Treasures hunting-パンドラズ・アクターとシズ・デルタの冒険- (鶏キャベ水煮)
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旅立ち
プロローグ


小説初執筆。
一人称視点、三人称視点、地の文など難しい。
変なところがあったらご指摘お願いします。


 おぞましい姿をした悪魔たちが、いくつもの煌びやかなマジックアイテムを運んでいる。その様子を、白いドレスを着た女とスーツ姿の細身の男が注意深く窺っていた。男の方は、僅かに苛立ちを隠せない様子だ。

 

「本当にマジックアイテムの仕分けなどという低劣な事をお任せしてもよかったのか?」

 

 身長は一・八メートルほどもあり、肌は日に焼けたような色。顔立ちは東洋系であり、オールバックに固められた髪は漆黒。かけた丸メガネの奥には、糸目というよりは閉ざしたような目。

 着ているものは三つ揃えであり、ネクタイまでしっかりと締めている。弁護士などの職に就いているような切れ者という雰囲気がある。

 ただ、紳士の姿を見せていても、その邪悪な雰囲気は決して隠しきれない。

 ナザリック地下大墳墓第七階層の守護者であり、防衛時における指揮官の役割を果たす悪魔。

 デミウルゴスは不快感を滲ませながら、傍にいる率直な意見を述べた。

 

 「ええ、第一妃である私に間違いはないわ。」

 

 純白のドレスをまとった美しい女性。ドレスと正反対の黒髪は艶やかに流れ落ち、腰の辺りまで届いている。

 金色に輝く虹彩と縦に割れた瞳孔が異様ではあるが、非の打ち所の無い絶世の美女。ただ、その左右のこめかみからは、山羊を思わせる太い角が曲がりながら前に突き出している。いや、それだけではない。腰の辺りからは黒く染まった天使の翼が広がっていた。

 首には蜘蛛の巣を思わせるような黄金に輝くネックレス--肩から豊かな胸元までを大きく覆うようなもの--をかけている。すらりと伸びた腕から先には、絹のように光沢のある手袋をしていた。

 ナザリック地下大墳墓階層守護者統括であり、全階層守護者をまとめ上げている存在だ。

 アルベドは母性を感じさせる僅かな微笑を浮かべて、デミウルゴスに答えた。

 

 「答えになっていない気がするのだが?」

 

 納得できないといった様子で、デミウルゴスは食い下がる。

 

 「あら? わからないかしら?」

 

 丸メガネの奥にあるデミウルゴスの閉ざしたような目が、うっすら開かれる。それに対して、素直にいたずらを辞めた子どものように、アルベドは態度を改め、諭すように話し始める。

 

 「アインズ様には、未知なるものに対する強い警戒がおありだったことは覚えているわね?」

 「ええ、かつて未知のプレイヤーという強者に対する姿勢がそれでしたね。」

 

 アルベドの言葉に対して、デミウルゴスは苛立ちを残しながらも、緊張を解した様子で頷く。

 

 「でも、未知なるものに対する気持ちが警戒だけではなかったようにも思えるの。」

 

 アルベドは、何か大事なものを抱き込むように両手を胸に当て、どこか遠くを眺めるようにして話を続けた。

 

 「もちろん、私たちを脅かす力には強い警戒を感じられていたわ。でも、エ・ランテルで無骨なインテリジェンス・アイテムを手に入れられた時。リザードマンの集落で入手なされた、青白い鎌のような抜き身の武器を模造されているとき。カッツェ平野で没国の戦士と一騎打ちした話を聞かせてくださった時に、御身を傷つけることができるという忌まわしき剣のこと。それらの話をされているとき、警戒とは別の・・・・・・そう。私たちがアインズ様に何かを頂けるときに見せるような気持を感じたわ。」

 

 アルベドの言葉を静かに聞いていたデミウルゴスは、射るように言葉を発する。

 

 「勘違いではないのかね?」

 「女の勘よ」

 

 射られた言葉の矢を叩き落す勢いで、アルベドは自らの意を示す。二の矢を許す隙を与えずに、アルベドは続ける。

 

 「デミウルゴス、あなたにもあるはずよ。アインズ様から恩寵を頂いたことが。」

 

 アルベドの問いに対して、デミウルゴスは熟思するように腕を組み、思考の波に身を任せた。

 その様子をアルベドは優しく見守る。

 やがて何かを掬い上げたのか、びくりと身を震わせたデミウルゴスは、閉ざしたような目を大きく拡げてアルベドに向き直った。

 

 「たしかに! 私にもアインズ様からご恩寵を! 我が創造主である、ウルベルト・アレイン・オードル様がお作りになり、アインズ様に託されたアイテムをこのデミウルゴスにご下賜くださいました!」

 

 興奮したデミウルゴスを、アルベドは微笑み見つめる。創造主が作ったアイテムという言葉に、こめかみから伸びた太い角が僅かに揺れたようだが、雰囲気を崩さずに口を開いた。

 

 「今回献上されたマジックアイテムに対しても、アインズ様に先ほどの話と同様の興味の色が見て取れたわ。だったら、妻として夫の望みは叶えて差し上げたいの。」

 

 アルベドは上気した顔で、黒い天使の翼をぱたぱたと動かしながらそう告げた。

 

 「なるほど、そういうことならば止める理由はありませんね。しかし、アインズ様が玉座の間にて直接お手に取るもの。最低限の忠義としてあらかじめ危険な物は排除すべきでしょう。」

 「ええ、当然ね。」

 

 デミウルゴスの考えにアルベドは同意を示した。

 デミウルゴスはアインズ・ウール・ゴウン魔道国の首都エ・ランテルに集められたマジックアイテムを、ナザリック地下大墳墓に運び入れるために、僕たちに指示を出していった。



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旅立ち1

一話三分割


 カチッ、カチッ、カチッ。グリーヴのつなぎが立てる音が控えめに響く。

 長く伸ばされ、天井からの光を受けて煌くストロベリー・ブロンドの髪をしたメイド姿の少女が、淡い紫紺色の絨毯の上を歩いている。

 少女の顔立ちは非常に整ってはいるがどこか作り物めいている。宝石のような冷たい輝きが宿った翠玉の瞳が片側に見えるが、もう片側はアイパッチが覆っていた。

 首元と手には都市迷彩色のマフラーと手袋を着用しており、スカートの裾には、中央に「一円」と書かれた可愛らしいシールが貼ってあった。腰には白色の銃器があり、それをまるで剣のように下げている。

 少女の名前はシーゼット・ニイチニハチ・デルタ。

 略称はシズ。戦闘可能なメイドにして、ナザリックに存在する全てのギミックと解除方法を熟知し、銃器を扱える自動人形--オートマトン--という異形の者である。

 

 「・・・・・・。」

 

 少女は半球状の大きなドーム型の大広間に到着した。天井には四色のクリスタルが白色光を放っている。壁には七十二個の穴が掘られ、その大半の中には彫像が置かれている。

 彫像はすべて悪魔をかたどったもの。その数六十七体。

 この部屋の名は、ソロモンの小さな鍵--レメゲトンという有名な魔術書の名前である。

 置かれている彫像はその魔術書に記載あるソロモンの七十二柱の悪魔をモチーフにした、すべてが超希少魔法金属を使用して作り出されたゴーレムだ。本来であれば七十二体いるはずなのだが、ゴーレムが六十七体しかいないのは製作者が途中で飽きたためである。

 天井の四色のクリスタルはモンスターであり、敵進入時には地水火風の上位エレメンタルを召喚し、それと同時に広範囲の魔法攻撃による爆撃を開始する。

 この部屋こそ、ナザリック地下大墳墓最終防衛ラインの間。少女は日課であるナザリックのギミック点検のために、地下大墳墓第十階層にあるこの大広間を訪れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ミルク色の壁が、彫られた穴が、悪魔をかたどったゴーレムが、シズの視界を隅まで覆っている。ここはナザリック地下大墳墓、第10階層。

 シズは日課である、ナザリック全階層のギミック点検を行うためにここを訪れた。

 日課であるギミック点検--別に、点検を行う義務はない。でも、日々を無為に過ごすのはあまり気分がいいものじゃないとシズは思う。だから、できることをする。シズにはこれが最適だということで、執事長であるセバスと相談して、この日課を始めた。

 シズは六十七体すべてのゴーレムに深くお辞儀をする。このゴーレムはかつてアインズ・ウール・ゴウンに所属していた、至高の四十一人の方々が作られたもの。防衛装置とはいえ、無礼があってはだめ。

 お辞儀を終えたシズはゴーレムの一体に歩み寄り、点検を始めた。

 

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・いじょう・・・・・・なし。」

 

 六十七体すべてのゴーレムの点検を終えたところで、シズは一息つく。

 スキル使用≪クールダウン/冷却≫。稼働限界にはまだまだ余裕がある。でも、身体を温めすぎて絨毯が焦げてしまってはどうしようもない。

 シズは改めてすべてのゴーレムに対してお辞儀をする。

 天井に視界を向けると、クリスタルがいた。クリスタルはモンスター。あれは管轄外。

 

 「・・・・・・きょうは、おわり。」

 

 大広間の入口で再びお辞儀をしたシズは、踵を返したところで、視界の先にあるものを確認した。

 シズは姿勢を正し--ふだんからちゃんとしてるけど--、素早く脇に移動して視線を床に移した。

 

 「シズ。」

 

 厳かな声がシズにかけられ、視線を上げると、そこには三つの体躯があった。

 先頭には骸骨が立っていた。その後ろには鼻などの隆起を完全に摩り下ろした、のっぺりとした顔の者。そして黄金色の髪のメイドが立っていた。

 先頭にいる者はアインズ・ウール・ゴウン。金と紫で縁取られた、豪奢な漆黒のアカデミックガウンを羽織っている。襟首の部分など多少装飾過多のように見えるが、それが妙に馴染んでいる。

 ただ、そのむき出しの頭部は皮も肉も付いていない骸骨。ぽっかりと開いた空虚な眼窩には赤黒い光が灯っている。

 アインズ・ウール・ゴウン魔道国の王、至高にして絶対なる、ナザリック地下大墳墓の支配者。

 シズが絶対の忠誠を誓う存在。

 すぐ後ろにはパンドラズアクター。目と口に該当するところにぽっかりとした穴が開いている。眼球も唇も歯も舌も何もない。大口径の銃器の銃口を覗いたような黒々とした穴のみ。

 ピンク色の卵を彷彿とさせる頭部はつるりと輝いていて、産毛の一本も生えていない。被った制帽の帽章は、とある戦争で話題になった部隊の制服をモチーフにしたものらしい。

 アインズは魔法詠唱者が究極の魔法を求めアンデッドとなった存在の中でも最上位者、オーバーロード。

 パンドラズ・アクターはアインズが設定を作った存在。四十五の外装をコピーし、その能力を--最大八割--使いこなせる存在、シズの姉の一人と同じ二重の影--ドッペルゲンガー--。

 一番後ろはシクスス。ナザリックの一般的なメイドの一人。シズの友達。

 

 「・・・・・・。」

 

 深呼吸をしたシズは、アインズに目線を合わせた。

 

 「シズよ、こんなところで何をしていたのだ?」

 「点検。・・・・・・ゴーレム、シズが、診て・・・・・・る。」

 「ふむ、そうか。ご苦労であったな。」

 

 アインズは納得した様子で朗らかに謝辞を示した。

 

 「点検・・・・・・、シズが・・・・・・さいてき。・・・・・・シズの・・・・・・しごと。」

 「そうか。これからもよろしく頼むぞ。」

 

 シズはアインズに丁寧にお辞儀をすることで返事をした。

 シズが姿勢を戻すと、アインズはシズの事を見つめて、顎に手を当てていた。なにをかんがえているのだろう。いつも見せない態度に、シズが様子を窺っていると、やがてアインズは話し始めた。

 

 「そうだ、シズよ。これから玉座の間にて、世界各地から献上されたマジックアイテムの仕分けを行う。毎日同じ仕事は大変だろう。たまには気分転換でもしてみないか?」

 「・・・・・・?」

 

 半球状の大きなドーム型の大広間で、シズは一瞬すべての時間が止まったように錯覚した。

 --理解不能。

 なぜ唐突に、アインズはこんなことを言うのだろうか。シズは理解できなかった。

 でも、悪い気持ちはしない。なんとなく、絶対的にして至高なるナザリック地下大墳墓の支配者、アインズに気をかけてもらえたような気がしたからだ。ナザリックに存在する全ての者にとって、アインズに気をかけられることは最高に幸せなことなのだ。

 なんだか身体が熱い。オーバーヒート? それに視界もよくない。まるで、昔この地に多くのプレイヤーが攻めてきたときに死力を尽くして戦い、エネルギー切れで絶望のまま視界がブラックアウトした時のようでもある。でも、その時とは全然違う。それに・・・・・・、なんだか幸せな気分。

 少しずつ目が見えるようになってきた。

 

 「Herr Gott!!!!! ach!!!!!!」

 

 よく見えないけど、ピンク色の卵の形をした何かが、抱えた頭を絨毯に打ち付けて悶絶しながら転げまわっている? 視界が定まると、それをアインズは一瞥して、シズに向き直った。

 

 「どうかね?無理にとは言わないのだが。」

 「・・・・・・いい・・・・・・よ。」

 

 シズは両手を胸に添えて--表情は変わらないけど--自分にできる精一杯の仕草で、気持ちを表して返事をした。

 視界の奥には、アインズの横で服装を正し終えたパンドラズアクターが佇んでいた。

 

 「それでは行くとしよう。」

 

 抑揚に頷き背を向けたアインズを先頭に、パンドラズアクター、シクスス、そしてシズの順に玉座の間へと進みながら、ふとシクススを見ると、優しそうな笑顔を浮かべていた。

 そんなにおかしかったかな。

 マジックアイテム。あんまり興味ない、かも。



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旅立ち1-2

 目の前に広がる光景に、シズはフリーズしそうになった。その神々しさは、何度訪れても変わることはない。半球状の大きなドーム型の大広間も静かさと厳しさを感じていたけれど、ここは呼吸をすることも許されないような空間だった--実際に呼吸は必要ないのだけれど--。

 すごく広く、天井はすごく高い。壁は白くてところどころに金色が目立つ細工が施されている。

 天井から吊り下げられた、いくつかの豪華なシャンデリアは七色の宝石で作り出され、思わず魅入ってしまいそうな輝きを放っていた。

 壁にはそれぞれ違った紋様が描かれた大きな旗が、天井から床まで、四十一枚垂れ下がっている。(・・・・・・・・・)

 床に敷かれた深紅の絨毯は、金と銀をふんだんに使われたという部屋の奥まで繋がっている。一番奥には階段があり、その上には天井まで届くような、大きな水晶の玉座が据えられている。

 ここがナザリックで一番大切な場所、玉座の間。そこにシズは立っている。

 あまりの光景に見とれていたシズは、アインズの背中に視線を移すことで気持ちを切り替えた。

 深紅の絨毯から少し離れた所に設けられたスペース。そこに整然と並べられているたくさんのアイテム。これらが仕分けをするマジックアイテムだろうか。シズはそれらを見ていた。

 

 「うむ、武器、防具、アクセサリー、消耗品と分けられているようだな。なかなか気が利くではないか。しかし、いささか数が多いな。」

 「お父様、わたくし辛抱たまりません!」

 「うわぁ・・・・・・。」

 

 思わず声が出てしまった。

 誰だろう、あの卵。シズがシクススの隣で控えながらそう考えていると、アインズは続けた。

 

 「それでは私が防具とアクセサリー。パンドラズ・アクター、お前は武器と消耗品を仕分けせよ。」

 「了解です、父上。」

 「それと、シズ・デルタ。お前はたしか≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫は使えなかったな?」

 

 アインズがシズに向き直り確認をした。

 たしかに、シズはその魔法が使えない。それはシズを創造された"博士"が、そうあれとお作りになられたのだから仕方がないこと。でも、それは恥ずかしいことではない。それがシーゼット・ニイチニハチ・デルタ。シズなのだから。

 --堂々と答えよう。

 シズは冷たい輝きが宿った翠玉の瞳で、アインズをじっと見据えて返事をした。

 

 「はい。・・・・・・シズは・・・・・・ガンナーの・・・・・・クラス。≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫・・・・・・≪アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定≫・・・・・・つかえない。」

 「ならば、鑑定を行う物は私とパンドラズ・アクターの元へ。鑑定を終えたマジックアイテムは鑑定済みのスペース--エ・ランテル冒険者組合への配布用、エクスチェンジ・ボックス行--へと運ぶように。」

 「・・・・・・わかった。」

 

 シズは返事をしてアインズの元へ、シクススがパンドラズ・アクターの元へ移動した。それにしても、整然と置かれているとはいえ、かなりの量があった。二人が鑑定を終えるまで、一刻くらいかかるかもしれない。

 

 「それでは始めるとしよう。パンドラズ・アクターよ、≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫を使用できる者に姿を変えよ。」

 「はい!父上!! それでは、音改様のお姿をお借りいたします!」

 

 パンドラズ・アクターがそう宣言すると、その姿が至高なる四十一人の一人、音改と全く同じ姿になった。

 

 「うわぁ・・・・・・。」

 

 似てるなんてものじゃない。・・・・・・そのものだなあ。

 パンドラズ・アクターの外装コピーを見たシズは、思わず感嘆の声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 「≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫」

 「≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫」

 

 マジックアイテムの仕分けが始まってから半刻程だろうか。アクセサリーの仕分けが終わり、整然と並べられていたマジックアイテムも、だいぶ数が減ってきた。シズとシクススはアインズとパンドラズ・アクターのお手伝いを続けていた。

 

 「≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫ ふむ、二頭の炎が幾重にも巻き付いたような色の赤い小手、二頭炎蜥蜴の小手--フォアーム・オブ・ツインヘッド・サラマンダー--か。効果は物理攻撃命中補正、炎属性物理・魔法攻撃からの耐性付加、水属性物理・魔法攻撃の耐性脆弱化か。場所を選ぶ特化装備ながら悪くはない。ユグドラシルなら遺産級であろうが、この世界ならば3人家族が数年は贅沢な暮らしができる価値だろうな。」

 

 アインズはとても楽しそうな様子でマジックアイテムの鑑定を行っている。シズは静かにその様子を窺っていた。そろそろ鑑定が終わる頃だ。シズは鑑定されたマジックアイテムを受け取るため、傍に寄った。

 

 「アインズ様、・・・・・・たのしそう。」

 「うむ、なかなかに興味深い品だった。これはエ・ランテル冒険者組合用スペースに運んでくれ。」

 「・・・・・・うん。」

 

 こくりと頷いて、アインズに言われたように、シズはマジックアイテムを所定の場所に運んだ。そして、新たなマジックアイテムを運ぶため、未鑑定防具のスペースに移動した。そこで、シズは運命の出会いを果たした。

 

 「・・・・・・かわいい。」

 

 その愛くるしい姿ながら、ナザリックを支配するなどという不遜な発言。でも部下に抱えられていないと一人では満足に移動できない。そんな、ちぐはぐなナザリック副執事長エクレアをかたどったような帽子? --帽子にしてはすこし大きすぎる気がするけれども--を見つけて、動かないはずの頬が緩んだような気がした。

 --ほしい、かも。

 

 「シズ、次のマジックアイテムを持ってくるのだ。」

 

 かわいい。かわいい。エクレア帽子と名付けよう。シズはエクレアをかたどったようなマジックアイテムを見ながら、帽子の端を引っ張ってみたりした。

 

 「どうしのた、シズ。私の事を無視して。何か興味を惹く物でも見つけたのか?」

 

 少し苛立ちを含んだアインズの声に、我に返ったシズは思わずエクレア帽子を抱きしめて振り返った。

 --どうしよう。

 すると、アインズはわたしに抱きしめられたエクレア帽子を見て破顔・・・・・・したような様子で愉快そうに肩を揺らしながら言葉を紡いだ。

 

 「フハハハハハ、なんだそれは。まるで、まるでエクレアじゃないか。なんだ、エクレアは外では人気なのか? いや、エクレアを外に出したことはないな。すると、フールーダか。ロウネの可能性もあるな。全く、困ったものだな。ふぅー、ククク。」

 

 しばらく笑っていたアインズ様から、淡い緑色の光が灯った。すると、急に落ち着きを取り戻したように声のトーンが元に戻った。

 

 「ふふふ、しかし面白いな。やはり、マジックアイテムには興味深い物が多い。コレクターの血が騒ぐというものだな。」

 

 怖い。いつもと変わらない声のはずなのに。

 雰囲気を崩したアインズに、どう対応すればいいのか迷うシズは逡巡した。失敗した・・・・・・。アインズを無視するなんて、メイドとしてふさわしい態度とは思えない。

 --どうなるんだろう。

 罰を受けるのかな。シズの失敗が姉妹全員に迷惑をかけてしまうのだろうか。

 --・・・・・・。

 執事長のセバスには、どんな顔をすればいいのだろうか。・・・・・・ユリ姉は、怒る・・・・・・よね。

 --ごめんなさい。

 メイドとしての忠誠を疑う失態を犯してしまった。自分のことが嫌いになりそう。

 シズは口をぱくぱくさせていると、アインズから声がかかった。

 

 「気にするな、シズ・デルタ。ここには私が招いたのだ。であるならば、ここで犯したお前の失態は私が失敗したようなものだ。だからこそ許そう。お前の失敗を。これで私の失敗も無かったことになる。これで問題はないはずだ。そうだろう、シズ・デルタよ。」

 「・・・・・・。」

 

 --いいのかな。

 --やっぱりよくない。

 --・・・・・・、アインズ様は許してくれる。甘えちゃだめ。どうすればいいかな。

 

 「ごめん・・・・・・なさい。」

 

 シズの口からは、いつの間にかそんな言葉が出ていた。狙って出した覚えはない。ただ、気づいたらその言葉が出てた。こんなことでいいのかな。でも、いまはこれ以外には何も思いつかなかった。

 恐る恐るアインズを見上げると、ぽっかりと開いた空虚な眼窩に灯る赤黒い光が、優しく揺らめいたような気がした。

 

 「シズ・デルタ、お前の全てを許そう。」

 

 すっとシズに近づいてきたアインズは、跪いてそっとシズをなでた。身体がびくんとしたけれど、すっと体が軽くなった気がした。同時に、いままでアインズに絶対の忠誠を誓っていたが、これからはそれ以上--気持ちの上で--の忠誠を誓うことに決めた。

 

 「しかし、シズよ。そんなにそのエクレアが気に入ったのか?」

 「・・・・・・すき。」

 「そうかそうか。ならばシズよ、そのマジックアイテムはお前のものだ。私が許そう。」

 「・・・・・・いいの? ありがとう・・・・・・ございます。」

 

 アインズからのプレゼント。

 --嬉しい。

 このエクレア帽子はシズの宝物。ぎゅっと抱きしめた。

 それにしても・・・・・・、ナザリックの外にはシズが知らない、かわいいものがあるんだ。

 ナザリックの外。今まではナザリックの外の事はどうでもよかった。アインズに命令されて、一度だけ地表に出たことはあったけど、そこまでだった。どんな所なんだろう。

 外かぁ・・・・・・。ユリ姉とソリュ姉、ナーベラル姉とルプ姉、それにセバス様とエントマから、お話を聞いたことがあるけど、あんまり聞いていなかったかも。

 

 「外に・・・・・・出てみたい。」

 

 シズは誰にも聞こえないように、そう呟いた。

 --でも

 でも、この思いは成就することはない。ナザリックを守る戦闘メイドとして、個人的な理由で外に出るということはありえない。この身はナザリック地下大墳墓に、アインズに捧げるべきであって、自分の自由にしていいものではないはず。

 --それでも

 少しだけ、少しだけナザリックの外の事に思いを馳せながら、シズは残りが僅かになった仕事を続けることにした。



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旅立ち1-3

 ナザリック地下大墳墓第十階層、玉座の間。

 パンドラズ・アクターより早めにマジックアイテムの仕分けを終え、シズ・デルタを下がらせたアインズは、未だ仕分けを続けているパンドラズ・アクターの元へ向かった。整然と並べられているマジックアイテムとは別に、いくつかの武器がパンドラズ・アクターの脇に置かれていた。

 

 「パンドラズ・アクター、お前の興味を引くマジックアイテムはあったか?」

 

 アインズに気づいたパンドラズ・アクターは、作業を一時中断した。パンドラズ・アクターは脇に置いてあった二メートルほどの槍--茶色の刀身には無数の返しが付き、持ち手は底まで朱色に染まった--を手に取って、アインズが見やすい高さで横に掲げた。

 

 「はい父上! 玉石混合ではありますが、興味深い物もありました。」

 「ほう、一体どんなものだ?」

 

 アインズは興味津々といった様子で興奮した様子のパンドラズ・アクターに問いかけた。

 

 「ご覧の槍は"ピレウス"という名の槍で、効果はスポイトランスの完全劣化版。与えたダメージに関わらず、一ポイント程度のHP回復効果があるようです。」

 「HP回復効果があるマジックアイテムか。」

 

 一ポイント程度のHP回復効果。ユグドラシルでは運営から初心者に支給されていた、マイナーヒーリングポーションというアイテムがあった。その効果はHPを五十ポイント回復させるというもの。それを踏まえると、あまりいい武器とは言えないだろう。しかし、このポーションが伝説級アイテムとして存在するこの世界ならば、喉から手が出るほど欲しがる者も多いだろう。

 

 「ユグドラシルではゴミだが、この世界の基準で言えば悪くはないな。」

 「はい、父上。ですが、ユグドラシルでは見られなかった珍しい武器もありました。」

 

 その言葉を聞いたアインズは、ひたすらに狩りの機会を待つ猫科の動物のような姿勢で、パンドラズ・アクターの脇に置かれたマジックアイテムを見た。

 シクススに槍を手渡したパンドラズ・アクターは、アインズの視線の先にあった、二振りの白い双剣を手に取った。その双剣を持つパンドラズ・アクターは、水面に浮かぶ虫を狙う魚が飛びたすのを、今か今かと待つ猛禽類の様だった。

 

 「他にも宝物殿にはない、この世界独自の物と思われる武器を発見しました。」

 「なん・・・・・・だと?」

 

 興奮を隠しきれない様子の両者の視線は、二振りの白い双剣に集中した。パンドラズ・アクターは二振りの双剣の一振りをアインズに手渡した。はやる気持ちを抑えて、アインズは鑑定の魔法を唱える。

 

 「≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫!」

 

 道具を鑑定した結果、アインズは愕然とした様子で肩を落とした。パンドラズ・アクターが言うほど、珍しいマジックアイテムではなかったのだ。たしかに造形は見事なものだったが、効果はユグドラシルでNPCから購入できる、言わば--NPCの店に売っている武器--と変わらない性能だったからだ。この世界でも、同じ性能の武器が欲しければ、それなりの武器屋に行けば手に入ると思われるほどに。

 アインズは得意げな様子のパンドラズ・アクターを見る。そんなアインズを見たパンドラズ・アクターは言った。

 

 「父上、まだ落胆すべきではありません。こちらの剣も鑑定してください。」

 

 そう言われたアインズは、鑑定を終えた剣を渡した。先ほどよりかは幾分か興醒めした様子で、もう一振りの剣を受け取った。

 

 「≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫」

 

 結果。

 アインズの背後に漆黒のオーラが湧き出す。同時に、淡い緑色の光がアインズの体から灯った。そしてアインズは、深呼吸をするように上半身の骨を上下させ、パンドラズ・アクターに話しかけた。

 

 「我が息子よ、一体どういうことなのか説明してもらおうか。」

 

 アインズの重い声が玉座の間に轟く。アインズから離れた所に立っていたシクススは、胸を押さえて青い顔をしている。そんな事を知ってか知らずか、アインズの背後の景色を塗りつぶしていた漆黒のオーラが、霧散した。シクススは荒い呼吸をしていが、どこか惚けたような顔をしているのは気のせいだろうか。

 

 「失礼、怒ってはいない。ただ、なぜこの二振りの剣がこの世界独自のものだと言えるのか。説明をしてもらおうか。パンドラズ・アクター。」

 

 アインズの様子を見ていたパンドラズ・アクターは、観念したように答えた。

 

 「申し訳ございません、父上。悪ふざけが過ぎました。」

 

 心底悪いと思っている様子で、パンドラズ・アクターは答えた。そんな様子を見たアインズは、頷いた。

 

 「うむ、続けよ。」

 「はい父上。 このマジックアイテムにはからくりがありまして・・・・・・。」

 「からくり・・・・・・だと。一体どういうことだ?」

 

 パンドラズ・アクターの返答に驚いた様子のアインズは、素直な疑問を口にする。その疑問に対してパンドラズ・アクターは、初めて割り算を覚えた子どものような、嬉々とした様子で答える。

 

 「実は・・・・・・、このマジックアイテムは、一つずつ鑑定を行うと正しい情報がわからないのです。」

 「なん・・・・・・だと。」

 

 信じられないといったアインズを見つつ、パンドラズ・アクターは続ける。

 

 「このマジックアイテムは、商人専用魔法、≪マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定≫を使用しなければ、隠された情報がわからないようになっていたのです。私も音改様のお姿をお借りしなければ気づけなかったでしょう。」

 

 マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定。それは目の前にある複数のアイテムを鑑定できる魔法だ。通常、ユグドラシルでのマジックアイテムの鑑定は、アイテムを手にした状態で魔法を発動するため、必然的に一つずつに限られてしまう。しかし、商人プレイヤーが在庫一掃セール等を開く際に、いつから所持しているのか分からない、多くの出品物の詳細を、いちいち鑑定して確かめていては時間がかかる。全てのアイテムを一度に鑑定できれば、その分の手間が省けるのだ。

 だが、全てのアイテムの効果を暗記している、という者には不要であるし、あえて貴重な枠を潰してまで取得する魔法でもなかった。いわば、非常にニッチな魔法なのだ。

 

 「なるほど、それはたしかに私では気づけないだろうな。パンドラズ・アクターよ、隠された情報とは一体どういうものなのだ。」

 

 アインズはパンドラズ・アクターに、続きを説明するように促した。

 

 「はい。まず、この剣の名前から説明しましょう。」

 

 パンドラズ・アクターはアインズから受け取った一振りの剣と、持っていたもう一振りの剣を目の前に置いた。

そして、商人専用魔法『マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定』を唱えた。

 

 「この剣の名は、ツイン・クレーンネック・ズルフィカール。正しい鑑定を行った後で、二対を同時に装備することによって、隠された効果が発揮されます。」

 

 アインズの様子を見ているパンドラズ・アクターは話を続ける。

 

 「その効果は・・・・・・、摩耗せず破壊されない、冷気からの攻撃無効化、冷気攻撃からの状態異常に対する耐性を得る、第三位階魔法『フライ/飛行』が使用できるようになる、です。」

 「なんだと。他にはないのか。」

 「以上です、父上。」

 

 思わぬ効果を持っていたマジックアイテムを見て、アインズは顎に手を当てた。なかなか強力なマジックアイテムだ。それに、この世界にはアインズがまだ知らない未知があった。それを知らしめたこのマジックアイテムは、アインズにとって素晴らしい物だった。

 やがて、二人の間に弛緩した空気が流れた。

 

 「素晴らしい。素晴らしいぞ! 息子よ!」

 「はい! 父上! 私もこのようなマジックアイテムは初めてです!」

 

 アインズの喜びに感化されたのか、パンドラズ・アクターもはしゃいだ。そんな様子のパンドラズ・アクターから、アインズが予想しえない言葉が、唐突に漏れた。

 

 「父上、私、ナザリックの外にあるマジックアイテムを探す冒険に出てみたいです。」

 「えっ」

 

 アインズは間抜けな声を出した。それもそのはずだ。ギルド拠点を守護するNPC。彼らは拠点の守護をするために作られたのであって、冒険をするために作られたのではない。それが、自らの冒険をしたいと口にする。ありえない事なのだ。緑色の光がアインズを絶え間なく灯していることから、その衝撃は強いことが窺える。

 それに冒険。

 冒険はアインズが大好きな事だった。

 パンドラズ・アクターにとっては、アインズは神にも等しい存在。それを差し置いて冒険をする。

 アインズは一人だけ緑色に光りながら、時が止まったように佇んでいた。

 

 「どうでしょうか、父上。」

 「どうって、お前・・・・・・。少し考えさせてくれ。」

 

 ナザリックの宝物殿を守護するNPC、パンドラズ・アクター。アインズが設定を作った存在だ。たしかに、マジックアイテムフェチという設定を作ったのはアインズだ。珍しい物を見つけて、冒険に出たいという気持ちが沸いてもおかしくはなかった。しかし、数百年の間にそんなことを言われたことはなかった。

 やがて、発光現象が収まったアインズは、覚悟を決めたように静かに話し出す。

 

 「今すぐに決められることではない。だが、お前がナザリックの外に興味を持つ理由もわかる。私も今回の発見には心が震えた。」

 「では!」

 「焦ることはない。仮にお前が冒険に出れば、お前が抜けた分だけエ・ランテルの守護が疎かになる。それに係る調整も必要であろう。」

 「たしかに。考えが足りませんでした。」

 「うむ。私も共に行きたい所ではあるが、それは流石にまずいだろう。」

 

 それはアインズの素直な心境だった。どうすれば新たな冒険をすることができるのか。その問いに対する糸口を探すように、慎重に言葉を選びながら会話を続ける。

 

 「こういった意見はどうだ。私とお前で代わり替わりに冒険をする。交代の合図は・・・・・・そうだな、一定の期間を設けて、冒険の成果の報告をする。その報告が終わったら交代というものだ。」

 「父上の意見とあらば異論はございません。」

 「うむ。問題はないようだな。ならば、その線で調整をしよう。」

 

 一瞬、パンドラズ・アクターに背を向けたアインズは、ガッツポーズを取った。そして、すぐさまパンドラズ・アクターに向き直る。そんな様子を、パンドラズ・アクターは"直れ"の姿勢で眺めていた。

 アインズはシクススの方を向いて釘をさした。

 

 「シクスス、今の話のうち、私が冒険に出るという部分は内緒だ。忘れるように。」

 

 いきなり名指しされて驚いたのか、あっ、と開けた口に手をかざしたシクススは、何度も首を縦に振った。その様子を見て、アインズは頷いた。

 

 「それではパンドラズ・アクター、エ・ランテルに持っていくマジックアイテムの仕分けを終えたら、アルベドに連絡だ。エクスチェンジ・ボックス用はお前が持っていけ。シクススは私の元へ。ああ、それと、そこにある二振りの白い双剣は私が持っていこう。冒険者には勿体ないからな。」

 「Wenn Ara O und wünschen Ihnen von meinem Gott!!(我が神のお望みとあらば)」

 

 パンドラズ・アクターから双剣を受け取ったアインズは、ナザリック地下大墳墓第九階層にある自室に戻るため、シクススを連れて玉座の間を後にした。



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旅立ち2

 カタカタカタ。お腹が鳴った。もう朝だ。

 ここはナザリック地下大墳墓第九階層。この階層には様々な部屋がある。至高の御方々の部屋やシズたちNPCの部屋。大浴場や食堂などの施設、美容院、衣服屋、雑貨屋、エステ、ネイルサロンなどのお店など、いろいろ。そして、いまシズが居るのは、メイドの部屋。

 シズはアルベドに編んでもらった、小さいワーウルフがたくさんあしらわれたパジャマを脱いだ。そして、クローゼットから戦闘メイドの衣装を取り出して着替えた。壁にはめ込まれた、大きな姿見で服を正す。頭にはきのうアインズからもらったエクレア帽子をかぶる。

 --・・・・・・うん、かんぺき。

 まずは幸せそうな顔をして寝ている、ルプスレギナ--シズと同じ戦闘メイドで悪戯大好きなワーウルフ--をけとばして起こす。それからエクレアを捕まえて食事にしよう。今日こそは逃がさない。

 

 「なにこれー、ペンギンじゃないっすかー。」

 

 急いで頭を押さえたけど遅かった。・・・・・・というか起きてたみたい。いつの間にかメイド服になってるし。油断した。

 

 「・・・・・・返して。」

 「ちょっとくらい、いいじゃないっすかー。これ、どうしたんっすかー?」

 「・・・・・・アインズ様に・・・・・・貰った。」

 「ほぇー。じゃあ、ルプーを捕まえたら返してあげるっす。」

 

 --ッチ。

 またルプスレギナの悪戯が始まった。こうなったら手に負えない。ルプスレギナはシズには捕まえられない。なぜなら、ルプスレギナはレベル五十九。対してシズはレベル四十六。ユグドラシルではレベルが十も離れていたら、その差は絶望的なものとなる。さらにシズには見破れない完全不可視化の魔法がある。これを使われたら--というか、もう無理だけど--この犬を捕まえられない。油断した所を狙うしかないけど、可能性は薄い。

 そんなシズの思いとは裏腹に、エクレア帽子をかぶったルプスレギナは、何が嬉しいのかだらしない顔になって笑っている。

 

 「頭から湯気を出さなくても心配いらないっすよー。タイムリミットは朝食が終わるまででどうっすか。」

 

 ・・・・・・この雌犬。

 

 「どうせ・・・・・・嫌って言っても、辞めないくせに。」

 「もちろんっす。それじゃあ始めるっすよー≪完全不可視化≫。」

 

 ルプスレギナの「うふふふふ。」という笑い声が遠ざかっていく。

 --はぁ。

 毎回毎回、なんで飽きないんだろう。

 カタカタカタ。お腹が鳴った。とりあえず、エクレアに八つ当たりしてから食堂に向かおう。

 シズはストーカークラスのスキル≪ターゲット・トラッキング/標的追跡≫を使用して、マーキングしてあるエクレアを感知した。デミウルゴスの配下が運営する、同じ第九階層にあるバーにいるようだ。

 シズはエクレアを捕獲するために、メイドの部屋を出てバーに向かった。

 

 

 

 

 

 

 私の名はエクレア。フルネームはエクレア・エクレール・エイクレアー。

 栄光あるナザリック地下大墳墓にて執事助手を務めている。外見は造物主様の『りある』という世界で、イワトビペンギンという種族の姿で創造されたらしい。いつかは忠誠を誓っているアインズを配下に加えて、このナザリックを支配する存在だ。

 レベルは一しかないので、強力な手下が必要だ。目下の課題はレベル百の配下を獲得することだ。今後の目標を再確認したところで起きるとしよう。もう朝だ。

 今日も私のナザリックは平和だな。私に仇名す、あの機械人形さえいなければ言うことはないのだが。さて、一杯やってから同志を集めることにしよう。

 おい、と配下の使用人に声をかける。イー、と叫びながら全身黒タイツを身に着けた使用人が駆け寄ってくる。日常的な光景だ。

 男性使用人に抱えられた私は、通い詰めているバーに向かった。天寿を全うした前バーマスターの"ピッキー"に代わって、デミウルゴスの配下がバーマスターを務めている。彼が試行錯誤を続けている、リキュール十種類を使ったカクテル『ナザリック』で、私の一日は始まるのだ。

 

 「やあ、ボンバー」

 

 猩猩(ショウジョウ)のように全身が毛むくじゃらな体。しかし、毛を覆うように赤のボタンシャツを身に着けている。その上に黒のカマーベスト、ネクタイはミスリル製だ。下半身は黒のスラックスを着ている。手には黒いスムスグローブ。手の甲には、純金でアインズ・ウール・ゴウンの紋章がかたどられている。足元には聖王国両脚羊皮のウイングチップを履いているはずだ。顔は鼻が伸びた仮面を着けている。

 彼の名前は通称『ボンバー』。ひときわ主張の激しい、頭部の毛を指して私が付けた綽名だ。デミウルゴスの配下で、当然ながら異形種、悪魔である。

 ボンバーと言われた本人は嫌な素振りはせず、独特なステップを踏み、臣下の礼のような真似をして私を出迎える。あれで、気分が良いみたいなのだ。彼と数百年付き合ってきた私が言うのだから間違いない。

 

 「いつもの。」

 「畏まりました。」

 

 氷をかき混ぜる心地よい音がバーに響く。続いて様々なリキュールの香りが鼻腔をくすぐった。私はこの瞬間が気に入っている。リキュールと氷をかき混ぜる音が、カクテル・シェーカーの中で立てる氷の音が、どこか懐かしさを感じさせる。

 コースターの上にグラスを置いて、ボンバーが礼をする。

 カクテル『ナザリック』だ。

 前バーマスターのピッキーが試行錯誤を続け、代がボンバーに変わっても未だに完成の目途は立たないらしい。そんな、ナザリックの歴史の一面が凝縮された一杯を、一息に飲み干す。嘴からでろでろと酒が溢れ出すが気にしてはいけない。これもまた、日常的な光景なのだ。

 私の配下がぴちゃぴちゃと滴る酒を拭う。と、その時、全身の毛が逆立った。

 --奴が来る!?

 

 「おい! 時間を稼げ!」

 

 イー、という叫び声を上げて配下の使用人はバーの入口を固める。あとはカウンターに隠れるだけだ。これで、あの苺色の髪をした悪魔から逃れることができるはずだ。我ながら完璧な作戦だ。

 急いでカウンターを乗り越えて、身を隠す。ボンバーはこっちを見ているが、これもまた日常的な光景なので、特にどうこうしようという行動を起こさない。そのまま黙っていてくれればいいのだ。

 

 「イーーーーーー・・・・・・。」

 

 使用人の断末魔の叫びが聞こえた。お前たちの犠牲は無駄にはしない。よくやった。

 

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 

 しばらく待ってみたが、奴の気配はもうしない。・・・・・・行ったか。全く、私に何の恨みがあるというのだ。毎日毎日、飽きもせずに私を追いかけまわして。たまったものではないというものだ。

 私はボンバーに手伝ってもらって、カウンターから飛び出た。

 

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・ぁひ。」

 

 --こんな日常的な光景はいらない。

 

 

 

 

 

 

 エクレアを脇に抱えてバーを出たシズは、食堂に向かった。暴れるから少し脇を締めると、ぐったりとしておとなしくなった。・・・・・・かわいい。

 とりあえず、エクレアを食堂に連れて行って・・・・・・、ルプスレギナを探さないと。

 そう思いつつも食堂に着いたシズは、一般メイドとテーブルを囲っているルプスレギナを見つけた。頭にはエクレア帽子を着けている。

 

 「シズちゃんだーーー!」

 

 一般メイドたちがキャーキャー言いながら手を振ってくる。ルプスレギナは絵に描いた淑女のように、時おり微笑みながら食事をしていた。食堂に入って騒がしいテーブルに近づくと・・・・・・。

 

 「あなたたち、行儀が悪いですよ。」

 「おー、ユリ姉じゃないっすか。おはようございます。」

 

 ユリ姉--ボクっ娘おっぱいデュラハン--が一般メイドたちに注意した。ルプスレギナはユリに挨拶をする。ユリはルプスレギナの方を向くと、挨拶も忘れて口に手を当てた。そして、ルプスレギナの頭を指さして声を荒げる。

 

 「まあ! そのペンギンは何!? はしたないから捨ててしまいなさい。」

 

 シズが抱えているエクレアがびくっと震えた。脇に込めた力を少しだけ緩める。

 --シズはそんなこと言わないよ。

 

 「えー、そういうわけにはいかないっすよ。なんでも、これはシズがアインズ様からいただいたものらしいっすから。」

 

 ルプスレギナの返答を聞いたユリは、大きく目を見開いた。「アインズ様から」と呟いてから、シズに向き直った。

 

 「シズ、本当なの?」

 「・・・・・・ほんとう。・・・・・・ルプスレギナが・・・・・・奪った。」

 「ルプス!」

 

 シズの話を聞いたユリは、目を釣り上げてルプスレギナを叱りつけた。ルプスレギナはやれやれといった表情で首を振った。絶対に反省してないだろうけど。

 

 「しょうがないっすねー。でも、勝負はルプーの勝ちっすからね!」

 「何をわけのわからないことを言っているの! 早くシズに返しなさい!」

 「了解っすー。」

 

 ルプスレギナが立ち上がってこっちに来る。シズはエクレアを立たせて翼を掴む。ちょっと暴れたけど微笑み--表情は動かないけど--ながら、エクレアの目を見つめたらおとなしくなってくれた。

 

 「はい! シズにお返しっす。今度は取られちゃダメっすよ。」

 

 そう言って、にこにこ顔のルプスレギナがシズにエクレア帽子を被せた。どの口が言うのだろうか。エクレアは帽子を見てぼけっとしている。

 

 「なぜ私が帽子なんかに・・・・・・。」

 「・・・・・・アインズ様から・・・・・・もらった。」

 「アインズ様が!? 訳が分からないのだが。」

 「・・・・・・なに? かわいい、よ?」

 

 エクレアの顔を覗き込むように言ったら、目を泳がせてぷるぷる震えながら、「ああ」と頷いて下を向いてしまった。ちゃんとお話しすれば分かってくれるのに、なんでみんなはエクレアを煙たがるのかな。今もエクレア帽子を見て恥ずかしがっちゃって。・・・・・・かわいい。

 

 「はぁ・・・・・・。こういう所がなければ、いい子だとボクは思うんだけどなあ。」

 

 ユリがルプスレギナに呆れていると、テーブルに座っている一般メイドのリュミエールが話し出した。

 

 「ええっと・・・・・・、シズちゃんが被っている帽子は、アインズ様からいただいたっていう話は本当ですか?」

 「本当だよ! きのう、アインズ様と一緒に居た時にシズちゃんに渡してたもん。」

 「うそー! 初耳だぞ! シクスス! 説明しなさい!」

 

 一般メイドのリュミエールの疑問にシクススが答えて、フォアイルが続ける。そして、羨ましそうな表情をしたユリ、シクススを見るエクレア、合わせて四名の視線がシクススに殺到する。シクススはたじたじといった様子で、手の甲を胸にあててたじろいでいる。

 シズは一瞬、シクススと目が合ったので頷いた。

 

 「きのうは私がアインズ様の当番だったことは知っているよね。その時にアインズ様とパンドラズ・アクター様がエ・ランテルに献上されたマジックアイテムの仕分けをされたの。シズちゃんはたまたま十階層でお仕事していたみたいで、玉座の間に向かう途中だったアインズ様がシズちゃんをお誘いしたの。」

 

 早口で捲し立てるシクスス。一瞬の間を置いて、キャーとか、お誘い?それってコクハク!?だとか、いいな、ボクもだとか聞こえたけど、エクレアが早く続きを聞きたいと言ったところで静かになった。

 シズとルプスレギナ以外のメイド全員に睨まれて、エクレアがしょんぼりした様子で俯いた。

 ・・・・・・かわいい。

 

 「仕分けを行っている最中に、"日頃の労い"ということで、気に入ったマジックアイテムをいただけることになって。シズちゃんと私が気に入った物をいただけることになったの。」

 「えー! いいなー! シクススは何を貰ったの!?」

 

 説明を聞いていたフォアイルが、シクススにぬるりと詰め寄って詰問した。リュミエールは熱い眼差しでシクススを見つめている。ユリ姉は目を潤ませて人差し手を口元に当てている。ルプスレギナはテーブルに手をついて寝てる。

 

 「私は何も貰ってないよ。至高の御方であるアインズ様にお仕えできることが、最高のご褒美ですってお伝えしたよ。」

 「えー! そこはほら! アインズ様の御長子とか、いろいろあるんじゃないー?」

 「そんなぁ。みんなを差し置いて、私だけご寵愛を受けるなんてできないよぉ。」

 「シクススらしいわね。シクススのそういう所、好きよ。」

 「もぉー。リュミエールったらー。」

 

 フォアイルがからかって、シクススが受ける。リュミエールが真面目な事を言う。いつもの談笑の風景。

 

 「では、ペンギンの帽子はシズが選んだのですか。」

 

 羨ましそうに話を聞いていたユリ姉が割って入り、シクススが微笑みながら答える。

 

 「そうです。アインズ様からペンギンをいただいたシズちゃんは、すごく幸せそうでした。あのシズちゃんが隣に居たら、ごはん十杯いけますよ。」

 「なにそれー! 見たかったなあ。」

 「それは、私も見たかったです。」

 「・・・・・・エクレア帽子・・・・・・シズが、きめた。」

 「ボクも欲し、ゴホン・・・・・・そうなのですか、アインズ様から。シズ、良かったですね。」

 

 ユリ姉がシズに微笑んだ。シズも「うん」と頷いた。気分が良くなったシズは、心に押し込めていた思いが思わず顔を出してしまった。

 

 「・・・・・・ナザリックの外・・・・・・シズ・・・・・・知らない。でも・・・・・・、エクレア帽子・・・・・・みたいな・・・・・・かわいいもの・・・・・・あった。・・・・・・シズは・・・・・・かわいいもの・・・・・・、外に・・・・・・冒険、したい。」

 

 言い終わったところで、一番最初にエクレアが毛を逆立て振り向き、ぎょっとした目でシズを見た。次にユリ姉が悲壮感を滲ませた顔で、一般メイドはすごく驚いた顔をしていた。

 本当に冒険できるわけではないのに、何でそんなに驚くのだろう。

 そう思っていると、今にも泣きだしそうな顔のユリ姉が口を開いた。

 

 「シズ? ・・・・・・ナザリックに仕える者として、その責務は忘れたわけではありませんね。」

 「・・・・・・うん。・・・・・・大丈夫。・・・・・・ナザリックを・・・・・・守ること・・・・・・役目。」

 

 そう、シズは戦闘メイドであるプレアデス。その役目はアインズ・ウール・ゴウン魔道王が支配する、このナザリック地下大墳墓を守護すること。それ以外はないし、それが全て。支配者であるアインズ様からの命令ではなく、個人的な思いで外に出る--冒険をする--ということは、あってはならない。考える事自体がおこがましいこと。それでも、思いくらいは語ってもいいんじゃないかな。

 

 「・・・・・・でも、ナザリックの・・・・・・外、興味が・・・・・・ある。外に出れたら・・・・・・冒険、したい。」

 

 あれ? ユリ姉はなんで泣いているの?

 

 「ナザリックのNPCに、存在することを許された、アインズ様にお仕えすることが、私たちの役目。そこを外した発言は、許されるものではありません。ましてや、ここは食堂で、他にもNPCは居るのです。その者たちの前での、その発言は言語道断です。」

 

 沈痛な表情でしゃくり上げながら話すユリ姉。

 なんでこんなことになっちゃったんだろう。シズのせい、だよね。また失敗しちゃった? シズは最近どこかおかしいのかな。・・・・・・わからない。

 

 「ねえシズ、あなたの気を乱すのは、そのエクレア帽子なの? それならば、アインズ様にお返ししなければなりませんね。お願い、シズ。元に戻って。」

 

 --え?

 

 「・・・・・・エクレア帽子を?」

 

 --やだ。絶対に、嫌。

 ユリ姉の手がシズに近づいてくる。

 --やめて・・・・・・、取らないで・・・・・・。

 

 「そこまでにしたらどうだ、ユリ・アルファ? それに年上が年下を責めるのは恰好悪いな。」

 「・・・・・・エクレア?」

 

 気づくと、シズの前にはエクレアの背中があった。普段は分からなかったけど、なぜだか今はエクレアの背中が大きく見える。

 

 「エクレア・エクレール・エイクレアー! あなたは事の重大さが分かっていないのですか!」

 「わかっているとも。だが、女は男が守る。常識だろう? それとも、指導者であったお前の造物主様のやまいこ様は、そんなことも教えてくれなかったのか?」

 「あなた!」

 

 エクレア・・・・・・、弱いくせにシズを庇ってくれるの?

