一ダリア達の事情を知っているであろう女の子。邪魔なく彼女と会話するにはこのようなチャンスを逃すわけにはいかなかった。

私は逸る気持ちを抑えながら、それでもなるべく急いで車両に入る。そこには去年と同じく監督生バッジを着けた生徒達がいた。その中には、

 

「……ハーマイオニー。手紙のやり取りはしていたけど、会うのは久しぶりだね」

 

当然ダフネの姿もあった。これで彼女とも再会の喜びを分かち合うことが出来る。

無論ロンはあまりいい顔をしない。未だにロンは彼女を敵だと疑っているのだ。黙ってはいても、鋭くダフネのことを睨みつけている。彼女はDAに参加し、最後には高等尋問官親衛隊から解放した。だから完全な敵とは思っていない様子だけど……それでもいい顔をしていないのは間違いなかった。一見矛盾だらけの行動を取る彼女に疑念を感じているのだろう。

尤も私はそんなロンの考えを理解していても、今更彼の誤解を解くつもりはない。今まで散々説得しても、彼の認識は一向に変わっていない。実際ダフネが私達の完全な味方であるわけでもない。彼女はあくまでダリアの味方で、ハリーの味方ではないのだ。いくら言葉を重ねても、ロンの誤解が完全な間違いでない以上、私の言葉はただ虚しいだけ。この時間が貴重な以上、無駄な時間を過ごしている余裕はない。だからこそ私はロンの視線を無視しながらダフネに応えた。

 

「えぇ、ダフネ! 貴女とは中々会えなくて寂しかったわ! だから色々と話したいことが……どうしたの? 何だか顔色が悪いわよ?」

 

しかし彼女の表情を見た瞬間、私はそれ以上言葉を続けることが出来なくなってしまう。

椅子に座るダフネの表情は、お世辞にも顔色がいいと言えないものだったのだ。青ざめた顔色に、疲れ果てた表情。休み明けには到底見えない。とても私との再会を喜ぶ心情でないことは間違いなかった。そしてそんな私の予想通り、ダフネはただ疲れた表情で応えるのみだった。

 

「うん。ちょっとね。……()()()に久しぶりに会えたんだけど、色々と込み入った事情があってね」

 

色々な事情。彼女の言葉を聞いて最初に思い浮かべたのはドラコの事。そしてその考えはおそらく間違ってはいないだろう。ドラコとダリアは何か良からぬことに巻き込まれている。それが何か分からなくても、巻き込まれている事実は確かだった。実際この場にダフネはいても、ドラコの姿はどこにもない。ドラコが監督生の立場より、ダリアのことを優先している証拠だった。

ダフネとは休暇中ずっと手紙でのやり取りを続けていたけど、詳しい事情は知らないと言っていた。ダリアからは手紙の返事すら無かったと。でも、流石に汽車の中で彼女と顔を合わせ、そこでダフネもある程度の事態を掴んだに違いない。ただそれが分かったところで、他人が大勢いる場所で話すわけにはいかない。

 

「……分かったわ。その話は私も聞かないといけないわ。後でゆっくり聞かせて」

 

「おい、皆集まっているか? ……一人足りないな。おい、スリザリン生。君の相方はどうした? ダリア・マルフォイの兄は、」

 

「ドラコは来ません。体調が悪いみたいなので。彼には私から話しておきます。だからさっさとこの会を終わりにしてください」

 

そしてタイミング良く、7年の監督生が現れる。ダフネの反抗的な態度に表情をしかめてはいた。けど、関わるのも面倒だと思ったのだろう。あるいはダリアの存在を恐れたのか。どちらにしろ彼はそのまま監督生の心得や責任を説明し始める。そしてやはりと言うべきか、どちらかと言えば新しく監督生になった子に向けたものばかりだった。監督生である以上参加しないわけにはいかない。でも今はどちらかと言えば、ダフネと同じく早くこの会が終わることを願っていた。

 

「以上が監督生の心得だ。……この会に参加もしない奴もいるが、君達は責任感を持って行動するように。では解散だ」

 

だからこそ説明が意外に早く終わった後、即座にダフネに話しかける。解散の合図と同時に立ち上がり、そのまま車両を後にするダフネの背中に声をかけた。

……のだけど、

 

「ダフネ! ちょっと待って! せ、折角だから少し話を、」

 

「ハーマイオニー。ごめん、時間が無いの。今は早くダリアと……()()()の傍にいてあげないと。でも……そうだね、貴女には知っておいてもらわないといけないかな。……それを()()()()()()()()()はずだから」

 

ダフネは小さく何か呟いた後、想像もしていなかったことを言い始めたのだった。私の耳元で彼女は小声で続ける。

 

「どんな方法でもいいから、今から私達の会話を()()()()しに来て。……私だけではもうどうにもならないの。お願い……二人を助けてあげて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

『闇の帝王がお兄様に命じたのです。……ダンブルドアを殺せと』 

 

久しぶりに顔を合わせたダリアからされた話は、あまりに衝撃的なものだった。コンパートメントに入るなり聞かされた話に、私は最初言葉を発することすら出来なかった。

去年と全く変わらない美しくも、どこか幼さを残した容姿。しかしそんな美しい顔に、隠しきれない疲労感が窺えた。その疲労感の原因が、まさかこんな恐ろしい事実だったとは……。

勿論それだけが原因とは思っていない。確かに今しがた聞いた事実は恐ろしいものだったけど、それだけでダリアから休み期間中一切の連絡が断たれるだろうか。もっと別に、彼女にとって悲しいことがあったのではないか。私はどうしてもそう思わざるを得なかった。

でも、今そのことを深く追求するわけにはいかない。今話し合わなければならないのは、あまりにも差し迫った問題だから。

一旦監督生の下らない集会に顔を出した後、私は直ぐに()()()ハーマイオニーを連れ、元々いたコンパートメントに急ぐ。

 

……正直なところ、これが正しい選択なのか分からない。私がただ先走っているだけの可能性も十分にある。

でもダリアが私に話した以上、ハーマイオニーにも遅かれ早かれ伝わることは彼女も分かっているはず。ならばダリアが最初に私に話したことには、何かしらの意図があるはず。だからこそ、私はハーマイオニーを敢えて最初から巻き込むことにした。ハーマイオニーであればダリアの意図を読み取れるかもしれない。ならばハーマイオニーを連れて行こう。そう考えてハーマイオニーに声をかけたのだ。ハーマイオニーも、

 

『もう! こんな時に『伸び耳』が無いなんて! こんな時だからこそ必要なのに! でもそうなると……あぁ、ハリー、ごめんなさい! 後で必ず謝るから! だからごめんなさい! 透明マント……これを借りていくわね! これしか方法が無いの!』

 

ポッターの持ち物らしい『透明マント』とやらを被り、私の後をついて来ていた。姿こそ見えなくとも、耳をすませば彼女の足音が聞こえる。ハーマイオニーも知りたいのだ。ダリアに何が起こっているのか。もうなりふり構ってなどいられない。ハーマイオニーが助けてくれるのであれば、私はダリアのためにも彼女に助けを求めるべきだ。

そしてそんな私の考えは、決して間違いではなかった。

 

「……ただいま、ダリア、ドラコ」

 

「……えぇ、ダフネ。おかえりなさい。……無事用事は済ませれたようですね」

 

扉を開けて中に入ると、何か考え込むように瞳を閉じるドラコ。そして……私と、私の背後に目を向けながら応えるダリア。明らかに私の背後に誰かいると気付いていながら、決して何も言うことは無かったのだ。私が不自然に扉を大きく開けても、ダリアはそれでも何も言うことはない。いつもの無表情だけど、私にはダリアの視線がどこに向いているかなんて直ぐに分かった。

しかしそうなると、いよいよダリアの意図が分からない。最初に、それこそ何の前置きもなく裏事情を話したことも不可解だ。今までのダリアはそんなことしなかった。ダリアはいつだって私を厳しい現実に巻き込むまいとしていた。そのため最後まで事情を隠そうとしてばかりだったのに……。真実を話してくれているようで、もっと大きな秘密を隠している。音信不通だった夏季休暇、そして現在の異様な態度から、私はその大きな秘密の存在を半ば確信しつつあった。

でも今は……

 

「それで……最初の話だけど。どういうことかな? ドラコが……『例のあの人』にダンブルドアを殺すように言われたって」

 

まずは目の前の問題に集中しなくては。実際に見えるわけではないけど、何となくハーマイオニーがいるだろう空間が揺らいだような気がした。無論本当に見えるわけではない。目の前のドラコはハーマイオニーの存在に気付くも訳もなく、ただ静かな口調で応えるのみだった。

 

「……()()ダリアの言葉通りだ。僕のホグワーツでの生活は今年で最後というわけさ。……この任務が成功しようと、それこそ失敗しようともな」

 

ドラコはそこで初めて目を開け私の方を見る。しかしその瞳は私を見つめているようで、その実何も見ていないような気がした。ただ静かな決意に満ち、そもそも私の答えなど気にしてもいない様に。彼はただ静かな口調で続けるのみだった。

 

「ダフネ……()()お前に隠し事をするつもりはない。ここまで来たら隠しても無意味だしな。ダリアが言わなくとも、僕はお前に事情を話そう。僕が()()()()()()()()約束を果たす。……僕の任務はあの老人、ダンブルドアの暗殺だ。僕がやるように命じられた。()()()()、ダンブルドアを殺さなくてはいけないんだ」

 

彼は静かに語り続けるけど、私はただ圧倒されるばかりだ。心の準備など出来ているはずがない。私がこの話を聞いたのはほんの数時間前のことなのだ。こんな衝撃的な話、直ぐに受け入れられるはずがないではないか。

私は改めてされた話に一瞬ハーマイオニーの存在すら忘れ、やはり震えながら応えることしか出来なかった。

 

「しょ、正直信じられない。だ、だって……貴方はまだホグワーツ生だよ。ただの学生にそんな大それたことが出来るはずがないよ。それもあいつは……それこそ『今世紀最高の魔法使い』と言われている。そんなあいつを殺すなんて、そんなこと()()()()()()()()()()無理だよ」

 

私の言葉を聞いた瞬間、ドラコは鋭く私を睨みつけてくる。でもそれも一瞬、再びどこを見つめているのか分からない表情を浮かべながら、静かな口調で続けるのだった。

 

「無理かどうかなんて関係ない。これは『闇の帝王』が僕らマルフォイ家に与えた罰だ。父上が任務に失敗した罰。ただそれ以上も、それ以下でもない。僕はやり遂げなくてはならない。マルフォイ家のために。……()()()()やり遂げる以外の選択肢なんてないんだ」

 

ダリアやドラコが何かしらの恐ろしい事態に巻き込まれていることくらいは、私にだって予想出来ていた。『闇の帝王』には隠れる理由がもはやない。ならば表立って動き出し、それに比例してダリア達はより一層下らない任務を与えられるはず。そう予想はしていても、まさかこんなことを予想できるはずがない。

与えられていても、ホグワーツでのスパイくらいの任務だと思っていた。あるいはダンブルドアやポッターの監視くらいか。ただのホグワーツ生に出来る任務なんてそれくらいのものだ。そんなことは誰にだって分かる。ダリアならともかく、ドラコならば特に。彼はマルフォイ家であっても、結局のところただの一般的なホグワーツ生でしかない。ダリアやハーマイオニーのように逸脱した優秀さはないのだ。彼に暗殺任務……それこそ『今世紀最高の魔法使い』と一応呼ばれているダンブルドアの暗殺など出来るはずがない。そんなことを命じたところで無意味だ。それこそ暗殺以外の目的があるとしか思えない。私なんかが予想できるはずがないではないか。

私は衝撃な内容に、ただ呆然とするしかなかった。その間にもドラコは話し続ける。今度は私にではなく、ダリアに向かって。まるで説得するような口調で。

 

「ダリア……僕にはお前の考えていることは分かっている。それに対して僕は何も言わない。ただ僕が言えることは……僕はダリア、お前を必ず守る。ただそれだけだ。お前が余計なことを考える必要なんてない」

 

ダリアはドラコの言葉に応えることはなかった。ただいつもの無表情を向けるだけ。今の私にはドラコが何を言っているのか、ダリアが何を意図し、何を隠しているのか私には分からない。私には……何一つ分からない。

私は言葉もなく、ダリアとドラコの顔を見比べる。二人はただ見つめ合うばかりでそれ以上言葉を交わすこともない。明らかに今まで二人が醸し出していた空気とは違う。私に分かったのは、ただそれだけのことでしかない。

 

 

 

 

去年までこのコンパートメントは、言葉数こそ少ないながら穏やかな空気に満たされていた。

私にそっと甘えるダリア。そんなダリアを優しく見つめるドラコ。外の世界は年々悲惨なものに変わっていたけど、決してこの穏やかな空気自体が変わることはなかった。

でも今年は……そして()()()()()

窓からの景色も段々と暗くなっていく。ホグワーツに刻一刻と近づいている。皆思っていることだろう。外の世界は危険に満ちていても、ホグワーツはまだ安全だと。

実際のところ……特にドラコやダリアにとって、もうこの世のどこにも安全な場所などないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

最後に大きく揺れた後、汽車は完全に停止する。

通路には大勢の生徒が出ており、今か今かと汽車から降りるタイミングを待っている。

それを私は『透明マント』の中から眺めていた。……それもダフネ達のコンパートメントの中で。

結局私はこのコンパートメントを最後まで出ることが出来なかった。私のために扉を開けてくれるはずのダフネが、あまりの事態に茫然自失していたことも理由の一つ。でもそれ以上に、私自身も出来る限りの情報が欲しくて最後まで居座り続けていたのだ。それは今も、

 

「……着いたな。ダリア、それにダフネ。先に降りていてくれ。僕は少し荷物の確認がある。……少し危険な物もあるから、お前達は先に行った方がいい」

 

