上手な上司からの愛されかた (はごろもんフース)
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一話:かくしてフラグが立った

ただイチャイチャ書きたいだけっす。


「此方を」

「それはあっちに」

「これは……」

 

 少し広い一室で数人の女性があちら此方に木簡や紙の書類を運んでいく。重要な内容は紙でそれ以外の用件は木簡を用いている。木簡は書いた部分を削り取れば再利用できる為に簡単な書類に適していた。逆に一度書いたら消せない紙は重要な案件を利用するのに向いており、重宝されている。

 

 そんな二つの書類を一つの長い机の前に座っている男性が目を通し、様々な色の紐で結んでいく。重要な案件なら赤でその次は橙色、次は黄色と……分かりやすいように分けているのだ。その手の動きは早く、目を通す速度も本当に見たのかと言うほどであった。しかし、他の文官は彼が間違いを犯すと思ってないのか組み分けられた書類を次々と運んだ。

 

「九十九さんが居ると楽でいいですね」

 

 そんな仕事熱心な男性を見て、一人の少女が声を掛けた。その少女は、部屋の真ん中に位置する一番大きな机を陣取っており、その上には赤い案件が山のように積まれていた。赤い紐の案件は重要な書類。それを処理していく少女はこの部屋で一番偉い人だと一目で分かる。

 

 少女は長い金髪が華麗に波打っており、小柄な体型と合わさってよく似合っている。しかし、それを眠たげな目と口のペロペロキャンディー、更には頭の変な置物がぶち壊していた。眠たげな目とキャンディーはまだいいが、頭の置物だけは常人には理解できない物である。

 

 そんなへんてこな置物を頭に乗せる少女は姓を(てい)、名を(いく)、字を仲徳(ちゅうとく)、真名を(ふう)と言う。

曹孟徳(そうもうとく)が治める魏の三大軍師の程昱(ていいく)である。

 

「ありがとうございます」

「むーっ、感謝してるなら顔を変えてくれるといいのですが」

「こういう顔なので」

「モテませんよ?」

「モテなくていいです」

「そうですか」

「そうです」

 

 風の言葉に対して男性は軽く会釈するだけで書類から目を離さない。手は止めず、顔も変えず只管書類に目を通す。出てくる言葉も風に合わせているものの、素っ気無いものであった。そんな男性に風は特に文句も無く、むしろ嬉しそうに薄く笑う。

 

「九十九さんは変わりませんね」

「風様こそ」

 

 風の笑顔に釣られたのか、呼ばれた男性も少し口元を緩めた。

その事が嬉しいのか風は、袖で口元を隠しさらに笑う。

 

「程昱様。楊修様と戯れるのもいいですが……そろそろ」

「おおぅ。こりゃ一本取られましたね。宝譿(ほうけい)

『すぐやっちまうからまってな!』

 

 他の文官の言葉に風は、置物の宝譿と腹話術で会話し書類へと手を伸ばし仕事を始めた。

 

「楊修様も注意をしていただかないと」

「……最終的には仕事を終わらせるからいいと思いますが」

 

 文官に注意され男性――九十九は首を傾げた。

彼は、姓を(よう)、名を(しゅう)、字を徳祖(とくそ)、真名を九十九(つくも)と言う。

キリッと釣り上がった目に表情が乏しい無愛想な顔。他の人から見れば怒ってるようにも不機嫌そうにも見える顔をしている。少しでも表情を変えればいいのだが、九十九は我関せずと言うばかりに貫いていた。

 

「早く出さないといけない書類もあるんですよ?」

「あぁ……それなら」

「終わりました。持って行って下さい」

「……」

「分かりやすく、赤い紐と黄色い紐を付けているので風様ならすぐに終わらせるかと」

「失礼しました」

 

 九十九が休憩とばかりにお茶を啜り、そう言えば風がポンと最後の書類を置く。

そんなある意味で息の合った二人に苦言した文官は苦笑しか出てこない。

 

「おや、鐘が鳴りましたね。休憩をとりましょうか」

「はい」

「やったー!」

「今日は何を食べようかしら」

 

 丁度先ほどの文官が終わった仕事を他の部署へと運ぶ際に昼を知らせる鐘が鳴った。その事に風が気付き、部屋内に居た己の部下に声を掛ければ皆が嬉しそうに手を上げる。この時代に時計などなく、部署の違いはあるが休憩を取るにも上司の一声が欲しい。風の部署では仕事をこなせば休憩を取っていいと言う事にはなっているが、やはり取り辛いのだろう。文官達は我先にと外へと出たり、その場でぐったりと倒れこんだ。

 

「九十九さん、九十九さん」

「はい、何でしょうか?」

「一緒に食事に行きましょう」

『おぅおぅ、上司の誘いは断らないよな?』

 

 風は九十九にとことこと寄って行くと服を掴み見上げる形でそう言う。

その宝譿と風の誘いに九十九は少し頭を悩ますも特に用事は無いのか、こくりと頷いた。

 

「はい、何処で食べましょうか」

「そうですねー……時間が勿体無いので食堂で食べて、残りは日向ぼっこに使いましょう」

「御意」

 

 ぐいぐいと服を引っ張り先導する上司に九十九は苦笑しつつも付いていく。これが二人の日常、何時もの風景である。そんな二人を残った文官は微笑ましいものを見るように見送った。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

「んーっ、いい天気ですね」

「そうですね」

 

 食事も終わり、二人は外へと出ると手ごろな芝生の上で寝転がる。

その際に風は九十九の足を枕にして寝るが、それを表情を変えず受け入れた。

 

 昼休みの休憩を使った日向ぼっこ。晴れていれば共に食事をし、共に外に出てこうやって寝転がる。寝転がるといっても風のみが寝ており、九十九は木を背に読書に励む。暇さえあれば、何時も行っていることであり、時折、風の親友の郭嘉(かくか)――(りん)が混じる。

 

 上司の付き添いのように見えるが九十九も別に嫌いではない。

この乱世の世の中、たまにこういった日常もありだと思っており、九十九なりに楽しんでいた。

 

「それにしてもいいんですかー?」

「……構いません」

「風としては助かりますけど」

「誰かの上に立つのは得意じゃないんです」

 

 暫く日向ぼっこをしていれば、風が思い出したかのように九十九を見上げながら聞いてくる。既にこの質問に対する答えが九十九の中で決まっており、何時ものように答えた。本来であれば優秀な人は、主君である曹孟徳に報告するのが定例だ。しかし、風は九十九の事を一度も口に出さず報告をしていない。

 

 別段風が意地悪しているわけでもなく、九十九がそう願い出ていた。そういった事情があり、風はそれを受け入れていながらもたまに聞いてくる。人の心は変わるもの、風なりに不安なのだろう。そんな風の気持ちを九十九は少々感じ取りながら何時もの言葉を口にする。

 

「俺はこれで十分です」

「そうですか……んー」

「……」

 

 何度目かの質問を答えれば、風は目を瞑りまたもや夢の世界へと入り込んだ。そのことを確認し、優しく頭を軽く撫で、九十九もまた本の世界へと入り込む。しかし時折吹く風が心地よく、九十九も少しばかり眠ろうかと目を閉じた。そうすれば、直ぐに眠気はやってきてそのまま眠りに就いた。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

「それで……今まで寝ていたと」

「いやーうっかり、うっかり」

「……」

 

 風の前で眼鏡を掛けた女性が呆れたように溜息を付いた。それを九十九は横目で見ながら、口答えせず只管に手を動かす。昼の休憩時間に寝てしまい、気付けば休憩時間を大きく過ぎてしまった。その事に起きて気付き、慌てて二人して戻れば、風の親友である稟が部屋に居た。どうやら風に見てもらいたい物があって来ていたらしく悪い事をしたと二人して謝罪をする。

 

 その後は風と稟は仕事の話に入り、九十九は目の前の書類へと目を移す。朝と同じように優先順に紐を付けて分け、少し時間が空けば簡単な書類をこなしていく。今日は少しばかりサボってしまった為か何時より速度を上げる。

 

華琳(かりん)様がですか?」

「えぇ、明日の昼にと」

「むむー……分かりました。空けときます」

「えぇ、お願いしますね。それでは」

 

 暫く経てば、二人の会話が終わり稟が去って行った。その際に九十九は軽く会釈し、己の上司へと軽く視線を送る。先ほどの会話が気になっていた。

 

 視線を向ければ其処には眉を顰め考え込む風が居た。

 

 それに少しばかり目を取られるも聞くのも野暮かと九十九は更に仕事に力を入れる。

風が言いたければ聞く、此方に関係あれば言ってくれるであろうという受身の姿勢だ。

 

「九十九さん、明日は一緒に日向ぼっこできないようです」

「呼ばれましたか」

「はい、何やら面倒事のような気がします」

 

 そんな態度でいれば、風がむすっとした不機嫌そうな表情で伝えてくる。そんな風に対して九十九は気にしてないと苦笑しつつ受け入れた。話の内容的に主君である曹孟徳に呼ばれたのだろう。明日の予定を風に確認取り九十九は恭しく頷いた。

 

「急ですね」

「何やら最近悩んでましたからね。多分桂花(けいふぁ)ちゃん絡みだと思いますけど」

「そこまで分かりますか」

「何しろ呼ばれたのが風と稟ちゃんだけですから」

「なるほど」

 

 その言葉に九十九は納得し頷いた。

そして同時に思い出す。魏の国には三人の軍師がいる。一人は程昱、風。二人目は郭嘉、稟。そして最後の一人が荀彧(じゅんいく)、桂花。三人の中で荀彧は二人を差し置いて筆頭軍師の地位についている。そんな彼女を抜きで行なわれるお茶会。そこから風は荀彧絡みの悩み事だと判断したらしい。

 

 風の推理に疑問が解け、九十九は心置きなく仕事へと集中した。

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

「終わりましたね。……ご飯を」

「風、ちょっといいかしら?」

「……今度は何ですかー」

 

 仕事も終わり、風と九十九が食事に行こうとすると稟が呼び止めた。稟の言葉に風は稟と九十九の間に視線を彷徨わせるも、軽く溜息をついて稟の話を聞く体勢となる。

 

 九十九は少し待とうかと思うも稟と風に手を軽く払われたのでお辞儀をして去る。

時間が掛かる案件だったようだ。

 

「……」

「おぅ、ちょっと付き合え」

「……」

 

 廊下に出て少し歩くと曲がり角から手が伸びてきて、九十九の首を絞めてきた。本来であれば、このような事をされれば慌てるのだが、九十九は慌てず騒がずされるがままになる。この様な事をする人を、声の人物を知っているが為の行動だ。

 

正礼(せいれい)か」

「よぉ……飯食いに行こうぜ」

 

 九十九の首に腕を回し軽く締めるのは少し厳つい青年であった。その青年は髪を短く刈り上げており、髪の毛は重力に逆らい天を向いている。文官服を着ているもどちらかと言えば、兵士のほうが似合っていた。彼の名は姓を(てい)、名を()、字を正礼(せいれい)と言う。九十九の同僚で一番付き合いが長い友人であった。

 

「別に構わないけど、飲みたいだけだろ」

「はっはっは、介護よろしく」

「おう」

 

 首を決めたまま言ってくる友人に簡素に答えれば、手を放し大きく笑う。

 

「それでさ。お前は何時になったら結婚するんだ?」

「……戦乱の世が終わったらかな」

 

 正礼の言葉に九十九は己の過去を思い出す。九十九は簡単に言ってしまえば転生者であった。気付けば、赤ん坊からのやり直し。最初は慌てるも人生をやり直すチャンスだと喜んだ。しかし自分の事を分かれば分かるほど未来が暗くなっていく。三国志に出てくる楊修……その人だと気付いたのだ。

 

 三国志の楊修と言えば、鶏肋と呼ばれ、優秀が故の早とちりで処刑された人物だ。そんな人物になってしまい、将来自分もそうなるのではと思い落ち込んだ。

 

 それでも何とか持ち直し、今に至る。元々は曹操に仕える気はまったくなかったが、よく考えた結果、結局は魏が一番の安牌と悟った。そんな経緯があり、取り敢えずは自分の死亡フラグが折れる日まで地味に、それでいて目立たないように生きようと誓う。

 

 そんな経緯を親友とはいえ、喋る事ができず。九十九は今日も何とか誤魔化していく。

 

「……それで何処に」

「失礼します!!」

「なんだ?」

 

 二人で並び、これからの予定を確認していると目の前の扉が開き顔を真っ赤にさせた男性が肩を震わせ去って行く。そんな光景に互いに顔を見合わせ、次にそこの部屋が誰の部屋かを思い出し互いに納得した。

 

 男性が出てきた部屋は、男性の文官に恐れられる有名な部屋だ。魏の軍師であり、大の男嫌いの荀彧の仕事部屋。『難攻不落(なんこうふらく)極悪非道(ごくあくひどう)七転八倒(しちてんばっとう)―荀彧部屋』である。

 

「先ほどのは……」

「荀彧様の補佐をしてた奴だ」

 

 正礼の言葉に九十九は先ほどの人物を思い出した。荀彧様の補佐になったと食堂で自慢げに話していた人物だ。九十九をチラチラと見ながら直ぐに昇格してやるとか言っていたのをぼんやりと覚えていた。

 

「一週間、持たなかったか」

「そうみたいだ」

 

 開けっ放しの扉を見つめ、互いに頷くと近づき扉に手を掛け中を二人して覗いた。中を覗けば、複数の女性の文官と茶色いふんわりとした髪の毛をした少女が書類の整理をしている。補佐の机と思われる所には山ほどの書類や木簡が載っており、それを正面の机に運んでいるのだ。

 

「だいぶだな」

「だな」

 

 それを軽く見てから扉を閉めて、二人して歩き出す。一瞬九十九は手伝おうかと思ったが、他の部署の出来事。ここで手を出すのも不自然かつ問題になるかと即座に諦めた。

 

「次は誰になるかねー」

「正礼とかだったり?」

「やめろよ……俺あの人の所に一日だけ入った事あるけど、ありゃ無理だ」

「お前でもか」

「こう見えて繊細なんだ、俺」

 

 その言葉に九十九は軽く溜息をつく。一体どの口が言うのかという思いだ。酒を飲み、よく床で寝ていたり、地面でぐっすりと眠る奴は繊細とは言わない。

 

「まぁ……いいや。今は酒だ、酒」

「俺の部屋にもないし……街に繰り出すか」

「おう! そうだ、次はお前が荀彧様の補佐になったり」

「ないだろ、流石に」

「だよなー……程昱様が放さないよな」

「信頼は得ていると思ってる」

 

 お酒を求め続ける友人に付き添い、九十九も先ほどのことを忘れ互いに笑い、街へと繰り出していった。

 

 

 

 

 二日後、不機嫌そうな風に言い渡された事を聞いて九十九は『あれがフラグだったか』と正礼との会話を思い出す。そして夢ではないかと頬を引っ張った。

 




シリアスなしの日常物です。
重くしないように頑張ります。


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二話:酒は飲んでも飲まれるな

 お茶請けとして出されたお菓子を見て、少女は一瞬目を見開いた。

そのお菓子は茶色一色で纏められ、変わった形をしていた。

初めて見るお菓子、それを一つ手に取りまじまじと眺めるも、作った人を思い出し、戸惑いもなく口に入れる。

 

 口に入れれば、見た目に反して甘い甘い味わいと心地よいサクサクといった食感が広がった。

色合いを除けば美味しいお菓子を少女は一口で気に入り、目を細めお菓子を味わう。

一つ、二つと口に運び食べていればお菓子が水分を吸い取ってしまったのか、口の中が渇いた。

そのことに少女は気付き、少し眉を顰めるもお茶も一緒に用意されていたことを思い出し、お茶に手を伸ばす。

 

「へー」

 

 お茶に手を伸ばし、口に入れようとした所でソレに気付き声に出して感心した。

差し出されたお茶は今まで見たことのないような色合いをしており、大変目を惹く。

先ほどのお菓子は茶色一色であったが、お茶のほうは透き通った真っ赤な龍の目のようであった。

 

 何時も飲んでいるような茶色のお茶ではなく、真っ赤なお茶。

そのお茶を見て少しばかり匂いをかいでみれば、ほんのりとした甘みに柔らかい匂いがする。

やはり何時ものお茶ではないと少女は納得し頷き、口に入れた。

 

「なるほど」

 

 またもや感心し声が出た。

渋みより甘みがある味わいで大変飲みやすい。

何時ものお茶であれば、渋みが強く、先ほどのお菓子の甘みを全て流してしまうだろう。

しかし、このお茶はお茶自体にも甘みがあり少し軽減するだけで済む。

まさにお菓子の延長と捉えて出されたお茶だ。

この二つで味わう一つの形。

その形を食べ、飲み、少女は微笑んだ。

 

 そのお菓子を食べる少女は金色に輝く髪の毛を両脇で結びサイドテールに纏め、その先をカールさせている。小柄な体型であるものの顔立ちは綺麗なほどに整っており、雰囲気からして他の人と違うと錯覚させられる。彼女は姓を(そう)、名を(そう)、字を孟徳(もうとく)、真名を華琳(かりん)と言う。

この国、風や稟達が仕える魏の若き王である。

 

「いやはや、流琉ちゃんの腕前は凄いですね」

「確かに……この赤いお茶も綺麗で甘みがあり、良いですね」

「そうね、これは後でご褒美をあげないといけないわね」

 

 華琳が微笑み満足すれば、それに合わせて目の前の二人も同じように食べて感嘆の声を上げた。

一人目の風は口元に手を持っていき上品に微笑み、二人目の稟は静かに微笑みお茶を飲む。

今現在三人がいる場所は、城の一角に作られた庭部分。

そこに小さな囲いと日差しや雨を防ぐ屋根が取り付けられており、椅子と机が置かれていた。

周りは木々が生い茂り、綺麗に整えられている。

憩いの場やお茶会といった事に使われる場所であり、三人は前に約束していたお茶会を開いていた。

 

「喜ぶでしょうねー」

「何がいいかしら?」

「んー、一緒に料理とかはどうでしょうか?」

「なるほど」

 

 お菓子を作った流琉(るる)の話題になり、彼女に何を上げようかと相談していく。

その問いに風が答え、華琳は納得し頷いた。

流琉は若く、子供と言ってもいい年齢だ。

そんな彼女に地位や剣などを贈っても喜ばないだろう。

むしろ料理好きの彼女のこと、慕う華琳と共に料理をするといったことの方が喜びそうであった。

 

 風のその意見に賛同し華琳が頷くと、稟は先を越されたとばかりに少し悔しそうに顔を顰める。

そんな稟を見て華琳と風は軽く笑った。

 

「ふっふっふ、まだまだ甘いですね。稟ちゃん」

「ふん、言ってなさい」

「ふふ……二人は仲良しね」

 

 じゃれ合う二人。そんな二人を見て華琳は少しばかり憂いを帯びた表情で呟く。

 

「……桂花ちゃんのことですか?」

「分かる?」

「はい、ここに居ませんしね」

 

 そんな華琳に二人は気付き、声をかける。

元より、二人はここに呼ばれた理由をそれとなく気付いていた。

魏の三軍師のうち、二人が呼ばれ、一人は呼ばれていない。

その一人、荀彧こと桂花が居ない時点でこのようなお茶会を開いた理由を察していた。

 

「桂花の男性嫌いをどうにかしようとしたのだけど」

「まぁ、追い出されましたか」

「えぇ……比較的優秀な人を付けたけど例外なくね」

 

 華琳は指を広げ、一本、一本、指を折って数える。

指は丁度一つの手が拳を作る形で収まり、溜息をついてそれを広げた。

 

「五人ですか」

「……」

「桂花殿は治す気もないでしょうし、そのままにしておくのは?」

「将来のことを考えると駄目ね」

 

 稟の言葉に華琳は首を振って答える。

国の中核とも言える重鎮の一人が男性嫌いなのは大問題だ。

ただでさえ、武官と文官で対立することが多い。

そんな中で男性の文官さえも敵に回す桂花は将来的に危うかった。

 

「桂花のことだから自分が不要になった時は身を引くつもりなのでしょうけど……私が許さない」

「……」

「……」

 

 強い眼差しで言い切る華琳に二人は黙り込み、思考する。

この主君が満足するような答えを考え献上するのが彼女達の仕事なのだ。

小さな頃より育てていた頭の中の怪物を従え、答えを導きだす。

 

「ふむ……つまりは桂花殿がずっと仕えられるような体制を整えればいい訳ですか」

「そうね。あの子の男性嫌いは治らなそうだし、それが一番かしら」

「なるほど……ではこういうのはどうでしょうか?」

 

 最初に口を開いたのは稟であった。

稟は、治すのではなく桂花の周りの改善を推した。

 

「桂花殿の補佐官に一人の男性を推薦します」

「稟ちゃん?」

「稟? ……風?」

 

 二人の言葉と態度に華琳は初めて戸惑う。まずは、稟の言葉のほうだ。

桂花の周りの環境の改善。つまりは、桂花と男性の文官の間に立つ人を立てようと言う意見はいい。

しかし、その人は桂花の信頼と男性文官の信頼の両方得られるような人物でなくてはならない。

そんな人物に稟はとある男性を推薦した。男性であれば、男性の文官相手には信頼を得られやすい。

でも肝心の桂花からは難しいのではと華琳は思う。

 