 ・・・・・・かっこいい。

 

 「・・・・・・エクレア、ありがとう。」

 

 エクレアの肩に手をかける。暖かい、ふかふか。

 --しっかり・・・・・・しなきゃ。

 今度はエクレアの肩を優しく掴んだ。すると、エクレアがシズの目をじっくり見てから、道を開けてくれた。ユリ姉は怒っているような泣いてるような、そんな複雑な表情だった。

 

 「・・・・・・ユリ姉、ごめんなさい。」

 

 きっと、わがままを言った事が悪いと思う。だから、ユリ姉にきちんと今の気持ちを伝えないといけない。冒険をするつもりは・・・・・・、ないと伝える。

 

 「シズ・デルタ、いいのか?」

 「・・・・・・うん。・・・・・・エクレアの、おかげ。」

 「そうか。お前がそういうならば仕方ないな。ユリ・アルファ、ひどいことを言って済まなかったな。」

 

 嗚咽を漏らしているユリ姉に正面から対峙した。やっぱり、この思いは間違っているのかな。シズには分からないけど、ユリ姉を悲しませることは絶対にいけない。

 

 「・・・・・・ユリ姉、シズは・・・・・・。」

 

 一度ユリ姉から視線を外してしまった。

 --ダメ。しっかり伝えないと。

 覚悟を決めた一言を言う前に、シズは息を飲み込んでからユリ姉の目を見て言った。

 

 「シズは・・・・・・もう、冒険する・・・・・・言わない。」

 

 ユリ姉は涙を流していた。ひどいことしちゃった。やっぱり外に出たいなんて言ったらいけないみたい。でも、エクレアは認めてくれた。それだけでも満足。エクレア、ありがとう。

 

 「結局、エクレア帽子はそのままにするっすか?」

 

 頬杖をついたルプスレギナがそう呟いた。ユリ姉はしゃくり上げながら、沈痛な言葉を漏らす。

 

 「シズも反省しているみたいだし、帽子はそのままでいいわ。シズ、ごめんなさいね。」

 「・・・・・・うん。シズも・・・・・・ごめんなさい。」

 「そっすか。仲直りできてよかったすね。」

 「さあ、シズもルプスレギナも朝食を摂ったら仕事を始めなさい。」

 

 少しだけ柔らかい声になったユリ姉は、シズにそう告げるとルプスレギナと一緒に食堂を出て行った。シズは朝食を取りに厨房に向かった。エクレアはいつの間にかいなくなっていた。

 

 「びっくりしたー。ユリ様があんなに声を荒げるところなんて珍しいね。」

 「フォアイル、今回は内容が内容だった。私がユリ様だったら、たぶん私も同じようになる。」

 「えー、リュミエールはいつもつんつんだよー。」

 「ああん?」

 「きゃー、リュミエールが怒ったー。シクススが~ど!」

 「えっ!? ちょっとフォアイル? リュミエールも落ち着こう、ね?」

 

 テーブルからそんな話し声が聞こえた。そんなことより朝食を摂ったら仕事だ。今日は第一階層から第三階層のギミック点検の予定。エクレアは気になるけど、いつでも見つけられるし今はいいや。

 エネルギー補給を済ませたシズは、食堂を出て第一階層に向けて移動を開始した。



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旅立ち3

 「ナザリックの外に出たい、か。」

 

 僥倖、僥倖。あの苺色の髪の悪魔を遠ざけることができる。この降って沸いたチャンスを必ず活かさなくてはならない。

 私は配下の男性使用人に命令して、セバス執事長の部屋まで連れて行かせることにした。一刻も早くこのことを伝えて、セバスの協力を得よう。そして、協力を得たならばアインズに上手く伝えて悪魔を遠ざけるのだ。そろそろセバスの部屋だ。

 セバスの部屋に着いた私は、配下に命じて床に降り立った。

 入口に立つ黒髪ポニーテールの戦闘メイド、ナーベラルがいた。

 私を見るや即座にしかめっ面をしたが、お前と遊んでやる時間はないのだ。すこぶる嫌そうな顔をした、この堅物をどうやって通過するか思案する。

 

 「セバス執事長と話がしたい。通してくれ。」

 「お前がセバス様と話? セバス様はお忙しいからお前と話をする時間はないわ。」

 

 美しい顔をしているが、口からは棘が出た。腹立たしくなったが、ここで悪態をついて時間を浪費することは愚策だ。ここは素直に要件を伝えるとするか。

 

 「シズ・デルタに裏切りの可能性がある。・・・・・・これでも話をする必要がないと言うのか。」

 「なんですって。それは本当なの?」

 

 私は知っているのだ。プレアデスの中でシズ・デルタがどういう存在なのかということを。お前たちは苺色の悪魔を溺愛している。私の見立てに間違いはないはずだ。

 

 「本当だ。伊達にあいつに振り回されているわけではないからな。お前たちが知らない部分も知っているということだ。」

 

 そんなに信じられないという顔をするなよ。毎日毎日飽きもせず玩具にされてるのは嘘ではないのだから、さっさと通してほしいのだが。

 

 「わかったわ。少し待っていなさい。」

 

 室内に入ったナーベラルをしばらく待っていると、やがて扉が開いた。ナーベラルが中へ入るようにと指示を入れてきた。私は配下に抱えられて中に入った。

 室内にはいると、オーソドックスな執事服を着こなす老人とナーベラル、他に二名の戦闘メイドがいた。

 老人こそが目的のセバスだ。髪と口元にたくわえた髭が全部白一色なのだが、鋼でできた剣を彷彿とさせ姿勢に油断が見られない。彫の深い顔立ちに皺が目立ち、温厚そうに見えるが目が鋭い。流石は至高の御方々に作られし存在、こうして対峙すると気が引き締まる。

 是非とも私の配下に欲しい。

 

 「エクレア執事助手、シズ・デルタの件でという事でしたか。」

 「その通りです。セバス執事長。」

 

 セバスが確認を取ってきたので、私は頷いた。

 

 「詳しく聞かせてはいただけないでしょうか。」

 「もちろんです。」

 「では応接室へ。ナーベラル、案内をお願いします。ソリュシャン、執事助手が飲める物をお願いします。」

 「かしこまりました、セバス様。」

 

 ナーベラルは目礼、ソリュシャンはちゃんと返事をするか。

 ナーベラルはセバスが居ても変わらないな。私に対する嫌そうな顔を隠しもしない。ソリュシャンは公私を踏まえているようだ。もし、配下にするならソリュシャンだな。ナーベラルは要らん。

 心の配下候補ノートにそう記した私は、ナーベラルの後に続いた。もちろん、私の配下に私を運ぶように命じてある。

 

 応接室の対面ソファに腰かけ、会話が始まった。

 

 「それでは詳しく聞かせてもらいましょうか。」

 

△▲△▲△

 

 「そうですか、シズが冒険に出たいと。」

 

 鋭い目つきで見てくるセバス。その様子からは真剣さが真摯に伝わってくる。

 この緊張感は中々いい。幹部との会議という感じがする。いつかは実現したいものだ。

 

 「たしかにそう言っていた。私としてはシズの願いを叶えてあげたいと考えている。それが裏切りになるかどうかはまだ決まらない。しかし、このままシズを放置するとまずいことになるだろうと私は考えている。」

 

 私の考えを聞いたセバスは本当に真剣に考えている様子だ。配下を思う心は私にもある。私はセバスのこういう所が好きだ。

 

 「たしかに、シズをこのまま放置すれば他のNPCに示しがつきませんね。私の方からも、シズの真意を確かめましょう。」

 「私はなるべく急いだ方がいいと思います。」

 

 いい感じだ。苺色の髪の悪魔を遠ざけるという目標が近づいてくる。

 

 「たしか、今日のシズの点検は第一階層から第三階層のでしたね。ナーベラル、こちらへ。」

 「はい、セバス様。」

 

 さっきまでの嫌そうな顔から心配を隠せないといった顔になったな。こういう顔もできるのなら、その気持ちを少しでも、私に分けてもらいたいところだ。

 

 「≪メッセージ/伝言≫の魔法を使用して、シャルティアに連絡をお願いします。シズの事を観察、万が一に逃亡の可能性が確認できれば拘束をお願いしてください。それと、応接室を出たらソリュシャンをこちらに呼んでください。上層に向かわせます。」

 「・・・・・・っ。かしこまりました、セバス様。」

 

 ナーベラルはセバスに一礼した後応接室を出て行った。あからさまに表情を崩さなかった所はプラス点だな。

 

 「私の話は以上です。セバス執事長、私の友人を悪くしないようお願いします。」

 「あなたのお気持ちはよく分かりました。ありがとうございます。私の部下であるシズ・デルタが悪くならないよう、全力で対応いたします。」

 「くれぐれも、よろしくお願いします。」

 

 話が終わり、配下に抱えられた私はセバスと共に応接室から出た。

 すると、エントマがセバスの元に駆け寄ってきた。

 

 「セバス様ぁ、シズちゃん大丈夫かなぁ。」

 「大丈夫です。決して私たちを裏切ったわけではありません。エントマ、あなたは何も心配する必要はありませんよ。私が保証します。」

 「ほんとぉ~? よかったぁ~。」

 

 その柔和な笑みで部下の心を鷲掴みにするのか。私も十分に動く皮膚があれば良かったのだが。いや、この考えは飴ころもっちもち様に失礼だな。私はこの容姿で必ず配下の心を鷲掴みにしてみせるさ。

 

 「それではセバス執事長、よろしくお願いします。」

 「もちろんです。早急な連絡、ありがとございました。」

 

 そう言葉を交わして、私はセバスの部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 冷たい風が頬の横を吹き抜ける。白い石材でできた傾斜角の浅い長い階段を登り切る。視線の先には今にも動き出しそうな生々しさを持つ、巨大な戦士像が並んでいる。空を見上げると、どんよりと厚い雲が覆っていて薄暗い。

 ここはナザリック地下大墳墓第一階層、地表にある入口部分だ。別に外に出るためにここまで来たわけじゃない。ただ、諦める前にもう一度だけ、外を見ておこうと思っただけ。少しだけ外を眺めたら、日課であるギミック点検を始めよう。

 

 「おや、シズじゃありんせんか。こんな所まで出てきてどうしたでありんすか。」

 

 声がした方を向くと赤い目をした美しい少女が、シズに話しかけてきていた。少女の後ろには背の高い二名の女性がいる。

 全身を柔らかそうな黒いボールガウンが包んでいて、スカート部分は膨らんでいる。フリルとリボンの付いたボレロカーディガンを羽織っていて、手元にはレース付のフィンガーレスグローブを着けている。

 ただ・・・・・・、胸がおかしい。身体に不釣り合いな膨らみ。

 --うん。

 この少女の名前はシャルティア・ブラッドフォールン。ナザリック地下大墳墓第一階層から第三階層までの守護者で、"真祖(トゥルーヴァンパイア)"。

 シャルティアの後ろにいる二名の女性は"ヴァンパイア・ブライド(吸血鬼の花嫁)"というみたい。どうやって召喚しているのかは分からないけど、よく一緒にいる。

 

 「・・・・・・シャルティア様。」

 

 シャルティアは後ろに立つ二名のヴァンパイア・ブライドの胸部を鷲掴みにしながら、興味深そうにシズを見ている。シャルティアは馬鹿だけど鋭いというのが、姉妹の間での共通認識。下手にごまかしても見抜かれる可能性がある。

 

 「・・・・・・少し、外の世界・・・・・・気になった。」

 

 小首を傾げたシャルティアがじっと見つめてくる。シズは居心地が悪くなって、視線を逸らしてしまった。

 

 「それはまた、異端でありんすね。」

 

 --異端・・・・・・か。

 やっぱりこの思いはほとんど誰にも分かってもらえない。シズだって良いことだとは思っていないけど、それにしたって言い方があるんじゃないかな。

 

 「ぬしが頭につけているエクレア。深くは知りんせんが、それがこなたの異端の原因でありんしょう。」

 「・・・・・・。」

 

 シズは思わずシャルティアの目をじっと見つめる。シャルティアは確信を得たかのように、僅かに目を見開いて「ふふ」と、鼻を鳴らした。

 また、エクレア。みんなエクレアの事を悪く言い過ぎ。何なの。

 

 「それで、あわよくばナザリックを放り出して外に出ようとしたでありんすか。」

 

 あげくにこれだ。何かと思えばシズが不遜な考えを抱いていると決めつける。

 それにしても、なんでシャルティアがその事を知っているのだろう。天然かな。いけない、ちゃんと否定しないと。

 シズは目をつむって勢いよくかぶりを振って否定した。ナザリックを捨てるだなんてありえないこと。

 シャルティアを見ると、瞳を潤ませて少し紅潮しているようだった。思わず一歩後ずさる。背中が少し冷たくなった気がした。

 --はぁ。

 アインズに忠誠を誓う者が勝手な思いで、忠義から外れることをしてはいけないことは分かっている。なのにどうして・・・・・・、どうしてみんなでシズをいじめるのかな。

 目の前のシャルティアは何だか嬉しそうだし。少し腹が立ってきた。

 

 「何とか言ったらどうでありんすか。」

 

 背後に立つヴァンパイア・ブライドの胸を揉むことも忘れた、鼻息を荒くしたシャルティアが詰め寄ってきた。シャルティアの鼻息が頬を撫でてくる。

 --なに? 一人で盛り上がって!

 ちょっとイラっとしたシズは、わざとらしくシャルティアから視線を外して、照れたような素振りで呟いた。

 

 「・・・・・・もらった。・・・・・・アインズ様から。」

 「んごが?!」

 

 シャルティアの鼻息が離れる。視線を戻すと、手を遊ばせながらわなわなと震えていた。勝手におもちゃだと思っていたシズが、予想していなかった反撃をしたんだ。きっと今は頭の中が真っ白に違いない。追撃に頬に手を当てて恥ずかしがってみる。

 

 「んぎいぃい?! なな、何なんでありんすか。その嬉しそうな素振りは!? いただいた? アインズ様? アインズ様から?! え? アインズ様から?!?! アインズ様からああああ?!?!?!」

 

 相好が崩れたシャルティアを流し目をして見ると、本来--ヤツメウナギと呼ばれる種族--の姿が見え隠れしていた。・・・・・・効いてる。

 

 「ぷ、ぷプ、プレアデスの・・・・・・それも、目立った成果も上げていないあなたに! あああ、アイ、アインズ様から、あい、アインじゃない、愛をいただくだな」

 「・・・・・・それは、お前の物だ。私が許そう。」

 「ぐぎぎぎいぃぃぃ。」

 

 シャルティアは血を吸うことで『血の狂乱』という暴走状態になる。けれど、血も吸っていないのに『血の狂乱』を起こしそうなシャルティア。

 とどめ。

 シズは跪いて、そこに"もう一人"のシズを抱えるように片手を伸ばして、もう片方の手で頭を撫でているモーションを取った。

 

 「んぎ※◇●∬▽ゃおお¥€$£がうああ。」

 

 シャルティアが壊れた。

 せっかくの美しい姿が台無し。何だかおもしろいから、しばらく見ていよう。

 (・・・・・・)

 頬に爽やかな風が当たる。何だか、少しスッキリした。そろそろシャルティアを元に戻してあげよう。おろおろしながらシャルティアの様子を窺っているヴァンパイア・ブライドがかわいそうになってきた。

 

 「んひぃい。んぐぐぐ。うん、ふぅふぅ。」

 「シャルティア様、お気を確かに・・・・・・。」

 

 シャルティアをどうやって正気に戻すか考えていたら、ヴァンパイア・ブライドの一人が意を決したように近づいていた。

 

 「うるしゃい! わらひはいつでもれいしぇいちちゃくじゃ!」

 

 --うわぁ。

 冷静沈着。そういうことにしておくね。

 すぱーんという澄んだ音、べちゃという濁った音がして、ヴァンパイア・ブライドの一人が肉塊になった。

 

 「わ、わわわ、私だって、私だってはは・・・・・・裸でアインズ様と抱き合った事がある。それに、寝食を共に・・・・・・旅行をしたことだって、椅子にされたことだってある。大丈夫、だいじょうぶ・・・・・・私がリードしている。私の方が愛されている。んふふ、アインズさまぁ。」

 

 一○○レベルの階層守護者のプライドか、または女のプライドか、何がシャルティアをそうさせるのか知らないけど、シャルティアは一人で立ち直った。シズが見ている前で甘い声を上げながら顔を上気させて、自分の身体を抱きかかえてくねくねしているけれど。

 

 「・・・・・・うわぁ。」

 

 思わず声が出てしまった。それにしても、シャルティアは立ち直ったのかな? 今度は違う世界に行ってしまったような気がする。

 しばらくうわごとを呟いていたシャルティアは、やがてこっちの世界に戻ってきた。

 

 「流石はプレアデスといったところでありんしょうか。私をここまで追い詰めるとは予想外でありんす。シズも幾分かスッキリしたみたいでありんすし、この話はここらで手打ちとしんしょう。」

 「・・・・・・。」

 「まあ、私の勝ちは揺るぎようがないでありんすが。」

 

 シャルティアは手を腰に当てて胸をそらした格好で、勝ち誇った表情を浮かべている。余計な一言が置き去りにされたけど、スッキリしたのは事実だった。最初に頬に感じた冷たい風も、今はそれほどでもなかった。

 シャルティアは残ったヴァンパイア・ブライドを四つん這いにさせて、その背中に腰かけた。

 

 「私は深く知りんせん事でありんすが、私を追い詰めたご褒美として助言と忠告をしんしょう。」

 「・・・・・・助言と忠告?」

 

 シャルティアはこくり、と頷いた。

 

 「まず、忠告から。」

 「・・・・・・。」

 

 息を呑む。

 

 「まずは、今後は皆の前で異端な発言は控える事。既にナザリックに仕えるほとんどの者には、ぬしに反逆の可能性があるということが知れ渡っている。私は上層に、直接地表部へ向かったぬしを監視、必要なら捕縛するように言われている。」

 「・・・・・・。」

 

 監視と捕縛? シズが知らない内に話がよく分からないことになっている。一体誰が変な事を広めたんだろう。ユリ? ルプスレギナ? 一般メイド? 誰だか分からないけど、早くなんとかしなければいけない。

 焦ったシズはシャルティアの話半分に踵を返して階段に向かった。

 

 「待ちなんし。まだ話は終わってないでありんす。」

 

 早く状況を確認しなければいけないけど、シャルティアに呼び止められては立ち止まるしかない。

 

 「私を無視するだなんていい度胸でありんすね。まあ、反逆の烙印を押されれば焦る気持ちも分かるでありんすが。今は少し気分が良いので、特別に許して差し上げるでありんす。」

 「・・・・・・なんで?」

 

 なんでシャルティアはここまでしてくれるのだろうか。

 

 「言ったはずでありんす。格下のぬしが私を追い詰めたご褒美だと。私がしたいからする。それだけでありんす。」

 「・・・・・・。」

 

 シャルティアらしい。たしかに、それなら納得できた。

 --はぁ。

 ふと、頭の中でため息が漏れてしまった。シズは最近、全然だめ。失敗ばかりしていて、それが取り返しのつかないことになってしまいそう。

 

 「そう気を落とさずとも、助言もしてあげるでありんす。」

 「・・・・・・助言。」

 

 この状況をどうにかできる助言って一体どんなことなんだろう。シズには分からない。だから、勘は鋭いシャルティアの助言を素直に聞こうと思った。

 

 「単純なことでありんす。セバスに直接相談すればいいでありんす。」

 「・・・・・・セバス様、に。」

 

 ナザリック執事長のセバスはシズの直属のボス。付き合いはシズが作り出された時から続いている。セバスなら分かってくれるかもしれない。単純だった。

 

 「・・・・・・分かった。・・・・・・セバス様に、相談・・・・・・する。」

 

 にこにこしながらうんうんと頷いたシャルティアは、椅子から降りて椅子のおしりを叩いた。パチンと澄んだ音が響いて小さな手形がついた、痛そう。そして手形を蹴り飛ばしてから、少し乱れた髪を指で梳かして言った。

 

 「私の見立てでは、反逆の可能性はなさそうでありんすね。」

 

 反逆? もうそこまで話はこじれてしまっているの?

 

 「お前、そこに散らばっている肉塊を掃除しておくように。湯浴みまでに戻ってこなかったらおしおきだからな。椅子の心得というものを教えてやる。」

 

 白い石材の上で、体に小さな手形をつけてうずくまっているヴァンパイア・ブライド。それに向かって吐き捨てるようにして、シャルティアはそう告げた。

 

 「私はこれで戻るでありんすが、良かったら≪ゲート/転移門≫で階層移動の転移装置まで繋げてあげるでありんす。」

 

 シズは静かにかぶりを振った。

 階層守護者にあまり迷惑をかけるべきではない。

 

 「・・・・・・ありがとう。でも・・・・・・自分で、行く。」

 「そうでありんすか。」

 

 そう言葉を交わしたシャルティアは≪ゲート/転移門≫で去った。

 反逆。シャルティアの言った言葉に不安が募る。

 魔法が消えたことを確認したシズは、セバスに相談するために急いで下層へと向かった。




エクレア暗躍


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旅立ち4

 シズは第八階層の荒野を抜けて、第九階層への転移装置に辿り着いた。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがあれば移動も早いのだけれど、シズは持っていない。どこに転移装置があるか知っているとはいえ、歩いて移動すると少し時間がかかる。

 

 「・・・・・・早く、相談・・・・・・する。」

 

 セバスはまだ自室にいるかな。もし会えなかったらどうしよう。

 今日の日課を放り出して来たんだ。もし、会えなかったらどうしよう。不安を抱えながらも第九階層の転移装置を使用した。

 視界が変わった。と、目の前にはなぜかソリュシャンが立っていた。

 

 「待っていましたよ、シズ。やっと戻ってきましたね。ついてきなさい。」

 

 --??

 やっと戻ってきたというのはどういう意味? なぜソリュシャンはシズを待っていたの?

 もしかして・・・・・・。ソリュシャンも? シズはもう異端者なの?

 思わず立ち竦んでしまう。ソリュシャンは小首を傾げている。何を考えているのかわからない。

 

 「・・・・・・ゃ。」

 

 --怖い。

 自分でも音を出したのか分からないくらいの声で返事をした。でも、ソリュシャンの眉がぴくっと動いたように感じた。

 シズとソリュシャンは見つめあう。

 どれくらい時間が経ったのだろうか。怖くて動けないでいるシズに対してソリュシャンは口を開いた。

 

 「あなたが言う事を聞かないというのであれば、裏切り者としてアインズ様に報告しなければなりません。シズ、あなたはどちらなのですか。」

 

 --裏切り者。

 やっぱり、ソリュシャンもシズの敵だと言うの? もしかして、姉達も・・・・・・セバスもシズを疑っているの?

 どうしよう、どうすればいいか分からない。

 シズの味方はエクレアしかいないのかな。エクレア帽子を抱きしめてエクレアを思う。

 

 「シズ、私はあなたを疑っているわけではないのよ。ただ、あなたが変な考えを抱いていないか心配なの。あなたが今朝、食堂で不遜な発言をしたという話を聞いたわ。セバス様はそのことであなたに話があると言っていました。」

 

 --嘘だ。

 疑っていないだなんて嘘。今朝、食堂にいた誰かがシズを陥れるために変な話を広めたんだ。

 このままセバスの所に行ったら、シズは異端者として裁かれる。でも、それを覆す力はシズにはない。もう、黙って付いていくしかないのかな。

 

 「・・・・・・助けて・・・・・・エクレア。」

 

 エクレアの事を口にした途端、ソリュシャンの顔がぐにゃりと歪んだ。

 ソリュシャンもエクレアをよく思っていない。知っていたけれど、改めて確認すると暗い気持ちが沸いてくる。

 

 「いいですね、シズ。黙って付いてきなさい。あなたに拒否する権利はないわ。」

 「・・・・・・分かった。」

 

 もうダメかもしれない。これからどうなるんだろう。

 シズはソリュシャンの後に続いて、セバスの部屋へ向かった。

 

△▲△

 

 セバスの部屋の前にはナーベラルが立っていた。目線がソリュシャンを捉えて、すぐに後ろにいるシズに移った。そして、シズたちを交互に見比べて泣きそうな顔になった。ナーベラルもシズを疑うのかな。

 すぐに、ナーベラルが部屋に入って行って、まもなく出てきた。ソリュシャンに何か伝えてから、三人一緒に部屋に入った。

 

 「セバス様、シズ・デルタを連れてまいりました。」

 「ご苦労様です。ソリュシャン。」

 

 これからシズはどうなるんだろう。異端なことをするつもりは全然ないのに、裏切り者として扱われるのかな。

 本当に、誰がこんなことを仕組んだんだろう。

 

 「シズ・デルタ、少し二人で話しましょうか。一緒に応接室に来なさい。」

 「・・・・・・。」

 

 シズは小さく頷いてセバスに近づいた。セバスは誰が見ても安心できる、けれど今はとても怪しい笑顔を浮かべている。シズはそんなセバスにエスコートされて、糾弾の部屋へと連れて行かれた。

 

 「シズ・デルタ、話は聞きました。あなたは冒険の旅に出たいらしいですね。」

 「・・・・・・うん。冒険・・・・・・出たい。・・・・・・エクレア帽子・・・・・・みたいな、かわ・・・・・・いいもの、見た・・・・・・い。」

 

 もう、シズが外に出たいと思ったことは知れ渡っているみたい。なら、自分の気持ちに嘘をついて裁かれるより、素直に気持ちを出して裁かれた方がいい。決して役目を忘れたわけじゃないけど。

 --はぁ。

 最近はため息しかついていない気がする。何も悪いことはしていないのに。エクレア帽子をぎゅっとする。

 セバスは優しそうな笑みを浮かべて、シズの発言を聞いている。

 言質は取ったというところかな。

 

 「そうですか、かわいいものを見たい。それが、あなたが外に出たいという理由ですか。」

 

 そう。それがシズが外に出たいと思った理由。アインズからもらったエクレア帽子を褒められて、思わずいい気分になって漏らしてしまった思い。外に行けば、シズが好きな物があるかもしれない。でも、それは絶対に叶わない思い。

 シーゼットニイチニハチ・デルタはナザリック地下大墳墓、支配者アインズに仕えるための存在。

 かわいいもの、好きな物を探しに外に出る。そんなことは許されないし、それは常識のはず。なのに、それを強行すると思われている。

 おかしな話を広めた存在が許せない。けど、今回は挽回のしようがないくらい完全に負けた。

 

 「シズ・デルタ、あなたの気持ちはよく分かりました。この事はプレアデスで一度共有して、アインズ様に報告しようと思います。」

 「・・・・・・。」

 

 完全に勝ったといった表情。プレアデスから裏切り者が出たらセバスも立場が悪くなるかもしれないのに。

 シズを除いた全員で対策を立てようというのかな。もう、そんなことを考えてもしょうがないか。

 

 「そんなに心配しなくても、あなたの悪いようには絶対にしません。私が約束します。」

 「・・・・・・。」

 

 シズの味方は姉妹であるプレアデスではない。セバスでもなかった。エクレアだけがシズの味方だ。

 

 「今日はもう疲れたでしょう。点検の方は一時中断して、気持ちが良くなってから再開すればいいですよ。」

 「・・・・・・。」

 

 目礼で返事をする。罪が執行されるまで、束の間の休息ということかな。

 応接室の扉でもう一度、礼をして部屋を出た。応接室の外にはナーベラル、ソリュシャン、エントマがいた。

 

 「・・・・・・ごめん・・・・・・なさい。」

 

 目が赤かったり、顔が崩れたり、シズちゃんと呟いたり、反応は様々だった。

 ナーベラルの胸に抱かれた。

 --ごめんなさい、ナーベ姉。

 ナーベラルの肩越しにソリュシャンと目が合う。

 --疑われているのか心配されてるのかよくわからない。

 横を見るとエントマがいた。

 --もう遊べない・・・・・・かも、ごめんね。

 

 「シズちゃん、わたしはシズちゃんの味方だよぉ。」

 「・・・・・・ありが、とう。」

 

 エントマは信用できるかもしれない。もう、あまり意味はないだろうけれど。

 

 「シズ、私の一部を渡しておきます。信頼していますよ。」

 

 ソリュシャンが体--スライムの身体の一部--をちぎって渡してきた。盗賊スキルで常に監視すると言いたいみたい。そんなことしなくても、ナザリックではレベルが低い方に分類されるシズでは、できること--別に変な事はしないけど--は少ないというのに。

 やっぱりソリュシャンは信用できない。けれどこれ以上、悪く思われる必要もないから受け取った。

 

 「ぅぇ~ん。シズは絶対に私が守るからね。ぐすん。」

 「・・・・・・うん。・・・・・・ありが、とう。」

 

 ナーベラルの頭を撫でていると、応接室からセバスが出てきた。

 さっき糾弾された時とは違って、今は厳しい顔つきになっている。

 身内から異端者--シズは納得してないけど--が出たんだ。今後の対策を立てるのだろう。

 

 「ナーベラルはユリに、エントマはルプスレギナにそれぞれ≪メッセージ/伝言≫をお願いします。全員揃ったら、シズ・デルタの今回の行動を全員で共有します。その後に、アインズ様に報告しますのでその旨も伝えてください。最優先命令です。」

 

 最優先命令。それは執事長が直轄のプレアデスに与える最も強い命令。

 まあ、シズにはもう関係のないこと。

 

 「・・・・・・ナーベ姉、命令。」

 「ん、ひっく。ええ、聞こえたわ。待っていてね、シズ。必ず助けてあげるから。」

 

 返事はできなかった。誰かの企てにナーベラルを巻き込むわけにはいかない。

 ナーベラルを優しく引き剥がして、静かに部屋の出口へと向かう。

 最後にお辞儀をして、部屋を出る。セバスが真剣な目つきでシズに頷いたのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 シズ・デルタがセバスの部屋を出てから一日だけ日付が遡る。

 ここはナザリック地下大墳墓の第九階層。至高の存在の自室の一つ、アインズ・ウール・ゴウンの部屋だ。

 マジックアイテムの仕分けを終えたアインズが、二振りの白い双剣を眺めている。

 

 「ツイン・クレーンネック・ズルフィカールか。この双剣に含まれた魔力量はかなりのものだ。しかし、通常の魔法でこの武器の能力が分からないというのは、どういった原理なのだ。」

 「アインズ様にも分からない事があるのでしょうか。」

 

 一般メイドであるインクリメントがアインズに疑問を呈する。

 

 「私にも理解できないことがあるさ。しかし、理解できないことを追究した結果、理解できる。その瞬間というのは悪くない。冒険もまた同じようなものだ。今まで知らなかった常識が、知らなかった世界が切り開かれ世界が広がる。その瞬間もまたいいし、もっと世界を見に行きたくなる。」

 「そのお気持ち、私にも分かります。本を読むことで知らない世界を知ることができる。今まで同じように目にした光景が、違った意味を持って見えてきたりすることもあります。だから、たくさん本を読みたくなります。」

 

 アインズの思いにインクリメントは興奮した様子で答える。少しばかり、アインズが引いているようだが同時にどこか嬉しそうでもあった。

 

 「そうか、分かってもらえて良かったぞ。」

 「さすがはアインズ様でございますね。」

 

 インクリメントと会話を続けたアインズは、再び二振りの双剣に向き直った。

 

 「まあ、今は完全な鑑定をする方法が分かっている。追究は追々やるとして、今は商人専用の魔法で良しとしよう。焦ることはないな。」

 

 そう独り言を呟いた瞬間、アインズはハッとした様子で固まった。

 

 「いかがなさいましたか? アインズ様。」

 「いや、問題はない。・・・・・・いや、あるか。」

 

 アインズは致命的な欠陥に気づいてしまったのだ。そう、アインズは商人専用魔法が使えない。

 

 「なんてことだ・・・・・・。冒険が目の前にあるというのに、こんなことがあってもいいのか。」

 「アインズ様? 本当に大丈夫なのですか?」

 

 突然様子がおかしくなったアインズを見て、インクリメントは狼狽した。

 

 「ク、ク、クそう・・・・・・。こんなことに気付かなかったなんて。これではパンドラズ・アクターと交代で、冒険することができないではないか。」

 

 アインズは大声をあげたくなるのをぐっと我慢したようだ。ここには一般メイドがいる。醜態を晒していい場所ではないのだ。

 インクリメントは首を傾げていた。しかし、衝動はなんとか我慢できたものの、メイドの様子に気付く程の余裕は余っていなかった。

 

 「アインズ様、よろしいでしょうか。」

 

 恐る恐るといった様子で、アインズに話しかけるインクリメント。

 話しかけられてようやく平常心を取り戻したアインズは一つ咳ばらいをして、インクリメントに対峙した。

 

 「ゴホン、何だねインクリメント。」

 「アインズ様、私にはよく分かりませんが、魔法ならばスクロールを使用すれば良いのではないでしょうか。」

 

 アインズは雷に打たれたように衝撃を受けた。一瞬だけ、アインズの身体から淡い緑色の光が灯ったのだ。

 

 「インクリメント、よくやった。お前の功績は大きいぞ。」

 「そんな! 身に余る光栄です。」

 「本好きのお前ならではの助言だ。ティトゥスという手があったな。」

 「はい! 今朝、本を返しに図書館へ足を運んだ時に会ったので、今ならタイミングもバッチリだと思います。」

 

 インクリメントの助言にアインズは大きく頷く。双剣をアイテムボックスに入れたアインズは、おもちゃを買いに行ってもらえるのを心待ちにしている子どものようにはしゃいでいる。

 

 「では、第十階層の大図書館へ行くとしよう。インクリメント、ついてくるのだ。」

 「かしこまりました! アインズ様!」

 

 とても楽し気な雰囲気の二名は、意気揚々といった感じで大図書館"アッシュールバニパル"へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 はやる気持ちを抑えて、インクリメントを連れて進むアインズは、エボニーブラウンを基調とした落ち着いた部屋に辿り着いた。急いで移動しなかったのはインクリメントを気遣ってのことである。部屋には暖色光がほの暗く照らされ、天井はなだらかなドーム状となっている。部屋の奥には両開きの巨大な扉が鎮座していた。

 玉座の間への扉に匹敵するほどの大きさの扉の左右には、三メートル近いゴーレムがそびえ立っていた。武人の恰好をしたゴーレムであり、希少金属を使ってギルド『アインズ・ウール・ゴウン』メンバーの一人が作ったそれは、並みのゴーレムより遥かに強い。

 

 「扉を開けよ。」

 

 アインズの言葉に反応し、両脇のゴーレムは扉に手をかけるとゆっくりと押し開く。重い音が響き、数人が並んで入れるほどに開いた扉の中に、アインズとインクリメントは進み入った。

 前方に広がった光景は図書館というよりは美術館といった趣だ。床、本棚には無数の装飾が施されており、本棚に並んだ本自体もまるでその装飾の一部として置かれているかのようだ。

 よく磨かれた床には、寄木細工で美しい模様が描かれている。

 上部は吹き抜けに、二階はバルコニーが突き出し、無数の本棚が部屋を囲んでいる。半円の天井は見事なフレスコ画と豪華な細工でびっしりと埋め尽くされていた。

 

 「いつ見てもすごいです。至高の御方々がお作りになられたものは素晴らしいです。」

 「うむ。だいぶ課金もしたようだし自慢の図書館だ。そう言ってくれる者がいると製作者も喜ぶだろうな。」

 

 図書館に二名の話し声が溶け込む。

 少しして、後ろでゆっくりと扉が閉まった。入口からの光がなくなったことで、不気味なほど暗く静かになった。

 

 「ほとんど何も見えないくらい暗くなるな。私は種族の基本スキルで暗い場所でも見えるがインクリメント、必要ならば私に触れていてもいいぞ。」

 「そんな! アインズ様のお体に触れるなど・・・・・・。私は大丈夫です。普段から本を借りるときに利用させていただいてますので問題ありません。」

 「そうか、お前が大丈夫というのならば問題ないか。」

 

 照れたように語るインクリメントを見てアインズは呟いた。

 魔法かスキルの≪ダーク・ヴィジョン/闇視≫を持たないインクリメントには、少々手こずる暗さのはずだが慣れたようにアインズの後ろに控えた。それを確認したアインズは頷き、奥に向かった。目的地は少々遠い。

 

 「ユグドラシルの本には様々なものがあるが、私が今回ここを訪れた理由は何だと思う?」

 

 道すがら、アインズはインクリメントにそう問いかけた。

 急に話しかけられたインクリメントは一度言葉を発し、少し間を置いて答えた。

 

 「それは・・・・・・、ティトゥス司書長にスクロールの作成を依頼するためでしょうか。」

 「正解に近いが違うな。」

 「も、申し訳ございません。」

 「構うことはない。私がここを訪れたのは本の作成ができないか相談するためだ。」

 

 アインズは足を止め、本棚から一冊の本を抜き出した。そして、アイテムボックスから魔法≪永続光/コンティニュアル・ライト≫が付与されたマジックアイテムを取り出して辺りを照らした。

 

 「本、でございますか。」

 「その通り、本だ。」

 

 アインズの答えにインクリメントはよく分かっていない様子だ。

 

 「インクリメント、スクロールは誰にでも使えるというものではないのだよ。」

 「そんな! アインズ様をもってしてでも使えないと言うのでしょうか。」

 

 アインズは本を持ってページをパラパラと捲った。そして、インクリメントに歩み寄って本のページを一緒に覗き込んだ。

 

 「無論、使えないわけではない。込められた魔法によって使えるものと使えないものがあるといった具合だ。」

 「そうなのですか。申し訳ございませんでした。」

 「問題ない。」

 

 ぱたりと本を閉じて抱える。インクリメントの視線は本に釘づけだ。

 

 「スクロールに込められた魔法は、その魔法を使えるクラスを経験していなければ使用できない。例えば、私が生きている者に使用する回復魔法。これは私には使用できない魔法だ。したがって、この魔法が込められたスクロールは使用できない。」

 「なるほど。」

 「だが、魔法が込められた媒体が本の形態を取っていたらどうなると思う?」

 

 アインズの問いにインクリメントは考え込んだ。永続光が照らす彼女の姿はどこか凛々し気だ。

 やがて、インクリメントは答えた。

 

 「アインズ様が使えない魔法が使える、ということですね。しかし、それだけではないということなのでしょう。ええっと、・・・・・・。申し訳ございません。思いつきません。」

 

 様子を窺っていたアインズは抱えていた本を本棚に戻した。そして、インクリメントに答えを教えた。

 

 「正解は誰にでも使えるようになる、だ。無論、インクリメントが第十位階の魔法を行使することも可能だ。」

 「! 私が魔法を・・・・・・!?」

 「その通りだインクリメント。幽体に有効な魔法、全てを焼き尽くす火属性の魔法、私が得意とする即死魔法、もちろん蘇生魔法も。全て高い位階の魔法が行使可能になる。むろん、魔法に必要な媒介は別に必要になるが。」

 

 得意げに語るアインズに対してインクリメントは興奮した様子だ。そんな二人の影が遠くで踊っていた。

 アインズとインクリメントは再び歩き出した。今は上下関係なく恋人同士のような雰囲気で並んでいる。

 

 「今回、私はティトゥスに商人クラス専用の魔法を本にできないかを相談しに来たというわけだ。」

 「たしかに、司書長なら可能かもしれませんね。」

 「ああ、期待している。おっと、そろそろ案内係の『司書J』が普段仕事をしている場所だな。」

 

 いい雰囲気を維持したままの二人の行く手を遮るように、突如、本棚の間から幽鬼のような人影がふらりと姿を見せた。

 図書館の闇に溶け込むような漆黒のフード付きローブを纏っている。そのフードの下は死蝋化したような白色の顔。手は骨と皮ばかり。動くたびに身体を覆ている微かな闇が揺らめく。

 それはアンデッドのスペルキャスター、エルダーリッチだ。その左手上腕には『司書J』と記されたバンドをつけていた。

 

 「これはこれは、ようこそおいでくださいました。アインズ様。それに、インクリメント。」

 

 聞き取りづらいかすれた声をあげ、エルダーリッチはゆっくりと最敬礼をした。

 

 「ご苦労、ティトゥスはいるか?」

 

 エルダーリッチは瞬きする間もなく、口を開いた。

 

 「司書長は制作室でございますので、すぐに呼んでまいります。」

 「問題ない、私が直接・・・・・・いや、頼んでおこうか。」

 「ありがとうございます。すぐに呼んでまいります。」

 

 今回はアポなしでの訪問だ。言わば、連絡もなしに魔道王が契約しているドワーフの工房に視察に来たようなものだ。工房はハチの巣をつついたような騒ぎになるだろう。そのような騒ぎにならないだけでも、このエルダーリッチの対応は流石と言えるのだ。司書長がどう思うかは不明である。

 エルダーリッチを待つ間に、他のアンデッドの気配が進む先に集まってきていた。そして間もなく、司書Jが一体のスケルトン・メイジと共に戻ってきた。

 

 「大変お待たせいたしました。ティトゥスでございます。」

 「突然に訪問して済まない。ティトゥス、お前に相談があったものでな。立ち話も何だ。制作室の方で話そうか。」

 

 人間と動物を融合させたような骨格を持ち、身長は百五十センチ程度だろうか。

 二本の鬼のような角が頭蓋骨から飛び出し、手の指は四本で足先は蹄だ。

 そんな異様な姿を鮮やかなサフラン色のヒマティオンで覆い隠している。そして、体の所々になかなかの魔力を内包するマジックアイテムを装備している。

 外装や装備は変わっているがアンデッドの最初期種族の一つ、スケルトン・メイジ。

 このスケルトンが大図書館司書長、ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスである。製作系に特化している。

 

 「かしこまりました。では、こちらへどうぞ。」

 

 ティトゥスを先頭にアインズ、インクリメントは道を進む。

 途中、他のエルダーリッチやキャスター系のアンデッドが最敬礼をしながら左右に並んでいた。

 ティトゥスは時折コツ、コツツ、コツ、コツツツと足元が覚束ない様子だ。基本的にアンデッドは精神異常はきたさないのだが、アインズが突然訪問したせいか緊張している様子だった。

 やがて、扉に突き当たって三名は中に入った。

 

 「ようこそおいでくださいました、アインズ様、インクリメント。」

 「急に済まないな。今回はお前に相談がある。」

 「なんなりとお申し付けください。アインズ様から直接ご命令いただけることは至高の喜びでございます。」

 「そう言ってもらえると助かる、ありがとう。」

 

 ティトゥスは再び最敬礼をしながら喜びを伝えた。アインズは一度顔を上げさせてから続けた。

 

 「相談というのは製本を頼みたいのだ。」

 「製本・・・・・・でしょうか。」

 「そうだ。商人専用の魔法≪マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定≫を封じ込めた本を作ってほしい。一冊できたならば、後はコピーをしてほしい。」

 「素材の方はいかがいたしましょうか。」

 「最初は外の素材を使用し、無理ならばナザリックにある物を使っても構わない。その場合、できれば≪メッセージ/伝言≫で詳細を知らせてもらえると助かる。魔法は後でパンドラズ・アクターを寄越すから使ってくれ。」

 「かしこまりました。誠心誠意やらせていただきます。」

 

 ティトゥスに要件を伝え終えたアインズは、パンドラズ・アクターに≪メッセージ/伝言≫を発動してこのことを伝えた。そして、ティトゥスに向き直る。

 

 「うむ、よろしく頼む。この件とは別に何かあれば何でも言って構わない。可能な限り応えよう。」

 

 最後にそう言い残して、アインズはインクリメントと共に制作室を出て大図書館を後にした。

 アインズが去った後の大図書館は司書長以下全てのアンデッドたちが、勅命に応えるべく蜂の巣をつついたような騒ぎとなったのは言うまでもない。




半日で9k書くことは辛い。むちぷりさんはこれを数か月続けたそうで、腰痛と格闘しながらやり遂げたと思うと尊敬できる。


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旅立ち5

 時間はマジックアイテムの仕分けを終えたアインズが、玉座の間を後にしてしばらくした時まで遡る。

 そこには、アルベドと元の姿に戻ったパンドラズ・アクターがいた。仕分けを終えたパンドラズ・アクターがアルベドを呼び出したのだ。エ・ランテル冒険者組合に卸すマジックアイテムをアルベドに引き渡すためだ。

 

 「アルベド、父上は大変喜んでおられました。あなたの心遣いに感謝します。」

 「そう、それは良かったわ。」

 

 陽の光が届かない鬱蒼とした森の中で、そこだけ木漏れ日が漏れる。いつまでも見ていたいと思わせる、そんな暖かい笑顔を浮かべた美女がそこにいた。

 ピンク色の卵型の顔に黒いペンで塗りつぶしたような目をした男が、美女の腰に手を回そうとした。

 アルベドは回された手を腰から生えた天使の黒い翼でぺしりとはたいた。微笑みは崩れていない。

 卵頭は少し残念そうな素振りを見せたが、気を取り直したように口を開いた。

 

 「手前に集められた物が冒険者組合に卸すマジックアイテムです。奥は私がエクスチェンジ・ボックスへ持っていきます。」

 

 未知への探検のために設立された魔導国の冒険者組合。

 設立から数百年経った今、既知の世界は広がった。しかし、まだまだ未開の世界は大きい。

 冒険者の質は時を経るごとに上昇しているが、全ての冒険者に満足の行く装備を行き渡らせることは難しかった。魔導王が豊富な自らの私財を投じることがないせいもある。しかし、初代冒険者組合長プルトン・アインザックは魔道王に頼りすぎることを良しとしなかった。

 アインザックの意志を汲んだアインズは、守護者たちと協議して、支配領域からの税の納付に金銭の他、厳正な審査で認可された領域のみ、マジックアイテムの献上という形の認可制納税方式を採用した。

 この方式によって、問題が起こって支払いができない支配領域、支払い能力に乏しい支配領域がこの献上方式を利用した。市場価値から大分目減りするものの、エクスチェンジ・ボックスという即金装置があるナザリックならではの措置だ。さらに、冒険者組合が貯蓄した利益をもって、献上品を魔道王から買い取るというシステムも出来上がった。

 

 「ところで、アインズ様が仕分けなされたのはどれなの?」

 「父上が仕分けなされたのは防具とアクセサリーです。しかし、それが何か?」

 「特に理由はないわ。」

 

 アルベドの言葉にパンドラズ・アクターは訝し気な視線を投げた。

 

 「なんでもないの。あんまり詮索する男性は嫌われるわよ?」

 「これは失礼しました。女性を不快にさせるつもりはなかったのです。どうか許してください。」

 

 流れるような動作でパンドラズ・アクターはアルベドの前に跪き、上目遣いで許しを乞うた。この振る舞いはアルベドが愛してやまないアインズがパンドラズ・アクターにそうあれと設定したもの。だから、アルベドもパンドラズ・アクターに倣って振る舞った。

 

 「パンドラズ・アクター、あなたを許しましょう。」

 

 慈愛が溢れる視線でパンドラズ・アクターの罪を許すアルベド。跪いたパンドラズ・アクターも熱い視線をアルベドに送っていた。

 

 「ありがたき幸せ!」

 

 ここにアインズが居たならば、緑色に発光しながら頭を抱えていただろう。

 

 「あなたも仕事の途中でしょう。もういいから仕事を続けなさい。」

 「王妃のお望みとあらば」

 

 純白のドレスを着たアルベドがびくっと硬直した。ぱたぱたと翼がはためき、顔はみるみる内に赤くなっていく。手を頬に当てて目は忙しなく泳ぎ、跪いたパンドラズ・アクターを見下ろしてため息をついた。

 

 「演技なのか本心なのかわからないじゃない。・・・・・・もう。」

 

 上ずった声で静かに呟くアルベド。そして、コホンと手を口元に当てて咳払いをした。

 

 「あなたのやるべきことをしなさいパンドラズ・アクター。」

 「かしこまりました。アルベド様。」

 

 一連のやり取りを終えて、パンドラズ・アクターはマジックアイテムをまとめ始めた。

 いまだ熱が冷めない様子のアルベドは視線を一点に定めたまま微動だにしない。たまに翼がぱたぱたと揺れていたが目立った動きはそれだけだ。

 どれくらい時間が過ぎたのだろうか。既にパンドラズ・アクターは玉座の間にはいない。そこでようやく、アルベドはマジックアイテムに近づいた。

 

 「これが・・・・・・、アインズ様が直接お手に取られた物。くふふ。」

 

 何やら怪しい雰囲気でマジックアイテムをまさぐるアルベド。たまに匂いを嗅いだりしている。

 玉座の間には、しばらくアルベドの嬌声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 黒一色の視界が一瞬にして黄金色の輝きを放つものとなった。

 一仕事終えたパンドラズ・アクターがリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用して、本来の居場所である宝物殿へと戻ってきたのだ。

 そこには乱雑に高く積まれた金貨が所狭しと置いてあった。金貨には二種類の美しい彫刻が施されており、高い芸術性が窺える。さらに金貨を囲むように棚が設置してあり、その中には光を反射するほど磨き抜かれたあらゆるマジックアイテムが並べられていた。

 パンドラズ・アクターは懐から毒無効の指輪を取り出して装備した。

 この美しい光景に見惚れて不用意に足を踏み入れてはならない。なぜなら、ここには致死性の毒を含んだ空気が蔓延しているのだ。

 深呼吸をしてから、再びパンドラズ・アクターは宝の山を見渡した。パンドラズ・アクターの肩を見れば小刻みに震えている。間違って毒を吸い込んだのだろうか。

 

 「すぅすぅすぅ、っひ。」

 

 乱れた呼吸をしている。指輪を装備するのが少し遅かったのだろうか。

 

 「すううばらしいいいいいい!!! これらこそ神たる至高なる四十一人の方々がお残しになられた宝の中の宝! 最高宝と呼ぶべきでございましょうか! これらの宝を見るだけで私、疲れなど吹き飛んでしまいましたよ! いくら眺めても飽きない! 楽しい! 心が満たされていきます!! 父上! 私に宝物殿の領域守護を任せていただき心から感謝いたしております。」

 

 一通り踊り終えたパンドラズ・アクターは、高く積まれた金貨を前に祈りを捧げた。そして、満足気な様子で立ち上がって歩き出す。

 まずはエクスチェンジ・ボックスで得られたユグドラシル金貨をナザリックの維持管理に使用される部屋に持っていく。それを終えれば、待ちに待ったパラダイスタイムだ。

 軽やかなステップを踏んでダンスをするように優雅に進んでいく。床に散らばった金貨を踏まないのは至難の業なのだが、パンドラズ・アクターの動きにぎこちなさは感じない。

 やがて、目的の部屋に辿り着き中に入る。そして、皮袋からユグドラシル金貨を静かに取り置いて部屋から出た。

 

 「まだ、まだです。霊廟に辿り着くまではこの思い、この溜め込んだ情欲を解放するわけにはいかないのです!」

 

 卵頭は熱を帯びた言葉を口にしながら一人震えていた。パンドラズ・アクターはマジックアイテムフェチである。それはアインズがそういう設定を作ったのだ。マジックアイテムの造形、与えられた効果、迸る魔力。それらに触れたり感じたりするだけで絶頂を迎えられる程なのだ。

 そんなパンドラズ・アクターにとって、ギルドであるアインズ・ウール・ゴウンのメンバーが心血を注いで製作したマジックアイテムが安置されている霊廟はまさに天国だ。

 衝動を無理やり抑えながら、パンドラズ・アクターは黄金の山を視界に捉え、山の陰に進み入った。そこには、まるで扉が壁に張り付いた絵のようなもの、漆黒の闇があった。

 

 「ゴホン--かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう--。」

 

 パスワードを言い終えると、不意に闇が収斂して跡形もなく消え去った。そこには空中にこぶし大の黒い球体が残っていた。

 漆黒の闇があった所から奥が見える。そこには床に金貨が散乱しているということはなく、博物館の展示室のような光景が奥まで続いていた。

 パンドラズ・アクターはごくりと喉を鳴らして、震える足を引きずりながら防具庫へと進んだ。今日は防具の気分といったところだろう。

 

 「んぐ。」

 

 息を呑むパンドラズ・アクターを出迎えたのは、非金属製から金属製の様々なアーマー、高い防御性能を発揮するフルプレート、鎧、兜、仮面、盾、小手、靴・・・・・・。

 戦士系防具の他にも、弓系、神官系、信仰系・魔力系魔法詠唱者系、盗賊系、生産系・・・・・・。種族専用防具など数えきれないほどの防具系マジックアイテムがあった。

 

 「なんということでしょう! 一歩、足を踏み入れただけでせり上がってくるこの気持ち! 溢れ出すこの情欲! こ、これは! たっち・みー様の伝説級の鎧!! はああ!? う、後ろを振り向けば! 源次郎様の伝説級の靴! ななな、なんと!! その横には父上の伝説級ローブまで!? ここは!? ここは天国なのでしょうか! ししし、辛抱たまりません! 今日はどなたを磨いて差し上げましょうか!!」

 

 息を切らし肩を上下させるパンドラズ・アクター。しかし、まだ足りないといった様子だ。パンドラズ・アクターは左右に無数に並べられた至高の防具に目を回しながらも熱を上げていった。

 しばらく一人舞台を演じていたパンドラズ・アクターは、現在「ひゅー、ひゅー。」といった喘ぐような呼吸をしている。

 目線は中空に固定されてへたり込み、両の手は力なく垂れ下がっていた。

 

 「そういえば、父上がお持ち帰りされたあの双剣。なかなか興味深かったですね。天国で永遠の時を過ごすのもいいですが、未知の効果を持つマジックアイテムを探す冒険に出たいと思わせるほどに。そんな我がままを父上は許してくださいました。父上、ありがとうございます。」

 

 パンドラズ・アクターはアインズの伝説級ローブが置かれたスペースを前にして、一人感謝の気持ちを捧げる。その真摯な姿を見ると、あたかもそこにアインズがいると錯覚してしまうほどだった。

 やがて、気持ちを捧げ終えたパンドラズ・アクターはさらに奥に進み、とある盾の前で歩みを止めた。そこでおもむろに、並べられた伝説級防具の中からタワーシールドに手を伸ばす。

 タワーシールドの表面は一定の間隔でせり上がっており、淡い光を放って周りの風景を映し出している。よく目を凝らすと魔法陣のような紋様が描かれていた。裏面は無色透明で、盾の向こう側がよく見えるようになっている。

 今回、手入れをするのはこのタワーシールドのようだ。

 

 「この盾はしっかりと手入れしてあげないと、いざという時に満足に使えません。しかし、いつ見ても素晴らしい。磨く前に少しだけ、その偉大なるお姿を堪能させていただきましょう。」

 

 伸ばした手を引っ込め一歩、タワーシールドに近づいた。

 

 「ああ! この輝き! 迸る魔力の強大さ! 細部にまで渡る美しい造形! すば、素晴らしい! 素晴らしい!! ほほほ、もっと近くでそのお姿を見せてください! もっともっとおおお・・・・・・。」

 

 再び情欲の炎が燃え上ろうとした時だった。

 

 「パンドラズ・アクター、私だ。アインズだ。いま大丈夫か?」

 「おおおちちうえええ?! わわ私、パンドラズ・アクターはいついかなる時でも父上のご期待に応えて見せます!」

 「そ、そうか。何やら取り込み中だったようだが。」

 「問題ございません! どうぞこのパンドラズ・アクターに何でもお命じください。」

 