いよいよ汽車を降りなければならないタイミングになっても変わることはなかった。

ダフネと……それにダリアの視線が私の方に向く。鋭いダリアが私の存在に気が付いていることは分かっていた。この反応でその認識はより一層強固なものになる。でも、それでも私は彼女達の不安げな視線に応じることなく、ただ静かにコンパートメント内に留まり続ける。

ドラコを止める。ダリアはそれを望んでいるからこそ、私の存在を黙認しているのだから。ここで帰っては、本当に知りたかった情報が手に入らない。

ドラコが何をしようとしているかは分かった。あまりに恐ろしい内容ではあるけど、今それを考えても仕方がない。私は受け入れたのだ。ダリアやドラコは残念なことに、敵の陣営に組みしている。組まざるを得なくなっている。その事実を受け入れているからこそ、今私が余計なことを考えている場合ではないのだ。

 

「お兄様、時間はあまりありません。荷物の確認なら後でも、」

 

「いいや、今確認する必要性がある。寮ではクラッブとゴイル以外の目もあるからな。だから先に行くんだ」

 

「……分かりました。直ぐ来てくださいね、お兄様」

 

これ以上ドラコの言葉に抵抗しても意味は無いと判断したのか、最後まで不安げな表情こそ浮かべていた二人も部屋を出て行く。残されたのはトランクの中を覗き込むドラコと、何とか彼のトランクを覗き込もうとする私だけ。透明ではあるが、彼に触れるわけにはいかないため中々上手くトランクを覗き込めない。

彼の荷物の中身自体は予想がついている。彼がボージン・アンド・バークスで購入していた物は二つ。一つはキャビネット。もう一つは呪われたネックレス。それ以上の物を購入している可能性は捨てきれないが、もし私の予想が正しければ……。

しかしそこまで考えていた時、

 

「もういいだろう。……グレンジャー、そこにいるのは分かっている。出てこい。お前に話がある」

 

突然、目の前のドラコが背後の私にとんでもないことを言い始めたのだった。

今度こそ全く予想だにしていなかった言葉に、私は思わず声を上げそうになる。何とか声を抑えることには成功したものの、私は混乱してただドラコの背中を見つめることしか出来なかった。でもドラコは振り返り、私がいる空間を睨みつけながら続ける。

 

「何度も言わせるな、グレンジャー。無駄な時間を使わせるな。お前がそこにいることは分かっている。だから出てこい。それとも無理やり『透明マント』を剥いでやろうか?」

 

ここまで言われた以上、もう私にこれ以上隠れていることは出来なかった。私は迷いながらも『透明マント』を脱ぎ、ドラコの真剣な表情を見つめ返す。

彼は私が何もない空間から現れたというのに、驚くこともなくただ鋭い視線を向けてくるだけ。私は戸惑いながら彼に声をかけた。

 

「……ど、どうして分かったの?」

 

「あまり僕を舐めるなよ。僕はダリアの家族だ。……ダリアの考えていることくらい分かる。だからこそ、今この場にお前が必ずいるはずだと分かった。ただそれだけだ」

 

彼の答えの意味はよく分からなかった。そもそも彼も私の理解など求めてはいないのだろう。

現に彼は私に応えた後、直ぐに静かな口調で続けた。

 

「時間が無いから手短に終わらせよう。……お前も聞いただろう。そしてお前の聞いた通り……いや、聞かせた通りだ。僕はあの方から指令を受けている。ダンブルドアを殺す。それが僕の与えられた任務だ。お前に言いたいことはただ一つ。僕の邪魔をするな。ただそれだけだ」

 

ドラコの行動や話に混乱が止んだわけではない。でも、どんなに混乱していたとしても、それで私の答えが変わるわけではない。何を言い出すかと思えば……。ダンブルドアは『今世紀最高の魔法使い』。たとえどんな危険な呪われた道具を用意しようとも、ドラコに殺せるはずなどない。それを踏まえた上でも、私がすべきことは一つだ。

だからこそ、私はドラコを睨み返しながら応える。それがダリアのためであり……ドラコ自身のためと信じながら。

でも、

 

「馬鹿なこと言わないで。そんな話を聞くわけないでしょう。貴方が命じられているのは殺人よ。……必ず貴方を止めるわ。ダリアもそれを望んでいる。彼女は私のことに気がついていた。それでも黙っていたということは、彼女こそそれを望んでいるということ。そうでなくとも、殺人なんてさせるわけにはいかない。相手が誰であってもね。先生方に報告するつもりはないけど私は、」

 

「お前は何も分かっていない」

 

ドラコは私の答えにも動じることなどなかった。いえ、動揺しないだけではなく……私に先程以上に衝撃的なことを話し始めたのだ。

 

「確かにお前の言う通り、ダリアは僕の失敗を望んでいる。それは間違いない。だからこそ、お前をここに呼んだんだ。ダフネにお前をここに呼ぶよう誘導して、ダリアは僕の目的を徹底的に叩きつくすつもりだ。お前もそれくらいは分かっているのだろう。……でも、それが何故かお前に分かるか? ダリアはお前を使って、本当は何をしようとしているかお前に分かるのか?」

 

ドラコはそこで言葉を切り、表情を悲愴な面持ちに変えながら続ける。

ドラコに与えられた任務。それ以上に衝撃的な話を。

 

「ダリアが僕の失敗を望む理由。それは……あいつが()()()()()()()()()()()()()()()()だ。ダリアは僕の代わりに……僕の背負うべき罪を被るつもりなんだ」

 

……今度こそ、私はドラコが何を言ったのか理解できなかった。理解したくなかった。ダリアの思惑を完全に理解しているわけではない。そんなことは分かっている。でも、今聞いた話は私にはあまりにも残酷で、恐ろしい話だったのだ。

 

「な、何を言っているの? そ、そんなはず、」

 

「あり得ないと思うか? お前なら分かるはずだ。お前はマグル生まれだが、僕の言葉を理解できない程愚かではない。僕もそれくらいにはお前のことを認めているつもりだ。だからこそ、お前は理解しているはずだ。ダリアがお前をここに呼んだのは、ただ僕の計画を止めるだけだと思うか? ダリアがその程度のことしか考えないと思うか? そんなはずがない。僕が失敗した場合、誰があの老害の暗殺を成功させなくてはならないか。……お前はただ利用されているだけだ。ここまで言えば、お前も理解出来ただろう?」

 

ドラコの言葉数こそ少なかったが、私に恐ろしい可能性を想起させるには十分なものだった。再び私の思考は混乱する。ダリアが何を考えているのか、私には分からなくなったのだ。

いえ、正直なところ、理解できている自分がいるのも確かなのだ。

ダリアが何故この場に呼んだのか。ダフネを介しているとはいえ、ダリアの意思は決定的に明らかだ。ドラコの計画を阻止する。ただそれだけのこと。でも、その根本的な理由を考えた時……私はドラコの言葉を否定することが出来なかった。

ドラコが任務に失敗した時、誰がその任務を代わりに果たすのか。マルフォイ家への罰とはいえ、失敗を許す寛容さが『例のあの人』にあるはずがない。ならばマルフォイ家の人間がドラコの責任を負うことになるのだろうか。そんなこと……ダリアが許すはずがない。

その可能性を考慮した瞬間、私はより一層恐ろしい予感を感じつつあった。

ダリアは優しい女の子だ。でも、そんな彼女にも優先順位というものは存在する。彼女にとってマルフォイ家とダフネは至高の価値を持つ。彼らを守るためならば、他者を犠牲にすることも厭わないだろう。それによって彼女自身も傷つくことになろうとも。

私が恐ろしい可能性に戦慄としている間に、ドラコは扉に手をかけながら続けた。

 

「お前は教師共に報告しないと言ったな。それはそうだろう。僕の計画が奴らに露見すれば、僕もダリアもホグワーツを去らなくてはならない。それどころかアズカバン行きになる。……今のアズカバンに行っても直ぐに出られるが、お前がそれを望むとは思えない。だからお前は個人的に僕の邪魔をするつもりなのだろうが、本当にそれは正しいことかな。よく考えることだな。お前が守りたいものは僕か……それともダリアか。ダリアを本当の意味で助けるには、()()()()()()()()()()()。……お前は僕を見捨てるべきなんだ。ダリアを助けたいのならな」

 

そう言った切り、彼はそのまま部屋を出て行く。

残されたのは茫然と佇む私だけ。ほとんどの生徒も汽車を降りたのだろう。聞こえるのは、遠ざかるドラコの足音。そして荒い私の呼吸だけだった。

 

 

 

 

「ハーマイオニー。いい加減話してくれよ。僕の『透明マント』まで持ち出して……。君は一体何を見たんだい?」

 

ドラコと別れた後、私が大広間にどうやって辿り着けたか覚えていない。

最初は『透明マント』を勝手に持ち出したことに怒っていたハリーも、今は顔色の悪い私の心配をしてくれている。本来ならば私は彼にまず謝罪しなければいけない。でも、今の私にその余裕はなかった。

目の前に御馳走が並んでいても、今はそれらに目を向けることも出来ない。

 

『ダリアは僕の代わりに……僕の背負うべき罪を被るつもりなんだ』

 

何度も先程のドラコの言葉が頭に響く。何が正解なのか、私は何を為せばいいか……私には何一つ分からなかった。



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ダンブルドアからの誘い

 

 ダンブルドア視点

 

「皆、素晴らしい夜じゃのぅ!」

 

今年も大勢の生徒達が壇上に立つワシのことを見上げておる。皆純粋で、未来を感じさせる瞳ばかりじゃ。

ワシは彼等の瞳を見つめ返す。本当に美しい瞳じゃ。ワシの人生は実に無意味なものじゃったが、この瞳を見る時だけは自身の価値を信じることが出来る。

……あぁ、じゃからこそ今は寂しくもあった。この光景を見るのは、()()()()()になるじゃろうことが。

その()()に気が付いてはおらんじゃろうが、皆その()()には気が付いたのじゃろう。皆満腹であっても、それでも大勢の目が困惑した様にワシの右手に向けられるのを感じる。その中には、ワシが警戒するダリアのものも含まれておる。

隠すことも出来たやもしれん。自惚れになるが、ホグワーツが安全と言われておる理由の一つは、ワシがここにいることじゃ。そんなワシの腕がこんな有様じゃ。皆が不安に思うのも無理はない。じゃが、()()に隠し通すことが出来ぬ以上意味はない。特に()()は彼女とも……。他の生徒においても同じことじゃ。いつまでも校長室に引きこもっておるわけにもいかぬ。ならばいずれワシの腕の変化にも誰かが気付く。ならばこそ、ワシに出来ることはただ事実を提示した上で、それを優しい嘘で塗り固めることだけじゃった。

 

「おぉ、皆が心配しておるのを感じるのぅ。じゃが何も心配はいらぬ。見た目はこうじゃが、そう大した問題ではない。日常生活に問題はないのじゃ」

 

無論納得しておらん生徒がほとんどじゃろぅ。特に休暇中にワシに会ったハリーは、ワシの腕の変化に驚愕しておる様子じゃった。黒ずんだ右腕は、一目でもはや二度と動かぬことが見て取れるものじゃ。この場で多少誤魔化せても、話せば話す程ボロが出るだけじゃろぅ。ワシは袖で右腕を隠しながら続けた。

 

「さて、詰まらぬことで皆の貴重な時間を無駄にするわけにはいかん。まず管理人のフィルチさんから伝言じゃ。多くの者が知っておる、あのウィーズリー家の双子が素晴らしい店を出しておる! 彼等の素晴らしい商品を購入した者も多いと思うが……残念なことに全て禁止とのことじゃ。皆、上手く隠すのじゃぞ」

 

例年通りの言葉じゃが、やはり無性に寂しさを感じる。ワシはその寂寥感を頭の片隅に押しやりながら続ける。

 

「次に、新しい先生を紹介するとしよう! まずは魔法薬学の先生が変わる。昔ここで教鞭をとっておられたスラグホーン先生! 彼には今年から魔法薬学の教師として復帰していただく」

 

ワシにとって重要なことはまだ話しておらぬが、生徒達にとっては重要なことじゃろぅ。ワシの腕を見た時以上のざわめきが大広間を満たす。皆不思議に思ったのじゃろぅ。ハリーなど顔を青ざめさせながら立ち上がっておる。さもありなん。何故ならホラスが魔法薬学に就くということは、

 

「そして去年まで魔法薬学を担当しておられたスネイプ先生は、今年から『闇の魔術に対する防衛術』を教えてもらうことになる」

 

ハリーが最も得意とする科目が、彼の最も苦手とする教師が担当することになるのじゃから。彼の気持ちは分からんではない。セブルスは些かハリーに対して屈折した感情を抱きすぎておる。彼のハリーへの態度はお世辞にも褒められたものではないじゃろぅ。

じゃが、じゃからといってこの決定を覆すことはない。ホラスを招いたことで、魔法薬学の席が埋まってしまうことも理由の一つ。そしてもう一つの理由は……今年は()()()()()()()()()ホグワーツ最後の年になるからじゃ。彼がワシの頼みを果たした時、彼のホグワーツでの居場所はなくなる。そうならねばならん。彼は魔法薬学を得意としておりながら、毎年『闇の魔術に対する防衛術』の教員を熱望しておった。最後ならば、最後は彼の希望をかなえてやるべきじゃろぅ。

ワシは隣に座るセブルスに視線を送る。じゃが彼の表情は相変わらずの仏頂面。ワシの視線に反応すらしなかった。彼も自分自身の未来に気が付いておる。この程度の褒美で彼の宿命を振り払えるわけではない。彼はただスリザリン席を……その中で、ワシが最も警戒する生徒の席を見つめ続けておった。