 次に戸惑ったのが風の態度の変わりよう。

先ほどまでのんびりと眠たげにしていた風であったが、親友である稟の言葉を聴いた瞬間に稟を睨んで唸り声をあげたのだ。

そんな初めて見る風の態度に華琳は少しばかりの興味が惹く。

 

 普段の風は、その名のように掴めない性格をしている。

柔軟な発想や物などに囚われない風。

そんな風が一人の男性の推薦に難儀の声を上げたのだ、そのことが華琳の好奇心を刺激し、稟に続きを促す。

 

「桂花の信頼を得られる男性なの?」

「はい、現に風も私も信頼をおいてます」

「……稟ちゃん恨みますよ」

「言ってなさい。私達は華琳様に仕える身、主君が欲しい答えを献上するのがお仕事です」

「う゛ぅー」

 

 稟に続きを促せば、魏の三大軍師の内の二人、稟と風が真名を授けた男性だと聞かされた。

風は稟に言い負かされ、いじけて椅子に足を乗せ抱え込むと丸まり唸る。

風の態度から親交が深い人物だと分かるが、そんな人物を華琳は聞いたことがなく首を傾げる。

 

「風の補佐官をずっと続けている人でして」

「風の補佐官?」

「はい……人柄的にも才能的にも桂花殿に合うかと思われます」

「そりゃ、合いますよ。九十九さんは相手に合わせる人ですし」

「風……会えなくなるわけではないのだから」

「九十九さんを口説くのにどれだけ掛かったと……」

 

 疑問に思っていれば稟が説明をし出し、風は唇を突き出し茶々を入れた。

稟の話を聞けば曰く、女遊びもなく、性格も真面目で温厚。

更に風が見つけてきた人材であり、才能も仕事具合も大変良く適している人物らしい。

 

 なるほどと華琳は思った。

確かにそのような人物であれば、桂花相手にも対応できるだろうと考える。

桂花の嫌いな男性像からかけ離れており、文句の付けようがない。

しかし、そこまで考えて更なる疑問が思い浮かんでしまう。

 

 そのような優秀な人物であれば、二人から話を前もって聞いていてもおかしくはない。

しかし、実際にはそんな人物が居たと言うことを初めて聞かされた。

それが華琳には不思議でたまらなかった。

 

「九十九さんは……上に立つのが嫌いなお人なのです」

「嫌い?」

 

 その疑問に答えたのは風であった。

風は思い出すように遠くを眺め、口に何時ものペロペロキャンディーをくわえ込み、語っていく。

 

「正直な話、すぐにでも軍師にあげようと思ってました」

「でもそれをしてないと?」

「はい、『上に立つより誰かを支えたい』とのことで補佐官になる代わりに約束させられました」

「……むー」

「風としましても勿体無いと思いましたが、才能ある人がその才能を活かせるかはその人次第です。才能があるからと無理にさせるより、その人の好きにさせた方がいいと判断しました」

 

 華琳はその言葉に少しムスっとするも何も言わない。

才能をもっとも愛する彼女としては、その生き方に文句の一つでも言いたい所である。

しかし、風の言った言葉もまた正しいと感じた。

 

「分かったわ。その人を桂花に付けましょう」

「御意」

「んー、御意。ただいらないと言われたら他の部署に移さないで返してくださいね?」

「ふふ……分かってるわ」

 

 華琳は根堀葉堀聞いていき、頭を悩ますも進言を受ける事にする。

可愛らしい風の言い分に華琳はくすくすと笑い答え、九十九は桂花の補佐官へと転属が決まった。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

「ということです」

「なるほど、それで……」

「ぶー……」

 

 風の言葉を聞いて九十九は静かに頷き、お酒の入った杯を口にする。

口にすれば現代のお酒より若干濁ったお酒が喉を潤し、顔が少し火照った。

その火照りも心地よく、手が持ってきた燻製物へと良く伸びる。

何より風がじと目で不機嫌そうにしてる姿が可愛らしいのと同時に、自分の事を思ってくれているのだと嬉しかった。

 

 お酒で気持ちが緩んでいるのか、そのことが珍しく顔に出て頬が緩む。

風はそれを目ざとく見つけ服で顔を隠し「桂花ちゃんの所がいいのですね……よよよ」と泣く。

そんな風の行動に九十九は少しばかり手が伸びるも直ぐに思いなおし、手を引っ込める。

 

「むーっ、そこは後ろから優しく抱きしめて「そんなことありませんよ」と言ってほしかったです」

「そんな度胸があれば、嫁さんの一人も居ますよ」

 

 手を引っ込めれば風が顔を出し、少し楽しげに微笑んだ。

その微笑を見て静かに目を閉じてお酒に集中する。

九十九自身、女性に興味がないわけではない。

今だって風の一挙一動に目を囚われ、胸が鳴っている。

それでも手を出さないのは、女性の扱い方が分からないと言うのもあった。

 

 相手が何を思い、何を狙っているのか。

あるいは何を強請っているのか。人の心、特に女性の心を察するのは難しい。

これが仕事や普通の駆け引きであれば問題ない。

むしろ敵との交渉などの方が幾分も楽だと九十九は思った。

 

「経験不足ですね」

「……そうですね」

 

 風の言葉に九十九は口元を引きつらせ答えた。

そもそも現代に生きていた時に風達みたいな美少女に会った事がない。

そんな彼女達に嫌われないように気を使っている結果が今現在。

 

「まぁ……女性関係にダラシない人よりはいいですけど」

「女性が多い職場ですからね。誠実な方がよろしいでしょう」

 

 風のフォローとも言える言葉に九十九はこれ幸いと乗っかった。

乗っかれば、その言葉に風は「確かに」と笑って答える。

そのようなやり取りをすれば、先ほどの不機嫌さもどこへやら、風もお酒と会話を楽しみ機嫌が戻った。

九十九はその事にほっとするのと同時に不機嫌そうな風も可愛かったなと思う。

 

「ふふふ……それでも女性としてはいざって時は男性に引っ張って欲しいものです」

「……そうですよね」

「桂花ちゃんの下ではそれでいいですけど」

 

 誠実、真面目が一番と思うも風の言葉で釘を刺された。

それに少し落ち込み、お酒をぐいっと煽る。

煽れば、何時も以上に体がカッカと火照った。

指摘された恥ずかしさも混じっているだろうなと思いつつ、それに身を任せる。

 

「駄目な時は、風や稟ちゃんの事を気にせず戻ってきてくださいね」

「出来る限り努力はしますが、駄目な時はそうします」

「……戻る気ない返答ですね」

「ははは……」

 

 風の言葉にありがたいと思うも、九十九自身から戻る事はないと考えている。

そのことを風は見抜き、またもや不貞腐れてしまった。

 

「荀彧殿と直接会話をした事はありませんが、問題ないと思いますし」

「むー」

 

 正礼と一緒に飲みに行った日。

少々気になり、正礼に桂花の事を聞いたりして情報を少なからず集めたりしていた。

その結果を鑑みて九十九が問題ないと判断を下せば、風も唸るものの問題ないだろうなと同じ判断を下した。

 

「九十九さんは誇りとか殆どないですしね。普通は上司とはいえ年下の女性に罵倒されたら怒る気もしますが」

「あの程度の罵倒は大した事ないですね。行動で排除しようとしないので平和なものです」

 

 桂花の事を調べれば、彼女自身は特に相手に危害を加えたという話はない。

あるとしても罵倒し見下され馬鹿にされる程度のもの。

現代の陰湿ないじめのほうがよっぽど堪えるなと九十九は思う。

 

「もしかして……九十九さんは罵倒されて喜ぶアレな人だったりします?」

「いえ、全然、まったくもって」

 

 風の何処か期待したような目をしっかりと見つめ、強く否定した。

罵倒位問題ではないと思うも、されて喜ぶかと言われたら喜ばない。

変な勘違いをされてきつく当たられたら目も当てられないと思った。

 

「……そうですか」

「問題ないだけで嬉しいわけではないです」

「ある意味で安心しました」

 

 口元に手を置いて上品に風が笑う。

そんな彼女に九十九もまた微笑み、お酒で口を潤した。

 

 その後も暫しの間、雑談を交わし場を暖めあった後、解散となる。

明日は互いに休みではあるが、部署の移動の件もあり、若干の仕度をしなければいけない。

そんなことがあり互いに席を立ち、九十九もまた部屋を出ようと扉に手を掛ける。

 

「風様?」

「……んー」

 

 手を掛けたが、服をぐいっと後ろに引っ張られ扉を開けることは出来なかった。

そのことを不思議に思い九十九が後ろを向けば、風が服を掴み、少々難しい顔で立っている。

何処か悩むような真剣な表情、鬼気迫るといったわけではないが仕事の重要な案件で迷っている時のようだと思った。

 

 名前を呼ぶも風は悩んだまま動かない。

そんな風に九十九はどうしようかと悩むも答えが出てこなかった。

風が何を求めているのか、そのことを察する事ができず、もやもやが積もる。

こんな事なら女性に関しても習っておけば……と脳内で悩むも時既に遅し。

結局何も出来ず、風の行動を見守ることとなった。

 

「……夜分遅いです。あと今日はだいぶ飲みました」

「……」

 

 待っていれば、普段のぼんやりとした表情で風が口を開く。

目を半分ほど眠たげにし何を考えているのか分からない表情。

しかし、普段から風に付き添っている人なら、ほんの少しの風の表情の変化に気付いただろう。

 

「……一緒に寝ませんか?」

「あー……」

 

 何時もの表情ではあるが、風はほんのりと頬を赤く染めている。

風の表情に言葉。何時もより少し潤んだ様に見える目。

黙り込み、悩んでいれば心なしか服を掴む風の手が強まった気がした。

 

 風のお誘いに九十九は悩む。互いに未婚の上で別に付き合っているわけでもない。

好意は感じあうものの、それは上司と部下の延長線。少なくとも九十九はそう思っている。

昼休みとなれば、お昼寝といった形で一緒に眠ることも多々ある。

今回もそれと同じようなものではあったが、夜で相手の部屋といったシチュエーションが悩みの種となった。

 

「んー……」

「普通に眠るだけです。駄目でしょうか?」

「……分かりました」

「では……此方に」

 

 悩みに悩み、九十九は結論を下す。

下して扉から手を離せば、風は表情を変えぬものの嬉しそうな雰囲気を醸し出し、そのまま寝台へと足を進めた。

勿論、その際にも服からは手を離さない。

離したら、脱兎の如く逃げるのではと言うほどがっちりと掴んでいた。

 

 その事に九十九は苦笑するも、これで良かったのかなと何度目かの応答を頭の中で考える。

考えるも特に不都合があるわけでもなく、何時もより酔った状態であった為、頭が働かない。

あれやこれやと流され、結局気付けば上司の寝台に座っていた。

 

 寝台に座れば、寝苦しいという事で服を軽く脱ぎ寝る準備をする。

そしてそのまま横になれば、しっかりと手入れされたシーツが火照った体を包み込む。

シーツは冷たく、火照った体には丁度良く気持ちが良い。

お酒を飲んでいた為、眠気もあり、そのまま九十九は気持ちよく眠りに就いてしまった。

抗おうとしても抗えず、ぐっすりと。

 

「……」

「すー」

 

 九十九が眠れば、残ってるのは未だに起きていた風のみ。

風は服を脱ぎ、寝巻きに着替えている最中で九十九の寝息に気付き、手を止めた。

そしてまるで油を差していないロボットのようにギギギと擬音を立て首を後ろに向ける。

そこには気持ち良く眠りに就く九十九がおり、風はそれを認めると少しばかり固まった。

風としては本当に素直に言葉の通りに取られるとは思っても見なかったのだ。

 

「……そこで素直に眠るのはいかがなものかと。どう思いますか宝譿」

『お手上げだな』

 

 息を付き、先ほどとは違ってのろのろと寝巻きに着替えると気だるげに風もまた寝台に上る。

寝台に上がり、先客の顔を覗きこみ不満気に眉を顰め、見つめた。

その寝顔を見つめる風の頭の中では、上司と部下の関係を超えたアバンチュール的な何かが繰り広げられているもそれは悲しいかな、妄想で終わっている。

 

「えいえい」

「……」

 

 風はそのことに怒り、九十九の頭を軽く叩き、頬を引っ張る。

引っ張るも特に反応もせず相手は深い眠りに就いたままだ。

 

「はぁ……しょうがない。お預けですかねー」

 

 誰に言うでもなく不満たらたらに垂れ流し、風もまた九十九の腕を枕にし横になった。

横になれば怒りも何処へやら吹き飛び、そのままゆっくりと欠伸を一つし抱きつき目を閉じる。

お酒で体の体温が上がっている事もあり、九十九の体は太陽のように暖かい。

その事に風は気分を良くした。そしてライバルも居ないのだ。焦らずゆっくりと進めていけばいいかと微笑んだ。

 

 結局この夜に関係が進む事もなく、九十九は二日後に桂花の職場へと移動した。



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三話:初日の遅刻は洒落にならない

「此方上がりました!」

「そっちのタレと合わせて下さい」

「こっちは!」

「それは朝食の付け合せとして出します」

 

 お城の朝は早い。

兵士や文官、お城で働く様々な人が使用する食堂。

そこは現在、戦場さながらのありさまであった。

あちらこちらに食材が散乱し、人々はぶつかり合いながら自分の仕事を全うしている。

兵士と文官の多くは、休日以外は家には戻らないのが殆どだ。

戦乱の最中であり、急に召集されることも少なくない。

軍師であろうと兵士であろうと、お城の中にある兵舎で寝泊りするのが日常である。

 

 その為、大多数の人は食堂で食事を摂っていく。

昼や夜は街に繰り出し食べる人も多いので比較的に穏やかではあるが、朝だけは多忙となる。

そんな食堂に朝食前だというのに九十九はふらふらと足を踏み入れた。

朝食時は込む食堂であるが、日が昇って間もないため厨房以外に人は居ない。

 

「あっ、お師匠様!」

「おはようございます、流琉」

「おはようございます!」

 

 邪魔にならないように入り口の所から九十九が覗き込めば、厨房の中心で指揮を取りながらも調理をしている女の子が気付く。

気付いた女の子は嬉しそうに微笑み、九十九を師匠と呼んだ。

そんな彼女に対して九十九は何時もの仏頂面で挨拶を交わし、頷いた。

 

 九十九を師匠と呼んだ少女は、風などよりも小柄な十代前半の少女。

緑色の髪の毛をしており、よく料理をしている為か前髪を上に上げて大きなリボンで纏めていた。

小柄な体型で大きく重い鍋を軽快に振り回し、中の食材を華麗に巻き上げる姿は、ギャップもあり頼もしくも可愛らしい。

そんな彼女の名は姓を(てん)、名を()、真名を流琉(るる)と言う。

幼いものの華琳の親衛隊と料理長をしており、大変頼りになる存在であった。

 

 親衛隊と目立たない補佐官、そんな接点がなさそうな流琉と九十九だが、一つの切っ掛けにより今の様な間柄となる。

切っ掛けの一つとして、九十九自身は料理はそれほど上手くはない事があげられる。

前の人生の時も自炊せず、もっぱら外食がメインであった為か、九十九自身の料理は不味くもなければ美味くもなかった。

それでも食べる事が好きで、あちらこちらへと歩き渡っては見知らぬお店に入り、料理を楽しむ。

お酒を飲み、料理に舌鼓を打ち、食べ歩く。それが九十九の趣味であったのだ。

 

 食べ歩きが趣味の九十九であったが、転生してからは外食は殆ど出来ない状況に陥る。

元より楊家は名門の家系であり、袁家の娘を娶ってからは更に格が上がる。

そんな訳で、名家の息子が街で好き勝手に食べ歩くといった行為は言語道断と禁止されてしまったのだ。

唯一の趣味と言っていい食べ歩きを禁止された九十九は、ストレスを溜めに溜める結果となる。

 

 そんなストレスを溜めながら生活をしていた九十九であったが、私塾に通う際に家を離れ自由となった。

私塾の寮住まいということで幾らかの制限が設けられていたが、それでも家よりは自由で九十九は当たり前とばかりに街でストレスを発散する。

いつもいつも私塾で出会った親友を供に街中で食べ歩き、あるいは食材を買い込んで現代の料理に挑戦する。

勿論、料理の腕前は普通程度なので失敗が多い。

その失敗作を何故か嬉々として受け入れ、引っ付いてくる親友と共に食べるのを日課としていた。

そんな日課を続けていれば、成功した料理だけでも数が多くなりレシピが増えていく。

 

『これ売らない?』

『売れるのか?』

『売れると思うな。売ろう!』

 

 貯まったレシピを見て親友がそんな事を言い出した。

その言葉に最初は九十九も迷うも、試しに数冊ほど刷り売ることとした。

外食に食材にとお金を使いすぎていた為、多少懐が寂しい事もあり呆気なく陥落したのだ。

何よりも、迷惑をかけっぱなしの親友に対して引け目もあった。

 

『こういうの得意分野なんだよね』

 

 念のため先生に許可を申請し貰えれば、親友が嬉々として売り始めた。

最初の一ヶ月は売れなかったが、二ヶ月、三ヶ月と次第に人気が出て売れ始める。

乗り気の親友の手腕に驚かされると同時に楽しそうな親友に微笑ましく、やってよかったと思う結果となった。

そんなことを思っているも、調子よく続くわけもなく、あっさりと本を売る作業は終焉を迎える。

 

 料理本を売っていることが家にばれたのだ。

楊家の長男が料理本など云々、と呼び出されて説教をされて怒られる。

最初こそしっかりとその言葉を聞いていたのだが、説教は長引き、最後には積極的に売っていた親友の事にまで及ぶ。

自分の事なら対して気にしない九十九も親友の事となれば話は別だ。

今まで不満を溜めてきた事もあり、大いに荒れる喧嘩となった。

言葉のぶつけ合いから殴り合いまで、周りに止められるまで延々と繰り返し、最後には身一つで家を飛び出す。

 

 飛び出した後は、親友の家に世話になったり本を売ったお金で生活しながら華琳の元に就職をした。

そんな九十九の前に黒歴史扱いの本を持って眼を輝かせた流琉が現れたのが二人の出会いだ。

 

『この本の作者ですよね!』

『……』

 

 目を輝かせながら本を此方に突き出す流琉に九十九は頬を引き攣らせた。

引き攣らせるも目の前の子はどう見ても幼い子であり、邪険に扱う事も出来ず素直に応じる。

応じて話をしていけば、料理の話題となり盛り上がり、『自分の料理の試食をしてくれませんか』と言う提案を受けた。

九十九としても黒歴史的な本を除けば料理の話は歓迎であり、タダで料理を食べられるという事で喜んだ。

 

 そして出された料理を食べてみれば、他のお店の何処よりも完成度が高く美味しい。

一口で九十九は流琉を気に入り、それ以来二人は協力関係となった。

九十九がレシピを仕立て、流琉がそれを作る。

そんな間柄となったのだ。

 

 

「曹操様に、曲奇餅(クッキィ)でしたっけ? それと紅茶を出したのですが、予想以上に好評でして」

「それは何より」

 

 話を戻し、現在。

流琉の言葉からこの間のお茶会で出した茶菓子の話題が飛び出た。

前に新しい茶菓子はないかと聞かれて答えたものであったが、それをお茶会に出したらしい。

そんな流琉に『チャレンジャーだなこの子』と思いつつ九十九は答えた。

 

「それでご褒美を貰える事になったのですが……お師匠様は」

「いりません」

「そうですよね」

 

 流琉の言葉に九十九は間も空けずに答えた。

既にその返答を予測していたため、流琉は少々呆れた表情で溜息を付く。

そして何度も行われている問いかけに流琉は次の言葉を予測し、何時ものように口にする。

 

「なら代わりに……」

「そうですね。……これから一ヶ月、お昼ご飯を御握りにしてもらえると助かります」

「へ?」

「部署も変わり、仕事が忙しく暫くは此方に来れそうにないもので」

 

 口にしようとしたら遮られた。

いつもなら褒美の代わりに試食をさせてくれないかと頼む九十九。

そんな彼であったが、今回は少々事情が異なるらしい。

滅多にない彼からのお願いに流琉は少々面食らった表情をした。

 

「あー……荀彧様の部署に転属になるんでしたっけ?」

「はい、今日から補佐官となります」

「大変そうですね」

「あのぐらいでしたら、どうにでも」

 

 改めて転属の話となり、流琉は視線をあちらこちらに彷徨わせた。

流琉や、流琉の親友の季衣(きい)香風(しゃんふー)などには優しい人ではあるが、普段が普段なので流琉としては若干怖い人だ。

特に男性に厳しい事も知っている為、お師匠様でもある九十九を心配するも、目の前の男性の何でもなさそうな物言いに苦笑しか出てこない。

いつも仏頂面で笑っても微笑む程度、驚きで目を見開く事もあるがその程度で感情の起伏が少ない男性。

そんな九十九を前に流琉は心配しても無駄かと悟った。

 