 唐突に≪メッセージ/伝言≫の魔法をアインズから受け取ったパンドラズ・アクターは、誰もいない空間に向かって敬礼のポーズを取る。タワーシールドに夢中になっていたようだが即座に頭を切り替えるといった点は流石だ。

 よく手入れされたタワーシールドに映りこむその姿は様になっている。

 

 「うむ。問題ないのであればいい。この後、第十階層の大図書館へ向かいティトゥスの製本作業を手伝ってくれ。」

 「製本・・・・・・。商人専用の魔法を封じ込めるのでしょうか。」

 「その通りだ。私には≪マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定≫が使えないからな。冒険中にもし例の双剣のようなものが見つかっても対応できない。そこで本の出番というわけだ。」

 「なるほど。それならば父上にも商人専用の魔法を行使することが可能になりますね。」

 「ああ、よろしく頼むぞ。」

 「了解です、父上!」

 

 言い終えたところで、≪メッセージ/伝言≫が切断された。

 パンドラズ・アクターはいまだ誰もいない中空に向かって敬礼のポーズを崩していない。そのポーズを維持したまま、"回れ"の動作でタワーシールドに向き直った。

 

 「父上からの頼みですので、あなたの手入れは次の機会にということにいたします。そんなにがっかりしたお顔をされなくても心配いりません。仕事を終えたら手入れをして差し上げます。元気をだしてください。」

 

 盾に向かって話しかけるパンドラズ・アクター。はたから見ればおかしな事なのだが、マジックアイテムフェチであるパンドラズ・アクターにとってはこれが平常なのだ。ここにある物は単なる物ではない。パンドラズ・アクターにとって命よりも大事な物なのだ。もちろん、一番はアインズである。

 名残惜しそうに盾と別れを告げたパンドラズ・アクターは、宝物殿の入口まで移動してリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用した。

 

 

 

 

 

 

 「これが魔法を籠める本ですか。」

 「その通りでございます。パンドラズ・アクター様。運良く、この世界の素材で製本することに成功しました。」

 

 ナザリック地下大墳墓第十階層にある大図書館アッシュールバニパル。そこにある制作室で、司書長のティトゥスとパンドラズ・アクターは一冊の本を囲んでいた。

 かつてはスクロールに第四位階以上の魔法を籠めることができなかったようだが、今はもう少し高い位階の魔法を籠められるようになっている。その知識が製本にも生かされたのだろう。

 

 「なかなか骨の折れる作業でしたが、なんとか一冊の本を作成することに成功しました。」

 

 アインズからの依頼を受けて、突貫作業で製本をしたみたいだ。アンデッドの基本スキルで疲労しないとはいえ、振る舞いからは疲れが見て取れた。

 幸いにも素材は現地のもので事足りたようだ。しかし、現地調達された素材で製作した本に魔法を籠められなかった場合のために、ユグドラシルの素材も用意されていた。

 

 「それでは件の魔法の行使をお願いします。」

 

 ティトゥスの言葉を受けて、徐にポーズを取るパンドラズ・アクター。

 

 「ああ、分かった。本よ! 至高なる音・改様の魔法をその身に宿す栄光に打ち震えるがいい!」

 「・・・・・・。」

 

 唐突に紡がれるパンドラズ・アクターの台詞。

 口を閉じることを忘れたティトゥスは、呆けた顔でパンドラズ・アクターを見つめている。本を指さして何を言っているのかといった雰囲気だ。

 そんなティトゥスを無視して一人、変なポーズを取りながら外装を変化させていくパンドラズ・アクター。やがて、その身は音・改の姿に変わった。

 

 「ティトゥス司書長、魔法を籠めます。」

 「あ、ああ。・・・・・・お願いします。」

 

 パンドラズ・アクターがティトゥスに告げた。少し間を置いてティトゥスは許可を出した。

 

 「行きますぞ! ≪マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定≫!」

 

 まばゆい光の柱が現れて、製本された本に光が吸い込まれた。本が魔力を帯び、やがて魔力が本に馴染んでいった。成功である。

 

 「おお! 成功ですよ! パンドラズ・アクター様!」

 「フハハハハハ、これで貴様も我が父上に仕えることができるようになったな。喜ぶがいい。」

 「・・・・・・。」

 

 体全体を使って何かを表現しているパンドラズ・アクター。それを見てティトゥスは閉口していた。シュッ、ピシッといった空を切る音が鳴ってポーズを変更したパンドラズ・アクターは、固まっているティトゥスに話しかける。

 

 「次はこれをコピーしなくてはなりませんね。」

 「あ、ええ、そうですね。こちらが素材になります。魔法を籠めることには成功しているので、後は件の魔力を帯びた本と素材があればコピー可能です。」

 「そうですか、それでは二、三冊コピーしてから父上にお伝えしましょう。父上が魔法の行使に成功したのならば完璧です。増産はその後で問題ないでしょう。」

 

 パンドラズ・アクターの提案にティトゥスは賛成の意を示した。

 パンドラズアクターは一度元の姿に戻り、アインズの姿へと変わり≪メッセージ/伝言≫を使用した。

 

 「父上、いまよろしいでしょうか。」

 「おお! パンドラズ・アクターか。ちょっと待て・・・・・・。大丈夫だ、問題ない。」

 

 まずは製本と魔法を籠めることに成功したことを伝えた。そして、ちゃんと魔法が行使できるか試さなくてはならないということをアインズに伝えるパンドラズ・アクター。

 

 「わかった。そういうことならば、制作室に向かおう。」

 「父上が足を運ばれる必要はございません! お持ちいたします!」

 「いや、私が直接出向こう。このことは秘密なのだからな。」

 「そういうことならば! お待ちしております。」

 

 パンドラズ・アクターは≪メッセージ/伝言≫を切断した。そして、ティトゥスにアインズが足を運ぶことを伝えた。

 

 「ティトゥス司書長、お父上は大変お悦びのご様子でしたよ。」

 「左様でございますか! この私、永き時の流れの中でこれほどまでに幸せなことはございません! アインズ様のお役に立てる、それだけで胸が一杯です。」

 

 パンドラズ・アクターの言葉を聞いて歓喜に打ち震えるティトゥス。

 そんなティトゥスを見て何度か頷いたパンドラズ・アクターは、≪コピー/複製≫が使える至高の存在になって本を複製した。

 しばらく感動を味わっていたティトゥスはやがて我に返ると、アインズを迎えるために部下たちに指示を出していくのであった。




パンドラの箱はあまり開けないようにしたい。
オリ武具の効果とか・・・。外観だけに留めておこう。あと歴史とか・・・。
ちょっと忙しいので更新が遅れます。


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旅立ち6

 「アインズ様、とてもご機嫌が良さそうですが何か良いことでもあったのですか。」

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層にあるアインズの自室で、インクリメントが朗らかな口調で質問した。アインズがパンドラズ・アクターと≪メッセージ/伝言≫でやり取りしている間、段々と声に嬉しさと心地よさを帯び始めたことに気付いたのだ。

 そんなインクリメントの質問に対してアインズは、インクリメントの肩に触れるか触れないかといった塩梅で手を回し、内緒話でもするように抑揚に答えた。

 

 「インクリメント、本当は秘密なのだが大図書館に移動する前、お前に喋ってしまったからな・・・・・・いいだろう。」

 

 アインズの接近に対して肩を縮こまらながらも、真っ直ぐアインズの目を見ているインクリメント。言葉を出すことはできない様子だが、その姿が相槌として十分なものだろう。

 続くアインズの言葉を待つように、ごくりと喉を鳴らした音が聞こえた。

 

 「ティトゥスとパンドラズ・アクターが本の作成に成功したようだ。これから実際に籠められた魔法が行使できるか実験をしに行くというわけだ。」

 

 アインズが途中からはずんだ声をあげたのが聞こえて、インクリメントは安心したように緊張を解いた。そして、一度口を開いて閉じた。そして、もう一度口を開いてアインズに話しかけた。

 

 「おめでとうございます! アインズ様! その魔法の本が何に使われるのか私には分かりませんが、心よりお祝いを申し上げます。」

 

 インクリメントは素直な気持ちをアインズに伝えたようだ。アインズはインクリメントをじっと見つめていた。

 

 (気づいていないのか?いや、冒険するって言ったのは事実だけどあまりピンと来た様子ではなかったかな。んー、変なタイミングでアルベドかデミウルゴスに知られると厄介だから、正直に話してから釘を刺しておくかな。)

 

 インクリメントはお祝いの言葉を発した直後から固まっているアインズを見ている。その姿が次第に不安げな様子へと変わっていった。

 何か変な事を言ったのだろうか。そんな事を考えているのが表情から読み取れた。そして、インクリメントが再び言葉を発しようとした時、アインズが口を開いた。

 

 「インクリメント、私がなぜ魔法の本を欲しているか知っているか。」

 「っひ!」

 

 声を発したのが同時だったのだろう。アインズの言葉を遮らないため、無理やり声を抑え込んだインクリメントの悲鳴が聞こえた。

 インクリメントの悲鳴にアインズは訝し気に首を傾げた。そんな様子を見たインクリメントは慌てた様子で口を開いた。

 

 「ひっ! しょ、少々お待ちください。」

 

 インクリメントは時間稼ぎの言葉を置いて、頭を整理した。そして、アインズが魔法の本を欲している理由。それを探した。しかし、見つからなかったようだ。

 

 「申し訳ございません。わかりません。」

 

 インクリメントはアインズを見ている。しかし、その足元は小刻みに震えていた。その様子をアインズは静かに眺めていた。

 

 (やっぱり知らないのか。それなら特に説明する必要はないかな。でも、なんか震えてるしかわいそうだから教えてあげようかな。秘密を守るようにと釘を刺せば問題ないだろうし。)

 

 インクリメントの額を見るとじんわりと汗が噴き出していた。

 

 「そんなに震えなくても大丈夫だぞインクリメント。これから話すことを秘密にしてくれるのであれば教えてやろう。シクススも既に知っていることだしな。」

 「え?!」

 

 アインズの言葉を聞いて驚いた様子のインクリメント。

 その様子を見て、アインズはぽっかりと開いた空虚な眼窩に灯る赤黒い光を揺らめかせた。

 

 「冒険だ。」

 「冒険・・・・・・、ですか。」

 

 きょとんとした表情で聞き直すインクリメント。

 アインズは楽し気にインクリメントに説明する。

 

 「ああ、冒険だ。お前が私の部屋を掃除している間、パンドラズ・アクターとマジックアイテムの仕分けを行ってな、その時にユグドラシルにはなかった武器が見つかったのだ。」

 「この世界独自のもの、ということでしょうか。」

 「察しがいいな。その通りだ。」

 

 アインズの説明にインクリメントも少し好奇心を刺激されたようだ。アインズに送る目線が熱を帯びたものとなっていた。そんなインクリメントを見たアインズもまた、言葉に力が加わった。

 

 「その武器は私の魔法で詳細を知ることができなかった。しかし、音・改さんに変身したパンドラズ・アクターが、商人専用の魔法を行使することでその詳細が分かったのだ。」

 「なるほど! 大図書館に赴いた理由はその魔法を本にすることだったのですか。」

 「その通りだ。冒険の途中に、その魔法が必要になった場合は私では対応できない。だから、本の製作をティトゥスに依頼したというわけだ。」

 

 インクリメントはアインズの言葉を聞いてぽんと手を叩いた。合点がいったという仕草だ。しかし、同時に残念そうでもあった。

 絶対の忠誠を誓うアインズが嬉しそうに語る冒険。それはいい。アインズが嬉しければインクリメントも嬉しい。それがナザリックのメイドというものだ。しかし、アインズが冒険に出ている間はお仕えすることが困難になる。そうなると、メイドとしては複雑なのだ。

 そう考えたインクリメントは嬉しいような嬉しくないような、何とも言えない表情だった。

 

 「そういうことだったのですか。」

 「ああ、この話は秘密だぞ? よろしく頼む。」

 「かしこまりました。」

 

 外見上は納得した表情だが、内面ではいささか複雑な気持ちなのだろう。笑顔が引き攣っている。しかし、アインズに言われれば、はいというしかないのが悲しいところだろうか。

 アインズは頷くと言葉を続けた。

 

 「それでは大図書館に行くとしようか。」

 

 そう言ったアインズは中空に手を伸ばして、アイテムボックスからリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを取り出した。それをインクリメントに手渡そうとした。

 

 「少しの間だが、お前に貸し出そう。」

 「そんな!? 私に指輪など勿体ないです!」

 

 両手を前に突き出して、全力で指輪を受け取る事を拒否するインクリメント。しかし、アインズはインクリメントの手を引いて手のひらを上に向けた。そこに、そっと指輪を置いた。

 

 「お前にやると言っているのではない。私がすぐに移動したいから貸すと言ったのだ。」

 「あっ。」

 

 アインズに触れられた手を凝視してインクリメントは固まった。そんなインクリメントを見て、アインズはぽりぽりと頭を掻いた。

 

 「早くしないと置いていくぞ。使い方はわかるな?」

 「は、はい! ごめんなさい!」

 「どっちなんだ?」

 

 そんなやり取りしながら、やがて二人の姿はなくなった。

 大図書館アッシュールバニパルに転移したようだ。

 

 

 

 

 

 

 「これが例の魔法の本か。」

 

 ティトゥス司書長の制作室でアインズは魔法を籠め終わった本を手にして言った。

 アインズの期待の度合いが震えていた声から聞き取れた。

 

 「左様でございます、父上。」

 「幸運なことに、元々ナザリックに蓄えられていた素材を使用せずに作成に成功いたしました。」

 「そうか! お前の活躍、称賛に価するぞ。」

 「ありがとうございます。アインズ様。」

 

 アインズの称賛にティトゥスは最敬礼をもって答えた。

 時折、カタカタと骨がぶつかりあう音が聞こえた。ティトゥスもまた、嬉しくて仕方がないといったところだろう。

 インクリメントは壁の近くで微笑みながら控えていた。

 

 「よし。魔法が使えるかどうか実験を試みるか。」

 

 アインズは一旦、パンドラズ・アクターに本を手渡した。そして、中空に手を伸ばしてアイテムボックスから二振りの白い双剣を取り出し製作台に置いた。

 

 「いよいよですね、父上。」

 「ああ、緊張の瞬間だな。まずは≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫だ。」

 

 アインズは通常の魔法を使用して白い双剣を鑑定した。

 

 「やはり駄目だな。この魔法ではパンドラズ・アクターが言った内容の情報はわからないか。」

 

 その言葉の内容は残念さを感じるものだったが、声色はむしろ期待を滲ませていた。

 その場にいる誰もが成功を確信している。そういった雰囲気が制作室を包み込んでいた。

 

 「で、では、≪マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定≫が籠められた、この魔法の本を使用する。」

 

 アインズの言葉が制作室に溶け込んだ。

 パンドラズ・アクターが本をアインズに手渡す。それを持ってアインズは双剣に向き直った。そして、本に籠められた魔法を解放した。

 

 「≪マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定≫!」

 

 ボフッっという音がして本が燃え尽きた。

 アインズは双剣に向き合った状態で微動だにしない。商人専用の魔法で鑑定された情報を細かく読み取っているのだろうか。そんなアインズの様子を固唾を飲んで見守る三名の異形の者たち。

 やがて、アインズが声を漏らした。

 

 「魔法使用失敗・・・・・・だと?」

 

 ひどく落胆したのか、アインズの肩は下がっていた。そんな支配者の仕草に対して、他の者は言葉を発することができないでいた。

 

 「なぜだ? マジックアイテムとしての本は一回きりだが制限に縛られない魔法の行使が可能なはずだ。蘇生魔法などは媒介を用意しないと魔法が発動しないが、この魔法にもそんな要素があるのか? いや、パンドラズ・アクターが魔法を発動した時は媒介は用意されていなかった。他に考えられる要因はなんだ? パンドラズ・アクターにあって私にないもの・・・・・・。」

 

 一人でぶつぶつと呟くアインズはふと、予備の本を手にしたパンドラズ・アクターに視線を移した。

 急にアインズに見つめられたパンドラズ・アクターはどうしたらいいかわからない様子だ。

 

 「解明の手掛かりなるだろうか。まあいい、まずは試してみるか。」

 「父上。」

 「パンドラズ・アクター、それは予備か?」

 「はい。予備の本でございます。」

 

 パンドラズ・アクターの言葉にアインズは頷いてから口を開いた。

 

 「パンドラズ・アクター、予備の本を貸してくれ。」

 「了解です。」

 

 アインズに言われてパンドラズ・アクターは本を手渡した。そして、アインズは道具上位鑑定の魔法を発動した。

 

 「全体道具上位鑑定・・・・・・そんな馬鹿な。・・・・・・商人クラスレベル八からの隠しクエスト・・・・・・この魔法をマジックアイテムにした場合、異形種を除いて使用可能だと? ・・・・・・クソ! クソ! クソ運営がああああ!!」

 

 アインズはNPCの前で癇癪を起してしまった。しかし、NPCが目の前にいることを忘れさせるほど、魔法で読み取った情報はアインズにとって受け入れがたいものだったのだ。

 本の形態を取ったマジックアイテム『マス・オール・アプレーザル・マジックアイテム/全体道具上位鑑定』。それは、商人クラス専用の隠しクエスト『博識な商人』をクリアした商人が、本の形態をしたマジックアイテムに魔法を籠めたものだ。

 取得方法は単純で、神器級三十、伝説級および聖骸級四十、遺産級百を含むマジックアイテム三千個を≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫で鑑定--クエスト発動前に鑑定したものも含む--すること。そして、別枠で世界級アイテム十五個を同じ魔法で鑑定した時に取得可能魔法一覧に突然表示されるのだ。

 ユグドラシルでは単に複数のマジックアイテムが同時に鑑定可能になるといった微妙なものだった。しかも、魔法のクラスレベルを上げることによって新たに三つの魔法を取得できる魔法職と違って、クエストで取得可能になるこの魔法は貴重な魔法取得枠を潰さなければ覚えられない。進んで取得する者は少なかったのだ。

 そして、その魔法が制限をある程度無視できる本にされた場合どうなるか。結果は本来商人クラス八以上の者にしか使用できないが、異形種以外なら誰でも使用できるようになる。それなりの緩和が見られるが、種族縛りがあるのはやはり微妙であった。

 この鑑定結果はアインズに癇癪を起こさせるのに、十分な威力を持っていた。

 

 「この俺がああああ! 冒険に出たいというのにいいいい! 小賢しい縛りでえええええ! 冒険に出ることを許さないなんてええええ! 我慢できるものかああああ!」

 

 地団太を踏みながら激しく緑色に発光するアインズを見て、パンドラズ・アクターたちはうろたえるだけだ。

 しばらくすると、アインズは膝をついて製作台に両手をつけて嗚咽を漏らしていた。

 

 「アインズ様・・・・・・。」

 「父上・・・・・・。」

 「アインズ様・・・・・・。」

 

 うなだれたアインズに対して、どう言葉をかけていいのかわからないといった様子の三名は、アインズの名前を呼ぶことしかできなかった。

 やがて、アインズは何かに取憑かれたようにすっくと立ち上がると、ティトゥスとパンドラズ・アクターに一言だけ謝辞を述べた。そして、動くことができない二人を置いて、インクリメントと共に制作室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 「シクスス、少し外の風に当たるか。」

 

 制作室での出来事が終わってから数時間後、アインズは第九階層にある自室のベッドでごろごろしながらシクススにそう告げた。インクリメントにはティトゥスに謝罪と制作室の片づけを命じていた。アインズが片づけをすると言った時、インクリメントが「あの時、何もできませんでした。だから、私にやらせてください」と、懇願したのでアインズは頷いたのだった。

 

 「かしこまりました。アインズ様。」

 

 シクススは二つ返事で答えて指輪を取り出した。インクリメントが大図書館に向かう前に、シクススに渡しておいたものだ。

 アインズはシクススがなぜ指輪を持っている? といった様子で顎に手を当てたが、すぐに得心がいった風に頷いた。

 

 「それでは行くとしよう。 転移する場所は第一階層にあるナザリック地下大墳墓地表部中央霊廟だ。」

 「ナザリック地下大墳墓地表部中央霊廟ですね。わかりました。」

 

 アインズとシクススは指輪の力で転移できる最も地表に近い場所へ転移した。

 

△▲△

 

 黒一色の視界が変わり、闇の中に大きな広間が現れた。左右には遺体を安置する細長い石の台が幾つも置かれており、足元は磨かれたような白亜の石が続いていた。

 アインズは中空に手をかざしてアイテムボックスから≪コンティニュアル・ライト/永続光≫が付与されたマジックアイテムを取り出し、それをシクススに手渡した。

 

 「あ、ありがとうございます。」

 「うむ。暗いから気を付けるように。」

 「はい。」

 

 アインズはシクススを連れて外へと進む。その間、二人の間に会話はなかった。

 やがて、二人の前に白い石材でできた傾斜角の浅い長い階段が現れた。

 

 「そろそろ朝だな。シクススは寒くないか?」

 

 アインズはアンデッドのため朝冷えの寒さなどは特に感じない。だから、これはシクススを気遣ってのことだ。

 

 「あ、はい。大丈夫です。」

 

 少し照れたような口調でシクススは答えた。

 アインズはそれを確認してから階段を上り始め、シクススも続いた。

 階段を登り切ると、アインズは遠くを眺めていた。シクススはアインズを静かに見つめている。

 

 「地平線の向こう側がうっすらと赤みを差しているな。そろそろ朝だというのに山の方を見るとまだ星が見える。」

 「本当ですね。綺麗です。」

 

 そろそろ夜が明けるというのに星が見えるのは空気が澄んでいる証拠だろう。

 アインズとシクススは共に遠くを眺めていた。

 

 「空はこんなにも綺麗なのに全然気持ちが晴れない。やってられないな。」

 

 シクススに聞こえないような小声でアインズは暗い心境を吐き出した。

 この宝石箱のような空をもってしてでも、アインズの暗澹たる気持ちを吹き飛ばすことはできなかったようだ。

 

 「≪コントロール・ウェザー/天候操作≫」

 

 アインズは第六位階の魔法を行使した。その影響で赤と深い蒼と星の光が輝く空を、厚い雲が塞いでいく。

 シクススは首を傾げているがアインズがその様子に気付くことはない。

 輝く宝石箱に蓋をした影響で辺りは暗くなっていった。

 

 「済まないなシクスス。私のわがままだ。許してほしい。」

 

 その一言を聞いたシクススは納得したような顔になって優しい微笑みを浮かべた。

 

 「この世界はアインズ様のものです。アインズ様の御心のままに。」

 「ありがとう。そう言ってもらえると助かる。」

 

 シクススはお辞儀をした。

 

 「今日の当番はそろそろ終わりか。」

 「はい、アインズ様。この後、自室に戻られましたら他の当番との交代の時間になります。」

 「そうか。一日ご苦労だった。」

 「いえ、とても楽しいお仕事でした。」

 

 アインズはシクススを労った。

 

 「私の自室に戻り、当番が終わったらインクリメントにもよろしく言っておいてくれ。」

 「かしこまりました。」

 

 そんなやり取りをした二人はリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用して、第九階層にあるアインズの自室へと転移した。

 後に残るのは厚い雲の下、暗く不気味なナザリック地下大墳墓だけであった。



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旅立ち7

 アインズはベッドで寝転がりながら、台に置かれた二振りの白い双剣を眺めていた。

 ベッドのシーツは一部が床に垂れ下がり、何度も寝返りをうったことがわかる。

 

 「そろそろメイドが来る時間か。」

 

 一般メイドが朝食をとっている間、アインズはこうしてごろごろしながら時間を潰していた。

 一人で出歩くこともできるが別段行くべき場所もない。それに、大図書館での出来事がそんな気持ちを起こさせないようであった。

 やがて、コンコンと扉を叩く音が聞こえてアインズは姿勢を直した。

 

 「おはようございます。本日アインズ様のお世話をさせていただくリュミエールです。」

 「同じく、フォアイルです。」

 

 一般メイドの食事が終わったようだ。

 扉の向こう側から一般メイドの声が聞こえた。

 アインズはベッドから下りて台に近づき、白い双剣をアイテムボックスに突っ込んでから呼びかけに答えた。

 

 「入っていいぞ。」

 

 静かに扉が開き、リュミエール、フォアイルの順に部屋に入ってきた。フォアイルが静かに扉を閉める。そして、二人はアインズの前に並んで指示を待っている。

 

 「そうだな、まずは掃除をしてもらおうか。」

 「かしこまりました。」

 

 二人は丁寧にお辞儀をした。

 掃除は一般メイドの仕事なのだから特に命令する必要はない。しかし、それを言ってしまうとメイドの仕事らしい仕事がなくなってしまう。

 アインズは埃を見つけるのも苦労する部屋を一瞥して、掃除の準備に勤しむメイドたちを眺めている。

 

 「フォアイル、あなたは調度品を私は生活品と床を掃除するわ。」

 「わかりました。」

 

 アインズは邪魔になるといけないと思ったのか、椅子をクローゼットの前まで持って行き、そこに座った。

 フォアイルは壁にはめ込まれた姿見に備え付けられたカーテンに手をかけている。リュミエールはアインズが乱したベッドを綺麗にし始める。すると、ベッドメイキングを始めたリュミエールが顔を上げてフォアイルに話しかけた。

 

 「普段は塵一つないけど今日は砂が付いてる・・・・・・。」

 

 その言葉を聞いたアインズはリュミエールに一言説明した。

 リュミエールはフォアイルに向けていた視線をアインズに移す。

 

 「ああ、先ほど少し地表に出ていた。」

 「なるほど。それで風に舞った埃がお召し物に付着したのかもしれません。」

 

 二人の会話を聞いていたフォアイルの顔がやや緩んだ。そして、フォアイルはリュミエールに話しかける。

 

 「部屋の掃除の前にアインズ様のお召し物のお掃除をしないと。」

 「そうね。アインズ様、少しお立ちくださいませんか。」

 「うむ。」

 

 そう言われてアインズは立ち上がり、メイドの元へ歩み寄る。

 メイド二人はアインズの着ているローブについた埃を落としてしわを伸ばした。アインズのローブはマジックアイテムであるため、念入りな掃除はあまり必要としないのだ。

 

 「これでよし。」

 「アインズ様ありがとうございました。」

 

 メイド二人はすこぶる嬉しそうな様子だ。信愛なるナザリック地下大墳墓の支配者アインズが今着ているものに直接触れた。メイドたちの心は嬉しさで溢れているのだろう。

 そんなメイドとは対照的にアインズは気怠げだ。

 骨のこめかみに手を当てて何かを考えている様子だ。

 

 (俺があまり機嫌が良くないというのにこいつら、なに笑ってるんだろう。)

 「アインズ様いかがされましたか?」

 

 アインズの様子を見て心配になったのかリュミエールが聞いた。

 

 「大丈夫だ。少し考え事をしていただけだ。」

 「失礼しました。邪魔をして申し訳ございません。」

 「いや、問題ない。掃除を続けてくれ。」

 

 リュミエールとフォアイルがお辞儀をした。それを見て、嬉しそうな二人を視界に入れないようにアインズは背中を見せた。その様子が何か知略を働かせている姿に映ったのだろうか。

 メイド二人がアインズの背中を見て「かっこいい」などといった、賛辞を呈している。

 

 (はぁ。ここにいると気分が悪くなるな。少しぶらぶらするか。)

 

 アインズは体を反転させてメイド二人にこう告げた。

 

 「私は少し散歩でもしてくる。掃除が終わる頃には戻るから、それまで部屋を頼む。」

 

 アインズの言葉にメイド二人は振り向いて頷いた。

 

 「任せてください!」

 

 リュミエールとフォアイルは元気よく答えた。

 アインズはそれを聞いて頷くと、二人に掃除を任せて部屋を出た。

 

 「やれやれ。支配者としての私に好意を抱いてくれているのは分かるがTPゼロをわきまえてほしいな。まあ、素直に気持ちを表さない私が言えることではないか。」

 

 アインズは閉じた扉を背にして一人呟く。

 部屋の外には誰もいない。

 

 「さて、どこに行こうかな。」

 

 アインズが一人で適当に時間を潰せる場所は少ない。ナザリックのどこへ行っても必ずシモベがいるのだ。

 

 「とりあえず心の奥で燻るような嫌な気持ちを何とかしたいな。」

 

 アンデッドであるアインズは精神の激しい抑揚があると強制的に沈静化される。それが起きないということは、アインズが抱いている気持ちは沈静化されるまでもないということだろう。しかしながら、微弱な毒素を習慣的に体に取り込むと、その毒はいつか致命的なものとなる。

 アインズの抱いている感情も同じで、早いうちに払拭するに越したことはない。

 アインズはあてもなくナザリック第九階層を徘徊していた。

 大浴場がある所まで歩き、かぶりを振って引き返した。次に食堂が見える所まで進み、食堂から聞こえる喧噪を聞いて再び踵を返した。同じように美容院、衣服屋、雑貨屋、エステ、ネイルサロンなどの店の前まで来ては首を振るといった仕草を繰り返していた。

 アインズが今感じている思いを解放できる場所。それが見当たらない様子だ。

 しばらく行ったり来たりを繰り返していたアインズは、やがて第九階層を後にして第十階層へと進んでいった。

 レメゲトンに到着したアインズは足を止める。そこには壁に彫られた穴の中には悪魔をかたどったゴーレムがいた。それらを眺めてアインズは口を開いた。

 

 「あの頃は楽しかったなあ。」

 

 六十七体のゴーレムを一体一体懐かしそうに眺めながらアインズはそう呟いた。そして、小さく頷くと大きな扉がある方へと進んでいった。その扉は五メートル以上はあり、両側は女神と悪魔が彫刻されていた。すぐにでも動き出してきそうな精緻さである。

 

 「この彫刻を動かすかどうかを多数決で決めたっけ。ウルベルトさんの意見が採用されたんだよな。」

 

 二体の彫刻を眺めてアインズはしみじみとした様子だ。

 アインズは思い出に浸りながら静かに扉に触れると、扉はゆっくりと開いていった。アインズは玉座の間の最奥にある玉座へと一直線に進み、そこに腰を下ろした。

 玉座の間にはアインズ一人だけ。

 壁には四十一枚の異なる紋様が描かれた大きな旗が、天井から床まで垂れ下がっている。それらを玉座に座したアインズは一つ一つ眺めていった。

 

 「ヘロヘロさん・・・・・・たっち・みーさん・・・・・・ぶくぶく茶釜さん・・・・・・。」

 

 かつての仲間たちの旗を見ては名前を呼ぶ。次の旗に視線を移しては名を呼ぶ。その間隔はしばらく開いていた。何かを思い出しているのだろうか。

 やがて、四十一人全ての名前を呼び終えた。

 旗はアインズの呼びかけにたなびきもせず、その場に垂れ下がるだけだ。アインズは玉座の間の入口に視線を移し黙り込んでしまった。扉を開いて仲間が、かつての友達が姿を現すのを待っているのだろうか。

 静かな玉座の間には死の支配者以外誰もいない。

 やがて、アインズは口を開いた。

 

 「みんな・・・・・・アインズ・ウール・ゴウンは世界の頂点に立ちましたよ。だから、いつでも戻ってきてください。私は・・・・・・モモンガはいつでもみなさんの帰りを待っています。」

 

 誰もいない玉座の間にアインズの声が響き、消えていく。

 アインズは視界を閉じて静寂に身を任せている。両の眼窩には赤黒い光は灯っていない。

 どれくらい時間が経っただろうか。玉座の間とレメゲトンを繋ぐ巨大な扉が静かに開いた。

 眼窩にある赤黒い光が僅かに灯る。

 薄目を開けたアインズの視線の先、僅かに開いた扉の隙間から、かつてのギルドメンバー"博士"が姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・。」

 

 シズは慎重に、でもあてもなく第九階層を歩いていた。憂鬱な気持ちだから、一般メイドに捕まる可能性がある賑やかな場所はなるべく避けている。いまは誰も信用できない。だから、無邪気に絡まれたら問題を起こしてしまうかもしれないし、それだけは避けたかった。

 一本道の向こう側から一般メイドがこちらに向かってくるのが見えた。

 シズはアサシンクラスのスキル≪クローキング/欺瞞≫を使用した。常時MP消費型のこのスキルは魔法やスキル、種族的な能力を用いずにスキル使用者を見た場合、姿を偽ることができる。ここではシズの姿を普段から目にする、この一本道の景色に欺くことが目的だ。

 次に、シズは気配を消すためにストーカークラスのスキル≪ストーカー/忍び寄る者≫を使用した。このスキルは攻撃態勢を取ると効果が解除されてしまう。でも、時間中は音、匂い、足跡、対象に触れた時の感触などを消すことができる。レベル差が五くらい上の相手までなら魔法やスキルで見破られることもない。ルプスレギナには効果ないけど。

 これでレベル一の一般メイドが相手ならば問題ない。

 シズは近づいてくる一般メイドを避けてそのまましばらく進んだ。

 

 「・・・・・・。」

 

 何をやっているのだろう。これでは本当にシズがナザリックを裏切っているみたい。

 シズは不安を覆い隠そうとしてエクレア帽子を被った。こんなことでは不安は払拭されないはずだけど、エクレア帽子のふわふわ感に思わず気が緩んだ。

 エクレアに元気をもらったシズは気を取り直して足を動かした。

 第九階層は少し危ないかもしれない。第八階層に行くにはまた戻らないといけないし、だとしたら第十階層しかないか。シズはそう考えて第十階層に向かうことにした。

 

 「・・・・・・。」

 

 足元に敷かれた紫紺色の絨毯。この先に第十階層へと続く階段がある。

 シズは誰かに鉢合わせないよう慎重に歩いていく。スキルを使用しているといっても、シズはナザリックではあまり強くはないから油断はできない。慎重に急いで進んでいくと、目の前に第十階層へと続く階段が姿を現した。

 そろそろ、≪ストーカー/忍び寄る者≫の効果時間が切れてしまう。

 シズは逃げるように階段を降りた。大丈夫、この先に気配がないのは確認してある。大丈夫なはず。

 

 「・・・・・・。」

 

 階段を降りると半球状の大きなドーム型の大広間に出た。天井には四色のクリスタルのモンスター、ミルク色の壁にある穴の中には悪魔をかたどったゴーレム、何もかも昨日と変わらない。でも、なんだか懐かしさを感じる。なんで懐かしいだなんて感じるのだろう。

 この大広間にいるのはシズ一人だけ。

 シズは大広間を横切りながら寂しさを紛らわせるために、エクレア帽子をぎゅっと抱きしめた。

 --そっか、寂しいんだ。

 エクレア帽子を抱きしめて少し安心した。

 シズは向こう側にある天使と悪魔の彫刻に挟まれた巨大な扉に向かって進む。

 

 「・・・・・・すごい。」

 

 扉の前に辿り着くと、天使と悪魔の彫刻が出迎える。いつ見ても迫力満点だ。天使と悪魔の彫刻に見惚れつつも、そっと扉に手をかける。すると、扉がゆっくりと開いた。その隙間に身体を滑り込ませる。

 玉座の間に到着した。

 玉座の間はやっぱりいつ見てもすごい。扉の前もすごいと思うけど、扉の中は世界が変わる。

 

 「・・・・・・うわぁ。」

 

 中を見て思わず声が漏れてしまった。左右を見れば、至高の御方々の紋章がかたどられた旗が天井から垂れ下がっている。そこにはシズの造物主である"博士"の旗もある。それを見て足が止まった。

 シズは至高の御方々を裏切ったのだろうか。ナザリックの外に出るという事が裏切りなのか。シズの造物主もまた、外に出たいと思うシズを裏切り者として扱うのだろうか。

 --わからない。

 けれど、シズは近い将来に裏切り者として裁かれることになる。できれば、もう一度、シズをお作りになられた博士に会いたかったな。

 シズはありえない未来を夢見た。

 

 「・・・・・・!? 博士さん!」

 「・・・・・・ぇ!?」

 

 玉座から声がした。そんなことはどうでもいい。博士? どこにいるの?

 シズは体を大きく振り回して造物主を探した。でも、造物主は見つからなかった。代わりに見つかったのはシズが絶対の忠誠を誓っているアインズだった。

 玉座をよく見ると、緑色に発光しているアインズがいた。アインズは立ち上がり、シズのことをじっと見つめている。緑色の光の中に赤黒い光が大きく揺らめいている気がする。

 

 「博士さん! 戻ってこられたのですか!?」

 

 再び、アインズの口から造物主の名前が叫ばれた。

 シズは再び、体を大きく振りまわして視線を一回転させた。

 スキルや魔法を使用して姿をお隠しになられているのだろうか。レベル差が五十ある造物主を見破れる保証はないけど、持てるスキル全てを総動員して造物主の姿を探した。それでもやっぱり見つからなかった。

 --造物主様、どこにいるの?

 アインズはまだこっちを見ている。

 --造物主様! 姿を見せてください!

 

 「博士さん! 会いたかったです! 何とか言ってくださいよ!」

 

 緑色の光の塊が慌てた様子でシズの方に近づいてきている。

 アインズがここまで来れば博士は姿を現すのだろうか。

 --それなら!

 シズは願った。数百年待ち焦がれた存在の顕現を。でも、その願いはMP切れによるスキル≪クローキング/欺瞞≫の効果解除と共に虚しく散っていった。MP切れによる気だるさだけがシズの体に残る。

 

 「あっ・・・・・・。」

 

 アインズの情けない声がシズにぶつかって消えていく。

 アインズの悲し気な視線がシズを見つめている。

 --造物主様は見つかったのかな? アインズ様、お願いします。造物主様に会わせてください。

 アインズはシズを見て何も言わない。シズは何も言わずにエクレア帽子を抱きしめながらアインズを見つめる。

 

 「博士さん・・・・・・。エクレア帽子・・・・・・。あ、あはは。」

 

 アインズの乾いた笑いがシズの体に溶けていく。

 --違う。博士様を。

 冷たい視線をアインズに向ける。

 

 「ゴホン。こんな所で何をしているのだ、シズ・デルタ。」

 「・・・・・・違う。博士様どこ?」

 

 博士という言葉にアインズはびくっっと体を震わせた。

 シズが欲しい言葉は造物主の姿がどこにあるかという一点だけ。

 

 「ハハ、何を言っているのだシズ・デルタ。博士さんは・・・・・・。」

 「ずっと、待っていた。数百年。博士様に会いたい。」

 

 シズは造物主に設定された口調も忘れてアインズに喰らいつく。本来は無礼な行為なんだけど造物主の存在を何度も聞かされて冷静ではいられなかった。

 アインズは大きくかぶりを振っている。

 --何で?

 最後になるかもしれないからシズの願いを叶えてくれたって・・・・・・いいと思う。

 

 「アインズ様、お願いします。博士様にあわせ」

 

 シズの言葉は怒り狂ったアインズの言葉にかき消された。

 

 「いないんだよ! 俺・・・・・・、お前は捨てられたんだよ! そんなことも分からずに博士さんに会いたいだなんて言われても無理なものは無理なんだよ! 分からないのか!? このスクラップがああ!」

 

 --スクラップ?

 アインズはいまシズの事をそう呼んだの?

 

 「・・・・・・。」

 「あっ・・・・・・。」

 

 目が熱い。なんだろう? 液体? 何で目から液体が出るのだろう? 燃料が出るところじゃないんだけど。これは・・・・・・何だろう。

 アインズはシズを見て固まっている。

 それにしてもスクラップか。

 --悲しいな。

 アインズがそう言うのならば罪状がどうなっても結果はスクラップなのだろう。もういいや。

 

 「・・・・・・そう、シズは・・・・・・裏切り者として・・・・・・スクラップ。」

 

 もうアインズと視線を合わせていられなかった。それに前がよく見えない。

 

 「違う! そんなつもりじゃ。それに、裏切り者だなんて。博士さんの娘とも言えるお前をスクラップになんかしない。」

 「・・・・・・アインズ様が・・・・・・そう言っても、シズは・・・・・・裏切り者。」

 

 そうだ。例えアインズがいまここで訂正したとしても、結局はセバスたちがシズを糾弾する。そして、それはいずれアインズの耳に入ってしまう。そうなれば、結局シズは裏切り者だ。

 それにしても、何で声が掠れるんだろう。

 

 「さっきから裏切り者、裏切り者って・・・・・・。どういうことなんだ?!」

 

 冷静さを失った様子のアインズはシズの口から裏切りの内容を語らせようとしてくる。

 まあ、ここで黙っていてもあまり意味はないだろうし。どうなってもいいか。

 シズはくしゃくしゃになったエクレア帽子を一度広げた。それだけで、しわが伸びてしまうのだからマジックアイテムは不思議だ。エクレア帽子をアインズに見せて口を開く。

 前はまだよく見えなし、アインズの方を向くと小さい悲鳴をあげられた。シズを見て悲鳴をあげるだなんて少し傷つく。

 

 「お前、泣いて・・・・・・。」

 

 アインズは何かわけのわからないことを言っているけど、気にせず最初の質問に答えた。

 

 「・・・・・・アインズ様にこれ・・・・・・もらった。」

 「た、たしかに、それは私がお前に渡したものだ。」

 

 少し引き気味のアインズが相槌をうった。

 

 「・・・・・・これ、すき。」

 「そうか。」

 「・・・・・・シズは・・・・・・ナザリックの外に・・・・・・かわいいもの・・・・・・あること、知った。」

 

 アインズはシズの話を静かに聞いていてくれているみたい。

 

 「・・・・・・だから、外に・・・・・・出たい。・・・・・・冒険したい。・・・・・・かわいいもの・・・・・・シズが好きな物・・・・・・たくさん見たい。」

 

 これがシズが抱いている異端な思い。これを食堂で言わなければシズが裏切り者になることもなかったかもしれない。

 

 「・・・・・・シズはプレアデス。・・・・・・外に出たいこと・・・・・・外を思う事・・・・・・みんなに言った。・・・・・・だから裏切り者。」

 

 言い終わり、アインズをじっと見つめる。声が掠れて上手く話せたか分からないけど、アインズは顎に手を当てているように見える。まだ視界が少し霞んでいてよくわからない。

 

 「そうか。冒険に出たいのか。そして、ナザリックを守護する者がそれを他のNPCの前で言ったから裏切り者ということか。」

 「・・・・・・うん。」

 

 上手く伝わったみたい。喜んでもいいのだろうか。

 

 「わかった。そして、安心するがいい、シズ・デルタよ。私は博士さんの娘であるお前を絶対に裏切り者として扱ったりはしない。さらに、冒険に出たいという話。このアインズ・ウール・ゴウンが前向きに検討しよう。汚い言葉で罵って女性を泣かせてしまったという失態もある。冒険の件はせめてものお詫びとして受け取って貰えないだろうか。」

 「・・・・・・。」

 

 アインズは何を言っているのだろうか。信じられない言葉の連続に、話の内容を上手く聞き取れなかった。

 

 「いや、こういうのは卑怯だな。」

 

 アインズはシズの前に跪いた。目の高さが合う。アインズの行動に言葉が出ない。

 

 「シーゼットニイチニハチ・デルタ、私の非礼を許してほしい。済まなかった。」

 「・・・・・・。」

 

 アインズが頭を下げて謝っている。何で謝っているのか分からない。でも、これだけは分かる。

 早く何とかしないと。

 シズは頭をフル回転させて、どうすればアインズがこの行為を止めるのかを考える。そして、ユリが昔話してくれた、やまいこ様が話していたという『せいとのけんか』というお話をふと思い出した。その話では悪いことをした『だんじ』が『じょじ』に頭を下げて謝ったら、『じょじ』が頭を撫でて許したという。その姿が面白かったとやまいこ様がおっしゃっていたと。

 シズは意を決した。至高なる御方であるアインズ様の頭を撫でる。とても勇気のいる行為だ。

 

 「・・・・・・許して、あげる。」

 「・・・・・・。」

 

 アインズの頭を撫でて言葉をかける。頭に手を当てた瞬間、アインズはびくっと震えていたけど今は落ち着いている。これでいいのだろうか。

 

 「・・・・・・お母さん。」

 

 オカアサン? アインズが緑色に発光しながら何か言った気がするけど、その意味は分からなかった。でもアインズ様のお言葉だし、きっと意味はあるのかもしれない。怒っている様子もないし、たぶん悪い意味を持つ言葉ではなさそう。

 

 「シズ・デルタ、済まないがもう少しそのままにしていてくれないか。」

 

 アインズからの頼み事だ。断る理由などない。

 

 「・・・・・・いいよ。」

 

 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 しばらくそうしていると、アインズは唐突に声を出した。

 

 「ありがとう。もう、大丈夫だ。」

 

 その言葉を聞いて、頭を撫でていた手を戻す。

 アインズは立ち上がった。その姿はナザリック地下大墳墓の支配者たる姿。いつものアインズに戻ったようで良かった。

 シズが見上げると両手を広げている。何か言いたそうに見える。

 

 「シズ・デルタよ、私と一つ約束をしてくれるか。」

 「・・・・・・約束?」

 「私が良いと言うまで冒険に出たいという思いは胸に仕舞っておいてもらえるか。」

 「・・・・・・。」

 「大丈夫だ。アインズ・ウール・ゴウンに誓って絶対に悪いようにはしない。」

 「・・・・・・いいよ。」

 

 シズは心を込めて首を縦に振った。アインズが言うのだから、きっと間違いはないはず。

 

 「うむ。それでは私は自室に戻るがお前はどうする?」

 「・・・・・・シズも、戻る。」

 「そうか、ならばお前の自室まで送ろう。」

 「・・・・・・ありがとう・・・・・・ございます。」

 

 アインズと一緒に玉座の間を後にした。

 シズがレメゲトンで感じた寂しさは、もうどこかに行ってしまったようだった。とても清々しい気分で第九階層への階段を上って行った。




三人称視点(のつもり)から一人称視点(のつもり)を交互にやると混乱しますね。


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旅立ち8

 アインズとシズ・デルタは共に第九階層を歩いていた。

 アインズは何かを考えているように腕を組みながら歩き、シズ・デルタはメイドらしくアインズをしっかりとエスコートしている。ストロベリー・ブロンドの髪を揺らしながら歩くその姿は、第十階層へと向かっていた時のシズ・デルタとは違ってしゃんとしていた。その美しい後ろ姿に向かって声がかけられる。

 

 「シズ・デルタ、少し話そうか。」

 

 腰まで伸ばされたストレートヘアーがメイド服の後ろに隠れてしまった。しかし、そこには美しい髪から期待させる想像を裏切らない、アイパッチを付けた美少女がいた。

 シズ・デルタはアインズに視線を向けると、僅かに首を傾けてその小さな口を開く。

 

 「・・・・・・いいよ。」

 

 シズ・デルタの了承を受けてアインズは頷いた。その眼窩にある赤黒い光は、揺らめくことなく灯っている。

 

 「先ほどは冒険に出たいという思いを胸に仕舞っておくようにと言ったな。」

 「・・・・・・うん。」

 

 アインズの問いかけに、シズ・デルタはこくりと頷く。それに合わせて艶やかな髪がきらきらと輝いた。

 玉座の間で二人の間に交わされた約束のことを言っているのだろう。

 アインズは皮がついていない白磁のような肋骨を膨らませてから口を開いた。

 

 「実はな、私は世界の脅威が大体知れた現状ではNPCが外に出ても構わないと考えている。もちろん、ナザリックを維持する事が大前提ではある。」

 

 そうアインズが語り出した。

 

 (それに、NPCがギルド拠点に依存しすぎている気がする。いや、そもそもがNPCなのだからそれが自然なのか。でも、外に出たいと言うくらいはいいと思うんだけどな。それで裏切りはちょっとな。平定を終えてそろそろやることがなくなってきたし、NPCの意識改革を進めてもいいか。)

 

 その言葉を聞いて、シズ・デルタは静かに息を吐き翠玉の瞳をほんのりと輝かせた。

 アインズは少しの間を置いてから言葉を紡いだ。

 

 「だから、お前が冒険の旅に出ることには反対はしていない。むしろ、博士さんの娘であるお前が初めて家--ナザリック--の外に出たいと言ってくれたのだ。私としては全力で応援したいと考えている。」

 「・・・・・・本当?」

 「ああ、本当だとも。しかし、それを成すにはいくつか問題がある。」

 「・・・・・・問題?」

 

 翠玉の瞳に影が差した。

 

 「そうだ。まずはお前の誤解を解かなければならない。今のお前は裏切り者なのだろう? 私はそうは思っていないが、これが仲たがいの温床になってはならないからな。早急に何とかせねばならない。」

 「・・・・・・。」

 

 シズ・デルタはアインズの言葉を静かに聞いている。

 

 「そこで、この問題を解決するためにセバスと話をしようと考えている。」

 「・・・・・・。」

 

 二人を包む空気が急に張り詰めたものになった。それをアインズは感じたのか、抑揚に言葉を重ねた。

 

 「いいか、シズ・デルタ。この問題は私一人が命令すれば簡単に解決するだろう。しかし、それではお前たちの間に溝を残してしまう結果になる。だから、この問題は私一人で解決してはならないのだ。周りを納得させてから誤解を解かなければ意味がないのだから。わかるな?」

 「・・・・・・うん。」

 

 諭すようなアインズの口調にシズ・デルタは了承の意を示した。しかし、翠玉の瞳には僅かな恐れが見て取れた。

 

 「案ずることはないぞ。お前の造物主であり、私の友であった博士さんに誓って必ずこの問題を解決してみせよう。私を信じてもらえないか。」

 「・・・・・・信じる。・・・・・・でも、どうして?」

 

 なぜそこまでするのかという疑問が小さな口から漏れた。

 一連の問題はシズ・デルタがもたらしたものだ。わざわざアインズがフォローをすることではない。

 シズ・デルタの疑問に、アインズは体を逸らした。その仕草が何を意味するのかわからないからか、翠玉の瞳に宿った恐れの色が濃くなったように感じる。その場を沈黙が支配した。そして、二人の視線が交じることなくアインズから理由が告げられた。

 

 「シズ・デルタよ、聞いて欲しい。」

 「・・・・・・。」

 

 シズ・デルタはアインズの背中を真っ直ぐ見つめている。

 

 「私が玉座で仲間の帰還を願ったとき、博士さんに見えたお前が現れたのだ。いま振り返ってみれば、なるほどアサシンクラスのスキルを使用したのだと納得できる。だが、あの時はスキルの事に頭を回す余裕がなかった。それほど、お前の登場は劇的だったのだ。」

 「・・・・・・。」

 

 アインズはシズ・デルタに背を向けたまま話を続ける。

 

 「その後は、お前に悪いことをして済まなかった。そして、お前の暖かさに触れた。ありがとう。」

 「・・・・・・。」

 

 シズ・デルタは首を少し傾けてアインズの話を聞いている。

 

 「そんなお前を、かけがえのない大切な仲間の娘であるシズ・デルタを、このナザリックで裏切り者として放置することは私にはできない。博士さんや他の仲間の子どもたちを預かっている私としては、お前たちがつまらないことで分裂するのは我慢ならないのだ。」

 

 アインズが振り返る。

 

 「つまり、一言で言うのならば仲間たちと作り上げたこのギルド、アインズ・ウール・ゴウンが私の望まないものに代わってほしくないからだ。もう二度と、仲間が離れていく寂しさは味わいたくない。」

 「・・・・・・。」

 

 シズ・デルタとアインズの視線が交わった。

 アインズは一呼吸置いてから話を続ける。

 

 「だから、私はお前を守る。私の手でそれが可能ならば躊躇することはない。それがアインズ・・・・・・いや、ギルド長であるモモンガとしての考えだ。お前が見せた奇跡に誓って、アインズ・ウール・ゴウンをこの危機から救う。」

 「・・・・・・モモンガ様。」

 

 アインズがこの世界に転移する前、モモンガであった時の心境を言葉の中に反映させた。

 DMMO・RPGユグドラシルのサービス終了日を迎えるにあたって、モモンガは引退をしたかつての仲間たちに向かって、せめて最後の日くらいは一緒に過ごしたい。その一心で、ギルドメンバー四十一人全員にメールを送った。だが、実際に応じたのは異形の粘体であるヘロヘロだけであった。そのヘロヘロもついには最後の時を共に迎えることはなかった。

 ほぼ全てのモモンガの仲間たちが、その問いかけに応じなかったのは仕方がない。真剣な遊びと生活のかかった現実世界。そのどちらを優先するべきかは、苦渋の選択かもしれないが言うまでもない。モモンガにもその気持ちは分かっていた。だからこそ、シズの一件に対してここまで意欲を見せているのだろう。モモンガ自身が働きかけることによって、仲間の形見であるNPCたちの心が離れて行ってしまうことを防ぐことができるのだから。

 シズ・デルタはアインズではなくモモンガと呼んだ。それはモモンガの心を見抜いたからなのだろうか。それは分からない。しかし、翠玉の瞳と小さな口から発せられる音には、もう恐れの色は消えていた。そこにあるのは確かな力強さだ。

 

 「・・・・・・シズは・・・・・・モモンガ様、信じる。」

 「うむ。信じてもらえたか。それではセバスの元へ行くとしよう。」

 「・・・・・・うん。」

 

