蒼き鋼鉄の艦隊 (BBBs)
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提督が着任しました
その1
「ああ、くそ……。 嘘だろ……」
艦が揺れている、完全に傾いているもわかる。
大型の台風でも小さな揺れで済むはずの艦が、転倒しそうなほど揺れている。
今、この艦は襲撃を受けているのだ。
ならばただの駆逐艦でしか無いこの艦は、海に浮かぶ金属の塊にすぎない。
『奴ら』にとっては脅威ではなく、ただの『餌』にしか過ぎない。
「……総員退艦!? 冗談じゃ──」
共有通信領域から艦長の最優先命令が発せられた。
傾いている廊下で踏ん張りながら、艦外へと向かって動き出す。
靴底が通路の床に吸い付いて、傾いた艦の通路をなんとか駆け上がって気密扉を開放した瞬間。
「──?」
体が浮いていた、見えるのは黒く淀んだ雲と降りしきる灰色の雨。
あ、と思った時には、背中から海に落ちた。
瞼を開いたままだった、流れ込んでくる黒い海水が目に激痛を与えてくる。
落ちた? 海に?
息を吐いて口の中から可能なかぎり海水を取り除く。
纏わり付く黒い海水をなんとかかき分け、海面から顔を出す。
瞼を開きたいが無理だ、激痛に苛まれる眼球から涙が溢れているが黒い海水を押し流すには至らない。
緊急作動した体内のナノマシンが皮下と口内、眼球内に集まり汚染物質の体内侵入を抑えている。
唾と一緒に口の中に残っていた黒い海水を吐き出しながら、波に揺れる体で聞き取るのは戦闘音。
まだ撃沈されていない味方艦が居るのだろう、粒子砲の発射音が何度も聞こえてくる。
呼吸を整えながら、もう駄目なのかと考える。
引っ切り無しに共有通信領域から確認できている敵の数や艦種、味方の損害が流れてきている。
更新される度に味方艦が減り、敵艦の数が増えている。
質で負けているのに数でも負ける、類稀なる戦術家でもなければ覆せない状況。
そしてその戦術家に相当する人物は……居ない。
一隻、また一隻と、船体を抉られ、爆発が起こっている。
あるいは、光が船体を貫き、復原不可能な致命傷、遅れて爆発。
もう、終わりだ……。
奴らに打ち勝てる『切り札』は、此処にはない。
故に負けた、切り札を手に入れる前の状況が此処で繰り返されただけ。
「……ちくしょう」
爆発で大きくなった波に攫われながら、ここで死んでしまうのだろうかと考えていた。
──身体保護モードに切り替わります──
27世紀、西暦2621年。
人類発祥の星である地球を中心とし、太陽系に分布していた人類の数は嘗て1000億を超えて版図を広げていた。
それよりたった17年の後、今現在約20億にまで数を減らされた。
その原因はたった1つ、外宇宙より飛来した『人類に敵対的な太陽系外起源種』である。
奴らとの交戦、それが人類の衰退を招いた。
最初期こそ、進化し続けていた人類の科学力を持って圧倒出来ていた。
だがそれは長くは続かなかった、奴らは対応してきたのだ。
今までは接近して殴ってくると言う原始的な攻撃ばかりであったが、損害を受け続ける奴らは射程と言う概念を理解し、威力と言う法則を理解した。
それからは一ヶ月と掛からず戦いは砲撃戦へと移行、撃って撃たれての砲撃の殴り合いになった。
こちらの主力艦の火力を上回り、通常の装甲では防ぎきれなかったために被害が増大。
それを嫌った人類は長距離からの大火力狙撃に移行、これも初期は効果を挙げていたが対応された。
結局交戦距離が長くなっただけの射撃戦、被害は変わらずに奴らの攻撃パターンを増やしただけ。
その当時はまだ何とかなると上は考えていたのだろう、今となっては罵倒されるだけの無能者集団呼ばわりだが。
当初の圧倒的優勢は半年ほどで圧倒的劣勢へと様変わりした、そこからは阿鼻叫喚だったという。
質を獲得した奴らは人類の勢力圏を瞬く間に縮小させていった。