じゃが彼のこともある意味では二の次じゃ。ワシはいよいよ最も重要な話を始めた。

 

「さて、新しい先生方の紹介はここまでじゃ。本題に入ろう。……この広間におる者は誰でも知っておるじゃろぅ。あれだけ否定しておった日刊預言者新聞でも、連日のように恐ろしい事実を伝えざるを得なくなっておる。ヴォルデモート……奴とその従者達が再び跋扈し、その力を強めておる」

 

生徒達の反応は劇的じゃった。大広間全体が静まり返り、青ざめた表情でワシの方を見つめ返しておる。一部はダリアの方に視線を送っておるが、当の彼女はただ自身の空になった皿を見つめるのみじゃった。ワシの方に顔も向けておらん。ワシは彼女のことを視界の端に捉えながら続けた。

 

「現在の状況は正直なところ危険としか言いようがない。このホグワーツは安全……と、ワシも断言したい。城の魔法防衛は強化された。考えうる限りの方法を施したつもりじゃ。それこそありとあらゆる手段を。じゃが、外に対する防備は完璧であっても、内からの攻撃には不安を禁じ得んのが実情じゃ。皆、肝に銘じておくのじゃぞ。ワシ等が対策を講じたとしても、敵もありとあらゆる手段を講じる。それこそワシ等の想像を超える残忍な方法を。特に奴らは他者の弱みに付け入るのが上手い。以前の戦いにおいて、奴らにどれ程の魔法使いに望まぬ犯罪を強要したことか。いくら警戒しても足りぬ。ならばこそ、どんなにうんざりするようなことでも、多少は守ってもらいたい。まずは時間厳守。決められた時間以降、夜間ベッドを抜け出してはならぬ。そして、どんなに些細なことであっても、自身が怪しいと感じるならば教員に報告すること。ワシが皆に望むことは以上じゃ。皆が常に自身と互いの安全に気を配ると信じておる」

 

言いたいことは言った。これがどこまで効果があるかは分からぬ。寧ろ望まぬ効果も出るじゃろぅ。

視界の端で、ダリアがワシの方に視線を向けておるのを感じる。それも無表情でありながら、冷たく憎しみの込められた視線を。ダリアの怒りは尤もじゃ。実際ワシの言葉を受け、何人もの生徒がダリアに警戒した視線を送っておる。彼女が『継承者』として疑われるよう、ワシが皆を誘導した時と同じように。彼女はワシが再び同じことをしたと思ったのじゃろぅ。そしてその懸念は完全な間違いとは言えぬ。

彼女はヴォルデモートの配下。それも学生でありながら、奴の右腕と呼ばれる程の。おそらくワシとある程度互角に戦うことが可能であり……そもそも()()()()()()()()()()。警戒せぬ方がどうかしておる。程度はともかく、完全な野放しにするわけにもいかぬ。

彼女のことはまだまだ考えねばならんことが多い。それは確かじゃ。じゃが、生徒に必要以上に彼女のことを警戒させるのはワシの本意ではない。それは寧ろ彼女を知ることの妨げとなる。そう、今までと同じく警戒するばかりでは埒が明かぬ……その事実をワシもようやく受け入れざるを得んかった。ワシ一人では今までと同じ選択をしておったじゃろぅ。じゃがワシの最後の望みを聞いてくれたセブルスに強く諭されれば、ワシも否とはとても言えんかったのじゃ。ワシも勇気を持って行動する必要があるじゃろぅ。

ワシはこれ以上ダリアに余計な警戒心を抱かれんよう、そのまま宴会の終了を宣言する。

 

「以上じゃ! 長々と引き留めてしまいすまんかったのぅ! そろそろ皆も眠くなっておるじゃろぅ。長い話じゃったが、皆に真の意味で大切なことは、ゆっくり休んで明日からの授業を真面目に受けることじゃ! それではお休み! そーれ行け、ピッピッ!」

 

大広間に騒音が満ちる。生徒達が一斉に動き始めたのじゃ。何百人もの生徒が一斉に立ち上がり、列をなして大広間から寮に向かっていく。

じゃが、そんな中でスリザリン席だけは妙に静かじゃった。原因は無論、ダリアが依然こちらを冷たい瞳で見つめ続けておるから。彼女を他寮以上に恐れ敬っておる寮生達は、彼女の方を窺うばかりで動こうとしておらんかった。

……今までのワシであれば、その姿にただ嘗てのトムと同種のモノを感じるだけじゃったじゃろぅ。いや、事実今も彼女の姿とトムを重ねておる。彼女は危険な存在じゃ。放っておけば、それこそ第二のヴォルデモートになる。今は未来を見ることは止めておるが、それでも彼女の未来は決して明るいとは予想すら出来ぬ。

おそらく彼女が今ワシに感じておる感情は殺意のみじゃろぅ。しかしその根本にあるものは何か。ワシへの憎しみが無いはずがない。ヴォルデモートからドラコに指令が下っておるが、彼女は自分自身でワシを殺そうとしておる。あの瞳を見る限りそれは間違いない。じゃが、それはワシへの憎しみか、それとも……純粋に家族を守りたいがためか? ドラコに罪を負わせないためか? 理由によっては、ワシはダリアへの評価を改めざるを得ないじゃろぅ。たとえ今までのワシの全てを否定することになろうとも。

 

事実彼女が人間ではない場合……ワシが想像もしておらんかった複雑な背景や心情が彼女にある可能性がある。

 

いずれにせよ、もう賽は投げられた。彼女が寝室に着けば、彼女は()()()()ことじゃろぅ。

思えば同じことを彼女が一年生の時にもしたのぅ。あれはクリスマス前のことじゃったか。あの時と同じじゃ。彼女の人となりを知る。本来であればワシが教師である以上、それは当たり前にせねばならんことじゃ。今度はワシが彼女に歩み寄らねばなるまい。それこそがセブルス曰く、今年ワシに必要な事なのじゃろぅ。

ようやくダリアが兄と友人を連れ、スリザリン席から立ち上がるのが見える。彼女の背中を見つめながら、『今世紀最高の魔法使い』と称されながら、その実臆病な自分自身を感じ続けておった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドラコ視点

 

隣のベッドからクラッブとゴイルの大きないびきが聞こえる。

僕はベッドに横になりながら、奴らのいびきを黙って聞いていた。眠れない。原因は無論二人の騒音ではない。それが無くとも、今年の休暇から僕は満足に眠ることが出来ていないのだ。

 

『お前にも選ばせてやろうではないか。お前が父親に代わって責任を果たすか、父親のもがき苦しむ様を見るか。どちらをお前は望むのだ?』

 

頭の中に響くのは、僕達マルフォイ家の主とされる男の声。あの言葉を聞いてから、僕は満足に眠ることも出来ていない。

僕がやるべきことは明白だ。ダンブルドアを殺す。言葉にするのならばただそれのみだ。それも僕自身の手で。誰の手も借りず、僕自身がそれを為さねばならない。

だが為すべきことは単純であっても、考えるべきことは多い。

まずは手段。相手は僕などより遥かに実力のある魔法使いだ。それこそこの任務を命じた『闇の帝王』にも出来ないことを、僕が出来るはずがない。それは誰の目にも明らかだ。真っ当な手段で為せることではない。ボージン・アンド・バークスで呪いネックレス、そしていざという時援軍を呼べる道具は購入した。だがそんな物では越えられない程の差が、僕とダンブルドアとの間にはある。時間も有限な中、果たして僕は奴を殺せるのだろうか。

……いや、出来るかどうかは、手段だけの話ではない。

出来たとして、僕は最後の最後に奴を本当に殺せるのだろうか? それを軽々しく為していいのだろうか?

それを軽々しく為すことは、ダリアの苦悩を軽んじることに繋がるのではないか。

ダリアは常に悩んでいた。殺人とは何か。殺人を為せば人はどうなるか。……その殺人を目的に作られた自身が、()()()()()()()()()()()を。

 

……殺人とは、本当にどういう行為なのだろうか?

 

ほとんどの人間がいけない行為だと言うだろう。許されない、罰せられるべき行いだと。だが、何故いけないことなのか。その根本を答えられる人間はそう多くはない。

否定することは簡単だ。許されない行為だから。ただそう答えればいい。

だが、ならばこそ……他者はその殺人を目的に作られたダリアを、当然の如く存在すら許されない怪物と蔑むに違いないのだ。

そんな答えを僕が認められるはずがない。殺人が悪い事である理由。ダリアを愛している僕が、その根本的な疑問を蔑ろにしていいのだろうか。

 

尤もそんなある意味で哲学的な、それこそ答えがない疑問をいつまでも考えている時間が残されていないのも事実だ。

僕は湧き上がった不可思議な()()()に蓋を被せ、ただ考えるべきことのみに集中しようとする。

僕はマルフォイ家だ。ならば僕のやるべきことなど生まれた時から決まっている。それに僕がやらずに誰がこの任務をやるというのだ。ダリアにさせるわけにはいかない。いや、ダリア()()には絶対にさせるわけにはいかないのだ。父上と母上を守るためにも、僕がやり切る以外の選択肢はない。

僕はやるしかないのだ。余計なことを考えている場合ではない。ただでさえダンブルドアと絶望的な実力差があるのに、それ以外の妨害も考えられる。

ハーマイオニー・グレンジャー。あいつは僕の目的を知っている。僕が話さなくとも、いずれダフネから奴に情報は届く。あいつが事情を知るのは遅いか早いかの違いでしかない。だからこそ僕は今日あいつにこちらから釘を刺したわけだが……正直時間稼ぎくらいにしかならないだろう。グレンジャーが最終的に殺人を容認するはずがない。どのような結論に辿り着くかは知らないが、あいつは取り敢えず僕の妨害はするはずだ。あいつはそういう奴であり、だからこそ()()()()あいつを妨害に選んだのだろう。

そう……結局のところ、グレンジャーもダリアの手駒の一つに過ぎない。僕が真に相手をすべきはダリアであり、グレンジャーではない。表立ってダリアが僕の邪魔をすることはないが、少しでもダリアに情報を漏らせば、それはグレンジャーにも知られると考えていいだろう。

無論だからと言ってダリアを責めるつもりはない。僕がダリアのことを心配していると同時に、彼女も彼女で僕のことを考えてくれているだけだ。それも僕がダリアのことを考えている以上に。何故なら……ダリアは僕以上に殺人に惹かれ、同時に嫌悪しているから。その先に何があるか、彼女は知っているのだ。その先に僕を行かせまいとダリアは僕の妨害をしている。ならば僕が彼女に怒りを感じる理由はない。僕如きが彼女の不安や苦悩を否定していいはずがないのだ。

 

あぁ、ダリア。僕の大切な家族にして……最愛の女性。

お前は否定するが、僕は僕自身の手でお前を救いたいんだ。お前に救われるのではなく、僕がお前を救いたいんだ。

だからこそ、どんなにお前が僕を邪魔しようとも……。

 

僕はただクラッブとゴイルのいびきを聞きながら、天井を見つめ続ける。

頭の中で何通りものダンブルドアを殺す方法を考える。僕に出来る方法を何通りも。

だが結局、何度考えても奴を殺す手段も……そしていざ奴を殺す瞬間の自分自身の姿も、僕は最後まで思い浮かべることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

ダフネ。私の様な怪物を、事情の全てを知りながら受け入れてくれた……私の親友。

 

「……どうしたの、ダリア? ……何かあったの?」

 

「いいえ」

 

隣のベッドに腰掛ける彼女を見つめながら考える。本当はダフネを不安になどさせたくない。マルフォイ家と同様、彼女のことも私は何としても守りたいのだ。

しかし、現実は理想とは程遠いものだった。どんなに悍ましい真実を隠したとしても、賢いダフネはその存在に気付いてしまう。お兄様が『闇の帝王』に受けた暗殺任務の話はした。事実のみを包み隠さず。ただそれで誤魔化せる程ダフネは鈍感ではない。当然時間が経てば私の目的に気が付く上、そもそも私が休暇中手紙を返さなかった理由は別物だと分かっていることだろう。

それでも彼女が黙っているのは、私が話すのを根気強く待ってくれているからに他ならない。隠し事をしないと約束していても、無理やり聞き出せば逆効果になる。優しいダフネらしい判断だった。

そんな彼女の優しさを利用している自覚はある。今も彼女は心配そうな視線を私に投げかけているが、私はただ受け流すのみだ。

でも言えるはずがないではないか。私の成長が止まっているのは、私の中に吸血鬼の血が混ざっているから。吸血鬼である理由が、『闇の帝王』の道具として半永久的に使われるため。そんな吐き気を催す程悍ましいことを、優しいダフネにどうして言えるだろうか。

無論ダフネは受け入れてくれるだろう。今更私の悍ましい秘密が増えたところで、ダフネが私を否定しないことくらいは分かる。でも、彼女は必ず悲しむはずだ。その悲しみに私がどのように応えれば良いか分からないのだ。同じ時間にさえ生きていない、汚らわしい怪物である私が……。

 

そして、今日もう一つ秘密が増えてしまった。

 

「では、ダフネ。明日も早いですよ。……色々驚いているとは思いますが、今日はまず眠りましょう」

 

「うん……ねぇ、ダリア。聞きたいことは山程あるけど、取り敢えず今日は一緒に寝ていい? 本当に久しぶりに会えたんだし」

 

「……えぇ、勿論」

 

私のベッドにダフネが潜り込むのを確認した後、私は枕元の明かりを消す。部屋の中には私達だけ。他のルームメイト二人はまだ談話室にいるのだろう。他のスリザリン生と外のことで情報交換しているのか。あるいは私の事を恐れているからか。おそらくそのどちらもが正解だろう。