 凛とした表情を取り戻したシズ・デルタが小さく頷いた。そして、アインズと一瞬視線を交差させてから踵を返して歩き出した。向かうのはシズ・デルタの直属のボス、セバスがいる部屋だ。

 

 「・・・・・・ん、エクレア。」

 

 二人が少し歩いたところで、前方に男性使用人に抱えられたエクレアが姿を現した。

 エクレアはアインズとシズ・デルタの姿を確認すると、男性使用人に何やら指示を出して絨毯の上へと降り立った。

 

 「これはこれは、アインズ様とシズ・デルタ嬢ではないですか。」

 

 エクレアは堂々とした態度だ。そして、嘴を器用に胸に張り付けてアインズに礼をした。

 隣に控える男性使用人は最敬礼をしている。

 アインズはエクレアの礼を眺めている。

 

 (ペンギンの首って柔らかいんだなあ。)

 

 アインズの無言を相槌と受け取ったのか、エクレアは嘴を胸から離した。

 

 「アインズ様、通常ならばプレアデスではなく、一般メイドをお連れのはずですが・・・・・・いかがなされたのですか。」

 

 エクレアの問いにアインズは答えた。

 

 「うむ。これからセバスの元へ顔を見せようと思ってな。いま向かっているところだ。」

 「セバスの所へ・・・・・・でしょうか。」

 「その通りだ。」

 

 セバスの所へ、という言葉を聞いたエクレアは僅かに体をこわばらせた。しかし、体が羽毛に包まれているためにその様子は一見しただけでは分からない。

 

 「それでは私が一足先にセバスに伝えて来ましょうか。」

 「それには及ばない。エクレアは自分のやるべきことをしていて問題ない。」

 「やるべきこと・・・・・・--私のやるべきこと。それはシズ・デルタをナザリックの外に出すこと。アインズ様がセバスの元に。今こそ最大最高の好機! この好機を活かせるのは今しかない! --・・・・・・わかりました。そうさせていただきます。」

 

 会話の中で覚悟を決めたエクレアは、射るような目つきでアインズを見据えた。その並々ならぬ視線に、アインズはエクレアから目を離せないでいる。二人の様子をシズ・デルタが不思議そうな様子で見ている。

 そしてエクレアの嘴が開かれる。

 

 「アインズ様! 私はシズ・デルタ嬢を信じています。どうか、シズ・デルタ嬢をお願いします!」

 

 エクレアは嘴を胸に張り付けてアインズに懇願した。

 アインズはエクレアの必死の形相にたじたじといった様子だ。そんなアインズを見ていたシズは、アインズの前に躍り出るとエクレアに語りかけた。

 

 「・・・・・・大丈夫。・・・・・・アインズ様は・・・・・・エクレアと同じ。・・・・・・シズの、味方。・・・・・・エクレア・・・・・・ありがとう。」

 

 シズは照れたような口ぶりでエクレアにそう告げた。その視線は左右を行き来していた。

 アインズはようやく我に返ったのか、そんな二人に対して言葉を重ねた。

 

 「案ずることはないぞエクレア。お願いされるまでもない。だが、その気持ちはアインズ・ウール・ゴウンの名に誓って受け取ろう。」

 

 そう言い残して、二人はエクレアの元から去っていった。

 エクレアは歩き去る二人の背中を、嘴を胸に張り付けた姿勢で器用に見つめていた。絨毯に向けられた両目には勝利に酔ったような、達成感を得たような、生暖かいものが宿っていた。

 

 アインズとシズはセバスの部屋に向けて歩いている。

 シズの後ろを歩いていたアインズは、歩調を早めてシズ・デルタの隣まで追いつくと口を開いた。

 

 「エクレアがああも必死になるとは。エクレアはお前の事を本当に大切に思っている様子だったな。」

 

 シズ・デルタはストロベリー・ブロンドの髪を揺らしながら、隣を歩くアインズを見上げるように顔を向けた。表情が髪で隠れてよく見えないが、どこか緩んだ雰囲気をしている。

 エクレアの登場が琴線に触れたのだろうか。

 

 「・・・・・・エクレアは、仲間。」

 「そうか。お前を信じてくれる仲間がいて良かったな。」

 「・・・・・・うん。」

 

 エクレアを褒められて、シズ・デルタは少し嬉しそうな声を出していた。ストロベリー・ブロンドの髪の隙間から現れた翠玉の瞳には暖かいものが宿っている。

 少しすると、その瞳にセバスの部屋の前に立つソリュシャンとナーベラルが映りこんだ。

 

 

 

 

 

 

 「セバス様、シズ・デルタが戻ってきました。アインズ様もご一緒です。」

 

 ナーベラルとシズ・デルタを除くプレアデスが揃ったセバスの部屋で、ソリュシャンがそう告げた。ソリュシャンを除く、その場の全員が各々に驚きの表情をしていた。

 セバスはそれを聞くと、ソリュシャンに命令をした。

 

 「アインズ様とご一緒に。そうですか、分かりました。表にいるナーベラルと共にすぐにお出迎えをしなさい。」

 「かしこまりました。」

 

 ソリュシャンはセバスの命に従って、すぐに表へ出ていった。

 部屋の中には緊張を隠せないプレアデスたちが残っている。そして、ユリ・アルファがその真情を隠し切れず吐露した。プレアデスの中でもひときわ責任感が強い性格がそうさせたのだろう。

 

 「セバス様、シズは大丈夫なのでしょうか。アインズ様とご一緒だなんて、何か粗相をしてしまったのでしょうか。」

 

 心配そうに表情を崩したユリ・アルファに対して、セバスはにこやかな表情をしつつも力の籠った声でユリを安心させた。

 

 「大丈夫ですよ。仮に問題を起こしたとしても、私たちの決定は覆りません。」

 「そうですよね。私がしっかりしないといけないのに・・・・・・申し訳ありません。」

 「気にすることはないですよ。あなたの気持ちは皆分かっています。」

 

 そう言って、セバスはユリの頭をぽんぽんと優しく叩いた。後ろに控えるルプスレギナが何やらにやついている。

 

 「それではアインズ様とシズ・デルタをお出迎えしましょう。ユリ、位置について下さい。」

 「はい。」

 

 セバスの言葉が終わると同時にプレアデスたちは動き出した。ユリはセバスの隣に、ルプスレギナとエントマが通路の両脇に移動した。

 やがて、部屋の扉が開かれた。そこには、アインズを連れたシズ・デルタが立っていた。その表情を見て、セバスは緊張を少し和らげたようだ。

 シズ・デルタは部屋に一歩入ると、さらに一歩脇に寄ってアインズに道を開けた。道の脇にいる二人のメイドは頭を下げて、このナザリックの支配者を出迎えている。

 アインズはセバスを真っ直ぐに見据えて、一直線に進んでいく。

 入口からはソリュシャンとナーベラルが入ってきた。

 

 「突然の訪問、済まないな。」

 「全く問題ございません。私たちはアインズ様にお仕えしている身です。いつでも御身をお迎えする用意は整えてございます。」

 「殊勝な心がけ、ご苦労。」

 

 アインズは手を掲げてセバスたちを労った。セバスを除くプレアデス以下六名は皆、頭を下げている。

 

 「既に分かっていると思うが、今回お前たちを訪問した理由はシズ・デルタの誤解を解くことと、冒険についてだ。」

 「ソリュシャンより報告を受けており、その事は存じております。」

 「たしか、ソリュシャンは自らの体の一部を分離させることで、遠隔視が可能になる、だったか。」

 「その通りです。」

 

 アインズの問いかけにセバスは肯定を示す。

 

 「ならば話は早い。私はシズ・デルタがナザリックの外に出る事に反対しない。だが、状況があまり良くないらしいな。何でも、NPCとしての役割を放棄する発言のせいでシズ・デルタが裏切り者だとか。この事について、まずお前たちと協議して、すぐにでも広まった誤解を解く手段を講じたいと考えている。」

 「その点に関しましては、私とプレアデスの間で既に結論は得ております。」

 「ほう。」

 

 セバスは毅然とした態度でアインズに意見の用意があることを告げた。

 

 「私たちはシズ・デルタが外に出る事について反対しておりません。シズが外に出たいというのならばそれを尊重したいと考えております。後ほど、アインズ様の元へご相談に伺う予定でした。」

 「・・・・・・。」

 

 セバスの言葉を聞いて、シズは顔を上げ呆けたような顔をしてセバスを見ていた。セバスは視界の隅でその姿を確認するも、自らの主人であるアインズから視線を外すことはなかった。

 

 「・・・・・・シズは、勘違い・・・・・・してた?」

 

 シズは恥ずかしそうに視線を落として、一人そう呟いた。

 アインズはシズに向き直ると声をかける。

 

 「どうやらそのようだな。」

 「・・・・・・でも・・・・・・シャルティア様に・・・・・・異端と、言われた。」

 

 シズの発言にその場にいる全ての者がシズの顔を見た。視線を落としているシズはそのことに気付かない。

 

 「・・・・・・シズを、監視・・・・・・捕縛。」

 

 シズは目を泳がせながら呟いた。その声が部屋の中で溶けていく。

 アインズはシズが裏切り者としての扱いを受けたという発言を聞くと、セバスに向き直って真偽を問い詰めた。

 

 「セバス、シズはこう言っているが事実なのか?」

 「いえ、私はナーベラルに観察と必要があれば拘束をするよにと、シャルティアにお願いするように言いました。」

 

 アインズの視線がシズの傍にいるナーベラルへと向けられた。

 急に視線を向けられたナーベラルは慌てたように答えた。

 

 「わ、私はそのようにシャルティア様にお願いいたしました。決して監視や捕縛などという刺々しい言葉は用いておりません。」

 「本当だよぉ。私は横でナーちゃんのこと見てたもぉん。」

 

 エントマはナーベラルが嘘をついていないことを証言した。アインズは背後から聞こえるエントマの証言を聞いて両肩を落とした。

 

 「またシャルティアか・・・・・・。」

 

 その様子を見ていたセバスはアインズに声をかけた。

 

 「アインズ様、シャルティアの件よりも今はシズの誤解を解くことが先決だと思われます。」

 「そうだな。」

 

 セバスの意見を聞いて気を取り直したアインズは、入口に向かって声を出した。そして、再びセバスに向き直る。

 

 「誤解に関しては私とプレアデスで解決させていただきます。」

 「いや、その件に関してはもう少し協議したい。」

 「・・・・・・かしこまりました。」

 

 セバスが礼をすると、アインズはうむと頷き顎に手を当てて一瞬だけ無言になった。

 セバスとプレアデスは静かにアインズの次の言葉を待っていた。やがて、アインズが声を出す。

 

 「シズには既に私の考えを伝えたのだが、改めてお前たちにも話しておこう。」

 

 アインズはそう言うと、ゴホンと咳ばらいをして続きを話した。

 

 「私は世界の脅威が大体知れた現状ではNPCが外に出ても構わないと考えている。もちろん、ナザリックを維持する事が大前提ではあるが。」

 「それは魔導国の領域まで、という意味でしょうか。」

 「いや、それでは冒険とは言えない。意志の疎通ができる種族全てを支配下に置いた現状、世界の脅威はほとんど知れているのだ。ならばその外側、未開の領域を発見することが冒険と言えるのではないか。私はNPCがそこまで出て行っても構わないと思っている。」

 「それは・・・・・・。」

 

 セバスはアインズのあまりに壮大な考えに言葉を失った。ギルドであるアインズ・ウール・ゴウンこそが世界だと考えているNPCには思いもつかない発想だったのだろう。プレアデスに目を向ければ各々が目を白黒させている。そんな中、かつて冒険者としてアインズと共に旅をしたナーベラルが口を開いた。

 

 「私たちナザリックの者があえて危険を冒す必要はないのではないでしょうか。そういった事は、ゴミ虫共に任せればと愚考いたします。」

 

 ナーベラルの発言を聞き、アインズは率直な気持ちを伝える。

 

 「確かにそうだな。世界の平定を終えるまではそれでもいいと考えていた。しかし、冒険者では荷が重い。数百年の間にアダマンタイト級は全体の五割程度まで増やすことができた。だが、どうにもレベル三十が限界なのか、それ以上の成長は望めない。人間には失望している。」

 「たしかに、ゲジ虫共ではアインズ様を満足させるなど到底不可能なことです。」

 

 アインズの失望を耳にしたナーベラルはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

 「それに、危険を取り去った冒険など冒険ではない。決して無謀になれと言うのではない。ただ、未知であるが故にそれに屈しない知恵をお前たちにつけてほしい。その試金石として、私はパンドラズ・アクターとシズ・デルタに冒険をしてもらおうと考えているのだ。」

 

 アインズは一人一人に話を聞かせるように体を回転させて、全員の顔を見ながら語った。そして、ユリが口を開いた。

 

 「そのような崇高なご計画に、シズ・デルタを重用していただけるのでしょうか。」

 

 アインズはセバスの隣に控えるユリに対して言葉を重ねた。

 

 「その通りだ。それに、こういった理由を付ければ他のNPCにも言い訳が立つだろう。私の計画も進めることができて一石二鳥だ。」

 「シズのためにそこまでしていただけるとは。アインズ様の御厚意に感謝いたします。」

 

 セバスは部下であるシズを庇うアインズの考えに深く感謝を示した。

 プレアデスも安堵、安心といった表情を浮かべている。

 アインズは少し照れくさそうにしながらもセバスに対して顔を上げるように促した。

 

 「顔を上げよ、セバス。私もかつて、たっち・みーさんに色々と助けてもらった。いまはたっち・みーさんに恩返しができない。だから、せめてお前に恩返しをさせてくれ。自己満足で申し訳ないな。」

 「私に恩返しなど! それに自己満足などとは!」

 

 セバスは身に余る光栄に打ち震えるが如く震えていた。しかし、造物主とアインズの思いを聞いて、その光栄を受け入れざるを得ない状況に嬉しくも悶々とした表情をしている。 

 

 「それにあの時、博士さんにシズ・デルタを頼まれた気がしました。安心してください博士さん、あなたの娘はこれで大丈夫なはずです。」

 

 アインズは声を出すことなくその思いを口にした。それは心の中で反響するだけだ。

 

 「・・・・・・アインズ、様。」

 

 シズがアインズに声をかけた。

 アインズは後ろを振り向いた。

 シズはアインズを見つめて言葉を重ねる。

 

 「・・・・・・ありがとう。」

 「私からも感謝を述べさせてください。シズを助けていただいてありがとうございました。」

 

 シズとナーベラルがアインズに感謝を述べて深々と頭を下げた。

 アインズは暖かな眼差しで二人の様子を静かに見つめていた。

 

△▲△▲△

 

 「セバスよ、シズ・デルタをナザリックの外に出すに当たり解決せねばならぬ問題がある。」

 

 アインズとセバス、そしてシズがセバスの部屋にある応接室で話をしていた。

 シズがセバスの背後に控えて、二人は対面式のソファに腰を下ろしている。

 

 「問題、でございますか。」

 「ああ、問題というのはシズのクラスについてだ。」

 「シズのクラスがどう問題になるのでしょうか。」

 

 クラス--アサシンやモンクなどの職--に問題があると聞いて、セバスは疑問の色が籠った声を出した。

 

 「シズのクラスにガンナーがあることは知っているな?」

 「存じております。」

 「それが少々厄介なのだ。言わずもがな、この世界の住人は前提職を経なくても上位職を修めることができる。忍者しかり、ガンナーの職もまず間違いなく習得出来てしまうはずだ。もし、ガンナーのクラスと武器が旅先で他者の目に触れてしまうと、悪用する者が現れるかもしれない。そうなると、種族間のパワーバランスが崩れて戦争が起きる可能性がある。それはなるべく避けたい。」

 

 アインズはシズのクラスの危険性をセバスに語った。

 セバスの後ろで、アインズの話を聞いていたシズは事の成り行きを静かに眺めている。

 

 「シズのガンナーとしてのクラスと武器がなぜ戦争につながるのでしょうか。」

 

 セバスはアインズに疑問を聞いた。

 

 「私もすぐには戦争になるとは思っていない。しかし、未知なる技術は扱いが難しい。最初は火が点くか点かないかの小さな種火でも、いずれ周囲を巻き込んで文明を燃やし尽くす業火になる可能性がある。つまり、多くの小さなきっかけを経て争いに発展する可能性があるのだ。ガンナーのクラスは存在からして安寧には向かないからな。」

 「それは確かに厄介でございますね。」

 「ああ。だから、シズには冒険の最中でのガンナーのクラスの利用に制限を与えようと考えている。」

 「・・・・・・制限。」

 

 シズが思わず口を挟んだ。だが、アインズは特に咎めることもせずに話を続ける。

 

 「そうだ。冒険の最中にやむを得ず戦闘状態になった場合は、なるべくガンナーのアクティブスキルを利用せずに戦ってほしい。もちろん、それでは手に余る状況ならば本領を発揮しても構わない。生きて帰ることを第一に考えてもらいたいからな。しかし、その場合は絶対に証拠は残さず、目撃者も抹殺してもらいたい。」

 「・・・・・・わかった。・・・・・・でも、・・・・・・どうしようもない時は・・・・・・どうすれば、いい?」

 

 シズはどうしても証拠が残ってしまう場合や、目撃者の処理が難しい場合などの想定外の状況についての判断について聞いた。

 

 「その場合は・・・・・・、お前に≪メッセージ/伝言≫の魔法を封じた短剣を渡しておこう。基本的にはパンドラズ・アクターと相談して決めてもらいたいが、それが出来ずに想定外かつ判断できない状況になった場合は魔封じの水晶を使ってくれ。何とかしよう。」

 「・・・・・・わかった。」

 

 シズはアインズに返事をした。

 

 「私が心配していることはこれくらいだな。お前たち何か質問はないか。」

 「アインズ様、よろしいでしょうか。」

 「いいぞ、セバス。」

 「ありがとうございます。」

 

 セバスはアインズに質問する事を許可された。

 

 「パンドラズ・アクター様とシズ・デルタを冒険に出すための日程などはいかがいたしましょうか。」

 

 その言葉にアインズは答えを返す。

 

 「そうだな。そこらへんはアルベドと相談してくれ。私の方からも一言、伝えておこう。」

 「かしこまりました。あともう一点、シズ・デルタに現地言語の教育を施したいのですがよろしいでしょうか。」

 「現地言語か。たしかに、それは重要事項だな。よかろう、諸々の準備を含ませた日程を組むがいい。私もできる限り協力しよう。」

 「ありがとうございます。」

 「・・・・・・。」

 

 セバスとシズは揃ってアインズにお辞儀をした。

 アインズは一つ頷くと二人の感謝の気持ちを受けとった。

 

 「それでは一旦、私は自室に戻るとしよう。一般メイドを待たせているしな。セバス、お前は諸々の準備を進めておくように。」

 「かしこまりました。アインズ様。」

 「うむ。シズ・デルタよ、お前もこれから忙しくなるがよろしく頼むぞ。」

 「・・・・・・わかった。」

 

 そう言い残して、アインズは二人の元から離れて行った。

 部屋から通路に出たセバスとシズは、アインズの姿が見えなくなるまで揃って頭を下げていた。

 

 

 

 

 

 

 白い石材でできた傾斜角の浅い長い階段を登り切る。視線の先には今にも動き出しそうな生々しさを持つ、巨大な戦士像が並んでいる。湿った香りのする風が鼻の中を通り過ぎた。空を見上げると、雲間から柔らかな日差しが零れている。

 今日は冒険の旅に出る日。

 シズの隣にはナーベラルがいる。ナザリックの正面門に目を向ければ、道すがらにはセバスとプレアデス。それに階層守護者もいた。門の前にはアインズとパンドラズ・アクター、アルベドがいる。

 前へ進んでいる途中、ナーベラルがシズの肩に手を乗せた。

 

 「私の助けが必要になったらすぐに連絡するのよ? 絶対に無理はしないこと。それと・・・・・・。」

 「・・・・・・大丈夫。・・・・・・心配、しすぎ。」

 

 ナーベラルを見上げて一言告げた。

 

 「・・・・・・痛い。」

 

 --痛くないけど、気持ち。

 つねられた。ほっぺたが伸びる。

 ナーベラルはにこにこしながら眉を吊り上げている。

 ナーベラルは最近、職務が手につかない様子だったみたい。顔を合わせれば、私もついて行こうかとか、色々言われた。はっきり言って心配性だと思う。

 

 「このほっぺとはしばらくお別れかしら。寂しくなるわね。」

 

 シズのほっぺたをおもちゃにするなんてひどいと思う。今さらなんだけれど。

 

 「・・・・・・ナーベ姉。」

 「なに?」

 「・・・・・・顔を下げ、て。」

 

 ナーベラルの顔が手の届く高さにまで来た。さりげなくそのほっぺたをつまんでひねる。

 

 「・・・・・・えい。」

 「痛っ! 何するのよ!」

 

 ・・・・・・。

 両方のほっぺたをつねられた。ナーベラルは当然といった顔をしている。

 

 「私に手を上げるだなんていい度胸じゃない。いいわ、帰ってきたらおしおきしてあげる。」

 「・・・・・・ひどい。」

 「冒険に出てる間にしっかりと心の準備をしておくことね。」

 

 そんなこと言われたら帰りたくなくなる。でも、ナーベラルの湿っぽい雰囲気が消えたからいいか。

 ほっぺたはひりひりするような気がするけれど、冒険の旅に出るときは笑顔で送り出してほしかった。そんなことをしていたらアインズの所に着いた。

 

 「・・・・・・それじゃあ、・・・・・・行って、きます。」

 「ええ、行ってきなさい。パンドラズ・アクター様に迷惑をかけないように気を付けるのよ。」

 「・・・・・・うん。」

 

 そう言うと、ナーベラルはアインズとパンドラズ・アクター、アルベドに一礼してから姉達の元へと下がっていった。姉達とは出発の前に挨拶を済ませている。でも、ナーベラルは最後まで一緒に居ると言って聞かなかったからここまで一緒だった。

 シズはアインズに向き直ると、アインズは徐に中空に手をかざして一つの皮袋を取り出した。

 

 「シズ・デルタよ、冒険に出る前に渡しておくものがある。それは、この無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)だ。これはパンドラズ・アクターにも渡してある。中に魔法を籠めた短剣とポーションがいくつか入れてある。あとはお前の食料だな。諸々の詳細については道中にでもパンドラズ・アクターに教えてもらうがよい。」

 「・・・・・・わかった。」

 

 シズはアインズから皮袋を受け取った。それを体の中に収納する。

 機械の体はある程度、手を自由にできる。ちょっと便利。

 

 「私が渡すものは以上だ。それではお前たちの幸運を祈る。」

 「お父上! お任せください!」

 「うむ。新しいマジックアイテムを探す冒険の中で、お前たちが成長することに期待しているぞ。」

 「はい! 行ってまいります!」

 「・・・・・・。」

 

 ピンク色の卵型の顔をしたパンドラズ・アクターが一人、舞い上がっている。その横に立つアルベドは微笑みを浮かべている。後ろを振り返ればデミウルゴス以下階層守護者が、セバスの方を見れば姉達が笑顔を浮かべている。

 これから冒険の旅が始まるんだ。

 シズは体の中からエクレア帽子を取り出した。ナザリックの外には、このエクレア帽子みたいなかわいいものがあるかな。・・・・・・うん、きっとある。

 シズはエクレア帽子を体に収納した。そして、パンドラズ・アクターの隣に立ちアインズに出発することを伝える。

 

 「・・・・・・アインズ様・・・・・・行って、きます。」

 「ああ。行ってこい。そして、必ず生きて帰ってくるのだぞ。」

 「お任せください、お父上。このパンドラズ・アクターがいる限り、絶対にシズ・デルタを守ってみせます。」

 「頼んだぞ、我が息子よ。」

 

 アインズと最後の挨拶を交わして、シズはもう一度みんなのことを見た。そして、外に向かって歩き出した。

 爽やかな草原の風が髪を揺らす。目の前にはどこまでも広がっていそうな青い空。胸が高鳴る。

 シズは隣にいるパンドラズ・アクターと視線を交わした。

 

 「シズ・デルタ、行きましょうか。」

 「・・・・・・うん。」

 

 シズはそう言葉を重ねて冒険の旅に出た。




これにて旅立ち編(前編)完結です。
以降はプロット白紙なのでしばらく構想を練るために休止します。
あと、描写を鍛えるために短編をいくつか書こうかなと思ってます。
ここまで読んでくださった方々ありがとうございました。


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幕間

 善なる力が満ちている神殿。聖なる水溜まりに薄布を纏った女が水浴びをしている。

 夜明けの海を彷彿とさせる鮮やかなアズライト色の髪を結い上げ、桶に満たされた聖水を美しい肢体に打ち付けている。薄布はその役目を果たせず、女の曲線を露わにする。

 水面に映った後ろ姿は引き締まっているが華奢だという印象はない。鍛錬の跡がはっきりと表れ、桶を持ち上げる様子からも背後を襲えるような隙が見えない。しかし、腕が上げられる度に脇からこぼれ落ちるおっぱいを見れば本能のままに襲う者が出るかもしれない。だが、ここは男子禁制の神殿。同性でじゃれあうことはあるかもしれないがそれ以上はない、はずだ。

 ひとしきり水浴びを終えた女は、胸に挟んでいたネックレスを取り出しチェーンに装着されたクリスタルを握って祈りを捧げた。

 

 --ヴァルキュリア様、どうか試練を受ける私を見守っていてください。

 

 静寂が女を包み込む。

 どれくらい時が経過したのだろうか。ちゃぽんという水が滴る音が静謐なこの場に木魂した。同時に女は立ち上がり天井を見据えて光を放った。

 

 「≪ホーリィ・スプレー≫」

 

 光の水しぶきが天井に到達する前に何かに接触した。天井で息を潜めていたのは不可視化していた悪魔だった。断末魔の叫びを上げて悪魔は女の魔法によって浄化される。

 

 「悪魔め! 神聖な儀式の最中に邪魔をするなど不届きだな。不愉快だ。だが、ここは女神ヴァルキュリア様を信仰する神殿。お前も自らの存在と邪悪なる心を悔い改めるならばヴァルキュリア様も赦して下さるはずだ。地獄に落ちる前にお前の行いを反省しておけ」

 

 消えゆく悪魔を見下ろして女はそう吐き捨てた。清めの儀式を邪魔されたことで女は憤怒していた。この怒りを鎮める手段はいくつかあるが。目を閉じて怒りに燃えた頭で冷静に考えを巡らる。そして一つの結論を導き出した。

 女はうっすらと目を開けると半歩、体を翻して隅に控えていた少女に声をかけた。女性としては低い声がその場に響く。

 

 「邪魔は入ったが、身体の清めは終わった。神殿長の元へ向かうぞ」

 「かしこまりました。オフィーリアお姉様」

 

 身体に張り付いた布を脱ぎ、控えていた少女から乾いた布を受け取る。瑞々しい肌に弾かれた水滴を布に吸わせていく。結われた髪から溢れるオフィーリアの香りが少女を襲い、顔を赤らめる。

 オフィーリアは肩を拭っていた手を止めて少女の顎を掴んで瞳の奥を覗き込んだ。

 

 「おい、何を赤くなっている? 真面目にやらないか」

 「申し訳ございません、お姉様」

 「まったく」

 

 水滴を拭き終えて水分を十二分に吸い込み重くなった布を少女に突きつける。鋭い視線と弱弱しい視線が一瞬交錯する。少女は布を受け取るため恐る恐る腕を伸ばした。瞬間、オフィーリアの顔が妖しく歪む。

 

 「ひっ。んむぐ」

 

 オフィーリアは伸ばされた腕を掴んで強引に引き寄せる。態勢を崩した少女を抱き寄せてその耳元で囁く。

 

 「おっと、こんな所で体勢を崩すなんて聖騎士見習いとして良くないな。ちゃんと鍛錬はしているのか? お仕置きが必要かな」

 「も、申し訳ありません。オフィーリア様。あの、お仕置きだけはお許しください。」

 

 オフィーリアの胸元から潰された声が漏れる。少女は胸をかき分け、上気した顔で抗議の視線を放つ。その様子を見て嗜虐心を刺激されたオフィーリアは目を細めて少女を射抜いた。

 

 「だめだ。私が試練を果たし帰った時は一晩かけてお仕置きだ。覚悟しておけ」

 

 オフィーリアは言い終わると、満足そうに相好を崩して少女を解放した。

 オフィーリアの手から逃れた少女は顔を赤くしながら肩を上下させ、二歩、三歩と後ずさりした。少女の瞳にはオフィーリアの横顔が映る。結い上げられた髪の一部がほつれて、横顔に髪が垂れている。普段は凛とした雰囲気だが、その時だけは何か妖しいものを孕んでいた。

 

 水の流れる清らならかな音がその場を支配する。

 

 オフィーリアは少女が落ち着くまで待って口を開いた。

 

 「装備の準備はできているな」

 「はい。できております」

 「そうか、ご苦労」

 

 数秒、重い瞬きをしてからオフィーリアは装備--パラディンの鎧--が置いてある場所へ向かった。彼女の表情は真剣そのものだ。

 少女はその場にへたりこみ、オフィーリアが去っていく様子を見つめていた。

 

 オフィーリア・マルク・リベイル。鮮やかなアズライト色の髪を持ち、豊かな身体に恵まれた美女の名前だ。年齢は二十二歳。彼女は正義のパラディンである。実力は聖王国南の山懐にあるこの神殿内で一、二を争う。

 この神殿は六大神の一柱が伝えたヴァルキュリアという女神を信仰している。『あっぷでーと』と呼ばれる神の裁きにより、その栄光は失墜したと伝えられた。しかし女性の力の象徴として、この地で人気が根付いたのだ。

 神殿は世代ごとに有力なパラディンをヴァルキュリアとして選出する。さらに、その補佐としてヴァルキュア・ナイトを決める。オフィーリアはこの補佐候補者に選ばれ、試練を受けるために神殿長の元へ赴くのであった。

 

 部屋の窓からは柔らかい日差しが差し込み海風が流れ込む。

 

 オフィーリアが身に纏うのはアダマンタイトが編み込まれた生地のタイツ。魔導国が特殊な技術を用いて開発した装備だ。足のつけ根を守るのは裾を一周する細かなルーン文字があてがわれたフレアスカート。足元はミスリル製のグリーヴで固めて、聖王国のシンボルマークが描かれた甲冑を装備する。腕の関節まで覆う小手を腰ベルトに引っ掛けたところで、オフィーリアはふと窓の外の景色を見る。

 

 「長かった。だがもう少しだ。あと少しで今代のヴァルキュリアであるイクシア様に受けた恩をお返しすることできる。そのために必ずこの試験を乗り越えて見せる。」

 

 装備を身に纏ったオフィーリアはそう呟いた。この部屋を出ればすぐに試練が始まる。外を眺める彼女が思い浮かべるのは幼い頃からの今までの記憶だろうか。

 

 --行くか。

 

 決意を固めたオフィーリアは踵を返して颯爽と神殿長の個室へ向かった。

 

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。オフィーリアが歩く音が神殿内に響き渡る。

 数分歩いたところでついに神殿長の個室に到着した。

 

 「オフィーリア・マルク・リベイル、試練を受けるために参上いたしました。」

 「よく来ましたねオフィーリア。こちらへ。」

 「失礼します。」

 

 オフィーリアが個室の中へと入る。個室は積極的に光を取り入れる構造になっていて明るい。さらに善なるエネルギーで満たされていて気分が晴れやかになる。個室には二メートル程の本棚が設置されてあり、中はぎっしりとしている。床には聖なる銀白の絨毯が敷かれており、奥には香木を加工した執務机が置かれていた。

 オフィーリアは促されるままに神殿長が座している執務机へと歩み寄る。

 

 「オフィ、立派になりましたね。イクシアがあなたを連れてきた時はどうなることかと思いました。しかし、あなたは周囲の予想を裏切り立派になりました。これも女神ヴァルキュリア様のご加護あってこそでしょう」

 「いいえ、神殿長。私如きにそのようなことは身に余るというものです。私はイクシア様に恩を返す。そのためだけに努めてきたに過ぎません。イクシア様、そしてイクシア様が信じるヴァルキュリア様のために」

 「うふふ。そうでしたね。あなたはそういう方でしたね。それでは……」

 

 しばし和やかな雰囲気であったが神殿長の言葉に重みが入った。

 

 「……これよりあなたに試練を与えます。心の準備はよろしいですね。」

 「はい!」

 

 気合の籠った声がオフィーリアから放たれる。神殿長はその様子を優しい眼差しで見つめていた。

 

 「頼もしいですね。それではあなたに試練を与えます。」

 

 オフィーリアの心臓が高鳴る。

 

 「神殿の外に出て男を知りなさい。そして、愛を育むのです。試練が成功したのならば、あなたの持つネックレスがあなたと愛する者に力を与えるでしょう。」

 

 --は? オトコ……?

 

 オフィーリアには男を知るという意味がわからなかった。彼女が知っている男と言えば幼い頃に悪魔の土地へ行きそのまま帰らぬ父親。それと、聖王国でも有名な魔導国の英雄譚に出てくる英雄だけだ。

 オフィーリアはティマイオスという作家が執筆したこの英雄譚が好きだった。それにしても愛を育むというのはどういったことだろう、といった疑問が彼女を支配する。

 黙ってお互いを見つめ合う時間がしばらく続き、オフィーリアが答える。

 

 「神殿長、男なら知っていますよ」

 

 真顔で返すオフィーリアを見て神殿長はため息をついた。そして、神殿長は説明をする。

 

 「いいですか? 男と愛を育むということは……」

 

 初めて知る事実に乙女は顔を赤くしていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 セバスの意見で冒険に出る前に、言語の勉強、戦闘訓練をしておくことになった。今日は初めての言語の勉強。セバスとユリがシズを指導するみたい。勉強が始まってからしばらく経った。ナーベラルがうーうー唸りながら頭を抱えて横に座ってる。

 

 「基本的な文字の意味は大体理解できたようですね。いいでしょう。次は文字の組み合わせで変わる意味を覚えましょう」

 「……わかった」

 「え? え? シズはもう覚えたの? どうしてそんなにすぐに覚えられるの?」

 

 セバス様の教育はわかりやすくて、すぐに基本的な意味は理解できた。ナーベラルもマジックキャスターとして知力は高いはずなんだけど。いまいち分かってないみたい。

 

 「ナーベラル? なぜ あ な た がシズと一緒に勉強をしているの?」

 「ユ、ユリ姉様。これは、その、えと、アインズ様のお共をさせていただいた時にもっと言語を理解しておけばよかったと思うことがあって……。だから、もし次の機会があれば……その時に備えておこうと考えたからです」

 「ふーん」

 

 ユリが腰を折ってナーベラルの顔を覗き込んでる。ナーベラルはもっとシャキッと答えないとダメだよ。目が泳いでたら信じてもらえるものも信じてもらえなくなる。

 

 「まあいいわ。次の機会が訪れる可能性も無くはないでしょう。アインズ様に仕える者としてその心構えは正しいわ。この際しっかりと覚えておきなさい」

 「はい。がんばります」

 「……」

 

 よかった。上手くごまかせたみたい。ユリに注意されているナーベラルを見ていたら顔がこっちに向いた。

 

 「シズー? いま笑ったわね? いい度胸じゃない。悪い子にはこうしてあげるわ」

 

 ひどい言いがかり。表情は動かないはずなんだけど。

 

 「……ほへんふぁふぁい」

 「……ナーベラル・ガンマ」

 

 セバスの鋭い目つきと厳かな声がナーベラルに突き刺さった。セバスの表情はいつも通り。だけどアインズに会っている時のような重い空気がこの部屋を覆った。

 ナーベラルはシズのほっぺをつまんでいた手を引っ込めて冷や汗を流している。そんなになるなら最初から真面目にしていればいいのに。ユリの方を見るとセバスと同じような雰囲気。笑ってるけど目が据わってる。

 

 「ごめんなさい」

 

 重苦しい空気が漂ってる。しょうがないな。

 

 「……セバス様。……続き、早く」

 

 ナーベラルに向けられていた空気がシズの方に来た。けれど、だんだん重さが抜けていくのを感じる。少ししてからセバスがナーベラルに向かって口を開いた。

 

 「ナーベラル、あなたがアインズ様に捧げる思いは大切なものだと思います。……次からは気を付けるように」

 「はい」

 「それでは文字の組み合わせを用いた学習に入ります」

 

 ナーベラルはすっかりおとなしくなった。ユリからの視線もかなり柔らかくなった気がする。

 そんな感じで初日の言語学習が終わった。セバスは公務に出て行った。次は盗賊職の戦闘訓練だけれどソリュシャンの準備ができるまで自習時間になった。横にいるナーベラルは机の上でのびてる。お疲れさま。

 

 「はぁ~。全然覚えられなかったわ。ノシメマダラメイガのくせで私を苦しめるなんて生意気ね。何なの? もっとわかりやすい言語を使いなさいよ」

 「……簡単だった、よ?」

 「……」

 

 ぐちぐち言葉を垂れ流していたナーベラルが急に何も言わなくなった。そのままナーベラルの頭を見てたら、くいっと顔が回ってシズを捉えた。鳥肌が立ちそうなくらいすごく湿った視線。

 

 「……」

 「おしおき」

 

 ナーベ姉にこねくり回されたほっぺをさすりながら転移装置を渡り歩く。さんざんいじられたところでソリュ姉から≪メッセージ/伝言≫の魔法が入った。もう少し早く連絡してくれればいいのに。

 目的地の第六階層の円形闘技場に着いた。これから戦闘訓練だ。気持ちを切り替えて中に入ると、そこにはソリュシャンとルプスレギナがいた。ルプスレギナは回復役。

 ソリュシャンがシズに気付くとすぐに口を開いた。

 

 「シズ、ようやく来ましたね。すぐに戦闘訓練を始めますよ」

 「……うん。……お願い、します」

 「本来あなたは後衛職なのだから無理はしないように。いいですね」

 「……わかってる」

 「回復はまかせるっすよ」

 

 ソリュシャンがシズに近づいてきてマジックアイテムの短剣を懐から取り出した。この短剣には攻撃対象のHPを必ず一だけ残すデータクリスタルが入れられているらしい。アインズが訓練用にと貸し与えてくれたもの。それを受け取って位置につく。

 

 「まずは魔法とスキルを使用せずに一対一から始めましょう。慣れてきたらルプスレギナも戦闘訓練に参加させます。準備はいいですね」

 「……。」

 「ドキドキするっすね」

 

 ソリュシャンの言葉にこくりと頷いてみせる。ソリュシャンも頷くと戦闘訓練が始まった。

 

 短剣を構えてソリュシャンを見据える。お互いの実力差は明らかでレベルは十一離れている。さらにシズは後衛職でソリュシャンは前衛職だ。前衛職としてのステータスは全て劣っている。だから、勝つことは最初から諦めて格上と相手をする時の技術を身に着ける。それがシズの目標。

 地を蹴ってソリュシャン目がけて一直線に突進する。

 

 「単調な動きね」

 

 金属が千切れる音が頭に響いた。視界が回転する。何が起こったんだろう。視線を上げると片手を腰に当て、もう片方の手で短剣をくるくる回しているソリュシャンが見えた。その足元にはシズの胴体が横たわっている。

 

 「……?」

 

 あれ? 何かおかしいな。何がおかしいんだろう。

 ソリュシャンがシズの胴体を持ってきて……? あれ?

 

 「ルプスレギナ、シズを回復させて」

 「了解っす~。≪ヒール/大治癒≫」

 

 胴体がシズの首に引き寄せられてくる。そっか、体が繋がって初めて状況がわかった。

 

 「ほぇ~。機械人形の傷が癒える時はこんな感じで回復するんすね~。びっくりっす」

 「傷が癒えたなら訓練を再開しますよ。シズ・デルタ、準備ができたら言いなさい」

 「……」

 

 恐る恐る頷いてみる。動……く? あ、動いた。よかった。そのまま腕、手、足、指と身体を動かしてみる。最後に首を回して問題がないことを確認した。それにしても一瞬の事でよくわからなかった。次はもう少し考えた攻撃をしないと。

 短剣をくるくる回しているソリュシャンの方に視線を移した。視線が交錯する。

 

 「……問題、ない。……お願い、します」

 「かかってきなさい」

 

 ソリュシャンが短剣を構えた。次はどうやって攻めようかな。

 戦闘訓練はしばらく続いた。




見渡す限り赤茶けた荒野。一陣の黒い風が通り過ぎ、幻想的な生命の輝きの奔流が、ある一点に収斂される。後に残るのは青々とした神秘の景色だった。



11巻wktk


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聖騎士 (仮)
街道 1


後編めっちゃ長くなりそう。ウン十万字で収まるか不安
聖王国編は書籍でやらないという話だったのに。ということで仮にしました


 ナザリック地下大墳墓入口から伸びる街道はどこまでも続いている。

 柔らかい。ナザリックの外に出て初めて感じたのは地面が柔らかいということ。踏みしめる地上の土は、雨に濡れていて柔らかかった。地面を見つめていると不思議な音が聞こえてきた。

 シャーーーーーー。

 何の音だろう。初めて聞く不思議な音。なんだか安心する。

 耳に手を当てて目を閉じた。

 シャーーーーーー。

 不思議な音。遠くの方からこっちに近づいて、遠ざかっていく。

 目を開けてみると、視界いっぱいに広がる草が揺れていて、それが音を立ててるのだとわかった。

 

 「……」

 

 草はナザリック第六階層でも見たことがあったけど、外の草は中とは全然違う。

 触ってみるとくすぐったいような、柔らかいような感触がする。

 

 「……」

 

 不思議。

 視界一杯に広がる草は一体何本生えているんだろう。どこまでこの景色が続いているのか調べてみたくなる。

 ナザリックの外はシズの知らない世界が広がっていた。

 

 「草原の草がそんなに珍しいですか」

 「……初めて見る、から」

 

 そう言うと、パンドラズ・アクターは顎を少し引いた。そのまま卵頭に大口径の銃口を塗りつぶしたような目でシズを見ている。

 シズが少し首を傾げると、パンドラズ・アクターは言葉を発した。

 

 「そういえば、あなたが正式にナザリックから出るのは初めてでしたか」

 「……うん。……初めて」

 

 そう。初めて。姉達やセバス、階層守護者、たまにアインズから話を聞くことはあったけど、シズが外に出るのは初めて。

 

 「どうですか? 初めて外に出た感想は」

 「……すごい。……ナザリックの方が……すごいけど。……でも、初めても……すごい」

 

 初めて踏みしめる土の感触、初めて聞く草が揺れる音、初めて感じる風の感触、初めて触れる外の世界。

 ぜんぶ初めてで新鮮な感じがする。

 

 「そうですね。確かにナザリックの外の世界は素晴らしい。だからこそ父上も世界征服を志したのでしょう」

 「……」

 

 パンドラズ・アクターからの視線が強くなった気がする。

 

 「しかし……、これくらいで驚いていては身が持たないかもしれませんよ。この先、あなたを驚かせる出来事はきっと数えきれないくらいあるでしょう。それを許してくださった父上の御厚意、忘れてはなりません」

 「……うん」

 

 シズが驚くで出来事がたくさん。そう思うと、シズが知らない気持ちが沸いてきた。この気持ちは何かな?

 期待を感じる思いと、知らない気持ちに不安になる思いが混ざり合った思いで、パンドラズ・アクターを見つめていると、パンドラズ・アクターが答えてくれた。

 

 「未知の探求はワクワクするものです。シズ・デルタ、どうやらあなたもこの気持ちを感じているようですね」

 

 わくわく? この気持ちはわくわくするっていうのかな。

 変わらずに強い視線を感じる。いつもはどことなく恰好がついていない気がするけど、今日は不思議と頼りがいがありそうに見えた。

 

 「……わくわく?」

 

 聞き返すと、パンドラズ・アクターは帽子を片手で押さえて、クイっとナザリックの方へ向き直った。洗練された傀儡のような動きは自動人形であるシズでさえ真似できるかわからなかった。

 パンドラズ・アクターが震えている。パンドラズ・アクターもわくわくしてるのかな。

 

 「私も未知のマジックアイテムの探索を前にしてワクワクしています」

 

 そうなんだ。シズと一緒だね。

 

 「そしてそれを後押ししてくださった我が父上の神命。もはや感動! 感激に打ち震えないことができるでしょうか」

 「……」

 

 「あぁ……アインズ様。アインズ様! アインズ・ウール・ゴウン魔道王万歳! ハイルアインズ! ハイルモモンガ! ハイ……」

 「……うわぁ」

 

 一人でヒートアップするパンドラズ・アクター。最初の方は共感できたのにどうしてこうなったのか。感動を返してほしい。

 

 「ハイルアイ……。ん? そんなに冷めた目をしてどうかしましたか、シズ・デルタ? 冷たい輝きを放つ翠玉の瞳も美しいですが、父上に忠誠を誓う瞳はきっと更に美しいはずです。よければご一緒にいかがでしょうか」

 「……」

 

 シズはアインズに絶対の忠誠を誓っている。けれど、これはやりすぎ。たぶん、アインズもそこまでは求めてないと思う。でも、気持ちはわかるから肯定も否定もしない。うん、放っておくのが一番。

 じっと見つめてから、黙ってパンドラズ・アクターを置いていく。

 

 「なるほど! シズは恥ずかしがり屋でしたか」

 「……」

 

 思わず足が止まった。

 この顔なしは何を勘違いしてるの? 振り返ってみると、自信満々な様子。さっきのポーズを崩していないところが頭に来る。

 誰かに似てる。誰だろう。

 

 「ですが恥ずかしがることはありませんよ。全身で喜びを表現するというのはなかなか気持ちの良いものです。さあ、一緒に喜びを分かち合いましょう」

 「……」

 

 ダンスの誘いをする時みたいに、胸に手を当てて恥ずかしいことの共犯を募るドッペルゲンガー。この悪ノリは本当に誰かに似ている。じっとパンドラズ・アクターを観察してたら声が聞こえてきた。

 『そんな動きじゃ私は捕まえられないっすよー』

 

 「……」

 

 何も見ていないし何も聞こえてない。パンドラズ・アクターの形をしたルプスレギナは放っておいて先に進もう。そう思って歩き出したら、いつの間にかパンドラズ・アクターが横を歩いていた。

 

 「おやおや、まだ自分の殻を破るには至りませんか。まあいいでしょう。私たちは異形の身。時間はたっぷりあるのですから焦ることはないでしょう」

 「……」

 

 これはルプスレギナ。真面目に相手をしてたらきりがない。無視。

 

 空を見上げると、太陽が高い位置に移動していた。あれから結構歩いた。

 変わらない景色。変わらない時間。

 たまにエントマの眷属のような形をした小さな生き物が草の上に乗ってたり、街道の上を動いてたりしてた。触ってみようとしたら逃げちゃったけど。空を見上げたらエクレアみたいな柔らかそうな鳥もいた。暇なときに撃ち落としてみようかな。そんなことがあったりして、またしばらく歩いた。

 

 視界の先に東西に広がる人工的な構造物が見えてきた。あれは何だろう? 横を歩いているパンドラズ・アクターはすっかり静かになってる。何だか寂しそうだから許してあげようかな。そう思って、話しかけてあげた。

 

 「……あれ、何?」

 「あれは衛星都市カルネですね。ナザリック地下大墳墓の最も近くにある街です。首都エ・ランテルで取引される武器、防具、装身具、ポーション、マジックアイテムや日用品の開発・製造・研究などを行っている街です。また、あらゆる種族が共存する街でもあるのですよ」

 「……」

 

 カルネ、カルネ村のことかな? ルプスレギナが言っていたカルネ村かな。ルプスレギナはあんなに大きな村で任務をこなしていたんだ。ちょっと見直した。それにしても大きい。目的地はカルネ?

 

 「今日は衛星都市カルネでエ・ランテル行の足を確保したら休む予定です。翌日、エ・ランテルへ行き冒険者登録をします」

 「……冒険者?」

 「そうです。あらかじめ冒険者登録をしておくと何かと融通が利くので、父上が必ず登録するようにとおっしゃっていました」

 「……わかった」

 

 うん。パンドラズ・アクターは元気そうだし大丈夫かな。これからずっと一緒にいるのだから雰囲気が悪いままなのは嫌。

 歩きながらそんなことを話していると、カルネの方で三人組の男と女の人が見えた。男たちは皮の鎧を着ていて、剣を抜いて女の人を囲んでいる。争い事かな?