滅びないためにも足掻くも、奴らに慈悲という言葉はなく人類を潰して回っていった。
その結果が17年の内に失われた数百億もの人命と、奴らの人類の本拠地たる地球への侵攻。
星の海へ出ることを封じられた人類は、母なる大地と海を汚されながら戦い続けていた。
──身体保護モードを終了します──
目が、覚めた。
あったのは驚愕、状況的に助かるとはとても思えなかった。
陳腐な言い方をすれば奇跡なのだろう、まさかあの後すぐに救助が来たなんて思えない。
……いや、もしかすると、駆けつけた切り札が奴らを薙ぎ払ったのかもしれない。
何にせよ自分は助かったのだ、喜ぶべきことだろう。
ナノマシンのおかげで寝起きの微睡みは一切なく、ベッドからすんなり起き上がれた。
筋肉の衰えも抑えられていて、あの時の艦から投げ出される前と変わりがないと感じる。
ベッドから足をおろして座っていると、俺が目を覚ましたことにナノマシンからの通信で気が付いて来た看護師が現れた。
「気が付かれましたね? 担ぎ込まれてきた時は酷かったんですから」
看護師に話を聞くと、海に投げ出された後海難に遭って漂流していたらしい。
普通に考えれば味方の艦が全滅すれば、すぐに助けに来てくれる存在など居ないので海難に遭ってやむなしだ。
海難に遭った俺は海面を二週間ほど漂い、本土側に流されていたおかげで救助されたとのこと。
拾い上げられた時は体中汚染された海水でドロドロ、後2日か3日漂っていたらナノマシンも抑えきれなくなって皮膚からドロドロになっていたらしい。
ちょっとブヨブヨだった俺は当然入院、それから一ヶ月間の汚染除去と身体治療の甲斐あって今さっき目が覚めた。
「立てますか? 医療用ナノマシンも有りますけど、精密な検査をこれから受けてもらいますよ」
是非もなしだ、汚染で障害が残ると碌な事がない。
俺は頷いて、先導する看護師の後について行った。
それから大型の機械に入れられて体中くまなく検査された、結果汚染の除去は完了して身体機能に障害は残らないと判断された。
もう大丈夫なら帰っていいのかと、退院の手続きをお願いしますと言えば待機しててくれと言われた。
困ったことに退院手続きの準備のための待機ではなく、軍からの命令だった。
士官学校卒業したすぐ後のあれだから、色々話をしないといけないのだろう。
……そもそも俺以外に生き残った者は居ないのだろうか? 居たら良いのだが望みは薄そうだ。
そんなことを考えながら2時間、病衣のまま着替えることも出来ず長々と待ってやっときたのは軍服を着た男。
素早く階級章を確認すると、両肩には海将の階級章。
まさか海軍幹部が通信ではなく直接会いに来るとは思わなかった、確認するやいなや立ち上がって姿勢を正し、敬礼を持って迎える。
「休め」
指示通り両手を腰に回し、足を肩幅まで開いて休む。
「……体調はどうだね、少尉」
「手厚い看護を頂けたようで万全であります、閣下」
「それは良かった、君だけでも快復したのは幸いだった」
「……生存者は、自分だけでありますか?」
閣下は頷く、百名を超えていた乗員は俺を除いて帰らぬ人になってしまったのか。
戦わずして同期が皆逝ってしまった、
「まさか、と言う思いが強い。 このような形で彼らを失うとは痛恨の極みだ」
閣下は目頭を押さえた、卒業したての幹部候補生が皆海へと消えたのだ。
配置も恐らく決まっていたのだろう、予定がかなり狂ったのは間違いない。
「……少尉、君には選択肢がいくつかある」
顔を上げた閣下は、脇に抱えていた書類を差し出してきた。
「これには君の次の命令が書いてあるが、君はこれを受け取らず拒否する権利が与えられている」
「……宜しいのですか?」
「今の君に対して、上は懐疑的でもあるということだ」
視線を落とせば真っ白で何も書かれていない表紙、諜報防止用の特殊加工がしてあるのだろう。
それを見やった後、手を伸ばして命令書を受け取る。
「命令書を受領いたしました」