「御握りを作ればいいんですね?」

「はい、大きなものを二つと女性用の小さいのを二つ」

「両方ですか?」

「えぇ、予測が当たってれば必要となります。外れていても自分が食えばいいだけなので」

「はぁ……」

 

 九十九の曖昧な言葉に流琉は深く突っ込まず、エプロンを結び直し気合を入れて調理場に戻る。

九十九自身が何を考えているのか分からないが、彼の事だ、人の為に行動してるのだろうと予測が付いた。

流琉は具材を何にしようかとご飯を前に悩み、軽く九十九へと視線を向ける。

向ければ何やら竹筒を二本用意し、邪魔にならないようにお湯を沸かしている九十九が見えた。

 

 懐からお手製の麦から作った茶葉を取り出しいてるところを見て、お茶を作ってるのかと納得する。

クッキーや紅茶もそうだが、良くもまぁそんなにレシピが思い浮かぶなと流琉は舌を巻く。

そして感嘆しながらもさっぱり系のお茶を見て御握りは濃い目に作ろうと判断する。

具が決まれば後は早い。調味料に手を伸ばし、それを使い御握りを作る。手を伸ばしたのは塩だ。

本来であれば御握りに使うのは勿体無いほどの高価な物ではあるが、ご褒美の代わりにと使うことにした。

 

「出来ました!」

「ありがとうございます」

「いえいえ、朝食も作り終わったので食べて行ってくださいね」

「はい、頂きます」

「……」

「流琉?」

「はっ……いえ、何でもないです」

 

 調理を終えれば、お茶を用意し終え、食堂の席に座り本を読んでいる九十九へと食事を運ぶ。

言われていた御握りを竹の葉で包み一緒に渡せば、九十九は軽く微笑み受け取る。

そんなささやかと言える表情変化に少しばかり、流琉は頬を染め俯く。

九十九がこういう表情を見せるのは親しい間柄だけであり、大変に珍しい光景だ。

そんな表情を向けられる一人に自分も含まれているのだと思うと嬉しくなった。

 

「そうですか、頂きます」

「はい、召し上がれ」

 

 そんな心情で俯いている流琉を一瞥するも九十九はすぐに食事へと向かう。

彼女の心情を多少は分かるものの、それに対して言葉が出ない。

故に自分は行動で示そうと、なるべく相手に美味しく食べているように雰囲気を醸し出す。

 

「美味しいですか?」

「何時ものように見事ですね」

 

 普段より柔らかい雰囲気を必死に出しながら食べる九十九に対して、流琉は九十九の気遣いに笑顔となった。

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

 

「……さてと」

 

 予想以上に早めに食事を終え時間的にも余裕が出来てしまう。

食堂にこれから向かう同僚や上司達と挨拶し、挨拶されながらも廊下を歩く。

まだまだ早いが、何が起こるか分からないので足早に仕事場へと向かう。

 

 向かう際に廊下の曲がり角に置いてあった大きな鏡の前で止まり、身嗜みをチェックするのも忘れない。

全身映るような鏡を前に前後ろと汚れやシワなどがないかを確認していく。

 

「自分に酔ってます?」

「第一印象は身嗜みで決まりますので」

 

 靴に汚れはないかなどを確認していれば、後ろから声が掛かる。

その聞き覚えのあるのんびりとした声に九十九は平常心で答え鏡から目を離さない。

 

「おはようございます。風様、宝譿殿」

「おはようございます」

『おぅ』

 

 髪を整えてから振り向き、改めて声の主、眠たそうな目で見つめる風と視線を合わせた。

風と宝譿に挨拶をすれば、風はそのままとことこと近寄ってきて鏡の横にあった椅子を前へと運び座る。

 

「お願いしますね」

「はい」

 

 そして鏡を前にそんな事を言う風に、九十九は当たり前とばかりに懐から櫛を取り出し、髪を丁寧に梳かす。

本来であれば女性の髪を男性が梳かすのはと思うかも知れないが、これまた見慣れた光景であり、二人の日常である。

稟などには大きく溜息を付かれるが、風自身が気にしていないので言われるがままお世話をしていた。

 

「九十九さんの考えた、この鏡。……結構評判いいみたいですよ」

「それはなにより」

「皆、忙しいですからね。ついつい身嗜みを忘れてしまいがちになります」

「服装の乱れは心の乱れ……整えれば印象も違いますからね」

「曹操様も『皆が意識し始めた』と喜んでいました」

 

 風はそう言って手を前の鏡へと持っていき、静かに撫でるかのように触った。

そんな風の様子を見つつも、そういえばそんなことを提案したことがあったなと九十九は思い出す。

 

 九十九は風を通して鏡の設置を提案したことがあった。

その提案は通り、曲がり角など危険な箇所などに多く設置されており、服装の乱れと事故を軽減している。

もともと、服装を直そうとしても鏡の置いている場所は少ない。

泊まっている普通の兵舎に鏡などの便利な物もなく、上司である風の部屋で借りないと直せなかった。

そのことが面倒になり提案した案であったのだが、九十九同様に思うところがある人は多かったらしい。

 

「問題はありませんか?」

「特にですかね」

「ふむ……準備万端ですか」

「……」

「いえ、気を使っていると言った方が九十九さんらしいですかね」

 

 髪を梳かしながら話を続けていけば、風がチラっと九十九の腰にある竹の葉に包んだ物へと視線を落とした。

それに対して九十九は何も言わず、黙ったまま髪を丁寧に傷つけないように梳かし続ける。

 

「終わりました」

「ありがとうございます」

「それでは……風達は行きますね」

「はい、それではまた」

 

 髪を整えて終えれば、いい時間帯となり、風自身も椅子から降りる。

その際に風が()()()()()()に九十九を連れて行こうと服を掴むも、歩く前に気付き放す。

残念ながら今日からは、一緒の仕事場ではなくなったのでここで別れないといけない。

その事に気付いた風は、機嫌を若干悪くし眉を顰めるも何も言わず手を振って歩く。

そんな風を見送り、手元の櫛を懐に戻し九十九もまた少々の寂しさを感じつつ仕事場へと足を向け歩いた。

 

 

 

 風と別れて歩けばあっさりと新しい仕事場に辿り着く。

そこは風の仕事場同様の扉があり、中に既に誰か居るのか扉は開けっ放しになっていた。

それを見て九十九は一旦足を止め、自分の考えが正しかったことを悟る。

 

 代わる代わるに代わっていく補佐官。

そんな状態でまともに仕事を出来るわけもなく、仕事が貯まっていると考えていた。

勿論、主君であり、補佐官を入れ替えている華琳もそのことは承知して仕事の量を減らしてるだろう。

しかし、華琳のことが大好きな桂花が他の人より少ない仕事の量で満足するかと言われたらしない。

少し無理をすれば出来る能力が桂花にはあり、抱え込むだろうなと数日前の正礼と飲みに行った際の情報を元に想像していた。

 

 中を覗けば、正面に見える茶色い大きな机の前で一人の少女が佇んでいる。

その後ろ姿は疲れが溜まりに溜まったサラリーマン。

今日も仕事、明日も仕事の上に残業と、寝ては起きて仕事を繰り返す決められた日々。

その様な哀愁を背中から九十九は感じとった。

 

「おはようございます」

「……楊修?」

 

 部屋に一歩だけ入り、出来る限り驚かせないよう静かな声で挨拶を告げる。

告げれば、部屋の主である彼女は振り向き猫の様な目を向け、九十九の名を呼んだ。

少女の茶色の髪はふんわりとしており、それが猫の様な少し鋭い目を緩和していた。

体型は小柄で人形のようであり、黙っていれば風同様美少女である。

そんな彼女の名は、姓を(じゅん)、名を(いく)、字を文若(ぶんじゃく)、真名を桂花(けいふぁ)と言う。

今日から九十九の上司となる荀文若であった。

 

「あー……今日からだっけ」

「はい、よろしくお願いします」

「そう……あんたの机はそこで、上に乗ってるのが今日の仕事」

 

 桂花の気だるげな声に九十九は眉を顰めた。

男性嫌いの桂花のことなので強烈な罵倒、あるいは興味のない声、そのような声を想像していた。

しかし、目の前の桂花から出てきた声の中に親しさを感じて驚く。

何より名を呼んだことが更に九十九を唖然とさせた。

 

 九十九は彼女と面識があっただろうかと考えるも、そんなことはまったくもってないと思う。

唯一関係があると思われる親友の荀諶(じゅんしん)恋花(れんふぁ)は確かに桂花の家族だ。

だが家を飛び出した時に恋花の家にお世話になった時もあったが、そこで桂花に会った覚えは九十九にはない。

なのにこの知り合いに掛けるような声は何だろうかと九十九は席に座り深く悩んだ。

 



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四話:ノミュニケーション(同僚)

 仕事が終われば、人々は町へと繰り出し各々の好きな時間を過ごす。

食事をしていく人も居れば、お酒を飲みに行く人も居る。

家族の元に帰る人も居れば、異性と夜を共にする人も居る。

 

 華琳が治める街。

そこは夕暮れが終わり、本格的な夜が始まっても未だ活気がなくならない。

活気の良さが治安の良さを示していた。

 

「……美味い」

 

 そんな街の一角にある飲食店。

その飲食店は他の店と違い、店内を薄い板で一定に区切っている。

別に防音に適しているわけではない、ただただ薄い板で仕切っているだけである。

それでも互いに客が顔を見合わせる事無く済むその店は、珍しさもあり人が多く入っていた。

 

 そんな一つの個室の中で、九十九は運ばれてきた料理を口にして満足気に呟く。

いや、実際に頼んだ料理が美味しく満足であり、当たりかと喜んでいる。

 

 頼んだ料理は鶏肉を焼き、タレがかけられた物。

タレ自体は甘辛く、舌を喉を胃を軽く刺激し食を進ませてくれる。

鶏肉は柔らかく、下味をしっかりと付けているのかタレがなくとも美味しかった。

 

 一口、二口と食べ、同時に頼んだお酒を一杯煽る。

酒の味と料理が絶妙に合っており、飲み終えれば心とお腹が満たされた。

 

「気に入ったか?」

「気に入った」

 

 最初こそ店内が奇抜なだけであり、料理は二の次と思っていただけに衝撃は大きい。

してやったりと笑う友人を前に、九十九は表面だけで判断した自分を青いなと評価する。

 

「結構いいだろ」

「んっ、美味しいな。音は無理だが客の顔が見えないおかげか落ち着いて食べられる」

「中々にいいよな」

「だな。それにしてもよく知っていたな?」

 

 友人――この店に九十九を連れて来た正礼へと視線を向ければ、彼は食事に手を付けず酒ばかりを水のように飲み干す。

既に視線は怪しくなり、顔が少し赤らんでいる。

それでも会話自体はしっかりとしており、酔っているフリをしているのだろうかと思う。

 

「交渉ごととかに使うしな」

「なるほど、()()()フリか?」

「あぁ、悪い。少し前にあったもんで」

 

 正礼は食事も好むがそれ以上にお酒を好む人物だ。

お酒が良ければ食事は二の次、美味ければ儲けものといった価値観を持っている。

そんな正礼だからこそ、今回のお店は期待していなかったのだが、どうやら話し合いで使っていたようだ。

 

 文官、それも軍師の補佐官となれば交渉や他国の客を御もてなしすることも稀にある。

大概は腹の探りあいだ。

相手を油断させ情報を引き出し、或いは気分を良くさせて味方につける。

そんな事を日常茶飯事でやっていれば、酔うフリなど簡単に出来るかと九十九は感心した。

 

 実際に指摘された正礼の顔は見る見るうちに顔色を戻し、視線もしっかりとなっている。

 

「俺にも出来るかね?」

「どうだろな……いや、お前には向かないな。真面目に生真面目に相手と向き合ったほうがましだ」

「……そうか」

「おうよ。まぁ……お前は真面目で生真面目にやっても素でおかしいがな」

 

 厳つい顔で戦えそうなのに弱い。

軽い性格に見えて身持ちが堅い。

酒に溺れているように見えて溺れていない。

 

 全てがあべこべな正礼を少々羨ましく思い聞いてみれば笑われた。

九十九はそんなにも自分は変り種かと思うも、出世自身がおかしいのでそんなものかと思い直す。

 

「それで……どうだった?」

「荀彧様か……少し親しげだった」

「お前の妄想でなく?」

「少なくとも名前で呼ばれたし、怒鳴られもしなかったかな」

「なるほど」

 

 先ほどまで軽く進んでいた会話はそこで止まった。

特に互いに喋りもせず、九十九は淡々と食事にありつき、正礼は酒を飲み続ける。

互いに咀嚼し喉を潤し考える時間を作った。

 

「……本当にか?」

「……親しげに感じたのは俺の感覚だから当てにならないけど、名前で呼ばれたり、怒鳴られなかったのは本当」

「……なるほど、お前はそれをどう思ってるんだ?」

「やっぱり荀彧様の妹関連かなと」

「あーと……前に聞いたな。確か……荀諶?」

「そそ、今は袁紹の所で軍師として働いてる筈」

「筈?」

「最近は文のやり取りもしてないからな」

 

 既に袁紹は公孫讃を下し、華琳へとちょっかいをかけ始めている。

恋花とは仲が良く九十九自身も親友と思っているが、それはそれ、これはこれであった。

敵対する者同士、あらぬ誤解を受けないようにと連絡を控えているのだ。

 

「ふ~ん、どんな子なんだ?」

「んー……顔自体は荀彧様」

「顔自体は?」

「髪型は違うから」

「性格は?」

「裏表が激しい」

 

聞かれる内容に答えながら、九十九は彼女のことを思い出す。

双子である為に容姿は瓜二つ。

性格は、似てるところもあったが桂花よりも社交的であった。

表側だけであったが。

 

「裏表ねぇ?」

「にこやかに接してくれるけど、本心は真っ黒だ。どうやって利益を得るか、どうやって搾り尽くせばいいかそんな事を常に考えてる奴だな。特に男性には厳しい、そこは姉同様だ」

「そこら辺は姉妹か」

「そうだな」

 

何時も優雅に微笑んでいる事が多い。

声を掛けても優しげに受け答えしてくれるような子だ。

しかし、そんな姿に油断して近づけば近づくほど泥沼にはまり、最後には弱みを握られ搾りつくされる。

 

「それとお前は仲良くなったと」

「いろいろとあったな」

「聞きたいような……聞きたくないような」

 

 九十九が思い出に浸れば、正礼は苦笑した。

 

「聞かない方がいいだろうな。ところで……遅いな」

「え? あー……あいつな」

「うん、時間に遅れるなんて珍しい」

 

 そう言って、九十九は自分の隣の席を見てからお酒を口にした。

二人には共通の親しい友人がもう二人だけ居る。

 

 今回の飲みに来る一人の友人は約束を破るような人ではなく、同時に真面目でもある。

そのような人が遅れていることに九十九は心配し眉を潜めた。

 

「今日が初めてだしな……対応に追われてるんだろ」

「初めて……対応?」

「何だ、聞いてないのか?」

「何が?」

 

 心配していれば、正礼は遅れている理由を知っているのか口を開く。

 

「あいつはお前の――」

「後釜に座ったんだよ」

 

 噂をすれば何とやら、正礼が口を開いた瞬間、扉が開き一人の少女が姿を現した。

その少女は肩口まで伸ばしたショートカットで一部の横髪を三つ編みで纏めていた。

服装は、袴姿の着物にブーツといった和風と洋風の混ぜ合わせ、更に頭にセーラー帽を被っていた。

その異文化満載の少女は疲れたような表情を隠そうともせず、そのまま二人を一瞥して九十九の隣へと座る。

 

「遅かったね」

「まさか補佐官がこんなに大変だとは思わなかった」

 

 座り込み、用意されていた杯を取りお酒を注ぐ。

そして一気に飲み干して大きなため息をついた。

 

「そうだったのか、千里(せんり)が……」

「そう言う事……昇進は嬉しいけど、これほどとは――僕を労わってくれ」

 

 そう言って、彼女――徐庶(じょしょ)こと千里は大きく隣に座る九十九に向かって手を広げた。

手を大きく広げる彼女に対して九十九は少し眉を顰めて見るも、千里はその格好をやめない。

結局、何分かそのまま無視していたが、諦めない千里に九十九は折れる。

 

「……」

「はぐっと」

 

 九十九は少し溜息を付いて千里の抱擁を受け入れた。

千里はニコニコと嬉しそうに抱擁するのに対して、九十九は顔を若干赤くし意識しないように応じる。

彼女には少し困った癖がある、それがこれだ。

親しい人に対しての挨拶が抱擁なのだ、つまり抱き癖がある。

 

 千里は美少女であり、本来であれば嬉しい抱擁。

しかし、これを彼女は挨拶としている為、何処に居ようが誰の前であろうがこれだ。

嬉しさより、恥ずかしさが九十九の中で上回る。

 

「あっはっは」

「……くっ」

「そんなに嫌かな」

 

 恥ずかしがっている所を正礼が机を叩いて笑い、千里は納得いかなそうにムスっとした。

 

「ごほん、それで千里が風様の補佐官?」

「うん、風とは友達だし。誘われたから受けた」

「聞いてなかったな」

「移るだけでも大変だろうしね。引継ぎの件は纏められてたし、余計な手間をってところかな」

 

 このままだと酒のつまみにされそうと思い、若干無理矢理であるものの話を変える。

話せば千里が持ってきた書簡を片手で振る。

その書簡は、九十九は引継ぎ用として前もって作っていた物であり、見覚えがあった。

 

「助かった」

「役に立って何よりだ」

「そんなの作ってたのな」

「戦時だし、俺が死ぬ事も考えてた。死んでも引き継げるようにと……」

 

 この世界は命が軽い。

仕事に失敗すれば軽く命が消える事もある。

華琳を怒らせて史実の楊修のように死ぬ可能性もあった。

その可能性を考えて作っていたのだが、意外なところで役に立ったようだ。

 

「用意周到というか」

「何が君をそこまでさせるのか……」

「……」

 

 二人の若干呆れた様子に何も言えず酒を口に入れて黙り込む。

友人とは言え喋れない事も多い、今回のこともそうだ。

そんな九十九の意思を感じとったのだろう。

二人は顔を見合わせてから別の話題へと話を移す。

 

「それで、君達は何の話をしてたんだい?」

「九十九の友人関係」

「ほほぅ……それは楽しそうだね」

「はぁ……」

 

 別の話題となったが、これまた別の意味で面倒な話へと移った。

 

「そんなに聞きたいか?」

「聞きたい」

「結構お前の交友関係って謎だし」

 

 話せと言わんばかりに見つめる二人に、その謎の交友関係にお前等も入ってんだぞと言いたくなる。

なるも、口にしても大して堪えそうにないので諦めた。

 

「友人……ね。先ほど話した荀彧様の妹の荀諶と」

「行き成り凄いんだけど、荀彧様の妹?」

「裏表激しい奴らしい」

 

 少し面倒臭がりつつも指を一つ折る。

 

「引き篭もり司馬懿(しばい)、しかも病弱」

「司馬……?」

「何かでたな」

 

 更に思い出し指を一つ折る。

 

「美……袁術大好きな張勲(ちょうくん)

「袁術って……」

「……張勲って袁術の親衛隊の?」

 

 叔母の傍に居る友人を思い出す。

 

「あと最悪に口が悪い禰衡(でいこう)

「……何か聞いたことあるような」

「正直、荀彧様より口悪くて、男女構わず見下して相手を馬鹿にするような奴」

「あー……なるほど、そんな人と友人だから荀彧様も平気なのか」

「噂で聞いたぐらいだったらアイツには敵わないと思う」

 

 禰衡のせいでトラブルに発展した事は数多い。

誰に対しても口や態度が悪いのだ。

時に役人に、時に先生に、時に酒屋の主人に。

様々な所で喧嘩が絶えない。

恋花や張勲こと七乃(ななの)とも口喧嘩しており、よくあれ等を友人にしていたなと思い出す。

 

「何か凄い友人関係だな」

「だな。弱み握る奴、病弱、袁術のお抱え、口悪いって」

「まともな人少ないね」

「……よく一緒に居て仲良く出来たなと今更ながら思うよ」

 

 学生の頃の友人達を話し終え、苦笑する。

自分含め、面倒な人しか居ない。

類は友を呼ぶというが正しくそうだなと思う。

……目の前の二人も含めてだが。

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

 

「そういえば……お前等に悪い知らせがあるぜ」

「……聞きたくないな」

「同感」

「それでも聞いていた方がいい」

 

 更に運ばれてきた料理を口にしつつ話していれば、正礼が思い出したのか呟いた。

その言葉に千里と九十九は互いに顔を見合わせて聞きたくないと首を横に振るう。

 

「あのよ」

「おう」

「うん」

 

それでも真剣な表情に結局は聞くことになり、正礼が顔を近づけて声を潜める。

 

「開戦だ」

「……なるほど」

「うげ」

 

 一言だけ聞いて理解した。

正礼から告げられた情報を吟味し酒を一口飲んで喉を潤す。

 

「荀彧様が()()()()()()()()()……」

「ないな」

「そうか……やっぱりか」

「知ってたの?」

「知らないけど予測はしてた」

 