 女の人の傍には一体のナーガが横になっているのが見えた。

 

 「ふむ、何やら不穏な雰囲気ですね」

 「……どうする、の?」

 

 立ち止まってどうするか聞いてみると、パンドラズ・アクターは何か考え事をしている様子だった。考え込んでいる様子を見ていると、パンドラズ・アクターは静かに話し出した。

 

 「オーガと……あれはホブゴブリンですね。数が二……ずつですか。魔法詠唱者は……いないみたいですね」

 

 自動人形の種族スキルを使用して草むらを探る。左右の草むらに熱源。それぞれ二人ずつで四人。たしかに七人いる。

 

 「丁度いいでしょう。シズ・デルタ、あの女性を助けてあげなさい。ガンナーを封印したあなたの実力をまだ拝見していなかったので、見せてもらいましょうか」

 「……うん。……でも……」

 

 でもパンドラズ・アクターはどうしてわかったんだろう。疑問を感じていると答えが帰ってきた。

 

 「ああ、私は目がいいのですよ」

 「……」

 

 パンドラズ・アクターは帽子を被り直してそう言った。

 卵頭についている真っ黒な場所を見ても、あまり目が良さそうには見えないけど。

 

 「やれそうですか?」

 「……」

 

 パンドラズ・アクターの不思議について考えていると急かすように言ってきた。仕方がないから、いまは疑問は置いておいて戦術を練ることに集中する。

 

 「……やってみ、る」

 

 伏兵が四、つまり七人を同時に相手をしなければいけない。

 相手がこちらに気付いていない状況で有効な攻撃手段は……。イメージを組み立てるとパンドラズ・アクターを見つめてこくりと顔を倒した。

 

 「やってみなさい」

 「……うん」

 「私は隠れて様子を伺っています。ただし、危ないと思ったら助けに入るのでそのつもりで」

 「……わかった」

 

 そう言い終わると、パンドラズ・アクターは草むらに身を隠した。

 シズはインフィニティ・ハヴァサックから短剣を取り出して装備する。次に、ストーカーのクラススキル≪ストーカー/忍び寄る者≫を使用した。これで気付かれることなく背後に忍び寄ることができる。そのまま風下の方の草むらで身を隠している伏兵に近づいた。

 視線の端に、街道で女の人を囲む男たちが映る。

 

 「貴様ら! 私をヴァルキュリア神殿に所属するパラディンだと知っての狼藉か!」

 「知らんな。俺たちはトブの大森林から出てきた奴らからは金貨二十枚を徴収してるいるんだ。払えない奴は身ぐるみ剥いで払える奴からはその財力のお裾分けをしてもらっている。俺たちの縄張りを通ったら従ってもらわないとなあ? すまんなルールでね」

 「ひひひひ。オマエノ連レ殺ス」

 「やめろ! シュレリュースには手を出すな! 薬草が詰まった袋があれば十分だろう!」

 「薬草じゃぁなくてぇ、金貨がないとぉ、駄目だねぇ。俺たちのぉ、ルールを守れない奴はぁ、何をされても文句は言えないなぁ。まぁ、薬草も一緒にぃ持っていくけどなぁ」

 「下衆共が!」

 

 オーガの後頭部が視界に入る。オーガは街道の様子を伺っている。短剣の腹が頭に当たるように構える。そのまま盗賊スキル≪バックスタブ≫を使用して、突き立てるように力いっぱい叩き抜いた。それと同時に≪ストーカー/忍び寄る者≫の効果が切れた。

 

 「ンゴ……」

 

 そのままオーガは地面に顔を沈めて沈黙した。傍にいたホブゴブリンが驚きを浮かべた顔でシズを見ている。

 

 「ガ……?」

 

 態勢を整えさせる前にその顔に短剣を叩きつける。ホブゴブリンはそのまま気絶した。

 すぐに≪ストーカー/忍び寄る者≫を使用してその場を離れて一息つく。街道にいる男たちには気づかれていないみたい。向こうの草むらも目立った動きを見せない。奇襲は成功したみたい。そのまま風上側に潜む伏兵の背後に忍び寄った。

 

 「どうなんだよ姉ちゃん? ううん!? 金が払えねえってんなら今ここで恥ずかしい格好になるか?」

 「ひひひひ。鱗ガ剥ガレル剥ガレルー」

 「やめろ! やめてくれ!」

 「おおぉ? 遂に観念したのかなぁ? 嬉しいねぇ」

 「くそっ。 貴様ら! 絶対に許さないぞ」

 「そんな熱烈なぁ、視線を向けられるとぉ、たまんねえわぁ」

 

 風上側の伏兵も処理した。後は三人組だけ。正面突破の練習もする。

 シズは≪クローキング/欺き≫を使用して三人組の近くまで移動した。一息ついてから様子を見る。ここまで近づいても気づかれない。あまり強くないのかな。でも油断は禁物だってソリュシャンが言ってたから油断はしない。

 

 「……弱い者いじめ……だめ」

 

 スキルを解除して三人組に向かって話しかけた。

 

 「うわ!?!? いつからそこにいやがった!?」

 「ひひひひ。突然現レタ」

 「誰だぁ、てめぇ」

 「女の子……?」

 「……」

 

 四人が四人それぞれに驚いた表情をしている。それに構わず、シズは四人を油断せずに見据える。たぶん、三対一。隙を与えたらだめ。

 

 「なんだてめえ! 無視か?」

 「ひひひひ。殺ス」

 「よぉく見たらよぉ、この姉ちゃんよりよぉ、かわいいねぇ。今日は運がいいぜぇ」

 「あなた! ここは危ないから早く逃げなさい」

 「こんな上玉をよぉ、逃がすわけはないよなぁ」

 「ひひひひ」

 「違げえねえ!」

 「……」

 

 どの男を先に攻撃すればいいか見極める。狙うのはリーダー格。

 

 「お嬢ちゃんよぉ、一人で現れたってことはよぉ、俺たちと遊びたいんだろぉ? 何も言わないってことはぁ、ひよっちゃったのかなぁ?」

 「大方、この姉ちゃんを助けに来たんだろうが止めておいたほうがいいぜ。俺たちは冒険者で言えばオリハルコン級だ。邪魔をしようってんならガキでも容赦しないぜ」

 「ひひひひ。血ガ見レル」

 「やめろ! 私がいれば十分だろう!?」

 「確かに十分だが、このお嬢ちゃんもいれば十二分ってやつよ」

 「お前たちは人間の皮を被った悪魔だ!」

 

 たぶん、話し方がまともな男がリーダー格。語尾が変な男は大したことない。笑う男は不気味。

 不気味な男を先に倒したい。けど女の人が邪魔で一手遅れる。うん、ここは予定通り一番まともな男を狙う。

 短剣を構える。同時にリーダー格の男の顔から余裕が消えた。

 

 「この威圧感……やばい。このお嬢ちゃん、手強いぞ。お前ら、気を抜くな」

 「そおかぁ? 俺にはひよってる風にしか見えないぜぇ」

 「ひひひひ。問題ナイ」

 「馬鹿野郎! このお嬢ちゃんからはアダマンタイト級の力を感じる! ラッセ! 伏兵を呼べ! 全員でかかれば何とかなる!」

 「俺はぁ、大丈夫だと思うけどよぉ、ブレッドがぁ、そう言うなら仕方ねぇ」

 

 ブレッドという男がリーダー格の男が指示を出すと、ラッセと呼ばれた男が口笛を吹いた。でも無駄。伏兵は気絶してる。

 

 「おかしいなぁ。オーガのゴロンド兄弟とぉ、ホブゴブリンのブブラ兄弟がぁ、出てこないぞぉ」

 「あいつら! 裏切ったか!?」

 「ひひひひ。裏切リハ許サナイ」

 「……オーガたち……倒した」

 「なにい!?」

 

 ブレッドの顔が引き攣った。焦ってる今なら攻撃のチャンスかも。地を蹴る。

 

 「な!? か、≪回ひ……≫」

 

 武技なんて使わせない。そのままブレッドの懐に飛び込んで鳩尾に短剣を突きこむ。

 

 「か……かは」

 「ブレッドぉ!」

 「嘘……? この子、なんて強さなの?」

 

 出血はしていないけど、血を吐いて倒れた。まずは一人。

 

 「……こいつぁ、まずいぞぉ。マルコォ!」

 「ひひひひ。ワカッテル」

 

 ラッセという男に攻撃する態勢を取った瞬間、視界が無くなる。何も見えない。

 

 「けほっ。けほっ」

 「……けむり?」

 

 ここから遠ざかっていく足音が二つ聞こえる。二つの足音は別々の方向に離れていく。とりあえず、視界の確保。

 

 「……」

 

 自動人形の種族スキルを使用して視界に熱源を映し出す。目の前に熱源が二つ。カルネ方面に一つ、パンドラズ・アクターが隠れている方向に一つ。なら、カルネ方面に逃げた男を追う。

 煙から抜け出すと、ラッセが背中を向けて逃げているのが見えた。逃がさない。

 

 「……見つけた」

 「ひ……ひぃ。たぁ、たすけてくれぇ」

 「……だめ」

 「ぐふぅわぁ」

 

 これでしばらく起きないはず。あとは怪我をしているシュレリュース? というナーガの手当て、かな。

 気絶している男をそのままにして女の人の所に戻った。

 

 

 

 

 

 

 鮮やかなアズライト色の髪を結いあげた女パラディン、オフィーリアは聖王国の南の山懐にあるヴァルキュリア神殿からトブの大森林の西に位置する小都市を訪れた。彼女の目的は愛する伴侶を得ること。ヴァルキュリア神殿にて神殿長に言い渡された試練の内容は、彼女にとって受け入れがたいものだった。人間は男と女が愛し合って子を産む。その内容を詳らかに教わる度、幼き頃の父親の顔がちらついて、恥ずかしくて身悶えたのは今でも忘れられない。だが、そこで引いてはイクシアを守護する地位に就くことはできない。一大決心したオフィーリアは、とりあえず強い男--ティマイオスが綴る魔同国の英雄譚に出てくる英雄のような--がいると思われる魔同国の首都エ・ランテルを目指して旅をしていた。

 

 「エ・ランテルまであと一か月といったところか。ようやくだな。だが……」

 

 初めての旅ではあったが、整備された街道と雇い馬車に乗っての旅は順調であった。最初は街の中を自然に徘徊する魔物を見て思わず手を出しそうになっていたが、今は涼しい顔をできるようになった。しかし、ここに来てオフィーリアに問題が発生する。乗り合い馬車ではなく値が張る雇い馬車を利用してきたツケが目的地目前で露呈したのだった。彼女の所持金は銅貨四枚だった。

 

 「神殿から支給された金貨はなくなってしまった。このままではエ・ランテルへ行く事ができない。なんとかエ・ランテル行の馬車を調達できないものか」

 

 様々な種族が往来する広場でしばし悩んでいたオフィーリアだったが、人間の衛兵を見つけるとすぐに行動を開始した。馬車を手配している場所だけは知っておこうという思いからの行動だった。ずけずけとした様子で衛兵に近づくと女性としてはやや低い声で話しかけた。

 

 「おい、そこの下郎。エ・ランテルに行きたいのだがトブの大森林を横断する馬車はどこにいけば調達できるんだ?」

 

 守衛は不躾な物言いに顔をしかめるが、オフィーリアの装備を見てすぐに表情を取り繕った。守衛が見たことない見事な装備は一見すると身分が高そうだったからだ。ここは平身低頭に限る。外国の貴族を怒らせても得はない。それに大森林を横断するなどと常識外れを口走る辺りが浮世離れしているとも言える。貴族に違いない。しかし……。

 

 (これは……なかなかいい女だ。顔はきつめで俺好みじゃねえが身体つきは合格点だろう。武具を身に着けている割に動きに乱れがない。スカートから覗く足は引き締まっているし、甲冑から伸びている腕も鍛えられた跡がある。最近ご無沙汰だったしちょっくら狙ってみるか)

 

 ねっとりとした視線でオフィーリアを見ていた守衛に訝しさを感じたのか、疑問を口にする。

 

 「ん? じろじろと私のことを見てどうしたというのだ? 私の顔に何かついているのか?」

 「あっ! いや、その……」

 

 守衛は首筋に冷ややかな風が流れたのを感じた。溜まっていたからかついつい貴族と思しき女性に失礼な事をしてしまった。言葉を続けられないほど焦っていると、オフィーリアは自分の恰好を念入りに確認しだした。どうやら視線の意味に気付いていないようだ。

 守衛はそれを確認すると、頭(かぶり)を振って雑念を追い出した。そして気分を仕事モードに切り替えた。

 

 (相手は推定貴族。ならば失礼のない態度にしなければ)

 

 衛兵は膝をついてオフィーリアを見上げる形を取った。

 

 「魔導国にあるこの街へようこそ。旅行でしょうか。残念ながらトブの大森林を横断するエ・ランテル行の馬車はここでは出ていません。街道を行く馬車ならありますのでそちらを利用してはいかがでしょうか。貴族様専用の馬車ですと、あちらにある一番大きな建物で受付をしていますよ。よければご案内しましょうか」

 

 そう言って、衛兵は手を差し出した。

 オフィーリアは差し出された手に一瞬視線を落としたが、その手を取ることはなかった。

 

 「む……。そうか。いや、案内は必要ない。礼を言おう」

 「いえいえ、また何かありましたら声をおかけください」

 

 笑顔で案内を拒否したオフィーリアに衛兵はかなり残念そうな顔をしたが、立ち上がる前に表情を整えて一礼するとその場を立ち去って行った。

 

 (あーくそ。笑うと中々美人じゃねえか。体も引き締まっていたし……いい匂いもしたし。久しぶりに行くか)

 

 オフィーリアは衛兵が視界から消えると、案内された建物を眺めた。あの建物に行けば馬車は調達できる。しかし財布からは寂しい音しか鳴らない。だがオフィーリアの気分はそれほど悪くなかった。貴族だと言われてちょっと嬉しかったからだ。貴族だった幼い頃の甘い記憶が蘇る。しかし現実は厳しい。貴族に見られても金欠は金欠なのだ。

 オフィーリアは建物と自分の財布を交互に見て、深いため息をついていた。その様子に貴族らしさはかけらも感じられない。ため息をつく度に心にもやがかかる。

 途方に暮れていたオフィーリアに声がかけられた。

 

 「あの……人間の貴族の女の方、もしよろしければ私がトブの大森林からエ・ランテルへの道を案内しましょうか」

 

 オフィーリアの心に光が差し込む。ヴァルキュリア様は私を見守っていてくださっている。これも日頃の高徳なる行いの賜物か。そう考えたオフィーリアは晴れやかな表情をして振り返った。

 

 「ああ。助かきゃああああああ」

 

 そこにいたのは胸から上は人間、そこから下は蛇の姿をした種族。ナーガだった。

 恐らく数えるくらいだろう。普段の声からは想像できない高い声で叫ぶのは。ナーガのグロテスクな容姿を初めて見れば叫ばずにいられる方が驚くべきことなのだ。

 周囲を行きかう者たちが一瞬オフィーリアを見た。しかし何事もなかったかのように周囲の者たちは動き出した。絶叫を浴びせられた張本人も一瞬眉間にしわを寄せたがすぐに表情が直った。

 

 「はぁ、はぁ。ん……な、なんだお前は」

 「はい。髪が綺麗な人間の貴族の女の方。私はナーガのシュレリュースと言います。初めまして」

 「あ、ああ。私はオフィーリアだ。よろしく頼む」

 

 挨拶をされたら挨拶を返す。正義のパラディンにとって当たり前の作法だ。

 絶叫をして息が絶え絶えになっていてもその習慣は変わらない。

 シュレリュースはその様子をにこやかに眺めている。

 

 「うふふふ。人間が初めて私を見るときは大抵嫌な気持ちを抱くみたいですが、あなたはおもしろいですね」

 「ど……どういう意味だ」

 

 オフィーリアはへたり込みながらも気丈に振る舞う。

 

 「だって普通の人間なら私を見たら固まって動かなくなるか、いきなり攻撃してくるんですもの。それに比べてあなたは挨拶を返してくれた。そういう所がおもしろいというのです」

 

 なんだそんなことか。正義のパラディンならば当たり前のことだ。オフィーリアはそう考えて、それをそのまま口にしようとする。

 

 「パラディンという方は高徳なのですね。私気に入りました」

 「な!? なぜ私の言おうとしていることがわかった!?」

 

 オフィーリアの問いかけにシュレリュースは勿体ぶった態度を取る。なぜ勿体ぶる必要があるのか。言えない理由でもあるのか。それとも私を馬鹿にしているのか。

 だんだんと腹が立ってきたのか、オフィーリアの目に鋭さがこもり始める。

 

 「うふふふ。オフィーリアさん、あまり賢くはありませんね」

 「な! なんだと!?」

 

 シュレリュースの物言いにオフィーリアの怒りは爆発した。

 オフィーリアは力強く立ち上がるとシュレリュースに刺すように視線を送る。このナーガを倒さない事には怒りが収まらなかった。

 

 「うふふふ。私を倒してしまったらエ・ランテルに行けなくなりますよ。それとも、オフィーリアさんは馬車を雇うお金を稼ぎ出せるのかしら?」

 「くっ」

 

 シュレリュースの言葉にオフィーリアはぐうの音も出なかった。

 幼い頃から神殿の中だけで育ったオフィーリアにとってお金は必要なかった。稼ぐよりも訓練という生活を送っていたからだ。唯一、思いつく方法といえば親しかった父親にせがむことぐらいだった。しかし、いまここに父親はいない。

 このままでは野宿は確定的。整った容姿の女が高そうな装備を身に着けて一人で野宿をする。襲ってくださいと言っているようなものだった。人間の男、人間を喰らう種族、いくら魔導王による種族の平等が実現されたとはいえ、魔導国に属さないものまで平等に扱われるかは疑問だ。その事実がオフィーリアの反論を掻き消す。

 

 「うふふふ。どうしますか? 私の案内を受け入れるか、人間の男に襲われるか、人ではない種族に襲われるか、選んでくださいな」

 

 オフィーリアは怒れる瞳を無理やり閉じた。このナーガの言う通り、このままでは愛する伴侶を得るどころかエ・ランテルまで辿り着けるかも怪しい。こいつに手綱を握られている感覚は癪だが、試練を果たすことの方が重要。そう考えてから、深呼吸をして静かに目を開ける。

 

 「ふん、いいだろう。エ・ランテルまで案内してもらおうか」

 「うふふふ。喜んで」

 

 こうしてオフィーリアはナーガの娘、シュレリュースと共にトブの大森林を抜けてエ・ランテルまで向かうことになった。広場から見える二人の背中がだんだん小さくなっていく。

 

 「うふふふ。それにしても夫を得るために旅をしているのですか。ロマンチストですね」

 「ひゃっ!?」

 

 シュレリュースの予期せぬ発言にオフィーリアは変な声を上げた。

 

 「違う! 違うから!」

 「うふふふ……素直じゃないのですね」

 

 顔を真っ赤にしたオフィーリアを見て、シュレリュースは無邪気に笑っていた。




・ヴァルキュリア神殿は聖王国首都の南の山にある予定。
・トブの大森林西の小都市までの移動期間は高額馬車で四週間程。
・捏造移動時間ですが実際どれくらいかかるのかわからないので本文には載せてません。
・あと属性が邪悪そのもので早い強い休まないであろうアンデッド馬車は善に傾いた聖騎士は利用しないだろうということにしてます。


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第四位階魔法

オリキャラ書きやすくて震える。


 「くそ! なんて歩きにくいんだ。蔓が絡まるし葉っぱが邪魔で先まで見通せない」

 「うふふふ。本当に動きにくそうですね」

 「うわっ」

 

 オフィーリアはナーガの娘、シュレリュースに案内されてトブの大森林を進んでいた。しかし、慣れない地形にオフィーリアは苦しむ。今も滑って尻餅をついたところだ。アダマンタイト製のタイツを着用していなければとうの昔に白く引き締まった肢体を晒していただろう。

 

 「うふふふ。大丈夫ですか? もうすぐ人間の方でも移動しやすい地形になるので頑張ってくださいね」

 「いたた。本当か? わかった」

 

 オフィーリアはシュレリュースの言葉を信じて立ち上がる。疲労した体と心に鞭を打ち、黙々と進んで行く。我慢強く進むことができるのはパラディンとして鍛錬を積んできた経験からかもしれない。覚束ない足取りではあったが着実に距離は稼いでいた。目の前を塞ぐ葉をどけた時、視界がぱっと開けた。

 今まで昼なのか夜なのか区別がつかない程に薄暗かったが、視線を上げればオレンジ色の陽の光がはっきり見て取れた。深緑の葉の隙間から夕方の陽射しが差し込む景色がそこにあった。

 

 「これは、悪くない風景だな」

 「うふふふ。元気になってよかった」

 

 オフィーリアは陽の光を追うように視界を下に落としていく。

 

 「……」

 

 陽の光を追っていたオフィーリアは視界に広がる光景に息を呑んだ。そこにはナーガ、ナーガ、ナーガ、ナーガ。数えるのも億劫になるほどのナーガが蠢いていた。あまりの異様な光景に血の気が引いていく。とんでもない場所に来てしまったようだ、と。

 

 「うふふふ。そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。私と一緒にいれば襲われることはありませんし襲わないようきつく言っておきます」

 「……」

 

 オフィーリアは無言で顔を動かしてシュレリュースをいじらしく見つめる。この場で頼れるのはシュレリュースただ独り。その思いからか、オフィーリアは一所懸命にシュレリュースの事を信じた。心の底から。しかし、シュレリュースは無邪気に笑うだけだ。いつもと変わらないその様子にオフィーリアの焦りは募る一方だった。

 

 「うふふふ。私を信じてくれるのは嬉しいです。だから重ねて言います。あなたの安全は絶対に守ります」

 「信じる。いや、頼んだぞ。お前だけが頼りだ」

 

 オフィーリアはシュレリュースを信じてナーガが蔓延る領域に足を踏み入れた。体は震え動きはぎこちない。

 シュレリュースは、そんなオフィーリアを連れて村を進んで行く。二人の様子を村のナーガ達が睨みを利かせて凝視していた。

 二人の目の前に小高い丘が現れた。その丘をよく見ると木の幹が二メートルはあろうかという倒れた大木に土が被せられ、中がくり抜かれていた。

 シュレリュースはその中にオフィーリアを案内する。

 

 「うふふふ。ここにいれば安心です。私は少し出ますのでここで待っていてください」

 「ちょっと待て!」

 「うふふふ。何かご用でも?」

 

 オフィーリアは思う。ご用どころではない。そんなことではない。ただ、捕食者の巣窟にただ一人だと心細いから離れてほしくなかった。それだけだ。しかし、勝気なオフィーリアは素直にそのことを言うことができなかった。

 オフィーリアは心細そうな視線でシュレリュースを引き留める。

 

 「うふふふ。用を済ませたらすぐに戻りますので。それまで頑張ってくださいね」

 「頑張れってお前……。く、くそう! なるべく早く戻ってきてくれ! できればすぐにだ! わ、わかったな?」

 

 シュレリュースは頷くだけでその場を離れてしまった。

 オフィーリアは武器を手に構え、一人穴の中で生まれたての子鹿のように震えながらシュレリュースを待っていた。

 オフィーリアと別れたシュレリュースは独り道を進む。その表情はオフィーリアと一緒にいた時とは違い儚い。やがて、一つのほら穴に辿り着くと緊張を含んだ声で中に住まうものを呼ぶ。

 

 「お兄様、ロアリュースお兄様、シュレリュースです。失礼します」

 

 中から帰ってくるはずの返事はない。

 シュレリュースは張り詰めた表情で中に入る。

 シュレリュースの兄、ロアリュースは死の呪いに侵されていた。彼はアゼルリシア山脈に修行に行くと言って出ていったきり戻ってこなかった。兄がもう戻ることはないと諦めかけていたある日、シュレリュースは狩りに出ていた。そこで疲弊しきった兄ロアリュースを発見したのだ。すぐに村に連れ帰り治療をした。しかし容態は悪くなるばかりだった。そこでシュレリュースは森の恵みを人間の街で売り、それで得た金で薬師に言われるがままに色々なポーションを買い込んだのだ。オフィーリアと出会ったのはその帰り道であった。

 面倒見のいい性格からか、シュレリュースは村に戻る時間を増やしてでもオフィーリアを助けてしまった。だが、後悔はしていない。それがシュレリュースであり、困っている者を助けない自分など自分ではない。その思いからオフィーリアを助けたのだ。

 それに陰鬱な気持ちが募る中、オフィーリアと過ごす時間は楽しかった。それが、シュレリュースがオフィーリアを連れてきた理由でもあった。

 シュレリュースは体から丁寧にポーションを取り出す。

 

 「お兄様、人間の街で手に入れたポーションです。お願いです。元気になってください」

 「……」

 

 返事はない。息はしているようだから死んではいないのだろう。

 シュレリュースはロアリュースにポーションをかけていく。一つ、また一つとポーションが減っていく。そして最後のポーションをかける時には、シュレリュースの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 最後のポーションを使用する。

 

 「お兄様? お兄様、お兄様……」

 

 全てのポーションを使用した。聞こえるのはシュレリュースがむせび泣く声と兄ロアリュースの苦しそうな吐息だけだ。

 どれくらい泣いていたのだろうか。シュレリュースは気配を感じて、ふと後ろを振り返った。

 

 「シュレリュースよ、お前はよく頑張った。だからもう泣くな」

 「リュラリュースおじさま……」

 

 そこにいたのはトブの大森林の王、西の魔蛇と名高いリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンだった。胸から上が人間の老人の、いまにも朽ちてしまいそうな枯れ細った枝のような体をしていた。

 リュラリュースは消え入りそうなしわがれた声でシュレリュースをなぐさめる。

 

 「ロアリュースも戦いの中で負った傷で死ねるのならば本望じゃろうて。こやつは昔から力を求めていた。力を求める者が力のあるものに敗れる。まさにこやつに相応しい死に方じゃよ」

 「ううう……」

 

 リュラリュースも遊んでいたわけではなかった。藁にも縋る思いで魔導王に助けを求めたのだった。しかし、その思いは『私がお前の息子を助けることでどんなメリットが得られる?』という言葉の前に砕け散った。初めは謁見さえ叶わぬと思っていたが、謁見が叶いあわよくばと希望を抱いたがやはり叶わなかった。リュラリュース自身もシュレリュース同様、身が千切れるような思いだったのだ。

 

 「もう今日は休みなさい。今夜は私がロアの面倒を見よう」

 

 リュラリュースの提案をシュレリュースは渋々受け入れる。

 失意のシュレリュースはのろのろと家路につくのであった。

 

 シュレリュースと別れたオフィーリアは、遠くからのろのろと近づいてくるナーガを見つけると身構えた。とうとう私を喰いに来たか。そう思い至ったオフィーリアは武器を構えて覚悟を決める。

 だんだんそのナーガが近づいてくると、オフィーリアが体に込める力も抜けていった。待ちに待ったシュレリュースの帰還である。心が小躍りするのを抑えて、この穴の住人を迎え入れる準備をする。しかしシュレリュースの表情が見えるようになると、その気持ちもどこかに飛んで行ってしまったようだ。

 オフィーリアはシュレリュースに元気がないことをすぐに察知した。

 シュレリュースが目前に迫ると、オフィーリアは何があったのか聞いた。

 

 「シュレリュース、随分元気がないようだがどうしたのだ?」

 

 シュレリュースは充血しきった目でオフィーリアを見ると、すぐに顔を背けてしまった。

 

 「お前……」

 

 オフィーリアにはすぐに分かった。ここまでの旅路で陽気そのものだったシュレリュースが泣いていたことを。そして今も涙を流した原因は無くなってはいない。その証拠にシュレリュースは黙ったままだ。

 オフィーリアは何かできないかと考える。最初はひどい化け物だと思ったが一緒に話し、一緒に歩いている中でその印象は大きく変わっていた。パラディンとしての勘だが、シュレリュースは悪い奴ではない。なんとか助けてやりたい。そう考えたオフィーリアはシュレリュースに話しかける。

 

 「シュレリュース、短い間だが私はお前を友と思っている。お前にそれを求めるのはどうかと思うが、もしお前が私を友だと思ってくれるならば私に何があったか聞かせてはもらえないだろうか」

 「オフィーリア……」

 

 友達。その言葉にシュレリュースの気持ちに暖かいものが沸いた。オフィーリアの優しい言葉にシュレリュースは心を開いた。

 シュレリュースはオフィーリアに事情を話す。

 

 二人が共に過ごす穴の中に月明かりが差し込む。穴の中の闇を照らし出す月の光は、まるでシュレリュースに降りかかった災厄を祓う希望のようだった。

 

 「そんな事情があったのか」

 「うん。でも、もういいの。私もおじさまもできることはやったわ。でも、ダメだった。後は、私にできる事は最後までロア兄様のことを見守るだけ。ふふ、ありがとうオフィーリア。あなたに話したら少し楽になったわ」

 

 オフィーリアは感じた。シュレリュースの目を見れば少しも楽な気持ちになんてなっていない。話をして少しは気が紛れたのかもしれないが、兄の元に戻ればすぐに心が張り裂ける思いをするだろう。友としてそんな姿は見たくない。だったら、やることは決まっている。かつてイクシアがオフィーリアにしたことのように。

 オフィーリアはそう考え決心する。善なるパラディンとして、オフィーリア・マルク・リベイラとしてシュレリュースを救う、と。

 

 「まだ諦めるのは早いかもしれないぞ」

 「え?」

 

 そういってオフィーリアは立ち上がる。月明かりに照らされるその姿にシュレリュースの瞳孔が開く。

 

 「私は治癒系の第四位階魔法が使える。もしかすると、お前の兄を救うことができるかもしれない」

 「第四位階魔法って……本当なの?」

 「本当だ。少し無理をするがまあ大丈夫だろう」

 

 第四位階魔法。それは英雄の領域の魔法。シュレリュースはもちろん、族長である叔父リュラリュースでさえ行使することができない位階の魔法だった。

 シュレリュースの瞳に希望の光が灯る。オフィーリアなら……、初めてシュレリュースを友として認めてくれた人間のオフィーリアなら。その思いがシュレリュースに力を与えた。

 

 「お前の兄の元へ案内してくれるか?」

 「え、ええ。わかったわ」

 

 シュレリュースとオフィーリアはロアリュースが床に臥すほら穴に向かう。

 

 「さっき少し無理をするって言ってたけど」

 

 道すがら、シュレリュースはオフィーリアに先ほどの発言で気になったことを聞いた。

 

 「そのことか。第四位階魔法だからな。以前使ったときは三日寝込んだそうだ」

 「そんなの駄目に決まってるじゃない!」

 「ふふふ。大丈夫だ。その時は疲労困憊の上、前もって休息も取れない状況だったからな。それに比べれば余裕がある」

 「でも……、心配だわ」

 「心配するな。私は聖王国ヴァルキュリア神殿の筆頭パラディン、オフィーリア・マルク・リベイラだ。まあ、魔力を使い果たして倒れたら後の事はシュレリュースに任せる。信じているぞ、私の友達シュレリュース」

 「うふふふ。わかったわ。トブの大森林、西の魔蛇の娘シュレリュースの名において任せなさい」

 「うむ。元気になったな」

 「うふふふ。私を誰だと思っているのよ」

 

 二人が話している間に、目的地に着いた。

 シュレリュースに案内されるままに、オフィーリアはロアリュースが床に臥すほら穴に足を踏み入れる。

 中にいたリュラリュースがシュレリュースに問いかける。

 

 「シュレリュース、その人間は何だ? 食料か?」

 「うふふふ。おじさま、ご冗談が過ぎますわ。こちらは私の友人のオフィーリアよ。手を出したら許さないから」

 

 リュラリュースはシュレリュースの剣幕にひるんだ声を上げる。

 

 「そ、そうか。お前が人間の友を作るとは……。叔父として歓迎したいところだが、あいにく今は……」

 「安心して叔父様。オフィーリアをここに招いたのはロア兄様を託すためよ」

 「シュレリュース! 気が触れたか!」

 「黙って! 私が信じる友達に私のお兄様を託すの! それにお兄様が休んでいるここで大声出さないで……」

 「す……すまん、しかし」

 

 内輪もめを静かに見ていたオフィーリアはここで口を挟んだ。

 

 「初めまして、リュリュースさん。私は正義のパラディン、シュレリュースの友人のオフィーリア・マルク・リベイラです。正義の名の元に、シュレリュースの兄を治しにきました。どうかここは黙って見ていてもらえないでしょうか」

 「正義……」

 「うふふふ。叔父様、黙っていてくださいね」

 

 シュレリュースに釘を刺されたリュラリュースはとぐろを巻いて黙ってしまった。内心乗り気ではないが、信頼しているシュレリュースが最愛の兄を託すと言うのだから、ここは信じようというところだった。だが、変な真似をすればすぐさま食いちぎる。体を緊張させたままリュラリュースはオフィーリアを睨んでいた。

 シュレリュースはリュラリュースの視線からオフィーリアを守るように体を移動させた。オフィーリアはロアリュースの容態を確認している。

 

 「オフィーリア、どう?」

 「これは……、邪悪なる力に当てられている。間違いない。死の呪いだ」

 「人間の女、治せるのか」

 

 なおも緊張を崩さないリュラリュースはそう問いかけた。

 

 「おじさま、私の友人になんて口を利くのですか。大丈夫です心配いりません。何て言ったって私の友人です。必ず治してくれます」

 「あ、ああ、そうか。わかった。人間の女、ロアリュースを頼む」

 

 シュレリュースの迫力に、リュラリュースはたじろいだ。家の中では族長リュラリュースを差し置いてシュレリュースが強いのだろう。シュレリュースの迫力はそんな事を思わせるものだった。

 オフィーリアはロアリュースの容態を確認すると、徐に甲冑を脱ぎだした。リュラリュースとシュレリュースがその様子に目を丸くした。

 

 「オフィーリア? 何をしているの? 第四位階魔法ともなると特別な儀式が必要なの?」

 「シュレリュース、特別な儀式は必要ない。ただ、この魔法を使うにはアダマンタイトが必要になる。そのための準備、というところだな」

 「アダマンタイト?」

 

 オフィーリアは甲冑、グリーヴ、小手と、装備を順々に外していく。月明かりに照らされたアズライト色の髪が、黒いタイツの上でその鮮やかさを主張する。

 オフィーリアはその身を包むタイツに手をかけて、ゆっくりと肌を晒していく。最もオフィーリアの身体を締め付けていた部分を過ぎると、勢いよく白い双丘が飛び出した。その豊かな肢体を目の当たりにして、リュラリュースは思わず舌なめずりをした。シュレリュースは叔父の下心を見逃さなかった。

 

 「うふふふ。おじさま? いけませんよ?」

 「あ、ああ。済まない」

 

 シュレリュースに窘められて、リュラリュースは勢いよく頭を振って食欲を追い払った。しかし、タイツに包み込まれていたオフィーリアの香りが解放されたことで、ほら穴の外にはその匂いに誘われて村のナーガが集まり始めていた。

 リュラリュースはこれ幸いと思い、外に出て集まったナーガ達を威嚇した。あのまま見ていたら我慢できなくなりそうだから村の者たちを相手にしようと、いったところだった。

 

 「お前たち、この中にいる人間の女は我リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンの客人である。手を出すことは許さん。我が魔法の餌食になりたくなければ黙ってみていることだな」

 「お、おんなぁ!? 人間の女!? 喰いたい!」

 「旨そうな匂いだが、族長の客か。だが、旨そうな匂いだ」

 

 リュラリュースの魔法が集まりだしたナーガたちの前に着弾した。その剣幕に押されてナーガたちは委縮した。家では尻に敷かれているが外に出れば強いのだ。流石は族長である。じりじりと集まり出したナーガたちは後退していった。

 ほら穴の中では準備を終えたオフィーリアが魔法発動のため大きく深呼吸をしていた。

 月明かりに照らされて妖しく輝く白い肌、豊かな肢体に鮮やかなアズライト色の髪が映える。その姿は美しい一枚絵に描かれたようだった。

 オフィーリアが使用する魔法は、邪悪なる力による能力の低下、死の呪い、疲弊した状態を全て治癒することができる。媒介としてアダマンタイトが必要だ。

 オフィーリアの胸元が輝きを放ち、魔法が発動された。

 

 「≪レストレーション/快復≫」

 

 オフィーリアから放たれた青白い光の奔流がロアリュースを優しく包み込む。すると、今まで苦しそうな吐息を漏らしていたロアリュースの呼吸が穏やかになっていく。その様子を見て、シュレリュースは涙を流した。

 ロアリュースを蝕んでいた邪悪な気配が薄れていき、そして消滅する。

 

 「お兄様? あ……、顔色、良くなってる。呼吸も。……オフィーリア、ありがとう」

 

 シュレリュースは兄の容態が良くなったことで喜びを露わにした。しかしオフィーリアは随分苦しそうだった。

 

 「く、なかなか応えるな。魔力のほとんどを使ってしまった。だが、上手くいったみたいだ。よかっ……」

 「え? オフィーリア? 大丈夫? ねえ?」

 

 魔力をほとんど使ってしまったオフィーリアはその場で静かに崩れた。

 

 

 

 

 

 

 「んんー……」

 

 シュレリュースの住処でオフィーリアは目を覚ます。視線を這わせれば、すぐ傍に装備と荷物が置いてあった。シュレリュースが置いたのだろう。

 むっくりと体を起こすと、オフィーリアはあることに気付く。何も着ていない。

 

 「な……なんで裸なんだ……」

 

 そこでオフィーリアは思い出す。着ていたアダマンタイト製のタイツを媒介に第四位階魔法を使用したこと。魔力切れで気を失ったこと。そして後悔する。このままでは裸に甲冑という変態的スタイルでエ・ランテルに行かなければならないことを。友であるシュレリュースのためであるとはいえ、後先を考えない行動をしたことでこの先受けなければならない恥辱を想像して顔を赤くした。

 外を見れば陽が差していて明るい。

 

 「仕方ないか。本来は甲冑の下に着るべきではないのだが」

 

 オフィーリアは荷物の中の寝巻を着ることにした。何も着ないで肌を露出するよりはいくらかましだ。それでも決して十分とは言えないが、悩んでいても仕方がないので腹を決めて恥ずかしい思いをすることを決心する。別に疚しいことではない。正義を行ったのだ。ならば、この先受ける思いも恥ずかしくはないはずだ。そう考えて、オフィーリアは体を起こした。

 

 「うふふふ。起きたの?」

 

 声をした方を振り返ると、そこにはシュレリュースがいた。

 

 「シュレリュースか。どうだ? お前の兄の状態は」

 「うふふふ。おかげさまで。すっかり元気になって、今は暴れまわってるわ」

 「そ、そうか。元気でなによりだ」

 

 オフィーリアはシュレリュースの嬉しそうな声を聞きながら甲冑に手を伸ばす。正義の行いが実を結んだことに対して誇らしげな思いだった。自然と気持ちも弾んでいた。

 

 「うふふふ。まさか裸みたいな恰好のまま甲冑を着こむの? あなたって変態?」

 「な……」

 

 オフィーリアは変態という言葉に顔を赤くした。せっかくそのことは忘れようと思っていたのに蒸し返す奴があるか。オフィーリアは心の底からシュレリュースを恨んだ。

 

 「うふふふ。ごめんなさい。あなたがとても単純だからおかしくって」

 「おま、お前!」

 「うふふふ。ごめんなさい。謝るわ。だからそんなに睨まないで」

 

 単純とは何だ。オフィーリアはこの蛇をどう料理してやろうか。そのことで頭がいっぱいになった。

 

 「うふふふ。怖いなあ。そんなこと考えるならお昼ごはんはいらないかしら」

 「なに!?」

 

 シュレリュースはオフィーリアの目線に合わせて尻尾で器用に挟んだ食料を見せびらかす。根元から勢いよく引き抜かれた芋、そしてよく肥えたイノシシがそこにあった。容器に入れられた水と新鮮な果実もあった。

 オフィーリアは思わず手を伸ばす。しかし、シュレユースは子供をあやすように尻尾を手の届かない高さに上げた。

 

 「この! この! 全部よこせ! いや、動物はいい。どうやって食えばいいかわからないからな」

 「うふふふ。ウサギみたいにぴょこぴょこ跳ねちゃって。かわいい」

 

 刹那、オフィーリアの瞳にに殺気が籠る。

 

 「よし、シュレリュース。勝負だ。し ょ う ぶ だ !」

 

 オフィーリアは甲冑を着こむと武器を構えた。

 

 「うふふふ。冗談よ」

 

 そう言ってシュレリュースはオフィーリアに装備と食料を渡した。とても愉快そうである。

 

 「すぐに食べられそうなのは果実くらいだな。それにしてもなんだこの芋は。土がとれてないじゃないか。洗い方が雑だな」

 「うふふふ。そんなの知らないわ。私たちは芋なんて食べないもの」

 

 ナーガ種は肉食だ。それも体が大きくなればなるほどその傾向が強くなる。

 オフィーリアはシュレリュースの言葉にはっとした。いくら友になったとはいえ、自分は捕食される側だということに。

 

 「うふふふ。そんな目で見なくても食べたりはしないわ。安心してちょうだい」

 「あ、ああ。わかっている」

 

 そう言ったものの、目の前で自分よりもはるかに大きいイノシシを丸飲みする姿を見れば恐れを抱かずにはいられなかった。

 オフィーリアは恐怖を拭い去るために必死に調理に集中する。料理をしたことがないオフィーリアだったが、採れたての芋の調理法は、蒸発した父に教わって知っていた。その片手間に、ナイフを使って果実の皮をむいていく。料理をしたことがないのだが皮むきはできた。

 

 「うふふふ。上手ね」

 「これくらいなら武器を扱っているうちに覚える。食事を終えたら出発するぞ」

 「うふふふ。わかったわ。この後の予定だけれど、あなたが使うお金を稼ぐために森の奥地にしか生えない薬草を取ってから魔導国にある都市のカルネに行くわよ」

 「もぐもぐ。ん、カルネ? 私が行きたいのはエ・ランテルなのだが」

 「うふふふ。カルネに行けば薬草が売れるみたいなの。それに通り道だし遠回りではないわ」

 「もぐもぐ。ん、そうか。なら薬草を取ってからカルネに行くか」

 「うふふふ。あと薬草が生えている近くには綺麗な泉があって、私が好きな場所だからあなたにも知ってほしいわ」

 「泉だと!? 水浴びができるな」

 「うふふふ。決定ね」

 

 和やかな食事の時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 「ブレッドの兄貴ぃ! 高そうな装備を身に着けた高く売れそうな女とでっけえ袋をぶら下げたナーガがトブの大森林から出てきましたぜ」

 「護衛はいるか?」

 「いないようです。二人だけですぜ」

 「どれどれ、双眼鏡をよこせ」

 「へい」

 

 見張りに就かせていたホブゴブリン、ブライ・ブブラの報告を受けてオリハルコン級盗賊グループ『漁夫の利』のリーダー、ブレッドは重い腰を上げた。

 ブレッドは冒険者から盗賊職の派遣要請を生業としていたが暇な時期はこうして野盗をしていた。今も信頼のおける部下であるブブラを見張りに就かせて獲物を待っていたところだ。

 

 「ほおー、女の方は騎士っぽいな。なかなか上玉じゃねえか。ナーガの方は荷物持ちか。無警戒に会話しながら歩いてくるな。ありゃ完全にピクニック気分だな」

 「ラッセさんとマルコさんを呼んできますかい?」

 「そうだな。念のためオーガのゴロンド兄弟も呼んで来い。お前の弟もな」

 

 護衛を着けていないとなるといいカモだ。腕に自信があるという線もあるが、そこは数で押せばなんとかなる。それにブレッド自身、実力には自信があった。魔法詠唱者が混じっていれば厄介だが、今回は見当たらない。油断は禁物だが今回は問題ないだろう。そう判断したブレッドは久しぶりの臨時収入に心が弾んだ。女だけでもかなりの儲けが出そうだったからだ。

 

 「わかりやした!」

 

 ブレッドの命を受けたブライは『漁夫の利』メンバーが集まるたまり場に移動した。そこは見張り台の下の階にあって、内装はバーの形態を取っていた。

 ブライの鼻腔をツンとした匂いが襲う。どうやら酒盛りが行われていたようだ。

 ミスリル級冒険者でオーガのゴレア、オリハルコン級冒険者ラッセがテーブルを囲んで対峙している。その様子を、にたにたと笑いながら四人のメンバーが見ていた。

 

 「ひひひひ。ブライ、何ヲ慌テテイル? 今一気飲ミ対決ヲシテイル。オ前モ賭ケルカ?」

 

 ゴレア・ゴロンド、オーガのゴロンド兄弟の兄貴だ。テーブルの上には空いたグラスが並んでいる。一気飲み対決はいままさに佳境と言った形相を呈している。

 

 「そんなことより仕事ですぜ、マルコの兄貴」

 「ひひひひ。仕事? 今イイ所ダガ」

 「それがですねマルコの兄貴。高く売れそうな女が荷物番のナーガを連れてのこのこ歩いてくるんですわ」

 「女だぁ? 上玉かぁ?」

 

 女と聞いてラッセが目の色を変えて口を挟んだ。

 

 「ブレッドの兄貴は上玉と言っておりやした」

 「ほぉ、ブレッドがそう言うならぁ、期待できるねぇ。おい、ゴレアぁ。勝負の続きは仕事を終えてからだぁ」

 「ンゴ。返リ討チダ」

 「ひひひひ。威勢ガイイネエ」

 「それじゃあ、準備をお願いしやす」

 

 そう言うと、ブライは再びブレッドの元に戻った。

 

 「ブレッドの兄貴ぃ、全員準備を始めやした」

 「そうか。それじゃあ俺たちも準備を始めるとするか」

 「わかりやした」

 

 ブレッドとブライは皮の鎧を着こむと下の階に降りていった。

 

 「お前ら! 準備はできてるか!?」

 「ひひひひ。全員イツデモイケル」

 

 その場の全員が頷くことでいつでも出られることを示した。ブレッドはその様子を一つ、頷くと全員に発破をかけた。

 

 「よし! 狙いは女だ! 推定騎士! ナーガがいるがこいつは邪魔になりそうだから速攻で無力化しろ! 幸いなことに荷物番をしている。対処が一手遅れるだろうからマルコ! お前が仕留めろ! 随分と仲が良さそうだから無力化できれば女の足枷になるはずだ! 女の方はできれば無傷で押さえたいからな。ブブラ兄弟とゴロンド兄弟は地下通路を通って街道の両脇に待機! 指示があるまで動くな! 正面からは俺とラッセが行く。わかったら行け!」

 「ひひひひ。ナーガ拷問イイカ?」

 「ああ、仕事が終わったら好きにしろ」

 「ひひひひ。了解」

 

 ブレッドの発破を受けて各自配置につくべく移動を開始した。オリハルコン級盗賊グループ『漁夫の利』は、仕事をしやすいようにあらかじめ地下通路を掘って起き、いつでも挟撃の構えを取れるようにしているのだ。その甲斐あって、野盗はいままで失敗したことがなかった。街を目前にしているため、旅人も気が緩む。その事も野盗の成功率に拍車をかけているのかもしれない。

 

 「ラッセ、行くぞ」

 「了解だぜぇ」

 

 ブレッドとラッセは帯剣を済ませバーを出ると、そのまま街道の方へ歩いていった。




主役はシズとパンドラ。そこを忘れてはいけない。

・ナーガは異形種なのでしょうか。亜人種だとリュラリュースさんが本文から消滅します。
・寝巻といえばワンピースみたいなの想像したのですが、果たしてオフィーリアの寝巻は何だったんだろう。


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街道 2

お気に入りが1.2倍に。ありがとうございます。


 薬草採取を終えたオフィーリアとシュレリュースはようやくトブの大森林を越えた。

 オフィーリアはカルネを視界に捉えると、急にはしゃぎだした。トブの大森林に入ってから約一週間、待ちに待った人間の領域だ。オフィーリアの心は弾むばかりだった。その様子をシュレリュースはにこにこしながら見ている。

 

 「木々の隙間から街が見える! やっとカルネに着いたのか!」

 「うふふふ。そんなにはしゃぐと転ぶわよ」

 「私をだれだと思っているんだ!? そんな柔な鍛え方はしていなあああ」

 

 木の根に足を取られて豪快に地面へとダイブするオフィーリア。鮮やかなアズライト色の髪に葉っぱが食い込んでうつ伏せになったその姿は無様の一言であった。

 

 「ぅぅぅ……」

 「うふふふ。だから言ったのに」

 

 シュレリュースはオフィーリアの甲冑を咥えて立たせた。

 オフィーリアは涙目である。

 

 「うふふふ。怪我はないみたいね。よかったじゃない」

 「全然良くない! ああもう! 寝巻がボロボロ……。街に着いたら服を買わなくちゃ」

 「うふふふ。薬草が売れるといいわね」

 「私は薬草の知識に詳しくない。売却はお前に任せる」

 

 シュレリュースは頷くと、そのまま二人は森の外に出た。

 森を抜ければ草原が広がっていて、少し歩いたとこには整備された街道がある。この街道はナザリック地下大墳墓と衛星都市カルネを結ぶ一本道となっている。

 二人は街道に躍り出ると、カルネに向けて歩を進めた。

 

 「随分と大きな街だな。お前と合った街とは全然違う」

 「うふふふ。当然よ。なんたってあの街はアインズ・ウール・ゴウン陛下と関係が深い街ですもの」

 「アインズ・ウール・ゴウン陛下?」

 「うふふふ。知らないの?」

 

 シュレリュースの言葉にオフィーリアは首を傾げた。

 オフィーリアが知らないのも無理はない。なぜなら彼女は幼い頃から神殿で育ち、日々を鍛錬に費やしてきたからだ。最低限の教養を学ぶことはあったが、あくまで生活に必要な程度。聖王国から見て外国である魔導国に関する教育は、進んで学ぼうとしない限り知ることはできなかった。

 

 「魔導国と言えば、聖王国の危機を救った英雄譚を読んだことがある。だがその英雄譚は数百年前の出来事のはず。そのアインズ・ウール・ゴウン陛下と言うのも過去の人物なんだろ? まるで今も生きているような言い方だな?」

 「うふふふ。カルネやエ・ランテルでそんなこと言ったら殺されるわよ? 気を付けなさい」

 「え?」

 

 オフィーリアはシュレリュースの物騒な物言いに驚きを隠せないでいた。なぜ既にこの世にいない人物を過去と言うと殺されるのか。見当もつかないといった様子で、オフィーリアはシュレリュースを見つめる。

 シュレリュースはオフィーリアの様子を一瞥すると、ため息をついてから説明を始めた。

 

 「オフィーリアいい? 陛下はご存命なの。というか、不老不死と言った方がいいかしら? 何て言ったってオーバーロード、超越者なのだから」

 「オーバーロード?」

 

 オフィーリアは初めて聞く言葉に目を白黒させる。神殿での座学の中にそんな言葉があっただろうか。こめかみに手を当てて必死に記憶を探るが、該当する情報を掬い出すことはできなかった。

 シュレリュースはオフィーリアが白旗を上げるのを確認すると、続きを話した。

 

 「いいかしら? 陛下の外見はスケルトン。アンデッドなのよ」

 「な? アンデッド……だと?」

 

 オフィーリアはアンデッドが国を治めているという言葉に放心する。彼女にとってアンデッドとは、悪魔と同じくらい忌むべき存在。悪即滅。邪悪なる存在は、善なる聖騎士にとって最大の敵なのだ。そして最も認めたくないことがもう一つ。

 聖王国は忌むべきアンデッドに救われたということ。

 オフィーリアは一気に意気消沈した。それに呼応して、二人の歩みも止まる。

 

 「そんな……、私のお気に入りの英雄譚。主役はアンデッドだったのか……。だとすると作者のティマイオス。こいつも邪悪な存在である可能性があるな。何てことだ……」

 「うふふふ。そんなに気を落とさなくていいじゃない。陛下が偉大であるという事実は変わらないのだから。あなたもカルネに行って、住民から話を聞いてみればわかるわ」

 

 オフィーリアはシュレリュースの言葉を黙って聞いた。その様子は元気がなくて、提案を受け止めたかどうかわからない。シュレリュースも友人の初めての態度に困っている様子だった。

 草原が風を受けて爽やかな音を奏でる。その時、オフィーリアは目を大きく見開いた。シュレリュースが崩れ落ちたからだ。

 

 「ひひひひ。街ガ目前ダカラッテ油断シタナ」

 「っ?」

 

 そこにはいつの間にか不気味な笑い声を上げる男が立っていた。

 一体何が起こったのか分からずにオフィーリアはただ立ち竦むだけだった。そんなオフィーリアを視界の端に窺いつつ、男はシュレリュースに追撃を加えていく。

 

 「ひひひひ。図体ハデカイカラナ。コレデオ終イダ」

 「やめ……」

 

 オフィーリアの願いを無視して、不気味な男はシュレリュースに特殊な追加攻撃を行った。

 シュレリュースは、びくっと大きく痙攣するとそのまま動かなくなった。

 

 「お、おま、お前えええ! 許さない!」

 

 オフィーリアは烈火の如く怒り狂った。武器を構えて不気味な男に斬りかかる。その瞬間、その場に怒声が轟いた。

 

 「そこまでだ!」

 「何!?」

 

 オフィーリアが声のした方を振り向くと、皮の鎧を着用して剣を手にしている二人の男が立っていた。

 

 「ひひひひ。ブレッド来タ。オ前、モウ終ワリ」

 「仲間だと?」

 「おおぉー! こいつはぁ、いい女じゃねえかぁ。たまんねぇ」

 「おいラッセ、仕事しろよ?」

 「わかってるぜぇ」

 

 怒声を轟かせた男、ブレッドが倒れ伏したシュレリュースを一瞥すると不気味な男に視線を向けた。

 

 「マルコ、相変わらず見事な手際だな」

 「ひひひひ。今回ハ簡単ダッタ」

 「そうか」

 

 オフィーリアは三人の男を、罠に捕らわれた猛獣のような目で睨み付ける。一対一ならば問題はない。しかし、今はシュレリュースを庇って戦わないといけない。何とかシュレリュースを助けられないか。そう思い、不気味な男マルコに視線を向けた。

 

 「ひひひひ。怖イネエ」

 

 マルコはシュレリュースの後ろに隠れると、首元に短剣をかざしてオフィーリアを挑発した。こうなってしまうとオフィーリアは手も足も出ない。そうこうしていると、ラッセが薬草を詰めた袋に手をかけた。

 

 「ブレッドよぉ、こいつはぁ金になるぜぇ。ほとんどぉエリエリシュだぁ」

 「ほお? この袋のでかさからすると……金貨百五十枚ってところか。こいつはいい」

 「おぉ? ちょっとぉ待ってくれぇ。こいつはぁ……毒草プラーレもぉあるぜぇ」

 「本当か? こいつは嬉しい臨時収入だな。よろこべマルコ」

 「ひひひひ。イイネ」

 

 薬草が詰まった袋の中を確認して喜ぶ三人の男。対してオフィーリアは現状で何をどうすれば一番いいかを考えていた。一番いい方法、それは野盗を撃破してシュレリュースも無事なこと。しかし、シュレリュースが人質に取られた状況では野盗の撃破は難しい。正義のパラディンとして悪を見逃すのは納得できないが、何を守らなければならないのか。この場で最も優先することを考えたオフィーリアは結論を口にする。

 

 「お前たち! 薬草が欲しいなら全部やる。それを持ってここから消えろ!」

 

 苛立ちを含んだ声でオフィーリアはそう吐き捨てると、野盗の動きが止まった。

 やはり薬草が目当てだったのか。これでこの場は何とかやり過ごすことができる。そう思って少し安心したオフィーリアだったが、野盗から発せられる言葉は予想外なものだった。

 

 「ひひひひ。コノ女ヤバイ」

 「ああ。この女、頭悪そうだな」

 「俺はぁ、こおいう勝気な女はぁ嫌いじゃないぜぇ」

 「何だと!?」

 

 ここは素直に退く言葉が来るはずだ。それなのになぜ罵倒が帰ってくる? 意味が分からなくなったオフィーリアは、思わず不快感を露わにした。薬草を渡せば野党は何もせずに去っていくと思っていたが違うのだろうか。一体何が間違っていたのかオフィーリアには分からなかった。

 オフィーリアは目を泳がせながら口をぱくぱくさせていると、ブレッドが口を開いた。

 

 「女、何か勘違いしているようだから教えてやる。この薬草はお前たちが集めたんじゃない。道端に落ちていたところを俺たちが拾っただけだ。理解できるか?」

 「何だと!?」

 

 オフィーリアはブレッドを睨み付ける。

 

 「それにお前は娼館に売られるんだよ。タダ働きってわけじゃないから安心しな」

 「しょうかん? しょうかんとは何のことだ?」

 「ぶふふぅ。こいつはぁ、たまげたなぁ」

 

 オフィーリアは初めて聞く言葉に目を白黒させた。真顔になってブレッドに聞き返すと、脇に居たラッセが噴き出した。

 ブレッドは内心でめんどくさいと感じながらも説明を始める。

 

 「いいか? 娼館って言うのはだな、俺たちみたいなのが女を店に売りつける。そして店が女を使って商売するわけだ。後は言わなくても分かるよな?」

 「商売って……、宿屋みたいなものか?」

 

 神殿育ちのオフィーリアにとって、女性が働いている姿を一番多く見たのは旅先で宿泊した宿屋が一番多かった。だからブレッドの言いたいことは全く伝わってなかった。

 

 「ひひひひ。教エテヤル。娼館ハ女ヲ慰ミ者ニスル場所ダ」

 「何……だと?」

 

 マルコの直接的な説明を聞いたオフィーリアは再び怒りの炎を燃やした。もう野盗たちを見逃すことなどできない。それに、女神ヴァルキュリアを信仰するこの身を汚そうなどというのは許せなかった。

 オフィーリアは正義から逸脱した野盗の言動に我を失う。

 

 「貴様ら! 私をヴァルキュリア神殿に所属するパラディンだと知っての狼藉か!」

 

 ブレッドはオフィーリアの物言いに内心ほくそ笑む。弱い犬ほどよく吠える。ここらでお終いにしようと、憐れなカモに対して仕事をする際の決まり文句を口にした。

 