「……宜しい、貴官の健闘を祈る」
俺の敬礼に対して、答礼を返す閣下。
減り張りの聞いた動きで踵を返し、閣下は病室を出て行った。
それから数秒して腕を下ろす、いきなりお偉いさんが来てかなり焦った。
一つため息を吐いた後、手に持つ命令書に視線を落として捲ってみる。
真っ白い命令書を数秒見つめれば、文字が浮かび上がってきて俺に与えられた命令がどういった事なのか理解する。
「……大学の科を回れ?」
命令は海軍大学の艦艇に関する幾つかの科で講義を受けてくるように、と書いてあった。
講義を受ける事は当然その科に関する艦艇の訓練をするということ、科の種類が幅広いために何を修めさせようとしているのか理解し難い。
しかしながら自分で選んだのだからやらねばならないだろう、やっぱり嫌だなんてのは通じないんだから。
死にそう、命令受諾後に退院やら着替えやらの後、改めて命令書見たら一週間で回って来いとか書いてあった。
おかげで食事とトイレと風呂と睡眠以外は全部講義の時間、本当に俺に何をさせたいのか……。
特にメンタル科とか受ける意味があったのか、疑問しか浮かばない。
それでも何とか頭の中に無理やり詰め込み、一応の修了認定を受けて卒業させられた。
精神的疲労とはこんなものなのか、頭から重くなって体も重くなっている気がする。
横になって眠りたかったが我慢して修了した旨を報告したら、今度は横須賀基地に行けと命令された。
休む隙がないとはこの事か、迎えに来た車に乗せられて横須賀基地へ連行。
その時の車内で命令書を渡され、見てみると新造の特型駆逐艦艦長に任命すると書かれていて混乱した。
艦長!? 艦長なんで!?
命令書に齧り付くように見たが、見間違いではなかったようでやっぱり艦長に任命すると書いてあった。
士官学校卒業して半年も経っていない少尉が艦長に任命されるなど、余程のことがない限り在り得ないだろう。
じゃあ今が余程のこと、緊急事態なんだろうか?
いやいやまさか、慢性的な人員不足と言われてるが流石にこれは、ねぇ……?
送迎の運転手に聞いたとしてもわかるわけないし、命令書を渡してきた人に聞いても同じくだ。
しょうがないので基地に着いたらお偉いさんに聞いてみるしか無い、溜め息を吐きながら命令書を足元において流れる外の景色を眺めた。
それから数十分、巨大建造物が立ち並ぶ要塞港でもある海軍施設が見えた。
はっきり言って一つの街規模の港だ、日本の主要基地であるために周囲は相応の施設で盛り沢山。
そんな数百年の歴史ある港の一角にある基地のゲートから中に入り、司令部へと足を運ぶ。
そこでも命令書を渡されるだけ、一介の少尉が司令官に会えるわけもなく命令書に従って9号ドックへと移動した。
あったのは外からは中を伺えないドック、視線をどこに移しても銃を持った兵士がうろついている最重要機密区画だ。
なんとなくだが嫌な予感がした、明らかに少尉ごときが近づいてはならない場所。
冷や汗をかきながら受付へ、命令書を渡してからの身体検査と身分確認。
三十分掛かって本人であると判断され、中に招き入れられた。
開かれた重厚なドアを何度もくぐり抜けて、ドック内へと入り込むと一隻の艦艇があった。
すでに進水は済んでいたのか、ドック内に注水してあり浮いていた。
まさかこれの艦長になれというのか、どう見ても通常艦艇とは全く形状の違う艦だ。
妙に角が多く、通常艦艇に見られる丸みが一切ない。
このような形状の艦は現状一種類しかなく、俺の予想通りの艦であれば……。
「あなたがこの暁の司令官ね!」
声がした方向に視線を向ければこの場にそぐわない、子供の風貌の少女が居た。
腰くらいまである艶やかな黒髪の上に、おそらくは昔のものであろう戦闘帽を被っている。
これまた古いセーラー服で、黒いストッキングか何かを履いている背の小さい十代前半位の少女。
彼女から視線を外して艦を見る、そうして悟った。
