名作風ガルパン (いのかしら)
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中島敦「戦月記」
何処ぞに上げたやつを書き換えたもの。
中島敦「戦月記」
熊本のエリカは博学
翌年、日本の戦車道プロリーグきっての名将と謳われる西住みほという者、次の日の試合の為に熊本の会場に向かい、その一角の森の前に来た。次の朝未だ暗いうちにその初めて使う会場の様子を確かめようとしたところ、管理人が言うには、これから先の森に虎が入ったという報が入ったゆえ、今は通れない。暫ししたらとっ捕まえられるだろうから、それから確かめられるのがよろしいでしょうと。みほは、しかし、戦車は火砕流の中も進む、虎一匹などと管理人の言葉を退けて、戦車の仲間と共に出発した。残月の光とキューポラから出した頭を頼りに林中の草地を通っていた時、はたして一匹の猛虎が草地から躍り出た。虎はあわやみほに躍りかかるかと見えたが、たちまち身を翻して、もとの
叢の中からは、しばらく返事がなかった。しのび泣きかと思われるかすかな声が時々漏れるばかりである。ややあって、低めの声が聞こえた。「そうよ、私は黒森峰にいた逸見エリカよ」と。
みほは他の車内の者のとは異なり、恐怖を忘れ、戦車から降りて叢に近づき、懐かしげに
後で考えれば不思議だったが、その時、みほは、この超自然的な怪異を、実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。彼女は仲間に戦車と外部からの通信を止めさせ、自分は叢の傍らに立って、見えざる声と対談した。最近の流行り、旧友の消息、みほが今どうなったか、それに対するエリカの祝辞。少女時代親しかった者どうしの、あて隔てのない語調で、それらが語られた後、みほは、エリカがどうして今の身となるかに至ったかを尋ねた。
今から一年ほど前、私ががプロリーグのシーズンの途中に旅館に泊まった夜のこと、一睡してからふと目を覚ますと、外で誰かが私の名を呼んでいたの。声に応じて窓の外を眺めると、声は闇の中からしきりに私を招いたわ。ただ私は声を追って走り出したわ。無我夢中で駆けて行くうちに、いつの間にか道は山林に入り、しかも、知らぬ間に私は自分の左右の手で地をつかんで走っていたの。何か身体中に力が満ちるような感じで、軽々と岩石を飛び越えていったわ。気がつくと、手足や肘の辺りに毛を生じていたみたい。少し明るくなってから、谷川に臨んで身を写したら、既に虎だったわ。私は初め目を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えたわ。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、私はそれまでに見たことがあったから。手を見て、頬をつねって、引っ掻いて、どうしてもこれが夢ではないと悟らないといけなかった時、私は茫然としたわ。そうして懼れた。全く、どんなことでも起こりうるのだと思って、ひどく懼れたわ。しかし、なぜこんなことになってしまったのだろう。分からない。全く何事も私たちには分からない。理由も分からないで押し付けられたものを受け取って、理由も分からずに生きていくのが、私たち生き物の
みほをはじめその戦車の者たちは、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続けて言う。
他でもないわ。私は元来戦車道の選手として名を残すつもりでいたわ。だけど、業がまだ為されないうちに、この運命に立ち至ったわ。かつて戦車道の戦術論を幾つか考えていたわ。もっとも、まだ世の中には発信されてない。これを私のために伝録してほしいの。なにも、これによって一人前の戦車道の指揮官面をしたい訳じゃないの。この論の巧拙は分からないけど、とにかく、財産も無くし心も狂わせてまで私がそれに執着したところのものを、一部だけでも後世に伝えなければ死んでも死にきれないの。
みほは仲間に言って、ペンと紙を執って叢中の声にしたがって書きとった。エリカの声は叢の中から朗々と響いた。長期的な試合全体の観点から局地戦の対処まで、フラッグ戦、殲滅戦問わず、知るものが一読すればその者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、みほは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。なるほど、この人の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の戦車道指揮官となるには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。