 「知らんな。俺たちはトブの大森林から出てきた奴らからは金貨二十枚を徴収してるいるんだ。払えない奴は身ぐるみ剥いで払える奴からはその財力のお裾分けをしてもらっている。俺たちの縄張りを通ったら従ってもらわないとなあ? すまんなルールでね」

 

 その言葉は、オフィーリアの火に油を注がれる形となった。躊躇なく武器に手をかける。だが、すかさずマルコの牽制が入った。

 

 「ひひひひ。オマエノ連レ殺ス」

 「やめろ! シュレリュースには手を出すな! 薬草が詰まった袋があれば十分だろう!」

 「薬草じゃぁなくてぇ、金貨がないとぉ、駄目だねぇ。俺たちのぉ、ルールを守れない奴はぁ、何をされても文句は言えないなぁ。まぁ、薬草も一緒にぃ持っていくけどなぁ」

 「下衆共が!」

 

 オフィーリアはシュレリュースを盾にされては何もできなかった。

 ブレッドはこの様子を見て、ナーガを生かしておいて正解だと思った。後はこの女を拘束して身包みを剥いで売り捌く。あとは全員生きて帰ること。それがブレッドの考えであった。

 

 「どうなんだよ姉ちゃん? ううん!? 金が払えねえってんなら今ここで恥ずかしい格好になるか?」

 「ひひひひ。鱗ガ剥ガレル剥ガレルー」

 「やめろ! やめてくれ!」

 

 ブレッドは仲間の野次を静かに聞いていた。最近は暇だったしストレスも溜まってるんだろう。状況は完全にこちらが有利。ならば少しは発散させてやろう。そう考えて、ラッセとマルコを好きにさせることにした。

 

 「おおぉ? 遂に観念したのかなぁ? 嬉しいねぇ」

 「くそっ。 貴様ら! 絶対に許さないぞ」

 「そんな熱烈なぁ、視線を向けられるとぉ、たまんねえわぁ」

 

 ブレッドはオフィーリアの身体を眺めていた。騎士だけあって身体は引き締まっている。それに、娼館の話を聞いてもまるで理解していなかった。ということは初物の可能性がかなり高い。このレベルの女は娼館でも滅多にお目にかかれない美女だ。今夜はラッセと二人で楽しむか。そう思い至り、ブレッドはズボンを押し上げる存在に気付いた。

 

 「いけねえ。仕事中に何考えてるんだ」

 

 ブレッドは仲間に聞こえないように小声で呟くと、視線を再び前に向けた。だが、そこには今まで居なかった者がいた。陽の光を受けて煌くストロベリー・ブロンドの髪をした美少女、シズ・デルタだ。

 

 「……弱い者いじめ……だめ」

 

 シズの髪は長く伸ばされており、顔立ちは非常に整っているがどこか作り物めいている。宝石のような冷たい輝きが宿った翠玉の瞳が片側に見えるが、もう片側はアイパッチが覆っている。

 身に纏っているのは、黒を基調としたロングスリーブのロリィタドレスで、二の腕の辺りのフリルフレアとスカート部分は純白。その上には前面部がざっくり開いた迷彩柄のハイウエストを着用している。スカートの前面部には至高の四十一人にしてシズの創造主、"博士"を表す紋章が刺繍されている。

 腰には表が紺色、裏が真紅色の大きなリボンがあしらわれており、シズの佳麗さに可憐さを生んでいた。グリーヴが無骨な印象を与えるが、それだけではシズの美しさを否定することはできない。

 服装の派手さにばかり目が行きがちになるが、防御力も十分考慮されている。難度百五十程度の相手の物理攻撃ならば、問題なく防ぐことができる。

 

 「うわ!?!? いつからそこにいやがった!?」

 

 もしブレッドが街中でシズ・デルタを見かけたら間違いなく見惚れてしまっていたはずだ。しかし、ここはある意味戦場。ブレッドの内心を制したのは警戒心であった。野盗をしているとはいえ本職はオリハルコン級冒険者なのだ。危険な冒険地での経験がブレッドに沈黙を許さなかった。

 

 「ひひひひ。突然現レタ」

 「誰だぁ、てめぇ」

 「女の子……?」

 「……」

 

 何の前触れもなく現れた闖入者に、ブレッド以下四名は各々に驚きを口にした。それに対してシズは口を閉じたままだ。

 ブレッドは黙り込んだシズに対して、苛立ちを募らせた。

 

 「なんだてめえ! 無視か?」

 「ひひひひ。殺ス」

 

 ブレッドとマルコがシズを威嚇する。対して、ラッセはシズを舐めまわすように視線を這わせていた。身体つきは成長途上だが非常に整った顔立ちだ。ラッセのズボンが膨らんだ。

 

 「よぉく見たらよぉ、この姉ちゃんよりよぉ、かわいいねぇ。今日は運がいいぜぇ」

 

 目の前で少女が襲われる。そんな悪夢を想像したオフィーリアはシズに対して慌てて声をかけた。

 

 「あなた! ここは危ないから早く逃げなさい」

 「こんな上玉をよぉ、逃がすわけはないよなぁ」

 「ひひひひ」

 「違げえねえ!」

 「……」

 

 オフィーリアは絶望した。こんなに小さな少女一人助けることができないのか。無力な自分の目の前で少女が襲われる。そんな悪夢を想像してしまい、力なく膝をついた。

 

 「お嬢ちゃんよぉ、一人で現れたってことはよぉ、俺たちと遊びたいんだろぉ? 何も言わないってことはぁ、ひよっちゃったのかなぁ?」

 

 ラッセはにたにたと笑いながらシズを挑発した。

 ブレッドはシズの様子を注意深く観察する。さっきからシズは黙ったままだった。無理もない。男三人に対して子供一人だ。さらに、冒険者として上位--アダマンタイト級の一つ下--のクラスを主張すれば少女も諦めるだろう。武器を持っている所を見れば戦えなくはないのだろうが、もし手に負えなくても伏兵を出せばいい。こちらが圧倒的に有利なのは間違いない。そう考えたブレッドは腹に力を込めてシズに言葉をぶつけた。

 

 「大方、この姉ちゃんを助けに来たんだろうが止めておいたほうがいいぜ。俺たちは冒険者で言えばオリハルコン級だ。邪魔をしようってんならガキでも容赦しないぜ」

 「ひひひひ。血ガ見レル」

 「やめろ! 私がいれば十分だろう!?」

 

 ブレッドの額に汗が流れる。大丈夫だ。さっきから少女に動きがない。オリハルコン級冒険者という威嚇に全く動じた様子がないのは気のせいのはずだ。嫌な予感がするがそれを悟られるわけにはいかなかった。堂々とした態度を崩さぬまま、言葉を紡ぐ。

 

 「確かに十分だが、このお嬢ちゃんもいれば十二分ってやつよ」

 「お前たちは人間の皮を被った悪魔だ!」

 

 オフィーリアの言葉はブレッドの耳に入らない。ブレッドはただならぬ気配を感じるシズから目を離せないでいたからだ。やがて、シズが短剣を構えた。その瞬間、ブレッドは戦慄した。

 

 「この威圧感……やばい。このお嬢ちゃん、手強いぞ。お前ら、気を抜くな」

 「そおかぁ? 俺にはひよってる風にしか見えないぜぇ」

 「ひひひひ。問題ナイ」

 

 この雰囲気が分からないのか! ブレッドは内心で啖呵を切った。時は一刻を争う。ブレッドの命令は素早かった。

 

 「馬鹿野郎! このお嬢ちゃんからはアダマンタイト級の力を感じる! ラッセ! 伏兵を呼べ! 全員でかかれば何とかなる!」

 「俺はぁ、大丈夫だと思うけどよぉ、ブレッドがぁ、そう言うなら仕方ねぇ」

 

 ブレッドに命令されたラッセは口笛を吹いた。この口笛は、オーガのゴロンド兄弟とホブゴブリンのブブラ兄弟に送る挟撃のサインだ。しかし伏兵が現れる気配がない。焦ったブレッドはラッセを強く睨み付ける。

 

 「おかしいなぁ。オーガのゴロンド兄弟とぉ、ホブゴブリンのブブラ兄弟がぁ、出てこないぞぉ」

 「あいつら! 裏切ったか!?」

 「ひひひひ。裏切リハ許サナイ」

 「……オーガたち……倒した」

 「なにい!?」

 

 シズの言葉にブレッドは驚きを隠せなかった。一体どうやって? その思いがブレッドの視野を狭めた。ブレッドが気付いた時にはそこにシズが居なかった。視界を巡らせると、すぐ眼下でストロベリー・ブロンドの塊と、冷たい翠玉の瞳が迫っていた。

 

 「な!? か、≪回ひ……≫」

 

 ブレッドは慌てて武技を発動させた。しかし武技は発動することはなかった。いや、例え発動していたとしてもシズの攻撃から逃れることができるかは疑問ではあるが。

 

 「か……かは」

 「ブレッドぉ!」

 

 その場に血を吐いて崩れ落ちるブレッドを見て、ラッセが叫び声を上げた。その様子を、オフィーリアが驚愕の表情をして眺めていた。

 

 「嘘……? この子、なんて強さなの?」

 

 オフィーリアはそう呟いた。早さならヴァルキュリア神殿でも匹敵する者はいないのではないか。いや、力もどれくらいあるのか分からない。一体、この子は何? こんなに小さな体格からは想像もできない動きをする。でも、この子なら……。

 オフィーリアの心に希望の光が灯った。

 

 「……こいつぁ、まずいぞぉ。マルコォ!」

 「ひひひひ。ワカッテル」

 

 ラッセが声をかけた瞬間、マルコは懐から煙玉を取り出してその場に炸裂させた。リーダーの救出は逃げ帰ってからで、今はこの場を離れることが先決。野盗の二人はそう考えて散り散りに駆け出した。敵は一人なのだから一人は助かる計算だ。後は助かった方に任せるというところだ。

 煙玉が炸裂したことで、辺り一面の視界が利かなくなった。

 シズは機械人形なので影響がなさそうだが、オフィーリアは苦しそうだった。

 

 「けほっ。けほっ」

 「……けむり?」

 

 シズは一瞬目を閉じると、カルネ方面に逃げたラッセの方角を寸分違わず見抜いた。周囲は煙に遮られているにも関わらず、まるで全てが見える様子だった。

 シズはラッセの方に向かって駆け出した。

 

 「……」

 

 煙を抜けると、瞬く間に両者の距離が縮まる。

 

 「……見つけた」

 「ひ……ひぃ。たぁ、たすけてくれぇ」

 

 シズは勢いを殺さずに短剣をラッセにぶつけた。

 

 「……だめ」

 「ぐふぅわぁ」

 

 ラッセは空中で二回転すると、そのまま地面に落下した。そして、びくんびくんと痙攣して動かなくなった。

 シズはその様子を見て頷くと、ストロベリー・ブロンドの髪を揺らしながらオフィーリアの元へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 逃げた男を倒して振り返ると、不気味な男が発生させた煙は風に流されていた。視界の中に、ナーガに付き添っている青い髪の女の人が見える。

 女の人はナーガの事を心配しているみたいだけど、ナーガはぴくりとも動かない。

 あ、首から上が少し動いた。まだ生きているみたい。よかった。手当できるといいな。

 シズはそんな風に考えて女の人とナーガに近づいた。

 

 「おい! シュレリュース! 大丈夫か」

 「うふ、ふ……大じ……夫か……な」

 「……」

 

 シュレリュース? このナーガの名前かな?

 見てみるとナーガが苦しそうに呻いてる。どうやって手当をすればいいかな。そんなことを考えていたら、青い髪の女--体がユリ姉--の人がこっちを見た。

 

 「ど、どこの誰だか分からないが礼を言わせてもらう。助けてくれてありがとう」

 「……試験だから」

 「試験?」

 

 そう、これはシズが一人でも戦えるかどうかの試験。パンドラズ・アクターのレベルは百。でもシズは四十六。これくらいの敵を捌けないと、この先パンドラズ・アクターに迷惑ばかりかけてしまう。それは嫌。だから敵を倒しただけ。お礼を言われる理由はない。

 そんなことを考えながら、目が赤くなっている青い髪の人と見つめ合っていると、段々睨まれているような感じになってきた。何で睨むんだろ? シズは何もしてないのに……。

 

 「……」

 

 少し空気を吐き出すと、ナーガの方を向くことにした。人間ってよく分からない。

 それより今はこのナーガの方が先決。そう考えて、ナーガに手を伸ばそうとしたら慌てた様子で止められた。

 

 「ちょ、ちょっと待ってくれ! 私の友人に何をするつもりなんだ」

 

 さっきみたいな怒った様子と違って、今度は慌ててる。人間って変。それにしても、友人? この人はナーガと友達なのかな? だとしたら、すぐに助けないとだめ。シズもエクレアが傷ついたらすぐに助けるから。

 

 「……手当」

 「え?」

 「……」

 

 女の人は変な顔をしているけど、今はナーガの手当てが先。

 ナーガの方を見たら、ナーガがシズのことを見ていた。

 

 「う、ふふ……ふ。安……心して、オフィ。この、子。……私を、手当、して……くれる、みたい」

 「……」

 「安心しろって……、お前」

 

 シズはこのナーガの言葉を聞いて、一瞬体の動きが止まった。なんでシズの考えていることが分かったんだろう。ナーガ……ナーガ、そういえばアウラからトブの大森林の話を聞いた時に、ナーガ種の事を教えてもらった事を思い出した。たしか、相手の心を読む能力だったっけ。そんな事を考えていたら、ナーガが笑い出した。

 

 「うふ、ふふ。どうや、ら……この、子は。知って……る、のね」

 「シュレリュース! どういう意味だ?」

 「う……ふふ、ふ」

 「……」

 

 やっぱりこのナーガの名前はシュレリュースっていうみたい。

 シズは一人で騒いでいる女の人のことは置いておくことにして、もう一度シュレリュースに手を伸ばした。

 

 「あっ……、わ、私を無視するなああ」

 

 シュレリュースの状態をよく観たら、盗賊職による特殊な攻撃の跡があった。たしか、この攻撃は対象の全身に肉離れを起こすもの。肉がついていないシズにはよくわからない症状だけれど、相手の動きを制限する時に使うこともあるみたい。

 よかった。致命的な傷じゃないみたい。

 横にいる人がうるさいけど、説明することにした。友達って大切だもんね。

 

 「……大丈夫。……怪我してる、だけ。……三日もすれば、直る」

 「え?」

 

 これなら安静にしているだけでも治りそうだし、昔ルプスレギナが話していたポーションでも治るかもしれない。ううん、動けるようにするだけならもっと効能の弱い物でも大丈夫かも。そんなことを考えていたら、恰好つけたような声が聞こえてきた。

 

 「お嬢様方、ご安心を。この薬草を使えばすぐに動けるようになるでしょう」

 

 パンドラズ・アクターが大きな袋の前に立っていた。

 それにしても、もう少しかわいい声ならいいな。例えばエクレアみたいな声。今度、エクレアの声真似を頼んでみようかな。 

 

 「か、顔がない……」

 

 女の人が驚いた声を出しているのが聞こえる。

 

 「たしかエリエリシュをそのまま薬として使用する場合は……」

 

 パンドラズ・アクターがぶつぶつ言いながら薬草をいじってる。そこから生じたものをシュレリュースに塗り付けようとしているけど、あの細長い手。やりにくそう。

 

 「シズ、手伝ってもらえないでしょうか」

 「……」

 

 任せて。

 薬草を塗るためにパンドラズ・アクターから薬草だったものを受け取った。

 

 「お願いします」

 「……」

 

 シズはパンドラズ・アクターから緑の液体を受け取ると、シュレリュースの体に塗り付けていく。シュレリュースは気持ちよさそうに喉を鳴らしながら、おとなしくしている。動物みたいでかわいい気もするけれど、エクレアみたいにふかふかじゃないし。そこが少し残念。そう思いながら塗り作業を終えると、シュレリュースが話しかけてきた。

 

 「うふふふ。ありがとう。だいぶ楽になったわ」

 

 まだ満足に動ける状態にはなっていないと思うけど、口調からだいぶ状態が回復したみたい。

 良かった。

 

 「……うん」

 「うふふふ。照れ屋さんなのかしら? あなたも、助かりましたわ」

 「いえいえ」

 

 この調子ならすぐに動けるようになる。

 

 「それでは私たちは先に行きます。運命の環が重なるのならばまた出会うこともあるでしょう。その時までしばしのお別れです」

 「……うわぁ」

 

 かっこいいと思ってるのかな? 思ってるんだろうな。

 決め台詞を言い放ったパンドラズ・アクターはそのまま歩き出した。シズも後をついていく。後ろを振り返ると、ぺたん座りしている女の人が口を開けてこっちを見ていた。やっぱり恥ずかしいよね。

 視線を前方に向けると、いよいよ衛星都市カルネだ。

 かわいいもの、あるといいな。




書きだめ消滅


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カルネ 1

 衛星都市カルネの入口が見える。幅は結構広くて、セバスと姉たちが並んで入っても全然問題ないくらい広い。中は闇を見通す能力がないと不便そうなくらい暗くて、少し入ってみると広くなってる。地面を見たら車輪の跡があるのだけれど……、周りには生き物の姿が見えない。

 ここが入口なのかな。

 

 「シズ、ここは国民がナザリックに物資を搬入、搬出する際に利用するアンデッド荷馬車の発着場です。今は時期ではないので閑散としています。しかし! 建国記念の時期には貢物をのせた荷馬車で溢れかえるのです」

 

 後ろにいるパンドラズ・アクターが興奮気味にそう言った。

 

 「……」

 

 シズは荷馬車発着場を見回してから後ろを振り返った。

 

 「シズ、旅人の入口はこちらです。この階段を上って少し歩いた所に検問所が設けられていますので行きますよ」

 

 パンドラズ・アクターに言われて発着場の外に出ると、入口の横に湾曲した階段があった。幅は姉たちと一緒に歩いてぎりぎり通れるくらいのスペース。その階段をパンドラズ・アクターと一緒に上りきると、視界の先にエルダーリッチがいた。

 

 「彼女は父上が召喚されたエルダーリッチのヘロリエルです。カルネの出口側。つまり! 我がナザリック側の検問を担当しているというわけです」

 「……」

 

 パンドラズ・アクターが興奮気味にそう言うと、ヘロリエルに向かって手を掲げた。ヘロリエルもパンドラズ・アクターを見ると手を胸に当てて返した。

 知り合いなのかな? そう思ってパンドラズ・アクターのことを見ていると、ヘロリエルが声を出した。

 

 「これはこれはパンドラズ・アクター様。ようこそカルネへ。ご無沙汰しております。アルベド様より連絡をいただきましたので、僭越ながらこちらでお待ちしておりました」

 「畏まることはないですよ。検問官としてヘロルさんはよく頑張っています」

 

 パンドラズ・アクターはそう言いながらエルダーリッチのヘロリエルに近づいていく。シズも後をついていく。

 

 「父上もこの場の守護にふさわしいのはヘロルさんだとおっしゃるはずです」

 「アインズ様の御子息であるパンドラズ・アクター様にそうおっしゃっていただけると幸いです。所で、そちらのお嬢様はどちら様でしょうか」

 

 パンドラズ・アクターと話していたヘロリエルがシズのことを聞いてきた。

 ヘロリエルを見上げるとパンドラズ・アクターが声を出した。

 

 「これは失礼。紹介が遅れましたね。こちらはシズ・デルタ。至高なる四十一人の一柱"博士"様がお造りになられた戦闘メイドです」

 「……シズ・デルタ。……はじめまして」

 

 パンドラズ・アクターに紹介されて名前を言った。アインズが召喚したという話なのだからお辞儀も忘れない。狭まった視界に、ヘロリエルのローブがたわむのが見えた。

 お辞儀を終えると手を胸にかざしたヘロルと目が合う。

 

 「初めまして、シズ・デルタ様。私はヘロリエルと申します。私の事はヘロルと呼んで下さいね」

 「……ヘロ、ル」

 「はい。ありがとうございます。以後、お見知り置きを。では、こちらへ」

 

 ヘロルがシズとパンドラズ・アクターを案内しようと踵を返したとき、パンドラズ・アクターがヘロルに話しかけた。

 

 「ヘロルさん、シズの事で注意事項があるのでお耳をお貸しください」

 「かしこまりました」

 

 パンドラズ・アクターがヘロルに何か耳打ちしている。シズはその様子を黙って見ていた。

 

 「よろしくお願いします」

 「了解しましたわ。では、改めてこちらへ」

 

 ヘロルがそう言うと、シズとパンドラズ・アクターは案内されるままに検問所の中に入った。

 検問所の中にはドワーフ、エルフ、ビーストマン、アンデッド、たくさんの種族がいて、各々に仕事をしていた。その中の一人に目が止まった。

 

 「……かわいい」

 

 ビーストマンの後ろ姿がふかふかしてそうで抱きしめたくなる衝動に駆られる。でも、だめ。今は旅の途中で、でも……。

 

 「……っ!」

 

 じいぃっと見ていたら、ビーストマンがびくって震えた。

 かわいい。抱きしめたい。

 でも……。

 衝動をぐうぅっとこらえていたら、パンドラズ・アクターとヘロルがどんどん先に行っちゃうし、どうしよう。目を閉じて少し考える。どうすれば我慢できるか。

 シズは体に収納しているエクレア帽子を取り出してぎゅうっと抱きしめた。今はこれで我慢。

 

 「……エクレアの……匂い」

 

 旅に出る前にエクレアの匂いを付けてきた。帽子の匂いを嗅いだらエクレアが腕の中にいるような気がして、少し落ち着いた気がする。もう一度だけビーストマンを眺めてからその場を後にした。今度、もし暇ができたら会いに来る! そう決めて。

 少し駆け足で二人の背中を追っているとパンドラズ・アクターが振り返った。

 

 「おや? 何か目に留まる物でも見つけたのですか?」

 

 パンドラズ・アクターに言われて、ちらっと後ろを振り返る。進んできた方向にはシズが思わず見惚れてしまったエクレアみたいな、もこもこの生き物がいたから。

 

 「……うん。……ビーストマン」

 

 思い出したら抱き着きたい衝動が沸いてきた。せっかく我慢したのに。

 

 「ビーストマンですか。なるほどなるほど」

 

 パンドラズ・アクターがそう頷いていると、ヘロルがビーストマンの事を教えてくれた。

 

 「彼はビーストマンのライオですね。少し素行の悪い旅行者の相手をさせるのと簡単な事務処理をさせているのですが、彼の事が気に入りましたか?」

 「……かわいい」

 

 口に出すとますますライオと遊びたくなってきた。

 

 「ナザリックに属するクレア様に気に入ってもらえるだなんて栄誉あることですわ。今日はエ・ランテル行の足を確保しましたらお時間が空くと伺っております。その時にでもライオを紹介しましょう」

 「……わぁ」

 

 ヘロルの言葉に心がぽかぽかしてくる。二人っきりになったら何をしよう。とりあえず抱き着いて……それから……。

 そんな幸せな事を考えていたら、パンドラズ・アクターが妄想の邪魔をしてきた。

 

 「開花したストロベリー・ブロンド色の花」

 「……」

 

 お花?

 

 「受粉を待望する花が、暖かな陽を浴び、鮮やかな花冠を拡げている。今のあなたからそのような美しさを感じます」

 「……」

 

 うん?

 

 「しかし、あまり羽目を外さないように」

 「……」

 

 お花の話は置いといて、羽目を外さないようにが少し真面目な感じだった。

 パンドラズ・アクターの意図がよく分からない。けど、言う事は聞かなくちゃいけない。立場はパンドラズ・アクターの方が上だから。

 

 「……わかった」

 

 シズがすぐに返事をすると、パンドラズ・アクターは頷いた。

 

 「それでは行きましょうか。ヘロル、案内をお願いします」

 「かしこまりました」

 

 二人の後をついて行く前に、もう一度だけ後ろを振り返った。

 --ライオ、後で遊ぼうね。

 

 検問所を出ると、衛星都市カルネの街が視界に広がる。

 道は左右に伸びていて、しばらく行くとカーブを描いている。ずっと向こうで繋がってるから、きっと左右の道は一本道なのだと思う。前方にも道が続いていて、この道は中央らへんで十字になっている。

 脇に階段があるから、ここは二階部分の移動スペースだと思う。

 トン、トン、トン--。

 つま先で足元を叩くと硬い。素材は石かな?

 

 「シズ様はカルネにいらっしゃるのは初めてでしたね。こちらはアインズ様とデミウルゴス様、そしてドワーフが協同で建造した歩道になっているのですよ。地上は往来が激しいですから、主に外部から来る方に上の歩道を利用してもらっています。二階部分から各お店にも入れますし、お金を払えば二人乗り用の小型アンデッド馬車も利用できます」

 「……」

 

 ヘロルがこの道の事を教えてくれた。アインズとデミウルゴスが考案した道。

 シズは一歩下がって、道にお辞儀をした。アインズが造ったものということを意識すると、敬意を払わないのはだめな気がしたから。視線を足元に移すと、何か文字みたいなものがあった。ドワーフが建造したというのだから、ルーン文字かな? 昔、アウラが話していたような気がする。そんなことを考えていたら、パンドラズ・アクターが口を開いた。

 

 「ふむ、いつ見ても劣化している様子がありませんね。ドワーフのルーン建造物、中々素晴らしいものです。そして、それが父上のお考えに、デミウルゴスの補助が加わったものならば尚更ですね」

 「……」

 

 シズはもう一度道を眺めてみると、たしかにすごいものなのかなと思えてきた。それにルーン文字を建造物に使っているところが新しいと感じた。

 

 「それではヘロル、案内の続きをお願いします」

 「ええ。こちらです」

 

 二人の後を追って歩きながら地上を見下ろすと、小さいドワーフと人間が遊んでいるのが見えた。そこにオーガとゴブリンが加わって賑やかにしている。空を見上げると、街の外れにドラゴンが降りる様子が見えた。あれはシャルティアの配下のフロストドラゴンかな。

 

 「パンドラズ・アクター様、今回はどのようなご用件で外出されているのですか」

 「未知なる美を求めて、といったところでしょうか」

 「未知なる美、といいますと?」

 「この世界にはまだ私たちが知らないマジックアイテムが眠っています。私たちはそれを発見すべく父上より許可をいただいて旅をさせていただいている、というわけです」

 「なるほど、マジックアイテムですか」

 

 二人の話を聞き流しながら歩いていると、甘い匂いが漂ってきた。この匂いは知ってる。ナザリックでも栽培している林檎の匂い。

 匂いに釣られて視線を巡らせると、地上でたくさんの種族が蠢いていた。アンデッド、悪魔、ソウルイーター、リザードマン、オーガ、ゴブリン、エルフ、ドワーフ、人間。そして目に付く所にデス・ナイトがいる。その隙間を縫って匂いの元を辿ると、エルフがお店を出しているのが見えた。

 あれは何のお店かな。気になりながらも二人の後を追う。

 

 「未知のマジックアイテム、見つかるといいですね」

 「ええ、まだ見ぬマジックアイテムをこの手に掴む。これ程心が躍ることはありません」

 「ふふ。相変わらずですね。パンドラズ・アクター様」

 

 道の両端を見るとコンティニュアルライトの筒が並んでいる。夜はこれで道を照らすのかな。並んでいる筒を眺めながら歩いていたら、小鳥がシズの肩に止まった。

 

 「チュンチュン」

 「……あ」

 

 お腹がまっ白で翼が木の枝みたいな色をしてる。くちばしをキョロキョロ動かしてシズの事を見てる。お腹がもこもこしててかわいい。トブの大森林から来たのかな。

 

 「……ちゅんちゅん」

 

 パンドラズ・アクターとヘロルは楽しそうに会話している。いつから知り合いなのかな。よくナザリックの外に出ているという話は聞いていたけど、外出先はカルネが多かったのかな。でもエ・ランテルが主な外出先だと、セバスから話を聞いたというユリが言っていたし実際はどうなんだろう。

 二人の背中を見ながらそんなことを考えていたら、肩に止まっていた小鳥はどこかに行っちゃったみたい。また会えるといいな。

 そろそろ道が突き当たる。二人の向こう側には大きな建物があった。

 

 「そろそろエ・ランテル行のアンデッド馬車の手配をする場所に着きます」

 「ヘロルさん、中々楽しい一時でした」

 「ええ。ありがとうございます」

 

 二人が建物の前で立ち止まると、ヘロルがこっちを向いた。

 

 「シズ様、こちらで手配をした後、ライオを紹介させていただきます。申し訳ございませんがもうしばらくご辛抱をお願いします」

 「……」

 

 ヘロルの言葉にこくりと頷いて返す。

 目の前にはアインズ・ウール・ゴウンのギルドフラッグのレプリカが掲げられた建物。窓がついているけど外から中の様子を窺うことはできなかった。

 シズとパンドラズ・アクターは、ヘロルの案内で建物の中にある部屋に案内された。

 

 「こちらで少々お待ちください」

 

 ヘロルがそう言うと部屋を出ていった。パンドラズ・アクターと二人きり。

 

 「シズ、かけなさい」

 「……うん」

 

 パンドラズ・アクターに促されてふかふかのソファに座る。油断すると腰が沈むから、浅めに座ってお尻を少しだけ乗せる形にした。

 

 「……」

 

 床に足がつかない。立つときどうしよう。

 

 「ふむ」

 

 パンドラズ・アクターの方から声がして、ふとそっちを見た。パンドラズ・アクターが悪戯をしているルプスレギナみたいな雰囲気を出してる。

 

 「……」

 

 じいぃっと見つめていても、余裕そうな感じがルプスレギナみたいでなんかムカつく。パンドラズ・アクターとそんな視線のやり取りをしていたら、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 

 「ししし失礼します」

 

 扉を開けたのはエルフの男の人だった。手にはお盆が乗っていて、その上にさっき漂ってきた甘い林檎の匂いのする物があった。その横には液体の入ったグラスもある。

 エルフの男の人が、テーブルに甘い林檎の匂いがする物を乗せたお皿と液体の入ったグラスを置いていく。その様子を眺めていたらパンドラズ・アクターが口を開いた。

 

 「んんー! このかぐわしい林檎の香り、大樹の葉を彷彿とさせる生地の模様。アロス、素晴らしいアップルパイです。腕を上げましたね」

 

 アロス? また知り合いなのかな。

 

 「ありがとうございます。パンドラズ・アクター様! 今回のアップルパイは今まで以上の最高の出来になりました。パンドラズ・アクター様にお出しする一品として相応しいという自信がありますよ。アゼルリシアンティーと合わせて、どうぞ召し上がってください!」

 「自分の仕事に対して誇りを持てる。素晴らしいことです。いただきましょう」

 「……」

 

 パンドラズ・アクターは知り合いが多い。カルネに着いてから知った意外な一面。

 テーブルに目を移すと、林檎の匂いがするこの葉っぱの模様がした物。あっぷるぱい? 召し上がって下さいというのだから食べ物なのだろうけど。

 あっぷるぱいをじいぃっと眺めていたら今まで感じたことがない、ちらちらとした視線を感じた。パンドラズ・アクター? 違う。パンドラズ・アクターはあっぷるぱいを食べている。だとしたら、アロスというエルフの男?

 視線を感じる方にゆっくりと振り向いたらアロスと目が合った。

 

 「……」

 「あっ、これはその、あの」

 

 アロスがお盆を抱えてあたふたしてる。視線の正体はやっぱりアロスだった。どうしてそんなに慌てているか知らないけど、給仕をする態度としては失格。

 シズはメイドだからこれは許せない。ソファから飛び降りてアロスに近づいた。

 

 「……」

 「……っ!」

 

 アロスを見上げたら変な声を出した。鼻をひくひく動かしてシズと目を合わせようとしない。というか、シズが目の前にいるのに顔を赤くしながらちらちら見るだけで要件を聞こうとしない。給仕中に何を考えているのかな。

 

 「……最低」

 「……っ!」

 

 一言。給仕をする態度として失格だということを告げた。

 アロスはすごく悲しそうな目をしている。ちょっと言い過ぎたかな。

 --カラン。

 そんなことを考えていたら、パンドラズ・アクターがグラスに入っていた氷を鳴らした。

 

 「アロス、いけません。たしかにそちらの女性は美しい。ですが給仕中に鼻の下を伸ばすのはいけません。平常心を保つことが大切です」

 「パンドラズ・アクター様! 私は決して……」

 「……」

 

 決して何? シズはアロスの事をじいぃっと見つめる。そうしたら、またアロスがあたふたしだした。全然反省してない様子に腹が立ってくる。そのまま続きの言葉を待っていたら、小さな囁き声が聞こえてきた。

 

 「平常心、平常心、平常……」

 

 アロスは目を閉じながら何回か同じことを呟いている。いつまで呟いているのかと思って首を傾げていたら、アロスの目がすっと開いた。その目はさっきまでのあたふた感じじゃなくて、シャキッとしている。

 アロスは刺すような目でシズに目礼すると、パンドラズ・アクターに視線を移した。態度が全然違う。少しびっくりした。

 

 「……申し訳ございません。こちらの美しい女性に心を奪われて、つい平常心を失ってしまいました」

 

 アロスの謝罪はすっきりとした一言だった。

 

 「……」

 

 真剣な表情でパンドラズ・アクターを見つめるアロス。自信を持った横顔は凛々しかった。

 アロスが心を乱した理由。それは"博士"に造っていただいた自分の容姿が原因。それならシズに怒る事はできない。シズの様子を褒めるということは造物主を褒めているということだと思うから。

 理由を告げた後も真摯な姿勢でパンドラズ・アクターに対峙しているアロスを見ていると、許してもいいかなと思えてきた。シズだって綺麗なもの--玉座の間--を初めて見た時は平常心を失ったから。こういう時、ユリだったらどうするかな。

 ゆっくり考えてから、静かに声をかける。

 

 「……アロス」

 「は、はい!」

 

 話しかけただけでそんなに驚かなくてもいいのに。

 息を整えて、もう一度アロスに話しかける。

 

 「……褒めてくれて……ありがとう」

 「え!?」

 「……失敗したら……直せば、いい」

 

 ユリならきっとこう言うと思う。

 アロスは驚いた顔のまま動かない。無視してるのかな。

 

 「……返事」

 「は、はい!」

 「彼女も許してくれたみたいです。アロス、次からは気を付けましょう」

 

 アロスの目がきらきらと輝いた。反省してるのかな。

 

 「ありがとうございます!」

 「……」 

 

 腰を折ってお辞儀をするアロス。きりっとしたその様子を見て、不安だけど信じる事にした。席に戻るために踵を返しと、背中にアロスの声がかかった。今度は何かな? もう一度アロスの方を振り向く。

 

 「あの、もしよろしければお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 「……」

 

 名前。

 シズは名前を教えていいかパンドラズ・アクターに確認した。シズ・デルタという名前を信用の置けない相手に教えてはならないとアインズに言われているから。

 パンドラズ・アクターは頭を振っている。つまり名前を教えていい相手ではないということ。こういう時は偽名を使うことにしている。エクレアと相談して決めた名前を。

 

 「……クレア」

 

 エクレアからエを取ってクレア。シズのお気に入りの名前。

 

 「クレア、様」

 「……」

 

 すごく嬉しそうな顔をしているアロス。なんだか少し悪い気がする。クレアは本当の名前じゃないから。でも同時に、エクレアの名前を褒められているような気がして嬉しくなった。

 シズの名前を聞いてにやついているアロスのことをじっと見ていたら、アロスがはっとした様子で口を開いた。

 

 「いけない! 平常心……。ささ、クレア様、冷めないうちにアップルパイをお召し上がりください」

 

 アロスに勧められてソファに座る。目の前にはあっぷるぱいという食べ物がある。どんな味がするんだろう?

 

 「こちらのアップルパイは約百年前に開発されたショポンと呼ばれるものです。大樹の葉のような模様になるよう生地を焼き上げ、中にはナザリック地下大墳墓産の林檎をふんだんに使用し、ミノタウロス国産の高級バターとエルフの王国産の高級甘豆で煮たものが入ってあります。外はサクッっと中はホクホク、トロトロの甘い林檎がクレア様の口に広がりますよ」

 「……」

 

 アロスに促されてアップルパイにフォークを差し込む。

 --サクッ。

 心地よい音を立てて生地が崩れた。その瞬間、中に閉じ込められていた甘い香りが広がる。今まで経験したことがない幸せな香りに思わずほっぺがほころびそうになる。フォークで切りみを入れて中を覗くと、バターに絡まった光沢のある林檎が姿を見せた。そっと触れると程よい反発があって歯ごたえも良さそうだった。アップルパイを一口サイズにして、こぼさないように手をお皿にして口に運ぶ。

 

 「……あまい」

 

 ナザリックでは口にしたことがない濃厚な甘さと林檎の風味が口の中に広がる。この香りはエルフ王国産の甘豆かな? りんごを包む生地もサクサクしていて食べやすい。栄養も多いみたいだし、燃料の代わりに食べてもいいかも。そんなことを考えながら一口、また一口とフォークがアップルパイに吸い込まれていく。気付いたらもうなかった。

 口が寂しい。視線を動かすと、コースターに置かれたアゼルシアンティーがあった。手を伸ばしてストローからアゼルシアンティーを吸引した。

 

 「夢中になって食べていただけると料理人冥利に尽きます」

 

 横にいるアロスはすごくにこにこした顔をしていた。

 

 「……」

 

 ちょっと勢いよく食べすぎたかな。そう考えると恥ずかしくなってきた。

 グラスを両手で抱えて、中に入った氷から目が離せなくなった。そうしていたら、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 

 「どうぞ」

 

 パンドラズ・アクターが扉に向かって声を出した。

 

 「失礼します」

 

 ヘロルが扉を開けて中に入り、扉を閉めてから向かいの席に座った。

 

 「お待たせしました。パンドラズ・アクター様、と……クレア、様」

 

 一瞬ヘロルの視線を感じた。

 

 「いえ、アロス君のおかげで楽しい一時でした」

 「それは良かったです」

 

 和やかな感じで会話が始まった。

 アロスはお皿を下げると、シズとパンドラズ・アクターの空いたグラスにアゼルシアンティーを注いだ。

 

 「ただいま、エ・ランテル行の各種馬車の確認を済ませて参りました。アルベド様からの指定通り、貴賓専用--デス・キャバリエ/死の騎兵--馬車は用意が完了しております。それとは別に、僭越ながら万一の事態に備え、私たちの方で各種馬車をご用意させていただきました」

 「万一の事態、ですか」

 「恐縮です」

 

 パンドラズ・アクターは続きを話すように促した。

 

 「ペイルライダー/蒼褪めた乗り手による高速便、ゴーレム及びソウルイーター/魂食らいによる通常便に加えて、こちらがそのリストとなっております」

 「拝見しましょう」

 

 パンドラズ・アクターはヘロルに提示されたリストに視線を走らせる。

 

 「通常の馬からスレイプニル。他にもありますね」

 「万一の事態が起こらなければそれで良いのですが、出発するまでは何が起こるかわかりません。私たちはすぐに対応できるよう準備しております。急な変更がある時にはお知らせください」

 「確かに。ヘロルさんの勘は当たりますからね。ここはヘロルさんを信用しましょう」

 「恐縮です」

 

 そう言って、パンドラズ・アクターはリストを懐にしまい込んだ。

 

 「私からお伝えすることは以上です」

 「わかりました」

 「アロス、下がっていいわ」

 「了解しました。 パンドラズ・アクター様、クレア様、失礼します!」

 

 お辞儀を終えたアロスは部屋を出ていった。台車を引く音が遠ざかっていく。

 

 「それではシズ様、ライオの元へ行きましょうか。パンドラズ・アクター様、よろしいでしょうか」

 「ええ。今日の予定はもうないので問題ないです。ヘロルさん、私は父上に定期連絡をしますのでシズ。いえ、クレアをお願いします」

 「承りましたわ。クレア様、参りましょうか」

 「……」

 

 シズはこくりと頷いてヘロルに近づいた。

 カルネの検問所でパンドラズ・アクターがヘロルに耳打ちしていたのはこの事みたい。カルネではクレアと名乗る。でも、そんなことよりやっとライオと遊べる。期待に胸を膨らませてヘロルの後を追った。

 

 

 

 

 

 

 二人が去った貴賓室でパンドラズ・アクターが一人、短剣を中空に掲げて佇んでいた。

 

 「≪メッセージ/伝言≫」

 

 短剣に込められた魔法、≪メッセージ/伝言≫を発動させる。相手はアインズ・ウール・ゴウンだ。

 

 「お父様、いまよろしいでしょうか」

 『パンドラズ・アクターか、定期連絡だな。デミウルゴス、ちょっと待て……。うむ。いいぞ、パンドラズ・アクター』

 「はい、申し上げます。先ほど衛星都市カルネに到着、ヘロリエルと接触し、ただいまエ・ランテル行のアンデッド馬車の手配を完了致しました」

 『そうか。何か変わったことはなかったか』

 「いえ、特に報告をすることはございませんでした。しかし、強いてご報告致すことと言えば……シズの戦闘演習のために人間種を助けました」

 『揉め事か?』

 「私見ですが、オリハルコン級盗賊グループ--漁夫の利--が堂々と野盗行為をしていたようでした。メンバーの一人から確認を取ったのでまず間違いないと存じます」

 

 パンドラズ・アクターは時折カルネに赴いて、都市運営を行っていた。その影響で街に住む実力者については詳しい。オリハルコン級冒険者ともなれば知っておくべき存在だった。

 

 『人間種については何か分かるか?』

 「申し訳ございません。ナーガ種と共に旅をしている、といった様子であったことくらいしか存じ上げません」

 『異種族と旅、か。中々結構なことではないか。旅人の方は無事なのか?』

 「はい、ナーガ種の方が漁夫の利からスキル攻撃を受けたようでしたが幸い無事な様子でした」

 『そうか、結構結構。他に報告すべきことはあるか?』

 「いえ、ございません」

 『うむ、それでは今回の定期連絡は終了するか……何だ? デミウルゴス』

 

 定期連絡が終了する段になって、デミウルゴスが話し中のアインズに割り込んだ様子だ。本来ならば不敬な行為なのだがデミウルゴスを信用しているアインズにそれを咎める様子はない。

 パンドラズ・アクターもまた、今回の報告に密接な情報を話しているのだろう。そう考えて静かに待っていた。

 

 『レベル四十二の隠密系スキルを持つ悪魔が一撃だと!?』

 

 アインズの驚いた声がパンドラズ・アクターの頭に木魂した。レベル四十二といえばこの世界でいう難度百三十六。アダマンタイト級冒険者の適正レベルが難度九十なので、額面だけを見ればかなりの強者だ。

 

 『特別なフィールド効果によるものか、その人間の単純な実力か、あるいは両方か。いずれにせよ詳しく知る必要があるな』

 

 パンドラズ・アクターはアインズの言葉を聞いて情報を整理した。

 アインズに人間種の手助けを報告したこと。この世界では強者となりうる配下の消滅。デミウルゴスがその報告をこのタイミングで行った事。つまり、シズの戦闘演習のついでで助けた人間がデミウルゴスの配下を消滅させた張本人である可能性がある。今ある情報ではこの線が妥当だろう。パンドラズ・アクターはそう結論づけた。

 

 『ここまでの旅路を見る限り特に警戒する実力者ではない、か。分かった。……パンドラズ・アクター、お前たちに緊急任務を与える。この女に近づき出来るだけ情報を集めよ』

 「緊急任務、でございますか」

 

 おおむねパンドラズ・アクターの予想通りだった。しかし、緊急任務を与えられるとはパンドラズ・アクターは予想していなかった様子だ。ナザリックの支配者であるアインズ・ウール・ゴウンから任務を与えられることは、NPCにとって至高の喜びだ。

 パンドラズ・アクターは思いがけない幸運に言葉が震えた。

 

 『そうだ。お前たちが助けた人間の女はどうやらデミウルゴスの配下を一撃で屠ったようだ。デミウルゴスの見解では、ガンナーのクラスを封印したシズでも抑ることが可能らしい。それに強力な魔力が籠った装備は持っていないようでもある。がしかし、プレイヤーの可能性が僅かに残る。名前は……、オフィーリア。オフィーリア・マルク・リベイルというそうだ』

 「プレイヤーでございますか」

 

 プレイヤーという言葉を聞いて、パンドラズ・アクターに緊張が走る。かつて、レベル百NPCであるシャルティアがプレイヤーの遺したワールドアイテムによって、ナザリックに敵対したことを思い出したからだ。この出来事ではプレイヤーを確認できなかったとはいえ、その遺産だけでも脅威となりうるのだ。今回の任務対象はそれほどではない可能性が高いとはいえ、油断はできない。

 パンドラズ・アクターは気を引き締めてアインズの勅命を聞く。

 

 『その通りだ。そろそろ時期だからな。各地の強者、または強者になりうる者の情報は少しでも欲しい所だ』

 「了解しました。パンドラズ・アクター、及びCZ2128Δ、必ずや任務を完遂してみせます」

 『頼んだぞ、パンドラズ・アクター。シズ・デルタにもよろしく頼む。だが無理はするな。脅威度が低いとはいえプレイヤーである可能性があることを忘れるな! いつでも撤退できるようにしておけ』

 「了解でございます!」

 

 アインズの心配を受けてパンドラズ・アクターは喜びに打ち震えた。自らの存在を設定した至高なる存在であるアインズ。そのアインズに心を配られるのはパンドラズ・アクター以下NPCにとって至高な喜びなのだ。≪メッセージ/伝言≫の魔法が途切れてもその震えは止まらない。

 パンドラズ・アクターは十分に余韻を満喫すると、シズに向けて≪メッセージ/伝言≫の魔法を行使した。




書籍巻末にプロフィールが載ってるの見てやってみたいなーと思い真似してみました。
しかし人間のクラスレベルほとんどLv?ですねー。

オフィーリア・マルク・リベイル

役職:神殿聖騎士
住居:ヴァルキュリア神殿

職業レベル:パラディン Lv?
      テンプラー Lv?
      クレリック Lv?

趣味:年下の同性とじゃれ合うこと。
   冒険譚を読むこと。

 元はマルク領主の令嬢だったが幼い頃に父親が悪魔の土地に行きそのまま蒸発。母親は父親を追って家を飛び出したが遂に戻らなかった。両親を失ったオフィーリアはマルク領主の後釜を狙う他の貴族によって放逐される。見知らぬ土地で行き倒れそうになった所をヴァルキュリア・イクシアに救われた。その後はイクシアに恩返しすることを目標に生きた。イクシアを補佐することを許されるヴァルキュリア・ナイトという役職に就くことが彼女の夢でもある。


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カルネ 2

 いまシズは衛星都市カルネの検問所の中にいる。目的はもちろん、ビーストマンのライオと遊ぶため。ヘロルに案内されて、さっきライオが仕事をしていた場所に近づく。

 --トクン、トクン。

 ないはずの心臓が高鳴る音が聞こえる。手をぎゅっと握って気持ちを落ち着けようとしていたら、通路の先から女の人の叫び声が聞こえてきた。

 

 「私は商人ではない! 正義を行う善なるパラディンだ! 聖王国からエ・ランテルを目指して旅をしてきた。名前はオフィーリア・マルク・リベイル。こっちは友のシュレリュースだ」

 

 どこかで聞いた気がする声。どこだろう。それにシュレリュースっていう単語も。

 記憶を探っているとヘロルが話しかけてきた。

 

 「申し訳ございません。クレア様、いえシズ・デルタ様」

 「……クレアで……いいよ」

 「そうでございましたね、クレア様。様子を見てきてもよろしいでしょうか」

 「……シズも、気になる」

 「かしこまりました。ですが、可能性は低いと存じますがクレア様に危害が及ぶとアインズ様に申し訳が立ちません。できれば私の後ろにいて下さると助かります」

 「……わかった」

 

 ヘロルの事を見上げながら頷いた。そのままヘロルの影に隠れるようにして先を進む。それにしてもシュレリュースってどこで聞いたんだっけ。ナザリックじゃないし、ということはナザリックの外で聞いた名前……。あ! そういえばカルネに来る途中にそんな名前のナーガがいた気がする。

 ヘロルの背中を見つめながらそんなことを考えていたら、大きな身体を窮屈そうに小さくしているナーガとうるさそうな女の人が見えた。ライオが二人の相手をしている。

 

 「わかったわかった。そっちのナーガはトブの大森林からだったな。なら通行料はナシだ。だが、そっちの人間の女! お前は銀貨一枚。単なる旅人なら銅貨五枚なんだがな」

 「だから! 私は商人ではないと言っているだろう!」

 「うふふふ。どちらにしろあなたの所持金じゃカルネに入れないわね」

 

 オフィーリアがシュレリュースを凝視してる。

 

 「私をそんな目で見つめるな!」

 

 シュレリュース、すっかり元気になった様子。よかった。人間の女の人は相変わらずうるさそう。

 ヘロルの影に隠れて様子を見ていたら、シュレリュースがシズに気付いた。

 

 「うふふふ。あら? あなたはさっきの……」

 

 シュレリュースの言葉に、その場の全員の視線がシズに集まった。ライオはなぜかシズを見た途端に、耳を垂らして尻尾を丸めた。

 

 「……」

 

 なんだかエクレアみたいでかわいい。思わずストーカークラスのスキルを使用しちゃった。後で遊ぼうね。

 ライオの事をうきうきしながら見ていたら人間の女の人が大きな声を出した。

 

 「間違いない! さっきの女の子! えと、名前は……」

 

 ヘロルと目が合う。

 シズは頭を振ってからヘロルの前に出た。

 

 「……クレア」

 「クレアという名前なのか。いい名前だな」

 

 人間の女の人がエクレアと一緒に考えた名前を褒めてくれた。嬉しい。

 

 「……ありがとう」

 「うむ! さっきは急すぎてお礼を忘れてしまったからな。正義のパラディンとしてあるまじき行為だった。私はオフィーリア・マルク・リベイル。こっちのナーガはシュレリュース。危ない所を助けてくれてありがとう! ヴァルキュリア様のご加護がクレアにもあらんことを」

 

 人間の女--オフィーリアという名前--の人が、胸に両手を掲げて祈るポーズを取ってる。

 ヴァルキュリア。アップデートで失墜したという女神の事かな。たしか昔、やまいこ様たちがそんな話をしていたとユリから聞いたことがある。

 そんなことを考えていたら、突然頭の中に声が響いた。たしかこれは……パンドラズ・アクターからの≪メッセージ/伝言≫。

 

 『CZ2128Δ、よろしいですか』

 「……待って」

 

 パンドラズ・アクターから≪メッセージ/伝言≫の魔法がかけられた。しかもシズを正式名称で呼んできたのだから、きっと緊急連絡。

 一言断ってからヘロルに視線を戻す。

 

 「……ヘロル……連絡、来た」

 

 それだけ言うとヘロルはすぐに納得してくれた。

 

 「かしこまりました。ライオ、クレア様を別室に案内してきますので仕事を続けていてください」

 

 ヘロルがそう言うと、すぐにシズを案内してくれた。

 ライオ、もう少し我慢してね。心の中でそう呟いてからヘロルの後を追った。

 

 「パンドラズ・アクター様からでしょうか」

 「……うん」

 

 別室に向かう途中でヘロルが話しかけてきた。

 

 「では、あの部屋がいいですね」

 

 ヘロルはそう言って進んでいく。少ししたら扉の前でヘロルが立ち止まった。 

 

 「この部屋は防音が施されており、窓もありません。ここなら多少の事なら防げるはずです」

 「……うん」

 「それでは私はライオたちの元に戻ります」

 「……ありがとう」

 

 ヘロルはそう言い残して部屋から出ていった。念のためにインフィニティ・ハヴァサックから情報対策用に作成されたいくつかの本を取り出す。情報対策の魔法が使えないシズのためにとアインズが用意してくれたもの。それらに封じ込まれた魔力を順々に解き放つ。

 

 「……パンドラズ・アクター様……いいよ」

 

 用意した本を全て使用してからパンドラズ・アクターに答えた。

 

 『了解です。CZ2128Δ、私とあなたにお父上から勅命をいただきました』

 

 抑えているけど興奮を隠しきれていない、そんな声。

 パンドラズ・アクターが興奮するのも分かる。アインズからの命令はナザリックに属する者なら誰でも喜ぶ。

 シズもじんわりと嬉しさと緊張が沸いてきたような感覚になった。

 

 「……勅命?」

 『その通りです。内容は先ほどカルネに来る途中で助けた人間の女、名をオフィーリア・マルク・リベイル。この女に近づき、この女の情報を調べることです。この女はプレイヤーの可能性があるそうです』

 「……プレイヤー」

 

 プレイヤーと聞いて悪い思い出が蘇る。昔、ナザリックにたくさんのプレイヤーが土足で侵入したこと。

 至高の御方々がそれらを返り討ちにしたという話だけれども、心の奥にはナザリックを侵した者たちに対する苛立ちを感じる。でも、オフィーリアからは話に聞くプレイヤーのような強者の雰囲気は感じない。むしろ、ヘロルに少し勝るくらいの実力だと思う。

 疑問を感じながらも、パンドラズ・アクターにオフィーリアが検問所にいることを伝える。

 

 「……その人……いま近くに、いる」

 『近く、というと検問所ですか』

 「……うん」

 『ふむ、ではCZ2128Δ。足止めをお願いできますか。私もすぐにそちらへ行きます』

 「……うん」

 

 パンドラズ・アクターからの魔法が途絶えた。

 プレイヤー、そんな雰囲気は感じないけど意識するとそう思えてきた。

 いつでも戦えるように近接戦闘用のガンナーの装備をアイテムボックスから取り出して装備する。

 うん。これならすぐに戦える。念のためにアインズからもらった支援魔法が込められた本を取り出す。

 

 「……《グレーターフルポテンシャル/上位全能力強化》」

 

 これでレベルの低いシズでも少しは役に立つ、かも。

 装備を元に戻して気持ちを落ち着けてからヘロルの元に向かった。でも、足止め? 足止めといっても何をすればいいのか分からない。

 考え事をしていたら女の人の叫び声が聞こえてきた。

 

 「だーかーら! 私は商人ではないと何度言えばいいんだ!」

 「もうわかったから。早く銀貨一枚置いて出ていってくれ。仕事が進まん!」

 「私は 商 人 で は な い !」

 「うふふふ」

 

 まだやってた。オフィーリアも早くお金を出せばいいのに。でも、この調子なら足止めをしなくてもよさそう。

 

 「あら? クレア様、もうよろしいのですか」

 「……うん」

 

 ライオはさっきと違って、耳をぴんと立てて尻尾も力強い感じ。すっかり元気になってオフィーリアと言い争っている。あんな雰囲気も出せるんだ。頑固な検問官と頑固な旅人ごっこもいいなあ。

 

 「クレア嬢、こちらにいらっしゃいましたか」

 

 幸せな気持ちになっていたら、後ろからパンドラズ・アクターの声が聞こえた。せっかくいい気持ちだったのに。

 抗議をするような視線をパンドラズ・アクターに向けるために振り向いたら、目の前が真っ暗になった。

 

 「おやおや、抱き着くとは。クレア嬢は情熱的なお方だ」

 「……」

 

 抱き着いたわけじゃない。振り返ったらそこにパンドラズ・アクターの身体があっただけ。それにルプスレギナみたいに頭をぽんぽんされると腹が立ってくる。

 

 「お前は!」

 

 シズを抱く腕に少し力が籠った。

 

 「これはこれは。綺麗な薔薇には棘があると言いますが、あなたのような美しい女性にそのような言葉は似合いませんよ」

 「う……美しくなんか」

 

 背中からオフィーリアの声がしぼんでいくのが分かった。パンドラズ・アクターの軽口を真に受ける必要はないのに。

 

 「そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はパンドラズ・アクター。以後、お見知り置きを」

 

 この卵頭、自然に名前を言い放った。相手はプレイヤーかもしれないって言ったのはパンドラズ・アクターなのに。それに、頭を押さえつけられていてパンドラズ・アクターの体から離れられない。この卵頭は何を考えていいるの?