しかし、私はそんな二人のことなど気にするはずもなく、ただダフネと共にベッドで横になる。

お互い言葉はない。ダフネを汚してしまうという自己嫌悪はあっても、ダフネは私を問答無用に抱きしめ、私の頭をそっと撫でてくれる。そこまでされて拒否など出来るはずがない。ここで拒否しようものなら、お兄様ではなく私自身に何かあったと自白するようなものだ。私はダフネの温もりを感じながら、今後のことについて考える。

私のことはこの際どうでも良い。マルフォイ家に比べれば無価値なモノだ。私が考えるべきは……ダンブルドアをどうやって()()()()殺すか。

グレンジャーさんへの布石は終わった。以前からお兄様の行動に気が付いていた様子だが、これで更に彼女は目的を持って動けるはず。()()()()()()をしてくれるはずだ。お兄様がグレンジャーさんの存在に気が付き、最後に何を話したのかは分からないが……お兄様の目的が殺人だと分かっている以上、グレンジャーさんに妨害以外の選択肢はない。お兄様の計画が成功する可能性は限りなく低くなったことだろう。

残る不安はスネイプ先生のことか。お母様と何かしらの契約を結んだ様子だが、先生のスタンスが判然としない。先生のことだから本物の『死喰い人』ということはあり得ない。ただお兄様の事情を把握している以上、先生はどのように行動するのか。お兄様に表面上協力する一方、それこそダンブルドアにお兄様の情報が流れているはず。

 

そうでなければ……()()()()()()()()()()()の説明がつかない。

 

今は枕の下に隠している手紙。部屋に入った時には、これ見よがしに枕元に置いてあったものだ。しかも堂々と奴の名前が差出人として書いてあった。ダフネがパジャマに着替えている隙に内容を見たが、

 

『これから時折校長室で会いたい。君に()()()()()()もある』

 

要約すればそのようなものだった。ゴチャゴチャと老害らしい下らない冗談も書いてあったが、要点自体は実にシンプルなものだ。

奴が私に見せたいものなど碌な物であるはずがない。思い浮かぶのは魔法の鏡。私の最も恐れ、同時に憧れるものを写していた。どう言い繕おうとも……あの鏡の写し出すものは、私が怪物であると証明していた。あれをまた持ち出すつもりなのだろうか。

しかし、私は奴の誘いを断るわけにはいかない。何故なら、この誘いは奴を殺す絶好の機会でもあるから。無論奴もそれは分かっているのだろう。この招待状の存在自体が、お兄様の計画が奴に筒抜けである証拠でもある。目的が監視や、もしくはそれ以外のモノであったとしても、私がこの絶好の機会を逃さないと知った上での挑発だった。

 

思わずダフネに隠してしまったが、この秘密はそう長く隠し通せはしないだろう。いつかはダフネにもこの密会のことは露見する。そうなれば必ずダフネは私を制止するはずだ。私のことを心配して。だが、それでは困るのだ。ダフネの制止を振り切るためには、必ず言い訳をしなければならない。まさか彼女に……私がダンブルドアを殺すために会うと言うわけにはいかない。適当な誤魔化しで騙されるダフネでもない。でも、今だけは……。

 

「ダリア? やっぱり、」

 

「何もありませんよ、ダフネ。……絶対に守りますから」

 

まずは奴の誘いに乗ってやる。奴の目的が何であれ、私にとって好都合であることは変わりないのだ。私は絶対に成し遂げてみせる。

 

()()()()()()()()()()()()()。私の守りたい人達のために。

 



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スラグホーン(前編)

 

 ダリア視点

 

世界は変わった。全てが『闇の帝王』の望み通りに変わりつつある。

しかし、それでもホグワーツでの生活は表面上変わることはない。少なくともあの老害が無事な間は。

 

「最初の授業は何?」

 

「私は『薬草学』よ。『O・W・L』での『闇の魔術に対する防衛術』評価はPだったから」

 

「……散々な結果ね」

 

近くの席から実に平和な会話が漏れ聞こえてくる。私達の学年から『O・W・L』での成績によって授業の選択が変わる。成績が悪ければそもそも授業を受講することすら出来なくなる。だからこそ多くの生徒が成績について話し合っていた。彼等にとって世界の変化より目の前の授業の方が大切なのだろう。ホグワーツ内に限れば表面上平和な証拠だ。

そして()()()()()に、私とダフネ、そしてお兄様にとって、彼等の細やかな悩みは無縁のモノだった。三人とも授業を受けるのに問題ない成績であり、今までと同じ授業を選択するだけだ。唯一の変更点はお兄様とダフネが『魔法生物飼育学』の受講を取りやめたことくらいだろう。教員が元々あの森番である以上、続けて受講する意味もない。つまり、私達はホグワーツでの細やかな悩みに煩わされることなく、残念ながらホグワーツ外のことを考える他なかった。

 

「最初の授業はスネイプ先生ですか。まさか『闇の魔術に対する防衛術』を担当するなんて。悪いわけではないですが、正直意外です」

 

「……この変更に何か意味があると思うか、ダリア?」

 

「……さて、どうでしょうね。寧ろ気になるのはスラグホーン先生です。あの人は『あの方』から探すように指示されていました。そんな人物が魔法薬学のスネイプ先生を押しのけてまでホグワーツに保護されたわけです。スラグホーン先生にこそ、あの老害の意図があると考える方が自然でしょう」

 

お兄様との会話だと言うのに、何故私はこの様に神経をとがらせなければならないのだろうか。ただ新しい教員の人事配置の会話。だと言うのに、私はお兄様に与えていい内容を頭の中で吟味している。全く情報を渡さないわけにはいかないが、お兄様の計画に有益な情報を与えるわけにもいかない。こんなことを考えている自分自身がより一層嫌いになるばかりだ。

そんな私達の様子に気が付いたのか、ダフネが慌てたように声を上げる。

 

「で、でも、これで授業が有意義な時間になることは変わりないよね。スネイプ先生なら下手な授業はしないはずだよ」

 

「えぇ、そうですね。それだけが救いでしょうか」

 

しかしそこで会話は途切れてしまう。何もかもが嚙み合わない。お兄様やダフネと共にいる時間こそ、私にとって幸福な時間だ。その事実に些かの変わりはない。であるのに、どうしても去年までとの違いに寂しさを感じてしまうのだ。別にホグワーツで気が抜ける瞬間などありはしなかった。ただその中でも、お兄様達との時間だけは特別だった。それが不可逆的に多少の寂しさを感じる時間に変わってしまい、その上残り時間すらも短い。どんなに長くとも1年。任務が失敗しても成功しても、私とお兄様はこの学校を去らねばならない。ホグワーツでの表面上でも平和な時間は確実に終わるのだ。

暗い空気が漂う中、私は校長席の方に視線を向ける。一瞬だけ視線が交差した気もするが、老害は即座に視線を逸らし食事に集中していた。本当にあいつは何を考えて私に招待状を出したのだろう。どこか臆病ささえ感じさせる態度だが、奴は曲りなりにも『今世紀最高の魔法使い』と称された人間。あのゲラート・グリンデルバルドを倒した魔法使いでもある。何か目的があるに違いない。どんな目的があるにしろ奴を殺さなければならないことに変わりはないが、注意しているに越したことはない。

 

どんな物を見せるつもりかは知らないが、絶対にあの老害を私自身の手で殺す。

 

いつもは動かない頬の筋肉が動くのを感じながら、私は老害の方を見つめ続ける。同時にそんな私を、ダフネとお兄様は不安げに見つめているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

今までの『闇の魔術に対する防衛術』の先生で真面だった人は少ない。ルーピン先生と、強いて挙げるならばムーディ先生くらいだろう。尤もムーディ先生の中身は『死喰い人』だったわけだけど、教師としてだけならば真面な部類だった。その他は論外な奴ばかりだ。クィレルは何を話しているか分からない上、やはり『死喰い人』。ロックハートはペテン師。そして去年のアンブリッジは魔法省の人間とはいえ、ほぼ『死喰い人』のようなものだった。碌な奴がいない。特にアンブリッジは最低であり、もうあいつよりも酷い教師など存在しないとさえ思っていた。

……いたのだけど、

 

「ふむ。思いの外多くの生徒が残っている。正直驚いている。諸君らが今まで受けてきた授業は、どれもこれも授業と言える代物ではなかった。だが、それでもO・W・Lで多少は真面な点を取ったからこそ、諸君らはこの授業を受けることを許可されたわけだ。それは相応の実力が諸君らに備わっていると所作と言えよう。無論運よく……偶々合格点を取っただけの者が多数だろうがね」

 

その最低レベルが早くも更新されると、僕は最初の授業で確信せざるを得なかった。

目の前では僕にワザとらしく視線を向けるスネイプ。明らかに僕を挑発している。僕の『闇の魔術に対する防衛術』がO評価……つまり最優秀評価だったにも関わらずだ。

僕が睨み返すと、スネイプは鼻で笑いながら続けた。

 

「『闇の魔術』は多種多様、千変万化、流動的にして永遠なるもの。それと戦うとなれば、生半可な術では太刀打ち出来ん。先程諸君らに実力が備わっていると言ったが、それは所詮他の盆暗に比べればというものだ。偶々この科目で良い点を取ったとしても、それは試験の上だけのもの。他の科目……そう、例えば『魔法薬学』においてギリギリの成績だったような者に習得できるはずがないのだ。……そう思わんかね、ポッター。まさか『選ばし者』と持て囃されたところで、それ相応の実力が君にあると勘違いしたわけではなかろうな。実に運が良い事だ。君の成績であれば、吾輩は『魔法薬学』の受講を許可しなかっただろう。実に惜しい事。この授業で君が醜態を晒さないことを祈らずにおれん」

 

怒りの声を上げなかった自分を褒めて欲しい。何故いきなりこんなことを言われなくてはならないのだろう。

分かることは、こいつはやはり僕の敵であるということ。一度として信用したことは無いが、改めて思う。ダンブルドアがこいつのことを信用するのは間違っている。こいつがヴォルデモートやダリア・マルフォイの仲間であることは間違いない。ドラコ・マルフォイとも何かしらの繋がりがあるに違いない。何せこいつは常々マルフォイ兄妹を贔屓していた。こんな男がドラコの何かしらの目的を知らないとはとても思えなかった。

こいつは今でこそ念願の『闇の魔術に対する防衛術』を担当して喜んでいるのだろうけど、喜んでいられるのも今だけだ。何せこの科目は誰も一年以上続けられない。ならばこいつも今年でいなくなるということだ。必ず僕がこいつの尻尾を掴み、僕自身の手で追い出してやる。

僕はそんな決意を胸に、ただスネイプを睨み返す。スネイプは僕が睨み返すものの何も言い返さないことに満足したのか、そのまま周囲に視線を向けた。

 

「さて、いつまでも『選ばれし者』とやらに構ってはおれん。今日諸君達に習得してもらうのは『無言呪文』だ。知っておる者もいるはずだ。特に……ミス・マルフォイ。君はポッターとは違い、全ての科目でO評価であった。何より昔から君は使いこなしていたと記憶している。ならば答えられるはずだな?」

 

「……はい。『無言呪文』はその名の通り、呪文を実際に唱えることなく放つことです。実際に口にするよりも集中力こそ必要ですが、これにより相手に何の呪文かを悟られない利点があります」

 

「実に簡潔でありながら、本質を捉えている。スリザリンに10点を与えよう」

 

僕の大っ嫌いな『魔法薬学』の授業が、そのままこの授業に代わっている。ダリア・マルフォイへの過剰な贔屓。そして、

 

「ミス・マルフォイの答えの通りだ。呪文を声高に唱えることなく魔法を使えば、それだけで驚きという要素の利点を得る。言うまでもなく、全ての魔法使いが使えるわけではない。集中力と意志力。このどちらもが必要だ。残念なことに……吾輩はこのどちらをも持ち合わせておらん生徒を知っている」

 

事ある毎に繰り返される僕への嫌味。

改めてアンブリッジ以上に嫌な教師が担当になったと実感せざるを得ない。唯一アンブリッジより優れていた点は、この後杖を使った実践が行われたことくらいだろう。

 

「悲劇的だ……そう、悲劇としか言いようがない。無言呪文を習得出来たのが、ミス・マルフォイを除けばミス・グリーングラスのみとは。特にポッター……何と言う様だ。まるで集中できておらん。……去年から何も進歩しておらんぞ。これでは閉心術を習得できんはずだ」

 

尤もそんな唯一の利点すら凌駕するマイナス点しかないのだけど。結局授業はほとんどスリザリン生への贔屓と、僕への嫌味に終始したのだった。グリフィンドールで唯一『無言呪文』が出来たハーマイオニーは完全に無視されている。

当然授業が終わった瞬間、僕らグリフィンドール生は一斉に廊下に逃げ出し、そのままありとあらゆる不満をぶちまけた。

 

「遂に『闇の魔術に対する防衛術』の担当になったと思ったらこれだよ! やっぱりスリザリン贔屓のままだよ!」

 

「しかも『無言呪文』だって!? こんなこと出来る魔法使いは大人にだって少ないぞ!」

 

次々とグリフィンドール生が声を上げる中、僕も溜まりこんだ怒りを吐き出していた。

 

「あの『閉心術』の時と同じだ! あんな風に嫌味ばかり言われて、それでも集中なんて出来るかい!? これじゃ『魔法薬学』の時と同じだよ! なんで僕ばっかりこんな目に遭わないといけないんだ! そもそもダンブルドアがあいつを担当に選んだことがおかしいんだ! あいつに『防衛術』を教えさせるなんて! あいつは元々『闇の魔術』を使う側だったんだぞ! それこそ校長は内部に注意しろと言ってたじゃないか!?」

 

正直我慢していた分、許される限りいつまでも文句を垂れ流していたかった。何度スネイプに反論してやろうと思ったことか。

しかし、隣でジッと教室の方を見つめていたハーマイオニーは違う意見を持っている様子だった。

 