「ふふーん、暁の魅惑的な
腕組みしてなんだかよくわからないことを口走っているこの少女に、俺に求められたのは真っ当な艦長職ではなく。
この新造された特型駆逐艦こと『重力子機関搭載型駆逐艦』の艦載AIの教育係、それが上から求められた俺の仕事なのだと悟ってしまった。
「──ちょっと、司令官? どうしたの?」
俺が反応しないことに訝しんだのか、一歩前に出て顔色を窺ってくる艦載AI。
いや、
「初めまして、貴艦の艦長となる日本皇国海軍特殊作戦群所属の
「日本皇国海軍所属、暁型駆逐艦1番艦『暁』よ! 一人前のレディーとして扱ってよね!」
そうして握った彼女の手は、人在らざる冷たさだった。
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その2
体温というモノを感じられない、暁の小さな冷たい手を離す。
「暁、君は新造のユニオンコアだと聞いてるが合っているかな?」
「ええ、そうよ」
「では、特型駆逐艦として基本的な情報は入ってると考えてもいいかな?」
「ばっちりよ!」
胸を張って応える暁、通常艦艇にはない機能も問題なく使えるようならやっぱりコアの人格に関することなんだろうな……。
「そうか、なら特型として活躍できるよう私も尽力させて貰うよ。 ではまず君の認識について聞かせてもらいたい」
「……認識?」
首を傾げる暁、可愛らしい容姿であるから良く様になっている。
「暁、君は私のことを君の艦長であると認識してるかな?」
「ええ! 司令官はこの暁の艦長だってわかってるわ」
「なら気をつけた方が良い、君の喋り方は上官に対する言葉遣いではない」
基本メンタルモデルはコミュニケーション用インターフェースとしての側面が強い。
同時にメンタルモデルと言うナノマテリアル構成体は軍人として扱われ、艦長の麾下として指揮に従わなければならない。
つまり上官と部下の関係であり、部下である暁が上官である俺に砕けすぎた話し方をしてはいけない。
上下関係を持って規律を守る、それが軍隊であるからだ。
「理解できたかな?」
「わ、わかったわ……」
「わかりました、あるいは了解しました」
「わかりました!」
「宜しい、それじゃあ乗船しようか」
なんだかヤケクソになっているような気がする暁を置いて、艦艇の方の暁へと向かう。
「……なんだか苦手だわ、この司令官」
……出港時間も迫ってるし、今回は聞かなかったことにしておこう。
乗船するためのタラップねぇのタラップ、と見回していたら半透明の六角形が並んで艦へと伸びていた。
暁曰く、クラインフィールドの応用なんだから! と言っていたので注意しておいた。
確かクラインフィールドは重力子崩壊による境界面の空間作用効果によって上位次元にエネルギーを逃して無効化する、とか言う話だったはず。
船体を守るための盾としか考えていなかったクラインフィールドをこう云う風に使うか、と少し感心した。
同時に艦の全ての機能を制御するメンタルモデルが居れば、タラップなどの昇降装置を用意しておかなくて良い利点もある。
そう考えながら階段状になったクラインフィールドの六角形を登り、艦首近くから暁へと乗船する。
足を下ろした甲板は木目調になってはいるが木製でない事は踏み心地でわかる、通常艦艇と同じく滑りにくく水捌けが良い構成となっているのだろう。
足元から視線を上げてまず見えたのは砲台とその背後にある艦橋だ、何百年前もの軍艦を参考にした外観らしく奇妙な新鮮味があった。
艦橋へと向かえばさらに奥に煙突らしきものも見えてくる、当然特型の艦艇に排煙の煙突など必要ないので何か別の機能を持っているのだろう。
艦橋の側に行くと分厚いドアがある、前に立てばスライドして開き、中には手すりの付いたエレベーターがあった。
エレベーターに乗れば暁もピョンっと乗り込んできて、スイッチも何も触っていないのに上昇し始める。
