幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで (とるびす)
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登場人物・世界観設定

本小説における各キャラの136話までの設定や来歴を簡単に纏めたものになります。
多くのネタバレを含みます。また、プロットを元に作成したのでもしかすると作中で明かされていない(死に)設定があったりするかもしれません。

Win版キャラ原作登場順→書籍キャラ→登場済み旧作キャラ→秘封倶楽部の順になっています。
「あのキャラはどういう活躍をしてたかな?」「自分の推しキャラはどういう役割なんだろう?」といった時に簡単に確認していただけると幸いです。

世界観の根底に関わる八雲紫の設定については冒頭と文末に分割しています。


 

八雲紫(ゆかりん)

万事の境界を主る幻想郷最強の妖怪……と、まことしやかに囁かれているへっぽこ妖怪。それを裏付ける実績があるのが実にタチの悪い天災系少女。顔と人脈だけの女。夢は『みんな仲良し幻想郷』

周囲からの認識と内面の乖離が激しく、それが原因で厄介な出来事によく巻き込まれる。また難しい事を考えると論理が飛躍する癖がある。妖生の8割はノリと勢い。

残酷な世の中を生き抜く事に酷い怯えを見せており、身内すら常に疑っている疑心暗鬼の妖怪。しかし物語が進むにつれて、なんだかんだで狂人達との交流が進み、まあまあ上手くやれてるような気がするとのこと。多分気のせい。

自分の想いがよく分かっていないような描写が多く、記憶の欠落も多々あり。しかし当の本人が違和感を全て「気のせい」で済ませてしまうため大事にならない。

 

幻想郷を支配する『五賢者』のうちの1人にして筆頭格。しかしその実情としては下からの突き上げや、幻想郷の危機、同僚からの権謀術数に頭を悩ませており、常々職を辞したいと思っている。天子と意気投合した際は賢者職を譲ろうと根回しを進めていたが、反対多数により涙の続投となっている。

ただそんな紫も幻想郷の事は我が子のように愛しているようで、彼女なりに統治方法を試行錯誤している描写が多々あり。スペルカード制定や『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』はその一環である。

 

良くも悪くも他者を惹きつける性質であり、交友関係が頗る広い。そのため紫が一声かければ、瞬く間に妖々跋扈する大妖怪の群れが敵を踏み散らかしていく。紫は死ぬ。

基本、自分を気にかけ助けてくれる人物や、無垢な子供に対し好意を示す傾向がある。チョロい。ただレミリアやさとりのように第一印象が悪すぎると好嫌が極端に覆りにくくなる。月の関係者は無条件で嫌い。

 

吸血鬼異変では己を尖兵として殴り込み死にかける。紅霧異変では謎の探偵ムーブをかまし死にかける。春雪異変では事態をややこしくさせ死にかける。萃夢異変では大元の原因を作り死にかける。永夜異変ではついに殉職した。それでもどっこい生きてるタフな奴。その後色々と疲れてしまったので外の世界でバケーションを企画、結果死にかけるも早苗を弟子にした。

第二次月面戦争の際、豊姫に捕縛されてしまい幻想郷同時多発異変の発端となってしまう。解放後は成り行きでヘカーティアと殺し合う羽目になり、死にかける。しかし記憶と力の一部を取り戻した事で辛くも勝利を収めた。

 

現在、記憶が戻った影響でメンタルが崩壊。遂に乱心し幻想郷に牙を剥いた。その目的とは……?

 

 

博麗霊夢

幻想郷最強の巫女と紫に喧伝されている。実際最強クラスであるのは間違いなく、夢想天生を発動すれば勝ちが確定するクソゲー巫女。ただ精神的な狼狽によるミスを近年繰り返しており、本人を悩ませている。殆ど紫のせい。

そんな事情もあって夢想天生一辺倒から脱却すべく、夢想封印の強化修行を紫擬き、茨木華扇の指導の下開始。コンガラ、また魔理沙の師匠なる人物を陰陽玉を介して憑依させたりしている。

物語初期はどんな人物に対しても淡白で素っ気ない態度だったが、時間の経過と共に段々と感情を前面に押し出してくるようになる。最近は争いごとの調停に振り回されたり、早苗の面倒を見てたりと多忙を極めているとのこと。地雷ワードは『管理』『妖怪』『お母さん』

八雲家とは擬似家族のような関係になっており、なんだかんだで非常に親密。妖怪とそんな間柄でいいのかと考えていた時期もあった。長い紆余曲折を経て紫への想いを自覚するに至るが、紫からの拒絶によってそれなりにショックを受けていた。

 

伊吹萃香戦での敗戦を除き負けは無く、異変は悉く霊夢の手により解決されており、その萃香にもリベンジを達成している。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【総合部門】に出場。圧巻の優勝を成し遂げた。

幻想郷同時多発異変の際は月にてクラウンピースと死合い、一撃で粉砕。心酔させるに至る。その後、幻想郷と月の同時破壊を目論むヘカーティアを仕留めるべく動くが、不完全燃焼に終わった。

物語終盤にて紫の暴走とその出生の秘密を知る。

 

前世界線では『八雲霊夢』を名乗り、蓮子とメリーの時代まで存命である模様。存在してはならない。

 

 

 

霧雨魔理沙

異変解決屋第二号。星魔法、爆熱魔法を好んでよく使うが、本人の適性は『水』であるため拘りが長所を潰している。実は八卦炉を使わない方が強いらしい。精神状態の如何によって調子が激しく上下するタイプ。

霊夢にライバル意識を抱いており、何かと多分野で張り合っているが中々勝ち星が得られていない。そして曇る。ただ魔理沙本人は霊夢の事を唯一無二の親友だと思っていて、霊夢がスランプに陥っていた時は何度も相談に乗り、その克服に力を貸している。

その才能は確かなもので、ジャイアントキリングを何度か果たしている爆発力の申し子。潜在能力の高さ故に紫からは異変解決の役目を依頼される事もあれば、隠岐奈に二童子の後任として狙われた事もあった。

実家から勘当され魔法の森に入った際、魅魔の弟子となる。しかし捨虫・捨食の魔法に手を出した事で破門とされた。自分の居場所を二度失った体験が深いトラウマとして心に刻まれている。

 

永夜異変時に無力だったことから迷走してしまい、摩多羅隠岐奈に付け込まれ、傀儡として風見幽香と対峙した。その際の後遺症で下半身が動かなくなっている。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【総合部門】に出場。霊夢と互角の勝負を繰り広げるが、判定の末に敗れ準優勝となった。

続く幻想郷同時多発異変の際は主力の1人として、暴走する霊烏路空と対峙。幻想郷の命運を賭けた死闘の末、半死半生となるも撃破に成功している。

 

 

ルーミア

常闇を司る放蕩妖怪。根源的な恐怖を糧とする。そのお手軽な危険性と予測不能な活動範囲から幻想郷で最も恐れられている妖怪の一角に君臨している。なお上澄みの中では下も下なので彼女自身はあまり出過ぎた行動を取ることはない。意外と世渡り上手。

作中で使用した不変の闇、侵食の闇、暗黒物質、再生の闇以外にも心の闇を掌握し操り人形として、内側から心身を崩壊させたりすることもできる。

紫とは債権者と債務者の関係であり、なにかと八雲邸への出入りがある。3食おやつ付きを約束させていて、日々冷蔵庫から食材を奪っていく。また人肉の美味しさをしつこく説いており、何としても紫に人肉を食べさせたい模様。

賢者台頭前の妖怪世界では最強の一角を占める妖怪であったが、摩多羅隠岐奈に敗北した後は人里で生を受けた赤子に生成りとして憑依し、現在に至る。

 

吸血鬼異変時にはリグル、ミスティアと行動を共にし、モブ吸血鬼を蹴散らしていた。紅霧異変では霊夢に軽く蹴散らされる。永夜異変では紫に味方し、タダ飯の権利を獲得した。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。散々な評価となる。

 

 

大妖精

霧の湖を住処にする妖精。瞬間移動の使い手であり、また大規模な風魔法を得意とする。そのため彼女の戦闘は秒で勝つか、秒で蹴散らされるかのどちらかである。チルノのブレーキ役として重宝されている。

また妖精達の調停役も担っており、妖精界隈では何かと顔が利く。幽香やレティなど、大妖怪との繋がりもあるとか。

 

吸血鬼異変時には使い魔にチルノとの会話を邪魔された事に激昂し、得意な風魔法で蹂躙していた。

以後も常にチルノをヨイショしている。

 

チルノ

最強の妖精。幻想郷においても珍しい時間操作能力を無意識に操る稀有な存在。素直に強い。常勝無敗を誇っていたが紅霧異変を皮切りに敗北が続き、両の手を超えたあたりで頭を使うことを覚えたらしい。その結果、紫に勝利している。

どんな相手にも物怖じせず直情的で無鉄砲。その一方で自分が妖精を代表する存在である事を自覚しているため、妖精全体の身の振り方を考えている場面が時折見られる。

その交友関係は広く、何故か紫とタメを張るほどに顔が利く。妖精達の他に文や幽香、わかさぎ姫とよくつるむ。

 

春雪異変にて、文とともに西行妖の暴走を押し留める活躍を見せる。また永夜異変では紫側の妖怪として参戦し、大いに暴れ回った。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【決闘部門】に出場するも萃香に一回戦で敗れ、爆散する。その後リセットされ【美術部門】に出場。意外な高評価となり全体4位の成績を収めた。

続く幻想郷同時多発異変時は、それそっちのけで妖精大戦争を開始。見事勝ち残り妖精界隈に覇を唱え、勢いのまま隠岐奈の戦いに乱入した。結果、幽香の援護を得た無限大の爆発力により後戸の国もろとも消滅してしまった。

 

隠岐奈からは「あの瞬間だけは紛れもなく幻想郷最強だった」との賛辞を受けている。

 

 

紅美鈴

紅魔館を守護する門番。命令には忠実だが紅魔館の顔としての職務も兼ねていることを自覚しているため物腰は常に柔らかい。シエスタが趣味。

自らの生命力を発する内気功、自然からのエネルギーをそのまま転用する外気功を使い分けており、伊吹萃香や霧雨魔理沙を前に一歩も引かない戦闘力を誇る。

フランドールと十六夜咲夜を何かと気にかけており、紅霧異変後の館内の雰囲気を好ましく思っているらしい。食客になった永琳や幽香とは良きお茶友、庭友として仲良くなっている。コミュ鬼。

 

萃夢異変では萃香の分身を相手に互角の勝負を繰り広げた。

幻想郷同時多発異変の際は、力を奪われてなお紅魔館に押し寄せる草の根妖怪軍団相手に奮戦し、見事館を守り切った。

 

 

小悪魔

棚からぼた餅で高位悪魔に成り上がったラッキーガール。魔界時代は肩身の狭い思いをしていたため幻想郷にやって来てからはヤケにはっちゃけている。その結果天狗の大虐殺に繋がり妖怪の山との関係は修復不可能なほどに破綻した。姫海棠はたて政権となった今も改善の兆しはない。

そんな彼女も紅魔館の面々とは仲良くやれているが、永琳や幽香には未だ慣れていない模様。小物故に仕方なし。

主に遅効性の呪術を使う。

 

 

パチュリー・ノーレッジ

大図書館を管理する七曜魔法の使い手。莫大な魔力、無尽蔵の知識を有しており準備期間十分な彼女を下せる存在は幻想郷においても殆どいない程のやり手。魂を分け与えた身体のストックを大量に保持しているため滅ぼす事は難しい。

八雲藍&橙を相手にしてなんとか引き分けに持ち込んだり、ミミちゃんの爆発、伊吹萃香の封殺など、何かと要所要所で酷使されている。

 

幻想郷同時多発異変の際は、レミリアの依頼を受けて魔理沙の援護に回る。

 

 

十六夜咲夜

レミリアの忠実なメイド。時を操る能力を保持しており、その強大さは人の身では余りあるものの筈だが、彼女自身は全く気にしておらず。むしろ更なる強化に向けて励んでいる様子。

その正体は八意永琳と蓬莱山輝夜の細胞の掛け合わせで作られたホムンクルス。銀髪に能力、紫への憎悪は遺伝したが故のもの。ただし話が進むに連れ自らを見直し、個を取り戻している。

吸血鬼異変にてレティに敗北して以降昏いモノを抱えていたが、紫擬きの(余計な)茶々入れにより克服。霊夢と仲良くなった。根は陽気らしい。

 

春雪異変ではレティ、妖夢に勝利し、西行妖討伐に貢献。その後の紫擬きとの戦闘で能力が強化される。永夜異変では生物学上の親に当たる永琳と戦うも、妖夢もろとも蹴散らされてしまう。

第二次月面戦争では依姫を相手に粘りを見せた。その後の幻想郷同時多発異変の際は、主力の1人として稀神正邪と激突。泥沼の戦いを繰り広げるも、天子の援護もあり勝利した。

 

 

レミリア・スカーレット

世界に冠たる吸血鬼の女王。生まれ持った規格外の魔力、能力、カリスマで欧州を征服し、次なる狙いを幻想郷に定めていた。運命を操る能力と称しているが、彼女の真骨頂は無限の選択肢とも言える枝分かれの運命を最も効率良い手順で選択していく即断即決の情報処理能力である。しかしそれではあくまで運命に踊らされている現状からは脱却できないとして自らに能力の封印を施している。なおノリで時々破っている模様。

熾烈な殺し合いを演じた八意永琳や、何処の馬の骨とも知らない風見幽香の紅魔館受け入れも快く引き受ける、器の大きいお嬢様である。

紫の事を一目置いており、紅霧異変以降は彼女の盟友としての振る舞いが目立つ。良からぬ運命を観測しており、その回避のため古明地さとりと手を結ぶ。

 

吸血鬼異変では魅魔、紅霧異変では霊夢に敗北し、それ以降は超然とした態度を取る事が多くなった。永夜異変では藍、幽々子とタッグを組み永琳を大いに苦しめた。

永琳戦後からしばらく力を蓄える期間に入ったようで、エンタメ方面での活動が活発化。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の主催となる。ただし天子とは軽い戦闘を行なっている。

第二次月面戦争を企図し、紫と結託。切り込み隊として依姫と戦闘したが決着ならず。

紫が乱心した際にはフランを巡り衝突。ついに袂を分つこととなった。

 

 

フランドール・スカーレット

元吸血鬼の箱入りお嬢様。本来のフランドールは自身の負の感情に耐えきれず心を破壊してしまい、現在のフランドールとは厳密には別物の存在となる。紅魔館のメンバーと軋轢を生みまくっていたが、紫とさとりのメンタルケアにより紅霧異変以降は改善の兆しにある。

概念の破壊を得意とし、自らの性質の悉くを消滅させているため、吸血鬼の弱点どころかダメージに至る方法がほとんど存在しない。弱点は戦闘経験の浅さ。

吸血鬼異変で紫と知り合った際、殺しきれなかった事に酷い怯えを見せていたが、もののけ姫により和解。お友達になっている。またその性質上、古明地こいしと行動を共にすることが多い。

 

萃夢異変では、その裏で暗躍していたドレミーとサグメの狙いを看破。古明地姉妹と協力してドレミーを撃破し、紫を救出している。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場し、審判席にスカーレットニヒリティをぶち込んだ。なお紫と隠岐奈は大満足だったらしい。

物語終盤では紫に拉致されたとなっているが……?

 

 

レティ・ホワイトロック

寒気そのものを司る妖怪。根源的な恐怖を糧とする。組織属さない妖怪としては最大の力を持つ女帝。賢者台頭前の世界において最強に位置する妖怪の1人であり、若干衰えつつも未だ莫大な妖力を有している。

基本気まぐれで行動しているようで、物語の根幹にはあまり関わってこない。ただ気に入った妖怪や人間に対しては不規則にちょっかいをかけてくる面倒くさい妖怪。

寒気から生まれたチルノを大層可愛がっており、そのため妖精達には親しげな態度を取っている。幽香とは深い因縁がある模様。

 

吸血鬼異変においては咲夜と対決。相手にもせず瞬殺している。その後、春雪異変でのリベンジマッチでは時空の歪みに巻き込まれて、数百年単位で戦い続けた挙句判定負けを喰らった。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場するも、黒谷ヤマメの乱入により観客と紫が逃散していたため無人の会場で演技を行なっていた。

幻想郷同時多発異変の際は当初、隠岐奈に従い幽香と戦うも、チルノと文の乱入を契機に離反。四季の力を奪い取っている。その後、足止めのため単独隠岐奈と鎬を削り、消滅した。

 

 

未熟な八雲の式の式。素直で一生懸命な努力家。マヨヒガの管理を任されている事が多い。少しでも主人達に追いつこうと日々励んでおり、物語が進むにつれ才能を開花させている。

化け猫の特性上、肉弾戦を得意としているが、紫がノリで考案した陰陽術も実践レベルまで昇華させた。また藍の教えで結界操作に長けており、最終的には博麗大結界の管理を行うレベルにまで成長している。

八雲一家内での関係は全て良好であり、主人2人を強く慕っている。紫と藍がそれぞれ自分の与り知らない事で苦悩している事を把握しており、それを未熟が故に共有できていない事を酷く気にしている。また妹分の霊夢を何かと気にかけている様子。

 

吸血鬼異変では藍とともにパチュリー&小悪魔と対峙、引き分けとなっている。紅霧異変では紫の警護役としてレミリアにガンを飛ばしていた。春雪異変時は西行妖討伐に貢献。永夜異変では上白沢慧音と戦い、丁礼田舞の助けもあって辛くも勝利している。その後、八雲一家で永琳に挑むも毒を受けて倒れてしまった。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】では一回戦で敗退するも、マヨヒガを破壊した勇儀に噛み付いていた。その後の幻想郷同時多発異変の際は、藍を献身的にサポートし、大結界を保たせた。

 

前世界線では『八雲橙』を名乗る状態で蓮子の前に姿を現し、紫と邂逅させるべく奔走していた。幻想郷最期の賢者であるらしい。

 

 

アリス・マーガトロイド

魔界出身の都会派魔法使い。人形を主とした魔法を使うが、糸を駆使した緻密な操作に長けている。また所持している魔導書は魔界の至宝であるらしく、強大な魔力と無類の魔法を術者に与えるが、魔力汚染のリスクが酷く、永琳戦以外での使用は無い。

実は身体は魔界時代の幼いままであり、夢映しの術を用いて今の大人の姿を取っている。魔界神と何か確執がある模様。

基本人と関わり合いを持たない風を装っているが、根は寂しがり屋なので人付き合いが多い。紫とは魔界時代からの知り合いであるらしいが、経緯は不明。魔界をめちゃくちゃにした幽香と魅魔を恨んでいる。

 

春雪異変ではルナサや藍と戦い、西行妖討伐に貢献。萃夢異変の際は謎の幼女メリーを守護しつつ、萃香と戦う離れ業を披露した。永夜異変では霊夢と共に永琳と対峙。全ての手札を駆使するも自滅してしまう。

その後魔界でのリハビリを終え、幻想郷同時多発異変時に帰還。早苗と小傘をサポートして命蓮寺の妖怪達を撃破している。

 

 

リリー・ホワイト

春を司る妖精。本編においては西行妖の満開を告げる一度しか登場していない。

隠岐奈から離れた『春』を所持していたが、春告とともに幻想郷にばら撒いてしまったため、彼女の野望を大きく遅延させることとなった。

 

 

リリカ・プリズムリバー

幽霊楽団ピアノ担当な三女。幻想の音色を奏でることができるが、姉達と違い人の心に直接的な影響を及ぼさないため、地味だと思われている。なお紫は彼女の大ファンであり、時折「リリカいいよねリリカ愛してる」と心の中でよく唱えている。

 

永夜異変では三姉妹で参戦。兎達を蹴散らした。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【総合部門】に参加していたが、描写されず。

 

 

メルラン・プリズムリバー

幽霊楽団トランペット担当な次女。音色を聞いた者を血管がはち切れるまで躁にしてしまうため、危険視されている。橙がファンだとか。

交渉事は大抵彼女が担っており、人里での定期ライブを紫に約束させるなど中々の敏腕。

 

永夜異変では三姉妹で参戦。兎達を蹴散らした。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に参加。2回戦で鈴仙と戦うも能力相性により惨敗した。実は組み合わせさえよければ更に上を目指せた。

 

 

ルナサ・プリズムリバー

幽霊楽団ヴァイオリン担当な長女。音色を聞いた者を自殺寸前まで鬱にしてしまうため、危険視されている。藍がよく好んで聞いている。

四女であったレイラの意思を深く尊重しており、三姉妹の結束に心を砕いている。

 

永夜異変では三姉妹で参戦。兎達を蹴散らした。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に参加。中々の好成績を収める。

 

 

魂魄妖夢

白玉楼の庭師兼剣術指南役兼雑用全般担当兼ボディガード兼おもちゃ。反射神経と踏み込み一発目の速さは幻想郷最速であり、肉弾戦に優れる。剣術を大成し、時を継ぎ目を切り裂く技術を会得している。しかし自傷を厭わない戦法を取るためいつも酷い怪我を負っている。

幽々子を慕っており命令には悉く忠実であるが、自分で物事を考えるのが苦手であるため単独行動ではいつも迷走。鈴仙を勝手に好敵手扱いしている。

紫にすら揶揄われるほどのおっちょこちょい。

 

春雪異変では咲夜に激戦の末敗北するも、その後の西行妖討伐ではトドメの一撃を放ち幽々子を救出している。萃夢異変では萃香の分身にあしらわれていた。永夜異変では鈴仙と対峙。戦いを優位に進めるも、覚醒した鈴仙に楼観剣をへし折られ、敗北。その後も咲夜と共に永琳に挑むも蹴散らされた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に出場。鈴仙と決勝で戦う事を(一方的に)誓い合うが、2回戦で天子に敗れた。

幻想郷同時多発異変では主力の1人として茨木華扇とともに青娥娘々、豊聡耳神子と戦い、不屈の剣技で勝利を収めた。

その後、紫の思い付きにより酒饅頭の販売を手伝わされている。

 

 

西行寺幽々子

冥界を牛耳る最恐の亡霊であり、紫の親友。有機物、無機物問わず問答無用で死に追い込む能力を有しており、ゆかりん的格付けチェックでは「レミリアと同格、もしくは有利」となっている。それが力なのか危険度なのかは不明。

紫とは生前からの友人であるらしいが、両者共にその記憶はない。互いにトラブルメーカーであるため、厄介ごとに巻き込んだり巻き込まれたりしているが、幽々子はそれを楽しんでいる節がある。なお紫は堪ったものではない。同じく紫の親友である萃香とはあまり仲が良くないようで、事あるごとに辛辣な言葉を投げかけている。

基本温和な性格であり負の感情を前面に押し出してくることはないが、永琳戦において、紫が殺された事により初めて殺意を抱いたと述懐している。

 

春雪異変の首謀者だが途中西行妖に取り込まれ暴走、現世を死の世界にする一歩手前まで追い込んだ。萃夢異変では萃香の分身を容赦なく死に追いやっている。永夜異変では紫を殺された事に激昂、永琳を幾度と死に至らしめた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】にて蓬莱山輝夜と同率一位となるが、月侵攻に付き合う気はさらさら無かったため妖夢を派遣している。幻想郷同時多発異変時は人里防衛において大きく貢献した。

その後、紫の思い付きにより酒饅頭の販売を手伝わされている。

 

 

八雲藍

八雲紫の懐刀(最高戦力)であり、事実上幻想郷の真の管理者である。敬愛する(不甲斐無い)主人のため日々幻想郷を駆け回っている苦労人。

一に紫、二に橙、三に幻想郷。その忠誠心は相当なもので、紫がかつての紫と別人であることを知ってなお付き従う道を選んでいる。しかし紫からは夢女子フォックスとして避けられている模様。不憫。

かつては中華の地で破壊と混乱を齎しており、紫に調伏されていた時代を除いて災厄として恐れられていた過去を持つ。その時代こそが藍の最盛期であり、最も思い出したくない時代。単純な戦闘能力は幻想郷で3本の指に食い込んでくるらしい。紫の存在が一種のストッパーとなっている。

以上のことから力任せな戦法を嫌うが、役柄上厄介な場面での戦闘を任されることが多い。勝ち星は少ないが補佐の達人。霊夢や橙と組んだ際は、パートナーの力を何倍にも引き出す立ち回りに努めていた。ただしあくまで幻想郷の保全と主人の安否が最優先であるため、彼女らを犠牲にする事を厭わない場面も。

また生真面目な性格であるため萃香や天子といった面子とは反りが合わない様子。しょっちゅう殴り合いの喧嘩をして紫を怯えさせている。

 

春雪異変時では当初、紫に従い異変に加担、その後西行妖討伐に貢献した。しかし突如現れた紫擬きから一方的に嬲られてしまう。永夜異変では紫のため奮闘を重ねたが、主人を守り切ることができなかった。その死に激昂し、かつての力で永琳を何度も屠った。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【総合部門】に出場。霊夢に惜しくも敗れ準々優勝となった。続く幻想郷同時多発異変の際は紫の不在を補うべく司令塔として活躍、幻想郷の瓦解を防いだ。

終始紫に付き従う道を是としており、乱心を起こした際にも献身的に協力している。

 

前世界線では少なくとも蓮子とメリーの時代には故人となっている。

 

 

紫擬き(AIBO)

紫の体を乗っ取って現れるつぎはぎだらけの誰かさん。春雪異変の際に初登場し、場を散々引っ掻き回した挙句、大した情報も残さず霧散してしまう困ったちゃん。必要悪としての八雲紫を自認しているらしく、強行的な手段を厭わない危険な存在。

『境界を操る能力』を卓越した練度で扱い、あらゆる手段と搦手を駆使して敵対者を追い込んでいく。身体能力によるゴリ押しも強く、魔理沙のマスタースパークを指一本で弾くなど驚異的な力を見せつけた。

紫からはもう1人の私、AIBOとして扱われている。なお本人曰く「未来から来たお前」とのことで、その方法について邪仙秘神コンビが考察していたり。

永夜異変以降は、ドレミーが作成した器(幼女形態)で活動しており、古明地さとりや蓬莱山輝夜と連携して何らかの目的を達成しようとしていた。

登場のたびに霊夢&魔理沙&咲夜、永琳&妹紅、諏訪子、ヘカーティアなどと戦っており、紫の尻拭いを担当させられている。

 

その正体は前世界線の八雲紫をモデルとした式神であり、その術式は同じく前世界線の摩多羅隠岐奈が用意している。延々と繰り返えされてきたループを破壊する役目を負う。

本編開始時点で既に八雲紫が自死していたことにより、ループの破壊は完了済み。目的は達成されていた。後は新たな紫を終着点まで導くだけの簡単なお仕事だった、のだが……。

 

 

伊吹萃香

元山の四天王であり、幻想郷最強の一角を占める妖怪。また紫とは数千年来の親友。その能力は「0を1に、1を100にする」と言われている。幻想郷の全てを相手にして喧嘩を仕掛けた事があるほど自分の力に自信を持っている。霊夢の戦績に泥を付けた唯一の妖怪。

嘘と約束を破ることが大嫌いで、融通が効かない。紫との縁を大切にしているようで、それ故に裏切られた際の反動は凄まじいものがあった。だがその後も何かと紫からの面倒な頼み事を断らず引き受けており、その献身さを見込んだ藍から式神に誘われたりしている。同じく紫と親友である幽々子に対しては辛辣な煽りを投げ掛けている。

 

吸血鬼異変では美鈴と対戦。圧倒するが能力の使用を自己ルールで縛っていたため、それを破った自分の負けとした。萃夢異変の首謀者であり幻想郷を破壊すべく数多の人妖と対峙。最後は霊夢に敗れる。永夜異変では紫に同行していたが、飲んだくれて何もしなかった。

紫による賢者騒動時は天界にて天子と対決。余波で妖怪の山と旧地獄歓楽街が壊滅した。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に出場。3回戦へと駒を進めるが、鈴仙の機転を活かした戦法により敗退した。幻想郷同時多発異変時は人里防衛において大きく貢献した。

その後、紫の思い付きにより酒饅頭の販売を手伝わされている。

 

 

森近霖之助

蘊蓄が大好きな変わり者の雑貨店主。香霖堂を営業しているが、来客が少ない。異変とは基本的に関わらない方針を取っている。毎回無茶をしている魔理沙を心配している。

紫からは「ダメな大人の最たる例」と見られており、壊滅的な生活能力を目の当たりにして通い妻になることを提案されたりしている。なおにべもなく断った。

メリーちゃんなる謎の幼女が住み着いていた時期があり、その頃を懐かしく思ってるとか。

 

春雪異変後、メリーと名乗るギリシア妖怪を居候とする。その後、萃香との対決に成り行きで参戦する羽目になってしまうが、天叢雲剣で分身を蹴散らす活躍を見せる。

 

 

稗田阿求

人里の中心的人物であり、幻想郷の賢者。しかしその実権は紫の存在に依存するものであり立場が弱い。自立を目指している。

人間の安全のため紫を始めとした妖怪達とは融和的な姿勢を取っているが、過去に色々と人間が犠牲となる事件が起きているようで、内心では複雑な模様。小槌の魔力に煽られた際は、薙刀を装備し玉砕覚悟での反撃を主張している。

幻想郷同時多発異変後、隠岐奈と正邪が死亡した事により『五賢者』の座に就く。しかしそれ故に膨大な量の仕事が舞い込んでおり、殉職寸前。

 

 

リグル・ナイトバグ

生物において圧倒的多数派である蟲の女王。根源的恐怖を糧とする。賢者台頭前の世界において最強に位置する妖怪の1人であり、かつては龍神を打倒し、八雲紫をも凌駕する勢力圏を築き上げた。しかし天狗との抗争に敗北し、記憶と力を失っている。

姫虫百々世と黒谷ヤマメが部下にいたが、今は死亡、または独立している。

現在は蟲の復権を目指して日々頑張っている。

 

吸血鬼異変時にはルーミア、ミスティアと行動を共にし、モブ吸血鬼を蹴散らしていた。永夜異変では紫に味方し、蟲の復権を約束させた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。散々な評価となる。

 

 

ミスティア・ローレライ

料理への探究心旺盛な夜雀。彼女の歌声は聴くものの五感を奪い、自らを喪わせる。

長年野良妖怪として、好き勝手活動していたが、物語中盤では草の根連合に加入している。リグルやルーミア、チルノ、幽谷響子とよくつるんでいる。なお彼女らの過去は知らない。また文とは鳥の地位向上を目指す同士。

独立闊歩型の妖怪だが催し自体は好きなので大きな騒動がある時はよく紫側の妖怪として参戦している。

 

吸血鬼異変時にはルーミア、リグルと行動を共にし、モブ吸血鬼を蹴散らしていた。永夜異変では紫に味方し、鳥の復権を約束させた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。散々な評価となる。幻想郷同時多発異変では草の根連合として人里を襲ったが、酷く消極的だった。結果として豊聡耳神子に制圧されている。

その後、人里の復興事業を手伝うことになり、響子とともに炊き出しを行なっている。またライブ活動を開始した。

 

 

上白沢慧音

人里の守護者であり、幻想郷の過去と未来を憂う者。教職を務めている。阿求の警護役として賢者会議に毎回参加しており、オブザーバー的な立ち位置となっている。

戦闘時には自分を主とする空間を展開し、歴史改変を行う。強力な妖怪には通用しないとされているが、実態は不明。橙には効果を発揮している。

阿求と同じく人間が犠牲となってきた歴史に憤りを感じており、特に隠岐奈や天魔に対しては憎悪を抱いている。藤原妹紅とは仲が良く、日頃から気に掛けている。

 

永夜異変では人里への侵入を試みる橙と対峙。終始優勢に立ち回るが、最後の最後で逆転され敗北する。妹紅曰く「満月なら負けなかった」らしい。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場。中々の評価を得た。幻想郷同時多発異変時は人里防衛において大きく貢献した。

人里復興中、妹紅が連れてきた菫子を一時匿う。その後、紫の勘違いにより菫子誘拐の犯人として紫擬き共々監禁されてしまう。ドレミーの手引きにより逃走に成功するが、大怪我を負ってしまった。

 

 

因幡てゐ

竹林と兎達の支配者であり、因幡帝と称される。幻想郷を支配する『五賢者』のうちの1人にして財政担当。天魔と並びアンチ紫の姿勢で、紫からは酷く恐れられている。ただてゐ個人の心情としては紫のことを高く評価しており、できれば協力して幻想郷を運営したいと考えている。

能力は自他両方に作用する。周りがどれだけ不幸に陥ろうが、てゐが幸福になればそれで良しである。ただ鈴仙の幸せを願った時などは、逆にてゐが死にかける事態となっており、非常に制御に難儀しているようだ。部下の統制が非常にうまく、月の装備を整えているとはいえ、ただの妖怪兎だけで幻想郷の名だたる妖怪達と張り合った実績がある。

鈴仙を庇護対象としており、何かと特別視している。輝夜は便利なビジネスパートナーであり、永琳は油断ならない同盟者。

 

吸血鬼異変では竹林に侵入した西洋妖怪を撲殺していた。永夜異変では表向きの首謀者となり紫との戦争に発展する。その後、妖夢の凶刃から鈴仙を庇い倒れる。戦争敗北後、賢者職を剥奪され地霊殿預かりとなる。

幻想郷同時多発異変では鈴仙を月へと送り出した後、永琳とともに青娥の殭屍軍団を殲滅した。その後、賢者に復帰。草の根妖怪や月の残党兎を引き取っている。

紫が乱心した際は、さとり、はたてと共に配下を率いて止めに掛かる。しかし諏訪子の苛烈な攻撃に敗北を悟り、撤退した。

 

 

鈴仙・優曇華院・イナバ

高貴なる玉兎の生まれであり、月の都最高戦力の一角であり、月の頭脳と謳われた八意永琳様の弟子であり、最強のソルジャーでもある。クラスは勿論1st。御上の覚えもめでたい月の兎随一の出世頭。非常に傲慢な性格をしている。

幸薄な体質をしており、行く先々で酷い目に遭っている。ただ波長操作を始めとした戦闘技術は本物で、永琳からの期待と信頼は厚い。すぐに調子に乗ってしまうのが玉に瑕で、痛みに弱いため傷を負うと怯えてしまう。

強者、狂人に好かれ易く、てゐや永琳から寵愛を受けている。だが鈴仙本人としては輝夜の方が気持ちが落ち着く。純狐からは一方的に好かれており、怯えを隠せていない。妖夢から一方的に好敵手扱いされているが、対して鈴仙は子供のように見ている節がある。

 

永夜異変では妖夢と対決。敗北寸前に追い込まれるが、てゐの負傷により覚醒、勝利する。しかしその後の怪獣大決戦には付いていけず、白玉楼にて軟禁される。妖夢と仲良くなるが幽々子には慣れなかった。

月への侵攻を防ぐため『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に出場。勇儀、メルラン、萃香と戦い幾度となく死にかける。最後に天子との決戦に勝利。見事優勝を果たす。なお侵攻は防げなかった。

幻想郷同時多発異変では永琳の指示に従い月へと帰還。逃亡の罪を贖うべく紫達と共に純狐と戦う羽目になる。激戦の末、勝利をもぎ取る。

 

 

八意永琳

月の都を創設した賢者。非常に明晰な頭脳を持ち、できない事は殆どないと自負するほど万能。幻想郷基準においても規格外の存在であり、紫からは事あるごとに恐怖の象徴として恐れられている。

亡命以前から月の国是により進められていた研究と、輝夜からの証言で世界の滅亡と紫が密接に関わっている事を知っているため、紫の殺害に血眼になっていた。現在は真相を知り落ち着いている。

輝夜の平穏を第一に動くため、多少の不合理や犠牲を許容してしまう。ただそれとは別にして鈴仙やメディスンを普通に可愛がっているし、守ってあげたいとも思っている。てゐは油断ならない同盟者。咲夜に対しては複雑な想いがある様子。

 

天地開闢前から八雲紫と争う月の民をサポートしていた。永夜異変時に幻想郷が八雲紫の箱庭だと知り、抹殺に動く。結果として紫を殺害。その後、藍、レミリア、幽々子に大苦戦するも勝利。続くアリスをも倒した。しかし復活した紫と霊夢のコンビを前に協力者の妹紅が敗れ、遂に力尽きる。敗戦後、幽香の預かりとなる。のちに紅魔館へ移動。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』には参加しなかったものの、傷付いた鈴仙を治療している。幻想郷同時多発異変ではてゐから真相を聞き幻想郷への援護を決意。てゐと共に青娥の殭屍軍団を殲滅しつつ、月で戦う鈴仙のために最強の援護を行う。

異変後は怪我人の看護に従事している。

 

 

蓬莱山輝夜

月の大罪人。能力によりパラレルワールドを覗き見ることができるが、そのペナルティーにより力を大幅に失っている。その戦闘力たるや紫以下。ただ頭脳戦に優れており、また弾幕の美しさは従来のまま。

他の世界線が紫を起因として滅びている事を把握し、迷いながらも月の都上層部と永琳に報告。その結果、全盛期の八雲紫との争いが始まり死体の山を積み上げることになる。その後、未来に従い蓬莱の薬を着服している。

温和な性格をしているが、その一方で目的のためなら大切な者達をも利用する悪どさを併せ持つ。ただそれに対して罪悪感も抱いている様子。

自分の味方は永遠亭のメンバーだけだと公言している。また妹紅にちょっかいをかけるのが大好き。

 

永夜異変時、永琳では紫を滅ぼせない事を把握し降伏。永遠亭に1人取り残されることになる。その後、さとりと隠岐奈に平行世界の出来事を伝えている。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】にて幽々子と同率一位となる得点を叩き出すも、元から月に行く気などなかったためレミリアから顰蹙を買っている。幻想郷同時多発異変では妹紅と対話し、紫の真相に対して確信を深めた。

異変後は妹紅の菫子誘拐事件を知り馬鹿笑いしていた。

 

 

藤原妹紅

絶対に死ねない不死の怪人。自分の命を糧とした大規模攻撃を得意としており、妖術の他、肉弾戦に優れる。魂の状態から繰り出すパゼストバイフェニックスは紫から反則の判定を受けている。

800年前に迷いの竹林でマエリベリー・ハーンと邂逅しており、数百年ぶりの会話を楽しんでいたところを八雲紫に襲撃された過去をもつ。その時メリーを守れなかった事を酷く後悔しており、紫に対して激しい憎悪を抱いている。

慧音との繋がりを大切にしており、彼女の胸中を知った際は幻想郷の賢者を皆殺しにする計画を立てていた。輝夜との確執は半ば娯楽化しているのだが、それはそれで良いやと開き直っている。菫子に何故かメリーの面影を感じ、幻想郷にいる間のボディガードを務めている。

 

吸血鬼異変では竹林に侵入した西洋妖怪を焼却している。永夜異変においては橙の誘いによりてゐと敵対するつもりだったが、紫が盟主だと知り即座に攻撃を仕掛ける。その際に藍を瀕死に追い込んだ。その後、霊夢、魔理沙、アリスに拘束される。異変の終盤では復活した紫を殺すべく永琳と手を組み、紫&霊夢と激戦を繰り広げる。しかし紫擬きの策略により精神を壊され敗北。

それからしばらくは自失状態となり餓死を繰り返していたが、菫子との出会いで回復した。

紫が菫子を狙っていると知り逃亡生活を開始。その最中に犬走椛と戦っている。迷いの竹林にて紫の配下である封獣ぬえ、洩矢諏訪子に追い詰められるが謎の天邪鬼Sにより助けられた。

その後も逃避を重ねたが遂に紫に捕捉され、破壊される。以後行方不明。

 

 

メディスン・メランコリー

生まれたばかりの妖怪で、幻想郷を容易く滅ぼせるほどの毒を持つ。当初は人間を皆殺しにしてやろうと考えていたが、幽香や永琳から諌められ大人しくなる。

太陽の畑壊滅後は紅魔館に移り、ガーデンに棲みついていた。永琳の数少ない癒し。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場するも大会の趣旨を理解できず、審査席を毒で爆撃し紫の腹を壊した。その後永琳に引き取られる。

幻想郷同時多発異変では草の根連合の理想に共感し共に人々を襲撃するも、途中からやる気を失っていた。その後永琳に引き取られる。

 

 

風見幽香

幻想郷において最も恐れられる妖怪の1人。根源的恐怖を糧とする。花を咲かせる能力と自己申告しているが、その実態は生命の流転を操る能力。無限の力と物量を得られる規格外の能力だが、現在の幽香は満足に使えなくなっている。なお草木を愛する淑女ではあるが、滅びもセットで考えているため自分が草木を足蹴にする分には大した想いを持たない。

暴走する魅魔を他ならぬ彼女の頼みにより滅しているが、その後遺症は根深く、永続的な魔力欠乏症となり結局最後まで完治していなかった。

四季の力の一つを有する事から隠岐奈に狙われており、戦いに備えてチルノに夏の力を渡している。レティとは並ならぬ因縁がある様子。本編開始の前に魔界を襲撃していて、魔界神から恨みを買っているらしい。

交友関係に金髪の少女が多い事から、さとりから金髪フェチではないかと疑われている。

 

吸血鬼異変では美鈴の能力が幽香のテリトリーを侵犯したため報復。萃香を巻き込んでいる。その後、魅魔を追い紅魔館を襲撃した。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】にて当然の如く勝利を重ねるも、3回戦で天子に判定負けを喰らう。不完全燃焼。幻想郷同時多発異変時には隠岐奈の挑発に乗り後戸の世界へと入る。レティと戦うが、チルノと文の乱入により状況が変化、隠岐奈へと挑む。結果、自らの力の全てをチルノに託す事で力尽き滅びた。

 

 

射命丸文

幻想郷最速の座を欲しいがままにする鴉天狗。楽観的で軽薄な言動が目立つが、仲間達のことや幻想郷における天狗の立ち位置などを鑑みた上でのものであり、なるべく親しみ易いキャラクターを演じている。

鬼が去った後の妖怪の山において文の存在は一つの抑止力と化すほどであったが、野放図的に戦火を広げる組織への反感を受け入れられず出奔した過去がある。故に残してしまった椛やはたてへの贖罪の気持ちが強い。

そういった難しい事情を抱えているため、何も考えていないような馬鹿が好き。チルノや紫を取材対象として見定めたのもそれ故かもしれない。

 

吸血鬼異変では妖怪の山を蹂躙した小悪魔を一蹴した。春雪異変では紫に張り込み、異変への加担を一番に報じている。その後、西行妖討伐に貢献した。

天子の襲撃時には加担したはたての真意を見定め、和解に至る。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【総合部門】に出場するも、準決勝で魔理沙に敗れた。幻想郷同時多発異変時ははたてからの頼みにより、小槌の魔力を振り切り主力の1人として活動。二童子を相手に苦戦するも秋姉妹の助力により事なきを得た。その後、後戸の国にて隠岐奈と対決。初めての格上相手に大苦戦するも、時間を稼ぐ事に成功した。

異変後はリハビリに勤しんでいる。

 

 

小野塚小町

船を漕いでいる描写が一つもない死神。四季映姫の命令を受けた時だけ表舞台に登場する。幻想郷から送られてくる霊魂の数が多過ぎて苛ついているらしい。

距離を自在に操る事ができることからオールレンジな戦闘が得意と思われるが、今のところ支援目的でしか使われていない。

 

幻想郷同時多発異変時は映姫の命令により妖怪の山の支援に回っている。月の都と事を構える気はないため、玉兎隊と鉾は交えていない。

 

 

四季映姫・ヤマザナドゥ

八雲紫を絶対許さないの会の名誉会長。毎回とんでもない数の尻拭いをさせられているらしく、紫と顔を合わせればまず説教が始まる。互いに互いを苦手だと思っている関係。

ただ紫の存在に同情的であり、世界を正常なものとするため命を投げ出したかつての八雲紫に敬意を示している。それはそうと業塗れなので説教はする。

地獄の女神ヘカーティアとは同僚に当たる。

 

60年目の異変の際は、霊夢からの要請により彼岸に止まっていた魅魔の魂を現世に送り届けた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【総合部門】の審査員を紫からの無茶振りにより勤めさせられている。幻想郷同時多発異変の際は、小町、くたか、幽々子に指示を飛ばし幻想郷全体に支援を行き届かせている。

 

 

秋静葉

秋の恵みを世界に届ける幻想郷の人気者。みんなご存知秋姉妹の片割れ。元々は悲観的な性格だった筈だが、辛く苦しい生活を送るうちにコメディ方向に寄っていった。

吸血鬼異変の直後、レティに秋の力を奪われてしまい、妹もろとも外の世界に追放されてしまう。そこからしばらく放浪した後、守矢神社へと辿り着いた。モリヤーランド開園からのスタッフでありマスコットキャラクターの『カナちゃん』の中の人を務めている。

なんだかんだで面倒見が良く、早苗の事を何かと気に掛けている。なお頭は上がらない。また、紫に(インチキ)稽古をつけてもらった事から、八雲紫の二番弟子を自称している。幻想郷に帰還した今も守矢神社に居候している。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』には招待されなかったため参加できなかった。守矢神社の留守番役。幻想郷同時多発異変の際は往年の力を取り戻し、穣子と共に二童子と対決した。勝敗不明。多分負けた。

 

 

秋穣子

秋の恵みを世界に届ける幻想郷の人気者。みんなご存知秋姉妹の片割れ。元々は陽気で温和な性格だった筈だが、辛く苦しい生活を送るうちにコメディ方向に寄っていった。

吸血鬼異変の直後、レティに秋の力を奪われてしまい、姉もろとも外の世界に追放されてしまう。そこからしばらく放浪した後、守矢神社へと辿り着いた。モリヤーランド開園からのスタッフでありマスコットキャラクターの『スワちゃん』の中の人を務めている。

なんだかんだで面倒見が良く、姉と同じく早苗の事を何かと気に掛けている。なお頭は上がらない。また、紫に(インチキ)稽古をつけてもらった事から、八雲紫の三番弟子を自称している。幻想郷に帰還した今も守矢神社に居候している。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』には招待されなかったため参加できなかった。守矢神社の留守番役。幻想郷同時多発異変の際は往年の力を取り戻し、静葉と共に二童子と対決した。勝敗不明。恐らく負けた。

 

 

鍵山雛

幻想郷が厄過ぎて常にお腹いっぱいな厄神様。妖怪の山に住んでいるが、過去に天狗から迫害された過去を持つ。その際は坂田ネムノに助けてもらい難を逃れた。古明地さとりとは顔見知りである。

内に溜め込んだ厄は凄まじく、彼女1人で月の都を壊滅させる事ができるとか。

 

幻想郷同時多発異変の際は溜め込んだ厄をふんだんに解放し、妖怪の山に攻め寄せる玉兎を何度も押し留めていた。

 

 

河城にとり

幻想郷の科学特異点。河童の地位を大きく押し上げ、幻想郷での一大勢力まで引き上げた傑物。過激な性格をしており、敵対する者には容赦しない。逆に身内や味方、敬意を表す者には気楽な対応を取る。

紫のことを「盟友の盟友」と呼んでいる。天狗と敵対する関係上、手を結ぶ事が多い。なお紫は河童の先進性に頭を悩ませており、賢者会議の議題に挙がるたび腹を痛めている。それはそうとPCやゲーム機を作ってもらっている。

天狗を憎んでいるが、文、はたてとは仲が良く、椛とは昔からの腐れ縁。また不遇な生活を送っていた戦車技師の里香を囲ったのもにとりである。

 

吸血鬼異変では河童の部隊を率いて使い魔を相手に新兵器の性能テストを行なっていた。永夜異変では紫側で参戦し、里香と共に暴れ回った。

天子来襲の直前に天狗との戦争に勝利している。その後は天狗と和解、はたての下で妖怪の山の発展に励む事になった。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場し、そこそこの成績を収める。

幻想郷同時多発異変では、はたての依頼により魔理沙の援護を行う。その後、はたての救出を試みた際に鈴瑚の銃撃を受け危機に陥るが、聖白蓮に救われた。

異変後も山の一員として活動。椛と共に妹紅を追っている。紫が乱心した際は自慢の部隊で止めにかかるが、ぬえの攻撃により壊滅してしまった。

 

 

犬走椛

妖怪の山の哨戒部署の長官。身分の低い白狼天狗でありながら腕っ節と剣技で成り上がった下っ端達にとっての希望の星。なお椛自身はそんな自分の役職に重荷を感じている。

千里眼は数千光年先の星々の表面すら見通してしまう。それにより筋肉の動きや血流の速さを見分け、敵の行動を瞬時に把握する。某鬼狩りの技術に似ているが、本物語での登場の方が早かったり。

天狗の繁栄のために多種族を蔑ろにする事に対し忸怩たる想いを抱いていたが、中間管理職故に部下を捨てられず組織に属し続ける。文やはたてに対し若干の恨みもあった。

 

吸血鬼異変では部下を虐殺した小悪魔と激戦を繰り広げるが、やや劣勢だった。その後は賢者会議にて天魔の護衛としてたびたび登場している。

天子来襲の際は、天子に勝負を挑むも緋想の剣の前に敗れた。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】では副審を務めている。

幻想郷同時多発異変では玉兎の一斉射撃を受けて昏倒。にとりに救われ、最終盤にはたてへの凶弾を斬り捨てる活躍を見せている。

異変後も山の一員として活動。にとりと共に妹紅を追っている。紫が乱心した際は白狼天狗の部隊で止めにかかるが、ぬえの攻撃により壊滅してしまった。

 

 

東風谷早苗

神を知らない現人神。生まれつき風祝としての才能が無かったため神を見る事ができず、声も朧げにしか聞こえなかった。神が実在するものなのか、もしくは自分が気狂いなのか。それすら分からず周りと馴染めずにいた。両親は子供の頃に他界している。

警戒心が強いが、根はエキセントリックであるため突拍子のない行動を取る事が多い。『二つ岩ふぁいなんす』から多額の借入をして作り上げたモリヤーランドがその最たる例である。幻想郷に移った後はより顕著な形で現れている。またロボットアニメを始めとしたサブカルチャーが大好きだが、巫女としての職責を思い自重している。

神を肯定し、幻想の世界を教えてくれた紫を強く慕っており、修行をつけてもらった事もあってお師匠様と呼んでいる。それ故に霊夢をライバル視しているが、それはそれとして仲良しでもある。秋姉妹にも懐いているが、神様としては見ていないらしい。幻想郷に居着いてからは小傘と行動する事が多くなった。

いつか、消えてしまった諏訪子とまた巡り会える日を願っている。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に出場。初戦の小傘が棄権したため2回戦に進んだが、魔理沙に敗れた。その後、天子の好成績を讃えている。幻想郷同時多発異変では主力の1人として小傘と共に空飛ぶ船を追った。途中アリスと合流し、魔界にて寅丸星を撃破するという奇跡の勝利を果たした。

紫の乱心時、諏訪子が紫と共に行動していたと聞き取り乱していた。

 

前世界線では荒廃した守矢神社跡にて蓮子、メリーと邂逅している。その際『洩矢サナエ』と名乗っていた。幻想郷の誰かを憎悪しており、化け物と呼んでいた。守矢のニ柱は誰かに殺されたらしい。

 

 

八坂神奈子

かつて日の本を統一した軍神。強大な力を有していたが、時の流れや、神々が八雲紫と争い滅びてしまった事により現代に至るまでに消える瀬戸際まで弱体化してしまった。神奈子自身は世渡り上手であったため、当時の紫や月勢力とは争わず中立を保っていた。

そんなこともあって守矢神社を紫が訪ねてきた時は警戒していたが、意外とフランクであったため、すぐに友好を深めた。早苗を救ってくれた事に感謝しているが、諏訪子の死に青娥が関わっており、その青娥を庇った紫に疑いの目を向けたことがある。

早苗と血の繋がりは無いが実の娘のように大切に思っている。早苗が幻想郷に行けないのなら消えてしまう覚悟を諏訪子と共に固めていた。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』には参加しなかったが、早苗の勇姿を見学している。幻想郷同時多発異変では妖怪の山の守りの要として大活躍した。

 

 

洩矢諏訪子

日本最強の土着神。かつて神奈子に敗れはしたものの、その力は世界全てを祟り尽くしてもお釣りが出るほどだった。今も昔も変わらず人懐っこい性格だが、早苗を虐めた者達を呪うなど頗る過激な面がある。

紫とは数万年来の知人であり、白ニーソの機能性とビジュアルを共に研究した仲である。諏訪子自身、紫がかつてと違う事は把握していたが、それでも人当たりは良かったのであまり気にしなかった。

子孫である早苗を溺愛しており、早苗が幻想郷に行けないのなら消えてしまう覚悟を神奈子と共に固めていた。結果、早苗の修行が間に合わずに怨霊化してしまったが、紫や神奈子の足止めと、早苗の呼びかけで最後に自我を取り戻し、愛娘の幸せを願いながら消滅した。

 

しかし紫の乱心後、諏訪子は傀儡として使役されている。諏訪子の死は八雲紫の望むものだったのである。ただ自我や記憶はあるようで、ぬえを諌めたり、早苗に自分の事がバレないか心配していた。

 

 

永江衣玖

天子が独断で全面に出てきているためあまり出番がない。一応、天子が幻想郷に追放された後は取次役として天界と行き来している。

紫と共に全人類の緋想天に直撃していたが、何故助かったかは不明。

 

 

比那名居天子

無為自然に遊ぶジャジャ馬天人。抑圧された生活を嫌い毎日無茶苦茶なことばかりやっているため、天界で腫れ物扱いされている。それ故に解放された時の反動が凄まじく、被害度外視で暴れ回る。温室育ちの世間知らずで、傲慢。なおかつ気取り屋。

天性の身体能力はさることながら、備わった幸運体質、能力貫通の緋想の剣により歩く災害と化す。最終目標は幻想郷と天界を牛耳り、全てを一から作り直して最高の箱庭とする事である。なおこの野望は誰からも賛同を得られていない。

紫とは随分ウマが合うらしく、互いを盟友と言って憚らない。次期賢者に推薦された事もあった。しかし幻想郷は思いの外冷静であり、賢者比那名居天子は未だ実現していない。また、天界から追放されているため、八雲邸に居候している。藍とは犬猿の仲。ちなみに初めて知り合った地上の者として姫海棠はたてを気に入っており、勝手に仲が良いと思っている。なお当のはたては「ほたて」と名前を間違えられるため不服気味。

 

幻想郷に襲来した際は萃香、勇儀、レミリア、椛、文、さとりと連戦している。最終的にはさとりの無法技により敗れた。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に出場。妖夢、幽香といった強豪を下すも、決勝にて鈴仙に敗れた。その後、第二次月面戦争に同行したが、依姫相手に油断をぶちかまし一撃で敗れてしまう。その後拘束されるが、紫とサグメの盟約により幻想郷へと一直線に帰還、正邪を真っ二つに切り裂いた。

紫が乱心した際には、はたての要請に応えて紫と相対する。しかし理想を語り合っているうちにいつの間にかフェードアウトしてしまい、そのまま行方不明に。

 

 

キスメ

未登場。きっとろくでもない妖怪。

 

 

黒谷ヤマメ

病魔を司る凶悪な土蜘蛛。根源的恐怖を糧とする。賢者台頭前の世界において最強に位置する妖怪の1人であり、若干衰えつつも未だ莫大な妖力を有している。当時、2000万人を伝染病で殺害したとされる。

平安の世まで好き放題暴れ回っていたが、茨木華扇と敵対し、最終的に敗北したと語られている。その後は色々と消沈し、同じく最強に位置していたリグルの傘下となる。しかし今度はそのリグルが天狗に負けてしまったため、ヤマメは地下に篭った。

現在は地底にてアイドル気取りで楽しくやっているらしい。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に突如乱入。会場に伝染病をばら撒きまくった。その後、さとりと紫により地底へと強制送還された。

 

 

水橋パルスィ

未登場。多分嫉妬深い妖怪。

空はパルスィと会った事があるらしく、紫をパルスィだと勘違いしていた。また幻想郷同時多発異変では魔理沙と戦っているらしい。

 

 

星熊勇儀

幻想郷の腕力家。パワーは紛れもなく妖怪最強であり、かつては拳圧だけで山脈を粉々したと言い伝えられている。現在は地底歓楽街の元締めとなっていて、さとりの部下にあたる。過去に天狗が覚妖怪に行った非道を把握しているため、勇儀なりに気を遣っているらしい。

藍とは平安に一度戦っているが、それは八雲紫の依頼によるものだったらしい。勝敗は不明。なお現在の紫からは一角獣と渾名され距離を置かれている。

自分の心情を優先する事が多いが、体制に対しては協力的である。

 

紅霧異変と時を同じくして地霊殿帰りの八雲主従と出会い、早速遊びで力比べを行った。結果は藍と互角だったが、その際の衝撃で紫を地上まで吹っ飛ばしている。

天子襲来時、歓楽街を壊滅されられた事に対して報復を行う。しかし深刻なダメージを与えるに至らず、杯の酒を溢してしまったため負けを認めた。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【決闘部門】に出場。一回戦で鈴仙を半殺しに追い込むも、マヨヒガを破壊してしまったため反則負けとなった。

幻想郷同時多発異変では同様する地底世界の慰撫と、黒谷ヤマメの抑えを行なっている。

 

 

古明地さとり

本作品の初期から度々登場している覚妖怪。紫の内面を把握しており、小物な彼女に対し常に辛辣な言葉を投げ掛けている。また八雲紫の秘密を知り得ているため、要所で紫を助けるような言動が見られた。乱心後の紫から「与えてばかりで奪われるだけの妖生」と言われており、その言葉通り現在に至るまで過酷な経験がある。幻想郷のことが嫌い。

サードアイによる想起弾幕を主として戦う。また世界を構成する記憶の層を改変する事で、現実の書き換えも行なっている。前世界線で使われた弾幕であれば、本世界線で使われてないものでも想起できる。さらに精神に対する緻密な干渉も可能。

最愛の妹と一族を天狗に殺されており、長らく地上を恨んでいたが、はたての謝罪により半ば和解する。それからは互いに強い協力関係が結ばれている。幽香、てゐとも情報共有し、万が一の紫の暴走に備えた。なお隠岐奈とも協力関係を結ぼうとしたが失敗、熾烈な謀略合戦を行う事になる。またレミリアとはフラン経由で個人的な友誼がある。

紫との出会いがきっかけで妹と空想的な再会を果たし、その恩を返そうと頑張っていた。しかしそれが原因となり紫の本質を見誤ってしまった。

 

吸血鬼異変では悲観する紫に対し、仲間になってくれそうな妖怪のリストを投げ渡していた。紅霧異変時には紫をボロクソ貶していたが、のちにフランの精神治療を受け入れている。

天子襲来の際、天子の危険性を紫擬きから聞かされていたため自らの手で決着させることを決意。撃ち合いに勝利した。『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】のトップバッターであったが、紫に日頃の報復として散々な点数を付けられた。幻想郷同時多発異変では力を失っていたため、魔理沙の援護を行いペット制圧を助けている。

紫の乱心には決行直前まで気付くことができず、すぐさま対処に動いたが、背後から古明地こいしの不意打ちを受け昏倒。サードアイを破壊された。

 

 

火焔猫 燐

さとりの忠実なペット。地上に出たがらないさとりに代わり、偵察や情報収集を行なっている。主人の過去を把握しているため地上を若干嫌っている。またさとりに対し心労をかけている紫に対しても気に入らない気持ちがある。

同僚であり妖生の殆どを共に過ごした空を大事にしており、鬱状態の彼女をいつも明るく励ましていた。基本、藍や咲夜などの従者との仲は険悪となっている。魔理沙とは「摩多羅隠岐奈死ね死ね同盟」の仲。

なお、こいしの姿は見た事がない。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【総合部門】に出場。一回戦に魔理沙と当たり敗北している。続く幻想郷同時多発異変では力を失っていたため、魔理沙を空の下まで運ぶため奔走した。しかし奇襲的な攻撃を受けてしまい、魔理沙に全てを託し爆散した。

異変後、身体を失ってしまったが怨霊としてさとりの従者を続けているらしい。

 

 

霊烏路空

力を持たない地獄烏。さとりや燐を慕っているが、自分の実力が彼女らに見合ってない事を気にし、鬱状態になっていた。紫からは「鬱ほちゃん」と呼ばれている。

そんな精神状態を隠岐奈に利用され、籠絡。神格の一つである八咫烏を譲渡してもらい覚醒した。同時にさとりの過去を聞かされており激昂。こいしの弔いのため、地上の焼却を目論んだ。理性が失われており、家族のために異変を始めたはずが、過程で燐を殺めてしまう。

核熱技術を駆使したレーザーは魔理沙以上の火力、マグマやマスタースパークの中を悠々と突き進む紫擬き以上の耐久性を誇る。また最終手段である『アビスノヴァ』はそんな彼女の身体をも破壊する自爆技であり、マトモに放てば星そのものを消し飛ばすとにとりは推測していた。

 

幻想郷同時多発異変で魔理沙と対決。何度も死の淵へと追い込んだ。しかしパチュリーとにとりの援護、さらにアビスノヴァを打ち破られたことで敗北を喫する。

異変後は紫の取り計らいにより無罪となり、地底で大人しくしている。

 

 

古明地こいし

さとりの妹であり、本編開始時には既に故人となっている。覚妖怪の代表として天狗への人質に出されたが、後日物言わぬ死体となって帰ってきた。酷く痛め付けられており、サードアイがくり抜かれていたらしい。

しかし紫とさとりが初対面した際、こいしが非常に希薄な状態で存在していると判明。以後、紫の前でのみ登場するようになる。

性格は生前のまま陽気だが、妙な感性をしており、電波な発言をする事がある。狭間に生きる者としてフランと気が合うらしい。存在としての性質上、さとりやドレミーの天敵にあたる。

物語終盤に出生時から八雲紫の手の内にあった事が判明。天狗による虐殺や妖怪の山の悲劇は全てこいしと紫が仕組んだものだった。紫の無意識を制御する役目を担っていた。

 

萃夢異変では、その裏で暗躍していたドレミーとサグメの狙いを看破。フランと協力してドレミーを撃破し、紫を救出している。

紫が乱心した際に配下として実体化。さとりを不意打ちし再起不能に陥らせている。また遊撃係として戦場を練り歩き、数多の妖怪を仕留めた。

 

 

ナズーリン

深謀遠慮の賢将。その清廉さ故に謀略への積極的な参加ができなかった星に代わり正邪、隠岐奈と共に幻想郷転覆の段取りを企図していた。その目的は地底に封じられた仲間の救出、そして聖白蓮の復活である。

実は萃夢異変時には既に活動を開始しており、香霖堂にて謎の幼女メリーちゃんから宝塔を格安で買い取っている。異変中、迷う星を何度か勇気付けており、決意の炎を絶やさないよう気を配っていた。

 

幻想郷同時多発異変では魔界で星と共に早苗&アリスと対峙。一進一退の攻防を繰り広げた。しかし星が早苗に敗れてしまい、ナズーリンもまた投了した。その後、幻想郷に帰還した際は白蓮の指示により玉兎隊と戦っている。

 

 

多々良小傘

驚天動地のトンデモ化け傘。人里にて鍛冶屋、ベビーシッターを営んでいた。その無害さ故に人間たちから受け入れられており、そこそこ人気がある。

紫とは古い付き合いがあり、歴代博麗の巫女の封魔針の新調を請け負っている。代金は紫の吃驚かそこそこの料金である。事あるごとに紫を奇襲的に驚かそうとしており、そのたび藍や橙に締め落とされている。

上澄み妖怪の中では下位に当たるが、それなりの自信家で鬼や吸血鬼に挑んだ事がある。弱くはないがビックリするほど強くもない。

そんな彼女も早苗の相手では調子が狂うらしく、よく虐められている姿が目撃されている。ただ満更でもない様子。他にも霊夢とはビジネスパートナーであり、霊夢が人里で活動する際はよく小傘を頼っている。

 

吸血鬼異変では紅魔館攻略に参加しようとしていたが、紫に手を出してしまい藍に絞め落とされた。萃夢異変では謎の幼女メリーと知り合い、彼女を守るべく萃香に一騎討ちを挑む。なお瞬殺された。宴会本戦では分身を相手に奮闘した。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【総合部門】に参加するも、一回戦に早苗と当たってしまい泣く泣く棄権した。続く幻想郷同時多発異変では早苗に無理やり異変解決に参加させられてしまい、雲山にタコ殴りにされた。しかし足止めは完遂している。

異変後、守矢神社に移住したらしい。

 

 

雲居一輪&雲山

命蓮寺の門徒で入道使い。戦闘における本体は雲山であり、本編登場時は周囲の環境もあり途轍もない力を発揮していた。最強形態は黄金に輝く。

地底に封じられていたが、その経緯は不明。いつでも出てこられたが歓楽街での暮らしが楽しすぎて出てこなかった疑惑がある。お酒大好き。ただ白蓮を慕う気持ちに偽りはなく、復活の機運が高まった際は即座に地上へと向かっている。

小傘との戦闘中にフェードアウトしたが、異変後は命蓮寺で再度修行に励んでいる。

 

 

村沙水蜜

聖輦船を操る危険な船幽霊。主に錨を投擲しての遠距離攻撃を得意としている。また本編中お披露目の機会はなかったが、陸上であろうと問答無用で相手を溺れさせる能力を持つ。

一輪と同じく地底に封じられていたが、こちらも自分から封印を解かなかった疑惑がある。血の池地獄最高。しかしそんな彼女も白蓮復活を目指し異変に加担する。

基本、聖輦船の操作のためあまり戦闘機会が無かったが、随所で錨を投擲して早苗とアリスの妨害に徹している。白蓮復活後は彼女の指示に従い、妖怪の山で玉兎隊と戦っている。

 

 

寅丸星

毘沙門天の代理であり、幻想郷同時多発異変の首謀者格の1人。心優しく正義を愛する人格者であったが、暴力吹き荒む世の中を生きる中で、白蓮のいない世の中に絶望していた。そこを正邪に漬け込まれ、また八雲紫への不信感もあり白蓮復活のために幻想郷に害を及ぼす決意を固めた。

しかし彼女自身の正義感はそのまま無くなることはなかったため、本編を通して常に葛藤している。故に力を十全に発揮できず、時間経過とともに弱くなっていった。

宝塔から放たれるレーザーは悪しき者を追尾し、確実に焼き払う。ただ早苗のように相手が悪人でない場合は無力で、むしろ自分に向けて跳ね返る事がある。また星の身体能力は命蓮寺の妖怪達の中で頭一つ抜けている。

 

幻想郷同時多発異変では魔界でナズーリンと共に早苗&アリスと対峙。一進一退の攻防を繰り広げた。しかし早苗による捨て身覚悟の一撃に敗れ、聖輦船ごと魔界へ墜落した。ただ白蓮の復活は早苗の取り計らいにより成されている。幻想郷帰還後は妖怪の山に助太刀し、幻想郷の反撃に貢献。

 

 

聖白蓮

早すぎた超人。神仏の力が通じず、希望など微塵もなかった戦乱の時代に妖怪と人間を分け隔てなく救い続けた尼僧。しかし時代が彼女の価値観に全く追いついていなかった。地獄を牽引する大妖怪は白蓮の崇高な願いに見向きもしなかったし、弱者である人間の中にすら白蓮を疎ましく思っている連中が相当数いた。

自分の理想が時期尚早であった事を悟り、白蓮は己を星に封印させる事で命蓮寺を残す選択をする。当時の門徒の妖怪はぬえを除き健在。

ぬえが紫に殺された事を把握しており、故に解放後も紫に対し疑いの目を向けている。ただそれはそれとして、幻想郷の復興に力を貸している。また自分の封印を解いてくれた早苗に恩を感じており、共同で催しを開くなど徐々に迎合している様子。

 

 

封獣ぬえ

平安最強を謳う大妖怪であり、紫に取り込まれた被害者の1人。『正体不明』という未知を操る点で全ての妖怪の祖ともなり得る強力な能力を持つ。だがそれ故に世界の深淵に位置する紫の存在に惹かれてしまい、近付き過ぎてしまった。(こいし)の一撃により心を砕かれており、本編開始前から終盤に至るまで紫を構成する重要な一部分となる。紫が底知れない妖怪だと思われていたのは、ぬえの能力によるものが大きい。

現在は紫の傀儡として行動しており、敵対する者の悉くに牙を剥いている。ただ自我が強く、紫の指令にも争う様子が散見されている。

生前は紫の妹分。またマミゾウと仲が良く、紫と合わせて日本を放浪していた時代がある。命蓮寺の面々とは仲間であったようなそうでないような微妙な関係。しかし少なくとも白蓮はぬえの事を仲間だと思っていた。

 

ヘカーティアとの対決で記憶を取り戻した紫がスペルを発動し、それからぬえの存在が表に出てくるようになった。このスペルがヘカーティアにとっての致命傷になっている。

その後、菫子捕獲のため顕現し妹紅と対峙。妹紅に並ぶほどの不死性を見せつけた。またこの際、同僚の諏訪子に宥められている。続いてはたて率いる妖怪の山軍団を相手取り容赦無く壊滅に追い込んだ。

 

 

姫海棠はたて

幻想郷を支配する『五賢者』のうちの1人。様々な怪異の坩堝と化している妖怪の山は実質的には一つの超巨大組織。その全権を牛耳る天狗の首魁であり、天魔の称号を冠する傑物──の影武者である。本物はとうの昔に八雲紫に殺されているため、組織の瓦解を防ぐべく親類であり顔立ちの似ていたはたてが抜擢された。

普段は影武者に努めているため無表情と無言を貫いているが、根は活発で楽観的な性格。また天狗らしからぬ善性の持ち主であり、人の悲しみを自分の不幸事のように嘆いていた。ただそんな性格故に空回りする事も多々あり。

文、椛とは幼少期からの親友。各々の立場が変わり疎遠になっても常々気に掛けていた。一時期テロ共犯者の仲であった天子とは最後まで親交が続いており、時折頼み事をしている。ただ「ほたて」と名前を間違えられるのは不服に思っている様子。

過去に天狗が引き起こした大虐殺の当事者ではないものの罪悪感を抱いている。そのため、さとりへの贖罪代わりの援助は如何なる難題であろうと引き受けている。理想の賢者像は、ストレスで毎日トイレに吐き戻していても余裕を装い頑張っている紫。

 

1話から中盤に至るまで天魔として登場。紫と熾烈な暗闘()を繰り広げた。天子来襲に伴って妖怪の山ごと上層部が吹き飛んだため、なし崩しに影武者から脱却し名実ともに天魔となった。それからは紫に対し非常に協力的になっている。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』【総合部門】のビデオ判定係を務めている。続く幻想郷同時多発異変では妖怪の山を統べる者として、月の地上派遣軍との戦いの全体指揮を拙いながら務めた。途中玉兎に捕縛され処刑の危機にあったが、にとり、聖、椛に救われている。

異変後、紫の要請に応え逃亡する妹紅と菫子に追手を放った。紫が乱心した際は、さとりとの取り決め通り山の妖怪達と共に止めにかかったが、ぬえの攻撃により壊滅してしまった。

 

 

幽谷響子

幻想郷を喧騒響に変えてしまう困ったちゃん。無所属の野良妖怪だったが、永夜異変前から草の根連合に加入している。役職は広告担当であるものの、所詮エンジョイ勢であり積極的には活動していない。

響子の能力は基本無差別であり、彼女が本気で叫べば軽く見積もって幻想郷のあらゆる生物の鼓膜をブチ破り、脳髄を死滅させると影狼が語っている。

性格に難があるわけではないので知り合いが相当数いる。特にミスティアと談笑している姿がよく目撃されており、最近はライブ活動を開始させている。

 

永夜異変では紫に味方したものの、味方を巻き込む事を懸念した紫により待機命令が出されている。よってかなり暇だった。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。大声スペルを披露し、紫の鼓膜を破壊した。幻想郷同時多発異変では草の根連合として人里に対し降伏勧告を叫んでいた。結果として豊聡耳神子に制圧されている。

その後、人里の復興事業を手伝うことになり、ミスティアとともに炊き出しを行なっている。またライブ活動を開始した。

 

 

宮古芳香

かつての都で名を馳せた文化人、また豪傑、その成れの果て。青娥渾身の愛殭屍であり、桁違いの戦闘能力と特殊な仕掛けが施されている。

自分の意志を持たず、青娥の意のままにしか動かない。かなり緻密な任務をこなす事が可能で、諏訪湖を汚染し諏訪子の寿命を早めたり、地盤の整地などを行っている。

青娥は勿論のこと、華扇からも昏い感情を向けられている哀れな死体。その理由については別作品、短編『芳香の忘れモノ』で起きた出来事と似たような事があったから。

物語終盤では青娥の仮死により操作が解かれ、物言わぬ死体となっている。華扇が自宅で保護しているらしい。

 

 

青娥娘々

霍青娥は欲深い仙人。幻想郷同時多発異変の首謀者格の1人。自らの欲求には常に正直であり、目的の為なら外道の術を行使することも厭わない。藍をして「淑女ぶってるが最低のサイコパスだ……反吐が出る」とまで言わせしめる傑物。

強い者、才能のある者が大好きで、その者に取り入り自分の存在を英傑の人生に刻み込むのが何よりの快楽。神子や芳香に近付いたのもその欲求を満たすため。なお紫にも取り入ろうとした事があったが、途中で妙な違和感を抱いたためほどほどで手を引いている。

自身の欲求、目的のために沢山の死者を生み出しており、本編中においても諏訪子、屠自古、布都が犠牲になっている。最後は全方位を敵に回し、自らに呪を打ち込み死に逃げを図った。

 

紫が外の世界へ行ったと同時に暗躍。諏訪子を暴走させ、間接的に死因を作った。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。審査席に向けてヤンシャオグイを放ち各方面を震撼させた。幻想郷同時多発異変発生に伴い、どさくさに紛れて豊聡耳神子を復活。さらに華扇との戦闘後、幻想郷を滅ぼすべく大量の殭屍を召喚した。

異変後は仮死体として地霊殿に安置されたが、ドレミーと紫の争いの最中、忽然と消えてしまった。

 

 

蘇我屠自古

本編未登場。神子、布都と共に復活予定であったが、布都の妨害により失敗し亡霊化。仕方なく廟の守りを固めていたが、今度は青娥からの攻撃により消滅してしまっている。

その死は神子をも動揺させた。

 

 

物部布都

屠自古と同じく復活予定であったが、幻想郷同時多発異変の直前に依代としていた皿を青娥に叩き割られ死亡した。その理由は優秀な参謀である彼女が神子の側に侍るのが邪魔だったということと、神子の動揺を誘うため。

しかし異変後に亡霊として復活。冥界を彷徨っていたところを謎の反逆者Sと典に拾われ、神子の解放を名目に反幻想郷連合に加盟する。なお、別に神子は拘束されておらず典のでっち上げなのだが、布都はそれを把握した上で乗せられたフリをして陰から神子を幻想郷のトップに押し上げようと考えていた。

しかし八雲紫の乱心騒動に巻き込まれてしまい、妹紅と菫子を逃がすため殿を請け負った。追跡を撹乱すべく博麗神社麓の森を放火していたが、諏訪子に敗れ封印されてしまった。

陽気で間の抜けた態度が目立つが、裏では結構色々考えている腹黒系聖童女。

 

 

豊聡耳神子

人類史において最高の為政者と評された傑物。人が妖怪に蹂躙されるだけの時代に辣腕を振るい、人心を一つにして拮抗状態にまで押し戻すことに成功した実績がある。また多くの部下に慕われており、かつての腹心である隠岐奈からも一目置かれている。

聖人としての徳の高さにより、身体からは常にオーラが流れ出ており、一声かけてられるだけで敵は逆らう気を無くし服従してしまう。なお幽々子以外に失う物など何も無い鉄砲玉マインドの妖夢には通用しなかった。

妖夢との力試しに敗れた後は騒動の鎮圧に助力し、人里に押し寄せていた草の根連合の殆どを無力化している。

 

 

二ッ岩 マミゾウ

現代に適応する世渡り上手の化け狸。力を持った妖怪が人間に見切りを付け次々と幻想郷に移住する中、外の世界に残って影響力を拡大させ続けた珍しいタイプの大妖怪。人間世界に溶け込んでおり、金融や軍事、高利貸しに不動産ビジネスを手掛けている。最近は行政機関にも手の者を仕込んでいると告白しており、紫をドン引きさせた。

物語の随所に登場。守矢神社の買収を狙ったモリヤーランドへの融資や、SNSを駆使して菫子の個人情報を抜き出し監視対象に置くなど、遠回りながら手堅い手段で存在感を出している。幻想入りを果たした後は、幻想郷同時多発異変で荒廃した人里に莫大な資本を注ぎ込み、虎視眈々と狸の天下を狙っているとか。

ある日を境に失踪してしまった親友のぬえの身を案じているが、同時に「既に死んでいるのだろう」と諦めてもいる。そして犯人が紫である事にも薄々勘付いている様子。

 

 

秦こころ

本編未登場。しかし『東方心綺楼』の異変に似た騒動が人里で起きていたり、隠岐奈が暗黒能楽を舞っていたりと存在の痕跡は見受けられる。

 

 

わかさぎ姫

草の根連合の副リーダーを務める人魚。物騒な組織に所属しているが、虫も殺せないような温厚な性格と楽しげなスペルカードにより、妖精や子供達に人気がある。

元々は時折お茶会を開く程度の寄合グループのメンバーだったが、正邪に乗っ取られた後、半ば強制的に今の役職に就かされた。ただ幻想郷の修羅蔓延る現況に不満があったのも事実であり、少しでも平和になるならと正邪に協力していた。

水中で真価を発揮するタイプの妖怪で、魔理沙による核汚染で気が立っていた際は、水質調査に来ていた藍に八つ当たりをかまし互角の勝負を繰り広げている。

 

吸血鬼異変では紅魔館の近くだという事もあり、チルノと共に大量の妖怪を仕留めていた。永夜異変では正邪を賢者にするため紫側で参戦。序盤こそ活躍するも中盤以降は水不足で干からび、妹紅の自爆で焼き魚になった。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場し楽しげな演技で会場を沸かせた。全体3位の好成績を収めている。続く幻想郷同時多発異変では正邪の指示により紅魔館を間接的に攻撃。バルコニーより下を水没させるも美鈴の守りを突破できなかった。

 

 

赤蛮奇

昼間から飲んだくれている飛頭蛮。大した目的意識や野望もないため人里で静かに暮らしている。自分と指定した相手の首を強制的に撥ね飛ばすという危険な能力を持っているが、人間に対して友好的(無関心)であるため友人の小傘とセットで善良だと見られている。なお蛮奇は不服に思っている。

萃夢異変や永夜異変に参加しているが、何事も消極的なので大した事はしていない。ある意味でイレギュラー。

 

 

今泉影狼

草の根連合の理事を務める狼女。非常に素朴な感性をしており、正邪に協力する理由も「毎日のご飯におかず一品と肉料理が追加されるくらいの裕福」を求めたから。そのため阿求と藍を殺す指示を受けた際は、秘密裏に2人を逃してなあなあで済まそうとしていた。

天敵は自分が住んでいる迷いの竹林の元締め因幡てゐであり、彼女に逆らっては生きていけないのを理解しているためいつも下手に出ている。一時は下剋上に成功したが、現在はまた元の立場に戻っているため肩身の狭い思いをしている。基本怖がりな妖怪で、妹紅とは知己の仲だが、彼女の不死体質を常々恐ろしいと呟いていた。

そんな情け無い部分が目立つが戦闘力は確かなもので、賢者会議で藍が暴れそうになった時はいの一番に牙を剥いている。

 

吸血鬼異変では迷いの竹林に侵入した西洋妖怪を撲殺していた。永夜異変では竹林から追い出されていたが、紫とてゐの戦争と聞いて参戦。てゐの逃走能力を奪う一撃を与えている。

幻想郷同時多発異変では草の根連合と暴れたい人妖を率いて人里を包囲している。

異変後、てゐの支配下に戻りパシられる。紫が乱心した際も駆り出され、諏訪子の攻撃により撤退している。

 

 

九十九弁々

本編未登場。小槌の魔力が付喪神に振り分けられていないため誕生していない可能性が高い。

 

 

九十九八橋

本編未登場。小槌の魔力が付喪神に振り分けられていないため誕生していない可能性が高い。

 

 

稀神正邪

八雲紫の抹殺を願う天邪鬼。てゐが没落した後の『五賢者』であり、草の根連合のリーダー。また幻想郷同時多発異変の首謀者。鬼人ではなく稀神である理由は、稀神サグメの細胞を取り込んでいるため。

生まれ落ちた瞬間から自分の上に人が立つのを嫌い、月に居る者達を地上に引き摺り下ろすべく活動を開始する。しかし八雲紫に目を付けられてしまい、準備していたものを全て乗っ取られてしまった。叛逆したくても紫との圧倒的な差を理解しており、犬死にになるのは明白であったため、自分を曲げてまで紫に付き従った。第一次月面戦争後、紫への下剋上を決意する。

紫がこの世界における絶対的な上位存在であると見ており、上の者を引き摺り下ろすという天邪鬼としての生き様に取り憑かれてしまった。また、サグメの細胞を定着させた事により精神が不安定な状態になっているため破滅的な言動が目立つ。

自身に害となる事象の悉くを反射させる能力を持つ。さらに少名針妙丸と打出の小槌の魔力を能力と同調させる事で、幻想郷のパワーバランスをひっくり返し強大な妖怪達の悉くを無力化した。ただしこれには800年の準備期間を要した。

誰も信頼しない。誰も信用しない。だが草の根メンバーや針妙丸からは慕われていた。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』【美術部門】の審査員。真面目に評価を付けていたが、身内贔屓が激しい傾向がある。

幻想郷同時多発異変では咲夜と対峙。能力により泥沼の戦いへと引き摺り込み、幻想郷の崩壊による判定勝ちを狙う。しかし乱入した天子の一閃により致命傷を負い、咲夜にトドメを刺された。

異変後、謎の反逆者Sなる者が幻想郷の転覆のため暗躍している。紫から包囲網を敷かれるも、仲間を捨て駒に目下逃走中。

 

 

少名針妙丸

世間知らずな小人族のお嬢ちゃん。小人の国で大事に育てられていたが、正邪に拉致された。本人は鳥籠から連れ出してくれた正邪に並ならぬ感情を抱いているが、正邪からはただの道具としか思われていない。

普段は正邪の胃の中に潜んでおり、合図に応じて小槌を振って活動を助けている。草の根連合を大きくできたのは針妙丸のおかげである。

最初は正邪の言う事に諾々としていたが、異変の直前から迷うを感じるようになっている。本人のスタンスとしては「私を騙すのはいいけど、それを私に知られないよう努力しろ!」である。正邪ラブ。

正邪の死亡を目の当たりにして消沈してしまい、心中しようとするが天子に助け出される。責任能力無しとして紫から無罪放免を告げられたが、返しに「胡散臭ババア!」と叫び場を沸かせた。ゆかりんは泣いた。

 

 

堀川雷鼓

本編未登場。小槌の魔力が付喪神に振り分けられていないため誕生していない可能性がある。

 

 

宇佐見菫子

物語の鍵を握るスーパー小学生。外の世界に住み、ごく普通の一般家庭で暮らしている。最新話時点で9歳だが、並外れた思考能力を持つ。夢の世界でたびたび紫と邂逅しており、幻想郷に対し強い憧れを抱く。

幼子とは思えないほど利発で聡明、さらに好奇心旺盛であり、非常にアグレッシブ。外の世界では周囲に壁を作っているようだが、幻想の存在に対しては人懐っこくなる。またテレパシーの要領で人の感情を読み取る事に長けており、それ故に気を利かせることもある。

超能力と呼称する便利な異能を扱う。そのテレキネシスは大妖怪ぬえの四肢を捩じ切るほどに強力である。また作中確認されているだけでも透視やテレポートを駆使している。紫曰く「将来的に宇佐見蓮子へと至る力」であり、強い執着を見せている。

幻想郷に来て一番に出会い、保護してくれた妹紅に懐いており、何をするにも一緒に行動している。またヘカーティアやマミゾウ、紫とはチャット仲間である。特に紫とは仲が良く、人生初めてのお友達とのこと。

現在は紫に連れ去られ、強制的に女子高生まで成長させられ、能力を抜き取られている最中。これが全て紫の手に渡った時、最強超妖怪パーフェクトゆかりんが誕生するらしい。

 

前世界線の菫子は幻想郷の内側から博麗大結界を破壊したという。その際に膨大なエネルギーが外の世界に流れ出し、日本だけで2000万人を即死させた。宇佐見蓮子の所有する日記ではその事の後悔が綴られていた。

 

 

清蘭

玉兎の身でありながら異例の出世を遂げた恐るべき兎。階級は大将であり、地上浄化部隊の全権限を任されていた。現上司はサグメであるが、昔は鈴瑚と共に綿月姉妹の下で訓練していた。

指揮能力は皆無であり、全軍突撃しか戦法を知らない。むしろ自分が戦った方が強いのだが、面倒臭がり屋かつ役職に胡座をかいているため前線に出てこない。私はできるから貴女もできるよね?というタイプの典型的クソ上司。

出世の要因は戦闘能力の高さと鈴瑚の手引き、また綿月姉妹の没落など様々あるが、一番の理由は彼女の異次元から弾丸を飛ばす能力を元にして作成された対八雲紫用兵器『清蘭砲』の開発に貢献したから。

地上浄化の橋頭堡を築くべく妖怪の山の妖怪達と(部下が)激戦を繰り広げる。最終的に首魁のはたてを捕縛し勝利するが、命蓮寺の面々と早苗、アリスの乱入受けて振り出しに。結果袋叩きにあい捕虜となった。てゐの下で労働力となっており、紫が乱心した際には鉄砲玉として扱われている。不憫。

 

 

鈴瑚

玉兎には珍しい策士タイプの兎。清蘭を表に出して自分は常にサボる機会を見計らっている。階級は参謀。鈴仙とは同期に当たる。

自分が最も得する立ち回りを常に考えており、情報収集を欠かさず行っている。独自の諜報ルートがあるらしく、上層部の極秘の決定も知り得ている。玉兎で唯一、地上浄化が仙霊から逃げるための苦肉の策である事を把握していた。

清蘭と同じく役職に胡座をかくタイプ。玉兎が使い捨ての存在であることを理解しているので、無謀な全面突撃に関して特に意見はない。自分や甘い蜜を啜らせてもらっている清蘭に危機が迫ってようやくやる気を出す。

異変後、てゐの下で労働に従事しているが、多分また上手いことサボっている。

 

 

ドレミー・スイート

夢の世界を1人で管理している仕事人な獏。一つの世界を牛耳るだけあって強大な魔力を保持しており、夢の世界ではドレミーに抗うことすらままならない。

物語初期から登場し紫に対し都合のいい夢を提供していたが、その目的は本来見るはずだった蓮子や菫子の夢を葬るため。月の都と提携している関係上、世を乱す紫をどうにかするべく様々な手を打っている。

紫からは性格が悪いと評されていたが実はそうでもなく、仕事仲間の都合になるべく沿うよう身を削る作業を率先して行ったりと義理堅い。また物腰は常に柔らかく、夢の支配者とは思えないほど低姿勢で接してくれる。

春雪異変後、紫が一時的に力を失ったのを見計らい、サグメと共謀して偽の身体(通称:幼女メリーちゃんボディ)に精神を移し替え、本体を夢の世界で監禁。夢と現のすり替えを行い紫の無力化を試みていた。しかしさとりに狙いを看破され、フランとこいしより強襲を受けた。それでも2人をあっさり撃退するなど力を見せつけたが、最後は夢の姿が存在しないこいしの術中に嵌り敗北。地霊殿に幽閉される事になった。

それ以後はさとりの良き盟友として様々な案件に協力している。しかし紫の乱心をさとりと共に見抜く事ができず、真相を知った時にはもう手遅れであった。せめてもの抵抗として拉致られていた紫擬きと慧音を助け出したが、直後にぬえ、諏訪子、こいし、藍から追撃を受け、消滅してしまった。

 

 

稀神サグメ

月の都の安全保障における最高責任者であり、貧乏くじを引かされた人。元々は地上の卑しい出だったが、月に叛逆した天稚彦処断を先導した功績で都の中枢へと足を踏み入れた。仕事は多岐に渡るが、主に八雲紫対策を担当する事が多い。日記を付けるのが趣味。

第一次月面戦争の折に細胞を盗まれており、最終的に正邪の手に渡っている。正邪が月の都を訪ね、自分の娘である事を告白された際は「そうではない…」と思わず現実逃避をしていた。ただ仕事はきっちりこなしており、幻想郷で騒乱が起きた際には月からも部隊を派遣する事を取り決めている。

第二次月面戦争後、純狐一派と紫一派を潰し合わせることで窮地を切り抜けている。その後は地上との取次役として度々幻想郷に訪れている様子。

 

 

クラウンピース

ヘカーティアの部下。ロック魂燃えたぎる非常に凶悪な妖精で、地獄において彼女に逆らえる者は殆どいない。紫の事を主人を通して聞いており、その武勇伝に心躍らせていた。サインを貰うほど憧れているらしい。またヘカーティアの事を最強のご主人様として尊敬しているが、ファッションセンスは「ないな」と考えている。どっちもどっち。

第二次月面戦争では妖精を指揮して月の都を完封しかけていたが、紫の離反により三番勝負で決着をつけることになる。クラウンピースは二番手で登場したが、ベストコンディションだった霊夢に一撃で敗れた。

異変後は主人が死んでしまったこともあり、博麗神社で暮らしている。

 

 

純狐

紫と並び月の都で長年恐れられてきた災厄。嫦娥に子を殺された憎悪によって自身の周囲が捻じ曲がっているので顔や姿形を確認する事ができない。また言語が純化しているため語り掛けられている者しか意味を理解できず、作中では漢字のみで構成されている。精神が安定すると普通に喋れるようになる。

知り合いと呼べる者はヘカーティアとその関係者しかいない。ヘカーティアとは何故か親友であり共に月の都を潰そうと誓い合った仲で、その強さに尊敬の念を抱いている。ただファッションセンスは「ないな」と密かに思っている。

第二次月面戦争で悲願達成間近だったが紫の離反により三番勝負で決着をつけることになる。純狐は最後に出てくると予想していた紫だったが、まさかの一番手として登場。度肝を抜いた。鈴仙と対戦し終始圧倒するも、地球から飛来した永琳の矢を受け憎悪が弱体化。さらに鈴仙が覚醒し自身に強烈な一撃を見舞ったところで満足した。

以後は鈴仙に付き纏い、永遠亭に居候するに至る。

 

 

ヘカーティア・ラピスラズリ

地獄のファッションリーダーを自称する女神。また魔術を司る神。愛称はヘカちゃん。究極の力を保持しており、単純な戦闘力の格付けは宇宙最強に位置する。三つの身体と三つのコアがそれぞれ独立している関係上、全てを同時に破壊しなければ滅びることは無い。

辻を監視する役目を負った神であるため境界の仕組みに詳しい。紫の秘密を一番最初に看破した存在で、その成り立ちを哀れに思い自身の手で終わらせてあげる決意を固める。紫が不滅であることは把握していたが、自分ならきっちり滅ぼせると見込んでいた。

第二次月面戦争では紫の離反により三番勝負で決着をつけることになるが、途中三体に分裂することで五番勝負に変更している。依姫を一撃で倒し、豊姫を棄権させ、紫とタイマンに至る。紫と紫擬きの猛攻を終始余裕で捌き、一時は境界操作により自身の身体を無理やり統合させられたが、己を殺し尽くし一つに統一する事で策を無理やり破壊した。なおここまで魔法は一切使ってない。

紫を半殺しに追い込んだ後は戯れで幻想郷と月を衝突させようとするが、記憶を取り戻した紫によるスペルを受け肉体を失い、神格が紫に統合される形で消滅した。

以後、紫が使用している召喚スペル『トリニタリアンファンタジア』はヘカーティアの能力を流用したものである。

 

 

依神女苑

本編未登場。ろくでもない事ばかりしていると思われる。

 

 

依神紫苑

本編未登場。本気を出したら世界がヤバい。

 

 

エタニティラルバ

チルノの腰巾着。基本的に何をするにもチルノ任せで自分から動こうとすることは殆どない。人里に忍び込んで人間に懲らしめられた事があり、また言動が小物っぽい故に他の妖精達から舐められている。弱くはない。

しかしそんな彼女にも特別秀でているものがあった。それは相手をその気にさせる『扇動力』だ。かつて常世神と呼ばれていた時代から人心を惑わし続けていた経験の賜物である。これを駆使してチルノを後戸の国まで誘導している。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。地味な評価を受ける。隠岐奈は昔は凄かったと残念がっていた。

 

 

坂田ネムノ

妖怪の山で唯一天狗に屈さなかった女傑。聖域を作り出す能力により、自分のテリトリーでは無類の強さを誇る。迫害された妖怪や神を匿っていた過去があり、故に相当数の者達から今も慕われている。さとりや雛もその1人。

ただ普段は排他的なので外界の存在とはなるべく馴れ合わないようにしている。厳しく突き放すような言葉を用いるが、本当は心優しいみんなのお母さん。

妖怪の山に月の軍勢が攻め寄せた時は孤立を捨て天狗に協力。モリヤーランドを聖域として戦った。戦闘後、捕虜の玉兎を捌こうとしていた。

 

 

高麗野あうん

博麗神社の狛犬で、紫の要請により隠岐奈が妖怪化させた存在。霊夢が小さな頃から見守っていたらしく、話した事もあるとのこと。しかし当の霊夢からは忘れられていたためショックを受けていた。

非常に優秀で、万年赤字な博麗神社の経済を立て直すべく奮闘している。しかし本来の業務に関しては上手くいっておらず、紫が巫女服を奪おうとした時は止められなかった。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』では【美術部門】に出場。最初は初の大舞台に緊張していたが、時間の経過とともに慣れて楽しく演技していた。

 

 

矢田寺成美

本編には一度しか登場していない。香霖堂近くで大声で笑い転げていた紫を注意している。

多分魔理沙やアリスと友達。

 

 

丁礼田舞

摩多羅隠岐奈の傀儡であり、元々は人間だった人形。隠岐奈の命令でのみ行動を許されるので、異変時か賢者会議でしか登場しない。

隠岐奈を舐め腐っているが、それは隠岐奈が紫の心を理解するために敢えてそうさせている。また生前は慧音と知り合いだったらしい。本人は覚えていない。レティに恐れをなしていた。

 

永夜異変でバックドアーから橙の生命力を引き出し、慧音を撃破させている。これも隠岐奈からの命令。

幻想郷同時多発異変では里乃と共に小槌の魔力から逃れていた文を仕留めるべく襲い掛かる。必殺のテングオドシで文を追い詰めるが、直後に秋姉妹から乱入を受け、そのままフェードアウトしてしまった。

異変後、隠岐奈の死により自我を失い人里に抑留されていたが、紫に力を奪い取られている。

 

 

爾子田里乃

摩多羅隠岐奈の傀儡であり、元々は人間だった人形。隠岐奈の命令でのみ行動を許されるので、異変時か賢者会議でしか登場しない。

耳障りのいい事ばかり言っているが、全くそのつもりはない。舞と同じく隠岐奈の指示によるもの。味方であるはずのレティを恐れている。

 

永夜異変では出番がなかったが、橙のバックドアーで常に待機していたらしい。

幻想郷同時多発異変では舞と共に小槌の魔力から逃れていた文を仕留めるべく襲い掛かる。必殺のテングオドシで文を追い詰めるが、直後に秋姉妹から乱入を受け、そのままフェードアウトしてしまった。

異変後、隠岐奈の死により自我を失い人里に抑留されていたが、紫に力を奪い取られている。

 

 

摩多羅隠岐奈

究極の絶対秘神。幻想郷を支配する『五賢者』のうちの1人にしてバランサー担当。実質的なNo.2である。また幻想郷同時多発異変の首謀者。

過去に紫と熾烈な争いを繰り広げたとされており、その名声によって、幻想郷において紫に対抗できる唯一の存在とまで目されていた。なおその名声と同じくらい悪名高く、目的達成のためなら拉致洗脳対立煽りと手段を選ばないそのやり口から多くの敵を作っている。

身体の中に幾つもの神格を抱えており、その全てに意思がある。どの意思を自分の決定とするかはノリで決めるため思考パターンが読めない。作中においても紫に対しての想いがバラバラに存在するが故に、手段と目的が両極端になった計画を立案し、さとりを初めとした秩序側の人妖達との対決に至っている。ただしどのような形であってもかつての紫を愛していた気持ちは本物であり、幻想郷の創造に協力したり(ゆかりん)を導いたりしていたのは想いが思惑を超越していたから。しかしその秘神らしからぬ想いが最終的には彼女の身を滅ぼす要因になる。

様々な人物と関わりを持っているが、その全ては洗脳による強制的なものかビジネスライクなものである。逆に特定の誰かを嫌っているということもなく、等しく見ている節がある。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』【美術部門】の審査員。無茶苦茶かつ大胆な演技を好んだ。なお身内に対する評価は厳しい。

幻想郷同時多発異変の舞台設定に手をつけており、空の強化洗脳や青娥との提携を結んでいる。また四季の力を得るべくレティに幽香を始末させようとしていた。本人は終始後戸の国で見物に興じる予定だった。だがチルノと文の乱入を受けてレティが離反、4vs1を強いられる事になる。ただ隠岐奈にとってはそれすらも物足りなかったようで、終始4人を相手に圧倒的な力を見せつけていた。しかし最終的にはレティと文による捨て身の足止め、チルノと幽香が放った命を捧げる一撃により後戸の国諸共吹き飛ばされ重傷を負う。

異変後、全ての騒動が終結した事に満足し身を隠そうとするも、月から帰ってきた紫に捕捉され消滅した。と思われたが最新話にて式神として登場している。

 

 

畜生界+αのキャラ

殆どが未だ登場していない。ただし庭渡久侘歌に関しては幻想郷同時多発異変の際に紅魔館に救援物資を運んでいる。また驪駒早鬼は生前に青娥を後ろ足で蹴飛ばしている。

 

 

豪徳寺ミケ

本編未登場。豪徳寺一の招き猫として活躍していると思われる。

 

 

山城たかね

元々は山童だが、天狗による族滅から逃れるため種族と棲家を転向。現在は河童として活動している。そういう経緯もあって天狗に深い恨みを抱いているが、山の危機には一丸となって立ち向かっている。主に後方支援で活躍していた。

 

 

駒草山如

賭場を仕切っているアウトロー寄りの妖怪。世渡り上手であるため妖怪の山の騒乱に巻き込まれる事なく悠々と暮らしている。月の軍勢が攻めてきた際は後半支援として、主に精神面でのバフを担当した。

 

 

玉造魅須丸

本編未登場。本作の博麗陰陽玉は原作の物と効能が異なるが、何らかの形で制作に携わっているものと思われる。天子の手により虹龍洞が潰れてしまっているため路頭に迷っている最中かもしれない。

 

 

菅牧典

ろくでもない事しかしない邪悪な小狐。飯綱丸龍に仕える天魔の陪臣だったが、リグル率いる蟲勢力との戦争で龍が死亡?したため立場が弱くなり、最終的に山を追い出された、と本人は語っているが、本当は自分で勝手に見切りを付けて出て行っただけ。事実、妖怪の山は大混乱に陥っている。

暫く消息不明だったが幻想郷同時多発異変終結後にひょっこり現れる。反幻想郷連合に所属し、平穏を脅かすべく暗躍している。目的は天狗組織への復権と語っている。もちろん嘘。

その正体は紫に派遣されたスパイであり、正邪や布都、妹紅に菫子の情報を横流ししていた。紫に何かを返してもらう事を条件に従っていたらしい。

 

 

飯綱丸龍

王佐の才を持つとされた天魔の右腕。鬼が消えた後の妖怪の山において天狗を頭一つ抜けた勢力のまま保たせ続けた。既に故人であり、一般には黒谷ヤマメ、姫虫百々世との戦いで死亡したと伝えられている。しかし真相は、戦争前に八雲紫と裏取引を行っており、天狗の存続と引き換えに自らの能力を差し出し、行方不明となった。

彼女不在の天狗組織は脆く、はたての台頭まで戦乱と苦渋の時代を過ごす事になる。

 

 

姫虫百々世

最凶の種族の中でも最強とされていた正真正銘の化け物。幻想郷の運営に龍神が関わっていないのは彼女が原因であり、過去に地上へと叩き落とされたとか。

現在は故人であり、飯綱丸龍と相討ったとされている。紫曰く、「その頃の萃香や勇儀より強かった」らしい。

 

 

サニーミルク

三妖精のお日様担当。お祭り騒ぎが大好きで他の2人を引っ張って異変に時々参加している。永夜異変では紫の身辺警備を任されており、その功績に博麗神社に住まう事が許されている。なお霊夢はキレた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場するも3人スペルを披露したためルール違反となった。但し高得点。妖精大戦争でチルノに敗北。その強さを讃えていた。

 

 

ルナチャイルド

三妖精のお月様担当。他の2人に巻き込まれて割を食うことが多い。永夜異変では紫の身辺警備を任されており、その功績に博麗神社に住まう事が許されている。なお霊夢にボコされた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場するも3人スペルを披露したためルール違反となった。但し高得点。妖精大戦争でチルノに敗北。感想は特になかった。

 

 

スターサファイア

三妖精のお星様担当。したたかな性格をしており他2人を踏み台に美味しい思いをすることがしばしば。しかし永夜異変の際はてゐの不運付与による影響でチルノの攻撃に巻き込まれた。異変後は博麗神社に住んでいる。なお霊夢からは逃げた。

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の【美術部門】に出場するも3人スペルを披露したためルール違反となった。但し高得点。妖精大戦争でチルノに敗北。あわよくばチルノを葬り去ろうと無謀な挑戦を持ち掛けた。

 

 

茨木華扇

幻想郷を支配する『五賢者』のうちの1人だが、中立を期待されている事を自覚しているため、紫や隠岐奈と距離を置き独自路線を貫いている。秩序を重んじているため日頃無茶苦茶な事ばかりやっている他の賢者達に鬱憤を募らせているとか。実は賢者を辞めたがっている。

紫に「その戦闘力は幻想郷の中でも10本の指に入る(オッキーナ談)」と言われており、鬼のような剛力と高いレベルの仙術を駆使するバランス型の猛者。過去に都で大暴れしていた全盛期のヤマメに勝っているらしく、周囲から一目置かれる要因の一つとなっている。

先述の通り体制側の妖怪とは深く関わらないようにしているが、霊夢は別なようで時々稽古をつけている。霊夢が陰陽玉の効力を十全に扱えるようになったのは華扇のおかげ。また青娥とは芳香を巡って何らかの確執がある模様。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』【決闘部門】の主審を担当。無邪気に暴れる鬼達に呆れ返っていた。幻想郷同時多発異変では妖夢のお守りとして共に神子、青娥と対峙した。異変後、芳香の死体を自宅に保管している。

 

 

本居小鈴

本編未登場だが名前が時々出てきている。貸本屋『鈴奈庵』の店主の娘で、稗田家と深い繋がりがある。阿求に斎某具の登場する江酢衛府本を貸していたらしい。

幻想郷同時多発異変の際に鈴奈庵は全焼したらしく、焼け跡の前で泣き崩れている姿を紫が目撃している。

 

 

綿月豊姫

八雲紫不倶戴天の敵、姉の方。永琳の弟子で月の都の安全保障を担う1人。しかし近年は依姫の失態に端を発した降格で厳しい立場にある。殆ど紫のせい。

第一次月面戦争時、奇襲攻撃を仕掛けた妖怪の軍勢を、ワープ転送した玉兎部隊で包囲殲滅するという荒技を披露。紫にトラウマを植え付けた。この能力は第二次月面戦争の時に起死回生の一手として運用され、結果紫と藍を捕えるに至っている。

本人はどんな状況でも至極冷静に状況を見ており、常に月の民にとって最善となる選択肢を模索している。そのため仇敵である紫に対しても事務的で、憎しみを抱いていない。ただそれはそれとして危険なので抹消しようとは思っていた。

戦闘描写は一切なく、ヘカーティアとの対戦の際は無理に戦おうとせず一瞬で降参していた。

 

 

綿月依姫

八雲紫不倶戴天の敵、妹の方。永琳の弟子で月の都の安全保障を担う1人。実際月の都における最高戦力で、その実力は永琳を超えるとも。ただそんな能力の高さとは裏腹に実績には恵まれず冷飯を食っている。

第一次月面戦争では正面から妖怪の軍勢を迎え撃ち悉くを殲滅。総大将であり月の怨敵でもあった八雲紫を討ち取る大戦果を挙げている。しかしその直後に生きていた紫に都の侵入を許し、重要機密を窃盗されてしまった。この一件により依姫は内通、虚偽報告の容疑をかけられ、名誉を著しく失墜させる事となった。またその影響は自分だけでなく姉にまで及んだ。そんな経緯から依姫は紫の事を深く恨んでいる。それでも己を律し、雌伏を続けたのは彼女の強靭な精神力故である。

第二次月面戦争では名誉挽回のため奮戦。天子を一撃で倒し、レミリア、咲夜、妖夢を相手に優位に勝負を進めていた。結果として豊姫が紫を捕らえた事で依姫の判定勝ちとなる。

ヘカーティアとの対戦に喜んで参加したものの、女神チョップにより月の裏側まで弾き飛ばされてしまい敗北を喫した。なおそれでも存命であり、大した傷はなかったらしい。

 

 

博麗靈夢

初代博麗の巫女。原作でいう靈異伝の主人公にあたる。妖を封じ込める陰陽玉を駆使し、地獄や魔界の異変を平定していたと伝わる。魅魔は彼女にちょっかい出した際、半身を封印されてしまったらしい。

死因は不明。

 

 

シンギョク

陰陽玉の依代となった男女一対の存在。製造の過程に魅須丸が関わっていると思われる。

 

 

コンガラ

霊夢が「鬼霊『夢想封印 業』」を使用した際に現れる謎の人物。剣術に秀でており、紫擬きの展開した境界を両断する、萃香渾身の一撃を斬り払う、永琳に致命傷を負わせる等の神技を見せている。「今代の巫女は余程のうつけ」等、何やら意味深な事を言う。

 

 

里香

不遇の戦車技師。魅魔の弟子であり、魔理沙とは同門の関係。戦車?に並ならぬ愛情があり幻想郷で普及させるべく活動するが、人々には受け入れられず失意のうちに失踪。その後にとりに拾われ、河童お抱えの戦車技師となる。

登場のたびに戦車が改良されているようで、ふらわ〜戦車、イビルアイΣはそれぞれ兎の軍勢に絶大な衝撃を与えている。

 

 

魅魔

何処にもいない悪霊。霊夢が初めて解決した異変の首謀者で、魔理沙の師匠。レミリアを恐れ慄かせるほどの魔力を保持し、吸血鬼異変を陰から粉砕している。

魅魔は本来、世界を呪い、そして滅ぼす為に存在する悪霊だった。だが、彼女の恨みは時とともに薄れ、やがて風化していった。存在意義を失った悪霊は滅びるのみ。自分ほどの悪霊が消滅した時、抜け殻と化した自分が何をしでかすか分からない。もしかすると我が愛弟子でさえ手にかけてしまうかもしれない。だから魅魔は今の身体を捨てる事にした。そうして、自分を完全に滅ぼせる数少ない存在である幽香を頼ったのだ。

現在は身体を失い魂だけの状態であるため、霊夢の陰陽玉を依代に現世に留まっている。

 

 

エレン

本編未登場。ふわふわしているらしい。紅魔館に勝手に侵入してパチュリーの図書館を練り歩いている。

 

 

小兎姫

人里が誇る警備部隊のトップ。妖怪に対してバリバリの差別意識を抱いており、司法の判断を待たず勝手に量刑を決めているヤバい奴。妹紅曰く「人格破綻者」と散々な言われよう。ただ人里では大層頼りにされている。

 

 

カナ・アナベラル

しれっと永夜異変に参加していて、そのお返しにと博麗神社周辺に住む事を紫に許可されている。霊夢はキレた。

 

 

朝倉理香子

人里に住んでいる変人科学者。周りに馴染むことなく我が道を直走っている。里香とは工作仲間。

 

 

北白河ちゆり

前世界線に登場。岡崎夢美の助手。秘封倶楽部監視のため彼女らの通う大学の一室を不法占拠している。数多の平行世界を渡り歩いた影響で弱っており、パイプ椅子一つ持てない。蓮子からの初印象は水兵のコスプレをした中学生。

元々いた世界は既に消滅しているらしく、果てしない旅の中で可能性を探している。

 

 

岡崎夢美

前世界線に登場。ちゆりと共に平行世界を旅して様々な研究を行っている。蓮子の見立てでは同い年くらいであるが、それにしては大人な雰囲気が漂う。教授を自称し、蓮子の通う大学の一室で生活している不審者。数多の平行世界を渡り歩いた影響で弱っており、コーヒーを淹れる事すらままならない。

蓮子とメリーが世界の滅びの鍵であることを看破し、秘封倶楽部の活動を常に注視している。ただそれとは別に蓮メリ個人についても興味があるらしく、2人のアオハルを羨ましがっていた。

世界が終わる日、蓮子の前に姿を現し焼却中だった菫子の日記を回収。別れを告げている。

本編中においても苺教授、メルヘン女、イチゴクロス教授など名前?だけ登場。魔理沙や小兎姫にプレゼントを贈っていた。

 

 

ミミちゃん

魔理沙のペットでICBM。過去に教授を名乗る不審者から受け取ったらしい。紅霧異変でフランに対し使用し、紅魔館を吹き飛ばしている。後に魔理沙は紫と藍から説教を喰らう羽目になった。

 

 

東方幻想郷のキャラ

幽香以外登場無し。ただしさとりの読心により存在自体は確認されている。

 

 

神綺

本編未登場。魔界神という呼ばれ方で度々言及されている。紫と知り合いであるらしく、ママ友と認識されているが、アリス曰く「レイマリ、魅魔幽香が魔界で暴れ回ったせいで幻想郷に対しキレ散らかしている」とのこと。

 

 

宇佐見蓮子

【〇〇秘封倶楽部】シリーズでのみ登場。超統一物理学を専攻する大学生で、相棒のメリーとオカルトサークル『秘封倶楽部』を結成、活動している。実家とは折り合いが悪い。

優秀な頭脳と、不思議に向かって飛び込む果敢さを持ち合わせる。大抵それらが災いして頗る厄介な事件に巻き込まれているが、そこまで込みでの秘封倶楽部だ。

また特別な目を持っており、月と星を見る事で自分の存在と居場所を瞬時に把握することができる。ただ本人としてはメリーの目の方が凄くて役に立つと考えていて、自身の平凡さを恨めしく思っていた。

人ならざる者から魅入られやすく、作中においても洩矢サナエ、夢美&ちゆり、八雲橙と奇妙な邂逅を果たしている。メリーとの出会いもそれに当たるのかもしれない。

日に日に能力が強大になっていくメリーを心配しつつも、自分が健在なうちは連れ戻せると信じていた。しかしメリーが失明し遂に能力を制御できなくなると、メリーを導く光となるべく自分の身体を捧げた。

結果、蓮子の目により自分のいる場所を把握し、夢に取り込まれることの無くなったメリーは八雲紫へと成った。

 

八雲橙の案内で八雲紫と邂逅した際、式神を構成する要素を密かに託されており、それが後に紫擬きとなった。蓮子は次世界線への方舟の役割を果たしたといえる。

 

 

マエリベリー・ハーン

相対性精神学を専攻している大学生で、相棒の蓮子とオカルトサークル『秘封倶楽部』を結成、活動している。ギリシャのエーゲ海に面した街で生まれ、幼年期を過ごした。蓮子からの愛称はメリー。

夢と現の境目を見通す力を持ち、日々強大な力へと進化を続けている。作中では自ら境界を作り出し、別空間への入り口として利用するなどの応用を見せた。蓮子は彼女の能力を酷く羨ましがっているが、当のメリーは幼年期の頃から自身の奇妙な目に悩み、恐れていた。ただ蓮子の願いの役に立てている点では満更でもないと思っている。

なんとか能力を制御して蓮子との毎日を失わないよう励んでいたが、ある日暴漢に襲われ失明。その影響で睡眠の時間が長くなり、夢と現の境界を把握できなくなってしまう。これが原因となり能力の進化が加速。世界を徐々に蝕み、境界へと引き摺り込む災厄へと変貌しかける。

しかし蓮子が我が身を犠牲としメリーに能力を譲渡した事で、自分の在るべき場所を把握。新たな存在、八雲紫へと成る。

 

なお本編において迷いの竹林を彷徨い、妹紅と親しくなったメリーは上記メリーとは別時空の存在である。こちらは八雲紫からの梃入れにより、能力の暴走なく蓮子と輝くような日常を送る予定となっている。

 

 

かつての八雲紫

メリーと蓮子が一つとなり、スキマ妖怪と化した姿。あらゆる境目が集約された存在。その美貌は数多の者を狂わせ破滅へと追い込み、如何なる強者をも歯牙にかけない圧倒的な力を併せ持つ最強の妖怪。

「大乱有るところに八雲在り」と呼ばれるほど、歴史の表舞台に姿を現しては破滅的な影響を残して、最後は何食わぬ顔で去っていく。その行動原理や理念は不明で、紫擬きからは「ただただ無責任なだけ」と吐き捨てられている。後の(ゆかりん)は「温和な性格をしているように見えて、何重にも策謀を張り巡らせているようなタイプ」と言及しており、苦手な様子。

作中では各キャラの回想でのみ登場。気楽で底抜けに明るい性格をしているようだが、腹の中で何を考えていたのかは不明。幼い藍に愛情を注ぐ、隠岐奈と酒を酌み交わす事を楽しみにしていた等の描写がある一方で、ぬえを不意打ちで殺す、こいしを傀儡とし妖怪の山を暴走させる等、冷酷な場面も多く見られる。

 

自身の存在が後の世を破滅に追い込む事を紫擬きから常々伝えられていたが、それが功を奏したのか、晩年は退廃的な言動と幻想郷成立に向けた動きが目立つ。本編開始800年前に自身を構成する『蓮子の能力』を別時空のメリーに渡し、死亡した。

 

 

 

 

【本編以前の時空】

 

  ↓

八雲紫誕生→→→→→→→八雲紫死亡|

      メリー誕生→八雲紫誕生|

              ↓

  ←←←←←←←←←←←←←

  ↓

八雲紫誕生→→→→→→→八雲紫死亡|

      メリー誕生→八雲紫誕生|

              ↓

            以下ループ

 

時が戻っているのではなく、八雲紫を起点にして、似たような出来事が起こる夢と現実を延々と繰り返している感じ。八雲紫は二度生まれ、一度死ぬ。

 

 

 

【本編時空】

 

メリーと蓮子が融合し紫誕生。この時、前世界線の紫が蓮子にAIBOの素を渡していたので、AIBOもまた次の世界線へ

AIBOから未来知識と助言を貰う

月勢力と殺し合い

藍と出会う。その後育児放棄(31話)

日本へ。本編開始時点で知り合いになっている妖怪、神とはこの時点で知り合う

こいし殺害、妖怪の山で暗躍

ぬえ殺害

正邪に出会う(70話)

隠岐奈と酒を酌み交わす(116話)

800年前に迷いの竹林でメリー&妹紅と遭遇。メリーに自分の蓮子を分け与える事で、メリーの強制的な八雲紫化を阻止

自身は半身を断たれた事により絶命する。八雲紫が死亡した事でループ終了

残った不完全な空の器にゆかりんが誕生

第一次月面戦争(70話)

藍と再会(31話)

幽々子(死後)と出会う(50話)

さとりと出会う(97話)

幻想郷成立

幻マジ本編




突貫で作成したので時々修正が入るかもです


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東方荒魔境
幻想境界は心憂い


2023.6.13 あらすじに挿絵を追加しました


 並行世界は存在する。

 

 並行世界の数だけ幻想郷は存在する。

 

 しかしその全ては違う道を辿ってゆく。

 

 並行であるから決して交わらない。だから同じものなど一つも存在しないのだ。

 

 

 

 吸血鬼との戦いに敗れ、レミリア・スカーレットを元首とする支配体制となった幻想郷が存在する。

 

 月の浄化作戦が成功し、ぺんぺん草一本生えない不毛の地に変貌した幻想郷が存在する。

 

 天邪鬼の下剋上が成功し、上下関係はひっくり返り、支配体制が丸々崩壊した幻想郷が存在する。

 

 妖怪が人間を食い尽くし、自ら自滅の道を歩んで行った幻想郷が存在する。

 

 人間によって妖怪が滅び、人間にとっての桃源郷となった幻想郷が存在する。

 

 皆が手を取り合い、互いに助け合い、幾多もの困難を乗り越え、八雲紫の願った姿が完成した幻想郷が存在する。

 

 

 しかしこれから語られる幻想郷はそのいずれでもない。

 

 これはとある救いのない幻想郷のお話。

 

 幻想を葬る幻想郷のお話。

 

 並行に存在する数多の幻想郷の…その一つのお話。

 

 

 *◆*

 

 

 ――妖怪の山 天魔の屋敷――

 

 妖怪の山、天狗の里にて最も豪華絢爛な屋敷。

 そこに居を構える主人は勿論、天狗の頭領”天魔”。鬼にも引けを取らないその妖怪としての格の高さでこの地位まで上り詰めた紛れもない強者である。

 

 そんな天魔の屋敷はよく賢者による集会の会場として使われる。

 その警備の固さ故にである。極秘会議の場としてはこれほどうってつけな場所はない。

 

 そして今日、この屋敷で賢者たちによる緊急集会が行われていた。

 賢者とは幻想郷の創設者たちの名称である。全員がそれなりの権力を持ち、それぞれに管轄する役職がある。なお、幻想郷に日頃から留まっているのは数えるばかりの者であるのも特徴だ。

 

 皆一様に僅かに視線を下にやり、そわそわと落ち着きのない様子であった。無理もない。今幻想郷には存亡の危機が迫っているのだ。

 それぞれ思惑は違えど最終的な到達点は共通している。

 

「えー…今日の議題は…例の”紅い霧”のことです。皆様、既にこの惨状には目を通されたかと思います」

 

 大天狗の一人があらかじめ用意してあった書を読み上げる。賢者一同、そんなことなどわざわざ言わなくてもいい…という気持ちであるが。

 

「簡単な話、犯人はわかっておるのだ。ならば対策のしようはある。そこまで問題視するほどのことでもなかろう」

 

 うち一人の賢者が答えるが、その賢者は一斉に周りから強く冷たい非難の目に晒された。

 

「お主は阿呆か。そんなこと…それが出来ておれば苦労はせんわ」

「死ねよカス。なんでテメェみたいのが賢者を名乗っている」

「まあまあ、落ち着いて。あの方は先の吸血鬼による侵攻の際、あの紅い館の連中と直接対峙していないのです。多少思慮の足りない発言をするのも致し方ないことです」

 

 一度荒れる会議場であったが、なんとか一人の思慮ある賢者によるとりなしで持ちこたえる。しかしピリピリとした険悪な雰囲気は全く解消されなかった。

 これもひとえに、”紅い館の連中”が原因である。

 彼らの心には”紅い館の連中”というトラウマが深く植えつけられているのだ。

 彼らが妖怪である以上、トラウマというものは自身を形成する上での最たる根幹に影響を及ぼす。

 

「えーオホン…続けます。それで今日皆様にはその対策について話し合って欲しいのです。あちらの狙いが分からぬ以上、早急な対策は必須でございます」

 

 ふむ…と殆どの賢者が顎に手をやり熟考する。ここに集う者たちは知識、策謀、機転に長けているだろう。しかしそんな彼らを持ってしても会議は難航を極めた。それほどまでにこの問題は簡単な問題ではないのだ。

 

「奴らの生活供給ラインを断って兵糧攻めというのはどうだ?……いや無理だな。撤回してくれ」

「確かにな…。見す見す奴らがそれを見逃すとは思えぬ。せいぜい包囲したところで一点突破、壊滅に追い込まれるのは目に見えている」

「それに奴ら、独自に外の世界へのルートを確立しているという噂もあるぞ。確かめる術はないが…」

 

 賢者たちには紅い館の勢力と正面からぶつかるという案はない。出しても一蹴、一笑されるのがオチであろう。

 

「天魔殿…そちらの…山を救った例の烏天狗は出せないのですか?彼女の協力があればこの異変の解決もグッと楽になるのでは?」

「射命丸の…文のことか…。無理だ、我々天狗は既にこの異変については不介入を決定している。こちらから戦力を提供することはできん」

 

 天魔はピシャリと言い放った。

 協調性のなさが実に光る一場面である。しかし天狗には色々と面倒な制約があるので仕方ないと言えば仕方ない。

 

「博麗の巫女は…無理なのか?」

 

 一人の賢者がポツリと言葉をこぼすがそれは一瞬にして否定される。

 

「ダメだ。いくら博麗の巫女といえどもあの化物どもに敵うわけがない。博麗の巫女を失った途端、幻想郷は崩壊するぞ」

「確かに博麗の巫女を使うのはリスクが大きすぎる。むぅ…打つ手なしか…?やはり、ここは…」

 

 場の賢者たちの視線が一斉に一人の人物へと向けられる。期待と安心が込められた視線だ。

 

 その人物…八雲紫は扇子を仰ぎながら涼しげに微笑む。その口はいつものように優雅な笑みを浮かべていた。何を考えているのか分からない…底なしの笑顔。

 その身から放たれる圧倒的存在感が彼女の異質さを物語っていた。

 

 紫は賢者の中でもトップクラスの発言力を持ち、更には幻想郷の最高責任者でもあるのだ。

 そしてなにより、その最強とも呼べる絶対的能力が彼女を絶対者とする所以である。

 現に先の吸血鬼異変…幻想郷の賢者全員が打つ手なしと判断したこの異変を彼女は一人であっという間に解決してしまった。

 

「そうねぇ…天魔に動く気がないのなら…私は普通に霊夢に全てを任せるのが最善手であると思うわ」

「し、しかし…万が一にでも博麗の巫女が敗れるようなことがあれば…」

「敗れる…?霊夢が…?…クッフフフ…アッハハハハハハ!」

 

 賢者の不安の声を聞いた紫は突然バカ笑いを始めた。

 困惑し、右往左往、顔を見合わせる賢者たち。

 やがて紫は笑い終えると目から滲んだ涙を指で拭う。

 

「そんなことがあるわけないでしょう。あの子を何と思っているの?この八雲紫の最高傑作よ、たかが蝙蝠風情にどうにか出来る存在ではありませんわ」

 

 圧倒的自信であった。

 実力と実績への信頼だろう。

 しかしそれだけでは賢者たちは納得できなかった。

 博麗の巫女は幻想郷が存在する上での要なのだ。それを失うことは決して許されない。

 

「それでも…もしものことがあれば――――」

「そうですか……ならばこの私自らが出るのも、やぶさかではございませんわ」

 

 扇子をピシャリと閉じ、平然と言い放った。

 瞬間、会議の間に冷たい緊張が走る。

 ダメだ、八雲紫を戦わせてはダメだ。それが賢者一同の共通見解であった。

 

「実力行使というのも私…嫌いじゃありませんことよ?」

「お、お待ちくだされ!わ、分かりました。博麗の巫女を派遣しましょう!貴方ほどの方が言うのだ、恐らく大丈夫でございましょうから!なのでどうか、貴方自らが手を下すのはお避けになってください!」

 

「あら、そう?」

 

 まるでそうなることを図っていたかのように満足げに笑うと、八雲紫はスキマを開く。

 スキマから覗く異質な異空間はなんとも不気味である。

 

「ならば霊夢に早速、事を伝えて参りますわ。それでは皆様、ごきげんよう」

 

 紫はスキマへゆっくりと入っていくと、スキマは消失した。

 直後、会議の間には安堵の溜息が漏れる。

 

「助かった…九死に一生を得た気分だ…」

「あながち間違いではなかろう。八雲紫がまた再び暴れるようなことがあれば…幻想郷は間違いなく消失する」

 

 賢者たちの脳裏に浮かぶのはかつての”吸血鬼異変”。

 幻想郷の四分の一が焼失するという大きな犠牲を払い、手に入れた勝利だ。

 そして、その幻想郷を四分の一焼失させた化物というのが…何を隠そう、八雲紫なのだ。

 

 

 *◆*

 

 

 内と外、海と山、幻と真、夢と現の境界。存在もあやふやな空間、そこにはとある屋敷が存在している。

 そんな場所に建っている屋敷の主など世界広しといえど、この妖怪以外には存在しないだろう。

 

 八雲 紫。

 

 それなりの妖力、スーパーコンピューターに匹敵すると揶揄されたそれなりの頭脳、神にも及ぶと言わせしめ周りからは強力だと思われているそれなりの力『境界を操る程度の能力』

 それなりの大妖怪と呼ぶにふさわしい存在と言える。

 

 そんな八雲紫は頭を抱え、悶えていた。

 原因は…二つある。

 一つは幻想郷中を包み込んだ紅き霧。

 発生源は霧の湖に浮いている小島の上に建つ燃えるように真っ赤に染色された派手な館”紅魔館”。

 本来ならすぐにでもそこの主である吸血鬼のガキンチョに幻想郷流の制裁を叩き込んでやりたいところだ。しかし、それは到底無理な話である。

 協定云々の関係もあるが…一番は…その吸血鬼のガキンチョはこの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。

 勿論、八雲紫はそれなりに強い。それは保証できる。しかし、相手がとにかく異常なのだ。

 

 もう一つはその紅い霧のせいか否か、自分の体調が優れないことである。胃腸がキリキリ痛むのは元からであるが。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 もう嫌だ。

 今まで積み上げてきたもの全てを放り出して夢幻の彼方へ隠居したい。一体私が何をしたっていうの?もしも今置かれた状況が前世の因果応報だというのなら私はとんでもない重罪人なのだろう。妖怪の私に前世なんてものが存在するかは知らないけど。

 

 蘇るのは数年前の記憶。

 吸血鬼が大挙して幻想郷に押し寄せた異変、”吸血鬼異変”の時だ。

 私…八雲紫は幻想郷連合を組織し、それら西洋勢力に対して対抗の姿勢を見せた。

 幻想郷連合の勢力はかつての月面戦争時とほぼ変わらない規模であり、その約束された勝利への未来に私は細く微笑んだものだ。

 しかし、その笑顔は戦争後に引き攣った笑みへと変貌した。

 

 結果は…幻想郷連合の全滅。大敗を喫したのだ。

 敗因は…たった一つ。紅魔館なる西洋勢力の一端に過ぎない吸血鬼の勢力のせいだ。

 その他西洋勢力は私だけでも十分どうにかなる有象無象の集まりであり、現にそれらはこの世界より消滅している。

 

 しかしそれまで静観を保っていた紅魔館のガキンチョ吸血鬼擁する勢力は突如幻想郷に牙を剥き、大妖怪を薙ぎ払い、妖怪の山の全戦力のうち、その半数を壊滅させるというとんでもない戦果を挙げたのだ。

 その紅魔館の末端による妖怪の山の危機は妖怪の山に巣食う射命丸という()()()()()()()()が救ったが、これにより妖怪の山は幻想郷連合を脱退した。

 

 その知らせを聞いた時、私は己の耳を疑ったが同時にチャンスでもあると思った。妖怪の山を蹂躙したのには驚いたがそれだけ奴等(紅魔館)は戦力を其方へ投入したということ。つまり本拠地である紅魔館は手薄だと…そう考えたのだ。

 私は幻想郷連合に紅魔館への総攻撃の指示を出した。今もその選択は普通ならば間違いではなかったと胸を張れる。その結果の連合全滅だったけど。

 後に聞いた話では妖怪の山に攻め込んでいたのは一人だったという。私は吐いた。

 

 その後、なんとか気持ちを持ち直し、幻想郷中のこれまた()()()()()()()()()()()()に恥を忍んでの救援要請を出した。相手によっては土下座までする始末。それほどまでに紅魔館という勢力はやばかった。賢者の意地だとか、大妖怪としての誇りとかに構っている暇などなかったのだ。

 

 結局、私の必死の救援要請に呼応してくれたこれまた()()()()()()()()が紅魔館を鎮圧し、吸血鬼異変は終結したのだが、その被害は計り知れないものがあった。

 実に幻想郷の四分の一が焦土と化し、その影響により第三勢力であった花妖怪の参戦を誘発する始末。言うまでもなく被害は拡大した。

 

 かつての美しかった幻想郷は、幻想へと消えた。

 いや、元からその美しいという定義は崩れつつあったが、吸血鬼異変の余波によりトドメを刺された形になる。

 幻想が最後に行き着く地で幻想に消える。それ即ち消滅という。

 今の幻想郷は修羅の国。化物どもが群雄割拠する世紀末。

 

 弱小妖怪の殆どは死滅し、大妖怪ですらそれからは細々と暮らしている。それに変わって台頭したのは例の()()()()()()()()。殆どがその規格外の力を気まぐれに行使しており、私はその後始末に日々追われている。

 

 しかし私の胃にダメージを与えたのはそれだけではない。

 

 吸血鬼異変終結後、生き残った吸血鬼のガキンチョと平和条約を結ぶべく紅魔館を訪れた。勿論、門からの入館だ。

 実はと言うとスキマからニュッとガキンチョの前に現れて只者ではない…というインパクトを見せつけてやりたかったというのが本音だ。

 しかし間違って攻撃されでもしたら私は木っ端微塵。美しく残酷にこの大地から往ねってしまう。

 そんなこんなの理由があって律儀に門から紅魔館にお邪魔した。途中、チラリと門に佇む門番を見たがそのあまりの威圧感にブルッときてしまった。こんなのが門番なのは絶対おかしい。

 

 そして館に入った途端、吐き気を催す殺気が私の身へと降り注いだ。

 必死に歯を食いしばって吐き気を抑えながらその殺気の根源を探す。発生元は少し先にいたメイドであった。

 凍てつくほどに冷たく、薄い笑みを浮かべながら私を出迎えたメイドは主のもとへと案内する。一身にその殺気を受け続けた私には主の間までの何ともない廊下がやけに長く、きつく感じた。

 私が愛想笑いをなんとか返しても彼方の殺気は膨らむばかり。泣きたくなった。

 私が一体何をした。

 

 そして主の間。

 そこにいたのはカリスマ溢れる憎きガキンチョ吸血鬼。しかしここで節度のない行動を取れば即座に己のタマを取られる。

 私は半泣きで、少し口をひくつかせながらガキンチョ吸血鬼に恐る恐るお辞儀をした。とても戦争に勝った側の行動とは思えない。

 しかし紅魔館のガキンチョ主人は私の態度が気に入らなかったらしく、声を低くし、即座にお辞儀をやめさせると椅子へ座るよう催促した。多分私の顔面は蒼白だった。

 そこからの会話はよく覚えていない。賢者としての面目とガキンチョに対するご機嫌取りという境界線上の狭間でとても苦労したということだけ覚えている。

 

 そんなこんなで結ばれた吸血鬼条約。

 内容を簡単に説明すると

 

 ・人を襲わないでください。お願いします。

 

 ・出来るだけ大人しくしてください。お願いします。

 

 ・代わりに血はあげます。お願いします。

 

 ・何か言いたいことがあれば八雲紫まで。

 

 という感じだ。

 ちなみに最後の一文は条約締結後にパイプ役を欲した紅魔館側からの追加だったわ。その夜、私は一人涙し枕を濡らした。

 

 しかも後日、私の考案したスペルカードルールは却下された。理由?紅魔館を含めた化け物連中がそんなきまりを守るはずが無いから。

 

 

 

 

 

 さて話を戻そう。紅魔館の連中がどれほど恐ろしいかはよく分かってくれたはず。

 そんな紅魔館がついに異変を起こした。私は泣きたい気持ちをグッと堪え、どうすれば良いかひたすら考えた。ひたすらひたすら考え、その結果の霊夢派遣である。

 

 

 ふと傍に控えている、いつの間にか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をチラッと見やる。

 

 八雲藍は最強の妖獣であり私の式神だ。

 その身体能力は走れば雷を追い抜き、腕を振るえば大地が抉れる。さらに恐るべきはその彼女の能力。アレを見るたびにお腹が痛くなる。

 恐らく私が彼女と戦えば100回中100回、0.1秒と経たずにミンチにされてしまうんじゃないかしら…。

 式神にした…というか、式神になってもらった当時はここまで規格外ではなかったと思うのだけれど……いや、昔でも十分規格外ではあったか。

 なぜ私の式神をやっているのか甚だ疑問だ。私にそこまで主人としての器があるようには自分でも思えない。

 

 

 

 

 そんな彼女に今回の案件の全てを任せればどうにかなるかもしれない。

 しかし藍は”吸血鬼異変”の際に獅子奮迅といえるほどの働きをしてもらった。それも彼女がそれなりの傷を負い、消耗するほどに。

 あの時の自分を見上げる藍の目を紫は何回も夢に見た。血走った妖狐の目だった。その後もれなく藍に殺されるのがその夢のオチだ。何かの暗示だろうか?夢枕にご先祖総立ちである。

 とにかくそんなことがあったのだ。似たような命令を出せば今度こそ反感を買われてしまうかもしれない。そうなればこの八雲紫の命は…ない。

 思わず震えてしまった。

 賢者会議の際は霊夢の派遣を否決されかけた時、「私(の式神)自らが出るのも、やぶさかではございませんわ」なんて自信満々に言っていたが、そうならなくて心底よかった…と切に思う。

 

 やはり自分が頼れる存在は霊夢しかいない。

 少しばかり態度は冷たいがちゃんと幻想郷のことを思っているし、何より自分には心を開いてくれている…気がする。

 さらに何と言っても彼女は恐らく幻想郷最強である。信頼と実績の塊のような存在だ。万に一つでも負けるなんてことはない。そのことを紫ちゃんは身をもって知っている。

 

 ここで一つ問題がある。

 さっそく霊夢に異変解決を頼みに行きたいのだが現在幻想郷には紅い霧が充満している。

 この紅い霧、厄介なことにかなりの毒性だ。試しに一回吸ってみたが直後に吐血した。私のボディではこの霧に耐えられなかったのだ。

 よって私がスキマの外に出ることは出来ない。つまり霊夢を呼びに行けないのだ。

 再び藍を見る。何故か藍には紅い霧が通じなかった。橙や霊夢もだ。

 つまり便宜上、霊夢に異変解決を頼むには藍に言付けを頼まなければならない。

 

 やはり怖い。彼女が乱心を起こせば私は一瞬で肉塊となってしまうだろう。それほどまでに私と彼女の間には力の差がある。というか何故彼女は自分の式神などをやっているのか…不思議でならない。

 しかしいつまでもオドオドしている場合ではない。震える身を抑えながら恐る恐る指示を出す。

 

「あのね…藍?霊夢に異変解決の出撃要請を出して欲しいのだけど…。いいかしら?」

「かしこまりました紫さま」

「……ちょっと待って藍。念のため…魔理沙にも同様の要請をお願い」

 

「かしこまりました紫さま」

 

 いつものように忠実に快く私の命令を引き受ける八雲藍。

 その姿に不気味さを覚えているのは内緒である。自分の主の力をとうの昔に超していることに気づいているのかいないのか。

 というより自分の式神(ちぇん)が主の力を超えつつある…というより超えていることに気づいているのかいないのか…。

 一体彼女は何を考えているのだろうか…うぅ…お腹が痛い…。

 

 藍が軽く手を振るい、創り出したのは”スキマ”。ピョンと軽く飛び上がると藍はなんのためらいもなくスキマへと飛び込んだ。

 私だけの能力のはずなのになんで使えるの?……とツッコむのも何回目かしら…。あの式神に常識を求めてはいけない。幻想郷にも言えることではあるけど。

 

「もう…こんな幻想郷嫌よぉ…」

 

 半泣きになりながら、震える声でそう呟いた。

 私はただ…ただ妖怪や人間にとっての桃源郷を作りたかっただけなのに。もはや私の身も、心も、精神も、妖怪としてのプライドも、全てがズタズタだ。

 私が思うことはただ一つ。一つのみ。

 

「どうしてこうなったのぉ…」

 

 幻想郷は全てを受け入れる…いや、受け入れてしまった。それは…なんて無残で残酷なことなんだろうか。

 

 ここは幻想が葬られる場所、人呼んで、”幻葬狂”。

 

 

 ◆

 

 

「――――というわけだ。博麗の巫女としてこの異変、解決に導いてくれ」

 

 博麗神社に降り立った藍は口早に霊夢へとそう告げた。

 境内でお茶を飲んでいた霊夢は鬱陶しそうに顔を顰める。

 

「…こんなのが異変に認定されるの?ただ紅くなっただけじゃない。太陽も遮ってくれて涼しいし、快適なものよ」

「そうも言ってられんのだ。人里の者が続々と倒れている。中には死者までいるみたいだ。今のところは、異常に勘付いた上白沢慧音の強力な結界のおかげでなんとか持っているみたいだが…早急に手を打つ必要がある。………ついでに言うと紫さまが機嫌を崩しつつある」

 

 そう言う藍の顔は焦燥で歪み、額には汗が滲んでいた。

 もしも…もしも自分の主が激怒し、自らその力を行使したら幻想郷は…今度こそ間違いなく滅びる。

 あの人はとても聡明。しかしそういう人なのだ。

 

「怒りに身を震わせるほどだ。このままでは幻想郷が危うい」

「紫が…?この霧でねぇ…そんなに影響が来るものかしら?私も…魔理沙も平気だったけど?」

 

 面倒くさそうに聞いていた霊夢であったが、紫の機嫌の様子を聞いて眉をひそめる。

 彼女自身、もし紫と戦ったとしても遅れをとるつもりは決してない。しかしこの世で最も戦いたくない相手であることは事実。本気で霊夢と紫が死力を尽くした戦闘を始めた際、幻想郷が…いや、世界が原型を留めているかは保証できない。

 

「私も平気だ。私の式神(ちぇん)も平気だ。だがそれ以外には被害が出ている。紫様が動き出す前に…異変解決…頼んだぞ」

 

 言うことを言った藍は再びスキマを開くと今度は魔法の森に存在する霧雨魔法店へと向かった。

 その姿を見届けた霊夢は面倒くさそうにため息を吐くと…傍に置いてあったお祓い棒を何気になく拾い、ビュッと振った。

 

 ――ゴウッ

 

 天が割れた。

 その一凪により大気は震え、博麗神社周辺を漂っていた紅い霧は消滅し、一時博麗神社周辺は風速五十メートルを超える暴風域に達した。

 

「はぁ…面倒臭いわ…」

 

 そう呟きつつもゆっくりと浮遊し、何処へともなく漂う作業を開始した霊夢。

 異変解決は秒読み段階へと入った。

 

 

 ◆

 

 

「お嬢様。博麗の巫女が動き出したようです」

「ふぅん…やっとなの…。待ちくたびれたわ」

 

 視界の全てが紅で塗りつぶされた主の間。

 そこに化物が約二名。

 一人は白のナイトキャップを青髪に被り、王座に座る。身長は十歳程度の幼い風貌だが、背中から生えた巨大なコウモリの羽が彼女が人外であることを象徴していた。その小さな体から放たれる圧倒的強者の風格は全生物の頂点に立つ最強の種族である証である。

 もう一人はメイド服に身を包み月の如き銀髪を持ち、主の側で瀟洒に佇んでいた。ワイングラスとボトルを抱え、主人に給仕しているのだ。彼女からもまた、只者ではない圧力を感じる。

 

「私の”全世界クリムゾンナイトメア”計画を成功させるにおいて一番の障害となるのはあの不気味なスキマ妖怪、そして博麗の巫女。

 半分の未来は、私がスキマ妖怪に諭されるか、博麗の巫女によって私が倒されるかで計画は失敗に終わる…いや、終わった」

 

 王座に座る幼き吸血鬼は傍に佇む従者よりワイングラスを受け取ると、血のように真っ赤なレッドワインを一飲みする。

 

「だが、それらの首を挙げてこそ、我が紅魔館の絶対的な力を幻想郷に知らしめることになる。逆らう者もいなくなるでしょうね。

 もっとも、スキマ妖怪が自ら出張ってくる運命はかなり少ないけど。そのスタンスが正直気に入らないのは本音。どうやって引きずり出してやろうかしら…」

 

 ワイングラスをゆらゆらと揺らし、波打つレッドワインをさも楽しげに見つめる。

 レッドワインも、人の命も、この世のありとあらゆる事象すらも、全ては彼女の掌の中…。彼女の意思一つで、それらの”運命”は決定する。

 

「まあ…巫女に関しては私自らの手を煩わすまでもない…かしら。博麗の巫女が私の手を下すにふさわしい存在かどうか…。貴方に選別を頼みましょうかね?」

「かしこまりました。この十六夜咲夜、目にかからぬ場合はお嬢様の手を煩わせることなく、博麗の巫女を排除してみせます」

「クックック…流石は、我が一番の従者ね。だが…」

 

 吸血鬼は立ち上がるとテラスへと赴く。

 心地よい紅霧が彼女の体に纏わりつく。ふと、紅く染まった月を仰ぎ見た。

 今夜の月は彼女だけの月。煌々と紅い月光が彼女を照らし続ける。

 

「…それで終わらないのが運命の面白さよ。今宵の運命はどっちに転がる?私か?博麗の巫女か?それとも…」

 

 吸血鬼が見つめる先には黒々とした空間が自分の紅い霧を塗りつぶし、広がってゆく光景があった。

 あの中には恐らく…

 

「クックック…余興も十分」

 

 満足したように頷くと、主の間へと戻り座り直す。そして従者に再びレッドワインを要求した。

 

「今日は…楽しい夜になりそうね」



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影歩む深淵*


第一章は世界観の(物理的な)説明
紅魔郷編のみ戦闘描写が多いです


 *◆*

 

 

 陰鬱とした紅蓮の霧が大地を包む。その浸食は留まるところを知らず、宵闇の夜空に爛々と輝く月でさえも紅く染め上げた。

 その紅き霧は人里に少なくない被害をもたらし、ついに博麗の巫女より異変との認定を受けることとなる。

 博麗の巫女…博麗霊夢が動けばその異変は終わる。幻想郷での常識だ。

 

 現に当代、歴代問わず彼女たちが解決できなかった異変はゼロ。信頼と実績の塊である。

 今回も何食わぬ顔をして軽く異変を解決するのだろう。

 

 

 自らの勘に従い思うがまま浮遊する霊夢。

 博麗の巫女の異変解決はまずそれから始まる。当てもなくふらつき、当てもなく彷徨えば、いつの間にか異変の渦中にいる。博麗の巫女とはそういうものなのだ。

 そこへ…

 

「よう霊夢。今日は異変解決日和だな。ついに興が乗ったのか?」

「…魔理沙…。そうね、興に乗らされたわ。おかげで、今日は永い夜になりそうね」

「んあ?もう夜か?いまいち霧のせいで分からないな。まあ、若干暗い気がしないこともない」

「そうね、私も知らないわ。涼しいから夜だと思ったんだけど」

 

 友人、霧雨魔理沙が何処からともなく箒に乗ってやってくる。

 霊夢に追随する様子を見るに、彼女もまた異変を解決するつもりなのだろう。霊夢に着いていけばやがて異変の首謀者とかち合うのだから。楽なものだ。

 

「んー…この方向から行くとやっぱりあの紅い館か?確かにありゃ怪しいよな」

「ああそういえばそうね。紅い館があるわ。真っ赤だもの、怪しいわ」

 

 そんなのらりくらりとした様子で彼女たちは霧の湖へと差し掛かろうとしていた。

 やがて魔理沙は何かを発見する。黒い球体状のモノが空中をフヨフヨと浮遊している姿を。

 その黒いナニカは吐き気を催すほど瘴気を放っていた。いや、実際には放ってない。そう感じるのだ。大妖怪ですら裸足で逃げ出す威圧感。普通の人間が見たならばショック死しかねないレベル。

 それほどまでに目の前のものは異物だ。

 

「おい見ろよ。ありゃなんだ?」

「…おはぎかしらね。あー…おはぎが怖いわー」

「確かに、見てるとお茶が怖くなるな。お茶が怖いぜ」

 

 しかし、そんな意味不明な物体を意識に介せず、霊夢と魔理沙は完全にスルーした。

 黒い球体状のナニカも霊夢たちの行く手を遮ることなく通り過ぎ、紅い霧の中へ消えていった。

 

「変な妖怪もいるものね」

「お前さっきおはぎって言ってなかったか?」

「おはぎの妖怪でしょ」

「ああ違いない」

「おはぎの妖怪って誰?」

 

 

 

「おっ?」

 

「ん?」

 

 いつの間にか二人の前には先ほど通り過ぎた暗い球体状のナニカがフヨフヨと浮遊していた。先まわりでもしたのだろうか。

 睨み合うこと数秒、突如黒い球体状のナニカはパックリと割れ、中からほおづきのような紅いリボンをつけた金髪の見た目少女が現れる。

 

 霊夢はその相貌を見やり、かつて幼少期に聞かされた紫の話を思い出した。

 紫曰く、「見かけたら逃げなさい。あの妖怪に目をつけられたらいくら貴方といえども命は…ない…(かも…)。彼女の操る闇は、一切の光を遮断し、この闇にあてられたものは完全なる漆黒の世界に正気を失うと言われているわ。どんな姿かだって?そうねぇ…紅いリボンが特徴の幼い少女よ……(ああ、恐ろしい…。なんでこんな化物ばっかりなの…)」とのことだった。

 あの時の紫の様子からすると本当にヤバイ妖怪なのだろう。

 しかし当時の幼少期霊夢は紫が自分を子供だから見くびっている…と大して気にも留めなかった。そして今も留めてない。

 取り敢えず魔理沙が応答した。

 

「誰もお前のこととは言ってないぜ」

「そーなの?」

 

 少女…常闇の妖怪ルーミアは首を傾げた。

 

「いや、あんたのことよ。それで、あんたは誰?」

「さっき会ったじゃない。もしかして鳥目?八目鰻をおオススメするよ?」

 

 八目鰻には鳥目を治す効力がある。

 

「いらないわ。人はね、暗いところじゃなにも見えないのよ」

「? けど夜しか活動しない人とか見たことあるけど…」

「それは食べてもいい人類」

 

 博麗の巫女が妖怪にこのような発言をするのは見方によっては真偽を問うものであるが、里の人間はともかく外来人の捕食は公に許可されている。見かければ助けるが、わざわざ妖怪側に自制させるほどのことでもない。

 

「そーなのかー」

「そうなのか?」

「さあ?私に聞かれてもねぇ」

「なら…あなたは食べてもいい人類?」

「良薬口に苦し…って、知ってる?」

 

 霊夢が薬なのかどうかは完全に別問題。苦いからといって良薬であるとは限らないのである。

 

「食べてみなきゃわからないでしょ?」

「違いないな」

 

 魔理沙がルーミアの言葉を肯定したところで戦いは始まった。

 さて、ここで一つ補足しておこう。

 

 これから行われるのはゲームではない、

 ごっこ遊びではない。

 美しさの有無が問われる決闘でもない。

 

 

 妖怪と人間との…古来から行われる単純な殺し合いだ。

 幻想郷には

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「それじゃ少し齧らせてね。良薬かどうか確かめるから」

 

 ルーミアは手を水平に横へ広げると体より漆黒の闇を噴出した。闇は徐々に…徐々に広がってゆく。先ほどまで赤黒かった景色は一変し、完全な闇へ。

 

「おっと、これじゃなにも見えないな」

 

 魔理沙は懐からミニ八卦炉を取り出すと火を灯し光を得ようとした。しかし…

 

「んぅ?全然明るくならないな」

「霖之助さんの仕事も案外いい加減なものなのね」

「んー…あいつに限ってそういうのはないと思うけどなぁ?」

 

 ミニ八卦炉の作者である霖之助へ熱い風評被害が浴びせられたが、これは仕方のないものだ。決して霖之助が悪いわけではない。

 ルーミアの闇は幾つかの分類に分かれているが、今展開している闇は魔法の闇。光を通さない不変の闇である。

 ルーミアのテリトリーに入った人間には最期、捕食される未来が確定する。

 だが、ルーミアの目の前にいる二人の人間は人間擬だ。

 闇に溶け込んだルーミアは背後からそっと近づくと腕を振るい、ゴウッと闇を切り裂き、霊夢の首を狙う。

 しかし…

 

「まあ、関係ないがな」

「そうね。妖力だだ漏れだし」

 

 なんともないようにお祓い棒でルーミアの一撃を防ぐ霊夢。お祓い棒からは凡そ木の棒が出すはずのないギギギ…という金属音のような不協和音が鳴り響く。

 

 ルーミアは眉を顰めた。

 今霊夢と魔理沙は暗黒に包まれている。まさに目を閉じた状態でルーミアと戦っているに等しい。

 まず、ルーミアの腕力はかなりのものである。軽く腕を振るえば木の数本は粉々に砕け散るほどの腕力だ。しかし霊夢は軽く一撃を防いで見せ、現在、力ではルーミアと拮抗…いや、ルーミアの圧力を完全にあしらっていた。

 

「おはぎ妖怪は私に退治されるのが御所望みたいよ。あんたはすっこんでなさい」

「まあいいや。次の妖怪は私だからな」

 

 これは偶然などではない。

 霊夢は最初からルーミアを妖力で感知していたのだ。魔法の闇からも妖力は湧き出ているが、その源泉たるルーミアの莫大な妖力は霊夢や魔理沙には感知があまりにも簡単すぎた。

 また妖力を感知しなくとも気配を感じればルーミアの行動など筒抜けである。

 

「ふぅん…普通の人間じゃなかったんだ。やるね」

「妖怪から褒められても嬉しくないわよ…っと!」

 

 霊夢は袖下から何十枚もの霊札をルーミアに向けて投擲する。一枚一枚が莫大なる霊力が秘めた博麗の札であり、大妖怪ですら一撃で昇天させるほどの代物だ。

 しかしルーミアは闇に溶けていき、その姿を消滅させることでコレを回避した。

 

「凄い凄い、人外さんだったのね。これは私も少し本気よ」

「失礼ね。私は普通の人間だっつーの」

「どの口が言ってんだか」

 

 いつの間にかルーミアと霊夢からかなり離れた位置まで退散していた魔理沙が苦言を漏らした。

 かく言う魔理沙も…だが。

 

「それでも私は少し本気」

 

 ルーミアは再び手を水平に左右へ伸ばすと、闇を噴出した。

 その闇は展開されている暗闇を吸収し、肥大化してゆく。吸収するごとに闇は晴れていった。

 

 今度の闇は先程まで展開されていた暗闇を作り出す魔法の闇とは一味違う。

 その闇はどこか粘着質でドロドロとしていた。雰囲気からして触れるのはあまりよろしくない産物であると霊夢は思う。

 

 噴出された新たな闇は空中にて分散、集合し数百以上の弾幕を作り出す。

 

「さあ、私に齧らせて頂戴?」

「だが断るわ」

 

 瞬間、闇の弾幕は雨のように霊夢へと降り注いだ。勿論素直に被弾する霊夢ではない。

 強力無慈悲な結界を即座に展開。粘着質な闇を阻む。しかし…

 

「…あら」

 

 闇は凄まじいスピードで結界を侵食。術式を粉々に破壊してゆく。

 これまで一度も破られたことのなかった自前の結界を破壊されたことは霊夢にそれなりの驚きを与えた。

 

「なるほど、防御もダメなのね」

 

 霊夢は回避に専念する。

 隙間もないように見える弾幕の雨あられをなんともないように回避し、その姿は霊夢もまた人外レベルの化物であることを物語っていた。

 しかし相手は本物の化物である。

 

 自身のほうへ飛んでくる闇を焼き払いながら魔理沙は傍観していたが、やがて異常に気付き、小声でぼやく。

 

「…おいおい。やばくないかこれ」

 

 その視線の先には地面に着弾したルーミアの闇があった。その闇は地面に着弾してなお、這いずり回り、食い尽くしてゆく。

 

 侵食の闇。

 ありとあらゆるものを飲み込み、消滅させる。その危険度を魔理沙や霊夢、ルーミアの下に存在していた林が物語る。

 闇に呑まれ、徐々にその姿を消失させてゆく木々と地面。生命を容易く飲み込む闇の恐ろしさだ。

 

「おーい霊夢、下は無しだ。幻想郷に被害が出るぞ」

「あー…? ったく…面倒くさいわね」

 

 霊夢はルーミアの上空に飛行しルーミアの闇が地上に届かないようにする。思惑通り闇は地面に落ちず、空へと消えてゆくのだが…

 

「…霊夢…。上も無しだ」

 

 闇は、()()()を食っていたのだ。

 博麗大結界を破壊されれば幻想郷は壊滅する。それは何としても避けなければならない。

 

「あー面倒くさい。心底面倒くさい!!」

「私が手を貸してやろうか?うん?」

「いらないわよ」

 

 ムスッとした顔でそう言うと霊夢はルーミアを正方形で囲むように結界を展開する。

 しかしそれらは全て闇によって侵食され、消滅してゆく。

 

「ゲフ…ご馳走様」

 

 満足そうな顔をルーミアが浮かべる。しかし…霊夢は不敵に笑った。

 

「あら、そんなものでいいの?そうと言わず、どんどん食べていいのよ?」

 

 正方形の結界が侵食されるよりも早く次の結界を展開。再びルーミアを囲うように結界を重ね掛けする。

 その結界もまた闇に呑まれてゆくが霊夢は消滅するよりも先にさらに結界を展開。闇を外に出さず封殺する。

 さらに…

 

「お?おぉ?」

 

 結界を重ね掛けするごとに結界はどんどん縮小してゆく。

 ルーミアを徐々に徐々に封じ込め、ついにはギリギリルーミアが入るサイズまで結界は縮小された。

 

「狭い〜」

 

 ルーミアはなんとか闇で結界を破壊しようとするがそれを上回る勢いで霊夢が結界を複製。

 魔理沙は「ほう…」と感心したように呟いた。

 そして最後に霊夢は手を突き出し…微笑んだ。

 

「じゃあね」

 

 突き出した掌を握る。瞬間、ルーミアを囲うように展開された結界はへしゃげ、パンッという拍子抜けした音とともに破裂し、中のルーミアともども、木っ端微塵となった。

 文字通り、そこには何もなかった。霊夢は闇すらも消滅させたのだ。

 ルーミア消滅に影響したのか、先程まで林を食い荒らしていた闇や、博麗大結界を破壊しようとしていた闇は光に消えた。

 

「中々えぐいことを考えるな…。この私でもドン引きだぜ?」

「知らないわ。あいつは妖怪だった。それだけよ」

 

 素っ気なく言い放つ霊夢に苦笑いする魔理沙。これだから自分の親友は恐ろしい…とでも思っているのだろう。一つ補足しておくが、魔理沙も十分恐ろしい。

 

「さて、おはぎ退治も済んだことだし、目的地を目指すとするか」

「そうね。さっさと――――」

 

 楽しげに魔理沙と会話していた霊夢であったが、急にピタリと全ての動作を止める。

 緩んでいた顔は妖怪退治の顔へと戻っていた。

 

「おいおいどうし――――ッ!」

 

 ゾワッと背中に走る悪寒。魔理沙は八卦炉を逆ブーストさせ無理矢理後ろへ後退する。

 瞬間、先程まで魔理沙がいた場所を無数の黒い槍が突き刺していた。コンマ一秒でも反応が遅れていたら魔理沙の命は無かっただろう。

 

「っと、危ない危ない。最近の妖怪は随分とタフだ、なッ!!」

 

 魔理沙は掌から星型の弾幕を一つ、木の残骸が転がっている場所へ…正確には木の残骸の影に向かって飛ばした。

 バンッという爆発音とともに血溜まりとクレーターが出来上がる。血の正体は恐らくルーミア。影に潜んでいたのだ。

 しかし、血溜まりは闇に消え、影よりルーミアは復活する。

 その顔は歓喜に、愉悦に歪んでいた。

 

「いい霊力…」

 

 霊夢を見ながら言う。

 目はまさに獲物を見る目。赤く血走っていた。

 

「いい魔力…!」

 

 魔理沙を見ながら言う。

 口からはギザギザの歯が覗き、涎が溢れんばかりに溢れていた。

 

「あなたたちは、どのくらい美味しいの?」

「それを私たちに聞くのはお門違いってやつだぜ。お前は自分を食ったことがあるのか?」

「あるよ。すっごい不味かった」

 

 ベーっと苦い物を食べたような顔をするルーミア。痛みとか、そういう概念はないらしい。

 

「そうかい。なら不味いんだろう、私も、お前も」

「そーなのかー」

 

 手を左右に広げ、十字架のポーズを取る。今までの行動パターンを見るにこれが闇を放つ合図だろう。

 

「なんでそんなに手を広げてるんだ?」

「『聖者は十字架に磔られました』って言っているように見える?」

「いんや。『人類は十進法を採用しました』って見えるな」

「あんたたちには何が見えてるのよ」

 

 霊夢のツッコミが入ると同時に、ルーミアの影は広く広く地面に広がってゆく。

 そして、影は蠢く。まるで虫か何かが這うように闇は蠢いていた。

 

「また新しい闇? あんたいくつ種類があんのよ」

「さあ? 無限の活用性があるからね。例えば…こんな風に」

 

 ルーミアは手をバッと上に上げる。瞬間、霊夢と魔理沙の真下に展開されていた闇から幾多もの黒色の槍が噴出される。まさしく斬撃の嵐。まともに食らえば恐らく原型すら残るまい。

 

 魔理沙は高速でその場から離脱することで難を逃れたが、躱すのは面倒臭いと判断した霊夢は結界を展開し防御する構えだ。

 そして衝突。凄まじい不協和音が幻想郷に鳴り響く。槍が結界に当たるたび、ビリビリと大気が震えた。

 

「霊夢の体が押されてるな…あの闇には質量があるのか?」

 

 魔理沙の予想は正しい。

 ルーミアが操り、霊夢にぶつけている闇の槍は俗に言う暗黒物質(ダークマター)と呼ばれるものだ。質量は持っている、しかしその他一切のことは不明と…まさに幻ともいえる物質。それすらも自由に操るルーミアの危険度は一線を画すだろう。

 

「おーい霊夢ー? 手を貸した方がいいんじゃないかー?」

「うるさいわね…生憎だけど結構よ。あんたは自分の方にくるのだけ払っておきなさい。…霊撃」

 

 霊夢は結界を爆発させ。纏わり付いていた槍を突き放した。

 その一瞬の隙。霊夢にはそれだけで十分だった。

 

「封魔針」

 

 霊夢の投擲した破魔の針は風を切りルーミアへと突き刺さった。脳天に一本、首に一本、胸に一本。

 ルーミアは大きく目を見開くと、ボロボロと崩れ紅霧に消えた。

 しかし霊夢の顔つきは戻らない。すなわち…

 

「…全く堪えてないなあいつ」

「初っ端から面倒臭い妖怪に出くわしたわねぇ…。もう放っといてもいいかしら?」

「ダメよ」

 

 いつの間にか復活していたルーミアが背後から霊夢へと近づいてゆく。

 

「私は闇がある限り何処からでも湧いて出るわよ。こんな美味しそうな肉を逃すなんてありえない」

「鬱陶しい。そろそろ消えてくれない?」

 

 振り向き際にお札を投擲。迸る霊力でルーミアをバラバラに弾き飛ばす。だがこんなものでは闇を消すことは出来ない。この世の理が成り立つためには闇は必要不可欠なのだから。

 

「嫌よ嫌」

「そんな美味しそうなお肉を見せびらかして」

「私を誘っているのに」

「それを直前でお預けなんて」

「私に死ねと?」

 

「死ね」

「ははは…」

 

 影から次々と湧いて出るルーミアに霊夢は思いのほどをありのまま言い放ち、魔理沙は霊夢のキレ具合に苦笑する。

 

 複数に分裂したルーミアは各々で闇を展開。不可視の闇を展開し、侵食の闇で行動を縛り、暗黒物質(ダークマター)を剣、槍、斧、しなやかなムチといった様々な形に加工して攻撃し、いくら殺しても影から湧いて出る。

 霊夢は危なげなくそれらを回避し、殲滅していたが、あまりにもジリ貧過ぎる。

 しばらく黙ってこちらにやってくるルーミアのみを焼き払っていた魔理沙であったが、とうとう見かねたのか霊夢へ呼びかけた。

 

「なあ霊夢。お前だけでも負けることはないだろうが…勝つこともないんじゃないか?」

 

答えは返ってこない。

 

「私が手を貸せばこの勝負は一瞬でケリがつく。わかってるんだろ?」

 

 一枚の魔力を収縮したスペルカードをピラピラと見せびらかしながら、現れるルーミアを殲滅している霊夢へ得意げに語りかける。

 しばらくガン無視を決め込み、次々と影から現れ苛烈な攻撃を仕掛けるルーミアを殲滅していた霊夢だったが……五十体目のルーミアを殺したあたりで不服そうな表情をしながら魔理沙の元まで飛んだ。

 

「一つ言っとくけど…相性の問題よ」

「分かってるって。天儀『オーレリーズソーラーシステム』」

 

 魔理沙がスペルカードの魔力を解放する。迸る魔力に伴い凄まじいエネルギーを秘めた一つの弾幕が幻想郷上空に生成されてゆく。そして完成したのは…闇を切り裂く最強の存在、太陽を擬似した巨大な弾幕。

 暗闇と紅霧に包まれた幻想郷を一つの擬似太陽が照らす。

 ルーミアは鬱陶しそうな顔をするが…その後に小馬鹿にしたような表情を浮かべた。

 

 世界を成す理には陰陽という、最たる大前提となる理がある。

 

 男と女。

 羊飼いと狼。

 夢と現。

 生と死。

 光と闇。

 

 双方調和して理を成す。

 片方なくして片方無し。

 光が強まれば同様に、闇も濃くなるものなのだ。擬似太陽を作り出したところでルーミアの力をさらに増加させることにしかならない。

 

「太陽ね。確かにそれは厄介。だけどそんなものじゃ私を殺すには遠く及ば――――」

「そうね。あんたを消すにはこれくらいしないと」

 

 直後、霊夢は再びその身から有り余る霊力を放出させる。しかし、その霊力は徐々に、徐々に形質を変化させてゆく。

 そして霊夢の体から噴き出すのは…神力。

 

「『女神の舞に大御神は満足された。天岩戸は開き、夜の侵食はここで終わる』」

 

 霊夢は祝詞を読み上げ、その身から神々しい神力とともに光が溢れ出す。その光は全ての物に命を注ぐこの世で最も尊き光。正真正銘の日光である。

 

「『この世の闇を討ち滅ぼすは太陽が務め。顕現し給え天照大御神』」

 

 神降ろし。

 霊夢は神道最高位の神である天照大御神をあっという間に幻想郷へと顕現させた。魔理沙の「天儀『オーレリーズソーラーシステム』」は擬似的な太陽を創り出すことで、暗黒の夜闇の中でも天照大御神を顕現させることを可能にするための布石だったのだ。

 天照大御神の降臨にはさしものルーミアも目を見開いた。

 

 ルーミアの正体については今回割愛するが、彼女と天照大御神の繋がりはかなり深く、表裏一体の存在と言っても過言ではないのだ。

 

 溢れ出る日光に対抗するように闇を今まで以上に放出させるルーミア。しかしそれに伴い、光もまた輝きを増してゆく。

 

 これには闇の権化たるルーミアをもってしても形を保つことはかなり難しい。

 しばらく拮抗させるように闇をドバドバと放出し光を飲み込まんとしていたが、やがて諦めたようにダランと左右に伸ばしていた腕を下へ下ろした。

 

「…今夜は出直すわ。いつか嚙りに来るからね」

「もう二度と来ないで欲しいわね」

 

 霊夢の言葉とともにルーミアはスゥ…と光に溶けていった。

 やがて光は収まり、幻想郷に再び紅い紅い夜が戻ってくる。

 

「ホント…幸先悪いわね。こんなしぶとい妖怪に出くわすなんて。しかもまだ生きてるし」

「ま、私ならもっと早く倒せたけどな。そんじゃ、さっさと紅い館を目指そうぜ」

 

 

 

 stage1.クリア

 

 

 

 ーーオマケーー

 

 

 

「…このままでは幻想郷が幻の狭間に消えてしまう。早急に博麗大結界を修復する必要があるわね…」

 

 紫はギリィと締め付ける腸をお腹の上から押さえ、ルーミアによって食い破られた部分からボロボロと崩壊してゆく博麗大結界をスキマから見やる。

 ついに腹をくくる時が来たのだ。自分の全妖力をかけた術式を大結界に組み込めば幻想郷の崩壊を防ぐことができる。だがそうすれば恐らく紫の存在は消えてしまうだろう。

 …それでも構わない。愛すべき幻想郷のためなら…!

 妖怪の賢者としての役目を果たす時が来たのだ。

 

「…藍、後のことは任せたわよ」

 

 覚悟を込めた声音で藍に語りかける。

 しかしそれに対し藍はアッケラカンとして表情で答えた。

 

「わざわざ紫さまのお手を煩わせる必要はありませんよ。博麗大結界にはこの藍めが予め術式を仕込んでおります、あの程度の闇の侵食であればこれ以上の崩壊はありません。即手直しに向かいます、恐らく修復作業は五秒ほどで済むかと。賢者たちや人里の有力者たちへの事情説明も既に橙へ指示しておりますので安心してください。それでは」

 

 何度も言うように紫オリジナルの能力であるはずの境界を操る能力を行使し、スキマを開くと霊夢とルーミアが戦っていた場所へと降り立つ八雲藍。

 

 誰もいなくなったスキマ空間で紫は呟いた。

 

「私の…仕事は…?」

 

 紫の静かな慟哭は響くこともなく、スキマの向こうへ掻き消えていくのであった。



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凍土の逆算*

スペルカードルールは存在しない。
しかしスペルカードは存在する。



 *◆*

 

 少々手間取ったものの、常闇の化身ルーミアを軽く退けた霊夢とそれに追随する魔理沙。

 彼女たちはついに霧の湖へと到達する。

 いつもは凍える白き霧が覆っている霧の湖だが、今日は紅い霧の影響でどこもかしこもが紅く染まり、大変目に優しくない光景になっていた。

 

「こりゃ目に悪いな。件のあいつもカンカンなんじゃないか?」

「件のあいつ?誰よ」

 

「ほら、ここらを根城にしてる氷精だ。ブン屋が言うには妖精の割には結構強いらしいぜ? 私もチラッとだが見たことがある」

「妖精ねぇ…あいつらの顔を覚えれる気がしないわ」

 

 大抵のことに興味のない霊夢の心にインパクトを残せる存在はかなり少ない。現に霊夢は既にルーミアを忘れつつある。よって霊夢の覚えている顔というのはかなり限られる。

 

「そりゃあ…な。まあ、絡まれたら面倒くさいだろうし見かけても無視していこう…ってわけだ」

「当たり前よ。妖精なんか百害あって一利なしだもの」

 

 そんなことを話しながら直進を続ける霊夢と魔理沙。しかし一向に紅い館が姿を表す気配はない。

 数分が経ったところで魔理沙は首を傾げる。

 

「おかしいな…もう着くはずなんだが…」

「周りが霧だらけで何も見えないからいつの間にか通り過ぎたのかしら。それとも私って方向音痴?」

 

 あたりを見回すと紅、紅、紅…その他は何も見えない。確かにこれでは紅い館を見逃してしまってもおかしくはない。

 

「多分、件の妖精が出しているいつもの霧と、異変の黒幕が出している霧が合わさってこのあたりが特に酷いことになっているみたいだな」

「そう、なら仕方ないわ。その妖精を叩き潰して霧を晴らしましょ」

「だな」

 

 先ほどと打って変わり、氷精の捜索を開始。スルーしていた妖精へ片っ端から無差別攻撃を仕掛ける。

 ワラワラと逃げ惑う妖精を一匹残らず撃墜する霊夢と魔理沙。妖精たちの目にはさぞ恐ろしく見えただろう。

 すると…

 

「そ、そこまでです!」

 

「お?」

 

「ん?」

 

 霊夢たちの前に緑髪の妖精が立ち塞がる。

 かなりの霊力を秘めているところを見ると大妖精の域まで達しているようだ。

 

「これ以上霧の湖での暴挙は許しません!即刻出て行ってください。もし出て行かないというなら…」

 

「いうなら?」

「――――こうです」

 

 大妖精は大量の弾幕を展開し、攻撃を仕掛ける。どうやら彼女も妖精の中ではかなりの規格外に当たるようだ。その一発一発にかなりの威力が込められている。

 しかし霊夢は規格外の中の規格外の中での最強格である。

 妖精の規格外など相手にするはずもない。

 お祓い棒を軽く振るい、発生した風圧で周りの霧ごと弾幕を掻き消し、大妖精を見据えた。

 

「そ、そんな…私の自慢の弾幕が…!まさか、あの人…チルノちゃんと同格…!?」

 

 あまりの霊夢の強さに驚きを隠せない大妖精。しかしその瞳はまだ諦めていなかった。

 

「こうなったら、奥の手を使うしかありません…! あなたを殺してしまうことを…許してください!」

 

 そう言うと大妖精は、掻き消えた。

 目の前から忽然といなくなったのだ。

 

 ”瞬間移動”…大妖精の特異である。相手の注意を自分に惹きつけ一瞬の隙を突き、背後へ瞬間移動。後ろから生成したクナイで首を掻っ切る。オマケに瞬間移動は完全ノーモーションである。

 ノーモーションから繰り出される一連の流れには一切の無駄はない。ただ相手を殺すためだけに極限化した動き。

 この初見殺しに引っかからなかった相手は誰一人としていなかった……これまでは。

 

 大妖精のクナイはキッチリとキャッチされていたのだ。他ならぬ霊夢の素手によって。

 

「なっ――――」

 

「封魔針」

 

 残った片手で大妖精の胸に針を突き刺す。

 致命傷を負った大妖精は大きく目を見開くと崩れ落ち、ヒラリヒラリと舞いながら湖へ落ちていった。

 

 一方、そんな憐れな妖精など気にしない霊夢はムッとしながら魔理沙に文句を言う。

 

「ちょっと…次相手をするのは魔理沙じゃなかったの?」

「私は次の”妖怪”は相手するって言ったんだ。”妖精”を相手するとは一言も言ってないぜ」

「…あっそう」

 

 魔理沙の言い分に呆れながらも確かにそうだったなと思い返し、引き続き氷精の捜索を開始しようとした…その時だ。

 

 ――ピキピキ…

 

 不自然な自然の音が霧の湖に鳴り響く。

 二人には直ぐに検討がついた。

 湖が…凍りついている。それと同時に気温がドンドン低下してゆく。あたりは涼しい夜から一転、凍てつく夜へと変貌を遂げた。

 

「はは…お出ましみたいだぜ?」

「それはいいわね。手間が省けたもの」

 

 口から白い息を吐きながら、魔理沙は楽しげに笑う。対し霊夢は無表情でお祓い棒を構える。

 

 瞬間、大寒風…ブリザードが吹き荒れ、湖の氷を粉々に破壊してゆく。どうやらこの湖の主はお怒りのご様子だ。

 

「アンタたちね?霧の湖を荒らし回って、大ちゃんを一回休みにしたのは」

 

 唐突に下からハリのある甲高い、どこか冷たさを感じる声が響く。

 そして霧の中から現れたのは三対の氷水晶を背中に浮遊させる水色の最強妖精、チルノである。

 

「もう二度と陸には上らせないよ!」

「お前が原因だな?寒いのは」

 

 魔理沙が軽快な動きで前に出る。どうやらチルノとは戦う気らしい。先ほどまで”妖精”は相手しないと言っていた割には随分乗り気だ。

 霊夢は呆れ顔で魔理沙を見つめるがそれに関しては何も言わず、沈黙する。

 

「暑いよりかはマシでしょ?」

「はっ、寒い奴だな」

「それはなにか違う…。まあ、アンタが今から寒いヤツになるってのは本当だけどね!」

「ほう…やってみろよ。妖精の分際でぬけぬけと言ってくれるじゃ――――――――っ…か…!?」

 

 笑いながら話していた魔理沙だったが、突然、胸を押さえ苦しみだす。息が…できない。

 

「か、く…!ガ……っ」

 

 暫く苦しそうに悶え苦しんでいた魔理沙だったが、やがて力尽き、先ほどの大妖精と同様、霧の湖へと落ちていった。

 

「やったわ!まず一人!」

「魔理沙のバカ…油断しすぎよ」

 

 ぼそりと呟くと霊夢が前に出る。そして自分を結界で覆った。その対応にチルノはむぅ…と唸る。

 

「喋らなくてよかったわ。嫌な予感がしてね。その代わり魔理沙には犠牲になってもらったけど」

「人間って冷たいね。あたいよりも」

「いんや。だってあいつ、どうせ生きてるし。それにしても…妖精にしては小細工が利くようね」

 

 魔理沙が突如苦しみ出した理由。それは肺が凍結してしまったからだ。肺の中に存在する水蒸気を凍らせられては、どんな化物でも人間である限りは暫く再起不能。

 つまり、チルノとなんの対策なしに話した時点で、勝負は決するのだ。

 

「アンタたちは妖精が相手だと直ぐに煽るからね。見せしめさ!」

「氷像にまでなって一石二鳥ね」

 

 さらっと恐ろしいことを言う霊夢だが、彼女は知っている。あの友人が氷像にされたぐらいで死ぬようなタマではないことを。

 霊夢の言葉を聞いたチルノはふふんとドヤ顔を浮かべる。

 

「アンタも氷像になるのよ、異変の首謀者!」

「は? 私が?」

 

 チルノの口から飛び出した見当はずれな言葉に流石の霊夢も驚いた。

 

「そうよ!だって…紅いじゃない」

「……ああ、なるほど」

「アンタはさっきの白黒のようには済まさない。英吉利牛と一緒に冷凍してやるわ!」

 

 チルノの体が氷に覆われていき、それとともに気温はさらに低くなってゆく。

 そして、熱りだったチルノが放ったのは氷点下をさらに下回るであろうブリザード。霊夢の結界をカチカチと凍らせてゆく。

 霊夢は封魔針を投擲しチルノを狙うが、肝心の彼女へ到達する前に凍りついてしまい、彼女の一部となった。

 

 チルノの放つ冷気は攻撃と防御を同時にこなす絶対防御圏である。ありとあらゆるものを凍りつかせ、自分の一部にしてしまう。つまり近づくことも、遠距離から攻撃することもままならない。

 さらには留まるところを知らないチルノの冷気は猛スピードで拡散し、彼女の土俵はより広く、より盤石なものになってゆくのだ。

 

 霊夢の結界は強固である。それを真正面から破ろうというなら幻想郷を吹き飛ばすほどの一撃を霊夢へと放たなければならない。

 しかし物理攻撃に強いというその反面、特殊な攻撃には弱いというのがこの結界の定めである。

 現在受けているチルノの冷気や、先に受けたルーミアの侵食の闇といった直接的な方法でない攻略法にはめっぽう弱いのだ。

 

「…」

 

 霊夢は無言で今にも崩れ落ちそうな結界を放棄。ブリザードの中に飛び出した。

 

「勝った!紅魔郷完ッ!!」

 

 チルノは叫ぶと、凍てつくブリザードを容赦なく結界から飛び出した無防備な霊夢に放つ。

 真っ向からブリザードを受けた霊夢は抵抗する間もなく一瞬で凍りつき、見事な氷像と化した。

 その姿にチルノは満足そうに頷く。

 

「フッフッフ…これで異変は解決ね!あのスキマ妖怪にも一つ貸しができたわ!」

 

 チルノは霊夢の氷像を抱え、家に持って帰ろうとした、その時だった。チルノが霊夢に触れた途端、霊夢の氷像は砕け散ったのだ。

 驚きに目を見開くチルノであったが、そんなことはお構いなしに霊夢はパラパラと崩れ去ってゆく。

 そして霊夢の氷像から飛び出したのは数十枚のお札。その一枚一枚がチルノに張り付いた。

 

「な、ナニコレ!?」

「ただのダミーよ。そんなものに引っかかるあたり…流石妖精と言ったところかしら?」

 

 ぬっとチルノの背後から霊夢が現れる。

 霊夢はお札を使ったダミーを生成すると『亜空穴』を使用し、チルノの背後に回っていたのだ。

 勝利を確信しそれに酔いしれていたチルノが気づくはずもなかった。

 

「くそぅ! 離れろー!」

「そう簡単に博麗の札が離れると思って? まあ、取り敢えず…死になさい」

 

 札へ霊力を充填させてゆく。恐らく霧の湖ごとチルノを吹き飛ばす気なのだろう。チルノがもがけばもがくほど博麗の札はさらに張り付いてゆく。

 

「くそ、くそぅ!どうしたら……あ」

 

 チルノは何を思ったか、体からあらんばかりに冷気を放出する。博麗の札は凍りつくが離れる気配はない。しかしそんなことお構いなしと言わんばかりにどんどん気温は下がってゆく。

 勿論霊夢は結界で守られている。

 

「あらあら…トチ狂ったのかしら?妖精のおつむなんてそんなものよね」

 

「『マイナス――――」

「じゃあ、そろそろ――――」

 

 霊夢は右手を突き出す。

 

「K!』」

「消えなさい」

 

 霧の湖は霊力の奔流に晒され、消し飛んだ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「――――英吉利牛と一緒に冷凍してやるわ!」

「………っ?」

 

 霊夢の目の前にいたのは…消し飛んだはずのチルノ。

 霊夢は状況を把握できず、一瞬だけ固まったが、すぐにそんな違和感を頭から叩き出す。

 どうやらあの氷精がおかしな術かなにかを使ったようだが、なんら支障はない。もう一度消しとばしてやればいい。

 

「フフフ…戸惑うでしょ?アンタは何もわからずアタイに氷漬けにされるのよ!」

 

 チルノは一人叫び、ブリザードを放つ。

 勿論、霊夢は結界でこれをガード。崩れてゆく結界を尻目に、反撃ののろしを上げる。

 

「結界『拡散結界』」

「甘いわ! 凍符『パーフェクトフリーズ』!!」

 

 拡散し、分裂した結界が氷化スピードをさらに超えた速さでチルノに襲いかかるが、即座に発動した魔法札の力によって強大化したブリザードの前には粉々に砕け散る。

 

「あっはっは! 無駄無駄無駄ァ!! そんななまっちょろい攻撃であたいを倒せるもんか!」

「あっそう。ならこんなのなんてどう?」

 

 霊夢はブリザードへと手を伸ばす。

 瞬間、ブリザードはチルノの予期せぬ動きを始め、創造主であるチルノへと牙を剥く。

 

「ど、どゆこと!?」

「さっきの結界に細工をしたのよ。ブリザードの中を漂っている結界の成れの果てがあんたの妖力を撹乱させた。すでに私の支配下よ」

 

 猛烈な吹雪がチルノを包む。しかしチルノは氷の妖精であり冷気という名の自然そのものだ。そのような存在にブリザードをぶつけたところでどうにもならない。ましてやチルノの力がさらに増すのだ。

 だがそれでいい。この状況下で一番に特筆すべきは霊夢がブリザードを一時的に支配下に置いたということだ。

 つまり、チルノの絶対防御圏は、消失している。

 

「なんのぉ!アイシクルシュートッ!」

 

 チルノは数千発の氷柱を空気中に生成し、霊夢へと発射する。しかし霊夢は当たり前のごとく結界を展開。一発足りともその身へと到達させることはない。

 

「まだまだァ!フロストピラーズッ!!アイシクルライズッ!!」

 

 正面がダメなら下から…と氷柱を撃ち出す。

 しかし全八方を囲む霊夢の結界は突破できない。それが尚更チルノにとっては癪にさわったのだろう。さらに力を増し、攻撃を仕掛ける。

 

「リトルアイスバーグッ!!これならどうだぁぁ!!」

 

 リトルアイスバーグ…小さな氷山という意であるが、とてもじゃないがソレを小さな…と呼ぶのは間違っている。

 チルノが生成し持ち上げたのはまさしく氷山。妖怪の山とほぼ同等の大きさと言っていいほど巨大であった。

 

「はぁぁぁ!ぶっつぶれろぉぉぉぉぉ!!」

 

 そしてソレを霊夢へと振り落とす。

 地が天より降ってくるような…悍ましい光景である。

 しかし霊夢はそんな一撃を前に結構呑気していた。

 

(コレを落とせば紅い館も潰れるかしら?そうすれば手を煩わせることなく異変解決ね。……けど、躱すのが面倒くさいなぁ。しょうがない、砕くか)

 

 霊夢ははぁ…と、息を吐くと氷山へと突っ込む。

 氷山から見れば霊夢など豆粒同然。自然の猛威の前には矮小な存在だ。チルノは細く微笑み、勝利を確信した。

 

「勝った!紅魔郷完ッ!!」

「なら誰がこの博麗霊夢の代わりに主人公になるのよ。『昇天脚』」

 

 霊夢は、大自然の猛威へと真っ向から向かい、そして、真っ向から、蹴り砕いた。

 霊夢が放った後ろ宙返りからの蹴り上げにより氷山には一筋の割れ目ができる。そこからどんどんとヒビは広がっていき…

 

 ーーバガンッ!!!

 

 粉砕した。

 霊夢にとっては自然すら矮小な存在に当たる。それを象徴する一撃であった。

 だがチルノは粉砕し、粉々に砕け散った氷が降り注ぐ中を縫いながら霊夢へと突撃する。

 

「埒があかないわ! あたい自らが出るッ! アイスキックッ!!」

「あんたは元から出てるでしょうに」

 

 チルノは足へ氷を身に纏い霊夢へと一撃を入れる。

 勿論、霊夢は結界でガードする。そして衝突し、霊夢の霊力とチルノの冷気の波動が吹き荒れた。

 するとチルノは冷気により空中に氷剣を生成する。直接霊夢を狙いにいったのだ。

 

「アイシクルソードッ! くたばれ――――」

 

「衝夢」

 

 ――ズドン

 

 霊夢のお祓い棒による神速の一突きがチルノを貫いた。

 

「あ…が……くっ!」

 

 チルノの闘志は尽きない。己を貫いたお祓い棒を掴み凍らせ、霊夢を氷漬けにしようとする。

 しかし霊夢は鬱陶しそうに顔を顰めるとブンッとお祓い棒を振るい、付着した氷ごとチルノを霧の湖へと振り落とした。

 飛翔する力を失ったチルノは湖へと落ちてゆく。

 

「あぁ…寒い寒い。このままじゃ冷房症になっちゃうわ。そういえば魔理沙のやつ…復帰するのが遅いわねぇ。ま、いっか」

 

 霊夢は紅い館を見つけるべく、移動を開始した。

 

 

 

 *◆*

 

 

「――――英吉利牛と一緒に冷凍してやるわ!」

「…チッ」

 

 二度目の時間逆行であった。

 舌打ちし、有無を言わさずチルノへと数千枚のお札を投合するがそれら全てはチルノの冷気の前に凍ってしまう。

 

「あんた…いつまで突っかかってくるの?」

「あたいが勝つまでだよ! なんたってあたいはサイキョーだからね。敗北なんてないのさ! この技がある限りね!」

「時を戻す…面倒臭い術ね」

 

 霊夢は深々とため息を漏らした。

 補足しておくとチルノはなんの術も使っていない。死んでしまう直前にただひたすら周りを冷やしまくっているだけだ。それがこの現象の…『マイナスK』の発動条件。

 

 K(ケルビン)の最小値は「0(=-273.15℃の絶対零度)」である。

 そもそも温度とは粒子の震えによって生じるものだ。つまり時間に対しどれだけ粒子が移動したかと言う意味といえる。要するに全ての粒子が動きを止めた状態…絶対零度のもたらす結果は時間の停止だ。

 

 しかしだ…もしそれ以上に…絶対零度以下まで冷やすことができたら?

 理論的には絶対零度以下の温度は存在しないのであり得ない現象である。しかし幻想郷ではなんでもアリなのだ。まずチルノの存在自体が理論を根底から破壊している。懐疑というのは根本的な認識の偏差に過ぎないのだから。

 要するにチルノは最強だから限界を超えて冷やし、時間を任意で巻き戻らせるという芸当ができるのだ。幻葬狂では常識は幻想行き、これ常識。

 

「ふふん。元々最強のあたいがこれを使い始めてからもっと最強になったわ。けど最強のあたいは最強のこの技を使わなくても元々から最強なのよ! 今、思い知らせてやるわ!!」

 

 最強を連呼したチルノは空気を掬うように手を巻き上げる。

 それと同時に霧の湖はせり上がり、次々に凍りつくと巨大な氷の氷塔が数十本生成される。

 

「もはや霧の湖はあたいと一心同体よ! この世に冷気がある限り! あたいが存在する限り! あたいは絶対ッ絶対ッ絶ッッッッッ対に、負けない!!」

 

 チルノは叫ぶと、目一杯に手足を広げ体で大の字を作り思いっきり腕を交差させた。

 すると氷塔は氷でできているとは思えないほど柔軟な動きでうねり始め、霊夢へと迫る。

 

 霊夢は苦にならないように氷柱を片っ端からたたき折っていく。しかし氷柱は次から次へと生成され断続的に霊夢へと迫る。さらには…

 

「あたいは攻撃力も防御力も超一流ってやつよ! あたいの猛攻の前に散れっ!」

 

 チルノは冷気を自らに充鎮させ鎧のように氷を纏い、手には先ほどの『アイシクルソード』を構えている。

 

 氷柱の間を縫って霊夢へとアイシクルソードを振るう。霊夢はその一閃を結界で阻み、先ほどのようにお祓い棒を突き立てた。

 しかし必殺の一突は氷の鎧によって弾かれる。

 

 氷を何重にも強固に重ねられたチルノの鎧はダイヤモンドをも超える強度を実現しているのだ。

 

「はっはっはー! 効かない効かなーい!! あんたの攻撃なんて貧弱貧弱ゥ!!」

(ウゼェ…)

 

 チルノと戦うには常時結界を展開し、冷気の侵入を防がなくてはならない。そうしなければ魔理沙のように肺を凍結されてしまう。

 しかし半端な結界では瞬く間に破壊される。すなわち生成するのは強力な結界に限るのだ。よって霊力の消費はバカにならない。

 霊夢でなければとっくの昔に霊力が枯渇してしまっているだろう。

 

 たかが妖精とタカをくくっていたが…ここまで粘るのであれば…霊夢もちょっぴり本気を出さざるを得ない。

 スペルカードも、博麗の陰陽玉も、使うのは少々労力を必要とする。普段は絶対に使わないがここまでしぶといとなれば話は別。霊夢はちょっと本気を出すのだ。

 なあに殺すのは簡単、氷精が時を戻す前に殺せばいい。ただそれだけのこと。

 

「はっはっは! 凍れ凍れぇ! 雪符『ダイアモンドブリザード』ォ!!」

「…」

 

 なお一層強くなるチルノのブリザード。調子付いていることがよくわかる。

 霊夢は暫く調子に乗って所構わず氷やブリザードを連発するチルノを眺めていたが…やがてため息を漏らした。そして巫女袖から取り出すは博麗秘術のスペルカード。霊夢の周りの霊圧が一気に高くなってゆく。

 

「…霊符『夢想封――――」

 

 いざ、スペルカードを発動しようとしたその時であった。

 霧の湖より超高密度の極太レーザーが放たれ…氷塔、ブリザード、チルノを飲み込んだ。勿論、霊夢も飲み込まれているが持ち前の結界で無傷に済ませている。

 

「いやー…まさか妖精に一杯食わされることになるとはな。いい教訓になった」

 

 フヨフヨと霧の中から浮かんできたのは黒白の魔法使い、霧雨魔理沙。二巡ほど前の時に肺を凍らされたが無事解凍できたようだ。

 

「ちょっと…復帰が遅すぎよ。あんたが相手するんじゃなかったの?」

「いやぁな? 解凍寸前で時が戻るもんだから苦しいのなんの。思わず時空魔法を使っちまったぜ」

 

 カラカラと笑う魔理沙。

 呆れる霊夢。

 そして

 

「あたいの鎧がぁぁ!? よくもやってくれたわね、この………誰だっけ?」

 

 憤慨し、首を傾げるチルノ。

 鎧とブリザードと氷塔…どれかが一つでもなければ即死だった。

 

「おお、大賢者の霧雨魔理沙様だぜ。控えろー控えろー」

「何悪ノリしてるのよ」

「むむ…その態度、気にくわないわね!」

 

 チルノは再びブリザードを展開する。

 しかし今度は魔理沙も結界でしっかりと冷気を防いでいる。肺の凍結を許さない。

 

「さっきあたいに負けた負け犬が一人増えたところで無駄無駄! なんたってあたいはさいきょ――――」

「『妖精尽滅光(「ようせいじんめつこう」)』」

 

 魔理沙が何食わぬ顔で繰り出した紫色のレーザー光線は易々とチルノとブリザードを飲み込み、消滅させた。

 時を戻す暇もなくチルノは一回休みとなってしまったのだ。

 レーザーを収縮させた魔理沙は霊夢へと笑いかける。

 

「なんだなんだ、お前はこんなのに手こずってたのか?」

「2ボスにボムなんて使ってらんないわよ。まあ、あんたがやってくれたおかげで一枚浮いたわ。それに…涼しいでしょ?」

 

 周りを見渡せば氷塊の残骸だらけ。肌寒いくらいである。

 この日、幻想郷では霧の湖周辺のみ冬が観測された。

 

 さて、氷精は滅した。あとは紅い館を見つけるだけなのだが…困ったことに霧は全く晴れていない。

 チルノを消せば霧は晴れるとタカをくくっていた魔理沙は困ったように頭を掻いた。

 

「あいつを消せば晴れると思ったんだがなぁ。仕方ない、この辺りの霧を全部吹き飛ばしてくれ」

「…あんたがしなさいよ」

「お前でもできるだろ?」

「あんたでもできるでしょ?」

 

 面倒なことはすぐに押し付けあう二人である。しかしいつまでもそんなことをしていては埒があかないので霊夢がお祓い棒を振るおうとした、その時だ。

 

 ーーピキピキ…

 

 不自然な自然の音が霧の湖に鳴り響く。

 二人はデジャブを感じた。

 湖が凍りつき、それと同時に気温がドンドン低下してゆく。あたりは涼しい夜から一転、凍てつく夜へと再び変貌を遂げた。

 そしてフヨフヨと現れたのは…

 

「見つけたわよ異変の首謀者!!」

 

 チルノであった。

 霊夢は無言で光速の札を放つが、チルノは「うわっ」と驚いたのみでひらりと躱してしまった。

 

「いきなりなにすんのさ!」

「敵妖精にいきなりもなにもない。しかし…よくあんな状況で時を戻せたな。妖精ながら中々感心だ」

「時?戻す? なに言ってんの? 初対面でそんなこと言うなんて…怪しいやつね!」

 

 噛み合わない会話。

 すると霊夢が魔理沙に語りかける。

 

「こいつ時を戻したんじゃなくて一回休みから復活したんじゃないの?」

「ああ…なるほど。こんな短期間で復活するんじゃ霧が晴れないわけだ」

 妖精が一回休みになると直前の記憶を消失するというのはよくある話だ。おつむが弱い妖精らしい。

 

「さあ異変の首謀者! あたいと勝負しろ!」

「まあ待て待て。私たちは別に怪しい奴じゃない。どっからどう見ても魔女と巫女だろ?」

「怪しいわよ。特にそこの巫女は紅いじゃない!」

 

 霊夢を指差すチルノ。

 紅い霧を出すのだから出している奴は紅いはずというチルノの推理。当たらずしも遠からずといったところか。

 

「なるほど、いい推理だな。私も初見だったらこいつを疑うぜ。だがな、その推理には一つ重要なことが抜けている!」

「じゅ、重要なこと!?」

「それは…この巫女は同時に白いってことだ」

 

 霊夢は紅白の巫女である。巫女装束が白いのは当たり前。神聖なものに白は欠かせない。

 

「確かに…白いわね。けどそれがどうしたの? 結局紅くもあるじゃない」

「要するに、こいつは不完全な紅だ。そんな中途半端な紅野郎が紅い霧を出せるわけがないだろう?」

「そうなの!? なら誰が…」

「紅い館の奴に決まってるぜ」

「紅い館…紅い館…ハッ! 忘れてたわ、あたいとしたことが!」

 

 恐らく霧に紛れて館が見えなかったため記憶から抜けていたのだろう。流石妖精のおつむ。

 

「漸く真理に辿り着いたか。それなら話は早いな」

「ぐぬぬ…そうとわかればあたいのもんよ! あっという間に氷漬けにしてやるわっ!!」

 

 チルノは大声で叫ぶと霊夢と魔理沙を頭からフェードアウトし紅魔館へと飛んでいった。

 

「よし!あいつの後を追おう」

「…あんた妖精を手懐けるのうまいわね。同じような頭をしてるからかしら?」

「そりゃ流石の私でも怒るぜ?」

 

 

 stage2.クリア

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 頭が痛い…前頭葉に掛かる負担が実に鬱陶しい。

 この頭痛を感じるのは何回目だろうか。千とか…そんな数字では済まないだろう。自信がある。

 

 私、八雲紫はスキマから霊夢とチルノの戦闘を見ていた。

 戦闘についてはノーコメント。私から特に言うことは何もない。

 強いて言うなら…なんで妖精があんな力持ってるの?なんで時を戻してるの?霊夢どんだけ強いの?魔理沙の時空魔法って何よ?

 

 隣を佇む我が式、藍は大した驚きもないようにスキマから映し出される映像を見ている。若干顔を顰めるくらいか。

 

「時々結界のズレが生じるかと思えば…あの妖精の仕業でしたか。ふむ…直接的な破壊ならまだしも時空錯誤による結界の破損は何度もやられると少々厄介でございますね」

「ええそうね」

 

 何がそうなのかはよくわからないが取り敢えず返事はしておく。不意に変な態度をとって藍に反感を買われてはたまらない。まだまだ私は生きたいのだから。

 ていうか時空錯誤ってなに?私初耳なんだけど…

 

「あの妖精にいくら説明しても無駄でしょうね…おつむが弱いくせに中途半端な力を持つからこうなる…。やはりこちらが時空の歪みに対応できるように結界を新調するしかなさそうですね」

「ええそうね」

 

 妖精はいくら殺しても根本的な自然がある限り決して死ぬことはない。お灸をすえることにもならない実に厄介な存在。まあ、私はあの妖精を一回でも殺せる自信はないけど…

 

「ふむ、善は急げ……ですかね。紫様、私へ博麗大結界新調の許可の勅命を。五分か十分で済ませてきます」

「ええそうね…任せるわ」

「勅命、ありがたき幸せ」

 

 仰々しく藍は言い放つとスキマを展開。どこぞへと飛び出していった。何回も言う(思う)けど…それ私の能力…。

 まあいいでしょう。藍がいなくなったことで少し一息つける。ホント…自分の式神にビクビクし続ける生活なんてたまったものじゃないわ…。

 はぁー……

 

「そう言えば紫様」

「っ!? な、なにかしら藍?」

 

 なんの予備モーションもなくスキマを開かないでほしい。ていうか私の式神はどこまでスキマ能力極めてるの?怖いわー自分の式神怖いわー…。

 

「私がいなくなっては付きの者がいなくなってしまいますね。申し訳ございません」

「いやいやいいのよ。あなたはその…結界の新調とやらを済ませてきなさい」

 

 今の私に必要なのは息抜きの時間だ。五分十分でも貴重なのだ。お願いだから私に少し息抜きの時間を。お願いします。

 

「そういうわけにもいきません。橙をここに残していきますから、何かご用があれば橙にお申し付けください」

 

 ……オワタ

 

「式神『橙』」

 

 藍の目の前に式府陣が展開。そこからポンッと飛び出したのは私の式神の式神である化け猫…橙だ。

 私に安息の時間なんてなかったのね。

 

「お呼びでしょうか、藍様!」

「うん。少しここを離れるから紫様の御世話を頼む。くれぐれも粗相のないようにな」

「了解しました!」

 

 橙に勅命を告げると藍は再びスキマを展開しどこぞへと飛び出していった。帰ってくるなとまでは言わないが、せめて遅く帰ってきて…。

 

「それでは紫様! 何かご命令を!」

「いや、なにもないわよ。好きにしているといいわ」

 

「…」

「えっと…」

「…」

 

「…お茶を持ってきて」

「かしこまりました紫様!」

 

 トテトテと走って台所へお茶を取りに行った橙。

 かわいいわよ? かわいいけど…あの子もまた、私よりも強いのよねぇ。もうやだ。

 式神の式神に妖力負けするってどういうことなの?しかもまだ百年も生きていないような化け猫に。

 だが私の心の中にあるのは悔しさではない。次の命令を考えるための焦燥でいっぱいだ。

 橙は命令してもらわないと済まないタチらしい。日々藍とともに幻想郷中を駆け回っている。式神の鑑だ。

 しかし、ここで注意すべきなのは橙は命令されることに生き甲斐を感じているという点。次から次に命令をせがんでくる。だから橙のためにこうやって命令を考えることに勤しんでいるのだ。

 下手にバカみたいな命令を出してしまったり、命令を考えれないという状況を作ってしまって橙の機嫌を損ねたら…考えただけでも恐ろしい…。

 

 さて次になにを頼もうか…夕飯の準備…いや、これは藍が済ませているはず。というより家事全般は藍が済ませてしまっているだろう。優秀すぎる式神も困りもの。ならば…そうだ肩揉みなんてどうかしら?私の肩が潰れるわね、却下。他には…

 

「ごめんください」

「将棋の相手…大恥かくだけね。一緒に幻想郷の監視…これが無難かしら。けど…」

「…もしもし?」

 

 ……? なにやら私を呼ぶ声が。ここにはわたしと橙以外はいないはず。

 

「はい?」

「どうもお久しぶりでございます。紅魔館の従者を務めさせていただいております、十六夜咲夜です」

「あらあら、これは親切にどうも……あら?」

 

 …くぁwせdrftgyふじこlp!?

 なんでこいつここにいるの!?ここは本来私のプライベートルームよ?私の世界にちょっと入門しすぎじゃない?

 相も変わらず冷たい笑みを浮かべて私に殺気を飛ばしてくるメイド。能力については藍から小耳に挟むくらいに聞いたが…聞く限りじゃとんでもない能力だった。少しでもおかしな挙動をすれば殺されるかも…。取り敢えず愛想笑いを浮かべおこう。

 てかこのメイド…なにくわぬ顔をして私を殺しにきたのだろうか…!?

 

「なんの…御用かしら…?」

「お嬢様からのご命令で…」

 

 そういうとメイドは懐に手を入れ、何かを握った。

 あ、殺す気だわ。私の妖生…ここで終わりなのかしら。さようなら私のバカみたいな友人たち。さようなら私のかわいい霊夢。さようなら私の式神たち…

 

「貴様ァァァァァァッッ!!」

 

 私がこれまでの妖生に悲観して立ち尽くしていると台所からお茶を持った橙が扇風機のような速さでクルクルと回転しながら飛んできた。

 そして爪の一閃。私には橙の腕がぶれたようにしか見えなかったが多分爪で攻撃した。しかしメイドはなにくわぬ顔で営業スマイルを浮かべながらその一撃をナイフで防いでいた。

 私は橙の爪とメイドのナイフが衝突した時の衝撃波でゴロゴロと吹き飛んだ。タダでさえ頭が痛いし吐き気もするのに、頭が回って非常に気分が悪い。

 

「貴様ァ…!何をしている!!」

 

 頭を押さえ、ずれた帽子をかぶりなおしながら立ち上がると橙がメイドと私を遮るように立ちはだかっていた。

 おお…頼れる我が式ね。

 

「何を土足で紫様の高潔な空間に踏み入れている!無礼だよ!」

 

 あっ、そっち?いやまあ別に土足でもいいんだけども…

 

「あら…申し訳ございませんわ。どこまでが外でどこまでが内かよく分からないものでして」

 

 そう言ってメイドは靴を脱いだ。いや別に脱がなくてもいいだけども。確かに私のスキマ空間はかなりあやふやな感じだからよく分からないわよね。現に私がよく分からないんだもの。

 

「それで…なんの御用でして?」

 

 なるべく恐怖心を噛み殺しながらメイドへと問う。

 私を殺しに来たのなら…橙に足止めしてもらって私が藍を呼びに…

 

「先程にも申し上げた通り、お嬢様からのご命令でして。これを渡してこいとのことで」

 

 メイドは懐から一枚の手紙を取り出す。橙は訝しげな顔をしながらメイドから手紙をひったくると私に渡した。もう少し穏便にできないものかしら…

 早速手紙に目を通す。

 

 [拝啓 八雲紫

 

 話がしたい。即、紅魔館まで来られたし

 

 byレミリア・スカーレット]

 

 最後の名前を見て嫌な汗が噴き出した。



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彩光の験し*

最後のストック




 *◆*

 

 

 霧の湖のほとり…いや、陸続きになっている面積はかなり少ないのでもはや小島といったほうが良いのだろうか。

 そこに一つの風景とかけ離れた建造物が存在していた。周りと浮きすぎて逆に違和感がなくなるほどだ。

 鮮血をぶちまけたかの様に真っ赤な館。悪魔が住むとしてそこそこ有名な館である。名を紅魔館という。

 

 四方を壁で囲まれており、正門以外から壁を越えようというものなら容赦なく侵入者撃滅用の魔法陣が発動。チリも残らない。

 つまり紅魔館に入るには正門以外に経路はないのだ。

 

「――――って感じだ、私が見る限りではな。こんなトラップを仕掛ける魔法使いなんて相当根暗なやつに違いない」

 

 と、魔理沙は推測した。

 

「面倒臭い作りの館ね。けど結界を張りながらなら正門以外からでも入れるんじゃないの?」

「敵さんがせっかく用意したトラップなんだ。ちゃんと乗っかってやろうぜ?」

 

 魔理沙は正面を見据えながら言った。

 そこには正門の前に仁王立ちし、僅かに顔を下にやり不動の沈黙を保つ門番と思わしき中国っぽい妖怪が一匹。

 そしてその門番の前に頭から地面に減り込んでいる最強の氷精が一匹。言わずと知れたチルノである。

 

 チルノは紅魔館にたどり着くや否や空気中に雨のように氷柱を生成し攻撃を仕掛けたのだ。しかしそれらの氷柱は中国っぽい門番が放った一凪の旋風により門を越えずに粉々に砕け散った。

 そして呆気にとられるチルノへと高速で接近し、頭を掴むと地面へと叩きつけたのだ。チルノはその一撃の前に撃沈、地面に頭から埋まっている。

 時を戻す(マイナスK)暇もなく、絶対防御圏も通じず、一回休みにされたわけでもなく再起不能に陥ってしまったチルノであった。

 あのチルノが攻撃を仕掛けたにも関わらず紅魔館は全くの無傷。いや、それ以前に霊夢とチルノの戦闘の余波をこの館は受けたはず。それなのに紅魔館が無傷というのはこの中国っぽい門番の優秀さを言葉なしに象徴していた。

 

「さて霊夢。堂々と正面から入らせてもらおうぜ」

「はいはい」

 

 二人は中国っぽい門番へと近づいてゆく。途中チルノを踏み付けたが気にしない。

 徐々に徐々に接近する二人であったが、中国っぽい門番の表情を見ると…流石の二人でも呆気にとられた。

 中国っぽい門番は…寝ていたのだ。

 

「ZZZ……」

「うーん…」

「これは…罠じゃないな。本気で寝てる」

 

 ならば先ほどのチルノへのアレはなんだったのだろうか。流石に偶然とは言い切れない。

 

「睡拳…ってやつかしら」

「酔拳だろそれは。字が違うぜ」

 

 暫く対応に困っていた二人だったがこのままウダウダしていても仕方がない。さっさと紅魔館へ向かわせてもらおう。

 

「そんじゃ、お邪魔する――――」

 

 ――ビュッパシィ

 

 魔理沙の顔へ烈脚が放たれる。しかし魔理沙はなんの苦の表情も見せずそれを素手で受け止めた。

 門番は寝ながら蹴りを放ったのだ。

 

「ZZZ………」

「なるほど…こりゃ睡拳だ」

 

 魔理沙は脚を離すと門から一歩下がってみた。

 すると中国っぽい門番は脚を曲げた臨戦態勢を解き、再び不動の直立へと戻った。

 

「なによ面倒臭いわね」

 

 くだらないと言わんばかりに霊夢は博麗アミュレットを門番の顔へと放つ。

 門番はその博麗アミュレットを躱しもせず、モロに顔面で受けた。睡拳破れたり。

 パンッという破裂音とともに門番は豪快に吹っ飛び、そして狼狽えた。

 

「ブフォ!? ち、違います!私が昼以外に寝るわけがないでしょう!? ………ってあれ?」

 

 なにやら怯え、周りを警戒していた門番であったが霊夢と魔理沙を視界に捉えるや否や、突如キリッとした顔をして言い放った。

 

「お前たち侵入者か!? ここをどこだと心得る! 悪魔の館、紅魔館にあるぞ! 名前と要件を言え、内容によっては――――」

「博麗霊夢。あんたの主人を退治しに来たわ」

「あ、博麗の巫女ですか、ならどうぞどうぞ。お嬢様からのアポは取っていますよ。ようこそ悪魔の館、紅魔館へ」

 

 これまた突如穏和な顔をした門番は門への道を開けると霊夢を歓迎した。門番の奇妙なノリにどこか調子の狂ってしまう霊夢であったが、まあこれなら面倒臭くないなと上機嫌に門をくぐった。

 

「お、こりゃ話が早くていいな!」

 

 魔理沙も続いて門をくぐろうとするが…

 門番は魔理沙の眼前へ拳を突き出した。

 

「あ? なんだ、私はダメなのか?」

「貴方はアポを取ってないでしょう? 生憎、泥棒のような色合いをした人を館に入れるほど、私の警備はザルじゃないので」

「泥棒だと? 人聞きが悪いな、私はどっからどう見ても魔女だろ」

 

 魔理沙のみへの入館拒否。

 それに当の本人である魔理沙は難色を示すが、霊夢は知らんぷりをして紅魔館へと入っていった。

 

「ちょ、おーい待ってくれよ霊夢ー!!」

 

「嫌よ面倒臭い。今まで散々足止めを食らったおかげで時間が押してるのよ。どうしても付いてきたいならその門番をぶっ飛ばすなりしなさい。そういうわけで、お先」

 

 霊夢は紅魔館の玄関をこじ開け、館内へと消えていった。

 残された魔理沙は頭をぽりぽりと掻きながらため息をついた。

 

「なんだかねぇ…今日は運が回ってこない。まあ、ここらで妖精に一杯食わされた分を返してやるのもいいかな」

 

 ピンっと黒のとんがり帽子のつばを跳ね上げ、こちらを見やる門番へと敵意をぶつける。

 それに応じて門番の目が細くなる。

 

「ふむ…話を聞くに、この妖精にやられたのですか? 何があったかは知りませんが…妖精に負けているようじゃ、私には勝てませんよ?」

 

 地面に頭から陥没したチルノを静かに見やる。

 門番は重心を僅かに低く落とすと、乱れ型に構えた。魔理沙は手を突き出し弾幕を放つ態勢へ入る。

 

「というより、この館に入らないのがあなたのためです。あなたのような普通の人間では身が持たない。()()()()()()()()()

 

 意味深なことをしたり顔で語る門番であったが魔理沙はそれを鼻で一笑し、払いのけた。

 

「生憎だが、私は普通の人間じゃあない、普通の魔法使いだ。お前みたいな下っ端妖怪に気を使われるようなモンじゃないな!」

 

 魔理沙は魔法陣を展開し、星型の弾幕を数百発撃ち出した。高速で迫るソレは一発で紅魔館ほどの規模の建物なら半壊させるほどの威力を秘めている。それほどの威力だが魔理沙にとってはこけ脅し程度のものだ。

 

「ほう……中々の威力。しかし、力だけではどうにもなりませんね」

 

 門番は深く腰を落とし、重心を下へやると一気に跳躍。残像を生み出すほどの超スピードで空気中を駆け回り魔理沙の弾幕を全て彼方へと吹き飛ばした。勿論、紅魔館には傷一つない。

 

「なにを言ってる。弾幕は火力だぜ、派手でなきゃ意味がない」

 

 弾幕を全て弾かれたことよりもその直前に言われたことの方が気にくわないのか、魔理沙は食ってかかった。

 そんな魔理沙を門番は冷たい目で見やる。

 

「柔なき力に意味などない。剛力で倒せる相手など所詮ただの三流、よくて二流。そして私は一流なのです。残念ですが、貴方に入館の権利はありません。お引取りを」

「…言ったな?」

 

 魔理沙は深く帽子を被ると箒に跨り紅魔館を見下ろす位置にまで飛翔する。そして…

 

「魔符『スターダストレヴァリエ』」

 

 門番の頭上を星型の弾幕が埋め尽くした。一片の隙間もないそれはもはや回避不可能な反則弾幕である。

 だが門番には関係ない。ただの数押しなどで紅魔館の堅き門を突破することは絶対に許さない。

 

「見苦しい。力の次は数ですか」

 

 門番は握った片手を突き出すと、パッと広げた。瞬間、魔理沙の『スターダストレヴァリエ』は空気中で何かに衝突し、霧散した。

 だがそれと同時に霧散し黙々と広がる煙から箒に跨った魔理沙が飛び出し、光速の速さで門番へと突撃する。

 しかし門番は大して驚いた様子も見せず箒のつかを掴み、無理矢理急停止させた。

 

「おかしな技を使うな。能力か?」

 

「ええそう。貴方の魔力を大気に還しました。私に弾幕は通用しません。だからと言って、貴方に私と殴り合うような力があるようには思えませんがねぇ?」

「へっ、そいつはどうかな?ライジングスウィープ!!」

 

 魔理沙は箒を持ち変えると、それを上へと突き上げ穂先きで門番の顎をぶん殴る。

 仰け反り、空へ吹っ飛ぶ門番であったがくるりと一回転し門の前に着地。特に堪えた様子もなく前方の魔理沙を見やる。その魔理沙は八卦炉を突き出し、魔力を収縮させていた。

 

「魔力を霧散させるだのなんだのおかしな能力を使うみたいだが、果たしてこいつならどうかな?」

「…! この魔力は…!?」

 

 初めて門番が動じ、目つきを変えた。魔理沙のうちから溢れ出す規格外の魔力量を脅威と感じ取ったのだ。

 

「もう一度言ってやる。弾幕は派手じゃないと意味がない。弾幕は…火力(パワー)だぜ!」

 

 光は収縮し、爆ぜた。

 

「恋符『マスタースパーク』ッ!!」

 

 八卦炉にストックされた荒れ狂う魔力は一気に放出され、視界全てを覆うほどの極太レーザーとなって顕現した。

 幻想郷を抉り、対象を飲み込まんと門番に…紅魔館に迫る。

 

 即座に門番は魔力を霧散させようとしたが何分『マスタースパーク』は高濃度かつ多量。こちらに到達するまでに魔力を消し切るのは不可能だ。

 正面から受けるのはかなり危険。避けるのが間違いなく最善策である。しかし自分の背後には命を賭してでも守るべき存在、紅魔館。避けることは許されない。否、許せない。

 ならば、こうするしかあるまい。

 

 門番は大地へと足を踏み込み踏ん張る態勢を整えると、手の甲でレーザーを掬うように構える。

 そしてレーザーとの接触時にいなすようにして最小限の消費で『マスタースパーク』の進路を僅かに上へと押し上げた。

『マスタースパーク』は直上を続け、紅魔館の時計台を掠め紅き夜空へと消えていった。

 

 見事ないなし技を見せつけた門番はドヤ顔で前方の魔理沙を見据える。どうだ、これが紅魔館の門番だと言わんばかりに。

 

 そしてその肝心の魔理沙はそんなモノには眼をくれず、既に二発目のレーザーの準備に取り掛かっていた。それも先ほどとは比べ物にならないほど大規模なレーザーを放つようだ。

 門番の表情がドヤ顔のまま凍りついた。

 

「『マスタースパーク』をいなされたのは初めてだ。まだまだ改良の余地がある。誠に不服だが、もうちょっと上の火力で相手してやろう」

 

 八卦炉から漏れる魔力のスパークは大地を粉々に陥没させる。大地が、大気が、幻想郷が…魔理沙の魔力に震えている。

 門番は…諦めたかのように微笑むと、体中から気を漲らせた。あれほどのレーザーのさらに上をゆく…となればいなしても紅魔館に当たることは確実。返し手もあるがそれは諸事情により己が禁じている。ならば…受け止める他に選択肢はない。

 

 気穴より即座に出せるだけの気を体へと浸透させ、拳へと一点集中。門番の体より木漏れ日のような虹色の光が溢れ出す。同じ虹色の光でも魔理沙のものとは対極であった。

 

「押し通るッ! 魔砲『ファイナルスパーク』ッ!!」

「くそ、背水の陣だ! 熾撃『大鵬墜撃拳』ッ!!」

 

 紅魔館全てを覆い尽くすほどの超極太レーザーが八卦炉より放たれた。対する門番が繰り出したのは一撃の拳。

 それらが衝突した時、幻想郷より音が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「荒々しい剛力でもここまで押し切るとは…並ならぬ心情を感じますね。天晴れ…というやつですか」

 

 門番は門を死守し『ファイナルスパーク』と『大鵬墜撃拳』が衝突しあった地点にデカデカと出現したクレーターの爆心地に立っていた。身につけている中華服はボロボロに破れ、口からは一筋の血を流している。

 魔理沙のレーザーと門番の拳は互いに互いを相殺したのだ。だが間近で爆発を受けた門番のダメージは大きい。

 

「頑なに門を守るか…。お前ほどのヤツがそんなに必死でこき使われるほど、館の連中は怖いのか?」

「ええ、怖いですよ。少なくとも貴方よりはね」

 

 門番は苦笑しながらそう告げると道を開け、これまでのことが嘘だったかのように自らの手で快く門を開いた。

 魔理沙に入館の資格を見出したのだろうか。

 

「済まんな、通させてもらう」

「ご自由に。但しこれから先はアポイント取得の上でのご来館をお願いします。なお、命の保証はありません」

 

 魔理沙は箒に跨り霊夢に置いていかれた分を取り戻そうと、八卦炉をふかせる。

 だがそこを門番が止めた。

 

「あ、言い忘れてましたが…館に入ると左右の分かれ道に出ます。どちらを選んでも構いませんが…できれば左側を通ってくれませんか?」

「なぜだ?」

「それを言ってしまうと意味がありません。まあ強制ではないのでご自由に」

 

 それだけ言うと門番は再び門の前に立つ。その前方から強烈な冷気が迫っていることを鑑みると、一回休みから復活したチルノが再び紅魔館へ向かっているのだろうか。

 再び防御体制へと入る門番であった。

 

 だがそんなことは気にする魔法使いではない。魔理沙は門番に背を向けると箒で突っ込みダイナミック入館。

 内部は館の外観と同じく真っ赤に染色されていた。非常に目に悪い。主人の趣味の悪さが見て取れる。

 魔理沙はキョロキョロと左右を見渡す。門番の言葉通り、通路は左右に広がっていた。勿論、霊夢の姿はない。

 

「…断然右だな」

 

 さも当然のように門番から言われた方向とは別の方に進んでゆく魔理沙であった。

 

 

 stage3.クリア

 

 

 *◆*

 

 

 

「紫様、お茶です」

「……ありがとう」

 

 橙から頼んでいたお茶を受け取り、それを呷りつつ再び手紙に目を通す。

 適度な温度で、喉を潤す事だけに極限化した藍のお茶もいいが、真心込めて作られたと思われるとにかく濃くて熱い橙のお茶もまた美味しい。しかし今ばかりはそんな悠長に余韻に浸る余裕はない。

 うん、何回見ても手紙が示す内容はただ一つ。「話があるからさっさと来い」…単純明快な要求。

 差出人はレミリア・スカーレット。忘れるはずもない、紅魔館とかいう悪魔の巣窟を総括するガキンチョ吸血鬼の名前だ。

 いや、なぜこのタイミングでこんな手紙を送ってきた?しかもこのメイドに届けさせるって…何かの当てつけかしら…?

 

 まずだ、私にガキンチョ吸血鬼からの申し出を断ることはできないのだ。敢えて、私に、この空間で、自分の手の者に、このタイミングで手紙を渡させることによってお前の命はもうすでに私の手中ですよってのを暗示して伝えているのだ。紫ちゃんは賢いからわかる。

 なんという悪どい吸血鬼、流石吸血鬼悪どい。

 

 私に逃げ場所なんてなかったんだ。

 誠に遺憾の意であることを表明したいところではあるがここは相手の申し出に乗るしかあるまい。

 面子とかよりも自分の命の方が断然大事である。

 

「…分かりましたわ。その要請に応えましょう」

「紫様!? 何も紫様ご自身で行かれる必要はありません! この橙にお申し付けくだされば…」

 

 いやダメなのよ橙。貴方はヤケに血の気が多いからすぐにいざこざを起こすし、それで貴方に怪我をさせたりでもしたら藍から監督の行き届きが不十分ってことで粛清されかねないわ。……あれ、どっちが主人?

 要するに橙を紅魔館に送るのはリスクが大きすぎる。それにあちら側から「式風情を寄越すとは…なんという不敬!」なんて思われるかもしれないし。現にそういう賢者も昔にいた。最近は全く見ないけど…

 

「橙…彼方は私を御所望なのよ。私自らが行かないと意味がない。大丈夫よ、そろそろ私からも話をつけたいと思っていたから好都合でもあるわ」

「そう…ですか……なるほど仰る通りです!」

 

 ほっ…よかった。納得してくれたようだ。ここで拒否られて癇癪でも起こされたらどうしようかと思ってたわ。

 

「ではわたしは付き人としてご一緒させていただきます! 護衛は任せてください!」

 

 いや違うの橙。そうじゃない。

 橙はまだ我慢というものを知らない。こういう場面へ連れて行くのは明らかに下策だ。

 話し合いならば私が相手にへりくだってやれば大抵は上手くいく。あのガキンチョならばなおさらだろう。私の胃痛はマッハだけど。

 なんとかやんわりと橙を刺激しないように断らねば。

 

「いえ…貴方はお留守番よ。付いてくることは許可しません」

「え…? し、しかし…わたしは藍様からお付きになるように勅命を…」

「貴方には早すぎるわ。だから…ね?」

 

 橙の眼をジッと見つめながら語りかける。

 内心ビクビクものである。しかしここで橙を連れて行くことはできない。絶対だ。

 

「…」

「ね、橙。分かってちょうだい」

 

 会話の畳みに入った時だった。橙は顔を下へ向け、震えながらスカートの裾を掴みなにやら、うーうーと唸りだした。これは…マズイかしら。もしかして橙の反感を買っちゃった?ヤバイ、殺される。

 すると橙は顔を上げるとカッと赤く充血させた目を見開いて私に言い放った。

 

「紫様…わたしは、藍様の式神です。いくら紫様でも…藍様の命令を覆すことは、できません。わたしもご同行させていただき…ます」

 

 橙は小刻みに体を震わせ、歯をガチガチと鳴らしながら私に言った。威嚇か?威嚇なのか?許可しなければ殺すという威嚇なのか!?

 そ、そこまで言うなら許可せざるを得ない。てか許可しなかったら私が殺される。

 

「…わかったわ橙。貴方の同行を認めます。ただし、出過ぎた真似はしないように」

「は、はい! ありがとうございます!!」

 

 そう言うと橙は私の前に跪いた。

 式ならば当然の態度だけれども私と橙の実力差から考えると不自然でしかない。ていうか橙は…藍にも言えることだけどなぜそこまで私を恭しく扱うのかしら?主人と式の関係なんて建前上のものみたいなものじゃないの?逆に不気味なんだけど…。

 

「それではよろしいですか?お嬢様の元までご案内させていただきます」

 

 空気になっていた(というか忘れていた)十六夜咲夜とかいうメイドがニッコリ営業スマイルで微笑む。いや、微笑んでも隠しきれてないからね?その私に向けられている殺気。

 

 十六夜咲夜はナイフを一本取り出しスキマ空間に向かってそれを振るった。するとスキマ空間に一本の亀裂が走り、ウニョーンと開くとどこぞへと繋がる。

 私の能力に希少性なんてなかったんだ。

 

「どうぞお入りください。中はお嬢様の執務室に繋がっております。今回は特例ですが、普通は許可無しに入らないでくださいね。もしも入った場合…命はないと思ってください」

 

 なにやら怖い事を言うと十六夜咲夜はこちらに一瞥もくれずスキマ空間の向こうへと消えていった。

 

「くそあのメイドめ、好き勝手言って! 命がないって思うのはそっちの方だ!」

「橙、止めなさい」

 

 熱り立つ橙を宥めながらスキマの先を覗きつつ、恐る恐る潜った。どうやら罠らしきものはなさそうなので一安心。

 そこには血で塗りたくったように真っ赤な景色が広がっており、その中心には、こちらに背を向けて己の蝙蝠翼をより誇張し、バカみたいに妖力を垂れ流しにする忘れ難き吸血鬼のガキンチョ…レミリア・スカーレットがいた。傍には十六夜咲夜が控えている。

 いつ見ても思う。部屋のセンス酷すぎじゃない?

 

 レミリアは不動のまま動かず、それに伴い十六夜咲夜も動かない。しかし殺気は相も変わらず私へと飛んできている。痛い痛い。橙はその二人の様子を訝しげに睨む。なんとも重苦しい雰囲気が執務室を包んだ。私はなにもせずオロオロしている。ていうか霧のせいで吐きそう…我慢我慢…ウオップ。

 

 そんな居心地の悪い時間が数十秒程度続くと含み笑いをしながらレミリア・スカーレットが振り返った。え、今までのってただの演出だったのかしら?

 

「……お前は来ない…そういう線も考えてはいたわ。けどそれはどうやら取り越し苦労に終わったみたいだけどね。ようこそ私の館へ、八雲紫」

「…よく言うわね、全てお見通しなのでしょう? そのメイドさんを使ってなにをしようとしていたのかしら?」

 

 ちらりとメイドを見ながら言った。

 このガキンチョは…あんな脅迫じみたことをしておきながら、よくもぬけぬけともの言えたものだ。断ることなんてできるはずがない。まあそんなこと言うわけないけど。紫ちゃんは妖怪としての尊厳よりも自分の命の方が大事なのよ。

 

「あら…気づいていたの? まあ…流石とだけ言っておくわ」

「お褒めに預かり光栄ですわ。しかしそんなことを言うためだけに私を呼び出したわけありませんよね?早く用件を言ってくださいな」

 

 いろんな理由で早くして欲しい。

 私に対する態度のせいで橙のど怒りメーターがぐんぐん上昇してるし、なによりガキンチョの体から出ている紅霧のせいで吐き気を通り越して吐血しそうなほどに紫ちゃんボディが悲鳴をあげている。

 助けて藍。

 

 私から急かされたガキンチョはなお一層笑みを深いものにすると人をコケにするような、楽しげな感じの口調で答えた。

 

「あら、用件なんてものじゃないわ。少し貴方と話をしたいと思ったのよ。ただそれだけ」

 

 ……くぉのガキンチョ…!

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 私はお嬢様以上のものなど知らない。

 私はお嬢様以上のものなど認めない。

 私はお嬢様を超えるものなど許さない。

 それが私のお嬢様に対する絶対の忠誠心とともに絶対と掲げたもの……掲げてきたもの。

 

 だがあの一夜にして、あのスキマ妖怪によって、その根底は壊れた。お嬢様とて絶対ではないと…そう無惨に突きつけられた。

 

 己の全てを賭け、威信を賭け、死力を尽くして戦い、名も知らぬ妖怪に敗北したあの日。残ったのは敗者である私と、一抹の虚しさと、スキマ妖怪への…八雲紫への憎しみだけだった。

 

 ポーカーフェイスは昔から得意だと、自分でもそう思っていた。けど、どうやら私はそこまで得意ではなかったらしい。スキマ妖怪を目の前にする度にとめどなく激情が流れ込んできて…とにかく殺してやりたかった。

 そんな私の姿を八雲紫はさぞ滑稽に思っていたのだろう。私の姿を見るたび、ただただ可笑しそうに微笑むばかり。それがなお一層、私を苛立たせた。

 お嬢様は八雲紫を認めている。己と比肩する存在であると声を大にする。なぜ…なぜそんな事を言うのですか?お嬢様は…レミリア・スカーレット様は絶対なのに、私が一番よく知っているのに、なぜ…?

 なぜ、なぜ、なぜなのだ?八雲紫…?

 

 

 

 

 

 

 

「咲夜、この手紙を八雲紫に届けてきなさい」

 

 お嬢様はそう仰られると私に簡素な手紙を渡した。内容はすでに聴いてある。

 

「かしこまりました」

 

 お嬢様の命令に私がとやかく言う必要はない。ただ言われた事を完遂すればよい。例えその命を差し出せと言われたなら、喜んで差し出そう。それが私、十六夜咲夜の忠誠心の証。

 いざ、空間を切り裂き八雲紫の元へと向かおうとしたその時だった。お嬢様は私を引き止め、すらりと伸びる細い指で私の頬を撫でながら耳元で囁いた。

 

「奴を殺せるなら、殺してもいいのよ?貴方に殺せるのなら…だけど」

 

 心臓がドクンと跳ね上がるのを感じた。

 従者としてならぬ事と頭では理解しながらも、聞き返さずにはいられなかった。

 

「それは…御命令ですか?それともーーーー」

「いいえ、どう考えるかは貴方の自由よ。自分で考えて、自分で判断しなさい。レミリア・スカーレットの従者としてではなく、十六夜咲夜として…ね。貴方がどの運命を選ぼうとも私は構わないわ」

 

 そうとだけ言われるとお嬢様は再び席に着き、紅く染まった月を眺めた。私は…部屋を後にした。

 

 

 

 空間を切り裂いた先にはこちらに背を向ける八雲紫がいた。一枚の空間を隔てたその先に確かに存在していたのだ。あまりにも近すぎて、手が届きすぎて、逆に恐ろしく思えた。

 八雲紫はこちらに気づいているのだろう。しかし振り返らない。私など眼中にない…そういう事なんだろう。

 

「ごめんください」

 

 そう分かっていながらも一声かけた。しかし八雲紫は振り向く気配さえ見せない。…誘っているのか?私を試しているのか?

 …いやそう判断するのはまだ早い。私は再度声をかけた。

 

「…もしもし?」

「はい?」

 

 すると八雲紫は白々しくこちらを振り返った。この妖怪はとことん私をコケにするのが上手だ。

 

「どうもお久しぶりでございます。紅魔館の従者を務めさせていただいております、十六夜咲夜です」

 

「あらあら、これは親切にどうも……あら?」

 

 わざとらしく驚いたかのように振る舞う八雲紫。思わず懐のナイフへと手を伸ばそうと指がピクリと動いてしまった。これじゃ奴の思うツボなのに。

 いや、逆に今が一番いいのかもしれない。

 

「それで…なんの御用ですの?」

「お嬢様からのご命令で…」

 

 手紙を取り出す振りをしつつナイフを握る。あとはいつも通り能力を使った後に八雲紫の喉を切り裂けばいい。

 そうすれば奴を簡単に殺せる。奴を――――

 

 それで奴は……殺せるのか?

 

 あの得体の知れないスキマ妖怪をナイフで殺せるのか?このナイフはお嬢様から受け賜わった代物。殺せなかった妖怪はあの時の妖怪を除いて一匹もいなかった。

 殺せるはずだ。それで殺せなくとも私には他にも攻撃手段がある。殺せる、能力を使えば殺せるのだ。

 お嬢様のあの時の言葉だってそうだ。”殺せるのなら殺してもいい”。

 これは私が八雲紫を殺す運命が見えていたから仰られたのではないのか?暗に私に八雲紫を殺すことを期待されているのでは?

 

 ふと八雲紫を見た。奴は目をそらさず、一点に私の懐に突っ込んでいる手を凝視している。しかし八雲紫のその表情は……なおも変わらなかった。

 

 よし、殺そう。

 私は決心した。お嬢様も期待しているのだ。お嬢様も欲しておられるのだ。従者としてではなく、十六夜咲夜として。八雲紫を殺すことを――――

 

 

 ”貴方がどの運命を選ぼうとも私は構わないわ”

 

 

 手が止まった。なぜだか手が動かなくなったのだ。

 いや、小刻みに手が震えている。

 私は…恐怖しているのか…?

 何に?

 八雲紫に?

 お嬢様に?

 死ぬことに?

 見えもしない運命に?

 私は…何に恐怖しているのだ…?

 

「貴様ァァァァァァァァァッッ!!」

 

 刹那の見切りだった。気づけば手は動き、八雲紫の部下と思わしき化け猫の爪をナイフで防いでいた。

 この化け猫…相当できるようだ。爪からナイフへと伝わってくる妖力がその妖怪としての強さを激しく伝えている。

 

 どうにもあちらは靴を脱がなかったことに腹を立てていたらしい。この変な空間のどこからどこが屋内なのかよくわからないが、あちらのルールに従うのが使者としての礼儀だろう。

 …結局殺す機会を失ってしまった。

 

 この化け猫一匹程度ならどうとでもなるが、その戦いの余波であの九尾の狐を呼び寄せては流石に厳しい。八雲紫もただ大人しくその戦いを見ているとは思えない。

 結局…こうなることがお嬢様にはお見通しだったのだろうか。

 

 その後、八雲紫と化け猫はなにやら揉めていた。

 護衛をつけるかつけないかの話だったようだが、八雲紫から放たれるあれほどのプレッシャーの中、震えながらも主人に対し自分の意見を通し続けたあの化け猫には敵ながら賞賛の意を示す。

 

 

 

 

 

 八雲紫の空間から戻った時、お嬢様は私を笑顔でお出迎えくださった。その端麗な御顔に慈願を浮かべながら。

 

「咲夜、ご苦労様ね。貴方は私の言いつけを忠実に守ってくれた。私はそれが満足」

「…」

 

「選ばなかった運命なんて気にしなくてもいい。貴方が思い描いているそれは、所詮選ばれることのなかった”もしも”よ。この世界にはそんなものは存在しない。今、ここに在る事こそが真実なのだから」

 

 そう言うとお嬢様はスキマから背を向けた。もはや私から言うことはあるまい。

 ただお嬢様の手を私のために煩わせてしまった。それだけの結果しか残せなかったのだ。

 

 ただジッとスキマから出てくる八雲紫を睨む。やはり許せない。こいつがどこまで把握していたのかは知らない。

 だがお嬢様と、この十六夜咲夜をコケにしていたということだけは分かる。しかし今の私の運命では八雲紫を殺せない。

 

「……お前は来ない…そういう線も考えてはいたわ。けどそれはどうやら取り越し苦労に終わったみたいだけどね。ようこそ私の館へ、八雲紫」

 

 八雲紫が来なかった運命…それは私が八雲紫を殺すことを決心することのできた運命なのだろうか。

 

「…よく言うわね、お見通しのくせに」

 

 八雲紫は私を見据えながら静かに言った。

 ”全て分かっているぞ?”

 そんな目だった。

 

 ……奴には私の能力も、殺そうとしていたことも、全てバレていたのだろうか。

 恐らく八雲紫はお嬢様や私の能力の全貌を把握・予測している。そしてその強大さを知っておきながらあの余裕の態度。

 あの時、私が奴を殺そうとすれば返り討ちにあっていたかもしれない……いや、間違いなく返り討ちにあっていた。

 ならばお嬢様の言う八雲紫が来なかった運命とは何なのだろう?私にはわからない。だがこれだけはわかる。私は、戦わずして八雲紫に負けたのだ。完膚なきまでに。

 

 お嬢様のお傍で粗末な態度をとるわけにはいかない。私はただただ、作り物の笑顔で八雲紫を睨んだ。






美鈴の戦闘シーンが少ないのは後の出番ゆえ。


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無駄なきことのディストピア*

ディストピア、幻想郷の対義語


 紅が延々と続く薄暗い回廊。

 等間隔に配置されたキャンドル炎の妖しい揺らめきが侵入者の不安を掻き立て、それがまるで同じところをループしていると勘違いしそうなほどに単調で一人迷宮に取り残されたような錯覚に陥らせる。

 外観と比べても紅魔館の内装はとにかく広い。

 もはやこの規模は館ではない。まさに城…いや、都市と言っても過言ではあるまい。

 

 その攻略は勿論容易ではないのだが…今のところ霊夢、魔理沙ともに特に問題なく紅魔館を闊歩していた。そこんじょそこらの妖精たちとは一味も二味も違う、訓練されたメイド妖精が次から次に二人へと襲いかかるが苦戦するわけもなく一蹴してゆく。

 

 霊夢は持ち前の博麗の巫女としての勘を頼りに迷うことなく別れ道、通り部屋、隠し通路を突き進んでゆく。その歩みは着実に紅魔館の主人へと近づいていた。

 

 一方の魔理沙…彼女に霊夢ほどの勘はない。それ故に昔より遅れをとり、辛酸を舐めてきた。しかし彼女には霊夢に匹敵するほどの機転の良さがある。魔理沙は紅魔館が普通の館ではないと決めつけるや否や壁をぶち抜き始めたのだ。下手な弾幕も数撃ちゃ当たる…部屋を転々とすればいずれ黒幕に出会えるとタカをくくった脳筋攻略であった。

 

「ん?壁の向こうにでかい空間があるな。ラスボスの間ってヤツか?」

 

 コンコン…と試しに壁を叩いてみると確かにその先には奇妙な空間があることが確認できる。

 魔理沙は躊躇わず壁に向かって弾幕を放った。

 

「ぎゃおっ!?」

 

 爆発とともに変な鳴き声が聞こえたが大して気にとめるまでもない。よっこらせっと壁を乗り越える。

 そして魔理沙はバカに広い空間へと出た。

 ツーンッとどこか黴臭い匂いがする中、ふと見渡すと視界の先には埋めつくさんばかりの本、本、本…。しかもその中には強力な魔導書も紛れ込んでいるようだ。

 魔法使いの魔理沙としてはまさに宝の山。魔理沙の内から暇潰しの異変解決という大義名分は消滅し、代わりに魔法使いとしての飽くなき探究心が湧いてくる。

 

 そうだ、()()()()

 霧雨魔理沙の異変解決は終了した。

 

「まあ異変は霊夢だけでどうにでもなるからな。今回はパスして次の異変で頑張ればいいさ。そうと決まればさっさと借りてトンズラするとしよう」

 

 魔理沙は空間魔法によって自宅から麻袋を取り出すと手当たり次第にポイポイポイと本を雑に詰め込んでゆく。

 この麻袋、実はとある場所からの頂き物で容量に制限がないのだ。まさに四次元ポケットである。レンタルする際の道具としてはちょうどいい代物だ。

 

「ははは、宝の山だなこりゃ! 時空魔法で図書館ごと家に持っていてやろうか…我ながらいい発想だ」

 

 ごきげんごきげん、気分有頂天。

 魔理沙がとんでもないことを言い出したと同時に背後より呻き声が上がる。先ほど奇妙な叫び声を出していた人物だろう。

 紅い長髪で頭と背中に悪魔然とした羽、白いシャツに黒褐色のベスト、ベストと同色のロングスカートで、ネクタイを着用している。

 ぱっと見で悪魔とわかる優しい格好だ。

 

「いたた…痛覚をシャットアウトしてないっていうのに…。いったい全体、なんなの?」

「おっ、ここの図書館の秘書さんか?悪いがここらの本、全部借りていくぜ」

「は? 何を言ってるんです? ダメに決まってるでしょう」

「あっそう」

 

 魔理沙の陽気な貸借宣言に悪魔は当たり前のようにノーを出した。魔理沙はそれに対し心底残念そうな顔をすると…

 八卦炉から放ったマジックフレイムによって()()()()()()()()。暴虐、ここに極まれり。

 そのマジックフレイムの火力はロンズデーライトすらも一瞬で焼き尽くす。魔法耐性のある悪魔とはいえそれほどの火力を受けては塵すら残るまい。

 

「よし、五月蝿いのがいなくなった。そんじゃレンタル再開といこうかね」

「…………だから、先ほども言った通りここの図書館にある本は貸し出しできるような代物ではありません。さっさとお帰りになりやがってください。あと図書館は火気厳禁ですよ」

 

 静かになった図書館に再びハリのある声が響く。魔理沙が面倒くさそうに振り返ると、そこには先ほどと姿の変わらない悪魔がいた。

 

「なんだ…別個体か?」

「いえ同個体です。魔素で体を構成しているからいいものの…あっそうで小悪魔を焼き払うなんて…これだから魔女という連中は嫌いなんですよ。血も涙もない悪魔め! あ、けど貴方の魔力は美味しかったですよ。ご馳走様です」

「あっそう」

 

 殺しても死なないなら意味がない。

 魔理沙は本格的に小悪魔を無視し、本の物色作業へと戻った。あまりの勝手すぎる行動に小悪魔は頭を押さえる。

 恐らく彼女はこれまでにも魔女に振り回された経験があるのだろう。というより現在進行形で振り回されているのかもしれない。

 

「あのー…ちょっとー? もしもーし? 聞こえてますかー? えくすきゅーずみー?」

「うるさいなー。まだなんか用があるのか?」

「悪魔の話を聞いてますか?」

「悪魔の声には耳を貸すなってのは魔法使いの常識だぜ。私もお師匠様にそう教え込まれた。おっとっと、耳を貸しちゃいかん」

 

 小悪魔は困ったように顔を顰めると…ため息を吐く。そしておもむろに手を魔理沙へと伸ばし、魔力を充鎮させてゆく。そのあまりの濃度に空気は淀み、呪が撒き散らされる。そして大悪魔ですら受ければ一撃で葬れそうなほどの呪いが一瞬で作り上げられてしまった。

 だが魔理沙はお構いなしにポンポン本を麻袋の中に詰め込んでゆく…真後ろに濃厚な死の気配が迫っているにも関わらず。

 

 最初は神妙な面持ちで魔理沙へと呪いを向けていた小悪魔であったが…やがて諦めたかのように俯き、呪いを己の身に吸収した。

 

「…もうわかりましたからここの責任者に許可を取ってください。そしたら私はもう何も言いません。許可をもらえたのなら本を袋に詰めるのを手伝ってあげてもいいです」

「ほう…そうか。そうゆうことなら仕方ないな、許可を取りに行くとしよう。その責任者とやらはどこにいるんだ?」

「案内します」

 

 言われるがままに小悪魔について行く現金な魔理沙。図書館も紅魔館の内装と同じくやたらデカイ。しかしそれほどの大きさでありながらも本棚は所狭しとひしめき合っている。そしてその本棚の全てに魔導書を始めとした書物がこれまた所狭しとひしめき合っている。

 これらのものがいずれ自分のものになる。

 魔理沙は笑みを抑えられずにはいられない。

 

「ところで悪質な魔法使いさん。あなたの魔力は中々の美味ですし、なんか懐かしい感じがするんですよね。私たちってどこかで会いましたっけ?」

「会ったとしてもお前みたいなやつはすぐ忘れちまうだろうな。多分気のせいだろうよ」

「そうですか。しかし…本当に美味しいですねぇ、あなたの魔力は。その魔力を毎時私に注ぎ込んでくれるなら使い魔になってあげてもよろしくてよ?」

 

「いらん」

「そ、そうですか…」

 

 たわいのない話をしながら図書館を歩く二人。やがて中々開けた場所にまで歩みを進めた。

 その空間の中央には山積みの本、一脚のランプ、そして本を読み耽る紫の魔女がいた。

 

「偉大なる魔女、パチュリー・ノーレッジ様。お客人を連れてまいりました」

「……客人? ………ああ、例の彼奴」

 

 パチュリーは魔導書から目を離さずに答えた。

 その態度…魔理沙は気に食わない。そうそうに目の前の魔女、パチュリーは相当に陰険な奴だと決めつける。

 

「貴方が来ることは知っていたわ。私の友人の予言めいたもののおかげでね」

「ほう、そりゃ興味深いな。それでそいつは他になんか言っていたか? 例えば…これからの展開とか」

「ええ…言ってたわよ。黒白のエセ魔法使いは自分の元にはたどり着けないってね」

「はっ、確かにあたしはもう異変解決に行く気はないからそいつの言う通りかもしれん。しかしそいつはエセ占い師だな。手口が詐欺師のソレとほとんど一緒だ。お前は騙されてるぜ」

「…と泥棒まがいの詐欺師が言うのね。なるほど」

 

 言葉の応酬。知らず知らずのうちに両者の口論が熱くなっていった。

 しかし、やがて魔理沙は一度平静を取り戻す。こちらは本を借りる側である。粗相な態度をとるわけにはいかない。

 

「私のことを詐欺師と言ったことは許してやる。その代わりにここの本をありったけ貸してくれよ。いいだろ?」

「返却は何時で?」

「私が死んだ時だ」

 

 魔理沙は悪びれもせず答えた。パチュリーは眉を顰め、その様子を見た小悪魔は目を見開きその場から急いで退避する。

 パチュリーがパタンと魔導書を閉じ初めて魔理沙を見やると、素っ気なく言い放った。

 

「帰れ」

「断る」

 

 開幕の狼煙は魔理沙の極太ビームからである。

 凄まじい爆発音とともに大図書館は衝撃と発光に包まれた。まともに魔理沙のビームを受けて耐えきれる者はそういないだろう。しかし、そうはいないだけでいることにはいる。目の前に存在する魔女もまた、その一人なのだ。

 

「…精霊呪文か。実にお前らしい、他任せな魔法だな」

「あなたと会ってまだ一分も経ってないと思うんだけど? 出会ったばかりのコソ泥に勝手に性質を決められちゃ終いよ」

 

 パチュリーと魔理沙の間を遮ったのは巨大な緑柱石。俗に言うエメラルドであるが、精霊の手によって相生されたそれは普通の鉱石にない硬度を持っていた。

 土金符『エメラルドメガロポリス』。

 容易く魔理沙のビームを掻き消した瑕疵無き最高級精霊防御魔法のスペル名である。なお攻撃にも使える。

 

「なんの捻りもない爆熱魔法…貴女の魔女としての程度が知れるわね。敢えて言ってあげるわ、この三流魔法使い、と」

「三流…ねぇ。久々に言われたよ、その言葉。

 私の持論を教えてやろう。いいか?魔法ってのは火力だ、魔術ってのはパワーだ。難しいことを考える前に即実行だ。考えるのはやった後からでもいいんだよ」

「…訂正するわ。貴女が間違っても魔法使いとか魔女とか語るのはお門違いというものよ。貴女が魔術に触れる資格なんてない。

 一つ一つの魔法が緻密な計算と術式の織り成す世界の理として顕現している。それがどれだけ崇高なことか分かっているの?」

「知らんな。魔法ってのは手当り次第の努力でも生み出せる。現存する知識を使っていくのもいいが、それじゃ限界があるしな。魔導書なんて嗜む程度でいいんだよ。お前さんみたいに引き篭もって本ばかり読むより、私みたいに健康的な魔法使いライフを送った方が効率もいいし、なにより楽しい」

 

 勝手に引き篭もり呼ばわりされているパチュリーであったが、別にあながち間違いでもなかったのでスルーした。

 しかしそれでも着実に彼女の癪に障っていたのは紛れもない事実であって…対立する二人の衝突は不可避のことだった。

 

「貴女と泰平の話はできそうにないわね」

「奇遇だな。私もだ」

 

 パチュリーはふわりと宙に浮き上がり、紅蓮の魔法陣を展開した。対する魔理沙は懐の八卦炉を握り締め、それを抜き出す。両者の視線と魔力が真っ向から交錯し、放たれる。

 

「火符『アグニレイディアンス』」

「魔符『ミルキーウェイ』!」

 

 二つの膨大な魔力が爆ぜた。

 その爆風に煽られ、本棚とともに吹っ飛ぶ小悪魔はその光景を目の当たりにし、必死の形相で叫んだ。

 

「火気厳禁ーーッッ!!!」

 

 

 *◆*

 

 

 私とガキンチョ…もう面倒臭いからレミリアと呼ぶことにするわ。レミリアとたわいもない話を始めて一時間程度が経過した。話は未だに終わらない。

 そろそろ血とか反吐とか色々吐きそう。

 

「そういえば…あの時のお化けみたいな奴は元気にしてるかしら?」

 

 お化けみたいな奴…?私に聞くってことは私と面識があるってことよねぇ…誰かしら…。

 あ、もしかして幽々子のこと?いつの間に知り合ったの?冥界との間には幽明結界があるから簡単には会えないし、妖夢がこんな連中を通すようには思えないんだけど…まあこいつらに常識を求めるのは間違いね。

 

「ええ元気よ。元気すぎて困るくらい。今日も従者を泣かせてるんじゃないかしら?」

 

 妖夢には本当に同情する。幽々子と共同生活なんて考えただけで気絶ものよ。まあ、橙と藍も大概だけどね。

 

「ふぅん…あいつって嗜虐心ありありって感じよね。いいことを聞いたわ。次こそは一杯くわしてやろう」

 

 手を口に当てクスクスと笑うレミリア。いや、何が面白いの?私全く話についていけないんだけど…

 会話のドッジボールというか…フリスビーというか…。

 ていうかこいつはいつまでそんなたわいのない話をしているの?さっさと用件を言いなさいよ。こちらとて暇じゃないのよ。今にも吐血しそうなのよゴフッ。

 

「…おい! いつまでそんなくだらない話をしているつもりだ! 紫様がお暇を割いて貴様らなんぞに会いに来てるのに…」

「橙、止めなさい」

 

 私の言いたいことをそのまま代弁してくれた橙だが、それをここで言うのは得策ではないわね。いやホントはGJ!って叫びたいのよ?ありがとう橙。

 すると橙の一喝が効いたのかレミリアはスッと目を細めて余裕あり気に言い放った。

 

「あら…いいじゃないの。どうせ何処ぞの陰気なスキマ空間でこの異変の行く末を監視していたんでしょ?そんな所でジメジメネチネチ観戦するよりも生で見た方が面白いと思うわよ」

「効率性に欠けますわ。何処で見ようと同じことでしょうに…理解に苦しみますわね」

 

 ちょっとした私からのバッシングである。

 

「フフ…スキマ妖怪殿は妖生に余裕がないと見えるわ。永く生きすぎて物事をじっくりと味わう楽しみを忘れたのかしら?無駄こそが美しさ、誰もが思い通りになる便利な世界ほど退屈なディストピアは無いわ。分かるでしょ?」

 

 …妖生が余生に聞こえてビクッとしたのは内緒だ。

 それにしてもこの吸血鬼はやはりガキンチョである。若さがあるうちは新しいものに目移りして気楽にやってりゃいいでしょうけど、私みたいに永く生きるとそのループする生活の中に価値と美しさを見出すものなのよ。そのあたりが全く分かっていないわね。だから私の平穏を返してくださいお願いします。何でもしますから。

 あと橙、クールダウンクールダウン。

 

「まあいいですわ。その辺りは不問にしましょう。ところで、この異変はあとどのくらいで解決させてくれるのかしら?」

「さあね、もしも解決するんならあと数分でこの異変は終わるわ。まあ、今みたいに時間を延ばそうと思えば咲夜に頼んでいつまでも引き延ばせるけど」

 

 今みたいに…? あ、そういえば藍がいつまで経ってもこないわね。あの子ならスキマ空間に私たちが居なかったら真っ先に飛んできそうなものだけど。

 なるほど、ここの時間をメイドの力でゆっくりにしていたというわけ。

 あのメイドって本当になんでもありなのね。

 あと数分ってことは霊夢がここに来るのも時間の問題。異変解決モードの霊夢に出くわしたら退治されかねない。さっさと離脱するに限る。

 

「それでは、私はもう帰っても?」

「まあちょっと待ちなさい。博麗の巫女は貴女が育てたのよね? ウチの育てたメイドと一騎討ちをさせてみない?」

「あら、死なせたいの?」

 

 驚くほどスパッと口からこの言葉が出てしまった。いや、霊夢に生身で挑むって=死だからね?コーラを飲むとゲップが出ることぐらい確実なことだからね?

 

「ほう言ってくれるじゃないか。どれどれ………ふむふむ、確かにお前の言うことはあながち間違いではなさそうね。完全にそうだとは言わないけど」

 

 でたよこいつの能力。

 こんな能力が存在していいはずがない。

 

「まあ、ものは試しよ。やらせてみるわ」

「結果が分かるのに?」

「結果が分かるからよ。

 咲夜、博麗の巫女の元へ行ってその首を取ってきて頂戴な。紅魔のレベルを見せつけてやりなさい」

「かしこまりましたお嬢様」

 

 負けると分かっていながら戦いに臨む姿はあまりに悲壮ね。同情はしないけど。

 するとメイドがドアノブに手をかけた時、こちらを振り向いた。目は私を鋭く射抜いていた。なに?怖いのだけど?

 

「博麗の巫女は貴女が育てたのですか…。それはもう、愛情を込めて?丹念に?」

 

 なにその「人形の手入れしてる?」みたいな問いかけ。霊夢は全自動殺妖ドールである。私の手に負えるものではない。けど愛していることは事実よ。

 

「ええ、それはもう…目に入れても痛くないほどには。私の娘と言っても恐らく差し支えのない…一番の存在よ」

 

 視界の隅でシュンとなる橙の猫耳が見えた。も、もちろん橙も大好きよ?もうちょっと成長してくれたらもっと好きになれるかしらねぇ?

 藍?あの子はもう自立したわ。

 

「それはそれは…大層気に入っておられますようで…殺しがいがあるというものです」

 

 メイドはいつもの殺気微笑を浮かべ、ドアノブに再び手を掛け扉を開くと…消えた。もはや私としても見慣れてしまったあのメイドのお家芸である。

 結局あのメイドはなにを伝えたかったのか…この賢者と呼ばれし私の頭脳を持ってしても理解不能ね。

 さて、これからどうしましょうか…。やっぱり体調の面もあるし家に帰りたいのが本音なんだけど。

 

「……ねぇ、やっぱり帰っても――――」

「…八雲紫、本題に入りましょう。実のところ、私はこれが聞きたくてお前を此処へ呼び出したのよ。これまでの話は前座に過ぎない」

 

 振り返るとレミリアは先ほどのお気楽な雰囲気を一変させ、重々しいナニカを放ち始めた。目は紅く輝き、傍に置かれていたティーカップが音を立てて砂のように崩れ去った。

 その身から放出する規格外の強者としてのオーラ的なドス黒いナニカが私と橙を包み込む。その圧倒的な死の気配の重圧に私は息が詰まり、身動きが取れない。目の前を見るのがやっとだ。私は相当厳しい表情をしているのではないだろうか。自分が今どんな表情をしているのかも把握できない。

 

 視界隅に映る橙は頬に汗を流しながらレミリアを見据えている。彼女を持ってしてもレミリアを抑えることは厳しいのだろう。いつもの可愛らしい真ん丸の目は細長くなり、橙の強気の姿勢を表していた。

 

 これが、吸血鬼レミリア・スカーレット…!?

 紛れもない夜の王者としての風格。決して私などでは届きえない絶対の支配者。

 私は、死を覚悟した。

 

「嘘偽りなく答えなさい。吸血鬼には嘘も、偽りも、通用しない。勿論、貴女とて例外ではないわ」

「…」

 

 何も話せない。

 喉から言葉が出るのを本能が拒絶してしまっている。

 帰りたい…自分の空間に逃げ込みたい…。

 

「……単刀直入に言うわ」

 

 レミリアは目を細め、若干の怒りを放ちながら言った。

 

「どうして私を生かした?」

 

 

 *◆*

 

 

 ピタリと、全ての動作を制止させた。

 

 たった今、この洋館の何処かで強い妖力が吹き荒れた。その妖力から感じることのできる強大さはこの幻想郷においてもトップクラス。最強の一角を占めるほどのものである。

 

 霊夢は眉を顰めた。

 これほどの規模だ。恐らくこの妖力の持ち主はこの館の主人。しかしなぜこのタイミングで妖力を開放した?考えられることは二つ。

 気まぐれか、戦闘か。

 

 なんにせよ場所は分かった。案外此処から近いところにいるようだ。誰と戦っていようと関係ない。どれほど強かろうが関係ない。

 ただ、退治する。それが巫女の務め。

 いざ、黒幕の元へ足を踏み出し――――。

 

「…」

 

 ()()()()()()()

 目の前には銀髪のメイド。

 勿論、先ほどまではいなかった。

 

「この館は手品師でも雇っているのかしら?」

「残念、ただのメイドですわ。ご期待に添えず、申し訳ございませんこと」

「嘘ね。メイドは手品なんてしないわ」

「あら、しますわよ? 種も仕掛けもない、完璧な手品ですけど、ね」

 

 再び霊夢は()()()()()()()

 

「ここら辺一帯に霧を出してるのあなた達でしょ? あれが迷惑なの。何が目的なの?」

「日光が邪魔だからよ。お嬢様、冥いの好きだし」

「私は好きじゃないわ。止めてくれる?」

「ダメよ。お嬢様の命令だもの。それに私、掃除を仰せつかってるから」

「メイドらしいわね。それでそのゴミは?」

「貴女」

「なるほど」

 

 霊夢はナイフを掴み、握り潰す。

 パラパラと銀が霊夢の手からこぼれ落ちてゆく。

 

「呆れた勘の良さですこと」

「で、殺り会うの?」

「勿論。私怨もあるから」

 



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探究心は魔女を活かす*

パッチェさんにスペルカードをひたすらぶっぱして欲しかっただけ。


 轟々と魔力の嵐が大図書館に吹き荒れる。

 周りの本棚は消し飛ぶか吹き飛び、目も当てられない大惨事。魔理沙の『ミルキーウェイ』を自動精霊結界(オートバリア)で防いだパチュリーは辺りを見回し、深い溜息を吐いた。

 

「…酷い有様ね。まだ読んだことのない本があったかもしれないのに…一体どうしてくれようかしら。火か…水か…土か…」

「私だけの責任じゃないだろこれは。四割はお前のせいだ」

「二割貴女の方が多いわね。貴女のせいよ」

「五十歩百歩だぜ」

 

 …いや、全部お前のせいだよ!…と本棚に埋もれながら小悪魔は心の中で叫んだ。しかしそれを実際に声に出すことはできない。

 大悪魔としての格を軽く凌駕する小悪魔にとっても、この二人から発せられ、ぶつかり合う凄まじい魔力の奔流の前にはツノを持たないヤギ同然である。介入はできないし許されない。

 

 パチュリーは水を掬い上げるように空気を掻く。すると魔理沙の『ミルキーウェイ』に掻き消されたはずの炎がふたたび再燃を開始する。精霊はまだ滅びてはいなかったのだ。

 

「私の図書館をこんな有様にしてくれたそのふざけた火力だけは認めてあげるわ。もっとも、私の前には無駄なことだけど」

 

 再燃し燃え盛る炎を放置し、パチュリーは新しい魔法陣を展開。次に繰り出したのは…土。

 

「土符『トリリトンシェイク』」

「ただの土塊か? 魔符『ミルキーウェイ』!」

 

 土流を放ったパチュリーに対し魔理沙は再び『ミルキーウェイ』を放つ。二つの属性魔力波は衝突、凄まじい音を立てながら互いに互いを削りあってゆく。

 結果、押し勝ったのはまたもや魔理沙であった。

『ミルキーウェイ』は『トリリトンシェイク』を砕きながらパチュリーへと迫る。しかしパチュリーは砕けた『トリリトンシェイク』の残骸を巻き上げ、傍に待機させていた『アグニシャイン』と混ぜ合わせ、相生させた。

 

「火土符『ラーヴァクロムレク』」

 

 そして降り注いだのは岩石の嵐。強固で物量に勝るそれは魔理沙の『ミルキーウェイ』をじわりじわりと打ち消し、やがて相殺した。吹き荒れる魔力の残骸に煽られ魔理沙は三角帽子を抑える。

 

「…っ。あの野郎…精霊魔法を増幅して撃ちやがった。一気に『ミルキーウェイ』まで火力を…」

「何を休んでいるのかしら?」

 

 パチュリーは岩の残骸を掻き集めると空中に浮遊させる。そして一箇所に固めると…

 

「金符『シルバードラゴン』」

 

 新たな魔法陣を展開しそこから鋼の鎖を射出した。それだけでもかなりの威力を秘めているのが分かるが、それは魔理沙へと向かうことなく『ラーヴァクロムレク』の残骸を貫いた。

 それと同時に『シルバードラゴン』と『ラーヴァクロムレク』は爆散し、あたりに金属を拡散しながら大規模な魔力嵐が発生する。

 

「金土符『ジンジャガスト』」

「ちょ、パチュリー様ぁ! け、結界が耐えきれませんって!!」

 

 残った本棚を死守すべく大規模な結界を展開させていた小悪魔だったが、徐々にそれは砕け散ってゆく。聖騎士団の一斉砲撃でも傷一つつかないほど堅牢な小悪魔の結界でもパチュリーという魔女の中でも最強格に当たる存在の前には障子も同然であった。

 一方の魔理沙も相生によって火力をどんどん増してゆくパチュリーの精霊魔法に危機感を覚えたのだろう。帽子の中からスペルカードを取り出した。

 

「魔空『アステロイドベルト』!!」

 

 スペル詠唱と同時に魔理沙を中心に魔力波が吹き荒れ、パチュリーの魔力嵐を抑え込む。正面からぶつかった二つの嵐は互いを削り合い、強力な磁場を放出させる。魔理沙は精霊魔法にとって根幹となる精霊を根絶やしにするつもりなのか。

 しかしそれを見過ごすパチュリーではない。無詠唱で灼熱魔法を魔法陣から噴出させ、吹き荒れる魔力嵐へとぶつけた。

 

「…火金符『セントエルモピラー』」

 

 そして立つのは火柱。相剋された金が炎へと姿を変え、あたりに熱波とそれに伴う放電が撒き散らされる。その強大な魔力渦は『アステロイドベルト』を容易く搔き消し大図書館を灼熱に染め上げた。魔理沙は苦虫を噛み潰したように呻き、小悪魔は悲鳴をあげながら結界をさらに固めた。

 魔理沙がいくら魔法の火力を上げていこうともパチュリーはそれを悠々と越してゆく。元々から魔理沙に及ばずとも非常に高い火力を有するパチュリーの西洋産精霊魔法は陰陽五行と組み合わさることによってさらなる無限の火力を実現しているのだ。

 

「馬鹿みたいに頭使いやがって…! どんだけ緻密に魔法を使ってんだよ。次から次にスペルをぶっ放してちゃ魔力が持たないだろうに!」

「ええそうね。木符『グリーンストーム』」

 

 心にも思っていないように答えると、パチュリーは再び新たな魔法陣を展開する。魔理沙は思いっきり嫌そうな表情を浮かべた。

 魔法陣から緑色の突風が放たれ『セントエルモピラー』を煽った。それに伴い『セントエルモピラー』は肥大化し…

 

「木火符『フォレストブレイズエクスプロージョン』」

 

 やがて豪快な破裂音とともに爆発した。

 とてつもない爆風・衝撃が駆け抜け、大図書館を守っていた小悪魔の結界を今度こそ粉々に破壊する。勿論、小悪魔は本棚と一緒に吹き飛ばされていった。

 

 爆熱は空気を食い尽くす。

 真空状態に似た環境を一時作り出し、魔理沙の詠唱を妨害する。防御魔法を唱えることができなかった魔理沙は急いで回避行動をとったが、瞬間的爆発スピードは彼女が思うよりもずっと早かった。

 

 

 

 

 

 爆煙が晴れると煤を被り、それなりの火傷を負いながら腕から血を流している魔理沙が姿を表す。パチュリーも魔理沙が死んだとは思っていなかったようで次なる精霊魔法の詠唱に入った。

 難読、難唱なスペルさえもスラスラと言ってのけるその技術力の高さは勿論だが、それよりもこれほどまでに最上級大規模魔法を使用しているにも関わらず息一つ切らさないパチュリーの魔力と体力は異常だった。

 

「…引き篭もってる割には体力があるんだな。体験したところ魔力も相当なもんだ。もしかしてお前…増やせたのか?」

 

 魔理沙の言う増やせた…とは、魔力の限界内包量のことを言っているのだろう。それだけパチュリーの魔力量は魔女の端くれである魔理沙から見ても規格外なのだ。

 

「…魔力の器は生まれながらにして変化しない。これは魔法使いの界隈では常識も同然のこと…まあそこらへんは貴女程度の魔法使いでも知ってることでしょ? 何人もの魔法使いが己の魔力の器を増やさんとドーピング、肉体改造、悪魔契約を試し…己の身を自らの手で滅ぼしていったわ……魔力の器を増やすことができた事例は今の所発見されていないし、かくいう私も実現させたことはなかった」

「…ケホ……そりゃ、そうだろうな。素質ってのは生まれた時に全てが決まるもんだ。残りは努力で補うしかない」

「そうよ。私も自分はそれなりには素質がある方だと昔は思ってたけど…所詮それも魔女の範疇。できることは限られてしまうし、生まれながらに喘息で体が弱くってね。とてもじゃないけど長文詠唱はできなかった」

 

 魔理沙は眉を顰めた。

 喘息?病弱?これまでのパチュリーの魔法の数々を見れば、とてもじゃないが信じられない。今のパチュリーとは無縁…もはや対極に位置するような言葉である。

 

 その時、魔理沙は思い出した。

 かつて師匠が教えてくれた幻の石のことを。

 

「……! 賢者の石か!?」

「…原始人並みの教養かと思ってたけど…それなりに学は積んでいたのね。

 まあ半分正解よ。水火符『フロギスティックレイン』」

 

 飛散した炎を渦巻かせ、それに多量の水を吹きかけることによって炎を剋し水は相乗した。水は炎に変わり渦巻き始めると、熱を伴った魔力弾を大量に放出する。

 魔理沙はハッと鼻で笑うと、弾幕を見事に躱しつつたっぷりと皮肉っぽくパチュリーに言い放った。

 

「なるほど、体に賢者の石を埋め込んだってわけか? それなら全てが説明できるな。妙に体力があるのも、湯水のように魔力を使いまくってるのも、妙に精霊魔法と親和性が高いのも、賢者の石のおかげってわけだ」

「んなわけないでしょ」

 

 自信満々の魔理沙の論を一蹴したパチュリー。

 魔理沙はムッと顔を顰めた。

 

「ならなんだっていうんだ?」

「私は体の中で賢者の石と同じサイクルの魔力循環をそのまま行っているだけ。結構緻密なコントロールを必要とするけど、私にしたら紅茶を淹れるよりも簡単なことよ。この世の物質は五元素で説明できるのだから、それら全てを行使することのできる私が賢者の石なしで効力を発揮………………言いすぎたわね。私の悪い癖だわ」

「なんだよ…いいところだったのに」

 

 自分の研究結果をつい自慢したくなってしまうのも魔法使いとしての性であろう。それにパチュリーの強さの秘密を知ったところでそれを実践できる存在などこの世にはほとんどいない。

 パチュリーはフルフルと頭を振ると空中に浮遊していた水の塊をさらに肥大化させてゆくが、見かねた魔理沙がこれを『マスタースパーク』で爆散させ五行の流れを断ち切った。これで――――。

 

「ふりだし…とでも?」

 

 パチュリーは魔法陣を一気に五つ展開。その全てからこれまでと同等の魔力量を感じた。それぞれから炎が渦巻き、水が畝り、木が繁り、金が生成し、土が噴出する。そしてそれらは互いに相作用し合い威力を高めてゆく。魔力が唸りを上げ、地ならしを起こしていた。

 

 それに対し、魔理沙はしっかりと八卦炉を掴むと自分の血を空中にぶちまけた。するとその血は空中に留まり、魔理沙はそれを指につけ何かを描いてゆく。そして描いたのは、八芒星(オクタグラム)

 パチュリーは細くそれを分析する。

 

(…血を媒介にして魔力を直に…魔術としては相当古い部類のやつね。あいつの血には相当の魔力が詰まっている…。なるほど、器が限られるのなら違う場所に魔力を置いておけばいいってわけ。例え思いついても誰も実践しないでしょうに。先天的なものなのか後天的なものなのかによって評価は変わるけど……先天的なものならばその才能、後天的なものならば知識を探求するその精神を買いたいところね)

 

 パチュリーは数段魔理沙の評価を引き上げた。

 しかしそれでも自分に及ぶとは思っていない。あちらがどれほどまでに火力を引き出そうともこちらは無限の火力。比べるまでもない。

 

 パチュリーと魔理沙がスペルを放ったのはほぼ同時のタイミングであった。

 

「火水木金土符『賢者の石』!」

「魔砲『ファイナルマスタースパーク』ッ!!」

 

 パチュリーの精霊砲と魔理沙の魔力砲は一直線上で衝突し、そして爆ぜた。

 互いの威信を懸けた魔法使いの思いは並大抵のものではない。譲らぬ思いは双方の魔力を削り、消滅させてゆく。本来の目的は本を貸すか貸さないかだったのだが今やそれはすり替わっている。どちらがより上手く魔法を使っているのか、どちらが魔法使いとして優れているのか…これに尽きた。

 魔法使いとは知識を探求する種族である。飽くなき探求心こそが魔法使いを魔法使いの呼ぶ所以なのだから。それ故に魔法の良し悪し、上下は魔法使いにとって己の価値同然なのだ。

 

 つまり二人は己の価値、存在を賭けて競っている。元々から負けず嫌いの二人だ、どちらとも絶対に譲らぬ気持ちなのである。

 

 再構築された自身最高の結界は既に半壊。小悪魔はそこらに転がっている魔導書を片っ端から開くと、中に貯蔵されていた魔力を自分に還元し結界へと注ぎ込んでいた。

 もしここに小悪魔がいなければ余波のみで紅魔館は跡形もなく消滅していただろう。霧の湖ですら消しかねないほどだ。

 

 ふと、唐突に衝撃が止んだ。

 二人がスペルに注ぎ込んでいた各々の魔力が同時に切れたのだ。これには流石のパチュリーも目を剥いた。しかし東洋の魔法使いはそうなることが予測できていたかのように次のスペルを即、発動した。

 

「おっと、星符『ドラゴンメテオ』ッ!!」

「っ! 日符『ロイヤルフレア』!!」

 

 自分最大の攻撃を防がれたパチュリーは僅かに動揺した。しかし間髪入れず次のスペルを発動する。

 パチュリーの上方に巨大な炎の塊が出現した。精霊を呼び出すには時間が足りない。よって、恐らく彼女の純粋な魔力のみで作られた魔力塊であろう。とんでもない熱波を発し全てを焼き尽くさんとしているそれはまさに太陽である。

 しかしそれを魔理沙に投合するよりも早く、流星が『ロイヤルフレア』に降り注いだ。太陽はそれすらも呑み込まんと流星を押し留める。しかし、最終的に呑み込んだのは()星だった。龍が太陽を食い尽くしたのだ。

 

 太陽が消滅し、流星がパチュリーまでもを喰らおうと迫る。しかしパチュリーの動作はなかった。『エメラルドメガロポリス』を張ったところで無駄だというのは彼女が一番理解できていたのだ。

 一瞬のスキは魔法使いにとって致命傷である。それをよく知っているパチュリーは自分の未熟さを呪いながら流星に呑み込まれる――――

 

「パチュリー様っ!!」

「っ!」

 

 ――――直前に結界を放棄した小悪魔が転移魔法で救い出した。『ドラゴンメテオ』はそのまま下へとぶつかり、大図書館の床を凄まじいパワーで破壊しながら地下へと消えていった。

 

 先ほどとは打って変わって、静寂に包まれる大図書館…だったところ。

 後に残ったのは散乱する本棚や魔導書、燃える木材、床に空いたどデカイ穴、魔力を使いすぎたせいで動けない小悪魔、なんとも微妙な表情を浮かべるパチュリー、そして勝ったということで物色を開始した魔理沙だけであった。

 

「私の勝ちだ。約束通り借りてくぜ」

「約束してない」

 

 ふと、パチュリーはレミリアに言われたことを思い出した。

 

 ――パチェ、貴女のところには中々面白そうな奴が行きそうね。そいつが通った後は何も残らないから注意しなさい。

 

「…その通りじゃないの」

 

 頭が痛そうにため息を吐いたパチュリーは物色中の魔理沙に近づく。少しばかり警戒する魔理沙だったが、既にパチュリーに敵意がないことを感じとるとニッと笑顔を浮かべた。

 

「私の魔法は凄かっただろ?」

「…まあ上の下ってところかしらね。辺境の魔法使いにしてはよくやれてる方じゃない?もっとも私には及ばないけど」

「なんでだ、私が勝っただろ」

「圧倒的準備不足よ」

 

 そう言うとパチュリーは落ちている魔導書の埃を丁寧に叩き、ぶっきらぼうな表情を見せながら魔理沙に渡した。

 

「大図書館の掃除を手伝ったらそれなりの本は貸してあげるわ。せめて対価を寄越しなさい。対価を」

「えー、面倒臭いな。使い魔にやらせろよ」

「貴女のせいでこの通りよ」

「…ZZZ」

 

 小悪魔はひっくり返って気絶…いや、爆睡していた。よっぽど疲れていたのだろう。魔素で体を調整している小悪魔である、魔力の使いすぎには顕著に体が反応するものだ。

 

「やっぱ使い魔って役に立たないもんなんだな。これなら奴隷タイプの式神を使った方がまだ良さそうだ。藍に教えてもらえないかな…」

「こう見えていざという時は役に立つ子なのよ。それに東洋の使役式は感覚や自分の性質をリンクする分、厄介な点が多いわ。大成するまではリスクを覚悟することね」

「そうだな…いや待てよ。スペルカードなら…」

「…それは考えたことがなかったわね。問題点は多々あるけど、特定の場面に限定するならかなり使い勝手がいい。そこまで難しい技術でもなさそうだし」

 

 二人は先ほどまで殺し合いをしていたことを忘れ、魔法使いの議論が始まる。大抵の魔法使いはこんなものなのだ。知識を得るためなら時も、場所も、場合も、相手が誰であろうと関係ない。

 奴隷型スペルカードの原理、用途、作成方法を互いの考察によって固めてゆく。違う分野に秀でた二人が結託すれば思わぬ成果を発揮するものだ。

 そして――――

 

「ふむ、並列思考…そう言う点で考えるともっとも近いのは分身か。分身型スペルを使う奴には一人だけ心当たりがあるが…それなら式神を作った方が早いような気がするな」

「式神を作るには一からプログラ厶を作り上げなきゃならない。時間もかかるし、余計な自我を持つからスペルにするには色々と厄介よ。それに分身というのは案外難しいものではないわ。魔力をそのまま写し変えればいいだけだし……()()()その体現者がいるし」

「体現者?」

 

 ふと、魔理沙は自分が大図書館に開けた穴を見た。地下へと繋がるその穴は自分が開けたものではあるが底知れない不気味さを漂わせている。冷気とともに流れてくるのはもっと寒いナニカ。

 

「もしかしてこの下に?」

「…さあ? 詳しい位置は知らないわ。だってすっごく下にいるもの。まあ、なんのアクションも起こさないってことは大丈夫――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――パチュリーの足元が吹き飛んだ。

 

 

 

 stage4.クリア

 

 

 *◆*

 

 

 レミリアはその大きくつり上がった気の強そうな瞳を細めながら、私を威圧的に睨む。レミリアの問いに答えることができなかった私は、ただ彼女を見返すことしかできなかった。それもそのはず、私にはレミリアがなんのことを言っているのか全く理解できないのだ。

 それに見かねたのか、レミリアは再び語りだす。

 

「あの時、確かに貴様は私を殺せたはずよ。消耗していたし、何より戦意がなかった。私を見逃すことに何の利もなかった。なのに…何故だ?その日から私は貴様を測りかねていた。この際異変のついでに聞いておこうと思ったの。

 さあ答えなさい。何故私を生かした? 何故私に生き恥を晒させるような真似をした? 答えろ…………答えろ、八雲紫ッ!!」

 

 …………はいぃ?

 ちょ、ちょっと待って…何それ。

 この吸血鬼は一体何を言っているんだ?見逃す…え?見逃す?見逃してやったの間違いじゃないの!?この八雲紫、見逃されたことは多々あっても見逃したことは幻想郷が出来てからは一度もない。いやまずいつの話よ。

 と、取り敢えず聞いてみましょうか。

 

「…何のことかしら。身に覚えがありませんわ」

「……ほう? 面白いことを言ってくれるわね。幻想郷流のジョークってやつかしら? 生憎、私は全然笑えないのだけど」

 

 私も笑えないわよ。てかまずジョークじゃないし。もうやだ、何て言えばいいのよ!

 いや、投げ出してはダメね。考えろ、考えるのよ賢者八雲紫!満足する答えを出してあげたらこいつは納得するはずだ。最悪おだてまくってやればなんとかなると思う。けど…レミリアはどんな解答をお望みなの?見当もつかないわ…。

 

 よし。

 まずは当たり障りのないように…

 

「…貴女を生かすこと、それがこの幻想郷のためになるからよ」

「…はあ?」

 

 レミリアは素っ頓狂な声を上げた。

 え、返答間違えた!?

 お、おかしなことを言った覚えはないわよ。

 だって貴女と初めて会ったのは吸血鬼条約を結びに行った時だもの。あの締結までの話し合いに費やされた空白の時間、必死で自分でも何を言ったか覚えてないけど多分その時に何かあったのね…と、そう推測した。紫ちゃん頭いい!

 

「私を生かすことが幻想郷のため…?貴様は何を言っているんだ?あの時の私は貴様にとって間違いなく害だったはずよ。なぜ、あのような状況でそんなことを判断したの?」

 

 いや、知りません。

 ていうか貴女は今も昔も害よ。私に力があったらとっくの昔に潰してるわ。

 と、取り敢えずそれっぽいことを…!

 

「貴女という歯車は既に幻想郷という時計の中に組み込まれている。貴女無しには幻想郷は動かない、それは私が初めて貴女と出会った時に感じた直感だけども…間違いではなかった」

「私が…歯車?」

 

 あんなでっかい時計をわざわざ館につけているのだ。よっぽどの時計好きだろうと推測してこんな感じに引き合いを出してみたわ!

 私ったら天才ね!

 

「私を…紅魔館を組み込む…?八雲紫、貴様は…幻想郷は、私たちを…受け入れるの…?受け入れることができるの?」

 

 …そりゃあ…

 

「…幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ…私にとってもね」

 

 こういうことだ。

 

 現に私の意志とか関係無しにやばい連中がどんどん幻想郷に流れ込んできている。レミリアを始めとする吸血鬼の連中もその一端。

 私がこいつらを幻想郷に入れたくて入れたわけではないのだ。当たり前のことだが。

 

 しかもなんて言うか…ぶっちゃけこいつらがいなくなったからといって私の幻想郷ライフが改善されるわけではないのよねぇ。レミリアよりヤバい奴なんて幻想郷にはまだまだいるし

 ていうか強い奴らをポンポン幻想郷に引き入れたほうがいいのでは?とも最近考え始めた。ほら…周りに強い奴らがいたら妙な動きもできなくなるでしょ?俗に言うなんとやらの抑止力ってやつね。こんな考えが思い浮かぶあたり私はもう末期みたいだ。

 いや、実際は全員来ないでくれると嬉しいのだけどね?まず幻想郷を作った理由は弱い妖怪たちを救うためだからね?

 もう…誰よ、「幻想郷は全てを受け入れるのよ」とか言って見境なく有象無象を引き込みまくったバカは………私か。

 

「…可笑しいわね、貴女」

「あら、酷い言われようですわ。ユーモアがあると言ってくださいな?」

 

 変に呆れた様子でレミリアがそんなことを言うのでユーモラスに返してあげた。レミリアの物言いは人によってはキレそうな言い方だけど私は優しく寛大だから気にしない。

 

 するとレミリアが遠い目で窓を見つめ始め、暫く心地悪い沈黙が場を包んだ。人と話してる最中に月を見ながら鑑賞に耽るって……ま、まあいいけど。

 

「……ッ!!?」

「!!?」

 

 ひゅい!?

 なんかいきなりレミリアが一瞬痙攣した。背中から生えてる蝙蝠羽もレミリアの内心を表すかのようにピンと張っている。

 やがて目をカッと見開くと、信じられないものを見たような目でこちらを見返してきた。

 いや、それこっちがする目だからね?私が貴女に向けるはずの目だからね?

 やがてレミリアは眼を細めると私をねめつける。紅く光る眼光がなんとも恐ろしい。

 

「この私の運命に易々と侵入してくるなんて…貴女、一体どんな小細工を弄したのかしら? できれば答えて欲しいのだけど」

 

 もうやめて…これ以上私を虐めないで…。

 意味がわからない、意味がわからないの!貴女が私に何を伝えたいかが全くわからないのよ!

 てかこいつ敢えて意味不明なことを言って私を混乱させてない?いや、そうに違いない。私が慌てふためく姿を見て優越感に浸ってたのね!おのれレミリア・スカーレット!断じて許さない!

 ……許さないからといってどうするってわけでもないけど。

 

 まあそういうことならこっちもあんまり考えないで返せばいいわね。失礼なことだけを言わないようにすればいいだろう。

 

「ふふふ…私に運命を操る力なんてありませんわ。そのことは貴女が一番よく知っているはず。しかしひとつ言わせてもらうのであれば…これが本来の定めというものなのでしょう。貴女が幻想郷にやって来た時から…いや、貴女が生を受けてより運命は巡り始めています。もう貴女は運命から逃れられませんわ。運命を見通し、操る力を持つ貴女ならばお気づきでしょう? 廻り始めた事象を覆すことはできない。それは仙人でさえも川の流れを止めることができないことと同じ…この世に不変のものが存在しないことと同じ…

 ……既に、歯車は廻っているのだから」

「…」

 

 おお、痛い痛い。

 けどレミリアってこんな感じの…なんていうか、厨二臭いヤツが好きそうよね。これで満足してくれたかしら?

 

「…気に入らないわね。心底気に入らない」

 

 アッハイ。

 そうですねー紫ちゃんは大人のお姉さんだからお嬢ちゃんみたいなハイカラ幼女にはついていけませんねー。ごめんなさいねー。

 

「だがそのスタンスは気に入ったわ、八雲紫。ハッキリ言って予想以上よ。

 クク…物好きねぇ、貴女も、私も」

 

 レミリアは先ほどまでの存在する者全てを威圧するようなナニカを引っ込めると、クスクスと何が面白いのか含み笑いを始めた。

 …合格点…ってことでいいのかしら。

 まあそれで満足してくれたならなによりね。何が面白かったのか私にはよくわからないけど。最近の若い妖怪の感性にはついていけないわ…ホント。

 

「もう十分よ、中々有意義な時間を過ごせたわ。いきなり呼び出して悪かったわね」

 

 いや、こいつは悪いことしたとかそんなことは絶対思ってない。現に今もニヤニヤしてるし。クレイジーサイコパス吸血鬼め…!

 もう一人の吸血鬼はとっても良い子なのに…あの子の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものだわ。そしたらその腐った性根も少しは良くなるかもね。

 あ、そうだ。

 

「それでは私からも質問を一つ良い? 勿論、別に時間はとらせないわ」

「へえ、貴女から質問?いいわよ」

「あの地下にいた吸血鬼…あの子は貴女の姉か妹かしら?」

 

「ああ、それは我が妹、フランドール・スカー………ん…?んん!?」

 

 優雅に紅茶を嗜んでいたレミリアがカップを机の上に落とし、思いっきり眉を顰め咳き込んだ。

 そして若干慌てたような様子で私を問い詰める。

 

「あ、あの子に会ったの!? え…五体満足!?」

「…? 彼女とは少しばかり親交を持ってまして。まあ吸血鬼異変の時に少し会ってからそれっきりだけど」

 

「しかも親交を持ってるですって…?まさか手懐けたってこと!?ど、どんなトリックを使ったの!?」

 

 レミリアが私の胸ぐらを掴もうとしたので橙が怒りながら間に入る。ありがとう橙…控えめに言って殺されるかと思った。

 

「ぜ、是非フランを手懐けた方法を教えて頂戴!! こればかりは譲れないわ!」

 

 あれ…溢れんばかりのカリスマが砂上の楼閣の如く消えてゆく…。

 レミリアの蝙蝠羽がパタパタと忙しそうに動いている。興奮しているのだろうか。

 様子を見る限りでは姉妹の仲がうまくいってないのかしら?まあこんな傲慢な姉じゃ仕方ないわよね。いくらあの子が良い子でも流石に嫌気が刺すに決まってる。

 

「私は普通に少し話して、ゲームを共に嗜んでいただけよ。別に特別なことをやったなんてことはないわ」

「……」

 

 勿論私が話したことは全部本当のことだ。

 しかしそうは言っても信じられないのか、レミリアは訝しむような目で私を睨んだ。いや、そんな目で見られても…。

 せっかく結構和やかな雰囲気まで持って行けたのにまた空気がピリピリしだした。そしてそれに応じて橙もまた警戒レベルを引き上げていた。彼女の体から滲み出てる妖気が私の精神を蝕んでゆく。主人の主人が側にいるんだからもう少し気を使ってほしい。

 そろそろ私のお腹がいけないことに…!

 

 と、ちょうどその時だった。

 幻想郷を覆う大結界の性質が一瞬のうちに変化した。これが藍の言っていた大結界のアップグレードというやつだろう。ということは藍が作業を終えたということ…!

 私がスキマにいなかったら藍は妖気の残滓を辿ってでも紅魔館へやって来ることが推測できる。こんな状態のレミリアと藍の対面なんて考えたくもない!

 即帰宅せねば!

 

「…もうすぐ霊夢が来るでしょうし…そろそろ帰らせていただきます。それでは早めの異変収束を期待しているわ。第二次吸血鬼異変は双方ともに避けたいでしょう?」

「まあ…そりゃあね。けどまあ…もしもの時はよろしくするわ」

 

 もしもの時って…。

 まあいいわ。どうせ霊夢が勝つし。

 

「ふふふ…望むところですわ。新人に幻想郷のレベルをよーく教えこむことは大切です。それでは…御機嫌よう〜」

「ええ………って、ちょっと待て! 結局フランをどうやって――――」

 

 なにやらレミリアが言っていたが私は絶対に振り返らない!メイドがいない限りスキマに入ってしまえばこっちのものだ。

 展開したスキマへと橙と一緒に飛び込む。

 視界の隅では橙が最後までレミリアに向かってガンを飛ばしていた。まあ…勇気だけは買うわ。流石は我が式の式ね!

 

 さて、そろそろスキマ空間を抜ける。

 今日は色々と疲れたわ…体のあちこちが怠いし重い…そして痛い。頭痛が痛いし吐き気もする。こんな時は寝るのが一番だろう。

 どーせ起きた時には異変終わってるし。果報は寝て待つのが一番とはこのことね。

 

 スキマが開いた。

 さあいっぱい寝y…

 

「おかえりなさいませ紫様」

 

 …目の前に藍がいた。いつものように袖下に手を突っ込み、姿勢を低く維持している。しかしいつもと違うのはなんとも言い表せない不気味な雰囲気を漂わせているという点だ。

 嫌な予感しかしない。

 

 

 *◆*

 

 

 絶え間なく霊夢へと無数のナイフが飛び交う。しかし確かな加護の付与されるナイフでさえも霊夢がお祓い棒で打ち払うたびに粉々に砕け、銀の粒子を撒き散らす。ただ闇雲に霊夢へ攻撃を仕掛けても、それは焼け石に水というものなのか。

 確かに咲夜の能力は非常に強力だ。それこそ世界が、宇宙が自分の庭と錯覚するまでに。 人間が持つには手を持て余すのは確実だろう。それを己の手足以上に使いこなせる咲夜の精神力は紛れもなく化け物である。

 さて、咲夜の能力は初見ならば一撃必殺の代物である。それこそ相手に何が起こったのか悟らせることなく、この世から葬り去らせることも可能だ。

 しかし霊夢はそれを見事に見切り、現在進行形で咲夜を翻弄している。普通ならば対応するどころか自分の身に起こっている状況を把握することですら困難なレベルではあるのだが…。

 

「…へえ」

 

 霊夢はお祓い棒を一閃し周りのナイフを一掃すると感心したような…しかしどこかバカにしたような声音で呟いた。

 咲夜は訝しげな目で霊夢を睨むと一度攻撃を中止した。このまま単調に攻めても埒が明かないと判断したのだろうか。

 

「何か?」

「いや、便利そうじゃない? あんたの時間を操る能力…でいいかしら?」

「あら、よく気づいたわね……いや、当たり前か。初撃を把握してたものね」

「把握なんてしてないわよ。ただなんかくるなって思ったから直感の向くままに動いてるだけ、あんたの能力についてはヤマを張ってみただけ…大したことじゃないわ」

 

 博麗の勘とは理不尽なものだ。

 しかし咲夜の能力についてはここまで対応できていれば自ずと見えてくる。さらにはその制限さえも。

 確かに咲夜は時を止めることによって光以上の速さで動き回り、ナイフを同時に突然目の前に展開することができる。

 しかし咲夜が時を止めている間、霊夢は一度として咲夜からは干渉されていない。時間が止まっているならばその間に殺せば楽な話なのにだ(もっとも結界で体を覆っているのでそれは無意味である)。

 ここから考えるに…咲夜の時を止めるという力は驚異的なものであるが、己が干渉できる条件はそれなりに限られているようだ。そしてその条件とは…自分と能力発動時に触れているものだけなのだろう。ここまでは推測できた。

 

 時を止める。それは物体が全ての動作を静止したということである。全ての物体…原子が運動…振動を止めたということはそれから発生する熱も全てなくなる。咲夜の作り出す世界とは絶対零度、−273.15℃というとんでもない世界なのだ。

 咲夜と、咲夜の触れていたモノのみがその世界を自由に動くことができる。しかし能力の適用範囲はそれらのみであり、仮に咲夜が能力発動中に素手で物質に触ったならば−273.15℃の餌食となり凍結してしまうだろう。また霊夢へといくらナイフを振り下ろしてもそれが突き刺さることはない。

『咲夜の世界』とは実に強力ではあるが、直接的な攻撃手段を持たないのだ。

 霊夢はここまでを直感的に推測した。詳しい原理やら何故そうなるのかなどは知らないが戦闘においてそれは全くもって関係ない。

 

「随分と小細工が効くようだけど…私には関係ないわね。それにまだあの妖精の方が面倒臭かったわ。しぶといし寒いし」

 

 霊夢は巫女袖からお札を取り出すと、「ひーふーみー」と枚数を数えだした。既に勝ったつもりでいるようだ。

 その姿が咲夜の中で八雲紫を連想させ、咲夜の激情を煽ってゆく。咲夜は瀟洒な笑みを崩し、空間を弄るとどこからか一際魔の加護を感じるナイフを取り出した。

 今度はどんな小細工を見せてくれるのかと傍観していた霊夢だったが…

 

 

 

 結界はバキィという不快な音とともに切り裂かれ、同時に血飛沫が舞った。

 肩を切り裂かれた。

 

「………痛っ!?」

 

 霊夢は今日初めての痛みに顔を歪め、裂傷した部分を手で抑える。久方に感じた痛みはやけに新鮮に感じられた。

 

 そしてその目の前にはナイフを既に振り終わっている咲夜の姿がある。シルバーブレードの刃先からは霊夢のものと思われる血が滴り落ちていた。

 咲夜が霊夢の目の前に移動したのは時間を止めたということで説明できる。しかし、何故今咲夜は霊夢の意識外から攻撃を仕掛けることができたのか。それが謎であった。

 

「いつつ…その小細工には驚いたわ。まんまとやられた。時を止めてる間は私に攻撃できないとばかり…ね」

「あら、私がいつそんなことを言ったかしら? しかしよく躱せたわね。肩を切断するつもりでナイフを振ったんだけど…勘がいいにもほどがあるでしょ」

「私の自慢よ」

 

 そうは言うものの、霊夢の傷はかなり深い。普通の人間同士の戦闘であればそれが決定打になったはずだ。

 咲夜は再び瀟洒な笑みを浮かべると、多数のナイフを展開する。霊夢はそれに応じ結界を展開するが…

 

 ――バキィ!

 

「…っ」

 

 目の前にはシルバーブレードを既に振り終わっている咲夜の姿。そして結界は咲夜の一閃によって破壊された。

 時を止めている間に攻撃を仕掛けていることもさながらだが、咲夜のナイフによる攻撃力もおかしい。霊夢の強固な結界を一撃の元に葬り去るほどの殺傷能力をあのチンケなナイフが有しているようには見えない。つまりそれもまた咲夜の能力が関係しているということなのだろう。

 

 咲夜は砕けた結界の合間からナイフを投擲し、霊夢に迎撃させるというその僅かなスキを作らせた。

 それだけの時間があれば十分。

 霊夢は直感的に体を捩る。その瞬間霊夢の周りを凄まじい数のナイフが囲い、霊夢を中心に交差した。運良く…というより必然的ではあるが、霊夢に被弾はない。

 しかしその一歩手前…グレイズは多かった。紅白の巫女服はボロボロに引き裂かれ、所々より血が滲み出ている。だが咲夜のターンは終わらない。時間停止状態の霊夢の背中を縦に引き裂いた。

 これまたすんでのところで致命傷にならない態勢をとっていた霊夢はことなきを得たが、それでも重症であった。だらだらと流れ落ちる鮮血がそれを象徴している。

 

「…痛いじゃないの」

「そりゃそうでしょう。ナイフで切られたら人は死にます。貴女といえど人間でしょう?」

「当然よ」

 

 霊夢はお祓い棒を両手に持つと何やら祈祷を始める。それは咲夜に暇をとらせる間もない早さで終わり、その頃には霊夢の傷は全て塞がっていた。

 それを見た咲夜は笑みをより一層深くするとナイフを構え攻撃準備に入る。

 

「止まっている時の中じゃ攻撃できない…わけじゃないのよね。けどそれは極限られた僅かな時間。私を殺しきれない程度の時間…」

「…まあ正解よ。貴女の結界を切るのは一苦労だから仕方ないわ。けどそれがどうしたのかしら? 貴女の時間は私の物、貴女に抗う術などないのに」

「言ってなさい」

 

 霊夢は巫女袖からお札を取り出すと、腕を交差させ投擲準備に入る。ついに博麗の巫女が動き出すのだ。咲夜も笑みを抑えるとそれに相対する。彼女の真価もこれから始まる。

 戦いはまだ序章に過ぎない。

 

 



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無間の世界*

ガチバトルは紅魔郷でこりごり
妖々夢からはちょっと軽めに


 須臾とは時間の最小単位である。その短さは1000兆分の1…刹那にも満たない例えなき概念。それは確かに存在するのだ。

 時というのは須臾が糸を構成する繊維のように織り合わさり、それが断続的に組み合わさることによって成される流れだ。そして須臾と須臾の間には僅かな空白の時が存在する。いや、その存在を確かめる術は現時点ではないのであくまでその存在は仮説に当たる。しかしこうして須臾という概念が在り、今時点でも時が巡っている限り、それは半ば証明されたようなものだ。

 空白の時はただ在るだけ。そんなモノは生きているだけでは気付くことすらままならない。あってもなくても変わらない存在など所詮その程度だ。

 

 しかし…十六夜咲夜はある日、唯一の温もりの手によってその世界を知った。

 否、その世界を支配した。

 

 それは超感覚(ゾーン)にも似たような奇妙な現象だった。幼き吸血鬼に言われるがまま、いつものように時を止めると…世界の深淵を覗いたのだ。

 咲夜の感じていた世界は、所詮ただの一端に過ぎなかった。深淵は恐ろしいまでに広く、深く、暗く、冷たく…咲夜を見返す。

 不思議と恐怖は感じなかった。

 

 そして次に感じたのは自分の新たな力。冷たく硬い、自分の恐れていた世界が急に優しく見えた。

 ふと、目の前の床に刺さっていたナイフに触れてみる。その危険性は把握しておきながらも、胸のうちから溢れる大丈夫だという謎の安心感に身を委ねた。

 ナイフは冷たくて…柔らかかった。

 

 咲夜は世界を支配し、レミリアに支配された。

 身体が持つ限り、自分がそこに在る限り、主人へと忠誠を貫き続ける。それのみが咲夜の信条であり、全てであり、能力の使い道。

 その『世界』が続くのは約五秒。

 十分すぎる。一秒あれば十回殺せる。

 さあ、切り刻んでやろう。私怨は否定しない。しかし自分のような従者程度すら突破できないようでは、お嬢様に会う資格もない。

 死んだのならば、あの世でお嬢様の期待に添えなかったことを後悔しろ。

 

 

「幻世『ザ・ワールド』──時よ止まれ」

 

 

 ──さあ、お前の時間は…私のものだ。

 

 

 

 

 

 

 霊夢は露骨に嫌そうな表情を隠そうともせず、砕けた結界の合間から飛来するナイフを打ち落としてゆく。咲夜が『ザ・ワールド』を使用する直前に『二重結界』を張ったのだが、単純に強度、数が倍になったそれでも咲夜のナイフを防ぐことができず時止め中に破壊されてしまう。どうにも『ザ・ワールド』には僅かなクールタイムが必要なようで、連続して『ザ・ワールド』を使ってくることはないのだが、それとは違う時止めを併用して使ってくる。

 直接干渉がないとはいえ時を止めてくるだけでも十分厄介だ。それにそっちの方には時間制限がないようである。

 お札をいくら投合しても咲夜の視覚スピードがそれを捉える限り、先に時を止められてお終い。攻撃にもなりはしない。

 

 あまりにもジリ貧。

 霊夢はここで咲夜を厄介な敵と判断した。だからといってここでそれなりの本気を出すのも色々と都合が悪い。

 それに…あくまで霊夢の勘だが…

 時止めの時間が徐々に長くなってきているようにも感じる。この死合いの中で咲夜は着々と成長してきているというのか。しかもまだまだ隠し玉を持っていると見える。

 さて、どうしようかと霊夢は考え始めた。

 

 しかしジリ貧なのは咲夜も同じである。

 霊夢の鉄壁の守りは咲夜の能力を持ってしても突破することは容易ではない。しかもそれに拍車をかけるのが博麗の勘だ。霊夢のその理不尽なまでの勘の良さは咲夜の絶え間ない猛攻をぬらりくらりといなしてゆく。そして少しでも気を緩めば瞬く間にお札に囲まれ、封殺されてしまうだろう。

 なにより…

 

 ──あの巫女はまだこれっぽっちも本気を出しちゃいない。私のことを敵とすら思っていない。障害としてすらも見てない。

 

 その事実こそが咲夜をらしくもなく狼狽えさせ、その激情を煽ってゆく。

 ただでさえ私怨のある相手なのだ。

 咲夜の攻撃の苛烈さは時を止めるごとに増してゆき、確実に霊夢を追い詰めている…はずなのに。

 なぜだ、追い詰めている気がしない。追い詰められている気はしないのだが、ただ…掴めそうで掴めない…まるで雲のような────

 

「霊符『夢想封印』」

「ッ!! 時よ止まれ!」

 

 咲夜の一瞬の気の緩み。それを知ってか知らずか霊夢はなんの前触れも、なんの予備動作もなくスペルカードを取り出し発動したのだ。

 霊夢の周りに展開された複数の巨大な霊力弾は咲夜に触れる直前で静止した。

 咲夜はふぅ…と深い一息を吐くとゆっくりと霊夢の背後へと回り込んでゆく。ふと、空中に静止したままの複数の霊力弾を見る。

 一つ一つに莫大な霊力が込められている。当たれば間違いなく一撃。この世に塵すらも残すことを許してはくれないだろう。恐れはしないが恐怖はする。パーフェクトメイドの咲夜でもそれには冷たい汗を流すしかなかった。

 

 時止めを解除すると同時にナイフを振るい霊夢へと攻撃を仕掛けるが、初めから分かっていたかのように霊夢の背後には結界が張られており、それを破壊するだけにとどまった。

 少し遅れて『夢想封印』が紅魔館の壁を吸い込むように粉砕し、なおかつ咲夜を追う。高威力、なおかつ高速のホーミング弾…それは咲夜に対してはよく刺さる戦法なのだろう。即興の戦闘方法としては上出来だ。

 だが咲夜はそれをさらに超える。

 咲夜が展開した時空の穴より怒涛のナイフの嵐が巻き起こり、その一つ一つの刃を削らせながらも数による封殺で『夢想封印』を散り散りに霧散させてしまった。

 時間を圧縮し、自分の設定した過去と未来までの間のナイフを撃ち出したのだ。これには過去、及び未来において存在を確立させている物限定になるのだが、ことナイフにおいては別段厳しい条件ではないだろう。

 

 咲夜と霊夢。

 互いが互いを厄介・面倒臭い敵と判断している。だがしかし、両者とも己の勝ちを確信していた。そして、それと同時に相手を認めざるを得なくなってしまった。

 霊夢のシンプルな強さ、咲夜の強大な能力…霊夢の別次元の勘の良さ、咲夜の圧倒的多彩さ…。どれがどれを取っても互いに引けを取らない強力な技能である。

 

 だが敢えてどちらが有利であるかを断定するのであれば…それは咲夜の方に軍配が上がるだろう。

 理由は単純明快…時止めだ。

 時間を支配する咲夜に干渉するのはほぼ不可能。時間の流れに抗える存在など、そこに在る限り存在するはずがないのだ。咲夜の前にはどのような事象も、どのような意志も、すべてがすべてゼロとなる。

 

「…どれだけしつこく食い下がっても無駄よ、無駄。私の能力の前には全てが無力。貴女の奮闘もただただ滑稽にしか見えないわ」

「…ごちゃごちゃ言ってないで、殺せるもんなら殺してみたら?多分、次に時を止めたその時が…この戯れの最期よ」

「違うわね。訪れるのは戯れの最期じゃない…愚かな巫女である()()の最期よ! 幻世『ザ・ワールド』──時よ止まれ!」

 

 世界が咲夜の意思の元に停止する。

 霊夢も例外なしに咲夜の眼の前で結界を展開させたまま静止している。咲夜は冷たくその姿を見やるとスペルカードを取り出した。

 

「時符『パーフェクトスクウェア』」

 

 咲夜によって射出された四本のナイフが結界の四隅へと突き刺さり、霊力を噴出するとそのまま長方形に空間を切り取った。

 その瞬間に咲夜は猛スピードで霊夢へと肉薄する。ナイフを投擲するだけではこの巫女を殺せそうにない。ならば直接切り裂くのが霊夢を殺すのに一番適した方法である。

 ナイフの攻撃力は高いわけではない。その部分の空間を切り取り、術式を滅茶苦茶にしてしまうことによって咲夜のナイフによる攻撃は霊夢の強固な結界を砕いていたのだ。しかしその問題の攻撃力もナイフに霊力を纏わせてしまえば即解決である。

 

 停止可能時間にはまだまだ余裕がある。

 この勝負──もらった。

 

 咲夜のナイフが静止する霊夢に向かって容赦なく振り下ろされ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「衝夢」

 

 止まっていたはずの世界に風が吹き荒れた。

 咲夜の持っていたナイフが粉々に砕け、鳩尾へとお祓い棒が突き刺さった。衝撃は咲夜の鳩尾から背中を突き抜け背後の壁を破壊する。

 咲夜はその不可解な出来事に狼狽えながらも、震えながら二、三歩後ろへと後退した。

 

「ぐ、ゲホッ!カハッ…!」

「ふーん…これが停止している世界…か。案外変わらないものねぇ、ちょっと色素が落ちてる感じかしら? まあどうでもいいけど」

 

 取り乱し、悶え苦しむ咲夜を他所に霊夢は呑気に周りの風景を観察している。

 やがて時間切れによって世界は動き出し霊夢は「あら」と呑気そうに声を上げた。

 一方の咲夜はまだしばらく痛みに蹲っていたが、一度体を大きく震わせると何もないように立ち上がった。自分の体の時間を進めて痛みを消したのだろう。しかしその驚愕に彩られた表情は治せなかったようだ。

 

 そして再び時間を停止させる。

 咲夜は霊夢から一定の距離をとりつつしっかりと彼女を見据えながら移動を開始した。霊夢は…ジッと咲夜を目で追っていた。

 

「貴女…見ているわね…!!」

「…まあ」

 

 ここで否応なしに咲夜は思い知らされることになる。目の前の巫女が…自分の世界に当然のように侵入していることに。

 

「…この…私の世界へ…入門してくるとは…! まさかとは思うけど…貴女は元々から時を操る能力を────」

「んなわけないでしょ」

 

 霊夢は呆れたように息を吐くとお祓い棒をワシャワシャと振りながら何気なく答えた。

 

「まずはあんたの時止めをよーく観察させてもらったわ。結局何もわからなかったけど」

 

 霊夢の言葉に咲夜は怪訝そうな表情を浮かべ睨みつけるが、霊夢はそれを無視して咲夜とは目線を合わせずさらに話を進める。

 

「そう、私は何もわからなかったのよ。だから気づいたの。あんたは私に理解できないことをやっているってね」

「…そりゃそうでしょうよ」

 

「だから一から考えてみた。私に見えてない世界がどんなものなのか、私が今の今まで感じることのできなかった世界ってのはどんなものなのかって…。

 一度理解できてしまえばどうということはないわ。あとはあんたと同じことをするだけ。まあ、案外チンケな世界だったみたいだけど」

 

 ──いや待て。この巫女は何を言ってるの?

 理解が追いつかない。彼女をまともに見れない。

 頭は良く冴えているはずなのだ。脳内はクリア、考えも良く回っている。なのに…彼女の言葉を一つも理解できなかった。

 理論で知っただけであの世界に入り込めるはずがない。そんなチープなものではない。自分だけが感じることのできる唯一無二の世界。

 しかも、だ。

 咲夜はレミリアの能力の補助によって世界を開拓することができた。だがこの巫女は…自分の力のみで入ってきたのだ。こんなことが許されていいのか…?いや、許されるはずがない。

 

 奴の行為、態度は自分への…引いては敬愛する己の主人への侮蔑である。

 

 咲夜は痛む頭を抑えながらナイフを構える。

 端正に整った顔はいつもの瀟洒な微笑ではなく憎悪に歪み、目は濁りきって黒い深紅に染まる。熱いものが心の内から沸るのを感じた。

 

「貴女も…八雲紫も…あの時の妖怪も…!! どいつも、こいつも……!! 私を…! お嬢様を…!! コケにしてッ!!」

 

「…知らないわよ」

 

 喚くなと言わんばかりに霊夢は鬱陶しそうに答えた。すでに霊夢の視線に咲夜は入っていなかった。

 咲夜は己の体をぐっと抑える。苦しそうに呻き、深紅の瞳がどんどん黒くなってゆく。それは咲夜の今の行動が決して体に優しいものではないことを証明していた。

 

「う、くぅ………殺し、きる…!」

「あっそ。ならかかってらっしゃ────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が反転した。

 

 霊夢は吹き飛ばされたのだ。勢いそのままに厚い壁を突き破り床を二、三回バウンドしたところで動きを止める。

 苦痛に歪みもせず、変わらぬ表情で天井を見つめていた霊夢はゆっくりと上半身を起こしてゆく。

 だがそれは叶わず、霊夢は頬に受けた衝撃により床へとめり込んだ。煙のように咲夜が霊夢の眼前へと現れると馬乗りの形になり霊夢の体を乱打する。ナイフは咲夜の音速を超える動作のせいでバラバラに砕けてしまったようだ。しかしそんなことは関係ないと言わんばかりに素手で霊夢を殴る。その一撃一撃が霊夢へと突き刺さるたびにその細く華奢な体が跳ね上がり、床を歪にへこませていった。

 

 ────いらない、貴女なんていらない。

 私の世界に貴女はいらないっ!

 

 咲夜の時間は加速する。

 ぐんぐんと速度を増してゆく拳は霊夢と咲夜の血で濡れていた。周りは絵の具をぶちまけたように真っ赤な館がさらに紅く染まっていた。それに伴うかのように咲夜の口から血が吹き出るが、気にせずただただ目の前の憎き巫女を殴る。

 今の咲夜に数分前の面影はなかった。

 

「ゲホッ…ゥ…!死、ね…!」

 

 トドメとばかりに腕を思いっきり振り上げ、霊夢の顔面へと神速の拳を放つ。

 しかしそれは他ならぬ博麗霊夢の掌によって遮られていた。

 血に染まり、影に埋もれているようにも見える霊夢の紅黒い顔。それとは対照的に霊夢の目は真っ白で、冷たく咲夜を見つめていた。

 奇しくもそれはそれは紅白であった。

 

「邪魔」

 

 弾かれたように咲夜が吹っ飛び壁へと叩きつけられた。ずるずると重力に従い咲夜は壁を背にへたり込む。

 霊夢はコキコキと準備運動を終えたかのように首や肩を伸ばす。その身からは絶えず血が流れ出しているが、大して気にした様子はない。

 一方の咲夜も荒い息を噛み殺し、疲労で震える体を無理矢理持ち上げる。瞳からは戦意も、憎悪も消えてはいない。

 

「…殺し、きる。貴女を…お嬢様に会わせるわけには…いかない」

(…めんどくさ)

 

 霊夢はお祓い棒を前へと突き出し体の重心を低く持ってゆく。まるで何かに備えるかのように────。

 

「傷魂…ッ! 『ソウルスカルプチュア』ァァァァッ!!」

 

 スペル発動と同時に咲夜が両手に持っていたナイフが白く、妖しく光を発する。そして咲夜が繰り出したのは斬撃の嵐。あまりの攻撃スピードの速さに霊夢と咲夜の周りに存在していたものは全て素粒子レベルにまで斬られ、分解されていた。

 一方の霊夢は、こちらもブレて見えなくなるほどに素早くお祓い棒を小手先のみで動かし、斬撃を相殺させる。ただ坦々と苦戦するようでもなく斬撃を弾いていた。霊夢の足場とその後ろのみ、紅魔館が原型を残している。

 

 咲夜の挙動はもはや光速に近い。

 斬撃により物体が、空間が刻まれる音がひたすら不協和音として響き渡っていた。坦々と作業の如く咲夜の『ソウルスカルプチュア』をあしらっていた霊夢も徐々に動きが大振りになってゆく。小手先だけでは追いつかなくなっているのだ。

 

「…! くっ…!」

 

 ついに、霊夢の表情が崩れた。咲夜のスピードが霊夢を超えたのだ。巫女服は端の方が切り刻まれてゆき、お祓い棒も削り取られる。

 咲夜の紅い瞳がさらに黒く、輝きを増してゆく。その光に照らされ白き刃は真紅へと染まった。そしてその真紅の刃はついにお祓い棒を切り裂き、霊夢を捉える。

 

 獲った────ッ!

 

 

 

 

 

 

 そして崩れたのは…咲夜だった。

 あと数撃…というところで膝から崩れ落ちてしまった。コヒューコヒューと生々しい呼吸音が切り刻まれ、ほぼ楕円型の形になってしまった紅魔館の一画に響く。

 自らの時を速めるという荒技を行使し続けた結果だ。もはや体の筋繊維一つ動かすことはできまい。代償はとてつもなく大きかった。

 

 霊夢は二つに裂けたお祓い棒を両手で持ち上げると、お札を貼り付けて修復させる。そして静かに咲夜を見ると…その胸に封魔針を突き刺した。咲夜は口からゴフッ…と多量の血を吐き出し、しばらく震えた後動かなくなり、そのまま息絶えてしまった。

 

 霊夢は咲夜が息絶えたのを確認し、ふぅ…とひと息つくと、紅魔館の主人の元へと向かおうと後ろを振り向く。

 

「『デフレーションワールド』!」

 

 目の前にはスペルを発動させた死んだはずの咲夜の姿があった。霊夢は驚く暇もなく咲夜が放った純黒の球体に呑まれ、その存在をこの世から消失させた。

 咲夜が放ったのは自作の四次元空間へと相手を強制的に送り込む一撃必殺のスペルカードである。送られた者は最後、死してもなおその未来と過去の交錯する四次元迷宮を彷徨い続けるのだ。

 

 霊夢を欺いた方法は簡単だ。

 不干渉の時止めを使い、その場に幻影魔法で憔悴する自分の姿を残せばいいだけ。その隙に自分は背後に回り『デフレーションワールド』の準備を整える。見事な咲夜の作戦勝ちだ。

 

「はぁ…はぁ…」

 

 咲夜は激しく肩を上下させ空気を取り込む。そして霊夢がいた場所を見て、笑った。

 ──激しい死闘だったが最後に勝利したのは自分。所詮博麗の巫女といえどもこんなものだ。この巫女に勝利することによって自分はお嬢様に揺るぎなき忠誠心を証明できた。ただそれだけがこの十六夜咲夜の幸せ…!私の世界に温もりなどお嬢様以外には欲しくもない。ここでこの巫女を始末できたのは幸運だったか。

 

 咲夜は大きく息を吸い、吐き出すと、誰もいない虚空に向かって言葉を発した。

 

「貴女の敗因は…たったひとつです…博麗の巫女。…たったひとつの単純な答え……」

 

 

 

 

 

 ──バリィ

 

「「貴女は私を怒らせた…」とでも?」

「貴女は私を────ッ!?」

 

 空間の破れる音ともに凛と響いたのは聞こえるはずのないあの声。咲夜は機械人形のようにぎこちなく、けれども急いでその方向を振り返る。

 そこには、破れた空間の穴を背に、スペルカードを構えた霊夢の姿があった。

 

「────ッ!時よ止ま────」

「神霊『夢想封印 瞬』」

 

 咲夜が時を止めるよりも早く、霊夢はスペルを発動し、光速を超えた動きで咲夜に肉迫。その腹部へと強力な霊力弾を撃ち込んだ。

 既にダメージの大きかった咲夜はなす術なく衝撃に身を任せて吹っ飛び、壁を突き破った先の部屋で意識を失った。

 最後の一撃は呆気ないものだった。

 

 霊夢が四次元迷宮を抜けられた方法。それは、勘である。何か特別な理由があったわけでもない。ただ自分が進もうと思った場所へ進み続けただけ。ただそれだけだ。

 

 霊夢は祈祷して体の傷を癒すと咲夜には目をくれず、方向を転換させて一直線にこの館の主人の元を目指す。

 元々から霊夢に咲夜を殺す気はなかった。咲夜の幻影に封魔針を投擲したのも、咲夜の『デフレーションワールド』に呑まれたのも、彼女の計算込みのことだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 stage5.クリア

 

 

 *◆*

 

 

 藍は私に対して恭しく頭を下げた後、厳しい目つきで橙を睨む。その目はとてもじゃないが己の溺愛する式に向けるものではない。先ほどのレミリアが放っていたようなドス黒い何かを感じる。違うのはそれが殺気ではないというところぐらいか。

 橙はその重圧にさっきまでの勢いは何処へやら、消沈して藍を上目で見ている。かわいい。

 

「…橙。私からの命令はなんだった?」

「……紫様の警護です」

「では問う。警護とはなんだ?」

「…紫様へ危害を及ぼすと考えられる可能性が目に映り次第、速やかに排除することです。重々承知しています…」

 

 え、警護ってそんなんだっけ?

 藍は橙の言葉を聞くと妖しい輝きを放つ細められた目をさらに細め、冷たく言い放った。

 

「自惚れたか? 己の力量を理解し、その場その場に適切な判断を下しそれを迅速に行動へと移すのが式として必要最低限の技能。何故私を呼ばなかった? まさか自分一人でどうにかなるとでも思ったのか? お前如きが奴らの本拠地で紫様の万が一を保証することができるのか?」

 

「…でき…ません…」

「…まさか自分の罪が分からないわけではあるまい。もしもの時があればどうするつもりだったんだ?私にどういう言い訳を言うつもりだったんだ?答えてみろ」

「…」

 

 あまりに厳しい言葉だった。今まで橙を溺愛する藍の姿しか見たことがなかったから、その分衝撃も大きい。

 いや、あのね?橙も私を脅してまで付いてきたとはいえとっても頑張ってくれたのよ?流石にそこまで怒る必要はないんじゃないかしら…。むしろそれなりに褒めてあげてもいいくらい。

 気づけば私は仲裁に出ていた。

 

「ねえ、藍。橙は式としての役割は果たせずとも、十二分に最善を尽くしてくれたわ。

 だって橙は私の反対を押し切ってまで貴女の命令を守ろうとしたのよ? 式としての判断は未熟でも、やったことに間違いはないわ。

 それに橙にも言えることだけど、私たちの繋がりは命令する、命令されるだけなんていうつまらない関係じゃないはずよ……そうでしょ? 私と貴女は対等。ならば私と橙も対等よ。厳しいことばかり言わないで、少しばかりは褒めてあげて頂戴?」

「紫様…まだそのようなことを仰るので?」

 

 あ、はい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。でしゃばってすいませんでした。私と貴女が対等なはずないですよね。何言ってんだこいつって感じですよね。

 すっこんでますからどうか命だけは…!

 

「……紫様は甘すぎるのです。橙にも…私にも。これでは我々の面目が立たないではございませんか。それに何度も申し上げている通り、我々は紫様の式…道具なのです。決して対等ではございません」

「そんな悲しいことを言わないで?私たちは家族なんだから」

 

 橙の表情が日が灯ったかのように明るくなった。その一方で藍はなんとも複雑な表情を浮かべている。そう、私たちは家族よ。だから早く独り立ちしてね?ていうか独り立ちさせてね?

 

「…まあ今日は大事に至らなかったし、紫様のお言葉もあったから良しとするが、ちゃんと己の力量を考えて行動しなさい。いいな?」

「はい…!」

 

 橙は力強く頷いた。藍はその様子を見届けると満足そうに頷き、先ほどまでの剣呑な雰囲気を霧散させていった。

 まあ、私から言えることは橙に敵う奴なんてそうそういないから、力量を判断するっていうのも凄く難しいことなんだろうなーってこと。私からしたらそんな悩みは羨ましい限りよ。いつも下手に回ってヘコヘコしている私からしたらね!

 

 さて、どうやら藍のお説教も終わりみたいだしさっさと寝ちゃいましょうかね。そろそろ体力の限界が近いわ。

 

「それじゃあ藍。私はもう寝────」

「あ、申し遅れましたが」

 

 藍は私の言葉を遮って懐から簡素な手紙を取り出した。あれ?なんかデジャブを感じるような…

 

「地底の主より紫様へと」

「地底の主…ですって?」

 

 地底の主。このワードを聞いた瞬間私の額から冷たい汗が滝のように流れ始めた。

 忘れるはずもない…あのさとり妖怪のことである。あいつの性格は冷酷、陰湿、残忍! そしてじわじわと人を弄ぶことに定評のある幻想郷一内面が醜悪な妖怪だ! 外面は整っているけどそんなの関係ない。あいつの性格と能力が全てを台無しにしているのだ。

 

 駄目…嫌な予感しかしない…。

 藍から手紙を受け取り、恐る恐る封を開く。

 

 

 [拝啓 八雲紫

 

 今すぐの対談を望みます。

 即、地霊殿まで来ていただければ幸いです。

 美味しいお菓子を用意して一同(ペット込み)でお待ちしております。

 

 敬具 古明地 さとり]

 

 

 やっぱりね!大的中!

 紫ちゃんって頭いいー!

 

 ………私死ぬかも。主に胃痛で。

 ボスラッシュなんていらないのにぃぃ…!

 あんまりよこんなことぉ!!

 

「ご安心を紫様。今度はこの藍が紫様とともに参りますので警護はバッチリ任せてください」

 

 全然嬉しくナァァァァイ!!!



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運命のエリュシオン*

 原因は小さなすれ違い。

 

 彼女は全てを悉く受け入れ、彼女は全てを悉く拒む。運命は彼女たちを生まれながらに宿命づけた。

 

 境界はそれを無残に線引きする。

 元々は同じ一つであったのに…なぜこうなってしまったのか。答える術はない。

 

 逃げた。目を背けてひたすら逃げた。

 それぞれが反対へ、逃げていった。二人の距離は遠くなるばかり。一番近いはずなのに、いつの間にか一番遠くなってしまった。

 願い、懺悔し、投げ出してまた願う。

 無駄だと分かっていても止めることはできない。

 

 

 

 簡単に言えば、似た者同士だった。

 ただそれだけ。

 だけどそれが…彼女らには何にも代え難い、かけがえのないものだった。

 

 どうか、願わくば…────

 

 

 *◆*

 

 

 どこまでも続く長い回廊。

 一歩一歩を踏みしめるたびに、ドス黒い重圧がその身へと重くのしかかってゆく。常人であれば恐らくこの時点で気が触れる、失神するなどの異常をきたすだろう。かの霊夢もその身にビリビリと圧倒的なプレッシャーを感じていた。

 

 たがどんなことにも終わりは来るものであって、この永遠とも思える長い重い回廊は唐突にその終わりを告げた。

 霊夢の前に現れたのは煌びやかに装飾された扉。

 豪華絢爛に飾られたその扉はこの館の主人が待ち構えるには少々役不足にも見える。少なくとも霊夢はそう感じた。

 

 小細工はない。

 あっても特に問題はないが、そのような小細工を弄すような存在ではないだろう。

 紅魔館の主人に会ったことなど一度もない。しかし、そうどこか確信めいたものを感じながら、霊夢はその扉を躊躇なく開いた。

 

 鮮血をぶちまけたかのような部屋の内装は、充満する禍々しい妖力と気持ちが悪いほどに混ざり合い、なんとも形容し難い凄まじい空間を作り出していた。

 あまりの妖力濃度に空間が水の中のように…そして蜃気楼のようにグニャグニャと捻れ、歪んでいる。霊夢はそのあまりの悪趣味さに眉を顰め、その張本人を探し…すぐに見当をつける。

 

 中央に机と椅子があるが、そこには誰もいない。いや、先ほどまで奴は確かにいたのだろう。

 だが今、奴は────

 

「…いるわね」

 

 霊夢が言葉を発する。

 空間は歪みながらも、その凜とした声を如何なく部屋中へとじわりじわり浸透させてゆく。霊夢は何処に視線を合わせるでもなく…虚空へとさらに語りかけた。

 

「悪寒が走るわ、この妖気。強力な妖怪のくせに…どうして隠れているのかしら?」

「────あら。能ある鷹は、尻尾を隠さず……ってやつよ。知ってるでしょ?」

 

 部屋がクリアになった。

 その禍々しく留まるところを知らない強大な妖力が、ギュッと一箇所に収束され、元の形を成したのだ。

 霊夢の目の前に現れた、ある意味暴力的なまでの妖力を身に秘めた少女。荘厳な佇まいとその存在感に…霊夢は、不覚にも思わず一歩その身を引いた。

 

 ──なるほど、手強い。

 

 霊夢をもってして、そう思わしめたその存在。

 それこそが、最強にして()()の吸血鬼。

 ”紅”の名を冠する絶対的支配者。

 

「こんばんは、レミリア・スカーレットよ。以後、お見知り置きを」

 

 レミリアはスカートの裾を僅かに持ち上げ、優雅にお辞儀した。それはここまで辿り着くことのできた霊夢に対するレミリアなりの確かな称賛であった。

 しかし霊夢はそれを軽く突っぱねた。

 

「お見知り置きする必要性を感じないわね」

「どうしてかしら? 私は貴女との末永い友好関係を望んでいるのだけど」

「まず仲良くする必要がない…これが一つよ。そして────」

 

 霊夢はお祓い棒をレミリアへと突き出す。鋭い眼光がレミリアを射抜いた。

 

「あんたはここで終わりだから」

「…へえ? 言ってくれるじゃあないの。まあ、それが嘘でも偽りでもないのが、貴女の怖いところなんだけどねぇ…」

 

 まるで分かっているとも言わんばかりの言いようである。動揺は一切見られない。

 レミリアは月夜に照らされ紅く輝く目を細め、悪戯っぽく笑みを浮かべる。

 

「貴女はその目で咲夜を殺したんでしょうね。この殺人鬼」

 

「…一人までなら大量殺人犯にならないからセーフよ。まず人間じゃないのを殺しても殺”人”鬼にはなりはしない。メイドは精々器物損壊程度じゃない?」

 

 カラカラと笑いながらからかうレミリアを霊夢はつまらない様子で一蹴する。

 一つ明記しておくと、咲夜は死んでいない。

 二人ともそこのところはよく理解っている。二人が言っている本質的な意味合いはそこではない。もっと、すれ違っているものだ。

 

「さて、本題に入りましょうか?」

「そうそう、迷惑なの。あんたが」

「短絡ね。しかも理由が分からない。私は自分が住み良いように環境を整えているだけ、言うなら家の模様替えよ」

 

 つまりレミリアはこう言っているのだ。

 ──ここ(幻想郷)は私のものよ。貴女にとやかく言われる筋合いはない…と。

 

「だって可哀想だと思わない?そんなにお外に出して貰えないのよ。私は日光に弱いから。少しは譲歩してくれてもいいでしょ?だって幻想郷は全てを云々かんぬん…とは八雲紫の談よ」

 

「…あのバカ…また意味の分からないことを」

 

 霊夢は今日一番の面倒臭そうな表情を浮かべると、お札を周囲に展開し浮遊させる。かなりマジな方の臨戦態勢である。

 

「あいつの言う事は胡散臭すぎてね。信じてる奴を見るのはあんたが初めてよ。

 まず、そもそもだけどあいつがなんと言ってようが私には関係ない。あんたは兎に角ここから出て行ってくれる? すぐに」

「ここは私の城よ? 出て行くのは貴女だわ」

「この世から出て行って欲しいのよ」

 

 あまりの物言いにレミリアはやれやれといった感じで肩を竦める。彼女が思っていたよりもさらに霊夢は尖っていた。

 少しの譲歩も許してはくれないだろう。

 

 ──全く…教育がなってないわね。

 

 レミリアは眼前に飛来したお札を掴み上げた。

 お札から迸る霊力の波動がレミリアの素手を焼いてゆく。

 並みの存在であればこの時点でアウトである。

 しかし彼女は大して気にした様子もなく、それを握り潰した。

 そして、浮かべたのは壮絶な笑み。

 裂けた小さな口から真っ赤とともに覗いたのは白く鋭い八重歯。レミリアが吸血鬼であることを否応なしに実感させる。

 

「しょうがないわね…今、お腹はいっぱいだけど」

「…貴女は強いの?」

 

「さあね。貴女に言わせれば私は箱入りお姫様だから。まあ、そこそこには」

「……中々できるわね」

 

 数回、お祓い棒で床を叩く。

 すると八卦の模様が浮かび上がり、そこより何かの球体が半ば回転しながら現れた。白と赤が混ざり合い、陰と陽の対極と調和を示す。博麗神社最大にして最強の秘宝”陰陽玉”である。

 かつて人類史最恐の悪霊や、容姿美白淡麗な凄腕侍が追い求め続けた博麗一族のみが使用できる伝説の神具であり、その効力は日の本全ての妖を討ち滅ぼしても事足りると謳われたほどだ(八雲紫談)

 しかしレミリアにとってはそれすらもただの玩具。暴風となって吹き荒れる霊力を物ともせず余興を楽しんでいる。

 

「本気で私と殺り合うつもりなのね?ククッ…ここ数百年はそんな愚か者は見なかった。貴方は愚者? それとも勇者?」

「どちらでもない。私は巫女、博麗の巫女よ」

 

「その意気…いいじゃないの。ますます貴方の全てが欲しくなったわ。殺した後に私の眷属にしてあげる。光栄に思いなさい」

 

 ついにレミリアが臨戦態勢をとった。その身から放たれる重厚な妖力は空気を振動させ、部屋をへしゃげてゆく。

 そして、紅魔館の一室が吹き飛んだ。

 

「こんなに月も紅いから本気で殺すわよ」

「こんなに月も紅いのに…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しい夜になりそうね」

 

「永い夜になりそうね」

 

 言葉が発せられ、二人が次の行動に身を移すまでには刹那と呼ぶほどの間すらなかった。二人は爪を、棒を振るい…

 爪は霊夢の頬を抉り、棒はレミリアの胸を貫いた。しかしレミリアはそんなこと関係ないとばかりにさらにお祓い棒を自分の胸に射し込むと、紅く輝く爪を振るった。

 音はない、その一振りは音速を遥かに超えたスピードだったから。霊夢はお祓い棒を放棄し回避する。レミリアの爪から放たれた風圧が壁と床を切り裂き、その衝撃は遠く離れた魔法の森の木々を粉砕した。

 

 だがそれを気にする余裕はない。

 休む暇も与えず超スピードで突っ込んできたレミリアを抑えようと霊夢が結界を展開する。しかし予想外だったのはここからで…結界がレミリアの殴打とともにへしゃげ、ひび割れてゆく。

 これが意味することは…レミリアの放つ一撃は軽く見積もっても幻想郷を破壊しかねない威力が内包されているということだ。

 霊夢も勿論負けじと反撃するが、どれもが吸血鬼として桁違いの再生能力を誇るレミリアには全く通用しなかった。

 必殺の博麗の札でも足止め程度にしかならない。

 封魔針はレミリアの硬い皮膚に阻まれ、上手く刺さらない。

 お祓い棒はレミリアが無理矢理引っこ抜いた際に砕けてしまった。

 陰陽玉から放たれる霊力波や弾幕はそれなりに効力があるのだが、その攻撃だけはレミリアには決して当たらない。

 

 レミリアは紛れもなく…霊夢がこれまで戦ってきた相手の中でも最高級の力を持っている。判断材料はその身体能力だけではない。先ほどから霊夢に纏わりつく嫌な何かが一番大きい。

 自分の行動が自然的に何らかの形で阻害されている感覚であった。もっともそれは霊夢ほどの勘を持ってしないと気づけない、ほんの僅かな違和感ではあるのだが。

 

 とてもじゃないが咲夜は比較対象にもなりそうになかった。実力がどうとかそんなレベルではない。根本的な部分から何もかもが違うのだから。

 

 ステップを踏むようにしてレミリアの攻撃を結界でいなしつつ、反撃の隙を窺っていた霊夢だったが、どうにも中々それを見せてくれない。それだけレミリアの動きは洗練されているということなのだろうが…霊夢にはそれだけでないように思える。

 

「一手二手三手────ここよ」

 

 瞬間、レミリアの小さな手が何倍にも大きく見えた。レミリアは腕をストレッチさせ爪から魔力の斬撃を繰り出す。

 それは伸びて伸びて、霊夢の結界を突き破り、脇腹を掠めた。あと少しでも反応が遅れていれば上半身と下半身がサヨナラをしていた。

 

「く…っ!」

 

 霊夢は負けじとレミリアの顳顬を蹴り上げる。普通の蹴り…なのだが、莫大な霊力の上乗せされた豪脚から繰り出されるその蹴りは、易々とレミリアの首を引きちぎった。

 正真正銘、霊夢のマジ蹴りである。

 

 しかし引きちぎれた頭と体は霧となって霧散し、再び元の状態へと形成された。

 レミリアはコキコキと首を回しながら身体の調子を確かめる。

 

「んー…本当に勘がいいのね。オマケにこの世の理をしっかりと理解している。咲夜が敵うはずもないわね、これじゃ」

「…」

 

 先ほどのレミリアストレッチを躱せなかったら…最悪死んでいた。いや、普通ならレミリアにあそこまでの行動を許すはずがない。

 自分の過失かと思うが、生憎そんな気はしない。一つ一つの動作が念入りに計算されているように感じる。もっとも、目の前の箱入りお嬢様がそんなタイプの戦闘を好むようには見えないが…

 

「…あら、もしかして気づいた?」

「なんとなく。最悪ね」

 

 霊夢は札を投げつつ、レミリアへと言い放った。その能力を。

 

「全てが納得いったわ。随分と陰湿な能力を持っているのね…未来に干渉するなんて。たかが妖怪の身で」

「そうは言っても、そこまで大した能力ではないわ。運命ほど易いものはない。今日もまた一つ、常識を覆されたんだもの」

 

 若干拗ねたような顔をするが、やはりレミリアは楽しんでいる。自分の能力が看破されたことがそんなに嬉しいのか、霊夢には甚だ疑問である。

 

「運命は無限に広がるわ。様々な道がある。けれど選べるのはそのうちの細い細い一本の道だけ。…なら、ちゃんと考えて選ばなきゃダメでしょ? 命は一つきりなんだから」

「妖怪がほざくわね。なら試しに私がこれからしようとしていることを…」

「天照大御神? っていう神を降ろして太陽光で私を浄化しようとしているわね?残念、思考誘導も完璧なのよ。それにもしその天照大御神を呼び出しても、異変に使っている紅霧を全て自分に纏えば防げる。神の力でさえも私には及ばない」

 

 無い胸を張り上げ、ドヤ顔を決める。

 レミリア有頂天。

 

「フフ…貴女正直凄いわよ? 半分の確率でこの私に勝てるんだもの。咲夜やパチェでもこうはいかないわ」

 

 もっとも、と付け加える。

 

「一本でも勝ち筋があるのなら、私に敗北はない。それがこの世の予定調和よ!」

 

 ダンッ、と床を踏みしめる。

 するとレミリアの足から紅色の魔力波が吹き荒れ、徐々にその勢いを増してゆく。圧倒的な魔力の高まりを感じた。

 

「ッ! 夢符『二重結界』!」

「紅符────」

 

 霊夢の周囲がシェル構造の結界に包まれると同時に、レミリアはスペルカードを発動した。

 

「────不夜城レッド」

 

 

 

 

 

 

 紅魔館は半壊していた。

 レミリアを起点とした魔力の超爆発によって、彼女の周りには何もない。ただ大地の奥深くまで続く空洞が真下にあるだけ。だが今回はこれほどの規模で済んでよかった…と安堵すべきだろう。この濃密な魔力の奔流は、レミリアが範囲を指定していなければ幻想郷を易々と消し飛ばすほどのものだったから。

 瓦礫も全て爆風によって吹き飛ばされ、霊夢がガラガラと瓦礫を崩しながら出てくる。爆発そのものはシェル構造によって無類の固さを誇る二重結界が防いだのだが、爆風は防ぎきれなかったらしい。

 

「ケホ、ケホ…いったいわね…! あのクソ蝙蝠、やってくれたわ!」

 

 悪態を吐きながら立ち上がる霊夢。巫女服についた埃を払い、ついでにレミリアの接近からの上段蹴りを肘で抑え込む。

 そしてレミリアの胸ぐらを掴み上げると、背負い投げの要領でレミリアを頭から地面に叩きつけ────

 

「霊符『夢想封印』」

 

 ────容赦なく爆撃。幻想郷にまた一つ巨大なクレーターが出現した。

 しかしレミリアは霧状になって攻撃を回避していたらしく、霊夢の眼前へと余裕の表情で降り立つ。

 

「どうかしら? 実力の差を思い知って?」

「…」

 

 霊夢は言葉を発することなくレミリアを睨む。そんな霊夢の様子に機嫌よくしたのか、レミリアは得意げに語り出した。

 

「今までの運命で私が貴女を殺せる瞬間は、軽く見積もって五回はあった。疑問に思わない?なんで自分は死んでないのって」

 

 興味ない…と訴えるように霊夢は白けた目を向けるが、レミリアはよっぽどそのことについて話したかったのだろう。霊夢の返答を待たずして口上を続けた。

 

「余裕よ、強者としてのね。自惚れ、慢心…何とでも言わせておけばいい。強者たらしめるそれに価値を見出せぬ者なんて、私と肩を並べる資格もない」

 

 自負もここまでくれば矜持になるのか。

 霊夢は相変わらず呆れた目でレミリアを見る。

 

「だからこそ興味があるのよ。貴女や八雲紫のような存在にはね。私と同じステージにありながら生き方、在り方が私とは全く違う。あのお化けですら私と同じだったのに…。私にはそれが何故なのか分からない。けどそれを分からなきゃ八雲紫には勝てない…」

 

 レミリアの掌を起点とし、巨大で真っ赤な魔法陣が生成されてゆく。術式としては霊夢が先ほど陰陽玉を呼び寄せるのに使ったものとほぼ同じ。しかし呼び出されたものは完全に別物であった。

 

「そろそろ余興は終わりにしましょう?神槍『スピア・ザ・グングニル』!」

 

 レミリアが手にしたのは膨大な魔力を惜しみなく放出させる紅い槍。

 勿論、ただの槍でないことは見て明らかだった。幻想郷中の空気や魔素がレミリアとグングニルを中心に渦巻いている。

 

「この槍は逃れられない運命を貫く。放てばそれで終わりよ。フフ…八雲紫には悪いけど、貴女は殺してでも私の眷属にするわ。そしてじっくりと考えさせてもらう!」

「お断りよ! そんなの!」

「貴女に拒否権はないの。貴女に逃れる運命()は存在しないのだから」

 

 レミリアが握ればグングニルは輝きを増し、照準を霊夢へ。その存在感だけでも霊夢を射抜かんばかりである。

 足を前後に開いて後ろの膝を曲げて体の軸を傾け、グングニルを後ろへと引く。投擲準備は完了した。しかし霊夢はその間も何をするわけでもなくレミリアをただ見据える。ただフヨフヨとその周りを陰陽玉が所在無さげに漂っていた。

 

「さあ、あの巫女とともに運命(さだめ)を撃ち抜きなさいッ!」

 

 

 *◆*

 

 

 パチュリーは頭から床へと落ちた。その際にゴキッ…と嫌な音が響いたが…まああいつなら大丈夫だろうと魔理沙はそれを気にせずに爆心地を見る。

 床は下の方から抉れていた。高威力の魔弾でも放ったのだろうか。しかしその割には魔力を微量感じるのみで、これほどの大破壊をもたらすには少なすぎた。

 魔理沙はこの不可解な現象にうん?と頭を軽く捻るが、ならばこれを行った当の本人に聞けばいいか…と一人で納得し、その人物の登場を静かに待つ。

 

 先ほどまで行われていた魔理沙対パチュリーの魔法対決の時とはうって変わり、図書館は不気味な静寂をもたらしていた。

 響くのは小悪魔の穏やかな寝息と、魔理沙の生唾を飲み込む音のみ。

 着実に狂気は近づいてきていた。

 ここまでのヤツは久しぶりだ…と魔理沙はさらに気を引き締める。相手が相手であり、まともな会話にすらならないかもしれない。言葉を発するよりも先に襲いかかる獣のような奴かもしれない。

 

 …だが魔理沙の胸中にあるのは一つの確かな、何年経とうと変わらぬ答え。

 ”あの幼馴染の巫女よりはマシだろう”

 この一つが魔理沙に大いなる余裕をもたらすのだ。

 

 ──どんな奴なのか…顔を拝ませてもらおうか!

 

 意気揚々と魔理沙は穴を覗く。穴の中は紅を塗りつぶすほどに真っ黒で、果てしない狂気が流れ出している。この先に何者かがいることは明白であった。

 しかし先ほどの爆発を最後にこちらへ何らかのアクションを仕掛けてくることはない。このことを鑑みる。

 

「出てこないところを見ると…こっちに来いってか? 何だ…そっちから来てくれると思ったのに。がっかりだ────」

「えいっ」

 

 可愛らしい掛け声とともに炎剣が振るわれた。凄まじい剣圧により床がへしゃげ、振り抜くと同時に凄まじい突風が発生し復帰しようとしていたパチュリーと小悪魔を図書館端へ吹き飛ばす。

 斬る…というよりも対象物を破壊するのに長けた一閃であった。魔理沙は刹那の直感に従い、しゃがむことによって事なきを得ていた。

 魔理沙は不意をつかれていた。普段の彼女なら相手に後ろを取られるなどという失態は決して犯さない。魔理沙がその程度であったならばこれまでの人生で何度命を落としてきたか…数えようもない。

 だからこそ…魔理沙は驚愕するのだ。

 

「あ、危なかった…。気配もなんも感じなかったぞ…!? この館は随分と危なっかしい奴を置いてるんだな」

 

 後ろを振り向くと、一人の幼い少女が剣を振りかぶった状態でこちらを見つめていた。目は深紅色に淀み、そして輝いている。

 濃い黄色の髪をサイドテールで纏め、ナイトキャップを被っている。半袖と真っ赤なラップ・アラウンド・スカートを着用し、それが彼女の幼さをより引き立てた。

 だが何よりも目を引くのが背中から生えている特殊な翼。一対の枝に七色の結晶がぶら下がっている。

 口からチラリと覗く鋭い八重歯から彼女が吸血鬼であると推測できるが…異端すぎる。こんな特徴を持った吸血鬼など少なくとも魔理沙は見た事も聞いた事もない。

 

 互いに見つめ合い、なんとなく居心地の悪い間が続く。そして最初にアクションを起こしたのは吸血鬼と思われる少女だった。

 

「なんかお呼びかしら?」

「ああ、呼んだぜ。いつまでたってもこっちに来ないようだったからな」

「へー。ならお待たせ」

 

 おおよそ殺そうとした側と殺されそうになった側の会話ではないが、魔理沙は一応相手に会話をできるだけの知性と理性(これに関しては疑わしい)があることに安堵した。

 ふと少女の後ろを覗いてみると…なんとも形容し難い空間が展開されていた。グニャグニャに捻じ曲がって、色々な部分にモザイクのようなブレが生じている。

 取り敢えず魔理沙は尋ねてみることにした。

 

「えと…お前さんはどうやって私の後ろをとったんだ? 瞬間移動にしちゃ魔力も霊力も感じないし…」

「簡単よ。私の目の前と貴方の背後に存在する空間の目をちょっとキュッとしたらドカーンって感じ。まあ、これやったら咲夜に怒られるんだけどね。普段はやらないんだけど…今日は出血大サービス! なんたって貴女が来てくれたんだもの!」

 

 どうにもわけのわからない事を言っているが、あちらが言うにはサプライズ的なものらしい。サプライズで殺しにくる奴などまともなやつではないと、魔理沙は早々に彼女との意思疎通を諦めかけた。

 

「ほう、それはそれは歓迎ご苦労。私は博麗霊夢、由緒正しき巫女だ」

「いや、そりゃ流石に無理があるでしょ。それに貴女には八雲紫っていう素敵な名前があるじゃない」

「なんだバレバレか……って違う違う! 私をあんな胡散臭い奴と一緒にするんじゃあない! お前髪の色だけで判別してないか?」

 

 魔理沙の言葉にフランドールはえっ?と声を漏らした。そしてすぐに後ろを向き何かをごちゃごちゃと呟くと、何もなかったかのように振り返る。

 

「冗談冗談…フランドールよ。普通の魔法使い、霧雨魔理沙さん」

 

 だがそう言うフランドールは若干目を逸らし、少しばかり焦っているようにも見える。どうも先ほどの魔理沙の言葉は図星だったらしい。つまりサプライズのあの一撃は紫に仕掛けるものだったようだ。

 ゆかりん危機一髪。

 

「どうして私の名を?」

「目をチョチョイとね」

「またわけのわからん事を…そんなんだから友達を無くすんだよ」

「残念、一人いるのよねこれが」

「いないも同然だな」

「だって495年間お休み中だしーそんなの積極的に欲しいものでもないしー」

「なんだ引き篭もりか。どうも幻想郷には引き篭もりが多いように見えるな」

 

 幻想郷の由々しき社会問題に一住民である魔理沙はため息をつく。しかし第三者からすれば魔理沙はアクティブな引き篭もりである。というより幻想郷という閉鎖空間で暮らしている事を鑑みれば幻想郷の住民全員が引き篭もりという考え方もできる。ややこしい。

 

 閑話休題

 

「それでね、今日は私の部屋に魔砲を撃ち込んだ奴を見たくなったの。まさか人間だとは思わなかったわ! 時代は変わったのね」

「今や人間が神を倒す時代だからな」

「知ってる! 紫が見せてくれた映画でそんなシーンがあった! 銃で神様を殺せるなんて安い世界よね。その後巨人みたいな妖怪になっちゃったけど」

「まあそんなもんさ。だからお前たち吸血鬼を倒すのもわけない。生憎、銀も生姜も十字架も、幻想郷にはあるんだぜ」

「ふーん…あと生姜じゃなくてにんにくね。ま、私には全部効かないけど。日光含めて全部」

 

 訂正を入れつつ自分の羽を弄るフランドール。

 元々から銀を除いては吸血鬼に致命傷を与えるものは日光や流水の他にない。しかしフランドール曰く、自分は吸血鬼の弱点全てにおいて効かないという。

 それが本当ならばそれは…

 

「…吸血鬼じゃないな?」

「あら、当たり。私はとっくの昔に吸血鬼を超越したの。お姉様が言うには純吸血鬼はもうお姉様だけなんだって。プレミアの価値がついたらしいわ」

「吸血鬼も絶滅種か。ワシントン条約に追加しないとな。それで一応聞いてみるが…お前は吸血鬼じゃないとしたら、なんだ?」

 

「なにも」

 

 あっけらかんに答えるが、魔理沙は若干フランドールの狂気が増したことを肌で感じ取った。

 

「私は虚無…永遠の虚無よ。自分の全てを失わせた私にはもう光も闇もない。この世に存在して私と感覚も、価値観も共有することはない。だって私は狭間…なににも属さないグレー…」

「あー…要するに病んでるんだな?残念だが幻想郷に妖怪用の病院はないぜ」

「知ってる。直す必要もないし、私はこの状況でも十分に満足してるわ。生活にはなに不自由なくお姉様が全てを持ってきてくれる。うん、満足…満足…………ん? …満足よね?」

 

 突然フランドールの焦点がブレ始めた。

 

「疑問に思うことはないわ…あれ、分からない? 私は満足でしょ? 満たされてるでしょ? あら? あららら? もしかして違う? 違うの? こんな生き方……そんなわけないわ! なら今の私はなんだっていうの?え、なにもない? 当たり前じゃないの。けど満たされて…え? …考えが纏まらないわね…。おかしいことある? ないわ。ならそれでいい。贅沢よ贅沢。むしろ地獄じゃない? 考え直すべきね。ええそうに決まってる…────」

 

 ここで魔理沙は気づいた。

 こいつ、ガチで病んでるなと。

 

「思いっきり地雷を踏み抜いてくれたわね」

 

 若干引いた目でフランドールを見ていると、大図書館の端まで吹き飛ばされていたパチュリーが血を拭いながら戻ってくる。体中がゴキゴキいっているということは…恐らく修復中なのだろう。ナニがとは言わないが。

 

「なんでだ。私は病院を勧めただけだぜ」

「話した内容なんて関係ないわ。妹様がスイッチを入れたらそれで終わり。ペチャクチャと悠長に話してた貴女が悪いのよ」

「そんなこと言われてもなぁ…」

 

 チラリと未だ独り言を続けるフランドールを見る。目はなにも映し出さない虚無の狂気に染まり、脚を踏むたびにクレーターが広がっている。何かこの先ヤバイことが起きそうな感覚がした。

 

「…あいつどうするんだ?」

「さあ? 一度スイッチが入ったら私にはどうすることもできないわ。そうね…彼女を満足させるか、レミィを呼んでくるか。ちなみにあの子はここ十年一度も満足してないから…大変よ?」

「そうか。それならそのレミィさんとやらを呼んでくれ。今すぐに」

「残念。巫女のせいでお取り込み中」

 

 あちゃー…と魔理沙が目を瞑った瞬間、パリンという音ともにパチュリーが消えた。血も肉も残さず消えてしまったのだ。

 見るとフランドールがいつの間にか独り言を止めてこちらをじっと観察している。掌は握られていた。

 フランドールの能力が段々と分かってきた魔理沙は深く息を吐くと…鋭くフランドールを睨む。その姿はまさしく妖怪退治モードの魔理沙であった。

 

「いいぜ、お前の暇つぶしに付き合ってやろう。このままのお前を放置するのはヤバそうだからな。どんな遊びがお望みだ?私からは妖怪退治ごっこを提案しよう」

「……へぇ、遊んでくれるんだ。私を遊びに誘ってくれたのは紫くらいよ」

 

 フランドールの言葉に何度か出てくる八雲紫の名に流石の魔理沙も怪しむしかなかった。もはやこの異変に関わっているのか?と疑ってしまうほどのレベルだ。

 

「またあいつか…。まあいい、それで…いくら出してくれる?流石にお前相手との戯れじゃ無償は釣り合わん」

「コインいっこ」

 

 溢れんばかりに眩しい、そしてドス黒い笑顔でフランドールは人差し指を一本立てた。魔理沙はやれやれと溜息を吐く。

 

「はぁ…いっこじゃ人命も買えないぜ」

「あなたが、コンテニュー出来ないのさ!」

 

 フランドールはその腕を高く突き上げると、キュッとその小さな手を握った。

 魔理沙は爆散した。

 

「…あれ? もしかして…もう終わり?」

「なわけあるか」

 

 背後より響いたのは砕けたはずの魔理沙の声。フランドールが背後を振り向くと同時にレーザーを放ち、その両腕を焼き切らんとする。

 フランドールが言っていた「キュッとしてドカーン」というワード。そしてパチュリーが消滅した際のフランドールの行動。これらの観点から推測するとフランドールの絶対的破壊活動はその掌が握られることによって発生すると魔理沙は目星をつけていた。

 

 それは正解だ。

 魔理沙の観察眼には素直に脱帽するしかあるまい。彼女の思惑通りフランドールは両腕を失くせばその能力を発揮することができない。

 しかし、それが計画通りにいくのか…と言われれば、それは全く別の話である。

 フランドールの腕は焼き切るどころか、焼き目一つつくことがなかったのだ。

 

「…ッ!? なんだと?」

「よかった…まだ生きてた。さっきのアレは…デコイかしら? デコイ人形?」

「…ああ、特別製だ。まーたこいつの製作者にガミガミ言われるんだぜ私は」

 

 魔理沙の愚痴話には興味がないようで、フランドールはつまらなそうな顔をしながら「あっそ」とそれを一蹴した。

 

「ところでさっきのレーザーなんだけど…ごめんね、私には効かないの。ほら、太陽ってさ…熱射でしょ? わざわざ弱点を残しておくのも馬鹿らしくて…とっくの昔に壊しちゃった」

「何を?」

「私を」

 

 フランドールは自分を指差してケラケラと笑った。ここで魔理沙は気づいた。フランドールの言動には在るべき何かがない。

 感情、抑揚、意思…なにも感じない。

 魔理沙は生き物を相手している気にもなれなかった。

 

「なるほどな…確かにお前は吸血鬼じゃない。もっと別なナニカってことは分かった」

「そういうこと。それじゃ続けましょ、普通の魔法使いさん」

 

 再びフランドールが手を翳す。

 

「チッ、面倒くさい能力だな!」

 

 魔理沙の行動は速かった。瞬時にフランドールへ肉迫し、その手を箒で払ったのだ。またそれと同時に腹へと蹴りを打ち込み、大図書館の床へと叩き落とす。…全く手応えは感じなかったが。

 フランドールは床へとめり込んでしまい、その状態を確認することはできない。

 フランドールに隙を与えてはならない。直感が魔理沙へと訴えかけていた。

 勿論、魔理沙はその直感に従い怒涛の弾幕を放つ。それらは全てフランドールがいた場所へと着弾し、ついには大図書館全体の床を陥没させてしまった。随分前からガタがきていたのだろう。

 

 濛々と灰色の煙が立ち込める。

 存在あるべき者なら今の弾幕を浴びれば原型すら残せないだろうが…煙の中に浮かぶ紅いシルエットは、否応なしにフランドールの無事を魔理沙に伝えていた。

 

「効かない…痛くも痒くもない。殴られたり蹴られたりしたら痛いなんて、バカらしいもん。なんで生き物ってそういう風にできてるのかなぁ…?」

 

 煙の中から無機質な声が響く。

 

「そりゃ…痛みが分かるためだろ」

 

 案外真剣な表情をしながら魔理沙は答えた。

 痛みがあるから生きているのだと…そう思った。

 残念ながら、フランドールには全く理解ができなかったようだが。

 

「あー…やっぱりそういうのは面倒臭いや。けど貴女との遊びは面白い! さあ、もっと私を楽しませてちょうだい! 壊れちゃうまで私に付き合って!」

 

 一瞬、場が紅い色に煌めき、煙が爆発した。

 それと同時に飛び出したのは先ほどもその威力を如何なく見せつけてくれた長い魔の炎剣。容赦なく魔理沙へとその刃先を向ける。

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

 

 爆発的な魔力の高まりが灼熱として剣から放出される。徐々に熱量は膨れ上がり、大図書館を灼熱の空間へと変貌させてゆく。

 それほどの魔力を有した剣をこの熱膨張した空間で、さらにはフランドールの腕力で振るえばロクなことにならないのは確かだ。最悪水蒸気爆発が起こる。

 

 魔理沙は慌てて自分の脳内でフランドールの一撃を防ぐことのできるスペルカード・魔法を検索するが…ひとつもヒットしない。

 相手が強力な一撃を放つ際には、その前にマスタースパークで相手を消し炭にするのがいつもの定石なのだ。しかし先ほどのフランドールの言葉通り、フランドールにはレーザーが効かないのだ。さらには打撃、衝撃までも。

 フランドールはあらゆる痛みを拒否してしまっている。そんな相手に有効打などあるはずがない。

 

「参ったなこりゃ…」

 

 魔理沙が困ったように呟く。

 それと同時に大図書館…いや、紅魔館が揺れた。何処かで凄まじい爆発があったようだ。

 

「霊夢か…?」

 

「お姉様?」

 

 両者ともに当たりである。

 

「あっちも楽しんでるのね!だったらこっちもいっぱい楽しまないと損だわ!」

 

 フランドールはレーヴァテインを目一杯頭上へ掲げると、魔理沙へと照準を定め、それを魔理沙へと勢いよく振り下ろす。

 魔理沙は…甘んじてそれを全身で受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 ──オマケ──

 

 

 

 

 

 

 ここは地霊殿。

 名前とは裏腹に西洋風の外観であり、黒と白のタイルでできた床や、ステンドグラスの天窓が特徴的である。ちなみに冷暖房完備。

 そんな地霊殿にて、円卓を挟んで二人の少女が後ろに従者を控えさせ、対談…という名の一方的なドッジボールを展開していた。

 

「────ええそうですね。私は捻くれてるし性格も悪いです。確かに姉妹といえどこいしとは大違いですよ。まあだからといって別に爪は煎じて飲んだりしませんが。しかし貴女はよくこいしのことが分かってますね。妬いちゃうじゃないですか…え、話を逸らすな?別に意図してやったわけじゃありません。勘違いも甚だしい。それで、それがどうかしましたか?…なるほど、おっしゃる通り。しかし生憎ながらこの性格は生まれつきなので変えようがないんですよ。変えようとする努力?全くの不要ですね。私には妹とペットだけで十分なんです。妖生妖怪それぞれですよ。……ふむ、本題に入れと。なるほど返答に困って敢えて話題を変えてきましたね?ふふ、貴女のそういうところ嫌いじゃないですよ。…あらお酷い。心の中といえどもそんなことを言われたら傷つきます。私たちさとり妖怪は結構打たれ弱いんですから。…本心にもないことを?当たり前でしょう。もう慣れっこですから。いったい何年さとり妖怪をやってきたと思ってるんです?おっと、怒るのはナシでお願いします。軽いジョークですよ、ジョーク。さとり妖怪がジョークを言えないとでも?あ、怒らないで怒らないで。謝りますよ、すいません。えっと、それで……なんでしたっけ?…ああそうそう、本題でしたね。分かってますよ、私が悪かったですから怒らないでください。しかし胡散臭い胡散臭いと言われている時も裏はそういう感じなんですか?…仕方ないでしょう。心の中でそれほど見事な百面相されたらからかいたくなるものです。しかも表の顔でそんな澄まし顔されると尚更…。つまり私は悪くないわけで────」

 

「紫様。こいつを消しても?」

「おっ狐さん。地獄を見ていくかい?」

 

「……双方落ち着きなさい」

 

「あら、ビビってるんですか?…はい黙ります」

 

 さとりの一方的なドッジボールは数時間に及んだという。

 なおもれなく紫は腹痛でトイレに籠った。



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亡き王女の為の核爆弾*

 私の最初の記憶は幼少期──二、三歳頃だと思う。

 別に大したことを覚えているわけではない。得るべきものばかりが溢れていて……そう、つまらない……周りの全てがつまらないのだ。

 紅い館で毎日を過ごしてきたが、あの頃を色に例えるのなら……灰色だ。

 

 高貴な一族であることを日々教え込まれ、スカーレット家長女としての矜持を持つため、側仕えの者、メイド、時には父や母から様々なことを教わった。

 

 曰く、「我々は最も高貴だ」

 

 曰く、「我々は支配者だ」

 

 曰く、「お前は逸材だ」

 

 ──もういい。何も言わなくていい。言われなくても全部分かっているから。

 

 毎日がこれだった。当時の私からすればその環境に適応するまでは地獄のような日々だっただろう。今の私からすれば思い出しただけでも虫酸が走る。

 だが情けないことに、幼い私は順応してしまった。それを当たり前と受け入れてしまった。

 あれは一種の洗脳に近い。知らず知らずのうちに、今の私にまで影響を及ぼしているのかもしれない。

 周りの言うことを鵜呑みにし、自分は絶対の存在であると思い込み、それが己の全てだと思い込んで自分を作り変えてゆく。

 私はスカーレット家の人形だった。

 魔力は日々増大してゆき、私はどんどん強くなった。従者たちの私を見る目が恐怖に染まっていったのもこの頃。だけど途中で全ての力は出さないように調節することにした。能ある鷹は爪を隠す……って本に書いてあったから。

 今思えばこの選択が私とあの子の別れ道だったのかもしれない。

 

 そんな毎日を過ごしていた。

 だけどただ一つ。館の連中に抱いた変わらぬ懐疑だけは、決して失わなかった。

 生まれてから置かれ続けたこの環境に対する拭いきれない違和感だけは、絶対に忘れなかった。

 

 

 

 

 

 あの子と出会うことがなければ、今の私はないだろう。

 

 

 

 

 

 五歳の頃だ。

 妹が生まれた。

 名はフランドール・スカーレット。その輝く金色の髪と、背中のモノ以外は全て私にそっくりで……まさに生き写しだった。

 フランが生まれたその日から、母を見なくなった。誰もその行方を教えてはくれないし、何も答えてくれないから私は適応した。少し思うところはあったけど……やがて母がいないことを受け入れた。

 

 フランは隔離されていた。館の一室に閉じ込められ、体には封印が施されている。面会すら許されない。部屋には簡単な家具とベッドがあるだけ。そして一つしかないドアには二十四時間の監視が付いている。

 酷い環境だ。

 隔離されている理由は、その能力と異形の証(羽の宝石)

 フランは家族じゃなかった。周りに、世界に……そして自分に拒絶され、生まれてきた。

 

 父や皆はフランのことを「狂っている」などとほざいていたがバカもいいところだ。フランは狂ってなんかいなかった。むしろ彼奴らと比べるのも烏滸がましいほどに、あの子は周りの状況を把握し、自分の力に溺れることなく、純朴に生きていた。私は誰よりもフランのことを分かっている。

 あの子は耐えていた。

 全てが脆い。砂よりも、雲よりも……さらに脆い。そんな環境下で、倫理観で、あの子はひたすらに何かを耐え続けていた。

 

 私にそれを理解する術はなく……だけどそのナニカが気になって、毎日とは言わないけどフランの元へ通った。

 見張りは幻影魔法で撹乱させて、幻影魔法が効かなければ殴って昏倒させて、フランの元へと通い続けた。

 父にばれたら大目玉を食らうけど、それを差し引きしても私の行動にはナニカ意味があるように感じた。目覚めつつあった運命を操る能力の一端だったのか……今でも分からない。

 

 あの子は私が来るたびに笑っていた。

 決して喜び一色ではない。様々な感情が混ざり合った、悲しいものではあったけど、あの子は笑えていたんだ。

 妬みの一つや二つはあったはず。理不尽を嘆く怒りもあったはず。だけど…あの子は私に、どこまでも笑顔だった。

 何かをして遊んだわけでもない。あの子は本でしか外の世界を知らないから、共通の話題ができるはずもなかった。だけどフランといると楽しくて、嬉しくて……あの子は作り物の私を壊してくれた。

 あの子は優しくて、可愛くて、愛おしくて……私の足りない白を満たしてくれた。

 安らぎを与えてくれた。

 私を姉として、レミリアとして見てくれた。

 

 だから会うたびに私の……奥底から込み上げる分からない思いは強くなる。周りはフランを拒絶し、否定する。

 だけどフランは私を受け入れ、満たしてくれる。

 私は甘えていた。フランに私を委ねていた。フランに依存していた。

 誰よりも辛いのは、他ならぬフランだったはずなのに。私は自分の都合しか押し付けることができなかったのだ。

 

 そう思い始めたのは実に数年後のことだ。

 

 私の心に残っていた懐疑と違和感がここぞとばかりに私の心を埋め尽くす。なぜ、フランは悲しんでいるのか。なぜ、私とフランはここまで違うのか。

 ……言うまでもない、この環境がいけないのだ。

 フランを恐れるあまり、こんな封印まで施して、隔離して……優しいあの子に気づきもしないあいつらが悪いんだ。

 周りへの不信感は募り続け、周りの従者たちも……メイドも……父でさえも、私には酷く醜く見えた。下賤だと思った。

 

 

 

 

 

 ──泣いた。

 

 フランを助けようと決心したあの日。私はフランにこう言った。

「フランには幸せに生きて欲しい」って。

 けどあの子には幸せっていうのがなにかよく分からなかったみたいで、「幸せってなぁに?」と無邪気に問い返した。

 私は悲痛な思いを抑えながらフランに

「悲しみも、不安もなくて…なによりも気持ちが満たされるのよ」

 ……そう答えた。

 

「お姉様は…幸せ?」フランが言った。

 私は少し考えて、こう言ったの。

 

「私は、幸せを感じたことはない。フランと話すことは楽しいし、気持ちも満たされる。けど、それは真の幸せではないと思う。だって……貴女が悲しそうなんだもの」

 

 フランは目をぱちくりさせながら私を見ていた。その目は…深い憂いを湛えていた。

 けど、私は気にせず続けた。

「貴女が幸せになることが私の幸せなのよ。だから…悲しまないで?もう、貴女をこんなことにはさせないから。貴女を拒絶するやつはみんな私がやっつけてあげるから……。貴女を────」

 

 

 

 

「お姉様は…私が悲しんでるから、幸せになれないの?私がいけない子だから、幸せになれないのね?………そっか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ガァ……あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ァァァッ!」

 

「フ、フラ……?」

 

 フランは壊した。

 自分の悲しみを壊した。

 例え負の感情だとしても、悲しみは自己を形成する上で大事な役割を果たす。フランはそれを自らの手で壊してしまったのだ。

 

 叫んでのたうちまわるフランを見るのが辛くて……なにより怖くて。私は後ろを振り向きもしないで、部屋を出て、自分のベッドに潜り込んだ。一晩中震え続けた。

 外から奇妙な音がたくさん聞こえたけど、私にそれを気にする余裕は少しもなかった。

 

 その日を境にあの子は姿を消した。もといた部屋のどこを探しても、屋敷中を探しても……フランを見つけることはできなかった。

 従者も半分以上いなくなっていたし、父も凄まじく消耗していたけど……そんなことはどうだっていい。あの子はどこに行った?

 フランがいなくなるだけで私の世界は目に見えるほど狭まった。こんな毎日になんの意味があるというのか。

 

 最初は何かが怖くて怖くて……ただ泣き続けた。その頃の私は、胸の内に渦巻いているドス黒いそれを形容する言葉を持っていなかった。

 ぐちゃぐちゃに掻き乱されている頭で必死に考える。なんでこんなことになってしまったのかをただただ必死に。

 

 やがて懐疑は怒りに変わり、違和感は憎悪へと変貌した。

 

 頭が妙に冴えた。いや、冴えているような気がするだけだ。頭の中に広がる道を辿ってゆく。その先にフランがいるような気がした。

 誰だ…誰がフランを壊した?

 誰がフランの幸せを奪ったの?

 父か?……そうか、父だ。

 

 

 父を殺した。

 だけどフランは帰ってこない。

 そうか、ならば従者か。

 

 

 館からは私以外の命が消えた。

 だけどフランは帰ってこない。

 

 ああ、フラン。あなたはどこへ?

 憎い奴らはみんな私が殺したよ?さあ、早く出ておいで?また…昔みたいに────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下にあの子はいた。

 いや、いなくなっていた。

 

 

 ──誰だお前は。

 

「お久しぶりねお姉様。見て?私いまとーっても幸せなの!嫌なものは全部消しちゃった!悲しみも不安もなくて、とっても満たされてるのよ!ねぇ、お姉様は幸せ?幸せだよね!私が幸せになるのが幸せなんだもんね!アハハハっ!」

 

「……」

 

 違う、お前はフランじゃない。

 あの子はそんなおぞましいものではない。

 やめろ、やめて…

 

「ねぇ、お姉────」

「黙れッ!黙れ黙れッ!!」

 

 フランが伸ばした手を振り払って、私は叫んだ。

 

「貴様……!私の……私のフランをどこへやったあああぁぁぁああぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 自分でも気づかないようにしていた。

 気づいたら私は狂ってしまう。

 

 

 

 そうか、フランを壊したのは……

 

 

 

 

 

 私か。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 私は結局フランを受け入れることができなかった。あの子はそんな私の姿を見て、何を言うでもなく地下へと閉じ籠ってしまった。

 いっそ、罵倒してくれた方が楽だった。いっそ殺してくれたら────

 

 日光を浴びて死のうと思ったけど、私がいなくなった後のあの子を思うと……死ねなかった。フランはもう私を必要とはしていないのに。

 本当、虫のいい話だ。

 

 やがて運命をほぼ完全に掌握することができるようになったが……私には悔恨の念しか生まれない。この能力をあと少しでも早く身につけることができていたなら……フランを救えたかもしれない……いや、確実に救えた。

 

 

 紅魔館は一から出直しだ。

 私は拒絶することを恐れ、全てを受け入れようと思った。贖罪にもなんにもなりはしないけど、もう何かを拒絶するのは嫌だった。

 やがては欧州で知らぬ者はいないほどの大勢力へと紅魔館は発展した。

 別に嬉しくともなんともない。こうなることは分かっていたのだから。

 

 その結果、私は心の底から信頼し合える仲間を得て、心の底から語り合える友を得て、心の底から大切と思える従者を得て……

 

 

 最後までフランを取り戻すことは、できなかった。

 

 

 美鈴は危険なフランに対しても分け隔てなく接してくれる。時にはフランの過激な戯れにも付き合ってくれていた。

 パチュリーは一見無愛想に見えるけど、私の相談に乗ってくれるしフランを心配してくれていた。

 咲夜は私に対するものと変わらぬ忠誠心をフランにも示している。

 

 だけど、そんな彼女たちにもフランは何も思っていない。関心を装っているだけなのだ。あの子からは……心が消えてしまったのかもしれない。

 

 フランは狭間の存在だ。

 私たちからの干渉はほぼ不可能。

 現に、あの子の運命は不規則すぎて捉えることができない。その行く末も闇とも光とも言えないナニカに包まれている。

 もう、あの子は私では決して手の届かない場所まで行ってしまったのだろう。時折顔を合わせても話すことは何もない。

 

 私には断罪されねばならないほどに、あの子に対して罪を背負った。私の一生をかけても償いきれないほどの罪だ。

 

 ああフランドール。

 私を許さなくてもいい。私を想わなくてもいい。だから……どうか……救われてくれ。

 

 貴女と志を共にできる誰かを……どうか。

 

 

 *◆*

 

 

 霧散した。

 先ほどまで渦巻いていた魔力の奔流はどこへともなく消えていってしまったのだ。

 それと共にグングニルも役目を終えたかのように掻き消えていった。

 

 投擲した体勢のままレミリアは固まる。

 運命を貫くグングニルは、対象を捉えれば外れることは決してない。レミリアは確かにグングニルを放った。その瞬間に霊夢を貫くという運命は確定したはずなのだ。

 だが、グングニルは消え、霊夢は今もレミリアの眼の前で浮いている。霊夢を見ると変わったところはある。

 体が半ば透明になり、目を瞑った状態で宙に浮いている。レミリアの第三世界までを見通す目を持ってしてもその姿を捉えることは困難を極めた。

 

「これは一体……?」

 

 戸惑いつつもレミリアは魔爪の斬撃を霊夢へと放つ。しかしそれらは透過し、はるか遠方の木々を粉微塵にするのみ。霊夢への一切の干渉が許されていない。

 だがレミリアを驚愕させた最たるものはそれではないのだ。霊夢には…

 

「うそ……運命が……ない?」

 

 何も見えなかった。

 先が見えないだとか、予測不能な動きをするだとか、そんなものではない。ただ純粋に運命がない……これに尽きた。

 運命がないものなど存在するはずがない。この世に在る限り、存在とは運命の支配下にある。運命の奴隷なのだ。

 美鈴でも、パチュリーでも、咲夜でも…フランドールや紫でさえも運命という決められたレールを歩いている。

 

 この巫女は……なんだ?

 

「……ッ、紅符『スカーレットマイスタ』!」

 

 レミリアより膨大な数の弾幕が放たれ、霊夢へと次々に殺到してゆく。

 だが霊夢には何一つ被弾しない。霊夢の背後が粉微塵になってゆくばかりだ。

 レミリアは後ずさろうとして、踏み止まった。

 未知のものを恐れ、気後れするなど自分が許さない。自分は能力だけで生きているのではない。能力だけでここまで上がってきたのではない。全てを受け入れるには全てを守り抜き、皆の誉れであることが求められる。自分はそれを全て満たさなければならない。

 

「……上等じゃないの……!」

 

 レミリアがスペルカードを握りしめるとともに、霊夢の目が開かれた。

 

「紅魔『スカーレットデビル』!!」

「夢想天生」

 

 レミリアから放たれた波状の紅い魔力波は、霊夢を中心にして分身した陰陽玉からばら撒かれる弾幕と正面からぶつかり合った。

 そして両者のスペルは拮抗した……のだが、衝突規模とは意に反し、その決着は早かった。夢想天生は密度も威力も桁が違い過ぎた。

 ガリガリと何かが削れるような音がしたと思えば、『スカーレットデビル』を打ち消した無数の弾幕がレミリアの視界を埋め尽くし、彼女を飲み込んだのだ。

 

「────ッッ!!?」

 

 息をつく暇もない。

 次から次に高威力の弾幕が殺到し、レミリアの身体のみならず体力までもを削り取ってゆく。さらにそれらの弾幕は全て自動追尾型(ホーミング弾)である。吹き飛ばされながらもその体は弾幕に晒され続け、紅魔館の門付近へ堕ちてなお、弾幕を撃ち込まれ続けた。もはやレミリアの意識は途切れかかっていた。

 しかし一瞬だけ、弾幕の波が途絶えた。その瞬間にレミリアの前へと弾幕を遮るように立つ人物が一人いた。

 

「発ッ!」

 

 門番……改めて、紅美鈴だ。

 美鈴は己の能力を発動させ、霊夢の弾幕を霧散させてゆく。時々消え切らず何発かの弾幕が倒れ伏すレミリアへと降り注ぐが、それらも全て美鈴がいなして弾き飛ばす。

 

「お嬢様ッ!意識はありますか!?」

 

 美鈴は弾幕を弾きながらレミリアへと問う。それに対して、レミリアが返事のように返したのは地面を打ち付ける拳の音だった。

 安否を確認し、美鈴が安心した束の間。ついに抑え込んでいた弾幕が溢れ出し美鈴を激しく打ち付ける。生物最高峰の強靭な肉体を持つレミリアの抵抗力でさえも奪ってしまうその弾幕は、美鈴には十分すぎるほど効果があった。

 

「あぐっ……!ぐぅぅ……!!」

 

 だが彼女は踏み止まった。

 ──私がここで吹き飛べば、再びお嬢様があの弾幕の嵐に晒される。それだけは見過ごすわけにはいかない。私ができることなんてお嬢様にしてみればほんの些細なことだけど……私は私の恩義を通す!

 

「はああぁぁああッ!!」

 

 いなし、打ち消し、時にわざと体へ被弾させる。美鈴が常時展開している能力の壁が弾幕の嵐を幾分か和らげるが、それでも凄まじい勢いなのには変わりない。

 弾幕が体を打ち付けるたび、美鈴の体力は磨耗されてゆく。それほどまでに陰陽玉から放たれる弾幕の威力と密度は高い。

 だが美鈴は守りに長けた紅魔館一の年長妖怪である。身の丈を超えた強大な力の前にも臆せずぶつかった。

 奮迅する美鈴の姿は、その背後で地にしっかりと足をつけ立ち上がるレミリアにはとても頼もしく見えた。

 レミリアは薄い……しかし壮絶な笑みを浮かべると美鈴を横から突き飛ばした。美鈴の防御がなくなったことにより、レミリアは再び弾幕の嵐に晒されることとなる。

 

「お、お嬢様!?」

「門番のくせして私の相手を勝手に盗るんじゃない。まあ……それとは別に貴女には頼みたいことがあるのよ」

 

 激しい弾幕に晒されながらもレミリアはしゃがみガードで持ちこたえつつ、命令を淡々と美鈴に述べる。

 

「あと十数秒後に紅魔館が吹き飛ぶわ。パチェは大丈夫だろうけど……咲夜は満身創痍だから助けに行ってあげて。十秒以内よ」

「……五秒で充分です!」

 

 レミリアの言葉を疑問に思う前に美鈴は踏み込み、駆け出した。そして壁を突き破り一直線に咲夜の元へと向かう。

 それを見届けたレミリアは視線を霊夢へと戻す。なお一層攻撃は激しさを増していた。だが今のレミリアには大いに余裕があった。

 確かに霊夢の運命は見えない。そしてその霊夢に攻撃を受けている自分の運命もまた、凄まじい早さで変動している。制御するのはかなり困難な状況であるといえよう。しかしその全ての運命の先には……一つの結末があった。

 

 紅魔館爆破。

 

 何がどうして紅魔館があと数秒で爆発するのかは分からない。パチェが原因なのか、あの白黒魔法使いが原因なのか……フランドールが原因なのか。

 いや、原因や過程はどうでも良い。大切なのはそれによって引き起こされる結果だ。紅魔館の爆発は一つの起点となる。

 

 ──三……二……一………!

 

 レミリアは咄嗟に莫大な妖力を練り込んだバリアーを作り上げ、己を包み込む。

 それとほぼ同時だった。一瞬の眩い閃光が紅い夜空を照らし────

 

 

 

 

 

 

 199X年、紅魔館は核の炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 核の熱波と衝撃は辺りを蹂躙し、破壊してゆく。現代社会最強・最大にして最恐の一撃は、紅魔館をいとも容易く吹き飛ばした。

 それは見境なく全てを巻き込み、バリアーに包まれているレミリア、透明状態の霊夢……全てを飲み込んだ。

 なんとか破壊から逃れることができたのは禹歩(うほ)による高速移動で場を離れた美鈴と、美鈴に抱えられた咲夜のみ。しかしその二人も熱波からは逃げ切れず、美鈴は気絶させていたチルノを盾にしていた。

 

 

 

 

 爆発と熱波が収まると、レミリアはバリアーを解く。まるでもう一つの太陽だな……とレミリアは先ほどの爆発を皮肉った。

 嵐のように飛来していた弾幕は飛んでこない。霊夢の姿もない。取り敢えず一息つく暇は与えられたようだ。レミリアは軽く息を吐き出した。

 如何に桁外れの再生能力を持っているレミリアだとしても、あの猛攻の前に消耗しきっていた。足は少しばかり震え、立つのがやっとだ。

 すると、少し遅れてレミリアの近くにドチャッと何かが落ちてきた。レミリアはその奇妙な……黒い物体に眼を細める。

 物体は暫く静止していたが、やがてもぞもぞと動き出した。そしてぱかっと割れた中から出てきたのは────

 

「……む?規模が小さいな。幻想郷を吹き飛ばしてもおかしくないと思ってたんだが……図書館の連中が思いの外抑えてくれたみたいだな。おかげで威力がよく分からん」

 

 真っ黒な翼を背中から生やした魔理沙だった。

 どうやら自分の翼に包まっていたらしい。流石のレミリアも、これにははてなマークを浮かべるしかなかった。

 

 

 *◆*

 

 

 紅魔館爆発五分前。

 

 フランドールは炎剣、レーヴァテインを魔理沙に向けて勢いよく振り下ろした。

 灼熱を放ちながら高速で動く長々しいそれは熱膨張で膨れ上がった空気を切り裂き、凄まじい爆発力を生んだ。

 そして身構えた魔理沙へと衝突し、大図書館を衝撃が駆け抜ける。

 大図書館の原型がついに崩れ去ろうとしていた。

 

「こ、こんなのどうすればいいんですか〜!パチュリーさまぁ〜!!」

 

 図書館を守るべく一人で結界を展開していた小悪魔が泣き言を言う。しかしそれに答える声はない。パチュリーは先ほどフランドールの手によって破壊されてしまったのだ。

 死人が指示を出せるはずがない。

 結界はどんどん拉てゆく。もう小悪魔ではいっぱいいっぱいであった。

 

「も、もうダメ……!」

「情けない使い魔ね」

 

 瞬間、頼もしい声とともに崩れかけていた結界がより強固なものへと強化された。結界を張り直したのは……もちろんパチュリーである。

 

「お目覚めが遅いですよ!」

「いや、長いことあの肉体で生きてきたから今の肉体に親和性を持たせるのに苦労したのよ。ていうか使い魔風情が生意気ね」

「ぎゃふん!」

 

 パチュリーは小悪魔を蹴っ飛ばした。ちなみにこれはDVではない。パチュリーの筋力などたかが知れているので、小悪魔にダメージなど通るわけがない。恐らくあのリアクションはノリだろう。

 ちなみにパチュリーについては…簡単に言えばクローンみたいなものだ。魂を割くことによって自分と全く同じ存在を作り出しておく。そして割けることによって減ってしまった魂は魂魄魔法で補う。

 勿論その難易度は高いどころの話ではないが……パチュリーならではの芸当だ。フランドールを相手にするならばこれほどの対策は必須になるだろう。

 ちなみに記憶は引き継ぎである。

 

「それで、あいつ(魔理沙)は?」

「あー…くたばったかもしれませんね」

 

 濛々と立ち込める黒い煙を見ながら小悪魔が言う。それほどまでにフランドールの一撃は強力だった。しかも恐るべきことに能力なしの攻撃でこの威力である。魔理沙の原型が残っているかどうかも怪しい。

 

 だがフランドールはレーヴァテインを握りしめたまま、ただジッと煙の先を見ている。その瞳が愉悦へと歪んでいた。

 

 ──ピキピキ……

 

 何かが割れる音が大図書館に響く。やがてその音はだんだんと大きくなってゆき……フランドールのレーヴァテインが砕け散った。

 魔剣の有様にパチュリーはその双眸を見開いた。

 現在ではフランドールの手に渡ったことによって魔剣と化してしまったレーヴァテインであるが、かつては神剣として世にその名を轟かせていたほどのものである。

 そのレーヴァテインが……砕け散ったのだ。

 

 瞬間、煙の中より巻き起こった旋風が煙を吹き飛ばした。吹き荒れた黄金の風は蔓延していた煙と炎を掻き消し、どこからともなく星屑が飛来する。

 小悪魔は「ほえ〜」と感心したような声を漏らし、フランドールは好奇心が赴くままに星を握りつぶしていた。もっとも、パチュリーから言わせれば子供騙しの安い演出である。

 

「いや〜効いた効いた。ほんの少しだけ暑かったぜ?まあ、秋の日差し程度にはな」

 

 現れた魔理沙は…どことなく悪魔っぽかった。

 背中から漆黒の羽が生え、その存在感はかなり大きい。右翼には青い星、左翼には紅い月が描かれている。ペイントだろうか。

 そして何よりの違いが……その身から放たれる並外れた莫大な魔力。

 

「……魔力の塊を羽として……。なるほど、それでレーヴァテインから身を守ったのね。けどどれだけの莫大な魔力を……」

「なんか色々と豪華ですねぇ。羽とか生えて……うちの魔界神と同じようなものなのかな? ……あ、魔力うまっ!?」

 

 二人は見た感じの感想を率直に述べる。しかしそんな言葉とは裏腹に魔理沙から感じるこれまでとは桁違いの魔力から一波乱ありそうだと、二人は焦りながら結界をさらに強化してゆく。

 

 フランドールは魔理沙の姿を見て眼を細めると……にっこりと笑顔を浮かべた。同類の存在に歓喜しているような目だ。

 

「紛い者ね! 貴女はまだまだ光と闇を捨てきれてない! だけど半分は私と、同じ狭間の住人……! あー面白くなってきた!」

「……私は敢えて何もつっこまないからな?」

 

 魔理沙は苦笑すると格段に上がったその機動力を発揮しフランドールへとあっという間に詰め寄る。そして箒でフランドールを突き飛ばした。だが自分に及ぶと思われるあらゆる痛みを壊してしまったフランドールには全く効かない。

 それは魔理沙も百も承知である。今のはフランドールがどこまで自分を壊しているかの実験だ。その結果、色々なことが分かってきた。

 

(あいつには痛みを与える攻撃が通用しない……。衝撃や熱線は検証済み、恐らくだが斬撃でも無理だろうな。他にも色々と試してみたいことはあるが……それらも通じないと仮定しよう。ならばフランに決定打となる攻撃方法を私は持っていない。そんな多岐に攻撃方法を持っているわけでもないし。だが、この世の法則はちゃんと奴に働いている。私が殴れば奴が飛ぶ……その力そのものは消せれてないんだ。あいつの弱点は経験不足ってことか)

 

 一瞬で今までの検証を纏め上げ、考察する魔理沙。彼女の観察眼は並のものではない。

 フランドールは「495年お休み中」と言っていた。つまりその間の情報は地下にあったものを除いて皆無ということだ。彼女が壊しきれていない事象が一つや二つはあるはず。

 

「アハハ、その調子その調子! どんどんスピードを上げていこうよ! 禁弾『スターボウブレイク』!!」

 

 フランドールがスペルを発動するとともに光を射抜く勢いで弾幕が射出される。だが魔理沙はそれを瞬時に見切り、次々と躱してゆく。その動きはまさに神がかっていた。

 どうやら羽が生えてからは動体視力も多少上昇しているようだ。

 

「これならどうだ?」

 

 魔理沙は弾幕の間を縫いつつ、帽子から筒状のものを取り出すとそれをフランドールへと投擲した。その物体の正体は…ナパーム弾である。魔理沙の魔法実験の副産物として生まれたものだ。

 ナパーム弾はフランドールへとぶつかると、油が飛び散った。それと同時に魔理沙は八卦炉よりマジックファイアーを放つ。すると瞬く間にフランドールの体が炎に包まれた。

 

 肉が焦げる音ともに、フランドールが顔を顰める。熱線は対策済みだったようだが、延焼までは視野に入れていなかったらしい。

 

「っ……! 邪魔」

 

 フランドールは体から妖気を放出させ炎を消し飛ばす。そして掌を掲げると……握った。

 

 ──ぱりん……

 

 何かが砕けた。

 また一つ、自分を壊した。

 それと同時にフランドールが絶叫する。痛みに悶え苦しむ悲痛な叫びだ。それにはさしもの魔理沙もぎょっとするしかなかった。

 

「……いやこれ絶対体に悪いだろ」

 

「ぐっ……これで、もう熱くならないよ? 禁忌『フォーオブアカインド』!!」

 

 スペル発動とともにフランドールの体がブレ始める。そして段々とブレは大きくなってゆき……ついには四人に分かれた。

 これがパチュリーの言っていた分身型スペルか……と魔理沙はそのスペルカードのクオリティの高さに舌を捲く。

 

「なあ、そのスペルってもしかして力が四等分になったりするのか?」

 

「なるわけないでしょ」

「そんな技使い道がないじゃない!」

「きっちり私が四人分!」

「弾幕ももちろん四人分だよ!」

 

 フランドールは一斉に弾幕を放った。

 魔理沙は回避であれば幻想郷トップクラスの技術を有するだろう。しかし回避とは攻撃が躱せることを前提として行う動作である。つまり……一片の隙間なく敷き詰められている弾幕を回避するのは無理な話だ。

 魔理沙は苦笑しながらマスタースパークを放ち、弾幕を掻き消してゆく。その際にフランドールの分身が何体か飲み込まれるが…もちろん効かない。

 うち飲み込まれたフランドールの一体がマスタースパークを無視して突激してくるが、魔理沙は軽くあしらい下へとはたき落す。ダメージはなくても慣性の法則は働いている。

 

「こんなのはどうだ?」

 

 魔理沙ははたき落したフランドールの真上に魔法陣を生成する。その中から放たれたのはブリザード。チルノのものと同程度の冷気が放出されたのだ。

 凍てつく冷気はあっという間にフランドールを凍結させ、氷の中へと閉ざした。

 

「お前さんたちの力ならこんだけ分厚い氷も楽々ぶっ壊せるだろうな。だが八方ふさがりならどうだ? 力も思うように出せないんじゃないか? それに凍ってちゃその自慢の能力も使えまい」

 

 新技、コールドインフェルノはまずまず成功か……と魔理沙はほくそ笑んだ。

 もっとも、ならば他三体がさっさと能力を使うなりして氷を破壊すれば氷に閉ざされているフランドールも再び戦闘に参加できるのだろうが……魔理沙がそれを見過ごすわけがない。

 掌を握りしめようとした、うち一人のフランドールへとスペルを発動。光符『ルミネスストライク』によって放たれた巨大な星がフランドールを弾き飛ばす。そしてその吹き飛ばされている先に魔法陣を設置。コールドインフェルノによって無力化した。

 

「これで半分! 今の私は少しばかり目がいいんでな、お前らの動きを見てから動くことが可能だ。掌を握るまでの時間さえあればどうとでもできる」

「「むぅ…」」

 

 一見、羽が生えただけに見える魔理沙だが、その能力は飛躍的に上昇していた。パワーはともかく、スピードと動体視力においては元吸血鬼であるフランドールに追随を許さない勢いだ。

 もっとも、フランドールは495年間お休み中だったので体がなまっている、さらには先ほどの能力の使用で弱っている……という理由もあるが。

 

「「ならこんなのはどうかな!? 禁忌『レーヴァテイン』ッ!!」」

 

 残された二人のフランドールが先ほどと同規模の炎剣を召喚し、図書館を再び灼熱に染め上げると、思いっきり振りかぶる。

 単純に威力二倍の一撃が一斉に襲いかかる……が、魔理沙は二対の羽で剣を受け止めた。だがパワーアップしている魔理沙といえど、元吸血鬼の二倍パワーには流石に敵わない。徐々に体を押されてゆく。

 しかし魔理沙は考えなしにフランドールの攻撃を受け止めたわけではない。背中の翼で受け止めた…ということは今、魔理沙の両腕はガラ空きだということなのだ。

 

「黒魔『イベントホライズン』ッ!」

「「ッ!!?」」

 

 スペル発動とともに魔理沙が手を翳す。それとともに宙に浮いていた二体のフランドールがガクンと地に落ちた。それどころかどんどん床に沈み込んでゆく。

 今、フランドールには数千倍、数万倍もの重力がかかっている。それでも肉体が壊れないのは、流石元吸血鬼ボディと言ったところか。

 

「どうだ、降参した方がいいんじゃないか? 窒息で息もできんだろう?おっと、降参の言葉も言えないか」

「「ぐ……ぎぃ……!」」

 

 能力を使用することができれば重力を壊す。または重力に囚われるという事象を壊して脱出することができるだろう。しかしその強力な重力下では満足に掌を握ることすらできない。

 

「これって……妹様に勝っちゃうんじゃ……」

「……」

 

 小悪魔が呟いた。

 魔理沙は物の見事にフランドールをあしらっている。信じ難き光景だ。しかしその一方でパチュリーは……難しい顔で戦況を見つめていた。そう、フランドールはこの程度で終わる存在ではない。

 

「ほらほら、降参しろって。お前の負けだ」

 

 勝利を確信し、フランドールへ降伏を勧告する魔理沙だったが……

 

 ──ぱりん……

 

「ッ!?」

 

 魔理沙が懐に入れていたデコイ人形が粉々に砕ける。破壊されたのだ。またそれと同時に再びぱりんという音が響き、重力が壊れる。

 急いで後ろを振り返ると氷に閉じ込めていた二体のフランドールが脱出していた。先ほどのレーヴァテインの熱で溶けたのだろうか。

 

「くそ、油断した!」

「……ふぅ」

 

 急いで距離を詰めようとする魔理沙を尻目に、二体のフランドールは掌を握った。

 

 ──ぱりん、ぱりん……

 

「ひ、ぐぅぅ……!!」

 

 苦痛に顔が歪む。痛みを受けないフランドールでも自分自身の根幹を破壊すればダメージを受けるらしい。

 結果、フランドールはさらに消耗したものの、プカプカと宙に浮き始めた。

 一つ目に壊したのは自分が重力に囚われるという事象。そして二つ目に壊したのは……自分が固形物に覆われて動きを阻害されるという事象。これによってフランドールは重力や氷だけならず、水の中、土の中でもそのポテンシャルを十分に発揮できるようになったのだ。

 魔理沙と戦えば戦うほどフランドールは強く、そして本来のものから離れてゆく。

 

 ここで三体のフランドールが靄となって空気に溶ける。スペルが解けたのだ。

 

「ふぅ……ふぅ……さぁ、どんどんいこうよ!」

「そこまでよフラン、やめなさい!」

 

 今もなお結界を張り続けているパチュリーがフランドールへ叫んだ。フランドールは煩わしそうにパチュリーを見る。

 

「パチェは、黙ってて」

「黙るわけにはいかないわね。私はレミィに貴女のことを頼まれているんだから」

「……ははは、無理してそんな綺麗な言い方しなくていいのよ? つまりはただの監視でしょ? 私はよーく分かってるもの」

 

「違う、それは違うわフラン。レミィは──」

「煩い」

 

 フランドールは爪を振るいパチュリーへと斬撃を飛ばした。しかし小悪魔がパチュリーを身を挺して守る。小悪魔は弾けたが、体が魔素でできているので何ら問題はない。

 

「フラン、貴女はよく分かっているでしょ? レミィがどれだけ不器用なのかを。どれだけ貴女のことを想っているのか────」

「……はぁ」

 

 フランドールは深いため息を吐いた。瞳は淀み、濁っている。彼女に嬉々とする表情はない。あるのは……無だった。

 

「いい加減にして。私はもうどうでもいいのよ……お姉様から想われていようと、憎まれていようとね。うん、私はもう何もいらないのよ。何も欲しくない」

 

 ──だから……

 

「……もう私は────」

 

 

 

 

 

「おいおい何だそりゃ」

 

 魔理沙はフランドールの言葉を遮った。痛烈な視線が魔理沙に集中する。

 

「妖怪、生が長いんだ。うじうじ人間みたいに悩むなよ。らしくもない」

「……悩んでなんか……」

 

「お前と私は妖怪退治ごっこをしている途中だろ。せっかく遊びに付き合ってやってるんだ、どうせなら楽しみながらやれよ。この世は楽しんだもん勝ちだぜ」

 

 それにな……と付け加える。

 

「いいじゃないか。一人でも自分を想ってくれている奴がいるなら胸を張れ。それだけで生きている価値は生まれてくる」

「……」

 

 フランドールは無表情で魔理沙を見つめ、何の予備動作もなく殺傷弾幕を放った。魔理沙は羽でペシッと弾き飛ばす。

 そしてそれ以降両者に動きはなく、落ち着かない沈黙が辺りを支配した。

 ……暫くして業を煮やした魔理沙が帽子を外し、その裏地をフランドールへと向けた。

 

「……さて、ここで魔理沙さんからの出血大サービスだ」

 

 魔理沙は劇前の口上を述べる道化師のように饒舌に語り始めた。テンポに合わせて帽子をくるくると回す。

 

「私は収集家でな、色んな物を拾い集めたり、人から貰い受けたりしている」

「へぇ、モノ拾いで生計を立ててるのね」

「そ、そういうわけじゃない。趣味の一環に決まってるだろ! ゴホン……それでだな、その集めたお宝の中にとんでもないモノが紛れ込んでいることがごく稀にある。今からお前に見せてやるこれも、そのうちの一つだ」

 

 帽子の裏地が変色し、歪んでゆく。空間魔法によってどこかと繋げたのだろう。

 

「これは外の世界で教授とかいう職についている奴から貰ったモノだ。使ってみるのは初めてだが……なぁに忘れられない思い出にはなるだろうな」

 

 チラッと魔理沙がパチュリーを一瞥した。パチュリーは……身震いし、結界をより一層強化する。そしてそれをさらに重ねがけ。鉄壁の布陣の完成だ。

 

「パチュリーさま、どうされました?」

「……自分にも結界を何枚か張ってた方が身のためよ。ていうか張っておきなさい」

「は、はぁ……?」

 

 疑問符を頭に浮かべ、パチュリーに言われるがまま小悪魔は自分の周りにシールドを数枚展開した。

 魔理沙は笑みを深めると埃を落とすように、帽子をポンポンと軽く叩いた。その行動に何の意味があるのかは分からないが、フランドールはますます帽子へと集中を高める。

 

「さぁて、しっかりと瞼に焼きつけろよ!今年一番の大花火だっ!!」

 

 魔理沙の宣言とともに帽子からにゅっと金属の塊のようなものが高速で飛び出した。

 先端は丸みを帯びているが出っ張っており、赤く塗られている。そして鋼でできた棒筒状の部分には何故か顔が描かれており、この物体が秘める力を考えれば実にミスマッチ。尻の部分からは炎が噴射し、主が示した対象物に向けて一直線に飛来する。

 

 大陸間弾道ミサイル(ICBM)……通称ミミちゃん。数メートルの体躯に鈍色の光を映し出すそれは、まごう事なき核ミサイルであった。

 

「……!!」

「え?」

 

「わっ!?」

 

 

 

 

 

 

 ────199X年、紅魔館は(以下略

 

 

 

*◆*

 

 

 

「うおろろろ、えれえれえれぇぇ……」

 

 もう、限界……。

 ここまで私はよく頑張った、よく頑張ったよ。けど限度っていうのは誰にしも必ずあるものであってね?重度のハードワークからの度重なる精神攻撃、限界を超えて身体を酷使しすぎた結果がこれである。

 

 私は心に誓った。絶対にもう地底には潜らない。絶対にね!!どんなことが起こっても二度と地底なんか行ってやるもんですか!!

 今回の私の決心は固いわよ!

 

 以上、地霊殿のトイレにて今日食べたものの全てを口から吐き戻している私の心の叫びでした。うおっぷ……。

 

 

 

 口元をちゃんと拭いた後にトイレから出た。

 吐瀉物を顔に引っ付けての登場は常識的にいけないことよね。うん。幻想郷の賢者としての何たらかんたら以前の問題よね。

 

 古明地さとりとの会談は私の胃腸を除いて無事に終わり、後は旧地獄参道の視察を行うだけ。それが正真正銘最後の仕事だ。

 あともう少し……あともう少しで全てが終わる……!帰って眠れる……!こんなに、嬉しいことはない……!

 まあ旧地獄参道にもたくさんの危険はあるのだけどね。例えば鬼とか鬼とか鬼とか。

 並大抵の鬼ならば藍が睨みを利かしてくれるだろうから関わってくることはないと思うけど……問題はあの二匹。彼奴らを躱さないことには私の今日二度目のリバースは確定的なものになる。

 

 さてどうやって躱そうかとふらつく頭で考えながらえっちらおっちら地霊殿の廊下を歩いていた。すると視界の隅にちらりと黒い帽子が映る。

 あ、いたのね。

 

「あらあらこんばんわ。久しぶりねこいしちゃん」

「……ん、私? えーっと、どなたでしたっけ? ってゆかりん! 貴女はゆかりんじゃないの!」

「どうも」

 

 未だにゆかりん呼びはビクってなるわ。まああっちがそう呼びたいならそれでいいけど。

 この子は古明地さとりの妹である古明地こいしちゃん。姉とは対照的に元気発剌って感じの活発的な女の子。性格もまた姉とは違ってすこぶるいい子なのよ。

 あー……やっぱり妹はいいわねぇ。みんな素直で私に優しくしてくれるんだもの。

 全く……それに比べてレミリアといいさとりといい……なんで姉はあんなに性格が悪いのばっかりなのかしら?妹の爪の垢でも飲みなさいよ!

 

「もー! 来てるなら来てるって早く言ってよぉ〜! 私が歓迎してあげたのにさ! どうせまたお姉ちゃんからいじめられたんでしょ?」

「ごめんなさいね。ちょっと色々と立て込んでたから」

 

 ホントいい子!幻想郷中どこを探してもここまで私に優しくしてくれるのはこいしちゃんぐらいよ。本当にこの子はあのさとりと血を分けているのかと疑ってしまうほどだ。

 

「ま、いいよ。それじゃあさ、ゆかりんに見せたいものがあるから一緒に来てよ! 多分すっごくびっくりするよ!」

「それは魅力的な提案ね。だけどごめんなさい、この後も色々と立て込んでるから急いで次の場所に行かなきゃならないのよ」

 

 体力的にも厳しいしね。それになにより玄関で藍を待たせてるから……。

 ごめんねこいしちゃん。

 

「えーそんなー……むぅ」

「またの機会にお願い? またいずれ来ると思うから」

「……分かった、そういうことならいいよ! 今度は絶対に来てね!」

「ええ。それじゃあ御機嫌よう」

 

 別れを惜しみながら私はこいしちゃんに背を向けた。あの子の好意を無下にするのは辛いけど、藍を待たせるわけにはいかない。機嫌を損ねた日には……ブルブル……。

 ……って、もう二度とここには来ないって誓ったばっかりなのに「また来る」って言っちゃったよ!?……うわぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

「……残念だったなぁ。死体で着飾った私自慢の部屋を見せてあげようと思ったのに。ゆかりんもいつかは着飾る予定だから一回は見せとかなきゃダメだよね、うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。待たせたかしら?」

「滅相もない。それでは行きましょうか。……それにしても奴ら、見送りにも来ないとは……!」

「いいのよ。私が断ったんだから」

 

 ぶっちゃけさとりの顔は二度と見たくない。好き好んであいつに会いに来る奴なんかいるはずないわ。ぼっち乙ってところね!

 

「それじゃあ、早速────」

「ッ! 紫さまッ!!」

 

 藍の叫びが届くか否かのところだった。

 頭上から爆音が聞こえ、驚いた拍子に上を見渡すと……視界を埋め尽くすほどに巨大な岩盤が落下してきていた。天井そのものが落ちてきているような……そんな悍ましい光景だ。

 

 ……これは死んだかな?

 あぁ、八雲紫の一生は岩盤に押し潰されて幕を閉じるのか……惨めね……。

 悲観よりも先に諦めが湧いた。

 来世ではもっと優しい妖生をプリーズ。そう心に思いながら潔く目を閉じて……

 

「式輝『プリンセス天狐 -Illusion-』」

 

 凄まじい轟音を聞いた。

 いや、私は実に運が良かった。助かったとか藍が側にいたとかそういう意味じゃなくて……

 もし目を開いていたら恐らく、いや確実に失禁してしまっていたから。

 






質問、意見等あれば。


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赤より紅く、紅より儚い二人*

 あぁ……ごめんなさい。

 

 

 生まれながらの罪なんて赦されるわけがない。だって、そうなるべくしてそこに在るのだから。余地など生まれるわけがない。

 

 禁忌は常に中にあった。

 腫れもののように焦ったくて、液体のように纏わりついて、病魔のように私を蝕み周りを否定する。

 なぜ私なの?

 暗い……冷たい。辛いし……なにより苦しい。

 底がないほどに落ちているような、そんな感覚。水面はどんどん遠ざかってゆく。手をいくら伸ばしても届かなくて、何もない感触が掌を過ぎてった。

 掴めない、触れない。

 

 怖かった。

 私はなにより自分を恐れた。

 

 気づけば自分はどこにいるのかさえ見失って、一人もがき苦しんだ。

 

 

 ──ありがとう。

 

 

 お姉様はなによりの光だった。分け隔てなく私にさえその光を照らしてくれた。

 笑顔をくれるだけで私は救われる。私を見てくれるだけでその意味は生まれる。

 私は何もできないけど、お姉様は私に全てを与えてくれた。それがもどかしくも、悲しかった。私からはお姉様にしてあげれる事なんて一つもない。ただ一方的にお姉様に甘えるだけ。

 しかもお姉様の幸せを私が阻害している。その事実が辛くて……辛くて。悲しくて。

 

 お姉様の望む私になろうと思った。

 

 なのに……なんで?

 

 お姉様は私の前で笑わなくなった。

 手を振りほどき、私を怒鳴った。

 なんでなの?お姉様の望むフランドール・スカーレットは今ここに在るはずなのに。

 

 ”在る”?ほんとにそうなのか?

 フランドール・スカーレットは存在しているの?お姉様と話していたフランドール・スカーレットは私なのか?

 

 ……違う。

 

 私じゃない。私は私じゃない。

 だって()()は……私が壊したんだから。

 

 直らない。どうやっても私は直らない。

 壊したものは二度とは帰ってこない。簡単で、当たり前の事じゃないの。この世界はゲームじゃない。コンテニューなんてできないんだから。

 どうして気づけなかったのか。可笑しくて笑いがこみ上げてきた。

 だけどいずれはそれすらも煩わしくなって、壊した。こみ上げる度に壊した。

 そうだ、これは疑問に思うからなんだ。だから変な矛盾に気がついて可笑しくなっちゃうんだ。

 ハハ、簡単なこと。

 

 もう壊しちゃおう。全部、全部。

 もういいの。私は何も欲しくない。お姉様が望むフランドールは私じゃないから、もういいの。私にはもう、何もないから。

 

 私は笑いながら疑問を握り潰した。

 

 ああ……ごめんね。

 

 ごめんね、お姉様。

 ごめんね、フラン。

 

 

 *◆*

 

 

 核弾頭はフランドールへと接触すると同時に内部の核分裂によって弾け、凄まじい破壊をもたらした。

 爆風はあるもの全てを薙ぎ倒し、粉々に粉砕。

 そしてそれを熱波が悉く焼き尽くす。元々から木造であった大図書館には致命的過ぎた。

 魔理沙は爆発する寸前に自分を翼で包み、爆風とともに飛んでいった。

 パチュリーと小悪魔は結界によって身を守ったものの、強度が足りないことをいち早く察知し転移魔法で屋外に脱出。

 そしてフランドールは……余す事なくミミちゃんの最大火力を味わった。

 

 

 

 そして場面は元紅魔館前門へ。

 紅魔館は跡形もなく吹き飛び、在った場所には大きな風穴が空いている。どうやら地盤が沈下したらしい。地下には元々から空洞が存在していたみたいだが……

 

「……む? 規模が小さいな。幻想郷を吹き飛ばしてもおかしくないと思ってたんだが……図書館の連中が思いの外抑えてくれたみたいだな。おかげで威力がよく分からん」

「……これは驚いたわ。貴女もまた理を逸脱する存在だったのね。……いや、当然といえば当然か」

「あ? ……その顔とその羽、見たところお前がフランのお姉様の……レミィさんか?」

「ご名答。レミリア・スカーレットよ」

 

 フランドールと瓜二つのレミリアの姿を見て魔理沙は一瞬だけ固まったが、これまでの情報と照らし合わせ、目の前の吸血鬼少女が件の人物であると推測した。風貌がやけにボロボロなのも霊夢と戦っていたと考えれば納得である。

 

「さっきの爆発は貴女のものみたいね。館の修理費は貴女につけさせてもらうわよ」

「ならチャラだ。私もお前から妹の子守り代を貰わなきゃならん」

 

 軽口を言い合う二人。

 すると魔理沙の隣に霊夢が降り立つ。もちろん霊夢には傷一つなく、体は透けている。弾幕はもう出していないが半透明化は継続されるらしい。

 

「あら魔理沙じゃない。その姿……随分と懐かしいわね。いつ以来かしら?」

「おう霊夢か。……って、まーたその反則技(チート)かよ。いい加減攻略法を教えろって」

 

「ないわ」

「……そうか」

 

 諦めた魔理沙はため息を吐くしかなかった。そしてレミリアをちらりと見た後、ゆっくりと瓦礫と化した紅魔館へ視線を移してゆく。

 瞬間、妖力の波動が解き放たれ、瓦礫が一掃された。波動の中心にはフランドールが蹲っていた。体の所々に酷い裂傷を負っており、腕や足に至っては千切れて何処かへと吹き飛んでしまっている。

 熱線は無効化されるのだが、爆風による風圧は無効化しきれなかったようだ。

 

「いったいなぁもうッ!! 凄く痛い!!」

 

 ゲラゲラと笑いながらフランドールは肘で立ち上がろうとする。しかし肘では立ち上がれず、滑って顔を地にぶつける。かなりの消耗だろう。その再生能力に陰りが差している。だがなおもフランドールは笑っていた。

 レミリアは顔を顰めると思わずフランドールへと駆け寄ろうとして……止まった。

 

 思い浮かぶのは最後にフランドールと面と向かって顔を合わせたあの日。自分がフランドールを壊しておきながら、彼女を否定し拒絶したあの日。

 

 ──自分にフランドールへと寄り添う資格はあるのか?……愚問だろう。ないに決まっている。

 だって……ちゃんちゃら可笑しな話ではないか。あの子はもう……私のことを……

 

 レミリアが俯き、静止している間にもフランドールは再生を行おうとしていた。

 しかし一向に自分の体には霧が集まらず、ただ虫のように地に這い蹲ってジタバタと足掻くだけだった。

 

「アレも一応吸血鬼でしょ? 何やったの?」

「検知妨害魔法をここらにかけてるだけだぜ。腕が生えなきゃ破壊もできんだろうからな。まああいつの再生力ならやがては復活するだろうが」

 

 魔理沙は羽についている瓦礫や残骸を叩いて落としながら答えた。やはり手入れが大変そうだ。

 

 

 

 

「……ここまでね、レミィ」

「……パチェ……」

 

 紅魔館から脱出していたパチュリーがレミリアへと言った。その後ろでは小悪魔が虚空を見つめてブツブツ何かを呟いている。さらにその後方では顛末を見届けるべく美鈴がチルノを絞め落としながら場を見守り、咲夜はその傍らでぐったりと座り込んでいた。コンテニューした妖精メイドたちはガタガタと震えている。

 

 紅魔館勢力はその殆どが霊夢と魔理沙によって落とされていた。肝心の自分は霊夢の夢想天生によってボロボロに、フランドールは今も地面に這い蹲っている。

 まごう事なき完全敗北であった。

 

「あー終わり? まあ霧はもうなくなったし、このまま降伏するんならこの異変は終了、あんたたちも全員厳重注意で解放……だと思うけど。終わりでいいのかしら? 私は早く帰って寝たいのだけど」

「私は本を貸してくれるんならそれでいいぜ。残ってるのかは知らんが」

 

 霊夢は静かに紅魔館の面々を見下ろしながら降伏を勧告する。

 魔理沙は消滅した紅魔館を見ながら本の安否を気にしていた。図書館にあった本は間違いなく全て燃え尽きただろうが、空間魔法で保管しているものなら無事だろう。

 

 レミリアは少しばかりメンバーを見渡し……溜息をつくと霊夢と魔理沙へと向き直った。その瞳は消沈している。

 

「参ったわね……私はまだやれるけど、従者たちが限界らしい。ここらで異変は……終いかしらね」

 

 あくまでもレミリアは敗北を認めない姿勢を取ったが、それが虚勢である事は誰にでも分かっていた。

 その小さな身体のいたるところに大小様々な傷を負い、フランドールの姿を見てかなりの精神的ショックを受けている様子だ。

 いかに真の強者であるレミリアだとしても、霊夢の夢想天生の前には等しく無力だったということを静かに象徴していた。

 

 レミリアの言葉を受けた霊夢は妖怪退治の鋭い瞳を閉じ、穏和で間の抜けた、気怠そうな瞳を開いた。そしてふぅ……と軽く息を吐くと、反転し神社への帰路につこうとした。

 だが……

 

「どこへ行くの……まだまだこれからでしょ!?」

 

 フランドールは片腕だけを再生させ、上半身を起こす体勢で弾幕を放った。

 弾幕は霊夢の頭を通過した。透明化しているので勿論ダメージはない。

 霊夢はピタリと動きを止めるとゆっくり振り返り、無機質な目でフランドールを見る。いつもの妖怪退治の目だ。

 

「まだやるの?それはそれでいいけど……命があるなんて思わない事ね」

 

 霊夢は静かに、しかし力強くお祓い棒をフランドールへと向ける。魔理沙はあちゃー、と苦笑いした。

 レミリアが慌てて間に入る。

 

「やめなさいフラン。今日はここまで……潮時よ。おとなしく手を引きなさい」

「嫌だ。この遊びは私の遊びよ。紅魔館とは関係ない」

「……貴女は……紅魔館の一員でしょ」

「……本気で言ってる?」

 

 無機質なフランドールの瞳がレミリアを射抜く。そう言われるとレミリアは何も返せない。悲痛な表情を浮かべ、俯向く。

 その様子を大したリアクションもなく見つめたフランドールは、力を込め異形の翼で空へと舞い上がる。足がないなら飛べばいい。単純明快な話だ。

 

「さあ、最期まで愉しませてよ!コンテニューなんてできないんだからさ!」

 

 フランドールは風穴を挟んで対峙。その手にレーヴァテインを召喚する。灼熱が再び場を支配した。燃え上がる炎剣はまるでフランドールの心情を表すかのようにその激しさを増した。

 

 地響きが鳴る。大地が砕け、鬼神が争っているかのような、凄まじいエネルギーが地面を這う。

 幻想郷が……砕ける。

 

 霊夢がお札を構えるが……それをレミリアが手で制す。弱々しくもどこか力強さを感じさせる。

 

「不始末は……私が片づけるわ。貴女は引っ込んでてちょうだい」

「……まあいいけど」

 

 霊夢が一歩引く代わりにレミリアが一歩前に出る。そして手にはグングニルが召喚された。神槍はしっかりとフランドールの不規則な運命に狙いをつける。

 

「……っ! いけない、お嬢様ッ!!」

「やめなさいレミィ!」

「ぐっ……ザ・ワール────」

 

 レミリアの目を見た美鈴は飛び出し、パチュリーは詠唱し、咲夜は能力を発動せんとする。だが、間に合わない。

 レミリアとフランドール。二人がぶつかり合えばどちらかが死ぬのは目に見えていた。レミリアは本気、フランドールも本気だ。

 

「……終わらせてあげるのが一番なの? ……それが最善策なの? フラン」

「どうだっていい! 諸共吹き飛べ!」

 

 フランドールはレーヴァテインを思いっきり振りかぶった。それと同時にレミリアはグングニルを薙ぐ。

 紅い弧を描く神槍と神剣は、膨大な魔力を空へとぶちまけながら確かな殺傷力を持って互いに迫る。

 

 今、二つの神器がぶつかり────

 

 

 

 

 

 

「双方そこまでよ!」

 

 

 

 

 

 ────止まった。

 

 神剣と神槍が衝突する直前に()()は割り込んだ。その結果、レーヴァテインとグングニルは彼女の首を断ち切るすれすれで静止したのだ。

 エネルギーの渦中に現れたその存在にレミリアも、フランドールも、紅魔館の面々も、魔理沙も……霊夢も、誰もが釘付けになった。

 

 灼熱と妖風に長い金髪の髪が靡く。

 レミリアとフランドール、二つの強大な存在に挟まれながらも顔色一つ変えない圧倒的器量。

 紫のドレスが優雅にひらめき、殺伐とした空間を調和する。すみれ色の妖しい瞳が周囲を鋭く射抜く。

 

 何も感じなかった。だが彼女はそこに居た。

 

 

 

 

 

 

「一体何事かしら?」

 

 ()()()は優美に扇子を扇ぐ。

 誰かがゴクリと生唾を飲み込む。その音が聞こえるまでに辺りは静まり返ったのだ。

 一挙一動に場の者たちの視線が集中する。彼女が何を為すべくしていきなり現れたのか……それを見極める必要があった。

 しかし皆の期待とは裏腹に、紫が最初に発した言葉は些細もないことだった。

 

「……暑いわねぇ」

 

 紫はチラリとフランドールを見やる。その視線は手に持つレーヴァテインへと注がれていた。場の緊張がやや高まる。

 

「フラン、その剣をしまってちょうだい?」

「あ……う、うん」

 

 気勢を削がれたフランドールは若干慌てつつレーヴァテインを消滅させる。

 あそこまで興奮していたフランドールを一瞬で制した紫の器量に誰もが息を飲んだ。

 だがそのような周りの様子には気をかける間もなく、紫は次にレミリアへと視線を移す。レミリアは目を細め警戒を露わにした。

 

「レミリア、風は肌に良くないわ。少しばかり抑えてくれると助かるのだけど?」

「……分かったわ」

 

 レミリアは素直にグングニルを消滅させる。さっきまでの熱気が嘘だったかのように場が静まりかえった。

 彼女が人の命令を聞くのは相当珍しいことだ。レミリアを長く知る美鈴とパチュリーは、紫の秘める得体の知れない何かに戦慄した。

 紫は少しばかり周囲を見渡す。

 

 荒れ果てた大地。

 吹き飛んだ館。

 汚染された湖。

 破壊された森。

 

 全てが全てこの異変中に行われた破壊による産物である。

 紫は少しだけ眉をピクリと動かすと、無機質ながらも強い意志を感じさせる目で各々を上空から見下す。

 

「少し度が過ぎましたわね。霊夢、これじゃ異変解決とは呼べないわよ?」

 

 紫の言葉を受けた霊夢は鋭い眼光で彼女を射抜き……しかしやがてはそれを抑え、面倒臭そうな顔をしながらアッケラカンと答えた。

 

「いやほとんどの原因は魔理沙だし」

「い、いやいや使わざるを得なかったんだ。まさか”かくみさいる”とやらにこれほどの威力があったとは夢にも……」

「貴女、『幻想郷を吹き飛ばしても可笑しくない』とか言ってなかった?」

「レミリアこの野郎!」

 

 魔理沙の瞳と翼が挙動不審に揺れる。これは間違いなく黒だろう。

 もっとも有力妖怪たちの幻想郷に対する認識は『いくら壊しても明日には直っている便利な世界』である。

 その裏で苦労しているスキマ妖怪とその式がいることも知らずに。

 紫は大きなため息を吐くと、もういいとばかりに魔理沙の言い訳を取り下げる。

 

「……貴女(魔理沙)への追及は後よ。相応の覚悟はしておきなさい。次に……貴女たち姉妹は何をやっていたのかしら?」

 

 レミリアとフランドールへと視線が注がれる。

 紫は剣呑な表情を崩し、面白い見世物を見たかのように軽く笑うと、言い放つ。

 

「片方は本気で殺そうとしている……片方はわざと相手に殺されようとしている。滑稽な姉妹喧嘩ね。それでお互い満足できるの?」

「……ッ!」

「……!?」

 

 核心を突かれたかのように二人が固まった。互いに図星を突かれたらしい。

 その様子を見た紫は静かに目を閉じた。

 

「喜劇と悲劇の線引きは実に曖昧なもの。だけれど貴女たちはそれが同一のものであると勘違いしているわ。それは違う。このようなかくも醜き美談が喜劇となり得るとでも?」

 

「貴様は……何を言って……」

「聞きなさいレミリア、フラン」

 

 レミリアの言葉を遮る。紫は目を薄く開き、凛として言い放った。

 

「貴女たち二人には事の結論をつけることは難しい。だから何者でもない、第三者である私がその結論を言って差し上げますわ」

 

 紫は扇子をパチンと閉じる。

 

「両者に非はない。互いにすれ違い、非を感じあっているだけ。簡単なことよ」

 

 パチュリーと美鈴は目を見開いた。

 まさか……紫がスカーレット姉妹の確執を把握しているとは。さらに両者を諌めた上で自分たちには言えなかった……だけど誰もが薄々と感づいていた真相を言い当てたのだ。

 あの二人のバランスは危うい均衡の上で成り立っていた。少しでも当人が、また周囲が均衡を崩せばどう転ぶかは分からない。

 パチュリーも美鈴も咲夜も。当事者であるレミリアもフランドールも、半ばそのことが分かっていたからこそ話しづらかったのだ。

 それを紫は……物知らぬ顔で切り込んだ。

 

 レミリアは苦虫を噛み潰したような顔で紫の言葉を重く一笑する。その身から放たれる妖力の重圧がまた一段と強くなった。

 

「……貴女に私たちの何が分かるというの? 私もフランも、貴女に会ってまだ十年も経っていないというのに」

「たかが十年。されど十年ですわ」

 

 紫は薄く微笑を浮かべた。

 

「何も知らなくても分かることはある。レミリア、貴女の愛情は決して間違ってはいない。ただ、それが為す結果をフランの優しさと運命に頼りすぎた。そんなことは自分でも分かっている……だから歯痒いのでしょう?」

「……ッ!!」

「貴女は逃げ続けた。だけれどやがては疲弊していって、最後には全てを終わらせようとした。

”死”……という方法を持ってして」

 

 紫の心を見透かすような視線に言葉を詰まらせる。そして紫の一言一言がレミリアへと突き刺さってゆく。

 レミリアはジッと紫を睨んだ後……目元を柔らかくして体から放出していた妖力を引っ込めた。憑き物が取れたような、清々しい微笑を浮かべる。

 

「……一本取られたわ。貴女はフランのことを私なんかよりよく分かっている。貴女とフランが出逢えたということだけで、幻想郷に来た意味は十分ね。素直に礼を言う。……だけど、どうして貴女は私たちにここまでしてくれたの?それだけが解せないわ」

 

「幻想郷は全てを受け入れる。だけどその後のことは本人たち次第なのよ。ならば……楽しく平和に暮らしてちょうだい。それが私の願いなのだから」

 

 レミリアの問いに紫はなおも笑みを零しながら、透き通るすみれ色の瞳でさも当然のように語る。

 いつもは胡散臭くてたまらない紫だが、今回ばかりは信じきれるような、そんな確かな想いが生まれた。

「あと」と付け加える。

 

「フランのことを一番わかっていて、一番愛しているのは貴女よ、レミリア。そのことは否定しないであげて? それがこの子にとっての誇りであり、誉れであり……本当の喜びなのだから」

「八雲紫……」

 

 レミリアは紫を見た後、思わず感極まった表情を見られまいと顔を背けた。

 だがその一方でフランドールは諦めの表情を見せていた。そして紫へと言う。

 

「……私はもう私じゃないの。壊れた心はもう二度と戻らないから……。いやけど別にこれが嫌だとかそんなんじゃないの。私は満足してるのよ? だけど心がない私にお姉様たちと一緒にくらすなんてそんなことできるはずがない。お姉様も迷惑だろうし、みんなも私を────」

「フラン」

 

 紫はしっかりとフランドールを抱きとめる。その抱擁はフランドールの心を諌め、慰め、熱あるものにしてゆく。

 

「そんなことないわ。心とはただ在るものじゃない。生まれ育むもの、そして繋がるもの。そんな簡単には無くならないものなのよ。非常に厄介なことにね」

 

 フランドールは目を見開き紫を見る。

 紫はフランドールの頭へと手を乗せた。

 

「心のことに関しては世界一の専門家が幻想郷にはいるから。……今度私と一緒に行きましょう? そうすれば貴女の傷ついた心も癒えるはずよ」

 

 紫は「一緒に行こう」のところで一瞬迷ったが、すぐに決心したようでフランドールの右手を力強く取った。

 

「……なんで私にこんなにしてくれるの? 私は紫に何もしてあげれないのに……」

「あら、友を助けてあげるのに理由はいらないはずよ? 違うかしら?」

 

 即答だった。

「それにね」と付け加える。

 

「貴女は貴女。他の何者でもなく、紛れもない貴女なのよ。どれだけそれであることを自分や周りが否定しても、それだけは絶対に変わることはないわ」

「紫……」

「大丈夫……私も、レミリアも……全員が貴女のことを見守っててくれる」

 

 フランドールは紫を見て、一筋の涙を流した。急いでぐしぐしと拭う。

 悲しさや悔しさからの涙じゃない。嬉しさからの涙だった。

 

 そしてフランドールはレミリアへと視線を移す。しっかりと向き合うのは400年ぶりか。長い時が築き上げた壁は大きい。

 両者ともに目をそらす。なんだか気恥ずかった。

 そして

 

「……フラン」

「えと……お姉様」

 

 言葉が重なってしまい、また気恥ずかしくなる。姉妹がここまで狼狽える姿を見るのは初めてだと美鈴は目元を拭いながら呟いた。

 

「まあ、まだまだ難しいところもあるでしょうね。だけどそれは時間が解決してくれる。ちょっとずつ前に進んでゆきなさい」

 

 そこまで言って、紫は再び優雅な笑みを浮かべる。その圧倒的存在感は鮮烈なものだった。

 パチュリーは内心紫へと頭を下げた。人に感謝の念を感じたのは久方ぶりだ。小悪魔も感心したように言葉を漏らしている。

 一方の咲夜は面白くなさそうに、だけども安心した表情で姉妹を見た。

 

 

 さて、これにて一応の一見落着……なのだが。

 

 

 

 

 

「で、どうするの?異変は続くの?続かないの?」

 

 放置されていた霊夢がお祓い棒で肩をペシペシ叩きながらぶっきらぼうに言う。控えめに言って雰囲気ぶち壊しだ。

 魔理沙は今日何度目かの苦笑を浮かべた。

 

「……私はまだまだやれるよ?満足してないし!」

 

 フランドールは再び深い笑みを浮かべると、熱りだってレーヴァテインを召喚する。そう、姉妹の仲が進展してもフランドールはまだ満足できていないのだ。

 だが疲弊した体に加え、魔理沙の魔法によって再生が妨害されているフランドールでは霊夢にも魔理沙にも敵わないだろう。

 

 だから肩を支え、寄り添った。

 

「……あら、久しぶりねお姉様。ご機嫌いかが?」

 

 フランドールがレミリアへと向けていたのは喜びや無よりも……驚きの感情だった。

 

「……ええ、最悪よ。貴女は如何かしら?」

「私は楽しいよ! けどやられっぱなしじゃカッコ悪いかな。お姉様も……ちょっとカッコ悪い感じなの?」

「……そうね」

 

 レミリアはその目でジッとフランドールを見つめる。あの頃のフランドールの面影はやはりないが……今までとはちょっと違っている感じがした。

 彼女に影響を及ぼす事ができるのは彼女と同じ存在だけ。だがフランドールは明らかに自分が知らぬうちに多大な影響を受けている。

 悲しみ、怒りをなくしてしまったフランドール。

 偽りの喜びを手にしたフランドール。

 しかし目の前の彼女は……

 

 レミリアは穏やかな笑みを浮かべ、霊夢と魔理沙を見る。

 紅魔館を相手に悉くその力を正面から打ち破った二人の人間。自分たちを易々と受け入れた一人の妖怪。

 彼女たちの運命はもはや紅魔館を……レミリアとフランドールの運命ですらその輪に巻き込もうとしている。

 

 ──貴女の思惑通りかしら?八雲紫

 

 いつの間にかこの場から居なくなっている紫を思いつつ、内心苦笑した。

 今回の異変は完敗だろう。

 彼女たちに勝てるヴィジョンも浮かばないし、まず紫と話をした時に薄々と自分の敗北を悟りつつあった。

 だがこの結果は結果で悪くはないと思う。元々はただの余興で始めた異変だ。だがここまでの成果を残す事ができた。……代償は高くついてしまったが。

 

 かつての自分ならここまで潔く自分の敗北を認めることはなかっただろう……と、レミリアは内心感じていた。ここまで清々しい完敗は吸血鬼異変ぶりだ。

 

 だが────

 

 

 

「やられっぱなしは……確かに性に合わないわね」

「……お姉様?」

 

 レミリアはフランドールへと手を翳し、妖力と魔力を霧状に送り込む。するとみるみるうちにフランドールの千切れた腕と足が再生してゆく。

 再生した腕をまじまじと見つめたフランドールは、レミリアを見た。

 嘗てと変わらぬ……愛のある表情を浮かべる。

 自分を壊し、騙し続けたフランドール。だが、レミリアに対する愛は壊れてはいなかったのだ。

 

「ありがと。これでまだ遊べる!」

「ええそうね。だけどこのままじゃ私も貴女も負けてしまうわ」

 

 フランドールはレーヴァテインを召喚し、ブンッと振り払う。

 

「負けないよ! そんな運命なんて私が破壊してあげる!」

「……ふふ、その通りよフランッ!!」

 

 レミリアはグングニルを召喚し、ブンッと振り払う。

 そして神剣と神槍が重なり合った。

 同調する二つの紅い妖力はともに増幅し合い、幻想郷へと降り注ぐ。紅色の幻想郷が幕を開けた。

 つまり、異変続行の意思を示したのだ。

 

 相対する霊夢はお札と封魔針を指に挟み、霊力をその身へと漲らせてゆく。

 魔理沙は翼をはためかせ、八卦炉を握り締めた。

 

「魔理沙は引っ込んでていいわよ。私が両方やってあげるから」

「霊夢がすっこんでな。私が一瞬で決めてやるから」

 

 ……協調の意思はない。

 

「さあ行くわよ。見せてあげるわ……吸血鬼の本当の恐ろしさを!!」

「骨の髄まで恐怖しろ!!」

 

「来るわよ魔理沙。引っ込んでなさい」

「来るぞ霊夢。引っ込んでろ」

 

 

 

 

 異変最後の戦いが始まった。

 緋色の幻想郷は激しい発光に彩られ、最後の戦いを飾るにふさわしいものだった。またそれは、紅魔館の新しい日々の開始を祝福するような美しいものであった。

 

 異変は夜明けとともに幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 stage6.クリア

 

 stageEX.クリア

 




とまあ最後は駆け足気味でしたが紅魔郷は完結です。霊夢と魔理沙の友情が幻想郷を救うと信じて……!(なお協調性はなし)
妖々夢からはかなり文体が変わると思います。戦闘をそれなりに削ぐことになるかと。

ちなみにレミリアとフランが攻撃し合った際、どちらとも相手に殺されようとしてました。二人はどちらともに罪悪感を抱いてましたからね。するとゆかりんの言葉に「うん?」となる部分がありますが……まあそれは次回。
ちなみにこのゆかりんはゆかりんですよ?
どうでもいいけど美鈴を打つときに「みすず」と打たなきゃ出てこないのが辛い。「ほんめいりん」なら出るのに。

次回はゆかりん視点で紅魔郷完結です。
感想、ご意見あればどしどしお願いします。評価なんていただければ励みになります。


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迷探偵八雲紫の事件簿:紅魔館幼女監禁殺人未遂事件

サブタイトルが物騒だなぁ……。




 天井が落ちてきたけど頼れる式神が一瞬で消し飛ばしてくれました。

 はいあらすじ終わり。

 

 

「ふぅ……紫様、埃はかかっていませんか?」

「……ええ大丈夫」

 

 

 

 

 

 ───んなわけないでしょ!?

 一瞬気絶しかけたからね!?いやまず地盤がそのまま落ちてくるってどういうことよ!?どんだけ緩んでたのよここら一帯の地盤!

 ていうかそれを一瞬で消し飛ばした藍の火力。色々とおかしいでしょ……。

 

「しかし一体なんだったんでしょうね。私の計測や統計からは本来このような崩落……もとい沈下が起きるのはありえないのですが」

 

 んなこと私に聞いても分かるわけないでしょ!PだかNPだかよくわからない予想を計算したとかいう意味不な無敵の頭脳でなんとかしてくださいよぉ!

 ……それにしてもあたりに散らばっている残骸、どっかで見たことがあるような。例えばあの趣味の悪い時計台とか。

 うん、あれ多分紅魔館よね。忌々しき畜生住人たちとクソガキ吸血鬼が跋扈し、一人の優しい女の子が幽閉されてるクソ悪魔の館。

 

 いや、上で何があったし。

 

 嫌な予感が頭をよぎる中、藍に原因を探ってもらおうとした……その時だった。

 ”奴ら”が来た。

 

「おっ、紫じゃん。こんなところで暴れてどうしたのさ」

「おっ、地上の賢者か。いいところに来たね。酔い覚ましにはもってこいだ! それに暴れる奴には暴れて迎えるのが礼儀ってね」

 

 で、でたぁ……!

 元・山の四天王の二人(飲んだくれども)である。

 片割れの友人(伊吹萃香)は自力でブラックホールを作り出し、この世の酒という酒を強奪しまくったヤバイ奴。

 もう片方の一角(星熊勇儀)は軽く腕を振るうだけで飛騨山脈を吹き飛ばし、これまた世の酒という酒を強奪しまくったヤバい奴。

 つまり二人合わさって超ヤバイ奴らってことだ。

 ほら歩いてるだけで地面にクレーターできてるし!ベコォ!ベコォ!とか言ってるし!あれか、お前らにとって地面は寒天か!

 こんな奴らの存在が許されていいはずがない!

 唯一の救いは奴らが自発的には地上に出てこないこと。お願いだから二度と上には上がってこないでね?絶対よ?振りとかじゃないわよ?

 

 面白そうな玩具を見つけた子供のように笑みを浮かべ、こちらに接近する天災×2。すかさず藍が私と奴らの間に入る。

 

「紫様がやったのではない。勝手に落ちてきたのだ。いちゃもんなら他所につけてくれ」

 

 藍のナイスフォロー!

 しかし理不尽には通じない!

 

「あー……実のところそんなことはどうでもいいのさ。さっきも言った通り酔い覚ましに付き合って頂戴よ。なに、悪いようにはしないよ。鬼は嘘をつかない」

 

 嘘だッ!!絶対嘘だ!!鬼は嘘をつけない種族だって!?それが嘘よ!!

 ていうか嘘を本当にするのがこいつらの恐ろしいところではあるのだけど。

 

「紫様は忙しいんだ。お前たちのような酔っ払いどもにかける時間などない」

 

「藍は固いなぁ。もっと気楽に生きていこうよ」

「気楽すぎるのも考えものだ」

 

 私はどっちも嫌。

 固いのはアレだし、気楽なのもこんなんだし。やっぱり霊夢くらいがちょうどいいわ。いやホント、マジで。

 

「ハッ、しけた性格をしてるねぇ。……だが九尾。お前さん、私たち鬼に向かって少しばかり生意気じゃないかい?」

「相手が誰だろうと関係ない。私は九尾である前に紫様の式なのだ。主人に生意気な口をきく貴様らになぜ敬意を持たねばならん。ちゃんちゃらおかしな話だな」

「ほう、言うじゃないか」

 

 あ、なんかヤバイムード。一角がバキバキ指を鳴らしてるし藍は袖をまくり始めた。薄っすらと両者の後ろにオーラまで見える。気迫だけで岩石に囲まれたこの空間がミシミシと唸りを上げてる。私も腹から沸々とこみ上げるものを感じていた。つまり吐き気である。

 すぐさま目線で我が友人に”止めろ!今すぐだ!”と訴えかける。対して”無理^ - ^”と即答で返された。役に立たねぇ!

 

「私はねぇ、あんたみたいな高飛車な奴が大っ嫌いなんだ」

「ほう奇遇だな。私も貴様のような脳筋クソダルマな奴は大っ嫌いだ」

 

 ちょ、なんで敵を作ってるの!?貴女さっき橙に色々言った後じゃない!警護って敵を作ることじゃないよね!?

 

 しかし私必死の(心の中での)制止を振り切って、両者はガンを付け合うと拳を振りかぶる。

 あ……ヤバめ。

 激突の瞬間に私は咄嗟に結界を張ったが、

 

 ──ボッ!!

 

 空気が爆ぜ、衝撃が体を打つ。

 

 

 私は宙を舞った。

 

 

 

 

 

「ハハッ、中々やるじゃないか! 次いくぞッ!」

「ふん……脳筋には付き合ってられん。紫様、ここは───って、紫様!? どこへ行かれたのですか!? この藍に何も言わずに!!」

 

「上の方に飛んでったよ。南斗人間砲弾ばりの速さだったねぇ」

 

 

 

 

 

 飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで、回って回って回って回ーるー!!

 

 方向感覚が狂ってしまって自分がどこにいるかも分からない。視界がぐるぐる回転して落ちているのかすっ飛んでいるのか。死んではないと思うけど……私死んでないよね?

 しかし今私はどこらへんを飛んでるんだろ。イカロスの如く太陽まで飛んでいってるのだろうか。いやもしかしたら地中に落ちていってるのかも。……勢いがなくならないことには何も分からないわね。

 

 高速でぐるぐる回転する視点は私から視覚とその他諸々の五感の全ての機能を停止させた。その代わりに脳が妖生稀に見る勢いで活性化しているのが実感できる!まあだからといってどうすることもできないんだけどね!

 

 そしてその行き所のない思考はどうでもいいことを考えるのに費やされた。

 

 いやまずね、あのバカ式!か弱い主人が近くにいるのに戦闘をおっぱじめるって、どういう教育を受けてきたのよ!主人の顔を見てみたいわホント!

 ……あ、私を主人って思ってるかどうかは別か。

 

 

 それにしても今日は幻想郷危険人物のオンパレードだったわねぇ。これで風見幽香まで来たらもうホント……幻想郷が私の胃を殺しにきていると疑わざるをえない。

 ……いや別に幽香来襲を望んでるわけじゃないからね?振りじゃないからね? フラグ建築とかそんなんじゃないからね!? 絶対出てこないでくださいお願いします!

 てかなんかこのくだりが全部振りに思えてくるじゃない! 振りじゃないのに! 決して振りじゃないのにぃぃぃ!!

 

 

 

 

 

 ……おっ? ぐるぐるが徐々に遅くなってきた。やっと勢いが落ちてきたのかな? 今なら私の妖力でもなんとか空中に留まれそうだ。

 ふぅ、結局どっちの方向に吹っ飛んだのかもどんだけの時間回っていたのかもよく分からないわね。まあ私が無事だっただけでも良しとしましょう。いや全然よくないけど。

 

 ていうか第二波が来る可能性が無きにしも非ず。届くかどうかはわからないけど「やめろォ!」くらいは言っといた方がいいわよね。声が届けば少なくとも藍は止めてくれるだろうし。……止めてくれるよね?

 私はあの二人に制止の言葉を届けるべく自分が出せる最大声量で言葉を叫んだ。

 

「双方そこまでよ!」

 

 この辺りで推進力が落ち着いた。ピタリと空中に静止する。目が回って視界がブレまくっている。吐き気も再来して私はもうボロボロだ!

 

 しかしここはどこかしら?ヤケに暑いし風もびゅうびゅう鳴っている。灼熱地獄か叫喚地獄あたりに落ちたのかな?

 

 恐る恐る目を開くと……

 呆気にとられるレミリアとフランの顔があった。私の首元には槍と剣が突きつけられている。よく見ると霊夢や魔理沙、他紅魔館の連中もいる。

 

 ……あれ?

 

「一体何事かしら?」

 

 こう言わずにはいられなかった。

 全く状況が飲み込めない。全員が「なんでこいつがここにいる?」とか「場違い乙」みたいな視線で私を見ている。なんか気まずいし恥ずかしい!そして恐ろしい!

 てか暑ッ!?暑い暑い!確かに今は夏だけど暑すぎる!扇子を扇いでみたが熱風が吹いて逆効果だった。当たり前だ!

 もっともこの暑さの原因はすぐに分かった。

 

「フラン、その剣をしまってちょうだい」

 

 フランが燃える剣を持っていたのだ。最近のおもちゃは凄いのね。暑さまでリアル。

 フランは素直にしまってくれた。やっぱりいい子!貴女みたいな子がもっと幻想郷に増えるべきだと思うの私。

 ていうか今さら気づくのもおかしいんだけどフランの腕とか足がちぎれてるじゃない!?ひ、酷い……一体誰がこんなことを……。

 

 次に気になったのは気持ち悪い風。気分が悪くなってギュルギュルとお腹が唸りを上げる。大衆の前でぶちまけるのは流石にやばいので即刻止めたいのだが……

 原因はレミリアの持っている槍だった。

 レミリアかぁ。こいつに意見するのはかなり危険なのでそれとなく進言しておく。あくまで進言。意見じゃない。

 

「レミリア、風は肌に良くないわ。少しばかり抑えてくれると助かるのだけど?」

「……分かったわ……」

 

 仮にもお嬢様。肌荒れは天敵だろう。こちらもさっさと引っ込めてくれた。

 さて、これでやっと落ち着いて状況を考えることができるわ。

 まず私がいる場所。間違いなく紅魔館なんだけど……館がすっぽり消えている。ていうか色々と酷いことになっている。

 なにここ。幻想郷?ちゃうよね?世紀末よね?モヒカンたちがヒャッハーしてる世界よね?

 世紀末覇王霊夢……あらぴったり。

 

 じゃないわよ!なにやってんのこいつら!?完全に吸血鬼異変の二の舞じゃない!

 これには私も思わず苦言を申してしまった。

 

「少し度が過ぎましたわね。霊夢、これじゃ異変解決とは呼べないわよ?」

 

 ていうか新たな異変が起きている。

 名付けて世紀末異変。

 この後諸々の会話で世紀末化の犯人が魔理沙であることが判明した。いや、核ミサイルて……なんでそんなもんが幻想郷にあるのよ!ていうか地盤沈下の原因はコレか!

 おふざけが過ぎるわこの爆撃魔女!藍からの追及を覚悟しておくことね!

 まあそのあたりの損害賠償は一旦置いといて……

 

「貴女たち姉妹は何をやっているのかしら?」

 

 なんでレミリアとフランは槍と剣を振り回してたのかしら?吸血鬼の姉妹喧嘩は物騒ね。

 だけどやっぱりレミリアの方が何倍も強いだろう。なんたって運命を操っちゃうんだから。対してフランは吸血鬼ってだけの普通の女の子なのよ?そんなの毛虫とダイオウグソクムシが戦うようなものじゃない!それにフランは優しい子なのよ?レミリアに対して反撃なんてできるはずがない!

 なるほど……ほぼ無抵抗なフランの腕とか足をちぎったのはレミリアか。

 ヤバイわねこいつ。ずっと前からヤバイ奴だと思ってたけどもっとヤバかったわ……!

 

 けどなんでこんなことを?

 ただの姉妹喧嘩ならここまで酷いことにはならないはず……。やっぱりなんらかの確執があったりするのかしら?

 

 むむ、優しくてみんなに好かれるタイプのフランを幽閉して、さらにはこんなにボロボロになるまで暴行を加える意地悪で器の小さな姉レミリア……。

 

 

 

 ……なるほどね(超速理解)

 

 ふふふ……ヒントは今までのフランやレミリアの言葉に隠されていた。そして現在の状況!これで謎は全て解けた!

 ここで大賢者八雲紫の観察眼から彼女たちの過去を推測した結果を発表して進ぜるわ!

 

 フランは生まれながらに優しい子でみんなの羨望を集めていた。だけどそれに嫉妬したのが意地悪な姉レミリア!彼女は両親の居らぬ間にフランへ日常的な暴行を加えていた!フランは優しすぎてそのことを誰にも相談できなかったのね。そして両親の他界を機にレミリアの暴行はますますエスカレート!それでも笑って済ませてくれるフランに愛憎に似た何かを抱いた小心者のレミリアはついにフランを監禁したのよ!

 ああ……なんという悲劇!可哀想なフラン!意地悪なレミリア!

 これはDVだ。レミリアのDVだ!とんでもない姉ね!最終鬼畜姉!

 

 幻想郷の大賢者八雲紫、この現状に見て見ぬ振りはできないッ!!

 

 私は説教垂れるつもりなど毛頭ない。

 これもただの進言だ。というより遠回しのレミリアに対するdisりである。

 

「片方は本気で殺そうとしている……片方はわざと相手に殺されようとしている。滑稽な姉妹喧嘩ね。それでお互い満足できるの?」

 

 もちろん殺そうとしているのはレミリアで、わざと殺されようとしているのがフラン。フランは前から少しばかり自暴自棄になっている部分があったからね。あんな監禁生活してちゃ当たり前よ。

 二人の様子を見るとドンピシャらしい。流石ゆかりんと褒めてあげたいところね!

 そしてフランに無理な我慢は良くないよ!的な主旨のことを劇に例えつつ言う。内容はノリ。

 

「貴女たち二人には事の結論をつけれない。だから何者でもない第三者である私がその結論を言って差し上げますわ」

 

 DVってのは無自覚なものが多いらしいのよね。

 だから私がはっきりと、しかしレミリアを刺激せず、フランを悲しませない言い方でマイルドに包んで言ってあげましょう。

 扇子をわざと音が鳴るよう仰々しく閉じる。そして一言。

 

「両者に非はない。互いにすれ違い、非を感じあっているだけ。簡単なことよ」

 

 ……決まった。

 これが模範解答よ。まあ実際はレミリアが一方的に悪いんだけど……全部は悪くないんだよって感じにね。

 いざこざっていうのは大抵小さなすれ違いから生まれる。だからこう言っとけば95%はそれでOKよ。ふふふ……私メンタルクリニックのお医者さんになれるわね!

 

「……貴女に何が分かるというの? 私と貴女は会ってまだ十年も経っていないというのに」

 

 ……はぁ?なに言ってんの貴女?

 十年よ十年!十年もこの私が貴女みたいなひよっこ妖怪に振り回され続けたのよ!?ふざけんなって感じよ!

 十年?ええ、いいじゃないの十年!!

 

「たかが十年。されど十年ですわ」

 

 あーむしゃくしゃする……!

 いや、ここは一旦落ち着きましょう。クールダウンクールダウン。

 取り敢えずいつもの笑みを顔に貼り付けておく。これで不審に思われることはないはずだ。

 

 さて、次にどうしましょうか。この場には霊夢がいるという抑止力があるから……多少の発言も大丈夫かしら?うん、大丈夫よね!霊夢ならいざという時に颯爽と私を助けてくれるよね!

 それならさらなる真相をぶっちゃけるわ!ここまで来たら引けないもの!

 

「レミリア、貴女の愛情は決して間違ってはいない。ただ、それが為す結果をフランの優しさと運命に頼りすぎた。そんなことは自分でも分かっている……だから歯痒いのでしょう?」

 

 まあ愛情は全部間違ってるけど少しはレミリアを持ち上げとかないと私の身が危ない。しかし言いたいことは言い切った!

 そう、レミリアは運命を見る能力で日々のDVが周りにバレないことを知っていたのよ!フランが優しさ故に告発しないことをね!つまり確信犯だ!

 レミリアもばれたっ!って顔をしているわ。ふふふ……図星ってわけね。

 そして一気に畳み掛ける!

 

「貴女は逃げ続けた。だけれどやがては疲弊していって、最後には全てを終わらせようとした。

”死”……という方法を持ってして」

 

 そう、レミリアはついに見てしまったのよ。自分のDVがバレてしまうという運命を!

 フランは告発しなかった。だが不審に思った人物は紅魔館にいたのだ! それが図書館の魔女なのか司書なのか……はたまた門番かメイドなのかは知らないけど。

 いや、誰が知ったかは問題じゃないの! 自分がDVをしているという疑惑をもたれてしまったのがレミリアにとっては問題だった!

 周りの追及をレミリアはぬらりくらりと躱すがやがては追い詰められてゆく! そして追い詰められたレミリアは……唯一の被害者であり証人であるフランを消そうとし、この事件を闇に葬ろうとした!そう、フランの”死”をもってしてね!

 そして異変を起こしそのどさくさに紛れてフランの腕と足を切る。ここまでは順調だった。だが止めを刺す前にレミリアにとって想定外の出来事が起こったのよ。霊夢があまりにも強すぎて早々に部屋にたどり着いてしまったってことがね!

 その事件現場を霊夢に目撃され、やむ得ずフランを殺して事をうやむやにしようとしたが、そこへ颯爽と現れた探偵八雲紫! ついに事件は明るみに出たってわけ!

 

 なんとも悲しい……卑劣で利己的な事件。

 だが名探偵☆ゆかりん、暴いてみせたり!

 レミリアも観念したかのように消沈した。ふふ……これだけの人数の前で聞かれてしまったんだもの。逃げようはないわ。

 

「……一本取られたわ。貴女はフランのことを私なんかよりよく分かっている。貴女とフランが出逢えたということだけで、幻想郷に来た意味は十分ね。素直に礼を言う」

 

 コ◯ンの犯人みたいなことを語り出した。開き直ったのかしら?

 

「……だけど、どうして貴女は私たちにここまでしてくれたの?それだけが解せないわ」

 

 いやいや、こんな酷いDVを知れば誰も見過ごさないわよ。まあどうしても聞きたいなら幻想郷の賢者っぽく言ってあげるわ。

 そしてこんな感じで最後に私からの要望も織り交ぜたものを一つ。

 

「幻想郷は全てを受け入れる。だけどその後のことは本人たち次第なのよ。ならば……楽しく平和に暮らしてちょうだい。それが私の願いなのだから」

 

 争いは何も生まないのよ。だから楽しく静かに温厚に……ね?

 私はこの暴力と恐喝が支配する幻想郷から争いを消したい!まあ格下の妖怪とか一般の人間とかならどうぞドンパチやってくださいって感じだけど、貴女たちはダメ。絶対ダメ。

 

 ……最後の最後にレミリアにもそれなりの花を持たせてあげようかしらね。結局のところ愛憎から始まった悲しい事件だったんだから。

 レミリアの捻くれた性格さえなければ本当は仲良き姉妹としてやれてたんだと思う。フランもレミリアを愛していたからこそDVを告発しなかったんだろうし、地下室で話し合った時もレミリアのことを悪く言っている風なことはなかったしね。

 

「フランのことを一番わかっていて、一番愛しているのは貴女よ、レミリア。そのことは否定しないであげて? それがこの子にとっての誇りであり、誉れであり……本当の喜びなのだから」

 

 ここまで持ち上げればレミリアも少しは思うところがあるでしょ。改心とまではいかなくても多少の後ろめたさは感じるようになるはずだ。悔い改めるといいわ!

 するとレミリアは少しプルプル震えると私から顔を背けた。……貴女もしかして私のことをせせら笑ってる?反省してるの貴女!?

 

 ……ん?フランは未だに浮かない顔をしていた。まだ悩み事があるのかしら。

 

「……私はもう私じゃないの。壊れた心はもう二度と戻らないから……いやけど別にこれが嫌だとかそんなんじゃないの。私は満足してるのよ? だけど心がない私にお姉様たちと一緒にくらすなんてそんなことできるはずがない。お姉様も迷惑だろうし、みんなも私を────」

 

 うわぁ……すっごい傷ついてるじゃない。これなんかトラウマみたいなことになってるんじゃないの? レミリアって本当にとんでもない奴ね! 思わず抱き締めちゃったわ!

 けど大丈夫!

 

「そんなことないわ。心とはただ在るものじゃない。生まれ育むもの、そして繋がるもの。そんな簡単には無くならないものなのよ。非常に厄介なことにね」

 

 どうよこのノムリッシュ感溢れる素敵な言葉は!けど実際そうだと思うわよ?さとりもそんなこと言ってたし。

 ……あいつそういえば「メンタルケアもやってますよ。まあ、貴女のような崇高な賢者様(笑)には不要でしょうがね(嘲笑)」とか言ってたわね。それならさとりのことを紹介しておこうかしら。

 幻想郷において心理学やら精神学やらであいつの右に出る者はいないだろう。……若干……いや、かなりの不安はあるけど。

 

 というわけでフランと通院の約束を取り付けた。……結局地霊殿には行くことになるのね。私の決心ってホント緩いわ。

 

 するとフランは浮かない顔をしつつ、上目遣いで私を見る。

 

「……なんで私にこんなにしてくれるの? 私は紫に何もしてあげれないのに……」

 

 そんなことないわ。私は貴女に癒しという名の心地良き安らぎをあの時(吸血鬼異変)に貰ったんだもの。久しく感じたあの安らぎ……何にも勝る素晴らしい宝物よ!

 それに貴女と私は友達なんだからね!

 

 そしてちょっとしたエールを送った後、さらにギュッと抱きしめてあげた。フランは涙を流してそれを拭う。ああ、本当に辛かったのね……。

 

 話し終えたフランはレミリアと向き合う。どちらともが居心地悪く視線を逸らしている。まあ、最初はこんなものでしょう。長年に渡る確執とはそれほどまでに深いのだから。

 

「まあ、まだまだ難しいところもあるでしょうね。だけどそれは時間が解決してくれる。ちょっとずつ前に進みなさい」

 

 そして締めの句。時間は全てを解決してくれるという名言を引きずり出して私からのアドバイスは終了よ。

 少なくともこれでDVはある程度抑えれるはずだ。ごめんねフラン……私に力があれば貴女を助けてあげるのだけど。力のない自分が恨めしい……!

 

 さて、これで一応は一見落着かしらね。

 けどもっとまずいことを忘れているような? なんだっけ?

 ………………あっ。藍たち放置したままだった!!

 やばいやばいこのままじゃ地底が消し飛ぶ!急いで戻らないと!

 

 私が背を向けた後も霊夢やらフランやらが何かを話していたが、私はそれを聞く暇もなくスキマへと飛び込んだ。

 最後までその場にいてあげるのが一番いいんだろうけど、生憎地底の……引いては幻想郷の危機なのよ!幻想郷は私が守る!

 

 

 

 

 

 ……ふと思ったんだけど、私っていつになったら寝れるんだろう?

 睡眠っていうのは大切なことなのよ?

 睡眠が不足すると免疫とか自然回復能力が低下するの。特に成長期での睡眠不足は成長ホルモンへの悪影響を与えて後遺症が残ったりする!

 つまり万年成長期である紫ちゃんはもっと睡眠をとるべきであってね?

 え、ダメ?




注:当事件はフィクションです。実際の団体や個人名が登場しますが本当にフィクションです。なので警察の方は座って待機をお願いします。

ゆかりんは頭の回るバカ。
そして難しい台詞回しを敢えて好む厨二病。いい年してこれか……
レミリア→鬼畜!
フラン→優しい!
という固定概念の結果ですね。そして霊夢が居ることで少々調子に乗った結果、このザマである。
何か矛盾があれば即修正します。

なんていうか……正直すまんかった。次回は日常回か吸血鬼異変になります。
???「どっちになってもゆかりんの胃はここで終わりだがな!」


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今昔幻葬狂〜紅〜
境界賢者のとある一日①


先に後日談っぽい日常回のようなものを投下。その後に吸血鬼異変です。


 おはよう……げっそりゆかりんよ。

 結局あの一角獣と藍の仲裁や地底の被害確認、妖怪裏参道の視察とさとりからの小言(にあらず)で2回ほど夜は更けていった。

 

 ちなみに紅魔館のあった場所に空いたどデカイ空洞は、怠そうな魔女の魔法によってあっという間に埋め立てられた。つくづく規格外の温床だなと思う。

 

 まあそんなことはどうでもいいわ。

 眠い、率直に言って眠い。

 体のあちこちが疲労を訴え脳もその活動を停止したいと悲鳴をあげている。胃腸に関してはさっきトイレで吐いたから多少はマシよ。

 

 震える手先でスキマを開き八雲邸へと帰還。石のような体を引きずりゆっくりと寝室へ向かおうとしたのだが……

 

「あっ紫さま。これより今回の異変で被害を受けてしまった場所の修復作業に移ろうと思うのですが。紅魔館地域あたりの放射能除去作業を行うにあたってその工程をですね……紫さまにも一応の確認をとっておいた方がいいかと思いまして」

「あ……うん……」

 

 藍の意味不な説明を右から左に受け流しながら欠伸を噛み締める。

 いつもなら藍の説明に(心の中で)ツッコミの一つや二つは入れるんだけど、今回はそんな余裕もない。ただ、静かに眠りたい。

 ああ、一つだけ言っておくけど境界をチョチョイと操って放射能を外の世界にばら撒くのはナシよ?一つの案として出してたけど案にそもそも入れるものじゃないからね?

 

「朝食は居間に置いているのでお好きな時にお召し上がりください。あと家事はしなくても大丈夫です。それは私の仕事ですからね? いつも言っていますが、そこのところよろしくお願いしますよ? ……それでは行って参ります」

「ふわぁぁ……いってらっしゃぁい」

 

 欠伸を漏らしながら藍を見送る。スキマを開くモーションよりも藍のスピードの方が速いので、有事の際に藍がすぐに駆け込めるようにスキマは開きっぱなしだ。スキマからは青空が見える。何処かの上空に繋がっているらしい。

 

 格上の藍に家事をさせるのがどうにも落ち着かなくてお手伝い感覚で自発的にそれを行っている私だけども、今日は流石にムリ。藍のお言葉に甘えて大人しく眠らせてもらうわ。

 朝食を作ってくれたらしいけど、起きてから食べることにするわ。眠すぎて空腹とかそういうのが全然気にならないのよね。これは重症だわ。よって朝食を食べる間もなく寝室へと向かおうとするが、すぐに思い直し方向転換して洗面所に向かう。寝る前には歯磨きをしなきゃ……。

 

 だがフラついた私は畳のヘリで前のめりにダダ滑り。藍が出て行く時に開いたスキマに頭から落っこちた。浮遊感に包まれびゅうびゅうと風が私の体を通過する。だが頭は眠気のせいでうまく働かない。

 あー、やっちまったわね。早く飛ばなきゃ……

 

──ドボン

 

「ぶはぁ!? 冷たっ!?」

 

 え、なに?水に落ちたの私!?ちょ、ドレスが水を吸い込んで……!

 おぼ、溺れ……ないわね。飛べばいいだけだ。

 

 今ので完全に目が覚めたわ。

 落下しながらその状況を把握できないってどんだけ疲れてるのよ私……。幻想郷の賢者、ぶっちゃけ辞めたいです。

 さて、ここはどこかしら? えっと……右手には妖怪の山。左手には霧の湖へ続く道。なるほど、ここはその二つの中間地点にある川か。

 まあぶっちゃけどうでもいいけどね。

 あーもう……びちょびちょよ。服がぴっちり肌に張り付いちゃって、もしかしたら透けてたりしてるかもしれない。こんな姿を誰かに見られたら流石に恥ずかしいわね。

 

 

 

 ……誰かがいきなり現れてこの姿を目撃された私が真っ赤っかになる展開だと思ったでしょ?

 残念。そんなラッキースケベが起こる前に私は境界をチョチョイと操って服から水を弾く。

 ふふん、フラグとは折るためにあるのよ!

 

 境界を操るって結構便利な能力だと自分でも思うけど、できることはかなり限られるし、使った後はかなり妖力を消費してしまうのよ。そりゃもう肩で息しちゃうぐらい。つまり死に技、ほぼ利用価値ナシ、式であるはずの藍の完全下位互換能力。……自分でも悲しくなってきちゃった。

 

 ま、まあ今はそのことは置いておこう。フラグを無事へし折れたことを素直に喜ぶべきね! ザマァみなさい!

 ふふふ、冷水を浴びたおかげで頭はクリア! 心は痛快!頬を撫でる風も爽快! 歌でもひとつ歌いたい良い気分! 今日は最高の1日になりそうだわ。

 よし、もういっその事ここで歯磨きを済ませちゃいましょう。最近洗面所から鉄臭い臭いもするし、大自然に囲まれて今の心地よい気分に酔いながらイチゴ味の歯磨き粉でシュシュっとね!

 

 私は軽く鼻歌を歌いながら歯ブラシと歯磨き粉を取り出すべく、眼前に洗面所と繋げた小さなスキマを広げた。

 

 

 

 

 

 

──ガオッ!

 

 ……ん?なに今の音。空を切る……っていうか空が削れる音がした。

 

 見ると私の目の前には誰かがいた。先ほどまでは誰もいなかったはずだ。つまり前にいる存在は私の動体視力を遥かに超えるスピードを持っているということ。この時点で色々とアウトである。

 ちょうど開いたスキマのおかげで顔は見えないのだが、体は見える。

 一言で言えば……白いワイシャツに赤いチェック柄のベストとスカート。ついでにデカイ胸。右腕は私の開いたスキマの中に突っ込まれていて、左腕は日傘を差している。

 

 ……なんか何時ぞやかにこんなフラグを立てた記憶ががががががが。

 混乱する私をよそに、その人物ははっきりと言葉を発した。

 

「お早う、八雲紫」

「……おはよう風見幽香」

 

 清々しい川辺の空気は一瞬にして凍りついた。

 先ほどまで元気よくさえずり合っていた小鳥たちも、あたりを無尽に飛び回っていた羽虫たちも、一斉にその生命活動を制止した。ボトボトと物言わぬ死骸となって雨のように空より降り注ぐ。

 風見幽香の登場を喜んでいるのは唯一草花ぐらいだろう。萎れていた草花までもその生命力を満ち溢らせている。だがその草花ですらよく見ると彼女に踏みにじられているという事実。哀れ……。

 私はいたたまれない気持ちになるとともに、せっかく水を弾いたドレスが再びぐしょぐしょになるくらいに冷や汗をかいていた。

 

 ……私の顔に拳をぶち込もうとしたのよね?つまり私を殺そうとしたのだ。

 その事実はスキマに突っ込まれた彼女の右腕を見れば容易に理解できる。もしスキマを開いていなければ私の顔は水風船の如く弾け飛んでいただろう。

 恐らく彼女の今の私に対する殺害(未遂)行為には大して意味はない。ただ私がいた。それだけでこの悪魔は拳を繰り出したのだ!

 

 紹介しよう。

 彼女こそが幻想郷の名高き暗黒微笑撲殺殺戮パンチングジャイアニズムマシーン、人呼んで『大魔王』風見幽香閣下である。

 いやもうね、どこの○ッコロ大魔王かと。どこのサボ○ンダーかと。

 まあ○ボテンダーはネタだけどピッコ○大魔王に関してはあながち間違ってないんじゃないかと思う。だってこいつがもしも幻想郷の指導者になったら[風見幽香の日]みたいなのを作って一つずつ各勢力を消し飛ばしていきそうだもん。

 

 スキマで奴の顔を隠しているのが幸なのか不幸なのか。こいつの顔なんて見たくない。だけどどんな表情をしているのかが分からなくて逆に怖い。

 と、取り敢えずスキマを閉じましょう。

 

「スキマを閉じるわよ?」

「そう」

 

 幽香はスキマから腕を引き抜いた。素直に言うことを聞いてくれてまずは一安心。このままスキマを閉じれば多分スキマは幽香の剛腕によってぶっ壊れていただろう。えっ、普通腕が切れるんじゃないかって? 確かに普通の存在ならスキマでチョンバできるだろうけどこいつは無理。

 ていうかスキマチョンバで殺せない存在が幻想郷にはあまりにも多すぎる。なんかセルフ再生機能付きも沢山いるし。幽香がそのような機能を持っているかどうかは分からないが、そんなものは必要もないと言わんばかりの身体スペックである。

 ファッキン!

 

 恐る恐るスキマを閉じる。

 そこには底なしの化け物がいた。美人なんだけどそれが怖い。笑顔なんだけどそれがめちゃくちゃ怖い! 漏らしてない私漏らしてないよね?なんかよく分からないのがだだ漏れでよく分かんない!

 幽香は薄く開いた目で私を見つめ(恐喝)ながら口角を吊り上げる。あ、悪魔……!

 

「幻想郷の賢者ともあろうものが迂闊ね。こんなところで私の目に入るなんて。思わず殺しそうになっちゃったじゃない」

 

 いや、何言ってやがるんですかあんた様。

 やばい……こいつ本物のキ○ガイだわ。通り魔だとかそんな生易しいもんじゃないわ。

 霊夢ぅ……早くこいつを退治してよぉ!

 

 今の私は蛇に睨まれたカエル。そして目の前の相手は八岐大蛇である。つまりこの状況は暗に私の詰みを証明しているのだ。

 藍を呼ぼうにもその僅かなモーションの間に羽虫の如く叩き潰されるのは明白の事実。勿論、逃げるなんて行為を許してくれるはずもないだろう。戦う? ミジンコがゴジラに勝てるとでも?

 

 ……腹をくくるわ。これで私の妖生は終わった。ならば死に際こそ美しく散ろう。潔く死んで気概だけでも示してみせるわ。

 …………けどやっぱり怖いぃぃぃぃぃ!! 死にたくないぃぃぃぃぃ!!

 

 すると無様に半泣きでガタガタ震える私を見た幽香はいきなりつまらなそうに無表情になると、クルリと反転して歩き出す。

 

「興が冷めた。帰るわ」

 

 そしてこの言葉である。いやいや、気まぐれすぎるでしょ!? あんだけやるだけやって帰るの!?

 だが私の心の叫びなど聞こえるはずがない幽香はそのまま奥の森へと消えていった。

 ……ま、まあそのクソみたいな気まぐれのおかげで助かったんだけどね。もう二度と太陽の畑から出てこないで欲しいわ。

 いやまずこの幻葬狂で無防備に歯磨きなんてしようとしていた私が甘かった。いつどこでどんな化け物とエンカウントするかも分からないのに何がイチゴ味の歯磨き粉よ! 馬鹿じゃないの!

 

 あー疲れた。あとは寝るだけだったのになんだってこんなことに……。けど、まさに九死に一生を得たわね。そこんところ運がいいのか悪いのか……。悪運が強いというべきかしら?

 

 うん、歯磨きは家に帰ってからにしよう。そしてすぐに寝よう。うふふ……今日こそ泥のように眠るのよ!

 

 意気揚々とスキマを開いて飛び込む。

 迎えてくれたのは安らぎの我が家だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 脳が冷める。それと同時にありありと先ほどの光景が思い浮かぶ。

 そう、風見幽香は私の家へと繋がっていたスキマに拳をぶち込んだのだ。その拳圧の威力は我が八雲亭を粉々に吹き飛ばすには十二分過ぎた。

 ……ごめん、説明しておいてなんだけど、自分でも意味が分からない。

 

 

 

「か、風見幽香ぁぁぁぁああぁぁああッッ!!」

 

 私の行き場のない怒りは咆哮となって轟いた。だからと言ってどうにかなるわけじゃないけどね! 報復できる相手でもないし! 私はただ女々しく泣き寝入りするしかないのだ! あははっはっは!

うっ、うおろえれえれえれぇ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか風見幽香が……。面目ございません、緊急時に戻れるようにスキマを開いておいたにも関わらず……」

 

 藍が悲痛な表情で頭を下げる。

 なんでもちょうど水質調査を兼ねて霧の湖に潜っていた際、人魚が汚染された水へのクレームを怒りの形相でふっかけてきたのであしらっていたらしい。そのおかげで八雲邸の異変に気付けなかったんだと。人魚なんて住んでたのねあの湖。

 いやいや、別に貴女は悪くないのよ。全部あの風見幽香っていう悪魔が悪いのよ。

 しかしどうしよう。

 家の再建については萃香に連絡を入れておいたから数日のうちに成るでしょう。なんたって彼女は建築のスペシャリストだもの。だけどそれまでの住む場所が問題。それに私は今すぐにでも寝たいのよ!

 

「報復に行きますか?」

「それはもういいわ。取り敢えず私たちの住む場所をどうにかしないと……」

「……マヨヒガへ移りますか? あそこならば橙の管理が行き届いているのでいくらでも住む場所を用意できますが……」

「まあ、それがいいでしょうね。ちょっと家屋が古いのがアレだけど……背に腹は代えられ────」

「あ、しかしマヨヒガは明日の定例賢者集会の会場ですので色々と来客がいらしてますよ。例えば……因幡てゐとか……」

「ナシの方向でいきましょう」

 

 い、因幡帝……? あのウ詐欺が竹林から出てきてたの!? あいつ紅霧異変の緊急集会の時は来なかったくせにわざわざこんな時だけ!気まぐれな奴ってほんと嫌い!

 あんな奴と同じ空間で暮らすなんて自殺行為も甚だしい! ナシよナシ!

 

「はあ……そうですか。でしたら幽々子様に部屋をお貸しいただけるようお願いしてみるとか……」

「ナシの方向でいきましょう」

 

 だってあっこ(白玉楼)幽霊だらけなんだもん。寒いったらありゃしないわ。

 それに妖夢はともかく幽々子と生活をともにするなんて想像しただけでも気が狂いそうになる。幽々子は適度に友人として付き合うのが一番よ。マジで。

 

「ふむ、白玉楼もダメですか。しかし困りましたね、他にツテがお有りで? 私はマヨヒガで大丈夫なのですが……」

 

 むぅ……そう言われると辛いところね。

 他に一定の友好があるのは、地霊殿と紅魔館と……そして博麗神社とあの子の家か。他にも候補はあるけどそこは私の命を脅かす危険性があるので除外している。もっとも地霊殿も紅魔館も私の胃が死ぬのは確実なんだけど。

 ていうか最初の二つってほぼ敵地よね? レミリアもさとりも友達とか仲間とかそういうのじゃないし。敵か?って聞かれたらはっきりと「イエス!」って言えるけど。しかも紅魔館って今吹っ飛んでたわ。地霊殿も落盤騒ぎでやんややんやしてたはず。

 あの子の家は住むには都なんだけど今は諸事情あって会いたくないし……。

 魔理沙の家?あんなの家じゃないわ。

 

 残る一つの博麗神社だけど……あそこって布団が一組しかないのよね。霊夢にいくら客人用にもう一組買っておけって言っても「勿体無い。むしろくれ」と言われるだけだもの。ケチらないで布団の一つくらいあげれば良かったわ。

 ……いや、霊夢ならなんだかんだ言って同じ布団で寝させてくれるかもしれない。いや寝させてくれるに違いない! ほら、たった10年くらい前までは一緒に寝てたし? 私たちは親子同然だもの!

 もう博麗神社しかないわ!そうと決まれば早速向かいましょう!

 

「藍、私は博麗神社にいるわ。何か用があるときは霊夢を通してちょうだい」

「博麗、神社ですか………分かりました。霊夢なら確かによろしいでしょうね。ただし、有事の際は私を必ずお呼びください」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけど藍が難しい顔をした。まあいつも私には理解の及ばないような難しいこと考えてるんだろうし、関係のないことだろう。

 

 

 

 倒壊した愛しき我が家と藍に別れを告げてスキマをくぐる。そして降り立ったのは博麗神社の寂れた境内。霊夢の姿はない。

 もうお天道様は真上に登ろうとしているのに……まだ起きていないのね。まあ、昨日は随分遅い時間までレミリアと戦ってたんだししょうがないか。

 

 ポチャン……と左手にある池から波打つ音が聞こえる。博麗神社の池に魚はいないから多分あの年老いた大亀でしょうね。なんでそんなのがいるのかは知らないけど。

 少し前に霊夢にそれとなくあの亀のことを聞いてみたら食用がどうとかって言ってたから多分すっぽん酒にでもするんでしょう。私にも振舞ってくれるだろうから楽しみだわ。

 

「お邪魔します」と小声で言って家に上がらせてもらった。霊夢は案の定、布団で爆睡している。いつもの紅白の巫女服は畳んで枕元に。白の寝装束に身を包んだ霊夢はまさに清純美少女に見えた。ていうか清純美少女である。しかしその一方でなんともだらしなくよだれを口から零す始末。そのあたりがやっぱり霊夢なのよね。

 レミリアやあのメイドにこの姿を見せれば仰天するだろう。それほどまでに普段の霊夢と異変時の霊夢はギャップが凄い。異変の時の霊夢なんて赤い通り魔だからね、巷での妖怪の呼び名。

 

 さて、やることもないので棚から私専用の湯呑みを取り出してお茶を入れる。そして喉を潤し、空腹を思い出したので机に置いてあった煎餅をつまむ。あんまり品の良いものではないけどこれもまたよし。

 ほっこりしながら霊夢の寝顔を見ていたのだが……

 なんて気持ちよさそうに眠るのかしら。引っ込んでた眠気がどんどん込み上げてくるじゃない!

 

「ふあわぁぁ……」

 

 眠い。幽香への恐怖で吹き飛んでた眠気がぶり返す。抗いようがない……。布団で眠れたら気持ちいいだろうなぁ。

 そうだ、今こそ眠気に全てを委ねるのだ。博麗神社に布団は一組しかない。ならば博麗神社で眠るには霊夢と添い寝する他に道はないのだ。それに地べたで寝てもいいけどやっぱり寝るんなら布団よね。

 もぞもぞと布団に潜り込む。ああ……これよこれ。私が求めていたのはこれなのよ。この安らぎが私に生を実感させる。

 しかも目の前には髪を下ろした霊夢の綺麗で可愛い寝顔……眼福ですわぁ。この上ない幸福感を感じる……。

 それじゃあ、夢の世界へ………

 

 

 

 

 

──────

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、東方夢狂気!そこまで尺はありませんけどね。
スケ濡れの紫を想像して真っ先に感じたのが興奮よりも胡散臭さという。これはひどい。

あとここで補足しておきます。この作品において原作の欠片が見受けられないほどに強化されているキャラが時折登場するかもしれませんが、すべて仕様です。幻葬狂がゆかりんの胃を苛め抜くための予定調和です。


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境界賢者のとある一日②

ちょくちょく伏線を挿入するのが楽しい


「あ、どうも。あまりにも悪夢が多いので回収しに来ました」

「それはどうも」

 

 夢の世界は私唯一の逃避場所である。

 何が存在しているかもあやふやで不規則な八方純白の夢の世界に、ポツンと私と彼女だけがいた。

 

 紹介するわ。目の前の獏の名前はドレミー・スイート。お淑やかな雰囲気があるけど、実際のところ全然そんなことはない獏よ。彼女の口元のにやけ具合を見れば娯楽的なものに飢えていることは一目瞭然。あと愚談だけどスイートってなんか甘そうな名前じゃない?彼女がいつも手に持ってるウニョウニョした変な塊もなんだか美味しそうだし。

 と、そんなことはどうでもいいわね。意外かもしれないが私はこの獏と結構面識がある。なんでも私は酷い悪夢をよく見るんだそうで、その都度に悪夢を回収しに来てくれるのだ。まあ彼女がそう言っているだけで実際はどうなのかは知らないけど。

 ちなみに彼女はめちゃんこ強い。この前私の目の前で月人がボコボコにされてたからね。少なくとも私よりも格上。藍と同等ぐらいかな?まだ性格がキチってないだけ救いである。

 

「貴女も働き者よねぇ。夢ばかり食べてて胃もたれとか起こさない?」

「貴女ほど胃腸は弱くないので。仕事の方も……仕事というより生業といいますか。獏として生まれたからにはしなければならないことなので」

 

 へえ、とてもストイックな性格でもあるようね。今日初めて知った。私も彼女みたいに熱心に打ち込める仕事に就きたいわ。幻想郷の賢者は……ねぇ?

 まあ一旦置いておきましょう。それにしても……

 

「また私が見る夢は悪夢なの?どうにも比率が高くないかしら?」

 

 二回に一回はドレミーが来ているような気がする。ここまで高い頻度で来られるんじゃ私としても流石に異常を疑ってしまうわ。

 それに対してのドレミーの返答は実に納得できるものだった。

 

「そう言われましても私は夢を管理するだけ、夢を見るか見ないかはその人の自由なのです。夢は無意識の意識ですから。現し世で何か苦労なさっていることでもあるんじゃないですか?」

 

 心当たりがありすぎるわね!

 ならばさしずめ今日の夢は幽香にサンドバッグにされる夢かしら?いや、延々とさとりに小言を呟かれる夢かもしれない。

 うん、悪夢だわ!

 

「まあ、私にはどんな悪夢なのかは分かりませんけど。貴女がその内容を教えてくださる気配も見せてくれないし」

「いえいえ、悪夢というのは言葉では形容し難いものですからね。その内容を知りたいのならば、直に見てもらうほかに方法がないのですよ。自分から率先して悪夢を見たいなんて言う酔狂な方もいることにはいますが……貴女もその口で?」

「いいえ全然」

 

 悪夢は現実世界だけで十分よ!

 しかし悪夢ねぇ……。少しばかりは興味あるけど、ドレミーの言う通り率先して見たいものではないわね。素直にドレミーに食べてもらうのが一番だろう。

 

「ならばよろしいでしょう? 私も貴女のスパイシーな夢を食べるのが少々癖になってきまして、両者Win-Winの関係ですよ」

 

「まあよくは分からないけど助かるわね。これからもどうぞご贔屓に」

 

 さて、ここからが本題だ。

 私は夢の世界にドレミーがやって来た際には、いつもとある頼みごとをしているのだ。それを嫌な顔一つせず聞いてくれる彼女は私が好感を持てる数少ない人物である。向こうも私へむやみやたらに関わろうとしないし、いい距離感を保てているんじゃない?

 

「それじゃあいつものをお願いしてもいいかしら? 申し訳ないけど」

「ええいいですよ、貴女の夢を食べた後は妙に力が湧きますし。しかし夢は現実以上に精神を犯しますからね。止めるわけではないですが勧められたことでもありません。そこのところ気をつけてくださいよ? それでは……──」

 

 ドレミーが息を吹きかけると、夢の世界は捻じ曲がり崩壊を始めた。空間そのものが歪み、目に映るそれらを延々と狂わせ続ける。そして私はかるく瞳を閉じてそれに身を投じた。

 

 

 ◆

 

 

 

「ゆかりー!」

「ゆかりーん!」

「あらあらうふふ」

 

 左右から飛び込んで来たフランとこいしは私の腕に飛びつく。上目遣いで私を見上げるその姿はなんとも可愛らしい。二人の体から伝わる偽物の、だけども優しく暖かい体温に思わず破顔してしまった。

 また私の目の前ではレミリアとさとりが涙を流しながら土下座している。今までのことを許してくれと何度も頭を下げていた。

 

「どうか……どうか今までの非礼をお許しください! このレミリア・スカーレットこれより誠心誠意紫様に尽くしてゆく所存でございますから……!」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 一心不乱に謝り続けるさとりにとてつもなく不気味なものを感じるわね。けどいい気味よ! 本来ならこんぐらい謝ってもらわなきゃ!

 さて、ここらで賢者っぽい一言を。

 

「ふふふ……仮にも上に君臨する立場である貴女たちが容易に頭を下げるものではありません。面を上げなさい。これまでの非礼は私の寛容な心にて不問と致します。その代わり、これまで以上に私と幻想郷に尽くすように。よろしい?」

 

「「ははー!!」」

 

「「キャーかっこいいー!!」

 

 私の言葉に感激し平伏す二人。両サイドでは妹たちの黄色い声が飛び交う。ああ……いいわぁこの優越感……。

 ここらで気がついたかもしれないが、ここはドレミーに作ってもらった世界である。いやね、夢の世界だけでも報われてもいいんじゃないかなって思うの。いいでしょ?夢の中くらい。

 と、視線を奥に移すと揺れる緑が見える。その表情は憤怒に彩られていた。夢の中って分かっててもやっぱり怖いわね。

 

「認めない……私は認めないッ!!」

 

 何を認めたくないのか、地団駄を踏んだ幽香が鬼気迫る表情でこちらへと殴りかかってくるが、私は指から軽く妖力の波動を放ち彼女の体を打つ。

 ゴロゴロと無様に転がる幽香。それを私は上から軽く見下ろす。

 

「うっ……ぐぅ……!」

「精進が足りないわねぇ幽香。……萃香、勇儀、連れて行きなさい」

「「へい」」

 

 両隣に控えさせていた黒サングラス&あの道コスチューム装備の萃香と勇儀に幽香をしょっぴかせた。夢の中では私は最強オブ最強の超美少女大妖怪。幽香なんて目じゃないのよ!

 

 

 

 Q.八雲紫とは?

 

「生き甲斐ですね。私はこの方に仕えることができて常日頃から身に余る思いです」

「頼れるお姉様です! 橙も将来は紫様のような妖怪になりたいです!」

 

 藍がうんうんと頷きながら誇らしげに語る。その傍らでは橙がくねくねしながら思いの丈を語っていた。ぶっちゃけこの子たちは現実とそこまで変わらないわね。まああっち(現実世界)の方は何を考えているか分からないから恐ろしいんだけども!

 

「最強の妖怪だZE! 賢者って響きだけで凄くかっこいいよな!」

「分かるわその気持ち」

 

 魔理沙の言葉にメイドがうんうんと頷く。そうよそうよ、私は幻想郷の賢者よ! どんどん敬いなさい! あっはっはっは!!

 

「紫……」

「あら霊夢」

 

 さてお待ちかねの大本命!博麗霊夢その人がいつものツンとした表情を崩し、デレデレモジモジしながら近づいてきた。ああん夢の中でもやっぱりかわいいわぁぁ!!

 

「どうしたのかしら?」

「えっと、その……ね。貴女のこと、お母さん……って呼んでいい?」

「勿論よぉぉぉぉぉ!!」

 

 かわいい! 霊夢かわいい! 私の娘! 愛してる! なんならママって呼んでもいいのよ!? うふふ、もう一生離さないんだからね!

 そう心で叫びつつ霊夢を抱きしめる。

 霊夢も私が抱きしめるのに応えるように後ろへと手をまわす。そして私を見つめながら横に流れていた髪を凪いだ。もう甘えん坊さんなんだから! けどそんないつもとのギャップがかわいい!

 もう、最高!ドレミーありがとー!

 

 そんな感慨に浸りながら感激の涙を流していると霊夢は「あっそうだ」と呟く。

 

「お母さん、実は貴女にあげたいものがあって」

「あらあら何かしら?」

 

 霊夢はゴソゴソと懐から何かを取り出した。それは淡い光を放ち、私へと向けられる。

 えっと……何そのカード。

 

「死に晒せクソババア。霊符『夢想封印』」

「あばぁ!?」

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 ……え、なに今の。

 若干の微睡みを感じつつも意識が覚醒した。

 デレデ霊夢からいきなり爆殺された夢オチだったような。ちょっとそりゃないわよドレミーさん!? 一番いいところだったのに!

 

 酷い喪失感とともにぱっちり目を開けると、霊夢と目が合った。黒く幽遠に輝く綺麗な瞳は私にここがまだ夢の中だという錯覚を与える。しかし目の前の存在はまごう事なき現実世界の霊夢である。

 霊夢はじーっと私を見つめ続ける。やだなんだか恥ずかしいわ。

 

「……なんであんたがここで寝てんの?」

 

 なんでって……そりゃあ……

 

「……気分?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「死に晒せクソ妖怪。霊符『夢想封印』」

 

 ちょ、ま……!

 咄嗟に開いたスキマでなんとか夢想封印を飲み込む。これをどこかに吐き出すわけにもいかないのでスキマ空間に留めておくことにした。サハラ砂漠あたりに吐き出しても追尾してくる可能性もなきにしもあらずだし。普通ならこんな手段はとらないけど家はもうないから今なら別にいい。

 それにしてもスキマの入り口のサイズがギリギリ足りてくれてよかった。一つでも当たれば私の命がアウトだから。

 ていうか私がこの霊弾をどうにかしなきゃ博麗神社が吹っ飛んでたんだけど……この子はどうするつもりだったんだろう。

 

「チッ……で、もう一度聞くけどなんであんたが私の布団で寝てんのよ。答えが答えならここであんたを退治するのも選択肢の一つだと言っておくわ。言葉には気をつけなさい」

 

 やばい、アレはマジの目だわ。流石に同じ布団で寝るのはまずかったかしら。霊夢も思春期だからね、仕方ないね。

 取り敢えず住ませて欲しい旨を伝えよう。

 

「実は風見幽香の殴り込みで家がなくなっちゃったのよ。だから復興するまでここに住まわせてもらえないかと思って」

「嫌だ」

 

 即答……流石にちょっと傷ついた。

 

「しかも何で寝てたのか答えてないし」

「だからそんな気分だったのよ」

「よし殺すわ」

 

 もう霊夢ったらツンデレなんだから! しかし彼女の迫力はまさしく妖怪に対するそれそのものであり、どこからか取り出したお祓い棒を私へと向ける。ついでに言うと目が据わっていた。

 は、恥ずかしがり屋なのは前から知ってたけど、ちょっと過剰に反応し過ぎじゃ……。まるで本当に私を殺すみたいじゃない!?

 

「……えーっと……」

 

 死角から声が聞こえた。けど霊夢も私も相手を視界に捉えるのに夢中でそちらに視線を向けることができない。目を離すのはこの状況ではちょっとまずいから。

 

「おーい霊夢……愛しの魔理沙さんが遊びに来てやったぜ? それで、この修羅場は一体なんなんだ?」

 

 霊夢がお祓い棒を振りかぶったその時、外からもう一度声が響いた。今度ははっきりと発音されていたので誰が言葉を発したのかが分かる。

 その友人からの声かけに霊夢が一瞬気を取られた。その隙にスキマでその場から急いで距離を置く。魔理沙ありがとう!

 

「今は忙しいのよ。後でにして頂戴」

「そう言ってもな……」

 

 魔理沙の方には目もくれずジリジリと距離を詰める霊夢。やばい、完全にタマを取りに来ている。反抗期の娘って怖いわー!

 

「……まあいっか。今日は団体さんをご案内してるんだ。ほれ」

「おはよう博麗霊夢、それに八雲紫。元気そうでなにより」

 

 いつでも逃げれるようスキマを展開しながら声の方向を見る。そこにはレミリアと彼女に日傘をさすメイド、それにフランがいた。

 レミリアはいつものように妖しい笑みを浮かべながらこちらを一瞥している。一方でフランはある意味真逆のようで同じような笑顔を見せていた。どことなく黒い雰囲気を感じる……? メイドは相変わらず冷たい微笑だ。

 ちなみに現在の時刻は夕方である。レミリアのおはようは……まあそういうことなんだろう。私も霊夢もおはようだけどね。

 

 一見した限りではレミリアとフランの仲は結構良さげに見える。ちゃんとした姉妹仲がないと一緒に神社まで来るなんてことはないだろうし……どうやら昨日の暴露が効いたようだ。これに懲りてDVがなくなってくれればいいんだけどね。次に同じようなことが起きれば霊夢に制裁を頼むしかなくなるから色々と危ないわよ?

 ていうかメイドからの突き刺す視線が辛い。いつでもどこでも所構わず殺気ばっか撒き散らしちゃってさ! メイドとしての教育はどうなってるのよ!

 

「やっほー紫! 私来ちゃった! ……で今さっきまで何してたの? 私には霊夢と一緒に眠りこけてるように見えたんだけど? ねえねえ?」

 

 フランはやっぱりかわいいわぁ。やっぱり夢よりも実物よね!けど心なしか視線が暗いような怖いような、気のせいよね?てかフラン普通に日光が当たってるんだけど。大丈夫なの?

 霊夢はレミリアたちを一瞥すると露骨に嫌な表情を浮かべる。まあ仮にも昨日まで殺し合ってた仲だし、意気揚々とここに訪ねて来れるレミリアの神経がおかしいのよね。

 案内してきた魔理沙も魔理沙だけど。

 

「また面倒くさいのがこんなに! ああ、もう! このクソ妖怪を退治するまでそこで待ってなさい! 勝手に家ん中入るんじゃないわよ!」

 

「お邪魔するわ」

「お邪魔しまーす」

「お邪魔致します」

「お邪魔するぜ」

「お邪魔してて悪かったわ」

「あんたらねえ!!」

 

 霊夢は眉間に深い皺を寄せると怒鳴りあげた。霊夢も霊夢で苦労人だったりするのかしらね。同情するわ。

 勝手に家へと上がった一団は物色を開始する。

 

「ふーん……詫びしいところねぇ。こんなところに住んでて頭がおかしくならない? 私はおかしくなるわよ。ねえ咲夜、フラン」

「ええ全くです」

「お姉様、これってアレでしょ? 貧乏とか困窮から見出す風情とかいうやつ。よく分かんないけど」

 

 紅魔勢のあまりの物言いに霊夢のヘイトが徐々にあちらへと傾いている。ナイスヘイト稼ぎ、いいタンク役よレミリア! そのまま注意を惹きつけてちょうだい!

 

「ふふ……私の館に来ればいい生活ができるわよ? 毎日でも血の滴るステーキを出してあげる。今なら咲夜も門番も本の虫も付けてあげるわ。だから私の眷属になりなさい。……あら、何かしらこれ」

 

 居間からガチャガチャと何かをあさくる音が聞こえる。まだ私へとお祓い棒を向けていた霊夢だったが、ついにそれどころではなくなったらしい。慌てて自分も居間へと駆け込んだ。大変ね(他人事)

 私もその後を追うと居間はてんてこ舞いなことになっていた。

 レミリアは食器棚から何かを取り出そうとしているが背が足りていないのでプルプル震えながらつま先立ちをしている。非常に危なっかしいのだがメイドは助けるそぶりも見せずその姿を愛おしそうに見つめていた。

 魔理沙とフランはその近くで取っ組み合いをしている。え、なに? プロレスごっこ?

 

「へーこれが日本の湯呑みってやつかしら? 趣味が乏しいわね。私の館に来たら優雅なティータイムを堪能できるわよ?」

 

「人の趣味にケチつけないでくれる? ていうか持ち方が危なっかしい。さっさとそれを机におきな────」

 

 霊夢が制止するよりも早く、魔理沙と暴れていたフランがレミリアに激突。レミリアはその衝撃で手を滑らせ、床へと落ちた湯呑みは音を立てて砕けた。破片がパラパラと散らばる。そしてその絵柄には見覚えがあった。

 それって……私専用の湯呑み……。

 

 湯呑みを落としたレミリアは気まずそうに周りを見ると、急にしたり顔を作る。

 

「……ふっ、その湯呑みの運命は元からこれだったのよ。私が介入したことによりその時期が尚早まっただけ。些細な運命違いよ」

 

「ていのいいことを言って誤魔化そうとするな。あーもう、メイド!」

 

「もう片付けてますわ」

 

 霊夢が怒りながらメイドへと視線を向ける。対してメイドは軽く涼しい顔でそう返した。

 ふと目を戻すと割れた湯呑みは無くなっていた。メイドが時を止めて回収したのだろう。つくづくおかしな能力だなって思うわ。貴女だけ世界線を間違えてるんじゃないの?ってレベル。

 ていうか私のお気に入りの湯呑みが……。なんなら時を止めて割れる前に回収してくれても良かったんじゃ……。

 

 

 

「で、あんたらはいつからいたの?」

 

 まず霊夢は私へと問いかけた。その眼光はギラつき、嘘をつけば容赦なく殺すと無言で訴えかけている。えっと、親に向ける目じゃないわよ……?

 

「私は日の下り具合を見るに3時間前くらいかしら? 来てすぐに布団に入ったから何もしてないわよ?」

 

 結構な長さの夢を見ていた感じはするけど夢の世界って時の流れがめちゃくちゃなのよね。精神世界の仕組みはよく分からないわ。

 霊夢はこちらを凄まじい形相で睨みつけた。まるで今にも殺してやると言わんばかりの目だ。娘の反抗期ってこんなに激しいのね。確か幽々子も子供の反抗期は大変って言ってたわ……オヨヨ。

 次にレミリアが得意げに続ける。

 

「私が来たのは貴女が起きる五分前くらいよ。起きるまでわざわざ日光降り注ぐ外で待っててあげたんだから感謝して欲しいものね。太公望でもここまでは待たないわよ?」

 

 ドヤ顔で語るレミリアを他所に霊夢の顔がどんどんやばいことになってゆく。あー……本気で怒ってるわねこれ。異変の時でもここまではキレないわよ。寝顔をみんなに見られたからかしら?

 あと物知りな紫ちゃんが補足するけど太公望は待った方じゃなくて待たせた方だから。

 

「魔理沙……」

「うん?」

「どこまで見てた……?」

「えっ……そ、そりゃあうん。えっと……まあなんだ、あれだうん。お前が人の気配に気づかないのは珍しいな、うん。そんだけ夢中だったんだろう。ま、まあ私は別にいいと思うぞ? うん」

 

 言い淀み、視線を不自然に逸らす魔理沙。いや、いったい何があったの? ていうかそんな曖昧な返し方しないでさ! ほらもっと霊夢を宥めるようにしてちょうだいよ!

 

 だが時すでに遅し。霊夢を中心に霊気が爆発し家屋がメキメキと悲鳴をあげた。

 周囲にお札を何枚も浮かせ、その外周を陰陽玉が漂っている。さらに指と指の間には封魔針を3本装備。夢想天生を使わない状態での霊夢の最強形態だ。つまり今彼女の目の前にはどうしても消し去らねばならない存在がいるというわけね。

 ヤバイ霊夢が本気でキレてる。

 

「あんたたちの記憶も存在も残さないわ。大人しく消し飛びなさい!」

 

 刹那の直感だった。

 視界が白く染まる直前に私は妖生稀に見るスピードで目の前にスキマを開き、ちょうど近くにいたフランの腕を掴み中へ飛び込む。

 スキマ通過すると同時に凄まじい衝撃が背後を駆け抜ける。急いでスキマを閉めたが体にかかった分の衝撃はどうすることもできず、私は無様に顔面着地、地面をゴロゴロ転がった。

 視界の隅ではフランが何もないようにフワリと浮き上がり着地しているのが見える。幽閉されてたからてっきり病弱なのかと思ってたけど……運動神経いいのね。

 

 フランに無様な姿は見られたくないのでさっさと立ち上がりパンパンと土埃を払った。そう、私は頼れるお姉さんだからね! 顔から着地するようなドジっ子な訳がないのよ! 決して泣いてなんかないんだからね! これは汗なんだからね!

 

「花火みたいで楽しそうだったなぁ。まあ私にはどうもないんだろうけど。それなら眩しい思いをするよりもいっか」

 

 フランは実に無邪気。先ほどの閃光を花火だと思っているようだ。

 違うのよフラン。あれはメギドだとかそんなチャチなものじゃ断じてないものよ。私たちなんて一睨みでイチコロだからあの巫女さんは絶対に怒らせないようにしようね? ゆかりんとの約束よ?

 

 

 ◆

 

 

 博麗神社は跡形もなく消滅していた。

 爆心地の中心に立つのは元凶の巫女。未だなお怒り続ける彼女に親友の魔法使いは呆れた視線を向ける。

 

「ああ逃した! くっ……今度会った時は絶対許さないから!」

「……ヤケに荒れてるな。そんな殺意満々で怒るほどのことか?」

「知らないわよ!」

 

 激昂とともに地を抉る霊力波が魔理沙へと放たれた。魔理沙はため息を吐くと背中から生やした漆黒の翼でそれを弾き飛ばす。

 弾かれた霊力波は博麗神社隣接の林を消し飛ばし、小山にデカデカと傷跡を残した。抉り取られた大地から霊夢の荒れようが象徴されている。

 

 そんな霊夢の様子を上空で見ていたレミリアは咲夜を後ろに控えさせ、困った表情で肩をすくめる。咲夜の表情も優れない。

 

「全くあの巫女は……。ホント教育がなってないんだから。眷属にするにしても色々とやることが多そうね」

「お嬢様、申し訳ございません。他でもないお嬢様に守られるとは……この咲夜、不敬の至りでございます……」

「貴女は私に日傘を差し続けてるせいで避けれないんだからしょうがないでしょ。畏まってもあまり卑屈にはならないことね」

 

 レミリアは周りをキョロキョロ見回す。いるのは霊夢と魔理沙、そして咲夜と自分のみ。紫とフランドールはいなくなっていた。

 

「それにしてもフランはどこに行ったのかしら。あの子に限ってもしものことはないと思うけど……。ま、まさか逃避行!? おのれ八雲紫! フランの友人は許してもあの子は渡さないわよ!」

 

 運命が見れないと極端に不安になってしまうレミリア。

 その姿に咲夜は絶対者レミリア・スカーレットが存在しないことを改めて実感し、ほんの少しだけ寂しくなった。

 

 

 ◆

 

 

「お姉様たちは連れてこなかったの?」

「ええ。アレとかアレとかアレなら大丈夫よ、多分。そう簡単にくたばるものでもないでしょうし」

 

 連れてくる時間がなかったっていうのが本音だけどそこんところは黙っておこう。

 魔理沙はともかく、あの二人組みがくたばってくれるんなら私としては万々歳なんだけどね。けどあれぐらいで死ぬ連中なら苦労はしてない。

 

「ま、それもそっか。けどこれで紫と二人っきりだね! なんかロマンチック逃避行って感じ! 周りもなんか洞窟っぽいし」

 

 あら中々洒落たことを言うじゃない?

 フランの言う通り、私たちは今洞窟っぽいところにいる。ていうか地底である。前方に見えるあの洋館が私の胃を締め付ける。咄嗟のことだったから場所も指定せずにがむしゃらに開いたんだけど……まさかここに来るとは……。

 

「ここは地底。嫌われ者たちが跋扈する世界よ。そしてあの館は地霊殿。この前言った心に関してなら世界一の専門家が住んでるの。性格は最悪だけど」

「へぇ、ここが?」

 

 フランは興味深げに地霊殿を見る。まあ見栄えはいいからね。()()()は。

 

「結構良さげなところだね。ほら行こうよ紫」

 

 フランはテクテクと地霊殿へと歩みを進め始めた。私としてはあまり……というか全然気が進まないんだけど。

 まあいずれは地霊殿に連れて行く約束をフランとしたけどさ、ちょっと文字通り心の準備ががが……

 

 

 ◆

 

 

「はいどうも貴女の大っ嫌いなさとりですよ。結局二度と来ないとか言いつつなんだかんだで来るんですね。自分の発言には責任を持った方がいいですよ? ていうかそんなに私が好きなんですか? 照れるじゃないですか。……すいません、ぶっちゃけ言うと反吐が出ます。年増妖怪のそっちの性癖にふれられてるなんて想像しただけで吐き気が……おえっ。……はいはい嘘ですよ。いちいち間に受けないでください。それで今日は? ふむふむ……なるほど。散々な目に遭ったようですね。まあ自業自得ですが。さしずめ来世に期待といったところでしょうか。貴女程度の善行では来世があるかは疑わしいですがね。閻魔からもよく言われるのでしょう? そのくせして毎日怯えて嘆くばかりで自分から行動を起こそうとしない。弱い、弱すぎますよ。ああ、私は貴女のことを思って言ってるんですよ? そこらへん分かってます? それを逆恨みとは……心の狭さがよく読み取れる。恥を知ってください、恥を。お、泣きますか? どうぞどうぞ泣くなり吐くなりお好きに。そうしたところで貴女の体が傷つくだけで何の解決にもなりはしませんがね」

 

 会ってすぐにこれである。

 ……もうやだぁ。半泣き状態でメンタルポイントがとっくにゼロの私へと容赦なく追い打ちが浴びせかけられる。

 このドS妖怪は私のメンタルがブレイクするのを楽しんでるんだ! よくもこうネチネチと……! この陰湿! 冷酷! 残忍! 鬼畜! 萃香! さとり! 幽香!

 

「何とでも言ってください。貴女がさらに惨めになるだけですよ。……ではフランドールさん。よくお越しくださいました、ようこそ地霊殿へ。貴女のことは紫さんの中で見させてもらっています。お会いできる日を予々お待ちしていました」

 

 私へ侮蔑と嘲笑の後、さとりはフランへと体を向ける。そして朗らかな笑みで歓迎の言葉を口にした。……うん?

 

「貴女の不安定さはよく感じています。大変つらい思いをしたんですね。しかし貴女の心は完全に壊れきってはいません。しっかりと治療をすればまた元のフランドールさんへと戻れますよ。……分かりました、貴女のことはフランと呼びましょう。是非仲良くしてください」

「うん、よろしく!」

 

 ……いやちょっと。

 

「あ? なんですか紫さん。今の私は貴女如きに構ってる暇なんてないんですよ。今から彼女の記憶を想起させて心を呼び覚ましますからね。率直に言って邪魔なのであっちに行っててください。大事なことなので二回言いますよ?邪魔です」

 

 あ、はい。

 言われるがままにおずおずと引き下がった私は扉を開けると廊下に出る。

 そしてこっちにフリフリと手を振るフランに手を振り返し、しっかりと扉が閉まったのを確認して……

 

 

 

「なによこの格差ッッ!!?」

 

 腹の底から叫んだ。昨日に引き続いて打ちのめされた心身に引きずられるようにへたり込む。私が一体なにをした?

 いやもうね、この不当な扱いよ。フランに優しくしたくなる気持ちはよーく分かるけどさ、その優しさを私にもプリーズ! その100分の1でもいいから! お願いします!

 うぅ……何なの今日という日って。なんでみんなは私をいじめるの?なんでみんなは私に優しくしてくれないの? 私は静かに暮らしたいだけなのに。安らかに眠りたいだけなのに。あんまりよぉ……あんまりよぉ……えぐっ、うっ、えぐっ。

 

 

 

 

「大丈夫? ゆかりん」

 

 日が差したかのような錯覚を抱いた。だが私の目の前に立ち、笑いかけてくれながら確かに心配してくれている少女は……紛れもない女神だった。

 

「賢者のお仕事ってそんなに大変なの? 私に何かできることはあるかな? ゆかりんの力になれることならなんでもするよ?」

「こいしちゃん……!」

 

 幻想郷の良心……! 貴女といいフランといい、何で鬼畜姉の妹たちはこんなにいい子ばっかなの。もう貴女たちを祀る神社でも作りたい気分よ!

 ……うん、この程度でめげちゃダメね。私はこの子たちが快適に、そして幸せに暮らせる本物の楽園を作らなきゃならないんだから! 弱いところは見せられないわ! さあ立ち上がれ八雲紫!

 

「ありがとうこいしちゃん。ちょっと立ち眩みで転んだだけよ」

「そうなの? ならいいんだけど。あっそうそう! ゆかりんにいいものを見せてあげる予定だったよね! 付いてきて!」

 

 こいしちゃんは興奮した様子で手をブンブン振りながら廊下を走ってゆく。うんうん、元気なのはいいことだわ。

 子供っていうのはホントかわいいわねぇ。

 それにしても”見せたい物”……か。確かにそんな話があったわね。まあ来たついでだしその”見せたい物”っていうのを見させてもらいましょう。すっごく美味しいケーキとか……とっても大きな宝石とかそんなのかな?

 何にせよ楽しみだわ!

 

 

 こいしちゃんに入るように言われた部屋で一番に目に飛び込んできたのは、壁に磔られている人間の人形だった。私から言わせればなんともチープで悪趣味な人形である。良くできてるとは思うけどね。

 その周りを見ると小さな机やベット、ソファーがある。嫌に生活感を感じる部屋だ。だれかの個室だろうか?

 こんな悍ましいもの(死体の人形)をこいしちゃんが部屋に置くはずがないから……ここはさとりの部屋かしら? いや、そのペットの火車の部屋かもしれないわね。どっちにしてもあんなものを部屋に飾るなんて神経がキチってるわ。

 

 こいしちゃんは私を部屋に入れると何処かへ行ってしまった。取り敢えず帰ってくるまでソファーに座らせてもらうとしましょう。

 

 ふぅ……インテリア的な問題でくつろぎ空間ってわけでもないけど、このふかふか具合が中々心地いい。疲れた体に染み渡るわ。

 さっきの眠りでは結局衝撃の夢オチで叩き起こされたから疲労はあんまり回復してないのよね。

 

 今日二回目の微睡みが私を包む。ホッとしたら眠気が……。

 ……こいしちゃんが帰ってくるまでなら、寝てても大丈夫よね?うん、少しだけ、だから、ね……ちょっとだけなら、いいよね……?

 

 ……ZZZ

 

 

 

 

 

 




二連続寝落ち。ゆかりん疲れてるんだね。
理解のあるヤンデレって私好き!(パァァァァ
ちょっとだけ拡大解釈とかしてますが性格は基本的に(作者が思う)キャラクターのものです。ぶっ壊れてるのはゆかりんくらい?

次回の後書きにちょっとした基準のようなものを載っけます。


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境界賢者のとある一日③

 遠い誰かの、夢のような千切れた思い出。淡くも儚い幻のような砕けた日々。

 ひどく懐かしいようで、実は昨日の出来事なの。……私にとってはね。

 

 

 

『ねえ、────。貴女ならどうする?』

 

『誰の────』

 

『私の……いえ、私たちの────』

 

 

 そう。いつかそんなことを言ってた。

 ……違う。それは違う。

 所詮夢物語でしかないのよ。そう、思い描くことは全て夢に帰すものなの。

 誰かの予想は仮想に……仮想は空想に……空想は幻想へ。

 想うだけじゃ何も在りはしない。

 

『そんなこと言うなんて貴女らしくないわね……?シャンとしてよ!────が────と何も始まらないわ!』

 

 そうね、貴女の言う通りよ。何時も貴女は恐ろしいほどに”見ていた”。何も見えないはずなのにね。

 私は……全てが”見える”のに、何も見えやしない。震えそうになるほどの非現実を夢と断定する。弱さと脆さを受け入れたのが今の私なの。

 

 貴女には多分幻滅されるわね。

 

『だから、今こそ────を────に──のよ!』

 

 ……その声を、もう一度響かせて欲しい。私が願うたった一つのエゴ。叶うことのない小さな小さな欲望。

 貴女はいるの?

 この空の下に。

 空間を隔てたその先に。

 境界を越えた果てない世界に。

 幻想を……受け入れる現の角に。

 

 私はね、なんとなく分かるの。だけどそれは敢えて考えない。だって悲しくなるんだもの。こんなものなんて、感じたくもなかった。

 私たちの始まりの言葉を、私は今も追い続けている。……いや、待ち続けている。

 

 廻り巡り捲る幾千の夜は、未だに更けない。

 紫の雲を超える光は、未だに降らない。

 空虚を満たすものすら、未だに在りえない。

 

 幻想を葬ろう。そうすれば自ずと道は見えてくるんじゃないかしら?

 何も分からないことばかりだけど、また見えてくる気がするの。

 ねぇ、────。私は────……

 

 

 

 

 

 

 

「ゆかりん?」

 

 

 

 ────────

 

 

 

「……んあ?」

 

 引っ張り上げるような私を呼ぶ声と、手のひらに感じた温もりとともに私の意識は覚醒した。目の前には吸い込まれそうなほどの深緑色の瞳。翡翠のレンズに映る私の姿はどこか歪んで見えた。

 

 ……おうふ、頭痛い。

 なんか誰かのクソ恥ずかしい心のポエムが他でもない私の夢の中で漏洩してたような気がする。内容ははっきり覚えてないけど。なおその内容には全く心当たりがないから恐らく私のものではない。

 

 そういえば久々にドレミーが来なかったわね。てことは今回のあのイミフな夢は私にとっての良夢になるってこと?

 ……もしかしてあのクソ恥ずかしいポエム擬きはドレミーのものだったりするのかしら? だから恥ずかしくて出てこれなかったんだったりして。……念のため今度会ったら謝っときましょう。

 

 

 さて、目の前にはこいしちゃんがいる。私を覗き込み、手のひらをギュッと握っていた。可愛い以外の言葉が見つからないわ。

 ふと、甘くてどこか上品な香りが鼻腔をくすぐる。見るとテーブルの上には紅茶を乗せたトレーが置かれていた。私が寝ている間に持ってきて、淹れてくれたんだと思う。気遣いまでできてしまうこいしちゃんに隙はなかった!

 ありがとうの意を込めて軽く微笑んだ。するとこいしちゃんはまん丸な目を薄く細め、帽子を深くかぶった。私には表情を隠しているように見える。案外照れ屋さんだったりするのかしら?

 

「……あー、うん。ごめんねゆかりん。ちょっと興味があって覗こうと思っただけなの。もう勝手に見たりしないから……ね」

「……? そう……?」

 

 えっと、いきなり謝られた。

 勝手に見ないって……一体何を見ていたのかしら。もしかして寝顔だったり? それなら別に気にすることはないんだけど。だらしない顔をしてなかったかだけが心配ね。よだれなんて垂らしてたらできる美少女お姉さんのイメージが崩壊してしまう。

 

「はいゆかりん紅茶。コーヒーもあるからね」

「あらありがとう」

 

 こいしちゃんから渡された紅茶を軽く一口。上品でまろやかな味が口いっぱいに広がる。贔屓目とかそういうのなしでめちゃくちゃ美味しい。こいしちゃんが完璧すぎて生きるのが楽しすぎる!

 あー……染みるぅ……。緑茶もいいけど偶には紅茶を嗜むのもいいわ。今度外の世界に出かけた時は幾つか貰っていきましょう。

 

 さて、場が落ち着いたところでそろそろ本題を切り出そう。

 そうズバリこいしちゃんが見せたいものは何なのかって話をね! いい加減気になって仕方ないわ。うずうず。

 ついでにあの死体人形の詳細も聞いておきたいわね。あんなに精巧な作りで肉質を生々しいまでに再現している人形なんてそうそうお目にかかることなんてないだろうし、いつか()()()へのお土産話になるかもしれない。

 ぐいっと紅茶を喉に流し込んで、こいしちゃんに向き合う。

 

「ふぅ……美味しい紅茶ね。それで、見せたいものって何かしら?」

「見せたいもの……? えっと、なんだっけ?ゆかりん覚えてる?」

 

 こいしちゃんはこてんと首を傾げた。

 うーん……可愛い。って違う違う! 私に聞いても分かるわけないわ!けど惚けて私を困らせているようには見えないし……。まあこいしちゃんは不思議ちゃんだから許す!

 取り敢えず手当たり次第に言ってみましょうか。

 

「そうねぇ……この紅茶かしら? 結構上等なものでしょう?」

 

 私は別に嗜好家ってわけじゃないけどこいしちゃんが淹れてくれた紅茶は一級品のものであると確信している。これが飲めただけでもさとりの陰湿ないじめに耐えた甲斐があるというものだ。

 しかしこいしちゃんはふるふると首を振る。

 

「多分違うよ。だってこの紅茶ってお姉ちゃんの部屋から持ってきたものだからね。まあ美味しかったならなにより! 何が入ってたのかは知らないけど」

 

 うぇい!? こいしちゃんそれってまずくない!? あいつ結構根に持つタイプだからもし気付かれたら一生ネチっこく虐められることになるわよ!? しかもあいつ相手じゃ嘘をつけないし!

 うーん……誠心誠意土下座したら許してくれたりしないかな……。

 まあこいしちゃんが他でもない私への善意でやってくれたことだし、私が彼女を追求することは止めておきましょう。この子の悲しむ姿は見たくないもの。

 

「後で一緒にさとりに謝りに行きましょうね? ……それにしても紅茶じゃないなら……」

 

 必死に考えてみるが中々思いつかない。まずこいしちゃんが私へ見せたかったものを私が考えるっておかしくない? いまさらだけど。

 ふとこいしちゃんを見てみる。むぅ……と唸りながら腕を組んでいる。可愛らしいお顔と深緑色の瞳がいつも以上に所在なさげに浮いているように感じた。こいしちゃんも考え込んでるのかしら?

 ……あ、もしかして。

 

「髪型変えた?」

「いんや?」

 

 はい大恥かいた。

 なら……

 

「ネイルアートでも変えたの?」

「何それ?」

 

 ネイルアートの幻想入りはまだ早かったわね。ていうかこいしちゃんにそんな趣味があるはずないか。

 うむむ、ちょっと本格的に当てがなくなってきた。けど当ててあげないと気まずいし……何か少しでもヒントがあればねぇ。

 と、空を仰ぐと私の視界に殺風景な物体が映り込む。あまりにも周りと浮きすぎているその物体。サプライズには十分だ。

 

 まさか……ねぇ?

 

「もしかしてあの人形かしら?」

「ん? あーあれかぁ。いい出来栄えでしょ? お燐が色々と加工したものを譲り受けたのよ! もうお燐ったら嬉々として私に譲ろうとするからねー」

 

 死体人形を指差しながら楽しそうに語るこいしちゃん。話から想定するにあれはもともと火車のものだったようだ。あいつってそんなに手先が器用な妖怪だったのかしら? ぶっちゃけそうは見えないけど。

 それにしても美少女と死体ってのも中々オツなものよねぇ。最初は不気味に感じてた死体だけど、こいしちゃんと話してるうちになんだか可愛く見えて……くるわけないか。さすがに気持ち悪い。

 

「そうそう死体だよ! 私がゆかりんに見せたかったのって!」

「へ、へぇそうなの」

 

 宝石のように輝く瞳をより一層煌めかせて、こいしちゃんは興奮しながら私の手を取る。そしてどうリアクションしていいか分からなくてオロオロするしかない私の図である。

 いや、だって……ねえ? 私は別に死体愛好家ってわけじゃないし。そりゃ妖怪として生を受けた以上、本物の死体を見たこともあるし、時にはこの手でそれを築き上げたこともある。私のこの光り輝く美貌に羽虫の如く釣られた野党なんかを返り討ちにした時とかね!(ドヤァ)

 まあ昔話は割愛。

 

「それにしてもよくできてるわね。一種の美しさすら感じるわ」

「えへへ、やっぱりゆかりんもそう思う?キレイだよねー」

 

 ごめんねこいしちゃん……今のお世辞なの。流石にそうは思えないわ。

 けどこいしちゃんの不思議な感じが変に噛み合ってネクロファンタジー的な独特の雰囲気を感じさせることは事実。

 私はうんうんと頷くしかないのだ。

 

「けど私はまだまだ満足してないの。だってほら見て? まだあの子は一人しかいない。一人だけじゃ私もあの子も寂しいよ」

 

 うん、こいしちゃんは感受性の強い子なのね。確かに独りぼっちは寂しいわ。

 だけどあの死体人形の苦悶の表情を見るとなんかそれ以前の問題のように思えてくるの。あれって寂しがってるんじゃなくて苦しがってるんじゃ……。

 ま、まああれを作った当の本人から譲り受けたこいしちゃんが言うんだからあれは寂静の表情なのね。そう思い込むことにするわ。

 

「確かに。こんなにも壁やタンスの上にスペースがあるんですもの。他にも色々と飾ってあげてもいいかもしれないわね。例えば猫とか鼠のとか」

 

 別に趣味を否定するわけではないけど、私はあんな人体模型擬はこいしちゃんには少しばかり早いと思うのよ。こいしちゃんぐらいの年頃の子はミッ○ーマウスとかピ○チュウとかドラ○もんとかの人形を飾ってた方がいい。うん、絶対いい。

 

「なんなら持ってきてあげるわよ? うちにも色々とあるから」

 

 ミ○フィとかハロー○ティとかね。可愛い人形と戯れる美少女こいしちゃん……夢が広がりんぐじゃないの!

 

「ふふ……それもいいかもしれないね。だけどそんなのじゃダメなの。私が心の底から欲しいのはたった一つだけ。それさえ手に入ればもう何もいらないんだから!」

 

 へえそうなのね〜。ならそれとなく聞いておきましょ。誕生日かクリスマスにプレゼントしてあげれるようにね!

 

「それで、他でもない貴女が望むたった一つのもの……それはなにかしら?」

「流れるように艶やかな長い金髪」

 

 ふむふむ金髪……金髪? カツラでも欲しいのかしら。私は緑の髪も好きよ?

 

「その紫色の輝く瞳」

 

 紫色の瞳? えっなにそれ。カラーコンタクト?

 

「全部、全部よ! その全部が欲しいの! ねえゆかりんいいでしょ?」

 

 こいしちゃんはゆらりと立ち上がると私へとそう訴えかける。う、うん一回落ち着こう? ね?sit-down!sit-down!

 だが私の(心の中での)制止も空しく、こいしちゃんは止まることなく私へと向かって徐々に近づいてくる。

 深く被られた帽子から深緑の光が不気味に溢れる姿に、私は曲がりなりにも彼女が妖怪であることを再認識させられた。えっと、なんか怖い! けど悪意は感じないし……ゆかりん困っちゃう!

 

 そして、彼女の手のひらが私の胸へと伸ばされ────

 

「紫いるー?」

 

 張り詰めた空気を壊すように、ハリのある声が部屋に響いた。こいしちゃんの危ない瞳から目をそらすようにそちらに目を向けると、フランがドアノブに手をかけこちらを見ていた。その後ろにはさとりの姿も見える。

 フランはキョロキョロと部屋中を見たあとにこいしちゃんへと焦点を合わせた。

 

「わお、幻想郷はすごいのね。まるで狭間の存在のバーゲンセールだわ。肉眼じゃ何にも見えないし……すごいすごい!」

「……あれ、見えてる?」

 

 一触即発を感じさせる剣呑な雰囲気を孕んだ空気がまた再び部屋に充満したような気がする。いつかは合わせてみようと思ってた二人だけど、もしかしたら相性がすこぶる悪かったりして……?

 交錯する二つの視線からは火花が散っているような激しいものを感じた。

 

 見つめ合う二人の妹は互いにその距離を詰めてゆき……拳を打ちつけあった。そしてビシバシグッグッからの流れるような握手。

 その一連の流れに私は惚けるしかなかった。

 

「……気が合うわね! 私はフランドール・スカーレット! 気軽にフランとでも呼んでちょうだい!」

「古明地こいしよ! はい紅茶」

「わあ、ありがとう! ……マズっ! こんなの飲めたもんじゃないわ!」

「やっぱりー? あはは!」

 

 フランは私が飲んでいた紅茶に口をつけ、顔を顰めるとカップを壁に投げとばす。それをこいしちゃんがケタケタ笑う。……なにこの状況。

 するとツンツンと私の腕をさとりが小突いた。そしてそのまま腕を掴まれると引きずられるように部屋から退出した。

 

 廊下に出るとすぐに、さとりは私をジト目で睨みつけた。養豚場の豚を見る目だ。

 

「フランの心を隅々まで覗かせてもらいました。とんだ脳内フィルター詐欺ですよ、女たらしの紫さん。いえ、八雲ケダモノさん」

 

 そしてこの言葉である。

 女たらし? ケダモノ? 一つとして心当たりがない。ていうかまず私が女だし!

 

「一つとして意味を理解できないわ。虚言もほどほどにお願いしたいわね」

「はい、それですよそれ。貴女の内面と外面があまりにも違いすぎるんです。心じゃバカ丸出しなのに外面はもう取り繕うとかそんなレベルじゃない、もはや別々のものですよ。おかげで心の中まで胡散臭い。貴女の軽はずみな言動がどれだけの人物の運命を狂わせてきたのか……考えるだけでも億劫ですね」

 

 そんなこと言われても賢者としての建前は必要だし。まず私だって本当なら気楽に生きていきたいわよ! 素を出せる場所がトイレと夢の世界しかないんですよちくしょう!

 ていうか誰がバカ丸出しだ!

 

「貴女ですよ。まったくフランもこいしも……厄介な妖怪に捕まったものですね。正直気の毒に思います。ああかわいそうかわいそう」

 

 あ、これってこのままネチネチ言ってくるパターンだ。生憎私はそんなものを進んで受けに行くようなマゾではないのでさっさと退散させてもらうに限る。

 

「……帰るわ。色々と悪かったわね」

「逃げるんですか? 惨めですね。あとお気に入りの茶葉を勝手に飲まれた恨みは重いですよ。この恨みはネチネチと返していきますからそのつもりで。『ごめんなさい』ですか? 許しません」

 

 安定の追い打ちである。

 

「そうそう、フランは定期的にここへ連れてきてください。まだまだ不安定な部分がたくさんあって経過を見守りたいので。どうやらこいしともうまくやれているようですし。……似た者同士はやっぱり惹かれ合うものなんでしょうね」

 

 これからは定期的にここに来ることになるのね……。さとりが遠回しに私に向かって死ねって言っているのは明白である。

 うん?ちょっと待って。フランとこいしちゃんが似た者同士……? も、もしかして!

 

「まさか、貴女もDVをしてるんじゃないでしょうね?」

「……はぁ」

 

 さとりは大きなため息を吐くと、今日一番の冷たい目を向けて言い放った。

 

 

「死んでくれませんか?」

 

 解せないわ!

 

 

 

 

 

 

 

 フランを連れてスキマをくぐった。こいしちゃんは別れ惜しそうに手を振り、フランもそれに合わせて振り返す。今日1日で随分と仲良くなったのね。引き合わせた私としては嬉しい限り。

 途中までのこいしちゃんにはどこか危ない雰囲気が出てたけど、最後には元に戻っていた。結局アレはなんだったのかしら。一番欲しいものも最後まで聞けなかったし。

 

 

 スキマを抜けるとそこは紅魔館だった。

 ……あれ、紅魔館って吹っ飛んでなかったっけ?

 

「あっ、妹様!おかえりなさいませ。紫さんもご苦労様です」

 

 にこやかな笑顔を浮かべた門番がこちらへ近づいてくる。その背後では地面から4本の足が植物のように生えており、緑髪の妖精が頑張って引っこ抜こうとしていた。なんともカートゥーンな風景である。

 そんな私の視線に気が付いた門番が聞いてもいない答えを勝手に言ってくれた。

 

「ああ、あれは侵入者ですよ。といっても妖精と雑魚妖怪ですけどね。あいつら弱いんですけどいくら潰しても湧いてきますから地面に刺してるんです。しかしこれではおちおち休憩も取れませんよ。どうにかならないものですかね?」

「私に言われても困るわ」

 

 逆に言えば因縁つけられるようなことをしたあんたたちが悪い。嫌なら静かに暮らしなさい。いやホントお願いします。

 ていうかあの突き刺さってる二人ってチルノとルーミアじゃない? 幻想郷A級危険物の。どっちとも大妖怪を逸脱したレベルなんだけど。”雑魚”妖怪……ね。

 いや、今はそんなことはどうでもいい! なんで紅魔館が建ってるの!? 木っ端微塵だったじゃない!

 

 そんな私の疑問に気づいたのか気まぐれなのか、またもや門番が聞いてもいない答えを勝手に語ってくれた。

 

「変わり映えがないでしょう? あんなの(紅魔館)を欧州の各地に建てまくったお嬢様の気がしれませんよホント。まあそのぶん館が壊れても建てた分のスペアを持って来ればいいだけですから便利といえば便利なんですけどね。ただ悪趣味なのがちょっと……」

 

 いやどんだけ外の世界で好き放題やってたのよ。まずそんな簡単に結界を超えられちゃこっちが困るんだけど。あっ、あいつらには関係ないか。

 と、ここで私の妖力探知がこちらに接近する巨大な妖力を捉えた。これは……

 

「あら、先に帰ってるじゃないの。どうやら逃避行は私の思い過ごしだったみたいね。よかったよかった」

 

 やっぱりレミリアのものだったようだ。メイドを傍らに携えて降り立ち、ホッと安心したように胸をなで下ろしている。見間違いかもしれないけど随分と彼女の雰囲気が変わったような気がするわ。

 

「八雲紫。フランを連れ出すのは……まあいいけど、せめて一言言ってからにしてちょうだい。突然いなくなったから気が気じゃなかったのよ。もしものことがあれば幻想郷の存亡に関わるわよ?」

 

 おおう、幻想郷を引き合いに出してきたか。つまりこれってアレでしょ? 「フランに傷一つでもついてたら幻想郷を滅ぼすからよろしく」ってことでしょ? いつの間にこんなに過保護になったのかしら。フランをいじめていいのは私だけ! 他は手を出すな! っていうベジータ理論?

 まあ突然いなくなったのは状況が状況だったし? それに帰りが遅くなったのはフランの意志を尊重したからであって云々……。

 

「まあいいわ。フランを取り巻く気質が変わってる……っていうより昔のものに近くなってるのは貴女のおかげなんでしょ? あんなにぐちゃぐちゃだったあの子の運命も今じゃ手を取るように見えてしまう。……貴女には感謝してもしきれない」

 

 レミリアは美鈴と談笑しているフランを見ながら感慨深げに語った。

 感謝なんていいからもう二度と異変を起こさないで欲しいわ。私はそれだけを切に願う。別に出過ぎた願いってわけでもないわよね。

 レミリアはそれだけを述べるとメイドとともに紅魔館へと向かった。すれ違った時にメイドの舌打ちした音は聞き逃さなかったわよ!

 

「……あっ、言い忘れてたけど」

 

 くるりとレミリアが振り返る。

 

「しばらくは身を隠してた方が身のためよ。霊夢がやけに殺気立ってるからね。あれの相手は流石の私でも御免被るわ」

 

 霊夢のツン期が箆棒に長く感じる今日この頃。雪解けのデレ期はもうすぐだと思うんだけどねえ。

 ていうかあのレミリアが私に助言ってなんか嫌な感じがする。運命を見れるから信憑性は高いんだけど人となりが壊滅的だから。

 その後レミリアは見返りを求めるわけでもなく門をくぐり、近くにいた門番の腰を突拍子もなく蹴り上げる。門番は高速前転しながら地面を転がり、霧の湖に大きな水柱を作った。

 

「門番風情が悪趣味とはよく言ったものね。デビルイヤーは地獄耳よ、覚えときなさい。さあフラン戻りましょ」

「うん。じゃあね紫!」

「さようならフラン」

 

 遠い目で手を振りながらフランを見送った。吹っ飛んだ門番については気にしない。だっていちいちツッコンでたらキリがないもの。そろそろスルースキルを完全マスターしなきゃ流石に持たないわ。

 まあ一つ言えることは、これからのレミリアへの悪口は心の中だけにしておこう。うん。

 

 さて、やることも終わったし……これからどうしましょうかね。取り敢えず住むところを決めないと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず幻想郷西南部のなにもない荒野に降り立った。本当はこの辺りには肥沃な森林があったんだけど吸血鬼異変の時に色々あって消し飛んじゃったらしい。いや、ホント何があった。

 

 しかしこれで全てのツテは消滅した。いや、他にある事にはあるけどそれは私の胃が死ぬこと前提の場所だ。つまり元々の候補には入らない。ぶっちゃけ野宿の方が幾分マシってレベルね。

 

 ……ていうかもう野宿しちゃおうかしら。この南西部に強力な妖怪がいるって話は聞いたことないし、あの連中にしてもこの場所でごく僅かにでも遭遇確率があるのは幽香とブン屋だけだもん。霊夢もまさか賢者ともあろうものが野宿してるなんて夢にも思わないだろう。住んでみれば案外都かも。

 

 よし決めたわ。私野宿する! 萃香が再建を終える数日後までなんとか生き抜いてみせる! だから萃香様、早くお家を建ててください……お願いします。

 テントなどをスキマからポンポン出してゆく。これらは全て外の世界から取り寄せたものだ。元々持っていたものはあったけど多分幽香パンチで消し飛んじゃったと思うから。

 

 ぶつくさ不満を呟きながらテントの組み立てにかかる。しかし慣れないもので中々立たない。最近の物はどうにも細々しててねぇ、もっと単純化できると思うんだけど。

 ……やめにしましょう。こんな面倒くさいことやってらんないわ。

 まずそもそもなんで幻想郷の賢者である私がこんなレジャーなことをしなきゃならないのよ。おかしいでしょ。

 藍ならすぐにテントぐらい立てれるだろうけどそんなことを頼むわけにはいかないし……寝袋だけで我慢しましょう。

 

「はぁ……」

 

 ため息を吐く。なんだってこんなことになってしまったのかしら。私はただ平穏に暮らしたいだけなのに。失くせば募る哀愁の思い。

 いや、気を持ち直しましょ! 数日、たった数日頑張ればまた元の生活に────

 

『もしもーし。紫いるー?』

 

 あ、萃香から念話がきた。この頭に直接語りかける念話は妖術の一種らしいけど、私には使い方がよく分からない。まあ私には携帯電話とかがあるから無用の長物だけどね。……橙に使えて私に使えないっていうのはちょっと悔しいけど。

 

「いるわよ。どうしたの?」

『えっとねー、今貴女の家があったところに着いたんだけど……こりゃ酷いね。倒壊どころの話じゃない。家を建てるだけならすぐなんだけど……空間の修復は専門外だから時間がかかるよ? 大体数週間ぐらいかな?』

 

 ……うん? 空間の修復?

 どゆこと。

 

『高密度エネルギーの爆発のせいでスキマ空間が破れかかってるんだよ。こりゃ重症だね』

 

 こ、高密度のエネルギー? そんなの心当たりなんて……ってあったわ。霊夢の夢想封印をスキマ空間に放置したまんまだったわ。

 あーなるほど。私のスキマ空間なんかで霊夢の夢想封印を押さえこめるはずないものね。納得納得。

 

 じゃ、ないッ!!

 数週間って……数週間って!?

 

「も、もう少し早くならないものかしら?」

『流石に無理だね。まず空間系統は私の専門外だし、数週間でも私の出せる最高速度だよ。まあ自己空間を作り出すといえば仙人だけど……知り合いとかいないの?』

 

 いないことはないけど……あの人はちょっとね。色々と面倒臭いというか、嫌われてるっぽいっていうか……。

 

『ま、私に任せるんなら数週間はかかるよ。タダでやってあげるんだから文句はほどほどにしといとくれ』

 

 タダより高いものはないけどね!どうせ今回の貸しを使ってうちに転がり込んでくるくせに!私は分かってるんだからね!

 しかし萃香以外に頼める人物がいないことも事実……。彼女に頼むしかない。

 

「……分かったわ。その代わりしっかりと頼むわよ? 風見幽香に殴られても壊れないくらい頑丈に作ってちょうだい」

『そりゃ勘弁してもらいたいね。それじゃあ作業に取り掛かるとしようか。────────あっちょい待ち』

 

 少し間が空いて萃香が念話をよこした。

 

『この数週間はスキマを使わないでおくれよ。空間に少しでも穴を開けられちゃ作業に悪影響が出るからさ。それに色々と圧縮したりするから無闇にスキマを開けると吸い込まれてバラバラになる。あっ、もちろん紫がね。そういうわけで不便だろうけど我慢してね。そんじゃ』

「ちょ、ちょっと待っ────」

 

 私の制止も空しく、ブツッという無慈悲かつ無機質な音が頭に響いた。なんだろう、夏なのに肌が冷たく感じる。

 改めて萃香と通話しようと思っても私からじゃ念話を使えないし、萃香は携帯電話なんて持ってないし。まず持っていたとしても繋がらないだろうし。

 藍もまた同じ理由。マヨヒガは空間を別にする場所だから電波が通じないの。しかもマヨヒガまでの道中が危険すぎてたどり着けるか分からない。つまり彼女への助力も期待できない。

 そして頼みの綱の霊夢はテラ反抗期。

 

 数週間……この状況でスキマなし……?

 もしかして→詰み?

 うわぁ……軽く10回は死ねる。いや、運が悪ければ50回は死ねる。新事実、幻想郷はホンジュラスだった?

 

 ……仕方ない。こうなったら恥を惜しんで紅魔館に厄介になろう。雑用でもなんでもしますから住まわせてくださいと。ていうか紅魔館以外にここから無事にたどり着けそうな場所がない。

 

 そう、数週間だ。数週間だけ生き残ればいい。別段難しい話じゃないわ!私は泥水啜ってでも生きてやる!

 

 

 

 

 だが私は数十分前まで確かに存在していた紅魔館の消失現場に立ち会い、元の荒野へと回れ右をすることになる。

 だって氷漬けになった紅魔館が闇に沈んでたんだもん! なお元凶であるチルノとルーミアは紅魔館の誰かのレーザーによってバラバラに消し飛んでいた。

 

 

 

 

 荒野へとんぼ返りした私は空を見上げる。散りばめられた星々が私へと降り注ぐ。灯りの少ない幻想郷の夜空では、外の世界では失われた輝きをこれでもかと彩っていた。

 夢と見間違うような美しい光景だが、今私がいるのは夢の世界ではない。現実の世界だ。明日からも、これからも。

 

 さて……明日からのご飯どうしよう。

 

 

 

 ──ゆかりんサバイバルライフ終了まで

 あと23日と13時間。

 

 




それなりに質問があったので作者なりの評価基準。

E これが…大妖怪…!
D うん…うn!?
C 論外
B good-bye日本
A 宇宙の法則が乱れる!
S

ルーミア…D→?
大妖精…E+
チルノ…C
美鈴…B→?
小悪魔…C+
パチュリー…B+
咲夜…B+
レミリア…A
フランドール…A−


ゆかりん…E−

こんな感じです。なんで日本がgood-byeしてないかは次回あたりに少し触れるかと。ちなみに作者は1面ボスが大好きです。ロ、ロリコンちゃうねん!
次回は吸血鬼異変について。これが終われば東方荒魔境は終了となります。


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吸血鬼異変──前哨の蹂躙

過去話となります。いわゆる噛ませ犬の皆様に頑張っていただきましょう。なおグロ注意……かな?