「……()()()()()()()()()()()()。何かあったのかしら。いえ……今考えても仕方がないわね。それとハリー。不満なのは分かるけど、スネイプ先生が仰っていたことは全てが全て間違いではないわ。言葉は悪いけど、先生が言いたいことはDAで貴方が言っていたことと同じよ。付け刃の知識ではどうにもならない。結局はその時の勇気と集中力が大事ってこと。それは貴方が言っていたことと同じはずよ。貴方はとても大切なことを言っていた。本人にそのつもりは無いでしょうけど、スネイプ先生はそれを証明したのよ」

 

前半は小声だったため何を言っていたかは分からないけど、後半の言葉は僕を黙らせるには十分だった。

スネイプを褒めるのはどうかと思うけど、僕の言葉を覚えてくれていることも分かったからだ。反論したくとも出来るはずがない。僕はそのまま黙り込み、ハーマイオニーの続く言葉を聞くしかなかった。

 

「それより、次の授業は『魔法薬学』よ。これも私達全員が受けることが出来るわね。スネイプ先生の合格基準は無効になったから、ハリーとロンにも受講資格があるはずよ。二人共直ぐに準備するべきだわ」

 

「え? 僕等も『魔法薬学』に行くのかい? で、でも僕ら教科書すら準備していないんだぜ? それに実は僕、今年クィディッチの、」

 

「言い訳無用! 『魔法薬学』は将来のためになる分野よ! 担任が代わったのなら尚更好都合でしょう!? ほら、さっさと準備するのよ! 古い教科書ならば教室にもあるはず。駄目なら特別に貸してあげてもいいわ!」

 

最後にはロンの言葉を遮り、僕等の背中を叩き始めるハーマイオニー。あまりに強硬な態度に僕とロンは渋々従うしかない。実際、新しい教員はスラグホーン先生だ。授業に出席していた方がダンブルドアの期待にも応えられるだろう。というより、参加する他に方法が無い。乗り気はしないが、先生と親交を持てるかどうかが今後の戦いを左右すると言われれば、僕は黙って従う他ないのだ。

僕は尚心の中で燻る不満を感じながらも、ハーマイオニーに黙って背中を押されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「……ミス・マルフォイ。残りたまえ。君に少し話がある」

 

「ダリア、私も残ろ、」

 

「すみません、ダフネ。……お兄様もです。先に行って下さい。私も先生と話がありますので」

 

ホグワーツ新学期初日だというのに、本当に嫌になる。私を心配するダフネやお兄様を外に追いやりながら、私は今朝と同じ思考を繰り返す。

本当に何もかもが噛み合わない。ダフネやお兄様。そして……スネイプ先生とも。

今もそうだ。ダフネとお兄様が私のことを心配してくれているのは分かっている。スネイプ先生がこのタイミングで話しかけてくるなど、少しでも裏の事情を知っていればただの教師と生徒の会話でないことは分かる。特にスネイプ先生は、お兄様の暗殺計画の補佐をするとの話だ。

 

『決してダンブルドアに手を出してはいけない。それは貴方達がすべきことではない。大丈夫。代わりにことを成してくれる人はいる。だから……貴方達はただホグワーツでの生活を楽しめばいいのよ』

 

キングスクロス駅でお母様は明言こそ避けていたが、ホグワーツで事を為せる人間などそう多くはない。条件に該当するのはスネイプ先生のみ。人払いした上で話す内容など容易に想像がついた。だからこそ私はいくらスネイプ先生と言えども警戒せねばならず、尚且つお兄様達を遠ざけざるを得なかったのだ。

唯一不可解な点は、

 

「……さて、ミス・マルフォイ。お互い多忙の身だ。その上、君は実に優秀な生徒でもある。説明などなくとも、要件のみ手短に話せば君は理解できるはずだ」

 

何故お兄様ではなく、私を名指しで残したのかということだ。あくまで暗殺計画の主体はお兄様。私が老害の暗殺を企てているのは、別に『闇の帝王』の命令があるからではない。お兄様に殺人など犯させず、尚且つ家族を少しでも守るため。そこに『闇の帝王』の意思など関係ない。だというのに、スネイプ先生は私を指名した。先生が二重スパイであることもあり、私は警戒感を更に高めていた。しかし先生はそんな私に頓着することなく、本当に要件から始める。

 

「先日吾輩の下に君の母親が訪ねてきた。彼女の姉であるベラトリックス・レストレンジと共にな。そこで彼女は吾輩にとあることを求めた。……吾輩が君の兄の計画を手助けすることを。優秀な君であれば、その事実に気が付いておるはずだ」

 

「……えぇ、勿論です」

 

私の考えに先生も気が付いているのだろう。

 

「吾輩がこうして話しかけたことで、より確信に変わったと言ったところか。吾輩が『闇の帝王』の命を受けこうして今もホグワーツに潜伏していると、君は以前から知っていた。ならば君がこの学校における唯一補佐出来る人間であると思い至らぬはずがない。だが、今はそれが本題ではない。君の母親は、更に吾輩に願った。……君が兄の代わりに、あのダンブルドアを殺害することがないようにとな」

 

そしてようやく疑問が解消された。成程、お母様はそんなことまでスネイプ先生に頼んでいたのか。

実にお母様らしい。お母様はやはりどこまでも優しく、私を変わらずただの人間扱いして下さる。私は人間ではなく、ただの()()であるというのに。

 

「……吾輩は昔、ルシウス・マルフォイに世話になったことがある。出来る限りその子供達の面倒を見るつもりだ。だからこそ、吾輩は君の母と『破れぬ誓い』を立てた。マルフォイ家の子供達に危険が及ばぬよう守ること。……君達が無用な争いに巻き込まれぬようにすることを」

 

スネイプ先生の言葉は続き、最後に私の瞳を見下ろしながら締めくくられる。

 

「よって、兄想いである君は不安であろうが、黙って様子を見ておるのだ。これは君の兄が命じられた任務であり、同時に吾輩の任務でもある。君に入り込む余地はない。一年間大人しくしていること。これが吾輩の伝えたかったことだ。質問が無ければ以上となるが?」

 

先生の言いたいことは分かった。

無論先生が全てを話しているとは思えない。特に『破れぬ誓い』に関して、何か重要な情報を隠している気がする。ただ私とお兄様を守るだけであれば、このような仰々しいことを言う必要が無いのだから。お母様に確認しようにも、お母様が正直に話してくれるとは思えない。ならば今気にすべきことは別の事だろう。

私をこの暗殺計画から遠ざける理由。自惚れになるが、お兄様よりは私の方が老害の暗殺に成功する可能性が高い。元々私は暗殺計画に関わっていないが、その上でこうやって態々釘を刺すことには必ず意味があるはず。本当にスネイプ先生がなりふり構わず老害を殺すつもりなら、私を利用しない手はない。

考えられる可能性としては、単純に私とお兄様のことを心配して下さったから。この要素は間違いなくあるだろう。これまでのホグワーツでの生活で、私は散々スネイプ先生のお世話になった。些か偏屈な方ではあるが、確かにいつも私に気を配って下さった。それが表面的なモノでしかなかったとは思えない。その上、先生は『死喰い人』でありながら、()()()()()をしっかりと理解しておられる。それこそ間違いなく、私が先生のことを二重スパイと疑う程に。先生がただの()()()()()()『死喰い人』であるはずがない。ならば一応子供である私を殺人などという行為から遠ざけようとするのは極当たり前のことだ。

だが、それだけが理由であると思える程、私は普通の子供でも、ましてや人間ですらない。

他にも意図があるはずなのだ。先生はこれは自分の任務でもあると言った。それは一体どういう意味なのか。本当にお兄様の代わりにダンブルドアを殺すつもりなのか。そんなことはあり得ない。ならばもっと別の意味が。

尤も、この疑問をここで馬鹿正直に先生に尋ねたところで答えてくれるはずもない。だからこそ、様々な可能性を考慮した末に、

 

「一つだけ質問が。昨日大変興味深い手紙を()()()()頂きましたが……先生の先程の言葉も、()()()()()()()ですか?」

 

先生と同様、相手が予期していなかっただろう質問を投げかけることにしたのだった。

スネイプ先生は私の目的に気が付いていた。ならば老害にも気付かれているはず。つまり奴は私の殺意に気が付いた上で、私を誘っているのだ。最初から分かっていたことであるが、スネイプ先生の言葉でより一層確信に変わった。この際スネイプ先生の意図などどうでも良い事だ。結論は何一つ変わらない。私がダンブルドアを殺す。それ以外の結末などあってはならないのだから。

だからこそ、私は単刀直入に先生の背後にいるであろう老害のことを尋ねる。どこまで私の考えが正しかったかを確かめるために。

そして私の思惑通り、先生は一瞬瞳を見開いた後、即座に無表情に戻り応えた。

 

「……全てが全て校長の指示通りではない。吾輩とてあの老人に渡す情報は選別している。だが、校長は知っての通り『今世紀最高の魔法使い』。吾輩の情報が無くとも、ある程度ドラコ・マルフォイの動向は察しておられる」

 

僅かに動揺したとはいえ、流石はスネイプ先生。今の言葉で私がスネイプ先生のことも警戒していると察したのだろう。だが、それだけでも十分な情報だった。

今手に入る、欲していた情報は全て手に入れた。やはりあの老害は私の殺意に気が付いている。先生の反応はそういうものだ。となれば、老害と会う時の心構えも変わってくる。

やはり一筋縄にはいかない。ただでさえ厄介な相手が、更に私のことをより一層警戒している。心してかからねば。

 

「そうですか。ありがとうございます。確かに先生からのご忠告は聞きました。では、私はこれで」

 

スネイプ先生の言ではないが、私も無駄な時間を過ごすつもりはない。これでスネイプ先生に私が先生にも警戒心を抱いていることは伝わってしまった。今更のことではあるが、これで先生も私に下手に情報を与えようとはされないだろう。

私は先生に頭を下げ、そのまま先生の言葉を待つことなく出口に向かう。しかし、私の背に先生の独り言のような言葉が投げつけられたのだった。

 

「……今の君には信じられぬだろうが、校長からの手紙はただ君を警戒しての物ではない。吾輩は常々感じていた。校長と君はあまりにもお互いを知らぬ、と。実に珍しいことに、校長は今年吾輩の言葉を聞き入れた。少しでもよい。少しだけ、校長の言葉に耳を傾けるのだ。それは君の糧になるはずだ」

 

僅かに足を止める私に先生は最後、

 

「それと最後に……スラグホーンの授業で君は不当な扱いを受けるだろう。君は特別扱いなど求めぬだろうが、気分をあまり害さぬことだ」

 

それだけ言い放ち、振り返ってもこちらに視線を合わせることはなかった。



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スラグホーン(後編)

 

 ハーマイオニー視点

 

教室の作りが変わったわけではない。『魔法薬学』の教室は相変わらず地下にあり、窓の一つもありはしない。開放的とは言い難い空間。

でも、先生が変わったことで教室の雰囲気はガラリと変わっていた。私達はスネイプ先生以外の『魔法薬学』を経験したことが無い。それはつまり、グリフィンドール生は誰一人として授業で正しい評価を受けていないことを意味している。ハリーでなくとも、『魔法薬学』に多少なりともストレスを感じるのは間違ってはいないと思う。私もスネイプ先生の優秀さは理解していても、苦手でなかったとは決して言えない。今までの授業で何度手を上げ、何度無視されてきたか。結局一回も当てられることはなかった。

だからこそ、スラグホーン先生がまだ部屋に到着していないというのに、グリフィンドール生の表情は非常に明るいものだった。今までの『魔法薬学』では考えられない表情だ。

私はダリアが遅れて教室に入ってきたことを確認し、安堵の息を吐きながら考える。

ハリーから聞いたスラグホーン先生の人となりを考えると、おそらく先生は優秀な人と交流を持つことが好きなのだろう。ただ有名な人と交流を持つだけならば、ジニーをコンパートメントに招待した理由に説明がつかない。ならばこの教室において、最も優秀な生徒にも目をつけるはず。

私達とは違い、ダリアにとってスネイプ先生は優しい教師であったと思う。でも『魔法薬学』担当が代わったとしても、彼女は正しく優秀さを認められ続ける。彼女が特別扱いを求めていなくとも、必ずある程度の優遇はされる。それは本来正しいことではないのだろうけど、今の彼女にとって少しでもストレスの少ない環境になるのであればと私は願っていた。

そして、

 

「やぁ、諸君! お待たせしたかな?」

 

教室の扉が開き、スラグホーン先生の授業がいよいよ始まった。

 

「おぉ、ハリー! 君もこの授業を受けるのだったね! 急な事ではあるが、マクゴナガル先生からそうなるだろうと聞いておったよ。優秀な君を私の教室に迎えれて、私は嬉しいとも! 勿論他の皆もそうだ! 何せ君らは『O・W・L』を潜り抜けてきた生徒達だ。実に楽しみだよ!」

 

テカテカの禿げ頭に巨大な銀色の口髭。スネイプ先生は絶対にしないような朗らかな微笑みを浮かべ、先生はその立派なセイウチ髭を撫でながら続けた。

 

「では早速授業を始めるとしようか。久方ぶりの授業だ。随分張り切ってしまってね、授業が始まる前にいくつか魔法薬を煎じておいたのだよ。折角だから君らに見てもらうことにしよう」

 

そう言って先生が杖を振ると、どこからともなく大鍋が現れる。大鍋の数は3。どれからも独特な香りが立っており、()()()()()()実際に見たのは初めての薬だった。

 

「これらは『O・W・L』の次……『N・E・W・T(いもり)』を終えた時に、君達が煎じることが出来るようになっている薬だ。調合したことは勿論ないだろう。だが、優秀な生徒であれば名前くらいは聞いたことがあるはずだ。これらが何か分かる者はおるかね?」