エレベーターが上がりきって正面のドアが開くと、水平に180度ほど見える艦橋内部。
それだけだ、情報を示すディスプレイなどそういった物が全く無い。
艦橋の床と中と外を区切る壁と外の様子を見れる窓だけ、全く何も無さ過ぎて困惑する。
「……暁、これは?」
「これ?」
聞いてみるも暁は艦橋に何もない事は不思議でも何でもないらしい。
このメンタルモデルの暁は艦のセンサーやレーダーに直接繋がっているので、手動で操作する物が全く必要ない。
砲塔による射撃もミサイルや魚雷の発射も完全
それを成したのは『ナノマテリアル』、メンタルモデルの暁を構成しているのも、船体の暁を構成しているのも両方ナノマテリアル。
プログラムすることで組み合わさり一つの物体として構成することが出来る、分子サイズのロボット。
なので船体が大きく傷付こうとも、余剰のナノマテリアルがあればあっという間に復元できるし。
ミサイルや魚雷が不足すればその場で生成も出来る、当然弾頭の炸薬も生成できる。
理論上どんな形状にも物質にも変化することが出来る、人類科学の結晶体。
まさに夢の様な物ではあるが、分子レベルのロボットを製造すると言うことで、普通に製造された物よりもナノマテリアルで生成された物の方が圧倒的に高価となる。
それが祟って特型軍艦は馬鹿みたいな値段になるらしい、それだけではなくこの暁のユニオンコアや主機の重力子機関もちょっと想像も出来ないような費用がかかるのだろう。
そんな物を押し付けられた俺、はっきり言って退役したくなってきた。
事前に知ってたら絶対命令書受け取るの拒否してた、これは間違いない。
しかしながら、もう後戻りもできないので命令を遂行するしか無い。
「……とりあえず艦長席が欲しいな」
「椅子ね、わかっ……りました」
妙な間を開けて暁が言う。
なんでだろうか? 人間よりも切り替えはきっちり出来そうなものだが。
そんな事を考えていたら、艦橋中央の床のナノマテリアルが動き出して文字通りの椅子が出来上がる。
支える足があって腰を下ろす座面があるだけの、背もたれも肘掛けも無い本当にただの丸椅子だった。
暁を見るとやり遂げたような表情、正直この頭は飾りかとグリグリ押さえつけたくなる。
この椅子を見て艦長席と断言できる奴が居たら、そのアホ面を見てみたい。
「……暁、外部ネットへの接続は可能か?」
「勿論出来る、ます」
「結構、なら艦長席で検索しなさい」
「───」
指示通り外部ネットから艦長席と言うものを見ているのだろう、暁の瞳が揺らいで様々な色が乗った。
やはり人の形をした
まあ、人の脳細胞も寸分違わず再現できるのだから、人の感情もシミュレート出来ても何ら不思議ではないか。
「……あの、司令官」
艦橋の外を眺めていたら、申し訳無さそうな暁の声。
同時に丸椅子が床に沈んでいき、代わりに中々立派な艦長席がせり上がってきた。
ちゃんと肘掛けや背もたれもある、見かけは立派な艦長席だ。
問題があるとすればカバーの色だが、報告してくるのは暁だけなのでそこまで問題視する必要もないか。
「宜しい、上出来だ」
恐る恐るだがゆっくり座ってみると、ちゃんとクッションもあって中々の座り心地だ。
変にグラグラ揺れたりもしない、中身も伴った艦長席。
「暁、出港の時間が迫っている、機関の様子はどうか」
「……問題ありません!」
「では手筈通りに出港の連絡を港長に」
「……港長への通報完了、ドック開放まで45秒」
ドックの隔壁展開までの間、俺は窓の外に視線を向けたまま、暁に声を掛けた。
「暁、今の君には経験が必要だ。 失敗を恐れて躊躇うことはない、わからないことがあれば聞けばいい、外部ネットに繋がるのなら検索をかけてもいい。 その結果があの丸椅子からこの艦長席で、君は今一歩成長した。 だから躊躇うな、前に進め、それが一人前のレディーになるための最低条件だ」
言い切ったと同時に艦正面の隔壁が開き始め、外の景色が視界に入ってくる。