「……レミリア様。此度の遠征におきまして我々のような凡百の者を選出していただき、一同感激の極みでございます」

 

 十数人の男たちが一斉にこうべを垂れた。深い彫りの刻まれた厳つい顔は、男たちの迫力に拍車をかける。その一人一人が百戦錬磨の猛者であり、欧州に名を轟かせた伯爵級の吸血鬼たちである。

 そんな屈強な男たちが恭しくへり下っているのは、ひとえにその相手が格上……いや、別次元の存在であるからに他ならないからなのだが、その相手は外見にして10数歳程度の幼き少女であった。

 

 字面にしてみれば実にシュールで滑稽な光景であるが、その場においては誰もが瞬時に理解する。その少女の絶対性を、圧倒的カリスマ性を。

 少女がその気になればこの男たちの命は1秒とかからず摘み取られてしまうだろう。従う他に生きる道はない。

 

 少女の名前はレミリア・スカーレット。

 齢10と半ばほどにして己の父スカーレット卿を討ち取り、紅魔館を手中に収めた。そしてその圧倒的カリスマによって配下を増やすと次々に敵対勢力を屈服させ、欧州での覇権を揺るぎなきものへ。

 レミリアが一声かければ世界の情勢が一気にうねり出す。その影響力はアメリカ大統領をも遥かに凌ぐだろう。彼女は……ヨーロッパを、世界を手にしたのだ。

 

 だがレミリアにとってそのようなものに価値などない。なるべくしてなったのだから別段凄いことでもあるまい。

 レミリアが望むのは自分の好奇心を満たしてくれるような超越的な存在の出現、そして妹の安寧と平穏だけ。その望みを叶えるべく幻想郷へ来たのだ。

 前々から幻想郷を狙っていた一応の配下に当たる吸血鬼たちの方は、レミリアが幻想郷征服という自分たちの要請に応えてくれたと歓喜したが、彼女の真意に気づいた者はいない。

 

「……で、他に用は?」

 

 跪く吸血鬼たちを一瞥もせず、レミリアは冷たく言い放った。

 その底冷えするような短い言葉はそれの真の意味を十分に吸血鬼たちへと伝えていた。

 

 ────胡座をかいている暇があるなら、さっさと行け

 

 ゾワッと鳥肌が浮き立つ。吸血鬼は慌てて立ち上がり我先にと部屋から退出してゆく。非常に滑稽な有様だった。

 全員がいなくなったのを見計らい、レミリアはパチンと指を鳴らす。それと同時に傍にメイドが現れ、レッドワインをグラスへと程よく注いだ。

 

「……咲夜。首尾の方は?」

「滞りなく。パチュリー様が開かれた魔界へのゲートは既に紅魔館八方に配置済み、お嬢様の一声で数千の使い魔が一斉に侵撃可能な状態を維持しております。些かオーバーな戦力であるとは存じますが、しっかりと幻想郷を制圧するには十分な……」

「いいえ違うわ。これより行う有象無象による第1波はあくまで斥候、吸血鬼連中も含めてその全てが捨て駒よ」

「左様でございますか」

 

 レミリアのあれほどの大軍勢を使い捨ての駒と称した衝撃的な発言にも、咲夜は平然と答える。レミリアがこうなると言えばそうなるのだ。たかが一人の従者である自分が気にすることではない。

 だが少しばかり不思議に思ったことも事実。主人の言うことを疑っているわけではないが、あれだけの戦力を一蹴するほどの力をこの幻想郷という土地が有しているとは些か考えにくい。

 

 その咲夜の思いを知ってか知らずか、レミリアはクイっとワインを口に流し込むと気分良く語った。

 

「まあ見てればいずれ分かるわよ。この幻想郷という土地がどれほど異質で可笑しな場所であるかね。────パチェ、映し出してちょうだい」

 

 レミリアが虚空に話しかけると、少しして空中に何枚かの水晶が生成される。そして少量の魔力が流し込まれると、外の世界で俗に言うテレビのように、映像が映し出された。

 

 

 

 ────────────────

 

 

 

 紅霧異変より10年ほど前。

 幻想郷では外来の妖怪による襲撃を受けるという異変が発生していた。規模、被害ともに幻想郷へと過去最高をもたらしたそれを俗では『吸血鬼異変』と呼んでいる。

 命名の理由は、ひとえにこの異変の首謀者が吸血鬼であったからだ。

 

 始まりは紅い館の出現だった。

 霧の湖のほとりに唐突に現れたそれは、数分の静観を保ったのちに大量の妖を放出した。

 当時の賢者たちはその前例なき事態に衝撃を受け、混乱の収束に勤めていた。ある者は迎撃の準備を整え、ある者は自分が幻想郷の存続の為にすべきことを熟考する。

 それはかの幻想郷の最高権力者であり、ポンコツ賢者である八雲紫も変わらぬわけで。

 

「ちょ、何よあの数! 色々とおかしいでしょ! バカみたいに戦力をひけらかしちゃってさ! しかも外見がやたらグロテスク! てかあの館、趣味悪すぎじゃない? 真っ赤って……」

 

 ……かなり狼狽していた。

 彼女の能力を活かした遠方からの偵察であるが、それは敵勢力の規模を表面的には正確に伝達させた。

 それでいくつか把握できたことがある。

 まず敵勢力のそのほとんどが西洋妖怪と下級使い魔系で構成されている。ちらほら幻想郷の妖怪の姿も見えるが……恐らくそれらは相手へと降った弱小妖怪だろう。元締めへの忠誠心は不明。

 次に気になるその数だが、これは幻想郷の妖怪・人間の総数を遥かに超えていた。地を埋め尽くすほどにぎっしりと敷き詰められた妖怪たちのその姿は、もはや百鬼夜行という言葉すら生温く感じるほどの歪さである。

 

 その圧倒的戦力に紫は戦々恐々とし、ふとあることに気づいた。

 

 取り敢えず紫はその状況を確認しながら、何故か無駄にいい頭を回転させる。

 地理、戦力比、進軍方向、……()()の今日に至るまでの統計。

 その結論として導き出された答えを頭で反復させ、計算に問題がないことを確認した紫はなんとも言えない表情を浮かべた。

 紅魔館が建っている場所は幻想郷のほぼ中央に当たる。全八方に進軍するつもりだろう敵にしてみれば当然の布陣であるが……。

 そこは最悪だ。完全に囲まれているのだから。

 

「……戦後処理の準備をしときましょうか。なんていうか、その、御愁傷様」

 

 紫はそっと進軍中の吸血鬼たちの冥福を祈り、スキマへ潜っていった。

 

 

 ────────

 

 

 悪魔とは闇の存在だ。

 高位悪魔の一種である吸血鬼はその存在意義上、闇の化身として人間たちから恐れられたこともある。

 宵闇からフラッと現れると心の闇を瞳で増幅させ人間を操る。そして恐怖に震える人間の姿に愉悦を感じながらゆっくりと、優雅に捕食するのだ。

 

 闇は己だ。己は闇だ。

 闇でしか生きられぬ吸血鬼にとって、闇とはともにあるものだった。

 

 

 

 なぜ闇しかない?私は、なぜいないのだ?

 

「〜♪〜♪」

 

 闇の中に浮かぶ光のような明るい金髪。そしてそれに結び付けられた赤いリボン。流れる可愛らしい鼻歌から、ソレが少女であることが分かる。

 だが彼女に似つかわしくない肉の裂ける音と咀嚼音が、その認識を全否定していた。アレは……自分たちよりも悍ましい何かだ。

 

「んぐ、んぐっ……ごくん。美味しい! やっぱお肉は生に限るよね。あんまり強すぎず弱すぎずでちょうどいい感じ! 散歩してたら手軽にお肉が手に入るなんて……幻想郷もいい世の中になったものね」

 

 意味の分からないことを言いながら肉に食らいつく。辛うじて意識のあった比較的若い吸血鬼は、闇は決して自分たちとともに在ったものではないことを知った。その認識がどれほど愚かで身分不相応なものであったのかを身を以て感じていた。

 

「……ば、かな……こんな、ことが……あっていいはずが……」

「ん?」

 

 その視線に気がついた彼女は、にこりと可愛らしい笑みを浮かべると、その吸血鬼の首を躊躇いなく踏み潰した。

 パキッ、と太い枝を折るような音が闇に響き、吸血鬼はしばらく小刻みに震えた後、二度と動かなくなった。

 

「〜♪〜♪」

 

 滴る血を身体中に浴びて、上機嫌な彼女は夥しい数の死体や半死体を引きずりながら、住処へと帰って行った。

 

 

 ────────

 

 

「転居早々に騒がしいわね……。もしかしてこれが幻想郷流のお祝いだったりするのかしら。まあ、あっちよりも賑やかそうでいいじゃない。すこぶる田舎だけど。……殺っちゃったけど、別にいいわよね?あっちからやってきたんだもん」

 

 幻想郷東北東部に位置する陰鬱な森、通称『魔法の森』。今日より華々しい幻想郷デビューを飾った都会派魔法使いが、ズタズタに切り裂かれた吸血鬼と使い魔の死体を冷たい目で見下ろす。

 まるで大勢のリンチにあったかのような有様であったが、そこに立っていたのは魔法使いただ一人。周りに可愛らしい人形が浮遊していること以外は、いたって普通の少女である。

 

 すぐに吸血鬼たちへの興味をなくした魔法使いは人形たちに片付けを命じると、自分の新居へと引っ込むことにした。こんな大人数で迎えてくれたのだ、これから様々な来訪があるかもしれない。

 

「うふふ……念のためクッキーでも焼いてましょうか。やっぱりあの人との初対面は大切よね。私の幻想郷生活のスタートダッシュは順調に決めないと」

 

 魔法使いは一人で静かに微笑むと、部屋の掃除を開始した。なお彼女の家への来訪者は年数人にとどまったという。

 

 

 ────────

 

 

「イェーイ!今日は私たちのゲリラライブに来てくれてありがとー!本日のフィナーレは私たち幽霊楽団のテーマだよー!果てるまで騒いでいこー!」

「メルラン。もう誰も聞いてないわ」

 

 紅魔館にほとほと近い廃洋館。そこでは久しぶりの来客に興奮したとある騒霊たちのゲリラライブが行われていた。

 吸血鬼は3人のふざけた態度に激昂し、襲いかかろうとしたが……それは叶わなかった。

 

「んもーメルラン姉さんはすぐにはしゃいで観客を駄目にする! こんなんだからファンが一向に増えないのよ」

「楽しくない音楽には何の意味もないわ! もっと心を躍らせて! 貴方の心はフリーダム! 自分を解放させるのよ!」

「貴女は地に足をつけることをいい加減覚えなさい。もっと落ち着いて丁寧に……」

「ルナサ姉さんは足が地中に埋まっていってるじゃない! そんなんだから観客がすぐに鬱で死んじゃうのよ! そんなの音楽じゃないわ!」

 

 演奏を聴いた吸血鬼の反応は様々だった。急に頭から血を吹き出してパンクしてしまったり、口から吐瀉物と血を吐き出してそのまま死んでしまったりと。ただ()()は躁状態になってしまって死んだ人数が鬱状態で死んだ人数よりも多いだけ。メルランのフライングによるものである。

 彼女たちは直接的には何もしていない。ただ思い思いに自分の楽器を演奏していただけだ。

 

「鬱で死ぬのは私のせいじゃない。豆腐メンタルなあの人たちが悪いのよ」

「なら今のも私のせいじゃないわ!」

 

 いがみ合う姉二人を他所に、末女は端でふつふつとその不満を募らせていた。

 

(やっぱあいつら(愚姉ども)と一緒じゃダメね。そろそろ見限ってソロコンサートでも始めようかしら。私だけなら一定数のファンもいるし)

 

 狡猾な妹リリカ・プリズムリバー。特徴がないのが特徴であるが、常人受けする彼女の演奏は、それなりに人気であった。

 

 結局彼女たちは閑古鳥となってしまったライブ会場で死体相手にフィナーレを演奏することになる。聴くだけで致死量の心の緩急をもたらすその音は、吸血鬼の被害を増させるばかりであった。

 てててて♪

 

 

 ────────

 

 

「はあ……お師匠様もウサギ使いが荒いもんだね。サボる暇もありゃしない。バカな契約をしてしまったもんだよ。若気の至りってやつかねぇ」

 

 1匹のウサギのため息が響いた。

 ここ迷いの竹林では単調な風景と深い霧、地面の僅かな傾斜で斜めに成長している竹等によって方向感覚を狂わされるという。また、竹の成長が著しい為すぐに景色が変わり、目印となる物も少ないので、一度入ると余程の強運でない限り抜け出せないという幻想郷屈指の危険スポットである。

 

 その迷いの竹林では大規模な戦闘が行われた跡が点在していた。ある使い魔は身体が見えなくなるほど矢に貫かれ、まるでハリネズミかヤマアラシのような有様。ある使い魔は落とし穴に落ちて、飛ぶ暇もないままに身体中を竹槍に貫かれた。ある吸血鬼はたった今、ウサギの杵つきで肉塊と化した。

 『竹林のトラップマスター』因幡てゐ。彼女の手により吸血鬼と使い魔の一団は完膚なきまでの全滅を喫した。

 

 本来なら部下の妖怪ウサギにこの案件を押し付けて、自分はのうのうと高みの見物といったところだっただろう。因幡てゐとはそういうウサギだ。

 しかし今回の相手は部下たちには少しばかり厳しいと感じた。流石のてゐも部下を無駄死にさせるほど鬼畜ではない。さらには協定者が武器の供出はできないと言う。なんでも誰かの目があるそうで。

 よって仕方なしにてゐ自らが出てきたのだ。

 

「……たった数百年とちょっと生きただけのひよっ子コウモリが、迷いの竹林を攻略できるなんて……ましてや幻想郷を陥せるなんてよく思い上がれたもんさ。現に貴方たちは私に兵器の一つを使わせることなく、部下を使わせることなく全滅した。貴方たちが何処へ逝くかはしらないけど、来世じゃもう少しマシな生物に生まれ変われるといいね。私が祈ってあげよう」

「そりゃ大層報われないだろうな」

 

 南無南無と2拍1礼するてゐに、ゆらりと声がかけられる。怪訝な顔をしてそちらを向くと、そこには赤いもんぺのようなズボンをサスペンダーで吊った白髪の少女がいた。背後の空間がゆらゆらと陽炎のように揺らめいているのは、その身体から放出されている圧倒的妖力によるものだ。

 彼女はてゐにとって、協定関係の(一方的な)仇敵に当たる。しかし明確な敵対関係ではない。言うなればご近所さんだ。

 手にはナップサックのように何かを掛けていた。

 てゐはその姿を視界に捉えると、何故か手を揉みながらゴマをすり始めた。

 

「これはこれは、今日も壮健そうでなにより」

「うまい皮肉だな。まあいいけど。それでだ……こいつらに何か心当たりはあるか? いきなり見ず知らずの奴に攻撃されてたまったもんじゃないよ」

 

 少女は手に掛けていたモノをてゐへと投げ寄越した。それなりの質量と滴る赤い液体、至る所に生えた茶色の毛、そして眼球。

 それは獣の首であった。

 

「えっと……狼かな?」

「狼かこれ? 二足歩行で立ってたんだがなぁ。どうにも妖獣の類とは少しばかり違うようだし……」

 

「あー……割り込んで悪いけどそれって人狼じゃない? 正確に言えば狼男。多分だけど西洋の妖怪ね」

 

 ぬっと竹林から新たな人物が現れた。

 一番に目につくのは頭から生えているそのオオカミ耳。そして服の間からチラチラと見える茶色の体毛。だがその一方で顔は普通に人間をしている。彼女もまた、生首の獣と同じような雰囲気と妖力を醸し出していた。決定的に違うのはその内包する魔力の量であろう。

 

「おっ、奴さんたちの仲間かな?」

「違う違う」

 

 てゐが杵つきを構えると狼女は血相を変え手と首を横に振った。彼女は竹林に住んでいるのだ。竹林の元締めであるてゐと敵対関係になるのはどうしても避けなければならない。

 

「いやあね。私は純日本製の狼女よ。この通り私も手を焼いててね、ハンティングしてたのよ。ま、こんな連中とは格が違うわ」

 

 狼女もまた、手に持っていた生首をゴロゴロと地面に転がした。初めて見る妖怪の顔ぶれに白髪の少女は「ほう」とつぶやく。

 

「ふーん。こりゃまた大量」

「ふふん、どんなものよ。こいつなんて手から雷を出したりしたんだから。すっごく派手だったわね。……弱かったけど」

 

 得意げに胸を張る狼女をてゐは一瞥する。確かに彼女も相当数の西洋妖怪を狩ったみたいだが……やはり一番倒したのは自分だろう。

 

「まあ、何にせよこの中じゃ私が一番だね。何てったってここら一帯のやつは全部私のだからさ。MVPは間違いなく私」

「私も燃やし尽くした分を合わせたら結構殺ってるぞ? 数比べなら負けないな」

「わ、私は今ハンティングを始めたばっかだから! 次のが来たら私が全部倒しちゃってもいいのよ?」

「「よろしく」」

「ちょっ!?」

 

 やはり二人とも今回の件は面倒臭かったようだ。○チョウ倶楽部に似たノリで狼女に面倒ごとをキラーパス。

 殺伐とした惨殺空間の中、どこか和気藹々とした会話を交わす3人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

「フフ……流石は幻想郷。運命に違わぬ理想郷ね。まさかここまで完膚なきまでに叩き潰すとは」

 

 映像はその後も流れ続けた。

 ある部隊はとある妖怪と戦闘、僅か2秒で敗北という体たらく。またある部隊は可笑しな妖怪と遭遇、一喝により全滅というふざけた結果に。挙げ句の果てには存在そのものが消えてしまっている部隊まである。運命を見通すレミリアがいなければそのままその部隊はなかったことにされていただろう。最後の映像には氷漬けにされた吸血鬼を湖に浮かべ、談笑する妖精2匹と人魚の姿が映し出された。

 

 もちろん全ての部隊が負けているわけではない。レミリアからすれば有象無象にすぎない吸血鬼たちであるが、普通ならば大妖怪の端くれ。無難に勝利している場所もある。つまり幻想郷という場所はふとしたところで強大な存在が跋扈している可笑しな空間であり、パワーバランスが大きく崩れているのだ。

 

 だがレミリアは全く焦らない。むしろ歓喜した。これでこそやりがいがあるというものだ。ただでは終わらせない。

 

「咲夜、図書館に行くわよ。そろそろ前哨戦を始めましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レミィ。もう始めるの?」

 

 眠たそうな目をする日陰の魔女パチュリーは怠そうに問いかけた。今回の異変は彼女にとってただ怠いだけの出来事なのだが、他でもない親友からの頼みとあっては気のいい?彼女は断れない。取り敢えず適度に協力している。

 

「ええ。思ったよりも早く彼奴らが全滅してしまったからね。そろそろ奴らに一発入れてやらないと」

「一発入れるのは貴女じゃないでしょうに。まあ私でもないからいいんだけど。……こあ、準備できてる?」

「いやまあ……できてるんですけど……その」

 

 パチュリーの使い魔であり司書である小悪魔はなにやら複雑な魔法陣が描かれた床の上に立っていた。その魔法陣の正体は転移魔法陣であり、それはどんな検知魔法を妨害する術式であっても決して妨害を受けないという優れものだ。どうも小悪魔を何処かへと送り出そうとしているらしい。当の本人は納得のいかない表情だが。

 それにいち早く気づいたレミリアが、小悪魔への威圧を強め、目を細めた。

 

「……どこか不満げね。貴女は我が紅魔館の記念すべき第一の尖兵になるという名誉を得たのに。その不貞腐れた表情はなに?」

 

 あくまで先ほどの吸血鬼たちを戦力としてカウントしていないのが実にレミリアらしい……とパチュリーは思った。

 小悪魔は不満の表情を崩さず、毅然として呟く。

 

「いやだって私司書ですし、あくまで非戦闘員なんですけど……。ていうかこんなの契約外っていうかなんというか」

「つべこべ言わない」

 

 分厚い魔導書の角でパチュリーが小悪魔をどつく。普通の人間ならばここで昼間の刑事ドラマのようなことになるのだが、小悪魔は丈夫なのでそんなことにはならない。だが痛がるフリをするあたり、かなりノリのいい悪魔である。

 

「もう……。なんなら美鈴さんでも送ればいいじゃないですか。私を送っても幻想郷に紅魔館の恥を見せつけるだけですよ」

アレ(美鈴)を送るのも恥よ。それにあいつは門番、やるべきことがあるの。あいつはあいつで戦力になるからね。貴女もそろそろ、いい加減腹を括りなさい」

「えぇ〜……」

「貴女以外に適任がいないのよ。私はボスだから最後に決まってるでしょ? 咲夜がいなくなったら色々と困るし、パチェは面倒臭いって動いてくれないし。美鈴は今言ったとおりでフランはもってのほか。ほら貴女以外に誰が行けるというの?」

 

 ポンッとレミリアが小悪魔の肩をたたく。それはまるで新入社員にさりげなく無理難題を言い渡す社長のようだった。そしてそれを無機質な目で見つめる同僚の咲夜とパチュリー。ブラックな紅魔館は序列に厳しいのだ。

 

「……分かりましたよ。その代わり、あっちで私が何をやらかそうと不問でお願いします。それだけがこの契約の条件です」

「別にいいわよ。ねえパチェ?」

「契約を履行したわ。逝ってよし」

 

 足元の魔法陣が輝きを増す。それすなわち転移の準備が完了したということだ。そして小悪魔はそれから先の発言を許されることなく、敵の本拠地のど真ん中に送られることになる。

 

「はぁ……私の扱い────

 

 

 

 

 

 

 ────酷くないですか……って、もう送ってるし。しかも山中って」

 

 景色は光とともに移り変わっていた。

 先ほどまでそこらじゅうに匂っていた黴くさい臭いとは打って変わり、自然の爽やかな風がスゥーと体を満たしてゆく。悪魔は陰湿な空気を好むので小悪魔は別にどうとも思わなかったが。

 

 まずは手始めに状況確認。あたりをキョロキョロ見回した。

 乗り気ではなかった小悪魔だが、いざ送られて潜入となると気分も上がる。

 

「ふむむ……こちら小悪魔。現在目的地と思われる場所での索敵を開始。現時点では敵対勢力とみられる存在は見受けられません」

『いちいちそんなことを報告しなくてもいいわ。つべこべ言ってる暇があったらさっさと進みなさい。サーチ&デストロイよ』

「好きにさせてくれるんじゃなかったんですか? まあ、私もちょっとふざけただけですけど」

 

 すかさず念波を飛ばしてくるパチュリーに小悪魔が飄々と答える。やはり常日頃の鬱憤が多少はあるのだろう。

 と、ここで小悪魔の高等検知魔法が幾つかの反応を捉える。魔力・妖力は……中の下といったところか。なお、凡百の中での中の下である。

 

「やりましたねパチュリー様、早速第一村人発見ですよ。最初はなんて声をかけましょう? 極東風に『やあやあ〜我こそは〜』みたいな?」

『だからいちいちくだらないことで念波を飛ばしてくるんじゃないわよ。さっさと暴れなさい』

「はいはい」

 

 小悪魔は適当に返事を返してその検知した方向を見る……と同時に、胸を数本の矢に勢いよく貫かれた。練りこまれている妖力が小悪魔の筋繊維を引きちぎる。

 その衝撃に小悪魔は後方へと吹っ飛び、背後の岩肌へと身を打ち付けた。そしてずるずると重力に従い項垂れてへたり込む。

 

 死亡を確認し、藪から弓矢を携えた三人組が現れる。山伏姿と高い下駄。そして白髪の頭から生える白いオオカミ耳。妖怪の山を常に哨戒している白狼天狗の部隊だった。

 

「……排除確認。姿形を見るに異変の一派と見られます」

「ふむ……その割には弱かったな。各地では大きな被害が出ているらしいが。まあ、なんにせよ首印を挙げれたのはいいことだ。隊長にさっさと報告しよう。報酬は……少ないだろうがな」

「こんな感じでどんどん弱い妖怪が侵入してきてくれると我々の懐事情も潤うんですけどねぇ。今日の一杯の酒ぐらいにはなってくれるといいんですが」

 

 まさに棚から牡丹餅。特別手当という臨時収入に期待する若手の哨戒天狗たちは小悪魔の首を取るべく死体へと近づく。

 うち一人が小悪魔の髪を掴み、頭を上へと向かせると鉈を首へと当てた。

 そして鉈を引いて────

 

 

 

 黒い墨汁のようなものが弾けた。

 

「ッ!? ひっ……」

「こ、これは……?」

 

 鉈を引いた者はそれをモロに被り、残る二人は何事かと急いで距離をとる。

 全身を黒に染めた哨戒天狗は「ウヘェ〜」とドブにはまったような心持ちだった。着物を人差し指と親指で摘み嫌悪感を露わにする。

 

「き、汚い。外国の妖怪の血って黒いんですねぇ。まるで墨汁みたい……。だけど生臭い臭いはしないので獣よりかは楽に捌けそうです」

 

 同僚二人に軽い口調で話しかける哨戒天狗だったが、同僚の呆気にとられる顔を見て何事かと首をかしげる。

 ただ黒い血を被っただけではないか。

 

「ああ、服についた血ですか? 汚れくらいは勘弁してくださいよお」

「ひ、ひぃっ!?」

「お、お前……」

「だから、どうしたんんでぇぇぇ────」

 

 哨戒天狗は地面にぐしゃりと潰れた。まるで完熟したトマトが地面に勢いよく落下したかのように、黒いシミが地面に広がった。

 哨戒天狗は溶けていたのだ。ぐずぐずになった死体は煙を上げながらなおも朽ち果ててゆく。肉塊の一つすら残らなかった。

 

 その突然の衝撃的な死に、残る二人はただ呆然とその光景を眺めることしかできなかった。この時、二人の運命は確定した。すぐにでもその異変を察知し、体に鞭打ってでも場を離れるべきだった。

 そうすれば……一厘にでも生存の可能性はあったかもしれない。蜘蛛の糸のような細い細い命への道筋ではあるが。

 

「いきなり女性の髪を掴むなんて……極東の妖怪は野蛮なんですね。おまけに獣くさい。あっ、獣くさいのはうち(西洋)も一緒か」

 

 その声に二人は肩を震わせた。

 へたり込んでいた小悪魔がなんでもないように立ち上がる。胸に空けられていた風穴はすでにない。

 哨戒天狗の黒いシミを一瞥した。

 

「さて、お味の方は……」

 

 小悪魔が空気を掬うと、黒いシミは空中へと浮き上がり小悪魔へと降りかかる。そしてその身へと染み込み、消えていった。

 吸収し終わった小悪魔は視線を泳がせると、値踏みの独り言を始めた。

 

「ほうほう、獣くさい妖怪ではありますが味はそれなりに美味ですね。ただ肝心の品格が足りない。年が足りないせいでしょうか?」

 

 ぐりん、と首を曲げる。

 その瞳は残る二人を捉えていた。あれは上位者の……捕食者の目だ。哨戒天狗の二人は身を凍らせた。

 

「やはり食べ比べてみないと分かりませんね。さて、どっちからいきますか」

 

 小悪魔が交互に視線をやる。今すぐ逃げるか戦うかをしなければならないのに、全く動けない。だが、やらなきゃ殺られる────。

 

「こっちですね。はい、一本」

 

 風が頬を撫でる。

 小悪魔の声に少し遅れてボト、と何かが落ちる音がした。そして鮮血が噴水のように噴き出した。落ちたのは腕だった。

 

「う、ぐぅ!? うぐぉぉ……!」

「せ、せんぱい……っ」

 

 切られた方の哨戒天狗がもう一人を後ろへ突き飛ばす。そして小悪魔の前へと立ち塞がるようにして立った。

 小悪魔は気にする様子もなく、落ちた腕を拾い上げると溶かして吸収している。

 

「俺が時間を、稼ぐ。お前は、その隙に応援を……いや、隊長を呼べ! こいつは、本気でヤバイ!」

 

 実力差は歴然。

 この状況では助かることはできまい。だが、哨戒天狗としての誇りかけて、しなければならないことがある。

 残った一本の腕で太刀を持ち、構えた。

 

「行けッ! 早くッ!」

「は、はいぃ!!」

 

 後輩天狗は決死の思いで背を向けて駆け出し……ピタリと立ち止まった。駆け出すための勢いは完全に霧散しピクリとも動かない。その体たらくにしんがりを務めた白狼天狗が激昂する。

 

「なぜ止まっている!早く────」

 

 振り返り、その姿を見た哨戒天狗は思わず絶句した。言葉が詰まる。

 後輩天狗は貫かれていた。地面から飛び出している黒い尖ったものに股下から脳天までを一直線に。ぷらん、と無気力に垂れ下がる手足から即死であったことが見て取れる。

 その黒い尖ったものは小悪魔の影だった。影操作は闇魔法の一種であり、高位の悪魔ならば誰でも使える。しかし一切の予備動作なく、一瞬の間に貫いたその俊敏性と攻撃力は従来のものを逸脱していた。

 

「みすみす逃がすわけないでしょう? それにあなたたちのお仲間なら呼ばれずとも私がいくらでも呼んであげますよ。それっ」

 

 小悪魔は掌から一つの妖力弾を作り上げると、それを上空に向かって放り投げる。そして妖力弾は炸裂し、夜空を紅に染め上げた。

 妖怪の山の至る所でその花火は見えるだろう。これは侵入だとか潜入だとか、そんな話ではない。全面対決の合図だ。

 

 目の前の存在の規格外ぶりに、理不尽に、哨戒天狗は絶望した。残された片手が震え、太刀がカタカタと音を鳴らす。

 だが、それでも震える体に鞭打ち、小悪魔へと斬りかかった。せめて白狼天狗の誇りにかけて一矢だけでも報い……

 

「あ、そういうのいいです」

 

 腕を軽く横振りすると首は断ち切られた。堅き意志も空しく、哨戒天狗の体は泥土に沈んだ。さぞかし無念であっただろう。

 小悪魔は何を思うでもなく哨戒天狗たちを残らず吸収すると、改めてパチュリーへと念波を飛ばす。

 

「こちら小悪魔、こちら小悪魔。3人ほど仕留めましたよー。なお味はイマサンです」

『味なんて聞いてないわ。それに中継で見てるから。まあ、その調子でどんどん暴れ回りなさい。奴らを滅ぼす勢いでね』

「いえっさー」

 

 パチュリーとの念波を切ると同時に矢が雨のように降り注いだ。おそらく近くにいた哨戒天狗が一斉に集結しているのだろう。その光景に小悪魔は深い笑みを浮かべると、手を掲げて一身にそれを浴びるのだった。

 

 




色々明るい話でした。映像に映し出された幻想郷の猛者たち……いったい誰なんだ……!?

吸血鬼たちは前々から幻想郷を狙っていました。なのでこの度に幻想郷侵略にあたってレミリアの力添えを希望しました。なおレミリアは色々と違う意味で狙ってました。なんで咲夜がいるの?とかいう質問はナッシング!

本編にて戦闘のなかった小悪魔の活躍?から始まるかと。なおゆかりんは賢者たちと色々話してます。[てゐ様は本当に頭のいいお方]なのでスルー。
まあ吸血鬼異変は要するに蹂躙vs蹂躙ですね。


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吸血鬼異変──意地と矜持と*

 妖怪の山は阿鼻叫喚の戦場と化していた。

 横たわるは骸、骸、骸……。これらの死体に共通することは、その全てが凄惨な状態で無造作に転がっていること、そしてその全てが妖怪の山の天狗のものであることだ。白狼天狗、烏天狗、大天狗……ありとあらゆる天狗が殺されていた。

 ある死体は胸から腹にかけてを全て抉り取られ、ある死体は体の穴という穴から血を吹き出し、ある死体はグズグズと煙を上げて溶けてゆく。

 

 これらの所業は全てたった一人の悪魔によって行われ、そして今なお現在進行形で引き起こされていた。

 

「止めろッ! 奴を止めろぉぉ!!」

「これ以上先には行かせるなッ!」

 

 天狗たちは幾度も防衛線を張っては悪魔に対し抵抗を試みる。高密度の妖力弾、天狗の団扇による突風、神通力、河童製の連射火縄銃。今持てる全ての戦力を駆使して小悪魔を抑えにかかっていた。

 だが瑕疵なき要塞とまで称された妖怪の山といえども、懐まで攻め込まれては防衛すらままならない。いや、それ以前に。

 

「えいっ」

 

 そんな軟弱な天狗の壁など、この悪魔にはなんの意味も持たないのだから。

 小悪魔の薙ぎによって前方が大爆発に包まれる。掌に魔力を重鎮させ、それを放射状に放ったのだ。煙が晴れると、そこには何も存在していなかった。今の一撃だけで十数人の天狗が消し飛んだ。

 小悪魔の軽い一つ一つの動作が天狗たちにとっては必殺級。ただいたずらに死傷者が増えてゆくばかりである。

 

「ほらほら〜早く止めないと大将を獲っちゃいますよ〜。それっ」

「ヒギッ……」

 

 小悪魔の蹴りによってまた一人天狗が爆散した。なんとか盾で防ごうとも、衝撃がそれすらを容易に突破してしまう。

 若干Sの気がある小悪魔は一方的な蹂躙を楽しんでいた。自分を前にして絶望と恐怖に歪んだ顔を見ただけで心が躍る。良くも悪くも悪魔らしいと言える。だがそんな彼女もだんだんと飽き始めていた。

 

「うーん……流石に同じ味ばかりだと飽きてきますねぇ。そろそろ変わり種が欲しいところですが……っと」

 

 右側から切りかかってきた白狼天狗の太刀を敢えて肉に食い込ませ、頭を掴む。そしてアイアンクローの要領でこめかみを締め付けた。小悪魔としては痛みに悶え苦しむ姿を期待していたのだが、白狼天狗の頭は万力で潰されたかのようにぐちゃりと潰れてしまったので「柔いですね」と面白くなさげにそこらへと投げ捨てた。

 

 そうしてしばらくのこと小悪魔は殺戮を続けたが、いつまで経ってもパチュリーからの帰還許可が出ないのでいい加減機嫌を損ね始めていた。

 というよりまず、どこまで暴れれば良いのかの指示を受けていない。今のところ好き勝手に暴れているものの、クリア条件は一体どこに設定されているのやら。

 

「……しょうがないですね、こうなったら山を半分ほど消し飛ばしてみましょうか。そうすればここ(幻想郷)の上層部の連中も慌ててなんらかのアクションをとってくるでしょうし」

 

 軽くそう言い放つと、小悪魔は手に魔力を溜め始める。空気が淀み、凄まじい重力が辺りを支配した。悍ましいまでに強大なそれは、遠目に見ていた天狗たちの士気を一気に刈り取った。

 戦いようも、逃げようがない。

 アレに、どう立ち向かえというのだ。ここまで酷な話はあるまい。

 

 ある者は涙を流し、嗚咽しながら地面を殴る。ある者は射殺さんばかりの視線で小悪魔をひたすら睨む。それら全てのリアクションが小悪魔にとって心地よいものであった。本来ならば小者である彼女からすれば今の状況は大魔王みたいでいい気分なのだ。

 柔和な、しかし凶悪な笑みを浮かべると、流し目に天狗たちを見る。

 

「可哀想な雑兵さんたち。上の言うことを素直に聞いちゃったからこういうことになったんですよ?同情しますね。同調はしませんが」

 

 小悪魔の手から溢れる鈍色の光が収束する。これは威力の調節が完了したこと意味した。場を閑静と少量のうめき声が支配する。

 小悪魔はニコッ、と微笑むと地面へ標準を定めた。もう助からない。

 

「さて、そろそろ終わりとしましょうか。次回は地獄か魔界で会いましょう……。それでは、吹っ飛んで────」

 

 

 

 

 

 ──…フツ

 

 泡が弾けたような、軽い音が山に響いた。それが切断音であったとはその光景を目の当たりにした天狗たちも、ましてや斬られた本人である小悪魔ですら一瞬のうちでは気づけなかった。

 それほどまでに、その音は綺麗だったのだ。

 

 自分の意思に反して魔力が霧散する。視界がズレる。……世界が歪む。

 

「……あれ?あれれぇ……」

 

 ドシャッ、という土が爆ぜる音とともに小悪魔の掌上半部と首が大地に沈んだ。少し遅れて体が膝をつき、倒れ伏す。

 切断された小悪魔の背後には、太刀を抜き放った前かがみの状態で静止する白狼天狗が一人。その白髪と白狼天狗の証は月光に反射して星屑のように輝き、凛とした佇まいは一瞬で彼女が強者であることを黙認させる。

 敵切断の感触を確かめて滴る黒い血のようなものを払い、キンッ、とそれ特有の軽快な音を鳴らして刀身を鞘に収めた。

 

「……遅くなって申し訳ございません。犬走椛、只今参上しました」

 

 安堵のため息がどこからか漏れた。

 それを皮切りに静寂に包まれていた戦場は一気に沸いた。助かったことに涙し、ともに生還を喜び合った。それほどまでの死線であったのだ。

 

「い、犬走隊長ッ! 犬走隊長が来てくれたぞ!」

「助かったんだ……私生きてるんだ……!」

「うぅっ……死ぬかと思った……!」

 

 場の湧きように椛は少しだけ困惑したものの、それほどまでに目の前で倒れ伏すこの存在は妖怪の山に被害をもたらしたのかと顔を顰める。

 椛の到着が遅れたのは、ひとえに状況が悪かった。幻想郷への全同時攻撃に妖怪の山の有力者たちが駆り出されており、椛はその穴埋めをすべく山の全地点をくまなくカバーしていたのだ。また椛の哨戒部署長官という彼女にとって不本意ではあるが、誉れでもある役職が円滑に動くことを阻害した。

 

「……まさか生き残りが半数にも満たないとは。……いえ、よくやってくれましたね。貴方たちの働きがなければ正直危なかった」

 

 千里眼の力で状況を瞬時に把握する。そして苦虫を噛み潰したような表情を作った。

 天狗居住区まであと目と鼻の先まで小悪魔は進撃していた。しかもあたり一帯を吹き飛ばすつもりであったようなので、椛の一閃が入らなければ全てが終わっていただろう。

 

 椛は静かに戦没者たちへとお辞儀と黙祷を捧げると、鞘ごと剣を持つ。そして何を思ったか、それを地面へと突き立てた。

 ──ドンッ、と土柱が上がり、地面が爆発する。地面に刺さった鞘の先には黒い触手が蠢いていた。触手は小悪魔の体から伸びており、その進行方向上には天狗たちがいたのだ。いきなりの事態に天狗たちがどよめく中、椛は素早く指示を出した。

 

「まだ終わってません! 負傷者を回収してすぐに後方へ撤退を! また御子娘、及び非戦闘員の再思の道付近までの退避を誘導してください!」

『は、はいっ!!』

 

 天狗たちは弾けるように飛び出した。もはや闘争心だとか戦意だとか、そんなものは微塵にもない。ここから先は自分たちのような凡百の存在が手を出せる次元ではないのだから。

 

 椛は鞘で触手を押さえつけたまま太刀を抜き、みじん切りにする。もっとも小悪魔に応えた様子はないが。現に彼女はずるりと立ち上がる。先ほどの椛の一閃すらも苦に思っていないのだ。

 

「うーん……効きましたねぇ。いや、本当にお速いものです」

 

「嘘をつけッ、貴様の妖力の流れは少しも揺らいではいない! 私の部隊を、妖怪の山をこんなにして……一体何が望みなんだ! 山を吹き飛ばそうとしたあたり収奪が目的ではないことは分かっている! 貴様らは何を目的に……!」

 

 切っ先を小悪魔に向け椛は吼えた。ともに妖怪の山を支えてきた同胞をここまで無惨に殺されたのだ。その怒りは深い。

 一方の小悪魔は椛に問いかけられて今一度自分の目的……ひいてはパチュリー、レミリアの目的が何であるのかを考えてみた。幾つか候補はあるものの、やはり自分ではそこまで考えが及ばない。小悪魔は軽く笑うとあっけらかんに答えた。

 

「さあ?」

「……」

 

 椛の視線が鋭くなる。もはや中堅妖怪あたりでも目で殺せそうな勢いだ。

 だが小悪魔は動じずに言葉を続ける。

 

「所詮したっぱに過ぎない私には何が何だかですよ。取り敢えず暴れてこいと言われたから暴れてるだけですし」

 

 ああ、殺し方は私の趣味ですがね、と付け加える。椛の膨れ上がる殺意を全く気にせず飄々と小悪魔は答えた。

 

「まあ……お嬢様たちの目的に関してはあまり深い意味はないと思いますよ。戦争ゲームの気分ですから」

「……そうか」

 

 椛は静かに、だが力強く目を閉じ……ギリッ、と歯を鳴らした。その動作だけに全ての憎悪が込められていた。殺気が溢れ出す。

 

「そんなふざけた理由で同胞たちは……!」

 

 所詮幻想郷は弱肉強食の世界だ。弱きは淘汰され強きが栄える。至極当然な万物の摂理。天狗も鬼も、自分にもそれは当てはまる。

 目の前の妖怪は強かった。だからあんなことを言えるのだ。同胞は弱かった。だから同胞は死んだのだ。当たり前のこと。

 

 

 ……だからこそ許すわけにはいかない。

 亡き同胞たちの思いを、誇りを、遊び半分のゲーム感覚で踏みにじっていったこの連中を、幻想郷に捨て置くわけにはいかないのだ。

 

 椛は重心を下に落とし踏み込むと、つむじ風の如く搔き消える。そして小悪魔の前に出現した。またもや小悪魔の動体視力を遥かに凌駕する身体能力を見せつけたのだ。

 

「私が貴様を殺しても、恨みごとを言ってくれるなよ?これは殺し合いだからな」

 

 小悪魔を頭から切り裂いた。魔力の残骸がパチパチと弾け、黒い血が濁流のように流れ出す。その血があまりよろしくないものだと把握していた椛は触れることなく再び距離をとった。

 またも大きな攻撃を許してしまい、二つに分かれてしまった小悪魔は驚愕の後、愉悦に浸るような表情を浮かべ、互いの断面を影で掴むとくっつけ合う。そして小馬鹿にするように言った。

 

「まあ……そうですね、所詮戦争ゲームですし。……どうぞ、殺れるものなら殺ってみてくださいな。せいぜい自分の命が獲られぬよう御気を付けください」

「ぬかせッ!」

 

 死角に生成されていた八方の転移陣から撃ち出された魔力弾を、椛は分かっていると言わんばかりに太刀を振るって切り裂いた。

 外殻の層が破られ、魔力弾は次々に大爆発を起こしてゆく。だが椛はそれに怯むことなく一点突破し、小悪魔へと疾駆する。

 閃光の中から突っ切るという不意を取る形となったが……()()()()()()()()

 小悪魔の動体視力が三度めにして椛を捉え、タイミングを合わせて魔爪を振るう。命を刈り取るソレに当たれば容易く身は引き裂かれ、臓器を撒き散らして絶命してしまうだろう。

 小悪魔は確信した。もらった────ッ!?

 

 椛の動きが一瞬だけブレた。小悪魔の魔爪は掻き消えた姿を通過し、それと同時に腹部を強い衝撃が駆け巡る。そして横一文字の一閃。

 中身をブチまけながら吹き飛ぶのは、カウンターを仕掛けられた椛ではなく、仕掛けた本人である小悪魔となった。

 

 すぐに体を再生し体勢を立て直そうとするが、目の前にはすでに椛が迫っていた。

 椛は突進力をそのままに盾で小悪魔の上半身を殴り抜けた。──ガゴンッ、と柔らかいものを鈍器で殴る鈍い音が鳴る。

 小悪魔は地面に叩きつけられ、その衝撃で体を何度もバウンドさせた。

 

 小悪魔は崩れ落ちつつも、今、起こったことをありのまま思い出していた。

 確かに姿を捉え、引き裂いたと思った。だが椛は傷一つ負うことなく持っていた盾で腹部を横断し、逆に小悪魔を引き裂いた。ただ、小悪魔の感覚的には、その一連の流れがどうにも不可解だ。

 妖術、魔術を使われた痕跡は一切なし。椛は持ち前の身体能力だけを用いて今の現象を引き起こしたのだ。別に不可解に思っているのは、それが出来ないからとかそういうことではない。椛がその回避行動を行うことを前提として行動を起こしていたことだ。

 未来予知の類い……とは思えない。なぜならその行動に魔力が一切使われていないからだ。あのレミリアでさえも能力使用時には魔力を消費する、例外はおそらくないだろう。

 

 と、ここで一度思考を中断する。

 椛がなおも太刀を掲げて追撃を仕掛けたのだ。小悪魔は地面をバウンドしつつも、しっかりと椛へと照準を定め、腕に魔力を纏いそれを前方扇型に放出した。青白い雷のような魔力が空を走る。

 だが椛は一太刀の元に魔力を斬り伏せ、勢いそのままに小悪魔を数回切り刻んだ。ほんのコンマ数秒の攻防であり、それを椛が制した形となる。

 

 結局考えても現時点では判断材料が少なすぎる。ならばもう少し試してみるか、と小悪魔は次なる攻撃を仕掛けてみた。

 瞬間、切断されていた断面から黒い液体が噴き出すと小悪魔を包み込む。そして弾け、その体を長くしなやかな赤黒い触手へと変化させ椛へと殺到させる。

 何十本もの触手が凄まじい速度で襲いかかり、地面を抉り、貫いてゆく。だが椛は動じることなく軽く息を吐き出すと、太刀と盾を駆使して次々と触手をいなした。死角からの刺突もまるで見えているかのように捌き切った。

 だがそれでもジリ貧。いくら切っても再生し続け、痛みすらも感じさせない触手の前に、椛は封殺されかける。恐ろしいまでのしつこさであった。

 

「────ッ!! 邪魔だッッ!!!」

 

 ここで椛がようやく妖術を使用した。

 体の内へと妖力を蓄え、それを咆哮とともに周囲へと解き放ったのだ。

 ──ゴウッ、という風切り音が辺りを満たし、その衝撃に大地が捲れる。黒い触手は弾け飛び、ビシャビシャと液体として地面に染み込んだ。

 そしてまた一箇所に集まると小悪魔の形を作る。その顔は思案に更けていた。

 

「ふむふむ……大体読めてきましたよ、貴女の戦闘スタイルが。ホント、どうにも戦いにくくて仕方がない」

「それはこっちのセリフだ。体が妖力でできているからか? 切っても切っても再生して……やりようがない。だが、少しずつ妖力の流れが鈍くなっているのは分かっている。その馬鹿げた妖力も無地蔵というわけではあるまい!」

 

「ふふ……貴女のその体力も、でしょう?」

 

 うんざりした様子で椛は刀身の液体をビャッ、と払った。そして汗を拭う。椛とて、体力は無尽蔵ではない。

 もちろんそれは小悪魔も同じことであり、彼女にも活動限界というものはある。それは体を構成する魔力がことごとく消耗してしまった時だ。

 攻撃にも再生にもかなりの魔力を消耗する。普通の悪魔なら椛の攻撃を一太刀でも受ければ体を保てなくなってしまうだろう。そうなっていないのは小悪魔に膨大な魔力をストックさせているパチュリーのおかげである。

 そのことは小悪魔もしっかりと把握している。だからこそ余裕の笑みを崩さないのだ。

 

 その後も二人は攻防を続けるが、全体を通して戦闘能力に勝る椛の有利だった。椛に傷はなく、小悪魔に決定打こそ与えられないものの付け入る隙を全く与えない。全く攻撃が椛には当たらないのだ。

 一方的なワンサイドゲームのように思えた。また一撃、太刀が入った。しかしなおも崩れない小悪魔の余裕な素振りは椛の警戒を駆り立てる。

 

「どうしたっ、なすがままじゃないか! 戦うことを諦めたかッ!?」

「ふふ……貴女にはそう見えますか?」

「そんなわけがないだろう! だが、どんな小細工を弄したところで私は倒せんぞ!」

「その代わり貴女は私には勝てませんよ。どうあがいてもね! さあ、最終チェックといかせてもらいましょう!」

 

 小悪魔はブツブツと呪文を短文詠唱すると、魔力を放つ。それとともに彼女の体から呪が噴き出した。そのあまりの濃度に椛の表情が歪む。

 ──あれは……マズい。

 呪術使いに好きにやらせてはならない。古来からの戦闘における常識だ。

 その呪いは明らかに妖怪の山全域を飲み込む規模で増幅、増大している。ここでどうにかして止めなければ妖怪の山は生が育まれることのない不毛の地へと変貌してしまうだろう。

 椛は遠距離攻撃へと戦法をシフトすると、刀に妖力を乗せた弾幕……つまり飛ぶ斬撃を高速で四箇所へと放った。

 

 斬撃は小悪魔に当たらず、周りに展開されていた魔力の渦へと向かい、そして切り裂いた。すると呪の力はみるみる霧散し、やがては消滅した。小悪魔がパチパチと拍手を鳴らす。

 

「いやーお見事です。今のを破ってくるかはどうかは五分五分ぐらいかなーと思ったんですがね。……しかし、カラクリは読めました」

「……っ」

 

 椛の一瞬の動揺につけいった小悪魔は妖力を風として放出し、土煙を発生させる。そして体が煙に飲まれると同時に気配を遮断し、身を潜めた。

 微粒子が吹き荒れ、目を開けることがままならない状況へ。椛は軽く舌打ちすると盾を翳して飛んでくる微粒子から目を守る。そしてなんとか土煙を飛ばそうと太刀を振るうが、

 

 ──ザクッ

 

「ッ……!」

 

 頬を小悪魔の爪が掠めた。

 野生の直感に従って首を傾けなければ、間違いなく頭を抉り取られていただろう。椛の頬を冷たいものが伝う。

 

「はい、ビンゴ。貴女の手の内は完全に把握できましたよ」

 

 晴れた煙の中から小悪魔が姿を表す。

 

「貴女のその腕も、その足も、その妖力も、全てが厄介でした。しかし中でも一番厄介だったのが────その目」

 

 小悪魔は目を細め自分の目をなぞるように指を動かし、椛は目つきを険しくする。

 

 千里先まで遠くを見通す程度の能力。

 それは比喩表現である。確かに椛は千里先まで見ることができる。だがそれは能力のほんの一端に過ぎないのだ。

 彼女のその目の良さは千里先にとどまらず、電子顕微鏡レベルの構成物質まで見ることができ、数千光年先の星の表面すら見えてしまう。

 

 椛は相手の筋繊維や妖力の流れを肉眼で見通し、それによって行われる動作を瞬時に把握して相手を追い詰めてゆくという戦闘スタイルなのだ。

 彼女の能力とその驚異的なまでの戦闘センスによってなせる技だった。

 

「先ほどの呪術を壊した時に全てが分かりました。貴女は的確に魔力の繋ぎ目を断ち切っていましたからねぇ。普通は見えるものじゃありませんよ」

「……だからどうした? それが分かったところで貴様には何もできまい。土埃に頼ったところでもう二度と同じでは食わんぞ!」

 

「いえいえ、カラクリが分かっただけで十分。正面からかかっても貴女には勝てそうにはありませんからね。だから……こうすることにしましょう」

 

 またもや小悪魔の身から呪力が放たれ、辺りの空気が歪んでゆく。今度のものは薄く引き伸ばされており、効力を下げる代わりに広範囲に渡るように調節したらしい。

 こうなってしまっては椛の手には負えなかった。魔力の繋ぎ目が多岐に分布しているのでとてもじゃないが破壊しきれない。

 

「貴様……ッ!」

「少しばかり息苦しいでしょう? 貴女の体に呪いが溜まり始めている証拠です。私の魔力が尽きるのが先か……貴女の息が切れるのが先か。まあ、結果は火を見るよりも明らかですがね!」

 

 小悪魔は妖力弾を次々に椛へと撃ち込んでゆく。椛は太刀で切り裂き盾でいなし、小悪魔の猛攻を確実に防ぐが、激しく体を動かすたびに体がどんどん重くなり、息苦しくなっていった。

 戦いは消耗戦へと陥った。二人の実力はほぼ互角、こと戦闘だけに限るなら椛の方が一枚上手といったところだろう。しかしいかんせん小悪魔のトリッキーな戦法との相性がすこぶる悪かった。

 堅実な戦いをモットーとする椛に対し小悪魔は搦め手を得意とする悪魔である。小細工なしの真剣勝負なれば椛は無類の強さを発揮するだが、搦め手にはこと弱いという大きな弱点があった。

 

「ほらほらぁ動きが遅くなってますよ? 最初の威勢の良さはどこへ行ったんですかねぇ……私を、殺すんじゃなかったんですか?」

「くっ……そォッ!!」

 

 小悪魔は呪いを撒き散らしながら闇魔法でひたすら椛を遠距離から八方攻撃し続ける。椛は全ての攻撃を躱してゆくのだが、徐々に動きが鈍くなってゆく。それどころか目が朦朧として少しばかりの吐き気すら催してきた。椛にとってこれは致命的だ。

 形勢はあっという間に逆転し、椛は追い詰められていった。敗色濃厚だろう。

 だが彼女に敗北は許されない。

 敗北は自分が許さない。

 

「ハァッ、ハァッ……てえゃッ!!」

 

 椛は莫大な妖力を太刀に乗せると、回転し周りへと解き放った。エリアルスラッシュ、という仕組みは単純だがこの状況においては起死回生の一手になりうる技能である。

 空気を伝播した妖力波が小悪魔の魔術を打ち消す。そして足に力を込めて小悪魔へと決死の接近を試みた。

 切られても問題ない小悪魔は甘んじてその一太刀を受け入れる体勢をとり、そしてカウンターの準備を整えた。

 

 だが、──ガチン、という凄まじく硬いものがぶつかり合うような音が辺りを満たした。切断音ではない。

 椛の行った行動を見た小悪魔は、呆気にとられた。

 

「貴女……な、何をしてるんです?」

「ングッ……ングッ……グッハァッ、ハァッ……ぐっ、ゲフッ……」

 

 椛は太刀を振るうと見せかけ、小悪魔の腕を食いちぎり飲み込んでいたのだ。

 小悪魔の体は魔力で構成されている。ならば、飲み込んでそれを()()()()()()()()()。そうすれば体の構成は保てまい。

 だが小悪魔の血は毒だ。先にも小悪魔の黒い血を浴びてぐずぐずに溶けていった同胞たちの姿を椛は見ている。椛の強靭な肉体は溶けてはいないものの、負担はかなり大きかったようで絶えず口からドロドロとした血を垂れ流している。内部はもうボロボロだろう。

 体は限界を迎え、膝をつく。呪いも相成って椛の五感はすでに機能を停止しようとしている。

 

「こ、ここまで命知らずだったとは……カミカゼってやつですか?見上げた忠誠心ですね。しかし、もう流石に限界でしょう。そのような状態ではもはや何もでき────」

 

 ──ザンッ

 太刀が大地を貫いた。

 

「私、が死んでも……天狗は、滅びん……! 貴様が死ねば、そこで貴様は、終わりだッ!!」

 

 太刀を地面に突き刺して体を支えながら椛は立ち上がる。目はまだ死んでいない。いや、追い詰められた獣の目とでも言おうか。

 小悪魔はこのような部類の相手が特に厄介であるということをよく心得ていた。よって、手負いでも手加減はできない。

 

「そうですか……なら死ぬとよろしいでしょう。ただし、貴方一人でね!」

「いいや、貴様も連れてゆくッ!!」

 

 太刀を引き抜き、最期の力を振り絞る。小悪魔も残った腕で迎え撃つ。

 雄叫びを上げて椛は突進。小悪魔は無数の魔法陣を生成し容赦なく潰しにかかった。だがそれをもし椛が突破すれば彼女は容赦なく小悪魔の頭へと食らいつくだろう。そうなれば小悪魔も死ぬとは言わずともこれ以上の行動はできなくなってしまう。

 これが最後の激突になることは必至だった。

 

 

 

 

 

「────はい、そこまで」

 

 ガクン、と椛が地面に崩れ落ちた。それとともに小悪魔の耳元で誰かが囁く。

 反応、できなかった。いつ後方に回られたかも気づけなかった。小悪魔は狼狽え、柄にもなく緊張する。

 その人物は椛の方へと言葉を投げかける。

 

「貴女が死ぬのはダメでしょ。だって、貴女が死んだら誰がそのポジションを務めるというのかしら?……私には無理よ。絶対」

「───ッ!!」

 

 椛は言葉にもならないうめき声を上げた。

 小悪魔はゆっくりと後ろを振り向く。

 そこには変哲もない烏天狗が一人いるだけだった。肩にバックを掛けており、そこから飛び出している新聞のようなものが目を引いた。

 

「さて、それで……貴女が件の侵入者ってわけですね。ほうほう、ふむふむ」

 

 烏天狗は値踏みするように小悪魔の体を隅から隅まで観察してゆく。小悪魔は言いようのない不快感を感じた。だが何故か攻撃する気にはなれない。

 

「何時から……そこに?」

「ああ、ついさっきですよ。椛を止めた後に回りこませていただきました。後ろからの失礼をお詫びしますね」

 

 烏天狗がヘラヘラと笑いながらカメラを取り出して小悪魔を撮る。「スクープゲットです!」と気楽に言う始末。これには小悪魔も呆気にとられるしかなかった。状況がいまいちよく掴めない。

 烏天狗の声が響くその度に椛の方からうめき声が上がる。

 

「ふぅ、大漁ですよ! これで次回の新聞大会は優勝間違いなしですね! あ、インタビューは要りませんよ。こっちの方で勝手に考えておきますから」

「は、はぁ……」

 

 苦々しく小悪魔が答えると、烏天狗は満足したようにカメラを腰のポーチへなおした。そして────

 

「さて、それでは本題に入りましょうか! ────我らが妖怪の山に殴り込むということは、それ相応の覚悟をちゃんと持っているということですよね?」

 

 空気が凍った。

 小悪魔は身体の芯から震え上がった。それは格上から向けられる自分への明確な殺気。目に見えるまでに放出されるとめどない妖力は明らかに自分のものよりも遥かに多い。

 久しく感じた、恐怖。

 

「あ……ぁ……」

「ここまで滅茶苦茶にしてくれて……いい加減私もキレちゃいそうなんですよね。ジャーナリストとしては恥ずかしいことですが」

 

 烏天狗は未だに笑顔を浮かべている。だが、それが逆に彼女の深い怒りを象徴するものとなっていた。

 小悪魔は震えて声が出ない。

 

「ウチの番犬がいなければどうなっていたことか。しかもよりによって私が天界まで出払っているこの時に……ね」

 

 烏天狗は一歩踏み出す。それとともに小悪魔は一歩後ずさった。

 ダメだ、勝てない、逃げなきゃ……。

 

 小悪魔はそこまで考えて、頭を振った。

 いや、なぜ逃げる必要がある?確かに目の前の妖怪は自分よりも強いだろう。だがそれが負ける理由になりはしないのだ。

 ここで尻尾を巻いて逃げることは紅魔館の不名誉となる。もちろん、主人(パチュリー)にとっても。

 逃げるわけにはいかない。

 

「ふ、ふふ……凄い妖力ですね。正直びっくりしましたよ、てっきり先ほどまで戦っていた方がこの山……ひいては幻想郷最強かと思っていたんですが……」

「あー、それは大きな誤算でしたね。椛は我々天狗四天王の中では最弱。所詮格下に過ぎません。それに苦戦していた貴女もね」

 

 ハッタリだ。そう思いたかったが、烏天狗の鬼気迫る雰囲気からはとても嘘だとは思えなかった。

 もしかしたら、幻想郷は────

 いやな予感が頭をよぎるが小悪魔はそれ以上考えなかった。考えたところでどうにもならないからだ。敢えて気丈に振る舞う。

 

「……それがどうかしましたか? 貴女がいくら強くてもこの私を殺すことはできない! それとも、あのお方のように私の体を飲み込んでみますか? それならば────」

「いや、それは勘弁」

 

 烏天狗は苦笑しながら言った。

 そして腰から取り出した天狗扇を胸に当てる。

 

「だって、そんな必要はありませんからね」

 

 烏天狗は、軽く扇を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「椛ー、意識あるー?」

 

 椛は言葉を受けると血を吐きながらなんとか仰向けに転がる。月明かりが照らす中、眼前には自分のよく知る憎たらしい顔があった。

 そのニヤつく顔を見ると先ほどまでのことが鮮明に思い出される。椛の機嫌が急激に悪くなっていった。

 

「ぐ……く……!よくもさっきは……!」

 

 震える手で掴みかかろうとするが彼女を捕まえれるはずもなくヒラリと躱される。そしてカシャカシャ、とシャッターを切る音がする。

 

「明日の記事は『犬走椛隊長、侵入者に敗北!』で決定ね! ふふふ……これは優勝間違いなしだわ!」

「こ、この……!」

「そうでもしないとアンタ突っ込んじゃうでしょ。頭どついただけで済ませたんだからありがたく思いなさい」

 

 椛は震えながら烏天狗をなおも一層強い視線で睨みつけたが、やがては疲れてしまったのか目を伏せる。そして力無さげにポツポツと言った。

 

「……敵、は?」

「ん、あの妖怪? うーん……バラバラになって散り散りになったわ。死んだかどうかは知らないけど。……あ、手を貸そうか?」

 

 手を差し伸べる。だが椛は面白くなさげに顔を顰めると体に力を入れ始める。

 

「……貴女の、手は借りない。あと、助太刀もいらなかった。……それだけです」

「無理しなくていいって。あーあ、内臓までやられてんじゃないの? これ。なんなら河童の薬でも貰ってきてあげようか? あのよく効くって評判になってるやつ。尻子玉が入ってるらしいけど」

「……無用、です……っ」

 

 そうは言いつつもやはり内部からのダメージは堪えたか、剣を杖にして立ち上がるが滑ってうつ伏せに転がってしまう。

 烏天狗は椛の姿に頭を抑えてため息をつくと、無理やり手を掴んで引っ張り上げるのだった。

 

「はいはい、それじゃ貰ってくるからね」

 

 

 ────────────────

 

 

 椛と小悪魔が激突した頃、賢者たちはマヨヒガにて緊急会合を開いていた。議論する内容は……もちろん今回の異変についてだ。

 全員の集合とまではいかなかったが、それなりの人数が集まった。全員が難しい顔をしながら考えに更けていた。

 ……若干一名の頭がお気楽な賢者を除いて。

 

「それではこれ以上の召集は見込めないと見て、議論を始めさせてもらいましょう。司会は、僭越ながら私が務めさせていただく」

 

 八雲藍が前に出てそう切り出した。余談だがマヨヒガで会合を行なう場合は大抵、藍が司会を務めている。また天魔の屋敷で会合を行なう場合は、大天狗の誰かが務めるという一種のしきたりのようなことになっているのだ。

 

「今回の吸血鬼による侵攻は極めて大規模なものでございます。これまでに前例のないほどでしょう。しかし我々八雲からすればこれらはただの烏合の衆、危険というには些か足りません。現に奴らの壊滅はほぼ完了しております」

 

 賢者たちはその言葉に耳を疑った。

 あの地を埋め尽くすほどの軍団を賢者たちも目に焼き付けている。配下の妖怪たちを向かわせたっきりでその後の展望は良く見ていないが……アレをすでに片付けた?乾いた笑いが溢れる。

 馬鹿は休み休みに言え……誰もがそう思った。だが視線がある一人の賢者を捉え、その表情を見たとき全員が納得した。

 

 ──そうか、八雲紫が動いたか!

 

 幻想郷最強の妖怪、八雲紫が目を閉じて微笑んでいたのだ。なるほど……彼女、または彼女の配下がやったと言えば話は早い。

 幻想郷各地に蠢く強大な妖怪のうち、かなりの数が八雲紫に降っているという。それらに任せれば短時間での殲滅も可能かもしれない。

 いや、もしかすれば事前に吸血鬼による侵攻の予兆を察知し、それに備えた策を講じていたのかもしれない。つくづく凄まじい存在である。

 

 だが大抵の物事に不干渉を貫く八雲紫が動いたのは、賢者たちにとって少々不自然な気がした。

 そんな騒然とした場の雰囲気を気にするわけでもなく、淡々と八雲藍は続ける。

 

「敵本体はまだ叩いていませんが、どんな手を使ってでも良しでしょう。もはや奴らは袋の鼠、あとは調理法を考えるだけです。よって今回は一度異変のことは置いておき、紫さまの提唱する────」

「し、失礼します!」

 

 一人の天狗がバタバタと部屋に転がり込んできた。あまりの焦燥ぶりに藍は言葉を中止し、天魔が翼を震わせ一喝する。

 

「騒々しい。一体何事だ」

「妖怪の山が西洋妖怪によって大被害を被りました半数以上の哨戒天狗、また烏天狗等が討ち死にし、今もなお戦闘は継続しているとのことです!」

「な……っ!?」

 

 再び場がざわついた。

 妖怪の山は勢力として幻想郷一を誇る巨大組織だ。その規模はもちろん、戦力は凄まじいものであり現在は選りすぐりを違う場所へ派遣していたとはいえ、そう易々と陥ちる場所ではない。

 それが、壊滅状態。

 

「……会合はここまでだ。私は今すぐ向かわねばならんところがある」

 

 天魔は足早に退出。残された賢者たちの喧騒が場を満たす。

 藍は少し考えた後、紫へと視線を向ける。「どうしますか?」といった感じのアイコンタクトであろうか。なお紫がそれをみて「おう、会議が中断したやないか。私司会やで?なに恥かかせてくれてんの?」という風なアイコンタクトに捉えて肩を震わせたのはご愛嬌。

 

 まず紫にとってもこの話は眉唾なものだ。吸血鬼どもはどうせ幻想郷の化け物たちに食われて自滅するのがオチだろうとタカをくくっていた。今回、彼女が提唱したかったのは『スペルカードルール』の制定についてである。

 

 紫は取り敢えず考えてみた。

 なんとかここで名誉を挽回して藍の機嫌を戻さねばなるまい。それにこのような状況では『スペルカードルール』のことを持ち出すことができない。

『スペルカードルール』はこれから紫が平穏な幻想郷ライフを過ごすために必要不可欠な制度なのだ。絶対にこれを機に公布しなければならない。

 

 必死に必死に考え……ふと名案が浮かんだ。これならばこの状況を一気に打開できるだろう。紫は自分のあまりの聡明さにほくそ笑んだ。

 

「妖怪の山が壊滅……フフ」

 

 紫の唐突な発言に賢者たちが注目した。そのあまりのがっつき様に紫は少しばかり引いたが、問題なく話を進める。

 

「それはさぞかしの大戦力を使ったのでしょうねえ。千か、万か……いずれにせよそれは最初に彼方が展開した戦力を遥かに上回るものでしょう。そして今も妖怪の山で交戦中。ならば……今あの館は手薄じゃなくて?」

 

 賢者たちは「なるほど」と頷き、藍はうん?と眉を顰めた。紫は続ける。

 

「敵の大将の所在は不明だけれども、どこにいようと今のあなた方の戦力ならば容易に打ち勝つことができるのでは? それに配下の妖怪も十分に集めているでしょう? まあ、私自らが出るのもよろしいですが……皆様も手柄は欲しいかと思いまして。 見事一番にあの館を陥せた方には報酬も思いのまま……悪い話ではないでしょう」

 

 胡散臭い。この上なく胡散臭い話である。しかも煽り方が豊臣秀吉方式。

 しかし理に適っている。今の軍団規模なら紅魔館を攻め落とすことなどわけないはずだ。それに紫は「報酬も思いのまま」と明言した。これは大きい。賢者としてさらに上のポストを目指すも良し、富を求めるも良し、八雲紫自身を求めることだって良しなのだ。

 八雲紫から認められること。それは妖怪にとって一種のステータスとなり得る。

 

 多少の胡散臭さでこれを見逃すにはあまりにも惜しい。賢い者と書いて賢者と読む彼らでさえもそう思った。

 結果、賢者たちは数人の文治派を除き我先にと討伐軍に志願し次々と退出してゆく。その姿を紫は満足そうに見送るのであった。

 

 藍がしばらくして紫に問いかける。

 

「紫さま……まさか今のは……」

「ええ、今貴女が思い描いていることと同じよ。貴女には苦労をかけるわね……ごめんなさい」

「……いえ、よろしいのです」

 

 紫は藍に先ほど恥をかかせたことを謝った。

 一方で藍はこれから訪れるであろう多忙の日々に少しばかり暗いものを抱きつつも、主人()の言うことならと受け入れる旨を示したのだった。

 

 

 

 

 

 

「八雲紫は……。まったく、酔狂なことだね。まあ私には関係ないけど」

 

 会合の内容を襖一枚隔てて盗み聞きしていた賢者、因幡てゐは体を壁に預けつつ、呆れたように肩を竦めた。彼女がマヨヒガへと到着したのはついさっきのことである。

 竹林での処理を終えて戻ってきたと思えば、慌てて何処かへと飛び去っていった天魔の姿を見送ったのだが、まあなにか大きな問題でも起きたのだろうとあまり気にしなかった。寧ろ気になったのはその後の八雲紫の言葉だ。

 

 確かに賢者たちの内包する妖力や、所持する戦力は大きい。一国に戦争を仕掛けるにも十分なほどだ。しかし、それらを結集したとしてもあの紅魔館という吸血鬼の総本山に通じるかどうかといえば……正直無理な話だ。

 賢者たちには気付けなかったようだが、てゐをはじめとする幻想郷の猛者たちは紅魔館が出現してから空気の質が一変したことを肌で感じ取っていた。

 つまりあの館には自分たちと肩を並べ得る、またはそれ以上の存在が複数存在していることに感づいていたのだ。雑魚吸血鬼の殲滅がハイスピードで行われたのは、それに触発されたからとも言える。

 そんな連中が跋扈しているであろう館に賢者たちをけしかける。それが意味する八雲紫の目的は……まあ、一つだけだろう。

 

 まさかこのタイミングで賢者の半数を切り離しにかかるとは、流石のてゐも予想ができなかった。

 

「さてと、面倒ごとになる前に引きこもっておこうかねぇ。賢者っていうのはどうも……割に合わない気がするよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 賢者の軍勢は紅魔館へと無事到着。しかしシエスタ門番の睡拳の前になす術なく全滅した。特筆すべき点はない。

 血の海に沈んだ大妖怪たち。死の間際、賢者たちの脳裏には八雲紫の冷たい微笑だけが繰り返し流れていた。ここでようやく彼らは気がついたのだ。自分たちは八雲紫に嵌められたのだと。

 だが、もう何もかもが遅い。

 

 

 

 なおゆかりんは知らせを聞いて吐いた。

 

 

 

 ────────────────

 

 

 

 こうして吸血鬼異変の初日が終了し吸血鬼側、幻想郷側、双方に甚大な被害をもたらす結果となった。

 吸血鬼側は従来の紅魔館メンバーを除く者たちと数多の使い魔たち。

 幻想郷側は妖怪の山における半数の勢力と武闘派賢者たち。

 実に初日で双方の過半数の兵員が消失したことになる。

 

 だが、この異変における主役たちはまだほとんど出てきていない。俗に吸血鬼異変と呼ばれているのは初日ではなく……二日目なのだ。

 




というわけで初日終了でございます。画面外で殉職した武闘派賢者たちに合掌!
小悪魔は大魔王気分を味わいたかったのでしょう。そうに違いない!なお強化?に従って役職が変わってるキャラがいたり……。
椛の紹介はいつか。

モチベーションがあれば次の投稿は早くなると思います。そろそろヤムチャの方もやっていきたいので…。
感想、評価がくれば作者が小躍りします。







あやもみいいよね……

いい……

はたもみもいいぞ!


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吸血鬼異変──集結、決戦

「いやもうほんと、死ぬかと思いましたね。あそこまで鮮烈に死のビジョンを叩きつけられたのは初めてでした。魔界でも滅多にあんなことはありませんよ。ていうか幻想郷マジでヤバイですね!」

「……そう」

 

 昼頃、意識が回復するなりベットから飛び降りた小悪魔は、口早にパチュリーへとそう伝えた。

 多少大袈裟ともとれる小悪魔の身振り手振りの報告をパチュリーは怠そうな表情で聞いていた。その傍らではレミリアが紅茶を嗜んでいる。

 

 レミリアとパチュリー、そして咲夜は映像を通して妖怪の山での出来事を一から十まで把握していた。

 小悪魔の大虐殺、小悪魔と椛の戦闘、最後の烏天狗による一凪。どれもがいい判断材料であった。とてもじゃないが、前日紅魔館門前で行われていた戦闘のような何かは参考になりえないからだ。

 

「あと少しでも私がかけてた危機自動転移魔法が遅れてたら地獄行きだったわね。実力を見誤るのは三流の証拠よ」

「そんなこと言ったって、アレからは逃げれる気がしませんでした。不条理を体現したような……恐ろしい存在です。もっとも、アレが幻想郷のトップならいいんですけど……どうにも口ぶりからはそんな感じがしなかったんですよね。上位勢の一人であることは間違いないと思うんですが……」

 

 思わず小悪魔は身を震わせてしまった。

 最後に視覚できたのは団扇のようなものを横に凪いだ、ただそれだけだった。気づけば体は魔素の結合が分解するレベルまで切り刻まれており、文字通り死を覚悟した。

 

 そんな小悪魔の様子を見たレミリアは「尖兵御苦労」とだけ伝えて大図書館を後にした。もちろん咲夜がそれに追随する。

 真っ赤な廊下を二人の歩く靴の音だけが響き渡る。普段は数匹程度の妖精メイドがそこらでたむろしているはずなのだが。ふと、窓を覗くと妖精メイドたちが庭先で美鈴と談笑をしているのが見えた。

 咲夜はナイフを取り出し能力を発動しようとするが、レミリアがそれを手で制する。

 

「今日は忙しくなりそうだからね、今のうちに休憩させときなさい。貴女も休んでていいのよ?」

「いえ、お暇はいただきません。それにお嬢様……こんなに昼更かしして大丈夫なのですか? 今日が本番なのでしょう?」

「そうね」

 

 レミリアはそう言うと大きな欠伸を出す。吸血鬼の昼といえば人間にとっての深夜である。お子様のレミリアにとってそれは堪えるだろう。

 だがレミリアは目を擦りながら楽しそうに咲夜へと言う。

 

「楽しみすぎて眠れない。明日の今頃、私たちはどうしているのか……こんなにも不安でワクワクした気持ちは初めてよ」

「左様で……ございますか」

 

 レミリアこそ全能と信じて疑わない咲夜は、今のレミリアの発言にとてつもない違和感を感じた。全てを見通す能力を持つ彼女が「分からない」と言ったのだ。違和感はやがて不安へと変わってゆく。

 咲夜は自分の行う行為を戒めつつもレミリアへと疑問を投げかけようとした。

 

「お嬢様……。まさか……」

「ん?」

 

 レミリアは咲夜の目を覗き込んだ。咲夜は口から出そうになった言葉を無理やり飲み込み、なんでもない風を装った。

 主人を疑うのは、恥ずべきことだ。

 だが咲夜の不安を感じ取ったレミリアはふふっと軽く微笑み、しっかりと言った。

 

「もちろん、負ける気はしないわよ?なんたって、私はレミリア・スカーレットだから」

 

 

 

 ────────────────

 

 

 

 さとりは目の前の胡散臭いへっぽこ賢者を今日一番の不機嫌そうなジト目で一瞥し、腹の底から大きなため息を吐いた。

 柔らかい笑みを浮かべながら澄まし顔を作る最高賢者八雲紫であるが、さとりの能力を持ってすればその心のうちは一目瞭然である。

 

 ──ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ。

 

 そう、八雲紫は乱心状態であった。

 彼女の持っているティーカップがカタカタと揺れて、紅茶がテーブルに滴ってゆく様を見てさとりは呆れ返る。

 

 こうなってしまった経緯は把握済みだ。

 何でも賢者たちを煽って紅魔館という場所に突撃させたら何か全滅してたらしい。鼻っ柱をへし折られた紫はその後の会議で会わせる顔がなかったという。ひたすら目を伏せて塞ぎ込んでいたようだ。

 我らが賢者の無能っぷりにさとりは再び大きなため息を吐くと、深い憂いを押し流すように紅茶を飲み干した。

 取り敢えず何か話さなければ何も始まらない。

 

「状況は把握できましたが……それでなぜ私の元へ?こんなところで紅茶をこぼしてる暇があったらさっさと地上へ戻って対策を練るべきだと思いますけど。それに私どもは地上との条約で干渉は最小限ですし。ていうかそれを定めたのって紫さんですよねぇ?」

「賢者たるもの大衆の前で無様な姿を見せるわけにはいかないわ。もちろんそれは藍にも当てはまる。わざわざ自らの失策を周りに知らせるというのはどうにも下策のような────」

「つまり入れ知恵をくださいということでしょう。相談できるのが私ぐらいしかいませんもんね。最初からそう言えばいいんですよ……頼む側の態度っていうのがなってないんじゃないですかねぇ?」

 

 さとりに意見を求めるというのはまさに紫としても苦肉の決断であった。先ほどの会議ではどういうわけか賢者たちからも藍からも今回の失策は追及されなかった。切腹もあり得ると震えまくっていた紫であったが取り敢えず一安心。

 しかし今回の全滅を受けて他の賢者は完全に今回の異変から手を引いてしまい、紅魔館に対抗するべく残った組織的な勢力は八雲だけという崖っぷち状態であった。

 今回の件でキレているかもしれない藍に相談するわけにもいかない。なので彼女には紅魔館の情報収集を行ってもらっている。藍はダメ、かといって自分と考えを共有できる存在というのが周りには決定的に不足していた。ひとえに人望不足である。紫は泣いた。

 しかしだからといって放棄するわけにはいかないので、それなら賢者という体面を気にする必要のないさとりに意見を仰ごうと思ったのだ。スキマに胃痛薬と整腸剤を大量に携帯して。

 

 と、以上ここまでさとりはお見通し。

 

「無能です、無能オブ無能。集団のリーダーともあろうものが情けない限りですよ。幻想郷の未来は貴女の手綱次第だというのに……一住民として恥ずかしい。ていうか貴女はなんのために生きているんですか?自分の職務をまともにこなせず、今も生き恥を晒し続けている。明らかに幻想郷にとっての害悪ですよね? 今一度自分の存在意義を確かめてみては?」

「がぼっ、がぼっ……!」

 

 紫は紅茶を飲みながら泡を吹いていた。しかしその状態でも目元涼やかな麗しの胡散臭さ。変に器用である。

 さとりは呆れて再三のため息を吐くと、引き出しから一枚の羊紙皮を取り出す。そして羽根ペンにインクをつけると何かを書き足し始めた。

 

「まったく……頼りない貴女に任せていては幻想郷が心配なので、私からも微力ながら力を貸すことにしますよ。ちなみに私の名誉のために言っておきますけど決して貴女に力を貸しているわけではないのでそこのところよろしくお願いします。……『ツンデレ乙』? ……ブチ殺しますよ?」

 

 さとりは鋭い三つの眼光で紫を睨むと、羊紙皮を丸めて投げ渡した。慌てて紫がスキマでキャッチして回収する。

 陰湿で陰険で冷酷で残忍なさとりではあるが、その器量と頭のキレは統治者として目を見張るものがある。そんな彼女が”微力”を貸し与えてくれたのだ。一応の希望は生まれたと見ていいだろう。かといって信じすぎるのは危険だが。

 早速渡された紙の中身を見てみたが……そこには人物の名前が書かれているだけで、具体的な方向性などといったものは何も書かれていなかった。さらに気になるのがそこに名前で書かれている者たちである。明らかにアカン連中ばかりであった。

 

「……これは?」

「貴女に力を貸してくれそうな妖怪たちの名前です。まあ判断基準は貴女の彼女たちへの記憶ですから、私は数人を除いてその人たちに直接会ったわけではありません。なので内面性的な保障は取れませんが……まあこの際どうでもいいでしょう? 取り敢えず貴女は藍さんと手分けしてその妖怪たちに手助けを乞うことです」

 

 紫は目を細めて明らかに難色を示した。何しろ救援を頼む相手が相手である。まずこちらの言うことを聞いてくれるかどうか……。というかまず話が通じるのかどうかが問題であった。

 

「……他に方法は?」

「全面降伏ぐらいですかね。なお最高権力者は処刑されるのがオーソドックスな流れです。取り敢えず墓は作っときますよ」

 

 紫もこの事態をどうにかするには彼女たちの助けが必要なことは薄々気づいていた。だがやはりなるべく奴らは動かしたくなかった。どんな悲惨な結果になるのか想像できない。

 しかし、さとりから突きつけられたのは残酷な現実。今のままでは自分の命が危ないのだ。……犠牲もやむ得ない。

 

「いろいろと悪かったわね。手間を取らせたわ」

「心と言葉が一致してませんよ。帰りたいんならさっさと帰りやがってください。それではまたのご来訪をお待ちしてますよ」

 

 

 

 ────────

 

 

 

 取り敢えず紫は家に帰ってすぐ胃痛薬を服用、その後に藍を呼んだ。

 

 藍は紫から手紙を受け取ると、内容を隅々まで確認。そして目を見開くと信じられないといった様子で紫に詰め寄る。その鬼気迫る雰囲気に紫は命の危険を感じつつも、譲らない姿勢を取った。

 藍の視線は剣呑な光を帯びて紫へと注がれる。

 

「ゆ、紫様……まさか本当にこの紙に書かれてある通りに……()()()を使うおつもりなのですか!? た、確かにこれだけの戦力を加えることができればこの異変は確実に解決できますが……私と紫様の単独で異変を解決した方がリスクは少ないのでは……?」

 

 紫は慌ててブンブンと頭を横に振った。今回の異変はいくら藍が強いといっても無事に済むかどうか分からないほどの規模だ。もし万が一にでも彼女が陥ちれば紫は一気に無防備になる。

 しかも彼女の口ぶりでは紫と藍の二人で紅魔館に乗り込むていのようである。足手まといにしかならないから勘弁して欲しいと紫は思った。

 

「……彼女たちの助力は異変を解決する上で必要よ。他に手はないわ」

「しかし、この面子は……」

 

 藍は珍しく紫が言うことに難色を示し続けた。彼女の頭の中でも彼女たちの力を借りた未来の幻想郷が色々といけないことになっているのだろう。紫は彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。戦後の後始末など想像するだけで鳥肌ものである。

 だが、今はどんな手を使ってでも吸血鬼に勝つことが大切なのだ。何しろ自分の命と首がかかっているのだから。紫とて引くことはできない。

 

「藍、取り敢えずそれの書いてある通りにしてちょうだい。あとの責任は全て私がとる。大丈夫よ……なるようになるわ」

 

 紫は藍の手を取ると、自分へと言い聞かせるように言った。藍の機嫌だとかそんなものを考慮する余裕すらない。とにかく説得せねば。そして生きねば。

 藍はしばらく紫を見据えていたが、やがて納得したように恭しく頷いた。

 

「……分かりました。貴女様がそう言うのならこれが最善の方法なのでしょう。この藍、紫様のお言葉に従うのみです。私は此方から此処までの者たちに呼びかけてきましょう」

「……助かるわ。ありがとう」

 

 紫は心の底から藍に感謝するともう一度さとりの書いた紙に目を通す。そして少しだけ考え、意を決したように視線を落とすと『風見幽香』の文字を消した後にスキマへと潜るのだった。

 

 

 ────────────────

 

 

 霧の湖を臨む紅魔館とは対岸に位置する鬱蒼とした林。そこが対吸血鬼メンバーの集合場所である。情報を伝え次第すぐに攻撃できるように近くに陣取ったのだ。

 日が沈む黄昏時、今日の終わりを告げる夕日に向かって紫は遠い目を注いでいた。

 

(明日もまた、この夕日を拝めるのかしら……)

 

 バックには呼び出した妖怪たちが集結している。だが、見たくない。幻想郷を混沌へと陥れる修羅たちと目を合わせたくない。紫にとってできればもう二度と関わりたくなかった面々であった。

 しかし紫は意を決して、振り向く。

 

 蟲の支配者、リグル・ナイトバグ。彼女が一番最初に集会場所へやって来た。このタイミングで呼び出される理由は彼女自身がよく分かっているだろう。つまり彼女の意欲は高いということだ。

 

 闇夜の夜雀、ミスティア・ローレライ。リグルより少し遅れての登場だった。先ほどまでリグルと喧嘩一歩手前の言い合いをしていたが、最終的にはなんらかの形で互いに和解したようだ。その間、紫は気が気でなかった。

 

 蠢く深淵、ルーミア。彼女は木の影からフラッと現れた。現在進行形で体中に血や肉の塊を引っ付けており、なおも謎の肉に噛り付いていた。紫は肉の正体に薄々と感づいたが、敢えて考えることをやめた。ついでにナプキンで顔を拭いてあげる。

 

 何かとお得意さん、多々良小傘。彼女は針物の専属鍛冶屋である。紫はどうせ来て最初に騒ぎ出すだろうと予想していたが、意外にも大人しく、紫のやや後方に陣取った。

 

 氷上の絶対者、チルノと取り巻きの大妖精。こちらは予想通り来て早々に騒ぎ出した。しかしいつもよりも幾分テンションが高く、周りに喧嘩を売っていたので何事かと注視してみると、その後方にいた人物のせいだったようだ。

 

 謎の雪女、レティ・ホワイトロック。紫は彼女を見るのが初めてだった。しかしその凍てつかんばかりの冷たい視線に背筋を震わせ、彼女もまた、ただ者ではないことを知る。少しばかり気温が下がった。

 

 一人産業革命、河城にとりと愉快な河童たち。一言で言うなら装備がメカメカしい。そして何かとゴツくてメタリック。あの周辺だけ三世紀ぐらい未来を行っているなぁ……と紫はしみじみ思う。

 

 友人のようなナニカ、伊吹萃香。いつものように酔っ払いながら千鳥足でやって来た。紫へと伊吹瓢の酒を勧めつつ、新たな酒をねだる。

 

 八雲の式神、藍と橙。集まった者たちを油断なく見据え、騒ぎを起こさまいかと警戒している。一方の紫は彼女たちが集まった連中と問題を起こさないかとハラハラしていた。

 

 最後に我らがへっぽこ賢者、八雲紫。キリッとした凛々しく妖しい表情と佇まいを保ちつつ、お腹を押さえながら蹲っている。

 

 紫にとって錚々たる面子であった。幻想郷で問題を起こすのは大抵ここにいる者たち、つまり紫の怨敵である。だが今日は説教のために彼女らを呼び出したのではない。結束のために呼び出したのだ。

 なお、さとりの書いたメンバーの中には幽香や他数名がいたが紫の独断で削除。またてゐなどのどこにいるか分からないメンバーも削除した。もっとも、欠員関係なしにオーバーキル臭が漂うのだが。

 

 各々が談笑したり敵対したりを好き勝手に行っていた。その光景に腹痛が容赦なく紫のお腹を締め付ける。だがこれより結束式、トイレに入る暇はない。

 紫はお腹を涙目でさすりながら口を開いた。

 

「えー……今日は────」

 

「うらしめやぁぁぁぁぁぁ!」

「───ひゃあっ!!?」

 

 挨拶の直後だった。紫の背後から凄まじい衝撃が生じ、紫は錐揉み前転しながら前方へと吹っ飛んだ。そしてたまたま生えていた木に頭から衝突。ぶつかる寸前に藍が間に入ってクッションとなったおかげで事なきを得たが、それでも全ての衝撃は殺しきれず木をへし折り地面へと崩れ落ちた。

 紫を吹き飛ばした張本人である多々良小傘は悪びれた様子もなく、茄子色の傘をブンブン振り回して体全体で喜びを表現していた。

 

「やったね! 吃驚大成功! やっぱり紫さんは稼げるわー! 今年分の妖力が補充できた──グエッ!?」

「貴様ぁぁ!! 紫様にな、なんということを……! いくら紫様の得意先と言えどもただでは済まさんぞッ!! 橙、お前は腕だ!」

「はい藍様!」

 

 藍がすぐさま小傘の首を絞め落とした。その傍らでは橙が腕ひしぎを決めている。紫というゴングによって打ち鳴らされた一方的な戦いはヒートアップし、周りの野次馬連中が喝采を送った。

 と、しばらくして這い蹲っていた紫が復帰。若干ふらつきながら元の位置へと戻っていった。

 

「そこまでよ……とんだハプニングがあったけど、予定通り結束式を始めるわ。藍、橙……小傘を離しなさい」

 

 紫の命令を受けて即二人は技を解除するが小傘は昏倒、地面へと倒れ伏した。完全に意識を刈り取られているようだ。だが誰も気にしない。紫もあまり関わりたくなかったので敢えて彼女を放置した。

 結果、良くも悪くも先ほどのことで全員の注目が紫へと集まった。

 

「今回貴女たちに集まっていただいた目的は先に話した通り……────まあ察している方もいるやもしれませんが……端的に言うならば私からの懇願ですわ」

 

 八雲紫による直々の懇願。それは紫をよく知る者にとっては衝撃的なものであった。幻想郷最強と謳われる存在からの頼みごとにはかなりの意味がある。萃香を始めとした知己の間柄な者たちだけでなく、リグルなどを始めとした野良勢力も息を呑む。

 

「昨日より出現した、かの紅い館。アレは幻想郷に重大な影響をもたらすものだと私が断定しました。よって、貴女たちの力を借りたい」

あなた(賢者)がたかが館の一つを潰すためだけに私たちにお願いをするの? どうにも胡散臭いわね……なにか裏があるんじゃないの? ま、私はメリットがあって参加したんだからなんでもいいけど」

 

 ミスティアの言葉に何人かがうんうんと頷いた。紫は何のひねりもない救援要請に「胡散臭い」などと言われ結構傷ついたが、すぐに弁解すべく口を開く。

 

「これだけの人数を集めたのは保障に過ぎませんわ。ただ彼方側の戦力が油断できないものである事は事実。万に一つもなきよう、私は幻想郷のために最善を尽くさねばなりません。もちろん……参加してくれた貴女たちに対する敬意は持ち合わせていますわ」

 

 唐突に頭を下げる紫。

 あの八雲紫が、頭を下げた。格上が格下に向けて頭を下げるというのにはかなりの決意と意志が必要であり、まぎれもない上位者である彼女のその姿は、紫の今回の案件にかける思いが見て取れた。そんな信じ難い光景に集まった者たちは目を見開き、そしてふと紫の傍に控えている式へ目を移す。

 藍は鬼神の形相で唇を食いちぎらんばかりに噛み締めていた。橙は歯を食いしばりながらスカートの裾を掴んで自分の激情を押さえ込んでいた。式たちの本音としてはすぐにでも主人がとっている行動をやめさせたい。自分たちにとっての絶対者である八雲紫が頭を下げるという行為は何物にも代え難い苦痛である。しかし、紫が確固たる意志を持ってその行動に及んでいる事を二人はよく分かっていた。だからこそ式である自分たちはひたすら耐えるのだ。

 

 10秒にも満たないお辞儀であったが、そのあまりの光景にミスティアは慌てて「撤回! 今の言葉は撤回! 話を続けてちょうだい!」と叫んだ。

 紫はその言葉を聞いて満足そうに頷くと頭を上げる。これで漸く式たちも心を落ち着ける事ができた。いや胸中は決して穏やかでないが。

 

「打算で動かれた方もいるでしょう。しかし、思惑はどうであれ私は幻想郷のために動かれた貴女たちへ最大級の感謝を示します」

 

 紫はしっかりとそう述べると、本題を切り出してゆく。この集まりは結束会である同時に作戦を伝える場でもあるのだ。

 ちらりと、未だに昏倒している小傘の傍に立つ藍へと視線を寄越す。藍はそれに応じて頷くと空気を横に切った。それと同時に全員の手元にスキマが開き、数枚の紙がヒラリと落ちてくる。きめ細かく数字がびっしりと書き込まれていた。

 

「その数字は紅い館の戦力数ですわ。現時点で分かることは奴等が相当な数を溜め込んでいること、そして同時に質も揃えているということ」

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべながら紙を眺めるチルノや、酔っ払ってそもそも紙を見ていない萃香を除く者たちは興味深げに目を通してゆく。

 紫がさとりの元で悪戦苦闘している間、藍は紅魔館の情報収集に務めていた。紙に書かれている情報の8割が彼女の憶測と推測に過ぎないが、紫は彼女の仕事に全幅の信頼を置いている。疑う余地などあるわけがない。

 

「ねえ大ちゃん。これってどういうこと?」

「え、えっとねぇ……レティさん、チルノちゃんに教えてあげれませんか?」

「ええいいわよ」

 

 取り敢えずチルノの方は彼女の周りの者たちがどうにかしてくれるから大丈夫と判断した紫は、酒を煽っている萃香へと近づく。

 彼女はメンバーの中でも最高級の戦闘力と応用力を有している。またそれと同時に戦闘の際の周りへの被害にもっとも懸念を示さざるを得ないのも彼女であり、よく言い聞かせておく必要があった。

 

「萃香、内容は把握できたかしら? 貴女の動きがキーになってくるかもしれないんだからしっかりしてちょうだいな」

「あー? こんな綺麗な満月の日に飲まず食わずで何をしようっていうのよ! 所詮あの連中の相手なんて私からすれば酒の肴にもならないんだからね! 友人のよしみでわざわざ宴会の予定をキャンセルしてまで来てやったんだ、せめてこんな時くらい心置きなく月を呑ませておくれよ」

 

 やっぱり萃香を候補から除外しなかったのは間違いだったかなと紫は今更になって思い始めていた。しかし来てしまったものは仕方ない、お引取りを願うわけにもいかないのでなんとか有効活用せねば。

 ふと、周りがざわついてきたのでそれとなく耳をそばだててみる。

 

「見て! まかいっていうところからいくらでも食糧を召喚してくれるらしいよ! ふふ、今年はホント凶作だったからね……腹を空かせた蟲たちも満足してくれるといいな」

「へえ無限お肉製造魔法? 何それ便利。その魔法を使ってる奴を連れて帰れば毎日お肉食べ放題なのかぁ……えへへ」

「ふふふ、粗末な肉に興味はないわ。私が目指すのは吸血鬼の肉のみ! 昨日はハズレしか引けなかったけど、あの館には親玉が居るらしいじゃない? 食べれば不死になれる串焼きなんて大儲け間違いなしよ! しかもコウモリは鳥じゃないし一石ニコウモリね!」

 

「私、そのお肉食べたけど別になんも変わらないわよ?」

「それはあんた(ルーミア)だからでしょ」

 

 リグル、ミスティア、ルーミアは何やら血生臭い話をしていた。できるだけ関わるのはやめておい方がいいだろうと、紫はそれとなく距離をとった。

 やっぱり彼女たちのような野良妖怪勢を頼ったのは間違いだったかなと、紫は今更になって後悔し始めていた。

 

 河童たちはごちゃごちゃと意味のわからない専門用語を使って打ち合わせを行っている。大方今回の集会に参加した目的は山の盟約がどうとかというより、兵器の性能実験の面が大きいだろう。

 するとうち一人の河童が紫の視線に気がつき、隊長へと耳打ちする。

 技術戦闘機動部隊隊長、河城にとり。周りの河童が物々しい黒色のアーマーのようなものに身を包む中、彼女だけが水色の作業着を着ていた。

 にとりは一度話を中断して紫の方へと近づいてくる。何も仕込んでいないことを証明するように手をプラプラさせているが、実際そんなことはなんの証明にもなりはしないことを紫はよく知っている。

 

「やあ盟友の盟友、久しぶりだね。こんな機会を作ってくれてありがたく思うよ。……萃香様が参加しているのには驚いたけど」

「まあ……貴女たちが打算ありありで参加したことはよく分かってますわ。河童の科学力を信頼しての判断でした」

「それは正しい判断だよ。ふふ、妖怪の山じゃ包括的化学実験は禁止されてるから、この発明品たちを試す機会がなかなかないんだ。そう、これから行われるのは実戦であって実験じゃない!」

 

 にとりの言葉を聞くと体が脱力してゆくのを感じた。前世紀、にとり主導による河童たちの産業革命が開始され、妖怪の山……ひいては幻想郷が壊滅的なスピードで汚染されていった。それにとてつもない危機感を感じた紫が賢者たちの合意のもとに『包括的化学実験禁止条約』を河童たちと結んだのだ。

 確立された科学技術は河童たち独自のものであるが、材料は幻想郷という地理上どうしても紫に頼らねばならない。それをカードになんとか締結まで持ち込めた紫はそれなりに有能である。

 だがにとりのこの調子だと、実験の禁止だけでは制約が足りないような気がしてきた。ジェノサイド禁止条約も追加しておいた方がいいかもしれない。

 

 その後にとりに兵器の詳細を聞いてみたが上手くはぐらかされてしまった。大方ろくなものではないのだろう。

 今更ながら河童に頼ったのは多分間違いだったと紫は後悔した。

 

 次にチルノたちだが……

 

「────つまり強めなのが四人いて、その上にボスがいるっていうことよ。分かった?」

「分かったわ! つまり親玉の前に四天王がいるわけね。よし、あたいが親玉を倒すから他四人はレティと大ちゃんで倒してね! 途中で死んだりすればお話的になお良しよ! セリフも決めておきましょ! えっとね……レティが『後で必ず追いつく! 先に行けっ!』で、大ちゃんがー……」

「い、いや……私はできれば見学がいいかなーって。あんまりコンテニューはしたくないから。というわけで……レティさんお願いします」

「やだ、この私を噛ませに使うのね。末恐ろしい子たちだわ」

 

 案外ワイワイと楽しくやっていた。なおこの3人は紫や藍が呼んだのではなく勝手に来ていたのであって、そもそもメンバー外であった。

 なお小傘は未だに気絶中。戦いまでに意識が覚めるかどうかも分からない。

 

 紫は今更になって思った。間違いなく人選を間違ってるな……と。脳裏にはニヤけるさとりの顔があったという。

 さて、全員に十分な情報が伝わったのを見計らって紫が声を出す。

 

「それではこれより簡単な方針だけをお伝えしますわ。貴女たちの実力を疑っているわけではないので、大層な策は必要ないでしょう?」

 

 別に作戦を考えてもよかったが、万が一失敗した際に責任を追及されるのは嫌だったので敢えて無策での特攻である。

 

「館の中は広大な迷宮になっていて、その何処か最深部に吸血鬼の王が控えているようですわ。しかし今回私たちが気をつけるべきは敵の強さや館の仕掛けではなく、貴女たちが一箇所に集中して幻想郷へ深刻なダメージが及ぶことです。よって館突入後はチーム、または個人に分かれて散ることになる。そこまでは大丈夫かしら?」

 

 何人かが頷いた。確かに一箇所で自分たちが集中してはその一点における破壊の規模が大きくなってしまうだろう。他の者たちとの連携などが確実に見込めないメンバーなので集中するのは避けたい。

 

「伝えることはそれだけですわ。あと萃香、貴女には門番の相手をお願いするわ。外部からの破壊が館にどのような影響を及ぼすか分からないから、藍がスキマを通して用意した適当な場所で勝負をつけちゃってちょうだい」

「あいあい。門番を倒したら私はさっさと帰るからね。今からなら宴会に間に合うかもしれないし」

 

 萃香との最終確認を終えた。

 あとは殴り込むのみ。

 

「さあ、教えてあげましょう。妖々跋扈する幻想郷の、真の恐ろしさを──!」

 

 なお小傘は最後まで目を覚まさなかったので毛布をかけてその場に放置した。

 

 

 

 ────────

 

 

 

 ──……来たか。

 

 睡拳モードで門に体を預け、襲撃に備えていた美鈴は目をゆっくりと開いた。

 いつになくテンションの高い我が主人に言われるがまま、一切の油断なく精神統一(睡眠)をとっていた彼女だったが、なるほど……これは強い、と納得した。

 

 前方からヒシヒシと身に伝わってくる圧力は、敵が紛れもない強者ばかりであることを否応なしに証明している。自分のことを”枯れた妖怪”だと皮肉っていた美鈴だったが、今宵ばかりは燃えた。

 紅魔館史上、これほどの敵勢が現れたことは果たしてあっただろうか。いや絶対になかっただろう。骨のない敵ばかりで毎日を満たされるばかりの忠誠心と眠気で漠然と過ごしてきた美鈴には、それほどの敵は思い出せない。

 強いて言うならば、まだ若かったパチュリーがやって来た時以来か?

 

 なんにせよ、腕がなる。

 敵がいかに強かろうとこの堅き門をそう易々と突破されるわけにはいかない。

 美しき紅の呼び鈴、紅美鈴。今宵こそそのとめどなき恩と忠誠心を主君へ示す時!

 猛々しく燃え盛る闘志を胸に、いざ叫ぶ。

 

「紅魔館に仇なす棟梁跋扈の妖怪どもよ、この門、そう易々と超えれると思うな! さあ、尋常にしょう────!」

 

「ぶ」は出なかった。

 美鈴は足元からスキマに飲まれた。

 

「藍……。門番が何か言ってたわよ? せっかく言ってくれてるんだから聞いてあげなきゃ。まあ、別にいいけど」

「いちいち下っ端の言うことにまで耳を傾けておられては身が持ちませんよ。それでは萃香、行っていいぞ」

「あいさー」

 

 萃香はスキマへと飛び込んだ。その姿を見届けた一同は前門をくぐり、荘厳な扉の前に立つ。今のところ敵からの反応は門番を除いては何もない。

 

「さて……開けるわ」

 

 紫が扉に手をかける────

 

 

 

 

 

 瞬間、景色にラグが走り各々が光に飲み込まれてゆく。バックドラフト現象という物騒な仮説が紫の頭をよぎると同時に光が収まった。

 景色は変わっていた。心地よい夜風は消え、代わりにカビ臭い匂いが体を包む。周りには見渡す限りの本、本、本……。

 どうやら転移型魔法陣が発動する仕掛けになっていたようだ。紫の周りには藍と橙しかいない。他の者たちは違う場所へ飛ばされたのだろう。

 

「あらら、パチュリー様! こっちに来るのは二人だけのはずでしたよね? なんか三人来てるんですけど!」

「む、誤差……?」

 

 紫が藍たちと言葉をかわす前に二人組の声が大図書館に響き渡った。

 目の前には魔女っぽい魔女と悪魔っぽい小悪魔がいた。藍と橙が紫を守るように陣を取り、紫はビビって身構える。

 

「紫様……どうやら他の者たちと分断されたようですね。我々は恐らく式としての繋がりが強いゆえに、三人一緒に飛ばされたのでしょう」

「手間が省けたということね」

 

 紫は内心ドギマギしながら答えた。下手したら自分一人だけで館に取り残されていたのだ。そうなっていれば恐らく、自分の命はなかっただろう。

 

「まあ、二人でも三人でも同じこと。私の前には等しく無力よ」

「ふむ……分かりました。それではリハビリも兼ねて景気よくいかせてもらいましょうか!」

 

 パチュリーの一声により彼女の周りには数千の魔法陣が一瞬で生成された。またその隣では小悪魔が妖怪の山で見せたものと同規模の呪いを撒き散らす。パチュリーと小悪魔、二人が互いの魔力を増幅し合っているようだ。

 

「……っ! 中々の手練れのようだな。橙、我々もいくぞ」

「はい、藍さまっ!!」

 

 二人の強さを把握した藍は目を細めると袖下から何枚もの式札を展開してゆく。そしてそれら全てが藍の姿を形取った。橙もそれに続くようにその身から膨大な妖力を溢れ出させてゆく。

 そして……

 

(ちょ、待ってホント待って!私死ぬから!マジで簡単に死ねるから!ていうかなんで!?なんでスキマが開かないのよぉぉぉぉ!!)

 

 一人激戦地に取り残されたか弱い紫はおろおろしていた。

 スキマを開いてなんとか逃げようとしたのだがパチュリーの計略によって空間が締め出されており、外にスキマを繋げることができなかった。その結果、動揺しながら逃げ場所を探しているのだ。

 

「無限の魔法をくらいなさい。水、土、火、木、金……貴女たちはどれで死ぬ?」

「沈め、淀め、そして狂い死ね!」

 

「八雲を舐めてくれるなよ。紫様の目の前で失態を見せるほど、この私は決して弱くないぞ」

「藍さまも、紫さまもいるっ! よって無条件であなたたちの負けだよ! だって負ける気がしないんだもん!」

(ああああぁぁぁ!! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 私死んじゃうぅぅぅ!!)

 

 四人が一斉に術を解き放った。

 ──ドンッ!と爆音が鳴り、それと同時に世界に閃光と破壊が降り注ぐ。

 紫は踏ん張ることができずになす術なく吹き飛ばされた。そしてその先にあった物々しい扉へと頭から激突。バンッ、と開いた扉に引き摺られるように吸い込まれてゆき、そのまま薄暗い地下へと続く階段を転げ落ちていった。

 

 

 ────────────

 

 

 スキマに落ちた二人が相対したのは青々しい若草たちが元気に伸びている静かな野原。幻想郷南西部に位置しており、近くに住んでいる妖怪や人間は皆無であるという無人地帯である。

 遅れて参上した萃香の目の前には、いじけながら小石を蹴っ飛ばしている美鈴の姿があった。

 

「ひどい……せっかくかっこいい口上を考えてたのに……。ていうか門を突破されちゃいました。咲夜さん、許してくれないだろうなぁ」

「おーい、さっさと相手をしておくれよ。鬼は正々堂々の勝負を好むんだ。無抵抗な相手をいたぶる趣味は生憎持ち合わせていなくてねぇ」

「あっ、これは失礼!」

 

 美鈴は慌てて萃香に向き直ると拳と手のひらを合わせて軽くお辞儀をする。そして右手を開いて前へ、左拳を横腰に添えて構えを取る。

 その姿勢に萃香の表情が段々と面白いものを見るものへと変わっていった。

 

「へぇ、妖怪の身で武道を収めたか。こりゃ珍しいものだ……ねっ!」

 

 ──ダンッ!と軽く萃香が四股を踏む。その結果として大地は砕け、幻想郷には一つの谷ができた。鬼の……いや、萃香の力ならば造作もないことだ。

 

「確かに、妖怪の身で武道を収めたお前は変わり者だよ。その技術も称賛すべきレベルまで高めているのを佇まいだけで見て取れる。悪いね、正直雑魚とばかり思ってた。だけど……()()()()()は我ら鬼には、何の意味も持たないんだ」

「……!」

 

 古き豪傑。この言葉がここまで似合う存在は他といまい。萃香は不敵な深い笑みを浮かべた。それだけで身にかかる重圧が何倍にも膨れ上がる。

 美鈴は相対する目の前の鬼に呑まれかけた。未だに呑まれないのは、ひとえに美鈴が強者にあたる存在であるからだ。

 

 萃香の無茶苦茶な破壊の暴力に、美鈴は軽く一笑した。決して侮蔑のものではない。しかし、称賛のものでもない。

 なるほど、確かに規格外。殴り合いならばまず間違いなく勝てないだろう……殴り合いならば。自分には、技がある。

 自分の類いまれなる身体能力にかまけず、日々ひたすら技を磨き続けて数千年。その1日1日が美鈴の全てを押し上げた。

 

「ふふ……お嬢様が楽しみにされるわけですよ。……我々従者も、たまにはハメを外しても、許されますよね?」

 

 美鈴の体から濁流のように虹色の妖力が流れ出す。すると美鈴の周りの地面が揺れ抉れ、彼女を中心にクレーターが出現してゆく。その規模は萃香の目を大きく開かせるほどのものだった。

 美鈴がここまで力を解放するのは珍しいことだ。普段の彼女なら最小限の力で相手を抑え込みにかかり、速やかに無力化する。だが今の彼女は正真正銘のフルパワー。

 萃香は犬歯を剥き出しにして愉快に笑う。

 

「ハハッ! いいじゃあないか! お前さんは久しく見る強者だ! さぁて……とんだ酒の肴だ、酔いが醒めるまでやり合ってやろう!」

 

 萃香が腕を振り上げ────

 

「──ッ」

 

 タ、タンッ、とたたらを踏んで後ろに倒れた。その目の前には姿勢の変わらない美鈴の姿のみ。萃香は重力に従って仰向けに寝転がり、笑いを漏らす。

 

「顔に五発、首に四発、オマケに鳩尾を一発……か。面白い動きをするもんだね」

 

 むくりと萃香が起き上がる。口からは一筋の細い血が滴っていた。何気なく腕で血を拭う。そして美鈴を一瞥した。

 

「さて、次は──私の番かな?」

 

 音が遅れた。

 気づけば美鈴は後方へと吹っ飛び、受身も取れずに地面を引き摺られた。腹からはジンジンと痛みを感じる。これらが意味することはただ一つ。

 

「……っ! 殴られたか。油断したつもりは、なかったんですが……」

 

 痛みを堪え、腹を抑えながら前方を見やる。

 接近するは最強の鬼。本来ならば遥か格上の相手。だが……捉えられない相手ではない。

 

「さて、いきますかッ!!」

 

 美鈴は地を蹴った。

 

 

 

 ────────────

 

 

 

「あら、チルノ? 大ちゃん? ……困ったわねぇ、もしかして逸れちゃったのかしら。一緒に回ろうって約束したのに」

 

 一人転移されたレティはキョロキョロとあたりを見回す。彼女以外に存在しているのは真っ赤な廊下だけ。他には何もない。

 冬、それも吹雪吹き荒れる大寒波の日を好む彼女である。白銀の世界が彼女の世界だ。そんな彼女がこの風景をよしと思うはずもなく、目に見えて機嫌を落としていった。

 

「目が痛いわぁ……派手な色はあんまり好きじゃないのよ私。さっさと退館しましょう。ねぇメイドさん、出口はどちら?」

 

 レティの冷たい声の響きが廊下に響き渡る。

 

 ──彼女は今いた。そう、たった今からレティのちょうど真後ろにいたのだ。

 

 ナイフで一突。それだけで終わる簡単な仕事だった。

 だがレティの言葉を受けて思わずナイフの手を止めてしまった。まあ、いつでも殺せるのだ。今殺そうが、殺さまいが関係ない。

 咲夜は無機質な目でレティの背中を見つめると、素っ気なく言い放った。

 

「申し訳ございませんが、アポを取得せずに館へ入られた方を客人としてお出迎えすることはできません。よって案内ではなく、私による強制退去という形になります」

 

 

 

 

 

「ただし、この世からですが……」

 

 時を止め、ナイフを振りかぶる。咲夜の一閃はレティの体を易々と引き裂いた。

 たわいもない、流れるような作業。別に咲夜はどうも思うことはない。ただまた一人、格下の妖怪を消しただけ。ただそれだけのこと。

 そして、時は動き出す────

 

 

 

 

 

 

「いやぁね、刃が冷たいわぁ」

「──ッ!?」

 

 レティ・ホワイトロックは何もなく空気を漂っていた。今確実にあの身を切り裂いたはずだったが……?

 咲夜のナイフは傷魂を可能とする。つまり実体のない敵を切り裂くのだ。だがレティには何も変わった様子がない。

 想定外の事態に混乱する咲夜を尻目に、レティは冷たい流し目を彼女へと向けた。この世のありとあらゆる冷たさが内包されたような……悍ましい目だ。

 

「ああ、メイドさん。勘違いしているようだから一つ言っておくけど────私って、貴女よりも随分と格上よ? 大丈夫?」

 

 

 

 ────────────

 

 

 

「どういうことなの……?」

 

 レミリアはデスクの上で唸った。

 本来の計画ならば侵入してきた妖怪たちを分散しつつ八雲紫を自分の目の前に持ってくる手筈であった。現に転移魔法はしっかりと発動している。

 だが、レミリアの目の前には誰もいなかった。

 魔法陣を張ったのはパチュリーであるが、彼女に限って失敗はないだろう。そこのところはレミリアが一番よく分かっている。

 ならば後に考えられる理由は……第三者による妨害を受けた、ということ。

 

「……私は我慢が嫌いでねぇ、待つのも大っ嫌いなのよ。楽しみを先延ばしにされた私の無念、どう晴らしてあげましょうか。……いるんでしょう? 姿を見せなさい」

「……ッフフ」

 

 笑い声とともにゆらりと空気が揺らめいた。

 不可視のものが束になって一つの形を成してゆく。無より生まれ出でたその存在は、じわりじわりと自らの深淵を広げて紅を飲み込んでいった。

 レミリアは持っていたティーカップを投げ捨てると、右手より紅い波動を走らせる。波動は形を成し、妖力吹き荒れる神槍となった。

 振るわれた神槍が空間を切り裂き、三日月の付いた杖によって受け止められた。互いの妖力が反発し合い火花を散らす。

 

「……貴女はお呼びじゃないわね。たかが悪霊風情がこの私に……いったい何用かしら? 返答次第では────」

「うふふ、何を言っているの? この私が相手じゃ、不満だって言うのかい?」

 

 ──ゾワッ、と鳥肌が湧き上がった。彼女が言葉を発するだけで空気は一変し、神槍から伝播してくるドス黒い闇の深さにレミリアの表情が歪む。

 いや、違う。闇が放出されているのではない。闇が彼女に吸い込まれているのだ。

 

「それは傲慢っていうものじゃないか? 西洋コウモリ風情が生意気に」

「ふん、何が傲慢なものか。私の前には実力なんて関係ない、私が上に立つという運命が成り立っている時点で、なるべくして私が頂点なのよ。頂点に傲慢なんてものは存在しない。それが事実だから」

 

 レミリアは目の前の異質な存在を感じつつも、そう言い放った。生まれてこのかた、彼女はたった一つを除いて絶対であり続けた。

 彼女にとってはその一つが致命的だったのだが、それは妹が補ってくれた。妹がそれをレミリアに気づかせてくれたのだ。

 相対する者は鼻で笑った。そして杖を振るいレミリアから距離をとると、その艶やかな緑髪を凪いだ。

 

「まあ、あんたがどう思おうと勝手だけどね。口ならばどうとでも言える。全ては結果さ、結果のみが全てを実証するカギとなる」

「ええよく分かってるじゃない。だから貴女はここで思い知るのよ。私の邪魔をしたことがどれだけ愚かで、どれだけ許されざることだったのかをね! 現世にしがみつく無象の魂よ、チリと消えろ!」

「さぁて、どうかね……?」

 

 

 

 ────────────────

 

 

 

「────……ぃぁぁぁああああッ!?」

 

 地下へと続く階段をひたすら転がり落ちてゆく。止まろうにも勢いが強すぎて自分の力では勢いを殺しきれない。いっそのこと障害物に当たってくれればまだいいのだが、階段は永遠とも思える長さで直線に伸びていた。よって紫はただ叫びながら転がるしかないのだ。

 

「怖いいぃぃぃぃぃ!! 気持ちわるぅぅぅぅぅぅぅぅ!! オェェェェェ!!」

 

 麗しの淑女がおおよそ出していいものではない絶叫を上げる。もとより今日の紫は体調がとりわけ不安定であった。頭の激しい揺れはかなり堪える。

 紫は思った。いったい私が何をしたというのか。なんで私はローリン()()()になっているのか。なんで誰も助けてくれないのか。お願い誰か助けて……できる範囲ならなんでもしますから。

 口からいけないものを吐き出しながら紫はほろりと涙を零した。

 と、ここで願いが叶ったのか階段は唐突に終わりを告げ、紫は勢いよく壁に叩きつけられた。

 

「ふぎゃっ!?」

 

 踏まれた猫のような声を上げたこの淑女が幻想郷最高にして最強の賢者であると誰が信じれるだろうか。

 ずるずると重力に従って紫は地面に落ちた。しばらく蹲って痛みに悶えた後、フラつきながら立ち上がる。心身ともにボロボロだ。

 

 涙を拭いながらふと前方を見てみる。そこにはこじんまりとしたドアが一つ。埃だらけであり、しばらく使われていないことが見て取れた。

 古い館……地下……使われてない扉。これらのワードから導き出された紫の答えは……

 

「宝!? もしかして金銀財宝!?」

 

 ……大層残念なものであった。

 自然とニヤける表情を抑えつつドアに手をかける。紫の脳内は金銀財宝を換金して何を買おうかという非常にお花畑なものだった。

 そんな彼女はドア越しに漏れ出す無色の狂気に気づくことができなかった。

 

 ──ガチャ

 

 ドアは簡単に開いた。

 室内は薄暗く、本棚がまばらにあるだけ。紫の予想は裏切られた。無駄にショックを受けながらふと、部屋の中央に置かれていたベッドに目を移す。そこには一人の少女がうずくまって座っていた。

 明るい金髪にナイトキャップと赤いドレスを着込んでいる。なにより目を引いたのは七色の宝石がぶら下がった翼。妖怪であることは間違いなさそうだ。

 紫は眉をひそめてその少女を覗き込む。疑う気持ちは微塵にもなかった。普段の紫なら少しぐらいは警戒するだろうが、疲労困憊の状態と予想を裏切られたショックで考えが及ばなかったのだ。

 

「……ごめんくださいな」

「────?」

 

 少女は顔を上げる。光のない瞳からは少しばかりの喜色と興味が窺えた。

 

「こんばんは。勝手にお邪魔してごめんなさいね。迷惑じゃなかったかしら?」

「……いいや、別に。ところで貴女は誰なの? ご飯をくれる人? それとも一緒に遊んでくれる人?」

 

 紫は少しだけ考えて答えた。

 

「私の名前は八雲紫。言うならば……招かれざる客といったところかしら」

「……そう、どっちでもないんだ」

 

 少女は無機質な瞳を紫へと向け続けた。悲しんでいるのだろうか?

 その姿を見て紫は胸にチクリとした痛みを感じる。霊夢を持つ身としては、やはり子供が悲しむ姿は見たくない。

 ご飯をくれる人……つまり食事運搬役であろうか。生憎、今の紫は食料を持ち合わせていない。スキマに保存食があることにはあるが。

 次に一緒に遊んでくれる人だが……これなら別にいいんじゃないかと思った。上に上がろうにも藍たちの戦闘が終わらなければどうすることもできまい。この部屋に避難させてもらう間だけ話し相手にでもなってあげればいいだろうか。

 

「上がちょっとばかりうるさいのよ。少しの間だけここに居させてくれないかしら? 遊び相手……というか話し相手ぐらいにしかなれないけど」

 

 少女はその言葉に笑顔を見せた。紫も一安心である。

 

「ありがとう、えっと……ゆかり、だっけ?」

「ええ、紫よ。八雲紫」

「そっか、紫かぁ……いい名前。私はフランドール。フランドール・スカーレットよ。お姉様やみんなはフランって呼んでるわ」

「フランドール……フラン。可愛らしくていい名前よ。これからよろしくね」

 

 紫はフランドールへと手を差し伸べる。西洋らしく握手で応じようと思ったのだ。

 だがフランドールはそれに応じず、紫の眼前へと手を伸ばす。そして掌を翳した。

 

「うん、ありがとう紫!私、貴女のこと絶対に忘れないからね!」

 

 フランドールは、ナニカを握り潰した。

 




みんなのもくてき!

リグル→肉
ミスティア→肉
ルーミア→肉
チルノ→ノリ
大妖精→心配
レティ→戯れと色々
小傘→吃驚うめぇ!
にとり→実験という名の実戦
萃香→酒、友の好、酒
藍→紫様万歳!
橙→ゆかりしゃま万歳!
紫→幻想郷は私が守る(`・ω・´)キリッ

うちのふとましさんはレティ提督なんですよ。うん。
次回で吸血鬼異変終わるかな?終わるといいな。

評価、感想を頂ければ作者がモリヤステップを踊りだします。おまけにラッセーラもつけちゃう!


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吸血鬼異変──終結*

キミは生き残れるか?(無理)




 チルノと大妖精は広々とした大広間に転移させられていた。

 その八方には転移陣が敷かれており、魔界から次々と使い魔が召喚されている。

 しかし二人はそんな状況を意に介すこともなく、はしゃぎ回っていた。

 

「大ちゃん、レティはどこいった!?」

「うーん……離れ離れになっちゃったみたいだね。ほら他のみんなもいないし」

「全く、どいつもこいつも臆病者ばかりなんだから。まあいいよ、レティやリグルやみすちーは我が四天王の中でも最弱!」

「あー……四人中三人が最弱ってどうなのかな? しかもリグルちゃんもミスティアちゃんも多分、私よりも強いと思う」

「そんなことどうでもいいわ! あたいと大ちゃんだけで戦力は十分! 親玉の場所まで一気にいっちゃいましょ!」

「うんうん、確かにそれが一番だよね。けど場所が分からないよ?」

 

 大妖精はチルノの言葉に素朴な疑問を返してゆくが、チルノはそれに回答せずに次の話題へと移った。大妖精の方も別に彼女からの回答は期待していなかったようで、次なるチルノの出した話題に相槌を打っている。

 

 妖精というのは自己中心的な存在であるが、そうして見ると大妖精という妖精がどれだけ異質なものであるかが容易に理解できる。そうでなければ相槌を打つという行為などできるはずがない。

 また、それらは大妖精の日々の生活にも出ている。

 大妖精は霧の湖のまとめ役であるが、彼女がこの役に甘んじているのは妖精たちの中で格段に精神が成熟しているからだとか、そういう理由ではない。

 確かに普通の妖精に比べれば大妖精は大人びているようにも見えるし、比較的には理知的だろう。

 だがそれらはただチルノの役に立ちたい、チルノをもっと立たせてあげたい。その一心によるものである。献身的な彼女の異質な性質が、それを生んでいるのだ。

 

 二人が駄弁っている間にも、召喚された使い魔たちが彼女らを囲ってゆくのだが、二人はなおも気に留める様子はない。チルノと大妖精にとってこの程度の使い魔ごときであれば、目を向ける必要すらない。文字通り眼中にないのだ。

 

 しかし使い魔たちにしてみれば、訳も分からずに強制召喚されたと思えば、目の前では(見た感じ)普通の妖精2匹が自分たちを意に介す様子もなくただ意味の分からないことをほざいている。

 場の状況が飲み込めないこともそうだが、たかが妖精ごときがこちらに一瞥もくれないことは、プライドの高い高位悪魔である使い魔たちにとって非常に許し難いことだ。見過ごすわけにはいかない。

 

 雑魚妖精ごときを殺しても、使い魔たちには暇つぶしにすらなりはしないが、今の鬱憤を晴らすにはもってこいの相手だ。

 取り敢えず軽く消し飛ばしてやろうと、一人の使い魔が指先に魔力を集中させ……

 

 ──ゴロリと、使い魔の()()()()()

 首の断面から噴水のように血が噴き出し、真っ赤なフロアをさらに紅く染めてゆく。なんの前触れもなく広がったその光景に、使い魔たちへと動揺が走る。何が起こったのか全く理解が追いつかない。

 

「チルノちゃん、ちょっと待っててね?」と大妖精は言うと、ゆらり……と使い魔たちへと視線を向ける。おおよそ、妖精が出すような雰囲気ではない。耳が囁くのは、濃厚な死の気配。

 

「私とチルノちゃんの遊びを邪魔しないでくれませんか? あなたたち如きに、チルノちゃんが構ってあげる時間はないんですよ」

 

 大妖精が手を掲げると同時にゴウッ、と突風が吹き、使い魔たちは一斉に床へと倒れ伏す。全員が首を一迅の刃のもとに切られていた。

 全員の死亡を確認した大妖精は羽を羽ばたかせ、黄金の風を巻き起こす。浄化の風は使い魔の体を光の粒として分解し、空気に還した。

 

 片付けを終えた大妖精がチルノへと向き直る。だが彼女は振り返ると同時にむにょん、とほっぺたを両手で押さえられた。

 ひんやりとチルノの腕から冷気が伝うが、大妖精はそれが気にならないほどに顔へと熱を感じた。顔はすでに真っ赤だ。

 

「チ、チルノちゃん……?」

「大ちゃん、なんで一人で片付けちゃったのさ。ここはあたいとのハイパーコンビネーションってヤツで背中合わせに戦う場面でしょ!」

「いやチルノちゃんに迷惑かなーって思って……。逆に迷惑だったかな?」

「そんなことはないけど……もういいや。もう一回やればいいだけだしね」

 

 チルノはそう言うと、部屋の温度を急激に引き下げてゆく。部屋中が凍りつき、絶対零度を下回る。勿論、大妖精に被害が及ばないように限定的に狭めた範囲のみであるが。

 そして数秒後、時は逆転し浄化されたはずの使い魔たちが復活する。

 当の本人たちは何が起こったのか理解できずに右往左往するだけであった。

 

「これでよし。いい? 次は一気に殲滅するんじゃなくて、じっくりコトコト煮込んでいくのよ! そして大ちゃんは戦いの途中であたいを庇って負傷、あたいに全てを任せて死んじゃうの! そしてあたいは亡き大ちゃんとの思い出を胸に最終決戦に挑む!」

「あーうん、えっとなんていうか……私、死ねないんだけどなぁ……」

 

 

 ────────────

 

 

 

 部屋中を蠢々(しゅんしゅん)と小さき者たちが隙間なく蠢き、合間から聞こえるは幽かな美しき狂気の歌声。そして闇に溶けた者たちが最期に見たのは、張り裂けた真っ赤な口膣だった。

 

 そもそも彼らと彼女らで勝負など成り立つはずがない。なぜならこれは上位者による一方的な捕食活動なのだから。

 

 バリバリと大小様々な咀嚼音が部屋に響き渡る中、リグルとミスティアは暇そうに部屋中央に座り込んでいた。その傍らでは蟲たちに紛れてルーミアが一心不乱に使い魔の肉へと食らいついている。

 

「はあ……いくら探しても吸血鬼はなし、かぁ。もう全滅しちゃったのかなぁ」

「まあまあそう落ち込まないで。みすちーの料理はやっぱり八目鰻が一番なんだからさ、無理に吸血鬼の肉で客を釣らなくていいんだよ。なんなら私が蟲たちでいっぱい宣伝してあげてもいいのよ?」

「それじゃ人間の客が寄り付かないでしょ。まったく、リグルもルーミアも気楽なもんで羨ましいわー……」

「そう言わずにさ。ほら、このお肉もなかなかいける」

 

 巨大なカミキリムシが持ってきた薄い肉をリグルが摘む。ミスティアも一度お店のことを頭から離し、少しばかり騒がしい晩餐に参加した。

 

 結局、吸血鬼のお肉は手に入らなかったもののリグル配下の蟲たちやルーミアは腹を膨らませ、ミスティアは歌ってリフレッシュすることができた。

 結果オーライというやつだろう。

 

 

 

 ────────────

 

 

 転移の際、他の者たちより一歩引いた場所に居た河童たちは、転移されることなく正面玄関に留まっていた。

 間も無くして大量の使い魔が召喚されたのだが──ここも例に漏れず。

 

「オラァァッ吹っ飛びやがれェェェ!!」

「爆ぜろやゴラァッ!!」

「ギョーンとしてドカーンッ!!」

 

 河童が銃のトリガーを引くたびに使い魔たちの体が内から弾けてゆく。エネルギーを圧縮して敵の内部に送り込み、内から外へと破壊する河童の新兵器である。いくら必死になって躱そうとロックオン機能付きなので躱しようがない。

 中には捨て身の一発を入れる使い魔もいるのだが、渾身の一撃もハイメタリックなパワードスーツを貫通することはできず、その使い魔はパワードスーツから放たれたレーザービームによって瞬時に肉塊へと変化する。一方的な蹂躙であった。

 

「ヒャッハァァァァ!! 汚物は消毒だァァァァァ!!」

 

 一人、時代錯誤な火炎放射器を持ち出して使い魔たちを火だるまにしてゆく河城にとり隊長。確かに性能としては防御、回避不能な最新型の銃のほうが格段に上だろう。しかし彼女が今回追求したのはロマンなので特に問題はない。

 唯一問題があるとすれば水の妖怪やら水子の霊やら言われている河童が火炎放射器とはこれいかに、という点ぐらいか。にとりにすれば些細なことだ。

 

 と、そうこうしているうちに使い魔軍団は全滅。部屋には判別不可能なまでにグチャグチャになった肉塊と、焼死体だけが残った。

 

「隊長、殲滅完了しました!」

「よし、尻子玉を回収した後に次なる獲物を探して移動を開始する! 次はスーパー光化学迷彩と核熱ブレードを試していくよ!」

『イエッサー!』

 

 

 ────────────

 

 

「パ、パチュリー様ッ、地下室への扉に結界をつけてなかったんですか!? なんかどさくさに紛れて突破されてるんですけど!」

「……いや、そんなはずはないわ。確かに今も結界は発動している。あの妖怪が何かしたと見るべきね。見たところ普通の妖怪ってわけでもなさそうだったし」

 

 慌てる小悪魔を落ち着けるようにパチュリーが言うが、当の彼女もそれなりに焦っていた。

 フランドールを無理に刺激した結果はパチュリーでさえも推測できない。何れにせよろくな結果にはなりそうになかった。

 

 一方、いつの間にか忽然と姿を消している主人に藍と橙も慌てていた。

 紫が勝手に行動を開始することは今に始まった事ではないが、彼女の守護を第一の主命としている式神二人にはあまりよろしくないことである。

 

「また紫様は御勝手に……!」

「藍さま! 私がここを抑えますのでその隙にあの扉へと────」

「ダメだ。お前といえどもあの二人を相手にするのは些か荷が重いだろう。おまけに、彼方さんはこれ以上あの扉の先へ通したくないらしい」

 

 パチュリーと小悪魔は扉を遮るように立っていた。彼女らとしてはこれ以上の余計なイレギュラーは、是が非でも避けねばならない。

 パチュリーが両手を翳すとともに、二種類の光が満ち溢れてゆく。全てを包み込む優しい光と、全てを照らす激しい光だ。

 相反する二つの輝きは互いを増幅させながら威力を増してゆく。

 

「ここから先は絶対に通さないわ。柄じゃないけど……この先に行きたければ私を倒してからいきなさい。──日&月符(ロイヤルダイヤモンドリング)

 

「柄じゃない」と言いつつ、パチュリーは結構やる気満々で己の最大火力を持ち出した。さらに周りでは五色の魔法陣が浮遊してさらなる追撃の準備が完了している。パチュリーの意外な本気度合いに小悪魔は表情を引き攣らせた。

 

「……強制憑依(ユーニラタルコンタクト)

 

 対して藍は式札を数十枚展開。その一枚一枚が藍の姿を形作り、全てに意思が宿る。

 単純に考えて藍が数十人である。

 この状況下においてもいつも通りの堅実な戦法を取る藍であるが、完璧にプログラム通りの行動をこなすことこそが式としての弱点であり、最大の武器でもあった。

 

「橙。一人でやれるね?」

「勿論です! どーまんせーまん!」

 

 藍の言葉に橙は大きく頷くと熱り立ち、高速で九字を唱えながら縦と横に指を切る。そして橙から魔除けの力が飛び出し、小悪魔の呪いを祓ってゆく。

 魔の者である橙が魔除けを使うのはプログラミングした藍(に要らない助言をした紫)によるそれとない皮肉である。

 

「小悪魔、止めなさい」

「了解です!」

 

 それすらも飲み込まんと小悪魔はさらに呪を撒き散らす。さらに影が蠢き、数本の黒い触手が飛び出した。

 

 互いが己の主人の為に全てを尽くす。

 策士と知恵者の攻防はまだ終わりそうにない。

 

 

 ────────────

 

 

 

 猛る武人は、鬼の前に屈した。

 攻防自体は美鈴の有利に進んでいるように見える。現に萃香の被打は美鈴のそれと比べて10倍ほどの差があった。

 しかし、萃香は全く堪える様子を見せないのだ。さらには萃香の一撃が果てしなく重い。攻撃が入るたびに美鈴の意識が飛びかける。

 

 荒々しく肩を上下させ空気を取り込むが、体力は一向に回復しない。己の内を巡る気脈が乱れている証拠だろう。外界より外気を取り入れてなんとか調節してゆく。

 もっとも────。

 

「──鬼の前で休憩とはいい身分ね? 休憩や洗濯っていうのはさ、鬼の居ぬ間にやるもんだよ。じゃないと……こうなるっ!」

「──ッ!?」

 

 目の前の鬼はそれを許すほど愚かではない。

 萃香が軽く腕を振ると凄まじい衝撃波が空気を走り、地を抉りながら美鈴へと迫る。不可視の攻撃ゆえに、衝突のタイミングを計るにはその破壊活動が及んでいる範囲をよく見るか、風と気配を感じなければならない。

 一流の武闘家である美鈴にとってその程度のことは朝飯前であるが、問題は……鬼が同時に衝撃波と変わらぬスピードで美鈴に突撃してきていることだ。なんの変哲もないショルダータックル、それが質量ある物にとって、何よりの脅威であった。

 両方ともに即死級の一撃。どちらか一方でも喰らえば、強靭な肉体を持つ美鈴でさえも良くてバラバラ、悪くて粉微塵であろう。

 

 だが、この程度で陥ちるような存在だったのならば、紅美鈴という妖怪は紅魔館の門番など務めていない。この程度で死ぬような妖怪であったのなら、伊吹萃香とここまでの戦闘は行えていない。

 

「……フッ!」

「っ! と……!」

 

 美鈴は右手をしならせ萃香を封じ、同時に衝突した衝撃波を左手でいなして萃香へとぶつけた。凄まじいエネルギーを相手取るには、それと同程度の技術力が必要だ。美鈴の技は萃香の破壊を操れるほどに卓越されていた。

 萃香の鬼としての範疇すらも遥かに超越した強靭な肉体は、最強の矛にもなれば、最強の盾にもなる。不条理をまさに体現したようなスペックである。だからこそ、不条理をぶつけ返すしかない。

 矛盾を相手取るには矛盾しかないのだ。

 

 最強の矛と最強の盾の衝突。その結果は相殺であった。だがそれでいい。

 ほんの僅かなスキ、それさえあれば美鈴はどこまでも戦える。

 

 鋭い掌底打ちを萃香の首に打ち込み、続けて右、左と顎を連打。そして俄かに仰け反った萃香の顎先へと烈火の豪脚による足刀。

 流石の萃香もたたらを踏むが、美鈴は震脚を容赦なく踏み込み、追撃を浴びせかけた。

 細胞の隅々までに気を張り巡らせることによって元々の数倍まで能力が底上げされた身体から繰り出される鉄山靠は、萃香の鳩へと突き刺さった。

 

 ──バンッ、と肉の弾ける音がする。衝撃に空気が震え、あたり一帯が陥没した。

 八極拳のその由来とは、”八方の極遠にまで達する威力で敵の門を打ち開く”……という旨であるが、簡単に例えるならばゼロ距離からの大砲による砲撃と言ったところか。

 人間の身体と技術をもってしてそう言わしめる八極拳奥義の鉄山靠である。能力、技ともに人間とは一線を画した美鈴による鉄山靠は、文字通り威力の桁が違う。その一撃は萃香へ届き得る。

 

「ぐっ、カハッ……ハッハッハ!」

 

 届き得た、はずだった。しかし萃香は数メートル後方へと吹き飛び、口から少量の血を吐き出したのみ。しっかりと地に足をつけて踏みとどまった。

 そして浮かべたのは壮絶な笑み。恐怖や苦痛は微塵にも感じられない。ただ在るのは歓喜と興味だけだった。正直、美鈴は相手が自分と戦っているのか……それとも遊んでいるのか。それすらもよく分からない。

 

「いいね、いいねぇ! やっぱりどつき合いはこうでなくちゃ!血と汗滾る死闘、最高だ! さあ、次は一体どんな技を見せてくれるんだい?」

「……やっぱり遊ばれてますか」

 

 一つずつ引き出しを披露させられている。そして、それらを全て完膚なきまでに力で正面からねじ伏せてゆく。太古より人間へと振るってきた圧倒的暴力と恐怖は未だ健在であった。

 

 美鈴はビリビリと萃香の重圧によって震える体を引き締め、地に足を突き刺した。

 なるほど、強い。自分では及ばない。

 

 

 だが、──勝てない相手ではない。

 

 

「貴女は強い。それも果てしなく、底が見えないほどに。正直、今すぐ降参したい気分ではあるんですがね……立場がそれを許してくれない」

 

 心底これ以上の戦闘が嫌だという気持ちを隠そうともせず、美鈴は苦笑混じりに呟いた。

 その言葉に萃香は眉を顰める。せっかく盛り上がってきたところだという、このタイミングで気分を削ぐような美鈴の言葉は気に入らなかったようだ。

 なんとか彼女の闘志を捻り出させてやろうと、萃香は挑発の言葉を投げかけようとする。しかし、それは萃香の杞憂であった。

 

「この技は……出来れば使いたくなかった。これは私の武人としての信条に反するものですから。だけど、私は武人である前に門番であって……護るためならば手段を選ばない。貴女を倒してお嬢様の元へ駆けつけなければならないのだからッ!」

 

 美鈴は叫ぶ。そして握りこぶしを手のひらへ押し付けると、気を練り始めた。

 それとともに膨大な力が美鈴より溢れ出し、その身へと吸い込まれてゆく。

 無尽蔵かと思えるほどに美鈴の妖力が高まり、そのエネルギー密度はどんどん過密になる。明らかに美鈴の身の丈を超える力であった。

 萃香はその現象に一瞬だけ首を傾げたが、すぐに納得して壮絶な笑みを浮かべた。

 

「本当に飽きない妖怪だよ。実に多彩で、老獪! そして無謀だ! 幻想郷をお前一つの身に抑えつけるつもりなのか! ハッハッハ、度胸は買うがね!」

 

 神秘の交錯点として存在する幻想郷が内包するエネルギーは、大陸にも匹敵するだろう。

 現に猛者たちによる破壊でも、幻想郷は壊れず今も存在し続けている。紫や藍による管理の賜物でもあるが、幻想郷自身の頑丈さが占めるウェイトが大きいことも事実である。

 

 そんな幻想郷のエネルギーを吸い上げることによって、美鈴はその身に力を宿そうとしているのだ。無謀な行為だと言わざるを得ない。

 鬱蒼と茂っていた草花は枯れ果て、砂と散ってゆく。代わりに美鈴の体から吹き出る紅蓮のオーラは、なお一層力を増して幻想郷を覆っていった。

 

 萃香はしばらく笑みを浮かべるだけであったが、美鈴の力が増幅するに連れて目を鋭いものにしてゆく。美鈴の紅蓮のオーラが自分の鬼気と拮抗し、そして焼き払っているのだ。

 とっくに体がぶっ壊れてもおかしくない、そう断言できるほどの凄まじさだと言うのに。

 

 どこまで……そう考えた時、萃香に一つの仮説が生まれた。その仮説ならば、美鈴が身の丈を超えたエネルギーを吸収できる理由に納得できる。

 

「龍脈を、そこまで扱うことができるヤツはそういない。高位の仙人や天人でも無理だろうさ。ハハッ、お前さんほとんど龍じゃないか!それも本家越えときた! ……なぜお前さんみたいなのが、西洋妖怪と一緒にいるんだい?その辺りがどうも不自然でならない」

「──ッグ……そう、ですね。私でも時折、そう思いますよ……!」

 

 歯を食いしばりながら美鈴は言った。だが言葉とは裏腹に、その瞳には確かな信念が宿っていた。表情は苦痛に歪むが、確かな笑みを浮かべる。

 

「多分、魅せられてしまったんでしょうね。あの方、たちには────ッ!!」

 

 ──ドクン、と美鈴の体が跳ね上がる。それとともに周りを焼き尽くす紅蓮のオーラは収束し、美鈴の中へと消えてゆく。

 二人の周りにはもう何もない。砂と塵による死の世界がどこまでも広がっていた。すべての生命力を美鈴が吸収し尽くしてしまったのだ。

 

「幻想郷に生きた者たちよ……どうかお許しを。全ては勝利を捧げんがために」

「ハハッ、酷いエゴだね。──それで、もういいかい? いい加減待ちくたびれちゃってねぇ。勿論、さっきまでと同じってわけじゃないだろう?」

 

 萃香は美鈴の外気法を律儀に見守っていた。無論、攻撃のチャンスではあった。だが、それでは面白くない。相手に全てを曝け出させ、真っ向からそれを叩き潰す。……それが鬼だ。

 気概を示すように手のひらを打ち、ニイッと笑ってみせる。美鈴もそれにつられるように笑った。

 

 ────一瞬の静寂の後、萃香は美鈴に殴りかかった。渾身の右ストレートはしっかりと美鈴の頬を捉え、そのまま殴り抜ける。

 

 萃香は空ぶった。しっかりと捉えたはずなのにまるで空気を殴ったかのように手ごたえがない。ふと、正面を見据えると──なかった。

 肘から先が霧散していたのだ。美鈴は手を前に出しているだけ。つまり、萃香の腕を打ち払っただけなのだ。

 

「……へえ?」

「随分と、鬼というものは脆いのですね。触っただけで崩れてしまった」

 

 ──マズイ

 そう思った時には、もう遅い。顎を蹴り上げられ、宙へと浮かぶ。

 なおも見据える萃香の目の前には、掌がかざされていた。

 

「それでは────終わりです」

 

 星脈地転弾(せいみゃくちてんだん)。放たれた彩光の波動は全てをことごとく破壊し、消し去った。数瞬後に波動は徐々にその勢いを収めてゆく。美鈴の前方にあったものは、今や何一つない。

 

 眼前に広がるは、どこまでも広がる荒野と、大きく抉れた大地。

 美鈴は膝をついて大きく息を吐き出すと、エネルギーを幻想郷へと還元してゆく。これで幻想郷の70%は回復するだろう。だが、あとの30%は戻らない。龍脈がこれから数千年とかけて復元してゆくしかないのだ。

 ことの重大さは美鈴が一番よく分かっている。勝つためとはいえ、あまりにも多くのものを犠牲にしてしまった。だからこうして懺悔するのだ。

 

「私は……勝つしかなかったんです。あの方たちのために、絶対に勝たなければならなかった。だから……だから────」

 

 

 

 

 

 

 

「よっと」

 

 死の世界で軽快な声と着地音が響く。

 美鈴の肩が震えた。

 

「いやー()()()()()()! 実に千年ぶりくらいか! いやー酒が美味い!」

 

 

 ──ここまで、規格外なのか?

 

 美鈴は深い恐怖を感じながら、鬼を見た。

 傷は一つとしてない。あるのは強者としての余裕と、確かな存在感だけ。

 

「おや、あのオーラはもう終わりかい? ふむ……残念だね」

「……消したと、思ったんですが……」

 

 力なく呟いた美鈴に、萃香は豪快に笑いながら首に手をまわす。そしてバンバンと肩を叩いた。酒臭さと肩への激痛で美鈴は顔を顰める。

 

「落ち込むなって! お前さんは私に勝ったんだ、一生の誇りにしてもいいぞ!」

 

「さっきから勝った負けたって……どういうことですか。まごう事なく、私が敗者で貴女が勝者でしょう? 私はもう戦う体力なんてこれっぽっちも残っていませんよ。……気力はありますけど」

 

「ハッハッハ! その気概や良し! だけどもう勝負は着いたんだ。私が敗者で、お前さんが勝者さ」

 

 豪快に笑いながら萃香は伊吹瓢の酒を煽る。そして語り始めた。

 

「私はこの闘いで制限を設けていたんだ。だけどお前さんはそんな私の誓いを破らせた!()()を使わされることになるとは、夢にも思わなかったよ!」

 

 

 

 ──いや、ちょっと待て。

 

 萃香の言葉を聞いた美鈴の頬に嫌な汗が伝う。

 まさか、今の今まで能力なしだったというのか?アレだけの力を見せておいて?

 ……それは、あんまりな話である。

 

「は、ハハ……これだから、長く生きるのは嫌になる。いくら鍛えても次から次に上が現れて……あんまりですよぉ」

 

 ほろりと切ない涙を流す美鈴に、萃香はなおも笑う。美鈴の言っていることは誰しもに当てはまる事だ。……萃香とて例外ではない。

 彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。

 だから萃香は手を差し伸べる。ともに競った間柄として、健闘を称えるように。

 

「だからといって止められないのが、私たちってわけだろう? 鬼だって生まれた時から強いわけじゃないんだ。私も、お前さんもまだまだ上を目指せるさ」

「……ありがとうございます。正直なところ、貴女のこれ以上なんて見たくないというのが本音ですけどね。まあ、いつかは勝ってみせますよ」

「おいおい、勝ったのはお前さんだろう? いや、そう思いたくないんならいいけどさ。納得がいかないなら私の元へと何時でも来るといい! お前さんが幻想郷にいる限り、私は何度でも再戦を受け付けるよ!」

 

 とてもじゃないが負けた側のセリフではない。だが美鈴は深く考える事を止めた。鬼とはこういうものなのだろうと決め込んだのだ。

 

 二人は笑い合った。

 萃香と美鈴。性格も、種族も、趣向も、何もかもが異なる二人であるが、根幹の部分はとても似ているのかもしれない。

 美鈴は手を伸ばし、萃香の手を掴んだ。

 

 

 

 そして、轟音。

 突如飛来した黄金の閃光が夜闇を切り裂き、散り散りと舞い踊る。

 閃光は容赦なく萃香と美鈴を包み込み、爆音の中へと消えた。

 

 

 

 

 ──一体、何が……?

 

 美鈴は半身が地中の中に埋まった状態で目を覚ました。閃光は萃香の方向から飛んできた。もし萃香が盾になってくれなければ美鈴の命は危なかっただろう。

 見渡す限り、萃香の姿はない。ただ延々と荒野が広がり────

 

 彼女がいた。

 赤いチェックのベストとスカート、そして白いワイシャツを着込んだ緑髪の妖怪が。爛々と星と月の光が降り注ぐ中、日傘を差す姿はとても浮いている。

 そして萃香に負けず劣らずの化け物じみた妖力。次なる規格外の登場に美鈴は絶句するしかなかった。ただ目の前の暴力が通り過ぎるのを気と気配を抑え、息を潜めて待つのみ。

 

「……小鬼はいいとして、もう一人はどこかしらね。しっかりと、私の領域に手を出した事を思い知らせてやらなくちゃ」

 

 妖怪はそう言うと、キョロキョロ辺りを見回している。美鈴は地面に顔を埋めてひたすら隠れる。見つかれば今の自分では命がないだろう。

 運がいい事に、その妖怪は気配察知があまり得意ではないらしい。現に美鈴がいる方向とは反対の場所を探している。

 

「……はぁ、いないわね。このまま探しても埒があかないし、このあたりで切り上げようかしら」

 

 妖怪の独り言に美鈴は歓喜した。だが、よくよく考えればあんなに大きな声で独り言を出しているのはおかしいだろう。

 妖怪は敢えて美鈴に聞こえるように言っていたのだ。少しでも獲物に希望を持たせるために。

 結果として、美鈴の希望は瞬く間に打ち砕かれる事になった。

 

「──あたり一帯ふっ飛ばせば、関係ないものねぇ」

 

 右手に莫大な妖力が渦巻く。幻想郷の半分を消し飛ばしかねない威力だ。

 ……絶望するしかあるまい。口から飛び出そうなほどに鼓動を鳴らす心臓を抑えつける。逃れられない恐怖と絶望がすぐそこまで────

 

 このままみすみす殺されてたまるものか。美鈴は「すいません、お嬢様……」と、心のうちで謝り、妖怪の前へ飛び出そうとした。

 だがその決意は一度中断せざるを得なくなった。妖怪がピタリと動きを止めたのだ。

 

 明後日の方向を向いて、遥か山並みの先を凝視している。最初美鈴は彼女が何をしているのか見当もつかなかったが、気を感じる事によって彼女が見据えているものを把握した。

 あの方向は──紅魔館だ。

 

 嫌な汗が噴き出した。

 

「そこの妖怪! お前が探しているのは私ではないのか!? さあ、私は逃げも隠れもしないぞ!」

 

 美鈴は妖怪の注意を自分に引くべく、身を乗り出して挑発した。こんな化け物を紅魔館に向かわせるわけにはいかない。命を賭してでも止めなければ。

 妖怪は美鈴を軽く一瞥したが、すでに彼女からは興味が失せていた。つまらないものを見たかのように鼻で笑うと、そのまま紅魔館のある方向へと飛んで行ってしまった。

 美鈴はすぐに追いかけようとしたが、後ろから何者かに強い力で組み伏せられてしまう。その正体は萃香だった。

 

「止めておいたほうがいいよ。アレの機嫌が良かったうちに見逃してもらえたんだ、なんとか繋いだ命を無駄にするんじゃない」

「離してください! あいつを、紅魔館に入れるわけには……!」

 

 なおも暴れる美鈴を無理やり取り押さえながら、萃香はため息を吐いた。

 恐らく妖怪……風見幽香が自分たちを狙ったのは、先ほどの美鈴が使った技が原因だろう。大方エネルギーを吸い取りすぎて彼女のテリトリーの花でも枯らしてしまったのか。

 また、ただ目の前の存在が気に入らなかったという可能性もある。風見幽香とはそんなものだ。どこまでも横暴で、どこまでも気まぐれを愛する。

 

 なんにせよ、突然幽香の機嫌が良くなったことで助かったことは事実。萃香とて、幽香とサシで殺り合うのならば酔いを覚まさねばならない。

 

 しかし厄介なことになったものだと思う。

 このまま美鈴を行かせては、間違いなく殺されてしまうだろう。全快の状態ならばまだやりようはあるだろうが、今の彼女は力を龍脈に還元してしまい満足に体も動かせない状態だ。万に一つにでも勝ち目はない。

 せっかく面白いヤツを見つけたのだ。みすみす見殺しにするわけにはいくまい。

 

 空に浮かぶ月を見上げながら片手で美鈴を押さえ付け、萃香は彼女の悲痛な叫び何処かへを押し流すように伊吹瓢の酒を煽った。

 

(今日の宴会は、ナシかねぇ?)

 

 そんなことを呑気に思うのであった。

 

 

 

 

 ────────────

 

 

 一面が光輝いていた。鮮血のように広がっていた紅いフローリングやクロスは、白と銀に変貌し、氷特有の冷たさと鋭さを撒き散らす。

 これらはレティ・ホワイトロックによって引き起こされた事象である。彼女はほんの数秒能力を発動しただけ……たったそれだけだ。

 

 床から生える塔のような氷の彫像には、一人のメイドが閉じ込められていた。手足と腹部を拘束されており、自力での脱出は不可能だろう。

 ガチガチと歯を鳴らし、その隙間から白い息が漏れて、震える。それでも咲夜は憎悪の視線を絶やすことなく空を漂うレティへと向けた。だが、レティはそんな視線も「暑い熱い」と受け流してしまう。

 

 勝負は一瞬であった。

 レティの格上発言を戯言と判断した咲夜は、時を止めた。そして凍りついたのだ。何が起こったかも把握できなかった。

 

「貴様……い、一体、何を……!」

「やだねぇ、私は何もしてないわよ?気づいたら勝手に凍っちゃてて私もびっくりよー。フフ……──貴女、相当滑稽ね、色々と。まあ、貴女の主人もそうだけど、あまり後先考えないで行動してるといつか命を落とすわよ?」

「────ッ!!き、さまぁ……!」

 

 咲夜は必死にもがいた。だが奮闘空しく冷気に体力を削られてしまい、疲れ果ててしまう。

 そんな咲夜を心底憐れなものを見るかのような目でレティは見つめた後、くるりと反転して咲夜に背を向けた。そしてそのまま出口を目指して歩き出してしまった。

 咲夜は叫ぶ。

 

「待てッ、まだ闘いは終わって……!」

「いいえ終わりよ。これを敗北と言わずして、何と言うのかしら?お聞かせ願いたいものだわー」

 

 緩い笑顔を浮かべながらの間延びした返答。咲夜を激怒させるには十分過ぎる挑発であった。もっともレティにそのようなつもりはないのだが。

「あっ、そうだ」と付け加える。

 

「なんでこうなってしまったのか……それだけ教えてあげるわー。────貴女が思う冷たさと、本当の冷たさは別物よ。それが分からない限り何回やっても同じでしょうねー」

「わけの、分からないことを……!」

「それじゃ、さよーなら。貴女とはまた何処かで会えるような気がするわー」

 

 そうとだけ告げるとレティの体はポロポロと崩れてゆき、粉雪となって空へと散っていった。咲夜は最後まで何が起こったのか理解できず、氷像として固まり続けることしかできなかった。

 

 

 ────────────

 

 

 轟く爆音とともに()()()()レミリアは壁へと叩きつけられた。背中を駆け巡る衝撃とともに、口から空気が漏れる。

 だが彼女が息をつく暇などなく、瞬時に夥しい数の魔力弾がレミリアへと殺到した。一撃一撃に被弾するたび、レミリアの体は跳ね上がる。

 

「こ、んなものぉ……!」

 

 レミリアは体から魔力の波動を解き放ち、緑髪の悪霊が放った弾幕を全て霧散させる。それとともに部屋がミシミシと音を立てるが、崩壊することはなかった。

 一方で悪霊は笑みを浮かべながら三日月の付いた杖を時折に翳すのみ。その度に莫大な魔力が渦巻き、レミリアへと襲いかかる。

 

「……凄まじい威力だね。私の結界を揺らすなんてそうそうできるもんじゃない。もっとも、それだけだが」

 

 悪霊が杖で床を叩くと部屋を覆っている結界が新調され、また再び強度を増す。部屋が崩壊していないのは悪霊のおかげだったようだ。

 レミリアは立ち上がり際に爪を振るって魔爪の斬撃を放つが、いとも簡単に弾かれてしまう。どちらが優勢なのかが明白になる攻防であった。

 

 レミリアは荒い息を吐き出しながら、服と自分の身体に染み付いた黒い靄を鬱陶しそうに払う。だが靄は一向に霧散する様子はない。

 

「ああ……鬱陶しい。ここまで鬱陶しい奴とは初めて戦ったわ。癪に触る……!」

「うふふ……能力に頼り過ぎた弊害よ。目が良すぎるのも考えものってね」

 

 悪霊が杖を振るうと同時に、収束された魔力が破裂して空気が爆発する。レミリアもそれに対抗するように波状型に魔力を放出した。

 しばらくの魔力のぶつけ合いとなるが、レミリアの焦燥は増してゆく。

 その理由としては()()()()()()()()()()()()()()が一番に上がる。

 悪霊の放出した黒い霧はレミリアの能力を塗り潰した。どんな原理によるものかは不明だが、微量の魔力を感じることから魔法の一種だと推測できる。

 レミリアの体の周りには常に放出される魔力や妖力によって不可視の鎧が構築されている。大抵の呪いや魔法などはこの鎧がレジストしてしまうのだが、それを貫通してしまった悪霊の魔法技術はパチュリーを凌駕し得る。

 

 レミリアの能力は強力無慈悲なものであり、発動していればほぼ負けることはない。 そのことを悪霊はよく把握していたのだ。

 なんにせよこのような事態はレミリアにとって能力開眼以来初めてのことであった。

 

 魔力の残骸に紛れてレミリアが近接攻撃を仕掛けるが、悪霊はレミリアの音速を超えた連撃を杖で容易く捌く。近接戦闘にもかなりの心得があるようだ。

 グングニルを召喚できればまた違ってくるのだろうが、運命が分からない今に召喚するのはかなりリスキーなことである。誰の運命を貫くのかも把握できないのだ。

 

「お化けのくせに、何よこの馬鹿力……!」

「悪霊だって息は吸うし、ご飯も食べる。当然力だって付くさ! ほらっ!」

 

 杖を横に薙ぐ。先端部の三日月から魔力のスパークが迸り、レミリアの腕を焼いた。

 即座に傷は再生するが、腕の力が入りにくい。悪霊がなんらかの細工を仕掛けたことは明白だ。能力が使えればそんな攻撃わけないのだが……。

 

「フン、これで終わりにしてやるわ! 貴女に訪れるのは逃れようのない運命よ! さあ──惨めに死になさい!」

 

 ────ミゼラブルフェイト(惨めな運命)

 レミリアの手元が紅く輝き、紅蓮の鎖が射出される。凄まじいスピードで飛来した鎖は結界を破壊。悪霊を貫き、そのまま巻き付いて体を囲う。

 レミリアは自分の勝利が確実なものになったことを、久方ぶりに喜んだ。気分の高揚に自然と口が愉悦の笑みへと歪む。

 紅い鎖は対象の運命を縛り付け、強制的に死をもたらす。その効力の強大さはグングニルに並ぶ、レミリアの反則技であった。

 悪霊は余裕の笑みを崩し、苦痛の表情を浮かべると硬直する。そして間も無く項垂れ、そのまま動かなくなってしまった。

 

「……死んだか。いや、お化けはもう死んでるんだったわね。なら消滅かしら? プリーストみたいに光に溶けて……惨めな終わり」

「……」

 

 悪霊が光となって、レミリアに纏わりついていた黒靄が晴れる。それとともに封じられていた能力が戻ってきたことを感じた。

 レミリアは軽く息を吐くと、麻痺していた能力を発動して現在の状況、そして未来を見る。

 使い魔……言わずもがな黒。

 美鈴……敗北。

 パチュリー……苦戦。

 咲夜……敗北。

 そして、自分は────。

 

 

「────ッ!? な……」

「勝利の気分は味わえたかい?」

 

 背後から漆黒の鎖が飛来し、レミリアを縛る。奇しくもレミリアのミゼラブルフェイトに似た技であった。

 縛られたレミリアは力を失い床に倒れ伏した。鎖に妖力が吸い取られてゆく。力を込めるが鎖はビクともしなかった。

 

 背後の空間が揺らぎ、形を成す。

 

「中々のもんだっただろう? 私の()()は」

「きっ……さまぁ……!」

 

 悪霊はレミリアの顔を踏み、床へと押し付ける。先ほどまで下半身は実体のない霊体であったが、今は肉が付いていた。

 敗北を知らないどころか、挫折をほとんど体験したことのなかったレミリアにとっては屈辱どころの話ではない。

 

「さぁて、どうしてやろうかな? 別に何かしてくれとは言われていないが……何もしないでくれとも言われていない。殺すも生かすも、壊すも私次第ってわけだ」

「くっ……殺しなさい! 貴様に情けをかけられてまで、生き恥を塗るつもりはないわ!」

「そうかい。けど、あんたが死んだ後……あんたの妹はどうなるのかな?」

 

 空気が凍った。

 言葉を理解したくないが、嫌でも理解できてしまう。言葉には色々な意味が込められているのだろう。

 いえば人質。またいえばレミリアへのさらなるダメージ。

 ガチャガチャ、と鎖を鳴らしながらレミリアは叫ぶ。

 

「フランに手を出してみろ!地獄までも貴様を引き裂きに行くわよ……!」

 

「地獄に行くのはあんたでしょう?ああ、そのついでに妹に会えるかもしれないねぇ。地獄での再会……リアリスティックでいいじゃないか!」

 

 脳髄が煮え滾るような錯覚に陥った。

 まだ、自分への屈辱だけならいい。だけどフランはダメだ。あの子に手を出すことは絶対に許さない。

 渾身の力を込めて鎖を引きちぎりにかかるが、妖力を限界まで吸い取られた身で出せる力など、たかが知れたものだった。

 芋虫のように地面を這うことしかできない。

 

「くそ……くそ……っ!」

「うふふ、無様でいい気味だよ。──それじゃ、そろそろ終わりにしようか」

 

 杖先から魔力のスパークが迸る。弱体化状態のレミリアを優に消し飛ばすことができる規模まで、魔力は膨張を続けた。

 憤怒の声を上げることしかできないレミリアは、初めて自分の無力さを嘆いた。

 紅魔館の者たちや家族を守る立場にありながら、能力にかまけ向上心を持たなかった自分を恨んだ。

 

 今一度、やり直せるのなら────

 

 

 

 

「────っと、時間切れか」

 

 悪霊が呟いたのとほぼ同時のことだった。

 壁が全てを消し飛び、箱状に展開されている結界の外側が閃光に飲まれた。

 しばらくして光は収束し、あたりは暗闇に包まれる。今の閃光で紅魔館には巨大な穴が空いていた。結界の外には何も存在していない。

 

 レミリアは困惑し戸惑うことしかできなかったが、その一方で悪霊は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「相も変わらず、暇な妖怪だこと。いいところだったけど今日はここらで終いか」

 

 悪霊はため息をつくと──トン、トン、と杖で床を叩き、レミリアを縛っていた鎖を破壊した後、目の前にゲートを開く。そして中へと潜ってゆきながらレミリアへと言った。

 

「さようなら。多分もう二度と会うことはないわ。……最後に一つだけ言っておくけど、その気持ちを忘れないことよ。あんな心構えで生きていけるほどここ(幻想郷)は優しい世界じゃない。まあ、望むものは全て手に入るけどね」

 

 圧力を全く感じさせない悪霊の物腰にレミリアは毒気を抜かれてしまった。先ほどのフランドールのくだりもただの脅しだったようだ。

 このまま何もせずに帰ってくれるのなら結構。二度と目の前に現れないのなら万々歳である。しかしどうにも腑に落ちない。

 

「……結局、貴女は何だったの?」

「うーん……世話好きな悪霊さんってとこじゃないかな? 頼まれごとは断りきれないタチでねぇ」

 

 そこまで言うと、悪霊はゲートの中へと消えていった。それとともに部屋を包んでいた結界が消滅し、夜風が吹き込んでくる。ボロボロになったドレスが寂しく靡いた。

 と、少し遅れて一人の妖怪がやって来た。悪霊と同じ緑髪で、赤のベストとスカートを着込んだ妖怪だ。手には夜なのに日傘を持っている。

 妖怪はレミリアの方を一瞥することもなく悪霊が消えた場所を見ると、日傘を振り回して空間に穴を空けた。そして何くわぬ顔で空間の穴の中へ飛び込み、少しして穴は閉じた。

 

 レミリアはしばらく呆然とした後、ペタンと床に座り込んだ。

 幻想郷は自分の想像を遥かに超えていた。自分が手も足も出ないような奴がこの世に存在していたなんて夢にも思わなかった。

 

 ふと、今までのことを振り返ってみるとどうしようもなく悔しくなってきた。そして悲しくなってきた。

 自信、矜持、意志、思想、自尊心。

 この一夜で、レミリアはあまりに多くのものを失いすぎたのだ。

 

 完膚なきまでに叩きのめされ、地べたを這い蹲り、見逃され、新たにやって来た妖怪には存在すら認知されなかった。

 ──涙が溢れてきた。

 

「……私は……弱かった……」

 

 次から次に溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。プライドの塊であるレミリアはただただ悔しかったのだ。初めての悔し涙ほどしょっぱいものはあるまい。

 スカートの裾へ涙が滴り、小さなシミを作ってゆく。ギュッと生地を掴んだ。

 嗚咽を止められない。泣きたくないのに、泣き止めない。こんな姿を紅魔館の誰かに見られるわけにはいかないのに。

 

「うっ……あぁ……あ……っ」

「涙を拭きなさい。可愛いお顔が台無しよ?」

 

 突然声をかけられた。

 悔しさが驚きに、そして羞恥心へと変わる。

 

 急いで涙を拭って声の方向を見る。

 そこには紫色のドレスに身を包んだ妖しく美しい妖怪が自然に佇んで、ハンカチをレミリアへと差し伸べていた。

 

 レミリアはその姿を見るのは初めてだったが、幻想郷に攻め込む前に噂で聞いたことがある。幻想郷最強の妖怪と呼ばれる賢者、八雲紫という名を。

 なぜか一目で分かった。目の前の妖怪がその八雲紫という存在であることを。

 

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 今、レミリアの心は動揺でいっぱいだった。幻想郷最強の妖怪がいきなり目の前に現れたこともそうだが、一番はやはり泣き顔を見られたことだ。

 恥ずかしさのあまりにレミリアは紫へと殴りかかろうとするが、悪霊との戦いで失われた妖力がまだ戻っておらず体も満足に動かせなかった。

 すると変にジタバタするレミリアの姿を見るに耐えなかったのか、紫は自ら彼女の元へと歩み寄り、涙を顔についていた汚れと一緒に拭ってあげる。

 

「……っ!」

「動かないで」

 

 レミリアにしてみればこのような子供扱いは非常に癪に触るのだが、なぜか今回だけは嫌な気持ちがしなかった。真っ直ぐなそのスミレ色の瞳が、レミリアを惹きつける。

 ……結局最後まで拒絶できなかった。

 

「────これでよし。やっぱり可愛い子に泣き顔は似合わないわ」

 

 紫はそう満足そうに言うと、突然口を噤んでレミリアを見る。レミリアもまた懐疑の視線で紫を見る。どうにも居心地悪くなってしまった。

 しばらく黙って見つめ合っていた二人だが、先にその均衡を崩したのは紫だった。

 

「やめね」

 

 そう短く言うと、紫はスキマを開いた。

 

「異変はこれにて終わり。今回の件について当事者郎党を一切の不問にすることはできません。しかし、命は保証しますわ。そう伝えておきます」

 

 紫は手短にレミリアへとそう告げるとスキマへと消える。

 その姿を見送った後、場に残されたレミリアは惚けたまま夜明けを迎えるのだった。

 

 

 ────────────────

 

 

 フランと遊んでたらいつの間にかとんでもなく時間が経っていた件について。

 いやね、確かに時間を忘れて(年甲斐もなく)フランと遊んじゃったわよ?例えばチェスとかオセロをしたし、幻想郷のことについてもいっぱい話してあげた。

 締めにはいつの間にか復旧していたスキマ空間から取り出したテレビで『ものの○姫』を鑑賞したりもしたわ。楽しかった。

 

 まあそんなこんなで私たちは友達になったの。最初こそはフランが自己紹介の時に病んでるようなそぶりを見せてたから心配だったわ。

 私の目の前で手をにぎにぎした直後に急にめちゃくちゃ怖がられた時は軽くショックを受けた。

 けどその後からは普通に喋れるようになった。元々は明るくて元気な子みたいだから話も弾む。そしておまけにすこぶる良い子!フランは幻想郷の重要文化財よ!

 

 そんなフランとの時間が楽しくてねぇ、気づいた時には5時間近くが経っていた。

 相当焦ったけどフラン曰く「地下空間はパチュリーの魔法のおかげで時間の進みがゆっくり」らしい。いやホント助かった。精神と時の部屋万歳!

 おめおめと上に上がって藍たちに「何してたんです?」とか聞かれて「ものの○姫を見てました」なんて言ったら斬首じゃ済まなかっただろう。

 

 けどそれでも向こうじゃかなりの時間が経っているみたいだったからフランの能力でこの館の主人(フランが言うには姉らしい。優しい妖怪だと推測した)の元まで送ってもらったわ。どうせ外じゃ連中がデーストローイ!してる頃だろうし、講和時だろう。

 結局フランの能力がどんなものなのかはよく分からないけど……ワープゲートみたいなのを作る能力だから『繋げる程度の能力』って感じで推測してみる。

 ドヤァ……

 

 で、フランとの別れを惜しみながら再会を約束して私はゲートをくぐった。

 ワープゲートを抜けると、そこは奇妙な部屋だった。

 壁がないんだけど上等な家具がたくさん置かれているのだ。そして部屋の中央にはボロボロの服を着て泣き噦る少女の姿があった。

 ……色々とホラーよね。私は耐性があるけど妖夢だったらアウトだったと思うわ。

 

 取り敢えず泣かしたままにするのも気がひけるからハンカチで顔を拭いてあげたわ。……けどどっかで見たことある顔だったのよね。誰だったかしら。

 まあコウモリの羽が生えてたし、使い魔かなんかなんでしょうね。

 

 で、その後少女の様子を見ながら状況を確認してみた。よくよく見ると部屋には破壊の痕跡が多々あって、激しい戦闘がついさっきまで行われていたのが分かった。いやもうガクブルものだったわ。

 というわけでこんな危険な場所からは退避するに限るというわけで、少女に異変を終わりにして欲しい旨を当主に伝えるよう伝えて私は藍の元へと向かった。

 破壊の痕跡を見た限りでもフランのお姉さんは結構ヤバそうな感じだし?単独での直接対面は避けたかったのよ。なんか文句があるかしら!?

 

 私が藍の元へ着いた頃には戦闘が終わっていた。勿の論で藍と橙の勝ちだったわ。けど藍たちもかなり疲弊していたみたいでかなりの激戦だったことが見て取れた。やっぱり化け物の巣窟だったか。

 そして藍に全てが終わったことを伝え、念波で今回の戦いに参加してくれた全員に戦闘終了を宣言した。これで正式に今回の異変は終わりよ。

 

 そんで今、私は家でゆったりくつろいでるところ。なんだかんだでどうにかなったから良かったわー。新しい友達もできたし万々歳よ。

 さて、それじゃ私はそろそろ寝ることにするわ。明日からもまた新しい朝を迎えられることを喜びながらね!

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝に大量の被害報告やら砂漠化現象やら各地で謎の爆発やらで丸々一週間対応に追われ続けたのは、また別の話である。

 




萃香と美鈴に尺を割きすぎたかなと反省しつつ終了です。
色々と作者の好きなカップリングが露呈する話になったかなーと思います。
レミリアはこの敗戦を機に一から自分を見直しました。おかげで霊夢の夢想天生に直面しても逃げませんでした。これも全部悪霊さんのおかげ!
咲夜の成長はこれからだ!
東方荒魔境、完!

次回からお送りしますは「東方妖溶無〜ゆかりんのポロリもあるよ!〜」でございます。
来週(未定)もまた見てくださいね!


感想、評価が来るたびに作者がヤゴコロステップで月と交信して執筆が速くなるかもしれません。月の科学ってすげー!


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東方妖溶無
とある烏天狗の文花帖


 これは葉月の季より幻想郷を牛耳る呼び声高きスキマ妖怪を見かけたついでに、なんとなく記録した手帳である。

 以後、彼女を見かけるたびに追加で書き込んでいこうと思う。

 なお本人、及びその式からのプライバシー確認はとっていないので御内密に。まあ、私以外に見るヤツなんていないと思うけど念のため。

 ……椛、もしこの手帳を見ているのなら今すぐ千里眼を中止して回れ右をするのが賢明よ。私はすでに貴女の後ろにいるかもしれない。

 

 

 

 

 

 葉月 上旬

 

 早朝、とある取材を兼ねて妖怪の山はずれの34地区の上空を飛行中、川辺に佇む八雲紫(年齢不詳)を発見。

 普通ならば不法侵入未遂でしょっぴくところであるが、八雲紫は特別な権限により無断での妖怪の山への進入を許可されているのでお咎めなし。

 うちの上司の情けなさに頭が痛くなる事実である。あいつらに椛の度胸が一厘でもあれば大分違ってくるだろうに……おっと、愚痴が。

 

 八雲紫といえば言わずと知れた幻想郷の胡散臭い大賢者。プロフィールの大部分が闇に覆われており、出自もその能力も不明。また一部情報が意図的に葬られた痕跡も見つかっている。

 そんな八雲紫だが、幻想郷一有名な妖怪は?とインタビューすれば、人妖問わず誰もが一番に彼女の名前を挙げるだろう。私でも八雲紫の名を挙げる。

 良くも悪くも、八雲紫は幻想郷においてかなり目立っている。賢者としての名声もそうであるが、悪目立ち的な側面も持ち合わせているのが特徴だ。

 つまり、色々と胡散臭いということ。それだけに私のジャーナリスト魂は大いに刺激される。一見非の打ち所がないように見える彼女も隠し事の一つや二つはあるはずだ。

 

 以前に何度か突撃インタビューを敢行したこともあるけど、それら全ては周りのガードによって阻害されてきた。

 確か……最初は式の八雲藍による妨害を受けて失敗。またある時はその式の化け猫ちゃんに食いつかれて失敗、宴会時にはあの萃香様に絡まれて失敗、唯一フリーになる地底訪問時にはさとり妖怪に妨害されて失敗……書いておいてなんだけどこの結果には流石にプライドが傷ついたわ。

 普通に個人として話す分には大丈夫みたいなんだけど、プライベートの話になった瞬間に誰かしらが飛んでくる。やはりマスコミに聞かれては不都合なことがあるのだろう。うん、そうに違いない!

 

 考えているうちに、彼女がなぜこんなところにいるのか気になった。あの胡散臭さの下に一体何を隠しているのかが無性に知りたくなった。

 ……インタビューでなければセーフだろう。しばらく観察に興じてみる。

 

 八雲紫は何をするでもなく立っていた。

 こんな真夏の蒸し暑い真昼間から日光浴をしているのだろうか?いや、彼女に限ってこんな無防備な姿をこんなところで呑気に晒すわけがない。恐らくよからぬことでも企んでいるのだろう……恐ろしい妖怪である。

 ふむ、全く内心が読めない。流石は幻想郷の賢者といったところか。

 

 なんてことを漠然と考えながら観察を続けていたのだが、ここで事態が急変した。

 風の質が一気に変質したのだ。嫌らしい空気がだんだんとこっちに近づいてきている。

 こんな当てられただけで妖怪を殺せるような殺気を飛ばす存在なんて、この幻想郷でもかなり限られてくる。

 まあ、この暴力的な気配と嫌な感じは……十中八九風見幽香だろう。

 

 風見幽香はそれなりの速さで飛んでくるや否や、八雲紫へと殴りかかった。しかし八雲紫は別段慌てた様子もなくスキマを開いてそれを受け止めた。

 そしてあたりを剣呑な空気が包み込み、このまま大妖怪同士による抗争に発展するかと思われた。私としてはネタ的な意味ではできるだけ大規模にどんぱち始めてくれたほうが嬉しい。ただし山を吹き飛ばさない範囲で。

 

 しかしこれ以上は何をするということもなく、風見幽香は少し話すと帰っていてしまい、八雲紫もそのままスキマの中に入ってしまった。

 あやや……面白くない。これじゃ新聞のトップを飾るにはインパクトが弱すぎる。

 今日は『紅霧異変』の真相をインタビューしに行く予定だったから別にいいんだけど……ネタが多いことに越したことはない。

 残念である。

 

 しかし今日たまたま見かけて、さらにたまたま観察していただけで特ダネ……もといとんでもない大惨事になりかけた。

 彼女は、もしやネタの宝庫では?

 

 それに、もしも彼女の思わぬ情報を掴むことができれば今度の新聞大会は間違いなく我が『文々。新聞』が優勝できるはずだ。

 しかし彼女本人から情報を引き出すのは難しいように思える。どんなに頑張って周りのガードを躱して本人に聞いたところで上手くはぐらかされてしまうのがオチだろう。

 

 よってこれからは気が向いた時に隠密尾行を行うことにした。私の能力を使えば幻想郷一帯の風を支配下に置くことなど朝飯前。八雲紫が現れた場所を風の動きで瞬時に把握することができる。

 どこへ行こうと報道の目は逃がさない!いつの日かありのままを大衆に曝け出してもらうわ!

 清く正しい最速の伝統マスメディア、『文々。』と射命丸の名にかけて!

 

 

 

 

 

 

 〜〜たわいもない話が書き綴られている〜〜

 

 

 

 

 

 卯月 中旬

 

 現在発生中の『春雪異変』の取材後、気が向いたので八雲紫の観察を開始したいと思う。彼女ならばすでにこの異変の真相に辿り着いているかもしれない。

 

 幻想郷中の風を読んでみたが彼女の気配はない。つまりどこかの閉鎖空間に閉じ籠っているのだろう。恐らく自宅だと思われる。

 彼女の自宅は特別な空間の狭間に隠されているが、私には筒抜けである。チョチョイと軽く妖力を乗せた風の刃で空間を切り裂き突入。

 

 侵入に成功した私はすぐさま風を身に纏う。これによって光の屈折を操り姿を見えなくするのだ。河童たちの使っている光化学迷彩をヒントに編み出した技である。

 そういえば紅魔館の主人へのインタビューの条件、『何か面白いことをする!』を達成するために彼女へとこの技を披露した時、「ワムウだわ!影に入ったら蹴られるわよ!」とか「仰け反って仰け反って!」なんて言われましたが……どういう意味なんだろうか。外の世界からやって来た妖怪の言うことはよく意味が分からない。

 

 さて、これで視覚的には大丈夫だろう。しかしこれでも安心とは言えない。ここに住まう八雲紫には式神がいる。

 最強の妖獣である九尾の狐、八雲藍は嗅覚とともにその気配察知能力もずば抜けて高い。さらには当の本人である八雲紫も要注意だ。いくら私といえど、一瞬の隙も見せるわけにはいかないだろう。

 

 家の中を恐る恐る覗いてみる。

 そこの部屋は八雲紫の寝室だったようで、いそいそと布団を敷いている彼女の姿があった。これはなんともレアな光景だ。勿論、写真に収めておく。

 しかし八雲紫の寝顔を撮ったところで新聞の一面を飾る記事にはなりえない。せいぜい人里や妖怪の山のモノ好きたちに売り捌くぐらいしか……。

 

 布団を敷き終わった直後に隣の部屋より八雲藍が顔を覗かせる。すると何やらプンプンと怒り出した。なになに? ふむふむ……どうやら八雲紫が自分に相談せず勝手に布団を出して寝る準備をしていたことに腹を立てているようだ。

 確かに主人がちゃんと怠けてくれないと式神の仕事がなくなってしまう。よしよし、『主人に仕事を押し付ける式神』と。

 

 どうやら八雲藍は朝ごはんで八雲紫を呼んだらしい。なるほど、確かに美味しそうな味噌汁の匂いがしてくる。私も何か食べてくればよかったわねぇ。

 

 完食後、布団へと向かおうとした八雲紫を八雲藍が呼び止め、何やらボソボソと言っている。うむむ……風で声を拾ったが内容がよく分からない。誰かが春を拾い集めてるとかなんとか。

 あやや?八雲紫と八雲藍がスキマを開いて何処かへ行ってしまった。こうしちゃいられない!今すぐ追いかけ@*¥#mj〆────

 

 

 

 〜〜字の乱れ〜〜

 

 

 

 ふう、大変な目にあった。まさか()()()()八雲藍がいたとは。ギリギリまで気配に気付けなかったわ。

 それに流石は九尾の狐というべきか、あそこまでのスピードを持続して出してくるなんて。そこんじょそこらの烏天狗が亀に見えてしまうくらいね。まあ私にしてみればそれでも速さが足りない。

 これだけ知れれば大収穫、さっさと退散させてもらった。私のこのスピードには誰もついてこれない。八雲藍とて同じことだ。

 

 

 さて、次に八雲紫が向かったのは……博麗神社。年がら年中通して頭が春一色な巫女が怠惰を貪っている場所だ。

 一応巫女に関しては一週間おきに様子を見ているが、今の所行動を起こすつもりはないらしい。異変解決はまだまだ先になりそうというのが私の見解である。

 

 八雲紫が博麗の巫女の元へ訪れるのは別段珍しいことではない。

 巫女の監督権は全て彼女が牛耳っているし、その立場上の関係もかなり深い。少し考えれば八雲紫が博麗神社に来た理由の仮説がいくらでも浮かび上がってくる。

 その中でも一番有力なのは──今回の異常気象が異変であることを先月に賢者様たちによって発表されたにも関わらず、それでもなお動こうとしない巫女にとうとう八雲紫が業を煮やした……といったところかしらね。

 

 まあ、あくまで仮説は仮説でしかないんだし、素直に彼女たちの言葉の風を聞いてみよう。今度は八雲藍にバレないよう警戒しながらね。

 

 

 

 〜〜メモの擲り書き〜〜

 

 

 

 二人は少しだけよく分からないことを話した後、予想通り異変のことについて話し始めた。その内容については色々と思うところがあるが、一度置いておくことにする。

 ……意外だったのは八雲紫がそれとなく皮肉めいたことを胡散臭げに言っただけに止まり、あまり巫女を急かさなかったことだ。

 いや、見方を変えれば急かしているようにも見える……のかしら? 逆に謎を残していったような奇妙な言動だった。やはり何を考えているのか分からない。

 

 するとここで八雲紫が唐突に話を断ち切ってスキマへと潜った。それに八雲藍が即座に追随し、跡形もなく颯爽と消える。

 場には釈然としない様子で立ち尽くす巫女の姿だけが残った。

 

 あやや……一体何事でしょうか?

 取り敢えず追ってみますかね。

 

 

 

 八雲紫たちの居場所はすぐに分かった。

 というもの、彼女たちは博麗神社すぐ横の何もない森にいた。こんなに近いんじゃ飛んだ気にもならなかったわ。

 さて、八雲紫は見知らぬ少女と話していた。

 あれは、妖怪? 幽霊かしら?いや、まずそれ以前に幻想郷では見かけない顔ね。外の世界からやってきた類いの輩だろうか?

 

 一番に目に付いたのは携えている物騒な二本の刀とその鞘。

 一本は背丈に合わないほどに長い。椛の使ってるそれとあまり長さは変わらないと思うんだけど、所有者である彼女の背の低さが刀を実物よりも長く錯覚させる。少々不格好とも言えるわね。

 もう一本の刀は彼女によくフィットした、俗に言う小刀サイズだ。しかし戦闘で使うには力不足に思える。護身用だろうか?

 また少女の周りには大きな人魂のようなものがふよふよと浮遊しており、薄っすらと白い靄のような光を放っている。

 幽霊っぽいけど……若干の生の気配を感じる。多分普通の種族じゃないわね。

 手には小ぶりの袋を大事そうに掴んでいる。その袋からほんのりと優しくて温かいものを感じるわ。まるで春風……。

 

 なになに? ……どうやら少女の名前は”ようむ”と言うらしい。苗字であるか名前であるかは不明。語感的には名前だと思う。

 ここを彷徨いていた理由は散歩らしいが、その余裕のない素振りを見れば嘘であることは一目瞭然。嘘が苦手なタイプなのだろう。

 

 もちろんそれを八雲紫が見逃すはずもなく、場を静寂が支配する。……そして重圧。張り詰めた空気が雪を伝播してこちらにまで伝わってきた。

 発生源は……八雲藍と幽霊少女ね。その両者の間で八雲紫は涼しげな表情を浮かべている。したり顔……には見えない。

 目的を知る者と目的を知られた者、両者がどういう行動に出るのか非常に興味深い。

 それにどうにも、あの謎の少女はキナ臭い感じがするのだ。私の勘がそう訴えかけてくる。……というよりほぼ確信ね。

 今までの八雲紫と八雲藍の発言を思い返せば、自ずと事態が呑み込めてくる。

 幻想郷であまり見慣れない奴が、よりによってこんなタイミングで春を集めるなんて疑わない方がおかしい。

 

 やはり八雲紫は異変の真相をすでに暴いていたのね。そして巫女が動かないことを確認し、ついに自ら異変の鎮圧に乗り出したと。

 まさかこんなところでこの異変の黒幕を拝むことになるなんて……彼女を尾行して正解だったわ! 特ダネ入手よ!

 

 さて異変の黒幕は分かったし、あとはその黒幕の無様なやられっぷりをカメラに収めてやれば……うん?中々始まらないわね。

 黒幕だって分かってるならさっさと叩きのめせばいいのに。ホント、年老いた妖怪というのは回りくどくて、まどろっこしいものだ。

 

 あやや? 八雲紫が何か話して────

 

 

 

 

 

 

 〜〜メモの擲り書き〜〜

 

 

 

 

 

 

 現在、私は冥界にいる。

 幻想郷から姿を消した八雲紫を追うために、椛やら引き篭もりやらの力を借りてこの場所を特定したのだが……今はそんなことどうでもいい。

 下手すれば今回の『春雪異変』は、先の『紅霧異変』とは比較にならないレベルの異変に発展するかもしれない。

 

 とんでもないことだ。これはとんでもないことだ。

 思わぬ情報に顔のにやけが止まらないわ。しかもしかも、この情報は我が『文々。新聞』が独占している!

 こりゃ新聞大会どころか、永世殿堂入りものの新聞が作れるわ!

 

 ……今回は流石に真面目な感じで固めた方が良さそうね。事が大きすぎる。

 本当はもっとあることないことを記事に盛って、もっと凄い新聞を作りたいんだけど……下手すれば今回の『春雪異変』は、先の『紅霧異変』とは比較にならないレベルの異変に発展するかもしれない。しっかりと真実を幻想郷の皆に届けなければ!

 それに盛る必要もないくらいにネタが充実してるし!八雲紫サマサマね!笑いが止まらないわ!

 

 さあ、早速帰って記事を刷りましょう!

 

 

 〜〜空白〜〜

 

 

 

 ────────────

 

 

 

 

 

 霊夢は鼻頭の冷たさで目を覚ました。

 障子越しから外を見てみるが、溢れる陽光は白雪に反射して輝きを増す一方で、幽かな温もりを感じないほどに弱々しい。

 今日もまだ、異変は続いている。

 

 だが、霊夢は大して気にした様子もなくゆっくりと起き上がった。今日は参道の雪掻きをするつもりだ。巫女として最低限の仕事はせねば。

 しかし布団の包み込むような温もりの恋しさに負けてしまい、霊夢は身を震わせて布団に潜り込んだ。

 冬場の寝起きは辛いものだが、同時に心安らぐ至福の時とも言えよう。

 あと数分だけ……このまま────

 

「うぉぉい、霊夢ゥーッ!!」

 

 ──ドンッ、とミサイルが着弾したような騒音とともに、騒がしい声が閑寂な空間を切り裂く。そして勢いよく障子が開け放たれた。

 流石の霊夢もこれには飛び起きた。

 

「な、何よ魔理沙……って寒い寒い!障子を閉めてちょうだい!早くっ!」

 

「それどころじゃないぜ。お前、ブン屋の新聞をまだ見てないのか!?」

 

 魔理沙はぽいっ、と手に持っていた新聞を霊夢へ投げ渡した。

 新聞の右上欄には『文々。新聞』の文字。霊夢は身を震わせながら魔理沙を罵倒した。

 

「ふざけんじゃないわよ!あんなマスゴミのくだらない嘘っぱち記事を見せるために私を叩き起こしたの?あんた……覚悟はできてるんでしょうね?」

 

「待てって!取り敢えず中身を見ろ。文をとっちめたが、どうにもマジみたいなんだ。こーりんも写真は本物だって……」

 

 霊夢はため息を吐きながら文々。新聞へと目を落とす。そして一番でかでかと載せられている記事を読んでみた。

 

 

 

 ====================

 

 

 

【激震!八雲紫 春雪異変に加担】

 

 




射命丸の筆速は幻想郷最速。
次回はゆかりん視点






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紫の彼岸は遅れて輝く

 

 願はくは 花の下にて 春死なむ 

 そのきさらぎの 望月の頃

 

 

 

 夢を見た。

 満開の花びらの中、静かに眠る夢を。

 何が悲しいのか分からない。だけど頬を伝う涙は延々と流れ続ける。

 

 

 現世(うつしよ)揺蕩(たゆた)う私は、微睡みに溺れるような酷く朧げな思考で考えた。

 

 この救いの在り方は決して正しいものじゃない。けれど正解なんてものは存在しない。

 

 悲しまない方法を誰か教えてくれるなら、この世はこんなにも残酷じゃなかったはず。もっと美しくて、輝いていた筈なのに。

 

 

 私は、また取り残されて……────

 

 

 

 *◇*

 

 

 今日もまた一段と寒い。

 もう一度言おう、めちゃんこ寒い。

 そんな当たり前なことを思いつつ、温かい湯気が立ち込めているお茶を煽る。

 どんよりと曇った空から雪がはらりはらりと降り始めた。……やっぱり今日も冬は続くのね。イヤになっちゃうわ。

 

 まあ、別に冬という季節が他の3つに比べて嫌いだというわけではない。

 冬にも冬なりの風情があるし、なにより冬のお風呂とお布団は最高よ。寒さもまた観点を変えれば辛いだけのものではないわ。

 橙は冬が大嫌いみたいだけど、冬にはそれ相応の楽しみ方があるというものだ。

 

 ただね、今回はダメだと思うのよ私。

 だって……今4月だから!4月って言ったら桜吹雪の舞う季節よ!? つまり春よ! 花見と称したどんちゃん騒ぎの宴会をしてる頃よ!

 いい加減寒い! 毎日雪を見てたら風情もクソもなくなったわ! しかもこの雪……なんか桜の花びらみたいな形をしてるし。

 

 こんなに冬が続けば気温はどんどん下がっていく。今私は下に4枚服を着てるけどそれでも寒い! 炬燵から出れない!

 

 十中八九、これは何者かの手によって起こされた異変だろう。ホント……ふざけんなって話だ。

 しかもそれに伴って、萃香が毎日のように家に押しかけてきて「宴会はまだかー!」なんて言って暴れまわるのよ! なんか異変を起こすとか言って脅されたこともあったし! このままじゃ二次被害が起こりかねないわ!

 オマケに何故か霊夢は全く動こうとしない。

 いくら急かしても「今は機じゃない」の一点張りで、布団に潜り込んでばかりいる。せっかく夏の頃の出来事を許してもらったばかりなのに……。

 

 現在は魔理沙にこの異変の原因究明、及び黒幕の調査を(ぼったくり価格で)依頼しているが、依然手がかりはなし。

 今日からは藍も調査に参加する予定だが、恐らく容易には判明しないだろう。このままじゃ春どころか一年通して冬が続くのかもしれないわ。

 

 流石にそれはマズイので実はレミリアにそれとなく相談しに行ったことがあるのよ。あいつ運命を見ることができるらしいからさ。まあ……なけなしの勇気を振り絞ったわけ。

 で、あいつからの返答は「貴女が望むようにやればいい」だった。これには流石の私もポカーンとするしかなかったわね。うん。

 

 まあ、私からできることなんて何もないし? 大人しく炬燵で丸くなって解決を待つしかないのよ。誠に不服だけどね!いやホント!

 というわけで、みんな大変だろうけど異変解決頑張ってね! ゆかりちゃんは炬燵で蜜柑でも食べながら待ってるから! 応援してるわよ!

 

 

 

 ────────────

 

 

 今日も今日とておかしな雪が降っている。あな懐かしきや春のあけぼの。

 だけど私には関係ない!そんな案件など微塵にも気にすることなくビバ徹夜中!

 やっぱりポケ◯ンというのはいいものだわ。赤と緑をやり込んだ私にはカントー地方に行けるというギミックの付いた金、銀は存分に楽しめた。

 唯一の不満は通信交換ができないことだけ……。周りにポケモンをやってる友達がいない私には辛かったわ。おかげでゴーストのままで殿堂入りしてしまった。ゲンガー好きだったのに。

 

 それにしても外の世界は凄いわー。もうすぐ携帯ゲーム機も本格的なカラーになろうとしてるし、技術というのはまさに日進月歩だ。

 それにこの前発売されてた『◯まごっち』っていうのも面白そうなのよねぇ。クリスマスあたりに橙やフランやこいしちゃんにでも買ってあげようかしら。

 

「ふあわぁぁ……」

 

 ちょっと夜更かしし過ぎたわね。一晩で攻略するにはカントー地方は広すぎた。

 外はそろそろあけぼのを迎えようとしている。だが私は寝るわ!

 生活習慣がぐちゃぐちゃな気がするけど、まあいいわよね? 私は典型的な夜型の妖怪なのよ! それに異変で幻想郷が膠着中である現在はなにもすることがなくて、ホント暇で暇で参っちゃうわ。

 例の連中どもも寒い中ではあんまり騒ぎたくないみたいだし、嬉しい悲鳴だ。

 

 さてと、それじゃ布団を敷きましょうかね。

 うんしょ、うんしょ……

 

 

「紫様、ただいま戻りました……って、なにをやってるんですか!?」

 

 藍が寝室に入ってくるなり叫んだ。これはいつものお説教パターンかしら。

 

「ああ、今から寝ようと思って……」

「またご自分で動かれたのですか!毎度言ってますが、紫様は怠けてください! 我々の仕事がないではございませんか!」

 

 いや、そう言われてもねぇ……。

 だって格上に自分の身の回りのことをやらせるってどうにも落ち着かないのよ。幻想郷のこともほとんど藍に丸投げ状態なのに、家事まで任してちゃ良心の呵責以前の問題だ。

 

「もう敷き終わっちゃったし別にいいのよ。それに藍にはいっぱい頑張ってもらってるんだから、このくらいはやらせてちょうだい?」

「ゆ、紫様……! そんなことを言われては、私は……私はぁ……!」

 

 藍は顔を俯かせると肩を震わせ始めた。

 ちょ、ちょっと待って。なんで泣くの!?

 だって藍が一生懸命働いてる間、◯ケモンしてたのよ私!? なんで布団を敷いただけでこんな……えぇ……。

 

 

 

 取り敢えず藍を宥め、彼女が用意してくれた朝食を摂る為に居間へと向かう。就寝はご飯を食べた後にしましょう。うん。

 いつも通りのメニューではあるが、やっぱり美味しい藍の手料理を口に運んでゆく。

 だけど先ほどのこともあってどうにも落ち着かないわ。……あ、味噌汁美味しい。

 

「では紫様、そろそろ昨日の調査結果を報告しようと思うのですが、その……」

「ズズズ……どうしたの?」

 

 若干の違和感を感じた私は味噌汁を飲みつつ藍に問いかけた。

 藍の表情に僅かな迷いが見える……ような気がする。あくまで私の視点だから実際はどうか分からないけどね。

 藍は少し考え、一息つくとゆっくり話し始めた。

 

「どうやら幻想郷で春を集めている者がいるようです。その用途、及び目的は不明ですがこの異変に一枚噛んでいるものと思われます」

「ふーん……春をねぇ」

 

 適当に相槌をうったけどまるで意味が分からない。

 春ってそんな物理的に回収できるものだったっけ?まずそもそもだけど、春っていうのは四季における一つの区分であって、明確に存在しているものじゃない。

 全くもってリアクションに困る報告だわ。

 取り敢えず適当に返答しておきましょうか。不快に思われない無難な程度に。

 

「それで、その”春”を集めている連中に目星はついているんでしょう? 貴方のことだから個人の特定まで終わってると思うけど」

「それは……勿論なのですが……」

 

 生粋の仕事人である藍のことだ、すでにその段階まで調査を完了させていることには薄々と感づいていたわ。信頼と安心の実績ね。

 なんだかんだで私が藍に絶対の信頼を置いているのはそういうところからなのよ。だからこそ変に彼女の前でボロを見せるわけにはいかないのだ。

 

 で、肝心のその人物なんだけども、なかなか藍が切り出してくれない。

 うーん……よっぽど私には教えたくない人物なのか、それとも口に出すのも恐ろしい人物なのか。……なんか怖くなってきた。

 どうせ私に名前を教えてもどうにかなるわけじゃないし、言いたくないなら別にいいよ的なことを藍に言おうとしたのだが、それよりも少し早く彼女が口を開いた。

 

「……その、魔理沙との情報を照らし合わせた結果、春を集めているのが……妖夢みたいなのです。私もすぐに汎用式で監視してみましたが情報に偽りはなく……確かに妖夢が不穏な行動を」

「へぇ、妖夢が?」

 

 妖夢は幽々子の忠実な部下だ。わざわざ冥界の外までやってきて独断行動に走るのはまずありえない。つまり幽々子の差し金ってわけね。

 あのド天然腹黒幽霊のやることを真剣に考えてはこっちの負け、ぶっちゃけ徒労に終わるのが目に見えてるわ。

 まあ、ハチャメチャ具合で言ったらレミリアとかさとりとか幽香に比べればあの子は多少なりマシなんだけどね。あくまでマシってレベルだけど。

 

 

 あれ、春を集める?

 無くなっちゃった春を一箇所に……?

 

 ……あっ、ちょっと待って。なんとなくだけど少しずつ状況が読めてきたわよ!

 

「フフ……そう、それはいいことを聞いたわ」

「……えっと、紫様?」

 

 ”春”を集めるというワードが未だによく分からないけど、ニュアンス的には春という季節を形成する上で必要な素材のようなもの……それが藍の言う”春”っていう感じがするわ。多分、きっと。

 そしてその”春”を妖夢が回収している。ここまでくれば妖精でも分かるわよね?

 

 そう! 妖夢と幽々子は散り散りになった”春”を一箇所に集めて、春を取り戻そうとしてくれてるのよ! 多分! きっと!

 あの子たちったらホント桜が好きだからねぇ、こっちのいつまでも膠着しているこの状況を見かねて異変解決を手伝ってくれてるんだろう。なんだかんだで世話好きな一面もあるし。

 しかもあの子たちの戦闘力なら、たとえ誰が異変の黒幕でもあっという間に鎮圧できる。妖夢は勿論だし、幽々子の能力は最強よ!

 

 花見桜に貴賎なし! 万人が楽しめる桜を例年通りに咲かせてあげたいという見事な心意気! あっぱれな慈善活動ね幽々子、妖夢!

 

「妖夢には感謝しないといけないわね。勿論、幽々子にも。あの子たちは本当によくやってくれてるわ。そうは思わないかしら?藍」

「……へ?」

 

 藍は素っ頓狂な声を上げた。

 ちょっと何よそのとんでもないバカを見るような戸惑いの目は!

 ていうかなんで藍はさっさと妖夢の名前を出さなかったんだろう?別に言って困ることなんて何もないはずなのにね。

 あっ、もしかして人知れず行っているボランティア的なものだから言っていいものかどうか迷ってたのかしら。

 それに幽々子はお茶目さんだからサプライズとして驚かせてくれようとしてるのかもしれないし! 持つべきものはなんとやらとはこのことね!

 

 フフフ……幽々子と妖夢が協力してくれるなら、霊夢のやる気スイッチの点灯を待つ必要もないわ! いい加減寒さも鬱陶しくなってきたし、この異変をさっさと終わらしちゃいましょう! いつ萃香が暴走するか分からないしね!

 取り敢えず幽々子と話さないと。そして協力体制を作り上げて一気に異変を終結させる! 仲間になると心強い友人だわ!

 

 そうと決まれば早速行動開始よ!

 

「少しだけ出かけてくるわ。……貴女はどうする? 休んでてもいいのだけれど」

「わ、(わたくし)は勿論、紫様のお側に!」

 

 藍は慌てた様子で外出の準備を始めた。徹夜で働いてくれてたのにホント悪いわぁ……。何か労ってあげたいものだけど……。

 

 行く直前に藍が一つの方向を見つめていたので何事か聞いてみると、なんでも烏がこちらを見ていたらしい。気配察知が化け物級ね。

 

 

 

 ────────

 

 

 

 白玉楼に向かう前に博麗神社へとやって来た。一応霊夢の様子を確認しとかなきゃね。

 妖夢を手伝うにしても、今更になって霊夢のやる気スイッチが点灯してたらこっちの身が危ない。おちおち外出もできないわ。

 異変解決中の赤い通り魔と化した霊夢に言葉は通じないからね。うん。

 

「霊夢、いるかしら? それともまだ寝てるの?」

「……なによ」

 

 障子越しに声をかけると、かなり不機嫌そうな声が返ってきた。まだ寝てたみたいね。

 パンッ! と、勢いよく障子が開け放たれる。霊夢は寝装束の上からちゃんちゃんこを羽織って、ガタガタと震えていた。

 

「ごめんなさいねこんな朝早くから。少しだけお話をいいかしら?」

「……ならさっさと上がってちょうだい。お茶くらいは淹れてあげるから」

「いやいや、そんなに時間はとらせないわよ? このままで結構ですわ」

 

 余談だけど博麗神社のお茶は……ぶっちゃけ不味い。淹れる側の問題というより茶葉の問題ね。つまり頗る古いのよ。もう烏龍茶が作れちゃうぐらいに。

 私は麦茶と紅茶しか飲めないの。ギリギリでジャスミン茶ってかんじ。

 

「あっそ。なら早くしてくれない?隙間風が入り込んできて寒いんだけど」

 

 霊夢は本当に寒さに弱いのね。まあ私もいい加減寒いし、さっさと話を終わらそう。

 

「なら単刀直入に言うわ。……貴女、もうこの異変からは手を引きなさい」

「……はぁ? なに言ってんのあんた」

 

 霊夢は先程までののほほんとした雰囲気を霧散させ、剣呑な眼差しを私へと向ける。

 藍がそれに応じて瞬時に妖力を練り上げてゆくが、慌てて手で制す。私たちは霊夢と争いに来たわけじゃないのよ。

 

「別に貴女が力不足だから……なんてことを言っているわけではないわ。何時でも私からの貴女への評価は最高よ。ただ今回は────」

「……巫女としてのしきたりや仕事ならいくらでもいいなりになってあげるわ。だけど、博麗の巫女としての決定は、あんたにも口出しはさせない。そこんところよーく分かってよね」

 

 霊夢のまぎれもない確固たる意志。その決意はひしひしとこちらにまで伝わってきた。

 その姿に目頭がどんどん熱くなってゆく。あんなに小さくて私の後ろを付いてくることしかできなかったあの子が、こんなに立派に……!

 成長したのね霊夢……私は嬉しいわ!

 

「霊夢、その言葉を聞けて満足よ。貴女はしっかりと巫女としての務めを果たせているのね。……貴女が博麗の巫女で良かった」

「……今更ね。まあ、そういうわけだから。そのうちこの異変も解決するわよ。だからあんたはおとなしく冬眠でもして待ってなさい」

 

 うーん、こりゃ霊夢を説得するのは無理っぽいわね。

 だからと言って幽々子の懇意を無下にするわけにもいかないし、これは秘密裏に解決しちゃうしかなさそうだ。それなりにリスクも大きいけど。

 

「気をつけなさい霊夢。この異変のために動いているのは貴女や魔理沙だけではないわ。そのことをしっかりと把握しておかないと……この異変、そう簡単には終わらないわよ?」

 

 それとなく協力者がいるようなことを仄めかしておくわ。

 万が一、春回収中に霊夢に見つかっても、この言葉が脳裏をよぎってくれれば見逃してくれるかもしれない。

 まあ、霊夢がなにも分からないうちに異変を解決しちゃうのがベスト────

 

『────紫様、近くを妖夢が彷徨(うろつ)いています。恐らく博麗神社の春を回収しているものと見えますが……』

 

 おっと、藍から念話が入った。

 妖夢が近くにいるのは都合がいいわね。すぐに会いに行きましょうか。

 

「それじゃあね霊夢。風邪をひかないように気をつけるのよ」

 

 霊夢に別れを告げた後、手を振りながらスキマを開いて中に潜る。

 

 

 

 すでに藍が中継して繋げていてくれたようで、開いた先にはこちらに背を向けせっせと何かを回収している小間使いの姿があった。

 

 彼女が動くたびにその銀色の髪ははらりと舞い、雪に反射する日光を受けて星屑のような輝きを振りまいていた。

 実に見惚れるような綺麗な姿だけど、周囲を浮遊している半霊のなんとも言えない間抜けさに気分を削がれた。

 そう、それが妖夢なのよ!

 

「ふふふ……あともうひと息……」

「はぁい、通りすがりの庭師さん。随分と元気そうじゃない?半分ばかり」

「ッ!?」

 

 妖夢は振り返ると同時に目を見開いた。

 いつの間にか右手は刀の柄に当てられている。つまり私がもし彼女の敵だったらすでに縦横に4等分されていたというわけだ。

 ……今更驚かないわよ。

 

「紫様っ!? 冬眠中ではなかったのですか!?」

「あら、失礼な言い方ね……熊じゃあるまいし。どうも今年は冬が長いようで寝飽きたところなのよ」

 

 正確には冬眠じゃなくて冬篭りね。寒い中わざわざ外に出るような真似は避けているだけよ。いやホント、熊じゃないんだからさぁ。

 

 と、少しして藍がスキマを開いて現れた。

 すると妖夢はなにやら慌てた様子で視線を右往左往させる。なんか動揺してるわね。

 

「こ、これはこれは奇遇なことですね……お久しぶりでございます。紫様に、藍さんまで。どうして御二方がこんなところへ……?」

「それはこっちの台詞よ、妖夢。なんで貴女がこんな幻想郷の端っこにいるのかしら? この時間帯は貴女も色々と忙しいでしょう?」

 

 妖夢の目的は知ってるけど敢えて意地悪をしてみた。すると彼女は目に見えて動揺する。その様子がとても面白いの。

 うふふ、妖夢は私がいじくれる数少ない存在なのよ。優しいし、ちゃんと敬ってくれるし! ちょっと情緒不安定なところはあるけど。

 まあ、いじくるにしても流石に怒らせないように配慮はするけどね。あくまで妖夢は格上だから。それにあまりにもいじくり回してると幽々子に怒られる。

 

「い、いやぁ最近は日課で朝の散歩を始めたんですよ! どうにも刀を振るだけじゃ体が鈍っちゃって! で、今日は幻想郷まで足を延ばしてみようと思った次第でして……別に怪しいことなんてしてませんよ? ホントですよ?」

 

 ……やっぱり面白いわこの子。これでこそ、からかいがいがあるというものよ。もはや一種の天然かしら?

 けど流石は妖夢ね。あくまで春集めは影の仕事、ボランティアであって、周りに知らしめようとはしない謙虚な姿勢を、若干ブレながらも貫いている。

 

「へえ、そうなの。こんな桜吹雪舞う中ご苦労様ね。ところで────春を集めている者が幻想郷にいるらしいのよ。最近幻想郷まで足を延ばしている貴女なら、何か心当たりがあるんじゃなくて?」

「……っ」

 

 妖夢はたじろいだ。

 ハハハ、可愛い奴め!まさに図星って顔をしてるわ。この子に嘘は合わないのね。

 さてと、妖夢いじりはこんぐらいにして本題に入らないと────

 

「……紫様、後ろへ」

 

 突拍子もなく藍が私の前へ進み出た。

 それと同時に妖夢の視線が鋭くなり、殺気と闘志が滲み出る。そして刀の柄を掴み、自然体で構えた。いつでも斬れるという意思表示だ。

 突然現れた巨大なエネルギーの熱量によって、周りの雪が溶けている。

 

 も、もしかして怒らしちゃった? いつもの妖夢ならこんぐらい許してくれるのに……。

 

「……貴女は幽々子様の大事な友人様です。私にとっても、尊敬すべき方であると言えます。……しかし幽々子様に仇なすならば……私は、貴女を斬らざるを得ない!」

「そうはさせない。もし紫様に危害を加えるのならば、いくらお前といえども決して容赦はできない。もう一度考え直せ」

「……あんな幽々子様の顔は、初めて見たんです。絶対に桜を咲かせなきゃならない、なんとしてでもあのお方の望みを叶えてあげたい!」

 

 え、なに? なんなのこの状況?

 なんで一触即発みたいなことになってるの!? もっとほのぼのしてもいいでしょ!?

 

 えーと……多分妖夢は何か勘違いをしてるのね。だって私たちが貴女たちのボランティアを邪魔するわけないじゃない!

 取り敢えず二人を仲裁しないと!

 

「落ち着きなさい。私は争いに来たんじゃない────幽々子へ協力しに来たのよ」

 

 私の言葉とともに二人はピタリと動きを止め、同時にこちらへと振り返る。二人の表情は驚愕に彩られていた。

 

「……え、えぇっ!?」

「ちょっ」

 

 よし、嫌な雰囲気が収まったわ。私って仲裁の才能があるのかもしれないわね。

 なんにせよこれで本題を切り出すことができる。しっかりと要件を伝えないと。

 

「私は貴女たちの活動を手伝いに来たの。あぁ、取り敢えず……幽々子に会うわ。色々と話したいことがあるのよ」

「そ、それは大歓迎です! 元々人手不足で困ってましたし、紫様が力を貸してくれるのならば百人力だ! ……あ、えっと……信じてもいいんですよね? いきなり攻撃とかしてきませんか?」

「……八雲紫の名に誓うわ。私と幽々子は永劫の友人、裏切りは私自身が許さない」

 

 妖夢を安心させるように多少大袈裟に答える。

 まず攻撃しても返り討ちにあうのがオチだしね。ていうかなんで妖夢はこんなに怖がってるのかしら。藍も様子が変だし。

 

 まあ取り敢えず幽々子と話さないことにはなにも始まらないわ。さっさと白玉楼に向かいましょう。スキマを開けば一瞬よ。

 

「今から幽々子のところに行くけど、貴女も来る? 飛んで帰るよりかは速いわよ?」

「あ……お願いします」

 

 妖夢はおずおずと頭を下げた。

 

 

 

 ────────────

 

 

 

 スキマを開いた先は花の嵐だった。

 気温もぽかぽか暖かくて、さっきまでの寒さが幻だったと勘違いしそうになるくらいの見事な春。舞い散る桜が眼前を埋め尽くし、これでもかというほど春を彩っている。

 白玉楼の桜は今まで何度も見てきたけど、ここまで咲き誇ったことは一度もなかった筈だ。記憶のものを遥かに超える。

 なるほど、これが集めた春の力ってわけね! 季節の力は偉大だわ!

 

「幽々子様はあちらの方にいらっしゃいます。ご足労ですが、何卒」

「構わないわ。行きましょう、藍」

「……はい」

 

 桜の絨毯を踏みながら妖夢が指し示した方向へと歩みを進める。ちらりと、桜を見物するフリをしながら二人の顔を覗き込んでみた。

 妖夢からは緊張したようなぎこちなさを感じるものの、頬が高揚して興奮しているように見える。なんでかしらね。

 藍は先程からずっと無表情。何かを深く考えているようにも見える。また難しい数式でも考えているのかしら?こんなときくらい息抜きしてもいいんじゃない? 煮詰めすぎると体を壊すわよ?

 

「……幽々子様。紫様をお連れしました」

 

 襖の先へと妖夢が声をかけた。しかし返答はない、ただのしかばねのようだ。

 妖夢は首を傾げて襖を開く。

 そこには机にもたれかかって、眠りにつく幽々子の姿があった。

 

「幽々子様、ゆーゆーこーさーま! 起きてください! お客様ですよ!」

「う、んん……あと5分……」

「幽々子様、幻想郷の茶屋で買った極上の羊羹があるのですが……」

「妖夢、お茶をお願いするわ。貴女の分も淹れて四人分よ」

 

 微睡んでいた幽々子だったけど、妖夢が懐から羊羹を取り出すと同時にハイスピードで起き上がった。流石ね、幽々子。

 幽々子は妖夢にお茶の準備を指示し、ニコニコ上機嫌な様子でこちらに向き直る。穏和な表情が春の陽光に照らされて、実に映えていた。

 

「おはよう幽々子。睡眠中にゴメンなさいね」

「あらいいのよ、私と紫の仲じゃない。ていうか随分と久しぶりねえ、藍ちゃんも。橙ちゃんは元気にしてる?」

「手にあまる元気っぷりですよ」

 

 んーいい感じの雰囲気ね。幽々子は上機嫌だし、藍は橙の話を出されてにやけてるし。このままの状態で話を終えたいと切に願うわ。

 

「まあ、世間話はこれくらいにして……この春について話し合いましょう」

「……そうね。やっぱりその件よね」

 

 せっかくのいい雰囲気が凍りついた。仕事モードの幽々子さんマジぱねぇですわ。

 藍も対抗して変な重圧を出さなくていいから! 大人しく! 大人しくしてでちょうだい!

 

「なにやら面白いことをやってるみたいじゃない。私も居ても立っても居られなくなって、思わず来ちゃったわ」

「あら、これはほんの前座に過ぎないわよ? もっともっと面白くなっていくのはこれから。……そうじゃなくて?」

「ふふふ……違いないわね」

 

 ボランティアを楽しいと言ってのける幽々子様! そこに痺れるッ憧れるゥッ!

 私の中での幽々子株がうなぎのぼりだ。凛々しく美しくもあって尚且つカッコいい! さらには崇高な共助の意志まで兼ね備えている! 貴女と親友で心底よかったわ私!

 

「それで、貴女はどうするの? この異変の終結にはまだ準備が必要よ。それまで貴女が大人しくしてるとは、到底思えない。だからこそこうして私の元までやってきたんでしょう?」

 

 物分りが良くて助かるわ。そう、私は貴女を手伝いに来たのよ! みんなで力を合わせて異変を解決しちゃいましょう! もしも黒幕がいた時はそのチート能力でテーレッテーしちゃってちょうだい!

 しかしそんな私の思いは届いていないのか、幽々子の視線はどんどん冷たくなってゆく。彼女の周りを危険な死霊が徘徊し始めていた。

 

「私が一番知りたいのは貴女の考え。いつも通り影の観客に徹するのか、それとも私が整えた晴れ舞台を思い切って台無しにしてみせるのか……。貴女の選択によってはそれなりの抵抗させてもらうわ」

 

 いや、後者の選択はないでしょ。台無しって……なんで私がそんなことをするのよ。

 あっ! もしかして幽々子に異変の黒幕じゃないかって疑われてたりするの私!? ヤバイヤバイ、すぐに誤解を解かないと!

 

「幽々子。私と貴女は親友よ」

「……ええそうね」

「どうして親友の決意を無駄にさせようか。寧ろここは手を貸す場面じゃなくて? ────貴女の春集め、私も手伝わせて貰うわ」

「……え」

 

 幽々子が凄い表現しずらい微妙な顔をしている。……もっと喜んでくれてもいいんじゃないの?

 なによその予想外の返答がきたって感じの反応は! 私ってそんな薄情な妖怪じゃないわよ! 親友の手伝いぐらいいくらでもやらせてもらいますよ!

 もしかして頼りないからなの?私スキマ使えるよ? どこにだって移動できるのよ? ……それだけしかできないけどね!

 

「どうしたの? 私は不要かしら?」

「そんなことないわ。とても嬉しい申し出よ。だけど、貴女は幻想郷の賢者でしょう? 私が言うのもなんだけど……大丈夫なの?」

 

 ああ、そんな重要な役職に就てるのにこんなことしててもいいのかってこと?

 確かに異変解決は賢者の仕事ではないわね。博麗の巫女が解決するのがベストであることは私も重々承知してるわ。

 けど霊夢がいつ動くのか分からないこの状況で、一番に行動を起こしてくれた幽々子にはそれ相応の敬意を示さなきゃならないでしょ?

 なのに私が胡座をかいて見守るって……色々とダメな気がするのよ。

 

「あら、勿論無償じゃないわ。ちゃんとメリットがあるから参加するのよ。……貴女との縁は万金に値する。異変如きでそれを覆すことはできないわ。その代わり、ちゃっちゃと終わらしましょうね?」

「紫……ありがとう」

 

 少しだけ顔を伏せた幽々子は、私の手をしっかりと握った。とっても柔らかいわ。

 

 しかし、これでまた私たちの仲は深まったというわけね。

 男は拳と心意気で友情を深めるという。ならば女は語り合いと行動で友情を深めるのよ!

 ああ、そうそう。幽々子の元に辿り着けたし、藍には帰って休んでもらいましょう。徹夜明けのボランティアは相当キツイだろうから。

 

「藍……貴女は帰っててもいいわよ? ここから先は賢者の仕事でもなんでもない、ただの私の思いつき。貴女を巻き込むつもりはないわ」

「いや、私は残りますよ。貴女様を守るのが私の使命ですからどこへだって付いていきます。勿論、橙だって一緒です」

 

 らぁん……!貴女って子は……!

 今まで心の中で酷いことを言ってごめんなさい。貴女たちは最高の家族よ!

 

 少しして妖夢がお茶を持ってきた。

 しかしお茶はなぜか冷めていて、どうにも生ぬるい。幽々子がそれとなくそのことを追求していたが妖夢は申し訳ございませんと謝るだけだった。

 よく見るとばっちり着こなしていた緑の服が若干乱れている。何をしてたんだろう?

 幽々子がお茶をすすりながら尋ねた。

 

「激しい運動でもしてたの?お茶を持ってくるのも遅かったし」

「いえ、大きな烏がこちらを盗み見ていたものですから、退治しに行ったのですが……逃げられてしまって……」

「烏くらい放っておきなさい。小骨が多くて食べれたものじゃないわ」

 

 ふーん、烏ねぇ。最近の幻想郷には烏が増えているのかしら?

 烏ですら生きられないほどに外の世界は荒廃したのか……賢者である私は憂うばかりである。

 あーお茶が美味しい。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 ────……いる。

 

 この時をどれだけ待ちわびたか。

 固まった想いにじんわりとしたものが流れ込んできた。

 これは興奮……いや、恋慕かしら?……もうこの際どうだっていい。

 

 

 さあ、こっちへいらっしゃい。

 

 私が元へ……────。

 




頭が回るバカ、発動

冬?そんなもの根性で掻き消せ!
……やっぱ無理です。冬を体感するたびにレティさんが大妖怪に思えて仕方がない。お願いしますレティさん、少しは手加減して……。

感想、評価をいただくたびに作者の頭が春になって作業が進みます。頭空っぽの方が夢詰め込めますからね!


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リンガリングウィンター

レティ様が荒ぶられておられる!今すぐリリー召喚の準備を!



「春ですよー! 春ですよー!」

 

「……春よねぇ」

 

 春の暖かな空気に包まれて久々の快眠を味わった私は、桜の木々と戯れる春告精の元気なはしゃぎ声にポツリと言葉を漏らした。

 いつもは幽霊が浮遊しているせいで年がら年中肌寒い日が続く白玉楼だけど、今日はお日柄も良くてポカポカ陽気だ。春の力は実に偉大だなぁって改めて思ったわ。

 

 白玉楼は最高よ。

 家は広い、ご飯は美味しい。幻想郷の生活水準とは比べものにならないほどの贅沢さだ。

 幽々子の意外な優しさにも触れることができたし、こんなことなら八雲家倒壊事件の時にサバイバルなんかしないでさっさと白玉楼に居候させて貰えば良かったわ。あっ、トラウマがががが!!

 

 

 と、そこへ私が起きたのを見計らってか、藍がやってきてススス……と襖を開いた。

 もしも私が起きるまで待っていてくれたのなら、何時もの事ながら非常に申し訳ない。

 

「おはようございます紫様。朝食の準備ができましたので幽々子様が呼んできて欲しいと。時が悪ければ少し待っていただくよう言ってきますが」

「いえ、すぐに行くわ」

 

 藍の報告を聞いてすぐに着替えを開始する。

 食事の時間を待たせるというのは、幽々子に対して絶対にやっちゃいけない行為ベスト5に入るのよ。機嫌を損ねさせれば何をしでかすかも予測がつかない、なんとも厄介な友人である。

 ちなみにだけど他にやっちゃいけないのはお菓子の横取りとか、ご飯を粗末に扱ったりとか……って全部食べ物関係じゃないの。

 

 そんなことを思いながら急いで紫色のドレスを着る。そしてなんかありがたカリスマ感溢れる手袋と、可愛らしい靴下を着用。

 これで優雅な春服ゆかりんの誕生よ!

 昨日までは導師服だったけど、今は春だからね。ようやくの衣替えだ。

 

「さて、それじゃあ行きましょうか。貴女も朝ごはんはまだでしょう?」

「勿論です」

 

 藍は絶対に私より早くご飯を食べようとしない。

 なんでも、主人を差し置いてご飯を先に食べるのは不敬に当たるとかなんとか。私からは「お、おう……うん……」ぐらいしか言えないわ。

 

 開けた回廊を歩きながら花吹雪く庭先に視線を移すと、妖夢が庭師としての務めを果たしている光景があった。彼女が楼観剣を一振りするたびに植え込みの無駄枝は散り散りに消滅してゆく。

 以前までならそんな光景に怯える以外のリアクションをとってこなかった私だが、今日はヤケにカッコよく見えた。そうよね、彼女は敵じゃない。今や私の心強い仲間だ!

 

 すると妖夢の凄技にほっこりしている私に藍が話しかけてきた。

 

「あっそういえば、例の案件を『文々。新聞』が大きく取り上げてましたよ。おかげで幻想郷中に事が広まってしまいましたが……計画では今日中に全てを邪魔を入れられる前に終える事が出来そうなので、問題はありませんけどね」

「へえ、文の新聞が? それは……結構意外ね。自分に利のあることしか積極的に行動しようとしないあの子がそんな記事を?」

 

 いつから見られてたんだろう、全く気づかなかったわ。文のスピードを私の肉眼で捉えれるわけがないから永遠の謎になりそうね。

 それにしても、ボランティアのことを取り上げたところで大した反響は呼べないと思うんだけど……そこんところは大丈夫なのかしら?

 あの性悪ブン屋のことだから何かしらの利があると思ってるんだろうけど。

 

 ……あっ、霊夢にボランティアのことがバレたらマズイじゃん! 手出し無用とか昨日言われたばっかなのに、これはマズイ! 後でめちゃくちゃ怒られそうじゃない!

 取り敢えず記事を確認してみないことには何も始まらないわね。【広がるボランティアの輪 八雲紫の素晴らしき活動声明】みたいな内容ならワンチャン霊夢も納得してくれるかもしれない。してくれるといいなぁ!!

 

「『文々。新聞』を持っているかしら?」

「ここに」

 

 藍はスキマから新聞を取り出すと、私に手渡してくれた。彼女へのお礼をほどほどに、ゆっくりと新聞へと目を通す。

 なになに……?

 

 

 

【激震!八雲紫 春雪異変に加担】

 

 

 

 ……んん”?

 疲れ目かしら……うまく文字が見えないわ。老眼とか言った奴はブチ殺す。

 目を擦ってからもう一度新聞を見た。

 

 

 

【激震!八雲紫 春雪異変に加担】

 

 

 

 ……えっと、いつから日本語ってこんなに難しくなったのかしら。新聞に書かれてる意味が全く分からないわ。

 待て待て、まずは落ち着くのよ八雲紫。深く息を吸ってひっひっふぅ。

 よし、もう一度。

 

 

 

【激震!八雲紫 春雪異変に加担】

 

 

 

「……」

 

「えっと、紫様?」

 

 くぁwせdrftgyふじこlp!?

 あばばばばばばばばばばばば!?

 アイエエエ!? クロマク!? クロマクナンデエエェェェエエッ!!?

 

 

 

 

 

 

「取り乱したわ」

 

「はあ……左様でございますか」

 

 私はちょいとばかり怯えやすい性質でね。錯乱しそうになると心の中で思う存分叫んで、心を落ち着けるようにしてるのよ。

 いやしかしこれは……とんでもない誤報だ。こんな根も葉もない情報を幻想郷に拡散するなんて……そこまで腐ったか、射命丸文!

 

 てかなんで藍はそんなに落ち着いてるの?

 いつもの藍なら「野郎オブクラッシャーッ!!」とか叫びながら文のもとに飛んでいきそうなもんだけど。

 

「貴女はこの記事を見てどう思う?」

「ブン屋にしては真実をありのまま書いている珍しい記事だなぁ、と思います。連中も毎日このくらいしっかりと新聞を作ってくれればいいのですが」

 

 ───はいぃ?

 

 お前は一体なにを言ってるんだ? とてもじゃないが正気とは思えない。冗談にしてもタチが悪すぎる?

 

 まさか、こうなることを事前に知っていたとでもいうの!? そんな馬鹿な……。

 もしかして、この子ブン屋とグルになって私を嵌めようとしてるんじゃ……!? ついに私を見限ってたりして。いつ見捨てられても可笑しくないと思ってた。だけどこんなタイミングで……!?

 もしそうだったら私完全に詰んでるんだけど。……いや、私にはまだ幽々子と妖夢がいるわ! 幽々子になんとか助けてもらってこの窮地を脱するのよ!

 

「この部屋で幽々子様がお待ちしております」

 

 藍の細かな一挙一動にビクビクしながら、彼女が指し示した部屋へと滑り込む。

 そこには用意された大量の朝食を前にした幽々子が、優雅な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 

 マイフレンド! マイベストフレンド幽々子! 私を助けて! 庇って! 匿って!

 

 なんとか藍に気づかれないようにそれとなく現状を伝えたかったんだけど、幽々子はそんな私の切なる思いに気づくことなく、手招きして目線で座ることを促す。

 目が据わっていてとても怖いので、ひとまずは素直にその場へ座ることにした。ご機嫌は……あまり良さそうに見えない。

 少しばかり朝食を待たせたのが悪かったのかしら……? なるべく急いで来たんだけど。

 

「もう待ちくたびれたわ。せっかく今日は妖夢に腕をふるってもらったのに、あともう少しで一番美味しいタイミングを逃すところだったのよ?」

 

 へえ、妖夢がこの朝食を作ってくれたのね。これは……匂いだけでもとても美味しいことが分かるわ。より取り見取りの品々が、机の上で所狭しとひしめき合っている。

 あの子ったら色々と不器用なのに手先だけは器用なのよねぇ……って、そんなこと言ってる場合じゃない!

 

「ごめんなさいね。けどあと少しだけ朝食は待ってちょうだい? 先に話さなきゃならないことがあるの」

 

 私の言葉にピクリと幽々子の眉がヒクついた。だんだんと彼女の顔を覆う影が深く、濃くなってきているような気がする。

 あわ、わわ……『大魔神』西行寺幽々子様がお怒りになられてるわ!どうか怒りをお鎮めください! ご慈悲をちょうだいくださいまし!

 

 ガタガタと何に対してか祈祷していると、その思いが神仏もしくは幽々子に届いたのか、徐々に黒いものが引いていった。

 

「……はあ。しょうがないわねぇ……それで話っていうのはなに?」

 

 幽々子の聞き分けが良くて助かったわ。レミリアだったら完全にアウトだった!

 取り敢えずそれとなく訴えかけないと。

 

「これ、幻想郷の天狗が書いてる三流新聞なんだけど、どうも私たちのことが載ってるみたいよ?散々に書かれてるけど」

 

「ふぅん……どれどれ?」

 

 後方に佇む藍を警戒しながら恐る恐る幽々子へ『文々。新聞』を渡す。

 せっかく幻想郷のために頑張っているのにこんな記事の書かれ方をすれば、流石の幽々子だって怒るはず! 幽々子が相手となれば藍も文も迂闊には手を出せないだろうし、最高のストッパーだわ!

 

 しかし、私の期待はすぐさま裏切られた。

 

「あら、いい新聞じゃない。ちゃんと事実が述べられてるし、購読者の興味を惹くべき部分は多少大袈裟な脚色で面白おかしく表現している。幻想郷には随分と腕のいい新聞記者がいるみたいねぇ。今度幽霊用の新聞でも作ってもらおうかしら」

「えぇ……(困惑)」

 

 幽々子さん、一体なにをおっしゃっておられる?こんな捏造新聞を事実って……冗談にしても笑えないわよ! ええ、全く!

 見損なったわ!貴女の株がリーマンショックよ!

 

 ……ちょっと待って。

 ……グルか?まさか幽々子もグルなのか!?

 

「……この異変云々含めた全てが真実であると、貴女はそう言うの?」

「当たり前でしょ?」

 

 ヒイィィィィ!? この幽霊悪びれた素振りも見せずにさらっと言いやがったわ!

 ていうか黒幕って貴女なの!? ボランティアとか言っておきながら!?(言ってない)

 ということは、昨日のやり取りは全部……幽々子と藍の手のひらの上……!?

 罠だ! これは罠だ! 幽々子と藍とブン屋が私を陥れるために仕組んだ罠だ!

 私にいい顔を見せることで油断させて……一気に仕留めようって魂胆なわけ?

 ……いや違う、彼女たちは私を社会的に殺そうとしているのね!

 そして自分が起こした異変の件を私に全てなすりつけて、霊夢に始末させる。そうして私が社会的かつ物理的に死んだことによって空くことになる賢者のポストに収まる……こういうわけかこんちくしょう!

 

 霊夢なら見逃してくれるかも!なんて考えたりもしたが、昨日の神社での様子を思い出して考えを改めた。あの子の博麗の巫女としての心構えは、私が思っている以上に完璧だった。

 おそらく幻想郷のためだったら私でも殺してみせることだろう。……悲しい。

 よってレミリア並みの耐久力がない限り、彼女の制裁を乗り切ることは不可能。耐え切れる藍と幽々子は悠々と生き残ることができるというわけだ。

 

 ……やられた。

 何か裏があるんじゃないかなー? とは思っていたけど、こんな壮大で残忍な計画を立てていたなんて……!

 だけどこれが解ったところで私にはどうすることもできない。

 彼女たちの企みに気付けたところで、私にはそれを阻止する力はないのだから。

 どうしようもない失望と脱力感を感じる。

 

「残念よ……まさかここまでの争いごとに発展してしまうなんてね。私は……信じていたのに、なんて残酷なのかしら」

「そうね。だけど私が選んだのはそういう道なのよ。だけどそのリスクを犯してでもやらなきゃいけないと、そう思ったの」

 

 私の皮肉めいた言葉に幽々子があっけらかんと返す。決意は固いようですねぇ!

 それにしてもどうすればいいんだろう。私の超優秀な頭脳をフル回転させても大してロクな案がちっとも思い浮かばない。

 

 逃げる→絶対無理

 決死戦→「命とは投げ捨てるもの」

 命乞い→死亡フラグ乙

 諦める→最適解

 

 ポルナレフも真っ青なほどに酷すぎる選択肢だった。慈悲なき事実ね。

 ……ここまでかしら。

 

「私の分の朝食はいらないわ。それよりも少しだけ外を歩かせてちょうだい。……(私を殺すまでに)まだ時間はあるでしょう?」

 

 幽々子の返事を待つことなく私は立ち上がると、庭先に向けて歩みを進める。藍が後ろから付いてこようとしたが、その場に残らせた。

 逃げるつもりなんて毛頭ないわ。逃げきれないことは私が一番よく解ってる。

 

 庭に出ると妖夢とすれ違った。

 あっちは私を見て何か言おうとしていたが、途中で言葉を飲み込んだ。

 ……どうせ貴女も私を殺そうとしてるんでしょ?一時でも貴女たちを信用した私が馬鹿だったわ。

 

 

 

 桜が敷き詰められた薄紅色一色の絨毯を踏みしめ、感慨に耽ながら今までの妖生を一つずつ思い出してゆく。

 辛かった日、辛かった日、辛かった日、辛かった日、楽しかった日、辛かった日、辛かった日。その全てが確かに今まで私が歩んできた時間なのね。だけどそれも今日で終わり、か……。

 

 

 

 

 

 嫌だぁ……死にたくないよぉ……。

 こんなところで終わりだなんてあんまりよぉ!私、まだまだしたいことがたくさんある!食べたいものだって、知りたいことだってたくさん……たくさん……っ!

 なのに、親友と式に嵌められて娘に殺される……。リアル四面楚歌なんて体験したくなかった!

 

「どうしてこんなことに……死にたくないわよぉ……!嫌、嫌よぉ……!」

 

 庭に生えている一本の大きな木に寄りかかって、咽び泣いた。

 春が満ちるこの白玉楼で唯一桜をつけていないその大木は、滲む視界に柔らかな光が反射して、なんだかとても優しい感じがした。

 

「ひぐっ……ふえぇ……誰か、助けてぇ……」

 

 

 

 *◇*

 

 

 

「咲夜。止められた季節の時を、貴女の手で今再び動かしなさい。そして紫のやつに一杯食わしてやること。いいかしら?」

「──心得ました。この十六夜咲夜、必ずや相応の結果をご覧にいれましょう」

 

 今日一番のお嬢様からの呼び出し。

 私は時を止めて、厨房からティーセットを取り出した後にお嬢様の元へと向かった。

 時間的に雪を見ながらのモーニングティーかと思ったのだが、告げられたのは異変の解決を命じる言葉だった。

 

 これまでお嬢様は「異変が鬱陶しい」等のことは言われていたが、一度もその解決を命じたことはなかった。

 私に一言お申し付けくだされば、たった1日ですべてを終わらせることができるのに、お嬢様は頑なに異変を観察し続けていた。少し前に八雲紫が訪ねてきたことに何か関係があったのかもしれない。

 現に今日の『文々。』とかいう新聞の第一見出しは八雲紫の異変への加担を報じるものだった。

 

 ……どっちにしろお嬢様が命じられたのだ。すぐに動かねばなるまい。

 

「申し訳ございませんが、ほんの少しだけお暇をいただきます。それでは────」

「……あぁそうよ、一つだけ言っておくわ」

 

 時を止めるよりも早く、お嬢様が私の目の前へ回り込まれた。そして人差し指を立てて、それを交互に揺らされる。

 

「今回の異変は貴女にとって中々面白い結果になりそうよ?万が一解決できなくても私は咎めたりしないから、貴女のすべてを出してきなさい」

「……万が一などございませんよ。それよりも、それは能力をお使いに?」

「いいえ、能力は使ってないわ。だけどなんとなく解るのよ」

 

 やはりお嬢様は能力をお使いになられない……か。そのことにどうしても気持ちが揺らいでしまう。

 前回の一件以来、お嬢様が能力を使用なさる機会が極端に減った。最近ではまったくと言っていいほど、お嬢様は運命を見られなくなった。

 10年前(吸血鬼異変後)からお嬢様は毎日のように能力を行使なされ、絶対無慈悲なそれをさらに強大なものへと進化させていたというのに。……まるで強くなることを放棄なされたようだった。

 

 いや、それだけではない。

 お嬢様は───変わられてしまった。

 

「……それでは、行って参ります」

「そう……行ってらっしゃい」

 

 心に渦巻いた疑念を振り払うようにお嬢様へと出立を告げ、時を止めるとテラスから飛び出した。

 

 

 

 ……らしくない。

 なぜ私はこうも大きく揺れている?

 お嬢様への絶対的な忠信が揺らいだわけではない。だけどあの時(紅霧異変)から言葉にできない大きな不安が胸につっかえたまま、私は独りで勝手に苦しんでいる。

 みんなが新たな生活を始める中、私だけがどうしても変われずにいる。

 パチュリー様は毎日のように泥棒が来るようになって少々お疲れ気味のようだが、前に比べてギスギスした鋭い感じがなくなったように思う。

 お嬢様と妹様は和解してからというもの、これまでの失った時間を埋めるように互いに親しまれている。

 

 紅魔館で変わってないのは私と美鈴くらいだろうか……。

 いや、違う。美鈴はなにも変わる必要がないんだ。だから苦しまずにいられる。

 紅魔館は確実に良い方向へと進んでいる。だけど……私はそれを望んでいないのか? 殺伐としたあの空間が私の世界なのか?

 

 何がメイド長だ。

 こんな愚かで、淺ましい醜態をさらし続ける私に、一体何の価値があるのだろう。お嬢様はこんな十六夜咲夜など……っ!

 

 

 ……少し頭を冷やそう。今回の異変はその分、ちょうど良かったかもしれない。

 

 視界は白一色に染まり、隅で紅いマフラーが吹雪に晒されヒラリとたなびく。

 ……美鈴が編んでくれたものだ。正直寒さは相当堪えるから助かるわ。

 

 と、視界にマフラー以外に赤が見える。その隣には黒がいくつか浮かんでいた。

 あの色には見覚えがある。ここ最近頻繁に目にするその色は、巫女のトレードマークだ。となるとその周りに浮いている黒色は魔理沙か。もう一つの黒色は知らない。

 

 彼女たちを無視するべきか、話しかけるべきかで少しだけ迷ったが……よくよく考えてみれば勇んで出かけたことはいいものの私には情報が足りない。

 八雲紫と異変の首謀者が冥界というところに居るということは判っているが、場所及び行き方が不明だ。ここはその手の先駆者である彼女たちに少しだけでも話を聞くべきだろう。

 

 近づくと彼方も私に気づいたようで、霊夢は不愛想にこちらを見るとお札を構え、魔理沙は笑顔を浮かべて手を振った。

 その傍らではぐったりとした天狗が霊夢に胸ぐらを掴まれている。確か、例の『文々。新聞』を書いてる天狗だったと思う。恐喝現場かしら?

 

「ごきげんよう。今日は異変解決日和ね」

「ええそうね。そしてこんな今日に外をうろついているあんたが怪しいわ。異変を手伝いにでも行くつもり?」

「逆よ、逆。今日は起こす側じゃなくて解決する側なの、私。ああ、私の行く手を阻むつもりなら異変に加担してるって見なすわよ?」

 

 ちょっとした脅しのつもりで言ってやった。まあ半分は本当だけど。

 すると霊夢は目に見えて怒りを露わにし、こちらへ暴力的な霊力を浴びせかけてきた。……本当にやる気なのかしら?

 ならば先手必勝と、時を止めて一気に勝負を決めようとしたのだがその直前に魔理沙が仲介に入る。

 

「まあ待て待て、こんなところで道草を食ってる場合じゃないだろ?まず一番にしなきゃならんことがあるはずだぜ」

「そうね。まず一番にこのメイドを冥土に送ってあげないと。異変を解決したがってるんなら黒幕の元にも行けて一石二鳥でしょ」

「あら その言葉そっくりそのまま貴女に返してあげるわ。そんでもって神にアーメンとでも言いに行けばいい。巫女ってそういうもんでしょう?」

 

 私の言葉に霊夢は首を傾げた。……宗教が違ったかしら?皮肉が伝わらなくて残念。無神論者なものでね。

 

「ちょっとお前(霊夢)は一旦黙ってろ。……それでお前さん今回は異変解決側ってことでいいんだな?そんじゃなんか情報をもってないか?」

「それを得るために貴女たちに話しかけたのよ、あいにく今しがた館を出たばかりでして。もしかして貴女たちも?」

「まあな。だから文を締め上げて吐かせようとしたんだが……霊夢が不動陰陽縛をやり過ぎちまってこの有様だ。いくらやっても起きやしない」

 

 魔理沙との会話はスムーズでいいわね。これでうち(紅魔館)に忍び込んだりしなければもっといいんだけど。……素直に人の言うことを聞くような人間でもないし、望むだけ無駄か。

 しかしここで新聞を書いた本人に会えたのは幸運だったわね。これで一気に黒幕と八雲紫の元に辿り着ける。

 

「ならもう容赦なくやっちゃうしか……」

「うっかり死なれても困る。……ってかこれ生きてんのか?」

 

 確かによく観察してみると天狗はピクリとも動いていない。ていうか生気をまったく感じなかった。

 試しに口に手を当ててみたが、天狗は息をしていない。同時に脈もない。

 これは……

 

「死体───じゃないわね。良く出来た人形よ、これ」

「「はあ?」」

 

 私の言葉に二人は素っ頓狂な声を上げると、天狗人形を凝視する。そして霊夢は額に手を当てて気怠げに息を吐き出し、魔理沙は「たはは……」と苦笑した。

 

「アイツ……いつの間にすり替えたんだ? まさか手を離したわけじゃないだろ?」

「当たり前よ。取っ捕まえてからずっと掴んでたわ」

 

 どうやら二人は天狗に一杯食わされたようね。けど魔理沙は兎も角、霊夢を欺いたのはそれなりに驚いた。あの烏天狗はそんなに凄かったのね。速いとは思ってたけど時を止めれば関係ないし。

 よくよく見てみると天狗人形は若干ニヤけているように見える。率直に言ってうざい顔だ。今にもヒュンヒュン首を揺らして煽ってきそうなほどに。

 

「はぁ……調子が狂うわ、ホント。どいつもこいつも私のことをコケにしてるのかしら。『夢想封印』」

 

 霊夢は天狗人形を空へと投げると、霊力弾で粉々に破壊してしまった。人形の出来栄えは良かったので少しばかり勿体無い。

 しかしこれで振り出しに戻ってしまった。この二人からもこれ以上の情報は見込めそうにない。……瀟洒じゃないけど一度紅魔館に戻って、パチュリー様から話を聞くしかなさそうね。

 

「私はパチュリー様に冥界についての知識をお借りすることにするわ。……貴女たちも一緒に来る?」

「いやいいわ。なんだか本調子じゃないけどいずれは辿り着けると思うから」

「あー……私もパスだ。ちょっと昨日やらかしちまってパチュリーに殺されかけてるからな。他の魔女(同業者)をあたってみるぜ」

 

 なんとなく断られるだろうとは思っていたが案の定だった。私も別に二人に付いて来て欲しくていったわけじゃないからなんとも思わない。最終的な目的が共通しているとはいえ、私たちが力を合わせる理由にはなりえないから。

 力を持ちすぎた者というのは、それゆえに増大した自尊心によって協調性を著しく欠く。……それこそお嬢様のような強烈な魅力を持つ存在の下につかない限りはね。

 この二人はそのようなのとは遠くかけ離れているタイプだろう。

 つまり私も同じ穴の狢ってわけ。

 

 その後、霊夢は別れの言葉もほどほどに白銀のカーテンへと消えていった。

 あの巫女ならば、大した時間もかけずにいずれは八雲紫の元へと辿り着くだろう。あの驚異的なまでの勘ならばそれが可能だ。

 ……彼女に先を越され、おめおめと紅魔館へ帰ることだけはなんとしても避けなければなるまい。なんせお嬢様の面子にも関わってくる。

 

 一方の魔理沙は、パチュリー様以外の魔女に話を聞くべく何処かへ飛んでいった。

 彼女ほどの魔法使いが意見を仰ぐ魔女……。心当たりがないこともないが、才知・思慮・分別に長けた人物であることは想像に難くない。魔理沙もそう長くない時間で冥界へと到るだろう。

 

 二人を見送った後、私も時を止めて行動を開始した。速さという点ではあの二人の追従は許さない。霊夢と魔理沙には悪いが、異変を解決するのは私だ。

 

 

 あと──体感的に──数十秒すれば紅魔館に着く。そして一気に冥界へ────。

 

 

 

 

「あらあらそこの頭のおかしいメイドさん。こんな寒い日に何処へお出かけするのかしら? 是非お聞かせ願いたいものだわー」

「ッ………!」

 

 私の世界に響いた凍てつく声音。その間延びした一音一句が心を締め付ける。

 熱い、ドロドロした何かを感じる。

 

 この声を聞いたのは10年ぶりだ。そして、今の今まで一時も忘れたことはない。

 この妖怪に負けて、八雲紫に負けてから全てが始まり、狂い始めた。新しい紅魔館はそこから始まって、私はただ一人取り残されたのだ。

 

「あの時の……妖怪……」

「あら、どこかで会ったかしら? ごめんなさいねー忘れっぽいものでして」

 

 妖怪は当たり前のように止まった時の中を動き、ふざけたことをのたまう。その一挙一動に対して確かな悪意を感じる。

 間延びした口調と暖かそうな藍色の防寒具。そしてそれらと全く釣り合わない底冷えする絶対零度の眼光。その全てが10年前のままだ。

 

 ……案外平静を保てている。一周回って無心になれたのか、それとも私が単に思考能力を失っているだけなのか。

 

「ああ思い出したわー! 貴女あの紅い家のメイドでしょ! お久しぶりねぇ、元気にしてた? いや、相当元気そうね」

「……おかげさまで」

 

 そう言う彼女はかなり生き生きしてるように見える。安直にその理由に仮説を立てるなら、冬だから……だろうか。

 今朝の新聞が出るまではこいつがこの異変の黒幕だと睨んでいた。どうも違うみたいだけど、大方異変を解決させないために妨害にでも来たのかしら。

 

「話しかけてくれたところ悪いけど、さっさと目の前から失せてくれないかしら。貴女を見てるとどうも心がざわつくの」

「ふふ……変わってないのね。落ち着いてるように見えるけど実際はただ疲れてるだけ。結局まだまだ本質を見つけきれてないみたいだし、全然成長してないわー。やっぱり所詮は落ちぶれた吸血鬼一派のしがない人間、この領域(レベル)の話は理解できないかしら?」

 

 こいつ、煽ってるわね。

 そして最も効果的だ。現に私は抑えきれなくなっている。残念だが、私にここまでの激情を瀟洒に受け流せる技量はない。相手がこの女であれば尚更だ。

 

「……そうね。やっぱり貴女が黒幕ね。容赦しないわよ」

「ふふ、私は黒幕だけど普通よ? 大好きなお嬢様の言葉を理由にして私怨を晴らすなんて、中々成長してるじゃない。嬉しいわー」

 

 そんなふざけたことをほざくと、妖怪は虚空へと手を翳す。そして掌を握ると、仰々しい音を立てて私の世界は崩れ去った。

 同時に凄まじい吹雪が吹き荒れ、体を激しく打つ。……この程度の冷気であれば問題はない。私の世界の方がもっと冷たい。

 

「さて、私もわざわざそんなことで貴女の世界にお邪魔させてもらったわけじゃないわ。ちゃんとした目的があるのよ」

「そんなことって……どんなことか意味が判らなかったわ。ただ私とお嬢様を侮辱しただけでしょ? ──ああ、目的はなんとなく分かるわ」

「へえ?言ってみて」

「異変を解決させたくないんでしょ? 寒い妖怪が冬を好むのは当然だもの」

「正解!」

 

 にこりと妖怪は笑みを浮かべ、猛然と荒れ狂う吹雪を爆発的に拡散した。

 それとともに至る所で局地的な時空の歪みが生じている。こいつは幻想郷を滅ぼすつもりなのかしらね。

 

「さあ私は異変への協力を宣言するわ。止めれるものなら止めてみなさい!」

 

 ……こいつ、まさか私とお嬢様の会話を聞いていたのかしら。口上がその内容を踏まえた上での言葉にしか聞こえない。まったく八雲紫といい、こういう胡散臭くて面倒臭い妖怪はどうも苦手だ。

 

 

 しかし───同時にいい機会でもあると思う。

 彼女に勝てば、私は変われるのだろうか。過去の私を超えることができるのだろうか。

 

「……『絶対一方収縮(デフレーションワールド)』」

「──へぇ?」

 

 私が紅魔館の住人であるために、お嬢様の従者であるために。

 ……私が、十六夜咲夜であるために。

 




ゆかりん17位。約束された順位きたな……!
作者?もちろん一押しは入れさせてもらいましたよ!……ふとちゃんに。
だって可愛いんだもん!ベストカップル一押しはゆかれいむだけどな!らんちぇんにも入れたぜ!抗鬱薬おじさんに一票入れたのは秘密だ!

これからもゆかりんが十代を保ち続けられますように。南無南無。


さて、人気投票の話はいったん置いといて本編の話をちょっとだけ。
レティ様は寒さを感じる場所ならどこにでも出現できます。つまり我々は今、レティ様に包まれているというわけだ!ちなみにチルノは霊夢と魔理沙に蹴散らされました。
次回から話は加速するかもしれない。

たくさんの評価ありがたいです。めちゃんこ励まされております。リアル鬱な作者には何よりもの生きる活力!いやあ これなら世界の終わりも怖くない!


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霧塵な夢人と無尽な無人

 紫様が出て行かれた後、私は呆然とする幽々子様を視界に捉えつつ思考の渦に沈んでいた。

 先ほどの、紫様の一言一言に込められた意図がちっとも読み取れない。

 そしてなによりも鮮烈に感じたのが身を焦がすほどの違和感。紫様からの拒絶は、なにか真に迫っているようで……───。

 

 少しして妖夢が庭先から帰ってきたが、彼女の表情も優れない。彼女は何かに怯えるようにして縁側に座り込んだ。

 しばらく居心地悪い空気が辺りを包んだが、意を決したように妖夢が言葉を発する。

 

「……一体何があったのですか? 何をしたら紫様は、あんな……」

「……紫様がどうかされたのか?」

「憂いているような、とても悲しい目をしてました。少しすれ違っただけなので実際はどうなのか分かりませんが……いつもと様子が違うような感じがして……」

「私たちもそのことについて考えているところなんだ。恥ずかしいが、私でも紫様の言動の意図が掴めない。なぜ、今このタイミングであのようなことを────」

 

 紫様の様子がどうもおかしい。

 いやまあ……おかしいのは今始まった話ではないが、今回は特に不可解だ。

 

 昨日はあれほどまでに幽々子様の起こされた異変に賛同の意を示していたというのに、今日は一転変わって私たちへと色々なことを問いかけた後、どこか否定的とも見える態度を取っている。

 紫様が臨まれていた展開へと異変が進んでいないのだろうか? ……紫様に限ってそんなことはあるまい。紫様は推論のみで未来を見通すお方だ。

 

 そういえば、霊夢と対峙することに特段の難色を示しておられた。

 異変に賛同し、協力するのであれば彼女たちとの対立は必至であることを紫様が把握できないはずはない。

 つまり何かもっと別の意図があったのだろうか。

 

 ……ダメだ、思考が偏っている。

 紫様の思惑を知りたいために、自分の疑問をひたすら自答しているだけでは決して紫様の為す真実に近づけない。私と紫様ではまずそもそものレベルが違うのだから。

 従順なだけでは……

 

 

 ───ああ、そうか。

 一番に着目すべき点は今現在の紫様のご様子ではない。なぜ紫様がこの異変に対して支持を表明したのか……その点だ。

 当初こそは私もかなり疑問に思ったものだが、時が進むにつれて紫様に流されていた。紫様の行動が全て正しいことを念頭に置いているからこそ、思考が上手く纏まらなかったんだ。

 

 となれば……

 

「幽々子様。なぜ紫様は……貴方様が起こされた異変の支持を決めたのでしょうか。確かに紫様はご友人や親しき者らへの配慮をとても大切にしていらっしゃいます。幽々子様であれば尚更のことでしょう。しかし、普通ならば異変を起こされた幽々子様を言葉でお止めになるのが、紫様にとっての最適解であるはずです」

 

 縋るように幽々子様へ問いかけてみた。

 幽々子様は紫様ととても馴染みが深いお方だ。時には私でさえも到達し得ぬ難題の結論へと、簡単に辿り着くことのできる知略派で、紫様の理解者でもある。

 だがそんな幽々子様でも困惑の色を隠せていなかった。先ほどまでの食欲は何処へか、目を閉じて黙考に耽ている。

 

 

「───そう、それが普通。私も紫が訪ねてきた時は春集めの失敗を悟ったわ。貴女たちと一戦交えることも決意したわね。……昔からだけど、紫が意味深な行動をとる時は何かしらの理由があるの。時には相手を欺くため、時には私たちに何かを暗に伝えたいがため……。だけど───」

 

 幽々子様は一度視線を逸らして紫様が消えていった方向を見る。そして若干目を伏せてぽつりと語られた。

 

「あの目と顔には……見覚えがあるのよ。最近じゃない。とっても昔の、いつの頃だったかすらも思い出せないほどに遠い……朧げな記憶に」

 

 ……それだ。

 私が感じた何よりの強烈な違和感の正体は、あの久方ぶりの雰囲気と佇まいか。

 酷く懐かしくもあり、恐ろしい。とっくの昔に失われた禁忌を、不本意に覗いてしまったような焦燥感が私の本能に訴えかける。

 

  式の部分ではなく、私自身がこれ以上考えることを放棄するよう迫っているのだ。

 解ってしまえば、もう戻れない。

 

 

 

 何にせよ、春集めは開始された。今現在も私と橙の繋がりを通して幻想郷の春が白玉楼の庭に立つ”西行妖”へと注ぎ込まれている。

 少し前に橙が霊夢と遭遇してしまったみたいだが、軽くあしらうように指示しておいたので大丈夫だと思いたい。橙にはあまり情報を伝えていないし、霊夢もあまり橙を痛めつけるようなことはしないはずだ。なんせ幼少期の数少ない遊び相手だものね。

 

 もはや事の完遂は時間の問題。幾つかの懸念事項はあるが、ただちに全体計画に影響を与えるほどのことではない。

 紫様のこれから先のスタンスは判らないが、異変中止を命じられないということは、事の続行を望まれているのだろう。しかしこの様子だと、紫様が直接に力を振るわれることは恐らくないと思う。

 ……私に橙、幽々子様に妖夢が揃っていれば決して霊夢一人に遅れはとらない。ついでに魔理沙あたりも増えるかもしれないが、所詮は人間───大した脅威ではない。

 そういえば幽々子様が我々と接触する前に、知霊へと協力をお願いしていたらしい。別に期待はしていないが、まあいないよりかはマシだろう。現在は幽明結界の近くで待機してもらっているようだ。

 

 異変成功率は90%を超える。だが注意すべきはその確率の高さではなく、失敗する通りも幾つか存在する点だ。

 だからこそ、わたしが適切にイレギュラーへと対応しなければならない。

 

 幽々子様の悲願のため……そして紫様の秘めた思いのため。私は内に眠る式に従って、この異変をやり遂げる。

 

 

 

 

 ────────────

 

 

 

 霊夢は吹雪吹き荒れる幻想郷遥か上空を飛行していた。冷気が霊夢の顔を打ち、美麗できめ細やかな表情を歪ませる。

 

 博麗の勘に従って紫を探してみたのはいいものの、結果霊夢はマヨヒガへと迷い込み、馴染みある化け猫と対峙することになってしまった。

 結果は霊夢の圧勝。化け猫の橙は「ぎゃふんっ!」と、わざとらしい声を上げ死んだふりを実行し、霊夢は呆れてその場を後にした。

 

 その後、勘の調子が悪い霊夢は異変時には珍しく、自分で色々と考察を深めていた。そして結論へと辿り着いた。

 よくよく考えれば雪も桜の花弁も、空から落ちてきているのだ。元凶は空にいると考えるのが、単純かつ真っ当な思考である。

 

 そして今に至る。

 霊夢はひたすら上へ上へと飛翔を続ける。雪雲に覆われた分厚い層を突き抜け、雪は水滴になる。やがてそれすら無くなり、天空へと……

 

 

 

「よー霊夢。今日は私の勝ちみたいだな」

 

 晴光が差し込むとともに生意気な声が耳へ届いた。聞き覚えのあるそれに霊夢は白けた目を向ける。

 色素の薄い冬空と未だ舞い散る桜の花弁を背景にしてそこにいたのは、ニヒルな笑みを浮かべた魔理沙。そしてあともう一人。

 青のノースリーブにロングスカート、肩に羽織ったケープ。金髪によく映える赤のリボン。大きな本を大事そうに抱えている。

 ……馴れ馴れしい目だと霊夢は思った。

 

「えっ? もう異変を解決したの?」

「いんや。だが冥界への突入方は分かったぜ!つまり私の方が一歩リードってわけだ」

「私が教えてあげたことをさも自分が見つけたかのように……相変わらずの図々しさね」

「違いないわ……ってあんた誰?」

「私のこと覚えてないの? まぁ、別にいいけど」

 

 金髪の少女はやれやれという風に肩を竦める。しかし全身からは悲壮感が溢れ出しており、霊夢は心底面倒くさいヤツだと思った。

 別に彼女のことを知らないわけではないが、特別関わりたい相手でもない。

 魔理沙だけでも異変時には自分に対抗意識を燃やしてくる面倒臭い相手だというのに、これ以上面倒臭い相手を増やすのは憚られる。よって知らないフリだ。

 だがそんな霊夢の心の内を少女が知る由はなく、ならばと話を始めようとした魔理沙を押しのけ、胸に手を当てる。

 

「それじゃ自己紹介するわ──七色の魔法使い、アリス・マーガトロイドよ。もう忘れないでよね。ていうか私にあんなことをしておきながら今日久しぶりに会って『忘れました』って酷くないかしら?この冷血巫女」

「あんたの存在感が気薄なのがいけないのよ。いつ消えたのかも気付かなかったもの。それに巫女の仕事をやらせてみたはいいけど全然役に立たなかったし」

「よくもまあぬけぬけと……って覚えてるじゃない! まずそもそも───」

「よしそこまでだぜ。私にもちっとは喋らせてくれ」

 

 ジト目でさらに追求を強めようとしたアリスだったが、押しのけられていた魔理沙が復帰し押しのけ返す。話が進まないと思ったのだろう。

 

「で、だ。こいつ(アリス)曰く冥界への入り口はアレらしい。花弁もあっこから出てるからどうやら本当みたいだな」

「疑ってたのね……」

 

 魔理沙の指差す方向を見る。

 雪雲に紛れて自分たちとともに空に浮遊する巨大な物体。ここまで巨大な建造物を見たのは霊夢にとって初めてだった。

 

 幽明結界。

 顕界と冥界を遮る仰々しき鉄門は、圧倒的な存在感と力強さを感じさせた。

 固く閉ざされた門はありとあらゆる存在の行き来を遮る。とてもじゃないが、そう簡単に通してくれそうには────

 

 

「この先に異変の黒幕と紫が居るってわけね。……『夢想封印』!」

 

 思考停止夢想封印。

 躊躇なく放たれた特大の追跡霊力弾が幽明結界へと殺到する。そしてけたたましい轟音とともに、幽明結界は光の中に消えていった。

 こうしてあの世とこの世を遮る鉄門は、脆くも崩れ去った。

 

「よし行くわ。付いてきたければお好きに」

「……なあアリス。これって大丈夫なのかな? 私にはちょっと……」

「大丈夫じゃない、大問題よ。はぁ……後始末が面倒臭さそうね。たくっ、これじゃどっちが悪者なんだか判らないわ」

 

 むしゃくしゃするから。そんな理由で破壊されては幽明結界も浮かばれない。

 ちなみにのちに結界の現状を聞いて吐血したスキマ妖怪がいたことは当の本人のみが知る余談である。

 

 いち早く飛んでいった霊夢に魔理沙とアリスが追従する。どうやら魔理沙は先ほどの霊夢の行動を見て、異変解決の貢献度を彼女と競うことをやめたようだ。

 無闇に今の状態の霊夢を煽れば、どんなことになるか幼馴染である魔理沙でも予想ができない。触らぬ(巫女)に祟りなし。

 

 ふと、気になった霊夢が首だけをアリスへと向けて問いかけた。

 

「そういえばなんであんたが付いてきてんのよ。異変解決なんて柄じゃないでしょうに……なんか狙いでもあるの?」

「異変には興味ないわ。どうせ家からは出ないし冬でも夏でもどうでもいい。いやまあ寒いからそろそろ終わってほしくはあったけどね。私が用のあるのは……こっちの方よ」

 

 手に小さな魔法陣を展開し、文々。新聞を召喚する。そして指差したのはでかでかと載せられた八雲紫の写真だった。

 ピタリ、と霊夢が静止した。若干目のハイライトが消え、控えめに言って不気味である。たじろいだアリスだったが、霊夢のペースに飲まれまいと気丈に振る舞う。

 

「なんで?」

「言う必要はないわ」

「……なんで?」

「ちょっと面識があるからよ別に他意はないわだからその陰陽玉を降ろしなさい早く!」

 

 気丈なアリス陥落。

 日の本全ての妖怪を滅ぼしても事足りると謳われる博麗の秘宝、陰陽玉を脅しに向けられては、いくらアリスでもたじろぐしかなかった。

 そして魔理沙は今日霊夢を弄らない方がいいことをしみじみ確認した。

 

「しかし意外だな、お前と紫に接点があったとは。確かにある意味似た者同士ではあるんだが」

「……まあそうは言っても相当昔のことよ。いつか機会があれば話してあげるわ」

「興味ないぜ」

 

 魔理沙が切り捨てる。と、同時に閉ざせし雲の通い路が破裂し、複数の人影が飛び出した。

 即座に反応した魔理沙は八卦炉をそれらへ向け、アリスも魔法糸を纏う。霊夢はダラダラとそちらへ視線を向けるに留まった。

 

「見て見て姉さん、紅白の蝶が飛んでるわ! 春に映えてとってもきれいね〜」

「その隣には不吉なカラス。またその隣には不気味な人形。ロクな連中じゃないわね。屋敷のお嬢様が言っていた連中かしら」

「つまり、私たちの敵ってことね。お得意様の頼みとあれば断れない! よしそんじゃ、気張っていこう!」

 

「「なんでリリカが締めてるのさ(のよ)!」」

 

 そして場は一気に騒がしくなる。

 消滅した幽明結界があった場所に三人の幽霊が陣取っていた。各々が思い思いのカラーリングの服を着込み、上等な楽器を持っている。

 やがてそれらは浮遊し、各自で音を奏で始めた。鬱、躁、そして幻想。相反する属性を調律させ、未知の音域を創造する。

 

 音とは波長だ。幅が短くなれば焦燥を生み出し、長くなれば安堵を生み出す。そうして万物の感情を操るのだ。

 

「……この騒霊ども、待ち伏せしてたよな。つまり異変の協力者ってことか」

「今回の異変は一筋縄ではいかないってことね。紫の動きに呼応してるのかしら?」

 

 なんにせよ目の前の三人組が異変の協力者とあれば話は早い。

 異変解決を妨害する存在は、慈悲なく退治しろ。霊夢の数少ないポリシーである。

 ちょうど数は3対3。魔理沙はともかくアリスを数に数えて良いものか霊夢は少しだけ迷ったが、まあ足手まといにはならないだろうと気にしない方針をとった。

 

「余計な雑音は、始末するまで」

「我らはプリズムリバー三姉妹!少し早いお花見にしてあげるわ!」

「三位一体の幻想曲、とくとご清聴あれ!」

 

「ふふふ、プリズム(虹色)ねぇ……いいセンスじゃない。だけど貴女たちは三人揃って七色のみ。対してこっちは私一人で七色全てをカバーすることができる。さらに赤白黒の追加もありなのよ。負ける要素が見つからないわね」

「おい……あいつ(アリス)がなんか言ってるぜ?」

「言わせときなさい」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 あー泣いた泣いた。

 おかげですっきりゆかりんよ! まあ問題は何も解決してないけどね! 私の愚痴に付き合ってくれてありがとう見ず知らずの大木さん。いつか貴方も見事な桜の花をつけれるといいわね!

 しっかしどうしましょう……完全四面楚歌チャーミングでまさに八方ふさがり状態だし、頼れる仲間は一人もいない。

 

 今の私にできるのは死に方を決めることぐらいかしらね。よくよく考えればこの修羅が跋扈する幻葬狂で好きな方法で死ねるって結構幸運なことじゃない? うん、幸運なことに違いない!

 えへへ……どうやって死のうかなぁ! 切腹が良いかなー! 妖夢が「介錯しもす!」ってね!

 いやそれよりも幽々子の能力でコロッとやってもらった方が楽かなー!そしてその後は閻魔に裁かれるまで白玉楼住まいになるのかしら?

 あっはっは───……。

 

 ……虚勢は止めよう。なんだかとっても悲しくなっちゃった。

 はぁ……とっても憂鬱ベリーベリーメランコリー。死ぬと解ってて開き直るのはどうにもガラじゃないわ……。だからと言ってどうにかなるわけでもないし。安西先生……仲間が欲しいです……。

 

 けど卑屈になってても何も始まらないわ。何か打てる手は取っておかないとね。

 腐っても私は幻想郷の賢者、策謀とかは結構得意な方なのよ! ふふふ……幻想郷の諸葛孔明とでも呼んでちょうだいな。

 えっ、なんでそれなのに天下を取れてないのかだって? ……因幡帝がいるわよね?はい論破。

 

 さてと、それじゃ一旦白玉楼に戻りましょうかね。藍と幽々子が怖いけど、少しでも存命できるように媚びを売っておかないといけない。運が良ければ見逃してくれるかもしれないし!

 「とことん希望に縋れ。さすればどうにかなる」ってどっかの偉人(ひよっこ)が言ってたような気がするわ! ナイス名言よ!

 

 あーお腹すいた。まだご飯は残ってるかしら? 幽々子が全部食べちゃったかもしれないわね。まあその時はスキマから保存食を出して食べましょう。

 あっ、食べ物で幽々子を釣ればあるいは……

 

 

 

 

 

 [───……かり……。こっちへ────]

 

 

 

 

 

「……ふぇ?」

 

 なに今の?誰かの声がしたような……?

 空耳、だろうか。歳はとりたくないものだわ。……いやわたしはピチピチプリプリだけどね!?

 うーん……声はもう聞こえない。だけど変な声に代わって、酷い耳鳴りと一緒に頭がガンガンする。あー頭が痛い……。

 

 多分疲れてるのね私。ショックの受けすぎで心身性のストレス偏頭痛でも患ったのかもしれない。ついに胃腸だけに留まらず頭にまで被害がいってしまったのか……あぁショックだわ。

 取り敢えず寝室に帰って仮眠を取ろう。寝れば頭痛も治ると思うし。

 ……だけど寝首を掻かれたらおしまいだから、我慢するしかないか。きついなぁ……。

 

 

 

[────────]

 

 

 

 ひっ!? や、やっぱり聞こえる……しかも私を呼んでるわ!

 これは俗に言う「頭に直接……ッ」現象ってやつね。どうも橙や藍が使ってる念話に近そうだ。つまり空耳ではない。

 声質は女性のものだが、若干無機質な感じだ。まるでコンピュータに話しかけられてるみたい。

 それにどっかで聞いたことがあるような声だ。……誰だっけ?思い出せないわ。

 

「貴女は……誰?一体どこにいるの?」

[……────────]

 

 目の前? 見下ろす? くだらない戯言ね、私の目の前には寂れた大木さんしか立ってないわ! 幽霊一人居やしない。

 ……はは〜ん、さては私を惑わそうとしているわね!人の迷いを吸収する弱小妖怪かしら? 残念だけど、そこんじょそこらの妖怪じゃ私から畏れを得ることはできないわよ?何たって大妖怪だもん。

 

[────────]

 

 えっ、「そうではない」って?

 ていうかこいつナチュラルに思考を読んできやがったわ!さとり乙!

 どうせ幻覚系が得意な妖怪の仕業なんでしょ? なら対処は簡単、相手のペースに飲まれなければいいだけ! 私に隙はないわ!

 

「それで、誰とも知れない何処ぞの貴女がこの私に何の用かしら?」

[────────────]

「な、何ですってー!?」

 

 こ、この四面楚歌チャーミングな状況をどうにかしてくれるの!?

 救世主! 救世主が降臨なされた! どうか迷える私をお導きください!……って、早速相手のペースに飲まれてんじゃないわよ私! 本当かどうかまだ分からないでしょ!

 

 姿も見せない怪しい誰かさんを信じられるほど私はお人好しじゃないの。残念だけど、その申し出は受けられそうにないわ。

 

[────────……]

 

 いい加減しつこいわねぇ。

 そんなに私を助けたいの?もしかして本当にいい妖怪なの? ……もう分からないわねこれ。

 

「……その方法を聞くだけなら良いわ。ただし私に何かをした場合、すぐに悪意があるとみなすわよ。いいわね?」

 

[────]

 

 短い了承の言葉。

 その後彼女は淡々と語り出した。ノイズ混じりで時々よく分からない単語を言ってたりしてたけど、だいたい言いたいことは分かった。

 何でも西行妖──目の前にある寂れた大木さんのこと──にくっ付いてとあるワードを呟けば、声の主さんの力で外界からの認識を妨げる術式を構成させることができるらしい。それでほとぼりが冷めるまで隠れていろとのこと。

 

 ……いや無理でしょ。

 この声の主さんは藍や幽々子のことを舐めすぎている。そこんじょそこらの有象無象が作った術式なんて、彼女たちに通用するはずがないわ。

 

[────────]

 

 ものは試し?

 はぁ……簡単に言うわねぇ。

 けど他に頼るアテがあるわけでもないし、藁にもすがる想いでやってみようかしら。

 もし成功しなかったらただじゃおかないんだからね! 私の希望をへし折った罪は重いわよ!

 

[……────────]

 

 「ありがとう」……? なんで貴女がお礼を言うの? ……ほんと分からない妖怪さんね。

 

 大木さん──西行妖に触れる。妙に心がざわつくけど、私は何に緊張してるんだろう? なんか立ち入り禁止の境界を踏み越えて行くような……だけど背徳感とかそういうのじゃなくて。

 ああもう面倒臭いわね!

 それじゃいくわよ!

 

「『賢者八雲紫の名において命ず、800年の禁を解け』!……これで良いの?」

 

[────ええ、それで良い]

 

 えっ、いきなりノイズが消え……っ!?

 

「こ……れ、なに……?」

 

 やだ怖い!なにかゾクゾクしたものが体を這って自由を縛りつけてるわ!しび、痺れて……!

 ひっ、いやッ、助け……………

 

 

 

[おはよう、そしてゆっくりおやすみなさい。貴女は夢と現の境界で全ての顛末をしっかりと見届けるのよ。『無人は無尽にして夢人と為す』……悪いようにはならないわ]

 

 

 藍、幽々子……霊夢っ…ぅあ……────

 




咲夜さん頑張ってます
ちなみに声主さんはサグメ様じゃないわよん。サグメ様はすでにどこかで登場してるわよん。
なんか回を重ねるごとにゆかりんが退行してるような気がしないこともない。だけどこの先もっととんでもないことが起こるんDA

明日は節分の日!さあみんなで華仙ちゃんに豆をぶつけよう!ダイジョーブ、仙人に豆を投げてもどうにもならないからさ!


感想、評価をいただくたびに喜びの舞を舞っております。あなうれしや……
「文章も悪い、能も下手じゃ!セプテットの舞をせい!」
お、恐れながら作者は八雲家のファンにございま(ry


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三局亡我郷*

「────ッ!!?」

 

「うひゃあ!?」

 

 藍の9本の尻尾が逆立った。

 動物の毛が逆立つことは、極度の興奮状態にあることを示す。それは九尾の式である藍でも同じことであって、藍は目を見開き紫が消えていった庭先の方向を凝視する。

 そのただならぬ様子に幽々子は眉を顰め、妖夢はそのあまりのボリュームに吃驚して飛び上がった。

 

「紫様の妖力が消えた……だと……!?」

 

「……あら言われてみれば」

 

 ゆったりと答えたものの、幽々子もそのことに並ならぬ違和感を覚えた。

 彼女たちの感知網であれば、幻想郷のどこに行こうと天災妖怪から一人の人間に至るまでその位置情報を認知することができる。

 だがそれですらも紫の妖力を感じれないということは、紫が幻想郷から消えてしまったことを意味する。しかしなぜこのタイミングで消えたのか……それが問題だ。

 

「外の世界にでも行ったのかしら?紫も急よねぇ」

 

「……いえ、紫様は白玉楼にいます。妖力を感じることはできませんが、確かに式の繋がりを感じるのです。……どんどん薄れていますが」

 

「紫は妖力の制御が得意でしょう?いなくなった風を装って私たちを困らせようとしてるんじゃないかしら。妖夢を脅かそうと後ろにぴったりくっついてるのかもよ?」

 

「や、やめてくださいよそういうのは……。私耐性ないんですからね!」

 

 明るいやり取りをする幽々子と妖夢だったが、それでも藍の気は晴れなかった。

 やがて決心して立ち上がる。

 当の紫からは「付いてくるな」と言われたが、やはり何かがおかしい。

 式にとって一番の優先事項は主君の命令を遂行することである。しかしその主君に命の危険が迫っている場合は別だ。己の存在意義に反してでも救いに行かなくてはならない。

 

 一気に紫がいた場所まで駆け出そうとした───その時だった。

 

「────ッ!藍さん危ない!!」

 

 時空の歪みが生じた。

 時間が吹き飛ばされ、藍は勢い余って庭先に着地する。そして元々藍が居た場所には、火花を散らせながら刃と刃をつばぜり合う妖夢と咲夜の姿があった。

 

 妖夢は長刀の楼観剣を押し付け叩き斬らんとし、咲夜はそれを苦ともせずナイフ二本で斬撃を抑える。互いに一歩も譲らず、金属の擦れる音だけが白玉楼に響く。

 

 不覚というほかあるまい。藍は顔を(しか)めた。

 いくら相手が時を操る力を持っているとはいえ、目先のことにとらわれすぎて遅れをとってしまった。もちろんナイフに刺されたからといってどうにかなるわけではないが、咲夜を見抜けなかったことが問題なのだ。

 

 藍が復帰し、幽々子が扇子を閉じて立ち上がる。状況の不利を悟った咲夜は妖夢とのつばぜり合いを中止して距離を取った。

 三対一。オマケにうち全員が幻想郷トップクラスの実力者ときた。咲夜は少々早計だったか、と反省し、異変の黒幕たちへとナイフを向ける。

 

「一番乗りはメイドか。これは意外だったな」

 

「途中で雪女に会わなかったらもっと早かったわよ。まったく……倒すのに数年かかっちゃったわ。お嬢様のお声が懐かしいものです」

 

「それは難儀だったわねぇ」

 

 よく見ると咲夜の風貌は酷いものだった。メイド服やフリルはボロボロ、体中のいたるところに痣や切り傷が浮かび上がっている。

 赤いマフラーだけがそれらから逃れ、新品同様の状態を保っていた。

 まさに満身創痍一歩手前。どれほどの激戦だったのかを無言のうちに伝えていた。

 

「それで……そんな状態で私たちと一戦交える気か?手負いだからといって手加減するほど、私は甘くないぞ?」

 

「こんな怪我大したことないわね。……八雲紫がいないみたいだけど、まさか逃げたわけじゃないでしょう?どこに隠れているの?」

 

「紫様がお前如きに手を煩わせるまでもないということだ」

 

 藍は体中に莫大な妖力を張り巡らせ、式を己自身で書き換えることによってさらなる力を生み出してゆく。しかし、それは幽々子によって遮られた。

 

「藍ちゃん。貴女は紫が居た場所へ行ってちょうだいな。気になってちゃ戦いにならないでしょ?このメイドの相手は妖夢で十分よ」

 

 幽々子の言葉に応えるように妖夢は勢いよく頷き、背に下げている得物をもう一本引き抜いた。魂魄流剣術の基本の型、二刀流である。

 先ほどの攻防で咲夜の時止めを看破せしめた妖夢は、普通に考えて彼女と相性が良い。妖夢に任せるのが最適解というものだ。

 

「……申し訳ありません幽々子様。妖夢、すまないが頼んだぞ」

 

「任せてください!幽々子様も危ないので離れていてくださいね。それでは……さあ来いメイド!楼観剣と白楼剣を握った私に、切れぬものなどなんにもないっ!」

 

「嘘つきね。『ザ・ワールド』──時よ止まれ」

 

 十八番の時止めを発動し、まず一番にその場からの離脱を図っていた藍に狙いを定める。そして藍を仕留めた次に幽々子を───とはいかなかった。

 

 踏み出した先の空間が抉れ、斬撃が咲夜の世界を蹂躙する。咄嗟にナイフを振るい相殺させるが、咲夜の表情は優れない。

 

「……もう専売特許って考えはやめた方がいいのかしら。ここまで入り込まれると怒る気力も湧かないわ」

 

 霊夢にレティ、そして完全にというわけではなさそうだが妖夢まで。

 絶対無比と信じ続けてきた自分の能力が幻想郷に来てから息つく暇なしに容赦なく破られた。霊夢に破られた時はかなり落ち込んだものだが、いい加減慣れてしまった自分に咲夜は内心苦笑した。

 

 妖夢の方に視線を向けるが、まったくと言っていいほど妖夢は動かない。彼女は例外なく能力の支配下に置かれているようだ。

 ただ違うのは……

 

「貴女、見ているわね?──時は動き出す」

 

 妖夢の瞳が咲夜を追って動いていることである。

 さらに剣を振らずして至る場所から斬撃が飛び出す。そのあまりの制圧力の前には、時間を止めていてもラチがあかなかった。

 

 時が動き出すと同時に藍はその場から搔き消え、幽々子は空気に溶けて姿を消す。こうして、縁側で咲夜と妖夢が睨み合うという構図が完成した。

 静寂に包まれた空間は完全な無音状態になり、互いの息遣いや桜が地面に触れた音まで耳に入る。

 そして、その静寂をまず最初に破ったのは感心した様子を見せる妖夢だった。

 

「それだけの傷を負いながらそれだけの動きができるんですね。立ち振る舞いも武人としては一級品、まったくとんでもない人と巡り会えたものね」

 

「武人じゃないわ、メイドよ」

 

 幼少期の頃に美鈴から武術の稽古をつけてもらったことを思い出しながら、咲夜はあっけらかんと答えた。そしてそう答えつつも、虎視眈眈と妖夢の隙を探る。勿論、全くそれらは見受けられない。

 咲夜としてはすぐにでも勝負を決めたいのだが、いかんせん相性が悪すぎる。これでは迅速に勝つどころか戦闘の離脱も困難だ。

 

 とはいえ、咲夜はすでに妖夢の行っている攻撃のタネを暴きつつあった。

 付け込む隙は容易にある。

 

「……クロックアップ」

 

 咲夜の時は加速する。

 そのあまりの速さに残像は実体を生み出し、光の帯状に繋がってゆく。

 光速一歩手前のスピードは咲夜自身に少なくない負担をかけるが、その弱点を克服するためにあの時(紅霧異変)よりまた一から鍛え直したのだ。

 お嬢様が変化を拒まれるのなら、自分が変わるほかない。これまでのように護られるのではなく、護るために。

 

「速い……!だが、見えないわけではない!見えてさえいれば私はどんなものでも斬ってみせよう!……人符『現世斬』ッ!!」

 

 妖夢が太刀を振るうと同時に時空は歪み、訪れるはずだった結果が飛躍する。

 

 雨を斬れるようになるまでには30年、空気を斬れるようになるまでには50年。そして、時を斬れるようになるまでには200年掛かると言う。

 妖夢はそう祖父から教わってきた。

 

 だが妖夢が”空”を斬るのに要した年月は、わずか10年。そして”時”を斬るまでに要した年月は、たったの20年。

 鬼才、天才、どの言葉を取ってしても妖夢のソレを表現する言葉はない。

 

「つあッ!!」

 

「う、くぅ……!」

 

 妖夢の楼観剣による一閃が、光速で動く咲夜の腿の薄皮を切り裂いた。

 咄嗟のことでバランスを崩した咲夜は、追撃を防ごうといつもの癖で時を止めようとするが、先ほどの”時”への介入を思い出し慌てて妖夢との間の空間を引き延ばした。

 しかし空を斬る妖夢に距離など関係ない。空を斬り裂いて間を詰め、勢いそのままに咲夜へと肘鉄。咲夜は瀟洒に掌で肘を掴むが、小柄な体からは想像もできないほどの重い衝撃が体を駆け巡り、勢いを殺すことができずに桜の木をへし折りながら吹っ飛んだ。

 

 

 ただ時間を斬り、空間を斬るだけであれば咲夜も十分対応可能だ。

 だが妖夢の戦闘力が現時点で咲夜を上回っているのは、必然のことであり、また実際には到底不可能なことである。

 

 妖夢は達人を超えた遥か高みに達しても、なお精進を重ね続けた。

 それは彼女の上昇志向ゆえの結果でもあったが、同時に言えることは”比較対象”が悪かったのだ。

 なにせ周りにいたのはそんな自分より数段強い祖父に、底が全く見えない主人だけなのだから。彼、彼女に追いつこうと思えば並大抵の努力では足りない。

 よって妖夢の自己評価は一貫して”半人前”。

 だがそのおかげで、妖夢はこうして一級品の化け物メイド相手に一歩も引くことなく相見えることができる。

 

「私もまだまだ未熟ってわけね……。本当に考えさせられるわ、幻想郷って場所は」

 

 パンパン、とメイド服についた埃を払いながら立ち上がる。

 咲夜はまだ余力をたっぷり残しているように見える。だが実際には若干……いや、かなり疲労を蓄積させていた。

 先ほどの一撃もそうだが、一番の要因はレティとの戦闘にある。

 レティの力は幻想郷でもかなり強い部類に入る。さらに現在の季節は冬、レティがもっとも力を発揮できる時期である。はっきり言って、その力は咲夜を大きく上回る。つまり、格上。

 そんな彼女を曲がり技を使って打倒したのだ。代償はもちろん大きい。

 

「あぁ怠い。今すぐにでも休みたいものだわ……。だけどお嬢様の命令だから仕方ないわね。さっさと終わらせるしかない」

 

「主人に忠実なのはいいことです。だけど酷い主人だ……その命令の所為で貴女は冥界暮らしになっちゃうんですから、ねぇっ!」

 

 須臾を斬り裂く。

 時間が跳び、空間が消える。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

「なんなんだ……これは……」

 

 藍は唖然としてその場に立ち尽くした。

 目の前には肥大化を続ける一本の大木。花を付けるはずのなかったそれは、徐々に蕾を開花させ桜としての姿を取り戻そうとしている。

 

 花を付けるのはいいのだ。それがこの春集めの最終的な目的なのだから。

 だが、()()西()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなことは計画になかったはずだ。

 オマケに凄まじい勢いで西行妖の妖力が膨れ上がっている。この調子では直に藍の妖力ですらも追い越してしまうだろう。

 藍の妖力を超える。つまりその力を完全な破壊に向ければ、幻想郷どころか太平洋とユーラシア大陸を吹き飛ばしかねないほどの規模だ。

 

 完全なイレギュラー。そしてそれらに対処すべきはずだった自分には、全く策が思い浮かばない。

 頼みの綱である主人の紫は行方不明。……キャパシティオーバーだった。

 

「くそ、こっちの対処が先か?……いや、紫様の捜索の方が優先に決まっている!……ここに居られるはずなのだが……」

 

 辺りを見回し、自らの感知網をさらに狭めることで精度を向上させ紫の居場所を探るが、どうにも居場所が解らない。

 ふと、失踪した紫と膨張する西行妖との関係を予想し、マジマジと観察する。

 

 次々と開花を開始する花々、膨らみを増してゆく幹に根、枝々。そして僅かに紫の妖気が感じられる。だが姿はどこに見えない。

 

 

 

「───紫様、一体どこにいらっしゃるのですか……?まさか私を試しておられるのですか……?私は、こんなに心配で、心配で……」

 

「ヒャッハーッ!!おうおう何が居るんだってぇ〜?私にも聞かせろよぉ!!」

 

 閑寂な桜の庭に響く喧しい声、そして飛来したのは大量の星型弾幕。

 慌てて避けつつ視線を向けると、そこにはとても興奮して息遣いの荒い魔理沙と、箒にぶら下がり顔を下に向けブツブツと陰気に何かを呟くアリスの姿があった。

 イレギュラーの二連続に藍の逆恨みとも言える怒りのポルテージが急浮上する。

 

「……悪いがお前らに構っている暇はない。暫くおとなしくしててもら ────」

 

「なーに言ってんだぜ狐ぇ!こんなに桜が咲いてるのに宴なしってのはちょいとばかし殺生じゃないか!?」

 

「なにを言ってるんだお前は……」

 

「取り敢えず余興はお前だ!一発ぐらい弾幕でぶん殴らせろ!」

 

「なにを言ってるんだお前は!?」

 

 まったく話にならない。

 どこか錯乱しているように見える魔理沙から視線を外し、次にその隣で項垂れるアリスへと注目する。

 藍はアリスとは会ったことがなかったが、まあ今の魔理沙よりかは幾分マシだろうとタカをくくって話しかけようとした。

 しかし……

 

「……桜……良いわよね桜……。小さい頃から綺麗なお花が大好きだった。そうねぇ、ルイズ姉さんと一緒によくお花畑まで見に行ったわぁ。その中でもとりわけ満開の桜が好きだった……。みんなで一緒に桜の下でご飯とか食べたっけなぁ。うふ、うふふ……魔理沙たちがやって来た時に全部焼け落ちちゃった……うふふふ。だから幻想郷に来た当初は花見を楽しみにしてたわぁ……。だけど、春になっても誰も誘いに来てくれなかった。紫も、魔理沙も、霊夢も……いや、誰も私の家に来てくれなかった。……うふふ、私は孤高の魔法使い。幻想郷一の孤独な魔法使い……」

 

 アリスもまた異常だった。

 虚ろな表情でうわ言のように言葉を呟いている。目からは光が消え、一見すれば廃人の様相……というよりもはや廃人である。

 

「あっ……大きな桜の木。あんな綺麗な桜の下で死ねたら、幸せだろうなぁ……」

 

「おっ?アリスお前死ぬのか!?死ぬな死ぬな生きてりゃ何か良いことがあるって!魔女に寿命はないのになんで人生諦めちまうんだ!ネバーギブアップだぜアリス!立てよ、立ち上がれよぉぉ!!」

 

 煩い。おまけに邪魔だ。

 こんな連中と一緒ではおちおち紫の捜索も開始することができない。

 

「……はぁ、冰釋(解呪)

 

 見てられなくなった藍がそれぞれの術式を即座に構築し、魔理沙には鎮静剤、アリスには抗鬱剤として叩きつける。

 効き目はすぐに現れ、瞳孔が開きかけていた魔理沙は平静を取り戻し、鬱で沈んでいたアリスは生きる希望を取り戻した。

 

「……いやー恐ろしい騒霊だったぜ。あの演奏を聴いてからの記憶が全然ない」

 

「なにかとんでもないことを言ってたような気がする……。気のせいよね?」

 

「そろそろ話いいか?」

 

 これでようやく本題に入れる。戦いもしないうちから疲労が溜まる藍だった。

 八雲紫一番の部下である八雲藍の登場とあって、魔理沙とアリスは気を取り直して油断なく構える。

 彼女がいるということは八雲紫にも、黒幕にも近いということだろう。

 

「一応礼は言っておくぜ。だが、だからと言って起こした異変を見逃すわけにはいかないな。後ろの木も変に荒ぶって……いや、それはいい。紫と黒幕を出してもらおうか」

 

「私は紫を出してくれればそれでいいのよ。出してくれさえすれば敵対の意思はない。それで……紫は何処なの?」

 

 こっちが知りたい、というのが藍の率直な想いである。彼女たちの要求に応えることはできない。

 だがここで紫がいないことによる弱みを握られるのはまずい。不穏分子は自らの手で処理すると先ほど決めたばかりだ。

 

「紫様を出せ……だと?自惚れるんじゃない。たかが魔法をかじった程度の人間と、妖怪崩れの魔女に紫様の相手など務まるわけがないだろう。ふっ、笑わせてくれる。……思い上がった愚か者どもには罰を与えてやろう」

 

 式札を投擲して地面へと叩きつける。

 接した地面より太極図が広がり、ぐるぐると中心を軸に回り出す。そして淡い光の輝きとともにポンッ、と煙が上がった。

 飛び出したのは二又の化け猫、橙。霊夢に叩きのめされてからずっとマヨヒガでの待機だったが、やっとの登場だ。

 

「あれ、もう春集めはいいんですか?まだそれなりに春が残ってますけど……」

 

「まずはこっちからだよ。少しばかり手がかかりそうだからね、橙の力を借りたい」

 

「……!わ、私の力を!?そうですか、そうなんですね!分かりました!」

 

 藍の言葉によりやる気は十分。放出された妖力波が舞い散る桜を巻き上げる。

 それに呼応し藍も妖力波を垂れ流し、凄まじい重圧が辺りを支配する。冥界の一部が陥没しつつあった。

 これが、大妖怪。これが八雲の式たる力。

 

「気をつけなさい魔理沙。あいつら、パチュリーと小悪魔のコンビよりも力量が上よ。吸血鬼異変の時、パチュリーたちに勝ってる」

 

「私はあの二人が相手でも勝てる自信があるぜ。お前さんが足手纏いにならない限りはな。そこんところどうなんだ?」

 

「愚問ね。本気を出さなくても事足りるわ」

 

 アリスを中心に転送魔法陣が大量生成され、まばゆい光を放つ。一つの魔法陣につき約20体の人形が出現し、アリスが指一本を動かすたびに整然と規律ある半自律行動を開始する。

 一体一体の体躯は極めて小柄だ。しかしその規模はまさに一個師団、そして戦闘力は一人一個師団レベル。戦争とは数であり、質である。それを幻想郷でもっとも体現する存在が、アリスという都会派魔法使いなのだ。

 相棒の上海と蓬莱を召喚していないということは、まだ余力を大いに残していることを暗示させる。タダでは決して本気を出さないスタンスは未だに変わらない。

 

 戦力数の差は歴然だった。しかしそれを見過ごす藍ではない。

 すぐさま袖下より何十枚もの式札を投擲し、高速の九字切りによって術式を書き込む。やがてそれらは実態を伴って現れた。

 大地を埋め尽くす藍、藍、藍。その光景に魔理沙は顔を引きつらせた。

 

 式神とは組まれた数式によるプログラムによって動いている。藍と橙は少々特殊なケースにあたるが、プログラムが占める重要度はかなり高い。

 つまりその複雑怪奇な数式を式札に組み込めば、そのプログラム通りの式神が生成できるのだ。もっともそれには想像を絶するような高度な技術が必要であるし、一枚の生成には多大な労力と時間を割かなくてはならない。

 しかし藍はこれら1ダース単位を一瞬の間に行ってしまう。こうして自分を複数体生み出すのが藍の得意技だ。

 

「さあ目には目を……数には数を、質には質を、火力には火力を。お前たちが得意としている分野を私と橙でいとも簡単に乗り越えてやる!私たちはそこらへんの妖獣とは桁が違くてよ、色々と」

 

 

 

 *◇*

 

 

 ……らしくない。

 初めて異変解決で挫折しかけた。いくら飛んでも異変元へ辿り着けなかった。

 あいつが敵に回っただけでこんなに動揺しちゃうなんて、博麗の巫女が聞いて呆れるわね。私の心はこんなにも脆弱なものだったのかしら。

 

 魔理沙とアリスは先に行ってしまった。騒霊どもの影響を受けていたみたいで、二人ともどこか様子がおかしかったわね。私は何も感じなかったけど。……いや、感じることができなかったけど。

 黒色の騒霊はアリスに、色の薄い騒霊は魔理沙に色々していたけど、逆に墓穴を掘った感じね。仮にも魔法使いな連中だし、精神面への攻撃には耐性があったんだろう。逆に言えば精神に弱点を置いている妖怪に対しては一方的な相性を誇るのがあの騒霊たちなのか。

 私の相手をした赤色の騒霊は何をしてるのかよく分からなかったわね。正直言って拍子抜けだったわ。まあ、手間がかからないことはいいことよ。

 

 ……そろそろ異変の黒幕も近いか。そして、そのすぐ近くには恐らく紫がいる。

 

 紫との敵対っていうケースは何度か考えたことがある。私は博麗の巫女、そして紫は妖怪の賢者。今は協力体制が敷かれていてもいつどんなきっかけで決裂するかは分からない。

 紫のことは一応信頼はしているわ。あいつとはなんだかんだで付き合いは長いもの。一番最初の記憶を振り返ってみても浮かぶのは紫の顔ばかりだ。次に魔理沙、藍、橙と続く。小さい頃は紫のことを母と疑ってやまなかった。

 

 だけど……紫の方はどうなのか分からない。紫の考えていることが全然分からないの。

 もしかしたら紫は私のことを幻想郷を動かす上での一つの道具にしか思っていないのかもしれない。そうじゃないって信じたいけど、やっぱりその疑念を完全には拭い切ることはできなかった。

 

 ……はぁ、変ね。いつもの私ならこんなこと考えないはず。なんだかんだで騒霊どもから何らかの影響を受けてるのかしら。

 これからが本番だっていうのに……。

 

 

 

 

「……っ」

 

 ────来たか、幻想郷中を大混乱に導いてくれた元凶の大馬鹿野郎が。

 遠くの空からこちらに近づいてくる一つの人影。そして、その影に群がる大量の何か。

 ──蝶。それは桃色で淡く輝く神秘の華蝶。その美しさはきっと、芸術を理解出来たなら言葉にならない程のものなのかもしれないわね。私はそういうのよく分からないけど。

 その人影はやがて私にも肉眼ではっきりと確認出来るようになる。桃髪を携えた大和美人、大人と少女の境界を揺らがせる美の女性。

 そして、彼女から立ち昇る圧倒的なまでのプレッシャー。成程、コイツが元凶か。間違いなく紫やレミリアクラスだ。

 

「まずはようこそ生き人の巫女。私の名は西行寺幽々子、冥界を管理する立場にある者として貴女たちのご来界を心よりの歓迎を申し上げますわ」

 

「御託や前置きはどうでも良いのよ、この元凶。あんたのおかげでウチの神社の桜が一本も咲かないじゃないの」

 

「あら、桜ならここにいくらでも咲き乱れてますわ。お花見がしたいのならどうぞご自由に。冥界の桜は何処よりも美しいと評判よ。しかも今年は西行妖が咲き誇る。最高のお花見になるわ」

 

「私は顕界の春を愉しみたいのよ。こんな死臭漂う場所はお呼びじゃないわ」

 

 私の言葉に、元凶はくすくすと微笑みを浮かべるばかり。なんか調子が狂う奴ね。得体のしれないというか、掴み難い。どこぞのスキマ妖怪に似た雰囲気だ。

 睨みつける私の視線に、元凶の女は口元を隠していた扇子を閉じ、瞳を閉じて口を開く。

 

「せっかく私の最高の友人が協力してくれているというのに、はいどうぞというわけにはいかないわね」

 

「最高の友人?……ああ、そうか。あんたが紫を誑かしたのね」

 

「違うわ。彼女は自分の意思で私への協力を申し出てくれた。多分、貴女との対決も辞さないつもりだったのよ」

 

「紫が幻想郷の害になることを手伝うわけがない。あいつが軽はずみにあんたなんかにつくはずないわ」

 

「フフッ…貴女に紫の何が分かるのかしら?たった10数年、紫の庇護下で生きてきただけの滑稽な巫女が偉そうにねぇ」

 

 何が言いたいんだ?この亡霊は。

 どうにも気にくわない奴だ。ここまで私を苛々させた奴はかなり久方ぶりよ。

 紫の優先順位なんて知らない。紫の親友って名乗ってるこの亡霊と私、どっちの方が大切かだなんて、どうでも良い。

 紫が私を試しているのなら、それを突破した上であいつをブン殴る。もし紫が暴走しているのなら、私があいつをブン殴ってやめさせる。

 

「話はそれくらいにしましょ。結局勝った方が全てよ。私が勝てば幻想郷に春は訪れ、あんたが勝てば冬が続く。単純明快ね」

 

「……そう、それでいい。いつの世も純粋な目的こそが美しく映えるわ」

 

 再び閉じた扇子を口元で大きく開き、私達を見据えながら口を開く。それと同時に亡霊の周りがぼやぼやとぶれ始めた。

 これは────ッ!?

 

「『夢想天生』!!」

 

 スペル発動とともに濃厚な死の気配が消え去った。あとコンマ数秒でも遅れていれば……恐らく命はなかった。

 強力な、呪いに似た何かだ。

 

「成る程、それが噂の夢想天生ね。……見聞に違わぬ圧倒的な力、これは骨が折れそうねぇ」

 

「無理よ。私の夢想天生は絶対無敵、どんな手段をもってしても私に干渉することはできない。空気を掴めないことと同じ」

 

「そう、確かにこれは破れそうにないわね。だけどやられる気もさらさらしないわ。貴女はその力を使って私から逃げ惑うことしかできないのだから。死は空をも殺してしまうかもしれない。……死蝶に捕らわれてしまわぬように、精々必死に逃げ回りなさい。不格好な演舞でも、命を掛けたものならば力強く煌めく明星となるでしょう。──さあ、舞を始めましょうか。少しでも美しく、少しでも優雅に。私の描く弾幕が、どうか最愛の友の心を少しでも胸打つモノとなるように」

 

 喋り終えるや、幽々子は圧倒的な量の弾幕を私に向けて展開する。何て圧倒的な物量、これが冥界の主の力なのか。

 ハッ、上等よ。その人を舐め腐ってる増長した鼻っ柱、全力で叩き潰してやる。こいつをぼっこぼこにした後で、この異変に関係してるっぽい紫も一緒にシメる。

 冥界の管理人だかなんだか知らないけれど、幻想郷の春は私のものよ。神社で花見をする為にも、さっさと春を返してもらうわよ!

 

「花の下に還るがいいわ、春の亡霊!」

 

「花の下で眠るがいいわ、紅白の蝶!」

 

 

 

 ────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう少し……もう少しで貴女に逢える。

 

 待ってて、すぐに迎えに行くから……。

 

 

 

 

 




ゆかりん出なかったなぁ。
アリスは吸血鬼異変時、遠隔魔法で戦闘を盗み見てました。歌って踊れる可愛い魔法使いはやっぱり違うぜ!


みんなもできる!咲夜の世界入門方法!

霊夢→勘
レティ→「私の世界よ」
妖夢→あーこれつまりだねぇ……

「フェムトわかりやすく言うと須臾。須臾とは生き物が認識できない僅かな時のことよ。時間とは、認識できない時が無数に積み重なってできています。時間の最小単位である須臾が認識できないから時間は連続に見えるけど本当は短い時が組み合わさってできているの。組紐も1本の紐のようだけど本当は細い紐が組み合わさっているもの。認識できない細さの繊維で組まれた組紐は限りなく連続した物質に見えるでしょう。そのとき紐から余計な物がなくなり最強の強度を誇るさらには余計な穢れもつかなくなるのです。この紐をさらに組み合わせて太い縄にすることで決して腐らない縄ができる。その縄は遥か昔から不浄な者の出入りを禁じるために使われてきたのよ」

……っていう豊姫様の3ページにおよぶありがたいお言葉にある通り、時間とは須臾が無数に重ねてできています。その須臾のつながりを断つことによって時間の断続性を妨害し結果へ行き着かせるというなんともいえないこれ作者も言ってることよくわかってねぇなって感じの論理です。
ほら、あれだ……キングク○ムゾン!


タイトル変えようか迷ってます。理由はひとえに長いから!けど今更変えるかい?っていうね……うん。
けど別にいい案があるわけでもないので……どうなんだろうね。


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嬢の亡骸は彼の世の上に*

 最高のネタを入手した。ついでに最高の写真もゲットした。それによって最高の記事が書けた。今の私の気分は妖生稀にみるほどにウハウハだ。

 しかし私は妥協しない。今この瞬間にも私の新聞に影響を受けた幻想郷の住人たちが各々動き出そうとしているのだから!

 新たなネタがさらに量産されようとしている……逃さない手はないわよねぇ?

 乗るしかないでしょう、この風に!

 

 

 とまあ……意気込んで出かけたのはいいものの一発目に霊夢さんと遭遇、問答無用の攻撃を受けてしまった。異変時の巫女の空恐ろしいことである。

 だが半ば諦め気味に行ったフェイクがまさかの成功。アリスさんが懇意?で寄越してくれた『文ちゃん人形』を囮に霊夢さんから逃げ出すことができた。

 正直あの状況から逃げ出せるとは思っていなかった。運が良かったのか、はたまた霊夢さんの気まぐれなのか。今となっては知る由がない。

 

 それからは若干自重しながらの尾行を行うことにしたのだが、まあ十分過ぎた。

 偶然見かけた咲夜さんとレティさんの決闘は、とても目がチカチカしてエキサイティングかつ写真映りに優しいものだった。本来なら号外レベルの記事が書けそうな内容ではあったが、咲夜さんの言動を見るにまだまだ異変は序の口っぽい。

 祭りはまだ始まったばかりということですね!

 

 しかし咲夜さんはレティさんとの戦闘でかなり消耗しており、動くペースもかなりゆっくりだったので取り敢えず一旦は泳がせておいて、先に霊夢さんと魔理沙さんの動向を見守ることにした。

 この決断は正しかった。今日は私の勘がビンビンに冴え渡っている!

 

 霊夢さんたちを探して飛行中、空から激しい音楽が聞こえてきた。何事かと思い上空へと向かうと、そこにはネタに事欠かない光景が広がっていた。

 笑いながら魔力を暴発させるまくる魔理沙さん、自らの操る人形で自分を慰めるアリスさん、淡々と騒霊をしばく霊夢さん。なんともカオスな光景だ。

 これはもう……ネタ的にたまらないわね!

 

 やがて騒霊3人組は撃墜され雲の通い路へと消えてゆく。霊夢さんたちのその後が気になるところだが、行き先は分かるので取り敢えず敗者インタビューをと思い撃墜された彼女たちを追いかけた。

 

 なんでも彼女たちは件の西行寺幽々子に頼まれて霊夢さんたちに喧嘩を吹っ掛けたらしく、敢え無く返り討ちという結果に至ったということだそうだ。うーん……別段聞く必要のあったインタビューではないわね。

 まあ聞けたいことは聞けたし彼女たちはもう用済み。お礼とお世辞もほどほどにさっさと冥界へと向かう。

 

 

 

 そして現在というわけだ。

 空に舞い散る桜はさらに激しさを増しており、異変のフィナーレが近いことを感じさせる。

 幽明結界があった冥界への入り口からはこれでもかと春の扇風が吹き荒れており、尋常じゃない現象が起こっている。冥界で一体何が起きているのだろうか。

 

「さて、中に突入と行きたいところですが……今容易に幻想郷を空けるわけにはいかないわねぇ。あやや……困ったものです」

 

 思わず声に出てしまう。

 こうも冥界と幻想郷の境界が曖昧では、どれだけの幽霊が放出されるのか……想像だには難くない。もしも冥界で想定外の何かが起きれば幻想郷を実害から守る最後の砦は私ということになる。

 今回の異変は紫さんが加担していることもあってか、規模や最終的な到達点が非常に不透明である。何が起こるかは最後の最後まで予測がつかない。

 ジャーナリズムも大切だが、伝える大衆がいないことには何も始まりません。

 

 さて、どうしますかねぇ。

 霊夢さんたちを信じて冥界での取材に専念するか、それとも万が一に備えて入り口で待機するか……。非常に難しい迷いどころだ。

 幻想郷の住人としては後者が望ましいが、私個人の展望から言えば前者が望ましい。

 ……むぅ、やっぱり前者が───。

 

 

 

 ──……ザワザワ…

 

 

 

 あやや?なんでしょうこの音は。

 風の音を読み取って精密に調べてみる。

 ……この音に一番近いのは木々のざわめき。しかしなんでこんな上空で?しかも何やら不吉なものを感じますし……イヤに気になる。

 

 音は徐々に徐々に大きくなってゆき、ついには能力なしでも聞き取れるようになった。こっちに近づいているみたいね。

 

 発生源は……私のさらに上?

 

 

 見上げると、ぽっかりと空いた黒い裂け目から伸びる荒々しく巨大な木の根が、澄み渡った冬の青空を覆い尽くしていた。

 木の根はさらに膨張を続け、その範囲をますます広げている。

 

 ゾワリ……と、嫌なものが私の背筋を走った。

 すぐに解った、アレは……幻想郷に間違いなく害を与えるものであると。

 どうしたものか。やはり駆除が望ましいかしら?……いやダメね。根っこに膨大な妖力が詰まっている。迂闊に手を出して中身が漏れれば、下が大惨事になりかねない。

 打つ手なし……ではないけど。

 

 

「うおぉー!パネェでかい根っこだわ!随分と凍らせがいのありそうね!」

 

 不意に元気な声が響いた。

 後ろを振り向くと、そこには氷精のチルノさんがいた。彼女から放出されている絶対零度の冷気によって空気が凝結し、桜の花びらが砕けてゆく。

 なんでこんなところに彼女がいるんだろう?ちょっと前に霊夢さんの手によって完膚なきまでにぼっこぼこにされて、一回休みにされたばかりだというのに。

 まあ大した用があるわけではなさそうだが、取り敢えず声をかけてみよう。この場は規格外の妖精である彼女でも危険だ。

 

「こんにちはチルノさん。どうしましたか?」

 

「あっブン屋!あのさぁレティ見てない?今日一緒に遊ぶ約束してたんだけど、幻想郷のどこにもいないの。もう探してない場所が雲の上ぐらいしかなくて困っちゃった」

 

「あやや、レティさんなら多分疲れて家で寝てるんじゃないですかね。今日は色々あったみたいなのでまた後日に訪ねてみればいいでしょう。……今はそれよりもここから離れた方がいいですよ」

 

「なんでさ。こんな面白そうなブツがあるんだ、楽しまなきゃ損だよ!」

 

 チルノさんはおもむろに手を翳すと、空を覆う木の根へと絶対零度の冷気を浴びせかけた。なるほど、これなら中身の妖力を外へ漏らさずに木の根を無力化できますね。……多分チルノさん自身は何も考えてないでしょうけど。

 膨張していた木の根は凍り付き、その動きを停止させた。これはチルノさん大手柄ですね。小さい見出しで『おバカな妖精大活躍!』の欄でも作ってあげましょうか。

 

「ふふん。たわいもなかったわ!」

 

「流石ですねチルノさん。厳しい冬場とはいえここまでの冷気が出せるとは。……それにしてもこの木は一体……?」

 

「こんな木のことなんてどうでもいいわ!なんせアタイはさいきょ───」

 

 

 

 ───ビキィ……!

 

 

 

「ッ、チルノさん避けて!」

 

「へ?おわぁぁぁぁあ!?」

 

 ドヤ顔で決め台詞を言おうとしていたチルノさんを木の根が掻っ攫っていった。

 凍りついていた木の根が復帰したみたいね。芯までは凍らせきれてなかったみたいだ。

 ……絶対零度でもダメとは、ますますこの木の危険性が増してきた。

 

 木の根は先ほど攻撃したチルノさんを執拗に振り回している。報復のつもりだろうか?だとしたらアレには意思があるということになるが……。

 仕方ない、助けてあげるとしましょう。

 

「風符『風神一扇』ッ!」

 

 すぐさま扇を取り出して風の一閃を放つ。風の刃は木の根を微塵切りに切り裂き、空中に分解した。勿論、チルノさんは無傷だ。

 そして断面より溢れ出した妖力を風に乗せて冥界への穴へと送り込む。

 恐らくあの木は冥界のものだ。なんせここより上空なんて冥界か天界ぐらいしかありませんからね。流れ出た妖力を還元させただけですし……まあ、これで万事解決だろう。

 

「大丈夫ですか?」

 

「はらひれはれ……だ、大丈夫……」

 

 目を回しているようだが特に異常はなさそうだ。大丈夫そうなら何よりです。それにしても私としたことが……自らの手で記事を潰してしまうとは。

 この射命丸、一生の不覚!

 

 しょうがない。こうなったらさっと冥界に入って写真を数枚撮ってこよう。その間はチルノさんに冥界の風穴を氷で塞いでもらって……

 

「……ねえ文。あの木なんだか気持ち悪いんだけど……ところてんかなにかなの?」

 

「え?」

 

 ……なるほど、ところてんとは上手い例えだ。現に私の頭上では先ほど切った根の断面から次々と根が生え出て、肥大化している。

 蠢めく木の根は一斉にこちらを向いた。確かな敵意を感じるのは気のせいじゃないはず。

 

「こ、こんなところてんなんか、アタイが寒天にしてあげるよ!」

 

「いえチルノさん。一度下がっていてください。……中々面倒なことになりそうです」

 

 これは……マズいかも。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 今日何度目かの豪鉄が打ち鳴らされる金属音が白玉楼に響き渡った。

 時と時の合間を縫った超ハイスピードの攻防。その別次元の戦いは、当の本人たち以外に認識できるすべはない。

 互いの刃は可視光線による投影すらも振り切り、白銀の光舞う残滓となって互いを削り合う。

 

 目先の戦況一進一退。しかし長期的に見れば結果は容易く変動する。

 瞬発力と破壊力と相性では妖夢が有利だが、手数と時空操作という能力の強大さでは咲夜に軍配が上がる。

 短期決戦ならば妖夢、長期対決ならば咲夜だろう。

 

 そして現在、徐々にその決闘の勝敗が見え隠れするようになってきた。

 咲夜がナイフの跳弾で妖夢を撹乱しつつ、戦闘のギアを少しずつ引き上げる。

 死角からのナイフ攻撃も難なく対処するが、動きを読まれつつある妖夢は苦しい表情だ。とてもじゃないが、これ以上こちらの手の内を読まれれば勝機はかなり薄いものになってしまう。

 決着は近い。

 

「…ッ!これで決める!桜花剣『閃々散華』!!」

 

 妖夢が仕掛けた。

 一瞬の重心の移動と同時に、その場に残像を残して接敵。楼観剣を振り上げ斬りかかる。一振り幽霊10殺の謳い文句の通りに、時空を超えた10本の斬撃が同時に繰り出される。

 それに対し咲夜はすぐさまカウンターの構えを取り、妖夢との接触時に最高速度(299792458m/s)でブラッドナイフを振り切った。

 

 剣速は僅かに咲夜が上だった。

 凄まじい衝撃で楼観剣を弾き飛ばし、もう片方で妖夢を仕留めにかかった。

 

「終わりねっ!」

 

「ええ、終わりですッ!奥義『西行春風斬』!!」

 

 スペルカードの詠唱とほぼ同時に地鳴りが発生する。それは踏み込み音だった。

 刹那、ピンクの波動とともに咲夜は横からの斬撃を受け、宙を舞った。そして受け身を取れずに地面へと墜落。おびただしい血を吐き出した。

 薄れゆく咲夜の意識の中で最期に視線に映ったのは、二人の妖夢の姿だった。

 

 妖夢は踏み込みの際に自分の形をとらせた半霊をその場に待機させていたのだ。つまり先ほどの踏み込みによって現れた残像は、同時に実体を伴っていたということになる。超スピードを利用した妖夢渾身のフェイクだ。

 

「ふう……私の勝ちです」

 

 妖夢の言葉に弱々しく反応する。事切れる数瞬前といった姿だった。

 

「けほっ……まさか、こんな隠し玉が、あったなんて……。ざん、ねん…ね……」

 

 咲夜は小さく咳き込んで血を吐き出し、そうとだけ答えると事切れた。

 その姿に妖夢は哀しそうに目を伏せながら、楼観剣と白楼剣を鞘へとしまう。

 

 成り行きだったとはいえ将来が有り、好敵手となり得た人物を殺めてしまった。……いくら斬っても、人を斬ることには慣れないものだ。

 

「このような結末でごめんなさい。貴女とは真っ向から勝負を決したかった。しかし私もまた貴女と同じように尊き主人を持つ身、どうしても勝たねばならなかったのです。……せめてですが、閻魔の裁きを受けるまで、貴女からの怨は全て受け止めましょう」

 

 

 

 

「じゃあ、これが私の怨みね」

 

「へ?」

 

 立ち去ろうとしたその瞬間、頭に蹴りを受けた妖夢は宙を舞った。そして受け身を取れずに地面へと墜落。奇しくも先ほどの咲夜と同じだった。

 脳天に強い衝撃を受けて、妖夢は一撃で戦闘不能へと追い込まれる。

 

 蹴りを放ったのはもちろん咲夜。先ほど負っていた深い切り傷は消滅しており、血の一滴すら付いていなかった。

 脳が揺れて情報処理が追いつかない。その隙に咲夜は時を止め、妖夢を何処からか取り出したロープでぐるぐる巻きに拘束した。

 

「な、なにが……!?貴女は今、死んだはず……!」

 

「ええそうね。さっきまでここに居た私は死んだ。だから()()()()()()

 

「そんな!いやまさか、ありえない!?」

 

「私は貴女たちと世界線をともにする十六夜咲夜よ。私が存在していれば過去にも未来にも私はいる。十六夜咲夜は二人存在することはできないけど、同一直線上に存在することはできるって訳よ。まあ、死んだ私が何処に行っちゃうのかは知らないけど」

 

 妖夢は咲夜がなにを言っているのかはよく分からなかったが、自分がとても愚かであったことには気づいた。

 咲夜に勝てたつもりに……いや、互角に戦えているつもりになって慢心していた自分が急に恥ずかしくなる。

 彼女に勝てる道理はなかったのだ。

 

「……殺せ。私は貴女を一時的にでも殺した。貴女には私を殺す権利がある」

 

「へえ、そうなの」

 

 咲夜は興味なさげに答えると、妖夢を抱えて歩き出す。ちなみに俗に言うお姫様抱っこではなく俵持ちである。

 死を覚悟していた妖夢にとっては咲夜の行動が不可解過ぎた。というより恥ずかしい。

 

「な、なにを……!?」

 

「私は殺すなんて生易しいことはしないわよ。同じ従者たるもの、貴女が一番嫌がる方法でやり返させていただきますわ。……主人の前に今の無様な姿を晒させるという屈辱をね」

 

「なっ!?ちょ、やめっ!離せぇ!殺せぇ!」

 

「嫌よ」

 

 妖夢にトドメをささなかったのは咲夜自身色々と思うことがあっての理由だった。また精神的に余裕が生まれているということもある。

 暴れる妖夢を無理矢理持ち上げて、激しい戦いが行われている場所へと飛んでゆく。

 咲夜としては幽々子か紫の場所に到着できれば良かったのだが、身開けた庭先の一画に居たのは魔理沙とアリス、そして橙とたくさんの藍だった。

 妖夢が芋虫のように体をよじらせ助けをお求める。

 

「藍さ〜ん!助けて下さ〜い!」

 

「黒幕も八雲紫も居ない……。今日はやけに貧乏くじを引きますわね」

 

「ぐげっ」

 

 軽くため息を吐いた。

 そして取り敢えず苦戦しているようである魔理沙とアリスコンビに加勢してやろうかと、妖夢をそこらへんに投げ落としてナイフを構える。

 

 だが彼女たちの背後で蠢く()()を見て、思わず手を下ろしてしまった。

 

 凄まじい勢いで淡いピンクの花をつけてゆく一本の大木。美しさはさることながら、空気に伝播している妖力の量が異常である。これほどまでの量はレミリアの側に常日頃控えている咲夜でも、中々お目にかかれないほどだった。

 また、どんどん幹や枝が膨れ上がっている。あまりに大きくなり過ぎて庭の一画が崩れかけているほどだ。

 

 あの桜の木を見ているとどうにも落ち着かない。

 咲夜は言いようもない不安に駆られた。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 ──冥界の春が西行妖に集っている?

 

 不意に感じた大きな違和感に幽々子は思わず振り向いた。じりじりと肌や心に焼け付くような痛みが走る。

 

 むしろ強制的に吸い寄せているという表現が適切かもしれない。幽々子や妖夢、藍の操作が効いていない証拠だ。

 

 確かに妖夢の集めてくれた春は、幽々子が西行妖に与えていた。けれど、こんな風に西行妖の方から春を強引に奪うような真似は今まで一度も無かった。

 西行妖が自分から春を求めている。……まさか自分から封印を解こうとしているのだろうか。一体どうしてこのようなことに……。

 

「よそ見なんて良い度胸ねっ!西行寺幽々子!!」

 

「……博麗霊夢」

 

 幽々子の弾幕を文字通りすり抜け接近するとともに、お祓い棒を振り上げた霊夢に対し、幽々子は優美な扇子を畳んで彼女を迎撃する。

 幽々子が柔ならば、霊夢はまさしく剛。幽雅な技で受け流す幽々子に対しあくまで力押しを良しとする霊夢は実に対照的だ。

 

「ふふっ…呑気にしてていいのかしら?貴女がこうしている間にも春は着実に集まっているわよ?急がないと、手遅れね」

 

「……チッ」

 

 霊夢は軽く舌打ちをしてやむなく後退し、物量戦法に切り替えた。霊夢が目を閉じるとともに空間が歪み、数えるのも厳かになるほどの虹色弾幕が幽々子へと迫る。

 だが、幽々子はすでに対策方法を把握済みだ。

 

「あらあら品のないこと。死蝶『華胥の永眠』」

 

 スペル詠唱と同時に夥しい数の霊蝶が辺りに舞い上がり霊夢の弾幕へと向かってゆく。触れたモノには絶対の死を。蝶に触れた弾幕は霧散し、消えてしまった。

 万物に等しく死を与える幽々子の能力は、生き物だろうが無生物だろうが、有機物だろうが無機物だろうが、そんなことは一切関係ない。

 訪れる結末は皆一緒だ。

 

 ……たった一人の巫女を除いて。

 

「まったく、かったるいわねぇ。どうして異変の黒幕っていうのはこんなに面倒臭い連中ばっかなのかしら」

 

「面倒臭い人っていうのは大抵暇してる人なのよ。暇だから構って欲しい。相手がそれを好意的に取るか、面倒と取るかはその相手の人間性次第でしょうけど」

 

「遠回しに私のことディスってるわね?」

 

 駄弁る間にも高度な弾幕の応酬が行われるが、全くの膠着状態だった。

 霊夢は攻撃を受け付けないが、幽々子に弾幕が届き得ない。幽々子もまた弾幕が霊夢に届き得ないが、完璧に封殺できている。

 

 試合としては互角といえよう。しかし勝負としては幽々子の圧倒的有利である。

 幽々子の目的は異変の完遂。それはただ待っているだけで成るのだ。幽々子が行うことは霊夢の足止めだけで十分。

 

「霊符『夢想封印』ッ!!」

 

「冥符『黄泉平坂行路』」

 

 痺れを切らした霊夢が必殺の夢想封印を繰り出すが、それもまた幽々子に容易く撃墜される。死という概念より逃れない限り、それを司る幽々子に対して無力になることは宿命づけられている。

 だがそんな幽々子のスタンスが、ただでさえ悪い霊夢の機嫌をさらに損ねさせる。

 

「イラつくわね…!こっちにはあんたを無視して西行妖とやらを先に片付けるっていう選択肢があるんだけど?」

 

「その時は貴女の守るべき幻想郷へと無差別に私の能力を使うわ。下手に動かないほうがいいわよ〜?」

 

「……なんであんたみたいな奴と紫が親友なのよ。意味が分からないわ」

 

 霊夢は本気でそう思った。

 幽々子の考え方や行動原理は、下手すればあのレミリアよりも厄介かつ凶悪なものかもしれない。自重知らずという点では一級品だ。

 なんにせよそんな怨霊を野放しにするのは危険すぎる。だからこそ紫が手綱を握っているのだろうか?その線が一番有力に思える。

 

「さあどんどんいくわよ。幽雅に足掻きながら西行妖の封印が解けるのを眺めていなさい!」

 

 幽々子はふわりと宙へ舞い上がり、手に握っていた扇を開く。そして再び大量の弾幕を展開し、敢えて霊夢の弾幕と相殺させる。

 始めとは一線を画す激しさに霊夢は眉をひそめた。

 

 当初の美しい弾幕が崩れてきていた。ただ目的を達成するためだけに放たれる致死属性付きの変哲ない弾幕。

 慌てるはずは時間制限がある自分であるはずなのに、逆に幽々子の方が何かに追われているような、そんな気がした。

 

 事実、幽々子は正気とは言いづらい状況にあった。時間が経つにつれ幽々子の平静は失われ、次第に興奮状態へと陥ってゆく。

 幽々子自身、そのことは若干不思議に思っていたが、目的達成が近いことに感極まっているのだろう……と、あっさり疑問を捨て去った。

 

 封印されていた人物と出会い、花開いた満開の西行妖の下で、紫とともに3人で酒を酌み交わす。ただそれだけを楽しみに戦っている。

 ここまで強烈に物事へと惹かれたのは初めてだった。妖夢の必死の制止にも耳を貸さなかった。紫との対決も厭わなかった。

 

 もしもここで失敗すれば、もしもここで挫折してしまえば二度と再起できない。そんな確信にも似た思いがあった。

 大した動機があるわけではない。それでもこれほどまでのリスクを犯して強行したのだ。自分が認識外でナニカを感じて、それに呼応したことには深い意味がある筈。

 絶対に、自分を変える何かが起こる。

 

 

 

 

 

 ───ただし、その前触れは幽々子にとって思いがけない現象だった。

 

 舞い散る桜とともに、小さな木漏れ日のような光の粒が辺りを揺蕩う。

 

「………?なに、これ?」

 

 幽々子の体がほんのりと妙な発光を始めた。体が薄く、希薄になってゆく。突然のことで当の本人である幽々子は戦いそっちのけで自分を抱え込み、相対していた霊夢もそのただならぬ様子に動きを止めて注目する。

 光は拡散し、春の嵐へと消えてゆく。

 

「あ、あぁ……いやだ。怖い、嫌だ」

 

 急に胸のうちに込み上げてきた不安は、心を蝕んだ。悲しくて、苛立たしくて、恨めしくて……なにより淋しくて。

 

「いや……いやだ」

 

「ちょ、ちょっとあんた……どうしたのよ?」

 

 気丈だった幽々子の変貌。それは少なからず霊夢を不審がらせた。

 思わず声をかけてしまった霊夢の問いに、幽々子はピクリとも反応しない。うわ言のように「怖い、いやだ」と繰り返すだけだった。

 そんな幽々子の様子と反比例するように、光の発光はどんどん強くなってゆく。

 

 

 そして、幽々子は光の粒になって消えた。

 

 

「……成仏、した?」

 

 突然の決着に霊夢は困惑気味に呟いた。

 たしかにイラつく亡霊ではあったが、あんな消え方をされて勝負をほっぽり出されたのではまったく納得がいかない。

 これでは異変解決には認定できないのだ。

 

 空に花びらとともに舞い上がり、階段の先へと飛んで行く幽々子だった光の粒。それを見ていると久々に博麗の勘が警鐘を鳴らす。

 冥界の空気も変わりつつあった。ついに異変が完成されるのか?それとも予想だにしない何かが起ころうとしているのか?

 

 異変黒幕である幽々子の消滅と、妖力をほとんど感じることができず、未だに姿を見せようとしない紫。もはや異変としては致命的だ。

 だがそれにも関わらず展開は加速してゆく。ここでなにか行動を起こさなければならないと、博麗の勘が訴えていた。

 

「……あの光を追っていけば何かが分かるのかしら?変なことにならなきゃ良いけど」

 

 ゆっくりと上空を飛行する幽々子だった光を見つめ、階段を登って行く。

 光にペースを合わせるのは実に面倒臭いものだ。だが絶対に見逃さないようにしなければならない。

 

 タンタンタン、と小気味良い音が辺りに響く。

 先ほどまでの激しい弾幕戦がまるで嘘のようだった。だが空気に含まれる圧倒的な死の気配はまったく失われていない。むしろそれは強くなっているような気がする。冥界なればこのくらいのことは当たり前のことなのかもしれないが、流石にここまでの規模を環境が作り出すとは考えにくい。

 ……まだ幽々子は死んでいないと予測した。

 

 やがて階段は終わり、焼け落ちた鳥居のようなものをくぐる。少し前までそれは門だったのだろう。おそらくはあのやけに興奮していた魔理沙あたりにでも焼かれたかと考える。

 

 眼前に広がるのは景色いっぱいの桜。そのあまりの迫力に霊夢は息呑むが、同時に痛烈な違和感を感じた。

 桜が咲いて、散って、舞って、朽ちる。これらがハイスピードで俊回しているのだ。

 春の暴走……とでも言えば良いのか?

 

 

 

 やがて霊夢は白玉楼の庭を進んでいくうちに魔理沙とアリス、そして庭を跋扈する大量の藍と縦横無尽に駆け回る橙を見つけた。

 

 激闘を続ける藍をなんとかフォローしようと橙が隙を窺って魔理沙を狙うが、それは全てアリスの人形によって相殺された。しかもアリスは同時に魔法陣からの砲撃による魔理沙へのフォローも行っており、橙との地力の違いを見せつける。

 一方の魔理沙は激しい攻撃を掻い潜りながらミニ八卦炉からのレーザーによって大量の藍を焼き払っている。だが表情は優れない。

 そんな苛烈な魔理沙に対して大量の藍はなぜかレーザーを避けることなく、まるで肉の壁とでも言わんばかりに自分の分身を魔理沙の正面へと配置していた。本人はまだ本気を出さずに時局を見計らっているようだ。

 

 幻想郷の実力者同士による対決。それは霊夢の視点からも目を見張るものであり、視界の隅っこでは咲夜がナイフを握って立ち尽くし、妖夢がぐるぐる巻きの状態から藍と橙へとエールを送っている。

 

 

 霊夢はふと背後に存在する桜の木に目線を向け、肩を震わせた。瞬間、霊夢の死角から光源が飛び出した。幽々子だった光はあの桜の木へと向かっている。近づくに連れて速さが増しているようだ。

 途轍もなくマズい気がした。

 

「魔理沙ッ藍ッ!!その木を今すぐに叩き割ってちょうだい!早くッ!!」

 

 自分も駆け出し、飛翔してその後を追うと同時に目一杯の力で叫んだ。

 普段あまり大声をあげない霊夢の叫び声に魔理沙と藍は戦闘を一度中断して、ギョッとした。しかしその後の行動は各々別れた。

 魔理沙は一度その場で全ての思考を中断し、間髪入れずマスタースパークで西行妖を焼き払いにかかる。霊夢の言葉に即座に従ったのだ。

 それに対し藍は妖力を纏った腕を振り上げ、マスタースパークを素手ではね退けることで西行妖を守った。

 藍が自分自身にインプットしている式には、異変達成のためのプログラムが書き込まれている。ただその通りに動いただけだ。

 

「くっ、強攻策に出たか!──橙、攻めはもういい、守備に徹するんだ。後ろの桜の木を守れ!さもなければ紫様の主命に背くことになる!」

 

「は、はい!」

 

「あんのバカ式たち……!」

 

 霊夢は苦虫を噛み潰したような厳しい表情を見せ、袖下からスペルカード『夢想封印 瞬』を取り出し発動させようとした。これならば幽々子だった光が辿り着くよりも先に、西行妖をへし折ることができるだろう。

 しかし発動まであと少しのところでスペルカードが白い物体によって吹き飛ばされてしまう。その白い物体の正体は妖夢の『半霊』であった。

 妖夢は感覚的に透明状態で攻撃がなんとなく効き辛そうな霊夢ではなく、確実に実体のあるスペルカードを狙ったのだ。

 

「くっ!なによアイツ!」

 

「西行妖は幽々子様お気に入りの桜木!攻撃なんてさせませんよ!」

 

 誇らしげに言い放った妖夢に対して、霊夢は初対面ながらも厳しい目で睨んだ。

 

 現在の状況が知れ渡っていれば妖夢も藍も、霊夢に協力してくれていただろう。

 だが情報なしでは西行妖に危害を加えることを彼女たちが許すはずがない。

 

 魔理沙とアリスは藍と橙に手一杯。

 霊夢は一瞬の隙を突かれて硬直、彼女のスピードでは間に合わない。

 最後の頼みの綱だった咲夜は静観、じっくりと様子見していた。

 

 

 

 ───そして(幽々子)は西行妖に触れた。

 

 




残念!咲夜さんとの友好度が足りなかった!もっと友好度が高ければ動いてくれたのに……

どうでもいいですがタイトルを変えるのはやめました。けどやっぱり長いのでタイトルを言う時は「幻想郷割マジ」とでも呼びましょうかねぇ


少女?欠番中…


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境界線上の命*

アリス視点から


 さざめいていた木々の音も、春を告げる暖かな温風も、全てが死んだ。

 

 なにが起こったのかは分からない。だけど先ほどまでとは状況が何もかも違うということは、その場にいる全員が感づいていた。

 西行妖がついに復活を遂げようとしているのだろうか。その前触れだとすれば納得がいく。

 

「ちっ、防げなかったか!桜がついに満開に……」

 

「なんだかマズそうね。一旦離れるわよ」

 

 得体の知れぬ危険を察知した私と魔理沙は西行妖から距離を置いた。

 その一方、藍と橙も戦慄に身体を固まらせる。

 原始的な恐怖が二人を包み込んでいるようだった。元が動物な分、私たちよりもそういうのに敏感なのかもしれない。

 

「藍様これ……に、逃げたほうが……?」

 

「……橙、戦闘を終了しよう。お前は今すぐ魔理沙たちのところへ」

 

「藍様は!?」

 

「私も少ししたら離れる。いいね?」

 

「は、はい!」

 

 橙を避難させた藍は、分身式を全て消滅させると西行妖に背を向け、霊夢へと向き直った。

 二人の表情は険しい。

 霊夢は自分たちを邪魔したことへの非難の目を、藍はそれに対抗する強い意志を宿した目を互いに交錯させている。

 

「……何やら知っている顔だな。状況から推測するに貴女の元には幽々子様が向かっていたはずだが……?」

 

「ええ来たわ。そして今アレ(西行妖)に消えた。……私も何が何やらちんぷんかんぷんよ。取り敢えず紫を出してちょうだい」

 

「紫様は……おられん。貴女たちが此処に乗り込んでくるのと同じ時に行方を絶たれた。何かお考えがあるのだろうが私には……」

 

「話にならないわね」

 

 霊夢は藍の言葉をばっさり切り捨てると、スペルカードを取り出した。あの奇妙な光を止めることはできなかったが、西行妖を破壊するのは今からでも遅くはないはずだ。

 かくいう私も、いつでも破壊できるように戦闘用の人形を収納空間にスタンバイさせている。

 すると、慌てて藍が止めに入った。

 

「待ってくれ!その桜は幽々子様……それに紫様にとっても大切なものなんだ。せめてもう少し様子を見てからでも遅くは……」

 

「いいや限界ね。『夢想封印』!」

 

 霊夢が躊躇なくスペルカードを発動し、霊弾を放った。藍に話を合わせていてはいつまで経っても事が進まないと思ったんでしょうね。良い判断だと思うわ。

 霊弾が西行妖に触れるたびに、空気を震わす破裂音が辺りに響き渡り、同時に炸裂する激しい発光で全員が目を背けた。

 結構本気で撃ったみたいね。

 

 あれほどの威力での攻撃である。原型をとどめている方がおかしい。

 これで少々強引ながらも異変は終わりか……と、私はそう思った。多分この場にいる誰もがそう思ったはず。

 だけど、余裕の表情は一瞬で崩れた。

 

「うそ、無傷!?」

 

 西行妖は小枝一つ吹き飛んではいなかった。その耐久力の前に霊夢は愕然としていて、私はすぐに今までの考えを改めた。

 

 ”いざとなればどうとでもなるだろう”

 私の心の根底には大抵この言葉がある。いつも本気を出さずに全ての物事を達成する事ができるし、案外この世の中はちょろいものだと、そう思っている。

 

 だがこの西行妖はもしかすると、八雲藍や西行寺幽々子たちどころか、私たちですら手に負えない代物───私たちの慢心が呼び込んだ最悪の結果なのかもしれない。

 

「霊夢退け。次は私がやるぜ」

 

「……どうぞお好きに」

 

 霊夢とバトンタッチした魔理沙は八卦炉を構え、高密度レーザーを浴びせかけた。しかし西行妖には焦げ目すらつかない。

 ……ひとまず攻撃面は魔理沙たちに任せて、私はその間に西行妖の状態を調べておきましょう。どちらかと言うと私はこっち専門だしね。

 

 西行妖の裏へと回り込んで妖力の流れを感じ取ってみた。

 妖怪が何かアクションを起こす場合は妖力が必要不可欠だ。つまり妖力を良く感じ取っていれば、この木がこれより何をするのかが予測できるかもしれない。あくまで予測だが。

 またその後ろには藍が陣取り、私の言葉を聞きながら考察を深めていた。邪魔なような気もするけど、彼女の能力は本物だし好きにやらせておこう。

 

 調査の中で色々な事が分かってきた。その内容を声で発して藍に聞こえるようにしながらも、自分自身で色々と考える。

 

「妖力は、下へ?木の根へ集められている?…いや、違うわね。むしろコアは西行妖の根元にある。まさか本体は西行妖じゃなくて、地中に埋まっているナニカ?……これだけの妖力を下部に集めて、一体何をしでかそうとしているのかしら。演算が得意な式神さんはどう思う?」

 

「……西行妖に流れている妖力の質は幽々子様とほぼ同じ。構造形態が同義であるということは、成すこと在ることが統一されているということだ。つまりそれは西行妖が幽々子様そのものであるという論証になる。ならばこれから西行妖がするのは……」

 

「幽々子様?幽々子様がどうかされたんですか!?」

 

 聞き捨てならないワードを聞いたのであろう、ロープでぐるぐる巻きに拘束されている銀髪の半分おばけがうねうねと地面を這う。

 その様子を見ていられなくなったのだろう咲夜が、体を縛り付けていたロープをナイフで切ってあげていた。

 

 

 その時だった。

 西行妖の周りに巻かれていた注連縄が弾け、同時に凄まじい死の呪いが辺りに滲み出る。

 強力な呪いは風に乗り、白玉楼に咲き誇っていた桜の木を次々と腐らせ、死を迎えさせた。

 これには調査途中だった私と藍も一旦退避を余儀なくされた。アレは……万が一があり得る。

 

「これは、まさか幽々子様の能力!?……かな?」

 

「……いやちょっと違う。あいつ(幽々子)の能力はもっと強大で、見境いがあったわ。けど今のは効力が弱いし、ただの無差別的な能力の発動だった。同じように見えるけど似て非なるものよ」

 

 妖夢の言葉に霊夢が答える。

 なんでも冥界の主人……西行寺幽々子の能力であれば、先ほどの不意の呪い放出によって霊夢以外全員を殺せていたかもしれないという。

 とても恐ろしい能力だと言えよう。だが呪いは全員が弾いており、その点から見てもこの呪いは西行寺幽々子の能力とは比べようもないほどに弱いものだ。

 西行妖の耐久力は凄まじいが、所詮こんなものかと霊夢は若干安堵していた。かく言う私も自分の心配は杞憂だったかと安心した。

 

 

 だがその安堵は突然響いたハリのある一声によって霧散することになった。

 

「良かった、これだけ人数がいればっ!!」

 

「おっブン屋!今頃現れやがったか」

 

 空気が切れる音とともに彼女は登場した。

 漆黒の翼をはためかせてブレーキをかけたのは幻想郷最速のマスメディアである射命丸文。彼女とはそれなりに面識がある。

 今頃現れた文に魔理沙が軽い悪態を付くが、彼女はそれに反応する余裕を持ち合わせていないようだった。

 その焦燥っぷりに全員が注意を向ける。

 

「やけに慌ててるな。どうしたんだ?」

 

「幻想郷上空に木の根が張り巡らされていて、新たな異変が起きているんです!おそらくそこの桜の木が原因だと思われます!」

 

 ビシッ、と文は西行妖を指差した。

 

 待って、それマズいわよ。西行妖の内包妖力分布は根の下腹部に偏っているわ。その根が幻想郷に向けられているってことは……西行妖の呪いの殆どが幻想郷に向かって放たれることになる。

 規模はさっきなんかとは比較にならない。つまり……

 

 幻想郷……いや、顕界は死の世界になるわ。

 

 すぐにそのことをみんなへ伝えたが、にわかには信じられないようだった。

 霊夢と藍は薄々そのことに感付き始めてたみたいで、別段驚いた様子は見せていなかったけど、険しい表情をより一層険しくしていた。

 

「待て待て話が急すぎるしデカすぎる!」

 

 魔理沙が頭を押さえる。確かにいきなり提示した情報が大きすぎたかもしれない。もう少し順序良く過程的に説明するのがベストなのは確実だろう。

 だけどもう一刻の猶予もない。正確なカウントダウンがどの程度なのかは分からないけど、私たちに残された時間が限りなく少ないことは確かね。

 

「根の拡散はチルノさんが幻想郷で抑えてくれています。その間にこの木を切り倒してしまいましょう!私も微力ながら協力します!──『幻想風靡』!!」

 

「もうやってるわよ!だけど、小さな焦げ目すら付きやしない!ああ、もう……これならどうよ!?──神技『八方龍殺陣』!」

 

「こりゃ意地張ってる場合じゃなさそうだな。多人数でってのはちと卑怯な気もするが、私もやるぜ。──星符『ドラゴンメテオ』!!」

 

 常人には決して捉えることのできぬ超スピードで移動することによって発生する鎌鼬に似た真空刃で、文が西行妖を切り刻む。さらに西行妖の真下からマグマのように吹き上がるは莫大な霊力、そしてその真上から飛来し易々と西行妖を飲み込んだのは莫大な魔力。

 3人が本気で西行妖を潰しにかかっていた。幻想郷最強クラスの3人による一切容赦なしの技々は、対象を滅するべく破壊の嵐をもたらす。

 

 だがそれでも、西行妖はなお健在。彼女たちの破壊を物ともせず、その場に在る。

 

 正直な話、こういう案件は紫に全部任せちゃった方が楽で確実だと思うんだけど……流石にこの場にいない妖怪をアテにするのはダメか。

 

 ……仕方ないわね。あんまり手の内を見せるようなことはしたくなかったんだけど、第二の故郷のためなら致し方ない。

 

「サモン、ゴリアテ人形!」

 

 私も一つ、手を貸すとしましょう。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 アリスが召喚したのは体長50mを超える巨大な人形。その大きさは西行妖を優に越し、見下ろす形になっている。

 人妖問わず、そのインパクトには度肝を抜かれた。そんな好奇の視線を嫌いながらも、アリスは至極単純な命令をゴリアテ人形に命じた。

 

アレ(西行妖)を叩き斬りなさい」

 

 命令を発すると同時にゴリアテ人形の目に意志が宿り、腕に装着された河童製の回転ブレードが唸りを上げる。

 そしてそれを木の幹へと振り下ろした。

 

 ブレードが八方龍殺陣とドラゴンメテオに接触するが、対霊体装甲を施しているブレードはそれらを掻い潜り西行妖へと達した。

 凄まじい不協和音とともに火花が散る。刃の振動が木の皮を砕き、幹を徐々に破壊してゆく。

 

 一方で、静観を続けていた咲夜もついに協力を決断した。

 気怠げにナイフを取り出すと、西行妖へ向ける。連戦による疲れはあるが、ここで動かないわけにはいくまい。

 

「……死の呪いなんてウチ(紅魔館)の住人には通じないだろうけど……お嬢様に危害を加えようとしているのであれば、見過ごしてはおけないわね。──傷魂『ソウルスカルプチュア』!」

 

 スペル発動と同時に咲夜が両手に持っていたナイフが白く、妖しく光を発する。そして咲夜が繰り出したのは斬撃の嵐。

 空気もろとも西行妖を素粒子間隔で切り刻む。

 斬れることはないが、西行妖へのダメージは僅かながらでも入るはずだ。

 

 咲夜に続いて藍と橙が動き始めた。

 瞳にはまだ迷いが見えるものの、紫がいないこの状況下でも自分たちがすべきことはしっかりと把握していた。

 一体化した幽々子を救う方法は分からないが、このままでは幻想郷が危うい。幽々子の命?と幻想郷を天秤にかけるのであれば……心苦しいが、幻想郷の方を藍と橙は優先すべきなのだ。

 勿論、幽々子の救出を諦めているわけではないが。

 

「紫様は、もしかしたら……私たちのことをお試しになられているのかもしれないな。……橙、私たちもやるぞ。西行妖を叩く!幻想郷を守ることが我々の第一の使命だ!」

 

「ご命令とあらば!──童符『護法天童乱舞』!」

 

「──式弾『アルティメットブディスト』ッ!!」

 

 自分たちの式をフル動員し、西行妖の破壊という限定した目的によって最大限の強化、そして各々最高のスペルを叩き込む。

 激しい弾幕と卍型のレーザー弾幕が西行妖を削り、焼き尽くす。

 

 幻想郷最強クラスの面々による一撃必殺級の破壊を息つく間もなく撃ち込まれ、西行妖はついに限界を迎えつつあった。

 だがそれにも関わらず面々の焦燥は大きくなってゆく。霊夢でなくても解る、圧倒的なまでの嫌な予感。幻想郷滅亡のタイムリミットは刻一刻と近づいているのだ。

 

 

 

 そして、最後の一人である妖夢はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 なぜこんなことになっているのだろうか?

 なぜ幽々子が愛した桜が周りへと害を為し、幽々子を取り込み、今みんなによって滅ぼされようとしているのか。

 

 容赦なく焼き尽くされているその光景を見ていると、ぽっかりと空いた空虚な心に、虚しさと悲しさが次々に流れ込んでくる。

 西行妖は自分にとっても馴染みの深かった桜だ。あの木の下で祖父である妖忌と何度も剣を打ち合った。

 時折かかる幽々子からの声援や、妖忌による妖夢の成長を喜ぶ低い声が。昔の光景とともに脳裏でフラッシュバックする。

 

 自分は何をすればいいのかひたすら自問自答した。だが明確な答えが返ってくることは決してない。半人前である自分が答えられるはずがなかった。

 

 西行妖を斬らなければ未曾有の大災禍が起こる。だが、その剣は西行妖の中にいる幽々子に届き得てしまうかもしれない。自分の手で、幽々子を消滅させてしまうかもしれない。

 こうしている間にも彼女たちが西行妖ごと幽々子を消滅させようとしている。……妖夢の第一優先事項は、どうひっくり返っても幽々子だった。

 

「ダメだ、このままじゃ幽々子様が……!やめて、やめて下さい!」

 

 半狂乱状態になりながら楼観剣と白楼剣を鞘から引き抜き、西行妖へと攻撃を仕掛けている面々へと斬りかかろうと駆け出した。

 全員を斬り殺してでも止める。そう思っていた。

 

「……っと!?」

 

 だが、何かに足を取られて妖夢は転んだ。

 それは西行妖の細い根だった。妖夢のスピードに合わせて足を絡みとったのだ。

 転んだ拍子に掴んでいた白楼剣を落としてしまった。妖夢はらしくない失態に動揺した自分を叱咤しつつ、剣を拾おうとして刀身を見たのだが、鈍色の鏡にはある日の白玉楼の庭先が映し出されていた。

 

 居たのは師である妖忌と、今より少し幼い妖夢。

 妖夢はすぐに分かった。映し出されているその日は、妖忌が白玉楼から姿を消した日だ。昔は何度もその瞬間を夢に見た。

 

 

 

『幽々子様は、お前が命に代えてもお守りするのだ。己の身を一振りの鋼とし、帰る鞘のために最後の時まで尽くせ。……だが、幽々子様を悲しませてもいかん。幽々子様はああ見えて結構傷つきやすいお方で、そしてとてもお優しいお方じゃ。ふとしたことで想定外の傷を負ってしまうこともあるやもしれん。「幽々子様を守る」、「幽々子様を悲しませない」……両方が直結しとるようで、これらを同時に為すのは難しいことじゃ。……現に儂はそれができんかった。だがな妖夢、お前ならできると思う。儂が為せずに終わってしまったそれを、お前に引き継いで欲しいのだ。

 

 ……そして、これが祖父として、師匠としてお前に託す最後の”言いつけ”───』

 

 

 

 祖父の最後の言葉が聞こえた。

 そうだ、自分は一番大切なことを忘れていた。あの日、祖父から託された魂魄家一子相伝の万事解決法────。

 

「……そうだ、そうですよねお師匠様。わざわざ教えていただきありがとうございます」

 

 気持ちを落ち着けた妖夢は自分の足に絡み付いた木の根をゆっくりと外し、側に落ちている白楼剣を拾った。

 もう一度鈍色に薄く光る白楼剣をぼんやりと眺め、小さな決心を固める。

 

「ふんっ!」

 

 そして唐突な切腹。

 だが血は吹き出ず、代わりに溢れ出すのは迷いなき覚悟。目はまっすぐに西行妖を捉えていた。

 迷いを断ち切る白楼剣の力である。

 

 

 

『迷った時は迷わず斬れ!そうすれば自ずと道は見えてこよう!人、空、時、死、運命、……全てを斬ってしまえいっ!』

 

 

 

「斬れば判る!斬れば解決する!だって、私に斬れないものなんて何にもないんだから!」

 

 辻斬り妖夢、爆誕。

 吹っ切れた妖夢の言っていることは物騒だが、その裏にはとある考えがあった。

 仮に現在、西行妖が幽々子と一体の存在であったとしても、今までは別個の存在として確かに自分の前でそれぞれ存在していたのだ。

 

 一体化の形が寄生的なものであるか、共生的なものであるかは判らない。

 だが幽々子と西行妖の繋がりを断つことができれば、どんな形式の一体化であったとしても切り離すことができるかもしれない。

 

 これらは考えるだけなら易い。一方でそれを実行に移し成功させることはすこぶる難い。

 繋がりには実体がないのだ。それを斬るというのは細胞の合間を縫って切断したように見せるよりも難易度は高いだろう。妖夢でさえもぶっつけ本番で繋がりの切断に成功できるかは分からない。

 

 だが、やらねばならない。

 今、この状況下で幽々子を救えるヴィジョンを見出せているのは自分だけだ。

 白楼剣を地面に差し、楼観剣を居合の態勢で構えた。

 

「力を貸してくださいお師匠様!私に教えを守れるだけの力と覚悟を……!」

 

 幽々子を守り、なおかつ全員を生かす(幽々子を悲しませない)

 これらを同時にこなさねばならぬのが魂魄家の辛いところだが、妖夢には覚悟ができている。

 

 時を斬り裂いた。

 斬り裂かれ存在しなくなった時間は妖夢にも制御不可能。しかしその間、妖夢は無意識下であらゆる事象の干渉を受け流し、行動することができる。

 すなわち、現在進行形で激しい集中砲火を受けており取り付く間もない西行妖へと一太刀入れることができるのだ。

 

 そして斬られた時は複合し、妖夢は意識を取り戻す。同時に手に確かなどっしりとした重みを感じた。ひんやりとして、だけども心を温かくさせる重みだ。

 

「幽々子様……!」

 

 腕の中には瞳を閉じた幽々子の姿があった。寝息のような穏やかな呼吸をしているので存在そのものに別状はなさそうだ。

 視界の隅には縦に裂けた西行妖が映る。

 

「やった!斬れたんだっ!」

 

「へえ、やるじゃない」

 

 突然裂けた西行妖に困惑し面々が顔を見合わせる中、何が起こったのかを一瞬で理解した咲夜が賞賛の言葉を漏らした。

 この場にいる誰よりも妖夢の能力を体感した咲夜は、彼女の潜在的な恐ろしさと瀑布の如き爆発力の危うさを理解していたのだ。

 

 

 

 なんにせよ、幽々子は助けた。幽々子が切り離されたことによって、西行妖はさらに不安定となっている。もはや時間はないと見ていいだろう。

 

 だが少女たちにはとてもやり易くなった。

 これで心置きなく全力で西行妖を吹き飛ばすことができる。

 

 先ほどの砲撃の威力を遥かに上回る一斉攻撃が開始された。藍や橙あたりが吹っ切れ、さらに妖夢もそれに参加したからだろう。

 西行妖は焼き尽くされ、微々に切り刻まれ、粉々に吹き飛ばされる。

 

 

 

 そして最後には西行妖の荒々しい切り株の断面のみが残った。桜の花や、木の幹に枝々はすでに無い。

 

「……アレ(切り株)だけはどうにも破壊できないみたいね。いくら攻撃しても傷一つ付きやしない」

 

「あの下には西行妖のコアが眠っている。それを護るために強力な結界が張られているわね。恐らくだけど西行妖によるものじゃない、第三者によるものよ。とても古い部類の術式のね。……まあ、根に拡散していた妖力は収束し始めたみたいだから一安心だと思うけど」

 

 霊夢の呟きにアリスがその理由を語る。

 言われなくても解る、と霊夢はアリスをジト目で見たが、面倒臭いからか声には出さなかった。その傍らでは魔理沙と文がハイタッチをして、幻想郷の危機を回避できた喜びを分かち合っていた。

 

 咲夜はそんな彼女たちをやれやれと呆れた様子で眺め、次なる行動を開始する。

 異変は解決できたが、レミリアに言い渡された”おつかい”はあと一つだけ達成されていないのだ。

 

「さて、異変も終わったみたいだし八雲紫を探さないといけないわね。結局最後まで出てこなかったけど……どこにいるのかしら?」

 

「そうだ、紫様を忘れていた!早く安否を確認せねば!妖力を微力に感じるからこの辺りにいることは間違いないんだが……」

 

「隠れることができそうな所はほとんどが吹き飛んでしまいましたからねー。多分私たちを驚かそうと機会を狙ってるんですよ!きっと!」

 

「だといいんだけど……」

 

 藍と橙も咲夜の言葉で紫がいないことを思い出し、慌てて行動を開始した。

 妖夢は未だ目を覚まさない幽々子のそばに寄り添っている。まだ予断は許せない状況であるが、容体は確実に安定してきていた。

 

 安堵の空気が流れる。

 全員が当面の危機は去ったと確信したのだ。

 

 

 

 

 だが、異変はまだ終わっていなかった。

 泥沼からメタンガスが吹き出るような音が唐突に響いた。音の発生源はもちろん西行妖だ。断面からドス黒い靄状のナニカが噴出する。

 

 すかさず霊夢が結界で封じ込めにかかるが、靄に触れた途端結界は役目を強制的に終え、バラバラに砕け散った。

 霊夢の顔が焦燥に歪む。

 

「こいつ……ッ!」

 

「しゅ、収束していた妖力が逆流を始めた!?あまりにも突拍子がなさすぎるわ!これ以上西行妖が行動できる要素はどこにも存在しなかったはずよ」

 

「けど現にアレは目の前で動いてるぜ。やっぱり下の部分も完全に吹き飛ばさないといけないのか。……いや、もう遅いか……?」

 

 黒い靄は冥界の空気に溶けてどんどん拡散してゆく。

 迫るのは絶対的な死の気配。

 逃れようのない確実な運命。

 空気全体に伝播する死を躱す術はない。

 

 一番近くに居たアリスが膝をついた。荒々しく肩を上下させている。

 さらに少し離れていた橙はへたり込み、えづいた。藍が思わず駆け寄って、気持ちを落ち着けてあげようと背中をさすってあげたが、効果はあまりなさそうだった。

 魔理沙は死の重圧によって汗を流し、苦しそうに胸を押さえる。咲夜も体の芯から凍る恐怖に後退りした。

 文は一目散に冥界から退散し、妖夢はなるべく体に悪そうな空気から幽々子を守ろうと、幽々子に覆い被さる。

 

 霊夢は目の前の悍ましい光景を、いつもと変わらない気怠げな様子で眺めると、お祓い棒を力強く握りしめ前に進み出た。

 死へと自ら向かって行く。

 

「魔理沙、アリス……あんたたちは逃げなさい。ここからは私だけでやるわ。メイドに狐と猫、あと銀髪のお化けも亡霊姫を連れて早く脱出するのよ」

 

「何言ってるんだ……!」

 

 霊夢の言葉にすかさず魔理沙が噛みついた。襟を掴もうとするが、霊夢は夢想天生により半透明状態なので、スカすばかりである。

 

「ケホっ…む、無茶だぜ霊夢!確かにお前の夢想天生ならあの靄の中でも生きていけるだろうよ。だけど、夢想天生はそろそろタイムリミットのはずだぜ。一年も経たないうちに二回も夢想天生を使ってるんだ……途中で解けたら一秒ももたない!」

 

「……早く行きなさい!分かってると思うけど幻想郷に出たらすぐに冥界との出入り口を塞ぐのよ。少しでもあの靄を冥界の外に出しちゃダメ。……いいわね?」

 

「おい待て!霊夢!」

 

 魔理沙の制止を振り切った。

 確かに夢想天生が発動している間にあの西行妖を完全破壊できるか?と言われれば、それは難しいと答えざるを得ない。

 ただそんな理由では霊夢は決して引かない。幻想郷を、そこに住まう者たちを救うためならどんな危険も厭わないのだ。

 せめて、魔理沙たちが冥界を塞げるだけの時間を稼げれば……そう考えた。

 

 霊夢といえども死は怖い。現に靄の中へと突っ込んでから体の震えが止まらない。歯を食いしばってひたすら突き進む。

 霊夢を突き動かすのは博麗の巫女という立場への責任感か、それとも単純で美しい誠の正義感ゆえか。

 

 ……どちらも違う。

 

「さあ、根気比べといきましょ。妖怪桜!」

 

 ただの意地だ。

 純粋で混じり気のない意地。

 それが霊夢の原動力になっている。

 

 霊夢は西行妖の真上へと陣取り、自分を中心にして結界を何重にも展開。呪いの靄を封殺した。さらに夢想天生による弾幕攻撃を西行妖へと叩き込む。

 死の世界を紅白の蝶が浮く。今にも消えてしまいそうなほどに紅白は霞んでしまうが、それでもなお反抗を続けた。

 

 

 

「……魔理沙。幻想郷に行かないの?」

 

「行かん」

 

 アリスの問いに魔理沙は即答した。

 霊夢だけにこの場を任せるわけにはいかない。必死に霊夢が戦っているのに自分がおめおめと逃げ出すわけにはいかないのだ。

 

「はぁ……貴女も変なところで相当の意地っ張りよねぇ。見ていて面倒臭いったらありゃしないわ。……私も残るわ。尻尾を巻いて逃げ出すのは田舎者のすることだから」

 

「アリス……」

 

 咲夜が前に進み出る。

 

「右に同じよ。逃げ出すなんて、そんな瀟洒じゃないことをできるはずがない。……お嬢様に顔向けできませんわ。紅魔館の恥にならぬよう、私はせいぜい抗ってみせるわよ」

 

「咲夜……!」

 

 魔理沙はふと後ろを見た。

 藍も橙も……妖夢も朧げに立ち上がった幽々子も逃げてはいなかった。

 魔理沙の訝しむ目線に、藍は軽く溜息を吐いてつらつらと言い放った。

 

「紫様がいないのに式である私が逃げ出すわけにはいかないだろう。それに私が言うのもなんだが、幻想郷最後の砦は私たちだ。念のために冥界と幻想郷の境目は閉じたが、それすらもあの靄は突破するかもしれない。ここで何としても食い止めなきゃね。───……橙は逃げてもいいんだよ?」

 

「……私一人生き延びても意味ないです。藍様と、紫様と一緒に居て初めて私の生きる意味が生まれるんですから!」

 

 素直に羨ましく思った。

 ちょっとばかし八雲の信頼関係に妬きながら「そうか…」とだけ相槌を打つと、魔理沙は次に幽々子と妖夢へ目線を移した。

 

「ならそこのお化け二人組はどうするんだ?私はそっちの病み上りのお嬢様だけでも脱出させた方が良いと思うんだが」

 

「私もそうさせたいのは山々なんですけど……幽々子様が絶対に残ると言い張ってて」

 

 寝起きのような若干眠たげな様子で幽々子は立っていた。ただ立つことすら難しいようで妖夢が傍から支えている。

 再び西行妖がコントロール下に呼び戻そうとしているのか、薄っすらと体が透けているようにも見える。だが彼女は気丈だった。

 

「……妖夢から大体の話は聞いたわ。とても迷惑をかけたみたいね。……私たちはこの異変の当事者……逃げ出すわけには行かないでしょう?けじめはしっかりと私たちがつけるのが道理よ」

 

「まあ……そうだな」

 

 魔理沙が深く頷いた、その時だった。

 

 メキッ、という破壊音が響いた。

 霊夢の結界が無残に砕け散り、光の粒となって赤黒い靄へと消えてゆく。

 ………霊夢の姿はどこにもない。

 

「───ッ!霊……っ」

 

「今そのことは後よ!来るわッ!」

 

 靄が全てを飲み込み此方へ迫る。目前まで近づく死の前にあるのは絶望のみ。

 全員が死を覚悟し、最後の抵抗をすべく決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

「『生と死の境界』」

 

 

 

 

 

 

 

 光が溢れた。

 

 白濁な死の気配で満ちていた冥界に、優しい生の息吹が吹き荒れる。

 西行妖によって奪われた生命が息を吹き返し、枯れ果てていた桜木が次々に開花してゆく。

 靄は完全に消え去り、西行妖は妖力の循環を完全に停止させた。

 西行妖のちょうど真上を漂っていた霊夢が重力に囚われ、落下した。

 

 

「……生きていることを説明するには、死んでいるものが必要である」

 

 何処からもなく舞い降りたのはスミレ色の蝶。

 

「だから、死なない生き物は存在し得ない。生きていなければ死ねないし、死なない生き物は生きてもいない」

 

 紫のドレスが優雅にひらめき、流れる金髪の髪が春風にたなびく。

 

「私は生命の実態を、この厚さ0の生死の境であると考えています」

 

 どこまでも美しく、妖しく、激しく静かで……見るもの全ての心を奪う境界の住人。

 

──羨望

 

──憧れ

 

──懐古

 

──友愛

 

──親愛

 

──憎悪

 

 彼女を中心に思念が渦巻いた。

 だが、全てに共通することは一つ。

 

 

 彼女は、彼女ではない。

 

 

 自分たちに魅せていたのは氷山の一角に過ぎなかったのだ。そして、どこまでも(いびつ)で不完全。

 

 ぽっかりと空いた左目にはスキマ空間へと続くような隙間が這っていた。

 左目だけじゃない、体のいたるところが欠損し、それを隙間が埋める形で彼女を補っている。

 

 何時もの柔和で優しい雰囲気はこれっぽっちも感じられない。

 あるのはただの虚無だけだった。

 

 

 

「一つや二つの境目じゃあ……ねぇ?」

 

 ────八雲紫は、こんなに恐ろしげな存在であっただろうか?




……寂しい



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表と裏の境界

霊夢視点から



 

 夢想天生はこの世のありとあらゆる事象から己を解き放ち、全てを宙に浮かせる博麗の秘技。

 誰であろうと破ることはできない。

 

 だが強力な技である故にリスクは付き物で…使用後はしばらく後遺症が残る。

 

 例えば夢の中で過ごすことが多くなることで睡眠時間が長くなったり、日常生活のふとしたところで意識が宙に浮きかけたりと色々だ。

 

 本来の夢想天生にはこのような後遺症が発生することは決して無いらしいのだが…どうも私は特別みたい。

 なまじ夢想天生が本来のものより強力なせいで思わぬ副産物が生まれている…と、紫は分析しているらしい。藍から聞いた。

 

 だが私からしてみればこれらよりももっと問題なのが、二度目からの夢想天生は時間制限付きになるということだ。

 最低2年の間隔を置かなければ、夢想天生は本来の効力を発揮できなくなってしまう。

 

 実際そのことを意識したことはあまりなかった。

 そんな定期的に使わないから奥義であるわけだし、そこまで追い詰められたのは余興で始めた魔理沙との10日間弾幕模擬戦の時だけだったから。

 

 レミリアも幽々子も、私が異変を解決してきた相手の中でもかなり特別な存在だった。

 その無慈悲なほどに強力な能力ゆえに。夢想天生を使わざる得なかったのだ。

 

 そして、()()()()よ。

 

 

 

 喪失感とともに私の体から輝きが失われ、色を取り戻してゆく。そしてすぐに黒へ、灰色へと染まってしまった。

 

 呪いが体中に纏わりつく。

 病魔のように心身を蝕み、私を冥土へと誘おうとしている。

 いくらあがいても動けない。漆黒に周りを塗りつぶされ、時間切れで浮くことすらもできなくなった。

 

 ああ……これが”死”なのかしら。

 だんだんと視界が狭まり、意識が遠のいてゆく。

 安らかで心地よい感触が体を撫でる。

 

 

 ……悔しいけど、このままでいいような気がしてきた。疲労がのしかかって、安息に心を委ねることを催促する。

 

 これだけ時間を稼げれば、藍たちが幻想郷と冥界の境目を塞ぐには十分だろう。私の最低限の仕事は終了したはず。

 

 

 意識を手放すと同時に結界が砕けた。

 遠くで魔理沙の叫び声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 走馬灯かしら?

 闇に沈んだ私の脳裏を、色々な情景が掠めては消えてゆく。脆弱な灯火のようで、かけがえのない思い出の日々。

 

 たくさんの異変を解決してきた。

 たくさんの繋がりを絶ってきた。

 たくさんの犠牲を払い、払わせてきた。

 

 ……たくさんの言葉を受け取った。

 

 紫……。

 魔理沙、アリス、藍、橙、……レミリア、咲夜にフラン。あと霖之助さんに文、そして……まあその他諸々の大勢。

 全員がホントに面倒臭くて、ことあるごとに何かと私に突っかかってきたっけ。……ああ、霖之助さんは違うか。

 

 なんにせよ、そんな毎日が私にとっては何よりもかけがえのないものだったのかもしれない。失う時になって、ようやくそのことが分かった。

 遅かったけど……最後に気付けてよかった。

 

 そういえば、この全員と知り合えたのは紫のおかげだった。あいつが関わったせいであいつらと知り合うことになってしまったのよね。

 あいつ、頻りに私に交友関係を作るように言ってきてたっけ。「繋がりを大切にしなさい」って。

 ……今思えばこれも全部紫の手引きだったのかしらね。

 

 ……最後の最後までワケが分からない奴。

 怪しくて、胡散臭くて、口からでまかせばっかで、そのくせ口煩くて、私のことをいつまでも子供扱いして。

 ……お節介で、居なくていい時に何処からともなく現れて、居て欲しい時に居てくれなくて、母親のようで。

 

 私が泣いている時は、いつもそっと寄り添ってくれた。笑いかけてくれた。

 

 紫は……私の────。

 

 

 

 

『霊夢、貴女はここで死ぬような子じゃないわ。こっちに来ちゃダメ、境界を踏み越えて。

 生きるのよ……生きて幸せを……幻想郷を───』

 

 

 

「…ッ!!」

 

 瞼を光が通過した。

 それと同時に身体中が熱くなってゆく。血が巡り、隅々まで自分のコントロール下へと戻っているようだ。

 

 そうよ、なんで私が死ぬ気になってるのよ。こんなところで死んでちゃ幻想郷中の笑い者じゃない!

 まだ今年は花見もしてないのよ!?こんなところで死んでたまるもんですか!

 それにまだ紫をしばいてないし。散々私を翻弄して、許さないんだから!

 

「うっ…ぐぅ……!」

 

 重い目蓋を抉じ開けて、鉛のような身体を持ち上げる。苦悶の声を漏らしてしまったが、大した怪我は無さそうだ。

 死の瀬戸際か。いい体験させて貰ったわ。だけどもう懲り懲りね。

 

 ふと横を見ると、巨大な枯れ木が突っ立っていた。木の幹には注連縄が巻かれ、漏れ出す妖気を完全に抑え込んでいる。

 

 間違いない……この木は西行妖ね。

 けどこの木はさっき私たちが木っ端微塵に吹き飛ばしてやったはず…。どうなっているの?ていうかどうやってあの呪いの靄を消したのかしら?

 

 状況がまったく読めなくて辺りを見回してみると、少し離れた場所に人だかりを見つけた。この異変に関わった全員がいるみたいね。

 ったく……逃げなさいって言ったでしょうに。ホント面倒臭い連中よねぇ。

 

 ……あら、紫までいるの?

 こりゃ手間が省けていいわね。紫をしばいた後に、西行妖が再生している理由を聞けばこの異変は終了だ。

 ああ、あとなんで幽々子に加担したのかも聞かなきゃいけないわね。そしてしばく。

 

 紫、アンタをボコボコのギッタンギッタンにしばいて、この異変は終わりよ!

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 消し去ったはずの西行妖が、映像を巻き戻しているように再生してゆく。

 その根元では意識を失った霊夢が項垂れていた。霊力の流れを視れば、しっかりと安定しているので命に別状はなさそうだ。

 

 西行妖に起きている不可解な現象の原因は一目見れば分かる。それは、西行妖へ手を翳している紫様に他ならない。

 

「紫……さ、ま?」

 

 橙から恐怖に似た呟きがこぼれた。

 この子にとって、このような感情体験は初めてのことなのかもしれない。

 私も頭がどうにかなりそうだ。

 

 どこまでも美しくて優しかった紫様の御顔は深い闇を湛えていた。

 左目や右腕が欠損しており、他にも体のいたるところが其処だけ空間を切り取ったかのように消え去っていた。そしてそれらを補うのは闇に蠢く隙間(スキマ)

 我が式に書き込まれた紫様の数式の力によって、お借りしている隙間(スキマ)とは系統も、格も、全てが一線を画している。

 

 

 

「はぁ……何年ぶりかしら」

 

 

 

 恐怖だ。

 私は、紫様に恐怖しか抱くことができなかった。

 

「……そう、こっちに居るのね」

 

 紫様はとある方向を視ると、空へ手を翳した。突然の行動に私を含めた全員の身が固まる。

 しかし私たちのリアクションとは裏腹に、何も起こることはない。

 紫様は何度か繰り返し虚空へと手を翳したが、結局何かが起こることは一度もなかった。

 

 アレは……恐らくスキマを開くモーションだった。紫様は移動用のスキマを開く際に一呼吸を入れる癖がある。その癖をたった今、私の前で見せたのだ。

 しかし、紫様はスキマを開かなかった。……いや、開けなかった。現に今も、紫様は虚空へとスキマを開こうとしている。

 

 紫様は一体何処へ行こうと……?しかもあんな……痛々しい、悍ましい身体で…。

 

 そうだ、早く紫様を止めよう!あんな状態で行動させるのは流石にマズそうだし、何より安静にさせなくては。

 

 意を決して紫様へとお声をかけた。

 

「紫様、その身体は?……い、いや今そのことは置いておきます。取り敢えず安静にしておいてください。私がすぐに身体の状態を調べますので……」

 

「……ああ藍」

 

 紫様が私へと焦点を合わせた。

 紅桔梗の右の瞳が私を映し、左の隙間が私を引き込むように深淵を覗かせる。

 その不気味さに思わず目を逸らしてしまった。

 紫様は軽く微笑んだ。

 

「いい所に居てくれたわ。この通り、今の私はかなり不安定なの。だから体の構成にストックしていたスキマを全部使っちゃったのよ。それで、情けないことにスキマを開くことすらもできない」

 

「は、はぁ……?」

 

「だからね、貴女に外の世界への道を開いて欲しいのよ。いきなりだけど」

 

 外の世界へ?またなんで急に……。

 紫様の要求に若干拍子抜けしながらも、その危険な申し出に気を取り直した。

 今の不安定な状態で外の世界に出られれば、その存在に異常をきたすかもしれない。私としては到底従うことなどできない。

 

「紫様…それはダメです。そんな身体で一体何をしようと言うのですか。安静にしていてください」

 

「あら、私の言いつけが聞けないのかしら?

 ……もう一度言うわ。”今すぐ”外の世界への道を開きなさい」

 

「ダメです!紫様の従者として……その命令に従うことは、できません!」

 

 チリチリと焼け付くような痛みが内側で燻る。主人の命令に逆らっているからだろう。

 普通ならば死ぬほどの痛みが流れるはずなのだが、紫様のご懇意によってこの程度の痛みに抑えられているのだ。不肖の至りである。

 紫様のご命令に従えぬことを心苦しげに思うが、背いてでも今の紫様を外の世界へ向かわせることはできない。

 

 紫様は右目を細めると、低い声音で語られた。

 

「そう……分かったわ」

 

「申し訳ございません。私は紫様が本当に心配で───!?」

 

 目の前が真っ暗になった。

 体中に肉が裂けるような激しい痛みが走り、地面に倒れこんだ。あまりの痛みに瞼の奥がチカチカとフラッシュを起こしている。

 

 何が……何が起きて……?

 

 五感が完全に麻痺する中、紫様の声だけが私の頭の中へと入ってゆく。

 

「何時から貴女はそんな生き物臭いことを言うような式になったの?たかが道具風情がくだらない妄言を……呆れるわね。昔の貴女はもっと生意気で、従順だったわ」

 

「あ、あぁっ……ぐぅ……!」

 

 体に浮遊感を感じる。ひとりでに手足が動き、十字架に架けられたようなポーズを取らされた。体はピクリとも動かず、目を僅かに開けることしかできない。

 紫様は私へと人差し指だけを向けていた。相変わらず美しい微笑を浮かべている。

 だけど、幽界の存在がそのまま目の前にいるような、違和感と恐怖を殺しきれない。

 

「さて、最後にもう一度だけ言うわ。”今すぐに”外の世界への道を開きなさい。私もね、使える道具は潰したくないのよ」

 

「……ダメ…です」

 

 震える声で答えた。

 たとえどう思われようと、紫様を危険へと向かわせるわけにはいかない。

 私は殺されてもいい。だからどうか……

 

「…まったく、使えない式。貴女は昔からそうよねぇ……私の足を引っ張ることしかできない。私が半端者は嫌いなこと、知ってるでしょう?」

 

「う……ぅ…」

 

 紫様は私から興味を無くされたのか、視線を外す。そして次に捉えたのは…橙だった。

 橙の肩が恐怖で跳ね上がったのが見える。

 

「橙。貴女は私たちがスキマを使う瞬間を誰よりも多く見てきたわよね。使い方自体は把握できていると思う。……今の貴女なら、『八雲』を得ることで使えるようになるんじゃあないかしら?」

 

「ひっ……ゃ…」

 

 橙には、八雲の名が与えられた後に私と同等のことができるようにプログラミングしてある。スキマを開くことも可能になるだろう。

 だけど、それはまだ機じゃない。橙にはまだまだ経験が足りてないのだから。

 

「止めてください、紫様…!」

 

 橙は……八雲の名を与えられることを夢見て日々厳しい鍛錬を重ねていたんです。いずれは私や紫様に認められる立派な式になりたいって。

 なのにこんな渡し方で橙の気持ちを踏みにじるなんて……あんまりじゃないですか。

 

 だけど紫様は私の制止に耳を傾けることなく、無慈悲に言い放った。

 

「貴女は今日より”八雲橙”よ。さあ外の世界へのスキマを開きなさい」

 

「わ、私……でも…」

 

「時間がないの、早くしなさい」

 

「わ、私じゃ無理です!そ、それに藍さまにこんな…なんで?優しい紫さまがこんな……」

 

 混乱する橙を他所に、紫様は心底うんざりするような表情を浮かべた。

 とても冷たい感じがする……。

 

「……仕方ないわねぇ。なら、無理にでも使えるようにしてあげるわ。暫くは私の言うことしか聞けないようになるけど」

 

「いや、やだ!止めて、紫さまっ!」

 

 紫様が橙へと手を伸ばした。橙に憑いてる式を強引に書き換えてしまうのだろうか。

 そして、橙を壊してでもスキマを開かせるつもりなのかもしれない。

 

 

 ================

 

 

「今日から貴女は私の家族よ」

 

「名前は、そうねぇ……。私からの愛を込めて、”藍”…なんてどうかしら?紫に準ずる、此方側の色よ」

 

「もう離れない。私たちの未来永劫続く繋がりは、途切れたりなんてしないんだから」

 

 

 

 

「ねえ、藍。橙は式としての役割は果たせずとも、十二分に最善を尽くしてくれたわ。

 だって橙は私の反対を押し切ってまで貴女の命令を守ろうとしたのよ?式としての判断は未熟でも、やったことに間違いはないわ。

 それに橙にも言えることだけど、私たちの繋がりは命令する、命令されるだけなんていうつまらない関係じゃないはずよ……そうでしょ?私と貴女は対等。ならば私と橙も対等よ。厳しいことばかり言わないで、少しばかりは褒めてあげて頂戴?」

 

「そんな悲しいことを言わないで?私たちは…家族なんだから」

 

 

 ================

 

 

 いつかのそんなやり取りを思い出した。

 紫様の一字一句が心に染みて、暖かい気持ちになってゆく。

 

 私が望んだ理想の紫様。

 それは今まさに目の前に居られる紫様のことを言うのだろう。

 

 

 

 それでも……違う。紫様じゃない。

 紫様はこんなこと絶対にしないから。だけど、目の前のお方は間違いなく紫様なんだ。

 

「……止めましょう?…紫様」

 

 体を縛りあげていた謎の拘束を無理矢理引きちぎって、自由を取り戻すと、一気に歩みを進めて紫様のボロボロの手を握った。

 橙を守るために。

 紫様を止めるために。

 

 

 

 紫様は繋いだ手と手と私の顔をゆっくり交互に見て、嬉しそうに優しく微笑まれた。

 

 ──ああ、間違いない。紫様なんだ。

 

 

 

 

「……貴女は式失格よ、藍」

 

 紫様が指で空をピンッと弾く。

 それと同時に体全体へ凄まじい衝撃が走った。

 

 勢いはそのまま反転して後ろに吹っ飛び、何が起きているのかも把握できずに地面へと叩きつけられ、引き摺られた。

 

 思考が薄れ、意識が暗転してゆく中、此方へ向ける霊夢の驚愕の表情が、妙に頭に残った。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 白玉楼の庭に深い溝が刻まれた。藍の姿は地中に埋もれて目視することができない。

 

 紫はそんな惨状を一瞥するだけに留まり、再び橙へと視線を戻す。

 しかし橙はその場から消えており、同時に紫の顳顬(こめかみ)へと熱を持った金属が押し付けられた。

 その金属は八卦炉、そして突きつけたのは黒白の魔法使い霧雨魔理沙。視線の隅では咲夜が時止めで回収した橙を抱えており、アリスと妖夢が油断なく構えていた。少し後方では幽々子が佇んでいる。

 

 全員に明確な敵意が芽生えていた。

 

「あらなぁに?まさか貴女たち全員が私を邪魔するの?……残念ね」

 

「お前……紫じゃないな?」

 

「フフッ…甚だしい妄言ですわ。私以外に八雲紫が存在し得るはずがないでしょう?」

 

「私の知ってるアイツはこんなに力をひけらかす奴じゃないんだがなぁ。……それに、式の扱い方としては”さっきのアレ”が適切なのかもしれんが、お前がそれをやるとどうも不自然に思える」

 

「……今まではその必要が無かっただけよ。だって藍が全て片をつけてくれたんですもの。だけどその藍がこんなに腑抜けてしまっているなら、少しばかり荒っぽくさせてもらわないと。

…さて──そろそろ、その物騒なものを私の頭から離してくれないかしら?時間も押してるの」

 

「そうはいかないぜ。今のお前はあまりにも不審すぎる。本当ならあの靄を消したことを褒めてやりたいところなんだがな。これまでの行動を見ると胡散臭いを通り越して危険だ」

 

 いつでもレーザーを放てる程度まで魔力を八卦炉へと過密させてゆく。マスタースパークとまではいかないが、冥界に巨大な穴を開けれる程度には威力のあるマジックレーザーである。

 しかし紫はそんな脅しも意に介さず、じっと手元を見つめていた。欠けた部位から覗く隙間がとても不気味だった。

 

「焦れったいわねぇ。私は時間がないって言ってるでしょうに……」

 

「お前の事情はどうでもいい。今は───」

 

 

 

 ──ぼとっ

 

 魔理沙の言葉が途切れた。

 地面に質量を持った何かが落ちる。

 

 

 それは()()()()()()()()()()だった。

 

「あ……え?はっ!?」

 

 腕に走った激痛に魔理沙は顔を歪ませ、腕を抑えた。酷い喪失感が纏わりつく。

 しかし触ってみると腕はしっかりとくっ付いているし、八卦炉もちゃんと握っている。血の一滴すら出ていない。

 だが確かに切られた痛みは感じたし、腕が落ちた瞬間も見た。幻覚かとも思ったが、アリスや咲夜の様子を見ると、彼女たちも目を見開いていた。

 

「な、にが……?」

 

 やはり自分は、先ほど腕を切断されたのだ。

 認識と現実の大きな誤差に揺れた魔理沙は、思わず後ろずさって尻もちをついてしまった。

 

「私の言うことを聞かなかったお仕置きよ。これに懲りたら大人しくしてなさい」

 

 混乱する魔理沙を紫は一蹴し、橙へと着実に歩みを進める。自らの目的を達成するために。己の孫とも言える存在を利用するために。

 

 しかし、瞬きと同時に紫の姿は消えた。

 否……金物に覆われて隠れたのだ。びっしりと隙間がない、繊維の織り込まれたカーペットのようにナイフが突き刺さっていた。

 やったのは勿論、完全で瀟洒な悪魔の従者、十六夜咲夜である。

 

 レミリアからの命令は『紫に一杯食わせること』

 しかし咲夜が今に行ったのは明らかな『八雲紫の惨殺』だった。

 確かに咲夜の紫に対する憎悪は深い。決してレミリアが紫と和解しようと、その禍根を完全に断つことは咲夜を持ってしても難しいのだ。

 

 だが、咲夜は別にやり過ぎたなどとは思っていない。むしろ、()()()()

 

 ナイフがスキマへと沈み込み、紫へと消えてゆく。当然の如く紫には傷一つない。

 

「…化け物ね。不気味で不吉」

 

「あら、化け物は貴女のところのお嬢様もでしょう?何を今更」

 

「お嬢様を貴女なんかと一緒にしないでいただきたいわね」

 

 口では軽く言い放つが、そんな可愛らしいものではない……というのが咲夜の率直な感想だ。

 これを聞けばレミリアは怒るだろう。しかし、自分の気持ちには嘘がつけなかった。

 

 すると紫はうんざりした表情を隠そうともせず咲夜へと手のひらを翳す。

 

 咲夜は警戒した。

 

 紫が手のひら、または指を相手に向けることによって藍は盛大に吹き飛び、魔理沙は腕が一時的に切断された。

 自分に対して何かのアクションを起こそうとしているのは確実だろう。

 

 

 だがその時が訪れることはなく、代わりにハッキリとした…しかしそこまで大きくない声が白玉楼に響いた。

 

「アンタ、なにをやってるの…?」

 

 霊夢だ。

 その傍らには傷だらけで意識のない藍が抱えられている。

 声音には困惑がありありと感じられた。

 

 博麗の勘が霊夢へと警鐘を鳴らす。

 目の前の異形の紫が、いつもの紫ではないことは一目瞭然だ。

 

「おかえり霊夢。これで全員が揃ったのね」

 

 霊夢の登場によって紫の気が逸れた。

 今までの自分の何らかの目的を達成することにしか意欲を見せていないようだった紫が、霊夢に注意を持ったのだ。

 

 

 そして、前触れもなく紫がふらついた。

 

 紫が粒子となって崩れてゆき、体の虫食い状態の規模がどんどん拡大しているのだ。そしてそれを補うために体をスキマがさらに埋めて構成する。

 

 

「うっ、くっ!……ふぅ、やっぱりあまり時間は無いのね。……はあ───」

 

 初めて焦ったような表情を浮かべた紫は、平静を取り戻すとすこしだけ俯向く。

 ぼそぼそと、小声で呟いた。

 

「……()()()()()()()、『───』」

 

 顔を上げた紫は光のない薄暗な瞳を周りに向けて、橙へ、場の各々へと視線を合わせる。

 

「私はただ外の世界に行きたいだけ、ただそれだけよ。それを拒むなら……もう容赦はできなくなってしまう。今の私には寛容さが足りていないから」

 

 その物言えぬ迫力に重圧が体を抑えつける。逆らってはいけないと無意識に心が求めている。だが同時に紫は胡散臭くもあった。どこからどこまでが本意であるのかが読み取れない。

 

「見たでしょう?私は藍でも容赦しなかった。たとえ相手が幽々子であっても、霊夢であっても、決して変わりはしない。───不要な異物は排除しないとねぇ」

 

 

 一番最初に声を出したのは幽々子だった。

 

「……ええ、私は観客に徹するわ。私たちの異変は終結してしまったし、外の世界へ行きたいならどうぞお好きに」

 

「わ、私に紫様を止める権利は御座いませんので……」

 

 幽々子が一番に言う。それに妖夢が続いた。

 紫を無二の友人として、はたまた紫を脅威と捉えての決断なのか、その腹の内は幽々子のみぞ知る。そんな主人の決定に従者である妖夢が逆らうわけにはいかないだろう。

 

 だが同時に、妖夢は幽々子の瞳から静かに、僅かに流れ出していた滴を見逃していなかった。

 その涙には様々な感情が込められていた。

 

 だが紫はそれに気づいたのか、気づいていないのか…納得した様子で頷いた。

 

「流石は私の友人とその従者、話が分かるわね。

それで……アリス、貴女はどうなの?ようやくの再会を棒に振って悪いけど」

 

「……私もここから先はノータッチよ。

私が望んでいたのは貴女との再会と会話。だけど、私が求めていた貴女は…今は居ないみたいね。なら私にもう用は無いわ」

 

 言葉からは、酷い悲しみと侮蔑が感じられた。

 アリスはそれだけを言うと、自分周りに魔法陣を展開して、そのまま霧のように消えてしまった。

 

 だが紫にしてみれば、これは非常に幸運なことだったのかもしれない。この中で敵に回して最も手がかかるのは、藍の次点でアリスだったからだ。

 

「さて。橙は除外して……これで残るは三人。貴女たちは……言わずもがな、かしら」

 

 ナイフを、八卦炉を、お祓い棒を紫へと向ける。

 殺意を、敵意を、懐疑を一斉に紫へ突き刺した。

 

「八雲紫…貴女を打倒せしめることが私の悲願であり、お嬢様の望み。貴女が力を発揮したところで、見逃す理由にはならない」

 

「一応こいつら(橙と藍)とは知った仲だからな。……藍が守ろうとしたんなら、私が守ってやる。あとついでに今のお前が気にくわないぜ。だからいつものお前に戻るまで、自慢の弾幕で頭を叩いてやるよ」

 

「何が何だかよく分からないけど…アンタをしばくことは最初から決めていたことだから。それでこの異変は終了よ」

 

 理由も動機も能力も全てがバラバラな三人。

 しかし彼女たちに共通するのは”人間”だと言う点。人間が、八雲紫に挑むのだ。

 

 非力で矮小、そして脆弱な人間。

 だがその存在は時に大いなる者を生み出し、さらには打ち倒す。穢れた地上で最も醜くく、そしてこの上なく美しい。

 それが人間だ。

 

 紫はそのことをよく理解している。だから彼女たちは最後まで自分に立ち向かってくるだろうと確信していたのだ。

 

「勇気ある貴女たちに挑戦権を与えましょう。この楽園で最も恐ろしくも儚い……人間と妖怪の境界を踏み越え、私へと挑みなさい」

 

 まるで自分の悲願を邪魔されるのが心底嬉しいような、喜色に満ちた声音。

 それとともにスキマが拡散して彼女たちを飲み込んだ。





妖溶無完結と言ったな?ありゃ嘘だすみませんごめんなさい!
次こそ完結のはず。

作者だってねぇ、早くゆかりん出したいんだよチクショウ!あと登場と同時に偽物呼ばわりされる紫様かわいそう。



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八雲紫の世界*

前半と後半は同時進行です



 紫の体から展開されたスキマに飲まれた巫女と魔法使いとメイドはあっという間に姿を消した。影形すらもこの世界から消え去ってしまったようだ。

 

 しかしその張本人である紫は未だ私たちの目の前にいる。今のところ橙ちゃんを狙う様子はない。

 

 場には私たちの様々な感情が満ちた。

 妖夢はまず警戒と懐疑。橙ちゃんは恐怖と、それでいてなお紫を信じる気持ち。

 私は……親しみと哀しみ。

 

 しばらく睨み合いが続いた。不用意に軽はずみな行動をとってしまえば取り返しがつかなくなるような、そんな気がした。

 だが、その間にもゼェゼェ、と藍ちゃんの荒い息遣いが聞こえてくる。早急に簡易的な介護が必要ね。このまま無駄に時間を浪費するわけにはいかない。

 

「……藍ちゃんの応急処置をしましょう。妖夢は医療器具の準備を。橙ちゃんは妖術で藍ちゃんを屋敷まで運んでちょうだい」

 

「承知しました!」

 

「藍さま……」

 

 藍ちゃんの状態を見ると肉体のダメージとともに、式へのダメージが非常に大きい。

 紫の拘束を引きちぎった時に途轍もない負担がかかったみたいだけど……紫が藍ちゃんに何らかの細工を施していた……?

 

 式への書き込みを即座に更新して命令違反の罰を与えたようにも見えるけど、それなら当の本人である藍ちゃんがすぐに自分への異変を感知するはずよねぇ。

 単なる不動陰陽縛りの類にも見えなかった。となれば恐らく、紫と藍ちゃん、及び橙ちゃんの間に結ばれている式契約に理由があるように思える。

 

 現段階で考えられるのはこのくらいね。あとは判断材料が少なすぎて推測の域を出ない。

 

 

 だけど一つだけ言えることは、アレを行ったのは紛れもなく私の友人八雲紫の、その裏側に潜んでいたナニカである……ということ。

 

 アレは今までの紫じゃないけれど、他全ては完全に八雲紫として在ったのよ。

 あの紫を見ていると何故だか胸が締め付けられるように苦しくなる。多分、藍ちゃんも同じ想いだったんだと思う。

 

 貴女の心が読み取れない。…親友として不甲斐ない限りね。

 

 

 

「どうしたの幽々子。まるで誰かと愛別離苦したような面持ちよ。らしくもない」

 

 背後から紫の声がした。いつの間にか紫が目の前から消えていた。

 気配を少しも感じなかったけど、別に驚く気持ちはない。紫ならこのくらい出来て当たり前だと思うから。私の親友は凄い妖怪なのよ。

 遠くで妖夢と橙ちゃんが何かを叫んでいる。だけど私は彼女たちを手で制した。

 今は警戒よりも紫との会話の方が大事。

 

「貴女のことは、八雲紫……と呼べばいいのかしら?」

 

「勿論。それ以外に私をどう呼べと?」

 

「……どうにも、貴女は私の知ってる紫とは随分とかけ離れてるように見えてね」

 

「そりゃ貴女の知ってる八雲紫とは別人ですもの。だけど、私は貴女の知ってる八雲紫と存在をともにしている。つまり八雲紫ですわ」

 

 ふーん。どうも目の前の紫とあの紫は別の存在に当たるみたい。別の存在であって同一人物……これもう分からないわね。

 もしかして多重人格? 今までもその場その場で言ってることや雰囲気がコロコロ変わることがあったし……あり得るかもしれない。

 

「多重人格ねぇ……残念だけどそんな大層なものじゃないわ。まあ、私はちょっとした故意的なトリックから発生した産物。貴女が思っているほど複雑でも、単純でもない存在なのよ」

 

「ナチュラルに思考を読まないでちょうだい。ただでさえ気味が悪いのに」

 

 本当に何でもできるのね。他人の心の内を読むなんて……まるでサトリ妖怪みたい。

 ……っていうことは、私のあれやこれや妖夢のパンツの色から今晩の夕食のメニューまで…全部紫に筒抜けってこと?

 

「そーいうこと。旧地獄の主人までとはいかないけど、貴女の今の全てが分かるわ。そうねぇ……フェイクのことまで行き着いてるのね。流石は幽々子と褒めてあげる」

 

「当たり前よ。ひとつの可能性としては考えていたわ。多分藍ちゃんも……」

 

「だけど藍は敢えて……っていうより機械的に、そして半ば本能的にこの可能性を考えなかった。だって、そうしたら私が不利益を被っちゃうから」

 

 彼女は外の世界に行きたい素振りを見せていたが、それはあくまでフェイク。……いや、フェイクというより、紫は途中で目的を切り替えている。

 恐らく最初は外の世界に純粋に行きたがっていたんだと思う。だけどスキマを開けないと知るや否や、すぐに思考を方向転換させていた。

 藍ちゃんを痛めつけたのも、橙ちゃんをわざと怖がらせたのも……全てが計算のうち。

 

 紫の目的は、博麗霊夢(紅白の巫女)霧雨魔理沙(黒白の魔法使い)十六夜咲夜(悪魔のメイド)と戦うことにあったんだと思う。

 

 だってお膳立てが過ぎるんですもの。私や妖夢、それにアリス(人形遣い)が邪魔しないことを念押ししたり、わざわざ変な空間に引きずり込んで戦おうとしている周到さが逆に胡散臭い。

 

 ……もっとも、元の紫なら藍ちゃんを痛めつけるなんて方法は取らなかったと思う。この辺り、元の紫との違いが特に顕著だ。

 

 あの三人組と戦うことで得られる利益なんて考えつかない。紫にしてみればこれも布石の一つなんだろうし、気にするだけ無駄。

 むしろこの質問が一番大事。

 

 紫に隠し事は無意味。だけどそんなものは必要ないわ。私が一番知りたいのは……

 

「それで、()()はどっちなの? 今のかっこいい貴女? それとも……あの危なっかしくて可愛らしい貴女?」

 

 なんとも形容しがたい姿形を取っている今の紫をかっこいいと評したけど、それと同時に不気味に思ってるのは内緒。……ってそういえば筒抜けだったわね。お世辞は必要ないか。

 

 

「……そうねぇ、どっちが本物かと言われると答えを出しにくい。だってどっちも本物だから。──ところで貴女はどっちの私が好き?」

 

「《彼女》の方よ。だって私は貴女のことが分からないんですもの」

 

「うーん……複雑だけど《あの私》が好かれているようなのは嬉しい限り。《あの私》が普段の私であるならば、私はあくまで必要悪としての、戦力としての八雲紫と言ったところなのよ。簡単に言えば、《腑抜けた私》ができないようなことをやるのが私ってわけ。なんにせよ、気に入ってるようでなにより」

 

 遠回しに別個の八雲紫が存在している理由を聞き出してみようと思ったけど、当然、その中核部分は話したがらなかった。

 簡単には明かせそうにないわね。

 

 と、ここで屋敷で藍ちゃんの治療をしていた妖夢が恐る恐る手を挙げた。大方私たちの会話だけじゃ状況に情報が全く掴めなかったんでしょうね。

 

「あのー……失礼ですが、私からも質問しても?」

 

「もちろんいいわよ。 それに貴女もあの災厄(西行妖)に立ち向かった一人の勇者。もっと堂々と聞いて来なさいな」

 

 へえ……どうやら妖夢の晴れ舞台を見逃しちゃってたみたい。惜しいことをしたわ。

 だって気付いたら妖夢に抱き抱えられてたんですもの。一生の不覚ね…。

 

「私には畏れ多いことです。それでは幾つか質問を───……貴女は紫さま?」

 

「ええそうよ。今朝まで貴女と話していた八雲紫とは別物だけど」

 

「……なんで体がボロボロなんですか?」

 

「うーん…黙秘するわ。乙女に体のことを尋ねるのは失礼よ?」

 

「す、すみません。それじゃあ……外の世界に行って何をするつもりなんですか? もしかして征服?」

 

「……黙秘するわ」

 

「えっと、なんで幽々子様と西行妖が合体……」

 

「黙秘するわ」

 

「結局なにも答えないじゃないですか!!」

 

 妖夢……これだから貴女は半人前なのよ。

 頭がキレる者にただ闇雲に核心の質問を問いても、まともな答えが返ってくるわけがないじゃないの。紫みたいな意地悪な性格の持ち主なら尚更よ。

 

 妖夢は気を取り直してさらなる質問へ。

 

「そ、それじゃ、あの三人組を何処へ?」

 

「ああ、霊夢たちならここに居るわよ。今も元気に夢幻の狭間で色鮮やかに舞っていますわ」

 

 紫はそう言って自分の左目……スキマを指した。ぐねぐねと、紫色の空間がぽっかりと空いた空洞を這って気持ち悪く蠢いている。

 胸の底から湧き上がる嫌悪感をどうしても拭いきれない。妖夢は顔を顰め、橙ちゃんは小さな悲鳴を上げた。紫は楽しそうに笑うだけ。

 

「と、閉じ込めているんですか……。それなら、橙さんはもう狙わないんですか? 邪魔になる三人を封じたのでしょう?」

 

 自分を話題に出された橙ちゃんが泣きそうな表情を浮かべた。

 妖夢ったら……全く質問の配慮を考えてないわね。まだまだ半人前にも満たない未熟者、一人前にはほど遠い……。

 

 紫はパタパタと手を横に振った。

 

「アレはね、言ってみただけよ。時間はないし状況も状態も悪い。外の世界に行くことはできるけど結果的には時期尚早。なら今できることをやるのが最善策よねぇ?」

 

「今できること……とは?」

 

「藍を試すこと。そして、例の三人組と一戦交える状況まで持っていくこと。ただそれだけ。……案外拍子抜け? そんなこと思われてもこれが真実なのよ。どうしようもないわ」

 

 あの三人組と戦うことを紫が望んでいるのは推測できた。理由はともかくとしてね。

 だけど……藍ちゃんを試す?

 

 アレは試すとかそんなのじゃなくて、ただの一方的な虐待よねぇ。しかもその過程で橙ちゃんに浅くない心の傷も負わせているのに、流石に無責任過ぎやしない?

 

「それは違うわよ幽々子。藍は……自分の責任を果たしたのよ。式失格は大いに結構、そうすることで彼女は多面的に成長することができる」

 

「……つまり、藍ちゃんがあの行動を取ることを分かっておいて、そうなるように仕向けておいて藍ちゃんをわざとボロボロにしたの?」

 

「まあ、そうなるわね」

 

 ……必要悪としての、八雲紫…ね。

 甘さや情を微塵にも感じさせない物腰は、確かにそう呼ぶに値するかもしれない。

 感情を排し、ただひたすら実利を追求する構え。それこそが違和感の核となる実態であり、今の紫を形成するモノ……。

 

 

「……そろそろ潮時ね。実体を保つのが難しくなってきたわ。だけど中のあの子たちも良い感じに仕上がったし、一応の目標は達成した」

 

 言葉とともに紫の体がボロボロと崩れ始めた。名残惜しそうな表情は見せど、最後まで妖しい笑みを絶やそうとしない。

 

「貴女……死ぬの?」

 

「まさか、どっちの私も死なないわよ。──私は再びしばらくの眠りに戻るだけ。あっちの私はしばらく姿()()失うだけ」

 

 ふと、紫が橙ちゃんの方を向いて手招きした。それに橙ちゃんはビクリと肩を震わせたが、決心を固めて紫へと近づいてゆく。

 

「紫さま……」

 

「八雲の名……まだ貴女には荷が重いかしら? 私って案外、橙のことを買ってるのよ? なのに歯を鳴らすまで震えちゃって……」

 

「わた、私は……」

 

 そわそわと落ち着かなそうに視線を右往左往させる橙ちゃんだったけど、ちらりと藍ちゃんの方を見て、紫へと向きなおる。

 

「八雲の名は、返却します。私ではやはり……」

 

「……なら──「そ、それに!」

 

 橙ちゃんは言葉を遮った。

 今までのあの子なら考えられるはずのない行動だろう。あの紫も少しばかり目を見開き、ジッと橙ちゃんを見据えていた。

 

「私が名を貰う時は、藍さまからって決めてるので……。も、申し訳ありません」

 

「……ふふ、うふふ。そうよねぇ〜私もそう思うわ。貴女はまだまだ未熟だし、何より貴女の主人は藍ですもの。──よく言ったわね」

 

 紫の瞳が穏和な輝きを発しているように見えた。感情を感じなかった紫から、溢れるまでの優しさを感じた。

 すると紫はポン、と橙ちゃんの頭を撫でる。瞬く紫色の光が橙ちゃんを包んでゆく。

 

「ふにゃあ……ご、ごめんなさい紫さま」

 

「謝る必要はないわ。ついでにこれは私からの餞別、大事に使いなさい」

 

 紫は何かを橙ちゃんに渡した様だった。なんらかの力が式へと流れ込んでいる。形あるものではないけれど、橙ちゃんはギュッ、と大切な物をしまいこむように、胸を手で押さえた。

 その姿を見た紫は橙ちゃんから手を離す。それと同時に腕が光の粒子となって空中に消えた。行き場を失くしたスキマが空気へと溶ける。

 

 紫の崩壊が始まった。

 結われていた繊維が解けていくように、砂上の楼閣がゆっくりと崩れていくように、儚さを湛えながら消えてゆく。

 若干のデジャブが私へと訴えかける。

 

「……射命丸文、そこに居るでしょう? 姿を隠してないで出てきてちょうだい」

 

「───お見通しですか。やはり、光の屈折など境界の妖怪である貴女には全く意味を成さなかったようですね」

 

 紫の言葉と同時に空間が揺らぎ、一人の烏天狗が現れた。初対面なのは間違いないんだけど……何処かで見たことがあるような気がする。

 どうにも頭がすっきりしないなぁ。

 

「ここで見たこと聞いたこと全てを忘れてくれ…って頼んでも、無意味よねえ? 貴女だし」

 

「そうですね。袖の下に何を忍ばせていたとしても、私を止めることはできませんよ。なぜなら私は清く正しい伝統のマスメディ───」

 

「時間がないから単刀直入に言わせてもらいますわ。しばらく世俗から身を隠そうと思ってるの。つまり、私は誰にも見つかりたくない。だから、明日の『文々。新聞』の見出しには『八雲紫失踪!』って大きく載せてくださいな」

 

「これはまた急な……。まずマスメディアはあくまで公正であってですね……」

 

「実際今から私は失踪するんだからその記事は真実になるわ。真実を誰よりも正確に幻想郷へと伝える………それが貴女のモットーじゃなくて?」

 

「まあ、そりゃそうですけど……報道を故意的に使われているような感じが拭えませんね」

 

「うふふ、よろしくね?」

 

 有無を言わせない強引さだった。

 なるほど、確かに普段の紫ならこんなことはしないわね。けど今の紫は紫で、強引な方法を取ることになんの違和感も感じられない。逆に普段の紫の温厚な対応に違和感を感じるような気すらある。

 

 はぁ……頭がこんがらがってきちゃった。

 

「久々の現世(うつしよ)は大いに楽しめましたわ。再びまみえることがあるかは分からないけど、もう二度と貴女たちと合わないことを願っています」

 

「随分な言い回しね」

 

 ……()()紫へ言っておきたかったことがある。消えちゃう前にどうしても言いたい。この機会を逃せば、次に紫に会える日は当分訪れないだろうから。

 

「……私はね、今回の異変で貴女に甘え過ぎたと思ってるの。貴女が西行妖の復活に協力するって言ってくれた時、とても嬉しかった。だって怒られるとばかり思ってたから」

 

「分かってたなら自重してくれても良かったんじゃないの? あの時は貴女と仕事の板挟みでとても大変だったんだから」

 

「ごめんなさいね。だけど、どうしても満開の西行妖を一目見てみたかったから」

 

「ふふ……手のかかる友人よ、貴女は。まあ、手を貸したのはどんな経緯や思惑があれど、《あの時の私》が判断したこと。貴女が気に病むことじゃないわ。むしろあんな結果になってしまって私の方が申し訳なく思っているくらいよ」

 

 紫は私の言葉に儚げな笑みを浮かべると、空気に溶けていった。

 ……もう彼女とは会うことがないのだろうか? 生憎、私はそんな風には全く思えないんだけどね。

 

 少しして空間に亀裂が走る。そしてその中から三人の人影が放り出された。

 

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 

 紫色の夜空に爛々三日月が浮かぶ。

 漆黒の大地からはいくつもの長方形の建物が生え出ており、切り取られた穴から溢れるネオンの光が闇を切り裂き、擬似的な昼を演出していた。

 連なる山々のような摩天楼が(そび)え立つ。まるで巨大な妖怪に取り囲まれているような、そんな錯覚を覚えた。

 

 この世界が白玉楼……引いては幻想郷でないことは明白。霊夢と魔理沙にとっては全くの未知の世界であった。

 

 

 霊夢、魔理沙、咲夜の三人は互いに背中合わせの隊形を取りながら周りを警戒する。

 

「……なんだここ。夜、だよなぁ? 眩しくて目を開けてられないぜ。しかも地面がゴツゴツしてて土が見当たらないし」

 

「ここは外の世界…に似た空間よ。ビルといいアスファルトといい……どっかの都会を模した場所みたいね。趣味が悪いわ」

 

 魔理沙の言葉に咲夜が答える。

 外の世界を実際に見たことがある咲夜には、この世界は実にそれと瓜二つに見えた。

 違うところといえば生命と活気が全く感じられないことと、不気味な空ぐらいだろうか。

 

「紫は外の世界かぶれなのかしら? そう言えばしょっちゅう外の世界に出かけているみたいなことを言ってたわね。さっきも何とかして外の世界に行こうとしてたみたいだけど…」

 

「なんにせよ紫が何かしたことは間違いないか。とことん思考と底が知れんな」

 

 ふてぶてしく、そう言った。

 色々と駄弁ってみたものの周りにはなんの変化も起きない。そろそろ何かこの状況に対する策を取るべきかと、各々が考え始めた、そんな時だった。

 

 

 目の前の空間が捻じ曲がり、破れると同時に闇が街へと放出された。ダムの僅かな隙間から決壊したように雪崩れ込む。

 そんな闇の中から、紫がドレスを翻して現れた。身体の異形は相変わらずだ。

 

 とても愉快な声音で紫は言った。

 

「ようこそ私の世界へ。ここには何一つとして生命は存在しない、貴女たちと私だけの世界よ。外の世界のとある場所を模して作ったんだけど……どう? 気に入ってくれたかしら?」

 

「気に入る要素がないわね。こんなのが外の世界だって言うなら、幻想郷が在る理由がよーく解るわ。何にしても、虚しいだけ」

 

「全くだ。せっかくこんなにジメジメしてるのに、こんな硬い土じゃキノコ一本生えそうにないぜ。空気も悪そうだし、つまらないだけだ」

 

「お嬢様があの世界を嫌われたから幻想郷に来たというのに……今さら私がこの場所を気に入るはずがないでしょう」

 

「あらあら辛辣ね〜。そんなに言われちゃ流石に悲しいわよ」

 

 紫は残っている方の瞳からホロリと涙を流すが、結局のところ頗る胡散臭いので嘘泣きであることは明白だった。

 警戒を高めるだけ無駄にも思えるが、それは慢心だろう。()()()が先ほど白玉楼で行った一連の暴挙と言動から鑑みるに、気を抜くのは危険だ。

 

「アンタ外の世界に行きたかったんでしょ? なら此処で満足しなさいよ。曲がりなりにも此処も外の世界みたいなもんなんだから」

 

「それはだーめ」

 

 嘘泣きを止めて指でバッテンを作る。

 紫の余裕の表れだろうが、三人からすれば不気味なことこの上なかった。

 

「私は外の世界へ観光に行きたいわけじゃないの。ちゃんとした目的があるのよ?」

 

「へぇ。で、その目的とやらは何なんだ?」

 

「黙秘権を行使しますわ」

 

 紫の意図は読み取れないが、おちょくられていることは分かった。

 わざとらしい笑みが何かと癪に触る。

 

 眉を顰めた咲夜が紫を威圧する。

 

「貴女の戯言に付き合っている暇はないわ。大人しく私のナイフの錆になるか、”ぎゃふん”と言って負けを認めるか…好きな方を選びなさい」

 

「あらあら相変わらず禁欲で乱暴なメイドだこと。貴女が好きな方を選んでいいのに」

 

 紫の小馬鹿にしたような挑発に、咲夜は口元をひくつかせた。目元が薄暗くなってゆく。ちょうどネオンの光がバックになっているため影で咲夜の詳しい表情は分からない。

 一歩前に進み出てナイフを構える。

 

 紫の不気味な眼光が咲夜を捉えた。

 

「ふふっそうねぇ、まず貴女(咲夜)からにしましょうか。この中で最も未熟な、ね」

 

「減らず口を。幻世『ザ・ワールド』!」

 

 世界が咲夜の意思の元に凍結、停止した。

 紫も例外なしに不気味な笑みを湛えたまま静止している。霊夢やレティ、妖夢と戦った時のような違和感は全く感じないので、能力が正常に発動していることが確認できた。

 

 背後を見ると、魔理沙は注意深げな様子で固まっており、その傍らの霊夢は腕を組んで咲夜のことをジッと目で追っていた。

 やはり霊夢には見えているようだ。

 そのことに若干の悔しさを感じたものの、改良を重ねた今回の『咲夜の世界』は一味も二味も違う。そのことが確かな自信である。

 中々に厄介な多次元構造を複雑怪奇に能力に組み込むことによって、世界の優位性を押し上げているのだ。現に霊夢は目で追えているものの、身体はあまり自由に動かせないようだった。

 

 紫へと向き直る。

 いざ彼女を手にかけると思うと、腕が震えてきた。かねてよりの念願が今こそ叶うのだ。

 かつて自分を阻んだ運命はない。

 

「これでようやく呪縛から解放される。貴女を倒して、貴女を超えて……それでやっと、私と紅魔館は前に進めるのよ」

 

 霊力をナイフへ滾らせ、紫の胸へと狙いを定めた。こみ上げる様々な想いを押し込めて、ただ一点のみに集中する。

 過剰な力に持ち手がカタカタと震え、刀身にヒビが入ってゆく。

 

「貴女との決着は過去への決別。部屋の片隅で意気がり続けた私への……!」

 

 ゆっくりと、紫の胸へとナイフを突き刺した。

 

 咲夜の表情が凍りつく。

 

 

「勉強不足。未来に出直しなさい」

 

 耳障りな声が耳元で囁かれた。

 どろり、と紫は空気に溶ける。

 刺した感触を全く感じなかった。いつの間にか魔理沙も霊夢も消えており、咲夜一人が街の中にポツンと佇んでいた。

 

 光は留まり、闇も侵食を停止する。

 モノクロの殺風景な世界だけが、冷たく咲夜を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

「あれ、咲夜は?」

 

 時が動き出した。目の前でナイフを構えていた咲夜の姿は消え、代わりに紫が心底愉快そうな笑みをニヤニヤと浮かべている。心なしか紫の体から覗くスキマの目も笑っているような気がする。

 

 魔理沙は唖然とするしかなかった。

 端的に止まった時を見ていた霊夢でも、目の前で起こったやり取りは不可解だった。

 

 紫はそんな二人の様子を流し目で見ると、勝手に語りだす。

 

「そうねぇ……彼女(咲夜)に足りないものは多々あるけれど、強いて言うならば、自由かしら? 事を進めるための回りくどさがまどろっこしいもの。

 あとは自分への理解ね。強大な能力を持つに至った故に内面が追いついていない。けれど、この程度に収まっているのが彼女の凄みよねぇ。世界の隅々……それどころか遥か何光年までもが自分の庭だと錯覚しそうになるほどの能力ですもの。

 ──ただそれだけに惜しい。だから、そんな彼女には有り余る時間を与えてあげた。レミリアも従者が存分に使えるようになって満足でしょう」

 

「アンタ……咲夜に何をしたの?」

 

「フフッ…元来あの世界はあの子だけの世界。介入著しい現状を良く思っていなかったみたいだし、何者にも干渉できぬよう()()()()()あげたわ。きっと今頃、自由気ままに暇を満喫してるんでしょうね」

 

 世界から咲夜を切り離す。

 果たしてそのようなことが可能なのかどうかはさておき、もし本当に止まった時の中に咲夜が取り残されているのだとしたら、今彼女は───。

 

 嫌な予感がする。

 

 

 

「それじゃ、次いきましょう?」

 

 紫の言葉に体が昂った。

 言葉にできない恐怖が心の内を支配した。

 スキマが不気味だ。声が不気味だ。目が不気味だ。佇まいが不気味だ。能力が不気味だ。笑みが不気味だ。存在が不気味だ。

 紫という存在に対する嫌悪的恐怖だった。

 

 




次回で妖溶無完結です。めちゃくちゃ伸びちゃった。
次回はゆかりんも登場するんだ!復帰するんだ!

アスファルトな世界は紫そのものだからね。現実世界と同時に存在することなんてわけないのさ。魔人ブウみたいなもの

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メリーと紫の神隠し*

またせたな(迫真



 値踏みする視線は霊夢と魔理沙を交互に行き来する。這うような寒気を二人は背筋に感じていた。

 そして白羽の矢は───

 

「うーん……よし。次は魔理沙ね」

 

 紫の軽い宣言とともに、魔理沙に立った。

 胸が跳ね上がり、若干呼吸が荒くなる。冷や汗が吹き出し目の前がグラつく。

 

「…私かぁ」

 

 魔理沙は口をひくつかせながら唸った。

 頭の中はヤケにクリアである。なぜならこれから自分が取るべき行動は単純に二つしかないからだ。

 

 〈戦う〉か。

 

 〈逃げる〉か。

 

 実にシンプルな二択である。

 

 正直、目の前の化け物相手ではその二つ全てが無謀であるような気がしてならない。

 幾多の妖怪を持ち前の圧倒的な魔力による絶対的な火力で退治してきた魔理沙であるが…久々に、自分は元々ただの人間であったことを思い出した。

 

 自分は隔絶された存在に対して、ことごとく無力であることを思い出したのだ。

 だが、彼女には意地がある。そして同時に、格上に対する恐怖を知っている。

 戦うことも嫌だし、背を向けることも嫌だった。

 

 

「魔理沙。アンタは逃げなさい」

 

 

 ──だから、霊夢のこの言葉だけには従いたくなかった。

 その言葉が逆に魔理沙の火を点けた。

 

 魔理沙の代わりに前へ進もうとした霊夢を押し退け、紫の眼前へと立つ。

 あくまで魔理沙は気丈だった。一呼吸おいて、いつものようにふてぶてしい笑みを浮かべる。この余裕淡々な姿こそが霧雨魔理沙だ。

 

「さて、始めるか。妖怪退治から殺し合いまで何でも来いだぜ」

 

「あら、どうせなら霊夢と同時でもいいのよ? 生憎、私は非力な人間を弄ぶような趣味は持ち合わせていないから」

 

「ハッ、勝手に人の評価を付けるんじゃない。私の魔法はそこんじょそこらの人間とは、一味違うぜ? 忘れたわけじゃあるまいに」

 

「奢りね。大海を知りながらもなお、井の中の蛙であり続ける貴女は相当に愚か。……魔法使いの成り損ないが使う魔法も、どこぞの悪霊が使う魔法も、私から見れば殆ど同じよ。まあ、貴女がそれを望むならば───」

 

 

 

「黙れ、恋符『マスタースパーク』 」

 

 それ以上の発言は許さなかった。

 魔理沙は流れるように八卦炉を構えると、紫へ何の躊躇いもなく極太レーザーを放った。仰々しい破壊音が摩天楼に響く。

 

 紫を飲み込んでもレーザーはなお拡大を続け、その規模と威力を増してゆく。

 それに伴って魔理沙の背中から魔力が吹き出し、左右に紅い月と青い星がペイントされた漆黒の翼が生え出る。魔理沙がフルパワーの魔力を放出する時のみ形成する、現段階での本気の姿だった。

 

 アスファルトを抉り、破壊する。あまりの熱度に黒い大地が赤に発光し始めた。

 

 こんだけ火力が出せるんなら西行妖の時に出せよと霊夢は思ったが、同時にその桁違いの威力も認めていた。

 これほどの超火力は霊夢では出せないだろう。

 

 破壊の音が摩天楼に響き渡る。

 前方のビル群が薙ぎ払われた。

 レーザーが発射途上で枝分かれし、見当違いの場所を攻撃していた。

 エネルギーが対象を破壊できず、勢いを活かすために周りへと飛び散っているのだ。

 

 その対象とは、もちろん八雲紫のことである。

 

「嘘、だろ……」

 

 レーザー越しに見える馬鹿馬鹿しい光景に、魔理沙は唖然として呟いた。

 

「愚かな魔法使いが行き着きやすい失敗ね」

 

 ただ一点。

 

「魔力はただ垂れ流せばいいってものじゃないでしょうに……滝の瀑布は大きな力を持つけれど、せいぜい水と岩を割る程度の些細な力。本来ならもっと大きな力を秘めているはずなのにねぇ」

 

 指先の一点のみで、魔理沙渾身のマスタースパークは支えられていた。

 バチバチ、とスパークが魔力の残滓となってアスファルトへと降り注ぐ。紫はせいぜい眩しさに眼を細める程度だった。

 

「そんな……莫迦なことがあってたまるかよ! 私の火力が────」

 

「当然でしょう? 懐中電灯の光で火傷するような妖怪なんて存在しませんわ。まあ、冬場の寒い日にはちょうどいいかもしれないわね」

 

「ふ、巫山戯るなッ! 私の、私の力は……! どんな奴だって、絶対に……!」

 

 魔理沙の激昂とともに、感情に煽られたレーザーが一回りも二回りも太くなってゆく。

 それに乗じて威力も数倍に膨れ上がる。魔理沙の前方は閃光に覆い尽くされていた。

 

 だが、それでも紫が動じることはない。

 相も変わらず指一本でマスタースパークを抑え込む。小細工なし、正面からの力技。封殺、そして完封。

 霧雨魔理沙の心と矜持をへし折るには、十分すぎる絶望であった。

 

「止めろよ……こんな悪い夢を見せるのは! だって、私のマスタースパークはこんなもんじゃないんだぜ!? なのに……」

 

「ねえ、魔理沙」

 

 紫はレーザー越しに魔理沙を見やる。冷たい瞳と隙間這う瞳が魔理沙を射抜く。

 絶対零度の眼差し。それとともに感じるのは何かを求める熱視線。

 

 紫は軽く首を傾げた。

 

「貴女はなにを恐れているの? 何に囚われているの? 何を得るために、力を捨てているの? 貴女の自慢の師匠は、貴女に何を教えたの?」

 

「お前、何を言って……」

 

「そう、怖いのね。自分を捨てることを無意識のうちに貴女は恐れているのよ。

 霊夢を信じきれない。そして、**を信じきれない。その自己不信が貴女の枷になっている。実に勿体無い。実に……愛おしい」

 

 ジリジリ……と何かが焦げる音がした。音は徐々に大きくなり、マスタースパークの発射音をかき消してゆく。

 音の正体は魔力の消滅音だった。紫の指先に充実される魔力の密度の前に、マスタースパークの魔力が霧散しているのだ。

 

「魔理沙ッ逃げ」

 

「だーめ。逃がさない」

 

 霊夢の叫びが呑まれた。

 渾身のマスタースパークは消滅し、代わりに紫の指先から放たれた妖力波が容赦なしに魔理沙を吹き飛ばした。

 魔理沙は被弾直前に翼で自分を覆い防御形態へと移行していたが、それすらも関係ないと言わんばかりに妖力波は翼を焼き尽くす。勢いそのまま、魔理沙ごとビルを貫通し果てへと消えてゆく。

 

 

 

 再びあたりに不気味な空気が流れ、ビルの倒壊音があたりに響き渡る。

 沈みゆく滅びを背景に紫は愉快に笑う。最後の一人である霊夢を圧迫する。

 

「魔理沙に足りないもの……それは覚悟。捨てる勇気を持たぬものが一体なにを得られようか? 彼女は人間として愚直過ぎたのよ。羽を生やしたくらいじゃ、私には到底敵いませんわ」

 

「……」

 

 霊夢は無言でお祓い棒を構える。周囲に陰陽玉を浮かせ、さらに指の間に風魔針を装備。極め付けに空を覆うほどのお札を投擲した。

 目の前の相手を完膚なきまでに滅する場合のみ解禁する霊夢の『夢想天生』状態に次ぐ本気の構え。溢れる霊力にアスファルトが内側からめくれてゆく。

 

「さて、最後は貴女だけども……まあ、魔理沙と咲夜に比べれば良くできてるわ。あの子たちはどうしようもなく未熟だったけど、貴女はしっかり色々な点を把握できている。私の教育の賜物かしら?」

 

「アンタの……じゃないわよね?」

 

「もちろん♡」

 

 くすくすと笑いをこぼした。

 霊夢の記憶にある紫の笑みと全く同じ。だが、その裏にある想いは全く別物だった。

 

「その顔で笑うな。アンタがどんな存在であったとしても、私はアンタを八雲紫とは認めない。……アンタは決して八雲紫にはなれない」

 

「それで結構。その代わり、貴女の八雲紫は決して(八雲紫)にはなれないのだから」

 

「それこそ結構!」

 

 霊夢の能動思念によって陰陽玉から霊力波が放出される。どんな妖怪でも一度の致命傷は逃れられない強大な力。しかし、紫に対してはドレスを靡かせる程度にしか効果はなかった。

 顔を顰め、風魔針を投擲。同時にお札を紫へと殺到させ更に自らがお祓い棒で殴りかかる。

 

 全てが無意味。

 風魔針も、博麗の札も、刺さりもせず張り付きもせず紫の体を這うスキマへと消える。お祓い棒の一撃は紫の扇子によって楽々抑え込まれていた。

 霊夢はつばぜり合いに持ち込むが紫は眉ひとつ動かそうとしない。紫の瞳で霊夢の顔をまじまじと見るだけであった。

 その目が、霊夢をさらに追い込んでゆく。

 

「その目で、私を見るな!」

 

「いやあね〜。私に目を瞑って戦えと? むしろ良く見るべきは貴女の方よ、霊夢」

 

 妖力によって霊夢に圧迫がかけられる。

 何かされたわけではないが、身にかかった莫大な重圧は霊夢に反射的な後退という行動を引き出させた。額から滲む汗を軽く拭う。

 

「確かに、貴女は他二人と比べてよく自分のことを理解できている。だけど、そんなものじゃ私は全然納得できないわ。よーく考えればさらに成長できる糧がそこらじゅうに転がっているのに!」

 

「余計な御世話! アンタなんかにつべこべ言われなくても人間は勝手に成長するわ。妖怪がお節介してんじゃないわよ!」

 

 ああダメだ、と紫は嘆きながら額を抑える。

 どこまでも不気味で胡散臭い。だが、泣いたり笑ったり、悲しんだり怒ったり……紫はとても感情的であった。そして、どこまでも感情を感じなかった。

 

「違う、違うのよ。なんでその陰陽玉がそれだけの力を込めていると思う? 貴女の得意技の『夢想封印』だって、なぜ”封印”なのか分かってる? いいや、貴女は気にも留めていない」

 

 紫は饒舌に語る。

 

「自分のことを理解してるのはいいけど、貴女は外部に対して無関心すぎる。それが貴女の足りないものよ。あっちの私にお熱なのはいいけど、もっと周りを見てみなさい? 霊夢が必要とすべきモノがたくさんあるから」

 

「だから、余計なお節介だって言ってんでしょうが! 霊符『夢想封印』!!」

 

 色様々なホーミング大玉弾幕が紫に殺到する。

 霊夢の霊力のみで構成された超過密霊弾。局地的純粋な威力で言えば魔理沙のマスタースパークを上回るだろう破壊力だった。

 

 それでも紫には通じない。

 何気ない扇子の一扇ぎで特大の霊弾は木の葉のように押し返されてしまう。

 

「ほらね? こんなにも弱い」

 

 紫は嘲笑った。

 軽く一蹴されたことに霊夢は驚きつつも、『夢想封印』が通じないであろうことはハナから分かっている。これはむしろ布石だ。

 特大の霊弾なだけあって、弾幕の一つ一つが紫の視界を大きく遮っているだろう。その間に霊夢は新たなスペル、神霊『夢想封印 瞬』を発動した。

 光の如き速さで紫の胸元にまで接近。そして手に持った陰陽玉を紫へと叩きつける。

 

 だが、霊夢の一撃は空を切った。

 

 瞬間、背後に強い衝撃を受け霊夢はアスファルトを抉りながら転がることとなる。

 紫は霊夢の背後へと回り込んでいた。

 

 スペルも能力もない、ただ単純な力の暴力。

 大妖怪、八雲紫としての格。

 

「さあ見つめ直す時よ、霊夢。あまり私をがっかりさせないで?」

 

「化け物め……! こうなったら、『夢想天──』」

 

「それじゃ成長できないでしょ」

 

 絶対無敵の奥義、『夢想天生』は発動できなかった。ぬらりと接近した紫が体の中からピンクの傘を取り出し、スペルカードを打ち払ったのだ。

 数多の弾幕を回避してきた霊夢の反応速度を持ってしても、紫の動きを捉えることはできない。

 

「くッ…!」

 

「まあ、私が止めなくても発動するのは無理だと思うわよ。貴女は夢想天生を使い過ぎた。使い勝手がいいのは分かりますけど、頼りすぎ」

 

 もっとも、と付け加える。

 

「発動したところで私に通じるかどうかは甚だ疑問ね。全ての事象、境界から解き放たれたとしても、それはただ単に世界から自分を誤魔化しているだけ。私からは丸見えですわ」

 

 博麗の陰陽玉とお札も、魔の者を必ず貫くと謳われた封魔針も、伝家の宝刀『夢想封印』も、無敵の『夢想天生』も。

 魔理沙の火力も、咲夜の能力も、霊夢の才能も。

 紫は歯にも掛けない。

 全てが通用しない。

 

「貴女は歴代の博麗の巫女の誰よりも優れていると同時に恵まれているわ。時期も才能も、誰もが羨む境遇よ。だから、貴女には私が必要なの」

 

 紫はゆっくりと手を伸ばす。それとともに霊夢は頭に微量の違和感を感じた。

 ゆっくりと何かをこじ開けられているような、そんな感覚だ。

 

「やめ、なさい……!」

 

 お祓い棒で紫を叩くが、勿論ダメージは一切ない。それどころか力が抜けてするりとお祓い棒は手から落ち、膝をつく。

 目の焦点が合わない。

 

「あぁ…」

 

「こういうのは性に合わないのよねぇ。だけどこれが一番手っ取り早い。少しだけ貴女の細胞に眠る記憶を───」

 

 

 

「死ね」

 

 短くも、想い全てが集約された一言だった。

 ぽつりと呟かれた言葉とともに、紫の胸からナイフが飛び出し、さらに追い討ちとばかりに心臓部分が消し飛ぶ。

 ゆっくりと後ろを振り向いた紫はわずかに目を見開き、笑った。

 

「あらまあ、これはお早い───」

 

「死ね。時符『プライベートスクウェア』」

 

 咲夜によって射出された四本のナイフが紫を囲む空間の四隅へと突き刺さり、霊力を噴出するとそのまま長方形に空間を切り取った。

 紫の体は一瞬で消滅し、唯一突き出されていた左腕だけが切断され、その場にぼとりと落ちた。

 

 奇妙な工作から解放された霊夢が立ち上がり、いつの間にか帰ってきている咲夜をまじまじと観察する。一見どこかが変わったようには見えないが……。

 そんな霊夢の考えは咲夜の一言で砕かれた。

 

「霊夢、霊夢ぅぅ……」

 

「……は?」

 

「やっと会えたぁぁ…」

 

 咲夜は霊夢の手を取ると泣き崩れた。恥ずかしげもなくポロポロと涙を流しながら泣き噦る。

 

「温もり、温もりが……」

 

「ちょっ……これは……」

 

 霊夢が咲夜に抱いていた気丈で冷酷、そして、一定の友好ラインは決して越えてこないという、ある意味での堅物イメージとはまさに真逆の光景が目の前にあった。

 

 もっとも、霊夢は勘がいいので咲夜がなぜここまで豹変してしまったのかは大体見当がついた。簡単に言えば『全部紫が悪い』

 咲夜は一体、どれだけの時間をあの世界で一人過ごしてきたのだろうか。何を思い、何を糧に生きてきたのだろうか。

 

 こんな状態の咲夜をレミリアに合わせたらどんなことになるのか、想像すら憚られた。

 

「停止時間に閉じ込められてたんでしょ? どうやって脱出したの」

 

「もうあんまり思い出したくないけど、何万、何億通りの色々なことを試したの。能力の試行錯誤を繰り返して、それで……今日やっとあそこから出れたのよ」

 

「うわぁ……」

 

 流石の霊夢もドン引きした。

 縋り付く咲夜に深く同情する。普通人間がそんな状況に置かれれば、気が狂い自らの命を絶つ選択を必ず選ぶはずだ。

 決して脱出することを諦めず自分を高め続けた咲夜の精神は、賞賛すべき黄金色だろう。

 

 また、紫が望んだ結果でもある。

 千切れた左腕がひとりでに動き出し、横に空間を裂く。宙にシミのような黒い線が浮かび上がり紫に染まった妖力を吹き出す。

 やがて妖力は形付けられ、紫へと再生する。

 

 境目に隙間あり。

 体を丸ごと消滅させたところで紫を倒すには遥かに事足りない。

 

「おかえりなさい。どうやら貴女は次のステップに進めたみたいね」

 

「戯言はいい。殺すわ」

 

 視界に紫が入った途端、咲夜の目の色が変わり紫の体に数多の風穴が開けられる。全ての攻撃がスキマのない、生身の部分を正確に撃ち抜いていた。

 もっとも紫は痛くも痒くもないが。

 

「成長出来たようでなによりよ。殺意も真っ直ぐなものになっちゃって、良い意味で悪魔の従者に近づいたんじゃない?」

 

「黙れ、死ね」

 

「止めときなさい。むやみに攻撃してもあいつはただ笑うだけ……弄ばれてるのよ。はっきり言って付け入る方法がない」

 

 咲夜を止めたのはいいものの、紫のことを考えれば考えるほど思考がドツボに嵌ってゆく。

 押してダメなら引いてみろというが、そもそもドアノブにすら手を付けれていないような状態である。

 

「さて、そろそろもう一人も帰還する頃かしら。あの子の引き金(トリガー)は案外チープなものなんだけどねぇ」

 

 何くわぬ独り言を呟いた。

 瞬間、紫のことを足元のアスファルトが膨れ上がり爆発。豪炎と火柱が膨れ上がり紫を易々と飲み込んだ。

 魔力を紫の足元へと集約させ、無理矢理術式のタガを外すことによって魔法を意図的に暴走させたのだ。

 こんな乱暴な魔法を使う魔法使いなど彼女をおいて他にいない。

 

「さっきのお返しだぜクソ妖怪」

 

「効かないけどね」

 

 爆煙からぬっ、と紫が現れる。

 魔理沙は分かってたと言わんばかりに大きく鼻で笑うと一気に下降して霊夢達に合流する。

 

「なんだ……お前さんたち少し見ない間にやけにボロボロになったな。まるで使い古されたボロ雑巾みたいだぜ」

 

「アンタが一番ボロ雑巾みたいよ。ほらその羽なんて千切れかけてるじゃない」

 

「私は白黒だからいいんだ。紅白でボロ雑巾はいけないぜ。 ……それにこの羽は十分に役目を果たしてくれたさ。少しすればまた生やせるようになる。……悪いがそのナイフで羽を切ってくれないか?」

 

 魔理沙の頼みに頷いた咲夜は魔理沙の羽を切断する。切り離された羽は空気に霧散し、切り口から魔力がこぼれ落ちる。

 魔理沙は「軽くなった」と笑った。

 

 

 

 さて元の頭数に戻ったわけだが、何一つとして状況は好転してない。

 じわじわと紫に痛めつけられ体力と気力を削がれているだけだ。なんとかいっぱい喰わせてやりたいものだが……。

 

「無駄無駄。撃つ、斬る、衝く、放つ、殺す……何を取っても私には効きません」

 

 霊夢、魔理沙、咲夜の思考を読んだのか、紫がすかさず自分の弱点について言及する。もちろん、アンサーは「そんなものありはしない」だった。

 そしてさらなるダメ出し。

 

「それにお気づきかしら? 私はまだ能力を爪の先ほども使っていませんわ。その気になれば貴女たちを今にでもアスファルトの一部にすることもできるし、認識の境界を弄って私の操り人形にすることもできる。なんなら細胞の結合を解いて幽子レベルまで分解してあげてもいい。私に勝つなんて無理難題を課す必要はないわ。貴女たちは為すがまま素直にジッとしてればいいの」

 

 事実上の降伏勧告だった。

 だが闘志は消えない。

 

「巫女の名が廃る。妖怪一匹退治できないで博麗の巫女が務まるわけないでしょ」

 

「お前がこれ以上何もしないなら考えてやらんこともないぜ。もっとも、そんなはずはないってことぐらい私はよーく分かってる。それに私が今、どこまでやれるのか試してみたい」

 

「私怨的な恨みがあるのは言うまでもない……まさに数千年分のね。だけど、今はそれ以上に貴女の危険度が恐ろしくて懸念している。貴女みたいな意味の分からない不気味なスキマ妖怪をお嬢様方に近づけるわけにはいかない。よって殺すわ」

 

 闘志、ヤル気、殺気に当てられた紫はさらに大きな笑みを浮かべた。

 結局彼女たちの返答も紫の計算通りなのか。

 

「これだから人間はいい。久しく忘れていた何かを思い出させてくれる。ふふ……いつまでもこうして貴女たちとじゃれ合えたらいいのに」

 

 ──だけど

 

「時間がないのよね。所詮なけなしの妖力を注ぎ込まれただけの器だもの。ここまで保つのも凄いことなのよ?」

 

 言葉とともに紫の体が崩れ始める。世界も同様に終末を迎えようとラグが走りその形を失おうとしていた。

 

「時間制限アリか。それなら……」

 

「勝機はある?」

 

「さあね」

 

 大きなアドバンテージを得ることはできた。しかし、この状況変化は決して三人の有利には働かない。

 何故なら──……

 

「さて、それじゃ時間もないしちゃっちゃと終わらせちゃいましょうか。貴女たちの現状も、伸び代も把握することはできた。あとは完膚なきまでに私の力を味わってもらうだけですわ」

 

 八雲紫の受身が終わるからだ。

 為すがままに三人の攻撃を受け流し続けた紫だったが、ついに彼女の攻勢が始まる。

 

 不気味に揺らめくだけだった紫の妖力が空気を伝播し迸る。不可視の衝撃に三人は数メートル後退りした。

 

「勇んだはいいものの、参ったなこりゃ。どうすればあいつを……。我らが巫女様に何か名案はないか?」

 

「ないわ。───だけど勝ち筋がないわけじゃない。……時間さえあればね」

 

 はっきりとしない言い方。だが、魔理沙と咲夜は霊夢に揺るぎない自信を感じた。

 彼女の力は誰よりも二人が認めている。

 

 咲夜がちらりと魔理沙を見やる。魔理沙は若干渋い表情を作ったが、やがては諦めたように紫へと向き直った。

 

「最初からそう言えばいいのよ。私の世界を見破ったその巫山戯た観察眼でどうにかしてちょうだいね。ほら魔理沙、行きましょう」

 

「グググ……! しょうがないな、こんな役目は今日で最後だからな!」

 

 魔理沙と咲夜がとった行動は正面からの突貫。速さという面では幻想郷においてほぼ全ての追随を許さない二人による、スピード戦法だ。

 しかし、紫相手では下策と言わざるを得ない。

 

 咲夜は時を止めて紫を牽制しようとした。だが紫は当たり前のように咲夜の世界に侵入。固まる咲夜に妖しい笑顔で微笑み、指を横に切る。

 咲夜の胴体が切り離された。

 

「──ッ! 咲夜!?」

 

 時が動き出すと同時に魔理沙の目の前に紫が現れる。視界の隅では二分された咲夜が血を吹きながら崩れ落ちていた。

 魔理沙は慌てて箒を傾けトップスピードで旋回する。そして、紫を避けながら八卦炉の照準を合わせた。ほぼゼロ距離によるマスタースパークを放つ。

 

「どうだ!?」

 

「無駄よ」

 

 紫は平然とマスタースパークの中を歩き、八卦炉を掴んだ。互いの指が交錯する。

 

「貴女の枷はこれ(八卦炉)かしら?」

 

 ──ピキィ……

 

 幽かな音を立てて八卦炉にヒビが入る。そしてそれは徐々に広がってゆき、砕け散った。

 パラパラ、と八卦炉の破片が魔理沙に降りかかる。

 

「沈みなさい」

 

 魔理沙の胸元を掴み、アスファルトへ打ち付けた。衝撃のまま魔理沙は地面へと沈んでゆく。それとともに辺り一帯が陥没した。

 魔理沙と咲夜が突撃してからこの間、約3秒。

 

 

 紫は一仕事終えたように白手袋を脱ぎながら霊夢を見る。霊夢は道路に座り込み、目を閉じて神経を研ぎ澄ませていた。瞑想に近い。

 その姿が紫には滑稽に見えたらしい。

 

「何をやるのかと思えば……貴女の言う勝ち筋は蜘蛛の糸よりも細く長いものなのね。これじゃわざわざ時間稼ぎを買ってくれたあの二人が浮かばれ───「勘違いしないで欲しいな」

 

 アスファルトから光が溢れ出し…爆発。霊夢の居る場所を除く全てがことごとく消滅する。

 紫は相も変わらず無傷の状態を保ったまま、真下で手を広げている魔理沙を見下ろした。

 

「霊夢はあくまで保険だ。本命は私だぜ」

 

「やっぱり貴女って()()()()()()()()()()のね。ほら、拘りを捨てれば簡単に強くなれた」

 

「五月蝿い……たまたまだ。それよりも後ろに気をつけた方がいいぜ」

 

 咲夜は既に時空を渡っていた。

 ナイフで紫を頭から一刀両断する。だが紫から血が噴き出すことはなく、半身ずつがそれぞれ咲夜へと振り返った。

 

「「初めまして?」」

 

「ッ! 半分にされたんだから、大人しく死になさい! 傷魂『ソウルスカルプチュア』!!」

 

「よし、斬り刻んだらすぐに離れろよっ! ふぅ……コールドインフェルノッ! からの、『ワイドマスター』ッ!!」

 

 咲夜が紫を素粒子レベルまで斬り刻む。そして魔理沙が絶対零度の冷気を吹きかけ紫の再生を妨害しつつ、止めの前方広範囲を消滅させるマスタースパーク。

 

 これだけやれば───。

 

 

 

「お疲れ様」

 

 風が二人の間を通り抜けた。

 そして軽い着地音とともに二人は地面に仰向けで倒れる。受け身すら取れなかった。

 

「……!? ぐ、くく……」

 

「八雲、紫……!」

 

「【疲労と限界の境界】を操ったわ。これで貴女たちは指一本動かすことはできない」

 

 極限の疲労により二人の意識を奪う。

 これで魔理沙と咲夜は強制ゲームオーバー。

 残るは霊夢のみ。

 

 

 二人の敗北にも気づかず瞑想に更けていた霊夢だったが、紫の視線に気づくとゆっくり立ち上がる。目が何故かとろんとしている。

 霊夢の後ろからは陽炎のような紅い霊気がゆらゆらと立ち込めていた。白い巫女袖が赤く染まり、風に煽られはためく。

 

「……私の番?」

 

「ええ、彼女たちの奮闘空しくね。それで何か名案は浮かんだかしら? 私はあと2分は動けるわよ?」

 

「2分? アンタの寿命ってあまり残ってないのね。ならちゃっちゃと決めちゃいましょ」

 

「……そうね」

 

 強がっているのかと思えばそうではない。さっきまでの霊夢とは一味も二味も違う。

 姿形、霊力は先ほどとまったく一緒なのだが、身に纏う雰囲気と気迫が異質なものになっていた。

 

 流石、と言う他なかった。

 霊夢は一定の環境さえ整えれば短時間でここまでの成長が可能なのか。

 

 夢とは意識と無意識。

 霊夢は自分の内なる意識と向き合っていたのだ。そしてイドの泉を探求していた。

 

 そして紫は気付いていた。

 今の霊夢なら。

 

 

 

 

 

「倶利伽羅剣」

 

 今の自分に届き得ると。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 夢想封印。

 その存在は物心ついた時に知った。

 確か紫が倉庫から古い巻物を取り出してきて、覚えるように言われたんだったと思う。生まれながらに夢想天生が使えた私には朝飯前で、あっという間に覚えたわ。あの時の紫の顔は今でも覚えてる。

 

 陰陽玉は初めての異変解決の時に紫から渡された。確か……魔理沙とどこぞの悪霊が起こした異変だったかしら。

 妖怪を見つければ自動で攻撃してくれるからとっても便利なんだけど、時々いらない敵を呼び寄せるからプラマイゼロぐらいにしか思ってなかったわ。

 

 この二つはなんだかんだで思い入れが深い。だからほとんど日常の一部と化してしまっていてそのルーツなんてどうでもよかった。

 今になってよくよく考えてみると、いくつか不思議な点があったのよね。

 夢想封印はまるで意思を持っているかのように対象を追尾するし、陰陽玉は湧き水のように次から次に霊力が湧き出す。

 便利だなーってくらいにしか思ってなかってなかったけど、これって結構異常なことよね。いつも魔理沙が言ってたことも納得できる。

 

 そして今回、紫もどきが言った「これらの謎を知ろうとしないことが私に足りないモノ」という言葉が私の意識を深みへと向けた。

 今の状態の私なら何かが掴めそうな、そんな気がしたの。ただそれには時間が必要だった。よく考えることができるだけの時間が。

 

 魔理沙と咲夜が私に託してくれた短いようでとても長い時間。若干の不安はあったけど本気で集中してみたら案外いろんなことが分かったわ。

 

 陰陽玉は独立した意思を持っている。それも複数が個々に点在している。

 その意思は強烈なものから微弱なもの、善意を持っているものに悪意を持っているものと実に様々だ。中には懐かしいようなものまで紛れ込んでいる。

 

 陰陽玉、夢想封印……何かが掴めそうなのよね。

 

 取り敢えず時間が迫っているから内一つの意思に飛び込んだのよ。なるべく善良そうで強烈なのにね。

 その意思の中には強そうなのが居た。一応彼女? と意思疎通を図ってみた。うまくいかなかった。だけどこの場の協力をあっちからお申し出てくれたわ。

 どうも紫並みに胡散臭くて信用ならないが、まあ、強そうではあったからね。承諾した旨を言うと一気に意識を元の世界へ戻された。

 

 

 

 それで気がついたらお祓い棒が紫もどきを横に切り裂いていた。あっという間のことだったわ。

 それに至るまでの動作は私とは全くの別物。流れるような一閃からは卓越された技術が見て取れた。私が言うのもなんだけどね。

 

「……タイムアップか降参か。その二つしか貴女たちに打つ手はないと、そう思っていましたわ。はっきり言って、これは予想外」

 

 紫もどきはそう言うと体を消滅させてゆく。今の一撃が致命傷になったのか、再生しているようには見えないわ。自分の全霊力と()()を過密に練り込んだ一撃なら、紫もどきを倒せるかもって頭の中に急に浮かんできた。

 ……もしかして殺っちゃった? いや、この紫が死ぬのは良いんだけどいつもの紫まで死んじゃったらさすがに困るわ!

 

「死ぬの?」

 

「いいえ、あるべきところに帰るだけ。……ああ私の心配はしてないのね。心配しなくても彼女は無事よ。明日には目を覚ますでしょうね。……貴女たちの前からはしばらく姿を消すと思うけど」

 

「は? なんでよ。あいつがそんなことする理由なんてないじゃない」

 

「そんなことをしなきゃならない理由ができてしまうのよ。察してあげなさい。貴女たちが自分を見つめ直すことで成長できたように、彼女にもまたその時間が必要なのよ。彼女は貴女たちの理想で在れても理想に成ることはできないんだから」

 

 意味が分からない。何故こいつが知ったような口を利いているのかしら。

 そもそもこいつはなんなのよ? 紫の姿をしているだけで雰囲気と言動が似ても似つかない。二重人格? 双子の姉妹?

 

「双子の姉妹は新しいわねぇ。答えはノー」

 

「心を読むな」

 

「ふふ……私の正体を今知ったところで双方に利はない。悪いけど教えることはできないわ。その代わり、良いことを教えてあげる」

 

 紫もどきが手を翻すと、私の体を覆っていた霊力と妖力が空気に霧散する。多少の疲労感を感じたけど、今も地面に転がっている魔理沙と咲夜を見ればまだマシな方でしょうね。

 紫もどきはなおも消滅を続けながらも、ぽつぽつと語り始めた。

 

「博麗の陰陽玉は、博麗の巫女のためにとある高名な陰陽師と物好きな妖怪が作ったものよ。文字通り、力を合わせてね」

 

「人間と……妖怪が?」

 

「ええ。陰陽玉は妖怪を滅ぼし、妖怪を封ずる力を持つ。そして夢想封印は、封じられた妖怪たちの力を少しだけ拝借する技なのよ。つまり、今までの夢想封印は貴女の霊力のみで構成されていた空弾を撃っていたに過ぎない。知らなかったでしょ?」

 

 知らなかったというか何というか……知らなくても十分やっていけたしねぇ。

 取り敢えず他にも気になったことがあったから紫もどきに聞こうと思った、その時だった。

 

 紫もどきの右目が弾け飛んだ。

 

「うっ……ごめん、なさい。もうちょっとだけ答えてあげたかったけど、時間みたい」

 

 紫もどきは体の中のスキマを外に放出した。そして私を通り越して未だ地面に突っ伏している魔理沙と咲夜を飲み込んだ。

 紫もどきの崩壊が激しくなっている。姿が掻き消えつつあった。あんなにしぶとかったのに、消える時は儚げなのね……。

 

 なら最期にこれだけは聞いとかないと。

 

「アンタは結局何がしたかったの? 藍をぶっ飛ばしたり橙を泣かしたり、私達を変な空間に引きずり込んで戦わせたり……最後まで目的が分からなかったわ」

 

 紫もどきは苦悶の表情を見せながらスキマを展開する。そして私を包みながら、どこか寂しげに言った。

 

「ただのエゴよ。───ゴメンなさいね」

 

 

 紫もどきと周りの風景はすぐに見えなくなった。そして私たちは白玉楼に放り出された。

 

 

 

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 真っ暗。何処を見ても真っ暗。ああ、あれか。私とうとう死んじゃったのかな。

 あはは……まあ、変な低級妖怪を信じちゃった私がいけないのよね。うん、良い方向に考えよう、痛みを感じなくて良かったなって。

 しかし、あの世って、随分とまあ、真っ暗なのね。もっとこう明るいところ想像してたわ。轟々と炎が燃えていてね、説教&乳臭い閻魔から小言をネチネチ言われ続けるのよ。そんで次なる強敵に備えるために蛇の道を走らされるの! ヤバい地獄だわ!

 

 ん~…しかし、あの世って気持ち良いわね。特に私の頭の部分。なんていうか、柔らかいっていうか、ふかふかっていうか。

 あの世でも柔らかいって感覚あるんだ。しかも温かいまであるんだ。そりゃあの世で修業も出来るわよね。本当、世界は摩訶不思議だわ。

 でも、ここまで揃ってて世界が真っ暗だっていうのはちょっと……ああ、なんだ、もしかして私、ただ目を開けてないだけかしら。

 あ、何かそれっぽい。試しにゆっくりと瞳を開こうとすると眩しい光……まではいかないけど、ぼんやりと明るさが取り戻されてきて。

 

 

 ……汚い天井ね。

 そこら中にカビやシミができてしまってて、空気はどこか埃っぽい。

 何故か怠いので体を動かさず首だけを動かして状況を確認してみた。私は現在布団の中に居て、頭の柔らかいものは枕だった。周りには幻想郷ではまず見かけない、と言っても外の世界でもそうそう見かけないガラクタがたくさん積まれている。

 

 何時ぞやかの冷蔵庫、何時ぞやかの初期カラーテレビ、何時ぞやかの黒電話、何時ぞやかのオ○ロマルチビジョン、結構ハイテクな動く幼女の肖像画。

 最後の以外はまあ……昭和臭いライナップよねぇ? 動く肖像画はすごくぬるぬる動いてるけど。なんとも混沌とした空間である。

 

 

「気がついたかい?」

 

 ひゅいっ!? 男の声!?

 説明しましょう! 私こと八雲紫は実はあんまり男性と面と向かって話したことがないのよ! 男の賢者と話すときはいつも目を逸らして話してるし、なんか上がっちゃうのよね。ほらうちって女の子ばっかだし? あんまり外に出ないし? 普通に喋れたのは妖忌ぐらいかしらね。

 

 恐る恐る声がかかった方を見てみると、そこには眼鏡を掛けた銀髪の男が居た。

 風貌からして外の世界の住民ではないわね。そしてただの人間ってわけでもなさそう。まあ、あまり強そうじゃないから警戒はしなくてよさそうね。

 

「あ、貴方は……? それにここはどこなの?」

 

「名前から答えようか。僕の名前は森近霖之助。そしてここは香霖堂、魔法の森の手前にある僕の店だよ。巷で聞いたことないかい?」

 

「ないわね」

 

「……そうか」

 

 魔法の森……私なんでそんな所にいるの? だって白玉楼に居たのに……え?

 まさか藍に捨てられた!? そんな……確かに私って八雲家の穀潰しだからいつ捨てられるのかビクビクしてたけど、このタイミングで!?

 ま、まあ殺されるよりかは遥かにマシだけど! 命があるだけでもありがたく思わなきゃ!

 これから私は独りで強く生きていくのよ!……無理ですよねー。決意は2秒で崩れたわ。サバイバルなんてもう懲り懲りよちくしょう!

 

「ふむ……混乱しているようだね。補足しておくと君が倒れていたのは《無縁塚》だ。野晒しにしておくのもどうかと思って連れてきたんだが……迷惑だったかい?」

 

「む、無縁塚!? なんでそんな辺境に……いえ、まずはお礼を言うわ。わざわざごめんなさいね」

 

 お礼は大切。上半身を起こして頭を下げようと思ったんだけど……私は言葉を失った。

 

 服が紫色のドレスじゃない! 寝装束に変わってる! つまりこの男、私の服を脱がしたということである。……恥ずかしい。

 

 いや、それよりも……見るも無残な平原。お腹まで垂直落下。文字通りのぺったんこがそこにあった。……私の胸がなぁぁい!!?

 私の双丘が……私の数少ない自慢が!

 これ下手したら萃香……いや橙以下じゃない? う、うわぁ……。

 

 なんでこんなことになってしまったのかは分からないけど、怪しい奴なら一人いるわ。

 目の前の男、森近霖之助ェ!!

 

「何よこれ!? 私に何したの!?」

 

「……服かい? 君が来ていた紫色のぶかぶかなドレスは泥だらけだったからね、着替えてもらったよ。ああ、勿論だけど僕が着替えさせたんじゃなくて通りすがりの妖怪の子に頼んだんだ。恥ずかしがらなくても───」

 

「今そのことはどうでもいいのよ! なんなのこの何もない胸は!」

 

「……僕に何の意見を求めてるんだい? 胸も何も君は元々から───」

 

「嘘おっしゃい! 私のボンキュッボンはそれなりの定評があったんだから! 返せ! 私の胸を返してよぉぉぉ!!」

 

「……横を見てごらん」

 

 憤怒しつつ言われるがまま横を見た。そこにはさっきも言った動く幼女の肖像画があった。寝装束を着て、布団に入ってて、金髪で、薄紫の目で────あれ? もしかして鏡?

 

 ……私、若返ってる?

 

 

 

 

 

 

 

 よし、クールダウンクールダウン。取り乱して変な叫び声をあげちゃったけど心の整理はできたわ。開き直りとも言うけどね!

 まさか黒の組織が実在してたなんて……いや、スタンド攻撃の可能性もあるわ。こりゃFBIか財団の知り合いを早く作らなきゃ。ついでに発明家をバックアップに付けて……って逃避するんじゃない私! 戦わなきゃ、現実と!

 それにさっきスキマの中に閉じ籠って逃避しようと思ったけど当然のごとく能力は使えなくなってるし……。逃げ場はない。

 

「……落ち着いたかい? 見たところ君も妖怪みたいだし、精神的動揺はなるべく避けたほうがいい。何に動揺していたのかは知らないがね」

 

「お気遣いありがとう。君も……ってことは霖之助さんも妖怪なの? そうは見えないけど」

 

「僕は半妖だよ。まあ色々と複雑なんだ、あまり聞かないでくれると助かる。……そういえば聞きそびれていた。君の名前は?」

 

「名前? ……八雲───」

 

『紫』が出る直前だった。私の超優秀な頭脳が警鐘を鳴らしたので咄嗟に言葉をストップさせる。そして頭の中でシュミレーション。

 

八雲紫は賢者である

 ↓

敵がいっぱいいます

 ↓

藍が守ってくれてました

 ↓

捨てられました

 ↓

追い討ちのゆかりん無力な幼女化!

 

 あ、危なかった……このまま名乗っていたら死んでしまうところだったわ!

 

「八雲……?八雲といえばあの賢者……」

 

 違う違う! 私八雲じゃありまへんがな!

 なんとか誤魔化さないと……、

 

「い、いやー蜘蛛(八雲)が壁を這ってるわ! この店の衛生はどうなってるの!? 仮にもお店やさんならしっかりしなさいよね!」

 

「蜘蛛? ……家屋が古いからね、蜘蛛の一匹や二匹はいる。別に害は無いし、不要な虫を食べてくれる気の良い同居人だよ。そう、蜘蛛で思い出したが、蜘蛛というのは昔ながら不摂生の象徴だった。疫病を操っていたとされる土蜘蛛もまたその例に漏れず、世相をよくあらわした妖怪だね。しかし、蜘蛛は自前の糸で巣を作ることから建築上手の象徴でもあるんだ。そのことから家の守り神として民間信仰されていた例も少なくない。それに蜘蛛が不衛生な場所にいるのは、不衛生な場所に害虫がいるからであって蜘蛛が不衛生である理由にはならないんだ。昔の人間も君みたいに鶏と卵の関係を逆に見てしまった、浅はかな見解だよ。そう、それに関連して建築の神と言えば───」

 

 上手くごまかせたと思ったらいきなり蘊蓄が始まった。あーうん、私知ってるわ。こういうのを変人って言うのよね。

 てか話が少彦名とか萃香とか変な方向に飛んでっちゃってるわ。

 取り敢えず適度に「な、なんだってー!」と相打ちを入れてあげた。……キバ○シ?

 

 

 

 

 

「……それで、結局君の名前は?」

 

 やっと蘊蓄が終わったわ。

 けどどうするべきかしら……偽名を使わなきゃならないけど、いざ考えるとなると中々浮かばない。周りから何かヒントを得られないものか……。

 

 冷蔵庫…テレビ…黒電話………黒電話?

 そう言えば……。

 

 

 

 ===================

 

 

 

「あらこいしちゃん。何をしているの?」

 

「ん? メリーさんごっこ!」

 

「メリーさんって……あの都市伝説のメリーさん? 変わった遊びね……ってあれ。こいしちゃーん? どこに行ったの?」

 

「ゆかりんの後ろにいるの!」

 

「ひょわっ!?」

 

 

 

 ===================

 

 

 

 これだっ!

 

「め、メリー! 私はメリーさんよ!」

 

「メリー? ふむ……外国の妖怪かい?」

 

「そう! えーっと……ぎ、ギリシャ出身で最近ここに来たばかりなのよ! だから土地勘が無くて、アテもなく彷徨ってるうちに花の下で眠っちゃったの!」

 

「へえ、ギリシャか。ギリシャといえばオリュンポスの神々の中でもひときわ変な───」

 

「蘊蓄はもういいわ!」

 

 蘊蓄を阻止しつつ内心ほくそ笑む。

 そう、これから私はメリーちゃんとして生きていくのよ! そんでもって魔理沙に今回の異変のことを全部チクってやるわ! 霊夢には今回の異変の件で疑われていて話が通じないだろうけど、魔理沙はちゃんと話を聞いてくれるから。そんでもって一緒に霊夢を説得してもらうのよ! そして私はぬくぬく博麗神社で暮らしていくわ!

 イッツ パーフェクトプラン!

 

 だけども迂闊に外に出たら危ないし、魔理沙っていっつも幻想郷を飛び回ってるから霧雨魔法店まで会いに行っても会えるかどうか分からない。

 だからまずは潜伏して情報を集める。そして機を見て魔理沙に接触してみせるわ。

 

 だから……

 

「霖之助さん! ここで働かせてちょうだい!」

 

 




たくさんの投票ありがとうございます!一つ言えることはみんな神綺ママが大好きなんだね。おいらも大好きでゲス!

さて、氾濫するネタの引き出しを整理しなきゃ。そういう意味では香霖堂はとてもいい休憩スポッツ!
もしかしたららんしゃまと幽々様の過去編とか霊夢の話とか(色んな意味で)爆発する紅魔館とかからやることになるかもしれませぬが……。お楽しみに

ちなみに

レティ…A
橙…B−(変動アリ)
アリス…B→?
リリカ…C−
メルラン…C+
ルナサ…C
妖夢…B+
幽々子…A
藍…A(変動アリ)
紫…?

ロリゆかりん(メリー)…H

とかいう設定で書いてました。プリズムリバー三姉妹は画面外脱落だしリリーはまともに出てないのでアレですけど。
レティさんがやたら強いのはとある理由があるのと出落ちだからです。
そして作者は2面ボスが大好きです。ロリコンちゃうねん


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東方萃無双
メリーと魔理沙と香霖堂


冒頭BGM:コナンのアレ


 私は美少女賢者 八雲☆紫!

 

 幼馴染で式神の「八雲藍」と幽々子の家に遊びに行って、たまたま春雪異変の真相に感づいてしまった。そして自分が助かることに夢中になってしまっていた私は、どこからか忍び寄っていた桜に潜む妖怪の魔の手に気がつかなかった!

 私は意識を奪われ、気がついたら……ロリが付く子供になっていたのよ!

 

 八雲紫が生きてると藍や幽々子にバレたら、またあの子たちに命を狙われ、かわいい我が身に危険が及ぶ! 咄嗟の機転で正体を隠すことにした私は、『森近霖之助さん』に『ギリシャ出身のメリーちゃん』と名のり、協力者を得るためにその霖之助さんが営んでいる香霖堂へと転がり込んだ。

 

 私の正体は霖之助さんにもまだ知られていない。知る由があるのは心を読む畜生ロリの『古明地さとり』と、私をこんな姿にした張本人だけ……。

 各地の情勢は依然として謎のまま……!

 

「見かけはロリでも頭脳は明晰! 小さくなっても心は同じ! その名も、大賢者メリー!」

 

 

 とまあ……あらすじはこのくらいにして。

 霖之助さんは私が思ってた以上に変人だったわ。だっていくら「ここで働かせてくれ!」って頼み込んでも頑なに断ってくるのよ。

 

 今の私は超絶美少女のゆかりんなのよ? どんな枯れた男だってこんな可愛い女の子に頼まれごとをされたら引き受けるでしょ普通!

 まさかおっぱいか? おっぱいが欲しいのか!? って言ったらさすがに怒られた。

 まあ確かに、いつものボインボインゆかりんだったなら断られるのも分かるわ。だってあんな絶世の悩殺美女と一つの屋根の下なんて男の人が耐えれるはずがないもんね! ……霖之助さんってどこか枯れてるように見えるけど。

 

 そんなこんなで断られたのだが、こんな優良物件をみすみす逃すわけにはいかない。ていうかそもそも香霖堂から出ていくのはなんとしてでも避けなきゃならないわ。

 だって香霖堂から一歩外に出ればそこは魔法の森。どんな危険が待ち受けてるか分からないし、なにより森から流れてくる瘴気でアウトだもん!

 

 と、いうわけで。

 今の私は見た目は子供、頭脳は賢者! 心そのまま紫ちゃん! つまり体は退行したけど知識、記憶、思考力はそのまんまなのよ。

 この頭をフル回転させて私を売り込む! 媚びて媚びて、媚びまくってやるわ!

 

 輝かんばかりに眩しい笑顔! とても甘ったるい猫なで声! そしてトドメに裾を少しだけたくし上げて服をフリフリ!

 賢者のプライドなんか関係ない。私は生きるために幼女メリーを演じ切るわ!

 

「ほら〜こんなに可愛い女の子が看板娘になったらこのお店も大繁盛よ?」

 

「遠慮しておこう。まず君が居たところで客が来ないんだから看板娘が居ることすら認識されないだろう。それに……まあないだろうが、もし客が増えたとしても僕にとっては大迷惑だ。ここ(香霖堂)には人に売れるものが少ないからね」

 

「いやいやいや……」

 

 ならなんで店なんて開いてんのよ。

 やばい……霖之助さんの変人具合が私の想像をはるかに凌駕しているわ……! 幻想郷でもそうそうこのレベルはお目にかかれないわよ。

 

 くそぅ、表情筋が疲れた! いつもはちょっと口の端を上げているだけだものね。慣れないことはするもんじゃないわちくしょう。

 

 悩殺作戦はダメ。となれば素直に賢者らしく謀略で……と言いたいところだけど、全然いい案が思い浮かばないわ。

 ぬぐぐ……私の賢者力はこんなものだったの? いつも逆境は口先で切り抜けてきたじゃない! 今こそ力を発揮する時よ八雲紫!

 ……あら、そういえば思い返してみるといつも藍に助けてもらってばっかで、私なんにもしてないや。……あれれ、賢者ってナニ?

 

 うー……なんか劣等感と知恵熱で頭がぐるぐるしてきた。賢者マインドと賢者ブレインが悲鳴をあげてるわ。空腹と吐気が同時に来るような嫌な感じ。

 ……もしかして私が気づいてないだけでこの二つも退行してたりとか? それってまごう事なきただの幼女じゃない。

 

「メリー君、疲れてるなら奥で休んでたらどうだい? 僕は鬼じゃないからね、今日明日に出ていけなんてことは言わないさ。居住は勘弁だがね」

 

 霖之助さんが気を利かせてくれた。変人は変人でも常識のある変人なのね。若干見直したわ。少しだけ私の中での株が上がったわよ。

 多分起きたばかりっていうのもあって体調がすぐれないんだろうし、ここはお言葉に甘えましょう。だって八雲紫は眠る事が大好き。

 

「う、うん……お休みなさい」

 

 体格が変わって歩きづらさを感じながらもえっちらおっちら歩く。しかし物が散乱している事もあってか、足を踏み外して転んでしまったわ。

 ちゃんと受け身は取れたから痛くはなかった。

 

「あー……物は壊さないように。案外精密な物が多いんだからね」

 

「はいはいすみませんでし───うべっ!?」

 

 瞬間、私の脳天に中々質量のあるものが落ちてきた。うーん西のカバさん東のお空へ飛んで行くー……。うぅ……たんこぶができちゃった。

 賢者の頭には知識という名の財産が詰まってるんだからね……気をつけないと。それにしても一体何が落ちてきたのよ。

 

「これは……セ○サターン?」

 

「……ほう?」

 

 そりゃ頭にセガ○ターンが落ちてきたら痛いわ! ナイトキャップが無かったら即死だったわ! ていうかついに○ガサターンが幻想入りする時代になったのね。

 外の世界は日進月歩……記憶と古きは風化し、懐古と新しい物だけが世を作り上げてゆく。……なんだか寂しいわ。

 

 急展開に次ぐ急展開の挙句、頭が痛いし気分が悪いし、おまけに悲しい。

 私の体と心はもうボドボドだ!

 寝るっ! お休みっ!

 

 不貞腐れながら布団に入った時だった。勢いよく香霖堂の扉が開け放たれ、来店を告げるベルが慌ただしく何者かの来訪を鳴らす。

 私からは置物や霖之助さんの背中でその人物が分からないのだが、その正体はすぐに理解できた。決め手はその口調だ。

 

「邪魔するぜこーりん」

 

「文字通り、かい?」

 

 〜〜ぜ、なんて語尾を付ける女の子なんて幻想郷には一人しかいない。外部からの来訪者に一人だけ彼女以外にも語尾に『ぜ☆』を付ける女の子は見たことあるけど、まあそれっきりね。

 

 お目当の霧雨魔理沙がやってきたのだ。こりゃ運命の女神様が私に微笑んでるとしか思えないわね! 日頃の行いの賜物かしら?うふふのふ!

 どうやら霖之助さんの話しぶりでは互いに面識があるみたいだ。取り敢えずここは身を引いておいてタイミングを見計らおう。二人の関係が気になるし!

 

「おいおい私は邪魔なんかしないだろう? 人聞きの悪いことはやめてくれ。……ところで、今日は頼みごとがあって」

 

「ふむ……一応聞いておこうか。昨日の新聞で大体察しはつくがね」

 

「悔しいがご明察だ」

 

 昨日の新聞って【激震!八雲紫 春雪異変に加担(死すべし!)】のアレ? いや、まず私って何日眠ってたの……? そのあたりは後で霖之助さんによく聞く必要があるわね。

 

「……スマン、これだぜ」

 

 ガシャガシャ、と金属の散らばる音がする。

 霖之助さんの息を飲む音が聞こえた。

 

「ミニ八卦炉をここまで砕かれたのか。鬼に殴られても耐えれるくらいには頑丈に作ったつもりだったんだが……いったい何があったんだい?」

 

「あいつは……握り締めるだけでミニ八卦炉を壊した。いや、それどころか私のマスタースパークすらあいつには全く通用しなかった。……ごめんなこーりん。せっかく作ってもらったのに」

 

「いいんだ。ミニ八卦炉なんてまた作ればいい。それよりもあまり危ないことには顔を突っ込まないでくれ。新聞を見るたびに親父さんがやつれていってるよ? …僕だって気が気じゃない」

 

 あらら、なんかなんとも言えない雰囲気が……。魔理沙にも複雑な家庭事情があったみたい。……あれ? 魔理沙のお母さんって緑髪の人じゃないの?

 ていうか魔理沙のマスタースパークが全く通じないってそれどんな化け物よ!? だってマスタースパークって地核に撃ったら地球を吹っ飛ばせるかもってくらいの代物なのよ!?

 幻想郷にまだそんな存在がいたなんて……うっ、お腹が……! うぐぐ……!

 

 魔理沙は若干の不機嫌を含ませた声音で言う。

 

「耳が痛いな。それでだ、今回お前に頼みたいことっていうのは……」

 

「ミニ八卦炉の修理だろう?」

 

「それだけじゃない。そうだな……ヒヒイロカネとやらでコーティングするなりして強化してくれないか? ついでに砲口も拡大させてさ、名付けて『ミニ八卦砲』だ。そんでもって……」

 

「魔理沙」

 

 夢中に話していた魔理沙を霖之助さんがストップさせる。

 グッジョブよ霖之助さん! これ以上の魔理沙の強化なんて幻想郷滅亡の種なのよ! なんとしても頓挫させてちょうだい!

 

 なんて思ってたけど、霖之助さんの口から出たのは予想外の言葉だった。

 

「君はもうミニ八卦炉を使わないほうがいい」

 

「……ッ!」

 

「……うぇ?」←紫

 

「僕は君の枷になるためにミニ八卦炉を作ったんじゃないよ。君が勝手に思い詰めてしまっているのなら、僕はミニ八卦炉をこれ以上作るわけにはいかない」

 

「こ、こーりん……」

 

 何この展開。ゆかりん頭がついていかないわ。

 え、えっと……なにかフォローを入れてあげたほうがいいのかしら? だけど身内揉めみたいだし……私にできることはないわね。うん。

 けどあれか。霖之助さんは魔理沙に異変解決から手を引くよう言ってる感じ? ……幽々子と藍に痛い目にでも合わされたのかしら。新聞が欲しいわ。

 

 なんにしても魔理沙の引退はマズイわよ。言動が色々と雑な魔理沙だけど今じゃ霊夢と並ぶ解決屋だからね。彼女の引退によって幻想郷の脅威に対抗する戦力が減少するのはなんとしてでもさけたい!

 いざとなったらフォローに入ってあげましょ!

 

「あくまでミニ八卦炉は護身用だ。生活に役立つものではあるが、こと戦闘においては君の枷にしかなれない……そう何度も言ってきた。ただ僕はミニ八卦炉を使うなとも、君に人間を辞めろとも言ってないんだ。半端な気持ちであんな異変に挑むべきではないと、そう言ってるんだ」

 

「……お前も、それを言うんだな。あいつにも散々言われたよ。そして完膚なきまでに叩きのめされた。あいつに対抗できたのは霊夢だけだった!」

 

 悲痛な叫びが狭い店内に木霊する。

 魔理沙のナニカにかける情熱が伝わってきた。無関係な私の心の中にまでね。

 

「……それで、魔理沙は何を目指すんだい?」

 

 ───…わからない、と魔理沙は重苦しく呟いた。その言葉に霖之助さんは軽く息を吐き、手を組んでしっかりと魔理沙を見据える。

 

「漠然と前に進むだけじゃ何も得ることはできない。僕ら(妖怪)ならともかく、魔女でもない君ならなおさらだ。僕が言うのもなんだがね」

 

 うーん、凄いアウェイ感ね。

 ……何が何だかよく分からないけど取り敢えず頑張れ魔理沙! 私は貴女を応援してるわ!

 そしてこれからも幻想郷と私の平穏を守っ───

 

「私は人間のまま強くなる! そして今度こそ自慢のマスタースパークで()()()()()()()()()()()()()んだぜっ!!」

 

 

 

 

 

 

 ……ふぁ!?

 

「なんでだゴラァァァッ!!」

 

「「!?」」

 

 ここで思わず私は話に介入した。被っていた布団を思いっきり跳ね飛ばして全力疾走! そして魔理沙の首元を掴み上げる!

 言い間違いよねぇ!? そうだと言ってよマリー!

 

「だ、誰だお前。なんで香霖堂の奥から……」

 

「成り行きでうちに泊まらせているメリー君だ。ギリシャの妖怪らしい」

 

 代わりの自己紹介ありがとう!これで心置きなく魔理沙を説教できるわ!

 胸倉を掴んでグラグラと魔理沙の頭を揺らす。今の私はロリゆかりんだから見上げる形になってるけど、まあそんなことはこの際どうだっていいわ。

 

「私がどれだけ貴女を気にかけてると思ってるの!? 貴女が核爆弾を使った時だって庇ってあげたのにぃぃ!! 霧雨魔理沙ゴラァァ!!」

 

「何言ってるんだお前。……ん? ちょっと口を閉じててくれ」

 

「話を逸らさな──むぅっ!?」

 

 魔法で無理やり口を閉じられた。まるでチャックされたジッパーのように開かないわ!

 火力馬鹿の魔理沙がいつの間にこんな繊細な魔法を使えるようになったの!?

 

「むぅー!」

 

「んー……このガキンチョどっかで見たことあるような気がするぜ。フラン…じゃないな。うーむ、しかし”ぎりしあ”なんて行ったことないしなぁ。気のせいか」

 

「ぐぐ……ぷはぁ! な、何すんのよいきなり! 乙女の唇を奪うなんて!」

 

 デリカシーのなさに定評のある魔理沙らしいっちゃらしいけど……窒息するわ。

 

 ぐぬぬ……さっきの私を吹っ飛ばしたいとかいう旨の供述は多分聞き間違いじゃない。つまり魔理沙は私の味方じゃないってことになるわね。まだ四面楚歌状態は継続していたのか……。

 藍や幽々子の差し金っていう線も否定できないわ。魔理沙がこの調子だと霊夢も危ういかもしれない。下手したら幻想郷中に指名手配されてる可能性だってあるわ! 賢者から逃亡人への転落劇ね。

 

 ……私にはメリーとして生きていくしかもう道はないのかもしれない。

 よくよく思えばこの状況って難易度ルナティックな八雲紫の人生をリセットすることができるんじゃない? これぞ逆転の発想! 窮地をチャンスに変える女!

 そうよ、これからはメリーとして一から交友関係を築いていくのよ! 新たな第二の人生で今度こそ幸せをつかむの私!

 胸が無くなっちゃったのは辛いけど、代わりに人生を得るなんて素敵ね!

 

 と、いうわけで話の軌道修正よ。

 

「……まあまあ、今までのは冗談冗談! ギリシアンジョーク! まともに受け止めないでね。あくまでジョークだから!」

 

「馴れ馴れしいヤツだな。それがぎりしあ流の挨拶ってわけか?」

 

「そ、そう! 人間も妖怪もみんな同胞(はらから)ですわ! にーはおぼんじーる!」

 

「日本語を話せ。ここは幻想郷だ。……で、なんで私が核爆弾を使ったことを知ってる? 今まで2回しか使ったことないのに。私の名前まで知ってるし……」

 

「ほ、ほらアレ……貴女って有名人だから! 妖怪退治のカリスマだって聞いてるわよ! その火力に一途な姿に惹かれたの。大ファンよ!」

 

「そ、そうなのか? なんか照れるな……えへへ」

 

 魔女もおだてりゃ地に堕ちるってね! 魔理沙って自分の努力が報われることがあんまりない幸薄な子だから、褒めてあげると一気に機嫌が良くなるのよ。

 そんな彼女のちょろさは巷の妖怪や里の人間達から金かわ(金髪の子かわいい)ってもてはやされてるらしいわ。よく分からない界隈ね。

 

 気分を良くした魔理沙が朗らかに言う。

 

「メリーだったか? 初対面だがお前とは美味い酒が飲めそうだな」

 

「うふふ、そっちが用意してくれるならいつでものるわ。気軽に誘ってね!」

 

 こう言っとけばもう友達よ。これ幻想郷の常識。

 酒はみんなを繋ぐ架け橋となるわ。いやあ、お酒って本当に素晴らしい。酒は命より重い…!って萃香とどっかの偉い人も言ってたような気がするし。

 

 

 

 その後なんだかんだあって、魔理沙はヒヒイロカネとの等価交換のために家へ帰っていった。そして再び香霖堂にやって来た時、彼女は鉄くずを袋いっぱいに持ってきたのだった。

 

 うわぁさび臭い。香霖堂独特のカビ臭さと合わさってこらもうたまんないわね!

 ていうかコレほとんど使い物にならなそうなんだけど……これを霖之助さんって欲しがってるのね……。さすが変人。

 

 ……あら? 鉄くずの中に埋もれている一本の刀剣。どっかで見たことあるような?

 

「ねえ霖之助さん? その剣って……」

 

「うぐっ…!? な、なんの変哲もない剣だろう? こんなものとヒヒイロカネを交換してあげるんだ。偽善者と呼ばれても仕方ないくらいだね」

 

「なんで慌ててるのよ。……ははーん? 霖之助さんって相当のワルね?」

 

「……なんのことやら」

 

 悪い大人の目だわ。昔っからああいう人とか妖怪は、ずぼらなフリして繊細さんなのよ。

 魔理沙……貴女って霖之助さんという悪い大人に騙されてるんじゃない? 貢がされてたりしてね。闇が深いのかも……。

 

 純情な魔理沙はそんな霖之助さんの思惑には気づかず、きょとんと首を傾げた。

 

「何がワルなんだぜ?」

 

「多分だけどね…あの剣……」

 

「おっとメリー君! 君はさっきまで寝込んでいたんだから大事をとって休んでるといい。──いい子にしているのなら先ほどの申し出(雇用)を考えてあげないこともない。まあ、君次第だがね」

 

「……お休みなさい」

 

「はいおやすみ」

 

 悔しい……! だけど嬉しい!

 あのしてやったりって顔が気に入らないけど、それを交換条件にされちゃ断れない。

 けどあの剣……うーん……。

 スッキリしないわ。

 

 まあ、体の調子は全然良くなってないし、素直に休みたいところではあったけどね。

 

 

 不思議そうに私たちを見る魔理沙とも軽い別れを告げて、私は奥部屋の布団に伏した。

 

 こうしてメリーとしての1日目は過ぎていった。




とまあ…ゆかりんはゆかりんを放棄しましたとさ。幻葬狂がそれを許すとは思えませんが。

霖之助ルートなんてものは存在しないんだ……恐ろしいことにね。俺らの霖之助さんはそこらのラノベ主人公とは一味違うぜ!

香霖堂の原作ロリゆかりんが愛おしい。個人的には萃夢想ゆかりんの次に好き。


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藍と霊夢と博麗神社

お話回


 遅れての開花となった博麗神社の桜は、これでもかと今までの分を取り戻すかのように咲き誇り、彩りをより一層深めている。

 私の記憶が正しければ多分この規模は過去最高ね。その証拠に春告精が頭上で狂乱している。……邪魔かしら。あとで追い払っておくことにする。

 

 また、桜に釣られたのは春告精だけじゃなく、春雪異変が終結してすぐにたくさんの有象無象どもが神社に押しかけてきた。人間もちらほらいるみたいだけどメンツがメンツで凄い(まば)ら。取り敢えず見境がなくて危険なルーミアとチルノは追い払った。

 中には白昼堂々と日傘を差して境内に居座るレミリアと愉快なメイドや、春雪異変の首謀者である西行寺幽々子と半分おばけの姿もある。……これじゃあ普通の人間は寄ってこないわね。

 

「せめてあいつらが賽銭を入れてくれれば話は違ってくるんだけどねぇ。ふわぁ……」

 

 春の陽光にあくびが漏れた。流石に3日連続での宴会は体に堪えるようだ。だけど今は酒を飲んでないとやってらんないわ。

 紫のやつ……本当に失踪するなんて。今頃どこらへんをほっつき歩いてるのかしら。……まだあの紫擬きに体を乗っ取られてるのかも。紫がいなくなるっていう事は紫擬きからしか聞かされていない。

 

 

 

「浮かない顔ね。まだ悩んでいるの? さっさと決心して、私の眷属になっちゃいなさいよ。ほらほらほらぁ〜!」

 

 見当違いなことをほざきながらレミリアが近づいてきた。それに合わせて日傘とともに咲夜も追随する。口の端を釣り上げて若干上機嫌なのが不気味。

 レミリアの言葉にいちいち反応する気も起きないから、適当に目線であしらった。

 

「無視は堪えるわ……」

 

「ならばお嬢様も無視なさればよろしいかと。その空白はこの咲夜めが不肖ながら務めさせていただきます。どうぞなんなりと」

 

「え…あ、うん。ありがと」

 

 こそこそとレミリアが耳元に口を寄せる。

 囁きがこそばゆい。

 

「ねえ……咲夜ってどうしちゃったの? 異変解決からずっとあんな調子なんだけど。迎えた時なんてみんなに泣きついてきたのよ?」

 

「全知全能とか言ってた無敵の能力でどうにかしなさい。私は部外者」

 

「そんなぁ……」

 

「お嬢様! その巫女にあまり近寄ってはいけません。犯されます!」

 

 落胆するレミリアを咲夜が慌てて抱え上げた。

 なんていうか……従者というより保護者よね。実際咲夜もレミリアのことをお子ちゃまって思ってる節がある。

 二人の関係は見方によっては姉と妹のように見えるし、母と娘にも見える。言葉に言い表せない……複雑な関係なのかしら。よく分かんないわ。

 

 

「紫は帰ってくるわよ」

 

 

 突拍子もなくレミリアが言った。視線を向けるとレミリアは怪しく微笑んでおり、咲夜はチッと舌打ちをしていた。気持ちはわかるわ。

 

「なに? それはアンタの例の……」

 

「能力じゃないわよ。もう無闇矢鱈に能力を使うことは止めたの。つまり今のは勘。……あいつにフランの事を放り捨てさせることは絶対に許さないわ。何処へ逃げても絶対に逃さない」

 

 ……紅霧異変の時にフランドールとレミリアにあんだけ言っちゃったんだから、紫はこいつらが死ぬまではおさらばできないだろう。まあ、紫の自業自得ね。

 

 その後レミリアから色々な愚痴を聞かされた。咲夜のこととか、最近勝手に外出しているフランドールのこととかね。面倒臭いったらありゃしないわ。

 

 少しして懐中時計を見た咲夜が言う。

 

「ほらお嬢様、お昼からは妹様を探すご予定でございましょう? そろそろ……」

 

「あっ、そうだったわね。出発するわよ! じゃあね霊夢。呼ばれておいて悪かったわ。……眷族になりたくなったらいつでも紅魔館に来ていいのよ?」

 

「帰れ」

 

 いなくなるまで五月蝿いヤツ。今回はフランドールに感謝するべきなのか。別個で面倒臭いことをされてちゃたまらないけど。

 

 ていうか……『呼ばれておいて?』 そんなことをした憶えは勿論ない。

 なーんか久々に私の勘が疼いたけど、面倒臭いし敢えて流すことにする。

 

 

 さて、レミリアがいなくなった事でようやく再び一人静かに花見ができるわ。適度な騒がしさが一番好きだけど、今日は静かに物思いに耽りたい。

 

 

 

 だけどわざわざ神社にやってくる連中はそれを許してくれないようで。

 

「はあい。辛気臭そうな顔してるわねぇ」

 

「ご無沙汰してます」

 

 レミリアがいなくなったのを見計らってか幽々子と妖夢が近づいてきた。

 こいつら…数日前に殺し合いをした割には平然としてるのね。いい性格してるわ。幻想郷の連中は他人との距離の取り方がとても大雑把なんだけど、幽々子の奴はもっともそれが顕著だと思う。まあ、こいつは冥界暮らしだけど。

 私も別に気にしてないが。だって私が万が一にも殺されるはずないし。

 

「はいはいこんにちは。素敵なお賽銭箱はあっちよ」

 

「あら? 妖夢、そんなのあった?」

 

「い、いえ……桜の花びらが沢山詰まった箱が一つだけだったと思いますが」

 

 ……化け狸か化け狐の仕業か。

 今時に博麗神社へ悪戯を仕掛ける輩なんて相当限られてくるけど──まあどうでもいいわ。次見かけたときにとっちめてやればいい。

 気分が乗らないのか、諦めの境地に至ったのか、不思議とイライラはなかった。

 

「知ってる? 紫は春の次に冬が好きなんですって」

 

 そんな矢先に幽々子のこの言葉である。

 どうでもいいように思える上に、その名前は狙って出したように思える。

 

 思わず睨みつけた。幽々子は優雅に微笑み、妖夢はその間であたふたしていた。

 

「紫はいっつも言ってたわ。『冬は閑寂、だからあの子の声がよく聞こえる。春は贅沢、だってあの子が朗らかに笑うのだから』……あの子って、貴女のことじゃなくて?」

 

「そうだったらこっぱずかしいわね」

 

 アイツ…人前で何言ってんのよ。いやまあ幽々子は人じゃないけどさ。

 それにそのあの子ってのが私だったらいい迷惑。別人にしろどっかの誰かさんを誑かしてるってことだし……こういうのってなんて言うんだろう?

 尻軽女?

 女誑し?

 

 どっちにしても気に入らないわ。

 

「それで、アンタたちはどういう目的でうち(博麗神社)に来たの? 花見なら自分の家で事足りるでしょうに」

 

「一人の花見と大勢での花見なら、ね。結局花見の楽しみなんてどれだけ狂うことができるかなんだから。そうでしょ妖夢?」

 

「花より団子ってわけですね」

 

「そういうこと」

 

 うふふと笑い、突然舞い散る花びらの中で舞い始めた幽々子。こいつが一番花見を楽しんでそうよね。その傍らで妖夢は深いため息をこぼした。

 幽々子はご機嫌な様子で私を流し見た。足取りは徐々に離れていっている。

 

「ついでに言うと私って古い友人からお呼ばれされたのよね。彼女は紫とも馴染みが深いし、ここで待って(舞って)ればいつか紫が来るかもしれないって思ったの。さーくーらー、さーくーらー」

 

「あっ、待ってくださいよ!」

 

 幽々子もお呼ばれ……。そういえば私が宴会を連日で始めたのも酒や道具がいつの間にか用意されてたからだし、やっぱり何かあるみたいね。

 どうせなら片付けも手伝ってくれればいいのに。

 

 さて、幽々子もいなくなったことでようやく静かな花見が戻ってきた。だけどいざ始めてみるとどうも気分が乗らない。

 

 なんだか花見すら面倒臭くなっちゃった。レミリアはどこかに行っちゃったし、幽々子は一人で楽しんでるし、魔理沙とアリスは用事があるそうで花見には来ないらしいし……他に来るって言ってた奴いたっけ?

 いないならそろそろお開きの準備に……

 

 

 

「や、霊夢。元気そう…ではないかな」

 

「ん? ……えっと、藍?」

 

 そういやこいつがいたわね。てっきりまだ寝込んでたものだと思ってたわ。

 妖獣なだけあって持ち前の回復能力でどうにかしたんだろうけど、頬には絆創膏が貼られていて首には包帯が巻かれている。多分服の下にも巻かれてるんだろう。私たちの中じゃ一番重症だったはずだ。

 それと一緒に雰囲気が元々とかなり違っている。紫と紫擬きの違いとまではいかないが、異変前の藍から何かがごっそり抜け落ちている。

 

 馴染みの帽子を被ってないし……なんていうか九尾の一面が全体的に押し出されているような。

 ふと後ろを見ても9本の尻尾があるだけで橙の姿が見えない。いつもは金魚のフンみたいに後ろにこそこそ追随してるのに。

 そんな私の視線に気がついたのか、藍は苦笑しながら言った。

 

「……ああ、橙には賢者様たちの春雪異変における臨時会議に出席してもらってる。まだ早いような気もするが…まああの子なら大丈夫だろう。あの紫様にも臆さなかったと幽々子様から聞いている」

 

「はあ? なんで橙をそんなところに……。紫はいないから仕方ないのはわかるけど、アンタがいるでしょ? ここで呑気に花見をしてる場合じゃ……」

 

「もう私は部外者だからね」

 

 その言葉で私はやっと気づいた。

 藍には式が憑いてない。主人格というべき八雲の証が藍にはなかったのだ。つまり目の前の藍は式神じゃない、ただの九尾ってこと。

 式が解除される状況なんてかなり限られる。例えば術者の意思の元に放棄されたとか、術者が死に至っている場合とか……。

 

「御察しの通り、私の式はいつの間にか消えてしまったよ。眠りから覚めたらいつの間にか…ね。橙の方の式は私のものなんだが、それには紫様の力が同時に複雑に介在している。八雲の性こそないものの証としては問題ない」

 

 藍は早口にそう言うと、私の顔を覗き込んでにやりと笑った。初めて見た彼女の姿はいつもの彼女と比べて少しだけ子供っぽい。

 

「心配しなくても紫様は死んでないさ。さっきも言ったが橙の中にある紫様の力は生きている。私の式だけが切り離されただけさ」

 

「あいつの安否なんて気にしてないわ。ていうかそれって……まさかクビってこと?」

 

「そう言うことだ」

 

 ……藍は有能だ。

 紫の仕事なんて詳しくは知らないが、普段スキマに篭ってる紫と違って藍は幻想郷の隅から隅までを飛び回って『八雲の表の顔』を務め続けていた。

 そんな決断を下すのは流石に紫は本当は無能なんじゃないかと疑わざるを得ない。

 

 そもそもだけど……

 

「それってあの紫擬きがやったことでしょ。なら気にすることないわ。本物の紫が帰ってきた時にまた式を張り直して貰えば───」

 

「待て。霊夢……多分、魔理沙も咲夜も妖夢もだろうけど、お前たちは何か勘違いをしているよ。あの時私たちの前に現れた紫様は紛れもなく本物だ」

 

「……はあ?」

 

 なに言ってんのこいつ。明らかにあの時の紫は普通じゃなかったでしょ。まずそもそもだけど、紫擬き自身が自分のことを別人だと言ってたじゃない。

 

「あんたの頭も落ちぶれたわね。まさかあの時のことを忘れてしまってるなんて」

 

「……確かに多少は劣化したかもしれんが、私は私さ。その記憶に間違いはない。ふふ……あのねぇ、紫様に本物も偽物もないんだ。確かにあの変わりようはびっくりするだろうけど……私は不思議と違和感はなかったね。あの紫様は紫様として、いつもの紫様も紫様として受け入れることができるよ」

 

 ……藍の微笑みを見ると何故か胸がチクリと痛くなる。他人の気持ちなんて滅多に考えたことなかったんだけど、今は不思議と藍の気持ちがスルスルと心の中に浮かんではまた現れる。

 健気なのは好きじゃない。

 

「……紫はあんたを捨てたりはしないと思うけど。あいつなんてアンタがいないだけでダメになっちゃうような妖怪よ」

 

「どうだかね。紫様は家事から仕事までなんでもこなされてしまうお方だからな。私なんていなくても変わらないだろう」

 

 んー…言われてみればそうよね。胡散臭いくせして変に万能なのよあいつ。

 思い出してみると酒の席で藍から何度も自分の存在意義について愚痴られたことがある。あの頃から本気で悩んでたのね。

 

「ふふふ……まっ、クビになったものは仕方がない。これからは幻想郷の一妖怪として橙を監督しながら見守っていくことにするよ。さて、私はそろそろお(いとま)させてもらおう」

 

「アンタももう帰るの? 少しくらいゆっくりしていったら?」

 

「今日はお前の顔を見に来ただけだし、橙が会議から帰ってくる頃だ。早くマヨヒガに帰って夕飯の準備をしないと。……それに、()()()のお呼ばれに乗る気はまだないからね」

 

「また”お呼ばれ”か。もしかして異変なの?」

 

 藍は少し考えておどける様に肩を竦めた。

 

「異変……かもしれないが害はないよ。我慢ならなくなったら適当に解決してあげるといい。あいつも満足してくれるだろう」

 

 紫直伝の遠回しな言い方で藍はアドバイスをくれた。はっきり言ってなんの参考にもならないわ。

 

 伝えるだけ伝えたのか藍はくるりと背を向けて歩き出し……なにを思い出したのかまたくるりと反転。お賽銭箱の前に立つと中に一枚の葉っぱを入れて私ににいっと笑顔を向ける。

 そして今度こそ寂しげな後ろ姿を背にマヨヒガへ帰っていった。

 

 

 

「『冬は閑寂、だからあの子の声がよく聞こえる。春は贅沢、だってあの子が朗らかに笑うのだから』……か。……なんだかなぁ」

 

 あくる日の紫の寝顔と髪の感触を思い出しながら

 私は賽銭箱をひっくり返した。

 

 

 

 *◇*

 

 

「『冬は閑寂、だからあの子の声がよく聞こえる。春は贅沢、だってあの子が朗らかに笑うのだから』……はぁ。なんだかねぇ……」

 

「おやメリー君、それは詩かい?」

 

 藍への恐怖と申し訳なさで鍛え上げてきた私の家事スキルを存分に発揮し、パタパタと棚の上を室内箒で叩いていると、カウンターで本を読んでいる霖之助さんに声をかけられた。一応私はお手伝いさんらしいから手伝ってとは言わないけど、少しくらい労ってくれてもいいんじゃないかしら……。

 

 それにしても歌かぁ。

 

「あーこれ? うーん…どんぐらい前だったか、どっかの誰かが私に言ってた歌だと思うわ。つまるところあの子っていうのは私のこと…になるのかしら?」

 

「……へえそうかね」

 

 霖之助さんは興味をなくしたのか読んでいた本へ目を戻した。自分から聞いておいてこれよ。

 それにしてもいい歌よねぇ。つい口走っちゃった時は幽々子も藍も褒めてくれたし! 私が作詞したわけじゃないけど嬉しかったわ!

 

 っと、お掃除終わり。次はお洗濯ね。

 

「もう洗い物ない? 洗濯しちゃうけど」

 

「ふむ洗い物か……そうだ。洗濯機とやらで洗ってみてくれないかい?」

 

 霖之助さんは立ち上がると店先に置いてあった洗濯機をバンバン叩いた。

 

「どうやらこの白い箱は洗濯機という名前のものらしいが、衣類を洗浄する機材らしいんだ。ところが洗うための水は自分で汲んで来なきゃいけないし、中に衣服を入れても人の手なしでは洗うことはできない。そこでだメリー君、僕にお手本を見せてくれないかい?」

 

「残念でした。電気と水道管がないと洗濯機は動かないわ。私のお家なら動くわよ? 自動でごうんごうんってね、動くのよ」

 

「また”電気”か。外の世界はなぜそんなものをいちいち利用しなきゃならないんだろうね。洗濯板なら自分の労力だけで済むのに」

 

 霖之助さんは再び本へと視線を戻す。

 彼もなんだかんだで幻想郷脳なのよね。自分でやった方が早くて楽っていう。

 別名脳筋。

 

 私は楽できるところは楽したい派だから洗濯機でも掃除機でもセ○サターンでも…なんでも使うわ。けど古き良き時代の風習や産物にも同時に理解と敬意を表している。

 だから洗濯板もなんのその!

 

 どんな汚れもこの八雲ゆか、ゲフンゲフン! メリー様の手にかかればちょちょいのちょいよ!

 鼻につくわ、この頑固な汚れ。ほらほら美しく残酷にこの大地から住ね!

 

「らーらーらーららーん♪」

 

「……楽しそうに家事をするもんだなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝啓、藍へ

 

 文々。新聞を読みました。失踪ってことはつまるところ「表に出てこなかったら見逃してやる」っていう慈悲よね? 見逃してくれてありがとう。

 私はこれからの妖生、エンジョイします!




幻想郷エンジョイ勢に入門したゆかりん。つまり死の恐怖を乗り越えたゆかりん
いやあ天空璋というのはいいものだ……。てか小鈴チャン妖怪化したホントなの……?

いやぁちょっと忙しくなってまいりました。投稿頻度はそこまで変わらないと思いますが、モチベーションが上がれば……!
感想評価オナシャス!


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藍と紫と追憶夢

 私は己の意思なきまま、世界に落とされた。

 

 俗に言う”親”というべき存在は周囲におらず、私に在ったのは内に感じる大きなナニカと、大きな大きな9本の尻尾だけだった。

 

 産まれながらに強大な妖力を有していた私は、その身体を色々な存在に狙われていた。

 妖怪が食えば存在の格が跳ね上がるだろう。人が私を倒せば名声と財産が手に入る。顔や体目当ての連中もいたかもしれない。

 私は子供ながらに自分の存在を着々と理解する。

 

 何を思うでもなく混沌が渦巻く世界を生き抜いた。どんな巨大な怪物も、どんな高名な人間も、私の相手になりやしない。持て余す力を振るい数多の命を奪った。

 会話もなく、意思の共有もなく……目の前の存在にひたすら暴力を叩きつける。

 力が真実であり全てだったのが私周りの世界だ。一身に浴びた殺意は私をさらなる深層へと誘う。盲目な小娘へと。

 

 私には暴力しかなかったし、他に何をしようとも思えなかった。愚かにも力へと身を(やつ)して自分を騙し続ける。

 違う、そうじゃないと分かっていながらも、私に現実を直視する意思も思考も勇気もない。

 

 

 今だから言えよう。

 私は臆病で寂しがり屋だったんだ。

 

 

 負の感情を紛らわすために、自分の存在を誇示し周りに私を知らしめるために、私はこの身と暴力を尽くし続けていた。

 

 実に短絡。

 実に愚直。

 

 狭くて底の見えない世界で私は延々ともがき続けた。

 

 力は要らない。

 知恵も要らない。

 

 愛が欲しい。

 庇護が欲しい。

 

 私の強さが原因なのかと、一度だけか弱い小娘を演じてみたものの結果は変わらなかった。

 私に向けられるのは殺意と醜い欲だけ。

 

 

 寂しい。

 泥土に塗れた孤独な生き様は、渇望する小さな願いへとさらに執着させた。

 

 

 

 

「あらあら……噂の化け狐ちゃんを見に来てみれば、なんて可愛らしいのかしら」

 

 私が生まれ落ちて2年くらいの頃だろうか。

 いつものように波の如く押し寄せる有象無象の雑魚どもをすり潰し、その近場の水辺で返り血なんかがこびりついた体を洗っていた、そんな時だった。

 

 不意にかけられた声は私の薄汚れた生涯の中でもっとも綺麗な音で、私は無意識にその声の主へと視線を向けた。

 

 妖風に長い金髪の髪が靡く。

 (むらさき)のドレスが優雅にひらめき、殺伐とした空間を調和する。紅桔梗の妖しい瞳が私を妖しく捉える。

 そして日傘を翻し姿が一瞬隠れたかと思うと、日傘を残していなくなっていたのだ。まるで空気に溶けたかのようだった。

 

 私は初めに幻覚を疑った。

 だが尻尾に感じた感触が白昼夢ではないことを証明する。その人は私の尻尾を撫でていた。

 

「美しい毛並み…。幾多の血や泥に塗れても金色に輝き続けているのね」

 

 そう彼女は言ってくれた。今の私からすれば卒倒するほどの誉れだ。

 しかし、当時の私は慄き警戒した。私に近づいてくる者なんて害でしかなかった。

 

 即座に周囲へと妖力波を発し、始末にかかった。

 水辺を消滅させ大地を削り取る。

 ──殺ったと、そう思った。

 私に気付かず背後に回り込めたのは賞賛に値するが、もろに受けてしまってはもうダメだ。

 それまでの生涯で私の妖力波に曝された存在は、漏れなく形を残さず粉微塵になっている。昨日も今日も…これからも。

 

 

 

 ───それは驕りだった。

 

 爆風が晴れて視界が開ける。そして目の前に広がっていたのは──満天の星空だった。

 

 思考が固まり自分の居場所を見失った。混乱する頭を押さえつけ現在の状態を把握すること全力を注ぐ。頭の回転は昔から速かったが、この時ばかりは状況認識にかなりの時間を要した。

 

 私は寝かされていたようだった。そして仰向けの姿勢になっていたから夜空を見上げていたのだ。

 私が水浴びをしていた時間帯は真昼。だが現在私の目の前に広がる光景は、爛々の星が散りばめられていることから真夜中だと分かる。

 

 ほんの数瞬前と状況も状態も異なっていた。まるで時間がぽっかり消えてしまったような、そんな錯覚。私を混乱させるには十分だ。

 

 結局、私は先ほどまでのことを夢と片付けて再び眠りにつこうとした。その時にやっと気づいたんだ。私に毛布がかけられていたことにね。

 毛布なんて勿論その頃は一度も使ってなかった。なにせ布団ですら高価なものだった時代だ。柔らかいという感触は、私が産まれてより自然物や自分の尻尾以外では初めての体験だった。

 

 誰が毛布を置いていたんだろうと考えて、先ほどの妖怪の顔を思い浮かべた。

 

 初めての心地よい眠りだった。

 

 これが紫様との初めての出会いだ。

 

 

 

「はあいごきげんよう。昨日はごめんなさいね……私だって悪気があったわけじゃないのよ? 貴女が急に私を攻撃するものだから……」

 

 次の日も紫様は私の前に現れた。

 私は夢じゃなかったことに驚き、そして紫様が何らかの細工をして私を眠らせたんだと思って強烈な敵意を抱いた。生涯常勝だった私には意識を刈り取られていたなんて発想は思い浮かばなかった。

 

 今度こそ殺してやろうと紫様へ飛びかかったのだが、触れる寸前に視界がブレて、気づけば私は昨日のように毛布をかけられた状態で地面に横たわっていた。

 側の土に何かの文字が書かれていたけど、字の読めなかった私はただそれを眺めることしかできない。諦めて寝るしかなかった。

 

 

「大丈夫だった? ごめんなさいねまだ手加減ができなくて……」

 

 次の日も紫様はやって来た。

 そして挑みかかって返り討ち。

 

「ねー? そろそろお話ししましょう?」

 

 また次の日も紫様はやって来た。

 初っ端から最大火力の弾幕を撃ち出し、粉微塵にしようとしたが日傘に跳ね返されて返り討ち。

 

「もう! 聞いてちょうだいってば!」

 

 その次の日も、次の日も……。

 紫様が口を開く前に攻撃を行う。それがいつしか日課となった。そりゃ相当自尊心を傷つけられたし、なにより怖かったからね。

 私よりも強い妖怪なんてこの一年で国からは消えてしまっていたから、自分よりも遥か上の存在なんて恐ろしい以外の何物でもない。

 だが私は殺し合い以外での交渉を行うことができなかった。

 

 試行錯誤を繰り返し、時に策を練って紫様に挑み続けたが、及ばなく思えるだけだった。

 

 そしてある日も私は返り討ちにされた。

 覚醒した意識の中で悔しさと紫様に対する畏怖に似た気持ちがこみ上げる。

 そしてそのままいつものように不貞寝しようとした、その時だった。

 

 

 

「くぅ…くぅ…」

 

「!?」

 

 呼吸音が聞こえてびっくりしながら横を見ると、紫様が横で眠ってたんだ。

 

 いざ立ち上がり腕を振るって喉笛を切り裂こうとしたんだが……その時に気が付いた。

 ……この方はなんてだらしない寝顔をしているのだろうか、ってね。そのだらしない寝顔を見てると先ほどまでの殺意や敵対心がどうでもよくなった。

 

 

 その後、私は一晩中紫様を見つめ続けた。

 興味とも何ともつかない感情が心の奥からこんこんと湧き出してくる。

 未知で不可解で、とても不気味。紫様のことなんて何もわからない。紫様が敵でない証拠なんて何もない。だけど……初めて暖かさを感じたんだ。

 

 

 

「ん……ふわぁ……。あら、おはよう」

 

「……」

 

 紫様が起きられた後、まだ言葉を習得していなかった私は目線で問い詰めた。

 まだ私は幼かったし、今まで相手してきた者たちはとても言葉が通じるような連中じゃなかった。だから若干言語の習得が遅れていたんだと思う。なにより言葉の必要性を感じなかったからね。ただ、相手が何を言っているのかはニュアンスの次元で理解していた。

 

 この時ほど言葉を話せないことを恨めしく思ったことはなかったなぁ。

 

「よく見ると傷だらけね……本当にごめんなさいね。どこか痛むところがあるならそこを押さえて?」

 

「……!」

 

 多少の痛みはあった気がするが、そんなことよりも紫様の言葉が私にとってはびっくりだった。誰かに心配してもらうなんて初めてのことだったから。

 

 固まる私を見て紫様はお笑いになられた。

 

 

 

「ここらの妖怪の数が急激に減ってるって聞いて変に思ったの。それで調べてみると同時に近場の腕利きの退治屋も次々と狐の化け物に返り討ちにあってるらしいとかなんとか。だから何百年生きた妖狐なのか気になっちゃって……あっ、私八雲紫っていうの。よろしくお願いしますわ」

 

「……?」

 

「そうそう。妖狐って長生きであるほど強くなっていくから。けど来て見て吃驚! 貴女相当若いでしょう? まっ、私もすこぶる若いけど!」

 

「……」

 

「失礼なことを言うのね。妖怪の見た目なんてあてにならないんだから年齢なんてあってないようなものよ! そりゃ私はちょっとばかし長生きかもしれないけど、心はいつまでも若々しいままなの! つまり私はめちゃくちゃ若い!」

 

「…」

 

 紫様はすらすらと私が疑問に思ったことに答えてくれた。会話に言葉は不要だった。

 心を読んでいるのかと思えばそうではないらしく、なんでも私が何を思うかは表情筋の動きや妖力の推移、感情の統計で全部想定済みなんだとか。ただ単純に感服するばかりだ。

 

 気づけば夢中で紫様と話していた。喋ってないのに紫様はうんうんと相槌を打っては私に言葉を投げかけてくれた。

 ……今思えばこの頃の紫様はとてもさっぱりしていたような気がする。なんというか、表裏がないっていうか、胡散臭くなかった。

 

 しばらく談笑した後、私は『紫様は私に会って何がしたかったのか』という疑問を思い浮かべた。

 紫様は口を開いて……言葉を詰まらせた。困ったように視線を右往左往させていたと思う。

 

「……えっと、色々あったのよ。妖生敵ばかりじゃ楽しくないわ」

 

「……?」

 

「なんていうかその……まあ成り行きよ成り行き! 旅は道連れやらなんとやら! そんなことよりもご飯にしましょう! 色々あるのよ〜例えば───」

 

 未だにこの時の疑問は晴れぬままだ。この頃は私を式神にしようなんて微塵にも思っておられなかったようだし。

 私のことを見極めていたのだろうか。将来自分の害となるか否かを……。

 

 余談だが、紫様の料理に味を占めてしまったのもこの時だ。スキマから料理を出した時は正直言って抵抗感しかなかったんだけどなぁ。

 

 

 

 それから先はほとんどが紫様との記憶。

 紫様は定期的に私の元を訪れては色々と世話を焼いてくれたものだ。最初はくだらない自尊心で紫様に何度も挑んだが、笑顔で悉く一蹴された。紫様が私を超越する上位者であることを思い知ったね。

 

 やがて紫様に挑むことは諦めた。その圧倒的強さ故に、その器量の大きさ故に尊敬の念を抱き始めたのはこの頃。たくさん話をして、たくさんのことを学ばせてもらった。

 

 地球は丸いこと……世界は三つの層と三界によって成り立っていること……私たちの存在は少しだけ特殊であるということ……。

 当時の私では理解できないことが多かったが、紫様の語り口調は聞いていて飽きなかった。紫様は無限の知識といっても差し支えのない頭脳を持っており、森羅万象の全てを知り得ているらしい。流石です紫様。だが紫様曰く「本当は相対性精神学が一番得意」とのこと。

 ……のちになって紫様にその相対性精神学とはいかなるものかを尋ねてみたのだが、「そんなこと言ったかしら?」とはぐらかされてしまった。

 

 言葉を話し始めたのもこの頃だったかな。”紫様”の発音が難しくてね……何度も紫様と一緒に発音練習をしたものさ。

 

「りゅかりしゃま」

 

「ちがーう! ゆ・か・り!」

 

「ゆぅ・か・り・さ・ま」

 

「いいじゃない! それじゃもう一回」

 

「ゆかうべっ」

 

「あらら大丈夫? 舌噛んじゃった? ベーしなさい、ベー。……それにしても早口じゃないんだけどねぇ……」

 

 ……こんなこともあったな。むず痒い記憶ではあるが、これもまた私の大切な財産と言える思い出だ。

 

 おめかしもたくさんしてもらったっけ。紫様に撫でてもらうたびに髪の毛はサラサラになっていった。「可愛いんだから綺麗になる権利があるの!」なんて言ってくれて……とても嬉しかった。

 だけど時々紫様が持ってこられた時代錯誤の服は流石に遠慮したよ。服の周りにフリフリの布がついた、俗に言うゴスロリファッションなるものはまだ時代が追いついていなかった。今でも流石に恥ずかしいと思う。……しかしこれは紫様が時代を先取りしていたということになるのだろうか?

 先見の明……流石です紫様。

 

 時々喧嘩もした。理由はもう忘れてしまったが、たわいもないことだったと思う。

 結果は勿論、全て紫様の圧勝。紫様は体術だけで私をいなしていた。能力も妖力も使われていないのに…相手にすらならなかったな。紫様はまさに最強、私は井の中の蛙に過ぎなかった。

 だけど喧嘩の後には絶対紫様の方から私に謝ってくれるんだ。そしたらなんだかとても申し訳なくなっちゃって……私からも泣きながら謝った。

 

 

「貴女の名前は、そうねぇ……。私からの(藍色)を込めて、”藍”…なんてどうかしら? 紫に準ずる、此方側の色よ」

 

 ある日、名前を付けてもらった。

 ”藍”は七色の中でもっとも”紫”に近い色。とても嬉しくて、とても誇らしくて。何度も自分と紫様の名前を交互に呼び続けたっけ。

 紫様の「はいはい」という少し困ったような笑顔も覚えている。

 

 紫様とお会いしてから妖怪も人間も全く近寄らなくなり、私の体からは血の匂いが消えた。紫様との二人だけの時間が増えたが孤独は感じなかった。

 心に空いた虚無は全て紫様が埋めてくれる。

 

 私はもう独りじゃない……いや、紫様がお側に居てくれる。それだけで良かったんだ。ただそれだけで……。

 

 

 

 

 

「バイバイ、藍」

 

 

 紫様がある日を境に消えてしまった。

 今日は都合が悪いからだろう。そう思って明日を待った。次の日も紫様は来なかった。

 雨が降っても日差しが照っても、風が吹いても雪が降っても私の目の前に紫様は現れなかった。

 

 一週間、一ヶ月、一年……

 

 ずっとあの水辺で待ち続けた。そして終ぞ紫様はやって来なかった。

 

 

 寂しい……。

 

 

 寂しい…。

 

 

 長いこと落ち込み続けた。

 私は飽きられたのか? 紫様が抱いていたなんらかの期待に応えることができなかったのか?

 私にとっての紫様と、紫様にとっての私は全く重要度が違ったんだろう。

 

 最後に見た紫様の姿が何度も頭をフラッシュバックする。何の変哲もなかったんだ。紫様は確かに「明日も来る」って言ってたんだ。

 満たされることばかりに甘えて……それから先を全く考えていなかった。

 

 再び辺りに充満し始めた血の匂いを嗅ぎながら私はひたすら考えた。

 

 分からない……分からない。

 なぜ私は……言えなかったんだ。

「あなた様とずっと一緒に居たい」

 これだけの言葉をなぜ言わなかったんだ!

 

 もう一度紫様に会いたい。

 

 そのお声をもう一度聞きたかった。

 そのお姿をもう一度お目にしたかった。

 

 

 それから私は人間の世界へと飛び込んだ。時の権力者と思われる者を誑かし、紫様らしき妖怪の情報を集め続けた。

 数多の人間に囲まれるようになったが、もはや彼らに感じることはない。寂しさを紛らわすことはできなかった。

 やがて国は滅びたがそんなことはどうでもいい。次もまた国を変えて紫様を探し続けた。

 

 幾つもの国が私のせいで滅びようとも、私を愛した人間が死のうとも……どうでも良かった。

 

 

 ある日、古巣へ帰ってきた時だった。なんでも隣の島国日本では強力な妖怪が跋扈しているという話を聞いた。たかが知れていると思ってはいたが。

 そして重要だったのは、それらを統括して月への侵略を企んでいる賢者がいるという話。

 

 紫様は強い妖狐がいるという噂を聞いて私の元にやって来た。つまり紫様は強大な妖怪を求めていたということではないか?

 この仮定が正しければ、大妖怪のメッカである日本ならばいずれ紫様に会えるかもしれない。また賢者という者にも興味があり、その賢者とやらならば紫様について何か知っているかもしれないという淡い希望があった。

 

 思い立ったが吉日。早速私は大陸を後にして日本へと降り立った。

 邪魔立てする妖怪や人間を滅ぼしながら、漂う妖力を嗅ぎつけそこへ向かう。

 

 先に結果を言うと私の勘はドンピシャだった。

 しかし、同時にかなり見立てが甘かったと、深く後悔することになる。

 

 日本の妖怪は大半が大陸の者たちと変わらない有象無象の集まりだったのだが……時折、おかしなレベルに達している妖怪と戦闘になっていた。

 

 例えば……

 

「『存在』というものは他者と自身の『認識』の上で成り立つのよ。私をお前は認めない……それだけでお前は終わりだ!」

 

 訳のわからない攻撃を仕掛けてくる都に潜む正体不明の存在。

 

「その身なりで儂の領域(テリトリー)に入ってくるとは。ただの身の程知らずか、それともタダのおバカさんか……のぅ? 狐よ」

 

 卑劣な手段で確実に追い詰めてくる忌々しき化け狸の棟梁。

 

「お前さんは判ってないね? 我々、鬼の性格が! 強い者を見ると力比べしたくなる性格が! さあ、いざ勝負といこうか白面金毛の狐よ!?」

 

 ある荒野で出会った一角鬼……星熊勇儀なんかがその例だ。こいつらは特に厄介だった。

 都で会ったヤツと狸の親玉は特に精神攻撃に秀でていた。少しでも気を抜いていれば間違いなく内側から殺されていたと思う。狸のヤツが紫様に化けた時は本気で危なかったな。

 あの脳筋一角は……まあ言わずもがな。ヤツが腕を振るう度に山地が抉れて一つの平野が出来上がる。パワーだけなら恐らくこの地上で一番強いだろう。あくまでもパワーでなら、だがな。

 

 また、こいつら以外にもたくさんの妖怪に会って、うち何人かは今でも幻想郷で見かけるような連中だ。断言しよう、日本はイカれている。

 

 奴らとの戦いは熾烈を極め、それと同時に私の体はどんどん傷ついてゆく。

 まあ、奴らにはその度に深手を負わしてやったがな。だが何分、散発的に戦いが起こるものだからとてもじゃないが体力が間に合わない。

 

 

 星熊勇儀との戦いを終えた頃には息も絶え絶えで、一旦都に潜伏することにした。いつもと同じ手口でそこの王室に取り入って、紫様や噂の賢者の情報集めを心がけるつもりだった。

 だが情けないことに私の正体はそこそこ力のある霊験者にバレてしまった。おそらくだが、あの時は多分何者かの告げ口があったな。

 

 すぐに追討軍が組織されて波のように武装や霊装をした人間が押し寄せてきた。

 残り滓のような妖力で反撃して死体の山を積み上げてやったが、途中で土着の妖怪や神たちによる攻撃もあって私は限界だった。

 結局、昔に紫様から余興で教えてもらった『式の作り方』を咄嗟に実践して、それを囮にすることで難を逃れたんだが……あまりにも妖力を消費し過ぎた。式を作り出した時にそのほとんど使い切ってしまってたんだ。

 

 弱々しくなる呼吸を感じながら空を見上げた。

 いつの間にか日は暮れて私へと夜が降りてくる。……紫様と初めて会った時のように、爛々と星々が輝く美しい夜空だった。

 体も心もいっぱいいっぱいで、私は思わず地面へと倒れこんだ。

 

 ちょうど満月の日だったか。いつも以上に月が瞬いていたような気がした。

 落ちてきそうな夜空の中で、私は泥のように眠った。紫様とのかけがいのない思い出の断片を夢に思い浮かべながら。

 

 

 光が射して私は目を覚ました。

 そして目の前には……

 

「……こ、こんにちは……?」

 

 何故かボロボロになっている紫様がこちらを覗き込んでいた。

 まず一番に疑ったのが、これは夢なのか、それとも(うつつ)なのか。試しに頬を思いっきり捻ってみたのだが、痛かった。

 次に疑ったのが目の前の紫様が本物なのかどうか。憎き佐渡の狸かもしれないと思ったからな。だが幻術の匂いを感じないし、紫様に触ってみてもちゃんと実体がある。

 

 ……紫様だ。

 

「やっと……やっと会えたんですね。私は、ずっと探しておりました……」

 

 感極まって紫様に抱きついた。

 

「……!?…?……!??」

 

 紫様は無言で私の背へと手をまわすと、ぽんぽん、と優しく叩いてくれた。

 この匂い……間違いなく紫様だ。

 

「藍は強くなりました……。貴女とともに歩めるように頑張りました。どうかもう、私を置いていかないで。私を独りにしないでください…」

 

 話したいことはたくさんあったのだけれど、一番最初に口から出てきたのはこの言葉だった。いつ紫様が私の前からまた消えてしまうかもしれなくて怖かった。

 だから……

 

「私は貴女に一生付いていきます。私を、貴女の式神にしてください!」

 

「…………えぇ…」

 

 

 

 ───────────────

 

 

 

「……懐かしいですね紫様。どうやら私も少しは大人になれたみたいです」

 

 呟かれた言葉とため息が縁側から漏れた。

 

 藍はこれまで体験したことを隅々まで思い出すという、仙人の修行に似た仙術を実践していた。自分と紫を一から見直すために。

 だが結局、思い起こせたのは紫に甘えるだけの弱い自分だけだった。

 

 時間は夕暮れ時となり、かなり長い時間記憶に耽ていたことに気づいた。

 ふと、少し遠くを見ると橙がこちらに駆けて来ている姿が見えた。

 

「藍さまただいまー!」

 

「おや……おかえり橙。どうだった?」

 

「紫さまが失踪したことで幻想郷のパワーバランスが乱れつつあるみたいで……その影響か河童が六度目の核実験に踏み切りました! 制裁決議を採択したんですけど効果があるのかどうか……。あとは河童たちが外法の技師とやらを抱え込んでからの成長スピードに関する話題で……」

 

「よしよし頑張ったね」

 

「とっても緊張しました……」

 

 戦闘能力とは別次元の話で、幻想郷最高機関という表向きの組織の会議にはそれなりに神経を使う。橙にはまだ時期尚早であることは藍が一番良く分かっている。

 だが今は橙に任せるしかない。八雲の席はただ紫のためにあるものだ。繋がりを断ち切られている藍が干渉していい案件ではないのだから。

 

 ちなみに賢者会議初日に紫の代理として出席した橙を見くびって貶した賢者たちがいたが、彼らは漏れなく藍にしめられている。

 

「紫さまはいつ帰ってくるんでしょう……。寂しいです……」

 

「……そうだね私も寂しいさ。だけど紫様はいずれ帰ってくるよ。あのお方は二度と離れないと誓ってくれたんだから。さて、それじゃあ夕食にしようか。今日はきつねうどんだよ」

 

「はーい!」

 

 パタパタと元気良く玄関に駆け込んだ橙を見て、藍は心が暖かくなるのを感じた。

 敬愛する紫がかつて自分に接してくれたように、橙を育ててきたが……果たして自分が今抱いている感情とあの頃の紫様が抱かれていた感情とは同じものなのだろうか。愛と親しみの境界とはどこに存在するのだろうか。

 

 万物の境界のことを思考すればするほど周りのことが、自分のことが分からなくなる。

所詮借り物に過ぎない境界の力は、失くしてその力を意識させる。

 

 藍は軽く空へと息を吐いた。

 

 

 

 寂しい。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 

 

 

「ひにゃあぁあぁぁぁあぁぁっ!?」

 

 おおよそ乙女が出さないような声で叫んだ。冷や汗が私の背を伝う。

 心臓がバクンバクン鳴ってるわ。私のチキンハートは確かに軟弱だけど……こうなってしまったのにはそれなりの訳がある。

 そう、悪夢を見たのよ。それも追憶夢!まあ昔の回想みたいなものね。つまり私の妖生におけるトラウマってわけ。

 

 最近ドレミーと会えてないから……悪夢を見ることがしょっちゅうよ。こりゃ寝不足になるのも時間の問題だわ。

 ああ……今思い出しても恐ろしい。藍と初めて会った時はホント生きた心地がしなかった。

 

 

 

 一番初めの出会いは私による一方的なものだった。そう、あれは勝手に月面戦争参加を決定させられてむしゃくしゃしながら都を歩いていた時のことよ。

 

 いつか戦争の主催者を捕まえてとっちめてやる! なんて思いながら散歩してたんだけど……前を歩いていた真っ赤な服を着た女の人にね、狐耳と9本の尻尾が付いてたのよ。分かったかもしれないけど、この女の人が藍ね。

 で、よく見ると着ている服が真っ赤なのは血だらけだったからなのよ!

 それにびっくりして思わず「赤い狐ェェ!?」って叫んじゃったのよね。それがたまたま近くにいた安倍のなんとかって人に聞かれちゃってたみたいで。いっぱい兵士さんがやって来たかと思うと藍を追っていっちゃった。……まあ、私は『怖い妖怪はみんな退治されますように派』だからその時は兵士さんたちを応援したわね。

 

 よくよく考えてみると周りは藍に気付いてなかったみたいだし、何かの術を使って人ごみに紛れてたんだと思う。悪いことしたわ。

 

 その後私は月面戦争に強制参加。月人による虐殺から必死に逃げ回って九死に一生を得た。あの月人姉妹の顔は今でも忘れないわガクブル。

 で、地上に生還した後も私は半泣きになりながら森を走ったわ。だって本当に怖かったんですもの。後ろを振り返れば狂った玉兎たちが銃剣突撃を繰り出してくる光景が目に飛び込んでくるかもしれないっていう恐怖がね……。

 

 頭の上に月が浮かんでいる間は決して安心できなかった。酷い話よねぇ。

 

 そして月が沈み太陽が昇り始めたんだけど、必死だった私はそのことに気づかず足元も見ずにひたすら走っていた結果、何かに躓いて転倒。勢いがついてた分派手に転びまくった。これには流石の私も涙を禁じ得なかったわ。

 ふと何に転んだのか確かめてみたんだけど……そこには藍が倒れてたのよ。

 

 相変わらず血だらけで最初は死体かと思ったわ。だけど胸に手を当ててみるとしっかりと息をしていた。ほっとすると同時に恐怖が込み上げてきた。

 端整な顔つきをしてるけど裏にどんな凶暴性を秘めているか分からないからね! だって血だらけなんですもの! なんかやたら強そうだし!

 

 で、この時逃げ出しておけば良かったんだけど……ちょうど藍が目を覚ましちゃったのよね。心臓が縮み上がったわ。

 おっかなびっくりに挨拶したんだけど藍はジッとこっちを見るだけでね。あのなんとも言えない時間帯よ……! ああ思い出したらお腹痛くなってきた。

 

 その後急に藍が私を締め上げてきたのよ。苦しくて苦しくて何回も藍の背中にギブアップのサインを送ったんだけど緩める気配はなかった。

 あの時はもう死んだと思ったわ。一瞬意識が彼岸まで飛んじゃったし、サボり番頭の船がすぐ目の前まで来てた。

 

 運良く私が船に乗る前に藍が締め付けを解除してくれたおかげで生還できたけどね。この時に藍が何か言ってたような気がするけど私には聞こえなかったわ。だって朦朧としてたんですもの!

 

 そして藍が私に対して高圧的に言ったわけよ。自分を私の式神にしてくれって。

 いや何言ってんのお前? 今も昔もずっと言い続けてきたことだけどさ、何トチ狂ってんの?

 

 格上から急に子分にしてくれとか言われるなんてもう恐怖よね。意図が読めなすぎる……。しかも私と藍ってその時()()()なのに。

 結局断ることなんて出来るはずもなく、強制的に藍が私の式神になった。……けど式なんて書けないからね私。取り敢えず「『八雲』の式神にします」って感じで適当に書き込んだだけだからね私。

 なのに藍は涙まで流してやたら喜ぶし……ホント訳わかんない。

 

 今思えばこの日が八雲紫苦難の日々の狼煙になったのよね。挙げ句の果てには私を賢者の座から追い退けちゃって。ぬぐぐ……許すまじ藍!

 

 

 

「どうしたメリー君? こんな真夜中に狂ったように叫んで……」

 

 ぬっと霖之助さんが部屋の向こうから顔を出した。その下には剣の切っ先が見える。先日魔理沙からぼったくった剣だと思う。

 ……剣を持つ姿が中々さまになってるわね。本当は草食系のくせに。

 

 ああ、ちなみに私と霖之助さんの寝床は別々。霖之助さんはロリコンじゃないみたいだけど万に一つを警戒してね。

 この八雲ゆか…ゲフンゲフン! メリーちゃんの美貌に釣られて変なことされちゃ困るもの!

 

「いえ……なんでもないわ。起こしてしまったならごめんなさい」

 

「ふむ、すごい汗だね。大方、子供には酷な悪夢でもみたのかね?」

 

 なんでだろう。霖之助さんに言い当てられるとなんか無性に腹が立つわ。

 

「ご明察よ。はあ……夢が怖いわー」

 

「そうか…ならアレを飲んでみるといい。先日とある知人から貰った丸薬があってね」

 

 霖之助さんは一度引っ込むと何かの瓶を持ってきた。中には幾つかの丸いものがひしめき合っている。なんか禍々しいんだけど。

 

「そ、それは……?」

 

「胡蝶夢丸ウルトラスーパーナイトメア……というらしい。この丸薬を飲むと天にも昇るようなエキサイトかつ楽しい夢が見れるそうだ。さらに竹林の医師のお墨付きらしい。その竹林の医師とやらが誰かなのかは知らないがね」

 

 何そのカービィの題名みたいなネーミング。しかもナイトメアって付いてるじゃない。楽しい夢って感じじゃないわよねぇ!?

 わざわざ持ってきてくれたのに悪いけど、流石にそんな得体の知れない丸薬を飲む気にはなれないわ! ていうかこれってただの厄介物の押し付けよね!

 

 ドレミー! やっぱり私には貴女しかいないわ! 何か楽しい夢をかもんぷりーず!

 夢見る乙女に輝かしい夢をどうか!




補足ですが藍が生まれた時代は夏王朝中期から後期あたりという設定。この頃に中国にいる存在で当時の(2歳の)藍に勝てるのは紫と嫦娥絶対ぶっ殺すウーマンぐらいです。

ゆからんはねぇ……無限の可能性があると思うんだ。年関係、式になったタイミング、二人の間柄……どれを取ってもむふふなストーリーになると思うんだねぇ。今作はロリらんしゃまを愛でる紫様。
ちなみに作者が初めて読んだゆからん本は『水鏡』ですぁああぁぁああああいあああぎいぁあああ



さて、天空璋が楽しみだ!
評価感想くれると嬉しいです


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メリーと魔理沙とアリスんち

 

 なんだかんだで幻想郷は梅雨入りした。

 各地で狂ったように雨が降りしきり、幻想郷にはなかった海が出来上がってしまうのではないか、と思ってしまうほどだ。

 

 土砂降りの外を見てるとなんだかしんみりとした気持ちになってくる。

 こういう日は忙しくて読めずに積み上がった本の塔を一日かけて消費するに限る……ってなんかインテリ系賢者みたいじゃない?

 八雲紫時代はそういう……ふぃろそふぃあ?的な生活に憧れたものよ。まっ、休みの日もすぐに厄介ごとが舞い込んできておじゃんになっちゃうんだからそんな暇ないんだけどね! 今思えば春雪異変のあまりの暇さが異常だったのよ。まあ、あの期間はポケモン攻略に費やして正解だったと思うわ。

 

 さて、そんなこともあって私は久しぶりに読書をしてみようと思ったわけ。家事もほとんど終わらせちゃって暇だしね。私のふぃろそふぃあがビンビンに刺激される!

 それに読書に耽る文学少女っていいよね。鈴奈庵のお嬢ちゃんとか人里で人気あるみたいだし、紅魔館の本の虫はなんだかんだで知的に感じる。

 

 そんなわけで早速霖之助さんに手頃な本を求めたのよ。そして少し考えた彼から渡されたのが童話『ももたろう』……。

 

 霖之助さんってさ、私のこと何歳くらいで見てるんでしょうね? 『ももたろう』を渡してきたことを鑑みると3〜5くらいかしら。

 流石にプライドが傷つくわ……。

 

「ね、ねぇ霖之助さん? 『ももたろう』もそりゃいい話だと思うわよ? だけどもっとこう……手心というか……」

 

「おや不服かい? うーん……だがもう幼児向けの本はここ(香霖堂)には無いな」

 

 よ、幼児……。少女とすら思われていなかったことに何とも言えない気持ちになった。

 別に紫ボディには戻らなくていいから少しずつ成長していってちょうだいねメリーボディ。レミリアから心の目を背けつつ私は願った。

 

「私にも漢字は読めますわ! なにかこう……読んでると頭が良さそうに見える本とかない? 難しい漢字とか色々書かれてるやつ」

 

「……あることにはあるが、君に理解できるものなのか。そもそも君、複雑な漢字を読めるのかい? 大陸のギリシア出身だろう」

 

「あ、ああーっ! うんそうね、私はギリシャ生まれのメリーよ! だけど日本かぶれだから漢字オッケーね! その代わりギリシャ語とかは苦手だから、そこらへんオッケーね!?」

 

 危ない危ない……思わずボロが出そうになってしまった。何となくその場の勢いでギリシャ出身とか言っちゃったけど、完全にメリーの設定を間違えたわね。

 気をつけなきゃ。

 

 霖之助さんは眉をひそめると、机に積んであった本の一冊を私に渡してくれた。

 

「今僕が読んでいるものだよ。中々興味深い内容だが……まあ幻想郷向きではないね」

 

「へぇー……なになに?」

 

 冊子には『非ノイマンなんとかかんたら』と書かれている。なるほど、なんか頭が良さそう!

 

「ところでノイマンって何? 人の名前?」

 

「人に聞くばかりでなく自分で考えるといい。例え間違っていてもその考察に要した力は自分の経験値になるだろう」

 

「なるほど、それで今の霖之助さんが在るわけね! 凄く納得したわ!」

 

「へえ、そうかい」

 

 ちなみに今のって皮肉ね。霖之助さんがそれに気付いているかどうかは知ったこっちゃない。

 

 さて、それじゃ読んでみましょうか。

 

 えっと……ミニマックス定理? エルゴード理論? ちょ、なにこれ魔物の本?

 あーだめだめ、難しすぎます! メリーちゃんはまだ子供だからね、もっと大人になってから読みましょうね。うんそれがいいわ。

 

「霖之助さん。チェンジで」

 

「ん」

 

 そして渡されたのは『ももたろう』

 私は渋々絵本を受け取ると、ブラウン管テレビの上に腰かけた。くそぅ……霖之助さんにうまいこと転がされてるわ!

 

 

 しかし桃太郎ねぇ。桃から生まれた男の子が爺さん婆さんからきびだんごを貰い、犬猿雉で鬼の一団に挑むなんともまあとんでもないお話。

 桃太郎が人間じゃないのは確定として、桃から生まれるあたり天人か妖怪よね。けど『ももたろう』の中には桃を食べて若くなった爺さん婆さんが桃太郎を産むパターンもあるみたいだし、桃はやっぱり仙桃? どこぞのおバカな天人が下界に落としたのかしら?

 

 まあそれなら鬼に勝てなくもない……かもしれない。犬猿雉で鬼の弱点突きまくってるし。もっともウチ(幻想郷)の連中はそれぐらいじゃ多分無理だろうけど。

 創作物語を真面目に考察してどうするんだって思うかもしれないけど、案外実話も多いみたいよ? 例えば浦島太郎やら一寸法師やら瓜子姫やら……。実話は小説より奇なりとかなんとかってね。

 

 もしかしたら私……ゲフンゲフン! 八雲紫の出てる物語も探してみればどこかにあるかもしれないわね。多分退治される側か苦労人ポジでしょうけど!

 

 話は戻るけど鬼を退治したって相当な玉よね、桃太郎って。いや、もしくはこの鬼たちが歴代最高級に弱かったって可能性も。

 私の知り合いの鬼たちは全員どこかしらイっちゃってる連中だから判断つかないわ。中でも一番親しくしてた(ように思える)萃香なんて……………………萃香?

 

 あのロリ鬼のにやける顔が私の脳裏をよぎった瞬間、とある場面が瞼の奥でフラッシュバックする。そう、あれは春雪異変真っ只中の時だった───!

 

 

 

 ========================

 

 

 

『ゆかりぃ……いつになったら宴会を始めるんだよぅ。もう春だって言うのにさぁ』

 

『春は春でも吹雪荒れるこんな春よ。雪見酒で我慢してちょうだい……お酒ならウチに眠ってるのをいくらかあげるから』

 

『断るね。雪見酒を始めてもう月が四つも過ぎたんだ…鬼は我慢が嫌いだよっ! あー暴れちゃうおうかな幻想郷にこの鬱憤をぶつけてやろうかな。異変の黒幕もろとも幻想郷を粉砕してやろうかなー!』

 

『やめなさい。……近々異変も解決するでしょうし、その時一番に宴会を始めればいいわ。ちなみに貴女が主催でね。霊夢……博麗の巫女なんかもおそらく宴会に飢えてる頃でしょう』

 

『待てないなぁ。そうだねぇ……うん』

 

『……?』

 

『久しぶりに紫と一晩中酒を酌み交わしたいな。腹の底を割ってお前さんと語らいたい。でも、今日は(異変の件で)忙しいみたいだね?』

 

『そうね…確かに今日は(ポケモンで)忙しいわ。そろそろ(ロケット団の)野望を食い止めなきゃならないから。(ヤドンの)尻尾切りは許さない』

 

『ふぅん……お前さんがそこまで言うならよっぽど厄介な連中なんだね。まあその件に私は関係ないや。それよりも今日がダメなら、一晩中酒を酌み交わすのは私が開いた宴会の時にでも……ね。それなら私はおとなしく異変が解決されるのを待つさ』

 

『……貴女と酒を酌み交わすのは少しばかり骨が折れそうだけど、そこまで言うなら致し方ありません。誘いに乗らせてもらうわ。だけど絶対暴れないでちょうだいよ?』

 

『はっはっ…そうこなくちゃ。伊吹萃香の名にかけて誓おう、私が萃めて主催する宴会で紫が私と酒を酌み交わせば、私は絶対に暴れない! しかし、万が一にでも約束が破られた場合……私はこの鬼の剛力と能力で幻想郷が壊滅に追いやられるまで暴れまくる!』

 

『そ、そう……。そうね、そうしましょう。私と貴女の約束よ』

 

『約束か。……私の友人であるお前が、嘘つきにはならないでおくれよ!』

 

 

 

 =========================

 

 

 

 ……異変が終わってどのくらい経ったっけ?

 萃香さんもう宴会始めちゃってたりする? もしかして破壊活動実行中?

 

 い、いや……まだ宴会は始まってないという可能性もあるわ。だって萃香のイミフな能力を使えば私を萃めることなんてお茶の子さいさい。朝飯の前に赤子の手をひねるようなものよ。

 そう、私はまだ萃香に呼ばれてないわ。つまり! 萃香はまだ宴会を開いてないか約束云々を忘れてしまってるかの二つに一つ!

 

 このことはもう忘れましょう。多分なんだかんだで流れちゃったのよそうに違いない。

 ていうかそうであってくださいお願いします。

 

 なんて納得しようとしたけど膝がガクガクと無様に震えていた。く、くそ、震えよ止まれ! 私はこんなものでは……!

 

「……メリー君。もしかして『ももたろう』は君にはまだ早かったかね?」

 

「違う違うちがーうっ!」

 

 そっちで震えてたんじゃないわよ! 霖之助さんには私が妖精以下に見えるようねっ!

 ま、まあなんだかんだで気は紛れたわ。別にあっちは意識してないと思うけど一応助かった。ふぅ……落ち着くのよ紫。っじゃない! 私はメリー! ギリシャ出身の元気いっぱいロリ妖怪!

 

 

 ───カランカラン

 

 

「きたぁっ!?」

 

「お、おう? 今日も元気そうだなお前」

 

 来店の絶妙なタイミング故に萃香を疑ったが、やってきたのは魔理沙だった。そ、そうよね。ここで萃香が来るなんてただの御都合主義よね。

 取り敢えず魔理沙が来てくれたのは良かったわ。暇を潰せるから。私は嬉々として魔理沙に駆け寄り、一方で霖之助さんは魔理沙を一瞥するのみでやがて気怠げに例の『非ノイマンなんたらかんたら』に視線を戻した。

 

「いらっしゃい魔理沙! 今日はどうしたの?」

 

「ああ、お前とこーりんを宴会に誘いに来たんだぜ。近頃は雨ばっかでメンツが少ないからな。だから知り合いに片っ端から声をかけてるんだ」

 

 え、宴会……。今の私には一番ダメージを与えることのできるトラウマワード。

 ていうか雨の日も宴会をやるなんて正気の沙汰じゃないわ。まさか……ね?