 

教室で手を挙げたのは私だけだった。今までであれば、そんな私はことごとく無視され、強制的にダリアが指名されていた。でも今年からは違う。

 

「ほう、随分勢いのいい生徒がいるね。君はどれが答えられるかね?」

 

「全てです、先生」

 

私の答えに先生は驚いた表情を浮かべていた。

 

「なんと。それが本当であれば素晴らしいことだ。では、一つずつ言ってごらん」

 

「こちらの薬は『真実薬』です。無色無臭であることが特徴的です。これで飲んだ者に無理やり真実を話させることが出来ます。そしてこちらが『魅惑万能薬』。真珠貝のような独特の光沢が特徴です。世界一強力な愛の妙薬で、その者が何に惹かれるかによって匂いが変わります。私の場合はミントの歯磨き粉。これは確かロ……いえ、何でもありません。それと最後に、こちらは『ポリジュース薬』です。相手の一部を入れることで、飲んだ者を相手の姿に変えることが出来ます。今は泥の様な色をしていますが、相手によって色が変わります」

 

最後まで横やりを入れられることなく答えれたのは初めてだった。スネイプ先生の時ではとても考えられない。

更に今までと違い、スラグホーン先生は心底喜んだ表情を浮かべていた。

 

「素晴らしい! いや、本当に素晴らしい! 君は大変優秀な生徒だ! グリフィンドールに20点! 以前ここで教鞭を振るっていた時も、君程優秀な生徒はほんの一握りしかいなかったとも! すまないが、名前をお聞きしてもよろしいかな?」

 

「グレンジャーです。ハーマイオニー・グレンジャー」

 

「グレンジャー? もしやヘクター・グレンジャーと関係が? 私の教え子で、今は超一流魔法薬師協会の設立者なのだが?」

 

「いいえ、関係はないです。私はマグル生まれなので」

 

私の言葉にスリザリン生の間で小馬鹿にしたような笑い声が漏れる。それでもスラグホーン先生の表情は変わらず、逆に笑顔を強めながらハリーと私を交互に見ていた。

 

「ほっほう! では君がハリーの言っていた子か! ハリーは随分君のことを褒めていたよ! 僕の友達はマグル生まれの子で、学年で1番優秀な子です、と。ハリー、この子が君の言っていた友達だね?」

 

「はい、その通りです、先生」

 

ハリーも笑顔で応えるのを聞き、私は表情をほころばせながら考える。

やはり私の予想は正しかった。まさか『魔法薬学』でこんな素敵な気分になるなんて想像もしていなかった。先生は私のことを正しく評価して下さる。本当に今までの授業では考えられないことだった。

 

「もう、ハリー! せ、先生、ありがとうございます! で、でも学年で一番の生徒は私ではありません。一番は私ではなく、そこにいるダリアです! 彼女こそ学年主席ですから!」

 

私もただ舞い上がっているだけではいけない。私だけでなく、本当に優秀な子のことも評価してもらわなくてはならない。

私の言葉を受け、ハリーは苦虫を噛み潰したような表情を。ダリアはいつも通りの無表情を。そしてスラグホーン先生は私に対するものと同じ笑顔をダリアに向けた。

 

「ほう、こちらの綺麗なお嬢さんが学年主席と? ミス・グレンジャーが言うのだから、間違いなくそうなのだろうね。それも私と同じスリザリンか! これは負けていられないね。では君、とっておきの薬をお見せしよう。これが何か分かるかね? これだけでは分からないだろうから、ヒントを少々。この薬の別名はフェリックス・フェリシスだ」

 

先生が取り出したのは小さな小瓶だった。対するダリアはいつもの無表情。でも、何故か私にはそれが酷く煩わしそうなものに見えていた。彼女は一瞬非難がましい視線を私に向けた後、静かな口調で答え始める。

 

「フェリックス・フェリシス。幸運薬です。人に幸運をもたらす薬。それを一さじ飲むだけで、その人の一日を幸運なものにします」

 

「その通り! スリザリンに10点! ではもう一つ質問だ。少々難しい質問だが、答えられれば更に加点しよう! 君の言う通りの効果があるというのに、何故皆これを服用しないのかね?」

 

「調合が非常に困難だからです。少しでも調合を間違えると恐ろしい結果を招きます。そして毒性も強い。多量に摂取すれば、危険な自己過信にも陥ります。先生のお持ちの量であれば、12時間分の幸運といったところでしょうか。それ以上は毒性が勝ると思われます」

 

「おお、そこまで知っているとは! いやはや、今年の生徒は本当に優秀な子ばかりのようだね! スリザリンに更に20点!」

 

私とスリザリン生の拍手が教室に響く。ダリアは迷惑そうな空気を醸し出していたが、評価されないよりはマシだろう。

しかし、

 

「本当に私は運がいい! こんな豊作な年にホグワーツに戻ることが出来るとは! おぉ、そうだった! 君の名前もお聞きしてもよろしいかな?」

 

「……ダリア・マルフォイです、先生」

 

事態は突然予想外の方向に転び始めることとなる。

今までこれ以上とない笑みを浮かべながらダリアに向き合っていた先生。しかしダリアの名前を聞いた瞬間、その笑みは完全に凍り付いたものとなった。

 

「……マルフォイ? し、しかもあ、あのダリア・マルフォイ? き、君があのダリア・マルフォイなのか!?」

 

「……何が仰りたいかは分かりませんが、私がダリア・マルフォイであることに間違いはありません」

 

そしてダリアの応えを聞いた後、今までの笑みは消え去り、ただ怯えた表情だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

スネイプ先生からの忠告を聞くまでもない。

正直なところ、スラグホーン先生から私への反応は予想通りのものでしかなかった。

 

「そ、そうかね。う、うむ。優秀な生徒が大勢いることはいいことだ。うん、そうとも」

 

スラグホーン先生は純血、非純血問わず大勢の著名人と親交を持っている。ならばある程度私の情報も得ているはず。『死喰い人』であるマルフォイ家の娘。『死喰い人』はこの夏散々先生を追いかけまわしていた。証拠こそ残してはいないが、ある程度私が『死喰い人』と繋がりがあることを警戒するのは当然だ。それどころか教員達の中では半ば事実として認識されていることだろうし、それはまごうことなき事実でもあった。

 

「さ、さて! そろそろ皆も話を聞いているだけでは退屈だろう。今から皆には『生ける屍の水薬』を作ってもらおう。『上級魔法薬』は用意しておるね。教科書の10ページを開いてくれ。御覧の通り非常に複雑な魔法薬だ。存在こそ知っておっても、調合したことがある生徒はおらんだろう。だからこそ私も君達がこれを調合出来るとは思っておらん。それこそ()()()()()()()()()、君を含めてね。しかし一番良くできた者には、このフェリックス・フェリシスをプレゼントしよう! さぁ、かかりたまえ!」

 

だからこそ、スラグホーン先生が私を恐れ、存在を無視するようになるのは当然の帰結と言える。スネイプ先生以外の教員も、表面上こそ初年時同様丁寧だが、その瞳には隠しようもない警戒心に溢れていた。実際に『死喰い人』に追い掛け回されていたのならば、その恐怖感は他の教員以上のものであるはず。

結果、先生は私に先程の笑顔を向けることはなくなり、存在を無視することに決めたようだった。チラチラと視線こそ感じるが、その視線は恐怖と警戒心に溢れている。

生徒の大勢が大きすぎる報酬を欲し、今まで以上に集中した様子を見せていた。そんな中、ダフネとお兄様だけは私の傍に寄ってくる。

 

「ダリア、大丈夫? なんだろうね、あの先生の態度」

 

「いいえ、ダフネ。先生の態度は当然のものです。寧ろ私の存在を歓迎するようであれば、それこそ先生の頭を心配せねばなりません。……マルフォイ家が『死喰い人』であることは周知の事実ですから」

 

「ダリア……」

 

私の返答に、ダフネも口をつむぐしかなさそうだった。お兄様も難しい顔をして黙り込んでおり、遠くの席にいるグレンジャーさんもただ困惑した表情で私と先生の交互に視線を送っている。私は余計なことをしてくれたグレンジャーさんに一瞬だけ視線を送った後、ダフネとお兄様になるべく明るい声音を意識して応えた。

 

「何故お二人がそんな暗い顔をされているのですか? ……確かにお兄様もスラグホーン先生にはいい対応をされないでしょうが、別に授業から放り出されたわけではありません。私も特別扱いされたいわけでもないですし。それよりも、ダフネ。はやく魔法薬作りに取り掛かりましょう。この中で薬を貰える可能性があるのは、貴女か……グレンジャーさんのどちらかです。私もお手伝いしますから」

 

だが当然、私の上辺だけの言葉に効果があるはずもない。お兄様とダフネの表情は暗いまま。しかし二人もこれ以上ここで議論しても無意味であることは気が付いている。それ以上何も言うことはなく、ただ黙って授業に取り掛かる。

 

「あの、先生。実は僕とロン……最初はこの授業を受けられるとは思っていなかったので。その、教科書がなくて」

 

「おぉ! 成程! そういえばそうだったね。ではハリー。そしてその御友人。そこの棚に昔の教科書があるから使うといい。なに、昔と製法は変わっておらんから大丈夫だとも!」

 

ポッターと先生との会話を横目に、私も私で作業に取り掛かりながら考える。

スネイプ先生……そしてグレンジャーさんの気遣いは無用のものだ。お兄様はホグワーツでの生活は今年で最後だと語っていた。それは私も同様だ。私も来年があるなどと甘い考えは抱いていない。私の企みが成功するにしろ失敗するにしろ、この城に残るという選択肢はない。ならばこの方が後腐れが無くて良い。スラグホーン先生に気に入られていようと気に入られまいと、先生の豊富な『魔法薬学』の知識が手に入るならばそれで良い。

 

こんな事態に陥っているのは、全て私自身のせいでしかないのだから。

 

私は小さく溜息を吐き、気分を切り替えるためにも隣で作業をするダフネの鍋を見やる。

 

「いい出来ですね。ただもう搔きまわす方向を時計回りにした方が良いでしょう」

 

「え? で、でも反時計回りって教科書には書いてあるよ?」

 

「実のところ、この薬は教科書通りに作成するのは難しいのです。最新の研究が全く反映されていないと言いますか……。ほら、淡いピンク色に変わったでしょう?」

 

「ほ、本当だ! ありがとう、ダリア!」

 

私への心配が消えたはずがない。それでもダフネは何とか声音だけは取り繕い、私にぎこちない笑顔を浮かべてくれていた。そんなダフネの気遣いに対し、当然私がかけるべき言葉はない。あるはずがない。だからこそ、私はただダフネに自分自身の片手間とはいえアドバイスを続ける。グレンジャーさんの鍋を遠目に見たが、とても完璧とは言い難い出来だった。最新の研究にも触れられる純血貴族の出身である私と、優秀とはいえ教科書でしかその存在を知らない彼女とでは残念ながら環境が違う。今回ばかりはグレンジャーさんにあまりに不利な状況。流石のグレンジャーさんもこの差を埋めることは出来ない様子だった。この様子であれば、ダフネがこのクラスで一番になることだろう。つまり『幸運薬』は彼女のものとなるということだ。

……視界の端でお兄様も真剣に魔法薬を作っておられるが、今回はお兄様に助言するつもりはない。助言をすれば、お兄様の計画を手助けしてしまう可能性が僅かでもあるためだ。尤も、その僅かな可能性もほとんど無いに等しいものではある。そもそもお兄様も私と同じくマルフォイ家の人間。ならば先生に気に入られるはずもない。そして何より、たとえ『幸運薬』を手に入れたとしても……()()()()()()()()()()()()()()()

お兄様や……私のしようとしている行為は、決して()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。お兄様の目論見は見当違いだ。

しかし私は万が一の可能性を考えお兄様に助言はせず、ダフネに報酬が渡る様に手助けをすることにした。『幸運薬』はダフネにこそ相応しい。一時的な幸運とはいえ、息抜き程度には役立つものだ。ならばせめて、いつも心配をかけるダフネにこそ薬を受け取ってほしかった。それくらいしか、私が彼女に返せるものはないのだから。

 

 

 

 

しかし、

 

「おぉ! これはこれは! まさかこれ程完璧な調合を見ることになるとは! ()()()、やはり君には素晴らしい才能があるようだね!」

 

私の予想とは違い、先生の口からは思いがけない名前が発せられることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

学校の成績では、確かにハーマイオニーよりダリア・マルフォイの方が優れているのだろう。

でも、それを知った上で僕はあいつよりハーマイオニーの方が優れた魔女だと思っている。ハーマイオニーは成績が良いだけではなく、常に正しい行いをしてきた。何より危険があるにも関わらず、常に僕の傍で敵と対峙してくれていた。賢いだけでなく、勇気に溢れた僕の親友。そんな女の子が敵の一味であるダリア・マルフォイに負けているはずがない。

だからこそ、

 

「ほほー! ミス・グレジャー! 完璧とは言えないが、優秀な出来だとも! これ程の物を初めて調合できる者はそうはいない!」

 

「あ、ありがとうございます、先生。で、でもダリア達の方が、」

 

「さ、さぁ! お次はどうかな! 君は確か……ウ()ーズリー君だったかな? ふむ……そうだな」

 

スラグホーン先生がダリア・マルフォイではなく、ハーマイオニーの方をこそ評価しているのは当然のことだと思った。

ハーマイオニーが抗議しても、スラグホーン先生は決してダリア・マルフォイの方を見ようとしない。というより視界にすら入れようとしない。まるでダリア・マルフォイを心底恐れているかのように。

スラグホーン先生のことは正直あまり好きではなかったけど、この点において先生への印象は随分良いものに変わっていた。

何より、

 