 しばらく抵抗してみたけど、全然だめ。《グレーターフルポテンシャル/上位全能力強化》の効果が出てるはずなのに。悔しい。

 

 「パンドラズ・アクター。普通の名前ではないな。誰かに付けられた名前か? 例えば領主とか」

 「いかにも! この名前は偉大なる私のち……いえ、私の支配者に直接名付けていただいた尊き名前なのです」

 

 父上って言おうとしたみたい。でも、すぐに落ち着きを取り戻した声になった。

 パンドラズ・アクターの足が震えている。嬉しそう。

 

 「そうか! 支配者というくらいなのだからどこかの国の王なのだろう。王から名を頂いたというのならその興奮も納得できる。私の名はオフィーリア・マルク・リベイル。このナーガは友達のシュレリュースだ。さっきはシュレリュースの危機を救ってくれてありがとう」

 「私はクレア嬢が飛び出したのを追ってきたに過ぎません。お礼ならクレア嬢に」

 

 話が違う。別にいいけど。

 

 「いや、パンドラズ・アクター様も同様だ」

 「オフィーリア嬢、様は要りませんよ」

 「そうか」

 「パンドラズ・アクター様、いいですか」

 

 ライオの声! どうしたのかな?

 

 「君は……」

 「ライオですわ。パンドラズ・アクター様」

 

 ヘロルがパンドラズ・アクターにビーストマンのライオを教えた。

 

 「何でしょう、ライオ君」

 「何やら縁があるご様子ですが、今この女をどうしようかヘロリエル様と相談していたところなんですよ」

 

 ライオが不満げな声をパンドラズ・アクターに向けた。

 

 「オフィーリア嬢の処遇がどうかしたのですか」

 

 パンドラズ・アクターの声がライオとは違う方向に向かった。相手はヘロルかな。

 

 「それが、こちらの女性はどうやら通行料が払えない様子でして……。かといって、装備や言動から門前払いするには後々問題になる可能性があります。いま、部下であるエルフのリザに確認を取ってもらっているのですが、時間がかかっている様子なのです」

 

 少し歯切れが悪い様子のヘロル。

 

 「なるほど」

 「そうなんですわ。商人なら通行料くらい用意してくるもんですがそういうわけじゃねえ。冒険者かと言えばプレートを持っていない。犯罪者か調べてみればそれも違う。浮浪者かと思えば身に着けている装備もなかなかいい。こんな文無しは初めてでして困っているんですよ」

 「私を馬鹿にするな! 聖王国にあるヴァルキュリア神殿からの試練を成し遂げるためにエ・ランテルに向かう途中なのだ! それに文無しではないぞ。ちゃんと銅貨四枚持っている」

 

 背後から鈴を鳴らしたような音、控えめな音がした。

 

 「うふふふ。試練の内容は言わないのね」

 「そそ、それは関係ないだろ!」

 

 シュレリュースとオフィーリアが言い争っている声が聞こえる。仲が良さそう。

 

 「人間の女ぁ、銅貨四枚じゃどっちみちカルネには入れねえじゃねえか」

 「むぅ。ならこの薬草を少し置いていくからそれで通してはもらえないだろうか」

 「はぁー。所長、どうしやすか」

 「困りましたねぇ」

 

 ヘロルの声は本当に困っている様子だった。そんな時、パンドラズ・アクターがオフィーリアたちに助言をした。

 

 「そういうことでしたら私がオフィーリア嬢の身分と通行料を保証しましょう。あそこで出会ったのも何かの縁です。代金は薬草を売ったお金で返していただくという事で結構ですよ」

 「パンドラズ・アクター、本当か!?」

 

 オフィーリアがはしゃいだような声を出した。

 

 「パンドラズ・アクター様、よろしいのですか」

 「構いません」

 「パンドラズ・アクター様がそうおっしゃるのであれば」

 

 ヘロルは少し戸惑った様子だったけど、パンドラズ・アクターの言葉を聞いて納得したみたい。

 少ししてライオがオフィーリアに告げた。

 

 「よし! おふぃーり・まーく? 畜生! 人間の名前は長すぎるんだよ! カルネに入っていいぞ! パンドラズ・アクター様にしっかり礼を言っておくんだな」

 「もちろんだ!」

 

 ライオの舌足らずなところもかわいい。

 オフィーリアたちが近づいてくる足音が聞こえる。

 

 「パンドラズ・アクター、ありがとう!」

 「礼には及びませんよ。それと、薬草を高く買い取ってくれそうな場所を知っています。もしよろしければご案内しますがどうしますか」

 「本当か!? お前、いい奴だな」

 

 パンドラズ・アクター、張り切ってる。アインズからの勅命だからかな。

 

 「うふふふ。あなたの心が読めませんわ」

 「心を読むまでもありません。あなたたちのことをよく知りたい。それだけのことです」

 「うふふふ。悪そうなお顔ね」

 「シュレリュース! パンドラズ・アクターは悪い奴ではないぞ。パンドラズ・アクター、頼む」

 

 シュレリュースの言葉を聞いてはっとした。そういえばシュレリュースは相手の心を読む能力があった。シズを抱きかかえた理由はこれ? そう思ったら、パンドラズ・アクターがシズを押さえていた力を緩めた。

 

 「クレア嬢、私はこちらのお嬢様方をエスコートしてきます。あなたはどうしますか」

 

 シュレリュースの能力をいなすことができるなら付いてきてもいい、ということかな。だとしたら、シズにそれをする自信も実力もない。さっきも、パンドラズ・アクターに抱き着かれなければオフィーリアに疑いの目を向けていた。絶対に。それをシュレリュースに見抜かれた可能性は高かった。

 

 「……」

 

 だから、首を振って付いて行かないことを示した。

 

 「そうですか。ではヘロル、クレア嬢をお願いします」

 「かしこまりました。パンドラズ・アクター様」

 

 シズはパンドラズ・アクターから離れてヘロルの元に行く。

 

 「それでは行きましょうか。オフィーリア嬢、シュレリュース嬢、こちらです」

 「おう!」

 「うふふふ」

 

 そのまま、三人は検問所を出てカルネに入っていった。

 パンドラズ・アクターだけに任せるのは違う気もするけど、シュレリュースがいるとシズのせいでナザリックの思惑が筒抜けになってしまう。今回は残ることが正解。わざわざ足手まといになりに行くことはない。そうやって言い訳を考えていたら、ヘロルが声をかけてきた。

 

 「クレア様、色々ございましたが今ならライオを紹介できます。いかがいたしますか」

 

 ヘロルの言葉に胸が高鳴る。そう! ここに来たのはライオと遊ぶため。

 三人が去って行った方からヘロルに向き直る。

 

 「……紹介……して」

 

 たったそれだけ言うのに、かなり恥ずかしい気がした。

 ヘロルからは優しい雰囲気が伝わってきた。

 

 「かしこまりました。ライオ、こちらへ来なさい。あら?」

 「……」

 

 ヘロルの声の様子がおかしい。不思議に思って検問室を見渡すと、ライオがいない。

 

 「クレア様、申し訳ございません。ライオが席を外しているとは……。すぐに見つけて連れてきます」

 「……大丈夫。……場所、わかる。……探して……連れて、くる」

 

 ライオに初めて会ったとき、思わずストーカークラスのスキルでマーキングした。だから、スキルを発動すれば今どこにいるか分かる。エクレアと同じような行動をする所に胸がきゅんとする。でも、仕事を放り出して姿を消すのはちょっとおかしい。何かあったのかな?

 

 「クレア様にご迷惑をかけるわけには」

 「……迷惑じゃ……ない。……大丈夫。……ヘロルは……仕事、してて」

 

 ストーカークラスのスキル、≪ターゲット・トラッキング/標的追跡≫を発動する。ライオを見つけた。

 

 「ですが、クレア様」

 「……問題、ない」

 

 そう言って、ヘロルを執務机まで押し出す。

 ここはヘロルの守護領域。シズは自由に行動できる。それなら、シズが探しに行くべき。

 

 「……任せて」

 「クレア様」

 

 シズはヘロルの事をじっと見つめた。

 

 「かしこまりました。クレア様がそこまでおっしゃるのであれば。誠に申し訳ないですが、よろしくお願いします」

 「……」

 

 ヘロルはシズの事を信じてくれたみたい。今度はシズが応える番。

 

 「……行って、きます」

 

 シズはヘロルにそう告げて検問所を出た。目指すはシズから離れていくライオの気配。ビーストマンの種族スキルか知らないけど、それなりに早い。シズが少し本気を出せばすぐに追いつける速度だけど。それに、いまは≪グレーターフルポテンシャル/上位全能力強化≫の効果で全ての能力が向上している。だから大丈夫。

 シズはライオの反応を追って駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 ライオは疾走していた。

 煌くストロベリー・ブロンドの髪をした美少女から、あの冷たく輝く翠玉の瞳から逃れるために。

 

 「はっ、はっ、はっ」

 

 パンドラズ・アクターと共に現れたロリータドレスに身を包んだ美少女。ライオが彼女を初めて見た時は特に印象には残らなかった。ヘロリエルの上司に当たるパンドラズ・アクターが連れてきたのだから、お偉いさんなのだろう。その程度の印象しか持っていなかった。しかし、美少女から自分の机に視線を移して間もなく、心臓が止まりそうになるくらいの恐怖を感じた。

 

 「はっ、はっ、はっ。あの視線、背後からドラゴンに喰らいつかれるかと思うほどヤバかった。あの時はすぐにどこかへ行ったが人間の女の相手をしている時に戻って来やがった。しかも所長と親し気じゃねえか。狙いは絶対に俺だろ! 畜生!」

 

 ライオはカルネの街を屋根伝いに疾走しながら独り言つ。

 ライオの勘は正しい。ヘロリエルと連れだって戻ってきた美少女、シズ・デルタの狙いはライオだった。それをビーストマンの一般的な種族スキルが働いて見抜いたのだ。それからの行動は早かった。

 本来なら狩りをする時に使うスキルを使用して、ヘロルとシズがパンドラズ・アクターたちを見送っている隙に息を殺して立ち去ったのだ。

 

 「はっ、はっ、はっ」

 

 ライオの逃走は続く。

 衛星都市カルネを上空から俯瞰すると面白い街並みだ。エ・ランテル側からナザリック側を順々に俯瞰すると、広大な畑が広がり、検問所と両脇に広がる農業従事者の家が続く。そこからは都市の内部へと続く馬車用道路を挟むように多彩な商店が都市の中心部に広がる。

 商店の外周には薬師、鍛冶、魔法、食料、生活用品、娯楽、旅客者用の工房兼民家や研究施設、宿泊施設がぐるりと円を描いている。

 最外周部はカルネを根城にしている住民の民家が立ち並ぶといった具合だ。もちろん、ここはあらゆる種族が共存する魔導国の都市。各種族の趣向が反映された民家の外観は千差万別で観光名所ともなっている。そして、ナザリック側に検問所、カルネの外れにはドラゴンの離発着場が設置されている。

 

 「オオオアアアアアアアア!」

 「うおおおおああああおお?」

 

 唐突に、不気味な雄叫びがライオを襲う。きょろきょろと、辺りを見回したライオはほっと胸を撫でおろした。

 

 「んだよ! デス・ナイトじゃねえか! 驚かしやがって」

 

 眼下に広がる石畳。その一角にいたデス・ナイトが雄叫びを上げていた。

 ライオからはデス・ナイト--建物に隠れて兜だけしか見えない--の全貌を窺うことができないが、何か小競り合いがあって仲裁にでも入ったのだろう。

 ライオはそう判断して先を急いだ。

 

 「はっ、はっ、はっ。これだけ走っても震えが収まらねえ。すぐ後ろにあのガキがいる気がしてならねえ」

 

 ライオは商店の屋根を飛ぶように駆け抜けながら、しきりに後ろを振り返っていた。

 

 「へっ、へっ、気にしすぎだな。ただの人間のガキが俺様のスピードについてこられるわけがねえってのによ。第一、あのガキが俺様を追っているかどうかなんてわかりゃしねえのに」

 

 カルネの最外周部、民家が立並ぶ区域まで辿り着いたライオはもう一度、慎重に後ろを振り向いてから深くため息をついた。

 

 「……」

 「っ!?っと。後ろには誰もいない、か。そりゃそうだよな」

 

 ライオの背後を見渡せる範囲には誰もいなかった。

 

 「だが、俺の勘が言っている。奴が俺を追ってきていると。俺は俺の勘を信じるぜ」

 

 ライオは屋根の上から地面に視線を移すと一息に飛び降りた。レベルが低い人間ならば、着地した時に怪我をしてしまいそうな高さだが、ビーストマンであるライオには問題がなかった。

 レガートを利かせるようにして着地から移動を滑らかに済ませると、カルネの最外周部にある行きつけの酒場を目指す。酒場なら、あの人間のガキが入ってくる心配はない。それにこの震えを止めるには酒で忘れるしかないというのがライオの考えだった。

 

 「とりあえず、あそこなら問題ないはずだ。ガキは入れないし、そもそもガキが酒場になんか来ないだろうしな」

 

 目的地の酒場は世界中から集めた酒が置いてあって、住民に人気の店だ。もちろん、ライオが好きな酒も置いてある。本来はもっと都市の内周部に店を構えるのがベターだが、店主であるドワーフは気心の知れた仲間と酒を飲みたいということで住居区画に店を構えたのだ。今では知る者ぞ知る穴場スポットとなっている。

 

 「所長には後で体調不良で早退すると連絡しておこう。パンドラズ・アクター様は明日にはエ・ランテルに行くはずだから、それまであのガキに近寄らなければいいはずだ」

 

 一歩、また一歩と安全地帯に近づくことで、ライオは落ち着きを取り戻しつつあった。子どもたちが奏でる喧噪がライオの心に心地よく響く。何も心配する必要はない。日常的な光景だ。路地を抜けて少し進めば行きつけの酒場はすぐそこだ。

 

 「っ!?」

 

 ライオは全身の毛を逆立てて後ろを振り返った。しかし、そこには誰もいない。ライオの心臓が早鐘を打つ。

 

 「はは。ビビりすぎだろおい」

 

 ライオは震え声を上げながら自分に言い聞かせる。

 

 「いくらなんでもすぐ近くにいるはずないだろ。あのガキに俺の行き先が分かるはずもねえし、大体人間のガキが俺より早く走れるとも思えねえ。しっかりしろよライオ!」

 

 自分に檄を飛ばすしつつも、ライオの全身の毛は逆立ったままだ。

 

 「落ち着け、落ち着けよライオ」

 

 ライオはビーストマンの種族スキルを使用して心を落ち着けた。そして周囲を注意深く窺う。探しているのはもちろん、ライオをここまで追い詰めている張本人のシズ・デルタだ。

 

 「街中にいても目立つ格好をしていたからな。探せばすぐに見つかるはずだ」

 

 道を行く者はさほど多くない。それに、シズが着用している黒を基調としたロングスリーブのロリィタドレスに、純白のフリルフレアとスカート部分は純白。前面部がざっくり開いた迷彩柄のハイウエストなどといった格好をしている者がいればすぐに分かる。

 

 「はっ! はっはっはっは! 俺の勘も鈍ったか? 人間のガキが俺様と競争して追いつけるわけねえってのによ。はっはっは」

 

 周囲を窺い終えたライオから笑い声が溢れた。

 自分の心配が杞憂に終わったからか、それとも危機からの解放感からなのか、道行く者たちの視線を顧みずに高笑いをするライオ。ライオの視界からは目的の存在が見つからなかったのだ。やがてライオは意気揚々と酒場に向けて歩き出した。その背中からはもう弱気な雰囲気は見られなかった。

 

 「さあ、今日は朝まで飲むぞ!」

 

 酒場の扉に手をかけたライオの独り言は、誰にも聞かれることなく通りの喧騒に溶けていった。

 

 「……」

 

 ただ一人を除いて。

 

 

 

 

 

 

 シズはライオの事を追いながら何で仕事を放りだしたのか考えていた。

 検問所はライオの守護領域。その守護を放棄するなんてどう考えたっておかしい。きっと守護領域から離れないといけない、大事な用事があるはず。

 

 「……」

 

 視界を横切る街並みは新鮮。だけど、いま優先するのはライオを追跡すること。熱を帯びた石畳のおかげで運動性が高まるのを感じる。たくさんの住民たちが奏でる喧噪も、体内の駆動音に比べたら小さい。カルネの景色を置き去りにして、シズはライオのマーカーを追う。

 見つけた。

 

 「……」

 

 視界の上方、建物の屋根伝いにライオが走っている姿が見える。

 シズは足場になりそうな手ごろな建物がないか探した。

 

 「……」

 

 高さ十二メートル、却下。高さニメートル、推定布製、却下。高さニメートル、推定木材、耐久値目測、却下。

 

 「……」

 

 手ごろな建物がない。どうしよう。ライオが離れていく。

 

 「オオオアアアアアアアア!」

 

 何?

 変な声がした方を見る。

 

 「……」

 

 少し先にその声の正体を見つけた。アインズ様が召喚したデス・ナイト。

 そうだ!

 シズはデス・ナイトの肩に飛び乗った。

 

 「……」

 「オオオアアアアアアア!?」

 

 デス・ナイトがびっくりしてる。でも、事情を説明している暇はない。

 

 「……投げて」

 「オオオアア……」

 「……早く」

 「オ、オオオアアアアアアアアア!」

 

 よかった。

 デス・ナイトは大きな声を出してシズを屋根の上に投げてくれた。これでライオを追跡できる。

 

 「……」

 

 ちょっとだけ時間をロスしたせいでライオを見失った。けど、ストーカークラスのスキルはまだ有効。落ち着いてライオの居場所を確認。

 

 「……」

 

 見つけた。あの建物の向こう側を移動している。すぐにライオの追跡を再開した。

 でも……、ライオが領域の守護を放棄しなきゃいけない理由って何かな。領域の守護を放棄する理由……、わからない。ナザリックの中で仕事を放棄した守護者はいたかな? シャルティア……。

 

 「……」

 

 たしか、シャルティアは自分の欲を抑えきれずに失敗をしたってルプスレギナが言ってた。そのせいでアインズ様を危機に晒したって。でも……。その後は反省して失敗を挽回したともユリが言ってた。

 ライオも同じなの? 領域の守護よりも自分の欲を優先するのかな。ううん、ライオはそんなことしない。しないよね?

 きっと理由は他にある。

 

 「……」

 

 ライオが見えた。何だか、何度も後ろを振り返ってる。すごく怯えた様子。そんなに大変な状況なのかな? だけど、どこかエクレアに似ててちょっとかわいいかも。そうだ! アサシンクラスのスキル≪クローキング≫発動。すぐ近くまで行ってみよ。

 

 「……」

 

 間近で見ると、顔がすごくもこもこしててかわいい! それに毛を逆立てて本当にエクレアみたい。

 

 「っ!?」

 

 あ! びくって震えた! かわいい! そんなに怯えなくても大丈夫だよ? シズはライオの味方だから!

 ライオの姿に見惚れていたら、少し距離が離れた。気を取り直してライオを追う。

 また少し進んだらライオが地上に降りた。シズもライオを追って地上に降りた。ライオの後ろ姿もかわいいな。

 

 「……」

 

 ライオはどこに行くつもりなのかな。そう考えながらライオの背中をじいぃっと眺めていたら、またシズの方を見た! かわいいなぁ。一緒に遊びたい。

 そのままライオの事を追跡していると、視線の先にバーが現れた。たぶん、バーだと思う。ナザリックのバーでよく見るグラスが彫られた木彫りの看板があったから。

 

 「……」

 

 ライオは大きな声を出すと、バーに入った。ここで領域の守護から離れなければいけない、大事な用事を済ませるのかな。

 どうしよう。ライオを連れ戻すことをヘロルとの約束した。でも、とても重要な用事で検問所から離れたのだとしたら、邪魔はできない。

 

 「……」

 

 それなら、それならシズは待ってる。

 ライオが領域の守護をするために、どうしてもしなければいけない用事を終えるまで。



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カルネ 3

今回シズは出て来ません。


 不思議な文字が刻まれた石畳の道に幾つもの影が走る。この都市を初めて訪れた人間ならば、その異様な形の影に目を丸くして本体の姿を追うだろう。およそ人型とは言いずらい影、一見すると人型だが異様に小さい影、翼のようなものが生えた影。その他にも様々な形の影が石畳の上を走っていた。そう、ここは魔導国にある衛星都市カルネ。人間と人間ならざる者が共存する都市だ。

 検問所を出たパンドラズ・アクターたちは、そんな影を持つ者たちの中を突き進む。オフィーリアとシュレリュースが採取した薬草を売却するために薬師工房を目指して。

 カルネには異形の者たちの他にも珍しいものはある。それはルーン文字だ。

 街並みに目を凝らすと、いくつものルーン文字を見つけることができる。パンドラズ・アクターたちが出てきた検問所、カルネ住民の民家、カルネ全域に施された石畳、工房、研究施設、宿泊施設など、あらゆる所にルーン文字が刻まれている。

 かつてはルーン文字を戦闘用にしか付与することができなかったが、数百年の研究の中で戦闘以外のルーン文字の開発・付与もできるようになった。

 そしてここに一人、ルーン文字に興味を示した人間がいた。

 

 「パンドラズ・アクター、地面に文字が刻まれているな。私が身に着けているスカートとは違った文字みたいだが」

 

 鮮やかなアズライト色の髪を持ち、豊かな身体に恵まれた美女、正義を行うパラディンであるオフィーリアが移動用ゴーレムに跨りながら地面を指さした。

 検問所から薬師工房へは人間が歩いて移動となると一時間ほどかかる。無論、これは目的地へ直行した場合の時間であり、寄り道などをしていればもっと時間はかかることになる。一時的とはいえ、ホストとしてそれだけの距離を歩かせるのは忍びない。そういった建前で、パンドラズ・アクターはオフィーリアにサービスをしたのだ。オフィーリアもまた、パンドラズ・アクターの申し出を快く受け取ったのだった。

 オフィーリアの問いに対して、パンドラズ・アクターは思いを巡らせるような意味深な仕草をしつつ答えを返した。

 

 「その通りです、オフィーリア嬢。これらはドワーフが研鑽を積み重ねた賜物。このルーン文字はカルネ全域に施されています」

 

 シュレリュースはパンドラズ・アクターの仕草を訝しんだが、心が読めないと思い至ると興味をなくしたようにオフィーリアに向き直った。

 

 「うふふふ。オフィーリアが身に着けている物にも同じものがあるわね」

 「ああ、これは神殿から支給された装備の一つだな」

 

 そう言ってオフィーリアはフレアスカートの裾を二人に見せる。そこにはいくつものルーン文字が付与されていた。

 

 「うふふふ。この文字と地面に描かれた文字は違うわね」

 

 どこか遠くを見ていたパンドラズ・アクターだったが、次の瞬間には二人の会話に加わっていた。

 

 「恐らくオフィーリア嬢が着ている装備のルーン文字は戦闘用に開発されたものでしょう。カルネの街に付与されたものとは種類が違いますね」

 「詳しいんだな」

 「ええ、この街のことはよく知っていますので。ルーン文字に限らずカルネで行きたい場所があれば何でも言ってください。可能な限り応えましょう」

 

 パンドラズ・アクターは自信満々といった感じで胸に手を当ててそう答えた。

 

 「じゃあ早速だがいいか?」

 「何なりと」

 「うふふふ。すっかり仲が良くなったわね」

 

 シュレリュースは二人の様子をにこやかに見つめていた。

 

 「パンドラズ・アクター、鎧の下に着る装備を調達したいのだがいい店を知らないか」

 「装備、ですか」

 「ああ。いまは訳あって寝巻を着ているが正式な装備は別にあるんだ」

 

 パンドラズ・アクターはオフィーリアの装備を軽く一瞥した。

 なるほど、確かに鎧の下に身に着ける装備としては防御力が心許なさそうだ。しかし、何かのイベント装備かもしれない。父上の嫉妬マスクのような。これはオフィーリアのブラフなのだろうか。

 一瞬で思考を巡らせるパンドラズ・アクターだったが、今はホストとして二人を歓迎している。ここはホストらしくして様子を窺おう。そう考えた。

 

 「なるほど。どのような装備をご所望でしょうか」

 「タイツだ」

 「タイツですか」

 

 タイツと聞いてパンドラズ・アクターの思考は一瞬停止する。なぜならもっと防具らしい、例えばチェインシャツなどを想像していたからだ。女性冒険者向けの武具店に行けばあるだろうか。パンドラズ・アクターの自信が揺らぐ。

 そんなパンドラズ・アクターの煮え切らない態度にオフィーリアが首を傾げた。鮮やかなアズライト色の髪がパサリと舞う。

 

 「パンドラズ・アクター、わかるか?」

 「もちろんです」

 

 あまり自信が無さそうに答えるパンドラズ・アクター。自信を示した手前、分からないとは言えないのだ。しかし適当な事を言ってせっかく築きかけた信頼を壊すようなことはできない。

 オフィーリアの視線がパンドラズ・アクターを刺す。

 パンドラズ・アクターはどうすべきかと逡巡する。

 僅かな静寂が三人の間に訪れた。

 

 「どうなんだ? パンドラズ・アクター」

 

 痺れを切らしたオフィーリアがパンドラズ・アクターに詰め寄る。しかし、パンドラズ・アクターはオフィーリアの詰問には動じなかった。

 

 「正式な装備となると普通のタイツではないでしょう。もっと詳しく教えてもらえないでしょうか」

 

 パンドラズ・アクターはもっと詳しく話を聞くことにしたのだ。

 

 「確かに」

 

 そう言ってオフィーリアはしばし思案した。

 パンドラズ・アクターもまた思案するオフィーリアを見下ろしながら、次の返答を考えていた。

 

 「そうだな、素材がアダマンタイトだったか」

 「アダマンタイトですか」

 

 パンドラズ・アクターの頭が真っ白になる。アダマンタイト製のタイツなど記憶には存在しなかったからだ。分からないという事を顔に--そもそも顔はないが--出さないようにオフィーリアの頭を見下ろす。また何かを考えている様子だったからだ。 

 

 「あとは、アルベドという女性が製作したって聞いたな」

 「アルベド……ですか」

 「ああ。アルベドだ」

 

 アルベド。それはナザリック守護者統括。パンドラズ・アクターもよく知る者だ。

 パンドラズ・アクターはとりあえず恥をかかずに済みそうになって一安心した。しかし、カルネではオフィーリアの探し物は見つからない。それは伝えなければと考えてパンドラズ・アクターは声を出す。

 

 「オフィーリア嬢、残念ながら衛星都市カルネにはアダマンタイト製のタイツはありません」

 「そうなのか? それは困ったな」

 

 パンドラズ・アクターの言葉を聞いてオフィーリアはがっかりした様子だ。そこで、すかさずパンドラズ・アクターがフォローを入れる。

 

 「ですが心配する必要はありません。その装備を持っていそうな知り合いに心当たりがあります」

 「本当か!? 流石だな、パンドラズ・アクター!」

 「うふふふ。よかったわねオフィーリア」

 

 がっかりした様子とは一転して笑顔になるオフィーリア。シュレリュースも友人の幸せが嬉しいのか陽気な顔をしている。

 

 「しかし、アダマンタイト製のタイツとなると簡単に紛失するとも思えません。一体何があったのでしょうか」

 

 そんな二人にパンドラズ・アクターが疑問を投げかけた。

 その疑問を受けてオフィーリアはシュレリュースに視線を移す。シュレリュースはオフィーリアに、にこやかな顔を向けていた。

 オフィーリアは再びパンドラズ・アクターに視線を戻すと、理由を話した。

 

 「ああ。シュレリュースと旅をしている時にちょっとな」

 「うふふふ。あの時はお世話になったわ。でも、まさか予備の装備がないだなんて……。しかも下に寝巻なんか着ちゃって、大胆よね」

 「お前! 感謝してるのか馬鹿にしてるのかどっちなんだ!?」

 

 そのままオフィーリアとシュレリュースは言い争いを始めてしまった。

 突然、話題から置いてけぼりにされたパンドラズ・アクターだったが、二人に割り込むことなく口喧嘩が終わるのを待つことにした。

 ナザリックではたまにある光景で慣れてはいるし、割り込むこともできる。しかし、二人の口喧嘩から何か重要な情報が得られるかもしれないといった考えがパンドラズ・アクターにあった。

 

 「うふふふ。いいのかしら? あなたがエ・ランテルに向かっている理由をパンドラズ・アクターさんに言っちゃうわよ?」

 「わあああああ! わかりました! 私が悪かったです!」

 「うふふふ。分かればよろしい」

 

 二人の口喧嘩はすぐに収まった。

 シュレリュースはしたり顔、オフィーリアはとても悔しそうな表情だ。対して、パンドラズ・アクターはちょっとがっかりした様子だった。だが、オフィーリアがエ・ランテルに向かっているという情報を得られた事は僥倖だった。

 パンドラズ・アクターはアインズからの命令の完遂に一歩近づいたことで、心の中でガッツポーズをした。

 

 「パンドラズ・アクター、固まってどうかしたのか?」

 「いえ、丁度私たちもエ・ランテルに向かう途中だったので驚いていたのですよ」

 

 パンドラズ・アクターは興奮を悟られないように努めて平静を装う。対して、オフィーリアはパンドラズ・アクターの言葉を聞くと花が咲いたような笑顔を見せた。

 

 「そうなのか! パンドラズ・アクターが付いていてくれるなら心強いな!」

 「うふふふ。そうね。パンドラズ・アクターさんがいなかったら今頃、街の外で野宿だったものね」

 「ああ、パンドラズ・アクター様様だな」

 

 二人には興奮をごまかすことができたと、パンドラズ・アクターは一人安心していた。この調子でもっとオフィーリアの情報を得たい。そう考えてパンドラズ・アクターは花びらのように舞っているオフィーリアに問いかける。

 

 「話を戻すようで悪いのですが」

 「うん? 何でも聞いてくれていいぞ」

 

 オフィーリアが胸を張って応える。

 

 「なぜオフィーリア嬢はアダマンタイト製のタイツを失ったのでしょうか」

 「ああ、そのことか」

 

 オフィーリアはパンドラズ・アクターを見据えると、こくりと頷いた。

 

 「パンドラズ・アクターになら教えてもいいな。もう少し近くに来てくれないか」

 「うふふふ」

 

 オフィーリアの要請を受けてパンドラズ・アクターは歩み寄る。

 

 「実は、シュレリュースの兄が死の呪いにかかっていてな、それを治すために第四位階魔法を使ったんだ。その時にタイツを媒介として消費した」

 「オフィーリア嬢は魔法詠唱者だったのですか」

 

 パンドラズ・アクターは驚きが混じった声を上げる。しかし、オフィーリアは手を振ってそれを否定した。

 

 「ちょっと違うな。本職はあくまでもパラディンだ。言うならば魔法も使える騎士、と言ったところだな」

 「なるほど」

 「さ、私の秘密を教えたんだ。何かお礼をしてもらおうかな」

 「……」

 

 その言葉を聞いたパンドラズ・アクターは言葉に詰まった。なぜならナザリック領域守護者であり、アインズが設定を作ったパンドラズ・アクターにそのような事を言う者はいなかったからだ。

 オフィーリアはパンドラズ・アクターにウィンクしている。

 もし、パンドラズ・アクターのカルマ値が極悪に振り切っていたのならオフィーリアは消し炭になっていたかもしれない。しかし、パンドラズ・アクターの属性は中立。シャル○ィアのような残虐性はない。

 批判的にオフィーリアを凝視するに留め、努めて平静な対処をした。

 

 「仕方ありませんね。今の私はあなたたちを歓迎している身。ならばもてなしましょう」

 「うむ。さっきから気になっていたのだが、ここまで漂ってきている甘い匂いのする物が食べたい。買ってきてくれ」

 

 オフィーリアの当然といったような態度に再び視線が交錯する。しかし、それも一瞬のことだった。

 パンドラズ・アクターはオフィーリアの言う通りに甘い匂いの正体を買いに走る。

 全ては敬愛するアインズのため。ターゲットに近づいてプレイヤーであるか否かを完璧に調べ上げるまでは、オフィーリアに信頼されるいい奴というのを演じきってみせる。その思いがパンドラズ・アクターを買いぱしりに変えたのだった。

 

 「うふふふ。恩人に対して失礼じゃない?」

 「仕方ないだろう? お腹が減ったけどお金はないんだ」

 「うふふふ。あなた、大物ね」

 

 二人の話し声が賑やかな街頭に色を添える。

 

 「それにしても大きな街だな。聖王国でもこれほどの街は少ないかもしれない」

 

 オフィーリアは辺りを見渡しながらそう言った。

 

 「うふふふ。あなたの住んでいた街はどんなところだったの?」

 「私が住んでいたのは山奥の神殿だから街については詳しくない。だが一年に一週間、ヴァルキュリア祭というのがあってな。その間は神殿所属のパラディンが国内各地で無償の治癒行為を行う。その時に遠征した街と比べて大きいと感じた」

 

 オフィーリアは遠くを眺めるような顔をしながらそう言った。

 口では遠征で訪れた街について話してはいるが、その脳裏に蘇るのは幼き日々を両親と過ごした街並みであった。

 

 「うふふふ。そのお祭りの時も私と同じ境遇の人たちを助けてくれたのね」

 

 オフィーリアの思考を読んだシュレリュースであったがその事には触れずに話を進めた。

 

 「そうだな。それに私も助けられた側だ」

 

 オフィーリアが空を仰ぐ。その様子をシュレリュースはにこやかな表情で見つめる。

 二人がいる空間だけ色が抜け落ちた感覚を覚えるほど、賑やかな街で二人は静止していた。だが間もなく、彩を取り戻す。パンドラズ・アクターの帰還だ。手にはアップルパイ、そして容器に注がれたアゼルリシアンティーを器用に持っている。

 

 「お待たせしました。どうぞご堪能してください」

 

 パンドラズ・アクターはアップルパイセットをオフィーリアに手渡した。

 

 「ありがとう。ご馳走になる」

 

 パンドラズ・アクターはオフィーリアがアップルパイを頬張ったのを確認すると、もう一つのアップルパイセットをシュレリュースの元へ持っていく。

 

 「うふふふ。せっかく買ってきていただいて申し訳ないのだけれど私はいらないわ。私は肉食なの」

 「そうですか」

 

 パンドラズ・アクターはシュレリュースの言葉を聞いてアップルパイセットを引っ込める。

 シュレリュースはひどく素直に引っ込めるのね、といった表情をパンドラズ・アクターに向けた。

 シュレリュースが見つめるなか、パンドラズ・アクターはアップルパイセットを脇に挟むと、徐に懐へと手を伸ばす。そして懐から一枚のチケットを取り出した。

 

 「こちらはカルネに支店を置くバハルス牛料理専門店の宴会用チケットです。もしまたカルネに立ち寄る事があれば使ってください」

 

 そう言ってチケットをシュレリュースに渡す。

 

 「うふふふ。せっかく気を利かせてもらったのに突き返すのも悪いわね。いただくわ。ありがとう」

 

 パンドラズ・アクターの気遣いにシュレリュースは感激といった様子だ。

 口元にアップルパイをつけたオフィーリアは、そんな二人の様子を羨ましそうに眺めていた。

 

 「なんか私のより高そうだなー」

 

 オフィーリアの口を突いたのはそんな言葉だった。

 

 「うふふふ。正義のパラディン様とは思えない言い草ね」

 「な! そういうつもりじゃない!」

 

 墓穴を掘ったオフィーリア。シュレリュースにたしなめられて頬を膨らませた。そんなオフィーリアにパンドラズ・アクターは話しかける。

 

 「申し訳ございませんオフィーリア嬢。これは種族的な要件なのです。私は決して二人に優劣を付けている訳ではないのです。もしも、このパンドラズ・アクターにオフィーリア嬢のご不満を晴らすことができるならば何でもお申し付けください」

 

 そう言ってオフィーリアを真っ直ぐ捉えるパンドラズ・アクター。そんな対応に、オフィーリアは悪戯を見られた子どものように目を泳がせていた。そして、この場は何か言わないとパンドラズ・アクターが納得しないと考えたオフィーリアは、一息ついてから口を開いた。

 

 「シュレリュースが肉食なのは知っている。何せ目の前で猪を丸飲みにしたからな。それに……」

 

 最初はパンドラズ・アクターの目を見て話していたオフィーリアだったが、尻下がりに調子が悪くなる。いまはパンドラズ・アクターとは違うあさっての方向を見ていた。

 

 「うふふふ。はっきり言わないと分からないわよ?」

 

 オフィーリアはシュレリュースをキッと睨む。しかし、その勢いもすぐに消沈する。

 

 「ああもう! シュレリュースのことが羨ましかっただけだ! こんなこと言わせるな! 恥ずかしいだろ!」

 

 そう言うとオフィーリアはそっぽを向いてしまった。

 

 「なるほど。これは失礼しました。しかし、ナーガ種のことを理解されているようで私としては嬉しく思います。お詫びと言っては何ですが、今夜の宿は私が手配致しましょう」

 「そこまでしてもらう訳には!」

 

 オフィーリアは弾かれたようにそう言った。しかし、シュレリュースがオフィーリアに止めを刺す。

 

 「うふふふ。オフィーリアったら大事にされてるわね」

 

 オフィーリアはシュレリュースの言葉を真に受けたのか表情が忙しない。口元をぱくぱくさせている。

 パンドラズ・アクターはそんなオフィーリアの様子をちらりと一瞥すると、先に進むために言葉を発した。

 

 「それでは先へ進みましょう。カルネの街は大きいのです。色々とご説明しますので、アップルパイを食べながら耳を傾けていただければ幸いです」

 

 パンドラズ・アクターがそう言うと、一行は衛星都市カルネの街を進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 オフィーリアはパンドラズ・アクターに紹介された薬師工房で薬草の売却を済ませると、その足で宿屋に到着した。

 パンドラズ・アクターはオフィーリアを宿屋に案内し終えると、エ・ランテルへの同行を約束して立ち去った。

 オフィーリアはシュレリュースを宿屋の酒場に残し、宿屋従業員に案内に従う。

 宿屋の通路は、磨き抜かれたオリハルコンにレッドカーペットが敷かれていた。壁には眩しくない程度に光量が調節されたコンティニュアルライトが備え付けられている。

 案内に従うままレッドカーペットの上を歩くオフィーリアは、上階へと続く転移装置に辿り着く。転移した先がオフィーリアの今夜の宿だ。

 オフィーリアが転移装置を抜けると、開け放たれた客室の扉を背に宿屋従業員が待機していた。

 

 「こちらがパンドラズ・アクター様から指定された部屋でございます。ごゆっくりどうぞ」

 「ああ、ご苦労」

 

 オフィーリアは一言礼を告げて部屋に入った。

 

 「間もなく客室係が参ります。失礼いたします」

 

 宿屋従業員は振り返ったオフィーリアと目が合うと、会釈をしてその場を立ち去った。

 オフィーリアは部屋の入口で一人立ち尽くしていた。

 

 「家より豪華な部屋だな」

 

 遠い昔。貴族であった時の記憶と照らし合わせてそう呟いた。

 オフィーリアはアズライト色の髪をはらりと揺らして部屋に入る。

 

 「こんないい部屋を手配するとは。パンドラズ・アクターはすごい奴だな」

 

 アップルパイセットの出来事で、パンドラズ・アクターがオフィーリアにした埋め合わせ。それがこの部屋の提供である。

 部屋は広く高く、十数人程が部屋の中にいても余裕がありそうだ。天井は四メートルはあるだろうか。

 ここは衛星都市カルネにある最高級宿屋エモットの一室。その中で最も値が張る部屋「エンリ」だ。

 部屋の名前はかつてこの街に存在した人間の女性から取ったという。この女性は人間種でありながら、ゴブリン、オーガを初め、亜人種、異形種を博愛し、そして愛された。

 その後、エンリに愛された情緒ある者たちが彼女の存在を形として残そうとした。その結果が宿屋エモットである。

 初めてこの街を訪れた者を、自分たちと同じように愛して欲しいと願って。

 

 「眺めもいいな」

 

 オフィーリアは大きな窓から見える眺めを堪能する。カルネの街並みが夕焼けという着色を受けて鮮やかな輝きを放っていた。

 壁は漆が塗られたような渋い茶色。さらに、大きな額縁が飾られており、そこには若かりし日のエンリとその夫の絵が描かれていた。

 天井からは複数のオリハルコン製シャンデリアが吊り下げられていて、調度品は滞在する者に安らぎを与える効果のある香木で揃えられている。

 そして、床には金の刺繍を編み込んだ柔らかいレッドカーペットが敷かれていた。

 

 「金貨はここに置いておくか」

 

 オフィーリアは机の上に金貨袋をそっと置く。それと同時に、背後から声がかかった。

 

 「お初にお目にかかります、オフィーリア様」

 

 声がした方向に振り向くオフィーリア。

 

 「本日の客室係を担当させていただきます、ソリュシャンと申します」

 

 振り返ったオフィーリアは口をぽかんと開けて固まった。その目に映ったのは美しいメイド服に身を包んだ絶世の美女。女性であるオフィーリアから見ても思わず魅入ってしまう、そんな女性が現れたのだ。

 ソリュシャンは柔和な笑みを浮かべながら待機している。その姿は一つの女神のように神秘的なものだった。

 

 「……綺麗」

 

 オフィーリアの口を突いて出たのはそんな言葉だった。

 二人の視線が交錯する。

 

 「当然でございます」

 

 絶世の美女の唇から発せられたのは、そんな言葉だった。

 至高の御方に創造していただいたのだから当然。ソリュシャンの返答はそう考えてのものであったが、その存在を知らないオフィーリアは吹き出した。

 

 「ぷっ! ふふふ。当然ときたか。なるほど、正直だな!」

 

 オフィーリアは肩を震わせてそう言った。それに対して、ソリュシャンの目が据わる。

 ソリュシャンはオフィーリアの言動に対して強い殺意を覚えていた。

 至高の御方に想像された自分は美しくて当然のこと。それを魔導国の国民ではなく他国の、しかも異形種でもない人間種に笑われたのだ。姉妹たちの中でも分別はつく方とはいえ、腸は煮えくり返っていた。しかし、ソリュシャンは努めて平静を装う。

 ソリュシャンはできるNPCだ。

 オフィーリアはソリュシャンの様子に気付くことなく言葉を重ねた。

 

 「ソリュシャンの両親はさぞお美しい方々なのだろうな」

 「ええ、もちろんです」

 

 ソリュシャンは即答する。

 

 「羨ましいな。一体どれほど容姿に優れていればソリュシャンのような美女が生まれるのだろうか」

 

 オフィーリアは目を輝かせながらそう言った。

 ソリュシャンの殺意が引いていく。それはオフィーリアが本気で創造者--ヘロヘロ--を褒めていると感じたからだ。

 ソリュシャンはオフィーリアへの評価を改めた。同時に、目元が優しいものへと変わる。

 

 「お話はこれくらいにしておいて部屋の案内をしましょうか」

 

 目を輝かせて浮ついた様子のオフィーリアを無視してソリュシャンはそう告げた。

 不意打ちを喰らったオフィーリアは、恥ずかしそうに咳払いをするとソリュシャンに向き直る。

 

 「あ、ああ。そうだな。よろしく頼む」

 「かしこまりました」

 

 ソリュシャンはリビング、バスルーム、寝室、バルコニーと、オフィーリアに部屋の内容を説明していく。その表情は真剣そのもので仕事にかける意気込みを強く感じさせた。

 オフィーリアも、第一印象とは違うソリュシャンの態度に釣られて真剣に説明を聞いていた。

 一通りの説明を終えて、ソリュシャンはオフィーリアに向き直る。その表情は真剣なものから柔和なものへと変わっていた。釣られてオフィーリアの表情も崩れる。

 

 「この部屋の説明は以上です。何か分からない事はございましたでしょうか」

 「いや、大丈夫だ。ありがとう」

 「かしこまりました。それではごゆっくりお寛ぎください」

 

 ソリュシャンはオフィーリアにお辞儀をして部屋から立ち去った。その後ろ姿をしばらく呆けた顔で眺めていたオフィーリアだったが、ソリュシャンの姿が見えなくなると身支度を整えた。

 鎧を寝室に置いて調度品に備えられていた軽装--全てマジックアイテム--に着替えると、シュレリュースに会うために部屋を出た。

 

 「それにしても綺麗な人だったな」

 

 そんなことを言いながらオフィーリアは転移装置に身体を預けた。

 

 

 

 衛星都市カルネにある最高級宿屋エモット。その酒場は夕食時ともあって、行列ができるほどの人間種、亜人種、異形種がいる。賑やかな喧噪が溢れていた。

 オフィーリアとシュレリュースが座る席の心配をする必要はない。なぜなら、宿泊客専用スペースがあるからだ。その専用スペースで待たせてるシュレリュースの元にオフィーリアは間もなく到着する。

 レッドカーペットの上を歩くオフィーリアに、食欲を刺激する匂いが襲いかかった。お腹の虫が騒ぐのか、オフィーリアの足取りは軽やかなものだ。

 

 「待たせたな」

 「うふふふ。大丈夫よ。お先にいただいていますもの」

 

 シュレリュースの元に置かれたテーブルには既に料理が運び込まれていた。そのうちのいくつかを平らげたのか、大判のお皿が積み上げられている。そのお皿を一瞥したオフィーリアは呆れた様子でシュレリュースに視線を移す。

 

 「お前なあ」

 「うふふふ。まだ腹一分目といったところかしら。お水をいただいていたと思ってちょうだい」

 「はぁ……」

 

 オフィーリアはため息をついて席についた。

 

 「うふふふ。そういえば、この宿屋には劇場が併設されているみたいね」

 「劇場?」

 

 メニューを眺めていたオフィーリアはシュレリュースに聞き返す。

 

 「うふふふ。何だか、一般席に着いた人たちがそんなことを話していたわ。あそこに掲示してあるものじゃないかしら?」

 

 そういってシュレリュースは劇場のポスターが掲示してある場所を示した。

 オフィーリアは示された方向に視線を移す。

 

 「なになに? アインズ・ウール・ゴウン魔道王、救世の物語。主演……、脚本……。旧スレイン法国からカルネ村を守ったアインズ……。なかなか面白そうじゃないか」

 「うふふふ。何でも、各街ごとに演目が異なるそうよ。ここカルネではその演目を上演しているみたいなの」

 「ほう。変わってるな」

 

 オフィーリアは食前酒を運んできたウェイターに料理を注文した。

 

 「うふふふ。エ・ランテルでは秘密結社ズーラーノーンとの闘い。旧王都では人間の女性と素敵な紳士の物語を上演しているみたい」

 「恋物語か!? それにエ・ランテルの演目も中々面白そうだな!」

 

 オフィーリアは正義を行うパラディンだ。その職業柄か正義を行うエピソードは大好きだった。それに、今は将来の伴侶を探す旅をしている。だから自然と恋物語にも興味を持った。瞳を爛々と煌めかせてシュレリュースの話を聞くオフィーリア。

 

 「うふふふ。詳しい話は私も知らないわ。あそこの席で食事をしている人たちの話を聞いていただけだから。でもエ・ランテルに行くのなら丁度いいじゃない。観に行ってきなさいな。パンドラズ・アクターさんも案内してくださるわ」

 「そうだな! パンドラズ・アクターならきっと案内してくれるな!」

 「うふふふ。オフィーリアったらはしゃいじゃって」

 

 大判に乗った肉塊を丸飲みしながらにこにこと顔をほころばせるシュレリュース。

 

 「それはそうと、シュレリュースはエ・ランテルに来ないのか?」

 「うふふふ。パンドラズ・アクターさんが連れて行ってくれるって話じゃない? それなら私の出番はここまで。それにロアリュースお兄様も心配だし……」

 

 トブの大森林に残してきた兄を思うシュレリュース。その顔はとても心配そうだった。

 

 「そうだな。シュレリュースが居た方がロアリュースも安心だろう」

 「うふふふ。今度会うときは素敵な殿方を連れてきてね」

 

 食前酒を口に含んでいたオフィーリアは思わず口に手を当てる。

 手の隙間から液体が滴り落ちる。

 

 「fじぇklをjふぃお」

 「うふふふ。お行儀が悪いわよ? オフィーリア」

 

 オフィーリアは顔を真っ赤にして涙を流しながらシュレリュースを睨んだ。しかし、シュレリュースはどこ吹く風といった様子だ。

 料理を運んできたウェイターは一瞬ぎょっとしたが、すぐに対応する。

 

 「ありがとう。もう大丈夫だ。下がっていいぞ」

 「かしこまりました」

 

 ウェイターが下がると、オフィーリアは料理に集中した。シュレリュースを無視することで抗議しているのだ。しかし、シュレリュースは相手の心を読むことができる。オフィーリアの考えなどお見通しなのだ。

 

 「うふふふ。本当にかわいいわね」

 「……」

 

 オフィーリアの手が止まる。

 

 「うふふふ。お別れするのは寂しいわね」

 「……」

 

 オフィーリアの視線がシュレリュースを捉える。

 

 「うふふふ」

 「……」

 

 オフィーリアはナプキンで口を軽く拭くと口を開いた。

 

 「シュレリュース。思い出作りと言っては何だが、この後一緒に劇場に行かないか?」

 「うふふふ。……そうね。そうしましょうか」

 「決まりだな」

 

 食事を終えた二人は劇場に向かい、演劇を鑑賞した。その後、シュレリュースは兄ロアリュースの面倒を見るためにトブの大森林へと帰って行ったのだった。



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カルネ 4

 --カラン、カラン。

 酒場の扉を押し開けると、鈴の小気味いい音が耳に響いた。

 

 「オヤジ、いつもの酒とつまみを頼む。今日は朝まで世話になるぜ」

 

 俺は行きつけの酒場に転がり込むと、顔馴染みの店主にそう告げた。酒場のオヤジのナリは小さいが出てくる物はしっかりしている。それに、店の雰囲気が渋くて中々いい。

 ≪コンティニュアルライト/永続光≫は値が張るってんでルーンで魔化した代替品を自作して照明に使ってるらしい。こいつがいい具合に店を照らしやがる。お気に入りの店だ。

 オヤジの店は手ごろな広さだ。七人掛けのカウンターの他に、テーブル席が六つある。

 まだ昼間だからか、酒場の客は俺以外に一人しかいない。手前のテーブル席で頭を突っ伏して寝てる酔っ払いだけだ。

 どうもそいつが目について離れない。

 俺はひどい目に遭ったっていうのによ。呑気に寝やがって。

 無性に腹が立ってきた。

 

 「昼間っから寝てんじゃねえ!」

 

 俺は酔っ払いに近づいて椅子ごと蹴り上げた。その反動で酔っ払いは宙を舞って床に激突する。だが酔っ払いは起きるどころか幸せそうな寝息を立て始めた。

 蹴り上げた奴は顔馴染みでちょっとやそっとじゃびくともしない。丈夫な奴なんだが今回ばかりは無性にムカつくぜ。

 

 「何だライオ。今日は荒れておるのう」

 

 カウンターの奥で酒を作っていたオヤジが口を挟んできた。

 俺は大の字になって床で爆睡している酔っ払いにツバを吐くと定位置へと向かう。

 カウンター席にどしりと腰を降ろすと目の前に酒が置かれた。

 俺はグラスに手を伸ばしたが上手く掴めなかった。

 

 「ほっほう。お前さんが震えるとは珍しいのう。バジリスクにでも出会ったのかの?」

 「ちっ」

 

 自分でも気づかない内に怯えていたらしい。それをオヤジに見破られた。

 俺はオヤジの問いかけに答えず一息に酒を呷る。灼けるようなアルコールの刺激が俺の気分を高揚させた。しかし、バジリスクか。まあ、奴を直視していないオヤジにはそこらへんが限界だろうな。

 俺はグラスを握る手に力を込めながら仕事場で出会った悪魔の事を思い出す。

 

 「ふっふっふっふっふ」

 

 あれがバジリスク? 笑えるぜ。バジリスク程度なら徒党を組んで挑めば何とかなる。ギガントバジリスクともなると、ちと厳しいかもしれないが。だがギガントでさえ倒せない敵じゃねえ。

 

 「何がおかしいのじゃ」

 

 違うんだよオヤジ。あれはそこらにいるような魔物とは訳が違う。悪魔かドラゴンだ。いや、両方だ。ドラゴンデーモンだ。人間の皮を被った化け物なんだよ。ぺたん血鬼航空で飼いならされてるドラゴンに匹敵する脅威を感じたぜ。

 あんなガキなのによ。信じられねえぜ。

 

 「おい、ライオ。本当に大丈夫なのじゃろうな?」

 

 オヤジが心底心配そうに俺の顔を見やがる。心配いらねえさ。いくらドラゴン並みの脅威を感じたと言っても身体つきは人間。しかもガキで女だ。ライオ様の疾走に付いてこれるはずもないし、俺がどこにいるかさえも分からねえはずだ。

 とりあえず朝まで待てばあの悪魔竜は消える。パンドラズ・アクター様の連れなのは間違いないしな。あんなナリをしたガキから尻尾を巻いて逃げるのは癪だが、本能が逃げろと言うんだから仕方ねえ。

 酒を飲んであのガキの事は忘れよう。

 

 「酒だ!」

 「!?」

 「オヤジ! もっと酒を作ってくれ!」

 

 木こりが木を伐る様に、グラスをカウンターテーブルに何度も叩きつけて酒を煽る。そうやって気張っていないと悪魔竜を思い出してしまいそうだったからだ。

 

 「いきなり大声を出すでない」

 「悪りい悪りい」

 「全く。年寄りを驚かせおって」

 

 そう言いながらもオヤジは酒を作り始めた。

 

 「しかしよお、このカウンターテーブルは丈夫だな。どれだけ乱暴に扱っても傷がつかねえ」

 「ほっほっほ。これは儂の友達が丹精込めてルーンを付与した特注品じゃからな」

 「ドワーフってのは体は小せえがやるこたあ半端ねえな。そうゆう所は尊敬するぜ」

 

 酒を作るオヤジとそんな会話をした。

 オヤジはダチの仕事を褒めてやるとすぐにいい気分になりやがる。

 

 「ほっほっほ。そうじゃろうてそうじゃろうて。武器に始まり家具までドワーフに作れないものはなし。さらにルーン文字によってその性能は強大なものとなる。マジックアイテムなんかには負けはせんよ」

 「よっ! 世界の工匠王ドワーフ!」

 「ほっほっほ。ええ気分じゃの。よし! 本当は出汁にするはずじゃったのじゃが、一つくらいいいじゃろ」

 

 俺のグラスを交換したオヤジは、徐にカウンターの下に顔をうずめた。再び俺の前に顔を見せた時、その手に一本の骨があった。

 俺は骨が大好物だ。

 

 「これは魔導王陛下からドワーフ工房にといただいた魔物の骨じゃ。本来はエ・ランテル冒険者組合に卸す武具への加工のためのものじゃが、魔物の骨は料理にも使えるしの。少し分けてもらってきた。お前にやろう」

 「こいつはいいや」

 

 ちょろいぜ。

 オヤジは骨を皿に乗せて俺の前に置いた。

 俺は骨を手に取ると匂いを嗅いだ。

 

 「初めて嗅ぐ匂いだな」

 「何でも、頭が鳥で体が獣の形をした魔物らしいの」

 「へぇー」

 

 不思議な魔物の骨もいたもんだな。まあいいか。

 俺はとりあえず骨をしゃぶった。

 

 「オヤジ、中々旨いぜ」

 「ほっほう。儂には骨の味はわからんわ」

 「だろうな」

 

 ドワーフというか人間種ってのは骨の味が分からないらしい。こんなに旨いのにもったいないぜ。

 

 「じゃが、こうして出汁にすれば儂らでも味わうことができるでの」

 

 そう言ってオヤジは俺の前に料理を置いた。

 

 「魔物の骨とバハルス牛のすね肉で出汁を取った煮込み料理じゃよ。今日のつまみじゃの」

 

 そいつは俺が夢中でしゃぶっていた魔物の骨の旨味を凝縮したような、いい香りのする料理だった。

 俺は骨を皿に戻して出てきたつまみに手をつけた。

 

 「うめえ! 本当にオヤジはいい仕事をするな」

 「そうじゃろ? 何て言ったって儂が作ったのじゃからな。ガハハハハ」

 「ははははは」

 

 

 

 「これでよしっと」

 どれくらい騒いだだろうか。

 俺はトイレでヘロリエル所長に早退の旨を伝えた後、客席の方を見渡した。

 席はほとんど埋まっていて、扉の隙間から覗く光は赤みがかっている。もう夕方か。やっぱり酒を飲んでると時間が過ぎるのが早く感じるぜ。

 俺は酒場の中に入ってくる大きな身体に目を移した。いつも扉を全開にして入ってくるそいつは俺の飲み友達だ。今日も仕事をしてきた帰りだろうな。体中に果実の汁を飛ばしているが、それを気にしている様子はない。

 

 「ンヒー。ンヒー。ンモ」

 

 そいつは大きな鼻息をしながら俺の方に近づいてくる。まあ、あんなでけえ鼻が付いているんだから鼻息もでかくなるか。だが……。

 

 「おいバラム! 肩を落としてどうしたんだ? 仕事を首にでもなったか?」

 「ライオよ、要らんことを言うでない」

 「ンヒー。ンヒー。ンモ」

 

 バラムそれがあいつの名前だ。大きな体は種族的なもので、奴の種族はオークだ。

 バラムは俺たちの声が聞こえてないのか肩を落としたままだ。いつもと様子が違う。不思議に思った俺はバラムに話を聞くことにした。

 

 「おう兄弟。俺たちの仲だろ? 何があったか言ってみろ」

 

 そう言って俺は飲みかけの酒をバラムに飲ませた。

 

 「ンヒ。ンヒ。ンヒ。ンモ」

 

 酒を飲んで気分が変わったのか、バラムはぽつりぽつりと話し出した。

 

 「ンヒー。フラレタ。ンモ」

 「は?」

 

 フラレタ? 何を?