 

「あ、あのさ……その宴会の主催者って誰か分かる? 鬼じゃないわよね? ね?」

 

「主催者……そりゃ霊夢じゃないか? あいつが宴会の準備をしてるから私たちは集まってるんだからな。博麗神社ほど手軽に宴会ができる場所ってのもそうそうないし、なにより飽きないんだ」

 

「そう、よね。うん」

 

「あー…確かに最近の宴会頻度は異常だが、心配するほどのことじゃないぜ。多分霊夢の踏ん切りがつかなくなってこんなに長引いてるんだろう」

 

 うーん……私の見てないところで行われている霊夢の凶行は気になるけど、萃香の仕業……ではなさそう? 霊夢なら鬼なんて見かけた瞬間即退治だもんね。

 けどあの萃香と霊夢の二人が争ったら……やべぇ、震えが戻って来たわ。

 

「まあそういうことだ。というわけで、どうだ? メリー、こーりん」

 

「却下だ。わざわざ雨に濡れに行く神経が知れないよ。メリー君だけにしてくれ」

 

「言うと思ったぜ。んじゃメリー来るか?」

 

 どうしようかしら。今思ってみればメリーになってから一度も香霖堂から離れてないし……たまには外出してみようかな?

 久しぶりに霊夢の顔も見ておきたいし、コネもそろそろ作っていかないとね。幻想郷を生きていく上では霊夢とのコネは必須よ。

 

「私飛べないんだけど……連れてってくれる? できれば帰りも」

 

「いいぜ。私の箒は二人乗りだからな」

 

 魔理沙は笑顔で箒を見せる。なるほど、これが巷で言う金かわ(金髪の子かわいい)ってやつね!

 霖之助さんの方を見ると彼は「行ってらっしゃい」と手を振っていた。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 現在魔法の森上空を飛行中。私は必死に魔理沙の背に食らいついていた。久しぶりの速度ゆえにか息がしずらい。

 

「けほっ。んー……あまり乗り心地は良くないわね。股に食い込んで痛い……」

 

「贅沢言うな。本当なら一瞬で博麗神社に着くところをお前のスピードに合わせて飛行してるんだからな。ったく……日が暮れちまうぜ」

 

 そんなことを言っている魔理沙だが明らかに80km/hは出てると思うのよね。ちなみにこれジェットコースター並みの速さになる。

 しかし本当に乗り心地が悪い。箒じゃなくて掃除機に跨がればいいんじゃないかしら? 掃除の速度も上がって便利でしょ?

 

 と、手持ち無沙汰で暇だったんだろう。魔理沙が私に話をふってきた。

 

「お前って確か外の大陸出身だったよな? なんか面白い話でも聞かせてくれよ」

 

「えー?」

 

 面白い話……そう言われると幻想郷での話ばっかりが思い浮かんじゃうわ。

 外の世界関連では悲惨な話しか思い浮かばないし、どうなってるの私の記憶……。

 

「面白い話なんてないわー……。私も別にそこまで世界に詳しいわけじゃないけど……まあ外の世界はそれなりに物騒よ」

 

「へえそうなのか。パチュリーは平和で平和で仕方がないって言ってたぜ?」

 

「あいつらならね。だけど私たちみたいな一般妖怪は生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められているのよ。幻想郷に来た理由もそれね」

 

 正確には幻想郷を作った理由になる。

 あまりにも妖怪の間のピンからキリまでが広すぎるのよ。それはもう天文学的数字まで行っちゃうくらいにまでね。昔は本当に酷いものだったわ。私は藍のおかげで生き残ってこれたようなもの。

 

 あっ、紅魔館の連中で思い出したけど。

 

「そういえばレミリアは征服した欧州の各地の拠点に紅魔館なる建造物を作らせてたらしいわ。今も幻想郷にある紅魔館が壊れたら外から取り寄せてるんだって。ほんとはた迷惑な話よ」

 

「何やってんだあいつ……」

 

 ソースはあの門番。あんな気味の悪い館が外の世界には多数残ってるらしいわ。

 多分外の世界の人間たちもアレの取り扱いに困ってることは想像だに難くない。

 

 ……っ。

 

「けほっ……けほっ!」

 

「どうしたんだ? 風邪か?」

 

 急に息が苦しくなってきた。

 胡椒でむせてしまったようなむず痒さと息苦しさ。咳が止まらないわ。

 

「ごめ、んなさい。けほっ……喘息なんて持ってないんだけどね……けほっ、げほっ!」

 

 なにこれ。咳が止まない。

 喋るとことすらできなくなって、思わずハンカチで口を覆った。

 

「けぼっ、げほっ……ぁ」

 

 ふとハンカチを見ると血がべっとり付いていた。明らかに只事じゃないわ。まさか、私の体はいつの間にか病魔に蝕まれていたの?

 なにこの急展開……。

 魔理沙も私の異常に気付いたようで小さく息を飲むと慌てだした。

 

「おまっ、吐血してるのか!? なんでそんな…。結構マズそうだし安静にさせるべきだな。ひとまず香霖堂に戻るべきか……? いや、あいつの家の方が近い!」

 

 魔理沙は少し考えた後に箒を急旋回させた。この方向は博麗神社でも、ましてや香霖堂でもない。その間にも私の吐血は止まらなかった。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 魔理沙は魔法の森の一画に降り立つと、私を箒から降ろしておぶってくれた。

 まさか魔理沙に母性を感じる日が来るなんて……我が生涯に一片の悔いなし! ゲフゥッ!

 

「また吐いたか! もう少し我慢してろよ! ……おーいアリスー! 居るんなら開けてくれー! 居ないなら扉をぶち破るぜー!」

 

 ドンドンドン、と魔理沙は何かをノックする。

 魔理沙の背中越しに前を見ると、そこには木の扉があった。霧雨魔法店以外に魔法の森に家なんて存在してたのね。知らなかったわ。

 

 少しして扉は一人でに開き、家屋の中に浮かぶ人形がこちらを手招きする。魔理沙は「早く開けろよ」と悪態をつきつつ中へ入っていった。

 

 家の中に入った瞬間、呼吸が若干楽になったのを感じる。咳は止まらないけど吐血は収まってゆく。どうなることかと思ったわ……。

 

「なによこんな雨の日に……騒々しい。今日は宴会には行かないって言ってたでしょ?」

 

「いやあすまん一人急患がいてな。取り敢えず診てくれないか? 私はこの道がどうも苦手で……」

 

「……連れてきなさい」

 

 椅子に座ってなにやら作業をしていた少女が人形を操ってスペースを作る。魔理沙はそこに私を下ろした。

 この少女を私は知ってる。

 

「あり……ゲホッ!」

 

 なんて言うか……紫マインド的には久しぶり。メリーボディ的には初めまして? 人形のような少女、アリスとの邂逅だった。

 

「う……げほっ……」

 

「───瘴気にやられてるわ。魔理沙どいて」

 

「お、おう」

 

 魔理沙を押し退けたアリスは人差し指と中指をくいっくいっと動かす。すると指先からキラキラと光る繊維が幾つも束なって、光り輝く糸となる。

 

 そしてその糸は生き物のようにうねうね動き出すと──私の口に突っ込んだ。

 ……え?

 

「ふご!? ふぐおぉごこ!!」

 

 おえぇえええ! 気持ち悪ウゥゥゥ!!

 えずく! えずくわアリスちゃん!

 糸が、糸が私の中でわしゃわしゃって蠢いてる。体内に入り込んだ異物に気持ち悪い嫌悪感が湧き出す。

 

 暴れながら涙目の視線でアリスに訴えたのだが、彼女は私を冷たく見下ろすだけで。そして無慈悲に魔理沙へと告げた。

 

「この子を取り押さえて」

 

「よし任せろ」

 

「うごがあぁぁあ!?」

 

 まさかの魔理沙もグルだった。なんでこんな酷いことを……! もしかして、藍と幽々子の差し金!? 毒を散布して私をアリスの家に誘い込み、満を持して堂々と暗殺……!

 メリーの正体は最初っから魔理沙にバレてたのね。八雲紫一生の不覚……っ!

 

「ふぅ……ふぅ…」

 

「な、なんか弱々しくなってきてるぞ!? 大丈夫なんだろうなあ!?」

 

「逆に都合がいい。今のうちにさっさと終わらせるわ」

 

 あ、アリス……あんなに可愛がってあげたのにそんな……あんまりよぉ。世の中に、これほどまでに多くの裏切りが蠢いてたなんて私知らなかった。

 調子に乗って香霖堂から出ちゃったからこんなことになってしまったのね。

 

 私の妖生って、一体……。

 

 

「はい終わり。あとはゆっくり深呼吸して空気を肺に取り入れなさい。魔理沙はミニ八卦炉で綺麗な空気を送風してあげて」

 

 ……ん、んん?

 アリスが私の体内から糸を引き抜いたと同時に体が楽になった。一瞬昇天したのかと思ったけどどうやら違うみたい。

 私、助かった?

 

「大丈夫かメリー? ほら、これ何本?」

 

 魔理沙は指を突き出す。

 

「……二本」

 

「はあー……いきなり血を吐くもんだから流石の私でも驚いたぜ。一体どうしたんだ?」

 

「う、うん。私にもなにが起こったのか訳が分からなかったわ。まさか空を飛んでただけで死にかけるなんて……」

 

「メリー……とか言ったかしら? 貴女の体内に瘴気が大量に入り込んだのよ。この辺りの瘴気は特に強いし魔力濃度も高い。人間や力の弱い妖怪ならイチコロ。……貴女、相当体が弱いみたいね。魔法使いの私が言うのもなんだけど少しは鍛えた方がいいわよ?」

 

 アリスから淡々と告げられる。確かにアリスの言う通り、メリーになってから私の体はとても弱々しくなっちゃったのよ。それこそ見た目相応の人間の子供くらいまで。

 元々から連中と比べればクソみたいな紫ボディだったけどね! だけどそれでも八雲紫の頃は魔法の森くらい普通に通過できたはずなんだけど……。

 これじゃ下手に香霖堂から出れないわ。

 

 ちなみにアリス曰く「糸を体内に突っ込んだのは悪い成分を濾し取るため」らしい。便利ねぇ……だけど少しくらい説明してくれても良かったんじゃない?

 

「ありがとう。久しぶ──初対面なのにいきなり押しかけてごめんなさいね?」

 

「……! 一定の良識がある生命体を幻想郷で初めて見たわ。ねえどう思う?」

 

「私に聞くんじゃないぜ」

 

 思わず吹き出してしまった。アリスって多分魔理沙の中では霖之助さんと同じようなポジションなんでしょうね。

 

 魔理沙がちらりと外を気にする。

 

「……少しは良くなったとはいえ、その体で外をぶらつくのは危険かもしれないな。今回の宴会はやめにしようか。焦らなくても多分明日も宴会はやってるぜ」

 

「……そうね。まだちょっとフラフラするし」

 

 私に幻想郷は早かった。もう少しだけ引きこもることにしましょう。いつの世においても引きこもりこそが世界の真理であり正義よ!

 まあ今日はアリスのことを知れただけでも大収穫。紫の状態で再会を喜べないのは少しだけ悲しいけどメリーの状態でコツコツ親交を築いていくわ!

 

 それにしても……こんな美人に成長しちゃって。子が育つのは早いものだわ。

 アリスったら、幻想郷に越してきてたんなら一報入れてくれれば良かったのに! 引っ越し祝いも渡せなかったじゃない!

 

「取り敢えず自己紹介ね。私はメリー! 少し前にギリシャから幻想郷にやってきたの!」

 

「ご丁寧にどうも。私はアリス・マーガトロイド、一応魔法使いをやってるわ。ちなみにこんな田舎者の野良魔法使いと一緒にしちゃダメよ」

 

「チッ、お高くとまりやがって」

 

 アリスの言葉に魔理沙は不機嫌そうに舌打ちした。魔法使いに田舎者も都会派もあるのかしらねぇ。やっぱり魔界が魔法の本場だから?

 同じ魔法使いなんだから対立するよりも協力した方が互いの利益は大きいと思うわよ。みんな仲良し幻想郷でいきましょう!

 

 ──そういえばマーガトロイドってなんだろう?

 

 

 

 その後魔理沙とアリスは軽く貶しあって和解。喉の渇きを感じ始めた頃には人形がクッキーといい匂いの紅茶を持ってきてくれた。

 アリスをちらりと見ると彼女は軽く微笑んでクッキーを勧めてくれた。なにこのパーフェクトな魔法使い。これには夢子さんも魔界でニッコリね。

 

 それにひきかえ……

 

 

「……なんだよ?」

 

「なんでもないわ。ただこっちの魔法使いさんは……ゲフンゲフン」

 

「まあ魔理沙は師匠が師匠だからしょうがないわ。言ってあげると可哀想よ」

 

「おいおいどういう意味だ?」

 

「火力だけの直線バカってこと」

 

 魔理沙は露骨に不機嫌になった。

 

「……よし、外に出ろ。今日こそ幻想郷最強の魔法使いが誰なのかその身に知らしめてやる。メリーもしっかり見てろよ」

 

「あら、泥土に沈みたいの? 明日からは茶黒の魔法使いとして暮らすことになるけど、いい? いやなら止めておきなさい。もっとも、貴女が少しでもこの場で敵対行動をとればすぐに蜂の巣だけどね」

 

 ふと周りを見るといつの間にか人形たちが私たちを囲っていた。手に装備しているのは良くて鉈や包丁、悪くて名状しがたいバールのようなものをさらに凶悪にした名状しがたい凶器のようなものというラインナップ。

 これ、私にとばっちりがこない!?

 

「はん! 分かりやすくていいな! そっちが攻撃する前に全部吹き飛ばせばそれまでだ」

 

 魔理沙が体の周りに幾つもの魔法陣を展開し、その上に八卦炉が浮かび上がる。それが前に香霖堂で話してた『全方位殲滅型ファイナルマスタースパーク』なるものであることに私は気づいた。

 

「食らってくたばれ! オムニディクショナル───「やめ、やめろぉぉぉぉ!!」

 

 魔理沙の顔に飛びついて無理やり術式を停止させた。小柄になったからこそ出来る芸当ね。

 

「ちょ、離れろ! 冗談だって冗談!」

 

 戯れで核を使うような奴の言うことなんて信じられるかっ! オラッ、クッキーを食え!

 

「ぐむっ!? ひゃにふんだ(なにすんだ)!」

 

「そのクッキーを味わいなさい! 美味しい? 美味しいでしょう!?」

 

「……美味しい」

 

「そのクッキーはアリスが作ったものよ。はい、ごちそうさまとありがとうは?」

 

「……ご馳走様」

 

「お粗末でした」

 

 魔理沙はガシガシと頭を掻くと、納得がいかない様子で席に着いた。それに伴って周りを囲っていた人形たちが奥へ引っ込んでゆく。魔法の森の平和は守られたわ。なんだかこの体になってから思い切りがよくなってるかも。

 

 まっ、私がかつて掲げてたみんな仲良し幻想郷な未来に少しでも近づいてくれればいいなって。完全な実現はとっくの昔に諦めてる。

 この世の諸行無常を憂いながら私はクッキーを追加で頬張った。口溶け良し、紅茶との相性良し。一家に一嫁、アリスはいかがですか?

 

 

 

「……貴女って私とどこかで会ったことあるわよね?」

 

「ゑ?」

 

 突拍子のないアリスの言葉に口に含んでいた紅茶を思わず吹き出しそうになった。あはは…何を言ってらっしゃるアリスちゃん。勘のいいお嫁さんは嫌いだよ! ……とまでは言わないけど。

 すると魔理沙もその言葉にうんうんと頷いた。

 

「お前もそう思うか? 私もどっかでこいつを見たことあるような気がするんだよなぁ。うまく思い出せんが……この小憎たらしいのがなんとも」

 

「ゑェ!?」

 

 もしかして→八雲紫?

 違うよ、私は紫じゃないよ。ほら胸を見なさい胸を! 山をどこに隠したと?

 

「なんで無い胸を張ってるんだ」

 

「無いから張ってんのよ。ていうか魔理沙に言われたらなんかムカつくわ! せめてそういうのはアリスに言わせなさいよ!」

 

「なんだと!?」

 

「不毛ね」

 

 アリスは余裕の表情で、それでいて私を観察している。魔理沙も怒るふりをしながら私の目を覗き込んだ。これまずいわ。明らかに疑ってる。

 

「いや、あの、その……私たち初対面」

 

「ふぅん。……まさか、ねぇ」

 

「そうか、判った!」

 

 アリスの双眸が薄く細められ、魔理沙がぽんっと手のひらを叩いた。

 多分今の私の表情は真っ青だろう。

 

 だが魔理沙はアリスを指差し、そして口から出た言葉は予想外のものだった。

 

「メリーはあの時のお前(アリス)に似てるんだぜ」

 

「……は?」

 

 なぜか矛先がアリスに向いた。ついでにアリスの意識が完全に魔理沙に集まった。これは魔理沙のファインプレーと言わざるをえない。

 

「生意気で馬鹿、そしてマヌケ。まさしくあの頃のお前と同じだな。ついでに同じ金髪だし、姉妹って言われても私は信じるぜ」

 

 得意げに魔理沙は語る。

 あのー、アリスの殺気とヘイトが溢れださんばかりに高まってるんだけど大丈夫? そのヘイト稼ぎの腕前はタンク役としてはかなり優秀だけど……貴女紙装甲の魔法使いでしょ? または盗賊。

 

「懐かしいなー。やけに自信ありげに挑んできた割にはスペルもめちゃくちゃで、リベンジ戦もその魔導書(Grimoire of Alice)に振り回された挙句に泣きながらの降参だったっけ? あの時の魅魔さまと霊夢の呆れようといったらもう───」

 

「あ、お花を摘んで参りますわ」

 

 得意げに語る魔理沙から背を向け隣の部屋(トイレ)に退避。そしてこれから行われるであろう惨劇に身を震わせながら縮こまった。

 

 魔理沙の暴走は止めることができたけどアリスのは……無理でしょうね。アレは私の手に負えるような表情じゃなかった。まるで自分の黒歴史を家族に目撃されたような、絶望と羞恥心と後悔、そして魔理沙に対する怒りが見て取れた。

 私にも似たような体験があるわ。違うところは、私にはそれを誤魔化し抹消する術がなく、アリスには逆にそれらがあるということ。あな恐ろしや。

 

 扉の奥からはまだ魔界神がどうとか幽香がどうしたとか聞こえるけど、やがてそれらは凄まじい破壊音とともに聞こえなくなった。怖い、アリス怖い。

 昔から感情的になると危なっかしくなる子だったけど……大きくなってもそれは変わっていないみたい。むしろ自制できる理性を培ったことによって爆発した時の規模がいけないことに。

 

 恐る恐る扉を開いてみると、アリスの家は机を挟んで魔理沙の座っていたそれから先が全て吹き飛んでいた。人形たちが木材を運んできては修理している。

 魔理沙の姿はない。

 

 アリスは何事もなかったかのように紅茶を嗜んでいた。そして私の方を見ると優雅に微笑んだ。

 

「紅茶のおかわりはどう?」

 

「あっはい。お願いします」

 

 うん、お茶とともに私の正体もろとも全てを流してしまおう。私はなにも聞かなかったし、アリスも何も考えなかった。

 なにかとんでもない()()()()()があるような気がしないでもないけど、これから先を知る勇気は私にはこれっぽっちもなかった。

 

 ちなみに入り込んでくる魔法の森の瘴気やその他有害なものは全てアリスがシャットダウンすることによって、有り余る開放感によるクリーンな空気を味わうことができる。

 一家に一嫁、アリスはどうですか?(迫真)

 

 

 

 

 それからしばらくアリスとたわいもない話をしていたんだけど、いつの間にか雨は上がって時は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなりってね。……今は梅雨だけど。

 

 さて、そろそろ余り物を使った今日の晩御飯のメニューを考えつつ香霖堂に帰らないと。霖之助さんがお腹を空かして待って───はいないだろうけど、まあそれなりに気はかけてるかもしれない。

 

 その旨をアリスに伝えると、どうせなら今日は泊まっていってもいいなんて言ってくれた。嬉しい申し出ではあるが、霖之助さんが心配する───わけないけど少しは気にかけるかもしれないから心苦しくも断った。するとアリスはクッキーを包んでくれた。アリスにはとことん隙がなかったのね。

 私が男の子だったら間違いなく惚れてるわ。ていうか女の子でも惚れるわ。つまり私はベタ惚れよ。惚れない人なんているの?

 

 

「何から何までありがとう! 何かお礼がしたいんだけど、私って居候だから……」

 

 賢者八雲紫としてならいくらでもこの子に恩返しができるのに──むず痒い。

 

「子供はそんなこと気にしなくていいのよ。それに良い話し相手になってくれたわ。最近少しだけ退廃的な気分だったんだけど、貴女のおかげかしら、なんだか気分が良くなったわ。また暇な時にいらっしゃい。……今度は魔理沙は抜きで」

 

「アッハイ」

 

 魔理沙ェ……。

 取り敢えず次会った時にアリスへ謝るように言っておきましょうか。アリスも魔理沙も大好きだし、そんな二人が仲違いなんて嫌だから。

 

「ほらお迎えが来たみたいよ」

 

「え?」

 

 

 ──コツコツ…

 

 

 私から見て正面、アリスの後ろにある窓から音が聞こえた。誰かが指で窓を叩いたようだが、見るとそこには魔理沙が居た。

 笑いながら外を指さしている。外で待ってる……ってこと? もしかしてずっと家の近くで待機してくれてたのだろうか。とてもありがたいんだけど……それならアリスに謝って家に入れてもらったほうがいいんじゃ。

 

 

 

 なお後日、アリスが香霖堂にやってきた。そして私に可愛らしいスカーフを渡してくれた。なんでもこのスカーフ(マジックアイテム)があれば瘴気などの有害な汚染物質から私を守ってくれるんだそうだ。

 ちなみに能力で鑑定した霖之助さんも眼を細めるほどの出来栄えみたいで、アリスは「他にも困ったことがあったら家にいらっしゃい」なんて言ってくれて、なんというかもう……結婚しよ。

 




アリスって凄いなぁって。

最近ますますアリスは万能なんじゃないかと思い始めた作者であった。コネも多いし。

てかネムノさんマジヤベェッ諏訪。あうんちゃんもラルバちゃんもヤバイ。神主さんマジぱねえっす。
ネムノさんのことを原始時代のえーりんとか言った奴は絶対に許さない(血涙)


評価、感想いただければ嬉しいなって
辛いこともそれだけで乗り越えられるんだ


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東方萃無双

 

 レミリアは不機嫌だった。

 紫と時を同じくして失踪したフランドールの捜索が一向に進まないからである。約500年の亡失が生み出した反動はレミリアを妹煩悩な姉へと変貌させていた。ちなみに能力を多用しなくなったこともまた起因する。

 フランに万が一はないはず。レミリアが思っている以上にフランはしっかりしていることは、他ならぬレミリアが承知している。しかし、それでも心配してしまうのが姉としての(さが)なのだ。

 

 

 そして咲夜も不機嫌だった。

 理由は簡単。また”八雲”か、である。

 咲夜にとって八雲紫とは不倶戴天の敵である。敬愛するレミリアとフランドールを誑かし、自分を散々な目に合わせてくれた忌むべき存在。

 今回は訳のわからないことをほざいた挙句に幻想郷から姿を消し、そしてその影響を紅魔館は少なからず受けている。

 妹様がいないのは紫のせい、レミリアが不機嫌なのも紫のせい、博麗神社の宴会に行くと妖夢にしつこく絡まれるのも紫のせい、霊夢と顔をあわせると気まずい雰囲気になってしまうのも紫のせい、美鈴がシエスタに明け暮れるのも全て紫のせいである。

 八雲紫、断じて許すまじ。

 

 

 次にパチュリーも不機嫌だった。

 近頃図書館にやってくる魔法使いが多いのだ。静かに知識を蓄えることをわざわざ阻害しにやってくる連中などパチュリーにとっては害悪でしかない。

 アリス・マーガトロイドはまだいい。頻繁に大図書館にやってくることを除けば非常に扱い易いし、話し易い。中々有益な魔法を使っていることや興味深い魔導書を持っていることも評価点である。

 面識のない可笑しな魔法使いもまだ許せる。馴れ馴れしいことやふわふわした言動が一々癪に触るが彼女もまた面白い魔法を使うので、まあ精一杯の慈悲で見逃してやろう。

 だが霧雨魔理沙、てめーはダメだ。

 

 最後に美鈴。

 シエスタ中。何故か傷は増えている。

 

 

 そして今日のアフタヌーンティーは異質なムードで始まった。レミリアとパチュリーが机を挟んで向かい合わせに座り、両者の傍に咲夜と小悪魔が控える。

 ビクビクする小悪魔を除く三人は一見澄まし顔。紅茶はその名の通り紅いお茶で、日頃出てくる緑、青などの紅茶ではなかった。

 

 テラスから門前の美鈴を日光浴見。そしてレミリアはポツリと思わしげに呟いた。

 

 

「……忌々しい霧が晴れてるわね。ククク───”奴”が動き出した……か」

 

「奴? 誰よ」

 

「いや、そこまでは考えてないわ。ちょっと待ってて今考えるから」

 

「……妄想してる暇があったら能力を使えばいいのに。はっきり言って最近のレミィって役に立たないわよね。主に能力的な意味で」

 

「ウチの穀潰しに言われちゃおしまいね。まあ、私の偉大さに漸く気がついたってことかしら? ふふ、遅かったじゃないの」

 

 かつてのレミリアとは比べようもないほどの無能っぷりにパチュリーの頭が重くなる。能力を頑なに使わなくなったのには何か理由があるに違いないのだが、どうにも危なかっしい。

 春雪異変を境にどんどん力を増している咲夜とは実に対照的。しかしそのおかげか否か、彼女たち主従の関係はより一層強固になったように見える。これをレミリアが狙っていたのなら彼女は頗る有能。しかし偶然であるので残念な無能である。

 

 

「霧の件に話を戻すわ。アレを覆ってたのは多分ここ土着の者……それもかなり古そうな。恐らく宴会が度々開かれてたのもそいつが原因ね」

 

「ほう、つまり私たちはそいつにまんまと乗せられていたというわけか」

 

「今更白々しい……ワザと、でしょ?」

 

「クク……まあね。そいつの狙いを見極めるためにフランの捜索と並行して毎日神社に行ってたんだ。奴さんもこっちの思惑にはとっくに気付いてるだろうさ」

 

「それで? 今日晴れて霧が無くなったわけだけど……どうするの? やっと霧の主が本格的に行動を開始するんだから、動くなら今よ。とは言っても、流石に『フランの捜索』『異変への介入』『月の監視』を同時に行うのは難しいわ」

 

「フランに分身スペルを複製してもらうべきだったかしらね。まあ、足りない人手は根性と内容で補えばいいわ」

 

「根性と内容が一番足りてないんだけど」

 

「捻り出す」

 

「あのねぇ、それ根性……」

 

 

 呆れた様子のパチュリーは口を開きかけるが、とっさにそれを噤んだ。

 そして返答の代わりに本のページをめくる音が返ってくる。レミリアとの会話をパチュリーが無理やり断ち切ったのだ。

 つまらなそうにレミリアは紅茶を口に含むと、爬虫類のような双眸を細めた。

 

 

「──……なるほど招かれざる客、いや、渦中の客人か。やれやれ泥臭い未開な空気が流れ込んできたね。───咲夜」

 

「……小悪魔よろしく」

 

 従者へと簡潔な命令を下したその瞬間、鈍い音が空気の弾みとともに紅魔館へ響き渡る。そしてテラスへと勢いよく何かが飛んできた。

 飛んできたそれは咲夜がエネルギーをゼロにしてキャッチ。大破したテラスの残骸は全て小悪魔の魔力が飲み込んだ。

 

 飛んできたその物体は我らが頼れる紅魔館の門番だった。苦痛の声を漏らしながら未だに寝息を立てている。

 咲夜は無言で美鈴をテラスから放り投げた。

 

 紅魔館を一瞬で覆った妖霧は凝縮され、元の形へと萃まる。

 咲夜とパチュリーは静かにナイフと魔導書を携え、レミリアは興味深くその姿を見遣った。

 

「遊びはおしまいってわけね、おチビさん。それで本日はどのような件で紅魔館へ?」

 

 

 

 

「いやなあに。一つ協力してもらおうと思って」

 

 

 

 ────────────

 

 

 

「幽々子様! 斬ってもよろしいですか!?」

 

「まあ待ちなさい、一応知った仲よ。───昨日ぶり。鬼が出るか仏が出るかと思えば、これはこれは随分と小汚い小鬼が」

 

「言うねぇ」

 

 楼観剣に手を当てる妖夢を制しながら毒舌を決める幽々子。霧の主は苦笑するしかなかった。

 

 幽々子は静かに激怒していた。

 理由は(霧の主曰く)威嚇攻撃によってがっついていた西瓜を白玉楼の縁側ごとダメにされてしまったからだ。

 表面上は穏やかに無表情を保ってはいるが、手に持っている扇子がビキビキと崩壊の音を立てていた。能力を闇雲に使っていないだけまだ持っている方だ。しかしいつ爆発するかは分からない。

 妖夢は泣きたかった。

 

 幽々子と霧の主は旧知の仲。しかしとても親しい仲、というわけではない。ふたりの関係は所謂親友の親友であり、紫の仲介があって二人の接触は成るのだ。そんな奴がアポなしに威嚇攻撃となれば幽々子も悠長に構える必要はない。

 場の主導権は相手に取られた。なれば話を上手く誘導してゆくしかない。まずは気軽に世間話でもして話の掴みを────。

 

 

「おっと、お前さんと話す気はないよ。流石にあんたにゃ話術で勝てるとは思ってないからね。ペースを引き摺られちゃ言いたいことも言えない」

 

「……」

 

「幽々子様……あの方は客人なのですか? いや、それ以前に斬ってもよろしいですか?」

 

 目の色を変えてうずうずし始めた妖夢を幽々子は目で抑えつける。争うことは簡単だが、彼女相手ではそれに見合った結果は決して訪れないことを、幽々子は重々承知していた。だから彼女もまた食べ物の恨みを必死に己の内で抑えつけているのだ。

 結局、話のペースを幽々子は握らなかった。

 

 

「……ふう。今日は遺憾の意を表明するだけで勘弁してあげるわ。さっさと用件を言って頂戴な。早くしないと私の優秀な従者が貴女の立派な角を斬るわ」

 

「……(うずうず)」

 

「全く、物騒な連中だなぁ。あの世の者がしていい目じゃないよそれは」

 

 幽々子の遺憾砲を華麗にスルーし、存分に主従をなじる。そして彼女たちが本気で怒るラインの引き際を見極め本題へと入った。

 

 

「実はね、親友のツケ払いを頼みたいんだ」

 

 

 

 ────────────

 

 

 

 忙しく鳴り続ける蝉の声が博麗神社を満たす。

 

 今日も今日とて宴会の準備を始める霊夢だったが、流石に疲れの色を隠せない。二日酔いと夏バテが体を容赦なく追い立てる。

 

 片付けは一応咲夜やアリスが手伝ってくれるのだが、準備は霊夢一人で行う。時折気づかぬ間に飲んだことのない酒が注がれた杯が人数分用意されていることもあるが、最近はそれもない。

 いつも苦労するのは自分ばかりだ、と霊夢はしきりに思いながら淡々と準備を進める。

 

 今日の宴会参加人数はそれなりだと覚えている。

 フランドールを除く紅魔館の住民や、冥界の二人は安定した頻度で参加する。逆にほぼ毎日参加するのは霊夢と魔理沙、そして藍。時々やってくるのがアリスと幽香である。誘っても頑なに参加しないのは霖之助のみ。

 ちなみにチルノやルーミアに文、名前を覚えられていない三人の妖精は乱入という形での参加になっている。

 

 どうやら今回は霖之助が雇ったという外来の妖怪が参加するようだが、まあどうでもいいかと霊夢の頭から2秒でその存在は消えた。

 

 

 名前を挙げた全員がもはや宴会に飽きてきているのは暗黙の事実だ。

 レミリアに至っては生活習慣病に悩まされている。昼夜両刀の吸血鬼と里では持て囃されているようで本人は満更でもない様子ではあるが。

 話を戻して、全員が宴会に飽きている。しかし誰も止められないのだ。自分の意思とは関係なしに体と心が動いてしまう。

 

 そのことを不審に思っている者もいるし、すでにその原因を作り出した黒幕と対峙した者もいる。そして結論に行き着くのだ。

 

 この異変を止めることはできない、と。

 

 

 そして霊夢は黒幕の存在を感じつつもそれを敢えて放置していた。いずれ解決しようと思いつつ流れに流れて二ヶ月が経過。未だに動こうとしない。

 空に感じる妖力の濃さは決して侮るべき妖怪でないことを物語っているが、今の霊夢には心底どうでもよかった。お酒を時々持ってきてくれる善良な存在である。

 

 

「今日は藍と幽々子が食材を持ってくるんだっけ? ならお酒は……」

 

 ちらりと台所を見る。そこにあったのは中身のない空瓶が散乱している光景だった。

 酒の貯蔵はない。すなわち霊夢が取らなければならない行動は大きく三つ。

 

 一つに、木花之佐久夜毘売をその身に降ろして酒を一気に作り上げる。

 

 一つに、人里まで下りて酒を買う。

 

 一つに、誰かからお裾(略奪)分けしてもらう。

 

 

 さてどうしようかと霊夢は考える。ばてている状態での神降ろしは何かと面倒臭い。酒を買うという案は……懐事情につき却下された。

 略奪……もといお裾分けも連中がそう簡単に酒を手放すとは思えない。魔理沙やアリスに頼めば快くくれるかもしれないが得体が知れない。

 

 ここで一人の男が霊夢の捜査線上に上がった。その男の名は、森近霖之助。

 

 

「……香霖堂に行きましょうか。霖之助さんなら何か手頃なお酒を持ってるよね」

 

 大抵霊夢は困った時は紫を呼ぶか香霖堂へ行く。最近は紫もいなければ香霖堂にも行く気がしなかったので少しばかり懐かしく思う。

 さあ思い立ったが吉日、と霊夢は散歩のような気分で出発しようとした。

 

 

 だが前方に見えた陽炎に揺らめく人影に動きを止めた。霊夢は眉をひそめる。

 その人影は神社の鳥居に内側から寄りかかっている。鳥居と大きさを比べてみるとその人影はとても小さい。幼児サイズほどしか身長はなかった。

 瓢箪を呷っているように見える。

 

「……誰?」

 

 声をかけると人影はこちらを向いた。

 そして霊夢は気づいた。頭から生え出ている二本の長い鋭角に。太古より人間と相対してきた最強の存在の証に。

 

 

「鬼、ね」

 

 確かめるように呟き、お祓い棒をどこからか取り出し空を叩く。

 

 子供の頃に紫から語り聞いた数々の逸話。友人だという鬼たちが巻き起こした奇想天外な災厄。

 腕を振るうだけで紙のように吹き飛ぶ山々、足を踏み込むだけで国を叩き割るほどの亀裂を生み出し、一喝するだけで生ける者共を死に追いやる。

 またその妖術は極めて特殊かつ強大で、まさに鬼に金棒。あの紫でさえ正面からの対面は避けたいと言わしめる豪の者。

 

 

 

 

「ああ───……私が見えたか。待っていたよ、博麗の巫女。ようやくの邂逅だね」

 

 小さくステップを踏んで鬼は重心を鳥居から自分の足腰へと戻す。そして軽く歩きながら霊夢へと一歩、一歩と近づいてゆく。

 警戒心も、敵対心も全く感じられない。しかし霊夢は決して油断しない。鬼の内に蓄えられている瀑布の如き妖力──それだけで目の前の存在は十分な脅威になり得る。

 

 そして数メートルもない位置まで鬼は近づいた。霊夢は気怠げに札を構える。

 鬼は口の端を持ち上げ嗤う。

 

 

「さて自己紹介といこうか? 私の名は伊吹萃香……見ての通り、鬼だ」

 

「しかもただの鬼じゃない。今回の異変の黒幕なんでしょう? 幻想郷を覆ってた妖霧の正体もアンタ、宴会を開かせていたのもアンタ……」

 

「やっぱり気がついていたんだ。そしてそれを敢えて放置していたと? どうも、紫から聞いていたのと全然違うね、博麗の巫女ってのは」

 

 霊夢は紫、というワードに微弱な反応を見せる。だが気怠さと警戒が混ざったよく分からない雰囲気は未だに変わらず。

 はぁ、と霊夢はため息を吐いた。

 

 

「異変であって異変じゃないからよ。アンタの戯れに少しだけ付き合ってあげた……それだけよ。まずそもそもだけど、鬼に仕事を言われる筋合いはない」

 

「そうだろうがねー……お前の落ち度を私の所為にするのは感心しないな。吸血鬼も、幽々子も藍も……魔法使いたちもずっと気にかけていただろう?」

 

 確かに彼女らが霊夢の様子見のために神社へ訪れていた、ということはある。なんだかんだで霊夢のことが心配だったのだ。

 また霊夢の態度で紫の安否が分かるということもある。いつまで経っても宴会を繰り返す霊夢は───まあそういうことだろうと。

 

 

「煩いわね。それで今更なんの用? もしかしてお酒を分けてくれるの?」

 

 いつも知らずのうちに酒を用意してくれていたのは萃香だ。彼女から酒をもらえればわざわざ香霖堂まで出向く必要はない。鬼ならばその豪胆さゆえに酒を快く譲ってくれるかもしれない。

 

 

「お酒、かぁ……」

 

 萃香はヒクつくと伊吹瓢を呷る。目がギラついて、尚且つ据わっているのは酔いのせいだけではないだろう。じわじわと流れ出す妖力に神社の石畳が捲れ、蝉たちは一斉に命の謳歌を停止する。

 

 晴天だった夏の青空はいつの間にか分厚い積乱雲が覆い、ポツポツと雨が降り始め…やがて暴風雷雨が吹き荒れる。これは萃香の能力による産物かと、霊夢は結界で雨を弾きながら思う。

 

 

 幼さと古さを同時に感じさせる声音で萃香は言う。

 

「残念だが、宴会はもうナシだ。人妖を萃めるのは今日を最後にする」

 

「あら、宴会に飽きたの?」

 

「いいや。宴会は続いた方が楽しいでしょ? 私は賑やかなのが大好きなの。今回の宴会も楽しかった……ここまで多様性に富んでいた宴会は長く生きてきた中でも初めてよ。紫の望んだ世界が出来つつあるんだろうねぇ。───……見ていてとっても楽しかった」

 

「……の割には随分と不服そうね」

 

「ああ不服さ。親友に約束を違われた。───あいつは私を頼るし私はあいつをよく頼る。たくさんの約束事も取りかわしてきた。……もちろん私は一度もあいつを裏切ったことはない。そしてあいつも私を裏切らなかった」

 

 ポツリポツリと語る。そしてだんだんと語尾が強くなっていた。

 体が小刻みに震え空気が振動し、地面に亀裂が広がってゆく。血が滲むほど拳を握り締める。

 

 

「私は紫だけは信じてたんだ……ずっとずっと信じてたんだッ! 何百年も、何千年も! これから先の数万年も信じ続けようと、心に決めていた……!」

 

 紫に対する深い信頼と友情、それは今や萃香を取り巻く憎悪へと変貌していた。

 キレた鬼ほど怖いものはそうそうない……と、かの八雲紫はよく呟いていたそうだ。偏愛と大義では妖怪トップクラス、それが鬼である。

 

「あいつを信じて宴会を開き続けたんだッ!! なのにあいつは……あいつは、嘘をついて私を裏切ったんだぁー!! 八雲紫ぃぃぃッ!!」

 

 癇癪を起こした萃香が地団駄を踏む。ドン、ドンッ、と爆弾が落ちたような仰々しい音ともに博麗神社を支えていた小山が崩落する。

 雨と酒と涙に溺れて萃香の顔はぐしゃぐしゃだった。地面が崩れ落ちてゆく景色を背景に、萃香は嗚咽を酒とともに喉へと流す。

 

 霊夢は呆れてものが言えない。

 

 

 萃香は握りこぶしを眼前で握り、上へと突き上げ高々と宣言した。

 

「私は鬼だ……約束は守る。紫ぃ、お前と違えた約束……私はしっかりと守るぞ!」

 

 突き上げられた拳が雨を割り、雷を割り、そして雲を割る。拳ひとつで幻想郷に渦巻いた異常気象が霧散した。

 

 

「そういうわけで今日が幻想郷最期の日だ! 私は盟友との誓いに則り幻想郷を徹底的に破壊する。それが私と紫の約束だ。そうだね、まずは(かなめ)であり紫の愛娘であるお前を倒す! それを狼煙としよう!」

 

 鬼と人間……物語は大抵が人間の勝利で終わる。だが、現実では如何程か。

 源頼光や渡辺綱をはじめとした鬼退治に功のある者たちも、百パーセント自身の力だけで戦ったわけではない。神仏の加護、鬼達の慢心、そして騙し討ち、さらには幾つかの幸運があった。

 きびだんごを食べただけでひっくり返るような力関係では決してない。

 

 さらに、相手はその鬼たちの中でも隔絶された力を持つ伊吹萃香である。普通の鬼ならお祓い棒一本で討伐してしまうだろう霊夢でも、目の前の鬼はいささか相手が悪いように思える。

 

 はっきり言って『予想外』──紫に関係する妖怪たちの歪さは十分に理解していたつもりであったが、その霊夢の認識はまだまだ甘かったと言わざるを得ない。前回の異変時には霊夢の力は幽々子と横並び状態であった。夢想天生が不完全だったとはいえかなりの遅れを取ってしまっていた。

 いや、よくよく考えればレミリアも藍もフランドールも、状況によっては自分が負けてしまう可能性もないわけではなかった。夢想天生は絶対無敵、しかし霊夢は───あくまでも人間なのだ。

 

 幽々子と萃香を比べてみれば、危険度はおそらく幽々子に軍配が上がるだろう。だが、総合的な厄介さは萃香の方が勝る。

 危険だ。

 

 

 しかし霊夢は博麗の巫女。まだ前回の異変よりそう時間が経っていないため完全な夢想天生は使えないだろう。だが逆に言えば夢想天生を使わずとも規格外の妖怪達とやり合えるだけの力を持っている。

 さらには魔理沙と咲夜の手助けがあったとはいえ、別の八雲紫に勝利するという快挙も成し遂げている。今更鬼如きに臆するものか。

 

 さらに霊夢の心中は穏やかでなかった。

 原因も原因が全て紫。溜まっていた鬱憤が萃香という理不尽の前に爆発した。

 

 

「……黙って聞いてれば……! 何が紫との約束よ、そんな胡散臭いもの信じるもんじゃないわよ! おまけに色々とぶっ壊してくれて……挙句には私を倒す? いいわ、アンタは徹底的に退治してあげる。 いや、アンタを磔にでもすれば紫は出てくるかもしれないわね!」

 

「私を倒す!? あーはっはっはー。ここまで酷い(冗談)は初めてだよ! 紫に甘えるだけのお前さんに何ができる?」

 

「舐めんじゃないわよッ! 巫女が妖怪に負けて幻想郷が回るもんですか!」

 

「私を妖怪だと思ってる時点で勝負にならないよ。我が群隊は鬼の百鬼夜行、私の集まる所に人間も妖怪も居れるものか!」

 

 

 萃香が腕を振りかぶる。

 パワーに特化した一撃はただの空圧でさえも最凶の武器へと化す。人間どころか妖怪でさえも受けきれないほどの衝撃。

 

 対して霊夢はお祓い棒を薙いだ。

 迸る霊力が鬼の剛力を空へと有耶無耶にする。怒りのあまり放出される霊気によってヒラヒラと震える紅白のスカートと巫女袖。

 その姿はまさに鬼巫女。

 

 互いの姿を認め、二人は衝突した。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 

 

 

 

「暇ねー。そうだ、なにかゲームをしない? ルールはなんでもいいわ。互いの二番目に大切なものを賭けて、勝負するの」

 

『──────。』

 

「……そうね。賭けにもなりやしない」

 

 フランドールはやさぐれた様子で虚空へと語りかけた。赤いソファーが彼女の重みでギシリ、と僅かな音を立てる。

 

 

 虚空は答え、歪みをフランドールへと伝える。それによってフランドールの脳裏に浮かんだのは、姉のレミリアが血眼になって幻想郷中を駆けずり回ってる姿だ。他ならぬ自分を探し出すために。

 「過保護よねー」と、フランドールは笑みをこぼした。

 

 

「私はいーのよ。お姉様がなんと言おうと自分のすべきことをやり遂げる。それに私が帰ったらこいしが困るんじゃなくて?」

 

『──────。』

 

「素直でよろしい。けどこのままお姉様を野放しにして幻想郷中に喧嘩を売らせるわけにもいかないし、なにより私は我慢の限界を迎えようとしているわ。これ以上時間をとるのはゴメン」

 

 うずうずしながら妖力を漲らせる。パンッ、という音とともに壁に掛けてあった死体が破裂し、灰になってそこらへ散った。

 

『───! ───……』

 

「あぁわざとじゃないのよ。こいしといるんだからしょうがない。またあの猫ちゃんに盗ってもらってきて。……そんなことよりも紫よ紫。紫はまだ見つからないの?」

 

『──────。』

 

「ふぅん。こいしに見つけられないんじゃあ仕方ないかな。けどそろそろ面倒じゃない? いっそ私が直々に出向いてやろうかしら。紫の目はないけど、逆にそれが紫の証になるわ。もっともそれじゃ途方のない時間がかかるだろうしくだらない戦いも避けられない。建設的ではないなぁ」

 

 つらつらと案を述べるもののはなから実行する気はないようで、フランドールは期待の眼差しをこいしへ向ける。虚空が揺らいだ。

 ガツ、ガツ、と壁が刃物でえぐられる。この行為に何か意味があるように思えるが、実は全くない。ちなみに癇癪でもない。

 

 

「あーうんうん。夢かぁ。なるほど、試してみる価値はあるかもね! ナイスアイディア! 首尾は……あっ、お願いできる? よろしく」

 

 納得したフランドールは机に置かれていたティーカップを呷る。そしてティーカップを砕き空間に歪みを壊した。歪みの先はいつもの地下室。

 

 

「じゃあ目処がたったら教えてね。世界の裏側にいてもすっ飛んでくるわ!」

 

『───。』

 

「はいはーいそんじゃね! あっ、あと一つ言っとくけど、最近こいしが何言ってるか分かんないや。はは、今度こそじゃーね!」

 

 フランドールはスキップしながら歪みへと消える。虚空はゆらゆらと揺れる。

 

 そして扉は開かれた。三つの目が歪みを見る。

 

 

「……フランは、帰ったのね。せっかく夕飯を用意したのに。だけど───……ええそれがいい。紫さんがいないことにはこれ以上の発展は望めない。だけどまあ、一応紅魔館の方に連絡は入れておきましょうか。あちらの当主とは一度も交わしたことがないし」

 

『──────。』

 

「好きにおやりなさい。深く入り込み過ぎなければどうということはない。……全くフランったら能力を愉しんで使ってるわね。このティーカップ高いのよ?」

 

 手を翳すとバラバラに砕け散ったティーカップがみるみるうちに再生を始める。

 そして復元されたティーカップを拾い上げ、何もないテーブルに置き直す。

 

 満足げにそれを見やると、話を紫の件へと回帰させる。

 

 

「それに紫さんの復帰はできるだけ早いほうがいい。彼女にもしものことはないだろうけど、彼女の思い通りにならないことも多いと思う。私たちがサポートしても紫さんの邪魔にはならないはず。

 ただ……貘には気をつけなさい。夢の世界でアレと戦うのは得策ではないわ。妖力は無限大、そして後ろ盾には舌禍をもたらす月の賢者。……地底と幻想郷に間違いなく災いと不利益をもたらす」

 

 

 そこにいるはずの妹へ独り言を喋る。例えその場に居なかったとしても、例えその言葉を聞いていなかったとしても言うことに意味がある。

 幸いにもこいしはいるようだ。不安定に虚空が揺れる。空気が少しだけ張り詰めた。

 

 

『──────? ───…』

 

「その場合は………どんな手を使ってでも殺しなさい。後先を考える必要はないわ。……難しいだろうけど、あなたもあんな紫さんを見たくはないでしょ? 」

 

『……───。』

 

「それが彼女のためなのよ。どういう巡り合わせかフランも協力してくれるみたいだし、あなたたち二人ならどんなこともやってのけることができるはず。もちろん紫さんを活かすことも、ね。……頼んだわよ、こいし」

 





ゆかりん→6頭身
メリーちゃん→3頭身
紫→7頭身
綺麗な紫→6.5頭身
注)あくまで雰囲気です

萃香は何をしでかすんでしょうかねぇ。




突然ですが手術することになりました。左腕がうごがねぇんだちくしょう……!
まあ、エタることはありませんが(壮絶な死亡フラグ)もしも続きが万が一投稿されなければ

オオオ
イイイ









と思ってくだせえ。
でも相手はあのマミゾウ先輩だぜ?(幻聴)
けどやはり怖い。オラに勇気と元気を分けてくれ……!

あ、あぁ……会長…(幻視)


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メリーは小傘と博麗神社

くそ……左腕がないと次話が書けないっ! みんな 左腕を探すんだ!

ゆかりん「あったわ! 左腕あった!」

左腕でかした!
丸太は持ったな!? いくぞォ!!


 はぁい私メリーさん。今香霖堂が危ないの!

 

 豪雨による圧力によって香霖堂はミシミシと音を立て、天井からは蛇口の如く水が滴る。

 つまるところ絶賛雨漏り中である。

 

 

「り、霖之助さん! 鍋が足りないわ!」

 

「くっ……致し方ない! 商品を使ってくれ。ただしなるべく精密な物は避けて」

 

「了解!」

 

 現在の季節は夏。7月の上旬よ。

 梅雨もそろそろ開けようかという矢先の大豪雨。長く雨に晒されたオンボロ香霖堂は今にも倒壊しそうなほどにダメージを受けていた。

 

 間違いなく普通じゃない。今回の大豪雨は自然の産物とはどうしても思えないから。だってね、この雨って香霖堂にしか降ってないのよ。

 不自然に香霖堂の真上だけにドス黒い雲が集中している。少し香霖堂から離れれば外は快晴なの。一瞬だけ外の方でも雨が降ったみたいだけど……多分夕立か何かよね。今は朝だけど。

 

 ていうかそろそろ何かの対策を考えないと。湯飲みや鍋を総動員しても許容できないほどの水が天井から現在進行形で落ちてる。

 私と霖之助さんはもうビショビショ。床には少なくない水が張っている。このままじゃ水没もあり得るわ。

 

 うぅ……今日はようやく体も良くなってきたから博麗神社の宴会に参加する予定だったのに。このままじゃその前に疲労困憊で満身創痍だ。

 

 くっ……スキマが使えれば水なんてウチの屋敷のお風呂にポイなのに。まあ、切り口になるスキマは私の正面にしか作れないから、そのためには私が地面に這いつくばる必要があるのよね。さすがにそれは私でもちょっと、ね? もっとも今はスキマを使えないのでもしもの話ではある。

 

 

「霖之助さぁん! このままじゃふやけちゃうわ!」

 

「やはり大元を叩かなければならないか……? しかし僕の予想が正しければこれは……」

 

「ちょっとー!? 聞いてるー!?」

 

 私の悲痛な叫びも、霖之助さんの独り言の前にスルーされてしまった。キレないで、私。いつものことよ。いつもの……!

 ゆか……メリーちゃんは出来る女の子なのよ! さあ、私も霖之助さんのことなんか無視して雨漏り対策に奔走しましょう!

 

 私は元気よく一歩を踏み出した。

 

 ───そしてタンスの角に小指をぶつけた。

 

「ふんぬっ!?」

 

 思わず飛び上がりバランスを崩して尻餅をつく。その際に背中を冷蔵庫で強打。

 

「グフッ…」

 

 そしてトドメに冷蔵庫からの落下物が私の脳天を強打。香霖堂の流れるような容赦ないコンボの前に私は水浸しの床へ倒れ伏した。

 半泣きになりながら前を見ると、そこには壊れたセガサター○が転がっていた。つまりさっきの落下物はセ○サターンだったわけね……? あれ、なんかデジャブ。

 

 まさに、泣きっ面にセガサ○ーン。

 その黒色の物々しい箱が私にはどこまでも腹ただしく思えた。○ガサターンに罪はない、そんなこと分かってるわ。だけど今の私にはこの余りに余ったヘイトの矛先が必要なのよ……!

 おのれセガサター……

 

 

「メリー君……とんでもないことをしてくれたな……。この黒い箱は世界を変えるほどの道具だったというのに。いいかい、君には想像つかないだろうが、その箱が秘めていた可能性は云々……」

 

「私の心配はないのね……」

 

 私の言葉には反応しないくせに壊れたセガサターンには目ざとく反応しやがる霖之助さん。この白髪メガネ……!

 セガサターンの可能性なんて10年前に尽きたわっ! 今の時代はゲームボーイよ!

 

 おのれ森近霖之助ェ……!

 すごく腹が立ってきた。 セガサ○ーンへの恨みは霖之助さんに移ったわ。そう、今思えば私が水浸しなのも、香霖堂がカビ臭いのも、全部全部霖之助さんのせいだ!

 

 

「ずあぁぁあやってられるかぁ!! そもそもなんでこの大妖怪やく……メリー様がこんな掘っ建て小屋で家政婦みたいなことをしなきゃなんないのよちくしょう! よくよく考えたら可笑しいわっ!」

 

 今更ではあるけどね!

 

 てかよく今日までこんな生活を続けられたものよ。

 いくら家事をしても労いの言葉一つかけてくれないし、この前なんてアリスから貰ったスカーフを私から値切ろうとしたのよ!? これには流石にキレたわね。そしてご飯を作ってあげても言うのは「いただきます」と「ごちそうさま」だけ。一昨日なんて昨日の夕飯が美味しかったかどうかを聞いて、返ってきたのは「昨日の夕飯か。……メニューはなんだったかな?」っていう呆けた老人のような一言。なんていうか……養う甲斐がないのよ! 藍なんて私の手料理をこれでもかっていうくらい褒めてくれるのに!

 

 

 ……よし決めた。

 ここらで霖之助さんには私の大切さを改めて考え直してもらいましょう。そうすればお馬鹿な霖之助さんも泣いて私に詫びるはず!

 

 

「霖之助さん! 私はここらでお暇させてもらうわ。長らくお世話になりました」

 

「それはまた急だね。いきなりどうしたんだい?」

 

「ここでの生活に嫌気がさしたのよ。本来なら私は引く手数多の放浪娘……こんな天井が雨雲みたいなボロ屋で埋もれていい人材では無いわ!」

 

「天井が雨雲……」

 

 澄まし顔でさも本気のように言い放つ。アリスのスカーフを首に巻いて手荷物の準備。私の気分はさながら出来るキャリーウーマン!

 霖之助さんから見れば遠出の格好に見えると思う。

 

 ふふ……流石に私が出て行くってなれば霖之助さんも引き留めるはず! 「ごめんよメリー君! 行かないでくれ! 僕は君がいないと日々の生活すらままならないんだ!」ってね! まあ、ちゃんとこれまでのことを謝ってくれたなら許してあげないこともないわよ?(チラチラ)

 

 

「……そうか」

 

「……ん?」

 

「原因は梅霖の妖精…。なるほどだから僕の頭上だけに雨が降っていたのか。てっきり天降る啓示かと……」

 

 私はこのタイミングで独り言を始めた霖之助さんを自分が思ってる以上にやばい人なんじゃないかと思い始めた。なんていうかもう……薀蓄と結婚すればいいんじゃないかしら?

 勿論私を心配する様子は微塵にも見せないし、私も踏ん切りがつかなくなって扉まで進むしかなかった。早く止めてよ霖之助さん。

 

 

「霖之助さーん? 私出て行くわよー? ほらもう扉に手をかけちゃったわ。……ご飯だってほうれん草のおひたししか作ってないのよ? お腹空かせても作ってあげないのよ? ……ねえなんとか言ってよ」

 

「すまないが今から忙しいんでね、後にしてくれないか? ああ、外に出るなら日暮れまでには帰ってくるんだよ。夜になれば常闇妖怪にパクリだ」

 

「……っ〜! さようならッ!」

 

 キレた私は勢いよく扉を開けて飛び出した。途端に香霖堂の中とは比にならないほどの豪雨をその身に浴びたが、気にせず前へ走った。

 しばらくすると雨は止んで、後ろを振り向いても香霖堂は雨のカーテンによって見えなくなっていた。……せいせいしたわ。

 

 

 ふう、最初っからこうすれば良かった。胃が痛くならない生活っていうのは中々に新鮮だったけど、ここでの生活はその他に優しくない。

 なんていうかね、安らぎがないっていうかなんていうか。そう、香霖堂には時折やってくる魔理沙とアリス以外に癒しがなかったのよ! スーパーインドア人の霖之助さんのどこに癒しを見出せようか。

 八雲紫としての生活は身の安全と胃腸に並ならぬ負担をかけるけど癒しがちゃんと安定して供給されてたからね。フランとかこいしちゃんとかフランとか霊夢とか橙とかこいしちゃんとかフランとか。

 

 

 ……はぁ、あの子たちの顔が見たいわ。

 私に向けてくれてたあの笑顔が全て作り物だったんだとしても、もう一度あの子たちと話したい。胃が痛くなる毎日ではあったけど……私はあの子たちの笑顔が見れるだけで良かったのに……。

 失くして募る哀愁の想い。

 何気ない日常の大切さを噛み締め……だけどやっぱり胃痛薬を飲まなくていい日常も大切だよねと思い直した。

 

 この幻想郷において八雲紫安寧の生活とは果たして存在するのか? ……ないよねぇ。誰か私を守護(まも)ってくれる優しい人いないかなー。いないなー。私が格闘家になれば本部さんワンチャン? 強くなれそうにないから無理かなー無理だろうなー。

 

 

 さて現実逃避をしている暇はない。ここはどの勢力の影響下にもない、所謂無法地帯という場所だ。八雲紫ボディならまだしもメリーちゃんボディじゃ弱小妖怪に出くわした時点で死亡確定である。情けないったらありゃしないけどこの体は人間の子供とほぼ変わらないからね、仕方ないね。それに力はないけど新たな人生を歩めるってだけでこの体には十分お釣りが付いてくるわ。よし精一杯のフォロー終わり!

 

 問題は何処に居候するかだけど……近場なら魔理沙とアリスよね。もっとも魔理沙は滅多に霧雨魔法店にはいないから多分無駄足に終わる。アリスが最有力候補よね。最大の難関は魔法の森という地理そのものだけど、瘴気はマーガトロイド製のスカーフで大丈夫。それに外敵も全く住んでいない。……触手とかも生えてないと思う。多分。

 うーん……考えれば考えるほどアリスが完璧すぎる。いっそのことなあなあで養娘にでもしてもらえないかしら? プライドもなにもあったもんじゃないけど。

 古いよしみのママ友さんの娘にお母さんプレイをしてもらう……やべえなんか新しい道を開拓しちゃいそうだわ! 満更でもなかったりする!

 

 他に候補としては色々な場所があるけど……この体じゃ行き着けない場所が多いわ。博麗神社は無理。人里も多分無理。ついでに万が一私の身の素性を全て把握して尚且つ受け入れてくれそうなのは唯一さとりぐらいだけど……まあ無しよね? めちゃくちゃ遠いし。今の体で地底なんて軽くミリオン、いや、ビリオンは死ねる。まずあいつって私の敵だし。

 

 せめて空を飛べれば色々と違ってくるんだろうけどなぁ。妖力が微塵にも感じられないこの体じゃ飛べるはずがないものね。妖精ですら飛べるのに。残念、飛べない幻想少女はただの可愛い美少女だ。

 

 

 と、そんな不毛なことを考えつつアリスの家へ向けて移動を開始する。元からアリス以外に選択肢はなかったのだ。アリスこそが真理。

 

 ……それにしても今日の幻想郷はよく揺れるなぁ。どうやら化け物どもの活動が活発になってきてるみたいね。まあ、もう一種の風物詩である。

 幻想郷の地盤は変な補正が入っててとっても硬いから揺れはなるべく最小限にとどまる。だけど多分外の世界で連中の妖力やらを垂れ流したら未曾有の大災害が起きるわ。だって戦闘力が4000あれば地球が震えるんでしょう?(適当)

 

 さて、戦闘力2のメリーちゃんはひ弱だからこのままだと危ない。さっさとアリスの元へ向かうとしよう。守護(まも)ってアリスちゃん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は私ってね、地理にすごく弱いのよ。だっていつもスキマで移動してたから地図とかも必要ないし、それに藍が常に側にいてくれたから。

 スキマメンテナンス中に一人で妖怪の山に入った時は数週間彷徨ったものよ……あの時心優しい山姥が助けてくれなかったら私は多分死んでた。まあ、あれも今となってはいい思い出……っていうわけでもないけど、うん、もう過去の話。

 

 話を元に戻すと私は地理というか方向感覚とかそういうのが苦手なのよね。そんな私が魔法の森を踏破できると思う? まあ無理と断言していいわ。こんなので昔はよく世界中を一人で旅できたものだ。

 しかししかし! 今の私にはこのマーガトロイド製スカーフがある。このスカーフには空気洗浄効果の他にも色々な機能が付いているらしくてね、その一つにスカーフが導くままに進めばアリス邸に着けるというものがあるらしいのよ。(霖之助さん談)

 

 アリスは一体このスカーフにどれだけの機能を詰め込めたのか……ありがた過ぎる。他にもGPS機能とか拾聴機能とかもあるらしいし。何かが引っかかるけど、まあ嬉しいわ。

 

 

 とまあそういうわけでスカーフから滲み出るよく分からない力で趣くままに歩き続けると、アリス邸がやがて見えてきた。

 早速アリスを呼ぼうと扉の前に立った。

 しかし、

 

 

【帰省中につき留守。針は籠の中に────PS(汚い字).御用は霧雨魔法店!】

 

 扉の前にはそう張り出されていた。後ろの追伸には書き足された痕跡があって……多分魔理沙が付け加えたんだろう。

 

 あー留守かー。それじゃあ仕方ないわね。

 そう、アリスには帰るべき家が存在するんだ。帰りを待ってくれている家族がいるんだ。今の私にとってこれより羨ましいことはない……。

 

 しかしこれで本当に宛が無くなってしまった。あとは一か八か霧雨魔法店を訪ねるぐらいしか選択肢がない。……香霖堂に戻る? 却下で。

 

 ちくしょう、こうなったらあの外道を頼ってみる? 「助けてにゃんにゃーん!」って叫んだら何処からともなく来てくれそう。私の正体が八雲紫だって知ってもあまり態度を変えなさそうだし。……いやいやいやダメだって! 悪魔に魂を売ってタダで済むはずがない。下手すれば芳香ちゃんの二の舞になっちゃう。なんせ彼女は藍に「淑女ぶってるが最低のサイコパスだ……反吐が出る」とまで言わせしめる傑物だからね。安易に邪仙を頼ってはならない(戒め)

 

 ……どうやら追い詰められ過ぎて私の思考が固まりつつあるみたい。そうじゃないと邪仙に頼るなんて案は絶対思い浮かばないもの。八雲邸倒壊事件時はそりゃ……頼りそうになったけどさ。あの時はあの時、今は今よ。

 

 

 と、頭を抱えてうんうんと思案にふけていると不意に何かの音が私の耳に届いた。

 アリスが帰ってきたと思ってその音の方向を見たが、そこには何もなかった。だけどそれ以来周りに不穏な雰囲気が満ち始めた。魔法の森の陰鬱とした雰囲気と相成ってなんだかおどろおどろしい。

 

 

「だれ? ……誰かいるの?」

 

 一応呼びかけて見たが返事はない。その代わり私へと向けられる強烈な視線を背中に感じた。殺気ではないが心地良いものでもない。手を出してくるわけでもなし、しかし私への関心を他所へ向けることもなし。

 不気味で一番対応に困るわ。どうもロクな人物じゃなさそうだ。敵なのか味方なのかも分からない。……敵だったら私の冒険はここで終わりね。

 

 だが、一つだけ言えることがある。

 魔法の森の瘴気を直に受けて呼吸音一つ感じさせないのだから、相手は相当な能力を持った人物であることが予想できる。……アリスや魔理沙ではないだろう。襲ってこないところからルーミアや幽香なんかでもなさそうだ。初対面ということもあり得る。まあメリーちゃんフェイスだと大抵が初対面にはなるけど。

 

 取り敢えず木を背にして背後の死角を失くした。これで私を視界に収めるには正面からしかなくなったわけだ。相手を知ることができればまだ対策の余地はあるかもしれない。……いやまあ実際はいきなり後ろから殺されるのが嫌だからなんだけどね。知らないうちに死ぬのはなんか怖いからヤダ。

 ……背後からブスッと刺されるのにはちょっとしたトラウマがあってね。

 

 

 さあ来るなら来い! 私は別に隠れはしない、逃げはするけどね! あと殺すんならせめて痛みを与えずに殺してください。ベストなのは有情破顔拳。

 

 ……あれ、視線が消えた? 不気味な雰囲気も霧散。見逃して、くれたの?

 

 

「────貴様ッ、見ているな?」

 

 視線を感じた時はいつもこのセリフを言ってるわ。

 ……反応はなし。私が痛いだけだった。

 

 いや、もしかしてさっきまで私を見ていたのは瘴気耐性Sが付いていただけの雑魚妖怪だったりして。そんでもってこんな瘴気だらけなところに平然といる私に恐れをなして逃げ出しちゃったとか。……あれ、なんだかデジャブを感じる。具体的に言うと白玉楼でグギギ……!

 ちなみに『見てくれに騙されてはならない』…これ幻想郷で生きる上での必須スキルね。幻想入りする際はよーく覚えておくように。

 

 結果私は視線の主をただちに害を及ぼす存在ではないと断定した。どうやらこの場からいなくなったみたいだし、シカトでいいと思う。

 よし、それじゃ霧雨魔法店にしゅっぱ……

 

 

 

 

 

 

 

 ───(メリー)は気づかなかった。

 玄人は思考を誘導するのだ。

 恐怖より逃れたことを都合よく己で解釈し、勝手に安全だと思い込む。微弱な警戒心こそ残しているものの、それはただ恐怖の糧にしかならない。そして無防備かつ、隙だらけかつ、強張った身体へと容赦ない衝撃を浴びせかけるのだ。

 

 最も人にとって死角になり易い位置、上方から。木の枝に足でぶら下がることによって固定された状態で。オッドアイの瞳孔を開きながら。

 

 

「うらめさァァァァァァァァァッ!」

 

 

 突然の大音量、それだけでも人の心の臓には多大な負荷をかける。だが今(メリー)が体験したのはそれ以上の衝撃(インパクト)だった。

 

 妖力を吹き付け、身体を取り巻く状態を絶妙な温度と湿度へと調節する。背筋の冷たさを最も感じさせ、俗に言う鳥肌を引き起こし易いそれへ。

 

 直接的な実害は全くといって皆無。しかし、(メリー)の膝は崩れ落ちた。ついでに腰も抜かした。白目も剥いた。

 眼前に迫るオッドアイは(メリー)のトラウマを真っ向から刺激した。

 

 すべての意思思考を吹き飛ばし、感情はただ一点にのみ集中。

 

 

 ────吃驚。

 

 

 

 

 

 

「……? 藍さま……式が剥がれ落ち……あれ? 元に戻ってる。……??」

 

「紫様からのメッセージか。そろそろお帰りになるのかもしれないな。──大結界を修復し次第すぐに博麗神社へ向かうぞ!」

 

「はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 ……三途の川を見たのはこれで3回目……いや、4回目になるわ。私って死に過ぎィ! 今回に至ってはショック死って……絶対に身内に知られたくないわ。

 しかしまさか、この子に三途の川へ連れて行かれる日が来るなんてね。

 

 多々良小傘。

 

 彼女もまた可笑しな部類に入る妖怪──付喪神であるのだが、その生き様はかなり特殊だ。何が特殊かって言うなら、幻想郷一般市民の皆さんと上手く付き合えていて、その上であっち側の連中とも盛んに交流を行っているというアレこいつ実は何にも考えてないだけなんじゃない? 系妖怪少女なのだ。また鍛治の腕は幻想郷一であるという意外属性も持っている。

 基本誰とでも仲良くするのだが、特定の誰かとつるんでいるということは少なく、一人であちこちをふらふらしている。つまりツッコミ不在の恐ろしさよ。

 

 八雲紫時代にはよく霊夢の封魔針の新調を頼んでたりした。値段も結構良心的で守銭奴な河童とは雲泥の差。私の癒しになり得たかもしれない存在である。……つまり癒しにはなれなかったってことね。

 理由は勿論先ほどの行動によるものだ。

 

 小傘ね、なんでか私の時だけ本気で驚かしてくる。

 

 いつもならにやにや笑いながら「うらめしやー」って言うだけなのに、相手が私になった途端瞳孔を開いて「うらめさァァァァァァ」だからね。

 彼女曰く「紫は絶好のカモ」とのことで。わけがわからないわ。いや割とマジで。

 

 

「ねえ驚いた? びっくりした? びっくりしたよね? 今どんな気持ち? ねえねえ」

 

 人畜無害そうな顔で小傘が私に尋ねてくる。いつもならここらで藍が飛んできて小傘にバックブリーカーを決めるんだけど今の私はメリー、私が彼女に対応するしかない。

 だからちょっと待っててね。呼吸と心臓を整えるから。ヒッヒッフー。

 

 

「そりゃもう、天にも昇る心地だったわ。スゴイネエライネサヨウナラ」

 

「ふっふっふ…わちきのスペシャルコンボの凄さが分かったみたいね! いやぁ驚きぷりといいリアクションといい、あなたは紫さん以来の逸材よ!」

 

 つまり私だけじゃないの! ダメだこの付喪神……早くなんとかしないと……!

 

「ま、まあ私は今ので懲り懲りだから。あとは紫って人にお願いしてね。私はメリーだから。そこらへんの通りすがりの家無しモブ妖怪だから」

 

「モブだって!? いやいや驚かせた時に貰った妖力はあなたがただの妖怪でないことを告げているわ! どうやらメリーちゃんにはわちきの能力を引き出す魅力があると見える! このまま見逃すのは惜しい! どう? わちきと一緒に住まない? 衣住食完備! 昼寝とおやつ付き!」

 

「えっ───いやいやダメダメ」

 

 突然の申し出に「あっ、それなら……」と流されそうになったが間一髪で私の脳裏に『飼い殺しにされるメリーちゃんの図』が浮かび上がってきたので直感的に断った。賢者の勘が告げているわ、小傘は結構面倒な部類に入る妖怪だってことをね。

 

 私が居候を決める上で一番大切にしているのは、そこが安全かどうかってことよ。残念ながら小傘の家は基準値大幅オーバーである。

 紫ちゃん的安全水準で貴女は地霊殿レベル。即ダウトなのよ。ちなみに紫ちゃん的安全水準で一番危険な場所は太陽の畑ね。

 

 

「えー一緒に住もうよー」

 

「そ、そんなことより! なんで唐傘お化けの貴女がこんなところに? いつもなら里でベビーシッターやってるか誰かさんを追いかけ回してるのに……」

 

「おっ、詳しいんだねえ。もしかしてわちきのファンかな?」

 

「そういうわけじゃないけど……まあほら、貴女って結構(あっち方面で)有名だから」

 

「有名!? ……えへへ。そっかー有名かー。有名人なら仕方ないね」

 

 笑顔になる小傘は可愛い。だが本体(茄子傘)、てめーはニヤけるんじゃない!

 たく……小傘は驚かしてこなかったら本当に良い女の子なんだけどなぁ。

 

 その後、なんだかんだで小傘は魔法の森にいる理由を教えてくれた。なんでも新調した大小様々な針をアリスに届けに来たらしい。別に私をつけてきたわけじゃないようなので安心した。

 だけどこれでアリスの張り紙の意味が判ったわ。最高級の人形を作るために最高級の針をってわけね。なるほどなるほど。

 それにしても小傘の交友関係ってめちゃくちゃ広そうよね。いつも幻想郷のあちこちをふらついてるからかな? あっ、私と同じだ。それが友好的であるか敵対的であるかはともかくとして!

 

 

「いやーアリスさんは最近のお得意先でねー。よく針の新調をお願いしてくれるってわけ。人形を大切に扱ってて、優しい人って感じるし、これからも懇意にしてもらいたい人なの」

 

「へえー。やっぱり付喪神だからそういうところも気になっちゃうの?」

 

「うん。まあ他にも最近幾つかお得意先がなくなっちゃって困ってたっていうのもあるけどね。やっぱり持つべきものは紫さんだなって」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 このまま、メリーとして暮らしていく決意がさらに固まった。こうして考えると随分綱渡りな妖生だったな、と改めて思うわ。

 

 けどメリーの状態でも小傘に気に入られ?ちゃったみたいだからなんとかしないとね。あんな驚かされ方を毎日されたらいつかポックリ逝っちゃう。

 そうねぇ……針仕事の方にもっと熱中させれば私へ被害が集中することはなくなるかもしれない。唐傘部分よりも一本だたら的な部分を全面的にフォローしていく感じで。

 

 ……よし、良い案があるわ!

 

 

「ねえ、お得意先を探してるならいい所を教えてあげよっか? 多分そこなら小傘の針技術や金物技術を必要としている人がいるはずよ」

 

「そうなの? どこどこ?」

 

「知ってると思うけど、博麗神社の巫女さんがね────」

 

 

 

 

 

 というわけで博麗神社までのボディガードをゲットよ!

 小傘を霊夢に引き合わせることによって得意先を教えるとともに、彼女(小傘)に対する抑止力を作り上げる。これで私への意識はなるべく削げるはず。ついでに博麗神社までの危険な道筋を小傘に守護(まも)ってもらうことによって安全に霊夢と会うことができる! ついでに今日の宴会にも参加することができる!!

 まさに一石三…いや四鳥! この大賢者八雲紫のブレイン……ますます健在ってところかしらね。そろそろ大賢者より上の称号が欲しい頃ね!

 

 

「大丈夫かなぁ? 紅白の巫女は初めて会う妖怪には容赦しないってよく聞くけど」

 

「大丈夫大丈夫! ほら私も一緒に付いて行ってあげるから! 二人一緒なら怖くない!」

 

「そうだね! 友達と一緒なら何も怖くないね!」

 

 友達? 友達かぁ。……まあ友達ならいいかな。ただし()かすのはNGね。

 

 そんなことを道すがらに話しながら獣道を歩く。本当は飛んで行ったほうが楽なんだけど、私が飛べないから小傘には徒歩をお願いしている。

 時折現れる妖怪や獣は小傘が一睨みで追い払ってくれるから安全安心。なんで付喪神なんかがこんなに力を持ってるのかは解らないけど、そんなこと一々考えてたら幻想郷じゃ生きていけない。

 

 

 

 

 そんなわけで順調に道を進んで、短い林を抜ける。

 そこには博麗神社へと続く小山が─────なかった。非現実的な光景に呼吸が詰まる。

 

 

「……」

 

「随分と退廃的だね。最近の神社って変な方向に進んでるんだなぁ」

 

 呑気なことを言う小傘を尻目に、私は立ち尽くすしかなかった。

 小山が、博麗神社への長い石階段が、無いのだ。いや、正確に言うと瓦礫と化している。生々しい破壊の跡が。

 

 そしてその中心では瞳を閉ざした霊夢が瓦礫に寄りかかるように紅い海に沈み、見覚えのある二本角を生やした少女がそれを見下ろしていた。

 

 

 ……良し、逃げよう!

 私は(きびす)を返した。

 




左腕は全く動きませんがまあなんとかなるでしょう



ゆかりんは方向音痴だそうです


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カラカサクエスト─そして伝説へ…─

「そこの妖怪。足を止めようか?」

 

 逃げれませんでした。まあ知ってたけど。あれね、大魔王からは逃げられない!ってやつ。

 ドスを効かせた萃香の声に私の足は即停止し、回れ右をして彼女に向き合った。

 

 萃香の顔は返り血と酔いで真っ赤だ。誰の返り血かは、彼女の後ろを見ればすぐに分かる。十中八九、私の愛しい霊夢のものだろう。

 なんで霊夢と萃香がここまでの戦闘を……いや、それよりもいくら萃香が相手だからって、あの霊夢が負けちゃうなんて…! し、死んでないわよね…?

 もしかしたら、私の思っていた幻想郷のパワーバランスよりも、実情はさらに歪だったのかもしれない。私はてっきり霊夢が余裕で最強だと……。

 

 

「……参拝客かい? 悪いが、神社はこの通り無くなってしまった。今日のところは帰ってちょうだい。まだ私たちの(こと)は終わってないんでねぇ」

 

「ひっ……」

 

 攻撃的な萃香の気迫に言いようもない恐怖が込み上げてくる。私は小傘の背中に隠れた。

 あんな萃香初めて見た。

 いつもにやけながらふらついている萃香がこんな表情を見せるなんて……。いったい何があったの? 何が萃香をここまで駆り立て………

 

 

 

 ============

 

 

『はっはっ…そうこなくちゃ。伊吹萃香の名にかけて誓おう、私が萃めて主催する宴会で紫が私と酒を酌み交わせば、私は絶対に暴れない! しかし、万が一にでも約束が破られた場合……私はこの鬼の剛力と能力で幻想郷が壊滅に追いやられるまで暴れまくる!』

 

 

 ============

 

 

 

 あっ、あぁ……。

 原因、もしかして()

 そんなまさか、私のせいでこんな大惨事になっちゃったの!? 幻想郷を護り育む役目を負っていたこの私が……なんたる失態っ!

 

 ……けどまあ、よくよく考えてみるとこれって防ぎようないよね? 強いて言うなら紫ボディを行方不明にしたどっかの誰かさんが悪い。次点で私を嵌めた藍と幽々子が悪い。私は悪くない!

 というわけでこの件について私は無関係です! そもそも私は八雲紫じゃないから! ギリシャ生まれのメリーちゃんだから!

 

 取り敢えず萃香を霊夢から引き離そう。どうも気が立ってるみたいだから慎重に。

 

 

「あ、あのその……えっとなんていうか」

 

「巫女は殺させないわ! これ以上わちきの得意先を潰してなるもんか!」

 

「あん?」

 

「ひっ! ごめんなさいごめんなさい!」

 

 亀裂の入った石畳の上で土下座しながら懇願する。紫ボディならまだしもメリーボディじゃ彼女と対等な交渉を行えるはずがない。私は所詮新参の弱小妖怪という設定。しかし萃香は古代より生きる最強の一角を占める鬼なのだ。このくらいへり下らないと流石に不敬になると思う。

 誇り? んなもん800年くらい前に捨てたわ!

 

 

「なんだお前さんたちまだ帰ってなかったのか。残念だが、巫女はこのまま私が連れて行く。今日が幻想郷最期の日なんだ……博麗は不要だろう?」

 

 霊夢を連れて行って何をする気なんだろう。……酔っ払い、昏睡……あーだめだめ! 私の娘を萃香に任せるわけにはいきません!

 なんとか萃香に考え直してもらわないと。

 私の持ち得る交渉手段は『説得』のみ。この圧倒的窮地を覆せるか否かの決め手は───萃香をいかに丸め込めるかに掛かっている。あと何故かやる気満々な小傘が怖い。

 

 

「だけど、それじゃ幻想郷の全てを敵に回すことになるわ! 人里に妖怪の山、もしかしたら紅魔館とか白玉楼とかも! わた……八雲紫の式神たちだって黙ってないはず!」

 

「ふん、それが私の狙いさ。全てを敵に回し、尚且つ勝利する。これほど単純で簡単な制圧方法はないね。それに紅い館と白玉楼にはすでに喧嘩を売ってるし、賽はすでに宙にある」

 

「えぇ……」

 

 もう手遅れだった。しかもトップクラスに面倒臭い勢力によりにもよって。

 下手な異変よりよっぽど危険だわ。しかも初手で異変解決者の霊夢を降してる。……まさか幻想郷終幕の日がやって来たの?

 

 ま、まだだ! 萃香がレミリアと幽々子に謝れば活路が開けるはず。冷静になることを心がけてくれれば事態は収束できる! 萃香はちゃらんぽらんだけど決して頭が悪いわけではないし!

 

 

「い、一時の感情に流されて自分や周りを破滅に追いやるのは……」

 

「なに? 一時の感情だと……? この私がそんなものに動かされてこんなことをやっていると思っているのかっ!! 私は友との誓いをただ守り通すだけだ。──…言葉には気を付けるんだね」

 

「ひいぃぃ!」

 

 これは裏目に出てしまった。ますます機嫌を悪くした萃香が凄まじい妖力を私たちへとぶつける。正直今すぐトイレに行って吐きたいです。メリーになって以来久しく感じてなかった腹痛が容赦なく胃腸を攻め立てる。つらい。

 ていうかね、一般妖怪の私が鬼のイカれた美学なんて知るわけがないじゃない。約束を大切にしてるのは分かるけど限度がある。いや本当は約束を破る人が一番悪いんだけどね。

 

 

 すると足踏みする私を見かねたのか、小傘が「メリーは下がってていいよ。あとはわちきに任せてね」とだけ言うと、やけに胸を張って前に進み出た。で、でかい……じゃなくて! ぶっちゃけ嫌な予感しかしない。

 小傘の挑発的行動に萃香の意識がこちらに集中する。ひとまず霊夢は安心か。

 

 

「ほう。あくまで私の邪魔をするか。驚かすことしか能のない付喪神如きがねぇ」

 

「ふふ、今日はメリーを驚かせて久々にお腹がいっぱいだから、驚かすこと以外にも色々と出来ちゃうかも。例えば鬼退治とか、ね」

 

 小傘ぁ!?

 それは勇気ではない、無謀! 萃香に挑発だなんて自殺行為以外の何物でもないわ! 現に萃香の眉がピクリと動いた。あれは確実に頭にきてるわ! 小傘、貴女と友人になれて楽しかったわさようなら!

 

 ……けど、なんで小傘はこんなに自信満々なんだろう。まさか秘策があるの?

 

 

「……ふぅん? それな大層な言葉だ。───そういえばお前、どこかで見たことがあったかな? えーと、そう、あれは吸血鬼どもがやって来た時だったか? ……なるほどね、やけに私に対して威勢がいいと思えば紫の関係者か」

 

「そうだよ。わちきはあなたのことなんて忘れちゃったけどね!」

 

「だめよ小傘! 鬼に手を出しちゃダメ! (余波で私が)死んじゃう!!」

 

 ていうより手を出された瞬間こっちの死亡が確定する。小傘が実際どこまでやれるのかは分からないが、まあかなりの実力者であることは知っているわ。一見するとめちゃくちゃ弱く見えるけど。

 しかしそれでも流石に萃香はあかんでしょう。付喪神と鬼なんて元々の格が違い過ぎる! それこそ何か一発逆転の秘策でもない限りは。

 

 

「大丈夫だよ、わちきはメリーも巫女も死なせたりしない」

 

「けど相手はあの鬼なのよ!? 貴女が対抗できるとはとても……!」

 

「それよりもメリーはわちきが戦っている間に巫女と一緒に逃げて。ふふ、勝てなくてもなんとか時間ぐらいは稼いで見せるから」

 

「こ、小傘……!」

 

 舌を少しだけ出して戯けてみせる小傘に私は胸を打たれた。彼女から発せられていたのは紛れもない主人公の風格だった。

 なによ、めちゃくちゃカッコいいじゃない! 不覚にも胸がトゥンクしてしまったわ。

 

 ……なんだろう今の小傘ならやってくれそうな気がする。今の彼女なら幻想郷を救ってくれそうな、そんな希望を感じるの!

 

 

 ……託しましょう、幻想郷の未来を!

 

 

「分かったわ。だけどお願い、絶対に生きて帰ってくるのよ。……私は待ってるから」

 

「心配しなくても大丈夫! すぐに後ろから追いつくよ。──……さて、どこからでもかかってきていいわ。倒される覚悟があるならね」

 

 力強く応えた小傘は茄子傘を折り畳んで剣のように持ち替える。溢れ出る闘志が妖力となって空気に立ち込めている。控えめに言ってカッコいい!

 できればこのまま小傘の雄姿をその目に焼き付けておきたい。だけどそれは小傘の行為を無為にしてしまうわ。

 さあ、私は今のうちに霊夢を回収して避難してましょう! 大丈夫、萃香は小傘が止めてくれる!

 

 

 

 

 

「うーん……威勢やよし。だが……」

 

「驚天動地の唐傘お化け、多々良小傘いざ参る! くらえ、驚雨『ゲリラ台ふ───ウぶッ!?」

 

 

 霊夢の下に辿り着くと同時だった。鈍い音と衝撃音、そしてカエルを踏み潰したような声とともに視界の隅で小傘が吹っ飛んだ。

 醒めた目で拳を見つめる萃香、木を何本かへし折ったのちに仰向けにぶっ倒れる小傘、呆気に取られみるみるうちに青ざめる(メリー)

 

 ──幻想郷の希望は堕ちた。

 

 ていうか少し考えれば分かってたよね。

 小傘が萃香に勝てるわけがないじゃないの! どこに希望があったのよ!?

 

 

「……やっぱり威勢だけか。まあ、いくら紫の関係者と言っても古臭い古傘じゃあねぇ。時代に取り残された妖怪の末路ってところかな?」

 

「な、なんと……わちきが、時代遅れともうすか……。む、無念……」

 

 小傘は目をぐるぐる回しながら意識を手放した。握られていた茄子傘が根元からぽっきり折れてしまっているが……死んではないんじゃないかな?

 

 これは、小傘が弱かったのか萃香が強過ぎたのか。私に知る由はないが一つだけ言えることがある。前者であっても後者であっても残念すぎる……!

 

 ていうかもう小傘を心配している余裕がない。希望であった小傘が陥落した今、萃香の意識は私に向けられる。

 

 

「で、お前さんはどうする。この唐傘のように無謀な勝負を挑んでみるかね?」

 

「いえいえ降伏! 降伏します!」

 

「うんそれが普通だ。賢明な判断だよ。それじゃそこを退いて博麗霊夢をこっちに渡してちょうだい」

 

「えっ……いやそれはちょっと……。ていうか勝負はもう着いたんだから見逃してあげても……いいんじゃないですかね…?」

 

「いいや、博麗霊夢には重要な役割がある。見逃すわけにはいかないね。……というか、なぜそこまで頑なに巫女を守ろうとする? 見たところ新参の妖怪だろうお前さんが、巫女を守る筋合いはないと思うんだが」

 

 萃香の問いはもっともだ。しかし、私にはその筋合いがあるわ。何故なら霊夢は私のかわいい最愛の娘だから。

 

 ……だけど、メリーとしてなら……八雲紫を捨てた私としてなら、正直この子を見捨てるのが一番正しい判断だと思う。

 

 まず第一に私は萃香と戦うどころか、戦闘能力すら持ち合わせていないのだ。スキマが使えればまだやりようはいくらでもあったんだろうけど、今やそれもなし。逃げるという選択肢すらない。

 打開策は小傘の敗北で消滅、助けに来てくれる仲間もいない。残された道は……───。

 

 

「……その通りよ。私はこの子と面識はない。助ける理由だってありはしないわ。それに心と体だってめちゃくちゃ弱いし、取り柄は可愛いことだけ。小傘みたいに貴女と戦う勇気だってない」

 

「へえ。なら───」

 

 

 だけど……!

 

 

「だけど後悔はしたくないわ! 私は人が喪われる瞬間なんて絶対に見たくないんだから! ……この子を喪うくらいなら、私も一緒に死ぬわ!」

 

 みすみす霊夢を見殺しにして堪りますか! 私が死ぬ以外で唐突な別れなんて許さない!

 だがそんな私の決意も萃香にしてみればちっぽけなもので。解せない、といった様子で肩を竦めた。ジワリ、と境界が歪む。

 

 

「……お前さんも威勢だけはいいね。よし、そんなに巫女と一緒がいいんなら、どちらとも攫ってやろう。果たしてお前を助けに来る奴はいるかな?」

 

 萃香はそう言うと伊吹瓢を煽り、霧になった。間もなく私の体は萃香に包まれ、霊夢ともども何処かに攫われてしまうんだろう。昔から萃香が十八番にしてきたお家芸である。

 

 だけど、私だって考え無しに萃香との対立を決めたんじゃない。とっても細くて頼りない道筋だけど、この状況をなんとかする方法……ていうより、なんとかなるかもしれない賭けがある。

 

 

 私は妖怪。隙間妖怪っていう一人一種族の妖怪だ。まあ、この名称は私以外に隙間妖怪なんて見たことないから勝手に私が名乗ってたのを「御阿礼の子」がこれまた勝手に「幻想郷縁起」に載せたから広く広まっているのだ。

 話を戻すが、私を隙間妖怪と呼ぶ所以は、ひとえにスキマと呼ばれるどこでも通り抜けフープを操ることが出来るからなの。スキマは【私の正面にしか配置することができない】が、代わりに【その出口(時には入り口)を好きな場所に作り出す】ことが出来る。

 ……何故か藍は私以上にスキマを使いこなしてるけどね。その件に関しての話は割愛。

 

 私はこのスキマ能力をいつも逃走経路として使ってきたわ。私の妖生と運命はスキマとともにあったと言っても過言ではない。

 だけどさっきも言った通り、メリーになってからスキマは使えなくなっている。いくら力を込めてもうんともすんともなりゃしない。けど、メリーの状態で使えない道理はないのよ。だってスキマの生成には妖力を必要としないから。

 どれだけ私が退化したとしても、この体は隙間妖怪としての形を保っているはず。まさか違う種族にジョブチェンジしたわけではあるまい。

 この体でもスキマを使うことが出来るはずなのよ。今日に至るまで面倒臭くて出そうとする努力を行ってなかったけど。

 

 

 スキマ空間の中に閉じ籠っても萃香は多分追ってくる。だけど距離を取れれば誰か他の有力者に会えるまでの時間は稼げるはず。例えば魔理沙なら絶対に私と霊夢を助けれてくれる! スキマを作り出し、尚且つそれに飛び込めれば私も霊夢も助かるのよ。

 

 つまり、私は自分の爆発力に賭けたわけ。窮地に追いやられた私が土壇場で本来の力を取り戻す……ドラマチックかつヒロイックな展開でしょ?

 しかし私に爆発力、またの名を主人公補正なるものが働いてなければ……私と霊夢は幻想郷から美しく残酷に住ねってしまう。その時点で私は確実にゲームオーバー。ていうかスキマを開くことができても飛び込む前に萃香に捕まればゲームオーバー。ついでに私が八雲紫であることがばれてしまう。

 

 全身全霊で八雲紫時代の感覚へと身体を引き戻す。無意識に行っていた能力発動を意識的に行うのだ。辺りに満ちている萃香の気配を頭から振り払うように目の前を凝視する。

 

 

「逃げないのか。何か隠し玉でも用意してると思ったんだがねぇ」

 

 気配がさらに強まった。もう時間がない。

 

 お願いスキマよ、開いて頂戴!

 私の異能(チカラ)……目覚めろ! 目覚めて! 目覚めてくださいお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてスキマは───開いた。

 

 

 

 だが、これは()()()()()()()()()

 開かれたスキマから二つの人影が飛び出し、一人がいつの間にか実体化している萃香の拘束鎖を打ち払い、もう一人が膨大な妖力を纏った一撃を叩きつける。

 

 

「ぐっ……!?」

 

 苦悶の声が響くと同時に地面が陥没する。そこには萃香がめり込んでいた。忌々しげに立ち塞がった二人を睨みつける。

 

 二本の尻尾と九本の尻尾。

 今まで何度も私を救ってくれた二人。久々に見た大きな背中に熱いものが込み上げる。安堵からか力が抜けて霊夢の横に座り込んでしまった。

 

 

 

「……何故スキマが使えたんだ。お前さんは、紫の式じゃなくなっていたはず。まさか紫がわざわざ式を張り直しにお前の元に来たわけじゃあるまい?」

 

「さあな、私にも分からん。紫様の考えなど私には到底予測できないよ。……だがたった今、紫様の意思の元に【八雲藍】は復活した。つまり、紫様はこう言いたいんだろう───」

 

 

 彼女が腕を振るうと新たなスキマが生成され、それに私と霊夢を抱えた橙が飛び込む。

 景色が移りゆく中、藍の言葉が聞こえる。

 

「───『目の前で暴れているバカな子鬼を止めろ』ってね。……流石においたが過ぎたよ、萃香。紫様の留守中に幻想郷を壊されてなるもんか」

 

 




候補には『鬼と傘と九尾と呪われしゆかりん』とかもあったり。しかし伝説が伝説なので伝説です

次回「die()怨悔(宴会)作戦」
──ゆかりんは一時の涙を見る


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大宴会作戦

die・怨悔作戦



 鼻腔をくすぐる匂いで眼が覚めた。

 私は布団で寝かされていたようだ。横にはお盆に載せられた白い粥がある。湯気が立っていることから、作られてまだそれほど時間が経っていないことが分かる。

 

 目の前の天井は見慣れたものではなかったけど、知らない天井ではない。よく分からない道具が所狭しとひしめき合っている木造家屋なんて、あそこ(香霖堂)以外には幻想郷に存在しないから。

 しかし周りを見回してもその家主はいなかった。私以外に人が居る気配もない。

 

 ……なんで私は香霖堂にいるんだろう。確か博麗神社で─────。そっか、鬼と…。

 

 ふと、世界が震えたのを感じた。遠くで荒れ狂うこの妖力は、間違いなくあの伊吹萃香のものだ。そうか、あいつの目的は幻想郷の破壊。私を倒すだけではなかった。

 

 

 

 

 やけに頭と体……特にお腹の部分が痛む。起き上がって布団と服をめくってみると、痛々しい青痣があった。ああ、今 思い出しても腹立たしい。

 

 

 

 勝負自体は決して遅れをとってはいなかったと思う。むしろ幽々子戦に比べるとかなり余裕を持てていた。伊吹萃香が本気を出してないだけなのかもしれないけど。

 あいつの能力自体はよく分からなかったが、行動制限は私に通用しない。ひたすら夢想封印をぶっ放して攻撃してやった。神社も小山も倒壊しちゃってるから気を使う必要もなかったし。

 

 だがやがては行き詰まった。原因は、私の決定打不足。伊吹萃香は強靭でありながら夢幻の如き肉体を持っている。正攻法でダメージを与えることはできない。正直、こういうところは私の改善点だと思う。困った時に全て夢想天生で解決してきたツケが最近になって回ってきてるのかしら。……気に入らないけど、紫擬きが言っていたことは確かに的を射ていた。気に入らないんだけどね。

 

 傍で浮遊する陰陽玉に視線を向けても、それはただそこにあって時折霊力波を飛ばすのみ。紫(もど)き戦で発揮した謎の力は鳴りを潜めたままだ。

 あの力を常時使えるようになれば……どうなるんだろう? 夢想天生一極化よりかは断然良くなるとは思うが。

 

 なんにせよ無い物ねだりは見苦しいだけ。私は手持ちの技で伊吹萃香を倒さなきゃならなかった。……そして、このままではジリ貧になると判断した。

 激情に身を任せ、破壊の矛を私へと向ける伊吹萃香は、手に負えない。

 

 私以外の重力は全て伊吹萃香に引きづられていた。それだけ奴には質量が集中していたってことだろう。内に秘められていたエネルギーはまさに”無限”と言ってもいいかもしれない。

 

 

 理不尽なまでのパワーに加えて多彩な”芸”。天はあの鬼に二物を与えたのだ。それも、とんでもない二物を。ここまでの傑物がよくもこれまで幻想郷の水面下で存在していたものだ。

 伊吹萃香は文句無しに強い。

 だから、夢想天生を使わざるを得ない。最後に使用してから大体2、3ヶ月……ギリギリ発動できる範囲内だ。発動してしまえば効果が消滅するまで私は完全無敵。どんな奴にだって負けはしない。

 夢想天生の発動は異変終結の合図とも言える。これまでどんな妖怪も封殺し、退治してきた。だから、伊吹萃香もこれで───。

 

 

「空を掴んだ。もう終わりさ」

 

 気づけば深々と萃香の拳が腹に突き刺さっていた。夢想天生が、破られた。

 凄まじい衝撃と共に視界がガクついた。そして意識は暗転し、目が覚めればこのザマだ。

 

 

 

 ……初めて負けた。

 夢想天生が初めて破られた。

 

 その事実が私の頭の重さに拍車をかける。自惚れていたわけじゃないけど、中々堪えるわ。

 本調子ではなかった、能力の相性が悪かった、相手への情報量が皆無に等しかった。───言い訳はいくらでもできる。だが、敗北したという事実だけは決して変わらない。結果として、二度と消えることはない。

 

 

「博麗の巫女失格、か」

 

 私の敗北には沢山の意味合いがある。その中で最も多大な影響を与えるのが、『幻想郷のパワーバランスの崩壊』。人間である私を敢えてトップに据えることによって成り立つ人妖の均衡。

 紫は私が絶対である必要はないと言った。しかし、私は妖怪には決して負けてはならなかった。今回の結果は重大な破綻をもたらす。

 

 紫の信頼を無為にしてしまった。それほどまでに致命的な案件。

 自然と掌を握りしめる力が強くなる。

 

 

「……ごめん、紫」

 

 ぽつり、と言葉が漏れた。

 かつてなら何処からともなくあいつが現れて、今の発言をなじっていくんだろう。だけど、言葉は誰かに聞かれることもなく、泡のように消えるだけ。

 

 ……弱ったなぁ。

 

 

 

 ───カランカラン…

 

 と、不意に呼び鈴が来訪を告げる。

 

 霖之助さんが帰ってきたのかと思ったが、どうも雰囲気というか気質というか、そういうのが霖之助さんっぽくない。なら魔理沙か?

 私が居る個室からでは来訪者を確認することはできない。静かに相手のリアクションを待つ。どうやら来訪者はまっすぐこっちに向かってきているようだった。

 

 足音は若干早いリズムを刻んでいる。さらに、そこまで大きな音でもないことから大人の足音じゃないことが分かる。霖之助さんではないわね。

 魔理沙の線が少し強まったが、ふとあの酔っ払いの鬼のことを思い出した。どうやってあの状況(博麗神社)からこの状況(香霖堂)になったのかは分からないけど、もしかしたら追いかけてきたのかもしれない。

 

 もし萃香だったなら……ここで倒す。今度こそは全力で……!

 

 

 

 だが、現れたのは萃香ではなかった。

 

「あ、あぁ……!」

 

「……誰?」

 

「霊夢っ霊夢ぅぅ!!」

 

 見たこともない金髪の幼い少女が此方へと駆けてくる。そして私に抱きつくと泣きながら馴れ馴れしくあちこちを触り始めた。はっきり言って鬱陶しい。

 いや、ほんと誰よ。

 

 

「目を覚ましたのね! 痛くない? 意識ある? 食欲ある? ああこんなに窶れちゃって……ごめんねぇ、ごめんねぇ……」

 

「やかましいッ! まず誰なのよアンタは。顔も知らない相手に謝られる筋合いはないわ」

 

「あ、ああごめんなさいね……って謝っちゃダメか! えっと、ギリシャからやって来た新参者の妖怪 メリーと申します、よろしくお願いします博麗霊夢=サン」

 

 今度はヨソヨソしい。

 外国の連中ってのはどうも初対面の対応に困るわ。妙に馴れ馴れしかったりヨソヨソしかったり。こいつは両極端なパターンなのかしら? 一番面倒ね。

 メリーは困ったように視線を右往左往させている。なんで眼を合わせようしない?

 

 

「……で、メリー。アンタはなんなの? 霖之助さんの知り合い? 此処にはアンタが連れてきたの?」

 

「待って待って! 順に話すから……えーっと、どこから話したものか…」

 

 そしてメリーはそわそわしながら話し始めた。こいつ本当に面倒臭いわね。

 

 

 まずメリーの素性だが、最近幻想郷にやって来たらしく、路頭に迷っていたところを霖之助さんに拾われたという。彼女が言うには「拾わせた」らしい。心底どうでもいいわ。

 そういえば魔理沙が今日の宴会には霖之助さんが雇ったっていう外来の妖怪が来るって言ってたわね。なるほど、それがメリーか。

 

 今日、メリーはとある友人と共に宴会の下見やその他諸々の用事で博麗神社へとやって来たのだが、そこには私と萃香が居て、決着はすでについていた。そして組んず解れつでメリー達も萃香と対決することになってしまったと。

 友人はあっという間にやられてしまい、メリーも必死に抵抗したが萃香の力は圧倒的で、窮地に追い込まれてしまった。しかし間一髪のところで藍と橙が現れて、その場を引き受けてくれたらしい。

 ……今度あいつらにお礼を言っておかないと。

 

 その後メリーは私を連れ帰って、香霖堂で治療してくれたみたい。……今回は沢山の妖怪に助けられたのね。我ながら情けないわ。───ところでメリーの友人は連れてこないで良かったのかしら? 当時の状況がよく分からないから敢えて尋ねないけど。

 ちなみに霖之助さんは少し前に何処かへ出かけてしまったようだ。

 

 

「はあ……悪かったわね。アンタには特に迷惑をかけたみたいで」

 

「ううん。元はと言えば……」

 

 メリーは分かりやすく落ち込んだ。……ほんっとうに面倒臭いわねこいつ。

 だけど……彼女と話していて不快な気持ちはしない。ていうか、何故かメリーとは初めて話した気がしないのだ。疲れてるのかな私。

 

 取り敢えずさらに詳しいことを聞き出そうと思って口を開いたが、頭がグラリと揺れる。気分の悪さに頭を抑えて仰向けに寝転んだ。……ダメージが残ってるのね。今夜中には治って欲しいんだけど。

 

 

「霊夢、大丈夫!? 頭が痛いの? ……して欲しいことがあったら何でも言ってね。───そうだ! 何か食べたい物あるかしら? 一応お粥は作っておいたんだけど、他のがいいならできる限りリクエストに応えるわよ! そう、私は完全無欠のゆか……メリーちゃん! 美味しいご飯もなんのその!」

 

 ……アンタが作ってくれたのね、コレ(お粥)

 人は、というより、妖怪は見た目によらずとはこのことか。どうにもこのアホを擬人化したようなメリーが料理をする姿が想像できない。まあ、それは()()()にも言えるんだけどね。意味合いは全く逆になるけど。

 メリーは何か作る気満々だったが、別に何か食べたいリクエストがあったわけでもないし、お粥もそれなりに食べれそうなものだったので追加は断った。

 

 

「──いただきます」

 

「どうぞー」

 

 湯気の立ち込める粥を口へ運ぶ。

 口の中いっぱいに広がる熱と僅かな塩味。嚙みしめるごとに何故か懐かしさが込み上げてくる、そんな不思議な味だった。

 いつだったか……何年も昔に食べたような気がする。確かその時は────。

 

 

「……美味しいじゃないの。あと、その……悪いわね。ありがとう」

 

「うふふどういたしまして。だけど火傷しないようちゃんとふーふーするのよ。あっ、もしも辛くなったらあーんしてあげようか?」

 

「子供扱いせんでいい」

 

 全く、本当に不思議な妖怪ね。よくこんなのを霖之助さんは受け入れたもんよ。……まさか、メリーにバブミを感じてたとか? まさか……ね?

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 もうね、霊夢が可愛いのよホント。

 何が可愛いって言ったら全部よ全部。むしろ語る必要あるの? 語ったら日が暮れるわよ? クール部門からキュート部門だけで2億年ボタン耐久できるわよ?

 今なんてもうお粥にがっつく姿が愛おしい! んー確か霊夢にお粥を作ってあげたのはもう十何年も前になるわねー。彼女が高熱にうなされていた時に作ってあげたのよ。もうあの時の「紫 ありがとう」の言葉だけで今も胸がいっぱいよ! 逆にこっちがありがとうれいむー!

 

 ふう、霊夢分 補給完了!

 

 

 それにしてもこれは、流れがキテルわね。

 スキマは結局開けなかったけどあのベストタイミングでの藍と橙の登場。そして霊夢の目覚め。これは確実に私に向かって風が吹いてるとしか思えない! ついに私のハードラックが日の目を見るのね!

 あっ、だけど藍は私を嵌めて賢者の座から追いやった張本人。信頼するには危険すぎる……のかな? だけど見た感じ爽やかだったのよね。いざ八雲紫を前にすると変貌したりするのかしら。

 

 ……さらに心配なのは藍と橙が萃香を抑え込めるのかってことだけど、あの次元の話になると私にはどうしようもできない。ただ祈るしか……!

 けどあの橙の切羽詰まった口調だからなぁ。あの子ったら私を指定した場所に降ろしたあと、すぐに藍の助けに行っちゃったから。ホント大丈夫なのかしら…? 今も時々地面が揺れてるし。

 ……そういえば橙はいつからスキマが使えるようになってたんだろう。私の能力のプレミアがどんどんなくなっていくんですが。

 

 ていうか藍と橙はなんだかんだで私の正体には気づかなかったわね。それだけこのメリーボディが隠れ蓑として完璧ってことになる。

 ……私の正体にさえ気づかれなければ、あの二人ともコンスタンスな関係を結ぶことができるかもしれない。この幻想郷で生きていくためにはコネと人脈が必須だから。

 

 

 それにしても霖之助さんは何処に行ったんだろう? 霊夢の治療を終わらせるや否やバタバタ店を飛び出して行っちゃって。

 萃香に密告……はないよね? 性格が悪くても博麗の巫女を売るような真似はしないって信じてるわ。私が帰ってきた時「おやおかえり。随分と短いお(いとま)だったね」なんてほざきやがったことは許さないがねちくしょう!

 

 ホントならこんなボロ屋に戻りたくなかったんだけどね、アリスが幻想郷にいない以上頼れるのは霖之助さんしかいなかった。屈辱!

 まあ、この腹いせに留守番中に香霖堂にやって来た妖怪に変な物品を超安値で売ってやったわ! 値打ちの物には見えなかったし大したものじゃないんだろうけどね。……けどまあその変な物を格安で売ってあげた時の相手……確かナターシャ? スターリンだっけ? とにかく彼女の喜び様よ。ちゅーちゅー五月蝿かったわねぇ。それにしてもあれは一体なんだったんだろう? ネズミに必要なものでは決してないと思うんだけど。……まっ、別にいっか。

 

 

「───ご馳走様」

 

 あっ、霊夢がお粥を全部食べてくれた。うーん……ご馳走様がスーッと心に染み渡って。

 

 

「お粗末様でした! それじゃ、霊夢はゆっくり休んでて頂戴ね。何かして欲しいことがあったら何でも言っていいから」

 

「別に病人って訳じゃないからそこまでしなくてもいいわよ。まあ、少し休ませてもらうけど。…………うん? 何コレ」

 

 霊夢は布団に寝転がると、側にあった地球儀のようなものを弄り始めた。暇なんでしょうね。それにしても、あれは……確か星座を確認することができる……何だっけ? ド忘れしちゃったわ。

 

 何にせよ霊夢が興味を持ってくれたならそれでよし。私は今のうちに家事を済ませちゃいましょうかね。さて洗濯物……。

 

 

「……ん、伊吹萃香座? こっちには風見幽香座。何この地球儀? 妖怪の名前ばっか書かれてるわ。他には……」

 

「ちょっと待った霊夢。そのブツは私が回収するわ」

 

 不穏なワードに私の賢者センサーがビンビンに反応した。そう、今思い出した。霊夢が持っている星座早見盤みたいな地球儀、アレは私が作ったものだ。

 

 

 

 経緯は遥か遥か昔のことよ。私が殺伐とした連中(デストロイヤー)どもの親睦を深める為に開いた「みんなで仲良くお酒を飲もうの会」にて、萃香が言った言葉が発端だった。

 

 萃香は星空を指差しこう言った。『あの星とあの星。ついでにあの星は私が貰った!』ってね。それをきっかけに悪ノリした連中による星の取り合いが開始され、殺し合いにまでなる始末。星にロマンを感じるうら若き乙女、私こと八雲紫はその見苦しさに耐え切れなかった。

 星はみんなの物だよ!って言おうとしたんだけど、藍が横から入ってきて「あの星々に辿り着けるのは紫様だけだ。つまりあの星々は紫様のものだ」なんて言っちゃって。悪酔いした連中からの敵意に晒された私は星の割譲を決意! 適当に星座を割り振ってあげたのよ。

 オリオン座あたりを萃香、天の川のクズ星を幽香って感じでね。確か他にも星熊勇儀座とか(月はいらないとのことで)素ウサギ座とかもあったような気がする。なにぶん昔のことだから全部は覚えてない。ちなみに私は余り物の北極星を貰った。

 

 

 はい回想終わり。霖之助さんはなんでこんなものを持ってるんだろう。

 まあ、というわけであの妖怪星座早見盤(地球儀ver)は所謂黒歴史というやつね。争い再燃の種にもなりかねないので、できることならここで処分しておきたい。

 

 取り上げると霊夢はムッとなった。

 

「ちょっと……まだ私が見てる途中じゃないの。返しなさい」

 

 取り返された。

 再び取り上げようとしたが私の力で霊夢に勝てるはずがなく、ピクリとも動かない。万力か何かで挟んでるような安定感ね!

 こうなったら仕方がない……。

 

 

「おおっと、手が滑ったぁ!!」

 

 傍に置いてあった霊夢のお祓い棒で妖怪星座早見盤(地球儀ver)をカチ割った。私の腕力でも物をカチ割れるお祓い棒マジお祓い棒。

 霊夢は不服そうにこちらを見るとお祓い棒を勝手に扱ったことだけを咎めて、そこらへんに転がってた本を手にとって読み始めた。興味を無くしてくれてよかったわ。

 それじゃ残骸は片付けておいてっと。霖之助さんにバレないように処分しとかないとね。

 

 

 

 ───カランカラン…

 

「お邪魔しまーす。……あっ、メリー!」

 

 ドアを開くなり突然 私の名を呼ぶ声をがする。入り口に立っていたのは、小傘だった。そう、萃香に喧嘩を売って私に希望を持たせた挙句あっさり負けちゃったあの多々良小傘!

 生きてるとは思ってたけど、いざ安否を確認すると安心するわ。……いやまあ、無事ではないのは見て明らかなんだけどね。左目に青痣が浮かび上がって二重オッドアイになっちゃってる。

 なんていうかその、テープでぐるぐる巻きにされた茄子傘と相成ってすごく間抜けに見えるわ。

 

 

「いやー良かった。なんとか逃げ切れてたんだね! わちきのフォローは役に立った? その、負けちゃってごめんね……本当は勝ちたかったんだけど」

 

「そ、そうなの? ま、まあ、最終的には結果オーライだったから……うん」

 

 藍がやって来るまでの時間を稼いでくれたと思えばまだ救いようがあると思う。ていうか救われて欲しい。それに私が博麗神社まで連れて行かなければ、小傘はこんな目に遭うはずなかった。ちょっとした罪悪感が……。

 そういえば結局小傘の実力は分からず終いね。取り敢えず萃香に殴られても生きてられるくらいには頑丈みたい。

 

 

「ていうかなんで私がここにいるって分かったの? 何処に住んでるかなんてまだ話してなかったでしょ?」

 

「そうそう、わちきもそれで途方に暮れてたんだけど、これを拾った瞬間ここまでの地図が頭にパパッと浮かんできたの! これってメリーのでしょ?」

 

 そう言って小傘が差し出したのは、マーガトロイド製の万能スカーフだった。どうやら萃香とのゴタゴタの時に落としてしまっていたらしい。

 危うく宝物を失うところだったわ。……それにしてもこのスカーフってそんな機能まで付いてるのね。もし萃香に拾われていたらって考えると……やべえ体が震えてきやがった。小傘ありがとう。

 

 その後、小傘を訝しむ霊夢に彼女を紹介。ついでに小傘が封魔針を新調していた職人であること仄めかして、それとなくパイプを繋げておいた。これからは私の仲介が無くても大丈夫かな?

 

 

 そして間もなくして霖之助さんが帰宅。

 小傘を見るや否や「雨を防ぐくらいにしか役に立たないただの古傘? ……ああ、君は付喪神か。済まないね、僕の能力は正直なんだ」なんて言って小傘を泣かした。ホント、とんでもない男ね! あの霊夢まで若干引いてるじゃない。今度魔理沙に会ったら女の子を泣かしてたって告げ口してやるんだから!

 

 と、少し場が落ち着いてきたところで小傘が声をあげた。

 

 

「あっそうだ。わちきは大変なことを伝えに来たんだよ! 危ない危ない、忘れるところだった!」

 

 存分にアホの娘であることを霊夢と霖之助さんに知らしめながら小傘は語り始めた。

 なんでも彼女はその後の博麗神社の一部始終を見てたんだそうだ。……死んだふりをしながら。

 

 藍と橙が大きな怪我を負うことなく戦闘は終了したそうだ。どうやら萃香の方の興が途中で冷めちゃったみたい。……萃香っていつも藍と戦いがってたのに一体どうしたんだろう?

 その理由は小傘が説明してくれた。

 

 

「なんかあの鬼って分身みたいな技を使って色んなところに攻撃を仕掛けてたんでしょ? その分身たちが藍さんたちとの戦闘中に各個やられちゃったみたいで『予定が狂った』とか『興醒めだよ』とか言ってたわ。まあ巫女さんやわちきと戦った後だったし、これは疲労してた言い訳なんじゃないかな!」

 

 霊夢はともかく貴女は一撃だったじゃんっていうツッコミが出そうになったが、なんとか飲み込んだ。これ以上小傘を傷つけるのは流石に可哀想だと思うの私。

 

 

「ほう。鬼、分身とくれば酒呑童子だね。かの鬼は有限と無限、そして調和を我がものとした歴史上類を見ない鬼だ。ルーツは遥か神代まで遡って───」

 

「長くなりそうだから後にしてくれない?」

 

 空気を読まずに語り出された霖之助さんの薀蓄を霊夢がぶった切った。すると霖之助さんは不完全燃焼を起こしたのかそっぽを向いてしまった。

 霊夢の霖之助さんの扱いが上手いこと! これは【森近霖之助取り扱い検定準一級】ぐらいはあるわね。見習いたいものだわ…是非私も習得したい。

 

 

「えっと、話を戻すよ? ───それで……」

 

 

 

 ==================

 

 

 

 ともに大妖怪としての誇りを抱き、萃香と藍は互いに妖気を高め合って対峙する。その少し後ろで橙は桁違いの妖力に慄いていた。

 その力は果てなき程に強大で、力を解放すれば一山二山を軽く破壊する程の力を秘めているだろう。

 それほどまでに圧倒的な二人の妖怪が、それぞれ八雲紫の為に力を振う。その願いの方向性は共に一極端なれど、大元にある二人の想いは、全くと言っていいほど同じものだった。

 

 

「開幕の狼煙のつもりが、ちょいとばかし萃めすぎたかねぇ。このままじゃ私が何をしたかったのか、それすらもあやふやになってしまう」

 

「……なら素直に引けばいい。紫様は大変慈悲深いお方だ。この暴挙も、友であるお前なら笑って済ませてくれるかもしれない」

 

 他の連中は知らないがな、と付け加える。

 そしてなにより、藍の剣呑な瞳がタダでは萃香を許さないことを示していた。

 

 萃香はきょとんとして、やがて首を振った。

 

 

「いや、ダメだ。それは紫との約束に背くことになる。……はぁ、なんでこんなことになってしまったんだろうね…」

 

「……」

 

「幻想郷を破壊するなんて約束も軽い冗談みたいなものだった。だって破られるはずがないんだから。……紫が私との約束を破るわけがないんだ」

 

「……そうだな」

 

「分かってたさ、紫は今忙しいんだろう? 私との約束を破りたかったわけじゃないんだろう? ……ああ、分かっていたんだ」

 

 まるで自分に言い聞かせるように萃香はひとりごちた。何度も伊吹瓢を煽る。

 

 

「ずっと待ってたんだよ。春が過ぎて、夏が来ても、ひたすら宴会を開き続けた。明日には、明日には絶対紫が来てくれるって信じてね。……こんなに守りたくない約束なんて初めて。

 だけど守らないと……私と紫の(約束)は折れてしまう。少なくとも私からこの約束を反故にすることは、できないんだ」

 

 萃香はそう言うと能力を発動し空へ溶けてゆく。密度が過疎し、散り散りとなってゆく。

 追撃の有無を傍に控える橙が目線で尋ねるが、藍はそれを否定した。ここで萃香との決着を付けることは好ましくないと判断したのだ。

 

 

「宴は月の照らす闇夜が本番……今夜、私は約束を終わらせよう。もっとも、どんな形で終わるのかは判らないけどね。萃める場所は……ここ(博麗神社)にしようか。ここで最期の宴会を開こう。対象は、これまでここで開かれた宴会に参加してきた人妖たちだ」

 

「……そのためにわざわざ各地へ攻撃を同時に仕掛けさせたのか。ヘイトを自分に向けさせることによって能力の発動を絶対なものとするために。……鬼が考えそうな浅知恵だ」

 

「一網打尽は楽だからねぇ」

 

「……袋叩きになるんじゃないか?」

 

「その時はその時さ。どっちにしろ数の利は私にあるがね。そうだ、もしもその面子でも心許なくて私が怖いなら、お前さんがもっとメンバーを萃めればいい。勇儀が来ても風見幽香が来ても、私は大歓迎だよ」

 

「絶対に嫌だ」

 

「ハハ…──どんなに紫と近付こうとしても、お前さんじゃあいつの求心力だけは絶対に超えられないだろうね。前にも言ったでしょ? お前は固いんだ。もっと気楽にいこうよ……」

 

 そして萃香は砂のように消えた。後に残ったのは倒壊した神社の残骸と崩落した小山、そして仰向けにひっくり返った小傘だけだった。

 藍は少し考えた後、警戒を解いて大きく息を吐く橙に命令を出す。

 

 

「お前は白玉楼へ行って萃香との話の内容を幽々子様に伝えてきてくれ。私は紅魔館へ向かおう。魔理沙は……後でいいか」

 

「了解です。………あの、もしかして萃香を殺すんですか? 説得不可能なのは分かるんですが、もっとやりようはあるはずなんじゃ……」

 

「ああ、私もそう思ってるよ。だが悠長にしていれば殺されるのは私たちだ。例えどんな理由があっても紫様の意にそぐわぬことを許すわけにはいかない。……だが、紫様なら……」

 

「……?」

 

「……いや、なんでもない。それよりも時間が惜しいからな、行こう。──ああ、言い忘れたが、今回の件は霊夢には内緒でな」

 

 それだけ伝えると藍はスキマに飛び込み、橙もまたスキマを創り出して飛び込む。

 そして……

 

 

「なるほど。取り敢えず強い人や妖怪を集めまくればいいのね? ふふふ……」

 

 小傘はむくりと起き上がって、地面に落ちていたメリーのスカーフを拾い上げると、行動を開始するのだった。

 

 

 

 ==================

 

 

 

「───ってわけなのよ。取り敢えずわちきはあの鬼にリベンジするよ! あっ、それと霊夢って人には内緒にしておいてね! バレたら多分わちきが藍さんに怒られるから」

 

 ……小傘ェ。貴女って子は……貴女って子は本当になんでいっつもこう……!

 私が小傘にツッコむよりも先に霊夢は動いた。お祓い棒を掴むと一凪し、香霖堂を出ようとする。おそらく博麗神社に向かおうとしているんだろう。勿論、そんなことを許すわけにはいかない。

 

 

「駄目よ霊夢! そんな体じゃロクに動けないでしょ!? 戦闘なんて以ての外よ! 今はとにかく安静にしてなきゃ!」

 

「悪いけど僕もメリー君の意見に賛成だ。医学に精通してるわけじゃないが、素人目に見ても今の君は重傷だよ。腹に鬼の一撃を受けて生きていられるだけでも奇跡だと云うのに…」

 

「えっ、え…?」

 

 私は霊夢の巫女袖に縋り付き、あの霖之助さんでさえも静止の言葉を投げかける。小傘は状況が理解できていないようでオロオロしていた。

 

 藍が霊夢に秘密にしろと指示していた理由は明白だ。だって、教えたらこの子は絶対に大人しくなんかするはずないもの。

 

 

「離して。私は行く」

 

「ダメッ絶対にダメ!」

 

「異変を解決するのは私の役目なのよ! 博麗の巫女がこんなところで燻っているわけにはいかないわ! ……私にはそれしかないんだから」

 

 霊夢は私を引き剥がすと扉を開け放ち、飛んで行ってしまった。あんな体で……絶対に無茶してるわ。それに、さっきの悲しそうな表情はなんだったんだろう。私は霊夢のことを何も分かってあげれてなかったのかな……。

 

 

 けど、それでも今すぐ霊夢を止めなきゃ! それにこのままじゃ萃香も袋叩きにされて死んじゃうかもしれない! 全然想像できないけど。

 ていうか約束を守れなかった私が悪いんだけどさ……はっきり言って話が重いわ! 鬼が約束事を大切にしてることは知ってる。だけども互いが望むはずもない結末になるのは絶対におかしい!

 ホント、みんな揃いも揃っておバカさんばっかなんだから!

 

 

「……どうしたら萃香は止まってくれるんだろう。私はどうしたら……」

 

「メリー君。今回の件は君が迂闊に手を出していい案件ではないよ。聞く限りの推測ではあるが、伊吹萃香は目標を二択に絞っている。一つは幻想郷の破壊、 もう一つは八雲紫の登場だ。前者は言わずもがな、後者は霊夢を利用していたことからそう考えることができる。確かに霊夢を餌にすれば八雲紫は出てくるしかないからね」

 

「だけど、だけど…!」

 

「君が動いたところでどうにかなるはずがないじゃないか。君の言葉で伊吹萃香の心が動くと思うかい? まずありえないだろうね。彼女を説得するには、もはや件の彼女以外には……」

 

 ……そう、よね。

 萃香はあんなに私と飲み交わすことを楽しみにしてて、あんなに念入りに約束してて……その約束が破られてしまったことが信じられなくて。

 

 だから。

 

 

「それでも私は行くわ。……けじめはね、ちゃんと私自身でつけなきゃならない」

 

「……そうかね」

 

 解決法は既に分かっている。

 私が、八雲紫が現れるだけで萃香も霊夢も幻想郷も救われる……。それが一番簡単で、一番収集がつく終わり方で、一番ハッピーな結末。

 

 私が博麗神社に行って正体をバラすだけでいいのよね。それだけでみんな悲しまなくて済むんだよね。……私はロクな目に合わないだろうけど。

 

 

 ……幻想郷の運命は私にかかってる。

 

 

「えっと、なんかよく分からないけど……ごめんね? ……と、取り敢えずわちきも友達を連れてその宴に行くからね! メリーも来るんでしょ?」

 

「ええ勿論。霖之助さん、貴方も来たらどう? 幻想郷の一大事なんだから、男がこんなところで引き篭もってる場合じゃないわよ! その溜めに溜め込んだ薀蓄でみんなをサポートして!」

 

「なんて勝手な。……だけど、今回ばかりは僕も行くとしようか」

 

「えっ!?」

 

「煽った君が驚くのか」

 

 うーん……明日には槍が降るのかなぁ。それこそ幻想郷終焉の日の前触れ? 縁起でもない。

 霖之助さんの出陣、これが意味する吉兆は恐らく、名だたる風水師でも予測することはできないだろう。森近霖之助……やはり底の知れない男である。

 




ゆかりん暴露決意?

次回「オニゲーム」
──ゆかりんがヤムチャになるよ!


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オニゲーム

萃香「ぶるあぁぁぁ……」



 霊夢はふらつく頭と体を抑え、とにかく前へ前へと飛行する。遠目からでも分かる博麗神社の惨状は霊夢の気分をより一層沈ませた。

 これまで博麗神社を献身的に支え続けた土台となる小山は頂上から砕かれ崩落し、爆心地となった境内は粉々になって、神社の原型はもはやひっくり返った屋根だけだった。

 

 もしも藍と橙が結界の保護を行っていなければ、博麗大結界は瓦解し、幻想郷は夢と現の狭間に引きずり込まれていただろう。ここでもまた、博麗の巫女としての役目を果たせなかった。

 

 着地し周りを確認するが、微かに妖力の残滓を感じるだけで辺りは静寂に包まれていた。萃香の姿はどこにもない。

 

「夜まで待つしかないか…」

 

 時は夕暮れ時、宴は近い。

 地面に座り込んで霊力を漲らせる。なるべく回復力を高めて来るべき時に備えておくのだ。今度こそ萃香を降して、霊夢が巫女である為に。

 絶対にぶっ倒す、と息巻く。

 

 

 

 そこへ、巨大な飛行物体の影が今無き境内に投影される。空に浮かぶ岩石のような物は夕陽からすっぽりと霊夢を覆い隠した。

 霊夢は空を見上げ声を漏らす。

 

「忘れてた…」

 

 

「……御主人様、ご無事でございましたか」

 

 岩が唸るように喋る。

 しかし岩は喋らないので頭上の物体は生き物ということになる。そして霊夢はその生き物の正体を把握していた。

 ───亀である。長寿のうちに様々な神力を身につけ、飛行仙の技で自由自在に宙を飛び回る。年齢は本人も千から先は覚えていない。

 

 霊夢は皮肉を投げかけた。

 

 

「あら生きてたの。池は影も形もなくなっちゃってるから、てっきり山が崩れた時に死んだのかと思ってたわ」

「なっなな! いつも戦闘が起こる際には身構えておりますとも! まったく、縁起でもないことを……。爺がこの程度で死ぬわけがございましょうか! そんなヤワな身体ならばとうの昔に……」

「だってアンタ硬くて浮けるだけのおいぼれ爺さんじゃない。いつ死んでてもおかしくないわ」

「この玄爺まだまだ現役です!」

「さっさと隠居しなさい」

 

 実際、霊夢はこの玄爺を疎ましく思っている節がある。まだ霊夢が空を飛べなかった頃から世話になってきたお目付役のような存在なのだが、それゆえに小言が過ぎるのだ。

 義務感とともに霊夢を思っての言葉なのだろうが、望まずして縛られることを嫌う霊夢には中々その想いは伝わらないようだった。

 

 

「おお、なんとおいたわしい姿に。何故鬼と正面から拳を交えたのですか……この爺には理解できませぬぞ。普通、鬼退治は様々な前準備を行うものです。突然の出来事ということもありましょうが、それでもあの対応の仕方はかなり悪手でした。御主人様の身体は幻想郷の宝なのですから、大事にしていただかなくては」

「煩い五月蝿い! 私は私、私が何を考えてどんなことを行動に移しても……そんなの私の自由でしょ。爺の価値観で縛るんじゃないわよ」

「──やはりあの隙間妖怪に毒されておるのですね。おお嘆かわしや……この玄爺、初代様に合わせる顔がございませぬ!」

「あいつは関係ない! あんまり根も葉もないことを言ってるといい加減しばくわよ」

 

 いい加減嫌気がさした霊夢が、お祓い棒を振り上げてようやく玄爺は口を噤む。

 この老亀にはそれなりの実力があるのだろうが、その立場上巫女に対してそれを行使することはまずない。玄爺が生まれた瞬間から宿命付けられた、義務。またの名を呪いである。

 

 

「ったく……まあいいわ。それよりもいいところに出てきたわね。ちょっと爺に聞きたいことがあったのよ。アンタ何でも知ってるんでしょ?」

「ほう、御主人様が爺に力を借りたいと!? それはなんとまあ、珍しいこともあるものですなぁ。身にあまる光栄ですぞ」

「借りたいのは力じゃなくて知恵よ。時間はそれほど取らないわ」

「ふむ……鬼の弱点ですかな? 一番有名なものならば炒った豆でしょう。他にも鰯の匂いや柊の葉などが効果覿面とされ、現在まで広く伝わっております。……あの鬼に通じるかは微妙なところではありますが……」

「そんなことは聞いてないわ。私が聞きたいのは……これのことよ」

 

 お祓い棒を地面に打ち付け八卦の模様が浮かび上がる。そこより球体が半ば回転しながら現れた。白と赤が混ざり合い、陰と陽の対極と調和を示す。博麗神社の秘宝、陰陽玉だった。

 その存在に玄爺は老いてしょぼくれた目を大きく見開いた。玄爺は霊夢よりも遥かに長生きで、勿論陰陽玉のルーツも知り得ているだろう。

 

 玄爺は淡々と語り始めた。

 

 

「……陰陽玉は、使う人の力に影響されて、その力を吸収します。十分に力を吸収した陰陽玉は、その絶大な力を1回だけ放出するのです。それは、正の方向にも、たとえ、負の方向だとしても…。そのあとは、また元に戻り、再び吸収しはじめ────」

「それは何度も聞いたわ。小さい頃からアンタや紫から何度もね。だけど、それだけじゃないはず。だってこの玉から霊力を吸い取られたことなんて私は一度もないわ。それに霊力の放出なんて何度でもお手の物よ。……この霊力はどこからきているの? まさか無限に湧いてくるわけでもないし」

 

 霊夢の言葉に玄爺は明らかに渋った。

 

 

「……何故そのような話を? 霊夢殿らしくない。いつもなら些細なことだと切り捨てるような案件でございます」

「必要になったのよ。それに、ちょっと気になることをとある妖怪が言ってたわ。陰陽玉は妖怪と人間が作ったとか、妖怪を封印するとか……。本来ならくだらない戯言だって一蹴するところなんだけど、いやに色々なことと辻褄が合うのよね。……爺、何か隠してるんじゃない?」

「いやはや、そこまで……。──っ! そうか、八雲紫か。おのれ……まさか彼方から約束を違えてこようとは……! やはり信じるべき相手ではなかった」

 

 悔やんだ玄爺の真意は分からない。しかし何かを隠していたのは確定的であるようだ。霊夢はそれが気に入らない。なぜ当事者である霊夢に黙るような事柄があるのか。紫と玄爺は共謀して何を霊夢から隠そうとしているのか。それを伝えてくれたのが紫もどきという点も含めて……全てが気に食わない。

 

 

「知ってること全部話しなさい。今の私にはこのチカラが必要なの。もう夢想天生にかまけている場合じゃないわ」

「し、しかしですな……物事には順序というものがあります。そして御主人様には時期尚早でございましょう。その疑問は一度忘れて、鬼との闘い方を一から考え直すのです」

「……ッ! 玄爺!」

 

 話を逸らそうとしていた玄爺を怒鳴ると、首と手足が甲羅の中に引っ込んでしまった。玄爺は都合が悪くなると甲羅に閉じ籠る。スキマに隠れる紫と合わせて、霊夢は「大人は汚い」と子供ながらに毎日思っていた。

 だが今日ばかりはなあなあで済ませるわけにはいかない。新たなチカラを霊夢はらしくもなく欲していた。お祓い棒でガンガン、と甲羅を殴りつける。

 

「隠れてないで出てこんかい! いい加減にしないとスッポン酒にするわよ!」

「言えませぬ! 例え焼かれようが蒸されようが、口を割ることはできませぬ! 全てを知ることが必ずしも貴女様の為になるとは限らない」

 

 回転した甲羅が霊夢の一撃を打ち払い、その隙に玄爺は裏手へと消えてゆく。博麗神社の裏には様々な結界の重なり合った空洞、ゲートと呼ばれるものが存在する。そのゲートの中に玄爺は隠れたのだろう。亀には相応の土地勘もある。

 

「あっコラ、逃げるな」

「おいおいそんくらいにしといてやれよ。狼狽するなんて、お前らしくないぜ?」

 

 すかさず追いかけようとしたが、背中にかけられた声に足を止める。居たのは魔理沙で、手にはいつもの物より一回り大きな八卦炉が握られていた。

 すると霊夢は、大きく肩を落として地面に座り込んだ。魔理沙もその横に腰掛ける。そして時折霊夢を気にするように顔を覗き込む。

 

 

「亀に構ってる暇なんかないだろ。藍から話は聞いたからな、お前の負けヅラを拝むためにすぐに駆けつけてみれば……私は止めはしないが、せめて体は休めろよ。治るもんも治らない」

「分かってるわよ。ってかあの狐……もしかしてそのこと言い回ってるの?」

「そりゃ盛大にな。このままじゃ明日の朝刊のトップは多分【博麗の巫女敗北!】だぜ。──おっと、早まるな早まるな。記事の内容は今夜にでも変えれるだろ。そのために今は体を休めるべきだ。

 ……しかし、あの亀の言う通りなんかおかしいぞお前。いつものお前なら人の意見なんか聞く前に自分で全部終わらせちまうはずだぜ?」

「そんな独善的じゃないわ」

 

 霊夢はガシガシと頭を掻いた。

 

「はぁ……ダメね。どうにも最近調子が狂っちゃってる。スランプって、ヤツなのかしら」

「そうだろうな。……私にもそういうのはあったぜ?」

「あっそう」

「全部が上手くいかなくてなぁ、自分の弱さと周りの高さに打ちのめされて、自分に価値が見出せなくなっちまうんだ。昔の自分が羨ましくてしょうがなかったりして、そりゃホント辛いもんだった」

「……」

 

 それは霊夢にも共感できる話で、確か少しばかり昔には、打ちひしがれた魔理沙が仕切りなしに神社に訪れて、自分に色んな質問を尋ねていたことを思い出した。その時は適当に追い返していたんだけど、今思えば少し冷たかったかな、と思う。

 

 霊夢は言葉を返した。

 

「で、アンタはどうやってそれを克服したの? いつも無駄に自信満々な態度なんだから、今も悩んでるってわけじゃないんでしょ?」

「言葉が悪いぜ! たく……私は乗り越えた自覚なんかない。むしろ今も悩んでる。お前に勝てたためしが無いしな。違うのは、そんなこと、とうの昔に忘れちまったってことぐらいだな」

 

 乗り越えるのではなく、忘れる。

 逃げたのでは無い。魔理沙はそれを自分のあるがままとして受け入れた。

 だから彼女は普通を保つことが出来る。普通の魔法使いとして幻想郷で生きていくことが出来るのだ。

 

 

「お前は今まで負けたことなんてなかったんだろうけどさ、そりゃ運が良かっただけだ。誰だって負ける時は負けるし、勝つ時は誰にだって勝てる。ほら、あの時紫に勝てたのだって奇跡みたいなもんだろ? まあ、今のお前とやりあっても私は負ける気しないけどな!」

「……」

「それにこう見えても私は悔しがってるんだぜ? お前を最初に倒すのは私だって、ずっと言ってたろ? ポッと出の鬼にそれを横取りされちゃあなぁ」

 

 

 

「だからさ、お前が落ち込まないでくれよ。お前は私の目指す博麗霊夢であり続けてくれ。……頼むぜ、霊夢」

「……魔理沙」

「さて、この話は終わりだ。ちょっと酒を探してくる。もしかしたら無事なのが一瓶でもあるかもしれんからな」

 

 瓦礫を一つずつ蒸発させてゆく。

 

 自分から振った話を無理矢理断ち切った魔理沙だったが、別に悪い気はしない。魔理沙は霊夢のことをよく分かっていた。

 自分が期待されるような存在では無いことを自覚していても、気持ちを柔らかくさせるあたり、やっぱり魔理沙は親友だった。

 

 

 

 ×◆*.

 

 

 

 とまあ、木陰に隠れて望遠鏡で博麗神社周辺の様子を伺っていた私だったが、あまりの急展開に私はカチンコチンにフリーズしていた。

 ちなみに同じく木陰に隠れている(というよりもたれ掛かっている)霖之助さんは、興味が無いようで本に目を通していた。アウトなインドアというやつか。訳がわからないわ。

 

 確かあの亀は博麗神社の小池に住んでいた個体だと思う。だけど喋って飛ぶなんて知らなかったわ。対応を見たところ霊夢も魔理沙も知ってたみたいだし、あれか、私ってのけ者か。

 

 いやいや、そんなことよりもだ。

 亀って飛んだっけ?

 

 水・陸・空をものともしないなんて、それなんてズゴック? いや、むしろズゴックのスペックを凌駕している! ええい博麗神社の亀は化け物か!

 まず空を飛ぶ亀なんて妖怪でも聞いたことが無い。まさかガメラ以外に存在するなんて。 古臭いなんて言った奴はスキマで東映に投げ込んでやるんだから。

 

 

「……メリー君、魔理沙も来たみたいだし僕たちもそろそろ行こう。いい加減そこらの妖怪に襲われかねない。悪いが君を守れるほど僕は強くも器用でも無いんでね」

「貴方オトコでしょうが。そんなそこらへんの雑魚野良妖怪なんて目で殺しちゃうのよ! 目で!」

「僕がそんな武闘派に見えるのかい?」

「いいえまったく。けどほら、丸腰の私よりかは剣を持ってる霖之助さんの方が戦えるに決まってるわ。なまくらだけど」

 

 霖之助さんが腰に携えているのはいつぞやかに魔理沙から不法に騙し取った錆だらけの剣。値打ちがありそうなだけで役に立つとは到底思えないんだけどなぁ。持って行くと言って聞かなかった。あれかな? 久しぶりの宴会で舞い上がっちゃってるのかな?

 まあ私も結構身嗜みを決めてるけどね。ほら、レミリアとか幽々子っていいとこのお嬢様だから普通の着物じゃ失礼かなーって。

 ちなみに、いつでも正体をバラしてもいいように紫色のドレスを霖之助さんに新調してもらったわ。元々のドレスを少しばかりアレンジした感じになるわね。あとアリスのスカーフを巻いてる。聞けば霊夢の巫女服や魔理沙の魔女服を作ってるのは霖之助さんだそうで、そんなこと知らなかった。

 

 こんな調子で実力者たちに媚びを売って安定した幻想郷生活を手に入れてみせるわ!

 

 それにしても今日は妖怪が怯えきっているような気がする。そのおかげかまだ誰にもエンカウントしてない。これって多分萃香たちのせいよね。わたしゃ悪くない!

 

 

 

 

「霊夢ぅー! 魔理沙ぁー!」

 

 手を振って私たちの来訪を伝える。霊夢は座ったままこっちを見て、眉を顰めた。次に魔理沙が振り返る。私を見て嬉しそうに微笑んだ後、その後ろの霖之助さんを見て固まった。

 うん、分かるわその気持ち。

 

「メリーと……まさか香霖か!? いやしかしなんだってこんなところに。なんかすごく新鮮だな。そして違和感が」

「だってよ霖之助さん」

「酷い言われようだね」

 

 逆にこれ以外の言われようが果たしてあるのだろうか? ぶっちゃけないと思う。

 魔理沙と霖之助さんが話し始めたので、手持ち無沙汰になった私は霊夢の元へ向かうことにした。夜までにはまだまだ時間があるしね。

 

 霊夢は開口一番に私へ告げた。

 

「アンタは帰ったほうがいいわよ。余波で死なれちゃ目覚めが悪いから」

「そんな修羅場に霊夢を残していくわけにはいかないわね。貴女が大人しく香霖堂に帰るなら話は別だけど、それは無理なんでしょ? よって私は帰らない」

「……やめておいた方がいいと思うけど」

「大丈夫大丈夫。私にはとっておきの秘策があるからね! まっ、もしも霊夢が負けちゃった時は助けてあげるわ!」

 

 私も流石に自分の命は惜しい。だから状況をよく観察して、私の身の上を告白するかどうか判断するわ。萃香が折れてくれれば一番楽なんだけどねぇ。

 

 すると霊夢は呆れた様子で袖下から一枚の札を取り出すと、私に握らせた。

 肌が焼けるとかそういう外傷は無いけど、背筋が凍るような戦慄を感じた。私が持つには絶対に釣り合わないとても強力なお札だ。

 

「これを持ってなさい。鬼の攻撃を食らっても何発かは耐えれるようになる。……絶対に死ぬんじゃないわよ」

「う、うん」

 

 大変頼もしい限りではあるけど、逆に霊夢の念入りにふつふつと恐怖が再燃してきた。これから起ころうとしている戦いのヤバさが十二分に伝わってくる。

 ……本音言うとすっごく逃げたい。だけど、娘や友人を見殺しにするのはもっと嫌なの。ほら膝が笑ってるけどこれは武者震いに決まってる。

 

 

 

 暫くしてさらなる来訪があった。やって来たのは現在魔界に帰省していたはずのアリスだった。なんでも魔理沙からの連絡で予定を切り上げて帰ってきたそうだ。幻想郷の存亡に駆けつけるアリスは間違いなく輝いてるわ。

 アリスもまた私に帰るよう勧めたが、勿論拒否。悪いけど今の私には覚悟があるから。いざという時は幻想郷を私が守るのよ。

 

「しょうがないわね……それならコレを持ってなさい。無いよりかはマシだから」

 

 展開された魔法陣から一つの人形が落ちてくる。アリスの側から上海人形が飛んできて私に手渡してくれた。一体なんぞやと人形を手に持って弄ってると、アリスが説明を入れてくれる。

 なんでもそれは『呪いのデコイ人形』と言うらしく、死を一度だけ肩代わりしてくれるんだって。その効力のほどは魔理沙が保証してくれた。

 ヤバい、霊夢やアリスからの優しさが私の涙腺を刺激する。いつの間にかこんなガチ装備になっちゃって……これなら幻想郷が滅びても生き残れるかもしれないわね。しかし安堵よりも娘たちに対する嬉しさの方が先行しちゃって。

 

 

 だが、私の感動は間もなくやって来た次なる来訪者によって粉々に砕かれた。

 

 彼女が足を踏み出すたびに地面にクレーターが作られてゆく。体から滲み出るドス黒いオーラと飛び回る深紫色の危険な蝶を見ていると頭が痛くなってきた。その横では刀を携えた辻斬り従者がビクビクと震えていた。

 

 幽々子様のおなりである。登場の仕方にお嬢様らしさを微塵にも感じない。顔に青筋を浮かべるのは止めた方がいいと思う。

 ていうかあの子ったら滅茶苦茶怒ってる。一体萃香は何をしやがられたんでしょうねぇ? 萃香を改心させることができてもこれは……ダメかも。

 

 取り敢えず幽々子を大きく迂回して妖夢に話を聞いてみることにした。

 

 

「も、もしもしそこの半分幽霊さん。初めまして私メリーと申しますわ」

「おや新入りさんですか? これは丁寧にどうも魂魄妖夢と申します、お見知り置きを」

「ええ。ところでそちらの完全幽霊さんはどうされたんです……? ちょっといけないものが漏れ出してるような気がするんですが」

「……鬼に(白玉楼)と西瓜を砕かれまして」

「あっ……」

 

 萃香、それは賽を投げたんじゃない。賽を幽々子の眉間に打ちかましてる。見なさい妖夢の表情を。この世の絶望を全て内包したようなイイ表情をしてるわ、可哀想に。

 

「貴女……苦労してるのね」

「あはは……紫様助けてぇ……」

 

 妖夢は半泣きで笑いながら幽々子の方に行ってしまった。……助けたいあの笑顔。

 ていうか幽々子さん。いくら怒っていても戦闘が始まったら無差別に能力を発動(大量虐殺を開始)するなんてことはないよね? ね? ね?

 

 

 さて、そんな感じで雰囲気が頗る重くなってしまった博麗神社跡地。こんな状態で決戦なんて全然締まらない。

 ここは空気を緩和させる意味で紫ちゃん渾身の一発ギャグでもやってみようかな? ……やめとこ。

 

 多分萃香の口ぶりからしてレミリアたちも来るみたいだし、前途多難過ぎる。ぶっちゃけこれ以上人数が増えたら収拾がつかなくなるような。

 だって、白玉楼が殺られたってことは紅魔館が殺られてるのは確定的だし……これは第二第三の異変が起きてもしょうがないかもしれない。

 

 

 だが私の憂いは珍しく良い形で裏切られた。

 

「クックック……酷い有様じゃないか。霊夢、貴女の気持ちはとても理解できるわ。だって私もさっき紅魔館を破壊されたばかりだからな! さあ鬼退治を手伝ってあげるわ、紅魔館の総力をもってして伊吹萃香を叩き潰してやろうじゃないか!」

「帰れ」

 

 やけに上機嫌なレミリア。しかもその周りには図書館の秘書補佐さん(小悪魔)とフランを除いた全員がいる。門番までいるけど大丈夫なのかしら? ……あっ、紅魔館はもうないからなのかな。

 集結した紅魔館メンバーだが、その様子はメンバーによってマチマチだ。例えばあのメイドはレミリアと同じくニッコニコしてる。傷だらけの門番も右に同じ。秘書さんは面倒臭そうにふよふよ漂っていた。なんだか霖之助さんと同じ匂いがするわね。

 

 なんにせよ懸念材料だったレミリアがこんなにも丸くなってて良かったわ。だってレミリアが一番なにをしでかすか分からないもの。ガキっぽいから。

 ただ私の方を見て目つきを鋭くしたのは一体何だったんだろう? 彼女と言えば運命を操る能力だが、まさか私が八雲紫であることを見抜いたのかしら?

 ……まあいいわ。私はレミリアがフランをDVしていたっていう弱みを握っているからね! あっちも迂闊には手を出さないはず。もっとも刺客を送られたらおしまいだけど。守護(まも)ってアリス!

 

 

 また少し遅れて藍と橙がスキマを開いて現れた。萃香と戦って尚且つ幻想郷を飛び回りながら結界を維持していたんだろうに疲れた様子を全く見せていない。その姿はまさしく幻想郷の賢者としてあるべき姿そのものだった。

 ……私が賢者の座を譲った方が幻想郷って平和になりそう。ていうかなる。

 

 

「どうやらこれで全員みたいだな。日も沈んだし……そろそろか」

 

 魔理沙が呟く。

 私もそう思うわ。だって辺りの雰囲気が段々と剣呑なものになっていくんですもの。萃香が現れようとしているのかもしれない。

 

 博麗神社跡地に集まったのは霊夢、魔理沙、アリス、レミリア、十六夜咲夜、パチュリー・ノーレッジ、門番さん、幽々子と妖夢、藍と橙、そして霖之助さんと私か。後半二人が完全に場違いのような気がしないこともない。

 ……そういえば小傘ったらどこに行ったのかしら? 恐れをなしたならそれはそれでいいと思う。異変への参加は強制されたものじゃないからね。彼女は私も関わらなければ関係ない立場だったんだし。

 

 

 

『ようこそ、私の宴へ! 歓迎しよう!』

 

 一瞬だけ空気が圧縮され私たちは霧に呑まれた。そして現れたのは双角の小鬼。今回の異変の首謀者であり、鬼の考え方では被害者になるのかもしれない伊吹萃香であった。勿論と言うべきか、酔っ払っている。

 気づけば浮かれていた各々が戦闘態勢に入っていた。物理で殴るものたちは指の骨を鳴らし、魔法で戦うものは魔力を練ったり本を開いたり。そして本来非戦闘員である私は数歩だけ後ろに下がった。具体的に言うとアリス&魔理沙の後ろくらいまで。

 

 萃香は饒舌に語る。

 

 

「ふむ、数は思ったより少ないね。この人数だけで私を殺すことができると思ってるのかな? もしそうなら、嘗められたもんだね私も」

「いいや、お前が私たちを嘗めているだけだ。ここにいるほぼ全員がお前と戦えるだけの力を有している」

 

 藍の言葉になんだか肩身が狭くなる私だった。

 

「ふーんそう。……それじゃあ始めようか。幻想郷の存亡を賭けた戦いってヤツをね。この宴会におけるルールは簡単、私を戦闘不能にすることさ。全員で掛かって来ても文句は言わない。ただしこの場にいる私以外の全員が敗北したら私の勝ちだ」

 

 なんというデスサドンデス。どっからどう見ても萃香の圧倒的不利よね。

 萃香は、もしかしたら自殺したいんじゃないかと思ってしまうほどだ。

 

 と、ここで藍がとんでもないパワーワードを言い放った。

 

「紫様が来られた場合は? お前は戦闘不能になってくれるのか?」

「……来れば、ね。ないと思うけど」

「ふふふ、分からないさ」

 

 はーい来てまーす! まだ言わないけどね!

 霊夢あたりが萃香を殺さずに封印してくれれば最高なんだけど……果たして事が上手く動いてくれるのか。

 

 

「さあ、そろそろ始めよう! 誰が来る? それとも全員で来るか!?」

「私よ。今度こそ退治する」

「いいや私ね。貴女を一体一体地獄に送り返してあげる」

「ふふ、ここは私がやってやろう。貴女たちは私の最強の体術を目に焼き付けなさい」

 

 一番に進み出たのは霊夢、幽々子、レミリアの三人。現在における武闘派三人って感じね。ちなみに幽々子が自分から動こうとするのは相当珍しいことなのよ。妖夢の顔が面白いことになってる。

 

 

「やっぱりお前たち三人か。なら同時に掛かって来な、それでも私は勝ってみせよう」

「あん? あんたら二人は引っ込んでなさい。どうせ私に負けた雑魚なんだから」

「ふん、あの頃の私と一緒にしないでもらいたいわね。今なら霊夢なんて一捻りよ」

「あぁ、私は別に負けてないから」

「……まだかなぁ」

 

 まあこの三人が共闘なんてするはずもなく、順番をめぐって一触即発状態に。ホント面倒臭いわねこの子たち! 萃香も呆れてんじゃない!

 周りの連中も「霊夢いけー!」だとか「お嬢様ファイトー!」だとか「幽々子様どうか落ち着いて……」とか野次飛ばしてるし。

 

 

 

 

「あれ、誰もいかないの? ならわちきからいかせてもらおうか!」

 

 言い争ってる霊夢たちを除く全員の視線が声の主に集中する。私は『わちき』の時点で頭を抱えた。登場のタイミングが悪すぎるわよ小傘ェ……。

 

「ね、ねぇ小傘? 悪いことは言わないからやめといた方がいいと思うの私。お昼に完膚なきまでに瞬殺されたばっかじゃない」

「だけどここらでお遊びはいい加減にしろってところをみんなに見せてやらなきゃ……」

「ダメ、それ絶対ダメ」

 

 このまま進行したら小傘は間違いなく酷い目に遭うわ。セリフからそれが滲み出ていた。それかミスターサタン的ポジションになってしまうだろう。それで萃香に一撃でのされて藍か魔理沙に「まだレベルの差に気がついていないのか……馬鹿の世界チャンピオンだ」とか言われちゃうところまで見えた。

 

「負けちゃって悔しいのは分かるけど、ここは抑えて抑えて」

「ぐぬぬ……けど…!」

「ほら、誰が一番に戦うのか決まったみたいよ」

 

 見ていられなくなったのかアリスが話に介入した。感謝の拍手喝采を送りたい。

 萃香たちの方へ視線を戻すと、霊夢が前に進み出て、レミリアと幽々子が若干肩を落としてそれぞれの従者の元へ戻っていた。

 決定方法はジャンケンかな? それなら霊夢には勝てないわね。凄まじい動体視力を持ってる藍ですら霊夢には勝てないんだもの、仕方ない。予知能力を持ってるレミリアを降すあたり博麗の勘の理不尽さが窺える。

 

 

「……一番はお前さんか。昼の時みたいな期待ハズレな動きはしないで欲しいな」

「チッ……」

「紫はえらく巫女のことを買ってたよ。とても信頼してるんだろうねぇ。私には、お前さんのどこを信頼すればいいのか全く分からないが」

「紫の名前を出すな。私を動揺させようしてるんでしょうけど、無駄よ」

「どうかな……?」

 

 開始の合図もなしに二人は消えた。少なくとも私の視界からは消えた。

 

 不気味な風切り音と破裂音があちこちに響き渡る。時折衝撃で地面や木が抉れていた。

 なんていうか、辛い。魔理沙とアリスがなんか冷静に戦況を話し合ってるのが辛い。

 なるほど、これが巷で言う『ヤムチャ視点』なるものか。

 

 やっぱ生きてる世界が違うのよね、私とあの子たちって。私は大人しくこっち側の世界の住人である霖之助さんと一緒にのんびり観戦してましょう。うん。

 

 

「はぁい霖之助さん! なにか見え───」

「悪いが静かにしていてくれ。中々おもしろい局面でね、見逃すのは損だ」

「……あっそう」

 

 霖之助さんも向こうの人か。そっか。

 少しもそんなそぶり見せなかったから知らなかったわ。ってことはインフレに取り残されてるのは私だけ? みんなスーパーサイヤ人なのに私だけヤムチャなの? 急に心細くなっちゃった。

 

 と、私のすぐ横の地面に超スピードで何かがぶつかった。私に当たってたら間違いなく粉々になるってレベルの勢い。

 そのぶつかった何かは愛しの霊夢だった。地面に仰向けにめり込んでいる。

 

 

「くっ……!」

「れ、霊───っ」

「ほらほらもっと気張ってくれよ! こんなもんじゃ前の繰り返しじゃないかッ! 鬼神『ミッシングパープルパワー』!!」

「嘗めるな! 夢符『二重結界』」

 

 巨大化した萃香の拳が亜音速の速さで結界に撃ちつけられる。ビリビリと衝撃が空気を伝播し、あたり一帯を吹き飛ばす。

 つまり私の目と鼻の先で爆発が発生したわけで、視界が反転した。と思ったらいつの間にか四つん這いで地面に這い蹲っていた。何が起こったのか解らずに横を見ると、綿のたくさん詰まってそうな人形たちが浮いていた。またアリスに助けられたようだ。

 

 ふと胸に違和感を感じる。

 手を突っ込んで違和感の物を取り出してみると、それは先ほどアリスから受け取った『呪いのデコイ人形』の残骸だった。

 

 

 ……私の勇気は木っ端微塵に砕け散り、こんな戦場(カオスフィールド)に来てしまったことへの後悔が心を埋め尽くした。

 

 




イレギュラー→霖之助、小傘

ゆかりんの勝負服は香霖堂スタイル
ちなみにレミリアの機嫌が良かったのは家出していたフランがいつの間にか帰ってきていたから。ただいま地下室で爆睡中

ちょっとだけ投稿ペースを上げれないか頑張ってみる。評価感想を頂ければもっと頑張れる。時間を捻り出せ……!


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恐怖! 増えるスイカちゃん!*





 萃香は瓢箪に口をつけ、必死にもがき舞う二色の蝶を眺めた。喪われた威信を取り戻す為に、躍起になって萃香に襲い掛かる。

 

 彼女の目線で博麗霊夢を簡単に評価するならば、はっきり言って期待ハズレも甚だしい、といったところだ。霊力も体力も、人間の範疇から完全に逸脱してしまっている素晴らしい逸材ではあるのだが、それでも弱い。

 寧ろ霊夢に絶対的な信頼を寄せていると豪語した、八雲紫の裏に潜む意図が重要なのではないか、と思わせるほどに。

 

 所詮自分は考えるよりも、手が、体が先に出てしまうような妖怪だ。八雲紫の真意を汲み取ろうとする時間が勿体無い。そもそも紫の言葉には真意もフェイクも込められていない可能性すらある。

 だから、萃香はもう一度だけ博麗霊夢を試してみようと思った。昼間での決戦は不意に拳が刺さってしまったような決着だったし、霊夢も直前になんらかの術を使用しようとしていた。彼女を決めきってしまうのは早計かと。

 

 だが、霊夢は何も変わっちゃいなかった。

 強いことには強いが、この実力ではとてもじゃないがレミリア・スカーレットや西行寺幽々子を降すことは決してできないだろう。大妖怪に届き得るのに必要な一押しが欠落している。

 これでは何度やっても萃香を倒せるはずがない。紫の言っていた博麗霊夢には遠く届かない。これならさっさと勝負を終わらせてしまって他の連中と戦った方がまだ楽しめそうだ。

 

 ならば、霊夢の本質を引き出せるだけ引き出して、もう終わりにしてしまおう。

 飛来するお札を拳で砕いた。萃香は体を脱力させて空中に漂い始める。

 

「はあー……ダメダメ。弱すぎるよお前。よくこの程度の力でこれまで幻想郷を守れてこれたもんだ。紫の奴は頭は良いけど、人を見る目は全くないんだね。こんなのを博麗の巫女にしちまうなんてさ」

「……っ!! 黙れッ!」

 

 さも悲壮感を持っているかのように、肩を大袈裟に竦めて挑発する。霊夢は判りやすく表情を怒りに染め上げた。

 紫から聞いた話では確か、博麗霊夢は「何事にも動じない空気のような存在」という総評だったはずだ。それがどうだろうか、鬼の言うことに振り回されている。……救いようがない。

 

 萃香の中でほぼ霊夢は見限られた。もはや彼女を試す理由も価値もない。

 霊夢を戦闘不能にし、次なる戦いへ移行する為に能力を発動せんと掌を打ち付ける。しかし、それは観客からの一言の野次によって中断してしまった。

 

 

「んな適当なこと言ってんじゃないわよ! 霊夢以上に博麗の巫女に適任な子なんて、そんなのいるわけ無いでしょうが! 鬼が堂々と嘘ついてんじゃないわよこんちくしょー!」

「あぁ?」

「メリー……」

 

 先ほど余波で死に掛けていた弱小妖怪のメリーが、アリスと魔理沙の背後から好き勝手言いまくっていた。萃香が少し威圧しただけで萎縮してしまっているが、目は相変わらず萃香を睨んでいる。

 こういう奴は案外嫌いじゃない。威勢が良いだけの馬鹿にも見えるが、その他にも言葉に出来ない何かを萃香は感じ取っていた。

 

 だがそれとは別に感心することがある。霊夢の荒れ狂うような霊圧が少しずつ落ち着いているのだ。頭を冷やしているのだろう。

 メリーの何食わぬ一言で霊夢を取り巻く周囲の雰囲気が若干緩和された。

 

 弱っちいが中々気になる妖怪だ。彼女には測れない魅力が存在するようで。

 だがまあ、今更ではある。何にせよ、萃香の中で霊夢はもう終わりなのだから。

 

 

「ギャラリーの連中も自分の出番が待ち遠しく思う頃だろ。これで終わりにしようかね」

「──夢想天生…!」

「何をしようが私の前には無力さ!」

 

 霊夢の体が一瞬だけ透き通った。しかしすぐに元に戻ってしまい、萃香の霧から生成された腕に襟元を掴まれた。また夢想天生が使えない。

 鬼の力は凄まじいもので、萃香の肩ごと振り回される。それに伴って辺りに散らばる岩石などの残骸が霊夢に纏わりつく。咄嗟に結界でドーム状に体を覆うが、関係無いとばかりに岩石は萃められ、隙間なく敷き詰められてゆく。

 岩石は極限まで圧縮され、熱量を生み出す。やがては溶岩となり、霊夢と結界を内に持つマグマボールとなった。鬼の肉体の前にはマグマの熱もなんのその。

 

「これで、いっちょあがりぃ!」

 

 萃香は振り回す勢いそのままに、抉られて剥き出しとなった岩盤に投擲、風切り音とともにマグマボールは豪速球と化した。

 これだけの勢いがあれば岩盤との接触時に霊夢の結界は間違いなく砕け散ってしまう。そして間髪入れず衝撃とマグマが霊夢へと襲い掛かるのだ。

 

 ──だが

 

「あがるのはアンタよッ!」

「ッ!?」

 

 霊夢を伴ったマグマボールは地面に接することなく消えてしまう。直後に萃香が背中に感じたのは己で作り出した圧倒的熱量。

 亜空穴だ。霊夢は「着弾する地面」と「萃香の背後の空間」を繋げていた。

 

 結果的に衝撃とマグマを受けたのは萃香だった。流石に空中では踏ん張りが効かず、諸共落下する。着弾とともに霊夢は結界を暴走させマグマごと周りを消し飛ばし、馬乗りの状態でスペルを発動。

 

「夢想、封印!!」

 

 詠唱とともに巨大な霊力弾が萃香へと殺到し、幻想郷にこれでもかと深い穴を抉じ開けてゆく。大地が上下にリバウンドし、体の軽いメリーは反発力によって跳ね飛んだ。そして半泣きになった。

 

 最後の弾が破裂すると同時に霊夢は空を蹴って大きくバックステップした。

 

 

「どんなもんよ。少しは堪えたかしら?」

「──んー……いんや全く」

 

 瞬間、霊夢の足元を含めた周辺大地が粉々に分解され、そしてまた元の地面に戻る。能力を応用すれば萃香にとって造作も無いことだ。

 勿論彼女は無傷。霧から実体へと萃まり、新しく造られた地面へと降り立つ。

 

「多少はマシになったか。まだお前さん相手でも退屈せずに済みそうかな? よし、もうちょっとだけ遊んでやるか!」

「チッ、人をコケにするのが上手いじゃない」

 

 

 

 

 

「何をやってるの霊夢。私を倒した時の貴女は、そんな生ぬるいものじゃなかったはずよ! ほらそこよ! そこで左フック!」

「……おかしいぜ。霊夢にいつものキレがない。夢想天生まで不発してるし、どうしちまったんだ。やる気が空回りしてるのか?」

「それね、私もそのことについて考えてたわ。あんな霊夢なんて一捻りよ。あれじゃ美鈴でも勝てちゃうかもね」

「ちょ、お嬢さま……」

 

 レミリアと魔理沙は霊夢の動きに強い違和感を感じていた。これまでに霊夢が彼女たちに見せつけてきた鮮烈な姿は完全になりを潜めている。

 例えばレミリアとの戦いで魅せた、技と力の織り成す冷徹な一撃。例えば魔理沙が身を持って体験してきた、虚を突く無慈悲な一撃。それら全てが衰えてしまっている。

 さらには夢想天生が発動しておらず、霊夢自身も発動を試みていたが悉く失敗。その無防備な瞬間を萃香に狙われている。前回使用してからしばらくの期間があるので、ほぼ問題なく発動することは出来るはずなのにだ。

 

 もはや別人であった。

 動きは最初より少しだけ良くはなったが、まだまだ本来のものとは大きくかけ離れたものだ。いつもの霊夢ならば萃香とも五分以上の戦闘が出来るはずなのに。

 

「ただのスランプってわけじゃなさそうだな……。いつから霊夢はこんなになった? 春雪異変の時までは普通に────」

「その時でしょう」

 

 魔理沙の呟きに咲夜がアッケラカンと答えた。予想外の相手からの思わぬ返答に眉をひそめる。その傍らではレミリアが興味深げに耳を傾けていた。

 

 

「あのビチグソ隙間妖怪を直々に引き裂いたんでしょ? 死んだかどうかは知らないけど、霊夢はそれを気に病んで未だにひきずってるだけじゃないの? 引きずってちゃ宙に浮かべるはずもない」

「うーむ……あり得る、のか? あの霊夢がねぇ」

「ふふ……霊夢なんてまだまだ50も生きてないひよっこの小娘、多感症なのね。私は覚えているわ、この年頃の人間はとても面倒臭いって事をね」

 

 レミリアの流し目に咲夜は目を逸らした。興味をそそられるが今は我慢、霊夢をなんとかする方が先決だ。

 霊夢が紫に若干依存していることは魔理沙も気づいていた。魔理沙との『親友』という名前があるような関係ではない、一言では言い表せない関係が彼女たちにはあった。自分と師匠のような感じがして、それともまた違う歪な関係。

 そんな紛い物の紫とはいえ、体を引き裂いた瞬間を見ている。致命傷を与えているのだ。それが霊夢に何らかの障害をもたらしている?

 

 ちゃっかりと話を聞いていたらしい藍は、頬に手を当ててゆっくりと言う。

 

「論理的で倫理的な下手な理由よりも、よっぽど判りやすいよ。私もそれを身を以て体感したばかりだ。ココロに空いた隙間の影響力は無視できるレベルじゃない。今でこそ紫様の御命を頂けて私は此処にいる。だがそれまでのこの数ヶ月は……な」

「そういやほとんど廃人だったなお前。受け答えにも殆ど感情を感じなかった。だけど、そこまで磨耗しちまうものなのか?」

「紫様はよく言われていた。『心に最も負荷が掛かるのは、身近な人物が喪われた時』と。……橙が居なかったら私は……」

「まあ、分からんでもない」

 

 

 ここはひとつメリーみたいに励ましの言葉でも贈ってやるのがいいだろうか? いやしかし励ましの言葉は既に掛けた後だ。もう一度言うのはこっぱずかしいし、それでまだ駄目なのだから魔理沙では説得しきれないのだろう。ただのスランプとも違うようでもある。

 

 ならば他の奴に声援を出させてみるべきか? 魔理沙に次いで霊夢と付き合いが長いのは藍と橙だが、藍が紫関連で優しい言葉を掛けるヴィジョンが思い浮かばなかったので却下。次にアリスだが、視線を向けると首をふるふると横に振った。

 他は駄目だろう。パチュリーは人に気の利いた事を言えるような魔女ではない。かといって美鈴では的外れだ。幽々子と妖夢もダメ、霖之助は……言わずもがな。傘は知らん。最後の一人であるメリーは現在進行形で檄を飛ばしている最中である。

 

 もはや円満に打開する方法は霊夢自身が吹っ切れるか、紫に直々登場してもらうしかない。というか紫が出てきてくれればこの異変は即終了である。魔理沙や藍たちでこの異変を解決しようものなら霊夢はこの件を引き摺り続けるだろう。

 

 つまり結論として──

 

(「全部八雲紫が悪い」ってことか。とんだ迷惑賢者だぜ。……あいつ一体どこで何をしてやがるんだ? まさか今も何処かで、呑気に私たちを見てるんじゃないだろうな?)

 

 

 

 

 そしてその肝心の八雲紫はというと。

 

「えっと巫女が回っ、いや上がった! 鬼が殴って、地面に落ちて、迎え撃って、なんか変な弾を撃った! デカく、いやちっちゃく! うわーなんか凄いの出したー!」

「霊夢いけーっ! 萃香なんて倒しちゃえー! ……けどできれば穏便に事を済ましてね! みんな仲良しが望ましい!」

「あっ、巫女が押し倒された」

「うおぉぉ霊夢ゥーッ!!」

 

 魔理沙の予感通り、がっつり()()いた。但し全く()()()はいないが。

 なので小傘に実況してもらっている。三つの目が目の前の動作を正確に捉えるが、口は二つ(うち一つは張りぼて)なので情報の伝達が間に合わない。

 つまり(メリー)に伝わっているのは

「鬼、ヤバイ、強い」

 以上。

 

「呑気にやってる場合ではないね。伊吹萃香が躍起になり始めた。これはもうひと荒れするかもしれない」

「こ、これ以上なにが荒れるっていうの!? もう荒れるものはないわよ? だって更地とクレーターだけだもん!」

「どうだろうね。無限と有限を調和する規格外の鬼だ。このまますんなりとは終わらせてくれないだろう。……身構えていた方がいいかもしれない」

「え?」

 

 

 

 メリーが疑問の声を上げたその時、五度目となる夢想天生の失敗にとうとう萃香が痺れを切らした。この場面で頑なに使おうとするのだ、何かの意味があるのだろう。それが焦ったく、腹立たしい。霊夢が本気になれてない事は薄々萃香も勘付いていた。

 内心では紫のこれ以上の嘘を認めたくないという想いもあるのかもしれない。

 

「さあ出しなぁ! 私を倒すつもりで挑んできたんなら、ヴィジョンは掴めているはずだろ! 私にお前を、紫を失望させるな!」

「はぁ……はぁ、くそっ夢想天生!」

 

 スペルを叫ぶ。しかしの体には何の変化もなかった。またもや不発。萃香から溜め息が漏れ、霊夢は苦々しい表情で歯を噛み締めた。

 

「なんで、発動しないのよ……!」

 

 人の爆発力とは怒りによって急激に引き上がるものだと、萃香は熟知している。時には決して成し得ぬ技を、いとも簡単にこなすのが人間という面白い存在だ。

 霊夢は存分に(なじ)り倒した。しかし紫の言っていた『博麗霊夢』の片鱗は未だ見えず。燻る一人の少女の姿だけがあった。

 

「ほらぁ! 怒れ怒れ怒れぇぇ! お前の本当の力を出せっ、 紫の言ってた、博麗の巫女の力を見せておくれよぉ! ただのガキじゃないってところをさ!」

「う、ぐぅ……!」

 

 強烈な息もつかせぬ連打。お祓い棒で器用に衝撃を受け流すが、全てを殺し切れるはずがなく。腕が振るわれ発生する空気弾だけでも、生身で受けてしまえば必殺になり得る純粋で最凶のパワー。

 ”技の”萃香とも呼ばれているが、それは対比になっているもう一人の鬼とともに揶揄される二つ名であって、パワー自体は世界で数本の指に入るほどなのだ。霊夢の耳すれすれを掻っ切る衝撃は空間を削り、遥か遠くの地面に生々しい傷跡を残してゆく。

 

 そして、一撃がお祓い棒をへし折り、衝撃が霊夢の身体全体を殴打する。後ろに吹っ飛び、着地も取れずにゴロゴロと引きずられながら倒れた。

 すかさず萃香は霧となって霊夢の真横に現れると、つまらなそうに酒を呷る。

 

「あーあダメ、か。紫……お前はまた私に嘘をついたんだな。そんな嘘、抑止力にもなりゃしないよ……」

「……ま、だ…まだ」

「やる気はあってもねぇ。なんだ、お前が全てを出し切るのに一体なにが足りないんだい? 怒りか? 時間か? 力か? ……紫なのか?」

「どれもいらない! 私は私だ! ……私は変わってなんか、ない。それに、アンタへの怒りなら掃いて捨てるほどあるわ!」

「ふぅん」

 

 さてどうするか。

 怒りはダメ。霊夢をさらに怒らせるならばギャラリーの連中を攻撃したりなど、まだ幾つか方法はあるが、霊夢が使おうとしている技は逆に怒りが枷になっているのかもしれない。それでは本末転倒だ。

 ……そういえば、この戦闘中に一度だけ霊夢は強くなった。そのタイミングは確か、メリーが檄を飛ばした時。

 

 

 メリーは幻想郷の新参で、霊夢とは面識が浅いのだろう。なのになぜ彼女からの声援で動きがよくなったのか? 支援系の能力かと思ったが、それなら真昼に唐傘をのした時、なんらかのアクションを起こしたはずだ。

 まさか、彼女が霊夢の本気の鍵にでもなるのか? 未だ謎多き彼女が……。

 

 

 

 

 ──鬼が嗤った。

 

 

 

 

「ふふっ試してみようかなぁ? もし違っても余興にはちょうどいいし」

 

 打って変わって軽快な口調になった萃香は、霊夢から目線を外し件の彼女を視界に捉える。息が詰まって肩が跳ね上がっているのが目視できる。

 萃香が腕をぐるぐる回すと、それに伴って腕に装着された鎖も回る。そして、ほどよく遠心力によって速度を増した鎖を、勢いよく投擲した。

 

「そぉれ、鬼縛の術!」

「え───」

 

 鎖が鞭のようにしなり、うねり、メリーの寸前で断ち切られた。断ち切ったのはアリスの人形。肝心のメリーは何が起こったのか分からずにオロオロしていた。

 アリスが、魔理沙が厳しく萃香を睨む。

 

「おいおいおい、鬼ってのはそんなに野蛮なのか? 奇襲してこんなか弱い非戦闘員を狙ってきやがって」

「今、貴女は観客(メリー)に攻撃を仕掛けたわね。つまり、それは同じく私たち(観客)に対する宣戦布告と見ていいのかしら?」

「好きにとっていいさ」

「えっ、え? なになに?」

 

 二人による強烈な殺気が容赦なく萃香に降り注ぐ。だが大して気にする様子もなく、むしろ興味深げに状況を観察していた。

 怒る白黒に虹色、メリーを護るように傘を開く小傘、剣を引き抜く霖之助。どうやらメリーに攻撃するのはタブーらしい。

 

 ……面白い。やはりメリーは何か持っている。

 

 

「こりゃいよいよ確かめる価値がありそうじゃないか。よし霊夢、戦闘は一度休憩にしよう。せいぜい体力を回復させるんだね」

「ちく、しょう……! 待ってろ、アンタなんか本気を出せばすぐに退治してやるんだから……! ギャラリーと戦ってる暇なんて─────」

「まあまあ、大人しくしとけって」

 

 萃香は仰向けに倒れている霊夢へ馬乗りになり、鎖で拘束する。そして自らの体から大量の霧を放出しもう一人の伊吹萃香を創り出した。

 分身萃香は呑気に数を数える。

 

「ひーふーみー……13人か。これくらいならなんの支障もないね。ちょっくら行ってくるから拘束は任せたよ」

「了解了解。厳しくなったら幾らでも妖力を追加するからさ、派手に頼む」

 

 以心伝心のコンタクト。分身萃香はゆっくりと足を踏み出し、ギャラリー席へと歩を進める。メリーは悲鳴をあげ、彼女を取り囲んでいた者たちが臨戦態勢をとる。レミリア率いる紅魔勢と幽霊組、八雲の式たちはやっとか、と強かに笑みを浮かべる。

 

「初めからそうやってくれた方が分かりやすかったわね。お前たち手を出すなよ? あの鬼を倒すのは私、レミリア・スカーレットだ! そこの幽霊にも九尾の狐にも譲る気はない」

「ははっそんながっつかなくてもいいって。ちゃんと全員相手してやるからさ。

 いくよ……『妖鬼-疎-』」

 

 分身萃香の体から先ほどと同じように霧が噴出される。そしてそれらは形取られ、本体と同一の者へと変化した。

 

 13体の萃香が揃い踏み、ゆっくりと各々への距離を詰めてゆく。その圧力にメリーは涙目で吐き気を訴える胸を力強く押さえつける。

 頗る厄介、しかもその一体一体が本体と全く変わらない規模の妖力を有していた。

 

 

「おかしいぜ……あの分身ども全く力が衰えてない、力が分けられてないぞ。スペルを発動したわけでもねえのに訳がわからん」

「言っただろう。彼女は無限と有限、そして調和を司る存在だ。つまり0を1にすることができるし、さらに1を100にすることもできる。本体の妖力上限を超えることは出来ないだろうが、それを差し引いても余るほどの脅威だ。やはり荒れたか」

「つまりあの萃香一人一人が霊夢を倒すほどの強さってことなんでしょ!? 無理無理無理! そんなのチーターよ! さすが鬼、汚い!」

「今更だぜ」

 

 魔理沙の言う通り、不条理にいちいち嘆くばかりではこの幻想郷で生きてゆくことなど出来ない。勿論、メリーはそんなこと言われずとも分かっている。というよりこの場の誰よりもそれを痛感している。悲しきかな。

 メリーが何より恐怖したのは、萃香の分身の数が13人ってことである。今現在、霊夢を除いて此方側で宴会に参加しているのは、魔理沙、アリス、レミリア、咲夜、パチュリー、美鈴、幽々子、妖夢、藍、橙、霖之助、小傘、そしてメリーの13人。

 

 ……萃香はメリーのことを見据えて分身の数を13人に設定しているのだ。

 ───「全員相手してやる」……つまるところ、萃香からの殺害予告に等しい。

 

 メリーは素早く状況を確認した。レミリアチームと幽々子チーム、愛すべき我が式たちは各々で戦闘準備を進めている。わざわざ自分にまで手を回すような気遣いはしないだろう。彼女たちには独自の目的があるのだから。

 逆に自分を助けてくれそうな魔理沙、アリスに小傘だが、正直彼女たちをもってしても全く安心できない。まず魔理沙は防御型の魔法が苦手だ。アリスは万能だが、どこまで萃香に対抗できるのは不透明。小傘は昼間での完全敗北が頭にビュンビュンよぎりまくる。

 

 霖之助? 知らない男ですね。

 

 

 

「来るぞッ、戦闘に自信の無い者は後ろに退がれ! ───構えろ橙!」

「はいっ!」

 

 藍の声と同時に萃香たちが搔き消える。思考が停止し、次に脳が動きを開始した時には各地で衝突が起こっていた。メリー半泣きである。

 

 同一個体の元で動きが統制されている萃香に比べ、対する幻想郷連合は連携もクソもなかった。当然といえば当然である。

 即死技を連発する幽々子にレミリアが動きを妨害され、キレた咲夜の攻撃を妖夢が弾く。これだけで新たな対立関係の完成である。

 

 早々に連携を見限った美鈴とパチュリーは各々で撃破に向かう。対鬼を見据えて準備を済ませていたパチュリーは正面からの純粋な火力で萃香と張り合った。美鈴は吸血鬼異変での敗北を踏まえ、夢の中で萃香の動きを学習していた。故に倒すとまではいかないが技術で優勢を保つことができている。

 

(へぇーあの二人なかなかやるなぁ。中国っぽい奴の動きなんて見違えたよ。これなら能力無しの私になら簡単に勝てるかもしれないね。さて、他は───)

 

 

「ほらほらそんな攻撃全く効かないよ〜。もっと強い技はないの? それが精一杯なのかい? チンケなナイフで攻撃するだけじゃあねぇ」

「無駄に硬かったり柔かったり……意味が分からない、気持ち悪い。異空間に閉じ込めても出てくるし、相性が悪いわ」

「言い訳ね」

 

「何処を攻撃してるかな? 素振りにしちゃ随分とお粗末だが」

「おのれちょこまかと! 大人しく斬られなさい!」

「目に見えるもの全てが斬れるなんて思っちゃいけない。そこらへん勉強不足だよ」

 

 咲夜は火力不足、妖夢は命中に欠ける。互いに秀でている部分は萃香でも目を見張るものがあるし、潜在力もなかなか高い。しかしまだまだ拙い。

 従者としてなまじ優秀すぎた分、独りよがりな一面が強いのだ。

 

(せめてこの二人がタッグを組むなりすればけっこう変わってくるんだろうけど、今は無理なんだろうなぁ。仲悪そうだし。それにひきかえ、こっちは仲好調だね)

 

 藍は大した小細工無しでも分身萃香に打ち勝つだろう。だが橙はそうはいかない。八雲の式とはいえまだまだ小童の化け猫、萃香と殺り合うには実力が遠く及ばない。よって彼女のフォローに藍が回らなければならなくなるので戦況はプラマイゼロになるんだろう、と萃香は高を括っていた。

 しかし、思った以上にこのコンビは強かった。

 コンビとして戦う以上戦況は2vs2になる。妖力など諸々含めた総合力なら確実に萃香二人に軍配があがるだろう。しかし現状は八雲式コンビの優勢であった。

 式の同調効果と言うべきか、二人の性能が時間経過につれて格段に跳ね上がっている。刻々と変化するスペックに加え、互いの信頼から成る小回りの効いた小技に分身程度なら易々と消し飛ばす強烈な一撃。流石は紫の式神だと萃香は感心した。このままいけば2体の萃香を倒せるかもしれない。

 

 

 

 さて次にレミリアと幽々子だが、こちらは既に勝負がついていた。萃香の分身体は運命の槍に貫かれ消滅、もう一方は絶対無比の能力によって即死であった。

 やはりあの二人は強い。考え無しに突撃させた分身体では全く相手にならないようで。しかもそれぞれの事情で彼女たちの調子は非常にハイな状態である。恐ろしいものだ。

 

 アリスと魔理沙は可もなく不可もなく、といったところか。彼女たちはメリーと小傘の分も合わせて4人の萃香を相手にしている。奮戦しているものの、後ろのお荷物を抱えながらの戦闘じゃ力を出し切れないだろう。

 おまけに萃香は魔力を霧散させることで術式の構築を妨害、さらには展開された人形師団を一箇所に萃めてしまい魔法使いに得意な戦法を取らせない。

 

 意外だったのが森近霖之助である。

 腰の剣の刀身を萃香に当てた途端、体が崩れて妖力ごと霧散してしまった。自分の戦局を片付けた霖之助は魔理沙たちに助太刀して戦況をイーブン、そして優勢へと変えてゆく。

 あの剣は───。

 

 

「そこのメガネ、面白いものを持ってるじゃないか。その剣からイヤに私と近しい力を感じるのは、どういうことだ?」

「ふむ、他ならぬ君が知らないのか。この剣の名は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、かつて素戔嗚が八岐大蛇を退治した際に、大蛇の尾から見つかった神剣だ。この剣の本質を語る前に、まずはこの剣の起源となった八岐大蛇の話をしなければなるまい。神代の怪物、八岐大蛇は死に絶えたと考えられていた。しかし一部の説では姿形を変えただけに留まったというものもあってね。諸説あるがその中の一つに酒呑童子がいるんだ。所詮諸説、真実はともかく知識の一つとして覚えていたが、いざ本物(天叢雲剣)本物(伊吹萃香)を比べてみれば、この剣の秘めている力と君の力は同質のものだ。効力に差はあるがね。君の相反する萃と疎の力は本来同時に成り立つものではない。調和の力で保っているんだろうが、そこを逆補正の力で突いてやればすぐに瓦解する。つまりこの剣は、君に特化した剣だ」

「長い長い」

 

 いきなりの薀蓄に苦笑が漏れた。だけどもその洞察力は素晴らしい。

 萃香自身にも思い当たる節はある。霖之助の話全てが詭弁であるわけではなさそうだ。

 

「……香霖。お前、私にその剣はガラクタだとかなんとか言って安くせびったよな」

「いや悪かったと思ってる。その代わりにこうして慣れないことをわざわざ買って出ているんじゃないか。その分でチャラに頼むよ」

(霖之助さん汚いなぁ)

 

 なにはともあれ場はかなり持ち直した。みんなの奮戦に萃香の分身たちは次々に敗走してゆく。圧倒的ではないか、我が軍は!

 メリーに一筋の希望が差し込んだ。

 

 

 

 だから、萃香はそれを完膚なきまでに叩き潰す。

 

 

 

「それじゃ次は3倍の数でいってみようか! 1:3にして……吸血鬼と幽々子と藍には10程度でいいか。さて何人残るかな?」

 

 分裂、補完、分裂。

 一人百鬼夜行の伊吹萃香の真骨頂である。

 ずらりと並んだ総勢60の萃香たちは間髪入れず畳み掛けた。萃香相手にキルレート1:3はあまりにも無謀すぎる。

 

 圧殺だった。

 

 

「これは夢? そう、これは夢。とんでもない悪夢なのね。ほらドレミー私を迎えに来て……」

「現実逃避してる暇なんてないぜ! マシンガンスパーク!」

「後ろに下がりなさいメリー。小傘はメリーを守ってあげて。───戦符『リトルレギオン』!……サモン、ゴリアテ!」

「そんなチンケな魔法で私たちを止められるものか! 出し惜しみして鬼と戦えるはずないだろっ!」

 

 小刻みに撃ち出される魔砲を拳圧のみで搔き消し、行く手を阻んだ人形たちを軽いジャブで悉く破壊する。そして最後に立ち塞がった巨大人形ゴリアテは2人の萃香による足元へのタックルで前のめりに転倒した。

 

 その隙に残った萃香たちがメリーに突撃するが、アリスの咄嗟の判断による魔法糸での拘束で一瞬だけの足止めに成功する。その好機を見逃さず、魔理沙は全開のマスタースパーク拘束された萃香の分身体を消しとばした。

 

「どうだ! これが私の魔法───」

「言ってる場合か」

 

 瞬間、魔理沙は頬への裏拳で弾き飛んだ。気の抜かりと言うよりも、神出鬼没の萃香の動きに対応できなかった。

 

「魔理──ッ」

 

 アリスは動けなかった。四方を完全に包囲されているからだ。視界の隅ではゴリアテ人形が現在進行形で萃香に砕かれている。

 

「人形は全て潰した。頼りになるお仲間もあのザマだ。面白い剣を持っている男は元々武闘派じゃないようで5人同時相手が関の山……」

「この危機的状況、どうやって切り抜ける?」

「なんなら諦めるか? それとも逃げるか?」

 

「っ! ……参ったわね」

 

 魔導書を掴む力が強くなる。

 残された手段がないわけではないが、それはアリスにとって用いたくない、最後の手段というやつであった。

 ──だが

 

 

「いやァァァこっちキタァァ!!」

「なんの! たった一体ぐらいわちき1人で十分だから、安心してメリー!」

「できるかぁ!」

 

 防衛線が食い破られた。

 残るメリーへの防波堤は小傘のみ。はっきり言って心許ないというのが本音だ。

 どうする? 他に助けてくれそうなのは1人もいないし、かと言って最後の手段を使用すれば守る対象であるメリーは愚か、幻想郷にまで───。

 

 

 

 

 

「もうやめ! やめにしましょう!」

 

メリーは体を大にして叫んだ。

 

「萃香っ! みんなに暴力を振るうのをやめなさい! ていうか一旦落ち着いて!」

「あぁ? 鬼に指図するかい?」

「指図ではないわ……お願いよ。あくまで対等な立場としてのね。──そして貴女には言わなきゃならないことがある。少なくとも、私にとっても貴女にとっても大切な話」

 

 急に悟った様子で語り始めるメリー。恐怖を感じているのは簡単に見てとれるが、それを覆い隠すような固い覚悟が瞳からは窺える。萃香は眉を顰めた。

 

「なんだよそれは。まさか時間稼ぎかい?」

「か弱い私がなんでこんなスターリングラードも真っ青な戦場に来たんだと思う? それはね、私にはこの異変を終結させる義務と責任、そして手段があるからよ。……隠してたのは悪かった。私も保身に走りすぎたって今になって後悔してるわ」

「一体なにを…… 義務と責任なんてあるはずがないだろ。お前は新参でこれまで面識もなかった仲だ。……違和感は感じるが、本来ならこの異変とは無関係な───」

 

「無関係な仲なんかじゃないわっ!」

 

 何かを押し殺したような悲鳴が響き渡る。その言葉に分身萃香たちは動きを一斉に止め、本体を含めてメリーに注目する。霊夢も、他宴会参加者たちも意識をそちらへ向けた。小傘は間に挟まれてオロオロするしかなかった。

 

「私と貴女は友人なの。何百年も、何千年も前からの古い友人! 一年に一回はお酒を酌み交わして色々な事を語り合ったよね。酒を切らしたらすぐに暴れてさ、私ったらいつも気が気じゃなかったのよ! ……私は貴女のことを一番って言っていいほど信頼しているわ。今回の件は決して褒められた事じゃないし、みんなは貴女の事を許さないかもしれない。だけど、貴女が私の事をとても信頼してくれてたって事はよく分かったわ! 個人的な感想で言えば、とても嬉しい!」

「……」

 

 隠していた事を吐露し感情をまくしたてるメリーに、周りの反応は様々だった。殆どが訳の分からず呆気にとられ、唯一霖之助だけが頭を押さえた。

 肝心の萃香はピクリとも表情を動かさず、メリーをひたすら見据える。なにを思っているのか、その表情からは全く読み取れない。

 

 

「ごめんなさい萃香……約束を守れなくて本当にごめんなさい。だけど決して故意的にすっぽかしたわけじゃないの。ずっと貴女の事を気にかけてた」

 

 萃香は何も答えない。

 

「今ならまだ引き返せるわ。みんなには一緒に謝るから、もう終わりにしましょう? それで明日から幻想郷はまた元どおりよ」

「……なるほど。言いたい事は分かった。それじゃあ、簡潔な結論を聞こうか。私の古くからの友人で、酒を酌み交わした事があって、約束の内容まで知っている──そんなお前さんは、誰だ?」

 

 メリーは口を開きかけて、また噤む。しかし頭をふるふると振って決心を決めると、しっかりとした口調で言い放った。

 

 

 

「私は、八雲紫よ」

 




ドラゴンボールで一番好きなのはセル編
そして正邪さんは日本社会のイデオロギーをひっくり返して、どうぞ。資本主義の豚め……!

とまあそんな感じで、次回こそ早めに投稿できたらいいなぁ! 評価感想を頂ければもっと頑張れるはず




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八雲紫は『嘘吐き』






 あードキドキした! まだ心臓が鳴ってるし、チキンメンタルで無理し過ぎたわね。

 やっぱ真実を打ち明けるには決意と準備が若干足りなかったような気がしないでもない。だけどこのままじゃ小傘もろとも紙屑のように吹き飛ばされる未来しか見えなかったからね、仕方ないね!

 

 さて、気になるのは萃香や他のみんなの反応だけど……イマイチ動きが見られない。妖夢や地面に突っ伏してる魔理沙は驚いてる様が伝わってくるんだけど、それ以外は疑わしいような目で見るだけで、藍に至っては冷ややかな視線を飛ばしてきてるような?

 分身萃香も本体萃香も、私をジッと見るだけでノーリアクション。沈黙が痛いとはこのことか。下腹部あたりに寒気を感じる。

 

 

「……」

「す、萃香? なんか反応してくれると嬉しいなーって。無視はキツいから」

「……」

「あ、ハイ」

 

 これは辛い。なんなのこの空気? 私の予想では「やったー紫が帰ってきたぞー! 宴だー!」パターンか「八雲紫が出てきたぞ! ブチ殺せ!」ってパターンになると思ってたんだけどな。

 もしかして情報処理が追いついてないのかな? まあ分かるわその気持ち。私だって貴女たちがやらかすたびに脳みそがフリーズしたりして……。

 

 

「その言葉、本気ってことでいいのかい?」

「……ん?」

「もし冗談で言ったなら、嗤って流してやる。だが、お前さんがそれを本気で言ったなら話は別問題だ。……聞かせてくれ、『自分は八雲紫』だと、本気で言っているのか?」

「そ、そうよ! 私は八雲紫───」

 

 

 

「嘘をつけ」

 

 

 

 素っ気なく言い放たれた言葉から感じる、途轍もない敵意。冷たく私を射抜く眼光から漏れる、灼熱の激情。

 私はこの瞬間、萃香の地雷を踏み抜いてしまったことに気が付き、そして最悪の結果を察してしまった。後悔しても、もう遅い。

 

「何度も言ったと思うが、鬼は嘘が大っ嫌いだ。……けどね、嘘の中にもランク付けってもんはあるよ。保身の為の嘘なんて虫唾が走るくらいさ。そしてお前がたった今吐いた嘘ってのはね、私が最も嫌悪する部類の嘘だ」

 

 耳鳴りが鼓膜を打つ。萃香の分身たちの妖力がどんどん高まっているのだ。大気の色が目まぐるしく変異し、萃香たちへと吸い込まれていた。

 私は腰を抜かして地面に尻餅をついた。小傘やアリスが何かを叫んでいるけど、そんなもの頭に入ってこない。

 

「お前が吐き捨てた嘘……私の友人を侮辱する嘘は、絶対に許せない。絶対だッ!」

 

 萃香の怒号でようやく思考できるようになった。ひたすら保身に走る私のポンコツブレインがまず思いついたのが、嘘ではないという弁解だった。

 

「ご、誤解よそれは! 私は正真正銘身も心も八雲紫なのよ! なんでそんな……」

「まだ嘘をつくのか。まだ私の友を愚弄するのかッ! どこで私と紫の約束を知ったんだ? お前、まさか紫の行方を知ってるんじゃないだろうな?」

「あわ、わわ……!」

 

 火に油を注いだだけだった! な、なんで? なんで信じてもらえないの? 少しくらい疑われるのは想定してたけど、ハナから否定されるなんて思わなかった。

 私に問題があるのかしら。取り敢えず小傘に聞いてみよう。

 

「ねえ小傘。私が八雲紫って信じる?」

「あー……うん。わちきはメリーの味方だよ」

 

 つまり信じてないってことね! マイルドな言い方で気を使わせて悪かったわ!

 マズイ、これは本気でマズイ。このままじゃ地獄に叩き落とされてしまう。勿論物理的に!

 取り敢えず誤解を解かなきゃ!

 

「あ、あのさ……なんで私が八雲紫じゃないって思うの? 確かに小っちゃいし胸は無いけど、少しくらいは疑って欲しいわ。ほら金髪だし」

「疑う余地も無いね。お前みたいに弱くて小物な八雲紫がいるもんか。お前からは紫の雰囲気が少しも感じられない」

 

 元から貴女達に比べたらクソ雑魚なんですがそれは……。雰囲気に関しては仕事モードと日常モードで使い分けてたから仕方ないのかな? まあ私ってメリハリを(わきま)えたデキる女の子だからね。萃香が誤解しちゃうのもしょうがないか!

 なら仕事モードの雰囲気にすれば萃香もきっと信じてくれるはず! 目をキリッとさせて、余裕たっぷりに口の端を持ち上げて……。

 

「ふふ……これならどうかしら? 正真正銘、八雲紫そのものでしょう?」

「全然違う」

「えっ」

 

 まさかの自己完全否定に頭がぐらりとする。さ、三ヶ月間のブランクがあったからかな? いや、そうに違いない!

 だが、萃香の口から飛び出す言葉の数々が私を追い詰めてゆく。

 

「次に目だ。紫の瞳の色は鮮やかな深紫色。だけどもお前の瞳の色は青色。……まさか眼球に色を塗ったわけじゃないだろう?」

「えっ、ウソ!?」

 

 すぐに小傘に確かめてもらったが、彼女も私の目は青色だと言う。ちなみにカラーコンタクトを入れたことなんて一度もない。

 そんなぁ……邪気眼みたいでカッコいいからお気に入りだったのに。けど逆にこれでギリシャ出身設定が嘘だとバレなかったことに納得がいったわね。

 

 萃香の追撃は止まらない。

 

「次にお前の種族。妖怪ではあるようだが、妖力を全く感じることができない。いくら追い詰めても妖力を開放する気配がないところを見ると、よほど胆力があるか、元から妖力なんて存在しないかの二択。……前者はないだろうね。つまり、お前はスキマ妖怪はおろか何故そこに存在しているかも疑わしい有機物ってこと。精霊のなりそこないか何かか?」

 

 私=可燃物……?

 いやいやその等式は成り立つけれども、あまりにも酷すぎる! 正直辛い!

 まあ、萃香の言うことにも一理くらいはある。妖力が無いと私とは断定できないわよね。しかし妖力どころか、霊力も無いんだったら……私って何を動力源に生きてるんだろう? 弁解のつもりが自分の謎を自分の手でさらに深めてしまった。

 

 そして萃香のとどめ。

 

「最後に私の能力になるわけだが、私は紫がいなくなってから今日に至るまで萃める力を発動していた。さて、何を萃めていたと思う?」

「……わ、私?」

「お前じゃない! ……紫だ。

 対象に能力が問題なく発動すれば勿論私が気づく。だがね、この三ヶ月間一度たりとて紫に反応したことはない。あいつは今どこにも居ないんだよ。なあ、それじゃ私の目の前にいるお前さんは何なんだ? 何で能力が発動しないんだ? ……そりゃあ八雲紫じゃないからね。発動するはずないよね」

「な、なにそれ……」

「そりゃこっちの台詞だよ」

 

 萃香の能力については私もその凄さを実感している。先ほどまでの戦闘でも見た幻想郷の強者たちに引けを取らない強大さもさることながら、その緻密さに狂いはないだろう。昔、萃香が私を呼び出した時だって萃める能力は問題なく発動していた。スキマから引きずり出されるほどの力だからね、忘れようがないね。

 

 ていうかここまできたら私自身も怪しくなってきたわ。自分の正体にしっかりと確信が持てなくなってきた。

 もしかして、私は自分を八雲紫だと思い込んでる頭の可哀想な一般妖怪だったりして……。やばいちょっとシャレになんないわ!

 

 待った、一旦状況を整理しましょう! 振り返ることで見えてくる何かがあるはず! ほら、温故知新とかいうやつよ!

 まずは大前提。ここはどこ? 私は誰? ……ここは博麗神社だった場所。そして私は八雲紫の記憶を持っている謎の妖怪”自称”メリー。……ちょっと迷走してきた。

 

 ここは十分に考える時間が欲しいところだが、周りをそれを許してくれないらしい。特に萃香。

 百面相状態の私にどんどん詰め寄ってくる。周りを見れば他の分身たちも次々に行動を開始し、戦闘を再開させていた。

 

 

「さて、何か反論はあるかい?」

「いやえっと……あれよあれ! なんていうかその……違うの! これは何かの間違いなの!」

「私は何度も念押ししたじゃないか。それを今更間違いなんて、都合が良すぎると思わない? 嘘だと認めたところでもう遅いってハナシだ。……悪いが私の気が収まらないんでね、それ相応の報いは受けてもらおう。なぁに殺しはしない、ただ泣いたり笑ったり出来なくなるだけだから」

 

 それって生殺しじゃないですかヤダー! 明らかに死ぬより辛い未来なんですけどぉ!

 ああ……もう。なんか本能が思考を放棄するように訴えかけてるわ。恐怖ともどかしさで、頭がどうにかなっちゃいそう。すぐに逃げるか萃香を説得するかしないといけないのに。

 

 ダメだ。心が折れた。

 完膚なきまでに自分を否定されて、周りが八方塞がり過ぎて、容易に想像できるこれからの私の未来が悲惨すぎて、涙が止まらない。

 勇気を出して事を収めたかったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?

 どうして……。

 

 

「メリィィッ! 今すぐ逃げて! 後ろを振り返らずに走って!」

 

 叫ぶと同時に小傘が分身萃香へと飛び掛った。茄子色の傘が扇型に見えるほど早く振り下ろされ、分身萃香の脳天へと打ち込まれる。

 だが分身萃香は少し仰け反った程度で、蚊ほども効いていない。多分、能力で頭部をスカスカにしたのか、もしくは衝撃そのものを霧散させたのか。どっちにしろ正攻法じゃ分身ですら倒せない。

 

 

「ふん、また一撃で葬ってやるよ。オンボロ」

「オンボロでいい! 傘としての本分を失わない限り……人を守ることができる限り、わちきは傘として在り続ける! 鬼なんかに友人を奪われてたまるか!」

「ハッ、こんな状況じゃなきゃ褒め称えてたんだがね! せめてこの鬼の剛力を手向けとしよう!」

 

 分身萃香の体が空気に溶け、数瞬後に小傘の腹へ拳が突き刺さる。昼間と同じ光景が脳裏でフラッシュバックしたが、小傘は二の舞になるつもりはなかったようだ。踏ん張って衝撃を抑え込むとその隙に本体の茄子傘が舌を伸ばして拘束する。

 

「へ、へへ……こうなってしまえばこっちのものだ。わちきはアリスみたいに万能じゃないから貴女を一人しか抑えきれないけど、せめて貴女だけでもメリーに手は出させない!」

「ほぉー、やるじゃん。これじゃ力ずくでの脱出は無理そうだ。そしてゼロ距離密着状態からのレーザーか」

「わちきの性質は超撥水! 貴女の体を的確に捉えて蒸発させる!」

 

 萃香の腕や脚が茄子傘の舌を引きちぎろうと蠢めくが、どうやら伸縮性に優れているようで完全に張り付いて離さない。さらにさらに茄子傘の紅い一つ目が輝きだした。これは技有り!

 す、すごい! 小傘が萃香を封殺した! やっぱりやればできる子だったのね! 思えば藍と橙のコンビネーション制裁を沢山受けていたにも関わらず、なんだかんだで次の日にはピンピンしていた小傘が弱いわけないよね!

 

 他の分身もチームプレーによって皆でなんとか戦えてるし、一筋の希望が差し込んできたって感じかしらね。さあ、今のうちに考えるのよ紫……いや、メリー。なんとか和解まで持っていくための平和への方程式を……!

 ちなみに逃げるという選択肢はない。どうせ逃げ切れないし、私のために体を張ってくれてるアリスや魔理沙、そして小傘に背を向けるなんて、そんなことしたら一生あの子達に足を向けて寝ることなんて出来やしない! 捕まっている霊夢をそのままにしておくわけにもいかないしね。

 

 くそぅ、戻れるもんなら早く元の体に戻りたい。バカみたいに高いヒールとありったけの胸Padがあれば私が八雲紫だって証明できないかしら? ……ないわね、流石に。

 藍か橙に弁解を頼んでみるとかは……ダメか。二人とも萃香の分身と戦闘中で近づけないし、先ほどの藍の反応を見るに私の話を全く信じてないっぽい。橙は怪訝そうな顔をするだけだったけど、最終的には藍の指示通りに動くだろうしねぇ。

 

 うむむ……そうだ! 私と萃香だけしか知らない共通の秘密とかを言えばいいんじゃない!? ふ、ふふ……流石は私! 幻想郷の賢者此処に在り!

 さて萃香との二人だけの秘密、秘密……。あれれ、何も浮かばない。いやいや何かあるはずでしょ? あの子とは今まで食ってきたパンの枚数よりも多く酒を飲み交わしてきたんだから。それはもう酷い時には毎日浴びるように飲まされて、一時はお酒恐怖症になるくらいに。

 ……お酒で記憶が吹っ飛んでるだけかな?

 

 くっ、悠長に考え込んでる暇なんてないのに。こうしている間にも小傘は必死に……

 

 

「……! か……!」

「ほれ、離さないと死ぬぞー」

 

 必死に……必死の形相で悶絶していた。

 いつの間にか二体目の分身萃香が現れて、鎖で小傘の首を絞め落としている。顔色はみるみる青白くなって、意識は半分飛びかけ。だがそれでももう一人の分身萃香の拘束を解こうとしない。解いてしまったら……私の方に来ちゃうから?

 

 私の体が弾けるように動いた。たかが知れたスピードで走って、小傘の首を絞め落とす萃香の角を掴んだ。そして微々たる力で後ろを引っ張る。萃香を小傘から引き離すために。

 

 ……小傘のオッドアイが私を見た。鎖を掴んで震える手を握り締め、声の出ない口から泡のように儚く空気が漏れる。

 読唇術なんて嗜んでいない私だけど、小傘が言おうとしている言葉は容易に分かった。「に、げ、て」と、彼女は言っているのだ。

 

 

「逃げない!(ていうか逃げ切れない)」

 

 私の力なんて助けになるわけがない。それでも、何もしないなんてカッコ悪いことはできなかった。頭しか取り柄がないのに何も思いつけないし、とっておきの秘策と銘打っておいて正体をバラしてみれば挙句には萃香を怒らせて……。

 戦国時代なら腹切りものの失態よね。だから私は勝てもしない力比べに挑んだの。今の私の気分はさながら山本勘助! 「おいは恥ずかしか! 生きてられんごっ!」 って心境なのよ!

 

「あぁ? お前さぁ、弱い癖にしゃしゃり出てくるんじゃないよ。せっかくこいつらが必死にお前を逃がそうとしてくれてるのに」

「なら私の言葉を信じなさい! 私は、八雲紫なんだからぁ!」

「まだ言うか」

「ひぃぃっ!?」

 

 

 ───すとん。

 肩越しの眼光におもわず()()()()()()()私は後ずさって尻餅をついた。

 

 

 ……角を持ったまま?

 

 私の手にはまだしっかりと角が握られている。一緒に何故か萃香の頭も付いてきてる。

 目の前には萃香の体が立っている。しかし、首から上がそっくりそのまま無くなっていた。

 私は首、体、首、体と交互に見て、最後に首。萃香と目があった。

 

 ここでようやく私のポンコツブレインが状況を把握して……だからさらに混乱して。

 

 うん、取り敢えず叫ぼっか。

 

 

 だが私が叫ぶよりも早く、今度は小傘が拘束していた萃香の首が飛んだ。それと同時に萃香の体が力を失って倒れ込み、小傘は咳き込みながら四つん這いになった。

 まさか、小傘がこれを!?

 

「す、凄いわ小傘! こんな技を持ってたなんて!」

「かはっ、けほっ……こ、これはわちきの能力じゃないよ。だけど心当たりはあるわ。───遅いよ蛮奇!」

 

「悪かったわ。ちょっと酔いが、ね」

 

 ちゃっかり残っている鳥居をくぐって現れたのは、赤いマント、赤い服、赤いスカート、赤いリボンと全身一色の着こなしをした妖怪だった。

 なるほど彼女が小傘の言っていた『お友達』か。

 

 

 私はこの妖怪を知っている。蛮奇……確か赤蛮奇って名前だったっけ? 風貌から妖怪だって即バレなのに、人里に住み着いて真昼間に大通りを闊歩する変わり者の妖怪。

 たびたび噂には聞いてたわ。そういえばさとりの用意してくれた吸血鬼異変攻略メンバーリストの中にも彼女が入ってたわね。藍曰く「素っ気なく断られた」らしいけど。

 

 そういうわけで、赤蛮奇は一応知っている存在ではあるけど、あまり深くも知らない中途半端に未知なヤツって認識ね。

 ちなみに何故か人里からの評判は案外良かったりする。小傘の連れ合いだし別に驚かない。

 

 小傘が呆れた様子で話しかける。

 

「酔いって……真昼間からお酒を飲んでたの?」

「そりゃあ神社に殴り込みって聞いたからなあ。巫女と戦う時は酔いが有効だと巷で有名でさ」

「戦うのは巫女じゃなくて鬼だよ」

「うん。この状況を見れば一目で分かるわ」

 

 小傘が赤蛮奇と話している間に手に持っていた萃香の首印をそっと地面に置いた。不気味だし、重いし、なんかグロいし……ね?

 それにしても一体どうやって萃香の首を落としたんだろう。何の前兆もなく首が落ちたから皆目見当がつかない。

 

 ちょいちょいと小傘のスカートの裾を引っ張って、場の状況に取り残されていることをアピールした。解説お願いします。

 

「ああそっかメリーは知らないよね。蛮奇はろくろ首だから首を飛ばすことができるんだ」

「へぇーあの有名なろくろ首。……で?」

「だから首を飛ばせるの」

「いや、どうやって飛ばしてるの!?」

「さあ?」

 

 理論なんて存在しなかった。しかし幻想郷ではなんでもアリなのだ! 懐疑なんて認識の偏差で片付けられる、そんな世界なのよちくしょう!

 

「……それはまた、可笑しな能力ね」

「うん。だけど首が飛んだらまず人間はアウトだからね、驚かす暇もないから滅多に使わないみたいだよ。ついでによく使い道が分からないけど頭を分裂させることもできるよ」

「ふふん、カッコいいだろ? 私の恐ろしさに慄くがいい」

 

 赤蛮奇はマントをはためかせて、尚且つ自分の首を浮かせながら決めポーズらしきものを取った。慄くも何も、私が最初に抱いた感想は至極簡単で当たり前のもの。

 貴女、本当にろくろ首ですか? そんなの首狩り族さん涙目じゃない! しかも能力が地味に強力だし!

 全く、ロクな能力じゃないわね。……ろくろ首だけに!

 

 ……ゲフンゲフン。正直悪かったって思ってる。けど逆に言えば今の私には冗談を(心の中で)言う程度には平静を保ててるということ!

 だって強力な能力持ちの妖怪が新たな助っ人として参上したんだもの。この調子で分身萃香の首を全部飛ばしちゃって、最後に本体との対話に持っていければ或いは……。

 

 

「気を抜いたらダメだメリー君! ()()は首を落とされても動く産物だ!」

「へ?」

 

 初めて聞いた霖之助さんの大声。その方向に首を向けると何人もの萃香に囲まれて……俗に言う袋叩きにあっている霖之助さんの姿があった。剣を振るって萃香を霧散させても、その隙に他の萃香が霖之助さんを攻撃する。まさに数の暴力。

 あ、あれはいけない! 文系男子の霖之助さんがあんな攻撃を受け続けていたら怪我じゃ済まなくなっちゃう!

 

「小傘とそこのイカした妖怪さん! 霖之助さんを助けてあげてちょうだい!」

 

 急いで小傘と赤蛮奇に霖之助さんの救出をお願いした。しかし、それは霖之助さんの望むことじゃなかったようで。

 

「僕の事はいい、それよりもその伊吹萃香たちだ! 源頼光が切り落としてもなお、酒呑童子の首は飛行したそうだ。分身とはいえそれだけで勝負が着いたと考えるのは早計すぎる」

「あっ、どっかで聞いたことあるわその話」

 

 いつの日か萃香が憎たらしげにそんなことを言ってたような気がする。その日を境に萃香は人間を信じるに値しない存在として格付けて、嘘と真実に敏感になっちゃったのよね。

 つまり、この状況は源頼光と渡辺綱と藤原保昌……その他諸々の以下略のせいね。私は悪くないことがまた再確認されてしまった。

 

 って、責任転嫁してる場合じゃない! 霖之助さんに言われた通りに、置いていた萃香の首に視線を向けて……固まった。

 

 

 そこに首はなかったのだ。

 

 

 肝を冷やした私はカラクリ人形のようにぎこちなく小傘たちの方を向き、異常を伝えようとした、その時だった。

 右足に凄まじい引っ張る力を受けて私は前のめりに転倒した。そしてそのまま引っ張られて勢いよく地面を引き摺られる。悲鳴すら上げる暇のない急な展開だった。恐怖と動揺で涙しか出ない。

 

 足に掛かる力の正体は、勿論萃香の首によるものだった。浮遊するそれは、なんと白ニーソに喰らい付いてぐいぐいと引っ張っているのだ。その先に居るのは、本体萃香と縛られた霊夢。

 

 オイオイオイ、死ぬわ私。

 

 

「た、たす、助けて!」

「あぁメリーが! すぐに───うわぁ首ナシ!?」

「頭だけで飛行するなんて……これじゃ私の能力がほぼ完封されてるじゃないか! くっ、接近戦は得意じゃないんだけど……」

 

 走り出そうとした小傘と赤蛮奇の前に、むくりと立ち上がった首ナシ萃香が立ち塞がる。もうね、どこのB級ホラー映画かっての!

 




赤蛮奇:頭を飛ばせる程度の能力
文字通り、頭を飛ばせる。以上


資本主義の豚と土砂は許さない
超撥水だから水分を含むものなら必ず弾き固定するという、うどんげの「幻覚は光よりも速い論」みたいな変なアレ。常識を捨てろ、ここは幻想郷だ
ちなみに鬼太郎の唐傘お化けは目から土をも溶かす怪光線を放つというなんでもありな設定があったりなかったり。凄いねぇ偉いねぇ





注)



ネタバレ、萃無双は夢オチ


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サブリミナル同床異夢






 白ニーソを噛むな! そして引き摺るな! 瓦礫とかがいっぱい散らかっててぶつかる度に視界がぐらつくのよ!

  霊夢のお札結界が無かったら体が磨り減ってるわよこれ! ありがとう霊夢! そして助けて! ……あっ、霊夢も捕まってるんだった。

 

 景色が高速で流れ、どんどん死へ向かっている。必死に地面を掴んで踏ん張ろうとしても、私の非力な体力じゃ勢いを落とすことすらできない。

 萃香の生首>私の力関係である。

 

 即座に周りを見て助けてくれそうな人を探してみた。アリスは……苦戦中だから無理。魔理沙と霖之助さんも同上。

 幽々子は自分の鬱憤を晴らすのに夢中で気づいてくれないし、妖夢もその対応と自分の身を守るので精一杯みたいだ。

 紅魔館組は身内でコミュニティを築いてて、組織力で対抗している。途中レミリアがこっちを見て面白そうに笑った。あいつ、私の惨劇を楽しんでやがるわ!

 最後の頼みの綱、藍は……こっちを見たがすぐに視線を逸らして戦いに戻った。余裕はあるのに助けに来てくれないって事は、望みナシってことよね。なんていうか、悲しい……。

 

 

「──うべ!」

「ほい到着。首で飛行なんてのも久しぶりだなー……結構疲れるもんだ」

「ご苦労さん、そんじゃあとは私がやるから。──さぁて、まずはその邪魔な結界を剥がそうか」

 

 投げ飛ばされた先には萃香の御御足。そしてそのまま蹴っ飛ばされて私はボールのように跳ね飛んだ。三度目のバウンドくらいで何かが砕け散る音が聞こえた。おそらく霊夢のお札結界が砕けたんだろう。これまでも戦いの余波とかで結構ダメージを受けてたから。

 

 

「う、くく……」

「それ、鬼縛の術」

 

 待ちガイルの如く、立ち上がった瞬間に飛んで来た鎖に捕縛された。そしてまたずるずる引き摺られるメリーちゃんの図である。直は痛いって!

 

 そして再び萃香の御御足の元へ。地面に突っ伏してるってこともあるけど、今の萃香が途轍もなく大きく見えた。いつもは見下ろす体勢になるから、その分のギャップと衝撃は大きい。

 

「ようこそ、妖怪メリー。分身との会話は聴いていたよ。まあ、ガッカリだ。お前のことは結構評価していたんだけどねぇ。……弱小なりに身の程を弁えつつ、だけども譲れない一線からは私を前にしても決して退こうとしないその姿勢は、十分に賞賛できるものだった。……それだけに、とても残念だ」

「そ、そんなこと言われても」

 

 勝手に褒めた挙句、そこから勝手に幻滅して残念がられても困るのよねぇ。

 萃香の言い分は完全に自分の中で独立してしまっている。つまり、めちゃんこ頑固なのだ。一度そうだと決めたら余程のことがない限り自分の主張を変えようとはしない。そこらへんが何百年も前から少しも変わってないのよ。そんなんだから身長が伸びないんじゃないんですかねぇ?……なんて言ったら殺されるので心に思うだけ。

 

 

 ふと前を向くと、私と同じく鎖てグルグル巻きになってる霊夢と目があった。彼女の怪訝な視線に、私はてへぺろ♪と引き攣った笑顔を返すことしかできなかった。すっごく気まずい。

 取り敢えずなんでもいいから霊夢と話したい。霊夢に謝りたい。萃香を覗き見ると、彼女は何をするでもなく私たちを凝視するだけ。これは「喋っていい」ってことなのかしら?

 おっかなびっくりに喋りかけてみた。

 

「お、お久しぶりね。その……貴女の忠告を聞かなくてゴメンね……? 結局こんなお荷物になっちゃった」

「……私もこんな状態だしアンタに何か言えた義理じゃないわ。それにそんなことよりも、さっき言ってたのは」

 

 あーやっぱり突っ込んでくる? 霊夢の表情を見ると、その険しさからして全く信じていないようで。まあ、そうでしょうね。私の正体を信じてもらうことはもう諦めたわ。

 勘のいい霊夢でこれだものね。

 

「……信じてくれると思ったの。けどみんな嘘って言ってさ、これじゃ私って馬鹿みたいよね。あなたの言う通り香霖堂で大人しくしてれば良かったって、今頃後悔してる。足手まといになるばっかで、何もできやしない」

「そりゃあ、そうでしょ」

 

 惨めすぎる。無様すぎる。

 みんなと一緒に戦うこともできない。ありのままを伝えることすらもできない。

 こんなことになるなら……ただメリーとして生きていれば良かった。私から完全に八雲紫を切り捨てて、新たな自分として生きていれば。

 

 

「……悪いけど私もアンタの言う事は信じてないわ。風貌とか性格とか、そういうのもある。だけど一番は、アンタと紫が点と線で結びつかないからよ。この鬼でなくても、誰も信じない」

「そう、よね。ごめんなさい。……正直、私も自分の言ってることがだんだん信用できなくなってるの。自分で言っておきながら、変だけどね……」

 

 霊夢からも否定を受けて、いよいよ私は自分と八雲紫は別人であることに考えが傾き始めていた。頭上で萃香の鼻で笑う音が聞こえる。

 

 もしかしたら、八雲紫はすでに死んでいて、その妖力の残骸から生まれたのが私とかいう変な説まで頭の中に浮かんできた。

 けど、ありえる話じゃない? だって、私がメリーとなって霖之助さんに拾われた場所は確か『無縁塚』だったはず。あの世とこの世の境界が最もあやふやになる場所。私が……八雲紫が死んでいたとしたら───。

 

 はぁ、なんだかねぇ。

 思い返すは八雲紫時代。

 たくさんの危険に遭遇し、あわや命を落としかけた回数は──そう、100! それから先は覚えていない。なんとも前途多難! 曹操さんにこの七難八苦を少しでも分けてあげたいくらいだ。

 だけど、なんだかんだ今に至るまで生き残れているのは……ひとえに運が良かったから。なんていうか、悪運ってやつ? 世界が私に苦しみを与え続けるために、わざと生き長らえさせているように思えるほどの、残酷で奇跡的な運。

 しかし、今日になってその悪運もとうとう尽きてしまったようだ。いや、もしかするとメリーとしての悪運なんぞ最初からこれっぽっちもなかったということも。

 ……なんにせよ、なんだかんだなあなあで助けてくれたみんなからは見捨てられ、逃走経路すら見出せない私は憐れな袋小路の鼠。

 

 

「萃香。もういいわ。煮るなり焼くなり好きにしてちょうだい。ついでに付け加えると殺さないでくれたら嬉しい……」

「あん? なんだ、わざわざ霊夢と最後の会話をさせてやってたのに……もう終わりでいいのかい? でかい嘘を吐いたくせして呆気ない幕切れだね」

「ええ。これ以上何を言ってもそれが嘘になるなら、仕方ないわ。もう嘘でいい。けど八雲紫の情報はこの頭の中に入ってる。もし彼女を探し出したいのなら私の頭を隅々まで覗いてごらんなさい。貴女の能力ならそれが可能なはず」

「……言われずともそうするつもりさ。あまりこの方法は好きじゃないけどね。だがお前さんはただ寝ているだけでいい。夢幻の世界は在り方を変えることはない。お前はお前の中に閉じ込められるだけ。お前の意識は永遠に沈むか、起きた時には全てが終わっているか、二つに一つだ」

 

 言ってる意味はよく分からないが、要するに私をどこかに閉じ込めて監禁。そのあとじっくりと私の記憶を探るらしい。

 記憶の取り方は簡単。頭を分解して記憶を解析、そしてまた萃めて治す。ただしその結果が気に入らなければ霧散させた頭を治さず放置でもオッケー。その間、私にできるのは痛くないことを願うことだけである。

 昔にそんな感じで人間の頭を探って遊んでいたことがあると聞いた。本当にロクでもない妖怪よ、鬼って!

 

 

 私の頭を覗いた萃香は、私をどうするだろう? 本物の八雲紫だって認めてすぐに異変を止めるだろうか。それとも、怒り狂って私を殺しちゃうんだろうか。最後まで私を信じずにどことも知れぬ萃香の牢獄で一生を過ごすのだろうか。

 

 一つ言えることは、これで私は詰みだということだ。いずれにしてもロクな結末は迎えないだろう。だけどせめて、私は嘘を言ってるつもりはなかったことだけでも萃香に知ってほしい。

 嘘吐きのまま終わるのは嫌だなぁ。

 

 視界が霞む。

 段々と視力を失うように、目の前が白で一杯になってゆく。萃香も、霊夢も、不思議な靄の中に消えようとしていた。いや、消えようとしているのは私か。

 

 ……そうだ、最後なんだから霊夢に言っておかなくちゃいけないわね。メリーとしての声援じゃなくて、八雲紫としての言葉を。

 

 巫女としての責任を重要視するのはいいことだけど、霊夢はそれに縛られるあまり本来のモチベーションを保てずにいるらしい。魔理沙やレミリア、それに藍がそんなことを話しているのが少しだけ聞こえた。

 聞いて納得したわ。いつもの力が出せれば萃香にでも決して負けはしないはずなのよ。

 私が霊夢に期待を持ち過ぎていたせいなのかもしれない。巫女としての重圧と負担を考えずに、あの子を頼りすぎた。

 

 霞む目を擦りながら声を張り上げた。

 

 

「霊夢ぅぅ! 私を八雲紫だと信じなくてもいい! だけどね、私には彼女の心の内が分かるの! 私は……八雲紫ならこう言うわ。博麗の巫女あっての博麗霊夢じゃない。貴女あっての博麗の巫女なのよ!」

「……は?」

 

「調和と均衡を守り、幻想郷に仇なすものを排除するのが博麗の巫女の仕事。だけど、何が不和をもたらし、何がこの世界の害になるかなんて、そんな絶対的な規定はないわ! 何が良い方向に転ぶかなんて誰も知る由がない、だから!」

「……なによ急に」

「イタチの最後っ屁ってやつかな」

 

 萃香はハナから耳を貸そうとしていない。だが、霊夢の瞳が若干揺れたのを捉えた。彼女になら、まだ言葉を届けられるかもしれない。

 体が浮遊感を得て、思考が方向感覚を失ってゆく。眠りに落ちる寸前のようだ。だけど、私はまだ……!

 

「霊夢……! 貴女が全てを決めるのよ。適当で良い、勝手で良い! 私なんかに気を取られてる貴女は全然らしくないわ! ……大丈夫、貴女がどんなことをやらかしても、私は霊夢を信じ続けるから!」

「……なんで、そこまで言えるの。アンタとは今日初めて会ったのに、なんで……」

「だって! 私は……私は貴女の…!」

 

 

「はい、タイムオーバーだ。夢幻の世界へ一名様ご案内といこうか!」

 

 必死にまくし立てた私を尻目に、萃香が冷めた口調で私の終了を宣言する。

 体にかかる凄まじい脱力感とともに、私は浮きながら、奈落へ落ちていく錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界はホワイトアウト状態。匂いは無い。完全な無音。私の周囲に触れることのできるものは何も無い。

 五感は完全に失われて、私は無重力の上に浮かんでいるような奇妙な状況に置かれた。深い疲労に、体がピクリとも動かない。

 

 これが萃香の言っていた夢幻の世界? てことは、ここは最近見なくなってしまった夢の世界? ならドレミーが迎えに来てくれるかもしれない。

 だけど、それにしてはいつもとは全然感覚が違う。なに一つが私の思うようにはならないのだ。あるのは私が存在するという、ただそれだけの事実のみ。他には何も無い。

 

 怖いとか、不安とかよりも先に押し寄せたのは強烈な不快感。行動よりも先に意志が折れてしまう。これじゃ何もできない。

 逆に何もしなければとても楽だ。心が安らぐ。こういうのを虚無って言うんだろうけど、こんなに良いものだとは思わなかったわ。

 

 おかしいわね、絶体絶命の詰みだったはずなのに、こんな意味のないボーナスタイムを貰えるなんて。……まあ、いっか。一々考えるのも面倒臭い。

 今はこのなんとも言えぬ余韻に浸りましょう。何かするのは、何か考えるのはその後からでいい。どうせ私には何もできないんだから。

 

 

 

 五感を失えば、距離を失う。

 距離を失うということは即ち、時間を失うということ。もはや今の私には1秒も1日も1年も、なんら変わりはない。

 途切れ途切れの考えを再開した頃にはもう、全てが一巡してるほどに時間は経っているのかも。時間っていうのはなんでこうも残酷なのかしらね。止めることはできても、進めることはできても、満足に過去へ戻ることはできない。戻ったところでどうにもならない。

 

 そして、失われる時間の中でやることなんて何も無い。なら、時間なんていらないわ。

 何もできないのなら何かする必要はない。何かが起こるまで漂っていればいい。心地良い気分に身も心も乗せて……。

 

 夢見に興じましょう。

 

 

 

 

 ちょっとして、ふと考えた。

 

 霊夢はどうなったんだろう? 根はしっかりしてるから私なんかがいなくても大丈夫よね。

 萃香はみんなと和解できただろうか? それとも退治されちゃったのかしら。私がここから解放されてないってことは、生きてるってことよね。よかった。

 藍と橙は無難に幻想郷を引っ張っていってるんだろうなぁ。もっと弱者に優しい幻想郷を目指して頑張って欲しい。彼女たちならそれが出来るはず。

 フランは私がいなくなったことでレミリアから虐められてないかな。メリーになってから全然会えてないけど、元気にやってたらいいなぁ。

 霖之助さんはちゃんとご飯を食べてるかしら? 香霖堂の掃除は……やってないでしょうね。腕のいい家政婦さんでも雇ってからここに来れば良かった。

 小傘は今も楽しくやってるんだろうな。私に代わる「お得意先」になってしまった人にご冥福をお祈りしとかないと。

 アリスにはお礼を言いそびれちゃったわ。……そうだ、ついでに謝らなきゃ。なにを? うーん、なんだったかなぁ。

 

 他は……他には……。

 ダメだ。これで精一杯。

 

 

 経過とともに全てが風化して、形を成さない心地悪いものが私の頭にへばりつく。

 

 

 これは、あれだ。

 境界だ。

 あやふやになり過ぎてて私がなにもわかってないんだ。なにも定まっちゃいないくせに勝手に考えを多方面に広げちゃうから、訳が分からなくなるんですわ。

 ええ、そうね。だって私は違うんですもの。

 

 

 ── そう、違う。

 これは夢だ。なるほど、全てが合点いった。

 夢は自分からは成すことは決してできない。だが創り出すことはできる。すべての元となるのは夢だ。無意識の意識だ。

 

 私が元に戻るのに一番邪魔なのは萃香の術じゃない。むしろ私自身……いや、その内に潜む異物。

 私たち以外には何もいらないわ。

 異物は、排除しなくちゃねえ?

 

 意識を放棄してさらに内へと潜る。多分、その先に答えがある。夢が深ければ深いほど、現実との境目は薄くなってゆくものだ。

 行きはよいよい、帰りは恐い。だが、私に限っては帰る必要がないから関係のない話だ。夢がこっちに来ればいいのだから。

 

 

 そう、夢を、現実に変えるのよ。

 私たちの手で。

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん、んぅ? あー……えー……?

 脳内の覚醒とともに体に重みが戻ってきたのを感じた。だが体のふわふわ感はまだまだ健在みたい。やっといつもの夢の世界でのコンディションになれたってところね。

 

 いつの間にか眠ってたみたい。けど私は萃香の手によって夢幻の世界とかいう所に閉じ込められていたはず。なんだか怠くなっちゃって途中で意識が途切れたんだけど……夢の中で寝るってさ、私ったら疲れてるのね。

 寝起きということもあってか、瞼が痙攣して開かない。私の体はまだ睡眠を望んでいるようだ。しかし今の状況で自分を甘やかしているわけにはいかないので、必死に目をこじ開けた。

 視界は真っ白で、まだ目が慣れていない。

 

「──! ────」

「……───」

 

 取り戻されてきた五感が人の気配を察知した。ていうか声が耳に飛び込んできた。

 慌てて状況確認に努めようとしたが、どうも何かに縛り付けられているようで体が動かない。どうやら呪詛的な部類のものらしく、首から下がほとんど機能を失っている。その状態で椅子に座らされているようだ。

 

 ちなみにその時気づいたんだけど……私の胸に双丘が戻ってる。これは、まさか久しぶりの八雲ボディ! ああ愛しの八雲ボディ! 着てる服には見覚えがないけどこれは間違いなく八雲ボディ!

 幻想郷よ、私は帰ってきた!

 これで萃香の暴走を止めることができるわ! そうとなればすぐに現実世界に戻らないと!

 

「私は────と───しょう?」

「そうではない。問題は───」

 

 声がだんだんとはっきりしてきた。目もだんだんと元に戻っていって、声の主の姿が見えてくる。

 

 二つのシルエットは色々と特徴的。

 一つはサンタみたいな帽子を被ってて、お尻の方に尻尾が生えている。体の周りにはボールみたいなのがいっぱいくっ付いていた。

 まあ、ドレミー以外の何者でもないわね。

 

 もう一つのシルエットの特徴を一言で言うなら……片翼の羽かしら。こっちは誰なのか分からない。ただポーズはカッコいいと思う。

 ……何か引っかかりはするんだけど……。

 

 この二人がなにやら言い争っていたようだ。一つのテーブルを囲むように私、ドレミー、片翼の主で向かいあっているような状況。私は動けないけど、目の前の二人は普通に動けるようだ。椅子を立ったり座ったりで忙しそう。

 取り敢えず薄眼を開き寝たふりをしながら情報収集に務めることにした。私のこの意味不明な状況もそうだけど、二人の目的が分からなくて怖い。

 

「何はともあれ、大きな失態であることに変わりはない。貴女の労した手間は素晴らしいものだけど、結果論からすると……」

「私は出し惜しみなんてしてませんよ。しっかりと全力で取り掛からせてもらってます。……要するに、この件は私の手に余る」

「夢は貴女、貴女は夢。『この世界でできないことは何一つない』と、そう豪語したと思うんだけど? 盛ってしまったのなら正直に言いなさい。口は禍の元だって私は理解してあげるから」

 

 うむむぅ……? 話が全く掴めないわね。

 ドレミーが相手から一方的に責められたり皮肉られたりしてるみたいだけど……友人として助けてあげたほうがいいのかしら?

 ……なんか怖いからまだ寝たふりをしながら見てよっと。

 

 

「しれっと能力を使って意地悪しないでくださいよ。それにこの世界での私への干渉は打ち切っていますからね、現し世ならいざ知らず、夢の世界では空虚に空回りするばかりですよ。……そんなこと知ってるでしょうに」

「勿論。知ってるわ」

「天邪鬼ですねぇ。まあ、証明にはなったでしょう。今の通り夢の世界でなら私にできないことはありません。当然ながら、かの八雲紫であったとしても私の前では無力です。ただし、夢の世界でならね」

 

 えっ、私の名前!?

 今までの話って私に関わることだったの……? その割には全くピンとくる内容じゃないんだけど。私以外に八雲紫がいるわけもないし。

 

「私はこう言いたいんです。今回の件の原因は全て現し世で発生したことであって、私のサボりとかそういうのじゃない……とね。八雲紫だって、再臨の方法は夢を利用する以外にも確保していたはずですよ。現し世にもまだ幾つか遺されているとみるべきでは?」

「そうではない。引き金は此方(こちら)にあったのだとしても、あくまで中継は夢の世界を通じて行われているはず。貴女の世界よ」

「責任を押し付けるのはやめてくださいってば。はあ……タダでさえ例の地底の主人からはかなりの茶々と妨害を受けてます。夢の世界に及ぼした被害だってバカにならない。慈善活動と言うにはあまりにも負担とリスクがね……。なんなら、この案件は其方が全面的に対処してくれますか? サグメさん」

「……」

 

 サグメ、と呼ばれた片翼の主は困ったように肩を竦めた。立ち振る舞いが一々カッコいいわねこの人。ちょっと私も参考にさせてもらおうかしら。

 それにしても話がなに一つ理解できないわね。元々夢なんて口に語ることもできないほどに有耶無耶なものだけど、それを拘束された状態で延々と垂れ流されるのもどうかと思う。見方によっては悪夢と言えなくもない。

 

「全く……貴女方は奢りすぎなのですよ。それに元来アレは制御しようとするものではない。折角こうして運良く半身を手に入れることが出来たのに、さらに欲をかいて───」

 

 ドレミーがこちらを向いたので慌てて目を閉じた。狸寝入りも楽ではないわ。

 

「……貴女の一存さえあれば八雲紫を完全に無効化できるのです。今のあの人は本来在るべき姿を夢の姿で補っているだけ。それを着実に抑え込んだ今、封印は容易い。──その気になれば其方の上層部など丸め込めるのでしょう? 深奥など知らない方がいい……これ以上の放置は危険だ」

「一理あることは認める。我々としても第一目的は【八雲紫の抹消】……貴女の提言そのものを否定しているわけではないわ。しかし真相を放置することの方が危険よ。まだその時では───」

 

 八雲紫の……抹消……!?

 さらっととんでもないワードが飛び込んできた。思わず声が出そうになったが無理やり抑え込む。抹消って、つまり抹消ってことよね?

 ドレミー、貴女も私の敵なのね。

 

 夢の世界だけが私の逃避場所かと思えばこの始末! やっぱり私に逃げ場所なんてないのね。うぅ……涙を出しちゃダメ……! 妖生こんなもんよ……!

 私の悲痛な無言の叫びは物騒なことを話し合ってる二人に届くはずはなく、会話は続く。早くこんな悪夢からは脱出したいです、はい。

 

 

「……ところで、一つ気になったことがあるわ。言われるがまま来てみれば、なぜこの空間には3席存在するの? 貴女から前に聞いた話と違う」

「器が2席多いことですか。……ああ、確か夢の世界の構造についてお話したんでしたっけ? そうですね、私としてもこれは推測の域を出ないのですが……これも八雲紫の細工の一部でしょう。前にも話した通り、どんな人物でも普通は一席なのですが───」

 

 話の内容はよくわからないけど、なんか濡れ衣着せられてない? 私への殺意の理由もただの濡れ衣である可能性があるわねこれは。

 全くたまったもんじゃないわ!

 てかいつになったら元の世界に戻れるんだろう? まずそもそもなんで萃香の作った世界からここに来ちゃったのかしら。教えて偉い人。

 

 

 

 ──……【みっけ】

 

「ひゃん!」

 

「っ!!」

「………!?」

 

 突然耳元に誰かの声が囁かれて、そのあまりのこそばゆさに思わず声が出てしまった! せっかく我慢してきたのに……! だってだって急でびっくりしたんだもん!

 

 半ば諦めて目を開くと、唖然とするドレミー、そして口元をカッコよく覆いつつも目を見開いているサグメとかいう人の姿があった。

 

 見つめ合うこと10数秒……沈黙が痛くなってきたので何かを話したくなった。

 取り敢えず濡れ衣の弁解から。萃香の件もあって弁解にはかなり不安があるが、せめて私の無罪だけでも伝えておかないと。さっきの二の舞にはなりたくない。

 

 

「……まずは久しぶりと言っておこうかしら、ドレミー。そしてそちらの方は、初めまして、よね? 幻想郷の管理人をやらせてもらってる八雲紫と申しますわ。以後よしなに」

 

 掴みは完璧ね。久しぶりに八雲紫を名乗れて私の仕事モードテンションもMAXよ!

 まだ二人の様子が硬いので警戒していると思われる。優しく、そしてそれとなく懐柔していきましょう。賢者の交渉力を見せてやるわ。

 

「貴女達の話、全て聞かせてもらいましたわ。どうやら、私の件で多大なご足労をかけたようで……申し訳なく思います。しかし今回の一連の何某は私の非には非ずとの事を、まずは伝えておこうと思いまして」

 

 一連の何某が何なのかは未だに謎であるが取り敢えず謝っておくのが安定。私の交渉術は謝罪に始まり謝罪に終わる。

 するとその誠意が伝わったのか、ドレミーが朗らかな笑みを浮かべた。よし! あとはあのサグメさんとかいう人だけね!

 

「これはこれは紫さん、三ヶ月ほどでしょうか。お久しぶりですね。ある日を境に全く来なくなって、案外寂しかったんですよ? さて、今日はどのような夢をご所望ですか?」

「ふふ、言わなきゃいけない?」

 

 私が見たい夢なんてもう分かってる癖に! 私の性癖……もとい夢癖は筒抜けでしょうに。

 ドレミーは笑みを浮かべたまま席を立ち上がった。手には紫色の塊、夢魂がひしめき合っている。

 

「どうやら、今日は夢見日和じゃなさそうですね。仕方がありません、話を本筋に戻しましょうか。──どうやってここに来た?」

 

 怖い、怖いですドレミーさん。糸目にしないで瞳を見せてちょうだいな。あと夢魂の挙動が不審すぎて気持ち悪い。

 サグメさんは相変わらずの仏頂面。

 

「友の手によって、ね。不本意の出来事ではあったけれど、その代わりなかなかの収穫がございましたわ。現にこうして、私は体を取り戻すことができた。……もっとも、縛られてますけど」

「私が縛らせていただきました。貴女を自由にさせておくとロクなことになりそうにありませんから」

 

 なるほど、信用ゼロってわけ。

 これは……結構堪えるわね。グギギ。

 すると視界の隅で一翼の翼が音を立てて翻った。サグメさんが席から勢いよく立ち上がったのだ。

 

「ドレミー……これはどっち?」

「───黒、でしょうか。……どっちにしろ、このままにしておくわけにはいきません。それにサグメさんとしては好都合なんじゃないですか? わざわざ精神の方から此方に来ていただいたのですから」

「……」

「上手くいけば、これでXXXX案件を全て完遂することができます。貴女と私の約束も今、果たすことができる」

 

 だから私抜きで話を進めるのはやめてってば。あとその覚悟を決めた表情はなによ。怖い来ないで怖い怖い!

 ドレミーは手に持っていた本を開くと、蠢く夢魂を握り締めた。同時に夢魂は砕け散り、どす黒い粘着物となって夢の世界に纏わりついた。

 

 なんていうか、敵意満々ね。

 

「こんな奥底までやって来れたことには敬意を表します。流石は境界の妖怪と、言っておきましょう。しかし無用心でしたね……何故、夢の世界で私に勝てると思ったのです?」

 

 なんで貴女と戦うことになってるんです!? ほら、私って雑魚じゃない! しかも今に至っては何かに縛り付けられて動くこともままならないのよ!?

 くそぅ、ドレミーがSだったなんて……!

 

 なんでこうも私には次から次へと確死フラグが湧いて出るんですかねぇ!!

 

「今宵ばかりは槐安の夢は無しとさせていただきましょう。覚めても醒めぬ狂夢を、貴女にお届けするわ」

「勘弁願いたいわ」

 

 私の抗弁は無視された。

 グツグツと夢が形を変えてゆく。そして膨張し、圧縮され───夢は壊れた。

 




この間数十秒!
これがほんとの夢落ちってね!

起承転転! だけどここまで進めておかないとならなかった。
補足ですが、萃香の夢幻の世界とドレミーたちがいた夢の世界は別の世界

あと2話くらいで萃無双は終了
その後少し話を挟んで……


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星幽巫女*

ゆかりんって多分、色んな場面で嘘ついてるような気がする。悪い子だね……!



 メリーの体は白い霧に包まれ、風化し飛散する砂塵のように霧の中へと消えてゆく。最後の叫び声を待たずしてメリーはこの世界から姿を消した。

 彼女の言葉は誰にも届かない。

 

 博麗神社跡から声が一つ無くなった。その代わりに分身萃香と参加者たちによる一進一退の破壊音だけが空しく響く。

 萃香は足元の霊夢を片隅に見た。

 

「これで五月蝿いのがいなくなった。どうだい霊夢……何か思うところはある?」

 

 霊夢は答えない。だが表情を見るに、大して感じ入ってはいない様子だった。

 期待の目を閉じて、つまらなそうに酒を煽る。またもや自分の目論見は失敗に終わったのかと。メリーを眼の前で分解しても変化はなし。

 さすがの萃香をもってしても、これ以上何をすればいいのかは思いつかなかった。ここまで手間をかけても魅せるものがないのなら、ここらで終いにしようか。

 鬼は我慢が好きじゃない。

 

「はぁ……やっぱり言葉は鵜呑みにするものじゃないねぇ。紫なら、と思ってもこれだ。正直者は馬鹿を見るなんて、いつからこんな世の中になっちまったんだろう」

「正直者が得をすることなんてないわ。だからみんな嘘吐きになるのよ……アンタみたいにね」

「……あん?」

 

 聞き捨てならぬ言葉であった。

 急に話し出したと思えばこれだ。

 この伊吹萃香が嘘吐きなんて……なんというデマカセだろうか。大嘘だろうか。

 

 霊夢を締め付ける鎖の力が強まる。

 

「馬鹿なことを言うな。何が、誰が嘘吐きだって? 正々堂々と振る舞うのは鬼としての矜持だ。それを汚すことは私自身が許さないし、汚されることも許さない。追い詰められた挙句、助かりたいあまり口から思わず出ちまったか?」

「バカバカしい。アンタは紫を信じきれなかった。紫の言葉を嘘と断定してしまった。……確かに、あいつは胡散臭いを擬人化したような存在よ。紛らわしい冗談やミスリードを平気で吐いてくるし、信じろという方が難しいわね」

 

 人を食ったような態度をとることもあれば、やたら真剣に言い聞かせようとすることもある。愛想を振りまき、畏れを振りまき、強烈な印象を心に残してゆく紫の姿は、再現夢幻の万華鏡。

 紫が胡散臭いと言われる所以は、そういった得体の知れなさが原因だろう。だが、何故そんな彼女に人間妖怪問わず惹かれてしまうのか。アレを一概にカリスマという一言で片付けてしまうのも違う。筆舌し難い何かがある。

 

 だけども霊夢は分かった。分かっていた。

 紫は───。

 

 

「あいつは一度も嘘を吐かなかったわ」

「──……!」

 

 

「漠然と思っていたけど、アンタとの今回のやり取りでようやく確証が持てた。……あいつは絶対に帰ってくる。そして紫を信じきれず、嘘吐きと罵ったアンタが、本物の嘘吐きよ」

「──! 他ならぬ貴様が言うかッ!!」

 

 鎖の負荷が数倍にまで跳ね上がり、霊夢の身体とともに地中へとのめり込んだ。

 口から一筋の赤い糸が垂れる。

 

「そんなこと分かってるさ! でも紫は何処にも居ないんだ! お前が紫を殺したとは思わない……だけど! あいつとの約束は守られなきゃならない。私達の仲を……嘘にしたくない」

 

 胸を抑えて少しだけ縮こまる。僅かな間ではあるが、荒れ狂う波が静まり返った。

 だがそれも数瞬のみ。再び妖力は膨張して、破壊を辺りに撒き散らす。怒りの矛先は完全に霊夢へと向いた。

 

「なによりも紫の嘘の象徴はお前だ博麗霊夢! お前の存在が紫の言葉を虚偽にしているんだ! 何が幻想郷最強……何が稀代の巫女……! 本気すら出してない私に負けてる奴が──紫の言っていた博麗霊夢のはずがあるかぁぁ!」

「……なんていうか、あいつの言う事を私に押し付けないでくれない? 確かに嘘はついてないけど、正直面倒臭いわ」

 

 瞬間、異常なほどに高まる鬼気が容赦なく霊夢の身体を圧迫した。沈み込んだ妖気が幻想郷の龍脈を破壊し、地よりエネルギーが迸る。

 怒りも悲しみも、そして多少なり混ざっている嫉妬も、全てが萃香のパワーだ。

 

 無差別な破壊は霊夢以外にも牙を剥き、己の分身もろとも土壌を消散させる。

 地獄の蓋は開かれた。鬼気は煉獄として渦巻き、全てを飲み込むまで止まらない。

 分身の消滅により、場の視線が霊夢と萃香へと注がれる。咽び泣く萃香に、拘束されながらも無機質な視線を返す霊夢。

 これからどう転ぶのか……それはこの場の誰にも知る由はなく──レミリアは眉を顰めた。

 

「なら私に負けるな! 紫の言葉を嘘にするな! お前なんかの為に……これ以上、私にあいつを疑わせないで──なあ、頼むよ」

 

 

 

「重い」

 

 萃香の慟哭を一蹴。萃香の言葉も霊夢には感じ入るものがなかった。

 その態度は大いに萃香を憤慨させ、頭の酔いを加速させるには十分過ぎる。

 腕を勢いよく振り上げ鎖を締め上げる。究極の密度を擁する鉄を超越した剛金。その質量は凄まじいもので、擦れ打ち付けるたびに小さな爆発が起こるほどだった。

 

 鎖はピンっと張り、一本の糸のような直線になった。螺旋状に渦巻いて霊夢を拘束していた鎖が───。

 

 

「ち、千切れたァーー!? から、か、体が!」

「霊夢っ!!」

 

 小傘は惨劇から目を逸らした。あまりにもショッキングな光景には耐性を持ち合わせていない、小傘の自衛本能が働いた結果だ。ピアノ線のような細い面ならば胴体は綺麗に切断される。しかし霊夢に巻きついていたのは粗々しく無骨な鎖。引き込まれてしまった霊夢の身体は間違いなくミンチだろう。

 だが対して魔理沙は視線を逸らすことなく場を凝視する。誰よりも霊夢のことを知っている彼女だからこそ、この状況が決して詰みではないこと把握していた。そして霊夢の姿を確認し、安堵の息を漏らすのであった。

 

 レミリアは妖しい笑みを浮かべ、幽々子はその奥義の存在を思い出して納得する。

 完全無欠、有頂天外と謳われ自負した能力を粉々に打ち砕いた無敵の奥義。これが発動すればもはや霊夢に敵は無い。

 

「──ったくよぉ、やっとか。ようやく、いつもの霊夢が見れたぜ。さっさと吹っ切れろっての」

「あれが、例の……」

「夢想天生か」

 

 霊夢の身体が半透明に輝き、宙に浮いている。鎖は体を透過していたのだ。

 萃香は状況確認よりも先に、容赦なく霊夢へと殴りかかるが、拳もまた触れることができずに空を切った。視界がぐらつく。

 

「うっ、が……!」

 

 お祓い棒が萃香の顳顬を打つ。倒れこそはしなかったが、大きくたたらを踏んだ。表情を顰めて霊夢を睨むことしか現時点ではできることがない。

 夢想天生がもたらす理不尽を一撃で理解し始めた萃香であったが、その見解はさらなる不条理へと彼女を突き落とす。

 

 かつてこの奥義を目の当たりにしてきた者たちの対応は様々だった。魔理沙は一通り試した後、勝利は無理と判断して白旗を揚げた。レミリアは勝敗を悟りながらも正面から挑み、そして砕け散った。幽々子は瞬時に引き分けへの算段を画策した。紫はしばらく惚けた後、何故か咽び泣いた。

 

 皆に共通するのは、一様に勝ちを諦めたことである。夢想天生状態の霊夢には、彼女らを以ってしてもそう思わせるほど、清々しいまでの瑕疵なき壁があった。

 

 ところが今回はそうはならない。

 霊夢を相手するは鬼。勝負への情熱はこの程度では沈みやしない。ただ笑みを浮かべるのみ。

 

「ハッ、術を一つ発動した程度でこの私が怖気付いて堪るかよ。空気になったんだな? それじゃ圧縮してやる! 空気だって固めりゃ固体になるんだ」

 

 能力を発動せんと、手を翻す。しかし動作は途中で止まった。無駄を悟ったのだ。

 ──能力が霊夢に対して発動しない。

 惚ける暇もなく無数の弾幕が萃香の体へと降り注いだ。弾幕が体を撃つ度に傷つき頭が冷えてゆく。よくもまあ、これほどまでの牙を隠し持っていたものだと素直に感心した。

 

「ずおぉりゃあぁぁぁ!!」

 

 腕を無茶苦茶に振り回し空を殴る。衝撃が風を伝播し、空間の破裂音とともに弾幕を跡形もなく消し去る。そしていつの間にか自分を見下ろす位置に陣取っている霊夢を見据えるのだった。

 なるほど、これではそこんじょそこらの妖怪じゃ太刀打ちできまい。おそらく自分の分身程度なら軽く滅することができるチカラはあると見積もった。……紫の話は嘘ではなかったようだ。

 

「何があったってんだ……いきなりやる気出してきやがった。まあ私としちゃ悪い話じゃないが、いくらなんでも急すぎるだろ。何がお前の琴線に触れたんだ? ──答えておくれな」

 

 返事してくれるかどうかは定かではなかったが、萃香は取り敢えず言葉を投げ掛けてみる。十中八九、無視だろうとタカを括っていた。

 だが見た目の触れ難さとは違って、霊夢はごく普通に言葉を返した。

 

「そんなんじゃないわ。ただ面倒臭くなったから考えることをやめただけ。……紫の心配なんて柄にもないことやってるのが馬鹿らしくなったのよ。ああ、あとメリーにグタグタ説教じみたことを言われるのが情けなく思えてね」

 

 ここで言葉を切る。

 そして忌々しげに手で額を覆った。

 

「いや、それ以前にアンタの所為で生き恥を晒されたことが情けなくて恥ずかしくて……今もこの技が解けちゃいそうなくらい苛ついてる。この報いは必ず受けさせるわ。アンタは他の誰よりも徹底的に退治してやる」

「おぉ……こっちのお前は私好みだ! つまらないとか言ってゴメンな、お前って面白いよ。───そぉぉい!」

 

 地面を掴んでめくり上げる。鬼の剛力によって岩盤が引き剥がされ、霊夢へと投擲される。大地そのものが迫るような悍ましい光景だが、それもあえなく霊夢を透過してしまった。

 牽制にもなりゃしない。

 

(さて、どう攻撃すればいいものか)

 

 見れば分かる通り、霊夢に攻撃が通じにくくなったのは明白。これまでのような試合運びはできないだろう。

 しかし攻撃が通じ難いのは霊夢だけではない。萃香も同じことだ。鋼を超越するほどに強固でありながら、霧の如く夢幻な肉体を彼女は有している。

 

 萃香は軽く考えていた。

 まだ霊夢のことを軽んじていた。

 

 だが、その慢心が大きな痛手となる。

 

 

 ──神技『八方鬼縛陣』

 

 

 発動主である霊夢ごと結界が萃香を包み込む。瞬間、萃香の身体は蒸発した。

 

「うっ!? ……から、だが……!」

 

 避けるべき場面だったと今頃になって気付くがもう遅い。とんでもないスピードで妖力と身体が削られてゆく。対鬼に特化した霊夢の結界は、夢想天生によって能力が底上げされているのもあって萃香に大きな痛手を与える。

 

 萃香は残された妖力を拳に込めて殴りつける。結界は砕け即座に脱出できたのだが、代償は大きかった。

 

「くっ……半身を封印されたか!」

「これでもうさっきみたいなことは出来ないわね? ──宝具『陰陽鬼神玉』」

 

 

 

 

「この戦いは霊夢の勝ちだな。もう萃香には勝てる手段なんて残ってないぜ」

「けどあいつはまだまだ止めるつもりはないみたいね。体力を勝手に消耗してくれるのは良いことだけど……問題はメリーよ。あの子をどうやって連れ戻すか」

「そうだな。私もそれを考えていた」

 

 アリスと魔理沙は頭を捻った。霊夢がああなった以上、自分たちにできるのは知識を活かした「後方支援」だけだ。魔法使いの本領である。

 その上で一番優先すべきはメリーの救出。萃香の口ぶりだと殺してはいないようである。まさか今更になって鬼が嘘をつくはずもあるまい。

 

 せめてデコイ人形が生き残ってさえいれば手立てはあった。人形の本来の用途は「肩代わり」──追跡、拘束錯乱用のマジックアイテムである。しかしデコイ人形は序盤で保険のためのダメージデコイによって砕け散ってしまった。

 メリーに着用させていたスカーフによるGPSも全く反応しない。この世界とは異なる場所へ連れて行かれたのならば、救出の難易度は跳ね上がる。少なくともこの場で直ぐに使えるような魔法では困難であろう。

 

 こと異界への知識に優れている魔法使いといえばパチュリー・ノーレッジであるが、視線を向けてみれば彼女は横に首を振る。彼女に出来ないのであればまず不可能だろう。

 

「クソッ……この部類のはどうもなぁ。”自称”万能魔法使いさんはどうなんだ?」

「無理ではないわ。……だけどそれには十分な準備が必要になるし、萃香を拘束しなきゃならない。全ては霊夢次第って事かしらね」

 

 霊夢もメリーのことは念頭に置いてるだろう。見殺しにするようなことはあるまい。優先順位はともかくとして、メリーを救い出すための算段を思案しているはず。

 だが……本心としては自分たちの手で彼女を救いたい。少なからずの優しい縁に(ほだ)される。魔理沙もアリスも、結ばれた繋がりは大切にする性分であった。

 

「っ……私は、まだまだ力不足だ。こんなんじゃあの人に見向きもできないじゃねえか。……最後にゃ霊夢を頼ることしか……」

 

 魔理沙の誰にも漏らさない弱々しい想い。それに気付けたのはアリスだけだった。

 

 

 

 

「うぐ、ぐぅぅ! こなくそがぁぁ!」

 

 大きく仰け反り、反復攻撃。芸もなく振り下ろされる拳はその一撃が必殺級、まともに当たれば人間の肉体など一瞬にして肉塊へと変貌させることが可能だ。

 しかし、当たらなければどうということはない。虚しく空を切り、代わりに手痛いカウンターが萃香を打ちのめす。

 

 萃香は粒子さえあればその物体に触れることができる。能力の応用によって光を壊すことすらできてしまうのだ。本来ならば回避不可能の一撃を放ち、それで終わり。

 だが、目の前に無いものにどう触れろというのか。回避不可能とは銘打ったが、今回でそのブランドは脆くも崩れ去った。矛盾──盾と矛の関係にすらなれない。「水面に投影された盾」をどのようにして突けと?

 

 対峙すればするほど己の全てが虚しくなる。夢想天生を目の当たりにした者たちが一様に辿った道だ。鬼の鋼のメンタルにもかなりキツイだろう。

 

「はぁっ……はぁっ……萃めて、殴るッ!」

 

 霊夢の周りの空間を固定し圧縮。そして紛れも無い本気の一撃を放つ。

 凝縮する空間は熱を発するが、萃香の能力により元来到達不可能な域にまで達したそれは空間そのものを捻じ曲げる。そこにぶち込まれる鬼の剛拳。衝撃と熱波が混ざり合い、超密度の爆発が炸裂。

 破裂音とともに範囲の中にあった木々岩石の全てを巻き込み、爆炎が包んだ。

 萃香の表皮を焼くほどの熱と力。久しく出せた全力の一撃に満足したのか、煙を吹き飛ばす勢いで一つ荒い鼻息を漏らす。

 

 煙が晴れる。

 現れたのは眼下に迫る陰陽玉だった。

 

 顔面を打ち据え鈍い音が響いた。ついに萃香の足が地を離れ、そして背が地に着く。

 霊夢はもちろん無傷。萃香の自爆に終わった。

 仰向けに倒れ、荒々しい呼吸を繰り返す。空気を圧縮して燃やしたのだから酸素が無くなるのは当たり前だ。

 

「ぜぇっ……ぜぇっ……まるで、馬鹿みたいだなぁ私。まさか、ここまでやられるとは思ってもみなかった。強いなぁ」

「私の勝ちかしら? それならメリーを───」

 

 

「待ちなよ。いつ私が負けを認めた?」

 

 むくりと上半身を起こす。据わった眼による眼光が萃香の闘志を湛えていた。

 妖力は当初と違って鳴りを潜めているが、気迫に関しては寧ろ増すばかりだ。しかし彼女の強靭なメンタルを讃える者はこの場にはいなかった。

 如何に萃香が足掻こうとも、夢想天生は無情に彼女を追い詰める。強いて攻略法を挙げるならば「時間制限」だが、霊夢の悠々とした構えはそれを感じさせない。

 

「私が負けるということは、紫との約束が破られるってこと……そんなの、絶対に嫌だ。幻想郷を壊せばそれで約束は終わり。私が死んでも約束は終わり……二つに一つだけさ」

 

 嗤う萃香に呆れる霊夢。ここまでくればもはや狂信の域だろうか。だが萃香はあくまで真っ当だ。只管に直向きだ。

 よっこいしょ、と軽く声を漏らして立ち上がる。空気が妖しく渦巻き始めた。

 

「さあ守ってみろ博麗の巫女。私はもうこれ以外にお前に抗う術を持たない。だが、この伊吹萃香の最強にして最期の”技”──お前に防げるかな?」

 

 不敵な笑みを浮かべながら萃香は空へと舞い上がる。瞬間、爆発的に妖力が高まり天が、地が、幻想郷が震える。

 歪み始めた空間が、萃香の周囲に発生した黒渦へと吸い込まれた。景色が萃香へと消えてゆく。肝心の萃香も渦の中へと。

 

「あの馬鹿鬼……まさか……!」

「な、なんですかアレ!? 身体が吸い込まれて……!」

 

 藍の顔中に溢れる球となった汗が、頬を流れて次々と地面へと落ちていく。

 この中で最も計算に秀でた彼女が、一番に萃香の”技”の正体へと辿り着いた。それは今現在考えられる中で特に藍が警戒していたこと。

 

 圧搾

 縮小

 圧縮

 凝縮

 そして補完。

 

 萃香を中心に気圧が変化し、たちまち博麗神社は暴風に晒される。そしてそれらもまた萃香に吸い込まれてゆくのだ。

 

「重力と圧力の均衡が崩れる……幻想郷をもろとも引き摺り込むつもりか。───霊夢! 早く止めないと手遅れになるぞ!」

「分かってるわ」

 

 藍の言葉よりも早く空を駆ける。

 重力波を掻い潜り萃香へと接近。そしてお祓い棒による凪をぶつけるも彼女に通じた様子は無い。その間にも萃香の力は増大し増幅していった。

 

 

「質量の超過と圧縮……導き出されるものは、吸引力、か? だとすると、伊吹萃香の目指す形態とは天体を遥かに凌駕した……」

「傘が壊れるぅぅ!!」

「こら勝手に飛んでいくんじゃない! 帰ってこーい!」

 

「ワタワタしてる暇があったら結界でも張ってろ! 足場を持っていかれるぞ!」

 

 剣を地に刺して踏ん張りながらも考察をやめない霖之助。傘がアンテナ型に開いて泡を吹く小傘。頭が飛ぶたびに首へ乗せ直す赤蛮奇……本人たちは至って真面目だが、魔理沙にはただのギャグ集団にしか見えなかった。

 そうこうする間にも上空は萃香の渦に埋め尽くされ、活動域を拡散させる。空間そのものを飲み込む渦は、色を失くすのだ。

 

 咲夜と妖夢は空間を切り開いて干渉を隔絶させようとしたが、萃香はそれすらも乗り越える。空間と空間の繋ぎ目すら飲み込んでしまった。

 それどころか重力の負荷が跳ね上がり、何十倍にも体が重くなる。パチュリーは吐血しながら地面にめり込んだ。

 

「むぎゅっ!」

「お嬢様ぁ! パチュリー様が全身粉砕骨折です! 私も筋肉痛で……」

「あとでいくらでも治せるから放っておきなさい。咲夜はパチェの時間を止めといて。───それにしてもとんでもない奴ね、伊吹萃香。これはもしかすると……」

 

 レミリアの視線の先では、唸る萃香へと虹色の弾幕を放つ霊夢の姿。幾多に色を変えて混沌空間を舞い踊る。先ほどとは一転立場が変わって、萃香が全く攻撃を受けなくなった。

 それどころか。

 

 

「……っ!」

 

 霊夢の形がぼやける。体の境界が萃香の渦と融合を始めたのだ。

 これは夢想天生の効力を、萃香が一部突破したことを示す。完全無欠の夢想天生に「綻び」を生み出している。

 魔理沙も、藍も、動揺が隠せない。

 

「マジかよ……正面から夢想天生を食い破ろうとしてやがる。なんつー鬼だ」

「これが極致の意地、か。──もうこれ以上はダメだ。博麗大結界が瓦解する……!」

 

 幻想郷崩壊のカウントダウンは秒読み段階に入った。現在は藍が強化結界で辺りを覆うなどして持っているが、それが壊れた瞬間、今の何億倍ものエネルギーが幻想郷中に拡散する。そうなれば幻想郷は……地球は終わりだ。

 藍の脳裏に紫が言ったかつての言葉が過る。曰く、「伊吹萃香にとって、地球という土俵はあまりにも脆すぎる」……と。

 萃香の急躍は藍にとある決心をさせた。八雲紫が望むはずのない道を選択するしか、彼女には成す術がなかった。

 

(もう綺麗事は言ってられない。紫様……貴女様の意に沿えず、申し訳ございません)

 

 なけなしの謝罪を口にし、霊夢を呼ぶ。

 

「一旦萃香から離れろ! 亜空穴は念のため控えるんだ」

「……」

 

 空間の隙間を侵食されれば萃香は容赦なく境界を食い破るだろう。そうなれば妖怪そのものの存在にすら関わる案件になってしまう。その点で亜空穴を開くのは危険なのだ。

 霊夢は一度だけ萃香を一瞥して踵を返す。そして藍の前に降り立つと夢想天生を解除した。

 

「で、どうすんの? 私を呼び戻したってことは何か策があるってことなんでしょ?」

「……ああ一応、な。……だが私が考えているのは策ではない、策と呼べるような代物にすら至らぬものだ。上中下策に分類するならば、これは間違いなく下策の部類だろう」

 

 一呼吸置いた。

 

「この場に居る皆で奴に全力の攻撃を繰り返す……ただそれだけだ。奴に同等以上のパワーをぶつければ、あの術式能力は瓦解するはず。もしくは幽々子様の黄泉送りの能力で───」

「そんなことだろうと思ったわ。下策も下策、ね。あんたともあろう者がこれしか思いつけなかったわけじゃあるまいし」

 

 藍は深くため息を吐いた。

 彼女の苦労が滲み出る。

 

「中策は結界干渉による萃香への工作……上策は説得だ。しかしそれらが無駄であることはこれまでのやり取りで十分に承知しているだろう? 私が少しでも気を抜けば博麗大結界は崩壊する、そしてあいつを説得するのは不可能。……下策以外では収束が効かない域に達してしまった」

 

 勿論、藍とて萃香を葬り去ることは本意ではない。紫は絶対にそんなことを望むがはずがない。また、彼女自身も萃香とはそれなりに長い付き合いだ。多少なりの情は持っている。

 だからこそ、この判断なのだ。

 

 しかし、霊夢はそれを了承しない。

 

「ダメよ。あの鬼の中にはメリーがいる。あいつを救い出す方が先よ。それにあいつの勝ち逃げなんて……他ならぬ私が許さない」

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょうが! 何処の馬の骨とも知れない妖怪一匹の為に、幻想郷を危機に追いやるわけには───」

「紫ならそんなことを言わないわ」

「──っ……」

 

 その言い方は、卑怯だと思った。

 

 まずそもそも藍はメリーの正体が紫だなんて全く信じちゃいない。萃香が言い放った幾つかの理由もそうであるが、何より式の繋がりが別の場所にあるのだ。万が一にも、紫であるはずがない。

 正体を紫だと謀ったことについて、メリーに対して怒りはあれど恨みはない。しかし、彼女への評価が地に堕ちたことは事実だ。

 

 救う価値はない。藍は今もそう思っている。

 「功利主義」はとても合理的で、残酷だ。

 

 しかし八雲紫は物事を合理非合理だけで判断することはない。彼女ならばこの状況下においても、幻想郷を救って萃香を救って、そしてメリーを救うことができるだろう。

 紫は「一極理想主義者」だが、理想をその身で創り上げるその姿は、紛うことなき完璧主義の体現者だ。到達できぬ遥かな高みである。

 

 ──紫を目指すことはできても、アレだけは決して超えることはできない。紫になることは誰にもできないんだ。

 

 萃香の言う通りだ。

 藍は紫を越えようとは思っていない。無理だと分かっていて、諦めているから。

 

 だが、霊夢は藍とは違った。

 今、自分の意志で紫のステージへと手を掛けようとしているのだ。霊夢は進んで小難しいことなど考えない。だが局所的には徹底して完璧主義者だ。

 

 

「なら……お前には、あるのか? 全てを救い、全てを受け入れ、終わらせることのできる策が」

「あるのは策とも言えない不確かな自信だけよ。まあ、要するに下策ね。……どうする? どっちの下策に頼ってみる?」

「はは…切り札はいつだって悪手だ。しかもその切り札は考えもない下策か。恐ろしいったらありゃしないね」

 

 頭を抱えながら霊夢を見るが、彼女の瞳からは強い意志を感じる。本気でこの異変を解決する気満々だった。

 正直、その気概が妬ましい。

 

「……危なくなったらすぐに私の下策に切り替えるからな。幽々子様の能力圏内であるうちならば、まだ余裕はある筈」

「博打好きな巫女で悪かったわね」

「こんな割の悪い賭けは今回で最後だ!」

 

 藍は吐き棄てると莫大な妖力を練り上げてゆく。考え得る限りで最も強力な術式を構築し、既存の結界と同調させ強大無比の防壁を萃香の周りに展開する。この規模の結界なら萃香の足止めにも十分事足りる筈だ。

 

 空を一瞥した後に霊夢は霖之助の元に歩みを進める。霖之助も霊夢が来ることは分かっていたようで、手に持つ剣を鞘に収めた。

 

「やあ、来るだろうと思っていたよ。まずは復調ご苦労様、と言っておこうか」

「そんなお世辞はいいのよ。それよりも」

「まったくせっかちだな。……君が求めているのはこの剣だろう? 今なら特別に安値で貸し出すが……どうするかね?」

「貸しにしといてちょうだい」

 

 いつもの返答。もはや慣れたものだ。

 霖之助は何の惜しげも無く霊夢へ剣を手渡した。強い視線が霊夢を射抜く。

 

「……メリーは頼んだよ。あの子が帰ってこないと保管されてる食材の使い道が無くなってしまう。僕では十中八九、腐らしてしまうだろうね」

「それで貸しはチャラよ」

「酷い話だな」

 

 足元を見られていることには遺憾の意を感じるところではある。しかし霖之助の身では天体級のブラックホール……それ以上のナニカに成ろうとしている萃香に近づくことができない。メリーを救い出せるのは霊夢だけだ。

 最も、この剣を霊夢が扱えるのかどうか──疑問が残る。その身に素戔嗚尊でも降ろしてみるつもりだろうか?

 

 

 霊夢はその場に座り込むと、瞑想のようなものを始める。混沌としている周りの状況に逆らうかのように、ゆっくりゆとりを持って。その傍らでは陰陽玉が淡い光を放ちながら周囲を漂う。

 そして霊夢の頭がカクン、と下がる。

 

 

 寝た。

 

 

「ちょ、ちょっと? そんなことしてる暇はないんじゃないかなー……わちきが言うのもなんだけど」

「そーだよっ! せっかく藍様が萃香を止めてるのになんでそんなにゆっくりしてるの!? まさか怖じ気付いちゃったの!?」

 

 小傘の言葉に便乗して、橙が霊夢に掴みかかろうとする。大切な主人が全身全霊を持って幻想郷を守っているのだ……その折にこんな行動をとれば憤慨したくなるに決まっている。橙とて、一端の八雲の式なのだから。

 

 だが橙の抗議は魔理沙によって遮られた。

 

「邪魔するんじゃない。お前、昔から霊夢のことを見てるんだろ? ……なら分かれよ。霊夢が諦めるわけあるか」

「け、けど……」

「霊夢はただ寝てるわけじゃないんだぜ。多分な」

 

 狼狽する橙を落ち着かせるように魔理沙は優しく語りかける。ついでにさり気なくもっと注視してみるように促してみた。

 

 赤い霊夢がさらに赤く。

 額から血のように妖気が噴出した。

 

 白を赤黒が染め落とし、霊力が焔の如く立ち昇る。手に携えた天叢雲剣から発せらる炎の神力が形取るは陽炎の揺らめき。

 陰陽玉の引鉄(トリガー)はすぐ其処に在った。霊夢が勝手に辿り着けてなかっただけだ。しかし、しがらみを捨て去った今の霊夢ならば───。

 博麗霊夢は、博打に強い巫女だ。

 

「やっぱり、紫と戦った時に見せたアレか。どうゆう原理かは知らんが……取り敢えずは成功ってわけだな」

 

 当時は紫の能力によって疲労に倒れていた魔理沙だったが、失神の寸前に現在の霊夢が成ったフォルムチェンジを目撃していたのだ。

 感じるのは三つの力。霊力、妖力、そして神力。混ざらずにぐるぐると霊夢の中を循環している。共存できないのなら敢えて別個に使えばいいという発想か、と魔理沙は頭の中にメモした。

 

 と、ここで藍の強化結界が崩れる。再び広範囲が強い重力に晒され、萃香の渦も活動をさらに活発化。幻想郷滅亡のカウントダウンが点滅を開始する。

 

「ここまで持たせれば十分か? 霊夢!」

『───ああ。十二分だ。良くやってくれたな』

 

 違和感の正体はここに居る全員がすぐに把握できた。明らかに霊夢の口調ではない。返答を求めた張本人である藍も、流石にドギマギした。

 心なしか中性的になったような。

 

 

祝詞(のりと)真言(マントラ)もなし。無茶振りではあるが……ひとまずこの剣があれば大丈夫、か。まったく、とんでもないタイミングで叩き起こされてしまったものだ。先の時といい……今代の巫女は余程の大うつけとみえる』

 

 やれやれと肩を竦める。一々行動が大袈裟だ。

 次に空を見上げた。萃香が完全に視界を覆い尽くしている。徐々に大地ごと萃香に引き付けられているようだ。星の軌道に異常が出ればもう元には戻れない。

 だが()()にとってはむしろ好都合。

 

 

『勝手に吸い込んでくれるなら狙い斬る必要もないか。楽だな』

 

 ───oṃ dharma koṃgla tiṣṭa sra

 

『あなかしこあなかしこ──汝の作為願望を問おう。かしこまりて我その命令の通りに動かん』

 

「斬る、それだけよ。ただし中は斬り過ぎず」

『御意に』

 

 余裕を感じさせるように口の端を吊り上げる。そして太々しく呟いた。

 霊夢の足が掻き消えると同時に跳躍。自ら渦へと飛び込んだ。場の全員が息を呑んだ。

 萃香の創り出している黒渦は、いわば重力の坩堝(るつぼ)。中に入ろうものなら全方位からの圧力によって跡形も残さない程に折畳まれる。

 それは霊夢も例には漏れず、しかも夢想天生を発動していないのなら尚更だ。

 

 だが紅く燃ゆる星の煌めきは、渦に飲まれようと消えることはない。寧ろその輝きを増すばかりだ。闇の中の光にこそ、真の希望は見出せる。絶望から希望を見出すことが、もっとも心が強くあれる瞬間なのだから。

 

『萃香、今のお前の取っている行動は私に対して悪手だ。夢想天生の攻略に力を削ぎ過ぎて此方側(アストラル界)への対応を疎かにしてしまったのが、敗因と知れ』

 

 鞘から抜き去った天叢雲剣に神力が纏わりつく。真っ赤に燃えるような神剣の有様はまさに「七支刀」──今の形態となった霊夢に最も適した形。

 

 宙返りの体制から縦に一閃。音も消滅した世界にか細い金切音が響く。

 霊夢が斬撃によって無から生み出したのは糸のような線だった。だが、それはやがて光によってこじ開けられ、その大きさを縦横に拡げる。

 闇夜から夕陽が昇るように黒一色の世界に紅き光が満ちてゆく。

 

 萃香の術が瓦解した証拠だった。

 だが漏れゆく光は影を生み出す。その影からぬっ、と手が生えでた。小さくて細い、しかし強大なパワーの源となる腕だ。

 

「破ってくるのは想定内さぁ! だが、萃めるだけが私の力じゃない───解放(リベレーション)ッ!!」

 

 萃められた萃香の力が間際で爆発する。鬼が内に蓄え続けた最上級の衝撃。原初の火の玉のような圧倒的熱量。

 幽子の結合が分裂するほどの震えが蔓延し、純粋な破壊が霊夢ごと幻想郷を焼き尽くさんとする。爆発の規模に比べれば、霊夢など豆粒同然だった。

 

 

 だが、彼女の霊力が其れを上回った。

 

『勿論、私だってお前がその程度で終わるはずがないことぐらい解っていたよ。これにて、勅命完了───!』

 

 横一文字の斬撃が爆風ごと萃香を斬り捨てた。血は流れない……しかし、萃香の闘志と妖力はみるみる内に霧散していった。

 夢幻へと消えゆくように──。

 煙が空に立ち昇るように──。

 

 爆風も衝撃も、萃香が創り出していた全てが無に帰すこととなった。

 

 

 従って、唯一残った巫女と鬼はそのまま落下し、幻想郷へと帰還した。

 霊夢は華麗に着地。一方で萃香は受け身も取らずに地面へと減り込んだ。しかし彼女に限ってその程度でダメージを負うことはないだろう。

 

 仰向けに寝転がった萃香は雲一つ無くなった晴天の空を見上げる。ここまでくればいっそ清々しい気分か。薄い笑いがこみ上げてくる。

 

「負けたよ……ルール抜きで初めて負けた。強いなぁ、博麗の巫女──いや、霊夢」

「すぅぅ……はぁ……。まあ、分かりゃいいのよ。分かればね」

 

 深呼吸とともに霊夢の纏う紅い霊気や、禍々しい闘気が霧散する。そして博麗の陰陽玉がぽとり、と地面に落ちた。

 ギャラリーたちは静かに二人のやり取りを見守る。

 

「透明になる技といい紅くなる技といい……面白いなぁ。紫が入れ込むのも分かるよ。──……ああ…さっきは馬鹿にしてゴメンな」

「……別にいいわ。あの時の私は自分でも許せないし情けない。はっきり言ってアンタと戦えて良かったって、そう思えるわ」

「ハハ…そうかね」

 

 乾いた笑いが溢れる。

 ぐったりとした目を閉じた。

 

「自信と矜持を失っちゃあ、私も終わりかな。……ああ、疲れた。できるなら今すぐに殺してくれないか? 酔いが回ってる内に死にたい」

「はぁ? なんで殺さなきゃなんないのよ。馬鹿なこと言ってないでさっさと立ちなさい。アンタはまだすることが沢山あるじゃないの。ちゃんとやればひとまずは減刑にしてやるわ」

「───はぁ?」

 

 萃香は思わず上半身を持ち上げた。

 この異変を開始したからには自分に生きる道など残っていないと、そう思っていた。

 なにせ幻想郷のパワーバランスを担う者たちの本拠地を壊滅させ、挙げ句の果てには要衝である博麗神社を更地と言うにも難しい荒野へと変貌させているのだ。度が過ぎた重罪である。

 

 その点については藍が突っ込んだ。

 

「流石にそれはマズいだろう。上の連中は恐らく誰一人として納得しないぞ? 無論、ここにいる者たちもな。私は、紫様の判断次第だが」

「そうねぇ、萃香が謝っても西瓜は帰ってこないものねぇ。ふふ……私の怒りが判る?」

「幽々子様おちついて……」

 

「私は別にいいけどね。紅魔館なら幾らでも外から持ってこれるし、この異変も傍観者ながら中々楽しめたわ」

「流石でございますお嬢様、懐がお深い。どこぞの幽霊とは大違いです」

「そうだろう! そうだろう!」

 

 端から見ればどっちもどっちである。

 勝手に対立を深める2勢力は無視して、霊夢には萃香を完全退治できない幾つかの理由があった。

 

「こいつの能力なら今回の異変で滅茶苦茶になっちゃった場所──主に神社だけど、簡単に直せるでしょ? ついでにもっと大きく荘厳に改装してもらうわ。……そうね、そっちの幽霊については萃香に西瓜を望むだけ持ってこさせればいいんじゃない?」

「……ふ、ふふ…いいわねそれ…」

 

 霊夢の提案に幽々子は不気味な笑みを浮かべる。妖夢は傍らでドン引きするのであった。

 異変の調停権は紫の手によって博麗の巫女へ全委任されている。つまり、ここで萃香の処遇を決める権利は霊夢が全面的に有しているのだ。渋る藍だったが、異を唱えることはない。ただ、その分の尻拭いは全部自分に来るんだろうな、と肩を落とすのだった。

 

 そして当の本人である萃香は、それを拒否する。

 

「情状酌量の余地をくれるのかい? ……それは有難いけど、私はそれを望まない。お前が私を生かそうとするなら、私は───」

 

 と、萃香の頭に札が叩き込まれる。

 喝のつもりだ。

 

「約束、嘘、正直者……そんなのどうだっていいわ。何を違われても冗談だったって思い過ごせばいい。こっちだけが勝手に思い詰めるなんてただ面倒なだけよ。ちっぽけな嘘なんかで壊れる絆なんて、最初から築けるはずないんだから」

「……そう、だよね。私が愚かなだけだったか。……酔いもほどほどにってことかな」

 

 己を打倒せしめた強き者。彼女の言葉は今の萃香に何とか届き得た。霊夢を認めたからこそ、真に言葉が届いたのだ。

 霊夢は呆れた様子で言う。

 

「てかあんたさ、その癖してナチュラルに嘘ついてんじゃないの。巫山戯んじゃないわよ」

「……ん? どういうこと?」

「あんたの中を掻っ捌いてもメリーが居ないじゃない。あいつを何処やったの?」

「えっ?」

 

 言われてすぐに萃香は自分の中に創り出していた夢幻の世界へ意識を向けた。夢幻の世界の構成物は全て萃香で出来ている。何か動きがあろうものなら即萃香へと異常が伝わるはず。

 しかし、メリーは居なかった。

 

 萃香は眉を顰めて即座に様々な可能性を模索する。

 例えばメリーが自力で、尚且つ自分に気づかれることなく脱出した。

 例えば何らかの拍子に誤って超過圧力によって跡形もなく磨り潰してしまった。

 例えば何者かの介入によって奪われた。

 

 

「何でだ? 何で───えぅ!」

「おいメリーはどうしたんだよ! お前がどっかに閉じ込めてるんだろ!?」

「ま、待って……揺らさないで──いぎぃ!」

 

 吐き気を催したのか、急にえずき始める。酔っ払いの勲章とも言うべき、大変汚い()()を予見した霊夢と魔理沙は急いで距離をとった。藍は橙の目を手で覆い、蛮奇は同情するように頷いた。

 萃香は悶絶する。

 

「うぐぅ! な、なんだこりゃ……! まるで胃袋を金槌で叩かれているような───いっ、痛い痛い痛い!!」

「うん分かる。二日酔いはキツイよね」

 

「ちっがうぅぅぅ!!───あべしっ!!」

 

 

 蛮奇の的外れな同情に叫んだが最後、萃香は爆発した。勿論その程度で死ぬような存在ではないのできっちりと霧になって致命傷は回避している。

 

 破裂による衝撃によって土埃に舞い上がり、周囲一帯を覆い尽くした。

 突然の出来事に場の全員が呆気に取られるしかなかった。萃香も実体化して涙目になりながら煙の先を睨みつける。

 

 

「誰だ私の中で暴れてたのは! とっても痛かったんだぞ……このぉ……!」

 

 萃香は腕を振りかぶる。ただ腕を前に突き出すだけで放たれる空弾は、抗う術を持たない者にとって何よりの凶器となる。

 だが、振り抜くことは出来なかった。ピタリ、と腕が固まる。意識は完全に眼前へ釘付けになっていた。なぜなら、その姿は余りにも彼女に似すぎているから。

 

 長い金の髪を抑えるナイトキャップに、風にあおられはためくドレス。手に携えられ重心を支える大きな傘。見る者の全てを魅了する美しき紫色の瞳。

 境界に隔てられし幽界から、そのまま飛び出してきたかのような強烈な存在。

 

「ケホッケホッ……やけに、埃っぽいわね。もしかしてまだ戦闘中なのかしら?」

 

 彼女の姿を見るのは久しぶりだ。何一つ変わっていないことに、藍は安堵の息を吐き出して胸を撫で下ろす。傍に立つ橙も溢れんばかりの笑顔になる。

 幽々子もまた歓喜し、思わず扇子で口元を隠した。そして幽々子の正気が取り戻されたことに、妖夢は安堵の涙を流した。

 レミリアは「そうきたか」と感慨深げに呟き、咲夜は隠すことなく舌打ちする。美鈴はフランドールが喜ぶだろうと自分も喜ぶ。パチュリーは地面に這い蹲りながらデジャブを感じて首を傾げた。

 

 小傘は吃驚した。そして状況を把握した後に困惑する蛮奇と無理やりハイタッチ。その傍らで霖之助は何処を見るでもなく彼女から視線を外した。

 魔理沙は喜ぶよりも先に大きなため息を吐いた。アリスは柔らかな笑みを浮かべ、ふととあることに気がついて彼女を凝視した。

 

 

「あんのバカ……!」

 

 霊夢は恨めしげに彼女を睨んだ。今更になってどの面を引っさげながら帰ってきたつもりなのかと。散々幻想郷を引っ掻き回した挙句に第一声が「埃っぽい」なんて……完全に舐めているとしか思えない。退治しても退治しきれない。

 だけどやっぱり……帰って来てくれたことがちょっぴり嬉しかった。

 

 

 そして───。

 

「紫……久しぶり」

「……萃香。しばらくぶり、ね」

 

 短い言葉を交わす。

 だがその中には様々な思いが込められていた。

 

 やがて紫が重苦しげに俯向く。

 

「──……約束は…」

「紫のバカあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 鬼の大声量に紫の動きが固まった。

 そして萃香は紫に抱き付いた。身長差から腰に手を回すような形になる。紫は周りの視線を気にしているのか、顔色を変えながらキョロキョロと霊夢と藍の顔を交互に見ている。霊夢はプイッと顔を背け、藍は「そのくらいは許してやってください」と、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「なんで、なんで来てくれなかったんだよぅ! ずっと待ってたんだからなぁぁぁぁっ!」

「ご、ごめ……許してごめんなさ──」

「許すわけないだろぉぉ!!」

 

 怒り上戸の次は泣き上戸。酔っ払いは面倒臭い。

 すると恥ずかしくなったのか、紫が慌てて萃香を引き離そうとするが、それに合わせて自然と掴む力が強くなる。

 

「お前いったい何処で何してたんだよぉぉ! 私の気も知らないでぇぇ!」

「か、片時も貴女の事を忘れたことはなかったわ。本当、嘘ついてないから──」

「うそつけぇぇぇ!!」

 

 やがて紫は天を仰ぎ、諦めて腕を脱力させた。

 

「うっうぅぅ…紫……紫ぃ」

「萃、香……」

 

 

 

 

 

 ようやく異変は終結を迎えた。

 一人の妖怪が宴に参加する──ただそれだけで解決できるとても簡単な異変。それは思った以上に難航してしまったが、同時に遺したものも多かった。

 伊吹萃香と八雲紫。二人の妖怪が幻想郷へと帰還した、記念すべき異変。彼女たちが居てようやく、幻想郷は本来の姿を取り戻すのだから。

 

 これからが、本当の宴だ。

 

 

 

 

「萃香……積もる気持ちはあるだろうがそろそろ紫様から離れてくれ。紫様もおそらく長旅でお疲れだろうし、話は後日にでもできるだろう? それにお前が拉致したメリーとやらの行方も気になる」

「うん、そうだね。もう紫が居なくなることはないもんな。……ごめんよ紫」

 

 萃香が腰回りから手を離す。

 そしてゆっくり、ゆっくりと体が傾いていき───。

 

 紫は地面に仰向けにぶっ倒れた。

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 博麗神社跡地に困惑の声が木霊する。




───別時空end

霊夢「あのヤロー何でもかんでも吸収しやがって! メリーも吸収されてるし手が出せねえ!」
魔理沙「もうダメだ……おしまいだぁ。勝てるわけがない!」

藍「そのためにスキマを用意していた! これをなんやかんや使ってお前たち合体するんだ! そうすれば萃香に勝てる!」
レイマリ「オッケー!」

──少女合体中…

???「よっしゃー!」
萃香「だ、誰だお前は!?」
???「私は博麗霊夢でも霧雨魔理沙でもない……貴様のような妖怪を退治する者だ───」

冴月麟「まあ、二人合わせて冴月麟ってとこかな?」


レイマリ大勝利end
はいアウトだね
それでは次回、ゆかりん視点の話にて長かった萃無双はおしまい

以下東方最新作バレを含むのでご注意




























というわけで東方最新作……ちょっとヤバいキャラが来ましたね。最近の6ボスは目がイッてんなぁ。
ほほう、賢者だって? 賢者……そうか、賢者かぁ。こりゃ笑いが止まらんわ!
賢者のみに許されたフレーズかっこいいよね


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Deep Dream Distance Disappears


夢の中での視点ってどんな感じなんだろう。取り敢えず深夜に半分眠った状態で書いてみっか。ついでにクレイジーバックダンサーでも聴きながらな!

……………

やべえなこれ←イマココ

なおサブタイとカナちゃんは関係なし


 大なり小なりではあるが、私もたくさんの人脈関係を築いてきたと思う。伊達に何百年もダラダラと生き長らえているだけじゃない。

 しかし、やはり関係には顔見知り程度のものから莫逆(ばくぎゃく)の友と言えるような深いもの、そして宿敵と呼ぶような毒々しいものと多岐にわたる。

 

 やっぱり意識しなくてもランク付けのようなものはできちゃうわけね。

 まあ、私の交友関係については他ならぬ我が心身を犠牲にして成り立っているものが多いけど。いつの間にか勝手に関係ができちゃって、あっちの方から私に突っかかってくるから避けようがない。

 そういった点ではやっぱり萃香とか幽々子とは付き合いが長い分、結構親密って言えるくらいの関係になるんだろうと思う。キレられたらすぐにでも殺されそうな気はするけど。

 ……宿敵については敢えて割愛する。

 

 そんなわけで何で今になって、しかもドレミーに襲われている危機的状況でこんな話をしたのかというと、友情の最高点への到達までにはとても長い時間は付き物だという常識を彼女が木っ端微塵に粉砕してくれたからだ。

 

 

「みっつけたぁぁぁっ!」

 

 真っ白な空間を砕き、七色の宝石がぶら下げられた翼を翻し、炎剣をドレミーへと振り下ろす。堪らずドレミーはバックステップで回避、私は爆風によって縛り付けられた椅子ごとひっくり返った。

 

 ちょっとばかし体が痛いけど、そんなの全然問題ナッシング。むしろ私の心は感動の渦でかなり湧き上がっている。

 だって助けなんか来るはずもないって思ってたのに、この子が来てくれたんですもの!

 

「紫……だよね? 大丈夫?」

「ええ、ありがとう。助かったわフラン」

 

 悪魔の妹、フランドール・スカーレット。私の数少ない癒し成分の一角であるその人だった。

 フランの頼もしさがヤヴァイ!

 けどどうやってこの世界に来たのか、何でそんなに強いのか……疑問は増えるばかりね。もしかしたらフランもまた夢の一部なのかもしれない。ほら、私の夢にはよくフランに登場してもらってたし。

 

「フラン……貴女どうやってここに? そんな簡単には来れないと思うんだけれど」

「さとりとこいしが色々とね。いくら幻想郷を探しても紫がいないから、それなら夢を利用しようって事になったの。ほら夢って根底ではみんな同じ場所に繋がってるらしいから。私もそのまま夢の世界に来てるわけじゃなくて、本体は今も館の地下室で眠ってるのよ」

「へ、へぇ……」

 

 意味がわからない。しかもさとりとかいう超不吉な人名まで飛び出る始末。私には困惑して相槌を返すしかできることはなかった。

 フランってインテリなのね。

 

 一方、ドレミーはウンザリしたように辺りを見回す。よく見てみるといつの間にか片翼のサグメさんが消えていた。どこかに逃げたのかしら。戦闘員って感じはしなかったしね。

 

「次から次に……今度は誰です?」

「貴女が誰よ? 紫に詰め寄ってたから取り敢えず攻撃したけど……私の敵でオーケーなの? 敵なら壊す! 味方なら謝るわ」

「それは私が決めることではありませんねぇ。好きにするとよろしいでしょう。もっとも、私と敵対するのはお勧めしませんが」

 

 フランはちらり、と私を端に見て、炎剣を肩に当てながらぶっきらぼうに言い放つ。

 

「そう……やっぱりいきなり敵って決めつけるのは良くないわ。もう少し捻った考え方ができるようにならないとね。というわけで聞くわ。貴女、紫をどうするつもりだったの?」

「ふふ、悪いようにはしませんよ」

 

 妖しく微笑むドレミーからは悪意をひしひしと感じる。私を良いように扱うつもりはないということだろう。いったい私が何をしたというのか……遺憾の意を表明したいところである。

 フランはドレミーの一言を聞いて、納得がいったように頷いた。

 

「なるほどねー。思慮深くとにかく相手を観察、か。全部さとりの言う通りね。お姉様みたいな言い回しだから少し心配しちゃったじゃない。まっ、よくよく考えてみればさとりとこいしが嘘を吐くはずないし、妥当っちゃ妥当かしら?」

「……結論から言うと?」

 

 私とドレミーの間に立つフランの顔は見えない。ただ、羽の宝石を見ているとフランの感情が手に取るように分かるような気がする。七色の彩りがギラギラと輝きを増している。

 今のフランは……そう、興奮しているのだ。

 

「とどのつまり、お前は私がぶっ壊す!」

「愚かな」

 

 フランは思いっきり炎剣を振りかぶった。

 風圧に乗じて炎が勢い良く燃え上り、剣の大きさが先程とは比較にならないほどに膨れ上がった。変幻自在の剣ってところかしら? そんなことを風圧に吹っ飛ばされながら考察していた。絵面は間抜けだけどフランとドレミーから距離を取れるという点では最善である。

 

 あんな一撃を受ければ間違いなく肉片も残らないわ! 肝心のドレミーは手ぶらで行動を起こそうとしていない。まさか、諦めたの?

 

「おっりゃあぁぁぁぁっ!!」

「ほう、神剣の成れの果てですか。面白いものを持ち込んできましたね。しかし───」

 

 ドレミーの声が剣圧に消えた。

 振り抜かれた剣がフランを軸にして一回転し、夢の世界に破壊を撒き散らす。ドレミーやサグメさんが座っていた椅子に机は、跡形もなく消し飛び、夢の世界に黒ずんだ歪みが生まれている。

 つ、強いわフラン! 初対面時の印象でてっきりか弱いのかと思ってたけどめっちゃくちゃ強いじゃない! まあ、あのレミリアの妹だし当たり前といえば当たり前……なのかな?

 

 けど、ドレミーが……。

 

 

「──……なんで?」

 

 消え入るような、戸惑いの声が漏れた。声の主はフランで、目を丸くしながら握っている剣に視線を向けている。

 剣の刃先がだらんと伸びきっていて、例えるなら水飴のように下へと垂れていく。フランは気持ち悪そうに剣を投げ捨てた。

 

 くすんだ世界が修復され、何事もないようにドレミーは元の場所に立っていた。哀れみと侮蔑の視線をフランへと向けながら。よく見ると指で炎剣の切っ先を摘んでいる。

 ドレミー・スイートは夢の主。夢の世界は彼女の思うがままに姿形を変える……。そして私たちの体もまた、夢の一部。

 

現世(うつしよ)ならば少々面倒な攻撃でしたね。しかしこの世界には物事の本質が存在しません。硬いだとか、鋭いだとか……一辺倒な性質なんて何の意味も持たないのです」

「本質が無いですって? そんなことは無いわ。貴女の()は私に余すところなく貴女の本質を見せてくれてる。私の能力の前には嘘は吐けない」

「そうですか。では始めましょう」

 

 興味なさげに言い放つ開始の宣言。それとともに夢の世界が跳ね上がった。地面なんて無いはずなのに何かが下からせり上がってフランを圧殺しようとしている。すかさず華麗な身のこなしで目視出来ない何かをフランは躱していく。合間に弾幕を放ってドレミーを攻撃するが、彼女に触れた瞬間に魔力が溶けてドレミーに吸い込まれている。

 

 さらにはドレミーのスカートの中から触手のような黒い線が延び出て、回避行動を取っていて隙のできたフランを鞭打つ。小さな体が大きく仰け反って、床を転がる。

 こんなの……どうやって戦えばいいのよ!?

 

 くっ、フランだけに任せておけないわ! 何とか脱出して助太刀しないと!

 役に立てるかは分からないけど、もしスキマ能力まで取り戻せているなら簡単なサポートを行うことができるはずだ。その為にはドレミーの呪印を解かないと…!

 

「くっそー邪魔だなぁ! これならどう? 禁弾『スターボウブレイク』ッ!!」

「ほう、幻想郷で流行りのスペルカード。……どれ、こんなものですかね?」

 

 フランの号令とともにドレミーへと多数の弾幕か殺到する。しかしそれらは片っ端から相殺された。なんと、ドレミーがフランとまったく同じスペルカードを放ったのだ。まるで鏡合わせ。

 ダメ、夢の世界じゃどう足掻いたってドレミーには勝てない! 霊夢の夢想天生のような奥義がないと太刀打ちすら……!

 

 ドレミーが掬い上げるように手を掻くと、瞬間フランの服に何本かの切り傷が付けられた。これは、まさか南斗聖拳!?

 

「ドレミー……そんなことまで」

「この程度造作もない。あなた方は私の体の中で戦っているようなものなのですよ? この世界の全てが私の意志のままに行動する。いわば、今の斬撃は夢の世界そのものによるもの。躱しようがないでしょう。もっとも、通じていないようですがね」

「そんな斬撃ちっとも効かないわ。だってとっくの昔にそんな面倒臭い私なんて壊しちゃったんだから! もっとマシな攻撃をしなさい!」

 

 南斗聖拳よりよっぽどヤバかった。しかしフランにはなんでも斬撃耐性なるものがあるそうで一安心ね。けどドレミーの言葉は暗に私はいつでも殺せるってことを証明している。絶望しかない。

 

 てか呪印が全然解けない。

 複雑すぎて意味不明! しかも無理やり解こうとすれば呪いが即座に全身へと回るように術式が構築されてるわ。この系統の解呪は結構得意なのにぃぃ!

 

 

「斬撃を飛ばすくらい私たち吸血鬼には朝飯前よ。それを見せてあげるわ!」

 

 フランは宙へ浮かび、足元に魔法陣を展開する。そしてそれを足場にしてドレミーへと飛び掛った。その勢いたるや、足場にした魔法陣が爆発して粉々になるほどだ。

 目視を振り切ったスピードによるクローは、まさにフランドールストレッチ! 紅の斬撃がドレミーを三等分に切り裂いた。

 

 だけどそんなもので彼女が死ぬはずもなく、バラバラになった身体が紐状に分解されてフランへと雁字搦めに巻きついた。そして紐が夢の世界と結合し、フランを宙に浮かせ縫い止めた。

 大の字に拘束されたフランはもう指一本すら動かせる状態ではない。なんとか逃れようと紐を引っ張っているけれど。

 

「ぐっぐぅ……! こんな、もの……!」

「無理ですよ。その紐はフェムトファイバーという設定で創り出してますからね。最強の強度という概念は覆せない」

 

 まずいまずいまずいっ!

 フランが私に掛けられているものよりも強力な拘束に捕まった。このままじゃフランが私を助けに来たが為に……!

 

「ドレミーそこまでよ! 勝敗は決まったわ!」

「……だから貴女はよく甘いと言われるんですよ、紫さん。我々にとって本当の無力化なんてものは存在しないのです。フェムトファイバーだけでは心許ない、というのが現実だ」

 

 これ(フェムトファイバー)を破り捨てる存在も居ますしね、とドレミーは付け加える。そして紐が一気に畝り出しフランを逆ベクトルに引っ張る。

 痛々しい縄の擦れる音が耳に障る。

 

「いぎ、ぎいゃあぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 高々とフランの口から絶叫が吐き出された。腕や足の付け根から血が滴る。腱を……無理やり引きちぎろうとしている。

 フランの苦痛の叫び声が辛くて、いっそ耳を塞いでしまいたかった。だけど手足の動かない私ではそれが出来ない。私の為に死ぬほどの苦痛をフランが受けているって考えただけで涙が出てくる。

 

「止めなさい! 貴女の本来の目的は私なんでしょう? なんでも要件を聞きますわ……だからフランをこれ以上痛めつけるのは止めて…!」

「どうですかねぇ。紫さんは良くてもこの方は決して貴女を諦めないでしょう。動ける限り私を狙ってくる。なら動けなくする他ありません」

 

 ドレミーが手を翳す。多分、紐の力をさらに高めるつもりなんだろう。

 フランの叫び声がより一層大きくなり、やがて嫌な音が私の耳へと至る。ぶちり、と。

 小さな手のひらが重力に従うままに夢の世界へと落ちる。赤黒い鮮血が白い世界を紅に染め上げていく。頭がクラクラした。

 

「まずは腕二本……次に足二本です。紫さんの懇願ですからね、情けで命までは取りません。しかし反抗の芽は確実に積んでおきます」

「ドレミー……!」

 

 もうキレた。温厚な紫ちゃんも今回ばかりは本気で頭にきた。私の眼の前でなんてことをやらかしてくれたのか。

 もういいわ。今から力ずくで呪印を引きちぎる! そしてドレミーを何としてでもボコボコにする! 勝てないだろうし、その前に呪いで死んでしまうかもしれない。だけどあの顔に一発張り手でも打ち込まないと気が済まないわ!

 

 私の希望と癒しに何してくれてんだオラァァ!

 いざ、腕に力を込めて───!

 

 

「く、ふぅ……あは、腕二本で足りるの?」

「……うん?」

 

 ちぎり落とされたフランの腕が紅霧になる。そして腕の断面あたりに纏わりつくと徐々に腕の形に固まっていって───。

 

「腕の拘束さえ解ければ良かったわ。だって貴女の目はすでに私の手の中……」

「そうか。貴女は吸血鬼……この程度の怪我など簡単に完治させてしまうのですね」

「けど痛いわ。身体がなまじ頑丈なだけ強く引っ張ったでしょ? 私は痛いのがキライなの。腕をちぎられる痛みなんて、これまででも一回しか体験したことないわ」

 

 ……ああ、レミリアによる暗殺未遂事件か。あれは、嫌な事件だったね。

 それにしても、フランはいったい何をする気なんだろう? 思わず呪印を引きちぎるの止めちゃったけど。

 

 

「これでも根に持つ方でね。この痛みは倍にして返してあげるっ! 右手に貴女──左手に背後」

 

 フランの手のひらが大きく開かれる。やがて魔力の渦はだんだんと収束して。

 

「『キュッとして、ドカーン!』」

 

 握り締めると同時にドレミーが破裂した。また同時にフェムトファイバーがゆっくりと下に落ちて、フランの拘束が解かれる。今のは……魔法かしら? 随分とすごい技を持ってるのね。

 弾けたドレミーの飛散物は血肉ではなく墨汁のような黒い塊。見る限り間違いなく生きてるわ。夢の世界で彼女を殺すのは不可能なんだろうか。

 

 と、今は取り敢えずフランだ。

 私は地面に這い蹲ったまま彼女に話しかけた。

 

「大丈夫? 腕はくっ付いてるみたいだけど……」

「平気平気! こんくらいじゃ私を殺すことなんてできないわ。……けど千切られるのは流石に予想外だったかなぁ。あとで潰しとこっと」

「フランは強い子なのね。……それじゃあこんな世界からは脱出しましょうか。またいつドレミーが襲い掛かってくるか判らない」

「うん! っと、その前にそれ壊しておくね。鬱陶しいでしょ?」

 

 フランが指差したのは私を拘束する呪い。彼女の言う通り、確かに頗る鬱陶しい。

 ここは素直にお願いしてフランに切ってもらうことにした。フェムトなんちゃらとかいう紐から逃れたフランには朝飯前なんだろう。

 

「じゃあいくよ! キュッとして───」

 

 

 

「なんで貴女がその能力を使うの?」

 

 不意に掛けられたその言葉にフランは動きを止めた。私はその聞き覚えのある声質に、向けた視線の先に居たその存在に唖然とした。

 フランと瓜二つながら正統派吸血鬼の様相。溢れ出る底無しの妖気が空間を蜃気楼のように捻じ曲げる。彼女の紅き瞳が鋭く射抜くは己の妹。

 レミリアその人が、殺気満々で私たちの目の前に爆誕したのだ。まさか、彼女も自力でこの世界に!? けどレミリアは博麗神社で今も萃香と戦っていたはず。──となれば。

 

「お、お姉様!? なんでここに……」

「フラン! 少し様子を見た方がいいわ。このタイミングでレミリアが現れるのはどうも不自然よ」

 

 立ち尽くすフランに呼び掛けるが全く反応してくれない。私から背を向けてレミリアの方へ駆け寄っていく。

 あのレミリアはドレミーの罠である確率が高い! 不用意に近づけば何があるか分からないわ!

 

 レミリアが冷たく言い放つ。

 

「なあ、貴様。その能力の持ち主は私の唯一の妹、フランドール以外にはいない。なのになぜお前みたいな紛い物が使おうとしているの?」

「フランドールは私よ! 私なんだから別に能力を使ってても変じゃ───……っ!?」

 

 パンッ、と乾いた音が響く。レミリアはフランの頬に平手打ちを入れていた。

 ドレミーの猛攻にも何処吹く風と、腕を千切られながらもその後は平気な顔をしていたフランが、その表情を悲痛に曇らせた。

 

「その容姿は何? その声は何? まさか、我が妹のフリをして私を謀ろうとしているのかしら?」

「あ、え……そんな、私は……」

「お前なんかがフランなものかっ! 貴様は抜け殻の分際でフランを名乗っているに過ぎない。心なんてとっくの昔に壊してしまったくせにいけしゃあしゃあと。貴様は勝手に自分のことをフランドールと思い込んでいるだけだ!」

 

 しまった……そういうこともできるのね!

 おそらくドレミーが見せているのはフランの悪夢で、これはかつてレミリアから受けていたDVの一場面か! 頑丈なフランを籠絡させる為に精神攻撃に打って出たってわけね! ドレミー汚い!

 

「イヤっ……! わ、私は……!」

「黙れッ! 黙れ黙れェッ! 私の……私のフランをどこへやったああぁぁぁああぁッッ!!」

「フランっ! 避けなさい!!」

 

 レミリアが手に槍を携えてフランへと振りかぶる。フランは回避行動の一端すら見せていない。心を折られかけてる。

 そして槍はフランの頬を掠め、レミリアの体が静止した。レミリアの胸から手首が生え出ていた。小さな口から吐き出された血飛沫がフランの顔へ降りかかる。

 

「ぁ、う……フラ……ぐふっ」

 

 手首が引き抜かれると同時にレミリアは膝から崩れ落ちる。己の血だまりをカーペットにして夢の世界へと沈んでいく。最後まで恨めしそうにフランを睨みつけながら。

 レミリアを殺したのは、フランだった。フランとフランが相対する。

 けどそれはフランじゃない。だってフランはそんな残忍な表情をするはずない。本物のフランは肩を震わせる。

 

「なんで……殺したの?」

「私が殺したいって思ったからに決まってるじゃない! お姉様のことを恨んでたんでしょう? 妬んでたんでしょう? 生まれてからずっとあいつは運命に愛され続けていたのに、私は冷たい土の下で生きているかも分からない生活を送ってきたものね!」

「そんなこと思ってなんかないわっ!」

「貴女は思ってないよね。だって私とは違うんだからさ。……壊しちゃったもんね」

「私は……私はっ!!」

 

 

 

 

「一級品の悪夢ですねぇ。どうやらかなり重い物を背負ってきたようで」

「っ! ドレミー……!」

「恐ろしい顔で睨みますね。おお、怖い怖い」

 

 いつの間にか私の隣に立っていたドレミーを睨む。こんな残忍な事をしておいて飄々とした態度。それを見てると怒りが湧き上がってきた。

 

「あれは貴女が創り出した悪夢でしょう? よくもまあ、こんな事を顔色一つ変えずに出来るものね」

「ふふ、私が考えた事ではありませんからね。全てあの方の想像上の産物に過ぎません。私はそれを助長させてあげているだけです」

「……貴女もまた狂人ってわけね」

「狂っているのは私ではありません。この世界そのものが狂っているのです。夢の世界で平常を保とうなど、誰もできませんよ」

 

 そうは言うけれど、私には貴女が格段狂っているようにしか見えない。

 いつの日か、私は彼女の漠としての仕事の在り方に対する姿勢を褒めた。けどそれは私への印象を良くする為だけの嘘だろう。

 ドレミーは、悪夢を楽しんでいる。

 

 

「そうそう、ネタばらしをすると貴女が現世(うつしよ)で元の姿に戻れなかったのはこの力の応用ですよ。紫さんが夢見ていた姿を(うつつ)に投影したのです。おかげで貴女は本来の力を使うことができず、非力なまま幻想郷に留まることしかできなかった」

「これも、貴女のせい…ね」

 

 全ての黒幕はドレミーだったわけか。

 ここまでくるともう驚かない。彼女が何を言おうと、それは妖怪ドレミー・スイートの強大さを裏付けるものにしかならないから。

 しかし疑問は増えるばかりだ。

 

「回りくどいわね。私を幼児化させる理由が皆無に思えるわ。貴女ほどの妖怪になれば真っ向から私を捕まえにやって来てもよかったんじゃないかしら?」

「……我々の考えも一枚岩ではないんですよねぇ。まあ、真相の一部を聞きたいのなら、月の都でサグメさんにでも聞いてくださいな」

 

 全然納得ができない!

 さらなる追求をしようと口を開きかけた時、誰かの嗚咽が聞こえた。ドレミーの笑みが一層深くなったような気がした。

 

 

「夢に重きを置き過ぎれば、(うつつ)に多大な影響をもたらす。フランドール、でしたかね? 彼女の精神は既に穴だらけでした。誰かがそれを地道に修復していたようですが、まあ焼け石に水でしたね。なまじ正常になってしまった分ダメージが大きくなってしまった」

 

 視界の隅ではフランが泣き崩れている。それを好機と見たのか偽物フランが先程のフランと同じように炎剣を召喚し、上段斬りに構えた。

 私は項垂れた。もう諦めるしかなかった。最初から私たちは彼女の手のひらの上で転がされていたに過ぎない。夢の世界でドレミーに挑んだのがそもそもの間違いだったのだ。

 

「さて、終わらせちゃいましょうか。さっさと紫さんを月の都まで送り届けなければなりませんしね。──やりなさい」

「アハハ、私を壊した罰だよ! 死んじゃえ!」

 

 ごめんね、フラン……!

 

 

 

 

 

 

 ──【はい、これにて夢は終わりっ!】

 

 小さな拍手が聞こえる。

 耳元で騒ついたのは活発で元気な可愛い声。すると、拍手が響くたびに白一色の夢の世界に、どんどん薔薇が咲いていく。赤、青、緑と、多彩なそれは、私もドレミーもフランも、全てを包み込む。まるで悪夢は覚めたかのように。

 

「な、なんだこれは!? 私の意志とは関係なく───いや、私以外の力が!」

 

 ドレミーは咲いていく薔薇をなぎ払いながら呻く。どうやら予想外の出来事に狼狽しているようだ。 てか痛い! 薔薇の棘が痛いっ!

 半泣きになりながらフランの方を見ると、彼方でも異変が起きていた。

 

「何が『偽物』……可笑しな事を」

「お、姉様……?」

 

 フランの前に立つレミリアが偽物フランの炎剣を掴んでいた。今度のレミリアからも強大な妖力を感じるが、先程のような暴力的なものではない。力強く、温和な……。

 

「邪魔ね。失せなさい」

 

 腕の凪で偽物フランは粉々に砕け散った。パラパラと、土塊が宙を舞う。

 二人の姉妹の視線は見つめ合い、交錯する。周りの演出もあって幻想的だ。

 

「ああ私の愛しき妹フランドール! どうして私がお前を恨もうか! 我らが姉妹の美しき絆は永遠に不滅……そう我ら吸血鬼族の如く、決して滅びたりはしない。さあ、孤独な眠り姫。今こそ眠りから覚める時よ。私の口づけとともに何時もの夢へと貴女を誘───」

「……ちょっとタンマ。こいしー! これ貴女の仕業でしょ? 流石にお姉様の言うことが臭すぎるわ。もっと馬鹿っぽさを出してくれないと」

 

 顔を近づけるレミリアに対し、フランは腕による×字ガード。気持ち悪そうに顔を顰めた。うん、私もなんか気持ち悪いなーって思ってたところよ。場の空気をぶち壊しにするって意味ではある種、本物のレミリアと遜色ないけどね。

 するとレミリアは残念そうに夢の世界へと溶けていき、代わりに現れたのは……。

 

「えーこんなもんでしょー?」

「全然違うわよ!」

 

 真っ黒な円の唾付き帽子を被り、身体に繋げた管の先にある閉じられた第三の目を腰の辺りに浮かべた、一人の少女。茫洋としたこの独特の雰囲気は、彼女以外にはいない。

 古明地こいしちゃん。

 

 まさに上げて落としてアゲアゲ! ついに運命の女神様のデレ期が降臨したようだ。そうか、フランが勝利の女神だとしたらこいしちゃんは逆転の女神だったか! この八雲紫、不覚にも涙した。

 

 いつの間にかフランもいつもの調子を取り戻して、涙を拭うとこいしにいちゃもんをつけ始める。対してこいしはケラケラ笑う。

 平和って、こういうのを言うんでしょうね。そうしみじみと思うのだった。

 

 だけどある人は言った。「平和っていうのは戦争と戦争の間の期間に過ぎない」って。それは今、目の前にある平和にも当てはまるみたいで。

 

「なるほど、いつの間にかサグメさんが居なくなったのは貴女が原因ですか」

 

 刈安色の煙が辺りに蔓延した途端、フランとこいしは紐でぐるぐる巻きにされていた。ふと胴のあたりを見てみると、私も椅子に紐で括り付けられていた。痣で残るじゃないの!

 

「全く……どこの妖怪かは知りませんが、私の世界で好き勝手やられるのは困りますね。早急なお引取りを願いましょうか」

 

 ドレミー……絶対に私を逃してはくれないのね。貴女の職人気質は大いに評価していたわ。だけどそれがこんな形で私に牙を剥こうとは。

 

 夢塊が蠢き、スカートから生え出た黒い線が視界を飛び交う。瞬間、闇から幾多もの黒色の槍が噴出され、それらは全てがこいしちゃんに殺到した。まさに斬撃の嵐。黒々とした塔がこいしちゃんの居た場所を埋め尽くした。

 やがて黒い線は私たちに照準を変える。そして先程のように何十発もの黒色の槍を放った。ついにドレミーが私を殺しにかかったか。

 

 フランは自分の上半身がフェムトファイバーによって拘束されているにも関わらず、槍を華麗にステップで回避。さらには私の服の襟を口で咥えてそのまま安全圏まで運んでくれている。絵面的にはネズミを捕食する猫って感じ。

 もうなんていうか……土下座しても感謝しきれないわねこれ。一生の恩に値するわ。

 

「ごめんねフラン……役立たずで」

ひひのひひの(いいのいいの)ひょひぇひょりほほいひよほいひ(そんなことよりもこいしよこいし)!」

「言いたいことはなんとなく分かるけど降ろしてからでもいいのよ?」

 

 フランの八重歯が服越しに刺さって痛いってのもある。確か吸血鬼に血を吸われちゃうと眷属になっちゃうんだっけ? ……ま、満更でもないなんて思ってなんかないんだからね!

 

ほいひっひゃらふぁほんふぇるは(こいしったら遊んでるわ)ひゃっひゃとひめふぁひふぁはいほ(さっさと決めちゃいなさいよ)!」

「お荷物を抱えながら、ご苦労なことです」

 

 ドレミーの指揮とともに黒い線が猛烈なスピードで視界を走る。またあの意味不な槍を発射するつもりなんだろう。身のこなしが凄く軽いフランでも私を口に咥えながらでは避け続けるのは多分かなり厳しい……! 私たちが袋のネズミであることに変わりは───。

 

 

「ごふっ……!?」

 

 ドレミーが吐血した。

 ……ドレミーが吐血した。大事なことだから二回言ったわ。そして何処からともなくこいしちゃんがスキップしながらやって来て、ドレミーの服に薔薇を刺す。するとみるみるうちに棘が伸びて。

 

「──……馬鹿な。なぜ、動かないっ!?」

「哀れな獏さん♪ 縛っていたのは私じゃなくて貴女自身……うん、貴女はうち(地霊殿)にご招待するわ! しばらく夢とはバイバイね」

「おかしい、なぜ貴女には夢がないのです? いや、それよりもまさか生身でここへ!? 悪夢に身を置きながら平然とするなんてそんな、狂ってる……!」

「夢気分〜」

 

 …………えっと、いつの間にかドレミーがこいしちゃんが咲かせた薔薇によって捕獲されていた。何を言ってるのか分からないわよね? 私も目の前で何が起こっているのか全く分からないわ。

 ドレミーからの力が無くなって黒色の槍が虚しく地に堕ち、そして朽ちる。フランは私を地面に置いた。結局椅子から立ち上がらないで終わっちゃったわね……。ま、まあ結果オーライってことか!

 

「もう、こいしったら遊びすぎだよ! どうせ私が泣いてるのが面白くてもっと観察してたかったから焦らしてたんでしょ!」

「ソンナコトナイヨ。取り敢えずフランちゃんとゆかりんの紐も獏さんにポイッ!」

 

 ふと体が軽くなった。呪印は未だ健在だが、巻きついていたフェムトファイバーが消えている。どうやらフランも同じらしい。

 代わりにドレミーの拘束はまた二つ増え、さらにはその縛り方もえげつないものへ。……これは、亀甲縛り!?

 

「屈辱です……!」

 

 御愁傷様。

 

 

「くっそー貧乏くじ引いちゃったなー。気分を著しく損ねたわ」

「私は楽しかったー! ふふ、フランちゃんったらギャンギャン泣くんだから」

「うるさい。あーあ……紫とさとりがあんなに教えてくれたのに、私はまだみんな信じきれていなかったのね。やっぱ中途半端はキツい」

 

「そこの可愛いお二人さん? そろそろ私にも種明かしをお願いしてもいいかしら?」

 

 お姉さん話に付いていけないから、そろそろ馬鹿にでも分かるくらい優しく状況を説明して欲しいなーって。

 

 

 フランとこいし曰く、本当は夢を見ている私を見つけるだけの計画だったらしい。だが()()()からの助言により今回の八雲紫失踪にドレミーが一枚噛んでいることを知り、居ても立っても居られなくなって、この世界に殴り込んで来たと。

 さとりから何度もドレミーの危険性について聞かされてきた二人は、陽動と工作に別れて戦うことにしたという。フランが時間いっぱいドレミーを引きつけ、その間にこいしがこの夢の世界を掌握する。一歩間違えれば一網打尽という超危険な作戦。

 

 ……シスターズ、マジやばい。

 何が非力な幼き少女よ私なんかよりクッソ強いじゃないの! けどまあ、あの姉たちから非力な妹が生まれるなんてよくよく考えれば違和感もいいとこだけどね!

 もっとも彼女たちはその力を驕ることなく正しいことに使ってるみたいだし、今回はこうして私をドレミーの魔の手から救ってくれた。何処ぞの鬼畜姉どもとは大違いである。

 もうね、彼女たちの存在は幻想郷唯一の希望と言っても過言ではないわ。

 

「だいたい話はわかったわ。それじゃあさっさとこんなところ脱出しちゃいましょう。……えっと、ドレミーはどうするの?」

「うちで飼う! ペットが増えて嬉しいなぁ!」

「そ、そう……」

 

 ドレミーが何か言おうとしていたが、こいしに猿轡を嵌められてしまったため呻くことしかできていない。ドレミーかわいそう。

 

「さて……救われてばかりで悪いのだけど、この呪いどうにかならないかしら?」

「あー簡単簡単! 私が『キュッ』とすれば終わりだから。それじゃじっとしててね……」

「フランちゃんストップ!」

 

 こいしちゃんがフランの耳元で何やら囁いている。するとフランの表情がどんどん険しくなっていく。

 なぁに隠し事? 紫お姉さんにも教えてちょうだいな。

 

「そっか……そういえばチャンスなんだよね、これって。邪魔者が誰も居ない」

「うん! 私たちの思いのまま!」

「……んん?」

 

 狂気に揺らめくルベライトと、被られた帽子から漏れる深緑の光が不気味に私を射抜く。何故か身震いがした。い、今更になって裏切りとかないよね? 春雪異変の時から裏切り恐怖症なのよ私。

 考える二人。まるで何かと何かを天秤にかけているようで、蚊帳の外である私にはとても不気味なものに見えるわ。しかしやがては大きなため息とともにそれらは霧散した。萎縮していた空気が元に戻るのを感じる。

 

「私は正攻法でいくわ。さすがにこれは卑怯なんじゃないかって思うの」

「まじめー。フランちゃんがやらないなら私もやんない! それっ!」

 

 こいしちゃんが私を指差し、そのまま横に線を引くように凪ぐ。すると私を蝕んでいた呪印は儚い破裂音とともに消滅した。

 座りすぎてじんじんするお尻を持ち上げて、軽く背を伸ばす。ポキポキという音が耳と体に心地よい。山麓で大きく深呼吸したような良い気分だ。

 

「ふぅ……ありがとうこいしちゃん。フランも……貴女達が居なかったらどうなっていたことか。感謝してもしきれないわ」

「お礼はいいからさ、幻想郷に戻ったらちゃんと会いに来てよね。地下室でちゃんと待ってるから」

「ええ必ず」

 

 可愛いなぁもう。

 今度紅魔館に行った時はなんかお土産を持って行きましょう。そうねぇ……年代物のブランドワインなんてどうかしら? フランってインテリ淑女だからね。

 ……ああレミリアには市販の粗茶パックでも渡しておけば良いでしょ。変に凝ったもの渡してもメイドの検問次第ではロクなことにならないだろうし。

 

「おっと私の方も忘れてもらっちゃ困るよゆかりん! 私だって幻想郷を駆けずり回ってゆかりんを探してたんだから。それにお姉ちゃんったらゆかりんが来なくなってすっごくやきもきしてるんだよ! ペットのみんなも待ってるからさ、うちにも早く遊びに来てね! ねー獏ちゃん」

「んむぅー!」

「え、えぇ……」

 

 何それ怖い。

 やきもき……つまりイライラしてる? 私を言葉責めのサンドバックにできなくてストレス発散に困ってるってこと? やはり鬼か!

 ペットの連中もロクなもんじゃないわ。私が地霊殿に来ただけで「帰れ」とか「食ったろか」って言わんばかりの敵意を飛ばしてくるんだもの。まさに悪魔の巣窟……旧地獄にあるんだからあながち間違いでもないのがなんとも。

 

 あとドレミーどんまい。

 

 

「それじゃあこの夢は壊しちゃうけど、いい? やることがあるなら待つけど」

「そうね……そういえば私が着ていた服はどこにいったのかしら? 大事なものもあったんだけど……」

 

 具体的に言うとアリスのスカーフね。霖之助さん作のロリドレスも失うには勿体無い。

 

「ふむふむ……これかな?」

 

 こいしちゃんが念じると、空気が圧縮されて透明な固体になる。そして徐々に色が塗られてやがてはドレスとスカーフになった。

 

「はい完成! 他にもなにか出したいものある?」

「……なんでも出せるの?」

「うん。なんたって夢の世界だから!」

 

 もうなんでもありなのね。まあ夢ならしょうがないか。夢だもんね。

 それじゃあ……何時ものドレスと日傘を作って貰おうかしら。完全に『いつもの八雲紫』になっとかないと萃香になんて言われるか分からない。また「なに紫のマネしてんだゴルルァ!」とかいう展開になったらほんと困る。

 

 今着ている服も別に嫌いではないけどね。ただこんな服今まで一回も着たことないから私を知る人からすればちょいとばかし不自然に思うかもしれない。

 

 ────というわけで、こいしちゃんの出してくれたドレスと日傘はいつも私が使っているそれそのものだった。クオリティ高すぎ! こんな細部までよく再現できたわね。

 取り敢えず今着ている変な服とロリドレス、アリスのスカーフはスキマに仕舞った。無事にスキマが使えて一安心である。

 

 お着替えシーンを見られるのはちょっとばかし恥ずかしかったけど、フランもこいしも……ついでにドレミーも女の子だから全然問題はない。

 

 これにて八雲紫完全復活よ!

 

 

「よーしそれじゃこの夢は壊しちゃうね。こいしはその獏と夢に残るんだっけ?」

「うん。私は勝手に帰れるから大丈夫だよ! フランちゃんとゆかりんは寝た場所からのスタートになるから気をつけて! それじゃあね!」

「ありがとうこいしちゃん。うん……まあ、地霊殿で会いましょうね」

 

 地霊殿かぁ。せっかく助かったのに死亡フラグがびんびんな件について。

 あとドレミーの恨めしげな視線が辛い。

 

「さあ夢を壊すわよ! 夢を抜けて幻想へ──! 『キュッとして、ドカーン』!」

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 夢に起きて夢から覚める───なんとも稀有な体験をしたわ。もう懲り懲りだけど。

 そして目を開けた瞬間、私の目に飛び込んできたのは大量の砂煙だった。あまりに不意な出来事に目を瞑って思いっきり咳き込んだ。これは聞いてないわこいしちゃん。

 

「ケホッケホッ……やけに、埃っぽいわね。もしかしてまだ戦闘中なのかしら?」

 

 おそるおそる目を開けてみると、ちょうど目の前にいた霊夢と目があった。んでもって睨まれた。……解せないわ!

 藍も橙も幽々子も、みんなして私を睨んで……「場違い乙」みたいな。ていうか笑顔が不気味。はっきり言って怖い。あれかな、勝手に死んだと思ってた奴が生きてたから次こそ確実に殺す算段でも考えてるのかな。

 

 

 

「紫……久しぶり」

「……萃香。しばらくぶり、ね」

 

 さて、真打の萃香である。

 様子を見るに戦いは終わったみたいね。幻想郷が無事ってことは、萃香の負けか。誰が萃香に勝ったんだろう?

 なんにせよ無事に異変が集結してくれて良かったわ。あとは私が萃香に謝れば全て解決ね!

 

 

「──……約束は…」

「紫のバカあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ──ポキッ

 

 はぐっ!?

 す、萃香が私にタックルを、打ちかましてくれた……!? あまりの衝撃に、声すら出ない。やばい、これは腰イッたんじゃ……。

 だがこれでも萃香はまだ私を痛めつけ足らないのか、非情な追い討ちのさば折(ブリーカー)。私は死ぬ。

 

 霊夢、藍たしゅけて!

 霊夢は煩わしそうに私から目を逸らした。藍は嬉しそうに口の端を上げた。

 ……つまり見捨てられた。

 

「なんで、なんで来てくれなかったんだよぅ! ずっと待ってたんだからなぁぁぁぁっ!」

「ご、ごめ……許してごめんなさ──」

「許すわけないだろぉぉ!!」

 

 ──コキコキ…

 

 あっあぁー!!

 死にます死にます! やめてとめて助けて……腰の断末魔が産声を上げてる!

 無理やり引き剥がそうとするものの、私の力で萃香を引き離すことなど出来るはずもなく、もはや交渉による説得しか私の腰を生かす手段はなかった。

 

「お前いったい何処で何してたんだよぉぉ! 私の気も知らないでぇぇ!」

「か、片時も貴女の事を忘れたことはなかったわ。本当、嘘ついてないから──」

「うそつけぇぇぇ!!」

 

 

 ──ゴキィ!

 

 

 あっ、死んだ。

 

「萃、香……」

 

 目の前が真っ白になるって、こういうことなのね。何も考えれなくなって体が脱力する。

 次に目を覚ました時、私は一体どこの世界にいるんだろう?

 現世? あの世? 夢の世界?

 

 ロクな選択肢がないことに涙した。

 

 

 

 

 

 

 なおその後、腰の粉砕骨折によって懐かしき八雲邸にて暫く寝たきりになることに。その間に藍から色々な話を聞かされて自己嫌悪したりもしたが……これはまた別の機会に。

 取り敢えず藍には「夢の主との戦闘によって持病(ヘルニア)が悪化した」と伝えている。今さら萃香と幻想郷の間に溝を掘る原因なんて作りたくなかったから。ほら、私って仮にも賢者だし。

 

 

 

 

 

 なお、これは後から聞いた話なんだけど、異変後の数日の間だけ幻想郷中では夢遊病が蔓延したらしい。

 

 ……まあ、大変ね(他人事)

 




こいフラが参戦&役割分担
ドレミーが舐めプ
ゆかりんが邪魔をしない

どれか一つでもなかったらまず勝てなかったらしい。てか夢の世界でどうやってドレミーさんに勝てっていうんだよちくしょう

ていうかこれからあの異変までもう一月ぐらいしかない件について。神主の仕事スピードが速すぎたのが悪いんだねいいぞもっとやれ!












ネタバレ、ドレミーさんはいい獏
ネタバレ、サグメ様はいい天邪鬼
ネタバレ、ゆかりんは無能
ネタバレ、ゆかりんは有能


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今昔幻葬狂〜妖萃〜
八雲の巣──Surface story


藍しゃまのとある1日



 幻想郷は今日も血気盛ん。

 

 猫の手も借りたいとはこの事で、橙や式分身をフル稼働しても対応が追いつかない。

 地面に手を置き、地脈の流れを感じ取ってみたが、どうにも上手くいってないみたいで。再び調整を開始せねばなるまい。

 全く……萃香の奴がぐちゃぐちゃにしたものを私が修復するのはこれで何回目だろうか。いい加減にして欲しいものだ。

 

 また、異変が残していった爪痕はなにも物理的な被害だけではない。

 幻想郷の各地で妖怪の不満が募り、人里では人間たちがありもしない噂に一喜一憂───滅亡論や陰謀論が囁かれている。一年に三回も発生した大異変のせいで、精神が疲弊しているのだろう。

 さらには各地できな臭い運動が起こりつつある。そうだな、この運動は外の世界ではレコンキスタと呼ばれている類いのものだったか?

 もっともこれについては別賢者の担当部署なので私たち八雲にはあまり関係のない話だ。

 八雲の管理地域は博麗神社と狭間の世界──レコンキスタなど起こる余地もない。

 

 とまあ、このような感じでかなりの問題が幻想郷で浮上している。

 その中でも特に注意しなければならないのは、各大勢力の動向であるわけだが、不気味にも静観から動く気配は一切ない。

 紅魔館あたりは侵攻を始めるかと警戒していたのだが、どうやら事前に紫様が根回しをしていたようで、逆に治安維持に努めている様子でさえある。これだからあの方には頭が上がらない。

 

 

 忙しすぎて目が回りそう。

 だけど、全然辛くない。むしろこの疲労感が心地よくさえ思えてしまう。

 八雲の式として働けるという事実だけで、家に帰れば当たり前のように紫様が待っていてくれているだけで、私の胸はいっぱいなんだ。

 

 

「───うわーまっずいわ。ハチミツなんかよりもずーっとまずい。癖になりそう」

「……?」

 

 ふと木陰を見ると、一匹の妖怪が寝そべりながらこちらを見ていた。

 

 黒い服に明るい髪──確かルーミアといったか? 霊夢とも戦った闇を操る妖怪だ。

 あの類の妖怪が言う事は大抵が深い意味を持たない。相手を惑わせようとしているか、何も考えずに言葉を発しているかのどちらかだ。

 大して気にとめる必要もない。

 

「悪いが忙しいんでね。クレームならまた後日に受け付けるから今日は消えろ」

「どーせクレームをつけようにも届ける手段がないってオチでしょ? 幻想郷は私たちみたいな弱小妖怪の為にあるのに、可笑しな話よね」

「……どの口がそれを言う」

 

 こいつの異常性は吸血鬼異変の時から把握している。戦闘能力は湖の妖精とどっこいかそれ以下なのだが、成り立ちと経緯があまりにも不吉。

 紫様もそれ故にか奴をそれとなく危険視しているようだ。霊夢に注意喚起を行うまであった。

 

 ルーミアは真っ赤な口腔を覗かせた。

 

「大変だったね主人がいなくて。その間の貴女の闇はとっても美味しかったわ」

「……残念だが、私の心は貴様なんぞに付け込まれるほど隙間だらけではない。餌が欲しいなら他を当たれ」

「ふふん、確かに隙間はないね。だけどその代わりにスパイシーがない。貴女の闇を私の闇と呼ぶべきか、私をもってして悩ませる。だからマズイ」

「有象無象の妖怪が口を利いたかと思えばこれか。紫様の御心のままに従う私に闇などあるものか。……もういいだろう、私は行く」

 

 私はルーミアに背を向けた。

 取り合うだけ無駄だと分かっていたのに時間を潰してしまったのは私の落ち度か。

 

 だが……私の抱く感情を()()()光か闇で断言するのなら、それは間違いなく───光ではない。けれど、一概に闇と呼べるようなものでもない。

 

「なんにせよ、中途半端が一番やらしいってことよね。暗いから闇、明るいから光って、それずっと昔から言われてることだから」

「はぁ……なんなんだお前は」

 

 振り返るともうルーミアはいなかった。深い影が地面に根を下ろしているだけ。

 結局のところ何を言いたかったのか、理解に苦しむ。もしも戒めのつもりなら結構なことだ。

 

 だが───。

 

「紫様の為なら私は闇にでも光にでもなるさ。例え道化と罵られようが関係ない」

 

 これに尽きるというものだ。

 そこら辺の妖怪と私に根本的な差はない。

 ただ欲に忠実で、醜く自分勝手に生きる。虚偽と罪に塗れて地を這い蹲っている。

 決定的な違いは力でもなく、知恵でもなく───紫様と共に在れたことだけ。

 

 それだけでいい。

 

 

 

 

 

 屋敷に帰ってすぐに紫様の安否を確認した。

 どうやらまだ寝室でお眠りになっているようだ。襖越しに静かな吐息が聞こえる。

 

 紫様は身体の異常を夢の主人と戦った際に再発した「持病」だと仰っていたが、それだけでないことに私はすぐ気が付いた。

 

 式としての繋がりで主人の健康状態の殆どが分かってしまうのだ。

 ただ、ひどく疲弊されているようではあった。夜中には時折痛みを堪える声が漏れることさえある。その度に紫様の元へ駆けつけても、「心配はいらない」と平静を装っている。

 私の目は例え暗闇の中でも紫様の額に浮かぶ玉の雫を見逃さない。明らかに無理をしている。

 

 閑寂な空間に紫様の息遣いと私の握り締めた布擦れの音だけが耳に吸い込まれていく。

 

 夢の主人との戦闘がどれほど苛烈なものだったのか。私には知る由もないが、その余波は幻想郷に夢遊病という形になって表れている。

 霊夢にはその訳を話しているとはいえ、確かにこれは異変認定されてもおかしくない規模ではある。……だが、あくまでこの夢遊病は副産物なのだ。

 

 紫様は何処で何をしていらしたのか、全く語ろうとしない。深い憂いを湛えた瞳で私を見つめるだけ。

 聞かれたくない、ということなのだろう。紫様が拒まれるのなら私にこれ以上踏み入る権利があるはずもなく、ただその時、共に戦えなかったことへの後悔だけが募った。

 萃香の異変の際、直前に式が憑いたのは、紫様が私に救難信号を送っていたからなのかもしれない。なのに私は呑気に萃香と戯れて……!

 

 このままじゃダメだ、といつもながらに思う。いくら修練を積もうと先が見えないもどかしさ。いつの頃か、紫様に追いつくことは諦めてしまった。

 紫様と共に歩むのに私の実力が明らかに不足しているのは誰が見ても明らか。これでは春雪異変の時の失態を繰り返しかねない。

 ()()()()が仰られた「式失格」の言葉が鋭く胸に突き刺さる。

 

 

 と、私の思考は侵入者の感知によって中断された。この空間を誰かが踏み荒らしている。

 その正体は一瞬で分かった。

 

「ゆっかりぃ! 一緒にお酒のもー」

 

 萃香だ。

 不法侵入の挙句にこの狼藉。紫様の友人でなければ今すぐにでも叩き潰してやるんだがな。

 

「バカ言うな。紫様は療養中だと何回言えば分かる。地底の呑んだくれと飲んでろ」

「なんだとぉ!」

 

 赤い顔をさらに真っ赤にしてつかみ掛かって来た。酔っ払いの相手は面倒臭い。

 

「約束を、約束を破るのか!?」

「つい先日一緒に飲まれていただろうに。わざわざ疲労した身体に鞭打って無理に付き合われた紫様の懇意を、無下にするつもりかお前は。というかさっさと博麗神社の再建に戻れ阿呆」

「一回酒を飲み交わしたくらいで鬼が満足するわけないだろ! 少なくとも三日三晩は付き合ってもらわなきゃね」

「もう一度言う。帰れ」

「イヤだね!」

 

 ──よろしい、ならば力ずくでいこう。

 紫様のお世話のために式分身を一体残し、私ごと萃香をスキマ空間のさらなる奥へと飲み込む。

 幻想郷にダメージを与えたくない時の常套手段だ。

 

「おろろ? 今日は珍しく相手をしてくれるんだね。どうゆう風の吹き回しかな?」

「言って聞かない小鬼に少し躾を施してやろうと思っただけさ。そうだな……素手のみでの格闘はどうだ? 鬼の剛力とやらを見せてみろ」

 

 対等なルールを提案すれば萃香は余程のことがない限りはそれを受け入れるだろう。

 能力を使用しての戦闘は私たちの領域になると泥沼化し易いからな。夕飯の支度の為に時間を取るわけにはいかん。手際よく済ませよう。

 

「ははぁん……お前けっこう溜まってるな?」

 

 萃香の見透かしたような視線。

 まあ半分正解だ。否定はしない。

 

「……いいよ。お前さんにも迷惑をかけたからね、余興に付き合ってあげる。ふふ、お前って案外我慢が利かないもんな」

「などという割には随分と乗り気だな。私はあくまで仕事の一環なんだが?」

「はは、ずっと前から肉弾戦ではどちらが上か確かめてみたかったんだよ。勇儀を唸らせた九尾の体術──見せてみろっ!」

 

 そう宣言するや萃香は私に殴り掛かる。

 全く、地底に居た連中はすぐこれだ。

 暴力と恫喝が幅を効かせる地下世界の常識は我々には害にしかならない。強い奴が偉いのなら少しは紫様の言う事を聞いたらどうなのかと。

 

 普通、鬼などといった脳筋と戦う際は、妖術を組み合わせた搦め手を駆使するのが私のやり方だ。はっきり言って正面から拳を交えるのは相当骨が折れるし、何より面倒臭いから。

 

 だが今回は敢えて私の嫌う戦い方でやってみよう。全く合理的でない脳筋のバトルスタイルで。そして萃香を倒す。

 

 

 

 

 もっとも、その結果はあまり芳しいものではなかった。どうも鈍りきってるようだ。

 体が思うように動かない。

 心技体、全てが足りなかった。

 

 膝をつく私を見下ろしながら萃香は得意げに笑う。

 

「ふふん、ようやくお前も紫を目指す事にしたのか? だからこうやって私と殴り(じゃれ)合うんだろ。その領域でなおさらなる高みを目指そうとするのは、正直すごいことだと思うよ」

「さあ、どうだかな」

「霊夢に感化されちゃったかー。あいつは無意識に紫のステージへ手を掛けようとしているもんな。そりゃ嫉妬するのも当然さ」

 

 何時も呑んだくれてるくせに、何故か人の内心を観る事には優れているこの鬼だ。

 人の激情を引き出す方法や、絶望をより深く演出する事のできる言葉運びを熟知している。しかもその言葉の殆どがでまかせではなく真実。

 厄介な事この上ない。

 

 その点で萃香はいい基準になる相手だったから、わざわざ時間を削ってまで萃香と殴り合ったのだ。今の私の力を測っておきたかった。

 

「まあいい線いってるんじゃない? 少なくとも弱くはないね。ただお前さん紫の式になってから呪術系の技ばかり強化してたろう? それじゃ私たちみたいな本職(喧嘩師)には及ばないなぁ」

「そうか……仕方ない」

 

 昔はもっと無茶苦茶な動きができていたと思うんだが───そうだな、私は紫様の式になった時に牙と爪を自らへし折った。

 八雲の式としての格を汚さないためには気品を求める必要があったから。とてもじゃないがあんな野蛮な戦い方はもう出来ない。

 

 強さを求めた事なんてほとんど無い。ただ現状に甘え続けた、その結果がこれか。

 呪術を弄すばかりでは限界がある。

 

 紫様は少なくとも指で私を弾き飛ばすほどの力を持っていらっしゃるのだ。

 こんなものでは……。

 

「──最近ずっと考えている。私は果たして紫様の式神に相応しいのかどうか」

 

 気づけば私はほんの少しだけ弱さを萃香に吐露してしまった。

 正直、自分でもらしくないと思う。

 だが()()()()()()の言葉が──式神に戻ることができた今でも頭をよぎるのだ。

 

「ふーん……相応しいかどうかは分からないけど、お前で力不足だったら適任なんてこの世に存在しやしないんじゃないかな。私だったらあいつの式なんてゴメンだね」

「式になるってのも悪いものじゃないさ。ただ私が最適任ではないだけで。──もしかしたらお前の方が私なんかより紫様の式に向いてるのかもね」

「き、気持ちの悪い事言うなよー! あいつとは友人であってそういう関係は望まない!」

「ふざけて言ってみただけだよ。そう本気にするな」

 

 萃香は結構本気で嫌がっていた。友としての関係を大切にしてるんだろう。

 紫様と友、か。──私には想像がつかないな。

 出会った時からずっと慕い続けてきたから。

 

 ……だけど、私と紫様の関係に名前が付いた頃の、それは。多分、少なくとも私の中では────『親子』だった。

 

 

「……らーん? そろそろ帰らないと霊夢に殴られるんだけど、まだ帰っちゃダメ? 紫との面会は今日のところは諦めるからさ」

「ああ……すまない。今スキマを開く」

「ずっと言ってるけどさ、お前は固すぎるんだよ。今の生活が楽しいんなら気に病む必要なんて、ねぇ? 気楽に生きなきゃ損じゃない?」

 

 萃香はそうとだけ言うと博麗神社と繋げたスキマの中に消えていった。

 ……鬼にこんなことを言われるあたり、もう私はダメかもしれない。

 

 

 家に帰ると式分身が紫様の様子を教えてくれた。どうやら順調に回復されているようで、明日にでも仕事を開始することを仰っていたようだ。

 そして、メリーという妖怪への面会はそれとなく断られた、と。

 

 紫様が拒絶なさるなら仕方あるまい。一度彼女とは話してみたかったんだがな。

 それと見捨てたことを謝らなければ。紫様と縁の深い妖怪だとはつゆ知らず……。

 

 いや、落ち込んでいる場合ではない。

 紫様の御快調を祝すのだから夕食は豪華に作らねば。──……そうだ、橙も呼ぼうか。

 あの子もこの数ヶ月の間かなり頑張ってくれた。身の丈に合わない仕事を一生懸命こなしてくれたんだ、少しは労ってもバチは当たるまい。

 

 ならば今日のメニューは海鮮とヘルニア対策の食材で作ろう。あと油揚げ。

 紫様……喜んでくれたら嬉しいなぁ。

 

 しかしどうも心なしか冷蔵庫の中身が減っているような気がする。だがまさか紫様がつまみ食いをなさるはずもないし……多分 気のせいだろう。

 

 

 

 夕飯を作りながら念話で橙を呼ぶと、あの子はすぐにすっ飛んできた。元気なのは良いことね。

 それにしても幻想郷内での品不足が深刻だ。海がないので海鮮がないのは当たり前なんだが、農作物にかなりの被害が出ている。

 紅い毒霧に長い冬、そして萃香によって乱された重力場の影響であることは一目瞭然。これは人里が荒れるのも無理ないな。

 

 と、しばらくして紫様が起床され寝室から出てきた。いつ見てもお美しい姿だ。

 不安定だった妖力もすっかり安定して、何時もの力を抑えた状態を保たれている。

 

 橙は喜んで駆け寄り、紫様に抱き着こうとして踏み止まった。まあ、気持ちは分かるが紫様への配慮をちゃんと考えなければな。

 だが橙も紫様に会えなくて相当寂しかったんだろう。私も橙がいなければ……。

 

 

「本当はもっと豪勢な物を作りたかったのですが……どうも最近幻想郷では品不足が続いてるようで、外の世界にまで出向いてもこの程度しか……」

「ほんと、料理が上手くなったわねぇ貴女」

 

 泣いてもいいだろうか。

 紫様からありがたいお褒めのお言葉をいただいた。感激のあまり油揚げを取る箸がすすむすすむ。

 

「そう言えば橙が立派に務めを果たしてたって藍から聞いてるわ。ありがとう、橙」

「い、いえ……まだまだ至らないことばかりで藍様にもたくさん迷惑を……」

「何を言う。むしろ迷惑をかけたのは私の方だった。お前が居なければ正直どのような事態になっていたか。私は鼻が高いよ」

 

 あの時点で紫様の代役として橙を立てられたのは本当に大きかった。

 私にもそれなりの発言権はあったものの、元来のそれに比べれば小さなものだ。

 八雲としての席に座れるのは橙しかいなかった。そして橙はあの一癖も二癖もある賢者たちから退くことなく、紫様の権益を守り続けたのだ。

 

 紫様は優しい笑みを浮かべた。

 

「ふふ……貴女たちがいれば幻想郷も安泰ね。けど分かったでしょう? 私の替えなんて案外簡単に効くものなのよ。──……もしも私が今度こそ帰ってこれなかった時は、貴女たちが───」

「イヤです!」

 

 橙が箸を置いた。

 

「もうあんな想いをするのは懲り懲りです。こんなに切なくなるなら賢者になんて……!」

「橙ッ!」

「いえ、怒らなくていいわ。今のは私の言葉が悪かったわね。ごめんなさい 橙」

 

 紫様の言葉に対して一言目で拒絶するのは褒められた事じゃない。

 だが正直、その件については私も橙と同意見だ。

 

「紫様。我々に貴女の代わりなんて務まりません。どうかこれからも末長くこの幻想郷をお護りください。もちろん私も橙も、精一杯フォローさせていただきますので」

「……ありがとう 藍」

 

 紫様は嬉しそうに、そしてどこか寂しげに笑った。

 

 

 

 さて、そろそろ今日のお勤めも終わりかな。

 紫様は今 風呂に入られているが、上がられればすぐに就寝なさるだろう。

 それとともに私の1日も終わりだ。

 

「藍さま! 今日のご飯とっても美味しかったです! それに紫さまともいっぱい話ができてとっても楽しかったです!」

「それはよかった。私もお前を呼んだ甲斐があったよ。……今からマヨヒガに帰るの?」

「はい。……寂しいけど」

 

 寂しい、か。

 

「泊まっていってもいいよ? ただうちには布団が二つしかないから私と一緒に寝ることになるけど、それでもいいなら」

「……お言葉に甘えていいですか?」

 

 若干遠慮しつつ、橙は上目遣いでそう言った。

 橙とは紫様がいない間ずっと一緒に寝てたからなぁ。なんだかんだで離れ離れは寂しかったのか。……可愛いやつだよお前は。

 

 取り敢えず橙がこの家に泊まるからには、紫様からの許可を得ねばならない。

 なので風呂上がりに聞いてみると、紫様は快く了承してくれた。それどころか白玉楼まで行ってもう一つ布団を借りてくるとまで。

 もちろん私が行くと提言したのだが、紫様は「幽々子と二人で話したい事があるしそのついでよ」とだけ言ってスキマに潜ってしまった。

 

 紫様がそう言われるのならば仕方ない。

 莫逆の友である二人だ。私が居ては満足にできない話もややあるだろう。

 ご足労をかけることは申し訳なく思うが、やはり一番に優先すべきなのは紫様の意思とご意向である。……できるだけ頼って欲しいとは思っているけど。

 

 紫様と幽々子様の会話の長さは、その時その時によって両極端だ。

 一言二言と数秒のアイコンタクトで終わってしまうこともあれば、第三者には及びもつかない言葉の応酬を数時間に渡って繰り広げることもある。

 さて今日はどの程度のものか──。

 

「ただいま」

 

 早い方だったようだ。

 先ほど出て行かれてからまだ5分も経ってない。だがその割には少々げんなりされているような? 一体何があったのだろう。

 

「どこかお疲れのようですが……一体何が?」

「……布団を借りることができなかったわ。だからその……三人でっていうのは……どう?」

 

 

「えっ?」

「あっ、嫌ならそれでいいのよそれで。うん。さすがに二組の布団に三人じゃ狭いもの。そう、貴女たちが「嫌だ」と言ってくれさえすれば私は何処にでも行くから」

 

 やけに慌てた様子でこう仰ったのだが、なんと言葉を返せば良いのやら、身を固まらせて紫様を見つめることしかできない。

 まさか紫様はなんらかの問答を私たちに投げかけているのだろうか?

 

 すると視界の端で橙が勢いよく手を挙げた。

 

「私は良いと思います! 賛成です!」

「こ、こら橙」

「……そう。それじゃあ藍は?」

 

 困った。

 非常に困った。

 紫様と橙から向けられる期待の視線が辛い。

 まだ橙の期待の正体は判るのだ。それは純粋な好意から成るものだろう。

 だが紫様は……どうなんだこれは? 私にどういう回答をお望みになられているんだ?

 

 そりゃあ、私としても反対する理由などあるはずがない。寧ろ、是非も無しだ。

 しかし私の欲望を吐露することが適当な回答と言い切って良いのだろうか。

 式としての在り方に最も適する返答は──。

 

 

「藍。遠慮する必要はないのよ。貴女が思い、望むがままの答えを私は欲しているのだから。さあ、正直に答えてちょうだい?」

「紫様……」

 

 爛々と輝く紫様の深い瞳に魅入られた。

 否応なしに引き込まれてしまう。

 

 ああ──……そんな事を仰られては、もう返すことのできる回答など一つしかないではございませんか。

 貴女は、意地悪なお方だ。

 

 

 

 そして私たちは川の字に寝転んだ。

 中心は勿論、紫様。少しばかり狭く感じるが、この密着状態が心地よい。ちなみに九尾は最大まで縮小させているので支障にはならない。

 

 最初のうちは色々と楽しげな話をしていた橙と紫様も、少しすると眠りにつかれたようで、今は穏やかな寝息だけが聞こえてくる。

 私もそろそろ寝たいのだけれど……ひとつ、現在進行形でとある問題が発生していてどうもにも眠れない。

 さっきからあの日の───紫様に初めて心を開いたあの夜が何度も脳裏で想起する。

 淡い幼少期の記憶だが、今でもはっきり覚えている。

 あの日に初めて、私は心に触れたんだ。

 

 紫様の顔を覗き込んだ。

 昔と何ひとつ変わらない、お美しい姿だ。まるで永遠が其処に切り取られたような……逆に何が変わったかを聞かれた方が難しいまである。

 

 なんというか、幸せだ。

 幸福感に身を任せてそのまま寝てしまおうとした、その時だった。

 

 

 紫様の閉じた瞳から、涙が溢れたのだ。

 

「……っ…紫様?」

 

 問いかけても返事はない。

 だけど涙はどんどん流れて、小さな嗚咽交じりの寝息が閑寂な空間に吸い込まれていく。

 そのお姿はとても儚げで、今にも紫様が何処かに消えていってしまいそうで──。

 

「紫様! 紫様っ!!」

「───……藍?」

 

 何処にも行かぬよう、私は強く抱き締めた。

 紫様を起こしてしまった。だけど私は必死で、とても恐れていて。

 

「何処にも行っちゃダメですよ。……約束したじゃないですか。ずっと一緒だって」

「───」

 

 離さない。もう二度と離されたくない。

 紫様はしばらくキョトンとされていたが、やがて涙を拭うと小さな小さな笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、大丈夫よ藍。ちゃんと覚えてる」

 

 紫様が私の頭を撫でる。

 

「ごめんなさいね。私って弱いから……約束を守ることもできないの。だけどせめて……せめて貴女には……───」

 

 消え入るように言葉が途切れて、紫様の腕が力をなくして布団に落ちる。

 まさか! と思ったが、どうやら再び眠りに戻られただけのようだ。

 

 いつもと──昔と変わらぬお姿だが、どうしても今日この時だけは、紫様がとても弱々しく見えた。

 

 

 この数ヶ月、かつての姿を取り戻してからずっと考え続けてきた。

 紫様の下で生きる事の意味を、私が為さねばならぬ事の在り方を。

 

 いつか体験した長い別離の悲しみ。

 今も想起するだけで身が引き裂かれるように辛くなる。意味なく生き続け、光を追い求め続けたかつての醜き──今とまるで変わらぬ自分。

 情けない限りだと、そう思う。

 だけど……その醜さが私なのだ。

 紫様がいなくては私の在る意味はことごとく失われる。あの方がいて、初めて八雲藍が産声を上げるんだから。

 依存とでも、狂信とでも好きに呼ぶがいい。

 私がこの数ヶ月で気づいたのはこの数少ない不変の事実のみだ。

 

 紫様がいればいい。

 それだけで私は何にでもなれる。

 貴女と共に歩む為なら、私はもう、何をも厭わない。

 

 

「たとえ全てを捨てても──この手だけは……もう絶対に離さない」

 




嬉しい!
強くなりたい!
病むぜオラッ! の藍様による三段進化。けどこれってヤンデレではないんだよなぁ。ひとつ言うならこれも八雲紫の仕業だろう。

次はゆかりん視点
この章では色々なフラグ()をゆかりんに回収していってもらう話になりそう


あとなんでおっきーな様は趣味悪底辺MMDerになってるの? としあきの考えることはよくわからないんだぞ俺

まあ何はともあれ、幽霊が大っ嫌いになった1ヶ月でした。今度出てきたらとっちめてやる


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八雲の巣──Hidden story






「───って感じで。御宅の式神は随分と熱心に仕事をこなしてるみたい。とっても甲斐甲斐しくて胃がもたれるわ」

「そう……そうなのね」

 

 陽の差し込まない部屋の片隅に寝そべりながら、ルーミアはうんざりした様子でそう言った。

 

 ふと、藍が私の見ていないところで何をしているのか気になったので、ちょっとした様子見のようなものをルーミアに頼んでいたのだ。

 

 幽々子と組んで謀反を起こそうとしていたっていうのはどうやら私の勘違いだったみたいなのよね。つまり全て私が悪い。

 しかし念には念を入れた。最後の保険として、今の藍の様子を知ろうと思ったのだ。そして結果は白だったみたい。

 

 何故ルーミアに頼んだのかというと──簡単な話、彼女が一番手軽にコンタクトを取れるからだ。

 ルーミアって闇に呼び掛ければすぐに出てくるからね。さすが常闇妖怪ってとこかしら。まあ、手懐けられる気は全くしないけれども!

 幻想郷指定A級危険物の名は伊達じゃない。本当はあんまり馴れ合っちゃいけない存在よ。

 

「本当に藍におかしな様子はなかったのね?」

「おかしいの境界線によるかなー? 私から見ればあなたも含めてみんなおかしい。けど、あなたから見るなら式神の闇はあなたに損のような得しかない」

 

 とある《対価条件》を出せば気軽に頼まれごとを了承してくれるルーミアであるが、やはり意思疎通が出来ているのか不安になってくる。

 日本語ってやっぱ大事。

 私の不安が杞憂であるならそれでいいんだけどね。

 

「ありがとう……もう十分よ。冷蔵庫からなんでも好きな物を持っていくといいわ。但し───」

「三つまで、でしょ? 幻想郷中の財を溜め込んでる賢者様のくせしてケチなんだから」

 

 んなこと言われてもねぇ。

 あんまりあげすぎると藍に怒られちゃうわ。どうも私がルーミアに冷蔵庫の中身を渡していることに勘付いてるようなの。そらもうビクビクよ。

 

 ていうか基本欲しいものは簡単に手に入っちゃうから財産なんていらないのよね。外の世界から石油をネコババしたりもできるし。

 色んな方面の収入は藍や橙、その他諸々の式神へのお給料と八雲邸&マヨヒガの維持費に注ぎ込むだけで十分。あと霊夢へのお小遣いとか。

 

「肉がないよ肉がー。妖怪たるもの人肉の一つや二つは常備しなきゃ」

「生憎、人肉はどうも好きになれないものでして。上から二段目くらいにロースハムが入ってたと思うからそれを持っていくといいわ」

「妖生の半分を損してるよそれ」

 

 などと言いつつ両手にハムと牛乳、卵を抱えてルーミアは影に潜っていった。食材で手を打ってくれるあたり彼女もそれなりに寛容だったりする…のかな?

 

 うーん……それにしても人肉、か。

 ないわねやっぱ。

 なんていうか生理的に無理。別にベジタリアンって訳じゃないんだけど、アレを口の中に入れるって考えるだけで気分が悪くなる。

 なんて考えてるうちに頭が痛くなってきた。もう一度寝直そうか。

 

 

 

 

 

 幻想郷は今日も平和。

 

 多分、私の見てないところで数多くの悲劇が起こっているんだろうけど、少なくとも私に見える範囲では平和なので問題はない。

 

 今さらだが、よくぞこの……考えられる限りでの「最高の状況」まで持って行けたものだと、呑気に欠伸をしながら思う。少しだけ腰が痛んだ。

 春雪異変での盛大な爆死。幼女に退行してメリーとしての香霖堂居候生活。萃香による夢幻世界への監禁。そして訳も分からぬままvsドレミー。最後に萃香渾身の殺意満々バックブリーカー。

 命がいくつあっても足りないわこれ。

 

 しかしこれだけの修羅場を乗り越えて、私が負ったのは腰の粉砕骨折のみ。あまりにも安すぎる対価だと言えよう。

 いや、決して楽ではないんだけどね? めっちゃくちゃ痛いんだけどね?

 人間なら一生の後遺症が遺るような怪我だろうが、私たち妖怪にしてみれば些細な事。回復に努めて安静にしていれば一週間くらいで治りますわ。

 藍とかは腕がちょん切れても一瞬でくっつくらしい。うーん、トカゲかな?

 

 と、そんな訳で療養中な私であるが、何分暇なものだ。ここ数日ずっと寝たっきりだから体が鈍ってしょうがない。

 取り敢えず幻想郷をスキマで覗いたりして暇つぶししてたんだけど、太陽の畑あたりで狙撃されたからやめたわ。幽香さんは今日もお元気なようで。

 

 なになに? そんなことしてる暇があったら仕事しろですって? ……おっしゃる通りですわ。

 けど少しでも動こうとすると腰に鈍痛が走るし、藍から滅茶苦茶怒られるのよ。

 

 確かに私もこのままずっと安静にしていられたらどれだけ幸せかと思うわ。

 だけども私は幻想郷の賢者、引いては管理人なのよ。雑務や庶務は藍が片付けてくれてるんでしょうけど、やはり私個人の仕事も有るには有る。

 つまり仕事は山積み、今の状況はツケ回しに過ぎない。

 例えば何処ぞの鬼が起こした異変の尻拭いの為に各勢力に頭を下げ回ったり、平和な幻想郷を目指してちょっとした署名活動をしたり、「幻想郷縁起」の主に編集を担当したり、レコンキスタを主張している妖怪を宥めに行ったり、いつ暴発するのかも分からない時限爆弾のような連中のご機嫌取りに行ったり……うっうぅ……。

 

 頭が痛い痛すぎる! この束の間の平穏が終わりを告げた時、過労以前に心労で倒れるわ! いたた……お腹がキリキリする……!

 

 そうよ、明日から頑張りましょう。

 何処かの偉い人曰く「1日余分に25%の仕事をこなせば、1ヶ月に一週間の休みが手に入る」という格言がある。私にそんな能力なんてあるわけないんだけど、今のうちにできる事からね、地道にやっていく事が大切なのであってね? コンスタンスに目の前の物事に集中して……。

 

 

『ゆっかりぃ! 一緒にお酒のもー』

『バカ言うな。紫様は療養中だと何回言えば分かる。地底の呑んだくれと飲んでろ』

『なんだとぉ!』

 

 ……しゅ、集中して……!

 

『約束を、約束を破るのか!?』

『つい先日一緒に飲まれていただろうに。わざわざ疲労した身体に鞭打って無理に付き合われた紫様の懇意を、無下にするつもりかお前は。というかさっさと博麗神社の再建に戻れ阿呆』

『一回酒を飲み交わしたくらいで鬼が満足するわけないだろ! 少なくとも三日三晩は付き合ってもらわなきゃね』

『もう一度言う。帰れ』

『イヤだね!』

 

 

 

 襖の奥から聞こえてくる声に明日への活力を叩き折られた私は、縮こまるように布団に潜り込んだ。

 オソトコワイトコロ。

 

 お布団の中は安全、誰も入ってこない私の聖域(サンクチュアリィ)。そう思い込む事で不安を紛らわすの。

 こんな時こそ楽しかった時を思い出せ……そう、最近じゃメリーという新しい体で思う存分幻想郷(極一部)を楽しんだじゃない!

 いっぱい遊んで、久々に私のありのままを解放する事が出来て……魔理沙にアリスに小傘、たくさんの人妖に助けられて。そして……。

 

 

 

 あ”あ”あ”ぁぁっっ恥ずかしぃぃぃ!! 顔がめっちゃくちゃ熱い!!

 何がギリシャ生まれの美少女妖怪メリーちゃんよ……私ったら調子に乗りすぎでしょぉ! 賢者ともあろう者があんな……ひぃぃ!

 はぁ、はぁ……落ち着け、落ち着くのよ私。アレ(メリー)は殆ど私じゃないわ。明らかに肉体年齢に精神が引っ張られてた。

 アレは私であって私じゃない、私じゃない。

 ……うん、メリーは一時の気の迷いよ。彼女の妖生は終わりを迎え、八雲紫の新たな妖生が今再び始まった。私は八雲紫、八雲紫……!

 

「失礼します紫様。お邪魔してもよろしいでしょうか? 都合が悪ければ時間を改めますが……」

「いえ大丈夫よ。入ってきて」

 

 藍の声に反応すると同時に枕へ叩きつけるヘッドシェイクを中止。すぐに身嗜みを整えて彼女を待つ。

 襖を開けて、恭しく寝室に踏み込む藍の姿は疲れているように見えた。当たり前よね。

 

「御具合はいかがでしょうか? まだ痛みが残るのでしたら直ぐ薬を調合しますが」

 

 つまり「さっさと怪我治して仕事に戻れ」って事よね。心得ておりますはい。仕事の大半を押し付けてしまい申し訳ございませんはい。

 

「ふふ、もう殆ど治ったわ。なんなら今日にでも動けるようになると思う。……貴女には冬の頃から働かせっぱなしね、ごめんなさい。明日からはまた仕事に戻るから貴女はゆっくり休んで頂戴ね」

「そんな……畏れ多い。寧ろ私にあれほどの役目を与えてくださり光栄の至りでございます。それに橙にもいい経験を積ませる事が出来ました。明日からもこれまで通り、私たちを使っていただいて結構ですので、紫様はとにかく体の復調に専念しておいてください」

 

 いつもと変わらない藍の言葉。

 やっぱ仰々し過ぎるわよねこれ。

 

「ありがとうね、藍。……ところで萃香が来てたみたいだけど、追い払ったの?」

「はい。固有結界の中で我が本体(オリジン)が相手をしています。全く……鬼とは安易に約束せぬよう心がけてください。呑んだくれの相手ほど面倒な事はございませんよ?」

「本当にごめんなさいね」

 

 ホント、それについては今回の件で嫌というほど思い知ったから! 口は災いの元ってサグメさんも言ってた!

 さて、本題に入ろう。

 

「それでどうしたの? 何か問題が?」

「いえ、今日もお便りを頂いておりまして。その、例の妖怪宛てに……」

「ああ、メリーね」

 

 ───ちなみにここで説明しておくと、メリーの正体が私であったという事実は伏せている。

 理由は言わずもがな、何故私の痴態を幻想郷中にばら撒かなければならないのか……これに尽きる。他にも色々と不都合な事態が起こりかねないし。

 よってその事実は私とドレミー、ついでにサグメさんだけの秘密になっているわけだ。もっとも、サグメさんが月の都でこの事を報告してたら……あ”あ”あ”ぁぁぁ!!

 

 ふう、ふう、クールダウン。

 

 それでみんなには「メリーはね、実は私の遠い親戚で、さっき萃香の中で見かけたから自分の母国に帰らせたのよ」と説明している。

 苦しい嘘かなって思ったけど案外みんな信じてくれた。藍からは何故か土下座されたけど。

 

 というわけで幻想郷からメリーは消えて、元々から存在しなかった彼女は完全に消滅したわけだが。……何故か彼女宛てにそれなりのお手紙が来る。

 そしてみんなが私に言うわけだ。「メリーにこれを届けろ」って。

 

 スキマの有効活用よね。私って幻想郷の賢者よりも配達員の方が向いてるような気がしてきた。デリバリー賢者八雲紫!

 まあ、実際には手紙は届けてないけれども。メリーである私がその手紙を読むだけだ。

 

「これは魔理沙、これは唐傘……これはブン屋からですね。ロクな連中ではないですが……」

「文が? はて、あの子には会ったかしら?」

「会った?」

「あ、いやいやメリーがね」

 

 どーせ新聞のネタになると思ったからなんでしょうね。文の内心が透けて見えるわ。

 しかし曲がりなりにもメリーは萃香に結構怨まれてるから、天狗としてのは手を出しづらいグレーゾーンに当たる案件。しかし面目よりもネタ確保という実利を追求した文の独断行動は……うーん。

 妖怪の山情勢は複雑怪奇。以上。

 一つ言える事は私が天魔だったら多分今頃には外の世界でロマンティック逃避行中だろうという事だけ。ありゃ私とは別ベクトルの辛さがあるわ。

 

 さてお手紙を読もう。一応検問という名目でね。

 なになに? ふむふむ……魔理沙からの手紙にはアリスや霖之助さんとの面白おかしい日常が綴られていて、最後にまた幻想郷に来たら顔を見せるようにと。あの子、ホントは凄い良い子だったのよね。八雲紫の前じゃ物騒な事しか言わないから知らなかった。こういう修羅人たちの何気ない一面を知れただけでも、メリーとして過ごした時間は決して無駄ではなかったと、そう思いたい。

 

 小傘の手紙については短く要約すると「お腹空いた」とだけ書いてあった。

 あらら、びっくりに飢えてやがるわね。かゆうま状態になって被害が懸念される時には私が彼女の元に出向かなければならないのだろうか? 越職行為になってくれないかしら……。

 

 なお文の手紙は一文だけ見てそっと閉じた。理由は簡単、私の予想と同じ事が書かれてたから。

 ちょっとだけげんなりした気分で、手紙をスキマの中に放り込んだ。

 

「いつも通りこの手紙は私がギリシャまで届けてくるわ。はぁ……後で彼女たちに手紙を返さないといけないわね」

「紫様は安静にしていてください。私が代わりに届けてきますから」

「それには及ばないわ」

 

 だってメリーなんて女の子はこの世に存在しないのだから。いや、強いて言えば私の心にだけ存在し続ける存在ね。

 そうだ思いついた! メリーはイマジナリーフレンドの妖怪ってことにしちゃいましょう! もし「メリーはこないの?」なんて聞かれても「それはね、貴女たちが大人になったからなのよ」って返せば……流石にキツイか。いつから私はメルヘン脳になっちゃったんだろう。

 

 その後、藍はいつもの測量に出かけてしまい、暇になった私は特に何かをすることもなく、布団の中に潜り込みなおすことにする。なるべく過去の事は考えないようにして、胸の奥からぽわぽわ浮かぶ多幸感に身をまかせた。

 

 

 

 

 あれ以来、夢を見る事は無くなった。寂しいけど、何故かホッとする私がいる。

 

 

 

 ───気がついたら夜になっていた。腰の調子を確かめるようにゆっくりと体を起こす。幸いにも痛みは殆ど引いていて、予定通り明日には完治に至るだろう。さすが私ね。

 

 居間から楽しそうな声が聞こえたので、少し襖を開けて隙間から覗いてみると、橙が寝転んで配下の猫たちと楽しそうに談笑していた。時折、台所の方から藍が声を掛けて……橙がそれに元気よく返事して……。

 

 ──八雲紫の幸せ、か。

 ……うん。こういうのもなんだか良いわよね。なんていうか、祖母目線ってやつかしら。いや私はぜんぜん若いけどねっ!

 襖を開くとこちらに気づいた橙が満面の笑顔で迎えてくれた。

 そして私に抱き付こうとして、寸前で踏みとどまった。私の怪我を思い出したのだろう。一瞬だけ脳裏で走馬灯がよぎったわ。

 

「おはようございます紫さま!」

「ええおはよう、今日も1日ご苦労様だったわね。これから一緒にご飯?」

「藍さまにお呼ばれしたのですっ飛んできました! 紫さまに失礼でなければ!」

 

 私は軽く首を振った。

 ああ、そういえば三人でご飯ってけっこう久しぶりね。思えば私がいない間は二人ともどんな生活を送ってたんだろう? やっぱり二人一緒に行動してたのだろうか? この子たちったら仲良しだからね。

 

 

 出てきた晩御飯はお吸い物に海鮮の盛り合わせ、茶碗蒸し、鳥や野菜の天ぷら、そして当然の如く大量に鎮座する油揚げ。美しい和食ね。

 橙の大好物とヘルニア対策の食材、そして「いつもの」で構成されている。

 うーん……もうちょっと簡単な料理でもいいんじゃないかしら。いや勿論豪華で嬉しいけどね。私はどちらかと言うと洋食を作る方が得意だからこういう系統の料理には憧れるわ。

 

 私の怪我がすぐ治ったのも藍のこういう献身的なサポートのおかげだろう。うまい飯を食って適度な運動してればいつか私もS級妖怪に……!

 

「本当はもっと豪勢な物を作りたかったのですが……どうも最近幻想郷では品不足が続いてるようで、外の世界にまで出向いてもこの程度しか……」

「ほんと、料理が上手くなったわねぇ貴女」

 

 昔の生肉丸かじりの時代が懐かしいわ。あの頃の藍ったら野性味に溢れていてね、良く言えばワイルド? 悪く言えば野蛮。もっとも、その身から放たれる気品は今も昔も変わらないけど。

 ついでに幻想郷で品不足が起きている件についてはこれまた頭痛のする話題なのでここはスルー。どうせ明日にはそれ関連で奔走しなきゃいけなくなることだし、ご飯の時くらいは忘れさせて。

 

 

 久々に全員が集まったんだから、それはもう会話に花が咲く。藍による橙の自慢話は凄かったわね。マシンガンみたいに捲したてるのよこの子。

 けど確かに他の賢者たちに面と向かって意見を言えたのは凄いわ。私なんて萎縮しちゃって遠回しにしか意見を言えないもの。

 冗談で「私の代わりに賢者になる?」なんて聞いてみたけど、実際そっちの方が適任そうなのがなんとも。なお本人は「もう懲り懲りです」とのこと。

 藍はそもそも賢者になる気は無いという。今のオブザーバー的な立ち位置で十分らしい。……それにしては結構発言力が強いようには思うんだけどね。

 

 私が何をしていたかについてもそれとなく聞かれたが、まあそこらへんはご想像にお任せします、ということで。まさか仕事を放棄して家政婦紛いの事をしてたなんて言えるはずもないし。

 すると二人は私を測っているのか顔を覗き込んでくる。控えめに言って怖いわー。

 

 

 

 

 

 さて、晩御飯は食べた。お風呂にも入った。あとは寝るだけなんだけど……。

 今日は橙がうちに泊まるんだって。

 うーん、我が式たちの仲の良さに嫉妬。だけど微笑ましくもあるのでゆかりん協力を惜しまない! 橙と添い寝できるように私の布団を貸してあげるわ!

 

 さてと、すぐにあと一組布団を持ってくる必要があるわね。

 何故ならここ八雲邸に住んでいるのは私と藍の二人だけ。つまり、布団は二つしか常備してないわけで。

 

 地べたで寝るわけにはいかないものね。

 それじゃ幽々子から借りてくることにするわ。白玉楼なら布団の一枚や二枚はなんのそのでしょう。うーん、やっぱり持つべきものは友よね!

 アリスや霖之助さんから借りるのもいいけど、ちょっとあの二人とは顔を合わせづらいのよねぇ。

 ていうか霖之助さんは「借りる」というより「購入」になるのかも。

 

 藍に一言入れた後にスキマに飛び込んだ。

 いやーやっぱスキマは最高だわ。隙間妖怪万歳! あとはこの世界で生きていけるだけの戦闘力をお願いします。

 

 

 白玉楼の廊下に出ると丁度妖夢と思いがけず顔を合わせることになった。三角に切り分けられた西瓜をお盆いっぱいに乗せて突っ立っている。

 私が目の前に現れたことにびっくりしたのか、動揺して西瓜を落としたので慌ててスキマでキャッチ。こりゃ一家に一個スキマを常備する日も近いわね。希少性もクソもないからたまったもんじゃないわちくしょう。

 

「紫様っ!? そ、そんな急に出てこられたら驚くじゃないですかっ! てっきりお化けかと……」

「ふふ……貴女の目の前にいるのはお化けなんて生易しいものじゃないわよ?」

 

 そうね……言うならば生ける屍ってところかしら。ゾンビとでもグールとでも、好きに呼んでちょうだいな。要するに私は死に体。

 ──ゾンビ、キョンシー、邪仙……うっ、頭が。さすがに脳までは腐りたくないわねぇ。

 

 というわけで妖夢からアポを取ったので、幽々子の元に向かうべく長い廊下をたどる。

 白玉楼が広すぎてこれを事実上管理している妖夢の苦労が簡単に分かってしまう。そういえば紅魔館もメイドが殆ど一人で取り仕切ってるんだっけ? 幻想郷の労働環境……ぞっとする話だ。

 

 

 ふと、庭で寂しげに直立している例の桜の木が目に入った。

 枝には花も葉も付いてなくて、死木のように見える。あの時に感じた不思議な気持ちはない。

 なんだかとても悲しくなった。けどなんで悲しくなるのかは全く分からなくて……今日はやけに感傷的になってるような気がする。

 こんな日は早く寝るに限るわね。てか私ってほんと一日中寝てばっか。

 

 

 

 

「ふーん……布団ねぇ。そのスキマでチョチョイとすればいいんじゃないの?」

「私の能力はそんなに万能じゃないわ。せいぜいワープがいいところよ」

「なーんだがっかり」

 

 幽々子は西瓜を貪り食べながらそんなことを言った。盗難は倫理的に憚られるわ。

 ま、まあスキマ空間は快適だから体を突っ込んで顔だけ出すってのもいいかもしれないけど……不格好でしょ?

 

 ついでにこの世で一番能力の応用が利かないのは幽々子だと思うの。その殺意満々の能力をあっち方面以外でどう活かせと……? 単純でものクソ強いっていうのは分かるけどさ。

 

「それにしても仲良しねぇ貴女たち。三人一緒に寝るなんて羨ましいわ。妖夢ったら誘っても恥ずかしがってね〜」

「そうそう。橙は小さいからいいんだけど藍は尻尾が大きい上に多いから。私たち三人で寝るには布団二枚じゃ足りな───……ん、三人?」

「あら三人でしょ? 二人だけで寝るんじゃあとの一人が寂しいじゃない」

「……えっ?」

「えっ?」

 

 ぱちくり、と目を見合わせた。互いに解せないといった感じだ。私に至っては理解不能、理解不能! いやだって藍は大人よ? 仮に一緒に寝ようなんて言ったら鼻で笑われるに決まってる。

 全く、幽々子ったら冗談が過ぎるわ。苦い笑みが思わず零れてしまう。

 

「誰にだって拒否する権利は有るわ。あの子達がそういうのを望むとは到底思えない」

「……ふーんそう、なるほどそういうこと。紫ったらホント罪な妖怪ねぇ」

 

 幽々子が何か納得したように頷いた。何がそういうことなんでしょうかね。急にしたり顔になられても反応に困るわマジで。

 

「ほほう、お前って付き合いは良いけど案外薄情なやつなんだなー」

「うん?」

 

 白玉楼に似合わない豪勢な声が聞こえたきたので振り返ってみると、萃まった霧から一匹の小鬼が誕生する。

 突然の萃香に私は身構えたが、幽々子の様子を見るに初めからこの場所にいたようだ。盗み聴きとは趣味が悪いわね。

 

 それにしても薄情って……。

 

「あらあら、私ほど情に深い妖怪もそうそういないわよ? お酒を強請ってくる鬼にはいくらでも振舞ってあげたりしてるのよ?」

「お、おう。是非これからもよしなに頼む。……けど私が言いたいのはそういう事じゃなくて。お前さんの式神のことだよ」

「藍の……?」

「そう」

 

 萃香は皿に盛り付けられた西瓜のブロックを口に放り込んだ。幽々子の眼光に晒されながらよくそんな行動を取れるものだと、つくづく感心するわ。

 

「お前を酒飲みへ誘いに行った時に珍しく藍に絡まれてね。あろう事か素手で私と戦いたいなんて言ってきやがったんだよ」

「それは……珍しいわね」

「青春ね〜」

 

 藍があろう事か効率性を無視したらしい。

 確かにここ最近のあの子はどこか変だったけど……萃香と真正面から小細工無しで戦うなんて、正気じゃない。

 そして青春とは?

 

「このままじゃ最悪、藍が壊れるよ。あいつは完璧じゃないんだ……それは紫が一番知ってるだろ?」

 

 えっ? なにを言ってらっしゃる。

 凛々しくて、強くて、賢くて、カッコよくて、豪胆で、人前では弱みを見せようとしない完全無欠な最強の妖獣。それが藍なのよ?

 

 けどまあ、最近は私のことをずっと凝視してたり、上の空な時間が多かったり……ちまちま変な言動が見られるのも確か。

 もしかして藍ったら疲れてる?

 

「お前ずっと藍たちを働かせてきたんだろ? なら少しくらい労ってやってもバチは当たらんよ」

「そうよねー。藍ちゃんも橙ちゃんも、紫が帰ってくる事を心の支えに頑張ってたんだから、これで労らなかったら……ねぇ? 従者不孝者?」

「うん薄情だ」

 

 なにこの友人たち。

 いっつもちゃらんぽらんな事しか言ってないくせに何故今日はこうも心を抉ってくるのかしら? あと幽々子さん、それ特大ブーメラン。

 

「労わってあげたいとは常々思ってるわよ。だけど藍って自分から願望を言おうとしないから……その点については私もほとほと困ってるの」

「うーん……気づかないかなぁ」

 

 萃香の呆れるようなため息にちょっとイラッときた。もったいぶって焦らしてきやがるわ。

 

「藍の疲れを癒してあげればいいのかしら。お風呂で背中を流してあげたりとか?」

「そうそうそんな感じ!」

「それは藍ちゃんも喜ぶでしょうねぇ。それにひきかえ妖夢ときたら……」

 

 幽々子さん、そりゃ貴女の胸のブツが原因でしょうね。ていうかそのことを知ってて妖夢をわざと煽ってない? 大丈夫?

 

 しかし藍とお風呂か。……ないわー。

 添い寝もないけど、これはもっとない。幽々子と萃香は見てるだけだからそんな気楽なことが言えるのよ。藍がそんなので喜ぶもんですか。

 

「とてもじゃないけど信じ難いわね。貴女たち私のことを嵌めようとしてない?」

「頑なに否定しなくてもいいじゃない。取り敢えず帰ったら藍ちゃんに聞いてみて。すぐにあの子の気持ちが分かるわよ。もしも聞いてなかったら……ふふ、白玉楼に住まわせてあげるわ」

「それじゃ私はちゃんと聞いたかどうか確認しようかね。ああ、水を差さないよう寝る前にはちゃんと帰るから安心してね」

 

 何一つ安心できないんです。

 えっと、なんでこんな罰ゲームみたいなことになっちゃったんだろう。これって藍に罵倒されて橙に嘲笑されるパターンなんじゃ……?

 変に気を遣われて「あ……はい」みたいに言われても私が傷つくだけなんですけど。

 

 幽々子は大きく口を開いて西瓜を放り込むと、数回手を叩いた。それはどうやら従者を呼ぶ合図のようで、すぐに妖夢が飛んできた。

 顔色から疲労が見て取れる。

 

「また西瓜のおかわりですか? もう楼観剣が果汁でベトベトなんですが……」

「お客様がお帰りよ。追い返しなさい」

 

 耳を疑う言葉だった。

 困惑気味の妖夢がチラリとこちらを見たので、つまみ出される前にスキマへ飛び込む。

 

 幽々子は気分屋だけど行動範疇はちゃんと一定のラインを自分の中で決めているようなのよね。問題はそのボーダーラインが滅茶苦茶な形で引かれてるってこと。地雷剥き出しって感じ。

 今回は私がそれに抵触したから話を切られたんだと思う。ちなみにボーダーラインを無神経に踏み越えれば死が待っている。あな恐ろしや。

 

 ていうか布団借りてない。

 ……踏んだり蹴ったりねこりゃ。

 

 

 

 

 

「ただいま」

「どこかお疲れのようですが……一体何が?」

 

 肩を落として帰宅。

 藍がすぐに出迎えてくれたけど、私の姿を見て眉を顰めた。あーやっぱり顔死んでる?

 さて、どうしましょう。

 

 ぶっちゃけ幽々子と萃香に言われた通りにやるしか私に道は無いのよねぇ。どーせ断られるんだろうけど。

 ……保険をかけましょうか。

 

「……布団を借りることができなかったわ。だからその……三人でっていうのは……どう?」

 

「えっ?」

「あっ、嫌ならそれでいいのよそれで。うん。さすがに二組の布団に三人じゃ狭いもの。そう、貴女たちが「嫌だ」と言ってくれさえすれば私は何処にでも行くから」

 

 そう、この子たちが「私と寝るのなんて嫌だ!」と言ってくれればそれでいいのだ。

 はっきりと拒絶されるのは結構キツイけど、背に腹はかえられぬ。さあ、貴女たちの本心を曝け出して───。

 

「私は良いと思います! 賛成です!」

 

 ちぇえええええええん!?

 んー橙。んー橙! 私に余裕があればにやけながら胸を抑えてのたうちまわっていたわ。

 くっ、思った以上にダメージがでかい。それも別ベクトル方向での!

 

 いやまだだ。本番はこれからよ。

 息を整えて…っと。

 

「……そう。それじゃあ藍は?」

 

 できるだけ平静を装いつつ聞いてみた。これで満足ですかね幽々子さん。

 さて、あとは藍から返事をもらうだけなんだけど……なんだか浮かない顔をしながら私の顔を凝視してくる。やばっ、まさか癇に障った?

 い、いや……どうも様子がおかしいわ。藍のこの難しい顔……これは何か深い考え事をしている時の表情だ。 もしかしていらない気を使わせちゃってる?

 

 あーいいのいいの。軽く断ってくれた方が私も楽だからさ。逆にそう乗めり込まれると困っちゃう。

 よし、少しフォローしよう!

 

「藍。遠慮する必要はないのよ。貴女が思い、望むがままの答えを私は欲しているのだから。さあ、正直に答えてちょうだい?」

「紫様……」

 

 さあ藍!

 ウェルカム拒絶!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこうなった?

 なんで川の字? しかも私真ん中。

 この状況ってさ、藍か橙が寝返り打つだけで軽く死ねるよね。今度は骨折じゃすまなそう。

 

「ゆかりさまー」

「よしよし橙」

 

 ゴロゴロにゃーん状態の橙は可愛い。それと同時にめっちゃくちゃ恐ろしい。

 しかもね、橙の方を向いて寝てるだけどさ、背後からすごい視線を感じるのよね。

 いつもなら「イェーイ、おっきーな見てるぅ?」って感じなんだけど、今回は多分 我が式の方だろう。振り返るのが怖すぎる。

 

 藍……なぜ貴女ともあろう者が私との添い寝を選択したの? 萃香と口裏を合わせていたりは……しないよね。だって藍にメリットがないもん。

 

 これは本心? まさか私と本当に寝たかったのか?

 何らかの罠って可能性も否定はできない。

 

 ……いや、私は信じるわ。

 藍の性格は別に悪くはない……って最近思うようになった。

 藍はなんだかんだでいつも私を支えてくれてるし、橙は裏表がなく純粋な想いを伝えてくれる。

 私に向けられる無償の好意が恐ろしくて、力量差が嫌でも伝わってしまって、勝手に私が警戒してるだけ。

 これからは極力彼女たちを疑うのをやめるのだ。これはほんのステップアップに過ぎない! 愛情で恐怖を打ち消すのよ!

 

 さあ、藍とご対面────。

 

 

「……」

「……」

 

 私はそっと橙の方へ向き直るのだった。

 

 

 

 

───────

──────────

─────────────

 

 

 

 真っ暗だった。

 

 まるでルーミアの闇に包まれた時のように。一片の光すらない無限の奥行を感じさせる暗闇。

 

 私は何故だか得も言えぬ恐怖を感じていた。

 暗いからじゃない。

 闇を嫌っているからではない。

 

 隣に感じる確かな存在。それが怖い。

 

 誰が居るのかは分からないし、そもそも何かが居ることを確証させるものはない。だって何にも見えないし、何にも聞こえないから。

 

 だけど、居るのだ。誰かが。

 手を伸ばせば触れるほどに近い。いや、もしかしたら結構密着した状態なのかも。

 

 手が汗ばんでいることに気づき、衣服を強く握りしめる。いつものドレスでも、道士服でもない。……だけどいつの日か着ていた服だった。

 

 

「貴女は、誰なの?」

 

 勇気を振り絞って問い掛けてみた。

 だけど私の声は暗闇に吸い込まれるだけで虚しく消え入ってしまう。

 勿論、誰かが声を返してくれることはなかった。

 

 だけど雰囲気が変質したことは分かった。機嫌を損ねたかどうかは知らない。

 だがそれに伴って段々と手足が痺れて思うように動かなくなってきている。

 

 

 いや、違う。

 誰かが私の手を握ったんだ。

 

 息が出来ない。

 あまりの恐怖に私は思わず手を振り払って両目を覆った。もう闇を見たくなかった。

 涙のようなのが指と指の隙間から流れ落ちる。

 

 嗚咽を漏らしながら何かに必死に懇願した。もう私は限界だった。

 

 

「夢なら覚めて───…早く覚めて。お願い、だから……もう、私は……」

 

 

 この言葉を発した、その瞬間だった。

 暗闇に小さな赤い点が生まれる。

 やがてそれは大きくなっていき、視界の全てを覆い尽くしてしまった。

 

 ふと腕を見てみると、手首から先が無くなっている。

 

 ……いや、消え去ってなんかない。私の手が真っ赤なんだ。

 両目から流れ落ちる血で。

 息が出来ない。『かひゅっ』と、呼吸のなりそこないが口から漏れた。

 

 ぽんっ、と肩を叩かれる。

 私は勢いよく振り返って───

 

 

 

「…………誰?」

 

 二つの空洞が私を見据えていた。

 

 

 

 息ができ……

 

 

 

───────

──────────

─────────────

 

 

 

 

「うっ……ぐぉぉ……あふっ!?」

 

 脳が一気に覚醒した。

 そして再び意識が遠のいた。

 顔面が途轍もなく柔らかいナニカに覆われていて呼吸ができない! しかも体ががっちりホールドされてて逃れる術なし!

 

 眼球をギョロギョロ忙しなく動かして状況確認に努め、ようやく理解した。

 

 藍が私の体をホールドしてやがるのだ。しかも自分の体に包み込ませるように! 丁寧に足まで絡ませてる!

 柔らかいナニカ。これはつまりおっぱい。

 

「はふぅ、はふぅ……ら、藍……! 死ぬっ、私マジ死ぬっ……!」

「んぅ──……離さない……」

 

 やべぇ、死ぬわこれ。

 式のおっぱいに埋もれて窒息死。

 男の人ならご褒美天()でしょうがね、私はまだ、死にたく……。

 

 

 

 あっ、顔にスキマ開けばいいか。

 体の正面だったらどこにでもスキマを開くことができることを完全に失念していたわ。

 

 くそぅ、藍め……ナチュラルに殺しにくるとは思わなかった。けど柔らかかったなぁ。

 ……なんか変な気持ちになってきたからさっさと寝直しましょう。藍のホールドで私が逝かないことを願いながらね。

 

 

 うん?

 なにか大事なことを忘れているような?

 

 ………気のせいね。

 




「どうも紫よ。
最近 外の世界で流行ってるチャットっていうのを始めてみたの。
慣れないキーボードで一生懸命文字を打ってみたんだけど、なかなか上手く出来なくてね。
だけどなんだかんだで何人かお友達ができて楽しいわ。
中にはいつか幻想郷に行くって言ってくれる人もいてくれて、私とってもうれしい! やっぱり持つべきものって友よね!
さて次回は

・変T襲来!
・霖之助にはお見通し
・アリアリもアリス

の三本でお送りするみたいよ。
もうほのぼの回ならなんでもいいわ(諦め)」


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変Tパンデモニック未遂

ゆかりんはすぐに身元バレするタイプ



「ほうほう、ふむふむ……なるほどね。分かる、分かるわその気持ち!」

「何をやってらっしゃるんです? ご主人様」

「あらピース、帰ってたの?」

 

 やや薄暗い部屋の片隅で女神がキーボードを叩いていた。その様子や玩具を買い与えられた無垢な子供のようである。

 配下の狂気なる地獄の妖精、クラウンピースはランパスの松明で部屋を照らしながら彼女に問いかけた。

 

「これはチャットっていう現界の連絡網を模したもので、数々の異界と容易に文通ができる優れものなのよん」

 

 極東の妖怪が作り上げたというこの伝達網。

 科学と魔法の複合技術であることは異界の存在たちを大いに驚かせた。この地獄の女神ヘカーティアもまた、その一人である。

 

 しかしクラウンピースはへぇー、と興味のなさそうな相槌を返した。というか実際興味がない。

 ただ我が主人が楽しそうにディスプレイに向き合っていることが気になっただけ。

 

「ていうか友人様以外に友人がいたんですね。ちょっと意外でした」

「最近おもしろい妖怪を見つけてねー。あっという間に意気投合したの。……ていうかその言い方はちょっと酷くない?」

「だって事実ですし」

「私に付いてこれない連中がいけないのよん」

「そりゃそうでしょうね」

 

 逆にこの女神に付いていける連中が果たしてこの世界にどの程度存在するのだろうか、はなはだ疑問である。実力的な意味でも、ファッション的な意味でも。

 ……これらはクラウンピースにも言えることなのだが、その辺り「やっぱり主従なだけあるな」と、とある友人様はいつも思っているのだった。

 

「ところで話してる相手はどんな人なんです? ご主人様と意気投合してる時点で普通の人じゃないことは分かるんですが」

「そうね、彼女は類い稀なるファッションセンスを有しているわ。それはもう私と同じくらいにね」

「うわー」

 

 クラウンピースは心底ドン引きした。こんなセンスを持っている奴がご主人様以外にまだ存在しているのかと。

 なおはたから見れば(以下略

 

 しかし真の目的はファッションセンス以外にもあるようで、ヘカーティアは軽くほくそ笑んだ。

 

「本当に興味深いわよ、この妖怪。さて、このチャットを通して彼女と交流を深めることが私たちにどのような結果をもたらすのか、楽しみね」

「交流を深められるなら直接会いに行けばいいんじゃないですかい?」

「ところがどっこい、そうはいかないのよねー」

 

 軽く背中を伸ばした。

 今現在、画面越しの彼女について把握している情報が多いようで少ない。

 分かっているのは幻想郷という閉鎖空間の管理人をやっていること、かなり特別な思想を抱いているということ。

 そして、月に並ならぬ想いを持っていること。

 

 彼女は名前を明かさないが、これだけの情報が揃っていれば、誰なのかは容易に想像がつく。

 

 かつて妖怪の大軍団を率いて月の勢力としのぎを削った地上の賢者。自分たちとは別に存在する月への敵対勢力。

 欧州に覇を唱えたレミリア・スカーレットを粉砕し、配下に加えた極東の賢者。忘れ去られた者の理想郷を治める統治者。

 

 八雲紫の名は、遠く離れた地獄まで届いている。

 

 非常に興味深い。

 自分と同格とまではいかなくとも、かなりの実力者。話題には事欠かない人物だ。

 

 だからこそ、まだ幻想郷を訪ねるわけにはいかないのだ。リスクが大きい。

 《せっかち》な『友人』に、その存在に興味を持たれるわけには……。

 

 

 しかしこんなに面白そうな妖怪を独り占めするのもつまらない。よってクラウンピースに笑いながら八雲紫の名を出すのだった。

 案の定、クラウンピースの興味が膨れ上がる。

 

「なるほど! 今話している相手がその八雲紫! それは……サイコーに地獄な展開ですねぇ!」

「ふふ、分かってるじゃない。まさかチャットを始めて一番に彼女と知り合うとは思わなかったからね、なにやら数奇な運命を感じるわ。巡り合わせは大切にしないとね」

 

 紫からの返信に素早く応じる。ヘカーティアはくすくす、と笑いを漏らした。

 クラウンピースも画面を覗き込む。

 

「『式へのご褒美』……? 式とは何ですか?」

「東洋の使い魔システムね。これの利便性と欠点についてはまた今度教えてあげるわ。……さて、どうやら八雲紫は自分の部下へのプレゼントを決めあぐねているみたい。そこで地獄のファッショニスタである私に助言を求めてきたってわけね」

 

 クラウンピースの表情が引き攣った。

 

「ファッショニスタって……そのように向こうには伝えてるんですか。そうですか」

「なによその顔は。事実でしょうに」

「それで何をあげればいいと助言をするんです?」

 

 ツッコむのが面倒臭くなった。

 ヘカーティアはうむむ…と唸り、突然の名案に手を叩いた。従者はその案がどうせロクでもないことに勘付いていた。

 

「そういえば布教用のTシャツが何枚か余ってたでしょ? アレをあっちに送ってあげましょう! そうね……確かあっちの式家族は二人だったから、2枚用意して───」

「……」

 

 どうせそんなこったろうな、とクラウンピースは心の中で呟くのだった。

 

 

 

 

 そして後日、八雲邸に2着の変Tが到着することとなる。

 

 

 

 

 ────────────

 ────────

 ────

 

 

 

 秋めく森に趣を感じることもなく、霖之助はいつものように書物を読み更けていた。

 

 霖之助の生活習慣に何かと小言をつけていたメリーは帰国し、宴会の催促をする魔理沙もメイドも来ない。

 たまーに霊夢が物を借りに来る程度の来客頻度となった香霖堂は元の姿に戻った、というべきか、しんと静まり返っていた。

 

 目が疲れたのか、書物を傍に置いて目頭を抑える。ここ最近は全く外に出ていないので、体が鈍ってしまったことをひしひしと感じる。

 外に大した用事もないし、外出の必要性もない。食料は何処ぞの妖怪にどやされて買い溜めたものがある。商品の補充などするはずがない。

 引き篭もった日数は実に伊吹萃香が異変を起こしてより二週間に及ぶ、一種の籠城であった。魔理沙曰く「腐っている」とのこと。

 

 そんな霖之助だが、彼自身もこの生活にちょっとした自堕落を感じていた。

 無限とはいかないが、有限にしては限りない自分の生。どう使おうがどう浪費しようが痛くも痒くもない。

 人間のように過ぎゆく時に怯えなくて済む───それだけで半妖である意味は十二分にある。

 だが、一度変わってしまった生活習慣を矯正するのはなかなか難しい。

 

 健康的にされてしまったが為に不健康になる。なんとも矛盾した生活を霖之助は送っていた。

 

 

 

 呼び鈴が来訪を告げる。

 眼鏡を外していた霖之助は気だるげにそれを掛け直す。そして客に目線を向けた。

 

「……これは、随分と珍しい客だ。かの賢者様が当店に何か御用ですか?」

「客……ではないけれど、冷やかしでもありませんわ。私は商品ではなく店主に用があるのだから」

「ほう?」

 

 彼女の姿を見るのは二回目になる。

 常々話してみたいとは思っていたが、前回は何かとゴタゴタしていて話すこともままならなかった。だがまさか彼女自身が来てくれるとは。

 

 八雲紫。

 伝聞だけではその表層すら知ることができなかった妖怪。一挙一動が胡散臭くて、どこか意味ありげに思える存在。

 

 霖之助は変わらぬ様子で問いかける。

 

「はて、賢者様に目をつけられるようなことをした覚えはありませんね。これでも慎ましく生きてきた方だと思うんですが」

「ふふ…慎ましく、ねぇ。果たしてここまで説得力のある言葉を貰ったのはいつ以来かしら? 確かに、貴方は慎ましい。それも山姥並みに」

「ふむ……あの種族と同列に語られるとどうもむず痒い。やはり先ほどの言葉は撤回しましょう。僕は身勝手に図々しく生きている」

「それもまた貴方でしょう」

 

 くすくすと笑みを湛える紫に対し霖之助は仏頂面で、不本意だと言わんばかり。

 紫の言葉は全て的を射ていた。だが、同時にかなりの違和感を孕んでいる。

 

 当然、霖之助と紫は初対面になる。

 だがなぜ、彼女はここまで霖之助の事を知り得ているのだろうかと。

 

「……挨拶はこのくらいで宜しいですか? そろそろ本題を切り出してもらいたい」

「あら、らしくないですわ。てっきり何かの薀蓄が飛び出してくるものだと身構えていたのに……拍子抜け」

「時と場合はちゃんと見極めてますよ」

 

 紫の笑みがより一層深くなった。どうやら霖之助の応対を楽しんでいるようで。

 だから霖之助は不本意そうに視線を返すのだ。

 

「ふふ、それでは本題を。───単刀直入に言うとメリーの件に関してですわ」

「……まあ、それくらいしか貴女がここに来る理由に思い当たる節はありませんね」

「貴方はメリーの事をよく《可愛がって》くれていたみたいだから、そのお礼をね」

 

 可愛がって。

 ───おそらくそのままの意味ではないだろう。

 

「あの子がしたいと言っていた事をそのままやらせてあげただけですよ。負担も殆どなかったのでお礼を頂くほどのことではない」

「と言いましても、私にも体裁というものがございまして。せっかくここまで来たんだから手ぶらで帰らせてくださいな」

 

 勿論、紫は何も持っていない。

 しかし彼女の能力を知り得ていた霖之助には早々に察しがついた。

 空間に歪みが生じ、紫色の別空間が現れる。噂に聞く「境界を操る能力」の一端だった。

 

 そして取り寄せられたのは、少しだけ変哲のある自転車。

『道具の名前と用途が判る程度の能力』を行使するよりも先に、疑問が浮かび上がった。

 

「ふむ……どうも、運転にはあまり適していなさそうな乗り物ですね」

 

 自転車という存在について霖之助にはほどほどの知識がある。大抵、無縁塚に落ちているのは錆びたそれなのだが、形状や一つずつの前輪後輪のタイヤを見ればどのようにしてこれを操るのかは、能力を使うまでもない。

 

 しかし、取り出された自転車は取り付けられた器具によって宙に浮いていた。さらにその後ろには箱状のナニカが車輪と線で連結している。

 

「これは乗り物ではありませんわ。どうせあまり外には出ないんだから不要でしょう? だからインドア派の貴方にはコレを差し上げます」

「はあ……それはどうも」

 

 ただでさえ狭い香霖堂である。無用のデカ物を置くようなスペースはないのだ。

 とはいえ霖之助は一端の考察者。

 

「まさか、発電機、ですか?」

「流石ですわ。幻想郷の住民でその発想に至れるのはつい最近幻想郷にやって来た存在か、河童か、貴方ぐらいでしょうねぇ。そう、それは発電機。それも単純な作りで出来ているプロト型」

「それはまた大層なものを」

 

 幻想郷において電力とはあまり馴染みのない力。全く供給がなされていない訳ではないが、そのエネルギー量や微々たるもので、幻想郷内格差の一因にも一役買っている。

 そもそも、電力の流通は妖怪に多大な不利益をもたらすことは明らかだった。電力は成長の礎となれば、夜闇を照らす光になる。恩恵は大きいが、結果的には外の世界の二の舞になりかねない。

 

 もっとも、自らそれらを克服してしまった妖怪たちも一定数いることにはいる。

 八雲紫と森近霖之助はその一定数に含まれる存在だ。勿論、『幻想郷のバランスブレイカー』こと河童もまた一定数に当たる。

 

「必死に漕げばなんとか洗濯機ぐらいは動かせるはずよ。そこらへんは河童のお墨付き」

「河童製ですか……」

 

 発電自転車を値踏みする霖之助であったが、心中はやや複雑であった。

 なぜなら紫の思惑が透けて見えてしまったから。

 

「なるほど、僕の性格を見越した上でのこの贈り物ですか。良い性格をしてますよ……メリーから一体何を聞いたのやら」

「それはそれはもう、ね? これもまた彼女の優しさ……運動不足な貴方には一石二鳥になり得る贈り物です。ただし、周りにはあまり見せびらかさないようお願いしますわ」

 

 メリーの優しさとは言うものの、決してそれだけではない事に霖之助は気付いていた。

 運動が得意ではない霖之助にこんな役に立つものを送りつけてくるのだから、ちょっとした報復の意があるのは言うまでもない。

 まあ、あの子らしいと言えばそれまでだ。

 

 

 だが、メリーの報復は続く。

 

 

「さてお次はギリシャで大流行中のセンス溢れる素敵なTシャツを差し上げましょう。大事に着るように、とメリーから言伝を貰っているわ」

「生憎、僕はTシャツなんて着な───」

 

 

 気怠げな表情が崩れた。

 絶句。霖之助は言葉を失った。

 

「───……っ……それが、衣服!?」

 

 紫が手に持っているのは黒を下地としたTシャツ。『wellcome hell』が痛々しくプリントされたTシャツ。

 端的に言葉を掻い摘んで表現するならば、それは馬鹿げたTシャツ。それはクレイジーなTシャツ。それはルナティックなTシャツ。

 

 つまり変なTシャツだった。

 

 紫は霖之助の狼狽する様子を見て満足げな笑みを浮かべた。望んでいた反応だったようだ。

 

「気に入っていただけたかしら?」

「こ、こんなものを急に出されても僕の手に余る。ウチじゃ扱い切れないのでそちらで引き取っていただきたい」

「遠慮しなくていいのよ? 幻想郷では少々先進的過ぎるやもしれませんが、着てればいずれ慣れますわ。……私は案外似合うと思うんだけれど」

「冗談じゃない」

 

 そもそも霖之助からしてみれば似合うかどうかのどころの話ではない。目の前にいきなり安全基準値不明の原発を持ってこられたようなものだ。

 底が見えぬほど莫大な無明の魔力に塗り固められたそのTシャツは、着用者に地獄の女神による無辺際の恩恵をもたらす───と能力は説明するけれども、果たして文言通りに行くようにはとても思えなかった。

 

 そしてそのTシャツをさも布切れのようにぞんざいな扱いをするスキマ妖怪である。

 見る者から見れば卒倒ものだった。

 

 

 その後、霖之助は幾度か返品の旨を伝えたが、紫は決して受け取らなかった。ただ「大丈夫」と連呼するのみ。

 無理やり押し付けると今度は香霖堂を勝手に物色する紫。品揃えが古臭いだの何だのと店主をやじり、一方の店主はTシャツを指で摘み上げるのに精一杯で話をあまり聞いていなかった。

 

 すると存分に霖之助を弄って満足したのか、紫は大きく頷くとスキマを開いた。

 そしてTシャツ相手に悪戦苦闘する霖之助の姿を尻目に別空間へ。最後に少し、憂げな表情を見せながら。

 

「それではお邪魔しました。また御用ができれば伺おうと思いますわ。そうね……もっと目新しい商品を揃えて、店主の顔の血色を良くしておくように。よく寝て、ちゃんと朝昼晩にご飯を食べること。自分で作りたくないなら魔理沙に頼るなり私を呼ぶなりするといいわ。晩ご飯の残り物でも持って来てあげる。あっ、タバコはほどほどに控えなきゃダメよ? 妖怪先は長いんだから健康な体を維持し続けないといけませんわ」

「貴女は僕の母親ですか……」

「あら、通い妻がよろしくて?」

「それは勘弁願いたい」

 

 安寧を望む霖之助にその選択肢は論外。

 けれどそれも紫には想定内で、楽しそうに笑うとそのままスキマの中に消えていった。

 

 

 

 

 厄介な妖怪が居なくなり、霖之助は一息つくと恐る恐るTシャツを畳んで机の上に置いた。

 嵐の後の静けさとはこの事か。

 

 ふと、ある事を思い出したので店の奥にある戸棚を開いた。そこに丁寧に畳まれているのは紫色のドレス。メリーが最初に着ていたものだ。

 一見、幻想郷では少々浮く程度のドレスだが、霖之助の能力は余すことなくそれの『名前』と『用途』を自身へと伝えてくれた。

 

 果たして、身に付けるだけで物の存在定義を書き換えてしまう彼女は何者なのだろう?

 

 無縁塚からメリーを拾ったあの日から、彼女の正体については薄々感づいていた。しかし伝聞とは異なる姿と性格に考察しあぐねていたが、伊吹萃香の異変の際にようやく断定できた。

 そしてさらに訳が分からなくなった。

 

 先ほどまでのやり取りを思い出すと頭が痛くなる。奥ゆかしく幽遠な八雲紫と元気発剌なメリー。ギャップが尋常では無い。アレを同一人物と本当に決めつけて良いものか、判断材料を手に入れた霖之助でさえ迷わせる。

 

 だが結局、八雲紫もメリーも、根本的な部分は変わっていないように感じていた。

 どっちも危なっかしい。

 それに尽きる。

 

 

「まあ何にせよ……元気なら問題無い。正直言うともうあまり来て欲しくはないが、次に会った時はもっと有益な話ができると嬉しいね」

 

 どっちが本当の彼女なのかは知らないが、少なくとも、メリーと共に過ごしたあの騒がしい日々は嘘ではないだろう。

 

 

 さて、あとは彼女が残していった置き土産だが、どうするべきか。発電機はいい。問題はTシャツだ。

 なんども大丈夫と連呼していたものの、やはり胡散臭い。しかも霖之助は紫のメリーとしての側面も見ているのだから、あまり信用ができない。

 

 処分するのが一番であることは間違いないけれど、そう易々といくかは不透明。

 こうなっては知り合いの誰かに譲ってしまうのが良いのかもしれない。魔理沙あたりなら或いは───。

 

 

 

 

 

 余談だが、その後Tシャツを譲られた魔理沙は、力が得られるとのことでイヤイヤながらTシャツを着ることになるのだが、とある副作用により家から出られなくなってしまう。

 

 そして霖之助と魔理沙の仲は暫くの氷河期に突入する。

 

 

 

 ────────────

 

 

 

「ふふ、うふふ……あははは!!」

 

 笑いが止まらんわ!

 やっと霖之助さんにやり返すことができた。

 インドア派の霖之助さんに自転車型の発電機は苦しかろう。しかも念願の電気が手に入るんだから八雲紫様様でしょう?(正確には河童様様)

 報復と恩返しを兼ねる女、八雲紫!

 

 さらについでと言わんばかりに今朝我が家に届いた嫌がらせTシャツを霖之助さんに押し付けてやった。案の定いやがってたわねぇ。

 

 全く、何なんでしょうねあのTシャツ。まるでファッションの暴力と言わんばかりのデザインよ。宛名には『地獄の女神 H.L』って書かれてたけど、もしかして子供閻魔ヤマザナドゥの差し金かしら?

 

 荷物が届いた時はもう大騒ぎだった。藍がテロだの何だの大騒ぎして橙は半泣き。私は呆然とするしかなかった。

 地獄のファッショニスタHEKAさん(ネット友達)が送ってくれるって言ってたプレゼントかと思ってワクワクしたのに……あの時の気持ちを返して欲しい。

 

 まあ何にせよ爽快な時間だったわ!

 私に敬語の霖之助さん! 発電機を贈られて困った表情になる霖之助さん!

 思い出すだけで笑いがこみ上げる!

 

「あははは!! ひー! ひー!」

「あのー……うるさいんですけど」

「うっ──……ごめんなさい」

 

 傍に立っていた地蔵から注意を受けてしまった。

 つ、付喪神だったのね。こりゃ失礼。ってか魔法の森に地蔵なんて有ったんだ。知らなかった。

 

 軽く頭を下げて地蔵への謝罪もほどほどに、次なる目的地に向かう為に足を進める。

 もう分かるわよね?

 そう、私が向かっているのはアリス宅。霖之助さんの次にお世話になったんだからちゃんとお礼参りしないとね。当然報復はない。

 

 アリスには彼女が望む物を何でも与えるわ。勿論、私にあげれる範囲でね。

 けどなぁ……アリスって魔界の王族なのよねぇ。果たして私に彼女の欲を満たせるほどのブツを用意することができるのか……。

 

 アリスは人形が好き。だけどそれは自分で幾らでも作れちゃうらしい。一応、私にも裁縫の心得はあるけどあのクオリティは絶対無理。

 アリスは魔法が好き。幻想郷でもトップクラスの魔女である彼女に何の魔法を教えろと? てか私ってロクな魔法──もとい妖術も使えないし。

 アリスは家族が好き。神綺さんを幻想郷に連れて来てあげれば喜ぶかしら。……いや、なんかとんでもない地雷を踏み抜きそうな予感がする。アリスが『マーガトロイド』って名乗っているのもそうだし、幻想郷に移住してきてるのも何かおかしい。

 

 結論、完璧な人ほど贈り物の内容に困る。

 霖之助さんは1発だったのにね。

 

 

 と、云々考えているうちにアリス宅に着いてしまった。鬱蒼とした森の中にポツンと佇むその一軒家はとてもワンダーチック。

 そしてドアにはまた張り紙が貼られていた。

 

『天狗お断り。──河童そこそこ歓迎』

 

 さっすが天狗。幻想郷の嫌われ者の名に恥じない嫌われっぷりね。

 ちなみに河童は役に立つ嫌われ者。

 

 さて、まずはノック──といきたかったけど独りでにドアが開いた。ドアノブには人形がしがみついて、私の方を見据えている。

 歓迎……でいいのよね?

 

「お邪魔します」

 

 一言入れたが返事は返ってこない。代わりに人形が小さな紅葉で私を手招きする。

 浮遊する人形について行くといつもの居間へ。

 そこには何時ものように山積みになった本やら手記のノートが散乱した机と睨み合うアリスの姿があった。

 

 魔法のお勉強中なのかしら?

 ……私もなんか便利な魔法が使えるようになりたいわ。防御呪文とか精霊呪文とかカッコよさげ。アバダケダブラいいよねアバダケダブラ。

 

「───……ふぅ、これでひと段落ってとこかしら。待たせたわね紫」

「お疲れ様。忙しそうな時にごめんなさいね」

 

 クールビューティ魔法使いのアリス。やっぱりできる女の子は違うわ。何気なく前髪をかき分ける仕草も1億パワー女子力! マンモスマンなんて目じゃないわ!

 私? 私はほら、本気になればもっと女子力あがるから。ていうか女子力を自由自在に操れるから。尚且つあと3回も変身を残してるから、ね?

 

 

「さて紫。何か言うことはない?」

 

 と、悶々としている私に見かねたのか、アリスが若干目を細めながら問う。

 言うこと、ねぇ。ありすぎてちょっと困ってるわ。

 

 そう……先ずは──。

 

「幻想郷へようこそアリス。───っていうのは少し遅かったかしら?」

「ええ、相当遅かったわね。もう幻想郷に来て10年目なのよ? 初日にでも訪ねに来てくれるもんだと思ってたのにね」

 

 だって知らなかったんだもん! 知ってたら菓子折りでも持って歓迎してたわよ!

 この件については音沙汰の無さすぎたアリスが悪い。魔界からの電報もなかったし。

 

「私とて万能では、ね。ちょうどその時は吸血鬼異変の真っ只中っていうのもあって貴女に気付くことができなかったんだと思う」

「吸血鬼異変……ああ、アレね。幻想郷に着くと同時に変な連中に襲われるんだもの、魔界以上に殺伐とした所なんじゃないかって思ったわよあの時は」

 

 幻想郷ほど殺伐とした場所もそうそうないと思うんです。第一人者である私が断言するわ。

 まあ、魔界も相当だけどね。

 

 あっ魔界といえば!

 

「どうして急にこっちに来ることに? それにマーガトロイドっていう苗字も何時から……。もしかして結婚でもしたの?」

「まさか。幻想郷に来た理由は単純よ。魔界はもう私の居るべき世界じゃなくなったから。マーガトロイドは新しい自分を確立するために」

「……貴女の故郷でしょう? ちゃんと神綺さんたちには相談をしたの? 家出はほどほどにしておかないといずれ取り返しが……」

「魔界から出て行くよう命じたのはあの人よ。もう私の顔も覚えてないんじゃないかしら」

 

 アリスは表情を変えずに、紅茶を啜りながらそう言った。瞳には少しだけ闇を湛えている。

 

 ……これは、かなりのダークサイドね。

 あの仲良し親子に何があったんだろう。それに温厚な神綺さんがそんなこと言うかなぁ?

 多分なにかの誤解だと思うけど……。

 私が何とかすべきか。

 

「ちょっとその話は気になるわね。あとで神綺さんに連絡を取って……」

「やめた方がいいと思う。多分つぎにゲートが開くことがあれば、真っ先に幻想郷を潰しに来るんじゃないかしら。カンカンだったわよ、あの人」

「あらま」

 

 ほんと何があったんでしょうかねぇ!?

 神綺さんってホント凄いできた人なのよ。聖母の如き我が子たちへの愛情や、広大で闇渦巻く魔界を維持し続ける統治力に運営力。どれを取っても私の上位互換みたいな神物。

 なのになんだってそんなファナティックなことに…?

 まずい、このダークサイドは私にも牙を剥く可能性がある! 話を逸らそう。

 

「あまりこの手の話は聞きたくないみたいね? 話を変えましょうか?」

「助かるわ。一応デリケートな部分だから」

「無理やり話したくない事を聞き出そうとするほど、私は野暮ではございませんわ。それじゃあ───メリーについての話を」

 

 話を変えると言いつつ本日の本題へ。アリスも待ってましたと言わんばかりにティーカップを置くと人形に片付けさせた。それ便利ね。

 アリスはアンニュイな様子で私を見据えるが、その奥底からはまるで品定めをするような、霖之助さんに似た雰囲気も感じる。

 

「正直、貴女には相当助けられた……とメリーは言っていたわ。例えばスカーフだったり身代わり人形だったり、七色の魔法使いの名に恥じぬ臨機応変の施しに深く感謝します」

「こっぱずかしいわね」

 

 いや本当に助かったわありがとう!

 今でこそ紫ぼでーに戻れたからいいけど、あの時はただの瘴気にすら耐えれない始末だったからね。アリスがいなかったらメリーとしての生活はハードモードぐらいまで跳ね上がってたかも。

 だから、私は貴女の願いを一つ叶えましょう!

 

「メリーを助けてくれたお礼に何か頼みがあれば聞きますわ。さすがに『何でも』とは、いきませんけど」

 

 お金が欲しい! とか服が欲しい! とかなら大抵どうにかなるんだけどね。何せ相手は大物……どんな願いが飛び出してくる事やら。

 『お前を消す方法』とか『ここで死ね』とか言われたら却下するしかない。

 まあ幽香とかさとりなら兎も角、アリスがそんなこと言うはずないけど!

 

「ふーん……願い、ねぇ? 貴女のことだから何か裏があるんじゃないの? 生憎、私も成長して人を疑うことを覚えたのよね」

「あら、私がそんな軽々しく嘘をつくような妖怪に見えるの。悲しいわ」

「嘘はつかないわね。ただ言い回しが卑怯なのよ……毎度毎度」

 

 何か心当たりがあるようにウンザリされてますね。なんか私の身の回りってこういうこと多すぎない? 気のせい?

 と、アリスが人差し指を突き出した。

 

 ペキィ…。

 

「この部屋に仕掛けられてた傍聴魔法を全て破壊したわ。これでようやく本音で話せるわね」

「……? ……??」

「私の願いはごく簡単な頼みごと。『何も誤魔化さずにありのまま腹の中を曝け出して欲しい』……ただそれだけ。出来ないとは言わせないわよ?」

 

 ぼ、傍聴とはなんぞ。

 そして腹の中を曝け出して欲しいって、つまり聞かれた事には正直に答えろってことよね? 物理的な意味じゃないよね?

 

 取り敢えず先ほど破裂音の聞こえた場所に目を向けると、黒い魔法陣のようなものが壁に焼き付いていた。ジリジリと小さな破裂音を連続させながら消えている。

 

 この魔法陣……見たことあるわ。

 確か紅魔館に殴り込んだ時に何処かで。

 

「これはまさかあの魔女の?」

「そう。パチュリーのね。大方借りた本の中に仕込んでたんだろうけど、多分あっちもそれを隠す気はなかったんじゃないかしら」

「というと?」

「魔法使いの戦闘で明暗を分けるのは情報の有無よ。如何に周りの事象を的確に捉え取り込み、そして対策を用意するか。パチュリーが私のことを敵と見ているかどうかは知らないけど、魔法使いの流儀じゃこの盗聴に何ら問題はないわ。それに、私もされるばかりじゃないもの」

「高度ね……」

 

 おあいこってことなのかしら。

 この面倒臭げな流儀──鬼に通じるものがあるわね。つまりめちゃくちゃ頭おかしい。

 

 それよりも私が傍聴魔法とやらの存在に気付けなかったのが怖い。だってこんなの八雲邸に仕掛けられたら即スキャンダルで賢者追放よ。

 よっしゃ、私のゴミ女子力が火を噴くぜ!

 

 と、私が心の中で話題を逸らしている間にアリスが切り出した。

 

「さあ、紫。まず一つ目の質問よ」

「ふふ……いいわよ。私の答えられる範囲のことであれば、この世の森羅万象の全てを一切合切滞りなく答えて差し上げ───」

 

 

「メリーって名乗って結局何がしたかったの?」

「───」

 

 頭が冷えた。

 

 メリーッテナノッテケッキョクナニガシタカッタノ。

 んー……実に難解な質問ね。確かにこの質問は私でないと返すことができない。まあ、答えを用意するなら「何もしたくなかった」になる。

 だけどね、それ以前の問題が一つあって。

 

 

 バレてんじゃん。

 

「……」

「ほら天下の八雲紫がついさっきの約束を破るような真似をするはずがないわよね。さっさと答えてよ。気になって夜も眠れなかったわ」

「魔法使いって寝る必要あったかしら」

「話を逸らさない」

 

 藍も霊夢も萃香も総スルーだったから安心してたんだけど、思わぬ伏兵がいた。

 そして致命傷だ。土手っ腹にロケットランチャーを撃ち込まれたわ。

 

 いやまだだ!

 アリスはヤマを張っている可能性がある。メリーの状態で紫宣言してたし、それに対する当てずっぽう的な何かかもしれない!

 都合良くそんなことを願ったが、よくよく思えばアリスがそんな失敗をするはずがないっていう大前提が頭から抜け落ちていた。

 

「これはまた面白いことを聞くのね。……私をメリーと見る理由は?」

「質問を質問で返すの? まあいいけど。それじゃあどこから話したものかしらね」

 

 アリスは丁寧に説明してくれるようだ。

 できる女の子はやっぱ違うと言いたいところだけど、今の私には薄氷を踏む思い。

 

 アリス曰く「気づいたのは私が博麗神社に現れたその時」との事。決め手となった判断材料はなんとあのスカーフだという。

 そういえばアレってGPS機能が付いてたんだっけ?

 異世界に入ると信号を受け取れなくなるみたいだが、私がスキマを開くたびにちらほらアリスの受信機(妖怪アンテナなるものと思われる)が反応していたらしい。

 

 さらに(メリー)が送ったアリス宛ての手紙。どうも筆跡がほぼ()だったようだ。口惜しや。

 魔理沙や小傘は誤魔化せてもアリスは無理だったみたい。恐ろしい子……!

 

 他にも外見の微細な特徴。声のトーンやアクセント。

 メリーの残した言葉や私が去り際に放った言葉なんかもアリスにかかれば一級品のヒントだったようだ。ちなみに去り際の言葉ってなんぞそれ。

 

「まあ、これだけの証拠があって貴女を疑わないなんて無理な話よね。他の連中は騙せても私を誤魔化すことはできないわ」

「しらばっくれても駄目みたいね」

「勿論」

 

 そしてアリス、余裕の一言である。

 

 ここまで言われちゃもう逃れようがない。というわけでぶっちゃける事にした。

 アリスならまだいいわ。人の秘密を周りに言いふらすような子じゃないし、私がメリーだと知ってもどうということはないだろう。優しいから。

 唯一のデメリットとしては私が恥ずかしいああああああああ!!

 

「はぁ……バレるなら異変の最中が良かったわね。そうすれば萃香の暴走も途中で止めることができたでしょうに」

「正直確証が持てなかった。だって貴女とメリーよ? 普通は分からないわ。今だって今日この瞬間まで自分の答えに疑問を持ってたぐらいなんだから」

「あら、そんなに似てなかった?」

「似てないわ。どっちが紫の素なんだか」

 

 解せないわね。

 確かに私は周りに合わせて態度を変えてるフシがあるし、メリーの時は元気溌剌な性格になってたと思う。

 だけどそこまで言われるほどのことかと考えると、実際はそうじゃないと思うの。あくまで私の主観だけどね。

 

 そういえばさとりからも言われてたっけ。『内面と外面が違いすぎる』って。

 んなこと言っても自分の内面性なんて自分が一番わからないもんじゃない? メリーの時の私も、何時もの私もどれが本当の私かなんて分からない。

 ……分からないのよ。

 

 するとアリスが感慨に耽てしまった私を見かねたのか、言葉を投げかける。

 

「どうしたの? そろそろ私の最初の質問に答えて欲しい頃なんだけど」

「ああ、ええ……そうね。答えましょうか。メリーになって何をしたかったのかを」

 

 深い意味は無いけどね。

 

「そもそも私がメリーになっていた経緯は、私にとっても不本意なものだった。つまり、私の望んだ姿ではなかったのよ」

「……へえ」

「事の黒幕はドレミー・スイートという漠の妖怪でした。どうやら私を夢の姿なるものにして無力にした後、月の都に引き渡す手筈だったみたい」

「──夢の……姿」

 

 

 ──不意に違和感を感じた。

 その根源はアリス。自分の手のひらをジッと見つめ、存在を確かめるように握りしめるとやがて私の方を見た。どうも今までの余裕が感じられない。

 

 けどその揺れる瞳には見覚えがあった。

 あれは……最後に魔界でアリスを見た時だったと思う。迷子の子供のような不安げな瞳。

 

 ……私は紅茶を飲み干すと話を仕切り直した。

 

 

「月の都と私は敵対関係にある。いずれはこういう事もあるやもと想定はしていたけど、まさか夢の主人が加担していたとは私も想定外だった。だから内面にメリーという新たな存在を自分で作り出し、周りを欺きながら場の時局を見極めていた、ということですわ」

 

 ということにしておいてくださいお願いします。ドレミーの存在には全く気付けなかったけど結果オーライだから、ね?

 嘘は言ってないから。

 

 アリスは苦悩するように額を押さえながらも、私の言葉に納得してくれた。

 

「……夢移しの魔法なら私も知っているわ。随分と厄介なのに狙われてたのね」

「夢の支配者の名は伊達じゃないってことでしょう。彼女は強大な妖怪だった。もっとも最後には自らの世界を失って堕ちていきましたけど」

 

 この一件のおかげでフランとこいしには頭が上がらない。癒しから恩人にクラスアップ!

 さとり? あいつもなんかしてたみたいだけどよく分からないからいーのいーの。

 

 

 その後、一つ目の質問と言っておきながらアリスはこれ以上私に問いを投げかけることはなかった。

 ただの変哲もない世間話を紅茶とお菓子を燃料に繰り返す、それだけ。

 

 ……私っていっつも自分の知らないところで変な地雷を踏んでると思う。

 知らず知らずの内にアリスを傷付けてしまっていたのなら、とても辛くて後悔が募る。私って本当、ダメな妖怪よね。

 

 

 なお、帰り際にそれとなくアレを勧めてみようとスキマから変Tを取り出そうとしたんだけど、間髪入れずに消し炭にされてしまった。

 そして「良からぬ気配を感じたから処分した。魔法使いの前であまりそういう物は出さない方がいい」と注意される始末。魔法使いってファッションに厳しいのね……覚えとこ。

 

 

 

 

 ところでヘカさんからのプレゼントはいつ届くんでしょうかね?

 

 

 

 ───────

 ──────────

 ─────────────

 

 

「貴女は今日も喋らないのね」

「……」

「それは、貴女が私の知らない存在だから? 貴女の喋り口調なんて私には知る由もないもの」

 

 二つの空洞を浮かべる彼女は、口があるのに今日も喋らない。ただ私の手を握るだけ。

 ……分からない。

 

 心のどこにもいない貴女が何故、私の夢にこう何度も続けて出てくるのか。

 これがドレミーの言っていた悪夢とやらならば、実に的を射た言葉だと言える。

 

 私の眼から流れる血の涙は止まらない。

 ただこの空間を紅に染め上げるだけ。

 

 

「今宵の夢はもう終わり。貴女は今日もそこに居るだけ。……分からないわ」

 

 意識が微睡みへと落ちていくのを感じる。意識が覚醒しようとしている。

 彼女は私の手を離した。

 

「明日こそは……話せるといいわね」

「……」

 

 彼女は口をきつく縛り、首を横に振る。

 やっぱり貴女は居ないのか。

 だけどいつか面と向かって話せる日が来れば、とても嬉しく思う。私は待ち続けるわ。

 

 また明日、ね。




「……じぇ……じぇ……(よう魔理沙だぜ! 変なTシャツのせいで口調が変になってるが気にしないでくれな。これも全部 香霖ってヤツが悪いんだぜ。
いやーしかし、このTシャツは凄いな。着た瞬間にどんどん力が溢れてきやがる。こんな強力なマジックアイテムはそうそうお目にかかれないぞ。
だがそれは所詮借り物の力だぜ。
借り物は紛い物に過ぎないからな、ちゃんと自分の物になるまで頼っちゃいけないぜ。
そう、私のノンディレクショナルレーザーみたいにな!パチュリーのもの? 知ったことか!
さて次回は

・激おこもこたん丸
・運命の出会い
・『占術を通じてゆかりんの未来を見たんだ。そうしたら急にその惨めな運命が憐れに見えてな。少し助言してやろうと思ったんだよ』

をお送りするみたいだぜ。
あー早く副作用解けないかな)うふ、うふふ」


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歴史を纏う賢者(前)

 どうにも私は喧騒が苦手だ。

 

 慧音からしつこく言われて渋々竹林から出てきたわけだが、こうも人の往来が激しい場所を歩いてると気分が落ち着かない。

 ……コミュ症ってわけじゃ無いぞ。

 

 街が賑やかなのはいいことだ。だって安寧と平和を感じられるからな。

 私の知る都はいつも沈んでた。

 疫病に戦争、そして妖怪。為すがままにされる人間達の絶望を何年にも渡って見てきた。

 或いは感じて、体験してきた。

 

 いつの世も代わり映えしない。……そうとばかり思っていたんだがな。

 人間にとっての理想郷とは言い難い幻想郷ではあるが、それでもみんな一生懸命に生きている。人間として死への道を歩んでいる。

 

 だから居心地が悪いんだ。心の中に感じる心地良さとの摩擦が煩わしいから。

 

 

 寺子屋に着いた。

 授業が終わった頃だったんだろう。子供達が我先にと元気に外へ飛び出した。

 季節は秋、先月と比べて日が沈む時間が明らかに早くなっている。日が暮れ易くなることは夕刻時の子供たちの遊ぶ時間が減るということであり、子供たちにとっては如何に多く時間を確保するかは死活問題なんだろうな。

 

 少し早めに出発したつもりだったんだが、どうやらちょうど良かったみたい。永く生きてると時間にルーズになりがちでね。

 

「お疲れさん慧音。……今日はちゃんと時間通りだったろう?」

「ああ、珍しく。お前は酷い時は日を跨ぐからなぁ。まあなんにせよ久しぶりだな妹紅」

 

 慧音は教材を机で整えながら優しく笑った。

 寺子屋の教師を務めている慧音だが、その1日のスケジュールには全く暇が無い。

 教職ってだけでも相当の時間を食うだろうに、そのうえ人里の守護者まで請け負っている。

 

 人里の安寧は慧音の有無に直結するとはよく言ったものだ。ホント、凄いよ。

 

「それじゃあ明日の準備が終わり次第、私の家に行こうか。栄養満点のメシを食わせてやるからな!」

「だからタケノコで十分だって……」

「栄養の偏りはよく無いぞ」

 

 私の食事事情に関して慧音がいい顔をしたことは一度も無い。そして業を煮やした挙句に始まったのがこのお呼ばれだった。

 ……別に食わなくても死なないからな、私は。ただ死ぬほど辛いだけで。

 

 結局のところ、なにをエネルギーに生きてるのかも分からない私にエネルギーを注ぎ込むのは無駄だって慧音も分かってるだろうに。

 いやまあ、美味い飯を食えるのは嬉しいんだけどな。オマケに慧音の手料理だし。

 

 

 適当に教材の整理なんかを手伝いながら慧音と駄弁ってたんだが、昨日の殺し合いはバレていないようでなによりだ。

 バレていれば「秋は空気が乾燥して燃えやすい」だの「人里に恐怖を与えるな」だので小言のオンパレードだったろう。

 けど殺し合いを止めなくなっただけ慧音も学習したんだろうね。

 アイツを殺すことだけが私の生き甲斐だから。

 

「……妹紅。何か私に隠して無いか?」

「まさか。こんな正直者がブームになる御時世に嘘なんか吐くもんか」

 

 という嘘。

 少し前にブン屋が報道した鬼の記事によって正直者が増えた……とブン屋が報じていたらしいな。この記事そのものが嘘だったらとんだ笑い話だ。

 情報は意図的に遮断しているものの、やはり偶発的に世俗の噂となって私の耳に流れてくる事がある。そして久々の話がコレだからな。

 随分とマスコミも無遠慮になったもんだ。

 

 さて、私が手伝ったこともあってか教材の準備が終了したようだ。さっそく外に出て一直線に慧音の家へと向かう。

 なんだかんだ言いつつ慧音のご飯はいつもの楽しみなんだ。天気も良いし涼しいし、歌でも歌いたい良い気分だな。

 

 慧音は感慨深げな様子で私に笑いかけた。

 

「近頃は警備隊の活動もあって治安が良くなってきたんだ。そのおかげで余裕ができたぶん灌漑水路の整備も進んできたし、人里もどんどん住みやすくなってきてる。お前の住処だっていつでも人里に移して良いんだぞ?」

「いやいいよ、やっぱ私には竹林が合ってるからさ。だけど人里が住みやすくなるのはいいことだ。これも慧音や阿求が頑張ってるおかげだろうね。あと……あの警備隊長官の……」

「小兎姫だな。時たま仕事が雑になるのが玉に瑕だが、それでも優秀な人だよ。なんでも昔は霊夢──博麗の巫女も捕まえたことがあるらしいし、実力は相当なものだ」

 

 眉唾だなぁ。

 巫女を捕まえるってどうなんだろう? 一応博麗の巫女は幻想郷ヒエラルキーの最上位に位置すると聞いたと思うんだが……人里警備隊はそれらも無視できるほどの独立機構なのか?

 うーん、やっぱり人が多いところには面白そうな話がたくさんありそうだ。

 

 

 と、大通りに入ったところで疎らに人混みが出来ているのが見えた。喧騒の具合からしてどうも何かあったようだ。

 慧音はその性格上無視できなかったようで数人程度の一団に近づいていく。

 勿論私はその後ろに追随した。

 

「なにやら人だかりが出来ているようだが……どうしたんだ? 血の気の多い妖怪が人里に入り込んだりでもしたの?」

「あっ慧音先生! いやなに大したことでは無いんですがね、巫女様が人里に下りてきてるんですよ。それも妖怪を引き連れて! しかも二人! うち一人は問題ないんですけど、その……あと一人例の」

「霊夢が? 何があったんだ……?」

 

 件の巫女か。

 妖怪を引き連れて……ってことは調伏したってことかな? 燃やすしか能の無い私にとっては羨ましい話だ。巫女の名も伊達ではないってわけか。

 

 どれ、一つどんな奴か拝んでやろうか。

 

「何処にその巫女はいるの?」

「え? ああ……どうやら路地の方に入っちまったみたいだな。ほら今ちょうど路地を曲がった妖怪の前に居たん──」

 

 

 あ…。

 

「───……ッッッッッ!!!?」

 

 背筋に鋭い悪寒が走った。

 殺し合い以外では燃え滾る事のない私の心が、一気に炎上するのを感じる。

 

 通行人を押し退けてすぐにその路地裏に入ったのだが、あの妖怪の姿はない。居たのは巫女と古傘を携えた妖怪だけだった。

 その二人は大して変わった様子もなくさらに路地を曲がって姿を消してしまった。

 

 ……見間違い、か?

 いや、そんなはずはない。私の目はあの日から全く衰えちゃいないんだから。

 

 少し遅れて私の行動に驚いたであろう慧音が慌てて追いかけてきた。

 

「どうしたんだ妹紅。急に取り乱して……らしくもない。通行人にぶつかったら危ないだろう。ミンチじゃすまないぞ」

「け、慧音……」

「顔が真っ赤じゃないか! 妹紅、お前……なぜ怒ってる?」

 

 慧音は眉を顰めた。

 ……落ちついて話さないと。

 忘れることのできない金の長髪が路地に吸い込まれたのを見た。

 何を企んでいるのかは知らない。だが奴は間違いなく人間達に災厄をもたらす。

 

「多分だけどマズイ妖怪が入り込んでる……。すぐに避難警報を出すべきだ」

「いや、そんな易々と出すわけにはいかない。目下の脅威を把握できてない状態ではな。……何がどうヤバいんだ?」

「あいつは……凄く強い。オマケに狡猾で残忍。昔に一度だけ会ったんだが……あの時のことはもう思い出したくもない…! あの金髪も、あの紫の瞳も──!」

 

 私のことを歯にもかけない強大な存在。私の前でむざむざと人を食らった……私が唯一倒す事のできなかった妖怪。

 

 紫色の瞳に金の長髪。そして切り裂かれた黒々とした空間が何度も脳裏にフラッシュバックする。

 悲鳴が頭を反響していた。

 

 ……殺さなきゃ。

 気付けば足は既に前へと出ていた。

 

「おい待て妹紅! 話を詳しく聞かせろ!」

「そんな時間ない! 慧音は早く避難指示を出して私が存分に戦えるようにしてくれ! あいつは……ここで仕留めるッ!」

 

 

 

 私はあいつが分からない。

 名前も知らないしどんな奴なのかも知らない。そもそも妖怪であるかどうかさえ分からない。

 

 けど、私が倒さなきゃいけない奴なんだってことだけは分かる。根拠無い使命感や、煮え滾る激情が私を突き動かすんだ。

 

 夢で何度も見るんだよ。

 あいつに食われていった人間の顔が! 恐怖に涙を流して、私に助けを求めるあの姿が!

 そして、あの妖怪の心底嬉しそうな微笑みがッ!

 

 私の矜持を根本からへし折り、私の尊厳を淘汰した妖怪。もはや会うことはないとばかり思っていたが、まさか幻想郷に来ていたとは。

 鬱積させてきた悔恨の原因を漸く断ち切ることができるんだ……!

 

 

「絶対に逃さない……。徹底的に追い詰めて、確実にぶち殺してやるッ!!」

 

 輝夜以外への久方ぶりとなる殺意は、咆哮となって私の心から放たれた。

 あいつの死が、死だけが()()への手向けだ。

 

 

 *◆*

 

 

 例の変T事件より数日が経った。

 残暑はまだまだ健在ではあるが、暴力的な熱線は徐々に鳴りを潜め、次第に涼しい風が吹くようになってきた。

 青々としていた青葉は黄色へと染め上がっていき、紅葉への準備期間へ移行した。

 

 そう、秋!

 季節のイージーモードが到来したのよ! 去年はサバイバルなんてしてたから風情を楽しむ余裕も無かったけど、今年は違うわ。

 大体の問題は残っているけど月末の賢者会議が終われば長い休みが到来する。そう、秋休みと冬休みと春休みが一斉にやって来るわけだ!

 

 うふふ……休みに備えて溜め込んでいた娯楽を一気に消費するチャンスよね!

 映画とか漫画とかゲームとか。美味しい物もいっぱい食べるわよ! 旅行にだって行くわ! ちょっと難しそうな本を鈴奈庵で借りてくるのもいいわね!

 

 スポーツ……スポーツはちょっと勘弁。誘える人間も妖怪もいないからね。萃香あたりと球技なんてやったら「お前がボール」になりかねない。

 そういえば昨日には紅魔館で大運動会が開かれてたらしいわ。調子に乗ったレミリアが各地の妖怪達に悪趣味な参加状を出してたはず。当然のように私たちにもきてたわ。勿論、私は却下。八雲からの参加は橙だけだった。

 純粋無垢っていいわよね(白目)

 まあ、その運動会の結末はご察しの通り、紅魔館の全壊という形で幕を下ろした。予定調和ってこういうことを言うんだろう。

 

 と、話が逸れたわね。

 まあつまり、ラストスパート頑張ろうってこと。締めに向けて藍も橙も頑張ってくれてるし、私ももっと頑張らなきゃ!

 そして清々しく新年を迎えるのよ!

 

 

 というわけで。

 

「霊夢。一緒に人里へ行きましょう」

「はあ? ……えらく急ね」

 

 博麗神社へやって来た。

 復建の視察を兼ねて霊夢に用件を伝えると、案の定霊夢は訝しむように私を睨む。

 

 今日は人里でのお仕事を片付けちゃうから、そのついでに霊夢を人里に連れて行こうと思ったの。霊夢って冬が近くなると段々篭りがちになるからね。定期的に外出を促さないと。

 ちなみに霊夢と里の人間達の距離をなるべく縮める狙いもあるわ。

 

「近頃妖怪たちとつるみ過ぎて里での不信感が高まっているみたいなのよ。ブン屋が大袈裟に報道してるってのもあるけど、それを裏付けさせちゃダメよ。ちゃんと顔を見せてきなさい」

「……あんまり気が乗らないんだけど」

「だから私と一緒に行くのよ」

 

 そう、私は保護者枠。霊夢の行く末を見守る使命がある。彼女の険しき道をね。

 もし霊夢に心無い言葉を浴びるような連中がいたらその時は……そりゃ本気ビンタよ! 本当は渾身のスペカをぶち込んでやりたいところだけど、流石に大人気ないかなーって。

 

「おやおやデートかい? まったく、紫も隅に置けないなぁ。……この浮気者」

「作業に戻れ」

 

 余計なことを言う鬼はスルー。というか早速霊夢によって絞められた。

 お馬鹿さんね、霊夢にその手の冗談は禁物よ。貴女はサッサと神社を建ててなさい。ほらほら灯篭がまだ崩れたまんまじゃないの。

 まあ、萃香が約束を破るはずもないし、あと数日で神社は完成かな? その後に控える白玉楼については私しーらない。

 

 問題は1日のルーティーンを崩されるのが嫌なのか、それとも私と二人っきりが嫌なのか、渋る様子で中々頷いてくれない霊夢。

 はて、どうしましょうか。

 

 ……悔し悲しいけど譲歩しましょうか。

 

「それなら私と一緒じゃなくていいから、取り敢えず気ままに人里をぶらつくといいわ。うふふ、霊夢ももう年頃ですものね。私と一緒じゃ恥ずかしかった?」

「あのさ、あんたが何言ってんのか判りかねるわ。私をコケにするのもいい加減にして頂戴。……行けばいいんでしょ。行けば」

「素直になってくれて嬉しいわ。反抗期の子供の扱いは大変でねぇ」

「あん?」

「霊夢……出来るだけ永く今の貴女でいてね? 反抗期の貴女はとても愛おしいの」

「知るか」

 

 およよ、と泣き真似をしつつスキマを開いた。うん私ってお茶目だから。

 

 さて、スキマに潜れば人里まであっという間。私の数少ない特技である。……実は霊夢もスキマみたいなのを使えたりするんですけどね。

 つまり幻想郷には私、藍、橙、霊夢、メイド、おっきーな、と少なくともこれだけの人数が異次元ゲートを開くことができるのだ!

 瞬間移動に幅を広げるなら魔法使い三人組もできるし、フランもまたしかり。挙げ句の果てには霧の湖の妖精までお手の物。

 希少性もクソも無い。

 

「里に着いたらさっさと離れてよ。あんたと一緒に歩く姿なんて見られたら逆に信用がなくなるわ。──萃香はサボるんじゃないわよ」

「あいあいさ。──ったく、()()()まで残して用意のいいこったね。私は絶対に約束は破らんって言ってるのに」

 

 見張り? ……あれ、博麗神社には私達以外いるはずが無いんですがそれは。

 藍も今日は連れて来てないし、中々に謎。もっとも萃香の言葉はいつも不可解なんだけどね。

 霊夢もよく意味がわからなかったようで、首を傾げながらスキマへと潜っていった。

 それっ、私も続くわ!

 

 

 

「あらら、お前さん……もしかして気付かれてないんじゃないか?」

「──……いいんです。私はそうやってずっと霊夢さんを見守ってきましたから。私の使命は知ってもらうことじゃなくて、守護(まも)ることです」

「一途だねぇ(守れてないけど)」

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 人里は幻想郷のほぼ中央に位置していて、その名の通り人間達唯一の居住地域よ。

 経済規模なら多分妖怪の山に次ぐくらいにはなるんだろうけど、実際的にはここは大きな箱庭。ただ幻想郷を生かす為だけに機能する悲しき里。

 

 人間達に自由はなく、賢者達の思うがままに運営されている哀れな陸の孤島────。

 

 

 っていうのが理想でした()

 実際には化け物達による恫喝によって自治権やら外交権やらを(私の独断で)渡しているので、人里はもはや独立された一種の勢力なのよね。

 

 ちなみに今日私が人里にやって来たのは、ここ担当の賢者と話し合いをつけるためなのよ。種族は勿論人間。ただし、少しばかり特殊な。

 

「さて、それじゃ行きましょうか」

「ちょっと! 話が違うわ。紫とは別行動って話だったじゃない」

「ええそうね。だから私のいない所では貴女にお目付役を付けておくの。私の見てない所で変なことをしていないか──その監視をね」

「……っ!」

「今日はそれなりに忙しくてねぇ。貴女を見守るには時間が足りない」

 

 ごめんなさい霊夢。嘘は言ってないのよ。

 だって貴女に近づく男なんていたら即粛清対象なんだもの。私のスペカが火を噴くわよ!

 そこんじょそこらの有象無象ごときに霊夢を嫁にはやらん! 霊夢を嫁にしたくばこの私を倒してからに───と思ったけどレミリア辺りが殴り込んできそうだからやめた。

 うん、霊夢は私とずっと一緒にいましょうね!

 

「……信用できないってことなのね」

「そういう事ではないわ。私はただ貴女がいいように利用されないかが心配で……」

 

 なんでいじけてるんですか霊夢さん。もしかしてもう男が出来ちゃってたりする? この子って実は結構面食いだったりするから。

 ……まさかねぇ。

 お、お母さんは許しませんよ!

 

 

 こうしてなんだか互いにモヤモヤしながらそのお目付役の家へ。すごく気まずいわね。

 こんな時こそ第三者の存在が必要だ。そう、人里にはあの子が住んでいる──!

 

 立場が立場なんで人里の端っこに居を構えているが、彼女は人里の人気者。霊夢とともに行動していてもなんら不信感は抱かれないはず。

 

「着いたわ。ここがそのお目付役候補の家よ。少し特殊な造りをしているでしょう?」

「……そうね。まるで何かの職人の家ね」

 

 まるで江戸時代の平屋のような造形。今にも鉢巻をした親父さんが「てやんでい!」とか言って出てきそうな雰囲気を醸し出している。

 しかし、軒に立てかけられた看板を見るとそんな雰囲気も霧散してしまうのだ。

 

『鍛冶、ベビーシッターやります! お代そこそこ吃驚沢山いただきます』

 

 そんな事をデフォルメされた茄子傘がウインクしながら言っているイラストを見れば、どんな人物がこの家に住んでいるのか想像だに難くない。

 霊夢もなんだこりゃ? って顔をしてる。

 

「ごめんくださいな。居るなら返事してちょうだい、小傘」

 

 声をかけて数秒後、中からバタバタと(せわ)しい音が聞こえてきた。そして木製の扉にバコン! と。

 ……転んで頭をぶつけたわね?

 

「いたた……やっぱり紫さんかぁ! そっちから来てくれるのは珍しいね!」

「ごきげんよう小傘。元気そうでなによりよ。今日はちょっと貴女に頼みがありまして。───あっ、これメリーからの手紙ね」

 

 そう、お目付役候補は驚天動地の化け傘ちゃんこと多々良小傘その人である。

 彼女なら里に警戒感を与えることもないし、私に虚偽の報告をするはずもない。それに一応霊夢とは顔見知りの関係にあるしね。

 

 小傘に簡単に事情を説明した。

 まあ掻い摘んで言うなら霊夢と人里を回った後、何があったかを大雑把に報告して欲しい旨を。

 

「私はちょっと野暮用で忙しいからその代わりを、ね。アテは貴女の他にもいることにはいるけど、やっぱり貴女が一番頼みやすくて」

「ふーん……夜までならいいよ。夜からは蛮奇ちゃんと会う約束をしてて」

「問題ないわ」

 

 それにしても頼みを1発で聞いてくれる小傘の懐の深さよ。流石やさしい。

 ちなみに小傘が断っていた場合、お目付役候補には上白沢慧音や橙がいた。しかしこの二人は結構多忙だからそうならなくてよかったわ。

 

 ふと、霊夢を見てみると、何故か俯きながらお祓い棒で何度も地面を叩いていた。

 怒り……いや、そうじゃなくて──。

 

「取り敢えず人通りの多い所を歩けばいいんだね? よし行こう霊夢さん!」

「大丈夫なのかしら」

「あっ、私も途中まで御一緒しますわ」

 

 

 

 

 

 

 流石に私と霊夢が歩くと注目が集まるみたいで、周りの視線に晒されて若干恥ずかしい。気楽な小傘が羨ましいわ。

 そうだ。こんな時は適当に笑顔を振り撒けばいいわね。はいにぱー☆

 ……なんで顔を逸らして逃げるの?

 そりゃ、私は人気者って柄じゃないし別に大した反応を期待してたわけじゃないけど……ちょっとばかし酷くないかしら。

 

 

 

「そこのお嬢さん方、易は如何かな?」

「……?」

 

 初めて人里で声をかけられた。

 頭には宗匠頭巾。実に占い師らしい服装。 痩せ型の男性で丸眼鏡を掛けている。あれは占い師の一種──俗に言う易者ってヤツね。

 ……なんか怪しい。

 

 霊夢はガン無視でスルーしようとしている。

 が、もう一人の連れは我慢できなかったようで、興味深げに易者を一瞥すると、ホイホイ歩いて行ってしまった。貴女お目付役ってこと忘れてない?

 

「うわー紫さん! あれ幻の易者さんだよ!」

「幻の易者?」

「予言の精度は百発百中、しかもお値段格安で占ってくれるって評判なんだけど、あまり表に出てこないから会えた人はラッキー!って新聞に書いてあった」

 

 小傘、解説ありがとう。

 なるほど……その記事は見た事あるわ。確か『文々。』じゃない方の新聞だったと思うけど、何って名前だったかしら? ま、いっか。

 私って占いについてはあまり信用してなかったりするのよね。だって知り合いの仙人に「なんか良い風水ある?」って聞いてその言葉通りに実践した次の日、我が家大倒壊だから。

 邪仙を頼ってはならない(戒め)

 

 そもそもレミリアの予言だってよく外れるし? っていうか私に関する予言だけ故意的に外してるみたいだし? 信用ならんわ!

 

「はいはいわちきを占って!」

「それではそちらの唐傘のお方から。──……ふむ、これは良いな」

 

 易者は細い竹籤をじゃらじゃらと鳴らしながら簡素に言う。

 

「お前はとにかく人周りがよろしい。良き友人に恵まれている。それはお前の身から出る気質のおかげであるところが大きいようだ」

「持ち主には恵まれなかったけどね!」

 

 小傘ぁ……そんな悲しいことをよくケラケラ笑いながら言えるわね。

 いや、この底抜けの明るさこそ、小傘を小傘たらしめる本質なのかもしれない。

 

 だが易者の話は終わらず、但し、と付け加える。

 

「これから数年以内に現れるであろうとある人物が、お前のこれから先の運命に深く関わるだろう。それは吉とも、凶ともなる大きな出会い。十分に用心するよう心がけることだ」

「むむ……! 後味悪いなぁ」

「それと、お前の胸に秘めてる願いは叶うだろう」

「ホント!?」

 

 小傘大はしゃぎ。ふふ……まだまだ子供ね。

 占い師ってのは相手を喜ばせることしか言わないのよ! 人間って生き物は表面上良い話にはとことん乗せられやすいから。妖怪だけども。

 

 さて続いては……。

 

「そちらの巫女様は如何か? お前からも大いなるうねりが感じられる」

「それっぽいことを言ってるだけじゃないの?」

 

 スルーしつつもなんだかんだ占いを聞いてる霊夢かわいい。あまり乗り気ではないようだが、小傘の強い勧めもあって渋々易者の前へ。

 

「───……難しい。遠くを観るほど結果がボヤけて定まらなくなってしまう。正直、これまで観てきた者たちの中でも一番難解……」

 

 まあ霊夢は浮いてるからね。レミリアもそのことでうだうだ言ってた。

 そして当の霊夢はこんなもんか、と白けているみたい。ていうか易者を蔑視してるようでさえある。なんか珍しいわね。

 

 暫くして易者はぽつりぽつり話し始めた。

 

「恐らく、お前の行く末は沈むか浮かぶかの二択。しかもその選択肢を握っているのはお前ではない。……確証を持てないので断言こそしないが、こればかりはどうすることもできない」

「くだらないわね。私が破滅するとでも?」

「私には分からんな。しかし、巷で聞く限りでは妖怪に近づき過ぎているようではないか。現に今も、な。いずれ妖怪巫女にでも堕ちるのでは? ……クク…その気持ちは分からんでもないがなぁ」

「勉強不足ね。あまり馬鹿なことは言わない方が身のためよ。幻想郷において最大の罪は人間が妖怪になること。そして私は妖怪退治の専門家……何が言いたいか分かるかしら?」

「ああ、()()()()()()。勉強不足だけは、ごめんだからな」

 

 睨み合う二人の視線は、様々な想いと意志を孕んでいた。今にも霊夢がお祓い棒を振り上げて易者の頭をカチ割りそうな、そんな雰囲気。

 ……わけわかんない。

 

 この易者からは大して力を感じない。しかし何故か、えもいえぬ凄みを感じる。

 けど逆に言えばそれだけだ。私と小傘からしてみれば「何言ってんのこの人?」ってわけで。

 

 

「それでは私のことも観てくださいな。そろそろ待ちくたびれましたわ」

 

 催促を入れることでこの嫌な空気をぶった切る! シリアスブレイカーの極意は紅魔館で嫌というほど見て培ってきたもんでね!

 易者は眼鏡をかけ直すと笑顔を浮かべた。

 

「勿論。──いや、そもそも私が貴女たちを呼び止めたのは、賢者様の為を思っての善意。貴女からはとても危険なモノを感じる。だから易者としての使命に従い、貴女に御助言おばと」

 

 う、胡散臭ェ……。

 この易者、一癖も二癖もある曲がり者だ。そんな奴が使命や善意を語ったところで得体の知れなさがさらに膨れ上がるだけ。

 だが気になる!

 

「そうですか。ならば聞きたいのですが、具体的に何が危険なのでしょう?」

「この中で最も貴女が死に近しい」

「!?」

 

 直球すぎて変な笑いが出たわ。ほら、霊夢と小傘も呆れてる。

 まあそりゃそうでしょうね。霊夢どころか小傘ほどの力もない私が幻想郷の中枢で粋がってんだもの。歩く死亡フラグと言っても間違いじゃない。

 

「”欠けた”月が幻想郷を照らす時、貴女は峻烈な直面に出くわすだろう。しかし、その後の行動で貴女の運命は大きな変遷を遂げる」

 

 あーハイハイでたでた。似非占い師特有の決まり文句の「貴女の行動次第」

 そう言っときゃどう転んでもいいんだから楽な職業よね占い師って。

 

「それはそれは、満月の夜以外は出歩かないよう気をつけるとしましょう。……それだけ?」

「ふむ、ならばあと一つ。───貴女の願いが成就することはない。天地がひっくり返ろうが崩落しようが、決して叶わぬ。儚き幻よ」

 

 私の夢? ああ、みんな仲良し幻想郷か。

 んなことドヤ顔で言われなくても分かってるわこんちくしょう! 再確認させてんじゃないわよ!

 てか私の予言、辛辣すぎない?

 

「ふふふ……話半分程度に聞いておきます。易とはそういうものでしょう? 脳の片隅に置いておいて、来るべき時に備えるのみですわ」

「如何にも。所詮これらの助言は一易者の戯言にすぎん。信じぬ方が幸せかもしれんな」

 

 含みげに口の端を持ち上げながら、そう易者は締めた。後ろで霊夢の遠ざかる足音が聞こえる。なんであんなにイラついてるんだろう?

 小傘が代金を出そうとしたので手で制した。

 このくらいの優しい料金なら私が出すわ。支払いはまかせろー!(グパァ)

 

 

 

 易者と別れた時に気づいたんだけど、いつの間にか村人たちからかなり注目を集めていたみたい。賢者と巫女が占いなんてしてたら仕方ないのかな?

 小傘と霊夢が路地に曲がったので、私もそこに入ると同時にスキマを開いた。

 

 ぼちぼち目的地に向かいましょうか。

 私って時間にルーズなのはあんまり好きじゃないのよね。つまり相手を待たせるのは嫌だってこと。だって瞬間移動に等しい能力を持ってるのに遅れたらなんか申し訳なくなるでしょう?

 

「それじゃあ私は一旦離れるわね。霊夢……あんまり羽目を外さないように」

「……分かったわよ。監視なんて必要ないのに」

「ごめんね霊夢。もう少しだけ私に過保護でいさせてちょうだい。──小傘、霊夢をお願いね。もしも彼女に変なのが近付いたら追い払って」

「闇を感じるなぁ」

 

 闇じゃなくて光を感じなさい。

 あんまり言い過ぎてもウザいと思うので、これだけ言ってさっさとスキマに潜った。

 

 

 小傘と霊夢……仲良くなれるかしら。

 まずそもそも霊夢は妖怪撲滅原理主義者だからね。一昔前なら妖怪をお目付役になんて考えなかった。しかし昨今の霊夢はどうも丸くなってきたみたいだし、そろそろいいかなって判断したのよ。

 これもレミリアや萃香のおかげだったり? くっ……なんだか屈辱……!

 

 

 




易者おじさん大活躍の回でした。易者おじさんの易は結構特殊で、なんかこれスゲェなっていう邪道の技です
そして生前易者が優しいおじさんっぽくて辛い

何気に大切な話がちらほら


詰め込みすぎなので分割。次話は数日以内に





今だから白状しよう
EX組は癒しじゃなくてめんどくさい枠
6ボスはただめんどくさい枠
5ボスもめんどくさい枠
4ボス(ry


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歴史を纏う賢者(後)

前話からの続き
ゆかりん有能回


 妖怪たちにとっての幻想郷における危機とは、人里から指導者が現れること。

 そうすれば人間たちは間違いなく、幻想郷のルールを破壊し始めるだろう。それを賢者を始めとする者たちはどうしようもなく恐れた。

 

 こうくれば必然的に起こる事となるのが、妖怪たちによる人里勢力争いだった。

 人里は表向きでは緩衝地帯として妖怪各々が保護しているように見えるが、その裏では熾烈な縄張り争いが繰り広げられている。

 

 どこで作られたのかも分からぬ薬を優しくない値段で売りつけるウサギたち。かわいらしい姿を利用して、寄付金という名のみかじめ料を取っていると聞く。

 新聞によって人間の里における「情報」を牛耳り、幻想郷の世論を操る天狗。腹の内が定まる事がないので、言葉を信じる事ができるのはその一瞬だけだ。

 幻想郷の最先端を牽引する類い稀なる技術力によって、人里に近づく河童。 表と裏の顔を使い分けて人間を誘い込み、いざ使い物にならなくなれば容赦なく尻子玉を引き抜いて殺す。

 ほぼ新参ながらも新たな勢力として人里を荒らす狐狸。連中のせいで人里の貨幣経済はもうめちゃくちゃ。定期的に解決役として藍を派遣しているが、勘のいい奴らで到着前にはいなくなってしまう。

 

 

 ……いや、あのね。この現状を私は放置してきたわけじゃないの。勿論よね?

 当然連中のリーダーと思われる因幡てゐや、天魔や、河城にとりに自制を求めた。(狐狸についてはリーダーが存在しない、もしくは幻想郷にいないと思われる)

 しかし帰ってくるのはいつも意味不な言葉で、挙げ句の果てには内政干渉と罵られる始末。

 あのクソウサギの顔見た時は本気で戦争してやろうかって思ったほどだったわ。反省反省!

 

 とまあそういう訳で、連中に一泡ふかしてやろうと私はとある人間と協力することに。

 結果として、私は人里に最高の指導者を作り出した。そしてさらにその指導者に賢者のポストを用意してあげたのだ。

 これにて人里側の自治権……というよりは独立権が強化されることとなり、妖怪たちからすればあまり面白くない結果となっている。

 総じて考えていた最悪の未来が現実になってしまったからだろう。てゐからは目の前で思いっきり舌打ちされたわ。うん、慣れてる。

 

 もっとも、彼方がなにか行動を起こす場合にはちゃんと私に報告&許可の義務があるから大丈夫、だいじょーぶ!

 だって人里が暴走する時なんてのは私か指導者が同時に死んだ時か、人里の力が賢者総員の権力を越した時にしか訪れないから。

 

 それに逆に宥和政策によって何人かの温和な妖怪が人里に進出するという、素晴らしい現象も起きている。幻想郷が、1つになっている……!

 

 んー……やっぱ私って有能!

 

 

 

「……人妖の関係は幻想郷の形に合わせて変遷を迎えようとしているみたいねぇ。人間と妖怪の理想郷にはまだまだ程遠いですけど」

「顔を合わせて一番にそれですか。貴女らしいですね、紫さん」

 

 スキマにもたれかかったままの私と話す彼女は気抜けした様子だ。けれども慣れた様子で使用人にお茶を二人分頼むあたり、流石だろう。

 

 紹介しましょう。彼女の名前は稗田阿求。

 名家である稗田の9代目当主であり、人里内での最高権力者の一人であり、是非曲直庁の重鎮であり、そして私と()()()でもある。

 幻想郷の「光」と「グレー」の部分を書き伝える使命を背負った乙女であり、幻想郷を心から愛している人物。花の髪飾りがとてもチャーミング。

 趣味は妖精虐め。

 

 今日はそんな彼女と色んな事を話し合う予定だ。

 私の知り合いで数少ない戦闘狂ではなく文化人である阿求。貴重な存在ね。

 

 

「霊夢の代になってより幻想郷の漫然と流れるだけだった時間は停滞した。それはとてもリスキーなことではあるけれど、同時にとても素晴らしいことですわ。そうでしょう? 阿求」

「どうでしょうね。あんな大異変が何度も起きては幻想郷そのものが持つのかどうか、甚だ疑問です。そしてなにより、幻想郷縁起の内容がさらに充実してしまう。ネタに溢れて困るとは、天狗の方々には悪い悩みですよ」

 

 全くもってその通りだと思う。

 霊夢の代……つまり阿求の代になってより幻想郷で起こる異変の周期が凄まじい事になっているのは言うまでもない。

 その度に新たな実力者や新たな勢力が次々に現れて、どのタイミングで幻想郷縁起を纏めて良いものか阿求は迷っているらしい。

 いや勿論だけど、これ以上異変が起きないのが一番なんですけどね!

 

 と、使用人が持ってきたお茶で喉を潤し、次なる話題を選ぶ。阿求とは共有できている情報が多いので話の内容に困ることがないのだ。

 もっとも、中には私にとって不都合な物もあって。

 

「それで、会うのは去年の夏以来ですが……今年の紫さんはどうも忙しかったみたいですね? 異変に参加したり、異変の原因を作ったり。紫さんって介入主義でしたっけ? いや、おかしくなったのは紅霧異変からでしょうか」

「ふふ、耳が痛いわね。私は積極的な介入を良しとするわけでないけれど、日和見に甘んじるほど幻想郷の情勢が安定しているとも思っていない。春雪異変については、アレが一番穏便に済む方法と思い、実践したまでよ」

 

 だって幽々子たちのことボランティアって思ってたんだもん。私はあくまで異変を終わらせたかっただけでね? 別に幻想郷を混沌に陥れようなんてこれっぽっちも思ってないから。

 そして───。

 

「そしてこれより幻想郷へ平穏を享受させる方法を……考えているわ」

「興味深いですね。試しにお聞かせ願えますか?」

「現状の幻想郷は力で全てを決着させる──悪く言えば野蛮な風潮が蔓延しています。最も簡単でシンプルな方法がそれですもの、仕方がないことですわ」

「そうですね。強大な力を持つ妖怪たちが周りに興味を無くしてしまっているのが不幸中の幸いでしょうか。しかしそれが何か?」

 

 それこそさらに簡単な話。

 力を使わないようにすればいい。

 

「決闘方法を力ではなく、技と美しさにすり替えればよいのです。拳や妖力、能力ではなく、この弾幕によって」

「弾幕……なるほど、スペルカードはその為の布石だった、ということですね」

「その通り。ちゃんとルールを定めれば幻想郷破壊を食い止める事が出来ますし、何より『格差』を縮める事ができる。あの時は吸血鬼異変によるゴタゴタで流れてしまったけど、次の賢者会議の際にこれを提言してみようと思っています」

「それで私の元に来たのですね。……今回は賛同がお望みで?」

「いいえ、共同声明が望ましいわ」

「そうですか」

 

 スペルカードルールを幻想郷に普及させる為には兎に角大勢の賛同が必要になる。

 しかし一々個人を訪ね回って賛同をお願いするには時間と手間がかかってしまう。

 だから力ある者とともに共同声明を出すのよ。ヒエラルキーの上位者がルールに恭順すれば、下も続いてくれることでしょう。

 

 そうした意味では阿求は最高に適した存在だ。

 阿求の一存は人間全体の一存と言っても相違ではない。そして文治派の彼女なら必ず私と道を共にしてくれると信じていた。

 

「現状を鑑みるにそう簡単な道ではないでしょうが、一応の協力は惜しみませんよ。妖怪の沈静化は我々にとって利あることですからね」

「左様ですか……ふふ」

「その代わりと言ってはなんですが、(人里)からの要求にはなるべく箔をつけてもらえませんか? それほど大それた事を言うつもりはありませんが」

「いいでしょう。これで互いにwin-winの関係になる……つまり貸し借りはなしね」

 

 なんか頭のいい話しているような気分ね。阿求との話はスムーズに進むからホント楽。

 

 これにて賢者関連のお話は終わりっ! 続いては個人の話に参りましょうか。

 お茶もそろそろ無くなってしまったのでお代わりをお願いしつつ、次なる話題へ。

 

「それでは幻想郷縁起についての話を。率直に聞くけど、どの程度進んでる?」

「取り敢えず今回載せる妖怪の選定と情報の収集はほぼ終わりました。そろそろ紫さんの目にも通して欲しいと思ってましたので、好都合ですね」

 

 私もそろそろなんじゃないかって思ったのよね。あくまで幻想郷縁起は御阿礼の子の主観によって書かれるんだけど、どの代も熱が入るとちょっといけない領域の話まで書いちゃうことがある。

 それを監督するのが私の仕事ってわけ。

 

 阿求から原本を受け取って中身を確かめる。

 なになに?

 

 ルーミア……うん、危険度は極高に変更ね。チルノも極高に変更。紅魔館の面々も全員極高でいいでしょ。あっ、ちょい待ち。

 

「フランドール・スカーレットの項なんだけど、危険度と人間友好度が逆になってない?」

「えっ……いや合ってますよ」

「なら変更ね。危険度は極低でいいわ」

 

 阿求は思いっきり眉を顰めた。そしてそれを見た私も眉を顰めた。

 いやなんでよ。フランが危険度極高って、他の面々の危険度が天元突破するわよそれ。

 

「……紫さん、正気ですか?」

「当たり前じゃない。嘘は書いちゃいけないわよ」

「嘘、ですか。分かりました……ではそのように」

 

 阿求は渋々といった感じで原本を書き直した。うん、それでいいわ。さて読み進めましょうか。

 

 ってアレ?

 私も幻想郷縁起に載るの? いやいいんだけどなんか恥ずかしいわね……!

 それよりも気になる事が。

 

「私の危険度は不明、ねぇ。ここは極低でいいんじゃないかしら?」

「紫さん。嘘はいけませんよ」

 

 にっこり笑顔で返された。解せぬわ。

 しかし、よくよく考えてみると確かに里人から見れば私って正体不明の妖怪かもしれないわね。危険度なんか分かるはずもないよね。

 まあ、あと10年の間に好感度上げに努めれば極高に変更されるでしょう。

 

 ……ん? 説明文が空白になってる妖怪が何人かいるわね。こりゃどういうことかしら?

 

「レティ・ホワイトロックや因幡てゐ、風見幽香の欄が空白になってるけど、どうしたの?」

「いやー……実はその方たちの情報が集めきれなくてですね。もう載せるのは止めようかなと考えているんです。どっちみち会ってしまえばもう助からないような妖怪ですし」

「変なところで適当ね貴女」

「代々変わらないでしょう?」

 

 お、おう、そうね。いやー結構胸にくるブラックジョークだった。

 けとまあ確かにこの三人はよく分からない部分が多いわよね。レティ・ホワイトロックなんて一回会ったっきりだし。

 ……あの雪女、怖かったわ。

 

 さて、これで妖怪図鑑は終わり。次に続いたのは英雄伝という幻想郷の力ある人間たちを載せたコーナーだった。

 うん斬新でいいわね! 霖之助さんがボロクソ書かれてて笑ったわ。

 

 続いて幻想郷の名所の紹介なんかが載ってて、そして次のコーナーは……。

 

 

 

 なにこれ?

 

「……随分と古いメモを載せてるのね」

「はい! なんせ数百年前のものですから。今でも理解できない単語がつらつらと並べられていて、とても興味深いので。友人の小鈴に見せてみたんですけど、その字の通りだって言われちゃって」

 

 小鈴っていうのは鈴奈庵っていう貸本屋の娘さんのことね。なんでもあらゆる文字を読むことができる能力を持っているらしい。

 私は一度も会ったことがないけど。

 

 それよりも気になるのはこのメモだ。

 GPSだのホーキングの時間矢だの……明らかに数百年前の日本に存在し得るはずのない単語が並べられている。

 そしてこのメモを書いた当の本人も昔の日本みたいだ、とタイムパラドックスを仄めかしている。魂の構成物質、と訳わからん専門用語も。

 

 そして──最後に人名と思わしきモノが書かれている。

 その部分がどうにも気にかかる。何気ない一文なのにどうしても目が惹きつけられる。

 

 

【目が覚めたら()()に言おうっと。さて、そろそろまた彷徨い始めようかな。】

 

 

 蓮子……か。蓮子って────

 

 

 

 

 

 

 

 変な名前ね。

 読み方は「れんこ」でいいのかな? いや、もしかしたら「はすこ」の可能性も。女の子だろうってことは分かるんだけど。

 

 うーん、分からない! やっぱり名前はシンプルなのに限るわ。(*おまいう)

 

「一通り読みましたけど、特に問題はないと思う。それに今までの中でも一番読み応えのある幻想郷縁起でしたわ」

「本当ですか? ……それは、嬉しいですね」

 

 言葉の通り、阿求は嬉しそうにはにかんだ。……笑顔も代々変わらないのね。

 

「それで次の出版はいつ頃に? 人里の者たちは今か今かと待ち望んでいるようですが」

「来年あたりを考えています。──……あの異変の年にもなりますしね」

「……ああ、もう六十年経ったのね。月日が経つのは恐ろしく早いものですわ」

「まったくです」

 

 さーて、話すことも全部話し終わったし、帰るとしましょうかね。霊夢と小傘の事も気になるし。

 

 

 

 そろそろお暇しようとした、その時だった。

 襖が勢いよく開け放たれる。

 

「阿求! どうも凶暴な妖怪が里に紛れ込んだらしい! 避難指示についての───あれ、貴女は」

 

 青混じりの白髪が揺れる。

 現れたのは里の守護者である上白沢慧音。藍と同じく賢者の座を自ら辞退した傑物。

 能力はよく分かんない。

 

「こんにちは。阿求とは幻想郷縁起についての打ち合わせをさせていただいてましたわ」

「そ、そうか。いや、貴女がいるならなおさら好都合だ。実は先ほど妹紅──連れの者が里内で凶悪な妖怪を見かけたようなのです。なんでも昔に人間を惨たらしく食い殺した妖怪らしく、その実力は相当なものと」

「凶暴な、妖怪……」

 

 い、一大事じゃないの!

 慧音が取り乱すほどの妖怪を人里で野放しにせるわけにはいかないわ!

 今すぐ実力者に情報を伝達して……いや、それよりも霊夢に話す方が早い!

 

「分かりましたわ。ちょうど霊夢が人里に来ていることですし、あの子に退治を頼みましょう。それでは私は彼女の元へ」

「では私は避難指示を。……それで、その妖怪に何かの特徴は?」

 

 スキマに突っ込んだ足を止める。

 危ない危ない……その妖怪の姿形を聞いておかないと霊夢に詳しく情報を伝えれないじゃないの。私ったらおっちょこちょいなんだから!

 

「特徴……確か妹紅は『金色の髪』と『紫の瞳』と言ってたな。金髪自体が人里では珍しいからすぐに見つかると思うんだが……」

「金髪なんて霧雨家ぐらいですからね」

「それに合わせて紫の瞳ねぇ。随分と派手な妖怪がいたものね。これじゃ退治も時間の問題かしら?」

 

 

「ん?」

「あっ」

 ……あ!

 

 阿求と慧音の視線で漸く気付いた。

 それ私じゃん。いや、私じゃないんだけども。

 

「まさか、な?」

「紫さん……人食い妖怪じゃないんですよね?」

「ええそうよ。人肉は苦手だって昔からずっと言ってるじゃない。間違っても人間は食べないわよ。私の名に誓うわ」

「そうですよね。うん」

 

 本当に勘弁して欲しい。今ここにいるのが阿求と慧音だから良かったものの、もし思い込みの激しい奴だったらって考えると鳥肌モノよ!

 うくく……けどこれってもう人里には私と同じ特徴の妖怪の情報が行き渡ってるってことよね? あーんもう表を出歩けないじゃない!

 

「とんだ迷惑だわ。それじゃ巻き込まれないうちに家に帰るとしましょうか」

「ああそれがいい。妹紅の奴……冷静じゃなかったからな。制止の言葉も通じるかどうか」

 

 妹紅っていうのが誰なのかは知らないけどやべー奴だっていうことは分かった。これからも極力合わないように気を付けよう。

 

 阿求への別れの言葉もほどほどにスキマへと潜って霊夢の元へ。

 

 

 

「あっ、紫さん!」

「……紫」

 

 二人はすぐに私に気が付いた。背後から出てきたんだけどすぐに気付くあたり、背中に目でも付いてんじゃないかなって思う。小傘はともかくね。

 どうやら二人も凶悪な妖怪についての情報を有しているようで、今は里に詳しい小傘の土地勘で隠れやすい場所を絞りつつ、しらみ潰しにその妖怪を探そうとしていたみたい。頼もしいわ。

 ついでに誠に遺憾なんだけど当然の如く二人とも私の髪と瞳をガン見していた。泣くわよ?

 

「とんだ人里散策になっちゃったわね。……霊夢、やり過ぎないように」

「善処するわ」

 

 いやマジでお願いします。人里が吹っ飛んだらもう信用回復どころの話じゃなくなるわ。

 霊夢もそこらへんは分かってると思うんだけど、やっぱり不安だわ。

 

「小傘も頼み事の連続で悪いけど、霊夢をサポートしてあげてちょうだい」

「言われなくても大丈夫だよ。人里における妖怪の地位を失墜させようなんて、わちきに喧嘩を売ってるとしか思えないわ!」

 

 おお、小傘が燃えている! これは期待大ね。

 ……いやけどvs萃香の件もあるし、やっぱり期待は小ってことにしときましょう。

 

 霊夢は煩わしいそうにしてるけど、驚かせる為に人里を網羅している小傘と行動した方が効率がいいことは明らかで、霊夢もその事を承知しているようだ。

 そう霊夢。そうやって他との連携を学ぶのよ。魔理沙や藍以外とでも共に戦えるように。

 

 ふわりと浮き上がって、民家の屋根を駆けていく霊夢に小傘が追随する。霊夢が動き出したんじゃ凶悪な妖怪さんももうお終いね!

 さて、私は家に帰ってのんびり報告を待つことにしましょうか───。

 

 

 

 

「よう」

 

 声をぶっきらぼうにかけられた。肩に手を置かれると、無理やり後ろへ振り向かさせられる。

 

 そこに居たのは人里では完全に浮いた存在。

 赤いもんぺのようなズボンをサスペンダーで吊った白髪の少女が、燃えるような紅い瞳で私を睨みつける。感じるは圧倒的な敵意。殺意がその身から迸っている。

 

 背後の空間がゆらゆらと陽炎のように揺らめいているのは、その身体から放出されている妖力によるものだろうか。

 

 

「見つけたぞ、クソ妖怪。こうして会うのは何百年ぶりだろうな?」

「……」

 

 何か言えるはずもなく、私は必死に状況を把握するしかできなかった。

 今すぐにでもスキマを開いて逃げたいんだけど、目の前の少女がそれを許してくれるとは到底思えない。いやだ、怖い……。

 

 彼女からの憎しみを直視できなかった私は、思わず目を逸らした。逸らしてしまった。

 途端に首が締まる。少女は──いや、憎悪の化身は私の襟首を掴んでいた。

 

「なんとか言ったらどうだ?」

「っ……!」

「だんまりか。私をあまり舐めるなよ……!?」

 

 妖力が爆炎として立ち昇った、その瞬間だった。

 ほぼ無意識。右手を横に動かして境目を作り出す。指定した場所に生み出された境界は空間と細胞を断ち切り、私の首を掴んでいた少女の腕が宙を舞った。

 拘束から逃れた私はバックステップを踏みつつ後ろへ方向転換。そして作り出すはスキマ。一直線に逃走経路へと走る。

 

「……ッ逃がすかよ!」

 

 体がほぼスキマの中に入ると同時に、少女の手が私の髪の毛を掴んだ。凄まじい熱を背中に感じるが、それに気をとられる暇はなかった。

 

「待──」

 

 

 スキマは閉じてまたもや拘束から解放される。勢い余って前のめりに転倒して頭を打った。凄く痛いです……!

 

 目の前に広がるのは見慣れた我が家。そして背後には焼き焦げた私の髪だったモノと、切断された少女の腕が転がっていた。

 ホッとしたら腰が抜けちゃった。

 

 ……何だったのかしら今の。

 全てが突然すぎて現実味を感じない。

 

 あの少女はなんであんなに私に対して殺意を放っていたのだろう?

 心当たりは勿論ないんだけど、ほら私っておっちょこちょいなお茶目さんだから、知らないところで迷惑をかけたのかも。……腕二本とも切り落としちゃったわ。どうしましょ……。

 

 てか今の私の動きカッコ良くない? 今の一連の動作だけで妖力すっからかんだけど、久しぶりに大妖怪っぽい事が出来たような気がする!

 

 あれ、安心したらなんだか涙が……。

 

「紫様! いったい何が!?」

 

 異変を察知したのだろう、ドアを蹴破って藍が飛び出した。慌てすぎじゃない?

 視線が私、私の頭、落ちている腕、千切れた髪の毛、の順に移っていく。そして少ししてからわなわなと震えだした。

 

「そんな……紫様の髪が! お、おのれ……どこの誰だか知らんが許せん! 灰塵と帰してやる!」

「落ち着いてちょうだい。髪ならあとで幾らでも生えてくる……それに彼方はもう生きてはいけないわ。報いなら十分よ」

 

 腕を二本とも切っちゃったから、あの少女は外出血によるショック死で息絶えている頃だろう。殺されかけた身ではあるけど、哀れに思う。

 命を奪うに足る人物ではなかったかもしれない。

 

「さ、左様ですか。しかし……」

 

 藍は地面に落ちている髪の毛と腕を拾い上げた。とても悲しそうな目で髪の毛を一瞥し、続いてさも憎々しげに腕を睨む。

 ……貴女ってもしかして髪フェチ? まあ私の髪は自分で言うのも何だけど綺麗だから仕方ないことかしらね。

 

 ふぅ、疲れた。取り敢えず焼き焦げた髪の毛を整えよう。そして寝る。

 今日もまた、幻想郷に涙した1日だった。

 

 

 

 ───────

 ──────────

 ─────────────

 

 

 

 

 

 今日も私は夢を見る。何の変哲もない可笑しな夢。

 何時ものように喋らない貴女が横に立っているだけの、面白くない夢。

 貴女と一言でいいから話してみたい。さぞ綺麗な声音が聞けるんでしょうね。

 

 どうか、どうか一言だけでも──。

 

 

 

 

 だが、今日の夢は少し違う。

 

「おねーさんは誰? なんでここに居るの?」

「……貴女は……」

 

 いつもと変わらない空間だけど居るのは私とあの女の子じゃない。居たのはあの子に少しだけ似ている幼い少女。

 あの子よりもやや明るい髪色。デフォルメパンダがプリントされたパジャマを着ていて、髪の毛の所々には寝癖が可愛らしく立っている。

 

「ここは私の夢よ。私がここに居たっておかしなことはないでしょう?」

「おかしいわ。だってここは私の夢なのよ? どうして私の夢の中におねーさんの夢が出てくるの? 訳わかんない」

「そうね……私にも訳が分からないわ」

 

 夢と夢が繋がった?

 まさか、ドレミーの介入無しにそんな事があり得るの? それも見ず知らずの少女の夢なのに。

 人の夢はいずれも深い根底の部分で、全ての夢と繋がっている。あり得ない話ではないのだろう。……けど、私にとってはいささか狙われたタイミングのように思える。

 

 あの子の夢とこの子の夢。

 それが変化した。──いや、すり替わった?

 

「取り敢えず自己紹介をしましょうか。もしかしたら互いに只の夢の住人だっていう可能性もある。現実に住まうならちゃんと証拠を示さなきゃ」

「えーっと……よくわかんないけど私から」

 

 少女は警戒感もなく私に自己紹介を始めた。

 

「えっと、宇佐見菫子っていうの。東深見? ってところに住んでるわ。歳は今年で6歳!」

 

 少女──菫子からは年相応の元気さを感じる。精神をありありと映し出す夢の世界でコレってことは、現実世界でもそれは活発な女の子なんだろう。

 菫子が本当に存在するなら、だけど。

 

「6歳……それじゃあ一年生さんね。東深見は聞き覚えがないわねぇ。何県か分かる?」

「県? 分かんない」

「なら東京ってところに近い?」

「行ったことある。おとーさんはいつも東京で働いてるの」

「……神奈川か埼玉あたりかしら」

 

 それにしても菫子の反応はやけにリアルだ。

 感覚も現実とそう違いないし、私と同じ現世の存在ってことで間違いなさそう。

 それじゃあ私からも。

 

「私の名前は八雲紫。幻想郷っていう所の管理人をしているの。歳は……まあたくさんね」

「幻想郷? それって日本?」

「ええ日本よ。私もこんな(なり)をしてるけど一応日本の妖怪」

「妖怪!?」

 

 菫子は声をうわずらせた。

 未知のものをみる好奇心の視線。空想上の存在が現れて興奮しているのだろうか。

 ……悪くないわね。

 

「幻想郷は貴女たち人間に忘れ去られた者たちにとっての楽園。人間、妖怪、妖精、神様──ありとあらゆる種族が仲良く平和に……って訳じゃないけど、そこそこ元気に暮らしてるわ」

「す、すごい…すごい! 私の知らないそんな世界があったなんて、信じられないわ! あのさ、幻想郷には空を飛べる人いる? 物を触らずに宙へ浮かすことができる人はいる?」

 

 菫子はマシンガンのように捲し立てる。

 どうやら幻想郷の存在が彼女の琴線に触れたらしい。眩しいほどに目を爛々と輝かせている。……そんないい場所でもないのよ?

 けど、菫子の言うような者たちが沢山いることは事実だ。

 

「ええいますわ。空を飛ぶ巫女さんに手からビームを放つ魔法使い。あっという間に違う場所へ移動する妖怪、人の心を読む妖怪……」

 

 霊夢、魔理沙、私にさとり。

 みんながいる。現実に存在するとは言い難いけれど、形ある幻想として生きている。

 夢なんかじゃないわ。

 

 菫子がこっちに歩みを進める。そして私の手を取った。彼女の温もりもまた、夢ではない。

 

「紫は幻想郷に住んでいるんでしょ! いいなぁ……私も行きたいなぁ。今からでも連れて行ってくれないの? 幻想郷に行けるなら私なんでもするわ!」

「菫子……」

 

 私は手を解いて菫子の肩に乗せた。

 しゃがんで彼女と目線を合わせる。

 

「ダメとは言わない。だけど今の貴女では絶対に後悔することになる。まだこちら側に来るべきではないの」

「後悔なんてしないわ! だって……私の生まれるべき世界は幻想郷だったんだから! ねえお願い紫、いいでしょう?」

 

 駄々をこねられると困るわね。

 神隠しなんて無闇矢鱈にやるもんじゃないのは経験で知っている。菫子は幻想郷に強烈な羨望を抱いているみたいだけど、現実はそうじゃない。

 幻想なのに現実って、変な話だけどね。

 

「菫子が大人になればきっと分かる日がくる。知らない方がいいことも、感じない方がいいことも、この世には溢れかえってる。変わらないに越したことはないわ。無知は幸福よ」

 

 一度浸かってしまえばもう二度と抜け出せない泥沼。現実に反して幻想は醜い。

 菫子は目を潤わせた。

 

「だけど……!」

「それでも乾くのなら……。全てを知ってもなお、幻想を求めるのであれば……」

 

 

 ───受け入れましょう。

 

 

「貴女の未来がどうなろうが結果は突如として去来する。──幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」

 

 

 






「どうもさとりです。今話にて紫さんは自身の事を『有能』と評していましたが、果たして皆さんはお気付きでしょうか? 阿求さんとの話し合いの内情には色々と面倒な裏がある事を。
なーんで自分で気づけないですかねぇ。 ……やっぱりお馬鹿さんだから? ふふ、まだまだあの人には私のお守りが必要みたいですね。
ああ、あと妹紅さんから逃げられたのはめちゃくちゃ運が良かったからです。ぶっちゃけあのクソ雑魚妖怪の紫さんが妹紅さんから逃げ切れるはずがないでしょう? その辺りを説明しますと……時間が足りませんからまた今度。
サザエさん時空? 知らない話ですね。
さて次回は

・出落チルノ
・さとり様は頭の良いお方
・頭空っぽの方が夢詰め込める

だそうです。あっ、どうやら私の出番があるみたいですね。それでは紫さんに起きても醒めぬトラウマを植え付けてやりましょう」


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お⑨ と や⑨も と、ときどき⑨

今回の話でI.Qが9下がりました


 滑りまくる思考と透明な知識で、チルノはひたすら考えることに徹していた。

 妖精、ましてやチルノらしからぬ行動と言える暴挙に妖精界隈は騒ついた。

 

 あたいが最強なのは間違いない。だが、ここ最近の戦績はあまり芳しくないのが現状だ。

 魔法使いに巫女、門番、メイド、そして鬼。一度も触れることができずに負けてしまうこともしばしばあって、黒星続き。

 

 何かがおかしいぞ。

 大妖精は「チルノちゃんは強いよ最強だよ!」と毎日言ってくれるが、最強ってのはそんな安っぽいものだったかと疑問を持つようになった。

 一番強いはずのあたいが何故負けてるんだろうと。負けたら最強じゃないんじゃないか?

 

 大きな矛盾。それを解決すべくチルノは頭を捻ってなんとか答えへ至ろうとする。

 

 考え、考え抜いた。

 チルノの様子を不自然に思った大妖精からいくら病院に行こうと言われても、無視して考え続けた。大妖精は落ち込んだ。

 

 やがて自らを氷の中に閉じ込め、全ての感覚をシャットアウト。チルノは無為自然に遊び、大いなる流れに身と意識を任せた。

 その期間たるや、まさかの三日。あのチルノが三日も氷の中に閉じ籠っていたのだ。

 

 そしてとうとう、答えに辿り着く。

 これこそが真理。

 

 

「負けたのは全部たまたまだわ! 格上のあたいが油断してただけだ!」

 

 チルノは妖精の王たる故の”慢心”という結論に行き着いたのだ。大妖精はいつもと変わらぬ姿にほっと胸を撫で下ろした。

 

 さて、敗北の原因を完璧に把握したチルノであったが、肝心な原因の克服方法を一切考えていなかったことに気づく。

「危うくまた負けるところだった!」と、チルノは自らを諌めた。最強の身でありながら自らを省みる事ができるのは最強たる証拠だ。

 

 取り敢えず、新たに考えなければならない事が出来てしまった。

 しかしチルノはもう頭を使いたくなかった。これ以上酷使してしまえば天才的な頭脳に異常をきたしてしまうだろう。

 やはり頭脳戦は性に合わん事を改めて確認。

 

 普通の妖精ならここらで全てをすっぱり忘れて遊び始める。だがチルノは賢かった。

 自分を最強と位置づけながらも、他人の力を借りる事を躊躇しないのだ。

 

 何故かチルノには広い人脈が存在する。そこんじょそこらの妖精から幻想郷を小指で破壊するような妖怪まで、幅広く顔見知りである。やはり最強か。

 チルノはちっぽけな頭の脳内メモリを検索する。ズバリ、今抱えている問題に的確なアドバイスを出してくれるであろう人物の顔を思い出すのだ。

 

 傲慢、最強に近い、すぐ油断する。

 これらのキーワードから導き出されたのは──やっぱりあいつしかいなかった。

 

 

「ねー幽香。お前ってよく油断するよな!」

「……あ?」

 

 幻想郷の表の御意見番(非公式)こと風見幽香は、突然の氷精に如雨露を地面に投げ捨てた。

 よくもまあ…ここまで完璧なチョイスができるものだと、チルノは内心ほくそ笑む。

 なお大妖精は震えながら遠くから観察中。

 

妖精(害虫)如きが急に何よ。完全な滅びってもんを体験したくなったのかしら?」

「それは興味あるわね! だけどそれはまた今度で、今日は慢心ってヤツを克服する方法を教えてもらいに来たんだ! さあ教えろっ!」

「なんでこんな面倒くさいのが私の所に来るかな……。こういうのは普通あのスキマ妖怪の役割ってもんでしょうが」

「紫は胡散臭いからナシ! 幽香は嘘なんて吐かないでしょ? ほら完璧!」

 

 呆れというよりは脱力。馬鹿な相手は殺気を飛ばしても気付かれないもんだからわざわざ対応しなきゃならないのが面倒だ。

 しかもその相手がチルノなら尚更。今日は運が悪かったのだと思って諦めるほかあるまい。

 

 だがそもそも、初めて二人が出会った時、最初に突っかかってきたのは幽香の方だった。

 面白そうな妖精だったので、ちょっとちょっかいをかけてやろうと軽い気持ちで手を出した。その結果、こんな面倒臭い知り合いが誕生するとは夢にも思わなかった。いや、夢では思っていた。

 

「そもそも慢心ってなんなのか分かってる? 間違っても妖精が使っていい言葉ではないわね」

「……? ……?? あたいは最強だよ?」

「あっそう」

 

 実力者──即ち、幻想郷のパワーバランスにおいて上位に位置する存在。

 そんな連中が幽香を前にして堂々と「我最強」など言おうものならば、彼女は喜んでその言葉を訂正させんと滾るだろう。

 だが相手はチルノで──雑魚、有象無象、妖精。相手にする方が馬鹿馬鹿しい。……少しくらいは光る物があると思っているけれど、所詮はその程度。

 

 無視してれば帰るだろうと、幽香は視線を外して花の水やりを再開した。無関心こそが最も大きな拒絶だから。

 しかし、チルノのブレインは沈黙を相槌と判断した。このくらい図太くないと妖精なんて生き物はやってられない!

 

「なんかおかしいの。前までならみんなあたいと戦っているうちに降参してたんだ。けど最近はあっという間に負けちゃうことが多くて……」

「──」

 

 無視。

 

「色々試してみたりもしたよ。相手を追いかける”ちょーこおど”な技まで開発したわ。時間だって何度でも巻き戻した。文に言われた通り速さ勝負もやったし、レティに言われた通りあたいの氷をもっと冷たくした。けど勝てない」

「──」

 

 無視。

 

「……みんなあたいのことを雑魚って言って虐めるんだ。あたいよりも弱いくせに、最近ちょっとだけ勝ってるだけのくせに……」

 

「──……」

 

 無視。

 

「ここに来るまでだってさ、この前幽香に教えてもらったレーザーを試したんだけど、魔理沙に一蹴されちゃったの。そしたらあいつ『幽香なんかに教えてもらった似非レーザーにこのマスタースパークが云々かんぬん』って……」

「──…は?」

 

 無視、はできなかった。

 

 幽香が気まぐれに教えたチルノ専用レーザー──名付けてフローズンスパーク。

 構造は妖精が使えるだけあってとても単純で、断続的に冷凍光線を浴びせることによる氷の呪縛を刻み付けるだけの簡単な技。

 幽香に言わせればただ冷たいだけの光だが、取り敢えず実用できる範囲内にまでは仕上げさせた代物だった。強いかどうかは兎も角として。

 

 それを、魔理沙が?

 よりにもよってマスタースパーク?

 

 ……気にくわない。

 

 魔法の森に向かってレーザーを今にでも放ってやろうと思ったが、なんとか理性で抑えつける。……まだその時期じゃない。

 だが野放しにできる案件でもない。

 

 自分が力でねじ伏せるのは簡単だ。あの程度の魔法使いなら指2本で事足りる。

 しかし相手はあの魔法使いの弟子。ならば、最も屈辱的な方法で叩き潰してやりたい。それも直接的ではなく、間接的な方法で。

 

 例えば、格下だと思って見下している妖精の手によって、無様な姿で地べたに這いつくばる事になったり、とか。

 

「……いいわ。最強になれる方法を教えてあげる。特別大サービスよ」

「えっ? いや、あたいったらもう最強だからいいや。そんなことよりも油断を無くす方法を教えてくれよ!」

「んなもの強くなれば関係ない。油断なんて強者の余裕に過ぎないわ」

「へー」

 

 言っている意味が解っていないだろうチルノの頭を、幽香が鷲掴みする。

 その様子を見ていた大妖精はチルノの頭が紙風船のように潰れる姿を幻視した。

 

「なんで頭を撫でるんだ?」

「最強にする為よ。じっとしてなさい」

 

 瞬間、チルノの体内に暴れ狂う魔力が唐突に出現する。花畑はあっという間に氷雪舞う荒野へと変貌し、身体から放たれる波動が天候を冬のそれへと変える。

 あまりに突発的すぎて訳の分からないチルノ。だが自分が凄まじい力を手に入れたのはゆっくりと理解した。最強がさらに最強になってしまった。

 

「お、おおぉおぉぉ!!? やっべぇ力だわ! これなら誰にも負ける気がしない! なんか知らんけど幽香ありがとう! そしてあたいの氷のサビになれ!」

「ちょっと落ち着きましょうか。それが仮初めの力だってことくらい馬鹿でも把握できるでしょう?」

 

 幽香はチルノに魔力を注入しただけで、潜在能力を解放したとかそんなご都合主義な能力を使ったのではない。極簡単な仕組みだ。

 ──実のところ、そんな芸当もできたりするのだが、何処ぞのスキマ妖怪から「能力も髪色もナメック星人」と言われて以来あまり気が乗らないとかなんとか。

 

「私が貴女に渡したのは極僅かな魔力。しかしそれを誤魔化して張りぼてにしているわ。これで一撃のみ、最高のフローズンスパークが撃てるはず」

「えー全部凍らせたいよー」

「つべこべ言わない。取り敢えず、貴女は今から魔理沙にレーザーをぶち込んでくるのよ。確実に仕留めなさい……いいわね?」

「使われるのは気に入らないけど魔理沙はもっと気に入らないからいいよ!」

 

 チルノの言葉に幽香は満足げに頷いた。なんと建設的な交渉であろうか。

 ”馬鹿と妖精は使いよう”とはこの事だろう。

 

 

 1発限りのフローズンスパークを幽香より託されたチルノは一時帰宅し、大妖精を交えての作戦タイムに入った。「真正面から戦っては不利になる」との大妖精の助言を受け入れた形だ。

 強大な力を手に入れた後でもしっかりと策を練るチルノこそ、真の最強だ!

 

「それじゃあ私が魔理沙さんを家の外まで誘き出すから、チルノちゃんは隙を見て攻撃するっていうのはどうかな? 私だったらその……ほら、レーザー躱せるから」

「うーん……なんかなぁ。あたいが求めてるのはこーゆーのじゃなくてさ、血に汗が吹き出す熱い……戦いっていうかさぁ」

「けど魔理沙さんを倒せなきゃ一回休みじゃ済まないよ……。幽香さんの目……アレ完全に怒ってた。今度こそ首を捩じ切られちゃうかもしれない。いや、そもそもレティさんにあまり近づくなって言われてたのになんでチルノちゃんは───」

「大ちゃんは真面目だなぁ」

 

 そう、真面目。妖精らしからぬ性質。

 チルノの右腕としてならば、この異端とも言える性格は最大のアドバンテージとなる。そのことは大妖精も重々承知している事実。

 しかし、チルノとしては少し物足りない。妖精らしい、今を輝く熱に欠けてしまう。

 

 どうせなら瞬間最大風速の面白さを求めなければ。今ある命を如何に燃やし尽くすのか……それがチルノにとって一番大切なことだった。

 

 

「──……やめにしよう大ちゃん。今あたいが手に入れたこの力を魔理沙なんかに使うのは勿体無いよ。もっと、たくさんの喜びを残せるような最高の使い道を考えていこう」

「け、けどそれじゃ幽香さんが……」

「幽香がどうしたっ! あたいは最強だ!」

 

 魔理沙なんぞ油断しなければ倒せる。霊夢だって多分なんとかなる!

 今ならなんでもできそうなほどに満ちているこの全能感を無視することはできない。

 使うなら何時もの自分ではギリギリ勝てないかもしれないぐらいの妖怪に使った方がいい。上でふんぞり返っているヤツを倒せば妖精の天下が近いことを幻想郷に知らしめることができる。

 

「今日こそ赤い館を攻略するのがいいかな? それとも霊夢と魔理沙が一緒にいる時を狙って一投落石もいいね!」

「一石二鳥かな?」

 

 そうとも言う。

 取り敢えず、チルノは魔法使いの冷凍保存などという花魔人の使いパシリに甘んじるつもりは現時点では全くなくなっていた。

 己の力は己が望むがままに使うべきだ。

 

 紅魔館、博麗神社、白玉楼、人里、妖怪の山、太陽の畑、迷いの竹林……──何処を凍らせても楽しいことになりそう。

 けど、最後に行き着くのは──。

 

「……決めたよ大ちゃん」

「え?」

「あたい、八雲紫を倒す!」

「え、ええぇぇぇ!?」

 

 やっぱりこれだった。

 実のところ、チルノは紫については偉い妖怪くらいにしか知らない。

 霧の湖を取り仕切っている身として(大妖精と一緒に)話すこともあるが、言っている言葉の意味が全く理解できないのでちょっと苦手なのだ。

 

 どーせあれでしょ? よく判らない事言って判ってるフリしてるだけでしょ? チルノには判る。なぜなら天才無敵の妖精だから。

 胡散臭げに笑って頭の良さ気なツラをしているのがチルノは気にくわない。そしてそれに騙されている周りのみんなには呆れている。

 

 だけどもチルノは知っていた。霧の湖が紅い霧に包まれた時、レミリアとフランドールの喧嘩に八雲紫が割って入ったのを。

 そしてよく判らない事を言って場を収めてしまったのだ。凄いと思うと共に、悔しく思った。だってその時、チルノは吸血鬼たちよりも格下の門番に踏みつけられていたのだから。

 

 つまり、チルノが決意したのはちょっと遠回しなリベンジ。そして、最強の名を揺るぎなきモノにする為の果てなき挑戦であった。

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「……と、それでこんな状況だと」

「──!」

「馬鹿ですね。勿論、両方ですよ」

 

 地霊殿の主人、古明地さとりは目の前に堂々と鎮座する氷塊に向けて──いや、正しくはその氷塊の中に閉じ込められた私に向けて話しかけていた。

 

 ハーイわたし紫! いま氷の中にいるの!

 

 氷塊に閉じ込められている体は微動だにしない。細胞の全てに渡って停止しているのだろうから当たり前である。

 だけど意識はあって、まさに蛇の生殺し状態。さとりを恨めしげに睨むぐらいしかできることがないの。辛い……。

 

 経緯はこうだ。

 さとりとの会談を控えた今朝、私はチルノの家へ向かった。

 なんでわざわざあの危険な妖精の家に出向いたのかというと、いくらか氷を用意してもらおうと思ったのよね。だって旧地獄の暑さは堪えるから。

 その結果、私が氷になりましたとさ。

 

 出会い頭の瞬間冷凍レーザーを躱す術など、私にあるはずがない。弱い者いじめはいけないと思うの私! しかもこの氷なんか変だし!

 どうやらさとりからの(陰湿な)説明によると、今回の冷凍レーザーには幽香が一枚噛んでいたらしいわね。絶対に許さないわ……!

 

 ついでに運悪く今日は藍が一緒じゃなかったのも事態が深刻化してしまったさらなる一因ね。ん? あの子は何をしてるのかって?

 マヨヒガで橙と踊りの練習をしてるそうよ。賢者会議で余興に出すんだって。ちなみにその踊りの内容についてはノーコメントね。

 ……藍ったら橙が絡むとどうも馬鹿になるような気がするのよねぇ。親バカってヤツ?

 

「紫さんってすぐ思考がズレますよね。もうちょっと今の状況について考えたらどうです? いやまあ興味深い話ではありますけど」

 

 さとりからの言葉で我に帰った。そうよまずは経緯を振り返らないと!

 

 さて、チルノによる奇襲を受けた私は、なす術なく氷像と化してしまった。

 このまま面白半分に砕かれてしまうのかと思ったけど、チルノはそれで満足したのか私を自宅に置いたまま出かけてしまった。

 ……そして長い時間が経った。私の絶望感による相乗効果でそりゃもう何年も経ったくらいに辛かった。気分はさながらド○クエ5の主人公である。

 

 だがそんな私を救い出してくれたのは、なんとさとりのペットである火焔猫燐その猫だった。最初は私の仮死体を拾いに来たのかと思った。

 しかし彼女は私を猫車に乗せるとそのまま地底へと疾走。こうして地霊殿の客間──さとりの目の前に投げ出された訳である。

 さとり……まさか、貴女が私を助けるよう指示をしたというの……?

 

「そういうことです。見て見ぬ振りをしても良かったのですが、少しだけ憐れに思いまして。まあ、助けたからにはしっかり感謝してくださいね?」

 

 あ……うん。あんがと。

 素直に感謝の気持ちを抱きたいのに、そうはさせてくれないのがこのさとりクオリティか。やっぱりえげつねぇです。

 

「紫さん……私に会談を振ってきたのは貴女ですよね? それで集合時間は何時でしたっけ? そう、3時です。で、今何時だと思います? 5時ですよ5時。貴女と違って私は多忙なんですよねぇ……朝から晩までスケジュールでいっぱい。地底の管理人は楽じゃないのですよ。だけど他ならぬ紫さんからの頼みということで多少無理してこの時間を設けたわけです。で、2時間遅れとはどう責任を取ってくれるおつもりなのでしょうか? 私、聞きたいです。ああ、貴女の命なんてくだらないお詫びは要りませんからそのつもりで」

 

 そうそうこれこれ。これこそが真のさとりクオリティだったわ。もう泣いちゃいそうなんだけど。

 

「その状態じゃ涙も出ないでしょうに。さてどうやって解凍しますかね……。お燐のスペルカードで溶けるかしら?」

「どうでしょうね……やってみます?」

 

 ちょっ、ヤメヤメロォ!

 私が炭になる姿を幻視したわちくしょう! いやけどこの氷……溶けるの? なーんか普通の氷とは違うような、そんな気がする。

 それでも炎は怖いからやめてね!

 

「要求が多すぎます。厚顔無恥も甚だしい……私をこれ以上失望させないでください」

 

 痛いのはやめてって言ってるだけじゃない! なんだってそんなこと言うのかな!?

 もうやだー! 霊夢でも藍でも……誰でもいいから助けてぇぇ! 精神リョナされるぅぅ!!

 

「ここは地底、貴女を助けに来る人なんて誰も居ませんよ。殺したいと思っているのは多数いるみたいですけどね。例えばうちのペットとか」

 

 ギギギ、と火車に焦点を変える。

 彼女は嫌な笑顔で私のことを見据えていた。同じ化け猫でも橙のモノとは全く別種に当たる禍々しい笑み。もしかして貴女のことなんですかねそれって。

 死体収集とか死体加工とかマジ基地な趣味を持っているだけでは飽き足らず、私に対して殺意まで持ち合わせてるとか完璧すぎやしません?

 もうやだおうちに帰りたい。

 

「帰しませんよ。まだ何も話してないじゃないですか。私の過密なスケジュールを無駄にするなと、先程言ったばかりでしょう」

 

 突然、さとりは手のひらを氷に押し付けた。するとみるみるうちにさとりの腕が凍りついて、凍傷になった肉が裂けていく。

 な、何やってるの?

 

 と瞬間、私は束縛から逃れて地面に叩きつけられた。顔を思いっきり打ったので涙が出ちゃう。鼻血は出てないみたいだけど。

 

「いたた……。いったい何が?」

「理解する必要はありません。どうせ貴女の生ゴミみたいな頭脳じゃ理解できないでしょうし、説明するだけ無駄というものです。貴女はただ私に感謝していればいい」

 

 あの……私、一応賢者って呼ばれてるんですよ。賢い者って書くんです。

 けどさとりの言う通り、何が起きたのか少しも理解できないのは確か。あれだけ厄介そうな雰囲気を醸し出していた氷が一瞬で消えちゃうんだもの、すごく難しい理論を応用した技なのでしょう。

 

 しかしその代償と言わんばかりに、さとりの腕に走る凍傷は酷かった。

 壊死してしまった腕はだらんと垂れ下がり、動く気配を見せない。これが、私を助けた対価なの? ……なんかとてもいたたまれない。

 

 だがさとりの目は驚くほど冷めている。

 大したことないように、いつもの様子で私を見下していた。私に心配されるのが気に入らないのだろうか。

 

「そう、気に入らないのです。紫さんなんかに心配されるなんて、屈辱の極みですよ。こんなものすぐに治りますから、気にせずどうぞ」

「……とは言ってもねぇ」

 

 だってそれ絶対痛いと思うんだけど。私だったらのたうちまわってギャン泣きしてるわ。

 さとりには痛覚というものが無いのか……それともただ痩せ我慢してるだけなのか。私には判りかねるが、もし後者だとしたら私に弱みを見せるのがどんだけ嫌なんだって話よね。

 

「そんなに私の腕が気になりますか? なんなら触ってみます?」

「やめておくわ」

 

 さとりが凍りついた腕を私に突き出したので慌てて仰け反った。やっぱ余裕がありそう。

 ちなみにさとりの腕が気になるかについてだが、じつは元々から彼女の腕には少し興味があった。あの服の短い裾で指しか出てないって、ちょっと腕が短すぎるような気がするの。

 

「言いたいことがあるならはっきり言ってくださいよ。ブチ殺しますから」

 

 全部聞こえてるくせに白々しい。取り敢えずその腕はどうにかした方がいいんじゃないかしら? さとりはすぐ治るって言ってたけれども。

 さとりはジト目で私を睨む。

 

「私の腕がそんなに目障りですか。それではさっさと治してきますので待っていてください。くれぐれも、私が見ていないからと言って余計な事はしないように……分かりましたね?」

 

 アッハイ。

 私に釘を刺したさとりは火車とともに部屋を出た。……もしかして腕を死体のモノと交換するつもりなのだろうか? やべぇ、やっぱ地霊殿って「こ ん な と こ ろ」だわ。闇が凝縮されてやがる!

 

 とまあさとりがどんな姿になって出てくるのか、気になって落ち着かない。

 ちょっと残されたお付きのペットとお話でもして気を紛らわせようかしら。

 

 彼女は何を考えているのか分からない、無の表情で虚空を眺めている。

 

「もしもし、少しいいかしら?」

「…………なに?」

 

 暗っ!?

 あれれおかしいわね。この妖怪が楽しそうに火車と話している光景を何度も見たもんだから、明るい性格だと思ってたんだけど。

 背中に在る立派な黒羽からして化けガラスかしら? どこかおバカな感じもするし。

 

「こうして話すのは初めてよね。私は八雲紫、地上の賢者ですわ。以後よしなに」

「……誰だろう。全然思い出せないなぁ。金髪は見分けがつかないよ」

「そ、そう。それならこれから覚えてくれると嬉しいわね。ところで貴女の名前は?」

「お燐とさとり様早く帰ってこないかなぁ」

 

 こいつかなりの曲者……! ナチュラルに私のことを無視しやがったわ!

 いや、ハナから眼中に無かったのかも。思考が切り替わったとでも言うべきか。

 

 ちょっと気まずいが興味が湧いた。

 

「貴女もさとりのペットなのでしょう? ちょっと気になることがあって……」

「誰? 知らない人とは話すなってさとり様から言われてるんだけど」

 

 あっ、やっぱり話が通じない勢かな。

 地霊殿ってやばい奴ら多すぎない? 唯一の良心であるこいしちゃんは見当たらないし、こわいわー旧地獄こわいわー!

 

「知らない人ではないんじゃないかしら。ほら時々すれ違ったりしたでしょう?」

「……あっ思い出したよ。ごめんね」

 

 良かった。この子は(地霊殿の中では)そこまでやばい妖怪ではなさそうだ。

 ちゃんと謝ってくれたし好感が持てる。

 

「けど珍しいなぁ。いつも橋の上に立ってるんじゃないの?」

「……そっちじゃない」

 

 前言撤回、やっぱりやばいよ。この子私を橋姫と勘違いしてやがった!

 そんなに似てないでしょ? 共通点って金髪ぐらいじゃないかしら?

 

「なーんだ変なの。じゃあ知らない人が私に何のよう? さとり様から──」

「知らない人とは話すなって言われてるのね。世間話くらいならセーフだと思うわよ?」

 

 幻想郷でも類を見ないほどの鳥頭……! チルノあたりと合わせたらどんな化学反応を起こすのか想像もつかないわね。凄く気になるわ。

 そんな私の内心とは裏腹に、彼女は変わらない様子でぼーっとしている。時々自分の髪の毛先を弄ったりしながら。

 

 うむむ……ここまでくると何が何でも話したくなってきたわ。せめてこの子の名前だけでも!

 

「もう一度自己紹介するわね。私の名前は八雲紫。そして貴女の名前は?」

 

 彼女は訝しんで私を見る。

 

「……うつ──……お空って呼んでいいよ。地霊殿のみんなは私をそうやって呼んでる」

 

 お空、か。聞く限りこれはあだ名っぽいわね。つまり本名までは教えないと。

 まあ会話に進展が生まれたし結果オーライね! 大きな達成感を感じるわ!

 

 それにしても最初の「うつ」とはいったい何だったのかしら? ……鬱? 鬱かぁ。うん、鬱は辛いわよねぇ。

 気持ちはよーく分かるわ。沈んじゃったら自力で上がるのは至難の技だもの。

 私はね、そういう時はとにかく無理やり明るく取り繕うのよね。周り騙して自分を騙すのだ。そしたらいつの間にか鬱どころじゃなくなってる。

 ……だってそうしないと藍から「そんな顔するな」って言われるんだもん。

 

「お空ね。それではお空……貴女に聞きたいことがあるのだけれど」

「……変なことじゃなかったらいいよ」

「なら当たり障りのないことを聞きますわ。こいしちゃんはいま何をしているの?」

 

 帰りに少し顔を出していこうと思ってるんだけど、神出鬼没のこいしちゃんの居場所を、自力で掴むのはとても難しい。

 なんかふと消えてるような気がするのよね。気のせいだと思うけど。

 

 お空は私の顔を一瞥した後、ゆっくりと首をかしげる。解せない、と言った感じだ。

 

「こいし……? 誰だっけそれ」

「主人の妹を忘れちゃ流石にいけないと思うわよ? 少しでも思い出してみて?」

 

 さとりは判るのにこいしちゃんは判らないって、正気を疑うわよ。あんな強烈な姿を一度見れば二度と忘れないでしょ?

 むむ……私は鳥頭を舐めていたのかもしれない。

 

 

「ほら薄黄緑色の髪の毛で黒い帽子を被ってて、元気溌剌の可愛いさとり妖怪よ」

「……さとり様に妹なんていないと思う。私は見たことないし、さとり様やお燐からそんな話を聞いたことも多分ないよ」

 

 ダメかー。そっか。

 ならば仕方ない。さとりに聞くしかないわね。ついでにペットの躾について詰ってやろっと! 別に藍と橙をペット呼ばわりするつもりはないけど、うちの従者はみんな優秀だからね。

 率直に言って自慢したい。

 

 お空も鬱ならこいしちゃんに慰めて貰えばいいのに……。灯台下暗しってヤツかな?

 

「貴女もさとりのペットたるもの、従者として地霊殿で毎日暮らしてるんでしょう? 貴女が何に悩んでいるのかは知らないけど、少し周りを見渡せば一人の天使が見つかるはずよ。彼女の存在は貴女にとってとても意義のある……」

 

「──ストップ。勝手な事はするな、と言ってたはずですが……いったい誰の許しを得て私のペットと話してるんですか? 理解能力が無いんですかね? 馬鹿なんですかね? しかも()()()まで出して……あの子が腐るでしょう。やめてください。ほんとマジで」

 

 ひゅいっ!?

 背中から吹き抜ける暴言の嵐に肩をビクつかせた。立っていたのは勿論さとりで、少し遅れて扉から火車と……ドレミーが現れた。

 ちなみに腕の怪我は微塵も無くなっている。

 

「お空も知らない人とは話しちゃダメよ。特にこの人は最低最悪の妖怪なんだから、これからは目も合わせないように」

「はーい」

「……お燐。お空と外へ」

「了解です。ほらお空 行くよ」

 

 蔑んだ目で私を見る火車と、彼女に手を引かれる無垢なお空。

 まるで私が変質者みたいな扱いね。いい加減にしない? もう泣く一歩手前なのよ私。何が悲しくてこんな仕打ちを受けねばならないのか。

 

 二人が扉の奥に消えると、さとりは気怠げに息を吐き出した。

 へー貴女でも疲れってあるのね。

 

「ふふ、誰のせいだと思います? 貴女ですよ貴女。何が悲しくて貴女のお守りなんてしなきゃならないんでしょうね」

 

 嫌味たらしく言われた。このさとりの言い方もムカつくけど、それよりも隣でうんうん頷いているドレミーにムカついた。

 この二人……人を煽ることに関しては一級品の才能があるんじゃないかと思う。

 

「さてそれでは本題に……と、その前に。まさか貴女とお空が話すとは思っていませんでしたからね。それを踏まえた上で、今更ですが紫さんに幾つか注意事項があります。地霊殿で活動する上で留意していただきたい」

「それはまた……。なるべく失礼のないように過ごしているつもりでしたけど、何か不手際が?」

「一つ、お燐を除くペットの前でこいしの名前を出さないこと。一つ、お空を傷つけるようなことは決して言わないこと。この二つだけです」

 

 理解し難い注意事項だった。

 こいしちゃん云々もお空云々も個人に関わることだ。あの二人は地霊殿のデリケートプライバシーなのかしら?

 それにしても内容が変だ。名前を出すな? 傷つけるな? お空の方はまだ分かるわ。だって鬱だものね。元気なかったし。

 けどこいしちゃんは本当に意味が分からない。なぜ隠す必要があるのか。そもそも否応なしに顔を会わせるでしょう?

 

「我が家は複雑なのです。まあ、こいしの方は自己完結させちゃってるからまだ別にいいんですが……お空はダメです。他でもないあの子が壊れてしまう」

「……?」

「あの子は弱いのです。比喩的な意味ではなく、そのままの意味で。そしてそれが原因で心に大きなコンプレックスを抱えている。理想と現実の偏差に心を痛めている。……紫さんなら分かるんじゃないですか? 何でもできてしまう仲間や家族に劣等感を感じてしまう、その気持ちが」

 

 私は何を言うでもなく、さとりから目が離せなかった。私を罵倒する以外でここまで饒舌に語るさとりは初めて見た。

 そっか……そう考えるとお空と私って結構似た者同士だったのね。その心境たるや、痛いほど分かってしまう。

 

 魔境地霊殿で「普通」は辛いわよね。頭の中は結構変わってらっしゃるみたいだけど。

 

「センチメンタルというわけではないんですがね……まあ、この話はもういいでしょう。それでは本題に入りましょうか。こうしてわざわざ彼女を連れてきたことですし」

 

 そっか、ドレミーを連れて来たってことは、私の目的を全て把握してるってことよね。周到というか、いやに効率的というか……。

 さとりはどこまで心を覗いてるのかしらね。表層だけでは留まらないと思う。

 いま思えば私が氷漬けになっていることをどうやって知ったのかも謎。

 未だよく分からない妖怪だ。

 

 

「言われるがまま来てみましたが、今更このドレミー・スイートに何の用でしょう? 紫さん。敗者を嘲笑いに来るような性分ではないと思っていましたが?」

「現実世界で会うのは初めてかしら。……随分と変わったみたいね。窶れた?」

「そりゃ窶れますよ。天性の能力を封じられて妖力すら使うこともできない。おまけに心の隅々まで筒抜けなんですからね。下手な監禁の方がマシでしょう」

 

 目の下に隈、ずり下がった帽子。生気のない眼にボサボサの髪。

 まさか夢の住民であるドレミーが睡眠不足を体験する羽目になるとは……世も末か。

 さとりってやっぱ怖いわ。

 

 ふとさとりを見ると、私に向かってガッツポーズをしていた。いやどういう意味よそれ。

 

「それでは答えあわせといきましょうか。ドレミーと稀神サグメが何を企んでいたのか、紫さんをどうしようとしていたのかを」

「……ええ」

 

 さとりは淡々と語り始める。

 

「紫さん。貴女は春雪異変の後、何が起きていたのかを知らないようですが……それはまあ面倒な事が起きていました。なおその事についての具体的な詳細は避けさせてもらいます。本題はそれについてではありませんから」

 

 面倒な事って……あの意識が暗転した時? あの間に何か起こってたの?

 まあいいや。興味ないし。

 

「その間、紫さんの力が弱まった一瞬の隙を突いたのがこの二人だった。彼女たちは貴女の体を夢の世界に封印し、代わりの素体に夢の姿を用意して、精神の入れ物としたのです」

 

「目的は『八雲紫』の無力化。貴女の存在が月の民にとってはよっぽど邪魔なのでしょうね。そして、計画はほぼ完遂されていた」

 

「貴女の力の殆どは失われ、八雲紫ではなく別の存在として確立されようとしていた。誰も貴女が紫さんだとは気づけなかったでしょう? 当たり前です。容姿以前の問題なのですから」

 

「しかし彼女らは欲をかいた。その結果、僅かな綻びから貴女は夢の世界に帰還し、貴女を起点にフランとこいしが突入できた。運が良かったですね」

 

 あーなるほどね。全然わからん。

 専門用語が多すぎない?

 

「二度も説明しません。取り敢えず月の都が全部悪いという事です」

「なるほど。分かりやすいわね」

 

 いつまで因縁つけてくるんですかねあの連中は……。私なんかよりも消さなきゃならない妖怪なんて星の数ほどいるでしょうに。

 あの世界の住人は根本的な思考回路が私たち地上人とは異なっている。連中の狂ったインディビジュアリティーを私が理解できるはずがない。

 

「さとりの言ったことは真実でいいのかしら? ドレミー」

「……ええ。一応は」

 

 あっさりドレミーは認めた。けどあの顔……私を煽る時の表情だ。何を考えているのやら。

 まだ何か隠しているのは明白。しかしさとりがそれを話す様子はない。当事者である私に話せないことなんてあるの?

 

 さとりは私の問いに答えない。

 

「これが前回の異変の裏で起こった全貌です。ふむ、なぜ私が貴女に力を貸したのか気になりますか? ……私がデレた? んなものあるわけがないでしょう。名誉毀損で訴えますよ。──実は我々地底勢力とドレミーは長い敵対状態になっていました。互いの顔もしらないまま、ね」

「全く利のない争いでしたね。貴女方はロクな吉夢を見る事が出来ず、私は貴女の妨害に踊らされ続けた。その間に力をつける事ができたのは私でもさとりでもなく、月の都と幻想郷だけだった」

 

 つまり、月の都と幻想郷(私)だけの争いがいつの間にかさとりとドレミーに飛び火していたってこと? うーん、幻想郷情勢は複雑怪奇。

 ……頼ってくれても良かったのよ? 直接介入はできなくとも、現状を知ることができていればもっといい方向に持っていけたかもしれないわ。

 

 だがさとりは鼻で笑って私の想いを却下した。

 

「紫さんは勿論ですが、地上の方々は頼りになりませんからね。現に為す術なくドレミーの影響下に囚われていたでしょう? 私が彼女を抑えていなければ、月の都は何時でも夢の世界を通じて幻想郷に攻め入ることができたのです」

「もっとも、月の上層部としては穢土を攻めるのは消極的だったみたいですけどね。貴女一人を始末するのが一番ベストな形でした。千載一遇のチャンスだったのに、残念です」

 

 ドレミーったら遠慮なしね! 貴女ってそんなズケズケ言うタイプだったの?

 それにしてもさとりに幻想郷の一員っていう自覚があったことに驚きだ。なにせ場所柄ゆえに、地底は幻想郷に非ずと唱える者は少なくない。

 一応だけど幻想郷に入ってるのよね、旧地獄って。相互の出来事が互いに大きく影響してくるから枠組みに含んでるの。

 

「というか私とこいしって幻想郷出身ですからね? 妖怪の山に住んでたんですが……知らなかったんですね。あっそうですか」

 

 初耳すぎて驚いたわ。

 えっ、妖怪の山に住んでたの!? うそぉ……あのさとりが山暮らし……?

 グググ、その光景が全然想起できない!

 

「しないでよろしい。そして私は幻想郷の為にドレミーと争っていたのでありません。……知ってます? 私って幻想郷のことを結構恨んでるんですよね。今はもう違いますが、昔は滅んでしまえとも──いや、滅ぼしてしまおうと思ったことだってあります。ふふ、その気になれば1時間もかかりませんよ? ……私が急に恐ろしくなってきましたか。正直でいいですね。それが地底の妖怪……これが地底の支配者なのですよ」

 

 いや……私が怖いのはそれを表情も変えずに淡々と話し続けるさとりの不気味さだ。

 本当にこいしちゃんとは対照的ね。

 

 クク、とドレミーが笑いを漏らした。それと同時にぴたりとさとりの口が止まる。

 そして咳払いを一つ。

 

「私としたことが話しすぎてしまった。チッ、今言ったことは全部忘れてくださいね」

 

 露骨な舌打ちいただきましたちくしょう。

 

 

 

「……さて、これで話は終わりですね。それではお帰り願いましょうか。ただでさえ今日は貴女のせいでスケジュールが無茶苦茶なのに、これ以上時間を浪費するわけにはいきません」

「待って。まだ一つだけ……」

「ダメです」

 

 有無を言わせぬさとりの態度。まるで私にもうこれ以上何も喋らせたくないような、そんな感じ。意味がわからない。

 これは日を改めて………いや後回しはいけないわ。絶対に今、ドレミーに聞かなきゃならない。

 

 私はさとりを半ば無視しながらドレミーを見据える。ドレミーはいつものにやけ顏を浮かべながら私の言葉を待っている。

 

「紫さん。今日はもう帰って──」

「ドレミー……最近おかしな夢を毎日見るわ。やけに生々しい夢をね。そしてその夢を見始めたのは私が元の姿に戻った時期、つまり貴女が夢の世界から引きずり出された時期と合致するわ」

「……ほう、興味深いですね。詳しく聞かせてもらえますか?」

 

「紫さん」

 

 さとりが私の腕を掴んで無理やり席から立たせた。しかし、私は構わず続ける。

 

「一人の女の子とひたすら向かい合うだけの、他は何もない奇怪な夢。けどその女の子には2パターンあって、一人は目がない私と同じくらいの背格好の少女。もう一人は10にも満たない(よわい)の少女。……どっちも私は見覚えがないわ」

「変わった夢ですねぇ。その二人は受け答えができるのですか?」

「幼い方の少女はできるわ」

 

「夢なんて不確かなものを気にしてる暇があったら帰って仕事をしてください。ほら、紫さん……紫さん!」

 

 さとりが耳元で声を上げているが、私は答えない。ごめんなさいね、でも今は夢の正体をとにかく知りたいから。

 

「分かるのね、ドレミー」

「ふふ、ええまあ」

 

 ドレミーは胡散臭く微笑む。

 

「私はこの通り、夢を弄くれる状態ではありませんから、その夢は正しく貴女の潜在意識によるものです。つまり、本来貴女が見るべきであった夢が噓偽りなく現れたモノなのでしょう。例えば貴女がよく想うことだったり、貴女の満たされることなく彷徨っていたアンビションが──」

 

 

「やめろ」

 

 ……ピシッ、と。

 

 瞬間、背筋に悪寒が走る。たった3文字の何てことない言葉。それだけで私もドレミーも、会話を中断せざるを得なくなった。

 殺気ではないけれど、負の激情が私を押し潰さんと容赦なく浴びせ掛かる。

 ドレミーも飄々とした態度を消して、一筋の汗を垂らしながら口を噤んだ。

 

 絶対零度の視線。いつもの蔑視が生易しく見えるほどのドス黒いナニカ。

 根源的な恐怖が胸の内から込み上げて、吐き気となり私を襲う。

 

 

「いい加減にしなさい。……私は、帰れと言いましたよ? 紫さん」

 

 

 さとりの声音はいつもと変わらない。だけど私は、彼女の目を見ることはできなかった。

 呪詛の類いではないけれど、それは確かな呪いの言葉。私の想いも決意も、全てをへし折り屈服させる強大な力。

 震えながらスキマを開く。

 

「お邪魔……しましたわ」

 

「……紫さん」

 

 私がスキマに片足を突っ込んだ、その時だった。今までの雰囲気が嘘だったかのように、優しく私を呼ぶ声がする。

 振り向くと、さとりから丸められた羊紙皮を投げ渡された。それは何時ぞやかの時のように。

 

 ……中身を確認する事もなく私はスキマに入り、地霊殿を後にした。

 さとりからの言葉を背中に受けながら。

 

「またいらしてくださいね」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 紫がスキマに潜るのを見届け、さとりは静かに椅子に座り込んだ。覇気なく俯く。

 心地の悪い雰囲気が辺りを包んだ。

 

 暫くしてさとりは大きく息を吸う。

 そして机を殴った。

 綺麗に真っ二つになる机だったモノ。予見していたのであろうドレミーは、高そうなティーカップを予め手に持って保護していた。

 

「……無理するのね。そんな張りぼてで取り繕うのはお薦めできないわ」

「うるさい」

 

 パンッ、とドレミーの持っていたティーカップが弾け飛び、破片も残さず塵になる。

 サードアイの眼力、それだけで。

 

「小細工を幾ら弄そうと無理でしょう。こんなせせこましい事までしてご苦労様ですがね」

 

 ドレミーは顔を拭う。するとみるみるうちに隈や汚れは消えていき、何も変わらない何時もの顔へ。ボディペイントの類いだったのだろうか。

 とは言え流石に能力は封じられたままなので、下手なことはできない。

 

「今日の貴女の態度で真相がだいたい分かったわ。ずっと謎だった貴女の行動も、こうして考えれば全部合致する。随分と遠回りな計画よねぇ。これを数百年地道に続けてきたのなら賞賛に値するわ」

「……ッ!! ……!……」

 

 三つの目がドレミーを睨む。

 だけど、先ほどまでの力は、もうさとりには残っていなかった。

 

 




「はーいこいしだよっ! 地霊殿でのお話なのに私が出てこないって変なのー。私は何をしてたのかって? 紅魔館に遊びに行ってたの!
そういえばチルノは幽香にとても褒められたらしいわ! ゆかりんを氷漬けにできて大満足なんだって。めでたしめでたしだね! 氷漬けかぁ……それもいいね。保存がきくし! けどうちって暑いのよねぇ。やっぱ無理かな。

さて次回はなんかお偉いさん達がお話しするみたい。みんなで寄ってたかってゆかりんをいじめるんだって! 酷いなぁいいぞもっとやれ!

……さてと、早くお姉ちゃんを慰めに行かないと。お姉ちゃんったらすぐに無茶するからさ。これじゃ何も変わんないのにね♪」


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落日の浅知恵

世界観の説明会のようなもの
参考は我らが素晴らしき現実世界



「それでは行ってきますね。我々が離れている間は、自警団に全権を委任しますのでよく指示を聞くようにお願いしますね」

「阿求様……どうかお気をつけて」

 

 稗田家総出でのお見送り。さらに里の殆どの人が大通りに集結し、私たちに期待と羨望の視線を飛ばしている。

 隣に立つ慧音さんもこっぱずかしそうだ。

 

 まったく……あまり大きな期待を持たれても正直困るわね。私たちにできることなんて微細なことだけなのに、高望みしすぎるのは良くない。

 気持ちは解らなくもないけど。

 

 人間が舐め続けた辛酸の歴史は今の幻想郷にも深く根をおろしている。

 妖怪に全てを管理され、生存権すら奪われていた時期があるのだから、過敏になるのも仕方ない。だが、そう考えるのなら今の人間の地位は考えられないくらい大きく向上したものだ。

 

 だから私は皆の暮らしを護らなきゃならない。今代になっての新たな使命。

 

 

「それでは行こうか阿求。あまり留まりすぎても出難くなってしまうだろう?」

「そうですね。……気を引き締めましょう」

 

 今日は総まとめとなる賢者会議。開催場所は、妖怪の山の麓に隠れて存在する秘境マヨヒガ。

 定例会議となっている恒例の行事だが、年末近くに行われるそれは重要度の高いものとなっている。それゆえに滅多に姿を現さない面子まで集結するので、どうにも豪華だ。

 幻想郷の存亡を賭けての招集にも応じないような連中がほぼ顔を出す。これだけでこの会議の肝要さを分かってくれるだろうか。

 

 そして私たちにとっては、弁論という形で幻想郷を管理する者たちが争いの種火を振りまく、それはそれは心臓に悪い場だ。

 さらに今回は紫さんが何やら企んでいるみたいなので、まあ荒れるでしょうね。

 

「はぁ……」

 

 ため息がこぼれてしまったので思わず口を抑えた。しかし、どうやらそのため息は私のものではなかったみたいだ。

 慧音さんの表情は優れない。

 

「……嫌なら無理しなくてもいいんですよ? 人里にはまだまだ頼れる方が沢山いますし」

「すまない、私は大丈夫。だから今年も私にお前を護らせてくれ……頼む」

 

 含みある笑みを浮かべる慧音さんに、私は軽く会釈することしかできない。

 彼女の本心は手に取るように分かる。人里の者たちを長きに渡って苦しめた面々と顔を合わせるのが嫌なのだろう。

 気持ちは痛いほど分かる。だって私にも思うところはあるのだから。

 

 けど、それじゃ前に進めない。

 慧音さんもその事をよく承知しているはずだ。

 

「頑張りましょうね。もうこれ以上子供達に辛い思いをさせない為にも」

「……ああ」

 

 

 人里を出て山へと向かう。貧弱な私の足腰では少々辛いので、いつも通り慧音さんに掴まっての飛行になる。毎度のこと申し訳ない。

 

 山の麓に着いたので地面に降ろしてもらい、紅い落ち葉の降り積もる山道を進む。すると、しばらくして奇妙な違和感に包まれた。

 これが異空間(マヨヒガ)へ足を踏み入れた合図だ。流石は境界を司る妖怪の部下が管理する場所と言うべきか、巧妙に世界からズレている。

 

 程なくして閑散とした村が私たちを出迎えた。人間は一人として住わない、妖と動物だけの世界に足を踏み入れたのだ。

 ここに来てようやくちらほらと人間ではない者たちを見るようになった。

 ……やっぱり人間は私と慧音さんだけか。

 

 周りの軽視や蔑視は気にしない。いちいち反応していては幻想郷で生きていけない。

 どうせ慧音さんの一睨みで散っていくような連中だ。意に止めるまでも無いわ。

 

「あっ、人里から遥々いらっしゃい! 会場はいつも通りこっちだよー」

 

 見覚えのある吉兆の黒猫が私たちを手招く。屈託のない笑顔はここにあまり相応しくないようにも思えてしまうのは、私が汚れすぎたからなのか。

 式の式という結構複雑な立場にある橙だけど、ここ最近は八雲藍とともに表に出てくることが増えたようで、仕事を着々と学んでいるらしい。

 紫さんの行動が活発になってきていることを象徴するような存在か。

 

 彼女に軽く応対しようとしたのだが、それを慧音さんの言葉が遮る。

 

「お前の主人の主人に言われた通り参上した。稗田阿求と上白沢慧音で以上だ」

「本人と護衛一人……うん規定通りだから通って良し! スムーズで嬉しいな! あっ、持ち物検査は……まあいっか。意味ないからね」

「手間が省けて助かる」

 

 ニンマリと朗らかな笑みを浮かべた。それに私と慧音さんも微笑み返す。

 ちょっとした社交辞令のようなモノだ。あっちはそんなこと意識してないかもしれないけど、悪い印象を植え付けるメリットはない。

 

 賢者一人につき護衛は二人まで。これが会議においての鉄則である。昔は何度か乱闘騒ぎが起きたなんてことも聞くし、最小限の牽制に留めようという上の意向でしょう。

 しかし、私たちのような発言力を持たない者はこうして一人だけ連れて来るのが暗黙の風儀となっている。相手に格を持たせるという意味で。

 

 よって、二人も護衛を連れて来る賢者なんて殆どいない。身の程を弁えているから。

 

 

 閑寂なマヨヒガには似つかわしくない玲瓏な屋敷。ここが今回の会場になる。

 一度慧音さんとアイコンタクトを交わして軽く頷き合った。決意を確認したのだ。

 よし、頑張ろう。

 

 長い廊下を紙でできた八雲の式が往来している。私たちを案内する式から設営に奔走する式まで、動きは多種多様。いつ見ても良くできているものだ。

 それにしても、これだけの式神を一糸乱れず統率してのけるのは冷静に考えても恐ろしい。しかもこれを操っているのが式という範疇に組み込まれている妖獣なのだから機密さは勿論のこと、いったいどれほどの集中力を有しているのだろう?