「おぉ! これはこれは! まさかこれ程完璧な調合を見ることになるとは! ()()()、やはり君には素晴らしい才能があるようだね!」

 

今までと違い、僕は初めて『魔法薬学』が楽しいと思うようになっていた。

ここに来るまでは『魔法薬学』の授業なんて来たくもなかった。スラグホーン先生への印象とは別に、今までの『魔法薬学』の印象が悪すぎたのだ。

得意科目でもなく、スネイプのせいで授業では嫌な思いしかしない。そんな科目が好きになるはずがない。

だけど、僕は今日生まれて初めて『魔法薬学』の授業で褒められている。

 

たとえそれが偶然手に入れた()()()()()によるものだとしてもだ。

 

僕がこの教科書を手に入れたのは本当にただの偶然だった。もし僕がダイアゴン横丁で新品の教科書を手に入れていたら。もしこの教室で棚の中にあった二つしかなかった教科書の、もう片方の比較的新しい教科書を手にしていたら。僕は決してこの素晴らしい古い教科書と出会いはしなかっただろう。

古い教科書にはびっしりと注釈が書き込まれていた。最初はただの悪戯書きだと思った。素材一つの刻み方にまで文句をつけていたのだから当然のことだろう。でも、周囲の生徒が教科書通りに素材を刻む中、気まぐれに注釈通りに刻めば想像以上の成果を上げたのだ。そしてまさかと思いながらも注釈に従った結果、今現在に至る。

 

「君が紛れもない勝利者だ! 素晴らしい! 本当に素晴らしい、ハリー! ミス・グリーングラスの調合も素晴らしいものだが……完璧に自力でここまでの成果を為したのはハリーの方と言えるだろう! スリザリンとグリフィンドールに10点! だがこの『幸運薬』はハリー、君の物だ! 上手に使いなさい!」

 

先生は僕に金色の液体が入った瓶を手渡す。

本当の意味で自分自身の力で調合していたハーマイオニーに罪悪感はある。しかし僕は初めて『魔法薬学』で褒められたことが嬉しく、頬が緩むのを我慢することが出来なかった。

 

「さーて! では今日の授業はここまでとしよう! 今回は初日だ! 甘いとは思うが、課題は無しとしよう! では次の授業もあるだろう! 駆け足で向かうのだよ!」

 

そしてダリア・マルフォイの視線から逃げるように先生が教室を出て行くと、今までにない程明るい表情を浮かべたグリフィンドール生達が僕の下に集まってくる。

 

「どうやったんだ、ハリー!? 今までスネイプにいびられてたとはいえ、そんなに『魔法薬学』が得意ではなかっただろう!?」

 

「グリーングラスはともかく、ハーマイオニーに勝ってしまうなんて! 何かあるに決まってるだろ!?」

 

皆の喜びながらも素直な感想に苦笑するも、

 

「ダフネ……ごめんなさい。私が余計なことをするから」

 

「ううん! そんなことないよ! ダリアの助言がなかったら、そもそも完成すらしていなかったもの! それにしてもあの先生……どういうつもりなんだろうね」

 

近くにまだダリア・マルフォイ達がいるため、今は真実を話すことは出来ない。

話すのは夕食の時、満面の笑みを浮かべるロンと、そしてこちらに訝し気な視線を送るハーマイオニーだけにしよう。

そう思い僕はただ曖昧な笑みを浮かべ、グリフィンドール生達の笑顔と、スリザリン生達の怒りの視線に応えるのだった。

 

『半純血のプリンス蔵書』

 

そう裏表紙に小さく書かれた、一見ただの古い教科書を大切に抱えながら……。

 



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かつての教え子(前編)

 

 スラグホーン視点

 

私は世の中の人間達を2種類のみで分類している。

私の世界を広げてくれる者。有体に言えば私の益になる者。

そして私にとって益にならない……大した価値のない者。

この2種の存在でのみ、私は世の中の存在を分類していた。

 

極めて傲慢な考えであると私自身も自覚している。しかも翻って私自身はどうかというと、そう大した才能ある人間ではない。才能などこれぽっちも無いと言っていい。

学生の頃の成績は特筆すべきものではなかった。落ちこぼれというわけではない。寧ろ成績としては上位と言ってよかった。が、同世代のダンブルドアのように天才と称賛されるものとは程遠かった。卒業後彼の成績は誰もが記憶していたが、私の成績のことを覚えていた者はおそらく誰もいないだろう。

そして大人になってからも、私に出来ることと言えば『魔法薬学』を何も知らぬ学生達に教えることのみ。下手な授業をしたとは思っていない。受講した生徒からの評価も上々だ。しかし、正直替えなどいくらでも利き、私以上に上手く教鞭を執れる魔法使いは大勢いる。これまた同時期に教員になったダンブルドアとは比べることも烏滸がましいものだった。

だが、そんな才能のない私には不釣り合いな野心があった。才能が無かったとしても、誰にも注目されるような特別な存在になりたい。この世に生まれてきたからには、何かしらの足跡をこの世界に残しておきたい。誰しもが持っているだろうこの野心。大勢の才能なき人間が途中で諦めるであろうこの野心が、私の場合他者より少しだけ大きいものだった。

無論、だからと言って才能が降って湧くわけではない。それに何より、私の中に大いなる野心はあっても……そのために外の世界に自らが飛び出す程の勇気は備わっていなかった。同世代の燦然と輝く才能(ダンブルドア)を見てきた私は、彼の為した偉業のほんの僅かさえ成し得る気がしなかったのだ。

それに言い訳にしかならないが、時代も悪かった。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

『闇の帝王』が台頭する前、彼こそが史上最も邪悪な魔法使いとされていた。私が教員を始めた頃、イギリスでこそ彼の活動はなかったものの、その名が世界に広く知られ始めた時代だった。外の世界に飛び出そうものなら、文字通りの意味で命のやり取りをするしかない。自身の才能の無さを自覚していた私には、とても選べる道ではなかったのだ。

野心があっても才能が無い。純血貴族という恵まれた環境で育った私には、その居心地の良い環境を捨て去る勇気もない。ではどうするべきか。私に残された答えは一つのみ。

要は私に才能が無くとも……才能のある誰かと親交を持っていればよいのだ。それも一人だけではない。大勢の才能のある人間と。そうすれば私の周りには才能のある人間ばかりとなり、その集団の中にいる私も……他者から特別な存在に見えることだろう。

実際学生時代、ダンブルドアとそれなりに友好関係を築いていた私は、彼程ではなくとも大勢の優秀な人間に囲まれていた。それどころかダンブルドアと他の優秀な生徒……主にスリザリン生との橋渡しをしたことは何度もある。才能はなくとも、純血貴族出身であり、尚且つあまり他者を敵に回さない立ち回りをしていた私を、学生時代のダンブルドアは良く褒めてくれていた。

 

君は()()()()()とても才能ある人間だ。私の為すであろうことに、君は大いに()()してくれている、と。

 

当に私が()()()()()言葉。ダンブルドアへの嫉妬に狂わなかったのは、この言葉が大きな理由だろう。結果、私は成績こそ誰にも覚えられなくとも、それなりに注目されることに成功していた。それが私の成功体験となり、それからの人生の指針となっていたのだ。

なにも自分自身で偉業を為す必要はない。彼等の為す偉業のほんの一助を為したと思われ、そして自分自身で思い込むことが出来れば良い。

幸い私は他者の才能を見抜く()()()の術を弁えていた。学生はとかく成績のみを重視しがちだが、それだけでは駄目だ。ただ優秀なことが評価基準ではない。その優秀さを他者に分かりやすく示せるか。ただ勉学に励むだけではなく、それを外に実践し、他者に知らしめているか。そのためには他者とのコミュニケーション能力も必要だ。必要不可欠とは言えないが、生まれ育ってきた環境や親戚との繋がりも要素の一つだ。外に才能を示せる人物。何かしらの偉業を残す者はそういった類の人間だ。無論取りこぼしも多いが、それだけ弁えていれば事足りる。

そして私の考えは()()()()間違っていなかった。

教鞭こそ多少優秀な程度でも、私にとってホグワーツ教師は当に天職とすら言えた。これ程楽に才能ある人間と繋がりを持てる場所はない。たとえ優秀であろうとも、学生である以上、流石に大人の私に比べれば『魔法薬学』に拙い。私はそんな彼等に大いに影響を与えることが出来る。更に特別扱いすれば、自身の才能を引き出した恩師とさえ思ってくれる。

大勢の人間が卒業後才能を開花させ、偉業を為した後も私のことを慕ってくれる。

()()()()()()今の私の成功があるのだ、と。

当に私が求めて止まない場所がホグワーツ教師というものだった。

 

特に私のお気に入りだった生徒は……リリー・エバンズ。()()私が最も可愛がっている生徒であるハリーの母親だった。

 

あれ程才能に溢れた人物は、長い教員生活の中で見てきた中で()()()だった。美しく波打つ赤毛。そして溌剌と輝く大きな緑の瞳。当時誰もが彼女の瞳の虜となった。何に対しても目を輝かせる好奇心旺盛な妖精。それが彼女を知る人間が抱く共通した認識であっただろう。強いられるまま学ぶ他の生徒達とは違う。常に積極的に、実に楽しそうに学ぶ生徒だった。

そして彼女の好奇心の対象は『魔法薬学』も例外ではない。寧ろ得意分野だった。何に対しても特別な才能を発揮してはいたが、彼女が最もその才能を示したのは『魔法薬学』と言えるだろう。

 

『ほう! 最初の授業でここまでの魔法薬を作りだしたのは君が初めてだ! 君の名前は何というのかね?』

 

『リリー・エバンズです、先生!』

 

今でも彼女との初授業のことは鮮明に覚えている。一年生初の魔法薬学。エバンズという家名の知り合いはいない。つまり彼女はマグル出身でありながら、生まれて初めての授業で完璧な調合を為してみせたのだ。初回は簡単な魔法薬とはいえ、彼女の才能を示すには十分なものだ。私の言葉に朗らかに微笑み、周囲の寮生に惜しみない賞賛を送られていた。

才能がある上に、何にでも好奇心旺盛。周囲の人間に対しても朗らかで、誰とでも親交を持てる。()()()()()こそあったが、それでも大勢の者と彼女は親交を持ち、また逆に大勢の者が彼女のことを慕っていた。その才能は年々輝きを増し、最初の授業以上の驚きを私にいつももたらしてくれた。マグル生まれと言う()()()()()()()()を全く感じさせない。当に私の思い描く将来特別な存在になる生徒そのものだった。

 

『スラグホーン先生! 『魔法薬学』の先生が貴方で本当に良かったです! 先生は私にとって最高の先生です!』

 

そんな彼女が他の教員以上に私のことを慕ってくれたのだ。それこそホグワーツ在籍中、卒業後問わずだ。彼女から送られたプレゼントは数えきれない程あり、どれもが私にとって特別な物ばかり。私が今まで育ててきたコレクション(才能ある生徒達)の中で最も特別な存在になるのは当然のことだ。

 

彼女であれば、魔法界に特別な才能を示し続けられる。そして他の才能ある魔法使いとも繋がりを持つことが出来る。それはいつの日か偉大な功績を為すことになるだろう。そう私は信じ、それこそ()()()()()()()()()()()、彼女の将来に純粋な希望を持ち続けていたのだ。

 

……あぁ、それなのに、

 

「リリー……。どうか私を許してくれ」

 

生徒達が寝静まっているだろう時間。私は手元の小さなガラスの置物を見つめながら一人呟く。本来であればこの中に魔法で造られた魚が泳いでいるはずだった。綺麗な赤色の魚。彼女の美しい赤毛と同じ輝き。このガラス玉は私のお気に入りの一つだった。

だが、もうこのガラス玉の中を魔法の魚が泳ぐことはない。術者がいなくなったあの日、中の魚も同時に消えてしまったのだから。私があの美しい赤色を見ることはもう二度とない……。

他ならぬ私のせいで。私が最も可愛がっていた女の子は、同じく私が()()()()()()()()()()()()()()()に殺されたのだから。

 

もし()()()()()の存在を教えていなければ、こんなことにならなかったのだろうか。

いや、そもそも彼を特別扱いしたことが間違いだったのだろうか。私は間違った人間を選んでしまった。私の人生で唯一にして最大の汚点と言える。

彼だけは有益でも無益でもなく……ただ私にとって害のある者だったのだ。2種の分類に当てはまらない、私の人生における完全なる異物。私がそんな人間を選んでしまったばかりに……。

今更生き方を変えることは出来ない。それに過ちは大きかったが、正しい才能を発揮した生徒も大勢いるのだ。私の為したことにも意味はあったはず。私の野心を差し置いたとしても、私の築き上げた繋がりは必ず誰かの役に立っているはず。だから私の生き方自体は決して間違っていないはずだ。

そう今まで自分自身に言い聞かせてきた。

だが……そう自分自身に信じ込ませようとしていても、ふと不安を感じてしまう瞬間があるのだ。特に今夜は。

 

「ダンブルドア……いや、ハリー。私にはどうしても出来ない。本当のことを知られれば、君達はきっと私を……」

 

今頃ダンブルドアはハリーに嘗ての記憶を見せていることだろう。彼に関わった多くの人間の()()を。それこそ私のものも含めて。今夜でなくとも、いつか私の記憶も目にするはず。彼を倒すに必要不可欠なことだというが、私は最後の最後まで()()()()()を差し出すことが出来なかった。ダンブルドアもそのことに気が付いているだろう。しかし彼は何も言わない。彼はただ待っている。私が本当の記憶を差し出すことを。……己の罪に向き合うことを。

だが私には出来ない。私は野心が強いだけの、ただの臆病者だから。

 

私に出来ることなど結局、

 