戦術論を吐き終わったエリカの声は、突然調子を変え、自らを嘲るがごとくに言った。
恥ずかしいことだけど、今でも、こんなあさましい身となり果てた今でも、私は、戦車に、ティーガーIIに乗って指揮を執って野を駆けるさまを、夢に見ることがあるの。岩窟で横たわってみる夢でよ。嗤ってちょうだい。戦車道の一流選手になりそこなって虎になった哀れな女を。そうだ。お笑い草ついでに、この辺りで今日あなたが出場する戦車道の試合があると聞いたわ。この辺りの地理なら分かるから、今日の指揮のアドバイスをさせて貰えないかしら。この虎の中に、まだ、かつての逸見エリカが生きているしるしに。
みほはまた仲間の者に言って、ペンと紙と会場の地図を取らせた。そこでは敷地を通る川の水量、幅、林道の広さ、隠れられる場所、坂、その他多くの情報を伝えたうえで、敵がどう動き、それに効果的に対処する方法を伝えた。みほはそれを逐一書き取り、地図は間も無く矢印と大量のメモで埋められた。
時に、残月、光冷ややかに、白露は地に繁く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げる。車輌の中の人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この戦車乗りの
なぜこんな運命になったか分からないと、先程は言ったけど、しかし、考えようによっては、思い当たることが全然ないでもないわ。人間だった時、私は努めて人との無用な交わりを避け、西住流以外を半ば見下して自分の信ずる西住の道を極めようとしたわ。人々は私を
ようやくあたりの暗さが薄らいできた。
もはや、別れを告げなくてはならないわ。酔わなくてはならない時が、虎になる時が近づいたから、と、エリカの声が言った。だが、お別れする前に一つ頼みがあるの。それは夫子とあなたの姉、まほさんのことよ。私の夫子は熊本にいるわ。もう一年経つから死んだことになっていると思うけど、もしまだ家族が私のことを引きずっているようなら、それを私は望まないと伝えてくれないかしら。子供にはそばにいてやれなくてすまない、とも。決して今日のことは明かさないでほしいわ。そしてまほさんにはあなたのことはずっと尊敬してきました。いえ、勝手に信奉していたの方が正しいのかもしれません、と。ご迷惑でしたらすみません、と。最後いたチームのみんなにも醜悪な様をお見せして申し訳ない、とも。厚かましいお願いだけど、家族を見守ってくれるなら、私にとってはこれ以上ない恩恵よ。
言い終わって、叢中から
本当は、これらのことを先にお願いするべきだったわ、私が人間なら。ただ悲しみ続ける夫子よりも、そして尊敬する家元よりも、チームの仲間よりも自分の乏しい戦車道のほうを気にかけているような女だから、こんな獣になったのね。
そうして、付け加えていうことには、私は二度とここには来ないし、人里や人の来る場所に行く気もない。その時は私は酔ってあなたでも故人とせずに襲うだろうから。また、場外の向こうの山の上を、今日の試合の開始直前に振り返ってもらいたい。私の今の姿をもう一度お目にかけよう。勇に誇ろうとしてではない。私の醜悪な姿を示して、もって、再び私に会おうとの気持ちを君に起こさせないためである、と。
みほは叢に向かって、あの大学選抜との試合で助けてくれた恩は、ずっと忘れず、たとえエリカさんの人間が消えたとしても、私の心はエリカさんを失わないと懇ろに別れの言葉を述べ、戦車に戻った。叢の中からは、また、堪え得ざるがごとき悲涙の声が漏れた。みほは幾度か叢を振り返りながら、涙のうちに出発し、車輌を反転させた。
試合の開始前、みほはエンジンのかかった車輌に乗り込み、審判の合図を待った。仲間の一人がそろそろではないかというので、言われた通り振り返って指定された山を眺める。たちまち、一匹の虎が草の茂みから躍り出たのを彼女らは見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの叢に躍り入って、再びその姿を見せなかった。
広西大洗も宜しくお願いいたします。
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森鴎外「乗姫」 序
国語が得意な一人の少女の手記
乗務員交代をばはや果てつ。二等室の卓のほとりはいと静かにて、蛍光灯の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は同列に残れるは余一人なれば。四年前のことなりしが、