 

 と、後ろに気配を感じて咄嗟に振り返る。居たのは二人の天狗と一人の河童だった。

 ……このタイミングで邂逅するとは。

 

「こんにちは。……今回は三人なんですね。もっとも護衛は一人のようですが」

「……」

 

 相変わらず寡黙な方だ。

 妖怪の山現棟梁の天魔……護衛を二人連れてきても問題ないほどの発言力を有する最高賢者の一角。変化の少ない表情からは考えを読み取れない。

 

 河城にとりはとある問題の重要参考人なので、彼女たちの監視のもと連れてこられたのだろう。もっとも、光化学迷彩なる技術を応用すれば逃走することなど河童には容易い。

 だから彼女が居るのだ。

 

 白狼天狗の彼女が進み出る。いつもの獲物はなく、丸腰。しかしそれでも特に問題は生じないだろう。素手でも彼女は強い。

 哨戒部署長官である彼女とは役柄上顔を合わせることが多い。例えば山に迷い込んだ里人、及び外来人の引き渡しの際なんかに。

 それに数代に渡っての交流があるので、それなりに顔馴染みでもある。

 

 犬走椛の目には光化学迷彩のカモフラージュが通じない。彼女が側に控えている限り、にとりさんが逃げることは決してできないだろう。

 

「予定では四人だったんですけどね。ただ直前でいきなりばっくれやがりましたから、私一人です。……もしかしてそちらに来ませんでしたか?」

「ああ来ましたよ。確か今日は博麗神社でネタを集めるって言ってましたね」

「私の所にも来たな。後で会議の内容を教えて欲しいと頼み込んできた」

「ぐぬぬ……!」

 

 悔しそうに唸る彼女をとても気の毒に思った。これだから天狗の組織構造はあまり分からないのだ。厳しいんだか緩いんだか。

 するとコホン、と咳払いが一つ。

 天魔によるものだった。

 

「……立ち話は望ましくない」

「ああそうですね。邪魔になるかもしれませんし、さっさと部屋に入りましょうか」

 

 よくよく見ると式神たちが私たちを監視している。乱闘を起こすものだと思われているのだろうか? 万に一つもそんなことはありえないけどね。

 誰が好き好んで紫さんに目を付けられるようなことをするもんか。

 

 

 

 部屋に入れば既に半数以上が集まっていた。楕円に並べられた御膳の前で一様に座している。

 私と慧音さんの場所は既に決められている。

 どうやら上座から少し外れた場所のようだ。

 

「ふぅ……これで一息つけますね」

「本番はまだまだだがな。それにアレらの前で隙を見せるのはあまり褒められたことじゃない」

 

 仰る通り。

 場を見るにまだまだ顔ぶれは揃い切れてないようだ。何よりあの三人が来ていない。

 ただやはり、アレは私たちよりも早く到着している。御簾に覆い隠された奇妙な物体。そしてその隅に目を閉じて鎮座する二童子。

 

 究極の絶対秘神、摩多羅隠岐奈。秘神の名の通り、最低限の素性を除く殆どが隠された謎の存在。その姿を私は一度も見たことがない。

 慧音さんは昔に会ったことがあるらしいのだが、もう容姿を思い出せないらしい。それに、顔や声を覚えることを体が拒否してしまうのだという。

 恐らく、慧音さんにとって因縁の深い相手。

 

 用意された席を見るに、発言力の強い賢者で参上するのはこれに天魔を加えた五人だけのようだ。まあ、集まった方かな?

 

 

 ……どうやら早く着きすぎてしまったようなので、記憶を思い返しながら賢者たちについて考えてみようと思う。

 幻想郷の賢者とは、現博麗結界の構築などに一役買い、幻想郷の枠組みを制定した者たちによって構成される意思決定機関。

 しかし構成員に例外はあり、私や華扇さんがそれに当たる。所謂途中参加勢という者だ。

 ……ぶっちゃけると、形骸化されている組織であることは否めない。

 

 影響力も発言力も持たぬ構成員は、思想を共にする《上》に従うしかないのだ。

 そして自分の立場を守ったり、自分の要求を通してもらったりして、庇護を乞う。

 

 私は紫さんの取り計らいで賢者に就いているだけで、まだまだ新参。それ故に例に漏れず紫さんの影響下に入ることで人里の独立保障を守っているのが現状である。

 勿論、この現状に甘んじることは我々側としても避けたい。しかし果たして、今代のうちに人里の独立基盤を強固なものにできるのか……。

 慧音さんを始めとする人里の皆さんの力を借りても、上に君臨する──あの方々に手を届かせるには到底足りないだろう。

 

 幻想郷南部に広がる迷いの竹林全域を己が手中に収め、他とは一線を画した文化圏を作り上げた有史始まってよりの最古参妖怪、因幡てゐ。

 権力こそ持たないものの他賢者に対して宥和的な姿勢を示し、その素性故に絶対的な発言力を持つ山の仙人(仮)の茨木華扇。

 連邦制である妖怪の山は実質的には一つの超巨大組織。その全権を牛耳る天狗の長、天魔。

 数多の神面を併せ持ち、格式ならば賢者の中でも最高峰に当たる幻想郷のバランスキーパー摩多羅隠岐奈。玉に瑕なのは敵対する者が多いことか。

 そして、幻想郷成立の立役者である八雲紫。説明不要とも言えるほどの絶大な力を保持している賢者筆頭格。

 

 この五人は基本的に別格だ。華扇さんは少し特殊な立ち位置にいるが、その他四人は、互いを倒せるのは互いしかいない大勢力。

 はぁ……彼女らに比べれば人里の持つ力など微々たるものだ。そもそも独立保障を獲得する以前から裏で周りからかなりの侵略を受けてましたし。

 

「……来たぞ阿求」

 

 慧音さんの言葉で意識が戻る。

 あれれ、もうそんなに時間が経ったの? 辺りを見回すといつの間にか席は相当数埋まっていて、てゐさんと華扇さんの姿も見える。上座には紫さんがしれっと座っていた。

 紫さんの側にはいつも通り藍さんと橙が控えている。しかし他二人には護衛がいなかった。つまり完全に丸腰状態。必要ないってことかな?

 

 ということは……今回護衛を二人連れてきたのは紫さんと隠岐奈さんだけか。もっとも、天魔は失敗しただけみたいだけど。

 

「──それではこれ以上の召集は見込めないと見て、議論を始めさせてもらいましょう。司会は、僭越ながらまた私が務めさせていただく」

 

 毎度恒例の藍さんによる前口上。これだけで空気が引き締まるのを感じる。

 従者なのに下手な賢者以上の権限を持っているのは流石にズルいんじゃないかと思う今日この頃。だが逆に考えるなら、これが現状の紫さんと他賢者との間にある絶対的な力の隔たり。

 ……まあ、藍さんは幻想郷成立の最大功労者だから仕方ないか。

 

「今年度も終わりを迎えようとしております。昨年度の紅霧異変に派生しての問題に留まらず、他二つの異変によるトラブルも噴出したことでしょう。なのでまずは順に成果の程を──」

「随分と調子のいい話だねぇ。そっちの主人が原因になった異変ばっかりのような気がするんだが、そのくせぬけぬけと」

「……」

 

 カラカラとてゐさんが笑う。対して藍さんは話を中断させて、其方を睨む。

 確かにあの時の紫さんの行動はかなり問題視されていた。さらにその結果、伊吹萃香の暴走を誘発させる最悪の結果になっている。

 追求されて当然の問題ではあるが、このタイミングでこの話題を切り出したのはてゐさんの対決姿勢の表れか。

 これも表面化しない争いの一端。それにてゐさんはよく八雲陣営に喧嘩を売るし。

 

「責任問題じゃないかなぁ。幻想郷を管理する立場にあってあの行為は見過ごせない」

「話を中断させるのには感心しませんが、確かに兎の言うことも一理ある。少なくとも説明責任は生じるでしょう」

 

 華扇さんが同調した。ふむ……今回はてゐさん側に付くんですね。意外や意外。

 

「異変に参加した理由なんて大した事じゃないですわ。私はただアレが異変を早く終わらせる手段だと考えて実践したまで。幻想郷の転覆なんて狙う道理もございません」

「おっ追求逃れかな? 辞任しろ辞任」

「博麗の巫女育成の任は私が引き継ぎますので、安心して隠居してください」

 

 あっ、そういうこと。

 前々から巫女を教育したいって言ってましたもんね。なんでも説教心が疼くんだとか。

 

「私の犯した所作をお許しください。……しかし、私と同じ状況に置かれた時、貴女達ならばどのような行動を取ったでしょうか? 間違いなく、私と同じ事を行ったはずですわ」

「それは詭弁だね」

「……恒例通りに会議を進ませていただきたい。少し口を噤んでくれると助かるな」

 

 紫さんはもはやこの程度の口撃など慣れっこで、大したことないように言葉を返した。

 てゐさんも反撃に出ようとしたみたいだが、進行役の言葉に阻まれる。

 

 ……ここは私からも助け舟を出しましょうか。

 

「成果の報告でしたね? それでは我々人間の里から順に始めていきましょう。まずは灌漑整備の実施における作物収穫量の上昇とそれに関連しての出生率の増加について──」

 

 場の流れを正当なモノへ修正。これによって追求は中断せざるを得なくなっただろう。

 当たり障りのない程度に話しながら紫さんの方を見ると、僅かにこちらへ頭を下げていた。一応彼女の望んだ通りの結果だったみたい。

 借り一つとまではいかないだろうけど、私たちからの意思表示にはなったはず。

 

 

 私から順に始まった報告会は順調に進んでいく。その内容で特筆すべきものはないと思う。何人の外来人が迷い込んだとか、幽霊が増えたとかそんな感じ。

 まあ当たり前でしょう。この場で大事なことを話したがる賢者なんている訳がない──。

 

「秘密裏に夢の世界で繋げられていた月の進軍ルートを知人とともに潰しました。ついでに夢の支配者は地底に幽閉中ですわ。以上」

 

 ──いる訳がないと思っていたが、今回で覆されてしまった。私、そんな話聞いてないんですけど。

 

 幻想郷──正確に言えばこの上層部と、月の都は敵対している。その理由は月面戦争と呼ばれる紫さん主導による侵略行為だったそうだ。

 結果は此方の敗北。そして戦争をきっかけに妖怪の団結が必要だということになり、この集団が組織されることになったという。

 これが表の歴史。

 

 それ以降、幾つかのいざこざを起こしながらも両者は静観を決め込んでいた。

 てっきり力が拮抗しているからだと思っていたが、まさか既に喉元に剣を突きつけられた状態だったとは……。

 

「……それは真ですか?」

「ええ勿論ですわ。萃香の起こした異変以後に頻発した夢遊病。これこそ紛れもない証拠。職務放棄にはそれ相応の理由がございます」

「ふーん。春雪異変の件は?」

「結果として私が幽々子に関わってより1日で異変は終わったでしょう?」

 

 言われてみればそうだ。紫さんの異変参戦は内部からの瓦解が目的だった? いや、博麗の巫女に発破をかけるため?

 ふむ、幻想郷縁起の内容がまた充実しましたね。

 これにより二人がかりの追求は失敗に終わった。華扇さんは紫さんに軽く詫びて、てゐさんは面白くなさそうにそっぽを向いた。

 

 

 

 程なくして報告会は終わり、次なる話し合いへ。普通ならこれから本会議に入るのだが、今回はその前に河童の制裁を布告するようだ。

 その為に取締役のにとりさんをこの場に連れてきてるのだろう。

 

「さて河城にとり。お前たちは我々が宣告した『核禁止声明』を無視しその使用に踏み切った……ここまでは合っているな」

 

 にとりさんは不敵に笑って見せながら、小さく頷いた。第一印象としては反省する気はさらさら無し……だろうか。

 つらつらと慣れた口調で制裁文を藍さんが読み上げる間も、彼女はピクリとも動かない。

 

 ……なんだか嫌な予感。

 

「──以上の違反行為は紫様との間で締結された取り決めに悉く反する。よって取り決め通りに原材料の拠出は停止となる。そして……」

 

 声が止まる。藍さんは主人に視線を合わせた。

 そして歩を進めてにとりさんの体を蹴り上げた。瞬間、体がバラバラに砕け散る。

 

「やはり偽物か。本人がこの場に居ないのなら話をしても不毛なだけだな」

「い、いつの間にすり替わっていた……?」

 

 椛さんの目を欺いたという事は、つまりガワはにとりさんそのモノ。これはアレか、小鈴が最近ハマっている江酢衛府というヤツか。

 

『あー……話は聞いてるから不毛じゃないよ。しっかり傍聴させてもらってる。随分とまあ酷い言われようじゃないか』

 

 壊れた河城斎某具から機械音が響き渡る。思わずギョッとしてしまった。

 これはまさか通信機? 河童の技術がどこまで進んでいるのか見当もつかない。

 

『私たちが行っているのは全て自衛の為さ。威嚇してるわけじゃない。武力をひけらかしているわけでもない。大袈裟に危機感を煽って私たちを孤立させようたってそうはいかないぞ』

 

 逆に幻想郷が我々から孤立しているというスタンスか。正直嫌いではないわ。

 

『本来の力を取り戻すのに何故許可を求めなければならない? 私たちはね、奪われた時間を取り戻しているのさ。そうだろう? 天魔殿』

「……」

『従属させてたせいで河童の力を見誤られたね。盟友の盟友も、今までの約束事を破るのは悪いけど、もう必要なくなったから切るよ。ただ一つだけ勘違いして欲しくないのは、河童だって幻想郷の事を考えてるってこと。……それじゃあ引き続き、うわべだけの会議を楽しんでね』

 

 ブツ、という切断音とともに通信は途切れた。

 好き勝手言うだけ言って此方には何も喋らせなかったか。

 にとりさんの暴挙を受けて場が戦争だの何だのと騒がしくなったが、皆言うだけで何もできない。そりゃあ相手が河童だから仕方がないわ。

 肝心の天魔は大して気にした様子も無さそうだし、紫さんに至っては華扇さんと特使派遣についての話をしている。大事にはなりそうにないみたいだ。

 

 ただ私たち人里側からすれば核実験とかよりも、無闇矢鱈な人里への介入を控えてほしいっていうのが本音なんだけどね。

 

 さて、一旦騒ついた場も少しして沈静化した。

 そして今回のメインイベントが始まる。……ここからが勝負だ。

 

「これより本会議に移ります。異存のある方はございますか? ……それでは」

 

 言葉を切ると同時に全員の手元にスキマが開き、数枚の紙がヒラリと落ちてくる。

 数箇条に決まりが書き込まれている。

 

「皆様も耳にしているかと存じますが、これがかねてより紫様が提唱し続けてきた『スペルカードルール』の内容です。なお詳細については()()()省いております」

 

 

 ・決闘(弾幕)の美しさに意味を持たせる。攻撃より人に見せることが重要。

 ・意味の無い攻撃はしてはいけない。

 ・体力が尽きるか、すべての技が相手に攻略されると負けになる。

 ・このルールで戦い、負けた場合は負けを認める。余力があっても戦うことはできない。

 

 

「これまで幻想郷は力と力の総力戦によって物事の取り決めが行われてきました。しかし、その結果幻想郷に深いダメージを与える案件が頻発することとなっています。吸血鬼異変の際には幻想郷南西部が砂漠化し、紅霧異変では湖の汚染、先の異変では博麗神社が丸々消し飛びました」

 

 事例を聞けば聞くほど、よく今まで幻想郷が形を保っていたなと感心する。慧音さんの苦々しい表情は彼女が復旧作業に携わっていたからだろう。

 よく「何で私があんな歴史を喰わねばならん……」とか言って愚痴られたっけ。

 

 そして今回の『スペルカードルール』はその現状に一石を投じるモノになるかもしれない。

 しかし先日紫さんに話した通り、その道は決して楽ではないだろう。

 

「わざわざ守る奴なんているのかな。このルールには拘束力はないんでしょ?」

「ほぼ。これはあくまでルールの提案に過ぎないわ。それに乗っ取るか否かはそれぞれ個人が決めること、個人の自由よ」

 

 紫さんは「ただ……」と付け加える。

 

「守るように強制させる者はいるでしょうね。それこそ博麗の巫女だったり、私だったり、各地の実力者だったりするわけでございます」

「つまり、お前さんの考えに賛同する者はそれほどまでに多いってことかな?」

 

 ルールの内容に異論は存在しないのだ。問題は、コレを幻想郷全体が受け入れるのかどうか。

 それが審判に掛けられている。

 

「あそばせながら。ちなみに『スペルカードルール』は稗田阿求との共同声明。人間側の承認は完全に得ていますわ」

 

 視線が集中した。私はただ会釈するのみ。

 

「賛同したのは、まず私と阿求、そして博麗霊夢」

 

 発起人と大前提となる巫女。これらが居ないと話にならない。

 さて問題はこれからだ。果たして紫さんがどれだけの妖怪を説き伏せる事ができたのか……それ次第だ。この心配が杞憂に終わればいいんだけど。

 

「次に……レミリア・スカーレットを始めとする紅魔館一門とその配下」

 

 ……ん?

 

「及び伊吹萃香。さらに魔法の森に住まう殆どの魔法使い。また古明地さとりを始めとする概ねの地底勢力からは同時施行するとの言葉を」

 

 ……んん?

 

「さらに西行寺幽々子とその周辺従者。また閻魔の四季映姫からは此度の案に対し信任をいただきました。これにより冥府の全域がスペルカード適応地域となります」

 

 ……んん!?

 

「また草の根妖怪ネットワークの取締役より『ルール発効後は可及的速やかに情報の拡散、及びメンバーへ恭順の指示を行う』との申し出を。これにより妖怪の山を除く幻想郷全域がカバーできます。それと、まあその……河童からも一応信任の言葉をいただきましたわ」

 

 あの、えっと……。

 

「幻想郷へやって来る妖怪には草の根妖怪ネットワークのメンバーがしっかりと説明をしてくれます。新たに生まれた妖怪については付喪神地位向上協会のほうより対処を一任しています。ルール公布の際の伝達は賛同してくれた射命丸文が請け負ってくれたわ。……良かったかしら? 天魔」

「……そうか」

「あんの糞ガラス……!!」

 

 

「とまあこの通りですわ」

「何というか……容赦ないね」

「はて?」

 

 今回ばかりはてゐさんに同感する。八雲紫の力をありありと見せつけられた気分だ。

 あの曲者達を自分の手の内に収めるとは。

 

 さて、幻想郷における前準備は十分だ。あとは何人の賢者が賛同するか。

 取り敢えず紫さんに同調する者たちは大丈夫だとして、問題は他四人のあの賢者たち。果たして……。

 

 

「──悪くない。悪くはないが、なんだかなぁ」

 

 

 聞き慣れない声が耳に入る。

 辺りを見回してみたけど、周りも今の声の発声主を探している。

 

「幻想郷内の均衡を図るのはいいことだ。私の仕事も減ってくれて助かる。しかし、幻想郷外とのバランスはどうなのだ?」

 

 ……摩多羅隠岐奈か! 相も変わらず簾に遮られていて姿を確認することはできないが、物言えぬ重圧が発せられている。

 いつの間にかニ童子が笑みを浮かべながら仰々しく茗荷の葉や笹の葉を振り回していた。その姿や気狂いの類いだ。

 慧音さんの表情が歪む。

 

 くっ、この声質は聞いたことがあった筈だった。しかし物の見事に忘れ去ってしまっていたわ。

 求聞持の力を持つ私でさえも覚えきれないとは……恐ろしい存在だ。

 これはバランサーとしての意見かしら。

 

「力を持った吸血鬼が攻めてきたことがあった。つまり、外には幻想郷を狙う勢力が存在していたということだ。それも、我々の一角に深手を負わせるほどの勢力がな」

 

 椛さんが苦々しく歯を噛み締めた。一方で天魔は相変わらずの様子だ。

 

「またいつ別の勢力が攻めてくるやも分からんし、月の都は野心を捨てきっていなかったのだろう? さらにはルールに囚われない者が異変を起こすことだって考えられる。今の幻想郷の妖怪達ならば撃退は容易だろうが、ルール施行後はどうだろうなぁ。……スペルカードは妖怪の闘争本能を多少なりと削ぎ落とす結果となるだろう。足枷になっては本末転倒だぞ」

 

 つらつらと意見を述べる隠岐奈さん。確かに、おっしゃる通りだと私も思う。

 だが、これを説き伏せることができればスペルカードルール実現へ大きく前進するだろう。

 

 紫さんはどこまでも余裕だった。

 

「確かに私としてもそれを最も懸念しているわ。だけど、()()()()()でしょう? それだけでこの不安は払拭されたようなものですわ」

「なんだ結局私たちの仕事が増えるのか。ふむ……解った、ならば私も賛成しよう。手を加える事ができるのなら問題はないぞ」

「私も同じく。これで鳥獣への被害も減らせるといいのですがね……」

 

 あれ、それだけ? ……なんか軽い感じで二人の賛成を得られましたね。特に隠岐奈さんは意外だ……あんなに懸念を述べてたのに。華扇さんは兎も角ね。

 多分紫さんと隠岐奈さんの間には二人にしか分からない裏のやり取りがあったのだろう。うん、そうに違いない。

 

 一方他の二人だが。

 

「あー……保留で。ちょっとウチは兼ね合いを取るのが大変でねぇ、いろんな連中から意見を聞かなきゃなんない。取り敢えず返事は年内ってことで」

 

 てゐさんは(一見)心持ち悪そうに同意を取り下げた。ここまで演技だって見え見えだと、逆に清々しくなるわね。

 それに天魔も続く。

 

「……射命丸の件は了承しよう。だが、そのルールは妖怪の山には合いそうにない。我々は我々のやり方でやらせてもらう」

「あらそう。いつでもお待ちしてますわ」

 

 分かってたと言わんばかりの即答。

 そして両者の視線が交錯し、火花散る光景が幻視できる。やはり彼女らの因縁はまだまだ続くのか。はてさて、和解は何世紀先になるのやら。

 

 ともあれ結果的には大多数の賢者が紫さんの案に迎合する形となった。終わってみれば意外にも呆気ないものですね……。

 ただ天魔やてゐさんを始めとしてその配下の賢者たちは完全な合意に至っていないので、これからも根気強く話を進めてスペルカード体制を磐石なものにしなければならない。

 だって妖怪の山と迷いの竹林──この二つだけで幻想郷の総面積半分を占める規模。これらでスペルカードルールが適用されないのはマズイだろう。

 

 あの二人は紫さんに与するタイプでは決してないからなぁ。寧ろこれからが本番か。

 ……だけれども幻想郷の住人は流行に敏感だ。一定数にルールが普及すれば難なく浸透すると私は想定してみる。

 

 

 

 その後、取り上げられた幾つかの案が審議を通過し、幻想郷で公布、施行されることになった。私と慧音さんによる申し聞きも何とか、ね。

 

 これで会議は終わり。

 これからは余興だ。食事に親睦会、八雲式ダンサーズの公演などが続く。隠岐奈さんの二童子によるまさかの飛び入り参加もあって大いに場は盛り上がった。さっきまでの険悪さが嘘のようだ。

 私も慧音さんと一緒に笑いながら、それでも油断なく紫さんに目配せした。

 

 

 紫さんの頭の中にはもう既に次なる策が練られていることだろう。

 私の役目はそれらを完全に把握し、そして人里に最大限の利益を享受させること。

 

 貴女は私を利用する。

 そして私はそれを利用する。

 

 実に建設的な関係ではないでしょうか? そして同時にとても理想的だ。

 

 今は雌伏の時。ゆっくりと力を蓄えさせていただきます。やがて貴女と肩を並べることができた暁には、今度こそ幻想郷について腹を割って話し合いましょう。




アメリカ→ゆかりん
ソ連→てゐ
中国→天魔
おフランス→もぐねん
ブリテン→おっきーな

多分こんな感じの立ち位置。ちなみに人里は多分日本。紅魔館はドイツ。
河童は勿論、k(ry


天魔は女性。種族は烏天狗。
さらにちょっとした補足ですが、この天魔は原作世界の幻想郷に存在する天魔とは別人なんです。なんでなんやろーなぁ


突然のゆかりんの賢者格付けチェック。
隠岐奈>華扇>てゐ>天魔の順で優しい! 友好的! と思っています。
まあ、んなわけねーだろとね。ていうかむしろ反対だよゆかりん。

そんじゃ予告です


「犬走椛と申します。どうぞお見知り置きを。
それにしても妖怪の山は随分と保守的になりましたね。昔は『ガンガンいこうぜ!』なんてスローガンを掲げていたというのに。……文さんも天魔様もはたてもにとりも、どうしてみんな……はぁ。
少し昔、吸血鬼に対する処遇を決定する賢者会議が開かれました。我々としては膨大な賠償金と勢力の取り潰しを願い出た次第だったのですが、八雲紫の反対により紅魔館は存続、さらにはお咎めなしとなった事があります。謝罪の一つもなかったのです。
それ以来八雲紫と妖怪の山はソリが合わないみたいです。私としてもたまったものではありませんね。同胞の死は一体なんだったのか……今でもよく考えるのです。
えっ、話が長い? すみません、つい。

さて次回は少し短めでお届けするそうです。文さんが痛い目に会う話はまだなんですかね? 私ずっと待ってるんですよ。
これ予告じゃない? 知りません。

はあ……誰でもいいのでせめてまともな上司か同僚をくださいお願いします」


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うつろわざるあなたへ

椛のうそつきー!



 祝☆スペルカードルール実施決定!

 

 もうね、私泣いちゃいそう。年甲斐もなく目頭がどんどん熱くなってきちゃう。

 思えば苦労の連続だったわ。

 幻想郷を平和にしたい一心でうん十年も前から活動し続けてきた。

 スペルカードの普及の為に徹夜のフル作業で藍と一緒にスペルカードを作り続けたりしてね、それを無料配布。

 その後は土下座外交を繰り返し、色々なモノや権限を周りに散財しながら十年前にはようやく実施一歩手前まで辿り着くことができた。

 

 しかし、レミリアによる忘れ難き幻想郷侵攻のおかげで流れちゃったのよ! あの時の絶望ときたらもうね、五回は魔女になれるわ。

 藍からは慰めというていの皮肉や脅しのオンパレード。あんなに協力させておいて寸前で案が流れちゃったんだもん、仕方ないわ。

 仕方ない。仕方ないけど、なんだかなぁ!

 

 ていうかその頃から霊夢の反抗期が始まっちゃったのもあってしばらく活動ができなかったのよね。

 だっていきなり髪を紫に染めて色んな所で暴れだしたのよ? 心配で仕事に手が着かないわ。

 ……霊夢がグレた時期って、魔理沙とつるみだした時期と合致するのよね。つまる所、全部金髪の子が悪いってこと!

 

 

 ……っと、話がずれちゃった。

 要するに私は浮かれてた。だからね、ちょっとした出来心を助長させてしまったの。

 調子に乗り過ぎてしまったと、後悔してももう遅いのだ。……手遅れなのだ。

 

 

 宴会と喧嘩と罵倒は幻想郷の華。そんなのもはや常識よねぇ? 太古の時代、阿求の先祖である稗田阿礼だって古事記にそう書いてある。

 

 あの連中どものコミュニケーションはそのいずれかで行われているのは周知の事実だろう。この三つ以外じゃ中々会わないのよねあいつら。

 逆に言えば突発的に出会って変な関係を結んじゃう私の方が異端だと言ってみたり。……いやまあそんなことはどうでもいいや。

 

 つまり私が言いたいのは、良いことがあったからって考え無しに宴会は開くなってこと。

 そして宴会を開く時は場所とメンバーをよく考えようってこと!

 

 目の前に転がる死屍累々を見下ろしながら、私は固い決意を抱いたのだった。

 

 

 

「おのれ伊吹萃香ァッ! 姿を見せろ……角の髄まで叩き斬って楼観剣のサビにしてくれるわぁ!!」

『姿を感じられなきゃ対象を斬れないのかい。こりゃとんだ三流剣士だなぁ』

「卑怯者めぇぇぇ!!」

『未熟者め』

 

 私には風を切る音が聞こえるだけで何をやってるかはよく分からないんだけども、乱れ舞う白銀の星屑がとても風美だ。

 隣に座る幽々子もそれを肴にしながら酒を飲んでいるようである。流石は風流人。

 しかし、半狂乱になりながら虚空を何度も切り裂く妖夢の姿はちょっとだけ滑稽だった。

 剣筋は良いんだと思う。だけど萃香にいいように転がされているのが現状だ。

 

 

 今宵の宴会場所は白玉楼。博麗神社は賢者会議の直後では目を引くだろうという理由で私と萃香がチョイスした。

 当の管理人である幽々子は快く了解の意を示してくれたので、ここまでは非常にスムーズだった。藍と橙と妖夢のおかげで設営もすぐ終わったしね。

 問題はここから。

 

 気を良くした私はスペルカードルール同意書にサインしてくれたみんなに招待状を出してしまった。……出してしまったんです。

 おい、何やってんだ私。いくら気分を良くしてたからって限度があるわよおい。

 

 そしてなんということでしょう! あっという間に萃香乱心異変の再来である!

 萃香が喧嘩を売って沸点の低い連中がどんぱち始める。そして完全再建間近の白玉楼はあえなく倒壊し、妖夢がブチ切れてこの始末というわけだ。

 

 なおさとりからは「なに夢見てんだ行くわけねーだろ」と言われた。誘いを口早に屁理屈で断る霖之助さんが相対的にマシに見えたわね。あくまで相対的に。

 ちなみに知り合いの賢者たちにも誘いを入れてみたんだけど断られた。阿求とおっきーなからは「またの機会」、華扇は「無理です絶対ムリ」と。

 てゐ? 天魔? 誘うわけないでしょうが!

 

 なんにせよちょっぴりカオスなことになっちゃったわけね。

 

 ……私のせいかなー?

 

「霊夢さん。止めなくていいの?」

「いいのよ。ここは幻想郷じゃないしいくら壊れようと結構。気に留めるだけ面倒くさいだけよ。こっちに攻撃飛ばしてきたらぶち殺すけど」

 

 ご飯に夢中な霊夢は小傘の問いをばっさり切り捨てた。まあ、間違った判断ではないけど……なんというか、もう少し手心を。

 あーあ、霊夢が動かないなら駄目ね。周りの面子を見てもわざわざあのいざこざに進んで首を突っ込もうとする奴はいない。

 アリスや幽々子は乱闘の観戦を楽しむタイプだし、いつの間にか宴会場に紛れ込んでいるブン屋はシャッターを切るのに夢中だ。

 こんな時、変に介入して事態をややこしくさせるいつもの困ったちゃん枠、レミリアはというと。

 

「器の小さな、オエッ……連中よ……っ。奴らには些か品が足りんな……オロロ」

「お嬢様どうかご安静に」

 

 グロッキー状態でメイドに寄りかかっていた。そんなレミリアの姿は、はっきり言って品がない。こいつこんなに下戸だったかしら。

 けどその割には度数の高そうなワインがぶ飲みしてたような……。風邪かな?

 

「成長期だからね。その弊害が私に押し寄せてるのさ。グフッ……気持ちわるぅ……」

「お嬢様に汚らしい視線を向けるな」

 

 ナチュラルに思考を読まれた。いやいやさとり妖怪なんですかね貴女。

 てか体調悪いならなんで来たのよ。今からでもぶっ倒れてる門番を引きずって帰っても誰も文句は言わないわ。その代わりフランを連れて来てね。

 この宴会場には癒しが圧倒的に足りない。

 

 はぁ、幽々子は怒ってないけどこれ以上の揉め事は勘弁。そろそろ藍に仲介を頼もうかしら。

 ……ていうかさぁ。

 

「どうせ喧嘩するならスペルカードルール……弾幕ごっこでやってみて頂戴な。それがこれからの決闘方法なんだから」

『私はね、心苦しく思っているのさ。ついにこの鬼の剛力を使えなくなる日が来るなんて、ってね。それならルールが開始する日までは好きにやっていいじゃないか! 鬼なんだもの!」

「そこか死ねぃ!」

 

 私の目の前で実体化した萃香を剣閃が斬り裂いた。切っ先が鼻をかする。

 だが私が仰け反るよりも早く、妖夢が仰向けに後頭部からぶっ倒れた。ぐったりと四肢が力を失う。意識が飛んじゃったみたい。

 どうやら藍の仕業みたいだ。

 嗚呼、また一つしかばねが……。

 

「紫様に刃を向けるのは流石に看過できないな。少し頭を冷やすといい」

「きゅ〜……」

「───あっはっは! 動きがまた一段と速くなったじゃないか藍」

「お前もいい加減にしろ!」

「おっと!」

 

 今度は藍と萃香か。何これ幻想郷最強決定戦でもおっぱじめる気なんですかね?

 観客どもは野次を飛ばしながら二人の勝敗をギャンブルしている。貴女たちの気楽さを欠片でも分けて欲しいわちくしょう!

 ていうかホントさ、スペルカードで戦ってくださいお願いします。何の為の署名と会議だったと思ってるのよ!

 

「いてて……実力勝負じゃ鬼にゃまだ敵わないか。根本的な力負けもそうだが、私のスピードが封殺されちゃ万に一つも勝ち目がない。悔しいな」

 

 酒と力にのされていた魔理沙が起き上がった。

 彼女と萃香の戦闘における相性はおそらく最悪なんでしょうね。魔理沙お得意のスピードとパワーが萃香には全く通じないから。

 萃香に並ぶには彼女を上回る圧倒的な暴力か、問答無用で敗北を与える反則級の能力のいずれかを保持しておかなきゃならないわけだけど、果たしてこの両方を兼ね備えた存在が幻想郷には何人いるのか、甚だ疑問。

 やはり触らぬ鬼に祟り無し、ね。

 

 さて、そんな魔理沙にエールを贈ろう!

 

「真正面から萃香と戦って勝てる者なんて殆どいませんわ。貴女のように食い下がることができるだけ大したもの──寧ろ誇っていい」

「……私は勝ちたいんだがな」

「殴り合いで勝てなくとも、鬼を降す方法は幾らでもありますわ。そしてスペルカードルールは貴女のような不器用な魔法使いの本領を、発揮させるルールなのです」

 

 魔理沙の強みは火力とスピードだけじゃない。

 彼女が人間の身でありながらここまで躍進し生き残ることができたのは、数多の死線を掻い潜ってきた回避力にある。これに限るならば暫定トップを名乗っていいのかも。

 そして尚も努力によって成長していく、刹那の命を燃やす瞬き。人間としての強みだ。

 

 魔理沙の姿は限界に挑み続ける人間としての、在るべきモデルケースなのだ。

 霊夢とかメイドはね……うん。もう殆ど人間じゃないからね……。

 

「そうだ弾幕勝負は私の土俵、負ける道理はないぜ! 霊夢は兎も角な!」

 

 うん、それね。

 私もルールを考える途中で気づいたんだけど、弾幕ごっこで霊夢を負かすことはほぼ不可能なのよね。夢想天生とかいうブッ壊れ奥義のおかげで。

 つまりスペルカードルールの普及は、博麗の巫女至上体制を大きく拡大させることになる。こういうのを棚ぼたって言うんでしょう?

 

「そうね。霊夢以外に勝てるよう頑張りなさい。陰ながら応援してるわ」

「へえそうか。なら一つ私の黒星を増やす手伝いをしてくれよ妖怪賢者。スペルカードルール実践の1号は私とお前でどうだ?」

 

 わ、私!?

 いやまあ……そりゃ普通に殺り合うよりは善戦できるかもしれないけど、ぶっちゃけ勝負になる気がしないわ。

 ほら、サッカーのルールを考えた人はサッカーが一番上手いのかって聞かれると、これまた違うでしょ? そんなもんなのよ!

 それに私のスペルカードって未完成のモノが多いの。完成作の結界『生と死の境界』を破られたら即敗北ってわけ。

 

「ほら早くやろうぜ。上へ来な」

「ちょっと待ってまだ(心の)準備が……」

 

 ええい最近の若いのはせっかちなんだから!

 ぐぬぬ……こうなったら召喚型スペルを即興で作るしかない!

 名付けて式神『八雲藍』! 私の代わりに藍に戦ってもらうという最強のスペルカードよ!

 美しくない? ルール違反?

 ふんっ、そんなの知ったことか! これぞ開発者のみに許された最強の技、『俺ルール』なのだ!

 

 さあいくぞっ。

 八雲(藍)の力──見せてくれるわ!

 

「あらあら紫? この後は私と大事な話をする約束だったでしょう? 私との先約をきっちり守ってもらわないと困るわよ〜」

「へ?」

「そんな魔法使いは捨て置いて早く私の元へいらっしゃい。まさか、親友である私を裏切ってまで優先することじゃないわよね〜」

 

 私の決心ってすぐダメにされるわね。我が心が弱いわけでは断じてないのだ!

 

 有無を言わせぬ幽々子の物言い。勿論、そんな約束をした覚えはなかった。

 悪戯っぽく微笑んでるのを見れば分かる通り、十中八九言っていることは嘘だろう。だがしかし、何を言わんとしたいかは把握したわ。

 

「ああそうでしたわね。勇んでいるところ悪いけど、私との弾幕ごっこはまた今度……今日は別の相手とやってちょうだいな。そうねぇ、例えばアリスなんてどう? 私なんかと戦うよりもよっぽど得られるモノがあると思うわ」

「「はあ? なんで私がこいつと」」

 

 はい仲良しのシンクロニシティ! 互いにツンケンしててもこの私の目は誤魔化せませーん!

 この二人は正反対だからこそ噛み合うものがあると思うの。その組み合わせの相性たるや、私と霊夢にも匹敵するかもしれないほどに!

 アリマリなのかマリアリなのかについては検討の余地ありだけどね。

 

 んじゃ駄目押し。

 

「ところで二人は仲が良いから実現しないかもしれないけど、もしもよ? 互角の二人が戦ったらどっちが勝つのかしら? 気になるわねぇ」

「おいおい紫。私の力はよーく分かってるだろう? 人形なんか使って小細工を弄するような奴に負けるはずがないぜ。私のマスタースパークで一撃だ。てかこいつには勝ったことがあるしな」

「どんだけ昔の話よ。そんなの戦績の内に入らないわ。ていうか貴女みたいなレーザー馬鹿に私が負けるはずないじゃない。星魔法についても無駄が多いし燃費が悪い。魔法使いの風上に置けないようなこいつが七色の魔法使いである私に勝てるはずないわ」

「七色じゃなくて親の七光り魔法使いだろ」

 

 あっ、ビキィってなった!

 魔理沙の煽りスキルは天下一品ね。煽り耐性の強そうなアリスをイラつかせたのは素直に凄いわ。まあ、見習いたくはないけど。

 

 さてこうして記念すべき弾幕ごっこ被験体第一号は魔理沙とアリスになった。魔理沙のゴリ押しかアリスの手数か……注目の好カードだ。

 しかし観戦は宴会の後にさせてもらう。文が撮っているであろう写真を見ながら思いを馳せるとしよう。

 今はわざわざ”親友”とかいうパワーワードを投げかけてきた幽々子への対応が先ね。

 

「これであちらはひと段落。正直助かったけど、私が困っていることによく気づけたわね」

「何年の付き合いだと思ってるのかしら? 私をあまり舐めないでよね」

 

 頼もしい言葉ではあるが、意味合いによってはかなり悪質よこれ。

 だって私が今までの幽々子の行動に困り果てていることに気づいておきながらってことでしょう? 天然腹黒おそろしや。

 

「それじゃあ約束通りお話しましょう。外でも歩きながらね」

「……約束通り?」

「約束に前後なんて関係ないわ。大丈夫、ちょっとだけだから」

 

 うむむ、分からん。私と何かを話したいのは分かったけど……約束に前後? どゆこと?

 幽々子の言葉は独特のニュアンスが多くてねぇ、私が彼女に対してイエスマンになり易い理由の一つでもある。

 もう少し解り易く話してくれないものか。

 

 

 白玉楼の木々は嘗ての生命力を失い、茶色の体躯を心寂しげに晒している。

 異変は完全に終了したのだ。

 あの花の嵐は私の知らない間に何処へ行ってしまったのだろう。冥界から更に行き着く場所なんて、一つしかないのに。

 

 裏手に来るだけでこうも雰囲気が違うのか。

 遠くから聞こえるみんなの喧騒がさらに侘しさを助長させている。

 

 私と幽々子の冥土を踏みしめる音だけがよく耳に入ってくる。

 

「ごめんなさいね紫」

「どうしたの? 藪から棒に」

「いえ……そういえば今の貴女には謝っていないことを思い出したのよ。聞いていたのなら二度手間になっちゃうけど」

 

 まーた意味の分からないことを……。今の私って……夢の中かなんかで私に謝ってたの?

 いや、けど春雪異変の件については私の早とちりが災いした部分もあるし、謝ってもらう必要はないわよ。うん。

 

「……私はね、あの時の異変で貴女に甘え過ぎたと思ってるの。貴女が西行妖の復活に協力するって言ってくれた時、とても嬉しかった。だって怒られるとばかり思ってたから」

 

 ちょっと待った。なんで私の胸に罪悪感が募っていくんですかね!?

 これじゃ「そんなつもり全くありませんでしたー!」とか言えないわ……!

 くっ、辛い!

 

「謝らないで幽々子。そのことで謝られたら私と貴女は友達じゃなくなってしまう。共に決心したことなんだから、ね?」

「……そうなの?」

 

 そういうことなんです。だからこれ以上古傷を抉るのはやめてくださいお願いします。

 過ぎたことは全部流すに限るわ!

 

「貴女がそこまで言うなら仕方ないわね。私は謝らない……感謝だけに留めておくわ」

「うんありがとう。やっぱり友情に責任なんて堅苦しいものは要らないわね」

 

 よしすっきり。んー……やっぱり私って調停者の才能があるわね!

 賢者適正の高さに慄く私であった。

 

 

「……変わらないわね」

 

 いつの間にか目的地に到着していたようだ。幽々子は愛おしそうに大きな古木を撫でている。

 この古木は、確か私が異変の最後に見たアレだったはず。ひっそりとしてて寂しいわね。

 

「いつから立っていたのかも分からないくらいの代物よねぇ。確かに、初めて見た時から何も変わっていないわ」

「変わっていないのは西行妖だけじゃないわよ。貴女も私も昔のまま……ここだけあの頃みたいねー……」

 

 ああ、そうか。

 幽々子の言葉で思い出した。ここは……私と幽々子が初めて出会った場所だ。

 四季映姫の紹介で知り合ったのよね私たち。

 

「いいえ、表面上や外見は兎も角、幽々子も私もかなり変わったと思うわよ? 少なくとも、性格は今ほど明るくなかったわね」

 

 懐かしいわー。あの頃はなんか調子が悪くてねぇ、右も左も分からないまま手探りで生きていたような、変な感覚に囚われてた。

 多分藍が居なかったらそこらへんの妖怪に殺されてたんじゃないかしら。

 一方の幽々子もなんか初々しくてね。死んでる彼女に言うのもなんだけど元気がなかった。

 

 ふふ、妖怪も幽霊も成長するのよ。

 

「そうね。完全にあの頃に戻ることはできない。だけど、根本的な部分では何も変わってないと思うの。全部あの頃のまま」

「と、いうと?」

 

 幽々子は楽しそうに笑って西行妖の根元にうずくまる。そして振り返ってこちらを見ると、キョトンとした様子で首を傾げる。

 

「『あら……貴女はどちら様?』」

 

 戸惑った。

 幽々子の行動もそうだが、私の脳裏に駆け巡るあの日のデジャブが言葉にできない感情を心に生み出している。

 私と幽々子の瞳が交錯する。

 

「『完全に死んでいない者を見るのは初めて。貴女は、生者なのね?』」

「……『そうですわ。今もしっかり、穢れを身に纏いながら必死に生きてる生者よ。ふふ、冥界の箱入りお嬢様には初めての体験だったのね』」

 

 私が答えると幽々子の笑みが深くなる。とっても無邪気な、可愛い笑顔。

 ああ、やっぱりこれがしたかったのね。初心に帰ろうってことかしら。

 

「『羨ましいわ。……生前の事なんて何もわからないから想像で補うしかない。だけど、生きているって事が何なのかが分からなくてね、今の私も一体何者なのか、考え付かないわ』」

「『生きている事を証明するには死んでいるものが必要で、その逆もまた然り。つまり、私の存在が貴女の存在を裏付けているのよ。もっとも、生死の境なんて些細な事、私にしてみれば何ら関係ありませんが』」

 

 顕界と冥界なんてスキマでひとっ飛びな私には、何も変わらないのよね。むしろ今となっては幽々子が幽霊だって事を時々忘れてしまうほど。

 そう考えると本当に生者と死者の違いなんて何もありはしないのかもしれないわね。

 

「『私が死んだ証になるのが貴女? 生きた証に?』」

「『貴女がそれを望むのなら。だけど私も案外早くこっちに来ちゃうかもしれないわね。死神からは死相が出てるっていつも言われるから』」

 

 差し出した手を幽々子が握った。

 

「『素敵な話ね。──…ああ、随分前にそんな話を聞いたような気がする。思い出せないけど、とても大切な事だった』」

「『奇遇ね、私もよ。もしかしたら……私達は初めましてじゃないのかもしれないわね』」

 

 

 そしてこの後は……うーん。

 なんか恥ずかしい!

 

 

「もうこれくらいにしましょう。あの時の事は互いに一片たりとも忘れていない……それだけの事実で十分じゃない?」

「あら紫ったら、こんな時だけ恥ずかしがるのね〜。普段はもっと臭い台詞をつらつらとあの子達に掛けてるくせに。それはもしかして、私が特別だから?」

「さあ、どうかしらね」

 

 あと私が普段掛けているのは臭い台詞じゃないわ。ほんのお世辞とごますりよ。

 それにね、私って実は恥ずかしがり屋なのよん。寝る前に1日を振り返って枕に頭を叩きつけるのはもはや日課なのだ!

 そもそもスキマに閉じ籠る能力って時点で察して欲しいんだけどなぁ。

 

 つまり、レミリアみたいな陽気な連中の相手は元来苦手とするところ。萃香の時なんて慣れるまでに何回五臓六腑を痛めた事か……!

 その点、幽々子は比較的楽なのよ。とある時間帯(主に飯時)はアクティブになるけど普段は大人しい大和淑女だから。

 つまり幽々子とは境遇からしてなるべくして親友になったような、そんな関係。

 

 ……もっとも、時折言ってることが意味不になる事を除けば、の話だけどね!

 

「ああ楽しかった。在りし日の思い出がまるで蘇ったみたい! ね?」

「まったくよ」

 

 私も幽々子も、あの時から何百年も経ってるのによく隅から隅まで覚えているものだ。

 私の記憶力って効率悪すぎぃ!

 

「ふふ……これからもよろしくね。そして願わくば、貴女と……──」

 

 可憐に微笑む幽々子の姿に見惚れながら、何かを迎えようとしている。

 だが、次なる言葉はなかった。

 

「あっ───それじゃ宴会場に戻るわね。わざわざ付き合ってくれてありがとう 紫」

 

 幽々子の身体が薄れて空気に溶ける。そのまま霊体は消滅して、私だけが残った。

 イヤに不完全だ。そして気味が悪い。

 

 ……そうか、そういう事か。

 だから幽々子は逃げたのか……!!

 

 

「随分と楽しそうな酒宴を設けているみたいじゃないですか。その道楽、はたして貴女が成した勤めに見合うと思いますか? ねぇ、八雲 紫」

「げえっ」

 

 うわぁぁぁぁぁ!!?

 し、しし……四季映姫だぁぁぁ!!

 

 説明しよう! このガキンチョ閻魔 四季映姫・ヤマザナドゥは私の……いえ、幻想郷の天敵なのである! その圧倒的権威と戦闘力()たるや、鬼の四天王が裸足で逃げ出すレベルなのだ!

 私からすれば一般兵士から見る呂布みたいなもの。ゆかりん主観 口喧嘩したくないランキング堂々の第1位よ! ちなみに2位はさとり。

 

「無礼講は結構。たまにはハメを外すのも宜しいでしょう。しかし貴女のような業の深い妖怪は表立つべき存在ではない。そう、貴女は少し目立ち過ぎる」

「それもまた一理──」

「黙りなさい。説法に耳を貸さぬ者は馬畜生にも及ばぬ愚か者です。さて話を戻しますが、貴女の行動理念には些か考えが足りない。大層なことを望むは良し、だが知恵が足りない」

「斯様な事を申されますが──」

 

 睨まれたので口を噤む。

 もうヤダァ! 紫おうち帰るぅ!

 

「──つまり、貴女は自分の力を理解し有効に活用すること。これが今の貴女に積める善行だと何度言えば分かるのです?」

「発言の許可を」

「ふむ……どうぞ?」

「その、宴会に誘われなかったのを実は気に病んでたり……?」

「ば、馬鹿者! ハブられて寂しいとかそんなんじゃ決してありません! 変なことを想像しないでください不愉快です」

 

 ならなおさらタチが悪いわ。

 このままじゃ数時間居座られて説教地獄が始まってしまう……その前になんとかして納得させるか追い返すかしなければ……!

 四季映姫相手では助っ人を期待できないのが辛いところだ。彼女の説教は人数を選ばないのだ!

 

「私もこの度は少しハメを外し過ぎたと反省していたところです。どうかご容赦をば」

「……嘘ではない。ふむ、ちゃんと反省はしているのですね。しかしそれを次に活かせないのが貴女です。私は誤魔化せません」

 

 よう分かっていらっしゃるわ畜生!

 

「さてそれでは──といきところですが、貴女には先日に説法を説いたばかり。連続して聞かせるには少々効果が薄れてしまう。残念ですが、説法はまたの機会にしましょうか」

 

 お? おおお!?

 

「今日のところはもう特に用は有りません。私は是非曲直庁に戻りますが……先に言ったことを決して忘れず心に留め、常に善行を積むことを考えなさい。特に貴女はね」

「有り難い説法でしたわ。またいつか」

 

 やったぁぁぁ! 流石えいきっき話が分かるー!

 ぶっちゃけ安心感で四季映姫に言われたことの殆どが消えかかってるがそんなの関係ない。私の五臓六腑が救われたのだ!

 

 ひゃっふぅ! 今夜は宴よぉ!

 

 

 ──ドンッ、という破壊音とともに地が震える。

 音がした方向では濛々と馬鹿でかい黒煙が立ち昇っていた。間違いなくあいつらだ。

 いや、今は何をやらかしたかなんてどうでもいい。それよりも……。

 

「……まだ話は続きそうですね?」

 

 四季映姫は実に清々しい笑みを湛えていた。私は妖生何回目かになる絶望を味わうのだった。

 何処からか、幽々子の「ごめんね」という声が聞こえてきたような気がした。

 

 そしてこの後めちゃくちゃ(ry

 

 

 

 

*◇*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は生きている。その私が貴女とこうして話している。つまり、貴女は生きている。……回りくどい証明かしら? だけど確実ですわ」

 

 もう力の入らない掌を握ってくれた。

 

「幽々子。例え貴女が遠くに逝ってしまっても、私がすぐに会いに行ってあげる。そうすれば貴女は永遠に生き続けるでしょう?」

 

 もう何も見えない瞳に暖かさが溢れた。

 

「生と死の境界なんて私が無くしてあげるわ。貴女と私を妨げるモノなんて何もない」

 

 疲弊し切った心に希望と夢を与えてくれた。

 

「だからいつかまたこうして桜の下で、楽しく語らいましょう。大丈夫、ほらこうして側にいるから。死んでもずっと一緒よ」

 

 喪おうとする命に意味を込めてくれた。

 

 こんな御時世で幸せに逝けるなんて……私はそれほどの善行を今世ではたして積めたのだろうか。みんな死んで、私一人生きるより……。

 

 斯様な人生……死に際で……。

 

 紫……また……───

 

 

 

「……いい子ね、よく頑張ったわ。もう苦痛なんて感じなくていい。私だけを想いながら、私の胸の中でゆっくりおやすみなさい」

 

 花が落ちるほどに優しい手櫛。

 

 彼女の指と一緒に、するりと浮かぶ。

 




ギャルゲーだったらゆゆさまルート間違いなしですねこれは。作者も心が揺らぐ揺らぐ!
ゆかゆゆのガチレズっぽい雰囲気すき

さて次回は……。



次次回からあの異変が始まるらしいです


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【デンジャラス秘封倶楽部】




 少女は空を見上げた。
 淀んだ水面に乱反射する光源を眺める為に。

 爛々と輝く星が散りばめられた夜空。
 大きな、丸い満月が浮かぶ夜空。
 周りには誰も居なくて、ぽつんと一人取り残された、そんな状態でした。

 「はて、何故こうなったんだろう?」と、少女は深く考えます。
 拭いきれないほどの酷い違和感が彼女の脳内を埋め尽くしました。

 自分に降り注ぐ星の光も、月の明かりも。
 我が身、我が心さえも。
 全てが偽りの中にあるかのような酷い違和感。

 しかし、それらは彼女が特別意識を向けるほど特別なものではなかったようなんです。
 もっと彼女を狼狽させ、焦燥に駆り立てるほどの何かがあるようでした。

 彼女はふと思いました。
 もしかして夢なのか? と。

 覚めて欲しいと願いつつ、少女は強く目を擦ります。
 だけどちっとも夢は覚めません。
 それどころか少女の指には血がべっとりと付着していました。そして思わず、水面に映る自分の姿を見てしまったのです。



 ──ああ、そうか。


 ──そうだった。私は生まれたのか。



 水面に映るのは混ざりつつある二つの色。

 本来の輝きと血の淀みで、徐々にそれは新たな色へと変化していく。もはや元の色には戻れない。全てが遅すぎたのです。


 少女は空を見上げた。

 星と月が彼女の存在を決定付けてくれました。

 それは決して祝福と言えるようなものではないけれど、彼女はとても嬉しく、そして悲しく想い、激しく憂い───。

 月へと手を伸ばすのです。






 空を見上げた。

 ああ、今日は最悪の日だ。

 

「はっ……はっ───!」

 

 荒い息づかいとともに、山中を駆け巡る。

 

 木々の間からちぎれちぎれに向けられる灯は、真っ暗な山中から私を燻し出す為のものだ。

 あちらも激しく動いているのか、光の線が激しくブレていた。

 

 時折、野太い男の怒声が聞こえる。「止まれ、止まれ!」と喚き立てているが、生憎、私は止まるわけにはいかない。

 だって私を追いかけている男たちは常日頃、我らが日本国民の生活を守ってくれている機関の人間であり、私は法の侵犯者だからだ。

 

 結界破りは重罪。小学生くらいになれば誰でも知ることになる日本国民としての常識。

 勿論、私も知っている。だけどそれを守るかどうかは別の話になるわ。

 

 うら若き乙女の短き時間を独房で暮らすなんてまっぴらごめんだ。何たって私にはまだしたい事がたくさんあるんだからね。

 それに相方を外で待たせたままだ。

 こんなところで捕まってたまるもんですか。

 

 

 しかし我ながら本当に間抜けなドジを踏んでしまったと思う。

 私のちょっとした能力を過信しすぎたのか、警戒を怠ってしまった。

 場所と時間がどれほど正確に分かってもこの状況では大したアドバンテージにはならない。だって女子大生と警官じゃそもそもの脚力が違う。

 現に私と彼らの距離はどんどん狭まってるし、私の呼吸は荒くなるばかりだ。それなりに、体力には自信がある方なんだけどね。

 

 

 だがしかし、この状況はむしろ「運が良い」と言うべきか? 追われているのが「私一人」であるという点では、ね。

 

 今日はいつもの相方を連れて来なかった。「連れて行け」とせがむ彼女を麓に置いて出発したのだ。万が一に備えての布陣だった訳だが、不運にもその万が一を引き当ててしまったのだから。

 もしも一緒だったなら即詰みだっただろう。

 いや、()()()のいじける顔を見れただけでも今回の収穫は有り余るほどね。ありゃレアよ。

 

 

 と、そんなことを気楽に考える私もとうとう年貢の納め時かもしれない。

 月を見れば現在地を知ることが出来るわけだけど、私の進行方向の先にあるものが中々よろしくないのだ。

 

 十数秒後、私の眼の前に広がるのは恐らく果てしない闇だろう。奈落が口を開けて待ち構えている。だからと言ってこの足を止めれば背後から即逮捕。

 前門の崖、後門の番人。中々ヘビーな選択肢ね。言い換えれば、進めば物理的な死。下がれば社会的な死が待っているんですもの。

 

 

 だから私は、敢えて前門を選ぶわ!

 生きてりゃなんとかなる? 違うわ、死んでからなんとかするのよ!

 後ろからの制止を振り切って足を加速させる。

 やがて前方に現れたのはパックリと口を開けた真っ暗な奈落。このまま進めば真っ逆さま。

 

 敢えて何も考えない。

 思考が介在してしまえば私は寸前で立ち止まってしまう。感情を押し殺せ。

 

「アイ、キャンんん……フラァァァァイッ!!!」

 

 闇へ身を投じる。

 途端に気持ちの悪い浮遊感が体の内から沸き上り、激しい突風が衣服をひらめかす。

 私にできるのは、お気に入りの黒帽子が飛んでいかないように抑えることと、信じることだけ。

 

 ……そうでしょう? メリー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴女ったら頭おかしいんじゃないの!? ただでさえ暗闇の中で狙いが付けづらいのに私を当てにして崖から飛び降りるなんて……馬鹿よ馬鹿っ! 大馬鹿蓮子っ!!」

 

 相棒の言葉が胸に突き刺さる。

 私にとってもあの行為は一種の賭けだったし、成功確率はあまり高くないと推測していた。

 いざという時の為に受け身の用意だけはしてたんだけどね。

 

「ま、まあ結果オーライだしいいじゃん! 私はメリーのこと少しも疑ってなかったからさ」

「うっさい! もう……これだから行く前に”止めましょう”って言ったのよ。ていうかこんな山中に独り取り残される気持ちも考えてよね」

 

 申し訳ねぇ、申し訳ねぇ、と平謝り。それでも私の立つ瀬はなくて、正直辛い。

 完膚なきまでの正論……全てメリーの言う通りだ。

 

 私が今もこうして無傷で軽口を叩けるのは、メリーの力のおかげだった。

 私のようなパッとしない地味な力じゃなくて、とても素敵な異能の力。現代じゃ証明しきれない、科学神秘主義の絶対を否定する奇異。

 

 羨ましくて仕方がない。

 けど同時に、メリーの能力が私たちを結び付ける架け橋になったんだ。

 

「はぁ……やっぱり私にはメリーが居ないとダメね。独りじゃ何もできないわ」

「その為の秘封倶楽部でしょ? 私だって蓮子が居ないとこんな事はしてない。……って今はそんな話をしてるんじゃなくて!」

 

 メリーの眉がつり上がった。

 あー、こりゃ長くなるかもしれないわね。これにて「メリーをおだてて話題を逸らそう作戦」は見事失敗に終わったわけだ。

 

 ……まあ今回は仕方ないかな。口うるさい説教を甘んじて受け入れよう。

 だけどここは些か場所が悪い。

 

「メリー、一旦街道まで戻ろう。ここじゃさっきの人たちが帰ってきたらすぐに見つかっちゃうわ。それに能力のインターバルはまだまだ、でしょ?」

「そうね……うん、そうしましょう。流石に今の状態で見つかったらマズイわ。ここで捕まっちゃったら初日の出に間に合わなくなるしね」

「今からでも十分グレーじゃない?」

 

 私とメリーは走りながら笑った。

 

 

 

 ここは伊吹山。滋賀県と岐阜県にまたがり古来から信仰を受けてきた山だ。

 ちなみにかの有名な酒呑童子が居を構えていたかもしれない場所でもあるんですって。

 しかしメリー曰く「あり得ない話ではないが、やっぱり大江山の方が怪しい」そうだ。

 境界の質的な違いらしいんだけど、私もなんとなくそんな気がするわ。なんとなくね。

 

 さて、なんで京都住まいである私たちがこんな場所まで来たのかというと、実はそんなに大した理由はなかった。ちょっとした冒険心だ。

 ただ初の日の出を幻に近い場所から迎えたかった……たったそれだけ。

 メリーからは呆れられたわ。だけどそれでも付き合ってくれるあたりメリーも暇なんだろう。

 

 今日は12月31日。

 世界中の人々が年越しに熱狂する特別な日である。いまの時代、縁起なんて全く気にしちゃいないのに虫のいい話よ。私は一向に構わないけどね。

 

 政府雇われの警備員さんが張り込んでいるのは知ってたんだけど、大晦日ならマークも少なくなるかもしれないと、勇んでこの始末だった。

 私たちみたいなのが後を絶たないからかな? うーん、そう考えるとあのおじさん達にも気の毒なことをしちゃったわね。反省反省。

 

「ここまで来れば大丈夫かしら?」

「人ごみに紛れちゃったら分からないと思うわ。暗闇で私の顔もよく見えなかっただろうしね」

「そう。……それじゃあこれからどうする?」

「どうするも何も、山に登れないんじゃ仕方ないわ。京都に帰りましょ」

「はぁ、了解」

 

 連れ回された挙句になんの成果も得られず解散じゃ気も滅入るだろう。ごめんメリー。

 

 

 終電を逃すこともなく電車に乗車し、一路京都へと進む。私たち以外には人は疎らで寂しい。

 そりゃそうだ。だって……。

 

「……0時になったわ。ハッピーニューイヤー蓮子。こんな年越しは初めてよ」

「明けましておめでとうメリー」

 

 深いため息が漏れる。ホント申し訳ない。

 電車に揺られながらそっと空を眺める。正真正銘、”今年の”星空だった。

 計画通りなら今頃山頂であったかいココアでも飲みながら年越しできてただろうに。その無念や烈々たるものだ。

 

 全部こんな計画を立てた私が悪いんだけどね! ごめん! ホントごめんメリー!

 

「で、晴れて新年を迎えたわけだけど、もしかして京都に着いたらそのまま解散?」

「それは流石に……ねぇ? 一応プランは用意してるけど、聞きたい?」

「聞くだけ聞くわ」

「私の家で飲み明かしましょう。こんな事もあろうかといっぱい買い溜めしてるわ」

「やっぱそれよねぇ」

 

 結局何時もの打ち上げと代わり映えがないことは重々承知している。

 だけど酒の力は偉大なのだ。モヤモヤすることなんて全部吹き飛ばしてくれるからね。

 女子大生の新年1発目がこれで良いのかと言われると心苦しいものはあるが、致し方ないだろう。私たちに今必要なのはお酒なのだ。

 

 部屋は……散らかってるけどいいか。

 異性を連れ込むわけでもないし、況してや相手はあのメリーだし。

 

「今日はじゃんじゃん好きなだけ飲んでくださいな! 蓮子さん渾身の奢りだから!」

「言ったわね?」

 

 不敵に笑うメリー。機嫌を直してくれたのなら嬉しいんだけど今度は私の懐がピンチかな?

 

 ここだけの話、結構飲むのよねメリーって。

 

 

 

 駅を降りて市営バスを何回か乗り継ぐ。途中道すがらにお酒を買い足しながら。

 そして私の家に着いたのは真夜中2時を過ぎようとしていた時刻だった。

 

 扉を開ければ何時もの風景が私たちを出迎える。

 入居当時はインテリジェンスなレイアウトを考えてたんだけど、すぐに挫折した。そしてこの殺風景な部屋が爆誕するのにさほど時間はかからなかった。

 メリーの「うわっ」という呻き声が壁に反射してよく響いた。

 

「ちょ、ちょっと……二日前に来た時よりも酷くなってない!? 何をどうしたらこんな凄惨な現場が出来上がるの……?」

「いやぁ色々あってさー。確かにはたから見れば家探しされた感じかなぁ。まま、変なのが出るわけでもないし気にせず上がってよ」

 

 机の上に散乱する物を一旦床に置いて、代わりにこれでもかと酒を積み上げた。一方、メリーは足の踏み場に困りながら恐る恐る歩を進めている。

 

「何してたのよ。引越しでもするみたいよ」

「いやいやちょっとした探し物があってね。どうしても見つからないから家をひっくり返すことにしたのよ。あんまり物を溜め込んでるつもりはなかったんだけど、そんなことはなかったみたい」

「それで、その探し物は見つかった?」

「いんや全く。もう諦めたわ」

 

 もしかしたらもうこの世には存在していないのかもしれない。私が持っている気になっていただけで、実は身内の誰かに処分されてたりとか。

 そうだとしたら非常に残念だ。

 アレは私たちの、秘封倶楽部としての活動にとっても役立つものだと思うから。

 

 まあ、無い物ねだりしても仕方がない。モヤモヤする気持ちはあるけど、こういった去年の負を洗い流すべく私たちはお酒を飲むのだ!

 嫌なことなんて全部忘れちゃえ!

 

「いぇーい乾杯!」

「ヤケにテンション高いじゃない。悪いことしかないっていうのに」

「空元気に決まってるでしょ。ほらメリーも」

「カンパーイ」

 

 んぐ、んぐっ……ふぅ。

 やっぱりアルコールはいいものだ……心を安らかにしてくれる。

 酒は百薬の長とはよく言ったものよね。多分何処ぞの呑んべえが酔っ払いながら言った言葉なんだろうけど、どんな諺よりも説得力があるわ。

 

 飲み始めたらもう止まらない。

 

「ふへーたまんないわね〜」

「女子大生が出していい声じゃないわ…」

「あん? 私が親父くさいだってぇ?」

「そんなこと言ってない。それにしてもよくぞここまでの量の酒を掻き集めたものね。この角ボトルなんて……何年前のよコレ?」

「東京には骨董品がたくさん眠ってるのよ」

「仕送りか……」

 

 うちの実家……っていうより旧家からの仕送りの一部。お金には困っていないみたいなので何時も在庫処分と言わんばかりに色んなものを送ってくれるわ。

 もっとも、30年前のジャンプが送られてきた時は流石に変な気持ちになった。私のことをリサイクルショップとでも勘違いしてるんじゃないかしら。

 

 紙魚にやられた古本が相変わらず積み上がってることはちょっとした悩みである。

 内容は面白いんだけどね。

 

 あっ、そうだ。

 

「これ、中々タメになる本だったわ。よかったらメリーも読む?」

「あー……これ知ってる知ってる。巷で有名よ。たしか今も続いてる漫画でしょ」

 

 そうそう。吸血鬼と戦ったり時を止めたり名言を連発したりと忙しい漫画だ。

 メリーの謎空間みたいな能力を持ってるキャラクターも出てきてそれはもう凄いわ。スティッキィファンガーズいいよね。

 しかし現在32部を連載中だが、私と同じ能力を持つキャラクターは未だ登場しない。悲しいなぁ。

 

「さてメリー! お酒も回ってきた頃だし、そろそろ本題を切り出そうと思うわ」

 

 1部を読み進めているメリーに呼び掛ける。

 そう、今回の集まりはただお酒を飲むためだけのものではないのだ。

 秘密を解き暴く。それが私たちの本務!

 

「実は中々面白い情報を仕入れていてね、暇な時に話そうと思ってたんだけど今がその時でしょ。だから話そうかと」

「今から出かけるのはちょっと怠いわよ。年越しと同じ結果にならないとも言い切れないし」

「ふふ、ご安心を! 怪異なんてこの御時世、何処にでも潜んでいるものなのよ」

 

 ぱたん、と。漫画の本が閉じられる。

 多分メリーも興味が湧いてきたんだろう。

 

「何処でも、ね。なら多分アレでしょう?」

 

 メリーが指差した先にあるのは、これまたお古の旧型ノートPCだった。

 私は笑いながら電源を入れる。

 

「ご名答よ。2,000年代中期頃、急激に怪異の話が増えたことがあるのを知ってる? 世に言う都市伝説ってやつね。広まった理由は解るでしょう?」

「ええ。ネットの普及に伴っての情報伝達規模が格段に拡大したのが主な原因ね。別にその頃に世界で異変が起きたわけじゃないわ」

 

 都市伝説が流行った時期っていうのは日本では主に二回あった。

 一つは先程言った通りの《2,000年代》中期。理由はネット回線の普及と高速化。

 

 あと一つは《1,970年代》後期。有名どころだと口裂け女や人面犬なんかかしら。これにも理由はあって、諸説あるけどその頃の主流だった塾システムによるものが大きかったんだと思う。

 違う学区の子供達が塾に集い、地元で作り上げた想像上の怪事件を交換しあったのだろう。子供達の帰り道も今ほど街灯が多くなくて、暗闇が恐怖を助長していたのも起因するという。

 

 しかし、今回は別件である。

 

「まさかそんな昔の怪談話を実証するわけじゃないでしょうね?」

「違うわ。ちょっとした都市伝説のようなモノではあるんだけど、気になる点がある。ネット普及開始時の大きな混乱の最中、新設されていくブログやサイトの中にね、なんでも一つおかしなものがあったって話なのよ」

「おかしな……?」

「表向きはただのチャットサイトなんだけど、書かれていることが意味不明。普通の人じゃ文字そのものを認識できないんですって」

 

 つまり、普通じゃない人にはその文字が解読できてしまったわけだ。もちろんこれだけが怪異と呼ばれる所以ではない。

 

「その内容を認識してしまった者はね……漏れなく消息を絶ってしまったらしいわ。一時は公安が調査に乗り出すまでに消息不明が多発したんだって」

「……胡散臭いわね」

「私もそう思うわ。昔の人たちもそんな与太話を信じるはずがなく、呪いのサイトなんて言われて、知る人ぞ知る怪異って感じだったみたいね」

 

 こういうのは話半々に聞くのが一番であることはよく分かってるから。

 さて、ここからが本番。

 

「それでそのサイトなんだけど、勿論すぐに削除されちゃって観覧不能になってしまった。まあ当たり前っちゃ当たり前ね。……そして今更になってなんでこんな事が話題になったのかというと」

「……そのサイトが復活した、とでも?」

「あくまでそう囁かれてるってだけ」

 

 そのサイトの存在自体は確認されていないが、謎の失踪がここ最近になって相次いでいることは紛れもない事実だった。

 失踪者の部屋に残されていたのは何気ない生活感の漂う物々と、開かれたまま破損している一台のパソコンだけっていう話。

 それらがあのサイト奇談による事例と酷使している。中々面白そうな話だった。

 そしてなによりも───。

 

「それではこちらがそのサイトになります。どうぞご覧になってみて?」

「悔しながら面白くなってきたわ」

「準備を怠らない秘封倶楽部の鑑でしょ」

 

 実は例のサイトには既に辿り着いていた。

 

 というもののそれは偶然の産物で、家の中をひっくり返していた最中に出てきたノートpcの履歴にそれは残っていたのだ。

 この画面を見た瞬間、私の興味は引き寄せられた。

 

 サイトの名前は《カパネット通信》といい、情報のものと完全に一致する。

 このサイトの異様さを語るのは難しい。一目で普通のチャットサイトではない事が分かってしまう。頭がどうにかなりそうだ。

 一番に目を引くのは文字化けだろうか。意味のない言葉が意味を成さずに延々と羅列されている。背景や文字のフォントにも飾り気が一切なくて、このサイトを利用したいと思う人間がいるとは思えないほどだった。

 

「これが件のサイトねぇ。確かに、かなり嫌なものを感じるわ。電子回路の中に入り込んだ境界なんてかなり珍しいわよ」

「そんなのがウチのpc履歴に残ってたのはホント驚きだわ。家族の誰かが開いたんだろうけど……まあ偶々だろうしどうでもいいか。それでどうかしらメリー。何かそれで面白い事ができそう?」

 

 気難しい顔で画面を睨んでいる相方は時折マウスをクリックしながら操作している。

 噂にある通りならこの文字を読める人が存在したということ。どの言語にも属さない文を読み取るなんて芸当は誰にもできない筈なのに。

 私は勿論読めなかったが、メリーならどうだろう。数多の境界を見つけ出したその眼なら或いは……なんてね。

 

「うん読める。問題ないわ」

「えっウソ!? ホントなの?」

「こんな事で嘘ついても仕方ないでしょ。ただね……読めるんだけど、意味不明」

 

 メリーは鞄からメモ帳を取り出してスラスラと何かを書き始めた。

 どうやら翻訳を書き写してくれているようだ。相方が有能すぎて肩身が狭い今日この頃……。

 

 一体どのような感じであの画面がメリーの眼には写っているのだろう。またもや私には見えない未知で羨ましいエリアだ。

 

 なになに?

 ───『今日の仕事めっちゃ疲れたー。帰ってビール飲もっ』『工場長死ね』『山童死ね』『天狗死ね! 鬼死ね!』『むしろ河童が滅びろ』

 

 ───『ネムネム』『妖怪の山はオワコン』『お前がオワコン』『オワコン定期』『明日は卯の刻出勤でよろしくお願いします』『死ね』『死ね』『死ね』『ひゅい!?』

 

 

 ……意味が分からん。

 

「もっとおどろおどろしい事が書かれてると思ったのに……。拍子抜けというか何というか……俗っぽいっていうのかなぁ」

「けど河童とか鬼とか書いてるわよ。もしかしたら……ん? 画像がアップロードされてるわ」

 

 マウスポインターが文字化けに埋めつくされている所を何度もクリックする。なんだかんだでメリーもノリノリじゃない。

 開かれたのは画像と呼べる代物ではなかった。所々にラグが走ってて下手なモザイクによるものよりも画像の詳細が掴めないようになっている。

 メリーはここらで匙を投げた。

 

「これは無理ね。純粋に識別ができないわ。画像そのものが破損しているみたい。地面を写していて、尚且つ其処が岩場だってことぐらいしか」

「ふーん……。私は何なのか判ったわよ」

「えっ? 空は少しも写っていないのに?」

 

 メリーの言う通りだ。私の眼は月と星が見えないと効力を発揮しない。

 逆説的な考え方だ。この画像を見て私の能力が発動するということはつまり、この画像には我が眼の引き金(トリガー)が存在している証拠に他ならない。

 

「この岩石そのものが月なのよ。つまるところ……この画像は月面を写したものになる! 私の眼を前にして嘘は吐けないわっ!」

「これが月を……? だけど今の時代ならともかくこの画像が貼られた時代はまだ満足に月面着陸すらできなかった頃。これはいったい───……っ!! 画面を閉じるわよ!」

 

 形相を一変させたメリーがpc画面が叩き割れるほどの力で折り畳んだ。メキッ…っと、嫌な音が連結部分から聞こえた。

 壊れたわねこれは。

 

「メリー……」

「ご、ごめんね。私も好きでやったんじゃなくて、これには訳が……」

「謝らなくていいわ。貴女を信じる」

 

 メリーが何の理由も無しにこんな行動を起こすことはありえない。何か切羽詰まった理由──危機があったのだろう。

 秘封倶楽部の活動方針上、危険はそれなりに付き纏う。慣れっことまでは言わないが私たちは相当数のリスクを犯してきた。

 二人で支え合いながら活動を続けているんだから、片方に危険が迫っていたのなら早急にその危険を排除するのは当たり前のこと。

 今は酒の力で警戒を疎かにしてしまっていたことは否めないしね。

 

 けど一応理由はお聞かせ願いたいものだ。

 勿論、メリーもその事は十分承知していて。

 

「電子回線に張り巡らされている境界は一種の探知機だった。あのサイトの異様さに気付いた人間に対応する為のものだったんでしょうね。電子流動の速度で此方に干渉する事ができるんだから、完全犯罪なんてお手の物なのかも。現に今にも境界が私たちを飲み込もうとしていたし」

「それで原因不明の失踪ってことね。これじゃ警察が対応できるはずもないか」

 

 タネが判るとますます恐ろしい。果たしてこんなトラップを仕掛けて多分異界に居るであろう者たちは何を企んでいるのだろう?

 何にせよパソコンは壊れてしまった。携帯端末の方でサイトを調べても、やはりというべきか検索にはヒットしなかった。

 これ以上の詮索は不可能だ。

 

 パソコンは安全性が不透明とのことで、メリーが謎空間に取り込んでしまった。

 聞くところによるとその空間では物を分解する事なんてお手の物なんだって。

 羨ましいなぁ。

 

「あーあ、面白そうなのを見つけたと思ったんだけどなー。蓋を開ければ怪文書にトラップかー。やっぱり”そういうの”の選別はメリーに任せるのが一番ね」

「そうして頂戴。下手に境界に触れ回ったらどんな事になるか分からないわ。貴女が境界に飲み込まれるなんていう最悪な結果は避けたいもの」

「心配どうも。……それにしてなんであんなのがウチのpcの履歴に残ってたのかしら? それだけがどうしても気になるわ……」

「あとで実家に行方不明になった身内がいないか聞いてみたら? まあ、実はあのサイトを作ったのは蓮子の家族の誰かだったりしてね」

「まさか!」

 

 確かにあのノートpcはかなりの年季が入っている。もしかしたら何代か前の先祖が使っていたのかもしれない。使えるのが奇跡と言っていいほどの代物だった。

 けどなぁ……それはないと思うのよねぇ。

 

 

 だって2,000年代の宇佐見家と言ったら”あの人”が該当するんだけどさ、──”あの人”は誰よりもこの世の不思議を嫌っていた人だから。

 こんな物を作るなんてあり得ない。

 

 

 

「蓮子、アレ見て」

 

 顔を上げると窓から仄かな光が射し込んでいる。

 そうか、いつの間にかそんな時間に。

 

 私たちはベランダから身を乗り出した。

 闇夜を切り裂く朝日が全てを照らす。

 

「初日の出……新たな一年の本格的な境目ね」

「ええ。心機一転、秘封倶楽部のこれからを新たな気持ちで楽しみましょう」

 

 

 今年もまた日本中の不思議を集めて沢山の秘密を暴くのだ。

 

 勿論、メリーと一緒にね。

 

 

「じゃあ初日の出も見たことだし、そろそろ寝るわ。もう瞼が限界。メリーはどうする?」

「ご一緒するわ。なんだか初夢を見たい気分になってきちゃったから」

 

 




RNK「幻マジ真の主役は私たち!」
MRY「これからもよろしくね!」

YKRN「誰なのこの子たち……」

番外編だと思った? そう、本編番外編だッ!
憑依華が発売されるまで投稿を躊躇した理由はこれです。紫と菫子の会話内容によってはかなりの路線変更を余儀なくされるところだった。
結果はまあ……うん。


それでは次回、穢嫌焦(永夜抄)に突入。
はっきり言おう。この異変はヤバイ


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東方穢嫌焦
月見草に身を投げて


プロローグ


 はて──「あいつ」が変わってしまったのはいつ頃からだったか。

 いかんせん、昔のことで曖昧だ。

 

 月から帰ってきたあたりだったか?

 有史において最大規模にして、最悪の負け戦。地上と月の優劣をありありと見せつけられた敗北。

 私は立場上参戦する事はなかったが、伝聞だけでもその戦いの苛烈さは伝わってきた。

 

 そうだ……「あいつ」への違和感と変容を悟ったのはこの頃か。

 

 見る影もなく寂滅した覇気と妖力。そして奴の存在そのもの。なおも特別な力を感じるものの、従来に比べれば微々たるものだ。

 元々の「あいつ」は完成形と言っても過言ではなかった。逆に言えば伸び代はないってことなんだが、まあ関係ないだろうな。

 私の能力では干渉できない次元。

 故に、奴は完成形なのだ。

 ……だからこそ、今の「あいつ」はどこまでも未完成。どうしようもない不完全。

 

 

 残念に思ったな。

 私は失意に堕ちた。

 

 自信満々に笑いながら「月を手に入れてみせる」なんて大口叩いていた奴の顔を思い出すと、どこかやるせない気持ちになった。

 無様に敗走したのみならず、何かがきっかけで壊れてしまったのか。

 

 ……ただ、果たしてアレが敗走であったのかどうかは、今となっては永遠の謎だがね。

 結果的には大敗北だが、それが「あいつ」の敗北に直結するのかどうかは、また別の話。

 

 何にせよ「あいつ」は間違いなく弱くなっただろう。私なら小指で殺せてしまう程に。

 

 あれっきり力を行使する事はめっきりなくなってしまったし、物腰が若干硬くなった。

 下手すれば記憶すらも消失している。

 

 もはやそこらの妖怪となんら変わりはない。

 

 だが同時に「あいつ」は自分以外の力を加え始めた。時に牙を抜いて手懐け、時に力を与えて籠絡する。そして手駒を増やすのだ。

 上手くやるもんだよ。洗脳なんてせせこましい搦め手は一切不要と言わんばかり。

 羨ましいものだ。

 

 

 

 朋友程度には思っていた。

 完全には相容れぬ関係でありつつも、お互いを認め合える程度には。現に私は今も昔も変わらず、「あいつ」のことを一目置いている。

 

 故に無念に思った。

 

 変わってしまったヤツは私の力の源泉となる一部の秘匿を、配下や友に分け与えた。北斗七星を除く星座の力を私から奪ったのだ。

 私のテリトリーだと知っていたのか、否か……そんな事はどうでもいい。

 失った力など今の私には必要なきモノ。

 

 大切なのは私に名分を与えたことだ。

 

 こう言えばいい。

 私と争うつもりなのかと。ともに太平を語る事はもはやできないのか、と。

 さも悲観げにな。

 

 嬉しく思った。

 一度お前を負かしてみたかったんだ。

 

 

 ……ああ、違うな。私は何も思っていない。

 ただ「あいつ」で愉しみたい、それだけ。

 

 かつての友の成れの果て。「あいつ」の形をしたお前をめちゃくちゃにしてやりたい。

 「あいつ」なら到底やらないような面白いことを次々とやってのけるお前を辱めたい。

 

 お前を私の手駒として扱ってみたい。

 

 嗚呼、興味が尽きぬ。

 私の中の様々な神格が喚き立てるのだ。

 愛したい、殺したい、庇護したい──。

 渾沌たる私の感情がせめぎ合うのだ。

 

 

 能じゃあるまいてな。

 

 おかしな話だ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「月を隠すとは、げに面白き異変だな因幡よ。貴様が向かう終着点は何処にある?」

「……判ってるくせにさ」

 

 竹林の一画での背中合わせによる邂逅。

 向かい合わせよりも危険な死の間合い。バックドアの能力の前には敵対者に安全圏など与えられない。それが摩多羅隠岐奈の確固たる抑止力である。

 

 因幡てゐは別段慌てる様子もなく飄々と言葉を返す。しかしそれに反して、内心は決して穏やかなものではなかった。

 此度の異変に関して敵対するであろう勢力はしっかりと吟味していたのだが、まさか訪問第一号がバランスキーパーの隠岐奈になろうとは。

 

 この秘神、恐らく賢者の中でもかなりの切れ者だ。同時にヤリ手でもある。

 

「幻想郷に仇なすつもりはない……って言っても信じるはずないかな?」

「生き残ることを第一に考えて生きてきたお前が急にこんな事をしでかしたのではな。武力による侵略を極力控え、裏での籠絡による勢力拡大を旨としていたはずだが……ついに決心ついたか?」

「打倒八雲紫かい? まさか」

 

 てゐに主敵は存在しない。商いや腹積りなんて如何に相手を仲間を引き込むかに限る。

 ただ紫とはなるべく敵対しておいた方が何かと利益を享受することができるのは確かだ。裏の協力者は紫の事を好いていないようだし、天魔率いる妖怪の山との関係を上手く調節することができる。

 紫傘下の人間の里なんて恐るるに足らない。薬を売りさばく兎のいい収入源だ。

 

 もっとも、秘神がどのような腹積りでいるのかは今のところ検討もつかない。

 

「私の動機なんてどうでもいいさ。実質一夜限りの異変なんだ、害はない」

「だが口実は与えてしまったな。紫は竹林征伐の大義名分を得たのだ」

 

 背中合わせである表情は見えないが、声音からだいたい予想はついた。

 ……愉しんでいる。

 

「奴ら、どれだけの規模で来るのやら。スペルカードルールに恭順した錚々たるメンバーがお前と敵対する……。一夜限りの好カードになり得るかね?」

「なーんだ、お前は参加しないのか」

「ん? ああ……私は観戦だな。どちらが勝とうが私には何の影響もないんだから」

 

 紫や自分とは戦うつもりはない、か。

 やはり摩多羅隠岐奈は八雲紫側の神なのだろうか。自分と敵対する腹積りなのであればここで消すのもアリだったが……。

 いや、八雲紫との戦争が確定しているこの状況でさらにもう一人賢者を敵に回すのは正直キツイ。最高なのは此方側に引き込む形。

 

 ……ならば少し探ってみるべきか。

 

「スペルカードルールの真の狙いは何だと思う? 幻想郷の被害軽減──妖怪と人間のバランス取り──手駒を増やすこと──。

 限定するわけじゃないけど、全てが紫の想定通りに動いたのだとしたら、副次的な効果で私たちは窮地に立たされることになる」

「……ふむ?」

「選別かな。幻想郷は狭いようでかなり広い。今さら土地が半分減ろうが大した影響は出ないんだ。スペルカード対象地域の選定は特定の勢力を孤立させる結果をもたらすだろうね。……何にせよ八雲紫主体の枠組みを定めたんだ、あいつの影響下から逃れることはもうできない」

 

 妖怪の山が恭順するはずがないと見ての行動だったことは間違いない。また無名の丘などの危険地域を隔離する意図も感じられる。

 

 八雲紫は最近の情勢を鑑みた上で、幻想郷の改革に乗り出している。

 吸血鬼異変を皮切りにこれまでの傍観主義を一転させ、確実に己の力を拡大させているのだ。

 思えば人里から新たな賢者を擁立させることによって、独立性を向上させたあの決断。

 あれでほぼ大勢が決まってしまった。

 もはや幻想郷運営の決定権はほぼ紫が有しているようなものだ。

 

 ただ賢者の中に天魔のように対決姿勢を露わにする者は居なくとも、少なくない不満を持っている者たちが存在するのも確かで、その上で一番今後の動向での不確定要素となり得るのが、摩多羅隠岐奈という賢者なのだ。

 

 

 この秘神……嘗ては紫と壮絶な争いを繰り広げたという。今でこそ紫に同調する発言が多いようにも思えるが、てゐにはお見通しだ。

 隠岐奈はハナから紫に同調するような賢者ではない。況してや恭順など……。

 

「チャンス……とは思えない? ここで紫を退ければ幻想郷のパワーバランスは一気に傾くよ。勿論、お前の好きな方向にね」

「ほう、私を誑かすか。悪くない……が、まさかそんな簡単に成し遂げられることだと思っているなら、甚だ愚かなことだ」

「完勝する必要はないさ。ただ奴さんに泥をつけてやればいい。紫の求心力は月面戦争以降の完全無欠とも言える行動に裏付けられている。一度だけ負かしてやれば、紫は今ほどの勢いは維持できなくなるだろうね」

「なんだ存外考えてるようだな。だが裏の思惑も見え見えだぞ因幡よ。紫を止めたいのならあの天魔とでも協力するといいじゃないか。私は天狗と手を組むつもりはさらさら無いし、お前と考えを共にするつもりも無い」

 

 てゐはここで隠岐奈の懐柔を諦めた。

 もともとはダメ元で探ってみただけに過ぎないし、隠岐奈の主観は統治者というよりも神──バランサー。妖怪同士のいざこざに首を突っ込むつもりなどあるわけがないか。

 

 しかし、隠岐奈の望む展開は自ずと分かった。

 その為に今、こうしてわざわざてゐの背後に現れたのだろう。

 

 話が紫と戦う方向に誘導されていた。隠岐奈は紫とてゐの潰し合いを望んでいるようだった。

 恐らく隠岐奈はてゐのバックに潜む強大な力に勘付いている。それを炙り出すつもりなのだろう。しかも自分が火傷しないように上手く立ち回って。

 

 浅はかな。

 

「隠岐奈殿は共倒れをお望みかね。残念だけどそれは間違いさ、私たちは万に一つでも紫に負けることはない。なんなら()()()()()()()()と戦っても勝てるだろう。多少は苦戦するだろうけどね」

「おおっ、大きく出たな。くふふ……お前がそこまで言うほどの軍事力を備えていると言うのなら、紫はもしかすると手を出さないかもしれんな」

「それに越したことはないね。なんにせよこの幻想郷では現状維持が一番だ」

 

 何かが軋む音がする。

 

「私はね、逃げるばかりで生き残ったんじゃないのよ。勝つべき戦い、取るべき地位、局所局所を確実にモノにしてきた。これが長生きの秘訣だよ」

「あははっ、説得力が違うな! ならばなおさら見届けたくなったぞ!」

 

 余興のつもりか、と。腹ただしく感じたてゐは隠しもせずに舌打ちした。

 

「協力も敵対もしないのならどうでもいいよ。さっさと去れ。……まさか、それ以外に余計な事をするつもりなのか?」

 

 語尾を強める。

 牽制と威嚇の意が満遍なく込められていた。

 

 話していた間に配下の兎たちによる包囲は完成している。空間跳躍弾は異次元に逃走する者までも確実に追い詰める優れものだ。如何に隠岐奈であろうと看過することはできない装備だろう。

 勿論、月面戦争後に開発された月の技術をとあるルートより流用したモノである。

 

「恐ろしいな。これじゃ月の兎と何も変わらないじゃないか。やれやれ、触らぬ浄土に穢れ無しか」

「……往ね」

「健闘を祈ろう」

 

 軽い締めの後にバックドアの消える音。

 隠岐奈の消失を確認し、周りの兎へ合図を送った。即座に部隊は散開し元々の配置へ。

 

 これで漸く一息つくことができる。

 まだ何も始まっちゃいないのに。

 

 これだから賢者の連中は嫌いだ。

 

 

「やってらんないよ全く。なんで私が好き好んであんな連中と付き合わなきゃなんないのさ。裕福なんて二の次、全ては平穏が為に……」

 

 お金を稼ぐのも、賢者になったのも、兎のボスになったのも協定を結ぶことになったのも──全ては我が平穏に繋がるが故だった。

 しがらみは人も妖怪も弱くする。最たる例は協定相手の薬師だろう。

 判断力を鈍らせ、実力を発揮できなくさせる魔の繋がり。てゐには縁なきものだった。

 貧窮に喘ぐ兎たちを救ったのは同族が故の情け。迷いの竹林と組織力を糧にして賢者になったのは、これまた同族と協定者への慈悲と打算が故に。

 

 一定の距離を置いた関係だった。保つのが最善だけれど有事には断ち切る覚悟ができるほどの。

 

 なのに……何故こうして彼女たちの為に戦うことになってしまったのだろう。

 高飛車で我儘で自信家で。

 調子に乗るし見下すし、心が弱いあの兎。

 あいつなんかの為に。

 

 今回の異変は到底平穏とは程遠い戦いになる。何もかもを差し引いても因幡てゐは……これまでと正反対の道を歩もうとしている。

 

 だけど……。

 

 もしもあの薬師──八意永琳が()()を狙っていたのだとしたら、実に大した策士だ。

 

 てゐは疼く胸を抑える。

 人参のアクセサリーが淋しく靡く。

 

 

「……これが私の平穏、でいいのかな」

 

 と、感慨に浸る暇もなくてゐに通信が入る。相手は同僚の月兎だった。

 

「あいあいもしもし?」

『何処で何してんの! 第一侵入者が北西部から来てるわよ! サボってる暇なんかないのにあんたってヤツはなんでこうも!』

(北西部に第一号…あれ? 隠岐奈には気づいてなかった? ……まあいっか)

 

 あの秘神のことは一旦脳の隅に置いておこう。目下の敵はそちらに在り。

 さて、まずはそいつらから返り討ちにしてやろう。相手は紫配下の妖怪か、イレギュラーか……それとも月からの刺客か。

 なんにせよこの平穏を保つのに邪魔となる存在なのならば、全てねじ伏せてやる。

 

「了解したわ。鈴仙は手筈通り永遠亭まで下がってて頂戴ね」

『ふふん、あんたの撃ち漏らしは全部私が倒してあげるけど、あんまり不甲斐ない結果にはさせないでよね! あっ、あんまり酷い被害が出るまで無理しちゃダメよ?』

「まあ、適度に頑張るよ」

 

 がんがん耳に響く通信を断ち切って、直ぐに配下の妖怪兎に通信を繋げる。

 てゐの予想どおり彼方ではすでにかなりの騒ぎになっているようだ。

 

「侵入者だってね。風貌は?」

『吸血鬼だと思うのと人間が居る! まだ戦闘は始まってないけど、指揮系統がやばいよー!』

「すぐ行くからあまり事を荒げないように。適当に談話して時間稼ぎ」

『了解ー!』

 

 第一陣は吸血鬼。紅魔館に住まう夜の女王。

 今でこそ様々な催し物を始めたり異変直後の混乱期には治安維持に努めたりと丸くなった印象だが、嘗ては幻想郷の全勢力に喧嘩を吹っ掛けたまごう事なき化け物だ。

 

 気を抜けば自分は兎も角、部下の兎たちはあっという間に命を刈り取られてしまうだろう。

 慎重にやらねば。

 

 ……ここだけの話、てゐはぶっちゃけこのままノータッチで永遠亭まで連れて行くのがベストなのではないかと考えている。

 闇雲に戦力を減らす必要はないし、鈴仙か永琳が全て始末するのが一番楽な形だ。

 

 けれど姫に対して過保護な永琳と、自分に対して自信過剰な鈴仙。二人から言わせれば今回は前座を用意する必要があるらしい。

 心底くだらないと思った。

 

 だが生憎、それ以外にもてゐ本人の事情も相俟ってすごすごと迷いの竹林を通らせるわけにはいかないのだ。

 因幡てゐは竹林の元締め。然るべき対価を払わせなければならない。

 例え誰が相手でも。

 

 さあ、しまっていこう。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 平和な夜だった。

 蟋蟀が歌い、優しい風にススキが揺れる。

 とても安らかな気分になりながら夢見心地に月を眺める。

 

 漆黒の宵闇を浮かぶ丸々としたそれは、余りにも完璧すぎて、風情になり得ることはない。如何にも浄土の者たちが好みそうなモノだ。

 

 

 八雲紫は知っている。

 月の美しさと醜さを。

 無知と狂気の織りなす浄土の地獄を。

 

 そして、他の何よりもそれを欲していたことを。

 

 

「春夏冬……どれも騒がしい季節だったわね。それに比べれば、なんと素晴らしいものか。……中秋の名月がとても映えるわ」

「そうですね。確かに、月見にはピッタリだ」

「月の楽しみ方は多種多様、どれを選択しても心を潤わせるに充分過ぎる。萃香は並々の酒に月を映し、飲み干すことを好んだ。幽々子は団子を月に見立てて食べてしまうのが楽しみだそうよ」

「月より団子……そのままですね」

 

 藍も微笑みながら応える。紫の言う通り、今日はとても心地のよい日だ。

 だから、それだけに残念に思う。

 

 こんなに素敵な夜なのに、大切な、それも決定的なモノが欠けているのだ。

 紫も藍も、それが残念でならない。

 

「何時の世も行き着く答えは同じ…か。幽々子の言う通り、何も変わっちゃいないわね」

「と、言いますと……?」

「このまま夜を明かすのは勿体無いわ。満月の夜は私たちにとって特別なモノなんだもの」

「……! そう、ですね。おっしゃる通りです。少なくとも私にとってはかけがえのないモノと言えます。忘れることなど、あろうはずがございません」

 

 藍は紫の何気ない言葉がどうしようもなく嬉しかった。あの時のことを思い出すだけでじんわりと目頭が熱を帯びる。

 ああ、覚えていてくれたのか、と。

 

 一方の紫も藍の言葉が嬉しかったようで、笑みで顔を綻ばせた。理由は同じだった。

 

「あの月を見ているとどうにも落ち着かないわ。貴女には分かるかしら?」

「仮に私がアレに気付けなかったのなら、その時は八雲の式を辞退せねばならないでしょう」

「ふふ、流石よ藍。こんなにも月が淡々しいのだから……とても永い夜になるわ。その全てを物思いに費やすのもまた一興。だけどどうせなら、皆が楽しめるよう華を添えるとしましょう」

「……はい、畏まりました」

 

 紫の意を汲み取り、恭しく跪いた。

 主は異変の解決を決意なされた。

 今宵の夜を台無しにした何者かによる贋作の月、すり替え隠された本物の月。それらをすべて元に戻すように、と。

 

 闇夜を照らす月は、夜を生きる者たちにとって何よりも大切なファクター。

 今回の異変は幻想郷に対する宣戦布告そのものだ。統治者がコレを看過できるはずがない。

 

 藍にとっても望むところである。

 胸の内を焼き焦がす式の熱。決意に想いを漲らせ、昂ぶる高揚感を押さえつける。

 

 袖から伸び出た指がひらりと舞う。

 

「それでは華を添える為、少しばかり出かけようと思います。ご安心ください……夜は消して明けさせません────」

 

 藍は思考の裏で境界を操作し、昼と夜を固定することで昼夜の逆転を禁じた。

 これで月が降ることはない。

 

 今回の異変は大丈夫、と。

 根拠のない自信だが、煮え滾る決意こそが紫への噓偽りない忠心の証であった。

 故に主人の助けは不要。

 

 何処の馬の骨が始めた異変なのかは知らんが、よくぞこの最悪なタイミングでしでかしてくれたものだと、内心、藍は嘲笑った。

 

「あら、私は手伝わなくても大丈夫?」

「勿論です。紫様の手を煩わせるまでもございません。この藍に全てお任せを」

 

 やはり頼れる式だ。藍がここまで言ってくれるのだ、心配する必要は皆無だろう。

 紫もまた内心、ほくそ笑む。

 

「……分かったわ。なら霊夢も誘っておきなさい。あの子ったらこんな月見日和なのに何もせず眠っちゃいそうだから」

「そうですね、了解しました。……我々で成し遂げてみせます。必ずや」

 

 

 

「お願いね、藍」

 

 何時ものように恭しく頭を下げながらスキマに消えた藍を見送る。

 そして一人になった紫はそっと呟いた。

 

 

「月見が楽しみね」

 




憑依華での夢華扇ちゃん曰く「内心隠して実は臆病なのが紫」だそうで。
ふーん? まさかねぇ?



「藍だ。博麗神社の再建が終わって一安心だと思ったらまた異変か。まったく、手間をかけさせてくれる。私と紫様が再会したのは満月の日。故に私にとって満月とはとても大切なモノなのだ。管理者としての立場もそうだが、私情でもこのまま捨て置くわけにはいかない。
だが今回は比較的楽に終わるだろうね。毎回幽々子様や萃香クラスの連中が出てこられても困る。
それに関連してどうも最近幻想郷にきな臭い匂いが蔓延してるように思えるんだが、紫様はどう思われているんだろうか……。
敵対勢力ですら、幻想郷の活性化の為なら残しておかれるのが紫様というお方だから。

さて次回は紫様が幻想郷の支配者たる勇姿を見せてくれるそうだ。流石は紫様!

私も負けてられない。さあこんな異変なんてチャチャっと終わらせてしまおう霊夢!」
「面倒くさ」


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欲無き者の野望(前)

 

「……お嬢様。一つ質問宜しいですか」

「いいわよ。何でも聞いてちょうだい」

「それではお言葉に甘えて。……何故このような選択肢をお選びに?」

 

 咲夜の疑問はもっともだった。

 レミリアが長い熟考の末に選択した道なのだから、当然文句はない。

 しかし、敬愛するお嬢様が全能でないことは信奉者である咲夜も最近になってから重々承知するようになった。それ故に諌めるべき点はメイドとして進言せねばならない。

 だからまずは、この選択に至った理由を聞きたいと願ったのだ。

 

「この状況下に至る道を選択したのは悪手であったと、そう言いたいのね。ふふ、私がこんな連中に易々と捕まるのが意外?」

「はい。正直に申しますと、従来のお嬢様であればこのような形には決して……」

「貴女が正しいわ咲夜」

 

 経緯は単純だ。

 

 迷いの竹林にて妖怪兎の集団と接敵したレミリアと咲夜。何やら珍妙な装備を纏っていた兎たちだったが、それでも二人の優位は決して揺らがない、そんな圧倒的な力の差があった。

 勿論戦闘には圧勝し、兎たちを一蹴。しかしリーダーと思われる兎がやって来た途端、兎たち──因幡隊は牙を剥いた。

 

 やや手こずるであろうことを予見した咲夜は気を引き締めたが、対してレミリアの下した命令は「投降しろ」だった。

 そして二人は何かの紐に雁字搦めにされた檻に閉じ込められ、兎の本拠地へと輸送されることとなった。敵の喉元へ近づく作戦かと思ったが、どうやらその余裕はなさそうだ。

 最強の硬度を誇るフェムトファイバーに反重力粒子が纏わり付いている。レミリアと咲夜による脱出の余地は今のところ存在しない。

 

「質問に答えるわ。この異変、普通に解決するだけじゃ私たちの負けよ。普通のルートでは最高の結果にたどり着くことができないの」

「普通の、ルート……ですか」

「ええ。私たちがあの兎を蹴散らして前へ進む”運命”は確かに在った。しかしそれでは相当の時間ロスを食ってしまうわ。しかもあいつらを倒した後にはさらに面倒臭いのが待ち受けていた」

 

 あの兎と真正面からぶつかった場合、レミリアの能力と併せて泥沼になる運命が見えた。噂に聞いた竹林の賢者、一筋縄ではいかない。

 今回、レミリアは体裁や矜持よりも効率性を重視したのだ。それが、この屈辱である。

 

「そりゃ私にだって抵抗はあるよ。勝てる戦いを落とすのは初めてのことだわ。だけど、最後に笑うのは私に決まっている」

「左様ですか。どうやら私の杞憂に過ぎなかったようですね。この十六夜咲夜、何処までもお嬢様に付いていきましょう」

「殊勝な心がけね」

 

 

 ……ここだけの話、咲夜は内心満更でもなかったりする。だって狭い空間の中、こんなにもお嬢様が近いんだから。

 肝心のレミリアは何やら先を急いでいるようだが、咲夜はほんのちょっとだけ、今の時間が続いて欲しいと思ってしまった。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 諸君、私は風情あるものが好きなの。

 

 春は桜。花の下でみんなでわいわい酒盛り! 妖夢の作る桜餅が絶品なのよこれが!

 夏はノスタルジー。外の世界で海水浴! 楽しそうな橙を肴にかき氷(グレープ味)を喰らう!

 冬は雪。寒さは苦手だからあまり外に出ないけど、時に身を切る寒さがとても心地よく感じる! 清少納言さんはそこらへん理解して。

 

 私は全ての季節が好きだ。

 だけどもね、耽美するならやっば秋だと思うの。

 

 夜空に浮かぶ大きな月。

 下隅で優雅にそよぐススキの波。

 

 いい、実にいい!

 月に住んでる連中は大っ嫌いだけど、別に月に罪があるわけじゃないし? ああ月よ、どうか私の手の内に……なーんて。

 

 とまあ、ここまで想いを語ったんだから分かってくれたと思うけど、風流人である私は中秋の名月を賞でるのが大好きなんです。

 もはや毎年恒例、満月の日は一晩中月を見て過ごすに限るわね。会場をセッティングして、お餅を食べながら安らぐの。

 

 そして今日はその楽しみの日。見よ、夜空に煌々と輝く満月を!

 流石はビッグフルムーン、段々と気分が高鳴ってくるわ。妖怪の血が騒ぐ……!

 

 藍にはちゃんとお月見会場の設営をお願いしたし、霊夢もあとちょっとすれば来てくれるはず。あー楽しみ!

 

 あっそうだ! ふふ、今の私の気持ちを『みんな』に教えてあげるとしましょう!

 まずは霖之助さんから貰って河童改造を施した最先端カメラで月を入れた風景を撮ってと……その写真をパソコンに読み込ませる。

 あとは何時もの『カパネット通信』に写真を貼り付けてコメントを添える。どこか詩人っぽく知的な雰囲気を醸し出す感じに。

 

 

『月が綺麗ですね』

 

 

 これでよし、と!

 反応はどうかしら?

 

『ウチからじゃ月どころか星も見えないわ。いーなー、幻想郷に行きたいなー』

『今日は雲が多いのう。せっかくの月が隠れてしまって残念じゃぞい』

 

 菫子とマミさんが返信をくれた! どうやら外の世界住まいの二人はこの美しさを堪能することができないようだ。お気の毒ね。

 ていうか菫子ったらまた夜更かししてるわね。ここは大人としてしっかり注意しないと!

 

『菫子は明日学校でしょう? 早く寝ないと朝起きれなくなっちゃうわよ』

『うむ。小学生がこんな夜更けにパソコンを扱うのは感心できないのう。ちゃんと睡眠を取らないと大きくなれないぞい』

『昼に寝てるからだいじょうぶ!』

 

 大丈夫ではないわね。菫子ったら私と会いたいが為に授業中に居眠りしてるみたいなのよ。これは流石に彼方の親御さんに申し訳なくなってしまう。

 彼女曰く「授業が簡単すぎてつまらない」らしい。菫子の知能指数の高さは今こうしてパソコンを扱っていることから分かっていただけるだろう。

 やはり天才か……。

 

 この二人とはちょくちょくこのサイトを介して色んなことを話し合っている。主に日常の雑談とか、友達と今日何したーみたいな。

 あっ、ちょっと訂正。菫子は夢の知り合いだわ。夢以外でも私と話したいとのことで、このチャットサイトを紹介したのだ。

 

 ちなみにマミさんとは外の世界で高利貸しを営んでいる腹黒狸さんである。未だ外の世界に残っているリアルでの数少ない知り合いだ。

 

『ほらみてみてー。100点!』

 

 貼り付けられた写真にはテストの山が積み重なっている様子が写されている。全て一様に点数欄に「100点!!」と書き込まれていて、菫子がただの小学生でないことをありありと証明していた。

 うわっ、「宇佐見菫子」って漢字で書いてる。貴女本当に一年生?

 

 

 あっ、ファッショニスタのHEKAさんからも返信がきてる。なになに?

 

『月なう^_^』

 

 そんなコメントとともに添付された画像にはゴツゴツした岩場と、見渡す限り暗闇の空。そして端っこにはピースサインの手が映っている。

 なんか幻想郷よりも幻想的ね。

 

『ほー月面か! これは面白いものを見せてもらった。流石はヘカさんじゃ』

『いま月に居るの!? すごーい!』

『それほどでもないわよん^_−☆』

 

 HEKAさんにみんなの反応とられちゃった。

 ぐぬぬ……悔しい。

 それにしてもこんなCGを作ってしまうなんてnowでヤングなHEKAさんのセンスはやっぱり凄いわ。憧れちゃう!私も見習っていかないとね!

 

『流石はHEKA……即興でこんな写真を用意するなんて素晴らしいセンスだわ。是非ともそのセンスを少しでもご享受頂きたいものね』

『サンキューゆかりん(((o(*゚▽゚*)o))) ゆかりんが撮った写真もイカしてるわよん!! いつか月面で一緒に写真撮ろう!!!(≧∇≦)』

 

 んー、やっぱりHEKAさんは良い人だわ。こんなノリのいいジョークで返してくれるなんて、リアルでもとっても陽気な人なんでしょうねぇ。

 いつかリアルで会ってみたいものだ。

 

 

 ふぅ……それにしても藍はまだ帰ってこないの? 霊夢を呼んでくるだけの筈なのになんでこんなに時間がかかってるんだろう? さては何処かで道草食ってるわね。

 霊夢となにか話し込んでるのかも?

 しょうがない、迎えに行きますか。

 

 チャットのみんなに今日はこれで終わる旨を伝えて、軽く身支度を整える。

 んー……そろそろドレスから導師服に衣替えかしらねぇ。肌寒くなってきたことだし。

 ついでにオシャレにアリスのスカーフを巻いてっと。これでできる女の一丁上がり。

 

 よし! それじゃ博麗神社へGO!

 スキマを開いて中へ飛び込む。

 

 

 はい到着!

 それじゃ霊夢と藍を探しましょうか。

 

 軽く見回した感じでは境内に二人の姿は確認できなかった。良くも悪くも何時もの博麗神社。

 落ち葉が石畳をこれでもかと蹂躙している様は、博麗神社の侘しさをより一層引き立てている。

 霊夢が普段の仕事をサボっているのは一目瞭然。

 

 ただ一人だけ、存在を確認できた。

 

「うへ、へへ……もう飲めないってぇ……」

「うわぁ」

 

 縁側で萃香が酒瓶を枕にして眠っている。周りの散乱具合からして先程まで小規模な宴会をしていたようだ。傍に湯呑みが置かれている。

 

 これは霊夢専用の湯呑み。中身は、まだある。

 ふむ?

 

「……まだ温かい」

 

 少しだけ中身を飲んでみたが、まだ冷えてはいない。いつも通りの粗茶だった。

 つまり霊夢はさっきまでこの縁側にいて、萃香と一緒に月見に興じていたということか。

 

 それならなおさら藍と霊夢は何処に? さっきは道草食ってるなんて言ったけど、実際は藍に限ってそんなことあるはずないし……。

 なんか変な胸騒ぎがする。

 

「萃香起きて。霊夢は何処に──」

「おぼ、おぼれ……ごぼぼ」

「うわぁ」

 

 私は萃香から急いで距離を取った。これ以上は目に優しくない光景が予測された。

 寝ゲロは危険、気を付けよう。

 

 うーん。萃香はダメみたいだし、他に目撃者はいないものか。

 あの狛犬あたりが話してくれれば楽なのになぁ。ああ、無機物に縋ってしまうあたり私はもう末期なのかもしれない。

 

 ……待てよ。目撃者?

 あっ、そうだ! いたよ目撃者!

 私は片隅の池を覗き込む。

 

「亀さん。いるなら出てきて頂戴な。霊夢が居ないみたいだけど、心当たりがあれば……」

 

「──……」

 

 水面から髭面の亀が顔を出す。そして私の顔を見るや否や、ゴキブリを見たかのように表情を顰めさせて、ガンを飛ばしてくるのだった。

 ……スッポン酒にしたろかこの亀。

 

 ふふん、食用亀としか思っていなかったこの亀だが、実は喋ることのできるトンデモ個体であることが発覚している。声は聞いたことないけど、遠目から確認したんだからね。

 この亀なら恐らく霊夢の行方も知っているはずだ。さあ、教えるのよ!

 

 

「失せろ隙間妖怪。お主に話すことは何もない。それによくもまあ恥も知らずに儂の前にのこのこと顔を出せたものだ。相当面の皮が厚いと見える」

 

「……はい?」

「お主の犯した大罪、償え切れぬほどの背徳の仕打ち……この儂だけは決して忘れはせぬ。御主人様を誑かす道化め、即刻消えるがよい」

 

 そして亀は好きなだけ私に対する罵倒をぶちまけた後、私に向かって水鉄砲を発射し、悠々と水中へと戻っていった。

 

 なんとも度し難い。怒りとか哀しみとか、そんな感情を抱くことはなく、これぞまさしく虚無。

 ただ理不尽に晒された私の身の上への自分自身による同情だろうか?

 けどまあ……取り敢えず今日の宴会料理がスッポン鍋に決定したのは言うまでもない。

 

 そもそも亀なんかに頼ったのが失敗だったわ。亀なんてたかが爬虫類! 千年生きたところで十の子供の頭には敵わないわ。そもそも鶴の格下だし。

 やはり信じるは己のみね。

 

 

 というわけで次に向かったのはマヨヒガ。我が八雲の直轄地域その一である。

 理由は簡単。藍が橙を迎えに来てないかと考えたからだ。催し物がある時は私たち三人いつも一緒だからね。藍は橙を片時も離したくないみたいだけど、ならなんで別居しているのか。常日頃から疑問に思っている謎である。

 ……もういっそのこと八雲みんな同居でいいんじゃないかと考えている私がいる。だってわざわざ別居する必要を感じないのよねー。橙はいつも八雲邸まで来てくれるしさ。配下の猫たちの住処については考える余地ありだけど。

 

 橙は既に就寝準備に入っていたようで、眠たそうに家から出てきた。

 私の姿を見た瞬間、目を見開いてピシッとしだしたけど、別にそこまで畏まる必要はないのよね。

 むむむ……この様子だと藍は来てないようだ。ていうかそんなことよりもパジャマの橙かわいい。

 

「うわわ紫さまっ!? こ、こんな夜更けにいらっしゃいませー! お茶出しますねお茶!」

「ふふ、お構いなく。それよりも藍を探してるんだけど、此処に来なかった?」

「藍さまですか? あれ、言われてみればいない」

 

 私が外出する時は何時も藍が側に控えていてくれるから、言われてみれば今の状態はかなり新鮮な感じね。橙が戸惑うのもわかる。

 少し考えるそぶりを見せた後、橙は首を傾げながら解せない様子で語り始めた。

 

「藍さまは昼に一度来てくれましたけど、それっきりです。あと何事かと思って咄嗟に藍さまに念話を送ったんですが……拒否されてるみたいで」

「……なんてこと」

 

 藍が、橙の念話を着信拒否……!? 私の眼の前でありえないことが起きている。電話でいうワンコール目には必ず応答する藍が、よりにもよって橙からの着信に出ないなんて。

 これはもはや異変レベルだ。藍が故意的にそれを行なっているなら何かの異変が起きているに違いないだろう。私は断定しよう!

 だがもし、別の説。藍と霊夢の身に何かが起きていると解釈すべきだろうか?

 

 あの二人をこの短時間でどうこうできる奴なんてこの世に存在するとは思えないが……何か不測の事態に巻き込まれているのだとしたら。

 

 いや、それならまだいい。

 まーさか逢いびきなんてことしてないわよねぇ? 二人でこっそり幻想郷からロマンス逃避行? クズで無能な上司に嫌気が刺したとか?

 ……許しません! 私は絶対許しませんよ! そりゃ霊夢と藍はお似合いかもしれないけどさ、ほら、その、一応同性だし……? やっば、なんか興奮してきた。てか私と橙が置いてけぼりじゃないの!

 

「藍さまがどうかしたんですか!? いったい何が起きてるんですか紫さま!」

「橙……今起きていることの想定はどれもあくまで推測の域を出ない。だけど嫌な予感がするわ。藍を一緒に迎えに行きましょう」

「っ!! わ、分かりました! いますぐに着替えてきます!」

 

 飛び跳ねて部屋の中を飛び回っていく橙の姿にほっこりしながらも、彼女の慌てっぷりが私の心を焦らせる。

 逃避行とか夜逃げとかは半分冗談だけど、なんか腑に落ちない気分。

 

 ……嫌な感じね。

 

 と、物思いに耽る暇もなく、いつもの服装に変身した橙が私の眼の前に舞い降りる。

 赤いベストに赤いスカート。首元には蝶結びのリボンがあしらわれている。

 特別な仕掛けなんてものはないけど、動き易さを重点的に考えて設計されているので橙の身体能力を百パーセント発揮させることができるらしい。

 ドーピングなら妖怪陰陽術でどうにでもなるからね、どうでもいいよね。

 

「準備オッケーですっ!」

「そうね……まずは藍と霊夢が向かいそうな場所をしらみ潰しに当たって行きましょう。橙は人里と魔法の森をお願い。二人が居なくても慧音やアリスに話を聞いておいて。魔理沙も一応」

「分かりました! 有力な情報を得次第、すぐに連絡しますね!」

「──……ちょっと待って。藍に念話が届かなかったってことは、妖力波に障害を与える者が暗躍している可能性があるわ。これも持って行きなさい」

 

 橙に渡したのはガラケーだ。これなら私からでも橙に連絡を入れることができるし、今言った懸念も払拭できて一石二鳥ってわけよ!

 やはり月下の元では頭が冴えるわね。

 

 スキマを開いて魔法の森へ向かった橙を見送った後、私もスキマを開く。

 行き先は……白玉楼にしましょう。ここは我が友人の意見を聞いておきたい。もしかしたらあの二人が居るかもしれないし。

 

 

 

 

「全部姉さんが悪い! いっつも私の足ばっか引っ張りやがるんだからぁー!」

「リ、リリカ? もしかしてその姉さんっていうのは私も入ってたりする?」

「当たり前じゃん! 二人とも同罪よー!」

「えぇ……」

「手厳しいぃー!!」

 

 静かな白玉楼にギャンギャン響く罵倒と騒音。

 騒霊三姉妹の口調に合わせて、浮いているそれぞれの楽器が荒ぶっている。バイオリンだけは沈みがちみたいだけど。

 

 スキマを開けて一番に出くわすのが姉妹喧嘩の最中なんてついてないわ……。

 プリズムリバー三姉妹は幻想郷で有名な騒霊アーティスト姉妹である。

 ルナサ、メルラン、リリカの三人が持つ其々の音色は、心へ作用する波長を生み出すそうな。

 

 かくいう私も実はそれなりにファンだったりする。ついでに推しメンはリリカね。ちなみに藍はルナサ、橙はメルラン推しだったりして見事バラけているのよね。

 なお霊夢曰く「どうでもいい」とのこと。あの子の心に作用させるのは難しいものね。これにはプリズムリバー三姉妹もお手上げだろう。

 

 しかし何でその三姉妹が人様の家の前で言い合いなんてしてるんだろう? 痴話喧嘩?

 

「3回目のアンコールに応えなかったら間違いなく契約の時間に間に合ってたわ! 私は止めたのにメルラン姉さんは無視した! ルナサ姉さんだってなんだかんだ便乗したよね? もう耐えらんない!」

「ごめんねー!」

「ごめんなさい」

「私に謝ったってしょうがないでしょうが! 白玉楼がもぬけの殻ってことは、つまりそういうことよ! 相当怒ってるのよ!」

 

 なるほど、状況は把握した。

 つまり幽々子は今白玉楼にいないということか。もぬけの殻ってことは妖夢もいないんだろうなぁ。みんなして何やってんだか。てっきりのんびり月見でもしてるものだと思ってたんだけど。

 

 一方でプリズムリバー三姉妹は私に気付く様子もなく、ひたすら言い合っている。

 

「もう解散よ! 幽霊楽団はこれにて終わり! あー清々するわー」

「ふふ……ひとりじゃ何もできないくせして一丁前に言うわね。後から泣きついてきてもアンサンブルには入れてあげないよ?」

「……いや姉さん! 解散はアリかもしれないわ!!」

「メ、メルラン……?」

 

 おっ? 話がおかしな方向に進んでるわね。ブン屋に連絡してあげようかしら。

 メルランの裏切りに動揺を隠せないルナサ。その様子を見て(したた)かに笑うリリカ。うーん……面倒臭い構図ですわ。

 

「思えば私たちの方向性は完全に間違っているわ。私と姉さんの性質は極端に違うし、中間のリリカはこの調子。もしかしたらソロの方が各々良い味出たりしてね!!」

「私は逆にソロの方がやれるって確信してるから。そこらへんよろしくね!」

「け、けど私たちが本当に力をあわせることができれば、今の何倍も良い演奏ができるはず。血の繋がりは微妙だけど、もっと大切なモノで私たちは結ばれているわ。レイラだって──」

 

「レイラは死んだっ! もういない! 姉さんはいつまで───……あっ」

「……」

「……」

 

 

 リリカの言葉に姉二人は言葉を失った。そして、その発端となったリリカもまた、ハッとした様子で渋々詫びを入れるのであった。

 ふーん……普段おちゃらけて生きている()ような三姉妹だけど。何やら裏では面倒臭い事情がありそうねぇ。実にそそられるわ。

 

 もう少し話を聞いていたい気もするが、なんだか心が情緒不安定になりつつあるから退散しよう。あの三人の音色を対策なしに聞き続けるのは危険だ。

 鬱の音色は心を殺し、躁の音色は心を壊す。聞き手次第では普通の演奏でも殺されてしまう。

 えっ、リリカ? リリカは……なんか良い感じの音色が綺麗よね。私はそういうところが好きだから! うん! リリカーファイトー!

 

 

 

 

 

「残念だけどレミィは外出中よ。ていうか逆になんで”居る”って思ったのか、甚だ疑問よ」

「パチュリーは黙ってて! 紫は私のお客さんなんだからさ」

 

 フランは今日も元気だなーっと思いつつ、適度な苦笑いを浮かべるに留まった。

 癒しを補給できたのは良かったんだけど、まさかレミリアまで居なくなってるなんて……。あっ、あとついでにあの嫌なメイドも。

 誠に不服だけど私はあいつの予知能力を高く評価してる。助っ人としては何気に頼れる存在なのだ。人格はさとりと同ランクだけどねぇ!

 

 ……あっ、秘書補佐さんチッス!

 本棚に隠れて此方を伺っていた小悪魔に軽く会釈した。そして逃げられた。

 解せぬ……。

 

「レミリアが居ないんじゃ仕方ないわね。また出直しますわ」

「えー私と遊んでいこうよ。ほら、お姉様なんか放っといてスペルカードルールでガチンコバトルしましょ!」

「魅力的な提案だけどちょっと今忙しいの。それにまだ私のスペルカードは完成してないし、また今度にしましょう? そっちの方がきっと面白いわ」

 

 フラン相手の弾幕ごっこなら安心だ。ちゃんと手加減してくれるだろう。

 あとなんとなくだけどパチュリーは弾幕ごっこがめちゃくちゃ強そうよね。

 

「あっそうそう。レミィから伝言を預かってるわよ。『どうせ紫がここに来るだろうから、言っておいてくれ』だって」

「はて、伝言?」

「簡潔に一言。『今日は外を出歩くな』ですって。紅魔館に来てる時点で出歩いてるようなもんだと思うけど、気にしちゃアウトかしら」

 

 パチュリーの言葉に少しクスリとしてしまったが、やがて疑問が内を埋め尽くす。

 外を出歩くな? わざわざそんな伝言を言い残すなんて、あいつは私を外に出したくないのかしら。何のためにそんなことを……。

 ちょっと待って、まさか藍と霊夢に何かしたのはレミリア!? 霊夢にやたら執着してたみたいだし、ありえない話じゃない。そうだ、あいつの悪どさは私が一番よく知っているんだから!

 

「レミリアが何処に行ったのか分からない? 大まかな場所でもいいわ」

「……さあね。月の下なら何処でもありえる」

「そういえば咲夜が一回帰ってきて虫除けスプレーを持って行ってたっけ。てことは虫の多い藪にでも行ってるんじゃない? 月があんなんだからお姉様そーとーイラついてたし、雑魚狩りでもして遊んでるのかも。下賤ねー」

 

 スペルカードルールの正式発行は来年からだけどさ、せめて穏便に済ませてくれたら助かるなって。やっぱ満月だと最高にハイッてヤツになるのかな?

 しかし、レミリアが黒幕である可能性もあるのか。もしレミリアが何かやらかしていたとしても、藍と霊夢なら紅魔主従コンビが相手でも何とかなるような気もするが……。侮れない相手ではあるわ。

 

 仕方ない。情報収集を続けましょう。

 次はあそこかな。アドバイザーとしてはあいつより優れた人物はいない……が、できることなら顔も合わせたくのないのが本音だ。

 前回は喧嘩別れみたいになっちゃってたし、機嫌を損ねたままだったらどんな目に遭わされるやら。そもそもこの流れ的にあいつも不在パターンなんじゃ……?

 

 

 

 

「私が地霊殿を空けるはずがないでしょう。なにせ私には守るべき大切な家族たちが居るんですからね。……ところで藍さんは何処に行かれたんですか? まさか夜逃げされたとかそんな滑稽な」

「やめて。謝るからやめて……」

 

 なんでさとりにだけは簡単に会えてしまえるんですかね。これは流石に運命の女神様による悪戯説を提唱するわ。

 いつもの来賓室には四人。私とさとり、そしてドレミーと火焔猫燐がテーブルを囲うように座っている。あー……橙に付いて来て貰えばよかった……。

 

 私を除く全員が口元を歪ませている。まるで悪魔の笑みだ、残酷な笑みだ!

 つられて私も引きつりながら笑う。

 

「随分と地上を奔走されていたようですね。その間抜け面を幻想郷中で晒し回っていたのかと思うと笑いが込み上げてきますよ。それで、目的の人物には出会えたんですかね? どうなんです?」

「はは、さとり様。流石にその言い方は失礼ですよ。もっとマイルドに包んであげなきゃ」

「覚妖怪は正直なのです、許してあげてください。しかしまあ、この世の全ての事象には何かしらの理由があるものですが、望んだ人物に出会えないのは日頃の行いの賜物でしょうかね。単に避けられてるだけだったりして」

「……チッ」

「あ、舌打ち。品がないですねぇ紫さん」

 

 こいつらぁ……!! 今日は藍が居ないからって好き勝手言いやがってぇ……!

 ていうかドレミーまで結託してるのはどういうことよ。貴女たち敵同士でしょうが。

 

 落ち着け八雲紫。連中の言葉にいちいち心を砕かれていてはキリがないわ。取り敢えず本件だけをさとりから聞き出さなくては。

 

「ふむ、『藍さんと巫女の居場所』ですか。地底にいる私に聞きに来るあたり、相当行き詰まってるようですねぇ。滑稽すぎて腹がよじれますよ」

「紫さん紫さん。私の能力が解放できれば夢の世界からお二人を見つけ出すことができますよ。どうです? さとりを説得してみませんか?」

「貴女たちね……ちょっと私のこと舐めすぎじゃないかしら。こちとら職業柄、舐められたら終わりなのよ。いい加減にして頂戴」

 

 私の言葉に二人は顔を見合わせて、今度は鼻につく煽り抜群の失笑をかましてくれた。

 ああ、早く逃げたい。最高の1日になるはずの今日をまた一からやり直したい。私はただ家族みんなで月見ができればそれでよかったのに。

 おお運命よ! 私が憎いのですか!?

 

「そりゃ憎いんでしょうねぇ。運命から見放された貴女は誰からも愛されない。誰も貴女を愛さない。そこらへんわきまえてくださいね」

 

 ここまで言い切ってさとりは大きく息をついた。そして私は熱くなる目頭を抑えられずにはいられなかった。あんまりですわ……。

 

「ああ、それと藍さんの行方についてですが、私の方から貴女に教えるほどの情報はありません。そもそも私は地下棲みですからね、知るはずがないのです。というか私を頼りすぎですよ情けない」

「あたいはさっきまで地上に居たんだけど、狐さんも巫女も見かけなかったねえ。ま、途中で仕事も切り上げて帰ったんだけどさ」

「夢の世界なら──……ケチですね」

 

 地霊殿もダメかー。”さとりなら或いは'”っていう望み……藁にもすがる思いでの賭けだったが、見事空ぶったようだ。しかもメンタルフルボッコにされるという超特典付き。あぁ、鬱だわ。

 

 これで心当たりは無くなってしまった。あとは橙の調査結果を待つしか私にできることはない。

 よし一度家に帰ろう。このまま地霊殿に居ても袋叩きにされるだけだしね。

 

 別れを軽く告げながらスキマを開く。

 だが私の移動は一回は遮られてしまうのがテンプレのようで。さとりが私を制止すると、急に変なことを語り出した。

 

「レミリアさんは貴女に警告しました。さらに奇しくもあの易者が言っていた予言が現実のものになろうとしている。まさか、まさかこんな日にこれ以上余計なことをするつもりではありませんよね?」

「どうしたの? 急にそんなことを言うなんて貴女らしくないわね。もしかして私の身を心配しているの? それならお生憎様、間に合ってるわよ」

 

 突拍子がなさすぎて笑ったわ。何が言いたいのか意味不明だわ。

 結局レミリアは怪しいまま。それに易者って誰よ? もしかしてあの人里で易をやってたあの胡散臭い人間のことかしら。何言われたかもう忘れたわ。

 

 こんなにも月が綺麗なのに「外を出歩くな!」なんて言う方が怪しいわ。

 そりゃ藍と霊夢がいなくなっていることから何処かで異変が起きている可能性はあることにはあるが、だいたいどこの勢力も平和だったし……。

 

 

「紫さん……()()()()と、そう思うのですか?」

 

 またもや突拍子もない質問。さとり、貴女は一体私に何を求めているのよ。

 訳が分からない。

 

「月は綺麗よ。あんなにも大きくて、あんなにも丸い。じゃなきゃ何のために月見なんてしなきゃならないのか……そうでしょう?」

「──結構です。もう用はないのでどうぞさっさとお帰りください」

 

 流れるようなキャッチ&リリースに惚れ惚れするわちくしょう! ったく……こんなことなら地霊殿になんて来なきゃよかったわ。

 それじゃあ博麗神社に戻ろう。スキマ移動中に橙に連絡を入れつつ先を急いだ。

 

 

 

 私がいた時と大して変わっている様子もなく、博麗神社は相変わらず閑散としている。変わったのといえば萃香の寝相ぐらいだろうか。

 やはり霊夢は帰ってきていない、か。

 

 少しして橙がスキマを開いて目の前に現れる。表情からして結果のほどは容易に予想がつく。

 多分大した成果を得られなかったのだろう。

 

「こっちは全部空振りだったわ。そちらはどう?」

「それが、魔理沙もアリスも居なかったんです。扉の前の張り紙には『少し出かける』としか書かれてなくて……。あと、人里なんですが……」

 

 言いにくそうにはにかむ橙。

 

「何がなんだかよく分からないんです! 途中で私が何をしているのかめちゃくちゃになっちゃって、人里の場所を全然思い出せなくなって……! 紫さまからのせっかくのご命令だったのに私なにもできなかったんです……」

「落ち着いて橙。私は貴女を責めたりなんかしないわ。藍からの命令でもないのによく頑張ってくれたわね。ありがとう」

 

 式は己の力の根源を主人の命令に依存させている。つまり、自分の意思のみで動くことは、全ての動作において大きな足枷となるのだ。

 橙は多分上がっちゃったんでしょうね。緊張し過ぎてガチガチだったんだと思う。

 もし藍から正式に命を受けていればこんなことにはならなかったはずだ。つまり私が悪い。

 

「しかし有力な情報はナシ、ね。この調子じゃこれ以上調査しようがないわね」

「一応配下の猫や友達の妖怪たちに協力をお願いしてます。見つかればいいんですけど……」

 

 万事休すか。あとできることといえば私自らが人里に出向くぐらいかな? 前回の誤認事件以来あそこには訪れることがなかったけど、もうさすがにほとぼりが冷めている頃でしょう。

 慧音や阿求なら何か知ってるかもしれないし。

 

「それではもう一度情報を集めに行きましょうか。橙は心当たりのある場所を片っ端から当たってちょうだい」

「了解しました!」

 

 元気よく返事した橙はスキマを開くべく私から背を向ける。

 

 ……あれ?

 橙の背中を見た瞬間、私は強烈な違和感を感じた。この感覚は……まさか。

 

「ちょっと待って。その場から動いちゃダメよ」

「へ? ど、どうしたんですか?」

 

 困惑する橙を他所に《それ》は現れた。

 背中に張り付いたドア。通称バックドアと呼ばれる《それ》はとある知人が作り出すゲート。

 移動手段や魔力回収・解放といった様々な役割を持つポータル装置なのである。私のスキマよりも汎用性があって羨ましい。

 

 ドアは間も無く開かれた。

 

「やあ、先日ぶりだな紫。なにやら幻想郷中を飛び回っているそうじゃないか? 面白いことをやってるなら私も混ぜてくれ」

 

「これはまた突然。このタイミングで貴女が現れるなんてね。願ったり叶ったりかしら」

 

 おっきーな降☆臨。

 

 ゆかりんは歓喜した!

 




ゆかりんの順位を一つでも若くしてあげたい心意気のある者は、どうか清き一票を……!
ゆかりんを一桁にしてあげ隊イクゾッ


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欲無き者の野望(後)

 

 

 私がおっきーなと知り合ったのは、月面戦争が終了してしばらくのことだった。

 

 藍という心強い味方を手に入れたものの当時は全く信用できなくて、しかも周りの妖怪たちから身に覚えのない難癖をつけられたり使いパシリみたいなことをさせられたりで、それはもう苦難の日々。

 急変してしまった周りの環境に適応しようと頑張ってみたけど全然うまくいかない。

 身の振り方をしっかりと考えなきゃならない、そんな時期のことだった。

 

 おっきーなは突然にして目の前に現れた。いや、目の後ろと言うべきかしら?

 困惑していた私におっきーなは告げる。

 

『我が名は摩多羅隠岐奈。後戸の神であり、障碍の神であり、能楽の神であり、宿神であり、星神であり、お前を知る数少ない一人でもある』

 

 意味不な自己紹介は兎も角、神様が私に用なんて絶対碌な内容じゃない!

 そう思ったから軽く流そうと思ってたんだけどね、彼女の次なる言葉が私を動かした。

 

『私はお前を救いに来たのだよ、八雲紫。この私の神格上の問題なのだが、形はどうであれ虐げられているお前の現状が気に入らんのだ』

 

 後から聞けばおっきーなは被差別民の神格を持ち合わせているらしく、要するに社会的弱者の味方なんだそうだ。

 その日以降、私の背中にはおっきーながいつでも出入りできるバックドアが設置され、行き詰まった時や窮地に陥った時なんかには的確なアドバイスを囁いてくれた。

 おっきーなが居なければ多分両手の指じゃ利かない回数死んでたんじゃないかしらね。

 

 そのアドバイスの内の一つ、『目を細めながら笑顔を決して絶やさない。そして言い回しは大物っぽく尊大に』は実に効果的だった。

 実践し始めたその日からみんなと会話が出来るようになったのよ! なるほど、これが社交辞令というヤツなんだなって思った。

 なおさとりからは絶不評の模様。

 

 

 

 そういう経緯があって、おっきーなは私の恩人とも呼べる偉大な神様なのである。今の私があるのは藍とおっきーなのおかげと言っても過言ではない!

 そんなおっきーながこんなタイミングで現れた。これで期待するなっていう方が無理な話だ。

 

「こんなにも月が丸いのだから、外に出ないのは損よね。貴女もそのつもりで後戸の国から出てきたんじゃなくて?」

「一理あるな。しかし紫よ……どうやら目的地を見誤っているようではないか。これではいつまで経っても異変を解決することはおろか、大事な部下たちを助けることすらできないぞ」

 

 ……?

 立ち話もなんだと、橙に神社の中に入るよう指示し私も追随する。そしてまたもやおっきーなと向かい合わせに座った。

 橙からしてみれば不思議な感覚だろう。だって私は彼女の背中に語りかけているのだから。

 

 さて、それでは問いただそうか。

 先ほどの言葉の意味を。

 

「さっきのあれはどういう意味です?」

「そのままさ。八雲藍と博麗の巫女が異変に巻き込まれているのには薄々勘付いているだろう? 普通の相手ならなんら問題ないんだろうが、今回ばかりはちと相手と場所が悪い」

「ふむ……その話、詳しく教えて下さい」

 

 おっきーながわざわざバックドアまで開いて警告するほどの異変。それはつまり、レミリアや幽々子の時よりも危険ってことで……。

 藍と霊夢という幻想郷最強クラスのコンビを粉砕し得る可能性が少なからず存在するということなのか。やばい震えてきちゃった。

 

 そしてその異変の張本人は、私の予想だにしない人物だったのだ。

 

「因幡だ。あの兎が此度の異変を仕組んだ。目的までは分からんがな」

「因幡てゐが!? ……なるほど。それが真実なのだとしたら、間違いなく厄介ね。ということは私たちの目指すべき目的地とは……」

「そう、迷いの竹林だ」

 

 くらりと眩暈がした。

 

 因幡てゐと迷いの竹林。この組み合わせほど凶悪なものもそうそうないだろう。

 あの地理とてゐの能力。それはありとあらゆる物に対して凶暴で、尚且つ無害だ。

 

 竹林から賢者が生まれるに至った理由は、極々単純な事で。当たり前の事だった。

 妖怪の山並みの軍事力。河童並みの科学力。草の根並みの組織力。並大抵の賢者以上の影響力。そして因幡てゐという妖怪の存在。

 これだけの要素を揃えていて幻想郷の上に立つな、なんてさ。そんなのおかしな話よ。

 

 そんな因幡てゐが異変を起こした。

 対策を考えるよりも先に、私の脳内にとある二文字が突如去来した。

 

 ”無 理”の絶対的な二文字。

 なるべく周りとの関係を荒立たせたくない私であるが、てゐとの揉め事は一番避けたかった。

 元から喧嘩売ってくるさとりとか天魔は兎も角、てゐは一定の譲歩を示すと案外簡単に引いてくれる。……それが狙いなんでしょうね。

 私が自分との対立を嫌っている事を、あいつはよく理解しているだろうから。

 ぶっちゃけちゃうと勝てる気がしないのだ。負けたら最後、臓器まで持っていかれそう。

 

 そして……。

 

「迷いの……竹林」

 

 あそこには絶対近づきたくなかった。例え大金を積まれようと土下座されようと、あの魔境にだけは足を踏み入れたくないのだ。

 私がここまで怖気付く理由。それは分からない。推測のしようはあるが、それらが的を射ているかと言われるとどうもそうじゃないみたい。

 理屈無しの本能的な直感だろうか。頭と心の中で忙しく喚き立てている。

 

 

「どうした紫。黒幕の正体は確かに教えたぞ。はたしてお前は何をする? 何を為す? まず一番最初に私に教えてはくれまいか?」

 

 ああおっきーな。言わなくていい。

 分かっている。しっかりと理解してる。

 私がすべき事なんてのは一つしかないんだもの。

 

 

 てゐとは戦いたくなかった。リスクを冒したくない。迷いの竹林に踏み入りたくない。

 

 だけど、私の娘が今もあいつと向き合っている!

 なのに私がこんな所で指を咥えて待っているわけにはいかないでしょうがちくしょぉぉ!!

 

「霊夢と藍を助けるわ。結果どうなろうが関係ない……私の持てる全てを駆使する」

 

 やってやろうじゃんかクソウ詐欺がァ! 幻想郷は私の理想郷建設予定地……これ以上好き勝手にさせてたまるもんですか!

 賢者大戦争の開幕よッ!

 

「よく言ったな紫。その言葉を待っていた。友の好だ、微力ながら力添えさせてもらおう」

 

 心強い言葉におっきーなの株が急上昇!

 だが期待とは異なり、おっきーなが提示したのは間接的な支援だった。

 

「異変間の幻想郷のバランスは私が全面的に受け持とう。これを機に山の連中が動き出すかもしれんが、しっかりと私が睨んでおく。お前は心置きなく因幡てゐに注力していいぞ」

「あくまで因幡てゐとは対立したくない、と。秘神の力添え……もう少し期待しても?」

「私はただでさえ敵が多いんだ。正直な話、これ以上の厄介ごとは御免被るな。だが山と対決する時は幾らでも力を貸すよ。存分に頼ってくれ」

 

 今頼らせてよ……。

 だがまあ、おっきーなの気持ちは分かる。先にも散々述べたように、てゐと敵対関係に突入するなんて絶対嫌に決まってる。

 それに実際問題、妖怪の山の動向は不安要素だ。私とてゐが争っている間に幻想郷の制圧を企む事だってありえる。実は前例が無いわけじゃないしね。

 おっきーなが居てくれれば妖怪の山を抑え込む事ができるし、他にも色々と利用できる要素が格段に増える。おっきーな無しでは話が始まらないのだ。

 ともに戦ってくれないのは寂しいし残念だが、打開する情報を持ってきてくれた事も含めて、今回の助力は大いに助かるわ。

 

 おっきーなと私は目を見合わせた。

 理知的な光を湛えつつも、僅かな狂気を孕んだ危なげな瞳。見ようによっては憂いているようにも見える。……心配してくれているの?

 

「実はな、直前までこの話をすべきか否か、迷っていた。お前に話せばどのような結果になるのか予測した上での迷いだ」

 

 おっきーなの言いたい事は分かった。

 彼女がもし私に此度の件の話を知りながら黙っていて、さらに霊夢も藍も死んでしまうなんて結果になってしまったら……私は彼女を恨むだろう。

 おっきーなは私の意思を尊重してくれたのか。

 

「お前はあらゆるリスクをかなぐり捨てて因幡てゐとの決戦を選ぶだろうと、確信していたよ。式と巫女を見捨てる事なんて出来ないだろう?」

「……幻想郷を導く者としての戦いの決意には、相応しくない理由である事は百も承知。だけどあの子達は私という存在の要なのです」

「私は責めてるんじゃないぞ。各々の結末を天秤に掛けて、これが一番だと判断したんだ。私を笑い者にするかどうかは紫次第ってこと」

 

 ……ありがとうおっきーな。

 

 もはや言葉は不要だった。無言で握手を交わし、おっきーなは惜しむように後戸の世界へ戻っていった。そしてバックドアは橙の背中から消滅する。

 

「もういいわよ橙。肩の力を抜いて」

「はー……ふぅ。何もしてないのになんだか疲れちゃいました。けど重要な進展ですね!」

「ええ。藍と霊夢の居場所どころかてゐの企みにも気づく事ができた。隠岐奈がくれた貴重な情報……しっかりと活かさないとね」

 

 

 あっ、てゐが何の異変を起こしているのか、おっきーなに聞くのを忘れてた。もうゆかりんったらおっちょこちょいなんだから!

 まあ大体見当はつくけどね。どーせ《幻想郷の住民から金をせびる》みたいなせせこましい異変でしょ。断じて許すまじ因幡てゐ!

 

「橙! 友達の妖怪を片っ端から集めなさい! 但し弱い妖怪を闇雲に連れてきてはダメよ。あくまで貴女と勝負になるレベルの妖怪を」

「りょ、了解です!」

 

 橙を直ちに散開させ、私自身もすぐに準備を開始する。ここからは時間の勝負だ。

 

 

「ルーミアッ!」

 

 

「はいはいどうしたの?」

 

 当然のように闇夜の陰から現れたルーミア。口ではこんな事を言っているが、表情は私を見透かすようにニヤけている。

 

「もう判っているはず。よね?」

「ふふ、おっけー。吸血鬼異変の時みたいな感じでいいのよね。任されたわ。ところで……」

「報酬でしょう? これから貴女の三食全て私が面倒を見るわ。それでどう?」

「さっすが賢者様! 太っ腹ぁ!」

 

 はしゃぎながら影に潜るルーミアを見送る。

 大変な約束をしてしまったことは自覚している。だが後悔するのは後でいい。私は今を全力で戦わなきゃなんないんだから!

 

 まだだ。まだ足りない。

 もっと戦力を集めなきゃ勝負にすらならないわ。もっと多くの妖怪を。もっと強い妖怪を!

 

 私は躊躇いなく縁側へと歩み寄り、鬼の象徴である角を掴んだ。そして思いっきりシェイク!

 

「萃香起きて!」

「ふぇ?」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

『吸血鬼ペアの引き渡し確認したわ。序盤から飛ばすなんてあんたらしくないわね。もしかして何か企んでるんじゃないでしょうね?』

「まっさかー。姫様の為ならえんやこらさ」

『うーん……怪しいわ。まあどうでもいいけど引き続きサボらずしっかり頼むわよ。こっちはこっちで適当に処理しとくからさ』

「ほいほーい。ヘマやらかして師匠さんに怒られないようにね」

『余計な御世話っ!』

 

 またもや向こうから回線を一方的に切られた。兎の総取りまとめ役を永琳から任されたことで調子に乗っているのだろう。

 てゐを顎で使えてご満悦といったところか。

 

 まあどうでもいいけどね、と。軽く一笑して新たな侵入者に向き直った。

 続けててゐが迎え撃ったのは魔法使いの金髪コンビ。レミリア程ではないが、霧雨魔理沙とアリス・マーガトロイドの名は幻想郷に轟いている。

 

 魔法使いとは元来周到な準備を前提とした搦め手で戦う種族。イレギュラーに弱いのが玉に瑕ではあるのだが、それらをひっくるめても易々と優位を取るのは難しい。老獪なほど苦戦は必至だ。

 

 しかし、この二人はその枠組みで括るにはあまりも規格外すぎた。

 魔理沙は搦め手を殆ど使用しない。火力至上主義である彼女にそれは不要なのだ。

 対してアリスは魔理沙とは正反対とも言える。あまりにも魔法使いらしすぎる。唯一他の魔法使いと異なるのが、『イレギュラーが存在しない』という点。

 

 そんな二人が手を組んだのなら、それは敵対する者にとっては由々しき事態だろう。手数も火力も有り余る魔法使いのコンビに弱点はない。

 

 だがてゐに別段慌てた様子はなかった。

 なぜなら、彼女らは脅威になり得ないから。

 

 虹色の閃光が竹林を薙ぎ払う。破壊の雨が降り注ぎ更地と化していく。とんだ「正義の味方」……てゐは呆れた。

 今回の戦いで消滅した竹林は数日で元に戻る。敵を排除した後にじっくりと。竹林の生命力とは偉大なもので、竹に繁殖力と成長力で勝る樹木はない。

 つまり兎側はノーダメージ。

 

 一方魔理沙は崩れ落ち、膝をついた。動かなくなった両腕を地面に叩きつける。

 

「ちくしょう……マスタースパークを透過してきやがった。ただの光じゃなさそうだ……」

「腕の回復に努めなさい! いつまでも抑えてくれると思ってるなら大間違いよ!」

 

 一糸乱れぬ人形の波状攻撃。生身の妖怪兎なら余裕でミンチにできるだろう怒涛の猛攻。

 しかし因幡隊には無力であった。

 

 人形は攻撃を仕掛けるも順に分解しながら壊れてしまう。ごく稀に攻撃を兎たちに届かせることができるのだが、それらは兎たちの着込む装備に阻まれる。

 光沢が見えるほどに黒く艶やかなスーツ。一見すれば意味をなさない脆い装備。しかしその耐久力はアリスの攻撃を防ぐどころか、マスタースパークを耐え切ってしまうほどの代物だった。

 さらには身体能力も強化されており、タダでさえすばしっこい妖怪兎の脚はさらに俊敏なものへ。

 迷いの竹林の地理も相成って狙いをつけることすら困難で、死角の多さ故にアリスの人形を思うように動かすことを許さない。そして突破力のある魔理沙の封じ込めにも成功している。

 

 標準武器のマグネトロン空官砲。

 マイクロウェーブによる高周波の光線はあらゆる物質を透過し浴びせた物を熱する。

 普通金属には弾かれてしまうマイクロウェーブだが、月の都──ひいては月兎の基本技術である『周波数の操作』を巧妙に行うことによってそれらの問題を完全に克服した。

 高周波はマスタースパークと衝突することなく透過して魔理沙の腕へ。こうして魔理沙の腕を不能に追いやった。

 

 分子そのものを振動させることによって発生する摩擦熱。それによるダメージは、耐火魔法ではフォローしきれない超越科学の範疇。

 よって魔理沙はマスタースパークを封じられた。

 

「場が悪い……一旦引くわよ。ほら肩を貸しなさい!」

「くっ、すまん」

 

「あはは敵さん逃げてる! 兎を舐めるとこうなるのこと、肝に銘じな!」

「そーだそーだ!」

「あんたらだけじゃ勝てんでしょーが。あんま大それたこと言うもんじゃないよ。ほら煽ってる暇があったらさっさと追撃する。逃すと厄介だ」

 

 連戦連勝。異変解決の英雄 霧雨魔理沙もてゐの前には赤子同然だった。

 ここ数百年実戦経験のなかった因幡隊であったが、いざ牙を剥けばこの快進撃。まさに幻想郷における優位を証明する完勝だった。

 

 てゐがその場にいる限り、因幡隊に最高の結果が訪れることが約束されている。

 幸運のバイオリズムを把握すれば、身じろぎひとつが必殺級の攻撃になり得るし、屈むだけで全ての危害から身を護る盾になる。

 敵へのデバフもまた相当なものだ。

 かつててゐに悪虐な仕打ちをした八十神は、その全てが悲惨な最期を遂げている。それにてゐの能力が関わっていることは言うまでもない。

 自分の幸福は敵の不幸。それが能力の真髄だ。

 

 存在するだけで否応無しの格差を創り出す。見方によっては最悪とも取れる能力。

 だから誰もてゐと敵対したくない。彼女と関わって自分に訪れるのは果たして約束された祝福か。それとも破滅を往く呪詛か。

 全ての決定権はてゐにある。

 

「さて、魔法使いの追撃は少数に任せて私たちはもう一方の方に行くよ。反応は二つだったっけ」

「うんレーダーには二つしか映ってない。揃いも揃ってコンビばっかだね」

 

 後方支援の兎が言う。

 電波を介せず敵を索敵するレーダーは、鈴仙の能力により普通の連絡手段が断絶された迷いの竹林において最大のアドバンテージである。

 察知するのは生物から発せられる穢れそのものだった。月の使者には殆ど無力だが、地上の者たちには面白いほど引っかかる。

 

「今度こそ八雲紫かな。鈴仙経由で現地の連中に繋いでくれる?」

「いえっさー!」

 

 永遠亭で陣取る鈴仙へ特殊な信号を送り、てゐと現地の部隊を結ぶ地域のみ磁場を安定させる。手間はかかるが仕方のないことだ。

 通信機からは微かな声が漏れだす。極限まで息を潜めているようだった。

 

「侵入者の詳細を寄越して」

『巫女と狐の二人組です。多分こっちにはもう気づいてると思う』

 

 てゐは眉を顰めた。

 そろそろ紫直々に乗り込んでくる頃だと思っていたが、現れたのは彼女の二枚両刀。

 戦力の逐次投入は愚策……戦術の常ではあるけれど、八雲紫ならばその愚策すらも奇策、そして上策へと昇華させ得る可能性がある。

 いや、てゐがいる限りそのようなことが実現することはあり得ないのだが、それでも警戒を緩めることはできない。相手はあの月を相手取った賢者だ。

 

 幻想郷最強の人間である博麗霊夢と、幻想郷最強の妖獣である八雲藍。

 この二人が手を組んだのなら対抗できる勢力はほぼ無いに等しいだろう。ただ彼女たちにとって()()だったのは、相手がてゐであったこと。

 

「吸血鬼に魔法使いに八雲の犬……錚々たる顔ぶれだけど各個撃破してしまえばさしたる脅威にはならないよ。兵は神速を尊ぶ、私に続け」

「「「おおおっ!!」」」

 

 

 

 

 

 二人の呼吸がシンクロする。何度か後方を見遣り、追っ手がいないことを確認して一息ついた。

 脱力して勢いよく尻餅をついた魔理沙は、悔しげに呻いた。

 

「ちくしょお……あんな連中にすら勝てないのかよ私はっ……!」

「嘆きたいなら後で好きなだけ泣けばいい。腕が治るまでどのくらいかかる?」

「……30秒」

「十分よ」

 

 星魔法や殲滅魔法を得意とする魔理沙であるが、一応基本的な魔術の基礎はしっかりとモノにしている。今にまで続く長年の修行の賜物だった。

 だがあくまで『基礎』なのであって、アリスやパチュリーであればこの程度の傷なら物の数秒で完治させたはずだろう。

 

 魔理沙は焦ったように腕を凝視する。いっそ自分が人間であることすら恨めしく思った。

 

「変わったわね魔理沙」

「あん? そりゃどういう───」

「弱くなったって言ってるのよ」

 

 その言葉に心を締め付けられる。全盛期の魔理沙を体験しているアリスだからこそ言える事なのだと、よく分かっているから。

 紫擬きや霖之助にも言われた。そしてこの状況でアリスからも。

 

「貴女と初めて戦った時、自信に溢れていたわ。手に入らぬものなどがないって感じで、明日を信じる風貌(かお)──」

「……」

「夢から覚めたのかしら? 虚飾、虚勢、傲慢、不遜、尊大、自暴───時が経つにつれて死んでいく瞳。見てられないわ」

 

 治癒が遅れて腕から血が滴る。

 魔理沙は地面に手を叩きつけた。

 

「私にどうしろってんだ。お前らとは違うんだ……霊夢とは違うんだよ。これ以上、人間のままでどう強くなればいい? 才能も能力もない私にどうしろと。私には、分からん……」

 

 隠し持っていた劣等感だった。

 紅霧異変は絶好調であったと思っている。忌まわしい記憶を脳の隅へ追いやって、無理やり強い魔法使いを演じ続けた。博麗霊夢と肩を並べる事のできる存在だと、そう願って。

 だがその実、表面には出さなかったが同じ『人間』というカテゴリーに属する咲夜の存在には、いくらか思うところがあった。

 

 春雪異変で思い出した。あの紫との間にあった絶対的な力の隔たり。自分の心に潜んでいた強い負の念をあの紫は抉り出した。絶望と迷走の中で、ついには師との約束を破りかけた。

 それが怖くて、最後には霊夢に丸投げ。そして霊夢は紫を打倒せしめた。

 

 先の異変では何もできなかった。萃香に圧倒され分身の一人に叩きのめされた。一方で霊夢は自らの迷いと重荷を振り切って格の違いを見せつけた。

 事前に霊夢へアドバイスを送っていただけに、その復活はとても嬉しかったし、自分との違いをありありと見せつけられる結果になった。

 

 弱い。

 霧雨魔理沙は弱いのだ。

 

 博麗霊夢と肩を並べる霧雨魔理沙は、今にも崩れ去ろうとしている。

 努力が結果に繋がると信じ続けた純朴な霧雨魔理沙は、既に死んでしまった。

 強い霧雨魔理沙は、最初から存在しない。

 

 

 もう限界だ。

 目を逸らして忘れることはできない。

 

 

「人間を辞めないのは貴女の意思だったかしら? 私にはどうもそのあたりが曖昧でね」

「……私は人間を辞めたくない」

「で、貴女の大好きなお師匠さんは何って言ったの。あいつなら人間を辞めることなんて躊躇しないでしょうね。現に人間じゃないし。あいつのことだから『お前も魔女になれー!』なんて言いそうなもんだけど」

 

 魔理沙は力なく首を振った。

 

「逆だぜ。魅魔様はそれで私を……」

「ふーん、魔女になろうとしたのね。それでどういうわけか魅魔の怒りを買って棄てられた、と」

 

 アリスの言葉に思わず睨んだ。しかし言い返す言葉はなくて、魔理沙はさらに消沈した。

 これ以上鬱になられても仕方ないと、人形を操作して魔理沙を立たせる。そして景気のいいビンタを1発頬へと叩き込んだ。

 

 ぐるりと一回転して背中から落ちた。

 

「いってぇ! 何すんだこの野郎!」

「私が今の魔理沙みたいにウジウジしてたら、貴女はどうする? こうやって張り手の一つや二つはしてくれるんでしょう?」

「そ、そりゃあ……」

「まあ単純にイラついたってのもあるわね。いつも馬鹿みたいなことばっかしてる癖になに一丁前に悩んでるのよ。気持ち悪い」

「さんざん言うのなお前」

 

 だがアリスのおかげで気を取り直した。

 ここは異変の首謀者の本拠地。しかも自分たちを一時退かせるほどの妖怪の組織が存在する場所だ。気を抜いていいはずがない。

 嘆きたいなら後で泣け。アリスの言う通りだ。

 

 下っ端の兎に負けました。そしてそれが悔しくてずっと落ち込んでました。

 ……それこそ本当の笑い者。

 

「すまん、情けないところ見せたな。二度とあんなヘマはしない……異変解決続行といこう」

「それでいいのよ。ほら敵さんの準備も整ったみたいよ? 丁寧に囲んでくれちゃって」

 

 機を見計らっているのか、竹林に身を隠しながらこちらを見張っている気配を感じる。

 アリスと背中合わせに構えながら360度どこからでも対応できるように神経を尖らせる。敵のあまりの連携に魔理沙は舌を捲いた。

 人海を基点としてた連携戦術はアリスの得意とする分野である。しかしよもや妖怪がそれを上回るチームワークを発揮するとは驚きだ。

 

「魔理沙。暴発の危険がある魔法は避けて戦うわよ。どうもひっかかるわ」

「言われなくても、だ。あんま性分には合わないが仕方ないな」

 

 雑魚と侮ることはあまりにも危険。身をもってそれを体験したばかりの魔理沙に慢心はもうない。

 此処が霧雨魔理沙のラストボーダーだと位置付けたからには、敗北は許されないのだ。

 

「やるぞアリス。背水の陣だぜ」

「私たち二人で陣なのか」

 

 そもそも背後も囲まれているので背水でもなかったりするのはご愛嬌。

 

「……逃げないね。兎の恐ろしさが分からなかった? 人間ってここまで阿保だったっけ」

「人間は阿保だよ。兎の足元にも及ばない」

「劣等種は駆逐だぁ!」

「駆逐っ! 駆逐っ!」

 

 この妖怪兎たちは元々人に飼われていた。明治期に流行ったペット兎というヤツだ。

 しかし文明開化の波に呑まれ大半は捨てられ、或いは食用に転用されたりと散々な目にあった。故に人間への怨みは錚々たるものである。

 マグネトロン空官砲を八方より容赦なく向ける。彼女たちにてゐのような慈悲の心は無い。

 

 そして、引き金が引かれる。

 

 その瞬間だった。

 

『退避ーッ! 全員退避ーッ!』

 

 兎たちの無線から音割れする声が響く。それは魔理沙とアリスにも聞こえるほどの大きさで、至近距離から直に声を受けた兎たちは顔を顰めた。

 後方支援の部隊からだった。

 

「うっさいよ良いところで!」

『すぐそっから離れろぉ! めちゃくちゃヤバイのがきてるって!』

「ヤバイのだって? てゐ様の加護がある限り私たちは無敵よ! 恐るるに足らんわ!」

『莫迦め! なら勝手にしろこっちはもう知らん! 私たちは退がるから!』

 

 ブツ、と不快な切断音。

 そして静寂が取り戻され、心地悪い空間が形成された。ぶつかり合うはずだった闘気が所在無さげに霧散していくのをアリスは感じた。

 

 だが、事の異常性は全員に伝わっていた。なんらかの嫌な予感が脳裏をよぎる。

 笹のはためく音と、蠢々とした不快音。

 

 

 近づいている。

 着実に。

 

「ひ──ひいやぁぁ!?」

 

 ちょうど魔理沙たちと向かい合っていた兎が悲鳴をあげる。そして武器を放って逃げ出した。

 敵前逃亡は重罪である。だが、兎たちはその同胞を責める気にはなれなかった。

 一羽の逃走を皮切りに部隊は潰走した。

 

 一方、魔理沙とアリスは目を見開く。

 魔理沙に至っては呆れかえっていた。それと同時に背筋を伝う冷汗を感じる。

 

 

 這い寄る渾沌。滲み出る妖気。

 暗闇の化身が顕現し、辺りを漆黒へ染め落とす。闊歩するは妖々たる顔触れ。

 怪異そのものが練り歩く、そんな光景。

 幻想郷でも滅多に見る事はできないであろう妖怪たちの真の悍ましさ。

 

 古世を想起させるアレらを表現する言葉を当てるなら───的確なものがある。

 

 百鬼夜行──【妖々跋扈】

 

 

 




「ハウディー♪ 八雲紫よ。
突然だけど土下座って便利よね。だって簡単お手軽に最上級の謝罪と謙りを示すことができるんだから。尊厳? 知らない子ですね。
ふふ、私の土下座が火を吹けばタダじゃ終わらないわ。まさに最終兵器(リーサルウェポン)
今回の件についてはやりすぎちゃったような気もするけど……まああれよ!過ぎたるは猶及ばざるが如しってヤツ! え、意味が違う?

あっ、あと何かよく分からないけど私が13位らしいじゃない? 真上に憎たらしい天人が乗っかってるのは気に入らないけど、嬉しいものですわ」


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朽葉色の決意

 決戦の舞台、迷いの竹林。

 幻想郷のほぼ中央に位置する人間の里から見て、妖怪の山とは正反対に存在する広大な竹林。

 

 この竹林では単調な風景と深い霧、地面の僅かな傾斜で斜めに成長している竹等によって方向感覚を狂わされるという。

 また、竹の成長が著しい為すぐに景色が変わり、目印となる物も少ないので、一度入ると余程の強運でない限り抜け出せない。

 さらには肉食獣や妖怪が多数生息しており、危険この上ない場所なのである。

 

 ここまでが藍の報告にあった迷いの竹林に関する情報。私はこの身でそのナチュラルトラップを体験したことはあまりなかった。

 ていうか一回しか足を踏み入れたことがなかったのだ。それも相当昔に。

 

 つまり、私の眼の前に広がる光景はどこか懐かしくもあり、恐ろしくもある。

 二度と踏み入ることはないと、そう思ってたんだけどねぇ。妖生どちらに転ぶか分からないものだ。

 

 超高速で繰り返される殺風景な空間に飽き飽きしながら周囲を見回す。

 現在、私たち暫定幻想郷連合は迷いの竹林を絶賛爆進中であった。

 道塞ぐ兎たちを蹴散らしながら勢いのままに進み続ける。行き当たりばったりだ。

 私を中央に構築された陣には一遍の隙間もない。闇に覆われ、霧に覆われ、蟲が群がり、妖怪が大挙する。詰まる所、逃げ場がない……。

 

「いやーいつぞやかを思い出すなぁ。今となっちゃいい思い出だよね」

「そんなことないわ」

「……そうかね」

「もちろん」

 

 残念そうにしょげる萃香。悪いけどお世辞を言う余裕がないのよね、ごめんね。

 萃香の言う『いつぞやか』とは吸血鬼異変のことだろう。確かに、この状況はあの時と似ている。

 違うのは規模と対価と集合場所かな?

 

 

 と、私の視界に黒い影が映りこんで背後に気配を感じる。後ろを振り向いたが誰もおらず、首を傾げながら前に向き直ると案の定ヤツが居た。

 

「それでは紫さん! 此度の異変ですが大変興味深い展開になってますね! この一大決心に至った理由をお聞かせ願えますか?」

 

 屈みこんで私を上目遣いで見上げる。

 

「管理者として幻想郷の平和を願っての行動じゃダメなのかしら」

「面白みに欠けますねー。まあそのあたりはいいでしょう。私が一番聞きたいのはズバリ! この中において特に気になる妖怪をどうぞ!」

「目の前の烏天狗」

「ほう! お目が高い!」

 

 なんで貴女が居るんですかね。

 疾風の捏造新聞記者こと射命丸文が現れた! あー……霊夢からパパラッチ撃退結界のスペルカード貰っておけばよかったわ。

 彼女の所属は言わずもがな妖怪の山。この状況においてこの場に居てはいけないはずの立場でしょうに……フリーダムすぎる。

 

「目の前の烏天狗は今回の戦闘においてはあまり役に立たないそうです。その代わりたくさんの情報を頂こうと考えているみたいですね」

「厚かましい天狗ね」

「マスコミの権利ですよ」

 

 早急にお引き取りいただきたいのだが、素直に言うことを聞いてくれるような妖怪でもなし。うわぁ、めっちゃくちゃ面倒くさ!

 文の元上司である萃香に視線で訴えた。「すぐにこいつを追い返せ!」と。

 だが萃香は私の肩にポンッと手を置いた。

 

「まあまあいいじゃないか。宴は人が多いほど楽しいもんだ、薄汚れたマスゴミにも異変を楽しむ権利はあるさ。それに文はわざわざ天魔と内通するような妖怪じゃないしね」

「流石は”元”鬼の四天王の萃香様、分かっていらっしゃるー。器が違いますね!」

 

 あーもういいや。文に真面目に突っかかるのは正直疲れる。邪魔しなければそれでいいや。

 それに口が達者な彼女ならこの持て余した暇つぶしの相手になってくれるだろう。

 

「おっアヤじゃん! お前も一緒に来るの?」

「これはチルノさんお久しぶりですね。今日は同行取材といかせてもらってますよ」

 

 近づいてきたチルノに文が応対する。そのよく響く大きな声に気付いたのか、周りを飛んでいた面々まで近寄ってきた。

 

「同志! 同志じゃないの! ついに焼き鳥撲滅計画の算段が立ったわよ!」

「それは喜ばしい報告ですねミスティアさん。後ほど詳しい話をお聞かせください」

「あらブン屋さんこんにちわ。この前はどうも」

「これはこれはわかさぎ姫さん。まさか貴女と竹林で会うことになるとは思いもしませんでしたよ。ああ、このまえのインタビューは只今編集中ですので、楽しみに待っててくださいね」

 

 文は幻想郷に最も近い天狗とも呼ばれる異端の烏天狗。閉鎖的な天狗社会の表の顔として、幻想郷中にその異名を轟かせている。まあ簡単かつ極端に言えば天狗=射命丸文って感じね。

 色んな意味で人気者だ。

 

「今回もお山の許可は取ってないでしょ? はは、お前も悪よのぉ」

「いえいえにとりさんには及びませんよ。聞きましたよ? 賢者会議でやらかしたそうじゃないですか。私にはあんなこと到底できませんねー」

 

 にとりと文の邪悪な笑みがシンクロする。

 ああ、分かるわ天魔。貴女の苦労が手に取るように分かる……! 妖怪の山情勢は複雑怪奇。

 

 と、一通り挨拶を済ませた文が私に向き直る。どこか感心したような様子で。

 

「それにしてもすごいメンツですね。相手が相手なので仕方ないのかもしれませんが、それでもこれは些か目を見張るものがあります」

 

 うん。その事については私も思ってる。

 張り切って集めすぎちゃったかなーって。

 

 

 集合場所は博麗神社。霊夢には悪いけど知名度や場所柄的には集合場所にうってつけだった。マヨヒガでもよかったんだけど、それじゃ辿り着けないヤツがいるかもしれないことを考慮した。

 

 主な募集方法は4通り。

 一つは橙による勧誘。得意の機動力で幻想郷を飛び回ってもらったわ。橙って友達が多いからね、誘う先数多なのよ。羨ましい。

 一つはルーミアによる勧誘。闇からの無差別勧誘ならば相当数の妖怪にこの募集が伝わると踏んでいた。ちなみになんだかんだでルーミアという妖怪には友達が多いのだ! 妬ましい。

 一つは私による勧誘。適当に力を持ってるヤツや話に乗ってくれそうなヤツに声を掛けてみた。しかし実際に乗ってくれたのはかなり少数だった。寂しい。

 最後に萃香による強制勧誘。能力で集める、以上! ホント便利な能力よ。境界を操るとかいう意味不な能力よりも断然!

 

 そうして幻想郷各地から猛者が集まった。

 渦巻く思惑は一枚岩ではない。中には本気で私に力を貸してくれようとしているヤツもいるかもしれないし、利用することしか考えていないヤツもいるだろう。もしかしたら因幡てゐへの内通者がいることも容易に考えられる。

 

 ぶっちゃけどうでもいい。

 連中がどんな腹積りでいようが関係ない。何が何でも全員協力してもらうわ。

 

 

「たいへんな曲者揃い……こんな短期間でよくここまでの人数を用意できましたね」

「スピードと手数は足りてますわ。真の問題は彼女たちを動かす為の”対価”だった」

「対価ですか、なるほど。例えばどのようなものかお聞かせ願えますか?」

 

「そうねぇ……例えば───」

 

 

 

 リグル・ナイトバグとミスティア・ローレライはなんだかんだでいつも集合に応じてくれる気のいい妖怪だ。凶悪だけども!

 なおこの二人との交渉内容だが……。

 

『虫の地位を鳥よりも上にして! ついでに外国からも虫が入ってこれるようにお願い』

 

『鳥の地位を獣よりも上にして! あと悪しき焼き鳥文化の撲滅をっ!』

 

 と、各方面に煩そうなものだった。普段の私ならにべもなく断る案件であるが、今日の私は一味違う。快く二人の要求を受け入れた。

 その場しのぎの回答になってしまうが、今はそれよりも大切なことがある。

 

 次にチルノ。この子に関してはいい思い出がない……ちょっと前に氷漬けにされたばっかだし。だけど話の乗せ易さは幻想郷一である。ついでに大妖精も付いてくるしで一石二鳥!

 要求については「あたいが最強だと認めろ!」という至極わかりやすいものだったので即答でオッケーした。なお大妖精は謙虚だった。

 付け加えると今回、レティ・ホワイトロックは見当たらなかったので選考外である。居てくれれば心強い存在だっただろうだけに残念ね。

 

 プリズムリバー楽団にも声を掛けた。この騒霊たちったらまだ白玉楼の前で喧嘩してたのよ。このまま放置しておくのも勿体無いので回収しておいた。

 彼女たちの要求は『館の改修』と『人里での定期ライブを約束すること』である。

 そこらへんについては阿求と色々打ち合わせして決めなきゃなんない内容だけど、今は時間がないので独断でオッケーさせてもらった。

 阿求は優しいから土下座でもすれば許してくれるんじゃないかな、と甘い観測を抱いている。キレられたらそれまでだけどね。

 

 

 

「とまあ、彼女たちにはそのように」

「……えーっと。いいんですか?」

 

 困惑気味の文はレアである。確かに彼女の言いたいことは分かるわ。

 だって相手の言うがままに要求を呑んでいるんですもの。知る人からすれば「こいつぁ酷えや」って感じなんでしょう。

 

 ついでに付け加えるならこれはまだまだ序の口である。

 

「まだ酷いのがあるわよ。賢者にしろっていう要求なんかもあったし、博麗神社の一画を譲渡しろなんてのもあるわ。酷いのじゃ禁輸指定の原材料を自分たちへ極秘に密輸しろとか」

「えぇ……。しかも最後のって絶対河童じゃないですか。制裁決議って紫さんが主導したものですよねぇ……? 腐ってるなぁ」

「話し合いで解決できる妖怪は貴重さ。盟友の盟友は賢い選択肢を選んだよ」

 

 カラカラと笑うにとりとは反対に、私は内心げっそりだった。理由は言わずもがな。

 

 どうでしょうかね。ぶっちゃけると後悔がどんどん押し寄せてきてるのよね。これ異変の後は賢者辞任待ったなしだと思うわ……。

 まあ、その代わりてゐは道連れにしていくけどね。藍とおっきーなと阿求が力を合わせれば幻想郷を無事に運営できるだろう。将来安泰だ。

 天魔に関しちゃ知らん。迷惑かけなきゃそれでいいわ。華扇は……うーん、どうかしら?

 

 ……実は賢者をやっと辞めることができそうでホッとしてるなんて思ってない。決して思ってなんかないんだからね! 多分きっと!

 私、賢者を引退したら橙と一緒にマヨヒガで余生をゆっくり過ごすんだ。

 

 

 あ、忘れてた。

 スキマから携帯電話を取り出す。

 

「おや、はた──同僚が使ってるモノと同機種ですね。紫さんもそんな物好きしか使わないような骨董品を使うのですか」

「おいおい天狗の旦那。この機種を旧型呼ばわりしちゃいけないよ。なんたって河童の叡智の全てが結集されているんだからね。まあ、はたてのは間違いなく旧型の化石だけどさ」

 

 てか私は普通のガラケーを注文したはずなんだけどなぁ。おかしいなぁ。意味のわからない変な機能が多いなって思ったら……。

 取り敢えず突っ込んでたら何もできないし、山の連中は無視しましょう。

 別行動中の橙に連絡を入れないとね。

 

『おかけになった電話番号は───』

 

 そして繋がらない。使われていないってことは無いだろうから、電波の届かない所にいるんでしょうね。もちろん私が。

 にとりに視線を向けると、困ったように肩を竦めた。

 どうやらこうなる事は最初から分かっていたようだ。

 

「そう、ここら一帯の磁場が何者かによって意図的に乱されている。おかげで本部と通信が取れなくて私たちも困ってるのさ。こんな竹林で通信機器が使えないんじゃ孤立に遭難は必至……こりゃ敵さんの巧妙な罠だ」

「はは、いざとなったら私が竹林を消滅させてやるよ。遮蔽物がなければ簡単に進めるだろ?」

「「ひぇ……」」

 

 こんな発想がポンと出てくるあたりやっぱり鬼って頭おかしいわ。にとりと文までドン引きじゃないの……。そういや彼女らは鬼の恐ろしさを骨の髄まで味わってるんだっけ。

 いやー妖怪の山って地獄だわ。

 

 と、話がずれちゃった。橙と連絡が取れないのは困るわねぇ。あっちの進展具合が把握できないし、後から合流する予定が狂ってしまう。

 匂いを辿っての合流とかあの子にできるかしら? 藍なら無条件でなんとかしてくれるって思えるんだけど、橙はまだ抜けてるところがあるから。

 

 

「……?」

 

 不意に悲鳴が響いた。

 そして河童の一団が慌ただしく動き出す。

 

「前方に兎の一団を発見。戦闘準備を……っと、戦意はないようで散り散りになっています! ……あれ、二人組が残ってますね」

「了解。──というわけだが、どうする大将?」

 

 暗視ゴーグルを着用した河童の報告を受けたにとりが私を見やる。指示を仰いでいるのだろうか?

 大将って、なんか落ち着かない響きだわ……!

 

 それにしても二人組か。これはもしかすると? もしかしちゃうと? 早速ながら霊夢と藍に合流できたんじゃないの?

 

 

 ところがどっこい。運命の女神様はそんなヌルゲーはお求めになられていないようで、二人組は霊夢と藍ではなかった。

 ぐぬぬ……さすがに話が良すぎたようだ。

 

 だがだが、この二人に出会えたのは嬉しい。彼女たちなら間違いなく強大な戦力になってくれるはずだ。

 金髪魔法使いコンビの登場に私は笑みを抑えることができなかった。

 

 私の脳内では因幡てゐを倒して幻想郷に凱旋する華やかな未来図が既に輝いていた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 藍さまの式になってから、どれだけの月日が経っただろう? 最初のうちは数えてたんだけど、いつからか数え忘れちゃった。

 けど年月なんて意味ないの。だってこれから先もこの関係が変わる事は決してないんだから。

 あの日、私には二人の主人が生まれた。何にも変えることのできない大切な存在。

 

 強くてカッコよくて、頭が良くて優しくて。大好きな自慢のご主人様。

 二人とも稀に厳しい時もあるけど、私は全然辛くない。だって私が不甲斐ないからだもん。逆に二人の気苦労になっている事が悔しかった。

 実力も実績も無い自分に与えられた八雲の式という『大業』は、私自身における一番の誇り。勿論、身の丈に合わない仕事に何度も打ちのめされた。職務を全うできない自分が恨めしかった。

 

 だけど、私は折れたりなんかしない。劣等感に決して負けるもんか。

 

 藍さまと約束したんだ。

「紫様が誇れるような式になろう」って。「二人で一緒に頑張っていこう」って、誓い合った。

 それだけじゃない。私は決めた。藍さまを超える最強の式神になるという、遠くて険しくて……手を掛けるのも烏滸がましいような藍さまの背中の、さらにその先を追い求めようと。

 

 私は知ってる。

 藍さまはとても悔しかったんだ。私なんかよりも、ずっと、ずっと……。

 春雪異変の後、藍さまは私のことをたくさん褒めてくれた。そして八雲の式を完全に辞めてしまおうとした。紫さまの必要になれない式なんか存在する理由がないって毎日嘆いていた。

 紫さまの居ない所で何度も血を吐きながら、自分を追い詰め続けていた。

 

 泣きたかった。藍さまが壊れてしまいそうで、何処か遠い所にいっちゃいそうで。

 けどこれが藍さまの覚悟。八雲の式であり続けるための揺るぎなき決意なんだろう。

 なら私は支えよう。藍さまと、紫さまと、ずっと一緒に居られるように。

 

 二人は完璧じゃない。

 藍さまは自分に未熟な部分が有るのを承知しているから、更に自分を追い詰める。

 紫さまは一見完全無欠に見える。だけど、一人の時にとても哀しい目をされる事がある。病気で倒れた時は、私の目にも弱々しくて、触っただけでも崩れてしまいそうな。

 

 二人とも無理をしてるんだと思う。私の知らない所でたくさんの事が起きていて、それを知る由もない私に二人は笑顔を向けてくれてる。

 

 それじゃダメだよ。

 私はあの二人が抱える全てを支えなきゃなんないんだから。三人がずっと一緒に居るためには、誰よりも私が頑張らなきゃね。

 烏滸がましいのは重々承知してる。

 だけど目指すくらいなら藍さまだって許してくれるはずだ。

 

 だから───。

 

 だから!

 こんなところで……!

 

 

「諦めろ。今宵、この場所に人里なんてものは存在しなかった。それが結果だ。お前がいくら食いつこうと紡がれてきた歴史が裏返る事など決して有りはしないんだ」

「そんなはず無い! ここには人間たちが住んでいた! ちゃんと記憶してる!」

 

 慧音は呆れたかのように肩を竦めた。まるでとんでもないバカを見るかのように私を見下す。

 

「偽りの記憶だ。よく思い返してみればいい……さあ、ここに人は住んでいるのか?」

「それは……」

 

 言い返せない。私の記憶に歴史が全てを否定している。私の矛盾を責め立てる。

 だけど凄まじい違和感を感じるの。矛盾を矛盾で覆い隠す、そんな悪意が。

 

 慧音が何かしている事は確定的に明らかだ。

 

「隠さないで! 私には分かるんだもん……ここに存在していたであろう何かが!」

「……そうか。話しても無駄か」

 

 雰囲気が一変する。

 

 

「流石は八雲紫の部下、 部分的にとはいえ私の能力を一部看破したか。いや、それとも長い時間を生きる妖怪だからこその結果と言えるのかもね」

「やっぱり隠してたんだ。……思い出してきたわ。人里は確かにここにあった。そしてそれを消すことができる能力の存在も!」

「そう、私だ。人里は私が隠した」

 

 打って変わって私の言葉をあっさり認めた。だが状況は何一つ好転していない。

 慧音は間違いなく私に……八雲に敵意を抱いている。つまりただでは人里に辿り着かせないという言葉不要の圧力か。

 

 そして私は閉じ込められた。マヨヒガで暮らしている私には馴染み深い感覚だった。別の空間に移される《あの感じ》だ。

 周りの風景は全く変化していないが、それら全てが偽りの中にあるのを感じる。

 

 慧音は自分ごと私をおかしな異空間に転移させたのか。……厄介かもしれない。

 強い妖怪はまず始めに相手を『自分の空間』に閉じ込めようとする……そう藍さまから教わった。用途や目的は妖怪それぞれだけど、相手によってはそれで勝敗が決定することだってある。

 

「なんで私の邪魔を? 慧音も阿求も、紫さまとは仲が良かったんじゃないの!?」

「仲が良いかどうかは別として、今宵の情勢は交友事情なんかで融通を利かせることができるようなものではない。妖怪は誰であろうと決して人里には入れない。勿論、お前もだよ橙」

「小傘たちはどうなの? 人里にだって少数だけど妖怪が住んでいるんじゃ……」

「そうだな。その間、彼女たちの自由は殆ど奪わせてもらっている。間違っても内側から私の術を破るような真似をされないように」

 

 いつもの慧音とは全然違う。慧音は言わずもがな人間側の存在ではあるが、ここまで常日頃から妖怪を敵視するような人じゃない。

 メリハリというにはあまりにも出来すぎてる。

 

 どうしよう……。

 紫さまからの命令を遂行するためには人里のみんなに会わなきゃなんないのに……。

 

 

 博麗神社で見た紫さまの決意を無駄にすることだけは私自身が許さない。

 紫さまはみんなの協力を得るために地に膝をついた。妖怪としての矜持や建前を投げ打ってでも藍さまと霊夢の為に動いている。

 

『橙。貴女は人里で協力を得てちょうだい。そしてさっきと同じ手順で私に付いて来てくれる妖怪の一団を組織して、迷いの竹林で私と合流しましょう』

 

 紫さまは両肩に手を置いて、透き通るように綺麗な瞳で私を見つめてくれた。

 アレは、間違いなく期待の眼差しだった。

 

『橙にはたくさんお世話になってきたわね。何時も私の言うことを聞いてくれてありがとう。……多分、今回はその中でも特に大切で重要なお願いになるわ。貴女が作戦のキーよ』

 

 紫さまは私を胸元に抱き寄せてくれた。

 

『私とあなたで……藍を助けましょう』

 

 

 

 だから!

 こんなところで燻っている場合じゃないんだ!

 私の大きな願いを叶える為に。……そして何より、私は紫さまの式の式である為に! 与えられた命令は必ず遂行してみせる!

 

「私を人里に通す気は絶対ないんだ」

「……そう決めたからな。勉強しただろう? 妖怪と人間は元来親しく交わるはずのなかった因果関係にある。両者が敵対してきた歴史があるからこそ、こうして幻想郷が存在し、さらに人里が存在する理由たり得るんだ。真の信頼など築けるはずが───」

「そんなの、紫さまには何の関係もない!」

 

 力強く一歩を踏み出した。

 妖力を身体中に張り巡らせて、重点的に四肢へと集約させる。そして慧音の首へ爪の照準を定めた。

 私のスピードなら慧音が認知するよりも早く彼女の首を掻っ切ることができる。つまり、ここまでの行動は一貫して慧音への脅しだった。

 

 対して、慧音は此方を厳しく睨むとその身から若干の霊力を漂わせた。

 

「お前の立場は理解したわ。だけど、お前の言う事がどれだけ筋が通っていようと紫さまの邪魔になるのなら……私は容赦しない。通せんぼするなら無理やり押し通るよ! 命があるとは思うな!」

「若輩者の化け猫め。ご主人様の躾が足りなかったみたいだな」

 

 慧音の目が据わった。それはすなわち、私への攻撃を決意した無意識のシグナル。

 それと同時に地を蹴り、迷いなく首筋へ腕を振り抜いた。交差はほんの一瞬で、私の目的は既に達成された。私の式に『害意を感じるとともに攻撃を開始する』ようにプログラムされていた、ただそれだけの行動。

 攻撃に転ずるまでに介する無駄を極限まで省いた技だった。それは無意識行動よりも遥かに効率的で、とても強い。初撃必殺だ。

 

 生死を確かめるべく振り返る。そこには先ほどと変わらぬ様子で地面に突っ立っている慧音の姿があった。

 

 首に傷は、無い……!

 

 冷酷な流し目だった。

 

「正直見くびっていたよ。紫や藍の後ろを付いて行くことしかできない化け猫だとばかり思っていた。もし仕込みが無ければ私は間違いなく殺されていた」

「そんな……っ!」

 

 振り向きざまに放たれる鋭利な群弾幕。油断していた私には十分な不意打ちだった。

 結界は間に合わない! なら、せめてガードを──。

 

 が、駄目。

 私には腕が()()()()()()()

 

「う、ぎゃぁ!?」

 

 妖術による硬質化がギリギリで間に合ったものの、弾幕が身体の中程まで貫いたのを感じる。余りの痛みにたたらを踏んで倒れた。

 痛い、痛いよぉ藍さま……。

 

「お前と私を歴史から隠した際に細工させてもらった。いつから腕があるものと錯覚していた」

 

 そうだ。私は一度も腕を意識できなかった! 最初から存在しないものとして扱っていたんだ。

 腕の存在を強く感じると程なくして何も無いところから腕が徐々に具現化していく。

 能力を破りつつあるんだ!

 

「どうやら私の能力は強い妖怪には通用しないようでな、コレは普段使わない戦法だ。まあ、お前程度ならどうということは無い。──さあ、ゆっくりする暇は無いぞ」

 

 宣言に合わせて慧音の周囲が眩く発光する。やがて光が収束しエネルギーとして確立された。おぞましい数のレーザーが私に照準を合わせている。

 対処は容易い。だけど、慧音の能力下にあるこの状況じゃ話は別になる。

 

 全てを疑わなきゃならないわ。自分の記憶すらも、もはや信用できない。

 

 気をしっかり持て! 私は八雲の式だ!

 

 決意と覚悟を見失うな!

 紫さま、もう少しだけ待っててください。すぐに向かいますから!

 

 

 




藍染つよい。関係無いですがね。

実は賢者に対してあまり良い感情を抱いていない慧音先生。今回は(月停止)異変の首謀者が紫であることを知っていたため橙はNG

なんか豊臣秀吉の中国大返しを思い出すゆかりんの進軍。かなり行き当たりばったり
今回話に加わっていないだけでまだ人数がいたりします。どんだけてゐのことを怖がっているのか、分かっていただけたかな?

リグル→虫の地位向上・外国産の輸入
ミスティア→鳥の地位向上・焼き鳥撲滅
ルーミア→三食保証
チルノ→最強の証
大妖精→なし
プリズムリバー→館の修復・定期公演
わかさぎ姫→???
???→賢者就任
???→博麗神社の一画
にとり→密輸
萃香→ご察し


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竹林は燃えているか*

 夢の様な、奇妙な時間だった。

 

 何時もと変わらない竹林なんだけど、あの時ばかりは何故か見知らぬ土地に居るような異質の孤独感があった。

 寂しくてまるで暗闇の海に突き落とされたような、そんな錯覚を感じた。

 

 元々私は孤独だ。もはやそんなことを意識するのは滅多に無くなったし、これが私の罪の形なんだろうと全てを受け入れることにした。

 なのに、変だ。

 数百年ぶりに日の目を見た私の感情が、妙に昂ぶっていた。普段なにが起きようと動じない私の心が震えていたのだ。

 

 混乱する頭を抑えながら考えた。こんなことになってしまっている大元の理由は何なのかと。

 

 ……明白だった。

 目の前の女だ。

 成長が止まってしまった私の身体よりも少しだけ大きい、見たことのない少女。

 月に溶け込む姿は、浮世と現世の狭間を思わせた。

 

 私は彼女に「お前は何の妖怪だ?」と尋ねた。

 すると彼女は肩を震わせるほど大きな笑い声を上げて、私の言葉を一蹴したのだ。

 おかしな事を言った覚えはない。笑われる筋合いなんてあるはずがないよ。

 

 少しして彼女は語った。どうも私を嘲笑っていたのではなく、自分の置かれた状況が心底面白くてたまらない、といった感じだったみたい。

 感触を確かめるように身体を動かす。そして月の光に手のひらを翳した。

 

『そうなのね。ありがとう、貴女のおかげで此処がどういう場所なのかよく知ることができたわ。なるほど……そういう感じなのね』

『……訳のわからん奴だな。それにしてもお前、ひょっとして人間か?』

『勿論よ。おかしな人ね、人間以外に選択肢なんてあるはずないじゃない。ていうか貴女の方が人間かどうか怪しいくらいよ』

 

 そりゃそうだって納得してしまった。

 私は一応自分のことを人間だと思っているが、周りからはその限りじゃないだろう。

 彼女の反応は大多数のそれだ。

 

 瞳の奥に見え隠れする不安もそう……私がおかしな動きをすればすぐに逃げ出せるよう心構えをしている。

 気丈なのか臆病なのかハッキリすればいいのに。

 

 ハァ……私は思っちまったんだ。

 このまま逃すのは損だって。

 久々の孤独感は堪えるものがあったんだ。今の私からすれば情けないこと極まりない選択だったと言えるが、少なくともその時の私は……な。

 

『なあ、少し話でもしないか?』

『それはとても魅力的な提案ね。だけど私には、時間が限られてると思うの。そうね……せめてあの月が降るまでには───』

『夜は始まったばかりだ。それなら少しくらい世間話に付き合ってくれ。頼むよ』

 

 彼女は困ったように愛想笑いを浮かべると、了承の意を示してくれた。

 私は嬉々として言った。

 

『ありがとな。私は藤原妹紅、このあたりで妖怪退治をしてる』

『……妖怪、ねぇ』

 

 期待と不安の入り混じるその表情。私にはどういうものなのか理解できない。

 だが同時に一つだけ分かったことがある。

 

 こいつは、憧れているんだ。

 私にとっては日常的なナニカに。

 

 

 私はそれを愛おしく。

 危険で残酷なことだと思っている。

 

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 

「……大体の経緯は把握できたわ。だけどそれでも今の状況が奇怪であることには変わりないわね。全く納得ができない」

「貴女だけじゃないわ。私としても───……なんっていうか、ねえ?」

「はぁ……此処に来て紫の本性がやっと垣間見えた気がするわ」

 

 アリスは気怠げに頭を抑える。紫のことを他の者たちより”ほんの少しだけ”知っている彼女だからこその苦悩でもあった。

 しかも原因はそれだけじゃなくて。

 隣で大声を上げている『暫定パートナー』もまた、アリスの頭痛要因である。

 

「おまえ今まで雲隠れしてた癖にぬけぬけと出てきやがって! どういう魂胆だ?」

「ち、違うのです! あたいだってあんたがここ居るって分かってれば、こんな所には来てないのです! か、河童の皆さんお助けたもぉ〜!」

「盟友さー、そのくらいにしといてあげなよ」

「そーそー。里香は小心者なんだから」

 

 魔理沙に襟首掴まれて振り回されているのは、アリスも紫も見たことがない少女だった。

 茶髪の前髪ぱっつんで、赤いリボンによって結われた三つ編みがとてもチャーミング。目はとろーんとしていてどこか頼りない。

 そのため背中で靡く赤いマントが相当なギャップを生み出している。

 

「同じ釜の飯を食べた仲間じゃないですかぁ! 許してくださいなのです!」

「別に怒ってなんかないぜ。ただ手紙の一通も寄越さないで失踪してたのが気にくわんだけだ。お前……何処で何してたんだ?」

「あ、あれ……魔理沙口調変わった?」

 

 魔理沙と少女──里香は師匠を共にする仲だった。しかし二人の専攻分野は全く違っていて、師匠に学んでいた事は一つも共有していなかった。

 だがそれでも、精進を共にしてきた間柄。

 決別してよりそれなりに長い年月が経ったが、顔を忘れる事はない。

 なお里香は最初魔理沙に気付けなかったようだ。これには仕方ない部分があるにはある。

 

「あたいはいま河童の元で楽しくやっているのです。最初は色々とあたりが強かったけど、今じゃ頼れる工芸仲間なのです」

「そう、里香がウチに来てから河童のテクノロジーは大幅な進化を遂げたのさ! ただまあ……戦車製造の出費が痛いんだけどね」

 

 流石のにとりもトホホ顏。

 

 

 里香の本職は戦車技師である。といっても只の技師ではなく、魔法技術を混交する魔具製作の第一人者であった。

 しかし技術を高めると共に徐々に拗れてしまった里香は大多数の魔法使いが遵守する暗黙の方針を逆行。魔理沙たちと袂を分かった。

 

 師匠の元を出奔した当初は人里に居着く予定だった里香だが、想定外なことに人里では全くと言って戦車の供給が存在しなかったのだ。それどころか、むしろ煙たがられるまであった。

 自分の作った戦車や『バケバケ』に興味を示してくれるのはぼっち仲間の理香子や鈴奈庵のお嬢ちゃんだけ。人里にて孤立した里香は、奇行を訝しんだ自警団によってついには摘み出されてしまった。

 失意に堕ちた里香は半べそかきながら山へと隠れた。そして作り上げた戦車軍団によって幻想郷の破壊を目論んでいたその時に、にとりの手によって拾われることになったのだ。

 

 その話を聞いて魔理沙とアリスは呆れ果てた。にとりは腕を組んで何度も頷いた。そして紫は隠れていた地雷少女の出現に腹を痛めた。

 この場に来ているという事は、協力者である事の何よりの証ではあるのだが、里香という少女の人柄に紫は一抹の不安を抱くのであった。

 

「そいやお前の代名詞とも言える戦車は何処だ? アレがないと役に立たんだろう?」

「癪に触る言い方なのです……! 私とて魔術を嗜む者の端くれ、空間転送魔法くらいならお手の物なのです! あんまりあたいを舐めるな魔理沙!」

「空間転送魔法って初歩中の初歩だぜ。少なくとも私たちの師匠流ならな」

「せ、専門外なんだから仕方ない。ええい! こうなったらあたいの最新鋭戦車軍団を見て恐れ慄くがいいのです! ──……えっとぉ、もうおっぱじめちゃってもいいんですかね?」

 

 里香の視線は我らが賢者様に注がれる。

 紫は薄く笑いを浮かべると扇子で口元を隠す。そして時々所在無さげに竹を見つめたりして時を稼ぎつつ機を計っているようだった。

 

 そろそろ始まるか、と。周りが一斉に紫へと意識を集中させた。本人からすれば胃をそのまま掴まれたような感覚だろう。

 紫が一言。「始め」とだけ言えば、この妖魔の軍勢は一気呵成に竹林を蹂躙せんと動き始めるだろう。全ては紫の御心のまま。

 

 だから、中々切り出せない。

 

「───」

 

 まだ表立った戦闘は一度も起きていない。進行を中止して引き返すなら今だ。

 命じてしまえばもう後には退けない。自分が地に這い蹲るかてゐが負けを認めるか、二つに一つ。迷うことはないとばかり思っていた……しかしいざとなるとちょっと腰が引けてしまう。

 

 ヘタレな自分を叱咤しつつ周りの冷たい視線に身を縮こませた。やはり荷が重い。

 

「……やっぱりあと少し待ちましょ───」

 

「よっしゃあ一本橋いくぞォォォォッ! 全員アタイの後に続けぇぇ!!」

「一番槍だよチルノちゃん」

 

 チルノが突出した。それに続いてリグルとミスティアが「もう面倒臭いし、行こうか」と顔を見合わせて、一気に加速する、

 そして全員締まりなく勝手に進撃を開始するのであった。統率なんてあったもんじゃない。

 なんとも居た堪れない様子で立ち尽くす紫に萃香が肩を叩く。

 

「はは、ドンマイドンマイ。けどまあこんなもんでいいんじゃないかね。この光景こそ、この軍団の本質をありありと映し出したものだろ?」

「……まあ別にいいのよ。こんなこと気にしてちゃ幻想郷の賢者なんて務まりませんわ」

「あやや……」

 

「やっぱ賢者ってロクな仕事じゃねーな」なんて思いながら、萃香と文は若干同情するのだった。かつて賢者という立場に就かされそうになったこの二人だからこそ、分かる部分があったりもする。

 

 

 さて、早速バラバラに行動し始めた妖魔夜行の面々は各々が思う方向にどんどん進んでいく。当然のことながら連携とはおおよそほど遠い。

 組織として機能するのは河童の一団くらいであった。もっとも河童は河童で紫の手綱を離れて独自の作戦を立てていたが。

 

「前線は機甲師団に任せて、他は後ろに下がって待っててもらおうか。まずは敵が構築してるだろう防衛線を突破力で打ち抜くわ。ふっふっふ……電撃戦の真髄をお見せするのです」

「よっし、転送開始!」

 

 にとりの合図に合わせて二人の河童が図式の様な機械文字の描かれたシートを広げる。そして妖力エクストラクターによって抽出された妖力をパイプから妖力波としてシートに吹きかける。

 文字は妖しげに瞬き、図面から濃い妖力と魔力が噴き上がる。やがてそれらは固形化され、『二機』として迷いの竹林に爆誕した。

 

「見よっ、これがかつて博麗の巫女を窮地に陥れた戦車の改良版! 『ふらわ〜戦車EX』なのです! 人里程度なら一台で制圧できる戦闘力を秘めていると、あたいは敢えて明言します!」

「ふーん……霊夢を窮地、ねぇ?」

「魔理沙は黙って!」

 

 人里制圧……流石にそりゃ無理があるんじゃない? と紫は思ったが、確かに里香が調子に乗るほどにこの戦車は強固であることを感じ取った。

 二台に続いて河童は次々にふらわ〜戦車を召喚する。そしてそれに搭乗して本格的な侵攻を開始するのだった。

 

 なるほど、なんだか戦争っぽい。戦車が竹林を薙ぎ倒して行進する姿や、パリが燃えそうなフレーズを口ずさみたくなるほどに圧巻だ。

 てゐ側に対してかなりの圧力になるだろう。

 

「ふむ悪くないね。なんとか実戦投入まで漕ぎ着けれたのは大きな収穫だ。そんじゃ私はデータ収集に勤しむとして、指揮はどうする?」

「当然目標はただ一つ。逝くなのです……じゃなくて、征くなのです!」

 

 

 

「ねえ魔理沙。さっき里香が言ってた『霊夢を窮地に陥れた』って本当なのかしら?」

「あれなら嘘だ。二回やって二回とも完膚なきまでに叩き潰されてるぜ」

「雑魚じゃん」

 

 鬼の容赦ないツッコミに魔理沙も如何ともし難い表情で首を傾げた。

 

「里香というか、一般的な魔法使いに言えることなんだが、あいつらは奥の手を隠し持っててもそれを使おうとはしないんだよな。出すのはせいぜいその一歩手前くらいだ」

 

 全力を出して負けてしまえば、もう後はない。プライドの高い魔法使いにとって完全な”敗北”とは、死に近いと言っても過言ではないのかもしれない。

 現にアリスは”物心ついて”からは本気を出したことは一度もないし、パチュリーだってそうだ。常に全力直球の魔理沙の方がおかしい。

 もっとも里香は厳密には魔法使いではないのだが……心持ちや流儀は魔理沙よりも純粋な魔法使いに近い。故にその真髄をよく心得てる。

 

「切り札は先に見せるな。見せるならさらに奥の手を持て……ってやつだな。余程のことがなかった限り、今の里香には昔の奥の手すら常套手段に過ぎなかったりするかもしないぜ」

 

 魔法使いはせせこましいとでも言いたげな様子で肩を竦める萃香。だがその一方で紫はそれなりの共感を覚えていた。

 

 

 魔理沙の言葉は高水準での駆け引きでの話。しかしそれらの心得は弱者にとってかなり役に立つものだ。別視点からの強みと言える。

 弱者から放たれる想定外の一撃は時には天に巣食う龍すら殺してしまうことがある。世に言うジャイアントキリング。

 

 紫にとっての切り札と言えば、霊夢や藍がそれに当たるだろう。だがその二人とて万能ではなく、例えば彼女たちの手が回らなくなった時なんかには自ら戦わねばならぬ時がいずれはくるはず。

 

 今回の異変においての切り札は霊夢と藍の二人ではなく、後から此処に来てくれるだろう橙と愉快な仲間たちの方。

 そしてその裏に隠してある奥の手は───。

 

「……使わないに越したことはないわ」

 

 ───禁じ手だ。

 

 アレを使えば敵対する相手を必ず倒すことができるだろう。しかしその後、紫はこれまでにない多大な代償を払うことになる。

 

 何百年分にも及ぶ莫大な妖力と大切な財産。その二つを失わなければならない。

 

 藍と橙にだってどれほどの影響を及ぼすか分かったものではない。

 言葉通り、使わないに越したことはないのだ。

 

 だから紫は(切り札)に縋る。

 通じることのない携帯電話を握りながら。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 頭上に浮かぶ月は全く動いていない。故に詳しい時間経過を知ることはできなかったが、かなりの時間を浪費しているのは嫌でも分かった。

 

 橙は死に物狂いで猛攻をかけていた。

 何度も慧音に向かって行っては弾き飛ばされ、その度に浅くない傷を負う。

 そしてその傷に少しでも注意を向ければ、違和感なく四肢のいずれかが欠陥してしまう。恐ろしいのは自分がその欠陥に気付けないことだ。

 知らぬ間に自分のベストからは程遠い状態での戦闘を強いられてしまうのだから。

 

 戦闘用の式に行動を委ねている橙だからまだマシな方なのであって、もし生身の体だったなら勝負にすらなりはしない。

 ぱっと見派手ではないが人里の守護の為ならどんな手段も厭わない。上白沢慧音は堅実な立ち回りを好む()()だ。

 

 

「ガハッ……うぐぅぅ……! まだ、まだぁ!! 止まる、もんかァァァ!!」

「いい加減しつこいぞッ!」

 

 消えた左腕を気にする素振りもなく慧音に飛び掛かる。最初こそ橙のスピードに翻弄されかけた慧音だが、四肢の一つが欠損しバランスを崩した今の橙なら視界に捉えることなど訳もない。

 大振りに繰り出された爪の一閃を霊力のオーラで弾き返した。剣にも盾にも玉にもなる霊力操作の応用術である。

 

 地面に叩きつけられた橙だが、怯むことなく衝撃をバネに再び慧音へと挑む。

 全く以って、変わり芸のない。

 

「性懲りもなく……」

 

 またもや慧音の身体を重圧な霊力が覆い隠す。今度は先ほどよりも多めに霊力を分散し、橙へのカウンターを狙う。攻守一体の構え。

 だが橙もやられるばかりではなかった。

 橙は只の式神ではない。学習し、尚且つ際限なく成長する式神なのだ。

 

 橙の姿がブレた。

 

「ッ! これは──」

「上だよおバカさん!」

 

 ハッとし見上げる。橙は慧音の眼を振り切って頭上を回転していた。

 橙に限った話ではなく、主人である藍もそうなのだがこの二人、回転しながらの飛行が凄まじく速い。

 さらに妖力の塊である尻尾を発動機としている為、妖獣としての格を高めて大きさや数を増やせばどんどんスピードが増すというオマケ付きだ。

 

「もらっ──ッ!」

「甘い」

 

 振り下ろされた爪よりも速く慧音の霊力が橙を貫いた。が、吐き出されたのは血ではなく濃密な妖力だった。強力な呪術となって自由を奪う。

 不動陰陽縛り。

 

 突撃した橙は陽動に過ぎない。この一連の全ては慧音を欺く為の奸計だった。

 本命は()()の橙だ。

 

 咄嗟の式複写でもう一人の橙を作り出し、本体はその背後へ。そして即座に分身に跳躍させる。そうすることで慧音の注意を頭上に逸らして、自らが慧音の土手っ腹に一撃を与える算段。

 

 スピードに秀でる橙渾身の作戦。

 よって奸計は為った。

 

「これで、どうだあぁッ!!」

 

 一撃は、届き得なかった。

 慧音は手首を掴み、取り乱した様子もなく橙を見下ろす。まるで全てお見通しと言わんばかりに。

 

「そんな──っ!?」

「悪くない作戦だ。咄嗟にこれだけのことをやってのけるのは並のことじゃない」

 

 光が身体を貫いた。

 膝から崩れ落ちる。何故自分が地面に這い蹲ったのか分からないまま意識が暗転しようとしている。それを必死に橙は堪えていた。

 

「だがな、一つ補足してやろう橙。──お前のその技、受けたのは初めてではないんだ」

 

 その言葉を聞いてようやく理解した。

 またか、と。

 

「お前はさっきから()()()()()()()()()()()にすぎん。その式分身、お前にはまだまだ荷が重いだろうに馬鹿正直に繰り返していてはバテるのは当然だ」

 

 初見こそ慧音に手痛い一撃を与えることができた。

 しかし彼女は半妖。今でこそ人間としての形態を保っているがその治癒力は並大抵のものじゃない。その傷はもう視認できない程度に回復している。

 

「お前の失敗は……奥の手をひけらかすのが早すぎたこと。まあ、未熟さだな」

「そんなこと、知ってるもん……!」

「ならもう諦めるんだ。お前ほどの妖獣に手加減なんて無粋なことはできない。それに私とてお前の主人やその主人を相手どるのはごめんなんだからな」

 

 慧音の目的はあくまで人里への侵入を防ぐこと。橙を叩きのめすことではない。

 橙が引いてくれさえすればそれでいいのだ。

 

「ここは双方鉾を収めよう。紫には後から私が謝りに行く……それでいいじゃないか」

「後が存在する保証はないよ…! これは紫さまが明日を迎える為の戦いなんだから!」

 

 傷付いた体に鞭打って立ち上がる橙。もはや歴史を食べる能力すら使う必要のないほどに疲弊していた。しかし、目は未だ死ぬ気配を見せない。

 慧音は哀しげに眉を顰めた。

 

「そうか……。それなら最後までやるしかないな。私にも退けぬ一線がある」

 

 再び眼が据わる。かえってそれがいい。下手に同情されるよりもよっぽどやりやすい。

 

 橙は全ての妖力を脚へと集中させた。自分のトップスピードで仕留めるつもりだ。

 小細工を弄すよりこっちの方が自分の性分に合っているような気がした。「短絡すぎる」と藍からは怒られてしまうかもしれないが。

 

 慧音を覆う霊力の盾。アレを突破できない限り勝機は存在し得ない。それもただ破壊するのではなく、時間をかけずにだ。手間を取れば即座のカウンターで身体を貫かれてしまうだろう。

 

 つまり、勝負は一瞬の一撃のみ。

 

 

「───ッッッッ!!」

 

 爆心地は橙の足元。

 踏み込むたびに地面が砕け残骸が弾け飛び、迸る妖力が慧音の空間を引き裂いた。

 慧音が反応する間も無く橙はみるみる近づき、渾身の力で拳を振り被る。

 

「うぐッ!? が……ハッ……!?」

 

 そして一撃が障壁を容易く貫き、衝撃が慧音を打ちのめした。空中で一回転、その後地面を何度かリバウンドして慧音は地に倒れ伏した。

 

 静寂が辺りを支配する。

 

「……え? え、ええぇぇ!? なにこれ……なんで私に突然こんなパワーが……?」

 

 よくよく意識を向けてみれば満身創痍だった自分の身体が全快している。そして奥からこんこんと込み上げる得体の知れない力。

 これは自分の力ではない。

 勝利を喜ぶ余裕はなかった。

 

「あっはっは、やったね橙。ハラハラしたけど結果オーライ、これで第一関門は突破だよ」

 

 困惑する橙の背後から声がかかる。

 扉の開く音がして着地音。振り向いた先に居たのは風折烏帽子を被り、右手に笹を携えた見覚えのある童子だった。

 

「……舞だっけ?」

「そう、君と同じで幻想郷の賢者を上司に持つ丁礼田舞さ。何度か顔合わせしたことあるでしょ? 相方の里乃も一応バックドアに待機してるよ」

 

 妙な動きをしながら近づいてくる舞から距離を取る。あまり橙の心証は良くなかった。

 

「あっ、もしかして僕がこの戦いに手を出したこと怒ってる?」

「いや別に。サポートは嬉しいです。ただ変な人には近寄りなくないから」

「あはは……」

 

 自分たちの異常さは他でもない自分たちが一番よく知っている。だから否定もできず、舞は曖昧に笑って誤魔化すのだった。

 

『後ろで踊る事で生命力を引き出す程度の能力』によって力を限界まで引き上げられた橙の前には慧音の障壁など無いに等しかった。

 さらに橙の移動中に能力が発動したため途中でスピードが一変し、一種のフェイントとなったことで慧音の対応が遅れたのも勝因の一つだ。

 

「けどなんで私に味方したの? 隠岐奈さまは『八雲には味方しない』って言ってたのに」

「いやいやそれは相手が因幡てゐに限る場合さ。人里勢力との戦闘なんて想定外だったんでしょ? なら助けなきゃ。紫様とは仲良くやってかなきゃね」

 

 

 

「ぐっ……うぅ。お前、舞か……?」

 

 呻き声を上げながら慧音が問い掛ける。

 それに対して舞は戯けるように肩を竦めた。

 

「そうだけど、なにかな?」

「お前、本当に記憶を失ってしまったのか……? 私のことを、覚えていないのか……?」

「ああ君のことは知ってるよ。賢者会議で何度か会ったよね。覚えてる覚えてる」

 

 慧音は口を開きかけて、閉ざした。これ以上話しても何も得られるものが無いと判断したのだろう。悔しそうに拳を握りしめた。

 一方で舞は興味無さげに首を傾げると、橙の方に向き直った。

 

「さてと、それじゃ役目は終えたし僕は後戸の国に戻るとするよ。あー……僕が君を助けたことは紫様に報告しておいてくれたら嬉しいな」

「分かった! 助けてくれてありがとう」

「どういたしまして! ……そうそう、なんで里乃が出てこなかったのかというとね、君の精神力は強化する必要が無かったからだよ。あんな状況で決意を抱き続けるなんて、僕にはできないな」

 

 嘘偽りの無い確かな賞賛。

 だが橙にとっては本意無い結末だったわけで、悔しそうに目を伏せる。

 割り切るべきなのだ。今は自分の心情よりも紫へ届ける結果が必要だから。

 

「がんばれがんばれ!」と励ましながら舞は踊るようにバックドアへ消えた。

 いつの間にか慧音が作り出していた空間も消えて、目の前には人里が広がっている。

 

 橙は当初の目的を達成するべく、歩みを進めることにした。

 

 




奥の手をすぐに使っちゃうのはダメ。だけど奥の手を温存しすぎるのもダメ。
なら奥の手なんてもう持たなきゃいいんじゃないかな?(暴論)


旧作キャラ出したいなぁ。あっ、そういや戦車技師おったやんけ!
というわけで里香チャン登場。魔理沙とは同じ封魔録繋がりということで。
なお奥の手云々は幽☆遊☆白書の蔵馬より。ボカァ初期とそれ以降の飛影は別人、または別人格だと思ってました。飛影はそんなこと言わない

橙と藍の力の差は尻尾の大きさと数による体積差を見て分かる通り、数百倍近くあるんじゃないかな。が、がんばれ橙!


というかお〜い、誰か魅魔様の行方を知らんか?


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幸せ賢者と不幸な賢者*

遅くなって面目ねぇ(八雲紫流土下座)


 

 

 はっきり言いましょう。私に軍を率いる将としての才はないわ。多分。

 もし私のパラメーターを数値化したのなら、一条兼定さんの半分くらいの値になるはず。あら、分かりにくい? なら武力の無い呂布でいいや。

 取り敢えずへっぽこってことよ。

 

 ほら何ていうか……私って武官タイプじゃないから。本来なら裏方でこそこそやるような陰険文官タイプの妖怪なのよね。

 つまり、私に出せる指示なんて「好きにしてくれ」以外にないのだ。世に有名な「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応する」ってやつね!

 

 あー、だからと言ってもまるっきり全部が無能ってわけじゃないのよ?

 孫子の兵法だってきっちり頭に入ってるんだから! 『三十六計逃げるに如かず』ってホント出来た言葉だと思うわ! 座右の銘候補ぶっちぎりね。

 ……それは孫子じゃないですって? ふ、ふーん? ゆかりんその時代に生まれてないからよく分かんないなぁ(目逸らし)

 

 話を戻すけど……まあ、要するにこの状況においては無能にならざるを得ないの。戦略家と戦術家は別物だからね、仕方ないわ!

 

 だから私は、せめて一人くらいは頭の回る統率者を連れてくるべきだったと後悔するのだ。

 だってこのメンバーって上下関係が存在しないから、絶対に他からの指示じゃ動かない。一応総大将は私ってことになるけど、こんなザマだし?

 その手の経験がありそうな数少ない識者である萃香や文はニタニタ笑うばっかで協力の素振りすら見せないし……やんぬるかな…!

 

 

 おっと、スキマに隠れましょう。

 別空間に逃げることでチルノの無差別全体攻撃を回避した。十数秒後に外に出てみると景色は一変して氷雪が辺りを覆い尽くしている。凍りついた竹林が針みたいで、八寒地獄の様相だ。

 

 業を煮やしたチルノの一撃だったわけだが、悲しいことに兎たちには全く通じないのよね。あいつらの装備の水準がちょっとおかしいの。

 小山程度なら一発で突き崩せそうな河童の砲弾を受けても全くの無傷! 射線上に入っただけで相手に人体発火もたらすガード不可の攻撃なんてそれなんてクソゲーよこんちくしょう!

 

 というかそれ月の装備よね? 同じ兎ではあるけどなんであんたらが装備してるの!? ……もしかして…てゐは月と繋がっている?

 いや、まさかね……。

 

 てか今のチルノの攻撃でこっち側に被害がががが……!

 

「ちょ、チルノぉ! 今の攻撃で虫たちが半分死んだじゃん! 秋の虫は寒さに弱いのに!」

「アタイの周りに近づくのが悪いのよ! 冬眠させたくないなら帰るのね」

「んなこと言ってもさぁ」

 

 リグルの言う通りだ。空間を渡る私は兎も角、生身の妖怪ではもはや逃亡も許されない状況に追い込まれているのである。

 八方から徐々に兎が距離を詰めている。手に携えている謎ビーム砲の銃口はいたるところから私達へと向けられている。

 これが伝説の包囲殲滅とかいうやつかしら。こんなに綺麗に決まるものなの……?

 

 しかも包囲殲滅だけでもまずいのに、私たちが一箇所に集まっているという現状もかなりまずい要因の一つなのだ。理由は先ほどのチルノを見ても分かる通り。

 破壊の規模が大きすぎる故に、一々の攻撃がどうしても同士討ちの形になってしまう。思い出して欲しいんだけど、なんで私が吸血鬼異変の時に戦力をチーム分けさせたのかというとね、こういうことなのよね。

 

 チルノは先ほどの通りだし、プリズムリバーやミスティアだってそうだ。

 彼女らのように音で相手に影響を及ぼす能力を持つ存在は、窮地を打開するに足る希望。だって幾ら防御力が高くても音は防げないから、イミフ装備の兎たちに確実なダメージを与えることができる。所謂デバフ要員ね。

 けど致命的な問題がある。それは私たちにまでその音が届いてしまうことだ。さっきから鬱になったり興奮したり目が見えなくなったりで大変よ! やはりリリカは癒しなのね……。

 

 わかさぎ姫は最初こそメイルストロームばりの衝水を放って凄まじい活躍を見せていたが、今は水を使い果たして私の近くで干からびている。

 やる気があるのは嬉しいことだけど、やっぱ貴女は湖から出るべきじゃないと思うの、うん。あとで湖にスキマを繋いで放り込んであげましょう。

 そもそもここは陸上。戦闘面でわかさぎ姫には正直あまり期待していなかった。勿論、その状態でも私より断然強いけどね?

 うーん……取締役の彼女を仲間に引き入れれば草の根ネットワークが丸ごと味方してくれるものだと思って勧誘したんだけど、読みが甘かったかしら。

 

 河童の機甲師団は突出しすぎてもう連携は取れそうにないわ。というか結構な数がトラップに引っかかって装甲を損傷させている。落とし穴の下に竹槍とか古典的ながら殺意満々よぉ!

 うーん、ベトナムかな?

 

 そう、迷いの竹林は因幡てゐの庭! 竹林のトラップマスターの異名を持つあいつにとっちゃこの程度想定済みということか……!

 

 結局のところ、こちらに無害な戦闘を行っているのはリグルとルーミア、アリスや大妖精といった器用な戦い方が出来る子たちだけだった。

 魔理沙は悔しそうにちっちゃい弾幕を放っている。マスパ撃ったら私が吹っ飛んじゃうからね、自重してもらってるわ。ごめんね。

 

 えっ、私は戦力にならないのかって? もぉ言わせないでよ恥ずかしい!

 

 っていうかさあ……。

 

「貴女たちは動かないのかしら? 力を貸してくれると相当助かるのだけれど……」

 

 全く動く気配を見せない人たちにそれとなく聞いてみた。写真を撮ったり酒を煽ったり、変な視線でこっちを睨んだり意味の分からないことを喚いてたりとクセの強い方々ばっかりだが……。

 

「煩いわ裏切り者っ! 儂は貴様の軍門に降ったのではない……ご主人様を保護でき次第すぐに神社に帰らせてもらう!」

「急に喋るようになったわね貴方」

「好き好んで貴様と喋りたいわけがなかろう! 一言一句腹立たしい奴じゃ……!」

 

 一目散に喚き立てたのはクソ亀さんだった。貴女は勝手に付いてきただけでしょうに……。まず戦力として数えていいのかどうかすら。

 それにえっと、玄爺だっけ? 霊夢のことをとやかく言うのは気に入らないわねぇ。霊夢の親はこの八雲紫ただ一人! 二人も必要ないのよ!

 

 ええ。耄碌じいさんの妄言には耳を貸さないようにしましょう。無視が一番!

 さてその一方で親友はというと。

 

「私が動いちゃつまんないだろう? それともなんだ、この辺り一帯全てを圧縮してみる?」

「おとなしくしててくれると助かるわ」

「はっはっは! 安心しな、こいつらが負けそうになったら適当に助けてやるからさ」

 

 う、うん。実のところ萃香のおかげで今もこの混沌空間に踏み止まることができてるわ。主に精神的な意味でね。

 敵の時は恐ろしいが、味方となるとここまで頼りになる存在はそうそうないわ。

 

 萃香に本気を出されてもろくなことにならないんだから、今のままでいてもらった方がいいわね! うん萃香ナイスよ!

 

 さてと……あのマスゴミは放っておいて、あと戦闘に参加していないのは五人。

 といってもそのうち三人の人呼んで光の三妖精は怠けているのではなく、私が動かないようにと指示しているから大人しくしているのだ。本来なら真っ先に暴れ出すタイプでしょうねこの子たち。

 消音、気配察知、陰行と能力が便利なので側に控えてもらっているわけだが、やはり妖精なだけあって制御が難しい。今は適当にお菓子をばら撒いて言う事を聞いてもらっているけど、すぐに飽きられてしまうかも。

 

 残る二人の片割れは私が今は暴れないでと懇願した。名前は……確か幽谷響子だっけ。夜雀のミスティアと組んで幻想郷を喧騒郷にしてしまう困ったちゃんだ。

 彼女は音を反射させる能力を持っているわけだが、もしこれを使用したとしよう。待っているのは敵味方関係ない阿鼻叫喚である。しかもこの場にはプリズムリバーがいるからなおさら。

 今は不貞腐れて眠たそうにしている。うーん……なんだかなぁ。

 

 問題はあとの一人。

 ルーミアが連れてきたんだけど、何か怖い。情緒不安定というか、天然の気狂いを患っている妖怪のようだ。……いやこれは幽霊かしら?

 プリズムリバーに似た力を持っているようなのだが、ぱっと見ではこちらの方が遥かに凶悪そうだ。どうも分別が付いていない? あの子の近くには萃香ですら近づきたがらないし、この軍団の中でも腫れ物みたいな扱いね。

 

 

 ……オッケー。言いたいことは分かるわ。

 私は彼女たちの力を全く引き出せていない。

 

 集まってくれたみんなは基礎能力もさる事ながら、それぞれ尖った能力を持っている。それらを完璧に統率し、団結させることができれば萃香やレミリアにも勝ててしまうかもしれないほどだ。

 それがこの体たらく……そう、全部私のせいだってことは分かってる。

 

 

『はーい侵犯をただちに止めて降伏しなさーい。いま投降された方には特別捕虜として高待遇のもてなしを用意してまーす』

 

 ぐちゃぐちゃの思考の中に千切れ声が割り込んだ。どうやらあちら側からの拡声器による投降勧告のようだ。あいつら勝った気でいやがるわね!

 強い結束が存在しない私たちにこういう手はよく効く。やっぱ妖怪兎は弱みへの漬け込み方が上手いわね。

 

 するとこっちの陣営から様々な声が飛び出す。

 

「菓子と美味しいお茶はあるのかしら!?」

「んーご飯は?」

『山のように用意してまーす』

「いいじゃない! あっちに行きましょうよサニー。こっち側に居ても楽しくないし」

「うーん…」

 

「み、水……」

『ありまーす』

「インタビューは?」

『受けまーす』

 

「かき氷は!?」

『えっ? ──……多分ありまーす』

「決まりね! もう飽きちゃったし向こうに行こっか大ちゃん」

「え、えぇ……」

 

 待て待て慌てるな。これはウ詐欺の罠だ。

 ホイホイ付いて行けば体をバラされて臓器を売られてしまうわよ! しかも妖精なんてコンテニューするもんだから取り放題……ウゲェ。

 

「騙されないように。連中はそう易々と他者に施しを与えるような妖怪では──っ!」

「おっと危ない!」

 

 私の声を聞きつけてか間髪入れずに飛んできたレーザーを、萃香が玄爺を持ち上げ盾にすることでなんとか防げた。

 ……もしまともにアレに当たっていれば今頃私は破裂してバラバラになってただろう。まさに九死に一生を得た……!

 

「助かったわ…面倒かけてごめんなさいね」

「友の首はそう易々と獲らせやしないよ。お前はいつも通りドンと構えてればいいのさ」

「おのれ……よりにもよってお主の盾にされるとは…! この玄爺屈辱ぞ…!」

 

  ありがとう萃香とクソ亀さん。やっぱり持つべきものは親友とメイン盾よね!

 てかクソ亀さんったら中々耐久力が高いじゃない。霊夢のお目付役を妄言自称するだけのことはあるわね。まあ、それでも私は認めないけど。

 

 ていうか三妖精は何してるのよ! えっと、音を消すのは誰だったかしら? まあ誰でもいいわ。しっかり仕事してもらわないと困るわね。

 一方、三妖精は金髪をロールした妖精に寄ってたかって罵倒していた。うーん……やっぱ妖精に頼りすぎるのはいけないわ。チルノ然り。

 

 

 ……さてと。

 そろそろ頃合いかしらね? 戦線は未だ安定していないけどこのメンバーなら十分過ぎるほどに時間を稼いでくれる。近くに萃香がいれば安全だってこともさっき分かったことだしね。

 

 取り敢えず意識を集中させる為にスキマを椅子代わりにしつつ目を閉じる。

 俗に言う瞑想のようなものだ。精神を研ぎ澄ますことで幽かな繋がりを辿る。

 

 こんなだだっ広い迷いの竹林でどのように藍と霊夢を探そうと思っていたのかだけど、それがいま私が為そうとしている方法だ。

 曲がりなりにも藍は私の式神。つまり主従としての妖力の繋がりがあるわけだ。それを辿れば自ずと藍の元へ辿り着くことができるという寸法よ!

 

 ただ問題があって、私の感知能力が低すぎるせいで藍が一定範囲に入っていないと存在すら感知できないという重大な欠陥があるのだ。おかげで迷いの竹林の外からじゃ藍を見つけることはできなかった。よってこのメンバーたちによる無理矢理強行が始まったといわけだ。

 藍や橙なら一瞬で私を見つけてしまうらしいので、私が如何に肩身狭い思いをしているか分かっていただけたかしら?

 

 さあレッツ瞑想。あの子たちは何処へ……。

 ぐむむ、一里圏内にはいなさそう。ならばもうちょっと範囲を広げて……! 感知能力じゅうべえだぁぁぁぁ!!

 

 いたた頭が割れるっ! 情報が多すぎてへっぽこROMが焼き切れるぅぅ!

 だが屈するわけにはいかない。取り敢えずそこらへんに落ちていたチルノの氷を額に押し付けつつ瞑想を続ける。

 

 

「なにやってんの? こんな周りがゴタゴタしてる時に一人休憩しちゃって」

「きゅ、休憩してるように見えるのかしら…!?」

 

 混濁する思考の中、邪魔が入った。

 こんな必死こいてやってるのにそんなこと言われちゃたまんないわ。

 

 私の瞑想を邪魔した奴の顔を薄目開けて確認する。それは見知った顔だった。

 あれ? あれれ……。

 

「……てゐ?」

「正解!」

 

 その瞬間だった、空気の圧がてゐの居た場所を跡形もなく吹き飛ばす。

 空圧の正体は萃香の拳圧による衝撃だった。だが勿論と言うべきか、てゐは初めから分かっていたかのように簡単に躱してみせた。

 

 萃香は首を傾げる。

 

「おかしいな……気付けなかった。お前みたいな邪悪な奴が領域に入ればすぐにでも分かると思うんだけど……」

「言ってくれるねえ古枝の敗北者」

 

 な、なんでてゐがこんな所に!? 大将は奥の方で引っ込んでなきゃダメでしょ!?

 王手王取り……リアル無双ゲーじゃないの! まさかのリアル川中島っ!

 

 ええい三妖精は何をしているの!

 と、抗議を申し立てようと彼女らの方へ視線を向けると、現在絶賛発掘作業中だった。

 

「チルノのやつ見境いがなさすぎるわ。スターを凍らせちゃうなんて」

「こういうのっていつもは(ルナ)のポジションのような気がする……。運が良かったわね」

 

 あー、はい。なるほどね。

 取り敢えずこの至近距離は危険すぎる! すぐにスキマを開いて逃走経路を……!

 

 だが、スキマを開いた瞬間に私は違和感に気が付いた。特に理由があるわけでもない、嫌な感覚。ふとてゐの方を見ると、ちょうど萃香が殴りかかっている時だった。

 てゐが萃香の拳を足場にこちらへ跳躍したのと、私が結界を展開したのはほぼ同じタイミングだったろう。しかしスピードが違いすぎる。

 

 てゐの水平蹴りがロクに形のなってない結界ごと私の体を持ち上げる。そして勢いそのままにスキマへシュゥゥゥーッ!!

 超☆エキサぐへぇ!!

 

 復帰する間にてゐがスキマ空間に侵入。即座に周囲をへんな呪術で封鎖し、二重の隔絶された結界を作り出した。

 こ、これは……。

 

「お前の能力上、差し迫る脅威が眼前に現れたならまず逃走経路を確保することは目に見えてる。だから利用させてもらった」

「……そう言い切れるものでは」

「長く生きてきた私は知ってるのさ。お前みたいな奴は案外臆病者なんだってね」

 

 案外とは一体……?

 

 

「さて、晴れて賢者相対まで漕ぎ着けたわけだけど。流石の紫殿も想定外の展開かな?」

「それはもう……この状況が現実かどうか判らなくなるほどに狼狽してるわ」

「私にとっちゃそうは見えないのが問題なのよ。もう少し面白いリアクションをしてくれないものかねぇ。まっ、あんたにゃ無理か」

 

 失礼な。今も内心ガタブルで服の下じゃ嫌な汗が流れてるわよこんちくしょう! まさか無理矢理自分の土俵で孤立させられてあんたと一騎打ちなんて、予測できるもんですか!

 もぉ、この兎ほんと嫌い!

 

「まさか陰湿な万年イモリケーションの兎が華の一騎打ちとはねぇ。元来の貴女ならそんな”無駄な”判断はしなかったはず、つまり何らかの心境の変化があったみたいね。今回の異変の件といい、らしくないわ 因幡帝」

 

 私の言葉にてゐは若干の反応を見せた。だが不敵な態度は変わることなし。

 いつものように小馬鹿にした様子で言葉を続ける。

 

「お前が引き連れてきた連中は確かに脅威だ。だけどそれよりもお前を野放しにしておく方が遥かに予測できないからねえ。なら私が餌になってお前を抑え込んでしまえばいい」

 

 謎の高評価ありがとう。だがその判断は愚かだと言わざるを得ないだろう。ここで私を殺してしまえばこの戦いは終了だとでも?

 

 まさか。

 将棋じゃあるまいし。

 

「私は連れてきた全員にこう指示しているわ。『各々の判断で好き勝手やってくれ』…と。私を倒したところでこの状況を打開する策には到底及ばない。……これが最後通牒よてゐ。無条件降伏を受け入れなさい。貴女たちの力は十二分に思い知った。悪いようにはしないわ」

「なに勝った気になってんのさ。どうひっくり返ったところで私たちには決して敵わないよ。例え隠岐奈が来ようが天魔が来ようが、鬼が出ようが神が出ようが……私を殺そうが、ね」

 

 交渉決裂ってことでいいのかしら? ここらで終わらせるのがベストな形だと思うんだけどなぁ。勿論、互いにとってのね。

 てゐが例えどれだけの兵器技術を持っていようとこの趨勢は覆らないだろう。幻想郷の妖怪のヤバさは貴女だってよく分かっているでしょうに……。

 

 だからね? 不毛な争いは避けるに越したことはないのよ。変な意地を張ってるならさっさと素直になればいいのよ。

 てか止めてくれないと困る。私が死ぬ。

 

「さてやろうか紫。私は戦闘タイプじゃなくてねぇ、あんたの攻撃が一撃でも当たれば簡単に殺せてしまうだろうさ。私のことが邪魔だったんでしょ? 大義名分に加えてこんな千載一遇のチャンス……逃しちゃいけない」

 

 などと口では言っているもののそんな簡単にいくはずがない。なにせ相手はあのてゐだ。戦闘力の高さはよく分からないけど、萃香との攻防を見れば決して低くないことが見て取れる。

 まず奴の能力が厄介なのだ、これはあくまで持論なんだけど、変にぼやかされている能力ほど面倒臭い傾向にあると思う。(あくまで自己申請)

 例として一番分かりやすいのは霊夢ね。空を飛ぶ詐欺っていうのよアレは!

 

 幸運をもたらす能力……字面はとてもハピネスなんだけれども、実情はドロドロだ。てゐの能力は別名『不幸をなすりつける程度の能力』と呼ばれている。

 富を望むなら、彼女は自然にそれを与えることができる。だが富なんてものは自然発生するものじゃない。何かの犠牲あってこそだ。

 彼女が生き残ることを望むなら、その敵対者に降りかかるのはてゐが生き残るための”偶然”……。

 

 あくまで副産物。だがてゐと敵対するにおいて一番恐ろしいのがこれである。

 ね? 戦いたくないでしょ?

 

 これじゃ私の奥の手に引っかかるかどうかも怪しいわね……。決まれば確実にてゐを倒……いや、殺すことができるんでしょうけど。

 やっぱり最善はこの戦闘を避けること!

 

「私は守る為に今回打って出たわ。貴女と殺し合うなんて本来望むことじゃないのに」

「ふーん……式と巫女か」

「なら貴女は何を望まんが為に行動を起こしたの? 私たちが共に在り続けることのできる志と足り得ないのかしら?」

 

 なるべく彼女の情に訴えかける言葉を投げかけてみた。実はあまり期待していない苦肉の懐柔だった。血も涙もない因幡帝がこんな弱腰交渉に乗るものか。

 だが意外にもてゐは口に手を当てて思考を始めた。ゆっくりと結論を導き出そうとしているようだ。

 

「──……同じだよ、あんたも私も。やっぱ幻想郷を巻き込むにゃちょっと弱い理由だなぁ。守る為なんて、くだんない」

 

 ……本心なのだろうか。

 

「意外ね。自分の利にならないことには絶対に手を出さなかった貴女がそんなことを言うなんて。守りたいのは、貴女と同じ妖怪兎かしら? どうも同族には甘いところがあるようですし」

「厳密にゃ同族ではないさ。だけど守ってやりたいと思う程度には……ね。そしてそいつを生かすことはあんたとの共存に一致しない。だから……──」

 

 てゐは小さく微笑むと、人参のアクセサリーを握りしめる。そして言った。

 

「──ここで死んでちょうだい」

 

「……うっ!?」

 

 胸に激しい痛みが走った。

 視界の隅で確認すると、導師服が穿たれた跡があった。そしてじんわりと円型に赤い染みが広がっている。

 これは銃痕……!? だけど銃声なんて……!

 

「月はあんたを殺すことに躍起になってたみたいだよ? そしてウチにまでこんな面白い兵器が流れてきた」

 

 即座に視線を戻すが、もう遅い。てゐは眼前で重そうな杵を私に向かって振りかぶっていた。一瞬たりとも目を離すべきではなかった。

 

 スキマ、結界、間に合わ……っ。

 

 死……!

 

 

 

「馬鹿じゃないの?」

 

 西瓜を叩き割るような快音は聞こえてこなかった。その代わりに私を小馬鹿にするような、呆れる我が娘の声がした。

 きつく瞑った目を恐る恐る開けると、目の前には静止した顔面に迫る杵。驚嘆するてゐの表情。そして紅白の背中。

 

「わざわざこんな前線までしゃしゃり出てきて、こんな雑魚に追い詰められるなんて。いつもの威勢はどうしたの? だらしないわね、紫」

 

「貴女はかっこいいわよ、霊夢」

 

 ふん、とそっぽを向かれたけれど、とても嬉しかった。霊夢の頼もしさへの安心感で今にも涙が溢れ出しそうだ。

 ただの安心感じゃない。二重の安心感だ。

 

「私が仕留め損ねた……? そんなまさか」

「その前に自分の身を案じたらどうなんだ? クソ兎……!」

 

 霊夢がいるということは彼女もいるということ。固まるてゐの背後で藍が冷たく彼女を見下ろしていた。よく見ると首筋に苦無を当てられているようだ。

 

 勝った! なんという華麗なる大逆転!

 うふふ、今宵の勝利の美酒はさぞ美味いでしょう!

 

 っと、その前に……。

 

「藍、霊夢……貴女達が来てくれなければ正直危なかった。本当にありがとう」

 

 傷口を抑えながら二人に惜しみない感謝の言葉を贈る。本当なら土下座でも何でもしたいところなんだけど、傷口が痛くてね。

 霊夢が結界を解いて近づいてくる。藍もまたスキマから丈夫そうなロープを取り出しててゐを縛り上げると急いで駆け寄ってきた。

 

「紫様っ! その傷は───」

「心配しなくても大丈夫。直接当たれば危なかったけど……私にはこれがあったわ」

 

 私は手に握った携帯電話を二人に見せた。

 これは橙と会話するためにスキマからわざわざ取り寄せたものである。それを紐で括って首から掛けていたが為に、心臓を狙った一撃を防ぐことが……いや、逸らすことができた。

 

 実に幸運だったわ。

 

 しかし未だにてゐの攻撃方法が謎だった。銃弾によるものなのは間違いないだろうが、銃声を耳で拾うことができなかったのだ。

 それどころかてゐは予備モーションの一つも見せることなく私を攻撃した。つまり、いまこの状況でも攻撃手段を持ち合わせている可能性がある。

 

 藍がてゐの襟を掴んで持ち上げた。身長差でてゐは宙ぶらりんである。

 

「貴様一体、紫様に何をしたッ!」

「ぐ、うぅ……大したことじゃ、ないよ。紫を追い詰めたのは、月の執念だ。お前を殺したいが為に奴さんたちはある兵器を開発した」

「月の? そういや(あんた)って月に喧嘩売ったことがあるだっけ?」

 

 霊夢の言葉に心が重くなった。私が売ったんじゃないんです……いやほんと。

 それにしてもやはり月とてゐは何らかの形で繋がっているようだ。これは由々しき事態……幻想郷の賢者ともあろう者が癒着していたとは…!

 

「その兵器の性能を簡単に説明するなら、『異次元から弾丸を飛ばす』能力を持った銃。つまり八雲紫に銃弾を届かせる為に作られた武器だよ」

 

 てゐはわざとらしくペラペラと兵器の詳細を語ると、惚けたように首を傾げる。

 

「だけども失敗した。私の観点から見て物事が失敗するなんてことは実に半万年ぶりだ。はてさてどのような小細工を弄してくれたのかねえ?」

「お前のような奴の能力など紫様に通用するはずがなかろう。この状況のどこがお前にとっての幸運と言える?」

 

 藍が勝ち誇った笑みを浮かべる……が、反対に霊夢の眉がピクリと動いた。私もなんとなーく嫌なものを感じ取った。

 

 するりとなんの前触れなくてゐを縛っていたロープが下に落ちる。藍が縛ったのだから、相当がんじがらめにされていたはずなのに。

 

「ほら、幸運だ。私は正常運転さ」

 

 二人が追撃の構えを取った時にはもう遅かった。

 妖力が吹き荒れると同時にてゐは足元に展開された結界とスキマ空間を破壊し、外へと脱出した。ご丁寧に中指を立てながらね。

 藍はなんとも煮え切らない様子で悔しがっていたが、私としてはこれで一安心だ。

 

「頑丈なロープを用意しておいたのですが……なんという失態……!」

「気にしなくていいわ、てゐを捕まえるのは並大抵のことじゃないでしょうから。それよりも今は合流できたことを喜ぶべきね」

 

 藍と霊夢を助けに来たつもりが逆に助けられた件について。やっぱ私って締まらないなぁ。

 まあなんにせよ結果オーライ! これにて私たちの目的は達成されたわ!

 

「それにしても何で紫がこんな所に来てるのよ? 今日は私たちに全部任せたって藍から聞いてたんだけど」

「私が信用できなかったのでしょうか…?」

 

 うん? あー……なるほど。あの時に話が噛み違ってたのね。私はてっきり藍が月見会場の設営に奔走してるとばかり……。

 つまり異変に気付けなかった私が無能なばかりにこんな面倒臭いことになっちゃったのか。なんという間抜け! なんという無能!

 

「許してちょうだい、私が愚かだったわ。……貴女達のことになると周りが見えなくなってしまうみたいね。今回ばかりは反省しなきゃ」

「……い、いえ。そのような事は……」

「いい機会よ存分に反省させましょう。そもそもこいつのスタンスが気に入らないのよ。どうも今も危なかったみたいだし」

 

 申し訳ねぇ、申し訳ねぇ、と平謝り。それでも私の立つ瀬はなくて、正直辛い。

 完膚なきまでの辛辣な言葉……全て霊夢の言う通りだ。それよりも心配そうな顔で私を見る藍に申し訳ねぇ。せめて罵倒して……。

 

 

 さて、安全は確保できたので改めて二人と話し合ってみると色々なことが判った。

 藍と霊夢が私の元に来れた理由だが、逆探知の技術を使ったんだと。私が藍を探していることに二人が気付いてくれたから首の皮一枚繋がったわけね。

 だが二人もかなり忙しかったそうで、かれこれ数時間は兎隊に囲まれての戦闘を行っていたそうだ。だから逆探知に気付けたは良いものの駆けつけるまでに時間がかかってしまったらしい。

 

 そしてこれが一番驚いた情報。

 なんとレミリアとあのメイドが藍と霊夢よりも先に竹林に殴り込んで、見事敗北したという。そして現在奴らの本拠地で監禁中とな。

 

 いやいやいや、何やってんの…? あいつともあろう者がこんな簡単に捕まっちゃうの?

 何か引っかかる。だけど今の私にあいつらを心配するほどの余裕はない! てか私ごときに心配されるのもあいつらにとっては心外だろう。

 

 なお私の方から状況を説明すると、霊夢からボロクソ言われた。私が妖怪に頼ったのが気に入らないんだって。

 藍も難しい顔をしていた。

 

 こりゃ「もう約束しちゃったから博麗神社に妖精を3匹と変な幽霊を1匹住まわせてあげてね♡」なんて言ったら殴り殺されかねないわ……!

 




『対スキマ妖怪専用機関砲』
通称『清蘭砲』と言われてるとかなんとか。なんで地上にまで技術が流れているのかは……話す機会あるのかな……。

今話におけるてゐの幸運一覧

・無傷。
・部下に殉職者なし。
・萃香のやる気がなかった。
・スターがチルノに凍らされたおかげで気付かれずにゆかりんへと接近できた。
・ゆかりんが計画通りの動きをする。
・部下に「適当に撃っておけ」と指示した銃弾が偶々ゆかりんにヒットする。
・霊夢&藍に反撃を食らわなかった。
・ロープがなぜか弛む。
・ゆかりんが生き残る?


突然ですが作者はゆかりんが使うオカルトはきさらぎ駅なんじゃないかなって思ってました。てけてけはぶっちゃけ分からなかった!
ちなみに星ちゃんは寺生まれのTさんなんじゃないかなーって。



「善良な一般市民の皆さん御機嫌よう。紅色のノクターナルデビル、レミリア・スカーレットよ。竹林の兎たちに捕まってからかれこれそちらの時間で二ヶ月が経過したわ。わざと捕まったとはいえ流石に堪えるわね。
一緒に捕まってる咲夜の様子もなんか時が経つごとに変になってきてるし、いい加減私も思いっきり羽を伸ばしたいわ。
ていうか貴方たち……今回の物語で私が噛ませになるなんて思ってるんじゃないでしょうね? ふふ、そんな事は万が一にもありえない事を明言しておこう。運命を操ることのできる他ならない私直々に保証させてもらうわ。

……まあ、実のところそうならないためにこうしてわざわざ面倒な役を買ってやってるのよ。勘のいい者は察しなさい」


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永夜の報い

 

 

 今日は朝から気に食わない事ばかりだ。

 

 気持ち良く朝食を食べている時だ。いきなり兎が押しかけてきたかと思うと、有無も言わせぬまま竹林から追い出された。

 なんでも今日は竹林全体で催しをやるから出て行ってくれとのことらしい。

 ふざけんなって話だよ。

 

 輝夜や永琳がそんな目立つことをするはずが無い。つまりあの腹黒ウサギの差し金だろう。

 抵抗してやっても良かったんだけど、あいつと敵対すれば竹林に住むことはできないからな。毎日嫌がらせを受けるのはゴメンだ。

 

 しょうがなく竹林を出て慧音を頼った。

 慧音は快く家に泊めることを了解してくれたが、今度はその慧音が慌てて何処かへ出かけてしまう。なんだってみんなして忙しそうに……。ひとり暇してる私が馬鹿みたいじゃないか。

 

 

「まったく、変な夜だな」

「いやーホント。こんなおかしな夜は家に篭ってるのが一番なのにね」

 

 軽い口調で話しかけてくるのは今泉影狼という名の狼女。私と同じく、兎によって竹林を追い出された哀れな原住民である。

 慧音が居なくなって暇になったので影狼を誘って月見と興じていたんだが、彼女はイマイチ気分が乗らない様子で杯の中の月を弄んでいた。

 

「そういやあんたは満月の夜は姿を見せないよな。今日は珍しく表に出てきてるが」

「そりゃあねぇ。毛深い姿なんて人に進んで見せたいもんでもないし。なんなら今日みたいにずっと満月にならなきゃいいのに」

「ふーん?」

 

 影狼の言葉で確証を持った。やっぱり今日の月は普通じゃないのか。よく見れば少しだけ形が欠けているような気がしないこともない。

 文字通り、変な夜だ。

 

 ……出来すぎてるよな?

 月の異変においてあいつらとの関係を無にして考えることはとてもじゃないができそうにない。間違いなく絡んできてるだろう。

 いっその事邪魔してやろうか?

 

 

「……変なのが入り込んできたみたいよ? 人を引き摺るような音と一緒に血の匂いがするわ。夜の人里ってのは物騒ねぇ」

「いやそりゃ異常事態だ。鼻と耳は確かか?」

「ふふん、狼の五感を舐めないでよね」

 

 言われてみればそうだな。

 よりにもよって慧音が出かけている時にか……。自警団の連中は何してるんだ。

 しょうがない私が行くか。慧音が守る人間たちに危険を及ぼしてなるもんか。

 

 影狼に自警団のボスを叩き起こすよう頼んで指定の場所へ走る。閑散とした夜道に障害物はなく、本気の速さで駆けつけることができた。

 二つの人影が見える。

 

 妖怪は一匹。化け猫だろうか。小さい体で大の大人ほどの人間を抱え、引きずりながら大通りを歩いていた。

 問題はその抱えられた人間だ。

 

「……慧音」

 

 人里の守護者その人だった。夕方、見送った時とは違い身体中が傷だらけで、力なくその身を化け猫に預けている。

 命はまだあるみたいだ。

 

「待てよそこの妖怪。こんな夜にそんな姿で人里をうろつくのはオススメできないな」

「……!? 見つかった!」

「取り敢えず慧音をそこに置け。話はそれからだ。何か弁解させて欲しいことがあるならさっさということを聞くんだな。これでも譲歩してんだぜ?」

 

 有無を言わせず妖力を叩きつけた。その気になれば何時でも燃やせるという意思表示だ。

 ホントなら今にでも消し炭にしてやりたいんだがな。慧音から言われてるんだ。「よく考えてから行動しろ」ってね。

 

 化け猫は妙に焦りながら慧音を地面に置いた。そして腕を宙に揺蕩わせた。

 すんなりと降伏したな。

 

「私の名は橙! 八雲の式の式です! 手荒なことになってしまったのは謝ります。用件をすませばすぐにでも人里を出て行くのでどうかご容赦を……」

「手荒なこと、ね? 慧音を倒すほどの奴がそんなへり下るのか。今すぐに私を消せば目撃者はゼロになるぞ? いいのか?」

「だって私は人里に悪いことをするつもりはないですもん。あなたに手を出したら私が慧音に言ったことがすべて嘘になってしまう」

 

 ふーん? 私は人里の人間じゃないから別にどうもないんだが……なるほどね。率直な感想で言えば、嘘つきには見えないな。だからと言ってすべてを信じるつもりはさらさらないんだが……。

 さてどうするか。まあ、取り敢えず慧音をどうにかしないと。

 

「慧音は私が預かるぞ」

「うんそうして。私がここに連れてきたのはあのまま野晒しにするのもどうかと思ったからだから。目を覚ましたらごめんって言っといてくれると嬉しい」

「わかった」

 

 ゆっくりと油断なく近づく。そして慧音に手をかけた、その瞬間だった。

 化け猫の足元から檻が生え出てあっという間に拘束した。私も当の本人も惚けて立ち尽くすことしかできなかった。

 

「はい確保〜。みんな抑えてね」

 

 町の角から現れたのは小兎姫。自警団の長を務める少女だ。その後から続々と人間たちが現れて化け猫に札を叩きつけていく。

 よく見ると影狼の姿も見える。

 

「匿名通報はやっぱり大切なのね〜。実際に体験して身に染みます」

「ちょっと! 私が直接言ったじゃない!」

「名前も素性も知らない狼女からの情報なんて匿名以外の何物でもないかなぁ。まあ今そんなことどうでもよくてね、なかなかの獲物ですね」

 

 舌舐めずりしながら言う小兎姫の姿はまごうことなき異常者。そういや慧音は小兎姫のことを「有能な性格破綻者」とか言ってたっけな。

 こりゃどうなるんだか。

 

「傷害罪、不法侵入罪、妖怪罪……。どれを取っても極刑級ね。それじゃ適当に禁固500年ってところにしておきましょうか。さあ連れて行きますよ」

「そんなの横暴だよ! 阿求に会わせて!」

「あー駄目駄目。阿求様はゆっくりお休みになられてるわ。妖怪なんかの為にわざわざ起こすわけにはいきませんね」

「こんな札と檻で私を拘束できるもんか! 私は今すぐにやらなきゃなんないことが……!」

 

 札が意味を成さずに崩れていく。だが檻は未だに健在だ。化け猫の一撃でも傷一つ付くことがなかった。ありゃ私でも厳しそうだな。

 なんでもとある外来人からもらったその檻は、決して壊れることはないし、小兎姫にしか扱えない代物だという。大層なもんだ。

 

 檻はそのまま台車に乗せられた。

 化け猫と目が合った。何かを訴えかけるような、必死な眼差しだった。

 無情だな……。

 

「待ちなさいそこの台車。彼女を連れて行くことは許しませんよ」

「「「あ、阿求様!」」」

 

 っと、ここで阿求が登場。そろそろ来てくれないもんかハラハラしてたよ。上司の登場にさすがの小兎姫も畏まった。

 阿求は化け猫を見て、小兎姫を見て、私を見て、最後に慧音を見た。

 

「自警団は小兎姫さんを残して解散してください。あと妹紅さんと……そこの妖獣の方も一応お願いします」

「なんか私の扱い雑じゃない?」

 

 愚痴を言いつつも、弁えた態度をとり続ける影狼の適応力は高い。伊達にあの竹林で暮らしてきてないというわけだ。

 そんじゃ私は慧音を回復させつつ話を聞くとしようか。

 

 一瞬の静寂の後に阿求が切り出す。

 

「今幻想郷で何が起きているのか……先ほどとある筋の情報により少しだけ知りました。断片的にですが、かなり大変なことになっているようですね。橙さんはそのことに関連して人里にやって来たのでしょう?」

「う、うん」

「それで慧音さんと戦闘になったということですか。……分かってるかと思いますが、人里側からの意向としては八雲と対立するものではありません。この状況下では彼女の対応も致し方なかった。勿論、相手がてゐさんだったとしても同じです」

 

 すらすらと弁論を述べる阿求だが、言葉の端々からは必死さが滲み出ているような気がする。それほどまでに八雲紫とかいう奴はヤバイ妖怪なのか。

 是非一度お会いしてみたいもんだ。

 

 変わらない様子で阿求は一気に捲したてる。

 

「あなた方に手を貸したいのは山々ですが、我々人里は中立を保ちます。どうかご容赦のほどを紫さんに伝えてください。お詫びと言っては何ですが、今回の一件はここに居る者のみの秘密としますし、幾人かの外部への武力行使を黙認しましょう」

 

 阿求の言葉は前と後ろで矛盾したものだった。これには私を含めた全員が首を傾げた。

 

「えっと……それって私たちに思いっきり手を貸してない?」

「……ここだけの話、人里に住まう妖怪やはみ出し者の皆さんは厳密に言うと我々の勢力下には属しません。紫さんの取り計らいで居住権を与えているにすぎませんから。まあそれでもグレーなことには変わりないのですが、それでも義勇軍としてなら……」

「まったく、何人かしょっぴいても誰も気づきやしませんよ? 今日こそ連中を根絶やしにしませんか? ……はいはいそうですか」

 

 阿求が眼光で小兎姫を黙らせた。怒らせると怖そうだもんな阿求って。

 それにしても面白そうな話を聞いたな。八雲紫があのてゐの野郎と戦争か……。こりゃあの兎の天下も終わりかねぇ。いや、ひょっとするとこのまま幻想郷全土がヤツの手の内に堕ちるってこともありえるのか?

 うーん、とんでもない生き地獄だな。

 

 一つ思い出した。

 

 ちょっと前に憎き輝夜の野郎と殺し合いをした時だった。まあ勿論いつものように私の圧勝でその日は終わったんだが、殺し合いの最中にも関わらずあいつの様子が変だったもんだから、思わず「何かあったのか」聞いてしまったことがある。

 輝夜は軽くはぐらかして話を変えてしまったが、その締めがちょっと妙だったんだ。

 

『お前と私はあと何度殺し合えるんでしょうね。永遠だと分かっていても、終わりを意識するのはやっぱり変な気分になるわ』

 

 その時はまさかトチ狂ったのかと笑いながら一蹴したが、あの変人のことだ。今回の件を予見していたに違いない。

 

 てゐが輝夜や永琳に独断で大きな動きを見せることはまず考えられない。つまり、今回の件にはがっつりあいつが噛んでるってことだ。

 何を企んでるのかは知らんが、何となくあいつの思うように事が運ぶのは癪だな。

 ふむ……。

 

 考え込む私を他所に何やら話は続いている。ふと化け猫の視線が影狼に注がれる。

 

「そういやあなた影狼って人よね? 人魚のわかさぎ姫って人から手紙を預かってるよ」

「私に? …………って姫ぇ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げて手紙を取り上げる。そしてそれを読みながら百面相をしたかと思うと、次は妙にテンションの高い口調で私に掴みかかってきた。なんか興奮してるな、忙しい妖怪だ。

 長年の経験でなんとなく分かるぞ、これは面倒臭いタイプの話だな。

 

「妹紅! 今こそあの暴君因幡帝から竹林を解放しましょう! 本来あの土地は兎だけの為にあるものじゃなかったわ。私たちや妹紅含めてみんなのものよ」

「まあ一理あるな」

 

 上手い具合にわかさぎ姫とやらに唆されてるみたいなのでちょっと話に乗ってみた。

 

「そう今こそレコンキスタ! 私たち草の根の妖怪が立ち上がる時なのよ!」

「草の根ネットワークってそんな集まりだったっけ? いやまあ詳しくは知らんけど」

 

 巷じゃ話題の草の根妖怪ネットワーク。影狼やわかさぎ姫とかいう人魚が中心になって運営しているなんか変な組織だ。

 最初の頃は『お茶飲み恒例会』みたいな年寄り臭いイベントしか開いてなかったんだが、年月が経つにつれてだんだんと『対幻想郷決起集会』のようなキナ臭いイベントに変貌してしまった。

 私も誘われたが辞退した。だって妖怪じゃないもん。しかも面倒臭そうだし。

 

 ぶっちゃけると、てゐを引き摺り下ろすことに興味はない。そりゃあたびたび目障りなヤツだと思っているが、あいつのおかげで外勢のつゆ払いが楽になってるのは事実だ。

 是非これからもふんぞり返っててもらいたい。私の邪魔にならん範囲でな。

 

 ……だが今回の件が輝夜によるものであるならば話は別だ。あいつの計画を全部おじゃんにして死ぬほど悔しがらせてやりたい!

 私が動く理由なんてそれだけで十分!

 

「面白そうなことになってるな。ひとつ私に詳しい話を聞かせてくれないか?」

 

 私の言葉に影狼は小さくガッツポーズ。

 一方で化け猫の橙は怪訝な表情で私を吟味するように見る。信用できないって感じか?

 

「こう見えてそれなりに腕は立つと思ってる。間違っても兎なんかにゃ遅れは取らないよ。なんならその証拠を見せようか?」

「証拠…? ここで誰かと戦ったりするの?」

「いいや。もっと簡単な方法がある。影狼、すまんがちょっと付き合ってくれ」

 

 えー、と心底嫌そうな声と表情を隠そうともしない影狼。だってこの場で私の能力を知ってるのはお前と阿求だけで、なおかつ私を殺す攻撃力を持ってるのはお前だけだからな。

 

「なぁに気にすることはない、さっと首を落としてくれればいいから」

「しょうがないなぁ。それっ」

 

 影狼の腕が振り抜かれると同時に視界が二転三転とひっくり返る。そして地面に叩きつけられて、意識が暗闇に沈む。

 

 そして変わらない景色を私は見据えていた。

 橙は目を剥いて私の首あたりを凝視していて、何が起きたのか理解が追いつかないようだ。

 一方で影狼と阿求は白けた目でこっちを見ていた。お前らにゃ慣れたもんだろうな。

 

「とまあ、こんな感じだ。要するに絶対死なないから足手まといにはならん。他にも幾つか妖術が使えたりするが……」

「す、凄い……体を再生させる妖怪なら何人か知ってるけど、死んだ後から蘇る妖怪は私が知る限りじゃ一人もいないよっ! ほ、本当に紫さまと一緒に戦ってくれるの!?」

「さすがに手足のように働くつもりは無いけど、お前らの敵を相手に思いっきり暴れてやるよ。それでいいか?」

「やった! 十分だよありがとう!」

 

 橙は私の手を掴むとブンブン上下に振り回す。握手のつもりなんだろうか? 大袈裟なもんだと思うが……こんなに感謝してもらえるんなら悪い気はしないな。

 

「それ痛みはちゃんと感じるんでしょ? うへー、私だったらゴメンだね」

「パフォーマンスで死んで見せる人間なんて、世界広しといえど妹紅さんぐらいのものでしょうね。貴女を見ているとどうしても命が軽く思えてしまう」

 

 この二人のリアクションはもう慣れたもんだ。

 ていうか阿求、私がいうのもなんだが命は大切だぞ。命あっての物種だからな。……特にお前のような奴は大事にしないと。

 

 さてさて、私という最高の戦力を手に入れて舞い上がっている化け猫ちゃんだったが、それでもまだ人数が足りないようなので急いで知り合いの元に走り出してしまった。

 それに合わせて影狼と阿求も行動を開始する。

 

 私はどうしようか。もうちょっと時間がかかりそうだし、取り敢えず慧音を家まで運ぶとしようか。橙曰く、大した傷ではないようだが念には念を。

 もしも慧音に死なれるようなことがあれば、私の生きる希望は完全に潰えてしまう。慧音の存在こそ私が幻想郷に見出した価値そのものなんだ。

 

 大事に至らないようにしないと。

 

「大丈夫か慧音。今からおぶって家まで運ぶからな……痛んでも我慢してくれよ」

「う…く……妹紅か。すまない……」

 

 弱々しい声が聞こえる。どうやら意識はあるようなので一安心だ。慧音は強いから、こんな傷すぐに治しちまうに決まってる。

 

 

「妹紅……竹林へ戻るのか……?」

「うん。いっちょひと暴れして異変解決とやらに貢献してやるとするよ。そのついでに輝夜を殺せれば万々歳だ」

「……それが大部分の目的だろう」

「んーやっぱり分かっちゃうか」

 

 慧音には私の考えてることなんてお見通しなんだろうな。いや、私が単純なだけか…?

 まあ私からすれば日課の散歩みたいなもんだ。今日もいっぱい殺し殺され、明日が来る。ただそれだけの決まりきった日常の一部。

 

 だが、慧音の言葉は重苦しかった。

 

「だめだ妹紅……お前はこの争いに関わってはいけない……! お前が思っているほど、事態は簡単じゃないんだ」

「おいおい私は不死だぞ? 私の前に物事の難易度なんて存在するはずがないだろ? 大丈夫だって、てゐにも八雲紫にもいいように使われる気は無いから」

 

 私は安心させるように明るい口調で軽快に答えた。こんな状態の慧音になるべく心配はさせたくないからな。心配する意味なんて無いのに。

 だが慧音はそれを否定した。

 

「あいつらは……幻想郷の存続と我が身の保身しか考えていない。目的を達成する上での犠牲を『数値』としてしか見ないんだ……!」

「慧音?」

 

 私の背中を掴む力が一段と強くなる。いつもより覇気のない慧音の言葉だけど、真に迫るモノはひしひしと伝わってきた。

 

「天魔の権力欲で数え切れないほどの妖怪が犠牲になった。てゐの傍観により数多の被害が齎された……。摩多羅隠岐奈の暗躍で何人もの人間が運命を狂わされた……! 私の知ってる顔が、子供達が連中の所為で何人も死んでいったんだ! 」

「それで慧音はあんなに幻想郷の上の連中を嫌っていたのか。……慧音だもんね、許すことなんてできないよな。やっと分かったよ」

 

 悲痛な慧音の言葉が胸に突き刺さる。

 摩多羅隠岐奈とかいう奴は知らんが、他二人の悪名はよく聞く。特に天魔のやらかした出来事ってのがヤバい。恐らく、幻想郷成立から現在に至るまでの歴史において最も凄惨な出来事だった。

 連中のやってきたことは人間たちの間では風化していく一方だろう。だけど私や慧音、それに阿求なんかの記憶には深く刻まれている。永く生きてきた私たちにとってはつい最近のことに過ぎないんだ。

 よって忘れることもできないし、慧音のような性格だと割り切ることも難しいだろう。

 

「私は……あいつらを信じることはできない……。お前が酷い目にでも遭わせられたら、私は……! もう抑えが効かない……!」

「苦しんできたんだな。話してくれて、しかも心配までしてくれてありがとね」

 

 こんなに嫌っているのに慧音は毎月賢者たちと顔合わせしてるんだよな。阿求の護衛に最適なのは間違いなく慧音だから。

 ひとえに人里を、引いては人間を守る為に尽くしてきたんだ。ほんと、私なんかよりよっぽど偉いしカッコいいよ。

 

「賢者がロクでもない奴らってのは分かったわ。だけど件の八雲紫はどうなんだ? 慧音の目から見て信用できる奴なのか?」

「紫は……不思議な奴だよ。やる事なす事が多岐に渡っていて、大元の行動原理そのものが他の賢者とは異なっている印象だ。少なくとも阿求はあいつを信用しているが……私はあいつが怖い」

 

 怖い……?

 そんな事を言う慧音は初めてだ。

 

「私は紫を同じ世界に住む者と思った事は一度もない。考え方も在り方も、全てが私たちとは一線を画している……。賢者の中であいつを信用しているのも、多分一握りだろう。みんな内心では紫のことを大なり小なり恐れている」

「そんなにおっかないもんなのか。妖怪に恐怖を抱くことなんてここ数百年なかったからよく解らないなぁ」

「そんな表面的なものじゃない……。獣が火を怖がるような、そんな原初的な恐怖だ。無知への恐れ……ならまだいいだろうな……」

 

 八雲紫か。どうも思っていたより厄介な妖怪なのかもしれない。配下の橙を見る限り、そこまで黒い組織とは思えないが……。

 あーあ、謎はより一層深まった。

 

 たけど、もう私の中で慧音への答えは決まっていた。それどころか慧音の内心を聞けたことで、大きな決意を抱くまであった。

 

「慧音、私は行くよ。貴女の話を聞いてなおさら八雲紫の元へ行きたくなった」

「妹紅……!」

「何が何でも姿を拝ませてもらう。そしてこの幻想郷を率いるに信用の足る妖怪かどうか吟味させてもらおうか。前から気になってたんだ」

 

 実のところ、その裏に隠してある思惑はあまり平和的なもんじゃない。まあ、この事は慧音には秘密だ。絶対に反対するって分かってるからな。

 

「大丈夫だよ慧音。なるべく穏便に済ませるつもりだし、私は絶対に死なない。慧音より先に死んでやるもんかよ。……だけどもし、私が死んじゃったら……その時は喜んでくれ。『藤原妹紅はやっとこさ死ねたんだ』ってね」

「はは……。怒る気にもならんよ」

 

 力無く慧音は俯くように私の背中へ頭を預けた。疲れちゃったのかな。

 精神的にもかなりくるものがあっただろう。それにこんな夜だ……そもそも慧音の状態は万全とは程遠い場所にあった。

 

 慧音……もしも輝夜の野郎が余計な事をせずに満月がそのまま出ていれば、橙にだって決して負けなかっただろうに……。

 

 結果だけを見れば慧音の行動は無駄だったかもしれない。

 現に慧音に勝った橙と話すことができたおかげで、こうして今宵の事件の存在に気づくことができた。さらに言えば慧音の苦悩を知ることができたのは、今の慧音の憔悴が有ってこそだ。

 

 だけど慧音の気持ちを無下にすることはできない。人間を守りたいと想い続けた優しい決意……私が絶対無駄にはしないよ。

 お前みたいには上手くできないしカッコよくも振る舞えないけど、一丁前の度胸は持ってるつもりだ。お前が真に笑える日が来るまで、何度でも死んでみせようじゃないか。

 

 

 これから私は八雲紫に会いに行く。そして私の判断次第では……そうだな、取り敢えず賢者とかいう連中を阿求とてゐを除いて()()()()()()()とするか。

 後のことなんて知ったこっちゃない。弊害を振り撒くだけの旧体制が根付く支配なんて、無い方がマシだ。何より慧音を追い詰めていたのが許せん。

 

 慧音が里を盾に取られて動けないのなら、私が汚れ役を喜んで引き受けよう。

 

 はは……。こんな安い命の使い方、幻想郷広しといえど私くらいのもんだろうな。

 

 あっいや、もう一人いた。

 八意永琳……あいつは身体だけじゃなく心まで殺すことができる。あいつは多分恐らくだが、()()()()殺せない奴だ。

 私から見ても正真正銘の化け物で、輝夜と殺し合う上でもっとも警戒しているのが永琳の存在であることは言うまでもないだろう。

 

 あぁ……そういや今回、永琳はどこまで介入してくるつもりなんだろう? 輝夜の安全を第一に考える奴の事だ、大きな行動を起こすことはないと思いたい。

 現にてゐが永琳の代わりにこうして大きく出張っているわけだからな。

 

 けどもしも永琳が本気になってこっちを潰しにかかったら……。

 

 異変解決は絶望的かもしれん。

 

 

 

 

「あまり集まりませんでしたね……。しかしこれだけの面子がいれば相応の助けにはなるでしょう。取り敢えずこの後も私の方で呼びかけておきますので、追加の人材を確保でき次第そちらの方へ向かってもらいます」

「うん! 紫さまも喜んでくれると思う!」

「おまけと言ってはなんですがこの妖精を連れて行くといいですよ。鱗粉を飛ばすくらいしかできませんがそれなりに頑丈ですので弾除けにでも」

 

「ふっふっふ……紫さんったら最近になってわちきの強さ(使いやすさ)に気が付いたみたいね! まあしょーがないから手伝ってあげるかなぁー!」

「やる気があっていいじゃない! あっちには姫と響子がもう向かってるらしいわ。私たち3人も続くわよぉー!」

「あんまり大声出さないで……頭が割れる……。それと影狼、私は草の根ネットワークには入ってない。以上」

 

 煩い云々に関しては赤蛮奇と同意見だ。

 

 それにしてもまあまあの人数だな……。変わり者妖怪集団に阿求にひっさげられたアゲハ蝶のような妖精。全員がそこそこの実力者か。

 橙と阿求はまだ人数が欲しかったみたいだが、私からしてみればさしたる違いはない。結局のところ私がいれば負けはないんだからな。

 

「それじゃあみんな! 今から紫さまへの道を開くから、着いたら一斉に暴れ回ろう!」

 

 作戦もへったくれもないな。まあ、そっちの方が私にとっちゃやりやすいがね。

 少なくともこの場にいる奴は全員そう思っていそうだ。阿求はともかくな。

 

 そして橙はこちらに背を向けると、妖力を込めて縦に虚空を切り裂いた。すると空間に黒い亀裂が走り、瞳のように開かれた。

 

 空間を埋め尽くす無数の瞳。

 妖しい色に淀む世界。

 

 冷たい衝撃が私の身を打った。

 何故ならこの空間を見たのは初めてではないからだ。私はこの気色の悪い空間を過去に2回、目の当たりにしている。

 1回目は何百年か前。そして、2回目はつい先週ほどのことだった。

 

 アレは、あの妖怪が使っていたものに違いない。だけどなぜ橙が……?

 

 周りを見ると、全員がなんの疑問も持たない様子であの気持ち悪い空間へと足を踏み入れている。さも、当然のように。

 

 ……なんなんだ。この強烈な違和感は。

 

「ほら早く潜って! もう向こうじゃ戦いが始まってるよ!」

「あ、ああ。……なあ一ついいか?」

 

 私の言葉に橙は首を傾げた。なぜこのタイミングで? と思っていることだろう。だが首を傾げたいのはこっちの方だ。

 

「その空間は、お前の能力で作っているのか?」

「ううん、違うよ。私もスキマを使えるようになったのは最近なんだけどね、多分紫さまが私に力を分けてくれたからじゃないかな。ずっと紫さまや藍さまみたいにスキマを使いたかった……その夢が叶ったんだよ!」

「そうか……良かったな」

 

 橙が嬉しそうにはにかむ笑顔を浮かべた。

 私は脳裏を掠める嫌な予感から背を向けながら"スキマ"とやらを潜った。

 景色は一瞬で移り変わり、人里の角から竹林へと変貌していた。心なしか空気そのものが身体に馴染むような、そんな気がする。

 

 

 辺りを見回すと彼方此方で戦闘が始まっているようだ。私のすぐ近くで爆炎やら謎ビームがこれでもかと飛び交っている。

 だが今の私に戦闘欲は残っていなかった。

 

「あれ、おかしいなぁ。紫さまの座標はここで合ってるはずなんだけど……もしかしてスキマ空間の方にいるのかな」

「……なあ橙。最後に一つだけ質問いいか。これが私の納得のいく答えだったなら、すぐにでも参戦するから」

 

 橙の方を見らずに言ったが、気配で相手が身構えているのが分かる。もしかしたら口調が強くなってきているかもしれない。

 意味もなく一呼吸置いた。そして一言。

 

「紫さまってのは、どんな風貌だ?」

「へ、変な質問ばっかりだね……。こんな状況でそんなこと聞くなんて変だよ?」

 

 橙も私と同じように会話を一旦途切れさせた。やがて、少しずつ語り出す。

 

「紫さまはね、紫色のお召し物を好んでよく着てる。春と夏はドレスで、秋と冬は導師服」

 

 紫色の服。

 

 

「髪の毛はお月様よりも明るい金色。背中まで伸びててとても綺麗なんだ」

 

 金色の髪……。

 

 

「でね、瞳は吸い込まれるような深い紫色! 一度見れば絶対に忘れないよ!」

 

 ……。

 そうか。そういうことだったのか。

 はあ……この予感だけは、絶対に当たって欲しくなかったんだがなぁ。だが無情にも、結果を見るよりも早く解ってしまった。

 

 

 気付かなかった。

 ───いや、気付こうとしていなかったんだ。

 こんなにも近い場所に居たのに、私は奴を探すのを諦めた──フリをしていた。竹林に閉じ篭って情報も殆ど耳に入れずに、目を逸らし続けていた。

 

 もう二度と会いたくなかったよ。

 

 結局、この幻想郷に住まう私はあいつの掌で堂々巡りを繰り返していただけだった。

 慧音も阿求も……みんなが踊らされているんだ。

 

 

「橙! よくやってくれたね……私は鼻が高いよ」

「藍さま! それに霊夢も!」

「ああアンタも来てたのね」

 

 輝夜と同じように憎しみを糧にできれば、こんなザマを晒すこともなかっただろう。だけど、できなかったんだ。

 

 ……怖かった。

 あいつの全てが怖かった!

 

 

「紫さまはご無事ですか!?」

「私たちの後ろにいるよ。怪我をされているが大事には至らなかったようだ。──取り敢えず一度態勢を整えて再度竹林の攻略を進めよう。どうも因幡てゐを捕まえるだけでは今回の件が終わりそうにもないんだ」

「それでは私が紫さまを連れて下がりましょうか!? みんなが兎たちを抑えているうちに藍さまと霊夢は大元を……」

 

 蓬莱の薬を飲んでから私は強くなった。数え切れないほどの妖怪と戦ってきたが、殆どを死ぬこともなく片付けてきたし、私に限って万が一は存在しない。

 

 私は自分のことを枠外の存在だと信じ込んでいた。

 食物連鎖の頂点に立つ必要もない、『生物』としての致命的な欠陥。紛い物でありながらも生き続けることができた確かな理由。

 

 だけど思い知らされた。

 いや、思い出したという方が正しい。

 

 恐怖という感情のキーパーツ。憎しみや愛情よりも先行する感情の迷走。

 あの日以来、私は妖怪恐怖症に陥っていたんだろう。慧音の助けがなければ今も竹林の中で震える生活をしていたと思う。

 

「そうだな。紫様が引き連れてきた者たちも各地で安定した戦闘を行なっているようだし……。どうなさいますか()()

「私がいの一番に撤退するのもどうなのかしら。うーん……たまには霊夢の職場参観に興じるのもいいかもしれないわね」

「ちょっと親面しないでくれる?」

 

 

 人里で八雲紫を見かけた時、殺すことのできる決定的な機会(チャンス)があった。手を伸ばせば簡単に殺れる、そんな瞬間が。

 

 だけどできなかった。

 身体がすくんで硬直してしまった。

 お陰で何もできずに腕を奪われて逃げられた。何百年にも及ぶ千載一遇のチャンスをまんまと素通りしちまったんだ。あの後、動けなかったことが何よりも悔しくて何度も地団駄を踏んだ。

 

 今日は違う。

 

「そういえば、言っちゃ悪いけど時間かけた割には援軍が少なくない? まあ元々いらなかったんだけどさ」

「うう……慧音に足止めを食らっちゃって。だけどとっても強い人が来てくれたんだ! そこにいる藤原妹紅って人なんだけど──」

 

 

 もう私ひとりの問題じゃない。幻想郷に住むみんなの運命がかかってるんだ。

 この世界のため、慧音のため、人間のため……。

 

 そして『あいつ』のためにも……!!

 

「藤原妹紅? 聞いたことのない名ま……え?」

「どうされました? 紫様」

 

 

 八雲紫……っ。

 私は、お前がッ! 今宵だけは輝夜よりも憎いッ!!

 

「八雲ォ紫いぃぃぃぃいッッ!!」

 

「えっ、えっ、えぇ!? なんで生きて……」

 

 踏み出せなかった足を強く踏み締め、伸ばせなかった腕を勢いよく空へと叩きつける。

 接近に1秒もかからない。

 目を見開く橙を通過し、巫女が動くよりも先に八雲紫を射程範囲に捕らえた。

 即座に腕を振りかぶる。

 

 狙いは心臓。

 そして灰も残らず焼き尽くすッ!

 

 

「──ゥげはっ……!」

「させるか愚か者」

 

 が、逆だ。

 心臓を貫かれたのは私だった。

 

 胸へ手刀による抜き手、一突き。

 身体が一時的な停止に追い込まれるほどの完璧な致命傷。これが、九尾の狐……か。

 

「なんだったんだこいつは……」

「ら、藍さまダメ! 妹紅は死なないの!」

 

 その通り、私は死なない。

 だが一連の流れで身体は一度死んじまうからな。少しでも有効活用しなきゃな。

 

 身体中の生命力を妖力に変換し、自らの細胞を焼き尽くすことも厭わない焼身爆発。これで九尾の狐ごと八雲紫を吹き飛ばす!!

 もちろん、私の身体に突っ込まれたこの腕は、絶対に離さないからな?

 

「こいつまさか…! 橙ッ紫様を守れ! 霊夢も──」

 

「ハハ、諸共死のうや」

 

 急激な脱力感が身体中を駆け巡り、代わりに凄まじい熱量が体外へと放出される。

 全員がなすすべなく焔に飲まれるのを確認し、やり切ったことを実感できた。

 

 命の熱を感じながら、私は一度意識を手放した。

 

 




 
・迷いの竹林のテーマである『永夜の報い』と『満月の竹林』のフレーズにはタイトル曲が使用されている。その事を鑑みた迷いの竹林の特異性。
・ゆかりんは異変に全く気づけなかった。月をしっかりと確認していたにも関わらず。
・ゆかりんは竹林に踏み入るのが嫌だった。
・てゐの能力は問題なく発動している。

取り敢えず添えた伏線。覚えておくとなかなか面白いやもしれません。
ちなみにゆかりんの瞳の色について、紫色と何度も明言されていますが、作者は紫の瞳の色はどっちかというと金色派ですね。まあ、幻想郷のみんなはコロコロ瞳の色が変わるからね……。

それとあんまりフォローが入っていませんけど、ゆかりん招集組で一番の戦力は実のところリグルなのです。虫ちゅよい……。





「こんばんわー。今泉影狼って名前聞いたことある? あるよね? それは私のことよ! 知らない人は覚えて帰ってちょうだいね。
いやーそれにしても怖いわー、賢者怖いわー。言うこともやることもスケールがでかくて私たちみたいな下々の妖怪には理解できないわー。あんな連中をまともに相手するなんて、考えただけで身の毛がよだつわね。あっ、今日はあんまり毛は生えてないけどね。
だけどそんなみっともない暮らしももう終わり! 今回の事が上手く運べばもう家賃もみかじめ料も払わなくていいんだ! 草の根から一人でも賢者を排出できれば全てがトントン拍子で解決よ!

そうねぇ……生活に余裕ができればお肉をお腹いっぱい食べたいわ。それから毎日霧の湖までゆっくり散歩して、姫たちと一緒に楽しいことをいっぱい話して……穏やかに暮らしたいわ。全ての妖怪が日向に出れるような、そんな未来になるといいねぇ」


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想いの姿

急に動き出す物語


『根本的な物事を証明するには対になる物事の存在が不可欠よ。だけどそのどちらが先に存在を確定されたのかなんて誰にも分からない。例えば、私が今見ている夢は私の立場からすれば脳内に投影されているただの虚像に過ぎないわ。残念なことにね』

 

『つまり、そんなお前と話している私はただの虚像とやらなのか? まさかそんなことあるはずが……なあ?』

『そう。その矛盾を解決できない限り貴女と私、どちらが本物かなんて分かりっこないの。そもそも、自分の存在すら確立できないのが人間っていう生き物だからね。だけどそこから二律背反を見出して自己の確立を目指した人間もまた少なからずいるわ』

 

 少し溜めた後、得意げな顔をして言う。

 

我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)……もはや哲学の前提となってしまった有名な言葉よ」

『なるほど、意味不明だ』

 

 あいつの言うことは難しかった。

 おおよそ当時の言葉運びとはかけ離れている言語。多分、いま聞いても半分は理解できないだろう。

 そもそも服装もおかしかったし、価値観の違いも言葉の端々から感じることができた。

 

 あいつは私のことを夢の住人と言ったが、私から見ればあいつの方がよっぽど夢の世界に住んでるように思える。

 だけど、幻ではない。互いの確かな存在を私もあいつも感じ取っていた。

 

 実体もあれば感情もある。

 私は夢の中の登場人物ではないし、あいつは私が作り出した孤独が故の幻でもなかった。

 

『うーん……お前の話は難しい割に為になるのかがよく分からない。そうかそうか、世の中はそんなに進歩したんだなぁ』

『あらごめんなさい。いつもの相方と話してるノリで喋ってたみたい。ここまで話すことなんてあの子以外にそうそうないから……』

 

 年がら年中こんなことを話してるその相方さんとやらも相当な変人なんだろうな。機会があれば是非会ってみたかった。……もう叶わぬ想いだが。

 

 

 多分、この邂逅自体が奇跡の産物だったんだろう。それこそてゐのヤツに頼らなければならないほどに難しい出会い。

 詳しい理由なんざ考えたくもないが、私たちの間には隔絶されたナニカがあった。

 

 だが私たちは互いの存在を自らの欲を埋める為の人間として互いを認識していたんだろう。

 現に私は楽しかった。慧音にも、況してや輝夜にも出会っていなかった頃の私だ。枯れていながらも心の奥底では色んなモノを望んでいた。

 あいつのような存在はまさしく、私が望む人間そのものだったんだから。

 

『……もうどれくらい話したかしら? なんだか時間が酷く曖昧な感じがするの。貴女はどう? えっと、《もこん》さん』

『妹紅だ。まあ名前は置いといて、えらく奇遇だな。私もそう思っていたところだ。えっと……《まあらばいー》…だっけ』

『マエリベリー! もう……初対面の日本人はいっつも私の名前を間違えるんだから。やっぱ私の名前って日本人には発音しにくいのかしら?』

『大陸の人間でも呼びにくいと思うぞ』

 

 日本語や中国語ではない未知の語感による名前。マエリベリー……何にも耐えようがない感触の名前だ。教養はそれなりにある方だと思ってたんだが、まだまだ分からないことは多い。

 

 なんだろうな、アイツと話してたら色んなものにどんどん興味が湧いてきたんだ。アレは多分、久しく感じていなかった活力というものだろう。

 凍って動かなくなった身体に宿った熱は、私に不思議な気持ちを与えてくれた。

 

『なら貴女も私のことをメリーって呼ぶ? 例の相方に「マエリベリーは呼びにくいから略してメリーね!」なんて言われて付けられたんだけど……』

『めりー、メリー……いいじゃないか。何がどうなってそう訳したのかは分からないけど、とても呼びやすくなった。その相方とやらに感謝しなきゃね』

 

 ああ、懐かしい。

 何百年の月日が経とうと、あの奇跡の邂逅を隅々まで詳しく思い出すことができる。思い出すたびにあの時抱いた気持ちが一つずつ湧き上がってくるよ。

 

 藤原妹紅と()()()の顔合わせは間違いなくあの日、竹林で行われていたんだ。

 

 あの僅かに欠けた月の下で、あの夢のような時間の中に私は生きていた。

 

 だから───。

 

 

『あらあら時代錯誤の愉しげなお話だこと。ふふ、危なっかしくて聞いてられないわ』

 

 

 あの悪夢もまた現実なんだと、否定しようのない事実として……。

 夜のたびに思い起こす事になる。

 

 

 

 

 

 *◆*◆*

 

 

 

 

「くぅ……痛ッ……」

 

 何メートル吹き飛んだか分からない。そもそも周りの景色が先程から一変していた。

 大地を深く覆っていた竹藪は土壌ごと消え去って灰も残さず消し飛んだ。地面はぐろぐろと熱が這って赤く発光している。一体どれだけの温度が発せられたのか、想像もできない。

 

 藍もろとも爆発した藤原妹紅という少女……まさかここまでの力を秘めていたなんて! この分だとあの時私が逃げきれたのは偶然だったってことか。

 うぅ……今のでかなりの被害が出てしまった……。だって爆心地は私たちが陣形を取っていたちょうど真ん中。ここを起点に余すことなく爆発がみんなを飲み込んだだろう。

 

 ちょっと先の方で倒れてたりひっくり返ったりしている面々が何事かと困惑していた。わかさぎ姫やミスティアなんてところどころが焦げちゃってなんかあかん臭いを発しちゃっている始末だ。

 こらこらイヌ科妖怪たちは涎を垂らさない!

 

「だ、大丈夫ですか紫さま……」

「ありがとう橙、それに霊夢も。貴女達のおかげでなんとか事なきを得たわ。どちらか一人がいなくても危なかった」

「……全てを抑えるつもりで張った結界を破られたのは想定外だったわ」

 

 霊夢が結界を張って爆熱を、橙が身を呈して衝撃を遮ってくれたおかげでこうして命を繋ぐことができた。どちらか一方がいなかったら私は今頃……。

 いや、二人はもちろんのことだが、爆発を一番抑え込んでくれたのは……!

 

「ら、藍さまっ!!」

「……なんて事」

 

 藍は爆発する寸前に逃げるのではなく、敢えて妹紅に抱き付く事によって自分の身で蓋をしたのだ。

 その結果、私はほぼ無傷。橙と霊夢も目立った外傷を負うことはなかった。

 だがそれのシワ寄せは全て藍へと集中していた。

 

 酷い火傷に肌の至る所に走る深い裂傷。妹紅の胸へと突き立てられていた右腕は形すらなく、二の腕の中程まで炭化している。

 目は虚ろで光を感じない。

 

 最悪の予想が脳裏に去来する。

 こんな藍を見たのは初めてだった。衰弱した姿は一度だけ、初めて藍と邂逅した時に見た。だけど今の状態は、あの時よりも遥かに悪い。

 

 気づけば私は藍を抱きとめていた。

 

「藍……藍っ! 死んじゃダメよ!!」

「あ、あぁあ……わ、私のせいだ……! 妹紅を連れて来てしまって、こんな……あぁ……」

 

 私は必死に呼び掛け、橙は真っ青になりながら自分を責め立てていた。

 すると霊夢が私たちを押し退けて藍の腕を少しの間だけ握る。濃密な霊力が霊夢から藍へと流れているのを私でも目視できた。

 

「見苦しいから狼狽えないの。こいつがそんな簡単にくたばるようなタマだと思う? 少しだけ回復に努めればすぐに起き上がるわ」

 

 霊夢の言葉に私も橙も、ほっと胸をなでおろした。

 そ、そうよね。あの藍がこんなあっさりと死ぬはずがないもの。全て霊夢の言う通りだ。

 流石は頼りになる我が娘! その冷静沈着さは是非とも見習いたいわね。

 

 取り敢えずスキマから毛布を取り出して藍に被せてあげた。服が破れて酷いことになってるから、まあ一応の対処ね。

 

「あ、あの……紫さま。……ごめんなさい」

「橙……」

 

 なんともいたたまれない気持ちになる。

 

 ……橙に全ての非があるわけではない。私が彼女に命じたのは『人里の実力者を連れてくる』という簡潔な内容。橙はそれを忠実にこなしただけだ。

 あんなに頑張ってくれてたのだ。多分、妹紅ほどの猛者を確保することができて舞い上がっちゃったんだろう。まさか彼女が私たちに牙を剥くとは夢にも思っていなかったんだと思う。

 

 

 ……いやちょっと待って。

 そういえば藤原妹紅はどこにいるの? 木っ端微塵とはいえ燃え滓の一つや二つはあって当然なはずなのに。まるで最初から居なかったかのように彼女の存在そのものが丸々消失している。

 藍の周りには抉られた地表以外に何もない。

 

「紫。すぐ私の後ろに移動して」

 

 張り詰めた霊夢の声。これは何時の異変解決モードの霊夢が発する声音だ。

 恐る恐る霊夢の視線の先へ目を向ける。

 そこに妹紅がいるという下手な展開はなかった。だがそれが妹紅の術によるものであることは一目瞭然だった。

 

 空中に浮かぶ紅い靄。純粋な妖力で構成された不気味な発光体。鼓動のように揺れるその姿は───。

 

 

 前触れもなく一際大きく靄が発光する。瞬間、私の眼前が激しい紅に彩られた。

 霊夢の結界という壁に阻まれ、私の前で紅蓮弾は脆く霧散する。しかし怒涛の弾幕攻撃には底知れぬ執念を感じた。

 それどころか、霊夢の結界を押し切ろうとしている。そ、そこまでして私を……?

 

「くっ……なんて馬鹿力……! こんなの相手にするのも面倒ね!」

「手伝うよ霊夢!」

 

 橙が咄嗟に霊夢のサポートに回った。藍直伝の術式を霊夢の結界と呼応させて強度をさらに引き上げる。

 地力では藍に大きく劣る橙ではあるが、それ故に大事な局面では何度も藍のサポートに徹してきた。橙は立ち回りのスペシャリストだ。

 

 ……動けないのは私だけだった。ただ二人が護ってくれているのを藍を抱きしめながら見ていることしかできなかったの。

 

 紅蓮弾の猛攻にひたすら晒されること数十秒。結界が嫌な音を立て始めた頃、終わりは唐突に告げられた。轟音が響く迷いの竹林に静寂が訪れる。

 

 霊夢の肩越しに靄の方を伺うと、それは徐々に縮小を始めて、やがて膨張する。

 光の中から現れたのは、身体に傷一つ負っていない藤原妹紅だった。

 

 橙の言っていた「死なない」というのはそのままの意味だったってこと!? まさか、文字通りの不老不死ってこと……?

 なるほどだからあの人里で出くわした時、両腕を切断したのに生きてたのね。意味わからん!

 

「『パゼストバイフェニックス』──便利なもんだよ、あんたが作ったスペルカードはさ」

「……こんな用途での使われ方なんて想定してないわよ。スペルカードは生きている者と死んでいる者の為の技術ですわ」

 

 こう見えて私はスペルカードの考案者、それなりの知識は持ち合わせているわ。まあ、最終的な工程は全て藍に丸投げなんだけどね。

 

 あのパゼストバイフェニックスというスペルカード……肉体を失ったことをトリガーとして発動する受動的な構造になっている。

 つまり、藤原妹紅は魂の状態であれほど苛烈な攻撃を仕掛けてきていたということだ。勿論、私の知る限りでこんなキチガイ染みた発想をした奴は一人もいない。この子頭おかしいわ(直球)

 

「随分ととんでもないのに目を付けられてしまったみたいね。ほとんど見ず知らずの関係だと言うのに容赦のないこと」

「……そうか。お前は私のことを覚えてないんだな。そりゃそうだよな」

 

 口調は先ほどと比べて幾分かは穏やかになっている。だけど私を貫く瞳の鋭さは、視線だけで殺されてしまいそうなほどにますます増している。

 覚えはない……はず。

 

 

 

「ちょうどこんな欠けた月の下だったっけな。幾望虧月──そう、今はあの日と全く同じだ。違うのは『あいつ』がいないことだけ」

 

 ……?

 

 

「あんなに悦んでいたくせに……忘れちまったのか。()()()()()()()のは、ただ娯楽のためだったってのか!!?」

 

 

 風が私の身体を通り抜けた。

 妹紅の気迫によるものもあるだろうが、そんなのよりももっと深くに浸透するナニカ。

 

 あいつ……メリー?

 なぜそこでその名前が出てくるの?

 

 メリーは、私でしょう。

 

 待って。

 誰、なの? だって、それに私、迷いの竹林は昔に一回入ったっきりで……───っ。

 

 

 

 何かががしゃりと音を立てる。

 

 何かがはめ込まれたようで、何かが壊れた音。

 

 視界が崩れる。

 

 

「──うっぐぅ……痛い……!」

「紫さま? ど、どこか痛むんですか!?」

 

 頭蓋の中に茨が這っているような強烈な痛みと深刻な不快感。そして焼き焦がすような熱が脳髄を伝って全身へと循環。

 心配してくれてるのだろう、橙が私の身体を揺すっている。「大丈夫」だと、一言だけ言えればいいのに……痛みがそれを許さない。

 

 痛いからでも、心情的な疲労によるものでもない。

 何かに対する涙がとめどなく溢れ出てくる。

 

 わけが分からないわ。

 

「うぅあぁぁ……っ…これ、は……!」

「しっかりして紫!!」

 

 ダメだ。この場所にもう居られない。

 藍を連れて、逃げなきゃ……!

 

 ぐるぐると腹の中を渦巻くナニカが吐き気となって込み上げる。

 

 直感で判った。

 込み上げているのは吐瀉物ではない。吐き出されたその時、絶対に良くないことが起こる、そんな予感が頭を埋め尽くす。

 

 いっそ吐いてしまえば楽になるんだろうか? 私は今の苦しみから解放されるのだろうか?

 

「しっかりしろ(して)(紫さま)っ!」

「あ、あっ……う……う…!」

 

 そうだ、意識を外らせなきゃ。

 何も考えるな……霊夢と橙の声だけを…!

 

「うっ……はぁ! はぁ! はぁッ!」

 

 よし、多分痛みの峠は越えた!

 後は気持ちを落ち着ければ……。

 

「……お前のような奴が罪悪感を抱くはずがない。まさか私の油断を誘っているのか? ハッ、目出度い作戦だな! 私は容赦しないぞッ!」

「ったく、藍も紫も役に立たないんだから!」

 

 視界の端で霊夢と妹紅が衝突した。

 くっ、ここまできてこんな、体たらくを晒すなんて…! せめて妹紅と距離を離せば頭痛も少しはマシになるだろうか。

 

 逃走経路を用意べくスキマを展開して、まずは藍を安全圏へ滑り込ませようと身体に鞭打ち身体を抱え上げる。やはりと言うべきか、めちゃくちゃしんどい。

 

 ええい! 頭痛なんて……なんぼなもんよ……!

 

「ま、待ってください紫さま! 藍さまが!」

「え…?」

 

 藍の腕が一直線に伸びていた。そして人差し指の一本だけを立ててとある方向を指している。何があるのかとその方向を見てみたが私には何も見えなかった。

 いえ、それよりも藍よ! 目を見ると若干の光が浮かび上がって私に焦点を合わせている。まだ万全とは言えない状態みたいだけど意識を取り戻す程度には回復できたみたいだ。

 

 これが九尾の治癒能力……!!

 

「紫さまっ! てゐが! 因幡てゐがいますよ! しかもなんだか足を引きずってるみたいです!」

「なんですって?」

 

 橙の言葉に目を見開いた。確かに妹紅の自爆によって見通しは良くなったが……。

 

 うーん、私には何も見えない…! これでも視力は2.0以上あるんだけどなぁ。これは私が悪いんじゃないわね、橙と藍がおかしいだけだ。

 だが橙が「居る」って言うなら、あっちの方にてゐが居るのだろう。しかも負傷した状態という絶好の機会!

 

 ふふ……天運尽きたわねてゐ!

 私の悪運の強さを舐めてもらっちゃ困るわ。

 

「追うわよ橙、この期に戦いを終結させる。霊夢はその暴れ馬をお願いね」

「貧乏くじだけど、仕方ないわねっ! こいつをぶちのめしたらすぐに後を追うわ」

 

「ちくしょうッ、邪魔するなァァアッ!!」

 

 再度妹紅の身体が紅蓮の焔に包まれる。

 だが今度は霊夢も油断していない。爆発を事前に準備していた結界によって未然に封殺した。凄いわ霊夢!(小並感)

 

 不意を突いたとはいえ藍を一撃で戦闘不能に追いやった妹紅の危険度は高い。私が論外なのはもちろんだとして、あの分だと橙でも厳しいだろう。

 なら必然的に霊夢に残ってもらわなきゃならなくなる。まあ前回の異変みたいにならなければ妹紅相手でも遅れをとることはないでしょう。

 それに安否を確認できないアリスや魔理沙だが、あの子達のことだから多分無事だろうし、手が空けば霊夢の助太刀もしてくれるはず。

 

 妹紅は霊夢がなんとかしてくれる!

 そして私たちがその間にてゐを仕留めることができればこの戦争は私たちの大勝()で即終了! てゐとの腐れ縁を払拭しいつもよりちょっぴり平和な日常を迎えることができるのね!

 

 あと藍だけど……このまま私がおぶって連れて行こうと思う。見れば傷口がみるみる塞がっていて、すぐにでも万全に近い状態まで回復しそうだ。

 なお本人との確認は取れてない。どうやら喉が焼けているようで声が出せないみたい。

 

 ぶっちゃけあのてゐが相手なのだ。私と橙だけではどのような不祥事が生じるか分かったもんじゃない。ごめんね藍……休ませてあげれなくて本当にごめんなさい。

 ……ていうか藍が私の服を掴んで離してくれないのよね。凄い目で「置いていくな」って訴えかけてるんだもん。

 

 ちなみに最初橙が藍を運ぼうとしたんだけど、その役目は私が敢えて引き受けることにした。せっかくの橙の機動力を削ぐのは勿体ないもの。

 

 というわけで吠えまくる妹紅を背に私たちは逃走兼追跡を開始した。霊夢お願いね!

 

「三度も逃してたまるかよ……!」

「っと、私を素通りなんて舐められたものね。一つ言っとくけど私がいる限り紫の後を終えるなんて思わないことよ。それに、アンタには聞きたいことが山ほどあるわ」

 

 

 

 

 

「てゐの場所までもうすぐですね! ……それにしても、大丈夫なのですか紫さま」

「ええ心配は無用よ。むしろ今の私は気分が良いまであるわ」

 

 そう。飛びながら気づいたんだけど、頭痛がいつのまにかすっかり良くなってる。それどころか身体が羽のように軽いわ!

 流石に橙と並ぶほどに速くは飛べないけど、今迄の私に比べればもはや別物! 歌でも歌いたい良い気分を味わいながら、なおかつ藍に配慮して慎重に飛行中よ。

 

 あーもしかしたらさっきの頭痛ってアドレナリンがドバドバ垂れ流しになってたからなのかな? 脳卒中かと思ってひやひやしたんだけども。

 ……一応念のために異変が終わったら外の世界に人間(妖怪)ドックを受けに行こうかしら。病気をしない妖怪なんてのが居るのは鬼太郎の世界だけなのよ。私もいい加減歳だし、もしかしたら病気を患い易くなってきてるのかもしれないしね。

 そういえばスキマ妖怪って何歳まで生きるんだろうかと、今頃になって疑問に思う私なのであった。安らかに逝けるのなら御の字なんだけどねぇ。

 

 っと! 心の中で無駄話をしているうちに随分てゐとの距離を詰めていたようで、私の肉眼でもてゐの背中を捉えることができた。

 確かに足を引きずっており、さらに腕も怪我しているようで力なく垂れ下がった左腕を右腕で庇うようにして走っている。

 ……ここまでボロボロのてゐは初めて見たわ。

 

「そこまでよてゐ。大人しく降参しなさい」

「……っ、私としたことが、よりにもよってアンタらに気付かれてたのか」

 

 力なく振り返るてゐに反抗の意思は見られなかった。傷だらけの小さな身体をこれでもかと曝け出して自分が無力であることを主張している。

 よく見ればピンクの衣服のあちこちが土に塗れて汚れている。……もしかして落とし穴を掘ってた最中に妹紅の爆発に巻き込まれたのかしら? それで生き埋めになっちゃって……みたいな。

 

「はは、ここまでくるともうダメかもしれんね。いっそ諦めちゃおうか……」

「ふふ……貴女ともあろう者が諦めるなんて事をほざくはずがない。十八番の演技は最早二番煎じ。もう私には通じないわ」

「そうなの? そっか……もうそれなりに長い付き合いだもんね」

 

 残念だがてゐが情に訴えかけているのはバレバレだ。表向きこそか弱さを押し出しているが、あの潤んだ瞳の奥には漆黒の意志が宿っているに違いない。

 つまりだ。私たちが取るべき行動は───!

 

「橙っ、てゐを仕留めるわよ!」

「はい!」

 

 問答無用の攻撃! 確実に戦闘不能まで追い込むに限る! 話を聞くのはそれからだ!

 

 そして私と橙は一歩踏み出し……。

 

 落とし穴に落ちた。

 うん、完全に忘れてたわ!

 

 這い上がりもしない内に仕掛けられた罠が作動し土と竹槍の塊りが振り下ろされる。

 咄嗟に橙が結界で凶悪な刃の群れを抑えつける、が、てゐは恐らく想定済みだった。ビンッ、と不気味な炸裂音が眼前で弾けた。

 

 二重トラップ……! 飛び来た音速の矢じりを、おぶっている藍がしっかりと二本の指で受け止めていた。私までの距離はもう一センチもなかった。

 即座に藍が巧みな指さばきで矢を投げ返すが、矢はあえなくてゐに至る直前に四散した。

 藍……貴女ったら二指真空把が使えたのね。

 

「ゆ、かりさま……あと、少しで動けるように、なります。それまでてゐと戦うのは……ケホッ、ケホッ!」

「喋るのはやめなさい。余計怪我が悪化するわ」

 

「……最後のチャンスか」

 

 てゐは先ほどの罠による牽制で動けない私たちを尻目に文字通り脱兎の如く逃げ出した。くっ、逃げるなんて卑怯よ!(おまいう)

 まずいわ。ここでてゐを逃せば私たちの勝利はさらに遠のいてしまう。だけど迂闊に近付けば軽く返り討ちに遭いかねない。

 どうすれば……!

 

 

「蠢符『ナイトバグトルネード』!」

「な……くそ…!」

 

 スペル詠唱とともに地面が盛り上がり、まるで噴火のように虫の大群が螺旋を描きながら空中を覆い尽くす。

 そしててゐの退路を完全に塞いだ。

 

「───〜〜〜♪〜〜♪〜」

 

 竹林を蠢々しゅんしゅんと小さき者たちが隙間なく蠢き、合間から聞こえるは幽かな美しき狂気の歌声。その歌の意味を理解した私は咄嗟に耳を塞ぐ。

 一方蟲に退路を断たれたてゐは方向を転換させようとしていたが、あえなく地面に突っ伏した。意味が分からないといった様子でもがいている。

 

「こんな時に、鳥目……!? なら───」

 

 てゐの何らかの合図とともに彼女の周囲に丸太の雪崩が降り注ぐ。そして蟲の大群は無残に蹴散らされ、飛散した。恐らくこの丸太を盾にしながら撤退する予定だったんだろう。

 だがその計画は、丸太が底無しの闇に飲まれたことで頓挫した。

 

「まだだ……こんなところで終わるわけにはいかないんだ…! 私が、やらなきゃ───」

「獲ったあぁぁぁぁああっ!!」

「うぐぁ!?」

 

 とどめに狼女の機動力を活かしたタックル。あまりの衝撃にてゐの身体がそのまま吹っ飛び、何度も地面を跳ねた。うーん……これは痛い。

 

 まさかの……まさかの援軍だった。

 ここに来てこのクセ者たちの連携が実現するなんて!

 

「賢者様! 私、私が仕留めたわ! 草の根妖怪の今泉影狼がやったのよ!」

「え、ええ分かったから落ち着いて」

「ついに鳥の天下が来たのね! これで憎き焼き鳥屋を潰すことができるわぁ!」

「ヒエラルキーの最下層と言われた時代はもうお終い……蟲の時代が再びやって来る!」

「毎日食べ放題!」

 

 あっうん。そっか……まあそうよね、うん。

 私のちょっとした感動を返して欲しい。

 

 取り敢えず今泉影狼のタックルで全身を打ち付けて動けないでいるてゐを藍と橙が不動陰陽縛で完全に拘束した。

 ふふ、これにて趨勢は決したわね。

 

「よくやってくれました。貴女たちの働きは大いに評価させていただきますわ」

 

 全員がさも当然!という風に私を一瞥する。調子のいい妖怪たちだこと……。

 まあ、まだ戦いは終わってないけどね。あとは竹林に残って点在している兎どもの残党狩り、そしててゐの住処への強制押し入り調査だ。

 

 それじゃあてゐにはこれからその住処へ案内してもらおう。ここで月への癒着の証拠を見つけることができればこれからの幻想郷がとっても平和になるわ!

 

「イテテ……こんな不幸は島渡りの時以来だ……。そこの狼女……覚えてなよ? 明日から家賃十倍にするから」

「ヒェッ……。ふ、ふん! そんな取り立てなんてもう怖くないわー! 貴女がデカイ顔をできるのは今日で最後なんだから!」

「果たして、そうかな?」

 

 てゐの強がりに一同不穏なものを感じた。まさか、とは思うけど……。どうせそれも演技なんでしょう? ねっ、ねっ?

 

「ひとまずこれで戦いはかなり楽になったはずよ。そうねぇ……貴女たちには近辺の残党狩りをお願いしようかしら」

「久しぶりの落ち武者狩りだー。楽しみだなぁ」

 

 やっぱりあなた(ルーミア)ってそういうことしてたのね。まあ予想通りだけども。

 というわけで皆さん仕上げの方をよろしくお願いします。

 

 さっぱり和やかな談笑ムードになりつつリグル、ミスティア、ルーミアは元の配置の場所へと戻っていった。

 ただ一人、今泉影狼だけは残っている。

 

「あの、賢者様」

「あらどうしたの? ……確か貴女は草の根ネットワークのまとめ役でしたね。報酬の件はわかさぎのお姫様との確約で『賢者の座を一つ用意すること』だったと思うけど、もしかして貴女が?」

「いやいや私はそういうの柄じゃないし、もっと上手くできる奴がいるから。それにいま話したいのはそれじゃなくて、妹紅のことなんだけど……」

 

 あらもしかしてあの爆発魔の知り合いかしら?

 

「あいつ普段はあんなんじゃないのよ。出来た人間ってわけでもないけど別に腐ってはいないし、気のいい奴なの」

「私も……第一印象はそう見えました。今は裏切られてこのザマですけど」

 

 ふーん。私は藤原妹紅のことなんて少しも知らないから肯定も否定もできない。たださっきまでの様子を見てると私視点ではただのキチガイにしか、ね。

 あれがまともって言われても、ちょっとねぇ。

 

「あいつがとんでもないことをやらかしたのは分かってるんですけど……処罰を下すのは事情を聞いてからにできませんか。どうせ殺すことはできないんですし」

「現実的ではない、な。──紫様、もう降ろしていただいて結構です。大変ご迷惑をおかけしました」

 

 ぁぁ……藍!

 復ッ活ッ!

 

 八雲藍復活ッ!

 

 八雲藍復活ッ!

 

 八雲(以下略ッ!

 

 いや、ここは流石藍と言うべきか。あれほどの怪我をこんな短時間で治してみせるなんて!

 ……とは言っても消し飛んでしまった右腕はまだ戻っていないようだが……藍曰く「心配せずとも治る」とのことで。あなた一応哺乳類よね?

 

「紫様……あの、ありがとうございました」

「いいのよ。むしろお礼を言いたいのは私の方なんだから。ほら、私からもありがとうと言わせてちょうだい?」

「……」

 

 ふと、藍の目から雫が零れ落ちた。

 暗闇の中でも月明かりを反射する水晶は見逃せない。表情は変わらないまま一筋の涙だけを零していたのだ。

 

「藍……どこが痛いの?」

「いえ、ただ懐かしく思ったのです。貴女様におぶられた遠い昔を思い出して、なんとも言えぬ感情が心に湧き上がったのです」

「藍ったら……」

 

 そ、そ、そんなことあったっけ…? やっべまったく思い出せないわ。

 せっかく藍が嬉し涙?を流してくれてるのに私ときたらこれだもんねちくしょう!

 と、取り敢えず涙は拭いてあげましょうか。

 

「あー、うん。まあそういうことだから妹紅の件はよしなに頼みます。それじゃ」

 

 この変な独特の雰囲気に耐えれなくなったのか、影狼はニヤケながらスタコラサッサと何処かへ走っていってしまった。

 私なんにもしてないのに悪いことした気分なんだけど……なんでなんだろう。橙も口半開きにして私たちの方見てるし……。

 

「惚気るのはそのくらいにしてさっさと話を進めてくれないかな。私の処遇を決めてくれないと逃げるも反撃するもできないわ」

 

 何故かてゐからも苦情が入ったので話を進めることにしよう。ズバリてゐに聞くのは、彼女の住処の場所と協力者の有無!

 さて、素直に答えてくれるはずはないし、どうやって吐かせようか……。

 

「私が住んでた場所ならさっき逃げていた方向に行けばあるよ。協力者もそこに居る」

 

 吐いたァー!?

 

 いやいやいや絶対嘘でしょこれ。あのてゐがまさかこんな簡単に吐くはずがない。よし、今すぐさとりを連れてきましょう!

 だがそれも藍に遮られる。

 

「確かにここから南南東に行った場所に何やら建造物が建っていますね。私たちと戦って負傷した兎たちも全員その方向に向かっていました……"何か"があるのは間違いないかと」

 

 マジなの。

 

「一つ忠告しておくけど、行かない方が身の為だよ。今回ばかりは本音……絶対にタダでは済まないからさ」

「貴方、オオカミ少年って童話をご存知かしら? つまりそういうことよ」

「……忠告はしたからね」

 

 あっさりしている割にはどこか渋っているように見えるその様子に首を傾げる。そりゃ罠の一つや二つはあるんでしょうけど、てゐを無力化した今となっては、さしたる脅威にはならないわ。

 なんといっても藍も橙もいるこの状況……何が来ても負ける気がしないわ!

 

 

 

 

 

 

「これはまあ……随分と立派なのが建ってるわね。いつも金が無いとかぼやいてた割には良い暮らしをしてるみたいじゃない?」

「ほっといてくれ」

 

 立地さえ良ければ私でも羨ましいと思ってしまうほどの、煌びやかで且つ素朴な雰囲気を醸し出す見事な和風屋敷が現れた。

 周りの竹林と相成って、まるで御伽噺の世界からそのまま取り出されたような雅。その風貌は良くも悪くも、賢者が住むには相応しい様と言える。

 いやー紅魔館といい白玉楼といい……みんな良い所に住んでるのねぇ。私もお家を良い感じに改修してみようかしら? 萃香に頼めば安価でやってくれるし。

 

 しかしそれにしても、てゐの本拠地だと言うのに全くと言っていいほど警備がなかった。それどころか人の気配を感じないのだ。怪しいわねぇ。

 てゐは「ここまで踏み込まれる予定ではなかった」との事らしいが、ウ詐欺の言う事だから信用できるはずもない。そのことは藍も承知していたみたいで、橙と一緒に式分身を作り出すと屋敷へと偵察に送り込んだ。

 

 ……見たところ怪しい部分はないんだけどね。

 

「藍、貴女から見てどう思う?」

「今のところ罠はありません。しかし内装が少々厄介な空間で構成されています。ひとまず中に入っても大丈夫かと」

「ほら言ったじゃん」

 

 何故かドヤ顔してるてゐは置いといて、本当に何も仕掛けが無かったのは驚きだわ。まあ、自分の家に罠を仕掛ける奴なんてあんまり居ないとは思うけど……相手はてゐだからね(念押し)

 

 それじゃ入りますか!

 

 式藍によって開けられた扉をくぐる。何があるか判らないから土足で上がらせてもらうわよ。お行儀なんて言ってらんないわ。

 そして目の前の襖を開け放いた先で待ち構えていたのは、延々と続く廊下と襖の視覚ゲシュタルト崩壊だった。

 

「外観と内装が明らかに違うわね。まったく……紅魔館といい、兎に角広ければいいってもんじゃないでしょうに」

「私に言われても困るね。気になるならここの主人に聞いてみれば?」

「主人……ここの家主は貴女じゃないの?」

「さあね」

 

 ここにきてしらばっくれやがった。その家主とやらの場所を聞いても黙秘を貫くばかり。どうやらこれから先は協力する気が無いようだ。

 このまま尋問したりして吐かせるのも時間がかかって面倒臭いし、素直に藍による解呪で正面から突破することにしましょう。

 

「藍、この術を破れるかしら?」

「はっ、お任せを。橙は辺りを警戒していてくれ」

「はいっ!」

「それじゃあ、てゐは私が預かっておくわ」

 

 各々で役割分担(サボり)しつつ円滑に調査を進める。藍の分析に橙の索敵、そして私による最強の監視によって万全の体制である。一人要らない奴がいるとか言わない。

 

 取り敢えず逃げられないようてゐの首根っこの部分を掴んで軽い拘束。万が一にでも逃げられたらこれまでの苦労が浮かばれない……しっかり監視!

 

 

 ……そういえば。

 

貴女(てゐ)からはまだ聞いていないことがあったわね。さっきは銃弾に阻まれて聞けなかったけど、今度こそ話してもらおうかしら」

「嫌だね」

 

 まだ何も言ってないんですけど。

 

「貴女が異変を始めた理由……確か"誰か"を守りたいからだったかしら。貴女ともあろう者がそこまで言うんだから、私は同族のことだと予想していたんだけど、実際のところどうなの?」

「……」

 

 黙り、か。まあ別にいいけどね。

 これからは私の独り言。

 

「仮にその守りたい"誰か"を貴女の友達と仮定するわ。その友達が何に追われているのかは分からないし、何をしたいが為に異変を始めた……若しくは協力したのかも分からない。だけれども、守ることだけを望んで異変を起こしたのなら、それはわざわざ争わなくても目的を実現できるはずよ」

「──…何が言いたい」

 

 てゐが僅かに目線をこちらに動かした。これは脈ありと見てもいいでしょう。

 賢者唯一の良心(自称)と謳われたこの私の裁量、とくとご覧あれ!

 

「私が貴女の友達を守ることに協力しましょう。こんな(なり)でも貴女一人じゃ成し得ないことをサポートすることぐらいならできる。なんなら今回の件は目を瞑ってもいいわ」

 

 藍が一瞬だけ眉を顰めながらこっちを見たが、少ししてまた作業に戻った。ごめんなさいね、文句は後で聞くわ。

 和解できれば越したことはないでしょ?

 

「だからこれからは少しだけでも私に協力して欲しいの。貴女と私が手を取り合うことができれば……それはとっても素晴らしいことだと思わない?」

「ここにきて私を懐柔するのか、紫。……だから私はお前とは争いたくなかったんだ」

 

 私とてゐの視線が交差する。その瞳はいつものような変幻自在のそれじゃなくて、とても優しい光を湛えているように見えた。

 なんだろう……初めて真の意味でてゐと話せたような気がする。

 

「もうちょっと早ければなぁ。そこらへんは私の能力でも、どうにもなんないや」

「てゐ?」

「すまないね紫。私には謝ることしかできない」

 

 それっきりてゐは口を噤んでしまい、何を話しかけても反応の一つも返してくれなかった。

 じっと目を瞑って何かを待つようにほんの少しの身じろぎすら見せない。

 

 これで黙られるんじゃもう手の打ちようがないわね。大人しく藍が術を破るのを待つしか───…………んん?

 

『あっ、いたいた』

 

 なんの前触れもなく奥の方の襖が開かれる。そして現れたのは……玉兎ぉ!?

 細長い二本の耳に桃色のロングヘア。爛々と輝く紅い瞳。そしてなんといってもあの独特のブレザー…! アレは確か綿月隊の制服。

 忘れるはずがない! あれは玉兎だわ!

 

 そしてその玉兎が私たちを介する様子もなくどんどん近づいてくる。その距離10メートル!

 

 なんで!? なんで藍も橙も気づかないの!?

 シカトしてるの!? 橙なんてその方向をちゃんと視界に収めてるはずなのに!

 

 ……もしかして幻覚かな?

 よく見れば若干透けてるような気がしないこともないし……。私のあまりの恐怖によって生み出された幻覚……ありえる。

 若しくは私にしか見えない不思議の国の兎さん。残念だけど幻想郷にはアリスっていう正統派魔法使いが居るんだからそっちの方にお願いします。

 

 さて兎さんを睨んでいるとあっちも私に気が付いたようで、肩をビクつかせると目を細めてガンを飛ばしてきた。

 おっ、おっ? やんのかゴラァ!(震声)

 

『えっ、何こいつ見えてるの?』

 

 ついでに幻聴も聞こえます。妹紅の時の頭痛といい、私はもうダメかもしれない。多分頭を酷使しすぎたのね……もう隠居したい。

 

『いやそんな筈が……私の波長操作は完全無欠で最強の能力。地上の妖怪如きに破れるようなものじゃないわ。多分気のせいね、そうに違いない』

 

 色々とツッコミどころはあるけど勝手に勘違いしてくれてるなら好都合だ。さっさと私の目の前から消えてちょうだい……これは幻覚これは幻覚……!

 くぅ……この幻覚は一体なんでこんなところに。欲しい物があるならなんでも持って行っていいから私に健常な視覚と精神を返して。

 

 ってこら! てゐは渡さないわよ!

 

『ちょっ、離しなさい! こいつやっぱり見えてんじゃん! ああもう……これだから地上の連中は嫌いなのよ! ていっ!』

「痛っ」

「紫さま? どうかされました?」

 

 てゐを掴んでいた掌を叩かれた。カリスマ感溢れる手袋のおかげで幾分か衝撃が和らいだが、それでもめちゃくちゃ痛いわ!

 

 ……あれ、実体がある?

 

 何が起きたのか判らずに惚けている間に、てゐを抱え上げた幻覚玉兎は元来た襖の奥へと消えていく。これは───。

 

「もしかして──やっちゃった?」

「紫様、術を半分ほど解き終わりました。間もなく解呪に至るかと。………それでその、因幡てゐは何処へ?」

 

 困惑する藍と橙。

 私はこの状況を誤魔化すために、取り敢えず愛想笑いを浮かべてみるのだった。

 

 えっ、なにこれバッドエンド!?

 

 




 
ここにきてゆかりんの能力が色々と解放されていってるような気がする。
なおゆかりん謎の微強化が無ければうどんちゃんに手首を落とされていた模様。


橙1000
ゆかりん2→10

こんくらいの強化具合。五倍だぞ五倍! やったねゆかりん超絶パワーアップだ!



てゐちゃんの幸運一覧

・もこたん襲来
・ゆかりんに見つかる
・藍が怪我をしていた
・追っ手の中に赤蛮奇やにとりといった殺傷能力に優れた妖怪が居なかった
・二指真空把の不発
・捕獲される←ここで能力の現作用を理解
・ゆかりんを永遠亭まで導く
・うどんちゃんによる救出
・ゆかりんによるうどんちゃんの見て見ぬ振り
・ゆかりん生存?

てゐちゃんがいればどんなご都合展開も能力で済むからホント助かります。これから全話に渡って登場してもらおうかな…!


自機を選択して下さい(難易度)

霊夢&藍★★★★★
魔理沙&アリス★
咲夜&レミリア★★★★★
妖夢&幽々子★★★
ゆかりん★★★★★★★

妹紅&???★★★★★★★★


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優曇愚鈍(前)

うどんちゃん「幻覚は脳内で起こる。つまり、幻覚は光速を越える!」←???




 永い。

 

 兎に角時間が流れるのが遅い。

 

 これで何度目の欠伸だろうかと、レミリアは溢れ出る吐息とともに噛み殺した。

 咲夜も瀟洒な佇まいこそ崩してはいないが、流石に飽き飽きしている様子でひっきりなしに周りを見回している。

 

 手首と足首には当然のように拘束具がはめ込まれている。これでは弾幕一つ展開することは愚か、寝返りを打つことすらままならない。しかし、レミリア達にとってもっとも厄介なのは、自分たちを閉じ込める檻だった。

 いや、檻は勿論頑丈で見るからに厄介そうな代物なのだが、それよりも目を惹くのがそれらを雁字搦めしている"紐"と思われる未知の物質である。

 

 先ほどまでレミリア達の監視に付いていたやけに上から目線の兎に詳しい概要を聞いたところ、兎は何故か得意げに聞いていないことまで語ってくれた。

 フェムトファイバーと呼ばれるその紐は、特別な構成により最強の硬度を誇る月の都自慢の一品だそうだ。さらにはおまけと言わんばかりにそのフェムトファイバーの周りに纏わり付くのは反重力粒子。これによりレミリア達にはフェムトファイバーに触れることすら叶わないのだ。

 

 その兎は先ほど何処かへと行ってしまい、レミリアと咲夜は広い空間に二人きりとなった。つまり、またとない脱出のチャンスである。

 ここに至るまでの状況は全てレミリアの計画通り。当然、この拘束から逃れる術も用意して然るべきなのだが……。

 

「それにしてもホント窮屈ねえ。二人も入れるんだからもうちょっと大きい牢を用意してくれてもいいのに、敵さんもケチだこと。ねぇ咲夜、ここの空間を広くできないかしら?」

「……お言葉ですがお嬢様、広くすることは確かに容易いのですが、それは牢から出ることでも事足りるのではありませんか?」

「うーん、無理でしょうね。私じゃこの拘束からは逃れられないわ。私に無理なんじゃ貴女にも無理でしょう? なら手筈はないわね」

「左様ですか」

 

 そう。この吸血鬼、おおまかなプランこそ用意していたものの、それに至る過程と方法を全く考慮していないのだ。

 一時期能力を意識的に封印していたかと思えば、今度は能力にかまけた立ち回りを繰り返すレミリア。咲夜を始めとした紅魔の従者達は大いに困惑していた。今回に関してはもはや、無為自然の境地ともいえるだろう。

 だがしかし、それでもレミリアは何だかんだで最高の結果をもたらすのだから敵わない。最高の実績と圧倒的自信から成るレミリアのカリスマは異変に敗れてもなお増していくばかりだ。

 

 

 ふと、咲夜との軽い談笑を楽しんでいたレミリアが微弱な反応を見せる。そして満足するように大きな笑みを浮かべるのだった。

 対して咲夜は温和な表情を崩していつもの鉄仮面へと顔を作り変える。

 

 運命が廻り始めた。

 

「見てごらんなさい妖夢。これが世にも珍しい吸血鬼と人間擬きの生簀よ。兎ばっかで目が肥えてたところでとんだサプライズねー」

「い、言い過ぎですよ。恐らく戦いに敗れて傷心しているこんな時にそのような事を言われては、彼方も立つ瀬がないじゃないですか!」

 

 ふらりと現れたのは西行寺幽々子と魂魄妖夢のあの世コンビだった。幽々子の煽りには勿論イラついたが、紅魔の主従ペアにとっては妖夢の天然擁護の方がどちらかというと気に障った。

 普段であればすぐにでも叩きのめしてやるところだ。しかし今は状況が状況なのでグッと我慢。世に言う大人の対応である。

 

「その様子だと正面から入って来たみたいね。もしかして兎どもを皆殺しにでもしたの? それなら納得がいくのだけど……」

「食材は活きが命。無闇矢鱈に殺生を行うつもりは毛頭ないわ。それに兎にはちらほらとしか遭遇しなかったのよねぇ。しかも私たちに気付かないで何処かに行っちゃうんですもの。紫から聴いてる話と違っててガッカリしてるところだったのよ」

 

 なお、この両者が知る由はないのだが、幽々子が兎達に遭遇しなかったのには理由がある。それはひとえに兎達の索敵方法にとある欠陥があったからだ。

 月の技術を流用して作られた『穢身探知機』は文字通り穢れを元に相手を探知する。

 その精度に狂いはないのだが、反面穢れを持たない者には悉く無力となる。浄土の人間である幽々子と妖夢は穢れが軽微であった故に、兎たちの目に止まる事がなかった。

 

 

 さてここで幽々子達が現れたのは消して偶然ではないはず。つまりこれもレミリアの能力による導きの一つなのだろう。

 ならば言うことはただ一つ。

 

「そこの半人半霊の剣士さん、お願いがあるわ。貴女の謳い文句の通り『この決して斬ることのできない紐』を斬って見せてはくれないかしら? ふふ……貴女の実力を見込んでの頼みだけども」

「絶対に……斬れない…っ!?」

 

 楼観剣に手を伸ばした妖夢だったが、それは直前で幽々子によって制止される。

 

「扱い易さ全一といえどそれだけの言葉で妖夢を操るなんて、流石は吸血鬼……と言ったところかしら。催眠術にも長けてるのね」

「吸血鬼だからじゃない、"私"だからさ。まあそこのひよっこ剣士は特別暗示にかかりやすい性分みたいだけどねぇ」

「えっ、えっ? どういうことです?」

 

 数瞬、刹那の駆け引きを生業とする妖夢は、他の少女達に比べて五感の発達が著しい。それこそ、体術において他の種族の追随を許さないレミリアに匹敵するほどだろう。

 しかしそれ故に催眠や暗示といった五感を利用される戦法には滅法弱いのが常であり、妖夢もまたその例に漏れない。それどころか豊かな感受性によってその弱点を尚更引き立ててしまっているのが現状なのである。(なおレミリアの催眠に対する耐性は頗る高い)

 

「さてどうしましょう。助けてあげても後が面倒臭いだけだし、紫もそっちの方が喜びそうよねぇ。それともこのまま家まで持って帰って観賞用に飼うことにしましょうか」

「それの世話役って私になるんですかね?」

 

 好き勝手言いまくる幽々子に、ついに、と言うべきか。手首の拘束具を引きちぎった咲夜がナイフを指の間に挟み込み威嚇した。次に下手なことを言えば咲夜は躊躇いもなく幽々子の眉間にナイフを突き立てるだろう。効くかどうかはともかくとして。

 

 一方のレミリアも神妙な顔で幽々子と妖夢を見ていた。懇願すればこの主従は直ぐにでも自分たちを助けてくれるだろう。しかし面白いことには目が無いあの亡霊のことだ、必ず屈辱的な対価を突き付けてくるはず。

 勿論、レミリアも咲夜もそれに乗るつもりはない。だからこそ……。

 

「──『貸し一つ』……これでどう?」

 

 レミリアは妥協案を提示した。

 貴族社会における『貸し』とは、世俗的なそれよりも遥かに強い拘束力を有する。恩を着せるというのはそういうことだ。

 それを知ってか知らずか、幽々子は途端に神妙な面持ちになると、地に足を付けレミリアと向かい合った。従者二人がその様子を見守る。

 

 そして緊張の糸は幽々子の手によって切られることとなった。

 

「妖夢、目の前の矛盾に立つ永遠……貴女に斬ることが出来るかしら?」

「はい!」

 

 妖夢は鞘に刀を収めながら言った。

 

「斬りました!」

「あら随分とあっさり」

 

 レミリアと咲夜を苦しめた檻と縄は容易く斬り裂かれ、大きな音を立てながら床に転がった。

 この結果にはレミリアも苦笑い。咲夜は訝しむ視線を妖夢へと向ける。

 

「ええ、以前までの私ならこんな事を為すのは不可能だったかもしれません。しかし十六夜咲夜……貴女に勝ちたいが為に己の全てを逐一見直し、技術を昇華させたのです。もし今後戦り合うことがあるのならば、次こそは無限の螺旋時空ごと貴女を斬り捨てて見せましょう」

「へぇ面白いやつね、気に入ったわ。西行寺幽々子、こいつを貰ってもいいかしら?」

「なら今すぐ昇天させて私が貴女ごと丸々雇ってあげるわよ。それでいいなら」

 

 交渉決裂である。

 

 実のところ、レミリアは妖夢に大きな期待を抱いてはいなかった。もしも彼女で無理だったなら紫と霊夢の到着まで待つつもりであったし、それでもダメなら自分が無理矢理にでもなんとかするしかないと腹を括っていた。

 だが結果として、あの時(春雪異変)に咲夜を送り出したことによって、巡り巡った恩恵として事が上手く運んだ。そう、計算通りだ。

 

「すまないね。それじゃ、これで貸し借りは無しってことでよろしく。異変の時に咲夜が貴女を助けたことの件はこれでチャラよ」

「……そんなことだろうと思ったわ。私がそういう考えに至ることもお得意様の?」

「ふふ、運命の導くままよ」

 

 そう、計算通りなのだ。

 

 やはり運命というものは、げに面白い。大きな唸りは変幻自在に形を在り方を変容させながらも、最後に到達するのはただ一つの結果。

 その結果さえを崩さなければ如何様にでも未来を変えることはできる。

 

 だからこそ、レミリアは気に食わない。

 この先に訪れるであろう()()()()()()()()()を何もせずに迎えるのは、彼女のプライドが許すところではなかった。

 でなきゃ、なんでわざわざこんな回りくどいことを進んでやらねばならないのか、その意味すら曖昧になってしまうではないか。

 

 

 かつて幻想郷に仇なした4人が並び立つ。

 胸中に秘める想いは勢力・主従の各々違えど、目的は完全に統一されている。

 

 月を楽しむため。

 そして大切に思う者への奉仕、または助力として恩に報いるために。

 

 だが、その歩みは一歩目からダダ滑り。

 

「ではこれよりここ(永遠亭)の探索を行うわけですが……一応の協力体制を敷く、ということでよろしいのでしょうか……?」

「私が手を組むですって? ふふ、残念だけどお呼びじゃないわね。黒幕の相手は私達だけで十分だから貴女達は外で兎と戯れてるといいわ。大好きな八雲紫もいるわよ?」

「助けられた身で随分と調子のいいこと。私だったらそんな図々しい態度を取るなんて恥ずかしいことできないわー」

「好き勝手言うのもここまでにしてもらおうかしら。お嬢様は親切にも『足手纏いだから帰れ』とのことを遠回しに仰っているのです。貴女達の出番はないわ」

 

 絶望的なまでに噛み合わない二勢力。萃夢異変以来の和解はあっという間に崩れ、一触即発の雰囲気が辺りに充満する。

 目的は一緒でもレミリアと幽々子という二大巨頭が手を携えるというのはあり得ない話で。さらには従者同士の拗れた関係がそれに拍車を掛けている。

 もしも紫がこの場にいたのなら、存分に胃を痛めていたことだろう。彼女は幸運だ。

 

 

 そこに割り込む空を切る音。

 即座に反応した妖夢と咲夜が各々の獲物を引き抜き、散弾として向かうそれらを叩き斬る。

 

 鉄のような手ごたえを感じたが、弾丸は霧散し消えてしまった。正体は高密度の妖力で作られた弾幕であり、レミリアの魔眼にはこの弾幕に含まれていた"狂気"が写っていた。

 体内に入れば、妖力によりなんらかの細工が成される事は一目瞭然だ。

 

「はーっはっはー! 遅かったわね地上の穢れた囚人に有象無象ども! 全ての扉の封印はたった今完了したわ! 後はあなた達を叩き潰して今宵の出来事を葬れば万事解決よ!」

「あっ帰ってきた」

 

 そして迎撃する側とは思えないほど仰々しく登場したのは、これまでの兎とは雰囲気の違う、桃色の髪を腰まで流すブレザー兎。

 気配は一切なかった。つまりこの兎はレミリアや妖夢を欺くほどの高度な隠密スキルを有しているということ。

 しかし、そんな圧倒的優位な立場にあったにも関わらず姿を現したのは、大いなる自信によるものだろうか。

 

 さらにその傍にはその頭一つ低い兎が気怠そうな面持ちで様子を伺っている。衣服の乱れ、頬や腕に絆創膏を貼っていることから手負いの状態であることが判る。

 幽々子達とは双方ともに初対面だが、レミリア達との対面は二度目だ。

 

「あら変わった兎たちね。親玉かしら?」

「特別に名乗ってあげましょう。我が名は鈴仙・優曇華院・イナバ! 高貴なる玉兎最強の戦士にして、月の賢者の直弟子なり! ……ほらアンタも」

「……どーも幻想郷の賢者やってる因幡てゐです」

 

「ふふふ……一人で楽しそうねぇ。妖夢と良いお友達になれそう」

「な、なんでですか? 敵ですよ?」

「痛々しいノリがなんとなくね」

 

 妖夢からしてみれば誠に遺憾な話である。そして鈴仙もまた、地上人と一緒くたにされたことに強烈な不快感を示していた。

 

「どうやらまだ格の違いが分かっていないみたいね。もはやお前たちの生殺与奪は私が握っているも同然だと言うのに……気楽だこと」

 

 地上の兎へと身を堕とした鈴仙ではあるが、出自は高貴なる月の大地。生まれも育ちも、況してや存在の格そのものが地上の民とは違うのだ。

 豚と一緒にされて喜ぶ人間など何処に居ようか。プライドまで失くしては、鈴仙を鈴仙たらしめるモノは崩れ去ってしまう。

 

 故郷と仲間を捨てたのだ。挙句に自分を捨てる事などあってたまるものか!

 

「ふふん、どんな手を使ってあの拘束から抜け出したのかは知らないけど、今から檻の中に戻るなら見逃してあげても良くてよ?」

「よし咲夜、あいつを縛るわよ。檻の中で受けた屈辱を百倍にして返す」

「かしこまりました」

 

 そしてプライドを傷付けられたのはこちらも同じ事だ。檻に収監されている間さんざん詰られた恨み、いま晴らさずしていつ晴らす?

 

 レミリアの独断専行は気に入らないが、障壁を相手してくれるなら好都合である。

 幽々子と妖夢は黒幕の元へ向かうべく、行動を開始しようと歩みを始めた。

 

 だがそれは、中止せざるを得なくなる。

 

「あら、お迎えかと思ったらただの迷い妖怪と亡霊? まあ、お迎えが来れる筈ないけど」

「ちょっ!? まだ負けてませんよ師匠!」

「様子を見に来ただけよ。貴女と……てゐのね」

 

 

「また変なのが出てきましたね。手持ち無沙汰なことですし、どうしますか幽々子様」

「見たところあれが黒幕。倒さないわけにはいかないわよねぇ。さあ妖夢、目の前の愚者を斬ってしまいなさい」

「今日は無茶振りが続くなぁ」

 

 軽く愚痴りつつも油断なく居合いの構えを取り、容赦なく敵意と威圧を目の前の敵達へとぶつける。殺気を織り交ぜたそれはまさに無刀の一閃。

 首に刃を当てられるよりも、間近に感じる死の気配。死をぶつけられたからこそ分かる生への執着。それがさらに死を感じさせるスパイラル。

 しかし、それに反応したのは鈴仙一人だけであった。てゐと月の賢者は妖夢を見向きもしなかった。……いや、正確に言うと、てゐは見向きができなかった。

 

「てゐ、今回の韜略は失敗に終わったようね。あなたともあろう者が失敗(しくじ)るなんて珍しい。現状の報告を手短にお願いするわ」

「……どうも身が乗らなくてさ。今日の私にはあんまり期待しない方がいいかも」

「そうかしら。私はそうは思わないけど」

 

 軽く言い放つと同時に手に持つ矢じりをてゐへと差し向ける。賢者の行為は好意で受け取れるものではなく、おおよそ味方に向けるものではない。

 突然の仲間割れにレミリアたちは勿論、鈴仙ですら身を固まらせるほどだった。

 一見大したことないように思える矢じりだが、この場にいる全員が本能的に感じ取っていた。アレを喰らえばタダでは済まないことを。

 

 懐疑と威圧がてゐへと重くのしかかる。

 流石のてゐも身動ぎ一つ取れないようだった。

 

「まさか此の期に及んで輝夜を裏切る、若しくは、()()()()()()()なんてことは無いと、是非とも思わせて欲しいわね」

「……私がいつ裏切ったって? こんな簡単な損得勘定もできないほど落ちぶれた覚えはないよ。何にせよ考えられることはただ一つでしょ」

 

 てゐがおもむろに指差したのは本来現れる計算ではなかった侵入者たち。つまり幻想郷の力が、月と地上の賢者の思惑に支障をきたしたということ。てゐからしてみれば不思議でもない話。

 

 だが、月の賢者からしてみれば頗る不本意だ。

 彼女からしてみればそれは、てゐの裏切り行為に他ならないのだから。

 

 訝しむ表情はそのままに賢者は次なる対策の為、思考を切り替えた。

 

「……まあいいわ。取り敢えずこの場の対処はうどんげに一任します。当初の予定通り、私とてゐはそれぞれ持ち場に戻りましょう」

「ら、了解(ラジャー)!」

「…りょーかい」

 

 結局月の賢者は最後までレミリアや幽々子達のことを一瞥もすることなく現れた襖から姿を消し、てゐもまた別方向へと駆け出して逃亡する。

 勿論、彼女らに相対していた妖夢がそれを看過できるはずもなく、追撃を仕掛けるべく刀の柄に手を当てる。

 

 しかし、それはレミリアによって遮られた。

 

「悪いがあいつは私が貰う。貴女たちにはあの兎の相手を頼みたい」

「……そっちの都合で振り回すのもいい加減にしてくれないかしら。私は貴女の部下じゃないのよ?」

 

 過ぎる我が儘に幽々子が呆れたように言う。だがそれでもすぐに断らないのを見るに、幽々子自身も何か思うところがあるようだった。

 その一因は、先程までとは打って変わったレミリアの雰囲気にある。傲慢ながらも余裕を一切消し去った、らしくない面持ち。

 

「今度こそ『貸し一つ』だ。親友の為を思うのなら、是非とも私に任せてちょうだい」

「親友……紫の?」

 

 少しして幽々子は気付く。この吸血鬼、やはりただのパリピ蝙蝠ではないようだ。

 実際にこの展開が紫にどう繋がるのかは今のところ検討もつかないが、その名が出てきてしまっては幽々子の取ることのできる行動は限られてしまう。

 もはや答えを待たずして選択肢は定まってしまった。狡猾で大胆な手段である。

 

 大きな溜息が込み上げる。

 

「そうねぇ……。それじゃあこれからは催しをやる時は私達にも招待状を出してちょうだいね。美味しい物を用意してないと許さないんだから」

「あらそんなのでいいのかしら。ふふ、ならちょうど良かったわね。この後うちで異変解決パーティをやる予定だからいらっしゃいな」

 

 クセの強い二人ではあるが、切り替えの早さは流石というべきか。即座に敵のシャッフルを行い役割分担を構築する。

 妖夢は殺気の方向を鈴仙に変更し、レミリアは一気に加速して行く先の扉を魔爪で薙ぎ払う。

 

「あいつだけは私達の手で仕留めるわよ咲夜! 五分でケリをつける!」

「……! かしこまりました」

 

「みすみす師匠を追わせるわけがないでしょうが! 粉微塵に消し飛べ……!」

 

 狂気の紅い瞳が輝きを強める。

 ルビライトの眼光が辺りを照らすと同時に、凄まじい破断の音が響き渡る。そして禍々しい朱色の空間が一面を塗り潰していく。

 

 が、それらはレミリアと咲夜に到達するよりも先に霧散。白銀の剣閃によって絶ち斬られた。刹那の居合も空を斬ることも、妖夢には赤子の手を捻るより容易い。

 

「なっ……そ、そんなバカな!? 光の崩壊と同じ速度に付いて来るの!?」

「至極単純な話……私はそれよりも早く斬ることができる。たったそれだけの理由!」

「ま、まさか地上に依姫様と同じ事ができる奴がいるなんて! そんなの聞いていないんだけど……!

 

 この分では飛び道具も斬り落とされてしまうのがオチだろう。ならば一旦ここは戦闘を有耶無耶にしつつ連中の追跡を───。

 

 と、考えていた矢先に退路が大量の蝶弾幕によって覆い尽くされた。美しき檻に隔離された鈴仙は思わず息を詰まらせた。

 四季色に揺めき漂う優美な蝶々。その中に内包される濃密な"嫌な波長"は、レミリアと咲夜への追跡を諦めさせるには十分過ぎる。

 

 ここで鈴仙は漸く気付いた。

 この幽霊たちは、背を見せながら対応できるような甘い相手ではないことに。

 そして、自分の生命を脅かしかねない稀有で危険な存在であることに。

 

「ぐぬぅ……へ、へえ? 地上にも中々骨のある奴がいたみたいね。まあ、それでも私の圧倒的優位は揺るがない! 地上人の分際で下手に半端な力を手にしたこと、後悔するといい!」

「幽々子様は下がってください! 私一人でカタをつけてみせますから!」

「頑張れ妖夢〜」

 

 

 

 

 

 

「お嬢様。一体、何が見えているのですか? そろそろ種明かしのほどを……」

「この異変は全てが奇妙なバランスの上に成り立っている。前例がないから断定はできないけど、これは恐らくかなり稀なことよ」

 

 レミリアの能力、因幡てゐの能力、何者かの干渉や手引きに茶々入れ、そして毎度想定外のイレギュラーを引き起こす八雲紫。

 それら全ての思惑と運命が複雑に絡み合い、幾つもの未来へと分裂する事態に陥っている。はっきり言って異常な現象。

 

 だけど、収束点はただ一つ。

 そこからは一直線だ。

 

 幻想郷はレミリアにとって漸く見つけ出すことのできた最高の止まり木なのだ。フランの為にも、咲夜の為にも、決して失うわけにはいかない。

 

 そしてなにより、レミリアはあの月の賢者とやらに並ならぬ因縁を感じていた。

 それは一種の責任といえるものだろうか。

 

 霊夢や魔理沙、紫のお陰でついに辿り着いた答え。運命を操るばかりで気付かなかった。真に操られていたのはどっちだろう、と。

 そのことは能力を手に入れた時から心得ていた筈ではあったのだが、いざそれを自覚するにはレミリアはまだ幼かった。

 

 結果だけでは見えてこないものはこの世に多々ある。例えば自分の気持ち、例えば妹の気持ち。果てには従者のこと。

 

 自分の能力は運命を思うままに操るのではない。運命を選択する力なのだ。

 絶対者レミリア・スカーレットがそんな事も知らずにのうのうと生きてきた。そのことだけで腹が煮え繰り返る思いだ。

 

 期して訪れた予定通りの展開は、レミリアに残された最初で最後の名誉挽回のチャンスと言えよう。逃せばもう次はない。

 これより行われるのは運命の選択。そして、運命の決着である。

 

 レミリアは胸に手を当て、そして強く握りしめた。決意の強さと同じほどに。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 我が式たちからの視線が熱すぎて今にも吐きそうな件について。なんだかこんな感覚も久方ぶりのように感じるけど、勿論懐かしくも好ましくもない。

 

 あの子たちの気持ちは分かるわ。それも痛いほどにね。だけども悪いのは断じて私ではないのだ! 断じて! てゐをみすみす逃してしまったのはもはや不可抗力という他ないのだから!

 

 というわけで藍に術の解呪を任せた私と橙は、片っ端から襖を蹴破って消えたてゐを探している。

 絶頂からのどん底ということで絶賛テンションだだ下がり中な私。襖を蹴破るのを純粋に楽しんでる橙を見習いたいところだ。

 

「ここか! ここかぁ!」

「このままじゃ埒があかないわね。てゐか玉兎が移動した痕跡でもあれば……」

 

 そう思ってあたりを見回してみるが、髪の毛一本落ちちゃいない。

 

「因幡てゐを連れ出した人物……紫様の言葉通りなら、そいつはかなりのヤリ手でしょうね。私と橙を欺いたこともそうですが、なにより恐ろしいのが痕跡どころか臭い一つすら残していない隠密技術。凄腕の傭兵か何かしょうか?」

「玉兎は月の実戦部隊。連中とは何度か手合わせしたことがあるけど、妖怪としての強さは地上の水準より遥か上だったわ。……やはり捨て置けないわね、月の都は」

 

 昔のことを思い出してちょっとぶるった。

 

 ここで一つゆかりん豆知識。

 私は動物が人並み以上には好きである。さとりと唯一共有できる認識がこれね。動物好きに悪い奴はいないなんて言葉が戯言だと分かるでしょう?

 ちなみにうちの家族構成にやたら妖獣が多いのはたまたまだと思う。

 

 ただね、私は烏と兎だけがどうしても好きになれないのだ。理由はね、多分その妖獣形態の親玉どもがロクでもない連中だからでしょうね。

 そう考えれば玉兎と八咫烏が対の存在なんて呼ばれていることに納得できるわ。天帝さんもさぞ苦労したんだろうとしみじみ思う。

 

 ていうかそもそも玉兎の連中にはこれまでに何回も殺されかけたからね。

 

 あー兎嫌い。妖怪兎嫌い。

 玉兎はもっともっと、もーっと嫌い!

 

「……! 紫様、動きがありました。どうやら何者かが術を構築し直しているようで、部屋の構造が著しく変化しています。これは──もはや我々以外の外からの侵入は難しいやもしれません」

「てゐを逃したおかげで侵入に気付かれたってところかしらね。退路は問題ない?」

「───くっ、申し訳ございません! 敵の方が私よりも数枚上手だったようです。たった今ほぼ完全に元の場所から隔離されました。脱出は今からでもおそらく可能でしょうが、再突入は今回よりも苦しくなるのは必至かと……」

 

 申し訳なさそうに藍が言う。

 いやいや、病み上がりというか死に上がりというか……兎に角そんな状態でよくここまで頑張ってくれたと思う。だって今の藍には右腕すらないんだもの、流石に無理をさせ過ぎたわ。

 

 彼女の言葉を確かめるべく私たちが入ってきた襖の先を確認してみたが、確かに先程までとは場所そのものが違うようだ。元々から迷路みたいなもんだから見分けがつきにくいんだけどね。

 スキマは問題なく開くが……移動の為の座標軸が完全に狂わされていて、移動に使うのは無理そうだ。小声でおっきーなに合図を送ってみたりもしたが反応は無し。……んー。

 

 やばくないかしら?

 これってもしかして退き際なんじゃ……。

 

「ただ術の根本の探知に成功しましたので因幡てゐの協力者──若しくはこの異変の黒幕が居る場所を割り出しています」

「それじゃあ! 早速殴り込みに……」

「落ち着きなさい橙、話はまだある。……またその副産物として拘束されていると思われる紅魔館の連中と、どういうわけか幽々子様と妖夢の場所も割り出すことに成功いたしました。どうやら因幡てゐもその近くに居るようで……」

「中々差し迫った状況ね」

 

 勝ち確だと思ってた異変がいつの間にか混沌と化してるのはなんでなんでしょう? ちょっと頭が痛くなってきちゃった……。

 正直な話、勝ち確じゃなくなってしまった事により私の戦意は著しく低下している。つまり取るべき行動戦術は逃走なのだ。

 

 だけど、幽々子と妖夢がここに居るですって? しかもレミリアたちも一緒に?

 はい、嫌な予感しかしませんね本当にありがとうございました。かつて異変を起こした二人が揃い踏みして何を企んでるの……? 幽々子は兎も角として、レミリアが私に手を貸すなんて考えられないし……これは最悪のケースも考えられるのでは?

 

 もしもレミリアがてゐ側に寝返る事態に発展しているのなら、なんとしても幽々子と合流して協力を要請しないと!

 ゆかりん的格付けチェックでは幽々子とレミリアはほぼ互角、若しくは幽々子有利と見ている。つまり合計戦力はイーブンイーブン!

 

「……そうね。幽々子を経由してその術者の元へと向かいましょうか。藍がこんな状態なのに最終決戦を挑もうとしたのは、正直失策だったわ」

「も、申し訳ございません」

「ああ、責めてるんじゃないのよ。どちらかと言うと……自分への不甲斐なさ、かしらね。私が弱いからいつも貴女に押し付けてばかりで」

 

「そんな滅相も無い! 私としての理想の形は紫様にお手を煩わせないことで、あって──……だからわざわざ私に……、あれ…?」

「え?」

 

 藍の素っ頓狂な声。そして確かな困惑の色。

 私もまた、藍の言葉から微量の違和感を感じた。

 

 互いの言葉の端々から感じる深刻なすれ違い。何故か私と藍の間に何らかの意識の齟齬が生じているようだった。

 二人で首をかしげる。

 

「……」

「……?」

 

「紫様、藍様! はやく行きましょうよ!」

 

 橙の声でハッとした。

 そうよ、こんな事で時間を潰している場合じゃ無いわ! 刻一刻と情勢が変化している。私たちがそれに置いていかれるわけにはいかないでしょう!

 

 

 

 

 

 

 道順が判っていれば自ずと進むスピードや効率も上がるというもので、幽々子の元に辿り着くのにそれほど時間は使わなかった。

 この短縮できた時間を有効に使わなければならない……んだけど、目の前のおかしな光景に思わず立ち止まって目を見開いてしまった。

 

 やけに興奮しながら何もない場所を繰り返し斬り続ける妖夢。目が血走っていて、泡を吹きながら何事かを喚き散らしている。

 そしてそのうしろでけらけら笑いながら妖夢に語りかける半透明の玉兎。

 そしてトドメには、彼女らとは関係ないと言わんばかりに床に座り込んで楽しそうに見物する幽々子である。低みからの高みの見物といったところか。

 

「あら紫じゃない。てっきりまだ外でやってるのかと思ってたわ。そっちは……順調ではなかったみたいだけど。藍ちゃん腕大丈夫?」

「大丈夫ではないですね。この通りですし」

 

 笑いながら消し飛んだ腕の先を見せる藍。私から見れば紛うことなき狂気であるが、彼女らにとっては擦りむいた程度の認識なのかもしれない。

 いやそれよりも妖夢よ! 戦況は明らかに劣勢……体中傷だらけで、どう言うわけか見当違いの方向を攻撃し続けている。

 

 と、藍と橙に援護をお願いするよりも早く幽々子に静止された。妖夢の痛ぶられている姿を真剣に見つめている。

 

「ここは妖夢の晴れ舞台、手は出さずに応援だけに留めてちょうだいね」

「親バカ……でいいのかしらこれは」

 

 そう言えば幽々子からは妖夢の教育方針についてよく愚痴られたっけ。その結果がこれならこの八雲紫ドン引きである。

 前々から思ってたんだけど、幽々子って愛が変な方向に拗れてるよね? ヤンデレではないんだけど、天然腹黒っていうのかしら……。

 

 妖夢には悪いけど、保護者である幽々子にそう言われたんじゃ助けの手を差し伸べることはできないわね。なら声援だけでも!

 

「妖夢、そこを右に撫で斬りよ!」

「み…右ですか!?」

 

 困惑しながら放たれた剣筋が玉兎の頬を掠める。私を睥睨する紅い瞳がなんとも恐ろしいが、それよりも周りからの驚愕の視線の方が怖い。

 えっと……私いま変なことしたっけ? 「そこで右フック!」みたいな感じで声援を飛ばしただけなんだけど……。

 

「お言葉ですが紫様……どのようにしてアレを見分けたのですか……?」

「見分けたも何も、そこにいるでしょう?」

 

 玉兎を指差しても藍や橙は首をかしげるばかり。幽々子や戦闘中の妖夢も、頭にクエスチョンマークを浮かべている。

 あれれ、もしかして私にだけ見えちゃいけないものが見えてる感じの展開が再び? ちょっ、もうやめましょうよそういうの!

 

 やっぱり異変が終わった後は病院に行った方が良さそうね。うんそうしよう!

 

「地上人なんかに見破られるなんて、やっぱりおかしい。もしや月の関係者!? ……そこの妖怪名を名乗りなさい!」

「紫様! 次はどこを斬れば宜しいですか!?」

「もう。甘やかしちゃダメよ紫」

「……やはり紫様は──」

「流石です紫さま!」

「やっぱ変な奴だよお前」

 

 ちょ、一人ずつ話してくれないかしら!? 聖徳太子じゃあるまいし! 四方八方なら声かけられちゃ混乱するわよ。

 

 ……ん? 四方?

 深刻なデジャヴを感じるとともに振り返ると、あの兎が予想通りと言うべきか、杵を振りかぶって私の頭へと振り下ろして……──

 

 

 ──っぶねぇ!?

 半ばブリッジの体勢になりながら、鼻を高速で掠めた。謎の好調が無ければ即死だった!

 

 藍が即座に捕縛にかかる。しかし流石はてゐと言うべきか、右腕が無い手薄の場所へと身体を滑り込ませて藍を躱す。いつ見ても神がかってる回避である。

 

 そして向かうは勿論私の場所。狙うは私の脳天ただ一つ。今日何度目かの命に差し迫る危機。手に携えた血濡れの杵が鈍く紅明としていた。

 

 私は死を覚悟した、が。

 

 み、見えた……見えたわ! 最初は視認することすらできなかったてゐの動きが、まるで手に取るように分かった!

 藍たちに見えなかったものが見えたりといい、この動体視力の向上といい! まさかついに目覚めの時が来たというの!? ニュータイプ八雲紫の誕生が!

 

 フハハ! 見える、見えるぞぉ!

 眼前に迫る横薙ぎの一撃を隙間でブロック! よもやこんなカッコいい戦い方ができる日が来ようなんて夢でしか思ってなかった。

 今までありがとうドレミー! 私はとうとう都合のいい夢から卒業する日が来たのよ!

 

「やっぱ無理か。……そっちは任せたよ鈴仙!」

 

 そう叫ぶとてゐは一目散に逃走を開始。それを見た幽々子が退路を蝶弾幕で潰しにかかるが、幸運補正あってか、するりと通り抜けてしまった。

 そう何度も逃げられてたまるもんですか! 今度こそしっかり貴女を捕まえてこの異変は終了よ! さあ追跡開始……といきたいんだけど。

 

「幽々子、これじゃあ先へ進むことができないわ」

「ええ。進めないようにしてるんですもの」

 

 てゐが潜り抜けた後も幽々子の蝶弾幕はその場に留まり続けていた。つまり、私の為に道を開けたくない、ということだ。

 幽々子の蝶弾幕は一つ一つが掠るだけで命を持っていくヤベェ弾幕、てゐみたいに間を縫って…なんて真似は絶対したくない。

 幽々ダラボッチ怖いです。

 

「私の予感が正しければこの先に待ち受けるのは、おそらく無限死地の坩堝。あの素兎が用意してるのは幸せなんかじゃない……そうでしょう?」

「まあ身に染みてるわね」

「紫……まだ死ぬには早いわよ」

 

 不吉なこと言わないでよぉ。せっかく自信がついてそういう恐怖全部乗り越えることができてたのにぃ……! また怖くなってきたじゃないの!

 けどここでてゐを捕まえなきゃ、夜が明けることはない。幻想郷を守らなきゃ! なけなしの勇気を振り絞れ八雲紫!

 

「前にも言ったじゃない。『私が生きている事こそ、貴女がこの世に生きていた確かな証拠』なんだって。大丈夫、貴女をこれ以上死なせたりなんてしない。それに私も命が惜しいですし?」

「……卑怯よね紫もレミリアも。私に反対すら言わせてくれないんだから。……もし死ぬなら、その時は私の目の前にしてちょうだいね。妖夢の方が終わり次第すぐに向かうから」

 

 呆れながらも、どこか嬉しそうな様子で幽々子は言った。そして蝶弾幕は眼前で消え去り、通路が拓けた。

 貴女の声援(?)確かに受け取ったわ!

 

 

 いざ我ら八雲三人で駆け出し──置いて行かれそうになったのでスピードを落としてもらった。じっくり行きましょう! うん!

 

「紫様。奴の狙いは協力者との合流にあるようです。走っている方向が術者の場所と完全に一致しています。もう距離は然程もございませんが……誘導されていますね」

「逆に考えればついに諸共追い詰めた、ということね。さあ、さっさと異変なんて解決させてみんなでお月見と興じましょう」

 

 そう、本来の目的は月見にあるのだ。橙がこっちをチラチラ見ていたので「もちろん貴女もいらっしゃい」と声をかけてあげた。そういえば橙には月見のことを言ってなかったっけ。

 

 と、前方にてゐの姿が見えた。

 この建物内で今まで見た中でも特に大きな襖を背に、私たちと向き合う形になる。

 なるほど……そこに協力者、若しくは異変の黒幕がいるってわけね。

 

「年貢の納め時よ、てゐ。これにて異変を終わりとしましょう」

「そうだね。私ももう腹を括った。……ここからが正念場さ」

 

 てゐの言葉から交戦の意を感じたのだろう。藍と橙が妖力を漲らせ、臨界体制を取る。だがその一方で私は、勿論藍と橙も、並ならぬ違和感を感じた。

 言葉とは裏腹にてゐから全くと言っていいほど闘志を感じない。言動と雰囲気が一致しないのはてゐの常ではあるが、今回はまさに顕著だった。

 

 さらにおかしいのが、不自然な想いの強さ。

 一体、何を決意しているの?

 

「紫。私はお前を殺したいとは思っていないわ。例え相入れぬ存在同士であったとしても、私はお前のことを結構信用してるんだ」

 

 これまでのケースを鑑みるにてゐの言葉に耳を傾け過ぎるのは危険。だけど何故だか今だけは、彼女の言う事を聞いてみたかった。

 

「私に未来を見通す力はない。同時に、未来を決定づける力もない。できるのはせいぜいポジティブに未来を考えるくらいの事だ。似たところで言えば、座敷わらしかな? 連中は幸運を呼び込むんじゃない、幸運に至る道順を知っているに過ぎないんだから」

 

 せせこましい能力だろうとてゐは言う。……つまり、てゐの能力の本質は未来を予測しつつ幸せを感じとる力ってことなのかしら。

 もし幸運のバイオリズムなんてものが実在するんなら、とっくの昔に藍の手によって解析されてそうなもんだけどね。

 

「つまりだよ、私たちは全員流されるままに生きているのさ。思い立った意思も、それに至る数奇な偶然も、全ては計画され、構築されたものに違いない。十億分の一なんて確率が存在し得るはずがなかったんだ」

 

 じわりと、汗が吹き出る。

 場の圧が数倍膨れ上がって、思わず呼吸が詰まる。思わず藍と橙の後ろまで後ずさった。

 

 

「だからさ、死なないでね、紫」

 

「は?」

 

 

 困惑の呟きは破砕音に掻き消えた。

 襖を突き破って人間の形をした物体がすぐそばの床に叩きつけられた。それは何度かバウンドし、慣性に引きづられながら動きを止めた。

 

 下半身だった。

 薄ピンクのフリル付きドレスを着ている奴なんてあいつぐらいしか思い浮かばない。

 誇り高き紅魔の主人、レミリア・スカーレット……その半身の、半身。

 もはや欠損と言えるレベルじゃない。少なくとも私に観れる範囲では、下半身のさらに半分しか認めることができないから。

 

 視線を戻すとてゐは居なかった。この混乱に乗じてまたもや逃げ果せたのだろう。

 だけど、今の私たちにはどうでもいいことだった。

 

 襖の奥に広がっていたのは、広々とした木張り床の一室。至る所が抉れたり焼き焦げたりしていて、直近での戦闘が行われていたことが想像できる。

 

 中央に佇むのは一人の()()。美しい銀髪を持ち、紺と赤から成る特殊なツートンカラーのナース服?を着こなす。

 少なくとも、私には彼女が妖怪にも人間にも、況してや神のような超常的なモノに見えなかった。敢えて例えるなら、機械や人形のような人間を形取ったレプリカ、とでも言おうか。

 

 その前に膝をつく十六夜咲夜。そして彼女に抱えられたレミリアのもう半身。彼女と咲夜たちの間には幾多もの肉片が転がっている。

 

 なによ……これ……。

 

 

「参ったわね。まさかここにきて計画に狂いが生じるなんて。はっきり言って、想定外」

 

 起伏のない声が響き渡る。

 

「抜本的な問題じゃない。前提条件からして成り立つ筈のない計画を練らされるなんて、斯様な屈辱は何世紀ぶりかしら。貴女たちもそうだけど、何よりも許せないのは……」

 

 視線が私たちの背後へと向けられる。誰に怒っているのだろうか。

 

「……てゐに感謝することね。おかげでまんまと乗せられた私はこうして今日の今日まで行動を起こすことができなかった。もしここ(幻想郷)が貴女の手によって作られた箱庭だと判っていたなら、全ての事は既に終わっていたでしょう」

 

 私に向かって彼女は言う。

 ああ、そうか。なんで目の前の女性がこんなに恐ろしいのかが分かった。

 

 これまで数多の者たちと会ってきた中で殺意を向けられることは多々あった。ていうか今の知り合いたちにも一回は殺意をぶつけられてると思う。

 

 だが奴の殺意からは、感情を感じない。

 まるで今から行うことが自らの義務である、とでも考えているかのような不気味さ。

 

 ……そうか…!

 

「貴女、月人ね? それも相当古い部類の」

「ご名答、と言いたいところだけど、別に大したことではないでしょう? 貴女は既に私が何者であるか知っていた筈。八意──地上風に言うならば永琳の名は廃れたのかしら。好都合ではあるけれど……おかしいわね」

 

 やっぱりか!

 この妙に価値観がズレてる感じ、正しくそうだと思ったのよ! それならレミリアを千切って投げるこの強さにも説明がいくわ。なお八意永琳とかいう名前は初耳である。

 

 いや、だがいくら月人といえどレミリアをここまでできる奴なんてそういない筈だ。それこそあの最恐最悪の月人姉妹ほどでない限り。しかも彼女は私が知る中では……もしかすると……。

 

「レミリア──……この吸血鬼達にはほとほと手を焼いてまして。簡単に倒せるような者たちではないのだけれど、どんな手を使って追い詰めたのか、お聞かせ願えるかしら」

「手を使わなきゃいけないほどの妖怪だったかしらね? まあ、余計なことをしなきゃマトモな勝負になれたのかもしれないけど、使えない従者がいたのは彼方にとって不運なことだったのでしょう」

 

 言葉の端々から伝わってくるヤバイ奴の波動。ほんの片手間にレミリアとメイドを倒す奴なんて……どう形容すればいいのか分からない。

 

 よくよく見てみればレミリアとメイドの位置関係からして、まるでメイドを庇った後のように血痕が拡がっている。

 何があったのかはあくまで推測に過ぎないのだが、私の予想通りならそれは非常に喜ばしく、そして悲しい限りだ。

 

 レミリア……!

 

 

「最後に訊ねさせて貰うわ。貴女、本当に退くつもりはないのね? ──……いや、こと無粋な質問だったかしら。もはや不戦は───」

「ええ、成し得ない。月の賢者とも謳われしこの私が、況してや貴女(八雲紫)を見逃す手立てなどあるはずがない。見つけたからには……

 

──確実に、消す。全ては姫とそれに通ずる者の為に、私は冷酷になろう」

 

 レミリアや萃香のような叩きつける示威行為ではない、じっとりと私たちを諸共覆い尽くすような巨大な力。

 

 次元そのものが違う……! 幻想郷にだってこれほどの力を持った妖怪は、いないかもしれない。これまでの相手とは明らかに一線を画してる。

 

 こうなってしまっては私も腹を括るしかなくなった。ここから先はもはや異変解決ではない。幻想郷という枠を超えた──。

 

 私の生死を賭けた殺し合いだ。

 

 

 ……やるしかない!

 

「藍ッ! 橙ッ! ──この戦いに退転はないわ。私とともに戦ってちょうだい!」

「……この藍にお任せを」

「はい、勿論、ですっ!」

 

 藍は汗を流しながら、橙は震えながらも、私に付いてきてくれると言ってくれる。……ありがとう、二人とも。

 

 やってやる、やってやるわ!

 ぶっちゃけ凄く怖いし、お腹も痛い。泣いて逃げ出したいし、なんなら無条件降伏でもしながら命乞いがしたい。

 

 でも分かるのよ。

 私には戦うか、諦めるかしか選択肢はないのだ。

 月の奴を相手にした時、命取りになるのは妥協策を練ること。あっちは私を殺すことしか考えていないんだから、どんな条件を突きつけても納得するはずがないのだ。

 

 こんな状況でこんな奴と出くわすなんて、本当に運が悪いと思う。だが同時に幸運であったとも思えるのだ。

 だってこんなどでかい爆弾が竹林の奥に潜んでいたんですもの。そんなこともつゆ知らず、のうのうと暮らしていたのにちょっとした寒気を覚えるわ。

 

 こいつをこのまま幻想郷に置いておくにはリスクが高すぎる。ここでこの脅威を排除せずして、平穏など訪れるわけがない。

 

 やってやろうじゃないのよ! 逃げるばかりが私の戦い方ではないこと、見せてくれるわっ!

 

 八雲(主に式)の力、思い知れっ!




東方最強議論……長年不毛な諍いを生み出してきたその論議の頂点にかつて君臨していたという八意永琳という賢者。その実力や如何に

てゐちゃんの幸運については今回大まかに大切なことが三つだけ。

・うどんちゃんが死なずに済んだ
・ゆかりんがこのタイミングで永琳と邂逅できた
・永琳に殺されずに済んだ

今回の物語はてゐちゃんがMVPかもしれない


というかてゐちゃんレミリア姫様と色んな方が因果律系に介入しすぎてるせいで幻想郷の磁場時空が乱れる乱れる! なお他にも三人ほど介入してる模様

何をそんなに争うのか……
そりゃあ、八雲紫の調理の仕方でしょうよ

煮るか、焼くか、切るかの違い……でなければ、なんでこんな事をやってるんだい?






ここから先の東方原作は個人の見解によって解釈が異なるケースが多々発生します。なのでもし「この設定はどう理解してるの?」等の質問がある場合はどうぞ気軽にお願いします。核心に迫るモノ以外はなるべく簡単に答えさせていただきます


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優曇愚鈍(後)*

結局最後は殴るのが一番強いって、それ古事記にも書いてあるから。


 この世は所詮、利用するかされるかだ。

 

 昔から数え切れないほどの人数を騙し続けてきた。時には騙されることだってあった。

 

 今だってそう。私は利があるから永琳と手を組んでいるし、それは向こうだって同じこと。大まかな目的こそ共通している部分もあるけど、それに至る感情的な意義は全くもって別物だ。

 

 

 

 ただ運が良いだけの兎が私。就いている地位も、これまで歩んできた歴史も、全てが不相応で、虚偽と虚勢に塗れている。

 

 何が悲しくて笑わねばならない?

 何が楽しくて生きねばならない?

 

 自分の本心も姿も見失い、幸運な境遇に恵まれ続けた私は、世界一の不幸者だ。

 

 私にはもう、なにも解らない。

 

 

 ああ、永琳。

 お前は本当に頭の良い奴だ。

 

 繋がりが人を束縛することを身を以て知っているから、私を捉えて離さない。

 私の本質を把握しておきながらそれを利用する。……お前と知り合ったことは間違いなく幸運だ。私はそれが今でも恨めしい。

 

 

 ああ、鈴仙。

 貴女は本当に愚かな奴だ。

 

 そして私は、もっと愚かなんだろうね。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「ふふん、粋がってた割には大したことないのね。実体も捉えきれないまま嬲り殺しにされる気分はどうかしら?」

「はぁっ、はぁっ……くそぅ……」

 

 流れ出る血汗を拭いながら妖夢は唸る。なんとか楼観剣を握る利き腕を死守しているものの、ほか三肢には銃痕が痛々しく空いている。妖夢の高い機動力を削ぐ為の戦略だろう。

 

 妖夢を取り囲むは紅く発光し、実体を感じさせない鈴仙の群れ。音と光が視覚と聴覚を塗り潰し、妖夢の強みそのものを封殺していた。

 横一文字に刀を凪いで前方の鈴仙を一掃するも、またもや幻覚。全ての包囲から放たれる弾丸が妖夢を追い詰める。

 

 鈴仙の姿がぼやけるのは、血を失い過ぎたこと以外にも要因があるのだと自覚はしていたが、その攻略法は未だ掴めない。剣が届いたのは紫の言葉に従ったあの数瞬のみである。

 つまり鈴仙は無敵などでは決してない。しっかりと実体をその場に残しているし、剣が届く範囲に存在しているのだ。

 

「紫様は奴の姿をはっきりと捉えていた。……完全無欠の能力ではないんだ……! 私にだってきっと───! はぁっ!」

「まーたまたハズレ! そろそろ終わっちゃえ!」

 

 剣が空を斬ると同時に、眼前が真っ赤に染まる。妖夢が気付く間も無く、超至近距離まで鈴仙は接近していたのだ。

 脳天を強い衝撃が打ち付ける。平衡感覚を失った妖夢は勢いよく床に叩きつけられ、血溜まりを作った。激しい頭痛と幻聴幻覚が脳内で堂々巡りを繰り返す。もはや五感はその殆どの機能を失いかけていた。

 

「あ……ぅあ……」

「頭に直接波長をぶつけられて生きてるなんてね。月にもそんな奴居なかったのにまさか初めて耐えたのが地上人だなんて、信じられないわ」

 

 所詮自分の敵ではなかったが、諦めずに何度も挑み続けた妖夢のファイティングスピリッツに些か感心するものがあったのは、否定できない。

 しかし精神論ではどうにもならないのが、実力という名の大きな隔たりである。結局この半分幽霊では自分の相手にすらなりはしないのだ。寧ろ、鈴仙にとっては次が本番だろう。

 

「さあ部下は倒した! あと残るはお前だけだ!」

「……そうかもしれないわねぇ。妖夢にはまだ荷が重過ぎる相手だったかしら」

 

 平坦な口調でそう告げると、優美な蝶を周囲に散らせながら幽々子が立ち上がる。

 幽々子の波長はこれまで鈴仙が感じ取ってきた中では永琳達を除くと最長に近い長さ。これは幽々子が温和な性格であり、植物のような気の長さを持つ性質であることを示しているのだが、視覚と聴覚でのギャップの差に鈴仙は戸惑いを隠せない。

 

 この性質にして、何故ここまでの凶悪な能力を有しているのかと、冷や汗が止まらない。

 もしも任務中での邂逅でなかったのなら、是非とも接触は避けたい部類の相手だ。

 

「なんて禍々しい力……! さしずめ生きる者にとっての天敵、といったところかしら」

 

 だが内心、鈴仙はせせら笑っていた。

 確かに強力無慈悲な力ではあるが、まさかその天敵の天敵が自分の知る限りでは三人もいることなど彼方は知る由も無いだろう。もはや幽々子は自分が手を下さずして攻略したも同然である。

 もっとも、どっちにしろ鈴仙はこれから幽々子を倒す気であるわけだが。

 

 相性が良いのは自分だって同じ。

 あんな蝶など波長をぶつけて散らしてやればいい。此方に干渉する能力など鈴仙の波長操作の前には無力も同然だ。

 

 

 

「──幽々子様っ! 私に、お任せしたのではなかったのですか! こ、この程度ではまだ、負けてませんよ……!」

 

 明らかな強がりに鈴仙は舌打ちする。

 

「し、しつこい! 何度やったって結果は───」

「主人を前にして地に伏し勝負から逃げるなど、悪徳不敬の極みッ! 例えこの身体が朽ち果てようと、霊体すら露に消えようとも……! 幽々子様の前で諦めてたまるもんか! 思念だけになってでも、この勝利はもぎ取ってみせるッ!」

 

 鈴仙は理解に苦しんだ。剣士の生命線である機動力も五感も失い、尚且つ実力も遠く及ばない自分に対して何故こうも強気に出れるのか。

 倒れていればいいじゃないか。少なくとも、今の状態の妖夢が戦うよりも幽々子が相手した方が勝率は遥かに高いはずだ。

 

 忠誠心を抱いて主人に尽くすのが悪いとは言わない。だけど、死ねば所詮ただの犬死。

 死ねば何も残らないのに。

 

 その主人も主人だ。何故死に向かおうとする従者を止めようとしない?

 ……解らない。

 

「余計な茶々を入れてごめんなさいね妖夢。それじゃ今度こそ貴女が勝つまで待ってるから、あまり待ち惚けにはさせないでね?」

「すぐに終わらせます!」

 

 血走った目で鈴仙を睥睨する。狂気に染まりながらも己の意思を失わずに、寧ろ無意識のうちに精神面での補助に利用しているようだった。

 一度楼観剣を鞘へと収め、代わりに引き抜くは小太刀の白楼剣。鈍色の光が僅かに狂気を緩和させる。

 

「迷いが有るから揺れるんだ! なら、この戦いの間だけ迷わなければいいっ!!」

 

 白楼剣を翻し自らの肩へと突き立てる。

 

 呆れるしかなかった。

 どれだけ未開ならばこのような常軌を逸した行動が取れるのだろうかと。

 正気を失って自傷行為に走るならまだしも、今の妖夢は比較的正気に近い。幾ら狂気対策だからといっても、それでは本末転倒ではないか。

 

 それに、あくまで打ち切られたのは妖夢に対する能力の干渉。鈴仙自身に継続して発動する能力は、依然その効力を発揮している。

 位相をズラせば鈴仙は世界を誤魔化すことができるのだ。如何なる手段を用いたとしてもその姿を捉えるどころか、感じることすらできまい。

 

 あと右腕さえ撃ち抜けば何もできないだろう、と鈴仙は指先の照準を定める。

 そして放たれた弾丸は妖夢の肉を穿ち───。

 

 鈴仙の骨を斬り裂いた。

 

「なッ───そん、な……!」

 

 噴き上がる鮮血とともに、鈴仙の絶対領域の牙城は崩れ去った。

 腰から肩までを易々と切り裂く下段袈裟懸け。致命傷には至らぬものの、戦闘不能に追い込めるほどの大ダメージには違いない。

 

 肉体に触れる感覚と同時に意識的に放たれる光速の斬撃。時間差を丸々消し飛ばすほどの須臾の駆け引きは、妖夢の得意とするところである。

 弾丸が身体に入り込む角度、回転数、勢い、そして狙うであろう部位の予測──それらを完全に把握することができれば、鈴仙の居場所を割り込むことなど容易い。

 

 だが、代わりに妖夢の隙も大きい。

 体勢を崩している今なら急所に弾丸を打ち込むことが可能。混乱する思考の中、鈴仙は自身もまた難しい体勢で妖夢の喉へと照準を定める。

 

 が、弾幕を発射する間も無く鈴仙の腕は肘から逆方向へとへし折られた。刹那の駆け引きの中、妖夢の半霊は着実に鈴仙の方へと近づいていたのだ。そして自分の隙を帳消しにすべく待機していた。

 

 

 一秒にも満たぬ攻防。それだけで勝負の趨勢はほぼ決したも同然だった。

 

「そ、んな……どんな小細工を……!」

 

 なにより鈴仙が予測できなかったのは、妖夢が放った斬撃のスピードである。

 四肢を撃ち抜かれ機動力を大幅に削ぎ落とされているにも関わらず、鈴仙を斬り裂いたそのスピードは今日一番と言っても差し支えないほどだった。

 故に反応が大きく遅れた。

 

「小細工も何も、刀は腕のみで振るものではありません。居合の速さにおいて大きな比重を占めるのは、間違いなく腕よりも腰の捻りですから」

 

 人体の構造において、もっとも瞬発力に富むと考えられている部位は、脊髄付近に集中している。刹那の駆け引きに生きる妖夢なれば、それはさらに顕著となるだろう。

 

 

 妖夢とて無事ではない。だがこの二撃の意味は非常に大きかった。自分にとっても、そして鈴仙にとっても。

 

「ヒッ、ひぃ……!」

 

 鈴仙は傷口を押さえながら子鹿のように震えて蹲る。滴る血を押し込むように強く、さらに強く押さえる。

 

「……ハ、ハハ。そうか、これが戦闘なのね。これが、生死の駆け引き……!」

 

 血に濡れた掌で頭を掻き毟る。

 

「イヤだ……イヤだ死にたくない! 死にたくないっ! 助けてししょおぉ! 姫、さまぁぁ! てゐっ……誰か…ぁ!」

 

 息も絶え絶えに鈴仙は叫んだ。その豹変ぶりに妖夢も、幽々子もまた困惑する。

 痛い痛いと喚きながら、のたうち回るその姿は狂気そのものだった。

 

「ダメだ誰も来ない……。そうだ、あの時だって誰も一緒に来てくれなかった! いつだって、終わる時は一瞬なんだ」

 

 ヒロイックでドラマティックな最期を遂げて死んだ者など、この世に何人存在できただろうか。人とは内心では死に方に憧れを持つものだ。そして無意識のうちに、その通りに死んでいくものだと錯覚してしまう。

 

 誤りだ。

 大抵は何の予兆もなく、ただ突然に全てを奪われてしまう。未来を計画することなんて誰にも出来はしないのだ。生きるという事は、理不尽を受け入れ続けるという事なのだから。

 

 死ぬのは抗う術と意志を持たない奴だけだ。

 

「死ねない……! 私はこんなところで終わるような兎じゃないんだっ! 折角逃げてきたのに、終わるなんて、そんな……!」

 

 嫌な空気が鈴仙を包み込み、特殊な波長が鈴仙を中心に迸った。

 

「何が起こって──!?」

「これは……凄いわね」

 

 やがて鈴仙の喚き声は消えていき、代わりに目の鋭さが増していく。その身から放たれる妖力も桁違いに増加していた。

 

「はっ……はぁ、はぁ、ふぅ……──なるほど。()()()()の言う通りだわ。とても清々しい気分……今なら月まで飛んでいけそうなほど、心が全能感に満ちている」

 

 自分の存在を確かめるように手を開いたり握ったり、そして軽く柔軟体操を行う。

 折れ曲がった左腕をおもむろに無理やり元の形状へと()()()()()。動かすことはまだできないだろうが、盾ぐらいになら使えるはず。

 

 身体が傷つくことに一切の躊躇が感じられない。さっきまで痛みにのたうち回っていた兎の姿はどこにもなく、もはや別人の域。

 

 今の鈴仙は正しく軍人であった。

 

 先ほどまでの焦燥はない。

 闘争心を剥き出しに、射殺さんばかりの眼光。どこか抜けた部分も、もはや完全に霧散した。

 

「舐めていたことを謝罪するわ。これよりはお前を本当の敵と認めよう。玉兎でも逃亡者でもなくて、自分の命を繋ぐ為だけに闘う」

「これが貴女の本当の力、というわけですか……。それは、誇りたくもなるでしょうね。こんなにも凄まじい力を持っていたのなら!」

 

 波長の操作はなにも精神を壊す為だけに使うものではない。むしろ精神を思うままに創り出すためにあるものだ。脳波を意図的に操り、闘争心とアドレナリンを無理やり分泌させる。

 兎は臆病な動物である。そんなことは当の兎が一番良く分かっていることだ。だから怖気付くことのないよう脳波を操り自らを御することは、鉄砲玉の玉兎たちにはよくある事だった。

 

 ただ、エリートの鈴仙がこの方法を実践したのは今回が初めてだ。使う決意もままならないまま逃走してしまったから。

 逃げ場のないこの状況で、さらにかつての行いを気に病んでいた今だからこそ、抱くことのできた真の決意とも言える。

 

「本気で来てくださるのでしょう? それはまさに願っても無い限り……! 私は元より、そのつもりですから!」

「そう。これでイーブンッ!!」

 

 赤黒い血に濡れ、引き裂かれたブレザーを脱ぎ捨てる。じんわりと滲むこの紅こそが生物としての本領。ここが地上であることを実感させる。

 

 紅い瞳の輝きとともに振動が伝播する。そして空間は崩壊を始め、黒く塗りつぶされていく。範囲も速度も先ほどの数倍まで膨れ上がっている。

 超微振動の坩堝に浸かれば、肉体どころか霊体も、原型留めることすらできまい。そのことを理解している妖夢は最優先でそれらを潰しにかかった。

 

 斬って、斬って、斬り結ぶ。

 少しでも気を緩めれば向かう先は、死のみ。間近に迫る濃厚な疲労感と限界が妖夢をさらに奮起させた。眼前をひたすらなます切りにする。

 

「──現世斬ッ!」

 

 スペル詠唱とともに剣圧が空間を薙ぎ払う。拓けた視界の先にあったのは空を駆け、此方へと接近する鈴仙の姿。

 

「接近戦ですか? 望むところ──!?」

 

 妖夢は声を詰まらせた。なぜなら、鈴仙が「斬ってください」と言わんばかりに正面から突っ込んで来たからだ。

 咄嗟に楼観剣を抜き放つが、その剣筋は鈴仙のアッパーカットと交錯する。

 

 破砕音。

 

 砕ける拳と刃。白銀の刀身が床にこびり付き広がる真紅を乱反射させ、くるりくるりと舞いながら床に突き刺さる。

 

 鈴仙は苦痛に顔を歪めながらも、シャツの袖を引き裂き、割れた掌へと巻き付ける。

 

 その傍らで妖夢は茫然と砕けた刃先に釘付けになっていた。妖夢の「体」の強さとも言うべき楼観剣がへし折られたのだから。

 

 一方的に鈴仙が傷付いた展開ではあったものの、妖夢の心中は決して穏やかなものでなかった。動揺を隠すことができない。

 

「斬れな……かった……!」

 

 刃は鈴仙の拳の中程で止まっていた。そして切り開く間も無く、凄まじい衝撃で手の感覚ごと楼観剣の刃を奪っていった。実体あるものを斬れなかったのはこれが初めての事だった。

 

 いや、それよりも楼観剣だ。

 

「そんな……嘘だ」

 

 師である妖忌から譲り受け、終ぞ完全に使いこなす事は出来なかった。つまりそれは、妖忌との約束を違えたことにもなる。

 こんな状況でもなければ泣き喚いていただろう。だが、残った「心」の強さである白楼剣が必死に訴えるのだ。「それはまだ早い」と。

 

「来なさい魂魄妖夢! 武器の有無で泣き言をほざくのは新兵だけだ! さあ、武器なんか捨ててかかってこいッ!」

「──ッッゥ! ああぁぁァァッッ!!」

 

 強い言葉に発破されてか、妖夢もまた声を張り上げながら脚を強く踏み出す。大切なモノを失った悲しみと、行き場のない怒りの矛先を鈴仙へと向ける。

 歯を噛み締め、剣士としての名誉もかなぐり捨てて殴りかかり、拳が鈴仙の頬を捉え──空を切るような虚しい感触が突き抜ける。

 

 躱されたと判断した妖夢は折れた楼観剣を床へと突き立てる。そのまま柄を足場にリーチの長い蹴りを中段へと繰り出した。

 これなら逃げ場は上か下にしかない。その後の対処は妖夢の思うがままだ。

 

 そして蹴りが鈴仙の腹を捉え──またもや空を切る不可解な感触。

 

「……え?」

「──つァッ!!」

 

 そして拳が顎を撃ち抜いた。

 あまりの衝撃に妖夢の世界が二転三転とし、何重もの壁を突き破りながら墜落した。

 その威力たるや、かつて受けた伊吹萃香の拳の威力、それ以上。

 

「……!? ぁが……!……?」

 

 重度の脳震盪。立ち上がるどころか、今の状態を認識することすら困難な状態に陥り、床に手をついて何度も頭を叩きつける羽目になった。

 

 鈴仙の腕力が弱いと、決して侮ってはいない。しかし、鬼に匹敵するほどの威力を内包しているようには、とても見えなかった。

 なのに、この威力。

 

 タネはある。

 瞬発力を要求される際、必ず指摘される弛緩(リラックス)。強調されるのはインパクト、そしてその瞬間までのリラックス。

 

 弛緩と緊張の振り幅が──打力の要。つまりそれらを極限まで操ることができれば、規格外の威力となる。波長操作ならそれが可能。

 

 軍隊格闘術を極めた鈴仙の拳から繰り出されるそれは、筆舌に尽くしがたい破壊力となるだろう。

 

 文字通り、一撃必殺の狂気衝撃(ルナティックインパクト)

 

 それは防御面においても同義である。

 極限まで弛緩を続けることができれば、それは究極の柔の構えとなる。中国拳法最強の防御とも謳われし『消力』の真髄となるのだ。

 

 今の鈴仙は空気にも等しい。

 

「……妖夢」

 

 ゆらり、と。

 幽々子が立ち上がる。

 

 が、それでも前には出なかった。

 従者はまだ足掻いている。

 

「ハッ──まだ……終わて、いな……」

「終われぇぇッ!!」

 

 中腰になった妖夢を蹴り上げる。肩に刺さっていた白楼剣が抜け落ちて、切っ先を鈴仙の頬が掠めた。そして造作もなく床を転がる。

 

 妖夢を支えるモノは、もはや自前の精神の他に何も無い。虫のようにか細い鼓動が脳内をつんざくようにのたうちまわる。

 

「……ま、だ…」

「威勢の良い戯言は立ってから言ったらどうだッ! 負けを負けと認めない奴は、ただの三流にも劣る……! 命あっての物種だと、何でみんな気付かないのよ……? 死んだら、終わり……」

 

 闘志と瞳が揺れる。

 正気に戻った鈴仙は先ほどまでの自分の狂気に戸惑いながら呆然となった。そしてまたも震え出して自分とも妖夢とも知らない被った血を拭う。

 

「なんで……せっかく決意したのに! こんな怪我しちゃ、私、死んじゃう……! 痛い! 痛い、痛い、痛いっ! 」

 

 誤魔化していた弱い心と痛みが体中を駆け巡る。あまりの痛みに能力を制御できず、鈴仙は泣きながらのたうち回る。

 

「白楼剣が掠ったから……決意そのものが、迷いだったのか? そんなことが……」

 

 何が起きているのかはあまり理解できないが、先ほどまでの言動と変貌ぶりでだいたいのことは理解できた。

 鈴仙は強い。勿論、慢心や驕りがなければ妖夢などあっという間に叩き伏せていたほどに。その結果が先ほどまでの一連の攻防だろう。

 だがその強大な能力を持つには似合わないほど精神が脆弱であることも分かった。

 

 結局、鈴仙の本性とは今の姿なのだろう。

 

 今なら──!

 

「くっ、あああぁぁァァ!!」

 

 喉が張り裂けんばかりの絶叫。悲鳴をあげる身体からの危機信号を無視して無理やり立ち上がる。半霊の助けを借りつつ歩みを進める。

 途中で鈴仙も気付いたようで、情けない声をあげながら壁際まで後ずさった。

 

 牽制のために放ったのであろう情けない弾丸が妖夢の頬を掠める。

 

「い、いやぁ! やめて、来ないでっ!」

「武器を捨ててかかってこいと言ったのは、貴女でしょうが……! なぜ貴女ほどの強者が……こんなに弱いのですか……!」

 

 床に刺していた楼観剣の残骸を拾う。刃は中ほどまで折れてしまったが、まだ使えないわけじゃ無い。戦意を失った兎を斬る程度なら、容易い。

 ……この兎を斬ることができるのかは、また別の話になってしまうが。

 

 妖夢は震える腕で刀を構える。

 

「戦意を、見せてください! でないと私は、貴女を斬ることができない!」

「ひ、ひぃぃ!」

「……早く決断なさい妖夢。でないとまた足元をすくわれるわよ?」

 

 どうしたものかと困ってしまう。確かに鈴仙が戦意を取り戻したならもう勝てる保証はない。……そもそもこの状況こそ奇跡に等しいのだ。冷静さを取り戻した鈴仙は、次こそ自分を確実に殺しにかかるだろう。

 結局どちらの選択肢を選んだとしても己の信条の片方を折ってしまうのは間違いない。せめて手元に白楼剣があればこの迷いも断ち切れただろうに。

 

「助けて……誰かぁ……」

「なんで、戦おうとしないんですか! あの時の貴女はあんなにカッコよかったのに……! 楼観剣を折るほどの強者だというのに!」

「来るなっ! 来るなぁァァ!!」

 

 へろへろの弾幕を切り捨てる。

 

 何故だか分からないが、妖夢も涙がこみ上げてきた。それは自分のやるせなさからか、それとも鈴仙のあまりの情けなさからか。

 どちらにしろ悔し涙である。

 

 そしてまた、妖夢も折れようとしていた。

 

 血混じりの吐瀉物を床にぶちまける。

 

「……ぅう……げほっ! この、一振りが最期……! 私に残された最期の勝機っ!」

 

 虚しい決着を迎えることを覚悟した。

 目尻に涙を湛えながら刀を振り上げる。

 

「──ッ御免!」

 

 決意の一振り。

 もはや型も有ったものではない、弱々しい斬撃。それは鈴仙に届き得た。

 

 

 だが、届かなかった。

 その間を遮る者が居たからだ。

 

「あ、貴女は……!」

「残念だけど、この兎の命はやれないなぁ」

 

「──てゐ?」

 

 とても矮小で、人を護るには心許ない小さな背中。

 

 だがそれでも因幡てゐは妖夢の凶刃から、しっかりと鈴仙を守り抜いた。

 そして役目を果たしたことに安堵しながら、前のめりに血の池へと崩れ落ちた。

 

 鈴仙はこの時だけ痛みを忘れた。

 

「──ッッ!! 近眼花火(マインドスターマイン)ッ!!」

「う、わぁ!?」

 

 咄嗟の能力発動によって超振動の坩堝が一気に生成される。動けない妖夢はそれに飲まれかけ──すんでのところで幽々子が波長を殺して相殺。間一髪で救われた。

 てゐの乱入による戦況の変化のために「介入やむなし」と判断したのだろう。

 

 

 鈴仙の心を困惑が占める。

 

「な、なんで? アンタがこんなことするなんて、信じられない」

「そうだね。もうこんな痛い目には遭いたくなかったんだけどなぁ、()()()にはこれしかなかった。だからさ、反対したんだよ」

 

 鈴仙が負った傷よりもてゐの傷は深かった。

 だが()()()()楼観剣が(なまくら)になっていたので即死は避けられたようだ。これもまたてゐの能力の賜物だろう。

 

 しかし、このままでは間違いなくてゐは死んでしまう。出血も多いし、何より傷が特殊だ。すぐに適切な処置を行わなければならない。

 

「血……止めなきゃ……!」

「無理だよ鈴仙。普通の傷ならともかく、これはあの剣士の執念の一振りだった。……あなたの眼なら分かるでしょ?」

 

 そう、判っているのだ。

 霊体に深々と残る荒々しい傷。これがてゐの治癒能力を強く阻害している。

 

 医学を齧る程度に学んでいる鈴仙ではあるが、この環境でこの程度の傷を処置するのは、彼女の手では不可能であった。それこそ永琳ほどの腕の持ち主でない限り、救うことはできないだろう。

 

 なら、今取らなければならない行動は……。

 

「──……てゐ。今から私がやることは、師匠には黙っててちょうだいね」

「善処、しようかな」

 

 こんな状態でもいつもと変わらない軽口を叩くてゐに自然と笑みがこぼれた。

 心に生まれた余裕を決意に。

 鈴仙は再び立ち上がり、冥楼の住人たちを睨みつける。そして威勢良く言い放った。

 

「ここで二人もろとも私に狂わされるか、それとも戦う場所を変えるか、好きな方を選びなさい! ……私としては後者をお勧めするわ」

 

 口ではそう言うものの、鈴仙には後者しか選択肢はない。まだ前者はあるとしても、それではてゐを見殺しにしてしまう。

 だから今回は、師匠(永琳)を囮に使った。

 

「手強くなったり雑魚になったり、忙しい兎ねぇ。だけど、私たちにとっても後者の方が好都合かしらね? 互いに()()()茶々入れがあったことだし、一度互いに間を設けることとしましょう。妖夢もそれでいいかしら?」

「は、はい……。構いません」

 

 黒幕の元へと導いてくれるなら願ってもない限りである。幽々子としても、そろそろ紫たちの方がどうなったのか気になった頃だ。

 

 それに妖夢はもう限界だった。今の状態では剣を握ることすら困難だろう。移動中に少しでも体力を回復させなければならない。

 今の妖夢で鈴仙と"勝負をする"ことは不可能だ。

 

 

 てゐを折れてない片方の腕で背にからい、歩き出した鈴仙の後を追う。途中、折れた楼観剣を回収した妖夢は大きく肩を落とした。

 体も心もボロボロだ。

 

「……」

「腑に落ちない様子ね。茶々を入れられたのがそんなに気に入らなかった?」

 

 いえ…と、言葉をこぼす。だがそれとは裏腹に、妖夢は考え込んでいた。

 やがて戸惑いを抑えることはできず、幽々子へとその内容を打ち明ける。もっとも、その内容は概ね幽々子の予想通りだった。

 

「あの因幡てゐという兎……わざと私の剣筋に割り込んできたような気がするんです。いくら困憊していたからとはいえ、無雑作に相手を斬るようなことはまずありません。あの時だって勿論、私は斬らぬよう刃を捻ったのです。しかし……結果は」

「貴女の予想は多分正しいわよ。あの兎は恐らく、自分も含めて全員が利する形での決着を試みたんでしょうね」

「全員が、利する?」

 

 てゐの能力については紫経由でそれなりに詳細を把握している。実に厄介な能力であることには違いないのだが、外聞だけではまだまだ謎が多かった能力だ。ただ一つ間違いないのは、『てゐの幸福』のみに作用するということ。

 なら今回の出来事は───。

 

 

「──一つ忠告しておくわ」

 

 不意に響いた鈴仙の声に思考を中断する。

 

「お前たちが私の誘いに乗った理由は分かってる。どーせ1vs2が2vs7になるから──なんて単純な考えなんでしょう?」

「まあ、否定はしないわね〜」

 

 レミリア、幽々子、藍、そして紫。この四人が揃っていて太刀打ちのできない相手が存在するのかと聞かれれば、少なくとも幻想郷に住まう殆どの者なら「存在しない」と即答するだろう。

 それほどまでにこの四人の力は絶対だった。しかもそれだけでなく、この場には咲夜に妖夢、橙もいる。なんなら竹林には霊夢や萃香を始めとした幻想郷の並み居る猛者もひしめいている。

 

 勝てない道理がない。

 

 だが、あくまで鈴仙の見解は違う。

 

「やっぱり地上人は愚かね、勝手に内輪で物事を決めたがる。まさに身の程知らずって言葉がそのまま当て嵌まるわ」

 

 人は遥か上の存在を比較対象にすることができないという。それは例えば地上から見た月であり、月から見た鈴仙であり、鈴仙から見た永琳なのだ。

 

「師匠の見る世界を共有できる存在なんてこの世にいないわ。……存在できるはずがない。まっ、御心は広い方だから、今のうちに(幽霊だけど)存命嘆願の口上を考えることね。なんなら今からでも私に一言添えてもらうよう頼んだ方がいいと思うわよ?」

「結構よ」

 

 得意げな様子から一転、あっそうと淡白に吐き捨てる。こんなのが主人じゃ従者も報われない、なんてことを思いながら。鈴仙からすれば、幽々子は亡霊というよりかは死神だった。

 

 だが、結局のところ幽々子と鈴仙の考えはどちらが正しいわけでも、誤っているわけでもない。

 地上と月、妖怪と神などと言ったまどろっこしい関係はともかく、究極的に突き詰めれば八意永琳を至上とするか、八雲紫を至上とするか……この二択なのだ。

 幽々子は永琳の実力をまだ掻い摘んでしか把握できていないし、鈴仙もまた地上の強さについて見聞が浅かったことは妖夢が証明している。

 

 どちらも自分の考えが正しいと疑っていないのだ。それが永琳と紫に対する信頼だから。

 

 

 

 だが彼女らを待ち受けていたのは、どちらともが予想だにしない結果だった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 目下の戦況は互角……とは言えないだろう。

 

 藍は式分身を作り出して左右からの挟撃。さらにそれに乗じて橙がトップスピードで背後へと回り込み、爪の一閃。目が利くようになっている今だからこそ、二人の連携が如何に強力で凶悪なものなのかが私にはよく分かった。

 所謂、初見殺し。気付けば敵がバラバラになっているのがいつもの光景だった。

 

 今回は、『いつも』じゃない。

 まるで空気を掻くかのように、三人の攻撃は虚しくすり抜けた。いや、おそらくはすり抜けたのではなく、八意永琳が不動と見えるほどの最小限の回避のみを行っているのだ。

 技術もそうだが、もっとも恐ろしいのは未来予知に至るまでの予測能力。瞬時に複雑な情報を処理してしまう最高の頭脳。

 

 しかもあいつの目……この状況以上の何かを捉えているような気がしてならない。

 

 攻撃が失敗に終わり即座に距離を取るも、その大きな隙を永琳が見逃すはずがなく、音を置き去りに藍の胸に風穴が開く。……予備動作すら、視認することができなかった。

 

 血反吐を吐きながら倒れるが、その藍は妖力の靄となって霧散した。式分身の方だったかと胸を撫で下ろすが、対して藍の表情は固かった。

 

「あら器用なこと。それに便利な術ね。致命傷に至ったと判断した途端に式分身の方へ魂を移すなんて。次からは両方とも撃ち抜きましょうか」

「一瞬で本体を見破ったというのか…!? くっ、手の内を見せるべきではなかった」

 

 それにもし橙の方を狙われていれば……そう考えると背筋が凍る思いだった。攻撃手段は恐らく弓矢であり、当然それは普通じゃない。

 藍の肉体を一撃で死に追いやるほどの攻撃である、何かの小細工が施してあるのは容易に予想できる。そして一つの仮説が私の中で浮上するものの、それは到底有り得ない話だ。

 

 毒を塗りつけているんだろう。だが無臭無色の毒が、こんなに早く身体に回るなんて、前提の知識では考えられない。

 

「橙ッ! お前は下がってバックアップに徹するんだ! 絶対に奴の攻撃に当たるんじゃないぞ……掠るのもダメだ」

「は、はい!」

 

 

 

「十六夜咲夜! 一体何があったの? レミリアの身体はどうして再生しない?」

「……お嬢、様……」

 

 藍と橙が突っ込んだ隙に、レミリアと咲夜を永琳から引き離す私のファインプレー! だがそれに浮かれている間も無く、紅魔館主従コンビの有り様にひどい疑問を覚えた。

 元来、吸血鬼という種族は生命力が桁外れに高い種族である。身体が微塵切りにされても復活するような連中だ。ことレミリアに至っては消滅させても復活したと、霊夢から聞き及んでいる。

 

 なのに身体を二つに切り離されただけであっさり戦闘不能に追いやられるのはどう考えてもおかしい。毒とやらが関係しているのだろうか?

 

 というかそもそも生きているのかすら分からない。生命活動の一切が停止しているようだが、レミリアなら、という思いも少なからずあった。

 

「何故貴女たちともあろう者が遅れを取ったの? 貴女の能力があればレミリアに庇ってもらう必要なんて無いはずなのに……」

「……全て私の失態。お嬢様の言いつけを守らなかったどころか、そのせいで、お嬢様を……! もう、私に生きる価値は……」

「早まっちゃダメよ」

 

 メイドの傷心具合からして死んででも詫びそうな勢いだったので慌てて止めた。後追い心中なんてレミリアが一番嫌うタイプの死に方なんじゃない?

 

 それにしてもメイドの能力が通用しなかったってことは、つまり八意永琳はそれに対抗する術を持ち合わせていたってことよね。

 時止めに対する詳しい対処の仕方はジョジョで予習済みだけど、はてさて超スピードか同じタイプの能力か……。ぐぬぬ、こういう時こそ霊夢の勘が必要だというのに……!

 

 取り敢えず私たちは少しでも八意永琳の手の内を明かしていかなければならないわ。実力の片鱗も出させていないこの状況は非常にまずい。

 藍は弓矢を考慮してか積極的に接近戦を仕掛けている。さらにその周りでは橙が素早く動き回って要所要所で妨害。二人とも死力を尽くしてる。

 

 だがそれでも永琳は顔色一つ変えないまま藍の連撃を軽くいなし、何度も押し返す。まだ勝負にすらなり得ていない……!

 

「……焼け跡を観るに妹紅にやられたんでしょう? 片腕なのによくやるものね。それに、とても綺麗な戦い方だこと。まるで組手の模範解答みたい」

「くそっ、なんて嫌な奴だ!」

 

 噴き上がる妖力が藍に纏わり付き、四肢を振るうごとに拡散され広範囲を薙ぎ払う。地の身体能力の高さを存分に活かした攻撃だ。

 もはや私には藍と永琳が何をやっているのかすら分からない。どうやら様子を見る限り、橙も付いていけていないようだ。ただ金と銀が乱れ舞い、凄まじい高速戦の様相を伝えている。

 

 と、二人が距離をとった。

 互いに息は乱れていない。しかし表情を見るに藍には芳しくない結果だったみたい。苦虫を噛み潰したような表情をしてる。

 

 わ、私も何かしなきゃ……!

 

「境符『四重結界』!」

 

 静止してる今が好機! つい最近完成したスペルカードを発動し、強固な結界で永琳を囲う。ふふふ、防御にも攻撃にも使える優れもの───。

 

「邪魔よ」

 

 ───なんだけど、永琳は蜘蛛の巣を払うように結界を容易く砕いてしまった。

 薄々分かってはいたけどショックである。実力差が開き過ぎてサポートもできゃしない!

 

「……?」

「そんな!? 紫様の結界が砕かれるなんて!」

 

 いやいや橙。別に驚くようなことじゃないでしょう? そんな大袈裟に反応されるとなんだか情けなさが倍増しちゃうわ。

 永琳は首傾げてるし、藍はなんか固まってるし……場違い乙! って感じな雰囲気だ。

 

「さあ次はどうやって私を殺しにかかる? 策があったからこうやって逃げずに戦っているんでしょう? まさかこの程度で……ねえ」

 

「……紫様、幽々子様たちの元までの撤退を提言させてください! このままでは紫様の安全を保障できません。殿(しんがり)は私が務めますので、どうか」

「けど、それは……」

 

 藍の言葉は裏を返せば、自分一人では永琳に勝てないということだった。

 あの藍がこんなことを言うなんて……! だけど、理に適っていることも確かだ。

 

 ……レミリアたちのこともあるし、このまま足手纏いにしかなれないなら、逃げるのもまた一計───。

 

 

「危ないっ!!」

「え──」

 

 一瞬のことだった。

 

 私の前方に割り込んだ橙が、叫びながら倒れた。肩には何の変哲のない矢じりが深々と突き刺さっており、少しして橙が呻き声を上げながら痙攣する。

 ま、まさか、私の思考が逃走に偏った瞬間に、追撃戦に切り替えた……!?

 

 永琳はこの一瞬で二本の矢を同時に放っていた。一本は藍に、そしてもう一本は逃げようとしていた私へ。藍の方は矢を逸らすことで回避したようだが、こっちは……私のせいで!

 

「致死性の神経毒を塗った矢を撃ち込んだわ。心臓だったなら楽に逝けたでしょうに……悪いことをしたわね」

「おのれ……おのれぇッ!!」

 

 藍が咆哮を上げながら永琳へと飛びかかる。まるでこれから起こることが分かっているから、怒っているようだった。

 

 

「ゆ、紫さま……。腕が、動きません」

「動いちゃダメよ橙! 毒が身体に回るわ!」

 

 ど、どうすればいいの? 藍の方に視線を向けても、悲痛な表情をすることしかできないようだ。永琳を前に背を向けるわけにはいかないからだろう。

 私でどうにかするしか……! と、取り敢えず傷口の血を吸い出して体内に入ったであろう毒を少しでも減らさないと!

 

 だが傷に口をつける前にメイドに制止された。

 

「口の中に入れたら貴女が死にますよ。……血抜きをすればまだマシにはなるでしょう。毒が入ってしまってるので延命程度が限界ですが」

 

 ……まさか貴女に助けられる日が来るなんてね。

 手慣れた様子でナイフを巧みに操りながら橙の血を抜き出していく。たとえ気休めだったとしてもありがたいわ。それにメイドが動ける程度に意識が戻ってくれたのは正直嬉しい。悪いこと続きだった中、唯一と言っていい事態の好転だ。

 

 と、今は喜んでる暇なんかないわ! 橙を死なせたりでもしたら……私と藍は二度と日常に戻ってくることができなくなってしまう。

 しかも私のせいだなんて……!

 

「橙、痛くない? 目が回ったりしない?」

「痛くないです。だけどだんだんよく分からなくなってきて……怖い……」

 

 橙の握り返す力が徐々に弱くなっている。昔、橙とハイタッチをして手を粉砕骨折したことがあったけど、その時の力はもう微塵にもなかった。

 

 これが、命の喪われる瞬間なの?

 嫌なイメージと既視感が脳内に纏わり付いて、とても気持ち悪い。

 

「いい事を教えてあげましょうか?」

 

 耳障りな声が響く。

 藍の激情混じりの攻撃を躱しながら、平坦な口調で語りかけてくる。

 

「毒を作る時はその抗生剤も一緒に作っておくのは薬師における基本中の基本。勿論、その毒の抗生剤も作っているわ」

「はぁっ、はぁっ……そんなこと、貴様が言わずとも判っている! 待っていろ橙! 私がすぐに助けてあげるから!」

「私を殺した後に? 何処に置いてあるかも分からない、どの容器に入っているかも分からないたった一瓶の抗生剤を探し出すのかしら? 現実的ではないのは、貴女達が一番よく判っているのでしょう」

「何が言いたいの?」

 

 私も藍もイライラしているのは分かっているくせにゆっくり喋るのは、まさしく確信犯だろう。つくづく嫌な奴だわ。

 

 永琳が告げたのは、至極簡単な要求だった。

 

 

貴女(八雲紫)の命と交換よ。私に殺されるのがどうしても嫌なら、式に介錯をお願いしてちょうだい。そうすれば抗生剤は速やかに渡してあげるし、なんなら異変を今すぐにでも───」

 

「ふざっ……けるなぁぁぁァァッッ!!」

 

 藍の咆哮が妖力の波動となって、怒りを叩きつける。あのいつも冷静沈着な藍が、本気でキレていた。私もこんな姿は初めて見た。

 だが永琳はどこ吹く風で、分かっていたかのように肩を竦めた。

 

「到底受け入れられないでしょうね。それが分かっているからこうして無理難題を出したのよ。だって、私には貴女達がその無理難題を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んですもの」

 

 結局行き着く先は、私の死か。

 ……っ。

 

「藍。私は……──」

「何も言わないでください紫様ッ! 貴女様の死に目は絶対に見ないと決めているのです。それは橙だって同じ……同じなんです……!」

 

 それは藍がいつも言っていることだ。確か橙も似たようなこと言ってたっけ。こんな状況だからこそ、いつも聞き流していたそれも深く心に沁み渡る。

 

 こんな時だからこそ、二人からの愛がとても嬉しくて、とても辛くて……。

 

 何より自分に腹が立つ。

 ぐったりとなっている橙の手を強く握る。

 

「十六夜咲夜。貴女が私のことを嫌っているのは重々承知している。それを踏まえて頼みたいの。……橙の時間を止めてくれないかしら」

「……」

 

 咲夜は何も言わず橙に触れると能力を発動した。これでこれ以上の毒の進行は防げるはずだ。……息が止まったのは毒のせいじゃないと信じたい。

 

 今も藍は永琳相手に必死に攻撃を続けている。だがまだ擦り傷一つ付けていないのが現状。しかも永琳の動きは明らかにこちらを舐めている立ち回り。

 ……チャンスに決まってる。

 

 何故か本気を出そうとしない永琳を……叩くのは今しかない! スペルカードも藍もダメなら、もう"奥の手"しかないわ!

 

 私だけの力じゃない。強いて言うなら"幻想郷"とそれに深く連なる者たちの力。

 数百年に及び研ぎ続けてきた牙をようやく披露することになりそうね。

 

 橙も藍も……死なせやしない!

 勿論、私だって死んでたまるもんですか! 八意永琳……貴女を倒して私たちは未来に進んでみせるわ!






おや? ゆかりんの様子が……


覚悟をキメたうどんちゃん、実は幻想郷最強候補。しかし一度壊れた器は云々……! 精神攻撃を主とする妖怪って心の誤魔化し方が上手いから精神攻撃に強いと思うんです。
11点さんもそう言ってた。


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ゆかりのち*

 

 

 藍はこれまでにない屈辱を感じていた。

 

 目の前にいて手の届かないもどかしさ。大切な者を救うことのできない無力さ。

 そして最愛の人を我が手で殺させようとした卑劣なやり方。全てが気にくわない。

 

 その焦燥、怒りもまた永琳の策略だった。

 

 感情の乗った攻撃など永琳の前では無力に等しい。全てが予測、誘導された結果である。先ほどの紫に対する楔もまた永琳の一計。

 紫と橙のどちらを撃ち抜いても今の趨勢には何の影響もない。結果として矢を受け倒れたのが橙であっただけの話で、紫の死期が少し伸びた、たったそれだけの些細なこと。

 むしろ目先の結果を度外視するのであればこちらの方がやりやすい。

 

 ただ一つ。永琳にとって懸念があるとすれば、不可解な八雲紫の言動である。

 なにやら妙な妖力を渦巻かせながら機を伺っているようだ。その規模からして永琳を死に至らしめる程のものには到底なりそうにないのだが、一体なにを企んでいる? 想定していた人物像とは大きく異なっていたこともあり、意識を削ぐに足る懸念だった。

 

 だが逆に言えば所詮その程度。

 

 無論、藍とて───。

 

 

「……あら?」

 

 接近戦を敢行していたはずの藍が不意に距離を取った。中遠距離は命取りだと先ほど学習したばかり……思慮が足りない訳ではあるまいに。

 ……何にせよ永琳はセオリーに従うだけ。

 

 弓に矢をつがえ、即死の攻撃を繰り返し放つ単純な作業。藍ならギリギリで反応して回避するだろう。だが、その繰り返しは確実に藍の心を追い詰める。

 弓矢による射撃の弱みは、次矢装填の遅さの他に矢の本数の限度がある。結局は長期戦、消耗戦は本来なら弓使いの得意とするところではない。

 しかし魔法を少し嗜んでいればその弱点は無いも同然である。空間魔法を駆使すれば即座に矢を手元に召喚することができるし、さらには管理の難しい毒を簡単に取り扱うことができる。

 

 終わりのない攻防という異常な時間は精神に尋常でない負担をかける。一刻の時間も惜しい藍の立場ならそれは尚更のことだろう。

 簡単に言うならば相手の『凡ミス』を誘う戦法。回りくどいことは永琳自身、そう思っている。だが彼女はこれがベストであると判断した。

 

 

 強いて永琳の失敗を挙げるなら、それは慢心と奢り、そして蔑視だろう。

 永琳が相手しているのは知能を持たぬ獣ではない。地上にて比類無きほどの計算能力を持った最強の妖獣であり、式神なのだ。

 

 得意の妖力操作により脚を最大まで強化し、跳躍。そのまま天井を足場に永琳へ飛び掛かった。勢いたるや天井を粉微塵に吹き飛ばすほど。

 さらにそのスピードは永琳の眼を持ってして完璧な判別を不可能にさせる。妖力タンクとなる九本の尻尾を推進力とした得意の回転飛行法である。

 

 すでに射撃体勢に入っていた永琳の一撃と、藍の回転が交差し───。

 

 

「九尾を舐めるなよ、原人が」

「……!」

 

 矢を破壊する。藍も傷付くが深手には程遠い。

 

 即座に回避行動を取ろうとするが、途端床から吹き出した呪力が永琳の身体を縫い付けた。藍や橙の得意とする不動陰陽縛りである。

 なるほど、闇雲に接近戦を挑んでいたわけじゃなかったようで、おそらくその時に攻撃を躱されながらも床に術式を描いていたのだろう。

 永琳は胸をぐちゃぐちゃに破壊されながらも、心の中で藍を敵ながらに賞賛した。

 

 夥しい量の血液が流れ落ち、どこの部位とも知れない肉片が床にぶちまけられた。藍の全てを込めた一撃は永琳の内臓を悉く破壊していた。

 後ろから紫の息を呑む声が聞こえる。

 

「獲った……な」

「───」

 

 勝利の悦楽を久方ぶりに感じる。

 記憶も朧げなほど昔の感覚……それを少しだけ取り戻したような気すらした。己の矜持への拘りを捨てきれていなかったのは、藍にとって望ましくないことではあるが、今はそれよりも達成感による高揚の方が優った。

 もしかしたら格上かもしれなかった相手を一瞬の隙を突いて始末することができた。紫との約束を守ることができた。そしてなにより、これで橙を救うことができる。

 

 ……嗚呼、なんと良いことづくめではないか。

 獰猛に弛緩しそうになる表情を抑えながら永琳の身体から失われる力に感じ入った。

 

「参ったわね……こんなところで、命を落とすのは、計算に……なかったのに……。ここで諸共、死のうってことかしら?」

「いいや、死ぬのは貴様だけだ。妖力の循環を傷口に集中させれば毒素を蒸散させることなど容易い。擦り傷じゃ私は殺せんよ」

 

 表皮だけならどのような猛毒も命に関わるほどの脅威にはならない。これは藍にとっても一種の賭けだったのだが、今回は藍の回転力が弓矢の貫通力を上回った。

 

 永琳の腕が力無く垂れ下がる。

 そして息も絶え絶えに辞世の句を告げた。

 

「そう……。なら……次は────ちゃんとこうやって刺さないといけませんね」

 

「っ!!? 貴様っ!?」

 

 密着していた状態から永琳を蹴り飛ばし、またもや距離を作る。

 そして致命傷を負ったはずの永琳は何事もないように立ち上がり、勝利したはずの藍は太腿の辺りに突き刺さり紅い染みを広げる矢じりに唖然としていた。

 

「なにが起きたの……? 藍が仕留めたんじゃ──」

 

 状況を全く理解できない紫だったが、次に起こったあまりにも巫山戯た現象に息を詰まらせた。

 流れ出た血肉を補うように霊力とも妖力とも知れない力が患部を覆い、一瞬で元の身体へと再生させたのだ。しかも服まで新品同然というオマケ付き。

 

「ごめんなさいね。私は貴女達と同じ土俵に立つことすらないのよ。住んでいる世界も、ましてや構造も違うんですもの」

「お前も……不死、なのか?」

「御名答」

 

 身体に感じる脱力感は、毒のせいだけではないだろう。

 願わくばこの予想だけは当たって欲しくなかった。先に前例を身を以て体験してしまった藍には、酷な話である。

 

 即座に傷口あたりで妖力操作を行い毒の侵食を遅延させるが、根本の対策にはなり得ない。それどころか感覚の消失によりその妖力操作すらままならなくなってきている。

 このままでは立つことすら危うい。

 

 藍の想定を遥かに上回る侵食速度だった。

 不規則になっていく呼吸を整えようと何度も自分の胸を殴りつける。

 

「がはっ……く、そ……!」

「進行状況からして先はあまり長くないわよ? もってあと5分ってところかしら。まあ、動けなくなるのには2分もかからないでしょうけど」

「そんな、藍っ! くっ……悔やみきれない一瞬の抜かり……! 惜しんでる場合じゃなかったのに、私はどれほど愚かなの!」

 

 もはや死にゆく憐れな獣。先程までの僅かな脅威は完全に失われた。

 あとは大元のみ。

 

 膝をつく藍を視界の端に、紫と永琳の視線が交錯する。表情の隠し方はどちらともが最高峰ではある、が……違うのは両者から放たれている敵対者への圧迫感だろう。

 レミリア、橙、藍を排しついに牙城へと手を掛けようとする強大な力と、負の意識のみを発する張りぼての力では、比較にできない。

 

「そろそろ高みの見物にも飽きてきた頃でしょう? ……お互いに」

「……既に見えている結果を急かすほどではありませんわ。けど確かに、このやりようのない感情をぶつける手立てを欲していたところではあるわね」

 

 先に見せた逃げの意思はない。

 無駄だと悟っているからなのか、それとも対抗する手段が存在するからなのか……。

 なんにせよ、ここからは一直線だ。

 

 永琳はセオリー通り、弓に矢をつがえて紫の胸へと照準を合わせる。対して紫が取った行動はいつも通りで、現れたのはいつもと違う境界。

 開かれたスキマからは従来の特徴が悉く消失しており、妖しい光を発する暗闇が対象者を静かに待ち構える。

 

 藍は紫がついに動いた事への一抹の希望と同時に、拭いきれない不安と違和感を抱えていた。何に対してなのか、それすらも分からない。

 

「十六夜咲夜! 橙とレミリアと一緒に離れていなさい。下手したら巻き込まれるわよ! 藍も気をつけて!」

「……広域的な範囲攻撃? いや、それにしては八雲紫の纏う妖気が少な過ぎる。ブラフ、は意味ないわよねぇ」

「ふ、ふふ……不死ですって? 相手にするには想定内過ぎるわ。私の歩み、数百年の集大成……! これで終わりよ八意永琳!」

 

 紫の掛け声とともにスキマの規模が膨れ上がる。それに伴って、唸り声のような悍ましい雄叫びが、耳をつんざかんばかりに轟く。

 永琳はその正体を立ち所に理解した。

 

 対象物を吸い込もうとする吸引力による、風が鳴く音だ。徐々にそれは大きくなって───永琳の身体を持ち上げるまで強くなる。

 どうやら紫の意思によって対象を限定することができるようで、藍やその他周りには全くと言っていいほど無害を保つ。

 

「貴女を一風変わったスキマツアーにご招待するわ! 永劫の時の中で後悔するがいい!」

「残念ですけど間に合ってるわ」

 

 永琳の身体は空中で静止する。スキマバキュームの力はどんどん増していくが、反発する永琳の霊力はそれをさらに超えて膨れ上がる。

 結果、両者は拮抗した。

 

「……大方引き摺り込もうってところね。 その奇妙な空間の先に何があるのかは知らないけど、貴女の策は決定的な欠陥を抱えているわ」

「そのよう、ですわね……!!」

 

 致命的な失敗だった。

 吸引力が永琳を引き摺り込むのに力不足過ぎる。せいぜい永琳の大きな動きを封じる程度にしか干渉できないようだった。牽制の矢は何とかスキマが吸い込む事で紫には届かないのだが、肝心の永琳を吸い込めないのであれば本末転倒。

 

 しかもスキマを開いて間もなく、その消耗により紫の息は絶え絶えだった。豆粒のような妖力では入り口を開くのでやっとなのだ。

 さらに永琳(対象物)のみを限定して吸い込む為の精神力も大きな負担になっている。どちらにしろ紫の体では長くは開き続けられない。

 

「く、ぐぐ……! もう、少し……!」

「───……やはり私の考えは正しかった。果たして貴女が弱過ぎるのか、それとも私が強過ぎるのか……。まあ、どっちともでいいわね」

 

 力場の比重がどんどん永琳へと偏り、崩壊しようとしている。スキマの力よりも放出される霊力の方が上回り、紫の術を打ち消そうとしているのだ。

 紫の顔がみるみる蒼白に染まっていく。

 

「ぜぇ……ぜぇ……っ! ここでやらなきゃ、なんだってこんな事を……! 藍も、橙も! 絶対に死なせない……っ!」

「終わりがあるだけ有情よ。だから私が与えるのは貴女達に対するほんの情け。これで終わりね、八雲紫」

 

 均衡は脆くも崩れ去った。

 

 

 永琳の自壊という結末を以って。

 

「ならば与えてやろう。私からの貴様に対する最大限の情けを、ねッ!」

「──っ! 貴女……!」

 

 永琳の背後に舞うは緋色のノクターナルデビル。渾身の蹴りを放ち、衝撃をスキマめがけて突き落とす。流石の永琳もこれには反応できなかった。

 だがまだ踏み留まる余力は残っている。大きく霊力を展開、スキマの手前で静止し───。

 

 

「とどめを刺せ八雲藍っ!」

「言われなくとも、そのつもりだ!」

 

 回転する藍が永琳へと突進し、諸共スキマの中へと突き落とした。

 我が身を捨てた、文字通り捨て身の一撃。しかし永琳と藍では前提条件が大きく異なった。式と生身という、大きな隔たりが。

 

 つまり、スキマに落ちたのは実質永琳ただ一人である。最期まで無表情を崩さずに、だけども半ば諦めながら虚無へと落ちていく。

 

 

 入り口は完全に閉ざされ脱出の手段は失われた。スキマの中に広がっていたのは上下が黒と白に地平線まで分かれた曖昧な空間。飛行能力は消失し、地に足を着けると同時に身体が粉々に砕かれていく。なるほど、紫が奥の手と銘打っただけのことはあるだろう。

 

「……さて、どうしたものかしら」

 

 既に膝から先は闇に呑まれている。試しに次元でも穿ってみようかと矢を放つが、やはり対策は施してあるようで永琳を以ってしても穿ちきれないほど次元が多重に存在しているようだ。

 

 ひとまずここがどういう空間なのかの選定を始めようとした、その矢先だった。

 

 遥か上空に黒い点が見えた。時が経つにつれそれは大きく、そして多くなり───。

 

「……古い手を」

 

 忌々しげに告げた後、衝撃に備えた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「紫様っ……! ご無事ですか?」

「それは、貴女の方でしょ? 毒が……」

「先ほど消滅させた式の方に毒を移しておいたのでなんとかことなきを……。まだ身体の感覚を戻しきれてはいませんが……」

 

 まあ要するに主従揃ってボロボロってことね。藍は勿論、毒を受けて今にもぶっ倒れそうなほど顔を青くしてる。一方で私もまともに呼吸ができないほど消耗していた。

 こんなに頑張ったのはね、多分妖生初めてじゃないかしら? そしてここまでの大物っぽいのを倒せたのも多分初めて。

 

 八意永琳……当初の想定を遥かに上回る強さだった。最後まで余裕たっぷりでまだまだ力を隠してるようだったけど、私のスキマ空間に閉じ込められたんじゃ二度と出てくることは叶わないわ。

 勿論、あの空間の入り口を開くことは今後一切ないだろう。永琳は私が墓まで持っていくことにしましょう。

 

 大金星よねこれは。

 

 勿論、私だけの力じゃない。藍、私を守ってくれた橙、サポートに回ってくれた咲夜とレミリア……そしてここには居ないけど『奥の手』開発に一役買ってくれた幻想郷の妖怪その他諸々のみんな……全てに感謝ですわ。

 

「それにしてもあれだけの深手を負ってたのによく復帰できたわねレミリア。てっきり死んだものかと思っていましたわ」

「あんなことで死ぬか。確かに厄介な毒ではあったけど、私たち吸血鬼は身体を霧にすることができる。毒を抜き出すことなんて一切れのケーキを食べてしまうよりも簡単なことよ」

「お嬢様……」

「貴女は何事も気にし過ぎよ咲夜。此度の出来事は一夜の迷いに過ぎないわ。むしろ……貴女の()()()()()()()()()を用意することができなかった私の落ち度よ。過ぎ去った運命を手にする方法も無いし、今回のことは互いに忘れてしまった方がいい」

 

 いつにも増して痛々しいことを言ってるわね。その割には服も身体もボロボロで、威厳とのギャップがなんとも言えないことに……。これにはメイドもキョトンとするしかないだろう。

 ていうかさ、自分しか分からない専門用語を当然ようにペラペラ話すのやめてくれない? 特に幽々子レミリア藍の三人! いつも適当に相槌打ってるけど全然意味わかんないんだからね!

 

 はぁ……なんだか疲れたわ。心身がボロボロって言葉をこの身で体現しちゃってる……。

 

「───そろそろ説明してくれてもいいんじゃないの? 八雲紫。あの月の化け物は無事始末できたのかしら?」

「あのスキマには只事ではない程の力が有りました。初めて拝見しましたが、一体どのような技なのでしょうか?」

 

 あっ聞きたい? うーん、一応秘匿してた奥の手なんだけどなぁ……まあこの場にいる者たちは命の恩人であるわけだし、教えちゃってもいいかしらね。レミリアについてはちょっと不安があるけど。

 

 さてどこから話したものか……。

 

 

 

 先にも言った通りあの技は今の私一人の力によるものではない。言わば何百年にも掛けて準備してきた、幻想郷の一撃である。

 

 大元のベースとなる能力はご存知"スキマ"。これに毎日毎日一定量の妖力を使って強化成長させていく。

 貧弱な私の妖力でも、地道に貯めていけば最大瞬間風速的に連中とタメを張れる程度にはなるのだ! まあざっと数百年続けてこれだけどね!

 

 んでもってスキマ空間は無限に近いレベルの厚みによる多次元的構造になってて、微粒子の一つすら此方の世界には帰還させない程、あらゆる面での隔離能力に充実している。ここら辺は我が盟友のおっきーな監修(丸投げ)なのでクオリティは折り紙つきよ!

 

 次に下手なことをされないようトラップとしてルーミアより特別な闇を貰ってそれを床に敷き詰めたわ。あの暗黒空間に触れればどんな物体も粉微塵になって消滅してしまうという恐ろしいものだ。どこの亜空の瘴気さんですかね?

 他にもバキュームは河城にとり経由で河童の技術を駆使して付与したものだし、どこまでも広がっているように見える空間はマミさんの高度な変化幻惑術を応用してそう見せているものだ。

 

 最後に地上の負の遺産であり、文明最強の兵器である核をこれでもかと投下して灰すらも残さないほど徹底的に破壊する。破片や魂が残っていれば復活するようなしぶとい奴も、身体を破壊してルーミアの闇に絡めてしまえば満足に再生することは決してないわ。

 入手経路についてはお隣の馬鹿でかい国からいくつか失敬した。連邦崩壊時は混沌としてて色々とガバガバで楽だったわね。多分向こうじゃ大騒ぎになったんじゃないかしら(無責任)

 

 とまあ、そんな感じ?

 実はさらなる強化案として地底の土蜘蛛の病原体を散布したり萃香爆弾を設置しておくなんてのもあったんだけど……大人の事情で断念したわ。そもそも今のままでも十分すぎるしね!

 

 ただ一つ、厄介な代償があった。

 

「使わないに越したことはなかったわ。何せスキマの容量を大幅に食ってしまうから……この通り、もうスキマは開けないわ」

「確かに、開けませんね。では───」

「これにて『スキマ妖怪』八雲紫は終わりってことでしょうね。これからは『普通の妖怪』八雲紫よ。……残念だけど」

 

 私と一心同体とも言えたスキマ。それを失うのは正直辛いし、この先どうすればいいんだろうと、そりゃお先真っ暗なところもあるわ。

 だけど、自分や家族の命を救う為なら致し方ないわよね。ぶっちゃけ「後悔は無い」って、はっきり言えるのよ。

 

 だから実は結構清々しい気分だったりするのよね。命あっての物種とはこの事だ。

 だけど藍の顔は浮かなかった。これは難しい計算式を考えてる時の表情……いや、多分それ以上。全てが終わったのに何故深刻な表情をしてるんだろう? それに永琳戦の前あたりから私を見る目がいつもと違うような気がするし……おかしな子ね。

 

「どうしたの? 藍。まだ何か懸念が?」

「───……いえ何でもありません。スキマが使えないのならこれからは幻想郷に居を構えないといけませんからね。その事を考えていたのです」

「ああ確かにそれは困った問題ね。どこかいい物件を探さないといけないわ」

「ウチに来てもいいわよ?」

 

 そりゃ嬉しい申し出だけど後ろのメイドさんはどう見ても歓迎してないのよねぇ。「絶対くんな」って目で脅してるもん……。多分紅魔館に移住したらフランと一緒に地下で引き篭もり生活になるんでしょうし、健康面を考慮したらなんとも……!

 やっぱマヨヒガかなー? いや、このどさくさに紛れて博麗神社に転がり込むという手も……!

 

 ……って、そんな事話してる場合じゃないわ! 時を止めてるから無事だとはいえ、橙は毒を受けているのだ。それに藍も万が一があるかもしれない。

 早く解毒剤を探さないと!

 

「取り敢えず永琳の言ってた解毒薬を探しましょう。それに一応毒を受けたんだし、貴女達の時も止めてもらった方がいいかもしれないわね」

「心配はご無用……と言いたいところだけど、こっちにも色々と面倒な事情がある。永琳(あいつ)の研究施設の探索には協力するわ。咲夜なら一瞬で───っと、その必要は無くなったわね」

 

 レミリアが視線で指し示す先には襖を開いたまま呆然と固まる例の玉兎の姿があった。

 背中には逃げたはずのてゐが血だらけで背負われてて、さらにその後ろには幽々子と妖夢を確認することができた。あっちでも何か一悶着があったみたいね。

 

 幽々子がアイコンタクトで安否を気にしてたのでグッドサインを返した。

 

「師匠……? ど、何処に隠れてるんですか? てゐが怪我してて、すぐ治してもらわないと、死んじゃうんです! 何処ですか師匠!」

「ちょうどいいタイミングね。そこの兎に薬の場所まで案内させましょう。そいつもそれなりに強いみたいだけど、さっきの奴に比べれば可愛いもんね」

「し、師匠が負けるはずない……負けるはずがないんだ! 何か卑怯な手を使って何処かに閉じ込めてるに違いないわ!」

 

 あら正解。

 玉兎の立場からすればありえないことなんだろう。それほどまでに八意永琳は絶対的な存在だった。だがあいつは油断して、尚且つ私たちが月の頭脳を上回った……それだけのこと。

 

 さて……てゐも永琳も倒された今、異変は完全に終息したと見ていいだろう。調伏というわけにはいかなかったけどこれもまた異変解決の一つの形。あとは敵対勢力を完全に無力化するだけ。

 

 つまり、残るはこの玉兎のみ!

 退路は幽々子たちが塞ぐ感じになってて逃げ場もない。勿論、勝機もないだろう。

 

 玉兎の方も既に心が折れてしまっているようで、愕然としながら膝から崩れ落ちた。そして半泣きになりながらガタガタ震えている。

 ここぞとばかりに指を鳴らしまくって楽しそうに圧力をかけてるレミリアときたらホント大人気ないわね! これは敵ながら同情してしまう。

 

「この兎の処遇は私が決めていいかしら? 散々コケにした報いを受けてもらわないとねぇ」

「あらダメよ〜? その子と妖夢の戦いがまだ終わっていないんだから」

「ならその後に殺すわ。さあ今すぐ始めなさい」

 

 容赦なさすぎやしませんかね……? ほら妖夢が「マジで今からやるんですか?」って感じの顔してるじゃない。ていうか妖夢も血だらけでボロボロなんだから休ませてあげればいいのに……。

 

 取り敢えず止めてあげましょうか。

 

「まあまあ……異変を起こした者への落とし前の付け方はもうご存知でしょう? 八意永琳は例外だったとして、この兎たちには幻想郷流の償いをしてもらってはいかが?」

 

 幻想郷流の落とし前というのは、要するに反省の意として無賃パシリになるという優しいんだかそうじゃないのかよく分からないものだ。

 レミリアだって異変の後は魔理沙が使った核の処理とか請け負ってるし、萃香は言わずもがな幻想郷各地の再建に尽力しているところよね。

 幽々子? ……何やってるんだろそういえば。

 

「てゐを殺すのは私としても本意ではない。……貴女がてゐを殺したいと思っているのならその限りではないですけど」

「そんなことは……!」

「なら投降なさい。てゐは恐らく貴女を助けたい一心で異変に加担したのよ。貴女にはそれに報いる義務が当然生じるんじゃなくて?」

「……」

 

 てゐの言ってたことを照合すると件の人物がこの玉兎であることはほぼ確定だろう。この兎のどこにてゐが体を張るほどの要素があるのかはまだ分からないけど、そうとしか考えられない。

 多分、てゐが昏睡しているのもそれが起因してるんでしょうね。

 

 二人の友情?を利用して弱みに付け込むのは正直汚いことだと思う。だけどそれが彼女らにとっても一番な道であることには間違いないのだ。

 それにてゐを殺しても幻想郷には平穏よりも先に争乱が齎されるだけだし? 賢者絡みの既得権益を考慮するなら絶対に死なれちゃ困るわ。

 

「分かったわ。投降する……だからてゐを助けてあげて。あと、姫様も……」

 

「───……姫、様?」

 

 えっ、何それこわい。

 突然飛び出した新たなワードに思わず聞き返してしまった。もう次から次へと問題が噴出し過ぎて心とポテンシャルのキャパシティを完全に上回ってるんです勘弁してください。

 

 藍やレミリアと顔を見合わせて、詳しい説明を求めようとした───

 

 

 

 

 その瞬間だった。

 

 何の前触れもなく、目の前の景色が忽然として変わった。

 そのまま先程までと同じ部屋に居ることには居るのだが、各々の位置関係が変化…………いや違う、そんなんじゃない!

 

 この光景には見覚えがあった。つい先程まで見ていた、そのままの光景。

 

「馬鹿な……そんな馬鹿なっ!!」

 

 元に戻ったんだわ……!

 藍は毒を受けて、レミリアは再起不能になっていて、幽々子と妖夢はまだ到着していなくて──私はまだ奥の手を使っていない。

 

 だから、つまり……。

 

 

「紫さッ……ぐあッ!?」

「……化け物め。許されることではないわよ」

 

「当然許されないでしょう。そして実現するものでもない。しかしそれでは今ここに居る私の存在が矛盾となってしまう。矛盾の解決法とは実に単純なもので、如何に全てを誤魔化すか……我ながら稚拙なトリックだと思うわ」

 

 念入りにと言わんばかりに膝をついていた藍へ何本もの矢が打ち込まれた。そして油断なくレミリアへと殺意を向けて牽制する。

 私たちの隠し持っていた切り札が悉く潰された。……それはそうだろう。だってあいつは、これから何が起きたのかを、全て知っているのだから。

 

 理屈では何とか理解できる。

 だけど到底許容できることではないわ。

 

「過去に戻すなんて、信じられない。一体どんな手を使ったの……? 答えなさい、八意永琳ッ!!」

「──『未来を予め知ることで何度でもやり直すことができる薬』を信じるかしら? 私はそれをこのタイミングで服用していた、それだけよ。あくまで保険のつもりだったんだけど、まさか使うことになるとは夢にも思わなかったわ。中々面白い空間だったわよ? 私じゃなければ、蓬莱人ですらも倒せたほどにね」

 

 いつもの私ならずっこけるところだろうが、今ばかりは……目の前の確かな現実に打ちのめされ、絶望を認めるしかなかった。

 そんな薬が存在してもいいの? というかまずそれって薬なの?そもそも薬を服用する時間なんて、そんなの一瞬たりともなかったはずなのに……。

 

 だめだ。頭の中がぐちゃぐちゃに。

 

「さて、続きを始めましょうか。今度は貴女達の手の内を見極める必要もない。確実に排除するだけの簡単な仕事よ」

 

 永琳の掌に魔法陣が浮かび上がる。そして生成されたのは、先程までの矢ではなく、矢じりから矢筈までが鈍色の光沢に覆われている物体。

 生物的な面影を感じさせないそれは、まるで得体が知れなくて生理的な嫌悪感を醸し出している。永琳もそれには直接触れず、魔法で浮かしているのが嫌に特徴的だ。

 

 なんなの……この底冷えするような嫌な感じは。

 レミリアの叫びが聞こえる。

 

「絶対にアレに触れるな! あの矢にある力は……私やフランのものと似ているけれど、根本が全然違う! 破壊なんて生易しいもんじゃないわ!」

「核なんて大雑把なものよりも遥かに使い勝手がいいわよ? 私が知る限りではこれよりも強力な兵器は存在しない。故に、この世に一本だけ」

 

 向けた矢先に居るのは私。

 

「貴女の消滅を以って終わりとしましょう。……さようなら」

 

 永琳が振りかぶった。だが私は横からの衝撃を受けて地面に伏し、矢は頭上を通過してなんとかことなきを得た。藍が助けてくれたのだ。

 

 しかし矢は大きく旋回し再び私たちへと迫っている。当然のように追尾してくるのね……!

 

「紫様っお逃げください! がふっ……早く!」

「あ……ひっ……」

 

 藍の血が目に入った。視界が真っ赤に染まっていく。毒の影響だろう。

 

 こ、腰が抜けて上手く身体を動かせない! 恐怖と緊張の倦怠感が私を地面に縫い付ける。

 すると視界の端からレミリアが飛んできて、いつぞやの紅い槍で矢を弾き返した。だが矢はそれでも射線のブレることなく私に向かってきている。紅い槍は鈍色の矢に触れるたびに原型を大きく拉させている。

 

 恐ろしいまでの執念を感じた。やはり永琳があの矢を操っているのだろうか?

 

「くっ、タゲが移ったわ! やはりこの矢、全てを尽く破壊している……!」

「お嬢様援護を!」

「来なくていいッ! 矢が届く範囲から離れなさい! 急いでッ!」

 

 凄まじい音だった。レミリアの槍がけたたましい音を立てながら崩壊している。

 八合目だろうか。

 槍が根元からへし折れ、紅い火花が散った。

 

 だが矢はレミリアには刺さらず、やはり私へと向かってきている。

 

「クソッ、私は元から眼中に……!?」

「当たり前じゃない。一本しかないんだから慎重に使わないと」

 

 身体は動かない。例え動かせたとしても私じゃあの矢を避けることはできない。毒を多量に受けてしまった藍では私を抱えての回避など不可能だろう。

 万策尽きた。

 

 眼前に迫る死以上のナニカ。こんなにゆっくりに感じるのは……これが走馬灯というものなのか。変な涙が出てきちゃった。

 

 なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの? 変な巡り合わせでここまで来てしまっただけの私が……なんで?

 

 嫌だ……死にたくない!

 誰か、助けて……!

 

 

 

「良かった。まだ動く」

 

 ───っ!?

 

 血を吐きながら、身体を引きずりながら、藍が私の前に進み出た。そして我が身で鈍色の矢を抑え込もうとしている。

 それは悔しくも妹紅の爆発から守ってくれた時のように。

 

「藍……!?」

「貴女様に……紫様にお仕えできて、藍は本当に幸せでした。ふふ、死に方としては上々でしょう。……紫様を守って死ぬことができるのなら」

 

 鈍色の矢が藍の胸に吸い込まれていく。八意永琳の言葉では矢は一本のみ……なら、藍の犠牲で私は助かる……?

 

 助かっ、た……?

 私は生き延びて…………藍が、死ぬ?

 

 

 

 嫌よそんなの。私は人が喪われる瞬間なんて見たくない。況してやそれが藍だなんて、そんなの……そんなの! 絶対に嫌!

 

 

 無意識的に起こされた行動は、これまでに何千回、何万回と繰り返してきた動作。

 そうよね。巻き戻してるなら、当然……!

 

 気づけば手は伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつまで経っても訪れない終わりに痺れを切らして、目を強く瞑っていた藍は、ゆっくりと瞼を開く。もしかしてもう既に自分は死んでいるのではないかと、嫌な予感を覚えながら。

 

 しかし、藍は未だに健在だった。

 

 目の前には神妙な面持ちのまま、こちらを見据える八意永琳。その少し手前には呆然として間抜け面を晒しているレミリア。

 二人の反応を見て気付いた。永琳の攻撃が"失敗"に終わったという、その結果に。

 

 乾いた笑いが溢れる。

 

「虚仮威し……だったのか? はは、なんだ……せっかく啖呵を切ったのに、これじゃただの馬鹿みたいじゃないか。傷一つ付いてな───」

 

 頭が急速に冷える。

 

 胸に手を当ててやっと気付いた。矢が効かなかったんじゃない。矢が当たらなかっただけ。

 当たったのは自分の身体ではなく、胸に空いた大きな空洞。主人が「もう使えない」と言っていた"スキマ"だった。

 

 猛烈な違和感が駆け巡る。身体中が震えだした。

 永琳とレミリアは藍を見ていたのではない。その後ろに控えていた、何よりも大切な主人を見ていたのだ。

 

 そして彼女は見た。見て、しまった。

 

 

 スキマは、使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、()()()()()()()()()()()()()()()。例えば今のように───

 

「なん……で……。そんな……」

 

 ───藍への攻撃を肩代わりすることが可能だ。それが、八雲紫が咄嗟に応用させた数少ない能力の使い道だった。

 

 忠臣の必死の想いを無下にしてでも、越えられない一線が紫にはあった。

 

 頭の中は真っ白で、喉がやけに渇く。

 目の前の光景が現実だとは信じられない。脳が受け入れる事を拒否してガンガン痛む。

 

「ごめんなさい。貴女の頑張りを……無駄にしちゃったわ。いつも、本当にごめんなさい……」

「ゆかり……様ぁ、あっ……あぁ……!」

 

 深々と刺さった鈍色の矢じりから無色の奔流が溢れ出す。流れが強くなるほどに、紫の存在が希薄に、そして破壊されていく。

 苦しそうに呻き声を上げながら崩れ落ち、藍にもたれかかった。感じる重みと温もりは霧散していくばかりだった。

 

 遅れて再び襖が開かれた。異変を感じ取って前の時間軸より早く到着した幽々子と妖夢だったが……全てが遅かった。

 紫が崩れ落ちる瞬間を見て、目の色が変わる。

 

「紫……紫っ!」

「何があったんですか!? ゆ、紫様!」

 

「巫山戯るなよ、紫……っ!」

「八雲紫……」

 

 怒り、憤り……様々ある。薄れていく中で紫は感じ入っていた。

 その思念ら一つ一つが紫を中心に渦巻き、何故だか、こんな時だというのに笑みがこぼれた。

 

「ふ、ふふ……幽々子ったら、あんな声が出せるのね。藍も、そんな顔しないで? 貴女はいつまでも、綺麗で、カッコいいままで……」

「私のセリフですよ紫様っ! 貴女に出会ってから私は……ずっと、想い続けていたのに……。ここまで来て約束を破るなんて、酷いではありませんか……!」

「ああ、藍……。ごめんなさい。ごめんね」

 

 大粒の水滴が紫の頬を打つ。肌の上から涙が見えるほどに、紫の姿は希薄なものになっていた。重さはほぼ消え失せた。

 もう存在が消えかかっている。金の髪は宙に溶けて、爛々に輝いていた美しい桔梗色の瞳は、どんどん白濁としていく。

 

「どうしてなんでしょうね。辛くて、苦しくて……怖いのに、とても満ち足りてるような気がする。貴女と、橙には、感謝してもしきれない。けど心残りは……貴女達の行く末を見れなかった事と、霊夢にさよならを言えなかったこと、かしら……。願わくば、みんな幸せに、幻想郷を……」

「イヤだ紫様……もう置いていかないで……。あんな想いはもうイヤなのに……」

「いつもそうよね。大切な物は、無くして初めて、気付くんですもの。ふふ、私ったら、ずっと失敗ばかり繰り返してたのね……」

 

 比較的穏やかな様子で紫は言う。だけど、その身体に触れていた藍には伝わっていた。紫の奥にある、今にも消えそうな想いに。

 

 震えだ。紫は怯えているのだ。

 いま、初めて気付き、手にした何物にも代え難い《財産》を失うことに。

 

 あの普段は落ち着いた幽々子は、感情を露わにするほど自分の事を想ってくれていて、いつも冗談のように掛けられていた言葉の数々が嘘ではない事を知った。

 とても嫌な奴だと思っていたレミリアは、案外優しくて思慮深く、自分の死を悲しんでくれる奴だってことが分かった。

 いつも大袈裟で、小煩くて、時にはその近過ぎる関係性に怯えていた藍が実はこんな……自分の為に泣いてくれるほど弱かったなんて。

 

 

 ──本当に、残念だ。

 

 

「ああ、死にたく、ない……。みんな、一緒に、幻想、郷……で」

 

 

「──……紫、様」

 

 もう手の内に主人は居なかった。僅かな光の残留粒子が瞬く程度で、やがてそれらも消え失せる。完全な虚無へ。

 

 気付けば藍に張り付いていた式が霧散してしまっている。式契約が契約主の死亡により消失してしまったのだろう。

 今の九尾は、再び「八雲藍」ではなくなった。そして二度と戻ることはない。

 

「これにて『チャプター完了』」

 

 抑揚のない永琳の声が響く。

 

「我ながら恐ろしい威力よ。だって輪廻まで破壊してしまうんですもの。本来ならあの矢の用途は、私達を殺す為に開発した物だった」

 

 「殺せるかどうかは別としてね」と付け加える。静かに紫の最期を見守っていた永琳は、変わらぬ口調で語り出した。だが反応は薄い。

 レミリアは目を瞑り、幽々子は顔を俯かせ、藍は全く変わらない体勢で微動だにしなかった。

 

 彼女らの気持ちを大体は察しながらも、永琳は解せない様子で肩を竦める仕種をする。

 

「終わってみれば呆気ないものね。まさか長年の月の悲願がこんなところで叶ってしまうなんて……一刻前までは想定もしていなかったわ。だけど同時に拍子抜けでもある」

 

 この場に居る者達が聞いていようが聞いていまいがどうでもいい。ただ、この疑問だけはどうしても口から出しておきたかったのだ。

 

「それに関連してずっと不思議に思っていたことがあるわ。何故、貴女達は八雲紫に期待していたの? 何故、こんなにも弱い妖怪に頼っていたの?」

 

「紫様が、弱い……?」

 

 妖夢の口から溢れた疑問に永琳は更なる確信を強めた。これが八雲紫の成功の秘訣であり、失敗の発端となった理由だ。

 

「確かに、八雲紫の放つ雰囲気は強者のものだった。騙される者も多々存在したんでしょうね。だけど、貴女達……特に式神である貴女はどうしても気付く筈。何故──八雲紫がかつてと変化していることを認めきれなかった?」

 

 八雲紫の変化は一瞬で見抜いた。

 というものの、永琳は遥か遠い過去に紫を見たことがあった。天地開闢により地上を離れるその頃から、月と紫の禍根は延々と続いていたのだ。

 

 その時の当時の都の勢力では、紫を滅ぼすことはできなかったらしい。大きな被害を互いに与えつつ、痛み分けのような形で終結したと聞き及んでいる。

 優秀な科学者であり、参謀でもあった永琳はバックに控えていたので相見えることはなかったが、その時に自分も出ていれば八雲紫を倒せていたと悔やんでならなかった。

 

 八雲紫は、生かすには危険すぎる存在だから。何を為すまでもなく、存在することすら許されない禁忌であった。

 

 ……そして今日、晴れてその因縁に決着を付けたわけだが、あの頃の紫とは根本から違っていることは一目瞭然で、疑問が残る。

 探りの為に適当に藍をいなしつつ、徐々に圧迫していくことで紫の行動を伺ってみたが、結局最期まで弱いままで、待ち望んだ切り札は紫以外の力が大部分を占めるという有様。

 

 さらに不思議だったのが、藍達の紫に対する異常なまでの期待と依存である。またそれはてゐの不可解な言動からも見て取れた。

 それ故に永琳は最期まで紫を疑い続け、挙句には封印していた兵器まで持ち出した。

 

 彼女らは何かを知っているんだろうと踏んでの、遠回りな攻略戦だった。

 だが結果としては間違いだったらしい。

 

 

「……まあいいわ。消えた妖怪のことなんて気にかけるだけ無駄よね」

 

 脅威と懸念は完全に払拭した。精神的支柱を失った元式神など恐るるに足らない。吸血鬼も亡霊も、自分を倒すことの無謀さを感じ取ったはず。

 永琳にとっての戦いはまだ終わっていないのだ。月の使者による侵入に備える為、一刻も早い藍達の退去が求められる。

 

「もう特に用もない。解毒剤を受け取り次第この場から立ち去るなら───」

 

 

「し、しし……師匠……!!」

 

 敢えて表現するなら、それは永琳の誤算だろう。幻想郷の妖怪達は普通の心理構造など持ち合わせていなかった。

 

 鈴仙の異常な怯え。波長を読み取れるからこそ、特定分野では永琳よりも強い観察力を持ち合わせる彼女が、怯えていた。

 

 そして永琳も気付いた。

 

 穏やかで平静を保ちつつ、着実にこんこんと膨れ上がっているドス黒い濃色の妖力。

 自分に準ずる古さを持った古代の力。決壊したダムの水のように、際限なく膨れ上がっている。もはや元の原型はなかった。

 

 ダムの門は八雲紫だった。

 そして蓄えられていたのは、身に付けていたはずの本来の姿。藍が忌み嫌い、紫の為に捨てた力と姿。

 

 もう、隠す意味はない。

 守り通す意地もない。

 

 そして幻想郷の存在する意義もない。

 

 高尚な考えも思考も無く、只管に叩きつける暴力が、藍の欲する最大の願い。

 

 最も()に深かった()は捨てた。

 愛する者達を余すところなく包み込んでいた柔らかな尻尾は、敵を殲滅するだけの道具と化す。かつて一尾を振るうたび、国を一つ滅ぼすとまで言われた殺戮の獣。これが取り戻された真の力。

 

 

「最期まで付き合ってあげるわよ、()()()。だが、貴女はそれでいいのね? ……ここから先は紫の望まない運命よ」

 

 レミリアの言葉は最もだ。

 主人の言葉に反してしまう……これが幸せに繋がるはずなんてない。

 だけど、紫はもういないのに、幸せなど何処にある? 橙になんと言い訳をする?

 紫を守る為に、果てる覚悟を決めたあの子に。

 

「は、はは……はは……は……」

 

 決別の時だ。

 

「約束を破っても、もう謝ることもできないなんて……そんなのダメだよ紫さま。そんなの、約束にならないんだから……」

 

 紅い涙が落ちる。

 

 無意に動く壊れた妖獣。

 憐憫に全てを想う吸血鬼。

 殺意を胸に刻んだ亡霊。

 

 はてさて……と。永琳は次の一手を考えつつ、自らの失策を悟った。

 

 これから何度死ぬことになるのだろう。

 ……いや、何度やり直すことになるのだろう。

 

 これから訪れるであろう嫌な未来を深く憂いながら、静かに前を見定める。

 

 

 そして、それが実際に訪れるのには、然程の時間すら取らなかった。

 

 




 
 
「はたして過去とはやり直すことができるものなのでしょうか? 仮にそうだと肯定するならば、それはさぞ素晴らしい世界になるでしょうね。
……勿論皮肉ですよ。それこそ夢物語に過ぎない仮定です。八意永琳も()()を利用したのでしょうね。ドレミーがいない今だからこそ、あんな荒技ができたのです。

生きる事とは、不安やストレスから逃れる等の回避行動の連続だなんて言ったりしますけど、時にはそれらに自分から向かっていってしまうこともややあるでしょう。なんだってそんな行動を取るのか、理解に苦しむことだってあります。
結局、心を動かすに足るものなんてこの世に一つしかないんですよ。ただそれがどの方向にどう作用するのか、自己と他者のどちらに向けられるのか、たったそれだけの偏差。
だって善も悪も区別し得ないのは、元々が一つの起源から始まっているから。それは私だからこそ、そう断言する事ができるのです。

正しく貴女の事ですよ。紫さん」


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親愛と虚無の境界*

 

 

 遠い誰かの、夢のような千切れた思い出。淡くも儚い幻のような砕けた日々。

 これは多分私の記憶。失われたはずの、()()()私。なんでこんな時に、よりにもよってこんな時に……思い出してしまうのか。

 

 紫が居なきゃ、こんな記憶なんて何の意味も無いのに。

 

 ──私からの当てつけなんだろうか。

 

 

 全て私の責任だ。

 私のどうしようもないエゴが、紫を喪わせてしまった。

 

 紫が死んでくれればずっと一緒なんて、そんな事を一瞬でも考えた自分が怨めしい。

 結局、私は紫との約束なんてどうでも良かったんだろう。自分の存在と意義を定めてくれた紫との約束なんて、心の奥では邪魔としか思っていなかったのかもしれない。

 

 「死にたくない」──そう言い残して紫は消えた。眩く彩っていた生の息吹は、灰色の靄に燻りながら堕ちてしまった。

 

 紫は……生きたがってた。

 その挙句、死すら与えられなかった。

 

 現世にも、冥土にも紫は居ない。

 

 込み上げる真っ暗な想いは、私の罪の色。そして、私が残す事のできる最期の手向け。

 

 酷いエゴを繰り返す。

 

 醜い私を肯定する。

 

 

 こんな能力を持っていながら漠然と漂うだけの私も、この感情を抱いたのは初めてだったんだなって、やっと気が付いたの。

 

 

 そう、これが───『殺意』なのね

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 最初から最後まで、お前にしてやられてばっかだった。私のプライドを踏み躙って、私の求めるものを全て与えて──……お前はただ笑うだけ。

 

 恩返しなんて私の柄じゃない。だから、逆に意趣返しでもしてやろうと思ったのよ。わざわざ遠回りに、しかも屈辱を受けながら動いてやってたのに……またあいつに全てを壊された。

 

 つくづくお前には敵わないことを思い知らされるよ。運命なんて安っぽいものは、紫にとっちゃ無いも同然なんでしょうね。

 

 

 ……ふざけるな。

 

 お前が居なくなったら、この幻想郷はどうなる? 他の賢者が治めても、私は絶対に納得しないわ。私の上に……少なくとも"一時的に"でも立っていいと認めたのは、貴女だけよ。

 私の長年の悲願を無為にして……逃げるなんて絶対に許さない。

 

 くそッ、フランになんて言えばいい?

 あの子に植え付けた悲しみで、あの子をまた壊すのか? あんなに偉そうな事を言っておきながら──……ホント、つくづく最悪だ、お前は。

 

 私は一生お前を恨むわよ。

 貴様が遺していったモノの全てを背負わされたこの恨みは、絶対に有耶無耶にはしない。毎日にでもお前への呪詛を紡ぎ続ける。

 

 

 ッ…………例えそれが、認めたくない弱さの誤魔化しに過ぎなくてもね。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 与えられた記憶が消える。

 

 戴いた温もりが消える。

 

 代わりに表れて私になるのは、遠い昔に感じなくなった沢山のモノ。私が私に戻っていく。

 

 今の私は紫様を知らなかった私。何も考えられない無垢な子供。屍を築くことしかできなかった、この世で最も残酷な獣。

 

 今の私は、紫様に出会えなかったワタシ。

 私が怖れて嫌悪したワタシ。

 

 ただあの頃のワタシと違うのは、この胸に走る鋭くて切ない痛みと、紫様と共に在れたという確かな事実。それだけが、『藍』という名前の理由。

 

 ああ、紫様。

 幸せを願いながら消えていった最愛の人。

 例え私の慕った紫様とは違っていても……それでも、貴女様が最後に向けてくれたあの想いが真実なのでしょう。

 

 貴女様が居ないのなら、もう何でもいい。幻想郷なんてどうでもいい。私がやらなければならないのは最早一つの事だけ。

 

 どうしても許せないヤツを、後も残さないほどに破壊してやろう。不死だろうが何だろうが、壊し続けて、殺し続けて……紫様が受けた苦しみを何千倍にして味あわせてやる。

 

 許せないのは、八意永琳。

 そして、私だ。

 

 

 紫様───……叶わぬ願いだったとしても、私は最期まで信じたいのです。

 

 私も消えてしまえば、貴女様と一緒になれる事にはなりませんか? 互いに消失して、虚無で混ざり合うことができれば……。

 

 

 もう一度だけ、逢えることにはなりませんか?

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 

 様々な喧騒の絶えなかった迷いの竹林も、今では大体の落ち着きを取り戻していた。

 てゐというイナバ隊の根幹を成す存在が消えたことにより、戦況は一気に幻想郷連合軍へと傾いた。

 それでもめげずにゲリラ戦を敢行していたイナバ隊だったが、竹林ごと薙ぎ払う河童の航空支援や、大規模攻勢により壊滅。その殆どが捕虜として捕らえられた。

 

 

「なんだこれは宝の山か!? まさかここまでの兵器を大量に鹵獲できるなんて!!」

「隊長! これなら……これなら!」

「うん。妖怪の山を私たち河童のモノにすることができる! 河童は強くなるぞ!」

「ついでに戦車も強くなるのです」

 

 

 

「あいつら無茶苦茶やってるな。敗戦者の末路ってやつか……」

「今は河童に任せて問題ないわよ。それよりも気を抜かないの。いつでも撃てるように準備してて」

「心配しなくても大丈夫だぜ」

 

 魔理沙は自分の意志を示すようにミニ八卦炉を構え直す。その砲口の先には地面に縫い付けられ、何重もの結界に遮られた一人の蓬莱人がいた。

 その危険度ゆえに霊夢、魔理沙、アリスの三人による厳重監視が敷かれており、下手な動きを見せればすぐにでも圧殺できるような隊形を取っていた。

 

 蓬莱人は魂が不変である故に復活する際、場所を選ばない。しかし霊夢の張った結界が魂を逃さないのでなんとか形だけの封殺が完成している。

 

 彼女によってもたらされた被害は甚大で、不死となりふり構わない立ち回りによって苦戦を強いられた。しかし魔法使いコンビと萃香が参戦してからは優位に事が進んだ。

 

 蓬莱人、藤原妹紅は先程までと打って変わって、落ち着いた様子で異変解決の雄たちを見据えていた。まるで何かを値踏みしているかのような目で、魔理沙はどうにも気に入らない。

 

「……こいつが言ってた事は本当なのか? メリーが紫に喰われたって。あの身内だからどうたらってのは嘘……?」

「あいつの安否を知ってるのは紫だけだから、後で話を聞く必要があるわね。……まあ何かの間違いだと思うけど」

「私もそう思うわ」

 

 何かを察したように頷く二人に魔理沙の機嫌が露骨に悪くなる。

 また自分だけ仲間外れか、と若干拗ねた。

 

「何を根拠にそう思ってるんだよ?」

「ちょっとした勘」

「ちょっとした予感ね」

 

 霊夢の博麗の巫女としての、勘による『当てずっぽう』の的中率がかなり高いことは最早周知の事実だろう。

 一方で、アリスは有用な情報を有していて、それから導き出される限り、妹紅の言っていることと辻褄が合わなくなるのだ。だって紫とメリーは同一人物なのに、どうして食べることができようか。

 

 いや、それらよりももっと決定的な前提がある。

 

「まず紫って人間を食べないでしょ? そのくせして妖怪は食べるっておかしな話よ。それになんだかイメージできないのよね」

「……だな」

 

 紫の人肉嫌いは巷でも有名だった。

 というものの、それを象徴する印象的な場面があって、春雪異変の前くらいに宴会が行われた時だったか、ルーミアが紫の口に人肉を突っ込むというちょっとした事件があった。

 その時、紫はいつもの平静な佇まいを崩しながらそれを吐き出したのだ。霊夢達には聞き取れないほど小さな声で何事かを呟きながらえづく様は異様だった。

 

 しかも紫は肉を吐き出した後は何事も無かったかのように談笑を始めたので、その場にいた全員が白昼夢を見ていたのかと先程の光景を疑ったほどだ。

 

 魔理沙は人肉に含まれる何かの成分が紫の形質と合わなかったのかと推測していたが、よくよく考えるとそれもおかしな話である。

 妖怪としての在り方にここまで反しておきながら、あれほどまでの存在感を放つのは尋常ではない。紫がただの妖怪でない事は皆の知る通りだろう。

 

 

 と、各々の思考を遮るように閑静な迷いの竹林に爆発音が響く。何事かと見てみると、どうやら河童の方で何かトラブルがあったようだ。

 

「うわぁぁ!? な、なんじゃこりゃあ!?」

「ははは、安全装置(セーフティー)に爆薬を仕込んでやがるみたいだね。奴さんも情報漏えいを防ごうと必死だなぁ。次からは慎重に分解しな」

「は、はい!」

 

 

「ったく、あいつらは相変わらずだな。……んじゃ場もだいたい落ち着いたみたいだし、私たちもそろそろ動くか?」

「そうね。早く紫たちの後を追わないと。───萃香、こいつを頼める?」

「んーいいけどさぁ……暇なんだよなぁ。もう異変解決も流れ作業みたいになっちゃってるし、いまいち盛り上がりに欠ける」

「一々盛り上がられちゃこっちが堪らないわよ。アンタに本気出されても困るし」

「ぐむむ……強すぎる自分が辛い」

 

 贅沢な悩みである。魔理沙なんかからすれば溜まったものでないだろう。だがそれは裏を返せば萃香の圧倒的な安定感によるものだ。だからこの場を信頼して預けることができる。

 

 軽いアイコンタクトをして霊夢が進むべき方向を提示する。つまりこの先に紫たちがいるということなのだろう。

 ……もうとっくの昔に全てを終わらせてしまっているのかとしれないが。

 

 いざ、霊力を纏って浮かび上がり、竹林の奥へ向かおうとした───。

 

 

 

 が、霊夢達は再び地に足を着けた。着けていた。

 

 そして困惑する間もなく、空気をつんざく爆発音が轟く。河童達がまたもや兎の兵器の取り扱いを誤ったのだろう。だが当の河童は黒焦げになりながらも首を傾げた。

 

 全員が顔を見合わせて、その身に起きた不可解な現象に首を傾げた。

 

「……おい霊夢」

「この感覚……覚えがあるわね」

 

 この時間が飛ぶ感じと、脳内を覆う強烈な既視感。これを霊夢と魔理沙は既に体験している。ちょうど一年ほど前に脆弱な氷精が魅せたあの面倒臭い戦法……まさにそれだった。

 

 だが今回は、それとは大幅に異なるような、もっと強い強制力のようなものを感じた。明らかにチルノのものとは違うのだ。

 見るとチルノが周りから追及の嵐にさらされて、何が何だか分からない様子で言い返している。そのチルノの言い分については妖精ゆえにか霊夢には全く理解できなかったが、それでもチルノがやったのではないと、思わしめるには十分だった。

 

「時が戻るなんて通常じゃ考えられない現象だぜ。それが今このタイミングで起こるってことは……十中八九あっちで何かがあったんだろうな」

「こんな状況では考察なんてできないわね。兎にも角にも紫の元へ向かわない限りは何も始まらないわ。急ぎましょう」

 

 魔理沙とアリスが再び空へと浮かび上がるが、対して先程はいの一番に向かおうとしていた霊夢はというと、固まったまま動かない。早くなる動悸を手で押さえて、痛くなる頭を何度も殴りつける。

 

 胸を突き抜ける謎の虚しさ。

 忌まわしい博麗の勘が、何かが終わってしまったことを告げているようだった。

 

 嫌な予感が頭に纏わりつく。

 

「なんなの……これ」

「霊夢、どっか怪我してるのか? なんなら私に任せて休んでてもいいんだぜ?」

「……行くわよ」

 

 負の念を振り払い、博麗の巫女としての心得を何度も頭で繰り返す。自分を縛ることはあまり好きではないが、時にはそれがこの上なく頼もしくなることだってある。

 前回のようなことがあった後なら尚更である。

 

 

 

「……案内してやろうか? 私の脚なら奴らの居る場所まで数分で着くぞ。それに私の本業は迷いの竹林の案内人だからな」

「そんな虫のいい話は無いわね」

 

 不意の妹紅の申し出を一蹴する。そもそも妹紅との戦闘の発端になったのは、他でも無い妹紅の裏切りからだった。それによって藍は重傷を負わされた。

 これで信じろという方が無理な話だ。

 

「いま嘘を吐く理由はないよ。強いて本音を言うなら、私はどうしても八雲紫を殺したい。だからどうしてもお前たちに見逃してもらわなきゃならない。……どのみち八雲紫を目指すなら、同じことじゃないかねぇ?」

「無茶苦茶な言い分だな。……だがこいつに付いて行けばこの竹林で迷うことは無い、か。どう思う? アリス、霊夢」

「私は……反対ね。無駄なリスクを冒すよりも堅実に行くのが一番だと思うわ。それに、あっちに着いたらもう一度この()()()と戦わなきゃならなくなるんでしょう?」

「言ってくれるなぁ」

 

 妹紅はアリスの言葉が気に入らないようだが、幻想郷でも稀有な存在だというのに、むしろ化け物と呼ばずして何と呼べばいいのか。

 こんな爆弾を抱えて行くなどリスクが過ぎる、とアリスは考えた。それが理に適っていることは妹紅も含め、全員の共通の見解である。

 しかし、霊夢は首を振った。

 

「連れて行きましょう。今は一刻でも早く異変の根源に辿り着きたい……多少リスキーでも先決すべきことは先に為さなきゃ」

「───てな訳だ。すまんなアリス」

「結局私に決定権はないのね。まあ、知ってたし別にいいけど」

 

 こういう時の二択は霊夢の判断に委ねるに限る──それが幻想郷での常識である。

 

 

 

「私には判らんよ……何故お前のような奴が八雲紫の配下に甘んじているかがさ。博麗の巫女は人間の味方なんだろ?」

「ああん? 誰があいつの配下だって? 冗談はあんたの存在だけにしときなさい」

「……まあいいさ。先人のよしみで一つだけ忠告しといてやるが、この世に裏切らないものなんて一つも無いんだぜ。──あの妖怪なら尚更だろ?」

「……」

 

 違う、とは言えない。

 

 紫のことを信頼する気持ちは勿論ある。胡散臭くはあるが幻想郷を想う言動は一貫しているし、何時もここぞという時で物事に介入して最高の結果を残していくその姿に、ちょっとした頼もしさを感じたことだってある。

 

 だが、自分の知らない紫の姿が、あの微笑の裏に多く潜んでいることは紛れも無い事実。春雪異変の時の()()()が一番の例だろう。

 

 

 ……昔からずっと思っていた。

 紫の心を知ることができたら、紫を真の意味で知ることができれば……その時こそ、自分も本心で紫と向き合うことができるのだろうか、と。

 

 

 ……遅かった。

 今となっては、夢物語だ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 この指折り数えることなど億劫になる我が生涯の中で、形ある『窮地』というものを体験したことは、多分一度も無い。

 月人として初めての覚醒者であり、生まれつきの明晰な頭脳……これだけあって私に不足するものなど何があろうか。

 力も、技術も、知恵も、理不尽を耐えぬく能力も、あまつ経験さえも───私にはそれら全てが満たされている。自身への脅威は微塵にも感じない。

 

 そしてこれが……生涯初めての『窮地』なのだろう。これが『危機』というものなのだろう。脳髄を駆ける生物としての警鐘がそれを実感させる。

 

 

 これに至った経緯で私の行為に落ち度は、普通なら何も無いはず。

 だが敢えて一番の失策を挙げるなら、それは恐らく八雲紫を消してしまったこと。

 その行為自体に後悔は無いし、それ以外のやりようが存在したとは到底考えられない。……ここまでは決定事項。

 

 ここから先は為すべくして為された結果の産物であり、それが予め定められていた運命なのだとしたら、あまりにも酷な話だ。

 

 今の状況は、私が考える中でも最悪のモノに近い。死なんて軽い結末では無い。

 ──『詰み』こそ最も避けなければならない結末。

 

 そして、私は今、『詰み』に向かっている。

 

 

 八雲紫の式神──元式神の八雲藍は、もはや先程までの在り方を完全に変質させている。理知的な光を感じない漆黒の妖力が、私を焼き殺さんばかりに渦巻き、解放し、牙を剥く。

 

 肥大化し自在に伸縮する九尾が、私の目視スピードを遥かに振り切る速さで蠢き、あっという間に身体を貫き引き裂く。……ここまで早い周期で殺されるのは初めてのことよ。

 

 圧倒的な強さだ。

 地力では決して敵わない存在というのを、初めて認知させられた。単純な戦闘能力ならこの世の五本の指に入るかもしれない。

 

 あの九尾の狐の変貌に何らかのトリックがあるのは確実。八雲紫の置き土産だろう。

 この現象は封印の解放に近い。……だけど、一概にそうとばかりには言い切れないかもしれないのだ。備えるはずだった最強のヴィジョンを無意識的に己の肉体に反映させている。つまり八雲紫はあの九尾の強化を敢えて阻んでいたという事になる。

 ──……何にせよ、消えても厄介な妖怪。

 

 さて、晴れて本日何度目かの擬似的な死を迎えてしまった。従来の通りならば直ぐにでもリザレクションして反撃に移る場面だが……それができないから、これは『詰み』なのだ。

 私の器が凄まじい周期で壊され続けており、再構築のスピードが全く追いつけていない。蓬莱の薬の効力が完全に押されている。

 原因はあの亡霊だ。妖力の形質からして、死に誘う能力といったところだろうと初見の時点で判断していた。が、その効能が私の予想を遥かに上回る勢いで強化されてきているのだ。

 本来、蓬莱人に対しては無力に近い能力。だがその不利ですらものともせず、私を殺そうとドス黒い呪詛を放っている。

 

 不変の魂魄を殺されることはない。しかし、完璧でない肉体はこれまでに何度も崩壊している。戦闘が始まって約3秒程度が私の寿命、そして一度でも死ねばもう二度と受肉することはできないのだ。

 継戦能力もままならない現状では正直、彼女が最も手にかかる。

 

 

 極め付けには後ろで控えながら回避不能の紅槍を何本も投擲する吸血鬼。脅威度は他二人に比べて若干見劣りするが、下手すればこの中では一番厄介な存在。何故なら、彼女は誰よりも冷静に大局を見極めているから。

 何度狂わされただろうか。この吸血鬼さえ居なければ、九尾と亡霊だけだったなら、私の試行回数は兆が億くらいには減っていたはず。

 

 あと二人、亡霊と吸血鬼の従者が居るがアレらはまだ脅威にならない。寧ろ、主人達の変貌ぶりに付いていけてない様子ね。

 ……頭の隅に置いておく程度で十分でしょう。ただあのメイドには何かが引っかかる。違和感の正体が掴めるまでは度外視するわけにはいかない。

 

 

 

 さあ、どうしましょうか。

 正直なところあの三人と殺し合って勝つのは、ほぼ不可能。そもそも九尾と私の身体能力がかけ離れ過ぎていて勝負にならないのだ。持久戦に徹したくても亡霊がそれを許してくれない。

 勝率は0%に近いわ。

 

 といっても逃げるのは論外。

 あいつらの目……私を殺すだけでは飽き足らない"欲"を感じる。私を殺して、尚且つ私の大切な者を全て葬りかねない状態ね。

 鈴仙も、てゐも───そして何よりもかけがえのない、あの子までもが殺されてしまう。輝夜に途方も無い苦しみを与えてしまう。

 ……それだけは許さないわ。

 

 私を以ってしても、未だに勝ち筋は見えない。

 だがそれでも私を絶望させるには到底足りないわね。私はただ憂うだけよ。

 

 

 私は自分固有の能力を『あらゆる薬を作る能力』と呼称している。他にも出来ることは多々あるが、それは私が天才だからという理由で片付けてしまえるから省略している。もっとも薬を作る能力もそれらとあまり変わらない理屈ではあるのだが。

 素材さえあれば私はどんな薬でも作れてしまう。それこそ、理に反する悪逆のものでさえ。蓬莱の薬がその代表例だろうか。

 

 素材と知識、そして手順を踏むことが必要不可欠ではある。しかしそれらはとうの昔に克服した条件。

 

 知識は説明するまでもない。

 素材に関しては、簡単な話、肌身離さず持ち歩いていれば良いのだ。()()()()という、最高の入れ物に。幸い蓬莱人に毒は効かない。多少身体に影響が出る程度で、動ければそれでいい。

 

 関連して手順については、これまた簡単で、私の体内機能を調節して薬調合の手順を踏めばいい。各神経の掌握は容易く、これが一番楽な条件だ。

 脳神経の伝達だけでことは済んでしまうのだから、手間は殆どかからない。寧ろ体外から服用するよりも早いまである。八雲紫が奥の手を使う前に『紺珠の薬』を使用することができたのもその為だ。

 

 条件は依然揃っている。つまり、私が想定し得る限りの薬は今にでも使用することができる。

 

 作るのは四種類の薬。

 

 一つは、『紺珠の薬』

 といっても先ほどのように強力なものではなく、範囲と効力を限定した従来のもの。

 相手に記憶を引き継がせて精神崩壊を狙っての持久戦も一つの策ではあるのだが……少なくともあの九尾には通じないでしょう。それにあまりこの世界に負担を掛けるのもよろしくない。

 今回の戦闘に蓬莱人の特性である不死のアドバンテージはほぼ無いと考えなければならない。よって、この薬が必要不可欠となる。

 

 二つ目は『徐福薬』

 簡潔に説明すると、自己が感知する時間の流れを歪める薬物である。通常は拷問等に使う負の作用が強い薬だが、逆に言えば神経系を何百倍にも強化する薬と言える。九尾の動きに対応するにはこれが一番手っ取り早い。

 リスキーではあるけど私の情報処理能力なら耐え切ることが可能だろう。

 

 三つ目は『精神硬直薬』

 これから何が起きようと動じない為の対処。精神を敢えて一時的に破壊して心の摩耗を抑え、蓬莱人を"殺す"数少ない方法を徹底的に潰す。

 私の予想が正しければ、ちょっとやそっとのやり直しでは済みそうにないから、万が一にも狂わない為の保険である。そんな事は無いと思うけど、念のためにね。

 

 最後に『補肉剤』

 私も無傷でこの局面を切り抜けれるとはハナから考えていない。欠損覚悟の捨て身でやっと勝機を見出せるかの次元である。蓬莱の薬の再生力では明らかに足りないのだから、それをさらに補わなければならないのは当たり前。

 それにこの薬の効力があれば、朽ちゆく肉体も少しはマシになるだろう。

 

 

 

 勝機を見出すに足る要素……つまり、あの三人の弱点はあるにはある。些細な事だが、私には万金に値する要素だ。

 先にも述べた通り、吸血鬼の彼女にはこれといった弱点が存在しない。しかし、他二人には明確な付け入る隙が確かに存在した。

 理性を保てていない事もそうだが、何よりも確定的なものがそれぞれに一つずつ。

 

 亡霊は最初の数秒間だけ一切の行動を起こさない。……まるで今の自分が何なのかすら分からない様子で、茫然と立ち尽くす。

 しかし動き始めたらもう私を殺すまでは止まらない。彼女が動き出すと同時に戦闘終了のカウントダウンが刻まれ始める。

 つまり、その数秒間が彼女の隙。

 

 九尾の戦闘能力は果てしなく高い。蠢く尾とフィジカルの強さは他の追随を許さない程に強大で、かなり厄介。

 おまけに狂っていても地頭が良いみたいで、無意識のうちに綿密な演算を行いながら動き回っている。殺戮本能に知性を加えられるほど、面倒な事は無いだろう。

 だがそれでも、私を圧倒するだけの力を持ちながらも、九尾の身体は本来の完璧には程遠い。永遠の性質で炭化させられたのだ、こんな短期間で再生できるわけがない。

 まさか悩みのタネにしかならなかったあの子が、こんな形で私を救ってくれるなんて、ね。藤原妹紅……今宵ばかりはあの子に感謝しよう。

 

 

 さあ、事は尽くした。

 後の結末は二つに一つ。

 

 二重の永遠に閉ざされるか、それとも……私が先に歩むのか。どちらかだけだ。

 薬を使用し、退路を潰す。私の中から無駄な感情が消え去り、幾多もの図式が脳内を埋め尽くし、視野がみるみる広がる。

 

 

 ……姫様。どうか、私に力を。

 

 

 

 ───────

 ───────────

 ───────────────

 

 

 

 おおよそ戦闘とは呼べない、一方的な殺戮。

 千切れ、抉れ、絶たれ……貫き、焼かれ、腐れて……締められ、潰され──繰り返す。

 

 藍の薙いだ尾が永琳の四肢を捥いで、挙句に幾度となく粉砕する。虫の通る隙間も無いほどに敷き詰められた暴力の嵐へと身を晒し、自らの命を捨て石に行動パターンを解析。

 何千、何万、何億と繰り返して藍の思考の統計を測る。

 

 幽々子の呪怨が末端から身体を腐らせ()()()を無くし、永琳を無限の牢獄へと何度も閉じ込めた。

 最短ルートで幽々子を無力化する手立てを考える為に、か細くも存在した藍を倒す計算式の悉くを棄却することになってしまった。

 心があれば、まず相手にできない。

 

 達磨になりながら藍を躱し、幽々子の紡ぐ呪詛を耐え凌ぎ、手が届く──……すんでの所までは数度だけ辿り着けた。

 そして何本もの紅槍が永琳を貫き、その道順を踏み躙った。沈む視線の最期に映るのは、憐れなモノを見る目をしたレミリアの紅い瞳だった。

 

 

 

 正面からやり合っても勝てないことは最初から想定済みだった。これは永琳が考えていた大まかな戦略の一端である。

 

 まず目指すのは、可能性を切り開く事。

 

 その為にすべき事は、可能性を潰している者を真っ先に潰す事。これが何よりの急務。

 

 レミリアには他二人には存在しない『冷静さ』がある。彼女が戦況のゲームメイクをしている限り、永琳に勝機は訪れないだろう。

 彼女の能力は紫たちとの会話や、初邂逅での戦闘で『運命を操る能力』である事が想定できる。

 仮に吸血鬼異変また紅霧異変の際、レミリアが後衛に徹して従者たちのサポートに回っていれば、結果は違ったものになっていたかもしれない。それほどまでにレミリアのサポートは強力だった。

 

 だからレミリアを最初に潰そうとするのは自明の理。この一連の流れにおいて、急務とすべき事柄であることは一目瞭然だ。

 ……しかし、幾度も繰り返す中で、永琳はそのプランを変更させる事になる。

 

 セオリーに従う事が必ずしも最善であるとは限らない。それはもう()()()()紫が証明して見せたこと。目の前の『高い確率』に従事し続けることは、この場合悪手になり得るのではないか。

 

 もはや、最悪も最善もない。

 ただがむしゃらに、綿密にやるしか方法は無いのだ。何が鬱陶しいのか、何が邪魔なのかをその場で判断し、高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応する。それしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 藍を殺した。

 全ての攻撃を完璧に見切りながら行動を誘導し、自分の身体を敢えて削らせ僅かなスペースへとその身を押し込む。その時に噴き上がる血潮を調節して藍の顔へと吹き掛ける。

 そして即座に欠損を補完し手薄になる右側からこれでもかと死矢を放った。

 両目を潰して正中線へ何本もの矢を突き立てた。動かなくなるまで撃ち続けた。

 

 幽々子を消した。

 藍が崩れれば接近は容易い。問題はそれにかかる時間、だからそれを埋め合わせるべく、永琳は接近しながら動けない妖夢へと破矢を向ける。

 この時だけ、幽々子は一切の行動に動揺を生じる。その瞬間が命取りだ。

 放たれた破矢は妖夢の寸前で軌道を大きく変えて幽々子に突き刺さる。幽々子の耐性は藍ほど強くはなく、霊体というアドバンテージだけ。その程度なら、どうとでもできてしまう。

 

 

 そして、残るレミリアは放心していた鈴仙の首へと紅槍を突き付け、鋭い視線で永琳を睥睨する。もうこれしか取るべき道は残されていなかった。

 永琳の行動・思考スピードがレミリアの能力を狂わせた。選択しようとしていた運命の全てがあっという間に消滅してしまったのだから。

 

 ゆっくりと、死の気配が地を這う。

 

「ひ、ひぃ!?」

「こいつを殺されたくなければ……っ」

 

 去来するは終焉の運命。

 

 レミリアはゆっくりと目を伏せる。

 そして軽く笑い、天を仰いだ。

 

「やっぱり無駄だったわね……」

「た、助けて師匠───」

 

 

 弟子の声は師匠に届かなかった。

 

 放たれた魔矢が鈴仙もろともレミリアを穿ち、その側に蹲っていたてゐごと吹き飛ばした。確実に、みんな死へと追いやった。

 

 

 

 

 少しばかり立ち尽くし、大きく息を吐く。

 何の感情も湧き上がらない。

 

 終わった。

 だけど、終われない。

 

 このルートでも駄目なのだ。

 これが自分の望んだ結末ではないのだから。

 

 

 またやり直しだ。

 

 




この間約1分のことである……。

オリジナル八意印のお薬である『徐福薬』ですが、これは秦代のとある人物にちなんで名付けました。日本に蓬莱の薬を探しに行った人です。
胡蝶薬だと違うのが既に存在しますし、浦島薬だとそのまんまですしね。
まあ取り敢えずマユリ様は偉大です。


ちなみにですが、永琳攻略方法について、一つだけ思いついた方法があります。
うどんちゃんが脳波を掻き消して一切の行動を封じれば何とかいけるかも? って感じですね。けど永琳も多分そのくらいは想定してるでしょうし、そもそもそんな状況を作らないと思われ。

生きるってのは、殺さず殺されず、ですよ。


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死なばもろとも*

 

 

「なんで泣いてるの? 悲しいことがあったの?」

「……ええ。とても大切なモノを失くしてしまったのよ。もう私は──前のようにはいられなくなってしまった。心の奥底では、それを望んでいたに違いないはずなのに……」

 

 幼子にこの心情を理解しろというのは、些か酷なものがあるだろう。だけど、彼女が縋ることのできる存在は、もうこの子しか残っていなかった。

 理解できまい。できるはずがない。

 

 だがそれでも、『宇佐見菫子』という少女はそれらを告げられるに値する資格を有している、と彼女は考えている。

 どうしようもない我が儘ではあるけれど、心の拠り所はいつの時も同じなのだから、恥じることでも自重すべきことでもない。

 

「よく分かんないけど、何かを無くしちゃったなら探せばいいよ。それか代わりの物を見つけて、それを大切な物にするとか!」

「ダメなの。探しても見つかるはずがない。代わりになるモノなんてあるわけがない……取り返しのつかないことになってしまったのよ」

「そっか……ごめんね」

 

 軽はずみな発言だったことを察し、しおらしくなってしまった菫子。だが当の本人からすれば、何を謝る必要があるのかと、不思議でならない。

 この無垢で純粋な在り方は、正しく子供だからなのか、それとも『八雲紫』の見立て違いだったのか───。

 

 いや、それでも構わない。

 

「ごめんなさい菫子。貴女に当たっても何も解決しないのに……情けない姿を見せてしまって。幻滅しちゃったかしら?」

「ううん、そんなことないわ。それよりも、そんなに大切な物だったなら探そうよ! 無くしただけなら今も何処かにあるはずだから! 私も手伝う! あのねあのね、探し物は得意なの!」

「ありがとう。……ありがとう」

 

 菫子の持つ特別な力。彼女にかかれば探し物を見つけることなど朝飯前なのだろう。自制が効かない以外に欠点のない()()()()だ。

 

 ピクリ、と。

 中指が微かに痙攣する。

 

 夢路の果ての邂逅。決して邪魔の入らないこの場所で、宇佐見菫子に出会った。

 この奇跡を、みすみす逃すのか?

 

 私には……理解(わか)らない。

 

 

 気付けば彼女は、彼女の腕の中。

 

「ど、どうしたの? 苦しいよ……」

「……本当にありがとう。貴女が居るから私は忘れないでいられる。いま私がここに在れるのは……全て貴女のおかげ」

 

 だから私は終ぞ言うことのできなかったコレを、何度も何度も繰り返すのだ。

 この世の全てを妬み、僻み、恨んだ……この呪詛に塗れた醜悪な言葉を。

 

「本当に、ありがとう。()()

 

 

 

 

 ───────

 ────────────

 ──────────────────

 

 

 

 壁を蹴破り襖を破壊しながら霊夢達は疾駆する。制止の言葉は前の二人に届かない。

 何かに取り憑かれたかのような霊夢の行動に、さしもの魔理沙も不気味な予感を感じられずにはいられなかった。だが、それでも──。

 

「おい待てって霊夢! 何の準備も無しに突入するのは、流石に無鉄砲すぎるぜ!」

 

 魔理沙とアリスからしてみればたまったものではない。魔法使いにとって事前の準備が生命線である。それも無しに敵の本拠地を進むのは、本来なら絶対に避けねばならない愚行。

 しかし霊夢と妹紅にはそんな事など微塵にも関係無くて、ただひたすらに突き進み続ける。途中あからさまに設置されたトラップや結界を正面から破壊し、一向にスピードを緩めない。

 

「今回は何時ものようには慢心できん。……相手が相手だ。連中のとこに辿り着く前にやられちゃ意味ないだろ!」

「んな事で躊躇してる場合じゃないのよ。それに私はあんた達に『付いて来い』だなんて一言も言ってないんだけど?」

「またくだらない意地張って……」

 

 素っ気なく言い放たれた言葉にアリスは頭を抑える……こんな連中のストッパー役なんて買って出るんじゃなかったと後悔しながら。

 紫もさぞ苦労してる事だろう。

 

 しかし今回の言い分はやはり魔理沙の方に理があるとアリスも当然のことながら考えている。いくらなんでも強行過ぎる。

 ……それに、アリスには深い懸念があった。

 

「全員感じているでしょう? この、嫌な雰囲気。妖力に乗ってここまで漂ってくる圧倒的な負のオーラ。……並大抵のことじゃない」

「よっぽどの事が起きてるみたいだな……」

 

 芯から凍り付くような冷たい殺気だった。西行妖が放ったあの『死』が纏わり付くようなじめったらしいものなら、この『死』は身を抉るような突き刺すもの。まるで今も首筋にナイフを押し当てられているような、そんな感覚にすら陥りそうになる。

 

 その発生源にどんどん迫っている。

 間違いなく、凄惨なレベルの死地が待っているはず。

 

「……やってるな永琳のヤツ。動くのが遅かったか、これじゃ八雲紫はもう殺されてそうだな。チッ、毎度ながらいけすかん奴だよ」

「永琳……ねぇ。そいつの事をえらく買ってるようだが、あの妖怪がそんな簡単にくたばるとは思えないがな。なあ霊夢」

「……さあどうかしらね」

 

 そう、魔理沙の言う通りだ。

 物心ついた時から感じてきた"凄さ"と、春雪異変の際に嫌という程味わった"強さ"。人間の中で誰よりも紫の事を知っている霊夢だからこそ、抱く事のできる確かな自信。

 

 あの紫が……況してやレミリアや藍も居るのに負けるなんてあり得ない。天地がひっくり返っても……そんな事が起こり得るはずがない。

 

 あり得ない……が、それでも、張り裂けそうなほどの悲痛な想いを伝えるこの胸に、嘘はつけない。

 脳裏をよぎる嫌な光景を振り払う事ができない。

 

 

 

 結局、大した罠が張られている事もなく、妹紅の案内と霊夢の勘によって一行は永遠亭の大体を走破していた。

 そもそも空間を隔離して場所を隠したのだとしても、この溢れ出る嫌なオーラで丸分かりだ。その代わり、近づくごとに段々とそれは膨れ上がっている。

 

 立ち止まりたくなる気持ちがどんどん強まっていく。流れる汗が止まらない。

 

 

「……っ、この壁の向こうね!」

「永琳にしちゃ随分とお粗末な隠し方だな。こんなもんじゃ……! オラァッ!」

 

 炎を纏った妹紅の脚は爆発的な破壊力を生み出し、壁を粉砕する。どうやらなんらかの細工がされていたようで一瞬だけ妹紅の蹴りと拮抗したが、所詮は一瞬だった。

 

 

 そして、()()は流れ出た。

 

「うっ……!?」

 

 最初に反応したのは魔理沙だった。

 身体の隅々まで浸し尽くす強烈な不快感。どんなプランを練るよりも早く『逃亡』の選択肢が脳内を埋め尽くしていった。

 息がつまり、えづきながら尻餅をつく。

 

 アリスと妹紅も、顔を歪ませながら懸命に今の状況を理解することに全てを費やした。

 冷静沈着なアリスも、物怖じしない妹紅も、この時ばかりは心持ちの切り替えで精一杯だった。それほどまでに凄まじい悪寒。

 

 そして霊夢は───。

 

「……どういうことなの?」

 

 目の前の光景に唖然としていた。

 

 

 血と異物に塗れた殺風景な一室に立っていたのは、たったの一人。

 

 何本もの矢を身体に突き立てられ、赤い血溜まりに沈んだ藍。周りには彼女の尾と思わしきモノが散乱していた。

 生死は判別できない。

 

 力無く壁にもたれかかって、半透明になりながら消えようとしている幽々子は、存在を維持するのも困難な状態に陥っている。

 側では妖夢が泣きじゃくりながら蹲っていた。

 

 今まさに終わりを迎えたレミリア。

 胸を押さえ、荒々しい息を吐き出しながら、霞む瞳で目の前の規格外を睨みつける。

 

 そしてそれらを冷徹に見下ろす人間。手に握られた矢じりからレミリアの血が滴り、感情を感じさせない瞳でレミリアと視線を交錯させていた。

 

 

「──化け物……め……」

「貴女に言われちゃおしまいね」

 

 捨て台詞を吐きながらレミリアは崩れ落ちた。

 先程までの威圧感は完全に霧散し、静寂だけが永遠亭の一室を支配する。

 だが、誰も声を出さない。否、出せない。

 

 未だに状況を理解できない。

 

 

 静寂を破ったのは、他ならぬ永琳本人だった。感慨深げに辺りを見回して、大きく息を吐いた。そしてたった一言。

 

「これにて『チャプター完了』──漸く、この時を以って時間は正常に動き始めた」

 

 神への懺悔のように仰々しく語る永琳の姿から、とても不気味なものを感じた。霊夢達だけじゃない、配下の鈴仙を含めてである。

 永琳もまた、いま倒れていった彼女達と同じように、生物として肝要な部分が壊れてしまったのだろう。いや、壊れていたのは元からか。

 

「ここまでは知っていた。このタイミングでの新たなる訪問者、おそらく最後の刺客。月を止めていた原因である術はほぼ瓦解した。コレを越えれば夜が明けるまでは安泰となる」

 

 永琳にとって月が昇り続けるのはよろしくない。つまり、永琳の残る勝利条件は、夜を明けさせることになる。

 

 藍に幽々子、そしてレミリアの意識、または生死の有無によるものだろう、戦闘が始まった時点で既に術は瓦解しかけていたが、幾度となく繰り返された果ての決着によって、それが決定的となった。

 月を止めていたのは一人ではなかった。数奇な現象によって、各々が一斉に月を止めるという珍しい事象が起こっていた。

 

 そして……残るはあと二人。あと二人を戦闘不能に追い込むことができれば、永琳の完全勝利。

 ここまで来て引く理由など、あるはずがない。

 

「この中に、夜を留めた術者がいるのでしょう?」

 

 

 次に言葉を発したのは妹紅だった。

 

「……随分と張り切ったんだな。あんなに嫌なもんを撒き散らして……多分幻想郷中にお前達のことバレてるぞ」

「私にも多少なりとも非はあるんでしょうけど、大体はこの三人が出していたものよ。まあ、もう潜伏する必要はないから関係ないわ」

「──……殺ったのか」

「八雲紫を消滅させることに成功したんですもの。むしろお釣りが来るわね」

 

 

 

 

 

 

 この場の状況を見れば大体察しがつく。霊夢も、永琳の言葉など耳に入っていないようで、部屋に入ってからずっとある一人のことを探し続けていた。

 

 どこにも居ない。

 藍に橙、幽々子に妖夢、レミリアに咲夜……この六人の他にあいつが居たはずだ。

 ……何がどうなって───

 

 

「──咲夜っ! 私にナイフをッ!!」

 

 声を張り上げて妖夢が叫ぶ。楼観剣は無く、白楼剣を振るう理由もない。例えチンケなナイフでも、肉弾戦で挑むよりは遥かにマシだ。

 咲夜もナイフを二本投げ渡し、自分の周りに回転するナイフの群れを展開する。

 

「悔やみきれない一瞬の抜かりッ! 私がもっと早く駆けつけて……紫様の代わりになれれば……挙句に幽々子様と共に戦えるだけの技量があれば、こんな事にはならなかった! 幽々子様、申し訳ございません……!!」

「やっと、お嬢様の考えに至りました。何故あのような行動をとり続けていたのかも……私が悉く無力である理由も。──気遣いは無用、と……言うべきでしたね。よもや……」

 

「当然、貴女達は向かってくるでしょうね」

 

 ほぼ同時に白銀の従者二人が地を蹴り、永琳に肉薄する。事態の急変に、暫くの静観を決めていたアリスもそれどころではなくなった。考慮すべきはこれから後の立ち回り。

 二人を先行させて永琳の出方を伺いそれに応じた対策を練るか、それとも霊夢と魔理沙の合わせて五人で徹底的に叩くかの、二つに一つ。

 

 

 よくよく考えれば、幻想郷最強クラスの三人を同時に葬った永琳相手に、その考えは甘いと言わざるを得なかっただろう。

 それどころか、練られたプランは一瞬のうちに根本から潰されてしまったのだから。

 

 咲夜と妖夢の敗北という結果を以って。

 

「な……!?」

「──!」

 

 刹那の交差。

 当の本人達も、起こった事の詳細は把握できていないだろう。振り抜かれた二閃は虚空を斬り裂き、縦横無尽に飛来したナイフは破壊された。

 そして妖夢は顎、咲夜は腹に衝撃を感じるとともに、床、壁へと叩きつけられた。

 

 元から満身創痍だった妖夢はこの一撃で失神。咲夜は耐えはしたものの、血を吐き出しながら項垂れた。

 

「紺珠の薬の効果に頼るまでもないわね。九尾の狐に比べれば貴女達の動きは十分対応できるレベルよ。ただ……これは褒めてあげるわ」

 

 永琳は胸に刺さったブラッドナイフを抜き取り、握り壊した。結果を度外視して一矢報いるつもりだったのなら、二人の連携は概ね成功と言っていい。

 問題は相手にしているのが永琳だったという事。

 

「私の毒で自壊を? ……おそらく、そこの化け猫の毒を抜き取った時から虎視眈々と狙っていたのね。ご主人様が痛めつけられているその間も──……いや、()()()()()()()かしら?」

「貴女でさえ……なければ……」

 

 口惜しそうに、やるせない様子で咲夜は歯を噛み締めた。咲夜と永琳の絶対的な相互関係は、両者ともに薄々と勘付いていた。

 そしてレミリアも恐らく、この二人よりも早くその事を把握していたのだろう。だから咲夜を前線に出さず自らが率先して動いていた。

 

 永琳の中での仮説が正しい確率は、本人が見積もって70%程度。それでも、確率論を抜きにして永琳を以ってして確信めいたものを感じさせるナニカが二人の間にはあった。

 

 

 もっとも、そんな事は今、どうでもいい。

 

 無情な一矢が咲夜を貫く。

 

「殺すには不安要素が大きい、だからといって野放しにするのでは永遠に終わりが訪れない。なので貴女には寛大な処置を施しましょう」

 

 通常なら死に至らしめる怪我でも永琳の技術なら仮死状態に留めることが可能。結果、咲夜は弧を描くようにして床に倒れ、動かなくなった。

 それと同時に幻想郷を覆っていた術式の一端が崩壊する。月の輝きが狂気の域まで届こうとしていた。

 

 部屋の隅で橙の呻き声が響く。

 

 あと一人。

 その居処は───

 

 

「霊夢……お願いだから正気保ってて。これで貴女まで失えば、アレには到底太刀打ちできない。……解ってる?」

「──……大丈夫よ。大丈夫だから」

 

 返した言葉はひたすらに淡々としていた。だが、どこか弱々しさを感じるのは気のせいではないと、アリスは見抜いていた。

 この状況、彼女らの言葉……それらを照合するに、紫はもう恐らく……。

 

 霊夢ならもうとっくの昔に分かっていたはず。勘のいい彼女のことだ、向かっている途中にも大体の事の顛末を薄々と勘付いていたに決まっている。

 

 一抹の希望は潰えた。

 ならば、どのような行動を取ればいいのか、霊夢は自問自答を繰り返す。

 

 

 ───決まっている。

 

 

「『夢想天生』……!」

 

 発動できないなんて失敗はもうない。紫による()()()()()()のおかげなのか。もし萃香戦を体験していなければ、霊夢は惨めに右往左往するだけの矮小な存在であったに違いない。

 これを見越していたのなら、紫は永琳を超える程の策略家だろう。

 

 霊夢の姿を見て安堵したアリスもまた、覚悟を決めた。紫を殺されたのは彼女にとっても看過すべき事態ではなかった。

 肌身離さず持ち歩いていた魔導書に括られた鍵穴を、アリスは敢えて鍵を使わずに握り壊した。もう後には退けない不退転の決意の表れだ。

 

「פרסום ספר הכשפים」

 

 たどたどしく、馴れない詠唱。

 無理もない。この詠唱を口に出したのは、アリスの生涯の中でたったの二回だけ。だがそれでも言い終えたならもう此方のもの。

 色取り取りの魔力が流動化し、螺旋を描くように莫大な恩恵がアリスを塗り潰す。

 

 一度しか開かれた事のなかった魔導書(Grimoire of Alice)。魔界の至宝とも謳われる、最高にして最強の魔法が封印された本。

 全能感と昂揚感に精神を汚染されるが、今はそれ以上に永琳に対する敵対心が強かった。もう喚くばかりだった子供じゃない。

 髪から色素が抜け落ち、代わりに瀑布の如き魔力がアリスを一から構成し直す。

 

 奇しくも、色鮮やかな二人の顛末は、全てを奪われた無色だった。全てを透き通し、原初の始まりとなった根源の色素。

 白や黒に最も近く、赤や紫に最も遠い色だ。

 

 

「アリス、お前……それは……」

「下がってた方が身の為だと思うわよ。もし動けるのであれば……倒れてるのを退避させてくれると助かるわ。あくまで貴女の身の安全を第一に、ね」

「私は、戦……っ!……ちくしょう……!」

 

 唇から赤い線が滴る。

 分かってしまったのだ。自分との隔絶された実力の差というものが。アリスの言葉も、何も言わない霊夢も、魔理沙に求めているのは決して助力などではない。ていのいい厄介払いだった。

 そして魔理沙自身も、ついに痛感してしまった。自分は決して対等では無かったのだと。

 

 アリスと霊夢の背中も、況してや永琳の姿でさえも、魔理沙には遠く霞んで見えた。

 

 

 魔理沙が後ろに退くのを確認し、ここでようやくアリスは状況分析が可能になる程度の余裕を手に入れた。ごちゃごちゃの思考に沢山の情報が割り込んでくる。

 なるほど、やはり負荷が高い。昔よりもなまじ成長した分、身にかかる負担は段違いだ。しかし自らを御すればまだ壊れずに済む。

 

 まずアリスが永琳の他に脅威になり得ると考えたのは、鈴仙と妹紅。一応敵方としてはてゐもいるが、あの深手では動けまい。

 鈴仙は戦闘に巻き込まれた小動物のように右往左往している。アレもかなりの戦闘能力を有しているようだが、参戦の意志を見せないのであれば、直接の脅威からは除外できるかもしれない。むしろ利用価値すら……。

 妹紅は本当に紫の殺害だけが目的だったようで、この死地においても暇そうに部屋の隅に座り込んで自分の髪を弄っている。無視でいいだろう。

 つまり、排除すべきは永琳のみ。

 

 逆にこちらはというと、アリスと霊夢を除いては満足に動くことすら厳しいだろう。

 魔理沙には戦える程の決意が無い。レミリアと橙は夥しい量の血を吐きながら床に這い蹲っている。幽々子は所々にラグのようなものを走らせながら項垂れ、妖夢に咲夜は先程の通り。

 そして藍は──。

 

 魔導書の力を解放した今だからこそ見えるほど、隠密に、水面下で、いろいろな事が判った。

 

「……」

 

 まだ全てが終わったわけじゃ無い。

 自分と霊夢の力が合わされば十分打開は可能だと考える。現に自分の魔力はこれまでに無いほどの高まりを見せ、霊夢の霊力はどんどん膨れ上がっている。ポテンシャル的には萃香を倒した時となんら遜色はないのだ。

 

 

 

 永琳は眉を顰める。

 

「まったく、とんだ魔境だったみたいねここ(幻想郷)は。これじゃてゐを恨む事ができないわ。むしろ感謝すべきなのかしらね? ……優曇華、さっさとこの部屋から出なさい。死ぬわよ」

「け、けどてゐの傷が……」

「1分以内に終わらせる」

 

 鈴仙を一瞥もせずに弓矢を構える。もし仮に──あの3人の他にあと1人、霊夢かアリスが居たならば……無かった運命ではあるが、実現していたかと思うと、流石の永琳も肝が冷えた。

 

 だがまあ、何にせよ、だ。

 結局のところ、恐るるに足らないという事は変わらない。自分の1000万分の1も生きていないような小娘がどうこうするなど最早有り得ない話である。

 

 見る限り透明になっている霊夢に攻撃は通じそうにない。ならば、と矢を三本つがえて弦を引き絞り、アリスへと照準を合わせた。そして放つ。

 だが魔導書から噴き出した魔力がそれらを淘汰し、さらに永琳を囲うように大規模な魔法円陣が何億にも重なって出現する。

 

 紡ぐは本来不可能な詠唱。

 

「להשמיד את כל」

 

 短くも難解なワード。普段のアリスならこの半分も発する事が出来ないほど、無理な詠唱だった。だからアリスは多少無理をした。

 その証拠に口を噛み切って流れ出た血液が透明な肌を伝う。それでもアリスは微塵にも集中を乱すことはなかった。

 

 極大消滅魔法。魂の構成物質すら微塵に破壊する術式である。アリスは永琳が不死であることなど知り得ない。だがそれでもこの魔法を選択したのは……一重に、この結末が永琳に最も相応しいと考えていたからだ。

 それだけの事をこの妖怪とも生物とも判別付かない女はやらかしてくれたのだ。

 

 アリスに言わせれば、妥当もいいところ。

 

 流石の蓬莱人も魂魄を散り散りにされては形を暫くは保てなくなってしまう。いや、それ以前の問題で精魂を薬で傷付け過ぎてしまっている。これ以上の消耗は薬で誤魔化せるとは言えども、是が非でも避けたい。

 

 幸いにも永琳はこの魔法を『知っている』。反発する術式を直ちに展開し、炸裂する消滅の波を片っ端から搔き消し続ける。彼女の情報処理技術を以ってすればこの程度は容易い───。

 

 が、手持ち無沙汰を甘んじるほど、今の霊夢は怠惰ではない。鋭い一閃が永琳を斜めに袈裟懸けし切り離した。

 消滅の渦に割って入るなど、霊夢を除いて実現できる者が果たしていようか。故に、永琳は霊夢の射程範囲に悠々と潜り込まされた。

 

 立ち込める紅い妖力は、かつての色よりドス黒く、なお一層の輝きを増した。これが霊夢の心の奥の感情なのだろう。

 

『毎回とんでもない局面で呼び出してくれる……。今代の巫女は実に面白い奴よ』

「……今回はアンタじゃ駄目みたいね。斬る程度じゃこいつを殺す事はできないわ」

 

「神降ろし──に近い類のモノ。なるほど、地上の巫女もなかなか優秀ですこと」

 

 既に切断面が接着を開始している。紫の隙間を斬り裂き、萃香の夢幻を斬り裂いたこの斬撃でも永琳を殺すには至らない。

 それどころか、斬られながらもアリスの魔法群を捌き切った。まるで最初から全て知っていたかのように……。

 

「……この奇妙な感覚──何か致命的な事を見過ごしているような。そんなはずがない……この魔法が発動したのはこれが初めてのはず。対策のしようなんて、あるはずがない……」

「『チャプター完了』──さて次は……何を試してみましょうか」

 

 霊夢へ牽制の矢を放ちながらあっけらかんと言い放つ。永琳の霊力が一瞬だけ揺らめく。

 

 この時アリスは気が付いた。

 永琳の自分達を見る目。アレは間違いなく観察者の視線だ。まるで自分達をゲージの中で暴れるモルモットと同じように見ているような、そんな屈辱的な視線。霊夢は既にイラついている。

 だがアリスは怒りよりも先に、軽い悪寒を感じた。あの目は何を物語っている?

 

 ……懸念は払拭するに限る。

 

 魔理沙が倒れていた者達を回収したのを見届けて、アリスは下準備を開始する。

 

 アリスが次に展開したのは複雑な紋様が刻まれた大規模魔法陣。そして集約される魔力の量は先ほどと比較にならない。

 大元の供給源である魔導書からチューブのような細い線が伸び出て、アリスの胸や腕に直接魔力を送り込む。考え得る限りでの最大火力で全てを消しとばすつもりだ。

 

 魔術形態としてはマスタースパークに酷似しているものの、構成されている術式はそれより遥かに複雑で高等。

 アリスより前方にある全てを、存在することすら許さない。だがその分、準備にかける時間は長い。そこを狙い目とするのは真っ当な思考だろう。

 

「その魔砲……厄介ねぇ」

 

 瞬時に練り上げた莫大な霊力を矢に纏わせ、術式を穿たんと渾身の一撃を放つ。だがそれは霊夢の剣閃によって八枚に切り開かれた。

 星の瞬きよりも速く動けるようになった今の霊夢なら、妖夢にすらできなかった芸当も可能になる。何にせよ、アリスに手出しは許さない。

 

「随分と強力なモノを降ろしているのね。特定の者にしか力を貸さず、さらには妖力を纏う神……新興宗教の類いかしら?」

『私を侮ってくれるなよ、常世思金神。貴様がどれだけ古かろうと所詮は過去の遺物よ。今を生きる幻想郷の者共に及ばん』

「──……なるほど、一筋縄ではない」

 

 と、辺りの力場が何倍にも大きくなる。

 あまりの魔力濃度にチャージの段階で空間が張り裂けようとしていた。

 これ以上はアリス自身が危険だ。

 

「霊夢ッ、撃つわよ!!」

『さて……できることならこれで消えてくれ、神代の亡霊よ』

 

 霊夢の姿が搔き消えると同時に、放たれた極大の魔法が永琳の視界をあっという間に埋め尽くす。恐らく、この場にいる者たちの行使する術の中で、最も強大な力。

 

 諦めるしかなかった。

 二人は永琳のキャパシティを超えたのだ。

 

 

 だから、()()()()諦めた。

 今は二度目だ。

 

 指を弾くと同時に展開される極小の魔法陣。それはアリスの魔砲に触れた途端にその魔力を悉く食い尽くす。そしてその魔力をそっくりそのままの威力で魔砲へとぶつける。

 

 結果、相殺──とはならない。

 魔砲の激しい衝突によって、アリスと永琳の中間で凄まじい爆発が起きた。

 熱と爆風に彩られ、煙が晴れた先にあったのは、無傷のまま存在する永琳と、喉を焼かれ苦しそうに悶えるアリスの姿だった。

 

「……っ!? ぁ"…!!」

「今のやり取りで私が貴女に優っていたのは大きく三つ。一つは元々の知識量、二つに事前の情報量……三つに詠唱の有無かしらね」

 

 アリスの魔砲が生み出した破壊力はそれこそ賞賛すべきだ。単純な力比べならアリスはこの場の誰よりも強いだろう。

 だがそれではダメなのだ。

 

 全ての魔法には顕現する為の術式が大なり小なり必要になる。つまりそれを解析されては途端に無力になってしまうのだ。

 事実、毎回同じような魔法を使っているように見える魔理沙ですら細部では緻密な術式の改変が行われている。魔法使いの戦いとは単純な魔力比べではない。全てを左右するのは情報である。

 

「あり、えない。…ありえない……!」

 

 だから、魔法使いでは永琳には勝てない。

 未来を体験できるからではない。それは永琳が()()()()()()()()()()()()()()()であるからだ。キャリアが違い過ぎる。

 

 彼女と拮抗できる者が居るとしたら、それは魔術そのものを司る神か、新たを創り出すことのできる創造神くらいなものだろう。

 

「動じればそれで終わり…ハァ……私は、まだ何も感じていないわ……!」

 

 魔導書の輝きがさらに増していく。そして段々と魔術との境界がボヤけていくのだ。

 

 化けの皮が剥がれた、とでも言うのか。

 アリスの姿は、もう先程までのものではない。

 

「アリス、お前……その姿は……」

 

 魔理沙は絶句した。

 そこにあったアリスはかつてのアリスだった。

 

 魔界で戦って、ムキになりながらあの魔導書を持ち出してきたかつての姿。

 霊夢も呆気に取られている。

 

 当の本人は気づいていないようだ。

 

 

「אינסופילאינסופיות──!」

 

「やめなさいアリス、それ以上は戻れなくなる! 引き摺りこまれるわよ!」

 

 霊夢の声にも耳を貸さず、ついには身体が魔導書を取り込んだ。こうなれば術式は全てアリスの意志のあるがままに変質を続けるだろう。

 魔法使いの弱点を根本から潰しにいった。

 

 だが永琳は何か感じる事もなくアリスの終わりを悟っていた。もう、彼女はとっくの昔に詰んでいたのだ。

 

「יליופיותסלאיסופיופיופפיות──……ッッ!? あぐ……が……ぎぁ"!?」

「アリスっ!?」

 

 溢れ出していた魔力が一転して収束を開始する。

 ──否、起こっているのは収束ではなく、濃縮。魔力が身体の中に留まり続けているのだ。それも徐々に汚染され、重度の魔力中毒になっているアリスが『危険』だと認識できる段階にまで、魔導書の魔力が過密している。

 

 簡単な話、乗っ取られたのだ。

 例で言えば紅霧異変でのチルノと霊夢による戦闘の一幕。魔力を乗せたブリザードは、霊夢の結界細工によって奪われている。干渉する能力さえあればそのような事も案外容易い。

 

 今回はまさにそう。

 アリスの魔砲と永琳の魔法。その二つが拮抗した時、術式は確かな繋がりを見せた。永琳が敢えて、そうさせたのだ。

 その決定的な瞬間を永琳が見逃すはずがなく、送り込まれた魔力は魔導書の中で留まり、着実な魔力汚染を引き起こしていた。さらにそれをアリスが直接取り込んでしまったことが決定的なものとなってしまった。

 

 結果、抑え込もうとする魔力と、反発し放出されようとする魔力とで衝突が起こり、アリスは体内から破壊される事となった。

 暴走し迸る力が魔力回路を引き裂き体外へと溢れ出る。蓄えられていた全ての魔力が流れ出るまで地獄は終わらない。

 

 

 そして魔法使いは魔法に溺れた。

 崩れ落ち、魔力溜まりへと沈む。

 

 月の瞬きが更に激しいものへ。

 

「月を止めていた最後の術者はやはり貴女だったのね。……凄腕の魔法使いではあったけど、夢写しの術を使っているようじゃ、高尚な魔女と呼べないわ。年を誤魔化したかった『お嬢さん』」

「アリス、お前……なんで……!?」

 

 魔理沙の問いは答えない。……10年前と全く同じ、年端もいかない少女。壊れた人形のようにアリスはピクリとも動かなかった。

 

 

 これで残ったのは霊夢だけ。厳しい表情で何度も頭を搔き毟る。明らかな憔悴だった。

 博麗の勘が告げるのだ。この化け物をどうにかするような手立ては、もう殆ど残っていないことを。幻想郷の敗北が近づいていることを。

 

 いや、幻想郷は既に負けているのかもしれない。

 紫のいない幻想郷など成り立つはずもなく、自然瓦解する未来図が容易に想像できる。

 アレが失われた影響は途轍もなくデカい。

 

「……紫」

 

 あいつならこの状況で、一体なにをしでかしてくれるのだろうかと考える。

 如何に絶望が蔓延ろうと紫はそれを打開してみせた。八意永琳だって、紫なら……もしかすると、あり得るのかもしれない。

 

 紫は自身が追い込まれた時、何をしてきた? どんな方法で窮地を切り抜けた?

 

 

(………いや、違う)

 

 

 紫が自らの力で窮地から脱する姿なんて、霊夢は一度も見たことがないのだ。いつも何かしら不思議な事が起こって、気付けば場は紫の独壇場。

 そう、こんな時なら───。

 

 ──大抵誰かが助けに来る。

 そして、それは大抵、あの狐だった。

 

「う"ぉあアアァァァアッッ!!」

 

 背後から伸び出た金色の尾が永琳の腹を抉り、そのまま巻き付き拘束。そして一気に距離を詰めると自分の尾ごと永琳を蹴り上げた。

 

 唯一、藍は意識を保っていたのだ。

 

 アリスや咲夜、妖夢の犠牲によって永琳に生まれた新たなる隙。それに付け込むべく、仲間達を犠牲にしながらも虎視眈々と狙っていたのだろう。

 

「……ッ大人しく寝てればいいのに、あのバカ…!」

 

「ハァ…ハァ……! 〜〜〜〜〜ッッ!!」

「呆れた……なんてしぶとさ。蓬莱人でもないのに大したものだわ。───まあ、褒めてはいないんですけど」

 

 藍の能力が発動し、永琳へと影響力を行使する。式神化の応用妖術であり、相手の意識の全てを自分の支配下に置こうとしたのだ。

 思考能力さえ奪ってしまえば如何なる力を持っていようが、完全な無力化を達成できる。……逆に言えば、永琳を倒すにはこれ以外の方法が無い。

 

 全てを賭けた藍による渾身の反撃だった。

 

 だが永琳は容易くそれらを弾き、お返しとばかりに尾へ矢を突き立てる。

 

 途端、夥しい量の血が吐き出された。

 

 




 
長いので区切りました。次話はなるべく早く投稿するウサ。本当ウサよ?
次回か次々回で穢嫌焦はおわり。頼むよ永琳……これ以上暴れないで……。

またアリスの詠唱にはヘブライ語を使用していますが、実際は何か変な言語を話してますのでそこのところご注意。
ちなみにヘブライ語を翻訳してみると「ゆかりん可愛い」とか「魔界神可愛い」とかしか言ってないのでそこのところもご注意。


対永琳相性早見表

霊夢◯
魔理沙×
妖夢×
咲夜×
藍◯
アリス×
幽々子△
レミリア△
ゆかりんー

(勝ち目)ないじゃん……。


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蓬莱山輝夜の永夜異変三分間クッキング(仕込み)

 

 

仮に、である。

 

 大多数と個人、そのどちらかを見捨てねばならない時、人は一般的に後者を選択する。対象者の意思など関係なしに選択は為されるのだ。

 見知らぬ者に意の介在による余地などあるはずも無く、"意思"よりも"数"という選定条件が課される。所謂、功利的、合理的と称される常識思考。

 幸福の最大化とはよく言ったものだ。

 

 だが、個人が知り合い……それも己が愛する程の者であるとするなら、その限りではない。"価値"の介在が生じた時、人は確かな思考能力を故意的に消失させるのだ。愛故に狂ってしまった者など歴史上でも珍しくない。

 途轍もないエゴ。

 

 それらは全て自己愛から転じたものだ。自身の欲が齎す破滅よりもタチが悪い。

 それでも人は、逃れることができない。人を辞めても、何年の月日が経とうと……それは決して変わらずに心を蝕み続ける。

 

 永く生きた者にはそれが分かるのだ。だからなるべく関係を断つべく努力する。てゐも、況してや永琳でさえも、心のバグについては悉く無力で、どうすることもできないのだから。

 

 

 ならば、と。

 愛を受けたからには、それに報いるのが最大の奉公といえよう。

 たとえ相手が望んでいなくても、その人の為になるのなら、どのような道化でも演じてみせる。何を捨てても構わない。

 

 安息と時間……これだけあって、何が必要だと言うのか。立場は違えど想う事は共通していた。地上も月も関係なく、妖怪も蓬莱人も関係なく、"価値"の一致のみが二人の運命を手繰り寄せた。

 

 

 さあ、異変ももう終わりだ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 ポタポタと血が滴り、藍の金色の尾毛を紅く濡らす。永琳が手に感じる生々しい感触は、自分の策略が成った事を暗に示していた。

 

 矢に塗られていたのは従来の通りの毒薬ではなく、藍達が求めていた解毒剤そのものだった。だからといって永琳が藍の治療の為にそれを投薬したというのは、大きな間違いである。

 良薬も過ぎれば毒となり身を滅ぼす。初めから、完全な解毒薬など存在しなかった。

 直接的には毒を打ち消す効果を与えても、毒の強さに比例してそれに伴う影響は劇薬となり、服用者を襲う。

 

 多量の毒を服毒した藍には、間違いなく致死量に届くだろう苦しみを与える筈だ。

 藍を殺せば後に残るのは霊夢のみ。そしてその霊夢の攻略法も既に考えついている。

 

 胸を突き上げるは程良い達成感。それらを満たしていく確かな充足感。そして藍から溢れた小さな呻きに、永琳は自らの選択の成功を予見した。

 

 

 だが、状況は一変する。

 異常にいち早く気が付いたのは、息を飲んで場を見守っていた魔理沙だった。

 何やら不自然だ。

 矢は確かに藍の尾へと突き立てられている。しかし、その付近が黒色の何かに染まっており、そこから血が溢れ出している。

 

 暫くして判った。

 アレは黒に染まっているのではない。ぽっかりと穴が空いており、それが暗闇を湛えているのだ。つまり矢は藍に届いていない。

 やがて全員が気が付いた。

 そして全員が、ほぼ同時に目を見開いた。

 

 生え出たのは一本のしなやかな手腕。矢はそれを貫通し血を滴らせている。

 永琳は思わず一飛びで藍から距離を取る。あり得ないはずの出来事に眉を顰め、油断なく霧散しかけた霊力を再び練り直す。

 

 そんな永琳とは対照的に、腕はしばしの硬直の後、ゆっくりと動き出した。手探りするように虚空を何度か空振るともう一本の腕を引き出して空間の縁へと手を掛ける。

 そして身を乗り出した。

 

「よっこい、しょ…」

 

 悪ふざけのような掛け声を上げながら彼女は現れる。どこまでも美しく、妖しく、激しく静かで……見るもの全ての心を奪う境界の住人。

 いたる所が欠損しており、それを埋め合わせるようにスキマが不気味に蠢き周囲をぐるぐると見回している。

 

 消滅したあの姿とほぼ変わらぬ姿形を見せつけながらも、どこか無機質にも思える微笑みは、見る者に否応なく警戒を抱かせる。

 藍の尾とスキマの境目へ手を掛けもたれかかると、戯けるような声音で言葉を発する。

 

「まったく、随分な仕打ちですこと」

 

 まるで他人事のように。

 そして一瞬だけ顔を顰めると掌を空へと掲げ、愛おしそうに自分の胸元へと運ぶ。

 

「撃つ、斬る、衝く、放つ、殺す……何を取っても私には効きません。しかし、この痛みだけは敢えて残しておく事にしましょう。そうじゃないと、この子達に示しがつきませんわ」

 

 止まらずに流れ続ける血液を宙に散らして深く刻みつける。ここであった事を忘れぬよう、痛みを深く、さらに深くへ───。

 

 永琳は思わず額を抑えた。

 

「……これは、流石に想定外」

 

 苦々しく呟く。

 

 

 音も無く地へ降り立つと、全てを見透かすような淡い桔梗色の瞳で周りを一瞥する。

 

 そして八雲紫が示した感情は怒りでも、憎しみでも、悲しみでもなかった。

 それは喜び。

 仲間達が傷付き倒れていることへ明らかな喜色を表していた。

 

 永琳は勿論、霊夢や藍も困惑した。

 

 

「アンタ、ゆか……違う。擬きの方ね!」

「ハァイ霊夢。かれこれ半年ぶりくらいかしら? 私のレクチャー通り精進しているみたいで何よりよ。魔理沙の方は……迷走してるみたいね?」

「お前っ生きてたのか!?」

「いいえ死にましたわ。……いや、消滅した、の方が正しいのかしら。そこらへん、実際はどうなんでしょうねぇ?」

 

 あっけらかんと言い放つ言葉ではない。だが彼女にとってはその程度のことなのだろう。まるで他人事のようだった。

 

 ふと、レミリアと咲夜を一瞥する。おもむろに頬緩ませると妖力を纏った一薙を放ち、途端に特別な力が二人を包み込む。

 

「まさか貴女ともあろう者がねぇ。本来なら考えられないことだわ。だからこそ、大いに助けとなった。私は貴女達へ最大の賛辞を贈りましょう」

 

 境界操作の能力の一端であることは一目瞭然で、失われていた生命力がこんこんと漲りまるで時を戻すかのように傷が塞がっていく。

 ついには変わらぬ姿へともと通りに。

 治癒能力、というよりは復元能力。医者要らずとも言える出鱈目な力に永琳は厳しい表情を浮かべる。だが、まだ想定内だ。

 

 続いて幽々子と妖夢へと向き直る。

 

「幽々子……いつの世を隔てても貴女は尽くしてくれるのね。貴女のような親友を持つことのできた()()()は、さぞ幸福なことだったでしょう。私からも、貴女達へ最大の感謝を」

 

 先程と同じく淡い力が二人を救う。消滅とともにあやふやになりかけていた存在の境界を定めて幽々子の霧散を防ぎ、尚且つ傷を塞ぐ。

 "境界を操る"とは物事に仕切を付けることや内容の改変だけを指すのではない。あやふやな物を自分の意思のままに定める能力でもある。

 

 次にアリスへ。

 真実か虚像かも分からぬ姿に笑みを深める。

 

「貴女は……ふふ、私から言えることは何もありません。だけど嘘に塗れた姿や力だったとしても、使い方を誤りさえしなければ問題はないのよ。今夜は一時の気の迷い。偽物が蔓延る世界に、貴女の決意は少々酷でしたわね」

 

 あやふやなままでは生きづらいだろう、と。『夢と現の境界』をすり替えることで、人形のように色のないアリスに豊かな色彩が戻っていく。

 アリスを哀れに見た紫からの情けだった。

 

 

「橙。貴女が居なければ私はこうして幻想郷の地を踏むことなく、最悪の未来が訪れていたことでしょう。よくぞ務めを果たしてくれたわ……いつの日も、貴女は八雲の誇りよ」

 

 事実、橙が成した事の大きさは余りあるものである。彼女がこの場に居たから、紫は身体を構成できたのだ。彼女の中に隠された八雲紫のデータを使って。

 後は()()()に迷いの竹林で遺した保険を使えば、こうして春雪異変と同じ状態で再臨することができる。

 何にせよ、橙が居なければ何も始まらなかった。

 

 残るは、弔いの為に全てを投げ打った己が式だった妖獣。紫の為に自身の存在すら否定して力を得──……そして敗れた。

 正確にはいま目の前に居る紫は主人のそれではない。だが

 

「紫、さま……っ、わたし、まだ、許可を……」

「……藍。死ね、なんて命令は下してないわよ?」

「おっしゃる、通りです」

 

 苦しそうに俯く藍を尻目に紫は片手で大きなスキマを展開する。直感的に何か嫌なものを感じた。だが、もはや為すがままに受け入れる。

 

「血肉を構成する全てが不足しているわ。今度こそ貴女の力……いえ、全てを貸して欲しい。貴女は……八雲紫に命を捧げても構わないと、こんな状況でも言い切れる?」

「は、はは……私なんかで、宜しいのですか?」

 

 取るに足らない愚問であることは紫自身が一番よく解っていた。あの八雲藍がこれ以外の答えを持ち得るはずがないのだから。

 藍はいつもこうやって命を掛けて紫を慕い続ける。そして死んでしまう。

 

 もう、そんなのはうんざりだ。

 

「今宵の出来事は全て質の悪い夢幻(ゆめまぼろし)。目を覚ませば何時もの(うつつ)が出迎えてくれる。さあ、ゆっくりおやすみなさい」

「また、あの方とともに……?」

 

 

 ──多分、ね。

 

 

 言葉とは裏腹に紫の笑みは深い。絶対の自信をもたらしてくれる頼もしいものだった。

 そうだ。これが……紫の笑みだ。

 

 安心した。

 この悪夢は所詮は幻なのだと想いながら……消えてしまった主人の事を最後まで案じながら、甘んじて身体を投げ出した。

 

 スキマの中に吸い込まれたのを確認し、紫は入り口を閉じる。これで今宵の罪と過ちは全て赦された。残されたのは償いのみ。

 ありがとう、と何度も頭の中で反芻する。

 

 

「──終わらせましょう。短くも永かった異変の締めを務めさせなきゃね」

 

 

 空洞の先にあるのは虚無を湛える瞳。真の意味で地上と月の賢者が相対した瞬間である。

 

「こんにち……いえ、今はこんばんわ、でしたわね。こんなにも醜い月が幻想郷の美しい夜空を汚しているのですから」

 

 くるくると、扇子で螺旋を描く。月が彼女の背後を彩るが、偽物の月では些か力不足のようだった。紫を引き立てるには弱過ぎる。

 

()()()()()。八雲紫と申しますわ」

「……でしょうね。けど生憎、貴女とは初めましてでもないし、二度と会うつもりもなかったわ。さっきのアレは影武者だったとでも?」

「ふふ、月の頭脳とも謳われし者がそのような考えにしか行き着けないなんてねぇ。永く生き過ぎて頭が劣化しているようですね」

 

 煽っているつもりなのだろうか。

 しかし八雲紫の言う通り、少しだけ思考能力が鈍ってきていることは事実だ。じっくりと目の前の隙間妖怪について考察を深めたいところではあるが、時間と状況がそれを許してくれない。

 

 永琳の最優先事項は八雲紫の抹消。それは依然変わりなく、失敗したのならすぐに修正しなければ。

 もはや霊夢や魔理沙に構っている暇はない。

 

 そしてそれはもう一人の蓬莱人にとっても同じこと。

 永琳とは対照的に、妹紅は獰猛な笑みを浮かべながら嬉々として立ち上がった。

 

「わざわざもう一度出てきてくれるなんてなぁ! そうさ、こんなに簡単にくたばってもらっても困る。お前は是非とも私の手で殺らないと気が済まん!」

「あら貴女も私を?」

「当たり前だッ!」

 

 並び立つ二人の蓬莱人。瞬間、永琳と妹紅の思惑は合致し、成り行きでの協力体制が構築された。互いに互いを良くは思っていない二人ではあるが、共通の敵が居れば話は別。二人の戦闘における柔軟性は非常に高かった。

 しかしそんな永琳と妹紅の鋭利的な殺気もどこ吹く風と、紫は涼しい顔で受け流す。

 

「悪いけど、貴女達の相手をするのは私の役目ではないわね。蓬莱人の相手なんてただの骨折り損ですもの。面倒なことは御免被りますわ」

 

 だから、と薄く微笑む。

 

「相応の相手を用意します。それも貴女達の納得のいく形で」

「……なんですって?」

 

 疑問の声を上げる。しかし、その呟きは八雲紫の変化とともに噤んだ。

 身体を構成していたスキマが次々に縮小し、完全な生身へと修復されているのだ。ただ一箇所、ぽっかりと空いた左目を除いて。

 それに伴い紫の妖力ははっきりと定まったものへ蓄積される。その供給源はというと、迷いの竹林そのものだった。どうやら随分と昔から何らかの策が講じられていたようだ。

 

 そして肉体はほぼ完全なモノヘ。

 あとのピースはひとつだけ。

 

「霊夢、貴女に頼みがあるの」

「……アンタが私に? 悪いけどアンタのことは全然信用できないわ」

「ふふ、それでいいわ。むしろ私を安易に信用するならそれこそ終わりですもの。だけど彼女の危機なら手を貸さないわけにはいかないんじゃないかしら?」

 

 変にぼやかした言い方ではあるが、彼女というのが誰を指しているのかはもう分かっていた。そして、悔しくも紫擬きの言う通りだ。

 

「コンガラも、それでいいわね?」

『アンタに指図を受けるのは気に食わんがな。巫女が望むなら致し方あるまい』

 

 旧知の仲であるような紫の態度にコンガラと呼ばれた陰陽玉の中身がぶつくさに答えた。なおコンガラという名前は霊夢にとって初耳だった。

 

 

「紫をお願いね。あの子は……とても弱いから」

「は? どういうこと……」

 

 疑問は届かなかった。目を閉じると同時に眩い光が紫を包み、今までの存在とは違ったモノへと昇華を遂げる。

 

 綺麗なままの姿は最後に見たあの姿と全く同じで、恐らくその内にある心もまた、同一のものなのだろうと霊夢に確信させた。

 

 そして再度開かれた瞳は周りを右往左往した後、大きく見開かれる。

 

「……えっと、何事かしら?」

 

 紡がれた八雲紫の第一声は、いつものように突拍子がなく、思わず首を傾げたくなるものだった。取り敢えずど突いてやりたくなった。

 だがそれがいつもの八雲紫たる所以なのだろう。

 

 霊夢は小さな溜息を吐いた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 連綿と続いていく記憶の鎖を辿った。私が体験した様々な事が浮かんでは吸収され、私を形作っているような、そんな感じ。

『ドグラ・マグラ』の胎児の夢なんて話があるけど、正しくこんなものなんだろうか。つまり私はいま胎児そのもの…?

 

 時はどんどん加速する。

 辛い日々、悲しい日々、(少しばかりの)楽しい日々……どれもが私を私たらしめる大切な出来事の連続でできた毎日。

 

 紅霧が幻想郷を覆った。

 春が一向に訪れなかった。

 友人が暴れまくった。

 

 そして、今日の異変は──。

 

 ……結局なんの異変だったの?

 何だか急に馬鹿らしくなってきたわね。目的も曖昧なままに勢い余って暴走しちゃった為にこんな目に遭うなんて!

 

 そうよ思い出した!

 最後の記憶は、永琳に変なチート技を使われて奥の手不発。そこから一気に窮地に追い込まれ……そして……今ここに立っている。

 

 見覚えのある和室。死屍累々の惨状。

 血生臭さと魔法の匂いが辺りに充満している。

 

 

 ──……ドウシテコウナッタ?

 

 

「……えっと、何事かしら?」

 

 流石の私もこれには呆気にとられた。だって目を開けたらいきなり状況がガラリと変わってて、尚且つこの惨状ですもの! まーた変な技で時が弄られたというのかしら?

 まず何がどうなったらこんなことになるのか……。皆目見当もつかないわ。

 

 橙にアリス……幽々子やレミリアとその従者たちまで……! 前作ボスが噛ませになったような凄い落胆と絶望を感じるわ!

 てかアリスってば何か縮んでない? いや寧ろこっちの姿の方が私にとっては見慣れているというか……。アリス(魔界のすがた)って事でいい?

 

 いやそもそもね、私は今なにをしていたの? 記憶が曖昧でどうにも状況が掴めない。確か最後に覚えてるのは……藍が私の前に飛び出して、それから……うぅ、思い出せない!

 ホント、唐突に自分の知らない世界に投げ込まれたような、よく分からない感覚ね。

 走馬灯という可能性もなきにしもあらず!

 

 てか手のひら痛ぁ!? ちょっ、変な弓矢がぶっ刺さってるじゃないのよ!? ひぃぃ貫通してるぅぅ!! 血もどんどん流れててこれは……出血多量で死んじゃったりしませんかね…?

 一先ず抜いてみようと頑張ってみたけどビクともしやしねぇ! 一応の気休めでスキマから取り出した包帯を巻いておきましょう! 痛いなぁ……!

 

 取り敢えず流れに身を任せてみようと挙動不審に周りをキョロキョロしていると、突然霊夢が私の肩を小突いた。何時ものジト目で私を見遣る。

 あっ、貴女は無事だったのね! いやホント良かった! 貴女までやられてたらどうしようかと……。

 

 ふふ、霊夢は今日もばっちり可愛いわね! それになんか焔みたいなオーラが出ててすっごくカッコいい! 後で出し方を教えてもらおう。

 

 ……って、あらら? さっきまで一緒だったのに久し振りに会ったような感覚だわ。

 んー?

 

「いつまで寝ぼけてんのよ。ほら、やるわよ異変解決」

「異変解決? ……ああ、そうだったわね。その為にここまで来たんですもの。目的は達成しないといけませんわ」

 

 霊夢のおかげで大元の目的を思い出すことができたわ。そうじゃないと何だってこんな所に居るんだって話よね。

 そう! 邪智暴虐なる竹林の帝王、因幡てゐと極悪月人、八意永琳を倒すのよ! ……ところでさっきから私に殺気を飛ばしてる銀髪×2にどういうリアクションを取ればいいんだろうか。

 今現在で考えられる限り最悪の組み合わせじゃないの。八意永琳だけでも手に余るというのに……!

 

 モンペの変人……確か藤原妹紅だったっけ? アレが敵方なのは何となく分かる。スイスとパナマの国旗を足したようなファッションをしてる方の月人と合わせて奇抜二人組ね。

 アレも敵なのよね?

 

「永琳はいいとして、もう片方はどのように? 敵として扱えばよろしくて?」

「アンタが好きにすればいいわよ。私が残りのヤツを相手してあげるから」

 

 ……んん? 話が噛み合わない……。

 あとついでに赤十字お姉さんから向けられる殺気が一気に膨れ上がった。あっ、これは敵ですわね間違いない。当たり前の事が再確認できた。

 

 ……ま、まあ何でもいいわ。霊夢がここに居るんだから私達に負けはないわ! さあ霊夢、ちゃちゃっと二人を倒しちゃって!