 開戦、つまりは戦が始まる。

ある程度予測付いていたことなので九十九には焦りも驚きもない。

むしろ、これからの桂花の機嫌を考えれば胃が痛くなる想いであった。

 

「相手は袁紹、軍師は稟様と風様……合ってるか?」

「合ってる」

 

 三軍師はほぼ対等な才能を持っていると言っても良い。

しかしだ、才能は同じぐらいでも伸ばしている方向がこれまた違う。

 

 稟は軍略に優れ、桂花は政治に優れており、風はバランスがよく奇抜な考えが得意である。

勿論この三人を全員連れて行くことは出来ない。

今現在、相手をしなければいけない相手は袁紹のみではない。

各陣営が虎視眈々と相手の隙を狙っているのだ。

誰かが残って本拠地を守らなければならない。

 

「一番信頼を置ける荀彧様を残した……と言えば納得してくれるかな?」

「どうだろ、むしろ男に慰められたと思って逆上するかも」

「余計な事はしないほうがいいね」

 

 稟と風を今度の戦に連れて行く考えは九十九も大いに賛成だ。

この二人は才能を買われて軍に入ったものの、桂花のように黄巾党や反董卓連合などの大きな戦を体験していない。

今までの働きで才能こそあると分かっているものの、経験だけは少ないのだ。

 

「今度ので一気に貯めさせる気か」

「試す気でもいるのかもな」

 

 三人の脳裏に己の主君の顔が思い浮かぶ。

下手な軍師より優秀で、下手な将よりも武が立つ覇王。

 

「……最初は風様と荀彧様。次は稟様と荀彧様。その次からはとは無理なのか?」

「時間が惜しいのだろう。時間を掛けずに袁紹を終わらす気だ」

「二人だって大きな戦での指揮は初めてだろうに……」

「駄目だった時は、曹操様本人が指揮を取るんだろ」

「それが出来る力を持ってるのが怖いね、うちの大将は」

「だな」

 

 最初の戦から勢いを付けて、時間を掛けずに駆け抜ける。

袁家相手に何とも大胆で思い切りの良い作戦だ。

 

「……僕も補佐官だし一緒に行くよね」

「そうだな、千里は確実に付いて行く事になる」

「うわー……」

「ご愁傷様」

 

 最後の言葉を聞いて千里は机に頭をぶつけ動かなくなる。

それに同情の視線を送るも九十九も正礼も他人事ではない。

正礼も稟の補佐官をしている為、戦に出向かなければならない。

九十九もまた、他の軍師に出番を取られた上司の相手をしなければならない。

 

 三人が三人、このあと待ち構える仕事に嫌な表情をする。

 

「そういえば……なんで開戦が分かった?」

「稟様から少し聞いた」

「ふむ……風様や荀彧様からは聞いてないな」

「お前の場合は異動があったからで、千里の場合も同様だろ」

「気を使われたか」

「まだ初期の初期段階だしな。ま……これからだろうよ」

 

 そう言って最後とばかりにお酒を飲み干し、正礼は立ち上がる。

だいぶ話し込んでいたため、夜遅い。

帰るかと顎を軽く入り口に振り、それに九十九と千里は頷き立ち上がる。

 

「あー……やだな」

「誰だって嫌だろうよ」

「俺としては頑張れとしか言えないな」

 

 会計を済ませ、三人で人が減った道を歩き、兵舎のある城へと戻る。

その際に千里がポツリと呟き、二人が同調した。

 

 



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幕間:上手な部下からの慕われ方 その1(桂花)

「はぁぁぁぁ」

 

 九十九が桂花の補佐官になる少し前のこと。

久々に郊外にある自分の屋敷に戻って来た桂花は、寝台の上で大きなため息を付いて倒れこむ。

補佐官が役に立たず、仕事は溜まるばかり。既に限界で、精神的にしんどかった。

それでも仕事を通常的にこなしているのは最後の意地だ。

 

 そのうち華琳は天下を取るだろう。

傍に居て仕えていれば、そのような事をひしひしと感じる。

軍師としてまだまだ成長する桂花と共に彼女もまた覇王として成長していた。

そんな華琳に桂花は、感嘆と共に焦りを感じる。

最近、新しい軍師が入ってきて余計にだ。

 

(更には……アレよね)

 

 寝巻きのまま転がり、寝台の横にある机の上に手を伸ばす。

手を伸ばしてとったのは一つの竹簡。

紐を外し、中へと視線を向け読み進める。

この手紙は実家からの手紙であり、既に何度も読んだ物。

 

(元気かーって話だけど……内容的に孫を見たいって催促よね。これ)

 

 親から届いた物はどう見ても結婚の催促だ。

元気にやってますか? ところでいい人は――

仕事は順調ですか? ところで男性に興味は――

同僚とは、特に男性の人とは――

孫早く見せろ。

 

 そのような内容が延々と書かれている。

正直な話、仕事よりもこの手紙の方が精神的に辛かった。

ここまで育ててくれて、援助もしてくれる両親。

そんな両親に感謝はしているし、親孝行したいと思ってはいる。

しかし――

 

「無理!」

 

 男性と一緒になるなんて、桂花には地獄の拷問を受けるようなもの。

受け入れることなんか出来るわけがなかった。

 

 それでも親に何か文句を付けるようなことはしない。

あちらも必死だと分かっている為。

 

 荀家の長女は桂花であり、跡継ぎが欲しいのだ。

しかし桂花が男性を愛せない為、跡継ぎは絶望的。

なら妹のほうに期待をと思っても、妹の恋花自身も桂花同様の有様。

ここで荀家は滅びるのかと親は嘆く。

 

 嘆かれても男性と一緒になりたくない。

桂花にとって男性はこの世で一番いらないもの。

そんなことを思う桂花も、昔は男性嫌いではなかった。

しかし、年齢が上がる毎に近寄って来る男性の負の面を幾度となく見た結果、嫌悪感しか残らなくなった。

 

 桂花の家の荀家は、荀子十一世の血を受け継ぐ名門の家柄。

そんな家柄の長女が才能豊かな子であれば、それに縋ろうと思う人は多い。

桂花を利用しようとする者、単純に格を上げようと思う者、金目当て……と様々な理由を抱える人ばかり。近寄ってきた人は幼い桂花を子供と侮って、懐柔しようと笑い近づく。

しかし、幼いものの賢い桂花はそれを見抜き軽くかわす。

 

 かわせば終わりと、身の程を知るだろうと幼い頃の桂花は思った。

しかし、ここで彼女の考えは大きく外れる。

彼らは避ければ避けるほど子供のようにムキになり、あれやこれやとお粗末なことを仕出かす。

そのような醜い男性達を見て桂花と恋花は、『男性とは醜く、馬鹿で汚らしい者』と判断した。

ある意味で男運が壊滅的になかったのである。

 

(補佐官も男に変えられるし、親はこれだし……男共滅びないかしら?)

 

 寝たまま手を胸の前で拝むようにし、幾度となく願う。

勿論叶うわけがない。仮に叶ったとしたら間違いなく桂花は世界中の敵となる。

 

「何か親が納得するような策は――」

 

 結局は無駄な時間だと悟り、改めて親への手紙の内容を考える。

 

「荀彧様」

「どうしたのよ。こんな時間に」

 

 考えていると扉の前で名前を呼ばれた。

その声は桂花付きの女中のものであり、こんな夜更けに何の用事かと首を傾げる。

 

「お休みのところすみません」

「別にいいけど……用事は?」

「此方を――曹操様からです」

「華琳様!?」

 

 女中は軽く挨拶をしてから恭しく一つの竹簡を荀彧へと渡す。

その竹簡の主の名を聞き、桂花は驚きと共に喜びを感じる。

華琳――桂花の主にして心を一色に染め上げる人物。

もしも華琳が男性であれば両親は喜んだろう。

しかし、華琳は女性であり、桂花はそんな彼女を愛していた。

 

 そんな愛しい人からの竹簡を、桂花は急いで受取ると封を見る。

竹簡が他の者に開けられた時に分かるように特殊な封をすることがある。

今回のもそれであり、その封は華琳しか使えない物で本物と判断出来た。

 

「何かし……ら……」

「ご愁傷様です」

「……はぁ」

 

 嬉々として開けてみて内容を読めば、気持ちが萎んだ。

中に書かれた内容は、補佐官の交換の説明。

この間消えた男性の代わりに、新たな補佐官を入れる旨が書かれていた。

 

 華琳なりの愛情だとは桂花も分かっている。

この先、華琳は大陸を取るだろう。

大陸を制覇して終わりではない。

そこからが文官達にとっての始まりである。

今までの国のように腐らないよう、一年でも長く国が残るように奮闘する。

 

 その中心となるのは桂花であり、ほかの軍師達。

勿論国を動かすのに彼女達だけでは足りない。

他の女性文官、男性文官、共に一団となって経営していかなければならない。

その時に男性と言うだけで目の仇にする桂花は問題にしかならなかった。

 

(表舞台を降りて影から支えればいいと思うのだけど……)

 

 そう思うも華琳がそれを許さない。

 

「はぁ……次はどの位持つかしら」

「……たぶん、だいぶ持つのではと」

「うん?」

「楊修様ですし」

「楊……修?」

 

 ため息を吐きつつ気だるげに呟けば、そのような答えが返ってくる。

女中の口から出た楊修なる人物。

その人物の名前を聞いて、桂花の頭の中で何かが引っかかる。

 

「楊修……楊修……何処かで聞いた覚えが」

「程昱様の補佐官をずっとしてる人ですよ」

「風の……?」

「気立て良く、真面目で有能な方と聞いたことがあります」

「ふ~ん……まぁ、男だし噂は当てにならないわね」

「あははは……」

「ありがとう。明日も早いのだから、あなたも休みなさい」

「ありがとうございます」

 

 女中を下がらせると、足早く棚に行き、その中で幾つかの竹簡を手に取り寝台の上に広げた。

風の補佐官だと聞いた瞬間、少しだけ思い出したのだ。

 

「これじゃない、こっちじゃなくて……」

 

 広げた竹簡の内容を読み漁り、微かな記憶を頼りに探していく。

幾つもある竹簡を素早く読み進めて数十分ほど経った頃。

 

「あった!」

 

 先ほどの引っかかるものを確信に変える文を見つめた。

 

「……えっと、これね」

 

 探していた物は双子の妹からの手紙。

その中に目的の物があった。

 

 内容的に言ってしまえば、友達を家に連れて帰るからねと言った簡素なもの。

それでも当事の桂花にとってこの手紙が驚きの連続であったことも思い出す。

自分同様男性嫌いの妹が男性の友達を作り、剰え家に滞在させる。

何の冗談だと本気で考え込んだものだ。

 

「……名前が楊修。うん、確かにこいつね」

 

 楊修が滞在した期間は案外短い。

一ヶ月も経たない内に旅に出てしまった為、桂花とは入れ違いとなり会っていなかった。

会ったとしても罵倒しかしなかったので問題はないが。

 

(お母さんもあの時は物凄く喜んでいたわよね)

 

 確認が取れればある程度思い出すことが出来た。

家に帰れば、両親も祖母も親戚も上機嫌。

家で働いていた女中も皆が皆、喜び泣く。

今まで男性を寄せ付けなかった姉妹の一人が男性の友達を家に連れて来たのだ、まさに狂喜乱舞であった。

 

 桂花自身も両親同様に喜ぶ。

妹が後を継いでくれれば、自分は好き勝手できるのだ。

恋花自身、弱みを握られた訳でもなく、納得しているならなおさらだ。

 

(あの日から催促がなくなったのに最近また催促されるようになったのは、これか)

 

 しかし最近になり、また催促が忙しなくやってくるようになった。

その事に不思議に思っていたが、原因が分かりぐったりと倒れこむ。

 

(互いに一緒の陣営でなく、別の陣営に居て進展なし。それを知ったお母さん達がまた危機を感じたと……)

 

 これには桂花も頭を抱える。

何をやっているんだと、妹の恋花に問いただしたい気分だ。

 

(というか思い出したけど……こいつって風とかなり仲良いわよね)

 

 更に追い討ちとばかりに新しい記憶が掘り出され、苦悶する。

朝、鏡の前で髪の手入れをさせていた所を何度か見ている。

お昼時や食事の時も常に一緒でお昼寝も一緒だ。

更には朝方に風の部屋から出てきたところを目撃したこともある。

 

(あれ……恋花詰んでない? 私詰んでない?)

 

 だらだらと冷や汗が流れ出す。

恋花の男性嫌いが治ったわけではないのだ。

唯一、この楊修だけが恋花と気が合っただけであり、偶然。

この偶然を取れなかったら、新たに良い人は出来るだろうか?

出来るわけがないと桂花は断言出来た。

容姿も思考も似通った妹なのだ、それぐらい分かる。

 

(恋花が結婚出来なかったら……私よね。長女だし……やばい、すっごくやばい!)

 

 ポタリ、ポタリと汗が垂れ、シーツを濡らす。

今はまだ、寛容に接してくれているからいいだろう。

しかし両親の我慢にも限界がある。

これまで以上に催促される手紙から読み取るに、限界が近いのだろう。

このままでは何処かの豪族の息子を宛てられる可能性がある。

 

(……何か、何か方法は)

 

 頭を抱え、シーツの上で苦悶し続ける。

仕事だけでも頭を抱える事態なのに加え、親からの催促、長女としての責任。

桂花の頭の中をぐるぐると回っていく。

 

「……」

 

 どれだけ悩んでいただろうか。

暫くシーツに顔を埋めて動かなくなり、息苦しくなった頃。

桂花は顔を勢いよく上げて、思いつく。

 

「遠いから進展がないのよね」

 

 起き上がって、今の状況を確認する。

 

「傍にいないから気軽に話せないし、関われない。つまりは――」

 

 寝台の上に座りなおし、近くにあった竹簡を手に取る。

その竹簡には桂花の実行した、あるいは考えた策が書かれている。

それを手に取り、中身を見つつ桂花は口元を歪め笑う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 閃いた策がそれであった。

陣営が一緒でない? 遠くて関われない?

相手滅ぼして引き込めばよくね? である。

 

(そもそも風とは仲良いけど、別に付き合ってないし婚約もしてない。つまりはまだ機会がある!)

 

 よく三軍師で集まった時に風が愚痴る事がある。

曰く、まったくもって靡かないと。

 

(風の補佐官から私に移ったのも幸運ね。これで前よりも接触が少なくなる)

 

 桂花としては恋花が此方にやってくるまで耐えれば良い。

しかもだ、袁紹との開戦の時に風を軍師として推薦すれば時間を更に稼げる。

 

(問題はその場合、私が残らないといけないのよね)

 

 チッと軽く舌打ちをして考え込む。

戦場に行ける軍師は他の陣営のことも考えて二人が限界だ。

桂花が行けば、風か稟のどちらかと一緒になる。

そうなってしまえば、戦場という事もあり、普段よりも親密に相談し合う。

そもそも離す為の策なのに一緒に居たら意味がない。

 

「しょうがないか」

 

 墨を擦り、新しい紙を出し考えを纏めていく。

 

「……」

 

 しかし、途中で筆が止まる。

あれこれと今後の事を考えている時に一つの項目で思考が停止した。

 

(私の部下になるということは、私との交流も増える訳で)

 

 結婚するにあたって家族関係はとても大事な要素の一つ。

特に家柄がよければよいほど気を使わなければいけない要素。

そんな大事な要素の中に男性嫌いの姉が居るというのはマイナス要素になるだろう。

 

(……態度を改めないといけない? 無理ね。そんな事が出来てたらこうなってないし。嫌われない程度でいいわよね?)

 

 普段の自分の態度を顧みて無理だと判断する。

 

(男に嫌われない程度ってどのぐらいかしら……)

 

 判断したのはいいが、次の問題はどのような態度で接すればいいのか。

そもそも男性に対して気遣った覚えなど皆無であり、誰であろうと態度は私生活においては変えてこなかった。故に男性に嫌われないような態度が分からない。分かるのは、普段の態度で行けば間違いなく失敗するであろうと言う事。

 

「ふぁ……」

 

 そんなことを考えていれば大きな欠伸が出た。

元々夜遅く、疲れて帰ってきていたところに頭を働かせたのだ、既に限界である。

ぼーっとしだす頭とまどろみを感じ、桂花はそこで深く考える事を諦め寝ることにした。

 

(……あまり関わらなければいいわよね)

 

 そう結論付け、灯りを消してそのまま眠気に身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この半年後、桂花はもっと深く考えていればと後悔する。

目の前には少々怒った恋花と眉を顰め睨む風。

それと驚きの表情で桂花を見つめる他の面々。

 

 認めないだろうが、深く考えていれば、或いは疲れがなければ理解していただろう。

自分で言ったとおり、恋花とは思考が似ており、その思考が似ている人物が気に入った人物を自分が気に入らないわけがなかったのだと。




ツンツン桂花はもう少し後で、数ヶ月ほど経てば前作同様の関係になるかと……


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五話:新しい仕事は、チャンスの到来

「あっ」

「おはようございます」

 

 朝の食堂の入り口で、二人は互いに顔を合わせた。

桂花は驚きの表情と声を、九十九は何時ものように仏頂面で挨拶を交わす。

 

「……うぐっ」

「……」

「……お、おはよう」

 

 挨拶を交わせば、驚いていた桂花から呻き声のような声が漏れ、小さな小さな声で挨拶をする。

誰がどう見ても嫌々なのが、丸分かりだ。

それでも、挨拶を返してくれるだけましではある。

 

「お早いですね」

「……現状、知ってるでしょ」

「そうですね」

 

 初日よりは、遅い時間帯ではあるが、まだまだ朝早い時間帯。

人も少なく、数人ほどしか居らず、多くの人は部屋に居るだろう。

そんな時間帯に、二人は丁度良く顔を合わせた。

 

 そんな桂花に理由を問えば、何を言ってるんだとばかりに呆れた表情をされる。

昨日の今日なのだ。

あの惨状(仕事量)を体験すれば、早い理由など誰にでも分かった。

 

「……何で付いてくるのよ」

「流琉に用事がありまして、荀彧様は?」

「……私も流琉によ」

 

 入り口で出会った後は、特に会話も続かず、互いに用事を済ますために歩く。

歩くと朝食を取る為、厨房に顔を出さなければいかず、二人は一緒に歩く羽目となる。

勿論、男嫌いな桂花がそれに対して、何も言わないわけもなく、顔をひくつかせながらも静かに問いかけてきた。

 

「流琉」

「あっ……桂花様にお師匠様!」

「……お師匠様?」

 

 厨房へと顔を出せば、何時ものように元気に鍋を振り、他の人に指示を出している流琉が居た。

声を掛ければ、流琉は気付き二人へと笑顔で呼びかけた。

その際の流琉の呼び方に、桂花が眉を顰める。

流琉の九十九の呼び方に対して疑問が抱いだのだろう。

 

「……風様の補佐官をさせて頂く少し前まで、厨師(ちゅうし)をしてたんですよ」

「あんたが、厨師?」

「はい」

 

 九十九の言葉に桂花は、ジト目になり、信じられないものを見るような視線を送る。

この時代において厨師……料理人の価値は高い。

料理人は、権力者に一目を置かれ、乱世の時代でも殺さず生け捕られるほど大事にされている。

 

 普通の時代よりも料理などの文化が発達した、ここでも同じだ。

乱世でストレスが溜まるような環境である故に、甘いものや美味しいものを作れる料理人は大事なのだろう。

そのことを知っていた九十九は、黄巾党が出てきた頃に旅を止め、華琳の元に厨師として勤める事にしたのだ。

 

「あんたがねー……」

「腕前は、そうでもないので変り種といった形で雇ってもらってましたけどね」

「それなら納得ね」

「それで……まぁ、流琉が自分の事を知ってまして」

「師匠と?」

「そんな感じですね」

 

 桂花の疑いの視線に対して、素直に意見を述べれば、桂花は納得する。

 

「流琉がやって来たときに、自分は文官へと転職しましたが」

「何でまた……」

「食べるのは好きなのですが、作る事はそれほど好きでないと分かったからですかね」

「……」

 

 辞めた理由として黄巾党も終わり、桂花が軍師となり、文官になっても目立たなくなったことも挙げられる。

しかし、そのことは別段話すことでもなく、言葉を切って流琉を待つ。

 

「お待たせしました!」

「おはよう、流琉」

「流琉、おはよう」

「はい、おはようございます」

 

 鍋の中身を皿に移し終えた流琉が、二人へと近づく。

近づいてきた流琉に対して、二人が挨拶を述べれば、流琉もにこやかに返した。

 

「頼んでた物だけど……もう、出来てるかしら?」

「はい、此方ですね」

「ありがとう」

 

 桂花は、挨拶を終えた直後に尋ねる。

何かを頼んでいたのか、桂花が尋ねれば、流琉は近くに置いてあった包みを桂花へと渡した。

その包みは、少々大きく中身が見えない為、よく分からない。

 

「それじゃね」

「はい!」

「……」

 

 先ほどまで普通に九十九と会話を重ねていたが、内心はしたくもなかったのか、仕事が忙しいからか。

包みを受取った桂花は、そそくさとその場を去って行く。

それを二人して、静かに見送った。

 