「許してくれ……。もう二度と同じ過ちは繰り返さない。もう二度と、誤った人間に目を掛けない。……()()()()()()()()()。彼にそっくりなあの少女。私は今度こそ間違わなかったぞ。あの少女など、決して特別扱いなどしない。それで十分ではないか。十分ではないか!」

 

もう二度と、闇の勢力に組みするような人間に関わらないこと。それだけなのだから。

 

 

 

 

……私は世の中の人間達を2種類のみで分類している。

価値のある者と無い者。傲慢にもその2種類のみで他者を分類している。

だが私自身が前者であるか……罪を背負った私には、どうしてもそうであると信じ切ることが出来なくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドア視点

 

「こんばんは、ハリー。すまぬのぅ、こんな夜更けに」

 

生徒の皆が談話室で寛いでいるであろう時間。ワシは目の前のハリーに微笑みながら話しかける。

 

「い、いえ、先生」

 

ハリーは些か緊張した様子じゃった。無理もない。彼にとって校長室自体が慣れぬ空間。初めてでなかったとしても、生徒が早々に慣れ親しめる場所ではない。

 

「新学期は順調のようじゃのぅ。特にスラグホーン先生はお主のことを褒めちぎっておったよ。素晴らしい才能を持った生徒じゃと! ……残念ながらスネイプ先生は君の才能を見誤っておったらしい。どうかね? 『魔法薬学』は本来刺激的で素晴らしい学問であったじゃろぅ?」

 

「え、ええ、はい、先生。先生、それで……」

 

が、彼が緊張している理由はそれだけではない。何故ならば、

 

「ふむ、貴重な若者の時間をこれ以上無駄にするのは止すとしよう。さて、君を呼び出した理由は手紙に書いた通りじゃ。いよいよ時が来たのじゃ。去年の終わり、ワシはお主に言った。……特別な訓練。それを為す時が遂に来たのじゃよ」

 

いよいよトムと命を懸けた戦いに臨むための訓練。それを彼が受ける時が来てしまったのじゃから。

彼は今様々なことを考えておることじゃろぅ。

ワシが一体どのような呪文を教えるのか。再び『閉心術』の訓練か? はたまた攻撃のための呪文か? 守るための呪文か?

彼はそのようなことを考えておるのじゃろぅ。緊張しながらも、何の決闘訓練の準備もされておらん、普段と変わりない校長室を訝し気に観察しておった。

じゃが、ワシが彼に与えるのはその様な表面的な手段ではない。

より根本的なもの。ヴォルデモート……トムの力の源の正体、そして彼が一体どのような人間であったか。それこそが真の意味でハリーに必要な情報であり、彼の戦いを導く道しるべなのじゃ。

緊張した面持ちのハリーにワシは続ける。

 

「緊張しておるのぅ。じゃが、お主の想像を裏切り申し訳ないのじゃが、ワシの計画を訓練と呼ぶのは些か誇張があると言わざるを得ん。より適切な言葉を使うとなると……実のところ授業と言った方が相応しい。ワシは今こそ全てを話そうと思う。ワシが知る、ヴォルデモートの全てを。……本来お主が知るべきであった、それこそ予言のことも含めてじゃ」

 

ハリーの反応は素直な物じゃった。

驚いたように瞳を瞬かせた後、どこか不満そうな表情が漏れておる。

当然じゃろぅ。ハリーからすれば、寧ろ遅すぎる話じゃろぅ。ワシも彼の立場であればそう考えるはずじゃ。

じゃが、今更それを悔いても仕方がない。そして言い訳にしかならぬが、ワシにも言えぬ事情があった。

 

「ハリー、すまなんだ。お主が不満に思うのも当然じゃ」

 

「……いえ、先生。そのようなことは、」

 

「隠さずともよい。ワシは些かお主に秘密を抱え過ぎておった。それは動かぬ事実じゃ。それがどれ程お主を苦しめておったか、ワシも分かっておるつもりじゃ。じゃが、言い訳をさせていただくのであれば、ワシが持っておる情報は、実のところ酷く曖昧な物でしかなかったのじゃよ。不確定の情報。お主が様々な事件を解決した後に、初めて確証を得られ始めた物ばかり。ワシはそんな曖昧な物をお主に渡しとうなかったのじゃ。そんな物で、お主を迷わせたくはなかった。そして、これまた言い訳でしかないが、そんな曖昧な物が無くとも、お主は見事にヴォルデモートと戦い抜いておった。ひとえにお主の聡明さと勇気の賜物じゃ」

 

話ながら自身の醜さに嫌気がさす。今ハリーに語った事情は一部でしかない。そして何より、ワシが抱える秘密はまだ他にも山のようにある。言葉とは裏腹に、全てを語るつもりはない。ワシ自身の生い立ちしかり……ハリーが断片的に聞いた()()()()()()()しかり。

全てと話しながら、結局のところハリーをワシの望む方向に誘導しておるだけじゃ。()()()()()のワシと同様に……。

それは全てハリーのためであるが、ワシが真実を話しておらんことに変わりはない。何より、若しもワシの命が僅かじゃと分かっておらねば、果たしてワシがこのタイミングでハリーに僅かな情報さえ渡したかも怪しいものじゃ。臆病にも……いや、傲慢にも最後までハリーに何一つ話さなかったやもしれぬ。その可能性をワシ自身が否定しきれなかった。

じゃが、自己嫌悪に浸っておる暇はない。ハリーが見るべき()()は膨大じゃ。とても今夜のみで終わるものではない。時間を無駄にするわけにはいかぬ。

……何より、今夜校長室を訪れる客は()()()()()()()()()のじゃから。

ワシはハリーに校長室の一角を指し示しながら続ける。指し示す先には、以前もハリーが迷い込んだことのある『憂いの篩』が置かれていた。

 

「そして、ハリー。肝心の授業の内容じゃが、ワシと共にこの中に入ることじゃ。お主も知っておる通り、この中には様々な記憶が入っておる。前回と違い、今回は許可を得て入るのじゃ。……おそらく、初めはワシの意図を理解出来ぬじゃろぅ。このようなものを見せて、一体お主の戦いに何の関係があるのか。そう疑問を持つはずじゃ。じゃが信じて欲しい。ワシは間違いばかりを犯す老人ではあるが、それでもこれこそがお主に必要な物じゃと信じておる」

 

ワシの言葉を受け、ハリーはどこか不安そうな表情で『憂いの篩』を見つめておった。

今までハリーが知らされておらんかった情報。そこにどんな恐ろしい真実が隠されておったのか不安なのじゃろぅ。何せハリーがこの篩に迷い込んだ時は、いずれもハリーには残酷な真実ばかり見せられておった。セブルスから見た、実の父親の意外な一面も含めて。

ワシは安心させるために微笑を浮かべながら、そっと彼の背中を押す。

 

「それでは、ハリー。まず一つ目の記憶を見ることにしよう。記憶の主はボブ・オクデンという。魔法法執行部に嘗て務めておった者じゃ。先頃亡くなったのじゃが、おそらく……()()()()()()()()()()を記憶しておった最後の魔法使いじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー視点

 

それはヴォルデモート……トム・リドルの()()に関する記憶だった。

魔法使いであるメローピー・ゴーント。ヴォルデモートの母親は、実の父親と兄に虐げられた女性だった。ボブ・オクデンの記憶は、彼が彼女の家に訪れた際のもの。彼女の兄であるモーフィンがマグルに対して呪いをかけたとして、魔法省への出頭を求めるための訪問だった。その際彼が見たものは、落ちぶれながらもプライドだけが肥大化したスリザリンの末裔達の姿。みすぼらしい服装とは不釣り合いの、趣味が悪い大きい金の腕に大きな黒い石がついた()()を嵌め、これまた趣味の悪い()()()()()()を首から下げた老人。歯が何本も欠け、小さい目がそれぞれ逆方向へ向いた恐ろしい表情の息子。家族の中で魔法が上手く使えず、屋敷しもべ妖精以上に酷使されるメローピー。そして……彼女達の家付近を通り過ぎる()()()()()()という名の青年と、そんな彼を頬を染めながら窓から眺める彼女の姿だった。

『憂いの篩』から出た後、僕はダンブルドアに尋ねる。

 

「この後、彼女はどうなったのですか?」

 

記憶の最後は、メローピーは実の父親に殺されかけている場面だった。彼女の恋心が()()()の青年に向けられていると知り、それに激怒した父親に首を絞められていたのだ。過去の出来事とは分かっていても、実際に目の前で人が殺されそうになる光景を見せつけられれば心配にもなる。

僕の疑問にダンブルドアは悲し気な表情を浮かべながら応えた。

 

「幸い彼女は生きながらえることが出来た。オグデンは援軍を連れ戻り、父親の凶行を止めることに成功した。そして兄であるモーフィン共々アズカバン行きが決定したのじゃ。兄は3年の収監になり、父モーフィンは……ついぞ帰らぬ人となった」

 

ダンブルドアはそこで一息つき、真剣な表情で僕を見つめながら続けた。

 

「そしてここからが本題じゃ。自由となったメローピーはこの出来事の直ぐ後、先程姿が垣間見えたトム・リドルという名の青年と子を成した。彼は大地主の息子であり、彼女は言葉は酷いが碌でなしの娘。残念ながら彼が彼女に恋をする可能性は低いと言わざるを得ん。そしてそんなワシの推論は、これまた残念なことに正しかったのじゃろう。駆け落ち同然に行方をくらましておったトムが、数か月後に妻を伴わずに逃げ帰ってきたのじゃ。彼は言っておったそうじゃ。『自分は騙された。何かされたに違いない。あんな女の子供が、俺の子であるはずがない』。そう言っておったそうなのじゃ。……察するに『愛の妙薬』が使われておったのじゃろう。何故メローピーが途中で薬を飲ませることを止めたのかは分からぬ。ワシの推論では、子供が出来たことでトムが本当に自分を愛してくれると思いたかったのじゃろぅ。が……現実にトムは妻を捨て、二度と再び会うことはせんかった。そしてメローピーも彼を追うことをせんかった。捨てられた彼女は一人の男子を産み、そのまま打ちひしがれた精神状態で息を引き取った。残された赤ん坊が誰なのかは……お主の想像する通りじゃろぅ」

 

複雑な気分だった。ヴォルデモートの母親なんて、僕からすれば憎しみの対象でしかない。無論母親に罪がないことは分かっている。でも、息子に両親を奪われた僕には多少の恨み言を言う資格はあるだろう。それなのに、僕は彼女のことが憎み切れなかった。『愛の妙薬』で男を騙すなんて許される行為ではないが、それを考慮しても彼女の置かれた環境があまりに悲惨過ぎたのだ。結果僕は怒っていいのか、それとも目の前で繰り広げられた凄惨な家庭環境に同情していいのか分からない気分になっていた。

そしてそんな僕の気分を察してか、ダンブルドアは時計を見ながら言った。

 

「ハリー、今夜はこれくらいで良いじゃろぅ。そろそろ()()()()が迫っておるしのぅ。それと……今夜見たものは、ミスター・ウィーズリーとミス・グレンジャーのみに話すのじゃ。それ以外の人間には伝えてはならん。無論二人にも周りに口外せぬよう伝えるのじゃ。()()ミス・グレンジャーには……()()()()()()()()()秘密にするよう伝えてほしい。ワシがヴォルデモートの過去を探っておると知られとうないのじゃ。……何より、()()()()()()を与えとうないしのぅ」

 

小声であったため最後に何を言ったのかは聞き取れなかったが、僕はダンブルドアの言葉に頷きながら聞く。

 

「分かりました。正直……僕はまだ先生の意図が分かっていません。この記憶を見ることで、一体先生が何を僕に教えたいのか。でも、こんなふうにヴォルデモートの過去を知ることは、僕にとって大切な事だと先生はお考えなのですよね? そして僕の……あの予言に何か関係することなんですよね?」

 

「無論じゃ。今は分からぬやもしれん。ワシもお主の立場ならばそう思うことじゃろぅ。特に今夜は、哀れなメローピーの過去を垣間見ただけじゃ。ヴォルデモートが哀れな母親から生まれた事実。ただそれだけじゃ。じゃがワシはこの事実が、お主がこれからヴォルデモートと戦う道しるべになると信じておる。じゃから今はただワシを信じて欲しい」

 

「はい、勿論です、先生」

 

僕の言葉に満足したのか、ダンブルドアは左腕で校長室のドアを開けてくれる。相変わらず右腕は黒ずみ、ほとんど動かない様子だ。僕が心配な気持ちを露わに視線を送るも、ただ先生は黙って微笑むばかりだった。どうやら腕についてまだ話してくれるつもりはないらしい。

僕はそのまま踵を返し、校長室前の階段を降りていく。どの寮生も談話室にいる時間のため、辺りは静まり返っている。静かな廊下を歩きながら、僕は先程見た光景を思い返していた。

ダンブルドアは意味のあることだと言っていたけど、本当にどのような意味があるのだろうか。これから先も僕はヴォルデモートに関する記憶を見ていくのだろうけど、続きを見ていくうちに分かっていくのだろうか。正直ダンブルドアの言葉を聞いても、不安な気持ちが完全に消えることはない。

そんな不安な気持ちを抑えながら、僕は自身に言い聞かせる。

ダンブルドアが言うならば間違いない。先生は()()()()があると言っていた。先生は忙しい中でも、それでも僕のために時間を作ってくれた。そんな先生に不安を覚えるのは失礼なことだ。だから今はただ、僕はダンブルドアを信じていればいいのだ。それに何より、頭の悪い僕には賢い友人達がいる。彼等ならきっと僕よりも先に意味を見出してくれるはずだ。

僕はそう自分に言い聞かせながら、静まり返った廊下を歩き続けた。ロンやハーマイオニー……掛け替えのない友人達が待つ談話室に向けて。




次回 ダンブルドアVSダリア


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