 

 自然な形で後退りしつつ霊夢の背後へ回る。だがその時に気が付いた。

 霊夢の口の端が持ち上がってる。

 

 ……はて? 霊夢ったら、何でそんな楽しそうに笑っているの? こんな事になってるのに……何か良い事でもあったのかしら。

 ま、まあ楽しいなら何よりよ。

 

「ふふ、どうしたの? 霊夢。そんな嬉しそうに笑っちゃって」

「何でもないわよ。さあ、さっさとこの面倒臭い異変を終わらせちゃいましょう」

「え、えぇ……」

 

 非常に頼もしい限りではあるのだが霊夢の言葉から強い違和感を感じたことは言うまでもない。まるで私に戦闘の参加を呼びかけているような……。

 そんな冗談はよして欲しいわね! 幻想郷の頂点に立つ妖怪達を降した(んだと思う)敵に何の助力ができるってのよ! もう貴女だけが頼りよ! 魔理沙はなんか消沈しちゃってるし!

 

 てかなんなのこの構図!? なんで2対2みたいな感じになってるんですかね!?

 いやホント、勘弁ならないかしら。そりゃあ霊夢のベストパートナーは勿論私だけれども、こと戦闘面においては魔理沙にお譲りしてたはずなのに……!

 

 マジでダメよそれは! せっかくなんか命を拾ったっぽいのにぃぃ! 誰かの助けは……そうよ! 藍は何処にいるの!? 助けてぇぇぇ!!

 

 

【今は休ませてあげなさいな。式は酷使してこそだけど、壊れてしまえばそれで終い。超えてはならない領域への線引きはその主人たるものの重要な責務ですわ。そうじゃなくて?】

 

 いやいやそうかもしれないですけどね……! そもそも酷使してるというか藍が酷使されたがってるというか。藍に頼りきりなのは事実だけど……。

 

 ……ってか私の脳内に直接……!?

 ど、どなたですか?

 

【お気になさらず。それに喋るのは今回が初めてのことではないでしょう? ほら春雪異変の時に少しだけ……】

 

 心当たりが無いわけじゃないけど……まさかあの時の雑魚妖怪!? おのれ、よくもおめおめと私の脳内に現れてくれたわね…!

 アンタの所為で酷い目に遭ったんだから!

 

【雑魚妖怪、ねぇ。……まあ否定はできません。貴女とほぼ存在を共にしているようなものですし、残当でしょう】

 

 まーたイミフなこと言ってるわこの人。特に『存在を共にしてる』ってところがなんか気持ち悪い。なんかヌルっとした感触がするわ。もう一人のワタシ……所謂AIBOってこと?

 そういえば声音が私と似ているような……。

 

 まあいいわ。よく分かんないし。

 それで、今回はなんの用なの? 生憎のところ私は今すっごく忙しいのだけれど?

 

【ふふ……放っておいたらまた死んじゃいそうなんですもの。本来ならあの時のように身体を()()()()()()()対処したいところですが、諸事情あって力の行使は最低限に留めたいわ】

 

 なるほど、春雪異変の後の妙に私へのヘイトが高かった幻想郷世論の原因はAIBOの所為だったってわけね。許すまじ……!

 だが今は突然現れたAIBOに構っている暇などない。力を貸してくれないんならさっさと往ねって欲しいんですが……。

 

【邪険に扱わなくてもいいじゃない。貴女はまだ分からないことばかりで、今回の事の重要性に気が付いていない。身に付けた力もこれでは無に等しく、そう、正しく豚に真珠と言ったところかしら】

 

 そこは宝の持ち腐れでいいじゃないの!

 だがAIBO露骨なスルー。

 

【それに、あの程度の火の粉なら貴女でも十分ふり払えるはずですわ。今の貴女は本来の私に程よく近いのだから。楽勝よ楽勝♪】

 

 無理言うなあぁぁぁあ!!

 

 




結局最後は結界組なんだよなぁ

ゆかりん初陣! なお蓬莱人二人相手とかキツすぎやしませんかね……?
次話はほぼ出来てますので早ければ明日にでも……。お待ちくださった読者様には申し訳ない限りです……。

特に言う事は無いけどナイトメアダイアリー(略してメリー)は最高でしたね……。


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蓬莱山輝夜の永夜異変三分間クッキング(完成)*

??「ゆかりんが2体……くるわよメリー!」

???「こねーよ蓮子」




「私の邪魔をするなよ永琳ッ! アイツを仕留めるのは私なんだからなぁッ!」

「始末してくれるならそれで結構。拒む理由なんてないわ。……手出しはしますけど」

 

 藤原妹紅のけたたましい咆哮とともに妖力が爆炎となって立ち昇り、巨大な火柱を作った。

 くぅ熱い……! やっぱり初っ端から飛ばしてくるのね……恐るべし不老不死。

 

 けど気のせいだろうか。前に体験した熱よりかは全然マシなレベルだ。精々サウナに入っているくらいの熱さ。不老不死でも疲れるものなのかしら?

 

【肉体的な損耗も脅威だけど、あの焔で注意しなければならないのはアレに"永遠の力"が付随されていることよ。魂魄を焼き焦がされた者は再生の力を失い精神を大きく傷付けてしまう。まあ今回は私が居るので大した影響にはなりませんが】

 

 説明ありがとう!

 

 強い踏み込みとともに噴き出る熱波が妹紅の背中を押し上げ、凄まじいスピードでこちらに迫ってくる。狙いは完全に私に絞られているみたいだ。

 早速きたわね! 霊夢さんお願いします!

 

 疾駆する霊夢と妹紅。二人の凄まじい霊圧が直線上に交わり───。

 

 

 お互いに華麗なスルー。霊夢の横を素通りした妹紅がどんどん私に近付いている。

 えっ、ちょっ、ま……。

 

「うぉらァァッッ! 死に晒せェ!!」

「う"おぇっ!?」

 

 妹紅の拳が腹に突き刺さるとともに身体の悉くを焔が焼き焦がしていく。熱さ、痛さ、苦しさ……全てが未知数。故に、どれが死因になるのか分からないほどの痛みを覚悟した。

 

 だがその予想は大きく裏切られる。なんと身体の損傷がなんと半殺し程度に済んでいるのだ! いや死ぬ程ツライんだけどね!

 

 この謎の耐久力アップによって、私の中でこの世界は夢である説が浮上した。夢じゃ殺されても中々死なないもんだから、この悪夢はまだまだ続くのだろう。

 身体は……動く……!

 

「やられっぱなしは性に合わないわね。さあ──ぼちぼち反撃に転ずるとしましょうか」

「んな──!?」

 

 某破戒僧の如く大物感たっぷりに反撃を宣言! さあ奥の手……を使うのはまだ早いので、必殺技を繰り出すとしましょう!

 くらえいスキマチョンパ!(目潰しver)

 

 説明しよう! スキマチョンパとは指をなぞる事によって指定した空間を分かち、相手を切断するというエゲツない技なのだ!(当社比)

 妹紅には前回これを腕にしたわけだけど、今回は容赦なく目を狙った。だって不老不死なんでしょう? そんな躊躇してる暇なんてありませんわ。

 

 光を奪われ動揺している今がチャンス! スキマを展開し妹紅を飲み込まんとする。このまま隔離できれば戦いがグッと楽になる!

 が、その考えはスキマ、そして妹紅とともに穿たれた。鋭い一撃が遮蔽物ごと私の胸を抉り、色々なものをぶち撒ける。

 

 ……ふぁ?

 

「げほっ……あの野郎、私ごと、やりやがったな…!」

「あ…これ、やば……」

 

 卒倒しそうなほどにショッキングなその光景に頭が真っ白になる。わ、私の胸が……無くなっちゃった……。凄い喪失感を感じる。

 妹紅の肩越しに矢を放った人物、永琳という名の悪魔の姿が見えた。だが彼女もまた、致命傷を負っていた。霊夢の一振りで首が飛んでいたのだ。

 

 なるほど……私を囮に勝負を一気に決めたのね…! 実に合理的な判断だわ。

 それよりもこれは……もしかして私死んじゃう? 折角拾った命を、ここで散らすとは……む、無念……!

 

【思い込みも大概にしてしっかり状況を把握なさい。あの程度で死ぬような身体ではないわよ、それは。だって八雲の集大成だもの】

 

 煩くどやされたお陰なのか幾分意識がはっきりする。そして言われた通りに傷口を確認してみると……あら不思議! なんかぽっかり穴が空いてるだけで血の一滴すら出ていない!

 そして空洞は何も無かったかのように埋め合わされ、綺麗なままの身体をこれでもかと私自身に見せつける。

 

 ……いやちょっと待って。

 私に何が起こってるのコレ。正直なところ嬉しさとか安心とかよりも、異形の者に成り果ててしまったような不快感を感じる。

 

 まさか、貴女の仕業なの?

 

【あら? 怨まれる覚えは無いわねぇ】

 

 いやいや自分の知らない間に身体を勝手に改造されてさ、怒らない人なんて居ると思う? 河城にとりとかいうメカキチを除いては居ないと断言するわ。

 ちゃんと元に戻るんでしょうね…?

 

【そんなことよりも、"死"程度じゃあの二人には足止めにしかなりませんわ。次なる対策への楔を打ち込みましょう】

 

 話題逸らさないでよ!?

 

 だが確かにグダグダと心の中で喋っているほどの余裕と時間があるわけもなく、妹紅は当然のように再生し、首を飛ばされた永琳も落ちた首を手に掴んで無理やり接着している。

 あっ、そう言えば貴女(永琳)たちって不死だったわね(白目)

 

 なんていうか……化け物ここに極まれりって光景ね。極めてなにか生命に対する冒涜を感じますわ。そしてその一端を自分が担っているという恐怖よ!

 ただこれで霊夢の足手纏いにならなくて済むっていうちょっとした安心感があることも事実。これでようやく霊夢の横に並べたような、そんなちょっとした嬉しさが心の中で芽生えた。

 

 化け物にはなりたく無いけどね!

 

「埒が明かないわ……なんか良い案はないの紫。アンタ賢者なんでしょ?」

「都合のいい時だけ賢者なんて言っちゃって……。そうねぇ……」

 

 なんか良い案はないかしらAIBO! 霊夢にズバッとカッコいい所を見せれるような権謀術数を是非ともカモン!

 

【考えるそぶりくらいは見せて欲しいものですわ。同じ八雲紫として情けない限りよ】

 

 うっさいわ! 貴女に八雲紫の何がわかるっていうのよ。勝手に私面しないで!

 ったく……つまり貴女を頼りにしてもアテにならないって事でいいの?

 

【いえいえ存分に頼って頂戴な。それに蓬莱人なんてわざわざ正攻法で攻略しようとするところから間違ってるのよ。ほら、相手が仕掛けてくるのを待ってなさい。さすれば勝機は自ずと見えてくる】

「そんな無責任な……」

 

「独り言垂れ流してる場合じゃないわよ! 結局どうすんのよ!」

「……彼奴等を攻撃しても意味がない訳だし、取り敢えず手の内を曝け出してもらいましょう。特にえーりん、だったかしら? アレが何を仕掛けてくるのかがまだ予測もできない」

 

 霊夢が気に入らなそうに鼻を鳴らす。ああ、貴女って受け身が嫌いだもんね。気持ちは分かるけどAIBOの指示だから……。

 それにしても待っていれば勝機が見えてくるって……一体どういう事なんでしょ? 今更になって疑問が噴出する。

 

 だがそれらを考えさせてくれる暇を与えてくれるほど連中は優しくない。妹紅の腕が紅蓮に染まり、凄まじい熱波が私たちへと向けられる。さらにその後ろでは新たなる弓矢を何処からか取り出す永琳の姿が確認できた。

 

 くるわね……!

 

「きっちりキメろよ永琳ッ!!」

「……」

 

 爆発的に膨れ上がった妖力が熱線となって放たれる。あまりの高熱度に周りの空間がぐにゃぐにゃにひしゃげ、かなりの熱量が込められている事が見て取れる。まともに当たればこの身体でもどうなるか……。 しかも私たちの後ろには傷付いたみんなが居るから避ける訳にはいかない。

 これも全部織り込み済みってことか。

 

 ……いける、のよね?

 

「霊夢っ! 貴女に合わせるわ!」

「──夢符『二重結界』!」

 

 展開された霊夢の結界を半ば模倣しながらシンクロさせるように結合、そして重ね合わせる。藍と橙の連携を真似た形になる。

 そうね、名付けて『永夜四重大結界』……てな感じでどうかしら?

 

【いいんじゃない? まあどこまで腐っても一応は八雲紫ってことかしらね】

 

 お褒めの言葉ありがとう!

 熱線との衝突とともに強い衝撃が掌を伝い吹っ飛びそうになる。だけどそんなみっともない姿を、霊夢に見せるわけにはいかないわ!

 隣で微動もせず踏ん張っている霊夢を横目に勇気を貰いつつ何とか耐え切る。

 

 ふふ……今もすっごく怖くてキツいのに、なんだか楽しくなってきちゃったわ! だってこれが霊夢と私の初めての共同作業のような気がしてね! ……ハッ、これはもう結婚なのでは!?

 とまあ、AIBOから冷たい視線の様なものを飛ばされた気がするのでしっかりしましょう。何だかんだしてるうちに妹紅の熱線が徐々に収まりつつある。

 つまりこの攻防、私と霊夢の勝利というわけね! うふふ、圧倒的じゃないの我々のチームは! よし、このまま泥沼戦に持ち込んで戦いを有耶無耶にしちゃおうかしら。どうせ決着は付かないんだし。

 

【それもまた一策。しかし貴女が余裕に耽る暇はないわよ。ほら、右方をご覧なさい】

 

 言葉に釣られて思わず右側を見た。そして飛び込んできたのは鋭い矢じりが自分の脇腹に食い込む瞬間。痛みよりも先に目眩がした。

 結界が破壊され──いや違う。結界を跳躍してきたんだわ! だって結界の側面には傷一つ付いてないんですもの!

 

【妹紅の熱線は空間を捻じ曲げる為のモノだったみたいね。つまり本命は八意永琳が放ったこっちの矢じり。これから面白いことになるわよ〜】

「いやふざけ……あわわわ!?」

 

 深く刺さった矢尻から変な力が噴き出す。

 これは恐らく召喚魔法だろう。そして召喚されたのは……数えるのが億劫になるほどの矢、矢、矢! それらが私に突き刺さる度にどんどん新たな矢を召喚していって、これは……!

 

「あばばばばば!!?」

「ちょっ、紫!? これは一体……」

「霊夢っ、それは互乗召喚魔法だ! 術式の元を断ち切らないと永遠に攻撃が続くぞ!」

 

 助言ありがとう魔理沙! つまり私は独力ではどうしようもない詰みに陥ってしまったわけね! もう身体中ひっちゃかめっちゃかでよく分かんないけど、取り敢えず霊夢助けてぇ!

 

 頼りになる我が愛娘は結界を解放して妹紅の熱線を打ち消すと、身を翻しながら宙を疾駆し焔々と禍々しい力を放出するお祓い棒を振り上げる。見るからに悪人の様相だけどカッコいいから問題なしね!

 だがその進撃は妹紅によって遮られ、背中の炎翼の羽ばたきと共に大量の羽根弾幕がスコールの様に降り注ぐ。霊夢には勿論当たらないけど、その背後には私と皆が居る。よって、またもや足を止めざるを得なくなってしまったようだ。

 どこまでも嫌な戦い方だわ!

 

【だけど理に適っている。それにこのままでは八意永琳の思う壺……私たちどころか霊夢も危ないわ。……均衡も時間の問題ね】

 

 霊夢が負けるっていうの!? 見たところ好調をキープしている霊夢がまさか……と言いたいけど、あの二人からは何とも言えない凄みがある。確かにAIBOの言う通り、万が一があるやもしれない。

 てかそもそも私が現在進行形でボコボコにされてるんですけどね! もうハリネズミより酷いことになってるわよ。なんか痛覚が麻痺してしまったのか何も感じないのが幸いだけど。

 

【……仕方ないわね。あまり多用したくはなかったんだけど、また少しだけ身体を借りるわよ。この状況を一気に打開する】

 

 貸すも何も私にゃどうにもできないわよ!

 そんな私の心の叫びを無視するかのように身体の中枢から末端への感覚と支配が失われ、視界が何故か後ろに退がる。まるでテレビ画面越しに目の前の光景を見ているかのようだった。

 ……この感覚、なんだか覚えがあるわ。

 

 恐らくは共有されている視界。つまり、自ずともう一人の私が注目している場所は私にも見当がつく。視線は永琳の全体から、僅かな眼球の動きまで精密に捉えている。

 何が狙いなの……?

 

 

「……、」

「……ここね」

 

 八意永琳ともう一人の私の動きは完全に一致していた。僅かに指で空をなぞるだけ。

 たったそれだけで場の状況が完全に揺れ動いた。そしてその結果が私にとって優位に働くものであることも明らかだった。

 

 眉間に皺を寄せながら永琳が唸る。

 

「読まれて、いたのね」

「大掛かりなトラップでしたわね。そしてそれは私たちにとって致命傷になり得る脅威だった。……まあ、霊夢への対応なんて限られてきますし、想定は比較的容易でしたわ」

 

 怪訝な様子で此方を見遣る霊夢。痛恨の痛手に今までの平静を崩していく永琳。そして、この場から完全に消え失せてしまった妹紅。

 

 えっと……説明よろしくて?

 

【自分の頭の中を探ってみなさい。そうすれば私の思考に辿り着くはずよ】

 

 なんか多重人格とか精神分裂とか、もうそんな域ね……。だがさとりごっこができるなら、この好機に甘んじるとしましょう!

 本当に読んじゃっていいのね?

 

【見られて嫌なものは既に隠してあるから大丈夫よ。それに私だって貴女の心の中を隅々まで把握してるわけだから、まあおあいこね】

 

 いや、どこがよ(絶望)

 

 だが迸る情報は私に沢山の事を教えてくれる。なんか難しい根拠とかをペラペラ説明したものもあったけど、あんまり考えると頭が痛くなりそうなので省略! それにしてももう一人の私ったらめちゃくちゃ頭いいのね……!

 

 簡単なようで複雑なトリックだ。

 そもそも、この部屋の中で戦うことは、即ち永琳の体内で戦っているのと同義だった。地上の密室と例えるその空間は、そもそもの空間に宙を無理に介在させた閉鎖空間。本来ならば侵入を不可能にする効果も持ち合わせる永琳が得意とする術のようだ。

 誤算は妹紅がその空間の境目を破壊したこと。"永遠"の性質を持つ者ならば地上の密室を開け放つ事が可能なのである。そのあたり、妹紅を連れてくる決断を下した霊夢の勘は凄まじいわ。

 

 そういえば霊夢も妹紅も、況してや私が眼を覚ます前にレミリア達も暴れまくってた筈なのに部屋が殆ど壊れてないのもよくよく考えればおかしい話だったわね。

 

 だが結果的にはそれが永琳にとって良い方向に働いた。簡単な話、その密室を放棄して自分以外をその空間に留まらせればいいのだ。それは即ち、宇宙への放逐となんら変わりはしない。

 いくら無敵の夢想天生だとしても帰還方法がないんじゃ『考えることを止めた』状態になりかねない。つまり霊夢の倒し方のお手本そのものだったわけね。八意永琳、恐ろしや……!

 

 だがその策はもう一人の私に看破され、変な能力をちょちょいと行使して妹紅以外の全員を一気に幻想郷へと引き戻したのだとか。

 私の言ってる事の意味が分かってる? 私はね、正直全然分かんない。一番間近で見てるからこそ分からない部分が多々あるのよ!

 

 ひとまず身体中に刺さりまくった矢を内部に展開したスキマへと飲み込んで、霊夢と合流し永琳と向かい合う。数の面では有利になったが……。

 

「ねぇ紫……じゃないわね。今度は擬きか。アンタら今日はやけにコロコロ変わるのね。まあ区別が分かり易くて助かるわ」

「今夜限りの大判振る舞いですわ。……それよりも、妹紅の方は私に任せて貴女は永琳を相手なさい。そうねぇ、前みたいに無理に勝たなくていい、しっかりと貴女の力を見せつけるのよ」

「また訳の分かんないことを……」

 

 次に私の口が八意永琳へと言い放つ。色々と複雑な構図をその頭で思い描きながら。

 

「貴女が体内に仕込んでいるその便()()()()。それを使って今にでも失敗をやり直したいと思っているでしょう?」

「……どこまで貴女は」

「ふふ、月の頭脳ともあろう者が気付かないわけがない。もしも安易な考えに走っていたなら、貴女はもはや独力では取り返しのつかない域まで至っていたわよ。今よりも酷い、永遠の牢獄に閉ざされるという結果にね」

 

 唖然としたのは永琳だけではない。この私自身もこの口から放たれた言葉の意味と、脳裏に浮かぶ計画に呆気にとられてしまった。

 時間に境目を作り出して時の流れを固定させ、延々とループするだけの時間軸を新たに創り出すって……言いたい事が分かるような分からないような、そしてやっぱり分からない!

 

 これほどの次元の話には一生無縁なものだと思っていたが……境界を操る能力がこんなにも強力だったなんて知らなかったわ。もしかして私って強い?

 

【思い上がるのは危険よ。貴女は間違いなく有象無象の雑魚に過ぎないのだから】

 

 あっ、はい。

 ……くぅ〜…! なんか屈辱……!

 

「幻想郷の恐ろしさはもう嫌という程認識したはず……引き時を誤ると長く尾を引き摺る事になるわ。それは互いに利のない結果ではなくて?」

【後のことは霊夢に任せておけば大丈夫よ。貴女はただ生き残るだけでいい】

 

 ここまで言うといきなり視界が透明感溢れたクリアなものに開かれた。試しに手足を軽く動かしてみたが、いつも通り何の不自由もなく動く。私に身体が戻ってきたのだろう。

 こういうのをなんて言うか分かる? あのね、丸投げって言うんだよチクショウ!

 

 心の中で問い質してみたが返事はない。あれ、もしかして逃げてない? 大丈夫?

 

「今度はいつもの紫……でいいのよね? いい加減面倒臭いからどっちかに統一してくれない? ……できればアンタの方で」

「この件が終わり次第あっちに掛け合ってみるわ。私も初めてのことでねぇ」

 

 曖昧に言葉を返しながらポツンと独り佇む永琳を見遣る。無表情なのは当初と変わりないんだけど、鋭い視線に混じって確かな疲れが見え隠れする。

 明らかに消耗しているようだ。最初に相対した時に感じた絶対感が薄れているように思える。

 

「薬は使えない……助けも見込めない。そして状況は最悪、と。──だけどまだ退く時ではない……。まだ僅かにでも可能性があるなら、諦めるわけにはいかないもの。輝夜には、決して───!」

 

「そんなこと知るもんか! 私は異変を解決するだけよ。そしてアンタにツケを払わせる! 私の安眠を妨害したそのツケをね!」

「動機は兎も角、心意気は素晴らしいわ」

 

 真っ向から二人の霊力がぶつかり合い、しのぎを削る。術の解けた部屋にそれらの余波を耐え切れるほどの耐久力があるはずもなく、ミシミシと音を立てて崩壊しようとしていた。

 

 

 先に動いたのは霊夢。

 まるで霊体のように脚を消失させると強く跳躍し、身に纏っている焔を御幣へと集約して振りかざす。上空からの渾身の一撃を狙っているようだが、普通ならばこんな隙の大きい行動なんて悪手も悪手、今頃弓矢による迎撃で原型を留めてはいられないだろう。つまり霊夢のみに許された最高の一撃ってわけ。

 

 当然、永琳がそれを許すはずがなく、畝る霊力の渦が何重にも構築されて、霊夢を迎え撃たんと無機的、かつ暴力的に牙を剥く。それも直接的なものではなく、綿密に計算され尽くした複雑怪奇な構造で待ち構えている。何かの罠であることは明らかだ。

 

 恐らく、互いに手を尽くした最期の一撃……!

 

 

 

「ぐ、く……!?」

「──間に合った。私の勝ちよ」

 

 宙ぶらりんに縫い止められた霊夢が苦しそうに呻く。霊力の塊が霊夢の至るところに張り付いていて、動きを封じ込めているようだった。

 半透明の輝きは失われており、それは霊夢の無敵タイムが終了していることを示す。つまり、夢想天生、攻略……!?

 

「空なるは虚無。それ即ち存在しない事……だけれども、それを認めては目の前に立つ矛盾を証明できない。ああ、一つ言っておくけど、矛盾とは成り立たない事象のことを言うんじゃない、巧妙に誤魔化された事実のことを言うのよ」

 

 今日一番であろう、桁外れの力が永琳の掌……正しくは弓矢へと集約されている。あ、あんなのまともに食らったらバラバラどころじゃ……!

 そんな事を私が許すはずがないでしょうが!

 

 スキマを開いて即接敵。

 何時ものように境界を分かつ一撃を繰り出そうとした矢先、永琳の背中から放たれた霊力の波動に打ちのめされ、壁に叩きつけられた。

 いったぁ……! い、いつのまにか謎強化も消えてるし、何がどうなってるの!?

 

 永琳は私に見向きもしない。

 

「永遠無限の上に存在する物は無い。矛盾だって、永遠の時と無限の方法が有れば成し得ることができるのです。とは言っても……私が無から時空操作能力を作り出したのではない。私を頼って、力を貸してくれている方が居るから、私は貴女を、貴女達を越えたのよ。ある意味、らしくない力押しなのかしらね…」

 

 息は絶え絶えて、重苦しく沈んだ声音からは疲労困憊ぷりがよく判った。だがそれでも一向に永琳は崩れず寧ろ力が増している。

 もはや狂気以外の何物でもない。

 

 くそぅ…助けに行きたいのに、身体が今になって激痛で動かない……!

 このままじゃ霊夢が……!

 

『奴とお前を隔てているのは単に地力の差よ! そんなものに屈するな霊夢ッ!』

「ふぁ!?」

 

 鼓膜がぶっ壊れたのかしら霊夢から二人分の声が聞こえるわ。幻聴幻覚もう一人の私の出現といい、私も終わりなのかもしれないわね……。

 

『頭を使うな! ありったけの精魂を振り絞れッ! あの程度の者が、お前の輝きに勝ることなど、あるはずがない!!』

「当たり前よ! こんな程度の奴に燻ってて、博麗の巫女が……! 務まるもんかっ!!」

 

 永琳の完全な術に小さな亀裂が入った。やがてそれは蜘蛛の巣状にじわじわと広がっていく。苦虫を噛み潰したような顔で永琳が追加の霊力で抑えにかかったが、それをも薙ぎ払い、拘束を砕きながら飛翔した。

 霊夢が見据えるのは永琳ただ一人。再度お祓い棒を振り上げて展開される結界を貫通しながらひたすら突き進む。纏ったオーラも相成ってまるで赤い弾丸だわ!

 

 当然のように永琳は先程と同じような結界を張ろうと試みていた。

 だが、できなかった。側面から襲いかかる極太レーザーに妨害されたからだ。

 

 虹色の派手なレーザーを放ったのは、もちろんあの自称普通の魔法使い。震える掌で掴まれた八卦炉からは黒い煙が上がっている。

 

 腕を焼かれた永琳は再起を始めていたが、それは私が許さないわ! 永琳の足元にスキマを展開し、膝の中程まで沈んだあたりで切断! 流石に今の私のスキマでは身を切るには及ばず嫌な音を立ててスキマが破損したが、永琳のバランスを大きく崩すことに成功したわ!

 

 間髪入れずにお祓い棒が永琳へと迫り、彼女は片手を伸ばしガードを試みる。だが、霊夢の一撃はそれを易々と突破した!

 

「はぁ、はぁっ! 私には、これくらいしか……! やってくれ霊夢ッ!」

「やりなさい霊夢ッ!!」

 

「そ、んな──人間に、私が──!」

 

 勢いそのままお祓い棒が永琳の脳天へと叩き込まれる。迸る霊夢の力が永琳の身体を粉々に叩いて砕いた。霊力の激しい瞬きとともにそれらは散り散りとなり、完膚なきまでの破壊を齎す。

 

 残ったのは、静寂と私達だけ。

 

 

 ……っやったぁーっ!

 そうよ、私が心配する必要なんてなかった! やっぱりウチの霊夢がナンバーワンなんだから! 見たか聞いたか思い知ったか八意永琳!

 

 

「──もう懲り懲りよ。これが終わったら、しばらくは隠居する事にしましょう……」

 

 そして当然のように復活! 演出的にもしかしたら……って思ってたのにぃぃ! 粉々に砕け散った粒子や煙から復活するって、どうやったら倒せるのよこんな化け物ぉ!

 

 霊夢はまだまだやる気だけど、多分いずれは限界がきてしまう。一応永琳の方も疲労が蓄積されているみたいだけど意志は折れそうに無い。

 

 もう一人の私ー! なんとかしてぇー!

 

 と、示し合わせたように金縛り……! またもや視点が奥の方に引っ込んだ。身体を変わるのは別にいいんだけど合図くらいしてくれないかしら? すっごくビックリするのよねこれ!

 

【──お疲れ様。後は任せてちょうだい。ふふ、私達の勝利は今を以って決定したわ】

 

 ほ、ほんとぉ?(無垢)

 ていうか貴女どこに行ってたのよ。

 

【もう片方の決着ですわ。これから先も藤原妹紅に狙われるのは色々と不都合でしょう? だから私が動けるうちに無力化しておきました。……ああ、あと藍の迎えに行ってきたわ】

 

 そう告げると、私は収納用のスキマを展開して二つの物体を取り出した。そう、件の人物である妹紅と藍である。

 なんで二人ともスキマの中にいたんだろう?

 

 いやそれよりも不可解な事が。意識を失っているであろう二人の表情が変なのだ。

 藍は何故だかとても幸せそうな表情を浮かべているが、一方で妹紅のそれは……なんだこりゃ……。苦悶に満ちていて今も寂寂と涙を流している。時々痙攣してるし……。

 

 絶対二人に変なことしたでしょ!?

 

【貴女が言えた話ではないわねぇ。どちらかと言えば私は貴女の長年のツケを代わりに払ってあげたのよ。感謝してほしいものですわ。……はいこの話はもう終わり】

 

 私の抗議を無理矢理ぶった切ったAIBOは、見せしめのように妹紅をそこらに投げ捨てると、突拍子もなく掌に刺さっている矢を掴み、反しを気にすることなく引き抜いた。痛みは感じないけど見てるだけで痛いわよ!

 無理に引き抜かれた矢じりから大量の血が滴っている。人の身体だからって乱暴に扱わないでよねもう! 痕が残るじゃないのよ!

 

「天稚彦を殺した要因になったのは高皇産霊神に射返された矢だった。それらの神と関係深い貴女が放った矢もまた、同じ力があるのではなくて?」

「……天探女(稀神サグメ)の力も無しに、況してや私を滅ぼすなんて夢物語に過ぎないわ。貴女は私の事を甘く見積もり過ぎて───」

 

「逆よ。貴女を見縊る者なんて世界中探しても何処にも居ない。私だって貴女の存在には何時も手を焼いていたわ。攻略の手立てが無いわけではないけど、現時点での《それ》はもう諦めました」

 

 解せない、といった様子で永琳の双眸が細められる。私もそう思うわ。だってそれなら何故そんなことをわざわざ古事記の一文から引用したのかって話よ。頭の中を覗いても、今度は変な靄みたいなものに包まれて把握できないようになってるし……。

 

 だが、その疑問は隣の部屋から届いた大きな声に掻き消された。

 

「ちょっ、ダメですって姫様! せっかく師匠が抑え込んでるのに───あ!?」

 

 勢いよく開け放たれる襖。新手が来たのかと思って一瞬ヒヤッとしたが、何やら様子がおかしい。新手には違いないのだが、私の危険センサーが全くといっていいほど反応しないのだ。

 しかしだからと言って無視して良い有象無象などではなく、彼女は間違いなくこの場の誰よりも強い存在感を放っている。

 

 真っ直ぐに伸ばされた艶やかな黒髪。あまりの色の深さに、まるで髪が鏡に見えてしまうほど……なんて言うかその、綺麗だわ(小並感)

 洋風な着物を着ているのに、その姿から純然たる和の美を感じさせる。

 そんな美しさを形容する言葉を私は持ち合わせていない。つまり語彙力が崩壊するほど綺麗だってことね……!

 

 

「──永琳。もういい」

「かぐ…姫様っ!? 〜〜ッなんでよりにもよって! こんな時に出てきたのです!」

「ごめんなさい──……寧ろ遅過ぎたくらいだわ。私の迷いが貴女に大きな苦痛を与えてしまった。けどもうこれ以上は……取り返しがつかなくなってしまう」

 

 この時、私の口が大きく歪んだ。

 恐らくこれは愉悦の笑み。自分の策が為った事への強い優越感と達成感だろう。

 もう一人の私の表情、永琳の表情……そして輝夜と呼ばれた完全にお伽話のあの人の登場に、私は何故だか異変の終結を予見した。

 

 つつつ…と、矢じりの先がゆっくり永琳から移動し、いと美しき珠のかぐや姫へと向けられる。肝心のかぐや姫が微動だにせず余裕さえ見せている一方で、付き人的な間柄なのだろう永琳は今日一番の焦りを見せていた。

 

 嬉々として口を開く。

 

「貴女の起こした異変は誰を守る為のモノだったのかしらね? そこの非力なお姫様? それとも月から逃亡した玉兎? ……いいえ、貪欲な貴女のことだから全てを望んでいたのでしょう。しかし、それらを実現できる能力を有していたのが運の尽きよ」

 

 神殺しの矢に纏う特殊な妖力。スキマの力が付与された今なら、あのかぐや姫が何処へ逃げようと矢は追尾し続けるだろう。つくづく私の能力のポテンシャルの高さに感嘆するばかりである。

 奇しくも、まるで私を追い詰めたあの時の展開をそのままひっくり返したような状況ね。辛かったわよ、アレは!

 

「貴女と私の弱点は共通している。何に変えても護らなければならない存在がいる事……それが繋がりの齎す最悪のデメリット。しかし貴女はこの"幻想郷に住まう者達(八雲紫にとっての大切な存在)"を殺す事なんてできない。八雲紫と、博麗霊夢の目が黒いうちはね」

 

 お、おおう……意外と良いこと言うじゃない。まあ、まさにその通りですわ!

 それにひきかえ、と続ける。

 

「貴女には大切な者を護る事ができない。何故なら"私"が居るから。何処へ逃げようと、如何様な手を使おうとも、最期まで追い詰めて……いずれは死に至らせてみせましょう。──このように、蓬莱人の扱いは心得ているものでして」

 

 倒れている妹紅へと目配せした。それに対してかぐや姫の目はまるで脆弱な者を哀れむかのようなものだった。同情かしら?

 そりゃそうでしょうね……殺されかけた私でも彼女には同情してるんですもの。

 

「そこの姫様の場合はこんなものじゃ済まないわよ。だって元月人ですもの。取るに足らない脆弱な存在でも念入りにやらせていただきますわ。そうねぇ……」

 

 私の口元が歪む。コレが自分の顔なのかと思うほどに、いやーな笑みを浮かべた。そして次の発言が場の空気を完全に凍らせた。

 

「彼女の頭から皮を剥ぎとり、足からは一寸刻みに肉を削ぎ、長い時間をかけて私の気が続く限り死に至らせる。そして陵辱の限りを人目にさらし、苦と惨と悲をからめて地獄の深奥へと突き落とす」

「……ッ!!」

 

 私ですらドン引きである。ほら霊夢からの視線が凄いことになってんじゃないの! 魔理沙に至ってはまるで化け物を見るかのような目つきである。

 ああ、そういえば化け物だったね(白目)

 

 バキッと、何かが壊れる音がする。その正体は八意永琳の掴んでいた弓矢の折れる音だったようだ。あ、握力強いのね……。

 ていうかキレてるキレてる! あの美白の鉄仮面だった表情がこれでもかと歪み、額に何本も青筋が浮かび上がっている。睨まれてるだけで寿命がゴリゴリ削れていますわ!

 

「貴女ならともかく、彼女なら抵抗なんて気にせず好きにする事が出来るでしょうね。そこらの妖怪となんら変わりのない、彼女なら」

「私に……どうしろと……!」

「諦めなさい。なればウサギ一匹の命も取ることなく、この件は"一応"の終わりになりますわ。それに、月の都によるこの世界への侵攻ルートは既に悉く潰していることですし、当初の貴女達の目的は既に形骸化しているようなものです」

 

『諦めろ』──この言葉には様々な意味が込められていた。異変の達成、幻想郷への勝利、私の殺害、練られていた策謀、今後の進退──その全てを。

 勿論、あの八意永琳がそんな無条件降伏に簡単に応じるはずもなく、腹ただしげに口調を強める。恐らく保身の為ではなく、大切な人を守る為に。

 

「諦めた先にあるものを知らずして認める気には到底なれないわ。それに、どのみち貴女を殺さない限り、私達に先など──!」

「もう止めて、永琳。私はもう……これ以上壊れていく姿を見たくないの。貴女も、イナバ達も……そして妹紅も。……もう沢山でしょう?」

「──っ……姫、様……! だけど要求を飲んでしまえば、貴女が……」

「大丈夫。私に考えがあるわ」

 

 弾けんばかりに溢れていた暴力的な霊力がどんどんなりを潜めていく。そして挙句には力無く項垂れるだけになってしまった。

 永劫不壊と思われた八意永琳の牙城とは、ここまで脆いものだったの……?

 いや、永琳が脆いからじゃない。あのかぐや姫の言葉が永琳の戦闘意思をへし折ってしまったんだわ。それほどまでに、彼女の存在は永琳にとって絶対的なものなのだろう。

 

 ……弱点、か。

 

 

「ここに宣言しましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()蓬莱山輝夜は、今この時を以って幻想郷に無条件の降伏を申し入れる。……これでいいのかしら? 腹黒さん」

「──ええ十分。これ以上の恨み言は無しにしましょうね。……()()()()

 

 戦域の規模、動員された戦力、被られた被害──どれを取ってしても過去最悪に位置するだろう今回の異変は、私の口から紡がれた私の意思無き言葉によって呆気なく終結した。

 

 怪訝な表情で疑う霊夢もいれば、実感が湧かずにへたり込むままの魔理沙もいる。納得のいかない様子で永琳とかぐや姫に泣きながら何かを訴える兎に、昏倒したままの敵味方の面々。

 

 ……散々だわ。

 

【けど最悪ではない。それで良いのではなくて?】

 

 いつのまにか奥に引っ込んでいるもう一人の私がわざとらしく問いかける。

 簡単な答えなんてわざわざ用意する気にもならないわ。そもそも貴女は回答を用意しているだけで、それに至る問題を一切とも私に提示していない。

 

 私は見逃さなかった。

 かぐや姫の口の端が僅かにつり上がっているのは、絶対に見間違いなんかじゃなかった。そしてあの笑みは、私が先程まで浮かべていたモノと全く同じ部類のモノだった。

 とても嫌な笑み。

 

 今回の異変の勝者は、多分私でも永琳でもないわ。私達ではない、他の誰かさんの一人勝ちだ。なんて不毛な争いなんだろうか。

 

 

 と、偶然か故意的か、かぐや姫と目が合った。透き通る深遠の鏡に映る私はどのように見えているのかしら。少なくとも敵意ではなかった。

 そして美しくも幼さの残るあどけないウインクの後、背を向けた。

 

 ……ああいうのを魔性の女、とでも言うのかしらね? 悪女って怖いわー! かぐや姫怖いわー! これからはちゃんと幻想郷の戸締りしましょ。

 

 




登場だけで異変を終わらせる姫様こそ異変解決者の鑑ですわ。ゆかりんと霊夢には見習ってほしいものです。

ではいつもので締めましょうか。

リグル…D(B)
ミスティア…C
慧音…B(A−)
てゐ…D−
鈴仙…A

殺意の波動に目覚めた幽々子…S−
サポートレミリア…A +
覚醒藍…S−
グリモアアリス…S−
霊夢コンゴラstyle…S−
ゆかりん…F〜?

永琳…S
輝夜…E
妹紅…A +


ゆかりんに次ぐ2人目の弱体化キャラはぐーや様でした! もちろん理由はあります。蓬莱人三人は中々の重要人物。

永琳の弱点は輝夜の存在、と言う事でしたが、実際のところ正面から戦うとしたらどうやって戦えばいいんですかね…? 多分あのまま紫と戦ってても『負ける』ということは無いと思われ。寧ろ紫不利なまでありますねコレ。


さて、ようやく物語がターニングポイントに差し掛かったような感じです。ここから加速的に進行していくと思われるので……なるべく投稿頻度を上げていけたら、と思っています。
止まるんじゃねえぞ…!


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今昔幻葬狂〜永〜
八雲紫の後悔


敗戦処理って楽しいよね(hoi脳)


 

 

 妹紅が最近おかしい。

 

 今の彼女を例えるなら、まさに茫然自失といった様子で、何にも興味を示さず家の片隅でへたり込んでいる。外出を勧めても飯を作っても反応がないのだ。

 おまけに一睡もしていないようで……もしかしたら私の見てないうちに一度くらい死んでしまっているのかもしれない。

 

 ……正直、こんな妹紅は二度と見たくなかった。まるであの、妹紅と初めて会った時をそのまま繰り返しているようだ。

 これじゃただの廃人だ。

 

 一体何があった? 私が昏睡している間に竹林では何が行われていたのだ? 妹紅を連れてきた永遠亭の兎、鈴仙に尋ねても難しい顔をするだけ。

 だが一言告げられたのは、

 

『八雲紫とはもう関わらせない方がいい』

 

 との事だった。

 ここまでくれば馬鹿でもわかる。妹紅をこんなにしてしまったのは、間違いなく八雲紫のせいだ。よくよく思えば、妹紅が頻りに言っていた『恐ろしい妖怪』とは彼女のことだったんだろう。

 

 妹紅は紫が人間を食ったと言う。

 ならば、紫の『人を食わない』という言葉は虚偽だったのか? 私は……妹紅か紫のどちらかを信じるなら、勿論妹紅の方を信じたい。

 様々な要因があったにしても、私が紫を信じていたのは、人間不喰の誓いがあったことに大きな一因があるのは否定できない。

 だが奴にとって人里とは、人間の養殖場に過ぎなかったのかもしれない。阿求の想いをよく知っていながら、それを無碍にして露骨な餌を与え弄んでいたのだとしたら……!

 

 それは紛う事なき裏切りだ。

 奴や幻想郷そのものへの信頼の揺らぎに直結する。それだけ、私は許せないのだ。

 

 

「なあ妹紅。いい加減なんでもいいから口に入れよう。……どうせ死なないんだ、我慢したって苦しいだけだろう」

「……」

 

 今日も相変わらずうんともすんとも言ってくれない。深い隈と闇を湛えた瞳で私の方を一瞥するだけ。そしてまた虚空へと視線を戻す。

 精魂を悉く摩耗しているのか……。

 こんなの、意味のない生き地獄じゃないか。

 

 私じゃ、妹紅を動かすことはできない……?

 

「……輝夜を連れてくれば、何時ものお前に戻ってくれるか? もしそうなら……私が何としても輝夜をここまで連れてこよう。永琳が止めようが、紫に目を付けられようが、絶対に……!」

 

「──違う。違うよ慧音」

「っ!! 妹紅……やっと、話してくれたな……」

 

 消え入りそうな声だったけど、妹紅は確かに私の名を呼んでくれたんだ! よかった……ようやく事態が良い方向に進んでくれた。今のうちに妹紅を何時もの姿に戻せれれば、御の字だな。

 取り敢えず聞けることを聞いてみようか。

 

「どうしたんだ妹紅……お前らしくもない。お前の身に一体何があったんだ?」

「……今いる場所が解らない。果たして夢なのか現なのか、過去なのか未来なのかも……。何をしても全てが無駄なような気がしてさ、やる気が起きない」

「お前はお前だ。ほら、夢じゃない」

 

 力無い妹紅の手を握る。若干握り返すそぶりを見せたが、やがては動かなくなってしまう。力は失われていないはずなのに……。

 

 ポツリポツリと妹紅は昔話を言い聞かせるように語り始める。そしてそれに合わせて、瞳からは雫が流れ落ちていた。

 

「目を瞑ったらあの時が何度も脳裏をよぎる。最後には記憶通りメリーが喰われて……八雲紫は……あ、あぁ……ッ!!」

「大丈夫か妹紅!?」

「あ、あいつの顔はメリーだった! 変わらない顔で言いやがったんだ……『全部嘘』だって……、触れちゃならなかったんだ……あいつには……!」

 

 震えて、涙して、えずく。胃の中に何も入っていないからだろう、吐瀉物の代わりにどろりとした固形の血塊が吐き出された。

 私は、何も言ってやれなかった。

 

 妹紅に掛けてやる言葉が見つからなかった。

 思わず生唾を飲み込んだ。

 

「慧音……私は、もうダメだ。アレに関わっちまったのが、運の尽きで……もう逃れられん。だがせめて、お前や輝夜だけでも……頼むよ」

「教えてくれ。八雲紫とは、なんだ?」

 

「予想に過ぎないけど……アレは、あの時間は本来起こり得る筈のない出来事だった。逆だったんだよ。八雲紫は……あいつは───」

 

 

 

「──!?」

 

 紡がれた言葉は到底理解できるモノではない。

 だが何故だか納得できたんだ。点在していたピースが一斉に合致を始めるような、確信に似た恐ろしいナニカが、私の感情を支配していた。

 

 そして早急に調べる案件が出来てしまった。

 もはや八雲紫への怒りなど消え失せていた。あるのは謎の焦燥感だけ。

 

 こんなことを理解して、私に何ができるのだろう。……いや、そもそも何かする必要などあるはずが無いのだ。

 だけど、看過できないこの想いは、決してマヤカシなどでは無いんだろう。

 

 

 紫……お前は一体、何をしているんだ? 何を思って今を生きているんだ……?

 誰か、教えてくれ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 誰か私に説明してくれないかしら?

 

 なにがって……この状況ひいては情勢についてよ! 頼れる人は居ないし、AIBOは滅多に話しかけてくれなくなったし……!

 この私一人で幻想郷の運営なんかできるわけがないでしょうが! いい加減にしろ!

 

 はぁ、はぁ……!

 落ち着きましょう。私は冷静沈着な思慮深き賢者。例え心の中でだって騒いだりしない。淑女は狼狽えませんわ。

 

 さて、まずは気持ちの整理という意味も含めて現在の状況について振り返ってみましょう。ていうか今のところそれしかできない。

 

 

 異変後、混乱が収まり次第処分を言い渡すと永琳たちに告げて、傷付いた皆の送還や、幻想郷連合解散式などを行った。途中博麗神社の一画を貸し出す盟約が霊夢に知られてしまって一同ボコられるという不祥事もあったが……ええ、何も問題はないわ(白目)

 

 はぁ……もうね、レミリアとメイドを紅魔館に送り届けた時の連中の殺気よ! フランが止めてくれなきゃパチュリーあたりに消し炭にされてたかもしれないわね。かく言うフランもめちゃくちゃキレかけてだけどさ!

 なんで私が悪いみたいになってるんだろう……AIBOからは『実際貴女が8割悪い』なんて言われるし! 私が何をしましたってのよぅ!

 ちなみにアリスと魔理沙も紅魔館で下ろしたわ。アリスの怪我は特殊らしくてね、パチュリーの手を借りたいんだと。……私的には魔理沙のメンタルケアも必要だと思うのよね。多分。

 

 幽々子と妖夢に関してはロリっ子閻魔の映姫に連絡を入れておいたから、是非曲直庁の職員が治療に当たってくれるだろう。

 本当なら私が彼女たちの看病をしたいという気持ちは勿論ある。だけどいかんせん多忙すぎてね……お見舞いに行った時には沢山差し入れを持って行ってあげる事にしよう。

 

 藍と橙は我が家で療養中。どっちも未だに目を覚まさず死んだように眠っている。

 AIBO曰く、大したことない傷らしいが、アレだけの事があった後ですもの。万が一の光景が何度も頭に浮かんできて、眠たい筈なのに眠れやしない。

 

 オマケにAIBOはそんな私たちを尻目に『眠い』とだけ言って引っ込んじゃったし……はぁ、辛い。一応藍たちが起きた時のためにお粥を用意したけど、冷めちゃってね、それを一人で黙々と処理した私の心境わかります?

 

 

 そして現在、事後処理の為に緊急集会を招集し、てゐ引いては永遠亭という建物に住まっていた者達の処遇が話し合われているのだ。場所は妖怪の山の天魔の屋敷である。

 ちなみにてゐは怪我が酷くてその場には出ることができず、永琳や輝夜(名前まんまだった)はその場に呼ぶのは危険だということで、当事者は私だけの変な会議が始まったのだ。

 

 まあ緊急過ぎたせいで全然集まれてないけどね! 阿求なんて護衛(慧音)なしでバタバタ来てくれてるし、オッキーナに至っては来てすらないわ!

 

 さっきからやんややんやと色んな意見が出されている。例えば地底や外の世界への追放、賢者管理下での幽閉、なんとか頑張って殺してみる……など。

 だがこれらは私が直々に却下させてもらったわ。そりゃね、目を離した隙に何を企まれるか分かったんもんじゃないし、あいつらって死んだら場所を選ばず復活できるから幽閉なんてできないし、まず殺せないし……。

 

 だからといって野放しにできるはずもない。特に幻想郷の最高戦力とも言えるレミリア、幽々子、藍を倒してしまった永琳の処遇が問題なのだ。下手に厳しい処分を下したら再び暴れ出さない保証は一切ないわけですし。

 まあ、そりゃあ奴らの恐ろしさは戦った者にしかわからないでしょうね。

 

 と、場を見かねたのであろう阿求が近付いてくる。今日は慧音が居ないみたいなので、慎重に賢者の合間を縫って。

 

「紫さん、このままじゃ埒が明かないですよ。やはり急ごしらえではなく場を改めた方が良いのではないでしょうか?」

「けどねぇ……あまり永遠亭の連中を放置するわけにはいかないし、だからと言って完璧な措置を取ることは難しい。さてどうしたものか……」

 

「隔離監視で如何でしょう」

 

 混迷していた会議に一石を投じたのは華扇の発言だった。影響力の高い彼女の発言には否応無しに注目が集まる。

 

「永遠亭の主要メンバーである四人を幻想郷の各地に隔離し、我々の息がかかった者、若しくは我々が直々に監視すればいい。大した脅威ではない者はお膝元、特に危険な者は僻地に、という風にね。なんなら私が一人請け負ってもよろしいですが」

「……今までの中ではマシな案、か。して……誰がその厄介者どもを受け入れるのだ? ……我々天狗としてはやぶさかでもないが───」

 

「それには及びませんわ」

 

 悪いけど遮らせてもらうわよ!

 天魔の意見はもっともだろう。しかし仮にてゐや永琳を妖怪の山に配置して天魔と結託でもされたらとっても厄介よ。ていうか色々と詰む。

 妖怪の山に居を構えている華扇も同上。

 

 よって奴らの配置場所は何としても私が決めなければならないわ! もう……オッキーナが居ればもっと楽だったのに……!

 

「四人の軟禁場所は私が指定するわ。やはり月人の扱いは私が一番長けているでしょうし、()()()()()()()()()()()()()()に迷惑をかけるわけにはいかないですもの。そうでしょう?」

 

 なんか一瞬で場が静かになったわね。ていうか敵意を感じるまであるわ。……特に天狗連中の方からひしひしとね!

 なんか変なこと言いましたっけ? ああ、強いて言うなら文があの場には居たけど、アレは野次馬っていうのよねぇ。

 

 あと阿求からの『まーたやりやがったよこいつ』みたいなジト目が痛い! いやホント何が悪かったのか分からないのよぉ!

 

「……貴殿の独壇場では会議の意味がないな。一人で決めたいのならそうされるといい。そんなに我々を巻き込みたくないなら、な」

 

 その言葉を皮切りに天魔を始めとして天狗の皆様がぞろぞろと退出してしまった。また天魔に近しい賢者も続く。

 ええい気難しいわね! 射命丸を見習って……と思ったけどそっちの方が鬱陶しかっわね。

 

 奴らには聞こえない程度に不満を呟いておきましょう。そうじゃないとやってらんないわ。

 

「せっかく主催者の座を譲って華を持たせたのに……どうも鼻っ柱をへし折っちゃった気分ですわ。いやはや、やんぬるかな」

「貴女……やっぱり性格悪いですね……」

「全くもって同意します」

 

 ちょ、こらこらー! やっぱりって何よ!

 穏健派賢者である華扇と阿求からのあまりの言われように流石にムッとなったわ!

 

 はぁ……それにしても五賢者のうち三席が簡単に欠けてしまうこの不安定さはどうにかならないものかしらね。馬鹿正直に出席を続けてる私がバカみたいよ。

 まあ、これでスムーズに進行することができるし、取り敢えずさっさと会議を終わらせちゃいましょう。家に藍と橙を残したままなのが気になるもの。

 

「それでは私たちだけで次の──」

「まあ待て紫。節目の重要な案件なんだ、全員で臨もうではないか」

 

 背中から部屋中に響く声がする。声の主は勿論オッキーナで、私のバックドアーから颯爽と登場した。普通に玄関から入ってこれないんですかね貴女は。

 まあまあ……いきなりの事でめちゃくちゃビビったのは内緒だけどね!

 

「天魔殿も、この程度で退室されては示しがつかんだろう。他ならぬお前の部下の手で、その惨めで卑賤な本性を幻想郷に晒したくはなかろう?」

 

 流石オッキーナ! 私に言えない事を平然と言ってのけるゥ! そこに痺れもしないし憧れないけどねぇ! いくら天狗の事が嫌いでも建前ってもんがあって……! だけどこういうところが頼もしかったりするのよ……!

 それにこれよこれ。こういうのを本物の煽りっていうんですよ。阿求と華扇は即刻考えを改めるよーに!

 

「遅刻は駄目よ隠岐奈」

「いやすまないな。少しばかり厄介な野暮用を片付けていた。だがこれで、ようやく建設的な話し合いができそうだな?」

「どうかしらね?」

 

 早速場を乱しまくってる件について。

 だが確かにオッキーナが会議に参加してくれるのは凄く嬉しいわ。だってオッキーナは一部例外を除いた殆どのケースで私の味方に回ってくれるから、阿求に並んで信頼ができるのよ。

 今回も自分の顔を立ててもらう事でこれ以上の紛糾をギリギリで回避させてくれた。ホント、できる賢者っていうのはオッキーナの事を言うんでしょう。

 

「まだ重要な話が二つも残っているだろう。……これから先、因幡てゐをどのように扱うか、そして新入りの件、とな」

「ええその通り。……よく知ってたわね」

「私たちの間に隠し事はナシだぞ」

 

 あーはいはいバックドアーね。いつもならプライバシーが何だので愚痴る所ではあるが、AIBOの所為で軽く思えてしまったわ(白目)

 

 そう、全部オッキーナの言う通りである。

 

「新入り……? また貴女は勝手に」

「その辺りは後ほど説明しますわ。まずてゐの処遇についてを確定させましょう。一応、考えている案がございますが……」

 

 てゐは幻想郷の重鎮。故にその管轄も広く、重要なものが多かった。例えば広大な迷いの竹林の管理や、溢れる妖怪兎の統括、細かいところでは幻想郷全体の財政・経済管理なんかも行ってたのよ。

 しかし今回の件で月との癒着に、管理していた迷いの竹林があんな化け物の温床になってた事など、看過できない不祥事が発覚している。

 

 だからそれだけ責任を取らせなければならない。しかし、この幻想郷の支配システム上の問題で、てゐを追放、または処刑するなんて選択肢が取れないのよ。彼女を失う事による影響力があまりにも大き過ぎてね。

 ぶっちゃけ私以外の重鎮四賢者は替えが利かないっていうのは幻想郷運営での大きな欠陥だと思うわ。私? 私は……藍がいればどうにかなるし……。

 

 

 結局、話し合いの結果、てゐの影響力は出来るだけ削いでおこうという事になり、管轄地域を大幅に没収し永遠亭周辺に限定。さらに有限的な賢者職の凍結、という結構重い感じの処罰が下されることとなった。まあ残等かしら。

 

 そして問題となったのが、"誰がてゐの権利を引き継ぐのか"である。まあ正直なところ私は全くと言っていいほど興味ないわ。だけど他の皆にとっては違うみたいで……。

 迷いの竹林なんか手に入れてなんかいい事ある? 頭は痛くなるし迷うし、変な連中はウロついてるしで散々だと思うんだけど。

 

 と、再度阿求が話しかけてくる。

 

「紫さん、不用意に他の賢者……特に天魔に引き継がせると均衡が崩れますよ。やはりここは異変を収めた紫さんが引き継ぐべきでは……」

「正直なところ御免被りますわ。貴女は?」

「言わずもがなです。そもそも人里にはそんな力ありませんし、貴女がやってくれるなら十分に信用できるんですが……」

 

 えぇー? もうこれ以上仕事は増やしたくないのよ! ていうか私の権利も欲しいんなら欲しい人にあげるわ。だから私はなんか大老的ポジションに収まればいいかなーって。

 ちなみに"大老"とは"大いに老けている"という意味ではない! 断じて!

 

 まあ、引き継ぎに関する対策はちゃんと考えてるから大丈夫なんだけどね。

 

「引き継ぎは必要ありません」

「……?」

「ほう」

「は?」

 

 私の言葉にこの場にいる全員が注目してくれた。くぅ〜緊張するわね!

 

「迷いの竹林の管理及び弱小妖怪救済を担当する役職を新たに設けようと思っています。その折、此度の役職は既存の権利を持つ我々のような者ではなく、件の新入りに任せてはいかがでしょう」

「……して、その者にそれに足る資格と能力は有るのですか?」

「それをこれより貴女(華扇)を含めた賢者の皆様方に見定めていただきたい。資格は十分に足ると判断していますが……その者の能力については私を以って不透明でございまして」

 

 ていうか会ったことないです。私が知っているのはそいつの役職と功績、そして名前だけ。しかもそれらは全部今泉影狼とわかさぎ姫からの伝聞のみっていうガバガバ具合よ。

 なんでこんな事になったかと言うと、二人との協定内容に『草の根ネットワークから一人、賢者を選出させる』というものがありまして。

 なんならそいつに面倒臭い案件全部を投げちゃおうと思ったわけ。影狼とわかさぎ姫が言うには相当高尚な妖怪らしいし。

 

 もしそいつがダメだったらオッキーナか華扇にお願いしましょう(無責任)

 事前の打ち合わせでは霧の湖と現在地を繋いだスキマを開けば来てくれるらしい。さてどうなるんでしょうね(無責任)

 

 スキマを開くとほぼ同時で何者かの進入を感じ取った。そして私の目の前に展開したスキマから現れたのは……おっかなびっくりに歩みを進める影狼と、彼女に抱き抱えられたわかさぎ姫だった。

 

 ……??

 

「あっ、いやいや私たちじゃないですから! 私らただの付き添いなので間違えないで! 付き添いは、ふ、二人まで大丈夫なんですよね?」

「やっちゃったわね。やっぱり私が来るには場違いすぎたかしら……?」

 

 こんな場所と状況じゃなかったらずっこけながらツッコんでたところですわ。なんていうか、毎日が楽しそうな二人ですこと。

 

 と、続いて何者かの進入を感じた。これは──?

 

「どうぞリーダー! こちらへ!」

「ふう……何時になってもこういう場には慣れないものですね。それにあの空間も」

 

 現れたのは奇異な妖怪?だった。見すぼらしい格好に、無理矢理貼り付けたように輝く銀髪と一房の紅い髪……メッシュかしら?

 だがそんな風貌のくせして、どこか高貴な雰囲気を醸し出す変な存在。

 何だろう……彼女を構成する全てが絶望的なまでに噛み合っていないような気がするわ。一見して普通じゃないって事が判るわね。

 

 上手く例えられないんだけど、今まで感じてきたモノとはどれ一つ合致しない、新しいタイプの雰囲気、オーラ。

 威圧的なものは微塵にも感じない純粋清廉なオーラ……ではあるけれど、何故だか言いようもない、真に訴えかけえくる気持ち悪さがあるのだ。

 

 ……うん? 何か頭に引っかかる。

 

「私、少し前より草の根ネットワーク代表を務めております()()()()と言う者にございます。高貴な賢者様方には到底及ばない下賤で矮小な妖の身ではありますが、この美しき幻想郷の為、身を粉にして尽くすことのできる機会が生まれたと聞き、馳せ参じた次第でございます。何卒───」

 

 淡々と綴られる言葉はまさにお手本そのもの。だがそれ故に声が頭に入らなくなる。周りを見ると、みんな気にしてない様子で、寧ろ感心しているまである。この違和感を察知したのは、私を含めて数名程度だろう。

 

 稀神、正邪かぁ。 ……やっぱり聞いたことのない名前ですわ。

 だけどあの風貌……確か何処かで見た事あるような……? 最近色んな事があり過ぎて記憶がごちゃごちゃになってるかも。

 

 しかもあの正邪とかいう奴は、全体に行き渡るようにスピーチしている筈なのに、ほぼ正面に位置する私に一度たりとも目を向けてはくれない。

 これは……意図的に無視されてるわね。曲がりなりにも私が推薦したんだけどなぁ。

 

 うーん、自信満々で「新しい賢者? いいわよ!」なんてわかさぎ姫に言っちゃったのを早くも後悔しそうだわ。ヤベェ奴を入れちゃったかもしれない。

 

 

 あれ、私って後悔ばっか?

 

 




ゆかりん色々とツケを払うの回。

いやー正邪か聖者かで迷ったんですけどね、彼女自身はやっぱり正邪なので正邪です。

この章では永夜異変とその後に繋がる話を少しと、第一次月面戦争を掻い摘んでお届け。必然的にゆかりん視点が多くなるから文章の質が下がる(←?)けど、その分早めにお届けできるかも。


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八雲紫の出奔(前)

日常回のようなぶっ込み回。

色々とバラしすぎたかな……?


 

 

「悪いね鈴仙。あんたも怪我してんのにさ」

「一人じゃまともに歩く事も出来ないなんて……そんなんで大丈夫なの? ……地底ってとんでもない場所なんでしょ?」

「なるようになるんじゃないかな。もしダメなら、それは私の幸運が切れたって事。因幡てゐの死と同然だよ。どっちみちさ」

 

 こう強気に言ってみたものの、やっぱり支えがないと立つ事すらままならないのはマズイかもねぇ。鈴仙も呆れたように息を吐いていた。

 だけど生きてただけでも儲けもんだよ。あの半人半霊が放った一撃は限りなく致死性の強いものだった。永琳が処置してくれなかったら、今頃黄泉の世界で彷徨ってただろう。

 

 

 目を覚ましてすぐのことだ。

 唐突に現れた紫は簡単な書状を投げ渡すと、足早にスキマの奥へと消えていった。多くは語らなかったが、あいつの健在ぷりを見て、私の予感が正しかったことがやっとこさ証明できた。

 

 内容は賢者職を奪う旨、永遠亭以外の土地の所有を認めない旨、そして私たちを監視する勢力と場所が書かれていた。しかも丁寧にみんなバラバラで。

 

 まあ上々のデキかな。

 命があって、失ったのは土地だの権力だの、些細なものだけ。そして代わりに得たモノは、限りなく大きいのだから。

 因幡てゐ、傷を負ってますます健在ってところかな。……痛い目にはあんまり会いたくなかったんだけどね。これも必要経費、仕方ないか。

 

 だけど、心配ごとはあるにはある。

 

「……鈴仙は私たちが居なくてちゃんとやっていけるかなぁ。無理だろうなぁ」

「本人の前でわざわざ言う事じゃないでしょうが……! ま、まあ不安がないと言えば嘘になるけど……いざとなれば全員蹴散らしてでも師匠たちと合流すればいいわ! そうでしょ?」

 

 よく言うよ痛みで泣いてたくせに……。

 鈴仙は強い。下手すれば永琳を倒してしまう可能性を秘めているほどに。だけどその代わりと言うべきかメンタルが致命的だ。

 今回の一件で一皮剥けてくれたもんだと思っていたけど、やっぱり鈴仙は鈴仙だ。

 

 ……心配だなぁ。

 

 

 

 紫からの書状を中央に、私を含めた四人が向かい合う何とも奇妙な光景だ。

 鈴仙は不安げな表情、輝夜は朗らかな表情、永琳は意思を介在させない無表情。三者三様だねこりゃ。私は多分笑みを貼り付けてるんだろうけど。

 

「──以上があっちの提示してきた条件。私たちにゃ一切の拒否権もないらしい」

「無条件降伏ですものねぇ」

 

 あっけらかんと輝夜が言い放つが、本来なら簡単に捉えるべき問題ではない。

 下手をすれば、この四人が再び顔を合わせることはないのかもしれないのだから。……永琳と輝夜に限って『あの世で再会』なんて事は絶対に無いしさ。

 

 私は各々に指定された監視場所の詳細を説明する。竹林から出たことのない三人にとっては全てが未知の世界だろう。

 

 鈴仙は冥界。今回の異変にも参加していた西行寺幽々子が鈴仙の監視を引き受けたという。多少なりの因縁もあるだろうに、どういう魂胆かは想定できない。

 

 輝夜は永遠亭にそのまま残っていい、という事になった。恐らくだが、過保護な永琳に配慮しての決定だろう。下手な扱いをすれば永琳の暴走を招く恐れがある……だからこの采配については私も良しと認めるよ。

 あと輝夜には異変中何も手を下していない、という確かな事実があるからね。

 

 私は地底。……何も言うまい。

 一つ言うなら、さとり妖怪は私が最も苦手とする部類の相手だ。正直、こんな事になっていなかったなら是非ともご遠慮させてもらいたいよ。

 

 最後に永琳は……。

 

「……無名の丘は何にも無いところさ。せいぜい鈴蘭が咲き誇ってるくらいかな。んで、監視役の妖怪は……まあただの妖怪ではないよ。オマケに八雲紫はお師匠の事を重点的に睨んでるだろう」

「徹底的に外界との繋がりを断つのが狙いのようね。まったく、厄介な事になったわ」

 

 見事なまでに全員バラバラだ。永琳に関しては多分、無闇に人間や妖怪の居る場所に配置したら調略される恐れがあるからかな。

 個人的には永琳の監視役に抜擢されていたのが()()()()()()だった事が今回一番の驚きだった。人の下に着くどころか、人と馴れ合う事すら良しとしないあの孤高の妖怪が……何故だろうね?

 

 だが逆に考えれば、大抵の強者が永琳に倒されてしまった今、幽香ぐらいしか永琳とまともに張り合える妖怪が居ない、という事でもある。

 そこらへん、紫の気苦労が窺える。

 

 

 永琳と視線が交錯する。

 言いたい事は手に取るように分かった。私とお前が居ながらこんな結果に終わったのは、偶然ではないってことだろう? ……そりゃ、姫さまの行動を咎めたくない故の疑心かい。

 

「……」

「……」

「ほら永琳もてゐも、しばらくの別れなんだから湿っぽい最後はやめましょう。ほら、貴女(鈴仙)からも何か言ってあげなさい」

「い、いや〜えっと……あは、はは」

 

 鈴仙の乾いた笑いはよく響いた。

 

 

 

「それでは姫様、どうかお気を付けて。何かあればすぐにでも監視を振り切って駆けつける次第ですので……どうか」

「もう永琳……危ないのは貴女の方でしょ。私は大丈夫よ。イナバ達はたくさんいますし、困ることなんて何一つないわ」

 

 玄関で姫さまに見送られながら私たち三人は永遠亭を発った。見張りは居ないが、どうやら遠方から直接監視されているようだ。多分、紫か隠岐奈か、天魔配下の犬走椛によるものだろう。

 

 竹林から出てしまえばこの三人もバラバラになってしまう。……渡すとしたら今しかないか。これくらいは許してくれよ紫。

 

「鈴仙。受け取って」

「え? これ……アンタが肌身離さず持ち歩いてるアクセサリーじゃない。ケチなアンタがなんでそんな急に……? なんか気持ち悪いわね」

「この中で一番死んじゃいそうなのって鈴仙じゃん。あっ、あの世に逝くんだから死ぬようなもんかな? まあ何にせよ、これ以上酷い事にはならない事を願って、百パーセント善意の餞別さ」

「びっこを引いてるアンタに言われたくないわ!」

 

 嫌な顔をしつつも、鈴仙はしっかりと受け取ってくれた。これは、そう……気まぐれの老婆心だ。所詮気休め程度にしかならないと思うけど、鈴仙の不幸体質の改善になってくれればいいな。

 

 頼むよ鈴仙。お前は表、私は裏だ。お前にさせたくない仕事は全部私がやってやる。だからお前は私にできない事をさ……頼むよ。

 

 そして……それはアンタもだよ、永琳。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 てゐと一言も喋らずに、紙を投げ渡しただけで帰っちゃったのは流石にいけなかったかな、と……わたし猛省中です。だって永遠亭っていう空間が最早トラウマで……! いつ何処からあの薬師が現れるか分かったもんじゃないわ!

 

 

 その後も色々と面倒な事があったが、なんとかそれらを切り抜け、私は八雲邸に帰還していた。はぁ……家に帰っても気怠さが抜けないわね。

 

 原因はかねてよりの疲労と、てゐと、あの新賢者によるものでしょう。良かれと思ってやった事が更なる懸念材料を生み出す事になるなんてね。

 さらに意外にも稀神正邪の評判は頗る良かった。下っ端賢者を筆頭に、なんとあのオッキーナまでもが正邪を絶賛していたのだ。なんでも「あの類の気質の持ち主は大変面白いことをしでかすものだ。嗚呼、よきかなよきかな」とのことらしい。わけわからん。

 

 結局、正邪の賢者入りは賛成多数で承認された。ちなみに私は面目の関係もあって白紙で投票したわ。つまり無効票ね。

 ああ、そういえば華扇と天魔は結構強めに正邪加入には反対してたっけ。実際には可否のどっちに投票したかは知らないけど。

 

 そうそう、その後に少しだけ正邪と話したんだけどね。なんていうかねぇ……うん、今は敢えて何も言うまい……。

 

 

 けど悪い事ばかりではなかったわ。藍は未だ寝込んでいるんだけど、その一方で毒矢を受けていた橙が快調し、私が家に帰り着いた頃にはドタバタと家の中を駆けずり回っていた。

 ……本当に良かったわ。

 

 病み上がりだっていうのに何時ものように仕事を強請るもんだから久しぶりにお茶を淹れてもらったわ。……あら茶柱。こんな悪い事ばかり起きてるのに……これからいい事でもあるのかしら。

 

 あんな事があった後だからだろう、ニコニコと笑顔を絶やさない橙を見ていると私の気分もいくらか楽になるわ。

 やはり橙のヒーリング効果は侮れないわね……!

 

 さーてと、あらかた仕事も終わったことですし、藍の看病に戻るとしましょう。

 一向に目を覚ましてくれないが、彼女の大好物を鼻の前に吊るしたら起きてくれないかしら? 確か冷蔵庫に油揚げがあったような……。

 

 

 ……ッ。

 

「──橙。少し席を外すから藍の看病を頼んでもいいかしら。もし目を覚ましたら、しばらくは絶対安静にするように、と」

「はい! お任せください!」

 

 橙が寝室に移動するのを見届けた後、さらに念の為トイレに閉じ籠る。これでもしもの事があっても私の痴態を晒さずに済むわ。

 

 さあ、出てらっしゃい!

 

 

【──まったく、できた式神ですこと。私の身としては羨ましい限り。……本当、あの子にはつくづく頭が上がりませんわ】

 

 まったくよ。私には勿体ないわ。

 

 それで、眠り姫はようやくお目覚めかしら? できればあともう少し早く起きてくれればもっと良かったんだけどなー!

 

【ようやくも何も、そもそも異変の時のアレは寝起きだったのよ。二度寝こそ真なる幸福、ではなくて? そもそも貴女は眠くないの?】

 

 今はあんまりね。そもそも私ってそんな長時間寝るタイプでもないですし。社畜の夜は遅く、朝は早いのよ。覚えておきなさい!

 

【睡眠時間はちゃんと取っておかないとお肌が荒れるわよ。……ああ、そういえば貴女は冬眠をしないんでしたわね】

 

 冬眠って、いつぞやの妖夢みたいな事を言うのね。熊じゃないんだから……せいぜい惰眠を貪る程度ですわ。冬はいい季節よ〜。

 だがその意見にAIBOは同意しかねるみたいで、否定の意思みたいな嫌な気持ちを奥底で感じた。まあ貴女って面倒くさがりやみたいですものね。

 

【価値観の相違についてはこのくらいでいいでしょう。……ではそろそろ本題に入りましょうか。私が居ない間にかなり情勢が動いたみたいですし】

 

 そうそう、稀神正邪って奴が賢者入りしたんだけど、どうにも変なモノを感じるのよねぇ。今までの妖怪には無い歪さというか。

 

【……鬼人正邪、ではなく稀神正邪。ふふ、確かに注視するべき人物ではあるわね。そしてその後のあからさまな行為も】

 

 そうそう。アレは酷かったわ。

 説明すると、会議終了とともに正邪が賢者たちに大きな箱を配布し始めたのよね。それでその箱の中には金銀財宝がぎっしり詰まってて、正邪曰く「気持ちばかりの献上品」らしい。

 そして中でも重鎮に配られた箱は他のと比べてあからさまにデカくて、さらに中でも大きかったのが私の箱だった。この件で周りの賢者から若干の反感を持たれたかもしれないわね。

 なお華扇は修行者の身である為、箱の受け取りを固辞していたが、代わりに差し出された菓子の詰め合わせに陥落した。それで良いのか仙人……!

 

【流石、人身掌握に長けているわ。そして貴女の箱の中身……これが問題ね】

 

 ほんそれ。

 ウキウキしながら開けた大箱の中身は空っぽだったのだ! いや、厳密には一切れの紙だけが入っていた。小切手かな?なんて思いながら書かれていた文字を読んでみたのよ。

 

『あの時の礼だ』

 

 この瞬間、私の中での幻想郷的面倒臭いランキングトップ20に正邪は堂々ランクインしたのだった。メンヘラの類かしら?

 心当たりなんて勿論無いわ。

 ……ねぇAIBO? もしかして、もしかすると──貴女の所為だったりするの?

 

【どうかしらね。全てを否定することはできないし、大なり小なり関わっている可能性は大いにある。まあどうせ大元は貴女でしょうけど。──だって貴女、()()()()()()でしょう?】

 

 ひ、人聞きが悪いわね! ただ昔のことがちょっと思い出せなくなるだけで……。記憶力自体はいい線いってると思ってる。

 そもそも私はどっかの誰かさんみたく都合のいい時だけ記憶を消したりなんてできないし!

 

 たく……私が人の恨みを買うようなマネを進んでするわけがないのに、あんまりな仕打ちよ。誤解されてるならなんとかそれを解ければいいんだけど。

 

 

 まあ、今その話は後にしましょう。

 私には正邪の件以上に気になっている事がある。ここまでなあなあで済ませてきたけど、そろそろ答えてもらいましょうか。

 

 私の心に巣食うもう一人の私。

 貴女の正体はこの際不問としましょう。どうせ答えてくれない問いを延々と投げかけ続ける事ほど不毛なものはありません。

 だけど目的だけは答えてもらうわよ。貴女が私に何を求めているのかをね!

 

 ……それくらいもダメなの?

 

【ふむ。私の事を知っても貴女には何の利もないのにねぇ。やはり、好奇心とは抑えつけるべきものでは無いのでしょうね。特に、()()()()()()()()()()()には。つくづく厄介よ】

 

 目の前に広がる謎を放置する事を、良しとする者がいるはずないでしょう! 私が抱いているのはごく当たり前の感情であり、行動力として突き動かしているのは、貴女という謎なのよ!

 行動力とか言っても一歩も動いてないけどね! 自分の心と会話ってなんか疲れるのよちくしょう!

 

 

 すると突然、もう一人の私の声音が神妙なものに変わっていく。まるで大切な話を我が子に言い聞かせる母親のように。

 

【知らない方がいい事なんて此の世にはごまんと溢れているわ。知ろうとしない事こそが勇気、知ろうとする事は罪である。しかし……秘に葬る事もまた、深刻な間違いでしょう】

 

 な、なんか真に迫るものがあるわね。

 

【……私の目的。それは、()()()()()()()()()事。そして究極的には、貴女を陥れる事ですわ。ね? 聞きたくなかったでしょう?】

 

 支離滅裂な発言をいただきました本当にありがとうございます。はいこれでこの話は終わり。

 さーて、今日の晩御飯は何にしようかしら。橙の快調祝いで海鮮でも……。

 

【あら、勘違いしないで欲しいわね。いつも事態を無茶苦茶に引っ掻き回す貴女の邪魔とは、何に直結すると思う? ……ふふ、答えは正しい八雲紫像の構築ですわ。そしてその結果、貴女は幻想郷の更なる深みに嵌ってしまうでしょう。気概、実力共に大きく乖離したこの世界の中枢へと、ね】

 

 なーんでそんな回りくどい話し方ばっかするんですかねぇ!? 幽々子といい貴女といい……そういうのが流行ってるの?

 面倒臭いったらありゃしない!

 

【理由を教えましょうか? それはね、私が嘘をつけないように()()()()()()()()よ。一種の呪いと言ってもいい、強力な縛りですわ。だから言いたくない事を説明する時はこうやってまどろっこしく話すようにしているの】

 

 嘘をつけない……? いやちょっと待って……貴女いま『作られている』って……。

 ちょ、ちょい待ち。

 頭が痛くなってきた。

 

【私は貴女の殆どを知っているわ。成り立ちから思想……そして正体に至るまで。ふふ、何故だか分かる? それはね……『────』」

「ひゃん!?」

 

 思わず声が出てしまった。

 

「ゆかりさまー? どうしましたー?」

「な、何でもないわ」

 

 心の中からいきなり外界、そして私の鼓膜へとか細かな声が囁かれた。誰も居ないはずなのに幽かな息遣いまで感じる程にリアルな息吹だったわ。

 一種の恐怖体験のようなものだけど、私の思考は恐怖よりも先に、困惑と焦る気持ちで彩られていた。一瞬で全てが塗り潰されてしまった。

 

「あ、貴女……いま言ったことは……!?」

【──うふふ…さぷらーいず】

 

 妖しく戯けて笑う彼女は子供っぽい。だけど奥に秘められた目的と思惑は決して生易しいものではないのだろう。

 にわかには信じられない……が、心が繋がっているからかしら、彼女の言葉の全てが真実である事を他でもない私の心が決定づけていた。

 

【これで私の話の信憑性は増したかしら? できればこの事は伝えたくなかったけど、せめて私のお願いを聞いてくれる程度には貴女が私を信じてくれないと話になりません】

 

 ……っ。

 オッケー分かったわ。

 

 それで、私に何をして欲しくてそんな話をしたの? こんなタイミングですもの、何か理由があるのでしょう? ……今なら予言だって信じてあげるわよ。

 

【火種は幻想郷の内外に潜んでいるわ。しかし今差し迫っている脅威は貴女の喉元に突き付けられているようなもの。体制的な崩壊か物理的な崩壊か……どちらかは断定できないけど】

 

 なんか何時ぞやかの滅亡論を思い出すわね……恐怖の大王がなんだのって話。キバヤシ君は元気にしてるんだろうか。

 っと、そんな話はどうでもいいわね。肝心な事を聞かなくては。

 

 ズバリ……私はどうすれば?

 

【それでは貴女に問いましょう。確実に起こるであろう戦争の火種を放置し自らの保身に走るのか、それともそれを回避する為に如何なる手段をも用いる漆黒の覚悟を決めるのか】

 

 愚問ね。仮にも貴女が私なら、どういう決断を下すのかは想定できるでしょうに。

 

 ……指示を仰ぐわ。

 どうすればその未来を防ぐ事ができる?

 

 

 

 ────

 ────────

 ────────────

 

 

 

「霊夢ー? いるー?」

 

「──朝っぱらから五月蝿いわね。どうしたのよ」

 

 寝起きで低血圧だからだろうか、不機嫌そうに襖を開けて顔を覗かせる霊夢。いやー、寝装束の霊夢もやっぱりいいわねぇ。

 そんな私の目線に気付いたのか、「着替える」とだけ言ってピシャリと襖を閉められた。そして20秒後にはいつもの巫女服に着替えた霊夢が現れる。

 

 それじゃ要件を言いましょうか。

 

「しばらく幻想郷を空けるわ。ちょっと外の世界に野暮用があってね、それに少々手間がかかりそうなのよ。まあどれだけ遅くても一年以内には帰ってこようとは思ってるけど」

「……ふーんそう。いってらっしゃい。のたれ死んだらさっさと連絡を寄越してね」

 

 そ、素っ気ないなぁ。

 まあまあ……落ち込んじゃうけど今日は霊夢のデレを期待してたわけじゃない。

 前述の通りしばらくの間、幻想郷から離れる事になった。勿論、あの私とよく話し合った末の結果よ。しかもどうやら、スキマを自由に使える環境ではいられないようなのだ。

 

 私が幻想郷に居ないからといっても大して影響は無いんだけど、藍が満足に動けないこの時に有事があれば……。

 というわけで、霊夢の元にこうして色々な策を思案してやってきたわけよ!

 

「私がこの地を離れているその間、幻想郷で何らかの出来事が必ず起こるでしょう。……魔理沙はあんな調子だし、私はそれらがどうにも心配なの。だから貴女には……」

「監視役を付けるんでしょ? あの時の小傘みたいにね。……これだけやってまだ私のことを信用できないのかしら」

「そんなつもりじゃないんだけど……」

 

 そんな物騒な捉え方しなくてもいいのよ? 私は貴女を監禁するつもりなんてさらさら無いんだから。……異性とのイチャコラは禁止しますけど。霖之助さんは……まあセーフかな。

 

「まあいいでしょう。取り敢えず貴女には指導役とお目付役を付けておきます。二人とも(多分)優秀なので存分に頼ってもらっても構わないわ」

 

 そう、用意した……というより、用意されたのは二人! そのうちの一人はこの子だ!

 スキマを後戸の国に繋げると同時に、勢いよく何者かが飛び出してきた。

 見るからにキジムナーと知り合いみたいな風貌をしている彼女の正体はなんと博麗神社に設置されていた狛犬。正真正銘の神獣ですわ。

 

「いやーようやく話せましたね霊夢さん! 私はこの日を今か今かと待ちわびてましたよー。やっと狛犬としての本懐を果たせて嬉しい限りです」

「えっと……誰だっけこいつ」

「いやだなぁ、狛犬の高麗野ですよー。ちょっと昔にいっぱいお話ししたの忘れちゃったんですかー? ショックだなぁ」

 

 霊夢が困ったように私へと視線を向ける。かく言う私もこの『高麗野あうん』についてはよく分からない。あうんは私の事もよく知っているみたいなんだけど、うーん?

 

 彼女はオッキーナの許しを得てこのように動くようになったらしい。いやーやっぱりバックドアの能力は万能ね。羨ましいわー。

 問題はあうんが見るからに駄犬っぽいオーラを発している事だけど……まあオッキーナのお墨付きだし大丈夫でしょ(適当)

 

 と、連れてきたのはあうんだけではない。彼女は一応の監視役。指導役は他に用意……というよりあっちからの強い要望で配属される事になったのだ。

 いきなりなつき度MAXのあうんに手を余らせている霊夢だが、多分こっちの方が霊夢にとってはキツいんじゃないかしらね(白目)

 

 違う場所と繋げたスキマから現れたのは我らが賢者の一人! 巷では『七つの大罪の大部分を極めし駄仙』と呼ばれし、常識人枠()である彼女だ!

 

「そしてこちらが私が居ない間、貴女の生活指導及び修行監修を担当してくれる茨木華扇よ。なんていうか……ごめんなさいね?」

「初めまして。私の名前は茨木華扇、山の方で仙人をやっている者です。かねてより貴女とは話してみたかったわ。よろしくね」

 

 霊夢は「また面倒臭そうなのが出た」って感じの顔をしてる。残念ながらそれは的中してるわよ……。いやホントごめんなさい。

 

 実は前々から博麗の巫女への指導権を巡って華扇から圧力を受けてたのよね。そう、これこそ賢者内における深刻なパワハラ問題である。

 私と華扇って役職的には同格のような気がしないこともないけど、やっぱり最後にものを言わすのは武力なのだ……!

 いつもはなあなあで流していたが藍が居ない今、彼女からの要求を拒否する事なんてできるはずがない。さらにAIBOからの勧めもあって今回の件に発展したのだ。ごめんね霊夢!

 

「紫から大まかな現状を聞いてはいましたが、やはり堕落しているようですね。これは修行のしがいがありそうです」

「あん? ……修行なんか必要ないわ。来てもらって早々悪いけどお帰り願うわね。あとこの狛犬も連れて帰って」

「私ここの狛犬なんですけど」

「買い換えるわ」

 

 そりゃ霊夢からしたらたまった話じゃないわよね。最近は居着いた萃香の相手にも苦慮してるみたいなのに、こんなクセの強い二人の追加なんて面倒くさがりやの霊夢には悪夢だろう。ちなみに近々近隣に三妖精やらヘンテコ幽霊やらの移住も決まっちゃってるし……妖怪神社としてますます箔が付いてきた。

 ……そういえば萃香が居ないわね? どっかに遊びにでも行ってるんだろうか。

 

 まあいいや。

 二人を紹介したので私はもうお役御免、さっさと次の場所に向かう事にしましょう。時間が押してるからね、急がなきゃ。

 

「それじゃ霊夢。幻想郷を頼むわ」

「ちょっと! こいつらも連れて──!」

 

 がんば霊夢!

 

 

 

 ────

 ────────

 ────────────

 

 

 

「はは、そりゃあいい。これで神社への参拝客はさらに減るかもしれんな」

「代わりに妖怪の訪問が増えそうですけど」

「霊夢にとっちゃ本末転倒だな」

 

 博麗神社の近況を聞いてカラカラ笑う魔理沙に、ちょっとだけ安心した。なんとか心持ちを整えていつもの自分を取り戻す事ができたらしい。

 私が彼女の元を訪れたのはAIBOからの助言によるものがあった。まあただ純粋に心配だったっていうのもあるけどね。だってこの子ったら異変が終わった後もずっと目が死んでたんだもん。

 

 ちなみに、重症だったアリスはパチュリーの指示で魔界の方に秘書補佐の悪魔が連れて行ってるらしい。まあ魔界と言ってもアリスの実家がある首都の方では無く、地方に当たる場所らしいけど。なんだっけ……『エクゾディア』みたいな名前の都市だったと思う。なんか封印されてそう。

 

「それで、なんだってお前がわざわざ私の元に来たんだ? いつもみたいに異変解決の依頼でも持って来たか?」

「そのようなものですわ。……そして貴女にははっきりとした意思表示をしてもらいたい。酷な話かもしれないけど」

「……」

 

 非常に言いにくい……が、延ばしていい問題ではないだろう。私は魔理沙の事を信頼しているからこそ、はっきりとしておきたいのだ。

 前にも言ったでしょう? 戦闘面で霊夢を任せられるのは魔理沙くらいなものだって。

 

 だから……。

 

「今回の異変を体験してもなお、異変解決の英雄として戦う決意はあるかしら? 揺らいでいるのなら……もうこの道の話からは手を引いた方がいいわ」

「やっぱその話か」

 

 いつもの魔理沙なら不機嫌そうに鼻を鳴らすんだろう。だけど今の彼女は弱々しく困ったように淡い笑みを浮かべるだけ。

 クソ雑魚の私が言うのもなんだけど、魔理沙が不味い状態に陥りかけてるのは嫌でも分かる。そもそも魔理沙には異変解決の義務なんてないんだから、潮時というものを知らなきゃならない。

 

「親切なこった……お前みずからな」

「……貴女には感謝しているわ。霊夢の助けとなり、霊夢の一番の友として昨今の幻想郷を支えてくれている。だから、今の状況を私は誰よりも危惧しているのよ」

「誰よりも、か」

「貴女が死ねば霊夢が傷付く」

 

 永琳との戦いの時、何が起こったのかは周りの状況と記憶を鑑みて大体の予測がついた。私の意識が途切れ、みんながやられ、アリスがやられて……もしこの時に魔理沙が殺されていたら、あの霊夢でも自分を御する事はできなかったでしょう。

 二人は親友ですもの。

 

 霊夢と魔理沙の二人異変解決体制は非常に安定していると共に、一度綻びが生じると全てがなし崩しに崩壊してしまう危険性を孕んでいる。

 その一番の原因は、霊夢と魔理沙の実力の乖離にある。私からすれば天上の存在過ぎて大した違いは解らないんだけど、周囲や彼女らの話を聞くにかなりの実力差があるようなのだ。

 

 そしてさらに、私は気付いたのよ。

 永琳戦の時、魔理沙が浮かべていたあの絶望の表情の意味は私が一番理解しているつもりだ。アレは目の前にありながら自分の手が届かない、悔しさともどかしさを含んだ絶望だった。

 

 その絶望は今も魔理沙に深く根付いている。だからこうして私が来たのだ。

 

「私はこれより幻想郷を一時期離れます。その間、一つの異変が起こる事が確定しているわ。ああ、私は微塵にも関わっていないので悪しからず」

「……それで?」

「異変を恐れる気持ちが少しでもあるのなら、貴女は引退よ。実家に帰るもよし、魔法の森に留まるもよし。ただ霊夢とは縁を切ってもらいますわ。脆弱な者との深い繋がりはあの子の枷になりかねない。……だけど────」

 

 ここから本題。

 私だってね、魔理沙ほどの傑物を逃すようなことはしたくないのよ! それに尽きる!

 

「もしやるなら、完膚なきまでにやってやりなさい! そして遅れてやってきた霊夢に向かって言ってやるのよ。『昼寝が過ぎるんじゃないか?』って、いつものふてぶてしい笑みでね」

「……!」

 

 魔理沙が目を見開いた。まるで何か異質で意外なものを見るかのように。

 は、恥ずかしいわね……!

 

 やがて驚きは笑いに変化した。

 

「お前、そんなこと言う奴だったのか。いやー珍しいもんを見せてもらったぜ」

「む……まあ、それだけ貴女を気にかけているという事ですわ。それで、返事は?」

「言うまでもないだろ? 私から異変と霊夢を抜いたら暇で暇で死んじまう。……大丈夫だ、今度こそヘマはしない」

 

 力強い言葉に私は大きく頷いた。

 そう、これでこそ普通じゃない魔法使い霧雨魔理沙よ! やっぱ貴女みたいな元気溌剌系女子は自信に溢れてないとね!

 それに私が貴女を霊夢の親友、そしてライバルとして認めたのはその諦めない気概を買ったからよ。貴女ならいつか霊夢に追いつけるわ!

 

 あっいや……あの子の先に行くのは流石に可哀想かなーって思ったのようん。

 が、頑張れ魔理沙!

 

 

 

 ただ私は、己の思惑から大きく逸れた結果へと進んでいる事に気付かなかった。

 知る由が無かったのだ。

 魔理沙の抱えているモノの危うさと、それに連なる者達の思惑なんて……。

 

 と、保険を掛けておきましょう。

 カウンセリングなんて柄じゃないしね! まあフランの時も然り、それなりの才能はあると思いますけど?(ドヤァ)

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 

「──で、今回の異変の勝者は誰だと思う? 永琳でも紫でも……況してや私でもない事は確かだ。なあ、アンタなら分かるでしょ?」

「……私、とでも言いたげですね。残念ながら勝者は居ませんよ。誰も得をしない形で終わりました。まあ、見越していた通り」

 

 済ましたような言い方にてゐは喉の奥を鳴らした。心内を見透かす第三の目から伝えられたその思いに、さとりは目を細める。

 

 廊下は長い。目的地まで時間はまだある。

 

「その浅はかな考えは捨てるべきだと、そちらの上の者に何故伝えなかったのです? ……そう、貴女は八意永琳を恐れていた事もあるけど、それよりも万が一の可能性に賭けていた。自分の幸運と月の頭脳が合わされば紫さんを殺せるかも……と、らしくもない希望を抱いていた。その結果がこれではね」

「だからアンタとは絶対に会いたくなかったんだ。なあ? ()()()()()()()()

「プレミアものの妖怪ですからね。私に出会えた幸運に感謝することですよ」

 

 てゐの皮肉もさとりにとっては褒め言葉だ。忌々しき肩書きではあるが、その事実が自分の大部分を作り上げているのが事実なのだから。

 

 長い廊下は終わりを告げ、てゐを携え大広間へと入る。先客は既に到着していた。

 中央に設置されたテーブルを挟んで向かい側に二人。そしてこちら側に一人。

 

 テーブルを挟んだ絶対秘神(摩多羅隠岐奈)が笑みを深め、その隣に座っていた珠の月姫(蓬莱山輝夜)が親しげに手を振る。夢の支配者(ドレミー・スイート)もまた然り。

 

 てゐと輝夜はまさに『さっきぶり』である。

 

「やあやあ姫様、壮健そうでなにより。随分あっさりとこっちに来れたもんだ」

「この賢者さんの見張りがザルだったからねぇ。移動も楽だったし、いい人だわ。あら、人? 妖怪? 同類?」

「全部だ。──だがそれにしても、中々のメンツじゃないか。これだけいれば紫の奴も倒せるかもしれんな!」

「ふふ、冗談はそれほどに。……まだ肝心のあの人が来ていない」

 

 一応、『見かけ上』は五人がこの場に居る。肉眼で捉えられない者たちを含めればもう少し増えるだろうか。

 何にせよ、居るのは五人だ。

 

 

 そして今、六人になった。

 

「──やっぱり地獄は暑いわねぇ。地霊殿にはクーラーすら付いていないのかしら?」

「申し訳ないですが、私たちの生きる時代は貴女の頭の中とは違いますから」

 

 期待した通りの返しに満足したのか、愉しげに笑う。扇子を仰いでも熱風では仕方がない、とスキマの中に仕舞った。

 スキマを扱う妖怪は世界広しと言えど……まあそれなりには居るが、オリジナルは八雲紫から始まったものである。だが現れた彼女はおおよその記憶の姿からかけ離れていた。

 いや、逆に懐かしいとまで思う。

 

 ドレミーは八雲紫の意外な選択に驚きを隠さなかった。何しろその身体はドレミーが前々回の異変の折、直々に作ったモノで、とうの昔に廃棄されていると思っていた代物だったからだ。

 

「いくら力の節約とは言えどまさかそれを依り代に選ぶとは……。それほどまでに切羽詰まっている、ということですか」

「恥ずかしながらね」

 

 てゐと変わらない程度の幼い身体を一回転。

『彼女』が霖之助に繕ってもらったドレスを、紫は翻すことで周りに見せつける。まるでそのドレスを自慢するかのように。

 

「積もる話はございますが、まずは挨拶とさせていただきましょう。────()()()()()、八雲紫と申しますわ。以後お見知り置きを」

 

「……正確には違うでしょう? しかし貴女を無理やり八雲紫だと定義付けするなら──正確には、未来の──……いえ、過去の紫さんだと、呼ばせてもらいましょうか。その辺をはっきりさせておかないと意味がない」

 

 さとりの言葉は紫の妖しい笑みをさらに深めさせた。そう、これくらいは分かっていてくれないと話にならない。

 この種族も能力も力もバラバラな六人が居れば、ついに解き明かすことができるのだ。

 

 

 八雲紫という者の全てを。

 

 




渦巻く思惑とゆかりんの行動力が混ざり合って極めておかしい編成になってしまった……! これからもちょいちょい時系列やら視点やらがごちゃごちゃになるかもしれませぬ……!




「ここだけの話、紫さんって地霊殿のことを動物園か何かと勘違いされているようなのです。ドレミーといい因幡てゐといい……次は自分の式神でも送って来るつもりですかね? まあ望むところと言えばそれまでですが(動物好き)
そうそう、一人一種族の妖怪のことですけど、紫さんの他に現在確認されているのは私とレミリアさん、そしてルーミアと幽香さんだけですね。まあ、私とレミリアさんには妹がいるわけですが……アレらを元の種族のまま認識するのは明らかに間違いでしょう。もはや妖怪と言っていいかも分からない存在ですね。

いやぁ、それにしても集まった方々の弄りがいの無いこと。やはり紫さんに味を占めてしまった今、並大抵のことでは満足できそうにありませんね。
……いえ、決して私があの人に依存しているとかそんな話では決して、決してないので変に勘繰るのはやめてください不愉快です」


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八雲紫の出奔(後)

歴史的和解回


 

 

 夢から覚めて一番最初に確かめたのは、これが果たして本当の現なのか、それとも紫様の言う「ひと時の悪い夢」なのか。

 

 夢なら、まだ眠らせて欲しいと願う。だってもう二度と、あんな悪夢は見たくない。

 

 私の疑問に結論付けたのは、息を呑む音とお腹のあたりに感じた感触。そしてじんわりと伝わってくる暖かな気持ちだった。

 

 ああそうか、あの毒を受けてもなんとか助かってくれたのか……。良かった。

 

「藍さま……良かった! 良かった…!」

「ああ、ごめんね橙。心配、かけた?」

 

 ふるふると懸命に首を横に振っているが、それが嘘であることは布団に広がっていくシミを見れば分かる。一体何日眠り続けていたんだろうか。

 ……寝起きだからか、頭が上手く回らない。おまけに身体も満足に動かないときた。

 

 何があったかも朧げだ。

 

「あいつは……異変はどうなった…? 私が寝ている間に何があったんだ……」

「安心してください! もう、全部終わりましたから……異変は解決されました」

 

 酷い安堵感に包まれる。

 そうか……何とかなったのか。

 

 がむしゃらに戦い抜いた。恥も外聞もなく、全てを投げ捨てて得た力を存分に奮って……挙句に負けた。誰も八意永琳には勝てなかった。

 

 結局、全てを終わらせたのは──ッ。

 そうだ。あの方しかいないんだ!

 

「紫様はっ!? 無事なのか!?」

「そ、それが……」

 

 言い澱みながら橙が目線を逸らす。なんで、そんな表情をするんだ橙。紫様の所在を言ってくれるだけで十分なのに、なぜ……。

 

「紫さまは異変が終わった直後まで元気だったんです。だけど、藍さまが起きる少し前に体調が急変して……それで……」

 

 身体中から冷汗が止まらない。あの光景が何度も脳裏でフラッシュバックして、あの時の事実が容赦なく私へ突き立てられる。

 紫様の最期を、私は……確かに見届けてしまった。あの時の紫様の言葉は今も鼓膜に焼き付いている。やめてくれ……この現実が夢の続きだなんて。

 

「どう、なったんだ……?」

「紫さまは────」

 

 

「こっちよ」

 

 聞き慣れた美しい声がする。

 あまりにも近すぎたその声に思わず痛む首を曲げてみると、ちょうど私の横に引かれていた布団に紫様はいた。

 青白い顔で時々えづく様子は病人そのもの。

 

 固まる私に橙が告げる。

 

「紫さまったら体調を崩されたみたいです」

「さっき魔法の森に行ってたんだけど、その時にちょっと瘴気にやられちゃったみたいでね……この通りグロッキーな状態なのよ」

「は、はあ……? 左様ですか」

 

 魔法の森の瘴気は確かに強い。それこそ人間や並みの妖怪では立ち所にして身体の自由と意識を奪われるほどに。

 だが紫様は……。

 

 いや、そうか。確か違うんだったっけ。

 ……分かっていてもなお、慣れないものだ。

 それよりも問題は、隣に紫様が居たというのに気づかない私の落ち度だな。

 

 と、橙が元気いっぱいに跳ね飛んだ。

 

「それじゃあ私はお買い物に行ってきますね! お二人とも安静にしててください!」

「貴女も病み上がりなんだから無茶しちゃダメよ? あと阿求にこの手紙を」

「了解です!」

 

 紫様から書簡を受け取ると同時に、橙は勢いよく駆けて行った。無理するなと言われたばかりだろうに……そんなに嬉しかったのか。

 ……橙が矢に撃たれた時、私はあの子を半ば諦めかけた。情けない事だが、それほどまでにあれは絶望的な状況だったのだ。

 

 けどあの子はこうして元気に走り回って、紫様に、ついでに私も命を繋いでいる。

 あの方には感謝してもしきれない。

 

 

 少しばかりの心地よい沈黙の後、まず静寂を破ったのは私だった。

 

「……異変を解決されたのは()()ですか?」

「うーん、どうなんでしょうね? 大部分は霊夢がやってくれたから()()()がやったことは些少な事に過ぎないわ」

「──……()()()()に助けられたのは多分、これで二度目です。春雪異変の時も、そして今回も……私は貴女様を救うことができなかった」

 

 紫様の双眸が見開かれた。だがやがて気まずそうに下方へと向けられる。

 

「貴女は彼女を知っていたのね。私は──ついこの前よ。何がどうなってるのやら……この右も左も分からない感じは久方ぶりかしら」

「……紫様にも分からない事があるのですね」

「買い被り過ぎよそれは。だけど、そのかつての右往左往はすぐにどうにかなったわ。……貴女に出会えたおかげで、ね」

 

「──それは、()()()ですか?」

「どっち?」

 

 私が大きく変わる節目となった出来事は二回ある。そしてそれは全て紫様と出会えた事によるものだ。一度目も二度目も、私にとってはかけがえのない大切な思い出である。

 

 けど、その二回の紫様は恐らく違う。

 身体や心と言った解り易いモノではなく、もっと目に見えない大切なモノが完全に変質してしまっているのを感じるのだ。

 

 だけど今までの私はそれを認めなかった。

 紫様は紫様だ。

 それに何の違いがあるというのか、と。

 

 

 ……その考えは間違いだった。

 悔しくもそれを認めさせられたのは、あの八意永琳の言葉から。

 

 私は、紫様が変化し、大きく衰えているという事実から目を逸らしていたんだ。

 原因は私の甘えだろう。

 紫様という絶対的な導を失いたくなかった。あの紫様を否定すると、かつての想いも記憶も、幻に消えてしまいそうで。

 

 

 ──だけど、それは違う。

 

「どっち……? どういうことなの?」

「私はあの日から──貴女を護る事を誓いました。例え迷惑で足手まといだと思われようとも、いつかは貴女の隣に立つ従者を夢見て」

 

 それが私の此処に在る理由だ。紫様に出会ってから、私の全ては紫様ありきのモノとして支配されている。その現状に脆弱な私が不満など抱くはずもなく、寧ろ本望なまであった。

 しかしそれ故に数えきれない数の失態を犯した。

 

 さらなる言葉を口にしようとして、胸がズキリと痛む。だけどもそれを振り切って語らなきゃならないのだ。

 じゃないと私は、これ以上紫様と共に居ることができない。

 

「……私が邪魔でしたか? ……私が恐ろしゅうございましたか? いつ牙を剥かれるのかと、気に病まれていたのではないですか? ……私は貴女様のことを、何一つ知ろうとしていなかった」

「……っ」

 

 殆ど変わらない紫様の表情が少しだけ歪んだような気がする。瞳の奥に深い悲しみを湛えるようにして、口を開きかけて、やめた。

 私の次の言葉を待たれている。

 

 不安で胸が締め付けられる。

 私の一言で今までの全てが無に帰してしまいそうで。もう二度と、今までのような関係には戻れない確信があった。

 

 だけど、それでも────!

 

 

「……私は、強い貴女に仕えたのです。断じて、今の弱い貴女に仕えたのではない。私は、貴女を貴女として認識する事ができないかもしれません。既に無きかつての幻影を今も追い続けている」

 

 これが本音だった。

『紫様は絶対の者』だという認識が式や人格の奥底まで刻み込まれている。それは現実を知った上でも上書き出来そうにない。

 私は何に変えてでも八雲紫という存在を守ることを誓った。私が追い求め続けた紫様も、いま目の前に居る紫様も、同じ存在であることは疑いようもない。よって紫様への態度がこの日を境に変わるなどあり得ない。

 

 だから紫様には私の胸中を言っておかなければならないと思った。

 そして選択していただかなくては。

 

「幻滅しましたか? ええ……私は少なくとも、貴女様に抱いている理想と事実の偏差に苦しんでいます。頭の中で何度もこの偏差を正当化しようとしている、そんなどうしようもない式神です。……それでもなお、紫様は私を『八雲藍』だと、呼んでくださいますか?」

「藍……」

 

 脆弱な私は、脆い。自らの心にあるヒビを自覚した途端、今にも砕けようとしている。私はいつもそうだ。昔から何も変わらない。

 

 紫様が受け入れてくれるなら、私は死する時まで変わらず紫様を慕い続けよう。

 紫様が拒絶されるなら、私は喜んで紫様の世界から姿を消そう。じゃないと、自分が何をしでかそうとするのか分かったもんじゃない。

 

 紫様が霊夢や幽々子様を愛する事に一切の不満が無かったのかと聞かれれば、答えは否。これもまた自覚したくなかった事柄の一つではあるのだが、私にも一丁前の嫉妬心があるようなのだ。

 ……私だって出会い方が違えば、彼女らのように紫様と接する運命もあったはず。『八雲藍』の居ない世界だってあるんだろう。

 

 そう。『八雲藍』が居ないと、私は狂ってしまう。紫様に何をしようが、それは本来の私が望むことであって、『八雲藍』の望むことではない。

 少なくとも『私』は貴女の悲しむ顔を見るのは嫌だ。だけどあの時の私は、紫様が望まないことだと解っていながらも、八意永琳との戦闘を望んだ。

 全ての事項が私に優先されるのだ。

 

 そんなこと、『私』がお断りだ。

 

 

 紫様から笑いが溢れた。

 奥ゆかしいその笑顔はとても美しい。その実情を悟らせない能力はやはり私でも遠く及ばない。貴女が弱者だなんて、やはり信じれないのです。

 

「貴女は私を八雲紫と呼ぶのでしょう? なら貴女を藍以外の名前で呼ぶことなんてありえないんじゃないかしら。いつぞやかに言ったわよ? 貴女と私は対等……いえ、対等という飾りの関係だって。だって、私は貴女無しじゃ、何もできないもの」

 

 ……けどそれは私だって同じ。

 私は貴女が居ないと、何もできない。

 

 ……いや、だから対等だと、紫様は仰りたいのだろうか? 私の心情を見透かすような瞳のまま、紫様の言葉は続く。

 

「正直言うと、貴女の事が怖かった。貴女から向けられる感情の全てが私には理解できなかったから。けど今ならはっきり言えるの」

「っ!」

 

 しなやかな紫様の指が私の指と絡み合う。いつもなら私をからかっているんだろうと推測するところだが、今回に限ってはそう言い切れず頭がフラフラする。

 言葉は悪いが、紫様の心を掴んで離さない魅力は、正に魔性の類いと言える。

 

「私は多分、貴女の望む紫にはなれないわ。だけど……もし貴女が許してくれるのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()

「え?」

 

 そして予想外の言葉に思わず息が詰まった。

 そうだ……紫様の言動はいつだって突拍子で、私の理解が及ぶ範疇ではない。だからいつも貴女の底を知る事が出来ないのだ。

 

「貴女が望む姿へ近づく努力をするわ。なんなら貴女が私の全てを操ってくれたって構わない。私は貴女の理想を目指す。……だから──」

 

 指先から伝う震えが私に伝播した。

 綴る言葉がどんどん弱々しく、消え入りそうな程に小さくなっていく。

 並々の想いを湛えた瞳が私に訴えかける。

 

 

「……だから、私を見捨てないで、藍」

 

 

 ガツンと、頭を打つような想いの衝動に心が揺れた。今まで紫様に抱くはずの無かった感情が次から次へと込み上げていく。

 

『見捨てないで』……か。

 

 ──見捨て、られるものか。こんなか弱い主人を、見捨ててたまるものか。

 

 

「……私は……ダメな式神です。主人の望むままに存在しなければならないのに、貴女のせいで力も心も中途半端になってしまいました」

 

 貴女がどうしても望むというならそうしましょう。貴女の言葉は私の意志だ。

 そして対等だと言うのなら──。

 

「だから……紫様からも教えてください。貴女が望む、私が在るべき姿というモノを。我々は一応、対等なのでしょう?」

 

 変な話だ。互いに互いを相手に委ねているのに、対等を強調する関係なんて。

 歪だが……私たちの関係は昔からそうだった。そうなのでしょう? 紫様。

 

 

 

「それで、藍はどんな私を望んでいるの? 貴女の好きな八雲紫を目指して見せるわ」

「す、好き!? いやあの……え、えっと……好き、で形容するのは如何なものかと思いますが……優しくて、笑顔が素敵で、私よりも強い紫様が、その……好きです」

「……ならまずは橙を目指さなきゃならないわね。遠き道のりだわ」

 

 私が告げたのは憧れだった紫様の漠然とした像。だけど今の紫様があの方を目指す必要はないのだ。だって今ある紫様こそが、八雲紫なのだから。

 それでも敢えてお願いさせてもらった。

 貴女と私の約束……式と合わせて二重の縛り。なんて贅沢なのだろうか。誰にも譲れない、存在しない私たちだけの関係。

 

 だから私は、何年でも待ちますよ。紫様。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 速報ォォォッ!!

 

 どうやら私は藍の夢小説の中で、全知全能地上最強の妖怪だということになっていたらしい! いきなり独白された時はあまりの衝撃に頭が真っ白になったわ。ふふ……震えが止まらないわ……!

 まさか藍にそんな一面があったなんてね!

 

 まあ、私って見た目だけならそう見えてもしょうがない部分があるらしいから、もしかすると仕方のない事なのかもしれないわね。さとりからもなんかちょくちょく言われてたし。

 だがまさか藍が……ねぇ? 藍と同じく、私も大きなショックを受けたわ。

 

 しかし逆に言えば、これまで不可解だった藍や橙の忠誠心の謎が解けた。これからは彼女たちと本当の意味で付き合っていけるような気がする!

 まあその為に彼女たちの理想を目指していくことを誓ったんだけどね! さあ明日からトレーニング開始よ! はてさて藍を超える日は何万年後の話になるんでしょうかね!?

 

 ……未来永劫そんな日は来ないと思う(小声)

 一日に三十年の鍛錬という矛盾のみを条件に存在する肉体を手に入れても勝てなさそう。ていうか橙にも勝てる気がしない。

 

 

 

 話題を変えましょう。

 内容は私の中から出て行ってしまったもう一人のワタシについて。

 

   ある日突然心の内から語りかけてきたもう一人の自分が告げる衝撃の真実! なんと『自分は未来のお前』とのこと!

 

 いやーホント字面だけ見たら私の頭が明らかにおかしくなってて、これはそう、キチガイというヤツである。乾いた笑いがこみ上げるわね……。

 

 しかし私はそれを信じるしかないのだ。

 なんでかって? ……それがねぇ、根拠なんて何もないのに心が勝手に決めつけるのよ。もう一人の私が言っていることは信じなきゃいけないって、心が頭に命じるのよ。

 それこそ否定という選択肢を取ろうとする意志すらちっとも湧いてきやしないわ。正直操られてる感があって恐怖を禁じ得ない。

 

 だがやるしかないのだ。

 もう一人の私が告げたのは幻想郷の予言。これから起こるであろう事象を大雑把に教えてくれたんだけど、その内容がどうにも私が日頃危惧している内容と合致するのよね。

 

 例えば妖怪の山の暴走、地底世界からの攻撃などなど……中には博麗神社が倒壊するなんてものもあったわ。勘弁して欲しいです(涙目)

 実はそれに対応する為にあうんと華扇を博麗神社に呼び寄せたっていうのもある。正確には荒ぶるであろう霊夢への仲介役。

 

 それらを未然に防ぐ事ができるのであれば、越したことはない。幻想郷が壊れる前に私が策を講じておくのよ! 外の世界への用事とはこれに起因する。

 

 ……まあ辛いのはこんな事言っても信じてくれる人なんていないだろうってことね。故に私一人での単独行動になったわけだ。

 本当なら藍に付いて来て欲しかったんだけど、あの怪我だもの療養させないと! ついでに互いに色んな真実を知っちゃったんだし、改めて再出発する心の準備をしないといけない。この期間をその為に使って欲しいわ。

 

 目指す場所は外の世界! なお一人での旅行は初めてよ。普通なら単独行動なんて是が非でも避けなきゃいけない事案である。

 けれども外の世界には強い妖怪はもう殆ど残ってないし、私に喧嘩を吹っかけるような奴は大抵幻想郷に来てるから、安全性に関しては案外保障されている。まあその気になればスキマで幻想郷に即帰還できるしね。

 

 あれ、もしや外の世界とはユートピアなのではなかろうか? 私の理想郷と立場が逆になるとは、一体……うごご!

 

 

 さてAIBOはというと、なんと新たな身体を作り出して何処かへ出かけてしまったのだ。そしてさらに驚いたのは、その身体があの黒歴史のメリーちゃんボディだったことね!

 どうもドレミーが現実世界に連行されたことで、私の夢の中にあの身体が放置されていたらしい。それをAIBOが回収し利用している、と。

 

 もうね、正直なところあの私は二度と見たくもなかったし思い出したくもなかった! あああ嫌な思い出が蘇るぅぅぅ!!

 

 八雲紫クールダウン!

 ひっひっふー!

 よし落ち着いた。

 

 それにしても身体があって自由に動けるならAIBOが外の世界に行けばいいのにねえ? なんでか行きたがらないのよね。「貴女がいない間の幻想郷の調整に務める」の一点張りで……。

 まあ別にいいけど。

 

 

 と、目の前の空間が別たれ黒々とした異界が広がる。その中から現れたのはAIBOだった。ふわりと降り立つその姿は優雅そのものである。

 てか当然のようにスキマを使うのね。私その姿の時は使えなかったんですけど……。

 

 

「何処に行ってたのよ? こちとら藍との話し合いで大変だったんだから……」

「あらあらそれはそれは……とても有意義な時間だったみたいですね。此方もとても興味深い時間を過ごせましたわ」

 

 気楽で羨ましいわ。

 ……ん? なんか心なしか焦げ臭いような? ついでに若干の獣臭も漂ってる。

 んー……まさかねぇ? 地霊殿に行ってきたわけがないわよね。AIBOもさとりの恐ろしさについては重々承知しているはずだ。

 

「さて、準備の方はどう? 旅路の計画までちゃんと練れたかしら?」

「まあ問題ないと思うわ。ただ早ければ数日以内には帰って来れそうなんだけど……そんな綿密に計画する必要あるの?」

「勿論。それに今回の貴女の仕事は気負う必要の無い半ば休暇のようなものなんだから、1ヶ月くらいはリフレッシュしてくるといいでしょう。この不安定な幻想郷は私が観ておきますわ」

 

 優しい! AIBOまさかの聖人路線! なんかていのいい厄介払いのように感じるけど、それで安息がもたらされるなら結果オーライだ。

 やはり最後に信じれるのは自分自身だったってわけね。頼りになりますわー。

 

 そんじゃ早速出発しましょうかね!

 藍や橙に捕まると色々と面倒なことになりそうだし、日が暮れる前には寝る場所を確保しておきたい。それにやけにAIBOが急かしてくることですし。

 藍が寝ていて、橙が出かけている今がチャンス!

 

 

 ……あっ、そうだ。

 外の世界へのスキマをAIBOに開けてもらいつつ、ふと気になった疑問を口にしてみた。

 

「貴女って未来の私なんでしょう?」

「ええそうよ。厳密には……なんて言っても貴女には通じないでしょうし、それなら単純にそう捉えてもらえればいい」

「ふふ、そう。なら一つ聞きたいことがあるんだけど……未来の世界では私の掲げる『みんな仲良し幻想郷』は実現しているのかしら?」

 

 たわいもない質問だった。うんかいいえで答えてくれさえすれば満足な問い。多分実現してないだろうし。

 しかし一瞬だけ、もう一人の私は呆けた顔をすると、途端に馬鹿にするような笑みを浮かべた。身体の子供っぽさも相成ってなんかイラついたわね。

 

「貴女ったら、そんな目標を思い浮かべながら幻想郷を作ったのね。……随分と昔の事を思い出しましたわ。そう、確か私も最初はそんな事を考えていたような気がします」

「そりゃそうでしょう。むしろそれ以外に何の理由があるのかしらね。……それで? 未来じゃどんな感じなのかしら?」

 

 まあ単純に気になるのよね。

 AIBOは少しだけ考え込むそぶりを見せると、あっけらかんと言い放った。

 

「概ね達成されていると言っても過言ではないのかもしれない。幻想郷の住民の殆どは団結していたわ。……()()()()()()()()()()ね」

「一人? ……それは誰なの?」

「教えなーい」

 

 悪戯っぽく答えた彼女は私の背中を押し込んでスキマへと進ませる。

 スキマへ潜ると、途端に重力のベクトルが切り替わり私は顔から地面へ叩きつけられるのだった! オイオイオイ、これアスファルトだわ。

 

 ちょっと酷すぎない!?

 抗議しようと上を見上げると、無慈悲にも私の少しばかりの手荷物が投げ出されると同時に速攻スキマは閉じられた。

 やっぱりAIBOは聖人なんかじゃなかったわ。アレは畜生よ! しかもさとりに匹敵するレベルの!

 

 

「うぉえ……臭い」

 

 幻想郷では嗅ぐことのない、器官の隅々を汚されるような煙たさが私の中を満たした。

 この淀んだ空気の中を過ごすというのは、中々気がひけるわね。外の世界……つくづく一世紀前とは比べものにならないほど変わったこと。

 

 さて、取り敢えず最寄りの駅を探しましょうか。あと途中でマミさんの元に向かえるルートも見つけれるといいわね! (てかここどこ?)

 

 最終目的地は信濃の中部。

 いざしゅっぱーつ!

 

 




※この後ゆかりんが悪目立ちしすぎたのは言うまでもない。てか明らかに身なりがこの世の者じゃないからね…。
普通ゆかりんが外の世界に行くときは藍が一緒に着いて来てます。またその時に藍が隠行の術を使っているので、悪目立ちせずに済んでいました。
勿論そんな事をゆかりんが知るはずもなく、今回に至る。



幻想郷で起こる予定だという異変
・60年目のあの異変
・妖怪の山の暴走
・地底からの侵攻
・やべぇ地震

そりゃ対策を取れるなら今のうちにやっとかないとね。ゆかりん頑張って!


ちなみに今の状態をギャルゲーに例えると藍しゃまに関してはもう王手ですね。しかしゆかりんまさかの放置でこれから新たな女にうつつを抜かす模様。ハーレムルートでも目指してんのかな?

逆にゆかりんを攻略する場合、必須となる条件はゆかりんの実力、本性をしっかりと把握していることですかね。藍様はまだゆかりんの本性には気がついてないんですねこれが。ちなみにゆかりんの秘密を知っているとなお良し!
……あれ、この条件を満たしてるキャラがいたような、いなかったような……。



進捗状況については活動報告欄を参照なさってくれると嬉しいです。


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野良賢者と月面戦争

 
サブタイはアンパンマン味のあるダブルミーニング



 

 宙を見上げるのは嫌いだ。

 

 闇に浮かぶ煌々とした黄金の箱舟。光も闇もなく、宵闇を制す為に欲する神秘的で穢れなき大地。地上の皆はそれを『理想郷』だと呼ぶ。

 

 月とは『憧れ』だ。

 人間も妖怪も、地上の有象無象はアレを無意識に追い求めている。だから皆は宙を見上げて、月を愛で、酒で月を呑んだ気でいる。

 

 私はそれが気に食わないのだ。

 彼処から私を見下ろし嘲笑っている連中が居るのだと考えると、腹が煮え繰りかえる思いだ。願いが叶うなら、私はアレを叩き落としてやりたい。

 憎しみは経験に準じていない。私の血が心に命じ、想いを湧き上がらせるんだから。私の存在が、アレの存在を許さないのだ。

 

 穢れた塵芥から生まれた私は衝動のままに行動を開始した。地べたを這い蹲り泥水をすすりながら何度も叛骨の拳を空へ突き上げた。

 やがて同志を集め始めた。ついぞ私と考えを共にするような奴とは会えなかったが、それはこの際どうでも良い。夜空に輝くアレを穢してやりたいと考えている命知らずを探し続けた。

 

 いずれ来たるべき侵略の時に備えた行動だ。結果としてかなりの人数の妖怪が私の意見に賛同してくれたことを覚えている。

 数が多いに越したことはない。私は歓びを分かち合う為に同志を集めたのではない。なるべく私が好きに動ける時間を稼いでもらう為の犠牲だ。捨て駒……という呼び方は些か心象が悪い。コラテラルダメージと呼ぼうか。

 

 兎に角、月への侵攻に向けて着々と準備を進めていた、そんな矢先だった。

 ヤツが私の目の前に現れたのは。

 

 

『こんにちは。大変興味深い活動を続けている妖怪が居ると聞いて来たのですが……私も貴女方と同じ夢を見てもよろしいでしょうか?』

 

 

 空間を別ちながら現れたあの妖怪は開口一番にそう告げた。ヤツを視界に捉えた瞬間、私は能力を行使した。恐怖は感じた、脅威も感じた。

 だがそれ以上に、私という妖怪が在りながらヤツを目の前にするという、圧倒的な屈辱を感じた。私の血が心に命じたのだ。

 

 

 そして私は叩きのめされた。つらつらと謝罪のような文言を垂れ流される中、私の中の決定的なモノが崩れるのが分かった。

 どうすることもできない理不尽な力の前に屈し、私は否応なしに妖怪としての在り方を変容させざるを得なくなってしまった。

 あの……『八雲紫』という存在を受け入れるという、考えられる限りで最悪の屈辱。今でもそれは忘れていない。この感情は、元は憎悪という部類のものだったはずだ。

 

 それからというもの、私が作り上げた月侵攻軍を前身に紫はさらなる勧誘を進め、かつてとは比べ物にならない程の軍勢を作り上げた。つまるところ、私の野望は乗っ取られた。

 紫が見つけ出した連中の中には明らかに周りとはレベルの違うような化け物が紛れ込んでいたりしたが、そんな事よりも私は紫への畏怖を膨れ上がらせていった。恐るべきはその絶対的な存在の格と、それに裏付けられた暴力的なまでのカリスマである。

 

 あいつに魅入られたら最後、心も体も呪縛されてしまう。現に私と奴が集めた妖怪たちの殆どは、八雲紫という宝石を前にして狂ってしまっていた。……本当に、恐ろしい妖怪だ。

 

 かく言う私も自分の野望を捨て去ることができず、逆に八雲紫を盛り立てて献身的に協力してやった。建前上は月と紫の共倒れを狙っているつもりだったが、心は諦めが支配していたんだろう。

 紫は私のことを友だと呼び、「同じ未来を願うことができる最高の同志」だと言いやがる。リップサービスのつもりなんだろうが、生憎私の心を動かすほどのものにはならなかった。

 だが奴から特別な言葉を受けるという事は即ち、妖怪としての存在の格を大きく引き上げることになる。そして結果的に、私は名目上では地上の妖怪を統括する立場となった。……実態は八雲紫の操り人形だがな。

 

 

 月への侵攻ルートは紫が予め考え、時限式に設置していたらしく、満月の日に湖に投影される月影を本物とすり替え、一気に軍を投入していくというなんとも奇抜極まりない策だった。

 まあ……とは言いつつも、私が元々考えていた計画も大概だとは思うがな。

 

 そして決行日の数日前くらいだったか。

 この頃にはもう手段と目的が逆転していたのかもしれない。あくまで私が月を堕としたかったのは、私の存在を決定付ける為の願いだったのだから。

 だが八雲紫に遭ってしまったことで『目的』は完全に潰えた。その事実から目を背けるように『手段』へと傾倒していったのだ。

 

 紫はもはや、憎たらしくも必要不可欠な存在になってしまった。私という妖怪が壊れてしまった何よりの証左である。

 やがて妖のものになるだろう満ちていく月を見上げながら、思ったもんさ。……私はもう滅んでいくんだ、てね。

 

 

 

 だがよもや、この言葉が『逆転してしまうとは』夢にも思ってなかった。

 

 この日あたりから紫の様子がおかしくなっていった。大事な決行日が迫ってるというのに、まるで何かに押し潰されそうになっているような、そんな脆さを感じるようになった。

 今更になって弱さを見せ始めた紫に私はイラついた。なんで覚悟を決めてしまったこんなタイミングで、私に逆転の可能性を見せたんだ、と。

 

『テメェ、いい加減にしろよ紫っ! お前……ここまできて辞めるなんて、言う気じゃないだろうな? ……流石にキレるぞ』

『ええ……ごめんなさい。……頭を冷やしてきますわ。すぐ戻ります』

『っ……いや、私も言い過ぎましたよ。取り敢えず機嫌だか体調だか知りませんが、さっさと治しといてくださいね』

 

 思わず入れてしまった喝に対して、あいつは申し訳なさそうに答える。

 そして明滅する瞳の光を讃えながら、紫はスキマの奥へと消えた。この時に一抹の不安を覚えたが、彼女の不甲斐なさへの憤りの方が大きく、取り敢えず放置しておこうと思った。思ってしまった。

 あの時、もし私が紫の後を追いかけていたのだとしても、恐らくこれから先の運命はどうにもならなかっただろう。私はあいつを変えれるような大層な妖怪じゃない。

 

 

 結局、紫は月侵攻の前日になっても戻ってこなかった。

 もう全員大騒ぎさ。なにせ何年も前から計画していた大事な作戦の根幹が完全に抜け落ちてしまっているのだから。

 あの月を相手取るという無謀な試みを共に出来たのは、ひとえに『八雲紫が共に居てくれるから』という絶対的な条件が存在したからだろう。

 私みたいに全てを投げ捨てて闘おうと思っていた奴なんて数える程しかいない。

 

 マズイと思ったね。

 私は混乱する連中を尻目に駆け出し、紫を探した。この広い世界、しかもその裏側の全てまで一瞬で移動できるあいつを見つけるなんて不可能に等しい。それでも諦めきれなかったのだ。

 折角の決意と覚悟を無駄にしたくなかった。多分、それに尽きる。

 

 そんな私の決死の願いもあったのか紫は案外呆気なく見つかった。とある土手の下にある小川にプカプカと浮いてやがったんだ。しかも何時ものような鋭利な表情ではなく、締まりのないそれで。……そんなカオもできたのかと、ビックリしたよ。

 

『脅かしやがって……何やってんですかい賢者様。こんな大事な時に……みんな貴女が居なくて不安がってますよ』

『……なんで?』

『なんでってそりゃあ……貴女がそういう風にあいつらを使ったからでしょう。はッ、賢者様ってのは無知を装ってまで己を善と偽らないきゃならない職業なんですかね?』

 

 キョトンと、紫は所在無さげに首を傾げた。まるで物心ついてない幼児のように。

 流石にこの拭いきれない違和感には気付いた。これでも私は勘のいい方だと思っている。紫に何かが起きていたのは明らかだった。

 

 すぐにでもこの違和感の正体について問い詰めたかったが、時間が無い。この場での疑問の払拭は諦めた。

 

『……チッ、まあいいですよ。取り敢えず月との戦争まで時間がないですからね、さっさと戻りましょう。話はそれからです』

『え? えっ……ちょっと』

 

 

 

『やっぱり貴女が居るのと居ないとじゃ士気も段違いだ。ほら一発景気のいい言葉をくれてやってくださいよ』

『わ、私が言うの……?』

『は? 何を今更』

 

 地上軍全員の前に引っ張り出しても紫の反応はあまり変わらなかった。それどころかこんな事をのたまう始末。嫌な汗が背を伝うのが分かった。

 紫の弁論術、そして大衆を操作する演説力は凄まじいものがあった。妖怪に発破をかける事なんて朝飯前のはずなのだ。なのに何故だか紫はロクな事も言わずにスキマの奥へ引っ込んでしまう。

 つまり逃げやがったのだ。

 

 先日のそれとは違い、今回は妖力垂れ流しで瞬時に居場所が分かった。紫は人間たちの都に隠れて居たのだ。すぐに連れて帰ろうとしたが、あいつは否定的な言葉を口にするばかり。

 しかもその途中、捜索隊の一部が凄まじい妖力を持った妖獣とかち合い壊滅するという事件も起こり、地上軍に嫌な空気が立ち込める。

 

 全ての悪因は紫によるもの。私の感情を怒りと呆れが埋め尽くした。実力の差も忘れ去り、紫の導師服の胸倉を掴んで無理矢理詰め寄った。

 あいつは……怯えていた。それがさらに私の怒りを湧き立たせる。

 

『ふざけんじゃねぇぞクソ野郎ッ! テメェ……どれだけ私の邪魔をすりゃ気が済むんだ? 戯れも大概にしねぇと取り返しがつかなくなるぞ!』

『ご、ごめんなさい。ちゃんとやるから! 貴女の言う通りにするわ!』

『……もう時間がありません。ほら満月がてっぺんまで登りました、さっさと湖の月影に向けて全員で飛び込みましょう』

『えっいま水浴びを……? ていうかこの集まりってもしかして濡れb──』

 

 もう紫には頼ってられない。

 取り敢えず月への道が拓かれた湖へと紫を突き落とし、あいつが我先に飛び出したように見せかける。本来のあいつの実力は折り紙付きなので、これで多少なりは士気が上がるはずだと思った。

 

『さあ紫が先陣を切ったぞ! あいつに手柄が取られる前に私は行かせてもらうっ! 地上の力を連中に見せつけてやれッ!!』

 

 ──ウオオオオォォォオオッッッ!!

 

 心地よい叛骨の共鳴。

 弱きを扇動し強きを打ち倒す。そう、これこそ私がこの世に生を受けてより夢に見続けていた物語の始まりだった。

 私は間違いなく、この時は世界で一番の幸せ者だったはずだ。

 

 

 

 そして私たちは完膚なきまでに叩き潰された。月の都にすら到達できなかった。

 

 月の海へ降り立った私たちは、早々に玉兎隊による手厚い歓迎を受けかなりの数を失った。さらに浜辺へと上陸する際に謎の技術による砲撃を受け、更なる甚大な損失を被った。結局、月の地へ足を踏めたのは私の能力圏内に居た奴らだけだったかな。

 他にも上陸できた奴も居たのかもしれないが、極限状態でしかも散り散りだったもんだから、私は把握できなかった。酷いもんだ。

 

『クソ……完全に見通しが甘かった。人数が集まったところでどうにもならねぇ。だけど、今更退くわけにも……!』

『あわ、わわわ……!?』

『おい紫! 最初の計画通り、上陸でき次第、お前のスキマで一気に奴らの中枢まで乗り込むぞッ! 大将を獲っちまえばこっちのもんだ!』

『いやいやいやいやいや!?』

 

 

 だが絶望は終わらない。

 

『地上からわざわざご苦労でしたね。見事、貴女達は我ら月の民の顔に泥を塗る事に成功した。穢土にて誇るといいでしょう』

 

 命からがら海岸へと辿り着いた私たちを待ち受けていたのは、海岸線を埋め尽くす玉兎と桃の木、そしてそれを統括する月人の女。

 太刀を携え気持ちの悪い力を発するその女は、凛とした佇まいで私たちを睥睨する。一瞬で分かったよ、埋め難い実力の差ってのが。

 

『──もっとも、それを地上まで伝える者は、誰一人として存在しませんがね。……これより穢身の者共を殲滅する。一匹とて討ち漏らすな』

 

 掛け声とともに向けられた銃口。奴らが引き金を引くよりも早く能力を行使し、銃弾ではない何かを反射させる。それが功を奏し、私とその近場に居た奴らだけは助かった。

 だが、その他は駄目だった。文字通り塵の一つすら残らなかったのだ。確かにそこにあった大多数の存在が一瞬にして消滅した。

 

 一方で玉兎側も無傷という訳にはいかず、私が反射させた謎の力が包囲の一画を直撃しそれなりの被害が出ていた。今思えばこれが唯一、私が月に一矢報いることのできた瞬間だろう。

 司令と思わしき女は射撃を止めさせると、私の方へ驚いた素振りを見せた。

 

『この力は……そういう事もあり得るのか。ならば無闇に犠牲を出す訳にはいかないわ。──全軍、白兵戦に切り替える』

 

 

 

『なんで……こんな』

『戦え紫っ! アンタならこの絶望的な状況をひっくり返す事が出来るだろ……!? 頼む……アンタしかもう……っ!』

『わ、私にはそんな────』

 

 銃剣突撃が開始され、妖怪が次々と倒れていく。もはや勝てる手立てなど微塵にも残っちゃいない。だけどそれでも私は希望を捨てきれなかった。

 この時、怨みを始めとした悪感情を振り切り、私は紫を心の底から頼った。こいつさえやる気を出してくれれば、事態は好転すると信じきっていた。

 

 

 それは無情にも、生え出た一振りの鋼によって潰える。太刀が紫の胸を横に斬り裂き、じわじわと紅いシミを拡げていく。

 紫は硬直したまま膝から崩れ落ちた。

 

 白い砂浜に紅い水溜りが形成され、その中央では紫が必死に口を開け閉めして私へと手を伸ばす。そんな紫の喉元へ剣先を突きつける月人の女。

 私は呆然とその光景を見守る事しかできない。

 

『あ……え』

『まさかとは思うが、こいつが八雲紫? ──……どうやら八意様はなんらかの勘違いをされていたようね。いや、所詮これが地上のレベルか』

『あ…ぅぁ……い、や……助け』

 

 ──ドス…と、鈍い音が聞こえたと同時に私は逃げた。同じく逃走を開始していた仲間の妖怪達を盾に……犠牲にしながら。

 結局、事前に用意していた一番最初の帰還方法で、私は無事に地上に戻る事ができた。

 あんなに死ぬ気でいたはずなのに、その決心がつかずに仕方なく用意していた、一人用の逃走経路だった。

 

 数刻待って、私以外に生存者はいない事を確認する。念の為に突入口となった湖へ足を運んだが、そもそも行き来できるような力はもうすでに消滅していた。ハナから帰還方法なんて存在しなかったのだ。確かめる術はもう無いが、紫は私たちを切り棄てるつもりだったんだろう。

 

 狂気に瞬く満月を見上げながら考えた。私は一体どこで道を誤ってしまったのか。

 考え付いたのは大きく二つの出来事。

 八雲紫と出会ってしまった事。

 そして、私が地上に生を受けてしまった事だ。

 

 本当に恨めしく思う。

 生まれてこのかた、種族としての誇りを持って生きてきたものだが、それはそもそも誤魔化しに過ぎないのだろう。私が抱いていた薄っぺらな矜持は私の性根による産物だ。

 誇れるような存在では無い。

 

 そう、我が名は鬼人正邪。

 生まれ持ってのアマノジャクだ。

 だがアマノジャクらしい事など何一つとして為すことができなかった。哀れで矮小で、挙句には強者に縋ってしまう面汚し。

 

 ……もういい。私はもう疲れた。

 覚束ない足取りで我が野望への出発地点だった湖へと向かう。身投げなんて綺麗な死に方、期待してもなかったんだがな。

 まあどうでも良かった。私の死に様を拝む奴なんていないんだから。

 

 体が脱力し、いよいよ飛び込もうかという、その時だった。月が割れたのだ。

 

 

 境目から飛び出したのはあの隙間妖怪。私の脳裏を逡巡していた無様な姿は何処にもなく、妖しい体の至る所に亀裂を走らせながら変な空間で補っている。ぐるぐると眩暈がした。

 

『お、前……』

『あら、貴女は天邪鬼の。……そう、貴女もアレに参加していたのね』

 

 まるで初対面のように──いや、恐らくだが、この出会いは初めての出来事だったのだと思う。私は多分、三人の八雲紫と会ったことがある。

 奇しくも私が妖生において最も疎んだ『八雲紫との出会い』は、奇妙な事に三度果たされることとなってしまったのだ。自分は不幸な妖怪なんだとこの時初めて自覚したよ。

 

『お前が生きている理由はこの際どうでもいい。私がアンタに尋ねたいのはそんなチャチな事じゃねえ。……気分はどうだ? 数多の屍の上に立って見る景色ってのはそんなに爽快なものなのか?』

『ええ、もし私に心という器官が機能しているのなら、とても良い心持ちでいる筈。今回の件が那由多に相当する犠牲であろうともね』

 

『それで、アンタは何を手に入れた』

『過去と未来。これから私達が出会う妖怪全てに通ずる、とてもか細い道よ。勿論、貴女にも大いに関係ある話』

『ハッ、テメェの御託は聞き飽きたさ。私には未来も過去も必要ない……追い縋る理由すらないね。そうは思わねぇか? だってアンタを今ここで殺せりゃ私に思い残すモノはない。少なくとも、私はそう思うね』

 

 安直な話だ。行き場を失った己の行く末を憎悪と怒り、そして憤りに委ねたのだ。私は紫には勝てないだろう。だけど、それもまた良し。

 弱者には弱者なりの足掻き方ってのがある。ヒロイックでもドラマティックでもない、只の弱者の存在証明。けど意味はあるはずなのだ。

 

 それを紫は嘲笑う。

 まるで臭い物に蓋をするかの如く、強大な妖力をむざむざと誇示しながら。

 

『それもまた一興、しかし不毛な事に変わりはない。本来なら疎まれるべきその性質を是非とも違うものに活かして欲しいわね。そう、例えば【コレ】を使って大それた事を考えたり、とか』

 

 比較的小規模なスキマを開き、そこから取り出したのは()()()()()()()()()()()。どうやら底の方に何かが溜まっているようだった。

 紫はそれらをよく吟味した後、一本を私の方へ投げ渡す。まるで芸を終えた動物へと与えるおひねりのように。すぐにでもそのガラス瓶を叩き割ってやりたかったが……できなかった。

 

 体全体が震えていたのを覚えている。

 

『なんだよ……これ……』

『月の民が大事に保管していたものですわ。少なくともこれらを手に入れる事ができた点では、私達の大勝利と言っても過言ではないわね。分かるでしょう? 【それ】の重要性が』

 

 納得せざるを得なかった。

 もしこれを手に入れる為だったのなら……あの犠牲もやむなしと思えてしまうほどの、そんな悪魔的な魅力があった。いや、確かに魅力的ではあったのだが、恐らくそれは私がそのガラス瓶の中身に異常なまでの親和性を持っていたからだろう。

 喉が酷く乾いた。

 

『その一本を貴女に差し上げましょう。どっちみち私にはあまり必要のなかったモノですし、それを最も上手く受け容れることのできる存在は貴女の他にはいないでしょう』

 

『私より施しを受けるのを良しとしないならば、勝手にのたれ死んでいなさい。……もしも力を得るなら、せいぜい有意義に使う事ですね。愚かなる弱者は己の力の大きさを理解しないんですもの。……では、()()

 

 スキマの奥へと消えていくあいつを私は見送った。……最後まで私のことを評価してるのか見下しているのか、判らん奴だったよ。

 ふとおもむろに投げ渡されたガラス瓶を眺めた。宝石のように私の心を掴んで離さないそれは、私にある一つの決意を抱かせた。

 

 鬼人正邪に約束しよう。

 私はお前が足掻き続けた日々を消して忘れない。お前の悲願は私が達成してみせる。

 だからまずは鬼人正邪がちゃんと生きていける世界を作らなきゃならない。今のままじゃ彼女は苦しみ続けることになってしまう。

 "彼女"の為に生きやすい世を作る。

 それが"今の私"の在る理由だ。

 

 決意とともにガラス瓶の中身を飲み干した。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 ◁▷季

 穢れを地上にて廃棄。天野若彦処断の功を得る。

 八意様の推薦を受け意思決定機関へ就任。同時に月の都における危機管理部を兼任。

 

 

 ○○季

 覚醒者の反乱対策を以って、幾人より細胞の採取を決定。これにより今後の反乱処理等が簡略化される。初期は私を含む五名より開始。

 反乱を起こした場合、当事者は即刻処理され、残された細胞より似て非なる者を作成。意思と記憶は議会の決定に順ずる。

 

 

 □□季

 蓬莱山の姫が禁忌を犯した罪により地上へ送られ、ほぼ同時期に八意様の失踪が確認される。以後、彼女らの行方を知る月人は私のみとなる。

 姫と八意様のクローン作成を差止め。

 

 

 △△季

 地上より穢身の者共が襲来。綿月姉妹の活躍により大多数を討ち取るも八雲紫に月の都への侵入を許す。損失確認中。

 殲滅戦に関連して議会より反乱の予兆との嫌疑をかけられたが、事なきを得る。

 

 

 ↩︎↪︎季

 初期五名の補完細胞の紛失を確認。八雲紫の手に渡ったと推測される。よって残る三名のみ細胞の再採取を実施。

 八意様の要請により軍事技術の一部を流出。

 

 

 ##季

 ここ数千年凍結されていた八雲紫抹消の詔を受け、計画チームの長官に渋々ながら就任。夢の支配者ドレミーと接触し地上侵攻を試みるが、地底の妖怪なる者の妨害により頓挫する。

 

 

 €€季

 地上より科学による侵攻の予兆が散見され、玉兎の筆頭格だった綿月姉妹のペット『レイセン』が逃亡。また月の都に仇なす仙霊が異界の神と手を組み、ちょっかいをかけ始めた。

 以後は依姫と私で玉兎隊を二分し、片割れのイーグルラヴィの指揮を持つことになる。その折二匹ほど優秀なのを引き抜いた。

 

 

 @@季

 八雲紫の力を一時的に封じる事に成功したが、機を誤りドレミーを失う。

 逃亡した八意様が月への恨みで地上に与したとの噂が流れる。さらに例の災厄の活動が再び活発化し、対策を迫られる。

 

 

 〓〓季

 依姫に謀反の疑いがかかり幽閉された。

 裏切ったと噂される八意様と呼応し月の都を落とし入れる計画だという事だが、恐らく災厄側が吹聴したものと思われる。事実上、私と豊姫で月の都の安全保障を担っているという危機的状況。

 

 

 〆〆季

 ……私の娘と名乗る者が会いにきた。……正直、訳が分からない。

 

 

 

 





正邪「認知しろ!」
サグメ「……そうではない(震声)」

描写はありませんが、紫様があらかじめ連れてきていた妖怪の中にはルーミアと幽香が混じってました。何気にルーミアはゆかりんの頼みは絶対聞いてくれる健気な女の子なのです(大嘘)

正邪たちが浜辺に上陸するまで包囲に気付かなかったのは綿月姉の方の能力ですね。何気に扇子よりもこっちの方がヤバイと思う。
豊姫は空間能力なら紫の上位互換で、依姫は巫女としての力なら霊夢の上位互換というトラウマ姉妹らしいじゃないですか。リベンジしなきゃ……(使命感)



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東方苛詠塚
家族の在り方


 
強化イベント発生!
多分今までで一番早く終わる異変です。


 

 

 霧雨魔理沙は努力が好きだ。

 

 日々己の研磨に勤しみ、脆弱な自分がどんどん強くなっていく実感。これが何よりの快楽であり、生き甲斐でもあった。

 そんな自分を肯定してくれる大切な人たち。友人、親友、ライバル、強敵……そして師匠。彼女らに認められ宙へと駆け上がっていく事こそ、魔理沙の小さな胸いっぱいの野望だった。

 

 肯定してくれるだけで魔理沙は嬉しかった。自分が間違いを犯していたとしても、誰かが自分を信じてくれれば、それで良かった。

 

 父は……何一つとして自分の事を認めようとはしなかった。昔にマジックアイテムの暴走でとんでもない事故を起こしてしまった故の決断だったのは魔理沙だって知っている。当時、父の弟子だった霖之助に聞いたからだ。

 夢を追うくらい許してくれてもいいじゃないか。魔理沙は実家を飛び出して人里離れた森の中へと姿を消した。

 

 出来心といえばそれまでだが、あの頃の魔理沙に決心などという大層なものはなかったのだろう。たちまち森の瘴気に巻かれて命を落としかけた。

 それでも魔理沙は、最後まで自己を探求する事を目指し続けていた。始まりは『星を掴みたい』などというおかしな理由からだったが、その夢から派生した執念が、今にまで魔理沙の中に息づいているのだろう。

 

 

 師匠は変わり者だった。

 人間ではない。俗に言う、世に仇なす天下の悪霊だった。彼女が杖を振るうだけで地は割れて、天は叫びを轟かせる。

 師匠は自身を高く評価こそするものの、決して驕ることは無かった。その代わり他人を馬鹿にするのを好いていた。魔理沙や、同じく教えを受けていた里香もよく詰られていたのを覚えている。

 

 今でも師匠──魅魔の事は尊敬している。魔理沙にとって最強の称号とは、霊夢やアリス、パチュリー、紫ではなく、魅魔の為にあるものだ。

 そんな彼女に少しでも近付きたくて、毎日一心不乱に研究と修行に明け暮れた。無茶がたたり、一時期は金髪がオレンジ色に染まることもあった。皆から笑い者にされたものだ。

 

 二人で調子に乗って異変を仕掛けたこともあった。この時に初めて、解決しに来た霊夢と顔を合わせた。別時空からやって来た変な女や、幽香と戦った時も二人は一緒だったのだ。

 誰が見ても仲睦まじい関係だった。

 

 自己承認欲求に飢えていた魔理沙にとって、それを最も求めていた対象とは間違いなく魅魔だっただろう。強くなっていく自分に酔いしれながら、やがては師匠に認められる事を夢見る。

 それだけで、良かったのに────。

 

 

 魔界での一件が終わって、しばらく経った頃だ。ある日、唐突に破門を告げられた。

 

『道を誤ったねぇ魔理沙。今のお前がやっているのは、これまでの努力の意味を無為にするもの。まっ、お前も所詮は人間だって事だ』

 

 有無も言わせぬままに外へと放り出され、魔理沙は魔法使いの弟子から、普通の魔法使いになった。

 魔理沙が行なっていたのはごく標準的な、魔女なら誰しもが身に付けるであろう魔法の練習。【捨虫と捨食の術】──たったそれだけだ。

 

『な、なんでなの魅魔様!? 確かに言いつけは守らなかったけど……でも! みんなやってることじゃない!!』

『そのみんなにアンタは入ってないって事さ。時は人を盲目にするからねぇ……しばらく頭を冷やしてきな。見捨てやしないが、今のお前に魔法を教える気にはとてもなれないね』

『ちょっと魅魔様!? 魅魔様ぁー!!』

 

 

 必死の嘆願も魅魔には届かない。

 それからというもの、魅魔は一度として魔理沙の前に現れる事は無かった。いや、存在そのものが居なくなってしまったようにポッカリと、彼女の全てが幻想郷から消えてしまったのだ。

 ……ただ一つ、記憶だけを残して。

 

 思い悩んだ。

 自己嫌悪に陥った。

 

 人の道を外れる選択は魅魔の望むものでは無かったのか。しかしそれでも、もっと強くなる為の近道は間違いなくそれだった。

 脆弱な人間のままである限り、魅魔には近付けない。それどころか幻想郷の名だたる妖怪達に対抗することすら危うくなる。

 

 魅魔が拒絶したのは魔理沙の進展そのものだ。つまり、遠回しの詰みである。

 

 けれど、夢と希望を諦めるには魔理沙は未熟すぎた。そして今の彼女がある。

 弱みを見せる事を嫌い、常に太々しく尊大に、北白河ちゆりのような男勝りな言葉遣いを心掛けるようになった。

 そして修行時代よりも遥かに過酷な環境下に身を置いたのだが、魔理沙は強くなりたいと願いながら、無意識のうちに成長を拒むという矛盾のジレンマを抱え込んでいた。魅魔の件が楔になっているのは言うまでもない。

 魔理沙の得意分野は水魔法。しかし、それを無視して自分を大きく派手に見せる火力重視の方針を取った。

 八卦炉だってそう、本来ならそんな物を使う必要もないのだ。アレは砲口を狭めることによって魔理沙の力を抑え込んでいる。適量の魔力しか持たない者にとっては素晴らしいアイテムと言えるが、それを遥かに超える者にとってはただの枷にしかならない。

 

 引くにも引けず、進むにも進めない。つまり停滞するしか魔理沙に残された道はなかったのだ。退廃的な感覚に幾度なく囚われたが、それを何度もポジティブな感情で上書きする。

 "終わり"に手を出してしまえばこれまでの全てが失われてしまう事を知っていたから。

 

 

 やがて魅魔との思い出を振り切るように霊夢と張り合って異変解決の功を競い、沢山の強い妖怪と戦い自分を保たせていた。

 

 霊夢と紫は自分を認めてくれた。

 アリスも半ば自分を認めた。

 

 

 だがそれだけだ。

 春雪異変で紫に自分の弱みを嫌と言うほど抉られ、叩きのめされてからというもの、魔理沙は負のスパイラルに陥ってしまった。

 伊吹萃香に負け、因幡てゐに負け、挙句は八意永琳の力に屈服した。アリスと霊夢は自分を遥かに上回る力で挑んだというのに。

 

 霊夢は多分、自分を認めていたのではない。魔理沙の様々な脆さに勘付いていた上で、遠慮していたのだろう。その証拠に、霊夢は異変の雲行きが怪しくなると何時も魔理沙に帰還を促している。

 紫は多分、自分を認めている。だがそれは"博麗霊夢の付属品としての霧雨魔理沙"の役割に期待しているだけだ。むしろ魔理沙本人の"強さ"には大して目を向けてはいない。

 アリスのアレは同情だ。魔法使いになったつもりでいる中途半端な小娘が憐れである故なのだ。まるでいつかの自分を見ているかのようだったのだろう。……惨めすぎる。

 

 

 それでも魔理沙は必死に足掻く。"終わり"になど決して手を伸ばしてやるものか。

 紫が救済として出してくれたと思われる提案を達成すべく、魔理沙は現在起きている異変の調査に全力を注いでいた。

 

 だが結果としては、ほとんど概要が掴めていないという現状である。そもそも実害が無さすぎて進展が見込めないのだ。

 救いは霊夢がまだ異変解決に動いていない事くらいか。何にせよ急がなくては。

 

 今日は勇気を出して香霖堂に行ってきた。霖之助からは前回とは比にならないほど、但し分かりにくい程度に心配とお叱りの言葉を受けたが、意外にも制止はされなかった。今の魔理沙を辛うじて繋ぎ止めているモノを認知しているからだろう。

 結局のところ、霖之助から得た情報は彼女が望んでいるようなものではなく、有益でありながらも魔理沙にとってはあまり嬉しくないものだった。

 

『異変は60年周期で起こる自然的なものだと思われる』──それが本当なら、解決なんて不可能だ。自然の力に抗うのは相当のリスクを要する。

 ただ、霖之助の推測が確定的なものであるとは限らない。幻想郷には四季に関する能力を持った妖怪が数人いるのだ。

 中でも怪しいと目星をつけているのが──。

 

「……どうしようか」

 

 机に項垂れた。

 弱音も吐きたくなる。もう負けるわけにはいかないのに、その目星の妖怪に魔理沙は一度として勝利したことが無いのだ。

 だが霊夢なら……分からない。

 

 それが自分と霊夢の差だ。

 

「くそ……私にもっと……もっと──!」

 

 

「力が欲しいか?」

 

 

 自分以外、誰もいるはずがない静寂な空間に声が響き渡る。やけに胸をざわつかせるような、不安になる声だった。

 声源はちょうど真後ろ。

 振り返ると同時に八卦炉を構えて牽制する。そこに居たのは、ドアのへりに腰掛けて頰付く尊大で奇怪な女。

 

 これまで体感したことのないほどに不気味な佇まいに、辛くも圧倒されかける。しかしここで引くのは間違いなく悪手。それを心得ていた魔理沙は気を張りながら気丈に言葉を返した。

 

「誰だお前」

「私は摩多羅隠岐奈。後戸の神であり、障碍の神であり、能楽の神であり、宿神であり、星神であり、この幻想郷を創った賢者の一人でもある」

「長いな。肩書きの意味も全然分からん。……それに【幻想郷の賢者】だって? お前、それは紫と同じ……」

「そうとも。まあ私はあいつほど面倒臭い存在ではないのでな、そんなに警戒しなくてもいいぞ。なにせ私はお前を救いに来たのだ」

 

(言っている内容は紫以上に胡散臭いな……)

 

 心の中で悪態を吐く。相手が自分を懐柔しようとしている事には何となく気付いたが、その目的が全く掴めない。

 一方で隠岐奈の眼光はなにもかも見透かしているように魔理沙の心を射抜く。

 そして饒舌に語る。

 

「幻想郷の皆に如何様にも誇れる力……己の夢に向けて駆ける事のできるだけのささやかな力……思うままに実現する力……お前にはそれを得る資格が有る。お前のような将来ある若い芽がここで潰えるのは惜しいのだよ」

「ムシのいい話だぜ。わざわざ賢者サマが私の元にそんな用で来るか? それに私はドーピング紛いの事はしないと決めてる」

 

 魅魔が拒絶した事を、なぜ得体の知れない妖怪にわざわざ委ねる必要があろうか。その意義は一切存在しない。

 例えどれだけの傷を背負おうと、譲れない一線というものはあるのだ。

 

 摩多羅隠岐奈は喉の奥を小さく鳴らした。魔理沙の内情など一切の理解も及ばない。そしてその必要性も全く感じない。

 

「言っただろう? 私はそんなに面倒臭い存在ではない。お前にしてやれる事など、『いつかの普通』を『今の形』としてお前に見せてやる事だけだよ」

 

 始めから存在しない力を付与するのではない。ちょっとした『奇跡』で未来の力を先取りするだけなのだ。それは紛れもなく魔理沙の力だ。

 

「何故、というなら……私はな、お前に期待しているのだ霧雨魔理沙。それこそ、紫の子飼い(博麗の巫女)なんかよりもな。天才に奇才……奴らを前にしてなお進み続けたお前には最大級の敬意を表そう。これほどの人間は千年は見なかったぞ」

 

 ──後は実力と覚悟だけだ。

 

「お前の力は素晴らしい。少しだけ、ほんの少しだけ秘められた力を表に出すだけで、お前は幻想郷に並ぶ者の無い魔法使いになれる」

「……っ」

「博麗の巫女など相手にならん。鬼の剛力も生身で跳ね返せるようになるかもしれないな。……失望された師にも、顔向けできるんじゃないか? お前だけの力で"あいつ"を倒すのだろう?」

 

 無言。

 だが隠岐奈は魔理沙の肩の震えを見逃さない。確かな手応えを感じた彼女は、掌に集積した秘神の力を存分に見せつけ仕上げにかかる。

 

「もう一度聞こうじゃないか、幻想郷の英雄よ。──力が欲しいだろう?」

 

 魔理沙の答えは、秘神の予想通りだった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 博麗霊夢は修行が嫌いだ。

 

 というのも、霊夢はやろうと決めた事なら何でも一度でそつなくこなしてしまうからである。要するに努力に用する労力への耐性がない。

 

 紫が覚えろと指示した博麗奥義『夢想封印』も一回で習得できてしまったし、究極奥義『夢想天生』に至っては生まれながらに使えたほどだ。

 霊夢にとって身のある修行など数える程度しか無かった。博麗の巫女として通過しなければならない道の中でキツイと感じたのは、藍との組手と、幻想郷知識を覚えるための座学くらいだろうか。

 

 だが霊夢は紫の事を甘々の指導者とは見ておらず、むしろ紫ほどの妖怪が稽古をつけても苦にも感じない自分の方に問題が有ると思っていた。だから修行は意味がない。やるだけ無駄だ。

 ……またそれとは別に、霊夢は人前(特に紫や魔理沙の前)で頑張る姿を見せるのが好きではなかった事も大きな一因であるのだが、当の本人はそれに気づいていない。

 

 まあなんにせよ、面倒臭い事や縛られる事を好まない霊夢は、修行が嫌いなのだ。

 よって、現状の不当な身の置かれ方は大変遺憾なものである。今すぐにでもスキマから紫を引き摺り出してとっちめたくなるほどに。

 

 誰がこんな仙人に扱かれる事を望むものか。

 今日何度目かのため息が溢れる。

 

「技はいいしセンスもある。一応の付け焼き刃でも異変を解決してきた実績は中々の物。しかし! 貴女には圧倒的に不足しているものがあります! それはやる気と心構えッ! 常時に行うべき備えが全ッ然たりなぁいッ!」

「肩の力を抜いたら? そんな調子で毎日巫女やってたら潰れるわよ……」

「いやぁそれにしても霊夢さんは気を抜き過ぎだと思いますけどねー。歴代博麗の巫女の中でもぶっちぎりですよ」

「いいのよ別に。困るもんでもないし」

 

 昼下がりの縁側にて、霊夢は粗茶を啜りながら目の前でくどくどと根性論を語り出した仙人に呆れ返っていた。今はお昼休憩中で、狛犬のあうんも寝そべってくつろいでいた。

 もう冬も終わる陽気な時期だが、博麗神社周辺の温度は誰かさんの熱気で何度か高いようだ。冬には助かるが、今は溜まったもんじゃない。

 

「全く……紫は貴女の事を相当甘やかしてきたみたいね。最近の巫女の弛んでること」

「アンタには言われたくないわ……」

 

 この仙人、どうやら紫と同じく幻想郷の賢者という肩書きを持っているようだが、何故だか気が抜けているというか、あまりそういう立場には向いていないように思えるのだ。

 

 茨木華扇の名は物覚えがあまり良くない霊夢でも知っていたが、その評判は畏怖を感じるものではない。曰く日頃から人里で食べ歩きをしてるだの、素行の悪い人間を見かけると急に説教を始めるだのと、イメージではコミカルな印象を受けた。

 そして実物を前にしてもそれは変わらず、オマケに面倒臭い「口」も持ち合わせているようだった。数日顔を合わせて霊夢は嫌というほど思い知った。

 

 はっきり言って霊夢は華扇が苦手だ。今までに会ったことのないタイプの存在であり、どう対応したものか困っている。

 ただ、面倒臭いだけで嫌いではなかった。

 

「やる気のオンオフは大切だけど、あんまりテンションに差を付け過ぎるのは良くないわ。霊夢は何かに情熱を向ける努力をすべきね。それも日常的に」

「あっ、それなら一つありますよ」

「ほう?」

 

 あうんが指差したのは賽銭箱。あの中を覗く時だけ霊夢は必死な目つきになる。長年彼女のことを陰ながら観察していたあうんには筒抜けである。

 数秒の沈黙の後、華扇は頭を抑えた。

 

「なるほど、金儲けですか」

「なんでそう捉えるのよ? あのねぇ、私だって好きでそんな事やってるんじゃないの。例えば道具の新調でしょ? あとバカ共が毎夜毎夜騒ぎまくるからそれの費用だって馬鹿にならないし、社の修繕費だってたくさんかかるんだもん。流石に足りなくなったら紫が賄ってくれるけど、大方は私の方から出さなきゃ人間たちに示しがつかないし、そのくせ全く参拝には来やしない! おかげでウチの経済は火の車、ここ最近は赤字続きよ。どっかの酒臭い鬼のせいでね!」

「そ、そう。なんか……ごめんなさいね」

 

 貧乏人特有の早口。

 絵に描いたような一転守勢である。

 

 華扇が謝った理由は大きく二つ。

 一つはあまりの剣幕で捲し立てた霊夢に圧倒された事、そしてもう一つは古き友人の横暴をまかり通らせてしまった事への申し訳なさであった。

 

 彼女はなんだかんだで情と建前に弱い妖怪……もとい仙人である。その分の埋め合わせをする事は当然であり、金欠が霊夢のやる気を削いでいるのならなんとかするのが指導者の役目だ。

 

「俗世の人間たるもの、貧すれば心が荒むのも仕方がない事なのかもしれない。ならばその原因を徹底して改善せねばなりませんね」

「もしかして手伝ってくれるの? ならさ、仙術で色んな事できるでしょ? それで参拝客を人里からがっぽり集めてちょうだい!」

「金儲けに手は貸しませんよ。私は貴女のその弛んだ精神を引き締めて、貧する中での幸福というものをですね……」

「そうと決まれば話は早いわね。これから毎日『びっくり人間ショーin博麗神社』を開いて人を集めまくるわよ。ついでに出店もいっぱい出して──人手は妖怪連中から引っ張ってくるとして──」

「き、聞いてない……」

 

 守銭奴霊夢、爆誕。

 霊夢は潜在的がめつさこそあったものの、いつもはある一定段階で紫に釘を刺されてしまい、それを人前で露呈する機会はあまり無かった。

 しかし今はそのストッパーがおらず、その役割を担うはずの華扇は今回の成り行き上、強く制止ができない。

 ちなみにあうんは霊夢を止める事もなく帳簿を取りに行った。狛犬としては言うまでもなく出来損ないな彼女だが、神社の運営に関しては右に出る者が居ないほどのやり手である。

 

「今日は天気もいいしやけに花は咲いてるし、とことん祭り日和よね。うーん……裏手の臥龍梅を見世物にしてみようかしら」

「い、いいですか霊夢! 信頼というのは築くのは難く、崩すのは頗る容易なのです。貴女の一挙一動が人妖問わず幻想郷に大きな影響をもたらすということを常に念頭において──!」

 

「おぅい霊夢ー。なんか面白そうな話が聞こえたんだけどー?」

 

 説教を遮る溌剌とした声。

 振り向くと、鳥居の元に居たのは一匹の小鬼。言わずと知れた祭り好きの伊吹萃香だった。霊夢としてはちょうどいい労働力の出現である。

 

「いいところに来てくれたじゃないの。今日はちょっとした催しを開こうと思ってね、ほらなんか花がいっぱい咲いてて陽気な感じでしょ? だから色々手伝ってよ」

「祭りについては賛成だけどさ、これって一応異変だろ? 博麗の巫女として思うところはないのかい?」

「まあ変だとは思うけど嫌な感じはしないし……それに紫や藍からは何も聞いてないわよ。隣にいるこいつだって何も言わないから……」

 

 霊夢の隣を見て、萃香はこてんと首を傾げた。

『疎』を操り風に乗ってこうして境内に現れた訳だが、萃香は霊夢の他には人影一つ見ていない。白昼夢にしては大袈裟だなあ、と呑気に考えた。

 

「あら? いつの間にかいない……」

「まあお前がいいならどうでもいいんだけどね。さっ、そんじゃ祭りの準備を始めようか! 霊夢は誰でもいいから色々呼んできて」

 

 萃香の言葉を背に、拭いきれない違和感を抱えたまま霊夢は宙へ浮かび上がる。しかしそんな疑問も、やがては春風とともに空へと消えていった。

 さて、集める人手だが……。

 

 現在、幻想郷のバランスは乱れている。

 というのも永夜異変の煽りを受けたまま、その歪みを修正しきれていないのだ。例えばあの日から幽々子は顕界には降りてこなくなり、レミリアの外出もめっきり減った。

 アリスの療養状況は不明、藍も怪我が治っておらず紫への愚痴を垂れ流しながら幻想郷を駆けずり回っており、紫は未だに外の世界へ旅立っている。

 

 つまり、あの異変に深く関わったメンバーの中で暇しているのは自分だけなのだ。……流石に変な気分になる。

 

 そして、こんな時一番に思い浮かぶはずの親友はというと……彼女もまた、引きこもっていた。普段なら魔理沙の方から頼んでいなくても博麗神社に顔を出してくるので、霊夢は滅多に魔法の森に入らない。よって二人は、異変以来まったく顔を合わせていないのだ。

 

(そういえば最近、めっきり来なくなったわね魔理沙のやつ。何してるんだろ)

 

 何やら勘のようなモノが頭の中で疼いたが、まあ大丈夫だろうと疑問を捨て置く事にした。そもそも魔理沙は人に心配されるのが嫌いだ。特に霊夢から心配されるのは彼女にとって屈辱の極みだろう。若干鈍感な霊夢もその事には薄々と気が付いていた。

 

 取り敢えず困った時は香霖堂へ。どうせ自分と同じく暇しているだろう霖之助の元へ向かおうと進路を切り替える。だがその進みは肩を掴んだ強い力によって引き止められた。

 包帯でぐるぐる巻きにされた華奢な右腕。しかしそこに内蔵されていたパワーは霊夢をして目を見開かせる程のものだった。

 

「待ちなさい霊夢」

「……華扇。消えたと思ったらまた急に……。紫みたいな移動の仕方ね」

「ええそうでしょう。だって彼女の方法で移動していたんですから。……ねぇ?」

 

「──もし華扇が貴女に敵意を持っていたとしたら、果たして対応できたかしら? ふふ、前にも言ったでしょう、貴女は外部に対して無関心過ぎると。……まあ、あの頃よりは改善できているみたいだけど。私のアドバイスが活きたのね」

「あ、アンタ!? その顔は、メリー……いや違う! なんで紫擬きがその姿で……?」

 

 霊夢を引き止めた華扇のさらに後方。境界が別たれ、何時もの黒々とした気味の悪い空間がこちらを覗く。

 そしてその中より現れたのは本来の使用者である紫より一回り小さい少女。霊夢は彼女の顔と雰囲気を知っていたが、目の前のそれから感じるのは全く異質のもので、別の雰囲気だった。

 

 通称、紫擬きは曖昧に笑いながら口に手を当てる。幼い見た目から、想像できないほどの妖艶な妖力が吹き上がる。

 

「メリー、確かそう呼ばせていたのよね。……その名はあまり好きではなくてねぇ、不服だけど、いつも通り『擬き』と呼んでくれて構わないわ」

「言われなくてもそうするわよ。……はぁ、なるほどそういう事。気になることは色々あるけど、今日は何の用よ? 華扇までこいつに加勢して」

 

 特に興味など無さそうにあっけらかんと問う。しかしその実、霊夢は内心でこの状況を警戒していた。未だに信用できない紫擬きに、見た事のない物々しい雰囲気を醸し出している華扇。

 両者ともに幻想郷の賢者の名を冠する強者である。もし自分に対しての敵対行為に身を移すつもりなら、こちらから先制を打たないと勝利を掴むのがかなり厳しくなる。

 

 鋭い緊張が迸る中、紫は霊夢の意を汲んでか降参したように手を翻した。

 

「今日は貴女と事を構えるつもりなんてさらさらないわ。ほら華扇、もう萃香はいないんだから機嫌を直して頂戴な」

「……近づけさせない約束を破ったのはそっちよ。ちゃんと伝えておいたのに」

「それは違う私」

 

 取り敢えず和解したようだ。

 訝しむ霊夢は取り敢えず地面に降り立ち、博麗神社へ続く石段の上に腰を下ろした。紫と華扇もそれに続く。

 

「……で? もう一回聞くけど、何の用よ」

「ちょっと緊急の事態が起きてね、貴女の修行を急ピッチで進めなきゃならなくなったわ。今すぐに取り掛かるわよ」

「はあ? なんでそんな」

「貴女に拒否権はない。もっとも、今回の件は貴女が断れるようなものではないと思うのだけどねぇ」

 

 紫の物言いに霊夢の手がお祓い棒に伸びかけるが、慌てて華扇が制止する。

 割りに合わない仕事だと思った。

 

「まったく! 霊夢は手が早いし、紫は口が出すぎよ! そんなので建設的な話なんてできるわけがないでしょうに!」

「ごめんなさいね。私って未熟な人間の感情が良く分からないのよ」

「だから煽るな!」

 

 紫擬きに話をさせては駄目だと分かった華扇は、今回の件を自分から説明する事にした。全く以って英断である。

 

「経緯については複雑なので割愛するわ。貴女に身に付けて欲しいもの、それは()()()()()()()()()よ。日が暮れる迄には完成させたい」

「……不本意だけど経緯はもういいわ。けどこれだけは答えなさい。何故、アンタ達みたいな幻想郷の運営者がそんな非常時の備えのようなモノを私にやらせようとするの? ……今回の異変に合わせて何が起ころうとしているの?」

 

 答えを伝えようと口を開き、やがて言葉に詰まった。それを説明する方法は数多にあれど、その資格を華扇は有していなかったのだ。

 その代わりに紫は妖しい笑みを湛えながら霊夢の前へと進み出る。さも悲観げに、さも喜劇を演じるように、そして仰々しく告げた。

 

「賽は既に宙へと投じられました。神が賽を振ったのです。……目を付けられたのは貴女にとって()()()()()。さあ、どうなると思う?」

 

「──……魔理沙が死ぬ、とでも?」

 

 粟立つ肌を抑えつけながら霊夢は唸る。一方で、剣呑な視線を向けられながらも、紫は道化のように可愛らしく指を弄ぶ。

 

「ええ、このままだと間違いなく死ぬわ。私に分かるのはこの確かな結果だけ。自分で命を絶ってしまうのか、それとも誰かに殺されてしまうのか……それは当の本人にしか分からないわ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「──…りん。ねえったらえーりん」

「……どうしたのメディスン」

 

 レポートに没頭していた永琳は自分を呼ぶ声に漸く反応を返す。こんなやり取りもいつもの事であり、メディスンはもう慣れていた。

 この無名の丘に永琳がやって来た時に比べれば対応は良くなった方だろう。

 

 先の異変もあって冷徹なイメージが拭えない永琳だが、生まれたての人形妖怪に対して逐一のコミュニケーションを取る程度には人間味がある。

 というより、彼女と相対した者が見れば目を見開くような光景だった。

 

「はい頼まれてた鈴蘭。これで何するのか分かんないけど、頑張ってね」

「ええありがとう。助かるわ。……それと、そこの方に居るのは?」

「あっ、お客さんよ。いきなりナイフを投げてきたの。ほらここ欠けちゃった」

 

 スカートを捲ると、確かに何か硬いものがぶつかったようで関節部の半球が若干欠けていた。人間で言うところの欠損にあたる怪我なのだろうが、それに反してメディスンの反応は淡々としている。

 その危うさを永琳は理解している。

 

「また貴女から攻撃を仕掛けたんじゃないの?」

「うん。幽香がやれって言うからやった」

「……その幽香は?」

「どっか行っちゃった」

 

 相変わらず自由気ままで掴み所の無い妖怪である。一応名目上では永琳の監視役に当たるはずなのだが……。

 風見幽香という妖怪の凄みは永琳を以って一目置かれるほどのものだ。

 

 そしてメディスンもメディスンで厄介。

 生まれたばかりの彼女は秩序を理解しておらず、また自分の力量も把握しきれていない。彼女は暴走すれば幻想郷の命有る者全てに致命病を与えかねないほどに危険だ。

 それでも本能ゆえの反応か、自分より格上の言うことは良く聞いてくれるだけまだマシだ。幽香と永琳がメディスンの手綱を握っている現状では問題ない程度に落ち着いている。

 ……なおその教育方針、もとい調教方針では意見が二分しているようだが。

 

 勿論、永琳は譲る気など一切ない。まさか月の指導者までもを育て上げた自分の手腕に、今さら疑問を持つまでもないだろう。

 もっとも、そんな話など今は関係ない。

 

「はぁ……後で直してあげるわ。────さて、待たせて悪かったわね。それで、何の御用? 大方の予想はつきますけど、直々言ってもらえるかしら」

「……会いに来いと言ったのは其方からでしょう。私をわざわざ生かしたのはそういう意味合いだった。……さあ、何を話そうか……迷うわね」

 

 鬱蒼と茂る鈴蘭に触れたくないのか、少しばかり浮いた位置から永琳と視線を交錯させる。互いに探り探りといった感じだ。

 訪問者、()()()()()は困ったように手元にあるナイフの切っ先を指で刺す。滴る紅が銀色の鏡を濡らす様子はない。

 

 詰まってしまった咲夜を見かねた永琳が言葉を投げかける。ゆっくりと、丁寧に。

 

「もう一度言うけど、貴女がここに来た目的は何となく分かるわ。その内容についても私は否定しない。……だからといって何が変わるわけでもないでしょう? 貴女も、変化を求めてやって来たわけではないと推測しますが」

「薄情ね。だけどそっちの方が助かるわ。憎きお前の力が私の中に少しでも存在しているなんて、考えただけでも息苦しくなる」

「ふふ、私からすれば貴女の存在自体が本来なら眉唾なものよ。どうやら姫様も関わってそうだけど……はぁ……」

 

 ほんの一瞬だけ永琳は目を伏せた。暗い影に沈んだ瞳からは感じられるのは微弱な悲しみ、そして慈しみ。数奇な運命を辿ったのであろう咲夜と輝夜に対してだった。だがやがてはそれらを軽く漏れ出た一笑とともに、無機質な冷たさの裏へと押しやる。

 

「答え合わせはもういいわね。この日あったことは全て夢幻よ。そう、貴女と私はただ敵対関係を引きずったままの間柄」

「それがいい。幸いにも、お嬢様は私に免罪符を与えてくれました。私の好きにしていいと。ならば──あの夜の敵討ちをさせてもらうわ。屈辱を引き摺るのはもう懲り懲り……」

 

 空間を歪めて召喚されたナイフの群れは、陽射しを乱反射させ咲夜を輝かしく彩った。銀の刃によって斬り刻まれた鈴蘭が光舞う残滓となって春風に消える。

 

「お好きにどうぞ? ただ、私は相手が哀れな弱者だからって、わざと負けてあげる気はさらさらないわ。あの夜は簡単に決めちゃったんだもの、今日は貴女の力をじっくりと見せてもらうわ」




 
 
代理戦争かな?(冷戦)
そいやナイトメアダイアリーは紫と隠岐奈による対立によって泥沼化したっていう説がありましたね。やっぱ君たち仲悪くなーい?

ゆかりんが四季異変の解決を魔理沙に勧めたのはその難易度の軽さ故にですね。首謀者なんていないので原因を突き止めればそれで解決ですから。
自信をつけてくれればって感じで勧めたんでしょうが……まあ地雷ですね。ゆかりん痛恨のファンブル!
そもそも原作だと一番に飛び出した霊夢が今回動かないのもゆかりんが原因ですし……最近ポンコツが隠せてませんねぇ。


・盗み出された永琳と輝夜の細胞。
・絶対無比の能力で時や空間、あまつさえパラレルワールドまで操るが、なぜか永琳には軽く介入されてしまう。
・常時クールな鉄仮面。 銀髪。
・主人に対しての強い忠誠心。
・八雲紫への異常な敵対心。
・レミリアの不可解な言動。
・十数年前の吸血鬼異変に現在と全く変わらない姿で参加していた。

咲夜さんに関しての伏線はこんな感じです。
えーてると咲夜さんの関係を一番近いもので言い表すなら間違いなく親子。どっちが旦那役とかそんなの考えない!

作者は『咲夜の正体は永琳と輝夜のホムンクルス説』を推しています。そして普通はそこからの月の使者ルートですが、今回はゆかりん暗躍ルートを採用



えっ、ゆかりん?
ゆかりんはね……遠い所(外の世界)に引っ越しちゃったのよ……。多分たのしくやってるんじゃないかな(遠い目)


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霧雨魔理沙の憂鬱

 
 
↓ラスボスっぽい人っぽい神様


「ふっふっふ、喜べ二童子。この度お前たちに新たな仲間が加わるかもしれん」

「「わー」」

 

 満面の笑みで仰々しく言い放った隠岐奈に、配下の二童子はこれまた満面の笑みで大きな拍手を送る。……その割には声に活力が無いが。

 見る人が見れば実に悪辣かつ悪趣味な現場だと言わざるを得ないだろう。だが此処は『後戸の国』であり、彼女ら三人以外に生命は存在しない。

 

「では、我々はこれより三童子になる、ということなんですね。いやー楽しみだなぁ」

「んー……まあ、そうだな! そういう事だ! お前たち仲良くするんだぞ」

「「はーい」」

 

 一つ補足しよう。

 摩多羅神の部下たる資格は丁礼田と爾子田のみ。それ以外があるはずがなく、童子に三人目など存在するはずがないのである。

 つまり、今回新しく童子を加えるのなら、丁礼田か爾子田に空きを作らなければならないのだ。……お役御免になった元人間の末路など、断じてロクなものではない。

 

 

「名前は霧雨魔理沙という。聞いたことくらいはあるだろう? その魔理沙だ」

「お師匠様。確かその霧雨魔理沙は異変解決の専門家で有名な人ですよね。それを我らの仲間に加えるという事は、つまり……幻想郷の自浄能力を削ぎ落とすって事ですか?」

 

 爾子田里乃は聡い。

 魔理沙のような何者の手も付いていない個人勢力は無理に他勢力へ引き入れると、幻想郷のパワーバランスにかなりの歪みをきたす可能性があり、言うなれば一種の緩衝地帯である。

 特に彼女ほどの影響力のある人間、さらには異変解決者という大事な存在を自勢力に引き入れるのは、下手すれば紫や霊夢の強い反感を買ってしまう恐れもあり、あまり賢い判断では無いだろう。

 

 そう、普通なら。

 残念なことに、この秘神は普通ではない。

 

「むしろ私が霧雨魔理沙という人間の中で最も価値を見出したのがその点だ。奴を取れば紫とその背後に潜む連中には大きな痛手となる。まあ、実力も私が少し弄れば申し分ないし問題ない」

「へーお師匠様は幻想郷に喧嘩を売るために新たな童子を加えるのかぁ。すごいなぁ、僕には真似できないなぁ」

「舞よ、これは幻想郷を守る為、だ。なぜ幻想郷を作った私が幻想郷に喧嘩を売らねばならん。おかしな話だろう。言うなればこれは自衛の一環よ」

「戦争屋はいっつもそんなこと言いますよね」

 

 そして犠牲になるのはいつの時代も関係ない第三者なのである。だがそんな些細な倫理観など隠岐奈には不要なものだ。

 

 この幻想郷において最も大切なのは『誇るべき真なる志』ではなく、『紛う事なき底無しの狂気』であることは疑いようもない。

 隠岐奈のその政治理念と統治理念には、かつて日の本を治めた最高の為政者すら完全に同意している。

 彼女ほどの存在になれば、余計な感情の起伏は無駄なものでしかない。

 

「もしかして、今回の件って地底で話し合われた内容が関係してます? 確か交渉が決裂したとかなんか言ってたじゃないですか」

「はっはっは。無駄に賢いなお前たち。ああそうとも、最終的な到達点は同じだが、我々は袂を別つことになった。何故だか分かるか?」

「聡明でなに考えてるのかも分かんないお師匠様の考えることなんて、僕たちには皆目見当もつきませんね」

「お師匠様がまた喧嘩を売ったのでは?」

「ふん、お前たちの私に対する悪辣なイメージの方が問題だな」

 

 隠岐奈は二童子へ呆れたように吐き捨てると、椅子に深く座り直した。そして心底馬鹿にしたような声音で高らかに告げるのだ。

 

「奴らは甘い。全てを望むことでしか未来を語る事ができんのだ。そんなもの、身の丈も分からぬ半端者の戯言に過ぎん。紫とてそれは同じだ」

「けど紫様は言うこと全部成してるじゃないですか。それでも半端者なんです?」

「ああ、あいつこそ一番中途半端な奴さ。失敗した事がないだって? そんな事はない! 奴は既に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだからな。今も、昔も……変わらない奴だ」

 

 紫を想う感情は一枚岩ではない。ありとあらゆる感情が隠岐奈には揃っている。その中でも一際に大きかったのが、喪失感だ。

 けれど、それでも構わないと思っている。

 

 仮に万人の命と幻想郷を天秤に測るなら、隠岐奈は迷わず幻想郷を選択するだろう。如何なる犠牲を賭してでも幻想郷の存続という道を選ぶ。

 それが摩多羅隠岐奈の賢者としての心構えだ。

 

「あんな方法で紫を制御できるものか。徹底的に対策しなければ奴の心に触れる事すら叶わんだろうさ。……その上で博麗の巫女と古明地さとりは邪魔な存在になる。いや、紫と関係する者全てが障害となるだろう」

「やっぱ幻想郷に喧嘩売ってるじゃないですか」

「そうでもないさ、もう既に根回しは済んでいるからな。ふふ、稀神正邪の登場が物事を加速させた。もう終わりへと近づいているのだ。言わば霧雨魔理沙を我らの元へ引き込むのは『トドメ』だ」

 

 隠岐奈は笑みを深める。

 口ではこう仰々しく言ったものの、彼女の考えはさらに深い。もし今回の籠絡が失敗に終わったとしても、それはそれでまた一興。

 それに、隠岐奈がさとりと決裂したのには方向性の違い以外にももう一つ理由があった。その理由は実にくだらない。

 彼女のペットの中に魔理沙と似たような負を抱えている妖怪を見つけ、その妖怪を我が物にしようとしたからだ。

 

 隠岐奈は人の所有物にちょっかいを掛けるのが大好きな性分であり、里乃と舞もその産物の成れの果てである。

 結局、その妖怪も魔理沙も勧誘には『失敗した』が、それもまた一興、一興。

 

『警告するわ摩多羅隠岐奈。貴女は二度とお空にも紫さんにも近付くな。次は……然るべき報復を受けてもらう』

 

 あの時(古明地さとり)も。

 

 

『断るぜ。私は……普通の魔法使いで、十分だ。アンタはお呼びじゃない』

 

 あの時(霧雨魔理沙)も。

 

 

『河勝、そなたの欲は酷く歪んでいる。何故そうも多面的な思考へと自分を追い込もうとするのだ。……救いようのない人間とは、正しくそなたのような哀しき者の事を言うのだろうな』

 

 あの時(豊聡耳神子)も。

 

 

『隠岐奈……貴女は絶対的なバランサーとなるでしょうね。とても頼もしいわ。だけど、一番大切な事を内に秘匿してる限り貴女は何もできない。そのことをどうか覚えてて』

 

 あの時も────。

 本当に、本当に……望んだ通りの反応をしてくれる。これが楽しくて堪らない。

 

 生けとし生きる者らは等しくして"性質"という名の鎖に縛られている。高尚な理念などというものは後天的に形成されるものであり、それの作られるきっかけこそ、人が生まれて一番に持っている"性質"というモノに他ならない。

 環境など二の次である。何故なら、性質が環境を呼び寄せるのだから。

 

 ならば摩多羅隠岐奈はどうだろうか?

 

 答えは、無い。

 存在し得ない。

 性質など、無限にあって、全く無い。

 

 彼女にとって万物の理とは、全てが正しく、全てが誤りである。完璧な正解など存在しないし、不正解もまた然り。

 楽しければ、楽しくない。悲しければ、悲しくない。あやふやにも程がある。

 

 幻想郷を守る?

 単なる気まぐれの娯楽に過ぎないのかもしれないし、胸の内に芽生えた"正の心"がそうさせるのかもしれない。

 本質なんて無いのだから、何を疑うものか。

 

 紫を殺すか生かすか?

 そんなもの時の運だ。自分が殺そうと思えば殺すし、生かそうと思えば【解決法】を模索する。歪み、滅亡、再生……勝手にするといいだろう。どっちに転ぼうが隠岐奈は紫を愛し、憎み、慈しむ。

 

 そもそも自分が何を思って行動しているのか、自分の趣味嗜好が何に依存しているのかもあやふやで、もしかしたら隠岐奈の知らない秘匿された存在が彼女の中に潜んでいるのかもしれない。そしてそれが知らぬまに自分を操っているのだとしたら──。

 

 だがそんな不安定な存在でも構わないだろうと、隠岐奈は考えている。

 秘神とはそういうものなのだ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 数日開かれることのなかった木製の扉が、鯖鉄の音を鳴らしながら開いた。魔法の森のジメジメとした空気も、今の魔理沙にとっては爽快なものに思えた。

 

 ふと、路端に咲いている花々に目を向ける。季節外れに生命を謳歌していたのは紫陽花。雨が降る季節でもないのに、ご苦労なことだ。

 もしこれが何者かによる仕業なのだとしたら、それはとても残酷なことだろう。草花といえど生え出た故の目的というものがある。それを歪めるのは大層業あることではないのだろうか。

 だが自然現象だというなら、これはただの自然淘汰だ。自らの生命の理由を全うできずに枯れる事だけが定められた哀しき存在だ。

 

 っと、魔理沙は頬を叩いた。若干ナイーブな思考に取り憑かれていたようだ。

 普段ならそこら辺に生えている草花のことなど気にもしないのに……これは悪い傾向だ。

 

 

「……っし。行くか!」

 

 自らを奮い立たせるように地を強く蹴って箒に腰掛け、かつて憧れだった宙へと浮かぶ。晴れ晴れとした春空が延々と山端まで広がっており、それを眺めると澄んだ気持ちになる。

 

 初心に戻ることを心がけている魔理沙にとっては良い出だしと言えるだろう。

 

「さて、どうするかな。……さっさとこんな異変なんか解決しちまって、今日中には終わらせたいんだが……」

 

 脳裏に蘇るのはあのおかしな賢者の話。

 何故か風貌や声質、さらには話の内容まで細かくは思い出せないのだが、ロクでもない話を聞かされた覚えだけはある。

 そして彼方からの申し出を断った事も。

 

 できれば奴の顔はもう見たくない。どうやら紫と同じ空間操作能力を有しているようで、魔理沙に隠岐奈の訪問を止める手段は今のところ無いが、訪問する為の口実を予め潰す事ならできるだろう。

 それにもう引き篭もりは懲り懲りだ。

 

「人里は、もうアテがない。アリスは居ないし、霊夢には頼れない。なら……紅魔館にでも行ってみるか。困った時の紅魔館だ」

 

 当主のレミリアからすれば遺憾な話ではあるだろうが、紅魔館には人材から資材、財力など一通りなんでも揃っているので、何かと魔理沙のような者たちには重宝されている。

 

 そうと決まれば即行動。魔理沙が力を込めると箒は文字通り『ほうき星』となり空を翔ける。幻想郷で二番目に速いと自負している事だけはあるだろう。

 

 

 紅い館が見えるまで数秒もかからなかった。

 門前ではいつもの美鈴と、珍しくフランドールが屯っていた。美鈴と同じような中華服を着込んだ元吸血少女は型もあったもんじゃない変な動きを繰り返している。太極拳の練習だろうか?

 

 

「よう門番、それにフラン。何してんだ?」

「あら魔理沙久しぶりー! 今はね、朝の運動をしているのよ。うーん日光を浴びながらの体操は気持ちいいね!」

「体操ではないんですけどね……あはは」

 

 元気いっぱいのフランドールを視界の端に、美鈴は困ったように笑う。まったく、つくづく吸血鬼を辞めている少女である。

 日光どころか、フランドールの知識が及ぶ範囲ではいかなる手段でも彼女には干渉できないのだから、もはや吸血鬼というよりは別の何か。

 

 フランドールは間違いなく道を踏み外した部類の妖怪だろう。彼女ほど禁忌を犯した存在はそう多くはあるまい。

 だが今の彼女からはその外れてしまった道筋をなんとか手探りで探しているような気概を感じる。その結果、前は浮かべる事などなかった真の笑顔を取り戻すことができている。

 

 魔理沙とは大違いだ。

 

「久しぶりなところ悪いんだが、館の中に入れさせてもらっても大丈夫か? パチュリーとレミリアに用があってな」

「残念ですけど今日も入館禁止ですよ。こちらもちょいとばかし忙しくてですね」

「……私にゃそうは見えんがな」

 

 いつもと変わらない営業スマイルを浮かべる美鈴に対し、魔理沙は怪訝な表情を隠そうともしなかった。というか門前でこんな事をやっているのだから、ハタからは忙しそうには見えない。

 そろそろレミリアのへそ曲がりも治った頃じゃ無いかと推測していたのだが、こうも長く続いているのであれば想定外だ。

 

「レミリアはまだ荒れてるのか?」

「いえいえ、いつも通りですよ。それにアレはただの照れ隠しですからね。紫さんとは嫌でも顔を合わせたくなかったみたいで……」

「今のお姉様はクソ雑魚蝙蝠で面白くないわ。会っても仕方ないよ」

 

 辛辣である。

 

「私が見てない時に何かあったのかもしれんな。まあ、入らないなら仕方がない……無理やり押し通らせてもらおうか!」

「あー、ちょっと待ってください。多分今日中には事が動くと思うので、やめにしてもらえませんか? 咲夜さんが帰ってくる頃にはまたいつも通りの紅魔館に戻ると思いますので」

「戦いたいなら私と弾幕ごっこしようよ!」

「……いや、今日は急いでるんでな。すまんがまたの機会にしてくれ」

 

 意気揚々とミニ八卦炉を構えたのだが、出鼻を挫かれてしまった。

 前回二人と戦った時は魔理沙優位で終わったのだから、正確には決着は付いていない。それでも勝てる算段が有ったからこそ、比較的強い決心を持って挑む事ができたのだが。

 

 いや、むしろ強者であるフランとの戦闘を避ける事ができたのはとても幸運だったのではなかろうか。今の自分に勝てる保証は……。

 と、魔理沙は思考を固まらせた。

 

(なんで私は戦う相手を選んでるんだ?)

 

 以前の自分ならこんな思考をする筈がない。つまり、自分はもうあの頃とは変わってしまっているのだ。それが魔理沙にはとても恐ろしく思える。

 行き場のない憤りを押さえつけるように箒の柄を握りしめた。

 

「な、なぁ美鈴。私と始めて会った時の事を覚えてるか? 紅霧異変の時にさ」

「ええ勿論。私からすればつい先週の出来事のように思えてしまうくらい、鮮明に覚えてますとも。それがなにか?」

「お前、私の事を試してただろ? だから、どう思ったか聞かせて欲しいんだ。正直な感想で十分だから……頼む」

 

 一瞬だけ惚けたように固まった美鈴だったが、なんだそんな事かと笑顔で答える。ただし、言葉を慎重に選びながら。

 

「中々の手練れだと思いましたよ。そもそも貴女が私の悪戯に完封されてしまうような人間だったらこの館には入れていません。まあ、咲夜さんとお嬢様に良い刺激になってくれればと、淡い期待を抱いての独断行動です。……どうやら魔理沙さんは私の指示した方向とは逆向きに進んじゃったみたいですけど?」

「もしかして根に持ってたか?」

「いいえ別に」

 

 その結果、パチュリーやフランドールと戦闘する羽目になってしまった事を思い出す。だが結果的には良い方向に進んでくれた。

 魔理沙も美鈴も、それだけで十分なのだ。

 

「えっなになに? 魔理沙と初めて殺し合った時? うーんそうねぇ」

「聞いてないぜ」

「あの時の魔理沙は凄みがあったわ。ギンギラギンに眩しい貴女を木っ端微塵にしてやりたかったんだけどなぁ。まあ、今は興味ないけど」

 

 それは願ってもない話だが、なんだか複雑な気持ちだ。思わずため息が溢れる。

 

「あっ、だけどアレはノーカンだよね。あの時の魔理沙は魔理沙だけど、あの時の私は私じゃない。あの状態で勝ち誇っても何も楽しくないもの!」

「妹様……」

「だからさ、今度はありのままのフランドールと戦ってよ、魔理沙!」

 

 心配そうに見守る美鈴をフランドールは手で制す。これも彼女なりの決意の表し方だ。

 幸いにも紫とさとりが道筋を整えてくれた。

 いつか戻ってくるかもしれない在りし日の姿。日光、流水、銀、そして負の感情……弱点は多いけれど、万全の感情で生きていたあの頃のフランドール。

 夢の世界の自分にも胸を張れるような、そんな自分を取り戻す覚悟がフランドールにはあった。魔理沙はそれを薄々と理解する。

 

「……一度得た力を失くすのは辛くないか?」

「うーん……上手く言えないけど、『失くす』っていうのは無くなっただけってことじゃないと思う。何て言えばいいのかしら」

 

 力を失うということは確かな喪失だろう。

 しかしそれ以上にフランドールには得るものがあるのだ。言うなれば、過去を除く全てが手に入る。それが魔理沙にはとても羨ましく感じる。

 

 だが逆もまた然り。フランドールの決断には大きなリスクが伴っている。

 けれどそれでもフランなら、そして彼女を見守っている者たちなら、それを乗り越えることができるのではなかろうか。

 そう信じずにはいられない。

 

 フランと美鈴の言葉に少しの嬉しさを感じた。

 大きな黒帽子のつばを深く下げると、魔理沙は逃げるように箒へ跨る。

 

「……悪いな邪魔した。ちなみに、咲夜は何処に行ったか分かるか?」

「さあ? 西の方に飛んで行ったことしか。……その目的は聞かないんですね」

「十中八九、この異変の事だろ」

「んー、まあ無関係ではないので半分正解としましょう。それではご機嫌よう魔理沙さん。『病は気から』……ですよ」

 

 何気ない最後の言葉に思わず箒から滑り落ちそうになった。あんな言い方をするのかと、魔理沙は大きなため息を吐いた。

 文字通り『気を使う程度』の門番には全て筒抜けだったのだろうか。なんにせよ恥ずかしいものだ。

 

 

 

 

「はぁ……調子狂うなぁ。結局パチュリーどころかレミリアにも会えなかったし。仕方ない、アリスに……って、居ないんだったな。どうするか……」

 

「はいはいはいはいお困りのようじゃないですか魔理沙さん! こんな時は幻想郷最速の情報通、射命丸文に要相談っ!!」

「お前の登場でまさかホッとする日が来るとは夢にも思ってなかったぜ」

「あやや、それは照れますねぇ」

 

 右往左往していたのもあるのだろうが、自分のトップスピードに易々と付いて来るこの烏天狗とは、実のところ魔理沙はあまり会いたくないと思っている。霊夢風に言わせれば「居なくていい時に居て、居て欲しい時に居ない」……そんな奴だ。

 

 だが今回ばかりは文のようなこういう陽気なキャラの登場は、沈んでいる気持ちを無理やり引き上げてくれるので、魔理沙にとっては救われたような気分だろう。

 

「いやーやっと本格的にこの異変を解決しようとしている方が現れてくれて助かりましたよ。そろそろ購買者も飽きてくる頃ですし」

「結局新聞のネタかよ。まあいいや、それよりもその口振りって事は……霊夢はまだ動いていないんだな?」

「ええ。今日は神社の麓で変な妖怪に扱かれて変な事やってましたよ。近寄ろうとしても変な仙人に阻まれてしまいますし、何をやってるのやら」

「『変な』ってのが気になるがまだ動いてないんなら好都合だな。咲夜とかも動いてるらしいが成果はない感じか」

 

 霊夢が変な事に巻き込まれているのはいつも通りである。大して気に留める理由もないだろう。それよりも今の魔理沙にとってはこの異変を誰が最初に解決するか、それしか関心がなかった。

 文はつまらなそうに組んでいた腕を空にぶらぶら揺蕩わせた。

 

「咲夜さんは知りませんが一応何人かは解決に乗り出してますよ。しかし妖夢さんは見当違い、名前の長い兎さんも期待はできませんね。互いに潰しあってますもん」

 

 白玉楼の主、幽々子の元に送られた鈴仙は何やら難しい立ち位置にいるようだ。魔理沙は対して彼女の事を知らないが、それなりに腕の立つ事は知っている。あと妖夢といがみ合っている事も。

 まあ、今は大して興味もないしどうでもいい。

 

「他は……せいぜいチルノさんとその愉快な仲間たちぐらいですかね」

「なるほど分かった。つまり私はそんなに出遅れてないようだな」

「そういうことです。貴女に本格的に動いてもらうのは私にとって最大の悲願でした。異変を解決できるのは魔理沙さんしかいません!」

 

 見え見えのおだて方だ。見方によっては魔理沙のことを舐め腐っているなによりの証左。あっちもそれが分かった上でやっているんだろうし、文はどこまでもブン屋だってことだろう。

 やはり気に入らない。

 

「……そんで、なんかこの異変に対するアテとかはあるのか?」

「あやや〜それが私にはサッパリですよ〜」

「わざとらしい嘘をつくな…」

 

 報道する自由と対を為す報道しない自由というやつだろう。マスゴミとは自分勝手かつ己を善と仮定するので厄介なものだ。天狗という尊大な種族にはぴったりなのだろうが、魔理沙たち一般市民からすればたまったものではない。

 文は悪戯っぽく笑う。

 

「私は知りませんけど、怪しい人たちなら何人でも居るではないですか! 季節という境を操ることのできる八雲紫、最近僻地に隔離された八意永琳、土壌そのものに影響を与える地底勢力!」

「お前たちもだぜ山の厄介者」

 

 魔理沙の一言はガン無視。

 それよりも文の言いたいのはこの名前。

 

「そして、四季のフラワーマスター風見幽香。一番に彼女を疑わずして誰を疑いますか? むしろ私が異変解決者ならばいの一番に彼女の元へ向かいますがねぇ。不思議なものですよ」

「……」

「そうですとも。何人かはもう幽香さんの元に行ったのです。そしてその悉くが戦闘に発展し、惨敗しました。あの人は強過ぎるのです」

「残ってるのは私と霊夢だけって言いたげだな」

「まさにその通りですよ」

 

 脳裏をよぎるのは破壊を撒き散らす規格外の化け物。放たれる熱線はありとあらゆる物を一瞬で蒸発させ無と帰す閃光。悠々と全てを見下し続ける彼女の姿は強者そのものだった。

 過去に戦った時は為すすべもなく蹂躙され、魅魔と霊夢が駆けなければ……あの夢幻の世界へと消失していただろう。アレもまた苦々しい思い出だ。

 

 魔理沙だって分かっている。仮に幽香がこの異変に微塵にも関わっていなくとも、話を聞ければ必ず有益な情報を手に入れることができることぐらい。

 紅魔館や人里、霖之助の元を尋ねなくてももっと早く解決することのできる方法はあったのだ。魔理沙が気付かないはずがない。

 

 それでも幽香の元へ行くのを恐れたのは、一重に彼女の圧倒的な暴力の前に敗北する事を恐れたからである。好戦的なアイツのことだ、ただ話を聞くだけでも面倒な展開に拗れていくのは火を見るよりも明らか。

 もう二度と負けたくないと心に決めたのにわざわざ幽香に戦いを挑む馬鹿がどこに居るのか。それほどまでに、強大だった。

 

 だがそれは……霧雨魔理沙のする事じゃない。

 

「行くぜ私は。幽香のとこへ」

「あやや、これはまた急な決心で。しかし私は魔理沙さんのその勇気を尊重しますよ! それこそ人間が持つべき輝きというものでしょう」

「勇気、ねぇ。蛮勇にならなきゃいいがな」

 

 自虐げに呟く。

 

「そんでお前は幽香の場所を知ってんだろ? 私を煽るくらいなんだからな」

「それが途中で見失っちゃったんですよ。そこまで速い動きをする妖怪だとは思っていませんでしたので不覚を取りました。けど、彼女の場所を知ってそうな人物なら知ってますよ」

 

 

 

 

「あっ、居ましたよ! ほらあそこ!」

「全然違う場所じゃねーか! 何が無名の丘だ。……って、あれは……」

 

 文の指定した無名の丘にて可愛らしい人形からの攻撃を受けた。それをなんとか躱し文を悪態つきながら移動している最中のことだった。

 長い畦道を歩く人影を見つける。それこそ文が話した件の人物であり、彼女は魔理沙の予想だにしていない人物と共に居た。

 いや、というより────。

 

「見つけたぜ八意永琳!」

「……あの夜に見た顔ね。何か?」

「ちょっと用件があってな。いやそれよりも、お前がおぶっているそいつは……」

 

 永琳に背負われているのは魔理沙も文も見知った顔だった。紅魔館の瀟洒なメイド、十六夜咲夜その人だ。意識はない。

 よく見ると二人の服装はボロボロで所々に切り傷がある。つまり、つい先程までこの二人は戦闘を行っていたのだろう。

 

「お前、咲夜を殺したのか…?」

「しないわよそんなこと。一応医者ですし、無闇矢鱈に人の命を奪ったりはしません。……八雲紫だけが例外だっただけよ」

 

 途中で自分の言葉と異変時の行動が矛盾していた事に気が付き渋々付け加える。そもそも永琳は医者である前に月人であり、"死"という穢れには潜在的な嫌悪感を抱いているのだ。

 ……逆に言えばそんな永琳が、紫やそれを守ろうとする者達を殺そうとしていたのにはそれだけの理由と想いがある、という証左になるのか。

 

 それにしても魔理沙にとっては永琳と咲夜という組み合わせは異質だった。何故そう感じたのかと言うと、二人が織り成す違和感がまるで自然なもののように纏わり付いているからだ。

 はて、と首を傾げる。

 

 一方で文は特ダネの臭いを感じ取っていた。

 

「それで、咲夜さんを担いで何処へ? 彼女に手を出したのなら紅魔館の方々が黙ってないと思いますが……。そもそも前回の件も、ねぇ?」

「私からは仕掛けてないんだけどね。まあ仕方ないので、色々と挨拶も兼ねて紅魔館とやらをこのまま尋ねてみようと思ってるわ。どうやら監視役の方も自由行動中みたいですし」

「もし暴れる事になったらちゃんと私を呼んでくださいね? お願いしますよ?」

 

 永琳は面倒臭そうに文の言葉を聞き流した。どうやら考え方そのものを変えたわけではないらしいが、それなりに身を弁えるようにしたようだ。

 期せずして紫と輝夜の目論見どおり、といったところだろうか。

 なお幽香が責務を全うしていない事についてはスルーすることにした。

 

 だが魔理沙にはそれらの件は殆ど関係ない。

 今、彼女が探しているのは永琳でなく、彼女の監視役である妖怪なのだから。

 

「……幽香は何処に居る?」

「あら彼女を探しに来たの? 物好きな人間だこと。わざわざアレと会いたがるなんて」

「だから人間の取材はやめられないんですよ! 生きる姿も死にゆく姿も美しいっ!」

 

 何やら饒舌に語っている文ついては、薬師と魔法使い共にガン無視と決め込んだ。

 永夜異変の時よりも剣呑な雰囲気を放っている魔理沙を見るに、幽香への用件とは穏やかなものではない事は一目瞭然。

 永琳にしてみれば、無謀というほかない。

 

「貴女の能力を正確には測れていないので私からはあまり強く言えないけど……勝てないわよ多分。それどころかうどんげやこの十六夜咲夜にだって……」

「ストップストーップ!! 幽香さんの恐ろしさは幻想郷在住の我々が一番よく知ってますとも! いま魔理沙さんが欲しているのは『居場所』だけなのです! 此方を怖気付かせるような情報はいりません。そうですよね魔理沙さん?」

「幽香より先にお前からやってやろうか?」

 

 文の魂胆は見え見えだ。

 忠告により魔理沙の戦意が萎えてしまうのを危惧したから、こうやって無理やり話の流れを変えようとしたのだろう。ブン屋は汚い。

 

 ……もっとも、怖気付いていないと言えば嘘になってしまうが。

 

「私も何処に行くかは聞いていないわ。そもそも幻想郷を自由に歩けないんだもの、知る由がないわ。ただ、メディスンが『幽香は花がいっぱい咲いてる所によく居る』って言ってたわね。幻想郷にはそんな場所があるんじゃなくて?」

 

 魔境と化した幻想郷にて花がたくさん咲いている場所などかなり限られてくる。

 かつては幻想郷の西南部には花畑を含む肥沃な草原地帯が広がっていたらしいが、現在は吸血鬼異変の際の美鈴と萃香による戦闘の影響で荒廃してしまっている。なんとも傍迷惑な話だ。

 

 さて、花……というより植物の楽園ならば確かに幻想郷には存在している。確か今は向日葵がこれでもかと咲き誇っていたはず。

 名前は『太陽の畑』

 幽香が如何にも好みそうな場所である。

 

 

 

 

 黄金の絨毯が幻想郷の大地に見渡す限り敷き詰められていた。恐らく、ここが幻想郷にてもっとも生命力の集中している場所だ。

 あまりにも偏りすぎている。生命の苛烈な奔流が罪となり、本来その対極に位置する"死"を呼び込んでいるのだ。それはまるで、幻想郷が彼女に呼応しているかのように。

 

 意味なく繰り返される尊き生命の流転。

 生え出た花々は一瞬の命を謳歌し、一瞬で朽ち果てる。その死骸を糧に次なる花が生と死を踏み越えて誕生する。

 これが浄土の者が地上を嫌う理由。

 穢れだ。

 

 

 と、ぐるぐる八方を回転していた向日葵の花弁が一斉に一つの方向を指し示した。

 集合体恐怖症の人間なら卒倒しかねない光景。健常な人間もそれを好むはずがなく、向日葵は魔力の焔に飲み込まれた。

 

 燃える向日葵を魔理沙は踏み越える。

 

「……相変わらず楽しそうにやるもんだなお前は。それが今の遊び道具か?」

「咎めても止めるつもりはないわよ。大量虐殺も娯楽のうち……人間、植物、妖怪、虫けら……何が違うというのかしら?」

 

 本当に何も変わっていない。

 容姿や妖力の形質が多少変わろうと、風見幽香という妖怪が持つ異常な価値観と存在感は決して変化するはずがない。

 

 数多の死の上に立つ彼女は振り向きざまに()を振りかぶった。水平上に生きていた花たちは一斉にその生命活動を停止させる。

 そして、幽美に嗤うのだ。

 

「酷い面構えだこと。もう魔法への酔いは覚めたみたいね。つまらない力でしょ」

「……」

「慣れは人間にとって一番の毒。先があるなんて思い込んでるから勝手に絶望していくのよ。阿呆らしいったらないわ」

 

 不気味なルビライトの瞳が揺らめく。魔理沙は既に臨戦態勢に入っているが、幽香はそのそぶりを全く見せない。

 だが趨勢はどうだろうか。

 ミニ八卦炉を掴む掌がカタカタ震える。

 

「異変について話すことは何も無いわ。私と貴女が再び出会った……これがそんな陳腐な出来事の始まりで済むと思って?」

「……っだろうな。こうなる事は分かってた。勿論、腹は括ってるぜ」

「の割には、随分と威勢が弱いわね。昔の無鉄砲な馬鹿が良いんだけど……私と殺り合うのにもっと理由が欲しい? 異変解決なんてチープなものより」

 

 どこぞの巫女に聞かれたら面倒臭い事態に発展しそうな言い様だ。しかし、幽香の嗜虐的な笑みの裏には何か得体の知れない不気味さが混在している。まるで秘密を勿体つける子供のように。

 何故か動悸が早くなる。

 

 と、何か思い付いたのだろう幽香は更に笑みを深めた。そしてそれは、魔理沙に対する一番の挑発だった。

 

()()()()()について教えてあげるわ。何も知らないんでしょ? アイツのこと」

「な……ッお前、知ってるのか!? 魅魔様が……まだ幻想郷に居る……?」

「あはは、面白いくらい動揺するわねぇ」

 

 魔理沙は胸を押さえた。

 こんなところで、しかもまさか幽香に教えてもらうとは夢にも思っていなかった。

 彼女を探すのはもう半ば諦めていたから。

 

 魅魔……懐かしい響きだ。今は何処で何を……。

 

 

 

「殺したわ。私がね」

 

「────は?」

「木っ端微塵よ。そうねえ、確か吸血鬼異変のすぐ後くらいだったかしら。実に呆気ない、悪霊にはあつらえ向きの最期だったわ」

 

 頭が冷える。

 

 嘘だ。嘘に決まっている。

 いくら幽香が相手だったとしても魅魔が遅れを取るはずがない。ありえない。

 だがあっけらかんと言い放った割に、幽香の眼は据わっていて、真に迫るものがあった。花妖怪の鳴りを潜めていた妖力が、こんこんと爆発的に膨れ上がる。

 

 本気だ。

 この花妖怪は本気で言っている。

 

 解放された力が縦軸に迸り、空を裂き土を崩す。天地を崩落させる規格外の暴力が今、魔理沙へと一点に向けられる。

 

「さあ、師の仇である私を憎みなさい。逃避なんてしてたらあっという間に殺すわよ」

「なっ、あ──!?」

 

 追いつかない思考が無理やり収束する。気付いた時には既に遅かった。

 眼前を埋め尽くす白滅の光。

 為すすべもなく魔理沙は破滅に飲まれた。

 

 脳裏で魅魔の笑顔が浮かび、散り散りに消えた。

 

 

 




 
永琳「あの子の母です、多分」
レミ「知ってた」フンス!
永琳「でしょうね(知ってた)」
レミ「あ"?」ビキィ

美鈴(修羅場!)
パチェ(修羅場…)
フラン(修羅場だ!!)
咲夜「Z Z Z……」


咲夜さんに自分の出自を知ってもらうことで今後の展開に繋げていくぅ! ジャックザリッパー説も好きです。
ていうか咲夜さんの対戦相手がいっつもヤベェ奴らばっかで流石に気の毒になってきました。つまり妖夢は癒し……。



??「誰も来ない……説教したい……」


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フラワリングケア(前)*

幽「まあ師匠が師匠……それも仕方ねぇか。魅魔は所詮、前の時代の……敗北者じゃけえ」
魔「ハァ…ハァ……敗北者?」
幽「?」
魔「取り消せよ、今の言葉…!」
霊「やめろ魔理沙! 立ち止まるな!」
 


 

 

 焦げ臭い瘴気が辺りに立ち込める。

 生に満ち溢れていた命の坩堝は、一瞬にして虚無と化した。黒々とした幾多もの命の残骸が、その(むくろ)を炭として晒している。

 

 そんな死の坩堝に残った生命は二つ。

 大量虐殺の張本人である風見幽香と、その被害者である霧雨魔理沙のたった二人。

 

 焼き尽くされた空気から僅かな酸素を吸引すべく、魔理沙は必死に呼吸を繰り返した。その度に荒々しく肩が上下し、それに合わせて背中から生え出た作り物のような翼が震える。

 

「っ、ハァ……! ハァ……ッ!」

「ふふっ、挨拶代わりの魔砲で無様に息を切らしちゃって。そんなザマで私を倒すどころか、魅魔の仇を取れるとでも? ほぉらもう一発」

「〜〜ッ! うあ!?」

 

 続けざまに放たれた魔力の塊が魔理沙の片翼を撃ち抜き、地面の着弾による衝撃により前のめりに吹っ飛んだ。そして次に魔理沙の視界に映ったのは、凄まじいスピードで迫る剛脚。

 残った片翼で咄嗟にガードを固めたが、それでも幽香の蹴りを防ぐほどの耐久力はなかった。めちゃくちゃな衝撃が奔り、分離したそれは宙を舞う。

 

 あまりの痛みに膝を付いて塞ぎ込んだ。思考がごちゃまぜで全く機能しようとしていないが、本能が脳に煩いほどの警鐘を鳴らしているのが分かる。

 と、額が泥土へと押し付けられた。三角のとんがり帽子をてっぺんから踏み抜き、魔理沙の後頭部へと靴底を叩きつけたのだ。

 為すすべもない暴力の前に魔理沙は早くも戦意を喪失していた。嗚咽と苦悶の呻き声が太陽の畑に細々と響き渡る。いつもならその声を嬉々とした表情で堪能するであろう幽香は、氷のような冷たい無表情のまま魔理沙を見下ろす。

 

「脆い。あまりにも、脆い。人間ってどうしてこんなにも弱いのかしらね。四肢を捥げば何もできない、頭を潰せば即死。息はすぐに切れるし、感情にすぐ左右される。そして何より、儚い」

 

 頭を潰す云々に関しては妖怪も当てはまるのだが、幽香に対してそれを指摘するのは無粋なことだろう────と、炭となった草葉の陰から状況を見守っている射命丸文は思った。

 ちなみにいつでも逃げれるように常時臨戦態勢である。まさかここまで圧倒的な展開になるとは予想だにしていなかった。号外にはなりそうにない。

 

 ──と、そんな文に気が付きつつも、幽香はガン無視。踏み付ける力を徐々に大きくしながら更なる言葉を投げかける。

 

「その翼。まさかとは思うけど、私の真似かしら。構成や使い方がそのまんまだけど、なんにせよ中途半端よ。人間のまま私の力が扱えるとでも? ……それじゃ言葉通り、ただの真似っ子よね」

「──っっ!!」

「おぉ?」

 

 魔理沙は魔力の暴走を故意的に引き起こす。それによって行われるのは身体全体から放たれる特大魔砲。血を媒介として現れるそれは、現段階での魔理沙における最高火力の魔法。

 至近距離からなら──!

 

全方位殲滅型閃光砲(オムニディレクションスパーク)ッ!!」

 

 八方を煌々と埋め尽くす極太レーザー。瞬時に膨張した魔力の閃光が幽香を弾き飛ばし、深々と幻想郷の土壌を抉っていく。噴き上がる魔力の渦は数分間止まらなかった。

 蛸足のように交錯する光の柱は互いに結合と分離を繰り返して、辺りに極限の破壊を撒き散らす。

 

 あの美しかった花々の楽園はもう無い。滅びた。

 かつての花園を知る者なら、誰もが同じ感想を述べる筈だ。「地獄」……と。

 

 やがて光は収束した。

 滅線を出し尽くした魔理沙は、ふらりと仰向けにひっくり返る。枯渇した魔力を補充するため、一切の力を要さない態勢を取ったのだ。

 幽香を模倣した翼を生やす魔法、先程の大技、そして感情の起伏による負担。それらによって費やされた魔力は、無尽蔵に近いと思われていた魔理沙の魔力タンクを一瞬で食い尽くした。

 

「ゼェ…ゼェ……どんな、もんだ……!」

 

 吐き捨てるように言い放った。全身全霊の一撃。アレを食らったのならさしもの幽香もただでは済まないだろうという()()からだった。

 これで生きているなら、もう希望は────。

 

 

「面白い技ね」

 

 

 希望、は……。

 

「但し私のような妖怪が使った場合に限るけど。お前のような脆弱な人間が使えばそうなるのは当然よ。身の程を知らないからこうなる」

 

 幽香は無傷だった。

 焼き焦げたブラウスの袖を破り捨てながら悠々とこちらに歩みを進めている。

 そもそもマスタースパークの原型は幽香が使っている極太レーザーだ。その対策法も、勿論幽香が一番よく知っている。同規模の反対魔法をぶつければ無傷でいられるのだから。

 ただ、困難なことに変わりはない。幽香がただ暴力だけに長けた妖怪ではないことの証明だろう。幽香も超一流の魔法使いだ。

 

 悔しさに拳が震える。

 信念も決意も、全てを失ってしまう。

 

 残ったなけなしの力を振り絞り、ミニ八卦炉を構えた。そして放ったのはマスタースパークとは到底言えないほどに弱々しいレーザー。幽香はそれを一瞥もすることなく片手で弾く。情けない音を上げながら光は失落した。

 

「ちく……しょう……!」

「普段のお前ならもうちょっとマシな勝負になった筈。だけど今回はならなかった。それは魔理沙、お前が中途半端だからよ」

「違う! 私は……違う!」

「何が違うって?」

 

 吐き捨てられた言葉とともに脇腹へ強い衝撃。視界と思考が二転三転とクルクル回る。

 

「かはッ……」

「人間にも妖怪にもなれず、矛盾を抱えながらそれを誇っていく人生なんて、ただただ空虚なだけ。……ほら、認めたくないでしょ? それが半端だって言ってるのよ。甘えるな」

 

 蹴り上げられた魔理沙は宙を舞い、何度か地面をバウンドした。幻想郷の青い空が一転、茶色の大地に変わる。そしてうつ伏せに倒れる。受け身を取る力も無い。

 頭から流れ出ていく熱を感じながら、一周回って頭を冷えた事が分かった。今、自分はこの上なく冷静な状態にある。血を流しすぎたか? それとも自分の死期を悟ったのか。

 

 どのみち同じだろう。

 

「私に……どんな道があったんだ……」

 

 普通の人間に落ち着くようなつもりは毛頭無い。そんなつまらない人生で果てるくらいなら、舌を噛み切って死んだほうがマシだ。

 妖怪に堕ちてしまえばなんて楽だっただろう。でもそれはできなかった。思い付く限りの顔ぶれなら自分に「やめておけ」と言うはずだ。

 

 何を目指せば良かった……?

 

「霊夢は強いわね。聞くところじゃ永琳を倒したっていうじゃない。脆弱な人間でもちゃんと磨けばあそこまでの存在になる。アレこそ人間としての完成形と呼べるのかもね」

「……」

「対して妖怪の完成形は、案外少ないわ。紅い館の主人や萃香がその少ない例かしらね。だけど半端でも力を発揮できるのが妖怪という種族の強み。そうね……アリスや紫を想像すればいい」

 

 なら何が違うのか。

 フランやアリス、霊夢に紫……彼女らと自分の何が異なっているというのだ。狭間に生きる者たちは強い。それは両方の力を持っているからだと分析していた。それは間違いなのか?

 

 狭間に生きるという事は、中途半端である事とイコールでは結びつかない?

 何故自分ばかりがこうしてみじめな想いを?

 

 

 全てが、足りないから……?

 

『力が欲しいか?』

 

 

 足りない力を────

 補うことができないから……。

 

『『いつかの普通』を『今の形』としてお前に見せてやる事だけだよ』

 

 

 綺麗事で生きていけるほど────

 此処(幻想郷)は優しい場所じゃないから。

 

『幻想郷の皆に如何様にも誇れる力……』

 

 

 遠ざかる星。移り変わる夢────

 願いと理想が遠いから。

 

『己の夢に向けて駆ける事のできるだけのささやかな力……思うままに願いを実現する力……』

 

 

 幼少の頃に抱いた、全ての始まり。そこから紡がれた全ての出会い────

 あのかつての夢が、繋がりが、今は邪魔だから。

 

『幻想郷の英雄よ。──力が欲しいだろう?』

 

 

 手段も目的も、何もかもがぐちゃぐちゃで形を成さない。だけどそれでも、何かを叶えたいという衝動はあった。

 力が無ければ何もできないのだ。

 綺麗事を言うな。自分には選択する権利すら残されていない。だから、まずは失った全てを取り戻さなければならない。

 

 例え守ってきた物を失おうとも。

 何かを得られるのなら。

 

 それでいいんじゃ……?

 

 

 

 沸々と湧き上がり始めた魔力の高まり。それを感じ取った幽香はその源を一瞥する。確かに自分が嘗て対面した禍々しい力そのものだ。

 これを待っていた。

 

「吸血鬼異変が終わってすぐよ。私は逃げ回る魅魔を追い詰めた。そして、ちょうどここで最期の戦いに興じたわ」

 

 ピクリ、と。魔理沙が微弱な反応を見せた。

 もっと激しい感情の高まりが必要だ。全てを投げ捨てる覚悟を決める程の感情が。

 

「力を失って項垂れる魅魔に、私は言ったわ。『言い残すことはないか』ってね」

 

 目を閉じるだけであの時の情景が蘇る。旧敵、旧友に破滅の力を向けたあの時の想いと一緒に、記憶が再生する六十年目の幻想郷と共鳴する。

 両者とも冷静さを大きく欠いている。

 

「なんて言ったと思う? 命乞い……違う。罵詈雑言……違う。自分の事でも、況してや私の事でもなかったわ。────ええ、お前の事よ」

 

 魅魔は悪霊としての自分では死ななかった。魔法使いとしての自分では死ななかった。

 この出来の悪い弟子の、たった一人の師匠として死んでいったのだ。

 最期を悟った魅魔は静かに語っていた。冷たく見下ろす幽香へ縋るように懇願した。

 

 

「『魔理沙には、黙っていて欲しい』って」

 

 

 しん…と、静まり返った。延々と広がる死の世界には二人の息遣いだけがこだまする。

 そしてその静寂を破ったのは幽香だった。

 

「──ふ、ふふ……アッハッハッハ! アイツにも一丁前の自尊心があったのかしらねぇ? 師弟揃って馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」

 

 誰が見ても分かる見え見えの挑発。それは魔理沙の心には響かない。

 だけれど、抱かなければならない感情と、取るべき行動ははっきりと分かっていた。

 くしゃりと頭の金髪を握り締める。

 

「魅魔さま、今更だけどなんとなく分かったぜ。私を破門にした理由が。……もう、遅いよな。ごめんなさい」

 

 ゆっくり立ち上がると、掌からスパークを奔らせる。いつものような眩い光ではなく、影に塗れた黒々しい雷だった。

 悲痛な面持ちで幽香と視線を交錯させる。

 初めて対等に張り合った瞬間だ。

 

「私はもう、普通じゃなくていい」

「それでいいわ。ふふ、いい面構えよ」

 

 幽香の暴風雨のような魔力とは対極に、魔理沙のそれを例えるなら湖の湖畔に広がる静寂。だがその内に秘められた荒々しさは、幽香の顔を露骨に綻ばせるに十分だった。禍々しく、そして輝かしく。

 

 道化を演じるのも飽き飽きしていたところ。

 さあ、ここからが本番だ。

 

「今日限りの大暴れ、悪い遊びを存分に堪能しなさい! どこまでも狂い堕ちて、永遠に忘れられなくしてあげる!」

 

 

 

 *◆*

 

 

 地響きは幻想郷を包み込む。それは一つの空間を隔てた八雲邸にまで浸透しており、新築の家屋にかなりのダメージを与えている。

 下手すれば倒壊しかねない状況で、奇しくもその原因となっている妖怪は、前八雲邸を建て直すきっかけを作った妖怪と同人物だった。風見幽香は二度壊す。

 

 賢者の式、八雲藍は不安定に揺れ続ける家屋を片腕の結界で支えながら事の成り行きを監視していた。額には青筋を浮かべながら。

 

「よりにもよってまさか、こんなタイミングで……! あの馬鹿め……!」

 

 風見幽香は八雲主従ともに認める幻想郷トップクラスの危険分子。何より恐るべきはその戦闘能力と手の早さである。好戦的な性分は鬼と同じだが、彼女らと大きく異なるのは、強者でありながら力をセーブしないことだろう。

 殺ると決めたらどんな矮小な存在でも全力で長く甚振る。よって、幻想郷へのダメージも他の妖怪とは段違いだ。

 

 何よりも厄介なのは彼女が暴れ出した時、正面から止める事のできる者はこの幻想郷においてもかなり限られてくることだろう。幽香と戦って少なくとも勝負となる人物は両手で数えれるほどだ。

 ……一応、幽香が暴れ出したのは今回が初めてではないのだが、その都度どうやって収めてきたのかというと、全て紫の手によるものだった。

 藍は、幽香が紫との実力差を恐れてその度に大人しくしていたものと以前まで考えていたが、どうやらそうではない事が最近分かっている。非力であるらしい我が主人は、どんな手を使って幽香を宥めてきたのだろうか?

 戦闘力の有無だけでは量れないその強さに、紫への評価が数段上がった。

 

 だが今回はその肝心の主人がいない。

 まさかその存在を欠いただけで、幻想郷がここまで不安定になってしまうとは……。

 

「忌むべきかな、自分の無力さが恨めしい! こんな重要な局面で動けず霊夢を待つことしかできないなんて……っ!」

 

 憎々しげに己の右腕があった場所を睨みつける。永夜異変の際に妹紅より受けた傷が。当初の予測を裏切って未だに完治しないのだ。

 この理由については同じ蓬莱人である八意永琳より聞き出している。なんでも彼女に付随している"永遠の力"なるものが藍の自然治癒力を妨げているらしい。なんとも眉唾な話だ。

 しかし今のところ半年経っても腕に妖力を纏わせることすらできないのが現状である。

 

 片腕で幽香と戦うなど自殺行為も甚だしい。万全の橙だって、あの花妖怪相手に勝てる確率は一厘も存在し得ない。そもそもそんな死地に愛する式を送り出すことなどできるものか。

 

 霊夢はと言うと、現在絶賛行方不明だ。式分身をフル稼働してその行方を追っているが、その足取りは一向に掴めていない。

 他に幽香を相手できそうな面子はというと……藍と同じく負傷しているか、静観を決め込んでいるかだ。動いてくれそうな萃香でさえ、この状況を静観している。

 他にあの花妖怪に匹敵しそうな者は……動いてくれそうにない。

 

「……天魔に、援軍か」

 

 天魔に治安維持を要請すれば奴は喜んで妖怪の山の兵力を貸し渡すだろう。正直そこらの天狗など必要ないが、文を始めとする実力者集団『新四天王(五人)』ならかなりの助けになる。

 だがそれは藍が……況してや紫が望む選択でないことは明らかだ。このタイミングで天魔の発言権を強めればどうなるか判ったものではない。

 

 だが、それ以外に取れる方法がないのも確か。

 魔理沙が崩れれば幽香の行き場のない暴力が何処へ矛先を向けるのか、それすらも未知数。幻想郷存亡の危機と言ってもいい。

 

 天魔云々よりも前に、守るべき幻想郷が無くなってしまうことの方が紫に顔向けできない事態といえよう。

 藍はゆっくりと、主人の姿を思い浮かべながら天を仰ぐ。

 

「──致し方ない……か」

 

 不甲斐ない私をお許しください、と。何度も心の中で反芻させた。

 そしていざスキマを開き────。

 

 

「その必要はありませんよ。藍さん」

 

 制止するように手首を掴まれた。

 ギョッと目を見開く。

 

「お前は!? ──……いや、寧ろお前だからか。このタイミングで割り込める者などお前か隠岐奈様、そして紫様くらいだろう」

「一応、お褒めの言葉と受け取っておきましょう。それらと同列に語られるのは、どうもむず痒くて堪りませんけどね」

 

 八雲主従が生活しているこの空間は、侵入することこそ容易ではあるが、一切の壁を破ることなくこの空間に足を踏み入れるのはその限りではない。

 自分たちや隠岐奈はそういう能力を持っているからだが、目の前の少女は違う。

 彼女はそこに居るという『事実』と『根拠』を作り出したに過ぎない。

 

 藍は訝しんだ。

 

「何故このような時に? 残念だが紫様はお戻りになられていないぞ」

「知ってますよ。それにこんな時だからこそ、私が来たんじゃないですか。……判っています。猫の手も借りれない状況なのでしょう?」

「そのくらい()()()解るだろうに、あいも変わらず悪趣味な能力だな」

 

 吐き捨てるように言う。そもそも藍は目の前の少女を好いてはいない。あれだけ主人をコケにされて喜ぶ式などいるものか。

 ──そんな事もお見通しだ。

 

「あいも変わらず愚直な方ですね。貴女のような方は一度主人を変えてこそ大きく成長するのです。どうでしょう? 我が館の給仕にでも」

「要件を言え。忙しい」

「『話すのも面倒臭い』と声に出して言えばいいのに……。まあよろしいでしょう。正直私も時間が押していまして」

 

 主従揃って煽り甲斐があると思いながら、淡々と言葉を紡いだ。

 

「今回の件は我々や管理者が手を出すべきものではありません。『見守る』ことが最適解であると、敢えて提言します」

「何を馬鹿な……霊夢が居ないというのに、誰が幽香を抑えるんだ?」

「魔理沙さんですよ」

 

 魔理沙、普通の魔法使い霧雨魔理沙。

 藍は少し考えて、大きく首を振った。……魔理沙を頼るのは流石に無理がある。

 勿論彼女とて実力者だ。通常の異変なら藍は喜んで魔理沙の元へと依頼を出しに行くだろう。実際それだけの実績もある。

 

 だが彼女では幽香に勝てない。

 そう決まっているのだ。

 

「敢えて聞こうか。根拠は?」

「因縁、期待、思惑……様々あります。中でも一番大きいのは、思惑でしょうか。禍々しい裏の力が魔理沙さんを強くする」

「……」

「この異変を裏から利用している者がいます。そしてその策略が成就すれば風見幽香を止める事はできましょう。……彼女の死を以って」

 

 死……すなわち殺される。

 いくら幽香ほどの妖怪でも殺せない事はないと、一応藍も思っている。寧ろ蓬莱人相手ですら、殺す方法を考えるのを諦めてないくらいだ。

 だが流石に話が飛躍しすぎている。何一つとして彼女が言っていることが結びつかない。こんな話し合いに何の意味があるのか。

 

「幽香さんが死ねば喜ぶ者……星の数ほどいるでしょう。しかしこんな大掛かりな舞台を用意できる者は流石にそれなりの数まで限られてくる。ならば、自分の手を下さず幽香さんを魔理沙さんに始末させ、尚且つ魔理沙さんを手篭めにしようとしている存在……と言えば、大体の予想はつくのでは?」

 

 一転、丁寧な説明でまくし立てる。

 心当たりがないかといえば、そうでもない。『何人か』そんな事をやらかしそうな存在が幻想郷の裏には潜んでいる。

 そして藍は、その人物らを常々始末しておきたいと考えていた。理由は言わずもがな、幻想郷の安定を守るため、そして主人にとってのイレギュラーを消しておくため。

 

 それを考慮してこの話を持ちかけてきたのなら、藍にとっては是非もない。紫が帰ってくるまでに幻想郷の遺恨を根絶やしにできれば……。

 

「幽香さんは全てを知ってなお魔理沙さんとの決戦を選びました。狂気と戦闘欲に溢れている彼女でも、死ぬのは御免でしょう。それに相応の考えもあるようです」

「……分かった。つまり、今回の件は裏を取る為に『泳がせておく』という事だな? 魔理沙という、高い対価を払って」

「貴女とは紫さんと違ってスムーズに話が進みます。とても喜ばしい事です……が、半分だけ間違っていますね。我々が掴み取るべきは『幽香さんと魔理沙さんを失わない』結果です」

 

 くるりくるりと、細い指が宙をなぞる。

 

「此方が対価を払う必要は無いのです。そんなもの、彼方側だけで充分。魔理沙さんを失わずにこの局面を切り抜ける事が最善でしょう。そしてそれは少々運の絡む賭けになる」

「……私の知らないところで随分と話が進んでいるようだが、紫様はご存知なのだろうな? お前の独断ならそれは──」

 

 ──ただの脅威でしかない。

 紫側に与していることは理解できた。だが自分の知らない水面下で幻想郷の安保における局面を彼女が動かしているのだとしたら……。

 そして、それを紫が知らないのだとしたら──。

 

 そんな藍の懸念を知っているのだろう、彼女は薄く笑った。安心させるように、深く理解させるように……。

 

 

「ええ。『あの人』は知っていますよ。八雲紫と名のついた『彼女』ならね」

 

 不可解なニュアンスに一瞬の疑問を抱く。

 だがそれは一気に払拭された。

 

「……なるほど。……それで、追って説明してくれるのだろうな? 紫様について」

「勿論。貴女には知る権利がある」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 幽界の壁を隔てても感じる強大な力の唸り。有り余る生命が世界そのものを蝕むような酷い錯覚に陥りそうになる。ビリビリと強い衝撃が空間を伝播し、紅い彼岸花を揺らす。

 今、幻想郷と親友がどうなっているのか、霊夢は気が気ではなかった。できることなら今すぐにでも飛び出してこの面倒臭い事態を解決したい。だけど、ここで待つ事が何よりの最善手であることは分かっていた。

 

 焦る気持ちとは裏腹にゆったりと進む彼岸の時間にイライラは募るばかり。

 いや、なによりも今も呑気に欠伸なんかしている目の前の死神が気に入らない。

 というか、そもそも異変における原因の片棒を担いだのはこの死神だという話ではないか。今はジッと我慢しているが、目の前の死神は霊夢の滅殺リストに堂々と追加されている。

 

「……」

「ふわぁ〜……そう()くもんじゃないよ巫女さん。巫女にゃ短命か長命しかいないんだ。私に手を患わせないでおくれな」

「随分な言い様じゃない。アンタの上司とやらがここに来るまでにアンタを退治することなんて造作もないんだけど?」

「だからそんなカッカしないでくれって。時間は短くも長くもならないんだし、距離もまた然りさ。慌てない慌てない」

 

 荒ぶる巫女を宥めようとする小野塚小町のもっともらしい言葉は、霊夢からすれば適当も甚だしい。時間を操る人間に、距離の意義を介さない妖怪……幻想郷には何人も該当する存在がいる。

 そんなこと幻想郷担当の死神なら知ってそうなものだが、恐らく小町がしらを切っているだけだろう、と判断した。故に霊夢を宥めるには弱い。

 

 一方小町も好きでこんな対応をしているのではなかった。命令でなければ激昂した博麗の巫女の相手など御免被るのが本音だ。

 そもそも死神の本業とは接客ではない。そこらへんに関する仕事仕切りへの白黒については、厳正なる上司が定めていたはずだが、今回は当の本人よりその定めを破るよう言い遣っている。「珍しいもんだ」と思いつつも、異変の件で詰られなかっただけマシというものか。

 

「……そもそも、今回のアンタらからの要請がかなり無理矢理なもんだってことを理解してるかい? アンタらが言ってるのは万物流転の理におけるタブーを黙殺し、あまつさえその行為に協力しろってことだ。正直、普通なら鼻で笑うよね」

「ええまあ、その類の話はあのバカ共に言ってよ。それに閻魔様はセーフって判定してたじゃない。ならいいでしょ?」

「いやいや限りなくグレーに近い黒だから。ていうか四季様も終始難しい顔してたじゃん。多分、四季様としては完全にアウトだったんだろうさ。それに融通利かせてやったってワケ」

「ふーん」

「今度はアタイがむしゃくしゃしてきたよ……」

 

 末端には何も知らされない。

 結局、損を被るのは率先して動いている現場の人間なのである。彼女らは被害者だ。

 ……いや正確には霊夢だけだろうか? 正直なところどうでもいい。

 

 

「おっ」と、小町が不意に声を上げる。視線の先はぼやけてよく見えない三途の川が広がっている。生ある者なら忌避するこの世で最も大きく、強力な境目。それをなぞる者がいる。

 ぼやけていた輪郭は徐々に収束し、正確な像を映し出す。あの仰々しい服装で分かった。彼女こそ、霊夢が待ち侘びた存在。

 紫が苦手とするあの世とこの世のゲートキーパー。幻想に生きる者達を裁く最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ。

 

 前情報を頼りに霊夢は最大限の警戒を以って映姫に臨む。対して映姫は変わらぬ無表情で、しかし少しだけ眉を顰めた。

 

「ふむ、生者にしてその目つき。何か妙な情報をあの隙間妖怪より吹き込まれてますね? 神職者たるもの、そのような詭弁に惑わされてはなりません。そう貴女は世間を知らな過ぎる。それ故に流されやすく、それでいて頑固なのですよ、貴女は」

「なるほどね。つまり紫の言ってた内容を薄味マイルドにしたのがアンタってわけ」

 

 つまり紫の言うことはあんまり間違ってはいなかったという事だ。側で腹を抱えて大笑いする小町を尻目に、映姫は大きく溜息を吐いた。

 気苦労の多さが見て取れる。

 

「ただでさえ貴女方のせいで我々は激務に追われているというのに……今度はこんな案件を……全く、呆れてものが言えません」

「そう何度も言われると流石に悪い気がしてきたわよ。なんていうか、悪かったわねウチの連中が色々と」

「いえ貴女が謝る必要はありません。これは全て……あのお馬鹿さんの仕業なのでしょう? みなまで言わずとも分かります」

「お、お馬鹿?」

「馬鹿者や愚か者ではアレを形容できませんからね。故にお馬鹿さんです」

 

 そのお馬鹿さんとやらが誰なのかは知らないが、私の知っている人物なのだろうか? と、霊夢は首を傾げた。どちらにしろロクでもない奴みたいだ。

 と、映姫は小町に目配せし、彼女も黙って動き出す。程なくして小町が持って(連れて)きたのは、一つの霊魂。霊夢には他の霊魂と区別が付かなかった。

 

「……そいつでいいの?」

「間違いありません。この者は此方でも問題児でしてね、対処に困っていました。だからと言ってこのまま現世に戻すのも世界の理に背く事となる。実に難しく、今も納得のいかない裁量でした」

「無理したのね」

「ええ、そうです。しかし一応の理論では彼女は冥土へ向かう事を拒否できる権利を有しているのも確かですから、故にグレーなのです。……例えそれが外法の術だったとしても」

 

 呆れた視線を向けると、霊魂は僅かに揺れる。何か言いたげなようだが、生憎死人に口無しである。喋ることはまだできない。

 最近見ないから何処をほっつき歩いているのかと思えば、まさか死んでいたとは。しかも巧妙なマッチポンプ自殺。

 

「アンタねぇ、魔理沙を虐めるのも大概にしときなさい。そもそも私がここに来なかったらどうするつもりだったのよ? もう……ホント迷惑な奴ね! 今も昔も、大迷惑!」

 

 




 
 
覚「終いにゃ終いにゃ馬鹿娘。巫女と狐の馬鹿娘。それらの機嫌を取って死ぬ。実に空虚じゃありゃせんか? 妖生空虚じゃありゃせんか?」
映「妖怪正しくなきゃ価値なし!クソ雑魚ゆかりん生きる価値なし! ゆかりんゆかりん敗北者!ゴミ山賢者 敗北者!!」
藍「ゆかりん妖怪 大妖怪だァ!!」
霊「戻るな藍! 乗れ!」

ゆかりん「私の知らないところでめたくそ罵倒されてるような気がする…」
魅魔「同じく」



次回で異変終了と思われ
早い? だってゆかりんがスタンバッてるし…。


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フラワリングケア(後)*

ドS


 

 

「こんな事が平然と起きるのか……。ここまで不安定だったなんて」

 

 妖怪と人間の闘いを問われて万人の頭に浮かぶ構図は、殆ど一致しているだろう。

 ひたすらな暴力を振るう妖怪と、知恵や助けを借りて足掻く人間。その変わらない構図こそ、過去数千年に及ぶ歴史の姿である。

 

 況してや妖怪は風見幽香。

 矮小な人間など蹂躙対象にも値しないような、紛うことなき怪物。腕を薙げばあらゆる生命は活動を停止する、そんな化け物。

 妖怪の姿としてここまで相応しい人物は幻想郷においてもそうそう居ないだろう。

 

 だが、今目の前で起きている問題を生み出しているのは彼女ではない。本来なら蹂躙され、振り回されるはずの人間サイドの方だ。

 頭蓋を掴まれたまま地面に叩きつけられ尚且つ引き摺られながらも、幽香の腹へ殴打による反撃を繰り返す人間など何処に居ようか?

 妖力と魔力、それらを混ぜ合わせた禍々しい独特のオーラを立ち昇らせる彼女を人間だと呼ぶものが、果たして居るのだろうか?

 千年と数百を生きた射命丸文という妖怪にも、心当たりは勿論無かった。

 

 人間と妖怪を分ける大きな理由として幾つかの要素がある。力の質や成り立ちの違いなど、姿形以上のものがあるわけだが、その中に死生観の違いというものも存在する。

 寿命を始めとして妖怪と人間どちらがしぶといかと言うと、勿論妖怪の方に軍配が上がる。というか、考える必要すらない。このような事もあり、両者の死に対する考え方は大きく違う。

 

 頭を潰されようが全ての血を抜かれようが、微塵切りにされ魂すらも散り散りにされようが死なない妖怪は死ねないものだ。こんなものとひ弱な人間など、比べるに値しない。

 

 だが、彼女は……霧雨魔理沙はどうだ?

 腕をもがれ地を這いつくばろうが、断面から流れ出る血を撒き散らしてそれに含まれる魔力による大規模な魔力爆発を引き起こしている始末だ。当然ながら人間の戦い方ではない。

 見方によっては、幽香を圧倒しているようにも見えなくもないが、命尽きるのは間違いなく魔理沙の方だ。

 

 果たして止めるべきだろうかと文は悩む。

 魔理沙は取材対象としての貴重さは勿論だが、それなりの付き合いがある為に見殺しにするのは些か気がひける。それにこの戦いは文がお膳立てしたものだ。ここで魔理沙が死んでしまえば、自分が殺したも同然である。

 組織の方から非難が来ることは容易に想像できる。だがそんなものは文にとって少しの戒めにすらなりはしない。恐れているのは霊夢と紫の反応如何である。

 下手すれば自分が殺されかねない。

 

(とは言ってもあの中に飛び込むのは少々覚悟が要る。それに、魔理沙さんだけじゃくて幽香さんも何やら様子がおかしい……)

 

 幽香が弱者を詰り殺すのは別段珍しい光景ではないが、今回の彼女の魔理沙に対する言動からは少々まどろっこしさを感じた。大したことない違和感だけれど、幽香を知っていればいるほどその違和感の異質さに勘付くのだ。

 文は眉間に皺を寄せると所在なさげに空を見上げる。今、自分が取るべき行動をしっかりと吟味しながら。

 ……取り敢えずペンと文花帖はポケットの中にしまっておいた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 あの小娘がこの一瞬でよくここまで成長したものだと、つくづく思う。先程は勿論、夢幻世界に意気揚々と殴り込んできた時に比べても、もはや雲泥の差と言ってもいいくらいか。

 半分だけ仮初めの力なのだとしても、今の魔理沙の力は魅魔の心を動かすに足るもの。未来の力、とでも呼ぶべきかしら。

 

 こんな展開になる事はなんとなく分かっていた。思っていた通り、魔理沙は自らの矜持と想いを捨て去って、紛いの力を手にした。あとは私が思う存分に捻り潰してやるだけ。

 でもちょっとだけ、予想の範囲外だった事がある。それは魔理沙の魔力が想定より少しばかり大きかった事。そして、魔理沙と戦っているうちに段々と私が滾ってきてしまった事だ。

 

 片腕を捥がれて幾度となく泥土に叩きつけられようと、私を見据える闇の瞳は陰りやしない。それどころかさらに峻烈に狂気が増すばかり。

 人間としての輝きをこの一瞬の為だけに燃やし尽くすつもりなんだろう。愚かだけど、そうしなきゃ私とまともに戦う事すらできないことを承知している点では褒めてやりたいわね。

 

 ふふ……そんなに足掻く様を見せられたら、何が何でも叩き潰したくなっちゃうじゃない。

 あの糞生意気な魔理沙が自分の根幹として形成されているモノを全て投げ捨ててまで私に挑んでいるのだ。この悲痛な煌めき……私が葬る訳にはいかないだろうか?

 生かしておくつもりだったけど、やってしまうのが一番美味しいのかもしれない。しかも今ならオマケに霊夢まで付いてくる。

 

 そう思ったらもう止まらない。

 拳を握る力が強くなってしまうのが、自分でも分かった。そして腰の捻りとともに()()()振りかぶって、()()()魔理沙の腹を殴り抜いた。

 

「あ、ぎッ……」

「あらやりすぎちゃった」

 

 臓物が潰れた感触と一緒に赤黒い血の塊が吐き出される。みるみる沈んでいく魔理沙を見下ろしながら、それでも容赦なくアッパーを打ち込んだ。

 為すすべなく浮かぶ身体。だらりと脱力した体躯をあられもなく晒している。

 それでも手を緩める気にはなれなかった。腕を振り抜いた遠心力をそのまま活かし、かなり強めの後ろ回し蹴りを放つ。

 

 身体能力をいくら底上げしようが所詮は人間。これだけやればもう身体は壊れたも同然。つまり、この回し蹴りはトドメのつもりだった。

 

 だが私の思い描いていた衝撃と光景はそこに無く、かわりに膝あたりへの鈍い痛みを感じた。膝が逆方向にへし折られていたのだ。

 

「……!」

「舐めすぎだぜ! 幽香ァァッッ!!」

 

 吠えるような魔理沙の声、腹部への連続した衝撃、そして眼前に迫る黒い影。魔理沙の拳が顔面を打ち据える音はやけに頭の中で響いた。

 電撃を帯同した素手による攻撃である事を理解したその時には、既に私の身体は後方へと投げ出されていた。

 そして着地。鼻の奥から鉛の臭いがする。

 

 魔理沙の身体は戦闘開始時と同程度にまで回復していた。捥げた腕や潰れた内臓も既に復元済みと見える。人間ではありえない治癒能力。

 ……なるほどね。

 これが意味するのはただ一つの事実だ。

 

「堕ちる所まで堕ちたわね魔理沙。その域は魅魔でも手を出さなかったわ」

「だろうな。魅魔様が使うような魔法じゃない。だけどそれでも便利な魔法だぜ、コレは。おかげで初めてお前と対等だ」

「とんでもない錯覚を抱いてしまう程度に強力なのは認めるわ。だけどその阿呆らしい分析を見るに、頭を腐らせる効果もあるみたいね?」

 

 補肉を前提とした再生魔法──アレは一般的に禁忌の類に該当するタイプの魔法だ。人間妖怪問わず最高の再生能力を誇る魔法ではあり、身体的な強化も著しくなるものの、代償と言うべきか、身体に深刻な魔力汚染を引き起こすとされている。

 理由は、高濃度の魔力により構成される肉の生成が行われる事での弊害だ。魔力なんてものは本来水銀などの有害な物質に含まれるもので、誕生した直後の生物の身体に自然的、かつ多大に含まれるものではない。

 

 許容を超える魔力をこさえた時、身体は自壊する。そしてそれすらも魔法で押さえ込み、身体の一部とした時、あるべき姿を失う。

 故に魔力汚染は危険なのだ。

 それを易々と踏み越えた魔理沙は……。

 

「どこでその魔法を覚えたの?」

「巷では有名な魔法だろ? それに、つい最近実物も見た。アリスは同じ原理であれだけの力を得ることができた! 私にだって可能なはずだ!」

「その末路を知らないわけじゃないくせに……呆れるわね。お前は死ぬのよ?」

「死なないぜ。私は死なない……!」

 

 根拠のない自信ね。

 これも魔力汚染の影響だろう。明鏡止水の境地に至りながら、同じくして思考能力の低下を引き起こす。こうはなりたくないわね。

 それに、アリスのは『Grimoire of Alice』によるものでしょう。アレは神綺がアリスの為だけに創り出した魔導書。だから親和性が高く、魔力汚染を起こしても簡単には壊れない。

 

 だが魔理沙のアレは別問題だ。そもそもアリスの魔法を参考にすること自体が、魔理沙にとっては致命的な間違いなのだ。

 もう先は長くないと考えるべき状況。

 

 さて、どうするか。──……と、思考を中断する。魔理沙は私に考える暇すらもを与えてくれないらしい。

 暗雲のような黒いスパークを撒き散らしながらこちらに向かってくる。それに同調して心なしか魔理沙の肌や髪は黒に近づいていた。

 

 完全に人間を辞められたら本末転倒ね。だからと言ってやり過ぎると殺してしまうし、そもそも私は手加減ができるほど器用ではないの。

 やっぱり私ってこういう事向いてないわ。

 

 と、ゼロ距離からのマスタースパークを相殺した拍子に魔理沙の握っていたミニ八卦炉が粉々に砕け散った。緋緋色金で出来ていた貴重なそれは、マスタースパークの奔流に消える。

 ……香霖堂店主の困ったような顔が脳裏を掠めた。

 

 いよいよ以って魔理沙を縛っていた物が全て無くなってしまった。もう自力では止まる事すらできないだろう。

 

「っ……ほんと。しつこいわね」

「もっと、もっと! 私を警戒しろッ! 恐れろッ! 出し惜しみなんてさせるもんかよッ!!」

「厄介な、構ってちゃんだこと」

 

 なら少しだけ出し惜しみを止めよう。

 能力を発動し、死の大地の一画を生の息吹で満ち溢れさせた。そしてそのまま発生させたエネルギーを直接回収し、背中へと集約させる。

 生成されるのは緑色の翼。ほぼ私の妖力によって作られており、新たなる器官として手足のように扱える優れものだ。魔理沙もその利便性をよく把握していたからこそ、模倣していたんだろう。だが、私のそれはパチモンのものとは訳が違うわ。

 

 迫る魔理沙を拳で払い飛ばし、肥大化させた緑色の翼で私と魔理沙を囲い込む。そして身体の隅々にまで妖力を行き渡らせた。

 

「ハッ! 何を────」

「私からお前に手向ける言葉は一つだけ。──死なない程度に、殺してあげる」

 

 傘の柄を渾身の力で幻想郷の大地へと叩きつけた。伝播する衝撃が魔力を乗せて土壌を駆け巡り、規則性を持った亀裂が走る。囲う翼が円形の領域を作ることで只の亀裂に意味を持たせる。

 私と魔理沙を一瞬の浮遊感が包み込む。

 莫大な魔力が練り込まれた大地は崩落し、滅する力が渦巻く溜まり場と化した。

 これは言わば砲口だ。

 それも絶対に逃がさない必中の、しかも特大の魔砲をブチかます為のね。

 

「それがどうした! 上へ避ければ……ッ!?」

「ふふ、残念。むしろ本命はこっち」

「学習しない人間なんて、死に急いでる馬鹿も同然。魔理沙……アイデンティティは大事にするべきだったわね」

 

 天へと向けられた砲口の先には、もう一人の私。

 分身スペル『デュアルスパーク』の応用だ。一応魔理沙には見せた事があったんだけど、すっかり失念していたんでしょうね。魔理沙の強みだった分析能力はもう無いものと見ていい。

 

 気分が高まっている魔理沙でも、今自分が置かれている状況のマズさは理解できたのだろう。急いで翼が囲っている範囲からの脱出を試みたが、もう遅い。

 天と地から放たれた光を、魔理沙は片手ずつのマスタースパークで抑え込もうとする。その足掻く様はなんとも滑稽だ。私二人分のレーザーを一人で対処できるはずがないでしょうに。

 

 案の定、少しの拮抗の後に魔理沙はすり潰されるように光の柱へと消えていった。このまま炭になるまでこんがり焼いてしまうのも面白そうだけど、今日のところは我慢我慢。

 程よい所で攻撃を中断し、力無く穴へ落ちていく魔理沙へと近付く。取り敢えず胸ぐらを掴んで地面がまだある場所へ投げ飛ばした。魔理沙は今日何度目かの土の味を堪能しているだろう。

 

 

「はぁ…はぁ……ったく、随分と長引かされた」

 

 乱れた息を整える。

 何気に、ここまで身体を動かしたのは久しぶりだ。魅魔の時以来だろうか。

 想定よりは苦せず戦えた……だけど、思った以上に身体への影響が大きい。そろそろ何か対策を打たなきゃ何もできなくなってしまう。

 

 だがまあ、今回はこれでいいでしょう。

 魔理沙は存分に自分の非力さを痛感した。もう二度と幻想郷の深淵へ近付こうとは思わないはず。楽しめたかどうかは微妙だけど、仕事ぶりとしては上々といったところかしらね?

 

 仕上げに取り掛かろうと魔理沙へ歩みを進めると、私の行く手を遮る者が居た。

 こいつは、コソコソと私の周辺を嗅ぎ回っていたブン屋の……射命丸文か。なんで今更になって出てきたのかしら?

 

 肩が上がらないように強く抑える。

 

「何か言いたげね?」

「魔理沙さんを殺してはいけません。彼女は幻想郷にとって大切な役割を担う人間なのです。ここで失うのは惜しい」

「けしかけたのはお前でしょう」

「早計であった事は認めます。しかし、今回の戦いは何から何までも不自然でした。いつもの幽香さんなら適当にあしらって終わり……ですよね。それに貴女、ヤケに疲れていませんか?」

 

 鋭いようでどこかズレている。やっぱりブン屋の情報は話半分に聞くのが一番なんでしょうね。それに魔理沙を想うだけが動機ではないはずだ。

 

「天狗のお前なら分かるんじゃないの? 魔理沙の魔力に染み付いているこの……鼻に付くような臭いの正体が。そんなものに魔理沙の肉体を渡せば、将来的に碌でもないことになるわ」

「……なんとなくですが、解ります。かのお方は何度か目にしたこともありますし。……だから魔理沙さんの肉体を消すのですか?」

「殺しはしないわよ。ただ面倒ごとに二度と首を突っ込まないよう調()()してやるだけ」

「ちょ、調教って」

 

 若干引き気味の文は、疑ったような目を向けてくる。「殺しはしない」の部分が信じられないって顔ね。殺すならとっくの昔に殺ってるわよ。

 ……まあ、一瞬だけ本気で殺しかけたのは内緒。

 

 さて、今は文に構ってやる気分ではない。さっさとノルマを達成してしまうとしよう。

 

「仕上げにかかるわ。退きなさい」

「先ほど言った事を違えれば明日の朝刊は酷いですよ。いいですね?」

「くどいわ」

 

 謎の牽制を入れつつゆっくりと文が後退していく。そして魔理沙の真横まで下がった。

 

 

 その時だった。文が何かに弾かれたように側方へ勢いよく吹っ飛んだ。全く警戒していなかったのだろう、彼女の顔は驚愕に彩られていた。

 

「な…にがッ──!?」

 

「ブン屋!? ……回復が早いわね」

 

 文に攻撃を仕掛けたのは、魔理沙だった。マリオネットのように吊られた腕が横に振られた、それだけで空間そのものの位相がズレた。

 魔理沙が使うような魔法ではない。

 この強大な力は、あの小娘の力ではない。

 

 仰向けに倒れているまま、魔理沙の口からか細い笑いが漏れる。

 

「なんで文を? 一応味方なのに」

「いやなんだ……天狗の声がしたからな。あいつらの甲高い声は耳に障る。滅ぼしても滅ぼし足りないぐらいだろうさ」

「……お前、誰よ?」

 

 すくりと上半身が跳ね上がった。

 これまでのダメージを感じさせない様子で魔理沙は醜い笑みを浮かべる。

 

「霧雨魔理沙の出来損ない──虚無から生まれた心……いや、敢えて新しい霧雨魔理沙と名乗らせてもらおうか」

「随分と曖昧な名乗り方ね」

「実際曖昧な存在なのかもしれんな。今の私には(しるべ)がない。あるのは、お前を殺したい衝動と彼の方を敬う心だけだ」

 

 深く被られた三角帽子から覗く充血した赤い瞳。理知的な光は全くもって感じることができず、ひたすら狂気が流れ出している。

 ……別の心を植え付けられていたのか。

 そうだ、確かにあの神はそんな事をやっていた。魔理沙を弱らせ過ぎたのが仇となったのね。我ながら失策だったわ。

 どこまでも狡猾ね。

 

「魔理沙はまだ中に居るんでしょう? それを引っ張り直すしかないわねぇ」

「無駄だぜ、あいつの心は闇に消えた。自らが作り出した闇に溺れたのさ! アハハ、夢の果ては誰だって光か闇だ。あいつは闇よりの狭間に留まっていたに過ぎない。残酷な現実を生きていくよりかは、目覚めない方があいつの為にもなるだろうよ」

「……はぁ」

「ああ楽しみだぜ。やっと、お前のその氷みたいな顔を歪ませてやるのが!!」

 

 あの魔法使い一派は……いつも私を舐め腐ってるわね。やれ「殺してくれ」だの「お前を殺す」だの……呆れて物が言えない。

 目の前の魔理沙は私の鬱憤の原因ではないが、それでも敢えて、何度でも言ってやるわ。魅魔も魔理沙も、全員────。

 

「自分の尻拭いもできない雑魚が甘えるな。そんな連中が何度私に向かって来ようが……無駄なのよ。調子に乗りやがって」

「ならどうする? 私を殺すか?」

「殺すわ。勿論、お前の背後からニヤニヤ笑いながら話を聞いているであろう奴もね」

 

 聞いているんでしょう?

 魔理沙を捨て駒のように使って、配下にできればラッキー、私を殺せれば超ラッキー……そんな考えなんだろう。

 くだらない策ではあるが、このタイミングで魔理沙をけしかけた点については我ながら褒めてやりたいところだ。

 

 だが一つ。

 奴に誤算があるのだとすれば、それは────。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 圧倒的な力を振りかざす幽香は、誰の目にも強者として映る妖怪だろう。幻想郷においても数少ない絶対者というべき存在。

 ……だからこそ、誰も彼女の異変に気付くことができなかったのだ。当の本人である幽香と数人だけしか知り得ない事情。

 

 幽香は、弱り切っていた。

 

 十数年間前と比べるとその違いはまだ微弱ではあるが、競り合う力が大きければ大きいほどその衰退具合は明らかになる。幽香をよく知る者にとっては信じ難い光景だった。

 それに加え魔理沙の苛烈な攻撃は幽香に浅くない傷を生み出し、それに伴って幽香の力も消えていく。いつの間にか力関係は逆転しようとしていた。

 

 マスタースパークが互いを相殺し合う。

 先ほどまでなら幽香が楽々と魔理沙をマスタースパークごと吹き飛ばしていたはずだ。これが指し示すのは、魔理沙の力がどんどん膨れ上がり、幽香の力が萎んでいる事のなによりの証左である。

 当初の覇気は消え失せている。

 

 

「ダーク……スパァァァクッッ!!!」

「はぁ…はぁ……花符…ッ」

 

 スペルの詠唱が間に合わない。

 魔理沙の魔砲が不完全な集合体を撃ち破り、幽香へと闇の閃光を浴びせかける。身体から直接発する妖力によってレーザーを拡散させるが、それすらも魔砲は容易く呑み込んだ。

 高密度のエネルギー波によって盾代わりにした両腕が一瞬にして蒸発した。受け身を取ることができなくなった幽香は背中から地へと落ちる。

 

 完璧な形勢逆転。

 見下ろす魔理沙に、見上げる幽香。

 

 ミニ八卦炉を使わず、況してや彼女の得意である星魔法や炸裂魔法を一切使用していないのに、この強さ。言うまでもなく異常な事態だ。

 しかし魔理沙の性質をよく知る人物なら、この躍進は妥当な結果だと、胸を張って言うだろう。大切な物を捨て去るだけでこれだけの力を獲得するポテンシャルを秘めていたのが、霧雨魔理沙という魔法使いの本質。

 その本質を夢や禁忌に囚われず最大まで実践できる人格が掌握したのだ。しかも今は秘神による支援まで付いている。当然の結果といえる。

 

「天下の風見幽香サマも、私が本気を出せばこんなもんか。これじゃ隠岐奈様に力を戴くまでも無かったな」

「……っ」

(だがそれにしても幽香のこの憔悴具合は不自然だな。以前の私の記憶から照合しても、かなり力が減退しているみたいだぜ。……だが逆に考えれば弱っててあの強さ、か)

 

 魔理沙の中には(カラ)に無理やり取って付けたような、張りぼての数少ない感情がある。そのうちの一つが幽香への異常な敵対心。

 これが意味することは『隠岐奈が幽香との戦闘を命じた』証拠であり、現在の状況を鑑みるに隠岐奈は魔理沙に幽香を始末させるつもりなのだろう。

 

 なんとなくだが、新しい魔理沙はその事に薄々と勘付いていた。そして、その後、自分がどういう末路を辿るのかも。

 今の魔理沙からしてみれば、本望という他ない。

 

「じゃ、終わりにしようか」

 

 掌へこれまでの自分が使ってきた属性とは別系統のものを集約させる。

 それは水であり、闇だ。

 

 "霧雨"という名字の通り、そもそも魔理沙は五行における水の性質を持つ人間。木の性質を持つ幽香や霊夢とは絶望的なまでに相性が悪い。

 しかもそれでいて魔理沙が好んでいたのは火力に傾倒した魔法や、無駄に飾り付けられた星魔法だった。彼女らに勝てる道理などなかったのだ。

 だが、今は違う。

 純情な少女が抱いた夢はもう無い。

 

「私は水の魔法を敬遠するような甘ちゃんじゃない。アンタを確実に殺す方法としてしっかり運用させてもらうぜ」

「…はぁ……はぁ……──」

 

 幽香は何を言うでもなく魔理沙を無言で見つめる。厳しい目には変わりないのだが、その奥に秘められた本質は魔理沙の予想するものとは別ベクトルのものだった。

 魔理沙は煩わしそうに眉を顰めた。

 

「その目はなんだ。何を企んでる? ……弱ったふりをして油断したところを、って魂胆か? いや、お前に限ってそれはないか」

「さあどうかしら。──それにしても、こんな滅茶苦茶にやっておきながらまだ私を恐れているみたいね。いくら強くなっても滑稽なままよ」

「ふん……減らず口を」

 

 まあいい、と。疑問を捨て去った。

 今更どうこうできるような状況ではない。

 

 滲み出る混濁の闇が魔法使いの細腕を蝕み、その矛先を幽香の心臓へと向ける。

 植え付けられた感情と目指すべき未来への順調な成功に、ついに魔理沙は、自らの確実な勝利を予見した。口の端が大きく持ち上がる。

 

「じゃあな、幽香」

「ええそうね」

 

 交錯する離別の言葉を皮切りに、魔理沙は腕を振り上げた。殺意一色に染まった頭では周りの状況を十分に把握することができなかった。

 

 だからだろう。

 幽香の視線の先に気付かなかったのは。

 

 

「ところで──迎えが来たみたいよ?」

「っ……なにッ!?」

 

 魔理沙の自壊する指は、ぴたりと幽香の胸の前で止まった。苦悶の表情を浮かべながら眼球を忙しなく動かしている。

 身体の支配権が完全に失われているようだ。

 

 感じられるのは強力な外圧と、背後に立つ違和感。

 魔理沙は首を動かすことすらできず、必死に状況の把握に努めていた。

 

「誰だ!? 私の後ろで何をしてる!?」

 

『────魔理沙』

 

 胸の奥が熱くなる。

 懐かしい響きだ。とっても昔に幾度と呼ばれてきた自分の名前。

 

『──魔理沙』

「誰なんだアンタはっ! 答えろッ!!」

 

 背後にいる謎の人物、感情と記憶を失ったにも関わらず胸に去来する切ない痛み。

 魔理沙には何も分からない。

 

 深い闇を湛えていた瞳から暗さが流れ出ていく。それどころか真っ白な光に包まれて、もはや目を開けることすらままならない。

 

『帰っておいで、魔理沙』

「ヤメろ……何も言うなッ、暴れるなァァ!!」

 

 葬られた感情が湧き上がり、完全だったはずの魔理沙の心を痛めつける。

 悲痛な慟哭が太陽の畑に響き渡る。

 だがそれも、鈍い音とともに空気に消えた。

 

 いつのまにか再生していた幽香の腕が魔理沙の胸を貫いていた。貫通した掌に掴まれていたのは血の滴る臓物ではなく、無明の闇。

 魔理沙の中に入り込んでいた秘神の異物だ。

 

「あ……ぁ…」

「お前も被害者みたいなもの。同情してあげる」

 

 幽香は闇を握り砕いた。

 そして魔理沙は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。そして彼女を抱き抱える者がいた。魔理沙の頬へ愛おしそうに手を当てる。

 その温もりも、魔理沙にとってはとてもよく見知った、懐かしいものだった。

 

 目は霞み、目蓋は重い。しかも光でその人の顔は見れない。

 だけど帰ってきた魔理沙には分かった。

 今、自分に温もりを与えている者の正体が。

 

「魅魔…さ、ま……」

 

 そして魔理沙は落ちていった。

 底なしの暴力的な暗闇ではなく、優しく自分を包み込んでくれる微睡みの闇に。

 

 

 

 

「お二人とも、お疲れ様でした」

 

 静寂が支配する太陽の畑に無頓着な声。声を掛けられた二人は厳しい表情で、魔理沙を一瞥した後その声の主へ視線を向ける。

 声の主、古明地さとりはこの状況に全く気を示さないように、しかし恭しく頭を下げた。お辞儀に顔が隠れるが、サードアイは変わらずこちらを見透かすように凝視している。

 

 少しして姿勢を戻す。

 

「これ以上とない結果でした。そしてそれは、我々のうち一人でも欠けていれば実現できなかった。……いえ、貴女方の思っている通り、私は何も実効的な事はしていません。ただ私が居なければこの絶妙なタイミングでの奇跡は起こり得なかった」

 

 つまりこう言いたいのだ。「自分に協力してくれれば、間違いは決してない」と。

 今回の件は隠岐奈の策略を破る為だけのものではなく、古明地さとりという存在の有用性についてをこの二人、そして八雲藍に知ってもらう為のものでもあった。そして、さとりは二兎を得た。

 

 魔理沙を抱き抱えていた彼女は、ゆっくりと魔理沙を地面に降ろす。気を利かせたのか、幽香が花を咲かせて床代わりに仕立てる。

 

「ふむ。『巫山戯るな』……ですか。私はてっきり、貴女こそ大いに我々と同調していただけると思っていたのですがね。()()()()()()

「アンタがしたかった事、そしてそれが齎した結果については、私も認めるわ。これが最善なのも分かる。──だけどね……」

 

 冷たい眼差し。俗に言う『異変解決モード』のそれを向けられて、震え上らない妖怪はいない。さとりも、そして霊夢の背後に立つ幽香でさえも、博麗の巫女という存在の恐ろしさを感じていた。

 彼女の周囲を浮遊する陰陽玉が妖しく揺らめく。もし下手な事を言えばアレから放たれる霊力波で木っ端微塵。

 

「次、私の知らない所で変なことをやってみろ。問答無用で退治するから」

「……へぇ。貴女の保護者はいつも貴女の知らない所で好き勝手にやってるみたいですがね。まあ立場が立場ですし、特別扱いですか?」

「……」

 

 それでも退かないのがさとりの強さであり、妖怪として恐れられる所以でもあるだろう。二人を眺める幽香は呆れたように大きく息を吐いた。

 

 もう話す事は何もない。

 霊夢は魔理沙を抱え上げると宙へ舞い上がる。そして最後にさとりと幽香、そして隠れて様子を伺っている文を一瞥して、幻想郷の空へと消えた。

 

「あの巫女怖すぎませんか?」

 

 重苦しい空気から解放され、さとりは地面に座り込んだ。額には玉のような汗が浮かび上がっている。彼女としても霊夢を刺激するのは賭けだった。

 

 

 ポツリと、幽香が呟く。

 

「魅魔については、当の本人から大雑把な説明しかしてもらっていない。何が起きていたのか、教えてくれないかしら?」

「簡単な話、魅魔さんは貴女に滅ぼされた後、禁術を使って魂を彼岸に留めていたのです。そして幻想郷の境界が曖昧になる今日、霊夢さんの陰陽玉を依り代に顕現したのです」

 

 何故陰陽玉? と、幽香が口に出すまでもなく、さとりは間髪入れずに説明を続けた。

 

アレ(陰陽玉)には初代博麗の巫女によって退治された数多の妖怪や神の、力や魂が封じられています。……私が産まれるよりも少し昔に起きた異変の際の代物だと聞きましたが。それに関して幽香さんはご存知なのでは?」

 

 心当たりはある。

 

 初代博麗の巫女、確か『博麗靈夢』の時代。地獄と魔界での騒動の際、魅魔はちょっかいを出したらしい。そしてその時に半身を封印されてしまった、と言っていた。

 なるほどそれか。

 

「幽香さんと魅魔さんの約束……何故魅魔さんを殺したのかについても知っていますよ。そしてそれは英断だった」

「……」

「死にゆく神が最期に残すのは、今まで得た分の信仰心と同じ大きさの災い。アレほどの規模の悪霊ともなれば、その存在は神に等しい。そしてそれが消える時……」

 

 魅魔は本来、世界を呪い、そして滅ぼす為に存在する悪霊だった。その強大な魔力は先程の魔理沙以上だろう。だが、彼女の恨みは時とともに薄れ、やがて風化していった。

 魔理沙がトドメだったのだろう。魅魔は存在意義を失い、滅びかけていた。

 

 自分ほどの悪霊が消滅した時、抜け殻と化した自分が何をしでかすか分からない。もしかすると我が愛弟子でさえ手にかけてしまうかもしれない。

 だから魅魔は今の身体を捨てる事にした。そして自分を完全に滅ぼせる数少ない存在である幽香を頼ったのだ。

 災いを振りまく暴走した魅魔は幽香の全力を以って倒された。しかしその代償として幽香は後遺症に悩まされることになる。そしてそれが今回の隙に繋がり、あわや隠岐奈の策略通りに魔理沙の手によって殺されかけてしまった。

 

 

 幽香は額の血をぬぐい、地面に落ちていた日傘を拾う。幻想郷で唯一枯れない花であるそれは、あの激戦を経ても健在だった。

 

「最後に二つだけ疑問に思った事を聞くわ。……もし私が貴女の誘いに乗らなかったら……どうするつもりだったの?」

「貴女が私の話に乗ることは分かっていました。それに幽香さんって金髪フェチじゃないですか。魔理沙さんを見捨てるはずが……っと、冗談ですごめんなさい殺さないでください」

 

 無言で向けられた殺意にさとりは慌てて平謝り。しかし内心では笑いを堪えるのに必死だった。さとり妖怪は性格が悪い。

 幽香の記憶に残る面々。くるみ、エリー、夢月に幻月、アリスに魔理沙に紫。最近ではメディスンと金髪ばかりだ。

 彼女が本当に真性の金髪フェチなのかは、古明地さとりのみぞ知る。門番? オレンジ? 知らない子ですね。

 

 気を削がれた幽香は一つ目の質問を取りやめた。

 そして最後の問い。

 

「これだけ大掛かりな回りくどいことをやって……しかもこれは計画の本筋ではないんでしょう? 何を望んでこんな事を?」

「ああ、私と会った全員から聞かれますよ。なんでこんな事をしているのかって」

 

 自嘲げに笑う。

 

「幽香さんと全く一緒です。ただ、それに行き着く為の方法が真逆なだけで。……あの秘神からは実現不可能な綺麗事だと言われましたけどね」

「……そう。悪いけど私が貴女に付き合ってあげてるのは気まぐれでしかないわ。土壇場になれば私は……魅魔と同じようにやる」

「それでも! 貴女と私の思惑は完全に一致しているはずです。貴女だってあの時魅魔さんを救えたなら……そうでしょう?」

「……」

 

 

「私は、私たちは────紫さんをむざむざと見捨てるわけにはいかない。少なくとも私の目が黒いうちは、絶対に……守りますよ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「ネタは十分……しかしどう説明したものか」

 

 幻想郷の東北部、妖怪の山の外れで唸る烏天狗が一人。愛用のカメラを宙ぶらりんに回しながら射命丸文は考え込んでいた。

 口ではこう言っているものの、頭の中は別の事柄が大半を占めている。

 

 八雲と摩多羅の対立は決定的なものとなった。他に力のある賢者代表格だったてゐは没落、華扇は紫側に付く姿勢を見せている。

 残るは我が妖怪の山、だが……。

 あの『妖怪の山拡張計画』以降、見かけ上の平穏を保っていた幻想郷が揺れ動いている。これからの立ち回り次第ではかなりの山場になりそうだ。

 

「……この事は上層部に黙っておきましょう。いま山が動き出すのは幻想郷の為ではない。何より、前回の二の舞だ」

 

 苦々しいあの思い出。

 今の自分が山に快く迎合できない大きな理由。あの射命丸ともあろう者がこんな地位に自ら甘んじることになったあの事件。

 

 その始まりはいつだって────。

 

「八雲紫、か」

 

 興味の対象であり、尊敬できる人物であり、便利な存在であり、厄介な妖怪であり──少しだけ憎らしいあの賢者。

 次は何をやってくれるのかと、普段は彼女の動向を楽しみにしている文ではあるが、今回だけはどうか……大人しくしててくれと。

 

 そう願わずにはいられない。

 

 




ド親切

霊異伝とそれ以降の霊夢は別人です。つまり霊夢が始めて解決した異変は魅魔と魔理沙の起こしたものになります。ご了承を
あと吸血鬼異変に魅魔様が参戦したのはさとりからの要請があったからです。あの時レミリアが自由に動けてたら結構ヤバかったらしい

何はともあれ、異変が二の次で自機たちの葛藤がメインという最初で最後の章は終了です。ひたすら暗く難しい話でした。
さてさて文の願いは届くのか? 乞うご期待!!



次回:[悲報]ゆかりん、暴れる。


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今昔幻葬狂〜花風〜
ゆかりんずトラベル


2XXX年、日本海沿岸より発見された年代不明の日記。一時とある界隈を騒がせたその日記帳は、最終的にとある不良サークルの手に渡る事となる。


『要調査:境界だらけの日記』

『以下本文写し』

 

 

 11月2日(晴れ☀︎)

 小道具屋で日記を買ったのでこれに外の世界での出来事を綴っていこうと思う。せっかくの大型連休(不定期)だからね、いっぱい楽しまないと!

 さてさてAIBOに突き落とされたスキマの先はどうやら畿内の和泉……現在での大阪だったようだ。それじゃ、適当に美味しいものでも食べながら観光名所を周るとしましょう!

 

 

 11月3日(晴れ☀︎)

 今日は外の世界での祝日だったみたい。えっと、なんだっけ? 忘れちゃった☆

 そういえばこの風貌は外の世界じゃちょっと浮いちゃうらしいのよね。今まではそんなことなかったのに、なんでだろ? 最後にまともに外の世界に来たのは10年くらい前だし、流行やらトレンドやらが変わった感じ? 取り敢えず簡単な衣服とウィッグを購入した。

 

 

 11月30日(曇り☁︎)

 本当に妖怪が少ない。昔の京都なんてちょっと路地に入ればゴロゴロ居たのに……もはや私たちは絶滅危惧種というやつか。ところで幻想郷に居る連中はなぜ外の世界に行かないんだろう? あの人たちなら普通に今の世界でも天下取れると思うのに。

 うーん、それにしてもやっぱ京都はいいわね。なんていうか、凄く落ち着く。後でちょっとした文献を調べに京都大学の方にも行きましょう。なんかワクワクしてくるわ♪

 

 

【字の乱れ】

 

 

 12月11日(雨⚡︎)

 名古屋に来ている。……この数日間で起きた激動ゆえの心中整理のために、現在の状況を日記に書き出していこうと思う。

 ・財布をすられて一文無し。

 ・スキマで移動ができない。

 ・携帯でAIBOにその原因を確認したところ「私が貴女の力を使っているからだと思うわごめんねてへぺろ♪」との事。

 ・以後AIBOと音信不通。

 ・私、生身じゃ幻想郷に帰れない。

 ……流石にキレるわよ?

 

 

 12月15日(晴れ☀︎)

 収納用のスキマはまだ生きていたので、そこから様々な仕舞物を取り出して質に入れ、現金を確保した! なんとか詰みは回避できそうね。

 あと幻想郷に帰る手段についても既に考えついている。流石は大賢者ゆかりん、と自分を褒め称えたいところですわ!

 それじゃ、東海道新幹線に乗ってまずは関東を目指す! いざしゅっぱーつ!

 

 

 16日

 新幹線内で妖怪に襲撃された。どこぞのマフィアの幹部如く、壁に開けたスキマから車外へ叩き落としてやったけど、正直危なかった。悪目立ちし過ぎたため途中下車する羽目に。

 これからは極力歩きで移動しようと思う。

 もうやだやだ! 早く幻想郷に帰りたい! ……ごめんなさいやっぱ帰りたくない。

 

 

 12月24日(晴れ☀︎)

 東京に到着。外の世界に来て一番の活気だが、今の私に観光地を巡る余裕などない。取り敢えず現金を使い果たしたので新しく質に入れなければ。

 あとストレスによる寝付きの悪さのためか悪夢が続く。ドレミーふぁっきゅー。

 ところで今日はクリスマスイブ。街中はクリスマス一色である。……帰りたい。

 

 

 

【空白】

 

 

 1月7日(雪❄︎)

 突然だけど、全国指名手配になりました。罪状は公務執行妨害よ、ふぁっきゅー。

 経緯は簡単。街の中を歩いてたら軽そうな感じの男たちに絡まれた。俗に言うナンパってやつ? そんなの初めての体験だからオロオロしちゃって、それで連中をつけあがらせてしまった。

 ……モテるのは嬉しいんだけど、男の人とはあんまり話したことがないから、ちょっと苦手。まともに話してた異性って妖忌さんと霖之助さんくらいですもの。ああ、別に一癖も二癖もある男性がタイプというわけではないので、そこらへん勘違いしないように!

 話を戻して、そんなこんなであまりにもしつこいもんだから、脅かして追い払おうと思ったのよ。張りぼてのスキマを背後に展開させ、妖力で目を光らせながら仕事モードの口調で強く拒絶したわけ。妖怪の血かしらね、人を驚かすのに快感を覚えてしまいそうなほどに楽しかったわ。

 ただ問題は何故か男たちが卒倒してしまい、オマケにナンパを止めようとしてくれていたお巡りさんも巻き込んでしまったこと。毒ガステロでも起こったのかと思ってビックリしたわ!

 そして(文字数)

 

 

 1月8日(雪❄︎)

 愚痴が多すぎて一ページ丸々使っちゃったわ。続きはこのページで。

 それでね、後から来たお巡りさんに「なんたらかんたらの容疑で現行犯逮捕」とか言われて……もうあまりの急展開に言葉も出なかったわよ。これって確か冤罪っていうのよね?

 結局私は取り調べの間独房に入れられ……そして今日、あまりの進展の無さとイライラに脱獄を決意。スキマで壁を通り抜けてそのまま逃げた、という顛末よ。大いに同情して欲しい。

 現在、脱獄犯として私の顔とその特徴がテレビを介して全国に垂れ流されている。とんだ肖像権の侵害である。ただ何故か分厚いモザイク付きなのよね……なんでだろう?

 

 

 1月24日(雪❄︎)

 正体がバレたら大変なことになるのでサングラスとマスクとウィッグ、そして厚手のコートを購入。逆に怪しさが増したような気もするが、私だとバレなければ問題ないでしょう。

 

 

 2月3日(曇り☁︎)

 コンビニで買ったおつまみピーナッツをそこらに投げ捨てながら、独り寂しく豆まき大会を行った。鬼といえばやはりあの顔が思い浮かぶ。

 福は内、鬼も内……。すいかぁ助けてー……。

 

 

 2月9日(晴れ☀︎)

 財布の中身が尽きたのでまたもや質屋に訪れる。結果、愛用のパソコンといつぞやかに使ったキャンプセット、八雲一家お揃いの携帯電話、そしてG B A(ゲームボーイアドバンス)を手放すことになった。

 泣かない。ゆかりん泣かないもん。

 

 

 2月27日(雪❄︎)

 ナズニーランド……言わずと知れた日本三大テーマパークの一つ。外の世界を旅行する時は絶対に寄るんだって決めていたの。けど今回、あまりにも状況が切羽つまっているので泣く泣く断念した。

 ミナミツ・ダックと写真撮りたかったなぁ。

 

 

【空白】

 

 

 

 3月20日(おひさま)

 数日謎の土地を彷徨った。

 日本語は全く通じず、文化レベルは幻想郷以下、そして何より好戦的な原住民……私は日夜槍を持った人間たちに追いかけ回されていたのだ。

 彷徨い逃げ惑った果てに、私は今日ようやく近代人工物のある場所に辿り着く事が出来た。妖怪としてはアウトだけど、初めて人間の英知の光を頼もしく感じたわね……。

 もう二度とあんな所はうろつかないわ。なんで群馬県に入っただけでこんな羽目に……。

 

 

 4月1日(くもり)

 恐れていたことが遂に起きてしまった。とうとう財布とスキマの中身が共に空っぽとなってしまったのだ。今日はおふざけオーケーの日ではあるが、残念ながらエイプリルフールの嘘ではない。

 ……だがこうなることは予め分かっていたことだ。この為に、本来の目的地である長野を迂回したのだから。

 今、私が居るのは新潟県。そして目指すはその北西部に位置する佐渡島である。あの島に辿り着けさえすれば後はどうにでもなるはずだ。

 しかし問題が一つある。……定期船に乗船できるほどのお金がない。つまりつまり、私に残されたのはたった一つの選択肢だけ。

 泳いで渡るしかない! 「飛んで行け」って思ったかもしれないけど、私の妖力では不安な部分が多々あるのよ。霊夢と一緒にしないで欲しい。私ならまだ泳いだ方が可能性がある。

 

 幻想郷のドブ貝と呼ばれた私の泳ぎ(名付けさとり)……魅せてくれるわ!

 

 

 

【継ぎ足されたレポート用紙】

 

 

 

 以上で日記は終了した。

 この[ゆかりん]と名乗る人間か妖怪か判明しない人物の足取りは分からない。もしかしたら日本海の荒波に飲まれてしまった可能性すらある。しかしいま彼女の生死に興味はない。

 財力に物を言わせてこの曰く付きの日記を買い取ったわけだが、期待通り、私達が暴きたい世界についての情報が散見できた。

 

 明日には相方とともに詳しく内容を調べてみるつもりだ。彼女のことですもの、とっても喜ぶだろうなぁ。

 

 

 

 

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 気の遠くなるような永い年月。幾多もの夜を越えて、当然のように昇り続ける月を何千、何万と眺めてきた。

 世界は変わり、私も変わる。

 名前が変わり、力が生まれる。

 

 私の身体は5回、心は2回、それぞれ壊れた。その度に私か()()が修復してきたけれど、もう元々の形には戻れない。

 私が変わるたびに、薄れていく本来の記憶からかけ離れてしまっているような気がする。誰にも言えない私だけの悩み。()()にも言えない深刻な悩み。

 

 私は幸せ者だ。

 自分が犯している過ちに気付くことなど決してないのだから。私がそれを望まない限り、私は私の変化に気付かないだろう。

 後悔を募らせるだけで何もなく過ごせるのだ。こんな破格の待遇は他にない。可哀想な私へのお情けだろうか? 癪に触るが、それでよし。

 

 気付くな。

 知るな。

 思い出すな。

 

 それだけを守っていれば貴女は世界一の幸せ者。どうか、その幸せを自ら踏みにじってくれるな。私は、自分にそう願わせている。

 

 

 

 

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「ス─マ──っかりせんかスキマ殿」

「あー…えっと……」

 

 目の前には真っ白い湯けむり。そしてぴょこんと生え出た狸耳と眼鏡美人。いつ自分の意識が戻ってきたのかすら気付かなかった。

 

 湯槽に浸かると同時に一瞬の立ちくらみの後、急に意識がなくなったのだ。もしマミさんがいなければ溺死、なんてこともありえたかもしれない。

 

 ひとまず湯槽から出て身体に異常がないかチェックする。感じ取れたのは相変わらず身体中に染み付いている強烈な疲労だけ。あとなんか強烈な二日酔いのような頭痛も感じた。

 

 取り敢えず今度は恐る恐る、ゆっくりと湯槽に浸かるとしよう。折角の疲れを癒す機会なんですもの、こんくらいで中止にしてたまるもんですか!

 怪訝な顔をしているマミさんに笑いかける。

 

「長旅の疲れかしらね。こんな事は初めてでしたわ。……まあ、別にどうという事もないみたいなので大丈夫でしょう」

「ふむ、それは難儀じゃったのう。まあ今日はゆっくりしていくとよいぞ」

 

 お言葉に甘えよう!!

 

 ふぃー、と変な声が口から漏れ出てしまう。それほどに私の身体は疲れていて、尚且つこの温泉の質が良いということだ。つまり最高だってことよ!

 向かいで浸かっているマミさんも目一杯身体を広げて温泉を堪能している。ふむふむ……やはり玄人はくつろぎ方が違うわね……!

 

 そう、ただいま私は佐渡島に来てますわ。昔は金山の開発で栄えていたが、時の流れとともにそれらは廃れ、今となっては漁民とタヌキの物となった大きな島である。

 そして目の前にいるマミさんこと二ッ岩マミゾウ親分は、その実質的な元締めをしている化け狸の頭領だ。器も尻尾も妖力も、とにかく色々とデカい妖怪さんよ。

 彼女とは昔からの付き合いでね、チャットでもたびたび交流している世にも珍しい『話の通じる妖怪』ゆえに重宝してるわ。

 

 久しぶりの出会いを祝して湯槽に浮かべたお銚子で乾杯。風情があるわね!

 

「直接会うのは120年ぶりくらいじゃが、そっちは随分と苦労しとるようじゃのう。幻想郷とやらの経営が上手くいっておらんのか?」

「最近は酷いものよ。私の身体に幻想郷……いくつあっても足りないわ」

「まあそうじゃろうなぁ」

 

 ある程度こちらの事情を把握しているマミさんは同情を含んだ声で相槌を打つ。半ば投げ出されたような成り行きで幻想郷を出てしまったが、今頃どうなっているんだろうか?

 うぅ……想像もしたくない。

 

 取り敢えず心のうちで藍に謝っておこう。

 

「それで今日はどういう要件で佐渡まで? わざわざ儂の顔を見に来たわけじゃなかろう? 新手の宗教勧誘以外ならなるべく期待に添えるようにするが」

「相変わらず話が早いわね貴女は。まあ簡潔に言うと、今回は貴女の仕事の方に用がありまして……」

「仕事? ふむ……どれじゃ? 最近色々始めたもんじゃから分からんぞい」

「金貸しの方ですわ」

 

 聞くところによるとマミさんは時代の流れに合わせて商いを変えているそうだ。確かチャットで聞いた中では不動産やIT産業とかかしら。裏では傭兵派遣まで行なっているという噂まで聞くわ。

 現代の狸は逞しい。

 

「ほう『二ッ岩ふぁいなんす』の方か。意外じゃな! お主に限って金回り関係の話が来ることは無いと思っておったが」

「こっちも色々ありまして、こちら(外の世界)で使える貨幣が必要になったのよ。その、あまり突っ込んでくれないと助かります」

「ふむ……気にはなるが、深くは詮索せんよ」

 

 マミさんは得意げにそう告げた後、露天の外に待機しているのであろう子分狸に手拍子で合図を送った。これでしばらくの間は懐も安泰ね。

 

 ふぅ、一時はどうなることかと思ったわ。幻想郷には帰れず移動も満足にできず、懐が尽きた時には色々なことを覚悟した。

 しかし私は諦めずに藁を掴む思いで佐渡にやって来たのだ! マミさんが居なければ身体を売らなきゃならないところだった!

 

 マミさんは安堵する私を見てか、快活に笑う。

 

「まあここは儂とスキマ殿の仲、利子はお安くしておこう。出血大さーびすじゃ。ほっほっほ、警戒するでない。世の中不景気でも金貸しという機関はいつでも元気なものよ」

 

 

 それからは暫くはとりとめのない近況報告と、世間話。マミさんは話し上手だから会話が弾むのなんの。温泉の気持ち良さも相成って癖になりそう。

 飲み干したお猪口が数杯目を突破したくらいで、マミさんがとある話題を切り出した。

 

「そうじゃそうじゃ。儂ら化け狸も近々幻想郷に行こうと思うとるんじゃ。……一応聞いておくが、大丈夫かのう?」

「それはまた……えらく急ですこと。ちょっと前に誘ったばかりじゃないの」

「できることなら、此方の世界に留まっていた方が好都合だったんじゃがなぁ。そろそろ儂らも退き際を弁えねばならぬ時が来ただけのことよ」

 

 マミさんの幻想郷入りについては正直願っても無い話である。彼女が来てくれれば幻想郷の貨幣経済を荒らしまくってる狐狸を統制してくれるはずだ。……だからこそ、これまで何度も誘ってきたんだけどね。ホント急なのよ!

 

「幻想郷は全てを受け入れます。私はマミさ……マミゾウを歓迎しますわ。それに、今回の旅の目的の一つは外の世界で燻っている妖怪を幻想郷へ引き入れることにありましたので、好都合です」

「ただすぐには行けんぞい。此方の世界での(しがらみ)を全て断ち切っておかんと、後から面倒なことになりかねん」

「そうですか……」

 

 そこがネックなのよねぇ。

 マミさんほどの妖怪ともなれば様々な手続きや条件を満たすことなく幻想入りすることができるだろう。それに乗じることができれば簡単に幻想郷に帰ることができたんだけど……。

 そこら辺をマミさんに無理強いする訳にもいかない。彼女が来てくれるだけでもありがたい話なのだ。……そうなんでしょ? AIBO。

 

 

「────……そういえばお前さん、最近ちゃっとの方に目を通しておらんじゃろ?」

 

 急な話題転換きたわね。

 確かに最近はあのチャットルームに入ってない。パソコンも質に入れちゃって無いし。

 

「菫子が言っておったんじゃが、お主ちょっと前に何か大切な物を無くしたそうじゃのう。それはもう見つかったのか?」

「……? 菫子がそんな事を?」

 

 心当たりがないわ。そもそもここ最近は夢に菫子や謎の少女が出てくることも無くなったので、あの子とは顔すら合わせてないのだ。

 まったく見に覚えがない事を告げると、マミさんは何やら思案する様子で口に指を当てる。そしてゆっくりと喋り出した。

 

「実はの、少し前にりあるで菫子に会いに行ったんじゃ。あやつは特定されやすい個人情報を簡単にちゃっとへ載せるからな、住所はすぐに分かった」

「……うわぁ」

「引くな引くな。話はこれからじゃ」

 

 引くなってのは無理な話よね。

 私の住所は……多分バレてるんだろうなぁ。相手がマミさんだから良かったものの、もしそれらが月の連中にでもバレたら一巻の終わりだわ! これからは気を付けましょう!

 

「儂は最初、なぜお主ほどの妖怪が菫子のような一般人の子供をあのちゃっとに招いたのか、不思議に思っておった。だがよくよくあやつの気を感じてみると、なるほど何か特殊なモノを抱えているのが分かったのだ。……結果的に言うと、スキマ殿の判断は正しかった」

「私が、正しかった?」

 

 何が正しいのかは知らないけど、褒められて悪い気はしないわね。うん。

 だがそれにしてもマミさんの言葉には不可解な点が多すぎる。それらを尋ねようと思ったが、彼女の凄みに押されて喉から声が出ない。

 

「あの子は将来化ける。ほぼ確実に」

「化ける、ねぇ。まるで貴女みたいに?」

「そうじゃ。ふわっと、ぱぱっと、ある日突然にのう。それから先に菫子が歩む道は儂やお主次第じゃろう。厄介な性質よ」

 

 ――頭が痛い。

 

「菫子は根本から儂らとは異なる力を持っておる。今はまだ微弱じゃが、いずれは儂らを脅かしかねない程の存在になるぞ。……そこで儂の中で一つの仮定が生まれた。お主、()()()()()()()()()あのちゃっとに招いたのではなかろうな?」

「……!?」

 

 瞳の奥が妖しく光る。

 

「【HEKA】殿と数人はあの子の異質さに気付いておる。今でこそ親しくしているかもしれんが、いざとなれば彼奴らは……っ」

 

 マミさんが言葉を詰まらせた。しばらくの沈黙の後、お猪口を飲み干し、そして鋭い目つきで私の事を観察するように睨みつける。

 あー、顔に出てたかしら。なんていうか、そういう……陰謀論?的なのは好きじゃない。況してやその対象が菫子ならば尚更だ。あの子に危害を加えるならマミさんといえど……。

 まあ、何にもできないんだけどさ!

 

 心地の悪い時間が過ぎる。

 この嫌な雰囲気……断ち切るしかあるまい。

 

「この件は終わりにしましょう。私はそんな話をしに佐渡に来たのではありません。貴女とは建設的な話がしたいわ」

「そうじゃな、儂としたことが軽率じゃった。それにスキマ殿の想いは先程のやりとりで把握した。随分と菫子を気に入ってるようじゃのう? ほっほっほ、狐の奴が妬かん程度にな」

「藍はそんくらいじゃ動じませんわ」

「そうでもないぞ?」

 

 悪戯っぽく笑うマミさん。果たしてそんな事がありえるのかと鼻で笑いそうになったが、よくよく思えば絶対に無いとは言い切れないかもしれない。

 そういえば藍って私に滅茶苦茶な理想を抱いてたんだっけ。こんな私のどこに執着しているのかは知らないが……藍ヤンデレ説が急浮上した。

 

 それにマミさんと藍は、どうやら私が二人と出会う前に一度邂逅しているらしい。その時の二人の決闘は妖怪史10大決戦の一つに数えられるほど幻想郷では有名だ。なお藍にとってはかなり苦い思い出だったりするらしい。

 なお10大決戦を編纂したのは稗田一族なので結構大袈裟なものも含まれていると思う。例としては私とオッキーナの抗争とか「全く記憶にないんですが」って感じ。共闘なら何回かあるけど。

 

 まあ話を戻して、そんなマミさんだからこそその言葉にはかなりの説得力がこもっているというわけだ。彼女なら私の知り得ない藍の姿を見た事があるでしょうしね。

 

 

 

 その後、私が逆上せて意識が再び沸騰するまで話は続いた。マミさんの温泉耐久力おかしすぎぃ! あんな暑苦しい尻尾を持ってるくせに……やはり大妖怪、格が違う!

 疲れを癒すつもりが逆に消耗するとは、これこそ本末転倒というとの。……いやこれいつものパターンだ!?

 

 

 

 今夜は夢を見なかった。

 

 

 

 次の日。

 

 当然のように数十億規模の借用金を用意していたマミさんには度肝を抜かれた。マミさん曰く「外の世界で何処かの土地を買うつもりなんだろうと見積もってた」との事らしい。

 やめてねそういうの! 心臓に悪いから!

 結局、数十万だけ頂戴する事にした。

 

 波風立つ港湾を背にマミさんへ別れを告げる。

 

「ありがとうマミさ……マミゾウ。貴女のおかげで外の世界に来て初めて笑えたような気がします。後ろの狸の方々にもお礼を……」

「あやつらには儂から伝えておくぞい。お主が近付き過ぎるとひどく怯えてしまうからのう」

「はて、それは何故?」

「スキマ殿……昔と随分変わったように思うとうたが、そういうところは全然変わっておらんのう。ちぃとばかし安心した」

 

 あっそう(思考放棄)

 それにしてもホント子分狸たちの怯えようが尋常じゃない気がする……。マミさんの背中から恐ろしい物を見るかのように窺い見る様子は、まるで変質者へのそれである。

 この対応には結構慣れっこだったりしますけど、傷つくもんは傷つく……。いい加減にしないと泣くわよ?

 

 と、マミさんが手を挙げた。

 

「そういえば聴き忘れとったんじゃが、お主これから何処へ向かうつもりなんじゃ? 他に訪れなければならん場所でもあるのか?」

「ああ言ってなかったかしら」

 

 私はスキマの中から一枚の紙切れを取り出した。これは大阪観光の際にサービスステーションで貰った無料パンフレットである。

 マミさんにそれを渡した。そして目を通すや否や「むぅ?」と、途端に怪訝な表情を浮かべる。

 うん、私も最初は吹き出しそうになったわ。恐らくマミさんとは違う意味でだけど。まさかこんな事になるとはねぇ?

 

「知らんかったわけでは無い……ここもなかなか有名なところじゃからな――それこそ裏でも、表でも。だが、これは――」

 

 

 

 まず【新開園!!】という大々的な見出し。

 そして【最高の奇跡、神々の恋したテーマパーク爆誕】という強烈なキャッチフレーズ。

 その下には注連縄を担ぐ『カナちゃん』と変な帽子を被った『スワちゃん』という二()のマスコットが、目一杯の笑顔で吹き出しを揃えて、こう言っている――――

 

『モリヤーランドへようこそ!!』

 場所:守矢神社[跡地]

 

 




マミ「ゆかりんとの初混浴は儂が戴いた」
らん「は?」
霊夢「いや初混浴は私となんだけど??」
らん「は???」

ゆかりんの顔にモザイクがかかってるのは、アレを全国で流したら日本の少子高齢化が更に促進されるからです。マスコミ有能。
この章は外の世界編だけあってちょくちょく俗っぽい話が入ってきますね。されどゆかりん、適応できず……。


なお、ナズニーランド及び群馬県付近に存在する謎エリアについては完全なフィクションです。詮索しないのが身の為です


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捨てる信仰・拾う娯楽

神々の疲れた外の世界


 守矢神社――世間一般では諏訪大社という。信濃中部の諏訪湖に臨む全国諏訪神社の総本山である。

 

 そこには神代最強と古事記にて謳われた土着神が祀られているのだが、その栄光は現在となっては見る影もないそうだ。

 当たり前と言えば当たり前。無常ではあるが、それが今の外の世界の潮流。

 

 実は私こと八雲紫はかつてこの地を訪れたことがある……ようなのだ。確証が持てない理由は遠い昔すぎて記憶が朧げで、尚且つ最近思い出した突拍子のない記憶であるからだ。

 AIBOから言われなければ決して思い出すはずのなかった、砂上の楼閣と例える『今にも消えてしまいそうな記憶』

 

 そんな記憶などもはや無いも同然だと、言い切ってしまうのが普通だろう。

 だけど、私にはできなかった。

 

 記憶を否定したくなかったのだ。

 

 時々感じる周りのみんなとの認識の差異。覚えのない言葉に、既視感のある感覚。

 私は最近になって考え始めたのだ。

 もしかすると、知らず知らずのうちに私の頭の中から大量の記憶が零れ落ちているのではないか、と。そしてそれに因んで、八雲紫の『最初の記憶』とはなんなのだろうか、と。

 

 だからその守矢神社を訪れたことがあるという朧げで不確かな記憶は、私にとって大変心強いものだったのだ。

 だって古いことは確定してたし……。

 

 故に今回の旅は自分探しの旅も兼ねてる。

 

 えっ、認知症と更年期障害?

 ブチ殺しますわよ??

 

 それにAIBO曰く「守矢神社は今後の幻想郷において重要な役割を担うことになる」とのことらしい。少なくともAIBOの言う"未来"では。

 大変眉唾な話ではあるが、AIBOが言うなら仕方ない。自分のために、そして幻想郷のために……! 私は外の世界へ旅立ったのだ!

 

 

 

 

 

 で、こんな顛末を誰が予想できただろうか?

 

『モッリヤーモッリーヤー

 モッリヤーモッリーヤー

 すーわーの大地にー

 昔から住んでるー』

 

 どこか怪しい曲調のイントロに合わせて、ガラガラかき鳴らされるスピーカー音。開園したばかりだというのにどこか昭和臭さと鉄臭さを感じる。

 入園口にはそれなりの人だかりができているが、多分開園直後にして少ない方だと思う。出だし好調というわけではないようだ。

 まあ私だって好き好んでこんな所に来るわけないし……あの東一の大宮とまで囃し立てられた神社がなんでこんな事に……。

 

 取り敢えず券売機にて入園券を購入し、入口のとなりに立て掛けられているミニ賽銭箱の中に券を入れた。なけなしの神社成分だ。

 ……行きましょう。

 

 中もやはりレトロな雰囲気。設置されている乗り物なんかも若干の古臭さを拭いきれない。どんくらいの予算で作ったんだろう……?

 ま、まあ何が置かれてようが私には関係ない。私は遊びに来たのではなく、ここに祀られている神に会いに来たのだ。

 てかまだ居るんだろうか?

 

 私はね、AIBOがこの状況を読めていたとは思えないのだ。あの人って頭はいいんだけど実は現代の常識や情勢に疎い部分があったりする。今までずっと眠っていたからだとか。

 だからね、守矢神社がこんな事になっているなんて夢にも思ってなかったりするかもしれない。そもそも私が古い記憶以降の守矢神社を詳しく知らないし。誤算の線も考えながら行動しましょうか。

 

 ひとまず元境内、及び本殿がある場所を探さないとね。それじゃあ従業員に尋ねてみましょうか。えーっと、従業員は……と。

 パッと見た感じでは居ないわね。

 

 ていうか従業員をまだ一度も見てない。受付どころかアトラクションの操縦室を見ても無人だし……どうやって動かしてるんだろ。

 なにこの限界遊園地。

 これはダメだ。色々とダメだわ!

 

 と、視界の端で異形の者が蠢く。

 慌てて跳びのきながらそちらを伺うと、ずんぐりむっくりしたゆるキャラが忙しそうに園内を駆けずり回っていた。

 歪な目玉の付いた帽子に青い服、そして口から伸び出た赤い舌が目を惹く。

 アレは確か『スワちゃん』とかいうモリヤーランドのマスコットキャラクターだ。例のパンフレットで見た。

 恐らく、あれの原型はここに祀られていたはずの祭神だろう。

 

 従業員が居ないなら仕方がない。

 アレを捕まえることにしましょう!

 って、意外と俊敏!?

 

 あんな動きにくそうな着ぐるみを被ってるくせにめちゃくちゃ動作が早いっ! ゴミの回収からアトラクションの管理、そして来園客との記念撮影までしているのに、全然追いつけない!

 しかもちょっと遠くでは相方の『カナちゃん』の着ぐるみが『スワちゃん』と同じく動き回っている。なるほど、二人でパークの管理を分担しているというわけか。

 

 むむ、後ろから追いかけていては一向に追いつけない……! ならば、少々手荒な手段でいかせてもらおう。

 収納用のスキマを展開し、スワちゃんの進行方向の道に設置。案の定、視界が狭くなっていたのだろうスワちゃんはスキマに足を突っ込んで、勢いよく前のめりに転倒した。

 ふぅ、これで追いつけた!

 

「もしもし……大丈夫ですか?」

 

 手を差し伸べると、スワちゃんは迷うことなく手を取り、ゆっくりと起き上がる。一人で起き上がるの大変そうですものね。

 そして私の顔を見るや否や、硬直。

 しばらくの静止の後、ヤケに慌てだした。

 

「えっと、どうしま……きゃっ!?」

 

 心配する声を掛けようとした瞬間、何を思ったかスワちゃんは私に掴みかかりせっかく整えた変装用のウィッグやサングラスを地面に落とした。

 もう一度、スワちゃんは私の顔を凝視する。そしてどういうわけか深く頷いた。

 

 スワちゃんは自らの顎に手を当てて、一気に顔を引き抜く。これには私もびっくりした。ついだに周りのお客さんもびっくりしてた。

 現れたのは、金髪の女性。頭を取った際の風圧からは微かに香ばしい匂いがした。

 

「もしかして貴女は……幻想郷の?」

「あら私をご存知で?」

「やっぱり! ご存知も何も、会ったことがあるじゃないですか! 待っててください今お姉ちゃんも呼びますから!」

 

 高いテンションでそうまくし立てた彼女は、近場のアトラクションの操縦室に入り、無線を繋げる。すると掻き鳴らされていた園内音楽が一斉に停止。園内放送に切り替わった。

 

『モリヤーランドをご利用の皆様。誠に申し訳ございませんが、アトラクションの点検を行いますのでしばらくお待ちください。またカナちゃんは至急東エリアの方へ来てください』

 

 ガチャンと、乱雑に扱われた無線機の音が園内に拡散する。動きは俊敏だけど色々なところがガサツなようだ。

 すると、遠くの方から大股でカナちゃんがやってきた。顔は見えないが雰囲気からしてかなりご立腹みたいね。

 背負われている大きな注連縄に腕に引っ付いている御柱……。かなり動きにくそうだわ。このキャラをデザインした人はまず間違いなく利便性を考慮してないわね。

 ちなみにカナちゃんの原型については分からない。諏訪の神に何か関係があるのかしら? こういう地方史はちょっと苦手でねぇ。

 

 カナちゃんもまた頭が外れ、あろうことかそこら辺に投げ捨てられた。

 ちょっとちょっと……見てる子供が泣いてるじゃないの。流石にそれはいけない。いたいけな子供の夢が壊れちゃう。

 現れたのは、またもや金髪の女性。顔の造形が似ているので姉妹と思われる。

 

「なにやってるの穣子!? こんな勝手なことして……オーナーに絶対怒られるよこれ? せっかく職にありつけたのに、もう!」

「いやいやそれより見てよこの人!」

 

 カナちゃんの中の人が私の顔を見て、これまた固まった。あ、あんまり凝視されると恥ずかしいわね。照れちゃうわ……!

 

「やったねお姉ちゃん……これで幻想郷に帰れるわ! 苦節十年……ようやく……!」

「ええやったわね穣子……!」

 

「質問してもよろしいでしょうか?」

 

 こっちから聞かなきゃ埒があかなそうだ。それにちょくちょく気になるワードも聞こえたし、なにより私は彼女らを知らない。情報を収集しないと。

 

「取り敢えず名乗り合いましょう。私は八雲紫、もう知っているようですが幻想郷の管理人をしているものです。して貴女方は?」

「秋の実りは私の力、豊かな秋は私の力――人呼んで豊穣の秋穣子!!」

「秋の色彩は私の力、秋の終わりも私の力――人呼んで紅葉の秋静葉!!」

 

「「秋の恵みを世界に届ける、幻想郷の人気者! みんなご存知秋姉妹!」」

 

 何か効果音が鳴りそうなほどに格好をつけた決めポーズをぶちかましてくれた秋姉妹。一方の私は取り敢えず拍手を送ることにした。

 春風靡く四月中旬。暖かな木漏れ日があたりを照らす中、若干の冬を感じた。

 

 

 

 事情を話すと二人は「なんだそんなこと」と笑い飛ばし、オーナーなる人物の元に連れて行ってもらえることになった。

 その道すがら色々な事を話した。

 

 どうやらこの二人……二柱はもともと幻想郷に住んでいた野良神様だったらしい。しかも彼女たちを幻想郷に招いたのは私なんだそうで。

 ……勿論、記憶に全く残ってないので空返事しかできない。しかも真っ向から彼女らの言う事を否定ちゃうのはなんか可哀想だし……。

 

 そして一番気になっていた事。

 

「それでは何故、幻想郷で人気神であるらしい二人が外の世界に? しかもこんな遊園地の雑用なんて」

「よくぞ聞いてくれたわ。これには涙無しには語れない波乱万丈の物語が……!」

「吸血鬼が攻めて来た頃かしら? 平和に妖怪の山で暮らしていた私たちの前にあいつが現れたのよ。いま思い出しても背筋が寒くなる……!」

 

 静葉がおいおいと泣き始め、穣子が必死な様子で経緯を説明する。どうやらとある侵入者によってコテンパンに叩きのめされた後、妖怪の山どころか幻想郷からも追い出されてしまったらしい。

 しかもその際に自分たちの『秋を司る力』を奪われてしまった、と。

 

 なんという悲惨な……。

 

「あいつは確かレティ・ホワイトロックっていう名前の雪女だったと思う。幻想郷の妖怪界隈であいつを知らない奴はいないわ!」

「追い出された私たちは行く当てもなく外の世界を彷徨い、ついこの間ここの神様たちに拾われたのよ。せっかく住む場所にありつけたんだもの、どんな重労働だってやってみせるわ。……なのにこのバカ妹ときたら!」

「もう幻想郷に帰れるからいいでしょ〜」

 

 なるほどそんなことがあったのね。

 あー……なんて言おうかしら……。幻想郷には帰れないのよねぇ、私の力じゃ。つくづく不憫な姉妹である。

 

 そしてレティ・ホワイトロック、か。

 吸血鬼異変の時に一度だけ見たことがあるけど、確かにアレは並大抵の妖怪ではなかった。聞くところによるとあの化け物メイドを倒したのはレティだっていうし、実力については間違いなく幻想郷においてもかなり高い部類であると推測できる。

 

 何より、怖いのよね。あの妖怪の目が。

 

 

 

 と、そんな事を話しているうちに目的地に到着したようだ。遊園地から外れ、雑木林を突っ切って、さらにフェンスを越えた先。

 そこには、私の記憶と全く同じ神社が静かに居を構えていた。但し、見るからに廃神社寸前の、だけどね。

 境内は人の手によって整えられているものの、鳥居は朽ち果て、一昔前の観光ポイントである太注連縄も腐りかけている。

 

 あまりに酷い寂れっぷりに、何故か心が痛くなった。時の流れとはここまで無情なものなのだろうか……?

 秋姉妹も浮かない顔をしている。

 

「こうなってしまったら終わりだよ。神社も、そこに住まう神様も。まあ……今の日本じゃ大して珍しい光景じゃないけどね」

「今も変わらず存続できてる神社なんて宇佐と出雲と、伊勢くらいかなぁ。あそこら辺もだいぶ廃れちゃったみたいだけど」

 

 しみじみと語っている。

 そう、現代日本において神社仏閣は絶滅の危機に瀕している。その殆どが取り壊されるか、本来の在り方ではない方法で使用されている。なんでそんな事になってしまったかについては不明である。そもそも興味がなかった。しかしこうして実物を目の当たりにしてしまうと……。

 

 正直、心苦しい。

 

 

「それじゃ、オーナーはあの中に居ますので。私たちは業務に戻ります」

「ええ。わざわざありがとう」

「怒られるぞ〜ひえぇ」

「誰のせいよ、誰の」

 

 互いの悪態をつきながら向きを反転させる秋姉妹。そして歩き出した、その瞬間だった。

 「あっ」と、小さな声が穣子から漏れ出た。同時に恐怖で小さく後ずさりしている。

 

 

 何事だと思い、私も秋姉妹と同じ方向を見遣る。

 草を踏み分ける音。歩み寄る絶望。

 

 少女がいた。

 そよ風によってたなびく長い髪は、新緑に満ちているような翡翠色。それに補色をするような、青が基調となっている脇出しの巫女服。

 蛙と蛇をあしらった髪留めアクセサリーが、特段私の目を惹く。

 

 

「開園すぐから仕事を放ったらかして、何をしてるんですかねぇ、二 人 共 ?」

 

 深い地鳴りかと聞き間違えるほどの重低音。思わず耳を塞いでしまった。

 

「ちょ、ちょちょちょっと大切な野暮用がありまして!此方の方に用事が!」

「けけけ決してサボってたとかそんなんじゃないんです許してやめて助けて!」

 

「そうですか。 で?」

「「ごめんなさい」」

 

 二人の腰が直角に折れ曲がっている。お手本のような謝罪ムーブね……私も見習わなきゃ……! ただ土下座じゃなかったのは二人に残っていた神としてのなけなしの自尊心だろうか。

 

 状況を見る限り、あの巫女服の少女は秋姉妹の業務上での上司に当たるのかしら? ……神ではないみたいだけど。

 それにしても本当に鮮やかな緑色の髪ですこと。幻想郷の外では久し振りに見たわね。外の世界は大抵黒髪だもの。

 

 ひとまず挨拶でもしておこうかと、巫女さんにコンタクトを取ってみることにした。怪しまれないように……!

 

「申し訳ございませんが、ここの神社の管理をしている方でしょうか?」

「ん?……んん!? あ、貴女いつからそこにっ!? ちょ、それ以上近付かないでください警察を呼びますよ!」

 

 巫女さんは胸元から携帯電話を取り出し、三回だけボタンを押して堂々と画面を見せつけてくる。宣告した通り【110】が表示されていた。

 外の世界にきて一番の拒絶を受けたような気がする。そ、そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかしら……? 傷付くわー。

 

「いつからも何も、私は初めからこの場所に居ましたよ? この秋さん方とともに、先程こちらに参ったばかりなのです。何かご都合に沿わない事を致しましたのなら、謝罪しますが……」

「……本当ですか?」

 

 巫女さんが訝しんだ様子で秋姉妹へと問いかける。すると彼女らはカッコウのように首を何度も上下に振った。

 だがそれを見てもまだ随分と警戒しているようで、心なしか携帯電話を持つ手は震えているような気がする。うーんこの。

 

 場は膠着した。私からも、巫女さんからも次へと足を踏み出せない状況。

 さてどうしたものか……。

 

 

『早苗、やめなさい。彼女は客人だよ』

 

 ひたり、と。私の身体の内部から声が響く。

 これは……俗に言う「こいつ、脳内に直接!?」のアレね! ただ橙や藍が使うような念話とは種類が違うようだ。なんていうか、あっちは『キュルキュル』って感じなんだけど、こっちは『ぞわぞわ』って感じ? 何言ってるの私は。

 

 どうやら秋姉妹も同じものを受け取っているらしく辺りを見回している。だが、巫女さんだけがそれに気が付いていないようだ。私たちを見てさらに警戒を引き上げている。

 

「な、なんですか急に挙動不審になって!? 本当に警察呼びますよ!? 私はやる時はやる子なんですからね!」

『あっやば聞こえてない』

 

 プルプル震える指が通話ボタンへと伸びていく。ま、まずい! 指名手配の私に警察はアウトだ! 巫女さんにそのボタンを押させるなァーッ!

 すると私の祈りが通じたのか、頭の声のボリュームがどんどん大きくなっていく。

 

『早苗! やめなさいっ!』

「押します! 押しますからね!?」

『さっ、なっ、えぇぇーっ!! やめなさいって言ってるでしょおっ!!』

「……あ」

 

 こ、鼓膜が破れるかと思った……。そもそも天の声で鼓膜が振動するのかは知らないけど。あんまり身体には良くないと思う。

 ようやく携帯から手を離した巫女さんは耳に手を当てて、目を閉じている。

 

「神様ですか? 私はどうすれば……」

『貴女は遊園地の方に戻りなさい。この来訪者は私の客人だよ』

「えっと……この場に居てはダメ……という感じでいいんでしょうか?」

『そうそう』

「……肯定、ですね」

 

 自信なさげにそう呟くと、巫女さんは目を開いた。そして私の方へと向き直る。

 

「……許可が出てるようですので、本殿の方へどうぞ。……それでは」

「え、ええ。後ほどまたそちらに伺うかもしれませんので、よろしくお願いしますわ。私、八雲紫と申します」

「……東風谷早苗です。何か用がある時は園内の方に来てください」

 

 先ほどまでの勢いはどこへやら、消沈した様子で巫女さん――早苗はトボトボと歩いて行った。……もちろん秋姉妹を連れて行くことを忘れずに。

 ひとりぽつんと、私だけが残された。

 

 ……この既視感と違和感は一体。

 早苗とは初めて会ったはずなのに……彼女から感じた異質な雰囲気は、誰かに通ずるものがあった。はて、誰だったかしら?

 くぅ〜私のぽんこつ脳め!

 

 まあ勝手に一人でむしゃくしゃしてても仕方ないし、今はとにかく私の為すべきことを為そう。さあ、いざ本殿へ!

 私は意気揚々と境内を突っ切り、古びた賽銭箱を無視しながら足を踏み入れる。中は薄暗く、またカビの匂いがした。

 

 中央に依代となる鏡が置かれており、その前に彼女は居た。私の記憶に残る中で一番最古の顔であり、日本最恐の祟り神と恐れられた彼女が。

 彼女、洩矢諏訪子は()()()()()()()()()私の盟友だ。諏訪子の反応如何で私のそのあやふやな記憶の成否が判る。いやそういえばその前に祟り殺されかねないわね!

 

 あの頃と全く変わらない幼い顔、パーティ用のような巫山戯た帽子。

 そして――

 

「誓いは?」

「……この通りですわ」

 

 私はゆっくりとスカートをめくる。少し恥ずかしいが我慢だ。そして膝下までを露出させた。太腿は死守する。

 諏訪子に見せつけたのは、白ニーソ。私が毎日好んで着用しているものである。普段はロングスカートで見えないけどね。恥ずかしいし。

 

 それを見せると諏訪子の表情が綻んだ。そして蛙のようにぴょんぴょんと跳ねて近付いてくると、がっちり握手。

 太古に結ばれた古き友情はまだ生きていることを、互いに確認しあったのだ。

 

「いやぁよく来てくれたね紫! この数千年噂ではちょくちょく聞いてたけど、元気そうで何よりだわ。何でウチに来てくれなかったのさ」

「私の噂を聞いていたなら、何をしてたか分かるでしょう? ……つまりそういうことですわ。故に貴女の状況を把握するのも遅れてしまった」

 

 どうやら私と諏訪子は本当に友人だったようだ。これで一安心である。

 ちなみに何故彼女に白ニーソを見せたのかというと……まあ簡単なハンドシグナルのようなもので、実は世界で初めて白ニーソを開発したのは、何を隠そうこの諏訪子なのだ!(諸説あり)

 そして私はその被着者第一号ね(諸説あり)

 

 白ニーソから始まった私たちの友情。それを確認するのにアレ以上に適した表現方法があるかしら? ……多分あるわね撤回するわ。

 幼い姿の諏訪子ならともかく、麗しの女性である私にアレは少々辛い。

 

「にしても紫は結構変わったねぇ。色々と」

「逆に貴女は何も変わってないのね。その気になれば成長できるんじゃなくて?」

「そうもいかないのがこの世の中さ。見たでしょう? 外の惨状を」

 

 諏訪子は大きな溜息を吐いた。

 そういえば心なしか若干姿が透けているような気がする。昔はあれほど溢れていた強大な力が、今では見る影もない。

 

「今となっては姿をこうして保つので精一杯さ。落ちぶれたもんでしょ?」

「どうしてそんなことに……」

「仕方ないと言えば、仕方のないことだった。私たちの行動が後手に回り過ぎたのも事実。……だけど、やるせないもんだよ」

 

 そう前置きした上で、諏訪子は語り始めた。この守矢神社に起きた様々な出来事、繁栄、そして没落の軌跡を。

 

 取り敢えず長話になりそうだったので奥の部屋に移動し、ちゃぶ台を挟んで話すことになった。ちゃぶ台なんて久しぶりに見たわ……。

 

 

 

 私と諏訪子が出会ったのは紀元前。まだ神々が多く地上に残っていた時代だ。私としてはそんな時代から私は生まれていたのかとビックリした。

 うろ覚え過ぎてその頃をよく知らないのだが、諏訪子曰く「紫はある日ふらっとこの地に現れた」らしい。遊び人だったのかしら…?

 

 白ニーソや様々な問答で親睦を深めた私たちは、またの再会を約束して別れたという。完全に忘れてて申し訳ないわ。萃香だったらアウトだった。

 その後、すぐに守矢神社における最大の転機が到来した。中央神話からの侵略が行われたそうだ。あっ、それ古事記で見たことあるかもしれない。もう忘れたけど(ぽんこつ脳)

 

 諏訪子は徹底抗戦したが、あえなく敗北。敗残の身となり、侵略側の神様の元に降る事となった。

 その神の名は『八坂神奈子』――現在、守矢神社の表向きの祭神を務めているらしい。『カナちゃん』とは彼女をモチーフにしたものなのだろう。

 当初は随分と揉めたらしいが、時間が経って二人は和解。こうして協力体制を常時敷けるまでに仲良くなったんだとか。

 

 それから守矢神社は繁栄と豊かさを手にし、天孫降臨の際も荒波を立たず恭順して勢力を保ったんだそうだ。月の連中と事を構えなかったのは凄く賢いと思うわ。流石は諏訪子。

 ……まあ、諏訪子と彼女を降した神奈子の二人なら月の先遣隊ぐらい簡単に蹴散らしてしまいそうではあるけど。

 

 ここまでは完璧だった。

 問題はこれから。

 

 西暦1200年あたりで妖怪が一斉に衰退してしまったらしい。もしかしなくても月面戦争のせいねこれは。

 さらにその同時期から活発化したのが、残った強大な妖怪たちによる抗争。

 妖怪たちは各地で暴れまわり、日本全体に深い傷跡を遺したらしい。それだけでもドン引きだが、その妖怪たちは今も幻想郷でぬくぬくと暮らしているというおまけ付きである。

 

 妖怪たちは居なくなり、傷跡と畏れだけが外の世界には残された。

 あまりに大き過ぎた被害は『霊災』から『災害』『神話』へと姿を変え、やがては『御伽噺』……挙句に『笑い話』に化けてしまった。

 ――腕を払うだけで山脈を吹き飛ばす妖怪――島そのものを狭間へと引き摺り込んだ妖怪――病原体を撒き散らし数百万の命を奪った妖怪――天翔ける龍を腑から喰らった妖怪――人々を狂わせ数百年にも及ぶ大禍を引き起こした妖怪。

 

 そんな話など、誰が信じるものか。ていうかできることなら私も信じたくない。けどいるんだなぁこれが(白目)

 昔の人もあんまり現実を直視したくなかったんでしょうね(同情)

 

 妖怪を退治したという話もなければ、妖怪がその後現れたという話もない。まるで空想、幻想のように消えた怪異。端から見れば、ただ質が悪いだけの作り話。

 それらは結果的に人間の「幻想離れ」を誘発し、私たち妖怪のみならず諏訪子たちのような霊言的存在にも多大な影響を与える事となる。

 

 江戸を過ぎたあたり、つまり私たちが幻想郷を創った時にはもう手遅れだった。藍や天魔、オッキーナはこれを好機にと博麗大結界の構想を打ち立て、それに私が便乗。結果として幻想郷が生まれる契機となったのだが、諏訪子たちはそうもいかなかったらしい。

 長年に渡って莫大な信仰心の供給源となっていた全国の分社は殆どが廃神社となり、紀元前からの結びつきだったこの諏訪の地ですらも、信仰心が揺らぐ事態になってきた。

 私たちのように違う世界に逃げるという手段もあったはず。しかし土着信仰を根とする諏訪子と、この地に封じられた神奈子にはその選択肢はそもそも存在しなかったのだろう。

 

 色々な試みを実践したそうだ。人前で何度も超常的な事を繰り返し、神の存在を認知させようとした。だがダメだった。

 そもそも遠い昔から積み重ねられた二柱の神格に対して、即興で稼げる程度の信仰心じゃ雀の涙に満たなかったようだ。

 

 このままでは自分たちは消滅してしまう。それを回避するには、まず知ってもらうことが大前提となる。

 全国に自分たちを認知してもらう方法……。

 その時、神奈&諏訪に電流奔る!

 

 

 

「で、こんな遊園地を作って全国から人を集めて、自分たちを模したゆるキャラを知ってもらい、そこから少しでも信仰心を、と」

「そういう事! ……ついでに活動資金も確保できないかなー……なんて」

 

 にへへと笑う諏訪子。ドン引きの私。

 私から一言、敢えて言わせてもらうなら『将来設計は無理なく計画的に!』――ただそれだけだ。

 見切り発車すぎるでしょ諏訪子も神奈子も!

 

「……神奈子さんは何処に?」

「姿を現わすのは力を使って面倒臭いから透明化してる。まあこの空間にいるから話は聞いて……あっ、今ね、紫の横で手を振ってるよ」

「……姿を現してくださいな」

 

『――っと、挨拶も無しに失礼だったね」

 

 声源が頭の中から耳の外へ流れるように移った。もしやと思い隣を見ると、居た。

 デカい胸を張って私に圧を掛けてくる神様。ちっちゃな諏訪子とは相反して、こちらは装飾品含めた全体的な体積が桁違いに大きい。

 特徴から見て『カナちゃん』の原型となった神様だろう。御柱は脳内で補完する。

 デカイ注連縄、胸元に鏡……これだけでオプション過多に思えるわね。確かに神様としての威厳に関しては十分だが、日常生活で嵩張らないかしら? 大丈夫?

 

「んーやっぱキツいねぇ……こりゃ本格的に時間がなさそうだ。――しかしまあ、よくこんな神社に来てくれた。粗茶しかないが飲んでくれ」

「あっ、これはどうも」

 

 丁寧にお茶を注いでくれた。結構圧の強い神様かと思ったけど、人付き合いの良さそうなフランクさも感じるわね。

 そして切羽詰まってるくせしてこの余裕っぷりよ。もしくは諦め……?

 

 神奈子は朗らかに笑う。

 

「噂に聞くあの八雲紫がこんな時に来るもんだ。何事かと思ったが、荒事じゃなさそうで良かったよ。諏訪子が昔世話になったそうだね?」

「貴女が来る直前だったみたいだけど」

「ははは、自慢じゃないがあの頃の私は八百万の神から持て囃されるくらいには強かった。少しだけ早く出撃して、是非とも手合わせ願いたかったわね。そしたら諏訪子も私に勝てたかもしれない」

「滅多なこと言うもんじゃないよ……ったく」

 

 諏訪子が不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 そういう冗談はやめにしましょうね! そもそもどういう経緯で私が"武神"とまで謳われている神様と手合わせしなくちゃならないのか。

 

 と、ちゃぶ台が小刻みに揺れる。

 

「さあ、神奈子も姿を現した事だし、そろそろ紫が此処に訪ねて来てくれた理由を問おうじゃないか。わざわざ今の守矢神社を笑いに来たわけじゃないんでしょう? ……ないよね?」

「ないですわ」

 

 自殺行為である。

 

「私が此処に来た理由ですが、単刀直入に言いますと、貴女達には幻想郷に移住し、そして思う存分布教活動をしてもらいたいのです」

「……移住、か」

「むむむ……」

 

 AIBOの算段ではこうだ。

 守矢の神を妖怪の山頂上付近に住まわせ、山への監視と牽制を担ってもらう。しかも神奈子までいれば体制は盤石だ。天魔を封じることに成功したなら、てゐの居ない今、幻想郷を平和に運営できるようになるだろう

 

 さらに諏訪子は大地を操る能力を保持しているので、それを応用すれば地底勢力の動向に注視することができるし、さらに言えば大地震の予兆だって察知できるだろう。

 諏訪子が居れば将来起こるとされている異変の殆どを抑え込む事が可能……AIBOの話に乗らないわけにはいかなかった。

 

 これらのことを彼女らに担ってもらいたい役割とともに話した。幻想郷なら少なくとも消えることはないし、中々の良物件では?

 

 私の言葉に神奈子と諏訪子が微弱な反応を示す。AIBOが「諏訪の神ならすぐにこの提案に同意してくれるでしょう」とか澄まし顔で言ってたけど、そうはいかないかもしれないわね。

 ふふ、AIBOの尻拭いは私がしましょう。こんな想定外の時こそ、この紫ちゃんの弁論術の見せ場がくるってわけよ!

 

 しばらくして、神奈子が神妙な面持ちで、諏訪子は頬杖をつきながら語り始めた。

 

「幻想郷の移住についてはね、もう話し合ってたりするのよ。だが私らはそれらを総合した上でその計画は『無理だ』と結論付けた」

「悪くはない話なんだけど、いくつか致命的な問題がある。大きく三つかな」

 

 諏訪子は人差し指を立てた。

 

「まずひとーつ。私はこの湖から、神奈子は神社からあまり離れることができない。土着神だし、誓いとかもあるからね」

 

 あー確かに……そこら辺は考慮してなかった。

 続いて中指を立てる。

 

「次に、今の私と神奈子には昔ほどの力がない。幻想郷に移住しても果たして紫の提示する役割を担えるかは疑問だ。それに、力があればこの土地ごと幻想郷に持ってくることもできただろうさ」

 

 そんな事もしてたら霊夢出動案件ですからね? 私も擁護できないからね!?

 最後に薬指。

 

「これが一番重要。早苗には会っただろう?」

「ああ、あの緑髪の。あの子が何か?」

「実はね、あの子は私の子孫なんだ。つまり、我が子も同然だ。愛する子供を此処に置き去りにするようなことは、到底できないよ」

 

 ふーん子孫…………子孫っ!?

 いやえっと、私たちも相当長く生きてるし子供を産む事だってあるかもしれないけど……子持ちには初めて会ったわ! しかもこんなロリ神様に!(神綺さんは例外中の例外)

 

 びっくりしながら神奈子を見ると、彼女も同意するかのように強く頷いていた。

 

「私に早苗との血の繋がりはないが、あの子が赤ん坊の頃から見守ってきたんだ。同じく、親としてあの子は置いていけない」

 

 あっ、その気持ちすっごく分かる! 多分私と霊夢みたいな感じの間柄なんでしょうねきっと! 応援してあげたい!

 とまあこんな感じで問題点を話してもらったわけだが……早苗ちゃんについては最高の解決方法があるじゃない。

 

「なら彼女をこちらに来るよう説得すればいい。幻想郷には早苗ちゃんと見た目同じくらい(ここ重要)の少女が沢山いるし、孤立したりは……」

「違う。そんな問題じゃないんだ」

 

 途端、諏訪子が悲痛な顔でそんな事を言う。

 

 

「早苗にそんな話はできない。だってあの子は――()()()()()()()()()()

「知らない……? しかし、あの子は巫女でしょう。それでは前提となる資格すら……」

 

 疑問は胸に留まらず、すぐに口から出てしまった。私の中での巫女像が霊夢であることが問題なのだろうか。

 だけど、そんな事がありえるの?

 曲がりなりにも諏訪子の子孫なのに、そんな事が?

 

「不自然だったでしょ、あの子の挙動。あの子は私たちと満足に話すことができない……それどころか、視ることすらできない」

 

 

「早苗には巫女(風祝)としての才能がない。故に、私たちを認識する事はほぼできないし、存在を確信することすらもできない。……幻想郷なんてものを、信じられるわけがないんだ」

 

 




モリヤーランド従業員はガチクソブラック
可愛い巫女さんに釣られてやって来た人は泣く目に合います

しばらくほのぼの(当社比)が続く予定


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東風谷早苗の憂鬱(前)

信仰とは心の拠り所である。
どうか依存してくれるな。


 

 

 神様――もし貴女が存在しているのなら――私の言葉をどこかで聞いているのなら――どうか私の願いを叶えてください。

 

 私は独りではない……アナタ様も共にいる事をどうか証明してください。

 私が()()()である事を、証明してください。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 モリヤーランド閉園。

 

 燦々と陽光を降り注がせていた日は西の山に暮れ、暗黒に染まる夜空にポツンと星が浮かぶ。もし文明の光が無ければ、あの孤独な黒海は光り輝く星屑の大河となるのだろうか。

 やっぱり幻想郷とは大違いね。

 

 広大な諏訪湖のほとりに腰を下ろし、何処かに在る我が古巣へと哀愁を募らせていた。帰りたくはないけどいざ長期的に離れるとちょっと寂しくなってくる……。

 霊夢と藍は大丈夫かなぁ。ちゃんと幻想郷の平和を守っててくれてるかしら。……AIBOが余計な事をしてないかも心配だ。

 

 まっ、私なんかが心配しても仕方ないか! あの子達は私なんかよりもとびっきり優秀だし、オッキーナや華扇だっているんだもの!

 私は私のことに集中しましょう。

 

 ひとまず守矢神社の社から出てすぐに、諏訪子の子孫らしい東風谷早苗ちゃんの元へと向かった。どうやらモリヤーランドのオーナー名義は早苗ちゃんのものになっているようだ。

 つまるところ支配人。なるほど仕事にありつけた秋姉妹の頭が上がらない訳だ。

 

 彼女と必要最低限の事を話した後、園地が閉まってから詳しい話をしよう、という流れになった。取り敢えず一安心ね。

 その間、ちょっとだけ早苗ちゃんの仕事を観察してみたんだけど、彼女も彼女で多忙なスケジュールに追われていた。っていうか遊園地を三人で回してるって普通に考えて頭おかしい。

 

 見世物であるカナちゃん&スワちゃんによるドタバタ劇の際には司会のお姉さん役までやってて、とても健気だ。どこぞの巫女にも見せてやりたいわね!

 ただこのショーはドタバタ中のアクシデント(カナちゃんの頭がまたもや吹っ飛んだ)により子供達には不評だった。ただ大きいお友達たちにはかなり好評だったみたいで。

 プ◯キュアと同じ原理かしら?(無知)

 

 

 それにしてもあの東風谷早苗こと早苗ちゃんは、諏訪子の言う通り一般人をほぼ下回る水準の霊力しか有していないようだ。彼女のようなか弱い少女を幻想郷に連れて行っても、果たしてそれが幸せに繋がるのか……。

 はっきり言って私の二の舞よね。

 諏訪子と神奈子の件もあるし早苗自身が望むなら幻想郷に招待することもやむなしなんだけど、その為にはまず根本的な部分を知ってもらわなきゃならない。……さてどうやって『幻想の存在』を信じてもらおうか。

 

 スキマや弾幕を見せてあげるのを考えたが、諏訪の神を認知できない彼女にはたして私如きの妖力で構成された像が見えるかしら。

 幻想郷の連中くらいの妖力で塗り固めたモノならなんとか早苗にも見えるかもしれないけど、その前に私と一緒にぶっ倒れそう。

 

 ……ん? 何かを見落としてるような――。

 

 ――と、腰から振動が伝わった。

 これは先程、早苗から貰った物だ。ちょっと時代遅れなトランシーバーだけど、通話に限れば携帯電話とそこまで変わらないわ。

 取り敢えずでましょうか。

 

「はいもしもし?」

『あっ紫さん。早苗様からそろそろ園内に来てくれて大丈夫と言伝を』

「分かったわ。すぐ向かいます」

 

 今のは秋姉妹の……多分静葉の方。正直なところ確信は持てない。まあ、別にどっちでもいいんですけどね。

 ていうか早苗"様"ねぇ。

 それは神様としてどうなんだろうか。

 

 さてさて、それではゆったり向かうとしましょうか。スキマ移動が出来なくなった当初は不便で仕方なかったけど、今では歩くのがちょっとした楽しみになりつつある。

 ふふ、超健康妖怪のゆかりんですわ! てゐも「健康志向が長生きの秘訣」とか言ってたし、大変よろしい! まあ信憑性は半々だけどね。

 

 

 しんと静まり返った園内を闊歩する。近代の古さによる雰囲気と、鉄臭い匂いが相成ってとても不気味。実に小傘なんかが好みそうな感じね。

 そんなことを考えてたら、妖怪のくせして少し怖くなってきたので足早に事務所の方に向かった。事務所は守矢神社の離れに位置しているみたいだ。またあの雑木林に行かなきゃなんないのか……流石にげんなりしますわ。

 

 しばらく歩いてると、木々の間からちぎれちぎれな灯が垣間見える。どうやら早苗が直接出迎えに来てくれたようだ。

 しかしここで早苗、何故か私を素通りしてしまう。しっかりと私へ懐中電灯を向けたはずなのに。目が悪かったりするかしら?

 

「こっちよ東風谷さん」

「へ? うわぁっ、急に出てこないでくださいよ! びっくりしたじゃないですか!」

 

 大袈裟に仰け反った。

 昼間もそんな感じじゃなかった? 貴女。

 

「急にも何も最初から……」

「もしかして貴女って幽霊だったりしませんか……? 急に現れるし、風貌もなんか……浮世離れしてるような気がしますし……」

「幽霊の友人はいますけど私は幽霊ではございませんわ。生憎、私が生きていると証明する手段はないですけども」

「はぁ、そうですか。では中へどうぞ」

 

 幽霊の友人あたりから早苗の目が胡散臭いものを見るかのようなものになってしまった。うーん、辛い! スキマが使えたら今すぐ幽々子か妖夢を連れてくるんだけどねぇ。

 

 取り敢えず立ち話もなんだと事務所の中へ。デスクには字で埋め尽くされた書類の山が乱雑に積み上げられている。

 随分とこじんまりしているわね。ひとまず備え付けられたソファへと腰を下ろし、向かいに座った早苗をしっかりと見据える。

 交渉は眼力、これ基本ね!

 

「さて、まずは改めまして自己紹介を。私の名前は八雲紫。幻想郷という場所の管理人をやっている者ですわ」

「幻想郷……聞いたことない……。失礼ですけど、どこの国の出身ですか?」

「貴女と同じよ(多分)」

「そうは見えませんけど……?」

 

 早苗は私の髪や瞳を一瞥しながらそう問いかける。やっぱ私って外人に見えたりするのかしら? 日本人っぽく無いなー、とは自分でも思ってるけど。

 ていうか幻想郷って色々とカラフルだからそういう感覚が麻痺しちゃうのよね。レミリアたちを始めとして外国の連中も結構いるし。

 そういう意味では早苗は幻想郷住人としての条件をクリアしているとも言える。清楚な緑髪はレアよ!

 幽香? 四季映姫? アレは違う。断じて違う!

 

「えっと、紫さんは本殿の方に何か用があったみたいですけど、何をしてたんでしょうか。その……私は色々あって止めなかったんですが」

「その件だけど、貴女巫女なんですって?」

「は、はあ。一応やらせてもらってます」

 

 というかその格好を見れば一目瞭然だけどね。ただ脇出しスタイルが全国的なものだったとは知らなかった。変態とか言っちゃってごめんなさいね霖之助さん。帰ったら謝りましょう。

 

「実は私の娘は貴女と同じ巫女でして、この界隈には少しばかり詳しかったりしますわ。まああくまで並の人より、ですけど」

「巫女の!? しかし、私の他にはもう数える程度しか居ないと聞き及んでいるのですが……もしかして有名な方ですか?」

「いいえ。片田舎の幻想郷の巫女だから全然有名じゃないわ。彼女ったら自分の仕事には熱心な癖して、巫女の仕事はおざなりでねぇ。貴女の爪の垢でも飲ませてあげたいわ」

「私はそんな……」

 

 謙遜している早苗だけど、彼女が守矢神社存続のためにどれだけ奔走していたかは二柱より聞いている。巫女としての心構えは多分霊夢より上っぽい。

 そんな彼女だからこそ、本来捧げられなきゃならない沢山の言葉がある。

 

「信仰とは何か。ご存知かしら?」

「えっ、珍しい言葉をご存知なんですね。ああ、詳しいと仰ってましたっけ。随分と昔に死語となったらしいですが、意味は確か――」

「端的に言えば"神様を信じる事"ですわ」

 

 早苗の疑心が鋭利なものになっていくのを感じる。口でこそ言わないが、目で「何が言いたいのか?」と訴えかけている。

 一呼吸置いて話を進める。

 

「巫女とは神に仕える者の事です。強いて言えば、それ以上でもそれ以下の存在では無い。神など誰も信じないこのご時世に、巫女の身でいるなんて……相当な覚悟が必要だったでしょう」

「……どういう――」

 

 

「二柱は貴女にとても感謝していたわよ」

 

 

 私の言葉がきっかけだったのだろう。東風谷早苗の一挙一動全てが静止した。

 そして大きくて綺麗な瞳が右往左往と泳いだ後、さらに大きく見開かれる。……よく見ると、彼女の指先が震えていた。

 

 互いに無言のまま、しばらくの睨み合い。

 言葉の真偽を確かめようとする懐疑的な早苗の視線と、ただ真っ直ぐに見つめる私の視線。その二つが交錯する。

 

「見えるん、ですか?」

「ええ」

 

 なんて事ないように、あっけらかんと答えた。

 

「……話せるんですか?」

「ええ。貴女のことから昔の話まで、とってもおしゃべりな神様よ」

 

 握り締める力でスカートの裾に皺が広がっていく。まるで込み上げてくる激情を必死に内へと抑え込むかのように。

 

「私のことは……なんと……?」

「――『私たちに尽くしてくれている、大切な愛娘』だと、言っていましたわ」

「……っ!」

 

 やるせないわね。

 彼女の姿を見ているだけで心が苦しくなる。

 

「神様は、居るんですね……? 私に聞こえている声は本物で……私は異常者なんかじゃなくて……確かに、存在しているんですね……?」

「――……ええ」

 

 早苗の顔が崩れる。震える口は、自分の唇を噛み締めていた。

 そして私から背を向け、勢いよくドアを開け放ち事務所から出て行ってしまった。……色々と思うことがあったんだろう。

 

 

 あの二柱から聞いた話によると、早苗は数年前に両親を亡くしたらしい。酷い交通事故だったみたいで、力の弱まっていた諏訪子と神奈子では早苗を救うのが精一杯だったそうだ。

 それ以降、身寄りのなくなった早苗の、唯一の心の拠り所は実在するかも分からない声だけの"神様"という、不定実な存在だった。

 諏訪子の子孫である故の美しい翡翠色の髪、そして退廃し続ける宗教の巫女。この二つの要素が早苗から世界を切り離してしまったようだ。

 

 考えれば考えるほど、可哀想な子よ。

 せめて諏訪子と神奈子の存在を確信できればまだ救いはあったのに、それすらもままならなかったなんてね……。

 これは何とかしてあげなきゃなるまい。霊夢と同じくらいの年の巫女さんが苦しんでいるのをみすみす見逃すわけにはいかないわ!

 フラン以来となるゆかりんメンタルクリニックの時間が来たわねこれは!

 

 少しして早苗が戻ってきた。

 すみません、と丁寧に謝りながら何もない風を気丈に装っている。だけど赤くなっている眼は誤魔化せないわよ。

 

「神様のことを共有できる人にお会いできたのは初めてで……取り乱しちゃいました。ありがとうございます紫さん。嘘でも嬉しいです」

「私は何もしてませんわ。……むしろ、これからするつもりでして、その為にこの諏訪の地にやってきたのです」

 

 そう、ここからが本題だ。

 如何に彼女と諏訪子と神奈子が抱えている問題を解決するか、その手腕が問われている。下手を踏むわけにはいかないわ。

 

「先程、私は貴女に『()()()()ない』と言ったでしょう? あれは本当ですが……少し詳しく言うと、人間でもないのです」

「へ?」

 

 神という話題を共有できた事もあってか、真剣な表情をしていた早苗だったが、私の言葉に素っ頓狂な声をあげた。

 

「実は私……妖怪なのですわ」

「よ、よよよよ妖怪!? 妖怪って、あの頭から針飛ばしたり下駄を投げつけたりしてくるアレですよね!?」

「そうそう。ただ鬼太郎には会った事ないわねぇ」

 

 ちなみにそんな知り合いもいない。

 

「妖怪って……本気で言ってるんですか? あんなのフィクションの産物で、本当に実在するわけが……ありえません」

「けど神は存在するんでしょう? その時点でこの世界の【常識】は撃ち破られたようなものですわ。神も妖怪も……奇跡もあるのよ、早苗」

「それは……」

 

 言葉に詰まる早苗。

 不思議な話よね。幽霊はみんな信じるのに、妖怪や神は信じないなんて。

 自分の生死に直結するものでないと、幻想の存在を認識するのは難しいのかもしれない。特に、現代の外の世界の人間は。

 

「幻想郷の管理をしていると言ったでしょう? その幻想郷とはこの世界で忘れ去られた者や、普通に生きる事を諦めた者が行き着く場所です。そして、ここの神様は実に幻想郷に適している。是非とも、こちらで暮らして欲しいと思い、こうして訪ねて来ました」

「えっ、神様を連れて行っちゃうんですか!? そ、そんな……」

「けどね、二柱は『早苗も一緒じゃないと無理』とのことで。貴女をこの世界に残して行くことが心配で仕方がないみたいなのよ」

 

 震える手で口を覆う。

 早苗の目がまたもや潤みだした。とことん巫女泣かせな神様たちである。

 

 彼女が落ち着くまで待っていると、やがてぽつぽつと語り始めた。

 

「正直、信じきれないんです。神様のことを言い当てたのは凄いと思いますけど、流石にあまりにも話が……。証拠があればまだ……」

「証拠ねぇ。けど貴女には見えないものばかりでしょうし……あっ、これなんてどうでしょう」

 

 スキマから写真を取り出した。どうやら早苗にはなんの脈絡もなく現れたように見えたらしく、目を白黒させていた。まあこの程度ならそこら辺のマジシャンでも出来そうなことだ。

 この写真はちょくちょく文から失敬しているもので、幻想少女の日常を切り取った私御用達の宝物である。

 

「写真越しなら見えるかと思ったのだけれど……どうでしょう?」

「これは……見えません。これも、見えない。あっ、この金髪の方は見えますよ!」

「ああ、魔理沙ね。彼女は星を扱う魔法使いよ。……ふむ、ならこの子はどう? 私が育ててた『巫女』なんだけれど。貴女と同じ、ね」

「例の巫女ですか!」

 

 早苗は目を輝かせながら写真を覗き込む。しかし、やがては消沈してしまい、脳天の若葉みたいなアホ毛?がくたびれてしまった。

 

「見えません……。あっ、この人は?」

「この子は阿求。人里のリーダーで、幻想郷の見聞記を纏めてもらってるわ」

 

 引き続き興味津々な様子で写真を眺める早苗。ただ、彼女の可視には範囲があって、どうやら人間以外は見えないらしい。藍やルーミア、幽々子は完全にスルーだった。

 ……かと思いきや、霊夢や咲夜もまた見えなかったようなので、あっという間に法則が崩れてしまった……。あの子達が人間ではない可能性もあるかもしれないが、流石にそれは、ねぇ?

 

「むむっ、この子はどういう人なのでしょう? 可笑しな傘を持ってますけど……とっても可愛いですね!」

「ああこの子は多々良小傘って名前で、唐傘の妖怪よ。……って、見えたの?」

「はい、何故かこの子だけ。妖怪っていうのはこんなにキュートな方たちばかりなのですか? もっとおどろおどろしいモノを想像していたのですが……」

 

 んー……なんで小傘なんだろう?

 やっぱりランダムなのかしら。幻想郷に帰ったら河童に苦情を入れましょう。

 ていうか! よりにもよって小傘って……! なんでこんな妖怪の中でも異端中の異端を引き当てちゃうのかなぁ!!

 

「どうだった? 写真の子たちは」

「正直に言いますと、コスプレしてるようにしか見えませんでした。もっと何かありませんか!」

「難しいわねぇ。ちょっと此方にも不具合がありまして、貴女を幻想郷に連れて行くことも満足にできないのです。貴女が幻想郷に来る覚悟を決めてくれれば、二柱の神と協力して道を開けそうではあるけれど、今は闇雲になけなしの力を使わせるわけにもいきません」

「つまり私の判断次第、と……」

 

 難しそうな表情を浮かべる。

 早苗の反応は当たり前だ。今まで幻想を疑っていた人間が常識を書き換えるのはとても難しいことだろう。神の声を聞いていた早苗だからこそ、まだ話が通じるのだ。

 

 

「……私は、まだ信じきれません。今も神様からの声が聞こえるのですが、それすらもまだ幻聴だと疑っているくらいです」

「――そう。それもまた仕方のないことですわ」

 

 冷静になって考えてみたら私って詐欺師と思われてもしょうがないわね。警察に通報されなくなっただけマシになったんだろうか。

 

「やはり、百聞は一見に如かずと言いますか……一目神様の姿を見ることができれば、私は紫さんの言うことを全て信じます。私だって信じたいのです! 幻想郷だろうが世界の果てだろうが、何処にだって行きますよ!」

「ん……」

 

 とどのつまり?

 

「紫さん――いえ、紫先生!」

「……ん?」

「私に不思議な力を授けてください! 空を飛んだり魔法が使えたりなんて、そんな力は欲しません! 貴女のような隔世を見通す目が欲しいんです!」

「んん?」

 

 変な方向に話が……。

 

「まず何をすればいいですか!? 私、昔からイメージトレーニングとは得意だったんです! 何か力を解放するコツとか!!」

「ちょっと待ちましょう?」

「あと先ほどは要らないとは言いましたが、やはりできるなら空を飛んでみたいです! 魔法も使いたいです! メドローアいいですよね! 極大消滅呪文メドローア!!」

 

 そんなもん使えてるなら苦労してないわちくしょうめ!! ていうか多分幻想郷の連中には効きませんわ極大消滅呪文メドローア!

 覚えるなら逃走用のルーラ一択ですわ!!

 ……あっ、ルーラ使えたわ私(絶望)

 

「正直に言うわね。確かに私は霊夢――巫女を育てたことがありますわ。そして彼女は見事に大成しました。しかし、それはあの子の才能による部分が大きかった事を明言しておくわ」

 

 この世の中には才能で成り立っている事象が多々ある。努力ではどうにもできない領域とは確実に存在するのだ。

 ……それでも上を目指す事を辞められないのが、人間としての(さが)なのでしょうね。魔理沙なんかを見てるとつくづくそう思う。

 

 早苗に才能はない。それはあの諏訪子からのお墨付きだ。私もそう思うし、早苗自身も、その事に関しては理解しているはず。

 霊夢の領域なんて到底無理な話で、妖怪や神を普通に見ることができるレベルすら到達できるかは分からない。これだけの環境が整っていながら才能が開花しなかったあたりから推測すると、かなり厳しいと思う。

 

 だが彼女の煌めく瞳の裏には、どうしようもないほどの悲壮な感情と、幻想を手にする決意が垣間見える。

 

 決意に漲る人間が生み出す爆発力とは、時に計り知れないものがある。早苗には、その可能性を見出すに足る決意がある!

 これは大変教え甲斐のある生徒になるだろう。

 

 まあだけども、そもそも私は巫女の先生をやるなんて一言も言ってないんですけどね! 指導方法なんかとっくの昔に忘れたわ!

 悪いけど、私に彼女を教えることは……難しい。むしろこういうのは諏訪子や神奈子の方がよく知り得ているのでは?

 

「貴女の力を開花させるのは大変良い案だと思いますわ。ただ残念だけど、私は人に教授できるほど自分の技量が高くありません。他を当たって――」

「嘘ですね!」

 

 謎の即答だった。

 

「私が言うのもなんですけど、紫先生が身に纏う雰囲気は何かが違うんです。初対面の時から只者ではないと思ってました!」

「えぇ……(困惑)」

 

 高評価を付けてくれるのはありがたいんだけど、真偽としてはどうなのそれ。私をおだてようって魂胆かしら?

 私、そんなに軽い女じゃなくてよ!

 

「申し訳ないけど、私はそこまで言われるほどの存在ではありませんわ。それに、"先生"というのは些かむず痒さを感じるわね……」

「先生はダメですか? なら……"師匠"とか」

 

 

「師匠……?」

 

 この時、私の脳裏にとある日の情景が迸る。

 

 

 

==========

===============

======================

 

 

 

「おししょー様! よーむはこのままでは終われません! もう一度だけ、手合わせをお願いします!」

「うむ……よかろう」

 

 花の芽が膨らむ春先。うたた寝してしまいそうな春の陽射しの中、白玉楼でのとある一幕。互いに竹刀を持ち、激しい打ち合いを繰り広げる幼い妖夢と妖忌を見ながら、縁側で幽々子と談笑しながら茶を啜っていた時の事だ。

 私はふと、言葉を漏らした。

 

「お師匠様……なんとも甘美な響きね。師となり後進を育てる身にとって、その名で弟子に持て囃されるのは嬉しいものがあるでしょう。それで弟子が大成した時なんて、ねぇ」

「そういえば紫はそういう事をしたりしないのかしら? 私はあの二人を見てるだけでお腹いっぱいだけど、貴女は興味があるんでしょう?」

「教えることなんて何も無いし、そもそも対象が居ないわ。前提からして不可能よ」

 

 幽々子の問いに素っ気なく返した。

 すると彼女は解せない様子で首を傾げながら、茶菓子に手を伸ばした。

 

「藍ちゃんが居るじゃない。それに私だって、貴女に教わりたいことがあるもの」

「貴女も藍も、何故今更……。ちなみに聞くけど、私から教わりたい事って?」

「その怖い顔の仕方」

 

 誠に心外であった。

 

 

 そんな感じで師匠というものに憧れつつ日々を過ごしているうちにその機会がやってきた。色々あって霊夢を娘として育てることが決定したのだ。

 博麗の巫女としての鍛錬を監督し始める、まさに初日のことだった。私は白玉楼での一幕を思い出し、とある事を考えたのだ。

 

「ねえ霊夢♡」

「ん」

「これより修行中、私のことは"師匠"と呼ぶように。いいかしら?」

「……やだ」

 

 私の目論見は秒で塵と消えた。

 ちなみにこの後めちゃくちゃ夢想封印されてめちゃくちゃ酷い目に遭った。

 

 

 

==========

===============

======================

 

 

 

 師匠……師匠かぁ。

 やっぱり良いものですわ、この響きは。

 

 ま、まあ? 早苗の才能を開花させることが私の目的への一番の近道ですし? こんなにも彼女から懇願されると断りにくいですし?

 これは、やるしかないでしょう!

 

「――分かりました。そこまで言うなら私も一肌脱ぐことにしましょう。守矢の神には礼になったこともありますし」

「ほ、本当ですか!?」

 

 はてさてこの決断が吉と出るか凶と出るか。なんにせよ早苗を拉致るよりも神という存在を確信させる方が楽よね! 早苗の望まない形は諏訪子から反感を買う可能性だってあるわけだし。

 ふふん、S(super)C(Charisma)T(teacher)の八雲紫にお任せですわっ!

 

 ただ保険はかけておきましょう。

 

「先ほども言った通り、全てが上手くいくとは限らない。 待ち受けるのは残酷な結果なのかもしれない……それでも、貴女はこの道を歩むと決心できるのかしら?」

「構いません! 道を照らしてくれるのなら、私は絶対に諦めませんから! だけど、もし最後まで私に何も見えなかったら……その時は、引きずってでも神様を幻想郷に連れて行ってあげてください 」

 

 やだ、健気! これは責任重大ね。

 さあそうと決まれば早速修行に取り掛かりましょう! まずは霊力を感知させる事からですわ!

 

「ではこれより修行を――」

「あっもう遅い時間ですので私は寝ますね。紫お師匠様も、秋さん達と相部屋になりますけど一応部屋は用意できますので、是非いらしてください」

 

 ん??

 

「いや、えっと……」

「明日から新学期なんですよねー。今日の疲れも残ってるし、寝坊しちゃわないように気を付けないといけません! それではお休みなさいー」

「お、お休みなさい」

 

 早苗は私の制止を聞くこともなくパタパタと部屋から出て行ってしまった。そっか、新学期か……新学期なら仕方ないかな。

 ま、まあ初日から無理をしてもアレだしね! 遊園地業務に加えて色々と衝撃的な事を聞いて疲れてただろうし、今日はゆっくりさせてあげましょう。

 ただ私の気合だけが空回りしているような……気のせいかしら……。

 むぅ、恐るべしゆとり世代!

 

 

 ……あれ、ちょっと待って?

 私、何か大変なこと見落としてない?

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「んー……」

「どうかしたの? 諏訪子。ようやく起死回生になり得る美味い話が転がり込んできたのに、そんな難しそうな顔してさ」

「いやぁなんだかねぇ」

 

 紫と早苗が話を終え、彼女が扉の向こうへ消えるのを見送った後、それを見守っていた諏訪子は唸るようにこうべを垂れた。頭を覆う帽子のような物体が若干ずれ下がる。

 神奈子からすれば、相方のこの態度は理解し難い。

 何を危惧する必要があるのかと本気で思ってしまうほど、八雲紫との話は『美味い話』だったというのに。

 

「この土地から離れる事は一つの選択としてずっと前から決めていたじゃないか。まあ、最悪の選択として、だけどね」

「あっ、いやいやそっちじゃないよ」

「ん? なら早苗の事か?」

「そりゃ早苗は早苗で心配だけどさぁ……いま一番頭に引っかかってるのは紫についてだよ。なんか変だと思わなかった?」

 

 諏訪子の言葉に神奈子は首を傾げた。

 確かにあの妖怪と諏訪子が話している時は最大の警戒を抱きつつ、八雲紫という存在を観察していた。姿を消していたのにはそういう意味合いがあった。

 

 諏訪子と旧知の仲といえど、相対するまであの妖怪への心証は最悪だった。伝聞のみではあるが、やってきた事のスケールが自分たちと負けず劣らず……下手すればそれ以上。

 さらに言えば紫は神々の没落の一因を担っている。それだけ彼女の影響力は大きかった。それを警戒するな、など無理な話だ。

 

 だが、神奈子の懸念は良い意味で裏切られた。確かに色々と不気味で胡散臭く、妖しい妖怪ではあったものの、敵意やこちらを見下す・値踏みするような視線は全く感じなかった。

 紫は真摯だった。

 全てを信じるのは危険ではあるけれど、彼女の悉くを否定するのは間違いであると認識改める程度には心証が回復した。

 

 一方で諏訪子はと言うと、ひたすらに考え込んでいた。果たして自分の胸中を覆うこの違和感を如何するべきか……。

 ひとまず相方に吐露してみる。

 

「紫ってさ、よく笑ってたんだ。喜びを共有する時、そして相手を威圧する時……そんでもって自分も朗らかに笑う。そんな奴だった」

「……?」

「だけどあいつには絶対に揺るがない芯の強さと、心の奥に秘めていた冷徹さがあった。それらを全部ひっくるめて、八雲紫だ」

 

 神奈子は下唇に指を当てる。

 相方の言う事が真実ならば、それはこれまでの神奈子の紫への認識の全てを覆す材料になる。決め手は、やはり違和感。

 

「笑い、悲しみ、怒る。……温厚で冷酷。絵に描いたような正直者だけど嘘を平気で吐く。弱きを助け強きを挫くが、全てを見下す恐ろしさもあった」

「なんだいそれは。八雲紫はそんなに不安定な妖怪だったのか?」

「いや、逆に言えばそれほどまでに完璧な妖怪だったんだ。だから私は久し振りに会う紫が()()()()になっているのか、楽しみだった」

 

 だが、紫は諏訪子の予想を大きく裏切った。

 

「アレは紫という皮を被り直した紫ね。一見で与える印象は巧妙にも昔の紫の黒い部分そのまま。だがその実、内面への関心を打ち切らせる抗い難い魅力も外包している。まるで、紫自身がそう設計しているのかのように」

「……演技か?」

「どうだかね。だけど、私も紫の申し出自体には賛成さ。くく……あの面白さはやっぱり昔っから変わってない。私にゃそれだけで十分さ」

 

 八雲紫は果たして消えゆく神の救世主となるか、それとも滅びの引導を渡す死神となるか。当事者ではあるが、大変興味深い。

 自分の愛娘である早苗への対応も含めて、紫がどのような道を創り出すのか……二柱は確信に似た予感を感じていた。

 




 
師匠運に恵まれない早苗さんと、弟子運に恵まれないゆかりんであった。

・早苗→諏訪子&神奈子
世界で最も大切な方。存在するのかもしれないし、存在しないのかもしれない。もしも存在しないのなら、幻聴が聞こえる私は異常者ってこと……?

・早苗→ゆかりん
胡散臭いけど只者ではなさそうな人……もしかしたら妖怪。藁にもすがる思いで頼ってるけど、やっぱり胡散臭い。そもそもなんで貴女自称妖怪のくせに私の目に見えてるんですかね??

・早苗→秋姉妹
おもしろ外人。えっ、神様? まさかぁ(笑)


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東風谷早苗の憂鬱(後)

お待たせいたしました
個人的趣味回


『東風谷早苗は狂っている』

 そんな事を子供の頃から何度も囁かれた。

 

 緑の髪は「気味が悪い」と周りから罵られ続け、神社の巫女という立場は「時代に則していない」と散々に言われ、私だけに天から降り注ぐ様々な言葉の成り損ないは「気狂い」だと嘲笑された。

 

 そんな罵詈雑言の数々を私は否定できずにいた。

 当の本人に自分が狂ってるか否かなんて、判断しようがなくて。世界は私の言葉を戯言と切り捨て、私の心に響く誰かの感情は全てを受け入れてくれる。

 

 もうぐちゃぐちゃだ。

 私には何も分からなかった。何を信じていいのかすら、はっきりとしなかった。

 

 だけど、年を重ねて自ずと理解できた事がある。

 私の目の前に広がる確かな『現実』の声は、疑いようもないものなのだと。

 私の頭に響く誰かの感情は、その『現実』に則さない幻なのかもしれない、と。

 

 

『私たちはすぐ側にいる。早苗を見守ってるよ』

 

 そんなニュアンスの声がしたような気がする。だが、そんな幻聴は私を決して助けてくれやしない。救いにならない。

 私の周りで頻繁に起こる不可解な出来事もそうだ。『奇跡』と呼ぶに相応しいそれらだって、本当は望んでなんかいない。

 

 私を虐めた人が不幸な目に遭い、それっきり誰も私に近付かなくなった時だってそう。両親が交通事故で他界し、私だけが生き残った時だってそう。

 私はそんなこと、望んでなんかいないんです。

 

 神様――もし貴女が存在しているのなら――私の言葉をどこかで聞いているのなら――どうか私の願いを叶えてください。

 

 私は独りではない……アナタ様も共にいることをどうか証明してください。

 私がまともであると、証明してください。

 

 そんな事を、寂れた神社に何度も祈願してしまった。……私は巫女失格だ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 ある日のことだった。

 脳内に流れ込む形にならないイメェジ。自称【神様の声】が告げたのは、いつものようなたわいのないものや、早苗を心配するものではなかった。

 何か切羽詰まっているような、そんなものを感じたのだ。早苗は慌ててその日、半日を費やして【神様の声】解読に努めた。

 ある意味では悩みの種でしかない呪いのような【神様の声】だが、それでも"神様"という幻想と早苗を繋げる唯一のツール。無視する事はできなかったし、万が一存在するかもしれない神を無下に扱うことなど許されない。

 

 解読の結果、神は自分の消滅を予見したようだった。そんなの……絶対に嫌だ。まだ一度も会ったこともないのに……一度も面と向かって話したことすらないのに。

 本当に存在するかも分からない神様だけが、早苗の心の拠り所。唯一、心の底から願っている奇跡だ。消滅なんて決してさせてなるものか。

 

 神が存在する上で大切なのは『信仰心』なるものらしい。言葉の意味が分からなかったから近場の図書館に行って調べてみたところ、どうやら神様を信じる心の事を言うらしい。

 現代では完全に死語となっている言葉だ。

 

 つまり神の消滅を食い止めるには、沢山の人に神を信じてもらわなくちゃならない。だがこのご時世に神という超常的な存在を信じるなど、そんなの……『気狂い』の類だけだ。

 こうして【神様の声】を聞いている早苗だって、まだ心の底から信用しきれていないのだから、一般人には無理な話だろう。

 

 そこで早苗は考えた。

 最初に神を『信じてもらう』のではなく、まずは『知ってもらう』ことから始めよう! それこそ仮想の存在なのに人の心を惹きつけてやまない漫画のキャラクターのように! 

 だけど早苗は漫画なんて描けないし、そういう知り合いがいるわけでもない。もっとキャラクターとしての神様を知ってもらえる手段はないだろうか。

 

 その時、東風谷早苗に電流奔った。

 そうだご当地キャラとして売り出していこう。そしてやがては全国的に有名なマスコットキャラクターとして国民に周知してもらうのだ! 

 

 善は急げと神様から詳しい容姿を聞けば、ぐちゃぐちゃなイメージが流れ込んでくる。それは幼い頃から問いかけ続けてきた問いだったが、今回ばかりは興味ではなく義務だ。気を引き締めてこれまた何十時間もかけて神様のイメージを固めた。

 神のイメージを形とする作業は困難を極めた。途中、負荷により鼻血や高熱が出たし、酷い時には失神までした。

 

 だが早苗は諦めなかった。

 

 結果、2種類の容姿を書き出すことに成功する。

 どちらが神の姿なのかは分からないが、大きな前進であることには間違いない。

 幸いにも? 神の御姿は個性的なようで、外見のキャラクター性は十二分にあった。「これなら売り出していける!」と早苗は自身のマーケット戦略の成功を予見した。

 なお、その横では肝心の2柱が「これはもう駄目かも分からん」と項垂れていたそうな。

 

 早苗は体調が整い次第市役所に殴り込み、諏訪市長に直接掛け合った。だが残念なことに理解は得られず、お引き取り願われる事となる。

 失意に沈みながら帰路に着く中、早苗は痛烈に反省していた。そもそも早苗は地元では悪い意味での有名人、彼女への信頼などあってないようなモノ。

 これが東風谷早苗の世界だ。

 

 他人を頼ることはできない。

 自分が全てやるしかないのだ。孤独な戦いになるだろう。存在の有無すら分からぬ神の為に全てを投げ出す必要があるだろう。

 

 だけど、その不確かな存在だけが早苗の心の拠り所。何にも変え難い。

 今も頭の中で誰かが囁いている。巫女を心配する感情のなり損ないが早苗の心を満たしてくれる。早苗を長年に渡って苦しめてきた"神様の声"だが、早苗が今の今まで己を喪わなかったのも"神様の声"の存在があったからだ。

 

 破滅なんて、怖くない。

 もっとも恐ろしいのは『孤独』だ。

 

「大丈夫ですよ」と、虚空に語りかけた。

 決意を固めた早苗はおもむろに分厚い冊子を取り出した。表紙には「ご利用は計画的に♪」というポップな文字。

 

 神たちの制止は早苗に届かなかった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 春風麗らかな昼下がり。

 モリヤーランドは休園日とのことで機械音や人の声はなく、守矢神社境内は静寂に、そして重苦しい雰囲気に包まれていた。

 

 私に諏訪子に神奈子、そして秋姉妹。5人が古いちゃぶ台を囲んで項垂れていた。原因は卓上に置かれている山のような催促状に督促状。

 内容を見た瞬間、ひっくり返りそうになったわ。

 

「負債が……80億……」

 

 明らかに女子高生が背負える金額ではない。普通ならもうどうにもならないほどの規模だ。ま、まあ私ならまだ何とかなるかな……。

 いやけどこれは借りる方にも問題はあるが、貸す方も貸す方だ。なぜ未成年にここまでの金を融資しているのかと。

 

 だがその金貸業者の名前を見て納得いったわ。二ッ岩ファイナンス……ちょうど数日前に私が利用したアレだ。

 モリヤーランドの広告を見た時、マミさんの反応がおかしかったのはそういう事だったのかと合点いったわ。何を企んでいるんだろう? 

 

「なるほど、人件費がやたらガサツなのもこれじゃ仕方ない……のかなぁ?」

「ちゃんと給料出るの? これ」

 

 私と同じくモリヤーランドの実態を把握していなかった秋姉妹も複雑な心持ちみたい。初任給で焼肉に行こうなんて気楽に話してたのに……とことんついてない神様たちである。

 

 早苗のとんでもない行動力を私なりに評すなら、これは『無謀』である。賭けにもなり得ない破滅の運命まっしぐらだ。

 けど、余裕が無かったんでしょうね。そして早苗には自分がどうなろうがどうでもいいと腹をくくるほどの覚悟があった。

 

 昨日の諏訪子の口振りからして遊園地建設を決めたのは神サイドの方だと思ってたんだけど……2柱もやっちまったもんはしょうがないと腹を括ってる節があるわねこれは。

 

 ……うーん。どうしましょ。

 

「取り敢えず二ッ岩ファイナンスへの返済は私の方からなんとかならないか掛け合ってみるわ。最悪の場合、私が肩代わりすることも考えておきます」

「済まないね紫……。昔ならこの程度の額なんてポケットマネーでぽんっと出せたんだけどね。今じゃすっからかんさ」

 

 太古の祭具なんかは価値がありそうなんだけど、今の社会では受け入れてくれないらしい。というか歴史軽視な潮流まであるそうで。

 つくづく私達に優しくない世界だ。

 

 取り敢えず機を見計らってマミさんに会いに行かないと……! ああ、だけど早苗の修業を見なきゃいけないし……忙し過ぎる!! 

 ひ、ひとまず負債の話は置いておこう。これについてはまだ全然やりようがあるだけマシだ。本題は他にある。

 

「それで、早苗の才能についてだけど……どの程度までなら開花すると予想しますか? あの子の人生を見守ってきた貴女達に問いたい」

「私は、良くて人並みと観ている」

 

 先に答えたのは神奈子だった。キリッとした凛々しい顔立ちを少しばかり歪ませながら淡々と言葉を続けていく。

 

「霊的な存在を見る力――"見鬼の才"が才能に依るのは仕方のないことではあるが、早苗には全くその才能が無いわけではない。我々の声は僅かに届いているようだし、神や妖怪が完全に見えないわけでもない。お前や秋姉妹が最たる例だろう」

 

 それについては納得した。

 よくよく考えたら早苗って私と秋姉妹の事が見えてるのよね。私については理由不明だけど、秋姉妹の方は理由が明らかになっている。

 なんでも、祠や神社を持たない野良神様は人間の信仰と同時に、自然パワー的なものを糧にしているらしく、カナスワに比べればまだ実体を保っているそうな。また早苗が秋姉妹の事を神様だとは微塵にも思っていないことも大事なポイントらしい。

 

「要するに、早苗の考え方や価値観をなんらかの形で改善する事ができれば、可能性は大いにある……と思いたい。あくまで希望だね」

「その可能性を聞けただけでも十分ですわ。それならばまだやりようはあるでしょう。……それで、諏訪子はどうかしら?」

「私は……」

 

 言葉を詰まらせてしまい、困ったように笑うと深く項垂れてしまった元最恐の土着神。顔がまるまる変帽に隠れてしまった。

 言っていいものかと遠慮しているように思える。正直いうと私としてもあまり聞きたくはないが、指導する身としては聞いておかなきゃ。

 

「諏訪子……」

「早苗が私の子孫だということは知ってるでしょ? つまり、守矢の巫女は代々私の子供達が務めてきたわけさ。だがこの子たちの力は私の血が入っているとは思えないほどに弱かった。いや、常人と比べれば相当強かったとは思うけどね」

 

 守矢の巫女については私の事前調査それなりに情報を得ている。どの代の巫女たちも頗る優秀で、妖怪退治にも勤しんでいたようだ。まあ諏訪子ほどの存在からしてみれば、少しばかり物足りなさを感じたみたいだけど。

 ただ、その評判は時代が経つにつれ消えていく。巫女の力が衰えていったようだ。

 諏訪子曰く「血が薄くなったから」らしいけど、それなら……ってダメダメ! いけない妄想をしてしまった! ゆかりん反省!! 

 

 あとその話を聞いて気になることがあって、これって博麗の巫女とは逆パターンなのよね。現に霊夢は歴代最強の巫女だし。

 

「なるほど、それで早苗は力を……」

「いや違う。私はね、早苗は歴代でも特に洩矢の血を受け継いでいると思ってるの。今までにあれほど鮮やかな翡翠色の髪を持った巫女はいなかったし……まあ、ただの勘だけどね」

 

 うむむ、確かに。あんなに綺麗な緑色の髪なんて幻想郷じゃ幽香か四季映姫ぐらいしか……ぐっ、思い出しただけで胃が……! 

 緑髪にロクな奴いない説を早苗には是非とも覆して欲しいものだが……。

 

 とまあ思考を本筋に戻して、と。

 

「つまり、諏訪子の結論としては?」

「あの子は絶対に大物になれる素質があるよ! なんたって私の血を多く受け継いだ子孫なんだからね! 才能が開花しないのには何か理由があるはずだ……私はあの子を信じてる!」

「見事な親バカね」

 

 ただ口ではこう言ったものの、諏訪子の言葉には大いに共感できる。子に絶対の信頼を預けるのは親として自然な行いだ。

 私だって霊夢が子供の頃から彼女の躍進を信じ続けた。私と諏訪子で違うのはその躍進の時期だけ……そう願わずにはいられない。

 

 

「なんにせよ早苗の秘められた力を引き出すのは容易ではないでしょう。もしかしたら明日にでも目覚めるかもしれないし、下手すれば1ヶ月、1年……それ以上かかるかもしれない」

「失敗は考えてないのか?」

「早苗の力を引き出すことはもう決定事項よ。それ以外のプランを立てる気はないわ。ただ、唯一の懸念は……貴女達の消滅までに間に合うかどうか」

 

 話を聞いた限り、早苗は諏訪子と神奈子に依存している。しかも自分の存在意義と結び付けてしまっているのが厄介だ。もし、2柱が消滅したとなれば、自身の命を絶ってしまうことだって考えられる。

 それに、諏訪子と神奈子が消えたら私の本来の目的も達成できずじまいになっちゃうしね。ていうかそもそも幻想郷に帰れない! 

 

「あとどれだけこの世に留まれるかしら?」

「私は……半年かねぇ。なんとか頑張って1年くらいは生き残りたいが……」

「私も半年――って言いたいところだけど、正直そこまで耐えれる自信がないや。2ヶ月……は頑張る。まあ、神奈子がいれば守矢神社は存続できるから大丈夫だよ!」

 

 オッケー把握したわ。

 タイムリミットは2ヶ月ね。ただこの期間については自己申告なので、2柱が見栄を張っている可能性がある。

 それも考慮して1ヶ月以内にはなんとかしたい! まず私も幻想郷を長期間空けるわけにはいかないし! もう出発してから半年くらい経ってるけど! 

 

 とにかく私が頑張るしかないわ! 

 幻想郷を統治し、歴代最強と謳われる博麗の巫女を育て上げた私の敏腕……とくとご覧になってもらいますわ! 

 

「で、どういうプランで早苗の能力を開花させていくんだ? 簡単に教えてくれれば助かる。……いやなに、紫を疑ってるわけじゃないんだが、私たちが考案した修行法は効果が無かったからね。神として気になったんだよ」

「私も気になる! そういえば昔のお前さんも言ってたじゃないか――『戯れで化け狐を九尾まで育てた』とかなんとか。是非ともその指導能力をご教授してもらいたいな」

 

「プラン? 戯れ……? 九尾……??」

 

 ちょっと待ってね、頭が働かない。

 そもそも! 修行プランについてはここに居るみんなと考えようと思ってたんだけどォォ!? なんでもう考えてるみたいなっちゃってるの!? ていうか期待重っっ! 

 そもそも霊夢の時は適当に蔵から持ってきた巻物を渡してただけなのよねぇ! 

 

 あと九尾を育てたとか戯れとか! それ間違っても藍の前で言わないでね!? 他の狐に浮気したとか思われたら軽く死ねるから!! 

 話を聞く限り狐と藍が同一人物っていう線もあるけど、時系列が合わないからね! そこんところよろしくお願いします!

 

「ふふ、プランについては早苗が帰宅したら伝えるわ。だってそろそろ帰ってくる頃でしょう? どうせなら一回で伝えますわ」

 

 取り敢えず今はこうとしか言えない……! 

 早苗が帰ってくるまでに修行内容を考えるなり思い出すなりしなきゃ!

 ぬおおお……全然思い付かない。

 考えろ、知恵を絞れ賢者八雲紫ぃぃぃ! 

 

 確か、確か昔に慧音が何か言ってたような気がする! これを思い出せれば……! 

 

 

「……ねぇ、なんで私たち神様って思われてないんだろう? 早苗様にはちゃんと自己紹介したよね? ……よね?」

「した! 絶対にした!!」

「よね! お姉ちゃんもそう思うわ!!」

 

 

 

 

 

 

「紫お師匠様! 今日は絶好の修行日和ですね!」

「快晴ですものね。修行日和かどうかは別として」

 

 満面の笑みでそんなことを言いながら、私の目の前でセーラー服から巫女服に着替える早苗。非常に眼福……もとい目のやり場に困る光景である。

 時間が勿体無いと慌てながら着替えてるため、大変危なっかしい。

 

 なおその側では秋姉妹が撃沈していた。

 

「静葉も穣子も、いつまで落ち込んでるの。ほら、早苗と一緒に頑張ることにしたんでしょう? 気持ちは……まあ分からないけど、そんなんじゃいつまで経っても認めてもらえないわよ?」

 

 実に感情の色彩豊かな姉妹ね。

 早苗が帰宅するや否や「私は豊穣の神、穣子!」「私は紅葉の神、静葉!」とか名乗り出してドン引きされた挙句、それでも神だと信じてもらえなかった哀れな姉妹神の図である。

 ……まあ私もこの二人が神様だって確証を持ててるわけではないんだけどね。幻想郷の事を知ってる変人二人ってだけだし。

 

 ていうかこの二人みたいなのが神様だと早苗に認識されると、色々と面倒臭いことになりそうなのよね。早苗の中での神様イメージをなるべく壊さずにやっていきたいし。

 ただ二人をこのまま放置するのも可哀想なので、早苗の修行に付き合ってもらうことにした。何かの拍子に力を取り戻してくれれば儲け物だ。

 

「まあ神様らしい事を一つでもやってくれればちゃんと信じるんですけどね、今は流石にないです。……さて、準備完了しました!」

 

 ビシッと軍人のように胸を張る早苗。それに合わせて、静葉と穣子がのっそりと起き上がる。涙目のままだけど大丈夫だろうか? 

 

「やる気は十分みたいね。それじゃあ内容を伝えるけど、その前に貴女達に問いましょう。どんな修行を想像していますか?」

 

 この問いは背後に控えている諏訪子と神奈子に対してのものでもある。私の計画と彼女らの理想がかけ離れていないかの確認だ。

 

「やはり亀の甲羅を背負って畑を耕したり、重力室の中で筋トレしたりとか……」

「そういうのは滝に打たれながら念仏を唱えるのが主流じゃないの?」

「いやいや、山麓で行脚すると強くなれるって天狗達が言ってたよ」

 

 若干一名のサイヤ人は置いといて、秋姉妹の答えはオーソドックスながら最適解である。恐らく、その行動一つ一つに何か特別な力が働くわけではない。しかし太古からそれらが修行法として行われてきたのには確かな理由があるのだ。

 俗に言うパワースポットというものだが、これの存在は実証されている。そもそも幻想郷自体が巨大かつ強力なパワースポットだしね。そういう特別な場所で修行することによって人間は霊力を吸収し、己を高めたとされている。

 

 つまりだ。

 

「身体を動かす必要はないのです。場所を選び、時間を選び、そしてある目的を持って精神統一に徹すればそれでいい」

「おお! なんとも"らしい"修行ですね! ……しかし、そんな漫画みたいなことをして本当に神様が見えるようになるのでしょうか……」

 

 貴女さっき漫画の修行内容言ってなかったっけ? ま、まあいいや。

 ここからが重要ね! 

 

「『好きこそ物の上手なれ』という言葉が有りますけども、能力の開花とは、秀でた力の到達点でもあるの。だから貴女達には『自分の得意なものを極めた姿』を頭の中でひたすら反芻してもらうわ」

 

 3人が一斉に首を傾げた。頭の上にクエスチョンマークが見えるわね。ただこの修行内容は我ながらかなり理に適っていると思う。

 

「私には『境界を操る』という能力があるわ」

 

 私の眼前を指で軽くなぞる。するといつものように空間が縦に裂けて、黒々とした不気味な空間を覗かせる。移動にも使えない収納用のスキマだが、演出にはちょうどいいわね! 

 秋姉妹は「おお……」と声を上げたが、早苗は何事かとキョロキョロ私の周囲を見渡している。やっぱり見えてないのね……。

 

「これは私がスキマ妖怪という種族に生まれた事での恩恵なのだけれど……そうね、もし河童なら『水を操る能力』で、天狗なら『風を操る能力』って感じかしら。これが生まれながらに持つ"種族の力"や"天賦の才"――いわゆる先天性の能力」

 

 妖怪や神の殆どはこれに属するわ。

 そもそも霊的存在の成り立ちからして、妖怪とか神は発生した不可解な出来事の属性を元に誕生するからねぇ……。まあここにも広義の条件があったりするのだけれど、今は割愛。

 またこのタイプの能力を持っている人間はかなり希少とされていて、漏れなく強力なのよね。それこそ"呪い"と見紛うほどに。

 十六夜咲夜や阿求のことよ。

 

 そして次が本題である。

 

「逆に後天的な能力の発現もあるわ。例えば剣術に秀でた者がその才を伸ばし続けたなら『剣術を扱う能力』として確立されるでしょう。これが今回、早苗の目指すべきステージよ」

 

 人間は殆どこのケースに当たるわね。

 霊夢はちょうど前者と後者の中間パターンだけど、自分に備わっていた性質を正しく理解し、それを完全に身に付けたという点では後天的なものと判断しても相違ないでしょうね。

 ちなみに妖怪としてもこのパターンに該当する存在は少しだけいて、藍や紅魔館の門番とかが当てはまるんじゃないかしら。

 

 ちなみに小傘みたいなタイプはハナから論外である。てゐみたいなのも論外! そもそも幻想郷の連中の能力認知は自己申告制だからね! 

 

「その……奇々怪界な『能力』なるものを身に付ければ、私でも神様が見えるようになるのですか? 正直、まだにわかには……」

「そういう訳ではないけれど、能力を身に付けるという事は貴女にとっての『非常識』に足を踏み入れる合図とも言えるわ。その頃には貴女の目も適応しているんじゃないかしらね」

「な、なるほど……!」

 

 早苗の目が爛々に輝いてる。こんなにも熱心に話を聞いてくれる弟子を持てるのは、師匠冥利に尽きるというものですわ! 

 頑張りましょうね! 

 

「幸いにもこの守矢の地は力に溢れている。修行場所としてはもってこいと言えますわ。これもまた、太古から積み重ねられた神の恩恵――存分に利用させてもらいましょう」

 

 言葉に合わせて諏訪子と神奈子に目配せする。2柱はグッと、力強いサムズアップを返してくれた。気のいい神様だこと。

 ……ただそんな好条件な場所に住んでたにも関わらず早苗の能力は開花しなかったのよねぇ。大丈夫かしら……。

 

 

 と、穣子が怪訝な顔をしながら挙手した。

 

「私とお姉ちゃんの能力はもう分かってるよ? 座禅してても力は戻ってこないと思うんだけど、そこのところどうなの?」

「そうねぇ……また後で順を追って説明するわね。早苗の話がまだ終わっていないし、これは貴女達にも関係あることだから」

 

 秋姉妹については……ホントどうすればいいんでしょうね? (思考放棄)

 力を奪われたらしいけど、元に戻りたいならその元凶(レティ)を倒せばいいんじゃないの? まあ絶対勝てないと思うけど! 

 

 取り敢えずまたもや時間稼ぎ。話を終わらせるまでに考えましょう。

 しっかりと早苗の目を見据える。

 

「早苗。これまでの話を聞いてこう思ったんじゃないかしら? 『そんなこと本当にできるのか』って。それらしい事を言っても結果が伴わないんじゃ、ただのペテン師ですものね」

「……えっと」

「勿論、何も分からない貴女が何年精神を研ぎ澄ましたところで、能力は目覚めないでしょう。それどころか貴女は自分の秀でた部分すら把握できていないと思うわ。それは仕方のない事です」

 

 ゆっくりと力を漲らせる。

 

「特別な力を手にするには、やはり特別な方法が必要よ。一度その方法が体に染み付けば可能性と選択肢は一気に広がるわ」

 

 離れる大地。天へと近付く浮遊感。

 

「嘘……宙に浮いて……!?」

「信じられないでしょう? しかしこれが貴女の思う幻想の上に立つ、紛れも無い事実よ」

 

 ここまで一気に捲し立てて、地に降りる。そして大きく深呼吸! やっぱ飛びながら喋るのはキツイ……! (満身創痍)

 この八雲紫、実は飛ぶよりも走った方が速かったりする。その事に関して、確かさとりからは「幻想に生きる者の面汚し」とか言われたっけ。ほんと酷い。

 

 だがここまでアピールしたのだから、私が言う神秘についての信憑性は高まっただろう。それに、空を飛ぶ事には大きな意味があるのだ。

 

「空に浮かぶのは存外難しいことでは無いですわ。ただ、身に付ける為には独自の感覚を掴まなきゃならないの。これが身体における霊力操作の初歩よ」

「初歩を身に付けるだけで飛べるんですか!?」

「ただその独自の感覚を掴むのには案外個人差があってねぇ。天才でも躓く子はとことん躓くわ。けど最後には大抵飛べるまで成長するわね」

 

 なんか予備校の告知みたいなこと言ってるけど本当にここは遅いか早いかなのよね。聞くところによると魔理沙は魔法を嗜み始めてすぐに飛べるようになったらしい。しかし、それに対して霊夢は紅霧異変の数年前まで飛べなかったりするのよねぇ。

 私? 私は……忘れちゃった☆

 

 とにかく、霊力操作で行う動作で一番簡単なのは『浮遊』である。つまり自身の霊力を自認するのに最適なシチュエーションってわけ。

 

 霊力操作を使えないと能力を身に付けるのは難しい。そして能力を身に付けるのが霊力操作習得への近道。

 一見堂々巡りのようだけど、この二つの修行は相互に好影響を与える。一から物事を開拓するのだから、関係する物事は手当たり次第にやった方がいい……と、慧音が言ってたような気がする。

 つまり、能力発現の修行と、浮遊の修行の二つに並行して励むことが大切なのよ! 多分! だってけーねが言ってたんだもん! これ魔法の言葉ね! 

 

「これら二つを同時に習得しようとするのは倍大変だけど、その経験値は倍以上。そしてどちらか一方を半分でも習得できれば、その時には神を見る力も備わっているはずよ」

「……お師匠様。私、その……」

 

 早苗が震えながら俯いてしまった。しまった、一度に喋った情報が多すぎたのかしら!? ぐぐ……不覚だったわ……! 

 早苗の心を折るのは悪手中の悪手! なんとか彼女を元気づけないと……! 

 

「な、長々と説明したけどうまくいけば明日にでも終わるわ。借金とかもあるみたいだけど? まあ多分おそらくきっと何とか――――」

「私、もう……もう……っ!」

 

 

「もう! 我慢できませんっ! 早急に修行しましょうそうしましょう!」

「あら?」

 

 バッ、と勢いよく上げられた早苗の顔。表情はもちろん満面の笑みだった。感情を抑えきれないようでぶんぶん腕を振り回している。近くにいる秋姉妹が慌てて避けていた。

 あー、うん。そういうことね。

 

「能力は身に付けます。空だって飛びます! 私、頑張りますから!」

「……ふふ、そうね」

 

 まあ、よくよく考えれば心配する必要なんてないわよね。早苗のメンタルは私なんかよりも数段上なんだもの。

 ではお言葉通り、早速修行に取り掛かるとしましょうか! 

 

 

 

「あのー……紫さん」

「私たちは?」

 

 あっ、忘れ……てない! ちゃんと覚えてるからね!? そんなに落ち込まないで! 

 秋姉妹は――――……うーん。

 

「貴女達は少なくとも基礎はできてるのよね。つまり浮遊できるくらいの霊力さえ多少取り戻せればなんとかなる。……なら筋トレするしかないんじゃないかしら」

 

 結局サイヤ人的結論に落ち着いた。

 筋肉は裏切らないからね。仕方ないわよね。

 

 

 こうして、早苗は力と霊力操作を身に付ける為に『能力の発現』と『浮遊』の修行、穣子は重りを背負っての畑仕事、静葉はひたすら諏訪の大木を蹴り上げることに明け暮れることとなった。

 秋姉妹のあれは神様時代の日常生活をそのままやってもらってるだけだ。聞けば中々にとんでもない神様たちみたいね。

 

 

 ついでに、私はいつのまにか幽霊会社と化していた二ッ岩ファイナンスの捜索に追われることとなる。そういえば事業を畳むとか言ってたわねあの狸さん! 

 一体どこから督促状送ってるの? 莫大な延滞金ばかりが増えていく! 

 汚い、流石は狸、汚い!




慧音「こんなこと教えた覚えないぞ……?」
妹紅「汚いな、流石スキマ妖怪、汚い」

ゆかりん意外とコーチの才能あり。まあそれらしいことを思ったままに伝える才能はありますからね……うん。
ちなみに作者は秋姉妹大好きです!こんな扱いだけど大好きです!ゆかりんもこんな扱いだけど本当に大好きなんです!!(言い訳)

ちなみにゆかりんが胡散臭い言い方をあまりしなくなったのには理由があります。とあるタイミングからですね
なので初対面時の心証が若干良くなってます。まあそれでも胡散臭いんですけどね! ゆかりん自身も結構適当に思ったこと言ってるので解決にならないという。


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不純の侵入(前)

遅くなりました……


 

 

「あーそうかぁー。そうくるかぁ。だよねぇ……うんうん、だよねだよねぇ」

 

「今日のお師匠様は一層気持ち悪いなぁ」

「しっ。思った事をすぐ口に出しちゃダメ」

 

 限定的な生命がへばり付く後戸の国。

 万人に深く畏れられ、決して知られる事のない秘匿の神。摩多羅隠岐奈は能面のように表情を取っ替え引っ替えしながらとある事件を見守っていた。

 いつもと変わらず尊大な椅子に腰掛け、作業用の机に向かってブツブツと訳のわからない独り言を次から次に垂れ流す。

 二童子の視線にも気付くことはない。

 

「あのー、すみません?」

「呼ばれたので来てみたんですが……お忙しいようなら日を改めましょうか?」

「うん、そう……いや違う待て待て。これから大事な話をするから」

 

 慌てて二童子を呼び止める。ただ視線は未だに宙を漂っていた。部下使いの荒さは勿論だが、この神に敬意を抱く事のできる要素はあるのだろうか、と。里乃と舞は心底真剣にそう思った。

 ……二人の境遇を考えれば仕方のない事ではある。

 

「いやぁすまんすまん、目が離せないところだったんだ。今ちょうど霧雨魔理沙と風見幽香の戦闘が終わった」

「へー。どうなったんです?」

「有耶無耶だ。つまり、私の計画は失敗に終わったことになる。いやはや残念」

 

 今回の謀略は隠岐奈による紫への楔だった。霧雨魔理沙をこちら側に引き込むことによって戦力の拡大を図るとともに博麗の巫女への対策とする、そんな計画だった。

 ついでに幽香を殺せていれば御の字。殺せなくても深刻なダメージさえ与えてくれれば良かった。あの妖怪は隠岐奈にとって目の上のこぶだ。

 

 だが結果は残念なことに、魔理沙を引き込むことはできず、幽香を殺すこともできず、さらには霊夢とさとりの接触を許してしまった。

 

 認めよう。局地的な完敗だと。

 

 認めよう。早計であったと。

 

「失敗したのになんだか楽しそうですねぇ」

「はっは、この感情を楽しいと思わずして何とするか。いいか童子よ、どのようなプランにも楽しめる道筋を残しておく事こそが肝要なのだ」

「「開き直りってことですか?」」

 

 つまりはそういう事である。

 確かに、今回の計画が頓挫してしまったことは今後の展開において重大な影響を与えるかもしれない。悔しがって然るべきだ。

 

 しかし隠岐奈の感情には悔しさ以外にも、愉悦、悲哀、憤怒、楽観……と、あらゆる心が積み重なっている。それぞれの神格と言うべき存在の感情である。あとはそれから好きな物を選んで自分の心とすればいい。

 

「まあそう言うな童子よ。新たな童子を増やしてやれなかったのはすまなかったが、代わりに我々へ協賛の意を示す者たちとの接触には成功した。今回の件を隠れ蓑にしてな」

「えぇ? まだお仲間を増やすんですか? ちょっと前にお師匠様の古い知り合いとかいう方を引き入れたばかりじゃないですか」

「あんまり高尚な方には見えませんでしたし、どちらかと言えば……邪悪? ……僕たち完全に悪役サイドですよ。絵面的に」

 

 そんな事はない、と言おうとしてやっぱりやめる。確かにアレを引き入れただけで隠岐奈陣営のダーク感が増したのは事実。そもそも、アレのためにわざわざ否定するのも面倒くさい。

 

「まあアレはアレで自分の目的の為なら積極的に力を貸してくれる奴だ。信頼はしなくていいが信用はしていいぞ」

「はあ。ではその彼女は何処へ?」

「奴なら今頃、外の世界でせっせと工作中だろう。やりすぎなければよいがなぁ」

 

 まあ、彼女ならば自分の目が行き届かなくてもしっかりと結果を出してくれるはずだ。心配する要素はない。

 外の世界──諏訪の地にいる紫は奴が抑える。

 紫は今頃、想定外の事態に相当慌てふためいていることだろう。想像するだけで愉悦の笑みが零れ落ちてしまう。

 

 だがお楽しみはこれからだ。

 

「そうだ、お前たちに仕事がある。今からとある妖怪をここに連れてきて欲しいのだ。私の名前を出せばすぐにでも来てくれる」

「了解しましたけど……またお仲間増やしですか。なんというか、らしくないですね」

「うんうん。一匹狼タイプなのにね」

「そういう事は私のいない所で言え。はぁ……言うぞ? そいつの名は────」

 

 一向に自分を敬う気の無いマリオネットどもに嘆息しながら、隠岐奈はゆったりとその妖怪の名前を呼ぶ。瞬間、二童子は凍り付いた。

 ぎこちなく二人で顔を見合わせる。

 

 幻想郷に住まう者なら誰もが震え上がるその名前。口に出すのも恐ろしいと、滅多にその名が呼ばれる事はない。

 彼女は、誰からも畏れられていた。

 

「い、いやいや……そのー」

「さすがにそれは……」

 

 先ほどまでの威勢は何処へやら。確かな戸惑いを見せながらしどろもどろになる里乃と舞。彼女らとて幻想郷のパワーバランスにおいてかなりの上位に名を連ねる実力者ではある。だがそれ以上となると、その存在はもはや手を掛けるに能わない領域だ。

 

 

 しばしば幻想郷に住まう者たちの中で議論になる題材がある。それは──『幻想郷最強の存在』とは、誰なのか。

 

 

 大多数はこう答えた。

「やはり八雲紫だろう。現に幻想郷を牛耳っているのだから、妖怪の頂点に立つのはあの妖怪に決まっている。一目見て分かったよ、あの妖怪には絶対に敵わないって」

 

 大多数はこう答えた。

「忌むべきかな、この世界の頂点は巫女だ。強大さもさる事ながら、アレには八雲紫も手を出せないと聞く。誰にも止められんよ……彼女が存命のうちは幻想郷は人間の天下だろうさ」

 

 とある変わり者の妖怪はこう答えた。

「鬼、天狗……奴らも強い。だか、昔は違った。一番強かったのは蟲だった。人間も妖怪も、等しく奴らに淘汰されかけた時代があったのだ。昔なら、蟲だ。奴らこそが最恐だった」

 

 ごく普通の人間はこう答えた。

「ワシらにゃ誰が一番強かなんて分からんよ。興味ないし、雲の上の存在過ぎてな。……だけんど一番おっかない奴なら知ってんぞ。ルーミアって奴だ。やっぱ人間ってのは、闇の中じゃ生きらんねぇ生き物なんだなぁ」

 

 ある神はこう答えた。

「そりゃもちろん私だ。後戸の神であり、障碍の神であり、能楽の神であり、宿神であり、星神であり、この幻想郷を創った賢者の一人でもあるこの私の名を挙げずして(以下略)」

 

 実のところ、謎なのだ。

 万人に聞けば万人が同じ答えを返すわけがない。そもそもそんな連中が本気で戦う事など、そこらへんの凡百にとってすれば傍迷惑な大災害と同義である。知らないに越した事はない。

 

 ただ、この議論において挙げられる名前というのは流石にかなり限られてくれる。

 鬼の四天王、地底の凶悪な妖怪、風見幽香……。

 

 そして──

 

 

「レティ・ホワイトロックがそんなに恐ろしいか? ふむ、気持ちは分からんでもないが、お前たちは寒さを感じる身体ではないだろう」

「そういう問題じゃなくてですね……」

「お師匠様には分からないんだろうなぁ」

 

 失礼な物言いである。

 ……まあ実際のところ分からないが。

 

 この手の話題では滅多に挙がることのない妖怪、レティ・ホワイトロック。問答無用の殺し合いなら、幻想郷最強ではないかとの噂もある妖怪だ。

 ならば何故、名前が挙がらないのか? 

 簡単である。

 

 レティは何処にでもいるからだ。

 寒気を俄かにでも感じるのなら、それはレティに超至近距離までの接近を許しているも同然。それに『寒気』とは肌寒さだけを指すのではない。

 冷めた心、冷えた肝、煮え切らない衝動──これらもまた、レティの管轄内。

 

 故に、名前を出せない。

 この世に生を受けた者はみな、凍え悴む事への恐怖を遺伝子に刻み込まれているから。故に、あの妖怪は強く、それでいて恐ろしい。

 

「あんなのに万が一にでも目をつけられるなんて考えたら……そりゃお師匠様からの命令でも慎重になりますよ」

「まあどうしてもって言うなら、呼びますけど……」

「はぁ……分かった分かった。私がレティに声を掛けるから、お前たちは古明地さとりを見張っていろ」

 

 己が部下の不甲斐なさに深いため息を吐きながら、素っ気なく命令を課す。そして二童子もまた「ため息を吐きたいのはこっちだよ」なんてことを思いながら、ドアの先に消える。

 途端に生命の密度は著しく減少し、煩い静寂が後戸の国を包み込む。

 

 些かの居心地悪さを感じたのか、隠岐奈は座り方を若干崩した。そして頬杖をつくと、呆れたように虚空へと言葉を掛ける。

 

「──と、まあ以下の通りだ。冬限定の妖怪にしちゃ随分な言われようじゃないか? よほど熱心に畏れを集めたか」

 

 ──ぬるり、と。ちょうど隠岐奈の背後にあったドアがから伸び出る白くしなやかな腕。梁を掴むと、一気に自分を引き寄せ、後戸の国に侵入する。

 掴まれたドアは一瞬のうちに凍り付き、彼女が通り抜けたと同時に粉々に砕け散った。ちなみに意図して行ったことではない。

 

「ホント、失礼な話ね〜。一体全体、私の事を何だと思ってるのかしらぁ?」

「化け物だろう。側から見れば得体の知れなさは紫とどっこいどっこいだぞ」

「いやぁねぇ、貴方様こそ幻想郷のありとあらゆる者に気味悪がられるべきでは〜? 私なんて到底及びませんもの」

「はっはっは、謙遜するな阿呆が」

 

 いい加減自分の扱いにうんざりするも、寛大な心で笑って済ましてくれる秘神メンタルは強靭である。……そうでないと幻想郷の賢者などやってられるものか。どこぞの賢者もそう言ってた。

 

 と、ここまでのやり取りを見れば一目瞭然だが、摩多羅隠岐奈とレティ・ホワイトロックはそれなりに関係の深い間柄である。

 彼女(レティ)の存在は隠岐奈が対紫を見越していた故に用意されたものだ。

 

「ふむ、もうそれなりに昔の事になるか。お前に譲渡していた"季節を司る力"は無事モノにできたようだな。それで、()()()()()()()?」

「夏以外は全て。秋の力は妖怪の山に住んでた秋姉妹から奪って、春の力は『春雪異変』の際に集めました〜」

 

 幻想郷における生命力と精神力のバランスを司るという重責を担っているのは、言わずもがなこの摩多羅隠岐奈である。生命力とはすなわち自然エネルギー──季節の力も兼ねている。

 つまり、その季節を司る力をどう使おうが、誰に付与しようが、それは隠岐奈の采配次第。そして現在、四つある季節のうち三つを保持しているのはレティ……という事になっている。

 

 ただこの定義は現在、極めて曖昧なものになっている。というもの、隠岐奈は他ならぬ八雲紫の策略(※諸説あり)によって自身を占めていた筈の神格をいくつか欠落させており、"季節の力"に関しても然り。

 今の紫は昔と違い何の疑いもなしに隠岐奈に幻想郷のバランサーを依頼したわけだが、その頃には"季節の力"は既に他者へと渡っていた。

 

 だから、隠岐奈はその保持者のうちの一人であるレティに依頼したのだ。いま一度全ての季節の力を自分へ返還して欲しい、と。

 これも対紫を念頭に置いた采配なわけだが、これがどうしてレティの思惑と合致していたらしく、隠岐奈を上に置いた二人の協力体制が構築された。

 

 つまり、現状レティは対紫(ゆかリンチ)包囲網の一角を占める大妖怪なのである。

 故に、秘神はレティの言葉に解せない様子で首を傾げる。彼女に全幅の信頼を寄せているが故の疑問だった。

 

「まだ三つなのか? 私はてっきりもう四つ全て集めてどこぞで遊び呆けているものと思っていたのだがな」

「あら、理由を聞きます?」

「手短にな」

 

 では簡潔に、と。軽い調子で語り始める。

 

「秘神様に頼まれて吸血鬼異変に参加した時に、どさくさに紛れて【秋】を手に入れたわ〜。いつも私の邪魔をしてたあの子は悪霊殺しに奔走してたみたいだし、ちょうど良かったわね」

「結構タイムリーな話だな」

 

 よくよく思えば今でこそ激しく対立しているさとりと隠岐奈だが、あの時は二人の思惑は合致しており、互いに似たような策を講じていた。

 隠岐奈の決断が違うものであれば……実に建設的な関係を結べていたのかもしれない。まあ、もはやどうでもいい事だが。

 

 それよりも今は【秋】の話だ。

 

「それでその秋姉妹とやらは?」

「あの神様たちも季節の力は自然に継承された形だったみたいだし、消滅させちゃうのも可哀想でしょ? だから外の世界に流してあげたわ〜。今頃楽しくやってるといいわねぇ」

「少々気の毒だが仕方ないな。それで次に【春】だが、これについては西行寺幽々子の起こした異変の際に集めたと言ってたな。継承者は?」

「いたんだけど、私が特定した時にはもう【春】をほぼ幻想郷に配り終えていたわ。リリー・ホワイトっていう妖精ね〜」

 

 リリー・ホワイトは妖精の中でも、自然界における役割としてはかなり特殊な立ち位置に存在する。

 春告精は幻想郷における春の風物詩。桜と並ぶ程度には、春を実感させる力を持つ。それ故に知らず知らずのうちに【春】の力を受け入れていたのだろう。

 だがそれにリリーは気付かず、春を告げる声とともに幻想郷に還元し、その役目を終えてしまう。つまり、幻想郷全体に力が分散してしまっていたのだ。だからレティの四季集めもかなりの手間を要していたのだろう。

 

「そんなところに運良く去年、春が一箇所に集まる異変が起きたと。ふふ……なるほどな。これを運命と呼ばずしてなんと言おうか!」

「たまたまじゃないの〜? それに下手すればあの『変な八雲紫』と一戦交える可能性だってあったんだし」

「可能性は0ではなかっただろうな。そしてそれは誰も望まぬことだ。その点において、お前の立ち回りは実に見事だった。正直、紅魔館のメイドと泥沼戦を始めた時はどうなることかと思っていたぞ」

「あれはちょっとした遊び心。私の趣味にまで口は出さないでね」

 

 悪趣味とまでは言わない。悪くはない、悪くはないが、なんだかなあ……と。我が陣営のダークサイドに隠岐奈は頭を抱えた。

 なお彼女はその親玉である。

 

「大体の概要は理解した。つまり、四季集めもいよいよ大詰めというわけか」

「ええ。残るは【夏】のあの子のみ。あの子は──風見幽香は、私の敵じゃあない。楽勝よ? 楽勝♪」

「弱体化してる今の奴など、お前なら一捻りだろうな。……だが今はダメだ。古明地さとりの監視が厳しい。下手にバランスを崩せば、当初の計画から大きく乖離してしまう可能性がある」

 

 できることなら今すぐにでも力を取り戻し、戦端を開いてさとり一派の影響力を幻想郷から排除したい、というのが本音ではある。実際、やろうと思えばすぐにでも可能だ。

 しかし、隠岐奈の最終目的は幻想郷を牛耳る事でもなければ、自身の栄華を極める事でもない。手段と目的を逆転させてはならない。

 

 それではあの天邪鬼の二の舞だろう。

 摩多羅隠岐奈の野望は決して一本化されるものではないが、あくまで方向性としては一貫したものとしなければ。

 

「まどろっこしいわー。秘神様は八雲紫を殺したいからこんな事をしてるんでしょう? 自分で手を下したくないなら私に頼めばいいのに」

「待て待て勝手に決めつけるな。あんなの殺したところで仕方がないだろう……いや仕方なくはないが、それでは一回しか楽しめない」

 

 不意に伸ばされた手が純白のマフラーを掴み、強引にレティを引き寄せる。

 椅子に座ったままとは思えないほどの力──いや、不自然さ。

 

 凍てつく冷たい眼差しと、様々な思惑の介在する瞳が、一直線に混ざり合う。

 

 

「一つ教えてやろう。私はな、知りたいのだよ。知りたいから真似るのだ」

「──それがその姿と、摩多羅神という存在を選択した理由?」

「私が真似てるのは紫だけじゃないさ。お前やさとり、旧い友人の一部分も参考にしている。何故、部下(二童子)にあのような態度を取らせているか分かるか? ……紫の気持ちを知りたいからだ」

「……」

 

 摩多羅神とは本来、自分を恭しく思う者に無際限の恩恵を授け、逆にぞんざいな扱いをする者には容赦なく然るべき報復を行う存在だ。

 そして二童子は摩多羅隠岐奈の操り人形(マリオネット)であり、彼女らの設定如何を決めるのは隠岐奈次第である。

 

 二童子に自分をぞんざいに扱わせる設定を付与した理由は、ひとえにさとりの思惑を実践してみようと思ったから。これに尽きる。

 全ての感情を持ち得ても、それでは一向に未熟なままなのだ。だから真似て知るしかない。定められた本質というものを。

 

「要するにエゴイストなのだよ、私は。滅多に表に出てこないのも、裏方に徹することで全てを俯瞰したいからだ。満遍なく味わいたくて仕方がない」

「それはそれは、難儀なことで」

「はっはっは、生きにくいったらありゃせんよ」

 

 そういえばあの天邪鬼も「生きにくい世の中を変えたい」と、そんな事を言っていたような気がする。

 皆そうなのだ。

 生きにくくて仕方がない。

 だから変えようとするのだろう。自分を──若しくは、世界そのものを。

 

 

(お前もそうだった筈だ。紫)

 

 

 摩多羅隠岐奈を以ってして知り得ない謎。──八雲紫は何を思ってあのような生き方を選択したのだろうか。

 もはや知る由はない。

 

 遺されたのは()()()()()だけだ。

 紫は……自分の知らない場所で()()()()()()()。間違いであってほしいと柄にもなく願っていたが、奇しくも古明地さとりとの答え合わせでそれは確実なものに変わってしまったのだ。

 

 

 あの日に芽生えた空虚は、今も自分のナニカを深く蝕んでいる。

 誰もが紫の死の"意味を"祝福した。

 

 隠岐奈に与する者達とは、はみ出し者だ。紫の死を悔やみ、悼む事しかできなかった弱き者だ。──生きにくいと、世界を恨む者達だ。

 その事を思うと隠岐奈は段々やるせなくなる。理由はいくらでも考えられるから、分からない。

 

 

 当人がその答えに行き着くのは、もうすこし後のことになる。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「「ゴットブレスゥッ!!」」

「グハァ!? ググ、おのれ……カナちゃんスワちゃんめ……! しかし、私は諦めん……! いつの日か必ず、このヤクモ様が諏訪の地を手に入れるのだからな! ではさらばですわ!」

 

 バターン、と勢いよくステージに倒れ込む。ていうか勢いがありすぎて後頭部を打ち付けた。泣きそう。

 

 とまあ私のそんな苦悩はつゆ知らず、子供たちの声援(若干野太い声混じり)を受けて会場にけたたましい音楽が響き渡る。そしてそれに呼応するように、ダイナミックな動きでカナスワちゃん(秋姉妹)がステージ上を駆け回る。

 そこまでを見届けて裏方に引っ込んだ私は、悪者っぽいマントと仮面を脱ぎ捨て、ガチガチに固まった表情筋をほぐしつつ休憩に入る。

 

 もうね、ヒーローショーって思ってたよりもキツイのなんの! やっぱり慣れないことはするもんじゃないわね……まあ今回は仕方ないんだけどさ。

 

 ふと視線を感じて前を向く。

 そこにはもうすぐ消滅のタイムリミットだというのに呑気な様子の諏訪子が、ニヨニヨ笑いながらこちらを眺めていた。

 意地悪な笑みですこと。

 

「……何か言いたげね」

「いやぁ、あんなに面白いものを見させてもらってるからねぇ。ふふ、お前のあんな姿が見れるなんて、いやはや生きてると何が起きるか分からないもんだよ」

「私としましては月の連中役をやらされてるのが不満なんですけどねぇ。もうちょっと配役を考えて欲しいですわ」

 

 カナちゃんスワちゃんに敗れた悪の大王ヤクモのモデルは、神奈子をこの地に封じ込めた月勢力らしいわ。まあ、なんにせよ私には向いてない役だ。

 そもそも私の名前の意味って見方によっては『神様やっつける!』って意味にもなるらしいし、そんな私が神様役ってなんか変よね。

 

 なんでこんな馬鹿みたいなことをやっているのかというと、まあ早苗の代理である。私がこの地に来たことで人手が増えたと喜ぶ早苗は、なんと新しくヒーローショーを開催すると宣言したのだ。

 けど結局早苗は学校に行ってて休日以外は園内に居ないので、平日は何故か私が進行役と悪役を兼任することになってしまった。最初から丸投げするつもりだったりして。

 

「紫ってなにかと演技上手いよね。普段とのギャップが凄すぎて風邪ひきそうだよ。どれが本当の八雲紫なのかねぇ……」

「何事もスイッチですわ。他の者達の目に如何なもので映っているかは分からないけれど、私は私。全ての姿が私の姿です」

「ふふ、そうかそうか」

 

 諏訪子と軽く笑い合う。仕事の私も普段の私も……私自身が知らない私でさえも、八雲紫であることには変わりない。全てが私だ。

 だが幼女姿……別名メリーモードの私、テメーはダメだ(黒歴史)

 

 と、私が一人で悶々としている間、諏訪子はちらちらと時間を気にするそぶりを見せ始めていた。どうしたんだろう? そういえばここに来た理由もまだ不明なままだったわね。

 

「もう休憩時間でしょ? すまないけどちょっとした相談に乗ってちょうだいな。そんなに時間は取らせないからさ」

「私に応えられる範囲であれば」

 

 相談に乗るのは結構得意! 幽々子から「紫は聞き上手よね」なんて褒められたことがあるくらいなのよ! 実情は相手の意味不明ワードに圧倒されて相槌を打つことしかできないからだけど! 

 しかも何やらそれなりに深刻な話題みたいね。……十中八九早苗関連の事か。

 

「もし修行が間に合わなくて私が消えてしまった時はさ、あの子に謝らなきゃいけないんだ。まあ消えてるから謝れないんだけど」

「死人に口なし、でしょう? 私に謝罪の伝言を頼みたいという相談なら、絶対に受け付けませんわ。貴女の消滅は──」

「私は早苗を見捨ててまで生き残ろうとは思わない。信徒を失い、信仰を失い、自分すらも失いかけている私に残されたたった1つの宝だ」

「……分かってるわ」

 

 諏訪子の想いは真っ直ぐだ。

 私にはそれが痛いほど分かった、ような気がする。

 

「早苗を置いていけないのは──いや、あの子がこの社会に適応できなかったのは、全て私と神奈子の責任だ。初めから決断すべきだった」

「なるほど。現実か、此方側か……」

「私には判らなかった。どっちの世界で生きていくのが早苗にとっての最善だったのかなんてさ。だから、どっちつかずの生活しかさせてやれなかった」

「……」

「早苗を一番苦しめているのは私達だ。環境でも周りの人間でもない……あの子を救わなければいけない私だった」

 

 地上ステージの歓声に掻き消されそうなほどに弱々しい声。しかし言葉に乗った悲痛な叫びは、深く心に染み付いていく。

 私も、その事には薄々勘付いていた。こんな非常時なのになぜ早苗は学校に行っているのか不思議でならなかった。行っても辛い思いをしているだけで、特別勉強熱心ってわけでもない。

 むしろ危害を加えられるまである。神奈子がここに居ないのも、分神によって早苗を見守っているからに他ならない。

 

 早苗はどちらの世界に生きることも許されなかった、ただの人間だ。

 

「いつになく弱気ね。私の事が信用できなくなったのかしら? これらの問題は早苗の修行が成功すればいいだけのことよ」

 

 まあ未だに全然進展ないけど! けどまだ期間は1ヶ月半は残ってるはず。諦めるような時間じゃないわ。

 慰めるように諏訪子へ言葉を投げかける。しかし、彼女は依然沈んだまま首を振った。

 

「違う、紫が原因じゃない。私がおかしいんだ」

 

 そう言うと諏訪子は服の裾を掴み、ペロリと捲る。あーいけません神様! それは恐らく事案が発生しかねない案件ですわ! 

 ……ん? 

 

「見える? この毒々しい痣」

「え、ええ。いつからこんな事に?」

「……今日だよ」

 

 諏訪子の腹あたりには紫紺の痣が拡がっていた。見るからに痛々しくて、良くないものだ。まるで某ジ○リ映画のタタリガミに祟られたあの状態のような、そんな感じ。

 日本最強の祟り神が祟られるとはこれ如何に? 

 

「正直、自分の身に何が起きているのか……自分自身でも解らないんだ。非常に情けないけど、良からぬ事態が起きつつあるのかもしれない。最悪のケースは、想定しておきたいよね」

 

 神とは、消滅する際にこれまで蓄えてきた信仰と同じ分の祟りを撒き散らすとされている。これはその前触れなのだろうか? 

 ──ただ、不自然ではある。

 

 諏訪子ほどの存在が自分自身の異変に今日に至るまで気付かなかった、ということはまず無いだろう。恐らく今日を以って突発的に始まったことだと思われるわ。

 このタイミング……私が守矢神社にやって来て、早苗に稽古をつけ始めて少し経った、この瞬間から。……それはつまり──。

 

「何者かの暗躍、かしらね。それも私に不都合な働きかけを行う面倒な……しかも手段を選ばないタイプの」

「紫のゴタゴタに巻き込まれたってこと?」

「可能性は否定できませんわ。……しばらくは事態の原因解明に努めます。早苗への指導は秋姉妹に任せましょう」

「いやその必要はないよ。お前にこれ以上の負担は掛けられない。……神奈子も紫も、みんな頑張ってる。私が頑張らなくてどうするのさ。原因は私が調べる。紫はもしもの時の為に、心構えだけしておいて欲しい」

 

 確かに私も手一杯だ。早苗の修行に『二つ岩ふぁいなんす』の捜索、モリヤーランドの経営補佐……。現状ではどれも上手くいっていない。

 それに幻想郷への手軽な移動手段も考えておかないといけないわ。

 だが諏訪子が消えてしまっては本来の計画も本末転倒……あっ、いま頭にくらっと来た。私のキャパシティを超えてしまってる。

 

 あーもう!! 次から次にっ! 

 流石に嫌になるわ! 

 

「兎にも角にも、貴女はしばらく安静にしてなさい。今後の方針について早苗と神奈子を交えて話し合わなければならないわね。……もちろん、貴女の今の状態は伏せておくわ」

「……ごめん。助かるよ」

 

 姿を現しておくのも苦痛だったのだろう、諏訪子は空気に溶けるように消えてしまう。そして私は大きな溜息を吐くのだった。

 

 諏訪子の容態を早苗と神奈子に伝えるのは避けておきたい。特に早苗。なるべくゆったりとした環境で修行に励ませてあげたいのだ。

 精神的に不安定になると、修行の難易度は格段に跳ね上がるわ。

 

 はぁ……どうしたものかしらねぇ。

 取り敢えず後片付けを秋姉妹に任せて一足先に事務所に戻る。そしていつものドレスに着替えて早苗を待つ。そろそろ帰って来る頃だ。

 

 

 

 そして帰ってきた。何故か体操服で、それもとんでもなく暗い影を背負いながら。

 ……どしたの? 

 

「お師匠様、これ」

 

 鞄の中を覗いてみると、そこには乱雑に折り畳まれたセーラー服が入っていた。無言で服を取り出し、広げる。

 生臭い匂い。ベッタリとこびり付いていたのは真っ黒なシミ。臭いとシミの強さからして墨汁、かしら。

 それによく見ると、シャツの所々に無理やり穿った跡がある。スカートなんて裾から胴回りまでザックリと豪快に切られていた。よくもまあこんな……うん。

 

 ゆかりんドン引きである。幻想郷とは完全別ベクトルの陰険さよね。

 

「体育の授業から戻ったら無くなってて、探したらゴミ箱の中にこれが……。もう買い替える余裕もないんだけどなぁ」

「……大丈夫よ。私が直してあげるから」

 

 早苗の口ぶりからしてこれが初めてではないのだろう。早苗のダークサイドがまた一つ露見してしまった……! なんて不憫な子……! 

『日刊:早苗の闇』みたいな感じで毎日見せつけられるもんだから私の精神もごりごり削れるのなんの! 

 

 ちなみに今まで聞いたイジメの内容だが、多岐にわたり過ぎててとてもじゃないが挙げきれない規模だ。なんていうかね、最初はてっきり緑髪が原因でイジメられてるのかと思ってたけど、問題は思ったよりも根深そうだ。下手したら魔女狩り紛いの行為にまで発展する恐れがある。

 諏訪子と神奈子を責める気にはなれないが、流石に早苗をこのままの状況で放置して学校に行かせ続けてるのはマズイと思う。

 

 自分たちが消えてしまった時の為に、早苗に平凡な人生の道筋を残してあげたかった二柱の気持ちは分かるんだけどねぇ。

 それに凄絶なイジメを受けてなお、二柱を心配させまいと変わらず学校に通い続けている早苗の精神力も今は裏目に出てしまっているわ。

 

 まあ取り敢えず制服は私が修繕するとして、早苗のメンタルケアは如何したものか。取り敢えず今日の修行は軽めのものにする旨を伝え、巫女服に着替えるよう指示しておく。

 私だって忙しいが、早苗のそれは私を完全に上回っている。そもそも社畜生活に慣れた私と学生の早苗じゃキャパシティに大きな隔たりがある……はず。早苗が潰れてしまわないよう気を付けないと。

 

 はぁ……どうしよう。

 妖忌、私は貴方のようにはなれそうにない。師匠なんて向いてなかったんだわ。

 

 

 

 

 その後、今日も進展のない修行を終え自室に戻る途中、神奈子に絡まれた。

 一目見てロクな要件でない事がわかったわ。

 

 神奈子は怒っていた。ただでさえ枯渇しかけているというのに、身体から蜃気楼のように神力を立ち上らせている。

 まるで山のような存在感。今は私と大差ない力でも、そもそもの存在の格が違いすぎる。久々にリバースしそうになるわ……! 

 

 取り敢えず神奈子を宥めながら本殿まで引きずっていき、ちゃぶ台を囲んでの晩酌に持ち込んだ。こういうタイプの人はお酒を飲ませて不満を打ち明けてもらえば状況が好転しやすいのよね。ちゃんと萃香で予習済みよ! 

 スキマから何本か酒瓶を取り出しながら神奈子の話に耳を傾ける。

 

「諏訪子も早苗も、私に全く相談してくれないんだよ。私が何を言いたいのか、お前なら分かるだろう?」

 

 ええまあ、はい。

 結局諏訪子の容態、早苗へのイジメは神奈子に筒抜けだったようだ。多分、毎回こうやって互いに互いを気遣って色んな秘密を抱え続けてきたんでしょうね、守矢の3人って。

 ウチ(八雲家)と似ているような気がしない事もない。

 

「早苗が心配でね、あの子が通学する時はいつも私が見守ってるのは知ってるでしょう。諏訪子だとやり過ぎてしまうからね」

「分かりますけど、貴女も大概だと聞いてますわよ? 確か早苗が子供の時に──」

「あーその件については深く反省している。さすがに少々大人気なかった」

 

 軍神と謳われた神がいじめっ子に対して力を振るうのは……ねぇ? それが原因で早苗に隠蔽体質が付いちゃったみたいだし……(なお筒抜け)

 けどまあ確かに諏訪子だったら相手を末代まで呪い殺した挙句に、腹いせでそこら辺に祟りをばら撒きそうではある。何だかんだ神奈子が適任か。

 

「あの子が酷い目に遭っているのは知っている。それに諏訪子だって、今朝から顔色が優れなかった。何かあったんだろう?」

 

 どこまで説明したものかと思いながら、首を縦に振る。神奈子は悲しげな表情でため息を吐くと、酒を煽った。

 飲んでなきゃやってられないんでしょうね。

 

「二人からの信用なんて、とうの昔に失ってしまった。そもそも、今の守谷神社の惨状は全てにおいて私に責任がある。……神社の主神は私、舵をとるのも私だ。要所要所で最悪の選択をしてしまった」

 

 神奈子曰く、諏訪の侵略から統治、諏訪子の感情、武甕雷(タケミカヅチ)への和平交渉、歴代巫女への接し方、早苗の生き方──全ての道を誤ってしまったと。

 あんまり歴史には詳しくないので所々ちんぷんかんぷんだが、一つわかった事がある。

 神奈子は為政者として不器用だったのだろう。私なんかよりは全然腕が立つ。

 

 そもそも失敗をどうこう言うなら私の実績を見てからにして欲しいわね! もう失敗の連続よちくしょう! 首だって(物理的に)何回飛びかけたか分からないわよちくしょうちくしょう!! 

 

 取り敢えず神奈子には「信用されてないかもしれないけど、それは貴女が信頼されてるからだよ」的な事を言って濁しておいた。

 なんで神奈子に相談できないかって、それは多分神奈子なら自分のために何をやってもおかしくないって2人が思ってるからでしょう。まあ、早苗も諏訪子もそうだろうけど。

 

 いやー実に麗しき家族愛。素晴らしいですわ。

 けど仲介役をやってる私の身としましては頗る面倒くさい! ただでさえ問題山積みなのに次から次にキツイ話しばっか持って来てさぁ! 板挟みには慣れてるけど流石に疲れるわちくしょう! 

 

 あーもう無理ですわ。こんな私でも人には言えない悩み事がいっぱいあるんだからね! 私だって愚痴れるもんなら愚痴りたいわよ! 

 ええい、誰かフランかこいしちゃんをここに連れて来なさい! 霊夢や橙でもいいわよ! 私に癒しを寄越せ! それも少しではない、全部だッ! 

 

 ……はぁ。なんか疲れたわ。

 静葉に愚痴ろ。

 

 




静葉は聞き上手、穣子は話し上手。

幻マジ新造語『ゆかリンチ』……不特定多数でゆかりんを寄ってたかっていじめる事。また別義でゆかりんイジメにおける巧さの尺度。

さとり「私のゆかリンチ力は53万です」
ゆかりん「誰が測ってるのそれ」


*季節の力の行方
【春】→リリー→幻想郷→西行妖→レティ
【夏】→幽香?
【秋】→秋姉妹→レティ
【冬】→レティ
四つ集めるとパーフェクトオッキーナがなんでも願いを叶えてくれるよ!!

原作と比べて最も強さのインフレ率が高いのはレティ。というより1ボスの中でも数名は幻葬狂におけるバランスブレイカー的な存在。出オチですからね。
つまり秋姉妹こそ最強……!




この世界線の日本における『未知』とは忌むべきものです。

未知とは、劇薬である。
人を人と足らしめる"好奇心"の源泉であり、ありとあらゆる滅びに通じる劇薬。その危険性を人間は永い歴史の中で学んできた。
 
未知に触れることはやがてなくなり、それらしい取ってつけた理屈で全てを解明した気になる。自己完結こそが最高の安寧だった。
遺されたのは毒にも薬にもならない"未知"と、燻り続ける出来損ないの"好奇心"だけ。豊かさと絶対的安寧と引き換えに、人々の中から様々なものが消失してしまった。

この時人間は、一つの進化の形を喪ったのだ。
故に早苗は疎まれ、憎まれるしかなかった。


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不純の侵入(後)

お待たせしました。
これよりスピードを上げてまいります。


 あれやこれやで春が過ぎ、梅雨に近付く土用の期間。モリヤーランドも閉園し、儚さを感じさせる朱に溶け込んでいる。さも悲壮的に、退廃的に。

 そんな辛く苦しい外の世界を、何故か案外満喫している八雲紫でございますわ。

 

 いや実際はそんなに満喫してないんだけど相対的には、って感じね。ていうか幻想郷に帰った時の色んな処置(言い訳)を考えただけでも胃腸が捩じ切れそうになるわちくしょう! 

 帰りたくなーい! けど帰らなきゃ諏訪子、神奈子、早苗が……! うごごご……! 

 

 まあ、そもそも幻想郷に帰る手段すら未だ見つかってないんですけどね。AIBOが迎えに来てくれれば一番手っ取り早いのに……あの人いまどこで何をしてるんでしょうね? 

 

 そんな事を思いながら、山の端に沈む夕日を背景に早苗から借りた漫画を眺めていると、夕暮れに染まった空を更に濃い赤黄金が横切るのが見えた。ぐるりと大きく旋回し、こちらへと向かってくる。

 あれは静葉ね。日課の飛行訓練を終えたようだ。

 

「ただいまーっと。まあ、こんなもんですね」

 

 ふわりと華麗な着地。紅葉のようなスカートの裾が綺麗に飜る様は非常に美しいわね。ていうか私よりも飛ぶの上手くなーい? 

 と、ちょうど穣子も日課の畑仕事から戻ってきた。ちなみに彼女もすでに飛行の感覚を取り戻すことに成功している。

 

「ただいまー」

「あら、その手に持っているのは……茄子?」

「そうそう! ようやく能力が戻ってきた感じがするんですよー! 季節外れの野菜だって瞬時にこの通り! ……まあ、全盛期はこんなもんじゃないですけどね」

「ぐぬぬ、やるわね穣子。私も早く能力を取り戻さないと……!」

 

 姉に対して優越感に浸る穣子と、そんな妹に触発されて奮起する静葉。この子ら仲は良いんだけどすぐ張り合おうとするのよね。まあ修行にはプラスになってるから良いんだけど。

 それにしても二人とも随分強くなったわね。正直な話、この二人の修行は早苗のそれのオマケみたいなものだったから、まさかここまで結果が出るとは思わなかった……。

 畑仕事と丸太蹴らせることしかさせてこなかったんだけどなぁ。

 

 だがそもそもこの二人は元々は幻想郷の存在。力を失うまでは普通に飛んだり弾幕を撃ったりしていた。なので力の運用に関してのブランクを解消できればこんなものだろう。

 逆に芳しくないのが早苗だ。

 

「……」

 

 深く集中し、精神の統一を試みている。その真剣さたるや、秋姉妹の帰還に微塵も気が付かないほどだ。

 お坊さんならここで雑念有る無しに関わらず「喝ッ」とか叫んで早苗を鞭打ったりするんでしょうけど、私は違うわ! そんな無駄な事しない! 

 むしろ早苗はよくやっていると思う。彼女の必死さがとても強く伝わってくるのだ。2ヶ月も見てれば分かるわ。

 

 

「私、思うんですよ紫さん。そろそろ早苗様に関しての方針を転換した方がいいんじゃないかって」

 

 穣子が急に柄にもなく真面目な事を言い出したのでびっくりした。静葉も己の妹を訝しむように見つめる。

 穣子は茄子を手で弄りながら言葉を続けた。

 

「やっぱり変ですよ、これ。……あっ修行が変ってわけじゃなくてですね、ここまでやって何も結果が出ないのがおかしいって意味で」

「現状における諸悪の原因は私の提示する修行内容にあるものだと思ってたのだけれど、そうじゃないという事かしら?」

 

 実のところ、ここ最近自信無くしかけてたのよね……。私の考え無しの修行が早苗の足枷になってるんじゃないかって。でも穣子はそれを違うと言った。静葉に目を向けると、彼女も大きく頷き返す。

 

 なによ貴女達……慰めてくれるの? (涙目)

 

「そもそも修行という方法で事態の打開を図ったのが間違いだったのかもしれませんね。諏訪子様たちを救う事を最優先とするなら、多少強引な手も必要なんじゃないですか?」

 

 ん? 強引な手? 

 

「幻想郷に拉致しましょう、拉致。……それが確実じゃないですかね?」

「えぇ……(ドン引き)」

 

 言い方!!! 

 神隠しの主犯(濡れ衣)とかいっつも陰口叩かれてる私の身にもなってよね! 

 そんな私の心の叫びもつゆ知らず、穣子は「だから」と続ける。

 

「まずは早苗様への修行ではなく、早苗様を幻想郷に移してなおかつ適応できるか否かの経過を見守るべきなんじゃないかなって」

「まあ確かに、いざ幻想郷に移住しても身体が適応できなければ意味がないものね。紫さん、私もこれは試してみる必要があると思うわ」

「……」

 

 秋姉妹による有難い進言。しかし残念、私は無言を貫くほかないのだ。だって幻想郷に行く手段を私は持ち合わせてないしー、諏訪子と神奈子にあんな見栄張ったのに「やっぱり早苗には才能がないから無理でしたテヘペロ☆」なんて言えるはずがない! 

 バカバカバカ! 過去の私のバーカ! 

 

 ……ただ確かに、早苗が安全に幻想入りできるのかについては不透明ではあるわね。そもそも幻想を識別することすらできない人間が幻想入りしたらどうなるんだろう? 夢と現の狭間に消滅したりしないかしら? 

 幻想郷は全てを受け入れるけど、その後は大抵の場合放ったらかしですものね。

 うーん、やっぱり怖い。

 

「幻想郷に入る許可は出せません。早苗に万が一でも悪影響が出る事が見込まれる現段階ではね。ギリギリ許容できる最低限でも『見鬼の才』だけは身につけてもらわなければならないわ」

「けどこのままじゃ間に合わない! 諏訪子様の様子は最近おかしいのは私たちだって分かってるんですよ!」

「だからといって早苗の身を危険に晒す訳にはいきません。想定外の何かあった時、守矢の2柱に示しが付かないもの。あくまで私は彼女を預かる身なのですから」

 

 万が一、万が一にでも早苗を死なせてしまったらと考えただけで身震いが止まらないわ。そうなったら恐らく、守矢の2柱は最期の全存在を賭けて私に最悪の祟りをぶつけてくるでしょうね。そして私はそれを甘んじて受けるしかない……! 

 秋姉妹とは違って私は慎重でなければならないのだ。それが保護者というものです! ……だけど秋姉妹の言う事に一理あることは確か。

 

「どうにか、しないといけませんわね」

「……」

「……」

 

 

「あの、修行時間……終わりました」

 

 意識外から掛けられた声。振り向くと早苗が所在なさげに手を揺蕩わせて佇んでいた。しまった、あまりに大きな声で話し過ぎたものだから精神統一の邪魔をしてしまったわね。

 それどころか早苗をさらに追い詰めさせかねない事まで聞かせてしまった。秋姉妹も申し訳なさそうに目を逸らす。

 

「静葉と穣子、貴女たちは園内のパトロールを。私も後で向かいますわ。早苗は……私と少し話しましょうか」

 

 流石気遣いのプロである秋姉妹が飛ぶようにモリヤーランドの方へと駆けて行く。飛んで行った方が速いけど早苗に配慮してだろう。

 そして私は早苗に向き合う。

 さてさてカウセリングの時間だわ。

 

「貴女が今どんなこと考えてるのか、当ててあげましょう。そうねぇ──」

「別に言ってくれなくていいですよ……お師匠様からすれば筒抜けですよね。いや、多分静葉さんや穣子さん、神様たちにまで……」

「……そうでしょうね」

 

 肯定することしかできない。

 焦り、恐怖、不甲斐なさ……色々あるでしょう。次から次に自分を覆う見えない壁。眼前へと迫ってくる奈落。不安に感じない方がおかしいわ。私だったら全てを投げ出して夜逃げしてるわよ、うん。

 

 だけどそれ以上に早苗を蝕むものがある。

 彼女の双眸から流れる雫が、その最たる証拠だ。

 

「私、悔しいです……っ。なんで、私には才能がないんでしょうか!? 三人は飛べるのに、神様が見えるのに! 私だけ……なんでっ!」

「早苗……」

「もう嫌なんです……こんな世界に未練なんかないのに、こんなにもお師匠様が未知なるモノを教えてくれたのに……私は未だに、これが夢なんじゃないかって、疑ってるのかもしれません……」

 

 根深い。あまりにも、根深すぎる。

 世界から己を拒絶され続けることに疲れ、周りに無理やり合わせようとしながらも、心内では希望(神の存在)を捨てることができなかった早苗。

 その内外での相反する二つの想い、或いは願いが早苗を歪ませてしまった。早苗は真の意味で『何か』を信じる事ができずにいるのだ。

 

 だから諏訪子と神奈子に会えるまで彼女は『何か』を本気で信じることはできない。だが、本気で信じなければ2柱は見えない。

 八方塞がりだ。

 

 穣子の言う通り、か。

 だが──。

 

「私は貴女を信じていますわ、早苗。例え自分が、周りが信じられなくても……私は貴女を信じている」

「一向に何もできない私を、ですか?」

「何もできなくても、それでも一生懸命に頑張っている貴女をです。そもそも弟子の大成を信じない師匠がどこにいるというのかしらね?」

 

 私には願うことしかできない。

 

「だから私は奇跡を願ってるわ。貴女が大成するという、必然の奇跡に」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 未知とは、劇薬である。

 人を人と足らしめる"好奇心"の源泉であり、ありとあらゆる滅びに通じる劇薬。その危険性を人間は永い歴史の中で学んできた。

 

 未知に触れることはやがてなくなり、それらしい取ってつけた理屈で全てを解明した気になる。自己完結こそが最高の安寧だった。

 遺されたのは毒にも薬にもならない"未知"と、燻り続ける出来損ないの"好奇心"だけ。豊かさと絶対的安寧と引き換えに、人々の中から様々なものが消失してしまった。

 この時人間は、一つの進化の形を喪ったのだ。

 

 それに対し、東風谷早苗は進化し損ねた人間。彼女が神を信じるのは義務であり、存在理由である。これらは"好奇心"ではない。

 そんなものなどとうの昔に枯れ果てている。彼女にあるのは自らの心における安寧への渇望と、自分自身を含めた世界の全てへの懐疑心だけ。

 

 これらが満たされ、払拭されるのであれば、たとえ死んでも構わないと……早苗は考えている。いや、逆に死んでしまえば全てが分かるのではないかと思ったこともあったようだ。

 自分の身を殺めてしまいそうになる時、心に割り込んでくる絶対的な否定の意志。誰かが必死に止めてくれているような気がするのだ。これを『神様の声』だと信じたいのだが、隠された自意識の発露ということも否定できない。

 

 結局のところ、早苗は終わることすら許されない。許すことができなかった。

 だがこれもまた奇跡なのだろう。

 奇跡とは自らの幸福のみに作用するものではない。自他共に想定していない出来事のことを言うのだ。それが途轍もない苦しみであったとしても、稀であれば『奇跡』になる、ということ。

 

 

 かの吸血鬼レミリア・スカーレットは、かつて運命を「塞きとめることのできない大河」或いは「一方にしか向かえない幾多もの道」と揶揄した。

 そして幸運の素兎因幡てゐもまた、全ての出来事に偶発的な事象はないと明言している。あらかじめ決まっているのだと、ある種の諦めさえあった。

 

 彼女らの言うことは真実だろう。それらはすでに実証されているようなものだ。

 

 だけど、【私】は知っている。

 それだけじゃない。

 

 奇跡とは『バグ』だ。運命という抗いようのない道筋……その側に転がる小石や小虫。または窪みに亀裂。

 大局で観れば些細なことなのかもしれないし、レミリアやてゐから見ればあってもなくても変わらない無象の現象に過ぎないのかもしれない。

 

 だが奇跡において注目すべきは、その規模ではない。運命に極小の歪みを与えるその存在そのものである。叛逆の狼煙にはちょうどいい。

 連続する大きな奇跡はこの世を塗り替えてしまうほどの大きな奇跡になるのかもしれない。……そうとでも考えてないと、やってられないよね。

 ──以上が(最後の部分を除いて)ある人が受け売りとしていた言葉だ。そしていま私がこうして半ば存在出来ている理由でもある。

 

 奇しくも『幸運』だったのは、今この世界には奇跡の連続を体現した存在がいる事。彼女ほど運命をコケにした妖怪もいないだろう。

 レミリアとてゐを強制的に認めさせるほどの奇跡。絶対に殺させず、絶対に殺されない奇跡。救い救われる奇跡。

 

 運命はまだ大きく変わっていないけれど、うねりが始まる準備はできている。

 早苗は『幸運』だった。運命を手繰り寄せた力こそ早苗の『奇跡』であり、彼女の──八雲紫の『いつもの奇跡』だ。

 

【私】はこの世の誰より、その『奇跡』を間近で見てきた。分かってる──。

 夢を現実に変えるのは、いつだって──。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 

「────ん! ゆ──さん!」

「んぅ……何よ、騒々しいわね……」

「紫さん早く起きて! 大変ですよ!!」

 

 うぅ、頭がガンガンする……。昨日の自棄酒のせいかしら? 二日酔いなんて久しぶりだわ……萃香に酔い潰されて以来ね。

 それにしても煩いわ。

 

 秋姉妹の朝は早い。故に早朝から彼女らの生活音によって叩き起こされてしまうことは珍しくない。だがこうやって無理やり起こされたのは初めてだわ。体調も相成って凄くイライラする……! 

 おえっ……朝ゲロしそう……。

 

「まだ早朝じゃないの……」

「取り敢えず騙されたと思って目を開けてください。一気に目が覚めますよ」

 

 引っ付いた瞼を力一杯持ち上げる。ぼやけた視界に僅かな光が差し込む。目に映る風景が安定せず、目の前にいる金髪の女性が穣子なのか静葉なのかすら分からない始末。オマケにどういうことか凄く目がしばしばするわ。

 あっ、もしかして今の私って涎とか寝癖で見苦しい様を晒しちゃってるのかしら? 秋姉妹の片割れがこんなに慌てているのもそれが原因だったりして。それはいけないわ! 私は麗しの淑女ですわ! 

 

 慌てて目をこすり意識を無理やり覚醒させる。いの一番に私の眼前に飛び込んできたのは神妙な面持ちで私を見る静葉だった。穣子は何処かしら。……いや、いま気にすべき事は他にあるわね。

 チラチラと視界の隅で存在感を露わにしていた空色に目を向ける。

 

 なんということでしょう。若干古臭く、女の子が3人で寝るには狭すぎた守矢神社の一室が、一晩明け劇的な変貌を遂げました。

 壁に開けられた綺麗な円形の穴が薄暗い部屋に光を注いでいるではありませんか! なんという開放感! これであの嫌らしい圧迫感に苦しめられる事はありません! 

 家主である守矢の神々や早苗も、これにはニッコリ──

 

 んなわけあるか!! 

 いったい誰よ、この一晩で壁にでかい穴ぶち開けたのは!! 静葉か? 穣子か? それともどっかの変質者か!? 

 どっかの誰かに一晩中も私の国宝級の寝顔を見られていたなんて、考えただけでもガクブルですわ。それと同時に変な怒りが込み上げてきた! 

 

「と、取り敢えず早苗様への言い訳を考えましょう! いま穣子が穴をなんとか隠そうとしてますから!」

 

 もう一度壁の方を見ると、穴の向こう側で穣子がブルーシートを持ってぴょんぴょん跳ねていた。なるほど、それで穴を隠そうってわけね? 

 ……いや逆に目立つじゃないかしらそれ。ひとまずブルーシートで穴を塞ぐのは手伝いましょうか。穣子とは反対側のブルーシートの端を掴み、屋根からぴったり貼り付けていく。

 応急処置もいいところね。

 

 ていうかなんでこんなに秋姉妹は早苗を恐れてるんだろう? いくら雇い主とはいえ、この怯えようはちょっとおかしい。いやまあ二人が極端に情けないだけだと思うけど。

 

 と、噂をすればなんとやら、ご本人の登場ね。

 なにやら慌てた様子で早苗がこっちに走ってきている。私を見つけると、身体いっぱい使って手を振っていた。

 ブルーシートを手放し(静葉が慌ててフォローに入る)屋根からおっかなびっくりに飛び降りる。

 

「お師匠さまー! ……って何事ですかこれ!?」

「経緯は後から話しますわ。どうやらそっちの方が急件みたいだし。ほら秋さん達もこっちにいらっしゃいな」

「は、はーい! ──うわぁ!?」

 

 何をしくじったのか静葉が屋根を突き破って地面に転落し、支えきれなくなったブルーシートがめくれ上がる。

 何かもがボロボロね(諦め)

 

「……えっと、どういう状況なんですかねこれ。なんで事務所がこんな穴だらけに……?」

「貴女の見ている状況が全てよ、これ以上でもこれ以下でもないわ。……それよりそんなに慌ててどうしたの?」

「あっはい。えっと、宝物館にドロボーが入ったみたいで! 祭具を始めとして色々なものが盗難されてしまいました! わ、私ちゃんと戸締りしてたんです。本当ですよ!」

 

 必死にまくし立てる早苗を宥めつつ、ちょっと考えてみた。たった一晩で二つの怪事件が同時に起こる……同一犯の仕業と見ていいでしょう。

 今回の件で特に解せないのは何故金目のものがない私達の部屋の壁に巨大な穴を開け、宝物館の方は完全密室のままなのか。普通逆よね。

 しかもその目的と犯人像が全く定まらないわ。いまさら祭具なんて奪っても時代が時代だから売れるはずない(って神奈子が言ってた)し……魔理沙や霖之助さんみたいな変わり者のコレクターかしら? 私の中ではこの説が濃厚である。

 

 取り敢えず早苗には警察に盗難届を出すよう指示し、私は秋姉妹とともにあたりの散策を行うことにした。何か手がかりがあるかもしれない! 

 ……とまあ的確な指示を出しているように見えるかもしれないけど、実際は警察と鉢合わせになるのを避けるためなのよね。ほら、私って一応指名手配犯ですし。

 

「私は事務所周辺をしらみつぶしに探します。そうねぇ、貴女達(秋姉妹)にはモリヤーランドの外周をお願いしようかしら。不自然なところがあればすぐに連絡をちょうだいな」

「「ラジャー!」」

 

 侵入経路の跡でも見つかれば御の字って感じね。……ただ空を飛べる者による犯行だったら追跡は不可能なのよねぇ。犯人は間違いなくただの人間じゃないだろうし、下手したら幻想郷にいるようなロクでもない奴が関わっている可能性だってある。

 それにここ最近は諏訪子の痣から始まり、きな臭い雰囲気をひしひしと感じる。何者かの絶対的な悪意を……。

 

 そんな感じで通ぶった風を装ってるけど、これ以上はさっぱり分からん! 藍か霊夢が居てくれれば即解決なんだろうなぁ! 

 ……いや二人にばかり頼っていてはダメだ! 私は幻想郷の大賢者八雲紫! この頭脳だけが取り柄なのにこんな所で躓いてる場合じゃないわ! 

 ふふふ、紅霧異変以来となる名探偵ゆかりん☆の事件簿……! 腕がなるわね! 

 

 さあ兎にも角にも、まずは痕跡よ。大賢者アイは一つとして不自然な所は見逃さない! 

 意気揚々と探索を開始! 

 むむ、茂みの中に不自然なものを発見した。幸先いいわ! ……って、何これ、手首? マネキンかしら。

 

 一切の警戒もなしに茂みへ近付き、落ちていた手首のようなものを拾う。十中八九作り物だと思ってたのよね。だって普通本物だって思わないでしょ? ところがどっこい……! 本物ですわコレ。

 

 肉を掴む柔らかな感触、切断された手首から滴る少量の血液。たちまちあたりに充満する鉄の匂いと危険な香り。

 

 ……私はスキマで地面に空間を作り、手首を埋葬することにした。そして「南無」とだけ言い残し、足早にその場を去る。

 

 厄介ごとは勘弁よ! 私が優先すべきは早苗が健やかに修行できる環境を整えること。ただでさえキナ臭いことばかり起きてるのに、これ以上心配を掛けさせるわけにはいかないわ! 

 死体遺棄? 無責任? 

 そんなこと知らないわバーカ! 私、妖怪ですから! 本来なら人間を喰い散らかしてそこら辺に放置する存在よ! 私は食べないけど!!! 

 

 

 

 捜索がひと段落つき、互いに情報交換を行おうということで事務所に集まったのだが、早苗が若干引き気味にこんなことを聞いてきた。

 

「お、お師匠様……えっと、どうかしましたか?」

「なにが?」

「いえなんていうか、機嫌が悪そうに見えますので何かあったのかなーと」

「うふふ。そんなことないわよ」

「「ひぇっ……」」

 

 自然体で言葉を返したつもりだったが、早苗は私からちょっとだけ距離を取り、秋姉妹は変な声を上げた。失礼の極みである! 

 あっ、そういえば遠い昔にさとりから「紫さん、一つ言っておきますけど貴女が隠し事してる時の自然を装ってる顔すこぶる滑稽ですからやめてくれませんか? くだらない考え事なんか一生しなくていいので……いや、そういえば日頃から何も考えてませんでしたね。ちゃんと物事を考えてください酷く滑稽です」とか言われたっけ。どっちみち滑稽なのねくそぅ……。

 

 そんな変な癖があるなら是非とも治したいけど、今は無理ね。ひとまずこのまま流しましょう……なるべく普通を装いつつ……。

 

「じ、じゃあ私から! 東側にかけてぐるっと一周してきたけど変なところは無かったわ。いつも通りよ」

「西側も異常なーし」

「……私も特には」

「(また怖い顔になってる……)私の方もダメでした。警察に連絡してもまともに取り合ってくれなくて……」

 

 あらら、警察からもそっぽを向かれているのか。まったく、八雲紫指名手配事件といい、外の世界の警察はどうなってるのよ! ぷんぷん! 

 ──と、肩のあたりに自分とは異なる力の集合を感じた。多分、守矢の二柱のうちどちらかが実体化しようとしているのだろう。この感じは、神奈子かしら? ボインの気配を感じるわ! 多分! 

 

『忠告し忘れたけど、守矢絡みで外部を頼ることは極力しない方がいい。今の早苗に寄ってくる奴なんてロクでもない連中ばかりだよ。あの金貸し業の奴らを始めとしてね』

 

 何故だか楽しそうに心へと語りかけてくる。

 まあ確かに早苗ってかなり騙されやすそうだし、何より監督してくれる味方がいなかった。私がやって来てようやくといった感じなのだ。マミさんのような闇業界を練り歩いてきた海千山千の猛者からすれば早苗などいいカモである。美少女だしね。

 

 

『──一つ聞きたいんだが……八雲紫。お前は、信仰をどう位置付けている? 是非とも、妖怪賢者と謳われているお前の考えが聞きたい』

 

 不意にそんな質問を投げかけられた。やんややんやと色々なことを話し合っている早苗と秋姉妹を視界の端に、神奈子からの問の回答についてそれとなく考えてみる。

 

 原始の信仰が始まった瞬間なんて誰にも分からない。むしろ、人間に初めから備わっているものと定義することだって可能だ。外の世界における信仰にも言えることだけど、誰にも証明できないんだから好きにでっち上げてもそれが間違いなんて断言することはできないのだ。逆もまた然り。

 

 つまり私が何を言いたいのかというと、信仰とは確実性を以って行われるものではなく、"未知と不確実性"という要因が先立って、こうして深く根付いて保持されてきたものなのである。

 それを踏まえた上で答えなければなるまい。私の思う信仰の在り方を。

 

「信仰とは今も昔も為政者の道具ですわ。いつの世も強者の為にあり、弱者を依存させる……いわば麻薬よ」

『ほう随分な言いようじゃないか』

「だって()()()()()んですもの。信仰の有用性については上に立てば否が応でも実感してしまいます。とても便利ですわ」

『ふふ……そうか』

 

 神奈子からは否定されなかった。いやそもそも否定されるはずがない。

 日本史にて熱心な仏教徒(仏教キチガイ)として名を馳せる聖徳太子や聖武天皇だって、裏には私と同じドス黒い策謀があったはず。そして神奈子と諏訪子だって信仰される身でありながらそのメリットを甘受していたはずなのだ。

 

『嘆かわしいわね』

「ええ。……本当に」

 

 宗教は人に安らぎと団結を与えた。

 宗教は人から自由を奪い、暗闇を与えた。

 

 前時代の社会とは宗教的価値観が科学をも上回る絶対的存在故に成立するものだったといえよう。まさしく幻想郷のようなね。かつての人間社会を作り上げていたのは、間違いなく宗教という為政者、権力者の道具だったのだ。

 

 そして今は違う。

 

「この世界はもう宗教を必要としていないわ。為政者の立場から見れば大衆を望まぬ方向へ(かどわ)かす古い価値観など必要がない。だから徹底して弾圧した……ということね」

『私の言わんとしたい事を分かってくれるか。……この世界における【信仰心】にはまた一つ、違う呼び方がある。──【精神病】と』

「……っ」

『くだらないでしょう? ふふ』

 

 鋭い痺れが指先を走った。

 怒りでも悲しさでもない、圧倒的な不快感が私の心を埋め尽くしていた。

 強烈なデジャヴが脳裏を掠める。

 

 排斥の手段としては安直すぎる。だが忌避感を持たせるには十分すぎる風評被害だわ。早苗が腫れ物扱いされて、相手にされないのもそれが少なからず関係しているんでしょうね。

 

 

 反吐がでるわ。

 

 目の前にある秘封を暴かず目を逸らし、挙句に自分の理解が及ばぬ存在は徹底的に排除する。それがこの世界に安息を作り出したのだ。

 ああ……そんな安息になど、なんの意味があるのだろうか? 満足な豚を目指した愚かな大衆が、不満足な人間を『気狂い』と称すのか? 

 

 くだらない。本当に、くだらない。

 腹立たしくて仕方がない。正しく、ハラワタが煮えくりかえるようだ。

 

 どこまで私を邪魔するつもりなの? 

 ここでもまた、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「早苗、もういいわ。いいのよ」

「お師匠様? いい……とは?」

 

 困惑する早苗の肩を掴み、瞳を覗き込む。

 煌めく翡翠の瞳に、紫の陰りがさした。

 

「これ以上この世界にしがみつく必要なんて無い。このディストピアに求めるものなど何も無いのです。捨ててしまえばいい。こんな世界など、貴女の心から消してしまえばいい」

「お師……痛い、です」

 

 怯える姿も憐れだ。何故運命は然るべき者を選ばないのか。

 幻想郷に生まれていればこんな思いなどせずに済んだというのに。可哀想。

 彼女にこんな思いをこれ以上抱え込んで欲しくない。私が嫌だ。

 

「貴女の大切なものだけを信じなさい。脆弱な者の戯言など捨て置けばいいの。純真な貴女にこんな醜い世界は相応しくないわ。……私の大切なものを信じなさい」

「痛っ……は、離してください……!」

「紫さん!? ちょっ、何してるの!?」

「離してあげてください!」

 

 ばしっ、と。肩を掴んでいた手を静葉によって打ち払われた。乾いた音がやけに耳に残る。……あれ、あれれ? 

 私に対して怯えた様子の早苗、解せないといった感じで懐疑的な視線を放つ静葉、早苗を庇うように立つ敵意マシマシな穣子。

 

 …… 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 先ほどまでの自分の行動が鮮明に蘇る。

 えっちょっと待ってめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!? 八雲紫史の中でもぶっちぎりの黒歴史なんですけどぉ!? 

 あかん、これは絶対あかん!!! 

 

「……なーんて、冗談よ。さあ今日も一日修行を頑張りましょう。今日こそ飛べるようになるといいわねぇ」

「「いや流石にそれは通らない」」

 

 現実逃避作戦はダメだった。

 その後、早苗が外で修行している間、秋姉妹にめちゃくちゃ怒られた。この子達なんだかんだ言って保護者力高いわね……くそぅ。

 ていうか、神奈子は何処に行ったんだろう? 私が謎の暴走をしていた時から居ないような気がする。んー、なんだったのかしら。

 

 

 

「さっきはごめんなさいね。その、怖い思いさせちゃったかしら?」

「つーん」

 

 守矢神社の石段に腰を下ろしていた早苗の横にそそくさと座り、それとなく謝りながら話してみる。秋姉妹のワンポイントアドバイスによると、早苗への機嫌の取り方の導入はこんな感じがいいらしい。参考にさせてもらった。ただ第2ステップ『渾身の土下座』は流石に却下である。

 早苗からは可愛らしい効果音が返ってきた。

 

 あー、なんて言い訳しましょう? テンションが上がりすぎて気が動転したとか、そんな感じかしら。……ていうか、そもそもなんであんな行動とったんでしょうね? 私らしくないわ。多分。

 

「そうねぇ、今日は特別になんでも言うことを聞いてあげるわ。何か欲しい物とか……食べたい物とか……?」

「つーん」

 

 ぐっ、手強いわね……! 

 ここだけの話、早苗のようなタイプの女の子は初めてだから、どう接したら良いものか決めあぐねているのは内緒よ! 

 

「はぁ……私自身も困惑してるの。なんで貴女に対してあんな事を言ってしまったのか、未だに分からないわ。なんて言ったらいいのか……」

「あっいやごめんなさい。そこまで落ち込まれるとは思いませんでした。全然気にしてないので大丈夫ですよ!? ……ふふ、それにしてもお師匠様でも分からない事があるんですね。ちょっと意外です」

 

 思わず弱音を吐いてしまった私を情けなく思ったのか、早苗が顔を綻ばせながらそんなことを悪戯っぽく言う。私の威厳が低下する代わりに場が和んだみたいね。これはいい事を知ったわ、どんどん急落させていきましょう! 

 ……どうせだし早苗に愚痴ってみようかしら? 

 

「自分の事が全て分かる妖怪なんてこの世界に誰一人として居ないわ。人間と同じようにね。私だって、貴女と一緒なのよ」

「一緒、ですか?」

「時折自分がどうしようもなく怖くなるわ。なんでしょうね、最も身近な場所に自分の知り得ない何かが渦巻いているような、そんな不安をいつも感じるのよ。何百年生きても、この感覚だけはどうしても拭えなかった」

「……分かる、ような気がします。私も同じですよ。……自分の知らない自分が怖くて仕方がないです。周りの人達が見ている私は、私の知らない『自分』なんじゃないかって」

 

 自分が本当に狂っているのかを知る術なんて、存在するはずがない──フランもそんな事を言ってたっけ。

 ずっと違和感を抱えながら生きてきた。みんなが私を見るあの目は『私』に向けられているものなのか、ずっと疑問に思ってたわ。

 

 なんで私を恐れるの? 

 なんで私を殺そうとするの? 

 敬うに値しない私に、何故そうも自分を犠牲にしてまで仕えようとするの? 

 

 解らない……何もわからない……。

 だけど私に向けられる様々な想いが純真なものであることは嫌でも分かった。だから、訳の分からないまま自分を殺すしかなかった。周りに報いなければならないから。それが『仕事モード』の私だ。幻想郷の最高賢者、八雲紫としてのあるべき姿。

 

 誰も、本当の私を見てくれやしないのだ。

 ……ああ、あの性悪さとり妖怪を除いてね。どうせならもうちょっとマシな奴に理解してほしかったわね! うん! 

 

 早苗も多少の違いがあるとはいえ、立ち位置的には同じようなものよね。私たちはありもしない勝手な虚像に踊らされる哀れな乙女なのである! 

 

 

 と、早苗が勢いよく立ち上がる。そして私へと屈託のない笑みを浮かべる。

 

「お師匠様、私、幻想郷に行きます。こんなところで黄昏れてる場合じゃないですよね。本当の私のことを見てくれてる方達を信じて、頑張るしかないですよね! それに! その幻想郷っていう所に行ければ私を理解(わか)ってくれる人にも会えそうな気がするんです!」

 

 空へと手を伸ばす。

 雲の先の、遥かなる宙に向けて。

 

「絶対に行きます、幻想郷!」

「連れて行ってあげますわ、幻想郷。最低限たる資格さえ備えれば、幻想郷は貴女を(色んな意味で)歓迎してくれるはずよ」

 

 早苗……やっぱり貴女は強い子ね。

 そう、立ち止まってる暇などないのだ! 刻一刻とタイムリミットは近づいてきている。諏訪子も神奈子も、早苗も救ってみせるわ! 絶対に幻想郷で受け入れてみせる! 

 

 そして──。

 

「きっと会えるわよ。自分のことを理解(わか)ってくれる存在を願っていれば、いずれはね。待っているだけじゃ、待ちくたびれちゃいますもの」

「そうですね。だけど私はその存在に──お師匠様に出会えました! それだけでも……待った甲斐があったというものですよ。えへへ……」

 

 恥ずかしそうにはにかむ早苗。その一方でこの不肖八雲紫、あまりの可愛さに感極まってしまった。にやけそうになる口元を隠しつつ、こめかみを強く抑える。

 やっぱり私と巫女の相性って頗るいいみたいね! いやーもう無理ですわ! 養子にしましょう養子に! 霊夢と姉妹よ! 

 

 

 その後神奈子と真剣に話し合い、早苗をしばらくの間休学させることにした。理由は言わずもがな、この状況を打開する為、そして早苗の決意を無駄にしない為である。

 最初は随分と渋っていた神奈子だったが、早苗の言葉を伝えると簡単に折れてしまった。当人がそう言うんですもの、なら私たち第三者に止める権利はないわ。

 

 休学についてはなにやら面倒な手続きでも必要になるかと思ったけど随分とあっさりだったわね。早苗の立ち位置は学校側にとっても悩ましいものだったのだろう、それがしばらく来なくなるのならば万々歳ってところかしら? 

 非常に腹立たしい限りではあるが、今回は好都合なので許すわ! ただ全ての懸念が払拭された折にはこれでもかと嫌がらせしまくってやりましょうかね! 例えば……そこらへんにトイレットペーパー撒き散らしたりとか、校長の机の上に菊の花を置いたり……えっ、陰湿? 

 

 

 

 とまあ一件落着のように締めたかったのだが、結局何も解決してないのよね。泥棒の正体は以前不明、部屋は穴が開きっぱなしだし謎の手首も放置したままだ。オマケに諏訪子の姿をここ最近一度も見かけていないのも偶然ではないだろう。

 

 ああ、あと取り敢えず早苗は修行に集中しなくてはならないため、私と秋姉妹の負担が跳ね上がったのは言うまでもない。

 正直、モリヤーランドも閉鎖してしまって身軽になってしまった方がいいのでは……と思ったのだが、何だかんだでマスコットキャラのカナちゃんスワちゃん経由で僅かながらでも2柱に信仰力が集まっているのも確からしいのよね。今更ながら信仰判定ガバガバ過ぎない?? 

 

 

 ちなみに余談だが、神奈子に「信仰がどうとか、なんであんな事をいきなり聞いてきたの?」と尋ねたのだが「……? なんのことだ?」とはぐらかされてしまった。私の黒歴史を黙っててくれるつもりなのだろう。感謝してもしきれないですわ! 

 

 

 

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「とんだ収穫ですわ〜。河勝様……もとい摩多羅様にこんな依頼を押し付けられた時は離反も考えたのに? まさか? まさかねぇ?」

「うれしそーだなー」

「それはもう、とっても嬉しいわ♡」

「おー、よく分からんけど私もうれしーぞー」

 

 満月をバックに狂気の光が四つ。

 

 モリヤーランドのフェンスに、一人は腰を掛け優雅に足を組み、一つは腹を乗せてシーソーのように上へ下へと揺れていた。

 彼女らを一言で言い表すなら『邪悪』に尽きる。実際、邪悪の根源は清楚な青い方なのだが、腐っている方はオプションとして彼女の邪悪さを引き立てている。

 

 ほくそ笑む青い仙人。視界の先には大雑把にブルーシートの貼り付けられた古臭い建物。あの中にかの賢者八雲紫と、かつて『秋の主神』とまで謳われた姉妹が眠っている。

 実に、実に興味深い。

 昨晩ドジをして切り飛ばされてしまった手首を見る。切断面は当然のように綺麗だったので簡単にスペアを馴染ませることができたが、もしあの一撃が致命傷になり得る箇所に当たっていたかと思うと……色々な意味で背筋がゾクゾクした。

 

 トン、とフェンスから飛び降り、ふわりと着地。それに続きドスンと腐っている方も頭から落下して続く。隠密の概念はないようだ。

 ブルーシートをめくり中へ。昨晩能力によって空けた穴は今なお健在であった。

 

 川の字に敷かれた三組の布団を一瞥し、お目当ての妖怪を見つける。そして物音を立てないよう浮遊して近づくと昨夜と同じ手順を繰り返す。

 

 八雲紫は夢を見ない。

 いや、本来の夢を見る事が許可されていないのだ。いま彼女が見ているのは恐らく夢のなり損ないか、何某による作り物か……。ドレミー・スウィートと古明地さとりの思惑通りなのだろう。

 確かに見かけ上では安全だ。

 

 だが、侵入者は知っている。こんなもの所詮誤魔化しに過ぎないと。

 

「そうでしょう? 紫様♡」

 

 猫撫で声でそう呟く。

 紫から溢れ出る夢の残骸を束ねながら、それを夢塊として元の場所へと還元していく。胸のワクワクが止まらない。

 

 そして瞳は開かれた。

 

 昨日と同じように、まっすぐ此方を見据える紫塊の瞳。理知的な光は宿っておらず、意思の介在を感じさせないそれは、あまりに無機質。

 

 昨日はここで手首を切られた。

 慌てた彼女は空けた穴をそのままに放置し、そそくさと逃げ出した、というわけだ。退き際を弁えることこそ長生きの秘訣である。

 だが今日は大丈夫。微塵にも動く気配はない。

 

 しかし油断はできない。

 八雲紫は、間違いなく自分を見ている。

 

「うふふ、今日も存分に見せてもらいますわ。貴女の記憶と、精神の奥に潜む狂気を!」

 

 邪仙は知ったのだ。

 隠岐奈とさとりが何故、幻想郷中を巻き込んでまで熾烈な対立をすることになったのか、その理由を。

 そして、恐らく彼女たちですら知らない『八雲紫の闇』を。

 

 全てが好都合だった。

 力を失った神々、排他的な世界、ただの一般人、そして孤立した八雲紫。

 

 もし事が思惑どおりに進んだならば……! 

 聖人王の復活を待つ必要すらなくなる。それすなわち、自分の一存のみでこの世界の命運を決定づけるも同然である。

 

 

 無理非道の仙人、青娥娘々。

 彼女の瞳は爛々と輝き、八雲紫を読み漁る。

 

 

 

 綻びが、また一つ。

 

 




娘々「ちょっとぉ、不純って酷くないです?」
太子「残当」
隠岐奈「残当」
芳香「残当」
純孤「嫦娥」

ここから執筆スピードも物語の展開も加速していくッ!……していければいいなぁ。(願望)
あとここだけの話ゆかりんはストーリー上、畜生道には行かないと思う。死んだ後は知ーらない!(作者は修羅道に一票)


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奇跡は儚き信仰の為に(前)

 終わりはいつだって唐突だった。

 

 気付くのはいつだって終わってからだった。

 

 

 

 

「うわぁ……星があんなに! すっごく綺麗ですねお師匠様! このまま飛んでいけばいずれ月まで飛んでいけるのでしょうか!?」

「ゲホ……そ、そうね……! が、頑張ったら行けるんじゃないかしら……!? ゼェ……ゼェ……!」

「あれ、高度落ちてる?」

 

 呑気にはしゃぐ早苗を抱えながら、ボーイングゆかりん号ただいま絶賛墜落中! このままでは諏訪湖に胴体着陸する羽目になってしまう。

 くっ、調子に乗りすぎたわ……! 早苗に空を飛ぶ感覚を覚えさせようと彼女を背負って宙を駆けたわけだけど、もともと自分一人が精一杯なへっぽこ妖力では1分と持たなかった! 

 

「凄い速度です! 空を飛ぶ事を極めるとここまでのスピードで飛べるようになるんですね! 楽しみです!」

「あばばばば!」

 

 早苗さん違うんです。これって自由落下運動っていうんですよ。錐揉み回転したくてしてるんじゃないんですよ。

 く、くぅ……! こんな間抜けな死に方あって堪るもんですか! 

 身体中の妖力をこれでもかと掻き集め、その全てを飛行へのエネルギーにのみ充てていく。反動力が高まったことによるGで早苗の色んなものが背中に押し付けられていくが、鋼の八雲メンタルはそんなもの気にしない! ていうかそれどころじゃない! 

 

 地表に到着する頃には若干の浮力を取り戻し、華麗に着地──なんて器用なことはできず、私の足首を犠牲に捧げることで無事生還となった。

 

 懸念していた一般人による目撃は恐らく回避できたと思う。周りを見ても街灯ひとつない雑多な林ばかりだ。守矢神社から離れた場所で飛んでたのが功を奏したわね。

 

 取り敢えず死にかけたというのにはしゃぎ回ってる早苗を尻目に、茂みに駆け込み被害チェック。そこら辺にムカムカしたモノを吐き出しつつ、激痛の走る足首に目を向ける。

 あぁぁ……変な方向曲がってる……。これ挫いたってレベルじゃないわ……。

 

 とはいえこの身体は腐っても妖怪ボディ。靭帯断裂一歩手前くらいの怪我なら数時間で治るわ。ふふん、凄いでしょう? 

 まあ、藍とか橙ならこの程度ものの数秒で完治するんだけどね……。

 

 取り敢えず不自然ないように足の形を整えて、と……。もうちょっと吐いてから早苗の元に戻りましょ。

 うえぇ……暫くは飛行恐怖症になりそうね……。

 

 

 ……ん? 

 茂みの奥に気配を感じる。

 耳を澄ませば声まで聞こえてきた。あらやだ近くに人が居たのかしら? 私の嘔吐シーン見られてないか不安だわ……。

 てかこんな真夜中に灯りひとつない闇の中で何をしてるんだろう? 不審者とかなら私の110番が火を噴くが、妖怪や幽霊だとちと厄介だ。正体だけ確認しておこうかしらね。

 

 ゆっくりゆっくり忍び足。時代の荒波を細々と練り歩いてきた私の隠密歩行術……我ながら見事ね! スキマ妖怪の真骨頂である! 

 

 歩みを進めるごとにどんどん声が大きくなっていく。分かったのはそれが言葉の体を成していないこと、そして何か硬いものを比較的柔らかいものにぶつけていること、以上である。

 心なしか水の滴る音もするような……? 

 

 あー、えーっと……もしかして何かイケナイことをしてる現場だったり? もしそうじゃなくても何かけしからん事をしてそうではある。

 ……ま、まあ一応確認だけしておきましょうか。不審者だったらいけないし! べ、別に興味があるとかそんなんじゃないからね!! 

 

「……ぁ……ぁ、あぁ」

 

 声がはっきり聞き取れるくらい近付いたようだ。怪しい、怪しすぎるわ! 

 足首を痛めているのでおっかなびっくりな動作ではあるが、木の後ろに回り込み様子を伺う。八雲紫のホークアイをもってすれば暗闇なんてなんのそのだ。

 

 どれどれ? 

 

「あ"ー、あ"ぁー」

 

 声と称するにはあまりにも乱雑かつ醜い……強いて例えるなら唸り声。だが獣のそれのような活力は感じられない。本能、意思……何もかもが介在しない只管な雑音。

 彼女(スカートを履いてるから恐らく女性)は何かに跨っていた。股の間から覗く脚を見るに、五体あるモノのようだ。

 

 やっぱりエッチな現場じゃないか! と思った諸君は早急に反省して欲しい。ここにはエロスなど微塵もありはしない。あるのはスプラッタだけである。もう血の滴る猟奇殺人現場だ。

 跨っている彼女が直伸した腕を振り下ろすたびに力無い脚が跳ね上がり、嫌な音とともに辺りへ肉感あるものが撒き散らされる。ていうか肉である。

 

 ……よし、帰りましょうか! 

 早苗待たせてるしね! うん多分映画かドラマの撮影でもやってるんでしょう! そうに違いないわ! ゆかりん賢い!! 

 

 そして私は脚を引きずりながら這い出すようにその場を後にした。『好奇心は人を殺す』──これ、我が妖生における教訓ね。

 

 

 

「あっお師匠様! もー何処に行ってたんですか。急にいなくなったから心配したんですよ。それにさっき連絡が──」

「話は後で聞くわ。今は早急に神社へ向かいましょう、一刻も早く」

「えっ? ど、どうしたんですか!?」

 

 有無も言わさず早苗の手を引きその場から離れる。本当ならすぐにでも警察なりを呼ぶべきなのだろうけど、よくよく考えたら私って指名手配されてるし! ならば逃げるしかない! 

 徹底したリスク管理こそ長生きの秘訣なのよ。

 

 

 ひとまず守矢神社周辺まで早苗を引っ張ってきた。これだけ離れれば大丈夫だろうか。ふぅ……ようやく一安心。

 

「ごめんなさいね。あの辺りに良からぬものを感じたの。あのまま留まっていたならばロクな結果にはならなかった」

「そ、そうなんですか。……えっと、あのー……お師匠様。その、手を……」

 

 指摘されて気付いた。早苗の手を握りっぱなしだったわ。あー、年頃の娘さんからしたらあまり快く思わないかもしれないわね。霊夢なんてここ数年お触りすらさせてくれないし……。

 軽く詫びを入れながら手を放す。すると早苗はじっと自分の掌を見つめ出した。

 やだ、何か付いてた? 手汗大丈夫だったかしら。

 

 そんな私の視線の意味を理解したのだろう、早苗が慌てて訂正を入れる。

 

「あっ、いえ……人と手を繋ぐという事が久し振りでちょっと困惑しちゃったんです。こんな感じだったんだなーって」

 

 oh……。

 

「そ、そんなことよりもですね、さっき静葉さんから連絡があって! あっちで何か起こったみたいです。随分慌ててましたので、大変な事かもしれません」

 

 話題を逸らすように先ほどの話の続きを始める早苗。なるほどなるほど? 

 けど静葉(正確には秋姉妹)って事あるごとに慌てふためいているような気がするし、そこまで大した事じゃなさそうね。

 けどまあ、一応確認はしましょうか。

 

 聞くところによると静葉は今モリヤーランドの入場口に居るそうなので、直接そちらに向かうとしましょう。

 入場口までさほど距離はなく、数分も歩けば街灯によって薄明かりに照らされた外観が見えてくる。秋姉妹の姿もある。

 

「あっ、早苗様! 紫さん! こっちこっち!」

「これを見てください!」

 

 彼女らが指差す先には──【水】

 本来ならでかでかと『ウェルカム トゥ モリヤーランド♡』という歓迎の言葉が乗っけられていたゲートは、墨汁で塗りたくられたような禍々しい【それ】によって塗り潰されていた。

 これは……。

 

「なんですかこれ……」

「ただの悪戯かと思ったんですけど……なんか今までのものとは毛色が違うような気がして。なんていうか、嫌な感じ……」

 

 実際、こうした悪戯はモリヤーランドでは珍しくない。つい最近までは暇を持て余した若者たちが(たむろ)する場所として、私を含めたみんなが警戒しなければならないほどだった。

 ただ連中を注意しに来た早苗に対して手を出してしまったのが運の尽きね。ガチ切れした秋姉妹(とついでに私が)ボッコボコにしてやったわ! 秋姉妹は修行の成果が出てるようで何より。

 

 しかし今回はまるっきりケースが違う。相手しなければならない存在がかなりの脅威である事が明白なのだ。

 これは間違いなく呪術の類だ。それもかなり質が悪く、何故か酷く懐かしい。

 

 不幸中の幸いか、この呪いは私たちに向けられたものではないのが救いである。ていうか方向性が定まってないのよね。あっちこちに拡散している感じかしら? 藍が居てくれれば何かわかったかもしれないが……私にはこれくらいが限界ね。

 

これ(ゲート)はもう廃棄してしまった方がいい。ついでに園内に変なのが入り込んでないかを確認……いや今の状況で軽率に早苗を連れて行動するのは危険ね。静葉、穣子……お願いしてもいいかしら」

「大丈夫です」

「ひとまず出入口を閉めたらそっちに向かいますね」

 

 取り敢えず今は諏訪子と神奈子の元に急がなくては! 貴重な武闘戦力である秋姉妹に園内の完全封鎖を任せ、私は早苗の護衛をしつつ本殿を目指す。変なのが出てきても私のスキマチョンパで返り討ちよ! 効かなかったら逃げるしかないけど!! 

 

 

「お師匠様。あの、茂みで仰ってたものとはコレの事を指していたのでしょうか? 『良からぬものを感じる』……みたいな」

「どうかしらね」

 

 茂みの中で見たアレが今回の件に関連するのかどうかは分からないが、こんな事がほぼ同時に私たちの身の回りで起こるのはどう考えてもおかしいわよね。何らかの繋がりは存在するはずだわ。

 壁穴の件とか手首の件とか他にも色々あるし、同一犯の犯行だとすれば悪趣味この上ないわね! 取っ捕まえたら後が酷いわよ! 

 

 なんとも言えない気味の悪さを感じつつ、本殿へ急ぐ。あそこなら万が一にもモリヤーランド全域を対象とした呪が発動しても、すぐに侵食されるということはないはずだ。なんたって全盛期の神奈子&諏訪子が造った社なんですもの! 呪物に対する抵抗力は中々のものでしょう! 

 

 本殿内部へと続く古木板を踏み鳴らし、神域と現世を分かつ境界の役割を持つ障子へと手を掛ける。この中に入れば安心────。

 

 

「来るなッお前たち!」

 

 境界の先から轟く、怒声のような叫び。どうやら早苗の方にも念話として発していたようで、彼女の肩がびくりと跳ね上がる。

 この声は、神奈子か! 

 

「今の……神様の声、ですよね!?」

「……早苗、貴女は階段を降りて待ってなさい。賽銭箱より後ろ……いえ、もしもの時に備えて境内から離れておいて」

「い、嫌です! 私も一緒に──」

「早苗」

 

 緊張を押し殺して早苗を睨む。らしくもなく、精一杯の威圧を演じながら。

 私の想いは伝わったようで、早苗は大きく肩を震わせると、唇を噛み締めながら後ろに下がっていった。

 

 尋常じゃないことが起こってる……私のへっぽこ危機感知レーダーが凄まじい勢いで警鐘を鳴らしているのだ。

 ……いや、よくよく思えばこの警鐘は今に始まったものではなかった。諏訪子に痣ができた時もそう、手首を見つけた時だってそうだ。

 

 完全に油断していた。

 モリヤーランドに着いてから今に至るまでの間に、安全な瞬間などひと時すら存在しなかったのね。幻想郷から離れる事ができた解放感で勘を疎かにしてしまった……! 

『君主危うきに近寄らず』の精神で幻想郷をぬらりくらりと生き延びて来た私だが、まさかよりにもよって外の世界で、こんな致命的な失敗をやらかすとは、思ってもみなかったわ。

 

 境界の先には、ズタズタにめくれ上がった木の板と、消耗した様子で膝を着いている神奈子。そして部屋の中央、依り代となる神鏡を前にして座り込んだまま動かない諏訪子。

 これは一体……? 

 

「なぜ入ってきた愚か者……ッ! 逃げろ……早苗を連れて早く! 遠くへ!」

「……!?」

時間切れ(タイムリミット)だ、紫……! 間に合わなかった!」

 

 ちらりと諏訪子の方を見遣る。

 背を向けているため彼女の今の表情を伺い知ることはできない。だが、それは私にとって幸運だった。変わり果てているだろう諏訪子が恐ろし過ぎて、直視することすら憚られるからだ。

 

 数日前、腹部の痣を見せに来た諏訪子と会ったのが最後だった。彼女はどこまでも悠々とした態度で自らの無事を誇示し、早苗のことを心配し続けていた。無理してるのは流石の私でも分かったわ。それでも、それに甘えなきゃ立ち行かないほどに切迫していた状況では……私は見て見ぬ振りしかできなかった! 

 早苗の才能云々以前の問題だった……? 彼女らの道は信仰を得られなくなったとうの昔に終わっていたのかもしれない。

 

 神奈子の言葉に従いゆっくりと後退を始める。この空間があまりにも危険であることを私の本能が告げている。逃げなきゃ……! 

 諏訪子から目を離さないように後ろ歩きでしっかりと距離を…………。

 

「……っ……ひ……!」

 

 最初は何気ない違和感だったのよ。だけどそれは徐々に確信へと変わっていって、やがてその正体に気付くまでに至った。

 

 最初から諏訪子は私を見ていたのだ。

 神鏡に映る私の姿をずっと……意志も信心も持ち得ない生き物の眼で。真っ黒な闇を横断する黄色の線。両生類特有のそれだ。

 

 背筋を駆け巡る冷たい衝撃。咄嗟に悲鳴を喉で押し殺そうとしたのだが間に合わない。か細いそれが喉を通過してしまった。

 この時ようやく互いが互いの存在を認知するに至り、諏訪子が動くというトリガーとなって私へと齎される事となった。

 

 ひたり、と。四つん這いになった諏訪子はゆっくり此方へと体を向けて、私との距離を詰めてくる。手をつく度に木製の床が間抜けな音を立てながら腐っていった。

 

「──そぉらあッ!!」

 

 諏訪子の横っ腹を飛来した御柱が貫き、身体ごと本堂の壁を貫通。祟り神を縫い付けた。ぼとりと、黒々しい何かとともに脚が下に落ちた。

 御柱といえば神奈子! 力を失っているというのにまだこれだけの芸当ができたのね! だけど、彼女はこれが精一杯だったようだ。

 

「──神は、自らの身体が滅びる時、これまでに受けた信心の分だけ周りに祟りをブチまける。諏訪子が古代から積み上げていた信仰は絶大……! もうそいつは土着神などではない! 諏訪の地を、この国を呪い滅ぼす邪神の存在よ」

 

 苦々しい顔で戦神はそう告げる。

 

「だが幸いだ。悔しい事だが守矢の大注連縄が在る限り神は社から出ることはできない。本殿はもう無理だろうが、鳥居の方は持ち堪えるはず! 分かるだろう八雲紫、私の言わんとしたい事が!」

「ええ、分かりますわ。だけど──」

「私はいい、お前がいる。……頼んだ」

 

 噂に聞くフェムトの力という奴ね……! 注連縄は神を封じる力を持っているという。故に神奈子の本体は境内から離れることができず、それは今の諏訪子とて同じだろう。

 

 つまり、自分も諏訪子も見殺しにしろと、彼女は言っているのだ。

 

 そんなこと、私が許すはずないでしょーが! 見捨ててなるもんですか! 私はね、人が喪われるところなんて見たくないのよ!!! 

 不退転の意志を示すべく、私は笑う膝を無理やり動かし、一歩を踏み出す。ぴくりと、諏訪子の身体が震えた。

 

 ぷるるる……と、電子音が響き渡る。

 

 無線による呼び出し音。おそらく静葉か穣子が連絡を入れたのだろう。瞬間、諏訪子の身体が跳ね飛んだ。自らの肉を千切り這いずるように私へと向かってくる……! 

 

 神奈子の叫び声も、無線の音も……! 何も聞こえない……! 私と諏訪子は組み合うようにして崩れ落ち、障子を突き破り、境内へと転がり落ちた。彼女のお腹から流れ落ちた呪いが私の身体に張り付き、そのまま蝕む。

 

 まるで底無しの沼に落ちていく感覚。

 いつのまにか組み伏せられ、諏訪子は私に覆い被さるようにして一心に私を祟る。禍々しい触手のようなモノが諏訪子の小さな身体を幾多も突き破り私を絡み取っていく。

 虫のように、支配され、朽ち逝く瞳。

 

 ダメだわ……自分の身体が今どんなことになっているのか、それすら分からない。瞳を動かすことすらできない、この気怠さ。抗い難い。

 

 ……そういえば、早苗は今、私のこの醜態を見ているんだろうでしょうね。彼女に諏訪子の姿は見えないから、私が一人で勝手に苦しんでるように見えてるのかしら。

 間抜けね、私って。

 

 

 蔓延る全ての憂鬱を、くはりと、吐き出すようにして、この気怠さに身を溶かす。ごぽりと、口から水が溢れ、黒い泡となって弾ける。

 死を実感する。

 

 でも何故かしらね。

 酷く懐かしい。

 

 私の死を悲しんでくれるだろう人がいる。

 それだけで……私は救われる思いなのですわ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ゆっくりと瞼を開く。

 微かな微睡みに迎えられた私は、霞む目を擦りながら、あぁ「またか」と。ある種の『諦め』を抱きながら辺りを見回す。

 

 色彩のない殺伐とした風景を眺めながら、まるで他人事のように自分の置かれている状況について逡巡していた。

 これは夢だ。夢の世界に来るのは初めてではない、むしろ慣れたものだが、このタイプの夢の世界はかなり稀であり、久し振りだった。

 

 私が訪れる夢の世界のパターンは大きく分けて三つ。最も頻度が高かったのは【ドレミーの居る】夢の世界。しかし彼女が(うつつ)に引っ張り出されて以来、あの世界を見る事はなくなった。

 

 次に【菫子と共有する】夢。ドレミーが居なくなってからというもの、頻繁に菫子と話すだけの夢を見るようになった。何故彼女の夢と私の夢が繋がっているのかは、分からない。けど、その出会いはとても喜ばしいことだと思っている。

 

 最後に【目の前の少女がいる】夢。これが今、私の見ている夢だ。

 大きく深呼吸して、心を落ち着ける。

 ──ダメ。やっぱり直視できない。彼女の眼孔から流れ出る『赤』を、私の『赤』とともに視界に入れることすらできないのだ。恐ろしくて仕方がない。

 

「うぅ……」

 

 あまりの息苦しさに大きくよろけてしまう。そして脱力しながら地に座り込んだ。実体はなく、身体が大きく沈み込む。

 視界が明滅する。私の目から溢れる『赤』が、導師服でもドレスでもない、私の服を染め上げていく。

 

 これは──どういう悪夢なの? 

 永夜異変の前に見てそれっきりだったから油断してた。なんで、こんな時に……。

 彼女は──誰なの? 

 

 途方もない感情が私の胸を埋め尽くす。恐怖、苦痛、警戒……そして興味。彼女の正体が気になって仕方がない。

 貴女と話したくて仕方がない──! 

 

「久し、ぶり……ね。また会えて、嬉しいわ」

 

 私の言葉に、彼女は微弱な反応を示した。意を決して少女の顔を見据える。仄かな光に浮かぶ二つの空洞は変わらず私を見ている。

 何かを訴えかけているのだろうか。

 

「ごめんなさい、ね。今日はこの場所が息苦しくて、堪らないの。……それは貴女が私を、拒絶しているから?」

【……】

 

 彼女は答えなかった。

 唇を強く引き締めながら、やや俯く。眼孔から流れ出る赤が夢の世界を染め上げる。恐ろしくも、魅力的な色だった。

 ふと、背徳的な衝動を覚えた。

 この考えが危険なものであると、私の心が訴えたのだ。慌てて思考を逸らした。

 

「私はね──ずっと貴女に会いたかった。何故だか分からないけど、貴女といっぱい話して、心を通わせて……貴女のことを、たくさん知りたい。それは許されない事なの?」

【……】

 

 やはり答えない。答えられない、というわけではないようだが、何か憚られる理由でもあるのだろうか。くだらない。

 私は起き上がると彼女の手を取る。強く握る。

 

 紛れも無い私の本心を伝えたかった。

 

「私は──貴女に会いたかった。ずっと」

 

 

【──私は、会いたくなかったよ。二度と】

 

 

 ぐわん、と。世界が揺れた。

 点滅していた視界がクリアに開け、私から流れ出ていた『赤』が『無色』に変わる。それが涙であると気付くのに然程時間はかからなかった。

 

 漸く、貴女の声が聞けたのに。

 

 悲しい──。

 

 辛い──。

 

【貴女がここに来る事は誰も望んじゃいない。貴女も、決して望んではいけない】

「私は──ただ貴女のことが知りたいだけで──!」

【私は貴女のことを知る必要なんてない】

 

 彼女は私を引き寄せた。為すすべなく、2人の額が触れ合うほどに。

 空洞が私の瞳に吸い込まれていく。

 彼女の血が、私の身体に入っていく。

 

【これでいいの──あるべき場所に戻るだけ。元に──戻るだけ──】

「っ! 待って! 私を感じて!」

 

 彼女の首にもたれかかる。暖かさも、確かな存在すらも感じない。

 だけど、縋りたい。

 

「私が誰なのか分かるんでしょう? だって……こんなに悲しいんだもの。一度会っただけで……こんなに悲しくなるはず、ないもの……」

【──】

「悲しいに決まってる。だって、貴女は──」

【……──】

 

 優しい抱擁。それは紛れも無い、彼女から私への想いのカタチ。私にはそれがとても残酷なことに思えた。

 やけに頭が冴えている。彼女の血が入り込んだ瞳の熱が、脳髄を焼き尽くすほどに煮えたぎっていた。そう──とても懐かしい。

 

 ずっと昔に味わった感覚だ。

 私はこの想いのまま空を見上げ、月を見たのだ。そして私は気付いたんだわ──自分が、何者であるのかを。

 

 そう、私は──……。

 

 

 わたし、は……? 

 

 

 誰だ? 

 

 違う。これは、私じゃない。

 足元の血溜まりを見る。透き通るほどに真っ赤なそれは私の姿を忠実に映し出している。これは、私じゃない。

 

 背格好も、瞳の色も、服装も──。

 その存在でさえも。

 

 既に変わり果てていた。

 

 

【──】

 

 

 叫び声が耳元を通り過ぎる。彼女からの腰元への強い衝撃により、私は彼女もろとも、あやふやな地面へと沈み込んでいく。

 それと同時に、ずぶり、と。

 私の身体に何か、異物が侵入した。

 

 

 

 どれだけの時間が経過しただろうか。

 今が過去なのか、果たして未来なのか……それすらも分からない。私はこれが夢であると自認しながらも、確かな感触と記憶としてこびりつくこの世界に呑まれていた。

 

 

 いつしか全ての感触は消え去り、ただ一人、私だけが記憶の渦に取り残された。彼女も、私も……存在しない世界。

 デジャヴのように何度も繰り返す。

 抗う術を持たない幼子が夜の闇に放り出されるような、圧倒的疎外感と絶望感。『未知』とは乗り越えるものだが、独りでは無理だ。

 

 

 独りは、寂しい──。

 

 誰か、私を助けて──。

 

 

 夜の闇に抱かれながら、私は誰かを待ち続けた。だけど、誰も助けてはくれなかった。みんなが私を排除しようとするのだ。

 迎えは、終ぞ来なかった。

 

 時間は過ぎ去り、記憶は摩耗し、心が壊れていった。空白と化した過去を必死に振り返る事だけが私の娯楽。月を見上げながら快楽を貪った。

 だけど、いずれはそれすらもできなくなった。

 

 在りもしないモノを思い出すことなんて、できるはずがない。当たり前よね。鮮やかな思い出が大きくなるほど、消えてしまった時の虚脱感が恐ろしい。だから思い出せなくなった? 

 結局、私は何処までいっても異物のままなのだろう。少なくとも、こんな思い出に浸っているうちは、そうに違いないわ。……この世界に私を受け入れてくれる場所なんてないのかもしれない。

 

 ならば自分から動くしかないわ。

 私を迎えに来てくれる人を探す。そして、私のような異物でも受け入れてくれる、そんな世界を用意しなきゃ。

 

 とても罪深い事だ。残酷な決断だった。

 けど、私には到底耐えられなかった。

 

 

 さあ……旅を始めよう。

 大切な人を探す為に歩き続けよう。

 

 この目があれば、別れ道や自らの心に迷うことはない。この目があれば、幻想を見極め誰にも置いていかれることはない。これは私の夢……私の禁忌。何処までも行けるチカラ。

 

 

 ──ひたりと、涙の跡をなぞる。

 

 もう赤は流れていない。

 水面下には私の瞳。何にも勝る『紫色』の贈り物。そう──私に在るのは、この瞳とこの身体だけ。まだ名前がない。

 

 

 ねぇ、(メリー)

 私はどうしよう? 

 誰になろう? 何になろうかしら? 

 

 ……ふふ。

 ならば【(ゆかり)】とでも名乗りましょうか。

 

 縁も()()()も一切ないけど、いずれそれらに満たされる日が来ることを願い、微かに夢見ながら。

 

 私は月へと手を、伸ばすのです。

 

 




今回諏訪子が使用した祟りはなんか内部から腐ってグズグズになって触手が生えてくる系の呪い。オッコトヌシ様かな?
清楚な仙人が出てきた瞬間この始末、やっぱり娘々は最高だな……!

次回か次次回でモリヤー編は終了です


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奇跡は儚き信仰の為に(後)

突然の覚醒は東風谷早苗の特権である。




「イヤッ……そんな、お師匠様ぁぁあ!」

 

 あっという間だった。

 けたたましい音が本殿から鳴り響いたかと思うと、少ししてお師匠様が障子を突き破って転がり落ちてきた。勢いそのままに賽銭箱を破壊し、色々なモノや血が辺りに飛び散る。そして一瞬呻いたかと思うと、ぐったりと仰向けになって、そのまま動かなくなった。

 

 

 

 艶めいていた唇の端からは黒い線が伝い、頬を濡らす。血でないことは一目で分かった。よく見るとナニカが紫色の導師服を突き破った跡がある。そこからも黒い液体は流れ出ていた。

 液体は止めどなく流れ続け、境内を赤黒く染めていく。何故だか、ピリピリと肌がひりつく……。

 

 妖怪であるらしいお師匠様だが、姿形は人間と然程変わらない。私にはどこからどう見ても、お師匠様が息絶えてしまったようにしか見えなかった。瞳は閉じ切ってしまった。その様を見ていると、とても悲しくなって、とても辛かった。

 あの綺麗な紫色の瞳……私という人間を見てくれたあの優しい瞳は、もう二度と開かれる事がないと考えたら……自然と涙が溢れ出てきた。

 

 初めての理解者だった。

 あの人がこの地に来てから私の陰鬱とした最低の日々は終わりを告げたのだ。……私は、お師匠様が……紫さんが大好きだった……。

 私を救ってくれたあの人が……。

 

 今すぐにお師匠様へ駆け寄りたい。まだ死亡を確認したわけじゃない、まだ助かる望みだってあるかもしれないのだから。

 だけど、足が動かなかった。

 お師匠様に今近づくのは危険であると、何かが告げているのだ。そう、私を呼び止めているのは『神様の声』だ。だけどそれ以外にも、私に警鐘を鳴らすナニカがあった。

 

【────ッ──】

 

「神様、私は……!」

 

 やっぱりこんな時でも神様が何を言わんとしたいのか、私にはさっぱり分からない。必死に意思を伝えようとしてくれているのに、私はそれに応えることすらできない……! 

 だけどそんな事は今更だ! 神様が必死に何かを伝えようとしているという事は、差し迫った危機が近付いているという何よりの証左! 

 

 そう、今は脅威を把握する事が最優先だ。お師匠様をこんな姿にしたのも私の認識できない脅威の仕業なんだろう。

 

「何がいるの? お師匠様は一体、何に対して危機感を? ……正体を知らないと、何もできない……!」

 

 石畳の間から伸び生えた雑草が風に煽られ、さわさわとその身を揺らす。そろそろ梅雨に入ろうかというこの季節、湿っぽい空気が我が身を包む。じわりと汗が滲み出て不快感を覚えた。

 分かってる。この不快感の正体は気温や湿度によるものではない。お師匠様風に言えば『良からぬもの』がこの境内には確かに存在しているはず。いる……確実に、私の存在を捉えている……! 

 

 境内全体を急いで見回した。鳥居にほど近い私、本殿の階段下の石畳に倒れ伏すお師匠様、ナニカが騒つく境内。

 少しでも、手掛かりを──! 

 

『異界を視る上で最も大切な事は、常識を捨て去る事。これまでの認識を如何に覆すかですわ。信仰と同じなのよ、早苗。信じればいつか見えるはず……報われるはずよ』

 

 お師匠様は毎日のようにこんな事を言い聞かせてくれた。数々の奇跡を目の当たりにしながらも、なお懐疑を抱いていた私に。

 慣れてしまっていつの日からか半ば聴き流していたけれど、あの言葉の意味が今になって痛切に胸の内から湧き上がってきた。

 

「常識に囚われてはいけないのですね……!」

 

 思いっきり目を擦る。

 

 自分の脳で処理しきれぬ事象にぶつかったとしても、夢幻(ゆめまぼろし)として片付けてしまうのは簡単だ。

 そうじゃない! これは現実なんだ! 

 目を開けろ東風谷早苗! 逃げるな──戦え! 

 

 信じて──! 

 お師匠様を──神様を──! 

 

 

 

 

 景色が一変した。

 私は粉々に砕け散った石畳の上に立っていた。隙間から生えていたあの鬱陶しい雑草は全て枯れており、唐草となって寂しく風に靡いている。

 世界の色が藍色から灰色、そしてサビ色に移り変わっていく。これは一体……何が起こって……? 

 

 ふと本殿を見ると、見てくれだけは立派なあの社を支えていた幾多もの柱はへし折れて、屋根が中の神室を押し潰していた。

 もう驚きはしない。ただ疑問に思った。守矢神社はいつから壊れていたんでしょうか? ……いや、もしかして始めから? 

 

 そして何より目を引いたのが、お師匠様にのしかかるその存在。私は初め、それが人間の形をしていることに気が付かなかった。

 あまりに不吉で、あまりに禍々しい。ザワザワと、嫌悪感を引き立てる滑やかな触手の集合体がひしめき合っている。

 

「……イソギンチャク?」

 

 マイルドな感じに例えてみたものの、現在進行形でSAN値を削っていく『コレ』には不適切だったかもしれない。

 初めて目にした怪異。これが……お師匠様が見ていた世界なのですね……! こんな時になって、こんな形になって、永遠の夢が叶ってしまうなんて! 

 

 大して事態が好転するわけじゃないのに、それでも胸は高鳴ってしまう。ようやくスタートラインに立てたような気がするんです。

 だからまずは──! 

 

「お、お師匠様から離れなさい! イソギンチャク! こ、この東風谷早苗が相手になりますっ!」

 

 近くに落ちていた木の棒を拾い上げ、なけなしの防備を固めながら勝負に出る! 構えなどあったものではない、無茶苦茶に振り回しながらなんとかお師匠様への接近を試みる! 

 もっとマシな方法はあっただろう。だけどこれ以上お師匠様を傷付けられるわけにはいかなかった。焦りが生んだ特攻。

 

 そんなもの通用しなかった。

 伸縮する触手が棒の先端を掴んだかと思うと、私ごと力任せに振り回したのだ。砂利に引き摺られ、膝や腕にじんじんとした痛みが走る。

 

「痛っ……くぅ……!」

 

 ふと掴んでいた棒切れを見ると、先端から腐れていた。それは触手を離れてなお拡大している。私は情けない声を上げながら棒を放り投げた。

 

 この時、気付いた。

 あのイソギンチャクを中心に境内が禍々しいモノに覆われているのだ。草木は枯れ腐れて、石畳や砂利は塵になって崩れていく。

 お師匠様だって例外じゃない。黒々とした痣が接着部からどんどん拡がっている。それはまるで腐っていく死体のようだった。

 

「……っ、私が……やらなきゃ……」

 

 そう、私しかいない。

 やらなきゃいけないのに……涙が止まらない。

 

 こうしている間にもあの禍々しいモノはひたりひたりと私に近付いてきている。泣いてる場合じゃないのに……。

 

 変なものが見えるようになった途端これだ。私は今まで独りで生きてきた、誰にも頼らずに生きてきたのに、このザマ。

 

 慣れてしまったんですね……。

 お師匠様や、秋さん達がいる生活に。

 いつの頃からか、今の生活があるのは当然のように思っていました。悔しくて、辛くて、大変な毎日だったけど……それでも楽しかった。

 

 あの人たちに出会えてから私は笑えるようになった。あの人たちのおかげで、私は本当の自分を知る事が出来た。……嬉しかった。

 だけど満足するべきではなかったのだ。

 

 私はなんて脆弱なんだろう。

 力はないし、心も弱い。結局何の役にも立たない、只の──人間。

 

 嫌でも理解(わか)ってしまった。

 ここが私の到達点なのだ。

 

 何かの力に目覚めるといったヒーロー物語のような展開はない。変なものが見えるようになった、ただそれだけ。

 私はこれから為す術なくこの訳の分からないイソギンチャクに殺されて、物語は終わってしまうのだ。本当につまらない、物語だ。

 

 イソギンチャクはもう目と鼻の先。触れてもないのに気分が悪くなり、吐き気が込み上げてくる。これが、呪いというやつなんでしょうか。

 不思議と心が冷えるとともに、次から次へと様々な思い出が浮かんでは消えていく。これが走馬灯というものなのだろうか? 

 浮かび上がる情景の大多数は気分の良いものではなかった。思い出したくもないありふれた日常。だけどそんな中でも、木漏れ日のようにちぎれちぎれに輝く光はあった。

 

 今、私が涙を流すのは──

 こんなにも死が怖くて、生に執着しているのは──この光を知ってしまったからだ。手放すのが恐ろしくて仕方ないからだ。

 

 あんなに色々な事を教授してくれたのに、一つとしてモノにする事が出来ませんでした。貴女たちの期待に応えられなかった私は、ダメな弟子で、ダメな巫女です。

 ……ごめんなさい、お師匠様。

 ごめんなさい──神様。

 

 眼前に迫る死の恐怖に思わず目を瞑り、(きた)るべき未知の痛みに備えた。数瞬、或いは数時間にも思えるような暗闇の時間。

 

 痛みは終ぞ無かった。

 

 

「いい加減にッ……しろォッッ!!!」

 

 何かが破裂したのかと聞き紛うほどの打撃音が暗闇の先で響き渡る。恐る恐る目を開けるとイソギンチャクはおらず、そこには、ほんの一瞬だけ、誰かが居たような気がした。

 いや、今も居る! 目がボヤけてよく見えないけど、確かに誰かが其処には居たのだ。そして私を守ってくれた。

 

 少し離れた所では潰れたイソギンチャクがもぞもぞと蠢いている。あれだけの距離を吹っ飛んだのだから相当な衝撃を受けたはずなのに、ほとんど堪えていないように見える。

 

 なんにせよ、私を、私の命を……救ってくれたのですね。──神様。

 

 声だけで分かった。

 私の心に呼びかけてくれていた時と同じ声音だったんですもの。あの2種類の声のうちの、一つだった。

 

「神様──カナコ様。私は……私は……っ!」

「早苗よ。お前とようやく話すことができて、私は嬉しく思う。この日を……どれだけ待ちわびたことか」

 

 不安定な像が言葉に呼応して揺らめく。

 

「だが今は、互いの傷を舐め合い享楽に耽っている場合ではない。状況は、最悪よ。少なくとも、アレは今の私の手に負えるモノでは……」

「お師匠様を連れて一緒に逃げましょう! 秋さん達とも合流して、皆んなで!」

「ダメだ……ダメなんだよ早苗。私はもう手遅れだ。八雲紫もまた、恐らく……。だがお前だけならまだ逃すことができる──ッくぅ!」

 

 目視できないほどの速さで、触手がカナコ様の腕を貫いた。表情を窺い知る事はできないが、咄嗟に抑え込んだ声からかなりの激痛である事は分かった。私を──……守ったばかりに! 

 

「カナコ様……っ!」

「早苗ッ逃げなさいッ! 頼む……これ以上彼奴(あいつ)にお前を傷つけさせないでやってくれ。もはや自我は無くても……最期くらいは……!」

 

 轟音のような声が頭の中で鳴り響く。濁流のようにカナコ様の感情が私の心へと流れ込んでいく。この感情の正体は、愛と哀しみ。

 境遇を恨む想いはあっても、『彼女』を憎む気持ちは微塵にもなかった。

 

 私もようやく気付いた。

 何故カナコ様はこんなにも悲しんでいるのか……私を必死に逃がそうとしているのか。何故お師匠様があれ以上私を神社に踏み入らせなかったのか。

 

 彼女もまた、私が会いたくて仕方なかった一柱。守矢神社には……神様が『二柱』居たんだ。あのイソギンチャクは────。

 

 

「スワコ……さ、ま……?」

 

 溢れた名前には、否定も肯定もなかった。

 だけど、何も言わず無言を貫くカナコ様の姿勢こそが、何よりの証左だった。

 

 間に合わなかったんだ。

 私が力を手にできなかったばかりに! 神様を……殺してしまったんだ……! 

 その揺らぎようのない事実が私の胸を締め付け、吐き気と嗚咽になってせり上がる。私が、殺した……。

 

「それは違うッ! いいかい早苗。諏訪子の死はお前のせいじゃない、なるべくしてなった事なんだ。それどころかお前はよくやってくれたさ。流石は、私達の娘だ──ぐ、ぁ!?」

 

 カナコ様がこちらを向いた瞬間だった。スワコ様から伸び出た触手がカナコ様の身体中を貫いた。それでもなお触手は伸び続け──私の眼前で硬直した。カナコ様が貫通した触手を押さえ込んでいた。

 

「早苗、お前には長い間苦労をかけたね。幸せになってほしい一心で、お前に無責任な言葉を投げ掛け続けていたのは私の罪であり過ちだ。……だらしない神様ですまない……」

「あ、あ……」

 

『違う、そうじゃないんです』と。『貴女様達の声のおかげで私は生きてこれた』と。何故言えない? 何故言葉が出ない!? 

 言うんだ、言わなきゃいけないんだ! 

 言わなきゃこれが……最後になってしまいそうで──。

 

「諏訪子は全てを腐れ殺すだろう。草も木も、鳥も人間も……そして私やお前(早苗)でさえも。ははッ──今でこそこんなに落ちぶれてしまったが、昔の私達は中々のもんだった。今の諏訪子であれば、この国程度なら軽く呑み込んでしまうだろうね。けどそれじゃあ……お前(早苗)を救えない」

 

 スワコ様から発せられる錆色の光を、カナコ様の神々しい光が塗り潰していく。カナコ様の力が高まるにつれ、不安定だった像が収束していく。ぼやけていた像が鮮明なものになる。

 

 ──こんな、御姿だったんですね。

 ようやく、知ることができました。大まかな部分は『カナちゃん』に似通ってはいるけれど、カナコ様の御姿は威厳にあふれたものだった。とても凛々しくて、憧れてしまいそうなほどに。

 

「今の私じゃ諏訪子にはどうあがいても太刀打ちできない。このまま呪い殺されて、彼奴に取り込まれて……呪いの一部となりこの世界へ呪詛を吐き続けることになる。ならそれを逆に利用してやるさ。私を取り込もうとするこの触手を媒介にありったけの──己の存在をかけた全ての神力をぶち込んでやるッ!」

「いや……いやですカナコ様! 貴女様にもスワコ様にもようやく会えたのに、もうお別れなんて……私を置いて行くなんて!!」

 

 私の心はそれだけだった。

 こんな世界に1人にして欲しくない。神様達のいない世界なんて、いらない。

 

「もう、これ以上はダメだ。……無責任にもお前を1人残して逝く事を許してくれ……。すまない、本当にすまない……! だがどんなに苦しくても、歩き続ければいつか奇跡は起こる。そうさ、お前は立派な守矢の巫女なのだから」

「お願いですっ! やめて──!」

 

 私はどうすればいいのかを必死に考えた。カナコ様とスワコ様を止めるにはどうすれば……? 力もなく、知識もなく、情けない声を上げることしかできない私に何ができるの……? 

 声の出る限り叫び続けた。

 泣いて、泣いて、泣いて、叫んだ。

 カナコ様は止まらない。スワコ様も止まらない。……私は、何もできない。

 

 境内が震え、土塊が迫り上がる。既に崩壊していた地盤がカナコ様の力の高まりに呼応しているようだった。私の足場だけが綺麗な状態で残っている。

 今にも訪れるだろう最期の瞬間。私は思わずギュッと目を閉じた。ここに及んでも、私の取った行動は『逃避』だった。

 

 絶望と諦めに満ちた心で、その時を待つ。

 

 

 

「結界『夢と現の呪』」

 

 ──バツン、と。

 ブラウン管テレビの電源を切ったような、そんな形容し難い音がする。恐る恐る目を開けると、未だ健在のカナコ様もまた目を見開いていた。

 カナコ様を貫いていた禍々しい触手は中ほどで切断され、まるで生き物のように地面をのたうち回っている。そしてスワコ様もまた、二つに分割され宙を揺蕩っている。

 

 誰の仕業なのかは一目瞭然だった。

 

「お、お師匠様!? 良かった無事だったんですね!」

「……! ……!?」

 

 八雲紫その人以外にあり得ない。

 未だにポタポタと黒い液体を患部から滴らせており顔色も優れないが、どこか余裕を感じさせる微笑を浮かべている。

 何より目を引いたのはお師匠様の指先から断たれている空間、そしてそこから覗く新たなる空間である。これがお師匠様や秋さん達が日頃常々言っていた『スキマ』なるものである事はすぐに分かった。

 

 だが安心は束の間だった。スワコ様から新たなる触手が生え出ると、お師匠様へと次から次に殺到する。カナコ様の身体をあれほど簡単に貫通してしまうのだ、あんなものを受けてしまってしまっては文字通り蜂の巣……下手したらミンチだ。

 スプラッタな光景になる事は想像に難くなく、またもや私は目を塞いでしまった。だがその予想に反して、いやスプラッタな光景であるのは間違いないのだが、お師匠様は平然としている。

 

「こうはなりたくないものですわ。……貴女ほどの神でさえも、一度滅んでしまえば斯様な有様か。ならばいっそ──」

 

 しかもなんかカッコいいこと言ってる! 

 

「ひぇぇ、あんなに貫かれてるのに!? や、やっぱりお師匠様は人間ではなかったんですね……! 凄い!」

「……ッ早苗、退がりなさい」

 

 感極まってお師匠様へと近付こうとしていた私をカナコ様が押し留めた。

 事態は間違いなく好転しているはずなのに、カナコ様の表情はより険しいものになっている。それが何故なのか、私には分からなかった。

 

「お前が……やるのか?」

「ええ、貴女さえ良ければ私はその心算(つもり)ですわ。だって貴女には彼女(諏訪子)を滅する事なんて出来ないでしょうし、心情的にも辛いでしょう? 数千年連れ添った友を手にかけるのは」

「……」

「ふふ……とことん人臭い神様ですこと。ああ、これは褒め言葉ですわ。少なくとも私にとってはね」

 

 いまいちお二人の言ってる言葉の意味、そしてその本質が私には理解できなかった。だが場を見守るにつれ、その言葉の残酷さに自ずと気付かされることになる。

 

「諏訪子、其処にはもう居ないのでしょう? ……残念よ。あんなに見栄を張っておいて、結局貴女を助ける事できなかったのは、私の失態ですわ。だからせめて、何も苦しまず、後に禍根も残さぬよう──」

 

 ──弔ってあげますわ。

 

 そんな事を、慈悲に満ちた表情で言う。

 今ので確信しました。お師匠様はスワコ様を殺すおつもりなのだ。気付くや否や慌ててお師匠様を止めようとするが、またもやカナコ様に押し留められた。

 

「退いてくださいカナコ様! このままじゃ、スワコ様が……!」

「先程言った通りだ。諏訪子は既に死んでいる、アレはその脱け殻が力を持って蟲のように意思もなく、機械的に暴れているに過ぎない。……あの姿こそ、神の滅びた姿なのだから」

「そんな……!」

 

 

「力はかつてと同等でも、今の貴女はミシャグジを束ねていた存在ではない。坤を創造することすら容易ではないのでしょう。よって攻撃手段は触手と自前の呪怨しかない、と」

 

 お師匠様が軽く指先を薙ぐ。

 途端、貫いていた触手が細切れに分解され大地に消える。蜂の巣同然だった身体も瞬く間に修復されている! つくづく、あの人が人間から懸け離れた存在である事を思い知らされました。

 

「さて、まずはその邪魔な触手を全て取り払いましょうか。──捌器『全てを二つに捌ける物』」

 

 例のスキマから何かお札のようなものを取り出した。そしてお師匠様の力の高まりと呼応したそれは、眩い光を発すると同時に力として私の目の前に顕現する。

 斬撃──という表現は余りにもチープ過ぎる。全てを別つ境目と、カナコ様は仰っていた。禍々しく渦巻いていた触手はその一撃で大半が断たれ、消滅した。圧倒的だ……私が予め想像していたものとは次元が違い過ぎます! 

 

 だがスワコ様もやられっぱなしではなかった。触手を切られてもなお全身を黒霧が覆っており、顔を伺い知ることはできない。その霧から精製されていく途轍もない力は、色々なものが見えるようになったばかりの私でさえ、その規模に強い危機感を覚えるほどに強大。

 あんなものまともに食らったらどんな目に遭うのか、どれほどの被害が出るのか……想像もしたくない……! 

 

 輝く闇は宙へと放たれた。黒々とした夜空を塗り潰し、星の光を吸い込みながらその範囲を急速に拡大させている。

 そしてまるでスコールのように、闇は地上へと凄まじいスピードで降り注いだ。触れる全ての生命を食い散らかしながら、憎悪を振り撒いている。

 

 私はすんでのところでカナコ様の展開したバリアのおかげで何とか身を守る事が出来たが、その周りは酷いものだった。守矢神社を囲う雑木林が塵芥となって消えていく。

 

「いかんッあいつ、手当たり次第に攻撃を始めたか! くそ……この一撃で何人の命が失われたのだ……!」

「そ、それじゃこの攻撃はここ以外にも!?」

「最低でも諏訪全域が範囲内だ。その中に居た命は、ほぼ失われただろう。諏訪子が生涯をかけて守り育んだものを……まさかあいつ自身の手で奪わせる事になるとは……っ!」

 

 声を震わせながらカナコ様は叫んだ。

 つまり、私の中の知る人はみんな今ので死んでしまった……という事なのでしょうか? 正直あまり実感が湧かない。

 だけど、決して気持ちのいいものではないです。モヤモヤとしたなんとも言えない気持ち悪さだけが心に残る。

 それを為したのがスワコ様となれば尚更のこと! 

 

 あっ、そういえば秋さん達が近くに居たはずだ! 大丈夫だろうか……? この密度じゃ逃れるのは至難の技。ならもう既に? 

 そう思うと、また涙が出てきた。あの二人にだけは死んで欲しくないですから……。

 

「無益な殺生とはまさにこの事ですわ。何処ぞの閻魔風に言うなら『貴女の行動は益が無さ過ぎる!』──ってところかしら? なんにせよ、控えるべきよねぇ」

 

 一方のお師匠様は意に介した様子もなく、平然と死の雨を浴び続けていた。いや、よく見ると全く濡れていない。まるで薄皮一枚を隔てている何かに弾かれているようだった。

 そして再びお札を取り出す。

 

「『生と死の境界』」

 

 

 光が溢れた。

 

 鈍色の気配で満ちていた世界に、優しい生の息吹が吹き荒れる。

 スワコ様によって失われた生命が時を巻き戻すかのように息を吹き返し、消滅した筈の雑木林や本殿が次々に復元されていく。

 

「言ったでしょう? 禍根を残さず消してあげるって。これ以上無駄に業を背負う必要はありませんわ」

 

「すごい……」

 

 これこそ正しく神の所業と言えるだろう。

 私は言葉を失っていた。

 

 靄は完全に消え去り、スワコ様は負の循環を停止させた。幼い姿に変な帽子……ようやく、スワコ様の御姿も知る事ができました。想像していたよりもずっと可愛らしい姿で、あのイソギンチャク形態とは似ても似つかない。だけど、底冷えするほど無機質な瞳は、あいも変わらず昆虫的だ。

 

「さあ、仕上げといかせてもらおうかしら。神奈子、借りるわよ」

 

 お師匠様の周りにいくつものスキマが展開され、中から大量の御柱が射出、スワコ様へと殺到した。もうぐちゃぐちゃだ、血肉とすら判別できない色々なものが辺り一面に飛び散った。

 それらはありえないスピードでの再結合によって元の姿へと再生されるが、それを待っていたかのようにお師匠様は再生途中のスワコ様の懐へとお札を叩きつけた。距離などお師匠様のスキマの前には意味を成さない。

 

「さようなら、諏訪子──境符『四重結……」

 

 

 ────

 

 

「……いやちょっと待って。これなんか違うわ」

 

 ほんの一瞬だった。

 恐らくトドメの一撃だったのだろう、お師匠様が放った攻撃はキャンセルされた。……否、お師匠様の全ての動作が静止してしまったのだ。それはまるで、壊れかけのロボットのように。

 その致命的な一瞬を逃すスワコ様ではなく、お札は破裂音とともに消滅し、口から吐き出された呪の濁流がお師匠様を飲み込んだ。

 

 あまりに突然のことで、私は声を上げることすらできなかった。カナコ様の行動は早く、またもやバリアで濁流と私達を遮った。

 

「……! しまっ──ガボボ!? おぼ、溺れ……!」

「お師匠様っ!?」

「何をやっている!? 千載一遇のチャンスだったというのに、何故あの一瞬だけ躊躇した! ええい、こうなればやはり私が……!」

 

「それにはっ、及ばないわ! この程度の濁流なんて、悪鬼蔓延ってた時代の荒波に比べればなんのそのぉ! ていうか今はそれよりも──諏訪子を殺すのはやっぱり無しの方向でいきましょう!」

 

 ぶちり、と嫌な音がした。堪忍袋の緒が切れる音なんて初めて聞きました……! 

 

「ふざけるなよ八雲紫ぃ!!! 私の忠告を無視して突っ込んだ挙句、いきなり私の計画(自爆)の邪魔をして……ここに来てまだそんな甘ったれた事を言うのか!?」

「いや正直悪いと思ってるわ! 色々とごめんなさいねホント! だけど、まだやり残した事があるでしょう? それを試してからでも遅くはないわ!」

 

 呪いの濁流の中を悠々と泳ぎながら叫ぶお師匠様。何気にフォームが整っているのがなんとも……お上手ですね。

 って、今はそんな事を考えてる場合じゃない! お師匠様の言う『やり残した事』とはなんなんだろう? スワコ様を救うに足るものなのだろうか? いや、お師匠様の言う事だからきっとそうなのだ! 

 

 だがカナコ様はそうは思わないようで。

 

「もう彼奴(あいつ)に心などないっ! 信仰を失い、亡失に身を堕とした神に残されるのは「災厄」のみ! 私はずっと見てきたぞ……()()()()()()()()()神の成れの果てを!!」

「けど、嘗て心は確かに在ったわ! 一度あったものが完全に消えるなんてことは、絶対にありませんわ! そこに在ったという私達の記憶が、確かな繋がりとして残り続けているっ!」

「そんなもの……そんな、もの……!」

 

 苦しそうに言い澱むカナコ様。苦悶の表情はその身に走っている激痛によるものだけではないのだろう。

 絶対にありえなくても、信じたい。例えあり得ない奇跡のような仮定だったとしても、可能性があるなら信じたいのです。

 

 スワコ様を……救いたい……! 

 その気持ちは私も、カナコ様も一緒です。

 

「早苗っ!!!」

「へ? ハイっ!?」

 

 急に大きな声で呼ばれたので吃驚しました! 

 お師匠様の瞳が私を真っ直ぐに射抜く。いつものように、私が師事を乞う時に見せる優しい瞳。ここでようやく私は察した。

 私がやるんだ、と。

 

 何故だか、頬がピリピリと痺れる。

 

「貴女と諏訪子との繋がりは、生きているわ。貴女を最初から殺すつもりだったなら、今も健在であるはずがない。五体満足でいられるはずがないわ! 諏訪子が躊躇した理由は心や記憶によるモノではないかもしれない……だけど、貴女が今こうして生きている奇跡は、何にも代え難い大きな────あが、ぐっ!?」

「ひっ、お師匠様!?」

「しまった、洩矢の鉄の輪か! 土着神としての力まで行使するようになるとは……!」

 

 凄まじい質量を持った鉄の塊が高速回転しながら濁流を跳ね、お師匠様を襲った。あっという間に身体を削り取り、右肩から先が千切れている。先程までとは違い、お師匠様にはしっかりとダメージがあるようで、苦痛に顔を歪ませ傷口を押さえている。

 ただ血は一滴も流れていない。

 

「うぅ……痛ぁ……すっごく痛い! よくもやってくれたわね、意識がないからって許さないんだから! 『頂門紫針(ちょうもんししん)』!」

 

 お師匠様が空を指でなぞると、その跡をなぞるように幾つかの針状の妖弾が浮かび上がった。そして一斉に射出。スワコ様へと食い込むと同時に針は変形し、小型のスキマとなって拘束具のように自由を奪う。

 両腕両足は勿論のこと、腰に肩、脇腹に胸、そして何故か重点的にヘンテコな帽子が縛り付けられている。あとは呪いの濁流を泳ぎ切ったお師匠様がお札をスワコ様の口に貼り付けて終了。

 

「ふふ、ここまで自由を奪ってしまえば何も怖くないわ。むしろ()いものよねぇ。ほれほれ……あいたっ!?」

 

 戯れだろう。気を抜いたお師匠様がスワコ様の頬を引っ張っていたのだが、勢いよく隆起した土塊がお師匠様のお腹をぶち抜いた。しかも身体中を縛っていた拘束具が次から次へと破壊されている。分断されていた触手も再生し、逆にお師匠様も縛り上げられる結果となってしまった。

 ……なんていうか、迂闊すぎません? 

 

「頼りになるのかならんのか……よく分からんな」

「はい。だけどやっぱり凄い人です」

 

 初めてカナコ様との共感を得られたような気がします。お師匠様の変貌というか、豹変というか……アレも私を和ませてくれるための演技だったりするんでしょうか? 

 なんにせよ、心に余裕ができたのは確かだ。今ならこの想いをしっかりと留めておける。恐怖を振り払うことができる! 

 

「カナコ様。私、行きます」

「……親としてなら、止めるのが正解なんだろうね。私と諏訪子が逆の立場だったとしても、彼奴ならお前を止めただろうさ。だから──」

 

 ぎゅっと、カナコ様と優しく抱擁する。半透明のカナコ様に触れることは能わず私はその身をすり抜けてしまうけど、暖かさは感じる。

 私がこの世で一番欲していたものだ。

 

「──神として、私はお前を信じるよ、早苗。お前の『強さ』は、私と諏訪子が一番よく分かってる──」

「はいっ!」

 

「ぐぐぐ……さあ私が抑え込んでいる今のうちに! 特別な事は何もいらないわ。貴女が奇跡を信じて願えばいい!」

 

 カナコ様の優しさ、お師匠様の声援に背中を押され、私は歩みを進めた。

 スワコ様の視線はお師匠様から私へと移る。瞳はやはり無機質で、東風谷早苗は映っていない。あるのは機械的な怨念だけ。

 

 お師匠様が教えてくれた事だが、なんとスワコ様は私のご先祖様にあたる方らしいのだ。流石に色んな意味でショックを受けたけど、同時に納得いったこともあった。

 ただの巫女に神様たちがなんでこんなに気をかけてくれていたのか、その理由をようやく知ることができたのだ。

 

 二柱は私をありとあらゆるものから守ってくれた。

 二柱は私を自分の子供のように愛してくれた。

 カナコ様は私の事を娘だと言ってくれた。

 私は……御二方の事を……。

 

「ねえ、スワコ様?」

 

 究極的に言ってしまえば、血の繋がりなんてものは関係ない。カナコ様とスワコ様が私を娘として愛してくれている、そして私は御二方を親として愛している。その繋がりが、何よりの宝物なんだ。

 そう考えると過去の自分がとても愚かしく思えた。その繋がりを全く感じようともせずに、実体だけを追い求めていたのだから。

 

「遅くなってしまいましたね。私、こうして、貴女様と……カナコ様と……。ああ、喋りたいこといっぱいあったのに、いざとなったら全然思い浮かびません。やっぱり、私ってダメな巫女ですね」

「──」

「私、スワコ様のことを全然知りません。名前も姿も最近知ったばかりだし、ご先祖様だったなんて思ってもみませんでした」

 

 貴女の声も、心も、その瞳の輝きも、私は知らないんです。だからこれから少しずつ知っていきたいんです! 

 さらにスワコ様との距離を詰める。

 流石に近過ぎたのか、肌がヒリつく。素肌に熱湯を浴びているかのような痛みだけど、耐えられないものではない。

 スワコ様やカナコ様、お師匠様が感じたであろう痛みに比べれば、こんなもの……! 少しも堪えやしない! 

 

「いつも助けてもらうばかりで、私からスワコ様達にしてあげられたことなんて、ほんのちょっとの微々たるもの……だから今度は私から与えたいのです。烏滸がましいことなのかもしれませんが、私の手で──救いたい」

 

 正直なところ、お師匠様の言われたことに関しては今でも懐疑的です。本当に私なんかがスワコ様に何か働きかけることができるのか、甚だ疑問ではある。だって能力が全く以って見合ってないんですもん! こんな大役、普通なら務まるはずがない。

 

 だけど()()()()()()()()()はこれまでと今日で嫌という程味わった。普通だとか常識だとか、そんなものに囚われていては本当に大切なものを見過ごしてしまう。挙句に失ってしまう! 

 私の人生はそれの連続だった。

 だからもう繰り返さない! 

 

 それに、今の私は一人じゃない。

 秋さん、カナコ様……そしてお師匠様が見ていてくれてる! 私の背中をこれでもかと押してくれるっ! 

 

 

 スワコ様をゆっくり抱きしめる。

 カナコ様とは違い、触れる事ができた。それほどまでに今にも私を蝕もうとしている力は禍々しく、強大ということなのだろう。

 だけど私にとってはかえって好都合です。だって、スワコ様に触れる事ができるんだから。痛みなんて気にしない。自分の身体が崩れていく感覚なんて知ったことではない。

 

 これが私の幸せだ。

 

「スワコ様──……お母さん。私、やっと会えたよ」

「──」

 

 強く、強く……自分の腕が壊れるほど強く。小さな身体が折れてしまいそうなほどに強く抱きしめた。今日何度目か分からない涙がポロポロと零れ落ちて、スワコ様の帽子に降り注ぐ。ほんと情けないなぁ、私って。

 

 途端にぐるりと視界が回る。

 明滅する光が目の前を覆い尽くし、焦点が一箇所に定まらない。身体の感覚が完全になくなっている事に今更気づいた。

 自分が今にも崩れ落ちようとしているのが分かる。これから訪れるであろう『死』に対しても、なんとなしに感じ入っていた。

 

 諦めというよりは脱力かな。

 何にもしてないのに、疲れちゃった。

 

 ずり落ち、暗転していく視界。スワコ様の肩越しに見えるお師匠様はさも満足げに、私を賞賛するように──冷たい笑みを浮かべていた。

 

 

 

『ごめんよ、早苗。とても辛い思いをさせてしまったね……』

 

 初めて聞く、耳に馴染んだ声だった。

 暗闇を漂う私に彼女は言う。

 

『もっと一緒に居てあげたかった──もっとお前の事を見守ってあげたかった──もはや叶わない願いだと諦めていたよ』

「スワコ、様?」

『だけど最後の最後で奇跡が起きたようだ。……これでもう、1番の未練は解消されたようなものだね。紫と神奈子には感謝してもしきれないや』

 

 ここでようやく気付いた。スワコ様の声は内から響いており、耳を介していない。『神様の声』に酷使したものだった。だけどそれとは何かが違う。決定的な何かが──。

 

『いいかい早苗。これからお前はたくさんの人間や妖怪に出会うだろう。中にゃ良い奴もいるし、当然悪い奴もいる。場合によっては良い奴の方が厄介な事だってある。一癖も二癖もある、心に色んなモノを抱えてる連中だ。私達が閉じ込めてきた世界には居なかったからね、お前にとっては全てが初めてだろうさ』

「そう言われると、不安です……」

『大丈夫さ。お前の本来の姿はよく分かってる。もう自らに枷を施す必要もない……常識が通用しない世界なんだ、そんな場所で常識に囚われてちゃ何にも楽しくないでしょ?』

「しかし、私は巫女です」

『紫から話は聞いたろう。あっちの巫女は存外適当らしいし、その知り合いもぶっ飛んだ奴らばっかだ。お前が気にしているのはそんな事じゃなくて、私達の体裁でしょ?』

 

 そう言われると言葉に詰まってしまう。スワコ様にはお見通しみたいですね。ただ、気にしてる体裁は神様のものだけじゃない。私の体裁だってそうだ。神様に嫌われたくなかったから、理想の巫女を目指して色々なことを我慢してきた自覚はある。漫画やゲーム、小さい頃大好きだったロボットアニメも両親が他界してからは……。

 

『早苗の好きなようにやればいいよ。どんな願いだって応援するさ。お前の幸せが、私達の幸せなんだからね。……ただそれを見届けることができないのが心残りで仕方ない──寂しい』

「スワコ様……?」

『やっとみんなで一緒に歩むことのできる日が来たのに、私はそこにいない……。それが悔しくてしょうがないよ。だけど、それは高望みが過ぎるってやつだよね』

 

 やっぱりだ。

 スワコ様の口振りから薄々勘づきつつあったのだが、スワコ様は余りにも弱弱し過ぎた。私は、スワコ様を救うことができなかったのだろう。声と最後の力を振り絞っている。

 

 私の願った奇跡は実を結んだのだろう。だがそれはスワコ様に辞世の句を詠む時間を与えるのがせいぜいだった。

 結局、私の願う奇跡なんて──。

 

『そんな顔をしないでおくれよ、早苗。これは凄い事なんだよ? 神奈子も紫も諦め成し得なかった事をお前はやってのけたんだ。信じてたよ……流石は私の孫の孫のそのまた孫の──いや、娘だね。流石は私の娘だ』

「けど、私はスワコ様ともっと話したいです。私だけじゃない……カナコ様、お師匠様、秋さん達だって! スワコ様を救えないんじゃ、そんなの奇跡じゃない。私の願いは──」

『ありがとうね。早苗が願ってくれてる限りは多分大丈夫さ。私を忘れないでいてくれれば、またいつか……きっと、ね』

 

 スワコ様は言った。

 記憶もまた信仰の一種であると。

 身体は滅びようとも、記憶という微弱な繋がりが僅かな存在を残してくれるのだと。心の中で生き続けるってことなのでしょうか? 

 

 とても素敵な話だと思う。

 けど私は……。

 

『めいっぱい楽しむんだよ、人としての生をさ。いやまあ、幻想郷に行くなら普通の人としては無理かもしんないけど、それでもお前は自分で生き方を選択できるんだ。嫌になったらいつだって辞めちゃったらいいよ! 巫女も現人神も、全てが早苗だ。その中からどの早苗を自分とするのかは、早苗の自由だ』

 

 だから──と続ける。

 

『いっぱい笑っておくれ。ずっと言いたかった事だからね、何度だって言うよ──お前の笑顔と幸せが、私達の一番の望みなんだ』

「……はい!」

 

 私は無理やり口の端を持ち上げた。

 今日何回目かも忘れてしまうほど溢れる涙を誰かが拭ってくれる。暗闇の向こうにいるスワコ様なんだと、なんとなく分かった。

 

『またね早苗! ──頑張れっ!』

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「──なえ。起きなさい、早苗」

「ん、んぅ……はっ!?」

 

 目に強い光が差し込む。

 いつのまにか夜は明けており、覗き込む紫の顔と一緒に白んだ空が映る。

 なかなか要領を得ない頭。復旧にはもう少し時間がかかりそうだと、早苗自身呑気にそんな事を考えていた。何故だか分からないが、とても落ち着く。

 

「……えっと」

「まるで狐につままれたような顔ね。もちろん夢なんかじゃないわ、全てが現実。貴女は神と邂逅し、小さな奇跡を起こした。よく頑張ったわね」

 

 微笑む紫。どうやらあの一連の出来事は全てが現実のものらしい。ならば諏訪子との会話もまた現実だったのだろうかと早苗は思った。

 紫は奇跡が起きたと言う。つまりはそう言う事なのだろう。

 晴れやかな心のまま起き上がろうとするが、首から下の身体がピクリとも動かないことに気がついた。思えば神奈子の姿も見えない。

 

「あんまり無理しないの。ついさっきまで身体の半分が崩れちゃってたのよ? 諏訪子が一瞬だけ正気を取り戻したからなんとかなったけど、満足に身体を動かせるようになるのはもう少し後になるわ」

「そ、そうだったんですか? スワコ様が……あっ、そういえばカナコ様は? 私を守っていっぱい傷を負ってたんです!」

「今も貴女の側にいるけど、その様子じゃ見えてないみたいね」

 

 その言葉に静かなショックを受ける。どうやら完全に『見鬼の才』を習得できたわけではないようだ。あのひと時もまた奇跡の一部と言えるのだろうか? 早苗には分からなかった。

 

 だがなんにせよ、大きな前進だ。

 終わり良ければ全て良し……というわけにもいかなかったが、少なくとも諏訪子は満足していた。そして今も自分を何処からか見守ってくれているのかもしれない。

 望んだ最高の未来ではないが、心の靄は大分クリアになったような気がする。

 

「何にせよお疲れ様、早苗。貴女の試練はこれでひと段落ね」

「いやぁ、私は流されるままでした。全部お師匠様とカナコ様のおかげです。そうそう! お師匠様ってやっぱり凄い方だったんですね! スワコ様との闘いは圧巻の一言でしたよ!」

「……? なんで? 別に大した事はしてないと思うんだけど……」

 

 解せない、といった様子で紫はこてんと首を傾げた。自分がしたことと言えば神奈子の警告を無視して境内に突撃、挙句は諏訪子に返り討ちに遭うという惨め極まりないものだったはずだが、と。

 そのあとの事も精々()()()()()にしか関与していないはず……。

 

 まあ終わった事を今更振り返っても仕方がないと、一旦早苗の言葉を聞き流し、意識を切り替える。そう、早苗の闘いはこれで終わった。しかし、自分はまだ終わりではない。

 大元が残っている。

 

 ここまで材料が揃っていればこの一連の騒動の元凶くらい容易に想像がつく。こんな悪辣な方法をやってのける人物など、紫には10人くらいしか思いつかない! 結構多い! 