げに東に向かふ今の我は、昔の我ならず、戦車道こそなほ心に飽き足らぬことろも多かれ、浮き世のうきふしも知りたり、人の心の頼み難きは言ふも更なり。我と我の心さへ変はりやすきをも悟り得たり。昨日の是は今日の非なる我が瞬間の感触を、筆に写して誰かに見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず。これには別に故あり。
嗚呼、熊本の港を出でてより、はや四時間余りを経ぬ。世の常ならば何処ぞの客にさへ挨拶などを結びて、旅の憂さを慰め合ふが旅の習ひなるに、物言ふことのなきは、人知らぬ恨みに頭のみ悩ましたればなり。この恨みは初め一抹の雲のごとく我が心をかすめて、遠くの阿蘇の山色をも見せず、安芸の遺産にも心をとどめさせず、中頃は世を厭ひ、身をはかなみて、腸日ごとに九回すともいふべき惨痛を我に負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の
余は幼き頃より厳しき庭の訓を受けしかひに、戦車道の荒み衰ふるところ知らず、県の小学校にありし日も、黒森峰に出でて通ひし後も、西住みほといふ名はいつも首の方に記されたりしに、末娘の我はこの力にて母の心の世を渡りたり。十二の時には黒森峰の学生の称を受けて、我が名を成さんも、我が家を興さんも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて、四十を超えぬ母に別るるをさまで悲しとは思はず、はるばると家を離れて黒森峰に来ぬ。
余は模糊たる功名の念と、検束に慣れたる戦車道とを持ちて、たちまちこの欧羅巴風の新大都の中央に立てり。何らの光彩ぞ、我が目を射んとするは。何らの色沢ぞ、我が心を迷はさんとするは。菩提樹下と訳する時は、幽静なる境なるべく思はるれど、この大道髪のごときウンテル・デン・リンゲンに来て両辺なる石畳の人道を行く隊々の整然たる少女を見よ。胸はり肩そびえたる教師の、様々な礼装を成したる、かれもこれも目を驚かさぬはなきに、雲にそびえる楼閣の少し途切れたる所には、晴れたる空に夕立の音を聞かせてみなぎり落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てて緑樹枝をさし交わしたる中より浮かび出でたる記念塔の神女の像、このあまたの景物
余が鈴索を引き鳴らして謁を通じ、西住流の紹介状を出だして来意を告げし黒森峰の隊員は、皆快く余を迎へ、学園よりの手続きだに事なく済みたらましかば、戦車道を修めんと、名を簿冊に記させつ。彼らは初めて余を見し時、いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。
ひと月ふた月と過ぐほどに、学園のかたにて、幼き心に思ひ計りしがごとく、戦車道の名手になるべき特科のあること限りなく、これかかれかと心迷ひながらも、二、三の
かく三年ばかりは夢のごとくにたちしが、時来れば包みても包み難きは人の好尚なるらん、余は母の教へに従ひ、人の褒むるが嬉しさに怠らず学びし時より、西住流の後継として良き手を得たりと励ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、ただ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今十五歳になりて、既に久しくこの自由なる学園の風に当たりたればにや、心の中なにとなく穏やかならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表に現れて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は密かに思ふやう、我が母は余を活きたる西住流となさんとし、我が学園は余を活きたる黒森峰戦車道となさんとやしけん。
かの人々は余がともに飲料の杯を挙げず、電子遊具を取らぬを、かたくななる心と欲を制する力と帰して、かつは嘲りかつは嫉みたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼、この故よしは、我が身だに知らざりしを、いかで人に知らるべき。我が心はかの
続きは気が向いたり今書いてる『広西大洗奮闘記』が終わったら書きます。
因みに筆者リトルアーミー知らないので悪しからず。
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