「朝ご飯も?」

「はい、手軽に取れる朝とお昼用の食事を用意してくれと」

「なるほど」

 

 厨房で受け取り、出来ているという言葉から、ある程度九十九は察する。

察した内容を確認の意味を含め、流琉に問えば、思っていたとおりの言葉が帰って来て満足気に頷く。

 

 九十九は初日の日に、お昼を桂花の分も含めて持って行って渡していた。

最初こそ、危険物を見るような視線でソレを見ていた桂花であったが、九十九が『流琉からだ』と言えば、渋々と受取る。

男嫌いな桂花であったが、流琉が自分のために作ってくれたとなれば、男の九十九が持ってきたことも我慢できたのだろう。

受け取り、簡単に食事を取れることに気付き、早速とばかりにお願いしたとのだと分かった。

 

「最近、朝食に来なくなってましたので心配でしたけど……よかったです」

「そうですか」

「はい!」

 

 本当に心配していたのだろう。

嬉しそうな流琉の笑顔を見て、九十九も軽く頷き返す。

 

「それで、流琉。自分の分は……」

「用意してあります。お師匠様は、此方で食べて行きますよね?」

「はい、此方で食べて行きます」

「腕によりをかけて作るので、待っていて下さい!」

「はい」

 

 気合の入った流琉は、笑顔で見上げてくる。

そんな彼女に短く答え、九十九は軽く頬を緩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えれば、仕事の時間だ。

 

「次!」

「此方に」

 

 声を上げられた瞬間、九十九は待ってましたとばかりに書類を差し出す。

差し出した後は、上司である桂花の顔を伺う事無く目の前の仕事に没頭する。

既に何度も行なわれた行為であるため、手馴れた動きだ。

溜まった仕事の量は、九十九の予想を超えており、ちょっとやそっとの働きではなくならない。

 

「こっちの書類は?」

「既に回してます」

「うわーん、文若様! 予算下りませんでした!」

「なんですって!?」

 

 午前中だけで、てんやわんやの大騒ぎ。

書類が次々に運ばれてきては、空中を舞い、散乱し、机を埋めていく。

風の元で処理能力を培った九十九でさえ、追いつくのがやっとだ。

大きな仕事であれ、小さな仕事であれ、どちらも同じように、ただただ処理をしていく。

 

「ふぐっ」

「鐘鳴ったー! 助かったー!」

「おおぅ……お腹空いた」

「仕事残ってるぅぅぅ、残業やだー!」

 

 暫く、仕事に没頭すれば、昼休みの鐘が鳴った。

その鐘を聞いた瞬間、部屋の中に居た文官は、皆が皆喜び騒ぐ。

 

「それじゃ……次の鐘が鳴るまで休憩で」

「はーい!」

「どうする?」

「寝る……兎に角、寝る。兵舎に戻る」

「私は、お昼を」

 

 桂花が鐘に気付き、声を掛ければ、文官達は蜘蛛の子を散らすように思い思いに去っていく。

それを見届けた後、桂花と九十九は力尽きたように机に頭を乗せ倒れこんだ。

 

「……大丈夫ですか?」

「これが大丈夫そうに見えるなら、眼球交換したほうがいいんじゃない?」

「まだ、余裕ありますね。午後も乗り切れそうで何より」

「……アンタも結構言うわね」

「荀彧様の妹様、恋花の相手をしてましたので」

 

 机に倒れこんだまま、視線も合わせず二人は会話する。

既に体力の限界であり、動きたくもないのだ。

 

 それでも九十九は、いい機会かと声を掛けた。

軽い雑談であったが、運良く恋花の話題を挙げられる。

これで、桂花が恋花関連で九十九の事を知っているのかを探る事ができた。

 

「恋花ねぇー……手紙で話は知ってたけど、仲良いのよね?」

「そうですね、大事な友達でしょうか」

 

 聞いてみれば、やはり知っていたのか桂花は、驚きもせず、聞き返す。

そのことを聞いて、九十九は桂花の態度の謎を何となく察することが出来た。

つまりは、妹に気を使ってるのだろうと――。

 

「大事な……ね」

 

 そのことを確認し、九十九は何とか体を起こし、ぐったりとしながらも動き出す。

桂花と九十九は、互いに机の下に置いておいた包みを取り出し、中を開く。

中には、竹の葉の包みと竹筒が入っており、それを手に取る。

 

 その竹の葉を開けば、中には白い御握りが二個ほど入っており、それを二人は口にする。

既に冷えているものの、それでもしっかりと味付けされた御握りは美味しく、手が止まる事はない。

昨日は塩と焼き魚、今回は肉を味付けしたものと、飽きないように工夫がされている。

流琉の気遣いに九十九は、感謝をしつつも綺麗に二つの御握りを堪能し、完食した。

 

「……ふぅ」

 

 食べ終わり、椅子から立ち上がると、手を伸ばし背筋を伸ばす。

長時間ずっと座っていたせいで、体が軋む。

それでも何度かストレッチをしているとだいぶ、体が楽になる。

 

「ナニソノ奇妙な踊り、頭おかし――」

「……」

 

 ストレッチをしていれば、遅れて食べ終わった桂花が、変な物を見る目で見て声を掛ける。

声を掛けたものの、その声は途中で途切れた。

別に九十九が何をした訳でも、何かがあったわけでもない。

桂花自身が、自分の口に手を当てて止めたのだ。

 

 そんな桂花に九十九も、動きを止めて視線を送る。

視線を送れば、桂花は澄ました表情をしているが、口元をひくつかせているのが見えた。

誰が見ても我慢しているような、言いたいことも言えないといった表情だ。

先ほどの眼球交換の言葉で既に言いたい放題なのだが、疲れていたところに出た言葉だからか、気付いてないらしい。

 

「……そう言えば、先ほど予算が下りないとか聞こえましたけど」

「あぁ……あれね。これよ」

 

 特別地雷を踏みたいわけでもなく、会話の流れを変える。

雑談ではなく、仕事の話を振り込んだのは、桂花を思ってだ。

雑談よりは、必要な仕事の話であるほうがストレスにならないだろうと考えた。

 

 そう思い、聞いて見れば、桂花が一つの書類を渡してくる。

それを受取り、上から下までしっかりと目を通した。

 

「……街の清掃ですか」

「ん、華琳様が本格的に治めることが出来るようになって、治安も上がったから人が増えたのよ」

「嬉しいことですが、それに伴い汚れやごみも増えたと?」

「えぇ、華琳様が治める街ですもの! 塵一つ残してたまるものですか!」

 

 書類に目を通せば、清掃員の増員についてが書かれていた。

通りのゴミや汚れ、人が増えたことによる糞尿などの処理、そのための人員の増強についてだ。

 

 見る限りでは、却下されるような内容ではない。

街が綺麗であれば、人の足も増え、衛生面で気をつけることにより、病気も防げ、数多いメリットが得られる。

特におかしな内容でもなく、九十九は首を傾げた。

 

「栄華の奴~~!!」

「……厳しい人のようですね」

 

 九十九が書類を見て首を傾げていれば、桂花が憎々しげに唸る。

栄華(えいか)、曹操軍の金庫番を勤める子だ。

姓を(そう)、名を(こう)、字を子廉(しれん)と言う。

ちなみに、桂花の口にした栄華は、曹洪の真名である。

そんな彼女は、華琳の従姉であり、曹操軍の初期より居る重要な人物だ。

 

「ようですね。って、会った事ないの?」

「ないですね。資金運用は、時間も手間も掛かりますから、それを自分がやるぐらいなら、他の仕事を任せた方が効率が良いと風様が」

「なるほどね」

「資金運用関係の子が、よく泣きながら纏めてましたが……この内容でも駄目なのですね」

 

 九十九は機会がなかったことを伝え、書類をもう一度見直す。

 

「……」

(何か、嫌な予感)

 

 書類を見直し、何処か削れる箇所はないかと考え込んでいれば、静かになった桂花に九十九は嫌な気配を感じる。

恐る恐る、書類から目を離し桂花を見れば、何か思いついたようだ。

厄介事の予感に九十九は、内心で溜息を付いた。

 

「丁度いいわ」

「丁度いいですか?」

 

 嫌な予感を感じていれば、桂花が声を漏らす。

 

「その書類の予算運用は、あんたに任せるからやってみなさい」

「……御意」

「栄華から思いっきり、分捕って来るように!」

 

 上司の命令に九十九は静かに頷く。

栄華への嫌がらせか、はたまた九十九で溜まったストレスの発散か、どちらかは分からない。

しかし、仕事が仕事なので断る事も出来ず、どうしようかと書類の前で九十九は、頭を悩ませた。




栄華って最初から居るのね。
途中から代わったところを修正しました。


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六話:挨拶回りはきっちりと

ご無沙汰です。
仕事ががらっと代わり、モチベーションが下がっておりました。
すみません……のんびりと更新していきます。


「あだだら、せっぽ! せっぽ!」

「……そうか」

 

 飲み始めて数時間ほど経った頃。

安い酒でありアルコール度が低いといっても何時間もちびちびと飲んでいれば酔いも回る。

酔いは人を大きく変えることがあるものだ。

泣きだしたり、絡んできたり、怒ったり、静かになったり、その人の一面が見え更に思考能力も奪う。

まぁ、何が言いたいかと言うと現在九十九は思考能力を無残にも奪われ、意味不明な言語を発しひたすら絡んでくる友人(正礼)に悩んでいた。

 

「げねっぽ!げねっぽ!」

「……もしかして、何かしらの暗号か?」

 

 顔を真っ赤にし正礼は楽しそうに笑いながら、お酒の入った杯を九十九に押し付ける。

きっとお酒を飲めと進めているのだろう、多分きっと。

そう考え、もしかして無意味な言葉自体は暗号なのではと九十九は思考する。

普段は軽く見える男であるが、仕事はしっかりと出来る上に自分を隠すのが正礼は上手い。

故に見事なまでに醜態を見せているのも意味があるのだろうと考えた。

 

「いや……単純に酔ってるだけだろ」

「がねっぽ!」

「……だよな」

 

 そこまで真面目に考えていればツッコミが入る。

ツッコミに反応し何かを叫んだ正礼を見て九十九も顔を緩め、呆れた。

 

「兄上は大抵仕事で飲むことが多いからな。 こうやって周りを気にせず飲めるのが嬉しいのだろう」

「……そうか」

「嬉しい?」

「……少し」

 

 呆れた九十九に対して、正面に座っていた人物が正礼にフォローを入れる。

そのフォローに対して、九十九は顔を少しだけ、親しい友人なら気付けるほどの小さな微笑で返す。

 

「まぁ……限度ってものがあるけどな」

「……」

「がねっ!?」

 

 いい雰囲気で話が終わりそうだった時だ。

九十九の正面の人物に対して、正礼は絡み始めた。

だっと走ってきたかと思えば、その勢いで抱きつこうとしそのまま正面の人物からカウンター気味に右ストレートを喰らう。

綺麗に決まった拳を受け、酔ってる上に文官である正礼は呆気なく撃沈となった。

 

「兄貴に容赦ないな。 敬礼(けいれい)

「……触れられるのは好きじゃないんだよ」

 

 目の前の人物は、丁儀……正礼の弟で姓を丁、名を廙、字を敬礼と言う。

正礼と友人関係になった翌日に紹介された人物で交流もそれなりに深い人物であった。

敬礼と正礼は何というか、似ても似つかない兄弟である。

容姿からして違い、二人を見た目で兄弟だと思う人はそういない。

 

 ガタイがよく、髪の毛を短めに切り男らしい男である正礼に比べて、敬礼は線が細い。

身長は低く、流琉などと同程度であり、顔は男の子とも女の子とも取れる顔立ちをしている。

正礼と同じ赤い髪だけが似ており、髪型は緩いウェーブのかかったショートヘアで纏めていた。

服装は他の文官と違い、何やら軍師達のように自由奔放な格好だ。

頭の上には学生帽、羽織っているのはどこぞの番長かと突っ込みたくなる長い学ラン、ズボンはショートパンツを穿いており、男の癖に白い肌が目立った。

 

 これで弟なのだから世の中って不思議だなと九十九は何時も思っていたりもする。

勿論口に出しては言わない。

初めて会った時に正礼が「これでも弟だ」と言った際にぶん殴られるのを見ているからだ。

 

 余談であるが正礼も敬礼もどちらにも九十九は真名を預けていない。

友人として信頼していないとかではなく、家族以外に真名を預けてはいけないと決まっていると正礼から教わっている。

故に真名を預けるのをやめ、互いに字で呼び合うのが三人の共通となっていた。

 

「それで……何か話があるんじゃないか?」

「……」

「話したいって顔をしてるぞ。 徳祖」

 

 酒を飲もうと誘ってきた人物が撃沈しているので、自然と会話は九十九と敬礼で行なわれる事となる。

酒を飲み、持ってきたツマミを食しながら少ない会話を楽しむ。

そんな正礼と飲めば味わえないようなのんびりとした飲み会を楽しんでいれば、敬礼から話を持ちかけられた。

 

「分かりやすいか?」

「話を切り出す瞬間を探ってたろ? 変な間が会話と会話の間に生じてる」

「……そうだったのか」

「まぁ、親しい人間でなければ分からない程度だけど」

 

 新たに発覚した事実に九十九は少しばかり落ち込む。

表情が表情なのでポーカーフェイスって便利と思っていたのだが、意外と隙は多かった。

分かりにくい人物を目指していたのだが、実は分かりやすい人物であったのかも知れない。

 

「それで話ってのは?」

「敬礼の上司についてだ」

「……」

「実は荀彧様より、ある案件を任されてな」

「何の案件?」

「資金運用」

「さすがに手伝えないぞ」

 

 九十九の言葉に敬礼は、何を言ってるんだとばかりな表情を取る。

幾ら信頼する同僚とはいえ、資金が関わる仕事関係をおいそれと見せていいわけがない。

そのことを視線で問いかけて来る敬礼に九十九は静かに首を横に振る。

 

「分かってる。知りたいのは金庫番の人の事だ」

「曹洪様?」

「そう……どんな人物か知りたい」

「会った事なかったっけ?」

「ないな。 正確に言えば挨拶を交わした程度で本腰を入れて話したことがない」

「……あー、男嫌いだからな。あの人」

「それだ。どのぐらい男嫌いなんだ。荀彧様より酷いか?」

 

 敬礼は九十九の問いに対して、腕を組み目を瞑って考え始める。

それをお酒を飲みつつもじっと待つ。

暫くすれば、敬礼は目を開き、辺りに視線を彷徨わせる。

先ほどの問いに答えず、そんな事をする敬礼が気になり、九十九もまたその視線を追った。

そして、視線が一点に止まり、その視線の先にある物を確認し九十九は高くついたと頭を抱えた。

 

「それでいいぜ?」

「……今度ってのは駄目か?」

「今食いたい。酒の席なんだ、丁度いいじゃないか」

「……はぁ」

 

 敬礼が九十九の前に置いてある皿を指差す。

その中にはメンマと一緒に数切ればかりだが、肉が置かれていた。

それをくれと言う敬礼に九十九は悩んだ。

敬礼が欲しいと言ったのは、九十九お手製のチャーシューである。

九十九自身、これは渾身の出来であり大好物のものだ。

 

「一枚」

「全部」

「一枚」

「二枚」

「……三枚しかないんだが」

「二枚」

「……」

「……たまには他人の感想も必要だと思わない?」

「はぁ……」

 

 結局九十九が折れ、三枚ある内の二枚を敬礼に渡す。

今必要なのはチャーシューでなく情報だ。

チャーシューを受取った敬礼は、一目見ただけで分かるぐらいに喜び顔を緩ませる。

 

「うん……やっぱり、美味しい。でも、前のとは少し違うな?」

「少し味付けを変えたんだ。今回はその試食の意味で持って来てたんだが……」

「なら、俺で良かったね。 兄貴なら『美味い、美味い』しか言わないぜ?」

「……確かに」

 

 二人は静かに横で眠りこけている正礼へと視線を向けた。

少しばかり見るも、正礼からのリアクションはない。

その事を確認すると二人は互いに向き合い、酒飲みに戻る。

 

「前から思ってたけど、叉焼とはだいぶ味が違うけど、どうやって作ってる?」

「煮込んで作る」

「煮込む?」

「そう、煮込む」

 

 一口にチャーシューと言っても、作り方は多い。

例えば呼び方ですら、『叉焼』『焼豚』『煮豚』など種類がある。

主に中国で食べられていたのは、叉焼。

塩、胡椒で味付けし、紅糟(ホンザオ)と呼ばれる調味料に付けて一晩寝かす。

寝かせた後は、紅糟を落とし焼いて、両面に蜂蜜を塗って更に焼くと言った工程で作られる。

 

 それに対して九十九が作った物は『焼豚』煮込むほうだ。

鍋に水とお酒、砂糖、醤油、ニンニクなどの調味料を入れて専用のタレを作り煮込む。

焼いた物と違い、此方は煮込むため肉が柔らかくなり、保存も効くようになった物。

味自体はどちらも美味しく好みになるのだが、九十九はチャーシューを作る時は煮込むほうにしている。

冷蔵庫もないこの時代、保存がより効き日本で口にするのが多かった『焼豚』を九十九は選んだ。

 

「焼いた方も好きなんだが、こっちの方が応用も利き易くてな」

「応用?」

「タレを改良してあってな。軽く煮込んで焼豚、じっくり煮込めば角煮。出来た角煮をきざんで炒飯(チャーハン)に入れてもいいし、そのまま丼にするのも美味い」

「……」

「あぁ……ついでに卵も一緒に煮て煮卵も作ると美味いな」

 

 煮卵に焼豚、メンマでラーメンのおつまみセットの出来上がり。

残りの一枚を丁寧に口にしつつ、今度お酒を飲む時に作ってみようと九十九は内心で微笑んだ。

そんな内心楽しみでホクホクの九十九に対して、敬礼は黙り込む。

手元にある物だけでも美味いのに、更に美味そうな物を聞かされればもっと食べたくなるというのが人情だ。

 

「なぁ……追加で」

「やだよ」

「作った時、呼んで……」

「イヤだよ」

 

 敬礼の言葉を途中で切り、強く返す。

性欲も発散できない上に仕事のせいで休む時間も少ない。

三大欲求の内の二つを封じられている九十九にとって最後の砦が食だ。

敬礼の請求を頑なに拒んだ。

 

 何より、この焼豚を作るには些か時間も手間も掛かるのだ。

砂糖などの調味料はまだましであるが、これには醤油が使われている。

醤を代わりにして作ったりもしたが味はいまいち。

その為、醤油作りに何年も時間を掛けた。

 

「……しょうがないか」

「……」

「それで曹洪様の事だけど――」

 

 苦労に苦労を重ねた物であり、目が死んでいく九十九を見て敬礼は諦める。

しかし、敬礼とて頭脳で生き抜いてきた者。

諦める振りをしながらも頭の中では、どうやって頂こうかと策を練りこんでいるのが分かる。

そんな諦めそうにない敬礼を見て、九十九は溜息をついてから情報を聞いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー……」

 

 九十九達が酒盛りをしてから数日後。

とある部屋で一人の女性が一つの書簡を前に唸り声を上げていた。

 

 その女性は、金色の綺麗な髪の毛を伸ばしぐるぐると巻髪にしていた。

昔のマンガに出てくるお嬢様の様な髪型だが、実際にやるとなると合う人は少ない。

しかし、その女性はそんな髪型に対して違和感がまったくないほど似合うほどで悩む姿も様になっていた。

実際に顎に手を当て悩む姿に周りに居た文官達は手を止めて、彼女に魅入る。

そんな周りを魅了する女性の名前は、姓を曹、名を洪、字を子廉(しれん)と言う。

華琳に最初期から仕える金庫番だ。

 

「……仕事はどうしましたの?」

 

 唸っていた曹洪だが、注目されていることに気付きニッコリと笑い少し冷たく問いかける。

たった一言、ただの一言で空気が冷たくなり手を止めていた文官達が動き出す。

特に女性と違って男性の文官は、顔を真っ青にし遅れた分を取り戻そうと必死だ。

 

(さて……)

 

 周りの文官が仕事を再開したことを確認し、曹洪はまたもや書簡を前に考え込む。

その書簡の内容と言えば、街の清掃の案件だ。

前にも出された案件で、曹洪は一度これを却下している。

曹洪とて街は綺麗な方がいいし、今後の戦で人が増えることも考えてはいる。

その重大性は理解していたが、お金の使い道が不透明過ぎて駄目だしをしていた。

しかし、今回提出された書簡は前の駄目だったところが全て改善され、更には曹洪を気遣った内容となっている。

 

 例えば何処で何にどれだけ使うのか、更にはそのお金を誰に渡すのかすら書かれている。

簡単に言えば文字が読める人であれば、初心者でも分かる内容となっていた。

これこそが、曹洪の求めていた物だ。

 

(他の方も同じようにしてくれればいいのに)

 

 曹洪は他の書簡に少し視線を向けた後、思わず溜息を付いてしまう。

他の書簡と言えば『これやるからこれだけ寄越せ』、『こうやるのでこれだけお願いします』と内容が薄い物ばかりだ。

 

(後で計算し直す時もあるし、今後の教訓として見直す場合もある。 その場合にあんな書き方されたらこっちが困りますわ)

 

 今回の内容で持って来てくれれば、初心者の人にも振り分けられる上に説明や教育もしやすい。

しかし、願ってもやって来る書簡は統一性のないものばかり。

これでは見るほうも大変である。

 

(そもそも……お金の価値観が大雑把すぎます! お姉様はいいとして猫耳も風もっ!)