 そして今回はかなりケースが特殊だった。犯人は自ずと割り出されたようなもの。どうせ今もニヤニヤとこの場を眺めているのであろうその人物に向かって、紫は言い放つのだ。

 

「出てきなさい青娥娘々!!!」




早苗が急に異界の者達を見る事ができるようになったのには実はゆかりんの小細工が関係しています。仕組まれた奇跡ですね。

そして幻マジ6人目のネームド犠牲者は諏訪子様でした……!簡単に処理された感あるけど時間が経てば経つほどヤバくなる系土着神です
えっ、最初の犠牲者5人?あれは……嫌な事件だったね


次回、ゆかりん帰還す──
火薬庫と化した幻想郷にゆかりんが注ぐのは火種か、それともニトログリセリンか……それは神のみぞ知る。
神奈子「知らん」


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東方瘋塵録 ─完─

100話後に死ぬゆかりん


 

 青娥娘々……私が知りうる限りで最も邪な仙人。

 私がこの邪仙と出会ったのは幻想郷成立後すぐだったと思う。ふらりと何処からともなく現れ、にこにこ笑顔を浮かべながら一見恭しく跪くと、都合の良い言葉を並べ立てていた。

 そうね、彼女は私の弱みをよく把握してたと思うわ。自分に好意的な感情を向けてくれる人にはどうしても警戒が薄くなってしまうという、私の哀しき(さが)? を利用されたのだ。

 

 初見は物の見事に騙されたわね。

 幻想郷への入居許可なんて簡単に出しちゃったし、多少の黒い噂が流れてもしばらくは黙認していた。まあ幻想郷じゃ日常茶飯事だし。

 けどお風呂入りながらよくよく考えてみたらやっぱりおかしい事に気付いたのよ。初対面の妖怪に向かって「この子ったら脳味噌まで腐ってますのよ。可愛いでしょう?」とか言いながら死体見せてくる奴がヤバくないわけがないじゃない! 

 

 勿論そんなヤバ系邪仙が何の問題も起こさないはずがなく、一時期はさとりのペットと幻想郷死体争奪戦を行ってたそうだ。なんかあの邪仙って「はいエドテン♪」とか軽く言いながら死者を甦らせそうよね。卑劣な邪仙だわ……! 

 しかしそんな彼女もここ数年は姿を消し、名前すら聞かなくなっていた。藍と話し合った結果、何処かでのたれ死んだと結論付けたのよね。あの時の藍の表情といったら、ほんと清々しかったわ。

 

 ところがどっこい、今こうして彼女は健在であり、物の見事に幻想郷にとっての脅威となり得る存在と化していた。

 

 ぐるりと私達を隙間なく何重に囲う屈強な男たち。だがその瞳に光は無く、身体は棒のように硬直しており動きはぎこちない。ただ腕だけは何故か、ぶらんとだらけきっていて風に靡いている始末。これってアレでしょ、キョンシーの特徴を排除しようとした痕跡でしょ? ていうか腐臭が凄い……。

 相変わらず命を弄んでますのね。

 

「ご機嫌麗しゅうございますわ。いやはや、実に数十年ぶりでございましょうか? 御壮健な様子で何より……」

 

 風に揺蕩いながら、全く重みのない言葉をこちらに投げかけてくる淑女()が一人。見た目だけなら清楚オブ清楚、中身は純然たる暗黒。

 邪仙、降臨す……! 

 

「ええお久しぶり。早速ですけどこの周りの方々をどうにかしてくださいな。女子高生をこんな人数で囲うなんて、通報案件ですわ」

「ふふ、そうですね。ではそのように」

 

 青娥がなんとなしに空を叩く。それと同時に男たちの群れも波引くようにそそくさと下がっていく。もしかして威嚇を意図してわざわざあんな回りくどい手の込んだ演出をしたのかしら? 

 と、男たちの群れがあった場所に二つの頭陀袋が放置されている。中では何かが抵抗して暴れているようだ。

 ま、まさかねぇ……? 

 

「その頭陀袋は? 貴女が用意した物でしょう?」

「ああそれがですね、私達が正式な手続きを行った上でこちらのテーマパークに入園しようとしていたところ、不当にも阻んできた荒くれ野良神を取り押さえまして。この通り大人しくしてもらってます。この辺りは治安が悪くて参りますね」

 

 案の定、頭陀袋に入っているのは秋姉妹のようだ。仮にも神様に向かってなんという仕打ち……! これには半透明の神奈子も思うところがあったようで、高圧的な凄みをぶつける。

 

「そいつらはウチの従業員だ。このような狼藉、オーナーとして見過ごすわけにはいかないねぇ。 それに……お前、まさかな……」

「今は抑えなさい神奈子。青娥は中華一の大仙人とまで謳われた仙道中興の祖ですわ。今の貴女では万に一つでも勝ち目はない」

「むず痒い紹介ですこと」

 

 精一杯上げてあげたつもりなんだけど、青娥ちっとも嬉しそうじゃない。彼女にとって『中華』とはその程度の世界なんだろうか? 私からしたら大したもんだと思うけどねぇ。

 まあいいや、取り敢えずスキマを開いて秋姉妹を回収。拘束を解いてあげることにした。傍では横になってる早苗も彼女らを労わる声をかけている。

 

「すみません、不覚をとりました……! 気をつけてください! 奴らの中に手練れの死体が紛れ込んでます!」

「動きすら見えなかった……。気付いたら私もお姉ちゃんも一撃でのされてしまった後で……」

「手練れの、死体? どういうことですか? えっ、もしかしてあそこにいる人たちみんな死体なんですか!?」

 

 軽く錯乱しかけてる早苗を宥めつつ周りを油断なく伺う。見たところ青娥の愛死体である芳香ちゃんは見当たらないが、近くにいないということはないだろう。必ず青娥の側に控えているはずだ。

 もしかしたら隠れて何やら良からぬ事をさせようとしているのかもしれないが、まあ大丈夫でしょう。彼女は確かに強いが今の段階ではそこまでの脅威ではないわ。

 そして青娥自身も私に何か危害を加えようとしているわけではない。故に命の危険に対する警戒は必要ないのだ。ただ早苗や神奈子に関しては分からないから要注意ね。

 

 ひとまず神奈子をその場に留まらせて私だけで青娥に近付いていく。早苗や秋姉妹からは制止の言葉が飛び交う。正直私も結構抵抗あるわ。だってなんか無闇に近付いたら知らない間に妊娠させられてそうなんだもん。

 だけどね、早苗や神奈子があんなに頑張ってくれたんですもの。仕上げの私が根をあげてどうするのよ。

 

 互いが手を伸ばせば触れ合える距離まで接近した。妖しい笑みを浮かべる青娥に対抗して、私も精一杯頬を釣り上げる。

 そして早苗達には届かない声量で言うのだ。

 

「貴女が一連の黒幕ね? 窃盗、呪い、()()()()()()……随分とまあ、派手にやってくれましたわね」

「あら、証拠が?」

「ないわね。必要もない」

 

 日光が段々と強さを増している。眩しさと肌の痛みが煩わしくなってきたので日傘をさすことにしよう。やっぱり傘が有ると気分が落ち着きますわ。

 それじゃあ続けましょうか。

 

「ここだけの話なんだけど、私って相手の心が読めるのですよ」

「はあ、左様で」

 

 突拍子のない話題に青娥は眉を顰める。

 

「勿論さとり妖怪の精度には及びません。だってあちらは『視る』ですが、私は『読む』ですから。だけど貴女の計画は筒抜けですわ」

「……」

「隠岐奈からの差し金を装ってるのね。芳香ちゃんは、へぇ、諏訪湖で遊ばせて……諏訪子を蝕んでいたモノの正体はこれだったの」

 

 なるほど、簡単なカラクリだ。

 諏訪湖を徹底的に穢せば諏訪子の力はどんどん減退していく。その後は青娥の思うがままである。……私一人を殺すには明らかにオーバーな戦力だと言わざるを得ないわね。つまり『本来の狙い』は他にあったということ。

 

 そしてその『狙い』が……これまた解せない。

 何故なら、それは完全に私の利する形でしかないからだ。青娥は私への好意で今回の出来事を引き起こしたと言える。

 諏訪子が消滅した今の状況は、いつか私に多大な恩恵を齎してくれるだろう。だがこれは当の本人である私でも知らなかったこと。この邪仙はどこで……? 

 

「貴女、いつの間に私とコンタクトを取っていたの? 諏訪子が消えてしまった時は、まさかと思ったけど、違う視点から今宵の出来事を思い返せば面白いように点が線で繋がっていくわ」

「全ては貴女様が望むがままに、ですわ。それに私の見立てが正しければ、最後には隠岐奈様もお喜びになりましょう」

「違いないわね」

 

 軽く青娥と笑い合った。

 紆余曲折あったものの、結果だけ見れば全ての事が思い通りに運んでいる。新たな幻想郷の住民を確保し、当初の目的を達成し、未来に向けて想定外の布石を打ち、青娥のスタンスを確認し……そして何より、私は──。

 

 なるほど、なるほどねぇ……。

 全ては私の望むがままか。

 

「貴女の善意(思惑)を受け入れましょう。ただし幻想郷に再入場するのであれば今回のような独善的な行為は慎むようにね。じゃないと貴女、消されますわよ?」

 

 主に私の式とか巫女とかその他諸々とかにね。私と幻想郷は受け入れよう……だがこいつらは受け入れるかな!? っていうのが大原則。

 早苗達にも言える事だけど、幻想郷に受け入れた後は当人次第なのよね。出過ぎた真似をして諸勢力に淘汰されてしまったとしても、私から言わせれば自業自得に等しいのだ。嫌なら大人しく楽園での生活を楽しめばいい。私は基本ノータッチよ。

 あっ、だけど守矢神社にはこれから危ない役目を担って貰うことになるから、若干贔屓はするでしょうね。邪仙は知らん! 

 

「格別の配慮、感謝いたしますわ。いやはや、やはり紫様には全てがお見通しのようでございますね。この霍青娥、感服するばかりです」

「どうかしらね」

 

 素っ気なく言い返す。まったく、とんでもない皮肉を言ってくれるものだ。全てが分かる故の苦悩を知っていながらこの発言、誠に許し難し。

 だけど私は穏健派賢者の八雲紫、この程度じゃ怒らなーい! 

 

「ああそれと。貴女、諏訪子への感謝を忘れないようにね。私たちは彼女の幸せを踏み躙った挙句、死を辱めたんですもの。そのくらいしなきゃバチが当たるわよ」

 

 表面上は恭しく頭を下げる青娥。それに一応満足したていで頷く私。ひとまずこれで私の役目は終了だ。

 早苗達の方へと振り返り、明るく声を張り上げる。

 

「彼女らは怪しい者じゃないわ。警戒しなくて大丈夫よ」

「いやいや、えっ……本当ですか? 私、ついに黒幕が出てきたかと思って身構えてたんですけど、お味方なんですか?」

 

 今の貴女(早苗)に身構えるもクソもないでしょーが、って突っ込む所なのかしら? 

 まあ確かに、青娥と死体の群れを見て「頼もしい味方が来てくれた!」なんて思う人は居ないわよね。敵の増援か黒幕だと思うのが普通だと私でも思いますわ。……早苗にとっては少なくとも味方ではないのは確かね。うん。

 

 秋姉妹は納得がいかない様子で首をひねり、神奈子に至っては完全に疑っている。私の擁護がなければ今回の黒幕は青娥であると、彼女は断定していたんでしょう。諏訪の地で築いた信頼関係を利用しているようで少々気が引けるわね……。

 だがしかし、こうするしか手はない。()()()()()()青娥に太刀打ちできないんだもの。せめて藍が居てくれれば多少強気にも出れるけど、今は青娥の機嫌を損ねないよう穏便に事を済ませてなあなあで流すしかない。

 

「彼女は私の助っ人ですわ。行き詰まっていた私を見かねて力を貸しに来てくれたみたい。彼女の力があれば……私たちをこの土地ごと幻想郷に移転させる事が可能でしょう」

「お任せあれ♪」

「……後ろの死体は?」

「小間使いですわ。倒壊した社の再建を承る上では貴重な労働力となるでしょう。うふふ、こう見えて私って器用ですの♡」

 

 そもそも死体を操るって行為自体、倫理的に憚られる事なんだけど、この邪仙にとってそんなもの些細な小事に過ぎないのだろう。周りからドン引きされている現状にハテナを浮かべていた。

 そういうとこやぞ邪仙。

 

「紫、本当に奴を信用していいのか? まだ不可解な点は多くある……それに奴が使用しているのは紛れも無い外法の術。どうやら知り合いみたいだが、ロクな仙人じゃあるまい?」

「そうね。貴女の言う通りよ」

 

 神奈子は暗にこう言いたいのだろう。「諏訪子をあんな目に遭わせたのはこいつなんじゃないのか」と。そしてそれは恐らく半分正解だ。

 だが今はそれを口にすべきでは無い。まだその時ではないのだ。ただ神奈子が全盛期の力を取り戻した際には存分にぶちのめしてもらっても構わないわ。私の知ったこっちゃないから。

 

「貴女達のような者もいれば、ああいった輩も沢山いるのが幻想郷の良いところであり、悪いところですわ」

「……移住した後も骨が折れそうだな」

 

 そうね。骨は折れるわよ(意味深)

 なんたって修羅の蔓延る楽園ですもの。平穏に暮らしていても全身粉砕骨折くらいは覚悟しないとね! ……私だけが特別ってわけじゃないよね? 

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 その後、諏訪子の一件で身体がガタガタになってた私たち徹夜組は暫く休眠。

 その間に青娥が神奈子の指揮の下、社の再建を急ピッチで進める事になった。諏訪子の凄まじい猛攻により地盤は完全に崩壊しており、再建は困難に思われた。しかし水遊びを終えた芳香ちゃんが早速小山を切り崩し、地盤を一から整えたのだ。

 あの死体のどこからあんな馬力が発生しているのか、甚だ疑問である。

 

「やっぱり凄いんですねぇ、あっち側の世界って」

「安心しなさい早苗。ああいうのは流石にそれなりの数しかいないから」

「相当数いるんですねなるほど」

 

 参道の方から工事現場を見上げながらそんな事を呟く早苗。困惑しつつも何故だか楽しそうな表情を浮かべている。なんか、死にかけてから一線吹っ切れちゃったみたいね。早苗が昏倒している間に何があったんだろう? 私に知る由はない。

 ま、まあ超常的な光景に慣れてきてくれたなら何よりなんだけど……変な適応の仕方してないかしら? 大丈夫? 

 あと「ネクロマンサーってなんか良いですよね!」とか言ってたけど、全然良くないから! 外法の術だから! 

 

「あっ、ところでお師匠様。いつ頃幻想郷に移りましょうか? 青娥さんはいつでも大丈夫という風に仰ってましたけど」

「社が完成するまでは待機でしょうね。壊れたままじゃ妖怪たちに舐められてしまいますもの。それと、こっち(外の世界)で片付けなきゃいけない問題もまだ残っているでしょう?」

「あー……負債ですか。正直なところあまり考えないようにしてたんですけど……幻想郷に夜逃げ、はダメですかね?」

「金貸しの親玉は此方側の存在、多分逃げ切れないわね」

 

 マミさんって結構温厚だけどこういう所はきっちりしてるイメージがあるわ。踏み倒そうとする不届き者には容赦無いと思うのよね。

 まあその返済は私が肩代わりしようとは思ってるんだけど、マミさんったら何処かに雲隠れしちゃってるのよねぇ。どうしましょ。

 

 あっ、そうそう。モリヤーランドについてなんだけど、アレも社や湖と一緒に幻想郷に移すことになったわ。深い理由はないんだけど……ほら、守矢神社は妖怪の山に置かれる事になるんだけど、絶対天狗共と揉めると思うのよ。縄張りがどうとかってね。その軋轢をテーマパークで埋めれないかなって……えっ、無理? 

 おほん……本音を言うと私が遊びたいからよ。それに橙やフラン、こいしちゃんにも楽しんで欲しいしね! 幻想郷は楽園なんですもの、テーマパークの一つや二つあったっていいでしょう? 景観の問題とかは兎も角として! 

 

 その後もたわいもない話は続く。

 神奈子が思いのほか格好良かったこととか、私のスキマの話とか、早苗が隠していた趣味の話とか……。

 だが何よりも、早苗が気になっていたのは『これからのこと』だった。幻想郷への移住は既に確固たる意志により決定されているようだが、それでも不安は残る、と。

 

「私、友達なんて一度もできたことないんです。そんな私でも、幻想郷なら作れますかね……友達」

「早苗なら絶対作れるわ。そうね、まずは私から何人か紹介しましょう」

「な、なんか恥ずかしいですね……」

「胸を張りなさいな。仮にも貴女は私の一番弟子なんだから」

 

 まずは魔理沙あたりと親交を深めていけば良いと思うわ! 次に霊夢、アリス、小傘なんかと友達になっていければ後は流れでいけるはず! 長年友人枠が萃香と幽々子だけだった私に比べれば早苗の道のりはイージーよ、イージー。あれ、なんだか涙が……。

 

 一方の早苗はきょとんとしていた。ちょっとだけ視線を宙に揺蕩わせて、若干小声になりながら言う。

 

「一番弟子って私なんですか? ほら、私の前にも巫女を育ててたって仰ってましたから、どうなってるのかなと思って……」

「霊夢はねぇ……結局私のことを先生とか師匠とかっていう風には思ってなかったみたいなのよねぇ。どっちかと言えば娘みたいなもので、ちょうど貴女と神奈子みたいな関係かしら」

 

 そもそも何も教えてないしね! 博麗神社の蔵から相伝の巻物を持ってきて覚えるように指示したぐらいですわ。優秀すぎるのも考えものよね……。

 それにひきかえ早苗は随分と手応えのある弟子だったわ。ゴタゴタの途中から何故か神奈子たちを視認できるようになってたから良かったけど、もし今に至ってもなんのきっかけも掴めていない状況だったらと考えただけで肝が冷えるわ。

 

 今はまた見えなくなってるみたいだけど、早苗はしっかりと期待に応えてくれた。それだけで私は満足なのよ。

 

「娘ですか、なるほど。でも私は一番弟子……」

「どうしたの?」

「なんでもありません!」

 

 表情を見る限りそんな事はないと思うんだけど……どうしたんでしょ? うーん、分からん!!! こんな時こそ心を読むさとりの能力が()()()()()()()。いや、けどそれであんなに性根がひん曲がってしまったのなら願い下げね! 

 

 ……あっ、そうだ! 

 

「幻想郷入りの餞別……ってほどでもないけど、貴女に渡したいものがあるの。受け取ってくれるかしら?」

「あ、ありがとうございます……なんか貰ってばかりで申し訳ないですね」

「気にしなくていいのよ、大した物じゃないし」

 

 スキマから取り出して早苗に渡したのは、指輪である。といっても金属では出来ておらず、ヒモを何重にも丈夫に編んだものね。例えるなら100円ショップとか売ってそうな安物っぽいやつ。

 本当は早苗の指にスッと着けてあげたかったんだけど、それだとなんか……求婚みたいになっちゃうから直接手渡し! 

 

 こんな安物っぽい指輪を渡されたからだろう、困惑気味の早苗。もっと気の利いた物をあげたかったんだけど、今はこれが限界! 

 

「これは……も、もももしかして!?」

「違うわ。それはもしも貴女が修行に失敗してしまった場合に渡そうと準備しておいたものよ」

 

 そういう意図の物ではないと改めて伝える。

 この指輪はね、私の知力を結集して作成したものである! 用途は簡単! 

 指輪自体に特別な効力は存在しない。しかし私の血を若干染み込ませてある為、私の妖力との親和性が非常に高い。故に私から発する妖力波の受信機となり、なんと私から一方的にではあるが、念話ができてしまうのだ! 

 血を染み込ませるとかなんかメンヘラっぽいけど、そこら辺は目を瞑ってほしいわね。私だって必死だったんだから! 毎日徹夜して作ったのよ! 

 

 説明を聞いた早苗は驚いたように指輪を見遣り、にんまりと笑顔になる。

 

「これでいつでもお師匠様とお話ができるんですね! 通信料いらずで!」

「そうね。ただ、私から一方的に喋ることになるわ。……まあ、やろうと思えば貴女から喋ることも──」

「どうやるんですか!?」

 

 お、おう……随分グイグイくるわね。

 ただこの方法がねぇ、ちょっと、色々試作段階だし……それに絵面的にも酷いことになっちゃったり……。

 取り敢えず方法だけ教えましょうか。

 

「貴女と私に妖力の繋がりを作るのよ。ほら、式神って聞いた事あるでしょう? アレをさらに簡易的にしたものなんだけど……」

「けど?」

「……私の血を貴女の顔に塗り付ける事になるわ。ほんの数滴だけではあるけど……。嫌でしょう?」

「全っ然! やりましょう!」

「あっはい」

 

 早苗、なんか変わったわね。いや喜ばしい事ではある、決して悪い事ではない。……悪くはないんだけど、なんだかなぁ。

 

 

 

 その後、簡単な儀式は恙無く終了した。ちなみに血は目の下の頬あたりに塗らせてもらったわ。これで私と早苗の間には微弱な繋がりができた。

 一応神奈子に報告をということで、二人一緒に顛末を伝えた。その時判明したのだが、なんと早苗は再度神奈子の事が見えるようになっていた! これには私も一安心である! 

 少し休憩したお陰で能力が戻ったのかな? 結局ここら辺は分からずじまいね。なんにせよ目出度いわ! 

 

 神奈子と早苗は改めて抱擁し、数年間の遅れを取り戻すかのように話し込んでいる。本当は諏訪子もここに加えてあげたかった……! 

 私の力が足りないばかりに……情けないたらありゃしないわ。もっと上手くやっていれば違った未来が──……あれ? 

 私って何かしたっけ? 

 あー、そうそう。諏訪子と戦ったんだ。

 

 ……あれれ? 

 私はなんで諏訪子を助けなかったんだっけ。……いや、救う事はできなかった、私に選択できる未来など存在し得ない。だって私は、あんなに悍しくなんかないから。

 傲慢が過ぎるわね。私如きが何を為せると──……何故、自信を持てた? 

 

「あら紫様、どうされたんです? そんなところで一人首を捻られて」

 

 邪仙来たる。

 相談相手としては最悪の部類ね! とはいえ今は秋姉妹は園内を駆けずり回ってて多忙だし、芳香ちゃんには話が通じない。よって選択肢はハナから存在しなかった。

 

「今に至るまでの経緯はしっかりと記憶してるはずなのに……どうにもそれが幻のように真実味が無くて。上手く説明できないわね……」

「なるほど! おそらく疲れていらっしゃるのでしょうね。祟り神を相手にあの大立ち回りですもの、仕方の無いことですわ。よろしければ心身の安らぐお香を焚いて差し上げましょうか?」

「悪いけど遠慮するわ」

 

 絶対普通のお香じゃないよねそれ。この邪仙のことだ、エロい用途で使われる物でも全然不思議じゃないわ! 

 

 ただ青娥の言う事にも一理ある。私は疲れているのだ──そう自分自身に言い聞かせた。もうクタクタに違いない。そうだ、皆には悪いけど、ちょっとだけ眠らせてもらおう。

 夢を見て眼が覚める頃には、きっと──。

 

 いつものように、楽しく居られるから。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 心の底から叫ばせてもらおう! 

 幻想郷よ、私は帰ってきたッ!!! 

 

 そして敢えて言わせてもらおう! 

 帰ってきちまったよ畜生ッ!!! 

 

 外の世界の汚い空気ではない、新緑溢れる新鮮な酸素を胸いっぱい吸い込み、あまりの青臭さにむせ返る。紛れも無い幻想郷の空気であった。

 神奈子は懐かしむように風を肌で感じており、逆に早苗は初めての完全な日本の原風景に目を輝かせていた。穣子は感極まって泣いちゃってるし、静葉ははしゃいでいる。そして青娥はというと、早速消えてしまった。残された芳香ちゃんはぴょんぴょんと跳ねながら何処かへ向かおうとしている。

 あいつらはホント……! 

 ま、まあいいでしょう。どうせそのうちひょっこり出てくるに決まってる。その時にそれとなく嫌味を言ってやればいいわ! 

 

 それにしても改めて考えると凄い事よね。湖含む広域を一瞬で幻想郷に移すなんて。もはや神話の類いよ……さす邪仙。

 まあ幻想郷じゃ今更な事ではあるけど。

 

 さてさてさて、現在守矢神社及び私たちが居るのは妖怪の山の山頂近く。モリヤーランドは中伏、諏訪湖はそのままカルデラ状になってる窪地にぶち込んだわ。

 戦略的観点から考えて山頂を確保するのは当然と言えよう。かの孔明さんをぎゃん泣きさせた偉い人もそんなこと言ってたような気がする! 

 

 当然山を支配している天狗と揉めるだろうけど、そこはこの大賢者八雲紫に任せていただこう! 言い訳は万全よ! 

 まずは偵察に来た天狗と交渉し時間を稼ぐ。その間に騒ぎを聞きつけてブチ切れた霊夢がここに飛んでくるだろう。

 そこで私が霊夢に平謝りして怒りを鎮めてもらう。多分この場に居る全員に説教が入るだろうけどそれを乗り切ってしまえばこちらのものだ。

 こうして名目上、異変は博麗の巫女が単独で解決した形となり守矢神社の処遇は霊夢に委ねられる! あとは私が霊夢に懇願して今回の件を不問としてもらい、守矢の勢力圏を認めればオッケー! 

 天狗は泣き寝入り、私達はウハウハなパーフェクトゲームですわ! 

 

 ふふふ、どうよこの私の策謀は。これぞ大賢者八雲紫様の真骨頂よ! 幻想郷の梟雄と呼んでくれてもいいのよ? 

 ……霊夢に頼りきりなのはご愛嬌ね。

 

 しかし良い気になってばかりもいられないわ。そろそろ天狗が来るかもしれない。もしかしたら文なんかが何処かに潜り込んでいる可能性だってある。備えだけはしておきましょう。

 

「早苗、神奈子、穣子、静葉。予め話していた通りにお願いしますわ。ここで失敗(しくじ)ると来て早々幻想郷から追い出されかねない」

「そんな事よりもお師匠様! 私なんだか幻想郷に来てから凄く調子が良いんですよ! 今ならなんでもできちゃいそうなくらい!」

 

 ちょっとちょっとー! 私の話を無視しないでよね! 一応大切なことなんだから! 

 まったく……早苗ったらはしゃいじゃって。幻想郷に来れたのがそんなに嬉しかったの? よく分からないけどなんだか元気良さそうね。大自然のエナジーでも感じたのかしら? 私と秋姉妹は別に普通だし……。神奈子は外の世界から解放されて気持ちよさそうにしてるけど早苗ほどハイにはなってない。

 

 先が思いやられるわね……。

 よし、もう一度説明しましょうか。

 

「いい? この世界は悪鬼羅刹の蔓延る修羅の国ですわ。平穏に暮らしていれば害はそんなに湧いてこないけど、残念ながら私達の移住方法はあまり穏便な方法ではなかった。故にちょっと厳しい洗礼が待ち受けているかもしれません。だから嵐が過ぎ去るまでなんとか耐え切らなくてはならないのです」

「あの、関係ないですよね私達」

「私達自分の家に帰ってきただけなんですけど」

貴女達(秋姉妹)が居なくなったら早苗が心細いじゃない。それに貴女達ってそれなりに山の連中に顔が利くでしょうし……ね?」

「「えー……」」

 

 めちゃくちゃ嫌そうな顔してる。でも確かに山に住む身で天狗と敵対するのは嫌よね。今泉影狼も言ってたけど、大勢力の治める地に住まうには、その勢力の長と敵対してはならないのだ。

 けどまあ秋姉妹は大丈夫でしょ。私と守矢がいるし。

 

「耐え切る、ですか。具体的にはどうすればいいんでしょう?」

 

 早苗からそんな質問が出る。ふふ、いい質問よ。こんな時こそ荒れ狂う時世を練り歩いてきた私の処世術が役に立つ! 

 

「基本的にこの世界の住民は敵対の意思とか、傲慢さとかを見せつけなければ戦闘には発展しないわ。故に最悪(へりくだ)れば一部を除いてなんとかなる」

「現代とあまり変わらないですね」

 

 それは禁句よ。なおルーミアとかチルノとか幽香とかに見つかったらその時点でゲームオーバー、さようならである。幻想郷とかいう難易度クソゲーの修正はまだかしら?? 

 

 っと、そろそろ頃合いか。山が騒がしくなってきたわね。恐らく犬走椛の千里眼で守矢神社の事は筒抜けだろうし、そろそろ天狗の偵察か先遣隊がやって来てもおかしくない。

 血気盛んな輩による先制攻撃が行われる可能性は捨てきれないので一応備えておきましょうか。結界を展開して──。

 

 

「紫様」

 

 背後から私を呼ぶ声。あまりにも聴き慣れすぎたその声に肩を震わせつつ、ほぼ同時に振り返る。

 居たのは勿論、私の式。ある意味、私が幻想郷に帰還する上で最も恐れていた存在。背後にはスキマが大口を開けている。

 

「ひ、久しいわね藍。何日ぶり……」

「228日ぶりです」

「そうね、そのくらい。私が居ない間、何か変わった事は……」

「貴女様が居なかった事ぐらいですかね」

 

 やけに食い気味で言葉を返されるのが怖い。もしかしてブチ切れて……いや、表情は和やか! 案外怒ってなかったり? 

 境内にいきなり馬鹿でかい尻尾を9本も携えた美人さんが現れたとなり、早苗は何事かと目を見開いている。他3柱は藍のことを伝聞で知っていたのだろう、驚愕とともに警戒感を募らせている。

 作戦における大切なフェーズが始まろうとしているのにこの雰囲気はいけない! 取り敢えず藍のことを周知させなきゃ! 

 

「藍、彼女らは──」

「説明は不要ですよ紫様。お話はたっぷりと()()()()()()()()でお聞きしようではありませんか。ちょうど良いことに私も伝えなければならない事が山ほどありますので。そう、本当に()()()

 

 あっ完全にブチ切れてるわこれ。

 おいおいおい死ぬわ私。

 

 ガッチリと体を尻尾で掴まれた私は、為すすべもなくスキマの中へと引きずり込まれた。衝撃だけで肋骨が何本か逝きかけたわね、ええ。

 そして、私は守矢神社から消えた。

 

 

「……えっ、何事? これも作戦なの?」

「いやこれは恐らく想定外の事態だろうね。……よし、紫は死んだものとして考えようか」

 

 後から聞いた話だが、神奈子は死んだ目でそんなことを言っていたらしい。守矢神社を包囲していた天狗達を蹴散らし、眼前に迫りつつある赤い死の飛翔体を眺めながら。

 いやほんとごめんね。

 

 こうして新生守矢神社は計2回目の倒壊を喫し、妖怪の山の標高は数十メートル低くなったのだった。なお、指輪を介して飛んでくる早苗の悲痛なSOSと私の肉声によるSOSは藍の喝によって蹴散らされ、互いに孤立無援の状態で霊夢&藍の説教を受ける羽目になったわ。

 

 

 聞こえてるんでしょう? AIBO──。

 

 全員貴女のせいよ! このアホアホアンポンタン妖怪が!!! 

 

【あら、おかえりなさい。最初で最後のロングバケーションは満喫してくれたかしら?】

 

 うっさいわバァーカ!!! 




早苗「私が一番弟子です!(えっへん)」
霊夢「ふん、くだらないわね(ビキビキ)」
藍「私なんだよなぁ(余裕)」

秋姉妹「あ、あの!」「私達は……」


幻想郷異変解決RTA新記録です。
さて完走した感想ですが、ゆかりんにマジになってどうすんの?
・静葉→弱体化
・穣子→弱体化
・雛→訳あって不在
・にとり→反乱分子
・椛→健在
・文→職務怠慢
・早苗→一般人
・神奈子→超絶弱体化
・諏訪子→消滅

つまり4面中ボスを突破すれば東方風神録クリアです!多分これが一番早いと思います。これも全部ゆかりんって奴の根回しなんだ……。


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巫女巫女シスターズ(前)

「裏目に出たわね」

 

 まるで分かっていたかのように、彼女は淡々と呟く。因幡てゐ、ドレミー、そして私。全員が落胆を隠せずにいた。

 想定外の出血を強いられた今回の出来事は、結果的に摩多羅隠岐奈の考えを補強する形になってしまったからだ。つまり、私の敗北。

 

 だが他に取れる手段は無かった。今回の一手は最善に違いなかったのだ。

 それでもダメだった。最善を尽くしても事態は容易に私達の想像を大きく越えて、紫さんを蝕んでいる。

 

「60年目の異変──幻想郷の結界が最も曖昧になる日。それに伴う最悪を避けるには、紫さんに結界外に居てもらう必要がありました。そしてほとぼりが冷めた後、幻想郷に帰還してもらう……何処にも落ち度はなかったと断言できます。洩矢諏訪子の暴走は想定内、霍青娥の出現も想定内……」

「だけどやっぱり、想定外はいつだって紫か。まったく、嫌になっちゃうね」

 

 てゐがテーブルに足を投げ出した。はしたない事だが、それだけ彼女の心情は負に満ちていた。とどのつまり、この現実に呆れている。仮にこの場に蓬莱山輝夜が居てくれたのなら、多少なりともこの空気も緩和されていただろう。しかし彼女は此処に無く、彼女の役割を担える者も居ない。

 唯一何も感じていない──いや、何も感じる事のできない『擬きさん』は話を進めるタイミングを伺っている。彼女にしてみればこの時間ですら無為に過ごすのが惜しいのだろう。

 

「ドレミー。紫さんの制御は貴女にかかっている。今後、今回のような事は決して無いようにしなければならないわ」

「面目無いです」

「だけど外的な妨害を受ければ現状維持も難しいだろうさ。どうするよ? 紫を守る手段を充実させるか、それとも紫に仇なす懸念材料を一つ残らず消し去るか。どっちを優先するにしても並大抵のことじゃない」

 

 てゐの言葉に一同頷く。

 私たちはこれまでその二つを同時並行で進めてきた。対摩多羅隠岐奈を念頭にした協力体制の構築は不可欠だったのだ。

 互いの戦力は着実に出揃いつつある。いわばこの闘いは盤上の遊戯みたいなものである。手持ちの駒を如何に動かし、相手に対してどれだけ多くの実利をもぎ取るかを競うゲーム。

 

 今回は互いに持ち駒を増やす事に専念し、その片手間で紫さんへのちょっかいと防衛という二局面の争いがあった。総力戦には程遠いが、それでも一つ一つの結果が後の結末に大きな影響を及ぼすだろう大事な戦い。

 故に今回の出来事は痛恨の一手と言える。先述した通り、万全を期した備えだったのだ。それを破綻させられたのだから、堪ったものではない。何より『擬きさん』の面子が丸潰れだ。

 

 擬きさんは涼しい顔で場の全員の様子を睥睨しているが、相手の考えている事が分かる私にはそれがまた違ったように見える。

 今回の事で一番焦っているのは間違いなく彼女なのだから。

 

「【私】が意識を失った際、私は何の問題もなく身体の全権を手にした。春雪異変や永夜異変の時となんら変わらない成り代わりだったわ」

 

 それは皆が認めるところだ。

 流石は八雲紫を(かたど)った存在というべきか、呪を撒き散らす諏訪子を圧倒したその強さは見事と言うほかない。

 だが問題はその後だった。

 

「為すすべもなく追い出されたわね。なんの予兆もないまま放り出され、術式は霧散した。しかも【私】はその事に気付いていない。存在すら認知していない。厄介ねぇ」

 

 今回の事件。攻めを担当したのが私であるのなら、さしずめ擬きさんが担当したのは守り。不測の事態に備えた紫さんへの防波堤。これが万全であったはずなのに。

 ただし、摩多羅隠岐奈に先を行かれているわけでは無いと思う。そもそもあのような事態は隠岐奈にとっても望むところではないはず。我々とは用いる手段が違うだけで、目指す未来は双方共に一致しているのだ。

 一番恐ろしいのは当事者である紫さんだ。あの人は何をしでかすか、私を以ってしても分かったもんじゃない。

 

 まあなんにせよ、大きな方針転換は必要ね。

 

「藍さんに協力を要請しています。これからはさらに積極的に紫さんの守護と行動の制限に邁進するでしょう」

「けどあの子の何よりの優先順位は【私】ですわ。【私】が駄々をこねれば、十中八九折れるわよ?」

 

 藍さんは優秀だが、八雲紫関連には悉く無力、もとい無能である。忠誠心が高いのは良いことだが、それが良い方向に作用しているか否かについては十数分の審議が必要だ。

 だが何にせよ、擬きさんの言う通り、藍さん一人だけによる防衛体制は危険かつ不安である。よって対策は用意する。

 

「それに霊夢さんと私、ドレミーを加え、紫さんの動向を見守ることとしましょう。

「おっ、それじゃあ私は休みかな?」

貴女(てゐ)は連絡役と八意永琳の懐柔です。此方側ではなくていいので、なんとしても彼女を幻想郷側に引き込んでください」

「……姫さまに頼んでおくれよ」

 

 心底嫌そうな顔をされた。その気持ちは分からないでもないが、永琳と対等に騙し合いのできる妖怪などてゐくらいなものだろう。あと輝夜の力を借りるのは最後の一押しの時に留めたい。彼女なら永琳を御する事は容易だろうが、それでは従来のままである。

 永琳にはなんとしても幻想郷に服属してもらわねばならない。……最悪、隠岐奈の陣営に入ってしまってもいい。スタンス的にはあっちの方が永琳には合うだろう。今は月の都という括りから永琳を切り離すのが先決だ。

 

 私が紫さんを庇護する以上、永琳と道を共にするのはかなり難しいと思う。月の都から向けられている紫さんへの殺意は尋常ではない。

 てゐによる懐柔は半ばダメ元での試み。それほどまでに難しい。だがてゐの能力なら……そう願わずにはいられない。

 

「まあいいよ。それじゃあ私の謹慎はこれで終わりって事だね?」

「ええ。それでよろしいですよね? 擬きさん」

「ふふ……構わないわ」

 

 ()()()からの言質を取った。これにより今日を以ってして、てゐへの制裁は終了した。紫さんには悪いが、こちらもなりふり構っていられる余裕はない。強権的にやらせてもらおう。

 永琳、鈴仙、輝夜への制裁は解かれていない。永遠亭の面子の中で唯一てゐが動ける状態。裏切りが容易な状況ではあるが、心を見る限りそのような兆候はない。むしろてゐはあの日からずっと積極的だ。自らの平穏を壊されたくないのだ。

 利己的ではあるが、逆に信用できる。

 

「擬きさん、貴女は今のうちに力を蓄えてください。間違っても貴女が消滅するという事態は避けなくてはなりません」

「そうしたいのは山々。だけどもそのような暇はありません。……そろそろ奴がちょっかいをかけてくる頃ですわ」

「奴──比那名居天子ですか」

 

 かの天人と直接会ったことは一度もない。擬きさんの中にある記録を見ることとなって、初めて知った存在である。

 確かに彼女はかなり厄介。オマケに八雲紫との相性は最悪に近いだろう。擬きさんや輝夜から伺った限り、二人はいつもいがみ合ってたそうだ。

 

「あの方は夢の世界でもかなりの暴れん坊でしてね、ほとほと手を焼いていますよ。あまりにも身勝手すぎるのです」

「まったくですわ。あの天人ほど短慮で愚かしく鬱陶しい者はそうそう居ません。いっそのこと始末してしまった方が……」

「天界まで敵に回す気ですか?」

 

 天子への嫌味で意気投合するドレミーと擬きさんに釘を刺しておく。ただでさえ周りが敵だらけだというのにこれ以上懸念事項を増やさないでほしい。

 ……擬きさんに至ってはそれらを鑑みても、やはり今のうちに天子を始末しておく方が相対的にメリットが大きいと考えているようだ。貴女どんだけあの天人が嫌いなんですか……。

 

「もういいでしょう。その話はまた今度です」

 

 はぁ……まあ大体の話し合いは終わったし、今日はお開きにしましょうか。お燐を呼んで部屋の片付けを頼もうと席を立つ。だがそれは遮られた。

 てゐが剣呑な視線を向けている。

 

「そろそろ種明かししてくれてもいいんじゃない? いい加減お前のその立ち位置が気になって仕方がないんだよねぇ」

「気になる……私がですか。はて、立ち位置と言われましても、幻想郷を憂いているだけでは理由になりませんか?」

「ならないね。幻想郷を真に憂うなら、そんな立ち回りは決してしない筈だ。お前さん、心理戦は得意のようだが嘘をつくのは苦手みたいだね」

 

 やはり嫌な兎だ。人の嫌がるポイントを正確に熟知している。

 腐っても元筆頭賢者か。

 

 確かにそうだ。

 私に幻想郷を想う気持ちなんて皆無に等しい。なんならさっさと滅びてしまえとも──いや、これはもう昔の話だ。しかし良い感情は未だに持てていない。結構図太く生きているつもりの私だが、意外と根に持つ方なのかもしれないわね。

 

 なるほど、嘘をつく理由にはならないか。

 

「私が紫さんを護ろうとする理由。それはですね……私が嫌だからです。彼女を助ける事にメリットなんて何もないですよ。ただただ、感情の赴くままに紫さんを扱っている」

「彼女が傷付けられる様を見るのは耐えられないし、自らの業に囚われている彼女を考えるだけで憂鬱な気分になる」

「私は彼女に死んでほしくない……だからどんなに傷付いても、どんなに紫さんから嫌われても──善い方向に彼女を進ませてあげたいのです」

 

「知りたいのはその心に至った経緯と理由ですわ。大方の予想はできますけど、できれば貴女の口から聞きたいわね」

「同じく。心を知るすべを持たない私にも分かるよう、丁寧に教えてちょうだいな」

 

 この人たちときたら……私の知られたくない領域に容易く上がり込んでこようとする。いやまあ私が言えた立場ではないですけどね。

 さてどうしたものか。大体の内情を知っているドレミーは配慮を示してくれているが、擬きさんとてゐは私からの情報公開を望んでいる。

 この先二人と連携したいのなら、私から誠意を見せる必要があるか。

 

 ……私は慌てない。

 ゆっくりと、落ち着いて話そう。

 

「紫さん、そして八雲紫には其々に大恩があります。彼女らは──私の心と、妹の存在に『意味』を与えてくれたのです」

 

 私の言葉にてゐは眉を顰める。

 

「妹……? 詳しくは知らないけど、確かお前の妹はもう……いや、聞くまい。それよりも、これはまた、曖昧な言い回しだね」

「こうとしか表現できないんですよ。他の言葉ではどうしてもチープ、または尊大な物言いになってしまう」

 

 私自身、この胸中にある心の真実をどう捉えたものか決めあぐねている。滑稽ですね、人の心は解るのに自分の心は解らないなんて。

 それは決して綺麗なものではないけれど、醜く爛れたものではない。こいしもそれを望んでいたと私は強く信じている。──信じたいのです。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 私は布団の中で震えていた。全く制御の効かない身体を抑え込みながら、必死に自分を落ち着かせていた。

 寒いわけじゃないの、むしろ暑い。もうすぐ夏に入ろうかという梅雨時に寒さなんて感じるわけがないわ。この震えは恐怖によるものだ。

 

 そしてその恐怖の対象である藍はと言うと、私の隣でぐっすりお休み中。すうすう寝息を立てながら私の右腕をがっちりホールド。ほらね? 動けないでしょ? いくら腕を抜こうとしても微動だにしやしねぇわ! 

 いやホント助けて……これ藍が寝返りうったら右腕捻じ曲がるわよ? いやむしろ千切られるんじゃ……? ヤバい、震えが止まらない! 

 

 私の頭を埋め尽くしているのはこの意味不明な現状への恐怖と疑問だった。そもそもこの状況に陥った経緯からして謎なのだ。

 いや確かに藍には沢山の苦労をかけたと思う。何も言わずに幻想郷のあれこれを丸投げしちゃったし、藍と最後に交わした言葉はなんか良い感じだった癖に私は外の世界に逃げ出しちゃったし、なんか色々な面倒事を幻想郷に持ってきちゃったし……。

 いや流石に今回の私はクズ過ぎるのではと自問自答したわね。まあ結論としては『AIBOが全部悪い!』に落ち着いたけど。

 

 さて話を戻して、真相はともかく私自身、藍には悪いことをしたと思ってるのよ。だから説教は甘んじて受け入れたし、もし仮に藍が鞭打ち100回の罰を望んだのなら私はその身を差し出す他ないと思っていたわ。多分いざとなったらギャン泣きしながら命乞いするだろうけどね! ……あれ、私って主人よね? ……まあいっか。

 

 そんな無駄な覚悟を決めながら藍の有難いお言葉を聞き流していたのだが、その後に告げられた内容が斜め上だった。

 

『宜しいですか? これより先、紫様お一人での行動、また結界外への外出は極力控えていただきたく存じます。外に用事がある時は私か橙が対応致しましょう。兎に角、我々の手の届く範囲にいて欲しいのです』

『軟禁、ってことかしら』

『そのような仰々しいものではございません。せめて警護役として我々を御用立ていただきたいのです。全ては紫様の御身を案じての事にございます。……それともやはり、お一人の方が紫様は──』

『いや、そういう事じゃなくて……はぁ、分かったわ。そのようにお願いしてもいいかしら?』

 

 少しばかり投げやり風味にこう言ってしまったのよ。藍は笑みを浮かべて「かしこまりました」とこうべを垂れる。

 それからというもの、藍は一瞬たりとも私から離れなかった。それこそ文字通りぴったりと。ご飯の時も日向ぼっこの時も、仕事中もお風呂の時も、そして今この時も! とにかく付いてくる! ニコニコ楽しそうに傍に佇む姿は何というか……ちょっと変じゃない? 

 

 まだ幻想郷に帰って来て初日なんだけど……もしかしてこれがずっと続くんだろうか? そしてこれは遠回しな藍からの嫌がらせなのかしら。

 それとなく「近くない?」って聞いても「警護のためです致し方ありません」って返答ばっかりだし、やけに嬉しそうなのも気になる。この半年で藍の身に何かが起こったのは明白。これはAIBO招集案件ですわ! どうせあの人が何かしたのよ! 

 しかしさっきからいくら虚空に呼びかけても応答なし。うんともすんとも言わねぇわ畜生!!! 無視してやがるわね……! 

 

 くっ、なんとか藍の手から逃れたいが独力では到底無理だ。ならば誰かの助けを借りたいが、残念なことに連絡手段がない。あと早苗にいくら念話を飛ばしても全く応答しない。AIBOみたいに着信拒否してるわけじゃないだろうし、十中八九何者かからの妨害が入ってるわね。

 早苗は無理……ていうかそもそもあの子の力じゃ藍をどうにかできるとは思えない。藍を窘める事ができそうな人物といえば……霊夢と橙、あとオッキーナぐらいか。

 さらにその中でも一番可能性があるのは橙ね。あの子が少し苦言を呈してくれれば藍も冷静になってくれるはずだ! 

 

 よし、橙が来てくれるまでの辛抱……! 

 カモンサモン橙! 貴女が私の──幻想郷の救世主となるのよ! 

 

 

 ……結論として、事態は悪化した。

 橙は窘めるどころか藍に同調し、二人揃って私の側から離れなくなってしまった。隙が無さすぎて困っちゃうわね。

 ここは八雲邸。又の名を座敷牢である。

 

 

 このまま畳の上で一生を終えるのかと軽く絶望していた私だったが、うだうだ腐ってても仕方がないのでこの軟禁状態のまま職務を執り行う事にした。といっても外出許可が出てないのでデスクワークばかりだけどね。

 藍から報告書を受け取ってそれの決裁を回したり、色々ないざこざの仲介を買って出たりとか、まあ比較的平和な仕事ね。ただ一日中座りっぱなしなものだから背骨とか腰とかが痛むのなんの……! 

 そんな私の様子を見かねてか藍や橙がマッサージを勧めてくるが、もちろん断りを入れる。見え見えの罠に引っかかるほど私は馬鹿じゃないのだ。

 

「ねぇ藍?」

「はいなんでしょうか紫様」

「私が外の世界に行く前の約束、覚えてる?」

「忘れるはずがございません。私と紫様の繋がり、今もしかと胸の内に」

 

 そう、あの誓いの為に私は目指さねばならないのだ。藍の理想の八雲紫という別次元の存在を……! 

 だけど強く優しく美しい八雲紫はデスクワークなんかしないと思うのよね。身体も鈍っていくばかりでこのままじゃ理想からかけ離れていくだけだと思うんだけど……藍はそのあたりどう考えてるんだろうか? 

 

「貴女が望むのならば、私は甘んじて今の境遇を甘受しましょう……貴女の理想の八雲紫はこれでいいのかしら?」

「……っ」

「藍?」

「──ええ、このままでいいのです。幻想郷の平和は保たれています。今、急いで貴女様が強くなる必要は無いのです。ゆっくりと進んでいきましょう、私はいつまでも、ずっとお待ちしますから。例え、全てが終わった後でも……」

 

 一瞬、言葉に詰まったように見えた。

 だがその後は一つずつの言葉を噛み締めるように、私の肩をがっちり掴みながら言い聞かせてくる。ごめん、ちょっと怖い。

 藍の真意は分からないけれども、この様子だと自分の意見を曲げる事は無さそうに見えるわ。彼女ったら思い込みが激しいところがあるからね……私への妄想とかがその最たる例。

 

 なんにせよ今のままではお外に出られない事は確定みたいだし、少しでも藍に媚を売るべく仕事に邁進するわ! 

 今日中に全ての報告書に目を通しておきましょう! 私はできるキャリアウーマン八雲紫! いざ──! 

 スペルカードルール普及における対案……これは却下。

 草の根ネットワーク予算増……何に予算を使うのかはよく分からないけど、取り敢えず決裁。

 幽明結界改修案……決裁決裁。

 八雲紫弾劾決議案……いやなんで私に回すの? ああ、そういうことか、私に不満がある事を知らしめたいわけね。なるほど納得したわ。賢者を辞めさせてくれるなら望むところである。決裁。

 太陽の畑再生計画……あれ? なんで太陽の畑吹っ飛んでるの?? 

 

「ねえ藍。本当に幻想郷に異常はなかったの?」

「はい全くもって」

 

 なるほど、彼女からしてみればこの程度なら幻想郷の日常茶飯事ってわけね。って、んなわけあるかい決裁決裁!!! 

 

 

 そんなこんなで一週間ほど経った頃転機が訪れる。我が愛娘である霊夢からのお呼び出しがかかったのだ! 

 これを期に藍に対して独りでの外出を宣言。当然のように大反対されたけど、そもそも警護なら霊夢がいれば安心だし、橙が藍の奇行にようやく疑問を持ち始め訝しむような視線を向けるようになったのを受けてか、渋々ながらではあるけど外出の許可が下りたのだった。やったね。

 

 ていうか藍ったら私に付きっ切りで色々と業務が滞ってたみたいなのよね。その対応にいよいよ限界が生じたっていうのもあるみたい。

 無尽蔵の式分身を操ることのできるザ・パーフェクトの藍がまさか……なんて思ったんだけど、そういえばここ最近の藍はどういうわけか精彩を欠いていたと思う。全てを犠牲にしてでも私から目を離さないという鬼気迫るものを感じたわね。やっぱり嫌われちゃったのかしら? 

 

 まあ何にせよこれでようやく外に出られる! 霊夢様様ですわ! 何故か消沈している藍を尻目に私はルンルン気分で計画を練っていた。

 一応主な問題──妖怪の山との和解(物理)とか、各勢力への私の帰還報告とかは藍が大体やってくれたみたいだけど、早苗の扱いだったりの細かい部分は私が調整しないといけないわ。博麗神社に行くついでに済ませちゃいましょう。

 

「それじゃあ行ってくるわね藍。まあその……何事もほどほどにね?」

「行ってらっしゃいませ」

 

 仏頂面で口をへの字に曲げながらそんな事を言う藍。自分は納得してないぞって感じね。本当にどうしちゃったのかしら……霊夢にそれとなく相談することにしましょう。

 あと橙、そんな捨てられた猫みたいな目で私を見ないで欲しい。こんな状態の藍を押し付けちゃって悪いとは思ってるけどさ! 

 

 突き刺さる視線を背中に受けながらスキマを開く。能力が使えるということはAIBOが私の中に居るか既に消滅しちゃってる証である。あの変な存在が何も無しに消滅するはずもないし、どうせ私の中で私をせせら嗤ってるのだろう。許せんよなぁ! 

 

 

 と、そんな感じでむしゃくしゃしながらスキマを潜り、やってきました博麗神社。いつものように寂れた社が私を迎えてくれたが、旧守矢神社を見た後だとこれでも十分立派に見えるわね。ずぼらな霊夢でも一応の維持管理は恙無くやってるし、神社として機能してるだけマシと言うべきなのだろうか。

 

 だけど今日はやけに境内が綺麗に整ってるわね。こんなに最近は雨続きだったからてっきり泥とか雑草が散乱しているものかと思ってたけど……霊夢がもしかして自主的にやったのかしら。

 だとしたらとっても喜ばしく、そして嬉しいことですわ! 成長したわね霊夢……! 今日はいっぱい褒めてあげましょう。

 

 先ほどまでのむしゃくしゃは何処へやら、にこにこ上機嫌に土間に上がり、部屋の障子を開け放つ。スキマでそのまま上がり込んだら怒られるからね、礼儀正しく玄関からのお邪魔よ。霊夢とは実に約230日ぶりの再会となるからね、第一印象大事! 

 

「ハァイ霊夢。久しぶ──」

 

「あっ、お師匠様! お久しぶりです!」

「えっと……早苗?」

 

 居間には二人。霊夢と早苗が卓袱台を挟んで座っていた。赤と緑の対比が実に映えている。

 いつものように怠そうな目で台に頬杖をついている霊夢と、屈託のない笑顔で手を振る早苗。まさかの組み合わせに流石の私もビックリ仰天ですわ。

 状況を飲み込めず膠着する私に霊夢が「はよ座れ」と催促する。あっ、これはかなり不機嫌ですわね。

 

 取り敢えず適当に霊夢と早苗のちょうど中間あたりに座した。

 

こいつ(早苗)は私が呼んだわ。一応あんたのおかげで顔見知りだしね」

「霊夢さんったら乱暴なんですよ。守矢神社に来るなり『何も言わずに付いて来い』なんて言うんですもん! そもそも初対面の時だって──」

「それはあんたらが厄介ごと持ち込んで来たからでしょうが!」

 

 えっ、もしかして貴女たち仲が悪かったりするの? 同じ巫女なんだし仲良くしましょう。ね? 

 ひとまず仲介のつもりで二人の間を取り持ちつつ早苗を見遣る。

 

「改めまして、一週間ぶりですねお師匠様! 全然連絡がつかないものですから凄く心配してたんですよ、私」

「此方でも色々あってね……ごめんなさい」

「私はもっと久し振りなんだけど? ねぇ?」

 

 霊夢さん、その物騒なオーラちょっと抑えましょう。ほら家がなんかミシミシいってるし! よし、ここは素直に謝りましょうそうしましょう。

 

「本当にごめんなさいね。もっと早く戻るつもりだったんだけど、思った以上に事が難航してしまったわ。貴女と藍にはとても迷惑をかけた」

「へぇ、難航してたの。遊んでたの間違いじゃないなくて?」

「なんでこっちを見るんですか」

 

 早苗と私を交互に見ながらそんな事を言う霊夢。なんで浮気を詰られてるみたいな状況になってるんだろう……。

 あと二人とも、仲良く! 仲良くお願いね? 

 

「聞きたいことは山ほどあるわ。……この際、仕事を私と藍に押し付けて何処ぞで遊び呆けてたのはどうでもいい。一番聞きたいのはこいつ(早苗)と山の神社のことよ」

「だーかーら、私はお師匠様の一番弟子なんですって。別におかしな話ではないじゃないですか」

「あんたは黙ってなさい」

「黙りません。お師匠様には神奈子様と諏訪子様、そして私の為に尽力していただいたんです。その事で責められてるなら、私に言ってください」

「……何も知らないくせに、あんたにこいつの何が分かるの?」

「貴女に私達の何が分かるっていうんですか!」

 

「やめなさい。二人とも落ち着いて」

 

 何故だか取っ組み合いの喧嘩になりそうな雰囲気だったので慌てて二人を宥める。ちなみにもし取っ組み合いに発展してたら早苗の命が危ないからね、私も必死よ。

 たく……なんでこんな事になっちゃったのかしら。私が部屋に入って来るまでは二人とも結構仲の良さそうな感じだったのに。

 多分博麗神社の参道が綺麗だったのは早苗が掃除を手伝ってくれたからなんでしょうね。潰れかけの守矢神社をなんとか独りで維持していた早苗の巫女力は高い。

 

 まあつまるところ、今の険悪ムードは私のせいですね、はい。

 ど、どうしましょ……。

 

「まずこれは藍経由で聞いたかもしれないけど、私と妖怪の山は昔から少々険悪な仲でね、しかも最近は不穏な雰囲気があったわ。その対策として守矢神社を呼び寄せたの」

「あっそう。それでなんで遅くなったの?」

「それは私に幻想郷の住人となるに足る資質が無かったからです」

 

 早苗が身を乗り出す。

 

「かれこれ数ヶ月かかってしまいましたが、今こうしてこの場に居るのは全てお師匠様のおかげです。しかし私のせいで時間がかかってしまったのも事実。責めるなら私を責めてください! そう、一番弟子である私を!!!」

 

 弁解になってませんよ早苗さん。ていうかむしろ煽ってない? ねぇ? 

 いやまさかこんな事でキレたりはしないだろうと、霊夢の方を伺う。ところがどっこい、紅白の巫女がさらに赤くなっていた。これはまずい! 

 

 しかし流石は霊夢。顳顬を抑えて平常心を取り戻している。そう、博麗の巫女たるものこの程度でキレたりはしないのだ。

 

「……一つ断っておくけど、私は帰りが遅くなった事とか、一番弟子がどうとかって事で怒ってるんじゃないのよ。そんな馬鹿馬鹿しいことで妬いたりするはずがない」

「まあ、それはそうでしょうね」

 

 霊夢の機嫌をとるように相槌を打つ。すると何故だか霊夢の目つきがさらに鋭くなってしまった。なんで……? 

 

「私が一番不愉快に思ってるのはね、なんでこのタイミングで巫女と神社を新しく幻想郷に呼び込んだのかって事よ。──私の代わりに魔理沙を見繕ってたけど、それが失敗したからかしら?」

「魔理沙? あの子に何の関係が?」

「惚けても無駄よ。幽香にあいつをけしかけたのは紫、あんたでしょ」

 

 魔理沙? 幽香? 

 いまいちピンとこないわね。霊夢の代わりっていうのも意味不明だわ。

 ……あっ、もしかして出発前に魔理沙に「霊夢よりも先に異変解決しちゃいなさい!」って感じのメンタルケアをやったんだけど、それのことかしら。

 60年目の決められた異変、アレを首謀者のいない楽な異変だと見込んで、鬱気味だった魔理沙に解決を依頼した。自信を取り戻してくれればと思っての思案だったわ。

 

 なるほどね、その過程で魔理沙は花の異変ということで幽香が首謀者だと決め付けてしまった。そしてボコボコにされちゃったと。藍からの報告にはそんな話は無かったけど、まあ結構穏便に済んだんでしょうね。だから報告するまでもないと判断したんでしょう。

 そんでもって霊夢は私が自分じゃなく魔理沙を頼ったことを妬いてると。

 魔理沙が失敗したことで霊夢は一安心。だけど次にやって来た早苗が自分の役割を今度こそ取ってしまうんじゃないかと思って警戒してたのね。

 

 なんだ単純なことじゃないの。

 

「ふふ……安心なさい霊夢。貴女には貴女の役割がある。もちろん早苗にも、魔理沙にもね。……貴女には本来の役割をしっかりと全うしてほしいの。だから他の物事に気を取られないよう代わりを務めるに足る人物が必要だった」

 

 つまり幻想郷のリーサルウェポンとしての役割ね! いくら霊夢と言えども身一つでは対応に限界がある。ならば他の細々とした事は私や早苗で補えばいいわ! あー、魔理沙は……まあ霊夢の相棒役ということで。

 

「貴女は博麗の巫女なのよ。代わりなんているはずのない、幻想郷を守るための大事な大事な私の巫女──」

「……介入してこないでよ。博麗の巫女としての在り方に口出しはしないって約束だったじゃない」

「介入じゃないわね。強いて言うなら、補助ですわ。私は脆弱な灯火……貴女が危ない道を選ばない為の道標にしかなれないんだから」

 

 そんな私の完璧な弁解の言葉に、霊夢は納得──しなかった。「あっそう」とだけ言い、立ち上がる。瞳には深い失望が湛えられていた。

 えっ、私なんか間違えちゃいました? 

 

「いいわよ。あんたがそういうつもりなら、私はそれに従ってやるわ。……あくまで私の意思でね」

 

 それだけ言うと、霊夢は外に出て行ってしまった。残された私と早苗は何が起きたのか理解できず、呆然と顔を見合わせるだけである。

 ほんと年頃の女の子って難しいわー! 

 

「どうしたんでしょうか霊夢さん……。お師匠様もしかして無意識のうちに地雷を踏み抜いちゃったんじゃ?」

「否定はしないけど多分貴女も相当よ」

 

 早苗はむしろ地雷原の上でタップダンスを踊ってるまであるわね。

 予想なんだけど、早苗と霊夢の相性って時と場合によって両極端だと思うのよ。まあ、霊夢はああ見えて結構面倒見がいいし、なんだかんだ早苗とは程よい付き合いができるとは思うわ。定期的に踏み抜く地雷がどう作用するかは知らないけど。

 私? 私と霊夢は両想いだからノー問題よ。

 

「いいかしら早苗。一つお願いがあるの」

「あっはい。何でしょう?」

 

 畏まった私の態度に首を傾げる。願いはとても些細な事、二人の未来を輝かしく照らして欲しいという私の想い。

 

「できれば霊夢と仲良くしてあげてね」

「仲良く……ですか」

「あの子知り合いは多いんだけど、こと人間の友人に関しては驚くほど少ないの。博麗の巫女という役職が彼女から人間を遠ざけてしまった」

 

 もちろんその責任の一端は私にある。彼女の運命を決定付けたのは他ならぬ私、過酷な世界を背負わせたのは私なのだ。孤独は感じていないだろうけど、それがまた彼女の危うさを助長している。

 常々どうにかしてあげたいと思っていた。しかし魔理沙もメイドも此方側の世界に近すぎる。かと言って阿求では人間に近すぎる。そういった意味では早苗はうってつけの人材と言える。

 

「私の責任を貴女に押し付けているようで申し訳なく思うわ。けど同じ巫女としてどうか……支えてあげて欲しい」

「大丈夫ですよお師匠様。私、霊夢さんのこと嫌いじゃないですから。いや、むしろ憧れるまでありますね! 妖怪を退治する最強の巫女なんて最高じゃないですか! 私たち仲良くやっていけますよ! きっと!」

「そ、そう。……けど貴女達、さっきまで言い争ってたじゃない」

「あーあれはー……まあ、そうですね。そういう時もありますよ。人間なんだもの」

 

 さなを。

 なるほど……『人間だから』ねぇ。確かにそれは私には分かるはずもない感覚でしょう。だって私はスキマ妖怪、人間ではない。

 私がどんなに彼女達の事を想い、考えても、人間と妖怪という構造的な隔たりを越えることはできないのか。人間のイデアと妖怪のイデア……異なるイデアに属する者の感情は完璧には推し量れない。所詮は人の心を知らぬ妖、ってわけね。

 やだ、今日の私ってセンシティブ! 

 

 そんな私の考えを知ってか知らずか、早苗が徐ろに立ち上がり、声を張り上げる。おお、早苗が燃えている! 変なスイッチが入っちゃったかしら? もはや恒例となりつつあるわね。

 

「安心してください! この東風谷早苗にはお師匠様にとって一石二鳥となり得る名案があります!」

 

 やけに自信満々なのが逆に怪しいわ。

 

「ちなみに、どういう案なのかしら?」

「私が妖怪退治をやります! そう、霊夢さんが幻想郷の巫女を、私が最強の巫女を担うのです! もちろん妖怪退治のイロハは霊夢さんから学びますとも! ──いけますよお師匠様!」

 

 いけませんよ早苗さん。

 

「いや、あのね早苗……」

「そうと決まれば早速実行に移しましょう! いざ──霊夢さーん! 妖怪退治のやり方教えてくださーいっ!」

 

 制止の言葉は届かない。障子を勢いよく開け放つと、けたたましい音を立てながら境内へと駆けていった。しばらくして外から「巫山戯んな!」って霊夢の声が聞こえた。

 まったく、早苗ったら突拍子の無い事を……。最近妖怪が見えるようになった少女に霊夢の代わりが務まるわけがない。

 

 ……だけど好都合ではあるわね。霊夢の妖怪退治を見れば早苗も妖怪の恐ろしさと幻想郷の厳しさが身に染みて分かるだろう。ついでに二人で行動する間に仲良くなってくれれば……! なるほど、そういう意味で『一石二鳥』なのね! 

 ふふ、早苗も中々やるわね。

 

 外の様子を伺うと、霊夢が巫女袖にしがみ付く早苗を文字通り振り回していた。傍ではあうんがオロオロしながら霊夢を宥めている。なんというか、こんな光景を見ると改めて幻想郷に帰ってきたって実感が湧いてくるわ。悪い意味でね! 

 邪魔するのもいけないし、私は「あんまり無茶しないようにね」と声をかけてスキマに潜る。「おい待て逃げるな」と霊夢の怒声が聞こえてくるけど気にしない。そろそろ華扇が来る頃だろうし、後は彼女に一任しよう。華扇の方が私なんかよりよっぽど師匠やってるしね。

 

 がんば霊夢! 




詳しく描写はしていませんが、霊夢と早苗はゆかりん謹慎中に結構交流してました。早苗は兎も角、霊夢は霊夢で自分以外の巫女に色々と興味を持ったのでしょうね。悪い意味で(意味深)

そしてついに名前だけ登場したあの天人!最近ゆかりんの胃に優しいイベントしか起きてないような気がするのです。そろそろ休憩時間を終わらせてあげなきゃ……!


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巫女巫女シスターズ(後)

 あらかた幻想郷を巡り巡った後、雑木林の中に漂うあるものを見つけて、私の視界は完全にブラックアウトした。別に夜になったわけでも、意識を失ったわけでもない。

 この暗黒は作為的な物だからだ。

 

 闇に抱かれて思案に耽るもまた一興か。

 私には眩しすぎる日光も、煩わしい湿気も、外界からの情報も、この魔法の闇は全てを阻んでくれる。瞑想なんかにはうってつけな場所かもしれないわね。しかし当の能力保持者であるルーミアはそんな私の感想を「つまらない」と一蹴する。

 

 そう、私こと八雲紫は現在進行形で深淵の闇に呑まれている。一筋の光すらも喰らい尽くしてしまう深海のような暗闇。これを心地良いと感じてしまうあたり、私も段々とおかしくなってきてるのかもしれないわね……。暗闇は人の心を蝕むのだ。私は妖怪ですけども! 

 そんな深淵にポツンと漂う黄色い光。そう、この闇の中ではルーミアだけが光として存在するのだ。上手い皮肉よね。

 

「私の闇を気に入ってくれるのは別に良いけどさー、こんな使われ方するのは甚だ心外かなー? 煎餅が美味しいから許すけど」

 

 不貞腐れたように頬を膨らませながら、バリバリと煎餅を咀嚼するルーミア。いま食べているものを合わせてこれで13枚目である。

 外の世界で幽々子へのお土産用で買ってきた蛸煎餅だが、気に入ってくれてよかったわ。いやまあ本当はもっと洒落た物を買いたかったんだけど、バタバタしてたからねぇ。

 

「そうそう、煎餅の他にも長野の特産品とか買おうと思ってたんだけど、結構下手物が多くて大変だったわ。虫なんて食えたものじゃありませんし」

「好き嫌いしちゃダメダメ。いつ何が起きて飢えるか分からないんだから、食べられるうちに何でも食べちゃわないと。……って話逸らさないで」

 

 気怠そうなルーミア。先にも述べた通り、自分の闇を不本意な方法で扱われているのが気に入らないのだろう。不快では無さそうだが、ルーミアの立場からすれば興味の無い話を延々と聞かされるのが、ただただ面倒くさいんでしょうね。

 

 というのも、ルーミアの闇の中で一人独白するという私が新たに考案したメンタル健康法であるが、これがなかなか効果がありそうなのよ。

 ひたすら暗闇に向かって愚痴だったり、人には言えないような秘密を垂れ流すのは結構気持ちいい! 独り言すら許されない環境下にある私にとってルーミアの暗闇はニューオアシスである。

 ルーミアに話を聞かれるのが唯一の欠点ではあるが、まあこの子は基本何も考えてないし、誰かに情報を垂れ流すような妖怪ではないのでノー問題。彼女は良い意味でも悪い意味でも、そこに在るだけの闇なのだ。

 

 勿論、ご機嫌取りの為の餌付けも忘れない。

 

「闇を受け入れるのは良いことね。だけどこんな虚しい受け入れ方はちょっとなぁ、闇を司る者としてはなんというか、もう少し手心を加えてほしいところではあるかなぁ」

「そう邪険にしないでくださいな。しっかり貴女の話も聞いてあげるから」

「……ふぅん?」

 

 何やら意味深に私を見遣るルーミア。幼い姿のくせしてイケナイ雰囲気を醸し出す様は流石である。最近の幼女は進んでるのねぇ。

 まあ私ったら聞き上手を自負してるからね、どんな相談だっていつでもバッチこいですわ! いつか賢者を引退したら八雲デリバリーと併せて幻想郷カスタマーズセンターを始めようと目論んでいる私に死角はないっ! 

 

 

 取り敢えずまずは私からということで、色々な事を愚痴った。

 外の世界での理不尽な出来事。諏訪子の死。藍の態度。早苗のこれからや霊夢からの反感。いつのまにか紅魔館に風見幽香と八意永琳が居ついている事(聞いた時心臓が止まるかと思った)

 兎に角、色々話した。

 

 ルーミアは一心不乱に煎餅に噛り付きながら「へー」だの「ほー」だのと相槌を打つだけで、何か具体的な事を言うことはなかった。

 

「──それでね? 幽々子ったら酷いのよ。数ヶ月ぶりに会ったものだからちょっと驚かそうと思って、スキマを開くなり明るく挨拶してお見舞いの品を渡したのよ。けど彼女ったら品を受け取った途端、何も言わずにそれをそこら辺に投げ捨てて、私の胸ぐら掴んで首を閉めようとしたの。ほら酷いでしょ」

「あーうん。色んな意味で酷いね」

「しかもその場にいた捕虜の玉兎からは矢鱈と怯えられるし、本当に意味がわからなかったわ。やっぱり冥界の癒しは妖夢だけなのね」

「そーなのかー」

 

 しみじみとそう思ったわ。まあだけど幽々子も妖夢も元気そう()で良かった。それだけで十分ですわ。永夜異変以来全く会えなかったからずっと心配してたのよね。

 あと会えていないのは魔理沙とアリスくらいのものだが、魔理沙はお出かけ中。アリスは未だ魔界から帰ってこないそうだ。大丈夫かしら。

 

「魔理沙はメンタルが心配だし、アリスは情報すらない。大丈夫かしら……」

「聞けばいいじゃない。賢者サマには何でも知ってそうな知り合いが地底にいるでしょ? 羨ましいね、私には馬鹿と妖精と冷たいのぐらいしか知り合いが居ないから」

「もっといるでしょ。リグルとかミスティアとか。……あとその地底の奴はNGよ。理由は勿論、億劫だから」

「嫌ってるねぇ」

「あっちから嫌われてるんですもの、仕方ないのよ。互いの立場上どうしても顔を合わせなきゃいけない時もあるけど、それ以外は極力避けるに越したことはないわ。ええ」

「ふふ、なんで嫌われてるんだろうねぇ? 理由もなく嫌いになる事なんてまず無いしねぇ? 賢者サマの何がイケナイんだろうねぇ?」

 

 相槌を打つだけだったルーミアが突然饒舌に語り出した。えっ、なんで私が悪いみたいな論調になってるの? なんだか納得がいかないわね。

 ……まあ別にいいわ。この手の妖怪の言葉なんて意味を成さない戯言に過ぎないって藍も言ってたし。話半分に聞いておきましょう。聞き上手でも限度があるのよ。

 

 ふぅ、不満を好き放題打ち明けたおかげでスッキリしましたわ! 問題はまだまだ沢山あるけれど、今はこれだけで十分。

 ふふ……ルーミアには感謝しないと。

 

「私からは以上ですわ。延々とごめんなさいね」

「いいよ別に。じゃあ今度は私の愚痴を聞いてもらえるのかな?」

「ええ勿論ですわ。どんな悩み事にも一切合切、滞りなく答えて差し上げ──」

「私の三食おまけにおやつ、全て面倒見てくれる(報酬)はどうなったの? あんな低俗な夜の中必死に働いてあげたのに、その仕打ちがこれじゃあ私が浮かばれないよね? ねぇ?」

「痛っ! いたた! ちょっ、ストップですわ!」

 

 私を柔和に包み込んでいた闇が突き刺すような鋭利なものに変化した。すっごいチクチクして……これこそ『針のむしろ』というやつね! 上手いこと言ったわ。ゆかりんに座布団ちょうだい。

 ルーミアが言っているのは、永夜異変に参加したことへの対価が未だ支払われていない件についてだろう。えっとね、正直言うと完全に忘れてたわね。このままじゃ私が彼女のご飯になりかねない。

 

「共喰いはやめましょう。百歩譲って人肉を食べるのはまだいいわ、だけど同じ妖怪を食べちゃうのは違うでしょう?」

「私、食べた事あるよ? 吸血鬼だっけ、アレ美味しかったなぁ」

「……」

 

 そういえばルーミアって見境ないヤベェ奴だったわ。完全に迂闊だった。ていうかそもそも幻想郷A級危険物に指定されてるルーミアに心を許しすぎた……! くっ、外の世界に居過ぎて感覚が麻痺してるわね! 

 土下座して許してくれるような相手でもないし……仕方がない。

 

「ねえルーミア? 今回の件は私に非がある事は百も承知ですわ。だからあと一つ、追加で貴女の願いを聞き届けようと思います。それでどうかご容赦くださらないかしら?」

「おっ、賢者サマはやっぱり太っ腹だねぇ。えーっと、それじゃあ今度は何を頼もうかなぁ♪」

 

 肌に食い込んでいた鋭利な感覚が解消された。ふぅ、間一髪だったみたいね。傷痕とか残ってないかしら? 真っ暗だから何も見えない! 

 まあ命あっての物種とも言うし、今は助かったことを喜びたい。だがその代わりに大変なものを差し出しちゃったかもしれない。

 ルーミアの新たなる願い……やっぱり食べ物系かしら。ていうかそれ以外に思いつかない。『毎日30人分の人肉を用意しろ』とか言われちゃったらどうしよ……。

 

 そんな私の心配とは裏腹に、ルーミアから課された願いはあまりにも拍子抜けで、同時に不可解だった。

 

「今度は私を置いていかないでね。除け者は嫌だから」

「除け者……? 仲間外れは嫌だってことかしら」

「そっ。ちゃんと責任を取ってもらわないと納得いかないもん。解る? 解らないよね? でも大丈夫、私は覚えてる」

 

 怖っ。これが人喰い妖怪の成れの果てか。

 ルーミアと話してると、自分と同じ言語を使っているのかさえ疑わしくなってくるわ。気狂いを真面目に相手にするほど疲れる事はない。適当に流しちゃいましょう。

 

「ええそうしましょう。他ならぬ貴女の頼みですもの、無碍にはしません。だから安心してちょうだい」

「そう言ってくれて安心した! まさか賢者サマに限って約束を違えるはずないものねー。いやぁ安心安心、これで心置きなく満腹の状態で余生を謳歌できるわー。じゃあ言質取ったからもう用はないや。バイバーイ」

「余生って……貴女直近で死ぬ予定でもあるの?」

「まーね」

 

 鋭利なギザギザの歯を覗かせながらルーミアは嗤う。その真意を確かめるべく歩みを進めるが、ルーミアと私の距離は一向に縮まる気配がない。それどころかどんどん距離は離れていって──。

 

 私は闇から追い出されていた。闇はどんどん私から遠のき、規模を縮小させ、ルーミアごと消滅してしまった。

 あいも変わらずよく分からない妖怪である。だけどこれでも幻想郷のバランスブレイカー勢の中では比較的御し易い方ね。能力も便利だし。

 

 闇を操る能力ねぇ。

 正直とっても羨ましいわね。だって単純に考えてかっこいいでしょ? 幻想郷の長には相応しい能力と言える。境界を操るなんていう意味不な能力よりもよっぽど実用的だわ! 

 

 

 さてさて上手いことリフレッシュできたし、案件の整理も完了した。あとは適当に早苗と霊夢の交流が終わるまで適当に時間を……。

 

 ……なんか違和感を感じるわね。具体的に言うと首から下全体。もうすぐ夏になろうかというジメジメした時期なのに、妙な爽快感。

 とんでもなく嫌な予感を察知しつつも、恐る恐る視界を下に落とす。──原因は明白だった。私は慌てて茂みに飛び込んだ。

 

 簡潔にいうと、服が消えた。ナイトキャップからカリスマ溢れる靴下まで、全てが消失してしまったのだ。これが噂に聞く衣服消滅バグというものなのかしら……? 

 だが私には心当たりがあった。ルーミアから脅しを受けた際、鋭利なものを突き付けられた感覚。あの時に服を持っていかれた、もとい、食べられたなり溶かされたなりされたに違いない! 

 

 まずい、非っっっっ常にまずい! 

 いつもならこんな事もあろうかとスキマの中に予備の服を用意しておくんだけど、残念、外の世界から帰ってきた時に纏めて洗濯、そのまま箪笥になおしちゃった。

 こっそり八雲邸に戻って衣服を取ろうにも、いま家には藍が居る。彼女に気付かれずに衣服を回収するのは不可能よ。

 冷静に考えて欲しい。自分の反対を無理やり押し切って外に出た主人が素っ裸で帰ってきたら……どう思う? あまり想像できないけど、恐らく二度と外には出してもらえなくなるでしょう。

 

 これはもしかして詰みなのでは?? 

 こうして考え込んでいる間にも刻一刻とリスクは高まっている。ブン屋に見つかりでもしたら首を吊らなきゃならなくなる! 

 八意永琳に殺されかけた時よりも焦っている自分を情けなく思いつつも、必死に考える。なんでもいい、何か羽織る物を……! 

 

 ……ッ! この時、八雲紫に電流走る! 

 

 

 

 *◇*

 

 

 

「いやぁ楽しいですねえ妖怪退治! 女の子をぶつのは最初は抵抗があったんですけど、魔を祓うのはいつだって巫女の役目……非常識こそ常識なのだと割り切らねばなりません! ふふ、幻想郷に来たんだからちゃんと使命を果たしていかないとですね!」

「……」

「霊夢さーん……たすけてぇ……」

 

 安易な考えだった。適当に妖怪退治の場面を見学・実践させて、早苗の軟弱な意思をへし折るつもりだったのだ。所詮早苗はミーハー、妖怪と幻想郷の恐ろしさを目の当たりにすれば否が応でも諦める筈だと高を括っていた。

 だがこの緑色の巫女はその予想──博麗の勘を易々と乗り越えた。なんと早苗は妖怪を討伐してしまったのだ。

 

 しかもその相手とは、大妖怪レベルの妖力を保持する異端の付喪神、多々良小傘その妖怪である。そこら辺を適当にほっつき歩いているところを霊夢に捕獲され、たった今早苗にのされた。

 気の良い小傘ならば突然の無茶振りにも快く応えてくれるし、何より手加減ができる。故に幻想郷の厳しさ(イージー)としては非常にうってつけであると、霊夢は考えたのだ。

 

 もちろん、普通の人間──しかも最近()()()()()()()()()()()()程度の人間が倒せるほど、小傘は甘くない。なんといっても彼女はあの伊吹萃香の分身体とそれなりに戦えるほどの実力者なのだから。

 しかし、結果はどうだ。

 早苗は最近()()()()()()()()()()()()()()で小傘を封殺。その隙に傘を奪い取りフルスイングで小傘を殴打し、戦闘不能に追いやったのだ。

 

 小傘の弱点を上手く突いた形にはなるものの、偶然にしては出来すぎている。繰り返すが、小傘は最近()()()()()()()()()()()()()()()少女に倒せるような妖怪ではない。

 現在進行形で締め上げられ悲痛な叫びを上げている小傘を尻目に、霊夢は考え込んでいた。東風谷早苗はやはりただの人間ではないのか? 

 

 しかし──。

 

(あいつ)は力を持たない只の人間だって言ってた。……だけどそれにしてはあまりにも成長スピードが早すぎるわ。しかも変な能力まで持ってそうだし……確信犯かしら?)

 

「さあもっとやりましょう! あっ、それと私、写真で貴女を見て以来ずっと貴女とお話しするのが夢だったんですよ! いやぁお話どころか妖怪退治までさせてもらって、感無量です!」

「きゅ〜……」

「……もういいでしょ。妖怪退治は済んだんだし、さっさと帰るわよ」

 

 気が付けば山の端に日が落ちようとしている。晩御飯の準備もまだなのにこれ以上時間を取るわけにはいかない。

 早苗は軽く頷いたものの、その反面どこか名残惜しそうな様子だった。

 

「どうしたの。もう行くわよ」

「この子、持って帰っちゃダメですかね?」

「野良妖怪なんか拾うもんじゃないわ。そこら辺に捨てときなさい」

 

 先輩巫女に言われるんじゃ仕方がない。小傘を解放するとともに「また明日もお願いしますね!」と言い残し空へと浮かぶ早苗。最後にはボロ雑巾のようになった小傘だけが残されたのだった。

 ちなみに小傘の名誉の為に付け加えるが、彼女は野良ではない。人里に立派な一戸建ての住居を持つブルジョア妖怪である。

 

 

 プカプカと宙を飛び、なんとか自分に追随している早苗を見やる。毎日が楽しそうな奴だとつくづく思う。何をするにも目を輝かせて好奇心を隠そうともしない。まるで子供だ。

 だがそんな彼女を見ていると、霊夢自身も遠い昔の忘れかけた感情を思い起こしそうになる。霊夢だって最初から空を飛べるわけではなかった。玄爺に乗って異変解決を行なっていた時代だってある。初めて空を飛んだ時の視界が開けていく感覚は、何にも例え難いものだ。

 

「……羨ましいわね」

「え?」

 

 ハッとなり、口を紡ぐ。自分らしからぬ感情だった。これを認めてしまえば博麗霊夢足らしめる様々なモノを否定してしまいそうで。

 長い沈黙。居心地悪い雰囲気の中、霊夢はそっぽを向きながら言う。

 

「アンタの強さは分かったけど……悪い事は言わないわ。そのくらいに留めておいた方がいい。あまり首を突っ込みすぎるとロクな事にならないわ」

「ですけど……私は」

「紫がアンタにどんな役割を求めたのかは正確には知らないけど、あいつが望まない事くらいなら私でも分かる。あいつ、甘いから」

「……ですね」

 

 見ず知らずの他人だった自分に様々な施し、救いを与えてくれた紫。勿論、何らかの打算があって守矢神社に近づいて来た事は早苗にだって分かる。だがそれでも、紫は彼女にとっての光だった。

 それは幻想郷に来てからも同じだ。諏訪子が死んで本来の目的が達成できずに終わってしまっても、紫は守矢を見捨てなかった。

 

 一見冷酷そうに見える紫だが、実際のところ、彼女は余りにも甘すぎる。

 霊夢は藍から聞いていた。永夜異変の時、自分が居なかった空白の時間帯に何が起きていたのかを。紫は藍を庇い、その身を散らしかけたそうだが、もし仮に対象が自分であっても紫は守ってくれたのではないかと、ムシのいい話かもしれないが、そう思った。

 

 自分に近しい者が喪われる。

 それが紫の最も忌み嫌う事だった。

 

「アンタが死ねば紫が悲しむ」

「貴女が傷付いてもお師匠様は悲しむでしょう。それを回避することこそ、今回お師匠様から私に与えられた初めての役目なのです」

 

 ドン、と。早苗は大きな胸を叩く。

 

「私は霊夢さんの代わりになんてなれません。だけどやがては貴女を支え、競い合い、友情を育むことはできるようになりますよ。……今はまだまだ力が足りませんけどね」

 

 よくそんな恥ずかしいことを臆せず言えるものだと、霊夢は呆れ返っていた。だがそれが東風谷早苗という人間なのだろう。

 人間に対しての交友関係が著しく乏しかった霊夢と早苗。その理由は正反対ではあったものの、同時に似通った点も持ち合わせていた。

 

 正反対なのに、彼女らは似た者同士だ。

 

「それに羨ましいと言うのは私の方ですよ! 小さい頃からお師匠様とずっと一緒で、とても強くて、妖怪のお友達も沢山いるんですもん。羨ましくて羨ましくて仕方がない……正直妬ましいです」

「どれもいいもんじゃないわよ。……それに、アンタが望むならこれからそれ全部手に入るでしょ」

「ええこれから次第ですね。だから強くなりたいんです! お師匠様は言っていました。『幻想郷は強い奴ほど話題が絶えない』と!」

「妖怪退治を友達作りと勘違いしてない?」

 

 今日何度目かの溜息がこみ上げた。

 なお霊夢にとって妖怪退治とは挨拶のような物なので、コミュニケーションツールとしての役割を果たしている事は確かではある。

 

 だが何にせよ、これが人間観の縮図なのだろうと霊夢は考えていた。持たぬ者は持つ者を羨み、持つ者は持たぬ者に憧れる。

 ただし霊夢と早苗には決定的な違いがある。早苗は幻想郷や紫に対して盲目的な部分がある。幻想郷を桃源郷か何かと勘違いしてるのではないかと疑ってすらいる。

 

 いつの日か突き付けられるであろう残酷な幻想に早苗は如何にして立ち向かうか、それが何よりの心配事だ。

 結局のところ、守矢神社には少しの間注視する必要がある。つまり面倒が増えたということ。若干心内で高まりつつある紫への鬱憤を吐き出しつつ、霊夢は顳顬を押さえた。

 

「……まあいいわ。別に止める義理もないし、妖怪退治でも師弟ごっこでも好きにやればいい。ただし──」

「ただし?」

 

 剣呑な視線が早苗を射抜く。

 

「私にこれ以上さらなる面倒ごとを持ち込まないこと! 仮に異変なんか起こしてみなさい……この前のようには済まないわよ」

「き、肝に命じます!」

「あと妖怪退治をする時は私か紫、それかさっきの小傘って奴のうちの誰かと一緒にやりなさい。野垂れ死なれちゃ目覚めが悪いわ。ああ、あと妖怪退治を趣味にしてる奴も紹介してあげる」

 

 同伴者を付けることは大切だ。幻想郷には決して喧嘩を売ってはいけない存在が散在している。それらを少しずつ実践的に早苗へ教え込まなくては。手間ではあるが仕方ない。

 それに自分以外の強い巫女が妖怪の山に常駐するのは、霊夢視点でもかなり利がある事だった。要するに守矢神社を半分傘下にしてしまえばよいのだ。権力欲などは微塵にも持ち合わせていないが、利用できるものなら利用するに越したことはない。

 

「そして最後に、紫の事はあんまり信じすぎない方がいいわよ」

「……どういう意味ですか?」

 

 少しばかりムッとした様子で早苗が問いかける。紫への否定的な感情は彼女の望むところではないのだ。

 しかし霊夢の真意はそんな直情なものではない。

 

「あいつから指輪とか色々貰ったみたいだけど、あんまり真に受けるもんじゃないわね。あとで泣かされるわよ」

「いやあ、そういう意味の物じゃないってわざわざ釘を刺されましたし……」

「贈り物に限った話じゃないわ。あいつは如何なる手段を用いてでも相手を誑かしてくる。私は平気だけど、他の連中はダメダメ。正直見るに堪えないわ。アンタはそうならないよう気を付けなさい。私のように平常心を保つのよ」

「……」

「何よその目は」

 

 早苗は訝しみながら、ふと考えてみる。よくよく思えば霊夢はどうやら自分よりも年下っぽい。物怖じしない態度やその圧倒的な強さからそれを見誤っていた。

 そうしてみると、つまりそういう繊細な時期なのだろうか。途端に微笑ましくなってきた。大人の余裕というやつである。

 

「今度はニヤニヤしだして……気持ち悪いわね。ほらそろそろ博麗神社に着くわ。さっさと帰り支度をしなさい」

「はーい」

 

 二人は境内に華麗に着地、とはいかず、早苗はバランスを崩すが即座に霊夢が支える。空を飛ぶのはそれなりに上手いくせに着地となるとてんで駄目。何か変な癖が付いているようにも見えた。

 しかし空からの着地など普通の人間は癖になるほど体験することなどないだろう。首をかしげるしかない。

 

「いやぁ今日はとっても楽しかったです! ありがとうございました霊夢さん。お忙しい中こんなに付き添ってくれて……」

「別にいいわよ。アンタが境内の掃除を手伝ってくれたおかげで時間ができたし。ええ、悪いのは全部紫のやつよ。あのバカ……」

「まあまあ……ん?」

 

「霊夢さーん! やっと帰ってきたぁ!」

 

 神社の奥の方からあうんがパタパタと駆けてくる。主人の帰りを喜ぶ犬にも似た様相だったが、満面喜色というよりは、焦りを含んだ微妙な表情である。この時点で嫌な予感が噴出する。博麗の勘が警鐘をガンガン鳴らしていた。

 

「私はちゃんと止めたんです、止めたんですよ! だけど紫さんが強引に……力及ばず……!」

「……居るのは分かってんのよ。姿を現しなさい」

 

「おかえりなさい霊夢、早苗。……まず初めに私から言わなければならない事があるわ。……ごめんなさい」

 

 土間の戸からひょっこり顔を出す紫。いやに余所余所しいその姿に余計嫌なものを覚える。

 

「なんで謝る? アンタ……何したの?」

「実はとある妖怪といざこざを起こしてしまいまして、衣裳がボロボロになってしまったのよ。それも人前に出れない程に酷いものでした。ちょうど服のストックも無かった私は大いに焦って、何か着るものをと思い……」

「なるほどね」

 

 巫女袖の下から凄まじい速度で投擲される札が紫の隠れている戸を粉々に吹き飛ばす。あまりの剣幕に早苗は唖然とし、こうなる事を見越していたあうんは目を塞いだ。

 案の定、紫が着ていたのは由緒正しき博麗の巫女服。しかも先日霖之助に新調してもらったものだった。しかしサイズが合っておらず、所々に歪みが生じている。特に胸。

 

 流石の紫も今回の件は不味い事だと自覚しているらしく、霊夢の威圧になすがままだった。全裸にしろ巫女服にしろ詰みなのだと理解した。これなら何かタオルでも巻いておいた方が良かったかと後悔するも、もう遅い。

 

「……ッ……ッ!」

「霊夢さん! 平常心ですよ平常心! ほら、お師匠様だって朝の件を気にしてらしたんですよね? だからこんな風にちょっと巫山戯て場を和ませてみようと思ったんですよね?」

「え、ええ。勿論その通りですわ」

 

 八雲紫という妖怪は突拍子のない行動を好み、その裏で権謀を渦巻かせているような存在であると、幻想郷縁起には記されている。霊夢に読破するよう言いつけられていたため、早苗は既に予習を済ませていた。

 今回の件の裏にどういう魂胆があったのかについては知る由もないが、霊夢のことを思っての行動であるという風にすり替えれば多少なりとも状況を緩和できるのではと考えた。早苗はフォローの鬼として覚醒しつつあった。

 

 取り敢えず霊夢の怒りとも羞恥ともいえない何かが収まるまで、紫と早苗は宥め続ける。ちなみにあうんは酷く怯えながら右往左往していた。

 

「それじゃあ私の方から霖之助さんに新しい巫女服を作るよう頼んでおくから、それでいいかしら? ほら、別に見苦しいものを見せたわけでもないし……」

「とことん見苦しいわ! もう、別にいいわ。霖之助さんには私から頼んでおくから、アンタはさっさと着替えなさい。……ていうかちゃんとサラシ付けときなさいよ! アンタも早苗も!」

「でもサラシ付けたら胸が苦しいですし……」

「そもそも面倒臭いしねぇ」

「アンタら……!」

 

 霊夢を中心に霊気が爆発し家屋がメキメキと悲鳴をあげた。

 周囲にお札を何枚も浮かせ、その外周を陰陽玉が漂っている。さらに指と指の間には封魔針を3本装備。夢想天生を使わない状態での霊夢の最強形態だ。つまり今彼女の目の前にはどうしても消し去らねばならない存在がいる何よりの証左である。

 二人は慌てて口を噤む。

 

「そ、それじゃあ今日はお暇する事にしましょう。ほら早苗。守矢神社まで送っていきますわ」

「ありがとうございます! そ、それじゃあ霊夢さんまた明日!」

 

 霊夢からの強い殺意と、あうんからの哀愁漂う視線を背に受けながらスキマへと逃亡する師弟の図である。明日までにあうんやその他諸々の妖怪たちが霊夢の機嫌を直してくれている事を期待しての名誉の退転だった。また、丸投げとも言う。

 

 

 守矢神社の石段に二人は腰を下ろす。

 

「酷い目に遭いましたわね。まったく霊夢ったら……あんなに怒らなくてもいいでしょうに。貴女もそう思うでしょう?」

「心臓に悪い事はやめて下さいよ……霊夢さん、ああ見えてお師匠様関連では結構センシティブな所があるみたいですし。朝に何やら地雷を踏み抜いたばかりじゃないですか」

「心臓に悪い……」

 

「絵面的にキツい」と遠回しに言われたような気がしてちょっと傷付く。本人は結構自信があったようだ。

 早苗はその辺察したようで、言葉を付け加える。

 

「あっ、似合ってないとかそういう話ではないんですよ? そう言うなら緑髪で巫女なんてやってる私の方がよっぽど変です」

「そんな事はないわよ」

 

 というより、そもそも常時脇丸出しな巫女服を着ていて由緒正しい巫女と名乗る方が変ではある。しかし此処は幻想郷、そんな野暮なツッコミを入れるような者は居ない。

 何はともあれ、これからは霊夢への対応は自重したものにしようと(毎度恒例)心に決める紫であった。

 

「ところで早苗。一週間しか経っていないのにこんな事を聞くのもおかしいけど……幻想郷には慣れたかしら?」

「正直、まだ全然です。毎日が新しい事の連続で、私は今も外の世界で夢を見ているのではないかと、自分を疑ってしまいそうになります」

 

 だけど──。

 

「来てよかったなって、心の底から思えるんです。私、凄く調子が良いんですよ! 今まで出来なかったことが急に出来るようになって……今日はあの化け傘ちゃんを退治したんですよ!」

「小傘を? ……ああ、なるほど。良かったわね」

 

 紫は微笑ましいものを見るように目を細めて、早苗の頭を撫でる。恐らく小傘が気を遣ってくれたのだろうと予想した。どうやら霊夢の妖怪退治講座は大成功に終わったようだ。

 それに紫がなによりも嬉しかったのは、早苗が幻想郷に来たのを後悔していないどころか、満喫している事だった。初めて自分の作った幻想郷が本来の役割(弱者の救済)を果たしているようで、心にとても温かいものを感じた。

 

「そう言ってくれて良かったわ。もし貴女が幻想郷でも苦しんでいるようだったら、諏訪子に申し訳が立たないもの」

「諏訪子様は、きっと喜んでくれてます。ただいずれは諏訪子様も一緒に……笑い合えたらなお良しですね」

 

 胸に手を当てる。

 

「また会える気がするんです。この地で祈り続けていれば、いつか──」

「ふふ、そうね。貴女の祈りはあれほどの奇跡を起こしたんですもの、幻想郷もそれをしっかりと聞き届けてくれるでしょう」

「幻想郷が……?」

「ええ、ジンクスのようなものだけれどね。──幻想郷は全てを受け入れる。此処は優しい世界ではないけれど、望むモノを追い求める事に関してはとても寛容なの。祈っていればいつかはひょっこり叶うかもしれない」

 

「素敵な話ですね! ……お師匠様は何か願っている事が──いや、願いは叶ったんですか?」

「秘密ですわ」

 

 ウインクしながらそんな事を言う紫。実情は自分の願いが叶うどころか、それに逆行した事しか起きない不条理に塗れている。現実は非情であるものの、それを早苗に伝えるわけにはいかない。故に精一杯なけなしの笑顔だった。

 

「さあ、もう日が暮れますわ。夜は妖怪の独壇場、外を彷徨って挙句に食べられても文句は言えません。何をするにもまた明日よ」

「はい! お師匠様、また明日!」

 

 ブンブン元気に手を振りながら本殿へ駆けていく早苗を見送り、紫もスキマを展開し八雲邸へ戻らんとする。藍も待ちわびているだろう。

 ふと、視線を感じて振り返る。だがそこには誰も無く、無機質な闇が広がっているだけだった。天狗に見つかったか、それともルーミアが見ていただけか。もしかすると神奈子が様子を伺っていたのかもしれない。

 

 紫は首を傾げながら今度こそスキマへと潜るのであった。

 

 

 

「紫様……なぜ霊夢の巫女服をお召しになられているのですか?」

「ただの戯れですわ。それより今日はルーミアが……──どうしたの? 藍」

 

 思いのほか巫女服に対しての藍のリアクションが薄かった。関心が薄いというよりは他の強い関心事によって麻痺しているというべきか。

 こんな時は大抵ロクなことが起きた試しはない。背中に冷たいものを感じながら、紫は心を落ち着ける。

 

「詳細を確認するわ」

「ええ……たった今、火急の知らせです。今すぐ賢者を招集する必要があるやもしれません。なので判断を仰ぎたく……」

 

 一呼吸置いて、ゆっくりと藍は告げた。

 

 

「河童が妖怪の山に宣戦布告しました。すでに各地で軍事的衝突が始まっております。そして各方より、我らの立場を確認したいと言伝が」

「……」

 

 紫はクローゼットへと駆け出した。

 

 




巫女巫女シスターズ(3人)は最高だぜ!下は1○歳、上は◯千歳まで揃った万能ユニット!



今更ですが原作と性格が特に乖離しているキャラについて説明しておきたいと思います。ゆかりんは割愛ッッッ

・咲夜……原作のお茶目さ天然さは鳴りを潜め、結構物騒な感じ。レミリアの能力が強力すぎたのが起因する。あとゆかりんのせい。

・永琳……必要以上に命は奪わないなど寛容さは持ち合わせているものの、ゆかりん関連になると非常に冷酷。ゆかりんのせい。

・妹紅……同上。永夜異変以来、酷い怯えを見せるようになる。ゆかりんのせい。

・てゐ……楽観的な雰囲気はなく、幻想郷の賢者としての責務に天命を感じつつも圧迫されている。故にちょっぴり暗い。ゆかりんのせい。

・霊夢……情緒不安定。ゆかりんのせい。

・さとり……こいしとゆかりんのせい。

・秋姉妹……ゆかりんのせいじゃない。




次回、幻マジの主役達が帰ってくる!
その後あと3つの異変を経て、幻マジは完結となります。お付き合いいただけると幸いです。


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【ファナティック秘封倶楽部】

嘘つき倶楽部


「──リー。ねぇ、メリーったら!」

 

 自らを呼ぶ声に身体が引きずられ、意識が覚醒する。と同時に窓際に置いていた肘がずり落ち、メリーは窓に頭を強打することとなった。

 いつつ……と額をさすりつつ、メリーは対面のシートに腰掛ける相方へと恨めしげな視線を投げかけた。

 

「何よもう、折角人が気持ちよく眠ってたところに……。野暮じゃない?」

「何言ってるのよ。メリーったらずっと外を眺めてるだけで全く反応しないんだもの! 眠ってすらないわよ」

「えぇ? 私さっきまで夢を見てたんだけど……もしかして目が開きっぱなしだった? うそぉ」

 

 とは言うものの、こんな事で嘘を吐いても仕方ないだろう。相方の言葉は常に信憑性を以って受け入れねばならない。

 白昼夢でも見ていたのかと考えたが、拭いきれない違和感は心に大きく影を落とす。メリーにしてみれば死活問題も同然なのだ。

 

「だんだん制御が利かなくなってきてるわね。大丈夫? 何か変わったことはない?」

「うーん……目が乾いたわ」

「それは大変ね。貴女の目は私たちの宝物だもの、しっかりと潤さなきゃ」

 

 大袈裟だなぁ、と思いつつメリーが宙を指でなぞると、たちまち黒い空間が大きく口を開ける。そしてその中に躊躇いなく腕を突っ込み、目薬を取り出す。もはや見慣れた光景だ。

 本当に便利な能力だと、蓮子はつくづく思う。時折意識が飛びかける事や、眠り癖が付いてしまいそうなのが難点ではあるが、それを考慮しても余りあるほど恩恵は多大だった。

 

 しかし当のメリーは自分の能力に対して、あまり良い感情を抱いてはいなかった。日常生活に支障をきたしているのだから一般的な感覚では当たり前だ。それに自分自身でも能力の全てが把握できていないことが不安なのだろう。

 勿論、蓮子はそんなメリーの心情を理解している。故に、若干わざとらしくメリーを茶化すのだ。

 

「寝不足かしらね。早寝早起き朝ごはんは大事ですよハーンさん」

「他ならぬ貴女がそれを言いますか宇佐見さん」

 

 本日の集合にも当然のように遅刻していた蓮子に対し、メリーは口を尖らせる。微かな笑いが二人から込み上げた。

 

 

 

「それで話を戻すわよ。どこまで起きてた?」

「あー、そういえば話の途中だったわね。えっと……なんの話だっけ?」

「……了解。最初から話すわ。今度は寝ないでよね」

 

 一呼吸置いて蓮子は語り出す。

 

「まず、この新幹線の行き先は覚えているかしら? 流石にそこまで記憶がないなら病院に連れて行かなきゃいけないけど」

「あー……覚えてるわ。確か東海道を通って関東に向かってるのよね? 確か蓮子の実家に行くんだっけ?」

「正解! 安心したわ。──それでその目的なんだけど、別に実家参りって訳じゃない。秘封倶楽部の活動の一環としての旅ってわけ」

「うん覚えてる覚えてる」

 

 自分の記憶と照らし合わせるようにメリーは何度も頷いた。その様子に蓮子はにんまりと笑みを深める。

 補足すると、蓮子と実家──旧家の関係はあまり良くない。蓮子の思想と相容れない事がなによりの原因であり、蓮子自身あまりその類の話をしないのでメリーは詳しい概要を知る由もない。

 

 なので今回の活動はかなり新鮮であり、奇妙でもあった。蓮子が毛嫌いしている実家を訪れる事もそうだが、もう一つ不可思議な事があった。関東に踏み入るというその行為それ自体が、世間一般では褒められた行動ではないのだ。

 

「関東──特に東京は荒廃している。政府機能が京都に移遷して以来、あそこは凋落する一方。見るべきものは何もない……そう思う?」

「思うわ。だって文字通り、何もないんですもの。あそこには」

「でしょうね。都市全体がホラースポットなだけあって怪異は一丁前に跋扈してるけど、どれもこれもが小規模で実態を伴わない。つまり、私達の追い求めるような物ではないわ」

 

 滅びは唐突だった。今は昔、首都圏を直下型の大地震が襲い、甚大な被害を生み出したという。時の政府はこれに際し、首都の移転を発表。結果、明治期以来の京の都が復活したのだ。

 しかし大地震云々はあくまで政府による発表のみが根拠であり、周辺住民は揺れなど微塵にも感じていなかったとされる記録が多数残っている。さらに地震波計測器の不調、諸外国の不気味な沈黙、死体のあまりの少なさなど、不明瞭な点が目立つ。

 このため様々な憶測が世界中を駆け巡った。

 

 曰く「某大国の地震兵器の実験ではないか」

 

 曰く「軍事クーデターが発生したのではないか」

 

 曰く「不遇に追い込まれた古代宗教の裁きであると」

 

 一方、蓮子とメリーは首都壊滅の都市伝説について、一応の結論を出していた。それは、なんらかの『大霊災』が秘密裏に発生していたのではないかという酷く曖昧な結論だった。

 だが彼女らには特別な目がある。故に一般大衆では知り得ない現状も把握していた。首都圏はいわば怪異の坩堝なのだ。

 

 なお、この首都壊滅に関連して他にも様々な滅びがこの国には齎されていたのだが、今回は割愛する。

 

「私達が求めるべきはあんなものじゃないわ。関東に向かうのはあくまで通過点に過ぎない。実家なんてついでよついで」

「ええ覚えてるわ。で、肝心の『今回の目的』……これをまだ聴けていなかったわね」

「そう、それをさっきまで説明していたのよ」

 

 したり顔の蓮子はバッグから地図を取り出し、四方へ広げる。かなり酷使されているようで、紙の材質は端の方をメリーが持たないとロクな形を保てないほど草臥れていた。

 蓮子にとって地図とは能力上無用の長物であるが、メリーへの情報伝達という点で重宝されている。

 

 蓮子は新潟県から静岡県までを線引くようになぞる。本州をちょうど二分割するそれは地政学的な区切りとして目に見える形で存在している。

 

「畿内と関東を遮る天然の境界……中部地方は一種の仕切りであると言えるわ。ほら、フォッサマグナとかでも有名だし」

「……確かに中部地方……特に山々の連なる日本アルプスや長野の盆地は度々神話に登場しているし、妖怪達の決闘の場としての伝承も多く残ってるんだっけ。この前図書館の本で読んだわ」

「へえ、そんな本がまだ残ってたんだ? 明治と平成の焚書運動を逃れた書物がこんなに身近に?」

「焚書されなかった文献は大抵本の山に眠ってる。先人達が隠してくれたんでしょうね。これがウチの大学の良いところよねぇ」

 

 神秘が抹消され世間から隠匿されている現代だが、よくよく目を凝らしてみると所々にかつての名残は点在している。

 それを探し出すのもまた、秘封倶楽部としての活動の一環といえよう。

 

「メリーの言う通り、中部地方は日本の踊場のような場所だった。ある意味では無法地帯。関東も畿内も、両方が巨大な歪みを抱えている。その中間地点であるここら一帯は緩衝区域と言えるのかもしれないわね」

「じゃあ今回の目的地は……」

「関東から入ってフォッサマグナをなぞるように進んでいきましょう! 日本海に出るまで北上を続けるのよ!」

 

 

 

 

 

「──と意気込んだはいいものの……毎回見切り発車が過ぎるのよねぇ、蓮子ったら。そもそも徒歩で中山道を抜けるなんて無理だし……」

 

 人が往来する路地の端にポツンと座り込み、呑気に蓮子の帰りを待つ。これからの事を思うと思わず溜息が溢れてしまった。

 少し裏手に入れば蓮子の実家があるのだが、メリーはここで待っててとの事で、ただ今待ちぼうけを食らっているのだ。

 

 メリーはとある調べ物をしつつ、今回の計画について考えてみた。

 フォッサマグナの範囲内を調査するのは良いと思う。あそこ近辺には京都並みの怪異が溢れている。しかしいかんせん範囲が広過ぎるし、何よりインフラ整備が間に合っていないため、休日のうちに回れる場所というのはどうしても限られてしまう。

 その事を指摘した途端、蓮子は目を泳がせながら計画の変更を発表し、メリーを大いに呆れさせた。プラトン並みの頭脳を持つと自称する蓮子ではあるが、こと秘封倶楽部の活動となるとうっかりを連発してしまうのが悪い癖だ。

 

「関東からじゃまず飛騨()()は無理ね。新潟も距離の関係で無理だし……となると、やっぱりこの辺りが限界かなぁ」

 

 メリーは地図に視線を落とす。目を付けたのは長野県中部。ここまでが短期休みという条件下における自分たちの限界だった。

 蓮子の本命は飛騨盆地だろうとメリーは予測していた。なにせあそこは日本最高のパワースポットであり、今となってはほぼ現存しない神話の舞台だからだ。かつて飛騨山脈と呼ばれたその盆地の異常さは世界的にも有名であり、昔はユネスコ世界遺産の登録候補として名を連ねていたという。

 メリーもかねがね行ってみたいとは思っていたが、今回はご縁が無かったということだ。素直に諦める。

 

 と、そんな事を考えているうちにそれなりに時間が経っていたようで、パタパタと蓮子が駆け足で近付いてくる。

 

「ごめんメリー! 待たせちゃった」

「いいえそれほど。じゃあ行きましょうか。行く場所の選定も既に済ませてあるわ」

「さっすがー! メリーのお目に適った場所なら行って損はないものね」

 

 あんまり期待しすぎないで欲しい、なんて事を薄っすら考える。だけど蓮子に頼られて満更でもない自分もいる。ほとほと自分の一貫性のなさに困り果ててしまうメリーであった。

 そんな思考を振り払うように、メリーは地図上を指し示す。

 

「ここよ」

 

 

 

 

 電車に数時間、高速バスに揺られて数時間、徒歩數十分。これだけかけても一向に目的地は見えてこない。一般人よりも比較的身体の丈夫な蓮子と、少々特殊なメリーはバテてこそいないものの、若干飽き飽きしていた。

 星や月が出る時間になれば蓮子の能力で現在地と目的地を照らし合わせて正確な到着時間も判るのだろうが、そもそもこんな山道を真夜中に歩くのは愚策というほかあるまい。

 

「あー……ごめんメリー完全に舐めてたわ……。ちょっとしたハイキング程度にしか考えてなかったわぁ」

「朝起きるなりいきなり駅に呼び出されて何も聞かされないまま新幹線に乗せられた私に比べれば準備万端だと思うんだけど?」

 

 メリーは一度怒るとしつこいのだ。

 

 そして二人が目的地に到着した頃には、既に夕暮れ時を迎えていた。眼前に広がる水面が赤黒い波を立てて二人を歓迎している。

 蓮子はその光景に胸を高鳴らせ、メリーは思わず眉を顰めた。見立てを遥かに超える境界の濃度。神秘の源泉。はっきり言って想像以上だった。

 

「なるほどこれは……見聞に違わぬ……」

「自分で選んでおいてなんだけど、あんまり良くなかったかもしれないわ」

「着いてしまった以上は仕方ないわ。さあ中枢へと向かいましょう」

 

 二人は互いに頷き、さらに歩みを進める。

 この湖を見下ろす場所には恐らく──境界の親玉があるはずなのだ。

 

 周辺住民は日々の営みを変わらず続けているようだが、二人にはそれがとても正気なものには思えなかった。よくもまあこの条件下で平然としていられるものだと感心すらした。

 時折流れてくる聞き覚えのない民謡を適度に聞き流しつつ、二人は先を急いだ。

 

 しばらく歩くと有刺鉄線の張り巡らされたフェンスが二人の前に現れる。俗に『曰く付き』と呼ばれる場所は大抵こんな風に入れないようになっている。去年の大晦日に二人が踏み入った伊吹山もそうだった。

 もっともこんなものはメリーの能力の前には何も意味をなさない。空間に亀裂が走り、数メートル先の空間と接着される。こうして二人は悠々と障壁を突破した。

 

 やはり空気が重い。

 

 心に感じる不気味なものを払拭するように適当に駄弁り合いながら、二人は考えを巡らせていた。ふと、蓮子が思い出したかのように語り出す。

 

「そういえば、この湖って一度消滅したらしいわね。確か平成あたりに」

「へぇ……まあそういう事もあるかもね」

 

 湖が寿命を迎える事は特段珍しい事ではない。特に昨今の世界情勢を考えれば尚更であった。世界最古の古代湖であったバイカル湖がついに干上がった事などは記憶に新しい。

 だが蓮子は首を振る。

 

「湖の消滅といってもそれには多大な時間を要するわ。それこそ数十年、数百年単位でね。ところがこの湖は一晩のうちに干上がってしまったらしいのよ。──そして数日のうちに復活した」

「それがこの境界に何か関係があると?」

「それを調査しないとね! なんらかの理由で秘匿された巨大な陰謀が暴けるかもしれないわ! 私のシックスセンスが疼く!」

「はいはい、超能力に目覚めたら是非とも実演してちょうだいね。……ふぁぁ……」

 

 メリーは言葉半分に欠伸を噛み締める。

 日が沈み始めていた。

 

「見てメリー!」

「ん……」

 

 霞む目を擦りながら指差す方向を見遣る。山に向かって伸びる石段が延々と続いている。その先にはぽっかりと空いた奈落のように、闇の火口が二人を待ち構えている。

 

 蓮子に迷いはなかった。自分に絡みつくような嫌なモノを振り払い、石段を駆け上がる。一方のメリーは好奇心よりも危機感の方が大きかった。故に本音を言うなら、蓮子を止めたかった。

 しかし、彼女は手を引かれるままに歪みへと向かうしかないのだ。恐怖心を心の奥底に仕舞い込み、自分の曖昧となる意識に鞭を打つ。

 いざという時、蓮子を歪みから引き戻せるのは自分(メリー)しかいないのだから。

 

 ほぼ全速力で石段を駆け上がった二人。さほど時間はかからなかった。

 小山の頂上はなだらかな平面となっており、丈の長い雑草が生い茂っている。また至る所に腐った木材が点在していて、かつてなんらかの建造物が存在したことを暗に示していた。

 

 一言で言うなら、不気味。

 

 粟立つ肌を抑えながらさらに先へと進もうとする蓮子。しかし、相方がふと歩みを止めた。あともう少しで待ちに待った秘封と出会えるかもしれないのに、どういう事だと。蓮子は少々急きながらメリーを発破する。

 

「どうしたのよメリー。もうすぐそこなのに……」

「蓮子……アレを見て」

 

 メリーは俯きながら闇の先を指し示す。彼女の特別な瞳が何かを捉えているのだろうか? 蓮子は目を凝らす。闇の中の存在へと意識を集中させる。

 

 だが何も見えない。蓮子の目では狭間の存在を捉える事はできないのだ。

 

「分からない……何かが居るの?」

「……居るわ。幾多もの人の形をした境界が、中心へ向かってる。とても、強い悪意を……持って……行くのは……」

「ちょっ、メリー!? 流石にここで寝るのは不味いわよ!? 気をしっかりもって! ──メリーっ!」

 

 蓮子の呼び声も虚しく、メリーは再び眠りに落ちた。崩れ落ちる身体をなんとか抱き寄せ、雑草の上へと寝かせた。重なり合う草葉がクッションのようにメリーを包み込み、埋もれさせていく。

 思わぬ大誤算だった。メリーの容態はこの旅が進むごとにより不安定になっていたのだが、まさかこんなタイミングでピークを迎えるとは。

 

 悔しげに口を食いしばるも、メリーの安全が大前提である。眠れる少女をこんな場所に放置する事などできやしない。

 なんとか彼女を抱き抱えてこの場からの逃避を試みる。しかしその目論見は急遽中断せざるを得なくなった。

 

 ──雑草を踏みしめる音。

 

 身を(かが)めてやり過ごそうとするものの、音は一直線に自分たちの方へと向かってきている。居場所はバレているとみていい。

 メリーが倒れる前に言い残した言葉が蓮子の頭を何度も反芻する。彼女の言が正しいのなら、いま自分たちに近付いてきている存在はロクなものではない。ましてやメリーは昏睡状態であり、この場から離れる事すら出来ない。

 蓮子に取れる行動は自ずと限られていた。

 

 自分の存在は既にバレているだろう。

 だがメリーはまだ大丈夫かもしれない。雑草の中に身を隠していればまだ──! 

 

「……すいません! 現地の方ですか!?」

 

 蓮子は立ち上がるとメリーから離れつつ、相手に問いかける。牽制の意もあったのでほぼ叫びのような声だった。

 まずは意思疎通が可能なのかの確認である。もし相手がそれすらもできない化け物なのならば、上手く注意を引いてメリーの安全を確保しなければならない。

 

 その存在は蓮子に気落とされたのか、ピタリと動かなくなる。やがて暗闇に目が慣れ、相手の全容が明らかになる。

 蓮子は息を呑んだ。

 

 数瞬の探り合いの後、先に声をかけたのは異形の女性だった。

 

「──貴女、一人で此処に? あっ、もしかして肝試しですか?」

「はぁ……えっと、そんなところです」

「肝試しはダメですよ。ロクなことになりませんからね。それに見ての通り、此処には何もありません。女の子が()()で来る所じゃないです」

 

 女性はそんな事を宣う。蓮子にとっては良い意味で拍子抜けだった。

 風貌は頗る怪しいのだが、反面柔らかな言葉遣いと表情には思わず気を許してしまいそうなほどだ。だがそれでも気を抜くわけにはいかない。

 

 やはり、女性は異質だった。

 目元を隠すほど大きな帽子を被っていた。かなり古いもののようで端が少し草臥れてしまっている。髪は背中からほど長く、暗闇の中でも分かるほどの艶やかな緑色。そして極め付けに一風変わった巫女服を着用している。

 その風貌たるや一瞬幽霊かと見紛うほどである。いや、もっとも幽霊疑惑はまだ晴れた訳ではないが。

 

 そんな蓮子の怪訝を知ってか知らずか、女性はからからと朗らかに笑う。

 

「あはは、すいません。だったら私は何なんだって話ですよね。……ほんと、なんだってこんな所にいるんだか」

「あのー、もしかして現地の人じゃなかったりします? それこそ、私みたいな他所者だったりして……?」

「んー上手く言えないけど帰省者って感じかな? ああ、確かにここらの土地は昔から()()()()ですけど、別に私有地に入った事を咎めてる訳じゃありませんので。さっき言った通り、此処にはもう何もないですからね」

 

 少しばかり深みのある言い方に蓮子は眉を顰める。雰囲気も話を進めるごとに硬化していっているような気がした。

 

「昔は何かの建造物があったんですか?」

「はい。この一帯にはそれはそれは大きな神社が建っていたんですよ! 太古には『東国一の大宮』なんて言われてたほどです。……もしかしてご存知ない?」

「……はい。申し訳ない」

 

 この時、蓮子は嘘をついた。

 実はここら一帯の歴史についてはそれなりに把握している。だがそれを何処の誰とも知れない人物に話すわけにはいかない。

 結界破りは重罪である。それに繋がる文献の所持もまた法律によって禁止されている。よけいな知識の保持は罪だ。

 故に知らないふりをしなければならない。一般人は風土記など知る由もないのだ。

 

 女性は心底残念そうに顔を伏せた。

 

「そうですか……仕方のない事でしょうね。この荒れようじゃ喪われても仕方がない……ええ。寂しいですけど、仕方がない」

「……一つお聞きしたいんですけど、貴女は何故こんな時間にここへ来たんですか? お互い様なのは兎も角として」

 

 好き好んでこんな僻地まで来る者など、自分たち含めてごく少数である事は当然として、次に大切なのはその『目的』である。帰省者と言っていたが、なら何故こんな夕暮れ時に、しかも自分たちと同じタイミングなのか。

 肝試し、冷やかし、やましい取引、結界監視の仕事、警備員──可能性は様々。格好から鑑みるに脱法オカルトサークルの可能性もあるなと、やはり自分たちを棚に上げて考える。

 

「ふふ……聞きたいですか?」

「あっいえ、詮索されたくない内容なら全然言っていただく必要はないので」

「いえいえいいんですよ。()()()の目的を知っておいて私だけが秘匿するのはフェアじゃありませんからね。まあ、貴女達ほど楽しい理由ではないですけれども」

 

 メリーの存在を言及され息が詰まりそうになるも、なんとか笑顔を浮かべるにとどめる。まさか最初からバレていたとは。自分が一人である事を会話中に仄めかし、思考を誘導する心算だったのだが……目の前の女性は敢えてそれに乗っかっていた事になる。

 どこかふわふわした印象を受けるが、その実、油断ならない相手であると、蓮子は警戒を強めた。

 

「まずは名乗りましょう。私の名は……洩矢サナエ、かつてここに在った神社の一切を取り仕切っていた者です。まあ、今や昔のことですが」

「──神社の? それはおかしい。だって……っ」

 

 その神社が在ったのは遥か昔で、若い貴女とは年齢が合わないじゃないかと、そう告げようとして蓮子は慌てて口を噤んだ。先程神社のことを「知らない」と言ってしまった手前、その事を言及するのは得策ではない。

 蓮子の動揺はサナエにも十分伝わっただろう。だが彼女は気にした様子もなく淡々と自らの来歴を語り始める。

 

「まあ色々ありまして、神社の機能をとある場所に移しました。神社自体は此処で廃れた後も存続していたんですよ。──しかし滅せぬもののあるべきか……結局滅んでしまいました」

「それは、信仰が受け入れられなかったから?」

「そうです。我々は行き場を失い、やっとの事で辿り着いた新天地にて……滅ぼされたのです。……全てを受け入れるなんて、そんなムシのいい話は所詮幻想に過ぎなかった」

 

 沸々と、何かの高まりが場を震わせる。淡々とした声音はみるみる冷たく、憎悪混じりのものになっていく。ざわざわと周りの雑草が怯えるようにその身を激しく揺らしていた。

 

「悔やんでも悔やみきれない。……どうせ滅びるのなら、せめてゆっくりと、倒木が徐々に朽ちていくような安らかなものが良かった。そんな最期を用意してあげたかった」

 

 あまりに強い負の想い。帽子に隠れてその表情を窺い知る事はできないが、それで良かったのかもしれない。サナエの目を凝視することなどできるはずもないのだ。

 

「ああ憎い……あいつがどうしようもなく憎いんですよ。私から母を──神様を──全てを奪った、あの化け物が──!」

 

 新緑溢れる草葉の匂いが鼻をつく。それはまるで、野晒しの挙句に錆び果てた人工物──鈍色の匂い。

 

 蓮子はこの時点で確信した。

 洩矢サナエがこの世における真っ当な存在ではない──人間ではない事を。

 これ以上サナエを刺激するのは良くない。蓮子はその事をしっかり把握しているはずだった。しかし、彼女は止まらなかった。好奇心が恐怖心を大きく凌駕してしまっていたから。

 

「もしかして、騙されたんですか? 例えば、その新天地とやらに来れば全てが上手くいく、なんて甘い言葉に乗せられて」

「……否定はできませんね。ただ私たちにはそれ以外に選択肢が無かったことも事実。藁にも縋る思いであの人の言葉に従うしか無かった」

 

 ふと、厳しい雰囲気が緩和された。

 

「結局、何事も『知る前』が一番楽しい。何も分からないまま、漠然と生き続ける事が何よりの幸福なのでしょう。だから()()()()()()()などやるものじゃない。……これは忠告ですよ」

「やっぱり! 私たちがここに来た理由に最初から気付いていたんですね」

「貴女はかつての私と同じ目をしてましたから。未知を追い求める好奇心に溢れた瞳……何も声を掛けないのは可哀想だと思ったんです。あっ、勿論待ち伏せなんてしてませんよ。私たちが出会ったのは()()ですので悪しからず」

 

 ああ、とサナエは手を叩く。

 

「話が逸れていましたね。何故いまさら私がここに来る必要があったのかですけど、ただ単に最期一目だけでも故郷の風景を見ておきたかったんですよ。多分、もう二度と来れないでしょうし」

「……最期、ですか」

「あの化け物を野放しにしておくわけにはいきませんからね。多分勝てないでしょうけど、一矢報いる事ができればそれでいい。敵討ちってそんなものでしょう?」

 

 言ってる事は物騒オブ物騒だが、当のサナエはなんだか楽しそうだ。身振り手振りで刀を振るうようなポーズも取っているので、もしかしたら討ち入り系時代劇が好きなのかもしれない。

 と、一通り語って満足してしまったのか、サナエはホウッ、と独特の溜息を吐いた。そして満足げに蓮子を見遣る。帽子の端から翡翠の瞳が覗く。

 

「私の話を聞いてくれてありがとうございました。神様も喜んでくれてると思います」

「大袈裟だなぁ。いや、私も興味深い話が聞けて楽しかったですよ。……だけど一つだけ、謝らなきゃならない事が……」

「謝る? えっと、何に?」

 

 不思議そうに首を傾げる。

 

「危ない遊びは止めろと、そう言ってくれましたよね。自分のような道を歩みたくなければ、道を引き返せと。しかもわざわざ自分が異形である事の説明までしてくれて」

「……これが末路ですので」

「嫌というほど分かりましたよ。如何に私たちが危ない橋を渡っているのかがね。だけど……それでも私たちは進みます」

「へぇ……仮にそれが破滅に続く道だと、分かりきっていても?」

「勿論。それが私たち秘封倶楽部なので!」

 

 即断即決を好む蓮子に迷いはない。恐らくメリーは首を縦に振る事はないだろうが、あくまで秘封倶楽部の方針としてはこの通りである。

 もっとも、むざむざと破滅に突っ込むような真似はしない。ボーダーの見極めを怠る事は死に直結するからだ。蓮子とメリーは無鉄砲ではあるものの、自殺志願者ではない。只の探求者なのだ。

 

 くすくす、と。闇に搔き消える程度のか細い笑いが耳を吹き抜ける。てっきり先ほどの回答で不機嫌になっているものと思いきや、サナエは面白いものを見るかのように笑うだけ。

 最初からそうだ。サナエは憎悪に身を焦がしながらも、その実どこか現状を楽しんでいるようでもあった。

 

 狂人、とでも言うべきか。

 

「刹那主義……それもいいでしょう。手を伸ばせば暴ける未知を敢えて放置するのは苦痛でしかないもの。是非とも頑張ってください」

「相方は多分反対しますけどね。それでもやっぱり、私は──」

「心が命じた事は誰にも止められません。ですが、残された者の悲しみを想うなら、止まるべき場面はしっかり立ち止まるように、ですよ」

 

 そして「もっとも私はもう残す人なんて居ませんから好きにやれますけどね!」と付け加える。とことんポジティブな幸薄少女である。

 

 もはや互いに語るべき事は語った。

()()顔を合わせただけの関係ではあるが、これもまた一つの数奇な巡り合わせ。互いの足りない部分を補完しあった有意義な時間。

 これからも蓮子は相方と共に結界暴きを続け、なんらかの岐路を迎えるだろう。サナエは憎悪に蝕まれながら、仇討ちに挑むのだろう。その上で、二人は互いに足りないモノを補完し合う事ができた。

 

 神の思し召しか。

 はたまた偶然の産物──奇跡か。

 

 それを判断する者はこの場には居ない。

 

「それではお気をつけて。くれぐれも自分を見失わないように」

「ええ。また会えるといいわね」

「ふふ、どうでしょう。またの再会を祈念して、奇跡を願いましょう」

 

 握手を交わし、サナエは反転する。宵闇はやがて黒霧となり、サナエの身体を包み込んでいく。

 ふと、サナエは消えゆく中で問い掛ける。

 

「そういえば貴女の名前を聞いていませんでしたね。最後に教えていただけますか?」

「あっそういえば!」

 

 話に夢中で完全に忘れていた。彼方はしっかりと最初に名乗っているのだ、フェアじゃない。

 蓮子はドン、と胸を叩く。

 

「私の名前は、宇佐見──」

 

 

「蓮子っ! 何してるの!?」

 

 背後から響く別の声。切羽詰まったようなその声音は、相方マエリベリー・ハーンのものに他ならない。彼女も起きていれば貴重な体験ができただろうに、なんて事を思いながら蓮子は手招きする。

 

 だがメリーは固まっていた。サナエを見て完全に硬直してしまったのだ。一方のサナエも、メリーを視界に捉えると、大きく目を見開いた。

 あまりの驚きに唇が震えていた。

 

「蓮子! その人、危ないわ!」

「あーいやいや、この人はね──」

 

 確かにぱっと見ではかなり怪しい風貌のサナエに驚くのは無理もない。蓮子は弁解しようと口を開くが、それは他ならぬサナエから漏れた言葉によって遮られる事になる。

 

「お久しぶりですね、いつ以来でしょうか? ……それにしてもその格好、もしかしてふざけてます?」

「えーっと、それこっちの台詞なんだけど」

 

 急に態度を硬化させるサナエ。対するメリーも表情が険しくなる。

 妙な食い違い。サナエの言葉が何を意図してのものだったかは不明だが、なんらかの誤解が生じている。

 

「ちょっと二人とも落ち着いて──」

「なるほどそういうことですか。随分な戯れですね、流石ですよ」

 

 蓮子の仲裁も虚しくサナエの圧が加速的に増していく。メリーが何かを言っているが、脳髄を駆け巡る雑音が邪魔して聞き取れない。

 ギリギリと、世界が捻じ曲がっていく。サナエを包んでいた闇の霧が彼女の姿を飲み込み、風が吹き抜ける。

 

「先ほどの忠告を取り消しましょう。貴女達は何としても秘封を暴き続けなければならない。いわばこれは義務です」

 

 あまりの暴風に目をまともに開ける事ができない。僅かな視界に真っ赤な三日月が映る。舌がやけに長い。

 

「貴女たちの旅が終わる時、私はやっと終われる! このクソッタレな現実を夢とする事ができるのです!」

「旅の終わりは、私たちが決めるわ! 貴女なんかに強いられる筋合いはないっ!」

 

「駄目ですよ。もう決まっているんですから。信じ続ければいつか願いは叶うと……そう言ったのは貴女じゃないですか。──八雲紫」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「──子、ねぇ蓮子ったら!」

「あ、れ? ……!?」

 

 自らを呼ぶ声に身体が引きずられ、意識が覚醒する。と同時に窓際に置いていた肘がずり落ち、蓮子は窓に頭を強打することとなった。

 いつつ……と額をさすりつつ、 強烈なデジャヴを覚えた蓮子は驚きの表情で対面に座る相方へと目を向ける。

 

「なんで私、電車に乗ってるの? さっきまで雑草だらけの所に居たのに……」

「夢でも見てたんじゃない? ……というのは半分冗談で、私も同じ夢を見ていたわ。それも二回」

「……あの」

「そんな捨てられた猫みたいな顔しないで。説明するから」

 

 これまでの怪奇とはまたベクトルの違う奇々怪界な体験。メリーと夢を共有するのは勿論初めてではなく、これまでに何度も活動上の一環として彼女の不思議な夢を蓮子は眺めてきた。

 だが今回はケースが違う。

 

「この電車でのやり取り、実は3回体験したわ。違いは私が頭をぶつけるか、それとも蓮子が頭をぶつけるか。1回目と3回目は蓮子、2回目が私だった。ただどれも痛みを伴っていた」

「まあ、そうね」

 

 いま額に感じている痛みは現実のものに違いない。1回目の自分については眉唾な話ではあるものの、蓮子に確かめる術はない。

 メリーの話は続く。

 

「その後、関東入りした私たちは蓮子の実家に立ち寄って、すぐに目的地を変更しあの湖へと向かった」

「それをメリーは2回繰り返した。ってことは……貴女もしかして、あそこがどういう場所なのか初めから知っていたってこと?」

「夢の内容がそのまま現実通りになる確証が持てなかったし、1回目は貴女の呼び声のおかげで途中までしか体験できてなかったからね。ほら、ちょうど小山の頂上に着いたあたり」

「あー……あの時の眠りはそういう」

 

 点と点が線で繋がった感覚。頗る無茶苦茶な話だが、メリーの言うことだから信じられる。寧ろ彼女を信じずして誰を信じるのか。

 

「1回目はあの女が現れる直前、2回目はあの女が姿を消す直前に終わったわね。つまり現在進行形で起きているこの奇妙な現象のキーが誰なのか、自ずと分かってくるでしょう?」

「女──サナエさんね。けどメリー、貴女も変よ。だって私の見たあの光景と記憶は間違いなく……」

「現実だった」

 

 メリーの能力は夢に大きな比重を置いているものであり、本来なら現実への干渉能力はごく限られたもの。だが日を追うごとに彼女の能力は強大に、より増幅していく。そしてついには蓮子にまで無自覚に影響を及ぼし始めたのだ。

 これは誰よりもメリーが懸念していたことだ。いつかこの能力が蓮子に牙を剥くのではないかと、恐ろしかった。

 

 当の蓮子ははしゃぎ回っているが、メリーには到底そんな気楽に構える余裕などない。

 

「これは検証が必要ね! メリーの夢に私も簡単に入れるようになったならこんなにステキなことは無いわ! いや、それよりも現実を書き換えるほどの規模が最大の恩恵とも──」

「……」

 

 勝手に分析を開始した相棒を横目にメリーは考える。あの女──サナエについては不明な点が多い。蓮子から自分が眠っている間のやり取りを大まかに教えてもらったのだが、結局全てが不明瞭なままである。

 何故あのような悍ましい存在と自分の能力がリンクしたのか、それすらも分からない。

 

 その上で二つほど気になる点がある。

 

「蓮子……ちょっといいかしら?」

「ん、どしたの?」

「貴女の瞳には、洩矢サナエはどう映った?」

「どうって、そりゃあまあ、人間じゃないんだろうなーってくらいよ。あの人もそのことは否定しなかったし」

「了解。──じゃあ次に、これを見てどう思う?」

 

 小型万能デバイスを蓮子へと手渡す。画面にはとあるニュースの記事が浮かび上がっており、その内容は否が応でも自分たちの体験となんらかの関連性を見出さざるを得ないものだった。

 蓮子の表情がみるみる険しくなる。

 

【湖とともに消えた謎。湖底より女性の遺体】

 

 ちょうど平成の某日。件の湖が消えた事に関する記事であった。

 遺体として発見されたのは、湖の近隣に住む女の子。名前は東風谷早苗というらしい。神職を務めていたそうだ。

 湖消失事件の数日前から安否が分からなくなっていたらしく、誤って湖に足を滑らせたか、それとも殺されて沈められたのか……しばらくは昼のワイドショーでそんな事が議論されていた。

 

 だがいつだって謎はさまざまな憶測を呼ぶ。

 もっぱらの警察の意見として、身投げが最有力だった。東風谷早苗という少女は日頃の異常行動が目立つ人物だったそうで、統合失調を患っていると近隣住民から忌避されていたそうだ。

 大衆ワイドショーでそんな事を報道するわけにもいかず、当たり障りのない憶測のみをコメンテーターがつらつらと述べ、いつしかこの事件は人々の記憶から埋没する。

 

 だが地元では此度の事件への思いは中々消えなかった。東風谷早苗という少女を知っている彼等は、不吉なものを拭えずにいたという。

 まことしやかに噂されたのが、人ではない何かに魅入られ、その身を自ら贄として捧げる事を強いられた、というオカルトめいた話。

 科学神秘主義の跋扈するこのご時世にそんな噂を信じる者は少なけれど、後味の悪さは残り続ける。彼等が彼女に行ってきた行為も決して褒められるものではないだろう。よって彼等は彼女への慰めの為に民謡を書き起こした。それがあの湖周辺でのみ語り継がれる民謡『早苗様』になったそうだ。

 

「いや、怖っ」

「貴女結構危なかったんじゃないの? 完全に魅入られてたじゃない」

「けど変な事はされなかったし……ていうかメリー、どうやってそんな情報を瞬時に?」

「1回目にあの湖に訪れた時、民謡が聞こえたのよ。それがどうにも気になって、2回目の蓮子の実家で待ってる時に調べたの」

 

 入念なメリーに隙はなかった。

 ただやはり、どう推測してもあのサナエと名乗った人物が自分に対してあれほどの反応を示したのか、それが解らない。

 解らない事があるのは、不安だ。

 

「で、どうするの蓮子。もう一度あそこに行くの? それとも──」

「一つ聞きたいんだけどさ、私たちはあの夢を覚えてるけど、サナエさんの方はどうなのかしら? 彼女も私たちのように……」

「覚えてるんじゃないかしらね。今頃思いのほか戸惑ってたりして」

「やっぱりかぁ。ならいいかな、今回は別の場所を目指そう」

「あら意外。どうして?」

 

 蓮子は外を見る。晴れ渡る空は駿河湾を眩く照らし、陰鬱な記憶を洗い流してくれる。だが蓮子は敢えてそれを心の奥にしまい込んだ。

 

「あの人とは十分話したし、これ以上邪魔するのも悪いかなって。あの人は本来一人で感傷に浸りたかったと思うのよ。何かの決意を固める為にね。それに茶々を入れるのはあんまりでしょ?」

「まあ私は本音を言うならあそこにはもう行きたくないけど……いいのね? 話を聞く限り、多分もう二度と会えないわよ?」

「会えるわよ」

 

 水面に反射する光が車内を明るく染め上げた。あの湖とは対照的に、青く、(あで)やかに。

 

「だって、信じなきゃ奇跡は起きないんですもの」




RNK「ていうか私たち下手したらループに嵌ってない?大丈夫?」
MRY「今見ている景色を夢とするかどうかは私たちの自由よ、RNK」
SNE「人間辞めてるなぁ……」

YKRN「主役は私だから(濁った目)」


以上ホラーチックにお届けしました。

幻マジ秘封世界?は結構ディストピア溢れる感じ。ゆかりんがなんやかんやしてる可能性はアリアリのアリス。
そして蓮子はより行動的に、メリーはより慎重に。これがさらに悪化すると行動力バカと臆病ヘタレになります。互いを補う系カップリング好き。

また湖周辺でのみ語り継がれる民謡について、初期案の題名は『サナエさん』でした。勘のいい読者さんはお気づきでしょう。そう、かの偉大なサークル様の例の曲と被るため急遽変更いたしました。


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東方悲壮天
幻想郷の黒歴史(前)


長くなったため明日にもう一話投稿します。


 幻想郷成立以来、天狗は幾度となく辛酸を舐めていた。

 

 吸血鬼異変の際は小悪魔に数多の天狗をゲーム感覚で殺害され、その後は八雲紫の風下に立ち続けた。結局、首謀者のレミリアからは一つの謝罪すらないまま現在に至る。

 

 最近では山頂を紫に奪われ、変な神社の設置を許してしまった。奪い返しに行こうにも、直後に襲来した博麗の巫女によって天狗の大半が薙ぎ払われ壊滅状態。神社も倒壊したがそこに住まう神と河童の力であっという間に再建され、苦を被ったのは実質天狗だけ。

 

 そして今回、天狗達はついに詰みへと向かおうとしていた。河童が過去の復讐を名目として奇襲攻撃を仕掛けてきたのだ。

 即座に応戦するものの圧倒的科学力の前には為すすべなく、構築した防衛ラインも河童お抱えの戦車技師 里香が作り上げた戦車師団によって粉砕された。結局、応戦らしい応戦ができたのは犬走椛のみという体たらく。

 

 

「いや……どーすんのこれ」

 

 絶望ムード漂う中、箱入り天狗の独り言は、虚しく幻想郷の空へと溶けていった。

 

 

 

*◆*

 

 

 

 境界の賢者 八雲紫の数少ない根拠地であるマヨヒガには、幻想郷の中枢を担う機関が種類問わず多数設置されている。

 大きな理由として、流石は境界を司る妖怪の部下が管理する場所というべきか、巧妙に世界から隠されている。故に機密性の高い談合などを行うにはうってつけの場所であるし、八雲紫に手を出そうという酔狂な存在は幻想郷に(表向きは)ほとんど存在しない故に、彼女の膝元に置いておけばそれだけで安全を確保できるのだ。

 

 まあなんにせよ、八雲紫の幻想郷における立ち位置がそのまま仕組みとなって現れている形である。やはり、強力無比。

 ()()()()は連れの者と会場外れの廊下を闊歩しながら思いを馳せる。果たしてあの妖怪は未だ自分が手を伸ばすに足る存在なのだろうかと。

 

(約半年、幻想郷を観察して結局分かったのは八雲紫の強大さ、そしてそれに伴う歪み……たったこれだけ。だがそれさえ分かっていればまだ打つ手は十二分に残っている)

 

 かつての八雲紫には届かないだろう。だが今の八雲紫なら、この()()()()の身体ならば──届く。届かせてみせる。

 いや、引き摺り落としてみせよう。今の自分には過ぎたる秘策を総動員しようではないか。微かに腹の辺りが熱くなる。どうやら()()()()も燃えているようだった。

 

 

「けどそれにしても物騒よねー。突発的にこんな大戦がいくつも起こるんだもの。やっぱ怖いわー幻想郷怖いわー」

「確かに、やるにしても事前通告ぐらいはして欲しいわよね。おかげで霧の湖なんてもうメチャクチャよ」

 

 正邪の背後でぼやくのは連れの二人。草の根連合副リーダーのわかさぎ姫と、理事の今泉影狼である。今回の集会に参加するにあたっての護衛役であり、また草の根の重役。

 大抵正邪が表に出て活動する時はこの二人と行動を共にしている。対外的に自分が草の根連合のリーダーであることを示すためだ。

 

「草の根の情報網だけでは些か心許ないですし、しっかりと情報収集をして帰りましょう。他のみんなも気になってる筈です」

「御付きは二人までって制限、面倒臭いわよねぇ。みんな連れて来られれば情報伝達もスムーズにいくでしょうに」

「みんな来たらぎゅうぎゅうよ、流石に」

「ふふ、特に貴女(わかさぎ姫)は体積を取りますからね」

「ちょっと失礼よ! リーダー!」

 

 あははと和やかに談笑する一方、正邪は内心ため息を吐いていた。

 この二人、何かと扱い易く、また顔が利くのでそれなりに重宝しているが、少しばかり幻想郷情勢を読み取る力が不足しているように思える。

 野良妖怪上がりであるので仕方ないといえば仕方ないのだが、気性が穏やかすぎるのだ。手を出されない限りは攻撃態勢を取ろうともしないし、自らがのし上がる為の覇気にも欠けている。

 そもそも護衛を二人も連れてくる時点でかなりシビアな問題なのだ。護衛の上限をフルに行使できるのは賢者の中でも特に力を持った五人のみという暗黙の了解がある。現在、因幡てゐがその座から追い落とされ、正邪がそこへ横入りした形になる。

 当然、そのスタンスには反発も大きい。

 しかし八雲紫に対抗するにはこの時点で(へりくだ)っている場合ではないのだ。一を捨て十を奪う。もっと泥臭く飢えなくては。

 

「あっ、そういえば。この集会への招待状と一緒に色々な所からお手紙が届いてたわよね。確か天狗もしくは河童の味方に付いてくれって内容のものだったと思うけど、草の根の方針としてリーダーは結局どっちを選ぶの?」

「勿論河童です。山の支配者を追い落とそうとするその気概や良し、これに便乗して下剋上の嵐を巻き起こしましょう」

「んー微妙……。河童の人達ってしょっちゅう私の湖にちょっかい出してくるからあんまり好きじゃないわぁ」

「なるほど、私から言っておきましょう。──あとここからはなるべく話を慎むように。一言の失言が命取りになる」

 

 わかさぎ姫と影狼の不用意さを遠回しに窘めながら正邪は辺りを伺う。人影はなく、一見この空間に居るのは自分達だけに思える。

 しかしここはマヨヒガ、八雲紫の勢力圏。どこで配下の式神が話を聞いているか分からない。弱みを見せないに越したことはないのだ。

 

 

 

 

「わぁ、一番乗り……じゃなかった。二番だ」

「早起きして出発した私達よりも早く着くなんて……熱心な賢者様もいるのねぇ。さぞ高邁なお方に違いないわ」

「うんうん」

 

 呑気な事を言う二人は置いておき、正邪は先着していた賢者──が居るであろう御簾の隣に座した。此処は上座にほど近い極少数の者だけが腰を落ち着けるポジションである。

 つまり筆頭五賢者のうち、二角が既に埋まった状態。だが正邪はその中でも所詮末席に過ぎない。新参などこんなものだ。対してもう一方は、実質的なNo.2とも名高い幻想郷の支配者であった。

 

 究極の絶対秘神、摩多羅隠岐奈。

 ゲートキーパーを担う紫とバランスキーパーを担う隠岐奈。この二人こそ、幻想郷の二極というべき存在だろう。てゐが堕ち、天魔が疲弊している今、彼女らに真っ向から対抗できる勢力はもはや月か地獄くらいだ。

 当然のように発言力も賢者内トップクラスであり、護衛(という名の見せびらかし)要員として、いつものように二童子を傍らに侍らせている。二人は糸の切れた人形のようにピクリとも動かず御簾の後方に座り込んでいる。

 やっぱり悪趣味だ。しかし無碍にできる相手でもないので、正邪はそんな嫌悪感をおくびにも出さずに、笑顔で語りかける。

 

「……幻想郷は良いところですよ。適度に不安定で話題に事欠かない」

「だろう? これこそ我々(神々)の愛した幻想郷だ」

 

 御簾の隙間から覗く瞳。狂気に満ちたその光は、溢れんばかりの悪意を部屋中に蔓延させている。影狼とわかさぎ姫などあからさまに気味悪がって距離を置いているほどだ。

 こういうところが人徳の少なさに繋がっているんだろうな、と。正邪は心の中でぼやくに留めた。

 

 目で影狼とわかさぎ姫に合図を送る。二人はそれに無言で頷くと、また適当な事を駄弁りながら退室する。隠岐奈への配慮とも取れる措置だった。

 

「天狗と河童の衝突──字面はあまりにも簡潔。いつかそれが起こる事は幻想郷の誰もが半ば確信していたほどだったと聞きます。しかし、その裏にはもっと単純ではない、様々な思惑や禍根を感じるのです。──残念ながら私はそれに詳しくない。部外者故にね」

「戦争を起こすに至る理由など、当事者にしか分からんよ。私に語れるのは、遠い昔話だけさ。月面戦争よりちょっと昔の出来事だ」

 

 月面戦争……そのワードを正邪にちらつかせる事は挑発以外の何物でもないだろう。だが彼女は稀神正邪。鬼人正邪ではない。

 

「ふぅん、月面戦争。ご生憎様ですが草の根にあの戦争に参加した者は誰一人として居ません。私含めてね」

「はは、その割には老けて見えるぞ」

「大年寄が何を仰いますか」

「半分だけだ。あと半分はピチピチよ」

 

 どれだけ異形に成り果てても二人は一端の女性。この手の話題となるとどうにも白熱してしまう。それは紫やてゐも同じだ。

 

 さてそれはさておき、本題は妖怪の山の歴史についてである。

 

「今からちょうど千年ほど遡る。ちょうど妖怪の絶頂期に当たるその時代は、一言で表すなら『混沌』だった。各地で強大な妖怪達が小競り合いを起こし、勝者がさらなる強者へと成り上がっていく。特にこの日本という国はまさに蠱毒の実演場」

 

 群雄割拠、もとい妖々跋扈と言うに相応しい時代であった。その余波で齎された被害は莫大で、当時の人間達にとっては悪夢でしかあるまい。

 勿論、人間達の中にも英雄というべき人物は存在していたのだが、ごく一部の例を除き大衆から遠ざけられ、激しい排斥に遭い、中にはその影響で妖怪に身をやつしてしまった者もいると聞く。

 

「そんな時代であったが一つの例外が存在した。それが妖怪の山なのだ。始まりは伊吹萃香を始めとした鬼達がこの山を根城にした事だが、奴等は良い意味でも悪い意味でもオープンな連中だからな、萃香の特に強い意向もあって庇護を求める妖怪が殺到した」

「あんな身勝手な方達が喧嘩相手にもならない妖怪を受け入れるのは不自然ではないですかね。ましてや組織を作るなど……」

「まあ発端は伊吹萃香だが……あいつがどこぞの妖怪に影響されたと考えれば当然の事だろう。要するに真似事だ」

「ああなるほど」

 

 またあいつかと、正邪は内心毒を吐く。伊吹萃香と八雲紫の繋がりは巷でも有名であり、互いに影響を及ぼし会う事はあり得る話だ。つまり妖怪の山は萃香の手によって創られた縮小版の幻想郷ということになる。

 だが長続きするものではなかった。

 

「お前も知っての通り、鬼達はやがて地底へと渡った。妖怪の山は部下の妖怪たちに託されたのだ。せっかくの地盤を放棄するあたり、所詮は鬼よな」

「権力を持つ事が当たり前になると、こういうことも平気でしてしまうのが人間や妖怪、もとい世の常ですかね。……で、実権は天狗に移ったと」

「いや、そうではない」

 

 隠岐奈はさも悲壮げに肩を竦める。後の有識者達は鬼が去った直後のこの時こそが、妖怪の山におけるターニングポイントだと推測している。かくいう隠岐奈もそうだ。

 妖怪達は鬼に依存すると同時に、彼女らを恐れ過ぎたのだ。

 

「鬼を頂点とする組織構造は下の者達に平等を齎した。故に鬼無き後の盟主はおらず各種族ごとでの勢力分裂が起きたのだ。しかも気紛れな鬼に対抗する為、自分達の勢力拡大に余念なきままにな。天狗はその中で最も力を持った勢力に過ぎんよ」

「河童を始めとする妖怪達は天狗の下に就く事を良しとしなかった訳ですか。確かに奴らは傲慢で卑屈と救いようのない連中……しかし力はある。恥を忍んで下に就いてでも天狗を利用した方が優位性は保てるのに、実利を逃したのですか?」

 

 まあそれでも私ならまっぴらごめんだけどな、と正邪はまたもや毒を吐く。恥だとか得だとかそんなものは全く関係なく、ただ単に力に隷属するのが嫌だからだ。何かに縋って保身を得るくらいなら、単身野で生きていく方が数倍マシなのである。

 河童達もそういう矜持があったからこそ従属を拒んだのだと正邪は考えたが、それはあっさり隠岐奈によって否定される。

 

「当の妖怪達は鬼と同様に、天狗達も酷く恐れていたのだよ。特に天魔という天狗の(ゆう)と呼ぶに相応しい存在をな」

 

 いやらしげな声音が御簾から漏れ出す。

 

「妖怪の山で唯一鬼の四天王に並ぶとまで称された奴の強さもそうだが、何より恐れられたのはその思想よ。良くも悪くも、奴は天狗の棟梁として在るべき姿を守り続けたと言える。故に、他種族に歓迎される要素など微塵もなかったのだ」

「天魔……今思えば彼女も謎多き妖怪。そして幻想郷最悪とまで言わしめた事件の張本人でもあります。ウチ(草の根)の者の中には、例の事件の被害者も多数いますからね」

「アレも発端は河童との覇権争いだったな」

 

 愚かな人間は歴史を繰り返すというが、妖怪もそれに当てはまるほど愚かだったらしい。今の状況はかつてのものと酷似している。

 もっとも今回は天魔から吹っかけたものではなく、河童からの奇襲攻撃によるもの。細部と結果はかなり違う事になりそうではある。

 

「話を戻そうか。天魔は数々の実績によって自らの武威を示し、混乱する天狗を纏め上げ妖怪の山での版図を野放図に拡大した。その過程で鬼以上の脅威と称される事もあった蟲妖怪の女王を討伐したのは……まあ流石というべきか。戦闘力と狡猾さだけは褒めてもいいかもしれん」

「アンチ天狗の貴女様がそう言うくらいだ、余程の傑物なのでしょうね」

「逆に言えばそれ以外褒める所はないがな。だが天狗達にとってはそれだけで十分だった。乱世を渡り歩く為に必要な条件を奴は満たしていたからな。故に戦いに身を投じる事こそが自身の役目と思っていた節もある」

 

 手段と目的の逆転に気付かないほど愚かしい事はない。いや、気付いていたのかもしれないが、それ以外に天狗の栄華を築く手っ取り早い手段がなかったのだろう。どちらにしろ愚かだ。

 

「現時点の状況を鑑みるに、天魔率いる天狗達は勢力の乱立する妖怪の山の統一を図り、それに成功したんですよね? だから今でも山の盟主は天狗が務めている」

「そうだな。だが知っての通りその方法が些か過激でな、正面から衝突した河童には自身に脅威となる科学力を強制的に放棄させ、強力な従属下に置いた。その他妖怪達も従属──或いは族滅の道を辿る事になる」

「族滅……物騒な」

 

 つまり根絶やしという事だ。天魔による侵攻によって多種の妖怪が絶滅した。特に凄惨だったのがさとり妖怪の虐殺だったという。

 特段表立って天狗に対抗したわけでもなければ、強い勢力だったわけでもない。ただ単に能力を忌み嫌われた故の悲劇だった。

 

「例えばさとり妖怪なんかはこの世にもう一人しかいない。山童に至っては姿すら見ない。それほどまでに徹底された狩りだったな」

「とことん雑ですね。妖怪の山の戦力を自らの手で減らしていくなんて、元々の目的から乖離してませんか?」

「焦っていたんだろう。一刻も早く鬼の四天王や八雲紫……そして自分達の他に徒党を組み始めた妖怪勢力に勝るだけの力を欲したのだ。月との戦争が迫っていたようだしな?」

「あー、はい」

 

 乾いた返事。大虐殺の遠因が自分、もとい鬼人正邪にあったようだが、そんな事をいまさら追求されても「だからどうした」と返すしかあるまい。こんな下らない理由で地底のさとり妖怪に因縁なんて付けられた日には最悪だ。

 どうしたものかと正邪は頭を捻り、はらりと一房の赤毛が顔に垂れる。そんな内情をせせら笑いながら、秘神は語る。

 

「天狗どもを見てみろ。歳をとっているほど傲慢、そして好戦的だ。何しろ千年前から連戦連勝で負け知らず。弱き者を蹂躙した事で自分達の強さを勘違いしている」

 

 嘆かわしい事だよ、と。あくまで幻想郷を憂う賢者のスタンスとして隠岐奈は残念そうな様子で呟いた。なお内心はウッキウキだ。

 

「奴らは過去の栄光に浸るばかりで現状を鑑みようとはせんのだ。……吸血鬼異変で若い天狗が大量に死んでしまった事も、奴ら(老害)の発言力強化に一層の拍車を掛けているな。遅かれ早かれ、天狗は一度滅びる運命にあると言えよう」

「過去の栄光、ですか。私は少なくとも勢力でいえば天狗は貴女様や八雲紫に匹敵するものと思っていましたが……」

「見かけはな。だが実情は酷いぞー」

 

 抑え切れなくなったのか、くふくふと笑みが漏れる。正邪はドン引きした。

 

「経緯はこうだ。妖怪の山をほぼ手中に収めた天魔だったが、たった一つの勢力だけどうしても手を出せずにいた。……山姥(やまんば)だ」

「あー、山姥。アレは確かに厄介ですねぇ」

「中でも坂田ネムノという山姥は天狗に真っ向から敵対した。物騒な気質ではあるが、山の生き物を慈しむ心も持っている山姥だからな、天狗の暴挙を許してはおれなんだ。あわや天狗に滅ぼされかけた妖怪や、忌み嫌われていた厄神、河童からの亡命者も積極的に匿った。ネムノの能力は聖域を作り出す力──敵対者を悉く無力にする力。流石の天狗もこれには手が出せなかった」

 

 一層笑みを深める。

 当時の隠岐奈はネムノに対して拍手喝采を送っていたそうだ。そして御礼を言いに行き、無事聖域から弾き出されたという。

 

「結局、山姥の領域には手を出せず終い。この時点で天狗の悲願である妖怪の山統一は靄と消えた。この事による士気の低下を恐れたのだろう天魔は、ついに妖怪の山領外への侵攻を決意した。後に幻想郷となるここら周辺一帯の支配を目論んだのだ。これが俗に言う『妖怪の山拡張計画』というやつだな」

「天狗には大義がありませんからね。妖怪の山は元々自分達の所属していた組織の領域だから、どれだけ好き勝手やっても内乱に過ぎなかった。しかしその領域外となれば話は別になります」

「ふふ、下剋上を生業(なりわい)にしてるだけあってよく把握できているじゃないか。だがそれだけじゃない。既に幻想郷の原型となる仕組みは形成されつつあったからな、当時の私も対応に追われたよ。……本当、害にしかならん嫌われ者の連中さ」

 

 そう吐き捨てて話は締められる。これ以上はもはや語る必要が無いからだ、

 天狗は人里の手前まで進撃し、途中で踵を返した。その後数日の奇妙な沈黙を続け、やがて【妖怪の山以外には二度と手を出さない】という声明を発表し、やや孤立的ながらも幻想郷の枠組みに参画することとなった。

 

 この変わり身の早さには当時の妖怪達──鬼人正邪も含めて度肝を抜かれたものだ。稀神正邪になってからしばらく真相の究明に努めたこともあったが、結局不明のままだ。

 天魔の突然の心変わり。これに尽きる。

 

 しかもその後も天狗は内部でのいざこざを起こし続け、天魔は日が経つごとに保守的になり、次期天魔の最有力候補とまで目されていた射命丸文は組織に興味を失っている。これが天狗の脆さである。

 今回の件でそれが幻想郷中に露呈した形となった。

 

「一体何を以ってここまで方針を転換させたのか……秘神様はどう思います?」

「ふーむ、クーデターでも起こったんじゃないかと当時は疑ってたな。ただ一つ気になる情報があってだな……」

「へぇ? それはどんな?」

「天魔の近親者の一人が姿を消してしまったそうだ。それ以来、天魔はめっきり大人しくなった。戦死したか粛清されたか……なんにせよこれが鍵になるかもしれん」

 

 大方、自分にとって大切な天狗を失って落ち込んでしまったのか。あまりに人並みでチープなもんだと、正邪は内心鼻で笑う。

 散々妖怪を殺しまくった癖にいざ自分の番となると狼狽え日和る。権力者特有のそれだ。やはり妖怪の山もひっくり返さねばなるまい。

 

 そんな正邪の心意気を感じ取ったのか、()()()()()()()()()()の鼓動が激しくなる。それこそ今にでも暴れ出してしまいそうなほどに。

 血気盛んな彼女を諌めるのは一苦労。隠岐奈に勘付かれぬよう静かに念じる。

 

(まだですよ。合図を待ってください)

 

 




昔話だけで締めるのもどうかと思うので、明日もう一話投稿します。


◾️妖怪の山時系列(幻マジver)

・萃香が紫の真似事を始め、勇儀達と共同で八ヶ岳に妖怪の組織を作る。

・源頼光一行による闇討ち発生。鬼が地底へ。

・天狗が山の盟主を名乗るも、あまりに利己的かつ強権が過ぎたため勢力が分裂。各々しのぎを削る。(河城にとり・犬走椛誕生)

・天魔率いる天狗が強引に妖怪の山の統一を図る。その過程で多数の妖怪が殺害、絶滅させられる。(蟲妖怪の衰退開始)

・残る残存勢力である山姥に攻撃を仕掛けるも失敗。統一に頓挫する。その埋め合わせの為、山の領外へと侵攻開始。(鬼人正邪が妖怪集めを開始し、八雲紫と出会う)

・人里の手前で侵攻ストップ。数日のち紫や隠岐奈に対し宥和的な姿勢を取り、それ以降保守的になる。(射命丸文の出奔)

月面戦争。(ゆかりんと藍が出会う)


ここだけの話、妖怪の山の敗因はバランスブレイカー枠を椛しか用意できない事ですね。内に秘めてるポテンシャルは高いんだけど反目やら不信感やら色々な制限があって本気を出せないタイプ。天狗三人衆が揃えばなんのそのかもしれない。
天狗がひとり足らないよなぁ!?


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幻想郷の黒歴史(後)

三年ぶりの連日投稿……!


 

「さて、そろそろ時間か。詳しい話は会議の後にでもしようか」

 

 正邪はふと周りを見る。既に相当数の席は埋まっていた。自分の対面にいつのまにか座っている茨木華扇が神妙な面持ちで此方を窺っているほどだ。話に熱中しすぎて気付かなかった。

 正邪は愛想良く首を垂れ隠岐奈から距離を取る。ちょうど部屋に戻ってきた影狼とわかさぎ姫を手招きし、大人しく待つ事にした。

 

 少しして、天魔が護衛の犬走椛、大天狗と共にやって来て隠岐奈の対面に座した。御簾の奥から挑発的な威圧が漏れ出し天魔へとぶつけられるものの、当の天魔は気にした様子もなく、無表情のまま微動だにしない。

 そして両者の間に剣呑な雰囲気が流れる最中、気にした様子もない藍と阿求、最後に紫が澄ました顔で悠々と入室する。いつも阿求の護衛を務めていたはずの上白沢慧音の姿はない。

 

 これで全員が揃った。

 

 

 

「遅れてしまい申し訳ございません。少々用件が立て込んでおりまして。では、始めましょうか……此度の戦争の講和会議を」

 

 紫はこう切り出したものの、この場に居る殆どの者の結論は決まっていた。

 戦争の勝利者は誰の疑いようもなく河童で決定である。今は休戦中につき両陣営静かなものだが、もし「待った」が入らなければ妖怪の山の覇権は容易くひっくり返っていただろう。

 

 つまり、もはや結果の分かりきっている駆け引き。出来レースのようなものだ。それを象徴するかのように、天魔を除く天狗二人の顔色は優れない。

 

「代表の河城にとりは今回の戦争の都合上この場には居ません。遠隔映像投射機による参加を検討していたようですが、私から却下させていただきました。彼女には前科もございます」

 

 あいも変わらず澄ました顔でそんな事を言い放つ。ならばどうするのかと、正邪は疑問に思う。そして一つの推測に辿り着いた。

 紫は既ににとりとの話し合いを済ませているという。大まかな河童の要望は聞き出しているはずだ。つまり、彼女が河童の代理人としてこの講和会議に臨んでいるのである。

 

 当事者のいない講和会議。字面だけなら天魔の圧倒的優位だが、相手はあの八雲紫……万全の策を以ってこの場に現れた筈だ。狙いは十中八九、天狗の力を最大限削ぐ事だろう。

 つい先週に妖怪の山頂上を不法占拠した神社を手引きしたのも紫。下手すれば今回の戦争の引き金を引いたのも紫かもしれない。

 

 ──完膚なきまでに天狗を潰す気だ。

 

 そう推測せざるを得なかった。

 

 

「少し宜しいでしょうか? 最終的な結論を出す前に確認したい事が」

 

 発言したのは茨木華扇。彼女も妖怪の山に居を構える身であり、今回の衝突によって少なくない影響を受けていた。それ故だろう、今回の講和の発案者は彼女になっている。

 

「今回の争いの発端は、河童による奇襲攻撃によるものと聞き及んでいます。そして現時点では河童の圧勝であると。間違いないですね?」

「……」

 

 天魔は無言でやはり微動だにしない。だが無言は肯定と捉える事ができる。また背後に控える従者の表情を見るに確実だった。

 

「あなた方の古い確執は存じていますが、それでも今回暴力的な方法に踏み切ったのは河童の非であると言えましょう。どちらか一方に多大な責を押し付けるのは道理ではないと思いますが」

「ええ。河童に義はありません。寧ろ今回の被害者は全面的に天狗側であると、私も考えています。しかし勝者はあくまで河童……非常に難しい判断となる。事が起きてしまった以上、全てをなあなあに済ますことはできませんけれど、せめて双方が最大限納得できる落とし所を決めなければなりません」

 

 華扇の言葉に紫がすかさず同調する。つまり二人はどっち付かずの【中立】を形の上では表明した事になる。てっきり紫なら徹底して天狗を叩くだろうと考えていた面々は拍子抜けだった。

 

「ふむ……落とし所としては【河童】に独立を与えるべきだろう。奇襲攻撃とはいえ、それは天狗が過去に行ってきた常套手段。それが妖怪の山における常識なのだろう? ならば問題ないではないか」

「同じく。それにこの状況下で天狗の下に戻った河童がどのような目に遭うのか、想像に難くありません。彼等を守る事も踏まえ、河童を有利とした講和を結ぶべきです」

 

 その代わりと言わんばかりに、隠岐奈と正邪から集中砲火を浴びせられる。しかも嫌味と正論、人道的観点からの意見であるため反論がしづらい。天魔は元より沈黙を保ち、その配下の賢者たちも言葉に窮している。

 椛は何か言いたげに口を開くが、天魔に制される。そして歯痒そうにがっくりと項垂れるしかなかった。

 

「では、河童の独立を承認し今後一切の侵略を禁止する相互不可侵の条約を結ぶ──ということでよろしいでしょうか?」

「条約破りの前科は河童の常套手段。奴等には枷にすらなりはすまいよ」

「では監視員を付ける事としましょう。既に河城にとりとは話を通してあります……不都合がなければ、我々が受け持ちますが」

 

 藍の総括に大天狗による指摘が飛ぶも、即座に主人の紫が介入する。これで紫の真意は明らかになった。

 まず間違いなく、河童を取り込もうとしている。前回の山頂占拠と合わせて妖怪の山をどんどん削り取っているのだ。

 そもそも八雲と河童は吸血鬼異変を皮切りに共闘の機会が多かった。永夜異変では賢者同士の戦争にさえ参加している。つまり元から河童は八雲に加担していたと考える事ができる。

 

 

 ──ここだ。

 

 やはり紫は天狗を潰す気なのだろう。正邪は確信を持った。

 故にそれを紫に譲るわけにはいかない。ここが勝負どころである。彼女の決意とともに()()()()()が充満していく。

 

「それは横暴が過ぎませんか、八雲紫。これ以上の介入は要らぬ諍いを招く事になります。これは天狗と河童の問題であり、貴女の介在する余地など元々からなかったはずです」

「……と、言うと?」

 

 突如紫に噛み付く新参賢者に周りが騒つく。というより、余計な事を言うなと戦々恐々としていた。

 てゐが居なくなり、天魔の没落も間近。八雲紫の一極化は仕方のない事だが、これで幻想郷にしばらくの安寧が訪れるというのに。

 というより、あの八雲紫を怒らせないかと肝を冷やしていた。現に彼女の従者である藍が境界賢者の背後から殺気を飛ばしている。

 それに呼応して影狼が正邪の側に進み出る。温厚な彼女であるが、敵意を飛ばしてくるなら容赦はしない。彼女もまた常識外れな大妖怪なのだから、九尾の威圧に臆してなどいられるものか。

 

 一触即発の危なっかしい空気が流れる中、正邪は毅然と言い放つ。

 

「今回の件、貴女が仕組んだことでは?」

 

 しん、と。辺りが静まり返る。

 天魔に阿求、華扇に藍……皆、開いた口が塞がらなかった。唯一、隠岐奈だけが愉快そうに声を上げて笑っていた。

 

 八雲紫が今回の黒幕。

 確かに可能性としては十分あり得る話だ。その線についてはここに居る賢者一同全員が想定していた。だがあくまで仮定の話である。確固たる証拠は無いし、何より疑惑があったところでわざわざ声に出して追及などしない。相手はあの八雲紫なのだ。

 あまりに反抗的。これが稀神正邪の危うさ。

 

 対して紫は扇子で口元を隠しつつ、妖しい桔梗色の瞳で正邪を睥睨する。

 

「詭弁である、と言えば?」

「正しき言葉にて反論いたしましょう」

 

 嫌なものを感じたのだろう。話の流れを変えるべく阿求が口を開きかけるが、正邪の声に遮られてしまう。日々弱小妖怪を鼓舞し続けていた正邪の声量は凄まじい。

 

「そもそも、私はずっと不思議でならなかったのですよ。この半年、幻想郷の最高責任者とも言える貴女様が姿を見せなかったのかが。そして帰ってきたと思えば山頂に奇妙な神社を持って来て、さも当然のように山の妖怪達に認めさせている。自分の力を背景に無理無条を押し通している様は独裁者そのものです」

 

 徐々に場の空気が正邪へと流れ出している。

 というより、正邪は紫の推薦で賢者入りした妖怪である。つまり、他の賢者達から見れば子飼いの犬に手を噛まれている形になる。

 

「神社の登場により天狗達は当然動揺するでしょう。河童はそれを好機と見て今回の軍事行動を起こした。……そう思えませんか?」

「そうかもしれないわね」

「秩序を真に乱しているのは誰か……弱小妖怪の安寧の地を奪っているのは誰か……見えてきませんかね?」

 

 あまりに直情的すぎる物言い。本来なら心の死んでいる賢者一同には響きやしないだろう。それどころか憐憫と侮蔑の目で見下されるのがオチだ。

 しかし今回は違った。正邪の言葉がすとんと、心に入り込んできた。

 

 違和感に真っ先に勘付いたのは華扇。

 自分のよく知る魔力が部屋全体に蔓延しつつあることに不快を隠せない。これは、かなり古いタイプの鬼の魔力である。発生源は恐らく正邪。

 

「私が幻想郷を乱していると」

「その通りです。試しに今回の件からは完全に手を引いてみてください。そうすれば自ずと本来の幻想郷が見えてくるでしょう。貴女の居ない世界がどれほど美しいのかがね」

 

「──紫様。私に許可を」

 

 鋭利な殺意が部屋中を迸る。藍の毛という毛が逆立ち、濃密な妖力がその身から立ち込める。そのあまりの禍々しさに「ひぃ」と、誰かの情けない声が漏れ出た。

 殺意の矛先は一匹の天邪鬼。主人の許しが出れば、すぐにでも9本の尾が蠢き、正邪を引き裂きすり潰すだろう。

 

 だが過去に流血沙汰があって以来この場での乱闘騒ぎは固く禁じられている。故に、藍に少しでも拮抗できる力を持つ者が一斉に刃を抜き放ち、敵意を示す。影狼、わかさぎ姫、椛、二童子、華扇が一斉に臨戦態勢を取った。

 

 そして紫は、微笑むだけでアクションを起こすことはない。静観を保つ。

 

(天邪鬼)を殺した所でどうにもなりませんよ。これが幻想郷の総意であり、願いなのです。そうでしょう? みなさん」

 

 同意の言葉こそ無いが、場を一つの感情が満たしつつあった。それは『現状への懐疑』である。自らの立場を改めて回顧すれば、次から次へと疑問が湧いてくるのだ。

 何故、自分が八雲紫の下に付くことを甘んじて享受しなくてはならないのか。元々は対等な立場であったはずだ、それがどうして今となってはここまで隔絶した格差が生まれているのか。

 

 ごく少数の者のみが力を保持し、気儘に行使するこの世界。その元締めであり、混乱の元凶である紫へ不満の矛先が向かうのも謂わば必然だった。

 

 権力欲だけではない。

 矜持もまた、奪われていた。

 

「今日に至るまで幾多もの同胞達が殺されました。特に吸血鬼異変での惨状は今でも夢に見ます」

 

 護衛の身であるはずの椛が惨憺とした様子で呟き始めた。本来なら越権行為にあたるのだが、場の空気がそれを許した。

 何かが壊れつつあった。

 

「私が剣を取り戦うのは同胞を守る為、そして散っていった同胞達に報いる為です。……しかし今となってはそれすらも許されない」

 

 吸血鬼異変の首謀者である紅魔館は紫の一存で罪を問われる事はなかった。これは自分の勢力下にかの吸血鬼を組み込むための布石であったと言われている。

 この時天狗の味わった屈辱たるや、想像を絶するものだった。彼女らの想いはあまりに深く、そして暗く──。

 

「我等を殺したのは八雲紫……そして貴女ですよ。違いますか、天魔様」

「……」

「受け入れるだけでは淘汰されるだけなのです。そろそろ覚悟を決めるべきでしょう。貴女も、私も」

 

 ここにもまた、亀裂が走る。

 皆が熱に浮かされている。

 文治派として紫と同派閥を組む阿求ですら、考え込んで声一つ発さない始末。

 

 この場で唯一と言っていい、正常な思考を保っている華扇はなんとか動揺の収拾に努めようとするが、一度崩壊に向かって進み始めた組織の立て直しは至難であった。

 ただの講和会議はたった二人の扇動によって、崩壊寸前。これまでの積み重ねの全てが失われようとしていた。

 

「これはどういう事でしょう。お師匠様がとっても憎くなってきました!」

「やだ奇遇ね舞。私もよ!」

「はっはっは落ち着けお前達。それはまやかしの感情だ。そんなつまらん機能など従者たるお前達に備え付けるはずがなかろう」

「「やっぱむかつくー!」」

 

 傍らでバグを起こしつつある二童子を適当にあしらいつつ、考えを巡らせる。なるほど確かに強力。抗う術を持たぬ者には致命傷だろう。

 

(これが噂に聞く『打出の小槌』の力か。案外使えるものだなぁ)

 

 なお秘神は元から狂っているため鬼の秘宝といえども影響を与えるに至らない。極めて冷静にこの会議の行く末を見極めようとしていた。

 正邪とは所謂『敵の敵は味方同盟』の仲ではあるが、彼女の最終目的に秘神の打倒が含まれていないとは到底思えない。でしゃばった真似を看過するほど、隠岐奈は甘くないのだ。

 

 一旦この場を鎮圧して聞く耳を持たせてやろうかと重い腰を上げかける。しかしそれは空気に走る鋭い破裂音によって遮られた。

 

 八雲紫だ。

 

 彼女が愛用の扇子を圧し折っていた。声を出すまでもない一喝に全員の思考が急速に冷えていく。見る者全てを底冷えさせるような亀裂を思わせる(まなこ)。この時、全員が己の愚かしさを呪った。

 先程までの自分が思い描いた理想は、この賢者が居る限り決して叶うはずがない事を改めて認識させられたのだ。

 

「そうねぇ、致し方ないわよね」

 

 静かに語り出す。

 

「貴女達の要望、そして不満は理解できます。至らぬ私への憎悪……これもまた受け入れましょう。そして此度の件──この天狗と河童の戦争の非、私の独断により戦火を齎した事、これらの罪もまた認めましょう」

 

 戦争……ああそんなこともあったな、と。全員が思い出した。当の天狗達ですら、もはや半分意識から流れているような状態だった。

 しかしこれは大きな進展である。あの紫がついに自らの非を認めたのだ。完全無欠と謳われたあの八雲紫に土を付けたのだ。

 

 これで八雲紫の絶対性は薄れ、逆に正邪の影響力は確固たるものになる。ついにあの隙間妖怪と殴り合える位置まで上り詰める事が出来た! 

 

 にやけてしまいそうになる口元を押さえつつ、正邪は紫の次なる言葉を待つ。しかしそれが少しばかり斜め上だった。

 

「私の手ではこの程度が限界……不完全な結果しか残せません。しかし逆に問いましょう。他の方々なら、果たしてどれほどの結果を残せたのでしょう?」

「それは、私では分かりかねます。それこそやってみない事には……」

「きっと、今よりもっと素晴らしい幻想郷を作ることができたのでしょうね。誠に惜しい事ですわ。ええ、本当に」

 

 紫は目元を伏せて悲しげに呟く。

 これは挑発か。自らのこれまでの成果を誇ることで自分以外の権勢を許さない構えを示したのだと、正邪はそう解釈した。

 

「いえいえ、私も貴女が成したこと全てを否定するつもりなど毛頭ありません。しかし如何せん貴女は影響力が強過ぎるのです。なので──」

「そう、いい加減うんざりしてた頃ですわ。……もういいでしょう。戯れは終わりとします」

 

 投げ捨てられた扇子が壁へと叩きつけられ、辺りに木片となって散った。普段は微笑むだけの紫が高圧的なアクションを取った事により一同に衝撃が走る。話している内容も内容だ。

 八雲紫の言う『戯れ』とは何を指すのか。これが問題である。

 

 その疑問は即座に払拭される事になる。

 

「そろそろ決めるべきでしょう。真に()()()()()()()()()()()()()()()()が一体誰なのかを。賢者という役職に些か窮屈さを感じてきた頃合いでもありましたし、ちょうどいい」

 

「────っ!?」

「待ってください紫さん! それは……!」

「紫様ッ!」

 

「ずっと不思議に思っていましたわ。貴方方もそうでしょう? この場に相応しくない者が、何故幻想郷の指導者なんて大役に収まっているのか。……異物は排除しなくては」

 

 空気が凍りついた。

 慌てて藍と阿求が諌めようとするも、紫は聞く耳を持たない。硬直する正邪、困惑する華扇、神妙な面持ちの隠岐奈、目を大きく見開く天魔を睥睨し、妖しく嗤う。

 

「一週間後、また会議を開く事にしましょう。その際に正式に通告を発表いたします。その間、貴女達がどのような働き掛けをしようが、それは貴女達の自由です。……ただ私の決意は固いと、改めて明言しておきますわ」

 

 ──では、御機嫌よう。

 

 そう言い残し紫はスキマの奥へと消える。緊急の事態に激しく狼狽する藍もまた、場の進行を放棄して退室してしまう。

 残された者達は過熱しすぎた己を抑えつけると同時に、激しく頭を悩ませた。紫の先ほどの言葉が何度も頭を反芻する。

 

 真に幻想郷の頂点に立つ賢者を決める。

 

 並ならぬ言葉であった。言い換えれば、頂点(八雲紫)に逆らおうとする者を一切合切消してしまおうという意味合いになる。

 また賢者という職に窮屈さを感じるというのは、この場にいる全員への警告なのだろう。お前達の地位など吹けば飛んでしまうほどの脆弱なものであるとでも言いたいのか。

 

「ひとまず、私は河童に講和の内容を伝えてきます。その後は……解散でいいですね? 皆さんも対応に要する時間が惜しいでしょう」

 

 華扇の言葉によって、重圧から解き放たれたように空気が急速に緩和する。この場に留まって何かできるわけでもなく、一人、また一人とその場を離れていく。天狗達はバタバタと慌ただしく、阿求は一人では人里に帰れないので橙を探しに。

 

 そして混乱の立役者、正邪は若干の混乱とともに壁へともたれかかった。影狼とわかさぎ姫が心配そうに顔を覗く。

 結局、この会議の場での勝利者は、最後まで二転三転する状況を楽しんでいた隠岐奈一人かもしれない。精神的勝利というものである。

 

「こういう事は事前に相談してからやることだな。でないとどんな不都合が発生するか分かったもんじゃない」

「私は……もしかして機を誤りましたか?」

 

 ある程度腐敗した権力者は大抵の場合、事なかれ主義へと傾倒していくものだ。若干思考が読みにくい紫ではあるが過去の傾向を見る限り穏健派である事は間違いないし、余程の過ち……それこそ因幡てゐのように異変を起こしたりしなければ直接動くケースは少ない。紫もそう(事なかれ)であると当たりをつけていたのだ。

 

 正邪が狙い、行使していたのは『ドア・イン・ザ・フェイス』と呼ばれる交渉テクニックである。

 あえて通らない要求を予定通り断らせ、次の本当に通したい要求を断り辛い状況に相手を追い込むのだ。

 だからあれほどの挑発も実行したし、自らの手駒を増やすべく秘策まで用意した。だが紫は正邪の予想を裏切った。

 甘く見過ぎていたのだ。

 

「これはお前が過去の紫を知っているからこそ起きてしまった失敗だ。確かに今の紫はそれなりに衰えているだろうが、決して気を抜いていい相手じゃない。かなりのくせ者だ」

「……今あいつと戦って、勝てる見込みは?」

「ある──しかし負ける見込みもあろうよ。我々は未だ万全ではない」

 

 一週間という短い期間で紫に対抗する戦力を揃えるのは、至難の業である。しかも小槌の魔力による扇動は中途半端に終わってしまったため、紫vsそれ以外の構図にすら持って行けなかった。

 このままでは紫に屈する形で幻想郷が纏まってしまう。そうなれば、奴に付け入る隙は完全に消滅してしまうだろう。

 

「ちくしょう……!」

「まあ待て。確かにこの一週間を無為に過ごすのはいただけない事だが、逆に焦る必要もない。多分、戦争は起きんよ」

「何故そう言い切れるんです?」

「言っただろう。あまり今の紫を舐めない方がいい。恐らく一週間後には斜め上な結果を持って我々の前に現れる。気を張っていたのがバカらしくなるぞ?」

 

 そう言って気楽に構える隠岐奈。

 しかし内心は穏やかではなかった。これはそう──ドキドキである。数多の神格、人格を持つ自分ではあるが、この感情を持つのは非常に稀有なことであり、最も好むに値するモノである。やはり紫は今も昔も自分の胸をときめかせてくれる。

 

「くふふ……」

 

 この一連の事件が今後に大きな余波をもたらすことを予見し、隠岐奈はまたもや喜色満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 正邪はドン引いた。

 




???「よし正邪から合図だ!そーれ!みんな自分の現状に不満を持っちゃえー!」

みんな「ゆかりん許せねぇ!」
阿求「妖怪許せねぇ!」
二童子「クソ秘神許せねぇ!」
椛「ゆかりんと天魔許せねぇ!」
藍「ゆかりんに従わんやつ許せねぇ!」
ゆかりん「ゆかりん許せねぇ!」

???「あれ?」



×幻想郷の黒歴史

⚪︎ゆかりんの黒歴史


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東方トリプルハーミット(前)

遅くなり申した


「射命丸ッまだですか射命丸ッ! 早く開けろッ!」

「うっさい! 何ですかこんな夜更けに騒々しい……。いま朝刊を刷ってるところなんだから邪魔しないでほしいわね」

「それどころじゃないんですよ! ああっ、取り敢えず入りますよ!」

 

 仕入れたての新鮮な情報を紙面に捌きつつ、栄えある新聞大会チャンプの未来に向け邁進していた幻想郷最速の烏の元に、騒々しい来訪者が押し掛けていた。

 扉越しに怒鳴り合っていた二人だが、来訪者の方が先に痺れを切らした。ドアを蹴破り、無理やり室内に侵入する。

 

「緊急事態なんです! 直ぐに出仕してください!」

「はぁ? 緊急事態って……例の会合で八雲紫が賢者大粛清を発表したっていうアレの事?」

「いやなんで知ってるんですか!? 先ほどあったばかりなんですけど……いやもういい!」

 

 文の非常識さについて突っ込むのも、最早馬鹿らしい。長年の腐れ縁で彼女の扱いを心得ている椛でさえも、呆れ果てるばかりだ。

 だが今現在、急件として椛のキャパを追い詰めているのは、八雲紫や射命丸文に関する事ではない。いや追い詰められていないと言えば嘘になるが、今もっぱらの緊急事態としてはあまりに弱い。

 

「はたて様が消えました! 幻想郷中を隈なく探してますけど、未だ見つからず……!」

「っ……分かった。私も出るわ」

 

 数瞬の驚きの後、文は紙とペンをそこらに投げ捨て、身支度を最速で整える。

 その間になるべく最大限の情報交換に努めた。長年の連携の賜物といえる。

 

「なぜアンタともあろう者がはたてから目を離したの! 分かってるでしょ、あいつ凄くふわふわしてるから……」

「分かってますよ! 不甲斐ない限り……!」

「山の様子は?」

「専ら今回の講和内容の件で持ちきりで、異変に気付いてるのは恐らく、上層部と、私達だけです」

 

 不幸中の幸いだった。

 もし仮に彼女の失踪が山中に知り渡っていれば、間違いなく未曾有の混乱が起こっていただろう。天狗に恨みを持つ勢力が一斉に蜂起し、かつての醜い争いが繰り返されてしまう。

 それどころか、八雲紫や摩多羅隠岐奈あたりから妖怪の山が再起不能になるレベルの介入を受ける可能性だってある。

 文と椛はそれを何よりも恐れていた。

 

「分かったわ。ひとまず私は幻想郷をひとっ飛びしてくるから、アンタは千里眼で手当たり次第に探してちょうだい」

「ええ、現時点ではそれしか……」

「全く……手がかかるんだから……!」

 

 取れる方法は限られている。

 しかし二人はそれぞれ別分野でのスペシャリスト。幻想郷において比類なき精度の索敵能力を持つ妖怪。そしてあともう一人、姫海棠はたての能力と合わされば、この世に出回る情報の全てを把握できるのだ。

 今回はそのはたて本人の捜索となるため若干不完全な情報収集となるが、幻想郷内での話であれば、文と椛の二人だけでもなんら問題はない。

 

 椛を部屋に置き去りにしたまま、文は黒い辻風となって幻想郷の空と同化する。光の速さで眼前を過ぎ去る景色、無音の空間をひたすら疾駆し、自慢の高速情報処理で視界に収めた範囲に探し人が居ないかチェックする。

 

 それと同時に、文は並列思考で今回の失踪に繋がる経緯が如何なるものか、推測してみた。想像力の豊かさこそ、清く正しい新聞記者の本領といえる。

 

(考えろ射命丸……まず今回の件ははたてが能動的に行ったことなのか、それとも不測の事態、或いは拉致された可能性も……いや、外部からの侵入者が椛の哨戒に引っかからないのはおかしい。それにはたてを拉致るのだって、簡単なことじゃないわ)

 

 はたての能力は戦闘とは無縁の長物。しかし、からっきし戦闘ができないというわけではない。妖怪の山において文の次にすばしっこいのは恐らくはたてであり、力も椛と同等程度には有る。

 そんなはたてを何の痕跡も残さず連れ去る事の出来る人物ともなれば、もはや文では手に負えない領域の話になってしまう。

 

(今は自分にできることに専念しよう)

 

 文はそう自らに念じ、最悪のケースを頭の中から振り払う。はたては自己の判断で姿を消したと、そう仮定した。

 

(どういう思考をすれば今回の行動に至る? ──重責に耐えられなくなって逃亡──現状を打破する奇策を思いつき実践中──いたずらや気まぐれ──憤慨して策無きカチコミ……全部あり得るわね)

 

 はたてとはもう長い付き合いになる。ここ数百年は訳あって疎遠になっているが、椛からの話を聞く限り昔とあまり変わっていないようだった。

 それだけの仲であれば、多少は先の行動を推測できてもいいはずだろうが、文の脳内では逆の現象が起きていた。はたての事を解っているからこそ、推測が覚束ないのだ。

 

 理由はふわふわしているからに尽きる。

 楽観的で直情的、それでいて理屈っぽく、少しばかり知性的でもある。なお根は若干幼稚。それが文によるはたての総評である。

 

(どんな理由があるにしても、はたてが並ならぬモノを抱え込んでいたのは確か。そしてその責任は……やっぱり私か?)

 

 若しくは椛、またはその両名がはたてに与えているであろう影響は負の面込みで無視できるものでないのは、文も重々承知していた。

 

 天狗の安全保障において欠かすことのできない存在として、昔から重宝されてきた三人だが、故に背負う事になってしまった負債はあまりにも過大だった。文は唯一、その負債から逃れる事に成功した幸運な烏天狗である。

 だが他二人に逃れる術はなく、なし崩し的に泥沼に呑まれることとなる。

 

 椛はまだいい。彼女には決意がある。どれだけ心身を擦り減らそうとも、最期まで闘い抜くと誓った想いの強さがあるのだから。

 一方ではたてはどうだろうか? ……正直な話、決意なんてあったものじゃないだろう。望まずして混乱に巻き込まれたのだ。

 

 文は少なからず責任を感じていた。逃げ出すべきではなかった。昔のように、三人一緒に困難と戦うべきだった。

 

 だが、やはり……。

 

 文は幻想郷を愛していた。

 天狗の誰よりも、幻想郷を愛していたのだ。

 

 故に、道を共にすることは、できなかった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「というわけで、賢者を辞めることになりましたわ。以後よしなに」

「ここまで底無しの馬鹿だとは私を以ってしても見抜けませんでした。誇っていいですよ紫さん、貴女は大馬鹿者です」

 

 開口一番にこれである。

 いつものようにキレ味抜群の罵倒がさとりから飛んでくるものの、今の私には全く効かない。

 絶好調オブ絶好調! 故に無敵! 

 

 いやぁ、肩の荷がおりるって言葉はこういう時の為にあるんだとつくづく思ったわね。重責から解放されたおかげで心の奥から全能感が湧き上がってくる! ほんと、正邪ちゃんには感謝してもしきれないわー! 

 

「……取り敢えず、煩いので落ち着きましょうか? お燐、熱冷ましを」

「はいさとり様」

 

 さとりの合図とともにペットの火車が桶いっぱいの氷水を持ってきたため、慌てて心を落ち着かせる。一瞬で私の中の全能感が霧散してしまった。

 あのままはしゃいでいたら恐らく氷水を頭からぶっかけられていた事だろう。ほんと、つくづく陰湿かつ暴力的な妖怪だわ。

 

「貴女のアホみたいな歓声を聞かされる身にもなって欲しいですね。……それで、なんでそんな大馬鹿な決断をしたんですか?」

「ではまず貴女に今回の会議の顛末を教えましょう。大なり小なり、貴女達にも関係のある事ですし」

 

 なんの用事も無いのに地霊殿に来るはずがないわよね。今回の出来事は是非ともさとりの耳に入れておいた方がいいと思ったの。

 では取り敢えず、今日の1日を簡潔に想起するとしよう。準備オッケー? 

 

 

 *◇*

 

 

 発端は藍から妖怪の山での惨状を聞いたところ。ひとまず霊夢から拝借した巫女服を脱ぎ捨てていつもの導師服にばたばた着替えた。そのまま息つく間もなく河童の元へ出向きにとりと色々な事を話し合ったわね。

 にとり曰く、河童は天狗を滅ぼす気などさらさらなく、ただ自分達の力を知らしめ自由を勝ち取る為の戦いだったとのこと。あくまでにとりの言うことだから信憑性については怪しいけど、私に対してそう宣言した以上、ここを落とし所と定めたのだろう。

 

 その後迅速に戦いをストップさせ、講和会議を開く旨を幻想郷中に通達し、華扇と口裏を合わせて、最後に阿求を迎えに行ったわ。忙し過ぎて頭が破裂するかと思ったわね! 

 

 で、ここからが本題ね。

 にとりの要求を通すべく色々な事を言い並べてみたんだけど、その悉くが例の新参賢者、稀神正邪に論破されかけたわ。

 途中からなんか罪をなすりつけられそうになって吃驚したわね! 私がこの世で一番嫌いな事、それは『争い』ですわ。それを私自身が煽ってるなんて、そんなの詭弁もいいところ。私は憤慨した。

 

 だけどね、途中からアレ? って思い始めたのよね。正邪ちゃんの言ってること正しいかもしれないって。私みたいな力を持たない妖怪がでしゃばった所で上手くいくはずがないのに、なんで私は今に至るまでデカい顔をしてたんだろうって凄く恥ずかしくなってきたの! 

 

 よくよく思えば私のやってきたことは全て失敗ばかり。賢者なんて大層な地位に身を置けたのも他の賢者方々のおかげだし、私が賢者になって得たものなんてカッコいい肩書きだけだし! 

 思わずお気に入りの扇子をへし折ってしまうほどのあまりの羞恥といたたまれなさに、私は賢者の辞退を決意したわ。

 

 ただ何の理由も無しに辞めるのは藍が許してくれなさそうだから、適当な理由を付けて辞める事にした。今回の戦争責任云々の件はまさにうってつけだったわね。

 しかも途中から正邪ちゃんが私に対して色々と援護射撃をしてくれたおかげでとてもスムーズに話は進んだわ! 流石は草の根ネットワークのリーダー! 弱小妖怪の味方! 

 

 そして私は賢者の辞退を堂々宣言! さらに、大妖怪ヅラしてるだけの隙間妖怪よりも賢者にうってつけの妖怪は沢山いるよねと付け加えた。

 藍と阿求はめちゃくちゃ焦ってたわね。まあ今回私が賢者を辞任するにあたって一番余波を受けるのはこの二人だろうし、当然の反応といえよう。正直申し訳ない……。

 

 まあ流石に藍と阿求に丸投げは粛清&謀叛案件だと思ったから、辞任の為の準備──後継者の選定を一週間以内に行う旨は伝えておいた。最後に私の辞任への決意は固い事を付け加えて想起は終了。

 

 私は自分の思いの丈をぶち撒けたことに満足し、意気揚々とスキマで会場を後にしたのだった。

 

 

 *◇*

 

 

「……お燐。私に頭を冷やす為の氷水を」

「さ、さとり様しっかり!」

 

 顳顬を抑えながらクソデカため息。額に水袋を当てながら、さとりが信じられないものを見るような凄まじい視線を向けてきた。

 えっ、なになに? 私なんかやっちゃった? 

 

 我ながらあの時の演説は上手くいったと思ったんだけど。それこそ永久保存版として残しておきたいほどに! 

 

「で、その後、藍さんにも事の経緯を説明したと」

「ええ。私の後任に藍が就いてくれるならそれに越した事はないわ。ただ、にべもなく断られちゃったわね。残念」

「私は彼女が貴女への愛想を尽かさない……もとい尽かせない様が哀れで哀れで仕方ないですよ」

 

 酷い言われようではあるが、だがまあ確かに言われてみれば、藍に依存し過ぎてるような気がしないこともない。これも全部パーフェクト過ぎる藍がいけないのよ! 

 あの子が晴れて正式に筆頭賢者の座に就いてくれれば幻想郷は一気に平和になるのに、何故か裏方の仕事ばかりを好むのよねぇ。

 

 拒否する藍を無理やり賢者にしても仕方ないし、他なる候補の元に向かわねばならない。そうして私は取り敢えず統治能力のありそうな連中に片っ端から私の引き継ぎをお願いする事にしたのだ。

 

 なおその間、厄介なゴタゴタは藍が全て引き受けてくれる事になった。軟禁&監視も一旦中断としてくれた。最初は自分も付いて行くと言って聞かなかったんだけど「まずはさとりの元に行く」って言ったら、案外すんなり許可が出たのよね。ここ謎。

 だけどまあ何にせよ、これで心置きなく、私は賢者として最後の仕事に臨める運びとなったのだ! 

 

「そして、白羽の矢が立ったのが私と」

「ええ。貴女なら何一つの不足なく私の代わりを務めるどころか、幻想郷を滞りなく運営することも可能でしょう。それに貴女って確か妖怪の山出身でしょ? だからあの伏魔殿の制御もお手の物なんじゃないかと」

「……」

 

 地底は幻想郷に非ずと唱える賢者は少なくない。修羅蔓延る幻想郷を遥かに超える治安の悪さや、支配体制の相違など、確かに幻想郷とは文化的に異なる側面を持っているのも事実。

 しかし分類上、私は地底も幻想郷の一部と見ている。地底の住民は元幻想郷の妖怪が大多数だし、何より互いが影響を強く及ぼし合っているからだ。

 

 さとりは相変わらずよく分からない白けた目で此方を見ている一方で、傍らの火車からの威圧が目に見えて増大したのを感じる。

 いまさらだけど、火車──火焔猫燐ってやけに私のこと嫌ってるのよね。この理不尽さは紅魔館のメイドに近いわね。どっちもなんかサイコパスの毛がありそうだし。

 

「結論から言いましょうか。私は幻想郷の賢者なんてゴメンです。代わりを当たってください。ていうか、あの馬鹿らしい宣言をさっさと撤回してこれからも貴女が務めるのが一番でしょう。貴女の代わりなんて居ませんよ」

「あら、珍しいわね。貴女いつも私に向かって『賢者向いてないから辞めろ』なんて言うくせに。ふふ、それが本心かしら?」

「ぶち殺しますよ?」

 

 怖い。

 

「貴女は幻想郷一の嫌われ者、そんな貴女がトップに居れば下の者達はいずれ愚君を引き摺り降ろそうと団結するでしょう。まあ要するに共通の敵が必要なんですよ」

「私が嫌われ者……?」

「自覚がないのなら紫さんのことを疎ましく思っている人妖を一人ずつリストアップしてあげますよ」

 

 机から羊皮紙を取り出してスラスラと書き込み始めるさとり。あまりに悲しくなったのでスキマで紙を取り上げてそこら辺に投げ捨てた。

 なお紙面には「古明地さとり」と記入されていた。うん、知ってた。

 

 そっか、共通の敵かぁ。

 非常に悔しいけれど、確かに一理あるかもしれないわね。私が嫌われ者かどうかは兎も角として、この幻想郷では度々アンポンタン修羅達が手を結ぶ例外的な期間があった。

 例えば吸血鬼異変の時だったり、八意永琳と殺り合った時とかね! 

 

「なるほど、共通の敵。少しばかり参考にさせていただきますわ」

「……本当に賢者を辞めるんですか?」

「ええ。そもそも私では役不足にも程がありましたし、真に幻想郷を憂う者が居ることも分かりました。これ以上、私があの座にしがみつく必要もないでしょう」

「貴女って本当、見る目ないですよね。……まあいいですよ。私には止める権利などありませんし、辞めたいのならどうぞお好きに」

 

 最後はやけに投げやりだった。うーん、さとりを賢者に捩じ込む作戦は失敗か。毒を以て毒を制そうと思ったのよね、ほらさとりの言ってた共通の敵にも通じるものがあると思う。

 

「誰が毒ですか。私は良薬ですよ」

「苦ければ良薬って訳でもないでしょうに」

 

 さてさて、それじゃあ次を当たりましょうか。

 共通の敵なら相応しい奴が何人かいますし。

 

 と、私は去り際に地霊殿に来てからずっと不可解に思っていたことをさとりに問う。

 

「そういえばドレミー……あとてゐを見ないわね。貴女には彼女らの監視をお願いしていた筈だけども、大丈夫なの?」

「ええ大丈夫ですよ。彼女らは私の統制下に置かれています。間違っても、再度牙を剥くことはないでしょう。他ならぬ私が保証します」

「流石ね」

 

 こういう点でさとりは頼りになるわね。彼女相手じゃ謀叛を起こそうにも事前に潰されて終わりでしょうし。

 まあ彼女が私を裏切ってたら分からないけど! 

 

 最後にさとりにこいしちゃんへのお土産を渡して、私は地霊殿を後にした。今回も会えなかったのは寂しいけど、賢者を辞めて隠居すればこいしちゃんやフランと毎日遊べるようになる。その輝かしい未来を想像するだけで、幸せな気持ちになれるわね……。

 

 ますます賢者辞任への思いが強くなったわ。なんとしても引き継ぎを成功させて賢者を辞めてやるんだから! 

 

 

 

 

 

「ふふふ……久し振りね八雲紫。()()()と殺し合って以来かしら? なんにせよ、元気そうで何より」

「久し振りというなら私達もよねぇ、紫。あいも変わらず癪に触る面してるわね。もしかして挑発してるの? 殺すわよ?」

「……」

 

 拝啓、AIBO。

 ここは地獄ですか? 

 

 動機は単純なものだった。さとりの次に私が賢者候補に選んだのは、かの暴君蝙蝠レミリア・スカーレットその人。幻想郷共通の敵といえばやっぱこいつでしょう。

 

 何故かボロボロな門番に挨拶して、いつも通りメイドに心底嫌そうな顔をされながら応接間に案内されて──其処には幻想郷に名高き三悪が居たのだ。

 

 まず目的のレミリア。頗る上機嫌な様子で上座に踏ん反り返っている。

 次に何故お前がここにいる第一号の風見幽香。早速殺害予告が飛んできた。めっちゃ怖い。

 最後にお前はここにいちゃいけない第一号の八意永琳。無言で私を凝視している。誰か助けて。

 

 そうだ、確か藍からの報告書に幽香が監視対象の永琳とともに紅魔館入りしたって書かれてたわね。完全に忘れてたわ。

 そもそも経緯が不明なのよ! こいつらって絶対水に油の関係でしょ!? なんで仲良くテーブル囲んでお茶会してるの!? 

 

 まあ取り敢えず座れやと、レミリアに目で促されたので唯一空いている席に座る。対面にレミリア、左方に幽香、右方に永琳……八雲紫絶対殺す包囲網か何かですか? 

 あと右からの視線がやばい。

 

「まったく、何処に行ってたのよ。せっかくの戦勝パーティもお前が居ないと締まらなかったわよ。折角招待状まで出したのに」

「ちょっと外の世界にね。……『戦勝』っていうと、例の異変の?」

永琳(こいつ)ら月の走狗を倒したあの異変以外に何があるのかしら?」

 

 永琳を指差してケラケラ笑うレミリア。やっぱこいつ性格悪いわ。「永琳を見せしめにして飲むワインは最高」的なことまで言ってて、その場面を想像しただけで胃腸が痛む……! 

 あと貴女って永琳にボコボコにされてなかったかしら? 気絶してたから詳しいことはよく知らないけど。

 

 で、永琳はそんな悪魔の悪戯も意に介さず、私の方を凝視している。ほんと怖いからやめて欲しい。なんなの? 貴女もしかして私のことが好きなの? だからそんなに見てくるの? 

 とまあ、冗談はこのくらいにしておいて……いま私はとても危険な状況下にいるのだろう。さっきから肌が粟立つのってつまりそういうことよね。脳内が麻痺するほどの膨大な殺気を当てられておかしくなりそうよ。

 

「そのくらいにしなさい永琳。こいつに手を出せばお前はもちろん、冥界の兎に地底の兎、そして竹林の姫様もただじゃ済まないわ。現状がどれだけ恵まれたものであるか、天才様なら分からないはずもないでしょう?」

 

 そろそろリバース間近というところで、幽香からの助け舟。永琳は尚も冷たい眼差しを向けるものの、肌を刺すような鋭利な殺気は消えた。

 まさかあの花魔人に助けられる日がくるなんて……明日は雹でも降りそうね。

 

「レミリア、そろそろ聞いていいかしら。何故この二人が此処に居るの? 当人の前で言うのもなんですけど、貴女達って水と油みたいな関係だと思うんだけども」

「そうね──確かに、好き好んで月の走狗や土臭い妖怪と馴れ合う奴なんていないでしょうね。だがこいつらは行き場(太陽の畑)を無くしてしまったみたいでね、仕方なく置いてあげてるのよ」

 

 あっ、太陽の畑が吹っ飛んだって話はマジなのね。一応藍からの報告で概要は把握してたけど、何かの間違いなんじゃないかっていう思いと少なからずあったのよ。そしてたった今、その思いは当事者どもによって無残に砕かれた。

 冷静になって考えると、これも私が賢者である故の弊害と言えよう。私が舐められてるせいでみんな好き勝手に暴れ回ってるんだもの。

 幻想郷を抑え込めるほどの強い統治者こそ、本来賢者に相応しい人材なのだ。間違っても私が就いていいものじゃない! 

 

「取り敢えず二人とも表向きは食客として受け入れてるけど、実際は幽香は庭師、永琳はフランの主治医として雇ってるわ。まあ腕は確かだからね、せいぜい役立ってもらうさ」

「なるほど。……いや、それでもよく受け入れたわね。幽香は兎も角、永琳は……」

「それはお前にも言えることでしょう? 紫」

 

 予想外の切り返しに戸惑う。

 

「お前は私たちを見事に受け入れてみせたじゃないか。私たちを益になるから生かしたと言うのなら、それは永琳だって同じよ。こいつには利用価値がある。少々、うちのメイドとも因縁があるしね」

「ああ、貴女も苦労してるのね……」

「どういう意味よ?」

 

 私と同じという事はつまり、自分には手に余る連中を無理やり受け入れざるを得ない状況に追い込まれたって事でしょう? 

 苦労人レミリア……珍しい絵である。

 

 あと、軽く流してたけど永琳がフランの主治医ですって? 薬の調合が得意だって事はてゐから聞いてたけど、この人メンタルケアまでできちゃうの? 

 怪しいわね。もしかしたらレミリアは秘密裏にフランを始末する例のDV計画を諦めていないのかもしれない。

 

 ……レミリアを賢者にするのはやめておきましょうか。あんまり力を持たせると、いざという時にフランを救えなくなるし、永琳や幽香の干渉を受けるかもしれない。さとりのアドバイスを真に受け過ぎて若干迷走していた。強さだけが賢者たる資格とはならないのだ。

 

「で、こんなタイミングでお前が此処に来たという事は、私かこいつらに何か用件があるんじゃないの?」

「いいえ何も。ただの顔見せよ」

「ふーん……まあいいわ。せいぜい()()()()()をお願いするわね。私はあくまで()()と休戦協定を結んでるんだからね、後任が生半可な奴だったら今みたいに従うつもりは毛頭ないわよ」

「っっっっっ!? ……ぁっ、能力か」

 

 私の思惑が完全に筒抜けだった件について。

 一瞬目の前の吸血鬼がレミリアの皮を被ったさとりに見えたが、よくよく考えると運命を操るだの把握するだのよく分からない能力があれば、私の思惑を知る事も可能……なのかしら? 

 もし仮に私が自分の後任にレミリアを選んだ運命が存在するのだとしたら、まあ確かにレミリアには筒抜けでしょうね! 

 

「どういう意図で私をお前のポストに収めようとしたのか、そしてこの土壇場で私はそれに相応しくないと考えたのか──詳しい事は敢えて聞かないわ。もし勧められても断ってたしね」

「あら意外ね。貴女ほどの妖怪がこの地で橋頭堡となる地盤を得ることができれば、いずれは幻想郷の支配も……」

「面倒臭いからね。陰でこそこそやってるみみっちい連中と話す事なんか何も無いわ。……それに、そんな事に構ってられないくらいには面白そうなイベントがあるの。ねぇ? 永琳」

 

「何度も言うけど、無謀よ。貴女(レミリア)の妄言がどれほど滑稽なのかは、他ならぬこの八雲紫がよく知ってるはず。月に送るのはこの隙間妖怪だけで十分よ」

 

 私が此処に来てからずっと黙り込んでいた永琳が、初めて声を発した。相変わらず底冷えするような恐ろしい声音。言葉の裏からひしひしと感じる嫌悪感とか殺意が全て私に向けられていると考えるだけで震え上がる思いだ。

 

 で、なに? 私がよく知ってる? 

 そんないきなり話を振られてもなんと答えればいいのやら。試しに三人を窺うも、永琳は無表情、他二人はニコニコ笑顔(なお威圧)

 

「実現可能かどうかは私達が決めるわ。──で、どうかしら? 紫。賢者を辞めた後は私と一緒に月を獲ってみない?」

「遠慮させていただきますわ」

 

 即座にレミリアからの申し出を断り、スキマを開いて帰宅……というわけにもいかず、メイドが私の首にナイフを当てながら「座れや(意訳)」と脅迫してきたので、渋々着席した。

 

 正直に言いましょう。

 私はもう月に関わりたくないの! どいつもこいつも私のこと本気で殺そうとしてくるし、実際何度も死にかけたし! 

 

「ねぇ紫。貴女、あそこに攻め込んだ事があるんだってね? その時は負け帰ったみたいだけど、今度は大丈夫よ。私がいる」

「申し訳ないけれど、私この後大人しく隠居する予定でして……」

「お前が隠居? まさかとは思うけど、そんな平穏な日々を過ごせるほど自分の運命が甘いものだと考えてるのかしら?」

 

 不吉な事言わないでくださいな! 私はもう何もしたくないんですぅ! 大人しくマヨヒガとか博麗神社で日向ぼっこしながらお茶を啜ってたいんですぅ! 私主導での月との戦争なんて天地がひっくり返ろうと実現する事はないわ! 

 

 あとそこの花魔人は滑稽そうに笑わない! 表情を崩さない永琳を見習いなさい。……あっいや、やっぱなしで。

 

「兎に角、そういう話は私の後任賢者と話し合ってちょうだい。安心なさい、私よりもずっと優秀な者に後事を託すつもりですから」

「まあ一応見定めてやる心算ではあるけど……正直、あんまり期待はしてないわよ。私は貴女が()るのがベストだと思うし」

 

 お褒め預かり光栄ですわね! 丁寧な皮肉ありがとうございました。

 げんなりしながらその場を後にしようとすると、レミリアは手元にあった紙の束を投げ渡してくる。決闘者ばりの投擲スピードにびっくりしつつ、スキマでキャッチした。

 

「そうそう。5日後に月への旅行日程を大々的に宣伝するパーティを開こうと思うの。それが招待状ね」

「いや私は……」

「あと他にも霊夢の分に式神の分。あと最近お前が連れてきた変な連中の分も咲夜に作らせておいたわ。来てちょうだいね」

 

 有無も言わさぬ高圧的な態度でそんな事を言うレミリア。私がいま引き継ぎに追われてること知ってるはずよね? 

 いや確かに早苗と神奈子(ついでに秋姉妹)を紅魔館に招待するのはいいと思うのよ。幻想郷の面々に彼女らの事を紹介してあげたいし。

 

 だけど今はないわー! こんな戦争終結直後で幻想郷がぐらついてる時にレッツパーリーできるわけないでしょうが! 自粛しろ自粛! 

 まあレミリアが聞届けるはずもないけどね。パリピDQN蝙蝠には何を言っても無駄だろうし……はぁ、もうやだ。絶対隠居する。

 

 

 

 

 

 

 

「神奈子。貴女に賢者の座を譲ろうと思うのだけれど、どうかしら?」

「辞退させてもらう」

 

 あまりにも予想通り過ぎるその返答に、私は少々げんなりしながら了承の意を告げる。あからさまに嫌な顔をするわけにもいかないので、怪訝な様子を隠そうともしない神奈子と、首を傾げている早苗に笑みを返す。

 

 これで私の勧誘は6連敗。ついにアテがなくなる所まで行き着いてしまった。ここまでくれば流石の私でも否が応でも気付かされたわ。

 どうやら私の後任って頗る面倒くさいみたい。つまり超絶不人気職ってわけ。幻想郷の傑物達にここまで忌避される職に数百年就任してた八雲紫とかいう妖怪をどうか褒めて欲しいわ。

 

 まあ……正直神奈子にお願いするあたりからもう諦めの境地だったわね。そもそも神奈子は新参ゆえに幻想郷に対しての影響力が未だ少なく、全盛期の力も未だ戻っていない。そんな彼女にそっくりそのまま私の後を引き継がせるというのは酷な話か。

 いやだったら影響力も実力もない私がなんで賢者やってるんだって話よね。よく分かってますとも。ええ。

 

「しかしなんだ、他に候補は居なかったのか? 幻想郷は人材の宝庫だろうに」

「実力は有っても思想、統治能力、バランス感覚、立場諸々欠如してる者が多くてね。これがなかなか……」

 

 これらの要素の中で完全とはいかずとも、複数を満たす者は少数いることにはいる。例えば幽々子とか慧音とか。神奈子もそうね。

 まあみんな断られたんですけど! 

 

「参ったわね……こんな所で躓くなんて」

「えっと、お師匠様? 私にできることなら是非ともお任せしてもらえませんか?」

「気持ちだけいただいておくわね」

 

 心配そうに覗き込む早苗に笑みを返す。気持ちは嬉しいんだけどね、貴女のような汚れを知らないか弱き乙女には縁の無い話よ。

 ていうか早苗を危ない目になんて合わせられないわ。亡き友人(諏訪子)の忘れ形見……守らなきゃね! 

 

 けど早苗と神奈子を守るにしても、やはり賢者の力……特に天魔と張り合うだけの勢力が必要にはなってくる。

 やはりまだ辞めるべきではないのかしら……? 

 

「紫にも何か考えがあるんだろうが、私としては、お前が続投するのがベストだと思う。この幻想郷を治めるのにお前ほどの適任者はそうそういないだろうね。早苗はどう思う?」

「えっとですねぇ……どんなお仕事をされてるのかはまだイマイチ分からないんですけど、お師匠様のやる事なら間違いはないでしょうし、何より安心だと思います! なんたって、お師匠様はできる人ですから!」

「……」

 

 えっ、なにやだ恥ずかしいわね。なんか久々にストレートに褒められた気がする。……ちょっぴり嬉しい。

 

 そっか。思い返せばさとりもレミリアも幽々子も……みんな、私が適任だって認めてくれていたのね。賢者としての私を信頼してくれていたのか。

 ふふ……なるほどね。

 

 そりゃあアイツらからしたら私なんて一級品のスケープゴートでしょうよちくしょう!!! 嬉しさ余って怒り百倍!!! 

 私は騙されないわよ! 

 

「何はともあれ、貴女の意思はよく分かりました。残念ですが、他を当たることにしましょう」

「すまないな。今回は力になれないが……いずれ何か別の形で埋め合わせをしよう。私達はあまりにもお前から貰い過ぎているからな」

「まずは信仰を優先してくださいな。全盛期の頃と変わらない貴女が味方となってくれるなら、大変心強い」

 

 互いに強く頷きあう。神奈子って尊大な割には、しっかりと自分の立ち位置を理解して身を弁えてるのよね……。かなり強かである。

 今のところ天狗たちも神奈子と早苗にはあまり強く出られないみたいだし、なんとか今の状態を保っていきたいわね。

 

 あっいや、そこらへんは後任の役目! 私が考えることじゃないわ! 具体的な対策は後任に丸投げよ! 

 まあいざ二柱が危なくなったら多少強引にでも博麗神社に移住させればいいしね。霊夢の説得? 後任にお任せするわ。

 

 

 

 

 早苗の見送りを背に、もはや歩き慣れた石段を降りつつ、思考に耽る。

 何か物事をじっくり考える時、別な物事を並行して行なっていると脳の効率が良くなるらしいからね、わざわざ歩きながら考えているのだ。ゆかりんの豆知識、覚えておいて損はないわよ。

 

 しかしそれにしてもホント上手くいかないわね。私の計画ではさとりに丸投げしてそれで終わりだったんだけどなぁ。まさかここまで不人気職だとは思わなかった。それだけ私が超絶ブラックな仕事をこなしていたっていう何よりの証左よね! 

 

 妖怪の山のむせ返るような自然の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、陰鬱な思いを洗い流そうとするも、頑固な汚れの如きそれは、全くなくならない。それどころか増大する一方だ。

 ええい落ち着け八雲紫! まだ時間は一週間あるわ、それまでに決めれば大丈夫よ! 頑張れ頑張れ八雲紫! これが最後の仕事よ! 

 

 よし。ここらで一つ、方向を転換しましょう。

 私は自分の後任に完璧を押し付けすぎたわ。次からはそうではなく、内面重視で選定を行うこととする。

 そう、何より大切なのは人柄と理想だ。みんな仲良し幻想郷という最高で最難な私の夢に共感し、さらには実現してくれる人を次の賢者にしたい。

 共通の敵とかそんなものに拘ってる場合ではなかったのだ。やっぱり人って中身が一番大切なのよ! 私みたいな! 

 

 しかしここは幻想郷。暴力と破壊に塗れたこの土地では崇高な人格者から消されていくのが常というもの。平和志向の妖怪や神なんて滅多に居ないわ。そう、私みたいな! 

 

 なので探すとしたら、外の世界とかあの世とか、幻想郷とは境界を別にする場所に目星をつけるのも良いかもしれないわね。地底は勿論NGで。

 となると……()()()なんかは一度も行った事が無かったわね。

 

 思い立ったらすぐ行動! スキマを開いて博麗神社に降り立つ。

 境内を掃除していた霊夢は若干こっちを見遣るだけでほぼ無視。昨日の事をまだ根に持っているようだった。いい加減機嫌を直して欲しい。

 だけどまあ、今日はいいわ。用があるのは霊夢でも、あうんでもない。

 

「はぁい萃香。御機嫌よう」

「おっ紫じゃん。どうしたのさお天道様もまだ高いこんな時間に。飲みに誘うにゃちょっと早いんじゃないかい?」

 

 私は別に構わないけどね、と伊吹瓢を煽りながらカラカラ笑う萃香。いつも通り過ぎて逆に安心するわね。

 萃香も萃香で賢者候補ではあるけど、多分幻想郷の安定よりも混乱の方が先行すると思うのでまだ誘っていないわ。

 

「今日は貴女に折り入って頼みがあってね。聞き届けてもらえるかしら?」

「いいよ別に。暇だし」

 

 内容を聞くまでもなく快諾してくれた。どうやら私達の仲に頼みごとを断るという概念はないらしい。非常に頼もしいけど、ちょっぴり怖くなる私であった。もし私の後任になって欲しいと頼めば、彼女は快く引き受けてくれるのだろうか、と。

 そんな事を薄っすら考える。

 

「で、その頼みっていうのは?」

「貴女、確か天界の一画を不法占拠してたわよね。それに関連した事なんだけど」

「ほうほう」

 

 占拠という物言いにいくらか反論でもしてくるんじゃないかと思ったけど、萃香は頷くばかり。多少なりの自覚はあるのだろう。

 余計にタチが悪いわね! 

 

 そう、今回の目的地は天界! 幻想郷とは最低限の繋がりしかない土地ではあるが、仙人からさらに昇華した天人様なら崇高な思想の持ち主の方がたくさんいるだろうと見込んだわけ! 実力者も多そうだしね! つまりエリート天人引き抜き作戦! 

 

「つまり、私と一緒に天界へ行きたいと」

「その通りですわ。天人達を見定めるという目的での臨戸ではあるけれど、そのついでに桃の花でも眺めながら……どうかしら?」

 

 スキマから外の世界で買った目新しい酒瓶をチラつかせつつ、萃香を流し見る。鬼は何も言わず、にっこり笑顔で頷くのだった。

 

 




さとり→レミリア→幽々子→慧音→映姫→神奈子の順で勧誘を行なっているゆかりん。
第一候補に挙がる程度にはさとりを信用してるんですね。驚いた()

今回は何やら動きがありましたが、もしこのまま進展がなければ恐らく小傘とか萃香あたりを無理やり賢者にしたんだろうなって。



ハーミット(隠者)

正位置:
経験則、高尚な助言、秘匿、精神、慎重、思慮深い、思いやり、単独行動
逆位置:
閉鎖性、陰湿、消極的、無計画、誤解、悲観的、邪推


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東方トリプルハーミット(中)※挿絵あり

機種変で手間取っちゃった……


 幻想郷は変革の時を迎えようとしていた。

 

 八雲紫による唐突な宣言が変革の引き金になったのは確かだが、自ずと歪みは拡大し、拡散し、やがて限界を超えてひしゃげていたことだろう。

 新たな勢力の参入、八雲紫の元に一極化されていく権限、急速に色を失っていく旧来の者共。潮流ともいうべき時代の変遷は、もはや避けられない。

 

 変化に追いつかぬ者は淘汰されるのが世の常。生き残る為にはそれ相応の『努力』が必要となろうが、それ以前の問題を抱えた者たちもいる。

 それが天狗……妖怪の山の覇者達であった。

 

 統治制度や技術はともかくとして、思想があまりにも太古に取り残されていたのだ。その未開さに摩多羅隠岐奈などは「800年周回遅れ」と彼らを揶揄した。

 だが存外、それで成り立っていたのも事実で、幻想郷の一大勢力として名を馳せる事ができたのは、その『未開さ』のおかげでもあった。

 

 天魔一極主義──それが天狗の歪み。

 既に存在しない虚像を神輿とした苦肉の策。当初はあくまで時間稼ぎの為の処置だったはずなのだ。時間が経てば徐々に新体制へと移行する為の繋ぎ。

 

 誤算は、天魔の影響力が死してなお根強かった事、そして影武者の精度があまりにも高過ぎた事だった。

 

 

 

 上層部への報告を終えた犬走椛は、難しい顔のまま警備部の屯所へ戻り、部下達へ無理難題といえる指令を課していた。

 その内容とは、天狗領外へ逃げ出した裏切り者を捜索し、生きたまま連れ戻す事。そしてその際一切の狼藉は禁止、各勢力を刺激しないよう穏便に協力を要請し、なんとしても任務を遂行する事。

 

 河童との内戦が終結したばかりで、妖怪の山の情勢は今なお不安定である。幻想郷の各勢力の動きも活発化している。その矢先にそんな指令を出された白狼天狗は憤慨した。その矛先は目の前の椛ではなく、上層部に対してだ。かねてよりの不満も合わせて噴出した形になる。

 

「犬走隊長! 上層部は正気とは思えません!」

「たった一人の逃亡兵の為に何故そこまでのリソースを割かねばならないのですか!? 今すぐ命令を撤回させるべきです!」

 

「……気持ちは分かります。正直、私にも思うところがあるのは確かです。しかし、我々が任務を怠れば天狗は真の凋落を迎えてしまう。それだけは何としても避けなくてはなりません」

 

 あくまで現場の妖怪である椛には、部下の白狼天狗達の想いが痛いほど伝わっていた。彼等は何も知らされず上の言いなりにならざるを得ない立場であり、殉職の割合も他の部署に比べ段違いに高い。

 それでも白狼天狗には誇りがあった。天狗という一括りの種族、それだけが白狼天狗を山に繋ぎ止めている鎖なのだ。

 だが今回の指令はそれをも破壊しかねない。各勢力の内情を表立って嗅ぎ回るのだ。それを穏便に済ませようというのだから、右に左へと謙るほかあるまい。

 

 風見鶏な烏天狗はまだいい。あいつらにとって謙る事など朝飯前だろう。だが、誇りを重んじる白狼天狗には何にも代えがたい仕打ちといえる。

 適材適所とは程遠い、明らかな編成ミスだ。だが天狗社会は下位の奉仕によって成り立っているトップダウン方式。そもそもの話、白狼天狗が動かなければ何も始まらないのだ。

 

「私の千里眼では見つからない……それ即ち何者かの妨害が入っています。故に、あなた達の力を貸して欲しい」

 

 椛は勢いよく頭を下げる。勢いに負けた狼耳がへたりと垂れ下がった。

 

「私の不甲斐なさを許してください」

「や、やめてください犬走隊長。私たちはこれっぽっちも貴女を恨んでません。……恨むべきは奴らと、隙間妖怪!」

「気持ちは分かりますが、反感は彼方からの疑念に繋がります。我々の本懐を忘れてはなりません。いいですね?」

 

 声を潜めて、しかし力強く部下を咎めた。

 犬走椛は忍耐を重んじる天狗である。今はまだ雌伏の時であると、そう諭すのだった。

 

 

 その後、白狼天狗は数組に分かれて幻想郷に各自散っていく。担当地域はくじ引きで決定したのだが、人里を引き当てたグループが喜びに打ち震え、逆に紅魔館を引き当ててしまったグループが阿鼻叫喚の嵐に包まれたのは言うまでもない。

 なお椛は八雲担当である。

 

 各班を見送りつつ、椛は思案に耽けた。実は今回の指令の真意について、椛は全てを知る立場にあった。上層部が必死になっている意味も理解できる。

 だが正直なところ、椛の心には迷いが溢れていた。

 件の彼女が妖怪の山から逃げ出したという報告を聞いた時、驚き、怒り、後悔と同時に『嬉しさ』があった。ようやくあの束縛から逃れてくれたのかと安堵すらした。

 

 講和会議での一幕。

 皆が一様に八雲紫を非難している時、椛の怒りは別へと向いていた。自分が守るべき対象へと鬱憤をぶつけていたのだ。

 歯痒かった。

 彼女の脆弱な決断力さえ改善できていれば、同胞は死なずに済んだのかもしれないと。

 若しくは凋落とは無縁な繁栄の中で、名誉ある死を迎える事ができたのではないかと。

 

 好ましく思っていたはずの彼女に向けて憎しみすら抱きかけた。筋違いなのは百も承知。彼女は紛れもない被害者である。だが椛の行き場のない怒りの矛先としては、彼女が適任すぎた。

 

 ……もし彼女を、はたてを見つけたのだとしても、連れ戻す事はないだろう。もう二度と妖怪の山に足を踏み入れて欲しくない。部下達には悪いが、この一件は自分と文で揉み消すつもりだ。

 はたてへの怨みが原因ではない。天魔という存在に徹底的に向いてないはたてを救い出すための処置。故に、講和会議の場でつい発してしまった自分の恨み節で逃げ出してくれたのなら、ありがたいことだ。

 

『どうかお幸せに』と。

 椛は願うことしかできない。

 

 

 在りし日の過去、そしてかつての友を思う。

 

「3人ならどんな困難だって飛び越えていける」──そんな事を言ったのは誰だったか。文か、はたてか、椛か……はたまた天魔か。

 今となっては叶わぬ夢。

 文は天狗を見捨て、はたては天狗に囚われ、椛は天狗に従った。あの時、全てを捨てて3人で逃げ出していればどんなに良かったか。

 

 だが椛には天狗を見捨てる事などできなかった。

 破滅の引き金は自分が引いたのだから。

 

 天狗が最盛期を迎え──同時に終焉を迎えたあの日。

 椛はこの(千里眼)で見てしまったのだ。

 

 自分達の憧れだった天魔が、殺される瞬間を。

 

 天狗の夢が崩壊し、天狗以外の皆が祝福するだろうあの出来事。それは今も椛の心を雁字搦めに拘束している。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「美味しいなぁ、美味しいなぁ! こんなに瑞々しくて甘い桃食べた事ないわ!」

「ふぅん。随分と貧相な暮らしをしてきたのね」

「そーそー。本当に貧相」

 

 満面の笑みで桃を頬張る最中、余計な一言もついでに添えられる。天人による自然体な上から目線の発言。しかし、当の天狗は気にした様子もなく、首肯しながら桃を貪った。

 

 比那名居天子はそうかそうかと相槌を打つ。

 さぞ涙無しには語れない惨めな生活を送っていたのだろうと、らしくもなく同情していた。

 

 ひょんなことから幻想郷より流れてきた天狗を匿うことになった天子。もし彼女が他の天人に見つかっていたのなら、今頃秘密裏に処理されているか、地上に送り返されていただろう。やはり自分は幸福な星の下に生まれているのだと実感する。

 

 匿った理由は簡単、面白そうだからだ。

 些細な刺激ですら貴重な天界に話題を提供してくれる天狗の存在は、天子にとって万金に値する。

 

 だが現状としては、匿うと言うよりは隠していると言うべきか。ひとまず比那名居家の物置に隠しているが、そう長くは保たないだろう。さて如何したものかと思案する最中の事だった。

 

「しっかし聞けば聞くほど面白そうな場所ねぇ、幻想郷。色んな意味で酷い」

「ええ本当に酷いの! 命が軽すぎる!」

 

 憤慨する天狗──姫海棠はたてを眺めながら、天子はまだ見ぬ幻想郷に想いを馳せる。争いに満ちた修羅の世界……懐かしき化外の地。

 天人へと自らの存在を昇華してより一度と振るわれる事のなかった我が全力を、お披露目するのに最適な庭かもしれない。

 

 欲しいなぁ、と。思わず呟く。

 

「ん、欲しい? あっ、桃ね。ごめんごめんお腹ぺこぺこだったから思わずがっついちゃった。一人で食べるよりも二人で食べた方が美味しいに決まってるもんね」

「そう桃が欲しい……って違うわ! 桃なんかとっくの昔に食べ飽きちゃったわよ。此処、桃しかないんですもの」

 

 なんて事を言いつつも、はたてから桃を受け取って端を齧る。確かに、二人で食べる方が美味しいのは同感である。

 

 

 

「──で、そういうわけなんだけど天界案内して」

「何がそういうわけなのかは知らないけど、いいよ別に」

「やったやった。なんだ、頭に桃乗せてるくせに良いやつじゃん」

「え、何? なんで私ケンカ売られてんの?」

 

 ちょっぴりムッとしたが所詮は下の民。腹を立てるまでには至らない。

 それよりも、天界の案内を反射的に承諾してしまった直後に現状を思い出す。そういえば匿っている最中だった。

 

 天子は少し頭を捻って策を練る。

 よし、こうしよう。

 

「けどね、天界なんてとこにわざわざ見るようなものはないのよ」

「へ?」

「地上と大して変わらないわ」

「えー?」

「違うのは住んでるのが天人だってことくらいよ。あ、あと桃くらい」

「何で?」

「分からないわ。気になるんなら、そこら辺の奴に聞いてくればいい。どうせ皆、これでいいんだって言うんでしょうけど」

「どういうこと?」

 

 探究心の強いはたては矢継ぎ早に問いを投げつける。それに対し、天子は自らの鬱憤を多少込めて語る。

 

「さぁね。もう一度聞けば、修行が足りないから分からないんだって言われてお終いよ。ほら、こんなつまらないところ観光したってしょうがないでしょ? ここにあるもののほとんどは地上にもあるわ。ただ地上にはあって天界には無いものはいっぱいある。みんないらないって捨てちゃったのよ」

「ふぅん? なんだか熱がないというか、つまらない人たちね」

 

 変化を恐れる気持ちは分からないでもないが、不変を甘んじて受け入れてしまっては生物として決定的なモノが欠落しているに等しい。

 また、はたてとしては何気ない論評のような発言だったのだが、天子はあくまでそれを『肯定』として捉えた。

 

 この世界に飛び込んで以来、初めて貰えた『肯定』──自らの正当性を認めてくれたような気がして、天子の頬が緩む。

 

「そう、そうなのよ! あんた話が分かるじゃない! ここのやつらなんて、日がな一日、詩とか詠ってるだけなのよ」

「えー? たぎる冒険譚とか、未知を既知に落とし込む興奮は?」

「すでに満ち足りてるのに、これ以上何を求めるというの? もうお腹いっぱいってことよ。──ね、つまらないでしょ?」

「はっきり言ってクソね!」

 

 さらに笑みが深くなる。なかなか見所のある妖怪の登場に、天子は満足げに頷いた。ぬらりくらりと全てを肯定してくれるはたては、天子の自尊心を満たすにはうってつけの存在といえる。

 

「天界は私のような高貴な者が住むにはうってつけだけど、肝心の天人連中は根が腐ってる。あいつらはどうにもならないわ」

「あっ、天界自体は好きなの?」

「そうそう。なんのしがらみも無ければ、あんな奴らすぐに追い出してやるのになぁ」

「追い出す……」

 

 気を大きくした天子は、桃にちょっぴり齧り付きながらそんなことを宣う。

 戦力的には十分可能だろう。天人全員の内情を正確に把握しているわけではないが、相手になりそうな奴なんて多分殆どいない。片手間に制圧できてしまう。

 

 新参の天人としての面目もあり、これまで幾度となく行動を自制してきた天子だが、はたてに思いの丈を打ち明けることで、ついにと言うべきか、箍が外れつつあった。

 さらにはそんな物騒な思いすらもはたては諌めるどころか全肯定するものだから、増長はさらに顕著なものへとなっていく。

 ツッコミ役不在の恐ろしさである。

 

 と、ここで天子に電流が奔る。

 

「ねぇ、お話を聞く限り、お前を虐げていた幻想郷の妖怪──特に山の連中はろくでなしという事だったな?」

「ええ。そうだけど」

「ふむ……ならそんな連中は消してしまうべきよね?」

「そ、それはちょっと」

 

 初めて天子の言葉に難色を示す。基本血生臭い事は嫌いなのだ、どれだけ相手が腐っていようとも、流石に粛清だとか、仇討ちなどという発想は出てこない。

 

「なにも殺すべきとか、そういうのを言ってるんじゃないのよ。そういう連中は幻想郷から追い出すべきじゃ無いかって、提案してるの」

「言うのは簡単だけどね、ウチにだって色々しがらみがあるの」

「そうよ。お前も私もしがらみに縛られ過ぎている。そしてそれを打破するには自らの力では困難だと言えるわ。そこでよ! 私達がそれぞれの敵をすり替えたらどうなると思う?」

 

 天子が言いたいのは、つまりこういう事だ。

 天界の堕落した屑ども、幻想郷に巣食う屑ども。これらを思い入れのある地から排除するのは天子とはたてにとっての悲願であるが、共に立場や身内へのしがらみ等あって実行に移せない。

 ここで重要になるのは、2人の思惑が合致している事。互いに協力体制を築く地盤が整っている事にある。

 

 天子の語った作戦内容を一部抜粋すると、まず、天子自ら直々に幻想郷へと降臨し、地上の民の解放という大義名分で支配者層を武力で一掃する。

 次に幻想郷の統治機構をはたてに一任し、幻想郷の気に入らない妖怪たちを天界に送り込み、戦いを誘発させる。なおその間自分は悠々と高みの見物。

 最後に、ほどよいところで仲裁に入り、戦争を起こした責任を取らせて、気に入らない連中を何処ぞに追い出してしまえばいい! 

 

 天子は、にひひとほくそ笑んだ! 

 なお、はたては完全な無表情。目は死んでいた。

 

「というわけで歓びなさい()()()! 明日からお前は地上の王よ」

「え、なに? ツッコミ待ち?」

 

 争いは嫌だと先ほど明言したばかりじゃないか。ははーん、さては私の話なんてろくに聞いちゃいないわね? あー慣れてる慣れてる。いつもの事だし。

 なんてことを思いながらも、ダークサイドに沈みつつある思考をなんとか切り替える。伊達に数百年間()()()()()()をやってきたわけじゃない。

 

 

 そう、姫海棠はたては賢者である。

 とはいっても実権があるわけではなく、能力によって形成した偽りの姿で上座に構え、天狗上層部の意のままに発言し、それ以外の時は沈黙を貫くだけの、お飾り賢者であった。

 

 だがついにというべきか、そんな生活にとうとう嫌気がさし、全てを捨てて天界に逃げてきたのだ。なのに何故再び仮初の支配者を望まなければならないのか……理解に苦しむというのが率直な感想だ。

 

「あのね、私は新聞記者になりたいの。幻想郷の王になんてなりたくないわ」

「新聞記者?」

「そ。この偽りに満ちた世界に真実をお届けするのよ! みんなを笑顔にするような最強で最高な記事を書くの!」

「あーはいはい。悪いけどその夢はあまりお勧めしないわね。ゴシップは智にあらず、興味だけでは新聞は社会にとって負の働きを為すわ」

「お遊びじゃないわ! 本気よ!」

 

 ふぅむ、と。天子は考え込む。

 なかなか決心は固いと見える。しかし『天魔』という適度な権威と適度な火種を抱えた虚飾の姿は、幻想郷の統治における名分としては申し分ない。遊び場を手早く確保するにははたての協力が必要不可欠だ。

 

「大丈夫よ、お前は上で踏ん反り返ってればいいの。時間は嫌でも余るからその間に新聞でも何でも書けばいい。改革は私がやってあげるから」

「うーん……」

 

 結局今と変わらぬ傀儡の身。しかし、天子はなるべく此方の事情に寄り添ってくれるようだし、新聞も好きに書いていいと言う。

 正直なところ、このじゃじゃ馬天人が八雲紫や摩多羅隠岐奈、茨木華扇に勝てるかどうかはかなり怪しい。返り討ちに遭った挙句、実情はどうであれ背後にはたてが裏に居た事が知れれば大変な事になる。文や椛だって巻き込まれるかもしれない。

 

 だけど──。

 

 泥土の如き絶望に幾年間も囚われていたはたてにとって、天子の申し出に甘美な響きを感じたのは確かだった。そして、その僅かな隙を天子は見逃さなかった。

 

「悪かったわね、話があまりにも性急過ぎた。何も結果を示さずしてこんな話に乗ってくれるわけがないわよね」

 

 ふふん、と自信満々に笑う。

 

「私は己の力に疑問を持った事なんて生涯において一度もない。この拳一つで地上を征する事だってできるはずよ。でも──もっと分かりやすい示威的な物があって然るべきかもしれないわね。ちょっと待ってなさい、面白い物持ってきてあげるから!」

 

 そう告げるや否や、物置からバタバタと飛び出していく。そのあまりの慌ただしさは予期せぬ天災──まるで台風、というよりは地震のような女だなと、はたては桃にかぶり付きながら思うのだった。

 

 やっぱり甘い。とっても甘い。

 世間様もこんくらい甘ければ良いのになと。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「けど流石に毎日は『ない』わよねぇ」

「まあね。……友と飲む酒の肴にゃ持ってこいだけど、これ()だけで腹を満たすのは流石にキツイなぁ」

 

 そんな事を悠長に話しながら桃に噛り付く。口の中を満たす甘みと華やかな桃の香り、そして眼前に咲き誇る満開の桃の花。

 実に優雅なひと時ね。こんな生活を好きな時に堪能できるっていうのも、案外悪い話じゃないかもしれない。けど流石に毎日はないわー、っていうハナシ。

 

 カラカラと笑いながら御機嫌な様子で酒を煽る萃香と会話に花を咲かせつつ、私は次なるプランの為に策謀を巡らせていた。

 今回、私がわざわざ天界(こんな所)まで来たのは、花見目的じゃないわ。私の後任賢者を探しに来たの、そこらへん忘れちゃいけない! 

 

 実は天人とのファーストコンタクトには成功してるのよね。天界に足を踏み入れた瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げちゃったけど。

 アレか、やっぱり萃香は天界においてもかなり名が知られていて、なおかつ恐れられていると。流石としか言いようがないわね! 

 けどこんな様子じゃ萃香に対抗できるほどの力を持った天人は居なさそうねぇ。まあ仕方ない、当初の予定通り内面重視でいきましょう。

 

「取り敢えず、天界で一番の有力者に会うわ。まずは私たちの意志を伝えなきゃね。そこで貴女に折り入って頼みがあるのだけど……」

「そんなの知らないよ。お酒飲んだら帰ってるだけだもん。そもそも天人連中になんて興味ないし」

「あらそう」

 

 なんてこったい。あっ、そういえば萃香って興味のない相手にはとことん冷たかったわね。反省反省! 

 こういう事なら無理にでも藍に来てもらった方が良かったかな……。いやけどなー、最近の藍ってなんか怖いしなー! やっぱりナシで! 

 そう考えるともしかして今回の同行者で適任なのって文だったりするかもしれないわね。情報通だし、天狗でありながらほぼ中立な立場だし! なお制御はできない模様。

 

 まあ無い物ねだりをしても仕方ないし、今ある手段を活かして頑張っていかないとね! 

 

「萃香。貴女の人を見定める能力には私も一目置いてるわ。だから貴女にも後任賢者の選定を手伝って欲しいの。私なんかよりもとびっきり優秀な賢者を是非とも貴女の手で選んで頂戴」

「むぅ……やっぱりやめにしないかい? 現状の何が不満だって言うのさ」

「全てよ。私は幻想郷を創った一人として、そしてこれから去りゆく賢者の一人として、より良い幻想郷を創らなきゃならない義務があるのよ」

 

 真摯に答えたつもりだった。しかし萃香は目を細めながら何かを訴えかけるように私を見据えている。「違うそうじゃない」とでも言いたげね! 

 どうやら彼女自身としては不服みたい。まあ、イエスウーマンの私が上に居た方が好き勝手できるものね。納得納得。

 

「一応探してみるけどさぁ……もしロクな奴が居なかったらちゃんと続投してくれよ? 今の幻想郷はとっても居心地が良いんだ。なんたってお前さんが丹精込めて作った理想郷だからね」

「あらそう。ふふ、そう言っていただけると管理人冥利に尽きますわ。……じゃあ、お願いね?」

 

 話半分程度に聞き流しつつ、やや強引にお願いする。萃香はね、横暴なところがあるしあんまり万人受けする性格では無いと思うんだけど、なんだかんだ健気だし本質的には結構優しいのよ。鬼だけど。

 あとでいっぱいお礼しなきゃね……。

 

 萃香が軽く念じると、彼女の身体から妖力の霧が吹き出る。あの水蒸気ひとつひとつが萃香本体である。

 過去には霊夢たちを大いに苦しめた『密と疎を操る能力』だが、探索・情報収集・索敵という分野においても非常に有益だ。

 これならあっという間にこのだだっ広い天界から傑物を探し出すことだろう。なんだかんだ萃香も萃香で人材コレクターな側面があるからね。こういう作業には案外向いてたり。

 

 霧が十分に散っていたのを確認した後、萃香はやり遂げた顔でどっかりと腰を落ち着ける。……ちょっと地面が揺れたわね。天界って頑丈だわー(棒)

 

「そんじゃ、面白いのが見つかるまで続きといこうじゃないか。私はまだまだお前と話し足りないよ!」

「そ、そう」

 

 なんで私なんかと酒飲みながら駄弁るのがそんなに楽しいのかしら……? ほんと物好きよねぇ、萃香も藍も。ああ、あと幽々子。

 霊夢とかさとりとかの反応の方がまだ納得できる部分があるわ。むしろホッとするまである。いや、あっちはあっちで勘弁願いたいけれども! 

 

「ははは、そうか。お前が賢者を辞めてくれれば毎日でもこうやって酒を酌み交わすことができるんだね。悪いことばかりじゃないな」

「えぇ……」

 

 賢者辞めたら毎日萃香と酒盛り!? 

 ……胃と腸だけじゃなくて肝臓までイカれちゃいそう。また一つ覚悟を決めねばならない事が増えてしまったようだ。

 世界はやっぱり私に優しくないのね……。

 

 せめて良い人材だけでも見つかりますように、と。私は天に向かって拝むことしかできなかった。

 

 ──天、此処だったわ……。




幻想郷は残酷なのよ。
だからこそ前に進み続けなきゃならないの。

進めましたか……?(震え声)




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支援絵をいただきましたー!感謝感激ですの!
ゆかりんって事あるごとに内心泣いてそう。泣いてるよ


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東方トリプルハーミット(後)*

反省してます()


「えーっと、どこに仕舞ってたっけ」

 

 天界にその名轟くとまで言わしめた貴重な品々を乱雑に放り投げ、宝物庫を見るも無残な姿に変えていくじゃじゃ馬天人。

 これだけで比那名居家が数回破産しそうな額が吹っ飛んでいるのだが、天子の認識としては祭事だかなんだかに使ってる変なモノ。古めかしい、つまらないといった程度のものであり、壊してしまおうが大した損失ではない。

 

 それよりも目的の物である。アレがあれば色々と派手なことがバンバンできるようになり、はたての説得も恙無く成功を収めることができよう。なんたってあんなにカッコいいんだもの、アレに心を揺り動かされない者がいるはずがない。

 

「おかしいわねぇ。使用人の誰かにそれとなく聞いてみようかしら。いやでもなぁ。警戒されてるかなぁ」

 

 というのも実は天子、少し前にその例のブツを勝手に持ち出して遊び呆けていたことがある。その結果として龍神様の怒りを買ってしまう事になり、比那名居家は各面々に頭を下げる羽目になったのだ。

 本来であれば天界から追放されかねない大失態。一同大いに肝を冷やしたものだが、天子のあまりの危険度を再認識した天界の重鎮達は刺激せぬよう軽い謹慎程度で赦した、という経緯がある。なおそれでも天子は不服だった模様。

 

 まあつまりそういう事があったので使用人は多分ありかを教えてくれないだろう。もしかしたらこの宝物庫から移されている可能性すらある。

 

 その後もしばらく漁ってみたものの、見つかる気配はない。飽きっぽい天子にたった一振りの剣をこれ以上探す気力はなかった。

 

「仕方ないわね。一旦ほたてのところに戻って策の練り直しとしましょう」

 

 ため息一つ吐き出して、宝物庫からいそいそと退室する天子。周りに気づかれないよう神経を研ぎ澄ませ、ゆっくりと慎重に、はたての隠れている物置へと向かおうと歩みを進める。

 だがそれは思わぬ形で中断されることになった。

 

『お前さん、えらく頑丈だね? 霊力も申し分ない』

 

 突如耳元を通り過ぎる聞き覚えのない声。こそばゆさに顔を顰めると、煩わしそうに腕を振るう。感触はないが、何かが在ったのは分かる。

 声は聞こえないが、代わりに外の喧騒が数分前より幾分か増している。先ほどの声の主が少なくとも原因の一端を担っているのは明らかだろう。

 

「いいわね! 話題が連鎖していくこの感じ! 非常に善い!」

 

 これもまた日頃の行いの賜物だろうと一人勝手に納得し、壁を蹴り破って外へと飛び出す。そこかしこに魔力を伴った霧が蔓延しており、何人かの天人がバタバタと何かから逃げるように宙を泳いでいる。日頃惰眠を貪っている連中が慌てている姿は珍しいと同時にスカッとする。

 なにより興味を惹いたのは彼等を慌てふためかせているその存在である。まるで単細胞生物のように分裂し、数を増やしながら愉快げな様子で追い立てている。

 

 と、目の前の霧がギュッと凝縮され、固体となり、形作られる。そして頭から生え出ている二本の長い鋭角に気付いた。太古より人間と相対してきた最強の存在の証に。

 

 天子は自分でも口の端が大きく吊り上がる様を感じていた。そうだ、自分はこういうのを待ち侘びていたのだ。

 

「さっきぶりー。ふふ、どうやら天界にも面白そうなのがいるみたいだね。さっきのはどうやったの? 霧の私が一気に消滅しちゃったんだけど」

「あら? 耳元で騒めく羽虫を追い払うのに特別な方法が必要かしら。甚だ疑問である!」

「んー……気概やよし。紫はどう思うか知らないけど、私としては合格だ。後は、多少荒波に揉まれても壊れない程度の頑丈さかな」

 

 天界の澄んだ空気を一瞬で澱ませるほどの濃密な妖力。そのあまりの密度に周囲が歪んで見える。

 準備運動のつもりだろうか。鬼が肩を回し腕を振り払うと、空圧だけで地面が抉れ飛ぶ。太古より数多の衝撃を弾いてきた天界の土壌すらも、この鬼の前では無力ということか。

 

 面白い。

 げに、面白い! 

 

「それで遙々天界まで何の用でしょう? 来客の予定は生憎聞いていなくて」

「幻想郷に人を萃めにきたのさ。うちのトップの選考基準を満たせる程の狂った天人をね」

「なら全員連れて行けばいい。ここの者はみんな狂っているから」

「ほう、なるほど。お前さんは程よく狂えてるみたいじゃないか」

 

 胸内から込み上げる衝動。

 この時点で二人の戦闘は成立したようなものだ。

 

「天に仇なす化外の妖よ。お前の目的がどうであれ手段が『それ』であるならば。この比那名居天子、お前を討ち取らねばなるまいよ!」

「いいねェ。幻想郷の外にも探せば居るもんだ! 蛮勇極めし天人よ、私に挑んでその力を示してみせろ!」

 

 天界の為、友の為。

 互いに建前の大義名分を吐き捨てた。

 

 ここからは快楽のぶつけ合いだ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「──で、なんで天狗がこんな所にいるのさ」

「あばばば」

 

 一方その頃、はたては面食らっていた。天子の帰りを待っていたところ、現れたのはかつての上司であり、天狗にとって永遠の恐怖の象徴。

 久しぶりに外部の者と接した事も相まり、はたてはパニックに陥っていた。長年の影武者生活の賜物か顔にはほぼ出なかったものの、隠しきれない恐怖が口から泡となって溢れ出している。天魔というガワに包まれていた時の安心感が急に恋しく思えた。確かに窮屈さや鬱憤は無視できないほどの苦痛ではあったものの、はたてを守る為の一種の防護服であった事も事実。

 

 約800年ぶりに身一つで外界に身を委ねた挙句、一番最初に相見えた相手が伊吹萃香なのだ。それは些か酷が過ぎるというものだろう。

 

「うーん? 私たちどっかで会ったことあったっけ。最近新しい顔を覚えることが多くてねぇ。旧いのはどんどん薄れちまうからいけないや。お前は私のこと知ってる?」

「知りません初対面ですお命勘弁!」

「おっ、なんか懐かしい感じ」

 

 この妙に鬱陶しい反応で、目の前の天狗には自分に関する情報があることを確信した。それにこの風貌、何故か記憶に引っかかる。

 なんにせよ面白そうな奴は全員しょっぴくに限る。ひとまず鎖で拘束して、紫や射命丸あたりにでも顔見分させてみようかと。

 

 己の手足を拘束する超重量の鉄の縄。莫大な質量を誇るそれでさえも鬼の剛力の前には紙切れ同然。容易く手首で操ってみせながら、不気味な風切り音を残し、はたてへ向けて投擲する。

 寸分違わぬ精度で烏天狗の象徴とも言える黒翼へと迫るが、はたてはこれを回避してみせた。腰が引けており不格好な回避ではあったものの、萃香の鬼縛術から逃れる事は至難の技である。それを成し遂げただけではたての動体視力が常人ならざるモノである事が見て取れる。不格好だが。

 

「へえ、やるじゃん。これを躱せるのなんて、天狗に3人といないだろうに。目がいいのかな? それとも持ち前のスピードかな?」

「まぐれっ! こんなの偶々ですってぇ!」

「私の技が『偶々』躱せる程度のものと、そう言いたいのか?」

「滅相もないです!」

 

 理不尽の嵐にべそをかきつつある自分の顔。いつもならお馴染みのポーカーフェイスに徹することもできただろうが、久々の自由に浮かれ天子に警戒の壁を壊されてしまった為か上手く制御できない。心の余裕がはたての数少ない武器を瞬く間に錆び付かせてしまったのだ。

 

 遊戯を愉しむかのように鉄を振り上げ、はたてを追い詰めんと連続して投擲する。超質量の物体が鼻先や衣服を掠めながら眼前を通り過ぎていく。すんでのところで避けても、物体の衝撃までは躱すことができない。ソニックブームに上下左右揉みくちゃにされながら、時世に翻弄され続けた自分の惨めな妖生を振り返った。

 

 椛や文のように確固たる意思と立ち位置を確立できていれば、多少はマシな妖生を送れたのかもしれないと、何度目か分からない後悔を募らせる。

 

 

 

 はたては名家の出身だった。

 天魔と血の繋がりが近く、さらに天狗が永年待ち望んでいた『特別な力を持つ存在』であったため、幼い頃から管理された環境下で育ってきた。次期天魔候補として、同じく特別であった文とともに英才的な教育を受けたのだ。

 なお椛は身分の関係で二人と同じ教育を受けることはなかったが、彼女もまた特別。自然と惹かれあったというべきか、合間を縫ってはよく3人で過ごしていたような記憶がある。

 

 3人に共通していたのは自らの理不尽な環境下に憤る心、そして天狗以外の種族とも仲良くしていかねばならないという協調路線だった。それは特に文が顕著であり、椛は同意こそしていたものの完全に納得はしない、そんなスタンス。なおはたてはその中間、つまりどっちつかずだった。

 

 文と椛はたびたび何かに付けては言い争っており、その度にはたてが仲介に入った。基本的に強引な気質である文と椛だが、はたての言う事は何故かよく聞いた。天然物の善性を持っていたはたてをあまり困らせたくなかったのかもしれない。そんな彼女も時々文とは喧嘩する事はあったが、最後には仲直り。基本、3人は仲良しだった。

 

 はたてが名家の出身であったこともあり、(暴れ烏)(猛犬)を手懐けたとして組織からの評価も高い、そんな3人組だった。天狗の未来を担う3人に対して、天魔も時折気に掛けていたという。

 組織に対して反感を燻らせていた3人だが、天狗という種族である事には確かな誇りを感じており、故に天狗を全盛期へと導いた天魔は憧れだった。

 

 あの頃の文は自分のやりたい事を為すため組織の重鎮或いは天魔を目指していたし、椛は天狗を守る盾となる事を望んで研鑽を重ねていた。はたても漠然とみんなの役に立つ事がしたいと思っていた。

 実際、組織の見立てでは次期天魔は文かはたてになるだろうと考えられていたようだ。実力、家柄ともに申し分ない。強いて言うなら実力面や知略では文の方が何歩か上手だったのだが、家の品格では射命丸よりも姫海棠の方が上だった。また天魔の血族である事もあり、はたては体格顔立ちと天魔に似通っていた。故に自然と求心力も集まり易くなるだろうと目されていた。

 

 3人の夢の原型にはやはり天魔の影響があった。全ては天狗(仲間)を守る為に。魑魅魍魎の跋扈するこの理不尽な世界を最大限に生きていく為に。

 

 だが妖怪の山の覇権争いが激化し、天狗がなりふり構わない行動を始めると、3人の運命は大きく歪んでいく事になる。

 さとり妖怪が族滅の憂き目に遭ったその日から、文は組織と距離を取るようになった。単独行動・命令無視が増え、時に組織からは利敵行為とも取られかねないような行動すらしていた。

 物事には目敏く反応し、的確な判断を下す文がまさかと、はたても大いに驚いたものだ。この時点で文は天魔候補から外され、はたての一強となる。

 

 椛も自らの行いに日々疑問を呈しながらの、苦悩に満ちた日々を送っていた。だが憧れを疑いたくない気持ちが強かったのだろう。最終的には目を覆いながら、剣と盾を構え続けた。

 

 自分は如何だろうか。

 そう、確か哀れに思ったはず。生まれつきの念写能力で山に住む妖怪の暮らしを秘密裏に覗き見ていたはたてにとって、天狗の手で殺されていった者達は確かに生きていた。自分たちと同じように精一杯、頑張って生きていたのだ。

 天狗のみんなは何も知らないだけなんだ。だから争いを止めないんだ。そう信じてやまなかった。自分があの妖怪たちの実情を広く伝えられれば何かが変わるんじゃないかと、妄信すらしていた。文もそれに近い事を考えていたようで、将来は互いに新聞屋となりダブルスポイラーとして競い合おうと誓い合ったりもした。

 故に、悲しかった。だが、実感に乏しかった。

 

 常に前線に出ていた椛や、たびたび管理から抜け出していた文はそういった妖怪たちと直に触れ合い、友誼を結んだりしていた。だからああして悲しみに暮れているのだ。

 

 自分は如何だろうか。

 勝手に哀れんでいただけだ。何もできなかった。

 世界が恐ろしくて仕方がない。伝聞だけで自分に齎される耳を覆いたくなるような惨状から目を背けるしかなかった。

 沢山の思想、沢山のリアリティ、沢山の謀略。何も感じ取らないまま自らの心を埋め尽くす虚像の群れを恐れ、引き籠り続けたのだ。

 

 椛から「天魔が殺された」と、そんな報告が齎され、仕方なしに代役として自分が立てられてからもそれは変わらなかった。

 姫海棠はたてはこの日を以て死亡した事になり、天魔へと挿げ替わった。

 念写能力の応用で脳内の虚像を身に纏い、上層部の意のままに発言し、都合が悪くなれば黙秘を貫き、八雲紫と延々対立し続けるだけの仕事。

 

 天魔という殻に篭り続け、一人天狗の心情改善に努める文や、安全保障を一身に担い続ける椛の優しさに甘えているだけ。

 親友の心が自分から離れていっているのを強く感じる。だがそれでも自分の意思を持てず、周りに流されるまま、贖罪の言葉を呟くことしかできない。

 

 自分は善い天狗などではない。

 目先の楽ばかりを追い求め、何一つ行動を起こす事ができないただのクズだ。

 その点、はたては八雲紫が羨ましかった。

 佇まいや貫禄はさる事ながら、賢者として皆を導こうとするその気高き思想。そしてそれを最も容易く実行し、成し遂げていく行動力。全てが羨望の的だ。

 彼女から学べば自分も強くなれるかもしれないと考え、一時期はその行動を逐一念写して観察していたこともあるくらいだ。

 

 ……一部。()()()()()だけ、おかしな部分も見受けられたが、大半は大いに参考になったと思う。いや、むしろその()()()()()()はたてにとって大きな励みになったと付け加えておこう。

 

 表面上では八雲紫に敵対的な事を口にしつつも、内心では天狗をどうにかして欲しい。そしてあわよくば自分をこの残酷な世界から救い出して欲しいと、心の奥底では願っていたのかもしれない。

 

 だが講和会議(八雲紫の引退)の件があり、その願いも潰えた。若干の失望はやがて絶望となってはたての心を埋め尽くし、さらには椛からの発破や、自らの胸に急に込み上げてきた叛骨心もあり、ついに行動を起こすに至ったのだ。

 もはや手段と目的は逆転した。天狗の暴走を止める為に新聞記者になるはずが、それしか逃げ出すための動機を作れなかった為に、無意識のうちに手段を目的として据えていた。

 

「私は新聞記者になるんだ。文の『文々。新聞』みたいな新聞を書くんだ」

 

 そんな事を上の空のように呟きながら、天界に逃れた。自棄に陥っている面もあっただろう。事実、せめて文と椛に最大限迷惑を掛けない形での幕引きがベストだろうとは考えていた。

 

 だが天子に出会った。彼女ははたてに新たな道を示したのだ。大きな決断を伴う方法ではあるが、天狗を救うかもしれない方法を。

 ようやく芽生えかけた希望。汚泥に塗れた自分の道のりに咲いた、数少ない蓮の花。摘み取るわけにはいかない。

 

 昔のように笑いたい。

 ただそれだけ──たったそれだけの願い! 

 

 

 

「う、うおあああぁっ!!」

「うわ」

 

 自身を中心に暴風を発生させ、鎖の返りを撹乱。怒涛の攻撃に乱れが生じたのを見逃すはたてではない。僅かな隙間を縫うように高速飛行し、萃香の目線を一気に振り切る。

 烏天狗は元来疾い妖怪。その烏天狗であるはたてが遅いはずもなく、むしろ妖怪の山では悠々No.2を名乗れるほどの速さの持ち主だった。はたて自身は速さに自信など微塵も感じていないが、それは比較対象(射命丸 文)が悪かっただけ。

 萃香の虚を突くには十分過ぎるほどの速さは備わっている。

 

 暴風に乗ったはたての速度は亜光速に達し、回転力と共に一撃の威力を大いに高める一助となる。放つは全てを刈り取るジェノサイドカッター。

 音を置き去りにした一撃は空間ごと萃香の頭ごと首を抉る。はたてを基点に円月状のソニックブームが辺りを両断。天界の遥か彼方の空までもを消し飛ばす。

 

 首から上を失った萃香の身体はぺたんと膝を付き、そのまま霧となって消えた。

 

「は、はは……どうよ文。私だって、やろうと思えばできるもんでしょ……?」

 

 数百年ぶりの負荷もさることながら、かの伊吹萃香の顔を蹴り飛ばしてしまったことへの精神的負担は凄まじく、身体の震えが止まらない。

 はたては知っているのだ。いま自分が消し飛ばした萃香は分身の一体に過ぎず、当の本体にはほんの少しの痛みに過ぎない事を。

 

 これから起こる出来事をすでに予見していたが故の恐怖。だが動かずにはいられなかった。

 

「やるねえ天狗。私の残機を一つ減らすなんて凄いことだよ。誇るといい」

「きょ、恐縮の至り……」

 

 当然のように現れる追加の分身。しかも今度は五体用意されていて、念入りにはたてを取り囲む形で陣取っている。この数と位置では先ほどのように萃香の目視を振り切ることはできまい。

 萃香達は分身を消されたことなど全く気にした様子もなく、ただただ面白い玩具を見つけたことへの喜色の笑みだけを浮かべていた。

 

「ますます興味が湧いた! 私は強い奴が大好きだ!」

「天狗であるお前さんを賢者にはできないだろうが、このまま放置するには惜しい。だからなんとしても紫の元に連れて行く!」

「喜べ天狗。お前は今日から百鬼夜行の仲間入りだ」

 

「いやほんと、勘弁してください……」

 

 悲痛な叫びも鬼には届かず、問答無用とジリジリ距離を詰めていく。まるで怪鳥(けちょう)捕物(とりもの)のようだな、なんて事が頭をよぎる。

 もし文ならば、この絶体絶命の窮地でも、いつもの飄々とした態度で容易く切り抜けてしまうのだろう。もし椛ならば、その身の精魂尽き果てるまで、咆哮をあげながら戦い抜くだろう。

 

 少しでもあの二人のように、どうか。

 なけなしでもいい。奮い立つほどの決意を──。

 

 

「無礼至極! 失礼千万! 私の客人に手を出すとは良い度胸であるッ!」

 

 飛来した人の頭ほどの大きさの石礫が萃香を押し潰し、天界の遥か下へと沈み込ませる。分身体たちは石礫の発する振動エネルギーの前に形を保つことができず、粉々に霧散していく。

 異常を感じ取ったのだろう、即座に新たな分身体が出現するも、それは数秒と経たずに繰り出された天子の拳によって、元の妖霧へと叩き潰された。

 

 耐久力は著しく脆くなっているとはいえ、その他諸々は全て伊吹萃香である。それを天子は、尽く一撃で粉砕していた。

 

「悪いわねほたて! 遅くなった!」

「……つっよ」

 

 天子の予想外の強さに唖然とするしかなかった。確かに並ならぬ霊力は感じていたし、幻想郷を制圧するなどという大口を叩く程度の実力はあるんだろうと見積もってはいた。だが、これは──。

 

「こりゃとんだ掘り出し物だ」

「天界なんかにこんなのが居たなんて」

「前までは居なかったろう?」

 

「ほうお前、今回以外も天界に来たことがあるのか。何を隠そうちょっと前まで謹慎中だったからな! 何も知らずノコノコと喧嘩を売りに来てしまったことを後悔するが良いッ」

 

 再び生成された萃香の群れが天子に殺到する。質と数、それぞれを兼ね備えた暴力の嵐だった。もしはたてがあの中に居たのなら、ミンチどころの話じゃないだろう。骨のひとかけらすら残してはくれまい。

 

 結論から言うと、それらは悉く天子の身に纏う【鎧】によって返り討ちになった。

 鎧袖一触とはまさにこの事で、萃香だったモノが辺りに散乱し、霧となって空気に爆ぜていく。朦々と立ち込める妖霧をバックに天子は腕を振り上げた。

 

「爾触れること能わず! 地上で鍛え直すといいッ」

 

 天人とは元来頑丈な生き物である。仙桃を食らうだけで鋼の身体が手に入る、それが生きとし生ける者の中で最も高貴な天人にのみ赦された特権だ。

 だが天子のそれを通常の天人と比べるのはあまりにも烏滸がまし過ぎるだろう。

 天子の表皮──【鎧】はありとあらゆる矛をへし折る。古豪という言葉すら生温い鬼の拳を跳ね返してしまうのだ。あまりにも硬すぎた。

 

「ふん、しぶといわね。いくら潰しても次から次に……面倒臭いったらありゃしない。なあほたて、こいつがお前の言ってた山を牛耳ってる腐った奴か?」

「えっと……元ね。ずっと昔に地底に潜っちゃったはずなのに、最近戻ってきたとかなんとか。あと私はたてね」

「ほう──なら、こいつにも一抹の責任くらいはあるわけね。で、どうなの? こいつは幻想郷においてどの程度の立ち位置の奴なの? 強い方なの?」

「強いなんてものじゃない! 最強クラスよ!?」

 

 思わず目を剥きそうになった。伊吹萃香の強さなど疑いようもない。自分が幼い頃から山のみならず妖怪のトップをひた走り続けてきた生ける伝説である。

 拳を交えたにも関わらずそんな事を言ってのけるその胆力に驚きを隠せない。だがその一方で天子の感性を徐々に理解しつつある自分もいた。

 天子は萃香と同時に、自分を測りかねているのだ。先の発言を鑑みると、自分が頂点である事に対しては疑いを微塵も抱いていないようなのだが、それでも動きの一つ一つが身体能力に対して僅かに緩慢に見えた。

 

 萃香の分身群を一蹴する程の強さを持った天人。しかし、自分の実力は真に把握できていない──。

 危険すぎる。

 

「こいつで強い方なのね。あはは、なら分かったでしょう? 幻想郷なんて私の手にかかれば一瞬で制圧できちゃうってことが!」

「いや、でも……」

「えーっ、まだ心配なの? 中々頑固ねぇ。やっぱり緋想の剣を見せるのが手っ取り──」

 

「おうおう、私を前にして談笑するなんて良い度胸じゃないか。それになんだって? 幻想郷を制圧するだと?」

 

 豪腕が宙を叩く。

 

「笑わせるな。この伊吹萃香様にできなかったことを、戯れを勝負だと勘違いしている天人小娘如きに成せる訳があるまいて」

 

 天子の懐に滑り込んだ妖霧が質量を持ち、軽々とその身を天へと突き上げる。カハッ、と。肺の空気が僅かな吐瀉物とともに天子の口から漏れ出た。

 並みの妖怪ならこの時点で即死しても大量のお釣りが来る。だが鬼は容赦しない。

 即座に実体化し天子の腹に馬乗りになると、顔面に勢いよく拳を振り下ろす。天地が引き裂かれ、鉄板をへし折るような音が天界に響き渡る。

 

「ほれどうしたよ。こんなんじゃ幻想郷の新参蝙蝠すら倒せやしないよ?」

「こんの……!」

「おっと」

 

 天子の繰り出した拳は容易く受け止められた。

 

「実体! ということは、本体ってわけね」

「ご名答! お前の存在に我らが指導者サマが大いに期待を寄せているのさ。私の分身を一蹴できたのはいいアピールだったよ」

「ふぅん。アピールね……?」

 

 湧き上がる激情を一旦堪えて、自分に跨るふざけた鬼の真意を探る。気になったのは『指導者』というワード。思えばこいつはたびたび自分は何者かに指示されている事を仄かしていたようにも思える。

 これほどの妖怪を顎で使役するほどの者が幻想郷を牛耳っているのか? なるほどそれがほたての言っていた敵かと、天子は一人納得した。

 

 ならばこの程度の鬼に構っている場合ではないようだ。

 にやりと、太々しい笑みを湛える。

 

「ほたて! ちょっと頼まれてくれるかしら?」

「はたてね! 言っとくけど助太刀は嫌よ!?」

「必要ないわね! とある失せ物を探して欲しいだけよ。お前念写が使えるんでしょう? その失せ物の名前は『緋想の剣』」

 

 そこまで言い切ると、上半身を持ち上げ萃香の胸ぐらを掴み上げる。

 

「私は先に幻想郷に行ってるわ! 頼んだわよほたて!」

「んぅ? お前さん何を──ッ!?!!?」

 

 刹那、萃香と天子は超重力に押し潰され、天界からロスト。要石の土壌を破壊し、真っ逆さまに巨大な質量とともに落下していく。

 その正体は天子が即座に生み出せるものでは最大級となる要石。自分ごと萃香を巻き込み、最悪の形で幻想郷を目指す。

 

 こんなものが幻想郷に落下すればタダじゃ済まないに決まってる。下手すれば地上の生物全てが死滅しかねないほどのエネルギーが無制御に暴れ回るだろう。

 そこまで分かっててこんな攻略法を思いついたのなら、とんでもない事である。真相はどうであれ、比那名居天子の狂気を見誤ったか、と。萃香は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。

 

「あっはっはー! 天地開闢のエネルギー、とくと堪能あれってやつよ!」

「んなぁ、無茶苦茶しやがってぇ! お前これ、洒落になんないだろおお!?」

 

 昔は幻想郷の破壊を目論んだ事もある萃香だが、今となっては守護者の一人である。なんとか幻想郷へのダメージを軽減しようと要石を空中に留めんとする。

 だが、そんな萃香の努力は徒労に終わった。

 

「ブッ潰れろぉおおおおおお!!!」

 

 着弾地点は──何の因果か、妖怪の山。中腹外れにある守谷神社のちょうど真上だった。なお早苗と神奈子は()()()()人里に布教活動に出ていたため、この時守谷神社は無人だったそうな。

 音を置き去りにした巨大要石は守谷神社をどころかその周りすらもを押し潰し、貫き、微塵に破壊する。さらに着弾しても勢いは収まる事を知らず、山肌を突き抜け、ついにはマグマ溜まりに達した──。

 

 要石の真価とは、大地に挿すことで地震を鎮めることにある。しかしそれに伴う副産物というべきか、再度要石が引き抜かれた際には、とてつも無いエネルギーを放出し、地底プレートの動きを待たずして地震を発生させるのだ。

 

 不幸だったのは、天子の巨大要石がマグマ溜まりすらも突き抜けて、幻想郷の地下に広がる旧地獄世界にまで到達してしまった事である。

 要石の地震エネルギーはマグマ溜まりに残り、地底へと突き抜けた時点で放出。

 結果マグマ溜まりはエネルギーの飽和を迎え全方向へ噴火──即ち、妖怪の山全域を飲み込む大爆発を起こした。

 

 

 

 なお、後に事の顛末を聞いた八雲紫は、その場に崩れ落ちたという。

 

 




口調が安定しない天子。これは緋想天と憑依華を反復横飛びしてますね……
まあ天子自身も人前でどういうキャラでやっていこうか試行錯誤中なのだと解釈してます

はたてに関しては原作よりもかなり気弱かつ内向的になってます。早苗さんと同じく環境さえ整えてあげればすぐにはっちゃけ出すと思われ
能力は念写であり、本来なら他人の撮った写真を横取りするようなものですが、幻葬狂仕様になると、自らの脳にあるビジョンをそのまま現像することができたり、第三者の眼をレンズに見立ててそこから念写できたりと結構多彩

なお本編中にもあった通り、はたてはちょくちょくゆかりんの事を念写してます。時々ゆかりんが何もない空間に向かって「貴様、見ているなッ」とDIOみたいなことを言ってた時などですね。なおトイレの中まで盗s……念写してますので、嘔吐タイムなんかも地味に把握済み


今回チラッと話に出てきた龍神について。原作幻想郷では存続そのものに関わっているほどのビッグネームですが、今作幻想郷では御察しの通り関わっていません。むしろ関わりを閉ざしてます。触れたくないんでしょうね(白目)
実は遠い昔に『大百足』という妖怪に敗北してたりしてます。そしてその大百足の主人はリグル・ナイトバグさんです。はい解散



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姫海棠はたては挫けない

 

 

 地べたを這い蹲るのも案外悪くない。

 パラパラと舞い散る薄紅色の結晶を顔から拭いつつ、天子は岩を仰ぎ見た。

 

 日の光が届かない遥か地底。山を突き破った感触からして地面に空洞がある事は分かっていたが、どうせ卑賤な民共が巣食っているような洞穴だろうと決めつけ、大した配慮もなくそのまま押し潰してしまった。

 だがどうだろうか、自分の周りには確かな建造物の残骸が横たわっており、歓楽街を思わせるほどに華美な一画が存在していたようなのだ。

 まさか地底にこのような煌びやかな建造物の群れが建っていたなどと思いもしなかった。故に、考え無しに押し潰してしまったことを少しだけ後悔した。

 

 しかしその思いは数秒のうちに胸の内からさっぱり消え失せ、代わりに沸沸と、頭の隅に追いやられていた激情が再度込み上げてくる。

 激情の正体は闘争心である。天界で戦った小鬼もそうだが、我が身を地底のさらに下層へと叩きつけた圧倒的暴力を放った一角の鬼。あれもまた、渇きに潤いを与えるカンフル剤であった。

 生まれて初めて受けた強烈な衝撃に、天子は興奮していた。ビリビリと表皮を麻痺させる感覚、頭を巡る脳髄を焦がさんばかりの血液。全てが新しい快楽であり、満足に届き得る一撃であった。

 

「悪くない。むしろ大変良い」

 

 地に膝を付けてゆっくりと立ち上がる。

 景色は完全に開けた。

 

「これこそ私の求めた───」

「四天王奥義『三歩必殺』」

 

 

 

 荒々しい岩肌に腰掛けてなみなみに注がれた杯を傾ける。余韻に耽るように星熊勇儀はアルコール混じりの吐息を吐き出した。あまりにも突然の邂逅。楽しみに興じる間もないままの決着だった。

 そこへ獲物を横取りされた萃香が顔を真っ赤にしながら駆けてくる。

 

「おいおまえー! そいつは私が責任持って相手してた奴なんだぞー! それをおまえって馬鹿はさー!」

「今回はお前の落ち度さ。いきなり真上にあんなのを降らせてくるんだ、旧地獄の顔として一発はぶち込まないと顔が立たないよ」

「それでも三歩必殺はないでしょ。完全にぶっ壊すつもりじゃないか」

「おうともよ」

 

 勇儀は顎で視線を指し示す。その先にはかつての煌びやかな通り、喧騒に溢れていた嫌われ者とはみ出し者のかつての郷。全てを受け入れると宣った幻想郷ですら抱え込めなかった連中が行き着く、最後のフロンティアだった。

 あの天人はその全てを壊した。この自ら禁じた比類なき暴力をぶつけるに足る相手であることは疑いようもない。

 という建前。

 

「で、感想は」

「あいつ本当に生き物か? いやおかしいよ、色々」

 

 二人が目を向けた先には、笑顔でこちらに駆けてくる天人の姿。その背後には底無し穴を思わせるほどに深いクレーターが岩肌を抉り取っており、地獄の釜底が口を開けている。

 それら全て先ほどの『三歩必殺』の空圧のみで作り出されたものである。かつて腕を払うだけで一つの山脈を粉々に崩した勇儀の豪腕、それを以ってしてもあの天人を壊すには至らない。むしろピンピンしている始末。

 

「勇儀の拳も決定打にならないかぁ」

「燃えるねぇ」

 

 再度腕二本ほどの距離を開けて接敵する天子と勇儀。体格差や種族、抱く信念思想は違えど、爛々に輝く二人の瞳は全く同類のものだった。

 興味、敵意、そして歓喜。

 

「やるわね。鉛の味なんて何百年ぶりかに味わったわ。つくづく幻想郷という場所は私を楽しませてくれる! お前が此処のトップか?」

「幻想郷の、なら違う。地底の、でも違う。此処に有った街の、であれば私だな」

「おお、お前でもただの末端なのか!」

 

 星熊勇儀を末端呼ばわりする者など天地開闢より振り返っても誰一人としていないだろう。頂点に立つことは一度もなかったが、間違ってもそんな呼び方をしていい存在ではない。勇儀は大して気にした様子も見せなかったが、あまりの物言いに萃香は大笑い。

 

「あら、もしかして間違ったこと言った?」

「……いんや何も。間違っちゃいないさ」

「まあいいわ。私は幻想郷で一番偉くて、一番強い奴に会いに来たの。ちょうどいいわ案内してちょうだい」

「おっと残念。お前の言う妖怪はちょうど(萃香)と一緒に天界に行っててね、入れ違いになった形になる。運が悪かったね。……いや、運が良かったのかな?」

「あっそう。ならそいつが帰ってくるまで暇潰しに幻想郷を制圧してやるわ。手始めは末端のお前たちからね」

 

 落胆した様子も見せずポジティブに鬼二人を挑発する。

 ある意味潔し、と。別ベクトルで感心しながら、勇儀は萃香から瓢を奪い取り、杯に再びなみなみと注いでいく。

 

「よし、ハンデを付けようか」

「あらそう。どんなハンデをお望み? 両手を縛って、ついでに目隠しでもしてあげましょうか?」

「お前のじゃない、私のだ!」

 

 杯を突き出す。今にも溢れ出さんとしている酒が表面張力によってぎりぎり形を保っている。少しでも杯を傾けてしまえば一瞬の間も置かず縁から流れ出てしまう、そんな状態。

 これぞ星熊勇儀お得意の自分ルールである。

 

「この杯から一滴でも酒が零れた時点で、お前さんの勝ちだ。無事に此処(旧地獄)から出してやる。但し負けた時点で───」

「実現しない仮定の話はしなくていい」

 

 天子の指から放たれる掌サイズの要石。勇儀の顔面を狙ったそれは容易く躱されてしまうが、内包していたエネルギー、振動を齎す性質を鑑みれば躱す他なかったのだ。いつも通り肉体で受ける事を選択していれば、杯の酒は今頃宙を舞い、勇儀へと降りかかっていたことだろう。

 あの星熊勇儀に回避行動を取らせた。なんてことのない戯れの応酬ではあったが、密かに瓦礫の中から観戦している旧地獄の面々には冷たい衝撃が走っていた。

 

「私は知っているぞ。この血塗られた幻想郷の歴史を」

「へぇ。で?」

「とある妖怪に泣き付かれてね、人助けなんて柄じゃないけどこんな面白い世界を教えてくれたお礼もあるし、それに私の強さに責任を持たせてみるのも悪くない。勧善懲悪も娯楽のうちよ」

 

 所謂ノブレス・オブリージュというやつだ。

 身に余る責任すらも天子にとっては戯れに過ぎない。そういう点ではやはり鬼二人との共通項は多いように思えた。

 

「鬼退治ほど古来から親しまれてきた勧善懲悪は然う然うあるまいよ。我が覇道の幕開けとしては悪くない。善きかな善きかな」

「変に盛り上がってるみたいだけどさ、お前さん何が目的なんだい? 犇く幻想郷の強者達を全て打ち倒し、幻想郷の長たる八雲紫を降して、果てに望む物……それが知りたい」

 

「美しい世界」

 

 あっけらかんと言い放つ。

 注意すべきは、その美しいの基準が完全に天子の主観に依るものであること。

 

「この醜い世界全てを創り直してやろう! 幻想郷だけじゃない。天界も、此処の下にある地獄も全部! 誰も悲しむことなく、誰も苦しむことなく、誰も退屈することのない桃源郷!」

「はっはっは。ぶっ飛んでるねぇ」

「こりゃあ紫の採点基準以前の問題か。面接なんかしてる場合じゃなかったね、反省しなきゃ」

 

 カラカラ笑う古豪の強者達。しかし天子の視線はもはや彼女らを捉えてはいない。静観する者、怒りを抱きながら此処に向かう者、こそこそと様子を窺っている者──その全てに向けて宣戦布告を言い放ったのだ。

 

「邪魔をしても構わない、私はその悉くを踏み越える。虎穴入らずんば虎子を得ず──痛みを伴わなければ実は得られないのだから。常識よね」

 

 どこか小馬鹿にする様に、天子は笑い飛ばすのだ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

()()()()()()()()()

 

 案山子のように白い空を見上げながら、はたては茫然自失にそう呟く。ついさっきまで存在していた広大な大地は何処にも無く、岸壁となってその身を曝け出している。天界を覆っている雲海も、まるで隕石が落ちた後のようにポッカリと巨大な穴が空いている。

 はたては自らの思考をズラすことに専念していた。もし至極当然の結論に達してしまえば、自分の頭が壊れてしまいそうだ。

 

「──はあぁぁぁぁ……」

 

 だがその努力も虚しく、はたての口から大きなため息が漏れ出した。案外自分は図太かったんだな、と。冷静に分析できる程度には余裕があった。

 

 妖怪の山から飛び出して、椛の千里眼の裏を突くようにそのまま上へ上へ逃れた、その先が天界だった。つまり、いま自分が居る場所は妖怪の山のちょうど真上あたり。

 このプロセスが完成した時点で、はたての憂慮は現実のものになっていると判断するしかなかった。

 

 妖怪の山は被害を受けている。

 これはほぼ間違いないだろう。

 問題はその余波によって旧友達が被害を受けているのか否かである。文は危険を感じれば即座に殆どの矜恃をかなぐり捨てて逃走するだろう。だが椛は逆にその場に踏みとどまろうとするに違いない。

 心配だ。何かの奇跡が起こって被害ゼロに終わってないかと、願わずにはいられない。

 

「……これからどうしようか」

 

 他人の心配ばかりもしていられない。今後の身の振り方も考えなければ。

 ひとまず身を隠せる場所を探して念写をしよう。幻想郷と天界の様子を確認しつつ、自分の立ち回りを考えるのだ。

 

『私は先に幻想郷に行ってるわ! 頼んだわよほたて!』

 

「……緋想の剣、だっけ。どっかで聞いた事あるけど」

 

 ふと、あのアンポンタン天人の言っていたことが頭を過ぎる。剣を探して欲しいとの事だったが、それがあれば今の状況を打開することができるのだろうか。

 正直、妖怪の山を壊されているだろう事はむしゃくしゃするし、横暴な言動を謹んで欲しいと思う程度には彼女に悪印象を抱いている。ついでに名前を間違えられるのもムカつく。

 でもそれだけだ。妖怪の山ははたてにとって『故郷』であるのは当然だが、場所自体に対しての良い思い出は皆無に等しい。はたてが愛おしく思っていたのは自分に対して優しく、親しくしてくれたそこに住まう者たちだけだ。

 天子が自分に新しい風を齎らす救世主足り得る存在であることには変わりない。

 

 もし──彼女の言っていた事が本当で、少しでも可能性があるのなら。過ちを有耶無耶にできる未来が一欠片でも存在するのなら。

 

「緋想……。探してみよっかな、緋想の剣」

「もし。そこの天狗の方? 何か気に病むことでも?」

 

 ──見つかった。

 即座に逃走態勢を整え、相手を視認するなり飛び立つ準備に入らんとする。だが、中断せざるを得なくなった。その声の主が問題だった。

 そうだ。何か大きな出来事が起きた時、この妖怪はいつもその渦中に身を置いている。念写で現在地を確認するべきだったのだ。

 

 何度も賢者会議、そして写真越しで見てきた畏怖の対象。だが肉眼で、この姿で面と向かって会うのは初めてのことだ。

 幻想郷の最高権力者、八雲紫。

 ゆらりと周りを見渡しつつ、此方に近付いている。

 

「ゆ、かり……何故……」

「あら、私の事をご存知みたいですね。光栄ですわ。ところで天狗の貴女が何故このような場所で、しかも途方に暮れているのです? 何分『悲壮、悲壮』などと呟いてるものですので、気になりました。……もしや伊吹萃香に何かされたりとか?」

 

 やはりだ、伊吹萃香を天界にけしかけたのは八雲紫だ。あの鬼を顎で使える存在など、この隙間妖怪をおいて他にいない。いるはずがない。

 

「それに、こんな所に居ては天魔に叱られるのではなくて? ……悪い事は言わないから妖怪の山へ帰りなさい。私は黙っていてあげるから」

 

 にこり、と。気が遠くなるほど妖しい笑みを浮かべながら、紫はそんな事を言う。

 いつもの皮肉だ。

 天魔(はたて)だと知っていて、妖怪の山は存在しないことを知っていて、わざとあんな事を言っているのだ。天魔としての自分を相手にする時のような高圧的で、身の毛がよだつ程に恐ろしい皮肉。

 

 何度逃げ出そうとしたことか。はたては八雲紫との会話がいつも怖くて怖くて仕方なかった。実際逃げ出そうとして椛に捕まったことだってある。何が嬉しくて幻想郷最強の妖怪に毎度喧嘩を売らなければならないのか。

 だが、紫に対しての感情は恐怖のみではない。

 尊敬の念も抱いていた。

 

 上に立つ者としての苦しみを自分同様に感じているのが、他ならぬ八雲紫という妖怪であるはずなのだ。表では堂々としていても裏では人には見せない弱さが垣間見える時があった。時には涙している時さえ。

 自分だけじゃない。あの紫だって苦しんでいる。それも自分以上の苦しみを背負っている事は容易に想像がつく。なにせ幻想郷のトップだ。それでも常日頃からあれだけの威を放ちながら、平然と振る舞っている。

 それが大きな心の支えになっていた。

 

「お見通しなのね、全部」

「ええ申し訳ないけど」

 

 ならば話は早い。

 

「頗る滑稽でしょ? 私にはもう帰るべき場所がないわ」

「あら。亡命」

「賢者会議の時、視界が開けたような気がした。意のままに動けば何かが変わると思ったの。私がいなくなれば、みんなもっと上手くやれるんじゃないかって、そう願って逃げ出した。その結果がこれよ」

「それは災難だったわね」

「私は……許されるなら、貴女のようになりたかった。とても羨ましい」

 

 鼻の奥が湿っぽくなる。

 

「そう、そういうこと」

 

 対して紫は微かに目を伏せる。口元は広げられた扇子(※予備)で見えないが、大体の感情は見て取れた。はたては息を飲んだ。

 その感情は──怒り。

 

「私は貴女の目指す先になるほど落ちぶれてはいない。低く見られたものね。そもそもの根本から違うのだから、並べる事自体がナンセンスな話よ」

「あ、え……」

「とはいえ、その気持ちが分からないほど私は短慮ではありません。貴女の苦しみは十二分に理解できる。だからアドバイスを差し上げましょう。他ならぬ貴女のために」

 

「責務をやり遂げずして逃げ出す事は許されない。逃避自体を否定しているわけではないわ。寧ろ私は肯定している。……でもね、いま出来ること全てをやり切って、その後存分に逃げなさい。自分は最善を尽くしたと、残した者達に対しても胸を張れるように」

 

 自分の責務をやり遂げる。自分がやり残した負の遺産を、他の者に引き継がせない。

 様々な思いがはたての胸の内を駆け巡る。

 

「貴女が逃げて一番害を被る者……そうね、例として射命丸文を挙げるとしましょうか」

「文?」

 

 紫の口から意外な人物の名前が飛び出した。確かに文はその実力から天狗の重鎮と言っても差し支えないだろうが、実務経営には全く携わっていない。天魔としての自分との交友関係は対外的に見ても皆無に等しい筈。

 だというのに彼女の名前が挙がったというわけで、紫ははたて個人の交友関係まで把握しているという事になる。

 

「もし貴女の投げ出したモノを彼女が背負うことになったらどうなると思います? 私が貴女であれば、恐ろしくて夜も眠れないでしょうね」

「……」

「貴女も理解できて?」

 

 ぐうの音も出ない。

 そうだ、自分が逃げ出せばその皺寄せは間違いなく文に向くだろう。もはや天魔に成り代わる事のできる天狗など、文を除いて他にない。

 天狗から一定の距離を置く事で無関心を装っている文だが、その天狗が八方塞がりのどうしようもない状況になれば、自らの心さえも捨て去り、やがては──。

 

 ポロポロと涙が溢れ出した。

 はたては一時期、文を恨んでさえいた。三人の中で唯一夢を叶えて好き勝手やっているあの烏天狗がどうしようもなく憎かった。

 でも違う。実情は異なっている。

 文が天魔になれば自分よりも良い治世を築ける筈。だけど、そのやり方に付いて行ける天狗なんて殆どいない。彼女は天狗が生き残る為なら、妖怪の山を河童や八雲紫に売り渡すことだって躊躇しないだろう。非常に合理的であっても、それに賛同できる天狗が少数である事は明白である。

 それを文自身も痛切に実感している。やろうと思えば上層部の頭を物理的に挿げ替えることだって可能だが、そんな事をしても天狗を導くことには繋がらない。あくまで天狗全体を変えなければ。

 

 外患は文が抑え込んでいた。積極的に各勢力と関わりを持ち、少しでも力のある存在との親善を欠かさない。マスコミ活動だってそれらの行動の一環に過ぎないのではないかとすら思える。

 ……彼女はもしや期待していたのではなかろうか。自分と椛が天狗の内憂を取り除いてくれる事を。

 だが椛は上と下の衝突を防ぐことに苦慮し、自分は只管上の操り人形。

 

『私は貴女たちのようにはできないわ。とてもとても』

 

 嫌味たらしく言っていたあの言葉でさえ、文からの期待が込められていたのかもしれない。自分は文のように上手くはやれない。だがそれは逆も然り。

 このままじゃ彼女に顔向けすらできそうにない。

 

 

「終われない」

 

 私がまだ一番何もできてない。

 

 やっと気付くことができた。

 自分が取るべきだった指針。全てを投げ打つ覚悟。

 

「紫……ありがとう。おかげで決心がついた」

 

 はたては空を見上げる。天子と萃香の戦闘の余波によって雲は消し飛び、晴れ晴れとした色素の薄い青空が広がっている。

 いま改めて、自分が自由であると実感した。

 

「私に優しくしてくれたみんなが少しでも幸せになるために、頑張る。それまでは何も投げ出さない。……逃げ出さないわ」

「そう。『勇』を得たのね」

「ええそうよ。与えてしまった痛みの対価は私で終わりにするの。友人達にこれ以上の業を背負わせるわけにはいかないから」

「ふふ……いい威勢ね。存分に頑張ってちょうだいな。願わくば貴女の勇翔が幻想郷に大いなる風を齎さんことを」

 

 望んでいた答えが返ってきたのだろう。紫はたちどころに怒りを収めると、満足げに頷く。そして収納用のスキマを開き、ひょいっと細長いモノを取り出した。

 それは剣の柄だった。しかし刀身はなく、鍔すらもない。一見するとただの鉄の棒である。

 不可解に思ったのも束の間だった。

 空を撫でる天女の羽衣を思わせる美しい所作で、紫が柄を振るう。蒼天の空が軽く揺らめき、柄より出でた真紅の刀身をありありと示す。

 

 美しい、余りにも。

 はたては無意識に携帯電話を取り出し、その幻想的な姿形を納める。感嘆のため息すら零れ落ちた。

 彼女の美しさは何度も画面越しに眺めてきた。だけどやっぱり、目の前のリアリティには全く敵わない。直接目にする感動体験には勝らないのだ。

 

 紫は一通り赫刀を眺めると、一笑に伏しはたてへと投げ渡した。空を舞う最中に刀身は掻き消えて柄だけとなり、はたての手に収まる。

 

「『勇』を得た貴女にはその(つるぎ)を差し上げましょう。何の役に立てるかは貴女次第ですわ。さてそれでは、このあたりで私は……」

「待って紫!」

 

 剣の正体は確かめずとも分かった。これこそ間違いなく、天子の言っていた『緋想の剣』であろう。感じるエネルギーの気質が天子の物と酷似している。

 この際、紫が何故それを持っていたのかについては突っ込まない。はたてと天子の目的を把握している件についてもスルー。

 聞きたいのはそんな事じゃない。

 

「紫はなんで、賢者になったの?」

「……?」

「私は知ってる。貴女が今の地位を築くまでにどれだけの辛酸を舐めてきたのかを。並大抵のことじゃない。とても、凄いことだと思う」

 

 裏表のない正直な気持ちだ。

 

「貴女に酷いことを言い続けた(天魔)が言うのは可笑しな話だけどさ、とっても勇気づけられた。魑魅魍魎の跋扈するこの世界におけるキーパーソンであり、最高権力者。それ故に数多の悪意に晒され、時には害を齎される事だった多々あったわよね。それでも全く挫けないその姿は、称賛に値する」

「あら、どうも」

「けど終ぞ、その原動力の源となる要因は分からなかった。……良かったら教えてくれない? それが分かれば私も、もっと頑張れるかもしれない」

「……うーん」

 

 先ほどまで見る者全てを震え上がるような冷徹な相貌はみるみるうちになりを顰め、困ったように目を逸らす。あの八雲紫が答えに窮しているのだ。

 それほどまでの機密事項なのかと、まるでマスコミの真似事のように追求したい欲に駆られる。はたては新聞記者の卵を夢見る乙女である。

 

「いざこうして言語化を求められると、少々苦しいわね。だって人を動かす要因は決して一辺倒なものじゃありませんから。民のため、友のためと高尚な事を宣ったとしても、それは誰かに仕組まれているかもしれない。或いは自分すら窺い知れない本音を隠すための言い訳なのかもしれない。自らの想いだけが自分の行動の全てを握っていると考えるのは傲りでしょう」

 

 ギクリ、となる。

 八雲紫の皮肉はまだまだ健在のようだ。

 

「要するに、要因は無いってこと?」

「それは違うわね。決意には何かしらの理由が付き物ですもの。私だって、無意味にこんな事(幻想郷運営)をするほど酔狂ではありません。賢者になった理由というなら、どのような経緯があったとはいえ、『夢』を叶えるためですわ」

 

 夢というならそうだ、文とはたてが天魔を目指していた理由もまた、夢だ。天狗を盛り立てていきたかった、天狗……椛や天魔に誇れる存在になりたかった。

 色々ある。紫の言う通り、一辺倒ではない。

 

 でも、やっぱり一番は────。

 

 

「美しい世界」

 

 幽遠な雰囲気を醸し出しながら、遠い目で呟く。

 

「争いに溺れる醜い残酷な世界で、唯一の安息地たる場所を作りました。天界も地獄も関係ない。悲しむ者、貧する者、苦しむ者……みなを等しく受け入れる。そして、そこに住まうみなが仲良く暮らしていけたらいいな、なんて安直な動機。荒唐無稽な夢です」

「とってもいいと思う!」

 

 なんと言う事だろうか、と。何故もっと早く気付かなかったのかと。八雲紫という存在を歪んでいるとばかり思っていた自分を恥じた。

 八雲紫は歪んでいるはずだ。

 念写でたびたび盗み見ていたから。あの怪物でも苦しんでいるのだと、自分を半ば安心させるためにそう思い込むように心がけていた。だがそれでもやはり、自分と紫の間には埋め難い隔絶された差があるように思っていた。八雲紫の最終目的は、自分のモノなんかより遥かに壮大で、及び着かない領域であると。

 

 そんなことはなかった。

 八雲紫の夢はあまりにも弱者の等身大そのものだった。自分達のモノと酷似していたのだ。

 

 感極まったはたては喜色満面の笑みで、泣きながら紫の手を握る。そして上下にブンブン振り回した。

 

「ありがとう紫! ごめんね紫! 私誤解してた。いつも酷い事ばっかり言ってごめんねぇ! 私の事を許してくれてありがとう!」

「落ち着きましょう?」

「夢、叶うよきっと! 応援するよいっぱい! 私はもうダメかもだけど、文ならきっと叶えてくれるから!」

「えっとね?」

「紫がんばって! 私もたくさんがんばる! みんなでがんばればきっと幻想郷も平和になるもんね! だから諦めないで、一緒にがんばろう!」

「ありがとう?」

 

 

 

 結局はたては言いたい放題好きなだけ喋りまくった後、渡された柄を大事に抱えながら下界の方へと飛んで行ってしまった。風圧を顔面に受けながら、紫は彼女の姿を見送っていた。

 

「嬉しいはずなのになんか腑に落ちないわね……」

 

 そんな事を呟きつつ、無視していた脳内への着信へ意識を向ける。はたてとの会話中にもけたたましく鳴り響いていたそれだが、そろそろ圧が強くなってきたので無視するのも限界であった。

 なるべく平静を保ちつつ応答する。

 

「ごめんなさいね藍。ちょっと用が立て込んでて出れなかったの」

『……』

「ほ、本当よ?」

『大丈夫ですよ。紫様が何をしていようと、私はその御心に従うまでです。決して無視されていた事に対して腹を立てているわけではありません』

「そう? なら良かったわ』

 

 取り敢えず一安心。ほっと胸を撫で下ろしつつ藍の心の広さに感謝した。流石は最強の九尾、尻尾も器量も並大抵ではないという事だ。

 さて、本題へ。

 

「それでどうしたの。何か問題でも?」

『テロです。妖怪の山を標的とした、それも大規模な』

「あらなんて事。被害の概要はどうかしら」

 

「まあいつかは起こるだろうな」と、たかを括っていた紫にとってはその程度の出来事だった。首謀者は河童あたりだろうか。

 

『順次調査中ですが、未だテロの首謀者との戦いが続いており其方の対処を優先いたしますので、詳しい報告には少しばかりお時間をいただけると。またそれに伴いまして暫く幻想郷は慌ただしくなりますので、紫様は天界に留まっていただくか、帰宅されてお休みになられててください』

「分かったわ。霊夢と密に連携を取って安全第一で対処するようにね。あと妖怪の山麓にも被害は出たのかしら? マヨヒガの橙は無事?」

『建物に損傷は出ましたが橙と配下の猫達に被害はありません。今はちょうど訪問していた犬走椛との調整に当たらせています』

「そう。無事で良かったわ。──あ、守矢……いや、何でもないわ。それじゃよろしくね、藍。毎度苦労かけてごめんなさい」

『……いえ』

 

 最後の間が少しばかり気になったが、まあ気の所為だろう。軽くため息を吐き出しつつも、紫は頗る冷静。むしろ余裕さえあった。

 かなりの面倒ごとではあるが、後始末は後任に丸投げすれば良い。自分は恙無く引き継ぎを済ませればそれで終わりなのだ! 今できることを全てやり切ってから隠居しろ? 今回のは辞任表明後に起きた事なのでノーカン判定。

 唯一の憂慮といえば先ほどはぐれ烏天狗に語った八雲紫の最終目標『みんな仲良し幻想郷』にまた一歩遠ざかってしまった事ぐらい。

 

 それよりも今は早苗と神奈子の安否確認が最優先である。確か今日は人里に神奈子とともに布教しに行くと言っていたので無事ではあろうが、念のため。

 

 目紛(めまぐる)しく移り変わる情勢。慌ただしく動き出す各地の実力者達。幻想郷に齎された比那名居 天子という名のカンフル剤。長年燻っていた姫海棠はたての決意。

 それらが一斉に蠢き出す。

 

 そんな中、肝心の紫は結構呑気していた。




ゆかてん「「Beautiful world」」

東方緋想天のサウンドトラックCDのライナーノーツには、緋想の剣を手にする八雲紫の姿が描かれている。 天子から貸してもらったのか、はたまた奪い取ったのか……ゆかりんと天子の良好な仲が窺えますね♡(なお憑

よくよく天魔の言動を見返すとずっと無言になってるか、ゆかりんを糾弾してるかのほぼ2パターン。操り人形の片鱗が垣間見えます。
ただ一話冒頭で紅霧異変への文派遣に渋ってたり、吸血鬼異変時に山への小悪魔襲撃の報を聞いて慌てて会議の場から飛び出しちゃったりとやや自我が出てる模様。

なお今回も心配したり怒ったり剣を投げ渡したり困惑したりと、情緒不安定だったゆかりん。
その理由は次回にて。


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八雲紫は考えない

一話目。明日も投稿予定です


 

 ……えー、不肖ながらこの八雲紫。宣言させていただきたいことがございます。

 

 飽きた。

 

 藍と萃香には悪いけどマジで飽きた。言い出しっぺになって本当に悪いけどガチで飽きた! 

 

 どこを見渡しても雲と木と土ばかり。代わり映えの無い風景を延々と眺めているだけで、何の進展もない時間が川のように流れていく。多分実際の経過時間はそこまで多く無いと思うんだけど、あくまで感覚的な問題ね。一種の拷問に近い。

 しかも今下界じゃテロが起きてるんでしょ? 帰った後幻想郷がどうなってるか考えただけで気が気じゃ無い! 恐ろしいわ! 

 目の前に流れる風景と、齎されている限定的な情報のギャップが激しすぎてこれもまたストレスの一因だ。天界ってトイレ無いのかしら(ソワソワ

 

 ちなみになぜ我が愛しき八雲邸に帰らず、今もまだ天界の地べたに正座しているのかと言うと、要するに待ち惚けを食らってるのよね。

 ひとまず当初の目的だけでも果たそうと思って、天界のお偉いさんに会う為に一際目立つデカイ御屋敷に駆け込んでアポを取ろうとしたんだけど、彼方は何故か私と会おうとしてくれないのよね。萃香の悪評の所為かもしれない。

 その後、暫くの交渉の末に『遣いを送るので伝言を言い渡してくれればその内容の返答だけする』という結果に落ち着いた。まどろっこしいわね……! 

 

 それからというものの、派遣される遣いを介して焦ったい交渉を長々とやっている訳だ。会ってくれればすぐ終わる話なのに天界のお偉いさんはそこら辺分からないのかしら? 天人に期待すべきではないかもしれない。

 遣いの人も最低限の話だけでちっとも話してくれないし、面白くなーい! イライラするわー! 

 

 あ、ちなみに私がこんなに荒れてるのは幻想郷のゴタゴタや天界側の対応だけが原因じゃない。先ほど邂逅した奇妙な鴉天狗の所為でもあるのだ! 

 あの子、どうも妖怪の山から逃げ出して来た脱走兵みたいなんだけど、もうすぐ賢者職から解き放たれて自由になる私に向かって「お前が羨ましい。お前のようになりたい」とか言い出したのよ。これってつまり「お前はいいよな。勝手に賢者を辞めてもお咎めなしだもんな」って事を言いたいのよね? 

 

 気持ちは分かる。上下関係の厳しい天狗社会に嫌気が差すのも無理ない話でしょう。全てを投げ出して逃亡、大いによろしい。

 しかーし! お前と一緒にするな! 

 いいかしら? 私は決して無責任に自らの責務を放棄したわけではないのだ! 今すぐにでも投げ出したい気持ちを抑えてこうして後任を探してるのもその一環! ここ重要!!! 

 残される者達のその後を鑑みた行動である事は言うまでもない! 天狗の仲間達を準備無しに見捨てたあの鴉天狗とは違うのだ! 

 

 そう、私はただのクズでは無い! 言うなれば比較的マシな方のクズ! そこら辺間違えられると困りますわね。ぷんぷん。

 ただ私の喝に鴉天狗の彼女は大いに感銘を受けたらしく、しっかり心を入れ替えてくれたわ。素直で良い子だったわよね、幻想郷における貴重な人材である。若干情緒不安定だった気もするけど。廃棄処分とばかりに投げ渡したサイリウム(ケミカルライト)に対しても喜んでたし、悪い妖怪ではなかったのだろう。プリズムリバーのコンサートの時にでも使うと良いかもね。

 

 ……それにしてもあのサイリウムはなんだったんでしょうね? 萃香が暴れ回ってた時にちょうど飛んできて私の頭に直撃しやがったんだけど。

 まあ別に貴重な物でもなさそうだったし、さっさと譲って正解だったわね。

 

 

 さてさて、なんて事をグダグダと心の中で愚痴ってたら再び遣いの人がやって来た。この人も大変よね、無駄に何度も行ったり来たりさせられて。

 

「御苦労様。それで、彼方は何と?」

「此方側から提示する唯一の条件を認めていただけるのであれば天人派遣の件、認めると。当然幻想郷と名居家による取り決めでありますので、騒動はこれにて落着。(かみ)の都の余計な仲介はありません」

「そう。長い回り道でしたが、ようやく当初の目的が果たせそうで安心しましたわ」

 

 ていうかそんなに揉める事かしら? ただ「此方の選定に見合う天人が居たら是非とも派遣してくださいねー。見返りは勿論用意しますー」ってだけの話なのに。

 もっとも、私や萃香への対応を見る限り天人達にはあまり期待はできそうに無いかも。ほらなんていうか、賢者ならもっと条理から外れるくらい色々ぶっ飛んでてくれないと!(ド偏見)

 

 ちなみになんだけど、聞くところによると天界って月の都とズブズブの関係らしくてね、それで幻想郷への対応がいまいち歯切れ悪かったりしたのかも。まあ見たところ天人からは月人特有の嫌らしさがあんまり感じられない……気がするからオーケー! 変に勘繰ってまた話を拗らせるのも面倒臭いし、さっさと用件を済ませて帰りましょ! 

 

「ではその条件とやらをお聞かせ願えますか?」

「というのも、その派遣する天人の事です。八雲様からの御所望は『才智に溢れ、力が強く、革新的な思想に秀でた優秀な天人』という風にお聞きしておりますが、一名該当がございまして、その者を推薦したい事が一つ。逆に言えば、その者以外に八雲様の要望に応えられる者は天界におりません」

 

 遣いからの言葉を受けて私は満足げに頷く。なんら問題ない事である。むしろ私がやるべき事を天界側が請け負ってくれるのだから、渡りに船というものだ。

 まあその一人が賢者たり得る資格を有していなければ今回の話は無かったことになるけどね。また新しい場所で賢者候補探しをしなければならない。うーん、あと探すとしたら地底とか地獄とか……六道の境界を越えてみるのもいいかもしれないわね! 畜生道、修羅道、餓鬼道その他諸々って強い奴多そうよね。

 

 っと、思考が逸れちゃった。

 

「何故天界の人材を欲したのか、八雲様の真意は敢えて問わないとの事です。寧ろ今を機に互いの立場をハッキリさせた方がよろしいとの判断を優先し、此度の決定となりした。その天人──身分としては総領事様の令嬢になりますが、まあ無駄に万能なので幻想郷と天界の友好の証としてなんなりと煮るなり焼くなりお使いください」

「ふむ、幻想郷は全てを受け入れます。当然その方が何者であろうが能力があれば構いませんが、どうも腑に落ちないですわね。天界に二人と居ないほど優秀な方ならもっと重宝して然るべきでは?」

「幻想郷、引いては八雲様との友好の証です故。致し方ないとの結論です」

 

 ふーむ、天人の考える事はよく分からないわねぇ。まあそんなに推してくるならよっぽど優秀なんでしょう。けどねぇ、煮るなり焼くなりは流石に冗談だとしても、表現としてちょっとばかしオーバーよね? まるで人質を差し出させているみたいじゃないの。

 まあ幻想郷と天界じゃ風習も文化も違うだろうし、あっちではこういうのが一般的なのかもしれない。平和そうなのに意外よねー。

 

 

 ひとまず話は纏まったので遣いの人と一緒に下界へと向かう。どうやらその優秀な天人さんは一足先に幻想郷に向かっているらしい。そんなに乗り気なのかしら? 意欲は十分、と……(メモメモ

 その間、遣いの人がペラペラと(くだん)の天人のプロフィールを語ってくれた。名前は比那名居天子。先にも述べた通り天界有数の名家の令嬢で、幼少期になんか難しい名前の本を暗記したとか、新しい事には目が無いフロンティア精神満々の少女だとか、かの龍神に一目置かれているとか、まあ色々。言ってる事の半分くらい意味が分からなかったのは秘密よ。ただまあ無知を晒す訳にもいかないので空気を読んで適当に相槌を返している。

 

 聞く分には超優良人材のように思えるが、やっぱりこの目で見てみない事には始まらない。とんでもない地雷だったらちゃんと弾かないといけないし! 賢者の資格足り得る少女だったら良いんだけどなぁ。 

 

 と、分厚い雲が途切れて眼下に陸地が広がる。漸く幻想郷に帰ってきたのだ。

 しかし天界に行く前とかなり風景が変わっている。詳しく言うと妖怪の山あたり。…………想像の数百倍はとんでもない事になってた。

 遣いの人もこれにはドン引きしてる。ま、まずいわね……これでは天界に「幻想郷は野蛮」という風評被害が広まりかねないわ! 下手したら天子さんの派遣を止められちゃうかも。上手く誤魔化さなくては! 

 

「──とまあ、幻想郷は御覧の通り自然豊かな地でございます。あのように今も活発にマグマを噴き出しているような活火山から密竹林、砂漠など変化のバリエーションに富んでいますわ。恐らくダーウィンも真っ青でしょう」

「なるほど。天界にはこれといった変化がございませんので新鮮ですね」

 

 遣いの言葉に思わず軽くガッツポーズ! ナイス私! 即興でこんなアドリブこなしちゃう私ってやっぱり凄い! これぞ大賢者八雲紫の弁論術よっ! 

 超絶有能ファインプレーの炸裂に深く安堵し汗を拭う。それにて一件落着という事で、先に幻想郷に来ているであろう天子さんと合流────。

 

「お待ちください八雲様。……何やら()()()()()()()ですね。これも幻想郷特有の風土でしょうか?」

「はて、空気?」

 

 遣いさんが奇妙な事を言い出したのでそれとなく目を凝らす。んー……別にいつも通りじゃないかしら。まあ天界に比べたら流石に空気が幾らか濁ってるとは思うけど、幻想郷のそれだって悪くはないわよ? 

 私は遣いさんに幻想郷の空気の安全性をアピールすべく思いっきり息を吸い込む。そして思いっきりむせた。ていうか吐いた。

 

 不ッ味ッッッ!?!!? 

 澄み渡っていた筈の幻想郷がいつの間にか汚染されている!? ていうかどんどん目の前が真っ赤になっていくわ!? 

 最初はこの異常な空気による目の充血が原因かと思ったが、それが見当違いである事にはすぐに気付いた。これ、紅霧だわ!!! 

 

「けほけほ……これは──」

「異常事態でしょうか?」

「……いえ、これも幻想郷の風物詩のようなものですわ。げほっ、春に大陸より流れてくる黄砂やスモッグと同じようなものです」

「なるほど」

 

 勿論嘘である。この霧が人為的に発生したモノであるのは明らかだ。何より、幻想郷はとある異変で一度これを経験している。

 

 こんなクッソ汚い霧を幻想郷に撒き散らす迷惑野郎なんて一人しかいないわ! やりやがったわねガキンチョパリピ蝙蝠がぁ……! 

 幻想郷が大規模テロで揺れてる今こそ再侵略の絶好の機会ってわけね! 月侵略を私に告げたのは本来の計画を隠す為のカモフラージュだったってことか。

 この大賢者八雲紫ともあろう者があんな小童に謀られるとは一生の不覚ですわ。ぐぬぬ、くやしーっ! あいつ絶対後で霊夢にボコってもらうんだから! 今度はもう庇ってあげないもんね! 

 

 てか死ぬ! この霧、特に上層に溜まるよう操作されているようで、ちょうど私と遣いさんの居る地点は紅霧のホットスポット! 汗とか口から込み上げるモノで大変見苦しくなる前に避難しましょう! 

 口鼻をハンカチで覆い遣いの人に身振り手振りでジェスチャーを送る。取り敢えずもう一度雲の上に避難しようと。有難い事に遣いの人も空気を読んでくれたらしく、頷いて共に上昇する。雲の上は無風状態だからね、霧が到達する事はないだろう。そもそもレミリアの狙いは幻想郷だろうし。

 

 くそぅ、次から次に厄介ごとばっか! どうしてよりにもよってこのタイミングなのよ……後もう少しで賢者を辞退できそうな、この時に! 

 呪ってやるわ! 運命! 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「とても有益な時間を過ごせたわ。今度はウチにいらっしゃいな、存分に歓待してあげる。フランも喜ぶしね」

「ええ、お言葉に甘えて。数日後のパーティには是非とも参加させていただきます。ああ、ウチの子達も受け入れてくれてくれるんですね。ありがとうございますね」

「クク……抜け目ないわね」

 

 紅魔の主人と地底の支配者は互いに微笑み合い、約束を交わす。レミリアは約束の結末が分かるし、さとりは相手の本心が分かる。故に、ただの口約束でも二人の間では決して違われることの無い強固な縛りである。

 

 

 事の発端はフランドールがレミリアへ持って来た手紙だ。それは噂に聞くさとり妖怪からの茶会の誘い。丁寧に綴られた文面からは相手の性格がよく感じ取れた。

 ──めっちゃ嫌な奴だコイツ。

 

 普段のレミリアならばそんな手紙など一笑に付し、咲夜に命じて紙切れを暖炉に放り込み、パチュリーと美鈴に危険人物2名の監視を任せ、悪魔の号令の下に地底を滅ぼしてやるところ。

 しかし今回はそうはならなかった。理由は簡単、レミリアは既にさとりのことを知っていたからだ。むしろ、漸く自分に向けて誘いを掛けてくれたかと、喜んでいたまである。

 

 そんなわけで着々と進めていた月侵攻決起パーティーの準備を美鈴と永琳、幽香に全て押し付け、咲夜とともに地底へと急行する事になる。客人や罪人であろうがお構いなしだ。

 また通常、幻想郷から地底へ向かう際は妖怪の山の麓にぽっかり空いている洞穴へ入るのがオーソドックスであるが、最近は山が騒がしく要らぬ騒ぎを引き起こすであろう事を考慮し、紅魔館の庭から地面を掘り進めて地霊殿直通の道を開通したのだった。(真下に地霊殿がある事は紅霧異変の際に把握済み)

 

 一方のさとりは実際に目の当たりにしたレミリアがほぼ紫とフランドールのイメージ通りである事に少しばかりの衝撃を覚えつつ、それでもなんだかんだで快く迎え入れた。そもそも地上の妖怪が地底に侵入するのは協定違反だがそれでもなんだかんだで快く歓待した。

 頭のネジが外れた傍若無人な連中を日々応対テンプレートに沿って相手しているさとりにとって、愉快でエキゾチックな登場を見せてくれたレミリアは頗る新鮮であり、寧ろ好感を覚えるまであったとかなんとか。

 

 その後は何の変哲もない妹談義を行い、その片手間に互いの情報を交換。それらを踏まえて、とある取り決めを結ぶに至る。

 

 レミリアとさとりが交わした約定は極めてシンプル。

 要するに、摩多羅隠岐奈と争う事で時間や労力を消費する訳にはいかない。己の部下や協力者に対応させ、さとりとレミリア自身は力を蓄えるべき、というもの。

 最悪、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が存在する以上、それに抗う力を持つ限られた者たちは万が一に備えなければならない。

 

 細かいようで大雑把な取り決めだが、これがレミリアとさとりを繋ぐ上で重要なのだ。紅魔館や地霊殿といった勢力間での親善ではなく、あくまで個人的な友誼を結ぶものになる。

 

 と、屋敷が数度大きく揺れる。ステンドグラスは粉砕され、床のタイルに亀裂が走る。煩わしくて堪らないと、レミリアは鼻を鳴らす。どうせ何処ぞの土人が身分を弁えず暴れているのだろうと推測した。

 幻想郷では日常茶飯事といえど、一々諍いに巻き込まれては日が暮れてしまう。それにここは地底、統治者は古明地さとりであり、仕置きの如何は彼女次第。レミリアがわざわざ手を下す必要はあるまい。

 

「見送りはロビーまでで十分よ。互いにまだ命があれば、また会う機会はあるわ」

「物騒ですね。私ってそんな死にそうに見える?」

「他の連中の2割増しくらいにはね。予言でもしてあげようか。10年後の自分がどうなってるか、気になるでしょう?」

「いいえ別に。そもそも別な私の末路は輝夜さんから聞いてますし、貴女の心から聞こえて来る内容だけで大体分かります。それに、貴女が予言なんて陳腐な言葉を使うのは適当な事を言う時だけでしょう」

「お前、5年以内に多分死ぬよ」

「話聞いてます? 聞いてないですね」

 

 ケラケラ笑うレミリアに鼻で笑うさとり。二人の関係は前述した通りそれなりに良かったりするのだが、従者達がそうはいかないのが幻想郷の常である。犬と猫が牽制し合っているのもまた笑いの種だ。

 と、徐ろにさとりは頭を下げた。その相手はレミリアではなく傍らに控える咲夜。急な態度に咲夜は訝しむように目で問い掛ける。

 

「レミリアと同時に貴女にも礼を言いたい。大変興味深い話が聞けました」

「話、話……ああ、収縮する時間(デフレーションワールド)についての。有益な物になったのなら何よりですが、あくまで仮説です。そもそもそれを考察したのは私ではなくパチュリー様ですし」

「その仮説も十六夜咲夜が存在しなければ立証し得ない。(うつつ)に生きる同一の人間が層を隔てず存在する状況を作り出すなんて、とても稀有な例なのですよ」

 

 過去と未来を圧縮し、全く同じ物体を召喚する咲夜の一芸。普段はナイフなど変哲の無い日用品に対して使っているが、一度だけ己自身に発動した事がある。

 春雪異変の際、白玉楼にて魂魄妖夢と対峙した時だ。半人半霊の剣士が放った斬撃は咲夜の命を捉え、そのまま絶命寸前に追い込まれた。故にデフレーションワールドを使わざるを得なかったのだ。その結果、現在進行形で咲夜が使用している肉体は、本来並行世界に存在している筈の肉体である。

 そして前回の肉体はと言うと、気付かないうちに消えてしまっていた。異変が佳境を迎えていた為、深く考える暇がなかった。

 

 後日、パチュリーにその出来事を相談したところ、彼女はいつものように気怠げに髪をかき上げつつ、しかし強い口調でこう言った。

 

『自分に対してその"能力"は二度と使わない方がいいわよ。下手すれば貴女どころかレミィや私まで消し飛びかねない事態になる』

『対消滅、というものですか? しかしお嬢様とパチュリー様にまで何故影響が出るのでしょう? 私だけで完結するものでは』

『そんな単純な話じゃない。禁忌を犯す事の意味を理解できないほど貴女は愚かでは無いと思うけど? ──レミィにも言える事よ、因果を乱す行為は謹みなさい。世の摂理に反するなら相応の代償と歪みを負う。禁忌の存在が大きければそれだけ影響力は増大し、やがては──』

 

()()()()()()わよ」

 

 想起が無理矢理断ち切られた。思考に耽ってしまった己を律しつつ、咲夜は頭を横に振った。そうだ、パチュリーとの会話の時もこのような形でレミリアが乗っかってきたのだ。

 レミリアがそう言うのならば、そうなのだろう。これでその話題は終わりだ。

 

「そう、()()()()()()。歪みは強力な修正を受けて、時間を先へと運び続ける。寧ろ幻想郷の猛者の方々はその歪みを器用かつ無自覚に使いこなしている始末。それで一々世界が滅びていては身体が持ちません」

「仮に咲夜が消滅しようと、それに私が巻き込まれようと運命は緩やかに流れていくだけよ。ああ勿論、そんな運命はお断りだからちゃんと私達に先がある未来を選択させてもらってるわよ。帰ったらまたチェックしてあげる」

「お恥ずかしい限り……」

 

 結局そういう未来も有るのだろう。「迂闊な事はできないな……」なんて事を今更考える咲夜だったが、ほんの少しの違和感を覚えた。言葉の割にレミリアとさとりの表情が硬いのだ。

 

「与太話が過ぎた。こんな話で時間を潰しても仕方あるまいよ。帰るわよ咲夜」

「道中良からぬ輩に絡まれないようお気をつけて」

「躾がなってないわね古明地。地底の連中は格の違いが判らないほどに愚かなのかしら。暗がりの中で這い蹲る下賤の民は目が退化して私ほど高貴なる者のオーラすらも識別できないと?」

「いえ……地底というか、空の上から」

「上? 地底で空ってどういう──うべっ」

 

 ちょうど真上を向いた瞬間だった。エントランスの壁をぶち破り、凄まじい勢いそのままに飛来した碧色の弾丸がレミリアを巻き込んで諸共地霊殿を貫く。

 けたたましい轟音とともに館そのものが傾いた。

 

「助けないんですね」

「てっきりお嬢様なら既に把握済みなものかと。あっ、そういえばここ最近ずっと能力を制限してたわね。失念してました」

「貴女も案外いい性格してますよね」

 

 咲夜なりの意思表示というか、仕返しというか。なんにせよ微笑ましい関係のようで何よりだとさとりは思う。

 

 一方で当人のレミリアはうつ伏せにめり込んでおり、さらに例の飛来物に下敷きにされていた。その正体は勿論と言うべきか比那名居天子であり、頬が青白く腫れ上がっている。だがそれ自体は大して気にしていないようで、服の土埃を払いつつ、レミリアを踏み台にして立ち上がる。

 

「はてさて、また随分と飛ばされたわね。ここが地底の端かしら? うーん、あっちまで戻るのも面倒だし、こっちに来るまで待ってようかな。──あっ、お邪魔してるわ。家を壊しちゃって悪いわね」

「本当に悪いと思ってるならせめて態度で見せてくれませんかね……」

 

 尊大にふんぞり返る不良天人の態度に、さしものさとりも僅かな不快感を見せる。なお心の中では本当に曲がりなりにも『悪い』と思っているようなので、余計にタチが悪い。

 天子が地底で暴れている事は少し前から把握していたが、その時点ではレミリアとの対話の方が優先順位が高いと判断して目を瞑っていた。ただその判断は間違いだったかもしれないと、ほんの少しだけ後悔する。

 

『比那名居天子を野放しにするのは危険。今のうちに消しましょう』なんて事を大真面目な様子で常々言っていた紫擬きが妙に懐かしくなった。これでは彼女を否定することができないではないか。

 ざっと観察しただけでも能力、思想共に危険過ぎる。

 

「幻想郷のトップを探しているんですね。残念ですが地底で燻っていてもあの人を見つける事はできませんよ」

「なんで知ってるのよ気味が悪いわね。しかし話が早くて助かるのも事実! さあ幻想郷で一番強くて偉い奴を呼ぶといい!」

「は? 呼ぶわけないでしょう、ただでさえ面倒臭い状況なのに……。それより貴女、もう生きて日は拝めないかもしれませんよ?」

 

 脅し文句などではなく、本音から出た言葉。現状を冷静に鑑みれば天子のそれは正しく詰み寸前であり、彼女の取れる選択肢は時が経つごとに加速度的に消滅している。現にたった今、さとりの隣に萃香が妖霧から萃まり元の形へと成った。あと幾分かすれば地上から異変解決者の面々や賢者の手の者は勿論、騒ぎを聞き付けた交戦的な地底妖怪達も大挙して殺到するだろう。

 袋叩き不可避である。

 

「貴女にしては遅かったですね、萃香さん」

「ふん、私を侮るなよ。勇儀の奴を相手するのに少し手間取ってただけだ! ったく、負けの一つや二つではしゃいじゃってさ!」

「あらら、杯からお酒を溢してしまったのですか。ルールの上でとはいえ勇儀さんを負かすとは……今日は本当に忙しい」

 

 豪快に笑う勇儀の姿が想起される。自分を打ち負かす存在に久々に出会えて非常に満足したようだ。また、そんな彼女に関してうだうだ言う萃香であるが、吸血鬼異変の際、これまた自分をルール上で負かした美鈴に酷く感銘を受けていたりする。ここ最近立て続けに負けを体験できた故の慣れだろうか。

 

 何にせよ、萃香の到着により天子が生還できる可能性は限りなく低下した。天子の足下でプルプル震えている吸血鬼の王女もまた我慢の限界だろう。

 

 此処でなら確実に天子を消す事ができる。彼女の胸の内から読み取れる『秘策(緋想の剣)』については、彼女自身その力を完全に把握しきれていないので未知数ではあるが、自分(さとり)が対応すれば何ら問題はない。

 殺せる。だが本当にそれで良いのだろうか。一つの分岐点となる選択肢が己の手の内に転がり込んできた事で、さとりに迷いが生じる。レミリアが素直に能力を行使してくれれば迷う必要も無かっただろうに。

 

(迷うな。私は無意識に最善を目指そうとしてしまう癖がある。それで前回も、摩多羅隠岐奈にしてやられた。味方にできる可能性に賭けてしまったから、今こうして泥沼に陥っている)

 

 事実、隠岐奈や輝夜を地霊殿に招待したあの時彼女(隠岐奈)を説得して手を結ぶ事ができていれば、らしくもなく謀略を巡らせる必要はなかったのだ。全てが上手く運ぶ最善の可能性は確かに存在していた。だがそうはならず、利害の相違が幻想郷を二つに割る程の対立となって、最大の障害としてさとりの前に横たわる。

 可能性と自らの幸運を過信しすぎた結果が、最悪の失態に繋がった。

 天子で同じ失敗を犯すわけにはいかない。

 

「さて、比那名居天子。これは最後通牒になりますが……今すぐ踵を返して天界へ帰りなさい。これ以上の命の保証はできかねます」

「名前出身諸々なんで知ってるのよ。きっしょ!」

「天界は貴女の出身地じゃないでしょう?」

「ふむ、腕ずくで黙らせるしかないわね」

 

 煽りが刺さる刺さる。表面上は余裕そうに取り繕っているものの、内心かなり堪えているようで、怒りの炎で煮えたぎっている。

 天子の精神性は幻想郷の面々と比べてもかなり強固な方である。故に僅かな隙を突かれると大いに動揺するのは人の常というものか。

 

 そしてそれは彼女の足元にいる吸血鬼も同様なわけで。

 さとりに意識を向け過ぎたのだろう、不意に放たれた真下からの一撃に身体が大きく跳ねる。天井へと達するほぼ同時に高密度の妖力弾が天子へと殺到、立ち昇る紅蓮の爆炎となり地霊殿どころか旧地獄を覆う地盤そのものを吹き飛ばしかねない破壊を一身へと放ち続ける。

 怒り心頭に発するとはこの事だ。

 

「舐めた真似してくれたじゃない……。私をここまでコケにしたのは貴様で12人目よ巫山戯やがって……!」

「うふっ」

「おい今お前(さとり)笑ったな?」

 

 顔をぶかぶかの袖で覆い隠しつつ首を横に振るさとり。なお肩が小刻みに震えていた。自分の隣で「ひいふうみぃ」と、指を折り曲げる従者と合わせてレミリアをさらにイラつかせる。

 神槍(グングニル)の矛先を危うく二人に向けかけたが、理性を働かせて無理やり衝動を抑え込む。まずは比那名居天子の誅殺からだ。

 

「どうやら地上まで飛んでっちまったみたいだねぇ。どうするよレミリア。地上はまだ太陽が照ってるが、お前も追いかけるかい?」

「当然。太陽なんか障害にすらならない、10秒あれば幻想郷を再び紅霧で包み込んでやるわ。むしろ奴の始末は私がやる。酒臭い呑んだくれは大人しく地底で酔い潰れてなさい」

「それがそうはいかないんだよなぁ。紫からの頼まれごとだし、鬼として最低限の顔は立たせなきゃなんないからさ」

「ふーん、またアイツか」

 

 最低限の会話後、二人は紅白の霧となり地上へと流れていく。続いて咲夜もさとりに会釈し後を追いかけるようにその場を去った。

 残されたのはさとりと燐、そして怖がって館の隅に隠れているペット達だけ。

 

「お燐。私は地上に向かうから、貴女は館の後片付けと、地上に出ようとする妖怪達を押し留めなさい。土蜘蛛(黒谷ヤマメ)なんかを野放しにした日には後が酷くなる」

「御命令とあればそのように。……あとさっきから何故かお空が見当たらないので、探したいんですけど、まあその、人手が……」

「ゾンビフェアリーの使役を許可する。そうね、ついでに数日ばかり館を空けようと思うから、代理の執務もお願いね」

「うげっ」

 

 ペットの気持ちが分からぬ主人ではない。しかし事態が事態、半ば押し付けるようにして、古明地さとりもまた忌み嫌った地上へと向かうのだ。

 




長くお待たせした割に後半が何やらとっ散らかってますが、幻マジの世界観を語る上で結構大切な事だったりするので回想にパチュリーまで出張ってもらいました。
要点としては
・同じ世界線に二人同じ人が存在するのはアウト!禁忌だよ!
・禁忌だけど世界自体はなんだかんだ何事もなく前に進んでいく。因果やらテコ入れやら記憶の層やらで上手く歪みが修正されるらしい。その過程で禁忌を犯した当人に悪影響が及んでもそれは運命の一部。罪を受け入れよう!
・何事も起きない。


※虹龍洞は潰れました。


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比那名居天子は顧みない*

2話目。明日も投稿予定です


 眼前に広がる故郷を前に難しい顔で項垂れる。千里眼で事の詳細は確認できていたが、何分経っても胸の内から虚しさが消える事はない。

 

「……」

「……」

 

 居心地の悪い沈黙。顔を合わせれば活発的に互いを罵倒し合ってきた二人だが、ことこの状況では掛ける言葉が見つからなかった。

 誰のせいにすれば良いのか、そもそも喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……それすらも二人には見当がつかなかったのだ。思考の収拾がつかない。

 

 だがこういう時、一番に話を切り出すのはいつだって文だ。彼女がいつだって全ての始まりだった。

 

「これで道が開けたわね」

 

 椛は思わず睨み付けた。言わんとしたい事は分かる、だがそれが(まか)り通ってしまえば正道は失われてしまうだろう。

 

「……流石に問題発言ですよ、それは」

「誰が問題にするのよ。上の連中は恐らく全員木っ端微塵、天魔様は既に亡く、はたては行方不明。現状、天狗の全てを決定する権限は貴女にあるわ」

「繰上げにも程があるでしょう! それよりも大天狗様の誰かが無事でないかの安否確認が最優先事項……!」

「それを決めるのも"貴女"よ。幸い、生き残っている天狗の大多数は外に駆り出されていた白狼天狗と鴉天狗。その両種族からの信任厚い犬走椛"様"なら、反発少なく次期天魔になれるかもね。仮に大天狗様の誰かが生き残ってても、貴女の決定如何では死んだことにしてもいい」

「笑えない冗談はやめて下さい」

「残念、大マジよ」

 

 二人の眼下に広がっていたのは、故郷の残骸。

 妖怪の山はクレーター状に陥没し、外面こそなんとか山の形を保っているものの、いつ崩壊するか分からない状態である。まるで天罰と言わんばかりに天から降り注いだ岩石らしき物は守矢神社、及び天狗居住地に直撃。甚大な被害を齎した。

 また妖怪の山が活火山であった事や、内部の地下機構や鉱洞も災いした。地盤が完全に崩れてしまっている。なおこれを見越していたのかは不明だが、生存圏強靭化を国是として進めていた河童や、守護に秀でた山姥の居住区域だけはそのままの形を保っている。

 

「何にせよこれで天狗のハリボテ天下は終わりよ。でも天狗を滅ぼすわけにはいかないし、火消し役を誰かが務める必要がある。はたてを引っ張り出してその席に着かせてみる?」

「話になりません」

「当然。だから貴女しか居ない」

 

 はたてを天魔の影武者として数世紀に渡り放置してきたのは明らかな失策だった。それは文も椛も痛感するところである。天狗の進む道としてはベストだったかもしれないが、はたての優しさを犠牲に捧げてきた結果だ。今回ようやく彼女自ら意思を示し山から逃げ出したのだから、その思いは尊重して然るべしというのが二人の共通解。

 

 もう彼女を天魔の代わりとして扱う事はできない。だからといって次なる候補が椛というのもまたおかしな話だろう。そもそも現場の妖怪である自分に紫や隠岐奈といった海千山千の古強者達を相手にする器量などない。

 能力を加味するなら文が適任だろうが、彼女にその気はさらさらなく。そもそも半はぐれ者として悪評の多い文をトップに据えるのは難しい。それでもこの非常時ならば受け入れられる可能性自体はあるかも知れないが、やはり本人の意欲、若しくは負い目が問題だった。

 

「今日ばかりは貴女の事を恨めしく思います」

「自分に無い物を私が持ってるから?」

「黙れ。……その生き方についてですよ。確かに貴女のような天狗が必要だったのは認めます。貴女がいなければ今頃天狗はもっと酷い事になってたかもしれません。それでも……文さんには逃げて欲しくなかった」

「──椛のようにはできないわ」

 

 戦闘による地響きで幻想郷が揺れる。いつの間にか快晴だった空は紅霧に覆われており、何時ぞやの異変が再来したかのように禍々しい気配が文と椛の下にまで蔓延している。

 恐らく、妖怪の山をめちゃくちゃにした者に関連したものなのだろう。

 当然、天狗として大義名分を引っ提げその者の討伐に赴かなくてはならない。しかし二人は動けない。話が終わらねば何も始まらないから。

 

「若気の至りであったのは否定できないわね。怒りに身を任せて後先考えずに組織を飛び出してしまったのは失敗だった。でもね、私は天狗である事を誇りに思ってるけど、同時に自分達の行為が無価値に見えて仕方なかったの。良くも悪くも、天狗が鬼に憧れ過ぎた故の悲劇よ。力ある者にしか死に方を選べない世界だけども、生き方を力に支配されるほど窮屈な話は無い」

「でもっ……退き際を誤ったのだとしても、文さんみたいに全てを捨てるなんて誰にでもできる事じゃない。一度得た物を手放すのは、とても耐え難く……不安だから」

「だから失敗だったの。貴女やはたてが私みたいにできる筈ないものね……」

 

 一々癪に触る言い方である。

 

「まあ、天魔候補が居ないんじゃ仕方ないし、一時でも八雲紫か河童の傘下になるのも一つの手だと思うわよ? 少なくとも生き長らえる事ができる。むしろ、もし私が天魔になるならそうするわね」

「……生き残った者達に大天狗様を捜索させます。生存の確認された中で最も高位の方に指揮を委ねます。私と貴女は山を破壊した狼藉者の討伐です。生存者が居なかった場合は別の手を考えます。いいですね?」

「椛様の御命令とあらば」

「やめろ」

 

 文は茶化して短く答えるだけ。いつもそうだ、この鴉天狗は肝心な事を話しているようで人を煙に巻いて楽しんでいる。先ほど吐露した想いがどこまで本当なのかも怪しいくらいだ。

 その一方で、文からの悪態に毒を吐く自分こそが天狗にとって一番の癌なのではないかと思ってしまう。組織の方針への疑問を誤魔化し、種族としての躍進に酔いしれ未来の問題に目を向けなかった半端者の癖して、哨戒部署長官などという地位に甘んじて黙々と従い続けた。

 その果てがこれか? 

 

 そんな苦難を知ってか知らずか、文は空を見上げたままぼそりと声を溢す。

 

「夢なんて見るもんじゃないわね。理想に浸って生きてるだけじゃ途方も無い悪意に呑まれるだけだもの。天狗の夢はこれで終わり」

「ジャーナリストともあろう者がそんな事言っちゃっていいですか?」

「なんでアンタの前でまで新聞記者でいなきゃいけないのよ。まあいいわ、頼りにならない大天狗様達は哨戒犬に任せて、さっさとテロリストを倒しに行きましょう。他の方々に横取りされる前にね」

「はぁ……っていうか頼りにならないは言い過ぎですよ。大天狗様の中にも優秀な方は多く居ましたし、ほら、例の英雄様も輩出してますし」

 

「ああ、そんな奴も居たっけ」と、かつての姿を思い起こす。天魔の右腕であり、妖怪の山の覇権を打ち立てた一連の流れにて、大いなる功績を残したパワハラ好きの元上司。武力は言うまでもなく、政治センスと商才に抜きん出た王佐の妖怪であった。

 今もまだ存命だったのなら天狗の未来はさぞ輝かしいものだっただろう。だが彼女は死んだ。功績と共に歴史の渦に呑まれてしまった。

 

 天狗の歴史にはそんな人物が何人か存在する。みな志半ばで何らかの凶刃に倒れ、夭折してしまう。かつて天魔の抱いた苦悩たるや計り知れない。

 だが文にはそんな事関係ない。

 

「死人に口無し、英雄に人権無し。むしろあの英雄のせいで大天狗が上にのさばる結果になったんだから、戦犯よどちらかと言うと。部下にすぐ手を上げるクソ野郎だったし、部下もろくでなしだし」

「様、抜けてますよ」

 

 今は亡きかつての上司へと散々な悪態を吐き、会話は締められた。否、締めなければならなくなった。椛の千里眼が接近する暴力を捉えたから。

 空を震わせる轟音とともに山の岩肌が破裂した。飛び交う弾幕と、振われる拳により崩れた山へ更にクレーターが追加されている。周辺被害が完全に度外視された考え無しの大戦闘。

 

 苦虫を噛み潰したように唸りを上げ、疾駆せんと地を踏みしめる椛だが、それを悠々と抜き去ったのは文。あまりの速度故に多重に発生した朧げな残像が生み出す一筋の黒き糸。天狗の絶技から全方位へと繰り出されたソニックブームはその場に居た者全てに後退と転倒を余儀なくさせた。

 萃香はたたらを踏み、レミリアは大きく弾き飛ばされ、天子は岩肌へと叩き付けられた。少し遅れて椛も参上し、うつ伏せに埋まる天子を組み伏せる。

 

 

「山を壊すにしてももう少し躊躇していただけませんかね、萃香さん。レミリアさんは前科持ちだから兎も角として」

「なんで前科持ちの方が咎められないのさ。天狗の司法は相変わらず腐ってるな!」

「上流階級は罪に問われないのよ。覚えておきなさい」

 

 したり顔でいつものポーズを決めながらそんな事を宣う蝙蝠お嬢様。なお腫れ物扱いされている事には気付いていない様子。椛からの恨み混じりの敵意も意に介さず、手に携えた槍を天子へと向けた。

 

「さぁて引導を渡してやろうか。こんだけ幻想郷で滅茶苦茶やったんだ、紫の奴もさぞ御立腹だろうしね。恩を売っておくのも悪くない」

「いや待て待て。一応めぼしい天人は紫の前に引っ立てる事になってんだ。それまでは手出し無用だよ。どーどー。ほら、お前さんには話してるって聞いたよ? 例の件さ」

「例の……ああ、アレか。うーん」

「おっと何やら興味深げな話をされてるじゃないですか。私も混ぜてくださいよー」

 

「どうでもいいけど! は、早くこいつの処遇を決め……ッきゃん!?」

 

 女々しい声を上げて宙を舞う椛。全力で下手人の右腕関節部分を取り、顔面を地に這い蹲らせる事により完成していた固め技がいとも容易く解かれた。

 それはなんとも強引な突破方法。フリーになっていた左腕で地面を殴り抜け、貫通させる事で一回転したのだ。さらにそのままの勢いで椛の腹を殴打し、今に至る。

 

 相当なダメージを負っているはずなのだ。天界から始まり幻想郷の猛者達による猛攻を受け続けて無事である訳がない。それでも天子は太々しく笑ってみせる。

 永久機関を思わせる程の無尽蔵のスタミナ。そもそも大した小細工もなく鬼や吸血鬼と殴り合っている事自体が甚だ可笑しい。しかもこんな状況下でも己の勝利を信じて疑わず、活力はちっとも失われていない。頭のネジが外れているのか? 

 紛れもない狂人。特別な事情が無ければ関わり合いを持ちたくない類の存在。

 

「少し見ない間にまた増えた! いいぞその調子でどんどん掛かってくるといい! 私はどんな奴の挑戦も受け付ける! そして勝つ!!!」

 

 天子自身、テンションが上がり過ぎてまともな思考ができていない現状は心得ている。強烈な酔いに振り回される感覚に近い。

 だがそれを利用するのだ。酔いに身体を委ね、数百年の溜まりに溜まった激情を幻想郷へと吐き出すことこそ最高の快楽。

 

 と、天子の視線が文で止まる。頭襟(ときん)を見て、顔を見て、服で目が止まる。

 瞳がより一層ギラギラと光る。

 

「お前はほたてを苦しめてた奴らの一派ね? 私が今しがたぶっ壊した山を牛耳ってる時代遅れの冷血漢連中」

「あやや……酷い言われようですねぇ。はたては貴女にそんなことを?」

 

 名前を間違えている事は完全スルー。笑顔で言葉を紡ぎ天子から内容を引き出さんとする。あくまでジャーナリストの顔として。

 

「アイツが居たくない場所なんて残しておく価値もないわ。だから一番に破壊してやった。ほたては怒るでしょうけど、私達の野望の為には致し方ない」

「野望……? まさか今までの行動は何か目的あってのことなんですか?」

 

 これは文のみならず、レミリアや椛にとっても意外だった。破滅願望を持った哀れなとち狂い天人による盛大な自爆テロ、もしくはそれに近いものを想定していた。というより、天子の大胆不敵な行動に合理性を無理やりにでも見出すのであれば、それが一番適していたからだ。

 

「まあ、はしゃぎ過ぎたのは否めないがね。事実、できる事ならこの美しき郷はそのままの形で残しておきたかった。だが此処に住まう者達の実情を知って──私は興奮した! 抑圧できなかった!」

「為政者にはとことん向いてないって話さ。分かったろう? お前如きが治められる程、幻想郷は安い場所じゃないのさ」

「何故? こんなにも美しいのだから私が治めて然るべきだ。思想と能力に最も優れた者が統治して初めて善政とは成り立つのだからね」

 

「それで? 地上の全てを均し、その全てを我が物とする事が貴女にとっての善政なのですか? それは甚だお笑いですね。大爆笑です」

 

 ごく自然に会話に入ってきたさとり妖怪を場の全員が一瞥する。当のさとりは、さも面白いものを見たように笑い掛けるも、三つの目はまったく笑っていない。

 天子とレミリアへ敵意を振り撒いていた椛は、さとりの出現に際し、バツの悪そうな表情をしながら何歩か後ずさる。

 

「また出たわね! 気持ち悪い奴!」

「ちゃんと口に出してくれて光栄です。まあまあ好きですよ、貴女みたいに正直な人」

「うげ」

 

 続いて見遣るは虚。その先にある隔てられた世界に住まう賢者の式。

 大方萃香やレミリアをぶつけて一旦様子見に興じ、己の中での懸念が払拭された途端畳み掛ける腹づもりなのだろう。藍が早くに動いてくれれば少なくとも地霊殿が倒壊する事は無かっただろうに、と。若干恨めしく思いつつも、彼女にまで聞こえるように声を張り上げる。

 

「幻想郷のトップたる支配者層を武力で排除し、知己の仲である姫海棠はたてを傀儡に仕立て上げこの地を己の庭とする。そして次に幻想郷の妖怪を率させ天界に仇をなし、過去の鬱憤を晴らした挙句両方を手中に治める……杜撰もいいところな計画ですが、いざ実行されると厄介極まりない。そうでしょう?」

 

 ここまで心の内が筒抜けであれば嫌でも気付いてしまうさとりの能力。一番に叩くべきはアイツだったか、と。天子は僅かに眉を顰める。

 

 有無も言わせぬ気迫に大気が震える。もはや言葉は不要。霊夢の到着や紫の判断を悠長に待つ必要は皆無となり、天子の生死は現場判断に委ねられた。

 思考の余地など存在しない。

 

「次から次によくもまあ……こんな連中が上にゴロゴロいるんじゃ生きにくいのも当然よね。ほたての気持ちもよく分かる。あと一つ言っておくけど、私の目的は破壊や殺戮ではない。救済と保全、そして革命! 私はお前達の圧政に苦しむ下奴を解放する為に剣を掲げたのだ! 大義は我に有り!」

「な!? 貴様ッ山をこんな有様にしておいて戯言を!」

「一段落ついたら山ごと元のように直してあげるわ。なんならもっと美しい場所に変えてあげてもいいよ」

 

 拳を天へと突き上げ声高らかに宣言。剣は何処に。

 これが比那名居天子の危うさだ。世間知らずの箱入り娘である故に世界の実情やシステムに疎く、なおかつ、その歪みを正してやろうとする自らの欲望と溶け合う歪んだ正義感らしきモノと実力を兼ね備えている。

 

 論外。

 話にならない。

 

 練り上げられた莫大な妖力の矛先が天子に集中する。止めても無駄である事を察した萃香は肩を竦め、自らも高密度の妖力弾を展開した。もはや言葉は尽くした、目の前の不届き天人を消し去る理由は十分すぎる。

 問題は誰があの天人を誅すかのみ。

 

 文や椛には正当な報復の理由があるものの、恥辱を受けたレミリアがそう簡単に引き下がる筈もない。一歩引いた面々ですら絶対に逃すまいと目を光らせている。萃香とさとりに睨まれている時点で逃走は不可能だろう。

 

 酔いが有頂天に達した天子も、場の状況が頗る厳しい事を肌で感じていた。これこそ人生で一度も味わうことのなかったスパイス。まさに苦境である。

 非常に面白い。面白い、が……さてどう切り抜けようかと。思案を巡らせた。

 

 

「天子ぃぃぃぃいいっ!!!」

 

 誰の決断よりも、天子の思考よりも。ほんの、ほんの僅かだけその場にいなかった部外者による乱入が早かった。結果、趨勢は天子に傾いた。

 当人を含め、この場にいた者全員が見誤っていたのだ。天子に対して最も警戒すべきは強靭な肉体でも、その無茶苦茶な思考でもない。天運を自らに引き寄せる特異体質こそ、彼女の本領と言える。

 

 天高くから飛来する鴉天狗。妖怪の山棟梁、天魔。滾っていた面々は目障りな乱入者としか思わなかったが、文と椛は唖然として固まる他なかった。

 天魔、もとい姫海棠はたての登場はアクシデント以外の何者でも無い。はたての素性を瞬時に把握したさとりは彼女が齎す影響に警戒を強める。

 

 現れるなり大声で叫んだはたてが次に行ったアクションは投擲。手に持っていた何かの柄を天子に向けて投げ渡す。

 

「ほら受け取って! 言ってたお望みの品よっ!」

「よし! 待ってたわよほたて──これでお前の志を果たすことができるわ!」

 

 ようやく目的の品を手に収めることに成功した天子は自らの勝利を予見し、荒々しい笑みを浮かべた。天子の力に呼応して柄から緋色の刀身が現れ、実体を持たず宙に揺れる。煌々と下界を照らす剣からは危険な雰囲気が漂う。

 

 いち早く危険を察知したのはさとりとレミリア。各々の能力で事態の急転を悟り、天子の横薙ぎよりも早く後ろに飛び退く。

 逆に不退転と言わんばかりに構えたのは萃香と椛。独自の防衛方法を持つ二人に退避の文字はなく、それぞれ()()による受けを展開。とはいえ、天子の恐ろしさを身をもって把握している萃香は勿論、野生の勘に秀でた椛の脳内は警鐘に満ちていた。

 

「──あいたっ!?」

 

 まず一番に接敵した萃香は剣圧により『疎』を維持できず、実体化したところを袈裟懸けに斬り飛ばされ、勢いそのままに振われた剣を椛が盾で弾き飛ばさんとする。しかし覚悟は空回り、盾は緋想の剣に触れた途端に粉々砕け散る。衝撃を感じる間さえなかった。

 

 上下に切り分けられた萃香は塵となって空気に溶けてしまい、残された椛は数歩後退りながら太刀を前傾に構える。

 

「クソ……ば、馬鹿な……! まともにぶつかってすら無いのにッ!?」

「見聞に違わぬ力。やはりこの剣は私にこそ相応しい! 天界の馬鹿共はまたもや判断を誤ったというわけだ!」

 

「ふむ、あれが緋想の剣……」

「知っているのか? 古明地」

 

 知っているも何も取れたて新鮮な情報である。結果が判るだけで経緯の理由が解らないレミリアの疑問に、自らの第三の目を指し示す。

 レミリアに向けて簡単に説明するならば、あの剣はフランドールの能力をより概念的な形で纏う性質を持つ物だ。敵にとって最も弱みになるであろう属性、形状、材質へと都度微細に変化させ、元来天子が誇る破壊力で薙ぎ払う。それだけでありとあらゆる存在に対しての一撃必殺となり得る。

 

 萃香の能力は疎を密、密を疎で殴ればそれだけで瓦解してしまう脆さを秘めており、その点は森近霖之助が持ち出した天叢雲剣で実証済みである。つまり緋想の剣は萃香限定でその在り方をかの神剣に変質させたのだ。

 

「つまり私があの剣を受ければ、差し詰め太陽光に焼かれるような痛みを味わう事になるってわけね。ふーん……アレで永琳を斬ったらどうなるのかちょっと気になるわ」

「事が終わった後にいくらでも試してください。──さて、これ以上あの人に好き勝手されるのは少々癪ですね」

 

 ちらりと、さとりは後方へ目を遣る。幻想郷において、緋想の剣を携えた天子の攻略を最も容易く成せるであろう人物は、既にこの場に居るのだ。

 

 盾を失った事で刀一本による戦闘を余儀なくされた椛は現在進行形で果敢に攻めかかってはいるものの、それでも天子の剣圧に対抗しきれず徐々に防戦へと追いやられていた。元々の馬力もそうだが、技術に勝る椛が簡単に押されてしまう要因としては、やはり緋想の剣がウェイトを占めている。

 太刀筋が視えないのだ。しかも筋繊維の動きから天子の狙いを把握しても刀身が不定形に揺らぐものだから持ち前の『千里眼』を活かすことができない。

 

 天子をまともに相手取る上で肝要となるのは、如何に正攻法で戦わないかに尽きる。そういう意味ではさとりが適任ではあるのだが、先にレミリアと取り交わした約定の通り、なるべく消耗戦は避けたい。

 同じくレミリアも動くに動けず、不完全燃焼を起こしている。

 

「まったく、咲夜は何処へ行ったのかしら? アレが居れば簡単に剣を取り上げられただろうに。先に帰ったのかしら?」

「あの人も色々と思うところがあるんですよ」

 

 それに時間停止などという大層な手段を取る必要も無い。どうであれ天子から緋想の剣を取り上げてしまえば良いのだ。そうすれば残るは珍妙な岩石を飛ばしてくるだけの頑強な天人だけである。

 

 射命丸文だ。彼女なら持ち前の比類無きスピードであっという間に接近し、天子の思考が追いつく間もなく剣を奪い取る事ができる。萃香の能力が通じない以上、この場において最も適任なのは彼女に違いない。

 無論、文とてその考えはあった。既に実行にも移そうとしていた。聡い鴉天狗が自らに求められるであろう役割に気付かないわけがない。

 移せないのだ。文にとっての最大の障壁が立ち塞がっているから。

 

「……昔っからアンタの思考回路だけはイマイチ読めなかったのよね。今もそう、なんでその考えに至ったのか小一時間くらい問い詰めたい気分よ」

「そう、一緒ね。私もずっと、昔から文の考えが知りたくて仕方なかったわ! 言葉が足りないのよ! いっつもそう!」

「それはアンタの方でしょうが。やっと引き篭もりを止めて独り立ちしたと思ったら可笑しな事始めちゃってさ。いつも私に手を焼かせる」

「はー? 手を焼いてたのはこっちの方なんですけどぉ!? 毎度毎度好き勝手やりやがってさぁ!」

 

 いや、どっち共だよと。そんな事を心の中で激しく叫ぶ満身創痍の椛。天子に斬り払われて声を出す余裕すらなかった。もし仮に自分がフリーだったなら大急ぎで両方をど突いてやるところだ。

 一見何の変哲もない口喧嘩に見えるが、その実、両者の間では高度な心理戦が行われていた。互いに隙なく構えており、空間の隙間を測っている。

 

 はたての飛行速度は文に遠く及ばなくとも、妖怪の山で堂々2位を名乗れる程である。飛行を妨害するくらいであれば文相手でも容易い。

 そもそも何故はたてがテロリストに与しているのか、その謎がらしくもなく文を慎重にさせていたのだ。

 それに対し、はたては大袈裟に声を張り上げて自白する。

 

「教えてあげる! 妖怪の山をぶっ潰したのは私の指示によるもの、幻想郷への宣戦布告代わりの一撃だったのよ!」

「それはまた急な事で……。どしたのよ?」

「どうしたも何も私は天狗が嫌いだから。今までの鬱憤を晴らしてやったまで!」

「ふーん。けど妖怪の山に丸ごと被害出てるけど、それはいいの? アンタ好きだったじゃない。この山に暮らすみんなの営みが」

「うっ」

 

 嘘が下手だ。間違いなく、事態ははたての予想と大きく異なっている。差し詰め天子に脅されて協力者にされているのか、それとも後乗りでもそういう形に自分の立場を持っていきたかったのか。

 何にせよ平和(日和見)主義の姫海棠はたてにこんな大それた事が出来るはずがない。事件の中心はやはり比那名居天子と見ていいだろう。

 

「それで首謀者のはたてさんはどうしてノコノコと私達の目の前に? 私と椛が此処に居る意味が分からないわけでもないでしょうに」

「そ、そうね。勿論分かってるわ。全て覚悟の上で私は行動を起こしたの」

「……私に友を殺せと?」

「友じゃないわ、怨敵って言いなさい。椛だって文だって関係ない。立ち塞がる奴らみんな殺すつもりで行く。邪魔な連中はアンタらを除いて全員消えた! 山の支配者はこの姫海棠はたてよ!」

「長く天魔様のフリをし続けただけあって中々真に迫るモノがあるわね。板に付いてるじゃない。褒めたげる」

「演技じゃないっての!」

 

 嘘、嘘、嘘。

 念のため、さとりを見遣る。頷くだけ。

 

 はたての目的は『嘘そのもの(ゼロレクイエム)』にあった。天魔の身分を騙り妖怪の山に圧政を敷き続け、外部勢力との結託により家臣団を大粛清し、挙句に幻想郷の制圧を宣言したはたて(天魔)は、まさに幻想郷にとっての大敵。

 その大敵を文か椛が打ち倒す事で一件の落着を図り、なおかつその名誉を以て天狗の指導者へと押し上げる。そうすれば長年はぐれ者として汚名を欲しいがままにしていた文や、種族として身分の低い椛でも、最低限の蟠りで天魔に就けよう。

 

 嘘ばかりではあるが、はたての決意だけは本気だった。天子と心中し、友と山を守る選択を取ったのだ。それくらいしか過去を贖う手段が思い付かなかった。何も役に立てなかった自分の最後の使命だと心に言い聞かせて。

 大丈夫だ。八雲紫と理想が合致している限り、彼女らの率いる天狗が無碍に扱われる事は決してない。はたてはそう確信した。だから死のうと思った。

 

 

「文。終わりにしよう、全て!」

 

 

「──気に入らない」

 

 吐き捨てる。

 

「あまりの浅知恵に反吐が出るわ」

 

 見たことの無い姿。

 

「お前の死なんて何の意味も持たない」

 

 ()たことの無い姿。

 

「天地がひっくり返ろうとそんな事は許さない。自己満足の極みなんて断固拒否よ」

 

 故に文は怒りを以って拒絶した。はたての決意の一切合切を否定し、全てを掃き溜めへと叩き込む。

 そんな事を許したら、自分の今までの行動が無意味なものになってしまうではないか。何の為に、誰の為に山を見捨てたと思っているのだ。本心をひた隠しにして空虚な夢に浸り続けた800年をふいにしろというのか? 

 

「……」

「無理にヒールを演じなくても、私達と一緒にあの天人を倒せばいいじゃない。天魔様はあの隕石で死んだってことにして、また平の鴉天狗からやり直せば」

「けど形はどうであれ協力しちゃってる風なのは事実だし、それにあの人って私の為に戦ってくれてるみたいだし……なんか見捨てるのも……」

「そうやって流されてるのがダメなのよ。力があるのに判断を他人に委ねるからどんどん袋小路に追い込まれて、今に至るんでしょ?」

「な、流されてないし! あくまで私は私のケジメを付けるだけ。天子と共に罪を背負うって決めたの。負けて断罪されるのも覚悟の上!」

 

「ちょっとちょっと! なんで私が負けるみたいな前提で話を進めてるのよ? 私はどんな奴が相手でも勝つぞ!」

 

 流石に聞き捨てならぬ言葉であったのだろう。飛び散る衝撃波を顔面に受けながら天子のツッコミが炸裂。

 椛は砕けた刀剣と共に地に伏しており、無言のバトンタッチがあったのか仕方無しにレミリアが応戦している。神剣と神槍が振り翳される度に緋色の衝撃波があたりを悉く淘汰する。互いの戦力は最早幻想郷に決定的な破滅を齎すに足る程度に達しており、レミリアが巧く受け流さなければ少なくとも人間の里を含む範囲での破滅が約束されていた。

 

「まだ私の力が信用ならないのか。お前の上司に同僚、幻想郷の猛者共を叩きのめして、なお私を軽んじるのか! そりゃ無いわよほたてっ!」

「だから誰よほたてって! そもそもアンタみたいな凄い奴を軽んじるはずないじゃん訳わかんないんだけど!?」

「凄い奴……まあ、それでいいわ。取り敢えずほたては勝利を信じて見守ってなさい! コイツらを全員片付けたら今度こそ幻想郷のトップを陥しに行くわよ!」

 

 承認欲求が程よく満たされたのか、天子は満足げに頷いた。

 天性の傲慢さ、そして環境からの疎外感が齎した心の飢え。この二つが天子という倫理ぶっ飛びモンスターを生み出した。言い換えても自己中心的な構ってちゃんである。それが比那名居天子という少女の行動原理なのだとはたては漸く理解した。

 

 然るべき者に相応の報いが必要である。

 勇者には賛辞を。賢者には知識を。侠客には大道を。徳には名声を。弱者には助けを。強者には夢を。平穏には停滞を。争奪には寂寥を。罪人には引導を。

 功罪関係なく、事象として在るからには何らかの対価が必要なのだ。それを捻じ曲げる事は何人にも許されない摂理といえる。

 

 天子は唯『当然』を求めたいだけ。自分の身の丈に合う当たり前の対価が欲しいだけ。

 それを周りが許さないのであれば、自らの力で打破するしかないのだ。『当然』を掴み取る事も対価に含めるのだとするならば。

 

 

「──というわけです。軽挙妄動もここまでくれば哲学になるのかと大いに感心しましたね。実行力のある馬鹿ほど幸せなものもない」

「あああああッさっきから五月蝿いわね陰険女!!! 何か文句があるならかかって来ればいいのに隠れて奇妙な事ばっか呟いてさぁ!」

「無礼な奴ね。この私と戦ってる最中に外野に向かって野次を飛ばすなんて。片手間で戦ってあげるほど手加減する気はなくてよ?」

 

 場はひたすらに破壊を振り撒く壊滅戦から、奇妙な舌戦の応酬へと変貌を遂げていた。一応天子とレミリアは剣を交えているのだが、さとりの介入によって手も(そぞ)ろな状態に陥りつつあった。覚妖怪の真骨頂といえる。

 

 はたては兎も角として、天子に対する精神攻撃は彼女自身に多大な影響を及ぼしていた。自らのメンタリティなど顧みてこなかった天子には少々酷な内容である。

 

 すぐにでも小賢しい地底妖怪を倒したい。しかし、腕の立つ吸血鬼相手に背を向けるのは、さしもの天子でも些か危険。いやそれよりも優先すべきは唯一の盟友と言っても良い()()()を誑かしている天狗を追い払う事だ。大義名分を失う訳にはいくまい。

 

 天子は途端に全ての思考をリセット。再び一から力の活用法を弾き出す。いま自分が取るべき精神衛生上最良といえる方法は──。

 

「ほたてェッ! 遠くまで離れなさい!」

「ちょっ……!?」

 

 結論。

 邪魔な奴、全部纏めて、吹き飛ばす。

 

 緋想の剣はその輝きを苛烈に吹き上がらせた。今まではほんの小手調べのつもりだったと言わんばかりの力の高まり。そんな天子に呼応して、周囲の瓦礫から蒸気と熱波が溢れ出る。

 幻想郷が揺れている。見境なしに放出されるエネルギーは徐々に集約を始め、力に指向性が生まれる。無何有(むかう)の大災害が人の意思により害を為そうとしているのだ。

 天子の言葉に反対しようとしたはたてだったが、そのあまりの力に身の危険を感じ言葉を詰まらせる。と、その一瞬の隙に文に首根っこを掴まれ、椛と共に引き摺られて無理やり戦線を離脱させられた。

 

 はたてを失った事に思わず舌打ちするが、そこは逆転の発想だ。これで心置きなく連中を消し飛ばせる。はたての回収はそれからで十分間に合う。

 

「ひれ伏せ、地面を這い蹲ってる卑しき虫けらめ! 我が悲願である理想郷の建設を邪魔するどころか、高貴な私をここまでコケにしてくれるとは、不届き千万の極み! この世から失せろ、道を外れし愚者共よ」

「……十分理解してるようですが、敢えて聞かせてください。()()を撃ったら幻想郷どころか地上が滅びますが、本末転倒ではありませんかね?」

「そうだな、なるべくそうならないよう努力はしよう。しかしもしもの時は口惜しいが仕方あるまいよ。地上を滅ぼし、人類を滅ぼし、地をならし、美しい四季を作り、新しい生命を造り、悲しむ事のない心を創り、貧する事のない社会を作り、この世界全てを創り直す……それもいい」

「大義名分がどうとかぬかしてたくせに」

「創り直すって言ってるだろ。人が消えれば塵も同じよ。けどまあ、ほたてなら大丈夫でしょ、あいつって結構すばしっこいから上に逃れられるはず。ていうか、そもそも吝かよ実際。滅ぼしたくて滅ぼすわけじゃないし?」

 

 呑気にそんな事を話しながらも、両者の威圧は飽和しつつある。天子は既に力を行使する体勢に移っているし、対するさとりも初めてその身に妖力を纏い始めた。

 逆に自分との打ち合いを中断されたレミリアは拍子抜けしたようにグングニルを投げ捨てた。代わりに別のスペルカードを手元に召喚する。

 

「私がやるわよ。貴女だと多分無駄に力を使っちゃうでしょ。約束を違える気かしら?」

「『ミゼラブルフェイト』は強力ですが加減と融通が利かない。集約されたエネルギーが暴走されては面倒です。とはいえ中途半端に収めても納得できない方が数名いるみたいですし、私が少し手荒に終わらせましょう。無論、無茶は致しませんとも」

「……ま、いいわ。今回は大人しくお手並み拝見とさせてもらいましょうか」

 

 初めから盤上はさとりのものだ。始動から終演までのゲームメイクに一寸の狂いもない……訳でもないが、取り敢えず大きな支障は無い。

 とはいえ、頗る面倒であったのは確かだ。天子の一番の目的がその場その場で容易く変遷してしまい取るべき選択を何度も誤りそうになったから。

 

 精神の成長と後退を繰り返す様に困惑を覚えたが、ある意味で納得した。やはり天子の本質は『飢え』なのだ。盲目な人間が初めて彩られた世界を見たかの如く、得られる物が急激に増えた事で次から次へと手を付けようとする。戦闘欲、顕示欲、支配欲、名誉欲、自我欲、破滅欲と、全てを満たそうとするのだ。だから物事の整合性がうまく噛み合わない。そして天子はそれを半ば自覚しながらも勢いで解決しようとしている。

 

 そんな天子の性質はある意味で摩多羅隠岐奈に酷似していた。様々な思考が同時並列上に存在しており、どれを選び自分とするかはその時の気分に委ねている。

 今、天子は幻想郷を人質にさとりとレミリアを消し飛ばそうとしている。それが天子にとって最高に気持ちいい展開だからだ。しかしその一方で、相対するさとりに期待する気持ちも同時に持ち合わせているようだった。

 自分の最高の一撃を防ぐ事はあり得ないが、もしそれが可能だったなら幻想郷は美しいまま残るし、目的の一つであった『全力をぶつけるに足る相手を見つける』事も達成できる。

 気楽なものだ。正直羨ましい。

 だからほんの少し、恨み言を言い放つのだ。

 

「地の底を知れば全てが勿体なく感じますよ。貧しくして怨む無きは難く、富みて奢る無きは易し。己の醜き僻みを知り、そして足る事を知れ、天の蛙」

「フン、鼻につくわ。全て解っていますよーって感じの上から目線。美しく残酷にこの大地から住ね!

 

 地響きと共に跳躍した天子は下界を睥睨し、剣の切先をさとりとレミリアへと差し向ける。瞬間、蓄積された膨大なエネルギーが緋色に弾けた。全人類の気質を天子の霊力によって撃ち出した超高密度の閃光。地上どころかこの母なる星そのものを撃ち抜かんばかりのレーザー。

 

 ふと、背後にレミリア以外にも気配を感じた。恐らく八雲藍がスキマ越しに待機しているのだろう。仮に為すすべなくさとりが消し飛ばされてしまった場合、幻想郷を守るために。

 

 不要だ。

 自分が負ける道理など一厘もない。

 

 

「想起──『在りし日の緋想天』」

 

 

 スペルの詠唱と同時にサードアイが妖しく発光する。途端、齎される筈の破壊は宙にとどまり、一本の線として拮抗する。緋色の閃光がぶつかり合っているのだ。

 

 さとりの能力は物理的な破壊とは縁の無いものだが、代わりに他二つの概念を破壊する力を持つ。それは『精神』と『記憶』である。そして今回、スペルにより破壊したのは記憶。

 世界を構成する三つの層の内一つを思うがままに捻じ曲げた。アカシックレコードとも言う世界記憶の概念を操り、かつて在った筈の事象を思うがままに改変、引き起こす事ができる、それが想起の能力。

 

「お前ほんっっっとうに気持ち悪いわね!? 剣も無いのになんで模倣できるのよ!? しかも使うのは今日が初めてのはずなのに!」

「さあ、どうしてでしょうね?」

「ぐぬぬムカつくぅ……! だが所詮は贋作、本家には敵わない! 同条件の力比べなら誰にも負けるものかッ!」

 

 戸惑いを胸の奥に仕舞い込み、天子は更に豪快に緋想の剣を振るう。閃光が一回り二回りと大きくなり、さとりのそれを凌駕した。結果、趨勢は天子へと傾く。

 対してさとりは慌てた様子もなく淡々と告げる。

 

「素晴らしい。このスペルでは対抗ができないわ」

「ったり前よ! 命乞いしてももう遅いわよ!」

「必要ありません。それに、無様な命乞いほど無駄な事はない。想起──『うろおぼえのデュアルスパーク』」

 

 天子の見立ては正しかった。贋作が本物に敵わないのは当然の事で、この方法で想起したスペルは過去のモノ。現在の天子に対抗するには無謀だ。

 しかしさとりが重視したのは威力では無い。あくまで限りなく近い性質の技をぶつけ、一瞬でも拮抗させる事が狙いなのだ。例えばマスタースパークを天子の放ったレーザーにぶつけたのだとしたら、術式はあっという間に瓦解し勝負にすらならないだろう。緋想の剣がそうさせるから。

 故に、緋想の剣には緋想の剣が有利なのである。それ以外の好相性は存在しない。

 

 結果、さとりを仕留め切れなかった天子は側面から放たれた別のレーザーに晒され体勢を大きく崩してしまう。と、間髪を容れず『緋想天』の均衡が崩れ、為すすべなく自らの力に飲まれた。

 流石の天子といえど立て続けに引き起こされたイレギュラーへの迅速な対応は不可能。抗おうにも如何ともし難く……。

 打ち上げられた閃光(with天子)は空を覆う分厚い紅霧を貫通し、天と宙の境目となる雲を突き抜け、天界を穿ち、その数瞬後に大爆発を起こした。

 

 茜色と言うには些かどぎつい幻想郷の空を華々しく彩る爆風を背に、ピースサインによるさとりの勝利宣言が行われた。流石にここまでやれば復帰不可能だろうと、漸く一息つく。実はさとりにとって今回が妖生初めての完全勝利である。

 死んではいないだろうが少なくない相当のダメージを負った筈。今頃天界でのびている事だろう。このまま二度と下界に降りてこないよう彼方側で念入りに監禁しておいて欲しいものだ。

 

「口だけじゃないのね。見直したわ。最後のやつって幽香のスペルカードでしょ? いつラーニングしたの?」

「結果が気になるならさっさと能力を使ってしまえばいいのに……。()()は理解できるけど、押さえ込み過ぎるのも身体に毒ですよ」

「実のところ、そう不便にしている訳でもないさ。修行の賜物ってやつよ。逆に貴女は能力に頼りすぎじゃない?」

「……私は別にサードアイを鍛えたいなんて思ってませんので。そもそも最初から最強ですので、鍛える必要は皆無です」

「自分に自信を持ち過ぎでしょ」

 

 余波で紅霧が若干吹き飛んでしまったので慌てて日傘を差しつつ、しっかり憎まれ口は忘れない王女の鑑。今回のぶっちぎりMVPを称えるくらいはしてくれてもいいだろうにと、さとりはちょっとだけ拗ねた。

 さてこれにて異変とも呼べないような騒動も終了だが、事後処理が待っている。何より確実に霊夢が向かって来ているだろうこの場は危険極まりない。

 

「では私は他に所用がありますので、あとはよろしくお願いしますね。それでは」

「それは通らないわよ。あの馬鹿(天子)に続いて霊夢の相手なんてまっぴら御免。それこそ当事者は貴女(さとり)なんだからしっかり言い訳してちょうだい」

「この紅霧を見れば第三者から見て誰が当事者なのかは一目瞭然だと思いますけど?」

「へえ、この私をスケープゴートにしようと?」

「はい」

「開き直りが早すぎるわ気持ち悪い」

「ここだけの話、あんまり博麗の巫女とは関わりたくないんですよね。思考するより早く相手を屠りにくる奴なんて私の能力形無しじゃないですか。それに引き換えレミリアは臆せずに立ち向かったのでしょう? 素晴らしい、私には到底真似できない」

「ふふん、まあブチ切れてるアイツを相手するのが得意な妖怪なんて幻想郷中探しても数える程度しか居ないのは確かだろう。それこそ私ぐらいかしらね。……あとその手には乗らないわよ」

「……」

「……本当に嫌な奴」

 

 幻想郷での立ち位置や体裁など知ったこっちゃねえと言わんばかりに霊夢へと熱視線を送り続けているレミリアだからこそ適任なのだと、そんな事を言いたげに無言で見つめるさとり。

 手筈は気に入らないがフランドール絡みで色々と恩のある相手にこうも頼られてしまうと中々断りづらい。懐が深過ぎるのも考えものである。

 

(まあ紅霧異変や永琳の時に比べればまだマシか)

 

 そんな事を思いつつ折れかけた、その時だった。

 

 二人の眼前が引き裂かれ、九尾の狐が飛び出す。そしていの一番にさとりへと飛び掛かり、胸ぐらを掴んで地に叩きつける。有無も言わせぬ憤怒の一撃だった。

 レミリアは訝しんだ。八雲の式による不意打ちに近い攻撃だ。躱せないのも致し方ないが、それはあくまで相手がさとりで無かった場合の話。いくら八雲藍の攻撃でも思考が筒抜けな相手にこうして無防備に、為すがままにされるのは不自然である。

 

 一方のさとりは唖然として藍を凝視するしかなかった。それは藍の行動に対してではなく、痛みに悶絶しているのでもなく。藍がその行動を取らざるを得なかった理由にあった。

 たった一つ。予想し得ただろうたった一つの誤算で緻密に組み立てた盤面が粉砕されたのだ。あまりの失意にさとりは言葉を失ってしまった。

 

「この微妙な雰囲気の理由を聞かせてもらえるかしら?」

 

 置いてけぼりのレミリアが話を促す。

 その問い掛けをひとまず緩衝材料としたのだろう。藍は激情を何とか抑え込み、どっかりと腰を下ろす。そして目を伏せながらポツリと語るのだ。

 

「コイツの放った攻撃が上空飛行中の紫様に直撃した。……目下行方不明だ」

「……そう。なるほどね」

 

 レミリアは瞑し、天を仰いだ。

 

 




ゆかりん、決め台詞を奪われるの回。
天子の性質について長々語っていましたが、要するに「脳みそ空っぽ気持ちいいぃぃ!!!」って事だと途中で気付きました。


天狗の凋落は文が話していたとある大天狗の英雄のせいです(責任転嫁)

なお掻い摘んで説明すると、英雄の戦死した時期は天魔が蟲の女王リグなんとかさんを討伐したタイミングですね。(幻マジ88話:幻想郷の黒歴史(前)の隠岐奈の発言、また後書きより)

女王配下の大百足のももなんとかさんや土蜘蛛のヤマなんとかさんと相討ちになったとのこと。これにより形勢は大きく天狗に傾き、最終的に勝利を掴みました。大戦後、英雄配下の管狐が本部に彼女の戦死を告げに来たことで死亡が発覚したとか何とか。なお遺体の所在は不明とのこと。
本当に死んだんですかね???


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華麗なる勇退

『青娥殿、ここはひとつ協定を結ぼうではないか。それこそ遥か太古に結んだあの盟約のようにな。悪い話ではあるまい』

 

 千年と数百年ぶりに再会したかつての顔見知り……或いは政敵。少し見ない間に随分と尊大な態度を取るようになったものだと思いつつ、その強烈な存在感に惹かれそうになる自分を律し、吐かれた言葉の裏を吟味していた。

 

 

 霍青娥は欲深い仙人である。自らの欲求には常に正直であり、目的の為なら外道の術を行使することも厭わない。その名は中華全土に知れ渡り、事件ある所にあの魔性ありと言わしめるほどだった。

 天下の知る女であった青娥であるが、その半生は孤独である。深い繋がりを持とうとせず、山の中に隠れて暮らしてきた。まあ仙人としては当たり前の事だが、こと霍青娥の生活としては疑問に思う。

 

 簡単な話、そこらの俗物に興味がないのだ。

 

 天下に人はごまんと居る。しかし、この邪仙に比肩し得る存在は極々限られていた。少なくとも当時世界の中心であった中華にはほぼ皆無である。

 霍青娥は強い者が好きだった。故にその者に取り入り自分の存在を英傑の人生に刻み込むのが何よりの快楽であったのだ。

 そんな彼女にとって、中華などもはや取るに足らぬ世界。西暦500年代頃に中華を乱す九尾の狐に取り入ろうとした事もあったが、話の通じる相手ではなかった為スルー。強大ではあるが自分に依存しない相手など青娥の眼中に入る存在ではなかった。

 

 やがて青娥は海を渡り、島国へ。

 その国は、地獄であった。

 しかしこの邪仙にとっては極楽浄土以外の何物でもなかった。

 

 まさに人材の宝庫。人、妖、神……それぞれが互いを滅する為に総力を尽くし、或いは覇権のため同族同士で殺し合っていた。

 修羅の国である。怨鬼の跋扈する魔境。

 青娥は喜びに打ち震えた。

 

 そしてその時に邂逅した数多の輝き。

 人間だけでも物部一族、蘇我一族、渡来人という大陸のあぶれ者達……平均が頗る高い。修羅に身を置くだけで人間とはここまで至る事ができるのかと感心する時すらもあった。

 だが中にはいるのだ。それらをぶっちぎりで超越した『突然変異』とも呼べる、()()()()()()()()()()が。

 

 その中でも一際目を引いたのが、豊聡耳皇子(とよさとみみのみこ)という高貴な者であった。魔境であった日出ずる国を統べるに相応しい存在。

 海千山千の者共が暗躍する宮廷を席巻し、修羅の蔓延る土地を類い稀なる政治手腕で統治し、そのカリスマ性は一目見ただけでどんな曲者をも心酔させる。彼女こそ、日ノ本の英雄であった。

 

 そして青娥も分かったのだ。

 豊聡耳皇子こそ、自分が導くに相応しい、導くに足る傑物なのであると。

 やがて青娥は皇子に取り入り、道教を修めさせることに成功する。自らは傑物の師匠というポジションを確固たるものとし、今後にまで響いてくる深い爪痕を日本史に残していく。

 

 ただそんな青娥にもいくつかの懸念があった。それは自らの敵となり得る存在──政敵であった。皇子に取り入ろうとするのは自分だけではなかった。皇子の部下は総じて優秀であり、彼女らもまた傑物と呼ぶに足る者共。そんな彼女らは青娥の魂胆を見透かしていたのだろう、一向に警戒を緩める事はない。要するに嫌われていたのだ。それこそ、皇子の愛馬からも後脚で蹴られるほどに。

 特に水面下での駆け引きが熾烈だったのが、秦河勝という皇子の側近。武力、政治ともに強かであり、皇子からの信任もある。

 

 今となってはかつての駆け引きなど取るに足らないものだと青娥は思う。例えるなら子供のじゃれあいである。青娥にとっても、河勝にとっても戯れでしかなかったのだ。

 2人は実のところ頗るウマがあった、との記録すら残っている。真偽は定かではないが、ただ単に憎しみ合っていたわけではなさそうと言うのが周囲の見解である。

 

 そんな2人が千年以上の時を超えて再会したのだ。豊聡耳神子の復活を目指していた多忙な時期に、まさかの人物による訪問。流石の青娥もこれには苦笑いであった。

 そして冒頭に戻る。

 

 

 何故彼女が存命であるのか、ついでに何故そこまで存在が捻じ曲がっているのか、青娥の興味は尽きない。生憎と河勝、改め摩多羅隠岐奈には自らの心を動かすに足る魅力があったとは言い難いが、それでも強大であることには変わりない。取り入るにはうってつけの存在と言える。

 また、そんな邪仙の内心さえも秘神はお見通しであった。

 

『今でこそ互いに立場が変わってしまったが、立身前の大義は何も変わらぬ。太子様の御前にて結んだ誓い、今こそ果たすべきだろう?』

『ええ確かに誓いましたわね。しかし豊聡耳様は未だこの世に無く、貴女ももはや河勝様ではない。あんな誓いなんて現時点では無効ですわ』

『いやいやあの時の誓いを守れと言っているのではない。ふふ、実は協力して欲しい事があってな。お前にとっても悪い話ではない』

 

 誓いと言うが『永遠の忠誠』などといったチープなものではない。ただ『互いに潰し合わず、皆で協力します』という、神子の名の下での相互不可侵の盟約に似たものであった。

 つまり隠岐奈などという神とそんな盟約を結んだ覚えはない、と言ってしまえばそんな盟約など気にする必要もないだろう。河勝時代の傾向からして、彼女の下に就けば使い潰されるのは明白であり、青娥としては真っ平御免であった。なおこの邪仙もその同類であるのはご愛嬌である。

 

『何か成したい事があるならお一人でやってくださいまし。お話だけは聞きますけど……いや、それとも豊聡耳様に関する事なのですか?』

『半分正解だ。……お前、八雲紫とは既に接触しているだろう?』

『ええ。あまり好ましく思われてはいないようですけど、面識はございますわ。……紫様を潰すのに協力しろと?』

『ほぼ正解』

 

 随分と大きな話だと思った。

 今思えば青娥がこの島国にやって来た目的の一つには、噂に聞く妖怪の賢者を一目見ておくというものがあった。途中豊聡耳神子という英雄を見出しそちらにかかりきりになってしまい、その後も人間社会に溶け込み続けた為、賢者の捜索はしばらく経った後となってしまったが。

 

 八雲紫への第一印象は『模範解答のような100点』である。なるほど、豊聡耳神子が人間の王ならば、彼女はさしずめ妖怪の王か。これは間違いなく大物であると、青娥は早速ゴマをすった。

 ただどうにも不自然な感覚が拭えなかった。100点である事は確かなのだが、偽造されているかのような、表面上では捉えきれない何かがあるような気がしてならなかった。

 

 なんにせよ、八雲紫に取り入ろうとすれど敵対する気は毛頭なかった。彼女自身もそうだが、周りに控える者たちも総じて強大。間違っても単独で相手できるような存在ではない。

 いや、正確に言うなら費用対効果が見合わないのだ。無理と断言するのは別問題とするべきであろう。

 

『その話、聞かなかった事にしましょうか』

『待て、よく考えてみろ。あの妖怪が太子様の復活を望むと思うかね? 日本史最高の為政者の復活など、幻想郷の支配体制に致命的な打撃となり得る異変だ。賢者たちにとっては悪夢でしかない。よって太子様の復活に際しては彼奴らを一度打破する必要があるのだ』

 

 その言葉には青娥も眉を顰める。

 ただ、怪訝に思ったのは紫が神子の復活を妨害してくる事ではない。そんな事は最初から想定済みだ。驚いたのはその後。隠岐奈が賢者という枠組みから完全に逸脱している事である。

 まさか、摩多羅隠岐奈は幻想郷の賢者というポストよりも、秦河勝という嘗ての一面を優先しているのだろうか? いや、この秘神にそんな見上げた志が存在するのかは甚だ疑問だ。

 

 ……恐らく、摩多羅隠岐奈にとって一番の最優先事項とは八雲紫の打破に関わる事なのだろう。だからこうして布石の一つとして無理にでも神子の復活に向けて、自分を巻き込もうとしている。

 

『私はお前をその気にさせる為、こうしてわざわざ来てやったのだ。お前無しの計画を練る気など毛頭ない』

『それはそれは、大層なご評価を』

『そうだな……紫の死体はお前に譲ろうか? 加えて今ある死体のいずれかに面白い機能を与えてやってもいいぞ。ふふ、なんなら賢者のポストでも用意してやろうか?』

『私の事を火車か何かと勘違いされてるようですわね? それに此度の件、報酬では動けませんわ。何しろ相手が相手……相応のプランを用意せねば豊聡耳様の復活どころか我々の首まで繋がっているかどうかさえ危うくなる』

 

 目先の報酬では私は動かない事など分かっているだろうに、と青娥は笑顔の裏で毒を吐く。この邪仙、運良く数千年も生き延びた訳ではない。

 にやにやと笑みを絶やさない隠岐奈は、腰掛けていた椅子に深く坐り直す。そして勿体つけるように再び語り出す。

 

『プラン、ねぇ。そうだな、プランはある。勿論、事を成した際の報酬も用意しよう。太子様の復活とは別にな』

『……』

 

 互いに笑みを崩さない。

 

『だがお前の心を動かすに足ると判断したのはプランの精巧さでも、華美な報酬でもない……"今回の事"を成す意味だよ』

『意味……ですか』

『私の目的は、そう! 世界平和だ!』

『出て行ってくださいまし』

『戯言と受け取らないでくれ。私は大マジだ』

 

 その割には随分と楽しそうじゃないかと訝しみつつ、事の内容を聞いてみる。それからだ、青蛾が積極的に動くようになったのは。

 

 世界を守るなどといった高尚な目的では決してない。彼女を突き動かしたのはもっと本能的で、快楽的なものだった。

 

 

 

 そして今に至る。

 後戸の世界に招待された青蛾は椅子に腰掛け、目の前の秘神に向き合った。ついさっきまで他の誰かが居たようで、若干肌寒く感じた。

 

「幻想郷では随分と面白い事が起こっていたみたいですわね。介入しなくてよろしかったのですか? 殆ど敵方が対応してましたけれども」

「問題ない。元々あの不良天人(比那名居天子)の扱いは蓬莱山輝夜からの情報を元に古明地さとりが請け負う話だったからな。言わば外れクジよ。寧ろ山が崩れてくれて私個人としては万々歳だ」

 

 そのスタンスは幻想郷の賢者としてどうなのかと疑問を呈したくなるが敢えて黙っておく。摩多羅隠岐奈に対してそれは余りに不毛だ。

 

「紫様としてはどうでしょうね」

「今回の件であいつに出来る事は限られている。そもそも最近は色んな実力者に面会するなどして不穏な動きを見せていたからな。万が一を考えてもあいつを幻想郷の復興で縛り付けられるのは非常に有益だろう」

「なるほど。ところで今は何を?」

「知らん。設置していたバックドアはいつの間にか取り外されてしまったし、情報も全く入ってこない。何故か天界に向かったと聞いてから行方不明だ」

「しかし明日は紫様が指定した賢者会議の日。流石にその時までには姿を現す筈ですわ。……下手すれば明日、全てに決着を付ける事になるのでしょう?」

「誰も望まぬ結末だな」

 

 格好を崩しつつ、嫌な顔で呟いた。隠岐奈が言った通り、明日全面戦争が始まってしまうのならば、それは両陣営どちらにとっても不都合なのである。是非とも回避したい事柄だ。

 しかしその決行の有無を決めるのは、さとりでも隠岐奈でもない。他ならぬ八雲紫その人なのだ。奴の言葉通りに受け取るなら賢者大粛清が行われる訳だが、どうにも裏があるような気がしてならない。というより隠岐奈にはある種の確信すらあった。

 

「明日を乗り切ればしばらく小康状態が続くだろう。それまでの辛抱よ」

「随分弱気ですわね。古明地さとりの力を見て怖気づいたりしてませんこと?」

「ハッハッハまさか。奴が前線まで出張ってくる事は無かろう。今回は例外中の例外、これ以降は滅多な事では地底から出てこんさ。まあ、奴が動けないように手は打つし、仮に死合った場合でも万が一にも負けはない」

「あら自信満々。失礼致しましたわ」

「分かれば宜しい。それにお前達が警戒すべきはさとりよりも、あの『もう一人の紫』の方だ。アレは結構手が早いし積極的な介入を好む。好戦的で情報もかなり保有しているからな」

 

 俗に言う『紫擬き』だが、アレは全てを見通す策士ヅラしている癖して、鷹派の傾向が強い。事前に比那名居天子を消しておく事を提案していたとも聞くし、強硬策で隠岐奈陣営を一人ずつ始末していく可能性すらある。戦闘力も侮り難い。

 一方、青蛾はというと、視線を宙に揺蕩わせて左右に指を振る。

 

「どっちの紫様ですか?」

「どっちって……あっちの方に決まっているだろう」

「ああそっちの方。そういえばあの偽紫様は何なのでしょうかね? ツギハギだらけだと思えば今は童女の姿。かなり不安定な事は分かるのですけど」

「ふむ……?」

 

 此奴、いつからその領域にまで目を光らせていたのか、と。鋭い相貌を更に細め邪仙を見遣る。そして隠岐奈は自らの思案を自ら吟味し、結果、あまり気の進まない様子で答えた。

 

「教えても良いが他言無用だぞ?」

「承りましたわ」

 

 己の身体に呪を打ち込み堅固な縛りとする。隠岐奈の意には逆らわない旨を表明するにはうってつけの手段だ。情報を得るには安いものだ。

 ここまでされては隠岐奈としても変に誤魔化すわけにはいかない。呆れた顔をしつつ、あっさりとその正体を告げる。

 

「ありゃ私の娘だよ」

「……お腹を痛めて産んだ訳ではないのでしょう?」

「うぅむ、実は案外そうでもないらしくてな。血は繋がっていないが腹は痛めたというか……兎に角、曲がりなりにも私の手を介して生まれた存在だ。娘と称して遜色ないのは確かだな」

「つまり──偽紫様が()()()()()()()()()()()が眉唾ではなく事実だとするなら、あの方は今の河勝様でなく、未来の河勝様が生み出したものである、と。なるほど、そう考えれば妙に表現に困ってるのも納得いきますわね。今の自分と将来の自分なんて似て非なる物ですもの」

「おいおい待て待て。お前、その未来云々の話を何処で聞いたんだ?」

「あら、知られて困る情報でございましたか?」

(此奴……)

 

 邪仙の智略、或いは情報収集能力に舌を巻きながら、思わず切捨て時を吟味する。そして首を振った。限られた情報を敢えて小出しにして、自分にちょっかいを掛けようとしているだけか。魂胆はお見通しだ。

 あまり出過ぎた真似はするなと忠告(威圧)しつつ、疑問の続きを促す。

 

「正直、彼女が河勝様の娘なのかについてはあまり興味がありません。それよりも『未来からやって来た』──私の疑問はこの一点のみです」

「目的ではなく手段が聞きたいのだろう?」

「その通りですわ」

 

 青蛾は身を乗り出した。

 それもその筈で、時を遡るという行為は隠岐奈や青蛾を以ってしても生半可な覚悟では到達し得ぬ事象であり、恐らく今現在でそれを容易に為せる者は世界に一人としていない。

 唯一その片鱗を掴みかけているのは時空を操る能力を持つ十六夜咲夜と、チルノとかいう木っ端妖精。八意永琳も確かそうだったか。

 しかし咲夜はそっちの方向に能力ツリーを伸ばす気は無いようだし、チルノの『マイナスK』は毛色が違い過ぎ尚且つ本人の資質(頭脳)もありアレ以上の発展は見込めないと断言できる。さらに永琳については蓬莱山輝夜の助力ありきでの話になるので割愛。

 

 それだけ偽紫の状況は特殊なのだ。

 

「言っただろう? 我々が目指す世界平和において最大の障壁。それを逆手に取ったのだ。自らの意思を遥かなる境界の先へ残す為、別な私をも利用し、付き従う忠臣を犠牲にし、己が創り上げた世界を捨て石に、奴は時を越え得るモノに種を植え付けたのだ」

「人ではなくモノ、でございますか」

「部品に、だよ。──時に時に青蛾殿は【宇佐見菫子】をご存知だったかな?」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 覚悟を以って臨まねばならぬと承知していた。

 これから一体何が起きるのか、予測不可能。皆目見当がつかない。いつものように特に進展も無くなあなあで流れてしまうのか、それとも破滅へのカウントダウンが明滅するのか。

 阿求は深く息を吐いた。

 

 マヨヒガの一室。普段なら設営や案内に奔走している八雲の式達の姿は見えず、賢者の集まりも大分鈍い。聞いたところによるとかなりの人数が前日までに辞退を申し出たとのことだ。

 賢明だと阿求は思った。

 

 八雲紫が指定した日はあっさりと訪れた。今日に至るまで何度も慧音や小兎姫を始めとする里の重鎮達と協議を交わし、無力な人間の行き着く先をなるべく良いものにしようと努力した。

 しかし結論はやはり、八雲紫次第になってしまう。

 彼女の一存によって多くの者達の運命が容易く掻き乱されてしまうのだ。今に始まった話ではないが、やはりこの立場の弱さは如何ともし難い。

 

(賢者粛清……まさかその対象に私が含まれているとは思わないが、それでも実施の規模によっては大きな動乱の火種になる)

 

 自分の命なんかどうでもよい。百年後あたりにはまた転生できるし、仮に輪廻を断ち切られ無明の闇に閉じ込められたとしても、より多くの人間が幸せを享受できるならそれで構わない。

 だがこれ以上、里の人々に不幸を齎すのは駄目だ。蹂躙は決して許してはならない。

 

 身動ぎ一つせず固まっている阿求を見かねて、慧音はその肩を優しく叩いた。それだけで阿求は救われる思いだ。

 

「……ありがとうございます慧音さん」

「一人で使命を背負い込まないようにしよう。私にも半分分けておいてくれ」

「ふふ、お言葉に甘えます。……荒事じゃ何の役にも立てませんしね」

「どうだろうな。この場においては、貴女も私もそう大差ないと思うよ」

 

 もしも最悪の事態として、八雲紫もしくは摩多羅隠岐奈が武力を以って制圧に乗り出せば阿求などその余波で死んでしまう事は想像に難くない。ならば慧音の役目は護衛の名の通り、彼女を何としてでも里に帰らせる事。逆に言えばそれくらいしか出来そうにない。

 警戒し過ぎかと言えばそうでもない。阿求の他に座している賢者達も一様に緊張感を募らせている。かの最高賢者の一角である茨木華扇とて例外ではない。静かに、あくまで冷静に流れを見極めようとしている。その実、身体から立ち昇る鬼気は阿求にも目視できるほどだった。戦闘を想定している何よりの証拠だ。稀神正邪も同じで、深く目を瞑り思案に耽けている。頭の中であらゆる事態に備えてシミュレートしているのだろうか。

 

 いつもと全く変わらないのは隠岐奈くらいだろう。もっとも御簾に隠されていて表情を窺い知ることはできないが。

 

 ふと、慧音が呟く。

 

「妙だな。大体最後に現れる(遅刻常習犯の)八雲紫は兎も角、八雲藍や橙が一度も姿を見せていない。もうすぐ時間だというのに」

「来てないというなら、天魔もそうですね。……例の事件の影響でしょうか。我々の知らないところで何やら厄介ごとが起きているのやも知れません」

 

 天魔に至っては生死すら分かっていない状況である。妖怪の山社会が排他的な性質であるとはいえ、各々の安否すら不明であるのは異常事態だ。

 ただでさえ深刻な状況だというのに余計なイレギュラーを増やさないでほしい。そう切に思う阿求と慧音だった。

 

 

 その後も紫は一向に姿を見せず、刻一刻と時は過ぎていき、ついに約束の時間を迎える。発端となった紫が不在という特異的な状況に場は慌ただしくなり始めた。

 すると何食わぬ顔で藍が現れ、一同に向かい深く頭を下げ陳謝する。

 

「皆々様には大変ご不便をおかけして申し訳ございません。我が主人の到着まで今しばらくお待ちください」

「何か不都合が?」

「いえ、私のスケジュール調整に不備があっただけの事。紫様は滞りなく準備を進められております」

 

 華扇の言葉に澄ました顔で返答する。藍が嘘を吐いているのは全員分かっていたが、それをわざわざ追求する者は居なかった。

 敢えて交渉の場に遅れる事で敵方へ圧を与える外交テクニックがあるとは聞くものの、果たしてそれが紫の真意なのか。

 

「……到着されたようです。──橙!」

 

 呼び掛けに応じて襖がススス、と開かれる。橙はあらかじめ室外で待機していたようだ。そして現れたのは八雲紫……なのだが、その姿を見て賢者達の間に動揺が走る。阿求は思わず二度見してしまった。

 

(姿が幼い……!? これは、どういう狙いなの?)

 

 少女というには幼すぎる姿。童女と称すべき姿は、八雲紫というパーツに似通ってこそいるが、見る者に違和感を抱かせるに足るものだった。確かにそっくりそのまま紫を幼くすればこうなるのだろうが、普段から纏っている威圧感が緩和されるどころか更に増しているようにすら感じた。

 身体の至る所に黒々とした空間が這っており、まるで欠損した部位を補うかのように蠢いている。

 

 一方でその当事者はというと、周囲の困惑を意に介さず悠々と上座まで歩を進める。そして淑やかに腰を下ろした。

 

「では始めましょうか。此度の件は長丁場になるでしょうし、時間が惜しい」

 

 遅れた事も、幼い姿の事も追求は許さない。そう暗に示していた。

 間違いなく遅れて来た者の言う言葉ではないが、誰も突っ込めない。いつもなら噛み付いたり茶化すであろう最高賢者の面々も今日に限っては静かだ。唯一、華扇だけが呆れたように目を伏せていた。

 

 よく見ると八雲の式達の表情も、心なしか強張っているように見える。彼女らをして目の前の紫は望むべくして現れた存在ではないという事。

 こうして天魔不在での賢者会議が開始される。

 

 一番に話を切り出したのは勿論、此度の騒動を生み出した張本人たるスキマ妖怪。

 

「まず初めに、私が決断に踏み切った理由をお伝えします。前回はあまり丁寧に説明していませんでしたね。なので改めて、私の口からより詳しく」

 

 どこか他人事のように聞こえる口上が続く。

 

「まず結論を申しますと、私は幻想郷の現行支配体制を良しとはしません。むしろ悪しきものと断じましょう。この数百年の間に起きた出来事を一つずつ見返しましたが、これら全ての悲劇は統治機構の脆弱さに起因したもの。よって現状維持は看過できない、と結論付けた次第ですわ」

「……随分な言い様ですね。その脆弱な組織の長が誰なのかお忘れでは?」

「その通り。新参なのによく勉強しているのね」

 

 思わず苦言を呈した正邪に笑い掛ける。あまりに無機質で感情を含まない笑み。心臓を寸断されたかのような動悸がする。

 正邪はこの笑みを知っている。この八雲紫に会ったことがある。その二点にようやく確証が持てた。

 

「殺すか殺されるかの世界ですもの。当然ながら強き者にしかリーダーは務まらない。だから私が長を務めてきました。幻想郷を差配するに最も相応しい妖怪である、この私が」

「……」

「いまさらその事に異議を立てる必要はないでしょう。しかし幻想郷の現状はあまりに醜い。本来の役割を果たせていない。私が居てなぜ組織は脆弱なのか? なぜ相次ぐ異変や反乱に対応できないのか?」

 

「私の意を解さず謀反を企てる者が後を立たないからです。幻想郷の支配者たる私への挑戦とは、即ち幻想郷への叛逆。許される道理は本来なら微塵も存在しない。……とはいえ、それにも関わらず甘い対応を続けていた私にも非があります。そのせいで因幡てゐ如きに脅かされ、天魔如きをのさばらせる結果となってしまった。期待し過ぎた私が愚かでした」

 

 隆盛を極めたが八雲紫に逆らってしまい没落を決定付けてしまった二人の賢者。てゐと天魔の名を出した意味は明白である。

 てゐは永夜異変の際に月勢力(八意永琳)を炙り出された挙句、紫の手直々に潰された。天魔はつい先日、天から飛来した恐怖の大魔王によって妖怪の山諸共打ち砕かれた。全ては八雲紫に逆らってしまったが為に。

 

(あの巨大な要石はやはり紫さんの差し金……!? 元より粛清対象だった天狗を我々への見せしめにしたのか! 何という……あまりにも……)

 

 阿求は震え上がる我が身を押さえ付けた。こんな強行策を取るような妖怪だったのかと、改めて彼女へえも言われぬ畏れを抱いた。

 紫に対して警戒を解いた事など阿礼の時代を通しても一瞬たりともなかった。しかしビジネスパートナーとしての付き合い込みで、紫という存在を少しでも理解した気になっていた。誤りだ。紫は心奥を覗き込む事すら許されない、とても恐ろしい妖怪だ。

 

 最高位の五賢者なら八雲紫に対抗できるなどと、あまりに甘い見積もりであったことを痛感した。元から紫一強だったのだ。ただ彼女の気紛れで権力が分散され、結果五賢者という枠組みができただけ。

 因幡てゐも、天魔も、茨木華扇も、稀神正邪も、摩多羅隠岐奈も。そして稗田阿求も。紫からしてみれば掃いて捨てる塵芥に過ぎない存在なのか? 

 

「おめでとう紫。これで反乱の芽は摘み終えたな。賢者は一丸となり幻想郷の運営により一層邁進する事が出来る。組織の一員として礼を言おう」

 

 大多数が八雲紫の圧に呑まれている中、やはりこの秘神だけは変わらない。飄々と祝辞を述べ、元より紫とスタンスを共にしていた事を仄めかす上っ面だけの言葉。互いの張り付けた笑顔が苛烈に交錯する。

 幻想郷No. 1とNo.2。ここでの駆け引きが今後の幻想郷、引いては自分達の命運を決するものになると、賢者達は無意識に感じ取っていた。

 

「悪くない。組織を一枚岩に統一するに越した事はなかろう。しかし──悪くはないが、なんだかなあ」

「あら異論があって?」

「お前の思想の下に組織を統制するのは些か窮屈が過ぎると思うのだよ。幻想郷の発展と維持は各々の個性と欲望による爆発力で培われてきた。誰が支配者なのかを改めて認知させるのは良い案だと思うが……もう少しこう何というか、手心というか」

「痛くなければ覚えないわ」

 

 一切茶化しの無い返答に隠岐奈は肩を竦める。

 

「ならば何が窮屈なのだ。前に言ってたろう?」

「前……ああ、確かに言いました。賢者職に窮屈さを感じると、確かに。そうですね……あれはそのままの意味ですわ。無能な働き者は必要ないでしょう?」

「天魔とその取り巻きが消えて随分と席が空いたというのに、まだ減らすのか。せっかく一丸になって頑張ろうと直々に締めくくったばかりなのに」

「可笑しな話ね。一丸になるのは当たり前。貴女の面子や体裁なんてどうでも良いわ」

 

 徐ろに扇子を隠岐奈へ、次に正邪と差し向ける。残された反紫急先鋒の二人。

 僅かな動作で周囲の緊張感が最高潮に達した。

 全員が悟った。争いは避けられない。紫は明確に二人は敵なのだと意思表明したのだ。

 天下静謐への望みは絶たれた。八雲紫は妥協を許さなかったのだ。腹に蟲を飼ったままでは煩わしいと、極当然の不快感を取り除きにかかった。腹を裂き、夥しい出血を強いられようとも。

 

 やれやれと。隠岐奈は深いため息。気怠げに御簾から這い出てくる。

 狼狽を即座に引っ込め、正邪は腹を据えた。怯えるイツメン(わかかげ)に目線で合図を送った。

 

 慧音が阿求の手を握る。口を耳に近付け、周りに気取られぬよう早口に伝える。

 

「この場から離れてくれ。留まるのは危険だ」

「し、しかし」

「紫が動き出した後では命を保障できない! 私が代理として残っておくから、早く!」

 

 現に観念した者達は臨戦態勢を整えており、いつもなら仲介に入る筈の華扇でさえ、無理を悟りその身から鬼気を吹き上がらせた。どちらの側に付くかは判断が付かないが戦闘を決心している。

 稗田阿求は人間達にとっての宝である。何に代えても"次"へと繋ぐために生かさなければならない。大丈夫だ。自分(慧音)が倒れても、妹紅がいる。

 

 と、部屋中に狂気を含んだ笑いが響く。

 面倒臭げな雰囲気が一変、満面の笑みで隠岐奈は紫の害意を受け入れた。この展開は望むところではないが、それはそれでまた良しの精神である。子供をあやす機会とでも思って多めに見てやろう。

 

「アッハッハッハ! ()()()で殺されては敵わんな!」

「戦争は起きないって言ってた割には準備万端ではないですか。私を騙したんですか?」

「いやぁすまない正邪殿、読み違えた。ここまで勝手な奴だとは思っていなかった」

 

「ふふ……それでは布告いたしましょう。『賢者八雲紫の名において命ず。今ここに賢者の任を解き──」

 

 

 

 

「いよぉし! まだ会議やってる! 良かったぁ」

「ギリギリセーフみたいね」

 

 阿求が席を立ち、隠岐奈がバックドアを開き、正邪が懐から小槌を取り出し、藍と橙が重心を前に移し、紫が空間を裂いた、その瞬間だった。

 

 襖を勢いよく開け放ち約2名がバタバタと入室。周りに平謝りしながら前に進み出る。

 先程までの身を切るような緊張感はどこへやら。全員が絶句して矛を下ろした。

 

 現れたのは粛清された筈の天魔。そして、たった今粛清を執行しようとしていた八雲紫その妖怪であった。オマケにこちらはいつもの淑女姿。

 

「皆様、お待たせいたしました。招集人でありながら遅れてしまい申し訳ございません。少々用が立て込んでおりま……して……」

 

 慣れた様子で謝罪を口にしていた紫だったが、自分の席に座っている童女を見て硬直する。対して童女側は平静を保ちつつも若干顔を引き攣らせた。

 場の全員が例外なく混乱に陥った。この状況を完璧に把握できている者が誰一人として居なかったからだ。八雲紫が二人居るのもそうだし、普段仏頂面の天魔がニコニコ笑顔で紫と仲良く入室してきたのも意味が分からない。

 

 暫くの静寂。硬直した空間。

 しかしいち早く混乱から抜け出し、独自に解へと辿り着いた者がいた。それは意外と言うべきか当然と言うべきか、八雲紫(淑女)本人であった。

 

「なるほどそういう事。ふふ……これなら謝る必要は無かったわね。ご苦労様、あとは私がやるから戻ってくれていいわよ」

「……不本意ではあるけど、事此処に至ってはそれしか方法がないわね」

 

 観念したように紫(童女)は呟き、自らが手に掛けようとした者共に向かって一礼。そして煙のように宙へと掻き消えてしまった。この一連の流れで後から来た紫こそがオリジナルである事を賢者達は察した。

 恐らく、あの童女姿の紫は何らかの事情で会議に間に合わなくなってしまった紫が用意した式神か、或いは分身なのだろう。

 かの八雲紫である。今更分裂しようが若返ろうが何も不思議ではない。また彼女の意図を汲み取るのは容易ではないため各々早々に諦めた。

 

 それに相手がいつもの紫に戻ったからといって油断できる筈もなく。先程までの言葉は全てオリジナルの意思を代弁したものに過ぎないのは当然の事と認識しておかなければならない。

 火種は未だに轟々と燃え盛っている。

 

 と、そんな周りからの熱を感じ取った紫は、それとなく藍の耳へと口を寄せる。

 

藍、藍。どこまで話進んだの? 

幻想郷の運営に支障を与える賢者の解任を宣言するところまで

そんなに? 結構進めてたのね

まあ……はい

 

「……ふふ、どうやら一番大切な時に間に合ったようですね。急いだ甲斐があったというものです。それでは改めて布告いたしましょう」

 

 仕切り直しとばかりに、改まった態度でそんな事を宣う紫。如何なる内容であろうと先程の様子からしてロクでもない事は確かである。皆一様に唾を飲み時を待つ。

 勿体ぶるような僅かな間を置いて、紫は言い放った。

 

「先刻申した通り今日を以って私、八雲紫の賢者職並びに他権益の全てを(幻想郷)にお還し致したく存じます。引いては賢者の皆々様にその旨を了承していただきたく」

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

「あの、すみません。もう一度言ってくれませんか? 上手く聞き取れなくて」

 

 恐る恐る手を挙げたのは阿求。普段はたかが人間と蔑んでいる一部賢者もこの時ばかりは阿求を心の中で称賛した。よくぞ言ってくれたと。

 実際のところ、阿求は一文字余さずしっかりと聞き取っていた。聞き返したのは紫の言い間違いを期待しての事だった。

 

 そんな淡い希望は即座に打ち砕かれる。

 

「賢者を辞めようと思います。正直に申しますと色々限界を感じておりまして、今のままではこの組織が立ち行かなくなると判断し、今回の決断に至りました。大変身勝手である事は承知の上ですが──」

「ちょ、ちょっと待ってください。なんでそんな急に……。賢者の人数を減らすって、貴女が辞めるって意味だったんですか!?」

「……? 解釈としては相違無いかと。それに急も何も、前回の会議の際に申し上げておいた通り、私自身が幻想郷の争いを招いているという正邪の言葉が正しいと判断し実行したまでですわ。ね?」

(? ……?? ……?)

 

 急に話を振られて困惑するしか無い。突拍子のない発言の理由を自分に押し付けられるほど迷惑な事はない。せめてもの抵抗と腹立たしげに睨んだ。

 何度目かの沈黙を振り切るように、続いて華扇から問いが飛ぶ。彼女も彼女で紫の言葉を計りかねていた。

 

「先程貴女が申していた通り、幻想郷運営の要は貴女でしょう。それが急に辞任すると言い張られては我々もリアクションの取りようがない。こういう事は然るべきメンバーを交えて綿密に議論すべきでしょう」

「それについては申し訳なかったわ。この1週間で事前の調整をあらかた済ませておく予定でしたが、急遽対応すべき事案が浮上したもので」

 

 華扇と紫の関係は深く、相互利益に基づく協力体制を構築していただけに、今回の申し出に対し受け入れ難い姿勢を示した。しかし紫は陳謝するに留まり代わりに『事案』を持ち出した。これが妖怪の山での一件を指す事は明白であり、即ち天魔との関係を匂わせるものであった。

 大した動揺もなくニコニコ柔和な笑みを浮かべている天魔の様子を見るに、彼女とだけ何らかの話し合いを済ませてあるのが容易に窺い知れた。

 

「紫ってばこれから色々と忙しくなるみたいだし、こういう役割分担も必要だと思うんだよねえ。うんうん」

 

 したり顔でこんな事まで言っている始末だ。

 

 妖怪の山壊滅は紫と天魔による策謀。そんな仮説が現実味を帯びてきた。

 もし仮に、天魔が天狗存続の為に八雲派閥への転向を謀り、反対する古参の部下や旧来の勢力を紫の助力で一斉粛清したのだとしたら。そして紫はその見返りとして天狗への権力移譲を企んでいるのだとしたら。

 水と油のような二人がそんな緊密な連携を取れるのかと聞かれれば疑問を抱かざるを得ないが、権謀術数を極め互いに鎬を削った二人だからこそ、対局を見据え、利害をすり合わせ、果てに手を結んだのかもしれない。

 

 当然、八雲紫が賢者の座から退いたところでその影響力に陰りは殆どないだろう。問題は紫がぶら下げた『力』を誰が手にするか。

 その相手が天魔、阿求、若しくは藍であったなら、幻想郷の勢力図が一変する事態は避けられない。

 

「……よし分かった。仮にお前が一線から退くとしよう。ならば当然後任を決めねばなるまいな? それこそ因幡てゐが失脚した時のようにスムーズな引き継ぎを求めたいものだが」

「ええ、流石は隠岐奈ね。私もその事について考えていました。皆々様からの信任により誇りある役目を引き受けて参りましたが、それを改めて何方かにお願いしたいと思っております。勿論、隠岐奈の言うようになるべく混乱少なめに」

「ふむ、どうやらアテがあるようだな。ここに居る誰かに任せるつもりか?」

「……頼もしい限りですが、これ以上皆様にご負担を掛けるわけにはいきません。ただでさえてゐの件でご助力いただいたんですもの」

 

 その尻拭いに特に貢献してくれた天邪鬼へと嘘偽りのない笑みを向ける。

 正邪はドン引きした。

 

「ほう、そうか。ではこの場には居ない『部外者』がお前の後任という事になるが、我々が納得できる人選なのだろうな?」

「勿論。私と思想を共にし、私以上の知識と武力を持つ者に後を託します。至らぬ点もあるやもしれませんがそこは私や藍で支えていこうかと。皆様にもどうか寛大な指導をお願いできれば」

 

 取り敢えずの危機は去ったという事で会議は沈静化し、代わりに八雲紫の後任なる人物の浮上により果たしてそれは誰なのかと、一部の者は興味を隠しきれなくなっていた。

 なお八雲主従の反応もまた様々で、機嫌良さげな紫とは対照的に藍は何かを察したのか顔を青褪めさせ、橙も心配そうに主人達を何度も覗き見ている。

 

「ああそれと、流石に皆様の信任無くして勝手に賢者に据えるのも如何なものかとは存じますが、既に天魔からは承知とのお言葉を頂いております」

「うん。私も最初は吃驚したけど、ちょっと目を瞑れば普通に良い奴だからさ、みんなで支えてあげればどうにかなると思うわ。よろしくね」

「……失礼ですが、お二人はそこまで仲が良くなかったかと思うんですけど」

「それはほら。雨降って地固まるって感じ」

「ええ。刎頸の友ですわ」

 

 なお降ったのは雨ではなく岩石であり、地は砕けて旧地獄に達している。また刎頸の交わりと言いつつ互いに首を飛ばす手伝いをしているのはご愛嬌である。だがやはり、あの一件で二人が結束したのは間違いない。

 

「さて、そろそろ頃合いかと思います。その当事者には既に待機してもらってますので、正邪の時と同じようにスキマでこの場にご招待しようかと」

 

 許可を求めるように周りを見渡す。ひとまずその者を見てみない事には何も始まらないので、全員が頷き行動を促した。

 宙を裂いた先はお馴染みの黒々とした虚無の空間。

 

 と、件の人物が堂々たる立ち振る舞いで現れる。気品、所作共にしっかりしているものの、その身から溢れ出る傲慢さを打ち消すには全く足りていない。

 荒事禁止の議場にて帯刀を見せびらかし、自らをさも高貴な者であると主張するように極光を表す虹色の飾りが煌びやかに彼女を取り囲む。

 

 その第一声は聞く者全てを慄かせた。

 

 

「下界の皆々ご機嫌よう! 私の名前は比那名居天子! 脆弱な者共からの忸怩たる願いを受けて天より顕現せし天人である! 以後よろしくッ!」

 

 

 ──パチパチ……

 

 紫と天魔。二人だけの熱烈な拍手は沈黙の支配する議場によく響いた。




藍「さとりのせいで紫様が一向に見つからないんだが!? くっ……こうなったら代役を立てるしかあるまい! ヘルプ偽紫様!」

AIBO「仕方ないわねぇ。取り敢えず賢者辞めるとか論外だし、今後幻想郷の運営が捗りやすいよう色々やっておいてあげましょう。まずね幻想郷支配がザル過ぎ。役立たずはみんなクビね」

賢者一同「やべぇよやべぇよ…」
藍「やべぇよやべぇよ…」

ゆかりん「あ、遅れてすみませーん! AIBO繋ぎありがとサンキュー!」
AIBO「は?」

ゆかりん「私、賢者辞めます! 私 is 役立たず!」
賢者一同「は?」
天魔「私は良いと思う」
オッキーナ「いや草」

ゆかりん「後任はこの子ね」
てんこ「やってやんよ!」
天魔「私は良いと思う」
AIBO「もう寝るわ」


もう少しだけ揉めて悲壮天完結です。ゆかりんは果たして賢者を辞める事ができるのか
次話は明後日か明々後日……近いうちに投稿予定です


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騒乱の夜明け

 私は感動していた。

 これまでの苦楽がまるで走馬灯のように脳内を駆け巡り、例えようのない感情が胸の奥から凄まじい勢いで吹き出してくる。

 数百年にも及ぶ重責からようやく解放されると考えるだけで涙が出るわ。よく頑張ったわね私……! これからは薔薇色リジッドパラダイスよ! 

 

 堂々たる宣言をかましてくれた後任の比那名居天子さんに惜しみのない拍手を送りつつ、この数時間を振り返った。散々な目覚めではあったが、その後はまさに私の妖生黄金期と言わんばかりのラッキー展開ばかりだった。

 

 

 

 天界の遣いさんと共に幻想郷上空を漂っていたのが最後の記憶。足元が眩く発光したかと思ったら視界が真っ暗になって、次に目が覚めたのが何故か天狗の居住区(新設)の一室だったのよね。

 パニックで挙動不審になる私。変な声上げながらぶっ倒れる天狗の皆様。妖怪の山は一気に恐慌状態に陥ったわ。人の顔見ただけで悲鳴を上げるなんて失礼しちゃうわよね! まったく! 

 

 で、私が目を覚ました隣で桃を齧っていたのが何を隠そう天子さんなのである。駆け付けた文やはたて(後から天魔だと聞いてマジで吃驚した)から事情を聞いたところ、なんと彼女はレミリアにさとり、萃香、勇儀と幻想郷の名だたる猛者を相手にし大立ち回りを演じたという。しかし流石にダメージを受けてしまった為、墜落していた所をたまたま通りかかった天狗一派が回収。こうして看護やら面倒を見ていたらしい。

 戦闘の理由は時間が無かったので詳しく聞かなかったが、はたての天子さんへの態度を見て大体察した。天界からの推薦でいち早く幻想郷に到着した天子さんは、再侵略を企むレミリアを前にして義憤を抑えられず戦闘に発展。それに釣られてやって来たお祭り大好きな鬼達や悪の枢軸さとりまでもを相手にし、幻想郷を守ってくれたのだろう。

 

 あとどうやらその過程で妖怪の山が吹っ飛んでしまったらしいが被害者である天狗は「いいよ別に。寧ろサンキュー」とか言ってたのでノー問題とのこと。哨戒白狼天狗の椛さんが微妙な顔をしていたのが気になったが、天魔がそう言うならそうなんだろう。

 

 ちなみに肝心の私がどのようにして白狼天狗の哨戒網を掻い潜り、何故居住区の奥深くに居たのかというと……いやホントなんででしょうね? 最初の目撃者は天子さんで、何もないところから突然現れたとのこと。

 原因は未だに分からないが、多分スキマがなんかバグったんだと自分の中で結論付けた。だってそのくらいしか考えつかないんだもん。ついでに検証しようにもスキマが使えなかったので、この時AIBOがメリーちゃん(黒歴史)ボディで変な事してるんだろうなって気付いた。

 

 とまあそんな感じの事情聴取を受けた後、念の為という事で天狗の皆様の監視の下、比那名居天子さんの賢者面接が開始されたのだ。あまりにも急だったけど、今日が私の告知した賢者会議の日だって事を聞かされてテンパっちゃってね! ちなみにはたては身支度を既に整えていたらしく、天狗の正式な装束を身に纏っていた。確かによくよく観察するといつもの天魔と瓜二つだったわね。顔が若干違うような気もするが気のせいでしょう。

 

 っと、話が逸れちゃった。それでバタバタ始まった天子さんの面接なんだけど、これが私の審査基準にクリティカルジャストミート! 強さは証明済みで知識は素晴らしく豊富。なにより『誰も悲しむことなく、誰も苦しむことなく、誰も退屈することのない美しい桃源郷を作りたい』という願いが私と合致した! 

 これこそ私が求めていたあるべき賢者像だったのだ! 誰にでも分け隔てなく接する姿は人徳者そのものである。

 

 それからはもう一発合格! 私の後任をお願いしたい旨を伝えると、二つ返事で了承してくれた。天子さんもノリノリみたいだったし良い事づくめだ。

 天魔──なんかそんな物々しい呼び方するのもアレだし、もうはたてでいいや。はたては積極的に賛成してくれるし、文は気持ち悪い笑顔を貼り付けながら情報交換の促進に努めてくれるしで全てがトントン拍子に進んでいった。

 

 そうそう。天狗の連中も話してみると中々話が分かるみたいで、特にはたてなんかは私の考えに深い理解を示してくれてるみたいで嬉しかったわね。そういえば天界でも色々言ってたっけ? あの時はただの亡命天狗だとばかり思ってたのに、まさか天魔だったとは……。正直今でも疑ってたり。

 兎に角、長年いがみ合ってきた私たちだけど、ちゃんと腹を割って話せば分かり合えるんだって気付けたのは大きいわね! 椛さんからは何故か避けられてるけど! 

 

 

 

 とまあ、そんな事が諸々あって今に至る。

 天子さんとの談合に熱中してしまい会議に遅刻してしまうミスはあったものの、事情を予め把握していたのだろう藍とAIBOのファインプレーによって事なきを得た。

 ホントありがとね! 

 

【……】

 

 あら応答してくれない。んーAIBOったらどうも活動時間短めっぽいし疲れちゃったのかな? 代用してるメリーちゃんボディは貧弱だしね、仕方ない。

 取り敢えず私は私で天子さんのヨイショに徹しましょう。やっぱりこういうのって初動が大切だと思うのよね! 

 

「天子は総領事の令嬢で、天界に二人といない逸材とのお墨付きを彼方より頂いております。かの天統べる龍神ですら一目置いているとか。そして私自身、彼女の才覚は幻想郷を纏める上で必要不可欠であると判断いたしました」

「私自身幻想郷の惨状には思う所があるわ。我が盟友ほた──天魔から内情を聞いた時、居ても立っても居られなくなった。だからこうして行動を起こしたのよ。そして蓋を開けてみれば鬼に蝙蝠に陰湿な奴! あんな奴らが好き放題してるんじゃ確かに難儀するでしょうね。しかし私が来たからにはもう好き勝手は許さない!」

 

 そうだそうだ! 一言一句同意したい! 

 喝采を挙げたい気持ちを抑えつつ最後の一押しを模索する。もう一つ何か材料があれば納得いく手応えが得られるような気がした。

 私とはたては言葉を尽くした。あと必要なのは鶴の一声とも言うべき賛同。オッキーナ、華扇、正邪ちゃんのうち誰かが天子さんを支持してくれれば良いのだ。

 幸いにもオッキーナと華扇は普段から仲良くしている間柄であり、正邪ちゃんは私に辞任を勧めてくれた義士である。快く頷いてくれるだろうという確信があった。

 

 ところがどっこい、全員一言も発さず私を睨みつけるだけ。ちょっとあんまりな対応に流石の私も眉を顰めた。

 

「どうやら何か異論があるようですね? どうぞ、申してみてくださいな。そうね……華扇、どうかしら?」

 

 少し考えて回答役に華扇を指名した。

 というのも、華扇の立ち位置は筆頭賢者の中でも極稀な例外を除いて中立的なもの。故に、彼女の意向が大勢に影響を及ぼす事は必至であり、彼女の同意さえ得られれば望む結論を手繰り寄せたも同然なのである。私の意見に反対する事も過去に当然あったけど、最後には私寄りの結論を用意してくれるから信頼してる! 

 あと何だかんだで華扇って穏健派だから、荒波を立てない軟着陸のプロなのよね! 

 

 そんな期待を込めて、華扇を見遣る。

 

「……貴女の考えは分かりました。なるほど確かに、それは名案やもしれません」

 

 でっしょー流石は華扇! 分かってるぅ! 

 

「ただし、その『名案』が貴女だけでなく幻想郷にとって益となるのか。その点で考えると話にならない。なんとまあ、実に見縊られたものだ。恥ずかしげもなく言えたものだ。虚仮にできたものだ」

 

 えっ、なんでビキッてるの? 

 怖過ぎでしょ。

 

「その天人の危うさは()()()()からよく聞いている。どのような過程で彼女を懐柔したのだとしても、貴女の選択は甚だ馬鹿らしいモノであると断言しましょう。私は貴女の幻想郷への想いを認めていたつもりでしたが、買い被りだったようですね」

「あら手厳しい。しかし困ったわねぇ、私は賢者を続けるつもりはございませんし、天子を認めないとあっては代わりを用意できる筈もなく……」

 

 凄まじい剣幕で捲し立てる華扇に恐れ慄きつつも、なんとか意思表示を行う。ここで変に話が拗れちゃうと面倒臭い事になるから反対しないでって感じに! 

 ていうか天子さんの何が不満なのよ! 意味分かんないだけど! 

 

「であれば私から提案できる事は三つ。先程の発言を撤回し賢者を続けるか、他の候補を改めて選定するか……私を殺して強行するか。好きなのを選ぶといい」

「物騒なのは好きじゃないわねぇ」

 

 なんか急に殺し合いを提案された件について。何故幻想郷の住民は唐突に血を求めるのか理解しかねるわ。私は辛い! 耐えられない! だから辞めたい! 

 そもそも私と華扇が相手になる筈ないでしょうが! 華扇の戦闘力は幻想郷でも10本の指に入るとまで言われてるのよ!? (オッキーナ談)

 

 3番目はまず無いと考えて、2番目については今猛スピードで候補を探してるんだけど全くヒットしない! ていうか天子さんに申し訳が立たないじゃん! 

 1番目……1番目……。やだやだやだ! 私は絶対に賢者辞めるんだもん! 

 

【そんなに辞めたいなら藍に任せればいいじゃない。間違ってもあの浅ましい天人よりは遥かに適任でしょう】

 

 おっとAIBOから的確なアドバイス。私もそれが最適解だと思うわ。しかしながら藍にはいの一番に頼んで断られてるのよね。我が儘で賢者の後任をお願いしてるわけだし、乗り気じゃない相手に押し付けるのは無いわよね。

 

【あのね、あの子は式なのよ? 持て余すようならちゃんと命令して、無理矢理やらせなさい。それがどうしても嫌なら苦渋を我慢して賢者を続けなさい】

 

 いやぁそれはちょっと……。ただでさえ藍にはいっぱい迷惑かけちゃってるし、命令だなんてとてもとても。

 ちらりと藍を見遣ると、困ったような表情で見返してくる。くっ、無理よ私には……! 

 

 あっそうだ。AIBOが実体化して天子さんの後見になってくれれば万事解決じゃない? 私が辞めると言った手前、賢者に居座るのはアレだけど、補佐役ならオッケーよね。ほら貴女めっちゃ頭良いし、みんなを論破して天子さんのこと認めさせてくれないかしら? 

 ねねっいいでしょAIBO! 

 

【そんなに殺されたいの?】

 

 ひゅいっ!? 

 常に淡々と理知的な事を語るだけだったAIBOが初めて言葉に怒気を滲ませた。なんでそんなに天子さんの事が嫌いなの……? 

 ていうかさっきから天子さん総ディスりで困惑するわ。良い子だし強いし賢いのに何がダメだって言うのよ! 

 

 ちっとも応答してくれなくなったAIBOに愛想を尽かしつつ、何を考えるでもなく目を瞑る。考えるフリをして時間稼ぎ。まずは冷静さを取り戻しましょう。心を燃やせ! 頭は冷やせ! 

 

 と、室内に鈍い破砕音が響く。

 吃驚しながら音のした方を見ると、天子さんの脚が床を貫通していた。その場で地団駄を踏んだようだ。額には青筋が浮かんでいる。

 

「さっきから黙って聞いてれば好き放題言ってくれるわね。ならば私からも言わせて貰おう。この『賢者』という括りは誰の発案で、どういった経緯で、どういう役割を期待されて誕生したのか……無論、分からない者はこの場に居るまいね?」

「て、天子。約束通り荒事は駄目だからね!」

「安心しなさい、私からは積極的に仕掛けないわ。だから()()()は引っ込んでて」

 

 賢者就任を祝福される筈だったのに、何かの手違いで散々言われていた天子さん。この仕打ちにとうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのかもしれない。

 教養、篤徳ともに秀でた天子さんなら何時ぞやかの藍みたいに暴れ出す事はないだろうけど、機嫌を損ねて天界に帰られちゃ大変! 天子さんの行動に色めき立つ者たちを強く睨み付ける。『ちょっとくらい話を聞いてあげましょう?』の意を込めてね。

 

「この数日間で歴史の勉強は済ませたわ。文とほたてがしっかり教えてくれた。此処にいる連中が何故『賢者』という仰々しい名前の要職に就いているのか。……まず一つに、紫が幻想郷の枠組みを決める上で参画をどうしても求めざるを得なかったから。これが初期のメンバーでしょ?」

 

 要するに幻想郷に組み込む予定の土地を縄張りにしていた妖怪若しくは土地神だったり、あと著名な種族の長とかね。阿礼の一族も然り。

 当初は藍とオッキーナ主導で従わない者は武力を用いて強制退去させようって話だったみたいだったけど、勿論ストップさせたわ。乱世に淘汰される弱者を救済する為の理想郷なのに荒事は駄目でしょって話! 

 

 なおそんな初期メンバーの皆様の殆どは吸血鬼異変の時に不慮の事故で死んじゃって、結局空いた土地は他の賢者が接収して勝手に差配してたわね。何故レミリアが賢者達の間で長く恐怖の対象として認識されているのか、分かっていただけたかしら? 

 

「次に追加として選ばれたのは、確か大した格もない癖にデカイ顔と腕っ節だけ持ってた奴らね。さっきから偉そうなツラしてるそこの仙人もその一人だって聞いてるけど? 私を僻んでいるのか知らんが、仙人なら精進せい! 位無きを患えず、所以を患えよ!」

「えっと、予め言っておくけど、腕っ節がどうとか言ってたのは私じゃなくて文だから。あと天子、もうちょっと抑えて?」

(これが仙人の目指す(天人)なのか……。うーむ)

 

 乱闘の開始かと一瞬だけ身構えたが、煽られた当人である華扇が大したリアクションを取らなかったので事なきを得た。華扇って煽り耐性が低いと思ってたんだけど、意外と忍耐強いのね。あーヒヤヒヤした。

 ちなみに華扇は私直々のスカウト枠ね。暴虐極める天魔とてゐに対抗すべく腕っ節を期待して賢者に招き入れたのだ。就任に至るまでのプロセスは正邪ちゃんと同じ。

 つまるところ、あんまり挑発しないでね? 

 

 そんな私の胸中も知らず天子さんは畳み掛ける。

 

「少々話が脱線したわね。即ちこの『賢者』とは、発案から誕生の経緯、任命に至るまで、全て八雲紫ただ一人の意向によって運用されてきたモノ。私が何を言わんとしたいか、賢き者達なら分かってくれたかしら?」

「自らの正統性を紫に委ねるのは良いが、それは少し傲慢が過ぎるな。私がこの席に居る意味も少し考慮してくれると助かるが?」

「つまりアンタが居なければ万事解決って訳ね?」

 

 揺らめくケミカルライトをオッキーナへと突き付ける天子さん。

 騒めく聴衆、テンパる私。

 

「そうだな。その通りだ。もっとも、さとり妖怪如きに屈服した天人様に遅れを取るつもりはさらさら無いがね」

「あはは! よしッ決闘しましょう。私が勝ったらアンタの席に私が座る。もし私が負けたらアンタの言う事全部何でも聞いてやるわ」

「……うむ、それもいいな。よしやろう」

 

「はいストーップ!!!」

 

 はたてが無理やり話に割り込み、今にも斬りかからんとしていた天子さんを藍と共に羽交い締めにする。また、そんなドタバタを他所に私も私でオッキーナに詰め寄って自制を要求していた。側に座っていた正邪ちゃんも慌てた様子で取り成してくれた。

 ふぅ、危ない危ない。危うく幻想郷流挨拶に発展してしまうところだった。幻想郷の風土をよく学んでいる証左ではあるが、天子さんにはそこら辺も改革して欲しいと思ってるから後でよく言い聞かせておきましょう。そもそもオッキーナは仲間側だしね。

 

「アッハッハ冗談だ。私は新参を試すのが大好きでな。許せ天人様」

「ふーん酷くつまらない冗談ね。許してやるけど、もう今後やらない方がいいぞ、それ」

「……まあ良い良い。それと勘違いして欲しくないのだが、私は紫の辞任に反対している訳ではない。むしろ紫の状況を鑑みてその判断も致し方ない、とすら考えている。お前の素質には疑問があるがな」

 

 のそのそと御簾の中に戻りながらオッキーナはさらっとそんな事を言う。それはつまり、私の賢者辞任を支持してくれるって意味よね? 

 やったやった! オッキーナ大好き! 彼女からの賛同が非常に大きな意味を持つのは言うまでもない。しかも今回は天魔であるはたての支持まで貰ってるからね。盟友である阿求の賛成票も考慮するなら、もはや私の辞任は内定したと断言しても良いだろう。

 仮に正邪ちゃんと華扇が反対しても多数決で私の勝ちである。

 

「ではその言葉を以って私の退任が正式に認可された、という事で宜しいですね?」

 

 ひとまず私が賢者を続けるという選択肢を潰し、後任選びに議題のリソースを集中させよう、という意図を示す。このままじゃ堂々巡りですものね。

 まあこれは建前で、さっさと私の立場だけでも明確にしておきたかったのよ。つまり結果がどうなろうが取り敢えず私の自由の身だけは保証させておこうって話。展開が怪しくなってきたら「私は賢者ではないので失礼する」って言って退室すればいいしね! 

 

 賢者の皆様もこんなに職務を嫌がっているへっぽこ妖怪に要職を与えてて良いものかと考えてる頃だろう。

 

 周囲を一瞥し、大きく頷く。

 

「ではこれにて──」

 

「紫様、少々お待ちを」

 

 

 思わずズッコケそうになった。

 待ったを入れたのは言わずもがな我が式。神妙な面持ちで此方を窺っている。ちょっぴり責めるように藍を見据えて、何事かと先を促した。

 

「申し訳ございません。いつ言い出すべきかと時を見計らっていましたが……此度の辞任の件について、再考すべしとの要請を受けておりまして」

「再考ねぇ。はて何処のどなたから?」

「此方の方々です」

 

 そう言って収納用のスキマが開かれる。すると雪崩を打つ群衆のように紙束が落ちてきた。一瞬幻想郷の民草による嘆願書かと思い背筋が凍ったが、どうやら違ったようだ。一つの束で一人からのモノであるとのこと。

 そこまで大人数からのモノではなさそうだが……なんだろう、厚さやら筆跡やらで凄まじい圧を感じる。何人か変なの仕込んでないかしら。

 

「まずレミリア・スカーレットより此方の書簡です」

 

 いきなりラスボスは無しにしない? 

 ちなみに内容を要約すると『吸血鬼異変の際の停戦協定はあくまで()と個人的に結んだものだから、辞任は幻想郷への再侵攻の合図と同義という事でよろしく!』って感じだった。胃液が逆流してきた。

 

「続いて古明地さとりからの物です」

 

 まあアイツの名前がある事は正直予感できてたのであまり驚かない。ただ書簡の厚さが半端じゃねえですわ……!? 羊紙皮数百枚の圧が凄まじい。

 これまた大胆に要約すると『逃げるな腰抜け』である。筆圧に込められた怨みが時間の境界を越えて私の精神力を存分に削り取ってくれた。

 

「次に西行寺幽々子、伊吹萃香の両名より」

 

 正直現時点でもオーバーキルに近いのだが、藍は大して気にせず、しかし僅かな顰めっ面で淡々と述べ続ける。鬼ッ! 鬼がいるわ! 

 なお内容は『お前が仕事辞めるんなら私らも辞めるわ。幽霊の管理とか幻想郷の復興とかその他諸々頑張ってね。あと毎日宴会しような!』とのこと。ついに堤防が決壊し、スキマの中に吐いた。

 

「また異例中の異例ですが、博麗の巫女からも()()()が届いてます。……大変簡素なものではございますが」

「内容は?」

「『辞めたら殺す』と。一文のみ添えられています」

 

 嘆願……? 

 

 

 藍の口上は止まらない。

 四季映姫、河城にとり、多々良小傘etc……と。幻想郷に対して並ならぬ影響力を持つ者たちからの脅迫脅迫アンド脅迫! 中には神奈子や早苗からの物もあってたまげたわ。

 ていうか何でみんな示し合わせたかのようにこんな量を用意できてるの!? 勢力の垣根を越えるこの規模は流石におかしい。

 これは誰かが主導になって手引きしたとしか思えないわ。一番にさとりの顔が思い浮かんだんだけど、よくよく考えたらあの引き篭もり地底陰キャにこんな企画力がある筈もなく。

 

 いやちょっと待って。

 ま、まさか!? 

 

 私の視線に気付いた藍が、気不味そうに目を逸らした。

 お前か、藍! 

 

「──以上になります。それでは我が主人の賢者辞任の可否を皆様に問わせていただきます。賛成の方は挙手を」

 

 半ば恐喝とも取れる藍の声音に対抗するように、私は手を挙げた。長年の悲願をここで諦めてなるものですか! 最後の望みを賭けて周囲を見る。

 手を挙げていたのはオッキーナと正邪ちゃんだけ。盟友である筈の阿求やはたては微動だにしなかった。他の賢者の皆々様は目を合わせる事すらない。

 

 ……。

 

「次に、反対の方」

 

 私の続投が決定した瞬間だった。

 

 

 

 その後、他に話し合う事として妖怪の山の今後が議題に上がり、それについてはたてが説明を行った。

 なんでも妖怪の山が崩落した際に山中に埋まっていた大量の神代鉱物が発見されたらしく、それを元手に河童との対等な通商を開始する予定で、得られた資金は復興とこれまでの賠償に充てていくとのことだ。

 また従来の非協力的な態度を改めるとし、幻想郷の円滑な運営を手助けしていくとまで宣誓している。

 

 そして、私はそんな議場を不貞腐れながら眺めていた。もうどうでも良いやって感じね。天狗との融和が為ったのはめでたいんだけど、先程の一件でモチベーションが壊滅した私の機嫌を回復するには至らない。

 

 さっきので分かった事がある。

 やはり私の職務上での仲間はオッキーナと正邪ちゃんしかいないのだ。いざという時、私を助けてくれるのはこの二人だけなのだと思い知らされた。

 まあ確かに阿求や華扇はビジネスパートナーって感じだし、藍は時々暴走しちゃうし、パワハラも酷いし。でもまさかあんなにそっぽを向かれるとは思わなかった! 悲しいったらありゃしない! 

 

 悲嘆に暮れながら今日何度目かのため息を吐く。すると藍から念話が飛んできた。

 私が飽き飽きしてるのに気付いたのか、そろそろ会議を切り上げましょうか? と提案してくれた。私のメインイベントが潰れてしまった以上、ここから先は消化試合も同然だしね。それで構わないと口を尖らせながら伝えた。

 

「……それでは時も頃合いかと存じます。本日はこれまでにいたしとうございますが、宜しいでしょうか?」

『異議なし』

 

 みんな疲れてるか面倒臭いから早く帰りたいんでしょうね。ここだけは満場一致だった。かくいう私もそうである。

 

 さて帰ろ帰ろ。不貞寝してまた明日から頑張らなきゃ。いやその前にはたてともう少し話を詰めておいた方が良いかしら? あと萃香にお礼を言っておかなきゃいけないし、それに霊夢と早苗に連絡を入れておかないとね。他にも忘れてるだけで重要な案件があったような気がする。

 やる事が多いわね……どれから取り掛かったものかしら……。

 

 

「ねぇ、もしかして私のこと忘れてない?」

「滅相もないですわ」

 

 取り敢えず、この捨てられた子犬のような目をしている天人様をどうにかするところから始めないといけませんわね(遠い目)

 

 

 

 ◆*◆

 

 

 

 八雲紫は完全敗北を喫した。望む結果を得られなかったどころか、外部勢力や傘下からの突き上げに屈するというあるまじき醜態を晒したのだ。残されたのは僅かな政治的混乱と何も変わらない幻想郷の支配体制だけ。

 

 以降、筆頭賢者達は各々の動きをこれまで以上に注視するようになり幻想郷に硬直が齎された。隠岐奈と青蛾の読み通り、小康状態に突入したのだ。

 しかし、この期間を安寧と見る愚者は殆ど居なかった。最早衝突は避けられぬ事を悟った。

 

 紫が狙っていたのは賢者辞任ではないと見るのが当然であろう。あくまで表向きは権威失墜を装い、内実では自身の力が盤石である事を内外に示したのだ。

 仮に八雲紫という巨魁の星を排除するならば、どれだけの勢力が反発するのか。どれだけの停滞を覚悟しなければならないのか。それがハッキリした。

 さらに最大の政敵であった天魔との蜜月、比那名居天子という新たなる武力。これらのお披露目の場でしかなかったのだ。いざとなれば紫が強行的な手段を厭わない姿勢を顕示したのも大きい。

 

 

 これが後に幻想郷最大最悪の異変へと繋がっていく。




今回のMVPは間違いなく藍様。
流れで落選しちゃった天子ちゃんはもっと文句言っていいと思う。ゆかりんとなにやら意気投合してましたが、この関係はいつまで続くのやら?

そして妖怪の山、壊滅的な被害を受けましたが悪い事ばかりではなく、某坑道の鉱石がガンガン出てきて逆に経済では潤っている様子。もしかしたら現地で有力な山師を見つける事ができたのかもしれませんね(レッツディガップ‼︎)
体制が一新された割に大して影響がなさそうなのは、旧体制が余程アレだったのか、文椛が優秀過ぎるのか……はたまた誰かがテコ入れしているのか。


次回『揺れる胸』


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今昔幻葬狂〜ダ緋〜
揺れる胸中(前)


色々とごめんなさいの回


「ねー悪いこと言わないからやめときなさいって。こういう荒事込みなのは私向きだからさ、アンタが直々危険な所に行くのは……ねえ?」

「うん、危険なのは承知の上。だけどこれは私がしないといけないことだから」

 

 机に向かって一心不乱に書き殴るはたてを、やんわりと文が制止する。天狗新体制の発足後、初めての職権濫用に熱を傾けるのは悪い事ではないが、命に関わるとなれば話は別だ。

 はたてを喪う事態になれば今度こそ天狗は終わってしまう。首の皮一枚で繋がっている現状で、はたての試みはあまりにもリスキーと言わざるを得ない。

 

 それも全部分かっている上で、はたては言い切るのだ。

 

「三人で約束したじゃん。どんな困難が立ち塞がろうとこれからは自分一人で抱え込まず、一番適任な奴が事態に当たるようにしよう。他二人は全力でサポート、でしょ? だから今回は私が自ら行くしかないの。私にしか成せないことだもん」

「……事前に相談するようになっただけ成長してると見るべきなのかしらねぇ」

 

 一度天界に亡命してからというものずっとこんな調子なのだ。自らの身を犠牲にして実利をもぎ取ろうとするような行動が増えた。はたてにとって漸くやりたい事が見つかったのなら結構だが、新たな重荷になるのは間違いない。それが心配だ。

 それでも文は諌める事しかできない。

 

 と、執務室に4回のノックの音。

 許諾の返事とともに一人の白狼天狗が入室し、文には目もくれず恭しく首を垂れる。

 

「失礼します。犬走隊長より報告、千里眼によるクリアリングが済んだとのことです。第三ルートであれば土蜘蛛の感知網より外れている為安全に目的地まで到達できるだろうと」

「分かった。ありがとうね」

 

 和やかに笑い掛けると、最後の書類に力強く公印を叩きつける。そして乱雑にバッグの中へと放り込むと軽く文を一瞥し、部屋から出て行ってしまった。

 僅かな静寂の後、徐ろに文が告げる。

 

「天魔様の監視をしっかり頼むわよ。少しでも悪意のある奴が近付いたらすぐ私が対処するから」

「言われずとも」

 

 目も合わせず素っ気なく返される。実力云々は兎も角、天狗社会からの文への反応は芳しくない。無法者が出戻りした挙句、要職(形式上は下っ端)に就いているのだから叩き上げ集団である白狼天狗との折り合いはどうしても悪くなる。

 それでも前よりかは全然マシだ。物腰が柔らかくなった天魔に動揺しているものの評判は良いし、天狗全体の意識がしっかり上を向いている。

 

 改めて、首の皮一枚の現状を幸運に思った。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「本当にごめんなさいっ!」

「……」

 

 対面と同時に深々と頭を下げる。もっと気の利いた言い回しを考えていただろうと自分を責め立てるものの、それがはたてにとっての限界だった。当人を前にしてテンパってしまったのだ。

 なんと言えばいい。なんと謝罪すればいい。

 どんな言葉を以ってしても足りないのだ。尽くしても尽くしきれないから。

 

 幸いだったのはその謝罪相手が言葉を尽くす必要の無い妖怪であったこと。さとりは口をへの字に曲げて「面倒臭いなぁ」なんて事を思う。

 心は読めても相手の事情を汲み取ってあげるほど、さとりは気の利いた妖怪ではなかった。

 

(さとり様。コイツ摘み出しますか?)

「その必要は無いわ」

 

 その言葉は燐とはたて、二人へと同時に向けられたものだった。排除も謝罪も必要としない、現状のままで問題無いと。

 むぅ……と、燐は顔を顰める。主人がアポ無し突撃を簡単に許してしまうから八雲紫や摩多羅隠岐奈のような珍妙な客が止まらないのだ。寛大なのは良いが、少しは不審者を追い返す努力をしてほしいものである。

 

 一方のはたてもまた、慌てた様子で首を振る。

 

「確かに私からの謝罪なんて貴女にとってはどうでもいいような事かもしれないけど……! でもちゃんと『言葉として』伝えたかったの!」

「私がなんの妖怪か分かっているでしょうに」

「うん。心が見えるんでしょ? どうかな? ちゃんと心の底から謝れてるかな。ちょっと心配なんだよね。本気のつもりなんだけど」

「私の能力を恐れないのは単純が故ですかね……」

 

 忌み嫌われる覚妖怪の読心術を「素敵!」とまで言ってのけるはたての性根に、さとりは呆れを通り越して感心すらしていた。彼女の心は文や椛への劣等感で塗れているが、それ以外の輝きをはたては見抜けていない。

 彼女が地位以外の自分の価値に気付く事ができていたなら、天狗の未来も相当変わっただろうに。そう考えて、ふと思い直す。

 

(変わったから、生き延びたのかしらね)

 

「というわけでもう一回謝らせて! ごめんなさい!」

「だから必要無いと言っているでしょう。貴女に謝られる謂れはないですし、なにより私が求めていない。……必要無いのはそのバッグの中身もですよ」

 

 感情を悟らせない無機質な瞳に晒され息が詰まった。思わずバッグを掴む力が強くなる。

 バッグの中身は天狗直轄の数地区を『さとり妖怪』へ返却する誓約書と、採れたての龍珠が少々。かつて奪い取った土地を元通りに戻して尚且つ返すのは当然として、龍珠はさとりへの経済支援の一環であった。

 それら全てを拒否されたとあれば、はたては押し黙るしかない。さとりの心情が憎悪などといった生易しいものではなく、虚無そのものである事を察したからだ。

 

 少しして再度口を開く。

 

「もう、山に戻るつもりはないの?」

「そういうことです。そして貴女達から施しを受けるつもりもさらさらありません。当然、赦し云々と言った話をする気も毛頭ない」

「……」

「ただ勘違いして欲しくないんですけど、天狗を憎んでるから話をしないと言ってるわけじゃないんです。本当にもうどうでもいいから放っておいてくれっていうのが本音であって」

「そんなっ、あんな事があったのに!?」

「当事者はもう生きていませんし、貴女に至ってはますます関係がない。何があったのかを勝手に推し量って、勝手な罪悪感を抱いているだけ」

「止められたかもしれない!」

「でもこうして起こってしまい今がある。たったそれだけの話。──そして貴女は、何も詳細を知らない癖に勝手な責任感の矛先を私に突き付けている。これを面倒臭いと言わずして何と言うのです?」

 

 戸惑いが溢れる。

 確かに、現場を見ていないはたてには、伝聞でしかあの事件を知る術が無かった。全ては事後であり、はたては蚊帳の外だった。

 覚妖怪の族滅は今なお当の天狗達の間でも触れたがらない"歴史"である。というのも、天狗達ですら何故あのような事件が起きたのかすら分からないのだ。

 引き起こされた理由は不明。張本人であった時の天魔や下手人の天狗は既に亡く、当時の状況を知るのは古明地さとり一人だけ。

 

(そうだよ。全容が解らないまま何を言ったって、さとりにはチープな戯言にしか聞こえない。もっと向き合わなきゃ!)

 

 そうだ。今思えば、あの事件を皮切りに天狗は積極的な拡張政策に傾倒するようになり、妖怪の山に戦渦を齎し続けた。自分は心を痛めていただけで、何もできてない。今ようやく自分のやりたかった事ができる立場と時間を手に入れたのだ。引き下がる訳にはいかない! 

 その為にはさとりの心内を知る必要がある。そんな想いを無謀にもサードアイを通して訴えかける。

 

「……知ろうとしない事は勇気であると、貴女の敬愛する紫さんは心の中で毎日繰り返しています。癪ですが、その通りだと思いますよ」

「でも真実から目を背け続けるのは罪だと思う。全てを知って、全てを受け止める事が、天魔の──姫海棠はたての責務だから」

 

 深いため息。

 やはり天狗という妖怪はジャーナリズムを生まれながらにして持つ種族なのかもしれない。……ならば自分にも考えがある。

 心配するように横顔を窺っている燐へと合図を送る。客人としてもてなすようにとの指示だ。

 

「私には今後やらなきゃならない事が幾つかあります。そしてそれを為す上でこれ以上敵を増やしたくない。だから貴女に教えるのですよ? といっても、真実というには余りにもお粗末ではありますが」

「うん。ありがとう」

 

 場の雰囲気が和らいだお陰でようやく肩の力を抜く事ができる。はたては締まりのない笑みを浮かべ、テーブルを挟んださとりの正面に腰掛けた。

 それなりに長い話になると前置きした上で、さとりは淡々と語り始めるのだ。

 

 

 

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 あまりにも命が軽い時代だった。

 人、妖怪、神仏問わず、ありとあらゆる種族が生存の為に鎬を削り、滅んでいった時代。確固とした覇権勢力はなく安寧など夢のまた夢。まさに生き地獄、修羅道の顕現せし地。

 

 だが妖怪の山は別だった。

 拙いながらも秩序があった。伊吹萃香の気紛れで興った脆い勢力でありながらも、確かな平穏は存在していたのだ。

 この時は良かった。鬼を除いて皆平等であり、均衡が保たれていた。天狗は鬼の遣いパシリとして日夜奔走し、河童はみんなの便利屋として重宝される。安寧の中でも覚妖怪が好かれる事は無かったが、それでも何にも代え難い平和を甘んじて享受していたそうだ。

 

 萃香が地上に興味を失い統制が失われてからも争いは起こらなかった。各勢力が均衡を望んだからだ。強いて言うなら天狗と河童が少々抜きん出ていたが、単体で情勢を左右するようなものでもなく。相互監視による水面下の諍いが平和の正体である。

 このまま何も無い退屈な日々が続けば良いのにと、誰もが思っていた。さとりだってそうだ。あの頃は平和を望んでいた。

 

 世界はそんなに優しい物ではない。破滅は何の前触れもなく、万人の足を絡め取る。

 

 山の外が俄かに騒がしくなってきた頃だ。妖怪の山の主導権を巡り天狗と河童の間で戦争が勃発した。鬼という強大な存在を失い、代わりに浮上した新たなる脅威により統一への機運が高まったためだ。

 外界では『蟲妖怪』が一時の覇権を握り、大陸最強と称された九尾の妖狐が上陸し、並み居る古豪達が集合と離散を繰り返し、八雲紫と摩多羅隠岐奈の対立が激化していた。そんな状況下で安寧に甘えるのなら、破滅は必至。誰かが纏めねば山を生かす事ができないのだ。

 

 戦いは他勢力の介入を待つ事なくあっという間に決着。天狗の大勝利によって妖怪の山の趨勢が大きく揺らいだ。河童は勢力を著しく衰退させ、河城にとりの誕生まで苦渋を余儀なくされた。

 

 一方、蚊帳の外であり続けた覚妖怪も静観を保つ事はできず、天狗に恭順し生きながらえる道を選択する。対抗手段に乏しく、信頼関係を築けない覚妖怪にはこれしか道がなかったのだ。これを天魔は条件付きで認めるとした。

 

『特別な目を持つ覚妖怪を一名人質として差し出す事』

 

 これに該当するのは世界広しといえど二人しか居なかった。その特異な能力に天魔は目を付けたのだろう。

 古明地姉妹。さとりとこいし。

 その潜在的な戦略性は天狗の優位を覆しかねない程に強力無比なものであり、放って置かれる道理などなかったといえる。戦乱の世に一勢力を束ねる上で、彼女らのような存在を囲う事には重要な意味があった。むしろ、勢力拡大とはコレの事を言うのだ。

 

 古来より名を馳せる強者達とは、この世の歪みである。生まれ落ちる世界を違えているのではないかと思ってしまう程に眩く、恐ろしい。一騎当千の強者とはまさにこのことで、一人居るだけで戦争の行く末も、賢人が描く大局も、全てを破壊してしまう。

 伊吹萃香がそうだ。星熊勇儀もそうだ。リグル・ナイトバグだって、九尾の狐だって、封獣ぬえだって、射命丸文だって……みんなそうなのだ。ごく稀に現れる綺羅星のような、天災のような存在。

 

 天に愛されし者、奇跡の存在、覚醒者……その他様々な名称で呼ばれていた其れ等を多く手中に収める事こそ覇道の一歩なのだと、天魔が考えていたとしてもおかしくはない。天狗にもその稀人に該当する者は数名居たのだが、まだ足りない。他種族からも募る必要がある。

 

 そんな奇跡の存在が覚妖怪に、それも二人。これを自陣に組み込む以外の選択肢は無かっただろう。しかも一人を天狗の膝下で運用し、もう一人をそのまま覚妖怪の下に残しておけば過度な要求を突き付ける必要は無くなり、今後の慰撫もやり易くなる。

 その推測された目論見は当然、次世代の中核と目されていたさとりに考え付けない訳がない。それで覚妖怪の存続が許されるなら安い物であるとすら考えていた。

 

 当然、覚妖怪の中でさとりとこいしのどちらを天狗に差し出すかについては、一応の話し合いが行われた。ただ結果は既に決まっていたようなものだ。

 覚妖怪の例に漏れず人付き合いに難があったさとりに対し、妹のこいしは覚妖怪らしからぬコミュニケーション能力があった。簡単に言えば陽の者だったのだ。

 どちらを送るべきかは火を見るよりも明らかだった。

 

 

 出発の日にこいしと交わした言葉は、数百年経った今でも手に取るように想起できる。

 

『お姉ちゃんと暫くお別れかぁ。寂しくなるね』

『私もよ。手紙、ちゃんと書くのよ?』

『もーお姉ちゃんったら心配性なんだから。安全第一だよね、了解りょうかーい』

 

 心を読むという能力上、覚妖怪同士の会話ほど不毛な事はない。しかし変わり者の古明地姉妹は互いの心を深くまで知っておきながら、日常的に多くの言葉を投げかけ合っていた。こいしに引っ張られているのもあるが、何より姉妹仲の良さが伺える。

 

『みんなよりちょっと多く見えちゃうだけでなんか大袈裟だよねー。余裕が無いっていうかさ。まあ期待されてる分だけ頑張るんだけどー』

『私達の力は特別だから、どうしても外野からの制約を受けてしまう。最高に素晴らしい能力なのに、この点だけが厄介よねぇ』

『出たーお姉ちゃん十八番の自画自賛!』

『誰も褒めてくれないんだもの。せめて自分だけでも正直者で居たいと思うのはごく当然のことよ』

『お姉ちゃんのそういうとこだけ見習いたいなぁ』

『存分に見習うと良いわ。……あっちでも気負わずいつも通りやれば大丈夫よ』

『おっけー! 覚妖怪の未来は私にどーんと任せて!』

『うーん……』

 

 最後まで笑顔を絶やさなかったこいし。胸中に一切の不安はなく、自分や姉、覚妖怪の未来を本気で良くしてやろうと思っていた。そんな妹に呆れと不安を抱いたが、さとりに口を挟む余地は無かった。

 というのも、さとりは天魔の戦略に一定の理解を示していたからだ。昨今の情勢を鑑みれば致し方ないと考えるのは当然で、勢力の均衡を保ってこそ敵方の内情も窺い知れるというものだ。話し合いの場さえ設けてくれれば後は覚妖怪の独壇場である。

 そう信じた。信じて妹を送り出した。

 

 

 帰ってきたのは妹の亡骸だった。

 

 滝から落とされたモノが流れ着いたのだろう。生前とは似ても似つかない変わり果てた姿で、物言わぬ屍となって姉の手に戻ってきた。そして荒れ狂う思考の整理が完了する間もなく、覚妖怪の族滅が開始されたのだ。

 

 

 

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「酷い有様だったわ。辛うじて妹と判断できたのは毛髪と、衣服と、眼球をくり抜かれたサードアイの残骸によるものだけ。あまりに遺体の損傷が激しくてね、死因は結局特定できなかった。唯一判るのは、犯人が誰なのかだけ」

「なんて惨いことを……」

「当時の私はあまりにも無力でした。想起の力こそ使えたものの規模や精度は稚拙の一言。情けない事に、動揺してそれどころじゃなかったのかもしれません。混乱の中、山姥の下に逃げ果すので精一杯でした。一族、妹の亡骸……全てを置き去りにして、私だけが生き残った」

 

 はたては悲しみに肩を震わせた。

 自らの無知と天狗の暴虐をいま再び恥じた。

 何も知らない鴉天狗が何を言ったって響かない筈だ。言葉と共に想起の力で流れ込んできた明確なビジョンは、はたての心に深い爪痕を残した。

 

「天狗では一般的に『覚妖怪に叛意が有ったから、仕方ない処置だった』と共有されているようですね。そうこじつけなければ正当化できなかった。あまりに突拍子もない決定……今となっても何故天狗に一切メリットがない蛮行が罷り通ってしまったのか、見当もつかない」

「ご、ごめん、なさい。私なにも知らなくて……」

「そうですね。少し前に射命丸さんの心も覗かせて貰いましたが、やはり彼女も詳しい原因を把握できていなかった。真実を知る事は最早不可能でしょう。当事者はもうとっくの昔に葬られて、この世に居ないのですから」

「それも、知ってるんだ」

 

 天魔殺害は秘中の秘。知るのは天狗上層部と目撃者だけの筈だが──さとりほどの者になればその程度の情報は知ってて当たり前なのか。

 と、はたての頭で断片的な情報が一つの線となり繋がった。

 涙を拭う。

 

「だから、紫と仲良くしているの? 妹さんの仇である天魔様を殺してくれた、から」

「……」

 

 確かにそうだ。天魔は八雲紫に殺された。

 天狗側の目撃者は千里眼で哨戒中だった犬走椛ただ一人。彼女からの報告が状況証拠の全てだった。故に動揺を最小限に抑える事ができた。

 アレ以来、天狗の国是は『八雲紫の打倒』となり、幻想郷を巻き込んだ対立に発展していく。天魔の影武者に仕立て上げられたはたてにとってはいい迷惑だった。

 そもそも自分が偽物である事など当事者の紫にはバレバレだろうに、何故か影武者が上手く機能していた事が今でも不思議である。紫は紫で何も言ってこないから余計に。文曰く「上層部と紫さんの間で何か裏取引があったのでは?」との事だが……。

 

 話を戻そう。

 さとりが何かと紫を気にかけているのは、一流ユカリウォッチャーのはたてにとっては常識である。折角紫と仲良くなれたのだから、その()()()であるさとりとも仲良くなりたいという想いが、今回の地霊殿訪問の一因でもある。

 そんな仲良し二人が出会った経緯を推測すると、やはり天魔の死が関係しているのではないかと思った訳だ。

 

 推測の成否はさとりの顰めっ面が物語っている。

 

「それとこれとは話が別です。天魔を殺された事で多少なりとも気分が晴れたのは否定できませんが、その程度では私に恩は売れません。紫さんが手を下さなくてもいずれ私が殺していたでしょうし」

「そっか。でもさ、逆に言えばそれ以上に紫に対して恩を感じてるって事だよね? 妹さんの敵討ちが些細に思えるほどの何かがあったんじゃないの?」

「恩を感じてるのは決定事項なんですね……」

「うん。じゃないと今までの行動が説明できないもん。ちょっと利害が一致してるにしては体張りすぎだし、紫と一緒に居る時だけなんか楽しそうだったし」

「は?」

「えっ、違うの?」

 

 やはり天狗は危険、滅ぼすべきか? 

 そんな危険な考えを抱いてしまう自分の心を強靭な精神で押さえ付けつつ、どう返すべきか逡巡する。というかはたてが行なってきた紫や自分への盗撮の回数が尋常じゃない。天狗のモラルは今も昔も地に落ちたままだ。

 

 気を利かせてくれた燐からの氷嚢を受け取り、痛む頭から半ば意識を振り払うようにして言葉を返す。

 

「どうやら貴女は憶測で仮説を立てるのが好きなようですが、そのうちの8割は完全に的外れなものであると忠告しておきます。百歩譲って荒唐無稽な妄想をするのは構いませんが、外に出すのはマジでやめて下さい。私に首を吊らせたいというなら話は別ですが」

「あははごめんね! 職業病みたいなものかな、最近私も新聞記者を始めたんだよね。文たちみたいには上手くできないけど」

「文字にする事は無さそうなので見逃します」

「うんありがとう!」

 

 とは言うものの、このまま誤った部分を放置してはたてに不本意な動きをされるようであれば本末転倒。折角開示した情報も無駄になってしまう。

 つくづく自分はこういう駆け引きに向いてないのかもしれない、なんて事を思いながら、さとりは口を開いた。

 

「貴女の言う通り、私には紫さんに対してどうやっても返しきれない、とても大きな恩があります」

「うんうん」

「──私とこいしに意味を与えてくれたのです。今こうして古明地姉妹が"健在"なのは紫さんのおかげ、ということになります」

「うん?」

 

 不可解なワードにはたては首を傾げた。

 妹のこいしは既に死んでいると先程教えられたばかり。しかしさとりは自分と同時に彼女も健在であると断言した。前後が結び付かない。

 

 と、そんな疑問を振り払うかのように再び想起の力がはたての心に流れ込んでくる。

 

 

 

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『そったらもう此処には戻ってくるでねぇぞ。きっとお前の幸せは下さあっからな』

『……お世話になりました』

『強く生きんだぞ』

 

 覚妖怪が滅亡し行く宛を失ったさとりを迎え入れてくれたのは天狗以上に排他的な種族である筈の山姥だった。群れを成さず単独での生活を主とする妖怪である。

 当然、彼女らの領域も侵攻を受けかなりの被害が出ていたが、唯一それら全てを跳ね返したのが坂田ネムノという山姥。天狗により住処を追われた弱小妖怪や厄神(鍵山雛)を受け入れ、反対に天狗の要求全てを悉く突っぱねた紛う事なき女傑だ。

 

 そんなネムノの下に数年間厄介になっていたさとりだが、和平交渉に赴いた天狗から大体の情報を得たため妖怪の山を去る決断に至る。

 厳しい言葉でさとりを見送ったネムノだったが、その心中はとても穏やかなものだった。彼女や同じく身を寄せていた者達との交流があったからこそ、さとりは幻想郷に仇なす悪鬼に成らずに済んだのだろう。

 

 

 その後さとりは地下に潜り、地底の奥深くにて打ち捨てられた館に居を構える。移住の理由としては、やはり幻想郷と縁を切りたかったのが一番だろう。次に平穏な暮らし。そして最後に閻魔からの誘いがあったから。

 

 今も昔も変わらず、幻想郷の掃き溜めなど散々な異名を持つ旧地獄だが、実態は真逆だった。地上に比べれば遥かに統制が利いていたし、何より当時は発展が目覚ましかったため、流れ者が土着する土壌が出来上がっていた。此処でも伊吹萃香と星熊勇儀の気紛れ治世が功を奏した形になる。

 ただ治安は頗る悪かったのでどうしたものかと元管理人の四季映姫が悩み抜いた結果、どういう風の吹き回しかさとりに任せる事に。

 

 依頼された当時は急な事でらしくもなく考え込んでしまったものだが、どうもその境遇を知った鬼達が変な方向に気を利かせてくれたらしい。さとりの能力が荒くれ達の統治に向いているのも映姫を説得できた一因だろう。

 さとり自身、面倒な役目を任されたと思いつつも、自分の能力を正当に評価してくれているので悪い気はしなかったり。

 

 

 地底はいい場所だと何度思ったことか。

 日は昇らず、月は沈まない。昼夜が無ければ当然季節もない。降り積もる怨恨と灰の雨だけが時間の流れを教えてくれる。

 一人では広過ぎた館も徐々にペットが増えて賑やかさを取り戻す。早いうちから燐がさとりの下に来てくれたのは幸運だった。地雷持ちの地獄鴉もセットなのは考えものだが、それはそれで愛いものである。

 幻想郷に居た頃では想像もできないような充実した毎日。可愛いペットに、安息の地。これだけあって何を望もうか。

 

 決まっている。妹が足りないのだ。

 

 どれだけ幸福の水を注ぎ込まれても、ポッカリと空いた心の器では一定以上の水位しか保つことができない。与えられる水を見て、空虚をより鮮明に感じるだけだ。

 自慢の能力で記憶の層を何度呼び起こしても、喪われた命は決して回帰しない。かつて在った幻想を想起し、瞳に投影すればこいしは在りし日の姿で語りかけてくれる。夢幻泡影(heartfelt fancy)よりも儚い稚拙な幻覚。

 それでも縋っている時だけ、姉に戻れた気がした。

 

 

 運命の出会いはあまりに唐突である。

 

『初めまして、八雲紫と申しますわ。館主自らの出迎え感謝いたします』

(外は硫黄臭かったけど、館の中は獣臭いわね! それにこの人、メルヘンチックな服だし変なスリッパ履いてるし……噂通りの不思議ちゃん系陰キャって感じ。趣味は読書と執筆ですとか言いそうな雰囲気してるわ)

 

 何だコイツ、と。初めはそう思った。

 八雲紫の名は勿論知っている。地上じゃ専ら最強の妖怪と称されている正真正銘の怪物。数多の強大な配下を持つにも関わらず、かの天魔を単独で葬った化け物。森羅万象の一切合切を知ると噂される地上の賢者。

 

 賢者の姿か? これが……。

 

 上辺だけの態度を取る奴は何人だっている。しかし八雲紫のそれは常軌を逸していた。

 風貌と言葉の圧に対して、心があまりにも幼稚過ぎる。偽装が上手い妖怪なのかとも考えたが、にしては狭間の力が強い。こういうタイプの妖怪は一癖も二癖もあるのが常であり、尚且つ紫のそれはズバ抜けていた。

 関わりたくない。早急に出ていって欲しい。

 それがファーストコンタクト時の正直な心境だった。

 

『四季映姫から話は聞いています。かの高名な古明地さとりさんが地底を管理しているのであれば、幻想郷の外憂は絶たれたも同然。非常に頼もしく感じます。是非とも親しくしていただければ』

(ホントはさとりなんて聞いたことないけどね。でも映姫があそこまで褒めるって事は相応の能力はあるって事だしね! 今のうちに媚びを売りましょう!)

 

『はあそうですか、それはどうも』

『ふふ──其方の可愛らしいお嬢さんも、よろしくお願いしますわ』

(うーん、やっぱり人付き合いがあまり好きではないのかしら。それに引き換え、後ろの女の子は元気いっぱいの陽キャちゃんね。妹さんかな? とっても利口そう! 交渉するならこっちの方がいいかしら?)

 

 何言ってんだコイツ、と。初めはそう思った。

 当然部屋にはさとりと紫だけ。燐はおろかペットの一匹すらいない筈だが、目の前の妖怪は初めましてと同時に幻の三人目に語り掛けたのだ。馬鹿馬鹿しい、狂人の相手などしていられるか。燐に命じて強制退去を促そうと、手を挙げる。

 しかし、声は半ばで泡と消えた。

 

 紫の心に映る姿。

 いつものように顔色の悪い自分と共に在ったのは、妹だった。紫の心を介して死んだ筈のこいしの存在を認知するに至ったのだ。

 あくまで感覚的な問題である。姿は無い、心は無い、魂すら無い。しかしこいしが存在している事だけが分かった。

 

 

 

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 ===

 

 

 

「話に付いていけてませんね?」

「当たり前でしょ! え、どゆこと? 妹さんは死んでるの? それとも生きてるの?」

「分かりません。死んでしまったのは確実なのですが、概念的に、空想的に今なお現世に留まっているみたいで。私が強く意識するほどこいしはより鮮明に存在を残す事ができる。紫さんの境界を操る力と私の想起の力、両方が合わさった事による奇跡なのかもしれませんね」

「ほへー」

 

 はたては考えることをやめた。

 だがそんなややこしい事態になっている理由は明白だ。

 

「うーん、確かに紫が関係してるっぽいよね。あっ、それで紫に恩を感じている、と」

「曲がりなりにもこいしと再会させてくれましたからね。本人に全くその気がなくても手助けしてあげる程度の義理はあるでしょう?」

「なるほど合点がいったわ。紫が居なくなっちゃうと妹さんにも会えなくなるしね」

「そういう事です」

 

 まだまだ理由はあるものの、この面倒臭い世界に足を踏み入れる羽目になった発端はそれだ。もしや自分は不幸体質なのではないかと何度疑ったことか。

 しかしそれでも後悔はしていない。この先どんな運命が待ち受けていて、悲惨な結末を予め知る手段があったとしても自分の選択は変わらない。

 

 アレを前にして何も行動を起こさないほど、古明地さとりは落ちぶれていないのだから。

 

「以上が私と天狗、そして紫さんの間で起きた出来事の殆どになります。……満足できたようで何よりです」

「さとりが『どうでもいい』って言った意味、よく分かったの。私からできる事なんか何もないよね。私は……紫のようにはできないから。でも困った事があったら言ってね。私や天狗のみんなに出来る事なら何でもする!」

「アレを基準にするのはやめておいた方が良いですよ。あと、どうしてもというなら早速二つほど頼まれてくれませんか?」

「えっ!? なになに!?」

 

 思わぬ申し出にはたては喜色を浮かべる。

 最初は「施しなど必要ない」と突っぱねたが、はたてと話しているうちに少し考えが変わった。気を利かせた訳ではないが、この対談ではたての人柄をよく把握できたからこそ頼むべきだとさとりは判断した。

 なんて事のない依頼だ。

 

「新聞記者を目指しているのでしょう。ならば明日から朝刊と夕刊を一部ずつお願いしたいんです。定期購読ってやつですね」

「……いいの? まだ一回も作ったことないから上手く出来るか分からないんだけど。私なんかのより文の『文々。新聞』の方が……」

「地底に住んでいるとどうしても幻想郷の情勢に疎くなってしまう。なので起こった事をそのまま事実として書いていただければ大丈夫ですよ。もし貴女さえよろしければ、文体やら内容やらを勝手に添削しますので、次に活かしてください。『花果子念報』の第一購読者は私という事で」

「……! うんっいっぱい持ってくるわ!」

「一部で充分です」

 

 てゐとドレミーが出払っている今、情報源は燐からの定期報告のみとなっており心許なさを感じていたところだ。ちょうどいい。上手くはたてを誘導して自分好みの新聞を作ってもらおう。

 世論操作とかそんな高度な役割は求めておらず、楽しい読み物が増えればいいな程度の魂胆である。上昇志向の強いはたてなら助言をよく聞き入れメキメキと腕を上げてくれることだろう。

 

 これが一つ。

 

「もう一つですが、なるべく多い回数紫さんを念写して欲しいのです。特に有事の時ほど。そして少しでも違和感があったら私に即連絡、と」

「紫の写真かぁ。うーん……なるべくでいいなら大丈夫よ。ただやっぱりリスクを伴うからあまり高頻度ではできないわ。これまで散発的に念写してきたけど、何回か気付かれかけた事もあるし」

「問題ありません」

 

 紫の瞳には"存在しないモノ"を見通す力がある。

 本人が間抜けで脳天気なので大抵は気の所為で済ませてしまっているが、アレは紫の癖して中々に厄介な性質。確認できるだけでも鈴仙、こいし、はたて、ドレミーの能力を看破している。

 境界を操る()()()()()なだけあって強力だ。

 といっても気付かれたところで紫に出来る事は何もない。唯一懸念があるとすれば、盗撮を八雲藍に告げ口されカチコミされる事ぐらいか。

 

(監視の眼は幾つあっても困らない。役柄の関係上、紫さんと顔を合わせる機会も多いだろうし、利用しない手はないわね)

 

「まあどーんと任せておいて! 頼られたからには役に立ってみせるわ! あっ、もし希望なら夕刊持って来る時に紫の写真を一枚付けよっか?」

「よろしくお願いします。……ちなみに保管用とか観賞用とか、そういう用途で使うモノではないと予め言っておきます」

「あ、違うの」

「貴女もそこそこ失礼ですよね」

 

 そもそも今までの来客の中で失礼しなかったのはフランドールだけという悲しい事実。文字通り『お郷が知れる』というやつである。

 

 と、はたてはある事を思い出し慌てて携帯を開く。一度だけお忍びで天狗の里から抜け出した際、偶々出会ったにとりから貰った数十年モノの宝物。

 慣れた手つきで開いたのは写真フォルダーだった。

 

「紫の写真で思い出したんだけど、こいしってもしかしてこの子じゃない? 紅霧異変が終わってすぐくらいかな。紫を念写した時に見た事ない子が写り込んでたから」

「……見せてもらえますか」

「いいよいいよ。ほら」

 

 携帯を受け取り画面を覗き込む。

 はたての言う通り、その写真は紅霧異変が終結し紫がフランドールを地霊殿に連れて来た時のものだった。

 廊下で不機嫌そうに睨み合う顰めっ面のさとりと澄まし顔の紫。対照的にその奥の部屋で仲良さげに笑い合うフランと──。

 

「……こいし」

 

 妹の笑顔を見たのは何百年ぶりになるだろうか。死地に送り出してしまったあの日と変わらない笑顔。

 想起の中でもこいしは笑ってくれなかった。さとりがどうしても想像できなかったからだ。物憂げな表情しか浮かばなかった。

 

 楽しくやれているのか。

 姉として、これ以上に嬉しいことはない。

 

 

 

「それじゃあそろそろ失礼しようかな。みんなが帰りを待ってくれてるし、早く明日の分の記事作りに取り掛からなくちゃ」

「はたてさん、ありがとうございました。またいらしてください」

「いやいや、むしろ色々と教えてくれて助かったのはこっちの方よ。今日学んだこと全部、これからに絶対活かしてみせるわ」

 

 ふと時計を見る。かなり長く話し込んでいたようで、地上では日が暮れかかっている頃だろうか。

 

「そうだ。もう夕方だし、最後に紫を念写しておくよ。確認お願いね……っと、念写完了」

 

 手慣れた様子で何もないように盗撮しているのは流石である。年季と面構えが違う。

 さて紫は今なにをしているのか……。二人一緒に携帯の画面を覗き込んだ。

 

 

【藍と天子が互いの胸を鷲掴みにして激しく言い合いながら大喧嘩中。そんな二人の間で死んだ目を浮かべながら此方を見る紫の図】

 

 

「ねっ、面白いでしょ」

(何やってんだコイツら……)




はたて「仲良しっていいよね!」
さとり「そっすね」

揺れる胸(ダブルミーニング)次回に続きます。今回は比較的重い話だったかと思うので、マイルドゆかりん成分マシマシです

幻マジ初期レギュラーのさとり様ですが、こんな事情でゆかりんに与しているとかなんとか。罵倒がデフォなのにも理由があったりなかったり。ついでに情緒滅茶苦茶な奴ばっか相手しているので、少しでも常識のある方には結構甘々な対応だったりする。

ちなみにこれまでの話でこいしを肉眼で視認できているのはゆかりんを除くとフランちゃんとドレミーさんだけ。なおフランちゃんは最近こいしの事が見えなくなってきてるらしいですよ。うどんちゃんとかオッキーナならもしかすると見えるかもしれません

今のところ死亡原作キャラは魅魔、こいし、諏訪子、飯綱丸さん?ということになります。まあ天魔は原作のそれと同じ人物なのかというと正直違うと思うのでなんとも言えませんが。なんにせよ……嫌な事件だったね……


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揺れる胸中(後)

 大賢者八雲紫は今日も元気です(ヤケクソ)

 

 もう夏に入ろうかというこのジメジメした季節。何もしなくても不快感が募るあまり好ましくない季節であるが、私の額から流れ落ちる汗の主たる原因はそれではない。我が愛しき八雲邸に蔓延するなんとも言えない居心地の悪さのせいだ。

 発生源は机に突っ伏す天子さんと、それを背後から監視する藍。互いに向けられる不満と敵意が尋常じゃないですわ。ちなみに私はそんなギスギス空間に取り残された憐れな家主、もとい仲介人である。

 

 

 賢者会議後、不貞腐れたまま天界に帰ろうとした天子さんだったが、なんと門前払いをくらったらしい。

 総領事曰く「映えある特使に任命してやったんだから責務を全うするまで帰ってくるな。緋想の剣はくれてやるわ」とのこと。そして追い出された挙句、コンタクトの一切を遮断された。

 唯一の連絡手段は定期的に降りてくる遣いの永江衣玖さん(ちゃっかり生きてた)のみに限定され、路頭に迷ってしまったのだ。

 

 これもしかしてだけど、厄介払いというやつでは? 緋想の剣とかいうのは手切金。

 

 そんな経緯があって天子さんの幻想郷での地盤作りが達成されるまでウチに住んでもらう事になったのだ。諸々の発端は私のせいだしね、正直天子さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだったからそのくらいはしてあげなきゃって思ったの。

 結果、藍がブチギレました。

 

 穀潰しの危険人物なんぞ我が家に置けるかと猛反対。しかし天子さんの非暴力宣言と私の懇願もあってか、なんとか宥める事に成功した。

 ただ一室を貸し与えるにも穀潰しの居候ではダメだという事で、家事をやらせてみたのよね。結果、皿は木っ端微塵、フローリングは剥がれ落ち、湯船は砕けた。そう天子さんは超絶力の強い箱入り娘さんなのだ! 

 

 そして今に至る。

 無理やり働かされて不満ありありな天子さんと、我が家を破壊されご立腹な藍。そしてそのギスギスに巻き込まれた八雲紫の図である。

 どうしてこうなった。

 

「紫様、よろしいですか」

「はい」

 

 藍の言葉に従って別室へ移る。

 

「本当にあの馬鹿を此処に置いておくのですか?」

「そうね……貴女の言わんとしたい事は勿論分かります。しかし私の意向で彼女を振り回してしまった以上、お帰りいただくのは少々忍びないわ」

「紫様の寛大な御心には感心するばかりです。ですがそれで紫様にご不便をかけるのなら私としては到底看過できません。この調子では二日と家が持ちませんよ」

「うーん、でもねぇ。マヨヒガに案内するのは」

「無いです。橙に馬鹿の相手は手に余ります」

「でしょう?」

 

 天子さんって凄く優秀なんだけど、一般常識的な範囲ではかなりポンコツっぽいのよね。しかもコミュ力が天元突破してる癖して藍のような理詰めタイプとは恐ろしいほど相性が悪い……! 

 確かに藍の言う通り、このままでは我が家の財産が破壊され尽くされかねない。しかし天子さんは逸材なのだ! 逃すには惜しい! 

 

「取り敢えず彼女には私から話を通しておくわ。その間申し訳ないけど妖怪の山方面の結界の管理を代わりにお願いしてもいいかしら? これからは天狗と連携していくわけだし、顔合わせも兼ねてね」

「かしこまりました。ついでに買い物も済ませて参ります。……奴が乱心した際はすぐに駆け付けますのでご安心を」

 

 はぁい、と適当に返事する。あの人格者である天子さんに限ってそんな事は決して無いだろうが、心配性の藍を安心させるためよ。

 藍の出発を見送るとすぐに天子さんの下へ。相も変わらず机に突っ伏しているその隣に腰掛ける。

 

「藍がごめんなさいね。でもあの子も悪気があって強く当たってる訳じゃないの」

「まあ躾がなってないのは頂けないけど、別に紫に謝ってもらわなきゃいけないもんでもないわ。ていうか今はそんな事よりも!」

 

 天子さんが力強くちゃぶ台を叩く。木っ端微塵になったのは言うまでもないだろう。

 

「とっても暇なんだけど! 幻想郷に来たら大忙しの日々になると思ってたのにまだ家事しかやってない! 一体いつになったら賢者になれそうなんだ?」

「時流を見て、としか言いようがないですわ。当然私からは引き続き貴女を推薦し続けますので、来るべき時までどうかゆったり過ごしてくださいな」

「いいや駄目だ! もう十分ゆっくりした!」

「あと数日もすれば自由に幻想郷を歩き回れるようになる筈ですわ。はたてを始めとして様々な者が取り計らってくれています」

「なら待つ」

 

 まあ主にやってるのは霊夢の説得なんですけどね! 

 霊夢と天子さんって一度も会った事ない筈なのにヤケに当たりが強いのよね。なんか自分の家族や部下と盟友がバチバチなの凄く辛いわね。足利尊氏さんの気持ちがよく分かる今日この頃である。

 

 けど天子さんも暇で暇で仕方ないでしょう。軟禁状態で鬱憤が溜まっているせいで家事が荒っぽいのだろう。できるだけ穏便な形で彼女の意向に沿えるといいんだけども。

 ……ヨシ! ここは伝家の宝刀の出番ね! 

 

「ところで何か欲しい物があれば申し付けてくださいな。何でも、というわけにはいきませんが私の能力が許す限りであればご用意いたしますわ」

 

 八雲流懐柔術奥義、物釣りッ! 

 数多の幻想少女達を懐柔してきた一撃必殺の奥義である。一部からの受けはあまり良くないけど抜群の安定性を誇るわ! 金銀石油なんでもござれよ。

 

 私の言葉に天子さんは少し考えると、あっけらかんに言い放った。

 

「胸」

 

 

「へ?」

「胸よ胸。大きくして」

 

 

 予想だにしなかった要求に思わず変な声が出た。天子さんの指差す先を見て、澄ました顔を見て、もう一度その部位を見る。

『胸』って鳥の胸肉とかそういう話じゃないわよね? 女性が言う胸って、つまりそういうこと? おっぱい……ってコト!? 

 

 改めて天子さんの身体を観察してみると、確かにグラマーという訳ではない。そう、スレンダーというやつである。霊夢……いや魔理沙と同じくらいかしら。

 なるほどそうきたかぁ。うーん。

 何時ぞやのルーミアみたいに概念的な物を要求してくるよりかはいくらかマシ……なのかしら? 現物といえば現物ですし。

 

「これはまた、何というか意外な」

「幻想郷やら賢者やらはもう内定済みでしょ? 他に欲しい物なんて特に無いし、それならここを大きくしてもらおうと思って」

 

 えっと、豊胸手術代と名医を用意すればいいのかしら? よしなるほど完全に理解したわ。

 なら取り敢えずモロッコにスキマを繋いで……いやメスも注射針も通らないわよね。八意永琳にやらせればいけるかもだけど信用できないし。

 

 頭を捻りながらそんな事を考えると、見かねたのか天子さんが肩をポンっと叩く。

 

「紫ってさ、隙間妖怪なんでしょ?」

「ええその通りですわ」

「境界を司る妖怪って聞いてるぞ」

 

 誰から聞いたんだろ。藍からかな? 

 と思ったら天子さんが座布団の下から取り出したのはみんな大好き幻想郷縁起。ペラペラと流暢な指使いでページを捲り、ヤ行項目のトップを指し示す。

 

「生と死の境界、夢と現の境界、人と妖の境界……なんか色々なモノを操れるって書いてあった。つまりほら、そういうのもいけるって事じゃないのか?」

 

 えッ、豊と貧の境界なんてあるんですか!? (スキマ妖怪並みの感想)

 そもそも幻想郷縁起って一応私が監修してるけど、それでも阿求の主観による大袈裟な表現多いから、ちょっと……ねえ? 

 

 取り敢えず『その願いは叶えられない。私の力を大きく超えている』とお決まりテンプレートで返そうと思ったのだが、天子さんからの期待に満ちた眼差しで喉に詰まってしまう。

 わ、分からない……! 

 

「ほたてや小鬼もお前のこと沢山褒めてたからな。幻想郷一の実力者なんだ、この程度朝飯前なんでしょう?」

「さ、さあ? どうかしらね」

「勿体ぶらなくていいわ! さあやって!」

 

 身体を大の字に広げて「ばっちこい!」と目を瞑った天子さん。その私への謎の信頼感はなんなのかしらね。僅かに生まれた作戦タイムで何とかして対案を模索するが、何も思い付かない。

 こうなったら一か八か詰め物(PAD)代わりになりそうな物を進呈するしかない! でも絶対満足しないわよね! 怒りを買う可能性大! 

 

 くぅ……そもそも胸の大きさで悩む気持ち自体が分からないのよ! おっぱいって放っておいても大きくなるもんじゃないの? 天子さんだって身体の年齢的にまだまだ成長の余地があるはずなのに。

 

 私のを分けてあげたいくらいね! くそぅ! 

 

 

 瞬間、大賢者八雲紫に電流走る。

 そうよ。()()()()()()()()()じゃない! 

 

 服の下にスキマを開いてブツを収納。そしてスキマの出口を天子さんの服の下に繋いであげれば! あら不思議、起伏が皆無だった平原に素晴らしい双丘が誕生した! 

 服のサイズが合ってないせいでかなり苦しいが、まあ仕方ないわよね。

 

「ん、んんっ? ……おぉ!」

「取り急ぎ用意した形になりますが、如何かしら?」

 

 天子さん、まさかの大はしゃぎ。飛び跳ねたり揉みしだいたりして感触を楽しんでいる。大変喜んでいただけたようで何よりですわ。

 変な声が出そうになるのを抑えて私もにっこり笑顔を浮かべる。

 

「うん悪くないわね。それにしてもこれは、凄いな。自分の足が見えないし、服だってはち切れそう。……感覚がないから作り物? 胸の豊かな女は肩が凝るというけど特に負担もないしね。けど普通に人間の肌のような感触だし、本物なのか?」

「あまり乱暴に扱わないでくださいね。一応デリケートな部分になりますので」

「あっ、これ紫のか!?」

 

 私の胸があった場所を見てカラクリに気付いたようだ。流石は天子さん、頭の回転が早いわね……! 

 すると喜びが一転、不服そうに言い寄ってきた。

 

「あのねえ。人の胸をお裾分けしてもらってこの私が喜ぶと思うのか?」

「ごめんなさいね。しかし私にできるのはこれが限界ですわ。やめに致しますか?」

「……もう少しこのままでいいわ」

 

 眉間に皺を寄せつつも、口の端がニヨニヨしてる。そんなに嬉しかったのかしら。

 という訳で私は天子さんの機嫌を取り戻すことに成功したのだ! やったわね! 

 

 

 

 

 しかし()()()()の機嫌は頗る荒れた。

 

「何をされているのですか紫様ッ!」

 

「……」

「まあまあそんな気にするなよ」

「黙れ貴様挽き殺すぞ」

 

 藍にガチギレされて正座しながら涙目になる私、相も変わらずニヨニヨしながら宥める天子さん、とんでもない形相で殺気を飛ばす藍。

 地獄。地獄よこれは。

 

「紫様、御身を大切にされてください。多少無茶には目を瞑りますが、それは駄目です許されません。今すぐ元に戻しましょう」

「いやこれはまだ貸してもらうぞ」

「貴様……!」

「別にいいじゃない。日頃からぶら下げてるんじゃ有り難みも分からんだろうし。なんならお前のを紫に貸してやればいいだろう」

 

 若干の間が生じた。凄く居心地悪いですわ。

 

「……いやそれなら私のを使えばいいだろうが」

「却下ね。獣の胸に頼るほど私は下賎な存在ではない」

「本来なら私だって願い下げだ。貴様のくだらん願いになど付き合っていられるか」

「くだらないだと!? ぐぬぬ、その物言い許せないわ!」

「それはこっちの台詞だっ! いいから返せ!」

「ふん、力尽くで奪ってみろ!」

 

 売り言葉に買い言葉の激しい応酬の果てに、ついに戦端が開かれた。それはあまりに惨憺たる争いだったと後に八雲紫は語ることでしょう(未来予知)

 互いの胸を鷲掴みにして激しく罵り合い、一歩踏み込めば即座に殺し合いが始まりかねない一触即発な状況。

 

 あまりの恐怖と藍に鷲掴みにされた胸の安否に気が気じゃないわ! 取り敢えず死んだ目で二人の間に割って入り仲裁を試みるのだった。

 

 結果として天子さんは私へ胸を返還し、更に不貞腐れてしまった。一方藍は藍であまりの怒りにはしたない真似をしてしまったと猛省し、自室に閉じこもっている。はしたない真似ってもしかして私の胸を掴んだ事かしら。

 なんにせよ火種は燻ったままである。

 

 ちなみに二人を止めた拍子に両指の骨が粉々に砕けたのはここだけの秘密よ。バレたらまた話が拗れかねない状況だったしね。

 私は一人、怪我の処置をしつつ溢れ出る涙を抑えるのだった。

 

 余談だが、後日地霊殿から見舞いの品が届いた。

 

 

 

 *◆*

 

 

「──なんて事があったのよ」

「そうか」

 

 そう短く呟くと、神奈子は天を仰いだ。

 

 日と場所が変わって此処は守矢神社──の跡地に建てられた仮設住居。今回の騒動の顛末と、私の指がぐにゃぐにゃになった経緯を説明したところだ。

 守矢神社も今回で3回目の倒壊という事で、神奈子も早苗も変に慣れちゃっているようで、逞しく次の建立予定を話し合っているみたい。強い。

 まあ今は天狗と河童の争いがないし、両種族からの支援を受けられるだろうからかなり早く再建できるでしょうね。崩落した土壌についても後日天子さんが復元予定だし、最近の幻想郷において唯一と言っていいほどの『良い事』である。

 

 余談だが、天狗と河童の講和が成った際、内容が有利だったのもあって河童達には概ね好意的に受け入れられたのだが、過激派(科学班)は不満に思ってるみたいなのよね。どうせ秘蔵の兵器を試せなかったのが癪なんでしょ。

 天狗が落ち着いた今、次なる脅威は河童である。イタチごっこな気もするけど締め付けは必要かもしれないのよね。そういった面で守矢神社には楔としての役割を期待しているわ。八雲(藍)の目が行き届いている事を示せれば迂闊な事は控えてくれないものかと、切に願っている。

 まあそんくらいで自重するなら幻想郷がこんなに荒れるはずないか! 

 

「それで、用はそれだけじゃないんだろう? むしろ次が本命のように思えるが」

「ふふ……流石は神奈子、お見通しのようですわね。というのも本日こういった催しがあるようでして、貴女達に参加を要請したいのです」

「ほうどれどれ」

 

 スキマから紙束を取り出し手渡す。蝙蝠(バッ○マン)のシールで留められた西洋風のお洒落封筒である。神奈子と早苗の合わせて2通。

 これは賢者勧誘でレミリアの下を訪れた時渡された例の招待状である。ほらアイツ曰く「月への旅行日程を大々的に宣伝するパーティー」ってやつ。謎の昏睡期間のせいでバタバタ準備を進めている次第である。

 内容は兎も角として多分美味しいご飯とかいっぱい食べられるでしょうし、新参の二人が幻想郷の面々と仲良くなるチャンスだからね! 

 

「なるほど吸血鬼のパーティーか。さてどうしようかね」

「あ、私は行きますよお師匠様!」

 

 台所の方でこっそり話を聞いていたのだろう、早苗の元気な声がする。まあ早苗は多分来るだろうと思ってたわ。

 神奈子も神奈子で行きたい気持ちは山々なのだろうが、乱暴者のレミリアが主催のパーティーだから警戒してるんでしょうね! 分かるわその気持ち! 

 

「一応私や霊夢も参加しますので下手な真似はさせません。早苗や貴女の安全は保証いたしますわ」

 

 霊夢と藍の目が黒いうちは例えレミリアといえど好き勝手はできないだろう。私? 私は……ほら、スケープゴートだから(白目)

 

「それは助かるな。では行かせてもらおう」

「とっても楽しみです! オシャレして行きますね!」

「多分人妖問わず色々な連中が来ますのでそこまで気負わなくても大丈夫よ。あと送迎は私がしますので一緒に紅魔館まで行きましょうね」

 

「紫さん、私達も行くわ!」

「幻想郷に豊穣の神在りと示すには良い機会よ!」

 

 秋姉妹(居候)が現れた! 

 なんでもいざ野良神に戻ると妖怪の山の殆どが他の妖怪達の領域になってて野宿もままならない状態だったらしい。よって引き続き守矢神社に転がり込んだんだとか。幸薄姉妹のハードラックは幻想郷でも健在なのね……。

 

 そして私は言いにくそうに言うのだ。

 

「……貴女達の招待状は貰ってないわね」

「「……」」

「まあ人数が少し増えようがレミリアは気にしないでしょうし、何食わぬ顔で料理を食べてる分には問題ないと思うわ。気になるようだったら私から予め参加させて貰えるように話を通しておくけど」

「いやそれ居た堪れないやつだから」

 

 秋姉妹の残留が決定した! 

 

 

 

「それじゃ穣子さん、静葉さん。お留守番お願いしますね! ちゃんと美味しい物持って帰って来ますので待っててください」

「はーいお気をつけてー」

「いっぱい楽しんで来てねー」

 

 なんだかんだで快く送り出してくれる秋姉妹は気持ちの良い神様よね。ただちゃんとタッパーを早苗に持参させたのはちゃっかりしてると思う。

 普通、貴族のパーティーでそんな事したらキレられそうだけどレミリアだから問題ないわね! よし私も詰めるわ! 

 

 早苗は最初良い感じの正装をチョイスしたらしいのだが、ちょっと幻想郷では浮きすぎてたので巫女服をお勧めしておいた。コスプレ集団の中にカジュアルな格好で混ざってたら疎外感半端ないしね。

 代わりに神奈子の普段着? は幻想郷の水準でも別ベクトルで浮いてしまうので良い感じにキャストオフしてもらったわ。

 

 

 正門は顔見知り連中でごった返しており、下手すると喧嘩を売られかねないと判断して裏口に回る事にした。ロングシエスタをキメている門番さんに一言かけていざ紅魔館へ! 悪魔城への初訪問に滾っている早苗を引っ張りつつ先導する。

 レミリアったらかなり気合を入れているようで、廊下の至る所に欧州の調度品やベタな飾り付けが施されている。時々ドングリやらきのみやらが置かれてるのは妖精メイドの仕業だろう。

 

「ここの館主さんは独特なセンスをお持ちみたいですね。貴族の感性は分からないです。外観はザ・ヨーロッパって感じなのに」

「まあレミリアは欧州の各地を統治してたらしいですし、多分文化センスが闇鍋状態になっているんでしょうね」

「確かに、あまり趣味が良いとは言えないね」

 

 外の世界での魔境といえばやはり日本がぶっちぎりなんだけど、欧州は欧州でかなり酷いことになってたらしいわね。主に何処ぞのガキンチョ吸血鬼のせいで。中華と合わせて三大魔境と呼ばれていた時代が懐かしいわね。二度とそんな時代が来ないよう祈るばかりである。

 まあ欧州に関してはレミリアが幻想郷に移ったおかげで今は平和そのものだろう。少しは感謝してほしいものですわね! 

 

 

 大広間ではビュッフェスタイルでの会食が既に始まっていた。やたら目立つお立ち台のような所でレミリアがマイク片手に演説を行なっているようだが、誰一人として聞いておらず、思い思いに好きな物をかき込んでいる。マナーもへったくれもないわね……! 

 

 さて私達はどうするべきかと所在なさげに佇んでいると、早苗は知り合いを見かけたとの事で駆けて行ってしまった。小傘の素っ頓狂な声が何処からか聞こえてきたが無視しましょう。

 

「取り敢えず私は霊夢達と合流しますが、貴女(神奈子)はどうされますか?」

「こんな様子だが一応立食パーティーだからな。まず早苗と一緒に主催者へ挨拶に行ってくるよ。紫は紫で楽しんでおくれ」

「分かったわ。また後でね」

 

 流石は神奈子、ビュッフェスタイルのマナーを熟知しているようだ。そう彼女の言う通り『会場に入ったらまず主催者に挨拶』は鉄則である。私も本当なら一番にレミリアの下へ挨拶に行くんだけど、今のアイツに関わるのはウザ絡みされそうだからね。取り敢えず熱りが冷めるまで時間を潰そうと言うわけだ。

 

 守矢一家と別れ霊夢や藍を探すが、どうにも見当たらない。まだ到着していないようね。

 確か霊夢は霖之助さんを引きずって来るって言ってたっけ。藍には天子さんと橙を連れてくるよう頼んでるし、それで遅れてるんだろう。

 そういえば幽々子の姿も見えないわね。美食に目がないあの子にしては珍しい。

 うーんあと気楽に絡める人妖といえば萃香なんだけど、正直こういう食事の場ではあまり近づきたくない。ほら今もドリンクコーナーで大暴れしてるし。

 

 えーっと、他に近くに居て関わりがあるのはチルノ、レティ・ホワイトロック、赤蛮奇、風見幽香、八意永琳、リグル、ミスティア、プリズムリバー三姉妹、今泉影狼、河城にとり、ルーミア、上白沢慧音、四季映姫、文くらいか。

 あの、やっぱり帰ってもいいかしら? 

 健全な会話を交わせる奴が一人もいないし、そもそも命の危険が伴う。特に危険なのが三悪(幽香永琳映姫)ね。アイツらに絡まれたら命は無いと思った方がいいだろう。チルノやルーミアが相対的にマシだと思えるのは本当にまずいと思うわ。

 ていうかレミリア見境無さすぎじゃない? 

 

 三悪の視界に入らないよう移動を開始。物陰に隠れるようしゃがんで料理を摘むことにした。

 まさかこの私ともあろう者がビュッフェでこんな惨めな思いをするなんてね……! パリピの招待に乗ってはいけない! とても重要な事を学んだわ。

 

 連中の様子を窺いつつスキマで料理を失敬した。うん、とっても美味しいけど地べたに座っての食事だから落ち着かない……! 

 いや今は余計な事を考えず料理に舌鼓を打つ事に集中しましょう。恥も意識しなければどうって事ないわ! これ名言ね。

 

 

「あらあら随分変わった楽しみ方をしているのね。楽でよさそうだけど」

「幽々子!」

 

 救世主! 救世主様が降臨なされたわ! 歓喜のあまりフォークを床に落としてしまいメイドに睨まれたがそんな事どうだっていい! これで孤独で惨めなビュッフェともおさらばよ! 

 慌てて立ち上がり、にっこり笑顔で握手! 周りに私の存在が露見したが幽々子と一緒なのでノー問題ね。妖夢やその後ろにいる玉兎には「何やってんだコイツ」って感じの目で見られてたけど無視するわ。

 

「遅かったわね。貴女ならいの一番に楽しんでるものかと思ってたけど?」

「それがね、鈴仙が行きたくないって駄々をこねてたのよー。紫に会いたくないんですって」

「ちょ、当人の前で言わなくても良くないですか!?」

 

 鈴仙……ああ捕虜の兎がそんな名前だったっけ。もっと長かったような気がしないでもない。

 まあ私も別に好き好んで玉兎なんかと会いたくないしね。相性が悪いなら関わらないに越した事はないのだ。うんうん。

 ていうか捕虜をパーティー会場に連れてくる幽々子には参ってしまうわね! 一応八意永琳との接触は禁止してあるんだけども。

 まあ来てしまったものは仕方ない。幽々子はあんまり当てにならないだろうから、妖夢にそれとなく「捕虜の取り扱いには気をつけてね?」と言うに留めた。

 

「そういえば、今日のメインイベントには間に合ってるかしら?」

「メイン? ああ月への侵攻がどうとかって話ね。今のところはまだレミリアの自慢トークみたいだからまだ始まってないと思うわ」

「はぁ!? 侵攻って、何それ!?」

「えっと……私も初耳です」

 

 ぶったまげる玉兎に困惑気味の妖夢。どうやら白玉楼の情報伝達は壊滅しているようだ。幽々子が意図的に情報を遮断していたのかもしれないけどね。どんな思惑があるのかは知らない。

 

 ていうか月への侵攻決起会みたいなパーティーに元月の民を無理やり参加させるのかなり非人道的なのでは? 私は訝しんだ。レミリアは見せしめ程度にしか考えて無さそうだけど。

 

「で、紫としてはどうなの? 第二次月面戦争には賛成なのかしら」

「当然大反対。あそこと関わっても百害あって一利無しなんだもの。そもそも勝ったところで特段得るものがあるようには思えないわ」

「前回の首謀者とは思えない言葉ね」

 

 私の切実な思いもクスクスと笑われるだけだった。あと私は首謀者じゃないからね。なんか知らないうちに巻き込まれただけの哀れな一般妖怪である。

 今思えばあのあたりから私の苦難の日々が幕を開けたのよ。それ以前のことが全く思い出せなくなるくらい壮絶な毎日が! 

 そう、確か幽々子と()()()出会ったのは月面戦争のすぐ後だったわね。

 

「ふん、卑しき地上の妖怪が月に勝とうなんてどだい無理な話よ。せいぜい身の程を知るといいわ。そもそも辿り着けるのかすら分からないけど!」

「そんなに月の人達は強いんですか?」

「当たり前よ。師匠(永琳)並みの方が少なくとも三人居るし、妖夢くらい強い人なんてごまんと居るわ。まっ、私クラスはそうそう居ないけどね?」

「へえー凄いんですねぇ」

 

 長い髪をかき上げてそんな事を宣う玉兎さん。月ageと自己アピールを兼ねる様はまさにプロね。またそれを真摯に受け止めているのか、それとも流しているのかよく分からない返答でお茶を濁す妖夢も流石だ。

 ただ玉兎の言葉はあまり誇張されたものでもないっぽいのよね。忌々しきかの綿月姉妹は多分永琳と同程度の実力があるんでしょう。レミリア率いる紅魔勢もかなり強いけど、流石に月と殺し合うには些か難しいのではなかろうか。まあ私が助力したところで何も変わらないし、是非とも諦めてもらいたい。

 

 

 と、周りを見ると随分参加者も増えたようで、会場の喧騒はより大きくなっている。

 よく見ると藍達も来てたんだけど、毎度の如く天子さんと喧嘩になっているようだったし、騒ぎを聞き付けて十六夜咲夜まで参戦し始めたので見て見ぬふりをした。橙なら……橙ならなんとかしてくれるはず……! 

 

 また一際目を引いたのが車椅子で登場した魔理沙と、それを押す霊夢である。その痛々しい姿に一瞬場がざわめいて、視線が一斉に幽香に向けられた。なお当の本人は知らんぷり。原因は明白のようですね! 

 いや、はい……私にも責任があるわね。曲がりなりにも魔理沙をけしかけてしまったのは私の失策だ。ちょっと間を置いて謝りにいきましょう。

 なるほどね、霊夢が苛々してた理由がやっと分かったわ。

 

 なお霖之助さんの姿は何処にも見当たらないので説得に失敗したようだ。まあどうせ来ても浮くだけだし、それが良いと思うけどね(辛辣)

 

 

 魔理沙に話題を取られてしまった事を危惧したのか、レミリアが大きく咳払いして注目を集めようとしている。流石に無視され過ぎてて可哀想になってきたので周りにそれとなく「静かにね?」と呼びかけてあげたわ。

 あくまで今夜の主役はレミリアですし。

 

やっと静かになりやがったわね……。さて、場も十分温まってきた頃合いだろうし、そろそろメインイベントの時間とさせてもらうわ」

 

 盛り上げ役の妖精メイドがわーきゃーぎゃーてーと騒ぎまくっている。ただただ五月蝿いだけだと思うのは私だけではあるまい。

 レミリアは両翼をはためかせ、仰々しい口上を述べた。

 

「闇に浮かぶ煌々とした黄金の箱舟。光も闇もなく、宵闇を制す為に欲する神秘的で穢れなき大地。地上の皆はそれを『理想郷』だと呼ぶ」

 

「人間も妖怪も、地上の有象無象はアレを無意識に追い求めている。だから皆は宙を見上げて、月を愛で、酒で月を呑んだ気でいる」

 

「私はそれが気に食わないのだ。彼処から私を見下ろし嘲笑っている連中が居るのだと考えると、腹が煮え繰りかえる思いだ。月とは誰が為にあるのか」

 

「そう、私の為だ! 夜の帝王たるこの私の手中に収めてこその存在よ!」

 

 ──ふざけんなー! 

 ──引っ込めコウモリー! 

 

 一瞬の静寂のち、各方々から盛大なブーイングがぶち撒けられた。月は妖怪にとって大切なものだから、それを当然のように我が物として扱ったレミリアに苛ついたのだ。

 不満6割呆れ3割虚無1割ってところね。ちなみに私は呆れ側。

 

「どれだけ徒に吠えようが物が手中に無い限り無駄なことよ。月を不法占拠する連中を最初に追い出した者こそ、月の王に相応しいと思わないかしら? だから今回、このビッグプロジェクトが始動するに至った!」

 

 合図とともにみんなの手元に数枚の紙が置かれていた。冷血メイドが例の能力で用意したのだろう。

 勿論、私の分だけ用意されてなかったので幽々子に見せてもらうことになった。陰湿なイジメの実態ですわね……! 

 

「侵攻計画は以下の通りよ。私が作った(パチュリー作)三段ロケットで月を目指す。当然彼方からの激しい抵抗が予想されるけど、そこは強行突破で切り拓く」

「その抵抗が一番の問題なのでは?」

「よくぞ聞いてくれたわ紫。経験者の貴女ならそう言ってくれると思っていたわ」

 

 うわっ、小声で呟いたのに拾われた! 

 そういえばデビルイヤーは地獄耳でしたわね。迂闊な失言には注意しなきゃ。

 

「紫の言う通りよ。詳しい組織図から戦力比までとある筋(八意永琳)から入手してるが、確かに月に巣食う連中の戦力は大きい。私一人でも十分事足りると判断しているが、それでは統治まで手が届かない。──そこで、今回のメインイベントにより名誉ある征討者(クルセイダーズ)を決定するッ!」

 

 ブーイングが一転してどよめきに変わる。

 

「分かりやすく言えば、私のロケットに同乗する権利ね。主に月の軍勢と戦う役目を募集するわ。血に飢えた奴ほど大歓迎よ」

 

 血に飢えた者は沸いた。

 故郷を想う者は顔を顰めた。

 平和を愛する私はお腹を押さえた。

 

「ただロケットには当然定員があるし、そんな大勢引き連れてもカッコ悪い。だから少数精鋭足り得る者を数名選ぶ。『幻想郷最強決定戦(ルナティックトーナメント) 紅魔杯』の開始を宣言するわ。優勝賞品はロケット搭乗権と月の都の一等地よ!」

『レミリア! レミリア! レミリア!』

「腕に覚えのある奴は名乗り出なさい。勝ち残れた者にのみ栄光を授ける」

 

 会場は挙手する者で溢れかえり、それをつぶさにメイドが記録していく。一方の少数派であろう何人かは憂うばかりである。

 修羅連中が湧き上がっているのは優勝賞品もそうだが、それのみが原因では無い。何気に幻想郷史において初めての『最強』を賭けた公式的な戦いとのことで、血潮が滾っているのだろう。傍迷惑な話よマジで。

 

 月侵攻なんて私の関わらない範囲であれば幾らでもやっていいけど、幻想郷を巻き込むな! それ幻想郷が滅ぶやつよ! 割とマジで! 

 

 そりゃ私だって本音を言うと誰が最強なのかは気になるわ! だけどね、その代償がデカすぎる! 此処に居る連中全員が殺し合いを始めたらどうなると思う? まあ間違いなく幻想郷は物理的に終わるわ。

 それを分かっているのだろう極少数は自然と身の振り方を考えるもので、はしゃいでる天子さんを突き飛ばし藍が駆けてくる。

 

「紫様、此度の一件どうされますか?」

「……あくまでレミリアの一存による決定だから私にどうこうできるものではないわ。しかし私達の立場からしても何らかの対処は必要かしらね」

 

 指を咥えて滅びを見ている訳にはいかないわ! 何としても回避しなくては! 

 しかし我々平和派と戦闘狂共がぶつかっても本末転倒である。それはそれで幻想郷が滅ぶ! ついでに私が死ぬ! 

 ここは藍を神輿にバトルジャンキー共を牽制しつつ、レミリアを説得するしかあるまい。全ては藍の双肩と私の口先にかかっている……! 

 

「藍。此度の平定、貴女にお願いしても良いかしら?」

「かしこまりました万事おまかせを。月侵攻計画と幻想郷最強の称号は【八雲】のものであると改めて示してまいります」

「……ん?」

「月征服は紫様の悲願である事は重々承知しております。主導は須く紫様の手によるものでなければなりませんからね。レミリアに抜け駆けなどさせませぬ」

「……しばし貴女に暇を出します」

「紫様!?」

 

 擬態型だッ! 危なかった、今までのように何の考えもなしに藍に任せていたら死んでしまうところだった。忘れてたけど藍ったら重度の戦闘狂(バトルジャンキー)だったわ! そもそも友好派じゃなかった件。

 

 取り敢えず錯乱する藍の対応を橙に任せて、私はレミリアの下へ単身小走りで詰め寄った。

 

「相変わらず貴女の行動力には感嘆するばかりですわ」

「何言ってるのまだ準備段階でしょ? 本番はこれからよ。幻想郷の盟主として、この戦争を勝利へと導く適切な人選を行わなきゃね」

「その事ですけども、少々宜しいかしら?」

「へぇ、いいわよ。咲夜ー! 準備お願いねー!」

 

 あら、どうやらメイドに準備を丸投げして私との話に集中してくれるようだ。なんか変なところで律儀なのが気持ち悪いのよねぇ。

 

「お忙しい中ごめんなさいね。先ほど貴女から考案された『幻想郷最強云々』についてだけど、一度再考してくれないかしら?」

「残念ながら開催は決定事項よ」

 

 ちょっとだけムッとなったレミリアを頑張って宥める。機嫌を損ねて殺されちゃ堪らないので、かなり言葉を選びながらね。

 頭ごなしにレミリアの計画を否定しても同意は得られないだろう。むしろ反感によって話が一気に拗れる可能性を孕んでいる。何より藍が当てにならないし! 

 故に、大会の方向性を殺し合いから違うものに変更させるのだ。それがいい。

 

「月への侵攻──結構。選抜メンバーの選考大会──大いに結構。しかし果たして力に秀でた者を募ったところで十全の勝利を得られるのかしら?」

「クックック……かつての敗残兵である貴様からの意見、耳を傾けるに値すると思ったが。強者は必要無いと、そう言いたいようね」

「強者は貴女で事足りていると先程も申していたでしょう。完全勝利とは力で全てを捩じ伏せるものではない。相手を心身共に屈服させてこそでしょう」

「まあ当然ね」

「……あと、あくまで私の予想なのだけど、貴女別に本気で月を狙っている訳じゃないのでしょう?」

「どうしてそう思うの?」

 

 緋色の相貌が私を睥睨する。心の臓を握り潰すような強者の圧力。今のところレミリアに私を殺す気がない事は分かっているのだが、どうしても身構えてしまいそうになる心を必死に抑えつけた。

 大丈夫、根拠はあるわ。

 

「本気だったら紅魔館以外の妖怪や、それこそ八意永琳に頼る筈ないもの。勿論、私に話を振る筈もない。さっさと自分達だけで月に行って、その結果をパーティーなりで宣伝するのが本来の貴女ではなくて?」

「ふふ、お前はそう思うか紫」

「たかが10年程の付き合い、されど10年ですわ。紅魔館の事はよく分かっているつもりよ」

 

 レミリア・スカーレットは『流れ』を愉しむ妖怪。自らが成長を放棄した不変の存在故だろうか、身の回りの変化を望んでいる節がある。

 要するに一つの物事に本腰入れて精一杯楽しむが、それはあくまで目的の為でなく、経緯と手段を面白おかしく観察する為だと言える。

 今回の月侵攻に関してもそうだ。多分月を制圧できてもレミリアの事だ、都に自分の像でも建てさせてさっさと退散するに決まっている。むしろレミリアのメインはその過程にあると見たわ。

 

 ただ長く幻想郷に居座っているように、この見立てに例外が存在するのは当然だが、少なくとも今回については従来通りの動機でしょう。

 

 つまり、私にできる事は──。

 

「そこで提案だけども、選考基準を『強さ』ではなく『美しさ』に変更してみては? 蛮族を引き連れるよりは気品があり、教養のある者で構成する方が後々貴女にとっても都合が宜しいかと思いますが」

「ほう? 思いの外考えさせられる意見ね」

「第二次月面戦争ともなれば幻想郷縁起に纏められるのは間違いないでしょう。情報戦──とまでは申しませんが、後の世に語られるレミリア・スカーレットのビジョンを飾り立てるにはちょうど良いのではないかしら?」

「そういう意味での『心身の屈服』か。なるほどね、随分と上手く誘導してくれるじゃない。……面白い、それでいくわ」

「受け入れて貰えて幸いですわ」

 

 っしゃあ交渉成功! あの暴君蝙蝠を見事宥めてやったわ! 何より藍を頼らず独力で偉業を成し遂げた事への達成感が凄い。私もまだまだ捨てたもんじゃないわね。

 それじゃ私はさっさと退散して食事に戻ろう。軽く会釈してその場を離れようとしたその瞬間、超スピードで接近したレミリアが私の肩に腕を回し耳元で囁く。

 

「お前がルール発案者なんだ、協力して貰うわよ」

「る、ルール?」

「あら分かりにくいかしら? 私は寛大だからね、何時ぞやの礼を返してやるって言ってるの。せいぜい上手く利用しなさい」

 

 柔和な笑顔を浮かべている筈なのに、顳顬に拳銃を突き付けられている気分だ。

 怯える私を解放したレミリアは、受付従事中のメイドが持っていたマイクを奪い取り、再び大衆へと演説を殴りつけた。

 

「催しに参加する全員にお知らせよ。戦闘形式についてだけど、少々趣向を変えてみるわ。それに伴い紅魔杯の名称も一部変更する」

 

 一瞬の静寂後、レミリアは手元にスペルカードを召喚する。そして凄絶に宣言するのだ。

 

 

 

「『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』──スペルカードルールを軸とした演技、決闘、殺し合いにて最強を決める! さあ貴様らの美とやらを見せてみなさい!」

 

 あ、結局殺し合いなの。




まさかのグリウサ先取り?です。
初期案としてゆかりんの反対もなく天下一武道会で最強を決定しようと考えてましたが、ゆかりんが必死こいて制定したスペルカードルールの存在が完全に有耶無耶になってしまうためおぜう様が一肌脱いでくれました。
レミリア的には殺し合いを眺めるのもいいけど、審査員気取りで下市民の貧相な芸術に点数をつける方が面白いんじゃね?と思っている様子。

今回やけに登場キャラが多いのは今回が儚月抄のレミリアパーティー回にあたるイベントだからですね。
なお住吉ロケットの名前は既に決まっている模様。もしもゆかりんに無理やり考案させてたら『河童 シャチ 宇喜多秀家(泳ぎの達人)』になってたらしいです。

あとゆかりんと天子のおっぱいスワップに関しては、幻マジ着想前時点からやる事が既に決定していた珍しいネタだったり。



実はさとりとお燐もパーティーに参加してますが、ゆかりんに絡まれるのを嫌って隠れてます。地べたに座ってビュッフェを堪能してるみたいです。
似た者同士か???


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人事を尽くして天命尽きる

「私だって一応天狗の端くれだし、ましてや今は仮にでも棟梁を名乗る身だもの。椛やみんなの気持ちは良く分かってるつもり。だけど実際のところ、難しい問題だよねぇ」

 

 日はとうに暮れてしまい、朧げな蝋燭の灯火が頼りなく室内を照らす。

 勤務時間は過ぎているため慌ただしく駆けずり回るいつもの天狗達の姿は無く、執務室は難しい顔でペンを回すはたてと、静かに鎮座する椛の2名のみが残されていた。

 

 大体のケースで意見の一致を見る二人だが、時にはこうして真っ二つになる事だってある。そしてそれは大抵面倒臭い案件によるものだ。

 こんな時、何処からともなく力押しの対案を引っ提げて話に割り込んで来る何処ぞの鴉天狗も今日に限っては所用により不在。自分達だけで結論へと辿り着かなくてはならないのだ。

 

 全てははたて宛てに送り付けられた紅魔館からの書状から始まった。中身は只の招待状。問題となっているのは内容ではなく、送り付けてきた相手によるものだ。

 

「椛を始めとして天狗みんなの恨み不満は賢者会議の時にしっかり聞かせてもらったからね。私は絶対無碍にはしないよ」

「……アレは気の迷いでした。どうぞお気になさらず、天狗に益となる最善の対応を心掛けるよう務めてください」

「椛のそういう所、凄いと思うし尊敬する。だけど我慢は良くないと思うな」

 

 困ったように苦笑を浮かべる。

 

 幻想郷において紅魔館と妖怪の山ほど拗れた関係は然う然うないだろう。もっとも、山側が一方的に気にしているだけなのだろうが。

 吸血鬼異変の際に尖兵小悪魔によって行われた大虐殺の禍根は根深い。特に事態の収拾にあたり死闘を繰り広げた椛ならば尚更な話である。

 一応、その後の報復として八雲紫が紅魔館にカチコミを仕掛けた際、河童を派遣する(という体裁)によって山の面目を保った形にはなっているものの、結局天狗が殴られっぱなしなのには変わりない。

 

 陣営が固まりつつあるこの情勢下で紅魔館を敵視しつづけるのは得策でない。なにしろ両者(とついでに河童)の間には『八雲紫』という共通の盟友が存在しているからだ。

 しかしそうなると天狗の中に不満を持つ者が現れる。彼等に考える脳が無いわけではない。誇りと憎悪が合理的な思考を邪魔してしまうのだ。

 天狗頭領の天魔として、配下の慰撫に務めるのは当然の事である。故にはたてを深く悩ませている。

 

 せめて模擬戦でも親善試合でもいいから、(はたて)がレミリアに一発ぶちかます事ができれば話は違ってくるのかもしれないけどなぁ、なんて事を薄ら思う。

 前天魔なら狂う前であれ、後であれ、そうした筈だ。だがそれははたての求める政治スタンスとかけ離れている。あと単純に自信が無い。

 見本としてる紫ならこの窮状をどう打開するだろうかと、さらに思案を深めていた、そんな時だった。

 

「あやや、二人とも残業おつかれさーん。相変わらずしっけたツラしてるわねぇ」

 

 天窓を蹴破り射命丸文が颯爽と参上、もとい惨状。

 酒の匂いを染み付かせ、千鳥飛行で椛の真横に墜落した。どうやら紅魔館のパーティーで相当良い思いをしてきたようで、頗る上機嫌な様子である。敵性勢力の歓待にうつつを抜かした挙句にこれだ。

 愛想はとうの昔に尽かしたと言わんばかりに椛は澄まし顔でガン無視を決め込み、代わりに頬を引き攣らせながらはたては笑い掛ける。

 

「随分と楽しい催しだったみたいね。多忙な私たちの分まで楽しんできてくれたみたいで何よりよ。で、こうやっていの一番に私の下に来てくれたって事は……何か急ぎの用があるんじゃないの?」

 

 若干恨み混じりの言葉を吐きつつ話を促した。酔っ払いの相手など素面で務まるはずがないだろう。

 

「そうそう、レミリアさんから面白そうな依頼が来てるわよ。はたてと、ついでに椛に」

「あーそりゃ急な用だ」

「はたて様は兎に角、私にも?」

 

 仮にも幻想郷の盟主を気取っている者が下っ端(中間管理職)の椛をわざわざ名指しで指定するのも可笑しな話だ。しかも部下と殺し合いを演じてその和解すら済んでいないというのに。

 面の皮が厚いとはまさにこの事だ。

 

「この度、レミリアさんの発案により紫さん全面バックアップの下、大規模な催しが開かれるのよ。その運営委員会に貴女達二人が推薦されたってわけ」

「はぁ……そうですか」

「へーなんだか面白そうね。何やるのか知らないけど私にできる事なら協力するわ」

 

 むしろこのタイミングで紫の仲介を通し紅魔館と関わりを構築できるのは渡りに船というやつだろう。

 いや、紫のことだ。自分達が抱いていた懸念の大部分を理解し、敢えて気を利かせて話を振ってくれたのだろう。やはり幻想郷のカリスマ的大賢者、とても頼りになる。はたてはまたもや感謝する事になるのだった。

 

 ノリ気なはたてに嫌々な椛。予想通りな両者のリアクションを見届けて、文は意気揚々と内容を説明し始めた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

・決闘(弾幕)の美しさに意味を持たせる。攻撃より人に見せることが重要。

・意味の無い攻撃はしてはいけない。

・体力が尽きるか、すべての技が相手に攻略されると負けになる。

・このルールで戦い、負けた場合は負けを認める。余力があっても戦うことはできない。*1

 

 以上が八雲紫の提言したスペルカードルールの基本条項である。なおその草案の作成は九尾の狐が行ったとか行ってないとか。

 真偽は兎も角として、紫主導の幻想郷運営において重きを成す一手であったのは間違いない。だからこそ紫は非常に焦っていたし、賛同を示した勢力も大したアクションを取る事ができなかった。

 永夜異変、風見幽香の乱などスペルカードルール制定後でもその枠組みに従わず戦闘が起きてしまったからだ。結局暴力には更なる暴力が有効的であるのが残念ながら証明されてしまった。

 

 しかしそこで立ち上がったのが、我らがレミリア・スカーレット。予定していた催しを突如として変更し、スペルカードルールによる勝敗を主とした弾幕勝負を決闘の基準としたのだ。

 これにより改めて各勢力や野良妖怪、妖精にスペルカードルールの周知を行うとともに、平和的な紛争解決方法としての普及が加速する事になる。

 

 

 

「とまあ、ここまで御膳立てしてあげたんですもの。これで貸し借りは無しでいいわよね?」

「ええそうですね。断る理由はございません」

 

 紅魔館のバルコニーにて向かい合う主人(レミリア)賢者(八雲紫)穀潰し(パチュリー)。かつて互いに全戦力をかけて殺し合った間柄の筈だが、そんな些細な事を気にしているような妖怪が幻想郷で生きていける訳もなく。紫は諸々の感情を紅茶ごと腹に流し込んだ。嗚呼お茶が怖い、お茶が怖い。

 

 率直な感想として、落ち着かない。今の紫の心情を読み上げるならその一言である。

 何せ紫色&紫色&紫色である。しかも紅茶まで紫色。何かの嫌がらせだろうかと警戒するのは仕方がないだろう。

 

「しかしよく集めてくれたわね紫。人手がなければウチの門番や妖精メイド共に審査員をやらせるところだったわ」

「少々不安ではあったけど、無事応じてくれて一安心ですわ。全員信用のおける者達よ」

「……まあそういう事にしておくわ」

 

 紅霧異変以来となるレミリア主体のビッグイベントがチープな物であって良い筈がない。故に方針の転換と共にその規模も大幅に拡大された。

 まず三段ロケットの搭乗員は3名とされた。勿論、レミリアやメイド、操行に必要な人員を除いた人数である。

 本来ならトーナメント形式なりバトルロワイアルなりで参加者に殺し合ってもらい上位3名を搭乗員に決定するのだが、そこに一工夫加えたのが『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』なのだ。

 

【決闘部門】【芸術部門】【総合部門】と、弾幕勝負において競う能力を各部門ごとに分けて、それぞれの最優秀者を搭乗員に決定することとした。

 

 例えば【決闘部門】

 美鈴や萃香のように自らの体術をスペルカードの適用内にまで昇華させた者たちは、ステゴロや刃物などを弾幕と織り交ぜた地上戦主体(能力一部制限)タイマントーナメント、といった具合に各参加者に自らの最も得意な部門を選ばせるのだ。

幻想郷最強決定戦(ルナティックトーナメント)の名残である。

 

 ちなみに【芸術部門】は弾幕の美しさを評点により競う為、レミリア曰く「意識高い系の根暗な連中」が集中したそうな。

 逆に【総合部門】はスペルカードルールによるコンテスト対戦形式である為「目立ちたがり屋な泥臭い連中」と、上手く棲み分けできているようだ。紫は詳しい事を知らないので右から左に聞き流していた。

 

 このように3部門での覇を競う訳だが、当然審判や採点者はそれだけの人数を要する。紅魔館の人員だけではとてもカバーしきれなかったのだ。

 よって紫の出番である。

 

 参加する面々の水準からして生半可な人選では不満が出るのは必至。後に変に揉めて結果への反発が起こる事を予見した紫は自重無しで各方面へ頭を下げる事になる。

 なお審美眼を持つ知り合いが少ないかつ選手として出場していたため見つからず、テンパった紫は暴挙に走らざるを得なかった。

 

 

【決闘部門】

 茨木華扇 犬走椛

 

【美術部門】

 八雲紫 摩多羅隠岐奈 稀神正邪 

 

【総合部門】

 レミリア・スカーレット 四季映姫 姫海棠はたて

 

 

 五賢者&ヤマザナドゥ招集という余りにも馬鹿げた選択に幻想郷は沸いた。ここまで面子が揃えば祭りにも箔がつくというものだ。なお椛は吐いた。

 レミリア当人も「コイツら数日前まで色々睨み合ってた癖にいいんだろうか?」とらしくもなく困惑したが、まあ面白けりゃ良いやの精神である。

 

 当然、紫に大した思惑は無い。それなりに教養のありそうな連中に丸投げしただけ。

 ちなみに椛を指名したのも「やたら目が良くて武芸に通じてる天狗居たよね? 呼んで?」と文に伝えただけの話。適当だ、適当なのだ。

 

 幸いにして此処に藍は居らず、周りを固めているのがレミリア一派の者達であるため平穏そのものだが、もし仮に幻想郷情勢に詳しい者がこの場に居たなら非難轟々は免れなかっただろう。

 

「パチェ、準備はいいかしら?」

「滞りなく」

 

 少しして空中に何枚かの水晶が生成される。そして少量の魔力が流し込まれると、外の世界で俗に言うテレビのように、映像が映し出された。

 吸血鬼異変の際にも使用していた魔道具であるが、これがあれば幻想郷中全ての箇所をリアルタイムで確認できるので、審査員長を務める多忙の身でも他二つを同時に楽しめる訳だ。

 また同じものが幻想郷の各地に設置されており、下市民の皆々まで鑑賞を楽しめる粋な計らいもなされている。

 

 ちなみに紅魔館の住人は美鈴とフランドールが選手として出場しており、咲夜、パチュリー、小悪魔の3名は裏方スタッフとして動いている。また虜囚の身の永琳は観客、居候の幽香はやはり選手であった。

 

「さてあと少しで開始できそうね。景気付けにもう一回スピーチでもしてこようかしら」

「レミリア。念のため断っておくけど、少しでも荒れそうな雰囲気になったらすぐに催しを中止して事態の沈静に努める事。いいわね?」

「相変わらずの心配性ねぇ、運命は我が手中にあるわ。予言しようか。お前が余計な事をしなければ荒れないわよ」

「ならいいんですけども」

 

 結果の分かっているコンテストなんて退屈そのものではなかろうかと疑問が湧くが口にはしない。どうせまた変な事を言って煙に巻かれるだけだ。

 もしかしたら意図的に能力を制限して結果が分からないようにしているのかもしれないが、何にせよ金持ちの道楽である。深くは突っ込むまい。

 

 深いため息を吐きながらスキマを開く。

 するとレミリアが片手でブラッドワインを弄びながら、流し目を向けてくる。

 

「そろそろ所定の位置に着いてもらうけど、その前に一つ私と賭けをしてみない?」

「それが賭けとして成立するなら吝かではないわ」

 

 金持ちの道楽そのニである。

 

 

 

 *◆*

 

 

 スキマが閉じるのを確認すると同時に、思いっきり中指を立てた。悪魔に「地獄に堕ちろ」と宣ってもそれは罵倒となり得ない。陰湿悪辣な言葉は全て彼女らにとって戯言であり、褒め言葉である。

 だがまあ、世には『化け物には化け物をぶつけンだよ!』的な名言もあるので、そういう意味での「地獄に堕ちろ」なのだ。

 四季映姫VSレミリア……こりゃ世紀の一戦となるわね。弾幕コンテストよりも面白そうに思えるのは私だけじゃないと思いたい。

 

 と、こんな感じで私かなり機嫌が悪いです。理由は大きく二つ! 

 まずレミリアのパリピイベントに巻き込まれた事と、そのせいで四季映姫に説教を食らったって事! 私は何も悪くねえですわ! 

 

 スキマを開いて霧の湖特設スタジオに到着するなり、荒々しく席に座る。両隣に座ってた二人からなんとも言えない視線が投げつけられた。ひんやりとした空気がいつもより湿っぽい気がする。

 勘のいい方はお気付きかもしれない。今回の審査メンバーを選んだのは私、当然各部門ごとへの振分けを考えたのも私である。正直レミリアや四季映姫と一緒に審査員なんて恐怖心やらなんやらでやってらんないので、穏健な方々で周りを固めているのよね。

 この審査員席はいわば『親ゆかりん派』の寄合所のようなものである。

 

「急な申し出ごめんなさいね。呼び掛けに応じてくれた事、深く感謝します」

「なに構わんよ。むしろ私だけ除け者にされないかと危惧していたくらいだ。運営の身とはいえ一枚噛めて安心した。なあ正邪殿」

「……実に」

「このように正邪殿も喜んでおられる。今宵もまた恩ができてしまったな!」

 

 ヤケに上機嫌な様子で馬鹿笑いしてるオッキーナと、完全に無の正邪。嫌味の一つでも言われるかと思いきや寧ろ感謝を述べられてゆかりん吃驚である。

 しかし気の置けない同僚とはいいものだ。私にはまさしく得難い存在よ。

 まあ正邪はまだ心を完全に開いているわけではないようだけど、今回を機に距離を縮められるといいわね! よし、まずは物理的な距離を縮めよう! それとなく席を寄せる。

 

「今日はよろしくお願い致しますわ」

「……此度の話には驚かされました。新参である私に対する多大なるご厚意、心より御礼申し上げます」

 

 軽く会釈して席を離す正邪。私は泣いた。

 ま、まあ正邪はなんというか天邪鬼みたいな所があるから、あまり積極的なコミュニケーションを好まないのかもしれない。せめて何の妖怪か判ればまだやりようはあるんだけどねぇ。

 

 あ、そうだ。

 スキマを開いて中から河童印の最新PCを取り出し、カメラをオンにする。天狗との仲介のお礼にと、河城にとりから贈呈された物である。外の世界で手持ちの物を質に入れてからそのままになっていたのだが、これでようやく私も文明人に復帰できたわ。

 

「お、弾幕を撮るのか。誰向けのものだ?」

「ネットお友達ですわ。幻想郷の文化にとても関心を示している方々だったので素晴らしい弾幕(の予定)を見せてあげようかと」

「宇佐見菫子か」

「そうそう……ん?」

 

 オッキーナに菫子のこと紹介した事あるっけ? 藍にはそれとなく教えたことがあるような気がするけど……うーん。まあいいやオッキーナだし。

 僅かな疑問を放り投げてセッティングを進める。

 

「お前の知り合いというくらいだ、他にも色々と面白いのが居るんじゃないか?」

「そうねぇ。二ッ岩ファイナンスのマミさんとか、地獄のファッショニスタHEKAさんとか。みんな良い人ばかりよ」

「地獄、ヘカーティア……なるほどなぁ」

 

 興味深そうに頷くオッキーナ。どうやら私愛好のチャットルームが気になるようだ。暇な時にでも紹介してあげようかしら。PCをプレゼントするついでにね。

 ほら彼女には毎度お世話になってるし。

 

 ふと横を見ると、食い入るような形相で正邪がこちらを見ていた。あらやだ! もしかして貴女も興味があるの? ふふふ仕方ないわねぇ! 