 

 「なんだって?」

 「ンヒー。フラレタ。ニンゲン、オンナ。ンモ」

 

 フラレタ? ニンゲン? 人間? 人間の女に振られた?

 まてまてまて。 オークのバラムが人間の女に告白したってのか?

 

 「本当か?」

 

 俺はバラムの言う事が信じられずに聞き返しちまった。

 

 「ンヒー。メンコイ、オニャノコ、ダッタ。ンモ」

 「ひひひひひ。本当かよ! オイ」

 「これライオ! 笑うでないぞ。バラムはよくやったのじゃ。仲間なら称えてやるべきじゃよ」

 「そんなこと言ったってよお! はははは。こいつはいい!」

 

 バラムが恋した女ってのは一体どんなナリをしてたんだ?

 俺は好奇心を抑えられずに女のナリを聞いた。

 

 「おうバラム、その女ってのは一体どんなナリしてたんだ?」

 「ンヒー」

 

 バラムはオヤジが作った酒を一息に呷ると、その女のナリを話し始めた。

 

 「ンヒー。シンチョウハ、ドワーフタチト、オナジクライダッタナ。ンモ」

 「ほほう? それでそれで?」

 「ンヒー。カミガ、ホウセキミタイナ、ピンクダッタ。ンモ」

 「ほうほう? それで?」

 

 バラムはつまみをつついている。でけえ体のくせにみみっちいことこの上ねえ。そんなにショックだったのか。

 

 「ンヒー。オレ、アンナキレイナオンナ、ハジメテ、ミタ。ンモ」

 「ほっほう。異種族のバラムをそこまで虜にするとはの。その女子もやるわいのお」

 「ひひひひ。一体どんなオーク顔なんだそいつは」

 

 バラムは追加された酒を半分ほど呷ると再び話し出した。

 

 「ンヒー。ヒラヒラ、スカート、ハイテタ。ンモ」

 「ヒラヒラのスカートねえ」

 

 ヒラヒラスカートだとよ。かわいいねえ。だが顔はオークに似てるんだろ? あー! 一度顔を拝んでみてえな!

 

 「ンヒー。コシニ、リボン、ツイテタ。ンモ。アトハ、ンヒー、キシノクツ、ハイテタ。ンモ」

 「ほっほう。騎士が履く靴とな。それはひょっとしたらグリーヴじゃないかの」

 

 そう言ってオヤジは紙に絵を描いたものをバラムに見せた。

 

 「ンヒー。オナジ、クツ。ンモ」

 

 バラムが見た女が履いてた靴。

 俺はその靴の絵が妙に目について離れなかった。どこかで見たことがあったか?

 

 「ンヒー。アトハ、ナニカノ、シルシ、アッタ。ンモ。アレハ、アインズサマノ、シルシ、ニテル。ンモ」

 

 ん?

 ちょっと待て。背丈がドワーフと同じくらい? 宝石のように煌くピンク色の髪の毛?

 俺はそんな容姿の女を知っている気がする。どこで見た?

 

 「ライオ、グラスを手に固まってどうしたのじゃ? 戻すならここじゃなくてトイレで戻すのじゃよ?」

 「ンヒー。ライオ、オレニ、カケタラ、ナグル。ンモ」

 

 オヤジたちが何か言ってる。が今はそんなことが問題じゃねえ気がする。

 よーく思い出せ。俺はどこでその女を見た?

 確かバラムは腰にリボンがついた服だって言ってたな。あとはヒラヒラのスカートか。

 

 「ぁ」

 

 全身の毛が逆立った。

 俺はその女を知っている。

 

 「バラムよ、その女子の名前は何て言うのじゃ?」

 「ンヒー。クレ……」

 「うわああああああああああ」

 

 あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。アリエナイ。あり得ない。あり得ない。

 なんであのガキが酒場の外にいやがる? 俺を付けてきた? いやいやいやいや。それはない。ここに来るまでに何度も後ろを確認したじゃねえか! あのガキはいたか? いやいなかった。だとしたらなんでだ!?

 

 「バラムよ、ライオの様子がおかしい。すぐに戻すかもしれないからトイレに連れて行ってくれんかの」

 「ンヒー。シカタナイ。ンモ」

 

 次の瞬間、俺は不思議な浮遊感と唐突な痛みに襲われた。何だと思って前を見ればそこにはバラムの固い腹があった。どうやら俺はバラムに抱えられたようだ。

 --カラン、カラン。

 俺が顔を抑えて痛みに耐えて状況を確認し終えた時、不意に入口の鈴が鳴る音が聞こえた。

 

 「まさか……な」

 

 嫌な予感を感じながらも衝動を抑えられなかった俺は、つい扉の方を見てしまった。

 すっかり暗くなった酒場の外に目を凝らす。そこには……。

 

 

 

 

 

 

 ライオが酒場に入ってから三時間。出てくる気配がない。

 領域の守護を果たすための用事をこなしているのだから時間がかかるのはわかる。でも遅いな。セバスもアインズ様と会議をする時はこんなに時間がかかったの? ナザリックにいた時は全然意識したことなかったからわからない。

 

 「……」

 

 ちょっとだけ、様子を見に行ってみようかな。ヘロルと約束したから、それくらいはいいよね? でも、アインズ様と階層守護者の会議を覗き見なんかしたら絶対にユリに叱られる。ライオの会議も同じくらい大事だよね。どうしようかな。

 

 「……」

 

 酒場の方を見ると、ライオのお友達かな? 途切れ途切れに酒場に入る姿を見かける。人間種だけじゃなくて、亜人種、異形種、色々な姿。みんなで検問所の守護について話し合っているのかな。

 守るべき領域について話あってると思うから邪魔をするのはいけないと思う。でも、やっぱり気になる。

 どうしよう。

 

 「ンヒー。メンコイ、オニャノコ。ンモ」

 

 悩んでいたら、フェンの鼻先を撫でる時に感じるような、すごい鼻息を感じた。そっちを見たら、色々な絵の具を体に塗り付けたオークがいる。それに……、何だか甘い匂いがする。ナザリック地下大墳墓第六階層で栽培されてる林檎の匂いに似てるかも。

 オークは知識にはあるけど、見るのは初めて。オークって甘い匂いがするんだ。でも、シズに話しかけて何の用かな。敵……には見えないけど。

 

 「……」

 

 オークのことを注意して見上げた。体はシズよりもずっと大きい。

 

 「ンヒー。オレ、バレル。ンモ」

 「……」

 

 バレル? 名前? 何で?

 

 「ンヒー」

 「……」

 

 バレルは鼻息をしながら頬をぽりぽり掻いてる。アインズ様がたまーにそんな仕草をするのを見た事があるけど、何を意味しているのかは知らない。

 アインズ様がしていることを真似するなんて、生意気。

 

 「……うー」

 

 アウラの魔獣がたまにするみたいに唸ってみた。そしたら、オークが予想していなかったことを口にした。

 

 「ンヒー。オマエ、キレイ。ンモ」

 「……え」

 

 シズはアインズ様の真似をしたことを、一言謝るのかなと思ってた。でも、オークが言ったことは全然違うシズを褒める一言。

 

 「……」

 

 そんなことナザリックにいた時は言われたことがなかった。

 当たり前だから。

 至高の御方々に創造されたナザリック全てのものは綺麗。でも、改めて言われると嬉しいな。

 お礼、言わなきゃ。

 

 「……ありが、とう」

 

 シズは自分でバレルって名乗ったオークを一生懸命見上げてそう言った。かかとを上げたら、やっと鼻の上が見えるくらい大きい。

 オークは顔をくしゃくしゃにして不規則な鼻息を鳴らしてる。

 シズは呼吸が必要ないから分からないけど、もしアウラの魔獣がそんなに不規則な呼吸をしていたらシズは心配になる。オークだとこれが自然なのかな? 不思議。

 それに、この表情は何を表しているのかな。

 シズは感情を表情に出すことはない。だからオークの表情が何を表しているのか少し気になった。

 

 「……ん」

 

 かかとを下ろして一息ついた。

 バレルは体を小刻みに動かしてる。

 

 「……」

 

 バレルの雰囲気が何かに似てる。何だっけ。たしか……。

 たしか、アウラの魔獣がアウラを見つけた時の雰囲気に似てる。

 

 「ンヒー。オマエ、ナマエ、ナンダ。ンモ」

 「……クレア」

 「ンヒー。クレア。ンモ」

 「……」

 

 また体を小刻みに動かしだした。どんな顔なのか気になって、顔が見える位置まで動いた。そうしたら。バレルはさっきよりも顔をくしゃくしゃにしてた。やっぱりアウラの魔獣に似てる。きっと喜んでるのかも。

 

 「ンヒー。クレア、オレト、アソブ。ンモ」

 「……嫌」

 

 かわいくないから。

 ライオみたいにもこもこした所があったら遊んでもいいけど。このオークはごつごつしてて嫌。

 バレルは顔をくしゃくしゃにしながらずっとシズを見てる。でも、さっきと雰囲気が違う。どうしたのかな。

 

 「……」

 

 オークの事をじいぃっと見つめてたら大きかった鼻息が急に静かになった。

 

 「ンヒー。ダメカ? ンモ」

 「……駄目」

 「ンヒー。ドウシテモカ。ンモ」

 「……絶対嫌」

 

 シズがそう言うと、おやつをユリに取り上げられたルプスレギナみたいになった。

 バレルはすごくしょんぼりした雰囲気でシズから離れると、静かに酒場に入っていった。

 

 「……」

 

 ちょっと悪いことをしたかな。酒場に入ったのなら、きっとライオのお友達だと思う。もしバレルも検問所の守護に協力してくれてるなら、少しくらい構ってあげてもよかったかな。

 でもいいや。かわいくなかったから。

 

 「……」

 

 空を見上げると、さっきまで赤かったのに今は暗い。もしライオが検問所の守護にのことを話し合ってなかったらどうしよう。

 

 「……」

 

 ライオの様子、見に行ってみよう。大丈夫。ライオならちゃんと領域--検問所--の守護について話し合っているはず。うん、きっとそう。それを確認してヘロルに報告すればいいよね。

 シズはライオを信じて酒場の入口に立った。

 酒場からは賑やかな話し声が聞こえてくる。

 

 「……」

 

 シズは一思いに扉に手をかけた。

 

 「うわあああああああ!? ドラゴンデーモン!」

 「……!」

 

 はっとして後ろを振り返る。でもそこにドラゴンはいなかった。不可視化してるのかな。種族スキルを使って辺りを見回す。

 

 「……」

 

 駄目。見つけられない。

 ライオが検問所の守護のために話し合いをしているのに。ここで暴れられたら厄介。どうしよう。

 

 「ほっほう。ライオよ、ちと酔いすぎじゃないかの? ドラゴンなんてどこにもおらんぞ」

 「ンヒー。サッキノ、オニャノコダ。ンモ」

 「ば、馬鹿野郎! あのドラゴンがデーモンでガキなんだよ!」

 「……」

 

 え? シズがドラゴン? なんで?

 

 「お前らには分からねえのか!? あのガキの気配が! ドラゴンに匹敵する強者の覇気が!」

 

 ライオの言っていることが理解不能。だって、ナザリックでドラゴンと言えばマーレが持っているドラゴンだから。至高の御方が「かきん」っていうすごい事をして手に入れたドラゴンはシズよりずっと強い。

 シャルティアのフロストドラゴンは名前だけ。あれは大きなトカゲだと思う。だってマーレのドラゴンよりずっと弱いから。だからシズにはライオが言ったことは理解できなかった。

 

 「そんなこと言われても困るの。見た所、非常に整ってはおるが普通の人間じゃろ」

 「ンヒー。ソウダナ。アノ、オニャノコカラ、ツヨサ、カンジナイ。ンモ」

 「お前らおかしいだろ!」

 

 ドラゴンはいないみたい。落ち着いて種族スキルを解除する。

 よかった。

 安心したらライオの近くに行きたくなった。少しくらいぎゅうぅってしていいよね。ずっと我慢してたから。そう思って、ライオに視線を集中して近づく。

 

 「くく、来るなあああ。俺は喰っても、う、上手くないぞ! こここ、来ないでくれえええ」

 「ライオよ、落ち着かんか」

 「ンヒー。オマエ、ニンゲン、キライダッタノカ。ンモ」

 

 ふふ。慌ててるライオもかわいい。

 

 「畜生! なんだってんだよ! せっかく今日の仕事の事を忘れて気持ちよく酒を飲んでたってのによ……」

 「……」

 

 え? ライオ、いま何て言ったの? 仕事--領域守護--のことを忘れて気持ちよく?

 ライオの言葉を聞いた途端に賑やかだった酒場の音が遠のいた気がする。さっきまでライオに抱き着きたいと思ってたのに、今はそんな欲求が沸かない。足が、動かない。

 

 「もう終わりだあ……。俺はここで終わるんだあ……」

 「……」

 

 酒場の中は賑やかなはずだけど、なぜかライオの声だけが心に響く。

 終わる? どうして?

 

 「ライオよ、よもやお主。あの女子から逃げてきたのかの」

 「ンヒー。オマエラシク、ナイ。ンモ」

 「……」

 

 逃げてきた? シズから? 検問所の守護は?

 

 「そうだよ……。あいつはやばいんだ。俺の本能がそう言ってる」

 

 領域--検問所--守護から逃げてきた? それって、ナザリックでは最悪な事だよ? 嘘、だよね?

 

 「……ライオ」

 

 シズはライオの事が信じられなくて。でも信じたくて自分でもよく分からない声を出した。痛覚はないのに胸が苦しい。 

 

 「ひっ! な、何でも言う事を聞きますから命だけは見逃してくれ!」

 

 違う。聞きたいことは別。

 

 「……ライオ。……領域守護」

 「は? 領域守護?」

 「……検問所」

 

 領域--検問所--守護から逃げてきたなんて、嘘だよね?

 

 「検問所って、仕事の事ですか? そそ、それなら早退しました! ヘロリエル所長にも連絡済みです!」

 「……」

 

 そうたい? それってどういう事?

 そうたいをすれば領域守護から逃げてもいいって事?

 シズはそうたいという言葉の意味が記憶の中にないか探した。そうたい……そうたい……そうたい……。

 

 『いまの話でわからない所があったのだけれど』

 『わからない所? 言ってみてソリュシャン』

 『ありがとう。ユリ。「そうたい」っていう言葉の意味なんだけれど』

 『ああ、その言葉ね。やまいこ様が言うには一日の任務を途中で中止することを言うそうよ』

 『何ですって!』

 『落ち着きなさい、ナーベラル。無条件に早退が許されるわけじゃないみたいなの。そうね、例えばナザリックの外での任務中にアインズ様から帰還を命じられた。そんな時に早退が認められるみたいなの』

 『それなら仕方ないわね』

 『そうね。アインズ様から命じられた任務は大切だけど、それ以上に大切なのはアインズ様の言葉だわ』

 『ところでルプスレギナはどこに行ったの知ってる?』

 『ルプスレギナなら料理長から魔獣の骨を貰ったきり自室に籠ってるわ』

 『ルプスレギナったら……』

 

 早退。任務を途中で中止すること。でも、任務を中止するだけの理由があれば早退は認められる。

 領域守護を疎かにする事が認められる理由。

 

 「……」

 

 シズは守護する領域は持っていない。だから守護を疎かにしていい理由が何かわからない。記憶の中から答えが見つからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わか……。

 エラー。エラー。エラー。エラー。

 

 「ンヒー。オヤジ、ユゲ、デテル。ンモ」

 「出てるの」

 「……早退」

 「は? 早退?」

 

 エラー。エラー。エラー。エラー。

 

 「ンヒー。ウゴカナク、ナッタ。ンモ」

 「動かないの」

 

 エラー。エラー。エラー。エラー。

 

 「ドラゴンさーん、大丈夫ですかー?」

 「ンヒー。オヤジ、ドウスル? ンモ」

 「そんなこと言われてものお」

 

 エラー。エラー。エラー。エラー。

 

 「……早退、早退、早退」

 「ンヒー。オヤジ、ヨウス、オカシイ。ンモ」

 「尋常じゃないのお」

 「何だかよく分からないが今しかねえ」

 「ライオよ、どこへ行く気じゃ」

 「おう、オヤジ。今日は帰るわ。金は給料が出たらまとめて払う」

 「お、おいライオ!」

 「ドラゴンさーん、そのままそのまま。ひひひひひ」

 「……早退、早退、早退」

 

 エラー。エラー。エラー。エラー。

 

 「行ってしもうた」

 「ンモ」

 「……早退、早退、早退」

 「困ったのう」

 

 --カラン、カラン。

 

 「皆さんお楽しみの所失礼しますわ」

 「……早退、早退、早退」

 「ンヒー。ンモモ」

 「ほわああ。美しいのじゃぁ」

 

 エラー。エラー。エラー。エラー。

 

 「クレア、こんなところで寄り道をしていたの? ご主人様がご立腹です。すぐに帰りますわよ」

 

 ソリュシャンを確認。わからない。

 

 「……早退、早退、早退」

 「それでは皆様、ごきげんよう」

 「……早退、早退、そうた……」

 

 --カラン、カラン。

 

 

 

 酒場の賑やかさがだんだん遠くなる。通りを歩く人間は厚着をしてる。でも、シズには外気の温度を感じられない。感覚より思考処理に容量を割いてる感じ。焦点が定まらない気がする。

 ふと前を見たらソリュシャンがいる。なんでソリュシャンがいるの? わからない。

 

 「ひょっとしてと思ったのだけど。シズ、まさかフリーズしてるの?」

 「……早退、早退、早退」

 

 ソリュシャンの言っていることがよくわからない。

 

 「これは重症ね。ナーベラルがしつこいから、念のためにあなたの様子を見に来て正解だったわ」

 「……早退、早退、早退」

 

 ソリュシャンは額を手で抑えて頭を振っている。わからない。

 

 「少し話しをましょうか。シズ、こちらにいらっしゃい」

 「……早退、早退、早退」

 

 ソリュシャンはそう言うと、シズの手を引いて路地に置かれた木箱にシズを座らせた。木箱の上に敷かれたスカーフがかわいい。路地にひざをついたソリュシャンがシズの耳元で何かを囁いた。

 

 「CZニイチニハチΔ。略称シズ・デルタの創造主を答えなさい」

 

 ソリュシャンの声が心の中にすとんと落ちてきた。それと同時に、頭の中を一杯にしていた何かが消えていく感じがした。

 シズの創造主。大切な、大事な存在を口にする。

 

 「……CZニイチニハチΔ。……略称シズの創造主様は"博士"様。……シズの……大切な……創造主様」

 

 太陽が沈んだカルネの街は少し冷たい。民家の間にいるからかあまり風を感じけど、通りは風が吹いている。歩いている人間種の髪が揺れているから。それに、だらしなく体を小さくしている。歩く姿勢がおかしいと思う。それに、あの人間が着ている外套。脇の下に針で開けたような穴が開いてる。保管方法がどうなっているのかな? メイドとしてどうしても気になる。

 

 「……」

 

 視線を前に戻すと、真っ白なカップに金をあしらったような……。シズにはない膨らみがあった。シズにはない膨らみ。

 

 「……おっぱい……デュラハン」

 「うふふ。ユリ以上大きくするつもりはないわ」

 「……」

 「ふふ。ほっぺたを膨らませて。やきもちかしら」

 「……」

 

 やきもちじゃない。だってシズの体は至高の御方に創造してもらった大切な体。出てる所が出てて羨ましいとか、そんな気持ちはない。ないけど……。

 シズはソリュシャンの膨らみを叩いた。

 

 「……」

 

 ぽよんってした。思わず叩いたことを後悔した。だって、触り心地がもこもこの生き物のお腹の感触に似てたから。

 最低。

 

 「……疑似肉」

 「悪口かしら?」

 「……別に」

 

 ソリュシャンからサッと目を逸らした。ほっぺたに違和感。

 

 「悪い子にはお仕置き」

 「……ふぃひゃい」

 

 ソリュシャンにほっぺたを引っ張られた。痛くないけど痛いって言うとナーベラルが喜ぶから癖でそう言っちゃったし。なんで姉たち--ユリは引っ張らないけど--はシズのほっぺたを引っ張るのかわからない。

 

 「ふふ。食卓でナーベラルがよくあなたのほっぺたを引っ張るのを見ていて、一度やってみたかったの。案外気持ちいいのね」

 「……ふぁなふぃて」

 

 気持ちいいって……。シズのほっぺたはおもちゃじゃないのに。

 

 「でも、よかった。とりあえずフリーズは治ったみたいね」

 「……ふふぃーす?」

 「覚えてないの? もう、私が様子を見に行ってなかったらどうなっていたのか」

 「……」

 

 フリーズ。つまり、シズは行動不能の状態異常になってたってこと? 覚えてない。でも、何か大切な事だった気がする。

 

 「まあいいわ。無理に思い出してまたフリーズを起こしても仕方がないし」

 「……待って。……大事な事、……たぶん」

 「そうなの? なら、少しずつ思い出しましょうか」

 「……」

 

 またフリーズしたらどうしよう。

 

 「そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫よ。任務は終えたしエ・ランテルに出発するまで傍にいてあげるわ」

 「……」

 

 ソリュシャンが傍にいてくれる。それを聞いたら、すごく安心できた。

 

 「……ありが、とう」

 「ええ。私たちは姉妹だもの。困った時は助け合わなきゃ」

 

 姉妹。ソリュシャンの言葉にシズの胸が暖かくなった気がした。

 

 「……」

 

 シズはカルネに入った時点からいままでのことを、少しずつ記憶をたどって話した。



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カルネ 5

 シズはソリュシャンに今日の出来事を順番に話した。

 オフィーリアのこと。シュレリュースの能力のこと。パンドラズ・アクターに言われて戦闘演習をしたこと。ヘロリエルのこと。検問所で見つけたかわいい生き物のこと。そうして話していたら、シズがフリーズを起こした原因がわかった。

 ソリュシャンはシズの話を優しく聞いていてくれてる。そんなソリュシャンの態度がすごく安心できる。

 ナザリックにいた時はちょっと怖い姉という感じだったけど、本当のソリュシャンは優しいのかも。ルプスレギナはソリュシャンを見習ってほしい。

 

 「そう。シズはライオっていうビーストマンの事を信用していたのね」

 「……うん」

 「だから、そのライオが領域--検問所--の守護を放棄していい理由を必死で探したのね」

 「……そう」

 「そして、理由が見つからなくてフリーズした。そういうことね」

 「……うん。……シズは……階層、領域守護者……じゃない、から。……わからなかった」

 

 もう一回考えてみてもやっぱりわからない。

 

 「私も階層、領域守護者じゃないから分からない。でも、シャルティア様と話をしていると守護を放棄していい理由なんかないって思えるわ」

 「……シャルティア、様?」

 

 たしか、ソリュシャンはシャルティアと仲がいい。シズは受け入れられないけど、趣味が合うらしい。だから、シャルティアとよく話をするのかも。

 

 「理由は簡単ね。シャルティア様、そして他の守護者様たちはそうあれと作られたから。だから守護を疎かにしていい理由なんてないの。それにシャルティア様からは、その使命を忠実に行おうとする強い意志を感じるわ。だから、ライオというビーストマンが行った行動は絶対に許してはいけないわね」

 「……」

 

 許しちゃいけない。優しい表情で、ライオの行動を責めるソリュシャン。

 ソリュシャンの言葉を聞いたら、もうライオの罪は覆せないんだとわかった。でも……、ライオはかわいい。だから極刑は……嫌。

 

 「ふふ。シズったら、ライオというビーストマンの事が気に入っているみたいね」

 「……うん。……かわいい、から」

 

 体がもこもこしてるところとか、すごく好き。

 

 「それなら、ライオが自分の罪を認めて改めるように働きかけなさい。たしか、衛星都市カルネの検問所の自治はアインズ様が召喚されたエルダー・リッチに任されていたわね。だからこの件は、私とあなたが黙っていれば問題ないわ」

 「……」

 「そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫。シズ、あなたなら上手くやれるわよ」

 

 ソリュシャンに勇気づけられて、ライオを改心させることができるような気がしてきた。

 

 「ライオの居場所はわかる?」

 「……大丈夫。……スキルの上書き……してない」

 「そう、なら行きなさい。あなたがライオを調教するのよ」

 「……調教」

 

 調教という響きに身体が震えた。シズは、アウラが魔獣に何かを教えているところをずっと見てたから。たまに、同じことをさせてほしいって言ったことがあるけど、アウラの答えはいつも同じだった。だから魔獣の調教は、シズにはできないんだって諦めてた。それができると思うと……、すごく興奮する。

 待っててね、ライオ。

 シズがライオを調教してあげる。

 

 「ふふ。シズったら、そんな表情もできるようになったのね」

 「……」

 

 ソリュシャンに笑顔でそう言われるとシズも嬉しくなってきた。ドキドキしながらストーカークラスのスキル発動する。ライオの現在位置を特定。

 

 「……いた」

 「シズ、私の助けはいるかしら?」

 「……大丈夫。……一人で、できる」

 「そうね」

 

 ソリュシャンと一緒にシズも立ち上がった。

 木箱に敷かれていたスカーフを拾って、ソリュシャンに返す。

 

 「……ソリュ姉。……ありが、とう」

 「どういたしまして」

 

 ソリュシャンにお礼を言ってから、ライオがいる方角に向きを変えた。

 

 「ちょっと待ちなさい」

 「……?」

 

 何だろう。

 

 「腰のリボンが傾いているわ。これでいいわね」

 

 そう言ってソリュシャンはシズの頭の後ろをぽんぽん叩いた。ずっと前に、"博士"様にしてもらった。そんな気がする……。不思議な、気持ち。

 

 「……」

 「さあ、楽しんでいらっしゃい」

 「……うん」

 

 ナザリックでは見たことがないソリュシャンの笑顔。なんか、すごく悪そうに見えるけど、たぶん気のせい。そんなことよりも、いまはライオの調教が優先。

 シズはライオを目がけて走り出す。

 

 「狩りを、ね」

 

 ソリュシャンの言葉が風を切る音にかき消された。

 

 

 

 

 

 

 シズ・デルタの追跡から辛くも逃れたライオは自宅に帰っていた。

 おおよそ自宅というのはそこに住まう者の安寧の地。心を落ち着かせる居城。そんな場所であろう。しかし、今ライオの心には安らぎとは対極的な感情が渦巻いていた。

 そう、ライオは恐れていた。ストロベリー・ブロンドの煌く髪と翠玉の瞳を持った美少女。シズ・デルタを。

 着ていた服を乱暴に脱ぎ捨てると、震える体に鞭を入れてライオは風呂場に直行する。熱いシャワーを浴びて気持ちを落ち着かせるのだろうか。否。ライオは考え得る可能性を排除するためにシャワーを浴びに来たのだった。

 

 「落ち着け。落ち着けよライオ! お前にならできる。あの悪魔竜から逃げ切ることはできる!」

 

 なぜシズがライオを見つけることができたか。それは驚異的な嗅覚によるものだとライオは考えていた。

 自分に叱咤激励をして適度に温度調節された湯が出るマジックアイテムに手を伸ばすライオ。

 普段ライオは自慢の毛並みを整えるために、湯を浴びる前に念入りに毛を梳かしていた。しかし、いまのライオにそんな心の余裕はない。日頃の習慣を忘れてライオは湯を浴びる。

 

 「まずは匂いだ! あいつはきっと鼻が利く人間……いや違う! あいつは人間の皮を被った化け物なんだ! だから匂いを辿って俺の居場所がわかった。そうに違いねえ!」

 

 ライオの予想は正しい。シズ・デルタはたしかに人間ではない。だがそれだけだ。

 鼻が利くわけでもないし、匂いをたどることもできない。それよりも確実なことができる。それだけだった。

 故にライオは気付けない。ライオが既に捕まっているということを。

 シズが初めてライオを見たその時、ライオがシズから悪寒を覚えたその時。既にライオは捕らわれていたのだ。シズのスキルによって。

 

 「畜生が! 何で俺のボディシャンプーは無香料なんだ!」

 

 香料なんか身に纏っていたら鼻が曲がる。そう考えて初めから無香料の洗料を選んだことも忘れて、ライオは洗料入りの容器をぶちまけた。

 ぶつぶつ文句を言いながら洗料を泡立てて体の匂いを落とすライオ。泡を洗い落とすとすぐに、タオルを使って体毛が吸った水分を除去した。

 

 「急げ急げ。上手く逃げたとはいえ、またいつ奴が現れるともわからねえ。ビーストマンとしての俺の勘が言っている。あの悪魔竜は再び俺の前に現れると!」

 

 ライオは焦りながらも、しっかりとした手つきで壁に掛けられたマジックアイテムに手を伸ばした。このマジックアイテムは濡れた体毛を乾かすことができる。

 湯を浴びた事で知らない内に少し落ち着いたのだろう。その手に震えの色はない。

 テキパキとした動作で体毛を乾かしたライオは殺風景な自分の部屋に躍り出る。

 

 「次は……」

 

 そう言ってライオは自分の部屋を見回した。

 ライオの部屋は一見すると広い。端から端までの広さは人間の大人がおよそ四十歩も歩けるほどだ。この住居は、ライオが検問所に勤めることが決まった際にカルネからあてがわれたものだった。

 およそ生活感というものを感じられない程に殺風景なのは、ライオが家具を買い揃えなかったからだ。

 全身が毛で覆われているビーストマンは衣服や寝具は必要ない。それに、多少の暗がりなら夜目がきく。だから、ライオの部屋にあるのは検問所に着ていく制服とぽつんと置かれた木箱くらいだ。雨風凌げる場所があればそれでいいのだ。

 自分の部屋を見渡していたライオは足元に転がったものに目を落とす。さっきまで着ていた服だ。それを眺めていたライオは口を開いた。

 

 「次はコレだ! たしか買い置きしていた骨があったな!」

 

 そう言うと、ライオは部屋の隅に置かれた木箱からいくつかの骨を取り出した。その骨を服に通すと、上手く組み立てて壁に立て掛けた。

 

 「これでよし! もしあの悪魔竜が匂いを追ってきたのならこいつに食いつくはずだ」

 

 果たしてこれを見てライオだと勘違いする者はいるは疑問だ。だがライオは満足気に頷いている。

 

 「あとは……、これに飛びついたあの化け物を背後から叩く! だがいくら化け物と言っても所詮は人間。しかも女だ。ライオ様の本気の一撃をお見舞いすればいくら奴でもひとたまりもないはず。……見てろよ!」

 

 ぽきりぽきりと肉球のついた手を鳴らすと、ライオは庭へと退散した。

 庭といっても木や植え込みがあるわけではないし隣家との囲いもない。平坦な土壌に雑草が生えているだけだ。だが、部屋と庭の境目が段になっているためにライオは身を屈め、息を潜めて獲物が罠にかかるのを待つことができる。その姿はハンターそのものだ。

 ライオはそこからさらに種族スキルを併用している。ビーストマンが通常の狩りに使用するスキルだ。こうなると、普通の人間がハンターの気配を察知するのは難しい。普通--レベル五程度--の人間ならば。

 

 「……」

 

 声を出さずにライオは待つ。殺気が漏れぬように、景色に同化するように。しかし、いつでも飛び出せるよう体の緊張は保ったままだ。そんなライオの緊張を和らげるように、ふわりとしたそよ風がライオの背中を優しく撫でる。

 ライオはそよ風を心地いいと感じながらも緊張は解かない。獲物が現れ、罠にかかるその一瞬を逃さぬために。

 

 「……」

 

 雲に隠れていた月が顔を出すたびに、ライオの部屋が照らされては暗くなる。月に照らし出された影が部屋の向かい側に伸び、周囲の影と同化する。

 

 「……」

 

 ライオは声を出さず、息を殺してシズ・デルタを待ち続ける。また月が顔を出したのだろうか。部屋に照らし出された一本の影が、部屋の向かいの壁まで伸びる。

 

 「……!?」

 

 おかしい。いまライオは身を屈めて部屋の中を窺っている。だから、部屋の向こう側まで影が伸びるのはおかしかった。庭には一本の影を生み出す物体はないのだから。

 ライオは嫌なざわめきを覚えた。いまライオの後ろにいるのは何だ、と。そして、恐る恐る後ろを振り返った。

 

 「……」

 「っ!?」

 

 夜空に舞うストロベリー・ブロンドの髪の髪は、一本一本がドレスを身に踊る美女のように煌びやかだ。翠玉の瞳はサンゴが生育する海のように澄んでいて、鼻と口はどこか幼さを感じさせる。改めて全体を見れば、どこか作り物めいた精緻さがある。だが同時に、月の光を背にした美少女からは妖しい生命力を感じられた。

 

 「……」

 

 シズ・デルタ。それがライオの背後に降り立った美少女の名前だ。そして、ライオが恐れる存在でもある。

 

 「ぁ……。ひっ……」

 

 周囲にアンモニア臭を伴う湯気が起こった。しかし、この場にいる二人に表情の変化はない。

 シズは変わらぬ表情でライオを見つめている。

 ライオは目を剥き、口は埴輪のようにだらしなく開かれている。

 その場に起こったアンモニア臭が霧散すると、幼さを残す口が開かれた。

 

 「……シズが……ライオを……調教、する」

 「か……」

 

 一言。感情を感じさせない声でシズが言った。冷たく澄んだ瞳がライオを捉えている。

 ライオはシズの翠玉の隻眼を見て声にならない声を上げた。

 

 「ぁぁぁぁぁあ」

 

 ガリガリガリと、何か硬い物が擦れる音が鳴った。それは、ライオが力いっぱいに地面を引っ掻いた音だった。しかし、必死の逃走も未遂に終わってしまう。

 ライオは既にシズの脇に抱えられていた。

 

 「……」

 

 シズは激しく暴れるライオを一瞥すると歩き出した。感情を感じさせない表情からは何も窺うことはできない。しかし、翠玉の瞳からは何か懐かしいものを見るような、そんなやんわりとしたものを感じることができた。

 

 「離せ! 離せえええ! 俺を、俺をどこに連れて行く気だ!」

 「……検問所」

 「検問所って……。何のためにだ?!」

 

 シズは歩きながら説明を始める。

 

 「……やり直して。……そしたら……許して、あげる」

 「へ?」

 

 ライオは訳が分からないといった顔をしている。やり直すとは? 何を言っているんだこいつ。やっぱり悪魔竜の考えが分からねえ。そんなことを考えながらも、ライオは地雷を自ら踏み抜く。

 

 「もう今日は仕事をするつもりは無ぎょえ」

 「……」

 

 仕事をするつもりは無い。それを言い終える寸前にライオは悶絶した。

 シズをよく見れば、その翠玉の瞳に冷たい鋭利なものを宿らせてライオを見下していた。それもそのはず。シズはライオに領域--検問所--守護を再開させるためにこうしているのだから。

 必然、脇に込める力が強まるというものだった。

 

 「……だめ。……仕事、して? ……お願い」

 「かはっ! くっ……。う……」

 

 痛みをこらえながらも必死に首を上下させるライオ。ただただ痛みに悶絶していては殺されるかもしれない。シズの視線からそんな鋭利さを感じていたから、ライオは必死に言う事を聞いた。

 

 「……」

 

 ライオの必死な態度が伝わったのか。シズの視線は元の無機質なものへと変わった。

 これですぐに殺されることはない。ライオはそう考えて、荒い呼吸をしながらもほっとした。しかし……。

 

 「……仕事したら……遊ぼうね」

 「っ!?」

 

 ライオの毛が逆立つ。

 この視線。ライオはこの視線を感じたからこそシズを恐れたのだ。

 シズのレベルは四十六。対してライオのレベルは十。そのレベル差は四.六倍。絶望的レベル差がある強者から嗜虐的な視線を向けられているのだ。生きた心地はしないはずだ。

 ライオが本能的に恐怖を感じるのも無理はない。しかし、シズが抱いていた感情は対極的なものだった。初めて友達の家に遊びに行くような。照れながらも勇気を出した。そんな感情を抱いていた。もちろん、ライオにそんなことは通じていない。

 

 「……」

 

 シズの足取りが目に見えて早くなる。早歩き、小走り、疾走と、まるで恥ずかしさを隠すようにどんどんスピードが上がっていく。

 

 「ぁー……」

 

 ライオは意識が遠のいていくのを感じていた。得体の知れない視線を直に浴びながら。いつしかライオの意識はまどろみに落ちていった。

 それからの事はライオ自身あまり覚えてないという。覚えているのはこんなことくらい。

 

 「……反省、した?」

 「反省しました! もうしません! 絶対に検問所の守護を途中で投げ出したりしません!」

 「……なら……いいよ」

 

 うっすらと覚えているのは昼間に抜けた穴埋めをした後の会話のこと。

 

 「グルルルルルル」

 「……」

 

 シズが手に持つ骨を一生懸命に引っ張ったこと。

 

 「はっはっはっ。ボールどこいった?」

 「……」

 

 ボールを数字秒以内に探してくれたら解放してくれるという遊び。あとの事は覚えていないし思い出したくもないとライオは言う。

 嗜虐的な視線を受けながらの出来事はライオにとって悪夢そのものであったらしい。

 

 ライオが起き上がった時にはもう朝になっていた。ライオの隣にもうシズはいない。

 胸を大きく膨らませて、朝露を含んだ外気を吸い込むライオ。どうやら、いつの間にか寝ていたようだ。

 

 「俺は……助かったのか」

 

 その言葉に答える者はいない。ライオが立ち上がる事で、掛けられた毛布がふぁさりと落ちるだけだ。

 

 「何だこれは」

 

 ライオは傍に置かれた紙とポーション瓶を手に取る。

 紙にはライオにも読める文字で『お疲れ様』とだけ書かれていた。

 

 「お疲れ様だぜ……」

 

 ライオはポーション瓶を開けると匂いを嗅いだ。

 

 「毒はなさそうだが……一応な」

 

 ライオはポーションを一滴、指に垂らして舐める。そうして毒がないことを確認すると一息に飲み干した。真っ赤な色をしたポーションを。

 

 「こいつはやべえな。体の疲れが吹き飛んだぜ」

 

 そう言うってライオは毛布を手に検問所に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 人通りがまばらな街頭。昼間の喧騒が嘘のような静けさ。湿り気を含んだ空気。時折聞こえてくるのは馬のいななきか小鳥のさえずり。空は朝焼け、収穫を前にした畑に農民が繰り出す。

 衛星都市カルネの馬車発着場前に三つの人影が現れた。

 

 誰もが最初に目を奪われるであろう。長く伸ばされ、柔らかな朝陽を受けて煌くストロベリー・ブロンドの髪を持った美少女はシズ・デルタだ。

 宝石のような冷たい輝きが宿った翠玉の瞳が片側に見えるが、もう片側はアイパッチが覆っている。どこか幼さを感じさせるが非常に整った顔は魅力的だ。

 身に纏っているのは黒を基調としたロングスリーブのロリィタドレスで、二の腕の辺りのフリルフレアとスカート部分は純白。その上には前面部がざっくり開いた迷彩柄のハイウエストを着用している。スカートの前面部には至高の四十一人にしてシズの創造主、"博士"を表す紋章が刺繍されている。

 腰には表が紺色、裏が真紅色の大きなリボンがあしらわれており、シズの佳麗さに可憐さを生んでいた。グリーヴが無骨な印象を与えるが、それだけではシズの美しさを否定することはできない。

 

 シズの隣にいるのはパンドラズ・アクター。

 目と口をペンで塗りつぶしたような穴が開いている不可思議な顔。眼球も唇も歯も舌も何もない。

 ピンク色の卵を彷彿とさせる頭部はつるりと輝いていて、産毛の一本も生えていない。被った制帽の帽章は、とある戦争で話題になった部隊の制服をモチーフにしたものらしい。

 

 パンドラズ・アクターの隣を歩いているのはオフィーリア・マルク・リベイル。

 夜明けの海を彷彿とさせる鮮やかなアズライト色の髪を結い上げ、豊かな肢体の上にアダマンタイト製のタイツを身に纏ったパラディン。聖王国のシンボルマークが描かれた甲冑とルーン文字が付与されたフレアスカートを身に着けた美女。

 

 三人はエ・ランテルに向かうためにここを訪れたのだった。

 最初に口を開いたのはオフィーリアだ。

 

 「パンドラズ・アクターが手配してくれた宿屋は最高だった。それに、朝起きたらタイツまで置かれていて驚いたぞ。礼を言う。ありがとう」

 「礼には及びません。これもホストとして当然の行いです」

 「そんなこと言ってもなかなかできる事ではないぞ」

 「喜んでいただけたようで何よりです」

 

 パンドラズ・アクターはこう言っているが実を言うとかなりの突貫作業だった。オフィーリアたちと別れた後、すぐにナザリックへと帰還してアインズに報告。そこからアルベドを捕まえて事情を説明。

 アルベドが強靭な手さばきでアダマンタイト潰してタイツに編み上げた。完成したのは夜明け寸前だ。

 プレイヤーの嫌疑が掛けられたオフィーリアに近づくためとはいえ、少々見栄を張りすぎたとパンドラズ・アクターは反省した。

 

 「……」

 

 パンドラズ・アクターは気分転換にシズに話しかける。どことなく機嫌が良さそうだと思ったからだ。無論、パンドラズ・アクターはシズの表情を読み取ることはできない。シズの表情を読み取ることができるのは姉妹たちだけだ。

 

 「クレア嬢、何かいいことでもあったのですか」

 「……うん」

 

 シズはパンドラズ・アクターを見上げてそう言った。その表情こそ変わらないものの、パンドラズ・アクターは僅かに衝撃を受けた。はっきりとシズが笑っていると感じることができたからだ。

 

 「……楽しかった」

 「そうですか。クレア嬢が喜んでいると私も嬉しくなります」

 

 シズの気持ちがパンドラズ・アクターにも伝わったのだろうか。パンドラズ・アクターの声が弾んだ。

 気を良くしたパンドラズ・アクターはオフィーリアに旅の目的を聞いてみることにした。

 

 「オフィーリア嬢、もしよろしければあなたの旅の目的を教えてもらえませんか」

 「悪いながそれは教えられない。だがヒントならあげてもいいぞ」

 

 まだ完全に心を開くには至らないか。しかし、拒否されたというわけでもない。着実に心を開きつつある。

 パンドラズ・アクターは順調な進捗状況に概ね満足していた。

 

 「これは失礼しました。しかし、このパンドラズ・アクター。ヒントが気になります」

 「……」

 「おどけても無駄だぞ。交換条件といこう。パンドラズ・アクターの旅の目的と交換でどうだ」

 「いいでしょう」

 

 パンドラズ・アクターの旅の目的は未知なるマジックアイテムをアインズに献上すること。シズの目的はかわいいものを見つけることだ。だが、ここはパンドラズ・アクターの目的でいいだろう。それに、問題のあるものでもない。そう考えてパンドラズ・アクターは口を開いた。

 

 「私たちの旅の目的は未知なるマジックアイテムの発見です」

 「……」

 

 シズの視線がパンドラズ・アクターに突き刺さる。勝手に二人分の目的にするな。そんな批判の色が含まれているようだった。

 

 「なるほど。宝探しの冒険というわけか。中々面白そうだな」

 「今も胸が躍ります」

 「では私の番だな」

 

 そう言うと、オフィーリアは早歩きになった。パンドラズ・アクターとシズの道を塞ぐようにして立ち止まると、一度深呼吸をして口を開いた。

 

 「かつてヤルダバオトという悪魔が聖王国を襲ったことは知っているか?」

 「ええ。割と有名な話ですね」

 「……」

 

 パンドラズ・アクターとシズ・デルタが知らないはずはない。何せ聖王国を襲ったのはナザリックなのだから。しかし、そんなことを微塵も顔--そもそも二人に表情はない--に出さずに話を聞く。

 

 「私は魔導国が聖王国を救った英雄譚が大好きなんだ。確か……ティマイオスという作家だったかな」

 「……」

 

 シズにはすぐに分かった。階層守護者デミウルゴスの仮名だということが。しかし、やはり表情に変化はない。

 

 「その英雄譚に出てくる勇者。その男……か女か分からないが多分男だろう。私はそれくらい強い男を探し出すためにエ・ランテルを目指している。ヒントはここまでだ。目的までは言えない」

 「なるほど、なるほど」

 「……」

 

 オフィーリアの言葉を聞いて、パンドラズ・アクターとシズ・デルタは警戒レベルを引き上げた。未だに尻尾は出さないが、プレイヤーの可能性が出てきたからだ。

 目的が不明なので敵かまでは判断できない。しかし、ナザリックの誰かを狙っている可能性は濃厚。パンドラズ・アクターとシズ・デルタはそういう結論に至った。

 シズはいつでも戦闘に移行できるように心を構える。

 パンドラズ・アクターは片手で帽子を深々と被り直すと、そのままの姿勢で声を出した。

 

 「何か大きな使命を感じます」

 「ああ。私の人生を左右するほど大きなものだ」

 「……」

 「なるほど、なるほど。いつか目的を教えて欲しいですね」

 「どうだろうな」

 

 オフィーリアは挑発的な笑みを浮かべると、踵を返して先に進んだ。パンドラズ・アクターはその背中を見ながら、進み出ようとしたシズを手で制す。

 なぜ止めるのか。そういったシズの視線がパンドラズ・アクターに向けられた。

 

 「……パンドラズ……アクター様」

 「シズ、早計です」

 

 シズは渋々といった様子で視線を和らげる。

 

 「……わかった」

 

 まだオフィーリアが敵と決まったわけではない。しかも、プレイヤーかどうかも分かっていないのだ。故に、パンドラズ・アクターはシズを制したのだった。

 帽子から手を離したパンドラズ・アクターは朗らかな声を出す。

 

 「さあ、馬車発着場はすぐそこです。シズ、行きましょう」

 「……」

 

 シズがこくりと頷くと、二人はオフィーリアの背中を追いかけて歩き始めた。




次回はエ・ランテルですね。また投稿空くと思います。なるべく頑張ります。


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