 

 曹洪の脳内で魏が誇る三軍師達が浮かんだ。

あの三人は有能であるが予算を守らない事が良くあった。

悪い意味で言えば分投げるのである。

一番上の三人がそういったやり方であれば、下も下で同じようにしてくるもの、それに何度腹立ったか曹洪は覚えていない。

 

 いつもの毎回腹を立てる書簡と違い、今回の猫耳の部署から渡された書簡は百点に近い物であった。

何より、お金を渡す際などに男性嫌いの曹洪を気遣って女性が受取るように手配もされている。

この出来に曹洪も満足していた。

 

(……これで持ってきた人物が人物であればですけど!)

「……」

「えっと……」

 

 しかしだ、今回の書簡を作った本人は曹洪の前に居らず、前に駄目だしをした書簡を持ってきた時と同じ文官が前に立っていた。

 

(こういった時は、書簡を渡すついでに挨拶回りでもするべきではなくて?)

 

 今現在、曹洪が悩んでいるのがそれである。

書簡のほうは問題なかったが、持ってきた人物が本人でなく挨拶もなしときた。

今回の書簡を纏めた人物の名前に曹洪は見覚えがあった。

楊修、風の元補佐官をしていた男で現在は荀彧の補佐をしている。

他にも角に鏡を設置して身嗜みを自覚させたりなどといった話を聞いたこともあった。

風と会った時に挨拶を交わしたこともある。

その時の印象で彼が真面目で礼儀もなっていると思っていたのだが、今回の事で少し疑わしく思う。

 

(……でも男嫌いの私を気遣ってってことも、そもそも仕事が忙しい?)

 

 しかし、書簡で分かるように此方を気遣ってという事も考えられる。

今そう考えてしまえば怒りきれない。

他にも荀彧の部署では仕事が溜まり大変だと耳に挟んだ事もあった。

そんな忙しい時にこれだけ気遣ってくれたのだと考える。

 

「はぁ……今回のはこれで予算を下ろしますわ。 今後は今回と同じように纏めて持って来るように」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 取り合えず書簡の内容としては問題ないのだ。

そこまで悩み考え込むも曹洪は書簡を持ってきた文官に許可を出した。

 

(何だか、胸がもやもやと……う゛ー楊修……どういった人なのでしょう?)

 

 仕事が出来るが礼儀のなっていない人なのか。

仕事も出来、気遣いが出来る人なのか。

どちらなのだろうかと曹洪は、胸の内にもやもやを抱えながら仕事へと戻って行った。

 



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七話:お茶会

久々すぎておかしなところありそう
あったら直します


「それじゃ、始めましょうか」

「そうですね」

「ぐぅ」

「……」

 

 華琳の一言に対して三人はそれぞれ異なる反応をした。

稟はキリっとした表情で真面目に、風は何時ものように眠り、千里と言えば眉を顰め無言である。

華琳は国を纏める王で本来であれば目の前で眠ったり、無言で眉を顰めるような態度は許されない。

しかし、当の本人と言えばそんな事を塵にも気にしてないのだろう。

三人の反応に対して優雅に微笑み答えるだけであった。

 

 そんな四人が居る場所は、前回お茶会を開いた場所だ。

前と同じようにお茶とお菓子が用意されており、桂花は居ない。

まさしく前回の焼き増しの様なお茶会であるものの、前回と違う所は千里が追加されたことだろう。

 

「何故、僕までお茶会に」

「常に新鮮な事を取り入れていかないといけないと思ったのよ」

「単に思いついただけだよね?」

「そうとも言うわね」

 

 ここに自分が居る事に対して不満に思い唇を尖らせて千里は華琳に噛み付く、その口調はやはり友人感覚の軽いものであった。

 

「ふふ」

「はぁ……」

 

 しかし、華琳と言えば楽しそうに笑うだけ。

千里はそんな彼女を少しの間ジト目で見た後、追及する事を諦めたのか一息ついてそっぽ向いた。

暫くの間、そんな千里を華琳が楽しむように見つめた。

 

「それで今回のお茶会の議題は?」

「あら、拗ねるのはもうお終い?」

「僕にはそっちの気はないよ。稟の方でも構ってあげなよ」

 

 楽しげな視線を受けてた千里は、一息つくと何事もなかったように正面に向き直りお茶を啜る。

からかわれている事に気づいたのだろう。

落ち着いて軽くかわせば、華琳が残念そうにする。

そんな彼女に先ほどから二人の遣り取りを見て、羨ましそうにしていた稟に会話を渡した。

 

「……ぶはっ」

「おぉ?」

「これがなければ可愛がってあげるのだけど――」

 

 会話を振られた稟と言えば、千里の一言で華琳に構われる自分を想像したのだろう。

直ぐに顔を真っ赤にさせそのまま鼻血を噴出し、背を背けた。

鼻血を噴出するが自分の服と手しか汚さぬあたりに慣れを感じさせる。

 

「あー……またですか、とんとんしましょうねー」

「ふがっ」

「慣れてるというか、よく死なないね」

「不思議よね」

 

 鼻を押さえる稟とそんな彼女の首を後ろから叩いてあげる風。

そんな何時もの光景に華琳だけでなく千里も溜息を付く。

そして、千里は気だるげに視線を外すと華琳の後方にある木へと視線を向けた。

 

「居るし、仕事はどうした」

「んー仕事も捌けた頃合で、余裕が出来たんでしょうね」

 

 視線の方向には木の裏に隠れるつもりもない桂花が睨みを利かせている。

主に新参者である千里にだ。

 

「なんか見られてるよー」

「自分が除けられてるのに何故お前がって所でしょうか?」

「自分自身が撒いた種なのですけどね」

 

 華琳参加のお茶会に筆頭軍師である桂花からの敵意。

並の神経であれば、これだけで胃に穴があくほどのものだ。

 

「あー……もう、さっさと終わらせよう」

「あら、私のお茶会がそんなに嫌なのかしら?」

 

 そんな空間で千里が根を上げて言えば、今度は華琳が攻める。

 

「虐めるの楽しい?」

「物凄く」

 

 華琳は千里の問いに対して満面の笑みで答えた。

そんな彼女を見て、千里は仕える人を間違えたかなっと多少なりとも思った。

無論口にせず、しかし顔に出してわかりやすく教える。

そうすれば察した華琳がからからと笑った。

 

「それで今回の話ってのは?」

「桂花のことね」

「そうですよね」

 

 ある程度己の主君を楽しませた後、千里が改め直し華琳に今回集まった経緯を聞いてみればそう答える。

そもそも前回と同じく桂花を抜いてのお茶会。

話の内容は皆が皆、察しが付いた。

 

「桂花に新しい補佐官を付けて少し経つけど……悪化してないかしら?」

「……」

「ぐぅ」

「あー……」

 

 華琳の言葉に三者三様の反応を示す。

 

「補佐官へのあたりはなくなりましたが」

「ぐー」

「関係ない男性へのあたりがきつくなってるね」

 

 最近の桂花の辺りの様子を思い出し、現状の確認をする。

三人が最近の様子を思い浮かべれば、華琳の言うとおりの状態だとはっきりと判った。

前までいちいち噛み付かなかった相手まで噛み付いている始末であり、前よりも悪化と言っていいだろう。

 

「仕事が貯まっていた事による精神的な疲れとか?」

「怒りやすくなっているかもと思ってましたが……」

「私から見ると、どうも補佐官にあたるのを我慢しているように見えるのよね」

「ふむ」

 

 仕事が貯まれば、怒りやすくもなるだろうと告げてみるも華琳は否と答える。

その答えにそれぞれが考え出す。

三人の中に華琳の目を疑う者はいない。

稟は静かに目を瞑り、千里は顎に手を当て机を見て、風は眠りこけた。

 

「何か弱みを握られていてと言うのはどうでしょうか?」

「桂花が脅されて?」

「稟ちゃん……信頼出来る人物とは一体」

「脅す九十九……あれかな。最近流行りの壁ドン的な?」

 

 最初に話したのは稟だ。

稟は桂花が脅されているのではと言う考えを伝えた。

九十九を桂花に推薦をしたのは稟である。

風は取られた理由を思い出て平然とそんな事を言いのけた事に唖然とし、千里はありだなと考え込んだ。

 

「私の視点ではってこと、風だって全てを知っている訳でもないでしょ?」

「まー……そうですけどね」

「猫被りをしていた可能性もありますしね」

 

 稟はすまし顔でお茶を啜り、そんな事を言う。

風はそんな彼女にじと目で対応し不満ですとばかりに睨み付ければ、軽く微笑んで冗談ですけどねと稟が呟く。

 

 稟とて可能性の話をしただけであって、本気ではなかったのだろう。

その事に風と千里は言わなければいいのにといった目で見た。

 

「どうかしました?」

「不思議に思っただけよ。稟と風に……それに千里までも気に入るなんて、改めてどんな男なのかと」

 

 そんなやり取りを三人でしていれば、何やら興味深そうに眺めている華琳に気付く。

気付いて聞いてみれば、華琳が話せと言った。

実際に華琳が九十九と話すのが手っ取り早いのだが、今の状況が状況だ。

華琳が九十九に会いに行けば自然と桂花に会うことになる。

そんな状況を見た桂花はどう思うだろうか?

 

「そうね。一応稟の言葉もあるし、改めて楊修と言う男を教えて頂戴?」

「はっ、私の知る限りを」

「了解ですよー」

「あー……最初に会ったのは何処でだっけかな?」

 

 故に楊修と言う人物を知るためにお茶会を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待ちなさい、その話は本当なの?」

「うん、この間の飲み会の時に聞いたね」

 

 話は続き、それぞれが『会ったのは書庫で――』『好きな事は――』などなど情報を渡す、もとい思い出話に花を咲かせた。

最初こそ、華琳も楽し気に聞いていたのだが千里が新しい話題を話始めた際に眉を顰めた。

 

 千里が話した内容はこの間の補佐官就任の時の飲み会での話題である。

 

「ふっふっふ、風と稟もこの話は知らなかったでしょ」

「喧嘩売ってます?」

「あっはっはっは」

 

 と言い放つ千里の顔は誰がどう見ても楽しそうな顔で煽っていた。

そんな表情にイラっときた風が千里をバシバシと叩くも千里は楽しそうに笑うだけであった。

二人がじゃれている横で、本当である事を知った華琳は考え込んだ。

 

「華琳様?」

「なるほど、納得したわ(・・・・・)

「うん?」

「何のことです?」

 

 暫く考えて込んでいれば、ふいに顔を上げて一人納得した。

そんな華琳を見て三人は何のことだと不思議そうに見つめる。

 

「ふふふ、思わぬ収穫があったわね」

「いや、そろそろ僕達にも分かるように言って欲しいのだけど」

「今欲しい子が居るのよ」

「はぁ」

「ぐぅ」

「あっ……(察し)」

 

 華琳のにやにやと笑いながら言った言葉に三人は、興味が逸れた。

 

「何度も会いに行ったのだけど、病弱だって言っていい返事をくれなかったの」

「それは何とも脈なしですね」

「えぇ、それでも諦めきれずに通っていたら『そこまで言うなら、儂が求めるヤナギにでも会わせてくれんかのぉ』と言われたのよ」

「なるほど、楊修……(ヤナギ)ですか」

「むぅ」

「持って来いでなく、会いたいねぇ」

 

 華琳の言葉に風の機嫌が悪くなるも、これはばかりはしょうがないことである。

未だに風と九十九は一線を超えていないどころか、付き合ってすらいない。

そんな状況で新たな恋敵らしき人物などもっての他であった。

しかし、華琳が欲しいと言った人物なのだ、有能である事に疑いはない。

そうなると国の事を考えても引き入れた方がよいのだ。

風はそこまで考えてそれ以上は口を閉ざす、ただし眉を顰めることは忘れなかった。

 

「まぁ、欲しい子の事は置いといて。原因が分かったかも、今考えたらこれかなってのがあった」

「へぇ」

 

 不機嫌な風を見てさしもの華琳も少しばかり困り顔となった時だ。

千里が気まずげに言葉を続けた。

 

「うん、思い出したけど荀彧様の妹さんと仲が良いって話もあったんだよね。その……交友関係の中に」

「……」

「はぁ、それが原因ですか」

「決まりね」

 

 最後の言葉がトドメとなる。

風は眠る演技もせず不機嫌顔も忘れて机の上に突っ伏した。

そんな彼女を哀れに思ったのだろう。

両隣に座っていた稟と千里が励ますように背中を擦った。

 

「つまり、桂花が楊修に対して遠慮しているのは妹との関係を気遣ってってことね?」

「現状だとそれかと、桂花殿は長女と聞いております。親からの催促などあっても不思議ではないと考えられます」

「……」

「生贄ってことね。そりゃ、厳しく当たって『こんな人が義姉になるなんて嫌だ』とか言われたら絶望だもんね」

 

 原因と思われることが分かり、さてどうしようと三人は考え込む。

一番手っ取り早いのは、楊修と桂花の妹が婚約することであるが肝心の相手は袁紹の元に居り無理であった。

何より風のやる気にも直結することなので慎重に事を運ばないといけない。

 

「一つ策を練った」

「へぇ……それで千里、どうやるつもりかしら」

「まずは――」

 

 暫く沈黙が続くも、その沈黙を破ったのは千里であった。

千里は先に言われて悔しそうにしている稟を横目に口火を切り、策を一つと指を立て説明をしていく。

その間、風が身じろぎ一つせず、言葉一つ話さなかった。

 



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幕間:上手な部下からの好かれ方 その1(風)

あと、誤字脱字直してくださる方、毎回ありがとうございます。
そして、すみません。


「今から飲みに行くわけ?」

 

 仕事も終わり、夕食を食べ終え目的地へと歩いている時であった。

荷物を持って歩いていれば、横から声が聞こえた。

 

「こんばんは、荀彧様。飲みに行くわけではありません。お風呂に入るところです」

「お風呂?」

 

 声の主は、九十九の上司である桂花であった。

横の廊下から歩いてきたらしく、横切った九十九を見つけ声を掛けたらしい。

 

 そんな桂花の問いかけに九十九は、手に持っていた桶を見せてこれからの予定を述べた。

述べるものの、桂花はその答えに眉を顰めて首を傾げる。

この答えに満足していない事が、丸分かりであった。

 

「開放日ではないわよ?」

 

 現代と違い、お風呂に気軽に入れるものではない。

湯を張るために、水を汲み入れ、薪を割りくべてお湯にする。

時間も人もお金もそれなりに掛かる為、入れる頻度は多くない。

 

 といっても、城に仕え、ある程度位が高ければお風呂に入れる頻度は多い。

華琳に仕える人は女性が多く、華琳自身が綺麗好きなため、良く湯船にお湯を張る。

その為、軍師や将といった人物達はお風呂に入れるのだ。

 

 しかし、今日は特にお湯を張ったという報告はなく。

それなのに九十九が、お風呂に入るといった事が疑問に思ったのだろう。

桂花は、九十九に対して少々不躾な視線を向けた。

 

「お城でなく、屋敷のほうですね」

「あぁ、なるほどね」

 

 その不躾な視線に、慣れた様子で視線を合わせ疑問を解消する答えを述べた。

この答えには、桂花も納得できたのだろう。

視線を改め、小さく頷いた。

 

「男の癖にお風呂ねー……」

「お風呂が好きなもので、出来れば毎日入りたいぐらいです」

「毎日……汚いよりはましね」

 

 現代で過ごした経験がある為、出来れば毎日入りたい。

しかし、九十九は屋敷を持たず、お城の兵舎を住みかにしているため叶わなかった。

それでも極たまに、許可を貰い自腹を切って城のお風呂を借りる事もある。

それほどまでに、この時代に生まれてからお風呂が好きになった。

 

「それでは、待たせるのも相手に悪いので……」

 

 話していれば、時間も忘れてしまいそうになり、話を切り上げようと会釈をして歩く。

 

「……って待ちなさい」

「おっと……」

 

 歩くも、その行動は桂花に服を掴まれ、妨害された。

 

「どうかしましたか?」

「相手に悪いのでって……何処で入る気してるのよ。自分の屋敷じゃないの?」

「あぁ……風様の屋敷です。ありがたいことに、湯を張った時は誘ってくれるんです」

「誘ってくれるって……」

 

 桂花の問いに、九十九は慣れきった様子で答える。

いや、実際に九十九は慣れきってしまっているのだろう。

おかしなことを言ったかなと不思議に思い首を傾げ、桂花を見つめる。

 

「……」

「えっと…………行っても宜しいでしょうか?」

 

 何やら険しい表情でぶつぶつと呟く桂花に九十九も困り果てた。

先ほども言ったとおり、お風呂を沸かすというのはお金も人もかかる。

時間が経てば当然お湯は温度を失い、冷めてしまったらもう一度沸かす手間が掛かってしまう。

そのため、桂花に九十九は恐る恐る問いかけた。

 

「……そうね。行っていいわよ」

「それでは」

 

 問いかければ、眉を顰めたままであったが、服を放してくれた。

九十九は、ほっとしつつも会釈をして足早に桂花の前から去る。

その去っていく後姿を桂花は大きく溜息を吐き、険しい表情で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風は、お風呂場で目的の人物が来るのを辛抱強く待つ。

既に湯船には、湯が張っているものの入る気はない。

暫く待っていれば、扉が開き、目的の人物である九十九が姿を現した。

 

「待ってましたー」

「……」

 

 九十九の姿を見て、風は待ってましたとばかりに呼びかける。

呼びかけると静かに扉が閉められた。扉を閉められても風は、焦らない。

九十九の事はよく理解しており、この後の彼の対応も分かりきっていた。

 

「……戻ってきましたね」

「案内されたのですが……」

 

 九十九のお風呂好きは、良く理解している。

先ほどと違い、腰に手拭いをしっかりと巻いて九十九は扉を改めて開き姿を現した。

 

「ご覧の通り、一緒に入ろうと待ち伏せしてました」

「……よろしいので?」

「ふふふ……待ち伏せして待っていたのに、よろしいも何もないですよー」

 

 何時ものように、眠たげな目で手を口に当て風は答える。

 

「……お邪魔します」

「相変わらず、好きですねー」

 

 風を見て眉を顰めるも九十九は扉を閉め、お風呂に入ることを選択する。

悩む暇もほぼなく選択した九十九に、風は内心で自分の策が上手くいった事を喜ぶ。

 

 九十九がお風呂を好きだと言うことを知って以来、ずっとずっと風は策を練っていた。

自分の屋敷でお湯を張れば、九十九を誘う。

誘うも、ぐっと堪え一緒に入らない、断られるのが目に見えていたからだ。

まだ慌てるところではないと、ただ只管に自身の屋敷でお風呂に入ることに疑問がわかないほどに刷り込む。

 

 そして刷り込んだ結果が、これだ。

日常化としてしまったものを諦めるという行為を、人間は中々に出来ない。

それを利用し、ちょっとやそっとの障害があろうと日常化したことを優先するように思考を誘導した。何よりだ、普段からお世話になっていて、親しい風が相手となれば、断る確率は更に減る。

 

「それでは、体を洗ってもらえますか?」

「……自分がですか」

「はい、お願いしますね?」

 

 念願の混浴が叶ったお蔭で風の機嫌は物凄く良く、椅子に座り、冗談めかして九十九へとそんな問いかけをする。

 

「失礼します」

「あれ……?」

 

 冗談で告げた風に対して、九十九は静かに行動した。

桶に湯を入れ、風の前に跪き手を取る。

そこには迷いがなく、きめ細かい手拭いを濡らし丁寧に優しく、垢を擦って行く。

 

 右手を洗われる様子を見て、風は理解が追いつかず、不思議そうに首を傾げる。

しかし、両方の手と両足が終わり、風が体に巻いていた手拭いに九十九が手を出した時に、自分の状況を理解した。

状況を理解し、慌てるも既に時遅く。

九十九は、呆気ないほど簡単に風の手縫いを取ってしまう。

 

「あっ……」

「っと」

 

 取れれば、正面の九十九に対して風は真っ裸。

全てを晒した状態、生まれた姿のままとなる。

そのことを理解し、反射的に風は腰を若干引いてしまう。

 

 しかし、この行為がいけなかった。

倒れると判断したのか、九十九は空いている手を風の腰に回し受け止め、ぐっと近寄らせる。

そして、その状態で九十九は、風の首から手拭いで拭いて行く。

 

「あぅ」

「……」

 

 首から肩、そして胸へと手拭いが伸びる。

風の体型は、それほど素晴らしいというものでもない。

それでも胸は、胸。

異性に――好意を抱いている相手に触れられれば、声が出るのは無理もない。

 

(自分から攻めるのと……相手から攻められるのがこんなにも違うとは……)

 

 普段は、自分から攻めている風であったが、今まで相手にされたことはない。

何より、九十九から積極的に迫ることも初めての経験だ。

それゆえに、喜びよりも驚きが上回り、頭が混乱する。

 

 空いている手で、九十九の手を止めようか?