 あと一歩を踏み出せない奥手な正邪を後押ししてあげよう。いつものゆかりん営業スマイルでにっこり笑い掛ける。

 

「貴女の参加を皆待ち侘びているわよ」

「……なんですって?」

「怖くて恐ろしいのでしょう? だから安心させてあげようと思ったのです。貴女の為のドアはいつでも開かれていますわ」

「くたばれッ」

 

 私は泣いた。*2

 

 と、そんなやりとりをしている間も手元の資料に目を通していたオッキーナが思案するように指を口元に当てている。仕事人ね。

 

「『時間は60秒、発動スペルは一枚のみ』『審査員の持ち点は一人につき100点。合計して300点満点での審査』か。仮に一位が複数人出た時はどうする?」

「我々三人で改めて話し合って、改めて優勝者を決めればよろしいかと」

「急場凌ぎのルールだなぁ。そもそも審査基準すら決まってないだろう?」

「今日開催が決まったイベントですもの。各々の美的感覚に任せる、という事でしょう」

 

 指名式で決定しちゃったら変な恨みを買うかもしれないからね。故にこうして三人でヘイトを分散させる作戦である。まあもしもの時はオッキーナが居るし何とかなるでしょ! 

 あと念のため選手側に藍と橙を配置してるしね! 不慮の備えはバッチリよ! 

 

 それに【美術部門】を希望した面々はどちらかと言うと思慮深いインテリジェンス系の方々が多い。故に荒れにくいだろうと想定してここの審査員に私を無理やりぶち込んだわけだ。

 代わりに他二つは地獄と化しているだろう。

 

「さて、ルールは把握できた。では早速審査を始めていこうじゃないか。映えある一番槍だ、相当素晴らしいスペルを魅せてくれるのだと期待しているぞ」

 

 にっこり笑顔でハードルを遥か天までぶち上げていくオッキーナは流石である。天魔との煽り合戦の時もそうだけど、彼女が敵じゃなくて本当に良かったと心の底から思えるわ。

 そんな感じの非常に雰囲気の悪い宣誓に迎えられ『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』【美術部門】がスタート。出場者は勿論、野次馬たちも大盛り上がりである。

 さーて、気合を入れましょう。しっかり採点するわよ。

 

 

 映えあるエントリーNo.1は、この人! 

 

 

「古明地さとりです。よろしくお願いします」

 

 ……。

 

 私は審査を放棄した。

*1
幻想郷縁起より抜粋

*2
ゆかりん「貴女の(月面戦争)参加を皆待ち侘びているわよ」

正邪「……なんですって?」

ゆかりん「(かつての負け戦が)怖くて恐ろしいのでしょう? だから(協力者を明示して)安心させてあげようと思ったのです。貴女の(リベンジの)為のドアはいつでも開かれていますわ」

正邪「くたばれッ」

 

正邪は泣いた。




隠岐奈「どうしてコンテストに出場したんだ?」
さとり「私は全然興味なかったんですけど妹が勝手に応募してまして」
ゆかりん(昭和のアイドルかよ)

【決闘部門】→天下一武闘会
【美術部門】→ The Grimoire of Usami
【総合部門】→ポケモンコンテスト(アニメ)


一演技一試合ずつ描写すると、とんでもない話数になってしまうのでダイジェストかつピックアップでお送りしていきます。

さあみんなで各部門の優勝者を予想しよう!


ちなみに正邪がずっと不機嫌なのは『月面戦争』が地雷ワードなのと、ヘカちゃんとの繋がりを知ってしまったから。全部ゆかりんのせい。


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gain! again! udongain!

 
 
 八雲紫の名は子供の頃から知っている。玉兎どころか、月の都に住まう者ならば知識として脳味噌の奥底に必ず刻み込まれている筈だ。

 教練所時代、彼女の悪行を嫌と言うほど聞いた。天地開闢前から幾度となく神々と争い、八雲紫により秩序は悉く破壊されていったそうだ。
 最終的に都側は勝利を収めたものの、穢れに満ちた地上から一切の利が失われ、空へと発たざるを得なくなった。

 だが紫は飽き足らず、それ以降も月への攻撃を続けた。800年前に至っては自ら妖怪の大群を率いて月の地まで踏み込む始末。月の民にとって、八雲紫とは恐怖の象徴でしかなかった。

 だが結局、その戦いで紫は綿月依姫に討ち取られ、永きに渡る悪神との戦いは月の勝利で幕を下ろしたと習っていた。依姫様はやはり偉大である。「依姫様万歳!」と何度叫んだ事か。

 歴史は全くのデタラメだった。


 

 約40年前。

 

 地上から遥か38万キロ、遠く離れた穢れなき大地。

 その一画をとある玉兎が、並ならぬ鬱憤を抱えながら闊歩していた。

 上級軍官になってから数度目の貴重な休日に心躍らせ、街に繰り出し買い物を愉しもうとしたその矢先、上官からの緊急召集の通信に全てをおじゃんにされてしまったからだ。

 上層部への謀叛が頭をチラつく程度にはイライラしながら会議に参加したところ、地上より侵略の兆しあり、とのことだった。

 

 なんだそんな事かと大きな溜息を吐く。何が地上だ。どんな兵力で、どんな装備で、どんな化け物を用意しようが自分には勝てないというのに。

 そのちっぽけな内容に気を大きくして「そんな連中私が全員叩きのめしてやりますよ」と意気揚々と宣言するまであった。

 

 そんな威勢のいい言葉を聞き届けた主人は、感心したのか呆れているのか、よく分からない表情で淡々と告げた。

 

 

『八雲紫が再襲来するかもしれない』

 

 

 兎が地上への逃亡を決意した瞬間であった。

 

 

 

 

 兎の名は鈴仙。現在はその後ろに優曇華院・イナバが付いてくる。

 高貴なる玉兎の生まれであり、月の都最高戦力の一角であり、月の頭脳と謳われた八意永琳様の弟子であり、最強のソルジャーでもある。クラスは勿論1st。御上の覚えもめでたい月の兎随一の出世頭。

 

 本来なら今頃都の一等地に建つ別荘で優雅な暮らしを満喫していた筈なのだが、何の因果か巡り巡って幻想郷なる未開の地で生涯を終えることになりそうな現状に憤っている不運な兎である。

 僅かなツテと情報を頼りに永琳の下に転がり込めた時は良かった。自分は人生の勝利者側に位置しているのだと確信したくらいだ。

 

 ところがどっこい。

 同僚(先輩)のてゐには舐められまくり。師匠からは性格の矯正として勉学勉学論破論破。侵入者のモンペ野郎には何度燃やされた事か。唯一の癒しは姫様だけというとんでもない場所だった。

 鈴仙は自らの身の上を嘆いた。

 なお、鈴仙もそんな環境下で一切省みる事なく増長し続けたのは流石と言うべきか、はたまた彼女もまた愛すべき狂人と言うべきか……。

 

 ただまあ、そんな毎日でも平穏であったのは確かだ。月の都で地獄の扱きを受ける日々に比べれば、退屈な日々も愛おしく思える。

 こんな毎日が続けば良いのに、なんて思うくらいには地上に慣れていた。永遠亭の面々が好きだった。

 

 しかしそんな平和も侵略者により淘汰される。

 

 突如として攻め寄せてきた化け物共にてゐが敗れ、自分が敗れ、永琳が敗者の席に着かされた。実情はどうにしろ、鈴仙にとっては平穏の呆気ない幕切れだった。

 

 あの隙間妖怪にまたもや全てを踏み躙られた。

 八雲紫は元気に生きており、それどころか命からがら逃げ込んだ幻想郷を治める管理人だった。鈴仙は──というより、月に生を受けた者は無条件で奴を恐れてしまう。化け物から逃げた筈なのに、その化け物の巣窟に突っ込んでしまうあたり、とことんツイてない兎である。

 永夜異変終結後、その旨をてゐから聞かされておったまげたものだ。あとてゐが妖怪の賢者とかいうよく分からん偉い奴だった事にも驚いた。

 

 主要メンバー四人は管理人の要求により離散。鈴仙は冥界に送られ生きているのか死んでいるのかも分からない稀有な時間を過ごすことに。

 こちらはこちらで色々と問題のある日々だったが、一応退屈しのぎの相手になりそうな面白い奴がいたのでメンタルを削られずに済んでいる。西行寺幽々子とかいう怪物の存在を差し引いても、恐らく四人の中で一番恵まれていたのは鈴仙だろう。

 

 自分は幸運なのか不運なのか、よく分からないまま日々は雲のように流れていく。

 

 

 そして今に至る。

 鈴仙はやはり不幸な兎だった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 寂れた屋敷の立ち並ぶ廃村。妖怪の山の麓に存在するそれは、八雲紫の数少ない幻想郷直轄地。その式が管理するマヨヒガである。

 いつもは人っ子一人おらず猫の鳴き声だけが響き渡る閑散とした此処も、今日ばかりは過去最高の人口密度を以って大いに盛り上がっていた。

 

 それもその筈。幻想郷を熱狂の渦へと駆り立てた『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』のメイン会場の一つとしてマヨヒガが選ばれたからだ。いつもは限られた者しか入場を許可されない秘境であるが、今日ばかりは八雲紫の許可により大々的に開放されている。

 客層は主に山の妖怪。普段恐れられているヤヴァイ連中は殆どがコンテストに参加している為、安心して見物に興じることができる訳だ。既に河童の元山童部隊による出店やら博打屋などで大層賑わっている。

 

 そんな活気あるマヨヒガで唯一、あまり流れに乗り切れていないKY妖怪が一人。そう鈴仙・優曇華院・イナバその兎である。

 

 デカデカと貼り出された【決闘部門】トーナメント表、その第一回戦第一試合に書かれたマイネームを眺めつつ、自らの身の上を回顧した。やはり自分は不幸な星の下に生まれてしまったのだと再確認できた。

 ついに来るところまで来てしまった感が否めない。

 

(まさか見せかけであっても侵略軍の片棒を担ぐ事になるとは……)

 

 遠い目で空を見遣る。もしこの事が上層部に知られれば棒叩きどころの処罰じゃ済まないだろう。多分切腹だの斬首だの、そのあたりの話だ。

 沈む心と連動してか耳が皺る。

 

 と、そんな苦悩を知る由もない気楽で呑気で頭春な剣士が一人。彼女もまた、数奇な運命の巡り合わせに林檎飴を舐めつつ唸りを上げた。

 

「ふむ、私とは反対側のブロックですか。どうやら貴女との因縁は決勝で果たされることになりそうですね。今度こそ絶対に負けませんよ」

「あーそうね。ハイハイ頑張れー」

 

 あまりにぞんざいな返答に流石の妖夢もムッとなる。

 

「……そんな気概で勝ち抜けるほどこの大会は甘くないと申し添えておきましょう。私の好敵手たるに相応しい振る舞いを心掛けていただきたい。よもや一回戦敗退なんて笑えませんからね」

「チッ、頭だけじゃなくて目も腐ってるみたいね。あ、アメ一口ちょーだい」

「ふふん腕が腐ってなければいいんですよ。どうぞ」

 

 したり顔の癖して堅苦しい宣戦布告である。勝手に好敵手を騙るこの半分幽霊は相変わらずだが、純粋に催しを楽しんでいるのが気に障る。自分の悩みなど一寸たりとも理解していない癖に。

 いつもそうだ。コイツの言うことは全部的外れ。思考が甘ちゃんなのだ。あと飴も甘い。

 

「そもそも名前を見てもどいつが強いとか弱いとか私には分からないから盛り上がれないのよね。知ってる名前も妖夢(アンタ)と狼女ぐらいだし」

「中々の強豪達が出場してますよ。さきほど河童共が観客から優勝予想の賭金を募ってましたが、オッズ的に優勝候補と見られているのは伊吹萃香や風見幽香といった者みたいですね」

「アンタ、途中で負けるって思われてるじゃない」

「目が腐っているんですよ。試合が始まれば否が応にも私の強さを目の当たりにする事になるんですから関係ありません」

 

 ちなみに河童の賭金には鈴仙も参加している。当然、自分自身の優勝にお小遣いをオールインである。ちなみにオッズはドベから2番目。

 つくづく見る目の無い連中だと、この点だけは妖夢に激しく同意する鈴仙であった。*1

 

 

「それにしても意外でしたよ。まさか故郷に刃を向けるとは……。幻想郷に対して叛逆の意図が無い事の証明には十分だと思いますが……うーん」

「まあ冥界暮らしにも飽きてきた頃合いだし、私はさっさと竹林に帰りたいの。その為なら故郷の一つや二つぶっ潰してやるわ」

「な、何という畜生……!」

 

 妖夢はドン引きした。ついでに鈴仙自身もドン引きしていた。こんな事を本心から宣う奴がいるなら、そいつは紛れもない狂人である。そして現状、鈴仙はその狂人を演じざるを得ないのだ。

 

 鈴仙の目的はただ一つ。

 トーナメントを勝ち上がりロケット搭乗権を奪う! そして少しでもこの戦争を邪魔してやるのだ。八意永琳のエージェントとしての役割を全うする。(自己判断)

 ついでに自分の圧倒的な力を見てレミリアが「うそ……月の兵士強過ぎ……勝てる気せんわ……」と絶望して計画を取り止めてくれれば万々歳である。

 

(依姫様、豊姫様、そして師匠……! 私、絶対やり遂げてみせますから……!)

 

 地上の兎に堕ちたのだとしても、在った過去を捨て去る事は決してできない。仮にその行いが奥底に眠る罪悪感を振り切る為の自己満足なのだとしても、それが心の平穏に繋がるのなら儲け物である。

 既に優勝した気になった鈴仙は、てゐにドヤ顔をぶちかまし、永琳と輝夜に褒められる未来を予見し思わず口の端が持ち上がる。勝利のスマイルにはまだ早い。

 

「うぅむ、恐ろしい……」

 

 そして妖夢は狂人の満面スマイルにドン引きした。

 

 

 

 

 茨木華扇なる仙人から簡単なルール説明が行われた。

 

 場外、一定以上のダメージを負うと強制終了。判断は犬走椛が身体状態を確認の上、行う。審判や周りの地形を巻き込むような大規模攻撃は禁止。別空間に逃げてもよいが、武舞台から10秒姿を消した時点で失格。浮遊時間は10秒に制限。殺害は原則禁止、()()()()()であれば致し方なし。凶器攻撃、目潰し、噛み付き程度であれば許容。

 

 大まかに要点を纏めるとこんなものか。長ったらしいお気持ち表明と共に説明しているものだからイマイチ分かりにくかったが、かつての上司も似たようなものだったので何とか対応できた鈴仙。やはり【決闘部門】をチョイスしたのは好判断だったと内心ほくそ笑む。

 

 弾幕勝負だのスペルカードだの、八雲紫が考えた遊戯の土俵に乗る気はさらさら無い。月仕込みの軍隊格闘術で頂点を取ればいいだけの話だ。

 

(まあ、スペルカードの方でも負ける気はしないけどね。徹夜で考えたカッコいい名前を披露できないのは残念だけど、八雲紫やあの糞吸血鬼が審査員じゃ不当な点数を付けられかねないもの)*2

 

 確かに幻想郷には自分より腕っ節の強い妖怪が居る事は想定されるが、技術と能力の習熟度においては自分が遥かにリードしている筈、と鈴仙は考える。

 認めよう、月と地上の差はあんまり無い。想定を遥かに超える強さを持つ化け物ばかりだ。認めよう、月にとって脅威になり得る事を。

 

 故に見せつけよう。思い出させよう。

 貴様らの舐め腐っている存在が、どれほどのものか。地上人には決して到達できぬ高みの尊さを。

 

「それでは第一試合を開始します。両選手、武舞台へ」

 

 主審の華扇、副審の椛が所定の位置に着いたと同時に開始の合図がなされる。死合い場から十分に距離を取った観客による大歓声が沸き起こる中、自らに波長操作を施し精神を鼓舞した鈴仙は、自信満々に舞台を踏み締める。

 幻想郷縁起に載っていない妖怪の登場に、観客は当惑した。兎だから因幡てゐの関係者なのは予想がつくが、この大会で生き残れる程の強者なのだろうか? なにせ相手が相手である。

 

 反対の方から対戦相手が入場する。額から一角を生やした長身の妖怪であった。立ち昇る鬼気が大気を歪ませ、一挙手一投足に生命が恐怖の叫びを上げる。

 こちらの方は幻想郷縁起に(悪い意味で)大きく載っている為、動揺を以って迎えられた。まさか本当にこの鬼まで参戦するなんて。

 

「へぇ見ない顔だ。新参の妖怪か」

「まあ新参っちゃ新参かもね。そしてお前よりも遥かに高貴で強い妖怪だ」

「ハッハッハ嬉しいねぇ! 威勢の良い連中が増える分には大歓迎さ。もっとも、実が伴っていればの話だが」

「実どころか華まで見せてあげても良くてよ?」

「赤い華ァお望みかい」

 

 啖呵は十分。両者共に気炎を吐く。

 鈴仙・優曇華院・イナバVS星熊勇儀。互いに相手の実力が分からぬ状況での決闘である。更に今後の基準決めで重要になる一試合目なのもあり、椛と華扇は注意深く場を見守る。

 この一戦、特に事故が起こり易い。というか、華扇は既に最悪の結果を想定している。この鬼を知っている者ならば当然の警戒だ。

 

「幻想郷における初の公式試合です。それを貶める事なきよう、品位を以って臨みなさい。いいですね?」

「当然よ」

「おうとも。さあ早速始めておくれな」

 

ホントに大丈夫かしら……。──試合開始ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きなさい、うどんげ」

 

 ビクリ、と身体を震わせる。深い微睡みの中から無理やり引き上げられたような、なんとも言えない不快感が耳の先からつま先を伝う。

 寝惚け眼で真上を見上げると、見知った顔が自分を見下ろしている。これは、まさか膝枕の体勢か? 永琳の冷たい目が紅い瞳を凍て付かせる。

 一瞬惚けた後、慌てて飛び起きた。

 

「し、ししし師匠!? え、なんで居るんですか!?」

「久々の再会なのに随分な対応ね」

「いやいや……ビックリし過ぎてそれどころじゃないですよ。ていうか私、試合してたような気がするんですけど」

「……」

「……負けちゃいました?」

 

 どうやら鈴仙は会場外れのベンチに寝かされているようで、遠目に誰かの試合が行われているのが見える。それと会場の一画が丸々吹き飛んでいるのが嫌でも目に入った。

 試合の内容がちっとも思い出せない。

 

「酷いものだったわ。貴女、右半身吹っ飛んでたわよ」

「え?」

「頭からも色々と出てたから河童が応急処置を施している間に私が()()()のよ。だから記憶が所々抜け落ちてるんでしょうね」

「ひぃっ!?」

「まあ試合の内容は悪くはなかったわ。次も頑張りなさい。右半身の筋繊維の接合が完了してないけど、戦えない訳じゃない」

「つ、次? どういう事ですか」

「判定勝ちよ。うどんげの」

 

 永琳がつらつらと解説を始める。

 

 怪力乱舞を振り回す勇儀に対し、その危険性を即座に察知した鈴仙は波長操作による完全回避を実行。衝撃の波を殺し、究極まで弛緩された柔の構えにより勇儀を完全に封殺できていた。

 

 だが勇儀はそれに対して小技ではなく力で対抗した。軍隊格闘術を極めた鈴仙の拳から繰り出される一撃必殺の狂気衝撃(ルナティックインパクト)を悉く受け切り、その度ギアを上げていく。

 そして最後には勇儀の剛力が絶対防御を力任せにブチ破り、その衝撃を風圧だけで受けた鈴仙は先に述べた有様になってしまった。

 しかし、その風圧が鈴仙を貫通しマヨヒガの三分の一を消し飛ばす大惨事に発展。当然のように勇儀は失格となったのだ。

 

 なお勇儀は申し訳なさそうに手を合わせて「熱くなりすぎちゃった! 萃香に建物の修繕頼んでおくから勘弁な!」と橙に噛み付かれながら語っていたとのこと。

 古豪の強者が一回戦で敗退というとんでもない番狂わせに、会場はどよめきと惜しむ声で溢れたらしい。

 ちなみに担架で場外に運ばれる鈴仙に対しては、あまりの惨状に観客全員目を背けたとか。

 

「それと貴女宛に『今度こそ互いに本気で殺し合おうな』って言伝を貰っているわ」

「師匠ぉ……」

「今回は不意打ちに近い一撃だったから致し方無い部分もあるわね。ルール無しなら他にもやりようがあるでしょう? 今度は勝ちなさい」

「師匠ォ!!!」

「……私は客席に戻るわ。本来貴女と私は接触を禁じられた身、今回は特例で許してもらったけど、このまま長居しても良い事は無い。二回戦ももうすぐだし」

 

 二回戦。

 そのワードを聞いただけで震えが止まらなくなる。今回、一回戦から特別強い奴に当たってしまったのかもしれないが、それでもあの体験は伝聞だけでも恐怖に陥る材料としては十分過ぎる。鈴仙は臆病なのだ。

 さっさと棄権して白玉楼に逃げ帰りたい。その一心であった。

 

 だが残念。退路は既に断たれている。

 

「ダメようどんげ。貴女は戦い続けるの。これは貴女が(私に無断で)始めた戦いでしょう? そのやり方が月を救う一番の道なのだと判断したのなら、最後まで完遂しなきゃ」

「け、けど師匠にはきっと別のプランが……」

「貴女の優勝を楽しみにしてるわ」

 

 有無を言わさぬ迫力に鈴仙は無言で頷くしかなかった。

 そう告げると永琳は反転、そして去る直前で何かを思い出したのか、振り返ると相変わらずの冷たい目で淡々と告げる。

 

「てゐに言われたわ。地上と八雲紫を舐めるなって」

「……アイツが、ですか?」

 

 ふと、彼女が去り際に渡してきた人参のアクセサリーを握り締める。

 

「実際、それで足を掬われて今に至るんだから否定のしようがないわ。私は少しだけ考え方を変える。だからうどんげ、貴女も頑張りなさい。期待しているわ」

「……! は、はい!」

 

 鈴仙は泣きそうになった。そんな事を言われたら頑張るしかないじゃないか。

 足早に去っていった永琳を見送った後、痛む身体を涙目で引き摺り武舞台へと戻る。試合続行は絶望的だと思われていた優曇華院の大復活に観客とついでに選手が沸いた。鈴仙は呪った。それはもう、色々と。

 

 

 

「あらー白玉楼の兎さんじゃない! こんにちはー!」

「……」

「つれないなぁ。元気出していこうね!」

 

 鈴仙は無言で中指を立てた。

 

 二回戦の相手はメルラン・プリズムリバー。高い頻度で白玉楼にやって来る騒霊のうち一匹なので、一応鈴仙とは顔見知りの仲である。なお誰がメルランで誰がルナサなのかはあまり覚えていない。

 

 開幕ラッパをかき鳴らし、躁による此方の精神撹乱を狙ったメルランだったが、鈴仙に波長操作は通用しない。必勝パターンを崩され動揺したところにすかさず狂気衝撃(ルナティックインパクト)を叩き込み危なげなく勝利。

 ただ周りへの被害は甚大だった。騒霊の演奏のせいで観客、審判団ともにテンションが上がりまくったせいで以降の試合は異様な熱気に包まれる事になる。

 

 

 三回戦の相手は伊吹萃香。初見だったが一回戦のあの妖怪と同程度の圧力を感じる。というか2本の角を見て色々と察した。早速戦意喪失しかけたが、観客席からの謎の圧力により試合続行。

 勇儀の時とは立場が逆転し、独特の格闘術で攻め立てる鈴仙と変幻自在にいなす萃香という構図で試合は推移していく。鬼の剛腕を以って一、二回戦を相手を一撃で葬ってきた萃香には珍しい長期戦の構えである。というのも、鈴仙の能力は萃香に対して有利を取ることのできる稀有なものだった。

 萃香十八番の分身戦法も強い振動をぶつけられてしまえば本体以外は霧散してしまうし、鈴仙の一撃は実体を的確に捉えてくる。実体を曖昧にする存在にこそ強みを発揮するのが鈴仙の力だ。

 

 観客どころか、痛みに怯える鈴仙にとっても若干予想外な善戦が続く。

 しかしこの程度で勝ちを手繰り寄せられるほど『技の萃香』と謳われる古豪の意地は甘くない。能力の優劣など戦闘の決定打にはなり得ないのだ。

 自らの不利を無理くり演出し、鈴仙を真正面からのぶつかり合いに誘い込む。そして防御を捨てた肉弾戦へのゲームチェンジを強制した。

 

 鬼との殴り合いなど下策も下策。当然、そんなものに付き合う必要はないと波長操作による攻撃を繰り返す。しかし萃香はそれら全てをノーガードで受け入れた。

 攻撃後の数瞬の隙。鈴仙が絶対防御へと移行する僅かな時間。そこに一撃を叩き込むのだ。一撃喰らうたび骨が砕け、内臓が傷付く。衝撃を殺す事で幾らか威力が和らいでいる筈なのにこのザマだ。

 

(まずい、勝機が……遠のく……!)

 

 肉体へのダメージが加速度的に増している。判定負けを喰らうのも時間の問題かもしれない。鬼という生き物はどれだけ不条理なのだろうか。

 ──いや、不条理で滅茶苦茶だからこそ勝機を見出せるのだ。脳裏に蘇るは永夜異変で殺し合った半分幽霊の剣士。あの時の自分も同じく不条理な存在であった筈だ。でも妖夢はめげずに勝利を手繰り寄せた。

 気持ちで負けるな! 

 

狂視幻像(ディスオーダーアイ)ッ」

「っと幻影か。今更小細工なんか通用するかよ!」

 

 視界が歪み分裂した鈴仙だったが、萃香は即座にカラクリを見抜いた。大雑把に腕を振り回して分身を丸ごと一掃する。

 そう大雑把。『技の萃香』が一瞬でも鬼の力に胡座をかいてくれれば良かったのだ。

 萃香の拳が頬を掠め、空間を捻じ曲げるほどの衝撃が鈴仙の身体を引っ掻き回す。直撃はしなかった、それで十分。傷付きながらも、鈴仙の視線は萃香しっかりと見据えていた。

 

 クロスカウンターの要領で放たれた狂気衝撃(ルナティックインパクト)が萃香の腹に叩き込まれた。正真正銘、全身全霊の一撃。その攻撃力たるや、あの萃香の防御力を突破するに至る。

 たまらず実体を維持できなくなり『疎』の能力で霧散。ただちに実体化し反撃に転じようとしたが、この瞬間、鈴仙の勝利が決定した。

 

幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)……ッ」

 

 フィールドを絶え間ないマイクロウェーブによる高周波で満たして、武舞台上の空間を凄まじい力で振動させる。これにより分子そのものへとダメージを与え結合を阻害する。即ち、萃香は実体に戻れない。

 そして萃香が次なる一手を打とうにも、武舞台から10秒姿を消したため判定負け。

 

 勝利は鈴仙の手の内に転がり込んだのだ。

 

 

 

「自分で言っておいてなんですが……まさか決勝戦まで残ってるとは思いませんでした。私は貴女の事をみくびっていたようです。凄いですよ鈴仙さん!」

「もうホント無理……帰りたい」

「何言ってるんですか! あと一回勝てば優勝ですよ頑張ってください!」

 

 いつの間にか二回戦で敗退していた妖夢からの熱烈なエールも鈴仙には届かない。控室でさめざめと泣きじゃくっていた。もう心身共に疲労困憊な状態である。

 というのも、試合は勿論だが、その後に鬼二人組に絡まれたダメージがあまりにもデカ過ぎる。しこたま褒められて、しこたま殴られて、しこたま酒を飲まされた。これも彼女らなりのエールなのだが、鈴仙には地上の野蛮な報復行為にしか思えなかった。

 

 鈴仙は這う這うの体で妖夢に縋り付く。

 

「こんなボロボロな状態で決勝戦なんて無理……! 絶対無様晒して負ける……!」

「しかし相手も結構ダメージを負っているようですよ。三回戦の相手が風見幽香でしたし、見たところ鈴仙さんよりも怪我の状態は酷かったようですけど」

「……ほんと?」

「鈴仙さんが手負いなのは分かります。しかしそれは相手も同じ事! そうなると勝敗を分けるのは──ガッツの差です」

「他人事だと思って好き放題言わないで」

「そんなまさか! 私の想いを背負う強敵(とも)の優勝を願わずして何が武人か!」

 

 いや別に背負ってないし。

 そう呟いても妖夢には届かない。というかテンションがおかしくなっている。メルランの能力がまだ作用しているのだろうか? 自前でも全然違和感が無いので鈴仙は計りかねていた。

 

 ただ確かにガッツが必要になってくるのは間違いない。同条件、互いに不利なコンディションでの戦闘なら勢いがある方が勝つ。軍人哲学の常道である。

 気持ちを切り替えよう。折角痛い思いをしながらここまで勝ち上がってきたのに、優勝しなければ何も得られない。大損もいいところ。

 ついでにお小遣いも消し飛ぶ。

 

(勝ったら師匠や姫様、もっと褒めてくれるかなぁ)

 

 永琳は「期待している」と、確かに言ってくれた。あの超絶厳しい永琳がわざわざそう伝えてくれたのだ。こんなに嬉しい事はない。

 そう思うと勇気が湧いてくる。

 

 あと一回。たった一回勝てばいい。

 あれ? なんだか勝てる気がしてきたぞ? 

 

「勝てると思う?」

「必ず!」

「よぉっし! そんじゃやるしかないわねっ!!」

「がんばれっ! がんばれっ!」

 

 兎も煽てりゃ月まで跳ねる。

 

 

 

 

 興奮冷めやらぬ【決闘部門】もいよいよ大詰め。数々の名勝負を生み出した大会もいよいよ終わりが近付いている。なお場外では試合結果に満足できない選手が暴動を起こしたり、興奮した観客が乱痴気騒ぎに走ったりと多くのハプニングが発生したが、それらは全て良い笑顔をした鬼二匹と顰めっ面の仙人によって鎮圧される事になる。四天王の名は伊達ではないのだ。

 

 さて経過はどうであれ、終わり良ければ全て良し。幻想郷に住まう者ならば誰もが身に付けている崇高な精神は今大会でも当然のように適用される。

 勝ち上がった二人はいずれも幻想郷のニューディスペアと呼ぶに相応しい者達だった。幻想郷縁起に載っていない、即ち新参が古豪犇く魔のトーナメントを制そうとしている。その事実は観客、選手、さらには審判までにも驚きを齎した。

 勿論、限定条件付きの立ち合いである為、試合の勝敗によって戦闘力の完全な優劣が決着する訳ではない。だが逆に言えば、勝ち残る者に共通しているのは『腕っ節だけではない』という確かな事実。

 現時点で総評するなら、芸に秀でている者にこそ勝機が巡る大会だった。八雲紫の言う『美しさに意味を持たせる』理念に通じるものがあるのかもしれない。

 

 だから試合の行方を見守る者たちは心待ちにするのだ、次はどんな心躍らせる闘いを見せてくれるのだろうかと。期待に胸を膨らませる。

 

 

 両者相手を見遣る。

 うさ耳ブレザー。頭に桃を乗せた目出度い奴。

 この時、互いに抱いた相手への印象は奇しくも一致していた。

 

((こいつ、狂人だわ……!))

 

 片や全身に隈無く十数箇所の骨折、筋肉断裂、右足はびっこを引いている。片や全身に強い打撲、内臓損傷、顔は青い白く腫れ上がり端正で美しい顔が台無しだ。

 しかし片や勝利の未来を予見し締まりなくニヤけており、片や今までの戦いが楽しすぎて怪我など気にせず寧ろ痛みが心地良いとばかりにご機嫌な笑みを浮かべる。

 まさに満身創痍。こんな有様でへらへら笑っていられるなど真っ当な人間(妖怪)ではない。よくもまあ、こんなとんでもない奴が生き残ってしまったものだと。

 二人の感想通り、試合続行など通常なら不可能なレベルである。だが副審を務める椛は完全に止め時を失っているようだった。何より両者共にやる気満々なのだから仕方がない。仕方がないねぇ。

 

 狂人VS狂人──もとい、鈴仙・優曇華院・イナバVS比那名居天子。

 世紀(狂気)の一戦である。

 

 

*1
なお妖夢は7位。まあまあ

*2

※一部抜粋

 幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)

 幻視調律(ビジョナリチューニング)

 幻想交差(ブラフクロスバラージ)




(実際にトーナメント表を書いて進行していました)

今話のサブタイ、幻マジの中で一番好きです。
なおうどんちゃんは苦労しまくった模様。多分うどんちゃんの位置は死のブロックって呼ばれてる。
よってメルランは癒し。ただ相手がうどんちゃんじゃなければ安定して好成績を残せる強豪だったりします。うどんちゃん能力が強力すぎる。

妖夢の敗因ですが、接合したばかりの(なまくら)桜観剣を天子の肌にへし折られてしまったようです。つまり桜観剣をへし折ったうどんちゃんのせい。あとうどんちゃんの右半身が吹き飛ばされた時めっちゃテンパってました。


次回【美術部門】
ちょっとしたミニコーナー。ゆかりんが採点したりトイレに駆け込んだりするだけの回


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幻想郷縁起─弾幕遊戯の項─(草案)

 
 いつものように幻想郷縁起の項埋めの内容を考えていた矢先、面白そうな話が舞い込んできた。紫さんが何やらまた変な事を始めたようだ。
 人里のみならず、人妖問わず、幻想郷中を熱狂させている『それ』は話題性に富んでおり、後世に残すにはうってつけの題材と言える。

 そうと決まればジッとしていられない。私は霖之助さんに伴ってもらい、人里から一番近い霧の湖会場へと足を運ぶことにした。

 以下は『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』【美術部門】の内容を簡単に纏めたものである。

【演者】
『スペルカード名』
「演者の意気込み」
私の一言
[隠岐奈さんの一言]
[紫さんの一言]
[正邪さんの一言]


 

【エントリーNo.1 古明地さとり】

 

 『パーフェクトマインドコントロール』

「あまり気乗りしませんが……参加してしまった以上、ちゃんとやらせてもらいますよ。美しい弾幕をお見せすればいいんですね?」

 

 記念すべき一番手は地底を支配する覚り妖怪。わざわざ地上に来ているのも驚きだが、まさかこんな目立ちたがり屋な一面もあったとは。

 彼女のスペルは2種類のハート型弾幕が自身を起点に交錯を繰り返す華やかなもの。一人を除き、審査員には概ね受けていたようだった。

 

【62】[自前のスペルか。何をやってもお前だとギャグになるな。面白いから構わんが。あと妙にスカしてるのが鬱陶しい]

【11】[ノーコメント]

【75】[離合集散するハートの弾幕ですか。趣があって良いですね。まるで二人で弾幕を放っているようです]

 

=======================================

 

【エントリーNo.2 上白沢慧音】

 虚史『幻想郷伝説』

「人里のみんなが見ているからな。最善は尽くすが、あまり期待しないでくれると嬉しい」

 

 人間代表として堂々参戦。というか私が参加するようお願いした。一応、スペルカードルールに賛成している身なので。

 レーザーと円状に放たれる弾幕が等間隔で押し寄せており、網目状の綺麗な模様にすら見える。私としては満点にも見えたが、審査員の基準とはズレていたようだ。

 

【36】[堅苦しさが弾幕から伝わってくる。もっとインパクトが欲しい]

【75】[お手本ね。こういった弾幕は好みですわ]

【69】[実直ながら工夫の感じられるスペルですね。彼女には是非、満月の夜に別のスペルも見せていただきたい]

 

=======================================

 

【エントリーNo.3 霍 青娥】

 邪符『ヤンシャオグイ』

「こういう楽しそうな催しには目が無いんです♡ 張り切っちゃったので今宵はちょっぴり特別なスペルをご用意いたしました」

 

 3番目にして早速問題が発生した。彼女の放ったスペルを見た観客が次々に不調を訴えたのだ。私も不快感を抑えることができなかった。詳細は知らないがスペル名からして碌な技ではなかったのだろう。

 また弾幕の一部が審査席を襲うアクシデントも発生した。散々である。

 

【86】[邪悪。その着想はいいと思う]

【10】[弾幕がこっちに向かってきてません?]

【2】 [邪悪。美しさ以前の問題でしょう]

 

=======================================

 

【エントリーNo.4 ルナサ・プリズムリバー】

 偽弦『スードストラディヴァリウス』

「会場が沈んでますね。こんな時こそ明るい演奏ができれば良かったんですが……今はメルランが居ないので。ごめんなさい」

 

 幽霊楽団プリズムリバー三姉妹の長女である彼女だが、今回ばかりは場の雰囲気を考慮して能力を抑えての演奏弾幕を披露した。

 美しい音色と珍しい音符型の弾幕に会場内の雰囲気は持ち直した。それもあってか、審判団の反応も色良いものだったようだ。

 

【70】[心に作用する音色と弾幕か。悪くない。私も時々用いているしな]

【80】[彼女の音色は藍がよく好んでいるわ。ちなみに私はリリカ推しね。リリカ愛してる]

【66】[どうせなら活気のある曲がいいですよね]

 

=======================================

 

【エントリーNo.5 ルーミア】

 闇符『ディマーケイション』

「副賞が魅力的なのよねー。月は飽きたわー」

 

 ルナサの暗い曲に対抗してか、会場を闇で覆い弾幕を放っていた。当然何をやっているのかまったく分からないので盛り上がりようがない。なお本人は満足して演技を終えていたようなので、会心の出来だったのかもしれない。

 

【12】[弾幕が見えづらい。所詮は生成りか]

【20】[ルーミアの感性はよく分からないわね]

【21】[ひっくり返しても結局よく見えない。難儀な弾幕ですね]

 

=======================================

 

【エントリーNo.6 ミスティア・ローレライ】

 夜盲『夜雀の歌』

「分かっていないわねルーミア。視覚を奪ったなら他の五感に働きかけなきゃ! というわけで極上の歌をトッピングよ!」

 

 何故かルーミアと全く同じ方向性のスペルを披露。雀の鳴き声のような歌も添えられているが、こちらもルナサとダダ被りだ。鳥頭故か? 

 ただ歌そのものは良かった。

 

【10】[結局何も見えんが]

【40】[歌の採点になってるわね]

【63】[なんだかんだでかなり実践的な弾幕だと思います]

 

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【エントリーNo.7 幽谷 響子】

 大声『チャージドヤッホー』

「分かってないわねみすちー! 大会だからって萎縮しちゃダメ! 元気いっぱい優勝を掻っ攫っちゃうよ!」

 

 最近ミスティアとともに前衛的なライブを繰り返している山彦である。披露したスペルだが、凄まじい声量で放たれた歌? がステージ内を何度も反響し、地獄絵図と化した。

 我々はスペル範囲から外れていたのでなんとか助かったが、もしあの中にいたらどうなっていたか、想像に難くない。

 

【72】[さっきまでと比べると派手でいいな。弾幕にも工夫がある]

【0】 [何も聞こえなくなったわ]

【90】[彼女の扱いには我々(草の根)も手を焼いています。まあ元気が良いのは何よりです]

 

=======================================

 

【エントリーNo.8 フランドール・スカーレット】

 『スカーレットニヒリティ』

「紫に捧げる破壊の力! さあ受け取って!」

 

 主催者レミリアの妹がまさかのエントリー。破壊を司る存在というだけあって派手な弾幕が期待されたが、展開されたのは林檎型の弾幕ただ一つ。しかも審査員に投げ付けられるとボロボロに崩れながら消滅してしまった。

 拍子抜けもいいところだが、何故か審査員2名からの評価は高い。素人には分からない何かがあったのだろうか? 実に謎なスペルである。

 

【95】[破壊を司る吸血鬼か。悪くない。実に良い]

【95】[何言ってるか分からないけど可愛いからヨシ。林檎を投げ付けるなんてとってもメルヘンチックで平和な弾幕ですわ]

【12】[アイツいま私ら殺そうとしてただろクソが]

 

=======================================

 

【エントリーNo.9 チルノ】

 氷符『アルティメットブリザード』

「アタイの優勝が確実だからって出禁にするのはズルいわね! 最高に超絶美麗なスペルに酔いしれろ!」

 

【決闘部門】に参加したはずの氷精が迷い込んできたようだ。運営に確認を取ったところ、一回戦で粉々に砕かれ復活した個体なので記憶がないらしい。審査員も面倒臭かったのか、取り敢えずスペルだけでも見てやろうと飛び入りでのエントリーを許可した。

 内容はなんて事のない寒いだけのスペルだ。

 

【88】[妖精の新時代だな。最近は面白い連中が多すぎる]

【80】[考え無しの弾幕でも氷という素材がいいので表現として完成してるわね。天才肌ってやつかしら? あと時空を歪ませるのはやめなさい]

【75】[ん゛……妖精が力を持つのは良い事です]

 

=======================================

 

【エントリーNo.10 エタニティラルバ】

 蝶符『真夏の羽ばたき』

「チルノ鬼つええ! 私の分まで頑張ってね! このまま逆らうやつら全員ブッ殺していこう!」

 

 次に現れたのはアゲハ蝶の妖精。見覚えがある。確か一度屋敷に忍び込んでいた個体だ。随分と好戦的かつ調子に乗っているようで、物騒な事を口走っている。

 内容はなんて事のない鱗粉を撒き散らすだけのスペルだ。

 

【60】[火でも投げ込めばさらに面白い弾幕になるだろう。もっとやれていた時代を知っているだけに惜しいな]

【10】[けほっ、けほっ]

【30】[最初から負けたつもりで演技するのはよろしくないですね。自らのし上がろうという気概を感じない]

 

=======================================

 

【エントリーNo.11 光の三妖精】

 協力技『フェアリーオーバードライブ』

「一人ずつなんてまどろっこしい! 三位一体のスペルで度肝を抜いてやる!」

「ちょっと待って。ルールブックまだ確認できてない」

「いいよいいよ別に。楽しければなんでも」

 

 妖精だらけでゲンナリしてきた。これではまるでお遊戯大会ではないか。しかも三匹での合体スペルを放っているが、アレは反則だろう。妖精にコンテストは向かない事のいい証左である。

 これもなんて事のないスペルだが、審査員の方々には好ましく見えるらしい。芸術とは難しいものだ。

 

【80】[一匹くらい持って帰ってもバレないかな?]

【85】[彼女らにはよく霊夢の相手を務めてもらっているわ。妖精の中では結構話のわかる方だし、重宝せざるを得ないわよね]

【25】[面白い弾幕でしたがルール違反はいただけません。次回に期待です]

 

=======================================

 

【エントリーNo.12 メディスン・メランコリー】

 毒符『憂鬱の毒』

「張り切って参加したのに永琳も幽香も居ないわ。ちょっと残念。スーさんも憂鬱よ」

 

 開幕一番に毒をばら撒き始めたため私含め観客全員が退避した。安全安心という触れ込みは一体何だったのか。聞けば彼女は生後間もない新参妖怪。大会の趣旨を理解できていなかったようだ。力の使い方を知らない大妖怪の誕生は深刻な社会問題の一つである。なお、彼女は少しして保護者(所有者?)が引き取って行った。

 

【65】[色々な使い方が想定できるスペルだ。ただ少々臭うのが欠点だな]

【0】 [離席中]

【96】[反骨精神があっていいですね。神経毒も私にはそよ風のようなものです]

 

=======================================

 

【エントリーNo.13 西行寺幽々子】

 桜符『完全なる墨染の桜 -開花-』

「あらあっという間に出番だわ〜。そうねぇ、このスペルが一番綺麗かしら。紫はどう思う?」

 

 これまでとは毛色の違うスペルに会場全体の雰囲気が変わった。舞い上がる桜吹雪を模したものだろうか。風変わりな弾幕を楽しむだけの見世物大会には相応しくない幽美さに思わず息を呑む。

 ただ弾幕に触れた妖精達が消し飛んでいたので、彼女の能力自体は問題なく作用しているようだ。遠くから眺めるに留めておこう。

 

【82】 [スリルがあって大変良い。だが奴ほどの存在ならもう少しギミックを期待しても欲張り過ぎではないだろう]

【100】[後方親友面]

【83】 [流石としか言いようがありません。弾幕勝負の最中にこのスペルを放たれては回避もままならないでしょう。ただ観賞用にしては危なっかしいので減点]

 

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【エントリーNo.14 河城にとり】

 水符『河童の幻想大瀑布』

「科学の力は皆さまご存知の通りだろ? たまには河童が河童たる所以を見せてやるよ」

 

 幻想郷をたびたび騒がせる発明家による演技なので、目を引く未知のアイテムでも使うのかと思われたが、意外にも彼女がチョイスしたのは河童の特性を存分に活かした水攻めスペルだった。

 意外性はあったが代わりに会場が水没したため高台に避難せざるを得なくなった。もう観客への被害とか全然考えてませんよね。

 

【65】[もう少し暑い季節での演技なら80点は固かったな。残念無念また来世だ]

【30】[泳ぎが得意でなければ0点でしたわ]

【50】[確かに河童といえば水でしょうけど]

 

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【エントリーNo.15 わかさぎ姫】

 水符『テイルフィンスラップ』

「あらー会場が水浸し! これならのびのび演技ができるわ。河童にもいいところあるのね」

 

 水没した会場を最大限利用した技ありスペルである。また自ら水面を叩くことで弾幕を発生させているため、演技に優雅な踊りが付いて非常に見栄えが良かった。子供達に人気のスペルカードだ。

 あと、人魚の彼女が陸上だとどんなスペルを披露するつもりだったのかは気になる。

 

【72】[うちの奴等より上手く踊れているな。足があれば『丁礼田』あたりをくれてやっても良かった]

【85】[コンセプトがはっきりしてるし、見てて楽しくなるスペルカードですわ]

【98】[流石は我らの同志です。草の根の威光は留まるところを知らないですね]

 

=======================================

 

【エントリーNo.16 リグル・ナイトバグ】

 蠢符『ナイトバグトルネード』

「ゆ、優勝できる気がしない……。せめてみんなが蟲の魅力を分かってくれたらなぁ。昔はこんなじゃなかったのになぁ」

 

 一部から苦情が出たため河童一同による水抜きが行われた後、蒸し蒸しした中放たれたのは蟲蟲したスペルカード(上手いこと言った)。

 会場を細々とした蟲達が縦横無尽に跋扈するその様に、観客席からは悲鳴が絶えなかった。余程の蟲好きでなければ辛いだろう。ナイトバグ氏もその辺は自覚しているようで、大きく肩を落としていた。

 

【13】[かつての覇者も落ちぶれたものだ]

【60】[絵面があまり大衆向けではありませんね。蛍とか蝶とか、そのあたりをお勧めします]

【71】[その燻り続けているレコンキスタの精神を解放できれば、違った結果もあると思います。一度草の根連合にいらしてはいかがでしょう? ]

 

=======================================

 

【エントリーNo.17 高麗野 あうん】

 狛符『独り阿吽の呼吸』

「あうぅ緊張する……。今まで目立った事なんてないですよぅ……寂れた神社を人知れず護ってきただけなんですもん。神社に帰りたい……」

 

 最近博麗神社に居着いているという狛犬が登場。のほほんとした雰囲気とは対照的に、中々に高度な分身スペルを繰り出した。幻想郷でも分身系スペルを保持している者は意外と少ないのだ。

 序盤は萎縮していたものの、時間が経つにつれ本人もノリノリになっていたのが印象深い。やはり楽しんで演技する事が大事である。

 

【82】[この私が直々に作り出した存在なんだから、もっと堂々と振る舞って欲しいものだ]

【80】[分身スペルですか……。私もAIBOと一緒ならできそうね]

【70】[真面目で良いと思います。序盤は逆にそれが祟ってしまいましたね。もしかして誰かから脅されていませんか?]

 

=======================================

 

【エントリーNo.18 黒谷 ヤマメ】

 瘴気『原因不明の熱病』

「地上のどさくさに紛れて出てきてみれば、面白い事やってるじゃない。ほらほら私にも参加させなさいよ」

 

 突如地面から現れたと思いきや能力を発動し、観客、選手、審判問わず攻撃を開始した。これまでとは一線を画す危険度に会場は大パニックに陥った。

 黒谷ヤマメといえば幻想郷においてその名を語るのも憚られる大妖怪。地底に封じられている筈だが……? なお演技後、さとりさんと紫さんの手により地底へと強制送還させられていた。

 

【88】[とんだ大物の登場だ。やはり大会はこうでなくてはな]

【0】 [死ぬ]

【0】 [死ね]

 

=======================================

 

【エントリーNo.19 レティ・ホワイトロック】

 寒符『リンガリングコールド』

「あら誰も居ないわ〜。とっても面白いものを見せてあげようと思ったのに……残念」

 

 退避中にひっそり演技が行われていたらしい。レティ・ホワイトロックといえば情報が少なく幻想郷縁起でもあまり纏め切れていない稀有な妖怪。一体どんなスペルを披露したのか、興味は尽きない。

 

【88】[お前も大概悪趣味よな]

【0】 [離席中]

【5】 [仲良くさせてもらいたい]

 

=======================================

 

【エントリーNo.20 蓬莱山 輝夜】

 神宝『蓬莱の玉の枝 -夢色の郷-』

「どれだけ世界が狂っていても弾幕の美しさは変わらない。力を失った私にもまだ生み出せる物があるのだと気付かされました。お礼を言わせてください」

 

 竹林に引き篭もっていたらしいレアキャラのお姫様である。全てにおいて未知数であり、どのようなスペルを披露するのかすら予想が付かなかったのだが、その内容は我々の期待を大きく超えていたと言えよう。

 初めて使用したとは思えない熟練の技が見て取れた。また幻想郷の美的感覚とはまた違った味のある弾幕構成だ。月の民恐るべし。

 

【80】[竹林から連れ出した労力に見合うだけの演技は見せてもらったよ]

【95】[彼女のように戦闘能力の無い者でも自らの意志を貫き通せる可能性を与えるのがスペルカードルールですわ】

【90】[…………]

 




オマケというか小話程度のつもりで書いてたんですけど、中々に長くなりました。一ボスは幻想郷のバランスブレイカー枠(念押し)

評価の傾向としては基本的に三人とも身内にゲロ甘
オッキーナ→派手、画期的、狂気、無秩序
ゆかりん→(自分に)無害、穏便、お手本
せーじゃ→反骨精神、弱者、秩序

月面戦争前の正邪だったら多分一の位と十の位をひっくり返して採点してた。一周回って天邪鬼の特性潰されてるの可哀想なんだ。ちなみに秩序を重んじるスタンスを取ってるのはオッキーナへの配慮。

なお輝夜の後もエントリーNo.は続いていますが、暫定一位を超える点数は現れなかった模様。二童子とかも出場してたらしいですけど、オッキーナにボロクソな点数をつけられてます。


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星の器に一雫

【総合部門】ルール概要

・交互にスペルを放ちより多く被弾させた方が勝者となる。制限時間はスペル一枚につき60秒。
・被弾判定は四季映姫のジャッジにより決定。納得できない場合は姫海棠はたての念写によりビデオ判定を行い、レミリア・スカーレットが是非を決定する。
・互いに無傷、或いは同被弾数であった場合、再度スペルの応酬を最大で6回まで行う。
・それでも決着がつかなかった場合は、これまでの試合内容を吟味し、より『美しかった』方を勝者とする。基準は回避(グレイズ)の巧さ。


「──どうして不老を得ようとしたんだ? 私の言いつけを破ってまで目指さなきゃいけない目標は"それ"でいいのか? 時間が無いなんて錯覚するには若すぎると思うが」

 

 そうだ。その通りだ。

 人間には限りがある。どんなに頑張っても元々から魔法使いをやってる連中との差は埋まらないし、ただただ朽ちていく我が身を憂いながら生涯を終えるだけ。

 そんなの、耐えられないじゃないか。

 私にはやらなきゃならない事が山ほどある。こんな些細な事で躓いてる暇はない。

 誰の手も届かない私だけの景色へ、今はダメでもいつかきっと。

 

 

「──ったく、口を開けば魔法魔法……馬鹿の一つ覚え。お前は魔女のなんたるかを一切分かっちゃいないねぇ。最も大切なのは勉学でも実践でもないだろう?」

 

 魔法を使うのが魔女だ。魔法使いだ。

 私は魔法使いを目指した。なら魔法を極めるため努力するのは当たり前の話だ。不可思議を己が力とする学究の徒を目指すのが魔法使いだろう? 

 失敗には相応の理由がある。それを一つずつ潰していけば、自ずと完璧に近付ける。より強く、より高く。

 力が足りない、命が足りない、才能が足りない。

 

 

「──我々一門、今日はこっぴどくやられたもんだ。あの巫女め、代を重ねて尚あの強さか。ふふ、良かったね魔理沙。アイツを追えばお前の夢は叶うよ」

 

 その通り。霊夢はとっても強い。

 どんな悪霊だって一枚のお札で封印しちゃうし、特別な術式もない霊力で敵を薙ぎ払ってしまう。いつだって私の忌むべき憧憬。心に焼き付いて離れない。

 だけど、きっと、あの子を追い抜く頃には、魅魔サマも感心するような最強の魔女になってる筈よ。お父様だって、こーりんだって見直すに決まってる。

 

 

「──逸る気持ちは分かるが、無謀に片足突っ込まない程度にしないとね。どんな高名な魔女だって諦める時はすっぱり切り捨てるもんさ。根っこを忘れちゃいけないよ。志なき魔術に価値は無い」

 

 そんな事はない。魅魔様はそう言うけど、そんな魔法使いを私は見た事がない。アリスだって、当の魅魔様だって……いっぱい無理をして強くなったじゃないか。

 無謀でいられる内じゃないと、志を追う事なんて到底できない。

 夢に酔っていないと、心が壊れてしまうんだ。

 

 

 

 

「──ようこそ魔理沙。私の元に来たからには、アンタが将来どんなクソッタレな魔女になろうと腕だけは保証できるようにしてやるよ。それで、お前は過ぎた力を手に入れて、何を望むんだ?」

 

 そんなの決まっている。

 私は──……。

 

 そう。近く、より近く。

 見上げるしかなかった夜空の星々に手を掛けられるほど、大きな翼が欲しい。夢を追いかける為の原動力が。

 

 力なんか望んじゃいなかった。

 私は夢に恋焦がれるだけで良かったんだ。

 

 

 

 

 2ヶ月もの間、眠り続けていた。

 

 幽香にやられた傷、自らに付した禁術の代償、破壊された精神の修復。これらを考えると妥当なところじゃないかと思う。問題はその間の全ての世話を霊夢に任せっきりになっていた事か。

 まあ、恥ずかしいよな。色々と。

 

 勿論、目が覚めたからといって全てが元に戻ったわけじゃ無くて。未だに身体が食を受け付けない。あと下半身が麻痺し続けている。回復の兆しはあるが、相応の時間がかかりそうだった。

 栄養を補う手段を食事に限る必要はないし、飛行は出来るので日常生活が劇的に不便になる訳じゃない。問題は私の姿を見るとみんなが妙によそよそしくなっちまう事だ。身体云々よりもこっちの方が辛い。

 

 自業自得だとは思う。

 霧雨魔理沙の強みを完全に無視して、妙な女の甘言に惑わされて、幽香の挑発に振り回されて、挙句に──魅魔様から叱咤されてしまった。

 不甲斐ない。一生の恥だ。不幸中の幸いは、アリスがまだ幻想郷に帰ってきてない事くらいだな。アイツにまで笑われたら流石に堪える。

 

 だから失敗を活かしたんだ。もう二度とあんな無様な姿は晒してなるものか。

 物語の再スタートだ。霧雨魔理沙の華麗なる復活劇を幻想郷に見せつけてやる。そう意気込み、霊夢の反対を押し切って大会にエントリーした。

 幻想郷弾幕コンテストとかいうレミリアの酔狂によって始まった催し。弾幕ごっこの達人を自認する私が出ない道理はない。勿論【総合部門】を選んだ。

 

 チリチリと灼け痛む肌に薬を塗りながら、頼りない自己暗示に努める。

 

 屈辱を思い出すと勇気が湧いてくる。

 かつての願いを想起すると力が溢れてくる。

 そうだ、この煮え繰り返る灼熱の如き激情は自分に対してのものだけじゃない。私を地獄へと叩き落とした幻想郷へのリベンジでもある。

 

 ふと、私の傍に突っ立っている霊夢を横目に見る。いの一番に【総合部門】にエントリーしたくせに、今は頗る不機嫌な様子で足踏みしている。審査員に紫が居ないのが気に食わないんだろうな。

 かく言う私も少しばかり残念に思う。紫には色々と見せてやりたいものがあった。

 

「なあ霊夢さんよ。そんなに精神を乱してるんじゃ勝てる戦いも勝てなくなるぜ」

(やかま)しい! アイツらのチンタラした弾幕ごっこに飽き飽きしてるだけよ。1回戦も2回戦も、大して手応えなかったしね」

「だろうな。こんなに楽しい大会なのに退屈そうなお前が可哀想で仕方ないよ。まっ、せいぜい決勝まで不貞腐れてな」

「ふん優勝まで不貞腐れてるわよ。……ていうか、アンタ本当に楽しいの?」

「楽しんでやらなきゃ可哀想だろ」

 

 ちらりと、審査席で檄を飛ばしている主催を見遣る。私の優しさに気付いたんだろう、霊夢は納得したように気のない返事を送った。

 一応レミリアの名誉のために言っておくと、大会自体はみんな楽しんでいる。仏頂面なのは霊夢と閻魔様ぐらいだ。

 

 1回戦であらかたの有象無象は淘汰され、2回戦からは殆どの試合で激戦が繰り広げられている。レミリアの機嫌が大分良くなる程度には見ごたえのある戦いだ。私の試合を含めて2回戦が全て終了した訳ではないが、3回戦出場を決めた顔ぶれを眺めると、やはりワクワクしてしまう。

 さて、私も続かなきゃな。

 

 ちっとも反応しない下半身から目を背けつつ、車椅子から浮遊し箒に腰掛ける。飛んじまえば全部一緒だ。

 と、箒の柄をお祓い棒で叩かれる。

 

「アンタが2回戦で戦う奴、弾幕勝負はずぶの素人だけど、気を抜いたら色々ひっくり返されるわよ」

「へぇ……珍しいもんだ。お前がわざわざアドバイスをくれるなんてな。そうか分かったぜ。やっぱり決勝で私と戦いたいんだろ」

「アンタねぇ、そうやってすぐ調子に乗るからいつも痛い目を見るのよ」

 

 

 

「ん、初めて見る顔だな。それにその格好は……なるほど、お前が最近妖怪の山にやって来たとかいうトンチキ巫女2号だな?」

「いやぁ霊夢さんと一括りにされるのは色々と困ります。なんたって私はあの人のライバルなんですからね!」

 

 霊夢に比べて幾分か目に優しい配色をした巫女──名前はそう、なんたら早苗って奴だったか。ふらふらと不安定な飛行で私と相対している。なるほど、確かにずぶの素人だ。こんな様子で戦えるのか? スペルカードを扱えるようにも見えないが。

 仮にも1回戦を突破しているとはいえ、相手によってはまぐれもあり得る。試合内容を思い出せないあたり大したものでもなかったのだろう。

 

 と、早苗が「あっ!」と大きな声を上げる。

 

「貴女、見た事がありますよ! お師匠様の持ってた写真に写ってました。名前は確か……霧雨なんたらさん!」

「おいおい人の名前をなんたら呼ばわりとは失礼な奴だな。随分舐められたもんだ」

 

 いつものように。

 太々しい笑みを浮かべつつ八卦炉を向ける。

 

「2回戦で負けては守矢の名折れ──神様とお師匠様に合わせる顔がありません。この試合、勝たせてもらいますよ!」

「そうか。じゃ、優しい優しい魔理沙さんが先行を譲ってやるよ。さあ、かかってきな──私も、自慢のお師匠様の為に勝たなきゃいけないんでな」

 

 妙なシンパシーがあった。

 呆れるほど強いライバルに、偉大な師。

 この二つだけで、互いに負ける訳にはいかなくなった。無様な姿は見せられない。

 

 袖から取り出されたスペルカードが、鈍い光を放つ。

 

「申し遅れました。私は守矢の風祝、東風谷早苗! いざ──参ります! 秘術『グレイソーマタージ』ッ!」

 

 自身を中心に展開されたのは星をかたどった無数の弾幕。規則的な並び、規則的な軌道でこちらの視界いっぱいに押し潰さんと迫り来る。

 

 なるほどな……霊夢の言う通り、少なくとも並大抵の雑魚ではない。よく練られたスペルだ。しかも、よりにもよって星形弾幕か。

 近くなっていく星を前に笑いが止まらなかった。こういうシチュエーションも悪くない。掴んでやるさ、星も、夢も──お前の背中も! 

 

 帽子のツバを弾き、視界が拓けた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 激しい爆発音と大衆の大歓声を壁越しに聞きつつ、一人輪から外れて紅魔館のトイレに閉じ籠っている妖怪が居たそうな。大会もフィナーレに近いこんな時に何をしているのかというと、絶賛吐き戻し中なのよね。

 

「うぉえええれえれえれ!」

 

 乙女が出してはいけない声とはまさにこれの事だろう。終わらぬ嘔吐を前に意外と冷静にそんなことを思うゆかりんであった。

 マジで酷い目に遭ったわ。黒谷ヤマメの弾幕をモロに喰らった時は死を覚悟したわね。ていうか今から死なないとも限らない。頭痛腹痛関節痛吐き気に眩暈悪寒呼吸困難鼓膜損傷等々のアンハッピーセットフルコースマックスバリューである。

 

 なんとかオッキーナの支えもあって審査を全うできたものの、流石にもう限界。

 霞む目でキーボードを叩き、チャットルームのHEKAさんと菫子に退室を伝える。二人とも高レベルなスペルが見れて相当満足しているようで、次々と感謝の言葉を伝えてくれる。……ちゃんとした返信は家に帰ってからにしましょうか。

 

 ふぅ、腹の中の物を吐いたら少しばかり楽になったわ。とはいえ今にもぶっ倒れたい気分なのでレミリアに集計結果を渡したらすぐ帰ろう。

 

 ところがどっこい。やはり簡単には帰れない! 

 なんとトイレの入り口で藍が出待ちしていたのだ! 驚きのあまり転んで便器に落ちそうになったわ! 

 くそぅ……どうして私の妖生はこんなにも困難の連続なのだろうか。呪うわ! 運命ッ! 

 

「お待ちしておりました紫様。先ほど【美術部門】が滞りなく終わったと聞いたのでお迎えに上がりました」

 

 この子、何を言ってるのかしら。滞りだらけだったに決まってるじゃないちくしょう! オッキーナと正邪ちゃんが居なかったら間違いなく死んでたわ! 

 お、落ち着こう……ゆかりんクールダウン。藍に当たっても仕方ないものね。それよりも今は気になったことを聞こう。

 

「ありがとう藍。ところでそちらの結果はどうだったの? 【総合部門】もそろそろ終盤だと思うけど……」

「……」

「あっいいわよ言わなくて」

 

 藍は【総合部門】に選手として出場してたからね。もしかして優勝したのだろうかと思ってサラッと聞いてみたのだが、藍の顔を見て察した。あの悔しさを滲ませる悲痛な表情は、つまりそういうことだろう。

 まあスペルカードルールは奥深いから、思うようにいかない部分もあっただろう。あと藍って当たり判定大きそう(小声)

 

「期待に応えられず申し訳ございません……! 3回戦で霊夢に敗れてしまい……ッ」

「凄いじゃない準々優勝よ。全然恥ずかしいことじゃないわ」

 

 まあね、霊夢相手じゃ仕方ないと思うわ! 次に切り替えていきましょう。あと別に期待とかはしてないから大丈夫よ。ロケットの搭乗権なんか手に入れても別に嬉しくないしね。

 さっき橙からも【決闘部門】1回戦敗退って知らせがあったし、八雲の大会はこれで終わりね。ささっ、今日は即撤収して何か美味しいものでも食べましょう。頑張った二人を労らなきゃね! あと早く寝たい! 

 

「次の機会があれば今度こそ無様な結果とならぬよう、日々さらなる精進を続ける所存です」

「所詮お祭り、そこまで気に病むことはないわ。さあ、私はちょっとレミリアに会ってくるから、その間に橙と天子さんと一緒に家に帰って──」

 

 

「お師匠様──ーっ!! といつぞやの九尾さん!」

 

 

 スキマを開こうとしたその時、遠くからの溌剌とした声で能力を中断されてしまった。何事かとそちらを見遣ると、廊下の曲がり角から此方へと手を振りながら駆けてくる少女が一人。

 私のことを『師匠』って呼んでくれる子なんて世界中探しても一人しか居ないわ。私も手を振り返す。

 

「やはり此方にいらしてたんですね!」

「ええ、ずっと念話に出れなくてごめんなさいね。掻い摘んでしか把握してないんだけど、貴女本当に大会に出てたの? それも【総合部門】に?」

「はい! お師匠様の提唱したスペルカードルールでの勝負ですから、一番弟子である私が出ない訳にはいきません! 霊夢さんと一緒にスペルを作っておいてよかったです」

「あらそうだったの。それはさぞ良い経験になったんでしょうね」

 

 どうなら大会参加の動機は私だったようで。正直危ないことは控えて欲しいんだけど、私の事を想っての行動じゃあまり悪く言えないわ。取り敢えず「ありがとう」とだけ言って頭を撫でてあげた。

 ちなみに結果としては2回戦で魔理沙に敗れてしまったらしい。まあ魔理沙は回避のスペシャリストだし仕方がない! 早苗は悔しがってたけど気にしなくていいわ! 

 

 ……あれ? 2回戦? 

 

 

「おっ、紫と狐じゃない。お前達も終わったのか?」

「紫さま、藍さま! 戻りましたー!」

 

 

 続け様に反対側から現れたのは天子さんと橙。

 二人はマヨヒガで行われていた【決闘部門】に参加してたからね。当然帰路も同じ道順になったという事か。藍と違って天子さんと橙は仲悪くないし。

 早苗向けに二人の紹介を(守矢神社ごと妖怪の山を吹っ飛ばした事は隠)しつつ、いつ頃帰宅の話を切り出そうかと視線を向ける。

 

 しかし天子さんはそんな私の意を解す事はなく、橙と肩を組むと、瞳を輝かせながら朗らかに笑う。あら良い笑顔。

 

「気まぐれで参加してみたが中々の収穫だったわ。幻想郷は本当にどこもかしこも面白い奴だらけなんだな! とっても楽しめたよ」

「天子さんって凄いんですよ! あの風見幽香にまで勝って決勝戦まで勝ち進んじゃったんです! まあそこで負けちゃったんですけど」

「準優勝ですか! 比那名居さんは実力者なんですね」

 

 えっ2位だったの!? 凄っ! 

 褒めちぎる早苗と橙に対し天子さんは澄まし顔だ。

 

「実戦なら負けないだろうがな。だがそれでも奴はかなりの戦巧者だった。優勝とまではいかなかったけど、これもまた一つの収穫だ」

 

 敗北に不満を言うのかと思いきや、意外と清々しい様子でそんな事を一息に語ってくれた。そして案の定、藍を見る。喧嘩始まるわこれ(経験則)。

 

「で、大口叩いてたそこの狐はどうだったんだ? 勿論華々しく優勝してくれるもんだと期待してたんだけど……ん? おかしいわね。いま決勝戦の筈なのになんで此処にいるのかしら?」

「チッ……」

「あはは、まあ気にしないことね。次があるまでにせいぜい頑張って美的感覚を鍛えておけばよろしい。いや獣には難しいかな?」

「よりにもよって貴様が美を語るのか? 脳味噌空っぽな貴様では1回戦すら勝ち上がれないだろうな。まあスペルカードルールは天界を追い出されるような野蛮な天人崩れには少々酷な戦いだ。せいぜい脳筋共の巣窟でお山の大将を気取っているがいい」

「んだとテメェ……」

 

「いい加減になさい、二人とも。ここで貴女達が争ったところで何も得られないわ。むしろ互いの健闘を称え合った方がよほど建設的だと思うのだけど」

「も、申し訳ございません」

 

 口喧嘩が拳の応酬に発展しそうだったので慌てて仲裁に入る。此処で二人が物理で殴り合いを始めたら間違いなく紅魔館が吹き飛ぶ! そうなると私がレミリアに頭を下げなきゃいけなくなるのよ! マジやめて! 

 なにより私や早苗がタダじゃ済まない。早苗に傷ひとつでも付けた日には神奈子に御柱ですり潰されること間違いなしである。

 

 ていうか準々優勝も準優勝も凄い事よ。藍は組み合わせさえ良ければ決勝にだって行けただろうしね! 仮に私が参加したら百回やって百回とも初戦敗退は確実。万年一回戦ガールになってしまうわ。ヤムチャよヤムチャ! 

 まあつまるところ、二人とも私自慢の(契約)(ビジネス)パートナーってわけ! 

 

「お師匠様の周りはいつも楽しそうですね」

「うん。紫様はすごいんだよ」

 

 

 

 と、そんな感じの一触即発なイベントがありつつも体力の限界は刻一刻と近づいているので、あの後すぐにレミリアと合流する事にした。

 藍達には先に帰ってもらっても大丈夫と伝えたんだけど、表彰式までは残ってるんだって。まあそういう事なら私だけで帰らせてもらうわ。

 

 スキマを開いていざバルコニーへ向かう。中庭が【総合部門】の会場になってるから、見下ろす位置にあるそれは審査をするにはうってつけの場所と言える。

 到着すると同時に、眼下の殆どを鮮やかな弾幕の群れが埋め尽くす。まだ決勝は終わってなかったのね。もう結構経ってる筈なんだけど。

 

 取り敢えず近くの四季映姫に気付かれないよう、そそくさとレミリアの横に移動する。

 

「審査中にごめんなさいね。【芸術部門】の集計が終わったので持って来ましたわ」

「ん、ご苦労。良いものは観れたかしら?」

「それはもうたっぷりと」

 

 まあ綺麗な弾幕も結構あったしね。

 レミリアは此方を見る事なく集計表を受け取った。試合に集中してるみたいね。ふと横を見ると、はたてや映姫も固唾を飲んで試合の行方を見守っている。

 

 霊夢vs魔理沙か……。約束された組み合わせって感じね! さて、ドリームマッチと言えなくもないけど、果たして魔理沙に勝機はあるのかしら? 

 ここまで試合がもつれ込んでるのを見ると拮抗した戦いになってると思うのだけど、途中からじゃ今が魔理沙のターンって事しか分からないわ。

 まあ二人ともやってる事が高度過ぎて解説もできないから、簡単な応援を飛ばすくらいしかできないわね。どっちともがんばえー! 

 

 っと、スペルブレイク。1分以内に仕留めきれず、魔理沙は悔しそうに上空を旋回する。霊夢は息一つ切らさず余裕の立ち回りである。

 ド派手な魔砲をこれでもかと撃ちまくってたのに、霊夢に触れる事能わず……まあカスリはするんだけど。ホント凄いセンスよねぇ。

 

 場の緊張感が一気に重くなる。その重圧たるや、先程までの比ではない。スペルカードを取り出す霊夢に対して、魔理沙は強張った顔で汗を拭っている。

 私にもなんとなく予想が付いた。恐らく、これが6回目。最後の攻防であると。

 

 

「調子は戻ってるみたいね。ここまで食い下がってくるとは思わなかったわ」

「お褒めに与り光栄だな。だけど勝つのは私だ。さあ来な! ラストスペルだ」

 

「……悪霊『夢想封印 魔』」

 

 

 あら? ラストは夢想天生じゃないの。

 

 所在なさげに浮遊している陰陽玉が鈍い光を放ち、禍々しい魔力が霊夢に纏わりつく。黒髪に深緑が混ざり、下半身が薄くなり、お祓い棒を杖のように振るう。身体から溢れ出す魔力は刺々しいスパークとなって迸る。

 その佇まいはまるで、御伽噺に出てくるような魔女を彷彿とさせた。

 永琳戦で見せたあのカッコ良くなる技ね! けどあの時はもっと赤色になってたし、鬼のようなツノが生えてたと思う。亜種かしら? 

 

「『ここまで頑張ったご褒美だ』って言ってるわ。面倒臭いけど万が一にも負ける訳にはいかないし、これで決めるわ。とっておきのエクストラを堪能させてあげる」

「とんだ……サプライズだな。嬉しくて嬉しくて涙が止まらないぜ」

 

 決着の刻はもう間も無くだ。

 

 

 

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 紅魔館正門に設置されたお立ち台に審査員並びに紅魔館スタッフ一同が並び立つ。当然私も強制されたため中々震える足腰に鞭を打ちつつレミリアの横に陣取っている。帰れない……! 

 ていうかね、結果発表と表彰、そして閉会の言葉で大会は終わりって聞いたからすぐ終わると仮定して了承の意を伝えたんだけど、レミリアによる大会の総評や御言葉がめっちゃ長えですわ! 校長先生気取りね……! 

 

 ほらみんなも飽き飽きして野次飛ばしまくってるじゃない。長ったらしい言葉なぞ不要とばかりにあちらこちらで弾幕が飛び交っている。一々回収してるメイドはマジお疲れ様って感じよ、

 

 通算4度目になる咳払いでようやくスピーチを打ち切ったレミリアが、不服そうな顔を見せながら睨みつけてくる。帰りたい。

 

「フン、せっかちね。……とまあ私からのありがたい言葉はこのくらいにしておこうかしらね。それじゃあお待ちかねの表彰式といこうか」

 

 あっ、皆が待ちかねてたのは分かってたのね。

 

「まずは【決闘部門】ね。私は直接試合を観てないけど、随分白熱した死合いだったと聞いてるわ。まずは参加者全員の健闘を称えましょう。──そして栄えある初代チャンプに輝いたのは…… ココなんて読むの? 

ウドンゲインよレミィ

「コホン……優勝はレーセンウドゲインイナバ! 壇上に上がって来なさい!」

 

 聞き慣れない名前に会場一同首を傾げた。「誰?」「外国の妖怪か?」「何処の馬の骨だよ」といった声すら上がっている。かく言う私も誰なのか検討もつかない。レーセ・ンウドゲイ・ンイナバ……アフリカ出身かしら? 

 

 そして現れたのは、頭の天辺に2本の突起物を携え、全身をギブスと包帯でグルグルに固められ、呼吸器を装着し、車椅子に乗せられて痛ましい姿をありありと見せつける謎の人物。そして何故かそれを押す妖夢だった。

 …………いや、誰? ミイラ男? 

 けどミイラ男には突起物なんてないしねぇ。

 

「貴女のようなダークホースがいてこそ大会が盛り上がるわ。何の取り柄もない八意永琳の腰巾着かと思っていたけど、案外やるものね。率直に言って感心した」

 

 確かに【決闘部門】には錚々たる面子が参加していた。私だって、優勝は多分萃香あたりだろうなーって思ってたのに、蓋を開けてみれば謎のミイラ男さんが優勝だなんてね。世界は広いわ……まさか幻想郷の外にまだこれほどまでの剛の者が居たとは。

 

 ちらほらと、ミイラ男さんの大健闘を讃える拍手が広がり始めた。

 

「さあウドゲイン、優勝インタビューの時間よ。今の意気込みを存分に語りなさい」

「……ぁ……ぅ」

 

 レミリアの押し付けたマイクが口部分にめり込んでるせいで悶えてる! 何というか……大変ね(他人事)。

 さあ気になるミイラ男さんの第一声である。

 

「……ぜ、ぜんぞぅを……」

「ん?」

「ぜんぞぅを……やめでくだざぃ……」

「あー聞こえんなぁ。まあその調子じゃ月での戦闘は難しいだろうし、貴女には副賞と栄誉のみ授けるわ。月での吉報を楽しみにしてなさい」

 

 スピーチの途中でマイクを握りつぶし退去が命じられる。ミイラ男さんはまだ何やら言いたげに口をモゴモゴさせていたが、そのまま壇上から降ろされてしまった。介護している妖夢の哀れな者を見るような目が印象的だった。

 

「さて、という訳で宙ぶらりんになったロケット搭乗権だが……まあここは準優勝の者に授けるのが相応しいでしょうね。比那名居天子、どうかしら?」

「副賞なんて興味無いし、構わん。私もそろそろ月の都に行きたいと思ってた頃合いだし」

「決定ね。戦闘力()()は期待してるわ」

 

「おめでとう天子! 頑張ってね!」

「うん、ありがとうほたて。ちょっと時間がかかったけど、これで私達の野望も一歩前進だな!」

「だからほたてって誰よ」

 

 口では何でも無いように語っている天子さんだが、思わぬ棚からぼたもちに笑みを隠しきれなくなっていた。やっぱり彼女は持ってるわね。

 あっ、ちなみに副賞っていうのは紅魔館特製青ワイン500年分の事である。多分廃棄処分する予定の物を無理やりねじ込んだのだろう。一口試飲させてもらったけど……要人暗殺には最適かもね(精一杯のフォロー)。

 要するにミイラ男さんの苦難は続くって事ね。

 

 

「続いて【美術部門】だけど……同率1位か。どちらも素晴らしい演技を披露したようだが頂点は常に一人よ。どういう事? 紫」

 

 睨み付けられた拍子にマイクを落っことした。急に矛先をこっちに向けるのはやめてほしいわ! 心臓がドキってなるから! 

 そう、まさかの同率。幽々子と輝夜の一騎討ち状態なのである。

 

 いやまあね? 私達も二人のスペルに優劣を付けるべく色々話し合ったんだけど、オッキーナ&正邪ちゃんは輝夜派で、私は幽々子派だったのよ。この時点で多数決により輝夜の優勝が決まったと思うでしょ? 

 

 ところがどっこい。

 

「そうそう、私は月に行かないから負けで〜」

「ごめんなさいね。私は罰で月から弾かれてしまうから、ロケットに乗れないの。だから負けで」

 

 二人揃ってこれである。

 これには流石のレミリアもブチ切れた。即座に審査員一同で止めに入らなければ幽々子は兎も角として輝夜は肉片と化していただろう。ちなみに私は余波を受けて壇上から転がり落ちてたわ。

 まあレミリアの怒りも分かるけどね! まさか冷やかし組が優勝してしまうなんて大会ぶっ壊れである。ただレミリアも埒が明かないと判断したのか、ひとまずロケットの搭乗権を誰に与えるかの議論となった。

 

 審査員一同で円陣を組む。

 

「あの二人は無いとして、それに続く点数だったのは誰だったんですか?」

「3位は我らがリーダーわかさぎ姫ですね。ただ……彼女は長期間のロケット移動に耐えられませんよ。水槽諸々でスペースも要りますし。なんとか月に着いてしまえばかなりの戦力になるでしょうが」

「4位は?」

「……チルノね」

「論外」

 

 あーでも無い、こーでも無いと話し合った結果、妥協点として四季映姫の案が採用される事になった。要するに丸投げしたのである。

 呆れた顔で映姫は淡々と語る。

 

「まず、月に行く事ができない──つまり、元々参加資格を有していなかった蓬莱山輝夜を失格とし、西行寺幽々子を一応の優勝者とする。そしてその西行寺幽々子に搭乗権を受け取る意志が無いのなら、彼女に権利の移譲を行わせることとして決着すればいいでしょう」

「あらそう? なら紫で」

「嫌よ」

「じゃあ妖夢で」

「幽々子様っ!?」

 

 しれっと月に行かされそうになったので断固拒否する。「人間土から離れては生きられないのよ!」ってジ〇リでも言ってた! 

 結果、選ばれたのは妖夢でした。まあ幽々子が選ぶなら妖夢が候補に挙がるのは当然である。そして主君に従順な彼女は命令に逆らえない。

 詰んじゃったわね。

 

【決闘部門】2回戦負けの妖夢を代表に選んでも良いのかって声も挙がるかと思ったんだけど、意外や意外、レミリアは快くオーケーを出した。

 幽々子に対しては当たりが強いのに、なんで妖夢をそんなに買ってるんだろう? うーん……謎である。

 

 

 

 

「では最後に【総合部門】ね。まあ思いの外楽しめたと言っておこうか。こっちは順当に行きすぎて少し結果に物足りなさを感じるのも事実だけど」

 

 大番狂わせが少なかったのは確かである。というか最初から誰が優勝するのか全員薄々勘付いていたのも大きいわね。そのくらい圧倒的だった。

 

「優勝は博麗霊夢。【総合部門】で唯一、一切の被弾を許さず勝ち続けたその強さは感嘆に値する。私の下で存分に力を振るうといいわ」

「いつから私がアンタの下についたのよ」

「いつだってウェルカムよ」

 

 はいストーップ! ウチの子への勧誘はいついかなる勢力からも受け付けてないわ。

 抗議の意を込めて二人の間に割り込むと、両者から丁寧な舌打ちが飛んできた。もうちょっとゆかりんに対して優しい対応があろうもん……! 

 

「ひとまずこれで各部門の優勝者発表は終わりなんだけど……一つだけ言っておかなきゃいけない事があるわ。──霊夢に搭乗権を渡すつもりはない

 

 何言ってんだコイツと、周囲の喧騒が一層大きくなる中、私は一人感心していた。

 霊夢は幻想郷の要である。あの子を喪う事は即ち幻想郷の崩壊に直結する。博麗の血脈が絶たれるのというのは、賢者全員が同時に消し飛ぶ事よりも深刻な事態なのだ。多分! 

 そんなあの子を月に行かせるなんて、そんなこと許せるはずが無いわよね。レミリアは兎も角として、天子さんと妖夢は危なくなったら藍に頼んで回収してもらうつもりだった。しかしそれでも危険、危険なのだ。僅かな交戦でも命を落とす可能性は十二分にあり得る。遠く離れた月の地ではサポートも限られてしまうしね。

 だから何が何でも霊夢のロケット搭乗は阻止するつもりだったのよ! 

 

 しかし、レミリアは霊夢が持つ重要性の"意味"を把握していた。だからこうして月への招待を撤回したのだろう。

 見直したわレミリア。暴力と威圧ばかりの無法者だった貴女が、まさか幻想郷の為を思って自重してくれるなんてね。こんなに嬉しいことはない──。

 

「というのも霊夢の征討者(クルセイダーズ)参加は大会以前に決定事項なのよ。なにしろ三段ロケットの動力源は霊夢で、今回の作戦のキーになる。搭乗権が重複してしまうから渡せないという訳。よって魔理沙が──」

 

 ──前言撤回ッッッ!!! 

 

 自重どころかとんでもないことになりかけてた! 霊夢の力をあてにして計画を立てていたなんて、この大賢者八雲紫の目をもってしても見抜けなんだ……! 

 許せる筈がないでしょうが! 

 しかもレミリアの口振りでは既に霊夢から了承を得た後のように見える。ここが分からないのよ。あの霊夢がレミリアの稚拙な計画に乗り気になるとは到底思えないのだ。あまりにも火急の出来事であったため、人目も気にせず霊夢へと詰め寄る。

 

「霊夢! 貴女……私に黙って何をしているの」

「こんな事で一々報告なんかしないわよ。馬鹿馬鹿しい」

「……月に行く事は許さないわ。今ここで参加を撤回する事、いいわね?」

「嫌よ」

 

 あんまりな態度に思わず語気が強くなる。

 

「巫山戯るのも大概になさい」

「それはこっちの台詞。私のやる事に口を挟むな」

「まさか自分の立場が分かっていないとは思いたくないのだけどね。貴女の強さは十分理解しているけど、そういう問題じゃないでしょう?」

「は?」

「どうせ観光気分の軽い気持ちでレミリアの誘いに乗ったんでしょう? 私からすれば甚だ愚かな決断としか思えないわね」

「アンタがどう思おうが私の心は私が決める。好き勝手言ってんじゃないわよ」

「余計な事に首を突っ込まないでって言ってるのよ。貴女が月に行ったところで何も変わらないわ。幻想郷を無闇に危険に晒すだけ」

 

 私の言葉に霊夢の目が吊り上がる。ワードチョイスを誤ったと後悔したが、退く訳にはいかない! あんな魔境に霊夢を送るなんて許されないもの! 

 

「貴女の身は貴女一人で抱えるにはあまりに重過ぎる。此度の決断に如何なる想いがあろうが、許されない一線は存在するわ。……言う事を聞きなさい」

「……たかが妖怪が私に指図しないでくれる?」

 

 底冷えするような冷たい眼差し。

 明確な敵意が形となり、私の胸倉を掴む。

 

「長年の疑問が漸く結論付いたわ。結局、私はアンタから見て使い勝手の悪い道具でしかないんでしょう? 所有物に逆らわれて、だからイラついてる」

「くだらないわ。的外れも甚だしい」

「……もう二度とアンタの顔なんか見たくないわ。金輪際話しかけないで」

「そう、分かったわ。であれば私から言う事は何もない。無事を祈ります」

 

 これ以上の会話は不可能だった。

 胸倉から手を離した霊夢を精一杯睨みつけ、震える唇を強く噛み締めながらスキマに潜る。あの場にあれ以上留まるのは無理だ。

 

 突然帰宅した私に驚いた藍や早苗から心配する念話が散々届いたが、当たり障りのない回答だけ残してぼんやり庭先を眺める。心が落ち着くというよりは、思考が完全に削げ落ちているのだろう。

 藍達が帰ってきて、日が沈み闇が帳を下ろしてようやく、時の流れを感知できた。

 

 布団に入って天井を眺める。

 この日、私は盛大に枕を濡らした。

 

 

 

 あーん霊夢に嫌われたあぁぁぁぁ!!!! 

 

 




おぜう「なんか急に喧嘩始めやがったんだが」
魔理沙「私の試合も受賞も悉くカットされたんだが」
せーじゃ「反逆キタコレ!」

レイマリは片方が安定すると途端にもう片方が不安定になる法則でもあるのかもしれない。

魔理沙パートからゆかりんパートへの落差が酷すぎるんだ……!
魔理沙の対戦相手は1回戦お燐、2回戦早苗、3回戦文と結構なハードモードだったりします。うどんちゃんとタメを張るくらいの死のブロックです。1〜3回戦全てで被弾してますが根性で勝ち上がってます。霊夢戦では全てのスペルを被弾無しで切り抜けましたがグレイズの差で判定負けとなったようです。

ちなみに早苗の1回戦の相手は小傘で、対戦カードを見た瞬間棄権を申し出たそうです。よって魔理沙の印象に残らなかったとかなんとか。



Q1 妖夢に対してレミリアなんか甘くない?
A1 春雪異変や永夜異変の時のあれこれをかなり評価してるそうですよ。隙あらば勧誘して幽々子に一蹴されてます

Q2 優勝者が誰もロケットに乗ってない件について
A2 「面白けりゃ何でもいいよ」

Q3 霊夢とゆかりんはなんで急にキレたの?
A3 普段からゆかりんにイラついてた&ノリ&暇を持て余した誰かの悪戯

Q4 ゆかりんは結局霊夢のことどう思ってるの?
A4 作中何度も言及してる通り大切な娘だと思ってるけど、一癖あったりします。なんで娘だと思ってるのかとか、それはそれとして幻想郷運営のための道具とも思ってるのかどうかについては実のところ未だ不明。

Q5 ゆかりんから霊夢への信頼度低くない?
A5 vs萃香でボコボコにされてるのを見て以来ちょっと過保護気味になってます。あと単純に永琳含めて月勢がトラウマ。1話時点のゆかりんなら多分ノリで霊夢を月に送り出してた。成長してる!!!


次回──『奴らが来る』
なんだかんだ山場が近付いてきてるのかもしれない
感想、評価お待ちしております♡


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Evel Trinity

 レミリアの目論見は概ね達成されたといえよう。

 

 幻想郷の活性化とスペルカードルールの普及に寄与することで紫に恩を売る事ができた。さらには古明地さとりの言う『敵』とやらの器を確認できたし、何より自身が愉しむ事ができた。

 月侵攻の為の準備が本命であったのは間違いないが、大会が終わる頃には二の次になっていたのだろう。それほどまでに収穫ある結果だった。

 

 こうして誰もが得する形で紅魔杯は終了──すれば良かったのだが。最後の最後、誰も予想しない形で思わぬ歪みが生じてしまった。

 その危機たるや、急遽八雲の式主導での緊急会合が提言されるほどである。

 

 博麗霊夢と八雲紫の不和。

 それは幻想郷の支配体制を熟知する者であれば誰もが耳を疑い、今後の展望に深い憂いを感じざるを得ない出来事である。非常に珍しい事に、紫が感情を露わにしていたのも大きな懸念材料だ。

 

 というのも、二人の関係は明確な表現を持たぬほど複雑なものだった。

 表向きには幻想郷の最高権力者と、治安・調停を司る権力から隔絶された巫女という真っ向から対立する役職を持つが、その一方で霊夢は紫の子飼いである。

 紫の絶対な発言力の裏に博麗の存在があるのは周知の事実であり、この二人の繋がりがある限り少なくとも幻想郷内で彼女らに逆らえる者は片手で数えるほどになってしまう。故に、紫による博麗の支配に陰りが生じる事は、即ち幻想郷の不安定化に直結する。

 

 霊夢と紫の関係断裂は是が非でも避けなければならない、というのが常道。少なくとも紫側の陣営にとっては覆しようのない共通認識である。

 

 

 結果的に藍の呼び掛けは半ば達成され、マヨヒガにて限られたメンバーによる連日の協議が重ねられた。変わり映えのない面々だったが、それでもいざ有事が起きれば団結せねばならない一種の同盟相手達だ。

 

 相変わらずの顰めっ面で藍が紫の現況を語り、はたては困ったように宙を仰ぎ、阿求は深刻な面持ちで前のめりとなり、華扇は呆れるように先を促す。

 全員ずっとこの調子だ。

 

「かれこれもう3週間は経つが未だに変化が見られません。むしろ水面化で悪化していると判断すべきかと」

「困るよねぇ。折角幻想郷が平和になったのに」

「……どうにか二人の間を取り持つ事はできないものでしょうか。この状態が長引けば長引くほど後に禍根を残す事になります」

「どうでしょう……紫様は兎も角、霊夢は気難しいので対応を誤れば今後の舵取りに大きな影響が出る。魔理沙を経由して宥めてみるのも手だとは思いますが」

「そもそも何故霊夢さんは月に行く事に拘っているのでしょう? いつもの彼女なら紫さんの言葉を振り切ってまでレミリアさん側に付くなんてあり得ないと思うんですけど」

 

 全員の視線が華扇に集中する。

 というのも、巫女の監督を紫が放棄してしまっている為、ここ最近ずっと神社に通い詰めているのだ。その前からも霊夢とは何かと関わりがあったので何か通常では知り得ない情報を持っているのではないかとの期待だった。

 

 実際、心当たり自体はあった。

 

「紫が幻想郷を出ている間──確か風見幽香の乱と妖怪の山崩落までの期間、ずっとあの子を指導していたが、熱意はやはり感じられなかった。しかし紫の情報に対する関心は高かったように思える。特に経歴」

「紫様の経歴? 何故いまさら」

「まあ気になる気持ちは分かりますけどね。本人が幻想郷成立以前の事をあまり語りたがらないので、歴史を編纂する立場にある私ですら分からない事は多い。彼女が歴史の中心に居たにも関わらず」

「あー確かに! 私も全然知らないや」

 

 八雲紫の歩みは常に妖怪史の根幹として存在していた。だが記録は虫食い状に独立しており、現存する歴史に至るまでの理由や意志が記録からは全く感じられないのが特徴だ。

 唯一、その手の情報においてリードしているのが藍であるのだが、それは彼女の協力者に古明地さとりが居たからである。自前のモノではない。

 

 軽く咳払い。

 

「それも気になるけど、今は霊夢について話させてください。各々述べられた通り紫の経歴は謎だけども、ハッキリしてる箇所もそれなりにある。その中でも特に霊夢が関心を持っていたのが『月面戦争』についてでした」

「偶然ではないでしょうね」

 

 ここまで材料が出揃えば霊夢の突拍子のない行動にも多少の理解が生まれる。

 何に惹かれたのかは定かでないが、博麗の勘が紫と結び付ける因果を感じ取ったのだろう。実際、その『出来事』が紫にとってのターニングポイントであったのは間違いない。

 

 紫を知りたい。

 これが今回の霊夢の動機か。

 

「霊夢は色々抜けてはいるが、巫女の職務には基本忠実だ。だからこそ、紫様との関係が歪みと矛盾を伴うものであるのを案外気にしていたのか」

「そんな可愛い一面もあったのね。今まで妖怪を屠ってるとこしか見たことなかったから知らなかったわ。──でも困ったね、どう説得しようか?」

「無理やりやめさせる訳にもいかないしねぇ」

 

 此処に居る者達の考えの前提として、今回の騒動はあくまで紫の言い分が正しいのだ。やはり月面戦争に巫女を駆り出すのは懸念材料が多過ぎる。

 

 しかし霊夢の説得は困難を極める。なにしろ彼女は他者からの影響を悉く跳ね除けてしまう、所謂頑固者なのである。そんな彼女に強烈な影響を与えることのできる二人のうち一人(八雲紫)はそれを放棄してしまった。また、もう一人(魔理沙)は霊夢の行動を制限しようとするスタンスではないし、むしろ自身が参加して積極的に推進する側の人間だ。

 

 であれば、やるべき事は一つ。

 

「紫様が機嫌を直されるまでの間、ロケットの発射を妨害し続けましょう。紫様が動いてくれさえすれば全て円満に解決する筈です」

「では私は万が一の時の為に霊夢の教練を加速させます。今のままでも十分ではあるでしょうが、月相手なら備えるに越した事はない」

「私はレミリア嬢に話を通してみるわ。大会の時に色々話し合って分かり合えたから、もしかしたらロケット発射の延期を受け入れてくれるかも。あと友達のさとりにも協力してもらおう」

「その間の皆さんの庶務は私が受け持ちます。他にできる事がございませんので」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 ここ最近、何をやるにも熱を感じない。

 政務は藍に任せきりだし、細々とした事も橙がやってくれる。やってる事といったら、日々惰眠を貪ってパソコンを扱ってるか、天子さんと囲碁や将棋を打ってるか、幻想郷を散歩するくらいね。時々真モリヤーランド(河童が再建した)のコーヒーカップに揺られるのが妙なアクセントになってる程だ。

 

 あまりに爛れてると自覚してはいるものの、自らを叱咤する程の罪悪感にはならなかった。

 

 今日もそうだ。

 守矢神社に行って早苗から霊夢の近況を聞きつつ、香霖堂で仕入れた昭和ロボットアニメを河童贈呈のテレビで見て一日が終わった。

 流石の早苗からも「こんな事してていいんですか?」と苦言を呈されたが、暇だからしょうがない。曖昧に笑いながらさっさと退散したわ。

 

 今の生活は私が理想とした隠居後の世界に近いのだけれど、全く楽しくないのは何故だろう。何のイベントもないからかしら。

 考えてみればレミリアの大会が終わってもう半年ほど経つけど、不気味なほどに幻想郷は平穏そのものだ。

 異変は起こってない。大妖怪の衝突もない。真新しい情報も一切ない。AIBOだって、月面戦争に行かない旨を確認したらすぐ引っ込んじゃってそのままだし。

 

 激流のように全てを押し流さんとしていた怒涛の悪意はすっかり雲消霧散してしまったかのように、世界は平和になった。まるで必死になって賢者を辞めようとしてた私を嘲笑っているようだ。

 

 イベントといえば、まだレミリア達のロケットは出発してないのよね。よく分からないけど、技術的な問題が発生したから延期になっていると天子さんが愚痴ってたのを覚えてる。まあ行かないに越した事はないわね。

 それで何故か苦情の手紙がウチに届くのはどういう事なんでしょうね? 八つ当たりかな? 

 

 

 

「今日は迷いの竹林とやらに行ってきたぞ。あんまり気持ちの良い場所ではなかったがそれもまたよし。屋敷の主人から筍をいっぱい貰えたしね」

「それで夕飯がこんなにも筍尽くしなのね」

「迷いの竹林の筍は成長が早い故、余らせる訳にもいきませんから。放置してると明日には台所が竹藪になります」

 

 藍の言葉の節々から舌打ちが聞こえたような気がするけど、まあ気のせいではないんだろうなぁと思いつつ煮付けを口に運ぶ。美味しければ何の問題もないわ。

 夕食の時はずっとこんな調子だ。

 幻想郷を探索している天子さんが嬉々としながら報告して、それに対し藍から変な嫌味が飛んで喧嘩に発展するまでがいつもの流れ。そしてそんな惨状に目もくれず一心不乱に飯を貪るルーミアにも感心する毎日だ。

 

 なんでルーミアが居るのかって? ほら、永夜異変の時に三食全て私が面倒を見るって報酬があったでしょ。あれのせいね。最初は時々上がり込んできては冷蔵庫から勝手に食材を持って行くぐらいだったんだけど、ここ最近は毎日のように食卓を囲んでいる。恐らく藍のストレスの原因その1である。

 

 ルーミアに理由を聞いても「妙な詮索は契約違反に該当するよ」って言われて躱されてしまう。ご飯が絡むとやけに強かな妖怪よ。

 まあそんな感じの毎日なので藍の機嫌は毎日悪化の一途を辿っている。橙にはなんとか頑張ってほしいところだが、あの子もあの子で結界管理の勉強で忙しそうだからなかなかウチにまで来れてないのよね。

 暇なのは私だけか? 

 

 

 なんか悲しくなってきたので食器を洗ってすぐ布団に潜り込んだ。眠りは良いものだ、嫌な事全てを一時的に頭から追い出してくれる。ドレミーの力がなくても夢見は良いままだしね。

 もはや冬眠春眠待ったなしである。

 

 と、半ば日課となったチャットルームでの就寝宣言を送信し、そのままパソコンを閉じようとした、そんな時だった。

 一件のメッセージが飛んできた。

 

 なんとHEKAさんからだった。この時間帯はあまり出てこない方だから、ほんの少しの物珍しさでメッセージに目を通してみる。

 

『やっほーゆかりん! ちょっと時間いいかしらん?』

『こんばんわHEKA。どうしたの?』

『お休み前にゴメンネ(>人<;) 実は近々日本に行く予定があってね、その道すがら幻想郷に寄ろうと思ってるの。だから事前に言っておかなきゃって』

『えー! いいなー! 私も行きたい!』

『ウサちゃんはまた今度(^_−)−☆』

 

 幻想郷行きをせがむ菫子と軽快なノリでそれを宥めるHEKAさんのやりとりをほのぼのとした気持ちで眺めながら、早くも『その日』の計画を練っていた。

 これは俗に言うオフ会というやつよね。厳密には菫子やマミさんとは会ったことあるけど、あれはSNSで知り合う以前からの仲だし。

 つまり顔も声も素性も知らないお友達と初めて顔を合わせる事になる。ワクワクと同時にとんでもない不安が込み上げる。

 おめかししなきゃ! 

 

 HEKAさんに了解の意を伝え日時を合わせる。明後日には幻想郷地下の新地獄に着くとのことだったので、逆算して色々準備しよう。

 いやぁとっても楽しみね! ようやく発生した私的なイベントに胸が高鳴るわ! 

 

 久方ぶりに上向いた心に温かい思いを感じながら今度こそ布団に潜る。今日は大変夢見心地ですわ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「どうかしら? ちょっと張り切り過ぎかと思ったんだけど、似合ってる?」

「……普段とはまた違った魅力を感じます。大変お似合いだと思いますよ」

 

 久々のおめかしだったからね、世俗から浮いてないか念のため藍に聞いたみたら、まさかの太鼓判! 彼女自身もなんだか嬉しそうな様子でそんな事を言ってくれた。褒め言葉がお上手ですわね! 

 といっても軽くお化粧しただけでここまで褒められても少しこそばゆいですわ。服装はいつもの導師服とかドレスじゃなくて、外行き用を霖之助さんに用意してもらったけども。

 

 あと仕上げとして、藍に髪を結ってもらう。

 

「今日はとても機嫌がよろしいようで」

「あら、そう見える?」

「ええとても。久々に紫様の笑う姿が見られて藍は嬉しゅうございます」

「人との出会いは宝ですもの。友人が増えるに越した事はないわ」

「仰る通りです。しかし出会いも千差万別、どのような輩であるかは十分に吟味すべきかと存じます。誰に対しても分け隔てなく接するお姿は間違いなく紫様の数多き美点の一つでございますが、ゆめゆめお忘れなきよう」

「大袈裟ねぇ」

「紫様には不要な心配だとは思いますが、今日は些か警戒が薄いご様子。何卒ご注意を」

 

 顔に出ちゃってたかしら。弛緩してしまってる頬を掌で吊り上げる。

 危なかったわ。あまり羽目を外さないよう気を付けないといけないわね。SNS上でのノリをリアルでも振る舞ったらドン引きされるなんてケースは枚挙にいとまがないとよく聞くものね! 

 

 鏡の前でムニムニと顔を弄ってると、藍がそわそわしながら近付いてくる。

 

「……そういえば、霊夢の事ですが」

「ああうん。何か?」

「……いえ。お戻りになられてから報告させて頂こうかと」

 

 ほんの数瞬だけ、変な緊張感が生じた。

 どうも我が八雲内で『霊夢』がデリケートなワードと化してるような気がする。藍や橙には変に気を使わせちゃって悪いわね……。

 この数ヶ月間、意図的に霊夢を無視し続けてる訳だけど、このままでいい筈がないのは私だって分かってるのよ。どうすればいいか分からないだけで。私だってあの子と和解したいって思ってるのは嘘偽りのない本当の思いだ。

 変に突っ込んで修復不可能なまでに泥沼に陥るのが嫌だから踏ん切りが付かないんだけどね! 

 

 はぁ……やめやめ。今日はHEKAさんとのオフ会なのよ! 今日一日だけでも日頃の憂慮を捨て去ろう! 気分転換すれば良い案が浮かぶかもしれないし! 何よりHEKAさんから暗い奴って思われたくないもんね。

 

「行ってくるわね」と藍に一言告げてスキマを開く。待ち合わせ場所は人里の外れに建つ老舗の茶屋である。妖怪の出入りが多いのが特徴だが、それでいて人間にもそこそこ人気な評判店。

 萃香みたいなならず者と楽しむなら鯢呑亭とかが良いんだろうけど、HEKAさんは地獄のファッションリーダー! 今をときめくイケイケな人! 場所は丁寧に選ばなきゃ失礼になっちゃうわ。

 まずはザ・日本文化を堪能して頂こうって寸法よ! 

 

 さてさて店先の縁台を予約席で指定してたんだけど、何故か先客が座ってるわね。何かの手違いかしら? まあ、私はちょっとしたミスでクレームを入れるような心の狭い妖怪ではない。それとなく店員に視線を向けて声掛けしてもらおう。

 しかしながら配膳役どころか受付の人すら居ない、もぬけのから。私の予約をスルーしやがってますわねこれは。これは、そう、腫れ物を扱うかのような対応だわ! 

 ゆ、許せない……! クレーム入れてやるんだから! 

 

 いやまあ、私から先客の方に話を通せば良いじゃないかって思うかもしれないけど、その先客もちょっと……声を掛けづらいっていうか、関わりたくないっていうか。店員さんが声を掛けられないのも仕方ないと納得してしまうほどのナニカがあった。

 なんか捻じ曲がってるのよね。色々。

 伊達に数百年幻想郷で生きてきた訳ではない。本能的にヤバい奴と安全な奴から発せられる波動の違いが分かるように私は進化したのだ。

 

 まあ、直視できないレベルの奴は久し振りだけどね。

 逃げよっか。

 

 ただの通りすがりを装いつつ茶屋からの避難を試みる。先客さんの意識に入らぬよう細心の注意を払い、それとなく距離を取る────。

 

 

「あら、もしかしてゆかりんじゃない?」

「……は?」

 

 茶屋とは反対側、つまり私の避難経路のちょうど真正面からやって来た人と目が合ってしまった。こんなタイミングで私の名前を呼ぶのは、やはりHEKAさんしかいないだろう。

 

 しかし私は信じたくなかったのだ。脳味噌が理解を拒み、私は自らの光を塞いだ。

 

 HEKAさんは地獄のファッションリーダー。今をときめくナウでヤングなカリスマスターなのだ。断じてあんな『変なの』ではない。

 私の憧れがあんなのであってはならない。

 

「やっぱりゆかりんでしょ? ゆかりーん?」

 

 やめろ! 私の名を呼ぶんじゃあないッ! 

 ちくしょうダメだわ。目を閉じながらじゃ相手とコミュニケーションを取れない! しかも私の背後には例のヤバい先客が居るのだ。留まり続けるのはマジヤヴァイ! 

 私は苦肉の策として俯きつつ相手の足を見ながら話す事にした。基本的には写輪眼と同じ対処法である。ガイ先生ありがとう。

 

 ……裸足かぁ。

 まあ浮いてれば関係ないしね。私も時々靴下だけで出かけたりする事あるし。

 

「HEKA……でいいのかしら?」

「ご名答! んもう、ゆかりんったら無視するなんて酷いじゃない」

「……逆によく私だと分かりましたね」

「幻想郷の人達に予め聞いておいたのよん。それに一目見れば分かったわ」

「そ、そう」

 

 逃げ道は初めからなかったか。

 誠に遺憾ではあるのだが、どうやら目の前の人物がHEKAさんであるのは間違いないようだ。いやホント認めたくない。

 目が痛くなるほど真っ赤な髪。チョーカー? から伸びる鎖に繋がれた月、地球、木星擬きを模したオブジェを両手と頭上(帽子の上)に乗せている。極め付けにクッソダサい猟奇的なTシャツ、どぎつい配色のスカート。

 

 くっ(心が砕け散る音)。

 

「それじゃあ合流できた事だし予定通りジャパニーズカフェに行きましょ。其処でいいのよね」

「そうなんだけど、問題が……」

「あっ純狐おまたせー」

 

 躊躇なく歪みに飛び込むHEKAさん。気さくな呼び掛け、親しげな様子。つまるところ、二人は友人関係にあるわけだ。オフ会にリア友を呼ぶなんて禁じ手中の禁じ手……! (ネット調べ)

 考え得る限りで最悪の展開である。これからこの二人とオフ会するの? 心が木っ端微塵と化したこんな状態で? 帰りたいですわっ! 

 

 そんな冷や汗を滝のように流してる私など気にした様子もなく、HEKAさんは縁台に腰掛けると店内を伺っている。お友達さんは相変わらず歪んでて見えない。ていうより見れない。

 HEKAさんは兎に角、あの澱んでる人は危険だ。ロックオンされてる現状、逃げようものなら背後から狙い撃ちされかねない。

 

「店員が居ないわね、シエスタかしらん。あっ、ゆかりんも座ってちょうだいよ。そんな所で突っ立ってないで」

 

 ポンポンっと、縁台を叩いて私を手招く。なんで貴女と御友人の間に座らなきゃいけないの? いやまあ座りますけれども……! 

 うぅ……圧力が凄い。

 

「居ないんじゃ仕方ないし、店員が戻るまで適当に駄弁ってましょ。さて、ようやく会えたわねゆかりん。私の名はヘカーティア・ラピスラズリ、地獄のファッショニスタとついでに女神をやらせてもらってるわ」

 

 うん、プロフィール通りね。現実が追いついてないけども。

 ていうか地獄の神って何? 四季映姫より偉いのかしら。今度説教の話題を逸らすのも兼ねて聞いてみよう。

 

「私は八雲紫と申します。貴女と会える日をずっと心待ちにしていましたわ(過去形)」

「うんうん。そしてこっちが純狐、私一番の友人よん。仲良くしてあげてね」

「よ、よろしくお願いしますわ」

嫦娥殺

 

 え、なんて? 

 

「それにしても良い所ね幻想郷。私の地獄とどっこいって感じね」

「身に余る光栄です。ヘカーティアさんの地獄、といえばギリシャの? ハーデスさんとかペルセポネさんとかが居る地獄だったかしら?」

「そうそうそこら辺。まあ今は出払ってて管理に戻るのも稀なんだけどね」

「管理方法も人それぞれですものね。……御友人の純狐さんも地獄の方かしら」

「いやいやこの子は神でもなければ罪人でもない。復讐に取り憑かれたちょっとだけ可哀想な子なのよん。仲良くしてあげてね」

嫦娥殺

「どうも」

「いつもはもうちょっと話ができるんだけど、今は絶賛嫦娥ぶっ殺す期だから荒れてるのよ。普段はとっても良い子よん」

 

 そ、そうですか……。

 依然として視認はできないが、嫦娥って人を殺したい気持ちは嫌というほど伝わってきましたわ。なんというか、大変ね(白目)

 

 あと嫦娥といえば聞いたことがあるわ。確か夫を取っ替え引っ替えして不死の薬を飲んだ挙句、月の都に逃亡してカエルになったとんでもない奴だったかしら。

 うーん、悪女。

 

「そうそう、今日幻想郷を訪れたのも純狐の復讐に関係があるのよん。ほらいつか言った約束覚えてる? 月で一緒に写真撮ろうって」

「ええ覚えています」*1

「そろそろ私達も本腰入れて連中をぶち殺してやろうと考えててね。ただ奴等、最も醜悪な種族らしく嫌らしい手を好んで使うわ。だから一気に圧殺しちゃうのよん。ゆかりんと幻想郷も加わって一緒に潰しましょう」

「嫦娥を?」

「月の都も一緒にね。ジャパニーズ族滅! ジャパニーズ根切り!」

「杀死所有」

 

 オフ会が外交会議にクラスチェンジした件について。HEKAさんの澄んだ笑顔と共に隣からの圧がより一層強くなる。空間が捻じ曲がって私の左腕がグニャグニャになってるのは目の錯覚だと思いたい。

 空を仰ぎ見る。

 深く熟考するフリをして藍に救難信号を送るが、うんともすんとも言いやしねぇ! ジャミングされてやがりますわね……! こんな化け物が近くに居るのに誰も救援に来ない時点で嫌な予感はしたんだけども。

 

「……決行はいつ?」

「一月以内よん。ちなみに私の部下にクラウンピースって優秀なのが居るんだけど、その子が既に月の都攻略を開始してるわよん。連中は何もできずに敗走を重ねるばかりなんですって。雑魚よね」

「素晴らしい戦力ですわね。もはや我々の助力など必要ないのでは?」

「何言ってるのゆかりん! 私達『お友達』でしょう? 月を滅ぼす時は純狐も合わせて三人一緒よん! 事が落ち着いたら月にウサちゃんやマミちゃんも招待してあげましょう」

大歓迎

「菫子を巻き込むのはやめてちょうだいね」

 

 心なしかお隣からの圧が和らいだような気がする。もしここで断ればどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないわね。恐ろしや。

 いや、それでも聞かねばなるまい。

 

「もし此方側の予定に都合が付かなければ?」

()()()()()()()()してあげる。新天地を求めるのに急も何もないわよね」

「気持ちはよく分かりました」

 

 あっけらかんと言ってくれるものだ。

 正直、純狐なら『それ』も不可能ではないだろう。この人は恐らく、八意永琳レベルかそれ以上の危険度を持つ特級化け物。それも力の指向性が滅茶苦茶だから悪戯に被害が積み重なっていくタイプの奴よ。

 

 私は理解してしまった。いま目の前に居る連中はハナから話の通じるような相手ではなかった。ただの災害。破滅を呼び込む悪魔が如き邪神であると。

 まさか災厄に自ら突っ込んでしまうとは、賢者として不甲斐無し。スキマがあったら帰りたい。今度鍵山雛に除厄をお願いしましょう。今度があれば。

 オフ会がしたかっただけなのにどうしてこうなった。

 

 ……悔やんでも仕方がない。幻想郷の危機とならば話は別、賢者モードでいかせてもらう! 

 私は軽く微笑んだ。

 

「ちょうど良かったわね。我々も月侵攻への準備を着々と進めていたのよ。この奇跡的なタイミングでの意志の一致は最早天運としか言いようがない」

「流石ゆかりん! 冴えてるわ!」

「ただ大規模なものではなく、少数精鋭による電撃的な決着を予定していたわ。手抜きかと思われるかもしれないけど、幻想郷でも指折りの実力者達が選ばれています。戦力については申し分ないかと」

 

 くっ……まさかレミリアの奇行に感謝する日が来てしまうとは……! 

 

「ああ思い出したわ。チャットでも言ってたわよね、娘の巫女が色々と乗り気で困ってるって。つまりそういうこと?」

「……できれば、あの子の参加はご容赦いただきたいものですが」

「それは違うわよゆかりん。子供の羽ばたきを親が制限しちゃダメよん。過保護なのは良いけど、それが子供の薬になるとは限らない」

かわいい子供……愛しき我が子

 

 ヤンママみたいな事言われちゃった。あと『子供』ってワードを聞いてからお隣さんの雰囲気やらテンションやらがおかしくなってきたのはどゆこと? 

 

「しかし……」

「まあまあ、大丈夫。ゆかりんが前回の戦争で使った逃げ道を利用すれば簡単に離脱できるわ。万が一があっても私がどうにかするわよん」

 

 なおも渋る私を発破する為か、安心させるように優しく語り掛けてくる。

 頼りになるんだか恐ろしいんだか、もうよく分からないわね。まあ私の脱出経路だけど、実のところ不明なのだ。気が付いたら地上に帰ってたから。

 ただまあ、スキマがあれば地上に逃げ帰るのは容易だし、レミリアや天子さんがいれば月人にも対抗できるかも*2だし……うーん。

 でもなぁ……。

 

 

『介入してこないでよ。私はちゃんとやれるわ』

 

『結局、私はアンタから見て使い勝手の悪い道具でしかないんでしょう?』

 

 

 ──……ダメね、私は。

 

 HEKAさんを流し見る。彼女の言い分を肯定するように、強い眼差しを向けた。

 

「その判断、嬉しく思うわ。──好きな時に出発してちょうだい。それに合わせて私達も動く。楽しみにしてるわ、八雲紫」

「ええよろしくね、ヘカーティアさん」

「あっ、それなんか余所余所しいからもっと軽く呼んでちょうだいね。ヘカちゃんとかでも良いわよん?」

「次に会う時はそうしましょうか」

「是非そうして」

 

 人懐っこい笑みを浮かべると、HEKAさんは忽然と消えてしまった。何の前触れもなく、突然、ふわっとぱぱっと、まるで幻だったかのように。

 そしてそれに呼応して純狐さんが立ち上がる。急に動き出してビクッてなった! 

 

「今日はありがとう。共に頑張りましょうね」

 

 そう言い残し、純狐さんは歩いて何処かへ行ってしまった。最後まで謎な人だったけど、最後は何故か、悲しげに見えた気がする。可哀想な子、か。

 ていうか本当に普通に喋れるのね。吃驚したわ。

 

 って、これでオフ会終わりなの!? いやまあ、あの後も幻想郷中を連れ回されても困るけども! なんかさ……なんかさぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 全てが終わった後に気付いたのだが、多分最初から仕組まれていたんでしょうね。ヘカーティアは気付いてたのかもしれないが、引き返せる段階になかったのだろう。そもそも彼女には関係のない話だ。

 

 誰が、いつから、何故計画していたのかすら思い返すだけでも億劫になる程の恐ろしい謀略。それ程までに私が憎らしいかと薄ら寒くなった。

 その執念が私にとっては致命的だった。ほんの僅かな綻びが全てを覆し得る一撃となり、私を陥れた。

 

 最初から詰んでいたのだ。きっと。

 

*1
東方穢嫌焦 2話『欲無き者の野望(前)』より

*2
妖夢と魔理沙は添えるだけ




ヘカちゃんを構成する要素の中で一番変なのはファッションじゃなくて顔とかポージングだよって古事記にも書かれてる。
それにしてもヘカ純の二人が出てくるともう終盤って気がしますね!(伏線

ゆかりんセンサーはまあまあ優秀だけど、ゆかりんからの好感度が高くなるとどんどんポンコツと化します。フランこいし天子あたりにはもう作用してないと思われる。あとぶっちぎりでヤバすぎても作用しないらしい。具体例は今話のヘカちゃん

ちなみにAIBOですが、ファンブルが起きてなければヘカちゃんとのオフ会を止めるか代わりに出席してくれてました。さとりとゆかりんの共同やらかしです。(天子戦から目を背けつつ)
AIBOの力も無限ではないのだ。

ここ最近の高速投稿(当社比)は読者様からのご声援あってのものでございます。ありがたやでございます……! 次話で間話は終わりの予定。
感想、評価お待ちしております♡


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もうスキマには戻れない

東方儚月抄 完
ギスギス注意


 当人以外誰も知ることのない秘密の会合から一夜明け、紫は慌ただしく行動を開始していた。紅魔館へ行き、人里へ行き、最後に幻想郷の重鎮をマヨヒガに集めた。賢者会議の呼び掛けなどまどろっこしいとばかりに、自らの手で場をセッティングしたのだ。

 

 急遽集められた面々は怪訝な表情で互いを窺い見る。ここ最近、全くと言っていいほど動きのなかった紫が不可解な事を始めたのだ。警戒して当然だ。

 しかも面子が面子。権力者たる五賢者と阿求、レミリアと咲夜、幽々子と妖夢、天子と魔理沙。──あの大会絡みでの話なのは間違いない。

 

 レミリアの機嫌は頗る悪かった。何しろ自らの手で計画立案した侵攻計画を、此処にいる何名かに邪魔されているからだ。妨害に次ぐ妨害を受け、計画の延期を余儀なくされている。しかも連中の親玉は紫である。

 もしこの場で月侵攻の断念を要求してくる心算なら、過激な報復も辞さないつもりだった。

 

 そして開口一番に爆弾が投げ込まれた。

 

 

「私、八雲紫はレミリア・スカーレットによる月侵攻を全面的に支持します。ついては貴女方にも最大限の支援をお願いしたい」

 

 

 晴天の霹靂であった。

 これまで断固として月への不干渉を貫いてきた紫が、突然これまでの方針を殴り捨てるかの如き宣言をしたのだ。あまりに電撃的な発表であったことから、決意したのは最近に違いないだろう。

 最高賢者の面々は勿論、レミリアや藍にとってもあまりに急な話だった。

 

「つまり──月の都に宣戦布告する、と?」

「深く介入するならばそれも致し方ないでしょう。しかし月の都とはこれまで何度も争ってきました。今更宣戦布告の有無で何かが変わるとは思いません。あくまで形式上の問題です」

 

 紫の爆弾発言に対して毎回一番に問いを飛ばしてくれる阿求は貴重な存在である。そんな彼女に謝意を示しつつ、紫は当たり障りのない回答をつらつらと並べる。

 

 幻想郷のトップである紫が戦争を決意するのなら、否応無しに自分達にまで影響は波及する。議論は必須である。

 

「……落とし所は?」

「月の都の完全屈服。今後一切、地上に手を出せなくなる程の痛烈な一撃を加える。彼方からの敵意は既に無視できる段階にありません。ドレミー・スウィートや八意永琳の時のような事態は二度と起こしてはならない」

 

 確かに、幻想郷の安全保障において一番の脅威となるのは月勢力であるのは間違いない。ドレミーを利用して幻想郷への侵攻経路を確保していたのも、八意永琳という化け物が幻想郷に潜んでいたのも、到底無視できるモノではなかった。

 手を変え品を変え虎視眈々と幻想郷を狙うアレらの影響力を悉く排除できるなら、外患は取り除かれたも同然といえる。

 大義は十分だ。

 

「何を企んでるかはこの際どうでもいいわ。その言葉、もう撤回は許さないわよ?」

 

 妖しい笑みで圧力をかけるレミリア。

 漸く計画が進み始めたのもそうだが、それ以上に紫が乗り気になってくれた事が機嫌回復の要因である。隣で咲夜が胸を撫で下ろす。また、参加する手筈になっていた天子と魔理沙も上機嫌だ。唯一、妖夢だけが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

 紫は澄まし顔で頷く。

 

「言わずもがな今回の戦いの中核は貴女(レミリア)。やれる所までお願いね。運命を操るその能力で勝利に導いてほしい」

「完全勝利か……悪くないわね。少々腰を据えて遊んでやろう」

「確かロケットに技術的な問題が生じてたのよね? 藍、貴女なら解決できると思うのだけど、如何かしら?」

「……畏まりました」

 

 藍は肩を震わせた。

 やはり妨害は筒抜けであったかと、項垂れる。これまでパチュリーの術式を乱したり、ロケットの部位を破損させたり等、あらゆる手を使って足止めしてきた。全ては霊夢を想う紫の為に。しかし現段階ではその行いの全てが邪魔になってしまったようだ。

 紫が何故心変わりしたのかは見当も付かないが、それが主人の望みなら従うのみ。

 

「天子さんと妖夢にはレミリアの補佐と状況判断をしっかりお願いしたいの。引き際を誤らないよう注意深く、ね」

「ぜ、全面戦争なら私なんかより適任がいるのではないでしょうか……!?」

「……月の都が誇る最高戦力の一角に『綿月依姫』と云う者がいます」

 

 問いには答えず、遠い目で在りし日を思い返しながら淡々と語る。

 

「アレを如何に足止めするかが勝利の鍵となるでしょう。そして奴は剣術の達人──言いたいことは分かってもらえたかしら」

「紫。あんまり妖夢を虐めないでちょうだいね」

「本当なら貴女(幽々子)にも色々お願いしたいのだけどね」

「あらそうなの?」

 

 ほんの少しの緊張感を孕んだ静寂。

 居心地が悪くなったのだろう。妖夢の隣で胡座をかいていた魔理沙が手を上げる。

 

「おいおい私には何も無しかよ?」

「勿論、重要な役目があります。戦力としてもそうですし、何より──霊夢のこと」

「お守り役ってわけか」

「貴女がいるから霊夢の件に関しては折れたのよ。私が何を言いたいのか、聡明な貴女なら分かってもらえるかしら」

「……良いんだな? 私としちゃアイツに不足があるとは思えんから喜んで連れてくぜ。なぁ、お前もそう思ってた筈だろ?」

「魔理沙、やめろ」

 

 不満げに紫へと投げ掛けられた視線を藍が払う。霊夢と魔理沙は自他共に認めるライバル兼親友である。霊夢の強さを最もよく解っているのは自分か、若しくは紫だろうと思っていたからこその不満だ。

 紫は明確な回答を避けた。

 

「……霊夢に万が一があると判断した場合は、どんな状況下であろうと退いてもらうわ。それが今回の支援における唯一の条件。いいわね?」

「ん、いいわよ。まあ、その万が一は絶対に有り得ないと明言しておくけど」

「紅魔杯の時も同じ事を言ってたわね」

 

 今度はちゃんとやれよ、と釘を刺す。やはり霊夢の派遣には未だに難色を示しているようで、嫌々な雰囲気は拭えない。許可はするが納得はしてないのだろう。

 だが意志は示した。

 

 後は幻想郷の同意を得るだけ。

 賢者四人に向き直る。各々が違う思惑を含んだ眼差しで紫を見据える。

 

「どうか皆様、賛同いただきますよう──」

 

「反対です」

「反対っ!」

「賛成しよう」

「……賛成します」

 

 多数決を取ると必ず割れるのは最早お約束である。しかしこれは紫自身、半ば予想した結果だった。そしてそれでも問題ないと考えたからこそ今回の動きに踏み切ったのだ。

 華扇は穏健派寄りの中立である為、月への外征など以ての外。はたても基本的に武力による紛争解決を好まない性分であり、かつての後ろめたい歴史が影響している。

 しかし他二人が賛成してくれるなら多数決で紫の勝ちである。隠岐奈と正邪は同派閥の盟友である(と勝手に思っている)為、いわば出来レース。

 情けない声を上げながらはたては崩れ落ちた。

 

「ついに月との因縁に終止符が打てるのだ。ここで動かない手はない。なあ正邪殿? お前もさぞ嬉しかろう」

「あくまで実利を鑑みた上での判断です。私情は一切ございません」

「天晴れな精神だ。さて、段取りを御教授願おうか」

 

 トントン拍子に話が進む。生じた歪みを、不和を切り捨て、兎に角進み続ける。

 これまでにない、えも言えぬ気持ち悪さを抱えたまま目的へと邁進する。紫にとって初めての感覚。それでもやるしか無いと、疑念を振り払う。

 

 なんとかなると信じて突き進むしか。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 会合が終わった後、一旦八雲邸に戻り身体を休める。朝から幻想郷中を駆け回ってたおかげで疲労困憊よ。精神への負荷も大きい。今回ばかりはあまりにも周りに迷惑をかけ過ぎてる自覚があるからね、頭が下がる思いだ。

 月との戦争自体を悲観してる者は居ないけど、私の変わり身の早さに不信感を募らせてるような気がするわ。良い関係を築けてた筈の阿求やはたてからは愛想笑いを貰った。きっと本心では私の事を罵倒したかったのだろう。

 

 計画通り進んでいるのに、纏まりを欠いている。なんだかんだで今まで一枚岩でやってこれてた奇跡を実感できるわ。はぁ……辛い。

 

 まあ、気を取り直しましょうか。

 望まぬ形で始まる戦争とはいえ、成功すれば私にとってのメリットも大きい。なんと言っても不倶戴天の敵である月の一派を排除できるんだもの! 私の平穏な隠居生活にまた一歩近付くって話よ! それに……霊夢と仲違いする理由も無くなるしね。

 

 何事もなく終わればきっと何とかなる! これまでも何だかんだで上手くいってきたんだし、今回だけ無理に悲観する必要は無いわ! 

 HEKAさんの発破が無くてもレミリアは勝手に月に行ってただろうしね。それの成功率を上げるお手伝いをすれば良いだけだ。霊夢だって、天子さんと妖夢にお任せすれば危険に陥ることもないと思う! 

 

 ヨシ! 段取りを再確認しましょう。

 

 

 まず満月の数日前を狙ってレミリアロケットが打ち上げられる。搭乗するのはレミリア、冷血メイド、霊夢、魔理沙、天子さん、妖夢の6人! これ以上は定員がキツくなるので連れて行く予定だった妖精メイド達はリストから除外したらしい。

 このロケットに乗る面々が第一陣。かつての激戦地である砂浜を目標に降り立つ予定である。奴等も穢れた地上の者どもの都への侵入を許す訳にはいかないだろう。前回と同じく、砂浜で迎え撃とうとする筈。当然、その中にはあの綿月依姫が居る。

 第一陣の役目はこの迎撃部隊の足止め若しくは撃破。そしてスキマ移動の為のポータル式神の設置。これらが不可能なら月の都攻略は諦める予定よ。

 

 成功すれば式神を通して把握した座標にスキマを開き第二陣を侵入させる。このメンバーは紅魔館の面々や藍、オッキーナの部下を予定してる。

 また同時にHEKAさん勢も攻撃を開始! 一気に月勢を押し切ってしまう計画だ。チャットで事前の打ち合わせも完了している。菫子が何事か驚いてたわね。

 ついでに秘密裏に月の都に潜入して後方撹乱を狙う人員も用意しようと思ってるわ。

 

 ふふん、どんなもんよ! これぞ稀代の軍略家、八雲紫の智謀よ! 幻想郷の諸葛孔明とは私の事である。ちなみに仲間はみんな諸葛亮並みの知略を持った呂布ね。

 まあ作戦自体は問題ないだろうと賢者の皆さんからオッケーサイン貰ってるから、まあいいんでしょう! ちなみに私は幻想郷で待機して情勢を見守るわ。

 言い出しっぺでホント申し訳なくなる……! けど私が前線に出ても邪魔になるだけだと思うのよね。分かるでしょ? 藍やオッキーナからも「絶対出てくんな」って念押しされてるし。

 

 かなり大掛かりな幻想郷を巻き込んだ一大作戦。総力戦とまではいかないけど、勢力の垣根を越えて大規模な戦闘を行うんだもの。あの幻想郷に悪名轟かす化け物達が力を合わせる事を鑑みれば、戦争の行方を一々恐れる必要など皆無に思えてしまう。

 あの恐ろしさ悍ましさを身を以て体験してるからこその歪な信頼ね! 年季が違うわ。

 吸血鬼異変の時も、八意永琳の時も暴力で粉砕できた。今回だってきっと大丈夫だと思うことにしよう。いやまあ永琳の時はかなり危なかったけれど。

 

 

 さてと、そろそろ動きましょうかね。

 橙の淹れてくれたお茶を一気に飲み干し、我が式達に外出を告げる。そろそろ出る頃と思っていたのだろう。藍は頷くだけだった。

 

 行き先は博麗神社。

 目的は勿論、霊夢との対話よ。ギクシャクしたままじゃ色々と儘ならないだろうし、皆からもさっさと仲直りしろって言われてるしね。

 気が重い……。

 

 境内に降り立つと、ちょうど参道の落ち葉を掃いている霊夢を見つける。後ろを向いてたので、少しだけホッとした。ほんの少しだけね。

 と、気を利かせた狛犬のあうんちゃんが実体化して灯籠の後ろに隠れた。話に集中させてくれるようだ。逆に目立つ気もするが、好意は素直に受け取っておこう。

 

「おはよう、霊夢」

 

「……」

 

 予想通りだ。霊夢は一言も発する事なく落ち葉を掃いている。とっても悲しいけど、問答無用で攻撃されなかっただけマシなのが実情だ。これは寧ろデレていると見ていいだろう。八雲紫、勝機を見出しましたわ! 

 さて、切り込むわよ! 

 

「今日はいい天気ね。あと一月で境内の桜も芽吹く頃、春告精が待ち遠しい季節ですわ。春になったら花見をするのでしょう? じきに萃香が押し掛けてくるだろうから準備しておかないといけないわね。勿論、私と藍も手伝うわ。ここだけの話、宴会になるたび貴女に負担を掛けてしまって申し訳ないと思ってるのよ。アリスが居てくれればまだ楽だったんだろうけど、あの子ったらまだ魔界から帰ってきてないのよね。怪我もそうだけど、神綺さんと揉めてなきゃいいんだけど。あっ、そうそう懐かしいわね、貴女が魔界に行った時の話。やんちゃし過ぎて神綺さんに怒られて、魔界から出禁になったんだったかしら? いつか謝りに行かなきゃダメよ? 共犯の魔理沙と一緒にね。幽香は……居なかったものとして扱いましょう。そういえば後から聞いたんだけど、太陽の畑で魔理沙と幽香が暴れてた時、霊夢が止めてくれたんですって? ふふ、調停者として申し分のない働きね。素晴らしいわ。おかげで荒廃した太陽の畑の復興も間近よ。これで幻想郷も──」

 

(やかま)しい」

 

 殺気混じりの一声に身体が固まる。これは……もしかしなくても一歩前進ではなかろうか? 霊夢との対話に成功した! 取り敢えず手当たり次第に思い付いた話題をぶつける作戦は大成功のようだ。

 後は霊夢を振り向かせれば勝ちよっ! 

 

「相変わらずで安心したわ。改めて、おはよう霊夢。随分久しぶりのお話ね」

「アンタと話すくらいなら【擬き】の方と仲良くやってた方がまだマシよ」

「呼んでもいいけど、彼女最近疲れ気味みたいだから出てきてくれるかは分からないわよ?」

「別に呼んでないわ。絶対呼ぶな」

 

 AIBOの人気に嫉妬……! まあこんな事で呼び出されても困るだろうし、まだ引っ込んでてもらおうかしらね。あくまで私と霊夢の問題だから。

 あんまりにも巫山戯過ぎて反感を買っても本末転倒だし、本題に入りましょう。

 

「レミリア達に付いて行く件……許すわ」

「そう。切り捨てる準備ができたって事かしら? 早苗にでも跡を継がせるつもり?」

「馬鹿な事を言わないで頂戴。これから起きる月面戦争の敗北条件の一つは貴女よ。もし危害が及ぶような事態になれば、その時点で作戦は終わりです」

「妖怪に大事にされる程落ちぶれちゃいないわ」

「妖怪だけじゃない。幻想郷の宝よ」

 

 思わず溜息が溢れてしまう。

 霊夢は同じ場所をずっと掃き続けている。

 

「それだけ危険が伴うの。貴女達が相対する敵は、恐らく月の都最強の存在。アレを止めるにはどうしても貴女の力が必要になる場面があると思う。八意永琳を屠った時のような力を発揮すれば」

「それがアンタの勝てなかった相手ってやつ?」

「……そうね。私では勝てなかった」

 

 というより勝負になる筈がない! 月に上陸してから無我夢中で逃げ回ってただけだしー! 多分そんな私の滑稽な姿が目に付いたんでしょうね。そこからまさか何世紀にも渡る粘着を受けようとは夢にも思わなんだ。

 陰湿残忍冷酷。萃香のドス黒さを数百倍にも煮詰めた濃度に至る暗黒成分の坩堝。畜生よ! 畜生! 

 

「お願いね、霊夢。無茶だけはしないで」

 

 歩み寄り、霊夢を抱き締める。

 手の動きが止まった。

 

「大切だからこそ貴女の意思を否定してしまった。正直言うと、今でもやめて欲しいと考えているわ。でも、それは違うんじゃないかって思い直したの」

 

 どう建前を用意しようが、この想いだけは変わらない。これだけは絶対に覆るはずが無いのだから。

 分かってくれなくてもいい。それでもこれだけは伝え続けなきゃいけない。

 

「貴女が無事なら月がどうなろうがどうでもいいの。兎に角何事もなく帰ってきて欲しい。子供の無事を願わない親は居ないわ」

「……」

「いつも酷な役目を押し付けてごめんなさ──」

「そういうの、もうやめてよ。紫」

 

 嘘偽りのない本心からの言葉だった。純狐さんから怒りの報復を受けようが、霊夢を失ってしまう事に比べれば些細だと断言できる。貴女を絶対に喪いたくないのだと。

 けど、その拒絶の言葉は私の想像を絶する程に深刻で、霊夢が心から願っているのだと気付いた。頭が真っ白になってしまう。

 

「心にもないことを言って私の機嫌を取ろうとしても、ただ困るだけよ。本音で話してくれた方が幾分楽になるんだけど、どうかしら?」

「本音、ですって?」

「アンタの優しさは本物で、きっと偽り無いものなんでしょうね。嘘も多分吐いてないと思う。でも、本当のことを話したことは一度たりとも無いわ」

 

 じっとりと、嫌な汗が背筋を伝う。

 

「知ってるでしょ? 私って勘がいいの。時たま知る由もない裏側が見えたりする。隠したい事、公言できない事──全てが」

 

 霊夢は振り返った。

 その瞳は見る者を全てを遠ざける淡い感情を映している。

 

 

「分かるもん。アンタは私の事を『子供』とか、そういう風に思ってなんかない」

 

 

「そんなことはないわ。娘よ」

「違う。絶対に」

 

 刺々しい言葉とは裏腹に、霊夢の顔に色は無かった。とうの昔に導き出した答えに今更動じる必要もない、ということなのか。

 仄かな陽光すら通さない曇天が私達を見下ろしている。身を引き裂くような寒風が吹き付ける。血が巡って頭が痛む。とても熱い。

 

「これ以上、私を弄ばないで。もし本当に私の事をどんな形であれ大切に想ってるなら、もうそんな酷いこと、言わないで欲しい」

「……傷付いた?」

「さあね」

 

 霊夢の顔が綻んだ。でもそれは、歓喜でも安堵でもなくて……諦め。

 乾いた笑みだった。

 

「紫の側にはいつも誰かが居る。だけど……私には最初、紫しか居なかった。アンタしか居なかったのよ。なのに──酷いわね、ほんとうに」

 

 

 風に靡いた髪、揺れる瞳。

 溢れた雫はきっと渇きを齎すのだろう。

 

 深刻な行き違いが生じていると気付いた。私の本心が霊夢に伝わってなかったのならそれは悲しいことだが、少なくとも否定は容易だと思った。彼女への想いを伝え続ければ、きっと分かってくれるだろうと思った。

 否定が本音というならそうなんだろう。

 

 言葉は出なかった。

 声無き言葉は泡となって空に溶けた。

 

 私は答えを持ち合わせていない。

 突き付けられた本音が、頭を覆っていた霧を拭い去っていくようだった。

 

 親に飢えた事のない私に親子の情など理解できるはずがなかった。勝手に思い込もうとしていたんだ。

 

 霊夢の事を愛している筈なのに、その愛の名前が分からない。傍から見た関係性で『娘』と公言していたに過ぎない歪な繋がり。

 博麗の巫女の歩む道が苦難の連続であることは知ってた筈なのに、それを霊夢に任せるのに一切の疑問も、苦悶も無かったのを覚えている。

 そうなって当然だからだ。

『物』と言うなら、確かにそうなのかもしれない。だけど『物』に抱くには、この想いはあまりに愛おしく、あまりにも苦しい。

 

 この感情を表す適当な表現は終ぞ思い浮かばなかった。

 

 彼女にとって、私はなんだ? 

 私にとって、博麗霊夢とはなんだ? 

 

 私は徒に霊夢を傷付けて、何がしたかった? 

 否。何もできなかったのだろう。

 

 

 

 

【いい加減になさい。もう終わりよ】

 

 心のうちから込み上げた声にハッとなる。気付けば霊夢はおらず、侘しい境内が私を睨み付けていた。時間の経過すら掴めない。

 震える足で帰路に着く。スキマであっという間に帰るよりも、気を紛らわせたかった。自分と向き合う時間が欲しい。

 

「ねえ、私には答えが分からないの」

【私にも分からないわ。分かるように出来ていないから。でも貴女と霊夢なら……十中八九霊夢の方が正しいのでしょうね】

 

「私は霊夢を……愛していないのかしら」

【それは貴女自身で見つけるべき真実。けど知らない方が二人とも幸せなのは間違いないわね。探究心は色んなモノを奪って行くわ】

 

「知る事って、なんでこんなに苦痛なのかしらね。いつだって、どんな時も」

【知ろうとしていなければ、今の貴女は存在していない。それはとても幸福な事なことじゃなくて? その苦痛が良いものになるかどうかは、これからの貴女次第でしょう】

 

 未来志向なAIBOに思わず笑ってしまった。

 彼女ほど聡明な八雲紫で在れたなら、きっと霊夢を悲しませずに済んだのだろう。

 今は兎に角、悔いるしかない。

 

 

 

 

 数日後、霊夢達を乗せたレミリアのロケットは無事発射され、月へと飛び立った。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「私の部屋を懺悔室みたいに使うのは如何なものかと思うけどね」

 

 不満げにジト目を此方に向けるフラン。外の世界から買ってきたスイーツ分と合わせて機嫌半々といったところか。いやもうね、ここしか無いのよ。

 藍や橙に話しても心配されるだけだし、賢者仲間のみんなに話しても情けない同僚の姿にゲンナリされるだけだろうし、ルーミアの闇からは追い出されちゃったし! 

 その点フランの部屋は良いわよね。カビ臭くて地下深くに位置する此処は今の私にピッタリな場所である。可愛くて優しい女の子が二人もいるしね! 

 

「ならさならさ、お姉ちゃんに相談すればー? 多分、そういうのにめっぽう強いよ! 的確かは知らないけどー」

「私の方に非があるのは明確だから、詰られるだけだと思うのよね……」

「ダイジョーブよ。お姉ちゃんゆかりんにはとっても優しいから!」

「どうかしらね」

 

 カップに入ったバニラアイスを何故か食べる訳でもなく、一心不乱に見つめているこいしちゃん。遠慮しなくていいのにね。

 まあ彼女の言う通り、さとりなら的確な答えを用意してくれるんだろうけど、正直今回に限ってはそれを聞くのが怖いのだ。自分で答えを知らなきゃいけないのだという観念を自身から強く感じる。

 

「霊夢って紫が絡むとすぐ弱くなるよねぇ。貴女の居ないところだといつも目をギラギラさせててねー! もう兎に角エキサイティングよ」

「なんとなく分かるわ。やっぱり私が枷になってるって事なんでしょうねぇ」

「いやそれは知らないけどさ」

「私が居ない方がいいのはそうなんだけど、見てないと心配なのよね。今もまだロケットの中でしょうけど、途中でエンジントラブルでも起こって墜落してないか、とか。月に着いてからも心配だし……」

「まあお姉様が居るし大丈夫でしょ。ああ見えて引き際の見極めはちゃんとしてるから。それに霊夢なら宇宙空間に放り出されても多分生きてるわ。多分他の連中も」

「月かぁ。私も今度行こうかなぁ」

 

 やっぱりシスターズと話してると安心するわ。フランはインテリジェンスに私の不安を悉く取り払ってくれる。こいしちゃんは不思議系で可愛い。

 あと何気に二人とも姉への信頼が窺える。特にフランの方はレミリアとの関係改善が進んでいるようでなによりである。私も同じくらい霊夢と分かり合えてれば良かったんだけどねぇ……はぁ……。

 

「ゆかりんってね、無意識的な部分が多いの。だから自分の行動に一々疑問を持たないで済むし、裏に潜むしがらみとか全部取っ払って人と話せる。それってとっても素敵な事だと思うんだよね」

 

 おっと、何やらこいしちゃんが電波を受信したようだ。ニコニコ笑顔で聞いてあげよう。

 

「今回はその無意識で動いたり感じたりしてた部分を巫女ちゃんに穿り出されちゃったから戸惑ってるんだよ。だから自分の無意識……というか、行動原理を一度見直せば自ずと悩みは解決できるんじゃないかな?」

「行動原理……?」

「自己愛だよ! ゆかりんってね、自分のことが大事で大事で仕方ないの。だからみんなに無償の愛を振り撒くことができるの。たとえ自らの命を賭しても」

 

 褒められたりディスられたりね! ていうかちょっと言ってることがよく分からないわ。流石のフランもこいしちゃんの言葉に並ならぬものを感じたのだろう、手に持ったプリンを机に置いて此方を見ている。

 そもそもねぇ……。

 

「自己愛と他者への無償の愛って相反するものじゃ無いかしら?」

「生きる事ってさ、不安やストレスから逃れる等の回避行動の連続だなんて言ったりするけど、時にはそれらに自分から向かっていってしまうこともややあるよね。なんだってそんな行動を取るのか、理解に苦しむことだって。──結局、心を動かすに足るものなんてこの世に一つしかないの。ただそれがどの方向にどう作用するのか、自己と他者のどちらに向けられるのか、たったそれだけの偏差。だって善も悪も区別し得ないのは、元々が一つの起源から始まっているから」

 

 おっと哲学の時間かしら? 

 いやぁ参ったわね。まさかこいしちゃんがこんなにインテリジェンスかつフィロソフィー系の妖怪だったなんて。普段なら私も話に興じるところですけども、今日はもういっぱいいっぱいだから降参よ! 

 曖昧に笑い掛ける。

 

 フランはずっと変わらず、スプーンを咥えたまま私達をジッと見ているだけだった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 夕餉の時間。

 ほんの数日前までワイワイと活気のあった居間は静まり返って、物々しい雰囲気に包まれている。食卓を囲んでいるのは私と藍の二人だけ。こんな時に限ってルーミアはさっさと帰ってしまい、良い意味でも悪い意味でも盛り上げてくれた天子さんは居ない。

 別に藍とギスってる訳じゃなくて、ついに決戦の日間近という事で私が緊張してしまっているだけの話である。

 

 明朝、ロケットが月に到着する。

 戦端が開かれれば否が応でも対処を迫られる。増派か、撤退支援か。万事藍に任せているとはいえ、決定したのは私の意思だ。どういう結果であれ恙無く終わって欲しいものだが。

 

「紫様、今日は早くお休みくださいませ。明日からは例の件で私が動けなくなります。ご負担が増える事も予想されます故、何卒」

「そうね。ありがとう」

「……」

「……ご馳走様でした」

 

 前言撤回。どうやらギスっているようだ。

 まるで一昔前の、藍に遠慮してギクシャクしてた頃に戻ってしまったみたいね。実際状況は似たようなもので、藍への申し訳なさや、その他色々な心労で簡単な受け応えも難しくなってるのかも。自分の異常は自分からじゃ気付けないもの。藍に直接「お前ここが変だよ」って言われても傷付くけどね! 

 

 寝よっか。睡眠不足でパフォーマンスを発揮出来ませんでした、なんて洒落にならないわ。いつもはここからチャットやらで夜更かしモードに入るんだけど、HEKAさんとの打ち合わせは十分だし。

 菫子におやすみメールを送るだけにしよう。

 

 きっと明日の私は上手くやってくれると信じて、睡魔に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 そして明朝。

 私は地面に這い蹲り、首を垂れていた。

 

 庭を玉兎兵が埋め尽くし、全員が寸分違わず私と藍に銃口を向けている。アレは確かてゐが持っていたのと同種。『対スキマ妖怪専用機関砲』通称『清蘭砲』と言われてるらしいアレか。

 てゐ曰くその兵器の真髄は『異次元から弾丸を飛ばす』能力を持っている点。つまり八雲紫に銃弾を届かせる為に作られた武器。スキマまで貫通して追ってくるらしいのだ。この時点で藍は兎も角、私は詰みである。

 

 そして此方に戦略MAP兵器扇子を向ける忌々しき月人。あの姉妹の片割れ綿月豊姫。

 あの扇子を一度扇げば、素粒子レベルで分解する風が起こる。つまるところ、幻想郷を人質に取られているのだ。

 

 紫のドレスが土に塗れ汚れるのも厭わず、深く頭を下げる。藍の悲痛な叫びが聞こえた。

 

「すべては愚かな一妖怪の所行。一回目も二回目も私が企み実行した計画。地上に住むすべての生き物に罪はない。月に居る者達も同様。どうかその扇子で無に帰すのは勘弁願えないでしょうか」

「ここに住む生き物に罪がないはずがありません。地上に住む。生きる。死ぬ。それだけで罪なのです。しかしその根源の罪すらも遥かに凌駕するのが貴女の業であり、貴女が作り匿った幻想郷の咎」

 

 豊姫が扇子を閉じると同時に玉兎達が動き出し、私と藍の腕を紐で縛り上げる。これは……噂のフェムトファイバーというやつか。

 

 

 

 

 全て筒抜けだった。

 私の居場所はとうの昔に割れており、その気になればいつでも殺せるようになっていた。私は豊姫の掌の上で転がされていたのだ。

 

 何が起きたのか詳細な事は分からない。気付けば我が八雲邸に玉兎が殺到し、下手人である私は完全拘束された。

 明らかなのは二つ。

 

 第二次月面戦争は、またもや地上側が完膚なきまでの敗北を喫した。そして私の命はもう無いのだろう、ということくらいだ。

 




次章『ゆかりん地獄変』

何気にゆかりんも相当な脳筋だから、月の都の宝を盗み出せば判定勝ちなんて発想が出てこなかったんだ。だから滅びた……(悟空)

ゆかりん痛恨のファンブル続きですが、霊夢への対応は過去のもの含めて全て確定ファンブルです。回避できません(無慈悲)
ゆかれいむの関係は第三者からみれば歪だけど親子同然だし、霊夢自身もそう思いたかったけど、ゆかりんの抱いてる情は別物、という話。ゆかりんって分からない事があると無意識に自分の知識内の情報を勝手に当て嵌めたりするので、今回の親子云々も別物だったらしい。
つまりゆかりんが賢くなれば二人の関係性に名前が付く……ってコト!?

次回、幻マジ真の主役達が帰ってくる!……かと思いきや?


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【ディムドリーム秘封倶楽部】

外伝四話目


 罪を自覚した時、私はふと思うのだ。

 

 この目で見てきた不思議な世界の数々。

 私の居る世界と全く同じようで細部が違ってる世界。幸せと不幸の両極端な世界。介入する間も無く滅びていった世界。理想とした力が蔓延る世界。

 

 いくら懐古しようが、アレらの悉くは既に消え去っている。そうなると聞いていたし、そうなった確証も得た。跡形もなく、住人の存在そのものが消失した。記憶もなく、実体もなく。紐解かれた虚無へと溶けた。

 やるせなくなる。憐れだと思う。

 

 でも、アレらが消えた後、在ったモノは完全に消え去ってしまったのだろうか? 

 全てが喪われても感知し得ない『力』は何処かに漂っているのではないか? 本当に、遺るモノは何一つとして存在し得ないのか? 

 断定に足る材料を何度見つけようが、私の心は結果を受け入れなかった。探求に終わりはない。

 

 まやかしの『統一理論』を引っ提げていたくだらない連中は、終ぞ『魔力』に至る事はできなかった。『非統一魔法世界論』を知る事なくその生涯を終えたのだろう。分からなければ永遠にそのままだ。存在できない。

 そんなチープな生き方は御免だ。

 

 

 思えば随分と長い旅をしてきた。

 喪ったモノは多い。今なお健在なのは小生意気でポンコツな助手と、私の頭脳と自慢の船くらいだ。ありとあらゆるモノを犠牲に世界を見てきた。

 

 はてさて、我々の旅を終わらせるに足る財産を持った世界はあるのだろうか? 見つければいつか、我々も終わる事が出来るのだろうか? 

 

 その日はきっと訪れないだろう。

 夢幻の如き時空は、いつだって私達を歓迎してくれるのだから。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 なんとなしに車窓越しに空を眺める。

 

 小気味良い振動と一緒に瞳が揺れて、景色も揺れる。薄い色で浮かぶ月は私の現在地を教えてくれるが、そんなのは別にどうだっていい。つくづく役に立たない能力だと私を苛つかせてくれるわ。

 

 今日も相方がいない。いつもなら私の向かい席に座って、興味なさげに携帯端末でも扱っているのだろうメリーが嫌に貴重に思える。人は失ってようやく大切な物に気付くと言うが、絶賛その気分を味わっているところだ。

 いやまあ、別に失った訳じゃないけど。

 ただ彼女の数週間の離脱は、私に孤独を感じさせるには十分過ぎるほど長い。

 

 電車を降りて、バスに乗り、大学へ。至極当たり前の日常も最初は新鮮に思えた。メリーが居ないだけでこんなに変わるのかと逆にワクワクしたりもした。でも、気付いちゃう。全然楽しくない。

 

「ハーンさん、まだ治ってないの?」

「うん。まだ暫くかかるんだってさ」

「あんまりにも長引くと心配になっちゃうよねー」

「まっ、もうすぐ帰ってくるでしょ。変に心配するだけムダムダ」

「そっか」

 

 席に座るなり共通の顔見知りからメリーの安否を気遣う言葉が溢れる。学部が違うのに妙に顔が利くものだ。目立つのも仕方ない風貌だからか? 今時欧米人を日本で見るのも珍しいしねぇ。

 というか、メリーへの心配半分、私への心配半分なのが少しムカつく。メリーが居ないから暇で暇で死にそうなのを見透かしている気なのだろう。

 

 

 メリーは入院中だ。何時ぞやのサナトリウムの件とはまた別らしいが、あの特別な目が関係しているのは間違いない。通院前から時折様子がおかしかったし、診療を勧めたのは他ならぬ私だ。そりゃ外出中にいきなりぶっ倒れたり、変な電波を受信してるんだもの。流石に見過ごせなかった。

 この暇を持て余す現状は私が望み招いたもの。不満などあろう筈がない。ただただ元気になったメリーと一緒にまた旅をしたい。秘封倶楽部の活動再開を待ち焦がれているだけだ。

 

 一人は嫌だ。自分がただの凡百に過ぎないことをすぐに思い出してしまうから。

 結局、私一人では活動もままならないのだ。情報を仕入れる事ができても裏付けを取る能力が無ければただの徒労に過ぎないわ。二人での秘封倶楽部が恵まれた環境過ぎて、一人でやってた頃にはもう戻れそうにない。

 

 そんな事をぼんやり考えていた。

 流れる雲は私に何も教えちゃくれないが、上の空で眺めるならこっちの方が断然マシだ。時間も一緒に流してくれるのだから儲けものよね。

 

 こんな暇な世界なんて、いっそのこと吹き飛んでしまえばいいのに。

 

 

 

 

「じゃーねー宇佐見さん。お先ー」

「ん、おつかれー」

 

 中庭のベンチに座って缶ジュースを呷りつつ、帰宅途中の学友に手を振る。姿が見えなくなったのを確認した後、そこそこの溜息を吐き出す。そして妙な気怠さを感じながら携帯端末に目を落とした。

 メリーからの返信だ。『経過は順調』『もうすぐ退院』『とんでもなく暇』と、あたかも日記帳代わりのように扱われている会話ログを数秒眺めた。

 

 まあ、私でこのザマなんだから、メリーの方は余程暇で暇で仕方がないのだろう。近頃怪異に対する興味がさらに膨れ上がったのか、慎重派の彼女には珍しく積極的な活動が多かった。諏訪で起きたあの一件もそう。あれだけエキサイティングな毎日を過ごしていたのだから、ギャップで風邪をひいてしまいそうだ。

 ただそのせいでメリーの目を酷使し過ぎて今がある。メリーが自ら望んでくれた事とはいえ、それを無闇に推奨してしまったのは私の落ち度。

 

 そんなチクリとした罪悪感を胸に抱きながら、当たり障りのない返信を送った。今は彼女が元気になってくれるのを願うばかりだ。

 

「さて、と。私も帰るかねぇ」

 

 自分の心に一区切り付けるように声を出し、ベンチを立つ。物騒な出来事が躍る新聞の張り付いたゴミ箱に空き缶を投げ捨てた。とうの昔に死語になってしまった『ゴミの分別』というワードが頭をチラつく。

 エコだの持続可能だの、そういった段階はとうの昔に通過してしまった。手遅れなのが解ってからはもうやりたい放題である。物悲しいものよね。

 

 柄にも無くそんな事を思いながら帰路に就く直前、金属物の叩きつけられる音が構内に響き渡る。あまりに激しいその音にビックリして携帯端末を落としそうになった。

 見ると、ゴミ箱がひっくり返っていて中身が無残に散乱している。さらにその近くにはパイプ椅子を乗せたカーゴが置いてあり、その幾つかが地べたに落ちていた。

 

「やっちゃったー……ちくしょう」

 

 カーゴを押していたのだろう、金髪ツインテールの女性が震えながら項垂れている。ウチの大学じゃ催しの時にはコスプレしてる連中も居るには居るが、平時は流石に珍しい。彼女もその類だろうか? ポパイの水兵服とはたまげたものである。

 

 そんな私からの奇異の視線などものともせず、散らばったパイプ椅子を一つずつカーゴに戻そうとしているが、とても辛そうだ。懸命に椅子を引き摺っては苦悶の表情を浮かべながら持ち上げようとしている。

 

「手伝うわ。任せてちょうだい」

 

 若干の居心地悪さを感じたので、ゴミ箱を片した後それとなく手伝ってあげた。少女からパイプ椅子を取り上げて次から次にカーゴへと運んでいく。

 私、こう見えても力仕事は自信があるのよね。

 

「サンキュー助かったぜ! 私一人だと何時間かかったことか。恩人だよアンタ」

「それは流石に大袈裟じゃないかな? まあ、助けになったなら良かったわ。それじゃ」

「まあちょっと待ってくれ。ちゃんとお礼をしたいからさ、ウチの研究室まで来てくれよ。ついでにこのカーゴも一緒に運んでくれると更に助かるぜ」

「最後のが本命でしょそれ」

 

 あまりの太々しい態度に呆れ果ててしまった。格好だけでは無く中身まで奇人だったようだ。善意で関わってしまった事を後悔し始めたがもう遅い。それに彼女はどう見ても私より年下で、中学生ほどに見えなくもない背格好。見捨てるのが些か心苦しいのも事実だ。

 もしかすると大学の何らかのイベント準備で来校してる子かもしれないわ。変に悪印象を与えるのも少々気が引ける。

 

 結局、私は彼女に言われるがままカーゴをそれなりの距離押すことになってしまった。ここだけの話、私って押しに弱いのよね……。

 

 

 

「いやー本当にありがとう! まさかこんなに重いとは思わなくてさ、途方に暮れてたんだよ。蓮子が居てくれなかったらどうしようもなかったぜ」

「そうでしょうね。……力抜いてなかった?」

「まさか! 正真正銘全身全霊であれだよ!」

 

 彼女──北白河ちゆりは余りにも貧弱だった。二人でカーゴを押して離れの棟まで運んだのだが、まるで小学校低学年の女児が隣に居るのかと錯覚するほどの貧弱さだ。手を抜いているのかと何度も疑った。

 だが、どうやらそうではないらしい。現に彼女の額には玉のような汗が浮かんでおり、表情にも若干の疲れが見える。

 

「前まではあんなカーゴの100個や200個どうにも思わなかったんだけどさ、年々寄る年波には勝てなくてな。いやぁまいったまいった」

「老人みたいなこと言っちゃって……。取り敢えず此処で良いの? 此処らへんの部屋は誰も使ってなかったと思うけど。物置はまた別の所だし」

「研究室って言ったろ? 此処が私らの根城さ!」

「許可取らないと後でどやされるよ」

「だから黙っててくれると助かるぜ!」

 

 大学の空き部屋を秘密基地がわりに使っているのだろうか。可愛らしいわね。

 

 この格好と年齢で大学生は無いだろう。変に関わり過ぎるのも面倒だし、さっさとカーゴを部屋に入れて退散しよう。で、その後それとなく警備員さんに巡回をお願いすればいい。

 

 頭の中でそんな段取りを描きながら扉に手を掛ける。

 ふと、何やら疼くモノを感じた。

 日常から非日常に移り変わるあの瞬間。メリーと一緒じゃないと味わえなかったアレが、いま目の前に佇んでいるような気がしたのだ。

 

 ついに私にも第六感と呼べるものが生えてきたのかしら。超能力でも使えればメリーと対等になれるかもしれないわね。

 

 馬鹿な思考を振り払うように、私は無言で引き戸を開く。

 鍵は掛かっておらず、構内特有のなんとも言えない匂いがする。埃っぽさは微塵も感じなかった。使われてない筈の部屋なのに、妙に手入れされているようだ。

 そして講義机の上に腰掛け、此方を見遣る人が居た。真っ赤だ。途轍もなく真っ赤。白色埋め尽くす空間に血をぶち撒けたような、兎に角目を引く人だ。傍らの椅子には赤い布が掛けられている。

 

「ど、どうも」

「ちゆり〜? これどういうこと〜?」

「世話になったから連れて来た。存分にお礼してやってくださいな」

「おバカ!」

「で、でもぉ一人じゃ色々キツくて……イテッ」

 

「ま、まあそのくらいで。私は別に気にしてませんので」

「ウチの馬鹿助手がごめんなさいね」

 

 笑顔でそんなことを言いながら、赤い女性は今もちゆりの頭へと何度も拳を振り下ろしている。スキンシップの域なのか、パワハラの類なのか……判断がつきにくいところだ。

 ただこの一幕で二人の愉快な関係性を窺い知ることができた。あんまり強く言うのも野暮だろう。

 

 取り敢えず『お礼』とのことで、ドリップコーヒーを淹れてもらった。大したお礼は期待していなかったのだが、思わぬ香りと美味に巡り合ってしまったわ。これはプロの仕事ね。こう見えて私は通なのだ。

 

 カップを啜りながら、それとなく二人の様子を伺う。落ち着き具合からしてやはり大学関係者なのだろうか。ちゆりは兎も角、赤い人は私と同じくらいに見える。まさか秘密基地ごっこに付き合っている訳ではあるまい。

 もし不法侵入の不審者だとしてもここまで落ち着けるのは立派なものよ。

 

「えー、宇佐見蓮子くんね。私の名は岡崎。こんななりでも一応物理学の教授を務めているわ。別にこの大学の教員じゃないけどね。長居する予定もないし、今回は雇われでもないし」

「道理で。私は超統一物理学を専攻してるんですけど、貴女もちゆりも見た事がなかったから。なんというか、二人ともとても目立つ格好ですので」

「ああ、確かにこっちでは珍しいと思うわ。派手でしょ? でもね、私が元々いた場所ではこれでも結構普通な方だったのよ。ホント」

「ちゆりのも?」

「あれはただの変人」

「ちょっ、夢美様!?」

 

 和やかな雰囲気での談笑に僅かな安心を覚えた。なにしろ外見だけ見れば変人も変人。校外であったなら絶対に近寄らないタイプの人間だ。いまこの状況だって、ちゆりの導きあってこそだ。

 故に、どうしても現実との偏差を感じざるを得ない。

 僅かな逡巡。しかし意を決して問い掛ける。

 

「苦労しませんか? 他とかけ離れた行動や外見は強い排斥を招くのがこの国の常ですから。友人もそれで色々苦労してて」

「不便に思った事はないわね。私じゃない誰かが選んだ常識や世界に染まりたくなんてないし、自分の信じた真実を追い求めてた方が素敵でしょ?」

「……その通りだと思います」

 

 素直に吃驚してしまった。

 私やメリー以外にそんな考えを持てる人が居るなんて、しかも悪びれた様子もなくあっけらかんと言ってのけるなんて。

 

 

 未知とは、劇薬である。

 人を人足らしめる"好奇心"の源泉であり、ありとあらゆる滅びに通じる劇薬。その危険性を人間は永い歴史の中で学んできた。

 

 未知に触れることはやがてなくなり、それらしい取ってつけた理屈で全てを解明した気になる。自己完結こそが最高の安寧だった。

 遺されたのは毒にも薬にもならない"未知"と、燻り続ける出来損ないの"好奇心"だけ。豊かさと絶対的安寧と引き換えに、人々の中から様々なものが消失してしまった。

 この時人間は、一つの進化の形を喪ったのだ。

 

 だが彼女らはそんな歪んだ世界から切り離されているかのように、純粋に思えた。

 

 

 何の変哲も無い談笑を交わしつつ、注意深く相手を探る。長く境界に身を置き続けた影響だろう、目の前の女性がただの人間であるようには思えなかった。秘封倶楽部で培った勘が私にそう囁くのだ。

 まず一番に独特なニュアンスを織り交ぜて話す人だなぁと思った。敢えて自分の情報を小出しにして、私の中──というより、世間一般の常識を計ろうとしている印象だ。あとちゆりから聞いた情報と食い違いが生じている。

 また超統一物理学の名を出してから彼女の言葉に熱が篭り始めてる気がするわ。何かが琴線に触れてしまったのだろうか。

 

 というか生徒でも教師でもないのにこんな堂々と大学の一室を好き勝手に扱っている時点で……ねぇ? 怪異2割、変人8割ってところかしら。

 

 

 さて、どう彼女らの情報を得ていこうかと、笑顔の裏で段取りを考えていた時だった。徐に岡崎さんは私の瞳を見つめると、口の端を持ち上げる。

 

「貴女の目、素敵よ」

「うぇ?」

「それ勘違いされる言い方ー!」

 

 君の瞳に乾杯みたいな展開かと思っちゃったわ! 

 

「蓮子くんはどうやら普通じゃない力を持っているみたいね。特別な光を見出す力。自分の立ち位置を見失わない程度の能力。とっても素敵よ」

「えっと、仰っている意味がよく判りません」

「あら違った? でも人には無い素敵な能力は持っている筈よ。トリガーは瞳と知識、そして血に由来する。羨ましいわ」

 

 疑心が確信に変わった。岡崎さんはやはり普通の人ではない。私の自慢でも無い能力に気付いている。それも能力を使用する場面ですらなかったこの状況で。

 緊張で顔が引き攣る。

 ひとまずすっとぼけてみたものの、海千山千の風格を持ち合わせる彼女には通じなかったようで、ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべながら私を見つめている。き、気まずい……。

 

「急でごめんな。教授ったらまだこっちのノリに慣れてないんだ。色々説明しようにも突拍子のない内容だから、夢美様も手探りなんだろうぜ」

「あっ、まだ言ってなかったっけ。私たち違う世界から移動して来たのよ。貴女のような能力を持った人なんて珍しくもない世界」

「えぇ……」

「えぇ……」

 

 いやまあ、そういう系の人達なんだろうなっていうのは薄々気付いていたんだけど、こんなあっさりカミングアウトされるとは思わなかったわ。内容ではなく岡崎さんの対応への困惑だ。

 ちなみに、仮にその言葉が真実だとしても、彼女らはメリーの言う『境界の住人』とはまた別の存在だろうと思う。比較対象が早苗さんなのが悪いというか……ポ◯モンとUBの違いみたいな? 上手く言語化できないが、違いは感じる。

 

 岡崎さんは椅子にかけていた真紅のケープを翻しカッコよく纏うと、ホワイトボードを叩いた。情けない音が室内に木霊する。

 なんかスイッチが入ったわね。

 

「パラレルワールドってご存知かしら。多次元的に存在してる異なる世界──可能性空間。蓮子くんから見て私たちは其処の人間って事。素敵でしょ?」

「平行世界ですか。何故、その事を私に?」

「まずちゆりの言うお礼。それと、この非常につまらない世界で唯一、面白そうに思えた人材に唾をつけておくのは理に適ってるでしょう?」

 

 最近人との巡り合わせが妙に狂ってるのは気のせいだろうか? 幸運か悪運かはまだ一考の余地があるけども。ふと、この出会い自体仕組まれたものだったのかと思い、ちゆりを見遣る。彼女は困った顔で首を横に振っていた。

 

 まあいいわ。ここまで情報(設定)を引き出したのならこっちのもの。ここからは私のターンよ! メリーへの土産話にしてくれる! 

 一問一答の時間だ。

 

「どうやって平行世界を渡り歩いて? やっぱり尋常ならざる手段が必要になってくると思うけど」

「可能性空間移動船っていうのがあるの。大学の裏手に光化学迷彩で隠してあるわ」

「タイムマシンみたいな?」

「そう思ってもらって相違ないわ。四次元ポジトロン爆弾にも耐えられる自慢の一品よ」

 

「元の世界ってどんな所?」

「この世界とちょっと似てるね。魔法なんて出鱈目だと思って、未知の可能性を頭ごなしに否定するお馬鹿さんが跋扈する世の中よ。そこが嫌になったのと、魔法の存在を証明するために旅に出たの」

「魔法はあった?」

「嫌になるくらいあった」

 

「何故この大学に? 折角パラレルワールドにやって来た割には……」

「違う世界線では此処で働いてたわ。もしかしたら蓮子くんやお友達の先生をやってた時もあるかもしれないわね。今回は別に就労目的じゃないわ」

「ちなみに私は助教授なんだぜ」

 

「なんで水兵服なんか着てるの?」

「原子記号を覚えるためだぜ。すいへーりーべーぼくのふねって言うだろ?」

 

 与太話でも聞かされてるのかと思ってしまうほどに、彼女らの話はぶっ飛んでた。圧倒され過ぎてメリーがどうしようもなく恋しいわ。

 そして次の質問に移行したのだが、このあたりから二人の顔に若干影がかかる。

 

「平行世界から来たってことは、同一の世界線に同じ人間が二人存在することになりますよね。これって……大丈夫なんですか?」

「うん、結論から言うと大問題よ。物事にはやはり禁忌が付き物でね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。エネルギーの不均衡が起こって当人達はおろか、周りも全部滅茶苦茶になってしまう」

「滅茶苦茶っていうと、ボカーンッと?」

「それで済めばまだ良いんだけどね、最悪の場合何億、何兆の命が一瞬で消し飛んでしまうわ。個人差とか時と場合にも依るでしょうけど」

「こわっ」

 

 ただ、と付け加える。

 

「どの世界線の私たちも私たちと同じく平行世界の旅を始めるから、邂逅しちゃうことは滅多にないのよ。それこそ天文学的なミクロの可能性ね」

「まあ出会っちゃったことはあったけどな!」

「誰のせいよ誰の! ……ま、まあその時はさっさともう一人の私を殺して統合しちゃったから見逃してもらえたわ。ちゃんと代償は払わされたけど」

 

 またもや拳がちゆりの脳天に振り下ろされた。

 恐ろしい話だと思う。ただ同時に疑問に思う事もあった。私とメリーは境界の世界を何度も覗き込んできた。それはメリーの夢を経由したものだが、意識とは別に身体は現実と別個にある。

 これは二人同時の原則には当たらないのだろうか? 

 

 思考が逸れてしまったが、岡崎教授の講義はまだ続いていたようだ。

 

「それで、その禁忌なんだけど、実は別世界を観測するだけでも適用される事があるの。私はこれを『世界からのペナルティー』って呼んでるわ」

「ペナルティー……まるでシステムか、誰かしらの意思が介在してそうな話ですね。岡崎さんもそれが適用されるんじゃないですか?」

「うんその通り。私たちは禁忌を踏み越え過ぎた。よってそれ相応のペナルティーを受けてきたのよ。先述したちゆりのミスの時もね」

 

 岡崎さんは肩を竦めると、さも悲観的に目尻を下げる。

 ちゆりが話を引き継ぐ。

 

「カーゴを押してる時なんかにさ、蓮子は私をとても非力だと思ったんじゃないか? パイプ椅子の一つも持ち上げられないひ弱な小娘って」

「あー……正直言うと」

「それは正しい。私たちは平行世界を移動するたびに力を失ってきてるんだ。昔はそこんじょそこらの人なんか目にならないくらい力が強かったんだぜ」

「力とは筋力だけを指すわけじゃなくてね、我が身から発生する全てのエネルギーが前の時間軸と比べて遥かに減衰するの。今となってはコーヒーポットを持ち上げるだけで一苦労よ」

 

 緩慢な動きで追加のコーヒーを継ぎ足しながら岡崎さんは言う。

 

「先程蓮子くんは『システム、若しくは誰かの意思が介在している』と言ったわね。実は私もその線があるんじゃないかと疑っているの。力学的な法則に当てはめるには、あまりに人為的過ぎる」

「神様とか上位存在とかの話になってくると私じゃもう手に負えませんよ。今の今でもいっぱいいっぱいなのに」

「……話し過ぎちゃった。こんなにいっぱい身の上を語っても嫌がらない人は久し振りだったから調子に乗ってしまったわ。ごめんね」

「あ、いえ。私としても気になる話でしたので」

 

 流石の私もここまで畳み掛けられると疲れてしまう。その旨を遠回しに伝えると、それを察した岡崎さんはすぐに引き下がった。

 彼女のことを海千山千と評したものの、本質は純粋な研究者なのだろう。だから熱に浮かされると止め処なく情報を垂れ流してしまう。俗に言う早口オタクというやつか。ちゆりも「言わんこっちゃねーや」とケラケラ笑っていた。後に折檻を受けていたのは言うまでもない。

 

 と、ポケットの振動で我に帰る。

 気付けばもうそれなりに時間が経っていて、外が真っ赤に染まっている。振動の正体はメリーからの定時連絡だろう。すぐに返信しないと面倒くさいことになるのは確実だ。

 二人に断って席を立つ。そろそろお開きの雰囲気だったしちょうどいい。

 

「蓮子くん。夜道はお気を付けて」

「ありがとうございます。また機会があれば宜しくお願いしますね」

 

 一礼して退室する。ちゆりの言う通り突拍子のない話の連続だったけど中々楽しめたわね。真偽は兎も角、骨のある秘封だった。いや、SFかな? 

 メリーに要相談ね。

 

 

 

「で、良かったんです? 蓮子がいくら特別な力を持ってて、私らの境遇をすんなり受け入れる下地があったとはいえ、一切合切を話しちゃうなんて」

「いいのいいの。何時この世界から引き払うか分からない身なんだもの。少しくらいは、私たちが居た痕跡は残しておきたいじゃない。それに……」

「それに?」

 

「あの子からはペナルティーの匂いがしたのよ。咽せ返るほど濃厚な。……きっと彼女がこの世界にとっての宝、なんでしょうね」

 

 

 

 

『なーんて不思議な話を聞いてたわ。面白い人達だったわよ』

『ねえ蓮子、最近怪異に魅入られること多くない? ホントに大丈夫?』

 

 我らが秘封倶楽部日記帳に今日の出来事を書き込むと、案の定メリーから心配のお言葉をいただいた。早苗さんの一件からそんなに時間も経ってないし心配されるのもしょうがないと思う。

 だけど常日頃から怪異と立ち会ってるメリーに言われるのはなんか……ねぇ? 

 

 と、メリーから更なる返信。

 

『で、どうするの? あんまり内容とか分からないんだけど、まだその人達と話してみるの?』

『うん。まだまだ聞きたいことがあるし、メリー復帰まで暇だしね』

『文面からしか判断できないけどかなり胡散臭いわよ。新手の宗教勧誘に引っ掛かってる可能性は無いのよね?』

『まあ正直なところ半信半疑よ。でもハナから全否定するのは私達の活動方針に合わないでしょ? どんな滑稽な話にも一考の余地を残しておくのは大切よ』

『うーん……専攻じゃないから物理学がどうとか知らないけど、危ないことに首を突っ込むのは私と一緒の時でお願いね?』

 

 メリーは容赦なく怪異呼ばわりしているが、あの二人はそこまで恐ろしい存在ではないだろう。早苗さんの時のような悍ましさを微塵も感じないし。

 そりゃ用心するに越した事はないけどね。

 

 

 

 で、翌日。早速昨日の話の続きを聞こうと、閑散とした空き棟一室を訪ねたのだが、お約束というべきか彼女らの居た痕跡の一切は消えてしまっていた。

 白昼夢でもメリーの夢でもないのは確かだが、ここまで綺麗に消えられると流石に自分を疑ってしまうわね。ただ、部屋に充満する埃混じりの匂いに、あの美味しいドリップコーヒーを思い浮かべたのは、気のせいじゃない筈だ。

 

 ちゆりと出会ったベンチに腰掛けて缶ジュースを呷りながら、岡崎さんの言ってた『平行世界』に思いを馳せる。マルチバース理論は夢があって嫌いじゃないわ。自分の理想とする世界が遥か遠くに存在するのなら、それを生涯かけて追い求めるのも悪くはないかもしれない。

 まあ目先の秘封すら手に余る私にその未来は絶対に無いと言えるけどね。そう考えると岡崎さんのちゆりは並ならぬ覚悟を持って時空旅行を敢行したのだろう。素直に凄いとしか思えないわ。

 

 

 もっとも、話が本当ならね。

 

 

「おっ、蓮子おつかれー。帰りか?」

「うわビックリした!?」

 

 不意に掛けられた声に思わず肩を揺らす。居たのは行方を眩ませた筈のちゆりだった。なんか後味悪いまま終わるんだろうなーって無意識に思ってたから、いざ現れると吃驚しちゃうわ。

 

「例の部屋に行っても何も無かったから、もう違う世界に旅立ったのかと思ったわ」

「大学での用事っていっても調べ物があっただけだぜ。別に寝る場所に困ってる訳でもないし、研究室に寝泊まりするのも性に合わないしな。この世界線じゃ所詮部外者だし」

「そういえば長居の予定は無いって言ってたわね」

「まあね、夢美様の気分で出航は決まるから実際は何とも言えないけど」

 

 ケラケラ笑いながら私の隣に腰掛ける。

 近くで見るとやはりちゆりは幼く感じた。彼女曰く、元の世界では大学を11歳で卒業するそうで、自身は永遠の15歳だと語っていた。とんでもない世界である。

 

 ふと、疑問を口にする。

 

「貴女達って元の世界には帰らないの? 旅ばかりだと望郷の想いが強くなったりしそうなものだけど」

 

 数多の世界を練り歩いてるちゆりには無用な質問かもしれないわね。かく言う私も実家にそこまで思い入れがあるわけじゃないし。

 だが意外にもちゆりは淋しそうな表情を浮かべながら、言いにくそうに話す。

 

「私や夢美様が産まれた世界な、もうないんだよ」

「……へ?」

「何処を探しても私の帰る場所なんて無いんだ。探求の旅に閉じ込められちまったんだろうな」

 

 真に迫るものがあった。冗談にしてはあまりに深刻で、荒唐無稽な話と切り捨てるには無理があると、私の脳に直接訴えかけてくるような衝撃だった。

『禁忌』が頭をよぎる。

 

 掛ける言葉が見つからず、口を開いたまま固まる私を見て、ちゆりはゲラゲラと腹を抱え笑い転げた。これが悪戯成功のニュアンスを含んだものならまだ良かったんだけどね……。

 

「冗談だっての! そんなショックな顔しないでくれ笑いが止まらなくなる!」

「……う、うん」

「ハハ、昨日夢美様や私が言ったことも全部嘘だぜ。期待させちまったならごめんな。なかなか凝った設定だっただろ?」

「嘘かぁ。それは一本取られたわ。ってことは、貴女達はただの不法侵入者ね」

「そゆこと。だから見逃してくれな」

「ならもう少し気狂いのフリをお願いね」

 

 二人一緒に大袈裟に肩を竦めた。

 解っている。互いの瞳に映ったモノは密やかにしまっておいた方が利口なのだ。

 嘘、作り話、SF……大いに結構。

 

「気狂いのフリか! そりゃいい。ちょいとノストラダムス以来の終末論でも考えてやろうかな。月刊ムーもビックリなやつをね」

「信じる信じないは二の次でね」

「どんなのが良いかな?」

「世界情勢を鑑みるに、終末戦争とか」

 

 滅びは抽象的なほど笑いと話題性に富むようになる。変に現実的になり過ぎるとただただ不安になるだけだもの。あと政府の怖い人達にチェックリストに追加されるのはリスキーよね。

 

 もっとも、明日世界が終わるって決まってても私のやることは変わらないわ。若しくはメリーと一緒に夢の世界に逃げちゃうのもいいかもね。

 

 僅かな沈黙。

 アスファルトと向き合っていたちゆりが、ベンチにもたれかかって空を見上げた。ちらほら現れ始めた星々が午後6時を教えてくれる。

 

「──けどきっと、滅びってある日突然やってくると思うんだよな。時の激流に飲まれるだけの大多数の人間は何が何だか分からないまま消えちゃうんだ」

「貴女達のいた世界はそういう設定?」

「まあね。隕石衝突にしろ、宇宙人が攻めてくるにしろ、知らないうちに消えちゃうってのはある意味幸運なのかもしれないよ」

「まあ……目の前に死が迫っているって判るなら平静じゃいられなくなるだろうし。諦めたり、悲観したり、抵抗したりね」

「実際、選べなかったんだよなぁ」

 

 ポツリと、最後に言葉を溢す。

 

「滅びの原因を知ってた奴は、結局誰一人として幸せになってないもんな」

 

 




まとめ
メリーが不調
岡崎教授(弱体化)が色々教えてくれた
岡崎教授はマッシブーン

平行世界の存在は幻マジ一話の時点で明言されてますね。それにまつわるお話でした。この教授とちゆりがゆかりん時空の幻想郷と関わりがあるのかは不明ですが、魔理沙は一応ミミちゃんを持っており、小兎姫は良い感じの檻を持ってます。

・同じ存在が一つの世界線に存在するのはアウト
・別世界の観測、侵入は禁忌。ペナルティーとして力を奪われてしまうらしい
・なんか別世界はしょっちゅう滅びてるらしい
・蓮子は(ペナルティー)臭い

実は半分くらいパチュリーが既に言ってますね(幻マジ94話:八雲紫は考えない)しつこく盛られる話題は大抵テストに出るってけーねが言ってた。
ただ注意として、あくまで平行世界の仕組み云々は岡崎教授が独自に組み上げ考察したモノであって、本人もそれが(というより学究そのものが)まだ発展途上であると明言してます。つまりなんらかの追加パッチが入る可能性は十二分にあるし、全部ゆかりんの夢オチという可能性もあるということ……!


次回からは新章突入! ゆかりんと愉快な仲間たちに最大の危機が訪れたり訪れなかったりするらしいです


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東方天地星神輝
懐かしき忘恩の地


 禁忌は常に彼女を見ている。

 

 蓬莱山輝夜の生涯において最大の過ちとは、蓬莱の薬を興味本位で試飲した事でなく、八意永琳に迎えの使者を殺してもらい共に幻想郷に逃げ込んだ事でもない。

 とある平行世界での顛末を他者に伝えてしまった事だ。

 結果、月の民は血眼になって八雲紫の殺害をあの手この手で試みるようになった。

 

 彼女の『永遠と須臾を操る程度の能力』は時間の構築を再編成すると同時に、複数の歴史、パラレルワールドを認識し体験する力を持つ。傑物揃いの月人においても比類無き、魂を蝕む強力な『罪』だった。

 

 この時空の輝夜も、他の輝夜が取った選択と同じく、隠し通せなかった。共有せざるを得なかった。それが数多の月人に破滅の未来を齎すのだとしても。

 

 言うべきでは無かっただろう。

 もしあの決断がなければ月面戦争の規模などたかが知れていただろうし、玉兎の死体を山のように積み上げる必要もなかった。妹紅だって、境界に触れる事なく静かに暮らせていた筈。永琳だって、今頃幻想郷で診療所でも開いて皆に慕われる存在になっていた筈。その未来は確かにあった。

 そうはならなかった。

 輝夜が全て壊してしまったから。

 限られた時であっても幸せに暮らせた未来を知っておきながら、彼女は自らの手で、しかし自らの手を血で染めることなくそれらを潰した。

 

 輝夜の境遇を、決断を、苦悩を知る者で彼女を責める者はいない。察するに余りあるその苦しみに心を痛めすらした。

 だが当の輝夜は曖昧な笑みを浮かべながら、静かに首を横に振るだけだった。

 

 

 

 

 それに与した因幡てゐもまた、罪を負うべき存在なのかもしれない。

 不可能だと分かっていてもやらずにはいられなかった。地上において誰よりも永く生きたてゐだからこそ、かの妖怪の最も古い姿を知っているからこそ、千載一遇の機会を逃す訳にはいかなかったのだ。

 自分と輝夜の能力、そして永琳の執念が合わされば世を断つ境界を破壊できるかもしれないと思った。思ってしまった。

 でもその一方で、心の奥底では紫の無事を祈ってしまったのだろう。計画は中途半端に終わり、時は残酷に流れ続ける。結局自分は、因果を変えるに能う妖怪ではなかったのだ。分かっていた筈なのに。

 

 てゐは甘かった。それでいて高望みし過ぎたのだ。

 

 

 

 

 そんな彼女らの想いを知っていながら、自らの私情を無理くり押し通そうとする古明地さとりは、自他共に認める大罪人だ。

 全てを知る立場に居ながらさとりは責務を放棄した。凄絶な死を遂げた妹に意味を与えてくれた恩人を殺す事など、彼女には到底選択できないものだった。だから非効率的に、心を押し殺す。

 

 この世界は呪われていると何度思ったことか。だが、そんな世界に光を見出すきっかけになったのは、この世で最も大きな十字架を背負った妖怪。

 とことん呪った挙句に、さとりは呪いに飛び込んだ。罪を自覚しながら分の悪い賭けに出る。最悪の『想起』を彼女は未だ見ないようにしている。

 

 

 

 去年の秋頃。確か永夜異変が終わった直後の事だったと記憶している。

 三人は『真実』を手にした。

 

 てゐと摩多羅隠岐奈は、天地開闢から第一次月面戦争までに存在した全盛期とも言うべき『遥か過去の八雲紫』。

 さとりとドレミーは、夢の色や心の形を通じて知り得たあのおっちょこちょいで間抜けで何も考えていない『現在の八雲紫』。

 そして蓬莱山輝夜と紫擬きは……『違う時空に存在していた八雲紫』。

 

 それぞれが紫の転換期と言うべき節目をちょうど良く覚えているのだ。これは紛れも無い奇跡であり、奇跡を起こすために仕込んでおいた故意的な積み重ねの産物でもある。

 事実、この6人が揃った事で全容は明らかになった。互いが互いに長年の謎を補完しあった形になる。ここまでは主催のさとりにとっても有意義なものだった。

 

 しかしその全容に対するアクションで奇跡は徒労となった。6人の中で唯一、摩多羅隠岐奈だけが罪を背負わなかったのだ。「甘ったれるな」と言わんばかりの態度で枠組みからの離脱を宣言した。

 隠岐奈は実益と道理を兼ねる公正な神である。その目にはさとりが余程滑稽に映ったらしい。『真実』を知る事は必ずしも良い方向に作用する訳ではない。

 

 不和が破滅を呼び込んだ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「投了と判断するにはまだ早い」

「なら有効的な手立てを講じておくれな。私にゃもう手に負えないね。何たって"お月様"だからねぇ。しかもここは地底だよ?」

「ドレミー。槐安通路を開きなさい」

「残念ながら、もう月側から閉じられています。月の都も紫さんを確保したからには死守に回るでしょうし、即座に侵入できる経路は存在しないと考えた方がいいでしょう。詰みですね」

「……」

 

 巫山戯るな、と。怒鳴り散らしたい気持ちを必死に抑え込む。てゐとドレミーに対して声を荒げたところで何の解決にもなりはしないのだ。

 頻繁に痛む額を掻き上げ、爪を噛みながら僅かでも事態を好転させる策を模索する。だが一向に明確な形すら掴めていない。

 どう俯瞰しても現在の状況があまりに厳し過ぎる。並大抵の策では打開は不可能だろう。

 

 机の上に足を投げ出し、相変わらずの礼儀のなさで冷静さを演出するてゐ。地底でごちゃごちゃ言ってるだけではどうにもならない。

 状況確認が必要だ。

 

「しかし鮮やかな動きですよね、前の月人では考えられないスピードです」

「あちらさんの戦力は勿論だけど、問題は紫やレミリアが考案した戦略の裏を掻いた一撃だね。ありゃタイミングを見ても計画が露呈していたとしか思えない。真っ先に紫を押さえた点でも、幻想郷の強みをよく分析している」

 

 強みとは弱点と表裏一体である。

 八雲紫のほぼ一極体制は幻想郷に数々の利点を齎し、月と渡り合えるほどの魔境へと成長させた。しかし反面、頭を押さえてしまえば抗う術は大幅に限られてしまう。纏まりを欠いてしまえば烏合の衆……とまではいかないが、外敵そっちのけで内乱が始まる可能性すらある。

 

 紫が敗れた時点で月面戦争の敗北は決定したも同然だった。しかも最高意思決定機関すら麻痺してまともに機能していない現状。

 

「紫さんは月に連れ去られてしまったようですが、八雲藍や摩多羅隠岐奈は? あの方々が居ればまだ再起を図れそうなものですけど」

「……藍さんは紫さんと共に居ると考えた方がいいでしょう。あのクソ秘神は『反撃の機会を窺っている』とだけ言っていた。ほとぼりが冷めるまで籠っておくつもりなのかもしれない。話になりません」

「でもこのまま月の軍勢の駐屯を許すのはダメだよねぇ。トップ格の綿月豊姫が紫の収監で空けている間に、何か手を打てれば少なくとも幻想郷内の状況はイーブンに持ち込める。せめて天魔(はたて)──妖怪の山の戦力が自由に動けるようになれば」

 

 流石は元五賢者。幻想郷の地政学やパワーバランス、最近の外交関係を鑑みて即座に打開策を提示する。伊達に数千年権謀術数を駆使してきた訳ではない。

 惜しむらくは彼女はもう賢者ではなく、此処が地上ですらない事だ。

 

 現在、月の軍勢はマヨヒガに駐屯しており、銃口を麓から妖怪の山へ向けている状態である。当然はたての号令の下、山の連合が慌てて相対しているが今はそれが精一杯。あの河童達ですら慌てふためいている。

 それに駐屯している玉兎にもとんでもない化け物が紛れ込んでいる。

 

「なにせ部隊を率いるのはあの清蘭大将。玉兎の英雄様ですしねぇ……」

「ああ、月の都の有名人だっけ? 鈴仙から聞いたことある」

「ポストレーセンと呼ばれてた方ですね。今は名実ともに玉兎のトップです。彼女の名声の下に率いられる玉兎は並大抵の組織では勝負にすらならない」

 

 清蘭の異名は『伝説を生きる兎』。

 新兵として参戦した月面戦争時に八雲紫を狙撃するという偉業を成し遂げ、以後も地上の睨みとして重用されているらしい。月軍の標準装備が清蘭の能力を転用した銃剣であるのもその一因だ。

 

 二人が呑気にそんなことを話している間もさとりは興味なく机に視線を落とし、幾つもの状況をシミュレート、最善策を探る。

 少々強引な手を使えば自分だけで月に乗り込むことも可能である。だが不安定になっている幻想郷を放置する訳にもいかず、更には地底も揺れている。近頃地底妖怪に怪しい動きがあるのだ。

 

 自分は動くに動けない。

 となると、どうしても他力本願な運頼みになってしまう。結局、さとりからの行動としてはてゐやドレミーの言う通り、詰みに近いのだ。

 

 一応月にはレミリア率いる侵略部隊が居るが、仮に彼女らが綿月依姫を撃破し、月の都を脅かしたとしても、紫の捕縛を聞かされればどうなるかは目に見えている。

 あの天人崩れはどうなろうが構わないとして、盟友レミリアと博麗の巫女を失うのは拙い。魔理沙、咲夜、妖夢もこんな局面で失うには惜し過ぎる人材。

 一番に優先すべきは月に居る者達の帰還補助か? 

 

 だが悠長にしていては、調子に乗った月勢が紫にどんな余計な事をしでかすか分からない。奴らの狙いは明白であり、幻想郷にそれを容認する余地はない。

 

 さとりは決心したように前を向き、それを見たてゐとドレミーも話をやめて向き直る。

 

「ひとまず私は地上に行く。残された有力者……華扇さんや幽々子さんと今後の方針を話し合わなくては。あと秘神の尻を引っ叩いてきます。てゐは輝夜さんと共に八意永琳の調略を。ドレミーは稀神サグメに計画の中止要請を出して頂戴」

「あらら、もしかしてバレてました?」

「私が何妖怪か忘れたの?」

「上手く隠せてたと思ったんですがね」

 

 幻想郷に降伏した後も秘密裏にサグメと連絡を取り合っていたドレミー。利敵行為であるのは明白だが、事ここに至ってはそれすらも利用しなければ。

 永琳へのアプローチもそうだ。地上の者だけではどうにもならない段階まできている。

 

「ホイホイ地上に出るのは後で問題になりそうだけど、事態が事態だしねぇ。今回はしっかり動くことにするよ」

「是非そうしてください。此度の件を乗り切れば、場合によっては貴女の賢者復帰にも繋がってくるでしょう」

「ノーサンキュー」

 

 

「さとり様ッ!!!」

 

 ひらひらと手を翻しエントランスへ向かおうとした、その時だった。慌ただしい音を立てながらペットの火焔猫燐が駆け込んできた。勢いの余り木製のドアが根元からへし折れ、てゐの真横を残骸となり飛散する。

 いつもなら折檻の時間に入るだろう失態も、今のさとりにはどうでもいい事だった。燐の心が事態の急変を告げていた。顔を顰める。

 

「お空が!」

「謀られた。とことん舐めた真似をしてくれる……!」

 

 数秒後、地底世界に轟音が鳴り響く。

 それは同時に、永きに渡る抑圧への解放の合図でもあった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「いついかなる時代も地上人とは厄介なものですね。身の程を知り、羨望を以って月を眺めていればいいのに」

「身の程を知るのは貴女。誰の許可を得て、私の月に居を構えているのかしら? 驕り高ぶった原始人どもが」

「月の所有者は月夜見様。月の都を作ったのは八意様よ。貴女は只の泥棒」

 

 暴力を交えた舌戦を繰り広げる二人の月姫。自らを依代とし次々に八百万の神を召喚しては、それを打ち捨て吸血鬼の弱点となる属性での波動を片手間に放つ。残る片手で野太刀を振り回し、纏わりつく妖夢の楼観剣を打ち払った。

 

 会敵して数分も経っていない筈なのに、永劫戦っているのかと錯覚する程の殺し間。戦いについていけない玉兎隊は次々に潰走し、都へ逃げ延びた。

 

 豊かの海は原形を留めておらず、水面が叩き割られ滝となり、海岸線を深い亀裂が蹂躙する。桃の木の悉くが薙ぎ倒され、収穫寸前の果実が地面に張り付き愛宕の火により灰となる。

 レミリアの魔爪や、天子の地盤破壊によるものもそうだが、依姫の迎撃も度を越して激しいものだった。かつての月面戦争でもここまでの規模で迎え撃ったことはなかった。

 

 戦闘の趨勢は完全に依姫へと傾いている。

 天子は慢心で先制の一太刀を許してしまい敗北を喫した。緋想の剣ごと斬り払われ、豊かの海に頭から突っ込み沈んでいってしまった。あれでも大した裂傷すらないのだから流石といえば流石なのか。

 レミリアは素早い動きと最善の選択により決定打を許さない。だが勝者の余裕こそ矜持とするあのレミリアにしては闘い方があまりに慎重過ぎる。何かを警戒しているように体術では決して近付かないよう心掛けているようだ。

 代わりに接近戦を敢行するのが妖夢。得意の動体視力で逐一レミリアの動きを把握し、邪魔にならぬよう、しかし強烈な一閃を何度も依姫に浴びせ掛ける。

 

「ハァァッ! 成仏得脱斬ッッ!」

「「月を傷付けるな!!!」」

 

 妖夢渾身の一振りが月の表面を削ぎ落とし、両陣営から喝が飛ぶ。「い、言ってる場合ですか!?」と情けない声で抗議するが、一方で苦境は終わらない。宙に漂う無色の元素から構成された刀剣が四方八方へと振り下ろされ、妖夢を無限の斬撃地獄へと誘う。

 

 咲夜が居なければ今頃殺害され成仏していたのだろう。地に深々と突き刺さる幾千のそれを見た妖夢の心胆を寒からしめる。

 

「す、すみません。助かりました」

「言ってる場合じゃないわ。お嬢様のサポート役を買って出たのなら情けない戦いは許されないわよ」

「うぅ……」

 

 かく言う咲夜も隙あらば時を止めて突破口を探っているのだが、依姫の身体から立ち昇る雷焔がそれを許さない。まるで咲夜の能力を看破しているかのように対策している。あの焔に一度巻かれてしまえば命は無いという、生物としての直感。

「そもそもナイフが通らないんじゃ意味ないわね」と、刀身に魔力を込める。

 

「時間稼ぎのつもりなのでしょうが、それは貴女達に更なる不利を齎す。降参するか、さっさと仕掛けてくるかした方が良いわよ。これは忠告」

「ふん偉そうに。霊夢、魔理沙! こいつの相手お願いしていいかしら? その間に月の都を焼き払ってくるわ」

 

 これ以上戦闘に参加しても連携が取れないだろうという事で、玉兎隊を適当に追い散らしていた霊夢と魔理沙に応援を呼び掛ける。

 依姫を相手にしていては埒が明かない。ならば彼女を迂回して後方を脅かしてやればいい。レミリアに嫌がらせ以上の意識はないのだが、兵法の常とも言うべき戦略ではある。

 

「貴女達は何も分かっていない。私が本気を出せばこんな戦いすぐにでも終わるのです。そうしないのは、貴女達を殺してしまうと後々が厄介だから」

「穢れ云々って話ね。それで紫も殺せなかったんでしょ?」

「違う。アイツは……って、その名前を軽々しく言うな! 大地が腐る!」

 

 凄まじい言い様である。それとなく紫の情報を聞き出そうとしただけなのにここまで過剰に反応されては流石の霊夢も困ってしまう。

 

「兎に角! あともう少しで貴女達の負けが決定します。それまで大人しくしていた方が賢明よ。これも忠告」

「残念ね。お前の敗北の運命は変えられない。どう足掻いても我が手中から逃れる事はできな──……あ゛っ!?」

 

 素っ頓狂な声に敵味方問わず吃驚した。だが最も衝撃を受けていたのはレミリアだ。目を剥き、信じられないように依姫を見遣る。

 何が起こったのか、レミリアの能力を知る地上の面々は良くない事があったのだろうと察した。例えば少し見ない間に運命が全くの別物に書き変わっていた、とか。

 

 と、依姫の下に一匹の玉兎が駆け寄り、耳打ちで何かを告げる。すると依姫は満足したように頷き兎を下がらせる。そして刀を地に刺した。祇園様の囲いは発動しなかったものの、それは戦闘終了を知らせる合図だった。

 

「貴女達の負けです」

「なんだ急に。そんなこと言われてハイそうですかって……」

「どれだけ奮闘しようが初めから無駄なことだったのです。貴女達がアイツの支配下にある時点で、我々の勝利は揺るぎないものだった」

「だからどういう──」

 

 

「こういう事です」

 

 背後からの声に地上の面々は驚愕し、振り返る。一切の気配を悟らせずこれだけの人数の背後を取ったのだ。脅威に値する。

 

 しかしそれ以上に、彼女達を唖然とさせる光景がそこにあった。

 

「霊夢。戦いを、やめろ」

「紫っ……!? 藍まで……」

「お、おい……何やってんだお前ら!?」

 

 扇子を携えた月人。雰囲気は依姫と真逆だが、顔立ちと服装が非常に似通っている。なんらかの血縁だろう。ふと、魔理沙は依姫には姉がいた事を思いだした。

 そして、そんな彼女の横に力無く倒れ伏していたのは、幻想郷で戦勝を待ち望んでいる筈の八雲紫。そして膝をつき項垂れる八雲藍の二人。

 俄には信じ難い光景だった。

 

「もはや貴女達に万に一つも勝ち目はない。武器を置いて敵意のないことを示せば順次地上にお戻しします。ここで散るのは本意ではないでしょう」

「ふん」

 

 一番に行動で示したのはレミリア。

 紫の姿を認めると同時にグングニルを放り投げた。それに続き妖夢も楼観剣と、脇差の白楼剣を地面に置く。咲夜も、若干不服げにナイフを落とした。

 

「紫は!? 生きてるの?」

「霊、夢……」

 

 弱々しい、消え入るような声が聞こえた。意識はあるが衰弱しているようだ。ぐったりして此方に視線を向けるのがやっとのようだった。

 ふと身体を見ると妙な紐に手首を縛られており、両腿から血が流れ出していた。逃げないようにと念入りに痛め付けておいたのだろうか。ドレスに空いた銃痕が紫への仕打ちを物語っている。

 

 頭に血が上るのを感じた。

 袖からスペルカードを取り出し『夢想天生』の準備に入る。綿月姉妹だろうが月の軍勢だろうが関係ない。この局面を打開する力を見せ付けてやる。

 だがその激情は紫によって遮られる。

 

「霊夢。貴女は、幻想郷に帰りなさい」

「ッ……私に命令するな! アンタが動けなくても関係ない! 助けてやるからじっとしてて!」

「言う事を聞いて……霊夢。大丈夫だから」

 

 即断即決を是とする霊夢に迷いが生じた。数日前、数ヶ月前の紫とのやりとりが脳裏をよぎる。勝敗は考える余地もない。霊夢と紫の関係がどれだけ拗れようが、目の前で甚振られているのを見過ごす程やさぐれてはいない。

 

(絶対に許せない。やってやる)

 

 紫に何かする暇を与えないまま、姉妹をどちらとも屠る。そうすれば万事解決だ。

 決意を固め、いざスペルを詠唱せんと口を開く。

 

 しかし、すんでのところで『夢想天生』は中止された。レミリアがスペルカードを奪い取っていたのだ。想定外の横槍に霊夢も対応できなかった。

 

「その運命はダメよ霊夢。勝ち筋はそれじゃない」

「日和ってる奴はすっこんでればいい。これは私の戦いよ」

「その戦いが無為な結果に終わる事を知っておきながら止めない訳にはいかないわね。それが任された者の役目……いや、それ以前に友人としての務めよ」

 

「霊夢、今は抑えろ。どう足掻いてもこの状況は私らが断然不利だぜ。紫を信じて機会を待とう。最悪お前が無事ならなんとかなる」

「……」

 

 言われずとも分かっている。

 自分達5人を相手にしても苦せず対応してみせた依姫に、あの紫と藍を無力化してしまった豊姫。この二人を同時に、彼女らのホームグラウンドで、八雲主従を人質に取られた状態で。決して楽ではない。

 

 幸いにして此方が武装解除、即撤退に応じるなら紫を除いて全員が幻想郷に戻る事ができる。これ以上事態をややこしくしたくない綿月姉妹による配慮だろう。

 分かっている。理に適っている。

 でも、一時でも紫を見捨てる選択肢を選びたくなんかなかった。

 

 ……。

 

 ………………。

 

 

「分かったわ。戦いをやめる」

 

 重苦しい沈黙の中、静かに目を伏せた霊夢は戦いの放棄を宣言した。敵味方問わず、これでホッと一息──と思われたのだが。

 弛緩した空気を引き裂くように、霊夢が奪われていたスペルカードを取り返す。「あらら」と、レミリアはわざとらしく笑った。

 そしてスペルを発動。全てを透き通し、原初の始まりとなった根源の色素。白や黒に最も近く、赤や紫に最も遠い色への変貌を遂げる。

 

「その代わり、紫が解放されるまで私は月に残り続ける。もしこれ以上紫に何かするっていうなら、とことん相手になってやる」

「……!」

「これが貴女の能力、ですか」

 

 無敵モードに突入した霊夢なら相手がどんなに強くても数日間は継戦が可能になる。つまり、綿月姉妹のリソースを霊夢一人に割かなくてはならなくなる。

 これが意味するのは月の都の破滅である。

 敵は霊夢やレミリア、紫だけではない。更に差し迫った脅威が『静かの海』から徐々に押し寄せてきているのだ。穢れを纏った()()()()()()が。

 

 素直に感心した。その手で来られると自分達はその案に乗らざるを得なくなる。

 一方で霊夢にそんな高度な読み合いがあったとは言い難いのだが、綿月姉妹が自らの提案に乗ってくるであろう事はなんとなく分かっていた。

 豊姫は妹に目配せする。

 仕置きは全て依姫に任せると伝えたのだ。

 

「分かりました。この妖怪の身柄を拘束する数日間、貴女の月の都滞在を認めます。実はこの妖怪とは別件で貴女にも用がありましたし。──但しそれ以外のメンバーについては認めない。今すぐ地上へと帰ってもらう」

「待て……! それなら私もッ」

「藍、ここは私に任せて。アンタは早く幻想郷に帰って、紫を取り戻す段取りでも考えてなさい。その自慢の頭脳でね」

 

 宙に浮いた霊夢を止める術はなく、側に立つ豊姫を横目に藍へと耳打ちする。

 

 先ほどとは一転して、今度は霊夢が諭す側に回った。霊夢は自らの天賦の才と相談しながら彼女なりに最善の道を模索している。煮え繰り返るほどの激情が、逆に冷静さを齎したのだ。

 それに……。

 

「嫌な予感がするわ。この一件、これだけじゃ終わらないような気がする」

「……どういう事だ?」

「幻想郷を空けるのは拙いって意味よ。多分その時求められるのは私じゃなくて、アンタの力。たまには紫を私に任せて……幻想郷のこと、お願いね」

 

 普通、霊夢はそんなことを決して言わない。例え親友の魔理沙に対してでも「幻想郷を任せる」なんて口が裂けても言う筈ないのだ。博麗の巫女に忠実である霊夢だからこその意地など、色々理由はあるだろう。

 仮にも幻想郷の事を任せられるのは、後にも先にも恐らく藍だけだ。藍は霊夢にとって幼少の頃から姉代わりのような存在であり、実力は十二分に認めている。それ故の信頼だった。

 

 そんな事を言われては藍は何も言えない。ただただ自らの無力さを痛感し、悔し涙を流すだけだった。

 

「悪いわね魔理沙。少し帰りが遅くなりそうよ」

「いや構わないぜ。幻想郷は私に任せろ」

「神社の留守番だけやっててくれればいいわ」

 

 ぶっきらぼうな言い方だが、魔理沙への配慮故である。無理はするなと。

 レミリアは良いとして、同じく咲夜と妖夢にも視線を向ける。二人に思うところは何もない。強いて言うなら、幽々子を悲しませないで欲しいという妖夢の願いくらいか。言われるまでもない。

 

 

 豊姫の能力で仲間達が地上へ送り届けられたのを見送った後、連行される紫に随伴する。手を出せばすぐにでも反撃すると陰陽玉を依姫に見せつけながら。

 紫は終始ぐったりしていて意識も飛び飛びになっている。時折霊夢に対して悲しげな色を見せていたが、全て無視した。ある種の意趣返しとも言えなくない。

 

 酷いエゴだ。幻想郷を巻き込んだ仕返し。

 

 これを機に大いに反省すればいい。

 言葉を尽くしても分かってもらえないなら、こうするのが一番だ。自分に対しての認識を改めて貰うにはいい機会。ここらで色々とハッキリさせてやろう。

 

 

 

 なお数時間後、存在を忘れられていた天子が浜辺に打ち上げられ、自力で都に辿り着いて迎撃を受ける羽目になるのはまた別の話である。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「へぇー……そんな事になってたんですね」

「大掛かりな準備を進めてた割には呆気ない終わりだったな。不完全燃焼とはこの事だ。それと妖夢は怖い顔すんなって」

「むぅ……」

 

 巫女のいない博麗神社は暫く魔理沙が預かる事になったのだが、魔法使いの彼女に巫女の仕事など務まる筈もなく、神社はものの数日で荒れ放題である。

 それを見かねた早苗やあうん、華扇により辛うじて維持が間に合っているような状態だ。もっとも華扇は事後処理に追われているようで中々来れなかったが。

 

 そして今日はいつものように手伝いに来た早苗と、ちょうど顕界に降りてきていた妖夢とちゃぶ台を囲んで第二次月面戦争を振り返っていた。

 

 魔理沙からすればちょっとした笑い話だが、妖夢にとっては冗談にならない出来事だった。紫が拉致られてしまった事で幽々子が独自に月行きの準備を始めてしまったのもそうだし、自分の剣術が依姫に通じなかったのも然り。

 思い詰めたように顔を伏せる。

 

 一方、今回関わりのなかった早苗だが、敬愛する師匠が拉致られたのは一大事である。しかも麓では未だに月の大軍勢が展開されており予断を許さない状況。幻想郷の住民である以上、否応無しに巻き込まれている。

 山の中でようやく地位を得てきた神奈子も毎日忙しそうにしているものだ。

 

「ウサ耳の付いた方々を見るのは非常に眼福ですが、装備があまりに物々しいんですよねぇ。天狗の皆様もピリピリしてますし」

「どうなるかは上が判断する事だ。私ら一般人はどう落とし所をつけるのか皆目見当が付かないからな。なるようにはなるだろうが」

「お師匠様は無事でしょうか……」

「それは正直分からん」

「鈴仙さんは『大衆の前で処刑するんだろう』って言ってました。野蛮です」

「穢れを嫌ってるとか言ってなかったか?」

 

 一般的な知識しか持っていない魔理沙でも月と紫の確執は知っている。何百年、何千年に渡って争い続けてきた謂わば不倶戴天の仲である。

 そんな因縁を踏まえれば紫がどんな目に遭わされようとしているのか、考えただけでも恐ろしくなる話だ。今は霊夢が側に控えているので下手な事はしないだろうが、それも時間の問題だろう。

 

「なんにせよ、また月には行かなきゃいけないだろうな。紫も霊夢も、幻想郷には不可欠だ。それに今度は面倒臭がり屋どもが乗り気だ」

「幽々子様ったら相当張り切ってますよ。伊吹萃香も単身乗り込もうとしてるみたいですし、月面戦争の再来ですか」

「随分と早い第三次だ」

「どこの世界でも戦争は無くならないんですねぇ。世の無常です」

 

 さも嘆かわしいといった様子で茶を啜る早苗。魔理沙も妖夢も、それには全面的な同意を示すのだった。ただそれはそれとして早苗だってロケットなり空中飛行で月を目指す計画を神奈子には秘密で立てている。リベンジの機会を窺っている第二次参加組も然り。

 人妖問わず、幻想郷の実力者達は月へと強烈に注目している。間違いなく第三次月面戦争はそう遠くない。と、天狗が新聞で煽っていた。

 

 

 

 

「っと、地震か?」

「揺れてますね。天子さんが暴れてた時以来でしょうか」

「どっかの馬鹿が暴れてるのかもな」

 

「凄く落ち着いている……!」

 

 幻想郷と地震はセットである。自然的なものから人為的なものまで様々で、一種の風物詩と言えなくもない。つまりそこまで珍しくないのだ。今日もまた幻想郷について一つ詳しくなった早苗であった。

 

 だが、魔理沙と妖夢がその違和感に気付いたのは地鳴りが始まって10数秒が経った頃だ。揺れのあまりの長さに首を傾げる。

 それに一定の強さで小刻みに揺れ続けている。猛者が対峙しているにしてはエネルギーが弱い。

 

「こりゃ地震じゃないな。どれ!」

 

 箒を杖代わりにして立ち上がり、鳥居より高く飛んでみる。博麗神社の標高は中々のもので、少し飛べば幻想郷が一望できるのだ。

 妖夢が、そしてふらふらしながら早苗が続く。

 

 原因は明白だった。

 妖怪の山の麓あたりから凄まじい水量が立ち昇っている。あの辺りは確か月の軍勢が駐屯しているマヨヒガからさらに外れた場所だったか。旧地獄への入り口があったと記憶している。

 

「うわぁ凄いですねっ! とっても大きな噴水みたい! 間欠泉でしょうか?」

「なんだそれ」

「火山のエネルギーによって一定間隔でガスや温泉が噴き出すんですよ。そういえばあの山は活火山でしたね。しかしあの規模の間欠泉だととんでもない事が起きそうです。イエローストーンの比じゃありません」

 

 早苗は理系女子である。

 

「とんでもない事? どんな事だよ」

「大噴火の予兆……とか。あの規模の山が噴火するとなると、幻想郷丸ごと吹き飛んじゃうかもしれないですね!」

「ふむ……斬りますか」

「私の神社(おうち)があるので勘弁してください」

「斬った拍子にドカンといかれても困るからな。ここは私の出番って訳だ」

 

 ふわりと宙で一回転。箒の柄が異変の予感を指し示す。というより、魔理沙には確信めいたものがあった。異変解決屋の勘というやつだろうか。

 久しく感じていなかった高揚感が身体を満たしている。心地よい感覚だ。

 

 やる気満々な魔理沙を2人は心配そうに見遣る。足の動かない状態で異変解決など無謀もいいところだ。それでも魔理沙の顔を見ると止めるに止められない。

 

「神社を頼んだぜ」

 

 

 

 

 

 玉兎隊の威嚇射撃を掻い潜り、天狗の警告を自慢のスピードで振り切った。

 一直線に穴蔵へと飛び込み、先の見えない地底を目指す。日光の届かない暗闇の支配する風穴は、突入時の一瞬だけ冷気を魔理沙に浴びせかけた。

 だがそれから先は熱波の充満する灼熱地獄だった。まるで反射炉の中を飛行しているような感覚に陥るほどの暑さ。適応魔法が無ければまともに呼吸すらできない。

 

「やっぱり只事じゃないな! どこの誰だか知らんが、紫や霊夢が居ないからって調子に乗った事、後悔させてやる! 幻想郷に霧雨魔理沙在りってな!」

 

 反射炉という喩えはやはり正しかった。意気込みのつもりで呟いた独り言が何重にも反響して風穴を満たしている。誰かに聞かれていたら切腹ものだと慌てて口を噤んだ。こういうのは誰にも聞かれてないから価値があるのだ。

 

 と、魔理沙の声に混じって直下の暗闇から唸り声が聞こえる。ようやく化け物のお出ましかと、魔理沙はミニ八卦炉を握り締めた。

 地底は凶悪妖怪の溜まり場だと幻想郷縁起には書かれていた。凶暴な幻想郷の妖怪の中でも、更に凶暴。人の命などどうとも思わない化け物の巣窟。

 

 いざ来たる敵への先制攻撃の準備に入る。

 しかしその『敵』は、魔理沙の想像の斜め上をぶっちぎった。幻想郷はいつだって万人の幻想を嘲笑うのだ。

 

 

 巨船だ。帆を張り海面を走るかの如く岩盤を泳いでいる。

 唸り声に聞こえたのは船体が風穴の壁を削り落としている音だった。凄まじい速度で上を目指している。目的地は地上、幻想郷の空か。

 

 魔理沙がそれを許す道理はない。

 船の正体が何であろうと、得体の知れないものを今の幻想郷に解き放ってたまるものか。

 

「コイツが異変の原因か……!? まあひとまず、此処は通行止めだ! 恋符『ノンディレクショナルレーザー』」

 

 パチュリー直伝の二筋のレーザーが船体を貫くべく、指向性を投げ捨て縦横無尽に襲い掛かる。しかし、それは船尾から放たれた新たなるレーザーに撃ち落とされた。

 

 僅かな接触だったが、その一瞬で魔理沙は『ノンディレクショナルレーザー』を封殺した『それ』の特性、カラクリを見抜いた。

 とんでもない角度で曲がりくねっている為に真正面からの力比べに持ち込めなかったのだ。それでいて神力を混ぜ込んでいるものだから速度、威力も十分。技巧派と言えなくもないが、レーザーとしては邪道である。

 

 魔理沙の迎撃をいなした謎の巨船は、旋回する魔理沙を帆で弾き飛ばし、そのまま上へ上へと突き進む。当然、逃がすものかと追撃に移るが、巨船は風穴を抜けて空へと至ると同時に船尾からレーザーを放つ事で岩盤を破壊し、風穴そのものを崩落へと追い込んだ。

 

 雨のように降り注ぐ礫、岩石が魔理沙の退路を奪っていく。

 

「チッ、恋符『マスタースパ──』……いや駄目か。ここから撃ったら山が吹っ飛んじまう。この攻防は奴らが上手だったな」

 

 ICBMを躊躇いなしにぶちかましていたあの頃(紅霧異変)とは状況が少々異なる。よって魔理沙は少々自重することにした。変に山を刺激して早苗の言う大爆発を起こされても困る。

 そもそも天狗に喧嘩を売るのはいつでもできるし、何より船が風穴から出た後も熱波は収まっていない。地底世界に乾きをもたらすだけだ。

 

 迷いは停滞を呼び込む。

 止まってしまえば自分に先はない。

 

 魔理沙は降り注ぐ岩盤、構築される謎の力に背を向け、改めて暗闇を目指す。恐らく地上に出る機会は暫く巡ってこない。それでも底を目指す。

 目下の危険は真下にあると判断した。

 

 確かにあの船が何なのかは気になるが脅威としては、少なくとも現時点では、地底の方が遥かに危険だ。それに地上の存在で地底の有事に即座に対応できるのが自分しかいない。

 藍から何もアナウンスがなかったということは、つまりこの選択が正しいのだろう。ならば魔理沙が成さなければならない目標は明白だ。

 

「地底で起きてる異変の早期解決! そんでもってあの変な船の異変も止める!」

 

 霊夢も紫もいないこの状況で、異変解決の実績があるのは魔理沙だけ。その事実が魔理沙に心地の良い緊張感を齎してくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 見送った早苗や妖夢は、魔理沙の安否を気にしつつも、楽観的に異変の推移を見守っていた。危機感などある筈もなかった。

 

 不貞腐れながらお菓子片手に珍妙な異変を眺めるレミリアは、咲夜が居なくなる間の暇潰しを呑気に考えていた。

 

 異変を丸投げして紫救出に全力を注ぐ藍は、発生した異変に目もくれず吐血しながら計画を練り続ける。橙は陰で戦々恐々としていた。

 

 更なる泥沼化を望むマスゴミ一派は、自分達の置かれている状況を棚上げして異変の首謀者を煽る記事を乱発する。はたては目を覆った。

 

 華扇はいい加減自らの引き際を考えていた。幻想郷の運営が面倒臭くなってきたからだ。発生した異変を冷ややかな目で見ていた。

 

 そしてまたしても何も知らない清蘭大将。

 

 紫は、霊夢は、幻想郷に手を出せない。

 

 

 幻想郷にパワーバランスと思想の空白地帯が生まれたのだ。ありとあらゆる勢力を巻き込んだ動乱により、歪みは賢者の手によって解かれた。

 

 

 万物は強欲な者に流れるだけだ。

 どれだけ道理を踏み外そうが、より執念深い方が勝つ。一時の快楽の為だけに身を捧げることのできる狂人にこそ救いが与えられる。

 

 自らの力に胡座をかいたツケが回ってきたのだ。幻想郷はそんなに甘い場所じゃない。さあ存分に思い出せ、此処は修羅場であるぞ。

 

 船が幻想の宙に辿り着いたのが引き金だった。

 濃霧に立ち込めた謀略の嵐が牙を剥く。




???「違うんだよ。混ざっちゃうの♡」

おぜう様、依姫戦に何やら嫌なものを感じていた模様。見事にカッを回避しました! 代わりに天子ちゃんがカッされました(卑遁 囮寄せの術)
依姫の神降しですが、ぶっちゃけ地力が依代に傾き過ぎてるケースが殆どになるので属性だけお借りしてる状態です。要するに八百万のスキルを自分の能力水準のまま駆使できる能力。なろうかな?

清蘭の能力はゆかりん特攻(いつもの一ボス)
何も知らない枠の兎ちゃんなので、実績と内情が伴っているかは……。



幻マジ二つ目の山場になってます(術式開示)
紅〜永
花風〜ここ
ゆかりんのハッピーエンドは近い…?

感想、評価お待ちしております♡


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泥に沈んで星を見る

 

「存外上手くいったものだね。空に出てからは妨害の一つや二つは覚悟していたんだが、撹乱に成功しているみたいだ。慎重に計画を練った甲斐があった」

「ええ。礼を言いますナズーリン」

「賢将冥利に尽きるというものだよ」

 

 二人は甲板に腰を下ろし空を仰いだ。こんなに清々しい思いで風に身を任せるのはいつぶりだろうかと、感慨深げに微笑む。

 聖輦船の運航は順調。かつての仲間達も気概十分とばかりに気炎を吐いたり、千年ぶりの再会に花を咲かせている。積もる話も、思いもあるだろう。

 

 だが気を抜くわけにはいかない。作戦の根幹となる部分が達成されるまではあらゆる可能性を考慮し、対応可能にしておかなくては。

 やっと巡ってきた機会。千年来の悲願を叶える最後のチャンスなのだ。警戒し過ぎるに越したことはない。

 

 そう。常時臨戦態勢だったからこそ、不意の会敵にも対応できた。

 

「地底から出る時は危なかったね。まさか霧雨魔理沙とあんな狭い場所で鉢合わせるとは」

「あの方が言っていた要注意人物その3、でしたか。確かに彼女のレーザーを弾けなければ聖輦船の撃墜は免れなかった。出口付近での邂逅で助かりました」

 

 幻想郷での情報収集を生業としていたナズーリンにとって、霧雨魔理沙は現時点において最も気をつけるべき人物だった。

 実力はさることながら、異変解決への貢献度が尋常ではない。同時多発的に異変が起きているのだから、自分達にだけ目を付けられるのは非常に困る。余計なイレギュラーを避けたい身として、できることなら別の場所に行ってほしいと願っていた。

 結果としては地底の方を優先してくれたので万々歳である。

 

 時代を代表する知恵者達が数年に亘って協議と葛藤を重ねた末に考え出された段取り。そう簡単に対応されても困る話だ。

 

 

「しかし……分かっているだろうね? ご主人。我々の『聖救出』という大前提の目標達成は勿論だが、その後の事も考えなければなるまいよ」

「そう、ですね」

 

 ナズーリンの主人。毘沙門天の代理兼神輿、寅丸星は表情を曇らせた。

『その後』とは、自分達の他に達成された異変の事、若しくはその副産物を指している。沢山の人妖が死ぬかもしれないし、財の収奪はきっと起こる。義を重んじる立場として到底看過できるものではない。

 聖を救出した後は同盟者との対決が待っている。

 

 異変に与するのも苦渋の末に至った決断だった。自分達の欲の為に幻想郷に住まう者達を危機に晒してしまうのだから。

 同調した相手だって、本来なら自分達が討伐しなければならない類いの者どもである。特に天邪鬼の暗躍を放置してしまう事は、毘沙門天の代理として許されざる判断だった。墜ちるところまで墜ちてしまった。

 

「あまり自分を責めるなご主人。奴等との連帯を考案したのはこの私だ。仮に天罰でも下るのであれば、それは私だけのものに違いない。一輪や村沙は勿論、ご主人だって成り行きで船に乗ってるに過ぎないよ」

「残念だけど、その理屈は通りませんよナズーリン。私の弱さが招いた結果です。私が強ければ、連中に頼ることなく単独で聖を救出できた筈」

「そう思うなら強くあれ。何を犠牲にしても取り戻すと決意したなら、過去を振り返るな。今を省みるな。失った未来を取り戻し、罪を償う事だけを考えよう」

 

 何もかもが中途半端なまま、星は時代の流れに呑まれ続けてきた。

 千年前も現在も変わらない。

 信じる導を見失ってしまったのだ。

 

「ナズーリン。私は……大切な物を落としてしまったようです。何を失ったのかすら、もう気付く事はないのでしょう。不甲斐ない私を許してください」

「それでいいんだよ。ご主人はこの地獄のような世界でも"それ"を失わずに生きてきたんだ。それはとっても素晴らしい事だ。──落としてしまっても問題ないよ。私は覚えてるから、忘れた頃に拾ってきてあげるさ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 同時刻、稗田邸は大混乱に陥っていた。

 次から次に幻想郷を襲う怪現象の報告や、不安を訴える里人達が大挙して押し寄せてくる。それら全てを瞬時に捌くには些か無理があった。

 ちょうどマヨヒガを追い出されてウチに居候中だった八雲の式達が居なければ今頃頭を沸騰させて倒れていただろうと、阿求は疲れ目を擦りながら思う。

 

 取り敢えず使用人をフル稼働して人々の不安を取り除くことを最優先とし、阿求は藍、橙と向かい合って齎される情報を処理していく。

 

「噴き出した間欠泉の原因を探るべく魔理沙が地底に飛び込むと同時に謎の巨船が風穴から飛び出し、今も博麗神社近辺を旋回中──同時に神霊の成り損ないが次々と発生している。元太陽の畑上空に渦巻いている魔力を伴った積乱雲との関連性は不明、か」

「さらに各地で妖怪達が蜂起し暴れ回っています。人里に牙を剥く個体がいるようですが、今のところ自警団がなんとか抑え込んでいます。ただ、先程発生した季節が各地で滅茶苦茶になる異変が起きてからは里内でも不安が広がり始めています。気候変動は生活に直結しますから」

 

 合計で5つの異変が同時発生するなど到底あり得ない話だ。大規模な異変を起こすような存在は癖の強い者だと相場で決まっている。そんな連中が目的の達成の為とはいえ一時的にでも手を組むだろうか? 

 過去の異変を鑑みてもレミリア、幽々子、萃香、永琳、幽香にそんな余地があるとは思えない。現実的ではないのだ。

 恐らく、敵に超越的なまでの調整能力を持った策士がいる。それも幻想郷の事情に精通していると思われる存在。

 

「これを計画した奴はそれなりに頭が働くようだな。ものの見事に幻想郷は丸裸だ。此処を落とすと仮定するなら、私もこのタイミング以外に思い付かない」

「最も恐れていた事ですね……」

 

 幻想郷の顔であり最高権力者の八雲紫、異変解決を生業とする調伏の申し子博麗霊夢。あの二人は月に囚われ幻想郷に帰還できない。

 二人が同時に幻想郷を空けるタイミングなど想定できるはずが無い。つまり、この状況は偶々ではなく、悪意を以て仕組まれた策謀だろう。

 

「月の勢力と何らかの話が付いていたのは確実か。因幡てゐか八意永琳の仕業か? いや、古明地さとりの監視を掻い潜るのは不可能……」

「藍さま! 地底への道は岩盤の崩落と謎の結界によって封鎖されてて、現状行き来が出来なくなってます! 結界の解析には時間がかかりそうで他の異変に対応しながらじゃとても……!」

 

 既に下見を終えていた橙が慌てて報告する。結界管理に携わる橙が言うのなら、かなり高度な術式で構成されているのだろうと藍は判断した。

 つまり、敵はさとりと魔理沙を地底に封じたのだ。

 

(異変対応の達人を月と地底で隔離したのか……。謀反人め、中々やりおる)

 

 この規模での異変であれば賢者の関与は確定だろう。そして一番に思い付くのは摩多羅隠岐奈と稀神正邪の二人だ。どちらか、若しくは両方が策動したのであれば幻想郷の弱点や、月面戦争のタイミングを見計らっていたのにも説明がつく。

 やってくれたものだと藍は奥歯を噛み締める。

 

 

 と、藍の放った情報収集用の式烏、そして稗田の使用人が更なる情報を齎す。

 

『マヨヒガに駐屯していた月の軍勢が無差別攻撃を開始。動植物問わず、生命の存在を許さないとばかりに苛烈な根切りである。現在、天魔の指揮する天狗と河童が必死に押し留めている』

「やはり動くか……!」

 

「阿求様! 里の一部の者達が略奪と破壊を始めており、此処にもいずれ押し寄せるかと! 急ぎ退避の準備を!」

「そんな!?」

「今は不用意に外に出るな。(八雲)がいる限り手は出させん。それより慧音と自警団のリーダーに避難誘導の指示を出しておいた方がいい」

 

 顔面蒼白で面食らっている阿求の代わりに藍が指示を飛ばす。里の人間を誰よりも注意深く見守ってきた立場だからこそ、ショックが大きいのだろう。

 いくら非常時とはいえ統制されていた人間達が急に暴動を起こすのはどうにも不可解だ。これもなんらかの異変による影響なのかと、深く思案する。

 

「ら、藍さま……私はどうすれば」

「いいかい橙。いま我々が最も犯してはならない愚行とは、奴らの飽和攻撃に翻弄され全てが後手後手に回ってしまう事だ。悲観するな、幻想郷の全てが敵に回った訳じゃない。紫様の築き上げたモノは簡単に崩れてしまうほど脆弱ではない。絶望的な状況でも確かな糸口を残してくださっている」

 

 藍の言葉は橙だけに当てられたものではなく、完全に参っていた阿求に対するものでもあった。藍は微塵も諦めていない。紫救出に割いていた思考リソースを一度据え置きして反撃の道筋を辿る。

 すると見えてくるのだ。紫の作り上げた幻想郷の強さが。

 

「橙、情報収集だ。既に動いている連中の動向を把握するよ」

「敵方の、ですか?」

「いや味方の方だ。こんな混沌としてる状態なんだ、手の早い奴から勝手に始めているだろう。私達はまずあぶれた分、脅威が予想される分から対応していく」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「押し留めろ、奴等に山への侵入を許すな! 増援到着まで持ち堪えろッ!」

「中央が保ちません……! 加勢を……!」

「右翼弾幕薄いよ! 何やってんの!」

 

 過去幾度となく戦火に晒されてきた妖怪の山だが、今日もやはり阿鼻叫喚の地獄と化していた。天狗の全員が「この山呪われてんじゃないの?」と思わず思ってしまうほど、厄い出来事の連続である。

 月面戦争には全くの無干渉を貫いていた筈の自分達がまさか月の尖兵といの一番に戦う羽目になるとは。はたては自らの不幸体質が招いた惨劇を嘆くのだった。

 

 椛や河童機甲師団の奮戦により今のところ戦線は膠着しているが、月軍は疲れ知らずのようで、前線の戦力をどんどん充実させている。遠隔操作されていると思われる四足歩行の鉄の塊、銃剣突撃を繰り返す玉兎、前触れなく不可視の状態で飛んでくる鉛玉。全てが脅威だ。妖怪の山の水準を超えている。

 はたてはふらつく頭を壁に押さえ付けながら指示を飛ばす。紫が敗れてからずっとこの調子だ。憧れであり目指すべき指針だった妖怪が倒れただけでも心労マックスだというのに。

 

「天魔様如何しましょう!? このままでは此処(本陣)への到達すら有り得るかとっ!」

「あの、射命丸様から緊急の連絡が来てます」

「たったいま八坂神奈子氏より面談の申し入れが」

「右翼崩壊! 後詰要すとッ!」

 

「ちょちょちょっと待ってマジで待って! まず一旦おちおちち落ち着いて、一列に並ぼう。あと文には好きにしろって伝えておいて」

 

 この日ほど聖徳太子を羨んだ事はない。

 最近ようやく事務作業を習い始めたはたてに、部下から凄まじい勢いで齎される報告を処理しきるのは不可能だった。しかもその全てが"良くない"報告である為、心がどんどん削り取られてしまう。

 紫に倣ってトイレで泣き叫ぼうかと、遠い目をしながら本気で考える程度には参っていた。思わず目が回って机に頭を打ち付けてしまう。

 額が裂けて血が流れ出す。

 

「あ痛ぁ!?」

「ああっ天魔様! どうかお気を確かに!」

「衛生兵はおるか! 天魔様を医務室へお連れしろ!」

「だ、大丈夫だから」

 

 側仕えの白狼天狗の持ってきた消毒済みタオルを頭に押し付けながら、思考を無理やり天魔用へと引き戻す。それにより平静を取り戻すことができたのだが、平時であれば気付けたであろう()()()をスルーしてしまった。

 各々に指示を飛ばし山の死守を試みる。

 

 しかし最悪は続く。

 

「犬走様が一斉射撃を受け生死不明ッ! それに伴い士気の崩壊した各所で兵が潰走しております! も、保ちません!」

 

 聞き間違いだと思った。

 

「椛が……そんな嘘でしょ!? 何かの間違いなんじゃないの!?」

「し、しかし千里眼を使える白狼天狗が確認してまして……。犬走様の倒れ伏した場所は既に軍勢に飲まれており生死を確認できる状態ではないと……」

 

 中世から現代まで凋落を続けた天狗において、犬走椛とは何にも代え難い逸材であった。前天魔が心から欲していた天狗出身の覚醒者であり、その期待を無碍にすることなく実直に成果を積み上げてきた。ヒエラルキーにおいて下位に当たる白狼天狗の星であり、皆に慕われる中間管理職の鑑である。

 そんな彼女が倒れたとなれば天狗の動揺は計り知れない。現にはたては自分の目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。はたてと椛は大の仲良しであり、互いに心の支えになっていたまである。

 

 本部は阿鼻叫喚と化した。

 戦いが終わってしまったのは明白だった。

 

 みんなが見ている。私を観ている。

 逃げたい。何も知らなかった小娘のまま、天魔の虚像を纏い、薄暗い部屋の中で画面越しに幻想郷を眺めていた頃に戻りたい。

 観ているだけで良かったのだ。

 何もしなくても紫が全て解決してくれるから。自分はただ、逃げているだけで──。

 

 

『責務をやり遂げずして逃げ出す事は許されない。逃避自体を否定しているわけではないわ。寧ろ私は肯定している。……でもね、いま出来ること全てをやり切って、その後存分に逃げなさい。自分は最善を尽くしたと、残した者達に対しても胸を張れるように』

 

(私は……)

 

 

『争いに溺れる醜い残酷な世界で、唯一の安息地たる場所を作りました。天界も地獄も関係ない。悲しむ者、貧する者、苦しむ者……みなを等しく受け入れる。そして、そこに住まうみなが仲良く暮らしていけたらいいな、なんて安直な動機。荒唐無稽な夢です』

 

「私は! まだ何もやれてないッ!!!」

『!?』

 

 慌てふためいていた天狗達がギョッとして動きを静止する。

 

 ふと思った。

 もしこの困難を払い除けることができれば、見えてくるのではないか? 紫と自分が目指した最高の幻想郷が。その夜明けが。

 

 はたては歯を食いしばる。

 まだ諦める時ではないのだ。天狗も河童も、みんな必死に戦っている。山のみんなだけじゃない。幻想郷が一丸となってこの苦境を乗り越えなければ。

 

「私は神奈子様に会った後、すぐ移動する! 里は一度捨てるわよ! ──伝達班は前線のみんなに念話を送って! 内容は『総撤退! 被害を最小限に抑えて私の下に集合!』」

「か、かしこまりました! 天魔様はどちらに移動されるので!?」

「山全体を護る力はもう天狗に残されてない。なら守り易い要衝で敵を迎え撃ち、状況が変わるまでひたすら攻撃を跳ね返す! そう、モリヤーランド! 複雑に入り組んでいるあそこなら!」

「援軍の見込みはあるのですか!?」

「他のみんなも大変だろうけど、幻想郷は強い! きっと誰かが来てくれる!」

 

 策というよりは博打である。確かに山全体を護る事に拘れば全滅は必至、これ以上の損耗は反撃を不可能にしてしまう。

 しかし籠城の前提条件とは、長期間耐えられて、かつ援軍が確実に見込まれる場合だけ。はたてのそれは条件を全く満たしていない。

 

 しかし縋るしかなかった。

 天狗は賢い妖怪だ。今自分たちの置かれた状況を理解できていない者は誰一人として居なかった。

 それに全員見ていたのだ。何百年に及ぶ孤立主義から脱却し、精力的に他勢力と関わりを持とうとするはたての姿を。彼女の願いは伝わっている。

 

「……天魔様! 私は一団を率いて敵を足止めします! その間に負傷者の退避と、例の場所に移動されてください!」

「っごめん! みんな無事に帰ってきて!」

『ハッ! ご武運を!』

「河童とか山姥とかの妖怪達にも作戦を伝えてあげよう! 山のみんなが一丸になってこの難局を乗り越えるわよ!」

 

 迷えば迷うだけ仲間が死ぬ。

 躊躇うな。信じて突き進むしかない。紫のように、天子のように、己を貫き通す強さを! 

 

 部下が動いたのを見計らって、はたてはタオルを投げ捨てる。相変わらず血は流れ続けており、いつもなら自然治癒で治っているはずの傷はその気配を見せない。

 何かの病気だろうか? 

 

「へっぽこ天魔様も言うようになったじゃない。感心したわよはたて」

「っ文!」

「とっても立派だけど、そのコンディションで前に出過ぎるのは危ないわ。いつものようにはいかないから、間違って死なれたら天狗はマジで終わるよ」

「……確かに。戦いが始まってからどうにも力が出ない気がしたの」

 

 いつものように気付いた時には側に居てくれた文だが、彼女から齎された情報ははたての『気のせい』を『確信』に変えるものだった。

 身体の調子が頗る悪いのだ。力は入らないし、傷の治りがやけに遅い。

 文を見ると、彼女も困ったように手を扇いだ。

 

「もしかしたら今日の朝食に毒でも盛られていたのかもしれないわね。若しくは呪いか」

「けど他のみんなはそんな様子なかった」

「全員に盛ってちゃ途方がないでしょ? 敵は絞って狙ってきてるんじゃない? 私達みたいな『強い妖怪』は特にね」

「じゃあもしかして、椛も!」

「その可能性は高いわ。確認してきたけど、にとりさんやネムノさんも同様だった。こうなれば嫌でも共通点は見えてくる」

 

 いずれも自分や紫に協力してくれそうな立場の妖怪であり、そこらの者達とは一線を画した実力を持つ覚醒者。その悉くが不調に陥っており、今の自分と同じ状態に追い込まれているのなら……。

 屋敷を飛び出し、守矢神社に向かいながらはたては唸る。

 

 どのような手段で、誰がなんの目的で、どこまでの効能がある罠なのか。当事者となっていても全容を掴むのは難しい。

 だがはたての方針に変わりは無い。むしろこれで肝の部分を遂行するのに踏ん切りがついた。

 

「これから山の戦力を総動員して死線に臨むわ。だけど、文とにとりには別のことをお願いしたいの。判断は全て文に任せるけど」

「別のこと? 妖怪の山を護る以上に重要なことなんてあったかしらね?」

「あるよ。それに、それが巡り巡って山の為になると私は思ってる」

 

 血だらけの手を差し出す。それを文は躊躇いもなく握りしめた。

 

「天魔として貴女に課す最初で最後の命令。どうか聞いてちょうだい」

「うん。……仰せのままに」

 

 

 

 

 一方、そんな妖怪の山を侵略している側の月勢だが、此方も此方で突き進むしかなかった。というより、突き進む以外の命令がなかった。

 地上浄化部隊の全権限を任された清蘭大将だったが、彼女は軍略に関しては完全にずぶの素人である。全軍突撃以外の戦法を知らない。

 そう、彼女は八雲紫を狙撃しただけでここまで祭り上げられてしまった、ただのラッキーラビットなのである。

 士官学校時代は鉄砲玉としての訓練しか受けていなかったし、この頃からポテンシャル自体はそこそこ高かったものの、サボり癖により成績は下位。一般玉兎として生涯を終える予定だった。しかし第一次月面戦争を皮切りに何故か清蘭は出世街道をひた進み、今となっては玉兎のトップ。こうして軍団指揮を任されるまでになったが、メンタルはサボり癖のある鉄砲玉玉兎となんら変わりない。

 

 ただ、こうして何の変哲もない全軍突撃で山の妖怪を圧倒している通り、これが月軍──引いては玉兎達にとっての最善手なのである。

 玉兎は所詮鉄砲玉。幾らでも補充が効く上、何匹死のうが犠牲にカウントされないのだ。玉兎は畑で取れるのだ。何を気にする必要があろうか。

 

「この調子だとノルマ達成は確実ね。上から急に通達が来た時はビックリしたけど上手くいって良かったわー。これで地上は我々の植民地ね」

「此度もお見事な指揮です清蘭大将」

「知勇兼備の名将!」

 

 そうかな? そうかも。

 清蘭は深く考えるのを嫌い、その賛辞を取り敢えず受け取る事にした。褒められるのは普通に嬉しい。

 

 取り敢えず上層部からの命令は遂行できてるし、現場の士気が高いのは分かったので、あとは行けるところまで行くだけだ。

 特注の黒マントを仰々しく翻し、眼前に鎮座する山を払う。

 

「んじゃ、さっさとこんな山蹴散らしちゃって次行くよ次! 豊姫様が帰って来られるまでに幻想郷どころか大陸くらいは制圧してなきゃ怒られちゃうわ」

「見境無しに戦線を延ばさないでおくれよ。補給班の気持ちも考えてあげな」

「むっ、鈴瑚参謀」

 

 ブレーキ役であり、何かと縁のある同期であり、幻想郷進駐軍の頭脳でもある鈴瑚からの制止に眉を顰める。

 鈴瑚の言う事通りに事を進めたおかげで今の地位があるのだ。トップに上り詰めた今でも勝利への黄金方程式は依然変わらない。

 

「豊姫様からの指令は『幻想郷の浄化』だけでしょ。無理に戦火を広げず、まずは山の妖怪を一網打尽にするのが先決だと思うんだけど」

「けど幻想郷はこの通り、どこもかしこも混乱してるわ。戦意旺盛成果不足! なら乗るしか無いでしょ! このビッグウェーブに!」

「……清蘭はなんで急に地上の浄化作戦が始まったのか、疑問に思わない?」

「それ話に関係ある?」

「大いにある」

 

 戦争における最善策とは目先の局地戦に勝ち続ける事ではない。争いの裏にある真意を正確に掴み、それに沿った動きを心掛ける事だ。

 鉄砲玉の玉兎には大した情報など与えられないが、キレ者の鈴瑚は少ない情報から都度『最善策』を選択し、清蘭をこの地位まで押し上げてきた。今回も彼女の好む謀略の匂いがプンプンするのだ。そもそも、この戦いの始まりからして不可解である。

 

「なんでこんな時期に、上はこの穢れた地を欲しがるのかねぇ。しかも完璧な奇襲だったくせして地上の反乱勢力の発起とヤケに噛み合っている」

「さあ? 八雲紫を倒してご機嫌なんだしハイキングでもしたい気分なんでしょ。反乱軍は偶々で」

「多分、私達もまた追い詰められている側なんだと思う。上もなりふり構ってられないんだ」

「それならどっちにしろ、やっぱり私達が頑張らなきゃダメってことじゃん!」

 

 鈴瑚の言葉に納得したのか何も分かっていないのか、平常運転の清蘭大将は更なる突撃を命じた。結局こうなるのはいつもの事なので別に気にしない。肝心なのはその後、如何にスムーズに山の妖怪を殲滅し、山の前哨基地を維持するかである。

 それだけをこなせば十二分な成果となる。鈴瑚はそう見ていた。

 

(都は遷都の準備を進めている……つまり、此処(幻想郷)に移住する気なんだ。例のトップシークレットの脅威、月に仇なす仙霊の仕業か)

 

 都が恐慌状態になるのを危惧してか、あの未曾有の災害は存在が伏せられている。知るのは月の正規軍と上層部、そして耳の良い鈴瑚くらいだ。

 フン族に追い出されたゲルマン民族がローマ帝国を滅ぼしてしまったように、幻想郷は食われる側に選ばれてしまったのだろう。

 

「テーマパークに来たみたいね。テンション上がるわ〜! それ突撃〜!」

 

 天狗達の逃げ込んだ楽しげな建造物が立ち並ぶ集落を包囲し、清蘭大将は十八番の全軍突撃を命じた。穢れた妖怪達にしては立派な墓標だ。

 敵は頑強に抵抗を続けているが、此処を陥せばこの戦争もひと段落つくだろう。

 

「こんなにも圧倒的だと流石に同情しちゃうわ。まあ、先に仕掛けてきたのはあっちだけどさ。恨むなら八雲紫を恨んでもらわなきゃね」

「上が無茶苦茶だと苦労するのは月も地上も変わらないもんだよ。んじゃ、本部に使命達成間近と連絡しておくから引き続き油断しないようよろしく」

「ん、任せた! それ全軍突撃〜!」

 

 

 

 

 

 

「地上の方は順調でなによりです。イーグルラヴィは優秀で助かる。うちの玉兎達にも頑張ってほしいものですが……鈴仙のような者は中々現れない」

「……」

「彼女は逸材でした。あの『災害』が押し寄せてくるたび、今ここに居ないのを悔やんでばかりです。八意様もそう、我々は失い過ぎた」

 

 八雲紫との問答を終えた依姫は姉と見張りを交代し、宮殿上層階に位置する休憩室へと向かっていた。道すがら自分と同じく激務から解放されたのだろう同僚を捕まえて、一方的に悩みを吐露する。

 いつもこうなのだ。付き合わされる身としては溜まったものではない。

 

「それにしても貴女の御息女が立案した計画、実に見事でした。八雲紫と災害が手を組んだと聞いた時は苦戦を覚悟しましたが、それを逆に利用するとは。悲願があっさり叶ってしまった」

「……」

「んんっ、失礼」

 

 穢らわしいワードを呟いてしまったと、依姫は舌を出して喉奥に浄化スプレーをワンプッシュ。桃が香る月人御用達の必須アイテムである。

 

「それにしても何故御息女が地上に居たのですか? 確かに貴女は地上出身であると記憶していますが、血縁の者を残してきたようなそぶりは一度もなかったので。家庭問題?」

「……そうでない。そもそも娘でも無い」

「しかしあの者は現に貴女との繋がりを持っていた。姿も瓜二つでしたよ」

「八雲紫の仕業でしょう。月面戦争の折に奪われた私の遺伝子情報を悪用されたのだ。それにあの子の正体は月面戦争に参加していた天邪鬼です」

「……ああ、あの時の。……それにしても八雲紫の行動は訳がわからない。盗まれた私達の遺伝子情報だってそうだ、何に使ったのかと思えば地上の巫女に投与していたとは」

 

 天邪鬼の事などどうでも良かったのだろう。興味なさげに話題を取り下げると、代わりに持ち出したのは今なにかと話題の博麗霊夢について。

 納得したように頷くと、潤いを求めて水を口に含んだ。次の交代に向けての準備だろうか。滅多な事では喋らないくせに意味はあるのかと依姫は思った。

 

「コード不明の神降しの正体でしたね。依代としての適性を高めるのが狙いでしょう。貴女(依姫)が謀反を疑われるようになった直接の原因」

「ええ。しかし霊夢が月の都に残ってくれたおかげで、こうして疑いは晴れ『災害』への備えを充実させる事ができた。姉上と貴女だけに任せてはおれませんので」

「代償は大きいけれども」

「困ったものですよ。霊夢自体は御し易いのですが、何分、あの妖怪から離れないのが厄介極まりない」

 

 紫に手を出そうものなら霊夢は力に身を任せて都を破壊し尽くすだろう。『災害』の対応で手一杯なのだ、都に内憂を抱えるのは何としても避けたい。

 いや、そもそも紫を殺し切れるかすら不透明なのが現状だ。

 

「障害が霊夢だけなら良かったのです。あの子の隙を突いて八雲紫を殺してしまって、月の都を一時的に『災害』に明け渡し、我々は悠々と幻想郷に遷都してしまえばまだ挽回できた」

「あまり考えたく無い仮定ではある」

「しかし今はそれ以前の問題……()()()奴を葬ることができなかった場合です。もしもの時は頼らせてもらいますよ」

「貴女でも、八意様でも成し得なかった偉業、私如きに成せるとは」

「そんな弱気でどうするのですかっ!」

 

 凄んだ勢いで壁に亀裂が走る。依姫の悪い癖である。

 

「奴を殺さなければ我々は終わりです! 穢れなど関係ない、絶対的な死が待ち受けている! 月も地上も関係ない、全てが!」

「厳密に言えば、アレは死ではない」

「実態は何も違わない。……数万年来の因縁ですよ?」

「タイムリミットは少なくとも……」

「統計に過ぎません。それに、今回の八雲紫はイレギュラーな動きが多過ぎる。早期決着を目指すに越したことはありません」

 

 サグメは物悲しく感じた。常日頃から冷静沈着な依姫だが、あの案件が絡むと烈火の如く怒り狂い平常心を失ってしまう。

 狂わされてしまったのだろう。八雲紫という存在の歪さを間近で受け止めてしまったから、彼女はもう止まることができなくなっている。

 

 かつての協力者、ドレミーがどうしようもなく懐かしい。

 彼女と一緒に練った八雲紫レプリカ計画は達成目前だった。メリー(夢の姿)とのすり替えが完遂できていれば、全て上手くいっていた筈。あの時ほど自らの詰めの甘さを後悔した日はない。勿論、上層部や同僚達からは非難の嵐だ。

 申し訳ないことをしたものだと思う。

 

「豊姫の次は私が行きます。能力が通じるかどうかは慎重に吟味しなくては」

「是非そうしてください。私はもう一度静かの海に、前線に出ます。……まあサグメ様とて、あの妖怪と話して得られるものがあるとは到底思えませんが」

「何を言っていたのですか?」

 

 祇園の刀を小刻みに揺らしながら、依姫は腹立たしげに語る。

 

「お前が大人しく殺されなければ、此処にいる者達はおろか、幻想郷も一緒に滅ぶことになる、と伝えました。だが奴は私の言葉を一笑に付した」

「ほう」

「そして『何も変わっていない』と言っていました」

「……?」

「第一次月面戦争の時、私を虚仮にした事を言っているのでしょう。誠に……はらわたが煮え繰り返る思いです」

 

 浄化スプレーを中身が無くなるまで吐き出し、残った容器を愛宕の火で焼き尽くす。その後、少し落ち着かないように辺りを歩き、サグメを見ないまま退室してしまった。相当腹に据えかねているようだ。

 

 気持ちは分からないでもない。

 

 第一次月面戦争時、八雲紫を討ち取った依姫は意気揚々と本部へその旨を報告し、警戒を怠ったのだ。結果、復活した紫に都侵入を許してしまい、機密事項である要人5名の遺伝子情報を奪われてしまったのだ。

 途中、侵入に気付いた依姫が駆け付け紫と再度戦闘になり、2回目は散々翻弄された挙句にまんまと逃げられてしまった。

 

 失意の中、事のあらましを報告したのだが、依姫を待ち受けていたのは更なる苦痛だった。

 

 八雲紫の生存を秘匿し、都の住人達には『綿月依姫が八雲紫を討った』と喧伝する事になったのだ。そうしなければ安定が得られないほどに紫は恐れられていた。依姫は住民や部下の玉兎から称賛を受けるたび、自らの罪と恥に向き合う事となった。

 さらにそれでありながら上層部からは嘘の報告、そして敗北により信頼を失い、失態とは関係のない姉ともども冷や飯を食う羽目になった。サグメや清蘭が急激に地位を伸ばした一因でもある。

 

 そんな個人的な恨みに加え、紫の歪みを間近で受けた事による負担。そして直近では尊敬する師である永琳が紫に囚われていると聞く。

 

 寧ろあれで済んでいるのが不思議なほどだ。依姫の精神力を褒めるべきだろう。

 

 

 監視員からリアルタイムで送信される報告に目を通す。やはりというべきか、依姫に比べると豊姫の方がまだスムーズに話せているらしい。

 ただ八雲紫の受け答えは少なく、逆に同室に収監されている博麗霊夢と比那名居天子の方との対話がメインになってしまっている。

 幻想郷で受けた傷は既に完治している筈なのに、月にきてからというもの体調が芳しくないようだ。弱っている今こそチャンスだというのに。

 

 そうだ、依姫の言う通りなのだ。

 かの妖怪が手の内に転がり込んだ以上、彼女を処刑する以外に選択肢はない。それほどまでに紫の業は深く、月の民が為さねばならぬ生まれながらの責務だ。

 しかし、それ故にあらゆる選択肢が犠牲になってしまっているのが現状。

 

 もし自分の能力が通じなければどうなる? 

 

 情報は得られない。

 八雲紫に手を出す事ができない。

 災害を止める事ができない。

 

(如何ともし難い……。ギリギリで掴めた勝利ではあるが、それでもタイミングは最悪だ。八雲紫が手の内に転がり込んだ影響で首が回らなくなっている)

 

 実質、月の都は三正面作戦を強いられているようなものだ。上手くいっているのは地上への侵攻だけで、他二つは完全に頓挫しつつある。よりによって本来どうでもいい地上関連だけが上手くいっても旨味は少ない。地上は最低限の保険なのだ。

 

 まさか、まさかとは思うが……娘を騙る天邪鬼、鬼人正邪はそこまで見越して八雲紫を此方に引き渡したのだろうか。

 いや、流石にそこまでは予見してはいないだろう。地上の情勢も逐一確認しているが、ここまで泥沼と化していては幻想郷もただでは済まない。これでは支配もままならないだろう。

 

 幻想郷はどう足掻いでも終わりだ。

 サグメはそう結論付けていた。月が生き残るにはその未来しか残されていないから。

 

 酷く草臥れたように項垂れる。そしてかつての故郷と、現れた半身への想いを捨て去った。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 何も終わってなんかいない。

 始まってすらいない。

 

 

 悪魔の従者は空を覆い、魔力渦巻く積乱雲へと向かう。主人を苦しめる何かがそこにあると判断したから。紅魔館を囲う梅雨と夏日を突破した。

 

 半人半霊の剣士は神霊を斬り払い、幻想郷の奥地へと向かう。冥界の守護を捨て置いても為さねばならぬ主命を帯びたから。難しい事は分からぬと墓石を切断して回る。

 

 復活を遂げた現人神は使命感に胸を膨らませ、宙を泳ぐ宝船を追跡する。(神奈子)の制止を振り切り、幻想郷の危機に挑む。これが娘として初めての反抗だった。

 

 

 数時間後、サグメは八意永琳より齎された書簡により思い知らされる事になる。

 

 決して侮ることなかれ。

 幻想郷の底力を。

 

 




ゆかりんが幻想郷に残してきた爪痕の集大成ですね!良くも悪くも!
以下主な異変一覧(ゆかりん&霊夢&さとりは居ないものとする)

東方地霊殿
東方星蓮船
東方神霊廟
東方天空璋

幻想郷上空を覆う魔力積乱雲(輝)
妖怪の山vs月の都地上浄化部隊(紺)
秩序側の大妖怪弱体化(?)
各地で反乱一斉蜂起(輝)
人里で謎の暴動(?)
月の都正規軍vs嫦娥死ね死ね軍団(紺)


地獄かな?(Welcome Hell♡)
次回から異変解決RTA始まるよ〜!多分これが一番早いと思います。だから正邪を煽っておく必要があったんですね(MTR姉貴)

評価して甘やかして♡感想もちょうだい♡


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東方血冷殿*

 

 

 ずっと生きた心地がしなかった。

 

 脳髄を切り付けられるように絶え間なく襲ってくる不快感に怯え、恐怖と怒りで一睡もできなかった。身体を蝕む激痛に喘ぎ苦しみ、頭を地面に叩き付けた。数え切れなくなるほど、何度も何度も。

 

 その痛みが私を確固としたものにする。何百年もの時を経て風化しそうになる屈辱をありのままの姿で蘇らせてくれる。この惨めな姿が鬼人正邪の本当の在り方なのだと。瞼の裏に張り付いた記憶があの夜の悪夢を想起させた。

 

 この世界は呪われている。

 私が天邪鬼として穢れた大地に産み落とされたのもそうだし、なにより、八雲紫を誕生させてしまったのだから。

 何故アレを存在させてしまったのか。

 私を存在させるに足る理由があったのか。

 どうして二人は出会ってしまったのか。

 

 私は天邪鬼。生まれついての天邪鬼だ。

 叛逆を宿命づけられているのだから誰かの下に付く事なんできないし、上に立つ事もできやしない。未成熟なイデオロギーを破壊して混沌を呼び込むのが仕事。今の私とは全てにおいて真反対。

 

 きっと、身体の叫びは天邪鬼としての本能が鳴らす警鐘なのだろう。「このままだと消滅するぞ」と、懇切丁寧に教えてくれてるんだと思う。

 実際その通りだ。忌々しいお袋の細胞(稀神)がなければ、今頃死んでたかもしれない。少なくとも、今よりよっぽど狂っていただろう。

 だから天邪鬼としての生き方を犠牲にして、私は時間を得る必要があった。

 

 生きてさえいればいつか報われる日が来ると信じていた。泥水を啜ってでも生き永らえて、機を待つ。それが数百年、数千年、数万年の時を要そうと。

 八雲紫から全てを奪うチャンスは必ず巡ってくる。それまで耐え抜いた。

 

 その結果がこれだ。

 如何に稚拙な夢物語だろうが、裏付けられた私の足跡が決して夢では終わらせないと伝えてくれる。実現してしまえばこちらのものなのだから。

 

 

 幻想郷を確実に落とす為の絶対条件は、紫の動きを完全に封殺することにある。力を失っているとはいえ野放しにするにはあまりに危険。どんな窮地からでも盤面をひっくり返してしまうあの爆発力が恐ろしい。それに、()()()力を失っているかも、私は懐疑的に思っていた。

 だから奴を月に隔離したのだ。お袋(サグメ)に月面戦争の計画とマヨヒガの座標を伝え、完勝できるように手配した。その苦労は報われ、紫どころか博麗の巫女まで封じる事に成功したのは予期せぬ幸運だった。

 

 後は各自、用意していた手段で各々の目的に向け行動を開始したり、導火線に火を点けてやればこの通り、幻想郷は滅茶苦茶だ。

 私が担ったのは草の根妖怪による一斉蜂起と、【打出の小槌を使った力の再分配】であり、作戦の根幹ともいえる部分である。

 

 幻想郷──いや、この世は不平等だ。

 富と同じく、力が一部の存在に偏り過ぎている。昔からそうだった、ある日前触れもなく現れる突然変異のような妖怪達に時代は引っ掻き回され、弱者達は涙を飲んで逃げ回るか、塵芥の如く消えていくかの二択だった。

 

 だから小槌の力で全部ひっくり返してやった。力に胡座をかいた馬鹿共から没収してやった。奪ってやった、分からせてやった! 

 打ち出の小槌は小人族の宝物。ありとあらゆる願いを叶える素晴らしいモノだ。それを『使い手』と一緒に盗み出した。幻想郷転覆のキーになると早いうちから目星を付けていたのだ。

 

 勿論、本来なら如何に小槌の魔力といえども幻想郷の猛者どもの力を没収するに足る出力はない。適当にレジストされてしまうのがオチだ。

 そこで幾つか工夫を加えた。

 

 まず奪う対象を制限、絞ることにより、小槌の魔力を限られた対象に最大限使えるようにした。その対象とは『紫に与する妖怪』である。これで厄介な吸血鬼に天狗共や鬼など、残された紫の余力を徹底的に破壊する。

 次が重要である。それでも小槌の力は到底足りないから、不足分を私が補うのだ。私はこの800年、一度として戦闘を行わなかった。ひたすら妖力を貯めに貯めて、今ここで解放した。

 お袋の細胞を身体に馴染ませた事により、私の妖力は激減した。拒否反応か何かだろう。だがその代わり、能力を一点強化し続けたのだ。

 

 今、幻想郷を下剋上の力が満たしている。

 この潮流に抗う術はない。力を持つ者が古き権力者を打ち倒し、新たなる世を切り拓いてやる。

 

 

 

 

「──以上が報告となります。お師匠様からの支援はこれにて終了となりますけれど、それでよろしかったでしょうか?」

「ええ構いません。その盤面は全て摩多羅様の尽力による賜物で御座いますれば、ここからは私が仕切る番になります。徹底的に幻想郷の旧勢力を叩きましょう」

「左様でございますか! ところでお師匠様は正邪様の事をとても好ましく思われていたようでして、勝利を祈念してエールのダンスをお贈りするようにと申しつかっております。それではいざ……」

「結構です」

「ありがとうございます! では失礼いたしますね〜」

 

 ホッとしたように息を吐いた爾子田里乃は、嬉しそうな様子で後戸の国へ戻っていった。全くもって悪趣味な神だこと。

 

 これから先、摩多羅隠岐奈と馴れ合うつもりはない。互いに利用し合う仲だっただけで、盟友だと思った事など一度もないのだ。神格の性質からして紫ほどの拒否反応はなかったが、それでもアレには近寄り難い。

 

 当然、旧勢力を一掃して紫の始末が確認できた後は、奴の番だ。最後に摩多羅隠岐奈を打ち倒すことが幻想郷における下剋上の完成なのだと考える。

 いや隠岐奈だけではない。寅丸星も、霍青蛾もみんな始末する。あの二人が復活させたがっていた連中も全員だ。元から相容れないのだから容赦も不要。

 

 小槌の魔力により蘇った『輝針城』の天守で幻想郷を見下ろす。魔力の渦から垣間見える地獄絵図は全て隠岐奈が作り出したものだ。

 

 毘沙門天を信仰する面汚し共の目的は、魔界とやらに封じられた尼僧を救い出す事。

 モラルも糞もない邪仙一派はかの聖徳太子の信奉者であり、幻想郷に封じられていた依代を経て蘇らせる事を目的にしていると聞いた。

 地底の騒動は隠岐奈が焚きつけた。詳しいことは何も知らない。

 

 この三つの異変は副次的な効果を見込んで共闘を呼び掛けたのが発端だったようだ。

 似非仏教徒共が魔界へのゲートを開けばたちまち魔界の軍勢が幻想郷に押し寄せ、更なる混沌を齎すだろう。地底も然り、紫が死んだと分かれば地底の妖怪達は地上へと溢れ出てくるに違いない。

 そして復活予定の聖徳太子は、紫亡き後の幻想郷を統治する為政者とするヴィジョンを隠岐奈は描いていた。アレにかかればメチャクチャになった幻想郷でも治めるのは容易いと自慢げに豪語していたのを思い出す。

 

 よく考えたものだ。

 だから私はその悉くを否定する! 

 

 頭をすげ替えただけの革命など何の意味もない! 私は八雲紫が作り上げたものを一つたりともこの世に残したくないのだ。奴の痕跡の全てを消し去ってようやく鬼人正邪の安寧は達成される。

 

 愚かだと思え摩多羅隠岐奈。未来を見るような殊勝な奴が革命なんて起こす筈がないだろう? アイツなりに幻想郷を想っての魂胆なのだろうが、それを踏み台にして目的を叶えてやる。

 

 最後に笑うのは私だけで十分だ。

 

 

 ふと、魔力渦の先に人影が見えた。一定の軌道を描いてグルグルと輝針城の周りを揺蕩っている。きっとこの城への突破口を探っているのだろう。

 なんて名前だったか。十六夜咲夜だったか? 

 

 此処が異変の大元であることを嗅ぎ取った嗅覚は大したものだ。私を倒しちまえば『逆さまの術』が解けた主人の吸血鬼を始めとして、燻っている大妖怪達が異変鎮圧に向けて一気に暴れ出すだろう。しかし判断としては完全な誤り。

 私の下に到達する事など決してできやしない。

 

 私の能力によって小槌の魔力を敢えて暴走させて、更に隠岐奈や邪仙、便利なネズ公に協力させて作り出した境界だ。

 距離の概念、時間の概念、探知の概念が私の意のままにひっくり返り続ける特殊な空間。たとえ紫だろうと突破はできない筈だ。

 

「安全圏から他所の不幸を眺めるのが一番の楽しみなんですよねぇ。どいつもこいつも必死こいて郷を護ろうとしているのが滑稽で仕方ない。……あいたた」

 

 お腹に鋭い痛みが走る。どうやら私の発言が気に入らなかったようだ。

 独り言もままならない生活にもそろそろ嫌気が差してくる頃だというのに。この腹痛と一緒にいる間は、きっと稀神正邪のままでないといけないのだろう。

 

「私たちの野望はもうすぐ成就する」

「私たちのやる事は幻想郷にとっては悪。しかし虐げられてきた者達にとっては純然たる善。ならば勝者である私が何を言おうが何をやろうが、それは意に反するモノではないのです。価値の物差しは私たちが決める」

「きっとご納得いただけますよ。考えるべき事は、また後で考えればいい。時間はたっぷりとあるのですから」

 

 若干胃がもたれた気がする。

 もうすぐ頑張りが報われて、この腹痛から逃れられると考えれば舌もよく回るものだ。密かに中指を立てながら、廊下を闊歩した。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「ようこそ地霊殿へ。よくお越しくださいました。貴女とは常々会いたいと思っていましたよ、霧雨魔理沙さん」

「お、おう……取り敢えず水くれ! 水!」

「乾きが苦しいのですね。確かにこの温度に加え地底に潜ってからは連戦続き。これではまともな飛行もままならないですよね」

「水!」

「……お燐」

「あいよ水一杯」

 

 燐の持ってきた冷水をひったくり、浴びるように飲み干す様を見てさとりは諦めに似た感情を抱いていた。異変に対して、ではなく、来客者のジンクスについてだ。

 やはり地霊殿にまともな来客が訪れる事はないらしい。どれもこれも開口一番に自分に対して無礼をぶちかましてくれる。

 

 しかし流石は海千山千の地霊殿館主。既に慣れたとばかりに魔理沙の復活を待つ。

 彼女がやって来た理由は心を読まずとも分かる。「地底に潜って困った時は地霊殿に押しかけろ」という紫からの教えのせいだ。

 

 コップ片手に来客室の椅子にどっかりと腰掛ける。これまた無礼ではあるが、魔理沙の事情を鑑みれば致し方ないだろう。流石にこれには目を瞑ってあげた。

 

「いやあ助かったぜ。ここで補給できなきゃ最悪乾涸びてたな。いくら水を生成してもすぐに蒸発しちまう。とんでもない暑さだぜ」

「此処は怨霊だらけですので幾らか暑さが緩和されてますからね。まあ、いずれそれすらも役に立たなくなってしまうのでしょうが」

「そんなに深刻なのか?」

「そうですね。しかし貴女が思っている『それ』とは深刻さのベクトルが違います」

「……紫の言う通りだな。覚妖怪とはどうにも話しづらくて敵わん」

 

 心に秘めても無駄なのなら口に出すしかあるまい。さらに紫の名前を出して反応を窺ってみる。

 紫が蛇蝎の如く嫌っている噂の覚り妖怪だ。純粋に興味がある。

 

 そしてわざわざ露骨なリアクションを取ってやるほどさとりは寛容ではなかった。

 

「いいですか、この異変で危惧すべきは地底の高温化ではありません」

「ほう。なら……間欠泉ってやつか? アレが一気に噴き上がって幻想郷を押し流してしまうとか」

「地底ではなく幻想郷、というならそうですね。間欠泉はただの合図に過ぎません。この異変はまさしく幻想郷の危機なのです」

 

 このくらい仰々しく語っておいた方がこの魔法使いは焚きつけやすい、そうさとりは見ていた。実際その通りである。

 ただ、いま地上で起きている大騒動については伏せておいた。さとりが魔理沙に優先させたいのは地底での異変解決。それ以外は足枷になってしまう。

 

 先を促す。

 

「なら地底の妖怪が地上に侵攻でも始めるのか? さっきそこらで遭った妖怪共はみんな好戦的だったからな。橋に居た水橋なんとかって奴なんか酷いもんだったぜ」

「確かにそれもある。紫さんが居ない今、アレらが恐れる者は地上に居ませんので。しかし、それが起こるのは異変が完遂された後です」

「参ったよ。頼むから勿体ぶらずに教えてくれ」

 

 降参とばかりに魔理沙は手を振る。探究心旺盛な魔理沙の為に話を振ってあげていたさとりもまた肩を竦める。心が読めるくせに対人関係が壊滅的なのは、こういうところのせいなんだろうと燐は密かに思った。今日のおやつが水で決定した瞬間である。

 

「実を言うと私のペットの一人が盛大に暴走しておりまして。この熱波も間欠泉も、全て幻想郷の破滅を願うあの子が原因なんです。申し訳ない」

「……お前が黒幕か?」

「違います。しかし私がヘマをしたことにより起きた異変であるのは事実です。なので謝らせていただきました」

 

 向けられた八卦炉に呼応して、燐が危険な気配を醸し出す。実は魔理沙と燐は弾幕コンテスト【総合部門】一回戦で(弾幕)を交えたことのある知り合いである。

 故に互いの実力を高い次元で把握している。もっともお燐は現在、妖力を上手く行使できない状態であるが、死んでもタダでは転ばないのが火焔猫燐という妖怪。もしここで衝突すればどちらもタダでは済まないのは明白だった。よってさとりは即座に仲介に入った。

 紫の処世術が役に立った瞬間である。

 

「私ではあの子と戦えません。それは此処にいるお燐も同様。力を封じられてしまったのもそうですが……身内としての情が邪魔をするでしょう」

「だから代わりに私に叩きのめして欲しいってわけか。いいように使われるのは気に入らんが、それで異変が解決するなら仕方ないな」

「ありがとうございます。やはり魅魔さんの言う通り、とても頼りになる」

「……」

 

 魅魔の名前を出したことでさとりを探る目がより強くなる。腹の探り合いはさとりの方が何枚か上手だったようだ。仕返しに成功してご機嫌なのか、軽く一笑。

 

「魅魔さんとは一度仕事を依頼しただけの関係でしたが、それでも大変お世話になりました。いつのことか気になりますよね? 吸血鬼異変の時ですよ」

「あん時か……。そういや紅霧異変の後しばらくレミリアからの当たりが強かったのはそのせいか」

「野望とプライドをへし折られてしまいましたからね。今でも密かにリベンジを狙っているようなので気を付けるよう言っておいてあげてください。愛弟子の貴女からなら多少は聞く耳を持つでしょう」

「あー分かった分かった! 私が悪かったよ。お前と紫の関係が気になっただけなんだ、もう詮索しないから勘弁してくれ」

「では話を戻しましょうか」

 

 微笑みとともに雰囲気がいくらか弛緩した。

 

「ペットの地獄鴉……名を霊烏路空と言うのですが、あの子は心に少し問題を抱えていました。そう、並外れて素直なんです」

「おっ、ペットの自慢大会か? 私にも色々いるぞ。ツチノコとかICBMとかな」

「決して自慢ではありません。あの子は素直過ぎるが故に思い込みが激しい。そしてそれが劣等感と憎しみを生み出す結果となった。そこにつけ込まれたのです。奴は力を持たぬ空に異形の力を……」

「そいつが黒幕ってわけか」

「その通りです。そして、貴女とも無関係ではない。いや、むしろ貴女だからこそその危険性を身に染みて分かっている筈」

 

 空も魔理沙の共通点。それはとある者に無理やりに近い形で謎の力を植え付けられた事だ。その手法も、行った人物も、全てが一致している。

 その名を伝えられた魔理沙は苛立ちに奥歯を噛み締め、動かない膝を叩いた。

 秘匿されていた"それ"を聞かされた事で忘却に埋もれていた記憶が次々と蘇ってくる。魔理沙の心を燃え上がらせるには十分なカンフル剤だった。また同時に、的確なタイミングでの情報開示の手腕は流石と言うべきだろう。

 今後、さとりとは争わない事を肝に銘じる。

 

「お空の下へは此方の火焔猫燐を同伴させます。恐らく説得は通じませんし、お燐が攻撃すればあの子の心に致命的なダメージを負わせてしまうので道案内くらいしか役に立ちませんが、それでも貴女の体力を少しでも温存できれば十分でしょう。快適なマントルへの旅を提供します」

「猫車に乗ってくれればあっという間だよ! ささっ、乗っておくれお姉さん」

「死体運ぶやつだろそれ……」

「特等席です我慢してください」

 

 さとりは細身の魔法使いを担ぎ上げると、問答無用で猫車に押し込んだ。抵抗は時間の無駄だと悟ったのか、魔理沙は渋々ながらそれに従うのだった。

 

「取り敢えず、そのお空とやらを大人しくさせたらすぐ幻想郷に向かう予定なんだ。異変が終わるまでに出口作りは頼むぜ! お前に役割がないのはそういうことなんだろ?」

「まあ……そうですね。私も多忙の身ですが恩人様予定の方にそう言われては仕方がありません。そのくらいはしておきますよ。あと、貴女のアシストのアシストもね」

「アシスト……のアシスト?」

「貴女の実力を見くびるわけではありませんが、勝率は高ければ高いほどいい。それにお空の力がどの程度まで高まっているのか私も見当が付きませんので、備えはあって困るものではないでしょう」

「内容が気になるところだが、まあいい。兎に角時間がないからもう行くぜ!」

「あいよ! では行って来ますねさとり様!」

 

「お願いします二人とも。地底と幻想郷の未来……託しましたよ」

 

 

 

 

「らしくない台詞じゃん」

「一回言ってみたかったんですよ。それに私も少々、昂っているみたいでして」

「キレるのは別にいいけど、もうあらかた方針は固まったんだろうね?」

貴女(てゐ)が考えている事と同じです」

「なるほどそりゃ名案だ」

 

 話を変に拗らせないため別室で待機していたてゐは早速さとりを揶揄うものの、返答の声はやけに上ずっていた。

 

「それでも勝率は……1割くらいですかね」

「そうかな? 私はもっと高いように思うけど」

「私単独なら、の話です。なのでこれから貴女には勝率を3割にまで持っていく役割を担ってもらう。しくじりは許されない」

 

 残りの7割は地上の動向による。今も必死に全体の指揮を執っているであろう藍なら4、5割くらいには持ち直してくれるものだと信じている。またの名を丸投げである。なんだかんだで紫の影響を(悪い方向で)濃く受けているのかもしれない。

 

「地上に出たらすぐに蓬莱山輝夜と接触し、そして共に八意永琳を説得してください。いいですか。なんとしても紫さんをフリーにさせます」

「正直土蜘蛛の通った道なんかゴメンなんだけどなぁ。色々と未知の病原体が引っ付いてそうじゃん」

「全身の皮剥き出しで塩を塗りたくられるのに比べればどうって事ないでしょう」

「その話はやめて!?」

 

 マジで嫌な奴である。

 

 てゐが利用する脱出口とは、黒谷ヤマメが幻想郷弾幕コンテストの【美術部門】に乱入した際に使用していた抜け穴である。あんな得体の知れない抜け穴を無傷で抜けられるのは世界屈指の超健康オタクであるてゐをおいて他に居ないだろう。

 

 ちなみにヤマメを始めとする過激な大妖怪達は勇儀が目を光らせてくれているおかげで今のところは大人しい。しかし空の起こした異変の動向次第ではまた新たな異変の火種になりかねない。依然危険な状況である。

 

「で、アンタはお休みなのか。私もドレミーも必死に働いてるっていうのに」

「ええ……恥ずかしながら、それくらいしか今の私に出来ることはありません。何処ぞの天邪鬼に力を奪われてますし、消耗が許されない身ですので」

「事情は分かるけどね」

「それに私が中継しないと地上からの支援が受けられませんしね。これでも結構忙しいんですよ? 地味ですけども」

「アシストのアシスト、ってやつ?」

「嬉しい誤算でしたよ。……他者との繋がりとは己の行動を縛る鎖となる。しかし、時にこうして起死回生の一手となり得る救いを与えてくれるんですよ」

「ほーん。勉強できて良かったねえ」

 

 互いに長く生きてきた身だ。それも悪意に満ちた世界を力だけでなく、頭で生き抜いてきたタイプの妖怪。故に思想は似通う部分があった。

 繋がりを煩わしいと思い続けてきた妖生だったが、いつからかその思考は無くなってしまった。紫との出会いが良くも悪くも、二人に変化を齎してしまったからだ。

 

 繋がりは毒にもなるし、薬にもなる。

 さとりは薬としての使い方を見出した。てゐは毒として自らの力とした。しかし、一方で空には劇薬になってしまったようだ。

 

 難しいものだ、と。さとりは妙な倦怠感を覚えた。

 

 全ての因縁に決着がついたなら。

 紫といつものようなギスギス言葉の応酬でなく、普通に話せるような時が来たのなら。是非ともそのあたりを教えてもらいたいものである。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「覚り妖怪の族滅、ねぇ。聞けば聞くほどとんでもない話だな。寺子屋で齧る程度には習っていたが、そこまで凄惨なものだったとは」

「多分、さとり様は今でも幻想郷を恨んでる。だから私らも幻想郷に対して良い感情を持つ余地なんてなかったのさ。まあ、その親玉同然の八雲紫をなんで憎まないのかは分からないけどね」

「主人がそんな目に遭ったのを知って幻想郷にヘイトを向ける気持ちは分からんでもない。ただ、それで幻想郷を丸ごと吹っ飛ばそうなんて思想に行きつかれても困るんだよなぁ」

 

 マグマが煮えたぎり、壁には一面煉獄が燃え盛っている。時折噴き上がる火の粉を弾幕で払いつつ、マントルの更に奥深くへと突き進む。

 凄まじい熱波、有毒ガスに薄い空気。何を挙げても人間には生存不可能な死の世界。当然、そんな過酷な環境も想定していた魔理沙は対策を施してはいるものの、なにかと煩わしいのは確かだ。何よりコールドインフェルノを自らに向けて使用しないといけないので八卦炉が失われているに等しい。

 

 戦闘の際はどう立ち回ろうかと頭を捻る。それにはまず相手を知る事が大切だ。

 そしてお燐と話していく中で、霊烏路空を知るには地霊殿の成り立ち、更にはさとりの過去を知る必要があった。そして幾分重いその内容にゲンナリしたのだ。

 

 空の目的は幻想郷への復讐だった。

 大好きな主人を苦しめて、今もなお心労の原因となっている地上が憎くて仕方なかったらしい。さとりが空を強く制止できなかった一因だろう。

 だからって幻想郷を丸々吹っ飛ばそうなんて、気が狂ってるとしか思えない。過去類を見ないレベルの脳みそ空っぽ馬鹿野郎である。

 

(やるなら妖怪の山に限定してもらうよう説得するのもアリだな)

「おおう悪どい顔してるねぇお姉さん。地獄の罪人がよく浮かべてるタイプの表情だよぉ」

「失礼だな。平和的な解決方法を模索しているだけだぜ。ていうかお前、頭の後ろに目でも付いてるのか?」

「いやいや、アタイは怨霊の声を聞けるだけさ」

「周りに浮いてるコイツらか」

 

 猛スピードで洞穴を疾駆する猫車に不自然な速さで追随してくる怨霊の正体も、判明してみればなんて事のない只の肉壁であるという。

 ただ、今はお燐の妖力が低下しているため、貴重な命綱として機能している。もっともお燐が弱っていると判れば問答無用で反旗を翻してくることは容易に想像できる。人徳の無さ故のリスクだった。

 

「一応怨霊を使ってお姉さんの援護をしようと思うけど、正直言ってどこまで役に立てるかは分からないからアテにするのは無しで! さとり様が言ってた通り、お空がどんだけ強力になったかが不明なままだからね。天変地異を起こすほどの妖力だから『弱い』ってことはまずないだろうけど」

「けどそのお空は生まれ付き身体と頭が弱かったんだろう? それなら妙な洗脳が入っててもたかが知れてるんじゃ……」

「甘い、甘いよお姉さん。アタイらが戦う秘神の力は侮れない! コソコソと暗躍する神なだけあって、加護を与える技能は幻想郷のどんな存在よりもずば抜けてる。永く生きた妖怪にとって奴の悪行の数々はもはや語り草さ」

 

 確かに、あの秘神が真っ当な倫理観を持ち合わせているとは到底思えない。奴が上に君臨した分だけ様々な悲劇が齎されたのだろう。

 あと幻想郷中の死体という死体を掻っ攫いまくった火車に邪悪と言われるのもちゃんちゃら可笑しな話ではあるが、まあ異変を起こした側に人権は認められないので仕方あるまい。

 

「何よりっお空の純粋無垢な心に付け込んだ卑劣極まりない所業が許せない! アタイは絶対に許さないよ! 力が戻ったら奴をぶち殺して塩シャブ漬けにして四肢を捥いで! エントランスに飾ってやるっ!」

「物騒極まりないが、許せないのは私も同意見だぜ。存分に協力してやるよ」

「お姉さん……!」

 

 差し出された手を強く握りしめる。

 これが後の世にまで続く『摩多羅隠岐奈絶対ブチ殺す同盟』発足の瞬間であり、また魔理沙とお燐の間に奇妙な友情が生まれた瞬間でもあった。そもそも盗人同士相性が良かったのかもしれない。

 

 しかしながら、そんな蜜月の時間は唐突な終わりを告げる。

 僅かな地響きが合図だった。外壁を破壊し、真横から飛来した巨大な火球が瞬く間に空間を塗り潰し、進路を飲み込んでいく。

 あまりに急な先制攻撃に全ての動作が遅れた。魔理沙ですら、まだ箒に跨った段階であり、飛行に移ろうという時には既に破壊が鼻の先まで到達していた。

 気を抜いていた。油断していた。

 

 避けきれないそれが眩い光と耳を劈く爆発音とともに去来する。身を焦がすほどの熱に焼かれ、前後左右に視界が飛び回りながら、しかし魔理沙は生を握り締めていた。

 壁に叩きつけられ炎に炙られながらも、魔理沙は状況の理解に努めた。

 

 ふと周りを見ると、魔理沙を囲うようにして真っ青な色をした妖精たちが飛んでいる。これも怨霊の一種だろうと、感じ取った妖力から分析した。

 つまりこれはお燐の仕業だろう。

 

 箒越しに下を見た。

 バラバラに砕け散った猫車の破片がマグマに沈んでいる。その所有者の姿は見えず、程なくして魔理沙を守っていた妖精たちも消滅した。妖力の残骸が熱波に飲まれ、灼熱地獄へと溶けていく。

 魔理沙は聡い人間だ。

 あの一瞬で何が起きたのかを瞬時に理解した。

 

「とっても大切に想ってたんだよな……親友(お空)の事を。お前一人だけならまだ逃げようはあっただろうに、私を託すに足る人間だと判断したのか?」

 

 弱体化したお燐では戦闘の役に立てない。だから咄嗟にまだ希望のある魔理沙の安全を優先したのだろう。事実、あの火球をマトモに受けていれば負傷は免れなかった。苦肉の策で動かない足を盾にして被害を軽微にしようと試みていた程だ。

 

 お燐は己の役目を果たしたといえる。

 

「仲間を想って起こした異変じゃなかったのか? あの火車は幻想郷とそんなに関係なかったと思うが」

 

 改めて箒の柄を握り締め直し、攻撃源へ挑発的に呼び掛ける。熱波に煽られ思考が加熱していくのを感じていた。自らの油断、ブランクの為に命を失わせてしまった悔恨からくるものでもある。

 

 液状に融解した外壁が崩れ落ち、一つの道となる。その先から現れたのは神々しく、それでいて危うい光を全身から放ち、旧地獄を眩く照らす一羽の鴉。

 異形の右手、異形の右足。そして虚な瞳が今の空の状態を分かり易く表していた。

 

「もう何も分かっちゃいないんだろ? 何の為に力を望んだのかすら」

「……」

 

 無言で放たれた熱線を八卦炉からの『ノンディレクショナルレーザー』で撃ち落とす。保冷が切れた事により魔理沙の身体への負担が一気に重くなった。

 ジリジリと焼け付く肌が赤黒く変色する。

 

「さとりから聞いたぜ。お前、元々弱かったんだってな。自分に力が無いからお燐との差に劣等感を抱いていた……だからあの秘神の話に乗った」

「フュージョンに理由なんていらない。むしろこの気持ち良さはようやくって感じなの。貰い物の力なのに何故か心が落ち着く」

「余計な物まで貰っているんだろうよ」

「余計? それはお前だ。私はこれより神様から賜った究極の力で地上を焼き尽くす。それが私たちの悲願。夢を邪魔する不純物は排除する」

「馬鹿野郎がっ!」

 

 怒号が引き鉄となり、凄絶な撃ち合いが開始された。互いに超火力の弾幕を放つ事で封殺を試みる。魔理沙はいつもの極太レーザー、空は不純物を消し飛ばすに足る火球が明確な殺意の応酬となる。

 弾幕が弾け合う事で狭い洞穴はどんどんその規模を広げて、広大な空間へと変貌を遂げていく。上部から滴り落ちるマグマも、崩落する岩盤も、瞬く間に粉微塵となり破壊の妨げにはならない。

 

 空の核熱により肺が焼き尽くされても、魔理沙は詠唱を止めなかった。死滅した細胞を次から次に再生し、死線を何度も掻い潜る。

 幽香との戦いの中で得た経験が無ければこのような芸当を即座に考え付くことは無かっただろう。忌々しいあの時間も改めて考えれば糧になるのだ。ありとあらゆる経験を次に活かす力こそ霧雨魔理沙の真骨頂であると、当の魔理沙本人は思い知った。

 自分もまだまだ捨てたもんじゃない。

 

 しかし逆に言えば、今の状況は幽香との戦いと同等か、或いはそれ以上の苦闘であるという事。魔理沙の消耗は加速度的に増していくばかりだ。

 

(これが核融合、あのメルヘン苺教授が言っていた科学における究極の力ってやつか。貰ったICBM(ミミちゃん)……もっと真剣に研究しとくんだったな)

 

 紫や藍から酷く叱られた為、紅霧異変以来お蔵入りとなってしまったペットに思いを馳せる。もっとも、今この場でアレを使用してもどうにもなりそうにないが。

 核融合の力とは、破壊力や途方もない膨大なエネルギーもそうだが、魔術の学徒である魔理沙にとって未知の部分が多い分野である。時々河童から話を聞いたりもしたが、いまいちピンとこなかった。

『メルトダウンって何だろうな。もの凄く熱いのかな。その名の通りとろける位甘いのかな。核融合って凄いな、メルトダウンが出来るなんて』*1

 このくらいの知識である。

 

 ハッキリ言って、空の振るう力は魔理沙の予想を遥かに上回っていた。彼女の身体から放出される神力を伴う核熱は、魔理沙のマスタースパークを受けてもその中を平然と動き回る荒技を実現している。この時点で空の耐久力は紫擬きに近いレベルに底上げされていると見ていい。

 だが空の火力はそれすらも霞んでしまう程に全パラメータをぶっちぎっている。世界を滅ぼす力というのもその通りなのだろう。

 仮に咲夜、もしくは妖夢と二人がかりで戦っていたとしても、完全な勝ちの目が見えないと思ってしまう程の圧迫感。

 自分一人では……。

 

「いや、違うな」

 

 目、鼻、口から流れ出る血液を拭う。力場の崩壊により魔理沙への重力負担が大きくなっている証だが、それでも彼女を止める理由にはなり得ない。

 止まれないのだ。止まってたまるもんか。

 

「魔空『アステロイドベルト』……!」

 

 迫り来る火球をなんとか躱しながらスペルを詠唱。魔理沙を中心に魔力嵐が吹き荒れ、空の弾幕を見当違いの場所へと弾き飛ばす。

 空の短所は次弾装填間隔、弾幕のインターバルであることは見抜いている。これだけ強大な力を扱うのなら、それだけ取り扱いが難しくても不思議ではない。

 なんにせよ好都合。アステロイドベルトの切り拓いた道が空と魔理沙を線で繋いでいる。

 時間経過は魔理沙を追い詰めるばかりであり、短期決戦を狙う他ない。全力を出せる『僅かな今』が最期の勝機なのだと判断した。

 

「いくぜッここが勝負の天王山だ! 彗星『ブレイジングスター』ぁぁ!!!」

 

 スパーク系統のレーザーでは仕留める前に抜け出されてしまうだろう。ならば自分自身を弾幕として空を追尾すればいい。ただそれには自ら核融合炉に飛び込む程の危険を前提とする。勿論魔理沙への負担は段違いに高まるが、それは今更な話だ。

 

 八卦炉をブースター機能としてのみ使用し、自らを包むエネルギーは自前の全てを注ぎ込んだ。正真正銘、全身全霊の一撃。

 鳥頭の空でも魔理沙の狙いは簡単に見て取れた。故に弾幕の展開を中止し、最高濃度の核エネルギーを内に溜め込み魔理沙を迎え撃つ。

 

(これは流石に、死ぬかもな?)

 

 僅かに残留していた火球を箒星が薙ぎ倒す。魔理沙の猛烈な突進を止める術はなく、しかし空の纏う核エネルギーはその充填を切り上げ、敵へと牙を剥く。

 

「『アビスノヴァ』」

 

 空はスペルカードを使わないと、事前にさとりから聞いていた。実力が劣ることもあり弾幕勝負に一切の興味を示していなかったからだ。つまり、これも秘神の差し金かと奥歯を噛み締める。

 だが、そんな考えも一瞬で吹き飛んだ。

 

 眼前が白色に染まると同時に、身体中を凄まじい衝撃と熱が襲う。負けてたまるかと魔理沙は突撃を続けるものの、底なしのエネルギーの前には無力。段々と押し返されていく感覚だけがあった。

 鍔迫り合いは長くて十数秒ほどだっただろう。魔理沙を覆う魔力がけたたましい音を立てて崩れ去るのが聞こえた。当然、その後に待つのは破滅だけだ。

 

 

 

【水符『プリンセスウンディネ』】

【水符『河童のポロロッカ』!】

 

 数年ぶりに水分に触れた気がした。

 核熱に炙られる筈だった魔理沙を護ったのは、羽衣のように優しく包み込む純正の水。僅かな猶予を魔理沙は見逃さず、即座にアビスノヴァの射程から逃れる。

 また降り注ぐ洪水が一時凌ぎではあるが、あたりの気温を著しく低下させた。

 

 唐突な横槍に空は酷く困惑していたが、それは魔理沙とて同じだった。どちらとも自分の見た事ある術式だったものの、まさかそれに救われるとは夢にも思っていなかった。

 それに遥か地底の奥底まで助太刀に来てくれる者など居るはずがないと半ば諦めていたから。

 

【相変わらず、魔術をコケにしたような戦いばかりしているようね? 魔理沙】

「お前、パチュリーか!? どうして……」

【私だって好きで助けたわけじゃない。寧ろ恨みしかないからね。……レミィからの頼みよ。孤軍奮闘してる低級魔法使いを助けてあげて、ってね】

「そうかい。……ありがとな」

 

 パチュリーには焼き殺されてもおかしくない仕打ちばかりしてきたが、まさかその彼女にすんでのところで助けられるとは。

 それに不思議なのは彼女が助けてくれた事だけじゃない。

 

「けどどうやったんだ? こんなに距離が離れてちゃサポートどころかスペルの発動すら難しいだろ」

【レミィが最近友達になった……地霊殿の友達が協力してくれてるのよ。彼女の読心術を中継して貴女と魔力のリンクを繋いでるの。いま小悪魔に追加の魔力を送らせてるから感謝して補給しなさい】

「なるほど、そういう事。もう一人の河童の方も同じくってところか?」

【やっと触れてくれた! いつ会話に入らせてもらおうかと窺ってたんだ。なにせ河童は臆病だからね! 人間と話すのには勇気がいるのさ!】

 

 声の主は恐らく最近知り合った河童の河城にとりだろう。あれだけの規模の水スペルを使える妖怪はパチュリーの他には彼女ぐらいしか知らない。

 ふと横を見ると、奇妙な六角錐の物体が浮いている。何やら奇怪な電子音を発しており、それが傍にあるだけで幾分か呼吸が楽になった気がする。

 

【人間には厳しい環境だろうと思って前もって地底に送っておいたんだ! それがあれば一定の気温と酸素濃度を保てるし、放射能を心配する必要もない! しかも私が設計して里香が制作した試作品! 名付けて『まじかるしぐま〜ちゃん1号』】

「よく分からんが助かるぜ。けどお前も急だな」

【こっちは命知らずな天魔様からの依頼でね。いま妖怪の山は大変な状況だけど、それよりも魔理沙を始めとした異変と戦ってるみんなのサポートをお願いしたいってさ。正直河童も厳しいんだけど……はたては天狗の中でも相当マシな奴だからね、断れなかったよ】

「悪いな、政治の話はよく分からん。でも助かったよ、パチュリーも……本当にすまん。ありがとう」

 

 念話の向こうで妙な感情が湧き上がった。さとりの能力を介しているので、ある程度相手の気持ちが分かるのだろう。この感情は、そう。『気色悪い』というやつである。間違いなくパチュリーのものだろう。

「感謝の言い甲斐のない奴だ」と、魔理沙は毒づいた。

 

 でも少なくとも、本当の気持ちだ。

 湧き上がる勇気とともに改めて空へと向き合う。怪訝そうな顔をしながらも、アビスノヴァを受けて生還した事に警戒を示しているようだ。

 

【それにしても中々の相手と殺り合っているようね。瞬間的な最大火力は私でさえ実現し難いレベル……地底を灼くもう一つの太陽ってところかしら】

【原子力を利用しているようだね。ここら辺は私ら河童の専売特許さ! うまく生け捕りまでの道筋を立ててみせるよ! ふへへ、あの鴉さえいれば幻想郷のエネルギー問題は解決したも同然……!】

「そんな悠長に構える余裕はないぜ、正直。お前達が来てくれたおかげでなんとか五分五分ってところだ」

【貴女にしては随分と気弱ね】

「そうでもないぜ」

 

 未だに絶望の暗雲は晴れない。

 だが魔理沙の心に暗澹とした不安はなかった。

 

「──もし私がコイツに負けちゃったら、多分幻想郷は無くなる。けどあそこには私の命よりも大切な物がたくさんあるんだ。なら私の命に代えても阻止しなきゃな」

【……死ぬ気?】

「そんくらいの心構えじゃないと勝てないって事だ。勿論死にたくなんかないさ。地上の異変も解決しなきゃいけないしな」

【呆れた】

【うぅむ……素晴らしい気迫だ。やっぱり人間は凄いなぁ流石は盟友だ!】

 

 決意表明はこのくらいでいいだろう。

 サポートに使う必要のなくなった八卦炉を掲げる。

 

【相手はパワーに偏重してるわ。……その攻略法は当然解ってるわね?】

「勿論だ」

【安心したわ。なら存分に頭脳を使って頂戴】

 

 そして魔理沙はいつも通り太々しい笑みを浮かべるのだ。

 

「弾幕に頭脳? 馬鹿じゃないのか?」

【は?】

「弾幕はパワーだぜ!」

 

 魔理沙の魔砲と空の核熱レーザーが衝突し、本日幾度目かの破壊を撒き散らした。それは戦いが折り返し、ないし佳境に突入した合図となる。

*1
魔理沙の日記帳より抜粋




魔理沙「弾幕はパワーだぜ!」←言ってない
パチェ「そこまでよ!」←言ってない
にとり「相撲って言ったじゃないか!」←言って欲しい

影も形もないくせにちょくちょく存在感を出してくるゆかりんはなんなの…?

幻マジお空は神奈子様ではなくオッキーナ経由で八咫烏をインストールされてるので、まだ原子力施設とかそういうのは無いです。よって地獄マントルでの決闘となります。
ついでに後戸パワーマシマシ状態なのでめちゃくそ強いです。金髪の子可哀想……。

異変のバーゲンセールで収集がつかないかと思いきや、味方もそれなりに多いのでガンガン進むのです。
次回『小傘 死す』コチヤスタンバイッ!


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東方星憐殲*

結構長いです


 

 

「どこもかしこも地獄ばかり……幻想郷はこれ以上とない混沌に満ちている。いやはや、ここまでのものを見せてもらったのだ、少しばかり奴への評価を改めねばならんよな。恐るべきはその執念よ」

「奴というと、正邪様の事ですか?」

「そうだ。偶々見つけて数合わせに用意しただけのどうでもいい存在だったが、思いの外よく働いてくれている。これで私の敵になってくれれば言う事なしだ」

「えー戦うんですかー? あんなに仲良くしてたのに? やめましょーよ、無益な争いは」

「甘ったれるな、戦乱の世とはそういうものよ。下剋上が成った後はその権力を維持する為の戦いに奔走しなければならん。奴の選んだ道に平穏などありはしないのだ。生まれながらにして一生の闘争(逃走)を宿命づけられるのが、天邪鬼という妖怪だからな」

 

 さも悲壮げに隠岐奈は目を伏せた。それに共するニ童子もしくしくと悲嘆の涙を流すのだった。そしてそんな人形劇を冷めた目で見る妖怪が一人。

 以上四人が後戸の世界の総人口である。

 

 客人レティ・ホワイトロックの態度は一貫して冷たいものであるが、その実言動は非常に忠実だった。数十年にわたって四季の力を集め続けたのもそうだし、隠岐奈の依頼により吸血鬼異変や春雪異変に参加したのもそうだ。

 そして今も、計画の最終段階に嫌な顔ひとつせず参加している。彼女に与えられた役目はそれほど大きなものではないが、隠岐奈個人の思惑としては重要だ。

 

 奮闘している天邪鬼の話は終わったとばかりに、吊り下がっていた口端が再び吊り上がる。結局『思いの外面白かった』以外の感想はないのだろう。

 

「まあ正邪殿の事はこのくらいで良い。彼女の処遇は後ほど決めるとして、次は我々が動く番だ。妙な邪魔だてが入らぬうちに懸念を片付けておく」

「幽香のことでしょ?」

「そう、四季のフラワーマスター風見幽香。奴の保持する『夏』の力を回収すれば四季を司る主神としての力が我が身に戻ってくる事になる。貸したものは返して貰わなくてはな」

「だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってわけね〜。自分の力まで取られちゃ困るものね?」

 

 レティの言葉に妖しげな笑みを深める。

 現在、打ち出の小槌と正邪の能力により、紫側の大妖怪達が軒並み力を発揮できない状態になっている。──()()()()()()()を除いて。

 

 一人、風見幽香は隠岐奈の妨害による結果。

 そして()()()()は完全に誤算だった。

 

「幽香についてだが、この後すぐに後戸の世界に呼び込んでお前(レティ)に殺してもらうことになる。まあ元はと言えば、お前が私に協力してくれていたのは奴に引導を渡す為だったし、長年の功に報いねばな?」

「どうも〜」

 

 寛大な風を装っているが、実際はただの前提条件の確認である。

 

「そして後一人、小槌の力から逃れた厄介な奴がいる。コイツを野放しにしておくのは正邪殿にとっても些か厄介だろう。よって里乃と舞、お前達に始末してもらう。そいつの狙いは私か正邪殿の首だ、余計な事をされる前に潰すように」

「小槌の魔力から逃げ切ったって……そんなとんでもない妖怪に勝てるんですか? 僕と里乃が?」

「まあ奴も幻想郷に名だたる大妖怪だが、実力で逃れた訳じゃない。裏技を使われたのよ」

「裏技?」

 

 元来、フルパワーで振るわれた小槌の魔力から逃れるのは容易ではない。少なくとも事前の準備無しには回避できぬ初見殺しの秘技といえよう。隠岐奈やレティでさえ例外ではない。

 小槌の願いの対象になっていない者も殆ど役には立たない。意志薄弱な者、理性を持たぬ者、何にも興味を示さぬ世捨て人、心を折られてしまった者などは力を保持したままだが、幻想郷の大勢を左右する影響力は皆無だ。

 

 故に、力がありながら、峻烈な意志の強さを持つあの妖怪が無事なのは隠岐奈にとって懸念事項と判断するに足る恐ろしさがあったのだ。

 

 その名は射命丸文

 彼女だけが力の減衰なく、体制側の妖怪として猛威を奮っている。

 

「射命丸……確か天狗でしたよね?」

「私、あの天狗もチェックしましたけど今朝までは力が落ちてましたよ? 例外なく」

「そうだな。奴はそのあと自分に作用する小槌の魔力を強制解除したのだよ。河童の科学力を使ってね」

「か、河童ですか!?」

 

 考えてみればあり得る話だったのだ。

 抜け穴を想定できなかったのが不服だったのだろう。隠岐奈はつまらなそうな顔をしながら椅子に座り直した。

 

「打ち出の小槌とは元々小人族が保持していた宝物。ではその前は? 誰が小槌を所持していたと思う? 小槌を作ったのは誰だ?」

「ええと……鬼、でしたっけ」

「あっ! 一寸法師!」

「そう、小槌の元々の所有者、及び製作者は鬼だ! そして河童はいずれ鬼が地上に戻ってきた時に備えて、鬼の魔力を打ち消す装備の研究を進めておったのよ。伊吹萃香の能力に抗えないのなら万に一つも勝ち目はないからな……それが転じてこのような結果を生み出したのだ」

 

 鬼の干渉を受け付けない装備。それは小槌相手にも十全に効力を発揮した。

 幸いにも数は一つしか用意できなかったようだが、それでも射命丸文という存在を呪縛から解放されたのは痛恨の出来事だといえよう。

 

 しかも文は妖怪の山を侵略する月軍に目もくれず、恐るべき素早さで幻想郷を飛び回り、暴れ回る妖怪を蹴散らしながら黒幕の情報を収集している。

 恐らく、既に後戸の国、若しくは輝針城への侵入方法を探っている段階だろう。

 

(天魔め、やりおるわ)

 

 昔なら山の防衛を第一に戦力を運用していた筈だが、紫と和解してからというもの、恐ろしく思考が読みにくくなっている。今回の思い切った采配もまた、虚を突かれた。まさか山よりも幻想郷を優先するとは。

 だが隠岐奈にも考えがある。

 

「という訳だ。よって天狗に対し特攻の性質を持つお前達の出番だろう?」

「なるほど分かりました! それでは早速、射命丸文を討ち取って参ります!」

「舞と一緒なら負ける気しないしねー」

「ねー」

「まあ、とは言っても相手は幻想郷最速の妖怪。そう簡単にいかんのは容易に想像がつくからな。最悪、レティが幽香を片付けるまでの間、時間を稼いでくれればいい。決着を見届け力を万全な物にした後、私直々に葬ってやる」

「「げー」」

 

 舞と里乃は顔を見合わせた後、恭しく首を垂らしてドアの奥へと消えていく。隠岐奈からのこれ以上の小言を嫌ったのだろう。どうせまた実力不足がどうのと言って詰られるに違いないから。

 幻想郷の賢者の中でも主従の関係がここまで壊れているのは隠岐奈くらいなものだろう。だが当の本人は満足げに手を振って見送る始末だ。

 

「仲睦まじいようで何より」

「使えん部下共だが数百年使い倒していれば自ずと愛着も湧くものよ。まあ、此度の異変を最後にあの二人には暇を与えてやるつもりだがな」

「あらお優しい〜」

「ふっ、よく言われるよ。さて後任だが……お前と風見幽香でどうだ?」

「断る」

「はっはっは! まあそう謙遜するな。答えは風見幽香との殺し合いが終わった後でいいから、良い方向に考えておいておくれ」

 

 答えが変わる事は決してあるまい。だがそれで納得する秘神ではなく、どうせ何らかの形で取り込もうとしてくるのが想定できる。里乃と舞だって元は奴の勧誘に乗るような考え無しの人間ではなかった筈だ。

 正邪のように、長く協力関係にあった者に対する考えもそういうものなのは既に分かっている。冷め切った心は何ら変わらない。

 

「では……そろそろ風見幽香を後戸に呼び込むとしようか。恐らく入ってくるや否や仕掛けてくるだろうが、準備はいいか?」

「どうぞ〜」

「気が抜けるなぁ。ほれ開いてやっ──」

 

 

 出現したドアが瞬時に眩い閃光に包まれ、そして爆ぜた。すかさず放たれた高密度の妖力弾が数千年侵される事のなかった後戸の国を蹂躙し、形ある物を片っ端から消し飛ばす。

 執拗な破壊だった。あまりの徹底ぶりに呆れを通り越して寧ろ感心すらしてしまった。

 

 耳を劈く爆発音が収まると、後戸の国に再び静寂が蘇る。

 舞い上がった土煙や残骸に咽せた隠岐奈はバックドアを開いて適当に外界と繋げ、換気を開始した。引きこもり故の誤算である。

 

「年甲斐も無くはしゃぎ過ぎだとは思わんか? ノックも無しに暴れ回りおってからに」

「品性〜」

 

「あら、蟲のさざめき」

 

 吸血鬼異変以前の全盛期には及ばないとはいえ、やはりこの妖怪は──頗る強い。

 後戸に踏み入るは、幻想郷最凶の座を欲しいがままにする最恐の暴君。

 鋭い相貌が格下どもを睥睨する。

 

「この世界には生きてる奴なんて一人も居ない筈なんだけどねぇ。ゴミ蟲が二匹も」

「良く勉強しているようで感心したぞ。その通り、生命は此処に居る我々だけだ。選ばれし者しか入れぬ神聖な領域だからな」

「あら、ゴミの囀り」

「まあまあ〜アレに構ってても話が進まないわ。私とお話ししましょ」

「今から死ぬ奴と話す事なんてある?」

「殺せると良いわね」

 

 昔から全くというほど噛み合わず、今も既に火花を散らしている幽香とレティだったが、隠岐奈を無視するという点では一致した。歴史的快挙である。

 まあ舞台のセッティングはこのくらいで良かろう、と。隠岐奈は上空に小さな足場を作り、そこに腰掛けた。文字通りの高みの見物。

 

 二人にはそれなりに因縁があった。

 

「懐かしいわね、最近めっきり遊んでくれないんですもの。紅い館の住人と優雅な隠居生活を送ってる貴女なんて目も当てられない。とっても寂しかったわ」

「孤独を力の糧とする妖怪が何の戯言? 遊んでいたのはお前でしょう。チルノ……妖精達と随分仲良くやってたみたいね?」

「あの子、可愛いでしょう?」

「思考の薄い生き物は苦労が少ないからね。花と一緒」

「ふふ、違いないわ」

 

「おーいまだ始めないのかー?」

 

「……なんでお前ほどの妖怪があんなのに従ってるのか、不思議でならないわ」

「ホントにね〜。妖生なにがあるか分からないものよね〜。まあ、私たちが台頭してた時代から今も現役バリバリなのは八雲紫くらいだし? 私もそろそろ引退試合を考えなきゃいけない頃なのよ」

「それで私に引導を渡してもらいに?」

「さあ? 格下に殺されるほど落ちぶれてないし」

 

 懐かしい時代だ。妖怪の山が成立する遥か昔──鬼が形作られる前──天地開闢の前か後ろか曖昧になってしまう頃。

 それがレティの生まれた世界だった。

 

 寒気を操る程度の能力。それは、動植物全ての万物に等しく恐れられた死の足音。

 曇天の下、凍え死ぬ恐ろしさを生物は遺伝子の根幹に刻み込まれている。レティはその恐れを糧とするのだ。原始の恐怖を元とする存在。

 かつて四惶と恐れられた大妖怪でもある。*1

 

 そんな彼女からすれば幽香を始めとする幻想郷の妖怪達なんぞ、存在としては格下に過ぎない。確かに過去の栄光ではあるのだが、それでもレティを落ちぶれたと判断するにはあまりにも早すぎる。

 力そのものは全盛期から全く変わっていない。

 

「それじゃ、始めましょうか。どちらか一方の命か、幻想郷が潰えるその時まで」

「そんなチープな最期で満足なのか」

「なら更に上を見せてくれるの?」

「お前にその気があるのなら」

「随分と丸くなったのね〜。退化? 成長?」

「何も変わってなんかないわ。幻想郷で唯一不変の花、それが私よ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 湿っぽいかと思えばカラッとして、急に澄んだ空気になる。守矢神社から博麗神社に移動するまでに何回季節が変わっただろう。数えるのも億劫になってしまう。

 眼下では見た事のない妖怪や、それの成り損ないと思われるモノが暴れ回っており、これが幻想郷全体で起きているのだとしたらとんでもない事だ。

 

 一刻も早くこの異常を正さなければお師匠様の愛した幻想郷が破壊し尽くされてしまう。だから大人しくしている暇なんてないのだ! 山のみんなだって、力を失っても必死に戦っているのに! 

 私を制止した神奈子様の気持ちは痛いほど分かる。つい最近まで幻想の存在も知らなかった小娘に何が出来るのかと言いたいんだろう。でも……何もせず指を咥えて見てるだけなんて耐えられない。

 

「さすがに不味いよ早苗ぇ! 今回の異変は洒落にならないよっ、大人しく紫さんや霊夢さんに任せておいた方が良いってば!」

「そうやって二人にばっか頼ってるからこんな事が起きたんですよ! 残された私達が頑張らずして誰が幻想郷の強さを証明するのですか!」

「す、少なくともわちきじゃないもん……」

「弱音を吐かない! 私と一緒に頑張るんですよ!」

 

(早苗と一緒に異変解決なんて絶対無理だ……! でもこのまま早苗を行かせて怪我でもさせたら紫さんと霊夢さんにへし折られる……! わちきは一体どうすれば!?)

 

 たまたまそこら辺を飛んでいた小傘さんを無理やり連れ出したものの、こんな調子で大丈夫なのかと逆に心配になってしまう。でも彼女くらいしか頼れる(妖怪)が居なかったんですよね……。

 霊夢さんが紹介してくれた殆どの方々は力が出せずに困ってるし、無事だった人も異変を解決しに出て行ってしまった。お師匠様の家族である九尾さんにも「何もしなくていい」とか言われちゃうし。

 

 空飛ぶ船は今も博麗神社近くの上空で呑気に停泊しており、次の行動を見せる様子はない。今のところ実害が出てないので放っておかれているのが現状だ。

 しかし私に言わせればそれこそ罠だ。こういうメインクエストから外れてるサブクエっぽいものこそ大本命だったりするのである。

 実際、小傘さんが言うにはかなりの力を持った妖怪の人達が何人か乗り込んでるようだし、神奈子様は強く警戒してた。

 

「小傘さん、先手必勝です。あの船底にどデカい穴を空けてやってください」

「まず話し合いから始めるんじゃないの!?」

「こんな大変な時に船を浮かべてるような方がマトモな筈ありません! 相手が非常識を突き通すなら我々もそれに応えましょう!」

「うぅ……もう袋叩きは懲り懲りなのに……」

 

 元気のない小傘さんに発破をかけるが、中々エンジンが掛からないみたい。

 なんでも、ちょっと前に起きた異変で友達に大見得を切って鬼に挑んだはいいものの、コテンパンにやられちゃった事があったらしい。それ以来何をするにも自信を無くしちゃったんだとか。メリーちゃんと萃香さんの一件ですね! お師匠様から聞きました。

 

 さてどうしましょうか。弾幕の扱いに慣れてない私では少々火力に不安が残る。船に穴を空けられないんじゃ相手に舐められてしまいます。

 是非とも開幕の一撃は小傘さんにお願いしたい……。

 

 ふと思い浮かぶはお師匠様の姿。私がどれだけ絶望に打ちひしがれても、立ち直るよう励ましてくれた。あの人の言葉を聞くだけで勇気が湧いてくるんです。

 きっとそれがお師匠様の最たる魅力であり、私に起きた素敵な奇跡の正体。

 

「──ねぇ小傘さん」

 

 あの人と同じような奇跡を起こしたいと想い続けた一年間。幻想郷は私の願いを聞き届けてくれたんです。

 

「いつも無茶言ってごめんなさい。私、与えられてばっかで貴女に何も返せてない事に気付いたんです。今更ですよね」

「え? い、いやぁ……気にしないで」

「気にしますよ! いつもありがとうございます」

「えへへ急にどうしたの?」

「お返しがしたくなったんです。いつも私の為に頑張ってくれてる小傘さんに」

 

 よっぽど褒められ慣れてないのか、恥ずかしげな様子で傘に隠れてしまう。

 逃がしません。私は無理やり傘の柄を掴むと、勢いよく身を寄せる。話術は眼力! お師匠様もそう言ってました! 

 

「私にできる事なら何でもしてあげます! 貴女が諦めてたどんな願いだって叶えてみせます! 守矢の風祝に不可能はありません」

「早苗……」

「貴女の元気を取り戻す為なら何だってしますよ。そうすればきっと、あの空飛ぶ船だって怖く無くなる。一緒に戦おう」

 

 お師匠様は相手に決断を迫る時、まず一番に対価をその身で示して、その後は相手に全てを委ねている。お師匠様ならなんだってできちゃうから。

 その点、私には大した物なんて用意できない。お師匠様に比べれば大した事のない話しかできない。だからこそ、相手を想う気持ちだけは強く持ち続けたい。

 

 大きな目をまん丸に見開いて私を見ていた小傘さんは、やがて思い詰めた様子で俯くと、泡のようにか細い声を漏らした。

 

「私、ずっとずっと昔からお願いしてた事があったの。何でも叶えてくれるならそれがいいな。でも──これは異変が終わった後に言うよ」

「えっ? 今でも良いんですよ?」

「今言っちゃうと決意と勇気が鈍っちゃうから」

 

 顔を上げて朗らかに笑う。なにやらよく分からないけど、当人がそれで満足したなら結果オーライというやつですね。それに異変解決へのモチベーションも上がってくれたようで一安心! 

 やはりお師匠様の教えは偉大です! 

 

「じゃあわちきがあの船に渾身のスペルをぶつけるよ! そうね、今の私なら穴を空けるどころか船丸々ぶっ壊しちゃうかもだけど!」

「おお自信満々」

 

 変なスイッチが入っちゃった感じがするけど、まあテンションが高いに越した事はないと思うので私もその流れに乗っかる事にした。

 オンボロな唐傘が勢いよく開かれ、凄まじい勢いで回転を始める。すると周りの大気が捻じ曲がっているのか、虹色に輝き出した。ゲーミング! 

 

「いくよー! 虹符『アンブレラサイクロン』ッ! 堕ちろカトンボ!」

 

 小傘さんとはこれまでに何度も弾幕勝負を繰り返してきたが、こんなに派手で攻撃に特化したスペルは初めて見た。死合い専用のスペルって事なのか。

 虹色に発光する弾幕の群れが空飛ぶ船に殺到し、雨粒のように船底を打つ。中々に頑丈な造りなようだけど、耐えられなくなった外壁がどんどん剥がれ落ちている。この調子なら穴が空くのにそう時間は掛からないかもしれない。

 つまりつまり、異変解決第1号は私と小傘さん、という事になりますね! 

 

「いいですよその調子でいきましょう!」

「もうちょっとで──いやダメだぁ! 一旦退散!」

 

 イケイケだった筈なのに急に慌て出した小傘さん。スペルを無理に中止すると唐傘の舌を私の腰に巻き付けて、そのまま後ろへと飛び退く。

 破廉恥な行為を咎めようと口を開いたその瞬間、鼻先を黒々とした巨大な(いかり)が掠めた。その暴力的な鍛鋼は紙のように大地を引き裂き、地中深くへと埋まっていく。

 

「な、何事!?」

「くるよ早苗! まず二人──いや、三人!」

 

「ちょっとちょっと、急に攻撃だなんて穏やかじゃないわね。話に聞いてた通り、地上も地底も治安は変わりないのね」

「地上の人達とはなるべく穏便に事を済ませるよう星には言われてるけど、大事な船を壊そうとするような狼藉者には容赦できません」

「何を言いますか! 先に仕掛けてきたのはそちらの方でしょう! おかしな船を空に浮かべて何がしたいんですか」

「いや、仕掛けたのはわちき達の方かな……」

 

 小傘さんの攻撃に耐えかねて船から二人、降りて来たようだ。尼僧の姿をした人と、水兵服だかセーラー服だかよく分からない物を着てる人。

 多分、妖怪ですよね? なんか錨鎖を担いでるし、変なピンク色の雲を纏ってるし。

 

 何にせよここからが本番って事ですね。

 ならば先手必勝っ! 

 

「おりゃ食らえー! 神徳『五穀豊穣ライスシャワー』! 蜂の巣になれ!」

「うわァいきなり撃ってきた!? なんて野蛮な連中だ……! 時代を重ねて人間はここまで落ちたか!」

「どうやら手加減無用のようね……一輪、私達もやってやろう。船が動き出すまでもう時間がないし、さっさと蹴散らさなきゃ」

「オッケー! サモン雲山!」

 

 一瞬の攻防だった。

 不意打ち気味に放ったスペルは彼方に到達する前に錨で蹴散らされ、その間に膨れ上がった雲が実体と化し拳を形作って攻撃、小傘さんが殴り飛ばされた。

 負けじと小傘さんと共にスペルを放つが、それに対応した二人の弾幕が厚すぎてまるで突破できない……! 拳弾幕と錨弾幕なんてどう対応すればいいか分かりません! 紅魔杯でもあんな奇怪な弾幕は見なかったのに! 

 

 私達のスペルを突き破って雲の拳が私達に降り注ぐ。慌てて霊夢さん直伝の結界を張るも四発目には破壊されてしまい、またもや小傘さんがタコ殴りにされた。

 なすすべなく、どんどん追い詰められていく。

 

「さ、早苗……あの雲、自我があるよ。この戦い、人数でも質でも負けてる」

「ぐむむ確かになんという手強さ! ……あの、それ前見えてます?」

「何も見えねぇ」

 

 可愛いお顔が腫れ上がるくらいボコボコにされて、早くも戦意を喪失しかけている小傘さんに檄を飛ばすも、状況は全く好転しない。このままではあの船を止めるなんて夢もまた夢だ。

 というより小傘さんの消耗が激し過ぎる。まさか私を守るように立ち回ってくれてるのだろうか? 私、今のところ無傷だし。

 ……それにしても被弾し過ぎのような気がしますけれども。

 

「くぅぅちょこまかと鬱陶しいわね! 雲山、村沙! もう一気に決めよう!」

「任せて。この攻撃の後、すぐに船まで戻るよ。魔界への道はもう拓かれる」

 

「優勢なのに何故か逃げ腰のようですね。逃げられるわけにはいきませんが、船を放ったらかしに戦い続けては本末転倒。どうするべきか……」

「……わちきに考えがあるよ」

 

 ごにょごにょひそひそ。

 

「っ!? しかしそれでは貴女が!」

「わちき一人であの二人を道連れにできるなら出来過ぎなくらいだと思う。多分そんなに上手くはできないから、早苗は後ろを向いちゃダメだよ」

「でも……」

「考えてる暇ない!」

 

 空飛ぶ船と尼僧水兵コンビが動いたのは同時だった。山のような質量を伴った拳が空から、凄まじい速度で地を這う錨が側面から私達を狙っている。これで私達を仕留める、若しくは封殺して、その間に船に飛び乗ろうという魂胆でしょうか。

 ……やるしかないんですね。

 

「開海『モーゼの奇跡』……!」

 

 スペルの詠唱とともに空間に亀裂が走り、迫り来る全ての脅威を別つ。諏訪子様と戦っていた時のお師匠様の防御法を真似た渾身のスペルカードだ。

 自慢の一撃を容易く捌かれた事に流石の二人も動揺を隠しきれない様子で目を見開いている。意識を一瞬でも外してしまえば、後は小傘さんの独壇場だ。

 

「恨めしやあああぁ!!!」

「うわっ吃驚した!?」

「ぐむ……ほ、解けない……!」

 

 背後に回り込むと、尼僧の人にしがみ付き、水兵の人には唐傘の舌が巻き付いている。本体(小傘さん)は兎も角、あの舌はかなり厄介だ。水兵の人の腕や脚が茄子傘の舌を引きちぎろうと蠢めくが、伸縮性に優れているから完全に張り付いて離さない。

 あの拘束技、時々組み手で使ってくるのだが、逃れられた試しがない。しかも未知の感触だから結構戸惑っちゃうんですよね。

 

 っと、そんな事を考えている暇はない! 小傘さんが二人を縛り付けているうちに私は早く船に乗り込まなくては! 

 

 見ると、巨船が唸りを上げながら空間を引き裂いている。ラグのようなものを走らせながら、ゆっくりと歪みが広がっていく。あれが先程水兵さんの言ってた『魔界』とやらへの入り口なんでしょうか? 

 魔界……字面からして世界征服を企てる大魔王が君臨してるか、もしくはS級妖怪が跋扈しているとんでもない場所なのだろう。つまり、あの妖怪達の狙いは仙水さんと同じという事……!? 

 何としても阻止しなければ! 

 

 もう船の中ほどまでが別世界へと突っ込んでいる。かなりシビアだが、なんとかギリギリ飛び込めるかもしれない。

 だが敵の皆さんは当然ながらそれを望まないようで、ピンク色の雲が私を追いかけてくる。尼僧の人を拘束してても別個に動けるとは……! 

 

「雲山! 絶対にその巫女を船に乗せちゃダメよ!」

 

 小傘さんの悲鳴や戦闘音混じりにそんな檄が背後から聞こえて来る。

 何という執念だろうか。それにあの船に乗っている人達も、幻想郷に二人を残して計画を続行しているようだ。そこまでして達成したい目的なのだろうか? 

 いや、そんな事を考えてる暇なんてない! なんとかして雲を張り切らないと! 

 

 飛行はまだまだ不慣れだ。諏訪の地で燻ってた頃に比べれば雲泥の差だけども、霊夢さんを始めとして幻想郷の方々には遠く練度が及ばない。今だって雲にどんどん距離を詰められてるし、船は遠ざかっていくばかりでもう船尾を残すだけとなっている。

 覚悟を決めるしかない。どんな痛い目にあっても船に飛び乗ってみせる! 

 

「諦めてたまるもんか! 小傘さんの犠牲、絶対に無駄にはしないんだからっ!」*2

「よし間に合ったッ叩き落とせ雲山!」

 

 もう少しで縁に手が届くというところで、私の身体を影が覆う。頭上の拳を避ける余地はない、完全に直撃コースだと直感で分かった。

 咄嗟に星弾を放って軌道をズラすことに成功したのだが、二撃目はもうすぐそこだった。結界を張っても衝撃そのものは殺せないから、地面に墜落してしまうだろう。

 少しの骨折で済めば良いが、それよりもこれでは船に絶対追いつけなくなってしまう。解決の糸口が思い浮かばない。

 

 あまりに無力だ。

 諏訪子様を喪った時から何も変わっていない。

 

 ああ、お師匠様。

 神奈子様。諏訪子さ────。

 

 

 

「操符『マリオネットパラル』」

 

 

 

 僅かな軋みとともに、船が静止した。

 それと同時に迫っていた雲は散り散りとなって空へと溶けていく。まるで何かに刻まれたように等間隔で切り離されていた。生き残った、のでしょうか? 

 

 私は何が起きたか分からず惚けてしまうが、場の急転はそれを許してくれない。船尾が僅かに発光した瞬間、凄まじい速度でレーザーが縦横無尽に放たれる。敵対する者全てを薙ぎ払おうとしているのか、それとも彼方も計画が中断された原因が判っていないのか、ひたすら無差別に攻撃を仕掛けている。

 

 と、惚けて動けない私を誰かが見かねたのだろう。背中を引っ張られる感覚と一緒に視界が後退していく。そして気付けば博麗神社の屋根に着地していた。

 

 そこにはボロ雑巾のようになった小傘さんと、あと一人。見たことのない女性がいた。

 ウェーブのかかった金髪と碧眼。青を基調とした西洋チックな服を着ていて、肌は透き通るように白い。まるでおとぎ話の中からそのまま飛び出してきたかのような雰囲気を纏っている人だった。

 

 私を助けてくれて、さらに船を魔界への入り口で留めているのはきっとこの人なのだろう。味方、でいいのだろうか? 

 

「ありがとう、ございます。貴女は一体……?」

「何者でもないわ。本当の名を忘れてしまった流浪の魔法使い──ほんの少しだけ、幻想郷と魔界に縁のあるただの魔法使いよ」

「こ、東風谷早苗と申します」

 

 か、かっこいい……! 

 

「見たところ、貴女も幻想郷にやって来たのはつい最近のようね。霊夢と同じような巫女服を着てるけど……神社が増えたの?」

「あ、はい。妖怪の山にある守矢神社で神に仕えています。霊夢さんとは色んな意味でライバルです」

「そう。──霊夢と魔理沙、おまけに紫と幽香は、どうやら幻想郷には居ないようね。随分と良いタイミングで戻って来れたみたい。いや、バッドかしら?」

 

 ともに頭上を見上げる。

 相変わらず巨船はけたたましい音を立てながら魔界に突っ込もうしているが、未だに動かせていないようだ。よく見ると透明な線があちこちに繋がっていて、それが行動を阻止しているようだった。

 小傘さんの拘束から逃れた二人が復旧作業に当たっているが、慌てているのもあって復帰はなかなか進んでいないみたい。

 とんでもない力です! まだこんなに強い人が居たなんて、幻想郷はやはり凄いところだ。

 

「私、あの船が開けたゲートから数年ぶりに帰ってきたものだから、いまいち情勢が掴めてないのよね。ひとまず直感で貴女達が正義側だと思って行動したけど、それは合ってるかしら?」

「正義云々の話になるとなんだか拗れそうな気がしますけど、お師匠様の為に頑張ってる私達こそ幻想郷の善玉菌だと言えると思います!」

「お師匠様って?」

「八雲紫さんのことです!」

(また妙なことやってるのね……)

 

「早苗の言ってることは本当だよアリスさん。いま幻想郷が大変なの!」

「うん、それは分かるわ。ちょっと魔力を感じてみたけど、各地でとんでもない事が起きてる。そして此処はまだ未遂の状態みたいね」

「魔界に行くことが目的だと言ってました!」

 

 小傘さんは顔見知りだったようで、気さくに話しかけている。アリスさん、ですか。お師匠様から聞いたことのあるお名前ですね。

 っていうか、この方ってあの童話の主人公そのままだ。

 

「魔界と幻想郷を繋ぐゲートを増やされるのはまずいわね。食い物にされるわ」

「人が、ですか!?」

「いや経済が。姉が厄介な人でね……」

 

 困ったように呟くその様からは苦労が滲み出ていた。よく分からないけどアリスさんもなかなか大変な人生を送ってきたのかもしれない。

 まあそんな話はさておき、船を見遣る。

 

 船は相変わらずアリスさんの拘束を引き千切ろうともがいており、その一方で慌てていた尼僧さんが降りてくる。仕切り直しと言わんばかりの澄まし顔だ。

 

「なんで邪魔するのさ。見たところ此処にいるみんな人間じゃない、妖怪だろ? 姐さんの復活に力を貸すのが道理じゃないか?」

「あっ、私人間です」

「姐さんはいつだって妖怪の味方だ。幻想郷は妖怪の楽園で、どんな過去だって受け入れてくれるなら、拒まれる謂れはないと思うけど」

 

 むぅ、無視されるのは嫌です。

 

「そう、幻想郷は全てを受け入れる。だけど、それを同じように許すほど此処に住まう者は寛容ではない。特にこんな状況じゃね。異変に与している以上、その姐さんがどんな人であろうが、まずはお前達を半殺しにしなきゃいけない。話はその後聞くわ」

「この野蛮人ッ! やはりナズーリンの判断は正しかったようね!」

「あら失礼ね。都会派魔法使いに向かって」

 

 飄々と罵声を受け流すその裏で、アリスさんの指先が細かく動いているのに気付いた。意味がないように見える細かな造作でも彼女や魔理沙さん程の魔法使いともなれば、相手を追い詰める一手の前準備になるのだろう。

 そして相手もそれを許すほど、甘い妖怪ではなかった。チラリと船を一瞥する。

 

「水蜜は船の細かな操縦で必要……ナズーリンは頭がキレるから多分要る……星は聖復活に必要不可欠……要らないのは私達だけ! いこう雲山、最高のフォルムで連中を捻り潰すよ!」

「……なるほど、見上げ入道。無限に巨大化していく無敵の妖怪ね」

「ご名答。だけど本気の雲山はその無限すらも超えていく! ちょうどこの幻想郷には、所有者の居ない魔力がうようよ浮いてるからねぇ!」

 

 尼僧さんが手を掲げると彼女に纏わりついていた雲が肥大化して空を舞う。魔力の渦がどんどん雲と尼僧さんに集中していくのが分かる。幻想郷中の雲を片っ端から吸収している……? 

 季節の数だけ雲の形はバラバラだ。うろこ雲にかすみ雲、乱層雲、積乱雲と、種類を問わずそれらを食い尽くしてどんどん力を増している。

 

 そして一瞬、あたりの空全てを覆ったかと思うと、急速に収縮し、凝固する。

 ピンクの体躯は何処へやら、黄金色に染まった雲爺が恐ろしい形相で私達を睥睨する。思わず身が竦んでしまいそうです……! 

 

「想像以上のパワーだわ! 幻想郷の空がこんなに素晴らしい魔力の坩堝になっていただなんて! ……雲山の力はもはや御仏をも凌駕する。後光により輝く身体がなによりの証拠!」

「ただ光ってるだけじゃないの? 体積もなんだか縮まってるし」

「いえ決して気を抜いてはいけませんっ! 金色に染まった者が弱くなった試しはありませんから! 覚醒の証である金色ですよ金色!」

「早苗?」

「しかも雲のお爺さんで金色なんて、相手のトラウマを刺激しようとしてるとしか思えない! かなりのやり手です!」

 

 それこそ数多の子供達を泣かしてきた糞ボスそのものではないか。あいつのせいで暫く積みゲーになってたんですよドラ○エ7! 暇してた秋さん達やお師匠様にレベリングお願いしてなんとか勝てましたけども! 

 

「ちょっとよく分からないけど、あの見上げ入道が中々に厄介なのは確かにそうね。──それに、船の拘束だってもうそんなに保たない。……幾つかの犠牲を選択しなければ、私達は何もせず終わってしまうわ」

 

 アリスさんの簡潔な説明は今の状況を的確に捉えていた。

 此方は私、アリスさん、満身創痍一歩手前の小傘さん。対して彼方側は尼僧さんと雲爺さんに水兵さん、そして姿を見せていない二人がいるらしい。

 数では完全に負けてるし、流れも頗る悪い。

 

 船の破壊は敵の妨害を考えると短時間では無理だし、今からじゃ魔界侵入を防ぐには至らない。つまり、魔界側で決着をつけることになる。

 そう仮定した上で考えなきゃならないのが、目の前に立ち塞がる尼僧さん&雲爺を相手する者、そして魔界に突入した者が帰還するまで魔界のゲートを封鎖しつつ維持する役割。これらが必要だ。

 特に後者は大変なもので、ゲートの管理に失敗すればあの魔界に入った者は船もろとも時空の彼方へ呑まれてしまうし、逆に抑えられずゲートが開き切ってしまえば魔界人の侵略を許してしまうらしい。

 

 つまり、魔界に突入できるのは一人だけ……!? 

 

「早苗にはメインをお願いするわ」

「望むところ! ……ではありますが、本当に私で大丈夫でしょうか?」

 

 アリスさんからのまさかの推薦に胸を叩くが、すぐに不安が押し寄せてくる。私なんかにそんな大役が務まる気がしないのだ。なにせ彼方には三人もの強い妖怪がいるのだから。

 でもアリスさんの考えは非常に合理的であり、賭けでもあった。

 

「貴女に見上げ入道を止める力は多分ない。ゲートを管理する技量も無いと思う。なら消去法でメインを張ってもらうしか無いわ。同じ理由で小傘は足止めしかできないだろうし」

「待ってよアリスさん! 早苗を一人でそんな危ないところに行かせるなんて……。この子はまだ霊夢さんのようには」

「いえ寧ろこの子が一番適任なまであるわ。それに一人じゃない、私も同伴する」

「「へ?」」

 

 一同首を傾げた。なんなら時間稼ぎできて好都合なのか作戦会議を黙って見てた尼僧さんまで首を傾げている。

 

「小傘には上海人形と蓬莱人形を付けておくわ。この子達がいれば千人力、そこらの大妖怪にだって引けは取らない」

「よ、よろしく?」

「それと貴女の能力は恐らく見上げ入道と相性が良い。とにかく風雨と七色のスペルを乱発して奴等の力を削ぐことに専念しなさい。少しすれば藍あたりがアシストしてくれると思う」

 

 眩い魔法陣と共に現れたのは可愛らしい二組のお人形。どうやらこの子達は完全に自律して動いているようで、アリスさんの操作なしにクルクルと飛び回って小傘さんで遊んでいた。

 

「次に魔界のゲートだけど、これは私の手持ちの人形の9割と、魔力の半分を使う。本体(アリス)は貴女と一緒に船へ。これでなんとかなると思う」

「アリスさんの負担が大き過ぎませんか!?」

「他に頼れそうな連中もいないし、魔界と幻想郷で戦争なんて起きたら堪んないもの。それなりに頑張らせてもらうわよ」

 

 素直に凄い人だと思った。自らの手で窮地を打開する力と知恵に溢れている。精神もなんて高潔なんだろうか。まるで今の私が望む姿そのものだ。

 私では……到底及ばない。

 

 スタートラインに立つことを望み続けた人生だったが、いざその願いを叶えると更に上を望んでしまう。より欲深く、ちっぽけな奇跡では到達し得ない姿に。

 

「行くわよ早苗。妨害はなるべく私が捌くから、攻撃を躱して船に乗ることだけを考えて」

「は、はい」

「早苗気をつけてね!」

「小傘さんこそ!」

 

 慌てて思考を振り払い、一目散に巨船を目指す。

 当然、尼僧さんと雲爺がそれを見過ごす筈もなく苛烈な追い討ちを仕掛けてくるが、人形に護衛された小傘さんにより生成された突風スペルのお陰で狙いが定まらないのか、すんでのところでなんとか躱せている。

 

 デジャブを抱くほどに繰り返す。前だけを見てひたすら飛び続けているが、それでも私の周りで凄まじい戦闘が起きているのはなんとなく分かった。アリスさんが、小傘さんが必死に守ってくれてるんだ! 

 

「船から攻撃が来る! レーザーの複雑な動きに注意!」

「はい!」

 

 事前にアリスさんが敵の狙いを看破してくれるから、余裕を持って回避に備えることができる。敵も私達を近づかせまいとなりふり構わず弾幕を展開しているが、アリスさんの対応能力が更に上をいっています。

 アリスさんの人形で、私の結界で、アリスさんの障壁で、私のスペルで。次から次に敵の防衛策を突破していく。

 さっきまでの悪戦苦闘が嘘のようだった。

 

 そしてついに、船尾へと手を掛ける。

 こうなってしまえばこっちのものだ。一気に甲板へと降り立ち、妨害の少なそうな船内へと侵入する。私達の事前の目論見通り、船への攻撃を避けるために迎撃がピタリと止んだ。

 

 古い板張りの通路に背中を預け、なんとか息を整える。微かに香る線香の匂いが敵地だというのに心を和ませる。

 

「やりましたねアリスさん。これで第一段階クリアです」

「ほんの少しばかり手こずっちゃったけどね。敵も中々やるみたい」

 

 困ったように笑いながらアリスさんが左手を差し出す。夥しい出血、血肉の焼け焦げた臭い。生々しい銃痕のようなものが掌にあった。思わず息を呑んでしまう。

 また物理的な怪我だけでなく、他にも何か良からぬモノがアリスさんを苦しめているのだろうと、直感で分かった。諏訪子様の呪いが私や神奈子様を蝕んだあの時みたいに。

 

「あれだけの密度だもの、一つや二つの被弾は覚悟してたわ。ただあのレーザーにこんな厄介な能力があるとは思わなかった。妖怪が聖者の力を振るうなんて」

「聖者……そうか! これは神仏の力!」

「ええ。悪き妖怪を正義の下に滅する法力ともいうべき理。この灼かれるような痛みから察するに、どうやら私は"悪"に該当するみたい」

「……何か後ろめたいことでも?」

「長く生きてればね。まあこの程度なら支障はないわ。気にしないで」

 

 手製の人形で手当てしながら、アリスさんは淡々と語る。大して動揺してないので、多分その答えについてはとうの昔に辿り着いているのだろう。

 私から言うことは何もない。

 

「でも貴女が居てくれてよかったわ。おかげでこの異変も何とかなりそう。やはり紫の弟子を名乗るだけはある」

「えっと、確かにお師匠様は凄い方ですけど、私は別に……。アリスさんが居なければこうして船に辿り着くことすらできませんでした。今からの戦いにもどれだけ貢献できるのか……」

「自身を構成する色は自分からじゃ観測できない。見出してくれる者がいるからこそ、より一層輝くものなのよ。……貴女には幻想郷の連中に負けない力があると思う。紫もそれに惹かれたんじゃないかしら」

「そう、なんでしょうか」

「アイツって少しでも見所のある女の子にはちょっと粉をかける感覚で好き放題していくからね。そんなアイツの弟子をやってるんだもの、期待ぐらいしちゃうわ」

「あはは、霊夢さんと同じこと言うんですね」

「……」

 

 そう言うとアリスさんは気難しそうな顔をしながら押し黙ってしまった。不快にさせてしまったのだろうか? あの人を比較対象にされるのは私も嫌ですし。

 咄嗟に謝ろうとしたが、それには及ばないと言わんばかりに手で制止された。その直後、船体の揺れが規則正しいものになった。

 

 よくよく感じてみると、空気の質が変わったような気がする。諏訪から幻想郷に移った時の感覚に近い。何というか、レトロな感じ。

 

「そろそろ甲板に出ましょう。きっと敵も待ちくたびれてる頃」

 

 静かに頷いて、室外へと歩みを進める。

 外は一変していた。赤褐色の不気味な光が辺りに満ちていて、空の概念が消え失せてしまったようにどこまでも禍々しい風景が広がっている。

 眼下には何処の国の言語かも分からないスペルが地を這っているように見えた。

 恐ろしい場所です。

 

 

 

 私達と相対するのは二組の妖怪。片方は一目で鼠の妖怪だと分かったのだが、もう片方はよく分からない。その出立ちはまるで荘厳な仏像のような印象を受ける。槍と宝物を携えて殺る気満々といった様子だ。

 私は無言で祓串を構えた。隣ではアリスさんが人形を数体展開している。

 争いは避けられない。

 

「まずは名乗りましょう。私の名は寅丸星、こちらの者はナズーリン。互いに言いたい事が多々あるかと思いますが、まず初めにこれだけは言わせて欲しい──我々の勝手な我儘に巻き込んでしまい、申し訳ない」

 

 深く頭を下げられた。まさか一番に謝罪を受けるとは思ってなかったので吃驚しました。流石のアリスさんも少し動揺しているようだった。

 星、と名乗った女性は酷く辛そうな顔をしながら噛み締めるように語る。

 

「悪に利用されているのは承知の上で、今回の作戦を決行しました。幻想郷と魔界を繋ぐ事で何が起きるのか、全てを把握した上で今に至っています。貴女方に幾ら謝ろうが、到底許される罪ではない」

「ヤケに素直ね」

「我々は聖を救い出したい一心で幻想郷に生きる者達を天邪鬼に売り渡してしまいました。千年来の悲願をどうしても叶えたかった。……もはや私に毘沙門天の一門を名乗る資格はありません」

 

 言っている意味はよく分からなかったが、まあ誠実な人なんだろうなって思った。言葉の節々から罪の意識を十二分に背負っているのが窺い知れた。

 でも、目は据わったままだ。

 私達に対する殺気は変わらない。

 

「故にほんの僅かな罪滅ぼしですが、聖を救出した後、幻想郷で起こっている異変は我々が責任を持って鎮圧します。そして私は自らの身を地獄に堕とし、罪を永遠に贖い続けよう。……本当に申し訳ない」

「何故異変に加担したんですか!? それならお師匠様を──幻想郷の方々を頼れば……!」

「私は見失ってしまったのですよ。正義も、人を信じる心も。それに八雲紫には……私達も少々思うところがある。ならばまだ打算と下心の分かる天邪鬼や邪仙、邪神に与した方が幾分か心が楽だった。私は欲に負けたのです」

 

「早苗、無駄よ」

「でも……納得できません」

「どんなすれ違いがあったのだろうと、幻想郷にとっての害になっている以上戦う以外に道はない。例え連中に不動の大義があったのだとしても」

 

 その通りだ。星さん達にどのような思惑があろうが、幻想郷崩壊の片棒を担いでしまった時点で私に選択の余地はない。彼女らの言う聖さんがどんな人物であろうとも、これ以上幻想郷を窮地に陥れる可能性があるのなら、その切なる願いを私達は踏み越えねばならないのだから。

 

 でも、なんかモヤモヤするんです。納得できない何かがある。

 

 尼僧さんに水兵さん、星さん。

 きっとみんな縋りたいだけなんだ。私と同じ……いや、それ以上に酷い環境で、気の遠くなるような長い間、ずっと『(救い)』を求めている。

 私にはお師匠様が居た。

 でも彼女達から『それ』は奪われている。

 

「では、参ります。正道無き戦い──だが宝塔よ、どうか最後に力を……!」

 

 悲壮な決意だった。

 星さんは携えた宝物から夥しい数のレーザーを発しながら接近。アリスさんを封じ、私へと横薙ぎに槍を振り払う。所作に全く無駄がなく、私の目では朧げにしか捉えられなかった。

 背面跳躍と同時に巫女服の端が切り裂かれる。

 

「早苗ッ……戦符『リトルレギオン』!」

「スペルカードは君たちだけの専売特許じゃないよ。守符『ペンデュラムガード』」

 

 私を守る為のものだろう、十数体の人形による波状攻撃が振り子のような未知の金属物体に阻止された。この船を動かしている妖怪達はスペルカードルールを知らないとばかり思っていたが、鼠さんはそれに該当しないらしい。

 

「どうやらそちらの巫女には宝塔が効かないようですね。それは貴女の正しさが『正しい』ことの何よりの証左。しかし、宝塔の力は衰えていない。この世界は聖白蓮を必要としている……!」

「私は無知なだけです!」

「只の愚者が私と戦えるものかっ!」

 

 疾風怒涛の突き技に翻弄されながらも、叫ぶようにして問答を続ける。

 実力があまりにも隔絶しているからなのか、完全になすがままだ。動きが何も見えないから一から十まで勘で戦っている。

 

 でもどうしてだろう。身体は昔と何も違わない筈なのに、感覚だけがどんどん深みに落ちていくような。

 

「ご主人ッ手を抜くな! 幻想郷に残った一輪や、不完全な聖輦船を必死に制御してる水蜜の想いを無碍にはできないぞ!」

「分かってる! 次で決めます!」

 

 

「神奈子様……諏訪子様……! どうか私に、二度と後悔しないだけの力を!」

 

 神奈子様はこの場に居ない。諏訪子様は死んでしまった。でも二人への願いが私に力を与えてくれるような、そんな気がするのです。

 

 そうだ。

 こんな時、仏教ではこう言うんだったか。

 

 私は心に巣食うモヤモヤを吹き飛ばすように、あらん限りの声量で叫んだ。

 

 

「いざ、南無三──!」

 

*1
命名:稗田阿礼 原初の恐怖から生まれた和製四凶枠 レティの他に3人いるかもしれない

*2
小傘「死んでないよー!」




一輪「ごめーん!お酒買ってたら遅くなっちゃった」
村沙「めんごめんご!」

星「なんで聖輦船に酒があんだよ!
教えはどうなってんだ教えは?!
わかってんのか?!
人々が命蓮寺を受け入れたのは
戒律を守る理性を期待したからだろうが!
酒取んのかよ!
くそったれ!」
ナズ「ご主人!?」

早苗「船を真下からどついてやりましょう」
小傘「わちゆる!」

アリス「あの子一回も被弾してないのヤバくない?」

一輪と村沙が買い出しに出てたり、ぬ正体不明えさんが居ないせいで飛倉の部品集めが捗らず出発が遅くなってたらしい。なお未完成な模様。久々の地上で舞い上がってるからね、仕方ないね!
ちなみに黄金雲山、Aクラス級の糞強妖怪です。

今のところ幻想郷に居てパワーダウンしてない仲間妖怪は文、幽香、アリス、小傘のみ。これは勝ったな!!!
他にもルーミアやらミスティアやらも弱体化はしてないけど、別に異変を邪魔するような子達でもないので放置されてます。むしろ暴れる側。


ゆかりん流交渉術 壱の型 土下座
ゆかりん流交渉術 弐の型 丸投げ→さとり
ゆかりん流交渉術 参の型 物釣り→早苗
脈々と受け継がれてるんですよね……(負の遺産)

あと出だしは調子良いのに強い相手が出てくると急にヘタれるのも早苗さんとゆかりんの共通点。本来早苗さんは自分の力を過信する系女の子なので、今までの体験との中でせめぎ合いが起きてるのですね!
ゆかりんは素直に考えが足りないだけ


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東方神黎病*

 

 人里は幻想郷のほぼ中央に位置しており、その名の通り人間達唯一の居住地域。

 地政学的な要衝でもあったし、課せられた機能を鑑みれば、幻想郷を制圧する上での重要性は非常に大きなウェイトを占める。

 

 妖怪を存続させる為の燃料である人間達。これらを抑える事は幻想郷の運営において必要不可欠である。実際には幻想郷に犇く一部の強者達は人間の恐怖などほぼ当てにしていないのだが、それに遠く及ばない弱小妖怪には死活問題。

 それを草の根連合が見過ごすわけがなかった。

 

 

 稀神正邪から予め指示を受けていた今泉影狼は、小槌の魔力が発動したことを確認し、息のかかっていた者達に一斉蜂起を促す。その結果、想像を超える規模の大反乱が起きてドン引きしていた。

 しかし既に賽は投げられている。引き返すことなどできるはずもなく、仕方なしにそれらを率いて人里を包囲。そして今に至る。

 

「とんでもない大事になっちゃったなぁ……」

 

 何処か他人事に呟いた。

 

 実のところ、影狼にとって幻想郷の転覆などどうでもいい話だった。リーダーが勝手に言い出しただけで、影狼は「ほんの少し生活が改善すればいいな」程度の意識だった。毎日のご飯におかず一品と肉料理が追加されればそれで良かったのだ。

 親友兼副リーダーのわかさぎ姫だって、綺麗な湖で静かに暮らしたいという願いが本音だった筈。随分と遠い所まできてしまったものだ。

 

 タチが悪いのは、その望まない大反乱の成功がほぼ確定しており、自分のやる事なす事が全て上手くいってしまっている事だ。

 思えば竹林を統べるかの暴君、因幡帝を引き摺り落としてしまった時もそうだ。

 アレだって数百年搾取され続けてきた鬱憤はあったものの、てゐが如何に大きな存在であるかはずっと以前から明白だった。彼女が居なくなってから何故か竹林が住みにくくなったような気がする。

 

 この革命が果たして本当に自分達にとっての益となるのか、影狼は測り兼ねていた。

 

 正邪は大した妖怪だ。彼女の語る理想と、それを実現する『力』を見せつけられたからこそ、皆こうして彼女に付き従っている。

 元々草の根ネットワークはお茶会サークルのような平和的かつ小規模な集まり。それが幻想郷を揺るがす一大勢力と化したのは正邪の手腕であり、中核たる彼女に依存しきっている実態のない集団だ。

 人格者の正邪が自分達を裏切るような事はないだろうが……幻想郷の闇をひた走るには草の根という母体はあまりに脆く、脆弱だ。

 

 そんな事を考えているうちに、人里の要所は次々と陥落し、中枢である稗田の屋敷にどんどん迫っている。何もしなくても人里内で起きている暴動により住民が避難してしまい、碌な抵抗すらない。

 一応、人里には慧音に小兎姫、避難中の八雲藍がいた筈だが、小槌の力の前には無力だったのだろう。後は彼女らが鍛え上げていた自警団がいつ出てくるかくらいだが所詮は人間の寄せ集め、苦戦するようだったら自分や響子、ミスティアの誰かが出ればいい。数秒かからずに蹴散らせる。

 

(妹紅が相手だったならこうはいかなかっただろうけど、力が残ってても心が折られてるんじゃ関係ないものね)

 

 ご近所の愚痴仲間が健在だったなら人里を襲う妖怪など一人残らず消し炭になっていただろう。しかし彼女は八雲紫に壊されてしまった。今も竹林の掘っ立て小屋でぼーっとしているに違いない。

 ある意味、紫は墓穴を掘ったと言えるのか。

 

 まあなんにせよ、穏当に済むのならそれに越した事はない。なるべく後に禍根を残さないよう、もう少しギリギリの駆け引きを試みよう。

 

 少し離れた場所でミスティアと談笑していた幽谷響子を呼び寄せる。

 草の根連合広告担当に就任している彼女だが、活動にはまるで積極的ではない所謂エンジョイ勢。今回もまるで緊張感のないお祭り気分のようだ。変に葛藤してるのは自分だけかと泣きたくなった。

 ただ戦力としては非常に優秀で、響子が本気で叫べば軽く見積もって幻想郷のあらゆる生物の鼓膜をブチ破り、脳髄を死滅させるだろう。

 

「へい響子。スピーカーお願いしていい?」

「いいよー! なんて言うの?」

「武装解除と八雲藍、稗田阿求の引き渡し。この二つの条件さえ飲んでくれれば人里は解放するし、勿論両名に危害を加えるつもりはないって伝えて」

「オッケーオッケー任せて!」

 

 ほぼ正邪からの指示通りの内容だった。

 なお藍と阿求については即刻始末する手筈になっていたが、流石にそれを実行する度胸は影狼にはなかった。特に阿求については先代、先先代での恩がある。

 

 響子が大声で先の内容を伝達する横で、影狼は密かに世界平和を祈った。あとお腹空いたからさっさとランチ休憩に入りたいとも思っていた。

 

 

 

「藍さま、私が出ます! もうこれ以上、何もせずに見てるだけなんて耐えられません……!」

「出たところで今の橙じゃ時間稼ぎにしかならないよ。それよりも、幻想郷全体の結界管理を少しの間だけお前に委任したい。できるね?」

「それは、一体どういう……」

「万が一の為だ」

 

 橙の育成が異変発生ギリギリで間に合ったのは僥倖だった。紫と霊夢がいない今、幻想郷の結界管理を遂行できるのが藍だけであったなら、小槌の魔力が炸裂した瞬間、バランスが崩れた幻想郷は境界の歪みにより消滅していただろう。

 その最悪の未来を回避できたのは橙の功績だ。元々、橙はサポートの達人である。下積みもかなり長く、それが今に至り大成した。

 

 愛娘の成長を実感した藍は、橙の式を数段階引き上げる事を決意し、遂には幻想郷のバランスキーパーを任せるに足ると判断したのだ。

『八雲』の名を得る日はそう遠くない。

 これで仮に自分が死んでしまっても幻想郷は安泰だと、藍は胸を撫で下ろした。

 

 そして静かに此方を見遣る阿求と向かい合う。

 阿求が人間の安否を一番に優先する信条なのは分かっている。自分と藍の命を引き換えに人間達が生き永らえるのであれば、迷いなく差し出してもおかしくはない。

 

 周りでは稗田の使用人達が緊迫した面持ちで場を見守っている。手には各々武器が握られていた。もし話が拗れたなら、藍を討たねばならないからだ。

 力を失っているとはいえ到底敵う相手でもない。だがそれでも、矮小な人間の意地を通さねばなるまい。

 

「さて、どうされる阿求様。生憎私は紫様に幻想郷を任された身である故、引き渡されるわけにはいかないのだが」

「やはり里に住まう人間より幻想郷の方が大切ですか。それが貴女の……紫さんの本音」

「その通りだ」

 

 一切の迷いなく断言した。

 

「だが語弊がある。紫様の、幻想郷に住まう者達への想いは人妖分け隔てなく全て平等だ。人里を犠牲にする事は決してない。そのような状況に陥る事を絶対に許さない」

「そう、ですね」

「幻想郷が壊れればどのみち人間達は死ぬ。だから私では幻想郷を優先するという『悪手』しか選ぶ事ができない。それは分かってくれ」

 

 幻想郷における人間の役割。計画された生命。忌忌しき運命。絶てぬ因習。

 阿求は人を縛るそれを、人の身でありながら護らねばならない。慕ってくれた子供達を逃れられぬ箱庭へと閉じ込め、監視する。

 紡いできた歴史から怨みは消えなかった。

 

 ふと笑みが溢れた。

 

「敵の能力でしょうか。貴女や紫さん、賢者の方々の事を考えると胸がムシャクシャしてくるんです。なるべく考えないように、引き継がないようにしてきたのですが」

「人里で暴動を起こしている連中に施された術と同種のものだと思う。反骨心や闘争心が一時的に膨れ上がるようになっているんだろう」

「これが人の怨みですよ」

 

 そう言われれば藍は黙るしかない。

 

「しかし私がこうして踏み止まったのも、怨みによるものです。私の友人達に危害を加えようとするその腐った性根、断じて捨て置けません」

「あ、阿求様っ!?」

「賢者の中で紫さんが一番マシな妖怪でした。ならばこれから先、一番マシな幻想郷を築いていけるのも彼女に他ありません」

 

 阿求は立ち上がり、側に控えていた使用人から薙刀を引ったくる。そして『決死』と書かれた鉢巻を頭へと装着した。

 筆より重いものを持った事のない阿求に薙刀は過ぎたる物、しかし腕を震わせながら暗い笑みを浮かべた。目がイッてしまってる。

 

「ずーっと待っていたのですよ。散々舐めた真似をぶちかましてくれる糞妖怪に糞妖精どもを我が手で引き裂き成敗する日を!」

「そうかそうか」

「今日を私の命日とします! しかしそれで終わりではない。転生が続く限り何度でも戦い続け、人間に勝利を齎します。たとえ何千年、何万年かかったとしても」

「結構な事だ。励むといい」

 

 変に宥めても後が面倒臭いことになる事は分かっていたので曖昧に誤魔化しながら、しかし冷静に今後を考える。阿求が挫けなかったのは大きい。

 というか完全に敵の術中に嵌っているようにしか思えないのだが、その敵対心が異変側に向いているのなら問題ない。どうやら細部まで完璧な術ではないらしい。

 

「阿求様っ妖怪の一団が此処へ迫っております!」

「いきましょう。今こそ人の意地を見せる時!!!」

「どうか落ち着いてくだされ! おい皆の衆! 阿求様を抑えろ!」

 

「あの、藍さま」

「心配するな。少し様子を見て阿求と共に離脱するつもりだ。こんなところで阿求を失うのは紫様としても本意ではないだろう。問題は……次の本拠をどこにするかだな。結界管理を邪魔されない場所を確保しなくては」

 

 使用人に薙刀を取り上げられて撃沈した阿求を尻目に思案する。稗田邸が駄目になるのなら、次に身を寄せられそうな場所は相当限られてくる。

 紅魔館、地霊殿あたりは紫側を鮮明に打ち出している勢力だが、それゆえにパワーダウンを受けているだろう。防備は完全とはいえないし、そもそも今もまだ陥落せずに抵抗できているかすら分からない。

 妖怪の山は激戦地、迷いの竹林は敵の本拠。本格的に候補に窮しているのが現状だ。

 

「此処が死守できるならそれに越した事はないのだがな。さて如何するか……」

 

「あら藍ちゃん。何かお困り?」

 

 その場一同、ギョッとして声の主を見遣る。

 神出鬼没はスキマ妖怪だけの特権ではなく、その親友たる彼女にも冠された称号である。

 

 何の前触れもなく平然と、彼女は稗田家に備え付けられていた非常食を口の中に放り込んでいた。非常事態においてもマイペースで掴み所のない様は変わらず、のほほんとしている。

 

「ゆ、幽々子様!? 顕界にいらしてたのですか!?」

「ええ妖夢がいつまで経っても戻ってこないんですもの。飽き飽きして降りてきちゃったわ。道草を折檻するついでにお茶でもいただこうと思ってたんだけど、何処のお店も閉まってるし……」

「左様でございましたか。見ての通り幻想郷が少々ごたついてまして」

 

 何も分かっていないのか、それとも把握していてすっとぼけているだけなのか。ひとまず簡素に成り行きを説明して協力を仰ぐ。

 本来であれば西行寺幽々子の参戦ともなれば異変の趨勢を完全に此方側に引き寄せるだけのインパクトが期待できるのだが、やはり例には漏れず彼女も力を落としていた。

 なお当の本人は気にした様子もなく茶を啜っている。

 

「ふーん……紫が居ないだけでそんなに面倒臭いことになっちゃったのね。それなら月行きを断らなければ良かったわ」

「不甲斐ない限り」

「藍ちゃんは悪くないわよー。悪いのは外で考えなしに暴れてる連中でしょ? ちょっと行ってくるわね。あ、あと玄関に閻魔様から貰ったお土産置いてるから後でみんなで分けましょうね」

 

 そう言うと幽々子は宙に溶けてしまった。まあ彼女が動いてくれるなら猶予となる時間は大幅に増えただろう。そう判断し、藍は腰を落とす。

 再び幻想郷全体に仕込んでおいた式を介して各地の状況を把握、各々適切な処置を行なっていく。さながらバグ潰しの感覚である。

 

「大丈夫なのでしょうか。いくら幽々子さんとはいえ藍さんと同様に力を失っているのでしょう? 見たところ御供の妖夢さんも居ないようでしたし、やはり我々も助太刀に向かうべきでは!」

「幽々子様は並大抵の方ではない。それに、力が落ちていようと能力の本質は以前と全く変わっていない。抑止力には十分すぎる」

 

 使用人から薙刀を引ったくり返すなり、徹底抗戦を主張する阿求を宥める。

 やはり幽々子は底知れないとつくづく思う。三途の川の底面を計算で弾き出した藍だが、それは相変わらずのままだ。

 

 それに──。

 

「力を失ったからこそ更に猛っている連中もいるしな。馬鹿の相手は馬鹿に任せるのが上策というものよ」

 

 ふと頭を小突かれたような気がした。

 

 ちなみに幽々子の言っていた『四季映姫からのお土産』は食料を始めとした救援物資だった。同じく籠城状態に陥っている妖怪の山への支援には小野塚小町が赴いているようだ。

 やはり阿求の死や、幻想郷の無法地帯化は彼女らの望むものではないのだろう。何かと因縁を付けて紫を悪しざまに罵るアレへの印象は最悪に近いが、此方を白だと判断してくれたのならありがたい話だ。

 

 

 

 

「これで良し、っと。西側の侵入経路はこれで最後かしら?」

「ああ。なんというか、心強いな」

「気にしなくていいわよ〜。それより東と南じゃもう戦闘が起きてるんでしょ? 早く助太刀に行ってあげなさいな」

「……失礼だが、少し意外だった。まさか貴女がこんなに積極的に人間達を守る為に奔走してくれるとは」

「死者がこんな事するのはおかしいって言いたいの?」

「そういう訳ではないけど……すまない。助力、感謝します」

「お気になさらず」

 

 稗田邸から見て西側で起きていた戦闘を鎮め、なんとか守護していた慧音を別地域へと向かわせる。これで防衛側の負担も相当減るだろう。

 慧音が護っていたのだろう、非武装の人間達も急いで避難を開始する。

 それらを手を振り見送った後、立ち往生する集団に向き合った。

 

 人間の姿がちらほら見えるが、大体が妖怪で構成されている。異変の影響を受けているのか、それとも自分の意思で暴れているのかは判別が付かない。

 もっとも、どのような経緯で暴動に与していたとしても幽々子には何の関係もない。

 

 立ち止まらざるを得なかった。目の前をひらりと舞う蝶に触れればどうなるか、本能の鳴らす警鐘がその末路を鮮明に伝えてくれたから。

 にこりと、柔和な笑みを浮かべる。

 

「このまま無駄に時間を浪費するのもどうかと思うし、お茶でも飲んで和やかに待ちましょうか。引き出物はご容赦くださいね」

「……この蝶、踏み越えればどうなるの?」

「それは目に見える形で用意した生と死の境界。越えない事をお奨めするわね」

 

 死に誘う程度の能力は健在だ。如何に力を失おうと、その本質まで失われる事は決してない。

 とはいえ、今の幽々子ではこれが精一杯なのは事実。現に人里の一画を埋め尽くす程度にしか『死』を配置できなかった。その気になれば地上のありとあらゆる生物に死を給う事すら容易いのを鑑みれば、著しいパワーダウンだといえよう。

 

(妖夢が頑張ってるから私も奮発してみたけど、これじゃ全然ね。ちょっとだけ悔しいわ)

 

「どの異変でもいいからさっさと斬り倒してこい」と指示した従者に想いを馳せる。きっと今頃幻想郷各地の有象無象を辻斬りしながら異変の大元を探しているのは想像に難くない。

 まあこれだけ大型の異変が多発していれば本命から外れても、いずれか一つには否が応でも辿り着くだろうし問題あるまい。

 

 唯一懸念があるとすれば、暇そうにしていた鈴仙を暇に出して竹林に帰らせた事くらいか。

 あの玉兎にどういう役割を持たせるべきか、幽々子は悩んだ結果、里帰りさせることにした。冥界に一人残してしまうのが可哀想だったし、取り敢えず幻想郷に置いておけば何か面白い発端を作ってくれそうだと思った。

 妖夢と競わせておけば何かと楽だった体験によるものでもある。

 

「仮にも鬼二匹に勝っちゃった兎なんだもの。期待しちゃうのもしょうがないわよね」

「何言ってんだお前」

 

 当てつけのように数ヶ月前に行われた大会の結果を持ち出すと、納得いかない様子で件の鬼が姿を現す。友達の友達である伊吹萃香だった。

 紫を介していない状態では何かと険悪な二人だが、今日もまあそれなりに険悪だった。

 

 鬼の登場に立ち往生していた一団がどよめきながら後退る。かつての力は無いと分かっていても恐怖は拭い切れないものだ。

 

「あらやっぱり居たのね。本体でしょ?」

「おうよ。分身達は北側で暴れ回ってる連中の相手をさせてるからね。いい具合に実力が拮抗してて面白いよ。普段より遥かに低レベルでもギリギリの戦いってのは血湧き肉躍るもんさ」

「それで負けちゃったら只の笑いものよね。あの時の大会みたいに」

「いつまで蒸し返してくるんだよ……」

「ちなみに私は優勝したわ」

「ほんっっと嫌な奴だなお前」

 

 鬼は古来から制限付きの勝負を好むのだ。それで敗れても勇気ある勝者を褒め称えるだけ。断じて負け惜しみとかそういう訳ではない。きっと。

 

「まあ、戦いはこれで終わりじゃ無いだろうしな。力が戻ったら一番にやらなきゃいけない事があるでしょ? 親友ならね」

「紫なら気にかけるまでもなく、いつの間にか帰ってきてそうではあるけど、要らないお節介だと思われてもやってあげる事に意味がある。親友だからこそね」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 異変が発生してどの程度経っただろうか。太陽が沈んでいってる気がするので多分そのくらいなのかと、妖夢は薄くなる思考の中で考えていた。

 

 一番に異変に挑んだのは魔理沙だった。妖夢は二番手になる。

 だというのに、妖夢は未だに異変の尻尾すら掴めていなかった。ひたすらに剣を振るい、邪魔立てする者達を斬り捨てていくだけ。

 

 こんなことなら分かり易い異変……空を泳ぐ巨船に向かえばよかった。アレなら船をさっさと斬ってしまえばそれで終いだっただろうに。

 タッチの差で早苗が異変解決を表明し、さらに藍からの依頼もあって、神霊が湧く異変の鎮圧に当たることになってしまった。といっても行動が劇的に変わる訳ではなく斬り捨てる対象が物体から神霊になっただけだ。

 

 なんとなく神霊の密度が濃いような場所を彷徨っているのだが、原因は依然不明なままだ。というか、妖夢は謎解きが苦手なのである。

 幽々子や鈴仙なら、あっという間に元凶へと辿り着いていただろう。

 

「今からでも解決する異変を変更して貰えないかなぁ。明確に斬る相手が分かるような単純明快で気持ちいい異変」

 

 相当飽き飽きしているのか、独り言を溢しながら単調に神霊を斬り払う。

 

「相手が分からなくても、せめて場所くらいは明確にしておいてくれたらなぁ。そしたら地獄でも畜生道でも、何処へだって行ってやるのに……」

 

 というか、そもそも神霊が湧いているからなんだというのだ。そこらに浮いてるだけで大した害のない存在ではないか。お化けみたいに怖くもないし。

 まあ連鎖して起きている異変の一つだから何か意味はあるのだろうが、少なくとも妖夢にはさっぱりである。

 

 そういえば今朝、敬愛する幽々子が何かアドバイスを言ってたような気がする。あの時、なんとしてでも気まぐれな主人から答えを聞き出しておくべきだった。

 過ぎた事を悔やんでも仕方ない。白楼剣で自分の腕を浅く切り付けつつ、思い返す。

 

「なんでしたっけ……確か神霊自体に実体はなくて、何かに引き寄せられてるだけ、だったかな? あ、それじゃ別に神霊は斬らなくていいのか!」

 

 魂魄妖夢、天啓を得たり。

 ならば断つべきは神霊を引き寄せている大元であるが、これはこれでよく分からない。数秒で推理は暗礁へと乗り上げるのであった。

 

 半人前の妖夢に単独での異変解決は早かった。導いてくれる者が必要なのだ。

 思えば前回参加した花が咲き乱れる異変では鈴仙とのタッグだったので風見幽香になんとか辿り着くことはできたものの、その後鈴仙ともども簡単に蹴散らされてしまった。それに、そもそも幽香は元凶ではない。

 

「……よし、ギブアップしよう。一回人里に向かって幽々子様に色々考えてもらえばそれで解決ですもんね。そっちの方が絶対早い」

 

 取り敢えず幽々子に泣きを入れてなんとか答えを教えてもらう事を決断したようで、群がってくる神霊や妖怪擬きを斬り払うと納刀、すたこら歩みを進める。こういう決断は早いのが半人前たる証だ。

 

 ただ、そういう思惑は途中で頓挫するものである。

 

『妖夢、妖夢。何をしている?』

「むっ何奴!?」

『藍だよ。念話で話すのは初めてじゃないだろう』

「なんだ藍さんでしたか。もう幽霊だと思ったじゃないですか。驚かさないでくださいよ」

『私の方こそ色んな意味で驚きだがな』

 

 念話越しにイライラしている様が浮かぶのは多分気のせいじゃないだろう。

 

『幽々子様や橙のおかげで少々余裕ができたからな。空いた手間で神霊の向かう先を割り出しておいた。後で座標を送るからそこに向かって欲しい』

「ほ、本当ですか!? うわー助かりますありがとうございますっ!」

『気付いていると思うが、いま幻想郷を守る秩序側の妖怪は殆ど戦えない状態にある。普段と変わらない力を発揮できる貴女は貴重な戦力だ。それを遊ばせておくわけにはいかんからな』

「へーそんな事になってたんですねぇ」

『気付いてなかったのか……』

 

 妖夢の抜群の戦闘IQを知る藍だからこその買い被り。従者仲間ということもあって家事の力量なども含めて結構評価していたのだが、今回の件でそれがひっくり返ったのは言うまでもない。

 まあ幽々子絡みや、窮地に陥った時はちゃんと真価を発揮してくれるだろうから問題ないと考え直す事にした。そう考えないと計画の柱が根本から頓挫してしまう。一種の逃避かもしれない。

 

『いいか妖夢、この神霊どもは有象無象の欲でできている。これだけの規模の神霊が求める人物ともなれば、相当厄介な曲者が予想される』

「そいつを斬ればいいんですよね?」

『幻想郷に仇なす存在なら当然。しかし全容が掴めていない以上、今の段階で解決策を限定するのは危険だぞ。よく考えて決断するように』

「斬れば終わりですよ? 斬ればいいじゃないですか」

『はぁ……もういい。そうだな、目的地に一人頼りになる方を派遣しておくから、よく指示を聞くようにな。以上だ』

 

「あら切られちゃいました」

 

 まだ聞きたいことがあったので念話を飛ばしてみたのだが、着信拒否されていた。きっと多忙の身なのだろう。八雲の式神は立派なものである。

 とにかく、導が示されたのなら従うのみ。

 

 藍が指定したのは人里の外れに存在する打ち捨てられた墓地だった。野良妖怪の溜まり場になっているとして人間達から敬遠されている場所だと記憶している。というか妖夢も一度そこを通ったのだが、異変の大元だとは気付かずに通り過ぎてしまっていた。

 お化けが出そうな場所に長居する理由もないし、というか戻りたくないのが本音だったり。何か化けて出られるのが嫌だから調査も程々に切り上げたとかそういう事では断じてないのだ。きっと。

 

 

 

「ちょっと、あまり引っ付かないでもらえますか? 歩きにくいので」

「そんなこと言わないでくださいよぉ! 私の代わりに前を見ててくれればいいので! 敵が来たらちゃんと斬りますから!」

(大丈夫かこいつ)

 

 妖夢にとって幸運だったのは、藍の用意してくれた人選が思った以上にマトモかつ頼れる者だった事だろう。

 

 茨木華扇。幻想郷の賢者であり、八雲紫や摩多羅隠岐奈と同格の地位に就いている存在。そんな彼女を墓場の先導役として酷使するとは、なんと贅沢な使い方だろうか。

 

 目を瞑りながら刀を振り回し、もう片方の手で引っ張ってもらっている妖夢を見ながら華扇は溜息を隠そうともしなかった。

 そもそも華扇とて暇ではない。藍からの通信が入るまでは河童の下で、幻想郷を覆い実力者を弱らせている鬼の魔力の解明に励んでいた。それがひと段落ついたと思えば今度は子守りである。

 

 実力行使を主として賢者間での調停役を期待された華扇ではあるが、それは紫や隠岐奈の派閥とは距離を保たねばならない立ち位置を強制されるということ。つまり、幻想郷の統治にあまり深く関わっていなかった。

 こういう異変が起きた時こそ華扇の真価が発揮されるべき時。しかしそれを半人半霊の子守りに費やされるのは望むものではない。鬱憤は溜まるばかりだ。

 というか賢者をさっさと辞めたいと日頃から思っていたりする。それこそ紫が引退を所望したあの事件よりさらに昔から。

 

 今も賢者を続けているのは霊夢の存在と、紫擬きからの説得があったこそ。

 

(妖としての力を封じられている以上、この半人半霊に期待するしかないのは分かるが……本当に大丈夫なのだろうか?)

 

 不安は募るばかりだ。

 力さえ封じられなければ自分一人で片っ端から異変解決してやったのに。紫も隠岐奈もだらしないったらありゃしない。

 

 

 華扇の指し示す墓を斬り倒し、地下への入り口を発掘。そこから奥へと潜っていく。

 地下に入ってしまえば流石に幽霊の気配がなくなり、精神的余裕の生まれた妖夢はようやく独り立ちすることができた。

 

 そして異変解決への考察を華扇が勝手にどんどん進めてくれるので、使われなくなった思考はどうでもいい事に費やされている。

 魔理沙と妖夢は地下へ。早苗と咲夜は空へ。今頃宙を舞う二人は華々しく異変の首謀者と死闘を演じているのだろうが、地下にいたのでは活躍も認知されにくい。それどころか地味な印象を受ける。よくよく考えるとハズレクジを引いてしまったような気がしないでもない妖夢であった。

 

「というか、敵が全然出てきませんね。凄まじい抵抗を予想していたのですが」

「ええ、これは私も予想外よ。だけど最後まで気を抜かないように。何が待ち受けているか分かりません」

「言われずとも」

 

 華扇の言葉に頷いて警戒を新たにする。何も考えていない妖夢でも、今回の連続した異変の厄介さはよく分かっていた。それを仕組んだ存在も並大抵の者じゃない。智謀に長けているだろう事は容易に窺い知れる。

 

 待ち伏せ、何らかのトラップ。

 全てを考慮し備えようとやり過ぎではない。

 

 荒々しい坑道のような空間を抜けた先には、古びた中華風の門が待ち構えていた。ただ此処にも敵の姿はない。在るのは意志を持たぬ神霊のみ。

 無言で振るわれた楼観剣により閉ざされた門は袈裟懸けに斬り裂かれ、崩れ落ちた。

 特殊な結界こそ張られていたようだが、妖夢の前には所詮紙切れに等しい。一刀の下に切り伏せてみせた。

 

 不安げに華扇を見遣る。

 

「……多分、もう目的地ですよね? 流石にここまで雰囲気が出てれば」

「その判断で間違いないと思う。此処に集う神霊の質、そして肌を粟立たせる凄まじい力。欲の逆巻く先にはどうやらやんごとなき者が居るみたい」

「どんな相手でも私には関係ありません。斬ればそれで終いです」

「確かにそのくらいの心構えで臨んだ方が良さそうね」

 

 いつもなら妖夢の脳筋発言を嗜めていただろう華扇も、今回ばかりは同意を示す。殺気を纏うくらいでないと、かの者と相対する事すらできまい。

 それにこの"古さ"はかつての記憶を呼び起こすには十分過ぎる。

 

 五感に優れた妖夢は、いつからか踏み出された一歩が既に別世界への入り口をこじ開けているのを感じ取っていた。地中深くに入り過ぎたせいで幻想郷の領域から出てしまったのかと思ったが、そうではない。

 華扇は既に欲の中心地に居る人物の正体をほぼ看破していた。

 

 一つの世界を管理する者ともなれば、それなりの格が保証されている。

 何処ぞの賢者共然り、自らの力で構成したテリトリーを根城にする連中は総じて厄介だ。大成した仙人は各々別個の宇宙を持つと聞くが、華扇が言うのなら説得力もまた一入である。

 

「時に妖夢さん。貴女、幻想郷で仙人に遭ったことはありますか?」

「いえ多分ないと思います。どうしてですか?」

「私の役目は貴女を異変の中核に送り届ける事。しかし、とある仙人がこの件に関わっているのだとしたら、介入の度合いは大きく変わる。事前の情報すら持たない貴女では手に負えないでしょうしね」

「私が力不足だと仰りたいようですね。ふふん、普段の貴女がどれだけ強いのかは知りませんが、現時点では万に一つも遅れを取る事はありませんよ。私は強いですからね!」

「よしんば貴女が幻想郷で一番の強者だったとしても、どうにもならない相手とは最低一人ぐらい存在するものです。私だって、霊夢だってそう。……そしてあの邪仙は大体のケースでその一人に食い込んでくるだろうイヤらしい奴ですから」

 

 苦虫を噛み潰したような表情でそんな苦言を漏らす。彼女を知る者なら全員が全員、同じリアクションをとるだろう。あの邪仙はそういう女だ。

 

「奴は悍ましい怪物です。見てくれに騙されて気を抜かないように」

(ふぅむ、そんな怪物を斬ったとなれば幽々子様も大いに満足してくれるかな)

 

 なお妖夢にはあまり響いていなかった。

 

 

 

 少し進むと大きな墓のような物が見えたので、問答無用で斬った。中から大量の神霊が噴き出したのでそれも全部斬った。華扇は引いた。

 

「これほどまでに大規模な廟は久しぶりに見たわ。大和国(奈良県)に建てられてた物と同じ様式だし、どの年代の権力者の為に造られたのか大体分かるわね」

「墓を暴くのは今更ですし、滅茶苦茶しちゃいましたけど怒られませんよね?」

「それ斬ってから考えるの……?」

 

 呆れながらも瓦礫の撤去を淡々と手伝ってくれるあたり、妖夢の奇行に慣れ始めたようだ。このくらい柔軟でなければ身勝手な鬼共や賢者との付き合いなど到底務まらないということなのだろう。むしろそれらと同列扱いされている妖夢の異常性の方が問題なのか。

 

 結局その答えは導き出されることなく、先に異変が大詰めを迎えようとしていた。

 

 じわりと、細胞が静止する。

 心が無意識に『見』を縋ったのだ。

 

 

「同朋、のようですね?」

 

 

 珠のように美しく、強烈な古さを感じる厳かさ。

 その一言一句の度に無秩序の群れであった神霊が大きく震えて、宙へと掻き消えていく。その本懐を遂げたのだろう。如何なる欲も、彼女の魅力の前には些細な物だ。

 

 妖夢は彼女に飲まれなかった。その手に迷いを断つ白楼剣が握られていたからだ。

 全身が逆立つ。

 

「仙人、尸解仙……我が復活に立ち会っていただけるとは、光栄の至り。早速不老不死として蘇った者同士、相手と競い合い(タオ)を極めたいところだが……」

「そんな暇はありません。貴女にできる事は二つだけです。己が立場を詳しく述べる事、そして私に斬られぬよう弁解なり抵抗なりを試みていただく事。──あと私は仙人ではありません」

「ふむ、どうやら私の復活を手引きしたのは貴女達ではないようだ。それにどうやら、想定していた年代とも異なる。……質問に答えたいのは山々ですが、それには些か時と情報が足りない。少し待ってくれないか」

 

 即答以外は戦いの合図だと決めていた。

 性急だが、それでもまだ足りないぐらいだと妖夢は判断した。無闇な接触は足を掬われる事になると、本能が警鐘を鳴らしている。

 刃を抜き放つ直前に、華扇の右腕が妖夢の楼観剣を弾き落とす。妖夢の抜刀スピードと同等の反応速度もそうだが、利敵行為とも取れるそれに強烈な敵意を示した。

 

「……力を落としたと仰ってた割には、随分と動きが良いようですね。騙したんですか?」

「言う必要が無かっただけ。私には元来のモノの他に使える力が幾つかあったの。味方だから安心してほしい」

 

 宥めるように言うと、交渉役に立つ。

 

「私の名は茨木華扇、仙道の大成を志す一人の道士です。貴女もほぼ同類とお見受けしますが、相違ないでしょうか?」

「その通り。私は豊聡耳神子と申します。人は私を聖徳王と呼んだ」

「かの為政者か……確かに、貴女ほどの方が復活するのならこれほどの規模の神霊が発生するのも納得できる」

 

 今から1400年前。妖怪の絶頂期真っ只中の時代に誕生した奇跡の御子。

 ただただ蹂躙されるだけだった人間達を己がカリスマ一つで束ね上げ、国を富ませ、人材を育成し、妖怪に対抗できる程度にまで発展させた人類史最高の為政者。

 華扇の記憶にも根強く残っている存在だ。

 なお妖夢は知らない。

 

「まず一番に申し上げておきたいのですが、我々に貴女と積極的に事を構える心算はない。できれば穏便に話を済ませたいのです」

「その割には、隣の方はそうでは無いみたいだ。闘争への欲が溢れ出しているよ」

「何分、存亡の危機なもので」

「……なるほど」

 

 一を知り十を知る。

 僅かな問答で神子は幻想郷に齎された厄災の概要を把握した。そして、自分の復活がそれに与した形になっている事も。不本意でしか無い。

 自分の存在を利用しようとする者はどの時代でも星の数ほど居るだろうが、そうならない為に保険を用意しておいた筈だ。そう、神子には優秀な部下が居た。

 

「ところで、私の他に人は居ませんでしたか? 共に眠っていた者が何人か居る筈なのですが、何処にも気配を感じない」

「此処も地上も、人っ子一人居ませんでしたよ。拍子抜けもいいところです」

「……もしや」

 

 

「お二人は亡くなりましたよ、豊聡耳様」

「ッッ!」

 

 背後からの軽やかな声に、今度こそ妖夢は刃を抜き放つ。時を切り裂く一閃は須臾を要さず声の主へと到達し、すんでで阻まれた。

 胴を亡き別れにした死体が崩れ落ちる。斬撃は死体を貫通することなく、抑え込まれた。

 

 霍青娥の登場だ。

 

 自分に対して峻烈な殺気を向ける妖夢も、神妙なお面持ちで見遣る華扇も、崩れ落ちた死体も何処吹く風と、神子だけを見ていた。

 対して神子も鋭く目を細める。事の詳細を話せと暗に威圧しているのだろう。

 

「蘇我様は物部様の手引きにより術が失敗し、亡霊となり、数百年前に時の妖怪退治屋に討たれましたわ」

「屠自古が……」

 

 瞳が揺れる。

 形式上、そして政治的な繋がりであったとしても、彼女との間に在った繋がりは本物だったと思っている。その顛末を聞いて平静を保てるほど、神子は人間を辞めてはいなかった。

 沈痛な面持ちで更に先を促す。

 

「物部様は……この通りです」

 

 青娥が手に持っていたのは、砕け散った皿の破片。その姿を認めた神子は静かに青蛾へと歩み寄り、皿を受け取る。間違いなく、かの忠臣が依代に選んでいた皿だ。

 神子からすればつい昨日、忠臣の亡骸と一緒に在ったのを見たばかりだ。見間違える筈がない。

 アレほどの傑物の幕引きには、あまりにも呆気なさすぎる。

 

「なんという事か。屠自古……布都まで」

「せめて豊聡耳様と物部様だけはと思い夢殿大祀廟を護っていましたが力及ばず──禁を破られ、この有様。死して詫びる事もできません」

「いや……よい。むしろ師だけでも無事で良かった。して、貴女はどう思う?」

 

 恭しく跪き、徳を示す。

 

「卑しき手段でかの方達を葬った狼藉者、豊聡耳様の復活を阻止しようとした不届者、それらを淘汰し、今再び上に立たれるべきかと存じますわ。妖怪の支配から解放される幻想郷を導けるのは聖徳王たる豊聡耳様しかいないでしょう」

「ほう。そう思うか」

「蘇我様は分かりませんが、物部様であれば大いに賛同いただけたものかと。それに、河勝(隠岐奈)様は既に豊聡耳様の治世に向けて動いています」

「あやつまで居るのか。私が眠っている間、随分と周到に準備していたのだな」

 

 一を知り十を知る。

 全容を掴んだ今、情報は不要。

 

 亡き忠臣達への手向けとして何が最も適当であるか、答えは明白だ。神子は決して判断を誤らない。

 意を察した青娥は何時もの笑みを浮かべた。千年ぶりの再会といえど伝心に陰りなく、互いに相手の思惑を探る術は充実している。

 

 神子は判っていた。

 これが幻想郷において最も手っ取り早い手段である事を。今も昔も変わらない、暴力こそが至高の解決法である。

 

「華扇さん。私はやりますよ」

「はぁ……なんでいつもこうなっちゃうの」

 

 妖夢の拘束を解いた華扇は一足飛びに宙を舞い、青娥へと狙いを付けた。当然、青娥の興味も別次元の力を行使する華扇に向けられている。それに、粗雑に転がっている死体を巡っての因縁もある。

 簪を振り翳した青娥の姿が死体と共に掻き消える。否、下へ逃れたのだ。夢殿大祀廟の更に地下深くへ。

 あの邪仙を生かしておく訳にはいかない。アレはこの世の生けとし生ける者に際限ない災いを自覚無しに振り撒く邪悪な女だ。怪物だ。

 

「幻想郷を統べる賢者として奴は看過できない。なので少し不安は残りますが、聖徳王の相手は貴女の裁量にお任せします。どうかよしなに」

「簡単な話です。任されました」

(ホントに大丈夫かな……)

 

 さも不安げな様子で華扇も穴へと消えていく。

 恐らく、妖夢では青娥に勝てない。同じく、現在の華扇では神子に勝てない。なので最悪でも二局面のうち、どちらか一方でも勝てれば良しとできるように考えた結果の組み合わせだった。

 

 

「さて──師も行った事だ。お急ぎのところ悪いが、少々付き合ってもらおう」

「構いませんよ、むしろ漸くかと言いたいくらいです。難しい話などなんにも分かりませんからね。私には刀を振ることしかできません」

「ふふ、君は私の部下によく似ている。随分と過激で愛らしいところなど特にな。あと死に近いところも」

「故人と一緒にしないでください。私は半分生きてますので!」

 

 すらりと伸びた細い指が腰に下げた宝剣の柄へと伸びる。それに呼応するように妖夢の指もまた、楼観剣の柄を握り締めた。

 自然体な様子の神子に対して、居合の構えを崩さない妖夢。初速の時点で脳の電子信号を遥かに振り切る斬撃に対応する術を持たねば、この時点で詰みである。妖夢の一振りは時を越えるのだから。

 

「正直、無理筋だと思っているのですよ」

「何が?」

「師の言葉がね」

 

 軽く一笑に付した。

 

「今の世界は私の統治を望んでおるまい。その欲を全く感じないしね。幻想郷については半々か? ただ青娥と河勝の側ではないのは確かだ。奴等が組んでる時点で胡散臭くて堪らない。どうせ良からぬ狙いがあるのだろう」

「私達に大義があると?」

「『勧善懲悪は古の良き典なり』……それを確かめさせてもらいたいのです。悪の敵が正義など、そんな話聞いた事もない。それに、勝てない戦に全力で加担するのは愚物の極み、亡き腹心達に顔向けできないよ。まあせいぜい最悪の結果にならないよう立ち回ってあげるくらいか。為政者の役目だ」

「どっちつかずってことですよね? 仲間じゃないのなら話が簡単で助かりますッ桜花剣『閃々散華』!!」

 

 生憎、問答の気分ではない。

 

 一瞬の重心の移動と同時に、その場に残像を残して触れ合える程の距離まで接敵、楼観剣を抜き放つ。一振り幽霊千殺の謳い文句の通りに、幾重もの斬撃が同時に繰り出された。

 

 小手調べのつもりなど毛頭ない本気の一撃。というより我慢の限界だった。

 訳の分からないミミズクの講釈に付き合っていられる余裕などハナから存在しないのだから。むしろよく保った方だろうと幽々子や紫なら言うだろう。

 

 

『逆らう事なきを宗とせよ』

 

 

 スペルブレイク。

 斬撃は霧と消え、妖夢渾身の一撃は神子の首筋を断ち切ることなく、ましてや到達することすら能わなかった。意識の硬直。

 神子は何もしていない。身体から溢れ出る徳が妖夢の自由を奪い去った。

 

「……ッ!」

「何も殺し合いを提案しているのではないよ。極力諍いを起こさぬことを根本として励むのが万民が最も平和を享受できる確実な方法なのは言うまでもないでしょう? 私の教えは根付かなかったか?」

 

 空虚な金属音が響く。ぎこちない動きで首を回すと、宙に留まっていた楼観剣の刀身が根元から切断されていた。あてつけのように、鈴仙にへし折られた部分とは違う箇所から。

 神子の抜刀スピードは妖夢に比肩した。

 

「君の為人はよく分かった。認めよう、君の危惧する未来は十分にありえるものだ。青娥や河勝に合力はしない、しかしその結末、幻想郷を如何導くかは私を以て悩ませている。この世界の成り立ちからして万民が等しく幸せを享受できるシステムは存在し得ないのだから」

 

 幻想郷は妖怪の為に存在する世界だ。

 従来通りの運営に拘るのであれば、人間達の不幸はこれからも延々と続く。

 神子本来の目的通り人の為に政治を行うのなら、幻想郷は破綻し、全く別物になる。

 

 何を取り、何を捨てるべきか。神子は妖夢を介して結論付けたかった。

 だが妖夢にそんな考えは一欠片もない。あるのは幽々子の命令を全うする、その一点のみ。それ以外を敢えて頭から排除していた。

 だから神子は結論に辿り着けない。

 

 やはり彼女は、系統こそ違えど布都に近いタイプの思考回路を持っているのだろう。目的の為に自らの行動原理を制限し、思考の単純化を図ることで、(はかりごと)を円滑に進めようとする。

 狂信的なだけならまだ善い。だが彼女らのような人間には神子ですら御しきれない『何か』がある。非常に興味深い。

 

 だがこの場では不要だ。

 

 常人であれば廃人になるだろう徳を受けても、妖夢を数瞬硬直させるだけだった。だが刹那の駆け引きを得意とする彼女には致命的な一瞬。

 根元近くから切断された楼観剣に殺傷能力はもうない。であれば、脇差(白楼剣)に持ち替えるのがセオリーだろう。だが妖夢はほぼ柄と鍔だけになった楼観剣を握ったまま。神子、妖夢共に迷いなどないのだから。

 

「私は折れませんよ」

 

 傍に落ちていた刀身を拾い上げ、切断面を接着するように重ね合わせる。そして刃を素手でギュッと握り締めた。勢い良く流れ落ちる鮮血が楼観剣がまだ生きていることを示してくれている。

 当たり前だ。もう二度と折れてなるものか。

 

 手を離し再び構える。紅く濡れた楼観剣は、数分前と変わらぬ姿を保っていた。

 握力の熱量で玉鋼を溶かし、手動で接着したのか。

 

 神子は思わず苦笑を漏らした。

 流石にこればかりは真似できまい。いや正確には、そこまではやらない。

 

「貴女は先程、私で何かを確かめたいと言ってましたね。残念ながらそれは到底無理な話です。私に分からないことを他ならぬ私に証明させようなんてそれこそ無理筋というもの」

「ほう。分からないのか? 幻想郷の実態が。お前の上に立つ者共の願いが」

「私は半人前の未熟者! 私が悩み迷える量なんて半人分が限界だ。幽々子様の想いの全容なんて、生涯かけても辿り着けないに決まってる」

「随分と自己評価が低いのですね?」

「そんな事はありませんよ? 私は強いですからね!」

 

 互いに笑みを深め、地を蹴る。初めて豪鉄の打ち鳴らされる金属音が夢殿大祀廟に響き渡った。

 

 時と時の合間を縫った超ハイスピードの攻防。その別次元の戦いは、当の本人たち以外に認識できる術はない。

 重なる刃は可視光線による投影すらも振り切り、白銀の光舞う残滓となって互いを削り合う。

 

「『詔を承けては必ず慎め』──私へと刃を振るうのは並大抵の事では無いのだがな。欲のない霊魂がこれほどまで脅威とは、素晴らしい」

「目がチカチカするのはそのせいですか! ヤケに眩しくて鬱陶しい!」

「偉大な相手というのは光って見えるものだよ」

 

 後光に晒されるだけで皮膚が灼けつくようだ。

 気質だけで周囲にこれだけの影響を与えるのは、もはや神や仏、仙人の範疇から大きく逸脱しているとしか思えない。十欲の幾つかを欠落させている妖夢だからこそ戦闘を継続できているようなものだ。

 

 だが形はどうであれ、神子にとって妖夢は間違いなく脅威と呼べるレベルに達している。

 戦闘の土俵に立てているのなら負ける道理はない。

 

「断命剣『冥想斬』ッ!!!」

「……っ」

 

 未熟であるが故に。

 一途で愚直であるが故に。

 

 ただ一点の信念さえあれば、愚蒙に堕してしまう事は決してない。

 悲観もしないし、絶望なんて以ての外。

 

 自分に斬れない物なんて、何にもないのだから。

 

 




原作キャラキラー娘々(ネタバレ
ただ屠自古は事故。布都ちゃんは復活させてしまうと後々面倒になるので手を打たれました。もし布都ちゃんが健在だったら数話短くなるくらい早く異変が終わってたかもしれない。
あと娘々は豪族組のことが大大大好き! まあ今回は縁がなかったということで……(皿を叩き割る音

人里外は結構な魔境と化しているので、外れに作ってあった墓地は半ば放棄されてます。また命蓮寺が建っている筈もないので、目印になる物が非常に少ない。なので妖夢は最初見つけられなかったんですね(精一杯のフォロー)
ちなみに今のところ自機組の成長回のような今章ですが、魔理沙早苗と違って妖夢は殆ど成長してません。永琳戦での敗北とうどんちゃんとの交流で大分完成してた模様。半人前こそ彼女の最強形態です。


紫→賢者辞めたい
華扇→賢者辞めたい
はたて→替え玉
てゐ→賢者になりたくなかった
阿求→賢者連中みんな嫌い
正邪→あくまで目的のため
隠岐奈→エンジョイエンジョイ甘ったれるな

誰が幻想郷を引っ張るべきかは明白なんですよね……おっきーお前賢者から降りろ。

また最新作についてネタバレしない程度に言及しますと、幻マジ世界では山童は天狗の手によって絶滅しており、虹龍洞は天子の一件で潰れてます。
つまりそういう事ですね。闇市場なんて存在しなかった! 最低だよゆかりん……


次回、久々にあの方が帰ってくる……!?
あと三つの異変の結末も云々らしい。


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幻想郷のアポトーシス*

 

 蓬莱山輝夜の一言が全ての始まりだった。

 

 交わりを絶たれた遠い世界の出来事。ほぼ永劫の時を生きる彼等にとっても及びもつかないほど昔で、気の遠くなるような未来の出来事。

 

 八雲紫の誕生と破滅は数珠繋ぎのように、或いは螺旋階段のように絶え間無く流転し続けるものだ。それこそが、輝夜に観測できた範囲での数多の世界において、共通して起こる決定的な『出来事』であり、月の危惧するシナリオは『絶対の誕生』により確定する。

 

 何度繰り返されたのか、永劫の時を生きる輝夜ですらその回数を完全に観測することは能わない。一寸先はあまりに膨大な悲劇の塊だ。

 当然、如何なる手段を用いてでもその未来を取り除かんと奔走したが、駄目だった。あまりにも強固な『因果』が全てを跳ね除けてしまう。

 

 八雲紫との抗争は月人の歴史だ。地上に都を構えていた頃から、熾烈な絶滅戦争を繰り広げてきた。地上の生物が殆ど死滅するような戦いを何度も行い、不利を覆すことなく、穢れにより住めなくなった地上を捨てて月へと逃れた。それでも戦いは熾烈さを増すばかり。

 神々が何柱斃れようが八雲紫と戦い続けた。全てはいずれ訪れる破滅を回避する為、世界を救う為という大義名分に守られた利己的な生存本能。

 

 生きる事と、八雲紫の存在はイコールではない。

 あの化け物を除かぬ限り、死んでいるようなものだ。

 

 永きに渡る戦いの中、何度か八雲紫に致命傷を与えた事がある。一度目は何食わぬ顔で再生し、その何倍にもなる苛烈な『仕返し』を受けた。これにより神々は地上を捨てる事を余儀なくされた。

 二度目は第一次月面戦争の際、綿月依姫が喉を刺し貫いた。だが奴は死なず、行き掛けの駄賃と言わんばかりに月の機密を奪い去っていった。

 三度目は永夜異変の際、八意永琳の策謀により命は愚か、輪廻、因果の全てを抹消した。だがそれでも駄目だった。月の頭脳でも八雲紫の壁を乗り越える事はできなかったのだ。

 

 かの永琳が失敗した時点で、月の都に存在していたプランの殆どが破棄されたのは言うまでもない。最早不可能だと、過半の者は覚悟したろう。

 

 そして、これから四度目。

 月の都に残されたのは、舌禍による運命改変での殺害。稀神サグメの能力が最後の有力な希望となっていた。

 

 

 

「貴女の犯した罪は、地上のいかなる生命の業をも凌駕する。その自覚は?」

「ないわね。考えたことも無い。ああ、閻魔様から似たような御言葉を戴いた事はありますけれども、もしやそれと同じ事を言ってます?」

「……」

「思えば私も随分と長い時を生きてきた。仰る通り、その中で無自覚に起こした一度や二度の間違いは否定できない。そもそも天国に行ける身だとは思わないですし。罪の大小が貴女方の価値観に合致しているかは存じませんが」

 

 飽き飽きした様子で紫が答える。恐らく、これまでに何度も同じ質問を投げかけられたのだろう。依姫から、豊姫から、永琳から。

 フェムトファイバーを巻かれ、拘束された両腕を机の上に置いて、サグメは深く項垂れた。解決の糸口が全く見えない。

 

 八雲紫との面談は留置室に隣接する小部屋で行われている。無闇な情報の流出を嫌った月側と、霊夢への配慮の結果である。

 紫へ危害を加えない証明として月側は両腕両脚を自ら拘束し、なおかつ霊夢の定めたラインを越えないよう、机を挟んで話さなければならない。さらに小部屋と留置室を繋ぐドアからは霊夢と天子が様子を窺っており、有事があればすぐに戦闘を開始できるよう常時臨戦態勢を維持している。

 これでも互いに譲歩した結果だ。

 

 霊夢は分かっているのだろう。今この間にも、月が何とかして紫の殺害を企てている事を。

 実際その通りだ。この面談中でも、様子を見てサグメが仕掛ける手筈となっている。今の月の都にこの三人と災厄三人を同時に相手する余力はない。つまり、サグメがしくじれば八雲紫の破滅を待たずして月人は終わってしまう。

 

 そんな内情をおくびにも出さず、サグメはしっかりと紫を見据える。殺せると判断できる確信を探っている。

 

「──質問を変えましょう。貴女は幻想郷と自身の命、どちらを優先する?」

「今ここで天秤にかけろと」

「我々の狙いは混沌の元凶たる貴女のみ。その命を絶てれば幻想郷への侵攻など即座に停止していい。何でしたら、内乱の鎮圧を手伝いましょう。そして今後一切の関与を断ちます。悪い話では……」

「お断りいたしますわ」

「……嘘を疑っているのであれば、私の舌禍を使ってもいい。私の能力は」

 

 言葉は遮られた。突き出された手がそれ以上の呪いを許さなかったのだ。

 

「存じています。でもそういう事ではない。──先ほどの質問についてですけども、私は自分の命を優先させてもらうわ。幻想郷はどうぞご自由に」

「そうですか」

 

 深い失望の溜め息。

 正直、目の前の妖怪を自分の舌禍でどうにかできるようには思えなかった。この結論はドレミーと共謀して八雲紫を陥れた時には薄々勘づいていたが、今回現世で直接相見えて確信を得た。

 どんなに強大な力を持っていようが、この妖怪を討つことはできまい。

 もういい。諦めた。

 

 だから自死を促し、他ならぬ紫自身の手によって終わらせようとした。

 しかし彼女はかけがえの無い宝よりも、自分の命を優先した。保身を選んだのだ。こうなってしまえばもうサグメにできる事は何もない。

 

 上への言い訳を考えつつ、サグメは淡々と問答を繰り返す。意味が無いと自覚していても、やるしかないから。

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 

 地上が憎い。憎くて憎くて堪らない。

 身体から迸る核熱は正義の焔が生み出したもの。この世の不純物を悉く焼き尽くす神の力。

 この知恵は空の願いを叶えるものだ。大切な人達を照らす陽光となり得る。

 自分が為すべき役目を『理解』した。

 

 空は道理も、世界も知らぬ。ましてや力とは無縁の烏。遥か地下で有象無象に紛れて漫然とした生活を送っていた。

 翼を折られ死に瀕していたところをさとりに救われてからは、同輩の火焔猫燐と共に地底世界を羽ばたいた。昔の記憶なんてこのくらいしか思い出せないが、残っているということは大切な記憶なんだろう。

 

 空は賢い烏だ。物覚えが非常に良かった。

 その代わり、古い記憶、どうでもいい知識から廃棄してしまう。だから何かが定着することなど殆ど無い。その時その時で胸にあった感情も忘却の彼方に追いやってしまうが故に、自らの心に無頓着だった。

 

 激情とは決して拭えぬものだ。忘れることなんてできやしない、病魔の如く心に巣食う起爆剤となる。

 空の鬱憤は溜まる一方だった。理由は思い出せない。

 それを見出したのは神だ。

 神が力の使い方を諭してくれた。

 

 空に与えられた(役目)は、幻想郷を焼き尽くし、主人の無念を晴らす事だ。昔に死んでしまったらしい妹様を生物だった灰塵で弔う事だ。

 合点がいった。目から鱗とはこの事だ。

 

 

 

 立ち塞がる不純物は全て溶かしてしまえばいい。死ねばみんな灰になって地面の一部になる。末路は何も変わらないんだから。

 

 だけど、溶けない。燃えない。

 あんなに強かったお燐だって簡単に消し飛んでしまったのに、邪魔立てする黒い烏は、神の焔に巻かれながらも食らいついてくる。

 まるで鬱陶しい蠅のようだ。

 

 空が纏うは地上を焼き尽くす最強の能力。なのに何故、あの人間は斃せない? 

 段々と空の感情が困惑に傾いていく。

 

 その一方で魔理沙も、弱音を吐きたい気持ちでいっぱいになっていた。この地獄はいつまで続くのかと、噛み殺した奥歯の下から溢れ出してくる。

 そんなの決まっているじゃないか。分かりきった答えを自問するな。左頬を殴り付けて本音を飲み込む。勝つまでやるのだ。

 

 焼き付いた喉から声を絞り出す。

 

「突破口、見えたか?」

【いやー無理だよこれは。アンタの攻撃で擦り傷一つ付かないんじゃ即興で用意できる河童科学で対応できる範疇を逸脱してる。悪いがお前の命運もここまでだ盟友。せいぜい有意義なデータを残して死んでくれ】

「励ましの言葉ひとつ無しかよ……」

【慰めたところで一文の得にもなりゃしないだろ!】

「やっぱ人選間違えてるぜこれ」

【ゴポゴポゴポ】

 

 愉快な仲間達からの言葉に泣き言が決壊した。にとりはあくまで自分の利益優先、パチュリーは何故か大図書館が水没してしまっているとのことで、言葉すら聞き取れない。

 何故かアリスが懐かしくなった。

 

 ただ、お手上げなのは本当だ。

 空の火力、防御力はパチュリーとにとりの助力が加わってもなお、魔理沙のそれを大きく上回っていた。優っているのは機動力と手数くらいだが、それらも全て魔理沙に迫る勢いで進化を続けている。

 正真正銘の化け物である。

 

「核熱『核反応完全制御ダイブ』」

 

【くるぞ魔理沙ぁぁ! 機動力全開ィ!】

「分かってらぁッ! 彗星『ブレイジングスター』」

 

 莫大な熱量を纏い突進してくるだけでも凄まじい脅威。一手一手に最大級の対応が求められる。スタミナがもたない。

 魔理沙は親指の腹を噛み潰し、魔力を含んだ血液をぶち撒けた。さらに、にとりの操作により『まじかるしぐま〜ちゃん1号』が推進力の補助となる。

 

 核熱と魔法科学の鎬を削る攻防。互いにぶつかり、弾き合い、三度四度と岩壁へ身体を打ち付ける。

 距離が空くたびにすかさずパチュリーの賢者の石が出せるだけの火力で空を狙い撃ちにするが、足止めにすらなっていなかった。

 

 スペルの効力が切れると同時に、再び凄絶な撃ち合いが始まる。無限のエネルギーを保持する空相手では闇雲に疲弊するばかりだ。

 時は依然として魔理沙の味方をしてくれない。

 

 だが、絶望的ではない。あの時(八雲紫)や、あの時(風見幽香)に比べれば……。

 まだ自分の役割を見失っていないのだから。

 パチュリーへと念話を飛ばしながら、魔理沙は空を見遣る。そしてふてぶてしく笑いかけた。

 

「メチャクチャ強いな、お前。地上でもこのレベルはそうそう居ない。核融合、だっけか? 凄いな、本当に」

「……?」

「これだけの力を手に入れるには相応の努力と決意が必要だっただろうな。大変だったろう?」

「当たり前だ。この力を手に入れるまでどれだけ惨めな日々を送っていたことか。力が物を言う地底世界では、弱者はただの餌。さとり様やお燐がいなければ、今の私は無かった」

「で、いざ強者の側に立ってまずやる事が破壊か? 本当にそれが弱者の頃のお前が望んでいた姿なのか?」

「休憩時間はもういいでしょ。ほら、これで終わり」

 

 時間稼ぎできれば御の字であったが、目論見が外れたのなら仕方がない。再び火球を此方へと差し向ける空を見据え、静かに八卦炉を構える。

 時間経過とともに火球の質量が加速度的に増している。弾ける頃には魔理沙のスピードでも回避しきれない規模の爆発が起こるのは容易に想像できた。

 

「すまんパチュリー。一発頼む」

【時間稼ぎすら満足にできないなんて、やっぱり貴女はいつまで経っても三流ね】

「私なら2秒で撃てたぜ」

【本調子ならコンマ1秒もかからない。──土金符『エメラルドメガロポリス』】

 

 火球と魔理沙の間を遮り、さらには空を囲い込む巨大な緑柱石。俗に言うエメラルドであるが、精霊の手によって相生されたそれは普通の鉱石にない硬度を誇る。魔理沙の魔力により発動している為、十全に力を発揮できない状態でも問題ない。

 パチュリーが愛用する瑕疵無き最高級精霊防御魔法。だがその用途は攻撃を兼ねる。

 

 動かない大図書館の真髄は五行の特性を用いた多属性魔法と、それを順繰り強化の輪として利用していく計算高さにある。

 

 五行に存在しない属性を介在させる事で流れを固定する。

 

 月金符『サンシャインリフレクター』。

 魔理沙とパチュリーが編み出した即興合体スペル。太陽の属性を持つ空に対して、最高の効力を発揮する秘技である。

 月は太陽の光によって輝き、鏡もまた然り。火球は自らの輝きを反射させ、更に威力の増した状態で支配者へと牙を剥く。

 

 最強の矛に炙られては、さしもの空も苦悶の表情を浮かべ、即座に脱出を試みるしかない。だがエメラルドメガロポリスに囲まれている関係上、脱出経路は上しかなく、それを見過ごす魔理沙ではない。

 幽香にしてやられた戦法をそのままの形で応用したのだ。過去の屈辱も余す事なく自らの力に変える節操の無さこそ、霧雨魔理沙の生き様だ。

 

【大チャンスだ魔理沙! とっておきの一発喰らわしてやれ!】

「調子の良いこと言いやがって。天儀『オーレリーズソーラーシステム』」

【河童の科学は太陽すら飲み込むぞ!】

 

 普段は自前の魔力で太陽を模した魔方陣を生み出し運用しているスペルだが、今は目の前に特上の擬似太陽があるので、それを利用すればこれまでにない威力を発揮できるだろう。さらににとりに魔方陣の操作権を移譲する事で遠隔から最も効率的なエネルギーの流れを構築、これで勝負を決めにいく。

 

「い、ぎ……ぐっ……!」

 

「まだ耐えてやがる。それどころか……」

【エネルギーは増すばかりだ。増幅した自身の核熱に加え何百発もレーザーを受けてるのに……どんな身体の構造してるんだ? 幻想郷でも居ないよこんな奴!】

【いずれにしろもう一息なのには変わりない。魔理沙、トドメの準備を】

「あ、ああ」

 

 言われるがまま魔砲の準備に入る。締めはいつだってマスタースパークだ。

 だが魔理沙は、急遽考えを改めざるを得なかった。何もかもが()()()()()()()()ことに気付いてしまったから。

 

 強大な者を搦手で追い込んだ時、一か八かで仕掛けてくる行動はいつだって同じだ。空もまた、脱出を諦めたからこそ、血路を開かんと奮い立つ。

 切り札はいつだって悪手である。

 

「『アビスノウ"ァ』」

 

 使用したのは前哨戦で魔理沙を破り、一度は死を覚悟させたスペルカード。空の体内で核エネルギーを循環増幅させ、自らの身体もろとも周囲を焼き尽くす大技。

 だが、その威力は先の比にならない。前回はあくまで咄嗟に防御目的で使用した為、溜めが不十分過ぎた。それであの破壊力。

 今回は正真正銘、空の持てる全てを吐き出す心算なのだろう。当然、身体への負荷は想像を絶する。我が身諸共、焦土灰燼と化す神の火。

 

【魔理沙、絶対止めろっ! アレは旧地獄はおろか、私達の所まで確実に届くぞ! ていうか、星そのものがドカンだ!!!】

「……」

【アレは流石に私も死ぬわね。フランぐらいかしらね、生き残るのは。……魔理沙?】

「……はぁ」

 

 魔理沙は天を仰いだ。あるのは崩れかけの岩天井だけだが、見ているのはその先にある幻想郷。そこに住まうみんなだった。

 人間も妖怪も関係ない。魔理沙にとって当たり前で、絶対に失ってはならない世界がある。

 

 覚悟はとうの昔にできている。

 

「もしこの後お前達に命があったなら、伝言頼まれてくれ」

【遺言、ってことかな?】

「まあな。相手は……霊夢と森近霖之助って奴と、あとアリスに里香に成美に──」

【多過ぎ】

「そう言うなよ一言だけでいいんだ。『色々すまんかった』の一言だけで」

【もう生きて帰ってくるつもりは無さそうね】

「楽観的な観測はしない主義なんでな。ああ、あとついでに紫の奴にも伝えておいてくれ。『これが霧雨魔理沙の答えだ』ってな」

【……任されたわ】

【手分けして伝えとくよ】

 

 これで十分だ。

 父親と魅魔に残す言葉はない。そういう段階にあるような人達ではないから。

 遠い地の底で野垂れ死ぬのをせいぜい鼻で笑ってくれればいい。その方が色々と楽だ。

 

 眼下の太陽を睥睨する。

 既に『サンシャインリフレクター』は白色の核熱により半壊し、今にも破壊を解き放たんとしている。空も異形の手足や翼が千切れ飛び自壊寸前だが、解放には間に合わせてくるだろう。

 勝負は一瞬だ。それで全てが終わる。

 

「始まりはなんてことない夢だった」

 

 星を掴みたい、なんて願いがよくここまで来たものだとしみじみ思う。最期は太陽に飛び込んで終わりとは、昔香霖堂で読んだ外来の童話がふと頭をよぎる。

 (お前)もそうなんだろう? と、笑い掛けた。

 

「いくぜ、私のラストスペル」

 

 障壁の崩壊を合図として、魔理沙は箒星となり太陽へと突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 聖白蓮は暗雲から差し込む一筋の光だった。

 彼女に救われた妖怪は何人いるだろうか? きっと数えるのも億劫になるほど膨大な数なんだろう。もちろん、救われた人間だって同じくらい居た筈だ。

 神仏の力が通じず、希望など微塵もなかったあの時代において、導となってくれる者の存在はどれだけ心強かったことか。

 

 故に嘆かわしい。時代が彼女の価値観に全く追いついていなかった。地獄を牽引する大妖怪は聖の崇高な願いに見向きもしなかったし、弱者である人間の中にすら聖を疎ましく思っている連中が相当数いた。

 星に聖の討伐を依頼した人間達も同じような類の連中だった。救世の誓いが揺らいでしまうほどに、星は俗世が醜く思えた。

 

 だが聖の想いはやはり、どこまでも優しく、残酷なものだった。

 彼女の選択は──『自らを封印する事』であり、その下手人を星として救済の光を後世に残すことだった。

 

『私では少し、早過ぎたのかもしれません』

 

 寂しそうな表情で寺の妖怪達に前で弱音を吐いた姿は、彼女の復活を願う者全員の心に刻まれている。星だってそうだ。

 聖を魔界に封印した張本人だからこそ、ケジメは自分の手で付けなければ。

 

 もはや正義は失われた。いや、ハナからそんなものはこの世に存在しちゃいなかった。

 だが"正しさ"は聖白蓮の名の下に必ず執行される。未だ効力を失わない宝塔が何よりの証拠だ。この輝きがある限り、心が折れる事は決してない。

 

 

 相対するは異なる"正しさ"を持った巫女。

 奇妙な雰囲気を纏い、刺突からなる苛烈な攻撃を捌き続けている。宝塔は彼女に敵意を示さず、見当違いな方向──罪を背負うアリスにのみレーザーを差し向けている。

 早苗と星の互いに決定打はなく、アリスとナズーリンの戦闘は終始妨害を繰り返す泥沼に陥っている。魔界の空気と点滅する赤黒い光が時間感覚を失わせ、聖輦船の甲板は一種の狂気が満ちる空間と化す。

 

(何故、当たらない……?)

(なんで躱せてるんだろう……!?)

 

 両者ともに延々と続く戦闘に困惑を隠しきれなくなっていた。早苗の妙な回避能力が主な要因だったが、いざ被弾しそうになるとギリギリでアリスの援護が間に合ったり、早苗が攻撃に転じるとナズーリンのペンデュラムが妨害に入ったりと、決着が見えない。

 

 ただ変化は確実に生じている。

 早苗の動きが時間経過とともに着実に洗練されていき、逆に星の迷いは深くなり動作の一つ一つに隙が見え隠れするようになっている。

 ナズーリンが危惧した通りだった。星は折れこそしないものの、戦闘に対する忌避感がどんどん強くなってきている。元々からメンタルが限界に近かったのだ。

 

「ご主人もういい、下がれ! その巫女は私が相手するから、あの人形使いを宝塔で狙い撃つんだ! これ以上留まっていては水蜜の操縦が保たん!」

「しかし……」

「船をこのまま留めておけないのは私達も同じよ。魔界神に気付かれたら厄介ですもの。サモン、ゴリアテ人形ッ!」

 

 一瞬の隙を見抜いたアリスは大規模な召喚魔法陣を展開、対決戦用超弩級人形『ゴリアテ』を呼び寄せる。ただいつも両手に装着されていた河童製の回転ブレードは取り外されており、素手となっている。

 容易に160尺を越す巨躯にナズーリン、星だけでなく早苗まで釘付けになる。巨大ロボット好きの早苗には少々刺激が強かった。

 

「まずはエソテリアにこの船を叩き落とす。死にたくない奴は衝撃に備えなさい」

「くっ、水蜜!」

 

 ナズーリンの叫びに呼応して、甲板をぶち抜き錨が飛来する。しかしアリスに抜かりはなく、もう一人の存在は既に感知済みだ。対応も易い。

 これ幸いとばかりに受け止めるとメインマストに錨鎖をくくりつけ、力いっぱい引き倒す。そのままヨットを操作する要領で聖輦船を強引に旋回、傾かせていく。

 当然、ナズーリンがゴリアテの妨害に動くが、それは本体のアリスが許さない。半自律で動く人形である故に必要とするリソースは限りなく少なく、アリスは最大限のスペックを発揮できる。

 

「うわ、ったぁ!? アリスさん力技過ぎませんか!?」

「時間がないわ。魔界と幻想郷を繋ぐゲートもそんなに長い時間保たない。……今からこの船は真っ逆様に落下するけども、勝負を決めるならその時よ」

「そう、なんですか?」

「多分ね」

 

「聖輦船はみんなの希望を乗せた最後の方舟、それは許しません、絶対に!」

 

 宝塔から法力が迸り、縦横無尽に巡る一筋のレーザーがゴリアテ人形の右腕、肩から腰までを切断する。間髪容れず切断部分を魔法糸で縫い付けるが、崩れたバランスを修正するのは最早不可能。聖輦船が大きく傾きほぼ水平に寝そべって船頭が下を向き始める。

 聖輦船を離れるわけにはいかない星は、槍を甲板に突き立てて踏ん張っているが、アリスからの助言で具に観察していた早苗は隙を見逃さなかった。

 槍が使えないのであれば早苗に対する迎撃力は著しく低下する。接近できれば、懐に潜り込むことができれば、僅かな光明を掴み取る事も能うだろう。

 

「早苗っ!」

「分かってます! ありがとうございました、アリスさん!」

 

 早苗は空中に身を投げ出し、落下速度そのままに星へと詰め寄る。右手にはスペルカードを握り締めていた。

 だが星とてそれを簡単に許すわけにはいかない。至近距離まで近づいたしまえば、宝塔がどれだけ出鱈目な方向にレーザーを放ったとしても命中するだろう。いわば星にとっても決め手となる一撃。

 

 互いの思惑が交錯する。

 

「宝塔よ、どうか──!」

「お師匠様! 神奈子様、諏訪子様! 見守っててください!」

 

 スペルカードの効力が発揮──する直前、宝塔の輝きが先手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 人より優れている自覚が乳飲み児の頃からあった。能力はさることながら、人心掌握にも長けていた神子には常に味方がたくさんいた。

 人の和とは宝である。築くは難く、崩すは易い。その重要性を政に浸透させ、国を導いたからこそ、今なお聖徳王と称される程の名声を得たのだ。

 

 故に神子は手を汚し過ぎた。敵対勢力を悉く滅ぼし、人の利にならぬ神々を討ち、永遠の和を実現する為に邪仙に耳を貸し、臣下を犠牲にして今がある。

 

『どれだけ高尚な理念を掲げ、先の世を照らす道筋を作ろうと、短剣で胸を一突きされればそれで終いよ。為政者とは孤独なものですなぁ、太子様』

『お主、挨拶のひとつもできんのか。わざわざ太子様自ら労いにいらしたというのに』

『いいよ布都。この者はそういう奴だ』

 

 常世神を討伐した折、腹心であった秦河勝の下を訪ねた際、開口一番にそんな事を言われたのを覚えている。邪教の祖を討ち果たし国中が彼奴を褒め称えたというのに、当の河勝は白けていた。

 ちょうど道教を学び出した時期だというのもあって、河勝の言葉は深く考えさせられるものだった。

 

 刀で斬られれば私は死ぬだろう。

 和とは決別を前提に構築されるものであり、その破綻が私の命日と結び付くのだと。故事にある通り、人を導く為政者である以上は避けられぬ運命である。

 だから彼等は人を信用できないのだ。真の意味で和を紡ぐことなど不可能である為に。

 

 先人は憐れで孤独だと、しみじみ思った。自分は少なくとも、和を孤独と結び付けることは決してない。危うく思うのは己が死による産物だ。

 死ねば繋がりは立ち消え、いつかの約束も夜の幻に。あなたさえ、欠けて消えゆく。

 

 

 そして神子は死を超越した今、孤独を感じていた。

 不老不死になったとて何かが変わることなどなく、未来に辿り着けたのは自分だけ。不可思議な魔境で独り政を行うのだろう。

 臣下を失った事がここまで自分の心に影を落とすとは、神子自身思ってもみなかった。想像以上に神子は布都と屠自古を心の拠り所にしていたようだった。

 迫り来る死を掻い潜りながら、ぼんやりとそんな事を考える。

 

 妖夢の剣戟を幾度となく弾き返し、時に痛烈な一撃を与える。常に一歩先をいく立ち回りでいなしてはいるものの、危うさは一向に消え失せることなく、神子に付き纏っている。

 ほぼ全てにおいて優っているのは間違いないだろう。剣の腕も、霊力も、思考も、理念も、妖夢が神子に対して優位を取れるものは殆どない。

 しかしそれでも妖夢は脅威であり続けた。

 

「強いな君は。それだけの腕を持ちながら今の立場に甘んじるのか?」

「幻想郷は広いですからね! 私がたとえ最強の剣士であったとしても、それで終わりです。それ以上を望む余地などありません!」

「そうか……恐ろしい場所だな、此処は」

「貴女が人の上に立つことを望むのであれば好きにするといい。我が主人やその御友人様が認めるならば、私から言う事は何もありませんから、ねッ!」

 

 横薙ぎの一閃を受けるでもなく紙一重で回避し、距離を取る。如何に宝剣といえど、まともに切り結べば駄目になると判断したのだ。

 

 妖夢の力の一端とは、無欲である事。

 自己顕示欲や承認欲求は半人のくせして人一倍あるようだが、死欲と生欲、そして権力欲が一切ない。即ち、権威を斬り捨てる事に全く抵抗感を持たないのだ。

 雑に言ってしまえば鉄砲玉マインド。

 

「なるほど、やりにくい相手な訳だ」と、神子は一人納得した。

 

「もう問答は十分でしょう。そろそろ本気を出されてはどうですか?」

「君がその気ならやぶさかでもない」

 

 神子の言葉に満足げに頷くと、鞘に収めていた白楼剣を抜き放ち、二刀流──否、一刀流上段の構えを取る。

 半霊が実体化し半人と同じ形、構えを背中合わせに型取っていた。

 まさに一心同体。立ち昇る鬼気は二刀を携えた修羅を彷彿とさせる。

 

(仕掛けても、受けても……恐らく斬られる)

 

 反撃は可能だ。しかし妖夢は間違いなく捨て身の覚悟で刀を振り下ろしてくるだろう。本体を仕留めてもその後、手痛い一撃を受ける事になる。

 死にはしないだろうが、傷魂に至るのは確実か。

 この身体を傷物にするのは是が非でも避けたい。なにしろ、これはもはや自分だけの身体ではなく、今を生きる全ての者達の希望だ。

 

 まさか自分ともあろう者が数において劣勢となる戦いを強いられようとは。

 

 

 ……()()()()()()()

 

 

「これで終いです! ──いざッッッ」

 

 聖徳王たる自分に、そんな稚拙な戦をさせる者は居ない。あの忠臣達が許してくれる筈がないだろう。

 笑みが溢れた。

 

「たわむれはおわりじゃ!」

 

 霊廟を震わせる一喝に思わず足が竦んだ。

 斬る気満々の妖夢を立ち止まらせるのは並大抵のことではない。しかしそうせざるを得なかった。今、神子に接近していれば命は無かっただろう。

 

 妖夢の常人ならざる五感は違和感の正体を正確に把握していた。故に混乱した。

 

「二人……いる? 幽霊か!?」

「幽霊ではない、想いだよ。身体と命を失っても、こうして思念になってなお理に逆らい、留まろうという強い心。──あの二人なら来てくれると信じていた」

 

 神子の両隣、何もない場所から霊力が溢れ出している。そしてそれらは各々の性質を纏い、雷と炎の矢弾となった。

 主君を護るように囲うそれは、まさに攻防一体。

 

 ここにきて飽和攻撃を仕掛けられるとは思っていなかった妖夢は、驚愕しながらもそれでいて、この一太刀での勝負を諦めてはいなかった。

 半人と半霊、共に納刀し居合の構えを取る。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 やはり八雲紫は悪だ。

 自分の存在が世界にとってどれだけ害あるものだと把握していてなお、破滅を選び続けるなんて、尋常な精神の持ち主ではあり得ない。

 

「貴女の利己的な判断でこれまでどれほどの命が喪われたのか、これから何が起きるのか、分からない訳ではないでしょう。何も想わないのですか?」

「貴女達にかけられた迷惑を思えば別に」

「我々もほとほと迷惑している」

「平行線ですわね。やはり貴女方月人とは建設的な会話ができる気がしません。……今日はもう疲れたので、また何か話したいことがあれば明日お願いしますわ。部屋の外に出てもいいと言うならその限りではありませんが」

 

 紫が呆れたように投げやりに言い放ち、席を立つ。もうこれ以上話すことなどあるまいと、拒絶を形にして示した。

 同じくしてサグメもまた息を吐いた。これで己が役目も終わりだろう。

 

 そして気が付いた。かの隙間妖怪が扉を前にして微動だにせず、不気味に此方を眺めていた。その意図が読めず、訝しげに睨む。

 

 紫は去り際に一言添えるつもりだった。

 これだけは伝えておかなければ気が済まない。

 

「貴女は大きな思い違いをしているようね」

「……?」

 

 

 ──決して侮ることなかれ。幻想郷の底力を。

 

 

「幻想郷を無礼(なめ)ないで貰いたい。決して貴女達にどうこうできるような易い場所ではないわ、彼処は」

「……ッ」

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 

 まず最初に燃え尽きたのは箒だった。

 次に三角帽子、エプロン、スカートと、魔理沙を象徴する物が核融合の波に消えていく。

 

 せめてほんの気休めにでもなればと、パチュリーとにとりによる水魔法のスペルが彼女の身体を覆っていたが、太陽との接触から数秒で蒸発してしまった。

 もはや魔理沙を守るモノは自前の魔力以外になく、その魔力も尽き掛けている。

 ただ、これら全て魔理沙の想定通りではある。

 

【頑張れ魔理沙! あと少しだ!】

【……】

 

 自分の身を守る為のリソースは最初から度外視しており、全ての魔力を太陽の中枢に近付く為の速度と、至近距離から撃ち込むラストスペルに割り振っていた。

 この戦いが終わった後、間違いなくただでは済まない。9割がた即死だろうし、命があったとしても地上に生還するまでに息絶えるだろう。

 それでも魔理沙は怖気付く事はなく、痛みと爆熱に悶えながらも一歩たりとて退かない。突破口は既に見えている。

 

(魅魔様が私を破門にした理由、もう少し早く気付けてれば何か違ったのかな?)

 

 フレアの嵐を突破。焼き焦げた腕で八卦炉を構えて、(中枢)へと向ける。

 もう少し、もう少しだけ近付ければ。

 

(私に見失ってほしくなかったんでしょう? 普通の魔法使いを志した理由を)

 

 魔理沙と空の距離は喪失し、拳一個の僅かな空間が占めるのみ。互いに意識は朦朧とし、身体の状態はもう機能していない箇所が大部分だった。

 だが戦意は失われていないかった。

 

 喉が焼き切れて声が出ない。

 それでも八卦炉は魔理沙の意思を汲んで最後のスペルの準備を整えてくれている。

 

(星を掴みたかった。それだけなんだよな)

 

 ──魔砲『ファイナルマスタースパーク』

 

 

 太陽を彗星が撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 星の戦闘センスは命蓮寺の妖怪達の中でも頭ひとつ抜けている。頭が切れるのもそうだし、窮地に陥っても獣の本能として備わった危機察知能力、毘沙門天の性質が他の妖怪達との明確な一線となる。

 そんな星に真っ向から勝負を挑んだ早苗の決断は、甚だ無謀という他ない。

 現にスペルの発動は間に合わず、眼前に突き出された宝塔から放たれるであろうレーザーは、今にも早苗の眉間を貫かんと瞬いている。

 

 星は勿論、ナズーリンも勝利を予見した。アリスでさえも苦虫を噛み潰したように顔を顰め、阻止に回るが遅すぎる。回避はもはや不可能だった。

 そして宝塔は発光し──血が滴る。

 

 宝塔が選んだのは早苗だった。故にその輝きは最後まで早苗を貫く事はなく、行き場を失ったレーザーは反対方向に撃ち出され、星の左肩を穿つ。

 星の中にあったのは絶望と納得。正義を見失った自分に対する仕打ちとしては妥当も良いところだろう。──だが、それでも負けを認める訳にはいかない。

 

 自らを貫いたレーザーをその手で掴み、肉の焼き焦げる感触をものともせず、早苗へと軌道を曲げていく。星の執念は毘沙門天の代理としての定めすら覆したのだ。

 刹那の早業故に早苗には何が起きているのかさっぱり分からない。彼女の中にあるのはたった一つ、渾身の一撃をぶつけることだけ。

 

「秘術『一子相伝の弾幕』ッ!!!」

「う、ぐぅ……! が……っ」

 

 スペルの効力が発生すると同時に星を象った無数の弾幕が展開され、至近距離であった為に余す事なく星へと殺到した。怒涛の攻撃は聖輦船を貫通し、星もろとも魔界の地へと叩き込まれた。

 と、同時にレーザーが早苗の額に到達。何かが焼き切れる嫌な音が響いた後、はらりと緑髪が舞い散り、血が噴き出す。白の巫女服が真っ赤に染まっていく。

 

 荒い息遣いのまま早苗は、墜落し、帆柱と船尾のへし折れた聖輦船を見下ろした。

 

「お師匠、さま……私、やりま……し……」

 

 意識を失い崩れ落ちた早苗もまた真っ逆さまに墜落を始めたが、すんでのところでアリスの魔法糸により地面との激突を免れる。すぐに容態をチェックするが、出血は少なく、命に別状はないだろう。

 安堵に胸を撫で下ろす。

 

「皮一枚傷が深ければ致命傷だったわね。なんて運の良さ……いや、幸運で片付けるには余りにも……」

 

 少なくとも、アリスには最後のレーザーの軌道は早苗の命を奪うに十分な威力と正確性があったように見えた。でも、そうはならなかった。

 被弾までの僅かな間に生じたズレは、まるで誰かが直前に割って入ったような。

 

「……いいものね。親の愛って」

 

 

 

 

 

 

 

 長期戦となれば敗北は必至だろう。妖夢は至極冷静に、そう判断した。

 

 元々から神子の情報処理能力には特筆すべきものがあり、自身と比べても恐らく10倍か、それ以上はあると見た。並列思考など朝飯前だろう。

 そして今、それとは別にさらに二つ、別個の意思を持つ弾幕の群れが展開されている。攻防一体の囲いは妖夢を封殺するには十分過ぎる手数になる。

 

 先ほどまでのような剣の腕に頼った戦闘を繰り返せば、瞬く間に袋小路となり詰むのは目に見えていた。しかし妖夢はそれ以外の方法を知らない。

 剣を振る事でしか窮地を打開する方法が見出せないのだ。

 変に策を弄するのは性に合わないし、逃げ腰になるなど以って他。深い事は考えず、奴に──奴等三人に刃を届かせればいい! 

 

「人鬼『未来永劫斬』──いざ」

 

 駆け出しの瞬発力は幻想郷においても比類なく、あの射命丸文を超えるスピードを誇る妖夢だが、矢弾の群れの対応は既に完了しており、神子には決して近付かせまいと言わんばかりに、眼前を覆い尽した。

 

 障害は全て叩き斬る。それだけだ。

 刃を抜き放ち、一太刀が雷ごと鏃を悉く両断する。間髪容れずして、残る炎矢が妖夢へと飛来するが、それらもまた全て両断された。本体ではなく背後に控えていた半霊によって。

 これで半人、半霊ともに居合は解かれた。

 

 居合の性質は既に見抜かれている。アレがトップスピードを維持できるのは刃を抜き放った直後の数瞬のみ、返す刀で同じように対応するのは不可能だ。布都と屠自古が作り出した道を、神子はただ征くだけである。

 

 ただし、妖夢が三太刀目の射程内に見込んでいなければ、の話だ。

 宝剣を掲げんとしていた神子の眼前に現れたのは、返す刀で斬り掛かってくる妖夢の姿。思わず冷徹な思考が乱れる。

 

 奥義『未来永劫斬』は超神速の抜刀術。

 そして魂魄二刀流の抜刀術は全て隙を生じぬ二段構え。

 

 初撃はそれ以降へと繋げるの為の、いわばカンフル剤としての役割を持つ異色の技だった。

 半霊の斬撃を踏み台にトップスピードそのままに接近されてしまえば、如何に神子といえど取れる手段は宝剣による受けしかない。

 

「な──!」

 

 フツ……と。

 泡が弾けたような、軽い音が霊廟に響いた。それが切断音であったとは斬られた本人である神子ですら、一瞬のうちでは気づけなかった。

 それほどまでに、その音は幻想的だったのだ。

 

 続いて乾いた金属音が二つ。

 その正体は楼観剣と、七星剣の刀身が床に落ちる音だった。互いの身を削り合い、ついには限界を迎えたのだろう。

 刀を振り抜いた体勢で立ち尽くす両者だったが、少し遅れて神子の首にもう一本の刀──白楼剣が添えられる。半霊が追い付いたのだ。

 

 神子はゆっくりと目を瞑り、荒れ狂う霊力を制止した後、投了の意を示した。

 

「刀一振り分、私の勝ちです」

「……参ったものだ。部下の手前、こんなところで負ける訳にはいかないのだが」

 

 言葉とは裏腹に清々しい様子でそう告げる。

 

「恐ろしい場所だな、此処(幻想郷)は。つくづくそう思うよ」

「そうでしょう。なので頑張ってくださいね」

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 

「おっ今日はもう終わりか。早かったな!」

「先日の二人に比べればまだ話ができる人でしたので。一応顔見知りだし」

「前は何時間も拘束されてたなそういえば。まったく、高貴な者の住まう場所と聞いていたが連中は常識も分からんらしい」

 

 随分と鬱憤が溜まっているのだろう、ソファーに座ったり立ったりを繰り返して落ち着かない様子を見せる天子さん。私と霊夢が留置室に押し込められてから数日遅れで追加投入された彼女だったが、やはりかの傑物にこの部屋は狭すぎるのだろう。

 まあ、私は特に不便していないので何とも思っていませんけどね! むしろディストピア感溢れるキューブ型の固形物が晩御飯で出てきた時なんかは心が躍ったものだ。味も悪くない。

 

 取り敢えず向かいのソファーに腰掛け、机の上の将棋盤に向き合い中断されていた対局を再開する。暇潰しに耐えかねて始めた遊びだが、今のところ天子さんの8連勝中である。強くなーい? 

 唯一時を持て余している霊夢は、ソファーに寝そべりながら何度目か分からない詰みへと向かっている盤面をジッと見ている。集中できないわ!(言い訳)

 

「幻想郷について何か言ってた?」

「異変やら月軍との戦闘でまだまだ大混乱中みたい。助けが来るのはもう少し先になりそうね。まあ気長に待ちましょう」

「随分と楽観的ね。仮に此処から脱出しても帰る場所がなけりゃ意味ないわよ」

「その時は天界に来るといいわ。ごちゃごちゃ言う奴はみんなぶっ飛ばしてやればいい!」

「天界に博麗神社は無いわ」

「無いから作ればいい。な、紫」

「うーん」

 

 霊夢と天子さんが何やら話し込んでいるが、私の耳には殆ど届かない。今はそんなことより目先にある劣勢の盤面をどう覆すかの方が大切なのだ。

 私達の待遇云々に関しては必死にもなるけど、幻想郷の話は基本無視でいいわ。

 

「幻想郷は問題ないわよ。唯一心配だった大結界の管理は滞りないみたいだし、世界そのものが壊れてしまわない程度に藍が調整してくれてるんでしょう。幻想郷を武力で制圧しようなんて無理な話ね」

「うーん、色々と厳しい気もするけどなぁ。ほたて頼りにならないし。あ、王手ね」

「天子さんは幻想郷に来て日が浅いし、霊夢は調伏する側だから分かりにくいかしら。幻想郷のことを想ってくれる人妖は結構居るのよ」

 

 脳裏に浮かぶのは頼りなる我が式達、なんだかんだで助けてくれる友人達、苦楽を共にした同僚達……彼女らが健在であれば幻想郷の危機などなんのその!ってAIBOが言ってた。

 そもそも私の存在の有無なんて幻想郷には何の関係もないのだ。この身では到底手の届かない次元での話なので気にするだけ無駄である。ってAIBOが言ってた!

 きっと余裕よ! 余裕余裕。

 オッキーナや正邪ちゃんも居るしね。何が起きてるかよく分からんけど死角はないわ! 

 

 それに、月に捕まった時はどうなる事かと思ったが、混乱とは無縁な場所でのそこそこ優雅な生活も案外悪くないものだ。霊夢は可愛いし、天子さんは面白いしね! 頭のおかしい月人達と毎日面談してるだけで三食出てくるなら安いもんよ! 

 生憎、狂人の相手は幻想郷での生活で慣れたものですし……(目逸らし)

 

 さて完全に詰んでしまった将棋の盤面から目を逸らし、今度はオセロの準備を始める。なお霊夢に対して12連敗継続中である。

 幻想郷に帰るまでに1勝くらいできるかしら? 

 




天子「このキューブ飯堅いしクッソ不味いな!!!将棋の駒にして遊ぼうぜ!!!」
霊夢「接待勝負ばっかでツマンネ」
ゆかりん「ルールなんも分からん」

AIBO(下手に脱獄計画とか立てられても絶対面倒になるから大人しくさせておきましょう)(幻想郷から飛んでくるSOSをシャットアウト)



地:おっきーに操られた者繋がり、劣等感を持っている者繋がり、ちっぽけな夢から始まった者繋がり→魔理沙と空

星:神仏関係で迫害されてきた繋がり、救いを求める・求めた者繋がり、救いを与える者繋がり→早苗と星

(いい具合に因縁ができてるな)

神:妖夢→?????????
神霊廟側はどっちかといえば華扇と娘々、芳香の因縁が先行してる部分あるから……。妖夢は別に悩みとか何にもないし、太子様は孤独じゃないからね。


1話で原作異変を三つ解決する二次創作は幻マジくらいだろうと、ギネス記録挑戦への伏線を張っておく。


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八雲紫の秘め事

戦闘続きだったのでほのぼの回。
ゆかりん最大の謎が今、明らかに──!


 

「姫様、あまり無理をなさらないでくださいね。この辺りだって他地域より安定しているとはいえ、まだ安全じゃ無さそうです」

「イナバが帰ってきてくれて助かったわ。付き合わせてしまってごめんなさいね」

 

 騒乱吹き荒れる幻想郷の中で唯一、大規模な異変や暴動の起きていない迷いの竹林は、深く静まり返っていた。朽ちた笹葉を踏み締める音ばかりが反響し、逆に耳が痛く感じる気がした。

 虫や鳥の声ひとつしない閑静な空間を切り裂くように、二人は早足で歩き続ける。

 

 従者として復活した鈴仙は、慣れない様子で歩みを進める輝夜へと憂慮の視線を向ける。主人は身体が弱いのだ、あまり激しい運動をさせるべきではない。

 永夜異変の爪痕も未だ残っており、土壌の凹凸は大きな負担になっているだろう。

 

 定期的に玉兎の無線を傍受する事で幻想郷での戦局を伝えつつも、頭の中では輝夜と自分にとって最も安全な立ち回りを模索する。輝夜には何やら企みがあるようだが、鈴仙にとってはいい迷惑だ。

 

「幾つかの異変はどうも解決されたみたいです。しかし依然幻想郷にとって厳しい現状のようで、妖怪の山と人里は陥落寸前、未だ主犯グループは健在と」

「好転の兆しがあるだけでも大したものよねぇ。月も結構本腰入れて攻めてきてるんでしょ?」

「元同僚の殆どが駆り出されてますね。やっぱり結構死んでるみたいですけど」

「可哀想に。これ以上無駄に殺させない為にも頑張らなきゃいけないわね」

 

 鈴仙の予想通り、輝夜は異変に介入する気満々のようだ。露骨に嫌な顔をした。

 玉兎隊の悲劇だって幻想郷で起きている出来事の一部でしかないのだ。解決された異変だって事態が安定に向かっているわけではなく、派生して新たな異変が引き起こされようとしている始末。正直、とてもじゃないが収拾がつくようには思えない。

 その中で唯一平和なのといえば妖精界隈くらいか。異変時には凶暴化して見境無しに襲いかかってくる連中だが、今回は何故か大人しい……というか、姿すら見かけない。死滅してくれたのなら面倒がなくて良い事だ。

 

「あの……今のうちに師匠達と合流して幻想郷から逃げちゃいませんか? 厄介な賢者どもは互いに殺し合うので忙しいみたいだし、チャンスかも」

「それは名案ね。だけどその前にちょっとやらなきゃいけない事があるの」

「最後のチャンスかもしれないのに!?」

「でもこのまま蚊帳の外では居られないわ。放っておいたら多分月の都が滅んじゃうでしょうし、救済の道は多ければ多いほど良い」

「……やはり姫様は月人の味方なのですか?」

「いいえ? 私の味方は永琳とイナバ達だけよ」

 

 そもそも月人からして、輝夜の存在は禁忌の部類だろう。犯した罪と、保有する情報が月にとってあまりに不都合過ぎる。故に、天地がひっくり返ろうと輝夜が再び月の側に立てる道理は無い。

 それに輝夜は地上を愛している。潔癖主義者達の意見に合わせてなどいられるか。

 

「逆にイナバはどう? 貴女の心は未だ月に在るのかしら」

「それは、まあ。故郷ですから心を完全に切り離す事は一生できないと思います。でも地上に骨を埋める覚悟は……多分、できてます」

「住めば都ですものね。大切な人が沢山できて、自分の為すべき役割を見出せたなら、きっと"終わり"は怖くない」

「姫様に終わりなんてないじゃないですか」

「それは貴女も一緒よ」

「へ……? は、はぁそうですか」

 

 輝夜との会話はいつも楽しくて仕方が無い筈なのに、今日は何故だか身が竦むような恐ろしさを感じた。永琳に叱られている時よりも心が苦しくなるような、そんな感覚。「今日は暑いですねぇ」なんて言って誤魔化しながら冷や汗を拭う。

 

「冥界暮らしは楽しかった?」

「……新鮮ではありました」

「そう。ならイナバはもう寂しくないわね」

「あの、姫様。もしかして……」

「うん?」

「なんでもないです!」

 

 鈴仙は慌てて目を逸らした。

 久々に会えたと思えば一風変わった問答ばかりで、近況やら心境やらを何かと気にしているように思える。これはつまり、みんなと離れている間、とても寂しかったのだろうと勝手に解釈した。

 鈴仙の知る輝夜は永琳から片時も離れない箱入り姫様。急な環境の変化が御身に堪えたのだろう。鈴仙は涙ちょちょ切れた。

 

 と、輝夜は足を止めて折り重なった竹林の先を見遣る。相も変わらず汚らしい掘っ立て小屋(輝夜比)を前にして思わず嘲笑が込み上げた。

 だが今日は此処に住む蓬莱原人を嘲笑いにきたのではない。

 

 耳を澄ませると、何やら幽かな、それでいて楽しげな話し声が聞こえてくる。孤独を好む(コミュ障インキャ)妹紅にしては珍しく来客があるようだ。

 輝夜と鈴仙は顔を見合わせる。

 

「どうやら留守ではないみたいね。イナバ、妹紅を呼んできて。私が行っても多分無視されちゃうだろうから」

「分かりました。……喧嘩は絶対に駄目ですよ? 今は師匠が居ないですし」

 

 

 

「はぁい久しぶり。少し見ない間に随分と陰気臭くなったねぇ。いや元からだったかしら」

「黙れ。なんか用があって来たんだろ? 話したらとっとと帰れよ。私はテメェみたく暇じゃないんでね」

「あら今日は随分と優しいのね、いつもなら問答無用で仕掛けてくるのに」

「お前に構ってる時間が惜しいだけだ」

 

 いつもの舌戦に呆れ返りつつも、鈴仙は密かに眉を顰めた。八雲紫に心を壊されてしまった事で不安定だった妹紅の波長が、非常に安定しているのだ。それどころか、不倶戴天の敵である輝夜を目の前にしても穏やかなままで、逆に不自然なまであった。

 当然、数百年来の付き合いである輝夜も同様の違和感には気付いているだろう。

 

「あの、妹紅。なんか最近良い事あった?」

「いや特にないが……? そう言う鈴仙ちゃんの方こそ、良い事があったように見えるけどな。それに引き換え、輝夜のしみったれたツラは相変わらずだが」

「スキマ妖怪に敗北して心だけじゃなく目まで腐っちゃったみたいね」

「……冷やかしに来たならもう十分だろ。帰ってくれ」

 

 煮え切らない様子でそんな事を言う妹紅。輝夜と対峙してもなおこの調子なのは、彼女を知る人間からすれば信じられない事態だった。

 藤原妹紅という存在の精神性は、人間を超越していると断言できる。人の身で蓬莱の薬を口にしたのだ、並大抵の精神攻撃など簡単に跳ね除けてしまうだろう。

 それだけ、八雲紫に植え付けられた『呪い』──若しくは『記憶』とは、根深いものだろう。その正体を輝夜はよく知り得ていた。

 だがこれでもまだマシなのだ。

 

「ええそうね。互いに永遠を生きる身ではあるけれど、今日この日ばかりは一刻すらも愛おしく思える。そうでしょう?」

「……」

「安心して、大事な客人との時間は取らないわ。聞きたいのはたった一つのことだけ」

 

 鈴仙は波長を介して緊張の高まりを感じ、冷や汗を拭う。肌が泡立つ。静寂が耳を引っ掻き回すように喧しい。

 此処から先の話題は妹紅の地雷であり、輝夜が害される確率が大幅に上がる。その時は再度、妹紅の心を折るために動かなければならない。

 

 やがて輝夜はポツリと呟いた。

 

「今から800年ほど前、貴女はこの竹林で一人の人間、そして一人の妖怪と邂逅した。片方は『メリー』と名乗り、もう片方は『八雲紫』と名乗った」

「……」

「その時なにが起きたのか、それが知りたいの。詳細を思い出す必要はないわ。簡単に教えてくれるだけで十分」

「輝夜、お前どこでそれを」

 

「ッ、姫様!」

 

 胸へ手刀による抜き手、一突き。

 輝夜の心臓へと向けられたそれは鈴仙の咄嗟のホールドによって阻まれ、すんでのところで命を拾うことになる。だが明確な殺意を纏ったそれを留め続けるのは困難であり、鈴仙の顔が苦悶に歪む。

 永遠の性質を持つ焔に巻かれてしまえば、如何にタフな妖怪といえど重傷は避けられない。

 

「ここから先の言葉は慎重に選べ。……それを知ってどうする?」

「さあ、内容によるわね。答えを聞かないと行動に移せないもの」

「なら八雲紫本人に聞けばいいだろ」

「世間知らずね。あの妖怪はいま幻想郷に居ないわ。それに大した回答があるとも思えない。実際、貴女もそうだったんでしょう?」

 

 苦虫を噛み潰したように顔を顰めると、鈴仙の腕を何度か叩く。そして拘束から解かれた妹紅は数歩後退して、ガシガシと頭を掻いた。

 輝夜の言う通りだ。あの女に見透かされていたのが悔しい。

 

 永夜異変の際、妹紅は紫へと問い掛けた。『あんなに悦びながらメリーを殺したのに、忘れてしまったのか』と。そうだ、確かに明確な答えは得られなかった。急に苦しみ出して逃げられたのだ。

 自分(妹紅)とは初対面であると言い放ち、さもすっとぼけたように人間の巫女と仲良さげにしていた様を思い出す。あの姿に燃え上がるような怒りとともに、えも言えぬ嫌悪感を覚えたものだ。

 

 漸く記憶に蓋をできたと思えばこれだ。よくよく考えれば八雲紫と思わぬ邂逅を果たしてしまった時もそうだった。忘れた頃に忍び寄ってくる忌々しい影。

 

「聞く価値もないつまらない話なんだけどな」

「それが重要なのよ。あまりに突拍子もなく起きた些細な事だからこそ、今の今まで誰も気が付けなかった」

 

 唯一の生き証人は藤原妹紅ただ一人。

 

「私の知る流れが大きく狂い始めたのは妹紅の目撃した出来事の後から。貴女の見届けた『死』が恐らく転換点になっている。教えて頂戴、退屈でつまらない話を」

「……馬鹿馬鹿しいな。聞いたらさっさと帰れよ」

 

 これで3回目の「帰れ」である。

 妹紅は青竹にもたれ掛かると、さも平静を装い、しかしやはり落ち着かない様子で語り始める。

 

「なんて事のない話だ。竹林をほっつき歩いてたら偶然メリーに出会って、なんでか意気投合して、そしたらいきなりあのスキマ野郎が現れて、私を消し飛ばした後メリーを喰っちまった。再生(リザレクション)した頃にはどっちの姿もなくて、残されてたのは血塗れの毛髪と衣服、そして変なメモだけだったかな。それが全てだ」

「心を砕かれたにしては嫌に曖昧ね?」

「そりゃ、顔面をぐちゃぐちゃにされてたからな。奴がメリーをどうやって喰ったのかは知らんが、断末魔と咀嚼音、そして八雲紫の狂ったような笑い声だけで何が起きたのかは……っ、すまんちょっと待ってくれ」

 

 話を進めるごとに妹紅の顔が真っ青に染まっていき、最後には口元を抑えて蹲ってしまった。慌てて鈴仙が介助に入るものの、それは当の妹紅によって制された。

 歯を食いしばり、痛む頭を掻きむしる。

 

「メリーが残したメモはどうしたの?」

「慧音に無理やり取り上げられた。確か聞いた話じゃ、そのあと稗田家の手に渡って幻想郷縁起の原本と一緒に仕舞われてるらしいな。この世の物ではない材質とインク、ついでに書かれてた内容が……」

「時代錯誤だったから、でしょ?」

「既に見てたのか」

「幻想郷縁起に載ってたわ。あのメモの内容は少なくとも800年前の地上には存在してはならないものだった。しかし月の文明と比較するなら遅れ過ぎている。──いずれにしろ、その時その場に居ていい人間ではなかった」

 

 幽霊とはまた違う、この世ならざる者。

 故に八雲紫に目を付けられたのかと考えるのが普通だろうか? 事実、今の()()はともかくとして、800年以前の八雲紫は地上の秩序を重んじる傾向にあったようだ。

 だが古明地さとりの想起でメリーの姿を確認し、とある可能性に行き着いた。

 八雲紫の思惑が予想通りであるのなら、彼女ほど自己犠牲と自己愛に塗れた妖怪は居ないだろう。

 

 ともあれ得るべきピースは揃った。

 

「忙しいところ邪魔したわね。珍しく建設的な話が出来て満足よ」

「暫くテメェの顔は腹一杯だよ」

「イナバ、行きましょ」

「あっはい!」

 

 もう妹紅は不要だ。聞きたかったのは八雲紫がメリーをどのように扱ったのか、その点のみ。妹紅から得られるそれ以上の情報はないだろう。

 そもそも今回の一連の異変に関わるつもりは毛頭ないようだし、無理に参加させても足手纏いになるだけだろう。慧音のツテで人里の防衛に力を貸すことがあってもその程度だ。

 今の妹紅では大した影響力は持てない。だからこそ稀神正邪も彼女をほったらかしにしているのだと、容易に想像がつく。故に用無しだ。

 

 と、鈴仙を伴い永遠亭に戻ろうとしたところ、ある点が脳裏を過ぎり踵を返す。そしてちょうど掘建小屋の戸に手を掛けた妹紅を呼び止めた。

 

「そういえば、一つ不自然に思ったのだけれど」

「……なんだよしつこいな」

「貴女、トラウマになるくらいその時の光景を鮮明に覚えている癖して、八雲紫とメリーの姿形を見比べて何も思わなかったの? 普通、何か思うところが出てくる筈じゃない? ()()()とか」

 

「お前……何を言ってるんだ? ある筈ないだろそんなもん。得体の知れない化け物と、普通の人間だぞ?」

 

 

 

「いやぁ妹紅が少しだけ元気になってて良かったですね姫様! 私は酷い目に遭いましたけど!」

「うーん……別にぃ」

「そんなこと言って姫様喜んでるじゃないですか」

「今日は善い日だからねぇ。幻想郷には悪いけど、退屈な日々が漸く終わりそうでちょっと心が躍っているわ。収穫も沢山ありそうだし」

「私には姫様が何を成されようとしているのかチンプンカンプンですけどね。確かに八雲紫の一件は私も興味深かったんですけど、果たしてこれが本当に月を救う事に繋がるんですか?」

「大いにね。……まあ判らない事も掘り返しちゃったけど」

 

 気になる点は幾つかあるが気にかける程のものではあるまい。それよりも今は目先の異変をどうにかしなければ。

 段取りは既についている。

 

「確かにここは一つ、貴方の言う通り幻想郷から出るべきかもしれないわね。流石はイナバ、先見の明があるわ」

「へ?」

「永琳と合流したら直ぐ出立できるよう、準備をお願いしてもいいかしら?」

 

 まさか自分の意見が通るとは思わず呆けた鈴仙だったが、あの姫様が自分を認めてくれたような気がして自尊心が高まっていく。

 案を出すたび永琳に論破され詰られまくっていた事で枯渇しかけていた自信が湧き出てくるようだ。ウサ耳が挙動不審に揺れる。

 

「ま、まあ姫様達の事を想っての考えでしたので先見の明というほどには……」

「本当にありがとうね。久しぶりの故郷だからって道草食っちゃ駄目よ?」

「はいッお任せください! ──…………ん?」

 

「永琳は同胞殺しの第一級犯罪者だし、私は都から永久追放されてるから里帰りできないのよね。本当に助かるわ」

「え?」

「逃亡罪程度なら多分即死刑にはならないだろうし上手く立ち回って頂戴ね。一応減刑してもらえるよう永琳に一筆書いて貰うから。きっと効果があるわ」

「え?」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 同時刻、紅魔館の接待バルコニーでは幻想郷の命運を左右する説得が行われていた。

 

 眼下では水没した一階部分にて、押し寄せる草の根妖怪達と純粋な技による防衛戦を繰り広げる美鈴の姿が確認できる。騒がしい事この上ないが、それよりも眼前での口論の方がある意味で危機的だった。

 丸テーブルを三人が囲んで各々意見を交わす。咲夜の代わりに小悪魔が随時紅茶を継ぎ足しているが、そのペースは早まるばかりだ。

 

 うち一人、紅魔館の預かりとなっている八意永琳は眉間に皺を寄せ、首を振る。

 

「……それは真実なの?」

「本当さ。残念ながら、私達の数千年に渡る心労は杞憂に終わっていたって事。さとりにドレミー、姫様も認めてる」

「その件については私も保証するわ。少なくとも今の段階ではね」

 

 てゐが即答し、レミリアが根拠を補強する。

 永琳は間違いなく世界一の知恵者ではあるが、それでも見聞きしていない事象を把握するほど情報力には優れていない。その点では目の前の二人に軍配が上がる。

 しかしそれでも、俄には信じ難い。

 

「アンタの気持ちは分かるよ永琳。数万年来の悲願が既に達成されていたなんて、そんなの簡単には受け入れられないよね。ゆっくり飲み込んでおくれ」

「……」

 

 紅茶を一気に飲み干して、椅子にもたれ掛かる。

 騒がしい戦闘音も何処か遠い世界での出来事のように思える。

 

 

「八雲紫は、()()()()()()()……?」

 

 

 無言は肯定を示す。てゐも、レミリアも、当然のこととして一言も発さない。唯一側仕えの小悪魔だけ「うそぉぉ!?」と喚いている。五月蝿い。

 

「さとりから詳しくは自殺じゃないかと聞いてるけどね。まあ死因は今はどうだっていい。一番の疑問は、あの紫……お前が一度殺した筈の存在がなんなのか、でしょ?」

「……確かに、天地開闢前に見た頃とは外見以外がかなり違っているのは明らかだし、力は見る影も無くなっていた。ほぼ別人だと考えていたけれども」

「そう別人だ。アレは八雲紫であっても『八雲紫』ではない。世界を破滅へと導く存在は、とうの昔に滅んでいた。今いるのはその抜け殻さ」

 

 僅かな静寂。この答えが指し示す未来を、永琳は万が一にも間違えのないよう、ゆっくりと吟味していた。

 あり得るのか? そんな事が。しかし賛同している面子を鑑みれば冗談や嘘、短慮な考察で済むとは到底思えない。

 答えは得られた。未来が拓けた。

 

「それで貴女(レミリア)の出番ってこと」

「私も不思議に思っていたものでね。滅びを辿る筈だった運命の残骸が、私には生まれた時から見えていた。その分岐は私が生まれるずっと前に終わってしまっていたけど、紫が今と変わらないうちは問題ない」

 

 そう、今と同じでないといけない。

 抜け殻は残骸だ。力を持たない脆弱な存在。だが八雲紫であることに変わりはない。それにレミリアの観測した運命を書き換えてしまったり、しぶとさは健在のままであったりと、今なお謎な部分が多い。

 何がきっかけで元の『八雲紫』が顔を出すのか、想定すらできない。アレが死ぬたび、紫擬き(AIBO)がフォローに回っているのは、つまりそういうことだ。

 

「八意永琳、これは警告よ。紫が今のままであるうちは、手を出すべきでない。どうせ殺せないのは同じだし、それなら存分に利用するべきよ」

「そしてこの異変を引き起こした首謀者の一人である摩多羅隠岐奈は、その方針を良しとせず『八雲紫』の殺害に拘っている。奴はあくまで万全の紫と雌雄を決するつもりなんだと思う。一歩間違えれば世界を巻き込む自殺になりかねない」

 

 レミリア、てゐ。両名に情報を与えたのは古明地さとりであり、孤立するさとりに情報の確証を与えたのはドレミーと輝夜。見解の一致による補強を行ったのが摩多羅隠岐奈と紫擬き。

 錚々たる者達の紡いだ歴史が解き明かした。

 

 しかしそれでも永琳の心に燃え上がるのは屈辱、空虚、そして焦りであった。

 八雲紫に踊らされたのはこれで三度目だ。ハナから因縁が存在しなかったのだとしても、この憎しみの向かう先は変わりそうにない。

 そして同時に、月に居る者達を案じた。

 かつての弟子達の性分は良く心得ている。八雲紫を手中に収めた彼女らが何を為そうとするかは火を見るより明らか。

 

 生かすべきか、殺すべきか。

 選択を誤れば繋がった未来が潰える可能性は十分にある。輝夜の意思を尊重すべきだろうが、やはり確証が得られないことには……。

 

「行っていいわよ永琳、紫には私から言っておくから。そもそも監視役の幽香もどっかに行っちゃったしね。貴女がどう動こうが私から咎める事は何もない」

「一応私もさとりから外出の許可は貰ってるよ。鈴仙は知らんけど」

 

 永琳の胸中を察したレミリアは逐電を勧めた。彼女の辿る運命を尊重したのだ。

 いま思えばよく尽くしてくれたものだ。咲夜との関わりを見直させる為に館に置いていたが、副産物としてフランドールの精神状態は著しく改善したし、パチュリーの喘息も完治した。上々だ。

 

「……貴女の決断に深く感謝する。娘の件も含めて、いつか借りは返すわ」

「そういうのはいらんいらん。そこの兎も連れてさっさと行きなさい」

「行きましょうてゐ。貴女と一緒なら変に足止めを食らうこともないでしょう?」

「運が良ければ、ね。姫様の所に行くの?」

「当然」

 

 厄介払いできて清々したと言わんばかりに手を翻す。永琳は一瞥して、てゐと共にバルコニーから飛び降りた。向かう先は迷いの竹林、その中にある永遠亭。

 残されたレミリアは、小悪魔へおかわりの合図を送りながら、やり切ったように息を吐いた。今回の異変、持て余している連中を送り出してあげる以外に自分が為すべき役割は殆ど無い。

 

 と、永琳達と入れ替わるようにバルコニーへの来訪があった。視線を向けるとそこには、ずぶ濡れで息を切らすパチュリーの姿。水没した図書館で色々奮闘していたのだろう。

 定位置であるレミリアの対面に腰掛ける。

 

「あらら。新しいお召し物を用意しますねー」

「あとベッドも。ちょっと休むわ」

 

 事情を察した小悪魔はそそくさとその場を後にし、パチュリーはぐったりと項垂れた。そこそこ消耗しているようだった。

 いつもなら疲れない程度で手を引いてしまう筈の彼女のらしからぬ姿に、レミリアはほんの少し言葉を選びながら笑いかけた。

 

「随分と頑張ってたみたいね。無事、地底での異変は解決できたかしら?」

「ええ……解決はしたわ」

「お疲れ様。力の出せない状態なのに無理言って悪かったわ。ゆっくり休んで頂戴」

 

 滴る水を見かねてハンカチを渡した。

 そしてほんの一呼吸置いて、素気なく言う。

 

「魔理沙の件は、残念だったわね」

「別に」

 

 濡れた顔を何度も拭う。

 レミリアはそれ以上何も言わず、居心地の悪さを押し流すように紅茶を煽る。

 

 案じずとも結果は分かっている。

 咲夜はまだまだ時間が掛かるだろうが、今この瞬間にも異変のターニングポイントとなるべき出来事がどんどん起きている。わざわざ月で奮戦してまで魔理沙と妖夢にきっかけを作ってあげたのだ、やるべき事はやってもらわねば困る。

 

 問題はその後だ。

 異変がどう転ぼうが、()()()()()()()()。いかなる選択肢からでもこの未来に直結しているのだ。

 避けようが無い未来。それこそ月の都が紫に対して抱いていた恐怖とは別ベクトルではあるが、同じようなものだろう。

 

 だからこそ、今の状況は非常に出来すぎているとレミリアは考えている。

 運命を打破せしめた二人+αが力を温存した状態で月に待機しているのだ。レミリアに出来ることは何もない。今はただ、次に備えるだけ。

 

「……やるせないわね」

 

 納得できない鬱憤が込み上げる。

 

 咲夜は浮遊する城に控える賢者を討つ為、死闘を演じるのだろう。パチュリーは虚弱な身体を酷使して、友の夢の果てを見届けた。

 永琳は自らの思惑を捨て去って表舞台へと駆け上り、幽香は後戸を見つけるや否や賢者の罠へと身を投じた。

 紅魔館に属した者達が戦っているというのに、当主である自分は何もできない。かつて突き付けられた敗北とはまた一風変わった屈辱。あまりに耐え難い。

 

 くはりと、鬱憤を吐き散らす。

 やはり大局を見据えて構えているのは性に合わない。損な役回りばかりを強いられる自らの運命に辟易とするレミリアだった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 敢えて言おう。

 運命だの定めだの、そんなものはクソであると。

 いくら占いめいた事を宣おうと、私の心にはほんの少しだけしか響かない! だって目に見える形で出されてないもんね! 

 あっ、ちなみに言うと別にそういう予言だとかオカルティックな事を信じてないわけじゃないのよ? ただこれらの単語を吐いてる連中に碌な奴が居ないだけで。レミリア然り、いつかの易者然り、目の前の敵然り。

 

 とまあ、なんで私ことメルヘン大好き紫ちゃんがやさぐれているのかと言うと、目の前に座る不倶戴天の敵さんが「運命やら未来がどうのこうの」と怒鳴り散らかしているからだ。月の連中って科学が発展してる割には、幻想的な概念が根付いている思考スタイルみたいなのよね。タチが悪過ぎる。

 

 殺気が充満する部屋に閉じ込められて早3時間くらいかしら。ほぼ日課になりつつある月人三人衆との尋問であるが、そろそろ本格的に嫌気が差してきた。

 基本、尋問官は綿月姉、綿月妹、サグメさんの三パターンだが、その中でのぶっちぎり一番のハズレが常時怒り心頭な綿月依姫である。

 とにかく面倒臭いのよね。しかも威圧してくるし、脅してくるし、何より怖いし。

 あと言ってる事も全く訳分からん! 私たち地上人とはまるっきり思考回路も価値観も異なっているのが実感できるわ! 

 

「いいか八雲紫、これは私からの最大限の譲歩です。私と決闘しなさい。貴女が勝とうが負けようが、幻想郷で暴れている部隊には停戦命令を出すし、霊夢含め貴女以外の者達は地上に帰そう。──さあ剣を持て」

「お断りいたしますわ」

「ぐっ……! この卑怯者め……!」

 

 隙あらば私を断頭台へ送り出そうとする提案に即ノーを突き付けてやった。

 見え見えの挑発に乗るような真似はしないわ。それこそ月人の思う壺だろう。きっと私からの同意がないと手出しできないんでしょうね。霊夢や天子さんが睨んでくれてるおかげだ。

 ていうか、まず前提のルールからして私が勝とうが月からは出してくれないのよね。そんなふざけた話があるもんですか! ていうかそもそも勝てるか! 

 

 とまあこんな感じで、依姫との対話は色々と最悪なのである。次に嫌なのは姉の豊姫ね。高圧的ではないんだけど兎に角話が長いのよ。ホントマジで。あと幻想郷で襲撃された時に太腿を撃たれた恨みは忘れてないわ。

 つまり消去法で一番マシなのはサグメさん。定期的に私に自殺を勧めてくるけどそれ以上は求めてこないからね。月人らしからぬ優しさにゆかりんほっこりよ。ここ最近は見ないけど。

 

 この地獄の尋問の救いはタイムリミットが設けられている事である。というのも、どうやら外ではHEKA一派が大暴れしているらしいのよね。よって私一人に構っている暇はないんだそうで、玉兎からの連絡が入り次第バタバタ中断して出ていっちゃうのだ。

 そんなに忙しいなら無力な私なんかさっさと解放して、他の脅威に立ち向かえばいいじゃんって思うでしょ? 私もそう思う。

 

 今回も途中で呼び出しが入った事で、依姫は苛立たしいといった様子で部屋を出て行ってしまった。当然、捨て台詞の殺害予告も忘れない。「おとといこいや!」の意を込めて中指を立てておいたわ。ふぁっきゅー! 

 

 

「いま戻りましたわ……って、珍しいわね二人がお茶会なんて」

「部屋でやれる事はあらかたやり尽くしたからな。次にやりたい事が見つかるまで大人しく談笑に耽るのも手だろう。偶にはね」

「別に大した事は話してないけど」

 

 這う這うの体で監禁部屋に戻ったところ、霊夢と天子さんが向かい合って何やら楽しそうに話していた。机上には玉兎に持って来させたのであろう飲み物と、テーブルゲームの残骸が散らばっている。

 退屈ここに極まれりってやつね。

 

 ちなみに霊夢と天子さん、幻想郷で顔合わせした時とかはかなり険悪な仲だったんだけど、恐らく月面戦争や監禁を通じてかなり改善しているみたい。二人が仲良くしてくれるのは私としても嬉しいわ! 

 いくら苦楽を共にしても一向に仲が拗れたままの関係なんて沢山あるものね。天子さんと藍とかさ! あっ、胃痛の音。

 

 しかしそれにしてもよ、うら若き乙女のガールズトークですって? ふふふ……実は私、そういうのに憧れてたりして。

 それとなく椅子に座って自然な合流を試みてみる。

 

「どんな話をしていたのかしら?」

「んー……霊夢の言う通り大した事じゃないよ。今までにぶっ倒してきた妖怪の話が主だな。あとはあの馬鹿狐の事とか、幻想郷最強決定戦についてとか」

「そ、そうなの」

 

 ガールズトークか? これが……。

 藍に対しての陰口とかって話なら確かに女子が話してそうな事ではあるかもしれないけど、それは私の理想とは少し違うわ……! 

 

 うら若き乙女が話す事といえば──そう! 

 恋バナである。

 

「そんな物騒な事よりもっと楽しいことを話しましょう。そうねぇ……ところで二人はどんなタイプの人が好みなの?」

「なんだいきなり。急だな」

 

 キョトンとする天子さん、あからさまに嫌そうな顔をする霊夢。大体予想通りの反応だ。

 色恋沙汰っていうのは乙女たるもの幾つになっても燃え上がるものなのよ。知らんけど。それに霊夢くらいの年頃の女の子は特にそういう話には敏感な筈なのだ。私と天子さんは知らんけど! 

 

 一回やってみたかったのよね、こういう話! 幽々子は全く興味なさげだったし、萃香と藍はね、なんか話が生々しいのよね……。傾国怖い……。

 

「うーん別にこれといって、そういうのはないなぁ。婚姻関係を結ぶにあたる最低条件みたいなものはあるけど」

「どんなの?」

「私より強くて偉くて、ついでに面白い奴!」

「……」

「……」

「ちょっと、お前らなんだその目は! そっちが聞いてきたんでしょ!?」

 

 返答に困る私達に顔を真っ赤にしながら抗議する天子さん。申し訳なく思うけども、コメントしようがないのよ……! 

 ていうか天子さんってめたくそ強くて唯我独尊タイプなんだから、その基準だと一生独身なのではなかろうか。

 あとなんだかんだ話に乗り気な霊夢可愛い。

 

「私は話したぞ! ほらお前らも話せ話せ!」

 

 霊夢と顔を見合わせる。

 顎を遣って先を促してくるが、私は首を振った。霊夢をトリにしちゃうと絶対はぐらかされちゃって話が有耶無耶になるに違いない。逃さないわよ! 

 私と天子さんでがっちり囲んでいれば霊夢もきっと根負けする筈。密室で逃げ場がないしね。

 

 やがて霊夢は呆れたように息を吐く。

 

「いい年した連中が何やってんのよ……。まあ別にいいけどね、減るもんじゃないし。好みのタイプでしょ? それなら……美形なのが良いわね。あと金持ち」

「そういえば貴女って面食いだったわね」

「私より俗っぽくないか?」

「黙れ」

 

 睨む霊夢にカラカラ笑う天子さん。若干空気がピリついてきたわね……。

 ちなみに霊夢が面食いであるのは結構前から知ってた事だ。霊夢の髪が紫色で、色々と危うかった頃とか特に顕著だったわね。イケメン女剣士さんを地中に埋めて、顔だけ出しての鑑賞会とかやってたし。

 

 まあどんな金持ちのイケメンを連れてこようが結婚なんて私が絶対に許しませんけどね! 

 あんまり親面しすぎると前みたいに怒られちゃうから心の中に留めておくけど。

 

 さて曲がりなりにも二人の好むタイプが判明したところで、視線が私へと集中する。まあ私から言い出した事だし、私だけ秘密って訳にはいかないわよね。

 うーん……いざ考え直してみると中々思い浮かばないわね。そう、私は恋に恋する乙女なのである! 恋愛経験無し! プライベートで話した異性は妖忌と霖之助さんのみ! しかも妖忌は既婚者だし、霖之助さんは霖之助さんだから……。

 姿形にも拘りなんかないから、強いて言うなら内面かしらね。

 

 取り敢えず良い感じに思える要素を適当に挙げていきましょうか。

 

「理知的で聡明。それでいて明るく活発的で私の手を引いてくれるような人、かしら」

 

 ほら私って大賢者でしょ? ならグイグイ引っ張ってくれる優秀な参謀的な存在が居てくれるととっても頼もしいなって。要するに私を楽させてくれる人ね。

 まあ藍が居てくれてるけど、あの子は何故か受け身なところがあるから。

 

「他にも少々ズボラなところがあってくれると、愛嬌があっていいかもね」

 

 ギャップ萌えってやつね! それに相手が変に完璧過ぎると私が死にたくなっちゃうから、時には二人でダラダラできればそれでヨシ。趣味も合うなら尚更ヨシ! 

 

 あとは……強いて言うなら──。

 

「何よりも、私に最期まで一途でいてくれる人。最悪これだけ満たしてくれれば私は満足ですわ」

 

 にっこり微笑みながらそう告げる。

 これはホントに切実な想い。要するに裏切らないでね♡ってこと! 裏切りは嫌だ裏切りは嫌だ裏切りは嫌だ裏切りは嫌だ……。(トラウマ想起)

 

 とまあ、本邦未公開な私の秘密を赤裸々に打ち明けた訳だが、対して霊夢と天子さんの反応は微妙そのものだった。固く結ばれた口から反応が出てくる事はなく、痛いほどの静寂が私の耳を引っ掻き回す。

 おかしい……かなりスタンダードな内容しか語っていないのに何故こんな事になってしまったのか。ゆかりん泣いちゃう。

 

 結局、この静けさは次の尋問が開始されるまで継続される事になる。豊姫の長ったらしい話がまるで福音に聞こえるような、そんな気がしたとかしないとか。

 

 死のうかな。






ゆかりん「具体的に好きなタイプと言われても私、霖之助さん以外の男を知らないのよねぇ……」
霊夢「!?!!?!?!?!!!!?!??!?」

幻想郷でみんなが死に物狂いで戦ってる中、ぬくぬくと恋バナを楽しむ乙女三人の図。やけに乙女押しするゆかりんにドン引きしながら書いてました。

もこたんと姫様の殺し合いは定期的に行われてるけど、実力差がありすぎるので大抵一方的な虐殺になってしまうそうな。当然永琳がそれを良しとする筈もありませんが、輝夜のガス抜きになってるそうなのであまり強くも制止できず……。

あとゆかりんに勝つ為に何百年も血の滲むような鍛錬し続けたのに全く相手にしてもらえないよっちゃん可哀想……。(現状)幻マジ史上最強の宿敵なのに……。


輝夜、さとり:ゆかりん=紫=メリー
もこたん  :ゆかりん=紫≠メリー
こんな認識みたいです。実はこれ、幻マジの勘違いタグに結構深く関わってくるギミックだったりします。クソ雑魚ゆかりんが大物ムーブで生き残れたのにはちゃんとした理由があったんだよ!!!
ΩΩΩ<な、なんだってー!?


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fairy dance prayer

AIに土下座するゆかりん描いてもらおうとしたけどダメでした。更なる発展が待たれる。


「一体何がどうなってんの?」

「そんなこと私が聞きたいよ……」

「鈴瑚が参謀でしょ!? 分からないって、そんなの無責任過ぎるでしょうが!」

「総司令官がそれを言っちゃいかんでしょ」

 

 甲高いだけの迫力のない怒号に側仕えの玉兎達は眉を顰め、鈴瑚は目と耳を塞いだ。

 簡素な陣幕には似つかわしくない派手派手しい軍服が忙しなく震えている。優雅なランチタイムを穏やかな胸中で迎えようとしていた清蘭にとって、その報告はあまりにショッキングな内容だった。

 何の為に掛けているのか分からない伊達メガネを机に勢いよく叩きつける。

 

「山中の妙な建物に立て篭ってる連中はみんな虫の息なのに、何で殲滅できないどころかこっちの被害が大きくなってきてるのさ!?」

「抵抗の激化もそうだし、何人か腕利きの傭兵が入城したみたい。あくまで延命程度の微々たる効果しかないだろうけど、私らにとっては厄介だ。なんたって此処で終わりじゃないからね」

「そうだよー!」

 

 妖怪の山はあくまで通過点でしかない。橋頭堡を築いたらすぐにでも幻想郷の制圧を開始しなければならないのだ。

 こんな所で足止めを食らうなど以ての外。

 

「優しい豊姫様や無口なサグメ様はともかく、依姫様に知られたら地獄だよ地獄! まあ私は昇進したから多分大丈夫だけど」

「降格したらみんな同じだよ」

「ハッ、言われてみれば!?」

 

 清蘭と鈴瑚は元々綿月隊所属の玉兎だった。少ししてサグメ直属の精鋭部隊『イーグルラヴィ』に転属され、栄進を重ねて今がある。

 つまり、依姫の折檻とシゴキを体験しているのである。これが綿月姉妹より上の地位に就いたのに未だに敬称が抜けない原因だ。

 よって尚更負ける訳にはいかなくなった。

 清蘭は後方でふんぞり返っている場合ではないと判断し、展開済みの予備戦力の全てを集結させた。

 

 玉兎の士気は著しく低い。殆どが自分の足元を見ており、掛け声に活気など微塵もない。しかも予備戦力だというのに、既に1割強の兎が何らかの怪我を負っている有様である。

 前線がさらに酷い事になっているのは言うまでもない。

 

 なおそんな窮状にいつも通り気が付かない清蘭大将。同じくいつも通り白けている鈴瑚参謀の背中をバシバシ叩く。

 

「これだけの数で突撃すれば流石に勝てるでしょ! 本部に【我勝確也】って報告しよう!」

「それより清蘭が前に出なよ。一気に突出して敵大将の首を取って勝ちで」

「鈴瑚が一緒に出てくれるならいいよ」

「もう少しふんぞり返ってようか」

「うんうん、それがいい」

 

 一度甘い汁を啜ってしまった玉兎は、二度と地獄へは戻れない。それを体現したかのような二人だった。

 

 

 

 

 そんな侵略側よりも酷いのが防衛側である。

 もはや傷付いていない者は誰一人としておらず、種族を問わず全員が死戦へと身を投じている。天狗達に人気の娯楽スポットとなっていたモリヤーランドは鉛の匂いが充満する地獄と化していた。

 

 是非曲直庁からの使者である小野塚小町はこの惨状にドン引きしていた。死神を以て、あの世より此処の方が断然死に近いと思わせたのはよっぽどだろう。

 臨時病棟(元事務所)に行けば恐らく、そのまま三途の川を渡らせても問題ないようなのがゴロゴロ転がっているに違いない。なお仕事が増えるので小町は見て見ぬふりをした。

 

「それにしても、もうちょっと人選を考えてくれても良かったんじゃないかなぁ」

 

 小町の存在は生命線の一つとなっているのだが、それに対する妖怪達の反応はあまり芳しいものではなかった。死地に死神が彷徨いているだけでいらぬ誤解を招くのは当然であろう。

 ただ防衛戦において小町の能力は無類の強さを発揮する。距離の消失とは即ち、鉄壁の防御陣を最小限のコストで常時展開させられる強みとなるのだ。

 映姫からの指令で防衛以外は助力できない小町だが、それでも余りある貢献といえよう。故に待遇はどうにかならないかと不満を垂れ流しているのだ。呑気しながら。

 

 

 技術、人員ともに大きく劣るモリヤーランドが陥落せずに今なお抵抗を継続できているのには、根性論以外にも幾つか理由がある。

 一つに地の利があるのは言うまでもないが、それをさらに効果的に活かせる者達が複数人控えていたのは何にも代え難い強みであろう。

 

 各要所を抑えるは小槌の影響下においても猛威を振るう鍵山雛、坂田ネムノ、里香、そして八坂神奈子の四人。否、ニ柱と二人。

 彼女らが防衛の要となった理由は至極単純で、能力と地力がこの状況においても有効だったからだ。雛の纏う厄は小槌で減少するものではなかったため穢れの大盤振る舞い、そしてネムノの『聖域を作る程度の能力』は問題なく作用している。里香に至っては、秘蔵の戦車軍団を放出しているだけである。特に『イビルアイΣ』と名付けられた飛行型戦車は月の科学をも上回るオーバーテクノロジーであった。

 

 さらに物資、士気を問わず後方からの支援を拡充させ、防衛線の盤石性を支える小野塚小町、山城たかね、駒草山如。

 各々の能力がサポートに特化しており、こと集団戦において無類の強さを発揮している。にとりが異変解決のサポートに回っている間、科学班の指揮を取れるたかねの存在は貴重であったし、山如の出す煙によるリラックス効果で恐慌での士気崩壊は完全に防がれている。

 

 実際、妖怪の山に住まう人材の層の厚さは幻想郷屈指。

 かつて天魔が「妖怪の山を手中に収めれば向こう千年の覇権は確実である」と判断した大きな理由がこれだ。

 小槌の影響は絶大だが、それでも一筋縄ではいかないのが彼女達であり、蹂躙されるだけだった妖怪の山が最後の一線で踏みとどまっているのは、一度として手を取り合うことのなかった曲者達の合力が生み出した奇跡だろう。

 

 この奇跡は姫海棠はたての想い無くしては実現しなかった。

 未曾有の脅威、共通の大敵──そして、和をなによりも尊い物と考える天魔の新しい思想。これらが妖怪の山に渦巻いていた数千年の怨恨を隅に追いやった。

 憎しみの対象だった天狗が率先して血を流し、それは天魔でさえ例外ではない。山を、幻想郷を守る為に死力を尽くす姿に異を唱える者などいるはずも無く。

 

 

「みんな頑張れえぇ!!! 私もっ椛の分まで頑張るからああぁぁ!!!」

「ちょっ天魔様!? 前に出過ぎです! 御身に何かあったら犬走隊長に顔向けできません! どうか下がられてください!」

「こっちは大丈夫だから、鼓舞のつもりなら別のところに行ってあげな」

 

 担ぎ込まれる死傷者を見るたびに錯乱して前線に出ようとする等の奇行が玉に瑕だが、それで天狗達が奮起するのだから悪い事ばかりではない。

 白狼天狗に支給される太刀と盾を構えて飛び出したはたてを、引き摺ってでも制止する側近達。その様を見送った神奈子は、神通力の突風による横撃で四足戦車と玉兎の一団を正面ゲートから押し戻すのみならず斜面に突き落とし、僅かな休息時間を作る。

 

 月軍の攻撃が最も集中する激戦区の筈が、神奈子の獅子奮迅の働きによりむしろ余裕すらあるようだった。これがかつて戦神と謳われた神の力かと、共に防衛にあたる妖怪達は非常に頼もしく思った。

 

「此処は見ての通り問題ないが、他の場所の戦況はどうだろうか?」

「ハ、ハイ! 何処も苦戦しているようでして、園内に踏み込まれている場所もあるとか」

「正面ゲートは私と他数名で事足りる。残りは西と東の助力に向かわせた方がいいだろう。消耗している者は後方に下がり、順次戦員を入れ替えるように」

 

 情報伝達役の鴉天狗から逐一報告を受けながら、戦力の運用を適切に差配していく。陥落寸前のモリヤーランドは神奈子による戦況に応じた指揮により、絶妙なバランスの下で保たれている。

 久々の空気、懐かしい力。そして今も異界で戦っているのだろう愛娘の奮起は、数千年ぶりに神奈子の戦神としての顔を復活させたのだ。

 小槌の影響が良い方向に作用した一例である。

 

(これでも全盛期には遠く及ばないが……それでも有難い。漸く私でも幻想郷の役に立てそうだ、紫)

 

 諏訪子の消滅により守矢神社の価値は紫の中で著しく下がったであろう事は言うまでもない。それでも彼女の立ち振る舞いは外の世界にいた頃と何も変わらなかった。早苗の笑顔がその証拠だ。

 故に、大した貢献もできず庇護されるだけの自分を密かに気にしていた。今回だって早苗からの檄が無ければここまでの働きはできなかった。

 

 士気が崩壊し右往左往する敵の一団に御柱を投げ込みつつ、更なる情報収集に務める。

 

「天魔殿の策はどうなった?」

「ハッ! 功を奏しているようで、先ほど河城にとり氏より三つの異変が解決されたとの報告が! お味方大戦果です!」

「そうか、やってくれたか」

 

 妖怪の山の貴重な戦力を幻想郷そのものを脅かす要素にぶつけるはたての一大決心は、一つ歯車が違えば連鎖的に破滅を齎す苦肉の策だった。現ににとり、早苗、華扇、文を欠いてこの有様だ。

 それが上手くいったというなら、何も言うことはない。天晴れだ。

 

 しかしまだ肝心な報告を聞いていない。

 

「それで被害はどうだろうか。みな無事か?」

「……魂魄妖夢氏、東風谷早苗様は異変解決直後、敵方からの反撃により音信不通、安否不明。──そして霧雨魔理沙氏は敵と相討ち、死亡されたと」

 

 沈痛な面持ちで天狗は報告を終えた。神奈子の胸中を推し測ったのだろう。

 事実、穏やかなものではなかった。

 

 魔理沙の人物像並びに実力はよく分かっていた。異変解決屋の肩書きに相応しい、幻想郷の猛者であったのは間違いない。そんな彼女でも命を落としてしまうほど、今回の群発する異変は危険だということだ。

 諏訪子に続き早苗まで喪ってしまえば……。

 

 どうかこれ以上あの子から何も奪ってやるなと、やるせない想いが湧き上がる。太古の昔からそうだ、神奈子ほどの神は何に対しても願うことができない。

 ふと、神のくせして神頼みを乱発している秋姉妹がこの時ばかりは若干羨ましくなった。

 

「……そういえばあの二柱は何処に?」

 

 守矢神社も危険だということで、神奈子とともにモリヤーランドに避難していた筈だが、ふと気が付くと姿が見えなくなっていた。彼女らも小槌の効力によって戦えるだけの力を取り戻していたので、一端の戦力なのだが。

 もしや力尽きて玉兎の大群に踏み潰されてしまったのかと眼下を満遍なく探してみるが、見当たらない。鴉天狗や白狼天狗に聞いても「いつの間にか居なくなっていた」との回答ばかり。

 

 悩みがまた一つ増えてしまった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「天魔ってのは馬鹿ねー。せっかくの戦力をこんなところで使い潰しちゃうんだから! 大人しく月の連中と遊んでればお師匠様に目をつけられる事もなかっただろうに!」

「しょうがないよ。天狗には馬鹿しかいないんだから。今も昔も進歩のない連中さ」

 

「生憎、貴女方に何と言われようが全く心に響かないんですよね。何故ですかね? 言葉と行動に心が篭ってないからですかね?」

 

 軽口の間に幻想郷を何万周巡っただろうか。幻想郷屈指の情報処理能力を持つ文でも、正確なカウントは不可能だ。少なくとも戦闘の合間では。

 既に死闘の舞台は音速から亜光速上限近くの域まで達している。これでも文にとってはほんの軽いジョギング程度のスピードだが、これに付いてこられるのは恐らく十分に加速を付けたはたての全力か、十六夜咲夜くらいのものだろう。

 ではそんな文に軽く追随してくる二童子は一体何なのかと問われれば、精巧な人形としか答えられない。まるで合わせ鏡のような気味悪さがあった。

 

(障碍の秘神が従える者ならば、それは即ち天狗の天敵だという事。つまらない歴史の授業だと思って聞き流してたけど、いざ目の当たりにすると厄介極まりない)

 

 文の洞察力は人形のカラクリを既に見抜いている。それでも対策のしようがないので対応に窮している。

 丁礼田と爾子田──舞と里乃。あれらは天狗と同じ動きを繰り返す事で天狗除けの性質を自身に付与しているのだ。まさに天狗の天敵。

 

 同等の速度で技を繰り出し、同等の力で反撃してくる。しかもそれが二人。

 文が秘匿した実力を解放すればそれに応じて奴等のスペックが跳ね上がるのだ。どう足掻いても文が二人を上回ることはない。

 当然、無茶な動きをすればその分二童子への負担は生じるのだろうが、所詮は人間だ。どれだけ傷付こうが秘神は痛くも痒くもないだろう。それに、文には二童子に割く為の時間も負担も持ち合わせていないのだ。

 手負いで幻想郷の賢者に勝てるなどと、そんな驕りはとうの昔に捨て去った。

 

(せっかく奴等側から仕掛けてきたんだ、これをきっかけにして秘神の根城に飛び込まなければ。しかし──!)

 

 文はギアを一段階引き上げ更に上空へと飛翔する事で、ほんの僅かに二童子を引き離す。そして急速反転、勢いを殺さぬまま渾身の踵落としを放つ。

 少しだけ先行していた舞は笹を前面に押し出し構えるが、勢いを止める事など到底できず衝撃そのままに幻想郷へと凄まじい速度で墜落する。

 

 同等のスペックで襲ってくるとはいえ、その領域での戦いは初めての筈。ならば相手がそれに適応する前に、本気を出さずに勝利する。それしか手はないと判断。

 だがやはりネックとなるのは、相手が二人だということ。

 

「よくもやってくれたなぁ! 舞の仇ぃ!」

「ぐッあ!」

 

 先程とまったく同じモーションで繰り出された里乃の踵落としが文の肩を打ち据えた。速度は重さ、並びに破壊力である。自身の勢いも利用された形となり、黒き弾丸となって墜落、九天の滝へと突き刺さる。

 普段は妖怪の山が瑕疵なき要塞であることの象徴となる要衝だが、今は放棄されており完全な無人となっていたのが幸運だった。天辺から崩れ去った事で、瀑布と岩壁の残骸が文とともに滝壺へと流れ込んでいく。

 

(参ったなぁ。全力でいっても解決しないよねぇ)

 

 ダメージとは裏腹に文の思考は至極冷静だ。むしろ身体を引っ掻き回す激流が心地よい。

 

(せめてはたてか椛が居てくれれば……って、今は力が出せないんだっけ。私以外、全員)

 

 自分が起死回生の一手としての役割を期待されているのは分かる。それに納得しているかどうかはまた別の話だが、親友からの頼みだ。断る余地などなかった。

 嬉しいのやら悲しいのやら、若しくは情けないのやら。自分自身の心がよく分からなくなってきていた。これもまた組織を一度見捨てた事のツケなのだろう。

 

 はたてや椛は勘違いしているようだが、自分は高尚な天狗ではない。何の目的もなく、ただ感情的に山を飛び出して、流浪に後付けの理由を加えただけ。

 嫌気が差したのだ。何もかも。

 こんな大役を任された今も、この性根は変わらないらしい。高尚な理念を持つことは、もう諦めた。腐った天狗は飄々と雰囲気だけ出してればいい。

 

「悪いわね。やっぱりアンタ達みたいにはやれないわ」

 

「いたいた。烏の行水やってるわ」

「今の凄く効いたよ! ほら僕の左腕、どっかいっちゃった。まあ丁礼田は右腕があればいいから問題ないんだけどね〜。残念無念また来世〜」

 

 飲み込んだ水を吐き出しながら岩場に手を掛けると同時に、二童子がその上に降り立つ。上手いこと言ったとばかりに里乃と舞はドヤ顔を浮かべている。その様を見てもやはり腹は立たない。ただただ哀れに思うだけだ。

 

「ちゃんと血は通ってるんですね。意外でした」

「おっと今のはカチンときたよ。僕達を天狗みたいな化け物と一緒にしないで欲しいな」

「お師匠様からは時間稼ぎって言われてたけど、なんかやれちゃいそうだね。どうする? 処しちゃう? 死なない程度に殺しちゃう?」

「ちょっと待ってねー。連絡入れてみるから」

 

 さて、ここからが正念場か。

 文はトップギアの準備態勢に入った。多少の出血はやむなし、二童子の意識が自分から外れた瞬間に仕留める。身体と羽根は水を含んでいるが、文の全速力の前には障害にすらならない。

 

 

 だがほんの僅かに、乱入の方が早かった。

 

「ええいそこの二人組! 弱い者虐めは許さないわ!」

「食らいなさいオータムキィィィック!!!」

 

 威勢の良い掛け声と共に繰り出された蹴りは、二童子にたたらを踏ませた。まさかの顔面クリーンヒットに困惑を隠し切れていない。

 文としても嬉しい誤算だった。

 

「貴女方は……確か守矢神社預かりの」

 

 呟きに応じるかのように姉妹はポージングからの自己紹介。もはや慣れたものだ。

 

「秋の実りは私の力、豊かな秋は私の力──人呼んで豊穣の秋穣子!!」

「秋の色彩は私の力、秋の終わりも私の力──人呼んで紅葉の秋静葉!!」

 

「「秋の恵みを世界に届ける、幻想郷の人気者! みんなご存知秋姉妹!」」

 

 秋風靡く妖怪の山。暖かな木漏れ日があたりを照らす中、若干の冬を感じた。

 突然の乱入に状況を計りかねていたが、少なくとも好転の余地があるものだと判断した。この姉妹は確か味方だった筈だ。

 

「秋姉妹だってぇ? 確かお師匠様が言ってたわね」

「お師匠様? それって紫さんのこと?」

「いやいやそっちじゃなくて、摩多羅隠岐奈様の方! 同じ幻想郷の賢者だけども」

「へえ、そんなやんごとなき方に一目置かれるほど私達の名は轟いているというわけか。やったねお姉ちゃん!」

「ええ活動の甲斐があったわ」

「いや別に褒めてはなかったよ。確かレティ・ホワイトロックに惨敗して秋の力を奪われて、外の世界に追放されたんだよね。もうとっくの昔に野垂れ死んでるものかと思ってたよ」

「「……」」

 

 このやりとりだけで秋姉妹の立ち位置を大体理解した。こんな面白い神様を見逃していたのかとジャーナリスト魂を揺さぶられつつ、滴る水を払い飛ばす。

 秋姉妹は意気消沈しているものの、戦意は十分なようで構え自体は崩さない。

 

「ありがとうございます。助かりましたが……何故ここに? 既に全員モリヤーランドの方に避難しているものかと思っていましたけど……」

「そうなんだけどね。なんかここら辺から私達の持ってた力の気配を感じたのよ」

「レティ・ホワイトロックに奪い取られた力ね。奴自身の気配も感じます」

 

 謎多き妖怪の名前をここで聞くことになるとは思っていなかった。

 幻想郷において無条件で恐れられる大妖怪の一人。天狗の覇権より前の、更に前の時代に活動していたと耳に挟んだ事はあるが、それだけだ。

 群発している異変の一つ、季節が滅茶苦茶になる異変……冬を司る雪女との関連性は疑って然るべし、か。

 

「秋さん。突然で申し訳ありませんが折り入って頼みがありまして」

「あいつらの相手でしょ? いいよ任せて」

「元からそのつもり。いつもの私達なら到底相手にならないでしょうが、今日は何故だか頗る調子が良い。相手も何とか務まるでしょう」

 

 秋姉妹とて幻想郷に帰ってきてから遊んでいた訳ではない。早苗達との付き合いの合間に現在の幻想郷について調べ上げていた。

 だから知っているのだ。射命丸文がどのような天狗で、今この異変でどのような役割を担うべきなのか、全て把握している。だから助けに入ったのだ。

 

 二柱の胸中は神奈子とほぼ同じだ。紫への恩返しと、早苗への心配。

 異変が早く解決されればそれだけ早苗の身に及ぶ危険は軽減されるだろう。是非とも解決してもらわなくては。自分達ではどうひっくり返っても勝てないから。

 

「げー天狗以外が相手かー。そんなのに時間を使ってたらお師匠様に叱られちゃうよ」

「まさかあれだけ好き放題やられて逃亡なんて、そんな情けない真似する訳ないよねー? まだ本気を出してなかったんでしょ? ほら私達に見せてよ」

「残念ですがその挑発には乗りませんよ。私は白狼天狗のように高潔な誇りなんて持ち合わせていませんからね」

 

 文は舌を出して逃げ出した。二童子のテングオドシは天狗を撃退した時点で完遂される。つまり逃げる文相手では先程までのような超スペックは発揮できない。後を追って無理やり戦闘に持ち込もうにも、秋姉妹が行手をしっかり遮っている。

 二童子にできるのは文の後ろ姿を見送ることだけだ。

 

「フッ……奇しくも賢者の師弟対決となったわね」

「師弟対決? どういうこと?」

「何を隠そう、私達は外の世界で紫さんに稽古を付けてもらってたのよ! いわば二番弟子と三番弟子!」

「条件ならイーブンよね」

「それは……普通に驚いた」

「ね、びっくり」

 

 最強の名を欲しいままにする八雲紫が、自らの手で鍛え上げた二柱。

 つまり(前提条件だけなら)秋姉妹は博麗の巫女や九尾の狐と同格だということ。それが小槌の影響により更に強化されているなんて。

 下手すれば文以上の強敵。里乃と舞の警戒を引き上げるには十分な情報だった。

 

 オータムシスターズvsクレイジーバックダンサーズ。狂気の一戦が幕を開けた。

 

 

 

 と、秋姉妹に厄介な敵を押し付けた事でようやく異変解決に本腰を入れられると文は内心ほくそ笑んだ。天狗は基本畜生な種族である。

 だが感謝しているのは本当だ。

 

 二童子との戦いの最中に文は幻想郷の状態を具に確認していた。何処もかしこも反乱側が圧倒しており、守護側は攻勢に転じる事ができていない。

 故に文は、異変解決への最短ルートを導き出した。

 この異変は摩多羅隠岐奈、稀神正邪のどちらか一方を斃せば瓦解するのだ。

 

 正邪が先に斃れたのなら、小槌の呪縛から逃れた大妖怪達が一斉に暴れ出すだろう。如何に強大な秘神であろうと、幻想郷そのものの相手は不可能に決まっている。

 隠岐奈が先に斃れたのなら、正邪単独での扇動となる。彼女は恐らくそこまで強い妖怪ではない。いずれジリ貧になって、討ち取られるに違いない。

 

 単純に考えて、片方が消えればそのまま戦力は半分になると考えていいだろう。敵が保険で用意していたのだろう代用戦力は頼もしい人間達が屠ってくれた。

 そして導き出した自分の進む道。

 

「首を洗って待っていなさい。摩多羅隠岐奈ッ!」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「そうだ! アタイの敵はオタラマキナだ!」

「タマラオキナだよチルノちゃん」

「そうだっけ?」

 

 巨星、動く。

 その宣言に妖精界隈に激震が走った。

 

 

 

 元来、妖精とは異変時にこそ真価を発揮する種族と言っていいだろう。子供なら誰だって異常事態に心を躍らせるものだ。お祭りに便乗するのが大好きなのだ。

 いつもなら隠れて暮らしている大人しい部類の妖精でも、異変時はアゲアゲのテンションに従い巫女や魔法使いに特攻をかますのである。

 

 そして今回の異変は特別だった。四季が荒れ狂うことで妖精の力は際限なく上がり続け、更には弱者へのギフトにより向かうところ敵無し。

 幻想郷にとって幸運だったのは、そんな妖精達の攻撃性が幻想郷ではなく、身内揉めに費やされた事。妖精の王の関心が弱者に向かなかった事。

 

 最強の存在と化した妖精達は、今度は自分達の中での最強を決めようと大会を開き、存分に争った。紅魔杯の熱が抜けきっていなかったのも奇行の原因の一つか。荒廃した西部で行われた最強の大会は多少のアクシデントはあったものの恙無く行われた。

 その結果、最強を自称していたチルノは、ついに妖精の王たる称号を手に入れたのだ。

 妖精達は沸いた。

 

「チルノちゃん最強! チルノちゃん最強! お前達もチルノちゃん最強と言いなさい」

「チルノ鬼つええ! このまま逆らうやつら全員ブッ殺していこうぜ!!!」

 

 特に取り巻き二人(大妖精とラルバ)の騒ぎようは凄まじく、普段喧しいあの三妖精が耳を塞いだり能力を使用したりと自衛に走るほどだった。

 各々が溜め込んでいた木の実を一斉放出して、それはもう盛大に祝った。時々どこから鳴り響く爆発音がクラッカー代わりとなりバイブスは絶頂へ。

 

 しかし当のチルノは浮かない顔で、遥か遠くを見つめていた。らしくない様子に、勝手に楽しんでいた妖精達も不可解な雰囲気を感じ取り近寄ってくる。

 数日前に肌が急に黒くなり病気を疑われたりもしたが、その影響が今出たのかと取り巻き一号の大妖精が心配そうに問い掛けた。

 

「どうしたの? チルノちゃん。せっかく最強の妖精だってみんなに認められたのに。あのサニーちゃんだってチルノちゃんを褒めてたよ?」

「悔しながらね!」

 

「いや……アタイはふと思ったんだ。これより上なんてあるのかなって」

「チルノちゃんは最強だからね」

「いざ最強を実感してアタイは……がっかりした。なんつーか、もう二度とチャレンジャーにはなれないんだなって……」

 

 まさかの燃え尽き症候群であった。無気力なチルノの姿に大妖精は心を痛め、他の妖精達は何言ってんだと呆れ返っていた。

 だがチルノは真剣に悩んでいる。まさか喜びよりも先に寂しさを感じるとは夢にも思わなかったのだろう。

 

 見かねたスターの助言が入る。

 

「なら妖精以外も含めて最強になっちゃえばいいじゃない。幻想郷には妖怪や人間が腐るほどいるんだから。それに霊夢さんには負け越してたでしょ?」

「でもさ、アタイとっくの昔に八雲紫を倒しちゃったんだ。アイツ、最強の妖怪なんだってね。つまるところ、アタイは既に幻想郷最強の座を手にしてたんだ」

 

 あわよくばチルノを葬り去ろうと無謀な挑戦を持ち掛けてみるが、心に響かなかったようだ。

 経緯はどうであれ紫を倒したのは事実である。つまりその手下の霊夢など雑魚同然なのだ。名実ともに最強の生物と化してしまった……! 

 

 取り敢えず妖精達が片っ端から強くて怖い妖怪の名を挙げていくが、チルノの興味を惹くようなビッグネームはなかった。全て格下だ。幽香は雑魚。萃香も雑魚。

 

「なら摩多羅隠岐奈は? アイツ強いよ」

 

 聞き慣れない名前にチルノは眉を顰める。他の妖精達も「誰だそりゃ」と一同首を傾げていた。

 声の主、エタニティ・ラルバは指をクルクル回しながら、したり顔で語る。

 

「昔の事だけどね、アイツと戦ってコテンパンにやられちゃったんだ。アイツの強さはチルノと同等か、もしかするとそれ以上かもしれない!」

「ラルバに勝ったところで……」

「ねえ?」

「強くなさそー」

 

 酷い言われようだがラルバは所詮その程度の妖精だった。強いことには強いが、チルノには遠く及ばないし、ちょっと前には人里に忍び込んで人間に懲らしめられてたし、何より言動が小物っぽいのだ。

 しかし彼女にも特別秀でているものがあった。

 相手をその気にさせる『扇動力』である。

 

「いま起きてる季節が無茶苦茶になってる異変、これ多分アイツの仕業なんだよね。主役みたいなもんでしょ? だからさ……乗っ取っちゃおうよ。誰が真の幻想郷の主人公なのか知らしめてやろう」

「ラルバ! それ採用っ!」

 

 そして冒頭に戻る、という訳だ。

 ラルバから後戸の情報を聞き出した妖精達は、王の命令を受けて一斉に捜索を開始する。突破口の発見は時間の問題だった。

 

 これはとんでもない事になった。間違いなく幻想郷成立以来の激変だ。

 王の手により、満を持して妖精の世が爆誕しようとしている。妖怪だの神だの知ったことか。最強を証明したチルノならきっとやってくれるだろう! 

 

 

 ──そんなふうに考えていた時期が私にもありました。(大妖精談)




妖精大戦争も裏でしっかり起きてるよの回
チルノパートに入った瞬間IQが溶ける溶ける


妖怪の山に住んでいる(いた)ネームドキャラ
橙、射命丸文、姫海棠はたて、犬走椛、河城にとり、里香、秋静葉、秋穣子、鍵山雛、八坂神奈子、東風谷早苗、坂田ネムノ、茨木華扇、(天魔)、山城たかね、駒草山如、(管牧典)、(飯綱丸龍)、(姫虫百々世)、(古明地さとり)、(古明地こいし)、(黒谷ヤマメ)、(リグル・ナイトバグ)、(伊吹萃香)、(星熊勇儀)

これにプラスして河童の科学力と乱世特有のガバガバ価値観が加わる模様。
小槌で弱体化してなかったら月軍は一瞬で蹴散らされていた疑惑ありますね。これを曲がりなりにも統一しかけてた旧天魔は一体……。

ただあんまり月の先遣隊を追い詰め過ぎると綿月姉妹とか門番さんが出張ってくるので、今のような拮抗状態が最善策なのかもしれませんね(すっとぼけ



遅ればせながらではありますが、一言評価誠に感謝でございます! 返信機能がないのでお礼のメッセージを送ることができず、この場をお借りして感謝を述べさせていただいた次第! 貰うたびに歓喜でのたうち回っております。ありがてゐ……ありがてゐ……。


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おかあさんといっしょ

 

「親のことをどう思うかって?」

「うん」

「……なんというか、その質問をした意図は分かるんだけどさ、多分私はそれを回答するに適した相手じゃないぞ?」

「まあね。でも私よりかはマシだから」

「ホント辛気臭い奴だなぁ」

「んなことないわよ」

 

 甘ったるい香ばしさと珍妙な風味のブランド茶を喉に流し込みながら、さてどう答えたものかと考える。

 

 露骨に面倒臭そうな顔をしつつも、頼まれごとを余程の事がない限りは断らないのが、比那名居天子という天人の懐の深さなのだろう。霊夢は月面戦争を通じて目の前の天人を構成する性質を概ね正確に読み解いていた。

 

 最初の印象は破壊を楽しむだけの愚者でしかなかったが、幻想郷との親和に腰を落ち着けてからは退治する理由を見失ってしまい、今となっては何の因果か遠い月の地で共同生活を送るまでになっている。

 そもそも紫と頗る仲が良いので成り行きで霊夢も若干好意的に接さざるを得ないのだ。それなりの頻度で傲慢な態度を見せているものの月人に比べればまだマシだろう。

 

 というより、天子は心に影を落とした者との交流が頗る上手いのだ。霊夢は勿論として、はたてもそうだ。紫も該当するのかもしれない。天界ではついぞ発揮される事のなかった才能の一つである。

 

 先の質問は霊夢なりに天子に対して心を打ち明けた形になる。故に、天子もそれを無碍にしづらかった面があるのだろう。

 渋い顔をしながら首を捻った。

 

「私の親がどんな人かは前に話してるだろ? 融通が利かないわ、私の力を認めないわ……本当につまらない人達よ。でも親と子の関係は絶対に切れないからね、今のところは言うことを聞いてあげてるの。一応天人になるきっかけは両親が作ってくれたしね。そこそこ感謝してるわ」

「うーん」

「ほら見ろ言った通りだ。こういう事を聞きたいなら紫か魔理沙に当たって欲しいな」

「魔理沙はダメよ、親について話し始めると露骨に不機嫌になるから。紫は……アイツ親なんているのかしら?」

「あー私も想像できない。どっちにしろアイツも適当じゃなかったな。なら狐か猫にでも聞くといいよ。本人に聞いてみるよりかはマシだろう」

 

 ふと、別室を映すドア窓を見遣る。紫は相変わらず月人達と不毛な会話を続けているようで、解放にはまだまだ時間がかかりそうだった。

 我ながら奇妙な領域にまで首を突っ込んでしまったものだと、冷めた頭で歪な二人に思いを馳せる。

 

「傍から見ると相当不思議な関係よね。上手く言語化できない。──紫は妖怪の賢者で、霊夢は人間の巫女。相容れないのが当然だと思うけど、実際はそうでもなさげだし。手下って言われればそれまでかもしれないけど」

「手下とか道具とか、やっぱりそういう感じなのかしらねぇ。私と居た期間だって紫の生きてきた年数に比べれば瞬きみたいな……」

「それは違うぞ」

 

 はっきりとした否定。

 

「私が言ったのは傍から見た関係だ。実際は全然違うよ。自分の式神すら道具と見れてないアイツだぞ? そんなの無理に決まってる」

「じゃあ親と子?」

「私は最初にお前達を見た時『それ』だと思った。だけど霊夢が違うと思うのなら、多分違うんだろう。でもきっと悪いものではない」

「どうしてそう言い切れるの?」

「お前が『それ』を望んでいるからだよ」

 

 天子の言葉を受けて霊夢はうんざりしたように頬杖を突いた。誤答だったからではなく、むしろ図星だった。

 天子の持つ緋想の剣は個々人の気質を捉えるというが、それは博麗の巫女に対しても変わらず効力を発揮しているのかもしれない。

 だが逆の見方もできる。緋想の剣を以ってしても霊夢の私情は紫関連しか覗けなかった。かつて萃香との戦いで苦戦した通り、紫の存在が霊夢の弱点になってしまっている。

 

 自分の気持ちに正直になれないから戸惑っているのだろう。天子はそう推測した。

 

「紫の真意は正直分からんが、今の関係より先に進みたいならちゃんと気持ちを伝えないとね」

「気が進まないわね……」

「やるなら日和らずやらなきゃだな。アイツ結構押しに弱いからアピールしまくれば色々変わってくるよ。多分」

「何処の情報よそれ」

「むむ……と、とにかく! 子供として認識して欲しいならとことん甘えまくれ!」

 

 ふんぞり返って上から目線の助言を繰り返すのが天子の趣味。しかし今回のそれはヤケに大雑把で信憑性に乏しいものだった。普段の助言に信憑性やら正当性があるかどうかは別として。

 話半分に聞いておこうと思う霊夢だった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 私は今、胸の内から込み上げる感情に酷く困惑していた。もしかしたら生まれて初めての感覚なのかもしれない。でもその正体はなんとなく掴めた。

 これが正真正銘、本物の悔しさなのだと。

 

 私だって腐っても妖怪だ。この世に生を受けてそれなりの年月を過ごした。当然、沢山の経験を積んできたし、数多の不条理に晒されてきたのは言うまでもない。生き恥だって何度も晒してきた。振り返れば軽く死にたくなる程度にはね! 

 だけどここまで怒り混じりのモノを抱いた事はなかったと思う。煮えたぎるように頭が熱くなって、冷静に状況を俯瞰できない。あまりの焦燥感に吐き気すら催した。

 

「その言葉、決して嘘ではないのね?」

「は、はい……ホント、です」

 

 念押しの言葉に、幻想郷から来たと宣う玉兎は肯定する。酷く怯えた様子を見せながら、首を何度も上下に揺らした。荒れ狂う心に身を任せて台パンしようと腕を振り上げたが、それは寸前で制止された。

 天子さんだ。腕を掴んで止めてくれた。

 

「お前の気持ちは分からんでもない。だからここから先の話は私が引き受ける。霊夢もその方がいいでしょ?」

「……助かるわ」

 

 霊夢もまた酷く憂鬱な様子でそう告げた。それを見て私も少し落ち着く事ができた。席を立ってなんとなしに部屋の隅へと歩みを進め、白い壁を眺める。

 玉兎が齎した情報は、少なくとも私と霊夢にとってはあまりにショッキングな内容だったのだ。

 

 幻想郷の情勢は綿月一派からの又聞きで大体把握しているつもりになっていた。杜撰と言えばそれまでだが、私からの幻想郷への歪な信頼がそうさせたのだ。

 だから詳しい現況を聞いて錯乱してしまった。

 

 天子さんが話を引き受けてくれてるうちに冷静さを取り戻しましょう。

 クールダウンクールダウン。ひっひっふー。

 

「一旦話を整理するぞ。幻想郷では今、五つの異変が同時発生していて、更に反乱と月軍との戦闘が同時に勃発。オマケに紫に味方する妖怪は著しく力を下げていると。それはまた随分な話だな」

「信じられないかもしれないけど、全部間違いない情報よ。まあ私の言葉を信じろっていうのも難しい話かもしれないけど……」

「いや私は信じるよ。なんたって貴様とは死闘を繰り広げた仲だからな!」

「そ、その話はもう勘弁。思い出したくない」

 

 無理やり玉兎と肩を組んで眩しい笑顔を浮かべる天子さん。一方の玉兎の嫌そうな顔とは実に対照的だ。

 まあ、何故か玉兎と仲の良い天子さんはさておき、私と霊夢が何処の馬の骨とも知らない玉兎の言葉に信憑性を感じているのには理由がある。

 幻想郷で奔走しているのだろうみんなの行動を聞いていると、全て私達の知っているあの子達の姿と完全に合致するからだ。何も知らない者がそれら全てを事細かく捏造するのは難しいだろう。

 以上の事から玉兎の言葉を本物だと判断した。霊夢の持つ博麗の勘も、一つを除いて異存はないようだった。

 

 霊夢は頑として魔理沙の死を認めなかった。

 

 色々と情報を交わしている天子さんの後ろから、玉兎へとそれとなく問い掛ける。

 

「魔理沙の遺体は見つかってないんでしょう? 死亡と判断するのは早計では?」

「……遺体も残らなかったと聞いています。てゐ曰く相手が悪かったって」

「なら間違いなく生きているわ。てゐは嘘しか言いませんもの」

 

 霊夢を安心させるようにわざと笑い飛ばした。私が一番危惧していた事態が起きてしまわないように丁寧に彼女のメンタルケアに努めた。

 魔理沙がもし仮に死んでしまったのなら、恐らく霊夢は今までのようにはいられないと思う。博麗の巫女の責務は今まで通り全うするだろう。だけどそれ以外の道の殆どは閉ざされてしまう。

 だから私は一度魔理沙に引退を勧めたのだ。

 あと魔理沙って人里に住まう者達からとっても大切にされてるから、異変解決の最中に死んでしまったとなるととんでもない騒ぎになると思う。ついでに私へのヘイトが増大すること間違いなし! 

 

 地底でしょ? ならさとりの管轄じゃない! 

 アイツ性格は悪いけど仕事は完璧にこなしてくれるからね! きっと魔理沙の事や異変の事、全部まるっとどうにかしてくれてるに違いないわ。

 

【随分な信頼ですわね?】

 

 訳もなく地底を放置してきた訳じゃないからね。決してさとりが嫌いだからとか、地帯に住んでる連中が面倒臭いからとかそんな理由ではないのだ。

 AIBOはその辺勘違いしないように。

 

 あとショックを受けているのは霊夢だけじゃない。私もまた同様である。

 魔理沙の件もそうだし、早苗が異変解決に出かけて行方不明なのも気掛かりなのよ。安否を確かめるべく念話を送信しても届いた手応えがない。

 あの世で諏訪子に祟り殺される前になんとかしなきゃ……! ちなみに妖夢は多分大丈夫だから全然心配ないわ。今頃どっかで剣を振り回してるんでしょう。

 

 そして何より、オッキーナと正邪ちゃんの裏切りは完全に寝耳に水だ。特にオッキーナ。

 あの人の言動が色々危ういのは確かだが、それ以上に幻想郷への想いは強い。きっと賢者の中でもトップクラスに情を持っていた筈だ。私はまあ、愛してはいるけど完全に私の手から離れちゃってるからね。育児に疲れたお母さんポジってところかしら。

 

 兎に角、あの二人の裏切りはあまりにショックだった。信用してた、信頼してたのよ! なのに裏切られた! 完膚なきまでに! 

 同じ夢を願う同志だと信じていただけにその衝撃は凄まじく、キーッって泣き叫びながらハンカチを食いちぎりたい気分である。

 

「さて紫、これで私達のやるべき事は決まったな」

 

 天子さんの言葉に頷く。

 幻想郷の危機を把握した以上、座して成り行きを見守るつもりは毛頭ない。私が帰っても正直どうにもならないけど、天子さんと霊夢が参戦すれば恐らくあっという間に黒幕達を叩きのめしてくれるに違いない! 多分! 

 あのオッキーナに勝てるかどうかはかなり未知数だけど、それでも何もやらないよりは全然マシだ。説得の余地もあると思うしね! 

 

「となると障害は……コイツらか」

「わ、私!?」

「誰が立ちはだかろうが関係ない。それより、月から幻想郷までどのくらい距離あるの?」

「えーっと、確か約38万kmだったかしら」

「よく分からないけど1分くらいでいけそうね」

 

 なんか初めて霊夢から頭脳面で頼られたような気がする。賢者の姿か? これが……。

 あと霊夢の飛行速度なら星間飛行も60秒くらいでいけちゃうのかしら? ゆかりん算数苦手だから分からないわね(目逸らし)

 ていうか霊夢と天子さんに飛行速度でまったく付いていけない私は月に居残る形になってしまうのではないか? 私は訝しんだ。スキマが使えれば良かったんだけど、当然のように連中が対策しているようで、座標が狂わされちゃってるのよね。

 

「ちょっと、ちょっと待って! ひとまず私に話をさせて! お願いだから!」

「敵なのに?」

「味方っ味方ですぅ! ほら幻想郷で会ったことあるでしょ? 鈴仙・優曇華院・イナバ!」

「紫知ってる?」

「いいえ。天子さんは?」

「名前は今初めて知った」

 

 玉兎は愕然として机に項垂れた。この痛々しいノリは妖夢に通ずるものがあるわね。

 正直なところ、妖怪兎って全員同じ姿にしか見えないのよ。唯一差別化出来てるのはてゐだけ。多分恐怖補正とか入ってる。

 オマケに名前も長ったらしいし。覚えられないわ。

 

「と、兎に角! 私はお前達の敵ではない。八意永琳様の命を受けて幻想郷からお前達を遥々解放しにきてやったの!」

「ますます信用できないわ」

「間に合ってるしな!」

 

 あまりにもボロクソに言われて過ぎてて流石に可哀想になってくるんだけど、まあ霊夢の言う事も一理ある。あの『化け物』の名前が出てきただけで心証駄々下がりなんですもの。

 それに永琳は罪人の筈なのに、その使者であるウドンが顔パスできてるのも不可解だ。月側に何らかの思惑があるのは想定して然るべきでしょう。

 

 さてどうするべきか。

 

【ちょっと失礼】

 

 久しぶりの感覚に動揺する間も無く、AIBOに無理やり身体を奪われた。身体の中枢から末端へと支配が失われ、視界が何故か後ろに退がる。まるでテレビ画面越しに目の前の光景を見ているかのような気持ち悪さ。

 ホント強引な人なんだから! 

 

「概要は把握しました。八意永琳を始め、貴女方の決断を評価します」

「あっ、ども……」

「それでは『対話の準備が整った』と、別室でやきもきしているであろう方々に伝えてきてください。あと霊夢にそこの腐れ天人、それに貴女にも同席してもらいます」

「私も!?」

「勿論」

「その腐れ天人って私のことか?」

「当然」

「ンだとテメェ……」

 

 全方位に喧嘩を売るのはやめましょう! AIBOのこういう喧嘩っ早いところ、ダメだと思うの私! そんなんだから霊夢に嫌われるのよ。ほら今にも殴りかかりそうな目でこっち見てるじゃん。

 ただ幸運な事に、天子さんは身体中に纏わりつくスキマの異形さで普段の私と差別化してくれてるようだ。やっぱり雰囲気とかが別物なんでしょうね。助かった。

 

【好かれる相手はしっかり選んだ方がいいわよ?】

 

 憎まれる相手は自分じゃ選べないのよ? 

 

 

 

 という訳で、なんか好き勝手やり始めたAIBO主導でいつもの面談が開始された。しかしながら今回はこっちもあっちもオールスター。

 険しい表情の依姫、無表情のサグメさん、注意散漫な豊姫。対するは圧を飛ばしまくる霊夢に月側と私を交互に見遣る天子さん、何を考えているのかさっぱり分からないAIBO。その中間で怯えるウドン。

 この狭い一室に世界最高戦力が集中し過ぎてない? 

 

 机を挟んで火花と罵倒が迸る。罵詈雑言に脅し、恐喝のオンパレード。

 身体を奪われてる状態だからお腹とかは痛くならないんだけど、心労は普通に感じるのよね。いきなり殺し合いとかマジでやめてほしいんだけども。

 

 本日何度目かの口火を切ったのはAIBOだった。

 

「もう既に八意永琳からの書簡には目を通したのでしょう? ならば得るべき情報は得た筈。それを踏まえて貴女方の今後の方針を明示しなさい」

「まるで内容など全て筒抜けだと言いたげね」

「そうなるように仕向けておきましたので。もう少し時を見る予定ではありましたが、其方が強硬手段に出るのなら私も手札を切らざるを得ない」

「仕向けておいたって……てゐと姫様が師匠を説得した後に書いた手紙よ!?」

「その二人が説得に動く為の材料を用意したのは私です。永琳も当然、その事は分かっているでしょう。それでも私の思惑通りに動かなければならなかった」

 

 AIBO曰く、永琳からの情報というのは、私に対しての風評被害を弁明するものらしい。なんでも月の民が何百年に渡ってしつこく私を狙ってたのは、情報の齟齬とか行き違いがあったからなんだって。

 ふざけんなボケナス!!! 

 

 ていうかいつの間にてゐと接触してたんだろう? まさかあのメリーちゃんボディで良からぬ暗躍をしてたんじゃないでしょうね?

 幻想郷に私の黒歴史を拡散するのはヤメロォ! 

 

 そんな私の声も(聞こえてる筈なのに)意に介さず、扇子を机に叩き付けながら相手からの回答を挑発的に催促している。それに対抗するように姉月は手元のMAP兵器を見せびらかしてるし、妹月は剣を抜く寸前だ。

 あのさ……これもし目の前の三人が逆上して襲い掛かって来てもちゃんと勝てるのね……? 

 

【いえ無理よ。霊夢が味方してくれれば少なくとも負ける事はないけど、今回は戦う為に前に出て来た訳じゃありませんし。先に私の体力が尽きてしまう。その時は貴女とバトンタッチするわ。取り敢えず交渉が上手くいくことを祈っててちょうだい】

 

 このっ……おバカぁ!!! 

 AIBOってもしかして一周回ってアホの子だったりしない? これ大丈夫!? あと露骨に天子さんを場から除外するのやめてあげて。

 

 

 さて話も漸く山場だという事なのか、無言を貫いていたサグメさんが遂に口を開いた。手には件の『八意永琳からの書簡』と思われる物がある。

 

「八雲紫。貴女には約三百万年前に死刑が宣告されている。当然時効はないので、今現在もその効力は続いている。それはご存知だろう」

「ああ確かそんな事もあったような」

 

 いえ全く知りませんでした。

 っと、霊夢が私の脇を小突いて、耳に口を寄せる。

 

「アンタそんな年増だったの?」

「さあどうだったかしら。もう少し長く生きてたような気がするわねぇ」

「痴呆に納得いったわ」

 

 AIBOやめて。それ以上、いけない。

 ていうか私が一番ビックリよ! えっ、そんな長生きしたっけ? コワー! 

 その辺りをあんまり深く考えると恐ろしくなってくるので、ちゃんとサグメさんの言葉に耳を傾けて意識を戻そう。さっきまでの話題は忘れる。いいわね? 

 

「だが八意様からの情報により死刑は失効となるでしょう。よって私達が貴女の命を狙う理由は無くなった。この都に居る間の生命の保証を約束しよう」

「でしょうね。それで?」

「しかし諸々の問題はそのままです」

 

 続きを豊姫が引き継ぐ。

 

「確かに、無理にでも殺す必要性と緊急性は無くなった、しかし貴女が危険な存在である事に変わりはない。何かの拍子でかつての悪逆非道な行為を繰り返される懸念はそのままです。また本当に八意様の考えが正しいのか否か、早急に研究を進めなければなりません。まあ十中八九正しいのでしょうけど。しかし裏付けされたデータは必須。その間、不確定要素の多い地上での保全は不十分と考えます。……そして我々も血を流し過ぎた。記録で知る『八雲紫』が既に死んでいても、その要素を受け継いだ貴女に対する嫌悪と憎悪は我々が滅び去るまで残り続ける。よって身柄は引き続きこの地で確保させてもらいます。幾つかの利用案も浮上していますので。また地上の浄化作戦もこのまま継続されるでしょう。これに関しては、抜本的な問題が何も解決されてないですからね。貴女にも多少関係のある事柄ではありますが」

「要約すると?」

「司法取引を提案します」

「つまらない答えじゃなくて安心したわ」

 

 話が半分くらいしか頭に入ってこなかったんだけど、AIBOが満足してるなら良かったわ。霊夢も天子さんも「何言ってんだコイツら」って感じの顔で見てるから私だけが話についていけてない訳じゃない。

 それにしても司法取引ってアレでしょ? 罪人が公的機関と取り決めを交わして、何らかの協力を行う事で罪を減刑するってやつ。

 そもそも私は無罪だって主張するのはダメなの? 

 

【まあまあいいじゃない。貰えるものは何でも貰っておきましょう】

 

 そうやって何でもかんでも貰い続けた結果が今の私だと思うんですけどね! しかも月の連中が言ってるの全部冤罪だしぃ! マイナスしかないんだけどぉ! 

 そしてAIBOまさかの真スルー。

 

「今、月の都は存亡の危機に直面している。仙霊と地獄の女神の手によってね。貴女達が彼女らと同盟を結んでいたのは我々も把握している」

「講和の仲介、若しくは敵勢力の打倒をお望みというわけね?」

「手段は任せる。どんな結果であれ、連中の月侵攻を頓挫させて欲しい。そうすれば幻想郷への遷都は必要なくなるので浄化部隊は引き上げさせるし、大罪人の身柄を月から地上へ移すことを約束しよう」

「悪くないわね」

「勿論、奴らと一戦交えるのであれば私達もできる限り助太刀しよう」

 

 えっとつまり……HEKAさんと純狐さんを宥めればいいってこと? なるほど、まあ確かに目の前の三人を相手するよりはマシ、なのかしら。

 うーんでもなぁ、二人ともリアルじゃかなりおっかない人だったし、穏便には終わりそうにないわよね。特に純狐さん。HEKAさんはファッションセンスの方がおっかない人だし。

 

「幻想郷と紫を人質にして、私をいいように使おうとしてるのは気に食わないわね」

「確かにその通りだ。その腐り切った性根が実に気に食わないな。これが天界の連中が憧れていた月の民の姿だというのなら、甚だ滑稽だ」

 

 そしてやっぱり霊夢と天子さんは噛み付くわよね。正直分かりきってたので、ここは『見』に回るべきだと思うわ。

 

「殺り合うなら前みたいにはいかないわ。遊び無しに最初から本気で戦う。それに今回は紫がいるしね。今の雑魚形態でも十分に戦えるようだ」

「……よろしい。まだ懲りていなかったというなら相手になりましょう」

「紫擬きは怖気付いてるみたいだけど、月を侵略してる連中を相手するより、このままアンタら全員相手してさっさと幻想郷に帰った方が早く解決するような気がするのよね。正直」

「私一人にあれだけ圧倒されて尚、実力の差に気付かなかったのですか?」

 

 あらーこれぞ一触即発ってやつね(←のんき)

 綿月姉妹こそやる気満々な感じだけど、サグメさんはこの展開を望んでいないようで、チラチラ薄目でこっちを見ている。「早く止めろ!」って訴えかけているのかもしれない。知らんけど。

 まあAIBOに身体の操作権取られてるから私じゃ何もできないんですけどね。蚊帳の外に置かれているお陰で変な安心感があるわ。

 みんながんばえー。

 

【あ、時間切れ。後はお願いね】

 

 ハイ。

 という訳で無責任な声とともに戻って参りました現世。私の中でAIBOが萃香と同類の鬼畜系アホの子として認定された瞬間だった。糞強いくせに変なところで虚弱設定押し出してくるのやめてもらって良いですか? 

 とまあ文字通り全方位に喧嘩を売るだけ売って心奥に帰っちゃった訳だけども……幻想郷最高の調停者こと私でもこの状況かなりキツいんですけど。

 

 身体に纏わりついていたスキマが無くなった事で、月勢の警戒が高まっているのを感じるわ! AIBO曰くこの三人と戦うのはやめておいた方がいいのよね。

 ならヘカ純をどうにかする方向で考えるしかないのだが、それでは霊夢と天子さんが納得しない。幻想郷に帰還するまでに時間がかかるしね。

 もしかして詰みでは? 

 

 いや諦めちゃダメよ。大賢者八雲紫はへこたれない。

 AIBOが喧嘩を売りまくったおかげで、この場にいる全員が警戒レベルを引き上げている。へっぽこな私でもAIBOの威を借ることで彼女らと渡り合えるかもしれない。っていうかやるしかねえですわ! 

 

 息を整えて全員を一瞥。そしてなるべく抑揚を乗せずに淡々と声を発する。

 

「悪くない条件だと思いますわ。永琳から齎された情報により即座に数万年の方針を転換させ、幻想郷をとことん利用しようとするその手腕は流石としか言いようがない。好敵手はそうでなくては」

「……」

「しかし、これから私達が相手しなければならない純狐とヘカーティアは非常に強力です。講和にしろ、殺し合いにしろ、成すのは困難な道のり。それこそ、この場にいる貴女達三人を同時に相手する事に匹敵するほどに。月が何も対応できず押されるばかりだというのは純粋な理由がある」

「……」

「それらを吟味した結果──ほんの僅かだけども、貴女達を相手した方が楽なんじゃないかと考えているわ。散々殺し合った仲ですし」

 

 生と死の境界線上に立ってるわねこれは。

 私の言葉によしきたと言わんばかりに天子さんが熱り立つ。霊夢の相貌も鋭いまま。

 この場で戦いの準備を整えていないのは中立? のウドンだけ。

 

 依姫なんか今にも斬りかかって来そうな程の殺気を纏っているが、ここで引いてはいけない。この極限状態にこそ活路はあるのだ。

 険しい顔つきから一転、穏和に語り掛ける。

 

「ただまあ、何度も申し上げた通り殺し合った仲故に貴女達の厄介さも当然よく知り得ている。脅威の比重は本当にごく僅かの差ですわ。だからこそ更なる交渉の余地もあるというもの」

「交渉?」

「私達に有利な条件を二つほどオマケに追加してもらう。それを飲んでさえもらえば交渉は成立、今すぐにでも彼女らの下に向かいましょう」

 

 某宰相リスペクトの交渉術! 

 実際のところ、なんか連中に一方的に言われてるけど現状が厳しいのはお互い様だ。なのに私達にだけ苦労を強いるのはおかしな話である。

 

「まず一つですが、金輪際私や幻想郷に住まう者たちの命を狙うことは許しません。諍いが発生した場合は双方まず話し合いの場を設ける事」

「どの口が言うかっ!」

 

 月面戦争についてはまあ、先制攻撃を仕掛けた幻想郷側に非があるのかもしれない。紫ちゃんは何も知らないけど! 

 でもやっぱり平和に向けた意思の疎通って大切だと思うの。ラブ&ピース! 

 

「もう一つ。この交渉が成立したその瞬間、私を除く一名の拘束を解き、幻想郷に帰してもらう。以上が条件になります」

「……大層な言い方した割にこれだけ? もっと吹っかけていいんじゃないの?」

「これ以上月から得られる物はないわよ霊夢」

 

 悪徳商人タイプの霊夢は交渉内容に若干不満があるようだけど、これでいいのだ。霊夢と天子さん、この二人は幻想郷において一級の戦力。うち一人が帰還するだけでも異変の推移に大きな影響を及ぼすだろう。

 つまり、幻想郷への救援と月の守護、これら二つを同時に行うのである。

 この程度の条件であれば傲慢な月の民とはいえ飲まざるを得ないだろう。そして交渉を若干優位なものに譲歩させた事で二人には溜飲を下げてもらう。幻想郷を守るスタンスを改めて堅持したことで霊夢もニッコリ。

 ゆかりんマジ賢将! 

 

「これらを断るのなら、是非も無し。此処で月面戦争に決着をつけましょう。私は(霊夢と天子さんの後ろから)逃げも隠れもしない」

 

 私の狙い通り、妥協は容易だと考えたのだろう豊姫は柔和に頷いた。

 

「交渉は成立ね。では──誰を幻想郷に?」

「あの、私帰りたいんですけど」

 

 一番に手を挙げたのは終始日和見に徹していたウドンだった。当然の如く却下であるが、私よりも先に依姫に止められていた。

 

「レイセンには八雲紫とともに災厄への対応に当たってもらいます。幻想郷に帰るのは問題ないけど、その前に脱走の罰は受けてもらう」

「いやいやいや!? 私、減刑になるって聞いたんですけど!?」

「なら本来の刑罰を受けてみる? ああ、あとこの決定は八意様からの指示でもある事をあらかじめ伝えておくわ。どのみちお仕置きね」

「やりまぁす! やらせていただきますぅぅ!」

 

 半泣きで縋り付くウドンの姿に私は涙を禁じ得なかった。不憫ですわ。

 マジでてゐとは真反対な兎なのね……幸薄すぎる。幻想郷の幸薄ランキングトップ10を狙える逸材かもしれないわ。ちなみに一位は私ね。*1

 ていうかヘカ純に私達をぶつける策は永琳考案っぽいわね、話しぶりを見る限り。あの化け物はどこまで想定してるのかしら。考えただけで頭が痛くなるわ。

 

 さて、残る選択肢は自ずと二つ。

 

「道は貴女達に委ねるわ。幻想郷の守護者として悔いのない選択を」

「……」

「難儀な二択だな」

 

 霊夢と天子さん、どちらを幻想郷に帰還させるか。これが幻想郷と私の命運の別れ道になるような気がするわ。私としても、どの決断が最善になるのか計りかねている。それほどまでに難しい択。

 再三申している通り、二人は最高級の戦力だ。どちらが残り、どちらが幻想郷を守ってくれても私の信頼は揺らがない。二人に委ねてどうにもならないのなら、それはそれで諦めもつくわ。

 

 だけど当人達の想いは別だ。

 特に霊夢にとっては。

 

「私は……」

 

 淡い瞳が私の姿を映している。

 

「私は──幻想郷に」

「幻想郷に戻るのは私だ。霊夢、お前は紫と一緒に居てやってくれ」

 

 決意を込めた言葉を遮ったのは、さらに力強い言葉。天子さんは霊夢の肩に手をやると、笑顔で自分の胸を叩いた。鋼鉄がひしゃげたような爆音が轟き、鼓膜のぶち破れる音がした。

 天子さんのアイアンウォールは健在ね(二敗)

 

「私はこれでも賢者候補の端くれ、幻想郷を守護する役目というなら博麗の巫女と同じだ。ここは一つ私の顔を立ててもらおう」

「天子さん……!」

「それに今回の件は矢鱈と心配しなくても大丈夫だろう、どんな有事だろうが霊夢に縋らなきゃいけないほど幻想郷の連中はヤワじゃない。殺しても死なないような奴ばっかだ。この半年で存分に思い知ったよ」

「だから逆に困るんだけどね」

「互いに本懐を果たしましょう」

 

 天子さんマジ天使! どうやら私の目に狂いはなかったようね。彼女ほど幻想郷の賢者を担うに適切な人物は居ないでしょう! 私も安心して隠居できるってもんよ。

 普段なら確定でキレ散らかす筈の霊夢が何故か静かなのも印象深い。

 

「……本当に任せていいの?」

「私に言わせれば寧ろ残留(そっち)のが重要だ。まあ任せといてよ! 私の判断に一度だって誤りはない。だからお前の方も色々頑張れ! 紫が殺されたら何もかもおじゃんだし」

 

 キャーテンシサンステキー! 