「両舷微速! 暁、出港!」
「両舷微速! 暁、出港します!」
艦が動き出す、開ききったドックの隔壁を横切り、予定航路へ乗るために海を進む。
全くもって、難儀な仕事になりそうだ。
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その3
ぐんぐんと横須賀港から離れていく暁、何というか恐ろしいほどに速い。
「暁、艦の情報を」
「了解しますわ」
うん、流石におかしい。
かなり言葉遣いに違和感が出てきたので、もしかしたらコアがエラーでも吐いているかもしれない。
艦の情報を見る前に、暁の様子を調べようとした時には艦橋一杯に情報が表示された。
文字通り隙間なく空間に投影され、それが全て艦のリアルタイム情報だと何となく理解できた。
「……暁、情報を確認するのは人間であることを考えてから表示しなさい。 艦の機関出力やクラインフィールドに強制波動装甲展開率、残弾数程度で良い」
「了解したわ」
情報を表示していたサインフレームが殆ど消え、先ほど言った情報だけが載ったものが残る。
「………」
その中の現在の速力を見れば、
知ってはいたが目の当たりにするとちょっとした恐怖感が湧き上がってくる、こんな速力で移動するなど普通であれば小さな波でも跳ね上がってそのまま海面を転がってバラバラになりかねない。
しかし艦は僅かな揺れもなく、まるで海面を滑るように移動している。
それを成しているのが艦全体に掛かっている重力及び慣性制御、これで艦に無用な反動を弾いていて驚異的な速力を実現している。
特型軍艦の中で最小ながら通常艦艇を遥かに超える性能、この速力で巡航速力なのがそれを証明している。
最新鋭は伊達じゃないか、膨大な出力を出せる重力子機関に理論上あらゆる物体に変化できるナノマテリアル。
それだけじゃなく重力及び慣性制御装置も画期的なテクノロジーであるし、プラズマジェット推進機も数千トンもある物体を簡単に押し出せる推進力を生み出す。
そしてそれを統括するのが暁の頭脳であるユニオンコア、中枢であるからこそ半端な出来で作り出されるわけがない。
「暁」
「何でしょうか、司令官」
呼べば振り向く暁、なんだか感情が抜け落ちたかのような表情。
「今から自己診断モードを掛けられるか?」
「……メンタルモデルはシステムチェックによる擬似休眠状態に入り、船体機能の一部が使用不可となります」
淡々とした物言い、急に機械じみてきた暁。
やっぱり問題でも出てきたかと考える。
「周囲に敵性反応がなければ、船速を10ノットまで落としてチェックには入れ」
「システムチェックに1時間ほど掛かります、予定到着時間に間に合わない可能性があります」
「構わん、システムチェックに入れ」
「命令に反する可能性があります、この場合──」
「艦長命令だ、システムチェックに入れ」
「了承、減速後システムチェックに入ります」
強く命令すれば、それに従う暁。
正直俺の責任よりも暁の方が大事だ、特型が一隻居るだけでも相当な戦力なるんだから、作られたばっかで早々壊れるとか俺の首が飛ぶどころじゃないし。
そんな事を思いながら眺めていた艦の状況を示す一つのサインフレーム、速力の部分が急激に下がっていく。
外の景色も流れる速度が遅くなる、全く慣性が掛かってないから重力制御万々歳だな。
「これよりシステムチェックに入ります、システムチェック中も音声応答可能」
そう言って暁がその場に座り込む、足を抱えての体育座り。
膝に顎を乗せて動かなくなった、リソースの多くを内側に向けたのだろう。
そんな暁から視線を外し、船体情報のサインフレームを見つめる。
クラインフィールドや強制波動装甲の稼働率から機関の出力など、他にも色々表示されているが技師でないので理解できないものも多数。
「……暁、システムチェックの進捗状況の表示してくれ」
「了解」