否、この状況はある意味で自分が望んだ状況なのだと思考が空回る。

 

 万の敵を相手にしても、取り乱さない軍師。

そんな軍師がたった一人の男性の前では、普通の少女のようにうろたえる。

 

「ひぅっ」

「擽ったかったですか? ……もう少しゆっくりしますね」

 

 うろたえていれば、胸が終わり、脇とお腹へと移る。

その事に気付き、声を更に出してしまう。

既に手と視線は下へ下へと向けられている。

自分の大事な部分まで見られ、お風呂に入ってもいないのに体がカッカと火照った。

涙が出るぐらいの、嬉しさと期待と恥ずかしさが混ざった複雑な感情を味わう。

 

「っ」

「……」

 

 そして遂にその時が来た。

お腹もわき腹も終わり、残りは一箇所。

既に出来上がり、息も熱い物へと変化している。

風は、目をぎゅっと瞑りそのときを待つ。

 

 

(このような状態で触れられたら……)

「……」

 

――待つ。

 

(期待させておいて、それはないんじゃないでしょうか)

 

 待つもその時は、やってこない。

お腹とわき腹を洗い終わった九十九は、さっさと後ろに移動して風の髪をかき上げ、背中を拭いていく。

ここまで高まっていった期待感は、何処へやら。

火照った体も、真冬の山に放り出されたように冷え切る。

結局、九十九が積極的であったのはそこまで……残りは淡々と背中と頭を洗い終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……あそこは無理ですって」

 

 体も洗い終わり、風と共に九十九は湯船に浸かる。

念願の湯船であったが、風が不機嫌になり、先ほどから九十九を睨む。

 

「……むーっ」

「あれが限界です。むしろ、頑張りました」

 

 そう言って、目を瞑れば九十九の脳裏に先ほどの風の体が思い浮かぶ。

きめ細かい綺麗な白い肌、体系こそ子供に近いものの、色気はあり、しっかりと大人であった。

首から下まで、しっかりと見てしまったせいか、暫くは夢で見るなと九十九は苦悶する。

 

『期待させといてひでぃ野郎だ』

「宝譿は、脱衣所ですよ」

「そうでした」

 

 何時もの癖か、宝譿がいない事を忘れるほど思考が回らないのか、風は腹話術で声を出してしまう。

 

「ぶくぶくぶく」

 

 そして、風は口まで湯船に浸かるとぶくぶくと泡を立て始める。

蟹の様だと思いつつも、このままではいけないと九十九は考え始めた。

 

「失礼します」

「……おろ」

 

 考え、しょうがないとばかりに溜息を吐く。

自分の手拭いを腰にしっかりと巻き直し、睨む風のわき腹に手を入れ、運び後ろから抱き着く形で収めた。

 

「今は、これでご勘弁を」

「……しょうがないですねー。上がるまでこの体勢ですよ?」

「あー……はい」

 

 背中をぴったりと貼り付け、見上げてくる風に九十九は、苦笑する。

風の機嫌も若干良くなった。

 

「そういえば……やけに風の体を洗うのが手馴れてましたけど?」

「手馴れてるかもしれません」

「誰か洗ってたんですか?」

「……級友に、病弱を盾にして動かない奴が居まして」

「その子のお世話を?」

「しないとお風呂にすら入らなかったので……」

 

 風の問いかけに九十九は、昔を思い出し苦笑する。

 

「どんな子だったんですか?」

「どんな子……ですか」

 

 会話の流れを変えるためだろうか、九十九を気遣ってだろうか、風が先ほどの病弱という級友について尋ねた。

その問いに九十九は、懐かしいとばかりに微笑む。

 

「名を司馬仲達(しばちゅうたつ)と申しまして司馬家の娘さんです」

「司馬家の麒麟児ですか」

「はい……よく倒れたり、寝込んだりとする娘でした」

「……華琳様の仕官を断るのも頷けるほど弱いですね」

「やはり誘いましたか」

 

 昔の級友を思い出し、九十九は微笑む。

 

「華琳様は、諦めてないですし……そのうち九十九さんに話が行くかも知れません」

「可能性はありますね」

「風から進言しますか?」

 

 風の言葉に九十九は少し黙り込み考える。

病弱である仲達を仕官させるべきか、させないべきかと。

 

『熱が出たと聞いたのだけど……』

『面白い本が送られてきてな。読みたいから、仮病じゃ』

 

『倒れたけど大丈夫か?』

『寝るの忘れとった』

 

『どうした?』

『ぐふっ……もう無理じゃ。歩けん』

『ほれ、背中に乗れ』

『はぁ……歩かなくて楽』

『……』

 

 次々に思い出す仲達との思い出。

それらを思い出し、九十九は一つの結論を導き出す。

 

「……ただのニートだ、これ」

「似萎人?」

「病弱ではありますが、命に関わるほどではなかった筈です。無理をさせなければ、問題ないでしょう」

 

 だんだんと思い出し呆れる。

病弱と言うよりも、面倒臭がり屋の面が際立つ。

今回のことも面倒になり、華琳の誘いを断ったのだろうと判断した。

むしろ、これからの事を考えたら働かせた方が本人のためになるだろう。

 

「そうですか、なら風は特に言いません」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「いえいえ、いつも気遣われてますからね。これぐらいでしたら……」

 

 先ほどの騒ぎは何処へやら、気付けば和やかな空気が二人を包む。

 

「あと……」

「はい?」

「これからお風呂に入る際は、毎回混浴で体も洗ってくださいねー」

「……え゛」

 

 最後の最後、風の言葉に九十九は表情を引き攣らせた。




黒髪長髪病弱ロリばばぁ(口調のみ)


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幕間:九十九と愉快な仲間達 その1 ※文少し追加しました

「初めまして~九十九の一番の友達をしています」

 

 場所は、私塾内にある九十九の部屋の中。

その中で集まった五人の中で一人の少女が、開口一番ににこやかな笑顔でそう言い切った。

顔はにこやかであるが、言葉の一部分を強調しており、誰がどう聞いても仲良くする気がないことが分かった。

もはや牽制であり、さらっと九十九の腕を抱きしめている様子が周りを煽る。

 

 この少女の名は荀諶(じゅんしん)、桂花の妹の恋花である。

見た目はまんま長い髪をローポニーテールでまとめている桂花であった。

 

 恋花がそんな自己紹介をすれば、恋花を敵と判断したのだろう。

恋花の目の前にいた三人の人物が遠慮ない視線をぶつけて来た。

 

 一人目は、引き摺る位に長い黒髪を持つ小さな少女、その少女は九十九の寝床を占領しており気だるげに寝転がっていた。

しかし、気だるげながらも長い髪の毛の隙間から恋花を見る目は、隈のせいもあり怪しい輝きを放っているように見える。

 

 二人目は、青髪短髪の恋花よりも一部分が女性らしい女性、その女性は椅子に座り大人しくお茶を啜っていた。

のんびりとし、あなたに興味がありませんといった態度を取っているが、恋花を見る目は値踏みをしていた。

 

 三人目は、顔立ち整った見た目が良い男性、その男性は柱にもたれ掛かり恋花を鼻で笑った。

まさに傲慢不遜(ごうがんふそん)、完全に恋花を嘗めきり、見下していた。

 

「ふむ、自己紹介なのに肝心の名が分からぬ。何と言うのじゃ?」

「えっと、同期なのだから会話したことがなくても名前ぐらいは知っているでしょ?」

「知らん。今の今までずっと部屋から出ておらんでな。悪いが他の二人も名を名乗って貰ってもよいかのぉ?」

「えぇ……」

 

 暫くの沈黙の後、最初に動いたのは黒髪の少女であった。

その少女は、同じ私塾に通っていると言うのに恋花を知らないと言う。

その事に少しばかり唖然とするも、恋花は目の前の少女を入学してから今ままでの半年の間見たことがない事に気づく、そして引きこもりの生徒が居ると言う噂が有ったことを思い出す。

 

 恋花は、この子がそうなのかと納得すると同時に何故九十九は引きこもりの子と知り合いなのだろうと不思議に思った。

 

「はぁ……荀諶よ」

「うむ、それじゃ次は儂じゃな。名を司馬懿(しばい)と言う。病弱ゆえに九十九にはよう世話になっている。よろしく頼むぞ、一番の友達とやら」

「えぇ、これからは私もある程度あなたの面倒を見てあげるわ。異性同士だと大変な事もあるでしょうし」

「カッカッカ」

「うふふ」

 

 少女――司馬懿は、長い髪の毛を揺らし恋花を一番と認める発言をする。

しかし、恋花にはこれが牽制なのだと良く分かった。 

何故なら彼女が自慢気に黒い綺麗な髪の毛を揺らして見せたのだ。

病弱な上にお世話になっている発言の後のこの態度、どう見ても髪の毛の手入れをしているのは九十九である。

『一番の友達~?こっちは毎日髪を手入れをして貰える仲なんですけど、ウケるわw』と聞こえてくるようだ。

 

「はぁ……自己紹介ですか、特にあなた達に興味はないのですけど場が場なので……張勲(ちょうくん)です、以上。それよりも九十九さん、お嬢様の新しい情報とか思い出話とかありませんか?」

「……」

「……」

 

 司馬懿と恋花がばちばちと火花を散らしていれば、その横から呑気な声が掛かった。

そのお茶を啜っていた女性は、一言目で興味なしといい九十九に話かける。

どうも彼女――張勲は恋花と司馬懿と違い、九十九よりも『お嬢様』と言う人物の方が気にかかっているようだ。

これには、火花を散らしていた二人も唖然である。

正直、何故こんな奴をこの場に連れて来たのだと九十九に問い詰めたいぐらいである。

しかし、それよりも前にやらねばならぬ事が出来た為に放置した。

張勲よりも先に目の前の敵を排除しなければならないのだ。

 

 三人目の自己紹介を終えて、既に場は何とも言えない空気が漂う。

誰一人として合わせる気がないのだ、酷い有様であった。

 

「ごほん……先ほどの話の続きじゃが、よいよい、既にお風呂でも世話になっているのじゃ。おぬしの手はいらん」

「おふっ……だ、ダメでしょ!?」

「九十九さん!九十九さん!お嬢様の好きな物は蜂蜜でしたよね?私この間いい物を入手しまして送ってほしいのですが」

「儂は無問題(もーまんたい)じゃし、問題なかろう?」

「問題しかないじゃない。あのね、人をお風呂に入れるって大変な作業なのよ?聞いている感じ、あれもこれもと介護してもらってるようだし……九十九の負担になるでしょ?」

「あぁ……ついでにお手紙もお願いしますね!あと、卒業したらお嬢様の所に就職出来る様にぜひ一声を」

「うら若き乙女の肌を好きに触れるのじゃぞ?負担よりも得しかないじゃろ」

「まな板の何処で楽しむのよ?」

「あ゛?」

「はっ?」

 

 三人が三人好き勝手に動き始めればこうなる。

九十九と言えば『やっぱりこうなったかー分かってたわー』と思っていたりする。

しかし、止めようとは思わなかった。

 

「うん?」

「む?」

「えっと……?」

 

 暫くの間、きゃいきゃいと騒がしい会話が続いていた時であった。

ターンと軽快な音、太鼓の音が聞こえ始めたのだ。

流石の三人もこれには驚き、音の出処――最後の一人の男性へと視線を向けた。

 

 男性は三人の視線を集めると真剣な表情で、首から下げていた小さな太鼓を打ち鳴らす。

最初こそ、何だこいつ?と思っていた三人であったが、その男性が打ち鳴らす太鼓の音が美しいことに気付き静かになった。

 

「いい音色ね」

「そうじゃな。ここまで見事なのは聞いたことないのぉ」

「ふむ、お嬢様を楽しませるために習った方がいいかも知れませんね」

 

 これで場が収まるとそこに他の人が居たら思うだろう。

しかし、この男性をよく知っている九十九は『あぁ……始まった』と一人ため息を付いた。

先ほどから九十九が場を収めなかったのは、最後の一人の紹介が終わってなかったからだ。

あの場で収めた所で、最後のコイツ『禰衡(でいこう)』がやらかすと知っていた(信じていた)

 

「はぁ……九十九よ。友人はしっかりと選ぶべきだ。何で三人も揃ってまとも奴がいないのか、嘆かわしい」

「は?」

「まな板がまな板に何か言ってる時は笑いそうになったわ。あっ、もしかしてまな板でなく、洗濯板であったか?それなら、此方の勘違いだ。すまぬ」

 

 三人が太鼓の音に魅了されている時だった。

太鼓を叩いていた禰衡が真剣な表情から一変、先ほどの見下すような表情をしそんな事を言い放つ。

行き成りの事に唖然としていたが、時間が経つにつれて三人に怒りが沸いて来た。

特に怒りを露わにしたのが、男嫌いな上に名指しされて侮辱された恋花だ。

 

「あんたがまとも?太鼓の音色はいいけど、時折音が外しているあんたが?気付いてないふりをしてあげていたのに……着替えてきたら?」

「……」

 

 怒り心頭であった恋花だが、そこは桂花の妹、怒りながらも冷静にどうやったら相手に恥をかかす事が出来るかを考えて行動する。

この時代のしきたりでは、太鼓を打ち間違うと退出し別室で着替えてこなければならないという決まりがあったそこを恋花は突いた。

これは大変な恥をかく行為で恋花はしてやったとばかりにニヤっと笑った。

 

 普通の相手であれば、ここで顔を真っ赤にさせて怒って退出するだろう。

しかし、相手は悪かった。

相手は三国志の中でも上位の奇人変人の類の禰衡である。

 

「え?」

「ふんっ」

「ちょっと!?」

 

 禰衡は恋花の指摘に対して一切怒る事無く、その場で服を脱ぎ始めた。

行き成り目の前で服を脱ぎ始めた男に恋花は動揺する。

それはそうだ、まさかその場でしかも女性が三人も居る中で服を脱ぐという更に恥を重ねる行動に出るとは考えられる訳がない。

 

「!?!?!??!??」

「はっ!はっ!はっ!!」

 

 恋花が混乱していれば、禰衡はあっという間に裸になり、またもや太鼓を叩き始める。

しかも、今回は恋花が指摘した音色部分も完璧にこなすというおまけ付き。

だんだんとノリに乗ってきたのであろう。

禰衡は、反復横跳びを始めながら太鼓を叩き始めた。

 

 無論、禰衡は男性である。

男性であると言う事は、股間にはある物が付いている訳でそれで反復横跳びをすれば、当然の如く揺れた。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「ぶはははははははははは」

「えっと……あはは」

「はーはっはっはっはっは」

 

 遅れて状況が理解出来た恋花は叫び、九十九に抱き着くとしくしくと泣き始め。

男が嫌いな恋花にとって男の裸など目が腐る拷問だ。

 

 逆に寝床で見ていた司馬懿は大爆笑である、寝床をばんばんと叩き最後には呼吸困難になりびくびくと痙攣した。

 

 張勲と言えば、ニコニコとした笑みで見ているものの腰に下げている木刀をぎゅっと力強く握っていた。

 

 禰衡は突っかかって来た恋花を退治出来て満足したのだろう、楽しいとばかりに高笑いである。

 

「つくも~……つくも~……」

「げほっげほっ、い、いきが~……」

「せいっ!」

「ふぐっ!?」

 

 最後の最後は、我慢出来なくなった張勲の木刀が禰衡の首を捉え強制的に終わらせる。

そして張勲は禰衡の髪の毛を掴むとそのまま外へと放り出しに行った。

ついで言えば、張勲はその後帰って来ず、九十九は恋花と司馬懿のお世話でその日が終わった。

こうして九十九の友人達の最初の顔合わせが終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てな感じの邂逅だった」

「なぜ、会わせようと思った」

「うんうん」

「……狭い私塾内で同期なんだ。早いか遅いかの違いかと思って」

 

 酒の席で正礼と千里に塾での思い出話を聞かせたら微妙な顔をされた。

 




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八話:ノミュニケーション その1(桂花)

「やぁ」

 

 食堂の一角で九十九が遅い夕食を取っていると、彼女がふらっとやって来た。

 やって来た彼女は、そのまま近づいてきて九十九の頭を後ろから抱きしめた。

 その際にお酒の匂いが鼻に付いた。

 

「飲んで来たのか」

「うん、美味しかったよ」

 

 暫く抱きしめて満足したのか、頭から離れるとそのまま正面の席に座った。

 その際に片手に持っていた瓶をトンッと机の上に置かれる。

 九十九は、それを見て自分の水の入った杯を空にすると無言で千里に差し出す。

 

「……何処で手に入れた」

「あぁ、やっぱり君なら分かるか」

 

 杯を差し出せば、千里がどうぞと中に持っていたお酒を注いでくれた。

 それに小さく礼をした後に口にしてみれば、頭の中は驚きでいっぱいになる。

 

「ここまで強いお酒は売ってない筈だぞ?」

 

 九十九がお酒を飲んで思ったことは、『甘いが飲みやすい』『不快な酔い方をしない上質な物』そして『かなりアルコール度数が高い』と言ったものであった。

 この時代の人が飲むお酒は、事酒(じしゅ)昔酒(せきしゅ)清酒(せいしゅ)の三種類に分かれていた。

 その中でも、もっとも低いのが事酒で一パーセント以下というもの、他の二種でも四、五パーセントである。

 それに比べて、千里が持ってきたお酒は日本酒辺りと同程度とかなり高い。

 

「だろうね。華琳……おっと、曹操様の手作りだそうだ」

「……飲んでいた相手は曹操様だったか」

「うん、『九醞春酒(きゅううんしゅんしゅ)』って言ってたかな」

 

 千里の持ってきた上質なお酒の入手法を聞いて納得した。

『九醞春酒法』お酒の好きな曹孟徳が作り出した物で現代の現在の醸造酒の製法と同じものである。

日本酒の醸造でも使われており、原型と言ってもよいものだろう。

 

 そんなお酒を杯に移さず、彼女は行儀悪くそのまま飲みだす。

本来ならば咎めたりするべきなのだろうが、飲んだ後に唇に残ったお酒を舌で舐めとる様子は実に艶めかしく、美人は得だと見ていた。

 

「ぷはっ……美味い!」

「うん、美味しいな。もう少しくれ」

「だーめ」

「そう言わず」

「やっ」

 

 あっという間に杯に入っていた物がなくなり、千里にもう一杯とせがむ。

市場で売りに出されているのなら買うのだが、華琳の手作りと聞けば入手法はないと悟る。

故に持っている千里に強請ってみるも否と拒否られた。

 

「……今度好きな物を作ってやる」

「君の手作りかー心惹かれるものがあるな」

「なら――」

「でも駄目だね。君はこれから仕事なのだから」

 

 自分の中で千里が欲しいと思われるものを言うもこれまた拒否された。

むしろ、何とも奇妙なことすら言い出す始末である。

指をビシっと差して格好を付ける彼女に眉を顰めれば、そのまま指でおでこを押された。

何と言うか、完全に酔っているなと思わせる行動に九十九は心配になってきた。

 

「酔い過ぎでは? 部屋まで送ろうか?」

「そこまで酔ってはいないよ。会話もしっかりと出来ているだろう?」

「何処がだ。先ほど『君はこれから仕事だ』と言ってたぞ」

「うん、間違いじゃない。君はこれから仕事さ。機会を作ってあげたんだ。感謝してほしいものだね」

「……千里?」

「曹操様の寝室は分かるね? 今から行きたまえ……曹操様がお呼びだ」

 

 言いたいことはたくさんあったし、先ほどの強いお酒を飲んだと思われる千里を置いて行くのも気が引けた。

 

「悪い。女性の寝室まで足を運ぶ機会が少なくてな。途中まで教えてくれるとありがたい」

「まったく……君って奴は、しょうがないなー」

 

 だから、簡単な嘘を言って千里を送ってから向かうことにした。

 

「くっくっく……それにしても足を運ぶ機会が少ないねー?」

「……」

 

 千里を立ち上がらせると二人して、寝室の方へと歩き出す。

その際に彼女はにやにやと笑っていたが、それは無視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千里を部屋まで送った後、そのまま奥へと進み華琳の寝室がある所まで歩く。

夜が遅いと言うこともあってか、人に出くわさなかった事は幸いである。

華琳の寝室は、夏候姉妹の部屋の近くでもあり、夏候淵ならまだしも夏候惇に会った日には説得するのが大変だ。

彼女の猪突猛進ぶりは、体が良く覚えている……出来れば二度と味わいたくないものだと九十九は思った。

 

「曹操様、楊修で御座います」

「入りなさい」

「はい、失礼します」

 

 寝室前に付くと、部屋の前に警備をしている侍女が居り、華琳の所在を確認する。

所在が確認出来れば、扉に向かって声を掛けた。

この時代、ノックと言うマナーは存在しない。

『玄関に履物が二つ以上並んでいる場合には話し声が聞こえれば入って良い、聞えなければ入ってはならない』といった大雑把なものである。

仲が良いと扉を開けてから声を掛ける人もおり(主に正礼である)、一度ノックの文化を根付かせようかと大いに悩んだものであった。

結局は出処を探られたりすると面倒なので放置した。

 

「こんばんは、楊修」

「えぇ……こんばんは、曹操様」

 

 部屋に入れば、風の部屋と変わり映えしなかった。

君主の部屋と言う事でもう少し豪華な作りかと思っていたのだが、そうでもないらしい。

しかし、それこそ曹孟徳だと納得出来る部分もあり、この部屋は似合っているなとも思った。

 

「それで……これはどういった催しなのでしょうか」

「ふふっ、可愛いでしょ?」

「むにゃ」

 

 そんな部屋の中で何とも言えない光景が広がっていた。

華琳は寝床の上で座っており、その座っている華琳の太腿に頭を乗せて寝ている人が一人居る。

九十九の上司の桂花、その人であった。

 

 華琳は、彼女の頬をぐいっと引っ張り上げる

そうすれば、うへへっと桂花から笑い声が漏れた。

 

「徐庶に言われて来たのですが」

「えぇ、先ほどまで一緒に飲んでいたわ。あの子の酔った姿を見て見たかったのだけど……」

「大変可愛らしかったですよ」

「むぅ……私の前では見せないようにしていたのね。それにしても意外と言うわね、貴方も」

 

 取り合えず、ふにゃふにゃに酔っているであろう上司を放置し、華琳へと声を掛けた。

見る限り、桂花の酔いは深く事情を聞くにもそちらの方がいいだろうと言う判断だ。

会話の際にお酒の席と言う事もあり、軽い口で喋ってしまったが華琳はあまり気にしてない様子だ。

むしろ、くすくすと笑う辺り機嫌が良く見える。

 

「桂花の件で機会を作ってあげようと思ったのよ」

「それでお酒の席ですか」

「話しやすいでしょ?」

 

 そう言って、華琳は桂花の体を起こした。

既に酔っている桂花と言えば、特に抵抗する様子もなくそのまま座り込んでいる。

 

「これ……酔わせ過ぎたのでは?」

「かも知れないわね。まぁ、問題はないでしょう。記憶に残ってなければないで『昨日の夜は楊修への罵倒が凄かったわね』とでも言えば諦めつくでしょうし」

 

 この時点で九十九は、何を成すべきなのか理解が出来た。

つまりは普段の状態では何を言っても聞かない桂花に酔って貰って、口を滑らして貰おうと言う事なのだ。

お酒と言う物は、どれだけ賢い人でも思考を鈍らせ口を滑りやすくしてしまう。

ここでお酒の入った彼女と幾らか会話を重ねれば、自然と罵倒が出てくる。

それを揚げ足取りすることによって、諦めさせるのが目的だろう。

何より、やらかしてもお酒を免罪符に出来るのが強い。

 

「荀彧様、荀彧様」

「……なによっ」

「あら?」

「ふむ……」

 

 先ほどまでぼーとしていた為、会話は不可能かと思っていたが違った。

九十九が正面に座り話しかけてみれば、次第に意識がしっかりとしていき、最後にはぶすっとした表情になった。

目を見てみると微かにだが理性の色が見える、どうやら華琳達が怪しいと踏んで酔ったフリをして様子を伺っていたらしい。

これには九十九と華琳は互いに顔を見合わせてため息を付くしかなかった。

 

「お酒は――」

「私お酒弱いのよ。最近体調も悪いし、これ以上飲めば明日に響くわ」

「……そうですか」

 

 理性があれば、罵倒はしないだろう。

なので更に酔って貰いたい所なのだが、先ほどの話を聞いているせいかしっかりと断られる。

ここで無理矢理飲ませた所で余計に拗れるだろう。

さてはて、どうしたものかと九十九は用意されていたお酒を口にして考える。

華琳の方に視線を向けるも呆れた表情で桂花を見つめるばかりで口を開かなかった。

その様子と口にした強いお酒で華琳も酔っているのだと気付き、援護は無さそうだと判断する。

 

「……荀彧様」

「……」

「一つお話を聞いて頂けませんか?」

「なによ」

「なに、思い出話ですよ。恋花との」

「……特別に許すわ」

「ありがとうございます」

 

 考えていれば正礼()の言葉を思い出した。

 

『俺にも出来るかね?』

『どうだろな……いや、お前には向かないな。真面目に生真面目に相手と向き合ったほうがましだ』

『……そうか』

『おうよ。まぁ……お前は真面目で生真面目にやっても素でおかしいがな』

 

 その話を思い出して、取り合えず真正面から会話をしてみようと思った。

よく考えれば、桂花の事を仕事上でしか知らない、ならば知ることから始めようと思ったのだ。

そして最初に話をするのは、恋花との思い出話であった。

流石に妹の話なら聞くだろうと思い言ってみたのだが当たりのようだ。

『話は聞くが余計なことは喋らないぞ』とばかりに口をふゅっと閉じる桂花に苦笑しつつ、思い出話を話していく。

 

 

 出会った当初は、互いに興味がなく。

彼女からしたら自分に集まってくる男性を先に捌き、寄って来ない相手には後で懐柔してやろうと思ってたんでしょうね。

 

 と言う事がありまして、気付いたら――。

 

 あぁ、こういうこともありました。他の友人と顔を合わせて見たのですが。

 

 怒りに身を任せると言った行動は、あの時が初めてでした。

元々怒ったことがなかったもので、自分でも驚きましたね。

 

 

「と言う訳で思い出はここまでです」

「……そう」

 

 少しばかり長い話を桂花は何も言わず、聞くだけであった。

時間を掛けて酔いが回らないかと期待したがまだ表情は変わらず、ぶすっとした不機嫌顔だ。

その様子を見ても九十九は慌てない、思い出話をしている時に一つ思い出したことがあり、これならいけるかと思い付いていた。

 

「先程の話の通り私と恋花は仲が良いです。荀彧様、私はあなたに何をされようとも、何を言われようとも恋花へのこの想いは何一つとして変わりません。貴方の思う様な柔な絆を紡いでおりませんので、なので私に遠慮などなさらないで下さい」

 

 そう言って、彼女へと頭を下げる。

 

「……恋花と仲が良いことは分かったわ。だから言うけど、分かるでしょ?私が何を言いたいか」

「分かっています。信用できない……ですよね」

「そうよ。どれだけ言われようとも、どれだけ恋花が信用しようともあんたが男である限り無理よ」

「えぇ……そうでしょうね。だから契約を致しましょう」

「契約?」

 

 思い出したのは男嫌いの彼女達に必要なのは言葉ではなく、必要なのはきつい縛りだ。

 

「これから私が死ぬまでの間、荀彧様の行いによって恋花を嫌うことがあれば、私こと楊徳祖の真名である九十九に誓ってできる範囲で願いを一つ聞き入れましょう」

「死ねって言ったら死ぬのね?」

「それ以外で……死ぬのと去勢と犯罪以外で、それならば私の真名に掛けて叶えてみせます。曹操様には申し訳ありませんが立会人と言うことでお願いします」

「別に構わないけど、貴方が叶えられない場合は、私の名において絶対にさせるわよ?」

「それで構いません」

「……ふん、あんたに利がないじゃない」

「あります。少なくとも荀彧様からの被害が減ります」

 

 この話を聞いて桂花が考え込んだ。

本来であれば、男嫌いな桂花の事、真名を賭けられた所で一銭の価値もないだろう。

しかし、先ほどの恋花との思い出話を聞いて仲の良さを知った。

願い事は華琳によって必ず叶えさせると言質をとった。

ならば、契約を守るにしろ破るにしても桂花には利しかない。

最悪、契約を破り仲が悪くなったら策を立て仲直りをさせれば良い、そして願い事で結婚させれば全てが片付く。

そこまで考えて、桂花は呆れながら口を開いた。

 

「あんた……馬鹿なの?いいえ、馬鹿ね」

「恋花との思い出を聞いてもらって分かってもらったと思ってたのですが……結構馬鹿ですよ?」

 

 そう言って軽口を交わす。

無論、九十九とて約束を破る気はないし、叶えるつもりだ。

 

 九十九の父親が恋花を貶した、その事は彼女も知っている。

しかし、父親の話を聞いても一切関係を崩さなかった親友。

そんな親友と同じことをしようとしているだけである。

 

「はぁぁぁ……あんたね。そう言うことは早く言いなさいよ。余計な苦労しちゃったじゃない!」

 

 桂花の返答は何とも理不尽であった。

別に遠慮を頼んだわけでもなく、更に言えば彼女が勝手にしていたことで九十九はその後始末に終われ一方的に損しかない契約まですることになった。

誰がどう見ても自分勝手に暴走していた桂花が悪いだろう。

 

「申し訳ございませんでした。それでは、この話はお終いと言う事で飲みますか」

「はぁ……?」

 

 この話も終わり、明日から桂花は遠慮しないだろう。

その事に華琳と共にほっとし、九十九は飲み会を続けようと提案した。

彼としては、至極当然の話だったのだが、桂花は違った。

見る見るうちに呆れ顔から不機嫌顔へ、そこから目を吊り上げて怒ったのだ。

 

「何であんたと飲まないと行けないわけ?ここは華琳様の寝室よ?薄汚い男が入っていい場所じゃないの!!話は終わったんだから、さっさと出てけ!!」

 

 そう言って、桂花に彼は外へと蹴り出されてしまった。

手には少しばかりのお酒が入った杯を持ち、そのままの格好で追い出される九十九。

そんな彼に廊下で待機していた侍女は、何とも可哀そうな人を見る目で見た。

 

「……」

「ご、ご愁傷様です」

「うん、ご苦労様」

 

 こんな事をされれば普通は誰だって怒るだろう。

しかし――九十九は特に気にせず怒らない、むしろようやく『らしくなった』と珍しく頬笑んだ。

そんな彼を侍女の二人は化け物でも見る様な目で見る。

 

「やれやれ……ご苦労様でした」

 

 九十九はそんな侍女二人の視線に気付く事なく、一息付くと挨拶をして歩き出す。

その際に残ったお酒を飲み干せば、頭の中ではどうやったら華琳の作ったお酒が手に入るかと言う考えで一杯となってしまった。

 



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九話:秋の空と甘いもの

 お酒の席から一週間後、九十九は休日と言う事で町へと降りて来ている。

服装は何時も通りの文官のゆるい服だった。

前に農民の服を来て出歩いていたのだが、目が鋭く無表情と言う事で何度か警邏していた兵士に呼び止められた事があったので身分を証明しやすいこの服になった。

そういったこともあり、次第に服を選ぶのが嫌になり着た切り雀となっているのが現状であった。

 

「さてはて、何か掘り出し物があればいいな」

 

 最近になって癖となってしまった独り言をこぼし、市場へと足を踏み入れる。

今日来た目的は新しい食べ物の調達であった。

未来の知識と優秀な楊修の頭のお陰で豊富な料理のレシピをすぐに思い出せるようになっている。

少し見ただけのレシピでも鮮明に思い出せるのだ、凄く便利であった。

 

 そんな九十九にも悩みがあった。

それはツンツンな上司ではなく、必要な食料が調達できない事である。

この時代に存在しない食料が多すぎて、代用しなければならないことが殆どであった。

その癖、何故か紙や服と言った物は現代並みなのが良く分からない。

未来の料理の味を知っている九十九でも美味しいと思う料理が出てくるので、料理自体も本来の時代と比べれば進んでいるのだろう。

しかし、食べ物自体だけはどうにも入手しにくかった。

 

 それでもちょこちょこと市場を覗いていれば珍しい物が流れ込むことが多かった。

文化が進んでいる影響で、この時代の割に西の方でも色々と文化が進んでいるのだろう。

 

「んー」

「おや、兄ちゃん久しぶりだな!」

「お久しぶりです」

 

 色々と見て回っていれば、お店を開いていた一人の商人に声を掛けられた。

その人は主に野菜などを売っており、九十九にとってはお馴染みのお店ある。

 

「仕事が忙しく、ここ最近は休日がないようなものだったので」

「お城勤めってのも大変だな。そうだ……兄ちゃんならこれ何か分かるか?」

「ほぅ?」

 

 相手に礼をし、現状報告をすまして会話を続ければ何やら店主が野菜を取り出して来る。

その野菜を見て、九十九は『はて、この野菜はこの時代にあった物であったか』と不思議そうに見つめた。

 

「何処でこれを?」

「西から流れて来たらしい」

 

 この答えに九十九は、またまた疑問が思い浮かんだ。

頭の中の記憶を辿ってもこれの発祥地は熱帯の辺りであった。

そこから西に渡り、更にそこから此方まで来たはずである。

 

「ふむ……ちなみに食べて見ました?」

「流石に売り物にするんだ。味見位はしたさ」

「どうでした?」

「あー……芋だと思う」

「だと思う?」

「すっごい甘かった」

「なるほど、ちなみに茹でですか?焼きですか?」

「焼きにして食べたな」

 

 それを手に取ってまじまじと見つつ、様々な話を聞いていく。

見た目がとある野菜と一致するものの、違うものかも知れないと疑う気持ちは忘れない。

しかし、こうして店主の話を聞いてみると同じ物であること確率の方が高い。

 

「買います。ちなみに茎は貰ってないですか?」

「あー、これだけだな。何だ欲しいのか?」

「えぇ、確かそれが種の代わりだったと思うので。入手出来たら買いますよ」

「そうか、なら見かけたら取っておいてやるよ」

「はい、よろしくお願いします。ちなみに全部下さい」

「ぜ、全部か……まぁ初めて見る物で買ってく人がいないからいいけどよ」

「頂きます」

「ちなみに美味い食し方とか分かったら教えてくれ」

「えぇ、お教えしますし積極的に話を流します。あと保管する時は土がついたままが好ましかった筈ですよ」

 

 両腕に抱える程度の物であったが、全てを買い占めて店主と別れる。

そして、この手に入れた物を何処で試そうかと悩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ……本当に美味しくなるの?紫色、シャンの髪と一緒」

「落ち葉を焼いて、その灰の中に水を湿らせた『甘藷(かんしょ)』を紙に巻いて入れます。そうするとゆっくりと焼けて甘みがますらしいです」

「紙を……とても高級な食べ物、民に回らない?」

「紙を巻かなくても焼けたと思いますが、今回作るのが初めてなので念の為に要らない紙を使用しています。あと芋よりかは傷みやすいですが、繁殖力もあるので作れれば出回ると思います」

「紙……手紙に見えるのだけど」

「要らない物です」

 

 あれこれと考えたが、結局はお城へと戻って来た。

厨房に行って流琉に渡すと言う手もあったが、やはり最初は自分で試して食べて見たかった。

しかし、甘藷――サツマイモを食べる方法で問題となったのが外で火を使う所である。

たき火をした後の灰の中に新聞紙を巻いて入れてゆっくりと焼く。

この調理法はよく知っていたが実際にはやったことないのでわくわくしてやってみたいと思った。

 

 この事を己の上司である桂花へと報告した所『あぁ……ならついでに庭の掃除もしなさい。それなら許可してあげるわ』と言われてしまった。

丁度季節が初秋となり、落ち葉も溜まって来ていたので丁度良かったのだろう。

休日なのに仕事となってしまい、少し落ち込むも焼き芋が食えるならおつりが来るものであった。

 

「それよりも庭掃除のお手伝いありがとうございました。徐晃(じょこう)将軍」

「別に構わない。シャンのお気に入りの場所も落ち葉まみれだったし……ついでに暇だったから」

 

 少し開けた場所を選び、穴を開けてから周りに石を積んで囲う。

そしてその中に枝と落ち葉を入れて火を付けて準備を整えて行く。

その間に九十九は、今回の掃除を手伝ってくれた少女――徐晃へとお礼を言った。

見た目は小さく流琉と同じぐらいだが、強さは段違いな上に都で役人をやっていたお人でもある。

 

「……ちなみにこの庭全部一人でやる気だったの?」

「……そう言われてましたので」

「桂花さま?」

「えぇ」

 

 綺麗に燃えきった、たき火を見ながら辺りを見渡す。

徐晃と共に掃除をした庭は綺麗になっていたが、かなり広かった。

昼から始めて既に夕暮れ時となっていた。

二人でこれなのだ、これを一人でさせようと思うのだから、桂花の男の扱いはかなり酷いものである。

 

「それにしても徐晃将軍はお掃除も出来るのですね」

「………………うん、まぁ」

 

 焼き芋が出来るまでに時間がある為、会話を続け掃除の腕前について褒めたのだが、だいぶ間が開いた返答が返って来た。

しゃがみ込んでたき火後を見ていた徐晃は、視線を逸らし何とも『聞いてくれないで』とばかりの態度で、九十九は色々と察した。

今回手伝ってくれたのは、奇跡だったのかも知れない。

 

「そろそろいいかも知れません」

「熱いよ」

「布を持って来ております」

 

 木の棒で突っついて外に出すとすっかり焼けてしまった紙を取り除き、甘藷を取り出す。

 

「おぉ~……中は黄色い、お日様見たい」

「出来てるみたいですね。食べましょうか」

 

 布を巻いて手を保護しぱっくりと半分に折ってみれば、中身から湯気と甘い香りが漂ってきた。

半分を徐晃に渡すと早速に食べに掛かる。

 

「……」

「本当だ。甘い……美味い」

 

 息を吹きかけて少し冷まして口に入れる。

食べた感想と言えば、隣で食べていた徐晃が美味しいと目を細めた。

 

 そんな彼女とは逆に九十九は無表情のままであった。

一口食べてみるも甘みが想像以上になかったのである。

店主がすっごい甘いと言っていたので現代と同じ味を期待してしまっていた。

しかし、あれは品種改良したのちの物であり、何もしてなければこんなもんかである。

 

「……美味しくない?」

「あぁ……いえ、美味しいのですが思っていた甘みと違う気がして」

「ほんのり甘くて……ホクホクで芋としたら物凄くおいしいと思うけど」

「……そうですよね。これはこれで十分に良い物ですよね」

「うん」

 

 色々と思うも美味しそうに食べる徐晃を見て、これはこれでいいかと思い直す。

期待していた味とは違うが、十分に美味かった。

むしろ、あの甘さに近付ける為に頑張ればいいかと考えなおす。

 

「……残りもいい?」

「はい、手伝って貰ったお礼です。そんなに気に入りましたか?」

「うん……他の人にも分けてくる」

「あぁ、なら私と一緒ですね。私も荀彧様達に渡そうと思ってましたので」

「……」

「どうかしましたか?」

 

 丁度夕暮れとなり、夕食を食べる人が出てくる時間帯。

その為、知り合いの何人かにあげようと思っているとじーと徐晃が見つめて来ていた。

 

「……風と稟に聞いた通りの人だったと思っただけ」

「知り合いでしたか」

 

 桂花については『さま』が付いていたが、風と稟の真名を呼ぶ時には付けていない。

何よりも親しみを感じる声に九十九は、徐晃が風と稟の知り合いであることを悟る。

 

「もしかして……今回手伝って貰えたのは」

「うん……どんな人か知りたかったから、そもそもシャンはお掃除苦手だし」

 

 そう言ってチラっと視線を自分の後ろへと香風は向けた。

そこには先ほどまで甘藷に巻いていた紙が散らばっていた。

本当に掃除が苦手だったのかと、九十九は心の中で苦笑する。

 

「そうでしたか。それで私は問題なかったでしょうか?徐晃将軍」

「んー……シャンでいいよ」

「え?」

「シャンの真名『香風(しゃんふー)』」

 

 これには、あまり動じない九十九も驚きを隠せなかった。

九十九としてみれば、彼女から風と稟に近づく悪い虫と思われないだけで御の字だったのだ。

それがまさか、真名を預けられるほどとは思いもしなかった。

 

「簡単じゃない。風と稟の話を聞いて……実際に見て会話していいと思った」

「……なら私は『九十九』で構いません。香風殿」

 

 驚き戸惑っていれば、此方の思考を読んだよう徐晃――香風が答えた。

それに対して少しばかり悩むも、しっかりと見ていいと言ってくれたならいいかと思い九十九も真名を渡した。

 

「むーっ……香風」

「……香風殿?」

「香風」

「……香風」

「それでいい」

 

 流石に相手が将軍の為、しっかりと敬称を付けていたが気に入らなかったらしい。

自分の真正面に立ち、ひたすら呼ぶまで見てくる香風に最後の最後は折れた。

せっかく此方を気に入ってくれたのだ、ここで粘って機嫌を悪くさせるのも悪いと思った。

 

「但し、他の方々が居る場所では香風殿でお願い致します」

「……わかった。ついでに喋り方も気楽でいい」

「善処します」

「それは、善処する気がない時に言う言葉だと思う」

 

 自己紹介も終わり、たき火後をしっかりと処理すると焼き芋を布に巻いて持つと二人並んで歩き出す。

 

「それと……桂花さまに渡しても食べないと思う」

「ですよねー……香風が渡して貰えますか?」

「分かった」

 

 色々と大変な一日であったが、蓋を開けてみれば最高と言っていい休日であった。

新しい食べ物と友人を得れた事に九十九は感謝した。

 

「ところで……空を飛ぶ方法知らない?」

「……」

 

 新しい友人は、少しだけ風よりも掴み所がないような人であった。



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