他のサインフレームを押しのけ、暁の内面を表示するものが現れる。
一瞬何かが表示されて消えていく、下から上へと瞬時に押し流されて判別出来ずに流れている。
それを一目見てわかったのは、何もわからなかったということ。
「正常な状態と比較して、異常値を出したものだけを表示してくれ」
「了解」
超高速で流れていた情報が消え、幾つかのエラーと推測される情報が浮かんだ。
「……
暁は感情を表現しきれていない、言葉に出来ないとか笑顔が上手く浮かべられないと言った意味ではない。
喜怒哀楽は表現できる、楽しいと判断すれば笑えるし、悲しいと判断すれば泣ける。
だが喜びと悲しみと言った背反する事を両立できない、嬉しいと悲しいを同時に感じればどちらか片方の感情しか表現できない。
人間であれば嬉し泣きと言った表現もできるが、暁にはそれを表現できない。
個性と定めた感情で、個性と定めた『明るくよく喋る』事と軍人として『言葉遣い正しく静かで居る』事は暁の中では背反していたために両立しようとしておかしな言葉遣いになっていた。
正直こんなのどうすればいいんだよ、と考えれば解決方法も書かれていた。
簡単な話、暁は経験が足りないのだ。
子供が大人になる過程で学んでいくように、コミュニケーションを経て感情の処理方法を学ばせていく他ない。
なんでこんな解決方法が出てくるのかというと新造のコアが陥りやすい状況との事、ユニオンコアとか暁の一個だけじゃないから同じ事例もあったわけか。
問題があるとすれば、具体的な解決方法が書かれていないということだな。
「………」
どうすればいいんだよ。
システムチェック進捗率が増え続けるのを一時間、敵襲もなく合流予定の艦隊にも問題が発生したので遅れますと連絡を入れて待った。
連絡の際、合流先の艦隊司令官にネチネチ言われたけど、俺より特型駆逐艦の方が大事なのでは? と言ったら認めてくれた。
通信が切れた後は静かだ、外の音は聞こえないし暁はシステムチェック中で無言だし、だから艦長席に腰掛けたままどうすればいいか考えた。
と言うか、なんで明るくよく喋る事と言葉遣い正しく静かに居る事が相反するんだ?
時と場合で使い分ければいいことだが……、それが出来ないからおかしなことになってるのか?
経験が足りないって事はそのまま子供って事でいいんだろう、ちょっと違うが我儘を言って叱られても大人しく出来ない子供と言った感じか?
正確に言えば感情を制御しきれないのか、だから自然に表現できずにエラーを吐いて感情の演算を切っていったのか。
この場合の解決策は二つある、一つはそのまま軍人として行動させ感情演算を切らせる、デメリットは暁の個性が育たないこと。
もう一つは軍人として行動させないこと、デメリットは言葉遣いが直せないこと。
「………」
仕方がない、か……。
「──システムチェック完了、エラーレポート生成」
「暁」
「はい、司令官」
立ち上がった暁の、感情のない顔がこちらに向けられた。
「感情演算の再開、同時に言葉遣いの矯正命令を撤回。 以後暁が定義した個性のまま振る舞うことを許可する」
「──了解、……本当にいいの? 司令官」
急に感情が乗った表情になった暁、本当にコロッと変わるな。
「……大事なのは暁だ」
そう言えば両手で顔を抑えて、体をもじもじと揺らし始めた。
「……あ、暁が大事だなんて……。 で、でもレディーとしてちゃんと答えないと……」
「機関出力上昇、遅れた分を可能な限り取り返す。 200ノットだ、可能だな?」
俺の声を聞いて唖然とした表情から、むうっと頬を膨らませた暁。
「……と、当然よ! 暁が一人前のレディーだってこと、見てなさいよ!」
変なこと考える前に、本当の一人前のレディーになってくださいよ。
そんなことを考えながら、速力が急速に上がっていく状況を眺めていた。
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