 なんか心の中でAIBOが水を差すような悪口を垂れ流してるけど無視無視! AIBOは間違いなく私より優れてるけど、鑑識眼については私だって負けてないわ! そうね、例えるなら劉備と諸葛亮ね。反骨の相が見えるだけで重用しないなんて愚行は犯さないわ! ……正邪ちゃん? ちょっと何言ってるか分からないわね。

 

 取り敢えず人を見る目のないAIBOの言葉はしばらく流しておきましょう。

 今は天子さんの勇姿を目に焼き付ける方が大事だ。

 

「それじゃあね! 幻想郷でまた会おう!」

 

 手元に巨大な要石を召喚、それに跨った途端に弾丸の如く射出され天井を消し飛ばしながら飛んでいってしまう。残された場の全員が呆然とし、私はハンカチを振って天子さんの旅路を見送るのだった。

 次に会う時は英雄の凱旋ね! 

 

「あらら、幻想郷まで能力で送ってあげようと思ったのに……せっかちな天人ね」

「修繕費と接待費は下界の名居一族に付けておきます」

 

 今の豪快な旅立ちも含めて結構やりたい放題やってたものね。天人達の悲鳴が聞こえてくるようだが、まあ知ったことじゃないわね。

 そういえば竜宮の使いのイクさんが「鬼と総領娘様のおかげで天界はもう破産寸前」とか言ってたけど、それでも取り立てるつもりなんだろうか。まあ月が滅んじゃったらそんな負債もチャラなんだろうけど。

 

 

 

 取り敢えずこれでパーティメンバーは決定した。張り切り霊夢とお付きの私! そして成り行きで同行する羽目になったウドン! 一同揃って海原の先へと突き進む。完璧な布陣ね(賢者並の感想)

 というのは冗談で、雑魚一人に噛ませ玉兎が一匹、そして天下無敵の霊夢様。意思の疎通どころの話ではなく、戦力の釣り合っていないこの三人での連携は不可能! よって役割は完全に分担させることにした。

 

 私は引き続き非戦闘員な交渉役。腐っても私とHEKAはチャットを通じた長年のお友達、私が間に入っての月との仲介に運べる可能性はあると思う。純狐さんの説得はHEKAに任せる! 

 霊夢は実働役。交渉が決裂して殺し合いで雌雄を決する事になるのなら、全ては霊夢に委ねられる。夢想転生を駆使して無双してもらうわ! レミリアに萃香、永琳を屠ってきたかの奥義であればワールドデストロイヤー級の純狐さんにも通用する筈。

 ウドンは……マジで誰なんだろうこの兎。特技とか能力とかが一切不明なので作戦に組み込むことすらできやしない! ひとまず殿(しんがり)役って事にしてますわ。一応人数が多くて困るもんでもないし。

 

 そしてこの急造パーティに加え、私達の利敵行為だったり敵前逃亡だったりを見張るために督戦隊として綿月姉妹が同行している。戦闘や交渉には加わらず後方で私達を見張るだけらしい。マジクソですわ。

 

 道中も中々厳しいものがあった。『豊かの海』から『静かの海』へ、無生物の墓標をただひたすらに進み続けた。月の都も同じようなものだけどね。

 晴れを越え、雨を越え、嵐を越え、体力の限界に達した私は霊夢に肩を貸してもらいながらなんとか目的地を目指せている。飛ぶのホント苦手ですわ。

 

「紫……まだ調子戻ってなかったの?」

「私はいつだって変わらないわよ」

 

 そう、いつだって絶不調! 身体の調子が良い時なんてかれこれ数十年体験してないわ。

 健康的な生活は未だ遠く。

 ただ霊夢に合法的に支えてもらえるのはラッキーだったわね! これだけでお釣りが出る。ゆかりんもご満悦! 

 

 疎外感を抱いているのか、ひたすら無言で先導してくれるウドンには悪いけどもうしばらくイチャラブさせてもらいますわ! えへへ。

 

【──さっきはごめんなさいね。妖力の再チャージが完了したからそれなりの時間動けますけども、交代いたしましょうか?】

 

 間の抜けたAIBOからの合図に胸の奥から噴出したのは安心──否、怒りと焦り。

 ええい都合のいい時だけ出てくるんじゃあないッ! いま霊夢の脇を堪能してるところなんだから邪魔しないでくれるっ!? 

 

【あらそう? 重ね重ねごめんなさいね。もう少し引っ込んでることにするわ】

 

 AIBOを退け霊夢とのスウィートタイムを死守した。愛があればなんでもできるのよ! 

 さあ、勝利の美酒に酔った勢いで霊夢への頬擦りを敢行するわ! 

 

「……邪魔だからあとは自分で飛んで」

 

 そして海に投げ落とされる私。波に揉まれながら慌ててAIBO召喚の儀を行うも、安定の真スルー。まさか根に持ってらっしゃる!? 

 

 結局、ヘカ純+妖精軍団の下に辿り着くまでに満身創痍になってしまう私なのであった。

*1
藍、早苗、秋姉妹が上位に食い込んでくるらしい




うどんちゃん「八雲紫めっちゃニヤニヤ笑ってるやんコワ〜……」
豊姫「気持ち悪ぅ〜」
依姫「キッショ死ねや!」

えーりん「化け物には化け物ぶつけんだよ!」

紺珠伝五面道中は地獄でしたね♡
ゆかりんがうどんちゃんの事を覚えていないのは「そもそも会った回数が2回と少ない」事と「永夜抄での記憶が死亡前後でガバガバ」なのが主な理由ですね。
ちなみに綺羅星の如く現れたアフリカ出身の超新星、レーセ・ンドゲイ・ンイナバさんの事はしっかり覚えてる。


という訳で役者は出揃いました。
輝、紺、天の異変を解決できれば幻想郷の完全勝利です。勝ったなガハハ! なお娘々。



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ヘカちゃんの月面お遊戯大会

 

 幻想郷の皆様にはあまり馴染みがないかもしれないが、外の世界では宇宙への関心が非常に高まった時期があった。科学の力で遥か彼方の月を手に入れようとしたのだ。世はまさに宇宙大航海時代ってわけね。

 政治的な思惑も絡んだそれは、莫大な金と労力が注ぎ込まれ、人間達の中で軍事力に代わる新たな競争種目と化したのだ。

 

 でもって月に一番乗りを果たしたアメリカが星条旗を月面にブッ刺して終了。世界に対して「対戦ありがとうございました」って流れだったわね確か。

 私も河童から貰ったカラーテレビでその瞬間をちょうど見てたわ。まあ私はその何百年も前に月面着陸してるんですけどね!(謎マウント)

 

 とまあ、何でいまアポロ計画の話をしたのかっていうと、現在その現場に居るからなの。

 荒々しい岩肌、永久の闇、有機物の生存を許さない過酷な環境。まさしく異界と呼ぶに相応しい魔境である。幻想郷の次にね。

 そういえば何で空気があるんだろ? 

 

「つまらない世界ね。こんな所に長居してると気が狂いそうになる」

「本当にね。だけど月の石は地上だと高く売れるのよ。持てる分だけ持って帰れば博麗神社が三つは建つんじゃないかしら?」

「……っ!」

「気持ちは分かるけど事が終わってからにしてちょうだいね」

 

 一心不乱に足元を砕いて巫女服の裾に詰め込んでいく霊夢を諌めつつも、何だか妙な安心感を覚えた。守銭奴霊夢も可愛いわよね♡

 気付かれないようスキマ越しに写真を撮っておきましょ! 保存用観賞用布教用!

 

「やっとる場合ですかっ!? 周りの状況が見えてないの? ねえ!?」

 

 玉兎の金切り声にもすっかり慣れたものだ。最初は煩わしくて仕方なかったのにね。

 ただ確かに彼女の言う事が正しい。落ち着いて霊夢を愛でている場合では無いのだ。霊夢の存在と天子さんの激励が無ければ私もパニクってただろう。

 

 此処にくるまでに月人や玉兎だった物と思しき骸を何体も見た。ミンチよりひでえや状態なので性別すら識別できない有様だった。その都度綿月姉妹の要望で弔っているのだが、相応に時間がかかっているので、これでは日が暮れてしまうペースだ。

 月だから暮れる日なんかないけどね。

 

 私? グロ耐性あるから別に。月人嫌いだし。

 でもまあ可哀想ではあるわ。

 

「……あの者達は月が誇る精兵達。それが大した抵抗もできずに一方的に蹂躙されているのが、我々の現状だ。とんでもない連中と手を組んでくれたものです。愚かな」

「あら協定を結んでおきながら今更恨み言? 女々しいわね綿月依姫」

「貴様ッッッ」

 

 勘違いしないで欲しいんだけど、いま依姫を挑発したのはAIBOね。罵倒する為だけに表に出てきやがったのだ。マジやめろ!!! 

 幸いエスカレートする前にAIBOが退散したので事なきを得たが、これじゃ命が幾つあっても足りないわ! いい加減AIBOをリリースする方法を探さないとね……。

 

 取り敢えず良い感じの返答だけしておこう。

 

「この惨状を生み出す一因となってしまった事に関しては申し訳なく思うわ。しかし貴女達からの攻撃で血を流しているのは我々とて同じ事。その辺りも考慮していただけると非常に助かります」

「いえいえ、依姫は貴女の愚かさを糾弾しただけであって、死合いそのものに対して意図を含んでいる訳ではないのよ。屈辱を味わったのも今回が初めてという訳でもないので」

「私は別にそういうわけでは……」

「そういう事にしておきなさい」

「まあ、はい」

 

 豊姫に諌められた時だけ素直になるのよね、この妹。

 ていうか、それとなくフォローしてあげたのにこの言いようである。綿月姉妹とは一生仲良くできそうにないわ。する必要もないし。

 取り敢えず陰で中指立てとこ。

 

 私と綿月姉妹が言い争いを始めるたびに情緒不安定になる玉兎のウドンがいい加減可哀想になってきたし、そろそろ真面目モードに入らないとね。

 

「先に決めた段取り通り、まずは無血講和に向けて話し合います。しかし彼方がどのようなリアクションを取るかは完全に未知数。最悪、その場で殺し合いが始まります。その時は月面に齧り付く哀れな死体が一つ増えることになるでしょう」

 

 勿論私の事である。

 

「なるべくそうならないよう努力しますけれども、もしもの時は貴女達二人が鍵になる。各々の役目を全うできるよう最善を尽くしてもらう」

 

 霊夢とウドンに語りかける。綿月姉妹が督戦隊だの何だの言って前に出てこない以上、実質的に戦闘要員はこの二人だけ。戦いが始まった途端、私は役立たずの応援団になってしまうからね、仕方ないわね。

 

 まあ万が一猶予のないマズイ展開になったら霊夢と一緒に逃げるんだけどね! いざとなったら例の『奥の手(スキマバキューム)』を使ってでも生き延びる! 

 もっともこれはホントに最終手段であって、私としても避けたい事ではある。純狐さんと綿月姉妹を同時に相手なんてタチの悪い罰ゲームよ! 

 

 霊夢は月の石を仕舞いつつ「当然」と言わんばかりに、色々と後のないウドンは滅茶苦茶嫌そうな顔をしながら頷く。

 ウドンは玉兎の例に漏れず情緒不安定なんだけど、どこか傲慢さというか、とんでもない自信を覗かせる事が多々ある。つまりそれだけの実力者って事なんでしょう。それかただのお馬鹿さんか。

 あの八意永琳や綿月姉妹が推してるほどの兎だから弱くはないと思うんだけど、愛は人の目を狂わせるからね。例えば藍とか藍とか藍とか。

 

 

 

 そんな感じで前提条件から不安だらけなんだけども、恐らくこの状況が最悪の中での最善手だと思う。AIBOからストップも入ってないし。

 これでいいって事なんでしょ? 

 

【概ね問題ないですわ。ただ一つ言わせてもらうなら、霊夢は幻想郷に送るべきだったわね。あの腐れ天人は宇宙にでも放逐しちゃって】

 

 だから天子さんに対して当たりが強いってば! 

 ったく……でも何で霊夢を幻想郷に? 私が死んじゃったらAIBOも困るんじゃないの? それに霊夢は目の届く所に置いておきたいし……。

 

【貴女が死んだところで何も影響はありません。むしろ貴女に死んで貰った方が私も役目を終えられるので助かりますわ。死んでくださるの?】

 

 やっぱり霊夢に一緒に居てもらえて良かったわー! ちくしょう最近AIBOに優しさを見出しつつあった私が馬鹿だった! マジファッキンですわー! 

 ほら一心同体のバディ物ってさ、互いに支え合う普通でしょ。もしやAIBOって共生タイプじゃなくて寄生タイプの生命体なんじゃ……!? 

 

【正解♡ では話を戻しますけども】

 

 釈然としない……! 

 

【霊夢を戦力としてアテにしてない訳ではないのです。ただ『八雲紫』とはあの子にとって猛毒にも劇薬にもなる難儀な存在。あの子の育成は春雪異変の時に大体終わらせておきましたので今は無理に賭けに出るべきではない、そう判断したまで】

 

 そ、そう。またよく分からない情報を小出ししやがったわね。

 でも確かに、ちょっと前に霊夢に気持ちをぶつけられた時に私もちょっと思ったのよね。霊夢との付き合い方を誤れば決定的な破綻が待ってるんじゃないかって。

 なるほどAIBOもなんだかんだ言いつつ霊夢に嫌われたくなかったのね! 

 

 でもさ、霊夢が居なくなったら純狐さんに勝てなくないかしら。私とウドンの二人で止められるとは到底思えないんだけども。

 

【その時は交渉が決裂した瞬間に連中の求める『嫦娥』を潔く差し出せばいいの。第一次月面戦争の際にマーキングは済ませておきましたので拉致は容易い。月とは再び殺し合う仲に戻るけど、その時は仙霊側に付けばいい。幻想郷に展開する月軍は霊夢と隠岐奈が蹴散らしてくれるでしょう】

 

 表裏比興ムーブってやつか。悲しいけどこれ、戦争なのよね。

 そうそう、そういえばHEKAさんが嫦娥に対してボロクソ言ってたわね。ていうか、今からでもその作戦でいきません? 綿月姉妹との戦闘はAIBOに頑張ってもらうってことで。

 

【霊夢が月に残ったのならば話は別。きっちり月との因縁を精算しておいた方が今後楽になるわよ。貴女の平穏な幻想郷ライフの為ですわ】

 

 なるほどぉ! それなら仕方ない! 

 いざ戦端が開かれたらAIBOが何とかしてくれるんだろうし、私は安全圏で見守っていればいいのね。勝ったわ! (確信)

 

【勝手に盛り上がっているところ申し訳ないんだけど、今のまま私が出ていっても妖力不足で恐らく何もできず消えてしまいますわ。全開で活動できる時間は多く見積もって1分12秒ね】

 

 駄目じゃん! (絶望)

 さっきまであんなに自信満々なこと言ってたくせに無責任ですわ! AIBOのペテン師! 

 

【再三申し上げている通り、貴女の生死は私の役目と直結しないものでして。ああ、あと数時間くらい真剣にチャージすれば3分程度まで増やせるけども】

 

 頼りないウルトラマン!? 

 ぐぬぬ……! いまさら綿月姉妹に「ちょっと調子が悪いから決行は明日にしない?」とか言っても絶対受け入れてくれないわよね。心が狭いし。

 分かった、分かったわ! 

 取り敢えずAIBOは死ぬ気でそのチャージとやらをしててちょうだい。なるべく貴女に頼らないよう頑張るから。

 

【了解ですわ。……ごめんなさいね、永琳や妹紅との戦いの時点で結構カツカツなの。まあ9割貴女が無謀な戦いを挑んだせいだけども】

 

 その節はどうもお世話になりました。

 

 しっかしAIBOもなかなか謎な生態してるわよねぇ。そもそもなんで私に寄生してて、八雲紫ヅラしてるのかも不明。まるで有象無象の悪霊みたいな性質なんだけど、その癖して戦う時はめっちゃ強い。改めて考えると怖くない? 

 あと妖力のチャージって言っても私の中にあるモノなんかたかが知れてるだろうから、別のところから引っ張ってきてるんでしょ? その技覚えたら私もAIBOみたく強くなれないかしら。

 

【──そうねえ。今回の騒動を無事に切り抜ける事ができれば、私の正体と一緒に件の方法を教えてあげてもよろしくてよ? ただし、強くなりたいちゃんとした理由を考えておく事。巫山戯たら失格ですわ】

 

 えっ嘘。ちょっとした冗談のつもりだったんだけど、私でもしっかり強くなれるの!? 

 

【少なくとも藍くらいには】

 

 なんか大した事ないように言ってるけど間違いなく幻想郷最強クラス確定じゃないの! フゥゥゥッやったーッッッ!!! 

 今まで暴力反対とか平和第一なスタンスで頑張ってきたけども、本音を言うと暴力で解決できるに越した事はないわ。フッフッフ、私の中に眠る闇が呼び起こされる日もそう遠く無いようね……。

 ていうか底辺な私クラスから藍クラスまでって、強化幅がヤバすぎるでしょ。何万倍……いや下手したら何億倍? 

 

 そんな裏技があるならさっさと教えろよって思わなくもないけど、AIBOが情報開示に応じてくれたのは嬉しいわね。ついでになんか謎に秘密だった正体も教えてくれるらしいし。

 裏技に比べたら重要度はめちゃんこ低いけどね。まあ喉につっかえた小骨が取れるようなものかしら。

 前に「未来から来た」なんて聞いた時はビックリしたけど、今は「まあこんなもんか」って感じだし。予言と違って諏訪子死んじゃったし。

 

【貴女如きにそのような物言いをされるのは正直癪に触るわね。……兎に角、私はチャージの間少し引っ込むから、せいぜい死なないように】

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「やっほーゆかりんお久しぶりー!」

「こんにちはヘカーティア。相変わらず壮健なようでなによりです」

「ゆかりんゆかりん、約束」

「……ヘカちゃんおひさ」

 

 互いにニヒヒと(引き攣った)笑みを浮かべ、握手を交わす。

 約束その一『月面での握手』と、約束そのニ『ヘカちゃん呼び』はこれにて達成という訳だ。本当ならここからオフ会と洒落込みたいところだが、周囲の状況はそれを許してくれそうにない。

 

 一際大きなクレーターの中心で3対3の睨み合いが発生しており、その外周前左右をぐるりと相手の手勢と思われる妖精達が取り囲んでいる。

 たかが妖精と侮るなかれ、霊夢の分析では恐らくその一匹一匹がルーミアとかチルノレベルのやばい個体らしい。つまり一匹を外の世界に放流すれば文明が滅びちゃうレベルって事だ。インフレ極まってますわね!? 

 

 そして後方に控えて私達を督戦する綿月姉妹。桃なんか食っていい気なものである。それと一応本部からサグメさんが見守っているらしい。

 

 和やかなのはHEKA、もといヘカちゃんだけだった。

 他四人の抱く感情は敵意混じりの興味、底無しの怨嗟、恐怖を抑え込む勇気と様々だ。

 私? クッソ逃げたいですわ! 

 

 一番に目に付くのはやはり純狐さんと思わしき空間の歪み。ウドンはあまりの異質さに小さな悲鳴を上げていた。あの霊夢でさえ思わず二度見していた程だ。

 その次が奇抜な衣装に身を包む妖精。不気味に揺らめく松明を掲げ、星条旗を模った道化服とタイツを着こなす様はなんというか、凄くアメリカンですわ。きっと周りを取り囲んでる妖精達の親玉なんでしょうね。

 ヘカちゃんは……まあ服装のインパクトが一番だった。この場で唯一、一切の敵意を感じさせない立ち振る舞いに思わず気が抜けてしまいそうになる。

 

「紫、アンタこんな巫山戯た服装の連中と組んでたの? 目がチカチカするんだけど」

「あらあら言ってくれるじゃないの。まあ幻想郷は田舎だし都会のセンスについて来れないのは仕方ないわ。無礼な物言いも一回だけなら許そう」

「何処の文化でも受け入れられないわよ、そんなクソダサい──」

 

 あらかさまにイラついた様子で言い返そうとする霊夢を慌てて諌める。ここでヘカちゃんの機嫌を損ねたところで何の得にもならないのだ。

 

 なにせ純狐さんはあんな調子だもん。アメリカ妖精はどうも従者ポジションっぽいし、ヘカちゃんとしか交渉は進められない。

 霊夢に服を貶された瞬間、僅かに眉間に皺が寄ったのを私は見逃さなかった! この手の話はNGワードであると判断! 霊夢の気持ちはマジで分かるけども! 

 

「さて改めて、会えて嬉しいわ。月の連中に捕まったって聞いてたけど、何とかなったようね。そろそろ都に乗り込んで助けに行こうと思ってた頃合いだったんだけど」

「心遣い深く感謝します。此方の不手際により効果的な連携が取れなかった件に関しては大変申し訳ございませんでした」

「まあまあ、不慮の事態が起きた時は互いに助け合うのが同盟者、そして友達ってもんでしょ! いずれにしろ無事で本当に良かったわん!」

 

 くっ……好意が胸に突き刺さる! 

 

「ところでそこの兎ちゃんは玉兎じゃないの? 生け捕った捕虜?」

「いえこちらのウドンインゲは幻想郷に住まう玉兎。謂わば月と地上の中間の存在ですわ」

ウ、ウドンゲイン……

「ほうほう見せしめで連れてきたって事ね。ゆかりんも中々やるねぇ! 後ろの月人どもの悔しそうな顔が全てを物語ってる」

 

 悔しそうっていうか、どちらかと言うと殺意と無関心じゃないかしら。

 まあヘカちゃんがそう思っているのなら別にいいわ。兎に角、穏便に話を進めて上手いこと講和を纏めないと……! 

 

 不服そうなウドンを前に押し出して、少しの間バトンタッチ。

 

「此方、評議会による決定と提案が載った書簡です。確認をお願いします」

「中間の存在だからこそ使者にうってつけだと判断された訳か。なるほどなるほど」

 

 

「でもいらない」

「ほえっ?」

 

 うんうんと感心したように頷きながら、ヘカちゃんは書簡を破り捨てた。

 一気に場の雰囲気が重くなり、圧力が高まる。

 

 穏健だったヘカちゃんの突破な行動に面食らいながら、私は再び前に進み出る。

 動揺を隠さないと……! 

 

「中を確認しなくても?」

「うん、興味ないね」

「貴女達に頗る有利な内容が載っていたかもしれないのに、それでも?」

「ゆかりん、もしかして勘違いしてるのかな」

 

 ヘカちゃんは困ったように笑いながら淡々と告げる。

 

「私達は月に住まう者を皆殺しにするまで進み続けるの。どんな内容の講和条件が用意されていようと、私達──取り分け純狐が我慢する必要なんてないでしょ? だって連中に私達を止める手段は一つもなくて、滅びを待つだけなんだから」

「し、しかし……」

「まあ、講和条件が『嫦娥の侵した罪を贖う為、月人一同腹を切ってお詫びします』って事なら話は別かしら。でもそれならわざわざ私達に書簡を届ける必要なんてないと言ったらそれまでだけどね」

 

 駄目だわ、話の流れを断ち切れない! 

 ヘカちゃんの温和な語り仕草は変わらず、それでも身に纏うナニカが変質してきているのは最早明白だ。瞳はあまりに冷たく、超然的だった。

 

「歯向かってくる奴は殺す。降伏した奴も殺す。自決した奴は地獄で殺し抜く! 勿論、幻想郷に逃げ込んだ月人も同様。月に関連する者は一人として生かしておかない」

「関連、する者……?」

 

「例えばそこの玉兎」

「あえ!?」

 

「月の神をその身に宿す巫女」

「は?」

 

「そして、月に対し2回も無様に敗戦し、更には思惑に与した愚かな友人」

「……!」

「ごめんねゆかりん。裏切り者は粛清するってさっき純狐と決めちゃったの」

 

 あれちょっと待って。

 という事は、交渉以前の問題だったの? 

 

「私が今から嫦娥を連れてきても?」

「別にゆかりんの手を借りなくても嫦娥は殺せるしねぇ。ていうか嫦娥を差し出せるなら月面戦争前に用意して欲しかったかな。過ぎた事だけど」

 

 あー、これは駄目ね。お手上げだわ。

 パワープレイで盤面をぶっ壊してくるような人達と交渉なんて不可能だ。それにあの三人はあまりにも狂気に染まり過ぎている。当然思考回路も、常人の『それ』ではない。そもそも言葉が通じていたのさえ疑わしくなる。

 

「以上が建前で、実は月の連中があんまりにも弱っちいから飽き飽きしてたところなのよ。だからゆかりん達が来てくれたのは渡りに船ってワケ」

「別に私達は月に降った訳ではないのだけど。味方してるんでもないし」

「あらそうなの? まあなんにせよ楽しければいいじゃない。ゆかりん達が楽しめるよう、私達も幻想郷の流儀で相手しちゃうわ」

「流儀とは?」

「弱肉強食の殺し合い」

 

 ダメだこりゃ。

 AIBOの計算違い……というよりは、認識のズレなのか。彼女の知る未来が寧ろ思考の枷になったように感じる。

 考え得る限り最悪の終着点だ。

 

「なんとかならないかしら?」

「うーん……純狐どうしましょ?」

嫦娥殺

「そっちじゃなくて、ゆかりん達の処遇」

 

 純狐さんの歪みが揺らぎ、僅かな硬直が生じる。

 そして結論に導かれた。

 

粛清

 

 袂は分たれた。

 

 

 

 

「という訳で講和は駄目でしたわ。派手に嫌われてるのね貴女達」

「やはり不可能でしたか。化け物と化け物の予期せぬ化学反応を期待したのですが……」

「無理なものは仕方ないわ。切り替えていきましょー」

 

 ここまで無責任に物を申せるのは紛う事なき才能である。おかげ様で私も堂々と中指を立てることができるわ。霊夢と一緒にダブルファッキンよ! 

 

 ちなみにウドンは私が嫦娥を売る話を始めたあたりから、懐疑的な様子で私を見ている。もっとも綿月姉妹にタレ込む訳では無さそうなのでセーフ。

 状況が此処に至っては下手に掻き乱すのを嫌ったのかもしれない。

 

「で、殺し合いですか?」

「そうに違いないのだけど、私達が相手だという事で少し手心を加えてくれたみたいですわ。彼方の遊び心ですけど」

「ゲームでも提案してきましたか」

 

 ビンゴである。

「このまま安直に蹂躙しても面白くない」というヘカちゃんの一言で考案された戯れ。

 私達にとっては一筋の光明。

 

 殺し合いには変わらないけどね。

 私はちょっと色々考えなきゃいけないので、ウドンが代わりに話を引き継いだ。

 

「人数がちょうど良いとのことで、互いの代表を選出しての団体戦が提案されました。彼方の主要メンバーは恐らく三人、そして此方は豊姫様と依姫様を除いて三人。これで先鋒中堅大将での試合風の殺し合いを……」

「くだらない。──しかし統計通りではある」

「統計?」

「八意様が月に健在だった時代、仙霊と何度か知恵比べ等のゲームを行い、それに勝利する事で追い返していたと聞いている。八意様が月を去ってからというもの、実力行使しかしてこなくなったが、今回は気分が乗ったのもしれません」

 

 要するに私から永琳と同じ賢者の波動を感じた……ってコト!? なるほど納得したわ。つまり私のおかげで(主に私の)詰みを回避できたってわけね。

 大混戦バトルよりもこっちの方が些か穏便だ。

 八雲紫渾身の有能ムーブ! 

 

 ちなみに私達が勝てば月への侵攻を取りやめて、数十年の停戦協定を結ぶらしい。幻想郷にも手を出さないと明言している。

 ただ敗北した場合は何も変わらない。

 

 という訳で、いま私が必死に考えている事とは、試合のオーダーである。

 私、霊夢、ウドンをどういう順番で配置したものか検討に検討を重ねているのだ。

 

 まあ私が大将(最後)なのは決定してるけどね。

 理由は大きく二つ! 

 

 まず一つに、AIBOのチャージ時間。これをなるべく稼ぐ為ね。私が戦ったところで万に一つにも勝ち目はないだろうから、やはりAIBOに頼るしかない。

 

 そしてなによりも大切なのがこの試合、先に2連勝した方の勝ちなのである。つまるところ運が良ければ私まで出番が回ってこない可能性があるのだ。

 ウドンと霊夢が勝ってくれるのが一番最高な勝ち筋! 私は不戦勝! 

 

 だからこそ組み合わせをよく吟味しなければならない。ウドンが先か、霊夢が先か。この選択で私の命運は大きく変動するだろう。

 

 一応二人には私が大将になる旨をすでに伝えている。「勝手に大将ヅラしてんじゃねえよ」と反発を買ったりしたけど「大将には多分あの中で一番強い人が出てくるから私が(不戦勝で)処理します」と言ったら何とか納得してもらえたわ。霊夢はあんまり、だけど。

 

 さてさて作戦会議という事で霊夢、ウドン、私で円陣を組む。監督枠らしい綿月姉妹も蚊帳の外ながらも聞き耳を立てている。

 

「私の見立てでは、大将戦に出てくるのは(主謀者である)純狐の可能性が高い。つまり貴女達二人にはクラウンピースなる妖精と、ヘカーティアを相手にして必ず勝ってもらわねばなりません」

「まあ私はどっちがこようが勝てますけど。そっちは大丈夫?」

「愚問ね」

 

 両者共に自信満々! この状況でまだ大口を叩けるって事は、やはりウドンもかなりの強者なのだろう。そういえばやっと思い出したんだけど、この玉兎って幽々子の所に居た奴よね。永夜異変で妖夢と戦ってた。

 なら大体妖夢と同格……なのかな? 

 

 希望が見えてきた。

 

「じゃ、私が先鋒(一番手)でいかせてちょうだい。ここらでお遊びは良い加減にしろってところを見せてやりたい」

「大層な自信ですわね」

「地獄だろうがなんだろうが、あんな奇抜な服を着た連中に負ける筈がないわ。そして奴等を打ち負かしてきた師匠の弟子である私が先陣を務めるのは縁起がいいでしょ? これぞ勝利への方程式!」

「なら私が中堅(二番手)ね」

 

 どっかで見た事あるような台詞をかましてくれたウドンを尻目に、霊夢はあっさりと了承を告げる。多分こんな事で揉めるのが面倒臭かったんでしょうね。

 ところで綿月姉妹が「あちゃー」って感じで頭を抱えてるのは何なんだろう? 

 

「鈴仙の悪い癖が出たわねー」

「八意様の下でも治っていなかったのか……」

 

 あーなるほどね完全に理解したわ。

 やっぱり色んな意味で妖夢と同格らしい。

 

 

 

 クレーターを挟んで向かい側に陣取る三人組に目を向ける。どうやらあちらは結構前に順番が決まっていたようで、待ちくたびれたと言わんばかり大きく○のジェスチャーを送ってきた。張り切ってるわねぇ。

 

 だが張り切ってるのはヘカちゃん達だけではなくて、突如駆け出したウドンが大きく跳躍し、華麗なアクロバットを決めて着地。揺れるスカートとウサ耳がなんか良い感じの雰囲気を醸し出してるわ。

 当の本人も余裕綽々な様子で綺麗な長髪を掻き上げる。

 

「我が名は鈴仙・優曇華院・イナバ。月の賢者八意永琳の弟子にして地上最強のソルジャーだ! クラスは勿論ファースト!」

 

 久々に月に帰って来れてテンションが上がっている(豊姫談)らしいけど、これはちょっと行き過ぎじゃない? メルランの音楽を聴いた後みたくなってる。

 

 あと本当に言葉通り地上(幻想郷)最強なのだろうか? ゆかりんは訝しんだ。

 

「月と幻想郷は私が守るッ! さあまず一番に無様を晒したいのは誰かしら!?」

 

「おおっ威勢が良くて可愛いねぇ。こりゃ喜んでくれそうだ」

「ご主人様ご主人様! アイツなんか強そうだから私にやらせてくださいな!」

「さっき順番決めたでしょー? だからダメー」

 

 ヘカちゃんはケラケラ笑い、アメリカン妖精のクラウンピースとやらと一緒にはしゃいでいる。二人が前に出てくる様子はない。

 つまり──。

 

 

嫦娥殺……嫦娥殺……

 

 

 こういう事よね。

 

 霊夢や綿月姉妹、そしてウドンから向けられたなんとも言えない視線を無視して、私は漆黒の宙を見上げた。

 地球は丸くて青いのねぇ(ユカーリン)

 あくまで可能性の話しかしてないから私のせいじゃないわ。これ大事。

 

 いやーまさか初っ端から最強の人が出てくるとは思わないじゃない? あんまり私達に対して関心を向けてこないのでゲームにもあまり乗り気じゃないものだとばかり……。

 ああ見えて実は楽しんでたりするのかしら。

 

 音もなく躙り寄る破滅、歪み、絶望。

 これほどまでの圧は永琳や諏訪子以来──若しくはそれ以上。証拠に純狐さんから放たれる殺意だけで私の心と身体中の骨が折れかけてる。しかもアレが私に向けられているものではないというのが驚きだ。

 もしもアレを一身に受ける事になるのなら、果たしてそれは生物としての原形を留めていられるのだろうか? 私は無理です。

 

 あっ、ウドンもちょっとビビり始めてるのが遠目からでも分かるわ。

 うーん不安になってきた。彼女が負けてしまえば私の出陣が確実になってしまう! 

 

「霊夢。貴女はこの戦い、どう見る?」

「……」

 

 取り敢えず何とか平静を保ちつつ、識者を装って霊夢に問い掛ける。勝敗予想における博麗の勘の信頼度は頗る高いのだ。

 今はAIBOが居ないしね。

 

「まあ、いつもの有象無象ではないわね。私があの二人のどちらかと殺り合う事になるのなら、躊躇なく夢想天生を使うわ。そのくらい」

「上澄み同士の戦いという訳ね」

「だけど勝負はあんまり長引かないと思う」

「何故?」

「勘」

 

 これ以上ない説得力ね。

 それにしても、この対決がそんなに高次元なレベルだとは思わなかったわ。幻想郷の外にも探せば色々居るものなのねぇ(白目)

 

 

 今宵行われるは、ほぼルール無用のデスマッチ! 最低限タイマンさえ守られていれば何をやっても大体許される幻想郷も真っ青な穢れた聖戦! 

 一応その『最低限』が破られた瞬間に綿月姉妹が問答無用で仕掛ける手筈になっているが、あまり期待はできない。共倒れ上等だろうし。

 

 何にせよ、私は祈るしかないのだ。

 幻想郷・月連合には一度の負けも許されない! 

 

嫦娥殺

「お、お前みたいな敵が居たなんて初めて知ったけど、むしろ好都合! ここらでお師匠様に私の強さを分かってもらえるチャンスだ!」

我理解不可。汝問、何故我挑戦?

「愚問だ! かつての仲間達への贖罪が少々、そしてなにより、勝てるからっ!」

汝問、何故無謀挑戦?

「いやだから勝てるから──」

汝愛玩可憐兎。可愛

「あっども……」

 

 側から聞いてるとなんで会話できてるか全然分からないわね。なんでだろ、純狐さんの言葉って意味を成してない筈なのに、面と向かうと意味を理解できてしまうのだ。

 つまり純狐さんの能力は『ほんやくコンニャク』的な感じなのかしら。でもそれじゃあんなに禍々しくならないわよね。結局謎だ。

 

 不完全な前口上に釈然としないままウドンが構える。右腕を前に突き出しながら他の部位を弛緩させるそれは、変幻自在に形を変える軍隊格闘術の型だ。

 対して純狐さん、歪みで姿は殆ど見えないが、棒立ちで相手を眺めているだけのように見える。もしや戦闘に関しては素人なのかしら? 

 

 この勝負……いけるのでは!? 

 

 

「さあいくわよッ! 月と地上で培った私の超絶必殺技を受けてみ──」

 

 

「ろ」は出なかった。

 

 瞬きの間も無く、況してや何の前触れもなく、ウドンの身体が粉々に細かく弾け飛び、灰になって月面に降り注いだ。

 首に掛けていた人参を模したネックレスが、虚しく僅かな重力に従い落下する。

 

 月の超戦士はスペースデプリと化した。

 あまりに──呆気ない幕切れ。

 

「「は?」」

 

 愕然として空いた口が塞がらない……! あの霊夢ですら、その顛末に面食らっている。

 だが更なる混乱はこの後だった。

 

 控えから差し込んだ禍々しく昏い光がウドンの居た周辺を包み込み、ドーム上に凝り固まり拡大する。

 そしてそれらが凝縮され、濃い闇の中から這い出てきたのは、なんと消し飛んだ筈のウドン。外傷は何処にも見当たらない。

 私達はおろか、当人でさえ何が起きたのか分かっていないようだった。

 

「んもうダメじゃない純狐ったら。一回目が一番盛り上がるんだから、ちゃんとスタートの合図をしてから、じっくり派手に殺し合わないと」

「という訳で仕切り直しね。はいレリゴー!」

 

 ヘカちゃんの宣言とともに、今度は目に見える形で純狐さんの力が噴き上がる。霊力、妖力、況してや神力でもない。何にも属さない無名の力。

 こうして純狐さんの力を死せず目の当たりにできる事は、つまり彼女の手心以外の意味を持たないのだろう。

 

 ほんの僅かな間を置いて、顔面蒼白なウドンは背を向けダッシュ。つまり、敵前逃亡した。彼女に戦意は微塵も残っていなかったのだ。

 体験した『死』が心を粉微塵にしてしまった。

 

 

 時間稼ぎにもなりゃしねぇッ!? 

 AIBOOOOOOOOOOOOOOOォォッ!!! 早く来てェェーーーーーッ!!! 

 




ヘカ純「貴様ら許さんぞ……殺してやる……」
ウドン「ヤバイですよ!」
綿月姉妹「くっ……!」
ゆかりん「大変だねあんたら」

ヘカ純「殺してやるぞ八雲紫……!」
ゆかりん「!?」


ヤムチャだったりクリリンだったりガガーリンだったりで忙しいゆかりんの回。というかインフレの仕方がDB並みなのよ……。
ゆかりんに喋らせるといくらでもネタが湧いてくるからフシギダネ(ダネフシャッ)


AIBOの知るヘカちゃんなら色々と冷めてゆかりんの思惑通り動いてくれた。本気を出すまでもないから
ただ幻マジのヘカちゃんは幻想郷やゆかりんに対してのスタンスが大きく異なるので今回のような動きになります
ゆかりんと行動を共にし始めた瞬間やらかしまくるAIBO可愛いね♡ 何も悪くないけど

ちなみにうどんちゃんはゆかりんに嵌められたって思ってるよ


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古臭くてつまらない話

奴の正体がさらっと明らかになります


 出立ち、種族、思想……何もかもが違えど、奴とは妙な親近感があった。

 その正体に気付くまでには相応の時間を要したが、判ってしまえばその程度のものだ。

 

 数えるのも億劫になるほどの神格と習合を重ねに重ねた私には、明確な標が存在しない。主たる主人格はあれど、確固たる"自分"を持っていないのだ。

 八雲紫もまた、私と同じだった。

 

 八雲紫は個である。

 この世に一人しか存在し得ない隙間妖怪であり、それでいて、その身に幾多もの群を抱えている。

 中にいる者も全て紫なのだろう。だが奴等には違う名前が付いていた。きっと元は紫ではなく、もっと別の存在だったのだと思う。アレらの抱く想いはあらゆる方向を向いている。

 そんな群を個として成立させたのが、かの化け物。

 

 親近感の正体とは、同類への関心。化け物同士の馴れ合いを欲した故の想いなのか。

 

 紫との出会いを振り返れば昨日の事のように様々な情景が思い浮かんでくる。

 あらゆる姿で奴に立ち向かい、敗れた時には足りぬ要素を付け加え、新たな自分へと変質する事で対抗し続けた。紫に近付くたびに私の心から『個』は消え失せ、代わりに『摩多羅隠岐奈』を感じるようになった。

 

 摩多羅隠岐奈とは幻想郷の賢者であり、後戸の神であり、障碍の神であり、能楽の神であり、宿神であり、星神である。

 そして尚且つ、秦河勝であり、八雲紫なのだ。

 

『目を細めながら笑顔を決して絶やさない。そして言い回しは大物っぽく尊大に』

 

 全て紫との争いの中で手に入れたモノだ。

 

 思えば本当に、本当に永く殺し合ってきた。私の中にある神格の殆どが一度は奴と矛を交え、苦い敗北を喫している。鬱憤は溜まるばかりだったが、それもまた良し。

 神故の責務だとか矜持だとか、つまらぬものを建前にしてきたが、やはり私の中にあったのは悦びを求めるどうしようもない心だった。

 

 また同時に、奴とは数え切れない回数酒を酌み交わしてきた。多分、伊吹萃香ほどではないだろうが、私もそれなりの頻度で月見酒に興じていた。

 最後に紫を見たのも、その時だ。

 

 

「月を獲る……だと?」

「ね、面白そうでしょう? 最近知り合った友人と近々行動を始めようと思っているの」

「まあお前であれば不可能ではなかろう。付き合わされる奴らの身からしてみれば堪ったものじゃないだろうがな。どこまでやるつもりだ?」

「さてね? 思い出作りで終わったのだとしても、それもまた一興ですもの」

「酔狂なものだ」

 

 崩した格好で古酒を口に運ぶ様はいつ見ても美しかった。この妖香に果たしてどれだけの者どもが狂わされてきたのか。それこそ星の数ほどか。

 紫は一度気になった相手に対してはしつこく纏わり付いてくるが、ある日突然、パッタリと興味を失う事が多々ある。勘違いさせられた者達に関しては気の毒だったと言う他あるまい。気まぐれと言うにはあまりに邪悪だ。

 それに関連して良くない噂も聞く。

 

 私とは、どうなのだろうな? 

 適度に険悪になる期間を設けている分、色々と長続きしてる面もあるのだろうが。

 

「どうせ隠岐奈は来ないんでしょ? 何かお土産でも用意してあげようか」

「いらんいらん。月の連中に目を付けられるのも今となっては面倒臭いだけだ」

「いつだって暇してるんだから、少しは恨みを買って刺激ある生活を送ってみるのもいいんじゃない? 変な世界に閉じこもってないで」

「はっはっは。実りある妖生を送れているようで羨ましい限りだな」

「一度きりの妖生だもの。楽しまなきゃ損よ」

「そこそこ楽しんでいるとも。この終わりなき乱世も我が手によりようやく終息しつつあるからな。じき、真の強者が明らかになる。その後は暫く忙しくなるだろう」

「みんな頑張ってるわねぇ」

 

 戦争や命の奪い合いに対する紫の態度は一貫している。興味なさげな様子で結果だけを聞いて、適当に茶化して終わりだ。

 奴にとっては子供の戯れのようなものなんだろう。

 

 だが紫にとっては取るに足らない出来事でも、妖怪達、取り分け今も幻想郷に巣食っているような妖怪には非常に重要な意味があった。

 

 私が殺したのは、名の無い闇の太陽。人間達の間では『四煌』と恐れられる存在。太陽神としての側面をも持つ私には目障りな障害物だった。だから潰した。

 しかしどういうわけか如何なる手段を用いても力の全てを殺し切る事はできなかった為、私は奇策を用いた。

 その日人里で生を受けた人間の赤児に残滓を食わせてやったところ、目論見通りに生成り化して私に逆らうことは無くなった。赤児は成長と共に完全に妖怪へと変質して、今も幻想郷の野山をほっつき歩いている。確かルーミアと名乗っているんだったか? どうでもいいが。

 

 あの闇妖怪は一つの時代を作り上げた妖怪の一人だった。それらが瓦解を始め、その行き着く先が幻想郷の成立だったと言えよう。

 かつて人類の4割を死に追いやった病魔を司る土蜘蛛、黒谷ヤマメは全盛期の茨木華扇に敗れ、蟲の王に恭順する道を選んだ。

 そしてその蟲の王、リグル・ナイトバグは天魔率いる天狗との全面戦争の末、力と記憶の殆どを失い、今では妖精とつるんでいるような弱小妖怪へと身を落とした。

 

 結局、『四煌』の中で無傷のまま次の時代を迎えたのはレティ・ホワイトロックただ一人だった。前時代の支配者を下した英傑が次なる時代の賢者(担い手)として頭角を表してきた、そんな激動の時代。

 一方で紫はやはり呑気していた。

 

「月の民と遊ぶのは構わんが、地上は地上でまだまだ火種に事欠かない。お前が居ない間に勢力図は一変するぞ。天魔はまだまだ止まる気配を見せ無いし、因幡てゐの動きも活発化してきている」

「やりたければどうぞご自由に、としか思わないわねぇ。ああ、だけど天魔にはちょっと釘を刺しておいた方がいいかも。気が向いたら顔を見せに行きましょうか」

「奴らだけじゃないぞ。最近日の本に上陸した外来の妖獣も各地で暴れ回っている。棄てた元飼い犬の処分くらいはしていったらどうだ?」

 

 私の嫌味に紫はわざとらしく首を傾げる。そしてほんの少し考えた後、手を叩く。

 

「あっ、藍ね〜。あの子可愛いでしょう?」

「人間達からはえらく恐れられているがな。随分とヤンチャしているようだ」

「うーん……でもあの子にはまだ会えないのよね。時期が悪い」

 

 この時、私は九尾の狐を曲がりなりにも気の毒に思った。きっと八雲紫という名の宝石に狂わされてしまったのだろう。奴の放つ光は危険だ。

 

 そもそも紫が幼少の九尾と接触を持ったのは打算ありきだと本人から聞いている。将来的な潜在能力や危険度を見越し、いつでも自らの手駒にできるよう影響下に収め、更に成長を阻害するよう理性と楔を打ち込む。

 結果、紫を探して大陸の国々を滅ぼす災害の誕生という訳だ。驚くべきはついにその悲願が達成されつつある事だろう。

 

「藍とは月から帰ってきた後に逢おうと思ってるの。でもその間に日本を滅茶苦茶にされるのはちょっと困るわね。知人に接待をお願いしておきましょう」

「伊吹か?」

「いえ星熊の方。あとは……狸と私を」

「熱烈な歓迎だな。本当に会う気があるのか疑わしくなるぞ」

「本音を言うとね、あまり会いたくないの。もしかしたら失望されちゃうかもしれない。私はいつだって美しくありたいから」

「失望も何も、お前は昔から何一つ変わっていないが?」

 

 大した意味のない、適当な世辞を伝えたところ、思いの外喜んでくれたのを覚えている。変わらない事がそんなに嬉しいのか? 

 

「私ね、そろそろ死ぬと思うの」

「急だな。笑うところか?」

「真面目よ! ……近々ね、その刻が来るかもしれない。いつ頃になるかは私にも分からないけれど、そう遠い未来じゃないわ。貴女と話すのも今日が最期」

「本気か」

「うん。お世話してた蝶の死を看取ったくらいからかしら、自分の最期について考えるようになったの。で、自分と向き合った結果、死ぬには良い日が来そうな予感がね」

「鬱だな」

「躁よ」

 

 居住まいを正し、神妙な面持ちで告げられたのは、これまでと全く毛色の違う可笑しな話。この時の私は、どうにも奴の思惑が掴めなかった。八雲紫と『死』は最も縁遠い関係だと断言してもいい。

 自殺でもするつもりか、と問うたが奴は曖昧に笑うだけだった。手元の杯を弄びながら告白の余韻に浸っている。

 自分の死期すら見通していたのか。

 

「これから先も、八雲紫はきっと現れるでしょう。でもそれは私ではない。そう──貴女の敵ではない。だから……」

 

 その言葉には二つの意味が込められていた。

 どういう魂胆にしろ、紫は私との爛れた関係を終わりにしてしまうらしい。満ち足りた日々を送っていただけに、非常に残念だと思った。

 私でさえ、奴とは対等になれなかったか。

 

 紫は孤独だ。いつだって。

 

「そうか……すまないな紫。私にしてやれるのはその程度になりそうだ」

 

 愛した女への僅かな手向けだ。

 その為なら次の千年くらいくれてやる。

 

「さようなら隠岐奈。次の夢で逢いましょう?」

 

 

 

 

 結局、その言葉通り八雲紫は死んだ。

 

 気が狂ってしまったのか、迷いの竹林で訳の分からない事を喚きながら己を壊したらしい。境界の力で自らの身体を別ち、奴の全てが粉々に四散した。

 その一連の事件にメリーなる少女が関わっていると覚妖怪は言っていたが、私にはどうでも良い事だ。私が重視しているのはそこではない。

 

 古明地さとりは紫の奇行を自殺と称したが、私に言わせれば老衰のようなものだ。奴はその末路を自ら望み、その未来を掴んだのだから。

 

 かねてからの願望を叶えて、そのついでに世界を救ったのだ。そのあたりは誰であっても評価せざるを得ない功績だろう。

 実に鮮やかな、奴らしいイカサマだ。

 

 

 

 そして私は紫の言い遺した通りの行動を開始した。新しく誕生した、それこそ『私の敵ではない』八雲紫に接触し、幻想郷成立の道へと誘導した。

 

 見る影もなく寂滅した覇気と妖力。そして奴の存在そのもの。なおも特別な力を感じるものの、従来に比べれば微々たるものだ。

 右も左もわからない、自分の式神にさえ怯えるような、ガワだけの存在を甲斐甲斐しく世話してやったものだ。まあ、いつまでも私が付いている訳にもいかないので、自衛を兼ねた適当な世渡り術を教えてやったら、勝手に学習して自分の立ち位置を確立させたのには少し驚いたが。

 

『目を細めながら笑顔を決して絶やさない。そして言い回しは大物っぽく尊大に』

 

 それさえ守らせておけば、奴が止まることはない。身体に施されている仕掛けは負の感情だけで容易に発動するようになっているようだった。

 ガワだけの紫にも随分と楽しませてもらったものだ。アレは言うまでもなく元の紫に及ぶまでもないが、予測を優に超えていく底知れなさは寧ろ増しているように見えた。腐っても八雲紫、という事なのだろう。

 

 アレはアレで中々愛いものだしな。

 

 

 それに奴の置き土産はそれだけではなかった。その存在を認知したのはほんの少し前。永夜異変が終わり、紫の今後を話し合う為に地霊殿へ出向いた時の事だ。

 さとりとの口論の後、霊烏路空に神格の一部を植え付けたのを確認して後戸へ帰ろうとした、そんな私を呼び止めたのが『奴』だった。

 

「初めまして。お母様とお呼びした方がよろしくて?」

「お前の方が遥かに年上だろう。勘弁してくれ」

「私が貴女に作られたのはもっと遥か未来の話ですわ」

「一巡した奴の言う事はややこしいな」

 

 八雲紫を騙る『それ』の生誕は、どうやら私が深く関わっていたようだ。『擬き』とは言い得て妙だろう。

 当然、奴は八雲紫そのものではなく、当時(別世界)の紫の心を精巧に模倣して、擬似的な意思を再現したデータの存在。式神とほぼ同類だ。

 

 確かに、あれほどのクオリティで心を再現し、更には()()()へ送り付けるのには相当の技術と労力が必要だろう。それこそ私や紫レベルでなければ実現不可能な領域。我ながら惚れ惚れとしたね。

 だが残念な事に、本来なら擬きのクオリティはさらに高かったらしいのだが、様々な事故が重なり不安定に存在する事を余儀なくされたそうだ。

 

 ドレミーとやらが作った幼い姿でなければ現世に留まる事すらできない様はあまりに脆弱だ。

 

「身体は用意できなかったのか」

「順調とは言い難い世界でしたので。しかし頼れる式達が『名前』と『能力』はしっかり文字通り"死"守してくれました」

「ほう、余程の地獄だったと見える」

「やはり生き残りが少ない以上はどうにも。当然お母様も死にました」

「皮肉なものだな。滅びを回避するための行動が惨劇を引き起こすとは。覚悟の上とはいえ残酷な話だ。あとお母様はやめろ」

 

 擬きの居た世界については聞き齧る程度にしか把握していないが、相当殺伐としていた。それこそ今の幻想郷が可愛く思えるような、詰んでしまった世界。

 そしてその惨劇の発端は紫と博麗の巫女にあったようだ。しかしその惨劇も、それ以上の破滅を防ぐための前準備のようなものだった。擬きを我々の世界に送り込む為の必要経費らしい。

 外の世界で言うところのターミネーターとかいうのに似てるのか? 知らんが。

 

「私の目的は先の話し合いで申し上げた通り、破滅のさらに先の時間──幻想郷の半恒久的な存続を掴む為です。お母様の理念にも合致しているものかと思いますが」

「何故古明地さとりに合力しないのか、と問いたいのだろう?」

「……」

「答えは単純、甘ったれているからだよ」

 

 あの覚妖怪は自身の半生を過酷な環境に置いておきながら、妙に物事を都合の良い方向に考えようとする節がある。アレは優しさというより甘えだ。

 紫のやる事なす事は全て正の方へと転がるようだが、それが生み出す弊害の一例と言っていい。さとりに紫関連での非情な判断は苦しかろう。

 

「確かに私の願いの行き着く先はさとりと同じだ。誰だって死にたくはないさ。だから私はもう一つだけ別の道筋を残しておく事にした」

「物騒ですわね」

「策とは常に最悪を想定して練るものだ。さとりの案自体は私もアリだとは考えているが、もう少し現実味を持たせてやろうと思ってな」

 

 擬きに私の構想を伝えた。

 守護者という地位を完全に無視し、幻想郷を危機に陥れる情け無用の一撃。一歩間違えれば滅亡待ったなしなギリギリの作戦。

 

 それを聞いて擬きは、呆れたように白けた視線を向けてきたのを覚えている。

 

「お母様は盤面をひっくり返すような奇策を遠回しに進めていく事こそが、万事正しい道であると勘違いされているのでは?」

「まあ善い道ではないだろうが……」

「私にそれを止める力と暇はございませんので言う事は何もないですが……お母様が犠牲になるのを八雲紫は望んでいないと思いますわ」

「はっはっは。どの紫だ?」

「全員ですわ。私の元になった者、貴女が求めた者、今を生きている者、その全てが」

「優しいなお前達は。それに娘擬きも、最悪私のことを消しにかかるとばかり思っていたんだがな」

「お母様を潰しても益がある訳ではないので。また正直に申し上げると、貴女が勝とうがさとりが勝とうが、大した誤差にはならないと考えています」

「奇遇だな私もそう思うよ」

 

 異変の成否は重要ではない。問題となるのはどれだけ環境を整え、万全な状態で万が一に臨めるか、である。紫の生死の如何はその時決まる。

 だがまあ、私は幻想郷に住まう者達を信じているからな。どう転ぼうがきっとやり遂げてくれることだろう。

 

 それにもし私の計画通りに事が進んでしまうのなら、所詮その程度。遅かれ早かれ幻想郷は滅びる運命にあったという事だ。ならば引導を渡してやるのも悪くはなかろうよ。

 紫が滅ぼしてしまうくらいなら私がやるさ。アイツにやらせるのは少々忍びない。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 隠岐奈は猛烈に感動していた。己の中にある神格達が色めき立ち、心の底から震えているのが分かる、感じ取れる。

 計画通り──否、想定を遥かに超える力を幻想郷の住民達は見せつけてくれた。

 

 絶対的な指導者を失っても、彼女らはめげずに指揮を続けた。圧倒的な遥か格上と化した集団を相手に一歩も引かず戦い抜いた。

 生まれた時から己の身と共に在った力の殆どを奪われようと、彼女らは誇りをカケラも捨てる事はなかった。各々が殺意の歴史の中紡いだ絆に勝る物はない。

 数年に一度の大異変が幾つ起きようが、人間達が屈する事はなかった。何度窮地に追い込まれようと、想いと爆発力で悉く覆した。まさに命の輝き。

 

 実に隠岐奈の用意した障害の約半数が取り除かれている。

 残るは徹底した遅延戦術により幻想郷崩壊の判定勝ちを狙う正邪と、ゾンビ人海戦術で混乱の加熱を担う青娥。そして隠岐奈が人里に施したとある仕掛け。

 

 素晴らしい。よくぞここまで実ったものだ。

 ならば影の主催である自分達もそれに応えるのが道義であろう。そうであろう。

 

 だがそんな隠岐奈の想いに反して、事態は徐々に硬質化していく。

 

 各々の立ち回りは非常に賢いといえるのは確かだろう。それは認めた。

 正邪が生き残っていれば幻想郷の半身不随は延々と続くので、体制側の攻勢を封殺できる。青娥は豊聡耳神子が敵に付いた事を察知した途端、切り札の一つを披露し、霊廟を埋め尽くすゾンビ軍団で一団の足止めに徹している。

 

 集団規模で見た殺し合いの観点であれば、二人の動きは100点満点中70点くらいあげてもいい。だが隠岐奈にとってそれは二の次である。

 勝ちに拘り過ぎれば物事は大抵の場合、停滞する。それは非常に美しさを損なう行為だ。隠岐奈に言わせれば見苦しく、醜いだけ。

 

 幻想郷の輝きが自分達の醜さを露呈させているのは明白。だからこそ余計に眩しく感じるのだろう。それもまた良き事だ。

 

 

 

「お前達、よく来てくれたなぁ。これほどの大人数を後戸の世界に入れたのは今宵が初めてだ! 裏切り者に愉快犯、そして英雄! 分け隔てなく歓迎しよう」

 

 険呑な四つの視線が一柱の神に注がれる。全てにおいてアンバランスな四人組は、たった一つの目的において合致した即席の集団であった。

 打倒摩多羅隠岐奈。これに尽きる。

 

 

 あまりに唐突な始まりだった。

 レティと幽香の殺し合いを高みの見物で観戦していた矢先だ、隠岐奈から見て斜め右にある後戸の一つを暴風が破壊し、一羽の烏が華麗に舞い降りた。

 それに意識を取られた、その数瞬後に向かいの後戸が木っ端微塵に粉砕、一匹の氷精が迷い込む。ほぼ同時の乱入であった。

 

 氷精は勢い余って顔面から倒れ込んだ。しかし烏天狗の方はその他の状況などまるで意にも介さず、体勢を立て直すと地面が陥没するほど強く踏み締め、一直線に隠岐奈の喉元へと蹴りを放つ。

 幻想郷最速による本気の蹴りは、まともに喰らえばどれほどの強者であろうと身体の損壊を免れない。結果、モロに受けた隠岐奈は腰掛けていた椅子を粉砕しながら後方へと吹っ飛ぶ事になる。

 

 だがこれでは終わらない。つい数瞬前まで殺し合いで膠着していた筈の幽香が更に後方へと回り込み、なおかつレティが隠岐奈の飛来速度に追随しながら手を前に構えている。互いに能力の発動準備に入っていた。

 刹那、隠岐奈はレティと幽香どちらの攻撃を防ぐべきかを天秤に掛ける。

 

 受け入れたのは前方からの攻撃。後頭部に後戸を展開して幽香の殴打をいなす。しかしその攻防の間、隠岐奈はフリーになったレティに自身の力を二つ奪われた。

 それは丹念に集めていた季節の力。『春』と『秋』を司る力だった。

 

 秘神はついに土をその足で踏み締めた。

 

「漸く本性を見せてくれたな」

「それは見当違いね〜。こっちの方が摩多羅様も楽しくなると思って」

「ふふ、違いない」

 

 レティと協力体制を築くなど初めから不自然な話だったのだ。この妖怪が勝ち馬に乗るような打算的な行動を取る筈もない。独特の価値観だけがレティの導。隠岐奈とてそれは承知していた。

 

 それよりも驚愕すべきは、裏切りに舵を切ったのは、恐らく烏天狗──射命丸文と、氷精──チルノが後戸の国に乱入した、その瞬間だった。

 その刹那に満たない時間で幽香と僅かに意思を疎通し、完璧に近い連携を実現したのだ。互いの殺意は紛れもなく本物であったのに。

 

「風見幽香は孤高の存在。群れるような選択はしないと買い被っていたんだがな?」

「別に群れてないわ。お前とそいつの頭を一緒に叩き割ってやろうと思っただけ」

 

 一方、状況を全く掴めていないのが急転の要因となった文である。思惑としては後戸の国に侵入すると同時に隠岐奈へ奇襲攻撃を仕掛け、一撃による決着を狙っていたのだ。

 しかし目論見は甘く、蹴りを正面から受けても隠岐奈に堪えた様子は全くない。そして何故か居る幽香とレティである。突っ伏してるチルノは知らない。

 

(幻想郷の情勢はいつだって私の想像の更に上をいく……! これだから新聞記者は辞められないのよねぇ)

 

 取り敢えず思考の安定を図る為、開き直る事にした。文にとって重要なのは、当初想定していた隠岐奈とのタイマンはなく、彼女の敵である糞強妖怪が居る事である。遥かにマシな状況だ。

 もっとも、あの両者は自分のことを味方だとは思ってないだろうから、連携などは不可能だろうと考えている。利用できる障害物といったところか。チルノは知らん。

 

「あのポンコツ共は殺したか?」

「二人組の事なら今頃幻想郷で秋神様と楽しく遊んでいるんじゃないかしら」

「ふむ……まあよい。元よりお前は私が潰す予定だった。それよりも不可解なのはそこに居る妖精よ。選ばれし強者と私の手の者しかこの世界には入場できないようになっているんだが、どうやって迷い込んだ?」

 

 全員の視線がヨロヨロと立ち上がるチルノに集中する。幻想郷においても上澄みの中の上澄みが集う中、この妖精の存在はあまり場違い。強いことには強いが、一定以上の実力者には到底敵わない程度の雑魚だ。

 今は若干肌黒くなっているように見えるが、大した違いではない。

 

「ちくしょうラルバのやつ! 今度会ったらボコボコにしてやるんだから。……おっ、なんの集まりだこれ? てかお前らめっちゃ久しぶりー!」

「おひさ〜」

「どうもー」

「……」

 

 友達二人と手下(幽香)を見つけて歓喜の声を上げる。最近、妖精とつるんでばかりで若干疎遠になっていただけに、まさかの再会にチルノは顔を綻ばせた。

 知らん奴も居るが誤差である。

 

「お前の力はこの前の大会で大体把握している。残念だが幻想郷の命運を賭けた戦いに妖精は不要だ。見栄えが悪くなるからな。さあ出ていってもらおうか」

「ラルバから聞いた通りだ! ここが幻想郷最強を決める場所ってわけか! ならば雑魚は不要だな! お前が一番弱そうだからでてけ!」

 

 話にならない。やはり馬鹿(妖精)馬鹿(妖精)か。

 バックドアの力で有無を言わさず強制退室させようとした隠岐奈だったが、それは幽香の嘲笑に遮られる事になる。

 

「実績ならこの馬鹿が一番じゃないかしら。なんといっても一度八雲紫を倒してるしねぇ。それに、追い出して一番困るのはお前なのよ」

「なんだと?」

「この世界にはお前の手下──要するにお前から力を分け与えられている者しか入場できない。それが答え」

 

 ここまで明言されれば嫌でも気付く。

 この妖精を手引きしたのは別に居るようだが、その要因を作り出したのは幽香である。

 

「お前の持っていた『夏』の力を氷精に移していたのか? 何の為に?」

「上でふんぞり返ってる馬鹿共に一泡吹かせてやろうと思ってね。実際コイツは良くやってくれた。此処まで来るとは思ってなかったけど」

「???」

 

 隠岐奈は思考を巡らせる。

 幽香の監視はそれなりの頻度で行なっていた。その中でチルノと接触していた時間はあまり多くない。譲渡が実行されたタイミングとして有力なのは、チルノが紫を氷漬けにして火焔猫燐に救出されたあの事件。

 あの時、幽香はチルノに幾らか力を貸し与えていた。あの時に混ぜ込んでいたのか。

 

 事態がどう転ぼうが、幽香は隠岐奈に力を渡すつもりなどハナからなかったのだろう。

 

 結果として隠岐奈は四季を司る神格を再度全て失った。そして抜け目のないレティは当然のように奪った『春』と『秋』を完全に掌握し、それぞれ幽香と文へと半ば強引に譲渡する。

 これで隠岐奈が神格を取り戻すには、この場にいる4人を斃さなければならなくなった。

 

 この瞬間、幻想郷で猛威を奮っていた『四季ごちゃ混ぜ異変』*1は終結した。

 数多の偶然が生み出した鮮やかな逆転劇だった。

 

 

 故に隠岐奈は賛辞を吐き出すのだ。

 如何なる美辞麗句を以ってしても表現しきれないほどの想いが胸の中で蠢いている。

 漸く、漸くなのだ。

 

 久方ぶりに我が身へと一撃を加えた射命丸文。

 単身敵の本拠へ乗り込み渾身の策を破壊した風見幽香。

 我が望み通りに裏切ってくれたレティ。

 賢者の思惑を根本から覆した矮小なチルノ。

 

 適度な変化すら拒む古豪共でさえ、摩多羅隠岐奈という名の幻想郷の巨魁に対抗する為に柔軟かつ素晴らしい判断力を見せてくれた。

 

 惜しみない拍手を送りながらも尊大な態度は崩さない。

 

「私を数年ぶりに椅子から立たせた褒美だ。お前達のうち二人を我が側近である二童子に迎えてやろう。みな知っての通り、非常に名誉ある役職よ」

「なんだそれ知らん!」

「要するにね〜アイツの操り人形になって一生変な踊りを踊り続けろってことよ」

「バカじゃないのかお前! ことわぁる!」

「お前達の意思が介在する余地はない。慎ましく受け入れるように。天狗だろうが妖精だろうが種族は問わん。私と幻想郷に尽くせ」

 

 神とは古来から身勝手で理不尽なものだ。特に摩多羅神とは、それらが顕著に現れる神であった。

 だが隠岐奈は本気だった。それが褒美になると考えている。何故なら、それ以外の道は未来を閉ざす選択にしかならない。

 

「だがちと人数が多いな。残念だがあぶれた二名には消えてもらうことになる。さて、誰が消える? そっちで決めるか、それとも私が手を下そうか?」

 

 チルノを除く三人が顔を見合わせた。

 答えは既に決まっている。

 

 

「「「「まずお前が消えろ」」」」

 

 

「残念だ」

 

 見下し嘲笑うような視線を遮る黒い影。

 初っ端からトップスピードでの、真正面からの奇襲攻撃。どれだけ相手が警戒していようが肉眼で捉えられないのなら悉く無力であり、盤面は一撃で粉砕される。神速の終撃を齎すのだ。

 文はその圧倒的な速さ(殲滅力)で数多の敵対者を葬ってきた。如何なる強者であろうと彼女に触れる事すら叶わず、叩き潰された。

 

 故に、これが初めての接触。

 

「相変わらず天狗という連中は芸がないな。今も昔も全く進歩しない愚かな種族だ」

「んなッ──ぁああが!?」

 

 耳元で飛び回る羽虫を払うが如く、文はあっさりと叩き落とされた。後戸の地に減り込んだまま、自らの質量を制御できずのたうち回ることになった。

 肉体が叫ぶほどの痛みを感じたのは、文にとってこれが生まれて初めての事だった。

 

 その一部始終を目視出来たのは隠岐奈の他にいない。時間を凍らせる事でレティのみ後から顛末の理由を知ることはできたが、直接は彼女を以ってしても不可能。

 文のスピードはそれほどの別次元である。

 だが秘神には通用しない。手を払うだけで、幻想郷最速は地に沈められた。

 

「うわブン屋ァ!? お前めっちゃカッコ悪い転び方してるぞ!?」

「……」

「……」

 

 機先を制する文の先制攻撃を好戦的な幽香達が見逃したのに、お手並み拝見以外の意味はない。隠岐奈を殺すのに後か先の違いしかないからだ。

 しかしその余裕は数瞬と保たなかった。

 

 絶対的な暴君達をして、生きて摩多羅隠岐奈と敵対する限り安全圏など存在しない事を改めて認識させたから。

 

 

 確かに皆の輝きは凄まじい。予想以上だ。

 感服に値する。

 

 漸く──これで最低限。

 

 素晴らしい。惜しみない賞賛を贈ろう。

 しかしまだそれ止まりだ。

 

 四人の力を結集させてなお、かつて隠岐奈をして渇望させた八雲紫の輝きには未だ及ばない。漸く──奴の爪先に辿り着いた程度。

 その程度で最終暗黒テストを乗り越えられるなどと思ってくれるな。

 

「私に勝ちたいなら紫を連れて来い。お前達如きでは、どうにもならんぞ?」

*1
命名:八雲紫




(1vs1vs1vs⑨)vs1


一ボスは昔凄かった系妖怪(再三)

ヤマメのキルスコアは幻マジ世界線の中でナンバーワン。なので地底でもかなり恐れられています。実力も殆ど落ちてません。しかし当の本人はアイドル気取りで毎日楽しく暮らしてます。

リグルは一時期の覇権を握ってた化け物どもの女王。勢力としての瞬間風速は多分ゆかりんよりも凄かった。しかし飯綱丸様の決死攻撃を遠因として天魔に敗北、今はバカルテットの一角として楽しくやってます。

ルーミアの正体は闇そのものを司るナニカ。現世では『空亡』とか言われてたりするかもしれない。オッキーに敗北した挙句にそこら辺の女児にぶち込まれる不憫系帝王。女の子は短い生涯をかなり苦しみ抜きましたが、ルーミアになってからは楽しくやってます。

レティさんは氷雪系最強を冠する化け物。ヒソカリスペクトな世渡り上手なので現代まで力を殆ど落とさずに生きてます。幽香りんとは姉妹のようなそうじゃないような微妙な関係。後進の育成を楽しんでます。

秋姉妹は秋姉妹。


あと5、6話くらいで決着するかもしれない。


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東方忌心城*

 

「へーそれが正邪の目標かぁ。いいねいいねっ、すごく良いと思うわ」

「誰しもがそう言ってくれます。だけど次にこうも言うのです。『夢物語を考えるだけなら自由』と。貴女もそう思いましたか?」

「んーん全然。無理とは思わないもん」

「頼もしいお言葉ですね」

「正邪と私と、この小槌があれば不可能はないっ! 任せてよ、私が誰も苦しむ事のない世界を作って、皆を救ってあげるから!」

「よろしくお願いします。夢幻を現実に変えましょう……共に」

「一緒にね!」

 

 

 

「正邪や正邪。この世界全部が私達の国になるのかえ?」

「左様でございます姫様。この幻想郷全てを献上いたしましょう。なのでまずは我々にとって邪魔になる者達を消さねばなりません」

「邪魔になる奴って?」

「例えば……私達より強くて、偉そうにしている者達でしょうか。段取りは既に完成しておりますので御安心を」

「なるほどぉ。正邪はやっぱり賢いんだねぇ」

「賢者ですので。王は悠然と構えていればよいのです」

「なんか似合わないね」

「姫様は小さくとも大きな器を持った方ですよ」

「いや私じゃなくて正邪がね。賢者よりも『お姫様』の方がお似合いじゃない?」

「やめろ」

 

 

 

「やだやだやだ! 私絶対ヤだからね!」

「しかし姫様。貴女様と小槌の力は計画の肝であり、隠し球です。万が一にも存在の露見がないようにしなければなりません」

「で、でもぉ」

「安心してください、指一本触れさせはしませんので」

「……正邪ってところどころで非常識だよね。普段は過剰なまでに丁寧なのに」

「過分なお言葉痛み入ります」

「あーもう分かった! 正邪の言う通りにするから、絶対に私を守ってね!」

「守りますよ。何せ一心同体ですから」

「あと溶かさないでね!?」

「頑張ります」

 

 

 

「ちょっと姫様? やめてくださいよ大事な場面でチクチクするのは。内側は能力の適用範囲外なので普通に痛いんですけど」

「言い過ぎだよ正邪。あんな強い言い方しなくてもいいじゃないか。確かにあの八雲紫って奴は多分相当な悪人だけど、あのノリに合わせたら正邪まで同じになってしまうよ? 私達は英雄になるんだから」

「仰るとおりです」

「私の為に尽くしてくれている忠臣が周りに曲がった見られ方をするなんて、そんなの耐えられないわ。正邪はさ、今まで酷い扱いばっかされてきたから泥を引っ被っても平気だと思い込んでるんだよ。平気なフリしてるだけ」

「そうなんです?」

「そうなんですぅ! 手段を選ばない事も大事だろうけどね、私達にとって大切なのは『その後』でしょ?」

「……」

 

 

 

「ご、ごめんね正邪……。私が能力の指向性を間違えたせいで会議が壊れちゃった。八雲紫と戦いになったら勝てるかな? どうかな?」

「私に未来は分かりませんが、過ぎた事を後悔しても仕方がありませんよ。あまり自分を責められないよう」

「うん。分かった」

「反省はしましょうね」

「あ、反省と言えば! 正邪さぁ、わかさぎちゃんと影狼ちゃんの事もっと気にしてあげなよ。二人とも理想に向けて頑張ってくれてるのに、なんか素っ気なくない?」

「はて、気にかけているつもりですが」

「そうかな? そうかも。ならさ、表に出てこれない私の分まで仲良くしてね。草の根の皆は大切な仲間なんだから」

「ではその分、姫とのお相手時間を割きましょうか」

「ぐすん」

「泣くほどか?」

 

 

 

「ねぇ……ホントにやっちゃうの?」

「はい?」

「私、正邪と一緒に幻想郷を見てきた。確かに悲しい事、辛い事、苦しい事、いっぱいあった。強い妖怪に全てを奪われる過酷な世界だった。でも……最初考えてたのとはちょっと違ってきてるような気がして」

 

「オイ、まさか怖気付いたのか?」

「違っそうじゃないの!」

「安心しました。すんでのところで裏切られるのかと思いましたよ。本番を前にして緊張で弱気になっているのでしょう。今日は早めに寝ましょう」

「うん……」

「姫はいつも通り、私の為に小槌を振ってくれるだけでいいのです。それだけで勝てる楽な死合ですよ。何も考えないでください」

「分かった。信じるよ正邪」

 

 

 

「元々私一人から始まった活動でした。第一次月面戦争の折に彼女が積み上げた全てを八雲紫に奪われ、破壊されてしまいましたからね。文字通りゼロからのスタートです。当然、苦難の連続でしたとも」

「……例えば、どんな?」

「何でもしましたよ。泥水を啜り、格下に謙り、大切な物の殆どを捧げてきた。私の中に純粋なものなど何一つ残っていない」

「……」

「しかし夢幻の国へと流れ着き、打ち出の小槌を下賜されてからはまさに夢のようでした。小槌の魔力を用いて弱小妖怪の救済を行い、待遇への不満を焚き付け、草の根ネットワークを牛耳った。幻想郷に渦巻くありとあらゆる不穏分子と手を組んだ。全てはこの時の為に!」

「……」

 

「結果として──どいつもこいつも役には立たなかった。期待外れも良いところだ」

「……」

「特に失望したのは腐れ坊主の信奉者一派と、あれだけ目を掛けてやったのに土壇場で日和っている影狼だ。余計な私情で本懐を成し遂げられず終いだ。馬鹿らしいったらありゃしない。小槌の威光がなけりゃ捻り潰されるような雑魚の癖して烏滸がましいにも程がある」

「本気なのは正邪と私だけ、か」

「当たり前だ! 私の想いを、生き様を、超えていいものなんてこの世には一つとしてない! あってたまるか!」

「……」

「同盟を組んだ連中も遊びにかまけて自ら手掛けた異変を一つずつ鎮圧されています。心底くだらない。勝ち馬に乗ろうとする浅ましい魂胆、挙句慢心に足を掬われるのは世の常でしょうが、いざ目の当たりにすると滑稽で仕方ないですね。曲がりなりにも味方であるのだから尚更」

「それでもまだ勝とうとするの?」

「負ける道理など一切無いのに何故そのような事を」

「勝っても『明日』なんて、ないじゃないか! 幻想郷はもう滅茶苦茶。協力してくれた皆の想いを無碍にして、隠岐奈や青娥のいいようにやられてるだけ」

 

「私、正邪のことが分からないよ」

「分かってもらおうなんざハナから思ってねェよ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 稀神正邪にとっての正念場はまさに今だった。

 

 恥辱に塗れた苦痛続きの800年は激動でありながら、あまりに退屈だったと言えよう。命を賭けるほど追い込まれた場面が悉く存在しなかったからだ。

 幻想郷の力関係を根本からひっくり返す秘術の準備にパワーリソースの殆どを奪われた結果、徹底的に戦闘を避けたのが主な原因。

 

 要するに、正邪にとっての妖生初勝利は生涯においてたった一度だけでいい。そしてその瞬間が今日巡ってきただけの話だ。

 

 

 空間操作と跳弾を駆使した八方からの完全同時攻撃を、刺さる寸前に挙動を反転させ、或いは皮膚で弾き、或いは流血を一瞬で完治させる。一つの思考では到底対抗できないほどの飽和攻撃を無理くり捌く。

 そんなギリギリの戦闘を何時間も続けていた。

 

 まともにやり合えば万に一つも勝ち目は無かろう。その確信が正邪にはあった。

 十六夜咲夜には絶対に勝てない。

 それが正邪に非情な判断を齎したのだ。

 

 輝針城への侵入に遂に成功した咲夜との戦闘は、過熱することなく一定の激しさのまま推移している。決着の目処が一向に立たないのだ。そして、それこそが正邪の仕掛けた強引な罠だった。

 

 十六夜咲夜はあまりに強大だ。その実力は、恐らく人間の中では博麗霊夢と共に頭ひとつ抜きん出た隔絶された領域に達している。

 素の身体能力と投擲技術だけでも十分超人級といえるのだろうが、やはり『時間を操る程度の能力』がその脅威を数段引き上げているのだ。

 張り合おうとするなら何らかの対策は必須だろう。逆に言えば、正邪は対策を怠ってはいなかった。自分の元に辿り着ける者がいるなら、それは咲夜だと読んでいたのだから。

 

 咲夜との戦闘は避けられない。ならばこそだ。

 此度の異変の大枠が決定した瞬間から、用意周到な正邪が更に過密な準備を続けた結果なのだから、寧ろそれを短時間で突破する方が可笑しな話だろう。

 

「考えてもみてください。時を止めるなんてそんな不条理を相手にするのなら、此方もそれ相応の物を使わせてもらわねば不公平じゃないですか」

「それは確かにそう」

「反則には反則を、ってことだ」

 

 幻想郷各地から頂戴(失敬)した数々のマジックアイテムを見せびらかしながら、正邪は侮るような笑みを浮かべた。

 

 輝針城を覆う境界を短時間で突破できるのはルートを予め把握している隠岐奈と、無限の試行錯誤を行える咲夜のみ。

 つまるところ、彼女さえ消してしまえば正邪を直ちに害す事のできる存在は幻想郷から居なくなる。一度の勝利で幻想郷の破滅は確定する。

 

 レミリアにはそれが分かっていたのだろう。

 だから大事な手駒であり、尚且つ唯一無事であった咲夜の働きを正邪攻略の一点に絞らせたのだ。小槌の力により紅魔館の化け物じみた妖怪達も今や無力、そんな状態で唯一健在だった咲夜を放ったのだから本気度が伺える。

 そしてそれは悪手だろう、と。正邪は内心せせら笑う。

 

(未来を見誤ったなレミリア・スカーレット!)

 

 咲夜ならば、正邪を見事打倒してしまうだろう。

 正邪に取れる手段が遅延戦法しかない以上、それは揺らがない事実。だが正邪にはレミリアと比べて『三つ』だけ優れている点がある。

 

 十六夜咲夜から逃げ切る事が可能になるだけの、妨害また生存に秀でた能力と装備。

 運命改変に対する知識と援助。

 そして何より肝要なのが、残された時間。

 

 もはや幻想郷は限界を迎えつつあった。奇跡的なバランスで成り立っていた各地の均衡はもはや風前の灯。あの紅魔館とて例外ではない。

 悠々と時間を稼ぎ続ければいい。それだけで正邪の勝利は自然と掌に転がり込んでくる。

 ただ咲夜とてそんな事は百も承知だ。敵の企みはとうの昔に看破している。

 それでも現状一押しが足りない。

 

 通算何度目になるか分からない舌打ちが小休憩の合図だ。

 

「取るに足らない存在に踊らされるほど屈辱的なものはないわね」

「まあまあ、幻想郷の夜は長い。嫌になるまで戦おうではありませんか」

「小物に時間を取られるのも腹立たしい」

 

 不意に放たれたナイフも正邪には届かない。

 

「私が健在であるうちは如何なる強者であろうが、弱者の群れに敵わない。貴女の敬愛するお嬢様が嬲り殺されるのも時間の問題というわけですよ」

「……」

「さあさあさあ! 今こうしている間にも幻想郷は刻一刻と壊されていく! 八雲紫や貴女達が築き上げた理想郷が、取るに足らない存在に蹂躙されていく! ザマァないな! 己を無敵と勘違いした愚か者みんなみんな惨めにくたばっちまえ!!!」

 

 ただその一方で正邪も万事無事というわけではなく、あやふやな口調から何らかの異常が生じてきているのはなんとなく分かった。

 

 苛々は募る。しかし狂人を前にすれば自然と頭は冷えていくものだ。最高にハイになったレミリアでもここまで豹変する事は中々ない。

 こういう類いの馬鹿は幻想郷で散見されるが、正邪のそれはキャラの迷走ではなく、人格の削り合いのように思えた。それこそ月人の細胞を無理に取り込んだ悪影響なのだろうか。

 

 憐れだ。

 

「呆れた。何の為に異変を起こしたのかと思えば……権力闘争の手段じゃなく、ただの幼稚なテロリズムだったなんてね」

「私は天邪鬼、生まれ持っての天邪鬼! 理由なんてそれで十分だろう! 私の上に立つ奴ァみんな引き摺り下ろして食っちまえばいい!」

 

 徐に振り翳した腕から血とともに三心一体の能力が輝針城を駆け巡る。

 正邪の能力はその殆どが自前の物ではなく、様々な要素の複合された、いわばキメラ能力。勝つ為、生きる為にここまでするのかと感心する。

 

「お前、警戒しているな? 私の能力の全容が掴めないから無闇に手札を晒す事を恐れているんだろ! 全てにおいて完璧で万能な力など存在しないのだから! その懸念は的中していると申し添えておきましょう」

 

 独特な挙動で迫る弾幕を軽く躱しつつも、咲夜が大きな反撃に転じる事はなかった。時間停止はおろか、時間加速(クロックアップ)すら使用せず、ひたすらナイフをばら撒くだけ。

 能力を十全に使い熟す正邪とはまさに真逆。

 

 瀟洒なメイドとは総じて聡いものだ。

 幻想郷に居着いてからの咲夜の戦績は芳しいものではなく、まさに消し去りたい過去そのもの。霊夢にレティ、紫に永琳。これらの敗北全てに共通するのは、悉くが自らの能力による自滅だという点。

 強力無比であるが故に、ひとたび己に牙を剥けば致命傷になり得る。

 

 それに正邪ほどの者が時間操作の対策を用意していないとは到底思えない。

 結局、再び小細工無しにナイフをばら撒くものの、正邪の命にはやはり届かなかった。

 

「いつまでそんな無駄な攻撃を続けるつもりだ? 今まさに愛しのお嬢様が磔にされているかもしれないのに。諦めたのか?」

「別に」

「不毛な戦いよりも建設的な話をしましょうよ。たとえば『悪魔の奴隷が歩むこれからの人生』とかね』

「メイドを奴隷扱いすると寝首をかかれるわよ」

 

 正邪の会話は全て時間稼ぎだ。

 

「幻想郷を統治するにあたって大体の情報は仕入れています。勿論、紅魔館とそれに連なる者……貴女の過去についてもね」

「そこまで調べておいて異変を起こすなんて甚だ無謀としか思えないわ。お嬢様には全て筒抜けなのに」

「貴女が私の話を受け入れれば運命は容易く変わりますよ。決して悪い話ではない」

「私がお嬢様を裏切って貴女の下に降るメリット? ……暇になるくらいかしら?」

「いい事じゃないか。捻じ曲げられた運命に従い盲目的に仕え続けるよりも、本当の自分を取り戻し自分の為だけに生きてみればいい。私ならその手伝いができますよ」

 

 咲夜ほど数奇な運命を辿った人間はそうおるまい。

 月にストックされていた永琳と輝夜の細胞を元に作成され、第一次月面戦争の折に地上へと堕ち、制御できない時空の波に呑まれ続けた。普通の生活を送れるようになったのはレミリアに拾われてからだ。

 レミリアとしてはそんな咲夜の出生に同情的だったようで、自立した成長を促したり、母擬きの永琳と対面する機会を設けたりと奔走していたようである。

 

 だが正邪は敢えて、それを支配の裏付けと呼んだ。

 

 偽りの身体、偽りの運命、偽りの名前。

 何一つとして咲夜自身の物はない。

 

「私とこの小槌の力さえあれば貴女に『本物』を与える事ができます。如何でしょう? 一度だけお試しで……」

「自分がそう感じるからって、他人に押し付けるのは良くないと思うわね。全部お前の体験談で、尚且つお前の感想じゃなくて?」

 

 正邪の時が止まる。

 

「なんだと?」

「敵の素性を知っているのは自分だけなんて驕りは、以後慎むことね」

「……そのようで」

 

 何処から漏れたのかと思考を加速させるが、それは無駄であると一転切り捨てた。

 咲夜の時空操作、レミリアの運命操作。この二つがある限り考察は無駄だ。永遠に完結しない。

 

 この狗に一欠片でも反骨心があったのなら手駒にもできただろうが、それが微塵にも無いのだから全くもって救いようがない。生粋の奴隷なのだろう。

 正邪が最も忌み嫌う人種だ。

 

 わざとらしく肩を竦めた。

 

「考える事を放棄した飼い慣らされるだけの狗には何も分からんか。いま自分のやっている行為が全て無意味だと分かればもう少し賢く生きていけるだろうに」

「いいえ分かってる事は一つだけありますわ」

 

 ナイフの切先を差し向ける先には、正邪の腹。

 

()()()()()()()()()()()()。下腹部よりやや上……胃袋の中。わざわざ飲み込んでまで隠したいなんて、面白いギミックがありそうね」

「な、何を……」

「何の為にナイフをばら撒いたと? そこまで露骨にお腹を庇ってたら嫌でも分かるわよ。反転、硬化、回復──若しくは弱体化の術。いずれかに関係あるんじゃない?」

 

 口元が歪む。

 余裕を装う時に浮かべる賢者特有のそれであるが、正邪の練度は紫や隠岐奈のそれには及んでいなかった。故に見透かされてしまう。

 

「だから何だ? だからどうした?」

「知らないわよそんなの。お前が庇うから私は撃ち抜く、たったそれだけの話よ」

「無駄です。私の能力は無敵、ナイフは通らない。ふふ、まあ宜しいでしょう、存分に時間を費やすといい。その間にも幻想郷の終焉は近付いている!」

「それは本当みたいね」

 

 紅魔館の住人が何らかの信号を送っているのだろうか、若干の顰めっ面で頭を叩く咲夜。そして、音が消えた。

 

 直感に従って身を捩ると同時に、脇腹をナイフが掠める。『呪いのデコイ人形』の効能による視覚の撹乱が無ければこの時点でゲームセットだった。

 元はアリスが(メリー)に渡していたマジックアイテムだったが、現在蛻もぬけの殻となっている八雲邸から窃盗もとい拝借しておいたのだ。ダメージデコイの効能もあったようだが、こちらは正邪にとってあまり意味はなかった。

 

 ナイフだけを時間跳躍させる不意打ち。自己以外にも時空操作を付与する離れ技。

 咲夜の能力は今この瞬間も進化を続けているのだろう。

 

「化け物め……!」

「はて、私が化け物? ──悪魔の狗に相応しい呼び名ね。気に入ったわ。惨めなゴミにそう呼ばれるのは甚だ心外ではあるけれど」

「惨めだと? 私がか……!?」

「自覚してるクセに惚けるのね」

 

 同じくして咲夜の口元が歪む。

 アレは凡そ敵に対して向けるものではない。

 

「私やお嬢様が生まれるよりずっと前から地べたに這いつくばって、時勢を全く理解せず決して勝てない戦いを挑み続けるだけの妖生が目標なんて、よく気が狂わずに居られるわね」

 

「その癖して当の八雲紫に歯牙にも掛けられていない。只の有象無象。これを惨めと言わずして何と言えばよろしいのでしょうか。自己満足かしら?」

 

 知ったような口をきくな。

 お前に私を掴むことなんてできやしない。

 

「とっくの昔に壊れてしまったのね。生き物が当然のように感じる喜び、身体が震えるほどの激情を、無謀な行為に費す事以外で忘れてしまった」

 

「でもお前は頭が回るから、それに気付かないふりをして取り繕ってたんじゃない? だから狂えなかった。綺麗事も大義名分も全部嘘。本当は幻想郷を道連れに死ぬ事しか頭に無いのに」

 

 やめろ。

 

「私のことを奴隷だの狗だのと呼ぶ一方で、お前は生き物ましてや天邪鬼ですらない。塵芥も同然。お嬢様にしてみれば道端に転がる不細工な小石のようなもの」

 

「人の邪魔にしかならない只の小物。誰を愛し愛される訳でもなく、孤独に這いずり回り、挙句に誰にも惜しまれずに名前無き墓廟に収まる」

 

 やめろやめろ。

 

「ふふっ、お前──一体何の為に生まれてきたの?」

 

「ッッブッ殺してやるクソがッ!!!!!」

 

 

 

「落ち着いてよ、正邪っ!」

 

 

 劈く怒声とともに口から溢れたのは、第三者の声。場違いに思える可愛らしい声音に、咲夜も思わず追撃を止めて眉を顰める。

 と、続いて正邪は激しくえづき、拳大の物体──否、人を吐き出した。

 唾液と胃液を滴らせながらも、不快な様を見せる事なく、怒り心頭といった様子で咲夜を睨む。手には等身大の針が握られており、もう片手で例の小槌を正邪からひったくる。

 

 なるほどこれが秘策か、と。

 咲夜は一人得心した。

 

「ばっ、かお前……! 何故出てきたんですか」

「正邪が惨めに負けちゃうと思ったから」

 

 正邪を一瞥もする事なく、小人は咲夜だけをひたすら睨んでいる。戦う気なのだろう。

 

「お前! 犬だか化け物だか知らないけど! 正邪のこと何も知らないクセに好き勝手言うな! 正邪はお前なんかに量れるほど簡単な妖怪じゃないんだぞ!」

「貴女はご存知で?」

「いや知らないけどさ。自分の武勇伝と愚痴以外何も教えてくれないし」

 

 小人── 少名針妙丸の登場は、咲夜と正邪の両名にとって誤算という他ない。

 この急転がどう転ぶのか、すぐには予測できないからだ。

 

「多分お前の言ってることは9割正しい! 私も最近気付いたんだけど、正邪ったら情緒不安定だし見栄っ張りだし小物だし味噌っ滓だし! 暇さえあれば悪い事をしようとする救いようの無い無謀な小悪党だよ」

「そこまでは言ってないけど」

「貴女どっちの味方なんですか」

 

 呆れの言葉を吐きながら、咲夜は懐中時計、正邪は輝針城を通して幻想郷を覗く。

 その間も小人のマシンガントークは止まらない。

 

「私が言いたいのは! 正邪が生まれてきた意味はあるってこと!」

「救いようの無い小悪党なのに?」

「私を助けてくれた事に悪党も賢者もないよ。それに私は正邪のことを愛してる!」

「利用されてるだけなのに?」

「そう、そこなのよ!」

 

 一転、針妙丸は振り返って正邪を睨む。

 

「異変の最中ずっとモヤモヤしてたの。騙そうと思ってるなら最後までボロを出すな! 私って単純だから、何度だって騙されてあげるよ。でも途中で自暴自棄になられたら、今までの言葉全部嘘だって分かっちゃうでしょ?」

「……」

「私の力を必要としてくれる限り、頑張るよ。ずっと一緒に居たいんだ正邪」

 

「だからさ、挫けないでよ正邪。稀神とか鬼人とか……小人族の復権とか、そんなのどうだっていいの。私を騙して騙して、騙し続けて、時には諦めて、最後まで一緒に足掻こうよ。力を合わせて『明日』を目指そう?」

 

 例え偽物であっても針妙丸はそこに絆と恩を感じていた。初めての友達がちょっと特殊な天邪鬼だった、それだけの話。

 虐げられてきた小人族の救済を志したのが一連の助力の動機だったが、それは途中で薄れてしまった。いま針妙丸にあるのは正邪を想う心だけ。

 

 天邪鬼は瞠目する。深く考え込んでいるようだった。

 大きな隙を見せた今こそ千載一遇のチャンスだが、ここは瀟洒なメイド十六夜咲夜の腕の見せ所である。懐中時計を眺めながら時を待つ。

 

 やがて正邪は軽く息を吐いて、針妙丸を見下ろした。そして一層清々しい笑みを浮かべると、天を衝くが如く中指を立てた。

 

「やだね」

「正邪ぁ!」

「私は天邪鬼、生まれ持っての天邪鬼だ! しかし礼を言いましょう姫様! 今の数分で我々の勝ちは確定しました!」

 

 天邪鬼の妖生に安息はいらない。

 自分の創る世界に未来はいらない。

 

 初めから分かっていたのだ。天邪鬼として生まれてしまったからには稀神になろうが、鬼人のままであろうが、破滅するしか道は無いと。

 八雲紫のいる世界に生まれ落ちてしまったから。

 

 正邪では紫を殺せない。

 しかし、奴の過去と未来を地獄に引き摺り込む事はできる。できなきゃ余りに報われないじゃないか。

 

「たった今だ。妖怪の山は月の軍勢に敗れ、人里は我らの手に落ちた。紅魔館の制圧も完了したようだ。もはや幻想郷に抵抗勢力は皆無」

「……」

「私の勝ちだ! 幻想郷は死んだ!!!」

 

 好き放題煽らせていたのも、針妙丸に勝手を許したのも、全てが時間稼ぎの為だ。

 咲夜に針妙丸の存在がバレかけていた以上、戦いは長くは保たなかっただろう。しかし幻想郷の情勢はもはや決しており、数分が瀬戸際だった。

 

「さあ殺し合いを継続したいならとことん相手しよう。早く幻想郷の状況を確認したいなら逃してやる。輝針城から出た時、お前に帰る場所はないがな!」

「せ、正邪……」

「さぁ姫様、最後の大仕事ですよ。死にたくないなら私の近くへ」

 

 二人が手を繋ぐのが合図だった。

 

 城内の各地に仕掛けられた『四尺マジックボム』が破裂、城の基幹部分を吹き飛ばした。当然輝針城は崩壊を始め、魔力の嵐がどんどん城内に侵入してくる。距離の概念、時間の概念、探知の概念が正邪の意のままにひっくり返り続ける特殊な空間。

 これで正邪は更に有利なフィールドで戦う事ができる。

 代わりに外からの侵入が容易くなったのだが、もはや異変に介入できるほどの存在は幻想郷にいない。みな無力化したからだ。

 

「どうだ十六夜咲夜。塵芥に全てを簒奪された気分は? 聞かせてくれよ負け犬の遠吠えってやつを」

「……」

 

 咲夜は一言も発する事なく天を仰いだ。

 怨嗟や悔恨はなく、ただ諦めがそこにあった。

 

「諦めたんだな。涙を流さないよう上を向いてるのか」

「……いやね。お嬢様にはやはり敵わないと、改めて思いしらされたのよ」

 

 

 

 時間稼ぎに徹していたのは正邪だけではない。

 咲夜にも『待つ』意味がある。

 

 レミリアの運命操作能力は非常に強力だが、それが確実に通用しないパターンが二つほどある。

 博麗霊夢の夢想天生。そして八雲紫の介入である。

 

 霊夢の場合は全ての事象から解き放たれる事による能力の無効化だが、紫の存在はさらに上をいく理不尽だ。アレは運命に縛られないというよりは、運命を書き換えていると表現した方が適切だろう。

 つまるところの、想定外の起爆剤。

 アレの齎した波紋が何を齎すのか、咲夜は嫌というほど知っていた。憎々しく思うほどに知っていたからこそ、レミリアの言葉に何の疑問も持たなかったのだ。

 

 むしろ疑問視すべき点は他にある。

 あの帝王レミリア・スカーレットがそんな大きな弱点を放置するだろうか? 

 

「本日未明、幻想郷は崩壊する。そうお嬢様から聞いているわ」

「ひひ、なんだ結末を既に知ってたのか。全てが無駄だと分かっていたのに私と戦っていたのか。虚しいったらありゃしないな。ザマァねぇ」

「しかし──」

 

 正邪の顔から余裕が消える。

 負け犬の浮かべた表情は、あの邪悪な笑み。

 

「幻想郷の崩壊はお前の手によって引き起こされるものではない。お前の野望は今この瞬間、潰えてしまうから」

 

 不可解な言葉に対する問いは()()()()()()()()

 

 正邪の過ちは多々あれど、致命傷になり得た一つの誤算。それは『盤外の駒』への注意を疎かにし過ぎた点が挙げられる。

 遠い月の地で結ばれた怨敵(八雲紫)母親(サグメ)の盟約。それがまさか正邪に牙を剥く事になろうとは、当の本人たちですら微塵にも予想できなかった。

 

 月の束縛から解放された不良天人の考えなど誰にも読める筈が無いのだ。

 

 四尺マジックボムの地響きよりもさらに上。まさしく輝針城そのものを消し飛ばす膨大な質量が大気圏外から飛来し、底から天守閣を貫かんばかりに直撃した。

 

 

 

「せいやぁぁああッ! 気炎万丈の剣ッ!!!」

 

 

 

 落下物の正体は要石と、それに付随する比那名居天子。

 運命の破壊者であり八雲紫の刺客。

 

 月から一直線に輝針城へと衝突し、速度と勢いそのままに緋想の剣を袈裟懸けに振るう。暴風に煽られた揺らめく刀身が瓦礫を切断、寸分違わず正邪の体を捉えた。

 一方で、規格外の乱入者による思考の停止はあったものの、正邪の生存本能は迷わず脊髄反射での能力発動を行わせる。

 

「あ……?」

 

 緋想の剣は物事の本質を表出させる能力を持つ。

 即ち能力貫通の絶対切断。

 奇しくも能力に頼り過ぎた弊害が今になって正邪に跳ね返る結果となったのだ。

 

 数瞬の間を置いて身体の上下が泣き別れを起こす。避けようのない致命傷。

 

 稀神正邪は沈みゆく視界の中で、煌々と燃え上がる野望と、それに比例するようにポロポロと崩れ落ちる生命を感じていた。

 

「正邪……そんな」

 

 自分を呼ぶ声も何処から聞こえてくるのかすら分からない。

 

 

 悪夢のように延々と感じられた時間も、いざ終わってみればあっという間か。

 傍に佇む悪魔の走狗は、自分から意識を外して天子と何やら言葉を交わしている。もはや正邪の生死などどうでも良いのだろう。

 天邪鬼が死んだ。それで異変は終い。それだけ。

 

(死ぬのか? ここで)

 

 幻想郷は確実に終わった。

 ここで小槌の効力が消失したところで命は回帰しない。喪失した戦力は二度と戻ってこない。摩多羅隠岐奈も、霍青蛾も、最早誰にも止められない。

 

 だが相手に希望を残してしまった。

 咲夜と天子を健在のまま幻想郷に帰してしまっては万が一があるかもしれない。

 それだけが心残りだ。

 安心したまま死ねないのは辛い。

 

 

「正邪、正邪や! 逝くな! 私の元から去るなっ!」

 

(針妙丸……)

 

 霞む視界では針妙丸が必死の形相で小槌を振るっている。自身の体格を小槌に合ったものにする余裕もないようだった。

 意識が固定されているのは小槌の力だろうか。簡単には死なせてくれないらしい。

 正邪を苦しめる為の措置だというなら百点満点だろう。

 

「延命に、小槌を使うな。それは、自分の逃亡用に、残しておけ」

「正邪……」

「残りの力、全部天人とメイドに使う。アイツらを野放しにして逝けねェ……」

「でもそれじゃっお前が死んじゃうじゃないか!」

「ただじゃくたばらない……! アイツら諸共この城の崩落に巻き込んでやる」

「お前に助けてもらって、私一人だけ生き残るなんて嫌だよ……! 生き残って……どうしろっていうんだよぉ! 私の味方は正邪しか居ないのに!」

「お前の力を、連中に利用されるのが嫌なだけだ……。後の事は影狼達を頼れ。あのお人好しの馬鹿共なら、助けてくれる。ほら小槌の力、貸せ」

 

 どんな言葉も正邪の手向けにはならないのか。

 針妙丸は本当の意味で力になれなかった自分への忸怩たる想いを抑え込みながら延命を中止、正邪へと力を譲渡し、強い願いを元に『逆さまの術』の効果対象を天子と咲夜に絞った。

 

 これで二人の身体強度は常人並みに落ちる。降り注ぐ瓦礫に当たれば重傷を免れない。

 

「うお、なんだこれ気持ち悪いな」

「時間を殆ど停止できないわ。もうアイツはあまり長くないからすぐに奪われた力は戻ると思うけど……ちょっと不味いわね」

「力が奪われた? どういう事よ」

「説明は後でお願いします」

 

 状況把握とともに咲夜は行動を開始。遅れて天子も慣れない動作で床を踏み進める。

 もはや城は原形を留めておらず、崩壊は秒読み。まともに脱出したのでは到底間に合わない。つまり、二人に残された選択肢はたった一つだ。

 正邪を死に至らしめる。

 

 胴体を切断されている上に、妖力は既にガス欠を起こしており、一度術式を破壊したことで小槌の魔力も霧散しかけている。正邪の死が間近なのは確実。

 即死に至らないのは正邪の『ひっくり返す程度の能力』にある。

 生と死の狭間で自らの生命を逆転させ、死に振り切らないよう調節しているのだ。半死半生の状態であり、その苦痛は計り知れない。

 

「いくら刺しても能力が発動してる限りは奴を殺し切れないぞ! どうする?」

「秘策があります。しかし私の能力が限定されてしまった関係上、至近距離まで近付かなくてはならない上に、反射能力を突破できない」

「まっ、そこは私の出番ね」

 

 何気なく扱っていたガラクタはこんなに重みのある物だったのかと、緋想の剣の質量に若干翻弄されながらも、天子は剣を払い少量の気質を撃ち出した。

 さとりとの戦闘で使用した『全人類の緋想天』とは比べるまでもないほど脆弱なレーザーだったが、突破口を開くには十分である。

 

 並行して咲夜はコンマ数秒の時止めを連発。適宜床の状態や降り注ぐ瓦礫を確認しながら接近していく。異変を感じた針妙丸が牽制の弾幕を放つが、それは天子の投擲した緋想の剣により霧散した。

 小槌は人の力を奪うが、逆に道具の力は高まるのだ。

 

 

 咲夜と正邪の決闘を総括するなら、化かし合いの応酬だったと言えよう。

 時空操作と反射・逆転能力。互いに決して相容れない水と油のような相性関係。

 故に大技は決定打となり得ず、水面下で繰り出される搦手こそ互いの脅威となった。

 

 搦手合戦においては正邪が終始有利だった。騙し騙されの勝負に一日の長があったのだ。だが、その点においてのみ押され気味だった咲夜は渾身の『化かし』を潜ませていた。

 それこそ、現在の自分が戦闘不能に陥ったのだとしても、最後に一矢報いる事が可能になるよう準備した秘策であった。

 

 

絶対一方収縮(デフレーションワールド)

 

 

 召喚されたナイフは時空を超える。

 即ちこれは過去の咲夜が全力投擲したナイフであり、内包された魔力は小槌の影響を全く受けていない。

 

 振り下ろされたナイフは緋想の剣の影響を受けて反射能力を貫通。正邪の首筋へと深々と突き立てられる。

 付与されていたのは時間停止の力。意思と生命、その流転をゼロで固定する。

 

「おまえ、やっぱ性格、クソだな」

「こうでもしないと止まってくれないと思ってね。殺しても冥界から戻って来そうだし」

「……」

 

「次はもっと優しい世界で生きられるといいわね」

「くたばれ……」

 

 最期も罵倒か、と。能力が完全に発動したのを見届け、咲夜はその場を後にした。生死を確かめるまでもなかったからだ。

 

 一方、天子は投げ捨てた緋想の剣を急いで回収。さらに亡骸の側で蹲る針妙丸を小槌ごと掴むと、同じく城からの離脱を試みる。

 徐々に力が戻ってくる感覚があるけれど、万全には未だ程遠い。あと十数秒もすれば元通りなのだろうが、その間崩落に巻き込まれれば命は無いだろう。

 

「正、邪……」

「高貴な種族である小人族のお前をここで見殺しにするのは忍びないわ。行くよ!」

「……」

「まあ元気出しなさいって! あんま気にするなよ」

 

 適当な励ましの言葉を送りつつ前へと向き直る。

 

 先行する咲夜が崩れない足場を選んでいるのでスムーズに移動する事ができているが、崩落のスピードがあまりにも早い。なお主に天子のせいである。

 天界を出奔した果ての死因が「崩落に巻き込まれての圧死」ではあまりに情けなさ過ぎるだろうと、無理くり奮起してただ走る。

 

「あ」

 

 咲夜の足元が丸々陥没し、瓦礫に飲まれた。完璧で瀟洒なメイドの失策であった。

 舌打ちした天子は一か八か『全人類の緋想天』による天守閣真下からの打通を試みるものの、力が足りない。せめてあとほんの数秒あれば、せめて要石が魔力の渦に邪魔されず天守閣を貫通していれば、また話も違っただろうが所詮たらればの話だ。

 

 

 そしてついに、輝針城は限界を迎えた。

 

 





(途中の咲夜さんの煽り口調に数週間の推敲を費やしたとは口が裂けても言えない)
多分八意お母さんの血が騒いじゃったんでしょう

正邪と咲夜さんの境遇は結構似通ってるけど、二人の性質は完全に真反対だよ!な話でした。八雲紫との邂逅よりも先に針妙丸と出会えていれば、また違った未来があったのかもしれませんね(逆だったかもしれねェ……)
つまりゆかりんはオビトでありオッキーナはマダラオキナ

ちなみに小槌は普段針妙丸とともに胃袋に収納してました。状況に応じて魔力を胃袋から発信してます。草の根のリーダーになれたのも小槌のおかげ
あと賢者会議が椛やらゆかりんの暴走でぶっ壊れたり、ゆかりんと霊夢の仲が拗れたのは小槌が影響してたりします


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紡がれた奇跡

正邪の脱落により幻想郷の戦況が一気に変化します


 

 輝針城での決闘が佳境を迎えつつあった頃、幻想郷では各地に終わりが広がっていた。

 

 人妖はよく戦った。この健闘を貶す者は正邪を除いて誰一人として居ないだろう。あの摩多羅隠岐奈でさえ、その奮戦にときめきを感じていた程だ。

 数時間で淘汰されていても不思議では無い戦力差であったが、それでもここまで耐え切ったのは団結と意地が生み出した奇跡と言える。

 

 しかし如何に健闘しようとも、限界は突然訪れる。

 

 

 幽々子と萃香の参戦により一時は五分まで戦況を持ち直した人里での攻防は、ついにはその物量に押し潰された。

 もはや防衛側の領域は稗田邸を残すのみとなっており、八方を何重にも囲われている状況。さらに戦乱から逃れてきた人間達の殆どを収容している為、完全にキャパオーバーを起こしている。

 開戦当初の燃え上がるような士気は、完全に鳴りを潜めていた。

 

 もはやこれ以上の抵抗が不可能である事は、誰の目にも明らかであった。

 如何なる状況においても飄々としている幽々子と萃香は兎も角として、数日に渡り指揮を続けてきた藍、阿求、慧音、小兎姫は、既に落とし所を考えなければならない段階に追い込まれている。

 

「敵方の要求は私と藍さんの身柄引き渡しですが……藍さんは相変わらずですか?」

「ええ。乗るつもりはない」

「そうですか。ではまずは私一人の身柄でなんとかならないか交渉しましょう」

「殺されますよ阿求様。妖怪とは紛う事なき悪であり蛮族! 信用できない」

「私の代わりはいくらでも居ます。むしろ代え難きは貴女(小兎姫)や慧音さんです。私の命一つで貴女達と人々の安全が確保できるのなら、それは我々の勝利も同然でしょう」

 

 ほんの少しの緊張を孕んだ時間がここ暫く続いている。時折萃香が茶化した発言をするなどしてギスギスまでは至らないが、意思の統一が困難になっている状況は如何ともし難い。ごった煮の連合であるが故に、どうしても一枚岩にできなかった。

 

 そうしている間にも情勢は悪化していく。

 人里と同じく、妖怪の山も陥落寸前。というより、どうやら大勢は決したらしく、首魁の天魔が捕縛された事で敗北済みであった。

 山の抵抗勢力を片付けた月軍は間違いなく勢いのまま人里へと雪崩れ込んでくるだろう。草の根連合がどう対応するのかは未知数だが、連帯するにしても殺し合うにしても、藍達には碌な結果にならない。

 

「もはや幻想郷に安全な場所はないでしょう。紅魔館も、博麗神社も駄目だ。希望が全くない訳ではないが……」

 

 式を通じて幻想郷を具に観察していた藍だったが、諦めたように首を横に振る。

 もはやまともに戦える者は居ない。

 

「紫様から幻想郷を預かっている立場である以上、私は徹底的に抗うつもりです。しかし貴女達にまで決死の抵抗を強制するつもりはありません。奴等に降るというのなら、私はその意志を尊重しよう」

「いいのかい? そんな事言っちゃって」

「無理強いはできんさ。それに、仮に紫様がこの場に居られても同じ事を仰ると思う」

「いいね。負け戦ほど燃えるもんだ! それじゃ、戦いを継続する奴等は場所を変えようか。人里でドンパチやられるのは困るだろうしね」

 

 萃香の言葉に頷くと、続いて幽々子へと向き直る。

 

「白玉楼は大丈夫ですか? 幽々子様」

「ここまで大事になると冥界も無関係でいられないもの。勿論構わないわ」

「ご厚意痛み入ります。橙、離脱の準備だ」

「は、はい!」

 

 死者の世界から捲土重来を図るとは、中々に洒落ている。妖生初となる惨めな敗走だが、藍達に絶望はなかった。あるのは挽回を窺う強い想いだけだ。

 当然、人里の守護者達も同じ想いだ。しかし、藍達とは優先順位が違った。

 八雲紫の創った世界を護りたい気持ちと、馴染みの人間を救いたい気持ちは時として相容れないものである。それを責める訳にはいくまい。

 

「藍さん……申し訳ございません」

「貴女の立場はよく把握しています。連中には『九尾の一派は自分達を見捨てて逃げおおせた』とでも伝えていただければ」

 

「藍さま! 至急、人里南方の式を確認してください!」

「……どうした」

 

 橙のほぼ叫びに近い報告に眉を顰め、指定された式と同調する。数瞬後、脳裏に広がった光景は、藍をして絶句させるものであった。

 ここにきて新たな、しかも危険度の高い異変の発生など、どうしようもないではないか。

 

「……ッ彼奴か! おのれッ青娥娘々!!!」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「ムリムリムリ〜! 絶対無理ですあんなの! 斬ったら剣が腐る!」

「確かにあの数はかなりの脅威ね。どうかしら、三人でどうにかなると思う?」

「是、ではあるが……あまり気乗りはしない。我が師のなさる事だ。骸の一体一体に強力な呪を込めているのだろう。着実に我らへと呪を蓄積させ、己が骸が一つとする為の計略。まともに相手をしないのが正解だ」

 

 人里近郊の空白地帯。戦乱が通り過ぎ命一つ無い大地を、種族も身分もバラバラな三人が疾駆する。霊廟にて激戦を終えたばかりの魂魄妖夢と豊聡耳神子、そして気怠げな様子の茨木華扇である。

 

 その後を追うは、地を覆い尽くす蝗と見紛うばかりの人だかり。しかしその全てに命は無く、青娥の意のままに動く傀儡。関節の動かない殭屍(キョンシー)型のゾンビだが見た目によらずスピードと制圧力には中々のものがある。

 青娥が計画の為に用意した特別な殭屍らしく、数の暴力や戦闘スペックは勿論のこと、倒せば辺り一帯と敵対者に呪をばら撒くという性質を持っているようだ。

 

「しかしアレを放っておくのも良い予感はしないわね。このまま幻想郷を埋め尽くしかねない勢いで湧いて出てきてるけど」

「邪仙が黒幕なのでしょう!? 奴を斬りましょう! そうすれば術式は解除される筈!」

「師は迂闊な所もあるが、基本堅実な立ち回りを好む。二重三重に策を張り巡らせていると考えるのが妥当だよ。簡単には斃させてくれないだろうし、素直に術式が消えるとも限らない。下手をすれば幻想郷を死の土地に変える引鉄として運用している可能性さえある」

「近くには手練の死体も控えてますしね」

「くそぉ! もう人里は目の前ですよ!?」

 

 拡散する殭屍は既に幻想郷南西部を蹂躙し、北上を続けている。対抗への明確な手立てが存在しない以上、三人は人里に向かうしかないのだ。

 神子による説得も一つの案としてはあったが、それは他ならぬ神子本人により却下された。単純な話、耳を貸すような相手ではないからだ。というか神子は切り捨てられた側の存在である。

 

「幻想郷に住まう方々には申し訳ない事をしました。師が布都と屠自古を殺した事を仄めかした時に、問答無用で粛清するべきだったのでしょう」

「まったくですよ」

「まあ君が問答無用で切り掛かって来たのが発端なんだが」

「この場に居る全員に非があります。私が青娥を仕留めてさえいればよかった」

 

 というより華扇の本音としては、ここに至って責任の如何を論じる必要はない。責任云々の話になるのなら、そもそも奴の幻想郷入場を許可した八雲紫にあるだろう。つまるところ一切合切、紫のせいである。

 

 既に人里は目と鼻の先であり、草の根連合の姿も見える。三人の姿を見てすぐに臨戦態勢を整えていたが、さらにその背後の殭屍軍団に気付くと腰を抜かしていた。

 

『妖夢! これは何事なの!?』

「あっ橙さんお疲れ様です! 見ての通りですのでどうにかしてください!」

『……』

「ちょっと? 橙さーん!?」

『少し、少しだけ待ってね』

 

「あっちも打つ手なしですか。では人里への乱入を許してはなりませんね」

「仕方あるまい。殭屍を傷付けず無力化する事を心掛けよう。万全に戦えるのは(神子)(妖夢)だけみたいだから頑張ろうか」

「仙術のみですが、私も助太刀しましょう」

「峰打ちですか。なるほど……」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 同時刻、妖怪の山。

 月軍は積み上がった味方の屍の上で勝ち鬨を挙げていた。その眼下にはフェムトファイバーで拘束された妖怪達が転がされている。全盛期に近い力を行使できるようになった神奈子は念入りにしめ縄で固定された。

 実際のところ、妖怪達の中にはまだ抵抗の力を残している者も相当数いるのだが、彼女達から決して手を出せない理由があった。

 

「ひーん! 死にだくないぃぃ! まだ死にたくないよぉおお!!」

「喧しいなぁ」

「我々を散々苦しめた敵の首魁の姿か? これが……」

 

「おお天魔様なんと痛ましい……」

「お労しや天魔様」

「天魔様ってあんなギャン泣きするんだ」

 

 最高司令官である天魔の身柄を遂に月軍に確保されてしまったのだ。これでは妖怪の山に住まう者達は一切手を出せない。神奈子やネムノは従属関係に無いので反抗の気力は残っていたのだが、天魔及び妖怪達はこの数日間を共に戦い抜いた戦友である。見捨てるのは流石に憚られた。

 

 哀れな天魔──もとい姫海棠はたての身体はモリヤーランドのアトラクション鉄柱に括り付けられ、幾つもの銃口が向けられている。直ちに処刑、という訳でもなさそうだが、色々と風前の灯なのは間違いない。

 

 そんな状況に唯一ご満悦なのが、ここ数日間気が気じゃなかった清蘭大将である。あまりの上機嫌っぷりに側近の玉兎達もドン引きしていた。

 ちなみに現在は楽しくコーヒーカップを回している。職務放棄だが咎める者は誰もいない。

 

「一時はどうなる事かと思ったけど、無事任務を全うできて一安心だよ。やっと私直々に豊姫様とサグメ様に良い報告ができるわー」

「全うしてないけどね。浄化し切れてないでしょ?」

「まーそうだけどー。あのまま奴等のリーダーを撃ち殺してたら連中全滅するまで抵抗してきたと思うんだよね。今回の捕虜と敵リーダーの処遇は上層部に任せるとして、私達は先を急いだ方が楽でしょ?」

「楽する方向ならよく頭が回るんだよなぁ清蘭って」

「鈴瑚は本筋とは関係ないところに頭を働かせ過ぎだよ。ちゃんと働いてよね」

 

 一生懸命コーヒーカップを回しつつも、ジト目で向かいの鈴瑚を見遣る。怠け者二人組であるが、頭の回転は決して悪くないのだ。各々の役職が完全に長所を潰し合っているだけなのであって。

 適材適所って大切なんだなぁと、鈴瑚は常々思うのである。

 

 

 

 そんな激戦後のモリヤーランドの片隅の茂みにて、スコープから場の状況をじっと見守っている集団がいた。

 唯一その場から逃げ出すことに成功した、河城にとり率いる河童の一団である。

 

「どうすんのさにとり。このままじゃ私らも捕まっちゃうよ」

「んなこと分かってんだよバカタレ! 言ってる暇があったら手立てを考えろ!」

 

 元山童の山城たかねからの愚痴を罵倒で切り捨てる。

 せっかく光学迷彩で月軍の追撃を振り切れたのだ、このチャンスは有効に活用せねばなるまい。虎視眈々と乱入の機会を狙う。

 

 またその傍には集中治療を受けている最中の椛が転がされており、正しく虫の息。予断を許さない状態となっている。普段の生命力が戻れば助かるだろうが、それがいつになるのかは誰にも分からない。

 

「ていうか、このまま逃げた方が良くないか? 無理に反撃するよりも力を蓄えてやり返せばいい。それが河童のやり方だろ?」

「ふん、元山童には我々の意地など分からんだろうさ」

「分かんないねえ。そもそも天魔様には恨みさえあるし、助ける義理は無いんだよ」

「ならアンタだけ逃げりゃいいだろ」

「そしたらアンタらに後ろから撃たれそうじゃん」

「撃つに決まってるだろアホボケ」

 

 天魔の妖怪の山統一戦争により族滅の憂き目に遭った山童。その数少ない生き残りであるたかねにとって、天魔への印象は最悪に近いだろう。にとりはそこを理解しつつも、たかねの姿勢を強く咎めた。

 生まれてこの方河童の為という建前の下、好き勝手研究開発に邁進してきたにとりだが、ここに至って一種の責任を感じ始めていた。

 

 にとりは可能性を感じたのだ。

 

「天魔様は──はたては妖怪の山に必要不可欠な存在だ。此処で失う訳にはいかない」

「らしくないセリフねぇ。何に感化されたの」

「死地に送り出した人間(魔理沙)にちょいとね」

「ふぅん。まあ確かに、今の天魔様は昔とちょっと違う感じがするかも?」

「あっ、お前知らないのか?」

「何を?」

「知らんならいいや」

 

 独自の情報網を築いているにとりが紫による天魔殺害を見逃す筈がなかったのだ。

 そもそもその件があったからこそ、にとり達は八雲紫へと急速に接近したのだ。その結果、河童は天狗と妖怪の山を二分するまでの勢力になったのだから、その選択に間違いはなかったと言える。

 

 しかしはたての存在はそんな河童の強行的な方針をも覆す影響力があった。

 あの纏まりのない曲者達が、有事とはいえ手を携える事ができたのは間違いなくはたてにその資格があったから。戦乱と殺戮に晒され続けてきた妖怪の山に必要だったのは、まさしく彼女のような光側のリーダーなのだ。

 

 もっとも、前線で鼓舞していたが為に捕縛されてしまうような迂闊さは考え直して貰わなければならないだろう。

 

 それに山が平和なら研究も更に自由奔放に行える。唯一の懸念として戦闘データが取りにくくなるといった点があるも、それは今回の件で解決した。

 宇宙には素敵な月の民(サンドバッグ)があるのだ。

 

 ともあれ未来の事は今の窮地を切り抜けてからの話だ。

 

 

「これ以上待機してても状況は好転しない。文の奴め、こんな時に限っていつも仕事が遅いんだ。……仕方ない、椛を治療する人員を除いて、隠密行動で天魔様を救出するよ。みんな腹を括ってくれ」

「その間に捕まってるみんな撃ち殺されないかな」

「その時はその時だ。天狗連中は天魔様が助かれば本望だろうよ。他は知らんが」

 

 ここにいる河童もはたして何人生き残るのか。

 そもそもはたての救出は成功するのか。

 可能性を高く見積もっても犠牲を避けられない事は、その場にいる河童全員の共通認識である。悲壮な覚悟を固めていた。

 

 

 

 

 しかし。しかしである。

 河城にとりに残されていたほんの僅かな良心が、命令を躊躇う時間を作った。

 

 これが分岐点となった。

 幻想郷に幸運と奇跡の神が微笑んだ。

 

 否──幻想郷には幸運の女神、奇跡の女神、その両方が居るのだ。

 

「河城隊長! 空をっ!」

「大きな規模の……空間の歪みです!」

 

 幻想郷の状況を調べていた調査員が声を張り上げ、それに従い全員が咄嗟に空を見る。

 河童のみならず、玉兎達、捕まった妖怪達。

 その場に居る者、全ての視線を奪った。

 

 けたたましい音を立てて虚空から現れたのは、巨船だ。数日前に幻想郷を騒がせた謎の空飛ぶ船。

 空間にラグを走らせながら幻想郷に現れたそれは、船尾が裂け目を抜けると同時に自由落下を開始。『運悪く』その真下にあったコーヒーカップを押し潰し、船頭がアスファルトに突き刺さった。

 

 一瞬の静寂、そして悲鳴が満ちる。

 

「せ、清蘭大将ッー!」

「おのれェよくも大将と参謀を!」

 

 妖怪達へと向けていた銃口が一斉に巨船へと切り替わる。清蘭砲による内部への浸透攻撃と、巨船諸共消し飛ばす重火力。これが同時に放たれれば死から逃れる術はない。

 しかしそれらは引鉄に手を掛けるより早く基幹部分を切り落とされ、若しくは見えない手により取り上げられた。そして一瞬で無力化された事により惚けてしまった一団を超質量の錨と鉱石が押し潰す。

 

 船の中から飛び出した妖怪達によって行われた一連の技からは、熟練のコンビネーションを感じさせる。なおうち一人は即興の合わせ技である。

 

「我ら命蓮寺の門徒也! 義により一同幻想郷に助太刀します!」

 

 黒のメッシュと虎柄の衣が目立つ金髪──寅丸星による高々とした宣言と同時に宝塔がレーザーを乱射。それに呼応するようにナズーリン、水蜜が自慢の得物で追加攻撃を仕掛けた。

 突如出現した超手練の妖怪による怒涛の攻撃に、全く対応できず玉兎達は兵器もろとも薙ぎ倒されていく。司令官が安否不明なのもあって恐慌状態から脱する事すらできていない。

 

 その間に、船からこっそりと抜け出たアリスが魔法糸の操作によりフェムトファイバーを巧みに解いていく。

 解放された妖怪達も何が何やらと、状況を飲み込めずに立ち尽くしていたが、そんな彼等にも『その声』は酷く耳に残った。

 

 

「怪我をされている方は此方へ。息があればまだお救いする事ができます」

 

 

 衆人の前に進み出たのは一人の尼僧。立ち昇る魔力──法力はあまり濃密で強大。幻想郷に住まう妖怪であれば、その尼僧がどれ程の存在であるかは一目瞭然であろう。

 尼僧から放たれる法力は身体を著しく強化する術式が編み込まれている。傷を治すのではなく、無理やり身体能力を引き上げて生かそうとする延命措置である。

 だが先ほどの言葉通り、これほど強力な術式であればこれ以上の死者は出ないだろう。

 

「聖さんありがとうございます!」

「いえ、当然の事をしたまでですよ。むしろ、これくらいさせて貰わなければ貴女達に対して恩を返しきれません」

 

 続いて船から飛び出たのは山の妖怪達にとっても馴染み深い顔だった。これには神奈子もビックリ仰天である。

 鮮やかな緑髪に青を基調とした巫女服。異変解決に飛び出したまま帰って来なかった東風谷早苗その人であった。額には包帯が厚く巻かれている。

 

 尼僧──聖白蓮とその仲間達は味方である。

 それを裏付けさせるには十分過ぎる一幕だった。

 

 

 しかし玉兎側とてやられるばかりではない。

 ほぼ直立した形になっていた聖輦船を木っ端微塵に破壊し、清蘭と鈴瑚が這い出てくる。これでも訓練兵時代から叩き上げで成り上がってきた精鋭中の精鋭二人である。この程度で殉職する訳がない。

 

「くっそーやられたわー! こんな隠し玉を用意してたなんて地上人にしては中々やるじゃない!」

「混戦状態か、あまり良くないね」

「久々の戦闘だ! 手分けしてやろう!」

「まあ待ちなよ。奴等にとって一番の狙いを阻止するのが最優先だ」

 

 鈴瑚はこの状況において、敵が最も成し遂げたい事を逆算して考える。

 そうすれば答えは明白だ。

 

 囚われしリーダーの解放。

 

 天魔へと視線を向けると、彼女の周りに歪みが生じている。空間の位相をずらして姿を誤魔化しているようだが、それは玉兎の専売特許だ。

 拘束を解かれる前に排除するのみ。無言で団子型弾幕を放ち歪みを突き飛ばす。

 

「ひゅいっ!? やっべバレた!」

「にとり戦っちゃダメだ! 逃げて!」

 

「清蘭」

「分かってる!」

 

 この混乱の中、決して天魔を逃してはならない。山の勢力が息を吹き返せば、今度こそ戦いは泥沼に陥るだろう。軍勢が力を出し切った訳ではないが、流石に2回目は骨が折れる。

 さらに「命蓮寺の門徒」と名乗る謎の集団が敵に合力している今、計画の進行に支障をきたすのは間違いない。

 勢いの芽は潰すべし。

 

 清蘭ははたての心臓、鈴瑚はにとりの脳天へと照準を定める。玉兎の基本技術である指から放つ狂気の弾丸。しかし選ばれし特別な玉兎が扱えば超高精度、高密度の必殺弾幕となり得る。

 特に清蘭の腕前は主席の鈴仙とほぼ同等であり、万に一つも外す事はないだろう。

 

 数名が玉兎の狙いを看破したが、止めるには至らなかった。弾丸は無情に放たれ、はたての命を奪わんと迫る。

 小槌に力を奪われたはたてでは致命傷は避けられない。最悪の光景を誰しもが想像した。

 

 

「超人『聖白蓮』」

「山窩『エクスペリーズカナン』ッ!」

 

 だが運ははたてを見捨てない。

 瞬間移動かと見紛う超スピードで間に割り込んだ聖がにとりへと向かっていた弾丸を指で捻り潰し、一方はたてを襲った弾丸は一刀の下に切り捨てられた。

 死んだと思っていた親友の登場に思わず涙が溢れた。

 

「もみじィいい!!! 生きでだぁぁああ!!!」

「勝手に殺すな……がふっ」

 

「大丈夫ですか? 河童の人」

「ひゅい……ど、どうも……」

 

 弾丸を叩き切る為だけに立ち上がったようで、間も無く力尽きてぶっ倒れた身体を聖がにとりごと支える。できる事なら自分が支えてあげたかったはたてだが、生憎とまだ鉄柱に繋がれっぱなしである。

 なおにとりは終始尼僧に対して怯えていた。

 

 何はともあれ、天魔の解放に成功した事実は妖怪達を更に勢いづかせる。即ち第二ラウンド開始のゴング代わりの出来事であった。

 そして異変はそれだけではなかった。

 

「──お? 力が……」

「間違いない。戻ってきているのです!」

 

 まるで身体中に巻き付けられた鉛が消えていくように、力が漲ってくる。数日前から奪われていた力が戻ってきているのだ。

 椛が一瞬でも立ち上がれたのはそれがあったからだろう。

 

 これが意味するのはただ一つ。

 

「あの悪徳賢者が死んだのか! 誰だか知らないけどよくやってくれたわ!」

「さて……今までやられた分、とことんやり返させてもらおうかね。ネムノさんいけるかい?」

「んだべ」

 

 従来の状態であればたとえ月の軍勢といえど遅れを取る事はなかっただろう。故に、覚醒者とも謳われる山の妖怪達は酷く鬱憤を募らせていた。

 全力を出せる開放感はさぞカタルシスに満ちているだろう。

 

 雰囲気が変わった事は玉兎側にも嫌というほど伝わった。心胆寒からしめる重厚なまでの殺意と莫大な妖力。伝聞にある第一次月面戦争以上の地獄が待ち受けているのは言うまでもない。

 そして思い出した。

 いま自分達が踏みしめている土地は、月の民を何度も滅ぼしかけた最強にして大罪の大妖怪、八雲紫が治める場所。魔境であると。

 

「り、鈴瑚。増援は?」

「……」

「鈴瑚!」

 

「実はね、ずっと通信が繋がらないんだよ。豊姫様や連絡班、誰とも」

 

 清蘭は理解できなかった。脳が理解を拒んでいたのかもしれない。

 それが意味するのはつまるところ、自分達月の先遣隊は切り捨てられたのだという、何よりの証左だったから。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「随分と入念に用意してたのね。流石よ」

「事態がどう転ぼうが最後に全てを掻っ攫うのが長生きの秘訣だよ。お師匠様もそうしな」

「兎の諺があるけど」

「二兎を追う者は一兎をも得ずだって? それは単にそいつの要領が悪いだけ。賢い奴が漁夫から利を奪い取って世の中回していくのさ」

 

 二人の元賢者が適度な距離感を保ったまま、互いの知謀を称賛または牽制する。

 八意永琳と因幡てゐ。かつて幻想郷の殆どを相手取り、あわや八雲紫の殺害を達成しかけた恐るべきタッグ。もし彼女らの間に輝夜と鈴仙が居なかったのなら、実現不能な組み合わせである。

 

 そんな彼女達は迷いの竹林に到着するや否や輝夜を保護し、散り散りになっていたイナバ(地上の兎)達を纏め上げ、かつてと変わらぬ体制を取り戻す。

 そして一気に北上し、群れる殭屍を持ち前の科学力と圧倒的な暴力により一掃しつつ、妖夢達の後を追うようにして人里を目指していた。

 

 当然、殭屍が機能を失うと同時に青娥の仕掛けた罠が発動して致死量の呪が撒き散らされるが、てゐの能力と永琳の頭脳があれば恐るるに足らず。兎一匹の犠牲を出す事なく敵を全滅に追いやっていた。

 なお幻想郷は汚染されてしまうので、その都度穢れの除染作業をやらなければならないのは少々面倒ではあったが。

 

「まっ、元賢者としての打算もあるけど一番は鈴仙だよ。アイツが月で頑張ってる分くらいは私も一生懸命働くさ」

「あの子は優秀なんだもの、それくらいやってもらわねば困るわ。当然貴女にも」

「期待される弟子ってのは辛いもんだ。勿論、お師匠様にとってもね」

「否定はしません」

 

 立ち塞がる殭屍がイナバ隊の一斉射撃で殲滅される様を眺めながら、ポツリと溢す。

 鈴仙は恐らく、今頃月の災厄とその一派を八雲紫と共に相手しているのだろう。仙霊の戦闘力は恐らく永琳と同等に近いレベルであり、宇宙広しといえどまともにやり合って勝てる者は恐らく殆ど居ない。

 

 そんな死地に鈴仙を送り出した件について、永琳は飄々としているかと思えば、実は案外気にしていたりする。

 条件さえ揃えば鈴仙はどんな相手でさえ打倒してしまうポテンシャルを秘めているのだが、それ故か増長し易くすぐに調子に乗るし、鼻っ柱を折られると一気に気弱になって及び腰になる欠点がある。

 こればかりは永琳でさえ矯正できなかった。

 

 しかしその性格が案外刺さったりもするのだ。

 

「鈴仙を無理やり月に送ったのってさ、もしかして鈴仙に選ばせる気だったんじゃないの? 地上か月か、好きな方を選べって」

「もし仮にそうだとして、あの子が月に戻る事を望んだらどうする?」

「応援するよ。どーせ何処行っても酷い目に遭ってるんだろうし」

「あら意外。貴女の事だから『絶対に行かせない』って言うものだと思っていたわ」

「会いたくなったら連れ戻しに行くさ。それに、餞別は既に預けてあるしね」

 

 永琳は目を細めた。

 十中八九、別れの前に渡していた人参のネックレスの事を言っているのだろう。

 特別な効力のある物ではなかった筈だが、てゐが数千年肌身離さず身に付けていたブツだ。永琳にすら計り知れないモノに変質していてもおかしくはない。

 というか過保護なてゐのやる事だ。絶対に何か裏があるに決まっている。

 

「ところでお師匠様は冷たいね。鈴仙に指令だけ伝えてさっさと送り出しちゃうんだもの。鈴仙も姫様も『それだけ?』って感じの目で見てたじゃん」

「これで私まで褒めてたら一年くらいずっと調子に乗り続けるわよ。鈴仙だもの」

「乗らせとけばいいじゃない。可愛いし」

「……しかし、確かに書簡以外手ぶらで向かわせたのは可哀想だったかもね」

 

 全て鈴仙を想っての行動だが、もしや鬼師匠等と思われているのではなかろうかと考えると、ほんの少しだけ嫌な気分になった。もう少し優しくしてあげるべきだったか。

 今すぐ月に飛んで『紺球の薬』でも届けてあげようかと考えたが、永琳も多忙の身。流石に幻想郷が落ち着いてからではないと無理だろう。

 

 なら──。

 

「とびっきりの餞別を用意してあげようかしらね」

 

 宙を見上げ、頭上に輝く狂気の珠を睥睨する。

 いつもより激しく瞬いているのは気のせいでは無いのだろう。あの光の下にきっと鈴仙がいる。

 

 永琳は頷くと、静かに矢をつがえた。

 

 

 

 

 

 

「ほうその姿、貴女がかの高名な九尾の狐か。大陸でのお噂はかねがね」

「此方こそ驚きだ。アレほどの神霊を発生させるのだ、まさかとは思っていたが……まさか厩戸豊聡耳皇子とはな」

「ふむ、なるほど。暴虐の限りを尽くした九尾が他の妖怪に傅くとは。是非貴女の主人ともお会いしたいものだ」

「昔の話はやめていただきたい」

 

 古代からの有名人であった藍と神子は、一瞬で互いの素性を理解した。なお藍の方は悪い意味での『有名税』であるのだが。

 

 またその傍では妖夢が幽々子に褒め言葉という名の説教を受けており、さらにそれとは対照的に鬱陶しく絡んでくる萃香をガン無視する華扇という中々に混沌とした再会の構図があった。尚いつも通りである。

 

 ほんの数分前までは身を引き裂くような悲観に包まれていた人里だが、今や弛緩した空気が充満し切っている有様だ。

 それもその筈で、迫っていた筈の危機が全て叩き潰されてしまったのだから。

 

 果たしてこの数日間の奮戦は何だったのかと、阿求は遠い目で眼下を見遣る。

 そこには地べたに突っ伏す影狼を始めとした草の根メンバー、暴徒と化していた人間達、愉快犯の妖怪達。全員が身じろぎせず死んだように倒れていた。

 

 

『詔を承けては必ず慎め』

『逆らう事なきを宗とせよ』

 

 

 神子が何気なく発したこの二言で、戦意は完全に削り落とされた。

 高貴な身から発せられる高徳はならず者の荒んだ心を融解し、自らを敬う気持ちへと植え替えられた。人々の欲を汲み取る為政者の声音はいとも容易く心を絡め取る。

 

 そもそも人里を攻撃していた者は、その殆どが小槌の魔力と隠岐奈の策略による偽の闘争心を植え付けられたのが原因だ。

 しかしそれらは目の前に実在する神子の魅力の前には無力である。

 

 また唯一、権威が通じないメディスンも永琳の気配を感じ取って離脱してしまい、これにて正邪の野望は完全粉砕に至る。

 

「う、動けない……」

「声が出ないよぅ」

 

「この者達も邪悪な賢者の策に巻き込まれた被害者です。ひとまず縄で縛って異変の完全解決まで大人しくしてて貰いましょう」

 

 華扇の言葉で方針は確定した。

 強硬派の小兎姫はこの場での公開死刑を提案したが却下され、渋々自慢の檻を貸し出すことになる。そんな事を悠長に行なっている暇などないからだ。

 

 

 改めて藍は思考を巡らせる。

 あまりに上々の運びだといえよう。

 少なくとも幻想郷で表向きに発生していた異変はほぼ鎮圧された。唯一殭屍の駆除が完了しておらず、また青娥の足取りが完全には掴めていないけれども、それも時間の問題だろう。

 

 紅魔館の方も稀神正邪の死亡が発覚すると、襲撃者達は大人しく投降したようだ。あの忌々しき天人が敬愛する紫からの指示を受けて解決に一役買ったようだが、まあどうでもいい事だとスルーした。

 

 それよりも藍は万感の想いを抱いていた。

 漸くだ。漸く──。

 

 

「月に行くんでしょう? 藍ちゃん」

「お見通しでしたか幽々子様」

「考える事は一緒よね。同行していいかしら」

「歓迎いたします。……お前は駄目だぞバカ鬼」

「なんでさっ!? おうおう私だけ除け者かぁ!?」

 

 萃香とて紫救出を待ち侘びていた者の一人であり、あまりに納得がいかなかったので「おーんおんおん!」と泣き叫んでいる。何より隣に居る幽々子の勝ち誇ったような目がイラついた。

 しかし藍にはまだ懸念があったのだ。

 

「地底の様子を見てきて欲しい。魔理沙の安否確認と、古明地さとりへの助力要請だ」

「あー魔理沙は分かる。けど何でさとり?」

「幻想郷の修復が橙や慧音だけでは間に合わないのと、隠岐奈様──いや、摩多羅隠岐奈への対策だ。アレだけは現在の状況も、有効な手立ても未だ判明していない」

「そういえばいつの間にか終わってたよな、アイツが起こした異変」

 

 藍も萃香も、隠岐奈が死んだとは微塵も思っていない。古来から生きている者にとって八雲紫と摩多羅隠岐奈の力試しは語り草。あれほどの化け物が何の音沙汰もなく死ぬというのは、どうにも考えづらい。

 

「隠岐奈は天魔様。青娥は華扇様。そして紫様の救出は私と幽々子様が主体となって臨むことになると思う。ただ山の面々の消耗は激しい故に、妖怪達の殆どと顔馴染みであるお前の出番という訳だ」

「不満だね! 全部華扇に任せておけばいいよ。月に連れてってくれないなら私はもう止めだ止め!」

 

 不貞腐れてしまった萃香はそこらの民家から持ち出した杯へと酒をなみなみと注いでいく。やはり萃香を御するのは紫をおいて他に居ないのだ。

 まあ使い物にならなくなるよりかはマシかと、藍が折れて同行を許可しようした、矢先のことであった。

 

 萃香が不意に首を傾げる。

 

「月って、こんなデカかったっけ?」

 

 月の楽しみ方は多種多様、どれを選択しても心を潤わせるに充分過ぎる。萃香はなみなみの酒に月を映し、飲み干すことを好んだ。幽々子は団子を月に見立てて食べてしまうのが楽しみだ。

 しかし今日は些か、酒の海原に映る月が大きく見えた。

 

 

 

 

 最期の一夜が始まる。




これ勝ち確では?(慢心)

あおりんごが豊姫様と連絡できなかったのは言わずもがなヘカ純のせいです。月の上層部に繋がらなかったのは単に見捨てられただけ。お団子屋になるしかないね……

聖と神子が出てくるだけで空気が変わる感じ好き。故に大活躍
聖復活までの流れは多分のちのち早苗さんかアリスが簡単に語ってくれる筈……


さて異変は終盤。次回からゆかりん視点に戻ります。
霊夢が決心したりうどんちゃんが泣き喚いたりゆかりんが大変な事になったりするらしいです。ゆかうどんの命運や如何に……
感想とかお待ちしております♡


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Re_Mind(前)*

ルナシューター編


 はぁい私ゆかりん!(現実逃避)

 

 えー皆さんご存じの通り保身が大好きな私こと八雲紫でございますが、実のところ分の悪い賭けというのは案外嫌いじゃない。

 だってさ、それって賭けとして成立してるって事でしょ? それだけでも私にとっては温情過ぎる前提条件なのである。ほら、大抵の場合盤上をひっくり返されて賭けそのものを無かった事にされるから……。

 

 で、今回の賭けはどうなのかって話になるんだけど。

 案の定クソゲーでしたわね。

 

 心の奥底に抱いていた微かな淡い期待は、目の前の現実によって粉々に打ち砕かれた。無駄な希望を抱き続けるよりはマシかもしれないけど。

 ウドンを信じた結果がこれだ。

 

「うぎゃーッ! あぎゃあーッ! あばば!!!」

 

「何故逃走? 我殺戮汝命尽迄」

「降参降参降参ッ! ギィブアァァーップ!!!」

「我落胆。汝醜無様……我慈悲引導渡」

 

 目視できない『ナニカ』がウドンの側に着弾するたびに大地は震え、元からクレーターだらけだったフィールドが一つの大穴と化していく。開戦当初にウドンに対して使用した即死技ではなく、ただ純粋な力の塊だと霊夢は言っていた。

 ウッソでしょ。

 

 そんなあまりの一方的な展開にウドンの心は完膚なきまでにへし折られてしまい、命乞いの言葉を涙ながらに叫びながら目下逃走中。なお降参は認められないようだった。私にとっても絶望である。

 最初は檄とかアドバイスを飛ばしていた綿月依姫も、遂には目を伏せ何も喋らなくなってしまった。対して豊姫と霊夢は比較的冷静ね。元から期待してなかったのかもしれない。

 

「そろそろ霊夢の出番かもしれないわね」

「アイツが勝とうが負けようがどうだっていいわ。私とアンタで2勝すればいいだけよ」

「それはちょっと無理があるかも」

「あん? 私が負けるって言うの?」

 

 違うそうじゃ無い。

 やる気十分といった感じで屈伸していた霊夢だったが、私の言葉が不満だったようで凄んできた。思わず泣きそうになっちゃったわ。

 なんか変に弁解しようとすると再度機嫌を損ねてしまいそうなので話を逸らしましょ。

 

「純狐の攻略──貴女なら成せると?」

「できるかできないかの問題じゃないわ。敗北が許されない以上やるったらやるのよ。……私はもう二度と負けない。絶対に」

 

 娘がイケメン過ぎる件について。

 霊夢は博麗の巫女という立場上、敗北は死も同然といった認識で常に事に当たっているのだろう。萃香に負けた時はかなり打ちのめされてたし。

 そんな過酷な宿命が彼女の才覚を更に押し上げているのでしょうね。

 事実、霊夢は今もどんどん強くなってると思う。

 

 まあそんな霊夢やら魔理沙やらに触発されて危険物(S級妖怪)達が自己研鑽を始めちゃってるのはとんでもないバグだと思うのだけどね。マジでやめない? そういうの。

 

「まっ、そういう訳だから私の心配をする暇があったらアンタはアンタの戦いに集中してなさい。紫の無様なところなんか見たくないんだから」

「ふふ……分かりました。娘の手前、恥ずかしい姿は見せられないわね」

「チッ。だから……あーもういいや」

 

 一瞬凄い目つきで睨まれたけど、すぐに怠そうになってそっぽを向いてしまった。機嫌の高低が激し過ぎる……! 

 ていうか、ナチュラルに霊夢のこと『娘』って呼んじゃった! 確か霊夢にとって地雷ワードでしたわね。「どうせ戦うのはAIBOだし私は関係ねーや!」と適当にイキってたら気が抜けてしまってたわ。反省反省。

 

 取り敢えず、霊夢のコンディションが(私のせいで)悪くならないうちに戦ってほしいわね。いやでも時間を稼いだ方がAIBOの稼働時間も上がるか……? 

 でもこのままダラダラ死合が長引いて純狐さんの矛先がこっちに向くのも嫌なのよねぇ。現にヘカちゃん達はうんざりしてるみたいだし。

 

 誰からも応援されないウドンのことがちょっぴり可哀想になった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 自分はどれほどの不幸の星の下に生まれたんだろうかと、鈴仙は何度目になるか分からない絶望を味わっていた。あまりにも不条理だ。

 

 月の至宝と(恐らく)持て囃されていた恵まれた能力も、この領域に至っては僅かな延命に期待する程度のちっぽけな力にしかならない。純狐はあまりにも強過ぎた。

 

 得意の射撃は通用しなかった。狂気の弾丸が純狐の纏う純化のオーラを突破できないからだ。渾身の一撃も容易く捻じ曲げられ、純化の波に消えてしまう。

 攻めに関しても圧倒的であり、本気を出せば月なんて簡単に貫いてしまうだろう破壊力。空間の位相をずらし、尚且つ『障壁波動(イビルアンジュレーション)』によるバリアでようやく命を繋げている。しかしこれも長くは保たない。

 

 攻撃は一切通じず、防御に回れば即死。それでもなお遊ばれている自覚があった。

 結局、奴等にとっての本番は八雲紫や依姫様、豊姫様であり、自分は前菜にすら満たない認識なのだろう。そうに決まってる。

 勝ちの目が見えない戦いに戦意など湧く筈がなかった。

 

 鈴仙にとって格上とは見て見ぬフリをするべき存在。

 例えば永琳だって、あんな化け物鬼師匠に勝とうなんて(素面では)思ったことがない。紫だって、関わりたくないし意識されたくもないので今こうして共同戦線を張っている時も半ば距離を置いていた。

 

 現実を直視するのが嫌だったのだろう。

 生きる事が辛過ぎるあまり、自らを狂気で破壊してしまう玉兎の事例は少なくない。鈴仙もまたそれに近しい性質を持っていた。

 玉兎とは生まれながらにして嫦娥に尽くす事を定められた存在、幾らでも代わりがいる量産された使い捨ての兵士、身に覚えのない罪の肩代わりの為に業を背負わされた奴隷も同然の卑しい命。

 深く己を顧みると、心が壊れてしまう。

 

 

 だが敢えて、そんな鈴仙の特異性を挙げるのなら、それは自己肯定感の高さと、兎一倍の臆病さにあると言えよう。イキればイキるだけ成長を遂げ、危なくなると判断すれば脱兎の如く手を引く。そして最後に痛い目を見る。

 この完成された流れが、鈴仙を月の都最強のソルジャーとして押し上げた大きな要因である。

 

 そして鈴仙の名前にさらに『優曇華院』と『イナバ』が追加されてから以降は、特異性がまさに顕著な形で作用し、鈴仙の土台は完成されつつあった。

 より貪欲に、より臆病に、鈴仙の増長は留まるところを知らなかったのだ。

 

 だがしかし、鈴仙の真価はそれだけではない。

 この程度であれば、かの月の賢者八意永琳が愛弟子として多大な期待を寄せる筈がない。かの傑物因幡てゐの数万年が作り上げた鉄の心を融解し、目に入れても痛くないほど溺愛される筈がないのだ。

 

 鈴仙の真の実力は波長が切り替わる瞬間に発揮される。

 例えば痛みと死の恐怖に怯え慄く中で、彼女の心が生への渇望に満ちた時。

 例えば自らの生命維持に奔走する中で、大切な者を護ろうとする()()()()が不意に生み出された時。

 

 極端な思考の変化による鈴仙の無意識的な行動は、途轍もない爆発力を伴うのだ。

 

 

『鈴仙。受け取って』

 

『この中で一番死んじゃいそうなのって鈴仙じゃん。あっ、あの世に逝くんだから死ぬようなもんかな? まあ何にせよ、これ以上酷い事にはならない事を願って、百パーセント善意の餞別さ』

 

 

 何故今になって、あの時のてゐの言葉が自分の内に蘇るのか。鈴仙には分からなかった。

 数瞬の時を要して、納得した。

 

 視界の端に映ったのは、月面に転がる橙色の物体。戦塵に半ば埋もれた形だったが、それでもこの戦闘の中で壊れていないのは、てゐの能力が作用した故か。

 てゐが愛用している人参をあしらったネックレスだ。一年くらい前の別れ際に無理やり渡された物。

 開幕純狐に殺されてしまった時に、落としてしまっていたのだろう。

 

 その瞬間、鈴仙の脳裏に蘇るは、裏切り者の身であった自分を大切にしてくれた永遠亭の面々。頭上に映るは第二の故郷と決めた穢れた美しい檻、幻想郷。

 恐怖と絶望に喘ぐ心の中に、ふと懐かしさを感じた。

 

(帰りたい)

 

 それ故だろうか。鈴仙は回避行動を中止して、ネックレスを拾い上げようと膝を折った。精神の限界と一種の現実逃避が生み出した奇行である。

 全力の回避でないと純狐の滅光は避けられない。しゃがむ程度でどうにかなるものか。

 

 純狐の態度は鈴仙の奇行を前にしても一切変わらず、純然たる暴力を振り下ろす。

 

「何をやっているのです鈴仙!?」

「死んだわね」

 

『鈴仙は勝負を投げた』と、そうとしか思えない行動に依姫は悲観し、霊夢ですら決着を予見した。誰もが鈴仙の死を確信した。

 というより、むしろ当人がそれを悟っていた。

 

 どうして拾ってしまったのだ。何の役にも立たない、ただのネックレスを。

 命を捨ててまで拾うべきものではない筈だ。

 何故……──。

 

 そんな事、鈴仙はおろか、永琳やてゐにだって分からない。

 永琳は只管に弟子を想う気持ちで月に向かって弓矢をつがえただけだ。てゐだって、ここぞの時に鈴仙に幸福が訪れるよう願っただけだ。

 

 何が起きるのかは誰にも分からない。

 

 

 トス……と。乾いた音が月面に響く。

 同時に荒れ狂う暴力は消失し、虚無が降りてくる。因果関係は兎も角として、状況を即座に理解できたのは魔術に造詣が深いヘカーティアだけだ。

 宇宙から飛来したスペースデブリが純化の壁を突き破って純狐に衝突し、ある種の致命傷を負わせていた。

 

 矢じりから矢筈までが鈍色の光沢に覆われている物体が、純狐の胸に突き刺さっていた。

 生物的な面影を感じさせないそれは、まるで得体が知れなくて、生理的な嫌悪感を醸し出している。あまりに異質で、目視する事すら躊躇うほどだった。

 

 深々と刺さった鈍色の矢じりから無色の奔流が溢れ出す。流れが強くなるほどに、純狐の存在が希薄に、そして破壊されていく。

 空間を捻じ曲げる程の憎しみは崩れ、純狐の素顔が初めて露わになる。

 

 

 純狐は、ただ鈴仙を見ていた。

 死以上の苦痛を感じている筈なのに、直立したまま身じろぎ一つせず、兎を見遣る。希薄な赤と、決意の灯る紅が交差する。

 

 八意永琳が蓬莱人、若しくは八雲紫を殺す為だけに作成した輪廻を破壊する矢。その破壊力は最終兵器と呼ぶに相応しい。

 だが純狐は倒れなかった。

 かの兵器でも彼女の憎しみの一部を取り払うしか。

 

 決着、未だ付かず。

 だがもう十分だ。

 

 37万キロも離れた遠い地からでも、大切な人達は見守ってくれている。自分は孤独じゃない。

 それだけで鈴仙は十分だった。

 

 月に帰ってきた時、当初の予想に反してあまり感じ入るものはなかった。故郷はとっくの昔に鈴仙の中で色褪せていた。

 そして地球を見た時に込み上げた懐かしさ。この時、鈴仙は自分が『地上の兎』に成ったことを悟ったのだ。

 

 頭の波長が切り替わる。

 鈴仙は一気に反転し、ネックレスを握りしめて拳を作っていた。

 

「師匠っ……てゐっ……!」

「……!」

 

 ノーモーションで放たれた『確実に人を殺める為の純粋な弾幕』が鈴仙に到達するより早く、拳のアッパーが矢筈ごと胸を撃ち抜いた。

 消滅を齎す奔流が再び矢じりから溢れ出してくる。しかしそれでも純狐は止まらなかった。

 

 腕を横薙ぎに振るう純然たる暴力。対象物を死に至らしめるだけの単純な動作。極限まで突き詰められた破壊力が空間を引き裂き、鈴仙へと迫る。

 それは鈴仙の右耳を容赦なく奪った。

 

 咄嗟の前傾回避が間に合わなければ頭ごと持って行かれたであろう事は容易に想像できる。純化の力が残っていれば身体ごと消し飛ばされていただろう。

 だが死ななかった。刹那の判断が勝利へのか細い道を繋いでいる。

 鈴仙は幸運だ。

 

 あと、もう一押し。

 

「帰るんだッ絶対に!!!」

 

「見事です」

 

 保身と私利私欲に塗れた英雄の一撃は、災厄へと届き得た。どのような形であろうと、強靭な想いに後押しされた決意には大きな結果が伴う。

 

 最後の足掻きとばかりに、鈴仙は倒れる勢いそのままに跳躍し純狐へと突撃する。所謂頭突きである。狂気の力を纏う一撃必殺のルナティックインパクト。自らの脳天にも衝撃と振動を齎すほどの捨て身の一撃。

 決死の悪足掻きは純狐の腹に突き刺さり、ついに直立不動の牙城は崩れ去る。

 

 災厄と英雄は、諸共月の大地に倒れ込んだ。

 

 爆音吹き荒れる激しい戦いが一転、静寂に包まれる。折り重なるようにして地に伏した二人は全く動かない。それは死合の終わりを暗に示していた。

 これには紫に霊夢、綿月姉妹も息を呑んで見守るしかなく、立ち尽くすだけ。

 

 と、そんな二人に近付いたのはヘカーティア。

 覗き込むようにして仰向けに転がる純狐を見下ろす。またその傍では鈴仙が白目を剥きながら泡を吹いていた。

 

 ヘカーティアは徐に鈍色の矢を純狐の胸から引き抜くと、握りつぶしながら問い掛けんと口を開く。意志の確認の為だった。

 だがそれは純狐によって遮られた。

 

「ヘカーティア」

「ん。まだやる?」

「いや、もういい。私の復讐はまた今度」

 

 澄んだ瞳で微笑んだ。

 憎しみの消滅は一時的なものだろう。それでも、ほんの少しの間だけなのだとしても、彼女に救いのある時間を与えられるのなら──。

 

 そうだ。悪くない。

 

「英雄の頑張りに免じて、少しの間だけ」

「りょーかい。……良かったね純狐」

「ありがとう友よ」

 

 純狐は満足したように呟き、投了の意を示した。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 えぇ……なんか勝ってる(困惑)

 

 あまりの急展開にいまいち状況を飲み込めなかった。ウドンの敗北後について霊夢とあれこれ話してたらいつの間にか逆転してた件について。

 とんだ番狂せだわ! 

 

 ていうか、さっきから恐怖のせいだか分かんないけど、身体の震えが止まらないのよね……。加齢が原因とか言った奴は潰すわよ! 藍と橙が! 

 

 多分アレよね、あの矢みたいな物体って永琳が使ってたやつよね。私を……アレで殺したのだ。一度。

 あの矢に射られる前後の記憶が酷く曖昧だったんだけど、今ようやくハッキリとした。なんで私が生き返ったのかは未だ謎だけどね。AIBOなら知ってるのかしら。

 

 まあただ、記憶が戻ったからこそ、アレを受けてもなおピンピンしてる純狐さんはやはり怪物だと改めて認識させられた。今も凄いニコニコ顔で、青白い顔したウドンの周りを彷徨いている。

 こわ〜。

 

「貴女強いわね可愛いわね。名前は?」

「れ、鈴仙・優曇華院・イナバですけど……」

「うどんちゃん可愛いね♡何処に住んでるの? カパネットやってる? 髪が長くて綺麗ね。後でウチ(仙界)にきてください。一緒に美味しい物を食べましょう」

「ひぇ……」

 

 見えないフリしとこ。

 一方、綿月姉妹は結果に大満足だったようで英雄を見るような眼差しをウドンに向けていた。そういや元々この二人の部下なんだっけ。

 

「全ては八意様の狙い通りという訳ですか。最低限のアシストを施す事でまさか鈴仙があの災厄を籠絡してしまうとは。やはりあの方には敵わない」

「地上から月面に向けて、純化の波間を掻い潜り、正確に心の臓を弓矢で狙い撃つ……八意様にしかできない芸当でしょうねぇ」

 

 後方弟子面してるところ悪いけど、お前らの師匠きっしょ過ぎない? いや割とマジで(辛辣)

 マジで何でもありじゃないあの化け物。

 

 だけどまあ、何はともあれ1勝であることには変わりない。永琳の世話になったのは釈然としないけど素直に喜びましょう。ウドンのガッツに乾杯!(当の本人から目を逸らしつつ)

 

 ちなみに永琳の介入に純狐さん陣営は怒り心頭で納得しないだろうと思っていたが、大気圏外からの飛来物は全てスペースデブリとして扱うらしく、ウドンの勝利は覆らなかった。というより、面白いからという理由でヘカちゃんがオッケーしてた。

 ヤケに寛大だけど大本命の純狐さんを失ってもなお勝てる自信があるのだろうか? こちとら次鋒はゆかりん陣営最強のアルティメイト巫女様なんですけども。

 

 次の相手はアメリカン妖精のクラウンピース。純狐さんが満たされたらしい殺し合いを見て触発されたのか、意気揚々とクレーターの上で舞っている。

 まさか純狐さんより強いって事はないと思うけど、あの一団の中の一人ですからね。霊夢には十分に注意してもらいたい。

 

 取り敢えず激励だけでもしておこうか。

 ハイテンション純狐さんと茫然自失なウドンを避けつつ、待ちくたびれたとばかりに腕を回している霊夢に近付く。

 

「貴女に全てが掛かってるわ。どうかお願いね」

「言われるまでもない。紫の出番はないから幻想郷に帰る準備でもしてなさい」

「そうね。この永き戦いの終止符は貴女の手で打たれるでしょう。非常に喜ばしい事ですわ」

「一から十まで全部アンタの尻拭いだけどね」

「うふふ」

 

 笑って誤魔化すしかねぇ!!! 

 その辺り突かれると何も言えないのよね。まあ強いて言うなら霊夢も月面戦争に乗り気だったじゃんってくらい? 

 まあ元から霊夢が居ないと何もできないのはその通りなので素直に感謝しましょう。

 

「また貴女に返しきれない恩ができてしまったわね。頼りにしているわ」

「……あのさ紫」

「うん?」

 

 振り返った霊夢の顔には、僅かな憂いが浮かんでいた。らしくない顔だ。

 もしかして勝負を不安に思っているのだろうか? だとしたら大問題である。

 

「私もそろそろアンタからご褒美を貰ってもいい頃だと思うのよね。博麗の巫女になってから今まで、ずっと言う通りにしてきたんだから」

「ご褒美……」

「この勝負に勝って幻想郷に帰ったら、私のお願いを一つ聞いてくれない?」

 

 何と言うか、意外な申し出だと思った。

 霊夢は欲に忠実で色々がめつい所があるんだけど、私にそういう『おねだり』をした事は一度もなかった。だから私が自発的に物をあげるしかなかったの。

 正直、やっと娘らしい側面が見れてちょっと嬉しいわ。

 

 答えは勿論イエス! 

 

「分かりました。私にできることなら」

「決まりね。それじゃ行ってくるわ」

「あら内容は?」

「勝った後に教えたげる」

 

 あら良い笑顔。

 まっ、決意した乙女をこれ以上引き止めるのは無粋ってもんよね! 内容は敢えて深く聞かず、霊夢を戦場へと送り出した。がんば霊夢! 

 

 ……ていうかよくよく思えば、一連の流れで特大の死亡フラグが霊夢と私に発生したような気がしないでもない。

 大丈夫かしら。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 クラウンピースは今日という日を何年も前から楽しみにしていた。

 始まりは主人が『カパネット通信』なる電子ツールで異国の妖怪と連絡を取り合っている場面を目撃した時だったと思う。

 

 ひょんな事から幻想郷と八雲紫のことを聞いて、主人と最高に盛り上がったのだ。

 特に惹かれたのは八雲紫の武勇伝である。

 その日を境にクラピは主人のみならず、地獄の囚人や獄卒達から聞き込みを行い、紫についての噂や情報を地道に集め続けていた。

 

 曰く、睨みつけただけで島を一つ消し飛ばしただの、息をしただけで魔界の生き物を一匹残らず死滅させただの、とにかく話がぶっ飛んでいた。

 かの偉業をクラピ流に表現するならば「最高にロック」と言ったところか。

 ファッションセンスはともかくとして、実力その他諸々は完全に認めている主人が気に入っているのもあって、クラピはまだ見ぬ地獄(理想郷)に憧れていた。

 

 結果、実物を目の当たりにしてクラピのテンションは跳ね上がった。しかも捕虜の玉兎と敬愛する友人様のバトルも最高にロックだった。

 弱っちい月人や兎共を撲殺するのに飽き飽きしていた時間が嘘だったかのように、クラピの世界は輝いている。

 

 そして締めにあの巫女である。

 第一印象はひたすらに気怠げな女だったが、実際はいざ戦闘となれば雰囲気が変質するタイプの人間だった。地獄でもそうそうお目にかかれないほどの殺伐とした目をしている。

 

「最高に……地獄だぜぃ……!」

 

 対戦相手の巫女はクラピにとって未知に該当するタイプの人間であった。少なくとも自分の管轄する地獄に落ちてくるような人種とは根本からして違う。

 強いのは言うまでもない。

 しかし、身に纏う異質さはクラピに正体不明の高鳴りを齎すのだ。

 

 少し考えて、一つの結論に辿り着いた。

 この胸の熱は、恐らくシンパシーだろう。偉大な存在の下で燻っている者同士の共感。

 用意してもらった"ルナティック"に満足できない憐れな狂人だ。

 

 自然と笑みが込み上げてくる。

 

 お前は強い。そしてアタイも強い。

 きっと良いルナティックタイムになる。

 クラピにはその確信があった。

 

 

 

 

「鬼霊『夢想封印 業』」

 

 

 

 

 一撃だ。

 

 振り下ろされたお祓い棒に全く反応できず、すれ違いざまに頭を叩き割られた。気付けば致命傷を負っており、膝から崩れ落ちていく。

 相手を狂わせる暇すらなかった。

 

 クラピに視認できたのは、目の前の狂気など眼中にないと言わんばかりに遥か先を見据える巫女の瞳と、視界の端に映った見慣れた地獄の炎。

 

 ああ、そうか。

 同じ土俵ではなかったのか。

 

 世界には自分よりも熱いルナティックを持った存在がいる可能性。

 それを見誤った自分に勝機はなかったのだろう。

 

 良かった。次に活かせる。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

【速報】幻想郷・月連合ストレート勝ち。

 

「つっっっよ……」

「これは流石に予想外でしたわね」

 

 霊夢が数秒でクラウンピースを真っ二つにしちゃった件について。あまりに一方的すぎてウドンと一緒に口をあんぐり開けるしかなかった。

 

 いやね? 勿論霊夢が強いのは当然よ。あの子の強さは私が一番よく分かってるつもりだったわ。贔屓目無しに幻想郷最強だって思ってたし。

 だけど今の動きを目の当たりにして、その評価すら生温いんじゃないかと考える。

 

 相手が雑魚でないのは綿月姉妹から散々聞かされてるし、ウドンも同意している。あと純狐さんが「あの子は強い」って言ってたわ(目を逸らしつつ)

 恐らく萃香や藍といった幻想郷のトップブレイカーでも手こずるであろう最狂の妖精。それを一撃で葬ってしまうのは……。

 

 尽きる事のない莫大な霊力、常識破りの戦闘センス、変幻自在の応用力、封印術に瞬間移動と豊富な絡め手、絶対無比の最強技である夢想天生、なんか変な方向に成長を始めた夢想封印と陰陽玉。

 本格的に霊夢が誰にも止められなくなってきたわね! 

 ちなみになんか紅くなったり緑になったりする技の仕組みをちょっと前に教えて貰ったんだけど、陰陽玉に封じられた意志を纏ってるんだって! 夢想封印の最終形態だと霊夢は言っていた。

 なにそれ知らん……。こわ……。

 

 改めて、あの子が体制側の人間で良かったと心底思うわ。もし仮に賢者のやり方に反感を持って「幻想郷を改革しよう!」「人間を解放する!」なんて言うような子だったらとんでもない事になってたでしょうね。

 もしかしたら霊夢があんまり賢者への意見を言わないのは、そういった自分の特異性を自覚しての事なのかもしれない。面倒臭がってるのは言い訳で。

 ウチの娘賢すぎ……!? 

 

 霊夢を賢者に推薦してみるのもアリなんじゃないかと勝手にあれこれ考えていると、戦闘を終えた霊夢がいつものように澄まし顔で帰ってきた。肩には一回休みから復活したクラウンピースが引っ付いている。

 ……えっ、どしたのそれ。

 

「コイツ幻想郷に来るらしいから適当に住処を用意してあげといて」

「クレイジーユートピアにお邪魔いたしやーす!」

「……博麗神社周辺にのみ居住を許可します」

「おい」

 

 霊夢に凄まれたけどここは引けないわ! こんな妖精野放しにしたら間違いなく大騒動が起きる! そして私が藍に絞められるってオチよ。

 本音を言うならそもそも幻想郷に来ないでくれって話なんだけど、残念、幻想郷は全てを受け入れちゃうのだ。私の胃にとってとてもとても残酷な話なのです。

 

 ていうか博麗神社ってもう光の三妖精とか、亀爺とか、変な騒霊とか、あうんちゃんとか結構住み着いてるから今更でしょ。がんば霊夢。

 純狐さん? ……永遠亭にお願いしましょ。

 

「八雲紫様でございますね! サインくださいサイン!」

「はいはい。……それで、そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃないの?」

 

 何故かサインをせがんでくるクラウンピースのために直筆サイン(こっそり練習してた)を書いてあげながら、霊夢に話を促してみる。

 内容は勿論、例のお願いについて。

 

「貴女は私の期待に見事応えてくれました。ならば私もそれに応えなくてはなりません。私にできる事ならば全て引き受けましょう」

「別にそんな大層な物を要求する気なんか無いわ。断りたいなら別に断ってもいいし」

「あらそうなの?」

「うん」

 

 そんなことを言いつつも、八雲紫の賢者アイは見逃さない! 霊夢がいつもより若干ソワソワしてるのだ。柄にもなく緊張してるのかしら。

 マジで何を頼んでくるのか私も気になってソワソワしちゃう! 現物ならいくらでも用意するんだけどね。「お前を消す方法」とか言われたら逃げるけど。

 

 霊夢を一つ深呼吸して、私の目を見据える。

 そして口を開いた。

 

「物心ついた頃からずっと否定し続けてた。信じたくなかった。私の中て燻っているどうしようもない想いは、妖怪相手に抱いちゃいけないモノである事は明白だったから。気のせいだと思い込んで、自分を誤魔化してたの」

 

「でも段々と気持ちの整理が付いて、自分を誤魔化しきれなくなった。否定したり無視してもむしゃくしゃするだけ。だからいっそのこと正直に言うわ」

 

「多分、私は紫の事をお母さんのような存在だと思ってる。子供の頃からずっと。……親の居ない私を気にかけてくれたのは一応アンタだけだったし」

 

「本当は駄目だって分かってるわ。私には必要のない感情。立場もあるし。だけどもし、たった一つの我儘が許されるなら、私は他に何も望まない」

 

「私の想いを許して受け入れて欲しい」

 

「養子縁組でもなんでも良いから、名実ともに親子になれないかしら。私のことを本当に曲がりなりにも娘だと思ってるなら、今更かもしれないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 夢 か ? 

 

 今は昔、色々と病んでた時期にドレミーの計らいでこんな夢を見せてもらった気がするわ。自分に都合の良いだけの荒唐無稽な夢を。

 試しに頬を思いっきりつねってみるとクッソ痛かった。随分とリアルな夢ですわね。

 

 現実なの? まさか。

 あの霊夢があんなこと言うなんて。

 

「その願いは誰かに?」

「天子から言われたの。待ってるだけじゃダメだって。自分からも動いてみろって」

「なるほどそういう事。理解したわ」*1

「らしくもなく緊張しちゃった」

 

 やり切ったような清々しい顔をしている霊夢さんだけど、ちょーっと話について行けてないのよね私。えっと……どうしようかな。

 どう返すのが正解なんだろう。霊夢とのコミュニケーションが難し過ぎる件について。

 頭の中で様々な選択肢が浮かんでは消えていく。

 

 助けを求めようにも綿月姉妹は結果を受けてどっかと連絡取り合ってるし、クラウンピースはサインに夢中で話を聞いてない。ていつかこの人達は論外。

 比較的まともであろう事が予想されるウドンはというと、センシティブな話に気を利かせてくれたのか、純狐さんがちょっと離れたところまで引き摺って行ってしまっている。こわ〜。

 

 と、取り敢えず何か返答しましょうか。黙ってばかりじゃ心証が悪いものね。

 まずは当たり障りのないところから。

 

「随分と思い切った手段を取ったのね。流石の私もちょっと吃驚したわ」

「こんくらいしないとアンタのふざけた態度は変わらないと思ったの。こんな事で私ばっかり悩むのも正直馬鹿らしいし」

 

 私も結構悩んでるんだけどなぁ!

 ていうかこれ、試されてるわね私。

 

 つまり霊夢は既成事実を作ろうとしてるのか。形式的に親子関係になってしまえばこの問題から私が逃げ出すことはできなくなるから。信用がないのは今更だけど。

 ……まあ、ここまで拗れてしまったのは私の責任だし、霊夢にこんな強行的な手段を選ばせてしまったのは私の失態ですわ。

 

 私にとっても非常に嬉しい申し出であるのは間違いないんだけど、それよりも混乱の方が強くてなかなか実感が湧かない。

 色んな気持ちがある。心が二つあるような気さえする。

 

 でもこれ以上霊夢を待たせる訳にはいかない。伝えるべき事は伝えなければ。

 

「霊夢」

「……うん」

「まずこれだけ言わせて欲しい。貴女の想い、とても嬉しく思います。記憶にある限り、これほどの喜びを感じた事はないわ。……ありがとう」

 

 涙が溢れ出しそうになるのを必死に我慢しながら、とにかく気持ちを伝えた。嘘偽りのない真心からの言葉だ。

 泣き喚くのは幻想郷に帰ってからにするわ。一応みんなの前だしね。

 

 そして最後に私の答え。

 伝えよう。霊夢がそれを望んだのなら。

 

「そのお願い事なんだけど」

 

 

 

「悪いけど応えられそうにないわ」

「……っ」

 

 周囲の温度がいくらか低くなった気がする。

 

「……そう。分かった」

「ごめんなさい。幻想郷に帰った後、改めて他の願いを聞きますので代替案を考えておくといいわ。……それじゃあ、行ってくるから」

「ねえ最後に一つ教えて」

 

「それはやっぱり、私が博麗の巫女だから?」

「……」

 

 答えは無かった。

 

 目を伏せた私に霊夢の表情は分からなかった。この子の感情を見るような勇気は勿論なく、背を向けて逃げた。

 霊夢からの視線を振り切るように早足で歩みを進め、目を擦りながらヘカちゃんの待つクレーターの中心部へと向かう。口の奥が湿っぽい。

 

 最悪な気分だわ。強烈な吐き気というか、目眩が身体中を順繰り回っているような気がする。顔が焼けるように熱い。

 最低だ。

 私はどれだけあの子の想いを無碍にするのか、考えただけで死にたくなる。

 

 

 で、これで満足かしら? 

 

【……】

 

 ダンマリか。

 

 もうチャージの必要はないというのに出てこない。若しくは出てこれないのか? いや、罪悪感を抱くような奴ではなかったわね。

 AIBOにも何か目論見があっての事だと思うけど、随分と悪趣味な物を突然見せてくれたものだわ。思い返すだけで気が狂いそうだ。

 

 霊夢への返答を思案していた最中、脳裏に浮かんだビジョンは恐らく、私が霊夢のお願いを叶えた場合の未来図。『()()()()』が誕生した場合に起きるかもしれない出来事なのだろう。

 

 もしくは起きてしまった記憶、なのか。

 AIBOを未来からきた存在だと断定するなら、そうなるのだろう。

 

 あまりに残酷な世界だった。

 

 希望は一切無く、絶望だけが蔓延る世界は、私の想像する最悪を容易に越えていく。

 みんな死んだ。誰一人幸せにならない結果。

 極端な例である事は言うまでもないが、その過程の重要な部分に『八雲霊夢』が居るのなら、確かに警戒すべきなのでしょうね。

 

 もうさ、あんなものを見せられちゃ咄嗟に断るしかないでしょうが。チャージとやらで引っ込んでたAIBOがあんなに大胆な事をしてくるのだ、かなり切羽詰まっていたのだろう。

 もしビジョンが本当なら、理由も分かる。

 

 AIBOは聡く、それでいて基本合理的な人だ。きっとそれが彼女の役割なんだろう。

 そういえば「私の目的は貴女(八雲紫)の邪魔をする事」なんて言われたこともあったっけ。

 

 でもね、たとえ理不尽な怒りなのだとしても、私は……AIBOとなにより私が許せない。

 致し方なかったなんて言い訳をするつもりはない。AIBOの行為はキッカケに過ぎない。

 実際、未来のビジョンを抜きにしても私は霊夢の好意を踏み躙っただろう。

 

 私は、霊夢の想いを受け入れる事に酷い嫌悪感を覚えていた。霊夢が嫌いだからじゃない、その対象が私であるという点に対してだ。

 日和っているのか? 巫山戯るな。

 

 自らと向き合って答えを出してくれた霊夢に比べ、私は自分の心に潜む感情の正体さえ掴めない。それであの子の親になるなんて可笑しな話だ。

 此処にさとりが居てくれたなら何かが違っていたのだろうか。分からない。

 

 霊夢の涙は私への楔とさせて貰うわ。

 戒めには十分だろう。償いには到底足りないけれども。じゃないと、私がおかしくなってしまいそうだ。

 

 壊れてしまう。

 涙に負けてしまう。

 全てを、諦めたくなってしまう。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 

 はい迷走タイム終わりっ!

 あんまり引き摺っても仕方がないわ。

 

 さてさて気を取り直してヘカちゃんと話を着けなきゃね! もういい加減幻想郷に帰りたくて仕方がないわ! クッソ眠いし! 

 いやでも幻想郷も騒動の真っ只中なんだっけ……。帰ったら藍かオッキーナがなんとかしてくれてないかな。無理かしら。

 

 何にせよ私は私にできる事をやるだけ! 戦争の〆はこの八雲紫がバチッと決めてやりますわよ!

 

 いじけた様子で月の石を蹴っ飛ばしているヘカーティアの前に立つ。

 

 いざ、月面戦争終結へ──!

 

*1
してない




勝った!幻マジ完!!!

純狐さんの敗因→てゐちゃんママ
クラピの敗因→ゆかりんママ

賢者の母性は格が違うウサねぇ
純狐さんにも母性が残ってたら負けなかったかもしれない(道徳心ゼロ)

ゆかりんって可哀想な子に対してはパーフェクトコミュニケーションできるのに、なんで霊夢相手になった途端ファンブルしまくるんだろうねの巻
正解は八雲紫という存在が博麗霊夢に対してカルマを重ねまくっているからでした! 玄爺はキレていいよ(キレてる)

ていうか霊夢に両親が居ないのは何故かというと、そもそもの原因がゆか







次回、ゆかりんゲロりん
ついにゆかりんの正体に迫る(現在5000文字)


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Re_Mind(後)*

とある節目となる話
最後の一文はつまりそういう事です


 第二次月面戦争は幻想郷と月の民の勝利で終わった。いや、正確には月の民だけが得した形になるのかしら? まあいいやどうでもいいし。

 

 まさに奇跡の連続。ウドンと霊夢の迸る才覚と奮戦が幻想郷に未来を齎したのだ。一時は絶望に打ちひしがれていた私も喜びのあまり涙ちょちょ切れですわ! 

 という訳で、私に戦闘機会が回ってくる事はなくなり、残ったヘカちゃんと講和してこの一件は終了である。楽な仕事ですわ〜! 

 

 取り敢えず何故かいじけているヘカちゃんに話しかけよう。出だしが大切ですわ。

 

「どうしましたかヘカちゃん」

「いやあね、あの純狐とクラウンピースが負けちゃったのもそうなんだけど、私を置いて幻想郷に行っちゃうなんて! ズルいわよん!」

「置いて行かれるのが寂しいなら、行かないで欲しい旨を伝えればいいのでは?」

「とは言っても純狐が復讐以外にあんなに興味を持つのは稀な事だしねぇ。クラウンピースはそろそろ地獄以外の世界を知ってもらおうと考えてたし、自発的に動いてくれたならそれに越したことは無い。でも寂しい〜」

 

 おんおん言いながら変なTシャツの裾で涙を拭うフリをするヘカちゃん。

 

 この神様面倒臭いですわね。

 なお「ヘカちゃんも幻想郷に来ればいいじゃん」って言いそうになったけど、混乱の元がまた一つ増えるだけなのでやめたわ。

 ついでに言うならあの二人を引き取ってくれたら万々歳なんだけどなぁ。

 

 でもまあ、ここずっと殺伐とした雰囲気だったから和やかな話ができてよかったわ。色々と物騒だけど凄く気さくな神でもあるのよね。ヘカちゃんって。

 それじゃ取り敢えず本題に入らせてもらおう。

 

「あの二人は強敵でしたわね。一つの掛け違いでこの結果は大きく変わっていたでしょう。今回は我々の方に風が吹きました」

「勝負は水物だからねぇ。絶対はない」

 

 泣き真似をやめたヘカちゃんは同意を示すように深く頷いた。

 いやでもホント運が良かったと思うわ。私にまで出番が回って来てたら間違いなく終わってた。ヘカちゃんがどのくらいのレベルにいるのか知らないが、少なくとも私よりかは強いだろうし。

 ウドンと霊夢には感謝ですわ。

 

「結果は残念だったけど、それなりに楽しめたから私は満足よん。得られるものもあった」

「しかし同時に失われた物も多かった。貴女は友と部下を、私は娘の心を」

 

 ちなみにウドンの右耳も失われたがノーカウント。どうせ永琳にくっ付けてもらえるんだろうから気にしなくていいでしょ。

 とにかく今は後に禍根を残さないように痛み分けって事で終息を試みる。勝者が敗者を讃えてこその死合だと思うのよね! 

 

「同じく私も満足しました。……もういいでしょう?」

「ゆかりんの言わんとする事は分かったわ。そうね遊戯はここらで終いにしよう」

 

 優しく微笑んだヘカちゃんを見て、心の中でガッツポーズ! ヘカちゃんが負けを認めてくれたって事は、つまり月からの撤退に同意したという事! 

 これで万事上手く収まるでしょう。第二次月面戦争無血の勝利に乾杯ですわ! (月面にこびり付いた死体から目を逸らしつつ)

 

 感極まって思わず手を差し出す。それを見たヘカちゃんは、笑いながら手を握り返してくれる。ハンドシェイク! ラブアンドピース! 

 

「ありがとうヘカーティア。感謝します」

「ええ! 良い勝負にしましょうね」

 

 これにて戦争は終結──……あれ? 

 

「勝負?」

「そうよ。崖っぷちなんて燃えるじゃないの。久々に本気出して遊んじゃうわよん!」

「えっと……ヘカちゃん側はもう2敗してるでしょ?」

 

 そう、3試合のうち2試合を落としたヘカちゃんに勝利の目は無いのだ。崖っぷちどころか既に滑落中である。勝敗が決まってる状態での3試合目なんて不毛以外の何物でもないわ! 

 

 だがこれは私の誤算だった。

 ヘカちゃんは元から3本勝負なんて予定していなかったのだ。

 

「あーゆかりんもしかして勘違いしてる?」

「勘、違い?」

「これ、5vs5のゲームよん」

 

 一瞬脳の理解が追いつかなかった。

 だってヘカちゃん側には3人しか居ないんだもん。一応クラウンピース配下の妖精がいる事にはいるけど、あれはただのギャラリーって聞いてるし。

 

 だがその解答はヘカちゃんによって示される。

 

「「「私が3人分になる」」」

「!?」

 

 何処ぞのプロハンターを彷彿とさせる台詞を吐きながらヘカちゃんが分裂……というより、具現化した。赤髪、青髪、黄髪の3人。それぞれの頭には対応する惑星が乗っかっている。信号かな? 

 なお漏れなくファッションは変わらなかった。

 

 これは恐らく、フランやあうんちゃんが披露してくれた分身スペルとは全く異なる物だ。より高次元に位置する存在だと、泡立つ肌が教えてくれている。

 

 ま、不味くないかしらこれ……。

 

「そのような魂胆だと思っていました。貴様の思惑などお見通しだ邪神」

「あれだけ好き勝手しておいて、素直に負けを認めるなんて虫が良すぎるものね」

 

 異変を感じ取ったのか、綿月姉妹が私達の所まで降りてきた。ああ、5vs5ってことは綿月姉妹も頭数に入ってるのか! 

 つまり私が戦わなくてもこの姉妹のうち一人がヘカちゃんに勝てば結果オーライ! 

 

 依姫へと視線を投げかける。

 

「では中堅戦、貴女にお願いしても?」

「無論。そもそもサグメ様の判断だとはいえ、仇敵である貴女に月の命運を委ねるのは元から反対でしたので願ったり叶ったり。この戦争は私の手で幕を下ろします」

 

 あっそ。じゃ頑張ってね。

 という事で急遽依姫にバトンタッチしてもらった。これぞ両者Win-Winの取引ってものよねふぁっきゅー。ちなみに豊姫は副将に入った。隙を生じぬ二段構えよ。

 

 一方、依姫に相対するは黄ヘカちゃん。

 

 一時はAIBOを駆り出す事になるかと思ったけど、どうにかなって安心したわ。

 ヘカちゃんの実力がどれほどのものであろうと流石に依姫は無理でしょうね。レミリア、妖夢、鬼畜メイド、天子さんを同時に相手するような化け物だし。

 最悪の敵が頼もしい味方になるなんて、もはや私の妖生はジャンプ要素で構成されているのではないかと思ってしまうほどの王道展開である。

 

 それじゃ私は高みの見物ですわ。クレーターの端っこまで移動して、周囲の安全を確保してから振り返る。

 

 

「はいおしまい。まず1勝ね」

 

 

 そこには、クレーターの中心部でダブルピースをきめる黄ヘカちゃんの姿があった。相対していた筈の依姫は影も形も無くなっている。

 あれ……あれれ……? 

 

 よーく目を凝らしてみると、依姫が立っていた場所付近にそこそこの大きさの穴があった。

 試しに霊夢とウドンの方を窺うも、二人が穴の方をガン見してるので嫌な予感は的中してるようだ。悪い夢は未だ覚めてなかったのだろうか。

 

 理解が追いつく間も無く、黄ヘカちゃんとハイタッチした青ヘカちゃんが前に進み出る。相対するは扇子(超兵器)を携えた豊姫。

 

「じゃ、4戦目いこうか?」

「うーん」

 

 困った顔の豊姫はまず、依姫が埋まっているのだろう穴を一瞥し、次に3人並んだヘカちゃんトリオを眺める。そこからの行動が早かった。

 結論は既に出ていたのだろう。

 

「無理ですね。降参です」

「いぇーい2勝目ー!」

 

 ウドンと霊夢の勝ち星があっという間に相殺されてしまった。というか、ヘカちゃんにとって純狐さんとクラウンピースの勝敗なんて、さしたる問題ではないんでしょうね。

 だってどのみち自分で3勝すれば勝ちなんだから。

 

 ヘカちゃんが分裂したあたりから嫌な予感はしてたわ。そして依姫が一撃で葬られたのを見て確信した。今、私の絶望を確信した。

 最強は純狐さんじゃなかった。ヘカちゃんが──ヘカーティア・ラピスラズリが最強だったのだ! そんなの予想できるわけないじゃん!!! 

 

 愕然とする私を尻目に豊姫は悠々と自陣へと戻って行った。まるで勝者であるかのような堂々とした佇まいである。どんな精神してんのかしら。

 取り敢えず腕をブンブン回しながら出て来た赤ヘカちゃんにタイムを告げて、霊夢達の待つ自陣へと走る。雰囲気はまさにお通夜モード! 確かにこれから私の葬式が始まるわけだからあながち間違いではない。

 

「随分と早い諦めでしたわね」

「まあアレに勝てないのは分かりきってたので。依姫も普段なら無謀な勝負は挑まないんだけど、今日は昂ってたんでしょうね。何処ぞの妖怪のせいで」

 

 軽い嫌味に対しての返答がこれである。どんだけ私に責任転嫁すれば気が済むんでしょうねこの姉妹。まじふぁっきゅーですわ。

 まあ言い争ってる場合じゃないのでこれ以上何も言いませんけども。

 

「アイツ出鱈目な強さね。勝算はあるの? 紫」

 

 霊夢の言葉に合わせて全員が私に注目する。

 何を期待してるのかは知らないけど、私の答えは一つ。たった一つのシンプルな答えですわ。

 

「無理でしょうね。万に一つも勝ち目はありません」

「情けないなぁ。私が代わろうか?」

「いえ下手にルールを破れば他の個体が仕掛けてくる可能性がある。邪神がゲーム気分であるうちは便乗しておくが吉でしょう」

 

 霊夢の申し出に速攻乗ろうと思ったのだが、豊姫によって一瞬で却下されてしまった。まあ確かにルール違反を咎められてはぐうの音も出ない。

 でもヘカちゃんの分身はルールで禁止ですよね? えっ、禁止じゃない? そっかぁ。

 

 で、先ほど前述した通り、私に勝算は微塵もない。私よりも数億倍強い幻想郷の猛者×4を相手に圧倒した依姫を一撃で葬るヘカちゃん。……戦力差が見た事のない数字になってそう。寿限無とか摩訶不思議とか。

 ていうか私そもそも戦闘要員じゃないし! 

 

「ヘカーティアに関する情報は?」

「三神一体の存在であり、そもそも本体が居ない可能性があるわ。あと魔術の神だとも聞くわね。依姫はパンチ一発で負けちゃったけど」

「……ほ、他には?」

「月の民だとか天津神だとか、そういう次元で語れるような存在ではない」

 

 んなこと聞いてないのよ! 弱点とかさ、戦闘スタイルとか……なんかあるでしょう? 

 魔法使いタイプっていうのは分かったけど。

 

「じゅ、純狐さんは何か知りませんか? ヘカーティアさんについて」

「強いわよヘカーティアは。私やうどんちゃんじゃ勝負にならないくらい」

「そう、ですか」

 

 目安も聞いてないのよね(絶望)

 勇気を振り絞って純狐さんに聞いてくれたウドンには悪いが、望んだ情報は出てこなかった。

 

「アンタは何か知らない?」

「ご主人は最強に強いですぜ!」

「みたいだけど?」

 

 超絶ぶっきらぼうに言われた。霊夢やっぱりキレてるわねこれ。後でちゃんと謝らなきゃ……後でがあるかは知らないけど。

 あと三下口調の妖精初めて見たわ。

 

 その後も有力な情報が出てくる事なく、結局『ヘカちゃんはクソ強い』って事しか分からなかった……! 純狐さんやクラウンピースですら良く知らないってどうなのよそれ! 

 いやまあ、私も例えば藍の戦闘方法とか全く知らないけどさ。実力のレベルが違い過ぎるから何やってるのかよく分からないのよね。

 

 

 

 

「タイムはもういいの?」

「ええあまり待たせても悪いから。だけどねヘカちゃん、勝負の前に聞きたい事があるの」

「あら何かしらん?」

 

 次元の違う圧倒的強者を前にしている筈なのに、やはり私の危機察知センサーは反応しない。彼女を前にするとついチャットのノリが出てしまいそうになるわ。

 

「私達と貴女達が戦う事になったのは、純狐さんの想いを尊重したが故だった筈です。月に与した我々が許せなかったから」

「あーうん」

「しかし純狐さんは既に勝負から降りています。もはや本気で戦う必要は……」

「純狐の件については貴女とあの兎には感謝してるわ。ありがとう」

 

 ヘカちゃんが眉を下げながらそんな事を言う。やはり彼女にしても復讐の塊と化していた純狐さんを救いたかったのだろうか? 地獄の女神なのに。

 しかし、どうやらそれとこれとは別の話らしい。

 

「月侵攻はキッカケに過ぎないわ。あんな奴らちょっと腰を上げればいつだって滅ぼせるんだもの。それよりも今回の目的は別にあってね」

「……まさか」

「そっ。幻想郷とゆかりん、貴女よん。まあ本腰入れる事を決めたのはゆかりんの裏切りからなんだけどね」

 

 異変の途中からターゲットが私に切り替わる展開多くない!? いやこれは元々から私狙いであって、月は巻き込まれた……ってコト!? 

 よくよく思えばチャットでの出会いもヘカちゃん側からの働きかけだったような記憶があるし……。私から接触したのは菫子とマミさんだけだ。

 身バレがここまで恐ろしい事に発展するなんて思ってもおらなんだ……! 

 綿月姉妹には黙っていましょう。うん。

 

 説得のつもりで始めた会話だけど、未だに暗雲は晴れない。先など見通せる筈もなく。

 

「貴女が幻想郷に興味を持っていたのは知っていました。しかし私が目当てとはどうにも解せない。貴女ほどの人物が何故……」

「四季映姫って子、知ってる?」

「……まあ多少は」

「あの子は時々ゆかりんに説法を行っていたようね。立派だと思うわ、無駄だけど」

 

 予想外の名前に心臓が跳ね上がる。

 何故ここであのクソガキ鬼畜閻魔の名前が出てくるの!? まさか奴の差し金!? 

 あっ、地獄繋がりか! 

 wellcome hell♡の文字で思い出した。

 

 取り敢えず何の因縁を付けられるか分かったものじゃないので他人のフリをしておこう。

 

「死人は生前の善悪で量刑が決まる。悪き者は罪人となり地獄へ向かう。業とは地獄の業火に焼かれる罪人に纏わりつく、死穢の幻想である」

「四季映姫の真似事かしら?」

「その通り。そして問おう。貴女に存在する業とは、いついかなる時、何が起因して生まれたものであるか? 何故、月人は貴女を殺そうとし、悉く失敗しているのか?」

「……」

 

 その前半のフレーズは何度も聞かされた。他ならぬあの四季映姫・ヤマザナドゥによってね。ド健全に生きてきた妖怪に地獄なんて存在する筈がないじゃない! 映姫もヘカちゃんも詭弁を弄しているだけだ。

 私は決して善い妖怪ではないだろう。保身大好きだし、どうでもいい人間や妖怪が何百人何千人悲劇に塗れて死んでしまおうが感じ入るものはない。

 だけど極悪な妖怪ってわけでもないと思うのよ。自分で言うのもなんだけどね。地獄の女神に殺される謂れはないわ。

 

「杓子定規で随分と酷な事を言ってくれるわね。貴女はその『業』とやらを祓う為に私との接触を図ったというの?」

「私はそんな馬鹿真面目に薫陶を行うような神ではない。いやね、試したくなったのよん。世界を隔てる境界の根幹は果たして、私が穿つに足る存在なのか」

「も、もうちょっと分かり易く……」

「ゆかりんと私で存在を削り合って、どっちが滅ぶのか力試ししようってこと! 役割は異なるとはいえ、互いに世界の根幹を司る者同士だ。これほど心躍るマッチアップはないでしょう?」

 

 何言ってるのこの人。

 ちょっと待て何言ってんの貴女!? 

 

 変T並みにイカれたこと宣い始めたわよ!? 藍の夢小説の何倍もぶっ飛んでやがる! 

 世界の根幹を司る? そんな設定今時の厨二病末期患者でも思いつかないわよ。恥ずかしくないの? ヘカちゃん恐ろしい人……! 

 

「ハッキリ言って反応に困るわね……」

「ふふふ、私の事が滑稽に思えるかしら? だけどね、実情は完全に真逆。滑稽なのは貴女の方なのよゆかりん。全部知ってるのに、知らないフリしてるんだもの」

「私は地上にて知恵深き者として賢者と呼ばれてはいますが、知らない事も当然あるわ。貴女の妄想なんて知る由もないでしょう」

 

 ヘカちゃんの口元が歪む。

 

「そうやって逃げてるんでしょ、いつも。歯抜けになった記憶、自らの人格形成に影響を与えた出来事すら思い返せない。そんな現状を異常だと思わない筈がない」

「……」

「己が認識する世界なんて、実情と最も掛け離れた領域よん。貴女は何故恐れられた? 何故数多の人妖に慕われた? 何故この無茶苦茶な世界を生き残っている?」

 

 意地悪ないやらしい笑みだ。フレンドリーなヘカちゃんからは若干想像できない邪悪なそれは、まるで戯れを象徴しているようにも思えた。

 ヘカちゃんの言うことはデマ、全て的外れに違いない。しかし、私の認識や悩みを元にして話を構築しているようで、えも言えぬ気味の悪さがある。

 

 さとりと話している時と似た感覚ではあるが、それを全く悟らせない口振りは妙な信憑性を抱かせる。精神攻撃の一種だろうか? 心なんか折らなくても勝敗は覆らないでしょうに。

 なんとか話が通じるようにと、本音を曝け出してみる事にした。態度も合わせてね。

 

 私は首を垂れる。

 

「貴女が私を戦うに値する妖怪だと認識しているのは光栄ですが、本当に勘弁願いたいの。私では貴女に勝てないでしょう。為すすべもなく殺されてしまう。……まだ死にたくないの」

「それはできない相談ねぇ。あと忠告だけど、間違っても『死にたくない』なんて言ってはいけない妖怪よ? ゆかりんって。貴女はこの世の恨み言、怨嗟の全てを受け入れなければならないの。どんな姿に成り果てようが」

「でも生を追い求めるのは生物として──」

「無理心中は罪人として一級品だと思うんだけどねぇ。──いいかしらゆかりん? これは生存競争という名の遊戯なのよん。捕食者たる貴女を返り討ちにする為の」

「捕食者? ……搾取って意味?」

 

 一応人間と同じ食生活をしてる私からすれば、そういう言われ方はあまり馴染みがないわ。ルーミアみたいな人間を食べてる妖怪は捕食者と言っても過言ではないと思うけど。

 なので幻想郷の上に立つ支配者という意味での言葉かと思った。ヘカちゃんは下剋上の真似事でもしてみたかったのかと。自分より上が居ないんじゃ下剋上ごっこなんか気軽にできないだろうし。

 

「搾取。そういう見方もできるかもね。醜悪な月人達だけども、ゆかりんの居ない世界を願った理由は正直よく分かるもん。貴女がいる限り、地獄のような世界は終わらない。『搾取』されて、生まれたままの姿で延々と苦しみ続ける生き地獄」

「……」

「ほら見てみなよ。アイツら性懲りも無く私とゆかりんの共倒れを望んでるわ。多分頃合いを見て月自慢の超兵器か何かで諸共吹っ飛ばすつもりよ」

 

 まるで理解の出来ない言葉の意味をゆっくり噛み砕いて吟味している最中、ふと指摘された通りに後ろを振り返る。

 霊夢達と一緒に場を見守っている豊姫。こまめに誰かと連絡を取り合っているようだった。相手はサグメさんかしら? 

 私は兎も角、ヘカちゃんを殺すような攻撃って相当なものが予想されるけど、多分豊姫も巻き込まれるわよね? 死なば諸共ってわけ? 

 

「さて……色々語ったけど! 私は別にゆかりんの事を憎く思ってなんかないのよ。今でもお友達だって思ってるし。だからさっきまでの話はゆかりんへの手向けのつもり」

「そ、そうですか」

「ゆかりんのお仲間達が隠しておきたかった事なんだろうけど、何も知らないまま殺されちゃうのは可哀想だもんねぇ。まっ、続きは地獄で教えたげる」

「貴女なりの心遣いだったって事ね。であればどのような形であれ、感謝します」

 

 にへへと笑うヘカちゃんに頭を押さえる私。多分霊夢達からはめっちゃ対照的に見えてるんだと思う。

 まあ、価値観も妄想もぶっ飛んでいるヘカちゃんだが、曲がりなりにも私との友情は残っているようなので釈然としない気持ちでお礼を言っておく。

 

 そして戦いは避けられない事を確信した。

 腹を括るには十分すぎる時間だ。

 

「大きなお世話ですわ。貴女の気持ち、月人の事情、罪人への罰──そんなもの一切知ったこっちゃない。私は生きて幻想郷に帰る。絶対に」

 

 

 

「捌器『全てを二つに別ける物』」

 

 

 肉の断ち切られる嫌な音が月面に響く。

 私の意識外での出来事だ。不意に掲げられた右腕がスペルを発動し、ヘカちゃんの首を刎ね飛ばした。そして笑みを貼り付けたまま宙を舞う頭を弾幕で消し去る。

 流れるようなコンボだった。

 

 時間稼ぎは十分だったかしら? 

 

【ええ十分ですわ。この怪物を前にしてよくやってくれました】

 

 初めてAIBOに褒められたような気がする! 

 まあ元々は無茶な作戦を立てさせたAIBOが全部悪いんだけどね! ヘカちゃんと戦う羽目になったのもこの人のせいだし。

 

【それに関してはごめんなさい。まさかヘカーティア・ラピスラズリが貴女をここまで注視していたとは、想定外でした】

 

 身体の操作権は既にAIBOに移っている。ヘカちゃんの分身がオッケーなら第二人格(らしきもの)に身体を委ねるのもアリでしょう。そうに決まってる。

 当然ヘカちゃんから文句は出ず、続行の意思を瞳で示した。首はいつの間にか繋がっていて、堪えた様子は全くない。

 

 ただこれは私もAIBOも想定内ですわ! 

 

「これは狂想に付き合った駄賃ですわ」

「随分と安い駄賃ね。ほほうなるほど、オマケの貴女もなかなか面白そうな奴だけど、今はお呼びじゃないのよねぇ。雑魚は消えなさい」

「私にとっても貴女はただただ邪魔な障害物。ここから消えてくださるかしら?」

「月はオマケの所有物じゃないでしょ?」

「この世から往ねって言ってるの」

 

 本当に私の口から出ているのかと思うくらいのとんでもない罵倒である。

 と、実はこの舌戦の間にも不可視の応酬が行われているようで、質量を伴った暴力的な圧が私達の間で文字通り火花を散らしている。互いの顔に張り付けられた余裕の笑みが戦いの拮抗具合を教えてくれた。

 

 強い! あのヘカちゃんとやり合えてる! 

 流石はAIBO……と言いたいところだが、彼女と思考がリンクしている現在、戦況はあんまり芳しくないことが分かってしまう。

 恐ろしい事に、彼我の戦力差は大きいらしく、ヘカちゃんが遊び気分のうちならまだしも、本腰入れて来られたら瞬く間に潰されてしまうそうだ。

 貴女でも無理なの……? 

 

【ヘカーティアは大体の世界線で最強の座に君臨する神。さしもの八雲紫でも抵抗が精一杯ですわ。しかしヘカーティアは既に先の戦いで2体を消費し、私達は未だ2人です。数の利を活かしましょう】

 

 物騒な事を言いながら破滅の嵐に飛び込む我が身体。境界を練り歩き、致命の一撃を避けながらヘカちゃんへと高次元の能力を行使している。

 す、凄え……。

 

 

 

「へえ、まだ付いてくるの」

「当然。外力『無限の超高速飛行体』」

「技も力も悪くない。知恵もある。確かスペルカードだっけ? 面白いわねそれ!」

 

 数度目の攻防。

 

 質量と虚構の境界操作により無限の質量が最高速度の空圧として雨霰が如く放たれる。さらにそれに合わせて私のスキマがヘカちゃんの足元に展開、伸び出た機械の腕が彼女の腿に纏わりつく。

 私は自己研鑽を欠かさない女、八雲紫! 非戦闘員とはいえ技術のアップデートは常に行なっていたわ。あの機械はにとりに作ってもらったマジックハンド! 仮称:のびーるアームくん! 

 

 AIBOにメイン火力を全振りし、私は裏でひたすら妨害に徹する。これぞ八雲紫の二人羽織! 大した貢献はできないけど少しでもAIBOの負担を減らすのだ。

 

「ユーモアも十分。いいねいいね!」

「っ……力技とは芸がないわ」

「うんうん私もそう思ってるわよん。だから小細工くらいは使わせてくれると嬉しいんだけども、もっと頑張れそう?」

 

 私とAIBOの華麗な合体技もヘカちゃんには通じず、魔力を込めた拳圧でスペルを破壊してしまう。無限の概念を撃ち砕く反則的なパワー。

 そして片手間と言わんばかりにのびーるアームくんをスキマごと一睨みで粉砕する。ヘカちゃんが魔法使いタイプって絶対嘘でしょ。

 

 まずいですわ。境界を操る程度の能力(真)ですらヘカちゃんには全く通用してない。

 遊び半分の些細な暴力で此方の計算され尽くした行動が捩じ伏せられていく。ただただAIBOの活動時間を浪費していくだけだ。

 

 あと2分! どうする? どうしよう!? 

 

【落ち着きなさい。少々試したい事があります。身体の操作権を4割ほど委譲しますので、ヘカーティアの足止めに徹してちょうだい】

 

 無理です(即答)

 

【いえ貴女にはその身に相応しくない力を持った技がある筈。永琳の時は貴女の力不足で十全に使いこなせなかったけれど、私の力が合わされば……】

 

 なるほど理解したわ。アレを使えって事ね? 

 確かにアレは私らしからぬ高威力かつ広範囲の激強技。ヘカちゃん相手にも少しは通用するかもしれない。ていうかあの奥の手しか私にできる事は思い付かないわ。

 一応アップグレードしてるし。

 

【ヘカーティアの反撃は私が捌きます。能力を存分に振るってくれていいわ】

 

 AIBOの後押しを受けると同時に視界が開け、身に余るナニカが湧き上がるのを感じる。これがAIBOのエリート妖力ッ……!? 

 あれ? でもこの力って私のっていうよりは──いや、些細な疑問は後よ! 

 

 何千、何万回と繰り返した変哲のない動作。そして開くは毎度お馴染みのスキマだが、今回のものには空間から覗く謎の目も、端に結ばれたお洒落リボンもない。全ての特徴が悉く排除されたスキマ。

 

「さあ勝負よヘカちゃん! 私の切り札を喰らってみなさい!」

「おっ今度はゆかりんね。よーし受けて立つわよん!」

 

 やっぱり私のこと舐め腐ってやがるわ! 吠え面をかかせてやるんだから! 

 宇宙を引き裂く真っ暗な裂け目は、一度入れば理論上脱出は不可能となる多次元空間。それこそ時を戻すくらいしか脱出の方法はない。

 

 過去に永琳に対して使用した時は、アホクソボケチートを使われて逃げられたけど、今回はその反省を活かしたver2である! 

 

 従来の吸引力はそのままに、ルーミアの侵食する闇を3倍に増量! さらにマミさん直伝の迷宮空間をオッキーナ風にリニューアルして複雑難解増し増しに! さらにさらにそれに加えて威力不足の否めなかった核爆弾の代わりに、萃香の力を込めた圧縮爆弾に、土蜘蛛の病原体をこれでもかとばら撒きまくる! 

 そしてトドメに、抵抗の意志を完全に潰す為にあの無意識の申し子こいしちゃんの能力を付与! これで簡単な思考も出来なくなる混沌空間の出来上がりっ! 

 

 お値段? プライスレスですわ(白目)

 

 もう一度八意永琳と戦う羽目になった時の為に頑張って用意しておいたのよ。

 なんの因果かヘカちゃんに対して使用する事になってしまったけど、むしろ好都合なのかしら? 

 

「わわっ凄い風だねえー。異空間に送り込もうって魂胆かしら」

「その通りですわ。この中に入ってしまえば二度と脱出は叶わない」

 

 強風に煽られて凄まじい勢いでダブつくTシャツと謎帽子を押さえている。思わぬところで副次効果が生まれてるわねラッキー! 

 今回の吸引力にはAIBOの妖力が含まれている。そのおかげで規模は永琳戦の比じゃない。入り口の大きさも同様で絵面的にも圧が高まっている。

 しかも未だに身体の操作権の過半をAIBOが握っている。即ち、別行動が可能なのだ、

 

 衣服の乱れで行動を制限された女神の右腕を境界が隔て、さらに振りかぶった日傘が顔面を打ち据える。間近で聞いた事のない破裂音が轟き、衝撃だけで視認できる限りの月面が消し飛んだ。

 肉弾戦もいけるAIBOマジ強ですわ。

 

「女の子の顔を鈍器で殴るなんてサイテー!」

「痛みなんて感じてない癖に白々しいのよ! でも別にいいわ!」

 

 正攻法でダメージを与えるのは諦めている。搦手以外での対抗手段はない。

 

 お返しと言わんばかりに、払うように振るわれた腕が身体のパーツを持って行ってしまう感覚。右目が暗転して右半身そのものの存在を感じないことから、とんでもない事になっているのだろう。あまり考えたくないわ……! 

 AIBOが痛覚を切っていなければ今頃痛みでのたうち回っていただろう。

 

 思考を止めちゃいけない。須臾の時すら無駄にできない死線なのだ、私とAIBOで絶え間無くありとあらゆる手段で畳み掛けなくては。

 残る左腕で奥の手となるスキマの入り口をもう一つ展開! 妖力さえあればこんな事もできちゃうのだ! 私のやりたい事、全部できる! 

 

 ここまでの至近距離にスキマが出現しては流石のヘカちゃんも無事では済まないようで、吸い込まれた頭の惑星を追うようにしてスキマに転落した。というかAIBOが蹴りで叩き落とした。

 

 はい封印! 封印! 封印!!! 

 

「さ、最強不死身キャラの攻略法その一封印……! 上手く、いったわね! ぜぇぜぇ」

 

【時間稼ぎにしかならないわ。だから次、奴が出てきた瞬間が勝負です。私の妖力残量から計算するに、これが最後の挑戦(チャンス)になる】

 

 絶望を感じている暇なんて無いのだろう。

 確かに、スキマの制御が段々と狂い始めている。多分、今はヘカちゃんがスキマ空間の中を見学してるから無事なのであって、満足したら私の弄した作戦全てきっと力技で破壊して出てくる。

 だがAIBOはそれがチャンスだと言う。作戦の内容を共有して、私も「それしかない」と思った。もはやそれしか方法は……。

 

 消し飛んでしまった右半身をAIBOに修復してもらいながら、その時を待つ。

 

 

 

 

「なかなか楽しめたわよー。でもまだまだ改善の余地ありだと思──」

 

「『変容を見る眼』」

「『憑坐と神霊の寸断』」

「『生と死の境界』」

「『知能と脚の境界』」

「『アポトーシスとネクローシスの境界』」

「『客観結界』」

「『色と空の境界』」

 

「──あ゛」

 

 相変わらずの笑顔で空間を叩き壊しながら、眼前に現れたヘカちゃん。堪えた様子は勿論なく、完全な無傷で境界を踏み越えてくる。

 既に脱出の予測位置はAIBOが割り出していた。私達はその場所に能力の行使を指し示すだけでいい。それだけの話。

 

 この時、ヘカちゃんの顔が初めて歪んだ。

 

 境界を操る能力とは、線引きの加減や引き締めのみに限定した能力ではなかった。新たな概念の創造と消滅、そして書き換えを行う事すら可能になる。

 それマジですの? (初耳)

 

 AIBOの境界操作はあまりに難解だった。私では1%も理解できない領域の思考。

 だがそれが為される事の『意味』の大きさはしっかり理解できた。

 

【途轍もない戦力差があるとはいえ、能力相性は此方に分がある。私はヘカーティアにとっての天敵、ということになるわ】

 

 ヘカちゃんの身体は地球、月、異界に各個存在し、さらにそれぞれの地獄にコアなるものがあるそうだ。その全てが本体となる。つまり目の前の赤ヘカは6分の1ってことになるのかしら? 気が遠くなるわ。

 だがAIBOはヘカちゃんを隔てる境界を断ち切った。地獄も含めてだ。

 その結果、別れていた身体と人格が一つに成ろうとする。人格と存在の削り合いが発生するのだ。有象無象の罪人達の意識も統合の阻害となるわ。

 

 当然ヘカちゃんの防衛機能がそれを緩和させようとするのだろうが、その善玉的な動きをほんの紙一重の、悪玉的な動きにすり替えた。これで身体の修復は一切行われず、削り合いは激化する。

 

 しかし唯一、自意識の境界は逆に強固なものに操作したようで、これがヘカちゃん同士の殺し合いを無理やり長期戦に持ち込ませる鍵となる。

 八雲紫の能力がヘカーティア・ラピスラズリという絶対神を滅ぼそうとしているのだ。

 

「ぎ──がが──げ」

 

【真正面から能力を行使してもレジストされてしまうのが関の山。だから私の奥の手が破られる瞬間を狙ったのよ。八雲紫を軽んじて油断する、その瞬間を】

 

「私を囮に使ったって訳ね。ナイスよ」

 

 制限時間を過ぎて意識の奥に引っ込んでしまったAIBOだけど、ちゃんとトドメ用の妖力は身体に残してくれている。私が決めろって事か。

 

 ヘカちゃんの身体は痙攣を起こしており、口からは断末魔に似た呻きが漏れている。魂の叫び、というものなのかしら。聞くに堪えない……! 

 待機していた青ヘカ、黄ヘカは既に消滅している。赤ヘカの中で大乱闘スマッシュヘカーティアズが行われているんでしょうね。

 無抵抗の相手を一方的に殺すというのはあまり気分の良いものではないが、情に絆されれば殺されるのは私と幻想郷の方だ。私は、私の世界を守る為に。

 

「さようならヘカちゃん。我が友よ──!」

 

 

 

 

 

「あら終わりにするの?」

 

 境界が首に手をかけた瞬間だった。白濁としていたヘカちゃんの眼球がぐるんと回って、私を見据えた。あの邪穢な笑みを浮かべて。

 そして骨の砕ける音。

 

 私の左腕が千切れ飛んだ。

 

「……ッ!?」

「あっはっは! 死ぬかと思ったわよこやつめ!」

「何故、平気でいられるの……?」

 

 痛みのあまり蹲り、大量の脂汗を流しながら途切れ途切れに問い掛ける。ヘカちゃんは相変わらずの様子で私を見下ろしながら、くるくる指を回す。

 その回答はあまりに単純明快だ。

 

「全員ブチ殺したのよん。私の中で。薄々思ってはいたんだけど、遂に確信できたわ。一番燃える相手ってやっぱり私だったんだなーって」

「く、狂ってるわ。何万年も共にあった人格を殺して……その程度、なの?」

「さあねぇ。当人が満足してればそれでいいんじゃない? 仕返しはするけどね」

 

 ヘカちゃんの空を掬うような動作とともに、身体を浮遊感が包んでいく。そして無理やり十字架のポーズを取らせると、指から放たれた直径拳大のレーザーが無情に私の腹部を貫く。激痛どころの話ではない。視界がぐるぐる回って、吐き気と一緒に滝のように血が吹き出した。

 もう上か下かも分からない。

 

「あう……えほっ……」

「あら今度は治らない。もしかして死んじゃうの? この程度で?」

 

 まずい。意識が遠のく。

 死にたくない。

 私はどうすればいいの? 教えてよAIBO。

 

【……】

 

 都合が悪くなるとすぐダンマリ! 

 うーん死ぬのかしら、また。

 フランに砕かれた時のように、霊夢に斬られた時のように、永琳に射られた時のように、諏訪子の呪いに侵された時のように、妖怪の山上空で謎の発光体に飲まれた時のように……。

 

 あれ、私って死にすぎ……!? 

 走馬灯のように今までの記憶がガンガン蘇ってくるわ。そうだ、死の間際の記憶がすっぽり抜けていたことにやっと気付けた。

 

『何故この無茶苦茶な世界を生き残っている?』

 

 ヘカちゃんの問いが蘇る。

 そうだ、生き残ってなんかいない。私は死んでばっかりだ。その度に何度だって生き返っている。蓬莱人じゃないのに何故? 

 

 いや、理由はいい。私にもし残機的なナニカがあるのなら、今の致命傷も何とかなるのかもしれない。そして死んだフリをしてこの場を切り抜けるっ! 

 まあ全て私の勘違いでそのまま死んじゃうなら大人しく死ぬわ。そんで幽々子に居候させてもらう! よしこれでいきましょう。

 

 という訳で、クレーターを疾駆し、ヘカちゃんへとお祓い棒を振り下ろさんとしている完全戦闘モードの霊夢を手で制す。「貴女の助けは必要ない」と。

 実際のところ霊夢の動きもヘカちゃんに見切られてるし、通用しない可能性が高い。

 

「戦ってあげてもいいわよん? お母さんの事がそんなに心配なら」

「黙れ。アンタ達の指図は受けない」

「やめ、なさい! 霊夢……っ!」

 

 これでもかと血を吐き出しながら懇願したら止まってくれた。やはり霊夢は素直で良い子なのよ。ゲホゲホ。

 

「死に損ないに何ができるのよ! いいから私と代わりなさい!」

「次に、繋げることができる。お願いだから、貴女は無事に……生きて」

 

「次なんてないわよ? ここで全部潰しちゃうから」

 

 背筋に悪寒が走る。ヘカちゃんの矛先は私だけじゃない事に気付いたからだ。

 そうだ、ヘカちゃんの興味は私と幻想郷に向いていた。つまり彼女の言う『全部』とは……幻想郷に住まうみんなも含まれている。

 

 ヘカちゃんの視線は上を向いていた。私の頭上の、さらに上。

 ふと宙を見上げると、真っ暗な海の中に浮かぶ母なる大地が煌々とした光を放っている。でもその大きさは、この場所に来る時よりも遥かに大きい。

 あまりに近すぎる。

 

 無茶苦茶だわ。天体そのものの軌道を捻じ曲げて意のままに操るなんて……! これがヘカちゃんの魔法……ってコト!? 

 月そのものを地球に、幻想郷にぶつけるなんて無法も無法よ! 

 しかもご丁寧にヘカちゃんの濃密な魔力が天体そのものを覆い尽くし、巨大な弾幕になっている。

 

「こうしてしまうのが一番楽だと思うのよ。月の都に幻想郷、どちらも世界に害をなしてばかり。なら両方いっぺんに潰せば楽でしょ?」

「貴女の言う罪と、幻想郷に関係は……ッ!」

「本来ならこんなにアクティブな手段は取らないけど、『ゆかりんは私に傷を付けた』でしょ? たったそれだけの理由で貴女に関係する者全てを地獄へ堕とす。ただそれだけの理由だ」

 

「死んでも悔しがれ」

 

 ふっっざけんなくっそ!!! 

 幻想郷を壊されたら死んだフリ作戦なんか全く意味がないじゃない! ていうかこんな意味の分からん馬鹿みたいな戦いを幻想郷に持ち込む訳にはいかないわ! 

 

「……アンタを殺せばこの異変も終わるか?」

「勿論。ただまあ、衝突まであと10秒もないけど」

 

 脅しでもなんでもないのは宙を見上げれば一目瞭然だ。月と地球が加速度的に接近しており、日本列島が視界いっぱいに広がっている。幻想郷の真上に落とす気満々って訳ね畜生! 

 霊夢は夢想天生を発動してヘカちゃんと激闘を繰り広げているけれど、当然ながらこんな短時間で戦いの趨勢は決められない。絶対に間に合わない! 

 

「アンタの戯れなんかで楽園は崩させない! どうあっても幻想郷は守る! そして人間を軽々しく死なせるもんか!」

「ならしっかり守ってみせなよ。この世のまるごと、全部ひっくるめて」

 

 

「あああ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬこれはダメだどうにもならん絶対死ぬぅッ!!!」

「死にたくなかったら私から離れないでねうどんちゃん♡ クラウンピースもいらっしゃい」

「はーい」

 

 あの3人はまあいいや。豊姫も知らん。

 霊夢も夢想天生があるから多分大丈夫だけど、宇宙に放り出されたら危険だ。どうすれば……みんなを救える? 何を捧げれば誰も喪わずに切り抜けられる? 

 考えろ。考えるのよ八雲紫。

 

 

 喪うのは駄目だ。あれだけはいけない。

 取り返しがつくならまだいいのだ。でも完全に喪われてしまっては……。

 

 

【私に残る全ての妖力を使います。月を粒と波に分解し、被害を最小限に抑える。幻想郷への被害は多少許容しなければ切り抜けられない】

 

 それじゃ駄目でしょ! 砕け散った岩石はヘカちゃんの魔力を伴ったまま弾幕として地上に降り注ぐだろう。一つ一つが未曾有の大惨事を引き起こす威力。幾ら化け物共の巣窟とはいえどうなるかは分からない。それに私みたいなか弱い存在だって沢山居る。

 

 もっと大雑把に、根本から守らなきゃ。

 誰一人見捨てないわ。

 

 もう私の世界を喪いたくないの。

 大切な誰かが喪われる瞬間なんて……!

 

 それにAIBOではもうこれ以上の力を出せない。むしろ彼女の存在の維持が危険水域に入るだろう。彼女もまた、喪ってはならない。

 嫌だ嫌だ。

 みんな。私はどうすればいいの? 

 

 私は死ぬ前に何ができる?

 

【その判断は誤りなのよ。今は理想を語る時では】

 

 そんな事ない!

 もっと別の方法がある筈なの!

 

 血が抜けて意識が曖昧になればなるほど、その確信は深まっていく。

 

 何かがあるのよ。熱を帯びた頭に、ずっとずっと昔に、この局面を突破できる僅かな可能性を垣間見た気がするのだから。

 ヘカちゃんの言う通り、私が逃げ出す為に忘れた事があるのなら、その中に。

 

 

 凄まじい嫌悪感だ。心が拒否したがっている。

 

 きっと嫌な事なんだろう。辛いから思い出したくなくて記憶に蓋をした。だからこうして死の間際に追い込まれるほどのショックがないと気付かないのだ。

 

 そうよ。

 昔からそうだった。涙が出るような辛くて苦しい事があっても、次の日にはすぐ忘れてしまう。涙の意味を思い出せなくなる。私の隣にいた大切な人が消えてしまった事も気付かぬまま。

 

 自分の脆弱な心を守る為に、そうするしかなかったの。だって私は明日からも楽しく居たいから。何も知らなければ優しい気持ちで眠れるから。

 

 知らぬ事は安寧であり、罪である。

 己を知ることは叶わず、それに拘る意味すら忘れた。

 

【私が……やるから……】

 

 死が近付くにつれ、夢に落ちるような感覚が強くなる。

 眠りと死の境界とは非常に薄いものであり、同様に夢が深ければ深いほど、現実との境目もまた薄くなる。

 

 すべての元となるのは夢だ。無意識の意識だ。

 

 どこからどこまでが私の物なんだろう?

 私の物もある。きっと私じゃない物もある。どれもみんな必死に生きて、裏切られて……ここに在る。

 

 寄生された蟲のように、支配され、朽ち逝く。

 病の果てに、腹の内に黒いモノを孕んだ気がした。これが自身の罪という物なのか。

 私が奪ってしまったあの子達の未来。

 

 そう、そういう事だったのか。

 

 ヘカちゃんは正しい。ああして回りくどくも教えてくれたのは、彼女の優しさなのだろう。そう、無知が罪というならそうなのだ。

 どうして……心が壊れてくれなかったのか。

 

 こうして時折、自分の朽ち果てた思考と身体を覗きながら、苦しみ続けるのね。そしていつか忘れて、思い出して、また嗤う。

 

 自身が流す涙の訳も知らないまま、死と夢の狭間を彷徨うのだ。

 

 あなただけは、覚えていたかったのに。

 あなただけには、覚えていて欲しかったのに。

 

 

【触れるな】

 

 

 あなたさえ──今、欠けて、消えてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鵺符『アンディファインドダークネス』」

 

 

 

 ありがとうヘカちゃん。これで漸く、私もこの地獄で苦しめそうだわ。

 

 貴女も私も、ここで終わりだけどね。

 






八雲紫とは古来から謎大き妖怪であった。
その経歴、出生、思想を完全に知る者はなく、時代の節目に姿を見せると、大きな傷痕を残して去っていく。

妖怪には存在の源となる要素を司る場合がある。死、闇、飢え、寒さ、病魔と様々あるが、八雲紫のそれは判明していない。もはや彼女という存在が独り歩きして畏れを集めている状態ともいえるのか。

今なお"正体不明"とされている(ぬえ)的な要素の全てが、彼女の糧となっているに違いない。

※幻想郷縁起抜粋


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ネクロファンタジア

 幻想郷に住まう命の全てが宙を見上げていた。

 

 つい先程まで目を灼かんばかりに照り輝いていた月は突如として姿を消し、屑星と漆黒の海が広がっている。

 まるで幻想郷そのものが宇宙の闇に飲まれてしまったかのように。

 

 気が抜けていたといえばその通りだ。

 失われていた力の殆どを取り戻し、幻想郷を襲った異変のほぼ全てを鎮圧。長く苦しい忍耐の時間は終わり、遂に本懐を果たすところまで辿り着いた。

 完全に流れが此方にきていると考えていた矢先の事だった。

 

 月の瞬きが一瞬増したかと思うと、凄まじい速度で地球に──幻想郷への落下を開始した。いや、落下というよりは狙い澄まされた一撃か。

 身の毛のよだつ無明の魔力と共に感じたのは、純粋な悪意だった。何者かが意図して起こした破壊活動であった事は明白だ。

 

 そして、それを阻止したのが誰だったのかも、幻想郷に住まう者達であれば容易に想像できた。というより、あの妖怪しか思い付かない。

 あの数秒にも満たない僅かな時で莫大な魔力を纏った月そのものを世界から隔離してみせたのだ。

 そんな有り得ない芸当を為せるのは、八雲紫ただ一人しかいないのだから。

 

 

 

 

「恐ろしい光景でしたね……。まさに世も末ですか」

「末法、仏滅……!」

「私が魔界に封じられていた間に世界はこれほどまで乱れていたのですね。非常に腕が鳴りますが、まずは再度月が落ちてきた時に備えて、皆で更なる鍛錬を積まねばなりませんね」

「ご一緒します!」

「聖様、私も!」

 

「いやいや肉体でどうにかなるもんじゃないでしょ鬼じゃあるまいし……! 助けてもらってなんだけど、大丈夫なの? あの人達」

「まあまあその辺りは問題ないですよ! 根は良い人達ですので」

「早苗様ほどの風祝がそう言うなら……」

 

 落ちてくる月を見るなり新たなる決意表明を始める謎の破戒僧一派にドン引きする山の妖怪達。早苗の取り成しが無ければすぐには受け入れられなかっただろう。

 

 基本、山の妖怪は早苗に甘かった。紫の一番弟子という事もあって、はたてからの心証も決して悪くなかったのが幸いした形になる。それでも謎の肉体派集団に警戒を抱くのは組織人として当然の反応だろう。

 

 ただそんな奇行に一々構っていられないのが現状だ。

 月の侵略軍を完膚なきまでに叩きのめし、主要な指揮官は全員捕縛してモリヤーランドの鉄柱に括り付けるまでは良かった。

 その後、八雲藍から『摩多羅隠岐奈を討滅しよう』との要請を受けてはたては快諾。山の妖怪一同も大多数が賛同し、いざ精鋭で行動を起こそうとした、その矢先の事件だった。

 

 あまりにも大胆な天変地異の未遂に上から下まで大騒ぎが収まらなかった。錯綜狂乱してる者とお祭り気分で騒いでる者とでは若干状況が違ったが、何はともあれ討滅の話が一時中断してしまうほどの衝撃だったのだ。

 

 結果、こうして早苗や神奈子、はたてが慰撫を務める事態になっている。

 そう考えれば、聖の一声で精神を安定させた肉体派集団の結束力は侮れないものがある。というか、魅入られた妖怪がちらほら入信しているのを含めて色々危険視するべきなのだろうかと、はたてを大いに悩ませるのだった。

 

 しかし悪い事ばかりではなく早苗、神奈子、はたてが早めに立ち直る事ができたのは、紫の影を感じたからである。如何なる手段を用いたかは不明だが、幻想郷の危機を救ってくれたのが紫であることだけは分かった。

 八雲紫は健在であると、これが分かるだけで自ずと士気が増すのだ。

 

「複雑怪奇な情勢だけどちょっと前に比べれば全然最悪じゃない。紫が帰ってきてくれれば何だってやりようはある! ……いくら念写しても紫の姿がモヤで見えなくなってるのは気になるけど」

「お師匠様は凄いお方ですからね!」

「うん分かる分かる」

 

「もしすみません。貴女方の言う『ゆかり』とは、八雲紫の事でしょうか?」

 

 妙なシンパシーを感じて頷き合っている早苗とはたてに声を掛ける者が一人。聖白蓮その人である。軽く会釈し、神妙な面持ちで二人を見遣っている。

 

 魔界で数奇な邂逅を果たした風祝と破戒僧。聖の弟子達と殺し合い、結果として復活を妨害していた事もあって和解の余地は無い筈だった。

 しかし星達の願いを深く理解していた早苗は、妖怪達が基本無害な事を確認した後、聖の復活を決断。アリス協力の下、持ち前の奇跡で法界の封印を見事破壊してみせたのだ。

 

 よって命蓮寺一派は早苗に頭が上がらなくなってしまった。

 

「そうですけど、もしかしてお知り合いでしたか!?」

「いえ私は封印される少し前に彼女の所業を聞いただけ。そして此処に居る妖怪の門徒は、運良く彼女と邂逅せずに済んだ者達です」

 

 奇怪なワードチョイスに早苗は眉を顰める。

 

「運良く……? 運悪くの間違いでは?」

「まさかそんな。彼女に会っていれば、私は兎も角、あの子達は地獄に封じられるよりも残酷な目に遭っていたでしょう。恐ろしき妖怪です」

「むっ。お師匠様の事を悪く言うのは──」

「早苗様。ちょっと待って」

 

 尊敬する人を悪し様に言うのは許さないと突っかかろうとした早苗をはたてが制止する。

 紫の良い部分しか知らない早苗とは違い、はたては紫の黒い部分を知り得ている。故に聖へと一定の理解を示した。

 

 善き妖怪であるのは間違いないだろう。自分達と理想を同じくする紫には隠岐奈や正邪には無い"正しさ"がある。

 でも目的の為に手段を選ばないのも確かだ。ただ穏健であるだけなら、旧天魔の暗殺など実行しなかっただろうし、第一次月面戦争なんて起こらなかった筈。

 

 八雲紫は地獄のような世界を勝ち抜いてきた妖怪だ。

 

「紫の事を知ってたんだね。聖さんが聞いた紫の所業ってなんなの?」

「多々ありますが……身近に起きたことを一つ。昔、我々の仲間に気難しい妖怪がいました。あの子自身は私達のことを邪魔だと思ってたのかもしれないけど、少なくとも私は仲間だと思ってました」

「お友達かぁ」

「大事な門弟でもありましたので。今は失踪して行方知れずですが」

 

 聖は淡々と、それでいて悲しみを滲ませながら語る。彼女が嘘を吐けるような性分でない事は既に知っての通りだ。

 

「故に危ない遊びはちゃんと咎めておくべきだったと後悔しています。あの子の交友関係はあまり褒められたものではなかった。高利貸しに武装集団、詐欺師とそんな連中ばかり」

「金貸し屋は怖いですよねー。私も経験があるので分かります」*1

「中でも八雲紫とは親密だったようです。どういう経緯で知り合ったのかは分かりませんが、時々一緒に居るところをナズ──うちの門弟が目撃しています。最後の目撃情報も、八雲紫と共に居る姿でした」

 

「……八雲紫は卑劣にも心を許したあの子を拐かし、使い潰し、騙し討ちにし、その死を辱めた挙句、死肉を貪ったと聞きます」

「うげっ!? で、でもさ伝聞でしょ。ガセかもしれないじゃん。誰の情報なの?」

「命蓮寺に足繁く通ってくれていた妖怪の少女から聞きました。不思議な雰囲気の持ち主ではありましたが素直な良い子でしたし、悪き念を感知する星の宝塔も無反応でしたので嘘ではないかと」

「うーんでもなぁ。紫がそんな事するかなぁ?」

「私はそれからの千年を魔界で過ごしていたので現在の八雲紫がどういう妖怪なのかは分かりません。しかし少なくとも当時は……全ての人妖に恐れられる恐怖そのものでしたから。彼女は外聞が悪過ぎた」

「お師匠様はそんな事絶ッ対にしませんから安心してくださいっ! そいつは偽物ですね!」

 

 早苗の言葉にはたては深い同意を示した。

 一流のユカリウォッチャーである彼女にとっては常識なのだが、紫は肉食を好まないのだ。人肉など以ての外で、妖怪を食うなど論外である。

 

 きっと杞憂だ。

 実際に紫と会えば考えもすぐ変わるだろう。()()()()()()()()()分からないのだ。そうに決まっている。

 

 

 結局、早苗と聖の問答は二つの大きな報告が舞い込むまで続く事になる。

 

 それは古明地さとりが地底を塞いでいた結界を突破したという吉報と、諏訪湖の畔で瀕死の射命丸文が見つかったという凶報だった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 ヘカーティア・ラピスラズリとは、辻の監視神である。

 人や物の往来など、あらゆる事象の交差を見守る役目を持ち、それを妨げるモノを排除してきた。

 ド派手な神格の中では取り分け地味な部類であるのは否定できないが、ヘカーティアが一つ抜きん出た存在へと昇華した主な原因は、この神格にある。

 

 彼女は世界の仕組みを知り得ていた。

 本来有ってはならない辻──境界が存在し、歪な形を保っている。修復不可能なバグに侵されてしまった世界の末路。

 

 このどこまでも歪な世界は、当たり前のものではない。あるべき姿とは、もっと単純であった筈なのだ。誰かが勝手に難しくしてしまい、今がある。

 

 いつからおかしくなってしまったのか? 

 それはとうの昔に観測できている。

 とある時期に差し掛かった途端、天上か、或いは地底からか。凄まじい量の"因果"が溢れ出したのだ。

 この世界のものでは無い、別世界の残骸。

 

 死穢とも違うそれは、特定の人物にのみ纏わりつき、存在の格が高まることで世界を左右する恩恵が与えられる。脆弱な種族であろうが関係なく、世界の上澄みへと否応なしに昇華を果たすのだ。

 下界に住まう一部は、選ばれた存在を『覚醒者』と呼称し、その者を中心に勢力を築き上げていった。

 

 同僚の高位の神々はその『特定の人物』には殆ど該当せず、ヘカーティアの知り合いではクラウンピースと純狐が該当していたようだ。欧州で名を馳せたレミリアやパチュリーもそうなのだろう。

 中でも取り分け、東洋の島国に集中していたように思える。当時は疑問にも思ったが、カラクリさえ分かれば当然だと言えよう。

 

 世界がどうしようもない程に壊れてしまった全ての原因は、八雲紫という妖怪の存在にあるからだ。

 "因果"が溢れ出すタイミングは紫の生誕とほぼ同時なのである。彼女の生が世界を一変させたのだ。

 

 世界の残骸──前世界線の八雲紫が関わったであろう存在。これが"因果"に選ばれし者の共通点。故に必然的に幻想郷に住まう妖怪の多くが力を持つ。

 この結論に最も早く辿り着いたのがヘカーティアである。八雲紫の誕生により発生した"辻"を観測する役目を持つ彼女だからこそ、その法則は嫌でも目に付いた。

 

 幻想郷はなるべくして魔境になったと言えよう。

 そういう定めなのだ。

 

 

 

『ヘカーティア様の見解を聞かせてもらえますか?』

『重罪でしょうね。理を乱しているのは勿論、数多の世界を破壊して、それをそっくりそのまま次の世界に持ち込んでるなんて。まあ許される道理はないわ』

『当人の意志とは関係ないのだとしても?』

『チープな問題ならまだしもねぇ。でもそれを裁く手段すらないなら、貴女にできるのは罪を突き付けることだけでしょ。ご苦労様』

 

 四季映姫に関しては本当に気の毒だと思った。

 あの性分と善性の持ち主だ、紫の罪を看過する事などできなかったのだろう。

 

 数多の世界線において、八雲紫は度重なる別離と、己が所業の罪悪感の中で、十分過ぎるほど苦しみ抜いている。本人にとっては全くの不可抗力での出来事であり、この不幸な連鎖を望む道理もない。

 

 それに付け加え、辻の発端となった八雲紫はとうの昔に死している。

 如何なる思惑があったにしろ自死という手段で破滅の連鎖を断ち切ったのだ。

 今の紫は連鎖の終着点であり、これ以上罪を重ねる余地はない。しかも、かつての力と記憶すら持ち合わせていないのだ。

 

『私はかつての八雲紫に敬意を表しています。故に裁きは望まない。できる事なら、残りの妖生は穏やかに生きて欲しいとすら思っている』

『私情を持ち込むのは感心しないわねー』

『古明地さとりと同じ考えなだけですよ。……ヘカーティア様は、月の者達と似た考えをお持ちのようですが』

『一緒にしないで欲しいわね。あいつらは至極勝手な義務感で動いているだけ、私は趣味私情バリバリなんだから』

『あのですね……』

 

 問答の後、遠回しの説教を受けたのは言うまでもない。しかし思惑はどうであれ、この意識の分断には根深いものがある。

 

 八雲紫の完全な消滅を願う事とは、つまり世界の存続を一心に願うという事。

 連鎖の終着点と言えど、あくまで暫定的な話なのだ。何かの拍子に滅びの条件を満たしてしまい、別世界に引き摺り込まれては敵わない。

 

 早いうちから世界の仕組みに気付いた者ほど、この考えに傾倒している。

 蓬莱山輝夜に別世界の末路を聞かされ、自分達の運命が下賤な地上の妖怪に握られている事に気付いた月の民などは我慢ならなかったのだろう。

 

 だが結果は現状の通りだ。

 手を替え品を替え何度殺そうが、紫を完全に消し去る事はできない。

 数多の因果に雁字搦めにされた紫の殺害は、特定の時期、特定の条件を満たさなければ不可能に近いと思われる。だがその本来の死が意味するのは、世界を破滅に追いやる引鉄である。

 

 もっとも、その『不可能』がヘカーティアのチャレンジ精神を強く刺激してしまったわけだが。

 

 紫を憐れに思うからこそ、救いを与えるべきだ。ちゃんと真実を知ってもらった上で殺す。絶対に殺し切って、理不尽な罪から解放してあげるのだ。

 

 趣味と実益と責務を兼ねる女神の鑑と言えよう。

 

 

 

 

 

(無理ではないわね。多分)

 

 かの隙間妖怪と相対して、そう結論付けた。

 己が全力であれば、因果を跳ね除け八雲紫を滅することは十分可能だと判断したのだ。

 

 ヘカーティアもまた、八雲紫が齎した因果に縛られし存在。それ程までに紫の業は強い。だがそれすらも、圧倒的な力の差で破壊できる範疇であった。

 この世界線において最も理不尽で最強の神、それがヘカーティア・ラピスラズリなのである。

 

 月と幻想郷の衝突は上手く阻まれてしまったが、ヘカーティアにとっては軽い様子見のようなもの。これからもっと、更に強力な攻撃を仕掛けていくつもりだ。

 さあ次は如何なる手段で──。

 

 

 

「え?」

 

 僅かな違和感があった。

 何がと問われれば、言葉に窮する。上手く言語化できない気持ち悪さが脳裏を掠める。

 

 意識の欠落。何かを見落としている。

 

 強い危機感があるわけではない。

 目の前で膝をつき、蹲っている抜け殻に対抗手段は存在しないからだ。そう、自分に抗うこと能わず、為すがままにされるだけ。

 先程のような、如何なる手立てを用いようが、時間稼ぎにすらならない。

 

(いや違う、そうじゃないでしょ。ゆかりんは何をした? 脆弱なこの子が、何故私の攻撃から逃れる事ができた?)

 

 例の擬きならまだしも、今の紫に天体の衝突をどうこうするような力は無い筈だ。理不尽を見せつける為に、彼女には絶対に手に余る攻撃を仕掛けたのだから。

 往なす手段など存在する筈が無い。

 

 であれば自ずと選択肢は限られてくる。

 

(これは……私自身への干渉?)

 

 疑問が生じるとともに、芋蔓式に自意識との矛盾が噴出する。情報を処理し切れていない事を前提に思考を巡らせてみれば、現実と酷く乖離している。

 仮定と結果が結び付かない。一致しない。

 

「ゆかりん、何かした?」

「貴女にも解らない事があるのね。ちょっとだけ安心しました」

 

 酷く愉しげな口調だった。

 顔を上げた紫からは戦闘時のような敵意は全く感じられず、代わりに深い親しみが含まれている。

 自分を敵として見ていないのだ。ヘカーティアと同じ、友としての想い。

 

「安心ねぇ。あんまり共感できないけど」

「気持ち悪いでしょ? この通り、何もわからないの。記憶は勿論、自らの正体も不明のまま、あやふやで不確かな自意識だけが頼り」

「なるほど。これが……」

 

「これが私の生きてきた心よ」

 

 そうか、そういう事なのか。

 正体不明の心地悪さが氷解して、代わりに答えが得られた。これが逃避に逃避を重ねてきた紫の感覚。心象風景とも言えるのかもしれない。

 なるほど、これは狂いそうだ。

 

 よくよく周りを見てみれば、戦闘中だった巫女や、純狐にクラウンピースの姿すら見えない。場所も月面ではなく、無色の空間。

 紫とヘカーティア、両者の力の差は歴然としていた。しかし『境界を操る程度の能力』の応用で悪さをされたように、僅かであれば干渉も可能である事を思い出す。

 

 嵌められたか。

 いや、一つずつ術を解いていければ……。

 

「私はね、貴女にとても感謝しているの。痛みを思い出させてくれて本当にありがとう」

「当然のことをしたまでよん」

「凄いでしょ? ありとあらゆる者の認識を狂わせてしまう能力──『封獣ぬえ』の力。これがあったから今の今まで幸せに生きてこれたんだと思う」

「自他関係無しに作用するようになってるのね。誰がこんな事を?」

「ぬえと、以前の私が」

 

 封獣ぬえとやらが誰なのかは知らないが、これほど強力な能力を扱うのだから相当な存在であったのだろう。恐らく幻想郷のトップ層に比肩する妖怪か。

 それほどの妖怪を保身の為だけに使い潰したのだ。

 

 自らを狂わせるだけでなく、正体不明の存在と化す事で、周りからの見え方を改変させたのか。不気味な底の知れない妖怪としての像を。

 八雲紫とは親和性の高い、良い能力だ。

 

 敵を騙すには、まず味方から。

 味方を騙すには、まず自分から。

 

 結果として紫は実態とは大きくかけ離れた存在として、幻想郷の頂点に君臨している。紫自身の素質もあっただろうが、畏怖に事欠かない生活は何かと便利だったに違いない。

 

「で、どうだったの? 初めてありのままの自分を顧みたんでしょ?」

「ええ。私がどういう妖怪であるのか、全て理解したわ。……貴女の言う通り、これは確かに、私が死んでも償い切れないわね」

「それで、ゆかりんはまず何がしたいの?」

 

 少し考えて、朗らかに笑う。

 

「取り敢えず死にたくなりましたわ!」

 

 やはりそうなるか、と。ヘカーティアは自らの予測が的中した事を確認した。

 八雲紫(ゆかりん)が今までお気楽に暮らせていた理由に、封獣ぬえの影響があったのは先述の通りだろう。だがそれでも、いくらなんでも鈍過ぎた。本人の意思の介在無しに、ここまでの逃避を重ねる事はできない。

 

 恐らく、無意識。

 自己防衛の本能がそうさせたのだろう。

 心の弱い彼女には、八雲紫の歴史どころか、たった数百年の間に訪れるであろう悲劇や苦痛ですら、耐え切れず心が折れてしまうのは想像に難くない。

 

 だから目を逸らす事にした。

 

 真実に気付いてしまえばこの通りだ。

 

「そっか。死にたいのね」

「考える事が多すぎて少々疲れてしまった。今にも泣いちゃいそうなほど傷付いてるわ」

 

 目尻を下げながら紫はそう言った。茶化すような声音ではあったものの、これは本心だろう。紫の考えが手を取るように分かる気がする。

 ならば自分は、従来通りに構えればいい。

 

「なら殺してあげるわよん。私もね、そっちの方がゆかりんにとって楽な終わり方だと思う」

「ありがとう。やっぱり貴女は優しいわね。まあ、幻想郷を壊そうとしたのはいただけないけども」

「あはは、ごめんごめん。でも多分ゆかりんがどうにかしなくても、幻想郷に居る誰かが何かしら対処してたと思うわよん。もっとも完封されるつもりは毛頭なかったけどね」

「尚更タチが悪いわよ!」

 

 喋る内容は物騒極まりないが、それでも和気藹々とした語らい。二人はやはり、友と呼ぶべき仲だった。

 

「貴女はとても義理堅く、慈悲に満ちている。今回の一件だって純狐さんにクラウンピース、そして私の為に起こした行動だったんでしょう?」

「まっさかー! 偶々だってば!」

「ふふ、そういう事にしておきます。何にせよ、貴女ほど人を想う事ができる神は然う然う居ないでしょう。私も、貴女の他には一柱しか知らないわ。あの子は洩矢諏訪子と言う神でした」

 

 ぬえに続いて、また聞いたことのない名前だ。その諏訪子とやらも今の紫を形成する上で何か重要な役割があったのだろうか。

 続きを促そうと口を開きかけるが、言葉は出なかった。

 

「だから残念です。私はまた、貴女達の優しい想いを無碍にしてしまう」

「……ゆかりん?」

「死への憧れはあるけれど、私は終われないの」

 

 ヘカーティアは未知なる感覚を味わっていた。生涯において、それを感じる場面に遭遇する事など一度もなかったから。

 恐怖や絶望などという大層なものではない。

 

 ただ少し、話の流れが変わっただけ。

 自分の掌にあった流れが逆転を始め、相手へと流れ出していく何とも言えぬ感覚。

 

「諏訪子を殺し、やっと掴めた幸せを踏み躙ったのは、他ならぬ【私】です」

「純真な心で慕ってくれていた妹分のぬえを騙して殺したのも【私】」

 

 この時、漸く気付いた。

 

「二人だけじゃないわ。みんなみんな、全員、死んではならない者達でした。でも私の為に死んでしまった。こんな弱い私が生き続ける為だけに」

 

 もはや勝負と呼べるような段階ではない。

 

「ヘカちゃん、貴女もそう。私はまだ殺される訳にはいかないから……殺すしかなかった」

 

 主導権は既に、失われている。

 

 

 

 

 

 ヘカーティアの誤算。

 それは、目の前の八雲紫が、どういう思想の持ち主であるかのリサーチが些か足りなかった事だろう。

 愉快な感性を持った、力無き抜け殻としか思っていなかったのだ。

 

 友達になれたが比肩し得る存在には程遠い非力な妖怪。当然、その内面も貧弱で俗っぽく、精神性はどちらかと言えばクラウンピースのような妖精寄りに思えた。

 思えてしまった。

 

 彼女の周りに侍る強力な人妖、そして人格の裏に潜む前世界線の紫擬き。これらがカムフラージュとして作用していた事は否定できない。

 だがそれでも彼女の異常性は巧妙に隠されていた。

 

 彼女の本質にもう少し意識を傾けていたなら、行使した手段は全く違うものになっていただろう。

 少なくとも、惨敗する事はなかった。

 

 八雲紫(ゆかりん)は非常に利己的であり、なおかつ心を許した者との境界が非常に薄くなる性質を持つ。自らのあやふやな境界を逆手に取った不可思議な特性。

 だから少しでも類似する性質を持つ者であれば、封獣ぬえのように、洩矢諏訪子のように、簡単に取り込んでしまえる。

 

 そもそも彼女は融合と別離の果てに生まれた、心の溶け合う狭間の存在。

 そんな者を前にして肉体を失い、心を囚われてしまっては最早打つ手はない。

 

 目の前の八雲紫が、どの八雲紫であろうがヘカーティアの命運とは関係無い。

 

 気付いた時には、もう遅かった。

 紫にスペルの発動を許した時点で、既に勝負は決したのだ。土壇場で放たれたあの一撃で、ヘカーティアは敗北していた。

 引き返しようのない一本道。手遅れ。袋小路。

 もう振り返っても戻れない。

 

「……ごめんね、ゆかりん」

 

 滅びていく我が身を見下ろしながら、ヘカーティアは詫びた。紫に無駄な期待を抱かせてしまった事に対してだ。

 結局、自分の力では紫を救う事など到底不可能だったのだ。

 思い上がりだ。どれだけ強かろうが、手に負えるような存在ではなかった。

 

「無謀な勝負を、挑んでしまったわね──」

 

 ただただ、理不尽が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

「貴女の優しさは忘れないわ、ヘカちゃん。……忘れてやるもんですか」

 

 女神の最期を見届けて、生き残ったスキマ妖怪は現へと歩みを進める。

 また一つ、夢への渇望が大きくなった。業を積めば積むほど決意は強まるばかりだ。

 

「死の幻想に浸りたい気持ちはあるけれど、まだ死ねないから。私がここで諦めたら、みんなの死んだ意味が分からなくなってしまう」

 

 どこまでも自分勝手で利己的な想い。

 やりたい事が多すぎて考えが纏まらないけれど、やらなければならない事は既に決まっている。

 

 まずはそれに向けて頑張ればいい。

 死に憧れている暇なんてないのだから。

 

「帰りましょう。幻想郷に」

 

 

 八雲紫の悪夢は未だ覚めない。

*1
同一狸




EX娘を傷物にする手腕に定評のあるゆかりん。

らいこ「まだ生まれてなくて良かった〜!(諸説あり)」
さき「こわ……畜生道に引き篭ろ……」
ももよ「俺死んでる扱いでラッキー!(諸説あり)」


原作キャラだけが強くなってる理由
→オリジナルAIBOと関わりがあったから

ゆかりんが底知れない最強妖怪に見えていた理由
→ぬえとオッキーナ監修のせい

ゆかりんが死なない理由
→八雲紫の死因が既に決まっているから(なおゆかりんは真の八雲紫ではないのでそれに該当しないくせに、恩恵だけ受けているバグ枠の可能性)


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私が愛した幻想郷*

異変終了です


「なんでアンタともあろう者がそんな事になってるのよ……! 目を覚ましてよ文っ!」

「起きろッ! このくらいで死ぬな死に損ないッ!」

「「「起きろー! 起きろー射命丸ー!」」」

 

 はたての哀叫が、同じく死に損ないな椛からの激励が、河童製蘇生マシーンの発する物々しい駆動音と混ざり合い、妖怪の山に木霊する。

 その周りを各々珍妙な機械を携えた河童達が取り囲み、次々に自身の発明品での蘇生を試みていた。さらに厄神の鍵山雛が文から次々発生する厄を回収していく。

 

 あまりに奇抜な風景は、一般の妖怪からすれば一風変わった処刑にしか見えなかったが、実は幻想郷では歴としたメジャーな蘇生方法なのである。*1

 

 またその外周では命蓮寺一派が妙な念仏を唱え、何かの足しになるかと早苗が祝詞を詠む。妖怪相手にどういう効能が出るかはよく分からなかったが取り敢えず何かしたいと思ったから。

 

 少々間抜けな絵面だが、当の本人達は真面目かつ必死だった。

 射命丸文といえば、幻想郷最速の天狗であり、古来から妖怪の山内外に対しての抑止力として君臨し続けてきた紛う事なき強者。

 独特な思想と立場故に白狼天狗を始めとする集団からは疎まれもしたが、強さに関してだけは彼等も口を噤むしかない。それだけ圧倒的だったのだ。

『妖怪の山』というコミュニティの中で彼女が果たした役割の大きさは、失われる寸前に追い込まれる事で漸く認められる運びとなった。

 

 容態はあまりに悪い。全身を隈なく痛め付けられており、裂傷が至る所に走っている。四肢は砕け、無事な箇所は一つとしてなかった。極め付けに妖力が枯渇寸前まで減衰してしまっていて、治癒力が著しく落ちている。

 何故生きているのか不思議でならない。

 

「射命丸をこんなにしてしまうなんて……摩多羅神とはどれほどの……」

「天魔様も取り乱してるし、月は落ちてくるしで収拾がつかないよ」

「まあ取り敢えず鍋でも囲めばいくらか落ち着くべ。とっ捕まえた兎共を捌くべさ。暇な奴は手を貸してくんろ」

「兎美味しいかの山なのです!」

 

 月が突然消滅した挙句、山姥が解体の準備に入ったのを見て玉兎達は心の底から泣き叫び、震え上がった。それはもう盛大に。

 未開の地に骨を埋める覚悟すら無いのに、穢れだらけの原住民に肉を食われ、骨の髄までしゃぶられる最期なんて許容できる筈がないのだ。

 

 対して声を張り上げるは我らが清蘭大将。

 

「ええい地上に話の分かる奴は居ないの!? 人道的な待遇を求めるッ!!!」

「ほらウチも無茶苦茶やったけどさー、一応勝負が付いてもそっちの首魁を殺さなかったしさー。なんとかなんないかな?」

 

「侵略者の分際でなんか言ってる」

被検体(モルモット)が生意気言うんじゃ無いよ!」

「射命丸の蘇生が終わったらお前らの番だぞ」

 

 幻想郷に慈悲は無かった。

 いつもの博麗霊夢の調伏が妖怪に置き換わっただけの話ではあるが、陰湿さと過激さが増した代わりに、品性が失われたのは問題か。

 ちなみに兎は鳥扱いになるので命蓮寺一派はスルーしていた。

 

 

 そんな妖怪の山に満ち満ちたお祭り気分は、一人の妖怪の登場により冷や水を浴びせられる事となる。

 

「この山は相変わらずですね。地底以下の治安なんて恥ずかしくないんですか?」

「うわっ覚妖怪」

 

 ぬるりと現れたのは、山の元住民であり現在は地底の管理人を務める古明地さとり。経歴上その顔を知る面子は多く、さらに彼女に対しての印象も明暗が分かれた。

 嫌悪、罪悪感、懐古、歓迎。色々あった。

 

 天狗がそそくさと空けた道を練り歩く。

 

「あらーさとりさんお久しぶり。元気だった?」

「こりゃまた懐かしい顔だべ」

「雛さん、ネムノさん、お久しぶりです。兎鍋はまた別の機会にお願いします」

 

 さとりに言葉は不要だった。亡命時代の顔馴染みと軽い挨拶を交わすと、一直線に文の下へと向かう。

 積極的な動きを嫌うさとりが登山を敢行した目的は、一重に摩多羅隠岐奈の動向を探りたかったからだ。でなければこんな忌々しい地に足を踏み入れる筈もない。

 

 はたてもその事情を承知した上で、しかし熱烈な歓迎の意を示した。

 

「ごめんねわざわざ来てもらって」

「いえ構いません。むしろ地底の動乱を抑える為に助けが遅くなってすみませんでした。……にとりさん、麓に魔理沙さんを運んでますので。あとはお任せします」

「ああ、りょーかい」

「……魔理沙がどうかしたの?」

「アリスさん、貴女も是非行ってあげてください。多分、いま魔理沙さんが一番会いたいのは貴女だと思いますので」

 

 顔を顰めながらもにとりはしっかりと頷き、アリスを連れて山を駆け降りた。パチュリーが動けない以上、その役目は自分が負うべきだろうと判断したのだ。

 また、不穏な雰囲気を感じたアリスにその申し出を断る理由はなかった。

 

 二人を見送ったさとりは、改めてはたてと向き合う。

 

「何が起きたかは聞いてるよ。嫌な役目を任せてしまってごめんね」

「身内の問題でしたので、私にも責任があります。しかし、大元の元凶は摩多羅隠岐奈です。奴にはそれ相応の報いを与えなければ気が済まない」

「それは私達だって一緒! 文の仇を取らなくちゃ!」

 

「しかし、奴の住まう世界への突破口すら未だ見つけられていない状況でして……」

「だから私が来ました。これより文さんの記憶を探り、戦いの顛末と摩多羅隠岐奈の居場所を割り出します」

 

 オドオドした様子の白狼天狗からの報告を切って捨てると、電気椅子に乗せられた文へと歩み寄る。そして頭に取り付けられた珍妙な器具を取り外すとサードアイで意識の底を探る。

 意識を失っていようが、さとりの読心術の前には障害にすらならなかった。

 

 時間にして十数秒。

 全てを知ったさとりは。神妙な面持ちで見守っている山の面々へと視線を向ける。その表情は意外にも驚愕に彩られていた。

 さとりにとって予想外の顛末だったようだ。

 

「どうしたのさとり? 文は……」

「……まず一番に結果だけお伝えします。文さんは、しっかりと貴女からの任務を全うしています。摩多羅隠岐奈は()()()()()()()()可能性が高い」

 

 はたてを含め、情報を咀嚼できない者達が一斉に顔を見合わせる。悪い報せが齎されるとばかり思っていたのに、まさか吉報が舞い込むとは思わなかった。

 摩多羅隠岐奈が敗れているのなら、既に戦いは全て終結した事になる。

 文は一方的にやられた訳ではなかったのか。

 

 当然、次に求められるのは詳しい経緯だ。しかし委細の報告を嫌ったさとりは手抜きする事にした。引き篭もりには些か辛い環境だ。

 

 

「想起『射命丸文の緊急特報』」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 私には絶対の自信があった。

 どんな危機だろうが、いざとなればこの身から発せられる暴力で全て解決できると思い込んでいた。

 私に追い付ける奴なんてこの世に居ないと思っていた。

 眼下に広がる白い景色は私だけのモノなのだと。

 

 だが私は、どうやら酷い思い違いをしていたようだ。

 凄まじい勢いで過熱していく思考の中で、ようやく気付くことができた。

 この戦場において、私は最低限だ。死なないギリギリの力を持っているに過ぎない。

 

 破壊力では幽香さんに到底敵わない。大したスパンもなく放たれる魔砲の一発一発が幻想郷を消し飛ばしかねない程の威力を有しており、普段彼女がどれだけ力をセーブして弱者を甚振っていたのかが分かった。

 また、それに負けないどころか、更に広範囲へ絶え間なく能力を行使し続けているレティさんの影響力にも及ばない。瞬間瞬間では寒気を利用して私以上のスピードで移動する事も可能。

 やはりあの二人は原初の恐怖を糧にする妖怪なだけあって別格だ。強過ぎる。

 

 だが、そんな二人をも完全に凌駕しているのが摩多羅隠岐奈。幻想郷の賢者にして、過去に唯一八雲紫と渡り合う事ができたと語り継がれる存在。

 奴の無数に犇く神格のうち、幾つかは欠損している筈なのに。それでここまでの力を発揮するとは。私達の想像を大きく超えている。

 

 初撃での蹴り以外で、彼女の身に触れることすらできていないのが現状だ。

 

「どうした。まだ半分も力を出していないんだが、攻撃が弱くなってきてないか? お前達が選んだ道だ、もう少し抗ってくれないと困るが」

「はぁっ……はぁっ……くそ!」

「そこの天狗はもう限界近いな。いま降りると言うなら五体満足で幻想郷に帰してやってもいいぞ? 異変の邪魔はできないよう、暫く動けなくなるまで痛め付けはするがな」

「どこまでも舐め腐って……!」

 

 そんな提案に乗るほど私は腐っちゃいない。

 でもこのままじゃ何も成せないまま殺されてしまうのは目に見えている。私のスピードが全然通用しない以上、勝ちの目はあまりに薄いからだ。

 秘神の恐ろしさに身が竦み、おめおめと逃げ帰ってしまいましたなんて格好悪い終わりはなんとしても避けたいところではあるのだが……。

 

「おい尊大椅子女! アタイにもなんか言え!」

「あー? ……まあ妖精にしてはよくやってる方だな。私に鬱陶しさを感じさせるのは並大抵の事じゃない。誇っていいぞ」

「なんだそれ褒めてるのか?」

「舐められてるんですよ」

 

 あともう一つ私の自尊心を傷付けているのが、チルノさんの予想外の活躍だ。

 たかが妖精と侮っているつもりはない。彼女は紛れもなく妖精の中では最強に位置する存在であるし、能力の汎用性は驚嘆に値する。

 

 だけどこの戦場で通用するレベルではない。そう断言できた。

 もはや小手先での技術など意味を為さないのだ。明暗を分けるのは、如何に自らの存在の格を高め、より強い暴力で殴れるか。それほどの次元。

 

 でもチルノさんは立派に活躍していた。

 秘神の圧倒的な力に跳ね返され、叩きのめされても、何度だって再起して挑み続けている。そして必然と彼女が秘神を相手取る時間が増えていき、時には彼女を主軸にして私達が動く事だってある。

 友人関係にある私やレティさんは兎も角、あの幽香さんまで。

 

 自然とチルノさんに任せたくなってしまう、そんな非合理的な雰囲気があった。

 

「お前達如きに期待している私が言うのもなんだが、らしくないな。いくら不死身に近いといえど妖精を(けしか)けたところでどうにもならんぞ?」

「お前程度、このバカで十分よ」

「賑やかしには事欠かないものね〜」

「なんか馬鹿にされてる気がする!」

 

 強がっているものの、元々の不調も合わさってスタミナを著しく損ねている幽香さんにとっては嬉しい誤算だろう。「仲間なんて居ない」とか言ってるが、連携しなければ勝てないのは重々承知しているはずだ。

 

 そう、腹を括らねばなるまい。

 種族の矜持を捨てなければ秘神に対抗することすら叶わないのだから。

 

「幽香さん。私達の中で一番火力のある攻撃を繰り出せるのは貴女です。どうでしょう? 仮に全ての前提条件を考えないものとして、最高の攻撃を秘神に浴びせる事ができれば……この勝負、勝てると考えても?」

「……」

「幽香さんっ! 幻想郷を破壊されるのは貴女にとっても本意では……!」

 

 孤高の花妖怪は応えなかった。

 いつまで意地を張ってるのかと呆れる気持ちが強くなる。いつだってそうだ、この妖怪は力があるくせに周りと関わろうとしないのだ。

 

 ここは暖めてきた秘蔵の特ダネで脅してでも動いてもらおう。そう決意し胸元から写真を取り出そうとした、その矢先だった。

 冷たく響き渡るか細い笑い声。レティさんのものだ。

 秘神へと再度突撃したチルノさんのバックアップを行いつつ、片手間で口を挟んできた。

 

「まあまあそう言ってあげないで。自分の口からじゃ恥ずかしくて言えないだけなのよ」

「と、言いますと?」

「もう自分がどれだけの力を出せるのか分かってないの。だから不用意に大それた事を言えない。もう枯れちゃったのよきっと」

「黙れ」

 

 随分な言われようだが、なるほど合点がいった。

 寡黙を貫くことで見栄を張りたかったのか。そう考えると急に親近感が湧いてきたわ。

 

 しかし幽香さんがダメとなると、もはや手立てが思い付かない。無限とも形容できる神格群を突破するにはどうすれば……。

 

 っと、追い散らされて吹っ飛んできたチルノさんをキャッチする。

 

「ち、ちくしょう。アタイの拳が届かねぇ! なんでだ! アイツ踊ってるだけなのに」

「能楽の神だからな。楽しければ踊りながら戦うさ。……さて、もう手立ては全部使い果たしたか? であれば、最終暗黒テストを打ち切るが」

「まだまだぁ!」

 

 絶対零度を下回る冷気を身に纏い突撃するチルノさん。しかしやはり秘神に届くことはなく、最小限の動きでいなされ足元に叩き付けられてしまう。

 一か八か、やるしかないのか。

 

「お前達は気付いていないだろうが、外では凄いことになってるぞ。もはや単純な戦力として生き残っているのは私だけだ。ふふ、こんな面白い情勢下で引き篭もっていても良いことはない」

 

 秘神の力が更に膨れ上がる。

 試練──もとい遊びはここまでということね。

 

「では取り敢えず適当に攻撃を仕掛けるとしよう。生き残った2名を二童子とする」

「好き勝手言うな椅子女! ……いや、もう椅子には座ってないから椅子女ではない?」

「まずはお前からだな氷精」

 

 掌から放たれた弾幕がチルノさんの左腕を肩から吹き飛ばす。大丈夫、チルノさんに欠損はあってないようなものだ。

 その筈だった。

 

 秘神はいつだって私の想像を容易に超えてくる。

 

「い、いっだあ!!!」

「……治らない!?」

 

 普段なら身体がバラバラになろうが冷気から復活を果たすチルノさんが、今この時ばかりは痛みに悶え、欠損部分を押さえながら蹲っている。

 

 私は最も重要な事を見落としていたのだ。秘神の純粋なパワーだけに意識が向いていた。

 摩多羅隠岐奈は、未だに能力を使用していなかった。

 

「私は生命力を有機物、無機物問わず増減させる事ができる。つまりだ、生命力の塊である妖精を死に至らしめるのも可能というわけだ。こんな風にな」

「チルノさん!」

「ッそれは許せないわね」

 

 私が動くよりも早く、チルノさんの冷気をポータルにしてレティさんが秘神の前に立ちはだかった。結果、チルノさんの消滅を防ぐ事に成功したが、代わりにレティさんの半身が吹き飛び、生命力の大半を奪われた。

 間髪容れず私の蹴りが秘神を後方へと押しやり、更に追い討ちのマスタースパークが叩き込まれる。だけど、クソッ、やはり効いていない! 

 

「天狗さん、チルノを」

「分かりました。貴女も」

「私は大丈夫よ。もう少し隠岐奈を足止めするから、その間にアイツへの有効打を考えて」

「……死にますよ」

 

 レティ・ホワイトロックは強い。組織に属さない妖怪の中では、恐らく幻想郷でも五指に入るほどの大妖怪。歴史に名を残してきた古豪の一人。

 そんな彼女でも、これ以上の戦闘は間違いなくその命を死へと誘うだろう。一応、消し飛ばされた半身を冷気で修復したように見せかけているが、実態は失われたままだ。

 

 しかし、レティさんは既に覚悟を決めていたみたいで。

 

「随分昔に死に場所を逃してしまったの。私も、幽香も。だからね、ずっと探していたのよ? こうやって死んでいける時を。だから隠岐奈を裏切った」

「理解に、苦しみますね」

「だって天狗さんはこれからだもの。……チルノは寒気から生まれた存在。即ち、私の子も同然。花道を作るのは私の仕事よ」

「レ、レティ!?」

「さよならチルノ。大ちゃん達によろしくね」

 

「大妖怪レティ・ホワイトロックの最期がこれか。思ったよりもチープだな」

「道連れに隠岐奈様を添えるなら少しはマシになるかしらね〜?」

 

 チルノさんを連れて離脱すると同時に、二人は衝突した。

 敢えて正面から秘神とぶつかり合う事で、その力を最大限削ぐつもりのようだ。全存在を賭けたブリザードが爆発的に拡散し、後戸の国そのものを凍て付かせた。至る所で局地的な時空の歪みが生じている。

 凄まじい力だが、やはり押されている。秘神の神格が原初の畏れを呑み込もうとしているのだ。消滅は時間の問題。

 

「ちくしょうレティのやつ! アタイのこと子供扱いしやがって!」

「落ち着いてください。いま闇雲に突っ込んでも邪魔になるだけです」

 

 適当に宥めながら、命懸けの時間稼ぎで生まれた暇の活用法を考える。場合によっては撤退も視野に入れなければならないが、幻想郷の力を結集しても秘神を相手にしてはタダでは済まないだろう。

 最適解を求めなければ。

 

 どれだけの犠牲を払えば奴を倒せる? 

 

 

「悔しい?」

 

 思考を中断させたのは幽香さんの声。膝をついて茫然とレティさんの消滅を見守るチルノさんへ向けたものである。

 膝を折ってチルノさんへと目線を合わせている。

 

「あたりまえでしょ……!」

「あの尊大女を倒せるならなんだって出来る?」

「できる! 倒す!」

 

 短い問答だった。あまりに単純なやり取りで知性もクソもなかったけど、二人にはそれで十分だったようだ。

 幽香さんは目を閉じると、傘を畳んで床へと突き刺す。その不可解な行動を眺めていると、不意に声を掛けられた。今日初めて話をするような気がするわね。

 

「ブン屋。今から最期の攻撃の準備をするから、あの雪女が消えた後の足止めをしなさい。役立たずに相応しい役目よ」

「あやや……手厳しい。まあそれで勝てるなら勿論やらせてもらいますけど、大丈夫なんですか? 昔のような力は出せないのでしょう?」

「そうね、だからチルノにやらせるの。私の妖力能力歴史、全てそのまま譲渡してね」

 

 無茶苦茶な作戦に思わず耳を疑った。

 しかし聞き返す間も無く、幽香さんは攻撃のロジックを淡々と語っている。

 

 風見幽香の能力は『花を操る程度の能力』と仮称されているが、その実態とは生命の流転を意のままに操る能力である。

 即ち、彼女は死を糧にして生きる妖怪なのだ。

 

 延々と繰り返される生と死の移り変わりで生じるエネルギーは、次なる命の栄養となり、死の土台となる。それはやがて虚無から出でし命に無限大の罪を背負わせる事になるのだ。

 この流転を超高速で生物の体内で循環させれば、無限に近い力を得る事ができるだろう。

 

 しかし、枯れる寸前の幽香さんでは、死に近すぎる彼女では、満足な流転を引き起こす事ができない。もはやその身に残された可能性は皆無。

 だが可能性と生命力の塊ならば? 

 未成熟と発展途上を永遠に保ち続ける妖精が素体となるならば? 

 そしてそんな妖精の中でも規格外。さらにその中でも最強に君臨するチルノならば? 

 

「なんとまあ、恐ろしい作戦を。しかし聞く限りでは幽香さんにチルノさん、両名の負担が大き過ぎる気がします。命はあるのですか?」

「ない。私は朽ち果てるし、全生命力を使い果たせばコイツも多分消える」

「……」

「良かったじゃないの。お前の一人勝ちよ」

 

 あまりにも惨めな立ち回り、私に生き恥を晒せというのか。嗜虐的な笑みを見れば確信犯であることは明白だ。

 しかし、心のどこかでホッとした気持ちがあったのは否めない。私は彼女達のような死にたがりではないからだ。死に場所は畳の上がいいわ。

 頼りないアイツらを残して逝けないしね。

 

「チルノさんも、それで良いんですか?」

「幽香の言ってたこと全くわかんないけど、それでアイツを倒せるんでしょ? ならやらなきゃ!」

「死ぬんですけど」

「それって痛いの? アタイよくわかんねーや」

 

 そんな事だろうと思った。

 妖精の死生観は妖怪以上に滅茶苦茶だ。終わりの恐ろしさを想像する事ができていない。

 

「辛いと思いますよ。とても」

「そっか。でもどんなにつらくても舐められっぱなしはイヤだ。幻想郷の偉いやつ強いやつ、みんな見返してやるって妖精のみんなと決めたんだ!」

 

 

 

「最後の休憩時間は終わりでいいか? あと1人は確実に死んでもらう事になるが」

 

 どこまでも平坦な秘神の声。

 視線を向けると、扉の枠に腰掛け面白そうに此方を見下ろす奴の姿があった。荒れ狂っていた寒気は消滅し、踏み躙られた。

 一つの時代を作った大妖怪にあるまじき最期だ。

 

 次は私の番か。

 

「後は頼みましたよ、2人とも。もし私が生きて帰る事ができればレティさん含めて貴女達の活躍を目一杯盛って報道してあげます。"幻想郷の英雄"だと」

「悪くないわね! 頼んだ!」

「ブン屋はいつも余計な事ばかり……」

 

 この時見た2人の姿が、きっと最後のものになるのだろう。死にゆくだけの姿が私にはどうしようもなく眩しく見えて、思わずカメラのシャッターを切った。

 楽しげなチルノさんとは対照的に幽香さんは顰めっ面だったけど、良いものが撮れたと思う。明日の見出しに使うにはピッタリである。

 

 身を翻し、秘神と相対する。

 ここからが私の正念場だ。

 

「天狗改め、天愚の記者よ。そろそろ認めてはどうだ? 私には遠く及ばぬと」

「……どうですかね」

「障碍の神とは天狗除けの神という意味でもある。つまり私は天狗をこの世から消す神だ。そんな私にどう抗おうというのだ? お前が此処に乗り込んで来た時はつい笑ってしまったよ。天狗が、後戸(天狗除け)の国に入ってきたんだから。まさに烏滸(おこ)の沙汰!」

「確かに、天狗ではどうひっくり返っても貴女には勝てないのかもしれません」

「その通りだ。ただ一部訂正するなら『天狗だから』ではないな。勝ちたいなら紫を連れて来いと言っているだろう」

 

 八雲紫への憧憬がよほど強いと見える。ただ逆算的に考えるなら、紫さんなら勝てるという事。つまり、秘神を倒す方法は確実に存在するのだ。

 ならば賭けるしかないでしょう。八雲紫に一度勝利した、氷精の力に。

 

 その舐め腐った態度をぶち壊せるのなら、プライドなんか簡単に捨ててやる! 

 

「幻想郷の賢者ともあろう御方が、笑わせる。貴女はこの地の何たるかをまるで解っちゃいないようだ」

「ほう言ってくれる。ならば御教授願おうか」

「嫌です。自分で考えてください」

 

 会話の合間に何度か仕掛けたが、駄目だ。全部見切られている。

 天狗への特効属性の厄介さは二童子とやらとの戦いで嫌と言うほど思い知ったけど、アレでもまだマシな方だったのは言うまでもない。

 あの時は地力で勝っていた。でも秘神はスピード以外全てが私を大きく上回っているのだ。それに加えて属性不利となれば……。

 

 

 それがどうした。

 

「『幻想風靡』ッ」

 

 

 私の速さに限界なんて無いのだ。この領域は間違いなく、私だけの世界。でもそれじゃ足りない。もっともっと! さらに疾くせよ! 

 まだだ、まだ奴は私を目で追っている。

 加速なんて概念は捨て去ってしまえ。私が求めるのは最高速の更に先を、初速から常時維持し続ける事。光速なんて目じゃない。時間の概念をぶっちぎる! 

 

 全てが、滲んで、溶けていく。

 

「おおぉおおおぉぉぉッ!!!」

 

「……それ以上は流石に鬱陶しくなるな。早めに潰して──うん?」

 

 幽香さんとチルノさんの姿が目に入ったのだろう、ほんの一瞬だけ秘神の意識から私が外れた。この刹那にも満たない時間は、私にとっての那由多に値する。

 

 手数では無く、技術でも無く、ただひたすらに純然な暴力を脚に込めて、秘神の腹部へと叩き付ける。一撃に集約した私の全て。

 

 瞬間、身体の至る箇所が負荷に耐えられず自壊し弾け飛んだ。白い世界が朱に染まり、やがて真っ暗になった。

 だが五感が消え去る直前の、確かな手応えと、秘神の命を幾つか奪い去る感触。それは私の意地が幻想郷の賢者に届いたという何よりの証左。

 

 でもヤバい、張り切りすぎた。

 これは流石に、死ぬかもしれないわ。

 

 風の流れが私に時間の経過と、チルノさんの攻撃が始まった事を知らせてくれている。一応、最低限は達成できた……のかな? あの子を信じるしかない。

 

 これで少しは、はたてや椛に追い付けてれば……いいんだけど……。

 

 私じゃ難しいかな。やっぱ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 博麗神社近くの雑木林に秘神は居た。

 

 そっと空を見上げる。暗黒の海に沈んでいた月はいつの間にか再浮上し、変わらぬ輝きを地上に向けている。少しクレーターが増えているような気がしなくもない。

 これが意味するのはつまり、異変は完全に解決された、という事なのだろう。

 

 かつて共に策を出し合った油断ならない盟友達は、青娥を除いてその全てが降るか、夢に溺れて儚く散ってしまった。

 残ったのは正真正銘、自分のみ。

 

 主謀者、摩多羅隠岐奈は満足げに頷いた。

 

「やはり幻想郷は素晴らしい場所だ。可能性に満ちている。……なあ紫」

 

 崩れ落ちていく神格を拾い集めながら、なんとなしに呟く。隠岐奈がこの魔境の創造に参画したのは、今は亡き紫の願いがあったからだ。

 結局、遺言に振り回され続けた人生だった。こうして酷い目にも遭った。

 でも悪くはなかった。

 

 この瑕が隠岐奈はどうしようもなく嬉しかったのだ。

 

『幻想郷の賢者ともあろう御方が、笑わせる。貴女はこの地の何たるかをまるで解っちゃいないようだ』

 

「解っているさ。重々と」

 

 射命丸の言わんとしたい事は隠岐奈の理想そのものだった。存外、天狗もよく解っているじゃないかと感心したものだ。

 その最たる例が氷精のチルノだろう。幽香の手助け有りとはいえ、まさか妖精如きに殺されかけるとは思いもしなかった。

 

 自壊した射命丸へのトドメよりも早くチルノは突っ込んできた。小細工無し、考え無しの全力突撃。禍々しく見えるほど濃密な魔力をその身に蓄えて、仕掛けてきたのだ。この行為は自爆に他ならない。

 

 あの氷精に高尚な理念なんてものはない。況してや、レティや射命丸の弔い合戦ですらなかった。

 バカにされたから見返したい、たったそれだけ。

 幼稚でちっぽけな想い。

 

 そう、それでいいのだ。難しく考える必要なんてない。

 この世界はとても単純であるべきなのだから、頭を空っぽにして楽しめば良い。

 

 しかし、だからと言って秘神の命をくれてやる訳にはいかない。隠岐奈は紫以外には負けどころか苦戦すらしたくなかったのだ。

 

 咄嗟に幻想郷への脱出を図った。

 隠岐奈は自身の命と矜持を天秤に掛ける事のできる神。死にたがりに付き合ってやる義理はなく、当然ながら生き残る方を選んだ。

 

 だがそれは、出涸らしとなり燃え尽きる寸前の幽香と、塵芥も同然と化したレティの残滓に阻まれた。無生命の世界に花を生み出し隠岐奈へと絡みつかせ、それを凍らせる事により移動を阻害する。

 何が何でも秘神を逃さないという執念だけで存在の限界を超えてきたのだ。

 

 そして、ほんの一瞬動作の遅れた隠岐奈とチルノが激突。無限の可能性と尽きる事のない激情が、一つの宇宙ともいえる後戸の国そのものを木っ端微塵に追い込むほどの威力を以って、戦闘を強制終了させた。

 

「本当に面白い妖精だった。讃えよう、あの瞬間だけは奴こそが紛れもなく"最強"だった」

 

 

 思えば、この一連の流れは誘導されていたのかもしれない。

 幻想郷に被害の及ばない後戸の国で戦っているのもそうだし、的確に私の命を奪い得る手段を持つ者、時間稼ぎに優れた者。あの4人には的確に役割があった。

 

 これが仕組まれたものだと仮定するなら、黒幕はやはりレティだろうか。

 結果として隠岐奈は神格と本拠地(後戸の国)を失い、射命丸を除く全員が消滅した。長年かけて集めていた季節の力も当人達が消滅してしまったのでは回収は不可能。レティの言っていた『道連れ』には十分過ぎるだろう。

 

「おかげで立つ事すらままならん。暫くは隠遁生活だな」

 

 愛用の椅子も射命丸に壊されてしまったので、そこら辺に落ちていた木の棒を杖代わりにして歩みを進める。再起のアテが無いわけではなかったが、これ以上は不要と判断した。

 

 もう十分だろう。幻想郷の不穏分子は全て消えた。

 紫やさとりも、これで幾らかやり易くなったに違いない。上々の結果だ。

 

「二童子も回収しておくか。彼奴らには悪いが、もう少し頑張ってもらう事にしよう」

 

 

 

「駄目よ。隠岐奈はもう休まなきゃ」

 

 

 

 詰み。

 

 

 この妖しい声が聞こえたという事は、つまり隠岐奈の命運が尽きた事を意味する。

 

 振り返るとそこには闇が広がっていた。

 雑木林の影と、月の光の境界が開かれ、世界の主が現れる。スキマ妖怪の帰還である。

 瑕一つ無いかつての姿のまま、この世のものとは思えない妖しき美貌。導師服を夜風に靡かせ、陰のある桔梗色の瞳が隠岐奈を見据える。

 

 隠岐奈は落ち着いた様子で杖を投げ捨てた。

 

「おかえり紫。月はどうだった?」

「とても酷い目に遭いましたわ。ここに至るまでの事件は全部、貴女と正邪の差し金だったって聞いたけど、それ本当なの? 私あんまり実感がないのよね」

「月関連はほぼ正邪が考えたものだよ」

「……」

「どうした?」

「それなりに記憶が戻りはしたんだけど、正直彼女から恨まれている理由に関しては全く心当たりがない……!」

「くく、あっはっは!」

 

 やはりコイツとの会話は楽しいな、と。馬鹿笑いしながら思ってしまう。

 

「ならなんだ、私のは心当たりがあるのか」

「隠岐奈は自分の快楽を優先してるように見えるけど、実は巡り巡って皆の為になるよう動いてるんでしょ? お見通しですわ」

「ほぉ。まあそういう事にしておこう」

「あと隠岐奈って私のこと好きでしょ」

 

 硬直。

 

「待て待てどうした急に」

「だから私のことずっと助けてくれたのよね。ありがとう、貴女が居なければ私は幸せになれなかったと思うわ」

「そ、そうか」

「でも私、一途な人が好きなの。ごめんなさい」

 

 急に見透かされた挙句振られた。これがいつの時代も八雲紫を恐ろしく思える最たる理由だ。こんな風に突拍子もなく引っ掻き回していくのだから。本気なのか冗談なのかの見極めすら容易では無い。

 それにしても全て的外れというわけでも無いのが余計に厄介だ。

 

 隠岐奈に対して「一途ではない」というなら、まあその通りなんだろう。

 何かしら言い返してみようかと考えてみたけれども、急に面倒臭くなってきた。自分の末路が決定している以上、何をしても摩多羅隠岐奈の晩節を汚すだけだ。

 なら一言だけ。

 

「同じだよ。私も同じ気持ち」

「そう。じゃあ両想いね」

「ああ、それだけで満足だ」

 

 さあいよいよ悔いは尽きた。

 隠岐奈の満足げな笑みに合わせて紫は頷き、閉じた扇子を差し向ける。

 

 喜ぶがいい4人の愚者共よ。お前達の勝ちだ。

 

「何か言い残す事は?」

「残していく相手が居ないからな、仕方あるまいよ。……いや一つだけあるな」

 

 相手とは目の前の紫。

 その姿を見るのはこれが最後だと思うと急に物寂しくなった。泣き落としでもやってみるかと、目尻に涙を溜めながら、らしくもなく懇願してみる。

 

 これが私の最期の足掻きだ。

 

 

 

「此処は私と、私の愛した妖怪が作った理想郷だ。お前の気持ちは分かるが、その上でお願いしたい。どうか、どうか見捨ててくれるな」

 

 

 

*1
なお賢者八雲紫はこの処置の有効性に対しての明確なコメントを差し控えている。




レティ「くろまく〜」

という事で、異変は無事解決されましたとさ。一人だけ回収されていない清楚仙人が居ますが、次回そのあたりの話があるかもしれない。事後処理回です
結局最初から最後まで本気だったのは正邪とお空だけでした。全員がガチで来てたら自機組が死んじゃうからね……(金髪の子から目を逸らしつつ

これにて幾つかの話を挟んで今章は終わりとなりますが、その次の章は恐らく色々とあれこれな話になります。ゆかりんのハッピーエンドは近い……?

評価、感想いただけると頑張れます♡


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今昔幻葬狂〜夢〜
貴女の横で眠りたい


 

「あら七色じゃない。久しぶり」

「奇遇ね紅白。もう幻想郷に戻ってきてたの?」

「今しがた」

 

 殺伐とした幻想郷の建造物にしては、嫌に雅で趣ある木造の回廊。距離と時間の概念が狂いそうになる、そんな場所で2人はばったり出会った。

 大方の目的は同じだろうと決め込み、道を同じくして歩みを進める。実に数年ぶりの再会になるのだが、最後に顔を合わせた場所は、奇しくも此処だ。

 アリスにとっては消し去りたい過去でもある。

 

「大体の経緯は早苗達から聞いたわ。まったく、魔界から幻想郷に帰ってきた途端に巻き込まれるんだもの。今も昔も変わらず飽きない場所よね」

「悪い意味で、でしょ?」

「その通り」

 

 会話の内容は愚痴が大半だった。

 やれどんな敵と戦わされただの、やれ同行者がどんなヘマをやらかしただの。ただやはり、最も大きな鬱憤の対象は、あのスキマ妖怪だ。

 

 特に霊夢の憤りは凄まじかった。

 変な服を着た女神のせいで月と幻想郷があわや衝突、という時に紫はいきなり姿を消して、気が付いたら全部が終わっていた。

 衝突は無事回避され、これまでのどんな敵より強かった女神はあえなく消滅。そして極め付けに、霊夢は月に置き去りにされたのだ。

 

 ウドン何某の先導のもと幻想郷に帰還した霊夢が一番にやったことといえば、当然報復である。紫に夢想封印を叩き込み平謝りさせたので一応区切りを付けたのだが、完全に納得したわけではない。

 ……親子の繋がりを否定された事を気にしているとか、そんな話ではないのだ。断じて。

 

 できる女アリス・マーガトロイド、大体の流れを察しあまり深く突っ込まない事にする。

 

 ふと、アリスの腕に下げられたバスケットが目に入る。

 

「もしかしてお供物?」

「うん。魔理沙がむかし好きだったものをいっぱい持ってきたの」

「……食べられないのに」

「気持ちだけでもと思って」

 

 しんみりとした空気になる。2人が道を同じくしているのは、魔理沙の為だった。

 

 地底での決戦がどれほど苛烈だったのか、詳細を聞けば聞くほど恐ろしく感じた。今までの異変と比べても危険度があまりに高過ぎる。孤立無援、圧倒的なバッドコンディションの中で挑んだ異変だったそうだ。

 

 まさに死闘と呼ぶに相応しい壮絶な戦いだったと聞く。

 一発即死のレーザーを掻い潜り、命を削りながら持ち前のセンスで神の焔に挑み続けた。

 そして最後には幻想郷を滅ぼさんと放たれた火球に自ら飛び込み、相討ちという形で魔理沙は勝利したらしい。ただその代償は余りにも……。

 

 霊夢とアリスは言葉を失うしかなかったのだ。

 まさか自分達が幻想郷を空けている間に、魔理沙がこんな事になっていたなんて。

 

「無茶しすぎると死ぬよっていつも言ってたのに……アイツったらやっぱり言う事聞かないんだから」

「死に急いじゃったわね……魔理沙らしいっちゃらしいけど」

「違いないわ。ならせめて、私達だけでも笑顔で送り出してあげないとね」

「ええ……そうね」

 

 

 

「人を死んだみたいに言うなっ!」

 

 壁越しに霊夢とアリスの戯れが聞こえていたのだろう、膨れっ面で文句を言う。

 全身包帯グルグル巻きで身じろぎすら不可能、オマケに内臓が全部消し飛んだ凡そ健在とは程遠い状態ではあるものの、命までは失ってはいない。霧雨魔理沙は今も命を保ち続けている。

 どっこい生きてるタフな奴である。

 

 もう少し弱っているものかと思っていたアリスは若干拍子抜けした様子で、ベッドの隣に備え付けられた椅子へと腰掛けた。

 なお霊夢は予想通りである。

 

「随分と余裕そうじゃない。心配して損したわ」

「いやいや瀕死の病人だ。実際死にかけたんだよこれでも」

 

 

 此処は永遠亭。永夜異変の際に八意永琳率いる不法滞在集団と激戦を繰り広げた場所である。

 今回の異変では被害が皆無に等しかった為に病棟として開放され、幻想郷中の傷病者の殆どを対応している。制裁の一部緩和の条件として永琳、輝夜、てゐの同意を得た事による成果だろう。

 

 月の頭脳による異次元の治療は効果覿面であり、魔理沙の容態もこの通り瀕死から半殺し程度までには回復している。

 

「半人前の中途半端な魔女のくせして、己の実力を高く見誤るからこうなる。もっともっと精進しなさい」

「なんだよ霊夢、お前何もしてないだろ偉そうに! お前が月で呑気してる間、私はとんでもない化け物と戦ってたんだからな。今回ばかりは私の勝ちだぜ」

「はいはい。あとさっきの言葉は魅魔からだから」

「あっ……すんませんでした」

 

 実際、今回の異変では終始大人しくしていたため魅魔の活躍がないのはその通りだが、取り敢えず謝っておくのが安牌である。

 一方でアリスは唐突に出てきた魅魔の名前に眉を顰めていた。ただ話題に出すと面倒臭そうな話に巻き込まれそうなので静観する事にした。できる女アリス。

 

「まっ、アンタが死んだって月で聞いた時は流石に耳を疑ったわ。殺しても死なないような奴がそんな程度で死んじゃうなんておかしいもの」

「お前ほどじゃないぜ。……まあ危なかったのは事実だな。さとりとそのペットが居なかったら多分そのまま死んでた」

「さとり、ねぇ」

 

 霊夢は怪訝な顔を隠そうともしなかった。

 

 実のところ、さとりに対する霊夢の評価はあまり高くない。初めての顔合わせが最悪な形だったからだろう。裏に引き篭もってばかりの癖に何か大事な事を隠しているような態度をしているのもムカつく。

 だがまあ、親友を救ってもらったのなら少しは感謝すべきなのかもしれない。なお異変の発端はさとりによるペットの不始末である。

 

 また火焔猫燐の働きも大きかった。

 肉体を著しく損傷した自身と魔理沙の魂を呪術により現世に留め、さとりの救援を間に合わせたのだ。もっとも燐の身体は完全に消し飛んでいたため、なんらかのスペアが用意できるまでは悪霊擬きとして地霊殿に居着いている。要するにいつも通りである。

 

「何はともあれ運が良かったわね。今回の異変の主謀者は全員強かったし、オマケに大規模。誰が死んでもおかしくなかったわ。早苗も大怪我しちゃったし」

「頭にレーザー食らって命が有るのは凄いよなぁ。これぞ奇跡ってやつか。……まあ力及ばず死んじまった奴も何人か居たみたいだが」

「そうですねー。はいこれどうぞ」

 

 横から挟まれた新聞をアリスが受け取り、魔理沙にも見えるように広げてあげる。

 見出しには【幻想郷大勝利!】と載っており、その下に各地の被害状況が詳細に綴られている。情報媒体としては花丸だろう。

 なお霊夢は既に読んでいるため興味なし。

 

「へぇ、少し見ない間に腕を上げたか。いつもみたいな嘘八百な記事じゃないよな?」

「あやや勿体無いお言葉! いつもより少しばかり熱意を込めて書きましたからね。情報も異変中に自分の目で確かめたものばかりですし」

 

 松葉杖をついて高速移動する天狗が朗らかに笑う。リハビリと営業を兼ねている。

 どうやら利き足を欠損しても幻想郷最速の座は不動であるようだった。魔理沙よりも治癒が明らかに早いのは妖怪である故の恩恵だろう。

 

 彼女、射命丸文もまた死線を潜り抜けた猛者の1人だ。

 

「あの不気味な椅子女を倒してくれたんだってな。礼を言わせてくれ」

「いえ、私にできたのはほんの些細な事でした。秘神を倒せたのは全て他3人のおかげです。……私もお礼を言いたいくらいなので」

「まさか幽香が死んじゃうなんてね」

 

 アリスがぽつりと呟く。

 紅白、白黒、七色……全員がかの花妖怪と一度は矛を交えた事がある。姿形や能力は時間の経過とともに変わっていたように思えるが、やはり共通する認識は『絶対的な強者』だった。

 アレが自らの命を差し出してまで秘神と刺し違えたと聞いた時には耳を疑ったものだ。

 

「幽香さんは、全盛期の力を出せなくなっていたようです。そしてそんな自身に絶望する事もなく、非常に希薄な感情で……既に枯れていました」

「悩みと無縁な妖怪だとは思ってたけど、枯れちゃってたのねぇ」

「だから死に場所を探していたんでしょう。事実、嬉々として死んでいきましたよ、彼女は。チルノさんにレティさんもそう。死にたくなかったのは私だけです」

 

 普段飄々としている文の口から出たとは思えないほど、言葉には熱がこもっていた。歯痒そうに唇を噛み締めている。

 今回の新聞への熱意は、散っていた彼女達の存在を忘れさせまいとする気持ちから来ているものだろう。唯一残された文が果たすべき責務といえる。

 

 身体が弱っているからか、内面も少々センチメンタルになっているんだろうと魔理沙は勝手に推測していた。それだけ文らしくなかったのだ。

 

 話題を変えるように明るく問い掛ける。

 

「そういや異変を起こした連中は今どうなってるんだ? 紫の動向も聞かないし」

「それに関しては霊夢さんが詳しいと思いますよ」

 

「取り敢えず今回の異変に加担した連中は一度に集めて仕置きを決めるみたい。どうせ今も上の連中と一緒に話し合ってるんでしょうね」

「貴女は行かなくて良かったの? ほら、異変解決後の裁量は博麗の巫女が……」

「流石に量が多すぎ。一々仕置きを考えてる暇なんてないわよ。……上の意思決定にはなるべく口を出さないようにしてるしね」

「ふーん」

 

 そう返されると話を切らざるを得ない。アリスは適当に相槌を打って新聞に目を戻した。

 

「よくよく考えてみたら、最初から最後まで良い意味でも悪い意味でも、紫に振り回されっぱなしだったからね。結局締めも紫かぁ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

こんにちはこんばんは! 三徹のゆかりんですわ!!! 

 

 

 異変明けのくせして何でそんなにハイテンションなんだよと思われるかもしれないが、これは社会人お得意の技からげんきというやつですわ。

 

 私にとっての異変解決はここからスタートなのよね真に残念だけど。

 

 オッキーナとの話を終えてすぐに藍達と合流。みんなが私の無事を祝福してくれたけど再会を喜び合う暇も無く、然るべきメンバーによる今回の一件の総括が行われた。

 

 正直なところ心身ともにボロボロだから少し休ませて欲しかったんだけど、今回何もできずに捕まりっぱなしだった私に断る権利などあるはずも無く、超過労働を甘んじて受け入れている次第である。

 

 殺して……(切実)

 

 

 そして現在、稗田邸の大客間にて事件に関わった大物を全員集めて、話し合いの内容が発表されている最中となっている。マヨヒガも天魔邸も倒壊しちゃってるみたいだからね。

 

 あとね、最初から最後まで部外者だった私がなんで事後処理の最高責任者になってるんだろう? いやマジで素朴な疑問なんですけども。

 本来ならオッキーナや華扇が色々やってくれる所なんだけど、オッキーナは死んじゃったし、華扇は青娥捕縛に奔走してあんまり話し合いに参加できなかったから、必然的に私が色々仕切らなきゃならなくなったらしい。

 なんでこんな事に……! 

 

 

 という訳で、結果発表がてら先ほど知り合った初対面のイカれたメンバーを紹介するわっ! 

 

 

 まず聖白蓮と寅丸星っていう尼僧コンビ。色々と奇抜な髪色な2人だけど、一応今回の集まりの中では穏健な方だと神奈子から聞いている。その少し後ろに自称【賢将】と名乗るネズミ妖怪もいるわ。

 ……異名がカッコいい(小声)

 ちなみに結果発表前に挨拶しに行ったら全員からめっちゃ避けられた。コミュ障には効果抜群である。

 

 罪状の内容は『みんなが大変な時に船を飛ばして遊んでた』ことらしい。最初に聞いた時は何言ってんだコイツと思ったりもしたが、その結果博麗大結界に穴をぶち開けられたんだって。

 んー修復する身からすればギルティですわ! 

 

 あと今回の事件のシナリオには賢将が関わった部分が多かったんだって。メインはあくまでオッキーナと正邪だったみたいだけど。

 

「天邪鬼の策謀に同調したのはいただけないけども、大した被害は出なかった事と、妖怪の山での活躍を加味して復興事業以外の処罰は行わないわ。守矢神社からの嘆願も考慮していますので、感謝するように」

「深く感謝いたします」

「……」

「ご厚情痛み入る」

 

 尼僧トリオが深々と、私と守矢組に向けてそれぞれ頭を下げる。

 やっぱり妙に壁があるような気がするんだけど、私ったらまたなんかやっちゃいました? もしや戒律がどうとかって話かしら。意味もなくお坊さん達に怯えられた時代もあったしねぇ。

 後日、個人的に改めて訪問させてもらうことにしましょう。そうしましょう。

 

 

 次に豊聡耳神子という旧一万円札の人。とんでもない髪型をした聖人様だ。

 藍曰く「思想的にかなりの危険人物」なんですって。聞いたところによると邪仙の弟子なんだとか! 要注意人物ですわっ! 

 ただ思わぬ有名人だったので空き時間に握手してもらったわ。紙幣的な意味で聖徳太子には大変お世話になったものね。あっちも私の事を既に知っていたらしく、とても好意的に接してくれたわ。優しい! イケメン! 

 ……ただ立ち振る舞いから時々オッキーナっぽさを感じちゃうのよね。なんでだろ。

 

 で、罪状なんだけど『眠りから覚めた拍子に霊達を吃驚させてしまった』ことと聞いている。小傘は彼女に師事したら良いんじゃないかと思うわ。

 それにしてもマジで意味不明な異変ですわね。

 

「一応こちらの勢力と衝突はしているものの、まあ相手が妖夢なのでそこは良いでしょう。その後は人里の治安維持に努めていた功績を以って今回の件は不問とします。ただ邪仙との繋がりを考慮して一時稗田阿求の預かりとし、経過を見させてもらいます」

「そうして貰えると助かる。以後よしなに」

「貴女の統治の手腕は非常に優れていると聞きます。いつか時がくれば我々側に立ってもらえると嬉しいわね」

 

 青娥との繋がりだけでペナルティーが発生するのは理不尽すぎてちょっとおかしくなってくるわ。でも邪仙だからね、仕方ないわよね。

 あとそれとなく賢者交代への伏線を残しておくわ。私、まだ引退の件は諦めてないんだから! 案の定、私の発言に藍や阿求が難しそうな顔してるわ。

 

 

 次もニューフェイス、少名針妙丸という小人ちゃんである。小さくてかわいー! 

 どうやらこの面子の中でも(比較的)無力な存在とのことで、本人も抵抗の意思なくクソデカ座布団の上で大人しくしているため危険度は低い。

 というより消沈してるのかな? 可哀想。

 

 そんな針妙丸だが、どうも『正邪と共謀し幻想郷の破滅を画策した』とのこと。

 幻想郷の化け物共が苦戦してたのは彼女と正邪の能力が深く関係しているとかなんとか。うーむ可愛い顔してやることやってるのねぇ。

 地上で戦ってた連中からはかなり警戒されていて、鬼畜メイドと天子さんが居なければ負けていたかもしれないほどギリギリだったんだって。

 

「貴女の力により幻想郷に齎された混乱が此度の一件を困難なものにしました。その罪は非常に重いと言えるでしょう。事実、処断を求める声は多い」

「……」

「しかし賢者の皆様、そして我が盟友である比那名居天子より、貴女は天邪鬼に乗せられただけであるとの話を聞いています。その辺り、どう思いますか?」

 

 簡単な話、正邪のせいにするなら許すよって事ね。

 ここまでの流れを見ていただければ分かるかもしれないけど、今回の異変での責はあまり問わない方向性なのよ。関わった人数が多過ぎてキリがないから。

 なので主謀者を極少人数に絞っているわけだ。

 

 当然、針妙丸も無罪放免で考え──。

 

「私と正邪が計画して起こした異変だ! あの小物一人でこんな事できるわけないでしょ! 殺すなら殺せ! ほら殺してよ!」

「あら」

 

 針妙丸、キレた! 

 ひとしきり騒ぐと私をキッと睨み付けてくる。え、ちょっと待ってこの子無害どころか普通に強くない? めっちゃ圧力感じるんだけど。胃腸キリキリなんだけど。

 

「お前が正邪を狂わせたんだ! お前さえ居なければ、お前が正邪の生き様を踏み躙らなければ、正邪は……きっと静かに暮らせたんだよ……。返せよ、私の初めての友達を!!!」

「まあ落ち着けって針妙丸。いま紫に食ってかかっても仕方ないだろ。……ちょっと離席させるけどいい?」

「ええそうして頂戴」

「よし。ほら行くよ」

 

 気を利かせてくれた天子さんが座布団ごと針妙丸を抱えて、襖の奥に消えていく。ホント優しいわよね天子さん。それにどうも針妙丸のことを気にかけているようだしね。高貴な種族がどうとかって言ってたけど。

 

 はぁ……それにしても困った。本当に困った。

 私の内心を察したのか、藍が心配そうに私の表情を窺っている。取り敢えず「気にしないで」って意味でニッコリ微笑んだ。

 

 何に困ってるのかというとね、未だに正邪に恨まれていた理由が分からない……! 

 私も色々やらかす事はあったけど、あの子に関してはマジで悪い事は何もしてないと断言できるわ。賢者にもしてあげたし! 罰ゲーム? 本人の希望ですので(目逸らし)

 

 まあね、針妙丸もまた無罪放免の方向で既に決まっているので、幻想郷の住民に対して角が立たないよう適当に理由をでっち上げておこうかしら。

 そうね、正邪に洗脳されてた事にしましょう。

 

 

 

 ニューフェイスに対してはこんなもんかしら? ちょっと疲れたので休憩時間にしましょう。そうしましょう。

 

 そうそう、一応妖怪の山で暴れ回った玉兎集団も居るけど、月との取り決めで今のところ捕虜としての取り扱いになってるから裁けないのよね。

 はたてが若干複雑そうな顔になってたけど、仕方ない。

 まあ一部捌かれたりはしたかもしれないけど。妖怪の山の民度を舐めてはいけない。

 

 と、バキバキになった肩を叩いてリラックスしていると一匹の根暗陰湿妖怪が近付いてきた。正直あんまり喋りたくないので『来るなオーラ』を出してたんだけど、気にせず私の目の前で座りやがったわ。

 こいつ……。

 

「なに?」

「いえ、久しぶりなのにそういえば挨拶をしてなかったなーと思いまして。月での無様……失礼、素晴らしい活躍は聞いていますよ。随分と惨めに奔走されていたようで。霊夢さんとの仲は相変わらず良好なようで何より」

「そっちも相変わらずの挨拶ね。貴女の方こそ、不自由な環境でありながら積極的に動いてもらってたようで。忝い限りですわ」

 

 皮肉たっぷりで返してやりたかったところだが、さとりの働きには素直に感謝しているので当たり障りのないものになってしまった。自分の器の大きさが恐ろしいですわ。

 まあ、火車とか『鬱ほちゃん』とか、色々ネタにしにくいのもあるんだけど。

 

(うつほ)です。……私もその件に関しては非常に申し訳なく思っています。幻想郷を破壊しようとした責はあまりに重い。ですが命を救ってもらえた」

「流石に不問とまではいけないけどね。だけどこの件はオッキー……隠岐奈の洗脳が悪かったし、彼女の持つエネルギーは言い方が悪いけど利用価値がある。河童から助命嘆願と引渡要求が煩くて」

「利害関係もあるでしょうが、理由がなんであるにしろ命があるならそれに越した事はありません。……ありがとうございます紫さん」

 

 うわっ、人にお礼とか言えたのねさとりって。

 ちょっと気持ち悪いわ。

 

 っと、無心無心。

 

「もう遅いですよ。ただまあ、確かに自分でも気持ち悪いと思うので次回からは言わないように気を付けておきます」

「いやたまには言ってくれても……」

「今日は特別気分が良かっただけです」

 

 えっ、そうなの? いつも通りの辛気臭い顔に見えるんだけども。

 

「そういう事にしておいてください。それでは」

 

 鼻で笑うとさっさと退散してしまった。

 まあ挨拶はできたし、私に悪口言えたしで、もう用は無いって事か。

 

 それにしても、ちょっと気になる様子だったわね。

 どうも胸を撫で下ろしてホッとしているような、安堵の感情が見えた。

 

 んー? 分からん。

 機嫌が良いっていうのと何か関係があるのかしら。私の顔を見れて嬉しかったとか? 

 うーん、ないないぬえぬえ。

 

 

 

 という訳で休憩時間が終わり、これから重罪人を裁く時間に突入する。

 若干雰囲気も重くなったような気がするわ。私の胃腸への負担も凄まじい。帰りてぇですわ……。

 

 改めて周りの面子を見渡してみる。

 いつもの賢者の顔触れは変わらないんだけど、今回はその他にも一定規模以上の勢力の長が揃い踏みしており、圧力が半端ない。

 レミリア&鬼畜メイド、幽々子&妖夢、萃香、永琳&てゐ&ウドン、神奈子&早苗、にとり、天子さん、何故か小傘、さとり&勇儀ね。あとさっきのニューフェイス。

 あと月からの大使としてサグメさんが来ているわ。ちなみに聞く話によると依姫はヘカちゃんに殴られた後、大地を貫通して月の裏で発見されたんだって。勿論生きてたわ。化け物ですわ。取り敢えず舌打ちしとこ。

 

 で、これから大罪人が追加される。

 

 まずは草の根連合のメンバーからね。

 正邪の指示で大人数が幻想郷でとにかく暴れ回っていたらしく、人里以南は迷いの竹林を除いてかなり酷い事になっている。人里なんかもう壊滅状態よ。

 余談だが稗田邸に向かう途中で人里を視察したんだけど、燃え尽きた鈴奈庵の前で笑いながら号泣する小鈴ちゃんは本当に可哀想だったわ。再建の暁には外来本を差し入れしましょう。

 

 とまあ、こんな風に草の根連合は爪痕を残し過ぎた。異変の終盤まで暴れ回ってたのも悪かったわね。

 

 ただ人数が多過ぎて責任の所在がハッキリしないため、取り敢えずで責任者に罪が集中してしまった。

 トップは勿論正邪、そして次席の影狼とわかさぎ姫ね。針妙丸は経営に関わっていなかったようなので除外。

 

 面前で蹲る2人は控えめに言って真っ青だった。私も同じ状況だったら泣き喚いている自信があるわ! 可哀想。

 確か草の根連合って前身はただのお茶飲みサークルなんだっけ? 正邪のせいで変貌しちゃっただけで。そう考えるとなんとも不憫だ。

 

「稀神正邪は皆知っての通り、十六夜咲夜、比那名居天子の両名により誅殺されている。その罪はあまりに重く、賢者としてあるまじき暴挙。永遠の叛逆者として幻想郷に語り継がれていく事になるでしょう」

 

 藍が淡々と読み上げていく。

 彼女に関しては多分生き残ってても処刑せざるを得なかったと思う。そういう血生臭いのは嫌いだから一応弁護はしただろうけどね。

 死人に口無しとはこの事だろう。もうあることないこと盛られまくってるわ。後の禍根を残さないために正邪に責任を集中させるのである。

 

 正邪がこの現状を知ったらどう思うだろう? 

 怒るかな。でも喜びそうな気がしないでもない。あくまで私の過去の記憶にある『鬼人正邪』は、だけど。

 

 という訳で、影狼とわかさぎ姫は殺さないわ。

 

「今泉影狼、わかさぎ姫の両名は正邪の能力によりまともな意思決定ができない状態にあった可能性が高い。また異変前の幻想郷運営において二人が果たしていた役割は非常に大きく、情状酌量の余地ありと存じます。他メンバーに関しても同様ですわ」

「それでは納得しない者も出るでしょう」

 

 私の言葉に阿求が口を挟む。至極当然の意見だと思うわ。過激派の連中が「うんうん」って頷いてるし。

 ちなみにこれ全部仕込みね。

 

「如何にも、不問とするには反乱の規模が大き過ぎた。おかげで復興事業は慢性的な人手不足が予想される。ならば潰してしまうよりも利用する方がいいでしょう? それにこれで彼女達を殺してしまえば此処に居る半分ほども殺さなきゃいけなくなってしまいます」

 

 過去に異変を起こした面々をそれとなく見る。全員どこ吹く風と気にしておらず、つまりそういう事である。幻想郷の転覆とか大量虐殺を目論んだとか、既にレミリアと萃香が通過した道だから……。

 それに暴動を起こしてた人里の人間も対象だし。

 阿求が苦笑しながら答える。

 

「それを言われると返す言葉もないですね」

「という訳で2人の身柄は()()()()()()()因幡てゐに預かってもらいます」

「「えっ」」

「てゐ監督のもと幻想郷に尽くすように」

「よろしくー」

「「ひぇ……」」

 

 2人の肩に手を回す暴虐の兎。今までのお礼をたっぷり返してやると言わんばかりの禍々しい笑みだった。

 あのウ詐欺を賢者に戻してしまった事について不安がない訳ではないが、結局迷いの竹林が一番安定するのはてゐに丸投げする事なのよねー。今回の異変での貢献度も永琳と共にかなり高かったし。

 

「分かっているとは思うけどあくまでも諸悪の根源は正邪にあります。過密な労働で彼女達を殺すようなことはないよう、お願いいたします」

「はいはい。無理な都合を押し付けて労働力を損なうのは三流経営者のやる事さ。任せておくれな」

 

「リ、リーダーを悪く言うのは……その、やめてもらえませんか」

「あん?」

 

 プルプル震えながらも、影狼はてゐの圧力を跳ね除け私を睨む。弱々しい口調ではあったが啖呵には十分だ。

 

「確かにあの人は過激で、私達の事なんか捨て駒にしか思ってなかったのかもしれないけど、救われた妖怪が沢山いたのも事実なんです。私も……悪い事だけど、夢と希望を見る事ができました」

「わ、私もあんまりだと思います!」

「そうだそうだ! 正邪を返せ胡散臭ババア!」

 

 わかさぎ姫と針妙丸が影狼に同調して騒ぎ出した。特に針妙丸の魂の叫びに周りは大盛り上がり。

 藍はキレた。私は泣いた。

 霊夢以外に言われちゃったのは初めてだわ。ちょっと傷付いちゃった……。

 

 それにしても思ってた以上にメンバーに慕われていたのね正邪って。ちょっと意外だわ。彼女には別ベクトルのカリスマがあったのかもしれない。思い返してみれば、かつての私が接触する前でも着々と月侵攻に向けて準備してたしねぇ。

 

 しかし困った。当の本人達がこんな調子では正邪を共通の悪者に仕立て上げる計画がおじゃんだわ。

 こうなったら誰か他の奴を用意してみましょうか。それなりに力もカリスマもあるけど、あんまり慕われてなさそうな奴……。

 

 あっ。

 

「摩多羅隠岐奈……」

『!?』

 

 

 

 という訳で、オッキーナが全部悪くなった。

 草の根のみんなを洗脳していたのは正邪だが、正邪を洗脳していたのはオッキーナ! 結論、秘神が全ての元凶だったんだよ! という筋書きである。

 若干無理があるようにも思えるが、オッキーナには前科があるし、これまた死人に口無しだ。そして私の心を読めるさとりが言い分に全面同意し、みんなも「まああの秘神ならやるよなぁ」と納得したのでこれにて決着! オッキーナったら敵作りすぎ! 

 まあ実際のところ、誰が悪かろうが別にどうでも良い、というのが全員の本音だろう。建前ってやつね。

 

 唯一針妙丸だけが「正邪の意志を無かったものになんてさせない!」と憤慨していたけど、流石にこれ以上は手の打ちようがないわ。ヒーリング天子効果に期待しましょう。

 っていうか愛情歪み過ぎじゃない? 大丈夫? 

 

 ちなみにオッキーナの討伐は天狗の手柄になっている。文以外みんな死んじゃってるし、実際彼女が果たした役割は非常に大きかった。文を対オッキーナに派遣できたのは、はたての英断あってのことだしね。

 まさか不倶戴天の敵だった妖怪の山がここまで頼りになる存在になるなんて、この賢者八雲紫の目を以ってしても見通せなんだ……! 

 まあ極力足を踏み入れたくない場所っていうのは相変わらずなんだけど。

 

 

 

 さてさて、ついに罪人は1人となった。

 ここからをメインイベントと見ている者もいるだろう。なにせ此処に集った面子全員が当事者だからだ。

 幻想郷に対して最後まで災厄を振り撒き続けた彼女は、見方によっては正邪や隠岐奈以上に共通の敵として認識されているだろう。

 

 霍青娥。仙道中興の祖。

 私とも浅からぬ因縁がある相手だ。異変の主謀者組で唯一生きたまま捕縛された。

 愛死体の芳香ちゃんは華扇が封印して自宅に置いてあるらしい。

 

 サグメから借り受けた紐で雁字搦めにされた青娥が、犬走椛に引き摺られて畳へと乱暴に投げ出される。優美だった羽衣は土埃に塗れており、衣服や髪もよれよれになってしまっていた。まるで天人の五衰のような状態だ。

 しかし、瞳に潜む邪悪な気配は一向に衰えることを知らないみたい。不敵な笑みを湛えている。

 

「……世渡り上手な貴女には珍しい、致命的な失敗ね。私の忠告通り、幻想郷で平穏に暮らしていればもっと長く生きられたでしょうに」

「ふふ、それはどうでしょう?」

「個人的な話を長々とする時間はないわ。何か申し開きがあるならどうぞ」

「では一つだけ」

 

 身をくねらせながら上半身を起き上がらせると、青娥はあっけらかんと言い放つのだ。

 

「私がやった事全て、八雲紫様に指示された事ですわ。他意はございません」

 

 

 

 はえ? 

 

「……証拠は?」

 

 重苦しい空気を華扇の声が引き裂く。全員が何故このタイミングでこんな荒唐無稽な事を言い出したのかを計りかねているようだった。

 当事者である私もそうだ。扇子で顔を隠しながら静かに場を見守る。内心めっちゃドギマギですわっ! 

 

「そんな物はございません。かの八雲様がそのような物を残しておかれる筈がない」

「貴女の信用性は皆無に等しいが」

「それでも申し上げましょう。幻想郷の各地で朽ち果てた傀儡を再利用したのも、物部様と蘇我様を殺したのも、全てはかの方の指示によるもの」

 

 いまさら私を共犯に仕立て上げて道連れを誘っているのかしら? 脳筋揃いの面子とはいえ、流石に乗せられることはないと思うんだけど。

 何人かの視線が反則尋問官さとりへと向けられるが、答えは『否』だった。当然である。

 

 と、神子が腰の剣を邪仙の首に添える。

 

 そういえば蘇我って聖徳太子と同盟関係にあったわね。ウマだかエビだかイルカだか忘れたけど。でも物部って逆に滅ぼされた関係じゃなかったっけ? 

 ゆかりん歴史分かんない! 

 

「師よ。潔くとまでは言わないが、其方は諦める事を知らねばな」

「何を申されますか、探求の道に終わりなどありませんよ。諦めは即ち死でございます」

 

 まさかこの期に及んでまだ生き延びようとしているのかと、周りが面白おかしそうにざわめき立つ。さっさと始末したい気持ちでいっぱいなんでしょうね。

 なにせ、青娥が幻想郷各地に放ったキョンシーの駆除と穢れの除染作業には全勢力が手を焼かされたもの。普通に気持ち悪いしね。

 

 もういいでしょう。

 

「くだらない戯言に付き合っている暇はありません。貴女の処遇を伝え──」

 

「あとそうですね。諏訪の神を狂わせたのは私ですが、それを望んだのは紫様です」

 

 

 あらま。

 

 

「貴様ッ!!!」

 

 全てを悟ったのだろう、神奈子が隣席のはたてを突き飛ばして御柱で殴り掛かる。

 だがそれは華扇の掌底により叩き落とされた。

 

 全盛期を取り戻しつつある軍神と、幻想郷最強クラスの仙人が火花を散らして相対する。一触即発の雰囲気だ。

 状況を飲み込めない早苗が私と青娥を交互に見ていた。

 

「そいつの始末は私に願いたい!」

「気持ちは分かりますが、それは然るべき手順を踏んだ後です。その後なら奴の骸を煮るなり焼くなり好きにするといい」

「それでは気が済まない! 奴は諏訪子を……私の数千年来の友を……ッ! 弄んだッ!」

「私もです。(芳香)を殭屍にされました。今もその身体を辱められている。……気持ちは痛いほど分かりますが、しかし──ッ」

 

 

 扇子を投げ捨てる。壁に当たった拍子に乾いた音が鳴り響き、重力に従って畳の上に落ちた。

 天魔邸でやった時はいい具合に砕けてカッコよかったんだけど、今回は上手くいかなかった。ちょっと締まらないけど仕方がない。

 

 神奈子と華扇、神子に道を空けてもらった。

 青娥へと歩みを進め、しゃがんで這い蹲る彼女と目線を合わせる。

 

 この邪仙の生き汚なさは多分幻想郷でも類を見ないほどだろう。凄まじいまでの生への執着。そしてその気持ちは分からないでもないわ。

 でも彼女には同時に死を恐れない気持ちもある。もしや目の前にこんな面白そうな玩具が転がっていたから? 

 

 救い難い存在とは、まさしく彼女のことをいうのでしょうね。

 

「幻想郷は全てを受け入れます。私もまた、貴女のような存在は必要なものだと思っている。他の者は受け入れずとも、貴女の気持ちを理解できる以上はね」

「……」

「しかし貴女は手段を誤った。欲しがる事を忘れられたなら幸せになれたでしょうに、仙人崩れとはままならぬものね」

「それは紫様も同じでございましょう」

 

 ハハハこやつめ! 

 いやまあ確かにその通りかもしれないけど。

 

「貴女にはやはり敵わないわ」

「では私の勝ち逃げということで」

「そうね。おめでとう」

 

 私が指先を動かすのとほぼ同時だった。

 

「ふふ、それでは地獄をお楽しみください」

 

 そう言って青娥は瞳を閉じ、力を失い横向きに倒れた。

 何事かと駆け寄った華扇が青娥の首筋に手を当て、驚いたように呟く。

 

「死んでる……」

 

 

 永琳の診察によると服毒による自殺ではなく、自らの身体に呪を打ち込むことによる脳神経の遮断、つまり仮死状態になっているとのこと。

 そして最後の最後で気になる事をぶち込んできやがったので殺すに殺せず、結局青娥の断罪はできなかった。私の名前を出したのもその為だろう。

 そもそも青娥の暗躍については未だに謎が多いしね。

 死ぬことに活路を見い出した、という事か。

 

 さとり曰く前触れは何も無かったらしいので、全てが即断即興の早業ということになる。

 

 その後、青娥の身柄は地霊殿に預けられ、さとりとドレミーの共同作業により、動機や犯行の手口の解明を進めていくことになる。

 さとり対策を見越してか、記憶が厳重に封じられているようだったが、夢の支配であるドレミーが居る限りは時間の問題でしょう。

 

 なお当のさとりは「アニマル以外お断り」とか抜かしていたが、当然却下である。

 娘々(ニャンニャン)だからいいでしょ。

 

 

 

 あー疲れた疲れた。ただの結果発表なのに予想以上に難航しちゃったわね。

 溜まっていた数日分の疲労がどっと溢れ出てきてるような気がするわ。

 

 しかしこれで幻想郷の抱えていた爆弾の殆どが取り除かれた状態になった。全てがオッキーナの思惑通りになったといえる。

 事実、これからの幻想郷についての話し合いは現在進行形でかなりスムーズに進んでいる。紅魔杯以降の閉塞感が打破され、一丸となって前を向いているような、そんな感覚。

 

 現状があの人の幻想郷への想いは紛れもなく本物だったことを示している。

 賢者とはまさにあの秘神の事を言うのよ。

 

 私と幻想郷は、大きな導を喪ってしまったのだ。

 

「『幻想郷を見捨ててくれるな』──か」

 

 ……ごめんね、オッキーナ。

 

 

 

「紫様? どうかなさいましたか」

「うん、ちょっと疲れちゃったみたい。少し肩を貸してくれる?」

「……大丈夫ですよ。お休みください」

 

 まだまだ議題は尽きないけれども、三徹ゆかりんにこれ以上は厳しいみたいだ。喪ってしまったものが次から次に思い浮かんでは、意識と共に暗闇に消えていった。

 

 藍の肩に寄り掛かって甘美な微睡に堕ちていく。

 こんなに安らかな眠りはいつ以来かしら。

 

 堂々と居眠りをかます賢者が最高責任者に相応しい訳がないからね、みんなもその辺を理解して勝手に話を進めてくれると嬉しいわ。

 

 私なんか居なくても幻想郷は回っていく。

 そんなの、ずっと前から分かりきったことなんだから。

 




たくさん評価をいただけて嬉しかったので筆が乗りました。

情緒不安定なキャラ多過ぎない?(今更)
一周回って終始冷静な紅魔組と幽冥組がずっと無言なのはそういうことです。

さてようやく平和になった幻想郷。これからはゆかりんのハッピーライフ回が続きます!

遠慮するな今までの分食え……

評価、感想いただけると頑張れます♡


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藤原妹紅と宇佐見菫子の奇妙な冒険①

【悲報】幻マジ、サザエさん時空じゃなかった


 

 凄惨な異変の裏で一つの小さな転機があった。

 

「ほら早く早く! とっても賑わってるよ!」

「見れば分かるって。あんまり人混みではしゃいでると迷子になるぞー」

「わぁ何アレ!? 美味しいの!?」

「八目鰻だな。食ってみるか?」

「いいの!? ありがともこたん!」

「もこたんやめい」

 

 こうやって笑いながら話すのはいつ振りだろうか。

 消沈の不死人、藤原妹紅は人里を闊歩していた。荒んでいた頃とは違い、今は安らかな気持ちでいられる、そんな平穏を噛み締めながら。

 

 全ては慧音と、目の前で喜びの感情を爆発させている少女のおかげだろう。

 

 人妖の手により急ピッチで人里の復興が進む中でも人々の営みは続く。

 今も倒壊、または焼失した店舗の代わりに露店として品物が売りに出されており、お祭りのような賑やかさが辺りを包んでいる。

 

 人間達には絶望に沈む暇さえなかった。

 聞くところによれば、最近活動し始めた宗教家達の影響が大きいらしい。縋る対象が確立される事で、最低限の安心を確保できた為だろうか。

 世情が不安定になればいつだって力を増すのが宗教だ。妹紅はそれを良く知っていた。

 

「いらっしゃいませー……って妹紅さん。なんだかお久しぶりなような気がする」

「よう。今日は連れの為にわざわざ表に出てきたんだよ。早速だけど、八目鰻ニ本貰えるかい?」

「はーい。響子ー!」

「あいよー!」

 

 しれっと復興作業の合間に自分の店を再開させているミスティアとお手伝いの幽谷響子。

 ノリで草の根に与したためペナルティーを受ける事になってしまったけれど、人里へ簡単に出入りできるようになったのは2人にとって好都合だった。

 最近は表通りで夜な夜な珍妙な歌を叫び散らかしていると聞く。一部から熱狂的な人気があるようだが、妹紅はプリズムリバー派なので見向きもしていない。

 

「はいおまち。妹紅さんの復調祝いでもう一本オマケしちゃうよ」

「太っ腹。どうもありがとう」

「今後とも御贔屓に。……ところでそちらのお嬢ちゃんは? 人里じゃ見ない顔だけど」

「ああ、迷い子だ」

 

 興味津々な様子で八目鰻を眺めている少女へと目を向ける。初めて見る物らしく、匂いを嗅ぐなどして「グローい!」なんて言いながら楽しそうにしていた。

 

 彼女の名前は宇佐見菫子。歳は九くらいと聞いている。

 

 ただの子供とは思うなかれ。

 幼子とは思えないほど利発で聡明、さらに好奇心旺盛であり、非常にアグレッシブなスーパー女学生。赤縁のメガネが探究心の深さを窺わせる。

 

 迷いの竹林をパジャマで彷徨っているのを発見した時こそ怯えていたが、此処が幻想郷だと分かった時の喜びようは尋常じゃなかった。どうやら最低限の事前知識があるようで、ずっとそんな調子だ。

 

 菫子は幻想郷の住民である妹紅に強い憧れを抱いており、保護してからというもの、ずっとべったりだ。非常に懐いていた。

 そして当の妹紅もそんな菫子を結構気に入っている。

 

「あー外来人か。なら博麗神社に連れて行ってあげないとね。このままじゃ私やルーミアに食われても文句言えないわ」

「そうなんだがちょっとばかし面倒な問題があってな……」

「問題? それって異変の件?」

「いやそれもあるんだけど……まあ時期が来たら博麗神社に行かせるさ。取り敢えずこいつの事はそんくらいだ」

 

 

「なんの話してたの?」

「何処ぞのジャジャ馬家出娘についてだよ」

「むぅ……家出じゃないってば!」

「始まりは不可抗力でも、帰りたがらないんじゃ家出も同然だよ。そろそろ家が恋しくなる頃じゃないか?」

「ぜーんぜん。だってまだ竹林と町しか見てないんだよ? 全部見たいの!」

「そりゃ贅沢が過ぎるってもんだ」

 

 菫子を帰せない理由その1である。

 とにかく外の世界に帰りたがらない。家庭環境に何か問題があるようでもなく、ただ単純に幻想郷が楽し過ぎるだけなのだと思われる。

 もちろん妹紅が無理やり博麗神社に連れて行けば済む話ではあるだろうし、実際そうしようとした事もある。しかし、その際に菫子から強烈な謎の反撃を受けてしまい、それ以降話は流れたままだ。

 

 現代っ子は手を使わずに物を叩き潰せるらしい。勉強になった妹紅であった。

 

 さて、この変わり者がいつまで幻想郷に居たがるのかは知らないが、取り敢えず衣住食は提供してあげなければなるまい。特に衣。

 そんなわけで、あの妹紅が重い腰を上げて人里までやって来たのだ。

 あと慧音への相談は必須だろう。

 

 

「それでさそれでさ、もこたん!」

「うん?」

「ゆかりんにはいつ会えるかなぁ!」

「……」

 

 菫子を帰せない理由その2。これが一番の問題。

 なんでこの幼子の口から、あの醜悪な妖怪の名前が出てくるのか。妹紅は理解に苦しんでいた。

 

 八雲紫に対する恐怖は未だに妹紅の心を強固に支配していた。あの顔を思い浮かべるだけで身が竦み、息が上手くできなくなる。

 自分がかつての無力な小娘だった頃と、何も変わっていない事を否応無しに自覚させられた。紫の存在は妹紅の弱さとイコールなのだ。

 

「ゆかりんはね、いつも夢でお喋りしてくれたんだー。幻想郷のこともいっぱい教えてもらったの。私のステキなお友だち!」

「……そうかい。私はそんな妖怪知らないな」

「そっかー。パソコンがあればマミさんやHEKAさんに聞けるんだけどなー。幻想郷にパソコンないかなー?」

「さあなぁ」

 

 ここは上手く誤魔化すが勝ちだ。

 

 妹紅にはある種の確信があった。

 絶対に、菫子をあの妖怪に会わせてはならない。故に博麗神社にも迂闊に近付けないのだ。

 

 何故かと聞かれれば、妹紅にもいまいちよく分からない。紫に対する嫌悪がそうさせる面もあるのだろうが、それを凌駕し得る何かが菫子にはあった。

 マエリベリー・ハーンとの一幕が脳を何度も過ぎる。目の前の少女を見るたびにあの悪夢がより鮮明になって、妹紅へと警鐘を鳴らすのだ。

 

 紫はきっと菫子を喰おうとする。それは妹紅の中での半ば確定事項。

 

 万が一、目の前で紫の手により菫子を喪う事があれば、妹紅は二度と再起できまい。

 

「どうしたの? ……ねえってば!」

「ああ。ごめん。行こうか」

 

 いつの間にか足が止まっていた。菫子に先を促され、漠然と足を前に進める。

 周りの喧騒も耳に入らなかった。

 

(私は、もしかして、メリーと菫子を重ねているんだろうか。……まさか、全然似てないのに)

 

 歳や背格好、人種すら違う赤の他人である筈の2人。強いて言えば出会いのシチュエーションがほぼ同じだが、それがどうしたという話だ。

 自分の身も蓋もない仮説を振り払うように頭を叩く。

 

 この怯えが如何なる理由で湧き上がるものなのかは、この際どうでもいい。

 守ればいいのだ、今度こそ。

 もうあの妖怪には何も奪わせない。

 

(もう二度と負けたくない……!)

 

 拳を強く握り締め、血を滴らせる。

 

 妹紅の燃え尽きた心に炎を再び灯すのは、いつだって外の世界からやってきた不思議な少女だった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 燃え尽きたわ……真っ白に……。

 

 人里のとある一室に、FXで有金全て溶かした顔をした女が1人。そう私は八雲紫。

 簡潔に結論を話すと、この1時間で八雲家の全財産が吹き飛んだ。全てだ。

 

 普段は資産に無頓着な私も今回の件の不味さは考えるまでもなかった。脳裏では藍と橙の途方に暮れる顔がビュンビュン過りまくっている。

 とんでもない事になってしまった……。

 

 そして、そんな私に向かって必死に頭を下げているのは、我が愛弟子である早苗。

 半泣きになりながら私へと謝罪を繰り返している。

 

「本当にごめんなさいお師匠様っ! このお返しはいつか絶対にしますから……!」

「うふふいいのよ別に。元からこうするつもりだったから気にしないで」

「き、気にしますよ!」

 

 そう、全ては早苗が始まりだった。

 彼女に付き纏う古くからの因縁、それが遂に牙を剥いたのだ。私もこの『爆弾』の存在を完全に失念していた。不覚ですわ。

 

 そんな私達の姿を嘲笑うかのように、上機嫌な笑い声をあげる畜生集団は流石という他あるまい。

 

「ふぉっふぉっふぉ。まあまあ、払える範疇で済んでよかったのう。スキマ殿と儂の仲、特別出血大さーびすじゃ」

「うふふありがとうございます」

「お前さん良い師を持ったのう。もしびた一文でも足りなかったら怖いお店で働いてもらうところだったぞい」

「こ、怖いお店……!?」

「早苗を脅かすのはやめて頂戴」

 

 わざとらしい悪どい笑みで早苗を揶揄っているのは、佐渡狸の大親分こと二ッ岩マミゾウ、通称マミさんである。私のチャット友達であり、早苗の債権者。

 本日、初めての幻想入りを果たしたそうだ。

 

 仕事用だろうか? 立派な着物を着ている。大正ヤクザスタイルですわ! 

 

 数年前の事なので私含めお忘れだった方も居るかもしれないわ。

 そう、モリヤーランド建設の資金は、マミさんの運営する『二ッ岩ふぁいなんす』からの融資により調達されていたのよね。

 世間知らずかつ追い詰められていた早苗の弱みに付け込んでの契約だったわけだ。

 そして本日、突然早苗の前に現れて利子込みでの一括払いを請求したのだ。しかもご丁寧に保護者(神奈子)の居ないタイミングを見計らって。

 や、ヤクザ……! 

 

 という事で、早苗から念話でのSOSを受けて慌てて参上したのだ。

 結果、連帯保証がどうとかって話で現物現金マヨヒガに至る私の財産全て差押されましたとさ。

 容赦なさ過ぎる……! 

 

 ここで良い子のみんなへゆかりんからワンポイントアドバイス! 『保証人にはなるな!』

 まあ早苗を見捨てることはできないので回避できない話ではあるんだけどね。とほほ……。

 

「それにしても、もしやと思ったが本当に神社まるごと幻想郷に移っておったとはのう。しかも湖やれじゃーらんども込みじゃろ? 外の世界は大騒ぎだったぞい」

「優秀な者が居てくれましたので」

 

 青娥娘々って言うんですけどね。

 

「まあ儂としては結果おーらいじゃな。こうして懐は潤ったし、念願じゃった幻想郷への参入も穏便に済ませることができた。礼を言うぞスキマ殿」

「……目敏い貴女の事です。何か企みが?」

「お見通し、という訳じゃな」

 

 これからマミさんじゃなくて越後屋って呼ぼうかしら。

 あと穏便とは……? いやまあ確かに、マミさんほどの大妖怪が現れた時って大抵異変が起こるけど、今回は私にしか被害が出ていない。穏便だわ(錯乱)

 

「なぁに、幻想郷は異変の影響で大きく揺れている最中じゃろう? 爪痕も至るところで散見できる。こんな時こそ儂ら新参の妖怪が大きく伸びる機会になろうて。現に、表通りの露店の3割は『二ッ岩ぐるーぷ』の傘下じゃしな」

「お手柔らかにお願いします」

「今回スキマ殿から返済してもらった資金だって、慈善事業を通して巡り巡って幻想郷復興の一助になる。いい話じゃろ? ぼらんてぃあというやつじゃ」

「へえーマミゾウさんって良い狸さんなんですねえ」

「よく言われる。早苗お嬢ちゃんもまた金が必要になったらいつでも言っておくれ」

「はい!」

 

 はいじゃないが。

 どうやら早苗は化かされやすい体質みたいね。

 

 私あんまり経済に詳しくないんだけど、これって大丈夫なんだろうか? 幻想郷の市場全部マミさんに独占されたりしない? 

 いや、幻想郷にも海千山千の守銭奴達が沢山いるし、マミさん一強にはならないと思うけどね……。あのウ詐欺や天狗河童も相当なものだもん。

 

 

 

 ひとまず重苦しい返済の話は終わったので、外に出て世間話がてら露天を見て回る事になった。私は賢者として復興具合の視察、早苗は露店を楽しみながら神社とモリヤーランドの宣伝、マミさんはみかじめ料の徴収。

 

 あと秘密裏にルーミアに連絡を飛ばして、藍に現状の説明を依頼しておいたわ。だって流石に怒られそうで怖いんだもん。

 藍なら家とかが換価売却される前に買い戻す為の資金集めくらい楽勝だろう。多分。

 

「それにしても流石の手腕よな。あの神社を救っただけでなく、幻想郷にここまで馴染ませるとは。スキマ殿の人徳が為せる技かのう?」

「いえ、どちらも私だけの力ではありません。大きな犠牲を払い、今があります」

「ここだけの話じゃがな、儂が早苗お嬢ちゃんに金を貸したのはあの神社が目当てだったからなんじゃ。……正確には、あの土地と住まう神」

 

 楽しそうに表通りを駆けている早苗を眺めていると、マミさんがそんな事を言い出した。

 なるほどね、納得したわ。諏訪湖周辺は古来から霊験あらたかな地として信仰の対象となっていた。簡単に言ってしまえば巨大なパワースポット。妖怪としてその地に手を伸ばすのは当然と言えるかもしれない。

 

「まっ、スキマ殿と狙いが被った以上は無駄骨だったがの。それに儂の想定よりも遥かに良く活用しておる」

「しかし完全ではなかった」

「ん?」

「力不足を痛感するばかりです。今も昔も」

 

 早苗の笑顔を嬉しく思う気持ちはあるけれど、それが完全なものでないのが私はどうしようもなく悔しいのだ。諏訪子が居てこそ、あの子は本当に救われるのだから。

 

 返済の肩代わりなんて、そんなの何の償いにもならないのに。

 

「……変わったのぉスキマ殿」

「そうかしら?」

「儂とスキマ殿が初めて出会った時を覚えているか? あの時の主は……」

「ぬえの紹介だったわね。そういえば」

「うむ。なんじゃこの話は嫌か」

 

 ……。

 

「思えば、ぬえとはかれこれ800年は会っていない。てっきり幻想郷に来ているものかと考えておったが、どうやらそうでもないらしい」

「確かに、来てないわね」

「死んだんじゃろうな、人知れず何処かで。……彼奴ほどの妖怪が前触れもなく簡単に殺られるとは到底思えぬ。不可能なんじゃ、普通なら」

「……」

「ありえん……儂は信じない」

 

 マミさんは徐に眼鏡を外すと、指で瞳を拭う。色々と誤魔化しが利かなくなったのだろうか、懐からキセルを取り出して煙を浮かせた。

 人里に禁煙区域は無い(豆知識)

 

「もう随分経った筈なのにな、歳を取ると涙脆くなっていかん」

「仲が良かったものね貴女達。変幻自在の化け狸も飢えてしまうなんて」

「歳を取った妖怪ほど寂しさを恐れるのは常じゃろうて。ちゃっとを始めたのもそうじゃよ。こんな事になるなら、さっさと幻想郷に来てしまえばよかったのぅ」

 

 どうしようもない気持ちになった。

 もしかしてマミさんはずっとぬえの安否を探っていたのかしら? だから幻想郷への誘いにも中々乗ってこなかった。事業を畳む準備とか、そういうのは言い訳で。

 

 私から彼女に掛ける言葉は無かった。

 

「HEKAさんは死んだんじゃろう?」

「え?」

 

 あらら、ばれてーら! 

 マミさんったらどこまで情報を掴んでいるんだろうか。借金の件といい油断ならない人……もとい狸だわ。涙をアピールしたのも私のペースを崩すつもりだったりしてね。

 長閑な人里を歩いている筈なのに、空気がヒリついてきたような気がする。

 

「かの女神でさえ死んでしまうのだ。この世の中、何が起きても不思議では無い。不可能を可能にしてしまう妖怪が居る限りはの」

「恐ろしい世の中ですわね」

「儂もいつ餌食になるか……恐ろしゅうて恐ろしゅうて堪らん」

「幻想郷では何が起きても文句は言えません。戸締りはしっかりとしておくといいでしょう」

「意味あるのか? それ」

 

 マミさんと顔を見合わせて、何故だか笑いが溢れた。互いにだ。

 可笑しくて可笑しくて仕方がない。

 

「盛り上がってますねー! 私も話に混ぜてください!」

「大した事じゃないわ。ただの昔話」

「そうじゃ、ほれ駄賃をやるから何か好きなのを買ってくると良いぞ」

 

 楽しげな雰囲気を感じ取った早苗を金で黙らせるマミさんの図である。恐ろしい妖怪ですわ! 

 まあ早苗はめちゃんこ喜んでるのでいっか……。あっ、はしゃぎ過ぎて人とぶつかってる。落ち着きのない子ですこと。

 

 と、マミさんが手を叩く。

 

「そうじゃ。菫子もスキマ殿の仕業か?」

「え? 何がです?」

 

 唐突に出てきた名前に思わず困惑してしまった。

 

「なんじゃ知らんのか。彼奴、いま行方不明になっておるぞ。捜索願が出されておる」

 

「はぁぁぁ!?!!?」

「うお!?」

 

 思わず大きな声が出てしまった。マミさんのみならず、離れてた早苗や周りの通行人達までビックリして私を凝視している。そしてそそくさと距離を取った。

 ごめんなさいねオホホ! 

 

 でも吃驚したのは私だってそうだ。まさに青天の霹靂というやつである。

 

「ご、ごめんなさい。それで一体どういう事? 菫子が失踪?」

「うむ。ちゃっとでも反応無しじゃ」

「もしかして……誘拐とか?」

「一応失踪前から彼奴の自宅を部下の狸に張らせて居たが、怪しい出入りは無かった。煙のように消えてしもうた。儂はてっきりスキマ殿の差し金かと……」

 

 神隠しの主犯(濡れ衣)ですわっ! 

 ていうかマミさんったらまだ菫子をストーカーしてたのね。なんでか彼女を危険視してる節があるようなんだけど、なんでなんだろう? 

 

 まあいいや。それはひとまず置いといて、今は菫子の安否確認が最優先だわ。

 

「私も菫子の自宅を確認してこようかと思います。何かが分かるかもしれない」

「うむそれが良かろう。ほれ、これが菫子の住基でーたじゃ。出生地から転居履歴、家族構成に戸籍情報まで全て分かる」

「どこから手に入れたのこれ……」

「役所にも儂の部下狸がおるからのう」

 

 もう終わりですわこの国。

 やっぱり現代情報戦に優れているマミさんは幻想郷にとってかなりの脅威なのかもしれない。これまでとは別ベクトルのね。

 しかし今回ばかりは感謝させてもらいますわ! 

 

 マミさんからペラ紙を受け取る。

 なになに? ……東深見か。

 

 よし、行きますか! 

 いやけどその前に幻想郷を空ける旨を賢者の皆様に通達しておかなければ。

 月でサボってたのがバレてからというもの、不用意に幻想郷を出るなって釘刺されてるのよね。私は肩身の狭さから従うしかなかった。

 

 あと私1人だけだと単純に寂しい、もとい危険だから誰かに付いてきてもらわないとね。

 

「なんじゃもう行くのか。慌ただしいのう」

「ええ。これ以上あの子を放置する訳にはいきません。……何としても菫子を取り戻します。私の手で」

「まあまだ誘拐とは決まっておらんがな」

 

 それもそうだ。

 でも早めに何があったかを確認するに越した事はないわ。

 

「まったく……前回と同じじゃな。菫子のことになると途端に怖い顔になる。そんなに気に入ったのか? あの小娘を」

「だって可愛いでしょう? それに……」

 

 スキマを開きながら、私はただ当然のことを言うのだ。

 

「あの子は私の大事な人なんですもの」

 

 ()()()()()()()()()()()()大切な、ね。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「それにしても、この時期に外来人か。十中八九異変の影響だとは思うけど……」

「うん、私もそう思う」

「正規の方法で帰してあげるのが一番良いんだろうが……お前の懸念を聞いた以上は私からは何とも言えない」

 

 慧音は困ったように項垂れた。

 外の世界との行き来は博麗の巫女を通すのが常だが、八雲紫のチェックが入る可能性は高いだろう。独自の方法を持つ天狗、河童、吸血鬼などもここ最近は紫と連携を密にしている為、露見の恐れがある。

 

 妹紅と紫の因縁はよく聞かされている。紫がかつてのように凶行に及ぶとは思えないが、ありえないと断定する事ができないのも事実。

 あの妖怪の謎はあまりに深い。

 

 それにあの妹紅がここまで必死になって守ろうとしているのだ、あの菫子という少女には何かがあるのだろう。

 

「取り敢えずこの子の事については承知した。私も何かと気に掛けておくよ」

「本当にごめんね慧音。人里の事でとっても忙しいのに」

「妹紅が気にする事じゃない」

 

 露店で買った菓子を頬いっぱいに詰め込んでいる菫子を見て、2人揃って穏やかな笑みを浮かべる。

 この時点で慧音は腹を括っていた。何よりも妹紅からの頼みだ。

 

「じゃあ今から食糧を買いに行ってくるから、少しの間お願いね」

 

 

 

(慧音には悪いことしちゃったな……でも、あれ以外に方法が思いつかなかった)

 

 いくら暇人の妹紅といえど、四六時中菫子を見守るのは不可能。あの好奇心の塊のような子供だ、目を離せば何処に行ってしまうかわかったもんじゃない。

 なので買い物や情報収集の間は慧音に見ててもらうしかなかった。

 

 寺子屋の教師をやっているだけあって子供の扱いにおいて慧音の右に出る者は中々居ないだろう。

 なんなら慧音に保護してもらうのが良いかとも思うが、先に述べた通り慧音は阿求の補佐を始めとして人里の運営に手を尽くしている。妹紅のような暇人ではない。

 それに万が一八雲紫に嗅ぎ付けられた時、慧音の立場が悪くなるような状況はなるべく避けたかった。

 

 先の異変の結果、幻想郷は一つに纏まっている。それが妹紅のようなはみ出し者にとってはこの上なく活動しにくい環境と化していた。

 

(一昔前なら永遠亭の連中や兎を巻き込む事もできたけど、今はどうなるか全く分からない。……つくづく厄介な妖怪だ)

 

 関係ないところで紫への鬱憤を募らせながら大通りへの路地を抜け──。

 

「きゃっ!」

「あいた」

 

 出会い頭にぶつかってしまった。

 普段ならそんなヘマをするような妹紅ではないのだが、考え事をしていたせいで注意力が落ちていたようだ。

 当然妹紅の方が体幹が強いので、相手はカエルのようにひっくり返っている。

 

「ごめんよ。立てるかい?」

「お、お気になさらず! こちらこそすみませんでした!」

「怪我が無いなら良かった。……守矢神社?」

 

 相手──緑髪の女は珍妙な旗を持っていた。どうやら博麗神社以外の、最近山に建てられた方の神社らしい。引き篭もりの妹紅は初見だった。

 

「あっはい守矢神社です! 奇跡をお求めなら是非とも参拝にいらしてくださいね! 近くにテーマパークもあるんですよ!」

「じ、時間があるときにね」

「お待ちしてます!」

 

 それだけ言うと緑女は忙しい様子で駆けて行ってしまった。どうやらまた幻想郷に変人が増えたようだ。

 

 ふと、自分の進行方向。緑女がやって来た方へと視線を向ける。

 

「……ッ」

 

 奴がいた。

 今ぶっちぎりで会いたくない妖怪、八雲紫。

 

 詳しい会話の内容は上手く聞き取れなかったけれど、時折大声を出しているようだった。周りの通行人が怯えて傍に逸れている。

 対話相手は見たことのない女だったが、妖力を感じるので間違いなく妖怪だろう。八雲紫の一派だろうか。

 

 妹紅は極限まで息を殺し、群衆に紛れて接近を試みる。全ては会話内容を聞き取るためだ。

 爆音のように鳴り響く心臓を殴り付けた。

 

 そっと耳を澄ませる。

 

 

「これ以上あの子を放置する訳にはいきません。……何としても菫子を取り戻します。私の手で」

 

 

 

 

「ちくしょう的中かよ……! くそ……!」

 

 悪態が止まらない。

 群衆の合間を縫うようにして人里を駆ける。

 

 やはり自分の勘はよく当たるようだと、妹紅はこの世を呪った。もしこの運命を司っている者が居るのなら、とんだクソ野郎だと吐き捨てる。

 

 紫が菫子を狙っていると判明した。

 それは自分が再びあの妖怪と敵対し、相見える未来が確定した事と同義だった。

 

(まさか私が菫子を連れている事にも気付いているのか? ……事態は私の想定よりも遥かに悪いものなんだろうな)

 

 紫の口振りからして、菫子が誰かの手に落ちたような言い方だった。奴が菫子を匿う存在に勘付いていると見ていいだろう。

 慧音に預けるなどと悠長な事を言っている場合ではなかったのだ。

 

 

 

 この日を境に、妹紅は竹林から姿を消した。

 それは引き篭もりにとっては苦難続きの逃避行──菫子にとっては楽しい幻想郷観光ツアー開始の合図に他ならなかった。

 

 後日、ことの成り行きを聞いた蓬莱山輝夜は床を叩いてバカ笑いしていたそうな。

 




もしかして
→弾幕アマノジャク&秘封ナイトメアダイアリー
死んじゃった挙句に主役の座を盗られちゃう正邪ちゃん可哀想……

一応現在の時系列は、原作での東方地霊殿あたりになります。つまり東方深秘録から6〜8年前です。つまりその分だけ菫子が幼くなります
霊夢と魔理沙が三十路越えになる?……神主に聞いてくださいまし……!一応幻マジ内ではその辺りの矛盾を補完する設定があったりなかったり

次回、あの名探偵が6年100話ぶりに帰ってくる……!


温かいお言葉と高評価がたくさんで筆が止まりません!ありがとうございます♡


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迷探偵八雲紫の事件簿:東深見幼女密室神隠し事件

ポロリもあるよ!


 

 むせる!!!!! 

 

 都会の空気は相変わらず濁りに濁っている。排気ガスと鉄錆の匂いだ。

 外の世界の人達はよくこんな環境で生きていけるものだと感心しますわ。しかも日本って世界に比べればこれでもマシな方らしいし……修羅の国は幻想郷ではなく、外側なのかもしれない。

 

 いや、それはないか! 

 

 というわけで私、ただいま外の世界に来ています。

 目的は言わずもがな、失踪した菫子の行方につながる痕跡を探すためよ。

 名探偵の血が騒ぐ! 真実はいつもひとつですわ! 

 

 ふっふっふ……フランDV事件以来となる名探偵ゆかりんの活躍、とくとご覧に入れましょう。私の辞書に迷宮入りという文字は無い! 

 

 ただ今回はかなり高度な捜査が求められそうだったので、優秀な助手(ワトソン)を用意しました。

 私には過ぎたる右腕こと藍姉ちゃん……もとい、八雲藍様である! あと左腕の橙もいるわ。

 久々の3人行動ね。八雲一家全員集合だ。

 

 当然、妖怪だとバレるわけにはいかないので2人は耳と尻尾を術で巧妙に隠している。身なりも現代に合わせたカジュアルな洋服に着替えていて、ちょっぴり派手な超絶美人三姉妹の誕生ですわ! 

『三姉妹』……ここ重要ね。

 

 ちなみに博麗大結界の管理は華扇と霊夢に丸投げしてきたので安心して欲しい。

 

「橙、あんまりキョロキョロしていると不審がられるよ。気持ちは分かるが決して隙を見せずなんでもない風を装いなさい。紫様に近付く輩を即無力化できるよう常に警戒を怠るな」

「はい! 万全を期して臨みます」

 

 式2人による恐れ多い警備も未だ健在だ。

 橙は外の世界での活動経験が少ないから、周りに気を取られてしまうのは多少仕方ないと思うんだけどねぇ。藍ったらスパルタなんだから。

 

 

「紫様、此処で合っているかと」

「そうみたいね。なんというか……普通の家ね」

 

 塀から僅かに顔を覗かせて宇佐見宅の様子を伺う。まあ第一印象としては先に述べた通りである。我が愛しき八雲邸に比べれば豆粒のような普通の家だった。

 まあ刃牙ハウスみたいなヤバい感じじゃなくて一安心だわ! 

 

 では行きましょうか。ぬらりひょんも吃驚な不法侵入の妙技をご覧あれ! 

 スキマ開く! 中に入る! 菫子の部屋! 

 ふう……ミッションコンプリート!!! こんな時だけスキマ妖怪に生まれて良かったなって心から思えるのよね。それ以外はよく分かんないけど。

 

 ではでは早速、菫子の部屋を物色させてもらいましょうかね。ぐへへ。

 

 ちなみに多分菫子のお母さんは在宅中だと思うので、橙に人払いの結界をお願いしているわ。これぞ完全犯罪よ! 

 

「それじゃあ少しの間だけお願いね橙」

「お任せくださいませ!」

 

 昔からそうなんだけど、特にここ最近の橙の活躍っぷりがヤバい。頼りになり過ぎる! 

 可愛いし一生懸命だし万能だし、隙がない……! 

 もういい加減『八雲』の名前を与えてもいい頃だと思うのよね。スパルタ教育お母さんの藍と、意地悪姑気分のAIBOから何か言われるかもしれないけど。

 

 っと、その話はまた追々ね。今は菫子失踪の痕跡探しを急がなきゃ! 

 

 藍と手分けして部屋の隅々をしっかりと見て回る。机の中、クローゼット、天井裏、全てである。

 幸い菫子の部屋は物が少なくあっさりしていたので、そこまで難航した作業にはならなそうだ。

 可愛らしいぬいぐるみなんかも殆ど置いてないし、正直、女子小学生の部屋とは思えないわ。ちょっと心配になってきた。

 

 勝手に保護者面しつつ机の中身をひっくり返していく。あまり使い込まれていない教材が山積みになっている。

 

 おっと通信簿を見つけたわ。どれどれ? 

『勉強はできるが授業中の居眠りが多く、友達と話している時間が少ない』と。協調性に難ありってやつね。そういえば夢の中やチャットでもナチュラルに同級生を見下してたし、色々危うさを感じる。

 

 いじめとかは流石に無いと思いたい。早苗の例があるからどうしても心配してしまうわ。今度こっそり授業風景を覗いてみようかしら? これも探偵事業のひとつよね! 

 

 他には……うん? 

 クレヨンで絵が描かれた画用紙を発見。線の拙さから見て、恐らく今より数年前に描かれたものだろうか。その内容は──。

 

「……」

 

「紫様、少しよろしいですか」

 

 藍の呼び掛けに応えて思考を中止する。画用紙を持ったまま彼女の下へ。

 

「僅かにですが、残っていた霊気の残滓を辿りました。どうやらその菫子なる少女がこの部屋で消えてしまったのは間違いないかと」

「消えたにしてもその手段と結果が問題ですわ。そのあたりはどうかしら?」

「……手段に関しては、状況証拠が少ないため如何とも。ただ行き先については判りました」

 

 部屋の隅に備え置かれたベッドの横、つまり壁を指でなぞる。すると忽ち空間がひび割れて、もう一つの世界が姿を現す。境界の先には竹林が見えた。

 これが意味する事とは、即ち──。

 

「菫子は幻想郷に居る……という事ね」

「はい。恐らく異変中の、結界の管理が最も緩んだ瞬間に侵入されたものかと。自身の力によるものか、若しくは何者かの手引きか……」

「大手柄よ藍。幻想郷に居るなら話は早い」

 

 ほっと一安心ですわ! これぞ灯台下暗しってやつかしら? 

 いやしかし、菫子が幻想郷に来ているのならまず私にコンタクトを取ってくると思うのよ。だけどそれがないという事は、やはり菫子の身に何かが起きていると考えるべきだろう。

 私が信用されてないって? 泣きますわよ? 

 

 ……裏に何者かの暗躍がある可能性、か。

 まさかとは思うけど、私と菫子の関係を把握した者による犯行だとしたらこの上なく厄介だわ。更に幻想郷に居ながら私達に菫子の存在を悟らせない秘匿能力。

 さて、誰が怪しいかしら? 

 

 

 なるほどね(超速理解)

 

 

「謎は全て解けました」

「「!?」」

 

 回りくどい策を弄して捜査の撹乱を目論んでいたようだが、大賢者八雲紫の目を誤魔化す事はできないわ。

 はてなマークを浮かべているワトソンちゃん達に犯人を教えてあげよう! 

 

「犯人は──上白沢慧音ですわ」

「あの守護者が、ですか?」

「なんか意外ですねー」

 

 いまいちピンとこない様子で首を傾げている。私も彼女の不審な点に気付くまでは容疑者の候補にすら上がらなかったわ。人格者で有名だしね。

 

 彼女が容疑者として最有力な理由を羅列するわ。

 まず第一に、慧音は隠蔽工作のスペシャリスト! 菫子を監禁した後、能力で隠すのも容易だし、博麗大結界への理解が深いから神隠しもやろうと思えばできる。

 次に昨日マミさんと別れた後、慧音と顔合わせしたんだけど妙によそよそしかったわ! 私に何か負い目があったと考えれば納得できる。

 次! 菫子の部屋と迷いの竹林が繋がっていたのは先ほどの通りですけど、実は慧音って何か荷物を持って竹林をコソコソ出入りしているっぽいのだ。拉致の下準備を整えていたのだろう。

 

 以上の点から慧音が怪しいと判断したわ! 

 教職を務める彼女なら子供の1人や2人を甘い言葉で連れ去る事も容易いだろうし、周りも不自然に思わない。これはもう言い逃れできないわよ……! 

 

「しかし慧音は異変時、私と共に人里を守っていました。アリバイはそれなりにあろうかと思いますが……。それに動機が分からない」

「あっ、そうなの?」

「はい」

 

 ……。

 ま、まあ可能性があるってだけの話だし。

 

「あっ」

「どうしたの橙?」

「永夜異変の時、妨害してきた慧音と戦ったのを思い出したんですけど、そういえば紫さまを警戒している風ではありましたね。信頼できないって」

 

 橙ナイス証言! 

 つまり動機は私への私怨ということか。心当たりないけど。百歩譲って私を恨んでいるのだとしても、その矛先を菫子に向けるのは許せないわ! 

 

 ふっ、悲しい事件だったわね。

 

「得るべき情報は得た。引き上げるとしましょうか」

「かしこまりました。橙、撤収だ」

 

 会話だけ聞くと盗賊団か何かでは? 私は訝しんだ。

 おかしい、私は名探偵の筈。誰が何と言おうと名探偵ですわ……!

 

 1人で勝手に悶々としていると、不意に橙が覗き込んできた。

 

「……あれ? 紫さま、その絵って」

「ああ、菫子が描いたものだと思うわ。これは、多分だけど私のつもりかしらね」

 

 肩を竦めながら、指で画用紙をぶら下げる。

 黄色で塗り潰された髪、紺色の身体。茶髪の少女がそばに居るので、恐らく夢の中でのワンシーンを切り取ったのだろう。

 お世辞にも上手いとは言えないが、心は伝わってくる。2人とも笑顔だ。

 

 ふと、橙が首を傾げる。

 

「でも紫さまにはあんまり……似てないのかな?」

「子供の絵だもの。仕方ないわ」

 

 橙の言う通り、私はこんな姿じゃない。

 私の瞳は青色じゃないし、髪はこんなに短くない。紺色の服なんて着た事もない。

 

 ……菫子には私がこう見えていたのか。

 

 私の、夢の姿。いえ──正しくは、私の夢見た姿と言うべきなのかもね。

 今なら、ドレミーがわざわざ私の為に造られた夢を用意してくれていた理由が分かる。私に"それ"を自覚させたくなかったんでしょう。

 

 指先に妖力を集中させ、画用紙を焼き払う。

 念入りに灰も残さない。

 

 不愉快なまやかしなんて不要だから。

 

「紫様……」

「え、えっとぉ」

 

 戸惑っている2人を安心させるように笑い掛ける。別にとち狂っちゃった訳じゃない。ちょっと腹立たしくなっただけだ。歳を取ると気が短くなるからダメねぇ。

 

 でもこういう黒歴史は積極的に消していかねばなるまい! これは私と菫子だけの秘密にしておくわ。もっと燃えるがいいや! 

 

 

 その後、火災報知器が作動したため、逃げるようにスキマに飛び込んだわ。

 式からの呆れの視線を感じたけど、まあ今更よ。それはそうとごめんなさいね(土下座)

 火遊びダメ、ゼッタイ。

 

 

 

 

 〜少女移動中〜

 

 

 

 

 サマーシーズン到来! 

 

 夏といえば海。海といえば水泳。水泳といえば八雲紫ですわ! 

 

 菫子の家から慌てて退散した私達だが、そのまま直行で幻想郷に帰るのもちょっと味気なかったので、休憩がてら海水浴にやって来たのだ。

 私と藍はともかく、橙にとっては初海! 周りを気にせず伸び伸びと遊べるように、離島の無人ビーチをチョイスしたわ。

 

 うーみは広いーな、オッキーナー! 

 そうそう、摩多羅神と同一視されている秦河勝がさらに神格化された大荒神社明神は、坂越の船乗り達の神である。つまりオッキーナは航海安全豊漁の神でもあるのだ。

 これ唐突なゆかりんの豆知識ね。

 

 

 ハイウエストビキニとビーチスカートで海コーデもばっちり。幻想郷には海が無いものだから殆ど死蔵状態だったんだけど、無事お披露目できて一安心だ。ふっふっふ、魅惑の悩殺マーメイドとは私のことよ! 

 橙もフリル付きの可愛らしい水着を着て泳ぐ気満々! 猫なのに泳ぎが得意とはこれ如何に! クッソ可愛いから写真に撮っておきましょ。

 

「これが海……! 魚獲ってきてもいいですか!?」

「いいけど式が剥がれないように気を付けるんだよ?」

「はーい! 行きましょう紫さま!」

「あらあらそんなに急かさなくても海は逃げないわよ。ねえ橙ちょっと待って落ち着いてこれやばガホボボあば、あばばば」

 

 橙に連れられ、もとい引き摺られ頭から勢いよく着水。トップスピードで遊泳する橙の津波に飲まれ、そのまま沖まで流された。

 おかげで身体中海水と砂塗れよ! 

 

 まあ私は泳ぎの達人だから海岸まで泳いで帰るなんてお茶の子さいさいだけどね。死を覚悟したのは秘密ですわ。

 這う這うの体で藍がセッティングしたパラソルの下に辿り着く。

 

「酷い目に遭ったわ……」

「も、申し訳ございません紫様! 橙にはよく言って聞かせておきますので……」

「いいのよ別に。初めての海ですもの、存分に楽しんでもらわないと」

 

 遠目からでも橙が大暴れしているのがよく見えた。水爆実験でもしてるのかってくらい水面が爆発してる。大はしゃぎしてるみたいね。

 気に入ってもらえたようで何よりだわ。

 

 ちなみに藍はハナから海に入るつもりはなかったようで、カジュアルな服装のままだ。

 ……勿体無くない? 何がとは言わないけど。

 

「しかしよろしかったのですか? 幻想郷に帰って菫子なる少女の行方を追わなくても」

「幻想郷に居るのなら問題ないわ。私が恐れていたのは、彼女が私の手の届かない場所に行ってしまうこと。むしろ好都合ですわ」

「……恐れながら、そこらの妖怪に喰い殺される危険があろうかと。上白沢慧音が犯人なのならば可能性は低いと思いますが、万が一もございます」

「それも大丈夫。彼女は死なないから」

「八意永琳や藤原妹紅と同類なのですか?」

「違う違う。あの子は特別なのよ」

 

 私が死ねない理由と同じだ。

 菫子に死が許されるのは()()()()()()()()だと決まってるの。そしてそのタイミングは全て私が握っている。何を恐れる必要があろうか。

 

 それに、もう既に手は打っているしね。幻想郷出立前に如何なる変化にも対応できるよう、とあるスペルを発動しておいたのだ。なにせ監視の目は幾つあっても余ることはないわ。

 ヘカちゃんリスペクトなこのスペル。名前は……『トリニタリアンファンタジア』にしましょうか。地獄センスが迸るわよん! 

 

 という訳で、今日は八雲一家の休暇日よ。

 

「諸々の問題は一旦忘れてしまって、今は海を楽しみましょう。貴女も橙も、ここ数日働き詰めだったんだから」

「そんな滅相もございません。紫様の苦労に比べれば私共など……」

「みんな苦労してるって事でいいじゃない」

 

 我が式達の苦労と比較されては私の尊厳が粉々に破壊し尽くされてしまう! 

 ずっと前から2人のことを労ってあげたいって思ってたし、良い機会かなって思ったのよね。橙は言わずもがな楽しそうで、藍はそんな橙の姿を見て笑顔を浮かべている。一応成功ってことで! 

 

 いやー海を気に入ってくれて良かったわ本当に。

 いいよね海……いい……。

 

「藍。私ね、海が好きなの」

「それは……初耳でした。理由をお聞きしても?」

「んー、何故かしらね」

 

 問われてみて今一度考えてみる。

 海を見ていると何故だか無性に心が弾む気がするのよね。私が泳ぎを得意としているのはこのためだ。

 

 幻想郷に引き篭もっている限り、この海原は見られない。決して触れる事ができない。普段とは違う非日常的な気分を味わう事ができるから? でも幻想郷ができる前から海は好きだったと覚えているので、多分違うわね。

 

 そうそう、海は海でも月で見たアレは何とも思わなかったわ。むしろ、見てて気持ちのいいものではなかった。状況も状況だったし。

 

 以上を総合すると──。

 

「……魚がいるから?」

「へ?」

「ふふ、あんまり理由が思いつかなかったわ」

 

 月と地上の海の違いなんて生物の有無くらいしかないし? 

 私の投げやりな回答を聞いた藍は、切れ長の目を真ん丸に見開いた後、クスクスと笑みを溢した。ちょっと回答が幼稚だったかしら? 

 

「ごめんなさい。紫様が橙みたいなことを仰るものですから、つい」

「あら褒め言葉ね?」

「そう受け取ってもらえると幸いです」

 

 これ実はとんでもない高評価なのよ。

 藍にとって橙は絶対の存在。それと並び評されるというのはあまりに名誉な事なのだ! 

 

 

「紫様──もう一つ聞きたい事が」

「うん?」

「月で何かありましたか? いえ、何というか……申し上げにくいんですが、ここ最近紫様が少し思い詰めているように見えまして」

 

 うっ。

 

「私が不審に見えるのね」

「そのようなわけでは……」

 

 藍が慌てて首を振るが、それが世辞なのは分かっている。というより自覚してるわ。

 

 うぅ……なるべく普段通りを装ってはいるんだけど、やっぱりどことなく違和感が出てしまうのね。もしやかなり変に見えてたりして。

 

 ほら、藍に迷惑かけた記憶とかがいっぱい蘇ってしまったから、無意識でよそよそしくなっちゃうのは致し方ない事ですわ。やば死にたくなってきた。

 

「さとりにはもう相談したの?」

「ッ……ご存知、でしたか」

「別に隠さなくてもいいのよ。貴女には知る権利があるわ、幻想郷の誰よりも」

「……」

「さとりを頼ったのは流石よ」

 

 やはり情報という点ではあの性悪ロリがずば抜けているもんね。

 

 早苗を連れて幻想郷に帰ってきた頃くらいから、藍の私に対する態度が露骨に変化したのを覚えている。私が守矢神社で奮闘している期間に、さとりから私の情報を得たのだろう。

 

 私の目の前では連携の素振りなんか少しも見せなかったから、2人の繋がりに気が付かなかった。でも聡明な藍が、私の隠し事への不信感を高めない筈がないのだ。

 

 先述の通り、藍は知らなければならないだろう。八雲紫に最も近い彼女だからこそ。

 よって藍の行動について私から思う事は何も無い。むしろ申し訳なさすら感じる。

 

「で、さとりは何と?」

「……いつも通りだと申していました。私の勘違いだと……」

 

 めっちゃオブラートに包んでくれたわねこれ。

 あの鬼畜ロリのやる事だ、どうせ脳内お花畑とか厨二病とか、散々な表現をしたに違いあるまい。許せねえですわ! 

 大賢者の思考はそう簡単に理解できまいよ! うん。

 

 それにしても、やっぱり探ってきてたか。

 流石、策士だわ。

 

「まあそうでしょう。私はいつだっていつも通りだもの。さとりの心配は杞憂よ」

「……」

「まずは貴女の勘違いを解きましょうか。ほら楽に座って? 橙が戻ってくるまで時間もある事だし、ゆっくり話をしましょう」

 

 取り敢えずさとりから植え付けられた私への散々な風評被害の払拭からだわ。

 あと「さとりの情報は嘘が混ざる時があるからあんまりアテにならないよ」とそれとなく伝えておこう。先人の教えというやつである。

 

 藍は物憂げな顔で私を見つめている。

 

「さとりは誰よりも私の事を知っているわ。いま存命の中ではね。でも、全てを知っているわけではない。貴女に伝えられた情報だって酷く限定的よ」

「……」

「例えば、あの水辺で貴女と初めて出会った時、かつての私が何を考えていたのか──とかはアイツも知らないと思うわ。知りたい?」

「……知りたくありません」

 

 僅かな戸惑いの後、藍は微かな声で答えた。端正な顔には陰が差している。

 唇が震えていた。

 

 良かった。これについては私もあんまり伝えたくないものだった。

 

 藍自身、知りたい気持ちは十分にあるだろう。でも、最悪の回答になる可能性を考えると足を踏み出せなかったんでしょうね。

 ……実際、彼女にとっては最悪の答えになると思う。

 でも藍に答えを望む気持ちがある以上、問い掛けない訳にはいかなかった。

 

「野暮だったかしらね。でもそれが貴女の勘違いに対する答えなの。確かに私には心境の変化があるかもしれない。しかしそれは、元に戻ったというわけではないの。もう居ないのよ、この世界の何処にも」

「そう、ですか。……残念です、さよならの一言も言えないままでしたので」

「私が生まれると同時に、彼女は死んでしまった。……失われた心は回帰しない。二度と戻る事はない」

 

 さとりが恐れていた事とは、恐らく藍が一番最初に出会った私、私から見れば諸悪の根源のような八雲紫が復活する事なのだろう。

 若しくは私がそっくり別人になってしまう事。

 だから私の機微にかなり敏感になっていた、と考えればこれまでの言動の辻褄が合う。

 

 でも藍はそうじゃない。藍はきっと、かつての私が帰ってきている事に一抹の希望を抱いていた筈なのだ。だってあんなに慕っていたんですもの。

 私への想いなんて所詮オマケに過ぎない。

 

「ごめんなさい」

「……」

 

 この口から発せられた謝罪が何に対してのモノなのか、私には分からない。

 

 彼女の運命を数奇なものに塗り替えてしまった事? 彼女の恩人の抜け殻に生まれてしまった事? 彼女を勘違いさせたまま何百年も振り回してしまった事? 

 

 罪は尽きない。

 遡るだけ、彼女への後ろめたさが募る。

 

「私なんかで本当にごめんね。藍」

「紫様……」

「どうして私は、貴女の想いをいつも無碍にしてしまうんでしょうね」

 

 互いの顔を眺める。

 なんて酷い表情なんだろう、こんなの橙には見せられないわ。

 

「でも安心してちょうだい。こんな馬鹿げた話は全部幻になる。もう二度と、貴女が涙を流さなくてもいいようにね」

「まぼ、ろし?」

「だから貴女はもう私に縛られる必要はない。私の事は忘れて、どうか後悔のないように生きて欲しい」

「何故そのような事を仰るのですか紫様っ!」

 

「貴女のことが大好きだから」

 

 嘘偽りのない私の言葉に藍は顔をさらに歪ませ、三角座りのまま俯いてしまった。微動だにしない。

 

 あの気丈な藍がこんなに弱ってしまっているのは珍しい。だけどこの姿を見たのは初めてじゃないわ。埋もれた記憶の中に、今と同じ彼女の姿があった。

 ……ああそうか、永琳の攻撃から藍を庇って死んでしまった時か。

 でも今この時だけは違う。私がこうして寄り添ってあげられる。僅かな時間かもしれないけれど、藍を抱き締めてあげられるのだ。

 

 ふと遥か彼方の海面へ目をやると、橙がこちらに向かって手を振っている。ぷかぷかと浮かんでいて気持ちよさそうだ。

 

 よし、体力も回復した事だし行きますか! 暗い話ばかりしててもアレだし! 

 

 藍の腕を引っ張ってあげる。

 

「ほら立って。一緒に泳ぎましょ」

「私は水着を持っていませんので……」

「私のを貸すわよ。ほら──」

 

 たしかもう何着か在庫があった筈だと思い、スキマを開く。

 出てきたのは何というか、めっちゃ際どい水着だった。何ていうんだっけ……マイクロビキニってやつ? 

 過去の私は何を思ってこんなものを購入したのだろうか。マジで記憶にない……! 

 私と藍の間に微妙な空気が流れたのは言うまでもないだろう。

 

 まあ、服が海水に浸かっても境界操作を行えば簡単に水と塩を弾けるし問題はないわ。

 藍の手を引きながら、足首からゆっくり入水していく。

 冷たくて気持ちがいいわー。

 

「藍さまー! 紫さまー!」

 

「もうあの子ったら元気いっぱいね。私達も行きましょう、藍」

「……はい」

 

 藍は私の手を離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 夜の浜辺を独り歩きながら、月が巡る一つ前を思い返す。……本当に楽しかったわ。

 得意な泳ぎを披露するつもりが不発に終わってしまったのは唯一の心残りだけど、それでもお釣りが返ってくるほどだ。

 

 ああ、さざなみが心地良い。

 

 何もかもが私には勿体無いわ。

 

 

 

『後悔なんてございませんよ、紫様。たとえ違う生き方と名前があったのだとしても、今の自分を捨てようだなんて思いません』

 

 

『私はいつだって一緒ですから。この心が消え去るその時まで、ずっとお仕えいたしますから』

 

 

『たとえこの世界の全てを敵に回しても』

 

 

 

 心が温かくなる。

 やはり、藍は私なんかよりずっと頭が良い。

 

 きっと彼女は私の願う『幻想のカタチ』に勘付いている。菫子を求めて外の世界にやってきた時点で、藍には想定の一つとしてあったのだろう。

 

 八雲紫が生まれ、滅びる過程。

 これを辿るには菫子の存在が不可欠だった。彼女と私が居る限り、破滅への道が閉ざされる事はない。私が歩まなければならない道。

 

 さとりからそれに類する情報を聞かされている以上、聡明な藍が私如きの考えに気が付かない筈がないんだから。

 

 

 もしかすると私は、心の何処かで藍に止めて欲しいと願っていたのかもしれない。

 死ぬ事が許されるのなら、藍か霊夢に殺されたいって常々思っているから。

 

 でもそうはならなかった。

 藍は結局、八雲紫の呪縛を心から振り払うことができなかったのだ。

 

 醜悪なことに、私はそれを──とても幸せな事だと思ってしまった。

 

 

 

 

 何度だって宙を見上げる。

 

 月も星も、私には何も教えてくれやしないのに。

 

 

 

 

 





※ゆかりんははたての能力を知らない

名探偵要素少ないな……?なので唐突なビーチ回を挟んで水着ゆかりんでお茶の間を癒していくって寸法よ!ゆかりん策士ッッッ

ゆかりんにとって一番身近なのは藍様。やはりその存在は大きかったようです。実はゆかりんが珍しく激重感情を向けている数少ない相手なのかもしれない。なお


評価、感想による沢山のご声援ありがとうございます♡もっともっと頑張ります♡


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藤原妹紅と宇佐見菫子の奇妙な冒険②

 久しぶりのバカンスを家族の式達と存分に満喫して、さあ帰ってまいりました幻想郷! 

 色々と楽し過ぎて予定より何日か遅れちゃったわー。

 

 それで今日の流れなんだけど。

 

 結界の管理点検に向かう藍と、はたての下に遊びに出かける天子さんを朝早くからお見送り。その後夕飯用のおかずを何品か作って、ほんのちょっとお昼寝して、いい具合に体が回復したのが夕方。

 何の変哲もない日常ってやつですわ。

 

 そして締めに私が向かったのは博麗神社だった。

 

 というのも霊夢と華扇に色々と丸投げしての休暇、もとい菫子捜索だったからね。2人には色々迷惑かけちゃったし、取り敢えず謝っておかないと。

 

 

 で、現在鬼の形相と化した霊夢に胸ぐらを掴まれてるってわけ。その隣の華扇も眉間に深く皺が寄っている。

 ごめんなさいて。

 

「アンタ……マジでいい加減にしなさいよ?」

「だから本当に悪かったって言ってるじゃないの。ほらお土産あげるから許して?」

「よこせ」

 

 平謝りしながらスキマから手提袋を取り出す。霊夢がキレているであろう事は想定していた、故にご機嫌取りの為に用意しておいたのだ! 

 外の世界のお菓子は幻想郷では非常に入手困難かつ、珍味として重宝されている。

 

 手提袋を受け取った霊夢は早速中身を物色し、満足するとチラチラ横目で土産を見ている華扇へと渡す。そして徐に袖下からスペルカードを取り出し──。

 

「くたばれ。霊符『夢想封印』」

「あっぶえ!」

 

 当然のように制裁が飛んできたのでスキマでガード! もはや慣れたもんですわ! まあ、対応できてるのは霊夢が手加減してくれてるからなんですけど。

 ちなみにこの霊弾をそのまま放置しておくとスキマ空間がボロボロになっちゃうので、適当なところに捨てておきましょう。そうねぇ……月面でいいや。

 

「次またふざけた事したら今度こそ消し飛ばすから」

「とは言ってもねぇ、今回はどうしても幻想郷を空けなきゃいけなかったのよ。それにちゃんと居なくなる旨は伝えておいたでしょう?」

「野良妖怪に伝言させるな!」

 

 霊夢に面と向かって言えばキレられるのは目に見えていたわ。なのでルーミアに言い逃げしておいたのだ。この様子だと私の判断は正しかったようね! 

 華扇? 美味しいお土産渡せば大抵許してくれるから……。

 

 取り敢えず言いたい事を全部言い切ったらしい霊夢は、一息つくと縁側へと腰掛ける。どうやら持ってきたお土産をそのまま食べてしまうようだ。

 既に包みを開けて半分ほど食している華扇から箱ごと引ったくっている。

 

「ふぅ……それにしても今回の外出は迂闊過ぎますよ、紫。賢者としての自覚が希薄過ぎる。よりにもよってこんな時期に……」

「説教は霊夢で足りてるけど?」

「隠岐奈亡き今、新体制の在り方が問われている。そんな時にトップである貴女が姿を消して幻想郷を不安定にさせてどうするのですか」

「貴女もトップでしょうに」

「殺されたいの……?」

 

 マジの殺気に思わず身が竦んだ。隣では霊夢が「他所でやれ」と言わんばかりに嫌そうな目を向けている。

 なんだろう、華扇とはそこそこ付き合いが長いので思わず萃香を相手するような対応をしちゃうのよね。もしや私が一方的に友達だと思っているだけ……? 

 

 と、取り敢えず幽々子用に買っておいたお土産を追加で渡しておこう。そうしましょう。

 

「私は貴女や隠岐奈のように、幻想郷そのものを左右するような影響力を必要としていないと常々言っているでしょう。この地位にいるのは完全に成り行きよ」

「そうでしたわね。しかし今や古株の賢者は私と貴女、そして天魔だけ。他は皆、消えてしまいました。……この状況で貴女を失う事は受け入れられないわ」

「ならば私が賢者を続けたくなるよう、最低限の責務は果たしてもらおう」

 

 半ば脅しのような言葉に私は頷くしかなかったのだった。

 

 あれだけ居た賢者も設立当初からのメンバーはもはや3人だけ。途中離脱してたてゐを含めると4人だけど、それでもとんでもない話だ。

 他の皆はね……異変のゴタゴタで殉職したか、幻想郷に見切りを付けて雲隠れしちゃった……。気持ちは痛いほど分かるので強くは責めまい。

 

 今の賢者は先ほど述べた4人に阿求を加えて全員である。応接間……まこと広うなり申した。

 

「賢者の枠を拡充すれば済む話だと思うんだけどねぇ。なにせ今の幻想郷には人材が溢れかえっていますので」

「故に慎重に見極める必要がある。能力だけなら申し分無くとも、正邪と隠岐奈の二の舞は是が非でも避けねばならない。それに貴女から目を離せば最悪萃香みたいなゴロツキを賢者に選びかねない」

 

 ギクゥ!

 

「……」

「……冗談のつもりだったんだけど」

「コイツ、こう見えて人を見る目は無いから気を付けといた方がいいわよ」

 

 霊夢うっさい! 

 

 でも実際のところ私より萃香や天子さんの方が良い政治してくれそうじゃない? あと単純に周りが友達だらけだと心情的に楽。

 まあ、そのあたりは今の幻想郷で各々がどういう役割を担っていくかをじっくり観察して結論付ければいいわ。

 

 そう。色々とちょうどいい。

 

貴女(華扇)の言う通りね。故に良い機会だと思わないかしら? 幻想郷に蔓延る様々な騒動を新興勢力がどのように収めるのかを見定めるには」

「……アレら全て貴女が用意した、というオチであれば話が変わってきますが」

「まさか、殆どが()()()()ですわ。まあそれはそうと、私的なお願いを含んでいる件については申し訳なく思っていますけども」

「ああ、宇佐見菫子という少女の捜索ね。権力の濫用は感心しませんよ」

 

 結局、慧音を問い詰めてみても菫子の行方は判明しなかった。おかしい……私の推理では100%慧音が犯人の筈なのに……! トリックを見破られたならちゃんと潔くなってくれないと困るわ! 

 

 ただやはり何かを隠している様子だったので、逃亡阻止を兼ねてちょっとした処置を取らせてもらってるけどね。

 正直なところ慧音の無力化は本意ではないのだけれど、やっちまってたものはしょうがないの精神ですわ! 私は悪くない!

 

 そんな捜査の難航もあって、現在、幻想郷のあらゆる勢力に菫子の捜索願いを出しているのだ。マジで何処に行っちゃったんでしょうね……。心配で寝不足になっちゃう。

 

 というわけで、菫子を取り戻してくれた者には! なんと! なんとですね! 私に叶えられる範囲での要望を実現しますわ! 

 金品現物なんでもござれ。幻想郷の政策にも許容範囲であれば口出しオーケー。

 大盤振る舞いですわ! 

 

 大捕物感覚の幻想郷住民には概ね好評ではあったけれど、事なかれ第一の皆様からは猛バッシングを受けているのは言うまでもない。

 まあ菫子保護を優先するんですけど。

 

「遭難者の保護も大切だけど、他を手薄にしないようにお願いします。異変の火種は何処から噴き出してもおかしくないのですから」

「肝に銘じますわ。はいこれ」

「ん……。霊夢、私はもう帰るけど鍛錬を怠ってはなりませんよ。いいですね?」

 

 説教よりも土産倍プッシュの魅力が勝った。華扇はニッコリ笑顔でブツを受け取ると、ご機嫌な様子で仙界に帰っていった。

 アレでも実際頼りになる人なのよ。

 ……仙人? 鬼? 

 

 

 さて、2人への謝罪も済んだ事だし、私もそろそろ家に帰りましょうかね。少し休んだらまた菫子を探しに行かなきゃいけないし、幽々子を始めとして各勢力の皆さんにもお土産を渡しておかないと。

 ご近所付き合いは大切ですもの。

 

 ちなみにさとりはスルー。理由? あんまり顔を合わせたく無いから、以上。

 

「それじゃあね霊夢。仕事がひと段落ついてまた暇になったら遊びに来るわ」

「アンタが暇にならない事を祈るわ」

 

 私は泣いた。

 

「貴女の方こそ、魔理沙がリハビリ中で暇なんでしょう? 華扇も言っていたけど、常に精進するようにね。平和だからって気を抜いちゃダメよ」

「……」

 

 お前が言うか? って感じの目で見られた。

 そりゃそうですわ! 

 

「ヘカーティアは強かったでしょう? 流石にあの神は例外中の例外だけど、あのような存在と再度相見えてもおかしくはない。博麗の巫女とはそういう立場よ」

「あのまま戦っていても負けなかった」

「いいえ負けていたわ。断言します。なんなら幻想郷に居たとしても摩多羅隠岐奈に敵わなかったかもしれない。怠惰で負けず嫌いなのはいいけど、それが原因で死んじゃったら困りますわ」

「私が殺されるもんか。それよりもアンタは自分の身の心配をしたらいいんじゃない? 前回だって死にかけてたんだし、人のこと──」

 

「本当に? 本当に死なないと約束できる?」

 

 こんなに念押しされるとは思っていなかったのだろう、霊夢が怪訝な表情で私を見据える。

 何の意味のない問答であるのは百も承知。だけど肯定の言葉だけどうしても聴きたくなってしまった。そうすればまた一つ安心できるんですもの。

 

 霊夢は私からの挑戦状と受け取ったのだろう。目つきを鋭くすると、傍に置いてあったお祓い棒を私へと差し向ける。

 

「アンタに"間違い"を認めさせてやるまでは死なないわよ。絶対に」

「そ、そう」

「都合のいい道具のまま死んで堪るもんか。妖怪だろうが神だろうが、どんな相手でも負けない。アンタを引っ叩きに帰ってきてやる」

「ふふ、今度は私に良いところ見せてね♡」

「チッ」

 

 盛大に舌打ちされたけど、やっぱりそういうところも可愛いのよね。

 ところで"間違い"とは何の事でしょう? うぅむ、霊夢に対する認識云々のことかしら。別に道具とは思ってないつもりなんだけどねぇ。

 

 霊夢と私。それだけですわ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 嵐のような騒乱が過ぎ去り、日々の生活に戻ったことで、人間たちは安堵していた。

 やはり平穏な日常こそが幻想郷では最も得難きものであると再確認したのだ。

 

 しかしそこは幻想郷クオリティ。異変とまではいかないものの、世間を騒がせる事件が既に何件か起きていた。生活に直結せずとも、人々に不安を抱かせるには十分な内容だった。

 

 幻想郷の平和など砂上の楼閣も同然。

 大人から子供まで、その世知辛い現実を詳細に把握していた。

 

 

 妹紅もまたその1人だ。

 麻の隠れ蓑に身を包み、胸に広がる強烈な焦燥感を抑え込みながら、今日も人里を彷徨いていた。

 

 覚束ない足取りで歩いているのは表通りから一つ外れた場所。ここが人里における専らの活動場所だった。

 

「すまない、味噌をあるだけ貰おう」

「あいよ……!?」

 

 蓑から僅かに覗く焼け爛れた皮膚に味噌屋の店主がギョッとなる。日常生活に支障が出ていると容易に想像できるほどのあまりに酷い火傷だった。

 身体を動かすだけで相当な激痛が走っているだろう。顔を覗き見ても、やはり元が分からないほどに爛れている。

 

「ああこれかい? 前回の異変の時にちょっとね」

「そ、そうか……ねえちゃん若ェのに大変だな」

「なぁに命あっての物種ってやつさ」

 

 ドン引きする店主の様子に手応えを感じた妹紅は、若干の軽い足取りで人里を後にする。

 

 自分を藤原妹紅だと判別できる者はほぼいないだろうという自信があった。それほどまでに酷い火傷を自前の炎で用意したのだから。

 また時には隻腕の傷病者、またある時は髪を全て剃って尼僧に扮したりと、様々なレパートリーの変装を駆使して幻想郷を飛び回っていた。

 

 八雲紫の追跡を躱すのに『やり過ぎ』という事はないだろう。あの妖怪の脅威は幻想郷の至る所にあらゆる形で潜んでいる。

 

 

 曰く『実態を伴わない奇妙な怪異が幻想郷中を跋扈している』と。

 

 曰く『外の世界からやってきた謎の少女に八雲紫が破格の懸賞金をかけた』と。

 

 曰く『上白沢慧音が忽然と姿を消してしまった』と。

 

 幻想郷で起きている問題の中で、妹紅の行動に大きく影響を与えているのが上記の三つである。

 

 

(すまない……すまない慧音……!)

 

 悔やみきれない判断ミス。

 軽率な行動が大事な人を失う結果になってしまった。慧音失踪の原因が自分にあることは明白だった。

 

 不用意に菫子と関わらせてしまったせいで、その痕跡を辿った紫に目を付けられてしまったのだろう。

 最悪、消されたか。

 

 慧音を失った事で、幻想郷において妹紅の味方をする者は一人もいなくなった。

 しかも謎の怪異が多発している事で幻想郷中のあらゆる勢力が警戒を続けており、善意の巡回パトロールが妹紅と菫子の潜伏を阻害する。

 

 戦闘に発展したのも一度や二度ではない。

 雑魚妖怪や妖精なら消し炭にしてやればいいのだが、もし一定のレベル以上となれば流石の妹紅でも戦闘の痕跡を残さずに勝利するのは難しい。

 仮に影狼ほどの妖怪が相手となれば、確実に多少は手間取るので、その時点で居場所がバレる。アウトだ。

 

 

 魔法の森の奥深く。瘴気立ち込める木々の間に菫子は居た。色とりどりの毒々しいキノコを楽しそうに眺めている。

 最近の女児は瘴気をシャットアウトする手段を持ち合わせているらしい。妹紅は感心するばかりだ。

 

「すまん菫子。待たせた」

「ううん全然大丈夫! でもちょっとお腹空いちゃったな……」

「よし早速ご飯にしようか。菫子に摘んでもらったキノコをふんだんに使うぞー」

「わ、わぁい」

 

 調理は非常に簡単だ。

 取り敢えずキノコを一つずつ毒味して、無事だった物を水を張った鍋にブチ込む。ついでに持参したタケノコもブチ込む。身体に良さそうなその辺の野草もブチ込む。

 そして味噌を適量入れて、自前の強火でグツグツと煮込んでいく。これぞ妹紅考案の『サバイバル汁』である。健康志向の人間には堪らない一品だろう。

 

 なお食わせた相手は次回から悉く妹紅の手料理を拒み、輝夜に関しては残機を一つ減らすに至るほどの衝撃を受けていたとか何とか。

 勿論菫子も例外ではなく、結局最後には妹紅にキノコを焼いてもらい、それをそのまま食していた。

 

「本当にそれだけで腹が膨れるのか? 育ち盛りなんだならもっと食べなよ」

「ま、またの機会にね」

 

 菫子は気の利く小学生だった。

 

「また移動するの?」

「ああ、今度は西に行こうか。あそこら辺は確か花がいっぱい咲いててな、物騒な妖怪もそんなにいない静かな所だ。少しは休めるだろうよ」

「別に襲われてもいいけどねー。やっつけちゃうから!」

「まあまあ、お前は最終兵器だからな。来るべき時までは私に任せてくれ」

 

 こう言っておけば子供は簡単に納得してくれるのだ。愛いものだと思った。

 

 菫子は謎の能力を有しているが、それを防御に行使してくれれば妹紅が全力で戦える。それだけで幻想郷の殆どの脅威を跳ね除ける事ができる。

 実に理に適った役割分担だと言えよう。

 

 明朝、2人は太陽の畑に向けて発った。

 

 

 

 

「いたぞ、あの2人組だ! 犬走隊長こちらです!」

「天魔様の見立て通りですね。畳み掛けましょう」

「総員厳重に囲いなさい! 彼女らを逃がしてはなりません!」

 

「鬱陶しい連中だな……」

「攻撃も手伝おうか? もこたん」

「必要ないよ。しっかり掴まってな!」

 

 何の前触れもなく現れた天狗の捕物部隊を蹴散らしながら、妹紅と背負われた菫子は荒野を疾駆する。記憶ではこのあたり一面は花畑で、楽園のような場所だった筈だが……どうやらそれは過去のものだったらしい。

 

 遮蔽物が一つもない為に隠れる事ができず、いくら振り切ろうが天狗部隊は何度だって追撃してくる。まるで行動の全てが筒抜けであるようだった。

 

 雨霰のように降り注ぐ弓矢に弾幕、斬撃を菫子の障壁が弾き飛ばし、立ち塞がる肉壁を妹紅が自慢の機動力で蹴り飛ばす。即席の連携にしては上々だ。

 いくら高位の妖怪である天狗、その中でも戦闘を生業とする白狼部隊といえど、妹紅を止めるにはあまりに心許ない。

 

 一人を除いては。

 

「どきなワンコロ。アンタらじゃ命をかけても私を止められないよ」

「だが貴女を逃せば我々の矜持に傷が付く。ならば命を賭して戦うしかあるまい!」

「話の分からん奴だな」

「それは貴女の方だ。大人しく我々と共に天魔様の下に参れば手荒な真似をしなくて済む。一切の狼藉は禁ずると約束しましょう」

「信用ならないね」

 

 命だの誇りだのと、妹紅からは最も縁遠い言葉だ。

 しかし目の前の白狼天狗に他の連中とは一線を画した力が有るのは明白だった。妹紅の目をしてかなり手練であると判断させるほどの力量。

 

「天魔といえば過去に妖怪の山で滅茶苦茶しまくった奴だろ? そんな連中の言う事なんか信じられるもんか」

「……天魔様は昔とは違う」

「何が言いたい?」

「詳しくは言えないが違うったら違うのだ! いいから付いてこい!」

 

「だとさ。どうする菫子」

「いいじゃん行ってあげようよ。ワンちゃんがいっぱいいて楽しそう!」

「……まあそのうち行く事にはなるかもな。だがそれは、今じゃない。という訳でくたばれッ」

 

 不意打ち気味に放たれたのは、激しく発光する熱線。攻撃と妨害を兼ねた一撃だった。

 

 白狼天狗──犬走椛の特異性がその目にある事は既に見破っていた。でなければ妹紅の動きが末端の天狗達にすら筒抜けになっている説明がつかない。それに通常とは異なる視線の動きも不可解だ。

 故に目潰しが有効だと判断した。

 

 しかし椛は妖怪の山を代表する戦巧者。自身の能力を即座に看破した妹紅に驚きを示しつつも、その対抗策へと流れるように移行する。

 熱線を盾で受けるのは不可能と悟り、妹紅に向けて投げ捨てる。当然、不死の炎は盾を忽ち融解してしまうが、僅かな猶予さえ確保できれば良かった。

 

 妖力と妖力の継ぎ目に自らの妖力を纏わせた太刀を叩き込み、術式を破壊。勢いそのままに妹紅の右腕が斜めに切り落とされた。

 

「っ……! 菫子!」

「逃がさないと言ってるでしょうがッ!」

 

 背後へとなんとか後退るも追撃は止まらず、獣を彷彿とさせる超低姿勢の突進から繰り出された斬撃が妹紅の両脚を捉える。

 勝負あった。

 

 刃は確実に腱を切り裂いた。これでは戦うどころか、簡単な歩行でさえ不可能だろう。

 バランスを崩した妹紅は咄嗟に菫子を投げ飛ばすが、直後に椛から組み伏せられ首へと全体重を乗せた刀身が押し当てられる。

 

(我々に必要なのは幼子のみ……! この女からは危険な匂いがする、それに捕縛は不可能、不要ッ。今ここで排除するのが望ましい!)

 

「ぐ……ぉぇっ……」

「総員! 宇佐見菫子を確保せよ!」

 

 首の中ほどまで刃を食い込ませ致命傷を負わせたのを確認、即座に菫子捕縛の指示を出す。

 しかし、腕に走った激痛に思わず顔を顰め、続く命令を出せなかった。

 

 妹紅の残った左腕が椛のそれを掴んでいた。死にかけのくせにここまでの握力を残しているのかと驚愕するが、それよりも危惧すべきは妹紅の体温が急激に高まっている事だ。妖力の流れが加速している。

 

「全員距離を──ッ!」

 

 身体中の生命力を妖力に変換し、自らの細胞を焼き尽くすことも厭わない焼身爆発。

 企みの看破が僅かに遅かった。

 

「諸共死のうや」

 

 

 

 

「こっぴどくやられたねー。被害は?」

「半数が戦闘不能。後は見ての通りの惨状ですが」

 

 増援が駆け付けた頃には既に手遅れだった。

 何処までも広がる荒野にまた一つクレーターが追加され、その爆心地の近くで天狗達がひっくり返っている。爆風を比較的至近距離で受けた椛も同様で、黒焦げになりながらも淡々と状況を説明する。

 

 にとりは部下の河童達に怪我人を運び出すよう指示しつつ、被害とは別の方向に頭を悩ませる。

 

「自爆されちゃったんじゃ動機も正体も不明かぁ。例の宇佐見菫子って人間も一緒に吹き飛んで終いなんて天魔様にどう報告したもんか」

「肉片一つ残らない程の爆発でしたので真相解明は難しいかと。面目ない……」

「まあ仕方ないよ。末端は最善を尽くしたさ、あとは上が考えることだ」

 

 最高戦力である文の復帰が長引くことが予想される今、山の盾たる白狼天狗の武威と、他種族との融和を示す必要があった。故に治安維持を目的とした大隊を河童と共同で展開していたのだ。

 

 わざわざはたてに念写してもらって居場所を特定し、接敵に成功したにも関わらずこの結果は非常に残念だ。

 だが最低限の成果は確保できただろう。

 何より犬走椛の復活を内外に喧伝できたのは良い収穫だった。黒焦げだが。

 

 それにしても、と。にとりは怪訝な様子を隠そうともせず呟く。

 

「なんだって八雲紫はこんな書き入れ時に人間の子供を追わせたのかね? はたてもはたてで妙にやる気なのも変だし」

「関係ありません。どういう思惑があろうが、私は天魔様の命に従うのみ」

「ほーん……まあ後は任せるわ」

 

 いくら八雲紫から破格の報酬が出るのだとしても、復興商戦中に捕物に付き合わされるのは間尺に合わない。ただでさえ狸だの兎だの、競合相手が増えているというのに、妖怪の山の発展機会をみすみす見逃すとは我らがリーダーは一体何を考えているのやら。

 

「なーんか臭いんだよなぁ」

「し、失礼な! これは私じゃなくて炭の臭いです!」

「違うわアホ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「死んだフリ作戦大っ成功! やったねもこたん!」

「おう。案外なんとかなるもんだな」

 

 互いの無事を確認し歓喜のハイタッチ。

 妹紅と菫子は共に傷一つなく、無傷であの窮地を切り抜ける事に成功していたのだ。

 現在は戦闘場所からは遠く離れた迷いの竹林、つまりスタート地点に戻っている。

 

 カラクリは非常に単純なもので、追手とそれなりに戦った後、妹紅の自爆と同時に菫子が予め決めていた地点にテレポート。そして魂だけとなった妹紅は悠々と菫子の下に向かう。たったそれだけの作戦である。

 

 しかしその効果は絶大で、ほぼ確実に追跡から逃れる事ができるし、2人を死で偽装する事による撹乱効果も見込める。

 新参の菫子と、引き篭もりの妹紅。

 2人の能力が幻想郷に知れ渡っていないからこそ成せる技であった。

 

「だがあんな連中にこれからも絡まれ続けるのは面倒だな……。これからどうするか」

「へーきへーき! 何度来たって私ともこたんで返り討ちにしてやろ!」

「それもいいけど、あんまり騒ぎ過ぎて厄介なのを呼び寄せちまったらもっと面倒になるぞ」

「厄介なの? 誰それ」

「そりゃお前、やく──……あー、あれだ。とにかくこうなったら安心できる潜伏先を探さないといけない。空き家でも探してみるか……?」

 

 各地を根無草のように放浪しても、あの目の良い天狗に見つかるのがオチだろう。

 現状、妹紅に打てる手立ては殆ど無い。

 菫子を取り巻く環境は時間の経過とともに厳しさを増していくばかりだ。

 

 だがまだ最悪ではない。

 そうだ、自分が挫けない限り、菫子には指一本触れさせやしない。その確固たる負けん気と不死身の身体が妹紅をさらに強く突き動かすのだ。

 

 弱気な考えを頭の奥へと押しやり、決意を新たに周囲への警戒を強める。

 

 

 

 だから──本当にギリギリで気付けた。

 ただの偶然だったのだ。それが幸運にも菫子の命脈を繋いだ。

 

 この存在を前にして、何故のうのうと楽観的に構える事ができたのか不思議でならない。

 天狗達に見つかるずっと前から、自分達に向けられていた無色で、底無しの狂気に。既に喉元まで迫っていた不可視、不認識の"終わり"に。

 

「──ッッッ菫子ぉ!!!」

「え?」

 

 妹紅の行動もまた、ほぼ無意識に近かった。微塵の警戒もなく突っ立っていた菫子を自分の側に引き寄せ、一足飛びに距離を取る。

 逃げるのはダメだ。追い付かれるのは当然だし、何より背を向けるのは死に直結する。

 

「気味の悪い妖力撒き散らしやがって。何処のどいつだ、姿を見せな」

 

「……よく気が付いたな人間。私の術をほんの僅かでも看破するとは。長く生きているだけの事はある」

 

 無から出し無明の存在。仄かな発光と共に像が定まり、靄から形が固定される。

 忘れるはずがない。前と何も変わらぬ姿。

 金の長髪、紫色の瞳。妖しい微笑み。

 

 憎々しげに呟く。

 

「八雲、紫……っ」

「おっ、この私が八雲紫に見えるのか? それはそれは……重畳ですわね」

 

 オホホ、と。化け物の形をしたナニカがわざとらしく声を上げて笑う。醜悪な事この上ない。

 ふと背後で縮こまる菫子へと目を向ける。

 

「どうした?」

「分からないけど、なんか……怖い」

 

「ふふ、同じ八雲紫でも見え方、在り方は異なるものですわ。それが正体不明(unknown)!」

 

 異常な怖がり方だった。あれほどまでに会いたがっていた紫を前にした反応ではない。

 そんな菫子の様子も目の前の八雲紫にとっては極上の娯楽であるようで、愉悦の笑みを浮かべている。

 

「しかし残念、私は本物の紫ではない。その正体は古より生きとし生ける者に等しく恐れられた伝説の怪異──」

 

 ラグが走り世界からの認識を書き換える。

 紫の持っていた傘が三叉槍となり、髪は露に消えて黒となり、存在そのものが変質した。

 一番に目に付くのは、やはり異形の翼。

 

「平安の大妖怪、封獣ぬえ様よぉ!!!」

 

 現れたのは紫よりも幾らか小柄な少女。あの悍ましい姿に比べればとても可愛らしいものだ。

 しかし、全く別物であるはずなのに、その身から立ち込める重厚な圧力は紫とあまりに酷似していた。

 

 眩暈を覚えるほどの混乱はあったものの、今は燃え上がるような戦意が勝った。

 

「八雲紫の手下だな。狙いはやっぱり菫子か?」

「半分だけ正解。このぬえ様が紫の子分だなんて冗談キツいわ。私は誰の下にもつかない! ……ていうかぬえ様だぞ? もっと驚きなよ」

「そんな妖怪知らん」

 

 それだけ分かれば十分だ。菫子狙いといえど、先ほどの天狗達とは立場が全く異なるのは明白だろう。いわば親玉から直々放たれた刺客。

 やはり面倒なのを呼び込んでしまった。

 

 妙な軌道で浮遊しながら、ぬえは愉しげに話しかけてくる。ほんの少しの挑発を添えて。

 

「ガキを匿っていたのはてっきり上白沢慧音だと思ってたけど……お前だったのか。まあ当たらずも遠からずってやつかな?」

「何だと? まさか、慧音はお前が」

「せいかーい。何やっても吐かないし抵抗してくるもんだから大人しくしてもらってるわ」

「生きているんだな?」

「さあね。決めるのは私じゃないから。まあ生きてるんじゃない? 元気ではないだろうけど」

 

 挑発は効果覿面だった。

 心の奥底から湧き上がる抗い難き久々の激情に、身を委ねる準備を始める。

 

 年の功。

 妹紅は憎悪を力に変える事のできる人間だ。

 

「戦う理由が増えたな。やはりこの逃走劇は八雲紫をブチ殺すまで終わらないらしい」

「は? クク、お前本気でそんなことできると思っているのか? 正体も居場所も筒抜けで、この私と相対しておいて、この期に及んでまだ戦えると?」

「それでも菫子(コイツ)は渡せないねぇ」

「あはは、紫への仕返しって理由だけで修羅の道を歩むのね。さぞ憎かろう憎かろう」

「半分正解だな。理由はそれだけじゃないよ」

 

 震える菫子の手を握る。

 それだけで八雲紫への恐怖が幾らか和らぐのだ。

 

「もう嫌なんだよ。これ以上心を壊されるのは」

「いいわね、その意気や良し。流石は紫に3回も逆らっただけの事はある。やはり昔の人間は良いねぇ気骨があって。お前の素晴らしき勇気を賞賛しよう」

 

 古豪の妖怪にありがちな反応だ。人間の勇猛果敢な無鉄砲さを惜しみなく賞賛するそれは、一世を風靡した妖怪が好む姿そのものである。

 

 しかし、だからといって手心を加えてあげるような優しさを持ち合わせるほど、封獣ぬえという大妖怪は出来ていなかった。

 

「お前達の旅はここで終わりだがな!!!」

 

 爆発的な拡散。妹紅をしてこれまでに感じた事がないほどの莫大な妖力が、破滅を呼び込む霧となり迷いの竹林を丸ごと包んでいく。

 一匹の妖怪が有しているとは到底思えないほどの力。尋常じゃない。息が詰まりそうだ。

 

 出し惜しみ無しで、ハナから全開で行くしかない。

 

(こんな妖怪を一番に寄越してきやがるなんて。八雲紫はそれほどまでに菫子を……!)

 

 

「正体不明の恐怖を忘れた人形よ! 自らの身も心も見失い、夜に怯えて死ねッ!」




※ゆかりんははたての能力を知らない

幻想郷では他にも軽めの宗教戦争とか、重めの経済戦争が起きてるけどまあ……平和ですよね……(今までの異変を振り返りつつ)
そして全国8556398人のぬえちゃんファンの皆様お待たせいたしました。ぬえちゃん【made in yukarin】【クーリングオフ不可】【マルチ商法】【違法カスタマイズ】です!
遠慮するな今までの分食え……


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藤原妹紅と宇佐見菫子の奇妙な冒険③

新作楽しみですね♡


 

 幻想郷で今ホットな場所といえば、やはり人里が一番に挙がるでしょう。

 これまで重要な出来事が起きた時、何かと蚊帳の外となるのが多かった人里だが、良くも悪くもようやく脚光を浴びたのだ。

 

 緩衝地帯、妖怪勢力の空白地としての立ち回りでクセのある大妖怪達と渡り合い、平穏を実現してきたのは見事。人間を護ってきた歴代の知恵者達の統治手腕には感服するばかりだ。

 

 しかし、幻想郷そのものを大きく揺らがせた大異変の前についに安寧は崩れ去った。

 さらには異変後も復興を名目として様々な勢力から莫大な資本が流れ込み、他所の影響力が遥かに増している。今や陣取り合戦、草刈場と化しているのが現状だ。

 

 幻想郷成立からはや百と数十年。人里は大きな転換を迫られているのかもしれない。

 

 とまあね、なんで急に改まってこんな話をしたのかというと、その余波を真正面から浴びまくっている可哀想な少女が目の前にいるからだ。

 

「久方ぶりね阿求。えっと……ちょっと窶れた?」

「8徹目です。まだまだいけます」

「お大事に……」

 

 ドス黒く濁った瞼でこちらを睨み付けてくる阿求の擦れ切った姿に、私は涙を禁じ得なかった。ただでさえ短命な阿求の寿命が壊れてしまうッ! 

 里長、賢者としての業務にただでさえ忙殺されているというのに、それに加え人里が妖怪の(懐の)食い物にされている現状が合わさった結果、阿求の労働環境が著しく悪化してしまったのだ。

 

 今日はそんな彼女を見かねて助っ人に来たって運びですわ。

 まあ、阿求の仕事がオーバーフローした理由の何割かは私のせいかもしれないしね。具体的に言うとマミさんとか慧音失踪とか。

 

 ついでに私1人じゃ助力の内容などたかが知れているので、データ整理担当として橙を呼んでいる。こういう単純作業を任せて式神の右に出る者は居ないわ。

 今も黙々と稗田の使用人達が運んでくる資料や報告を順繰り捌いてくれている。

 ……マジでもう『八雲』くらい名乗らせていいよね? よね? 

 

「本当に助かります……ありがとうございます」

「気にしないで頂戴。人里の安定は巡り巡って幻想郷の安定に繋がります。妖怪の影響力が人里内で増すのは確かに憂うべき事態ですが、上手くいけば貴女達の地位をさらに盤石なものに整える事にもなりましょう」

「なんと、妖怪達の熾烈な経済戦争を止める手立てを既に考え付いていると?」

「幻想郷のメカニズムを把握すればなんて事はありません。経済を操るのは常に『神の見えざる手』によるものですもの」

「あー、市場の神というやつですか」

「その通りですわ」

 

 髪をかき上げながらドヤ顔でそんな事を宣ってみる。昨晩のうちに霖之助さんから蘊蓄本を借りて上手い事リハーサルしてた甲斐があったわ! 

 なお意味はよく分からない。

 

 しかし人里の問題を解決する方法は既に考案していますわ。あとは阿求がこの策に乗るか乗らないか、だけですわね。

 

「そもそも連中が急に金儲けに意欲を見せ始めたのは、異変において暴力による抗争を堪能し尽くしたのが原因でしょう。故に、今度は頭脳戦がムーブメントと化したと」

「傍迷惑な話ですね……」

「あとは兎と河童(と狸)が力を付けた事が発端ですわ。彼女達は異変での貢献度が高く、出過ぎた行為をあまり咎められないのでやりたい放題よ」

「兎鍋食べたい」

 

 阿求が壊れ始めた。

 

「まあ要するにね? この経済戦争をひたすら盛り上げまくって、最終的に私達が客観的な立場から一区切り付けてあげればいいのよ。祭りが終われば自然と沈静化していくのが幻想郷の常ですわ」

「荒療治、という訳ですか。確かに試してみるのはアリですが、これでブームが収まらず更に加熱し始めた時は……?」

「うーん……もう一度大規模な異変を誰かに起こしてもらうとか?」

「勘弁してくださいよ」

 

 ああ、阿求の顔が土色に染まっていく! 

 慌てて冗談である旨を伝えるも、阿求の動悸が止まらない。後で永遠亭に行きましょうね。

 

 取り敢えずスキマ越しに阿求の肩を揉んであげながら、ゆっくり段取りについて話し合う。

 

「人里の復興が完了したら、まず一番に幻想郷中を巻き込んだお祭りを開催しましょう。苦難の異変を全員で乗り越えた事を祝う大々的な宴会ですわ」

「なるほど萃香さんの手を借りると」

「喜んで力を貸してくれるに違いありません。あと主催は霊夢にしましょう。博麗神社例大祭と併せて開催することで祭りの格を高め、説得力を持たせる」

 

 要するに「健全な競争なら大歓迎だけど、やり過ぎるようだったら霊夢が潰しに行くわよ♡」という事を暗に示す訳だ。

 博麗の巫女は全てに優先されるからね、超法規的な決定にも必ず従わなくてはならないのが掟であり、幻想郷で幸せに暮らすための数少ないコツですわ。

 

「霊夢さんを噛ませるなら問題ありませんね。それではその方向で進めていこうかと」

「あの子の説得と各勢力への根回しは八雲の方でやっておきますので、貴女はきたる時まで里内の安定に努めてくださいな。慧音がいない分、そちらの方が重要ですわ」

「本当に助かります……。防衛戦力はこれまでになく充実してるんですけど、慧音さんの役割を担える人はいませんからね。首の皮一枚繋がった気分です」

 

 慧音は人里の中核に名を連ねる高級人材。代わりなどいるはずもない。

 それだけ立派な人物だったのにどうして誘拐なんかしちゃったんだろう……。

 人は皆、心の内に鬼を飼っているのかもしれないわね……。

 

 あっ、そうだ。

 阿求の下を訪ねたのは仕事の話をするためだけじゃなかったんだった。むしろこっちの方が私にとっては重要だったわ! てへぺろ。

 

「それでね、実は用がもう一件ありまして」

「はあ。なんでしょう?」

 

 露骨に警戒されたことに若干傷付きつつ、軽く用件を伝える。

 

「前回見せてくれた幻想郷縁起の原本を渡して欲しいのよ。少々修正が必要となる箇所がありますので」

「……どこの箇所でしょう。貴女の項目ですか?」

「いえいえそれ以外ですわ。なんて事のない項なので安心して頂戴」

「どこの箇所ですか?」

 

 なんとかはぐらかして幻想郷縁起を手に入れようとしたのだが、阿求は出し渋って中々頷いてくれない。

 よって仕方なくスキマでブツを無理やり取り寄せる仕草を見せたところ、観念したのか奥の部屋から使用人に原本を持ってくるように指示してくれた。

 ちょっと横暴な気がしないこともないけど、幻想郷縁起の検閲は私の仕事なので問題ナッシングですわ! 

 恨めしそうな阿求からの視線を無視しつつ幻想郷縁起を受け取り、ページを捲っていく。

 

 確かこのあたりに……あったあった。

 古びたメモが添付された尺稼ぎのためだけに存在するページ。これが問題なのよ。

 相変わらず『ホーキングの時間矢』とやらが何を意味するのかはよく分からないけども、この一枚の紙切れが持つ意味は私にとって非常に都合が悪い。

 

 

【目が覚めたら()()に言おうっと。さて、そろそろまた彷徨い始めようかな】

 

 

 この一文がどうしても目に付く。

 何も知らずにのうのうと。……異物は排除しなければなりませんわ。

 

 該当のページを乱雑に切り離し、スキマの中に放り込む。ホントはこの場で燃やしてしまいたかったんだけど、宇佐見宅での失敗があるからね。ちゃんと然るべき廃棄方法で処分しておきましょう。

 こんな物、幻想郷に残しておく意味はありません。

 

「紫さん。弁償ですよ」

「今は手持ちが無いので後日でもいいかしら?」

 

 ほら、マミさんの差押解除のために結構無理したから……。よくよく考えるとバカンスに行って遊んでる暇なんてなかったのでは? 

 ま、まあ経済戦争のどさくさに紛れて資金調達の目処は立ってるし、なんとかなる筈ですわ! いざとなれば物乞いも辞さない覚悟もありますし! 

 

 何度目になるか分からない「ごめんなさい」を伝えた後、阿求からの疑わしそうな目を振り切るようにスキマへと逃げ込む賢者の図であった。

 橙が居れば私はもう用無しですわ。

 

 

 

 じゃ、阿求の方は終わったし、次はこっちね。

 

 ほんの少しの力と願いを込めてスキマを縦に引き裂く。そうするといつもとは一風変わった景色が私を出迎えてくれる。

 最近になって気付いたスキマの応用法だ。

 

 漆黒の大地からはいくつもの長方形の建物が生え出ており、切り取られた穴から溢れるネオンの光が闇を切り裂き、擬似的な昼を演出していた。

 連なる山々のような摩天楼が私を威圧するように堂々と聳え立つ。

 

 紫色の夜空に欠けた爛々の月が浮んでいる。

 星は地上の灯りによって見えなくなったのか、いや最初からそんなものは無かったのか。

 どちらにしろ私には得難き物だ。

 

 

 此処はどの異界にも属さない無に浮かぶ空間。

 このアスファルトも、ビルも、全て虚構が見せる醜い幻ですわ。

 

 幻想郷とも、八雲邸がある空間とも、況してや外界とも違う隔離された世界。私が生み出した境界と境界の狭間。夢幻にも満たない、空想のなり損ない。

 

 全ての物事の境界線上に立つという事は、即ち誰にも観測し得ない領域に存在する事を許された事を意味する。夢、死、無意識の境界か。

 私は"存在"の実態を、この厚さ0の認識の境であると考えています。それがこの世界を形作り、生み出す一因となったのでしょうね。

 

 この世界を感知し足を踏み入れられるのは、境界の住人たる私と、私が招いた客人だけ。

 故に私は、物を隠すなら此処しか無いと思った。思ってしまったのだ。

 

 相変わらず飾り気のない不細工な夜空にうんざりしつつ、人っ子一人として居ない寂しい世界を闊歩する。

 降り立った場所から少し歩いた先にある一棟のビル、その中の一室へと足を踏み入れる。

 

 家具一つ無い殺風景な長方形の一室。

 そこに居たのは、椅子に座ったまま私を敵意マックスで睨み付ける慧音と、目を瞑って此方に何も反応を示さないメリーちゃんボディのAIBOだった。

 AIBOの方は色々とお久しぶりなのでニッコリ笑顔で手を振ってみる。

 

 私が此処に来た目的は簡単で、絶賛拘束中の2人に今日の夕飯を持ってきてあげたのだ。ウチの残り物だけどね。多分放っておいても餓死はしないだろうけど、流石に気が引けるもの。

 

 これね、正直やっちまった感。

 AIBOは兎も角として慧音がここに居るのは完全に事故である。私が望んだことでは無いのだ。誰が悪いかと言えば……まあ、ぬえでしょうね。

 本物に近すぎるのも考えものですわ。

 

「2人ともご機嫌如何かしら?」

「我々を慮る気が微塵でもあるならさっさと解放しろ。それだけだ」

「それはできない相談ですわ。だって貴女達、知り過ぎちゃってるんですもの」

「知られて困るような過去があるなら尚更堂々とするべきだ。仮にも幻想郷の皆を率いる立場ともあろう者がこんな姑息な手で隠蔽を図るとは……見損なったぞ八雲紫」

「……そ、それに? 貴女には女児誘拐の容疑が依然ありますので」

 

 凄まじい速度でレスバに敗北したので話を切り替えた。く、悔しい……! 

 けど私の手の内を知られた以上、何の対策も無しに幻想郷に帰す訳にはいかないのよね。そうなると記憶を改竄したりとか、真実を言えなくする身体に作り変えるとか、何らかの対処が必要になってしまう。

 

 まあどんな対策を施してもさとりに見つかったらそれまでなんだけどね。

 

「だから私は菫子の行方なんて知らないと言っている! 確かに知らない子では無いが……」

「ならどういう経緯で知り合ったのか答えていただけるので?」

「……」

 

 はい黙秘。私に知られると困る事があるようで、ずっとダンマリだ。

 この態度……やはり彼女が犯人と見て間違いないわ! 私の名探偵としての勘がそう囁いている! 

 

 このまま黙秘を続けていても無駄なのにね。

 

「近いうちに『心を読む力』が我が身に戻ってくるわ。覚妖怪には及ばなくとも、貴女の隠したい事実を看破する程度なら問題ない」

「……」

「抵抗の意志は尊重しますが、全くもって賢い判断でないことは明言しておきます。誰も幸せにはならない愚かな選択ですわ」

 

 私の必死の説得にも応じる様子はない。

 ええい頑固者! 

 

 まあいいですわ。先にも述べた通り、慧音の意地もあと少しで無駄になる。時間の問題。

 私は悠々と構えていればいい。

 AIBOリスペクトな感じでクールっぽくね。

 

 

「で、貴女(AIBO)の方は? そろそろ観念してもらえたかしら」

「……」

「前みたいに仲良くしましょうよ。私、正直貴女のこと嫌いだけど死んで欲しいとは思ってないんだから。為すべき事を為せずに消えちゃうのは辛いでしょう? どれだけの犠牲を払って此処に居るのか、忘れた訳じゃあるまいし」

「……」

 

 聡いAIBOの事だ、まだ勝負を諦めていないのだろう。逆転の糸口を今も探っている。

 可哀想に、彼女は自らに書き込まれた使命に妄執しているだけなのだ。

 考えられる限りで最悪の道を辿ってしまった幻想郷を体験した私や隠岐奈に造られたから、この世界を極楽浄土か何かと勘違いしている。

 

 まあ何があったかは私も途切れ途切れにしか知らないけど、正直鬱になりかけたわ。

 できれば彼女も救ってあげたい。

 

「夢はまだまだ続くのよ」

「……目を覚ましなさい。悪夢は終わりました」

 

 駄目よ。終わらせない。

 

「いいえ。地獄のような悪夢はまさにこれから始まるの。貴女も一緒に見届けなきゃ」

「此処まで辿り着くのにどれだけの犠牲があったかなんて言われるまでもない。貴女が今やっているのは大切な者達が紡いできた想いを無碍にし、唾を吐きかけるが如き行為。侮辱でしかないわ」

 

「黙りなさい」

 

 彼女の細い首へと指を絡ませる。殺意は全くないけどね。どうせ私の力じゃメリーちゃんボディのAIBOでさえ殺せやしない。

 でも苦しめるくらいならできる。

 貴女の苦しみは私の苦しみだ。

 貴女の罪は私の罪だ。

 なら一緒に償っていくのが筋じゃないかしらね。

 

「己の正当化なんて許さないわ。決して忘れるな、勝手なエゴで私の大切な人を殺したのは、貴女とかつての私なのだから」

 

「……っ」

「おいやめないか紫!」

 

 慧音に言われて首から手を離す。慣れない事はするもんじゃないわね。

 まあ正直、止め時を見失ってたので制止してくれて助かったわ! サンキュー慧音! 

 

 AIBO相手に憎悪を抱いても仕方あるまい。彼女を殺しても私には殆どメリットがない。それに放っておいても妖力切れで消えちゃうだろうし。

 けど彼女の物言いが面白くなかったのは確かだ。ちょっとだけ苛立たしく思った。

 

 

 っと、藍から連絡が来てた。

 この空間に居ると念話までシャットアウトされてしまうのが難点だわ。利点でもあるけど。

 

 なになに──【迷いの竹林で大規模な衝突、破壊活動あり】ですって? 今更あの土地で問題を起こすような蛮族なんて居たかしら? 

 ……そういえば永遠亭に純狐さんが居候してたわ。また発作でも起こったのかな? ヘカちゃん亡き今、純狐さんを止められるのはウドンだけだからねぇ。

 

 しょうがない。少し様子を見に行きましょうか。

 此方を睨んでくる2人に向けて、笑い掛ける。

 

「それじゃあね。次に会う時が貴女達の年貢の納め時ですわ。あっ、食べた後の食器は勝手に回収しておくからそのままで大丈夫よ」

「ああ。そうしよう」

 

 ホント、次が最後になるといいわねぇ。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「アンタ、やるな。ここまでの妖怪とやり合ったのは本当に久しぶりだよ」

「それはこっちのセリフ! 不死人とはいえ、このぬえ様に食らい付いてくるとは尋常じゃない! 面白いわもっとやろう!」

 

 文字通り"死"闘と呼ぶに相応しい激戦だった。

 雷炎入り混じる天変地異。

 

 ここまで実力伯仲な殺し合いというのは、幻想郷においても然う然うないだろう。

 故に優劣がハッキリとせず、互いに泥沼へと沈みかかっているとも言えるのだが、生半可な奇策で盤面をひっくり返せるほど、ぬえも妹紅も甘くはない。

 なにせ奇策の本家大元と、不変の蓬莱人である。

 

 視認できる限りの竹林は爆熱と怪光があらかた薙ぎ払っており、これ以上は幻想郷の土壌そのものが保たなくなる。タイムリミットは近い。

 

 

「何故アンタほど強力な妖怪が八雲紫なんかに味方する。自称『天下のぬえ様』とやらはプライドも肝も無いのかな?」

「紫に恐れを為し、逃げ回る事しかできない元人間に肝の有無を問われるとは滑稽の極みだ! お前は只管に運が悪かった、同情してやる」

 

 薙いだ三叉槍が妹紅の右腕を奪い去ると同時に、血飛沫と共に放たれた熱線がぬえの頭部を消し飛ばす。何かを奪い奪われ、奪い返す。そして振り出しに。

 延々と繰り返される生き死にの逆転は、互いの価値観を逸脱した狂気の域に至ろうとしていた。

 

 だがしかし、彼女達の間には決定的な違いがあった。

 唐突に放たれたテレキネシスが、妹紅を背後から狙っていた怪異の群を叩き潰す。ほんの僅かに攻撃の手数が減るだけでも妹紅の戦い易さは相当なものだ。

 

「菫子! 攻撃はいいから自分を守ってろ」

「私は大丈夫! 一緒に戦おう!」

 

 前に躍り出る菫子に思わず眉を顰める。それはぬえも同じだった。

 

 菫子捕縛が目的である以上、彼女を傷付ける事は許されない。何処ぞのスキマ妖怪から「菫子は死なない」とは聞いているものの、同時に過度な干渉も禁じられているのがネックだ。

 

 そもそも超能力がかなり強力で、ぬえの四肢を捩じ切るなど随所で的確なアシストを成功させている。故に手を焼いていた。

 しかも時間の経過とともに精度と規模が加速度的に進化してきている。

 

 いずれにしろ、やり難い事この上ない。

 ふと、ぬえは距離を取ると、妖しい笑みを菫子へと投げ掛ける。安心させようとしているようだったが、逆効果なのは言うまでもない。

 

「お前、紫に会いたいんでしょ? それなら今すぐにでも会わせてやるよ。ほらこっちにおいで」

「……ゆかりんにはすっごく会いたいよ。だって初めてのお友達なんだもん。でも、私は自分の足で会いにいくから! もこたんと一緒にね!」

「そうか、私の慈悲に応じないか。生意気なガキめ、それなら私も容赦はいらないな。いっぺん死にな! 妖雲『平安のダーククラウ──』!」

 

 

「『死にな』じゃないよスカタン」

 

 

 いよいよ我慢ができなくなったぬえは、菫子への被害を度外視した攻撃を仕掛けるべく、スペルカードを手元に召喚する。

 しかし詠唱よりも制止の声が僅かに早かった。

 

 新手。

 心胆寒からしめる異常な威圧感。

 

 ぬえの向かい側、つまり妹紅達の背後に現れた存在が味方でない事は一瞬で分かった。

 

 その身から溢れ出る気質はあまりにも禍々しく、それでいて、ぬえのものに酷似していた。八雲紫の一派である事は明白だ。

 思わず舌打ちしてしまうほどに状況は悪化した。挟み撃ちの形はまずい。

 

 ぬえへの警戒をそのままにゆっくり振り返る。

 

(あれだけ派手に暴れちまったんだ、当然追加を差し向けてくるよな……)

 

「アンタも八雲紫の手下なんだろ。名は?」

「お見通しって感じの顔だねぇ。いいよ勿体ぶらずに教えたげよう。私の名は、洩矢諏訪子。とっくの昔に落ちぶれちゃった神様さ」

「あの妖怪の手下に成り下がってるなら、落ちぶれたって言うのも納得だな」

「手下って訳じゃないよ。古い知り合い」

 

 荒廃した土壌が歩みとともに朽ちていく。

 妹紅をして冷や汗が止まらない。落ちぶれた神という自称にしては、あまりにも『呪』が強過ぎる。

 

 奇妙な帽子と袖丈の合わない古風な服がその幼き姿をより引き立てるが、可愛らしい外見では中和しきれないほど、その神が身に纏う"終わり"は濃密だ。

 

 雰囲気で分かる。最低でも封獣ぬえと同格。

 

 一方で、ぬえは不機嫌な様子で手に持つ三叉槍を諏訪子へと差し向ける。妹紅や菫子に向けるよりも強い敵意と不満。

 

「私が一人でやるって言ったよねぇ諏訪子サマ? まさか邪魔するっての?」

「なんでそんな喧嘩腰なんだ。……まあさっきまで大人しく見てたけど、このままじゃ取り逃しそうだったからね。悪いけど助太刀してあげるよ」

「余計なお世話だ! 手を出すならアイツらより先にお前からコロス!」

「そんな物騒なこと言わないの。ぬえったら上白沢慧音の時も暴走して事態をややこしくさせてたじゃん。そんなんじゃ紫に嫌われるよ?」

 

 やや痛いところを突かれてしまったようで、ぬえは口を尖らせた。

 

「久しぶりに暴れられるチャンスで血が滾っちゃったんだよ。でも元はといえば紫が!」

「そう、紫が悪い。なら見返してやらないと」

「……分かった。一緒にやってやろう」

「よしよし。良い子だね」

 

 ぬえが折れる事で挟撃が現実のものになってしまった。

 

 三つ巴だったならまだ勝機はあったかもしれない。だが団結されてしまっては無理だ。

 幻想郷において最強クラスに食い込んでくるだろう傑物を一度に2人相手しながら菫子を守り抜くのは不可能に近い。

 しかも戦いが長引けば更なる増援が来る事だって考えられる。

 

「……菫子、一か八かだ。瞬間移動で逃げろ」

「でも!」

「頼む、お前を渡したくない。アイツらを片付けたらすぐに後を追うから、早く」

 

 天狗部隊と邂逅した時と同じく、焼身爆発の準備に入る。しかし今、妹紅の身体を巡る妖力の高まりは前回の比ではない。

 その規模は迷いの竹林全域、幻想郷の3割を熱波の嵐に包み込む域に達している。

 

 余裕綽々な様子だった諏訪子とぬえは、妹紅の狙いを看破して表情を険しくする。

 こんなものを至近距離でまともに受ければ身が保たない。如何に2人が特別であったのだとしても、木っ端微塵になってしまえば不都合が生じる。

 

「あれは許しちゃいけないやつだね。一気に無力化しちゃうとしようか」

「私に向かってエラソーに命令するんじゃない! 鵺符『鵺的スネークショー』」

「ごめんねー。源符『諏訪清水』」

 

 諏訪子の口から吐き出された呪の濁流が妹紅と菫子を為すすべなく飲み込み、さらに流れに乗って身体に付着する細長い発光体が妖力の膜を食い破り体内へと侵入してくる。まるで意思を持った弾幕。

 呪とともに血流に逆らい上へ登ってきている。

 

(くそっ……頭を目指してやがる……!)

 

 寄生虫のように自分の脳みそを弄って何か細工をするつもりなのだろうか。

 だとすれば妹紅にとって由々しき事態だ。変化を拒絶する永遠の属性でも、自らの認識の変遷は止められない。術中にハマってしまえば最悪操り人形だ。

 死ねればリセットできるだろうが、菫子の捕食が完了するまでは絶対に許してくれないだろう。

 

 なんとか死んで場を仕切り直そうと自爆を敢行するが、諏訪子のスペルが妖力の動きを阻害し上手くいかない。あまりの不快感に手足をよく見てみると、ぬらぬらした触手のようなものが巻きついている。

 また、ぬえの能力により思考スピードも格段に落ちていた。

 あまりにも鮮やかな連携だ。

 

 菫子の方はバリアを張る事でなんとか難を逃れているが、呼吸ができずに悶え苦しんでいる。迷わずテレポートで逃げていればと後悔しても、もう遅い。

 

 咄嗟に舌を噛み切って絶命を試みる。しかしこれでは死ぬよりもぬえの弾幕が先に脳へと到達するだろう。間に合う見込みはなかった。

 

(諦めて堪るか……! メリーみたいに見殺しなんて、絶対に……!)

 

 

 

「逆転『チェンジエアスレイブ』」

 

 途端に支配から解放され、妹紅と菫子は地面に叩きつけられた。少しして妹紅の自決が完了し、健康体で復活すると同時に周囲の状況を確認する。

 竹林を水没させる勢いだった濁流は一瞬のうちに消え失せており、ぬえの放った奇妙な発光弾幕も消失していた。まるで幻と戦っていたかのように。

 

 目の前にはスペルカードを構えたままの諏訪子とぬえの姿があり、直後の状態のまま凍り付いたように硬直している。

 溢れんばかりに迸っていた生命力はなく、まるで土人形が突っ立っているような違和感。

 

 やがては頭から崩れていき、散乱する土塊になってしまった。

 あまりの急転に惚けるしかない。

 

「も、もこたん……何があったんだろ?」

「さてな。どうやら助けられたみたいだけど……アンタ、何者だ?」

 

「お礼は無しかよ。助け甲斐のある連中だ」

 

 人里を徘徊する時の妹紅のように、隠れ蓑を深く被った人物が僅かに残った竹藪から此方を覗いていた。声音からして女性であるようだが、妹紅は聞いた事がない。

 人か妖怪かも分からない謎の存在。

 

「すまんな。さっきからロクでもない連中ばかりと出会すもんだから警戒しているんだよ。助けてくれてありがとう、私の名は藤原妹紅、こっちは宇佐見菫子だ。アンタの名前は?」

「おっと待ちな。私の名前を出せるかどうかはテメェらから望む答えを引き出せた時だけだ。それまでは私の事は──そうだな『幻想の叛逆者S』とでも呼べ」

「そうか分かった。Sだな」

「不審者! もこたん不審者だよ!」

「しっ」

 

 どういう術を使ったのかは分からないが、あの2人を無力化したという事はつまり、Sは八雲紫とは敵対する立場にある可能性が高い。

 話を聞く価値はあるだろう。

 

 と、Sが身を屈める。

 

「取り敢えず場所を移すぞ。八雲紫の傀儡が来るだろうし、現地住民に見つかっても厄介だ」

「しかし何処へ? 多分幻想郷の何処に居ても追手は振り切れないぞ」

「なら話は簡単だろ。幻想郷の外に出ちまえばいい。上にも下にも道はあるからな」

 

 

 

 

 

 のこのこと幻想郷に戻ってくるなり、事の顛末を聞かされた紫はストレスのあまり吐いた。それはもう盛大にぶちまけた。

 だが賢者は眠れない。一頻り休んだ後、凄まじい数のクレーム(殆どが迷いの竹林発)を捌きながら、次なる明確な手立てを考えた。

 

 そして事態を重く見た結果、菫子と共にボマー妹紅の手配書も幻想郷中に交付される運びとなる。

 

 罪状は無差別テロ容疑と誘拐補助容疑。

 自爆テロを幻想郷の至る所で見境なく繰り返し、人妖問わず目に付いた者に襲いかかるというのだ。しかも不死で手のつけようが無い。

 

 幻想郷は恐怖のドン底に叩き落とされるのであった。

 

 また、その手配書を見た蓬莱山輝夜は畳の上で転がりまくるほど存分にバカ笑いし、ノリノリで部下のイナバを追手として放ったそうな。




※ゆかりんははたての能力を(略

??「全てを無に返そう!」

卍幻想の反逆者卍Sか……一体何者なんだ……?
ちなみに『ぬえすわ』ですが、多分このコンビに囲まれて勝てるキャラは今の幻想郷には殆ど居ないと思います。永琳でも普通に不利。
つまりゆかりん最強ってことで諏訪。

妹紅の相手の悪さは魔理沙に通じるものがある。

例大祭前にもう何話か投稿できると嬉しい!
評価、感想いただけると頑張れます♡


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デューパー VS エスケーパー VS スキーマー①

八雲紫スキーム妖怪説


「いやはや、紫さんの殺害任務から解放されたかと思いきや今度は邪仙の調査とは。そろそろ夢の世界に帰してほしいものですがね」

「上手くいけばこれが最後になるかもね」

「だといいんですが」

 

 ドレミーは肩を竦めた。

 

 仮死状態の青娥を地霊殿で預かってはや数日。彼女の記憶の深層を探る作業が延々と続いている。

 しかし、芳しい成果は未だ得られていない。

 その道のスペシャリストである古明地さとりとドレミー・スウィートを以ってしても記憶の解明が難航している原因は、青娥の隠匿技術にある。

 

 2人して忌々しげに、寝台の上で心地良さそうな死に顔を浮かべている邪仙を見遣る。

 

「相当なやり手だとは思っていましたが、まさかこれほどとは……。こうも巧妙に隠匿されているのでは夢の支配者も形無しですねぇ」

「逆に考えれば、記憶の中に重要な何かを隠していると口外しているようなものよ」

 

 いくら青娥の意識を覗いても、異変前後と守矢神社で暗躍していたと思われる期間の記憶が見つからないのだ。出てくるのは主に仙人になるまでの道程と、飛鳥時代から平安時代にかけての記憶。

 特に宮古芳香との思い出。

 

 自らの根幹に関わる大切な記憶で頭の中を埋め尽くし、その他を厳重に封する。ある意味邪仙らしい、手段を問わない外法の所業だ。

 それを自身に施す点も含めて、やはりこの邪仙の倫理観はぶっ飛んでいる。

 

 さらに言えば、これほどの封印を即興で為すのは幾ら青娥といえど不可能だろう。予め用意しておいたものであると考えるのが妥当。

 つまり、青娥は異変の失敗と自身の捕縛を想定していたという事になる。

 

 そんな青娥の捨て身とも取れる封印術は見事にさとりとドレミーの追及を阻んでいた。

 もっとも、サスペンス好きなさとりにとって青娥の過去は中々楽しめるものだったので、ドレミーに比べてあまり消耗していない。

 特に芳香を巡る青娥と華扇の愛憎入り混じる三角関係には心が躍った。

 

「楽しんでいるところ申し訳ないけど、そろそろ休憩しても? この邪仙が運び込まれてからというものずっと詰めていますし」

「そうね、そうしましょうか。……お燐、いいかしら?」

 

 辺りを漂っていた怨霊が大きく跳ねると、台所へふよふよと飛んで行く。実体を失ってもなお尽くしてくれる彼女は、やはりさとりの腹心なのだろう。

 ああはなりたくないものだ、と。ドレミーはそんな事を堂々と考えつつカップを口に運んだ。

 

 

 一息吐いて、本題を捻り出す。

 

「地上ではそこそこの騒動になっているようですねぇ。あの可哀想な女児の件」

「宇佐見菫子については心配しなくてもいいわ。いずれどこかのタイミングで幻想郷の誰かが上手いこと保護して落着すると思う。なんなら紫さんが見つけてしまう可能性もゼロではないかもね」

「だから問題なんですよ。あの2人を引き合わせるのは……ほんの少し勇気が要る」

「らしくない。やけに弱気ね」

「そりゃ私が今こうして貴女にこき使われているのは、自分に自信を持ち過ぎていたからです。学んだんですよ、不確定要素に対して警戒し過ぎるに越した事はない」

 

 さとりとてドレミーの懸念を理解できない訳ではない。油断はいつだって禁物である。つい最近だって隠岐奈に酷い目に遭わされたばかりだ。

 しかし今回ばかりは、さとりにとって安心できる材料が幾つかあった。

 

「紫さんの心を隅々まで覗きましたが、怪しい考えは発見できませんでした。いつも通り、間抜けな事とサボる事ばかり考えていたわ」

「そうですか……ならいいんですが」

「まあ、万が一に備えて同盟者のてゐとはたてさん、あとレミリアに菫子の捜索依頼を出しているわ。なるべく紫さんとは接触させないようにね」

 

 さとりは紫の変化を常に監視していた。

 事あるごとに地霊殿に呼び出して心の状態や、『擬き』以外の思考の有無を何度も確認している。付け加えて唯一の抜け穴である夢の世界での動きも、ここ最近は皆無だ。

 

 非常に良い調子で推移している、紫の状態に問題はないと断定した。

 

「しかし気にならない点が無いわけではないですよね? 紫さん自身に問題は無くとも、その周りでは相当数の問題が起きています」

「行方不明になってる擬きさんの件ですか」

「地獄の女神についても、ですよ。あの方は尋常ならざる存在。それを相手にして勝利を収めているのは不自然ではないですかね?」

「……紫さんの記憶にかの女神の死に関する情報はありませんでした。であれば、擬きさんが何かしたと考えるのが自然でしょう」

「全存在を賭けて繰り出した攻撃が運良くヘカーティアを捉え、結果相討ちと考えれば辻褄は合うかもしれませんが……」

「……納得いってないようね」

「納得は全てに優先しますから」

 

 実のところ、ドレミーは紫の現状を違和感だらけであると考えている。

 かつて夢の支配者として、紫と深く関わった事で培われた警戒の意識が納得を押し留めているのか。理由は定かではない。

 

 しかしヘカーティアの死、紫擬きの失踪、宇佐見菫子の幻想入り。関連性を見出すのは容易ではないが、不吉な予感がしてならないのだ。

 あとは、そう。さとりによく相談を持ちかけていた八雲藍が、ここ最近接触してこないのも若干の不安材料である。

 

 それに不自然なのはさとりもそうだ。

 従来の積極性の無さもあるのだろうが、ここ最近は特に動きが緩慢過ぎる。

 最大の敵対者だった隠岐奈が消えたことによる安堵がさとりの何かを鈍らせているのかとも考えた。でもやはり、それ以上に──。

 

「貴女は物事を都合良く考える癖がある。紫さんを信用し過ぎているんですよ」

「……」

「忘れないでください。あの人は、いつだって私達の想像を容易に超えてきますから」

「分かった、分かったわ。ドレミー、貴女が正しい。確かにあの人に対しては警戒し過ぎるくらいがちょうどいいのかもしれない」

 

 そして、さとりは愚かではない。

 楽観主義的なところは自覚しているけれど、だからこそ地上での生活と共に拭い捨てる決意をして、今がある。

 こいしの死により変わらざるを得なかったのだから。

 あの時のような後悔は二度と……。

 

 青娥の封を解く作業はドレミーに全面的に任せる事にした。難航しているとはいえ、彼女の腕前ならさとり抜きでも数日中に完遂できるはずだ。

 

 さとりは地上へ出向く準備を始める。

 いま一度紫に接触し、不自然な点がないかを隅から隅まで調べ上げるのが目的だ。

 もう何年も着たことのない他所行きの服を持ってくるようペットに指示している。

 

 ふと、ドレミーが手を叩く。

 

「そういえば地上ではそろそろ大規模な祭事が開催されると聞きます。紫さんとの接触はその時がいいでしょうね。予めアポを取ろうとすれば紫さんに行動の自由を与えてしまいます。青娥さんのように隠匿されるやも」

「偶然遭遇するくらいの方が小細工なしで話せそうなのは、確かにその通りね。……そして貴女の考える通り、紫さんは私が祭りに参加するなんて想像すらしていない。実際地上に行く予定すら無かったし」

 

 さとりにとっては誠に遺憾な話だが、紫はどうもさとりの事をインドアを好む根暗少女(マイルド)と見ているらしい。この思い込みを利用しない手は無い。

 

 ついでに言えば八雲邸にアポ無しで乗り込む事もできるが、単独での行動は避けた方がいいだろうという判断である。

 紫相手ならどうにでもなるが、最近八雲邸を出入りしている天子と運悪く鉢合わせれば、面倒臭いイベントが発生すること間違いなしだろう。

 

「それじゃあ、行ってくるわ」

「幻想郷は相変わらず物騒です。心配はいらないでしょうが、どうかお気をつけて」

「ええ。お燐も、地霊殿のことお願いね」

 

 互いに手を振って軽い別れを告げる。

 億が一を想定した唯の確認作業。さとりに、発案者であるドレミーもその程度の認識だった。

 故にその程度の言葉しかなかったのだ。

 

 

 これが今生の別れになるとも知らずに。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 地底でそんな動きがあった頃、対極に位置する冥界では影に蠢く者達が集結していた。

 幻想郷に馴染めなかった、或いはその存在が許せなかった者。八雲紫を追う者、或いは追われる者。

 日陰に生きる事を余儀なくされた理由は様々であるけれど、各々に共通していたのは己が信条が紫と合致しなかった点、これに尽きる。

 

 前回の異変で紫が完全には消しきれなかった最後の火種達である。

 

 

 

 もしや面倒臭い連中と関わりを持つことになったのではないかと、妹紅は遠い目で眼前の桜を眺める。菫子は相変わらず無邪気に花びらの海ではしゃぎ回っている。羨ましいものだ。

 まさか、蓬莱人の身であの世に足を踏み入れる日が来るとは夢にも思わなかった。

 

 ふと、気になっていた事を問い掛けてみる。

 

「結局、ぬえと諏訪子って奴はどうなったんだ? 死んだのか?」

「知らん。だが一つ言える事は、奴等は所詮ただの抜け殻。人形や死体みたいなもんって事ぐらいだな。生きてはいない」

「足はあったよね! ならゾンビってコト!?」

「そんな可愛げのある化け物なら大歓迎だが、アレはもっと醜悪なモノだ」

 

 幻想郷でかき集めた物資が詰め込まれたズダ袋を引き摺りながら、淡々と説明を垂れ流すS。

 妹紅も若干そんな気がしていた。まるで輝夜や永琳と相対している時のような感覚があった。生人でも、死人でもないもう一つの形。

 

 その絡繰は非常に悪辣だった。

 

「私の能力でマスターとスレイブを逆転させたんだ。本来なら傀儡の術を施している術者を炙り出すためのスペル。でも八雲紫は現れず、奴等は土に還った」

「ああそうだったな。人形にしては意思があるようにも見えたが」

「そう、アレは自律して動く意思を持たされた趣味の悪い人形だ。だから紫を引き摺り出せなかった。主人の居ない式神みたいなもんだな」

 

 肌をヒリつかせるほどの存在感を放っていたアレらが無から作り出されたとは思えない。きっと元のぬえと諏訪子は居たのだろう。そして紫に殺された。

 今となっては使い捨ての忠実な泥人形か。

 

「ここがあの世なら、あの2人にも会えるのか」

「無理だな。スキマ妖怪に関わってまともな死後が送れるとは思えねぇ。事実、アイツを恨みながら死んでいった奴は星の数ほどいるだろうけど、誰一人として化けて出てきてない」

 

 つくづく最悪な妖怪だ。妹紅は心底そう思った。

 

「そういえば冥界は八雲紫の友人が管理してたよな。こんなに呑気してて大丈夫か?」

「西行寺幽々子はここ数日幻想郷にかかりっきりだからな。戻ってくるまで私らの根城として利用させてもらうさ。もし戻ってきたらお前に相手を頼もうと思うが」

「まだアンタ達に協力するとは言ってないぜ」

「ああそういやそうだった」

 

 協力者Sの言葉に不快感を示す。そんな反応もSは想定済みだったようで、軽く謝りながら集合場所へと2人を牽引する。利用する気満々といったところか。

 だがまあ、見たところSはそこまで強くない。そんなSが率いる集団なら妹紅が一番強いだろう。だからいざとなれば蹴散らせると判断して好きにやらせている。

 

 不意にSが指し示した方向にはお粗末な天幕があった。存在を言及されるまで気付かなかった。

 巨大な市松模様の布が桜の木に掛けられており、最低限のスペースを確保している。

 

「幻想郷で手に入れた反則アイテムだ。この布があればどんな追跡も振り切れる」

「それをアジトの防壁にしたって事か。一応それなりの備えはしてるんだな」

「ふふ、私の仲間になるのはお前らにとっても決して悪い話じゃない。話を聞けばすぐにでも私達に協力したくなるだろう」

「どうだかね」

 

 Sから情報を得た後、どう動くかは妹紅次第だ。

 

 

「喜べお前達。新たな同志だ!」

「おおこれはこれは、とても強くて頼もしそうなお方ですね。歓迎いたしますよ。困ったことがあれば私になんでも申しつけてください」

「お主、見た目以上に相当歳を取っていると見た。さては尸解仙……だな?」

 

 小物臭が嫌でも漂う不審者。

 偽物の笑みを貼り付けて媚び諂ってくる小狐。

 訳のわからない事をドヤ顔で宣う亡霊。

 

 妹紅が離脱を決意した瞬間だった。

 一通り面子のリアクションを確認した後、菫子の手を引いて幻想郷に戻ろうとする。だが不思議や不思議、意思に反して足が逆向きに動いてしまった。

 

 困惑する妹紅をよそに3人と菫子はやいのやいのと盛り上がっている。

 

「とても乗り気な藤原殿。スキマ妖怪に追われる不憫なお嬢さん。ようこそ反幻想郷連合へ」

「3人だけで連合なのか? っていうか私に変な術かけてるだろ」

「さあ? 心当たりがないな。じゃ、私らと組む意思を見せてくれた事だしまずは自己紹介と各々の目的の確認といこうか」

 

 Sは言い出しっぺだった。周りに発言を促して自分は踏ん反り返っている。まるでお前らは前座とでも言いたげな態度だ。

 

「では僭越ながら私から。名前は菅牧典と申します。昔は妖怪の山で主人の下、それなりの要職に就いていました。しかし主人の失脚と同時に山から追い出されてしまいまして。今回を機に返り咲きたいと思い参加させていただいた次第でございます」

「反幻想郷連合は私と典で作った。追い落とされて再度下剋上を仕掛けるその薄汚れた心意気は嫌いじゃない」

「下剋上の申し子である貴女様にそう言ってもらえるとは光栄です。是非、現在進行形で山にのさばっている偽天魔を倒すのに協力していただければ」

 

 にこにこと柔らかい笑みを浮かべる狐妖怪。かつて死闘を演じた八雲藍に比べればあまりにも弱々しく思える。しかし腹黒さという意味では輝夜に匹敵するだろう。

 

 年の功で人を見定める力がずば抜けている妹紅からしてみれば、典のそれは一から十まで欺瞞に満ちた自己紹介としか思えなかった。

 邪悪さを隠し切れていない。

 

 というか3人とも全員真っ黒に近い。よくぞここまでの悪人が集結したものだと感心すらする。

 

 続いて声を上げたのは、いまいち緊張感のない様子で言葉を捲し立てる謎の亡霊。

 妹紅が生まれた頃にほど近い年代を生きていたようで、導師気取りの装束を着こなしている。

 

「我が名は物部布都! 昔はまあ色々しておった。仙人を目指していたのだが、いつの間にか死んでしまったようでな。冥界を彷徨っていたところを2人に拾ってもらい、太子様の現況を知って立ち上がったのだ! あっ、ちなみに太子様とは豊聡耳様のことで……」

「そこはおいおいにしときな。まあ要するにコイツの目的は八雲紫に拐かされている"太子様"とやらを助け出すことだ。利害の一致だな」

「ついでに今も何処かで彷徨っているであろう小生意気な同僚を見つけて欲しいのもあるのう。青娥殿と河勝殿亡き今、少々癪だが太子様も己の手足となる者が1人でも必要な時期であろうて」

 

(豊聡耳って人里で偉そうにしてた奴だよな。八雲紫に騙されているような感じではなかったけど……)

 

 この辺りもなんらかの思惑が渦巻いているのが見て取れた。騙す者、騙されるふりをする者で非常に混沌としている印象だ。

 やはり関わってはいけない連中だったらしい。

 

 Sは悪党。典は女狐。布都は策士だ。

 この3人には互いを尊重し合う想いなど微塵もない。他を踏み台にして自分の利益だけを追求するエゴイスト共。

 自分の父が繰り広げた政争を思い出してなんだか白けた気分になる妹紅であった。

 

 

 そんな訳で続いて妹紅の番が回ってきたのだが、馴れ合うつもりはないので名前と菫子を外の世界に帰してあげるのが目的とだけ答えた。

 菫子の目的もまた単純明快で、幻想郷を隅から隅まで探索したい事、そして紫と会いたい事、この二つである。

 

「そこの童は八雲紫に追われておるのであろう? まさか彼奴も会いたいが為だけに探している訳ではあるまいて。……なるほどのぅ」

「その通り。菫子には利用価値がある」

 

 馬脚を(あらわ)したとはまさにこの事だ。

 やはり狙いは菫子かと、妹紅の視線が鋭くなる。

 

「勘違いしてはなりませんよ藤原様。我々は八雲一派のように貴女方に危害を加えようとしているのではありません。むしろ護りたいと思っているのですよ」

「……何故だ?」

「答えは簡単。それが一番八雲紫にダメージを与える方法になるからです」

 

 というのも、悪党三人衆が各々の目的を達成するには、まず八雲紫をどうにかして弱らせなければならないのは言うまでもないだろう。彼女が健在であるうちは同盟者である天魔が揺らぐ事はないし、神子を上に立たせる事は従属以外に不可能。

 よって日々様々な策を練ってはいるものの、どう足掻いても紫の擁する戦力に打ち勝つのは無理がある。政治的な方面から攻めようにも幻想郷の地盤が安定し過ぎていて付け入る隙がない。

 八雲紫の力はここにきて極まっていた。

 

 結果、効果的な嫌がらせを散発的に行う事で突破口を見出そうと考えている段階なのである。

 

「暇なのかアンタら」

「策ってのは並行して進めるもんだ。それが一斉に花開けば小さな力も幻想郷を揺るがす大火になり得る。先の華々しい異変みたいにな!」

「お前稀神正邪だろ」

 

 Sはこれをスルー。

 

「あんな化け物共を(けしか)けてまでガキを確保しようとするなんて尋常じゃねえ。何か裏がある。だから私達はそれを徹底的に妨害してやろうと思ってな」

「追われる心当たりがあるなら教えておくれ。それに応じてさらに効果的な策を用意するぞ」

「うーん……ないなぁ。菫子は?」

「ゆかりんも私に会いたいんでしょきっと!」

「それにしちゃ手荒すぎるだろ」

 

 一瞬、脳裏でメリーの事が過ったが振り払う。ネガティブになるとどうしてもあの時のことを思い出してしまうのは、悪い癖だ。

 何にしても紫の事だ。どうせ碌な目的でないのは明白である。

 

「そうか。では当初の計画通りに進めるしかなかろうな」

「計画?」

「うむ。いま最も八雲紫に痛手を与え得る確実な計画よ。まあ正邪殿と典殿から齎された情報が全て正しければ、の話だがの。生憎、我は幻想郷の情報を持っておらん」

「なら何も問題ございませんね」

 

 自分を挟んで火花を散らすのはやめて欲しいと思った。

 

「『菫子を博麗の巫女に引き渡す』……これが現時点で考えられる限り、八雲紫が一番嫌がるだろう結果だ」

「巫女か? 確かに外の世界に帰すのに巫女を介すのは正規の手段だけど、アレは八雲紫の手下か道具だろ。みすみす菫子を渡しに行くようなもんだ」

「表裏全てが同じものなんてこの世には存在しない。対外的にはそう見えていても、博麗の巫女が人間であるうちは特にな」

 

 霊夢と紫の仲について、言及する必要はあるまい。あの2人の蜜月が成り立っているからこそ、今の幻想郷としての形があるのだ。

 幻想郷に住まう者達にとっては周知の事実。

 

 しかし彼女達のプライベートを深く知る者や、Sにとってはそうではない。霊夢と紫の関係はまさに薄氷が如き不安定さを伴っている。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の閉幕式で起きた苛烈な身内揉めを引き起こしたのは、Sとどこぞの小人族だった。

 巫女の反骨心を少しだけ煽ってみるだけであの荒れよう。霊夢は紫に心から心服している訳ではない何よりの証左である。

 八雲紫の幻想郷支配はまだ未完成だ。

 

「博麗霊夢なら保護した人間の子供を簡単に引き渡したりはしないだろうさ。意見が対立しないわけがない! 菫子を発端としてアイツらの間に不和と疑心の芽を植え付けるのが私達の計画だ。だからお前らを危険を冒してでも助けてやったんだよ」

「なるほど……納得した」

 

 見返りもなしに無償で人を助けるような高尚な理念がSにあるわけがなく、やはり菫子に価値を見出したからこその介入だったらしい。

 中途半端な偽善よりは信用できるし、そこそこアリかもしれない。

 

 霊夢と妹紅の面識は永夜異変の最中、二度に亘って争った時だけだ。どちらも八雲紫を守ろうとする霊夢を払い除けようとした結果起きた戦闘であり、当然互いの心証は良くないだろう。

 故に性格面はよく分からないが、少なくとも強さは認めている。仲間も多い。

 それに、芯の強さは確かなものだった。言われてみればなるほど、紫にいいように使われるような愚物とは思えない。

 

 もし仮にアレが紫から菫子を守ってくれるのなら、それはきっと自分が意固地になるよりもずっと……。

 

「……分かった。お前達の言う通りに一度菫子を巫女の前まで連れて行こう。それで様子を見て、安全だと判断できたら菫子を任せることにするよ」

「決まりですね。ただ注意すべき点として、八雲紫は博麗の巫女の動向にはかなり敏感であろう事が予想されます。安易に接触を試みる事は詰みに繋がる」

 

 典の言葉は決して大袈裟ではないだろう。

 博麗の巫女とは幻想郷を支配する妖怪達にとって諸刃の剣。使い勝手の良い道具のままであれば半恒久的な安定が約束されるが、ひとたび牙を剥かれてしまえば大打撃は避けられない。

 八雲紫の『絶対』を崩す可能性があるとしたら、それは霊夢に他ならないのだから。最早巫女の監視は必須だと言えよう。

 

 故に、紫の監視を振り切って菫子を霊夢と接触させるのは相当な勇気がいる。

 

 典と布都はそれらを考慮した結果、一つの結論へと辿り着いた。

 

「狙うべきXデーは今日から十数日後の真夜中、博麗神社例大祭が行われている最中が望ましいでしょう。人が多ければ多いほど我々の存在が露見する可能性が低くなりますし、八雲紫も多少なりとも手が出しづらくなる」

「お盆の時期なら死人である我が現世にいても不自然ではなかろうしな! 物部の秘術で助力しようぞ!」*1

「えっ! お祭りがあるの!?」

 

 再びやいのやいのと騒がしくなってくる。いつの間にか自己紹介の時間も終わってSの真名は聞けず終いだ。どうせ稀神正邪だけども。

 

「まだ信用できてない様子だな」

「これからも信用する事はないだろうよ。アンタも私も、目指す関係性は仲間とは程遠い」

「違いない。だがお前にはツテが、私には力が足りない。なら不承不承でも組むしか無いだろ。足りない物を上手く補い合って、互いに切り捨て時を探っていこうや」

「口がよく回る。流石は天邪鬼」

 

 Sはスルーした。

 

 

 

 

 日が沈み、朧な月が夜空の海に浮かぶ。

 逃亡生活開始から何日経ったんだっけ、と。ひっくり返りながらそんな事を思う。寝ずの番は眠気との戦いだが、妹紅にとっては暇との戦いである。

 どうでもいい思考に時間を費やすのは得意だが、逼迫した状況でも普段と同じように脳が動いてしまうのは致命的だろう。死なないけど。

 

 と、天幕からもそもそと菫子が這い出てくる。幻想郷に来てからというもの軽い不眠症に陥っているらしい。

 

「他の連中は寝たの?」

「うん。ぐっすり眠ってる。私こういうお泊まり会に憧れてたから嬉しいな」

「そ、そう」

「幻想郷の人達ってみんな優しいよね。……すごく怖い人もいたけど」

「妖怪ってのは普通そんなものだよ。幻想郷だって菫子が思ってるほど綺麗な場所じゃない。怖い奴はいっぱいいるよ。昔よりかは幾分マシだけどな」

 

 あの悪党三人衆が良い人の括りに入っているのに少々釈然としない気持ちになりつつも、しっかりと菫子に言い聞かせておく。紫を念頭に置いているのは言うまでもない。

 それを無意識に受け取ったのだろう。菫子はポツリと言葉を漏らす。

 

「どうしてみんな、ゆかりんを怖がるんだろう? 私にはそれが分からないの」

「……分からなくて良い。菫子が色んなことを経験して、大人になった時に分かる事だってあるだろうしな。この世には絶対に関わっちゃいけない類いの奴が居るんだ」

「でも!」

「いいから早く戻りな。良い子は寝る時間」

 

 幼心でも薄ら気付いていた。

 妹紅や周りの反応を見る限り、紫は自分が思っているような、立派で優しくて、弱々しい存在ではないんだろうと。

 ぬえと名乗る妖怪が見せた紫の幻影が、菫子にはとても恐ろしく見えた。

 

 だが一方で、妹紅が意地でも紫に対する憎悪を維持しようとしているのも不可解に思った。みんなが紫への理解を拒んでいるような気がした。

 自分と同じように紫と友達になって、楽しい事をたくさん話せば何かが変わるんじゃないかと大真面目に考える。何とかならないかと。

 

「ゆかりんはね、とても寂しそうだった」

「あの妖怪がか? ……想像できないなぁ」

「夢で出会うたびいつも泣いてたよ。だから思ったんだ、私がゆかりんの悲しみを癒したいって。幻想郷に行って手を繋いであげたいって」

「……」

「もこたんだって、1人で暮らしてて急に寂しくなる事があるでしょ? 私はそんな時、家族や友達(ゆかりん)の顔が思い浮かぶ。誰でもいいから会いたくなるよ。どんなに強い人だって心は疲れちゃうんだから!」

「はは、お前にゃ敵わないな」

 

 菫子の言葉は本質を突いている。

 孤独の辛さは妹紅こそよく知っているつもりだ。幾度の死と別れを経験して心が壊れてしまっても、寂しさだけは終ぞ拭う事はできなかった。

 

 その結果がメリーや慧音、輝夜なんだろう。

 人は大なり小なり繋がりを求める。それは妖怪だろうが蓬莱人だろうが、きっと変わらない。

 

「ありがとよ菫子」

「え?」

「色々落ち着いたら私も頑張って話してみるよ。八雲紫と。勿論お前も一緒にな」

「もこたん……!」

「ほら、幽霊が出る前におやすみ」

「うんおやすみー!」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

くっそ寂しいですわ!!!!! 

 

 

 草木も寝静まる丑三つ時。人っ子1人いない人里の路傍で、帳簿を片手に溜息を漏らす女、八雲紫ですわ! 

 あまりの世知辛い現実に涙が溢れ出てしまいそうになる。

 

「まーまー初日も初日だしそこまで落ち込まなくていいよ。明日があるさ! 諦めるな!」

「でもねぇ……」

「大丈夫だって! 明日もいっぱい萃めてやるから!」

「私も引き続き頑張るわよ〜。ね、妖夢」

「は、はぁ」

 

 ぐすん。萃香と幽々子の励ましのおかげで投げやりにならずに済んだわ。けど肩とか背中をバシバシ叩くのはやめて欲しい。死んでしまう。

 正直明日への展望すら見通せないけど、萃香の言う通り諦めちゃダメよね。うん。

 

 さて私が何に嘆き悲しんでいるのかと言うと、我が家の赤字財政改善のために始めた事業が初日から盛大に頓挫したからなのよ! 

 まあ事業って言っても、人里の露店街に私達も進出しただけなんだけどね。

 

 客の入りと懐が寂しいですわ! 

 

 本来なら八雲一家だけで参加する予定だったんだけど、ここは一流コンサルタントである私が一工夫加える事にした。

 商品の考案、制作に萃香と幽々子を誘ったのだ。幽々子は言わずもがな食のスペシャリスト。萃香はこだわりの強い酒利き。私達仲良し3人トリオ*2が力を合わせる事で生み出される相乗効果は全てを凌駕する! 

 

 結果、生み出されたのは『酒饅頭』だった。

 お酒大好きな萃香とお饅頭大好きな幽々子の発案をそのまま合体させたのよ! 2人が喧嘩し始めたのを止めるための苦肉の策だったのは内緒ですわ! 

 

 でもこれが案外上手く嵌まったの。試作品の段階から相当美味しかったもん。霊夢に差し入れたら凄く喜んでくれたし。

 

 これは売れる……! 

 そう確信しての進出。そして惨敗。

 

 何がいけなかったのか皆目見当もつかない! 

 というわけで売れ残った大量の酒饅頭をみんなで食べながら作戦タイム中よ。

 

「この酒饅頭は確かに絶品ですが、比較的大人好みな味ですから……人を選んだのでは?」

「子供でも食べやすいと思うんですけどねー」

 

 比較的年若い妖夢と橙の意見。確かに『酒饅頭』は呑んだくれが喜びそうなワードではあるわね。子供向けとは言い難い。

 饅頭にキャラクターの焼き印でも付けてみようかしら? アン○ンマンとか。

 

 商品の味は問題ないのよ。これは間違いない! 食べてくれた人はみんな美味しいって言ってくれてるもん! 世辞だったら泣く。

 

「藍。貴女なら何か面白い妙案が思い付いたりしないかしら?」

「……正直に申し上げますと、私も何が原因なのかハッキリと分かっておりません。人里の売れ筋、需要と供給の統計、饅頭の品質。全てにおいて抜かりはございませんでした。一体何故……」

「不思議よねーこんなに美味しそうな匂いがするのに、誰も彼も遠目で見るだけなんですもの。私も紫みたく自信なくしちゃうわー」

「不自然ではあったよねぇ」

 

 残るブレイン組も首を傾げるばかりだ。

 藍の言う通り、私達は最高の条件でスタートした筈。値段だってお手頃で売れない理由がないわ。

 

 もしや他店舗からの妨害行為……!? 

 思い返せば私達が必死に呼び込みをしてる時、通りかかった天狗とか兎とかがクスクス笑ってやがったような気がする。見世物にされてるようで不快だった。

 許すまじ因幡帝! 許すまじ射命丸! 

 

 ……潰そっかな。

 っとダメダメ。人里で『トリニタリアンファンタジア』を使うのは危なすぎるわ! 下手すればマミさんあたりに看破されかねない。

 あと諏訪子はともかく、ぬえが暴走しがちだったからね。次までに調整しとかないと。

 

 力に溺れてはならない(戒め)

 

 

 取り敢えず今日のような惨敗を回避する為の策として、原価ギリギリまでの値下げ、親子連れにも取っ付きやすい商品名を考える事になった。

 主な原材料の片割れである酒は無限に湧き出る伊吹瓢のものを使用しているので、結構なローコストで饅頭を用意できてるらしい。藍に丸投げしてるので私はよく知らないわ。

 

 問題は商品名。いまいち良い案が出てこない。

 幽々子なんかは凄い雅な名前を考えてくれるんだけど、酒饅頭みたいな気軽に食べられる菓子に付けるには荘厳すぎる気がするわ。そもそも私達みんな人間の何倍も生きてるので子供に好まれるセンスっていうのがどうも……。

 

 やはり某人気キャラの焼き印を付けてアン○ンマン饅頭だのド○えもん饅頭だのと言い張るしかないのかしら? 

 うーん、今度早苗あたりにでも良い名前を思いつかないか聞きに行ってみよう。

 

「取り敢えず今日はここまでにして、明日もまた頑張りましょうという事で……」

「お疲れ様〜。それにしても物を売るって結構楽しいのね、お饅頭も食べ放題だし」

「あの、幽々子様。明日からは試食は少し控えていただけると助かります」

「えーどうして?」

 

 それ以上でもそれ以下でもないわ! 

 藍がやんわり伝えてくれてるのに幽々子は安定のすっとぼけ。人選間違えたかな……。

 でも幽々子ったら白玉楼にも帰らず結構本腰入れて手伝ってくれてるのよね。妖夢はまあ、御愁傷様って感じだけど。

 

 

 ──っと。そういえばさっき面白い情報が入ってきてたのよね。

 どうせなら利用しましょうか。

 

「そうそう明日からも引き続き手伝ってもらえるなら、日も遅い事だしみんなウチにいらっしゃい。ほら、朝から準備もあるし」

「そうねぇ。冥界を行き来するのも手間だし、そうさせてもらおうかしらね〜」

「では私は帰って白玉楼の掃除を……」

「貴女は幽々子の護衛でしょ。一緒に居てあげなさいな。掃除なら私の式神がやっておくから」

「は、はぁ」

 

 どうせなら幽々子と妖夢には幻想郷に留まっていてもらおう。冥界を敢えて私の目の届かない場所にしておくのだ。そうすれば疑り深い妹紅(ボマー)も安心でしょう。

 下手に追手を差し向けても逃げられるのなら、一箇所に定住していてくれる方が助かる。私はその時まで悠々と待ち構えていればいいのだ。

 

 ……()()()()ならあと十数日かしら。

 想定よりもかなり早く私の願いが叶いそうですわ。前もって準備を進めておきましょう。

 

「どうせ萃香もウチに来るでしょ?」

「どうせって何だよ。行くけどさ」

「明日は所用で店に付きっきりとはいかなくなりそうなの。なのでその間、貴女にリーダーを任せようかと思いまして。経験者でしょ?」

「ふーん。いいよ別に」

 

 萃香は旧地獄で出店紛いな事をしてた時期があったし、こういうのってヤクザ気質な人に任せた方がいいと思うのよね! なお藍と幽々子の視線は気にしないものとする。

 

 じゃ、早速行ってくるとしましょう。

 お土産用に幾つか酒饅頭を包み、唯一私の目的を知っている藍に目配せをして、スキマに潜った。

 

 私が動く間、藍にやってもらう事は何もない。強いて言うなら心の整理かしらね。橙をどうするかの決断。

 個人的な心情としては、橙を()()1人置いて行くのは心苦しいので何とかしたい。だけどあの子の命運を決めるのは私ではなく藍ですわ。

 

 私は我が子達の決断を尊重するしかない。願わくばいつまでも3人一緒に居たいんだけどね……。私には些か贅沢過ぎる望みかもしれない。

 

 

 さあ目指すは人里の屯所、そして紅魔館。

 仕上げといきましょう。

 

 

 

 

 後日、萃香から決算収支を見せてもらったんだけど、私が居なくなった日を皮切りに売上が爆増していた! 数百倍どころの話ではない! 

 えーと、あのさ。もしかして、もしかしてなんだけど。

 

 (売り子)が原因だったってこと……?

*1
お盆の始まりは西暦606年 布都の死亡時期は西暦622年頃

*2
諸説あり




藍「何で売れないのか見当もつかない(紫様が売り子してるのに売れない訳ないよなぁ?)」
町民(八雲紫がこっち見てる……こわ……)

初日はゆかりんが積極的に呼び込みをしてたので誰も来ませんでした。ゆかりんの悪夢はまだまだ終わらない……!(無慈悲な現実)
客引きの最適解はおそらく橙と妖夢に売り子をさせて、藍様と幽々様に露出高めの服装で饅頭の試食を配ってもらうフォーメーション。ゆかりんと小鬼は……裏で饅頭こねててもらおう。


あと2話くらいで始まりです


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デューパー VS エスケーパー VS スキーマー②

「お師匠様おめでとうございます!」

「紫さんおめでとー!」

「あら2人ともありがとう。今日は存分に楽しんでいってちょうだいね」

 

 元気いっぱいに参道を駆けてきた早苗と小傘を笑顔で出迎える。縁日用に霖之助さんに仕立ててもらった着物を渡してたんだけど、似合っているようで何よりですわ。

 博麗神社の鳥居の下でハイタッチ! 

 

 そうそう、何がおめでとうなのかと言うと、幻想郷の復興事業が無事終了した事についてね。まあ私、何もしてないんですけどね! 

 

 人里を中心に復興祝いの祭りで大盛り上がりなんだけど、一応博麗神社例大祭を兼ねてるからね。無理くり参道のあちこちに的屋を呼び込んで便乗しているようだ。なお業者はみんな妖怪なので人間の客はゼロに近い。

 霊夢は現状にもっと憤ってもいいと思うんだけど、懐は潤うので黙認しているんだって。それでいいのか博麗の巫女……! 

 

「神奈子は一緒に来なかったの?」

「一応他所の神社の祭事だからという事で、遠慮されてるみたいです。秋さん達は出店する側ですし」

「博麗神社に対して遠慮する必要は無いと思うけどねぇ」

「私もそう思います」

 

 まあ監視からの報告だと、早苗に隠れて縁日を楽しんでるみたいだけどね。神奈子って早苗の前だと威厳を出そうとしてるけど、実態は頗るフランクな神様だから……。

 

「私と小傘さんだけじゃないですよ! 後で命蓮寺の皆さんと合流して一緒に催しをやる予定です。よかったら観に来てくださいね!」

「異変で熾烈に争ったにも関わらず完全に協力関係にあるのね。やるわね早苗」

「ね、びっくり」

 

 早苗と共に命蓮寺の面々と激闘を繰り広げた小傘がしみじみと頷く。

 ちなみに彼女は人里から引き払って守矢神社で暮らす事になったそうだ。秋姉妹に続く3人目の居候である。あんなに虐められてたのにどういう風の吹き回しなんでしょうね? まあ当人達は幸せそうだから別に良いけど。

 

「貴女を幻想郷に招いて本当に良かったわ」

「えへへ、もっと褒めてくれてもいいんですよ?」

「ふふ……褒めても褒め足りないわよ。流石は私の一番弟子ですわ」

 

「人の神社の前でイチャつかないでくれる? 邪魔なんだけど」

 

 頭を撫でてあげようと手を伸ばしたのだが、何処からか現れた霊夢に拡声器で叩かれて未遂に終わる。

 いい感じのムードだったのに邪魔されちゃった。まあいっか、ヤキモチ妬いてる霊夢も可愛いし。

 

「うわ、その格好どうしたんですか霊夢さん」

「どうしたも何も、アンタらのせいでウチの商売上がったりだから頑張ってんのよ。マジふざけんな」

 

 安っぽい拡声器、手作りの鉢巻、首から下げられたミニ賽銭箱、これまた安っぽい法被。早苗じゃなくてもドン引きすること間違い無しな格好ですわ。

 これは流石に注意した方がいいかなって思ったんだけど、神社の運営に危機感を覚えての行動であるなら、私からは何も言えないわ。巫女の役目を「商売」って言っちゃったのはアレだけども。

 

 まあ最近は守矢神社に色んな意味で押され気味なのは間違いないしね。

 神奈子の経営手腕は並大抵のものじゃないし、早苗が守矢神社の顔として優秀過ぎる。モリヤーランドの収益も合わせてウハウハだろう。

 今は亡き諏訪子もこれにはニッコリ! 

 

「ふっふっふ、幻想郷一の神社はもはや守矢のもの! しかしどんなに突き放しても私はずっと霊夢さんのライバルですからね。安心してください!」

「……」

 

 霊夢からのアイコンタクトが飛んできた。「こいつボコしていい?」って内容のやつ。スペルカードルールでお願いしますわ。

 とまあそういう成り行きで早苗が霊夢に引き摺られて行ったのを見送り、ふと手持ち無沙汰にしている小傘に問い掛ける。

 

「そういえば貴女達、どうして博麗神社に? わざわざ挨拶に来るような柄でもないでしょうに」

「私が霊夢さんに針の新調を頼まれてて、それを持ってきたんですよ。早苗はただの付き添い。ほらこのとおり」

 

 小傘の持っていた手提げ袋の中を覗くと、鈍色に輝く針の束があった。これは封魔針──俗に言う針巫女御用達の武器! 忘れられがちだけど、小傘の鋳物スキルは結構ガチなのよね。

 一本一本に凄まじい殺傷能力が内包されているのを肌で感じる。金属の質も素晴らしいわ。

 恐らく過去最高の出来なんだろう。知らんけど。

 

「霊夢さんったら酷いんですよ。いきなりボロボロの針を持ってきたと思ったら『1週間以内に最高品質で仕上げてちょうだい』なんて言うんだもん! 断れるわけないよ」

「そ、それは災難だったわね」

「まあその分たんまりお代金を貰えるから」

 

 流石の霊夢も妖怪相手とはいえ、タダ働きさせて強奪みたいな蛮族ムーブはしなかったか。

 私の教育の成果ですわね! 

 

 そんな感じで鼻高々なまま話が終われば良かったんですけどね。小傘が鋳物の明細を私に突き付けたことで事態が急変する。

 

「じゃ、紫さん。これ代金ね」

「……はい?」

「紫さんが代わりに支払ってくれるんでしょ? 霊夢さんからそう聞いてるけど」

 

 勿論初耳である。

 自身の教育の失敗を悟った瞬間だった。

 

「後払いの対応とかしてる?」

「日割計算で利子が付くよ」

 

 こうして私の借金がまた増えた。

 この世界が圧倒的不条理で構成されている事を再確認できたわね。でもこんな世界は絶対間違ってると思うわ(漆黒の意思)

 

 

 

 

 

「で、アンタはなんで此処に居るのよ」

「博麗神社に居れば私から出向かずとも幻想郷の大体の人物と会えるから」

「要するに暇ってことね」

「そういうこと」

 

 弾幕勝負で早苗をこれでもかと叩きのめした霊夢とちゃぶ台を囲んでお茶を啜っている。相変わらず美味しくないんだけど癖になる味だわ。

 それにしても幻想郷のどこを見ても大盛り上がりな中、私だけ浮きまくっているのは何故でしょうね。平常運転? ぶち転がしますわよ? 

 

 酒饅頭の営業販売とかで忙しくなるとも思ってたんだけど、萃香と藍から遠回しに「くんな」って言われてるのよね……。私はお荷物ですわ! オヨヨ。

 

「魔理沙やアリスに久方ぶりに会えたのは嬉しかったわ。2人ともまだまだ本調子では無さそうだったけども、彼女達は幻想郷に力を示した。これからも大いに貴女の助けとなるでしょう」

「余計なお世話よ。早苗や妖夢もそうだけど、異変解決は私の本分よ。あんまり周りでうろちょろされても邪魔ったらありゃしないわ」

「その心意気は素晴らしいわね。でも前回の異変は貴女1人では厳しかったのも事実。孤高の精神は素晴らしい力を授けるけども、いずれは頭打ちになる」

 

 私が考える限りの最強は、やっぱりヘカちゃんとオッキーナ。あのイカれた神様達だって己を群とすることで更なる力を得ていた側面がある。

 まあアレらは極端な例だけど、前回の異変が大規模になった理由は曲者達が合力したからに他ならず、それに勝利できたのは幻想郷に結束の力があったからでしょう。

 

 独りでは何事にも限界がある。

 

「お仲間が沢山いる紫にとってはそうかもね」

「その通り。私は1人じゃ何もできないの。だから貴女やみんなを頼るのよ」

「……今日はヤケに弱気ね」

「事実ですもの」

 

 そこは誤魔化しようがないわ。

 

 もっとも昔は違ったみたいだけどね。どんな無理難題も己の手一つで打開するだけの、完全無欠な力があった。誰の力も借りずに好き放題やってくれやがった時代。

 さぞ万能感に満ちていた事だろう。

 

 ……いや、むしろ逆だわ。

 あれこそ独りでは何もできない事を証明する最たる例か。私の力は──私だけの物じゃない。

 今も昔もそうなんだから。

 

 

「言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ。まどろっこしい」

「ん?」

 

 頬杖をつきながら、呆れたように霊夢がそんな事を言う。私のウジウジしたナイーブな態度が気に入らなかったのかしら? 結構気丈に振る舞ってるつもりなんだけど……。

 まあ霊夢を相手にして色々誤魔化すのは無理よね。

 

 もしかして愚痴らせてくれるのかしら? 

 まあ必要ないけど! 

 

「最近ちょっと疲れる事があっただけよ。心配させちゃってごめんなさいね」

「あっそ。ならしゃんとしてよ」

 

 私が別に深く相談するつもりがない事を見越したのだろう。霊夢はさっさと話を切り上げて、再度湯呑みに手を伸ばした。今回ばかりは霊夢のドライな部分に救われたわね。

 

「ねえ霊夢」

 

 私の顔を見た霊夢が眉を顰める。

 

「もしも私が死にたいって言ったら、貴女はちゃんと殺してくれる?」

 

「いやよバカ」

 

 そして私の告白は容易く切り捨てられた。

 別に「じゃあ早速殺してやるわ!」って展開を期待していたわけじゃないし、霊夢なら多分断ってくるだろうと思ってたのでそこまでの衝撃はない。

 ただもう少しこう、手心というか……。

 

「アンタさ、前に私に向かって死ぬなとか偉そうなこと言ったじゃない」

「あー言いましたわね」

「そのくせして自分は死にたいなんて、虫が良過ぎると思わない?」

 

 確かに! 

 そう言われると恥ずかしくなってきちゃった。

 

「アンタの言いなりにはならないっていつも言ってるでしょ。何に疲れてるかは知らないけど、観念してこれからも頑張りなさい」

「ごめんなさい、言ってみただけよ。そうよね、諦めたらそこでお終いだものね」

「まったく……いつもいきなり現れたと思ったら訳の分からない事ばっかり言うんだから。ほらもう休憩時間は終わりよ! 帰った帰った」

 

 また集金活動に戻るらしい。

 今度は陰陽玉と新調した針を一緒に持って行くようで、恐らく的屋からのみかじめ料の徴収でしょうね。そういうところが守矢神社との差なんじゃない? 

 

 さて、日が暮れてきた。私もいい具合に時間が潰せたので一度人里に戻ろう。様子を見に行くくらいは藍と萃香も許してくれるでしょ。腫れ物扱いで泣きそう。

 スキマを開いて片足を踏み入れた時、ふと視線を感じて振り返る。

 

 霊夢と目が合った。

 

 

「……」

「……」

 

 話すことは何も無いのに何故か目が離せなくなる二色の蝶。彼女を見るといつだって不思議な感覚に陥ってしまう。不安で不安で仕方なくなるのに、とても心地よい。

 儚い紅白が、私に幻想を思い出させる。

 

「それじゃあね」

「ん。また明日」

 

 また明日。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 日も暮れようかという黄昏時。

 夕闇は一般的に妖怪が好き好む環境であり、人里に住まう人間達にとっては忌々しい時間帯。

 人の通りが極端に少なくなる代わりに、人ならざる怪異が跋扈を開始する。

 

 しかし今日は別だ。辺りを暗闇が覆っても人々は怪異を恐れず、灯りを散りばめ狂騒に乗じるのだ。人も妖怪も分け隔てなく熱気に当てられる不思議な日。

 それが幻想郷の祭りである。

 

 故に人里の往来は日没後も衰える事を知らず、明らかに人間ならざる者すらちらほら見かける始末。しかし人間はそれを看破しても今日ばかりは巫女や守護者に通報などという野暮なことはしない。

 俗に言う無礼講というやつだ。

 

 

 そんな人里の状態は、折角の祭りを楽しむ気など毛頭ない暗躍する者達にとっては非常に好都合。慎重に決行日を選んだ甲斐があった。

 

「ねぇもこたん! ふとっち! アレなんだろう、美味しそうね!」

「うむ、何とも面妖な形じゃが食欲を刺激する芳しい香りだ。よし我が買ってこよう」

「隠密行動だっての」

 

 周囲の的屋に気を取られてフラフラする菫子と、積極的に便乗する布都。そしてそれを止める妹紅の図だが、既に何度となく繰り返された光景である。

 なおSは兎も角として、典は止める事なくいつもの柔和な笑みで微笑ましそうに眺めているだけだった。

 

 菫子を中心として前方を妹紅(もこたん)、右方を布都(ふとっち)、左方を(つかさっち)、後方をS(不審者)が囲む万全の陣形である。

 このままの形で人の流れに乗ったまま博麗神社に到達するのが今回のミッションだ。

 

「まあまあ、あまりに警戒し過ぎていては逆に不自然でしょう。適度な買い物で一般客を装うのはむしろ我々に利する結果となります」

「ほれ典殿もそう申しておる」

「そうなのか……?」

「そうですよ。どんどん買っちゃいましょう♡」

 

 典の言葉には妙な中毒性があり、若干の抗い難さを感じた。精神に干渉する能力を所持しているのだろう。やはり魔性の女狐である。

 

 そんな中、Sだけはパーティメンバーのやり取りを一切気に留めず、群衆を注意深く見回していた。

 典が目を細める。

 

「Sさん、何かありましたか?」

「いや妙だと思ってな。私達以外にも周囲を警戒してる一団があちらこちらに紛れてやがる。主に天狗で構成されているようだが」

「ふむ。八雲紫の手の者だと?」

「どちらにしろ秩序側の連中だ。私達とは相容れない存在だろうよ」

「では消しましょうか」

「そうだな。私達が狙いだと判明した瞬間、一気にいくか」

「承知した。だが罪のない群衆はなるべく巻き込みたくないものだな」

「あくまで保険だから安心しな。あっちも無闇に仕掛けて来たりはしない」

 

 頗る物騒な会話である。

 食べ物に夢中な菫子の耳を塞いでやりつつ、やっぱり悪側だよなぁ、なんて思う妹紅だった。

 

 

 と、途端に群衆の流れに乱れが生じ、一画の喧騒が静寂に変わる。

 

「むっ、近いな。何が起きておる?」

「人だかりで見えませんねぇ」

 

「──ッ八雲紫だ! 道を変えるぞ!」

 

 ただ1人、配置場所と背の高さから状況を把握できた妹紅が顔色を変え退避を急かす。

 瞬間、悪党三人衆は何が起きたのかを大体把握し、流れに逆らって大通りから脱出した。

 

「幸先悪いな。あの野郎は何してた?」

「詳しくは見てないけど、吸血鬼の一行と話してたと思う。ほらレプリカとかいう」

「レミリア・スカーレットですね」

 

 幻想郷においてその名を知らぬ者など居ないだろう大妖怪だが、俗世から色々な意味で離れている反幻想郷連合における認知度は過半数以下だった。

 とまあそれは兎も角として、紅魔館は明確に親八雲紫派として行動している勢力。そんな連中に見つかるのも中々面倒だろう。

 

 より慎重な行動を心がけなければならない。そう全員が再確認した、その時だった。

 布都が首を傾げる。

 

「おろ? 菫子がおらんが」

 

 

 

 

(テレポートで抜け出しちゃった。ごめんねもこたん、みんな)

 

 仲間達の意に沿わない行動であるのは百も承知。幻想郷でできた友達を裏切ってしまうことに胸を痛めたけども、菫子はどうしても自分を納得させたかった。

 紫と話せば何かが変わるかもしれない。

 

 群衆は紫とレミリアを避けているようで、2人を囲うようにして密集している。これでは近付くのが困難だ。何とか再度テレポートの準備に入るが、人の壁の向こう側から聞き覚えのある声音が聞こえた。

 透視能力を駆使して状況を覗き見てみる。

 

「──だから安心して頂戴。どんなに時間がかかっても私が必ず良い方向に導くから」

「いいやダメだ。私は認めない」

 

 和気藹々とは程遠い、緊迫した内容の会話であるようだった。紫と話している少女は苛々とした態度を隠そうともしていない。

 喧嘩だろうか? 

 

「私は貴様を高く買い被っていたみたいね。少し見ない間に随分と醜い運命に成り果てたものだ」

「それでフランの気持ちが救われるなら安いものですわ。貴女もあの悩みを知らないわけではないでしょう? あの子の進む道はあの子自身が決める」

「よく言うわ。自分の都合が良いように誘導しておきながら」

「……貴女もそうじゃない。幽香と隠岐奈を相打ちに仕向けたのと何が違うの?」

 

 殺気混じりの応酬だった。

 思わず身が竦んでしまうほどの重苦しい雰囲気に、短い悲鳴と共に人々が逃げ出していく。中には泡を吹いて気絶している者さえいた。

 一方で、菫子は動かなかった。否、動けなかった。

 

 最早言葉は不要とばかりにレミリアがスペルカードを差し向けるが、それを制するように紫は敢えて距離を縮め、顔と顔が触れそうになるまでに接近する。

 傍に控えていた咲夜が紫の首にナイフを当てているが、怯んだ様子は全くない。

 

 真紅と桔梗の瞳が交錯する。

 

「……」

「もうそういう段階じゃないのよ、レミリア」

 

「……咲夜! もういい、行くよ」

「かしこまりました」

 

 結局戦いが起こることはなく、紅魔の主従はあっさり引き下がった。

 レミリアの瞳は幾千幾万の運命を瞬時に見通す力がある。このまま紫と事を構えるのは完全なる負け筋だと判断したのだ。

 

 耐え難い屈辱だ。煮湯を飲まされたが如き激しい憤怒に、あの咲夜ですらどう声掛けをしたものか躊躇しているようであった。

 2人の道は違えられた。吸血鬼異変以来となる絶対の決別である。

 

 

「ねえ、ゆかりんっ!!!」

 

 菫子は我慢できなかった。

 レミリアが見えなくなるまで見送る紫があまりにも悲しげに見えたからだ。彼女の苦しみを直に感じて、居ても立っても居られないと。

 

 だから手を握る。

 夢の中のあやふやな感覚ではなく、現実の世界でしっかりと握りしめる。

 紫の手は酷く冷たかった。

 

 顔も姿も、自分の知る紫ではない。

 肩に付くくらいだった金髪の髪は腰に届くまでに伸びているし、目付きや服装も違う。

 だけども心は自分の知る紫と同じだと心で悟った。

 

 ゆっくりと、スキマの相貌が菫子を捉え、大きく見開かれた。

 溢れた雫はきっと渇きを齎すのだろう。

 

「……菫子」

「ゆかりん……」

 

 僅かな静寂。

 紫は目尻を下げると、菫子の小さな掌を両手で包み込む。我が子を慈しむ母親のように。

 

「ようこそ幻想郷へ。歓迎するわ、すみれ──」

 

「どけえぇぇえええッ!!!」

「あがぺ!」

 

 業火を纏う蹴りが菫子の頬を掠め、紫の顔面の半分を消し飛ばした。

 有無を言わせない一瞬の出来事だった。

 

 仰向けに崩れ落ちる紫。状況を把握して悲鳴を上げる菫子。そして、そんな彼女を無理やり抱え上げて離脱する妹紅。誰もが望まない結末だった。

 

「いや、いやだ! ゆかりんっ!!! なんでなのもこたん!? なんで酷い事を!」

「ごめん、ごめんな菫子」

 

 妹紅は謝る事しかできなかった。菫子に凄惨な光景を見せてしまった事、望む未来を与えてやれなかった事。その全てに対してだ。

 菫子に対して配慮する余裕が無かった。

 

 すぐさま参道を外れて雑木林を疾駆していると、即座に他3人が合流する。泣きじゃくる菫子を見て大方の顛末を把握したが、表情は一様に優れない。

 

「殺れなかったのか!? 顔半分消し飛んだぞ!」

「無理だアレじゃ絶対に死なない。今は逃げた方がいい、絶対に」

「いえ、ここは当初の予定通り博麗の巫女を目指しましょう。このまま逃げたところで……」

 

 

「そう、通行止めですわ」

 

 木々の隙間。月と夜の境界から現れたのは、言わずもがな八雲紫。妖しい笑みを浮かべながら、各々を品定めするように視線を這わせていく。

 負傷は既に完治していた。

 

 妹紅の焔には永遠の属性が付与されている。この力で身体の部位を欠損させれば、如何なる再生能力を持つ存在ですら復元を大きく阻害するのだ。

 しかし紫には通用しなかった。境界を操る妖怪にとって、永遠ほどチープな概念はない。

 

「貴女達の行動は初めから全て筒抜けでした。故に、追い詰められればすぐ逃走を試みるだろうと踏んでいた。ここまで綺麗に的中すると気持ち良いわね」

「何だと!?」

「菫子から接触しに来てくれたのは誤算だったけどね。でもそのおかげで私も早いうちに踏ん切りを付けることができましたわ」

 

「此奴が八雲紫か……。なんという、噂に違わぬ恐ろしさ……! だが我は屈せぬ!」

「どちらさま?」

「我が名は物部──むぐっ!」

「ハッ、馬鹿正直に正体を明かすわけ無ェだろ!」

「貴女は正邪でしょ」

 

 Sはそっぽを向いた。

 

 何はともあれ絶体絶命。紫と相対してしまった以上、残された選択肢は戦闘の末の敗死か、若しくは成功する見込みのない逃走、降伏、自決。いずれのみ。

 だが此処に居るのは紫に屈する事を良しとしなかった気骨ある一団である。いずれの選択肢も受け入れる余地など存在しない。

 

 殿役は既に決まっているようなものだ。

 爆炎を噴き上がらせながら妹紅が進み出る。

 

「私がコイツを抑えているうちに、お前らは菫子を博麗神社に連れて行け。命尽きようと絶対に後を追わせないから、頼む」

「よし任された! お前らずらかるぞ!」

 

 

「『トリニタリアンファンタジア』」

 

 

 決死の逃走は一歩目で頓挫した。

 逃走者の行く手を阻んだのは、視認した者全てに否応なしに恐怖を抱かせる暗雲。個人によってその像は異なるが、受け入れ難い不快感を与えるのは間違いない。

 暗雲が凝縮され実体を作り出す。恐怖を纏い現れたのは大妖怪封獣ぬえ。

 

 さらに、突然迫り上がった土塊が形を成して土着神の頂点洩矢諏訪子まで顕現する。古の神力は威を伴い、相対するだけで生物を萎縮させる。蛇に睨まれた蛙とはこの事だ。

 これにより逃げ道は完全に絶たれた。

 

「揃ってせっかちですわね。まだ何も話せてないでしょうに」

「テメェと話す事なんか何もないね」

貴女(天邪鬼)と話したところでねぇ……。私が用があるのは菫子だけよ」

「天下の八雲紫ともあろう者がご執心とは、このガキに何か秘密があるって口外してるようなもんだ。渡すわけ無いだろバァーカ!」

「貴女ってそんな口調でしたっけ? まあ別にいいんですけど」

 

 小物臭い口調は兎も角として、Sは冷静に今後の動きを練っていた。やはり菫子は紫にとって深い意味を持つキーパーソンに違いない。自分が思っていたより数段重要な人物だったわけだ。

 つまるところ、おめおめと菫子を渡すわけにはいかなくなった。天邪鬼としての曲がった性根が描いた最高の展開。

 

 だが逆に言えば、それだけ本腰を入れて紫は菫子の奪取を目論むだろう。それこそ手持ちの傀儡全てを駆使し、自らの権能を駆使してでも。

 

 紫の合図と共に傀儡が戦闘態勢に入る。

 ほんの僅かに歯を立てて抵抗の意思を見せる傀儡(ぬえ)も居たが、やがては渋々従った。

 

「今日を以って私は次の夢に進む。それを邪魔しようとする異物は速やかに排除しなければなりませんわ。さあ、存分に力を振るって頂戴」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 私は目の前で繰り広げられる死闘を、信じられない気持ちで眺めるしかなかった。

 あり得ない、と。自分に言い聞かせるように何度も呟く。頭がどうにかなりそうだ。

 

 私のサードアイはこんな結末を示していない。

 起こり得る余地など欠片も存在しなかった筈なのに。

 

 あのスペルカードは何だ? 

 何故、諏訪子さんが紫さんに付き従っている? 何故、宇佐見菫子を狙っている? 

 

 どんな小細工を使って私の能力を誤魔化したのか見当も付かない。それほどまでに私は自分の読心能力に自信を持っているのだから。紫さんが私の手から逃れられる道理など無いのだ。

 

 というか、あの紫さんに出し抜かれていたと考えるだけで微妙な気持ちになってくる。

 

 動揺は収まらないけれど、悠長に惚けている暇など許されなかった。

 目下、戦闘は紫さん側が完全に押している。

 当の紫さんは手を出さず諏訪子さんと謎の妖怪だけで戦っているのだが、数の差など覆して余りあるほどに個々が強力であり、菫子さんを奪われるのは時間の問題か。

 

 ……しかも反幻想郷連合なる集団には『獅子身中の虫』もいるようだ。彼女のせいで紫さんに動きの殆どがバレていたらしい。

 なんにせよ、早急に菫子さんを私達の手で保護する必要があるわね。妹紅さんには悪いが、彼女達では不確定要素と付け入る隙が多過ぎる。

 

 

 ドレミーありがとう。貴女が念入りに警戒を促してくれたおかげで、万が一に備える余地を用意することができた。これで漸くギリギリだ。

 

 

「はたてっ! てゐっ!」

 

 

 叫びに近い呼び声を発する。こんなに大きな声を出したのは妖生初めてかもしれない。

 だがその甲斐あって2人には合図が届いたようだ。間髪を容れず天狗に河童、妖怪兎の大群が雑木林を突っ切って戦場に雪崩込む。

 

 私の数少ない人脈を駆使しての救援要請を快諾してくれた盟友2人には感謝してもしきれない。こうして自分の部下を駆り出せるだけ連れてきてくれた。

 ……贅沢を言うとレミリアにも来て欲しかったんですけどね。どうやら戦闘に参加する気はないようで、姿がない。静観するつもりだろうか。

 

 突如として現れた第三勢力に場の全員が浮き足立つ……のを期待したのだが、全員が動じる事なく対応を開始している。流石は歴戦の猛者揃いだ。

 よくよく考えれば、菫子さんを除いて全員が齢千歳を越える長者ばかりね。

 

「取り敢えず乱戦に持ち込むよ。私らは宇佐見菫子の奪取を第一に動く」

「い、イエッサー!」

「あいあいさー」

 

「てゐは向こうに行ったのね! なら私達はあの不気味な妖怪と神様を止めよう!」

「承知。はた、天魔様は下がられてください」

「よぉし月から鹵獲した新兵器を試すのには良い舞台だ! 総員、一斉射撃の準備!」

 

 流石は幻想郷を運営してきた海千山千の賢者。即座に状況を把握し、役割分担を構築。数だけが多い烏合の衆とならず脆弱な存在を上手く立ち回らせて場を引っ掻き回す事に努めている。

 

 八意永琳や射命丸文、鈴仙など各勢力を代表する強者はリハビリや情報の共有不足で居ないものの、それでも対抗するには十分だ。

 趨勢を決するだけの時間は稼いでくれる。

 

 しかも、はたてに至っては私の為に道を用意してくれているみたい。

 今回だって紫さんとの信頼を天秤に掛けた上で助力してくれているのだから、腹を括っているのだろう。後ほど心からの感謝を伝えたい。

 

「紫さん」

 

「……」

 

 まるで邪魔者を見るかのように顔を顰めている。実際、心の中を覗いてもいつも通り、私への苛立ちや嫌悪感が大体を占めていて、今回の出来事に対しての考えや想いは一切存在していない。

 やはり何らかの小細工をしているのだろう。

 

 小賢しい。

 

「いつからですか?」

「主語を言ってくれないと何が何だか分からないわ。生憎、私には貴女のような便利で忌々しい能力はございませんので」

「すっとぼけないでください。貴女はこんな事ができる人ではなかった。私の知らないところで何があったんですか? ……何を知った?」

「貴女は私に何も教えてくれなかったのに、立場が逆転した途端矢継ぎ早に回答を求めてくるなんて随分と虫がいいんじゃないかしら」

 

 鈴のように笑う様は魔性の類か。心を満足に覗く事のできない状態で彼女を相手するのは、かなりキツそうだ。

 息を整えて再度語りかける。

 

「私を恨みますか」

「……いいえ。寧ろ感謝してるわ」

「感謝?」

「貴女には損な役回りばかりさせていたような気がしてね。私に情報を与えないよう頑張ってたでしょう? おかげで私は何も知らずに幸せな毎日を過ごす事ができた」

「なら、なんで……!」

 

 聞かずにはいられなかった。

 私は未だに信じられない。目の前にいるスキマ妖怪が、私の知る紫さんだなんて。

 私の身体が芯から震えているのが分かる。

 

「どうして全てを捨てようと? 紫さんにとって幻想郷とは、この世界に住まう者達とは、それほどまでにチープな存在なのですか?」

「優しいわね、貴女は」

 

 何を急に。

 感情に訴えかけてみても紫さんは動じない。それどころか私の反応を誘うように訳のわからない事を宣っている。癪に障る、苛立たしい。

 私が話したい事を全く話してくれないのだ。

 

「貴女との思い出は正直あんまり楽しいものではなかったわ。顔を合わせれば毒舌で全てを否定されるんだもの。流石の私も傷付いたわ」

「私は事実しか言いませんから」

「そうね。でもそれだけじゃなかった筈。私の心を何度も嬲る事で『弱くて惨めな私』を保たせようとしていた。そうでしょう?」

 

 確かに、紫さんの言う通りだ。私が紫さんを執拗に罵倒していたのは、紫さんの身体に別の心が宿らないようにする為だった。昔に死んだ八雲紫の心が復活でもすればどんな事態が起こるか想定すらできないから。

 

 でもその結果、私は出し抜かれた。

 紫さんの弱さを誰よりも知っていたからこその失態と言えるのかもしれない。

 

 私は紫さんを信じたかったんだ。

 

「……紫さん、これが最後です。その野望を捨てて、いつも通り幻想郷でアホらしく暮らしてください。それが誰も不幸にならない未来」

「断れば私を殺すの?」

「私では……貴女を殺せません」

 

 物理的にも心情的にも、私の力で紫さんを殺害するのは不可能だ。実質不滅の存在。それに殺したくないという気持ちがある事は否定しない。

 

 だけど、私に取れる手段が皆無かといえばそうではない。

 

「貴女を封印して、その間に私の能力で記憶を書き換えます。きっと目覚めは数年後になってしまいますけど、また何も知らないまま楽しく暮らせますよ」

「私にまた全てを忘れろっていうのね」

「ずっと言っていたじゃないですか。『知ろうとしない事は勇気である』と。……お願いです紫さん。受け入れてください。元の紫さんに戻ってください」

 

 これで頷かなければ実力行使だ。私の想起で霊夢さんか擬きさんあたりの封印スペルを再現すれば、今の紫さん相手でも通用するだろう。

 

 そもそも今の紫さんは不完全である。未だ宇佐見菫子を手中に収めていないからだ。

 八雲紫が本領を発揮する可能性があるのは、()()2()()()()()()()()()()()

 

 トリッキーな妖術を幾つか習得しているようだけど、肝心の実力は未だクソ雑魚のまま。でなければ諏訪子さん達を傀儡として操る必要なんかない。

 

 今なら、確実に挽回できる! 

 もういい。紫さんが話したくないというなら此処に至るまでのトリックの解明は諦めよう。そんなもの後からどうとでもなる。

 

「抵抗しないでくださいね。できれば傷付けたくありませんので」

「さとり。私は貴女ほど優しい妖怪を見た事がないわ。他の人に尽くす事のできる精神を持った素晴らしい妖怪、それが貴女」

「……何ですか急に? 媚を売っても私の判断は変わりませんよ」

「でしょうね。でもその優しさがこれまで貴女に何を施してくれたのかしら? そう、貴女の妖生は失ってばかり、奪われるばかり」

 

 戯言だ。

 早く封印を。

 

「貴女は妹が死んでしまったその時から何も変わっていないのよ。だから何度打ちのめされても自分を捧げてしまう。意味なんて何もないのに」

「……!」

「私に優しくすべきではなかった。隠岐奈と一緒に私を殺してしまえば良かったの。そうすれば少なくとも貴女は、もうこれ以上何も失わずに済んだのよ」

 

 そうだ。その通りだ。

 私の見通しの甘さがこいしを殺した。私の判断の誤りがお燐を殺し、お空を傷付けた。

 そんな事は言われなくても分かっている。私は賢者と名乗っている奴らほど冷徹な判断を下す事なんてできない。満足な策を練る事さえ一苦労だ。

 

 でも、それを他ならぬ紫さんに突き付けられたくはなかった。貴女が生きていてくれることだけが、私の後悔を紛らわせる唯一の結果だったから。

 

 あれ。

 というか、なんで、紫さんがこいしの死を知って……? 

 

 

 

「だからね──死んじゃうんだよ? お姉ちゃん」

 

 

 

 懐かしい声だった。

 

 何百年ぶりだろう。忘れる筈がない。

 冷たくなっていく思考とは裏腹に、背中が煮えたぎるように熱い。固まる首を無理やり曲げて、覚束なく揺れる瞳を背後へと向ける。

 

 そうか。だから、心が読めなかったのか。

 

 私はずっと勘違いしていた。

 紫さんを通してあの子を見ていたのではない。紫さんの中にあの子が居たのだ。

 

「こ……いし……」

 

 それこそ夢にまでみた妹の顔。そして背中に突き立てられたナイフ。

 ゆっくりと、だけども確実に私の肉を裂いていく。夥しい量の血液が零れた。

 

 膝から崩れ落ちると同時にナイフが引き抜かれる。ただの一突きで私の命の殆どが刈り取られた。何故だろう、意識がはっきりしない。

 死が迫っているのを感じる。

 

 周りの戦闘音や悲鳴がくぐもって、遠い世界のようだ。今際、という事なのか。

 

 まだだ、まだ死ねない。

 私が紫さんを止めなきゃ……誰の手にも負えなくなってしまう。また、繰り返されてしまう。

 

 それに私、まだ、こいしに。

 

 

「私ね、ずっと謝り、たくて……」

 

「おやすみ。お姉ちゃん」

 

 

 感情の無い笑みを浮かべるこいし。いつも思い浮かべていた顔とは、まるで違う。

 

 言葉を紡ぎ切るより先にナイフが振り下ろされ──。

 

 

 ……。





トリニタリアン
【三位一体の】

こいしちゃんの過去回想以外でのマトモな登場は、殆どがゆかりんかフラン視点。例外としてさとりの想起とはたての念写にのみ登場しますが、いずれもゆかりんを通して観測している状態ですね


次回で終わりです


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Next Dream…?

 

 

「振り返ってみれば貴女とはそれなりに長い付き合いだったわね。……正直、別れを惜しく思っている自分に驚いていますわ。あんなに会いたくないって思っていたのに」

 

 血溜まりへ沈んでも、なお私を睨み続ける三つの目。意識なんてもう無い筈なのに。

 最後に抱いた想いは恨めしさか、はたまた裏切りへの悲しみか。

 

「さようなら我が友よ」

 

 次はもう少し、報われる妖生になるといいわね。

 

 

「ごめんなさいこいしちゃん。辛い役目を任せてしまって」

「しょうがないよ。お姉ちゃん、こんくらいしないと止まらないだろうし」

 

 口を尖らせながら手元のナイフを弄んでいる。

 本当に申し訳ない。こいしちゃん自身は何とも思っていないんだろうけど、やっぱりそれなりの罪悪感ががが! 

 でもさとりを早いうちに無力化しておかないと後々厄介な事になりそうですもの、致し方なかったのだ。彼女の不意を突けるのは幻想郷広しといえどこいしちゃんぐらいしか居ないのも辛いところですわ。

 

 本当に厄介な友人だった。

 最初期から私の目論見に気付く余地があったのもさとりだけだったし、少しでも進行の匙加減を間違えていれば今頃座敷牢行きだったわね! 

 ある意味最大の難敵と言えたのかも。

 

 でも残念、さとりの能力とこいしちゃんの能力には一方的な相性差があるのだ。

 私とこいしちゃんが組んでる以上、さとりの誤算と敗北は半ば確定していた。彼女の優しさをこれでもかと利用した結果ですわ。

 

「じゃ、さとりは片付いた事だしぬえと諏訪子の加勢をお願いね」

「オッケー! 根絶やしにしちゃうよ!」

「いやいや無力化だけでいいわ。死体の山を積み上げるのは今じゃなくていいの。私が言うのもなんだけど穏やかに事なかれ……聞いてる?」

「はりきっちゃうなー腕がなるなー」

 

 とんでもなく危ない雰囲気を醸し出しながらそんなことを言っていたので、慌てて訂正を入れておいたんだけど、これ多分届いてないわね。スペルのクオリティが高過ぎるのも考えものである(n回目)。

 でもねー、こいしちゃんは無理に調整しちゃうと何が起きるか分からないから迂闊に弄れないのよね。自我が無いっていうのは使役する側からすれば正しく一長一短なのだ。

 

 さて、手が空いたので軽く戦況を眺めてみる。見るまでもないけどね。

 

 ぬえも諏訪子も大規模範囲攻撃を得意とする戦闘スタイルだから、それはもう派手な妖術がこれでもかと天狗と河童達に降り注いでいる。流石に気の毒になるわ。

 藍の結界の展開が遅れてたら幻想郷の二つ三つくらい軽く滅んでそうな恐ろしい光景。てゐの幸運補正が齎す天文学的な偶然のおかげで死者は出ていないみたいだけど、殆どが戦闘不能に近いレベルに追い込まれている。

 

 範囲攻撃では仕留めきれなかった名のある妖怪も数人確認できる。で、その子らは漏れなくこいしちゃんの凶刃により斃れていった。妖怪の山一派はこれで終了ね。

 首魁である天魔(はたて)はさとりが脱落してから目に見えて動揺してて、精彩を欠いた指示しか送れてないようだ。良くも悪くも要はさとりだったか。

 即興で用意できる戦力にしてはよく頑張ったと思うけど、流石に時間稼ぎ以上を狙うのは高望みですわ。

 

 これで本格的に菫子確保に動くことができる。

 いよいよね。ドキドキしてきた。

 

 妖怪の山勢力の掃討はぬえに任せて、私達そっちのけで争っている正邪一派とてゐ一派を諏訪子に纏めて叩いてもらいましょう。こいしちゃんは遊撃ですわ! *1

 天魔(はたて)に比べて正邪とてゐは策謀と生き残る事に関しては、恐らく幻想郷でも数本の指に入るだろう。油断せず土塊操作で囲い込ませていくわ。

 

 さてさて我が分身3人が絶賛大活躍な中、このままだと私の存在意義が分からなくなってしまうので、私にしかできない仕事をしておきましょうか。

 

 私は流し目に『彼女』を見つめた。

 

「今は昔の話ですわ」

 

 

 

 

 

 八雲紫とこいしちゃんに出会いは存在しない。

 私も頭がどうにかなりそうなんだけども、無いものは無いのです。

 

 ぬえや諏訪子は意図的に接触し取り込んだ産物なのだけど、こいしちゃんはそれに該当しないのだ。気づいた時には既にそこに居て、私の苦楽を見物していた。

 

 彼女の死はあまりにも壮絶。その一言に尽きる。

 その筆舌に尽くし難い内容をさとりが聞けば卒倒してしまうのではないかと思わず心配になってしまうほどだ。もしかすると妹の死体に遺された痕跡から、どんな苦痛を受けたのか大体の予想がついていたかもしれないけど。

 

 何にせよ、さとりには気の毒な話だ。

 

 天狗達がこいしちゃんに与えた死に至る苦痛については割愛するわ。それをいま想起したところで何の意味もないから。

 私だって我が悲願が成就するめでたい日に陰鬱な気分にはなりたくないし。

 

 ただ一点だけ、語らねばならない部分がある。

 

 こいしちゃんの殺害。覚妖怪の族滅。妖怪の山統一戦争。人里侵攻計画。

 これら全ては前天魔の独断と強権によって引き起こされたとされているが、真実はそうではない。

 そうなるように仕向けた者がいる。

 

 私も、これが真相だなんて夢にも思わなかった。……いや、夢には思っていたのかも。

 

 あの日、天狗に人質として送られたこいしちゃんは、まず一番に天魔と密会した。

 そして第三の目を自らの手で抉り出し、天魔に差し出したのよ。

 

 読心能力を手に入れられれば権謀術数渦巻く修羅の世界を鎮められる。天狗のみんなを守ることができる。常々そう考えていた天魔にとって、こいしちゃんの行動は渡りに船であり、同時に理解不能でもあった。

 

 悪魔の誘いに乗る以外、選択肢は無かった。

 

 こいしちゃんの目を手にし、己に移植した天魔の精神は狂気に蝕まれ、やがては崩壊した。

 かつての英傑は死に、一匹の修羅が生まれた。

 狭間に操られるだけのマリオネットですわ。

 

 もうお分かりかしら。

 こいしちゃんよ。

 あの子が天魔と数多の妖怪の運命を狂わせ、妖怪の山を崩壊へと導いた。己の姉以外の同族を殺し尽くした。

 

 そんでもって、それで一番得したのが私なのよね。妖怪の山が修羅の地と化した事で発展と成長は堰き止められ、幻想郷成立に参画せざるを得なくなった。私やオッキーナに逆らえなくなってしまったのだ。

 

 確証は取ってないけど自信を持って言えるわ。こいしちゃんが狂ったのは私のせいだ。

 

 先にも述べた通り、私とこいしちゃんに出会いは存在しない。

 彼女が地獄に生まれ落ちたその時から、私との間には狭間に生きる者としての繋がりがあったらしく、互いの存在を認知していたようだ。というより、かつての私に一方的に目を付けられていたんでしょうね。

 

 無意識に潜む怪物と化すポテンシャルがこいしちゃんにある事は、未来知識を持つAIBOからの情報で知っていた可能性がある。『私』が実に好みそうな不安定さだ。

 

 そう、こいしちゃんは電波系美少女なのではなく、私からの怪電波を実際に受信している美少女なのだ。たった今さとりを刺したのも私の意を汲んだ結果。

 

 ……余計な事ばかりしてくれやがったものですわ。

 

 

 

 

 

「そうか。成り行きは分かった。なら続けて問うけど、何故それを私に伝えた?」

「今ここで貴女と事を構えても私には何の利もないからよ。貴女を殺そうが、逆に殺されようが、それは私の本意ではない。むしろいつも通り良き理解者であって欲しい」

「なるほど時間稼ぎってわけね」

「ふふ、流石。貴女はいつだって私を驚かせてくれる」

 

 絶叫が鳴り止まない凄惨な戦場の外れ。繰り広げられる蹂躙を傍目に、殺伐とした雰囲気とは掛け離れた和やかな笑みを互いに浮かべる。

 でもその実態はあまりにギリギリだ。

 

 はたてったら最後の最後にとんでもない置き土産をしてくれたものですわ。

 まあ当然といえば当然かしら。窮地に陥ればまず一番に彼女へ救援要請を飛ばすわよね。

 

 比那名居天子。

 さとりが斃れた今、この場で真っ向から私を止める事が能う数少ない実力者。

 

 藍の人払いの結界が作用している関係上、この戦場に対する感知と侵入は容易ではないのだけれど、天子さんはこの数ヶ月マヨヒガで私達と寝食を共にしていた。

 明晰な頭脳と天性の引く力、そして藍の結界の癖を見抜いた事による離れ技ですわ。

 

 天子さんは緋想の剣を私に突き付け、微細な動きすら許さないとばかりに油断なく睥睨する。

 凄まじい闘気による威圧が私に対する抑止力となっていた。うーん、今の天子さんの前では下手なことはできないわね。指先一つ動かしただけでも次の瞬間には木っ端微塵でしょう。死なないけど。

 

 故に時間稼ぎですわ。

 

 天子さんという戦力に真っ向から抗うのなら、呼び出してる3人のうち1人をぶつけなければならない。でも見ての通り、彼女達には天狗やら河童やらの有象無象や正邪一派を蹴散らしてもらわなければならない。

 じゃあ私が何とかするしかないわよね! 

 

「もう一度聞くぞ。あの陰湿覚妖怪の妹の話を何故、私にしたんだ? これといって感想はないけど」

「古明地こいしの悲劇はほんの一例ですわ。しかしその結果、波及した影響で多くの者が不幸になった。幻想郷を創る為の必要な犠牲といえばそれまでですが……私には到底受け入れられない話です」

 

 かつての私やAIBOは、何も感じてはいなかった。全ての悲劇を大義を成す為の些事だとでも考えているのだろう。その考えも理解できる。

 

 でも私は……。

 

「『玉琢かざれば器と成らず 人学ばざれば道を知らず』──せっかくの風光明媚な玉も磨かなければ立派な器にならないように、人間や妖怪も学ぶことで自己を磨かねば成功は出来ん。乱心し自己の悦楽に浸る暇があるなら、その時間を自己研鑽に充てたらどうだ?」

「えーっと?」

「まあ要するにね、過去を悔やむ暇があるなら、その失敗を活かしてより良い明日を切り拓いていくのがお前の為すべき道だと説いている」

 

 すっごいマトモなお言葉をいただきましたわ。これが噂に聞く天人様のありがたい説法というやつか。前半あたりは何言ってるかよく分からなかったけど! 

 

 そうね。天子さんの言うそれもいいと思う。

 少なくともAIBOが目指していたのはその方向性だ。数多の犠牲を踏み台にして最大限の未来を築いていく一つの形。葬られた悲しみを明るい現実で覆い隠す優しさ。

 

 実際、幻想郷は前に進み出していた。失われた命への悲しみを癒しながら、少しずつ着実に。

 

 そんな愛しき幻想郷を見て、私は──。

 

 

 酷く残酷に思ったの。

 

 

「それは只の甘えね。耳心地のいい言葉を並び立てて自分を無理やり納得させようとしてるだけ。唾棄すべき道」

「だが失われた命は回帰しないぞ」

 

 天子さんの言う通りよ。

 残された者達の大多数が悲しみを抱えても前に進もうとするのは、生と死とは覆しようのないものだと分かっているから。割り切るしかないから。

 

 だからこそ私は逆に問うてみるのだ。

 

「酷く困難な道であったとしても、いま持てる全ての物を犠牲にするのだとしても、失われた物を取り戻す術が存在するなら、果たして貴女は諦められる?」

「それはとても善い話ね。本当にそんな手段が存在するのかは甚だ疑問だけど、縋りたくなってしまうような夢物語であることは認めるわ」

「夢を現に変えるのが私の役目ですわ」

 

 できちゃうのよねこれが。

 便宜上「取り戻す」って言い方をしたけど、本質は「作り出す」になるのかしら? 

 

「完全無欠の比那名居天子。全てを兼ね備えた貴女に唯一不足したもの、それは生まれの時期だと私は勝手に思っています。後天的、後発の天人でなければ……せめて私と同い年くらいであれば、この世界を更に素晴らしいものにできたでしょう」

「そ、それはそうだけども」

「貴女の手で地をならし、美しい四季を作り、新しい生命を造り、悲しむ事のない心を創り、貧する事のない社会を作る。貴女の進む先には目上の月人や目障りな天人なんていない。己が手で理を切り拓き、解釈する」

 

 敢えて大袈裟な言葉を使っているけれど、天子さんなら不可能ではないと思ってるわ。それだけ私は彼女を買っているのだ。盟友だしね。

 

 これは時間稼ぎではない。勧誘である。

 天子さんを引き込むのは計画外のスタンドプレイ。荒技も荒技なんだけど、それでもやるだけのメリットと想いがあるの。

 

 八雲紫と比那名居天子は決して相容れぬ存在。犬猿の仲。如何なる情勢においても敵対し、啀み合う関係に落ち着く。予定調和ってやつかしら? 

 AIBOが頑なに天子さんへの嫌悪感を明らかにしていたのはそういう理由だ。かく言うAIBOの元となった八雲紫も天子さんを嫌っていたようだし、アレとはどう足掻いても仲良くなれないと予想していたのだろう。

 

 でも私と天子さんはどうだろうか。

 結果として、この世界では敵にならなかった。未来を語り合えるだけの朋友となれた。

 天子さんは私を害するどころか、要所要所で助けてもらってばかりだ。

 

 それってとても素敵な事じゃない? この絆らしき繋がりこそ私の因果を否定する何よりの証左。夢に生き続ける事を許してくれる免罪符。

 

 彼女は唯一、私が八雲紫である事を忘れさせてくれる得難き存在なのです。

 

 私の言葉にやはり思うところがあるのだろう。何とも言えない表情を浮かべながら、緋想の剣を下ろした。そして浮かせた要石に腰掛ける。

 信頼した甲斐があったわね。

 

「前から思ってたんだけど……」

「はい?」

「お前のことが未だにいまいち分からん。私の胸は大きくできなかった癖に、失われた物を取り戻す? 世界を創り変える? どうなってんのよ」

「うふ、ふふ……確かに、言われてみればおかしな話ですわね」

 

 では伝えておこうか。天子さんへの話が終わる頃には全てが終わっていることだろう。

 聡明な彼女には説明も手短に済みそうだ。

 

「ではまず、私という妖怪の正体を教えましょう。知ればきっと貴女にもご納得いただけるはずですわ」

 

「言わずもがな、私は純然たる妖怪としてこの世に生を受けました。しかし同時に、人と人の間に産まれた人間でもあるのです」

 

 八雲紫とは二度生まれ、一度死ぬ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「各勢力入り乱れての大乱戦。もはや誰が味方で誰が敵なのやら判断に困りますねぇ」

「なら全員燃やしてしまえばよかろう! のうもこたん」

「なるほど一理ある。やりましょうもこたん」

「だってよ。行ってきなもこたん」

「もこたんガンバ!」

「作戦には賛成だが、お前達はその名で私を呼ぶな。二度とだ」

 

 相変わらず溝が深い反幻想郷連合。しかし生き残る事に長けた者達が身を寄せ合う集団なだけあって、三つ巴の大乱戦における最弱勢力でありながらも何とか1人も欠けることなく立ち回っていた。

 

 相対するは竹林の帝王因幡てゐと愉快な仲間(奴隷)達。元草の根連合や敗残兵と化した月軍を主体とした一団である。闇鍋極まりない珍妙な軍団であったが、それを纏め上げるてゐの手腕が遺憾なく発揮されている。

 

 なるべく互いの損耗を減らしつつ最大限の利益をもぎ取ろうとする構えが続いており、もはや曲者対曲者の化かし合いだ。

 この状況にはさしものてゐも頭を悩ませている。というのも、反幻想郷連合は規模こそ最弱だが、決して弱い訳ではない。全員が一級品の力を有しているし頭が回る。無理に戦力を削り合えば得をするのは紫だけ。

 

 つまりてゐの役目は菫子捕獲というより、さとりが紫を封印するまでの足止めだ。

 

「リーダー生きてたんですねぇ! 良かったぁ針妙丸様や姫が喜ぶわ!」

「あいつから最優先に燃やせ」

「リーダー!?」

 

「あー! あいつサグメ様の娘を名乗ってた奴でしょ! アレも一緒に捕まえたらさ、もしかして私達、月に帰れるんじゃないの!?」

「サグメ様がちょっとだけ気に掛けてたよ。一度会ってあげたらどう?」

「誰だよテメーらは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ」

 

 狼女(影狼)玉兎(あおりんご)の知り合いなど居ないとばかりにSは中指を立てるのであった。Sは孤高の天邪鬼なのだ。

 しかし、そんな化かし合いも強大な暴力の前には悉く無力である。

 

 一帯の地盤そのものが跳ね上がり動きが阻害されると同時に、拡散する呪が次々と妖怪達を飲み込んでいく。天狗や河童を壊滅させた手法そのままだが、非常に効果的な殲滅術だ。

 

 諏訪子の乱入が均衡を破壊した。

 やはり紫の擁する手下達は圧倒的だ。普通に相対したのでは敵わない。

 

 さとりの失敗、はたての敗退は明白だった。

 

「てゐ様! このままじゃ……」

「ここらが潮時か。──私が殿をするからお前達は結界の外へ行って博麗霊夢か、鈴仙を探してきて。多分、居なくなった私達を探して近くを彷徨いてると思うから」

「でもこの結界、凄まじく難解でして」

「抜け道の無い結界なんてこの世に無いさ。思うままに進めば出られるようにしておく」

 

 はたてと違い無闇な被害を出すのを嫌ったてゐは即座に撤退を指示。菫子の確保を諦め、外部から援軍を呼び込む方向に舵を切る。霊夢の乱入は諸刃の剣だが、贅沢を言っている場合では無い。

 荒れ狂うかつての土着神、その頂点を単独で止めにかかる。

 

 一方、菫子のバリアと正邪のベクトル操作により難を逃れた反幻想郷連合は、てゐからの圧力の低下を見定め、かねてからの計画通り逃走を開始する。

 諏訪子の猛追が予想されるが、そこはSの腕の見せ所である。

 

「もこたんは菫子を連れて逃げろ。間違っても八雲紫に渡すなよ」

「言われなくてもそうするが、アンタらは?」

「私らはデコイだ。なるべく追手を撹乱するから、せいぜい上手いことやりな」

「それでは皆さま、ご武運を」

「生き残った時はまた冥界で会おうぞ!」

 

 正邪、布都、典の3人は『呪いのデコイ人形』を携え妹紅、菫子とは別々の方向へと駆け出した。布都に至っては自分が霊体なのをいい事に火をつけまくっている。

 それを見送り、残された妹紅は菫子をおぶると『ひらり布』を頭から被った。

 

 終始信頼のできない連中ではあったけれど、叛逆に対しての想いは本物だったのだろう。菫子を紫の手にさえ渡さなければ完全敗北では無いのだ。

 泥水を啜り這い蹲ってでも、再起を図る命と心があれば。

 

「みんな、大丈夫かな……」

「アイツら3人の生き汚さは尋常じゃ無い。身の心配は私達だけで十分だ」

 

 足元から高密度の妖力を噴出する事によって、凄まじいスピードで斜面を駆け上がる。

 博麗神社の標高はそこまでのものじゃない。妹紅の脚力であれば数秒とかからず登頂できる程度だ。

 しかし幾ら木々を掻き分けがむしゃらに進もうと、森は一向に途切れる様子がない。それどころか後戻りのできない深淵へと飲まれているような──。

 

 

「……もこたん?」

「私をおちょくってんのか。上等だ」

 

 思い出したのだ。

 今から数百年前のあの日。妹紅に覚めない悪夢を植え付けた最悪の夜。

 

 メリーを連れて逃げていた時もまた、同じだった。幾ら走っても竹林を抜けることができず、永遠とも思えるような空間で逃げ惑い続けた。

 アレと同じカラクリなのだろう。

 

 奥歯が割れるほどに噛み締める。

 被っていた『ひらり布』を脱ぎ捨て、菫子を地面に下ろし、憎悪を湛えた瞳で虚空を睥睨する。

 

「出てこいよ。八雲紫ッ!」

 

「言ったでしょう? 筒抜けって。小細工は通用しません」

 

 呼応するように空間がヒビ割れ、ぬるりと現れる。

 

「どんな策を弄そうが、何処に逃げ果せようが、私は幻想郷どころか地の果てまで菫子を追いかける。どれだけ頑張ろうとも無駄なのよ」

「……おかしいだろ」

 

 ある意味弱音とも取れる、本心の吐露だった。

 

「どうして菫子に拘るっ!? 何を求めているのだとしても、まだ十にも満たない童だぞ……!」

「齢は些細な問題ですわ。私が必要としているのはその子の特別な能力よ」

「利用する気か? 奪うつもりか?」

「いいえ。返してもらうだけよ」

 

 返す。つまり最初は紫が所持していたという事。当然ながら超能力は菫子が生まれ持った先天的なものだ。言いがかりも甚だしい。

 確認のため目を向けるも、菫子は小さく首を振るだけだった。

 よって詭弁を弄しているだけだと判断した。

 

 妹紅の妖力が爆炎となり立ち昇る。

 

「アンタの話は何も信じない……! 黙って菫子から手を引きやがれ」

「貴女とはいつも会話にならないわね……。では、貴女達2人に馴染みのある姿になりましょうか。そちらの方が幾分話しやすくなるでしょうし」

 

 紫は困ったように微笑むと、携えている傘をスキマにしまい、桔梗色の瞳を閉ざす。

 念じること数秒。再び()()()の瞳が開かれる。

 

 

 夜中の海のように深い青。

 瞳から伝播するように姿が滲んで変質していく。長髪を纏めていたリボンが消失し、肩口までの短さに。複雑な意匠が簡素に。

 

 妹紅と菫子は絶句するしかなかった。

 2人の驚く様に何故か満足げに頷く。

 

「これがマエリベリー・ハーン。人には決して理解されない孤独を埋め合わせてくれる、素敵で愉快なお友達の"ガワ"よ。夢の世界の姿そのままですわ」

 

「懐かしいでしょう?」と、見せ付けるようにしてその場でクルリと回る。

 

「えっ……どういうこと? それがゆかりんの本当の姿じゃないの?」

 

 ぬえが化けていた紫の姿を見てから、菫子はずっと不思議に思っていた。何故、夢で出会う八雲紫と、幻想郷で出会う八雲紫の姿は異なるのだろうと。

 菫子にとっては、此方(メリー)の方がしっくりくる。

 

 そして妹紅もまた酷く混乱していた。

 紫が姿を変えて惑わせているのだとすればそれまでだが、違和感が無さすぎた。

 記憶に焼き付いたメリーの姿と全く同じなのだ。違うのはその身に纏う妖しさだけ。

 

「どうかしら。これなら落ち着いて話せそう?」

「やっぱり、お前には人の心がないらしいな」

「うん?」

「気色悪いんだよっ! お前の全てがっ!」

 

 分かっているのだ。姿はメリーでも、その実態はあまりにかけ離れている。

 中にメリーは存在しない。

 

 メリーの死骸を弄んでいるだけだ。所謂デスマスクというものか。

 

「死んで詫びやがれ」

 

 激情が爆炎となり妹紅の原動力と化す。生命活動の一切を破壊のみに注ぎ込んだ一撃。凄まじい速度で繰り出される蹴りは衝突と同時に、自らの身体ごと敵を焼き尽くすのだ。

 そして菫子もまたテレポーテーションの準備に入る。妹紅と予め決めていた段取りであるし、今の紫とは会話できないと判断した事で迅速に動く事ができた。

 

 鮮やかで効果的な連携だ。菫子を守るために妹紅が必死に考えたのだろう。動機がなんであれ、菫子を保護していた事に変わりはない。紫は妹紅への印象を改めた。

 

 故に、惜しい。

 

「あ」

「ッッッ!?!!?」

 

 蹴りは寸分の狂いなく紫の顔面を捉える筈だった。実際、そのまま振り抜けば紫を粉々に吹き飛ばす事も可能だっただろう。結界内に残った紫の傀儡を丸ごと巻き込む威力を見込んでいたから。

 だができなかった。紫の傍らに菫子が突っ立っていたからだ。テレポーテーションの失敗を悟る間も無く、紫と、そして妹紅の姿に目を見開いている。

 

 瞬間移動はスキマ妖怪のお家芸だ。

 

 業火は萎み、蹴りは数分前と同じく紫の顔半分を消し飛ばすに留まる。

 かつての見知った顔が真っ赤に裂けている。

 

「貴女の苦しみも私の罪」

 

 欠損に怯むことなく、細くしなやかな五指が妹紅へと向けられた。身体の芯を丸ごと握り潰されているような不快感が湧き上がる。

 全ては掌の上。僅かな魔力で齎す絶対の破壊。

 

 妹紅は理解した。

 もうダメだ。

 

「菫子──逃げ」

「さようなら、親切なお友達」

 

 

「『掌中の破壊者』」

 

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 身体の造形を無理くり修正しつつ、月光の溢れる獣道を行く。若干肩を落としながら。

 

 良かれと思ってやった真メリーフォームがまさか火に油を注ぐ結果になろうとは、この大賢者八雲紫の目を以ってしても見抜けなんだ。悪い事しちゃったわね。

 ま、まあ短期決戦は目論見通りだからノー問題ですわ。あのまま話に興じていたら、うっかりタイムリミットなんて事もありえたし。

 

 ただ菫子への説明ができなかったのよねぇ。

 質量付きのスキマの上で寝かされている童へと目を向ける。本当なら彼女になるべく納得してもらった上で、私に力を差し出してもらいたかった。

 妹紅とか正邪の横槍で全部御釈迦になったけどね! ぷんぷん! 

 仕方ないので事後で説明するしかない。

 

 少し歩くと、辺り一帯が更地と化した区間に出た。キツめな妖力が充満してるのもあって、これぞ地獄絵図ですわ。むしろこれだけで済ませた藍の働きに敬意を払うべきね。

 何をやっても穏便にならないのは、最早そういうものだと思って諦めるしかない。

 

 指令を完遂した3人娘も、砕け散った岩盤に腰掛けて和やかに談笑するなどして暇潰しに興じていたようだ。なんだかんだで仲良くやっているようで安心ですわ。

 まあ周りは地獄絵図だけど。

 

「みんなお疲れ様。どうだった? 久しぶりの夢見は。堪能できたなら何よりだけど」

「ダメダメ、平安の世に比べたらどいつもこいつも甘っちょろいわ。混沌が足りないよ」

「いま戦った子達は穏健な方なのよ。地底に潜れば懐かしき混沌を少しでも感じられるかもしれないわ。まあ、もうそんな時間はないけど」

「これなら藤原妹紅と延々殺り合ってた方が楽しかったかもなー」

 

 口を尖らせるのは正体不明の大妖怪ぬえ様。この子はいくら調整しても高確率で命令を無視してくるので扱いに苦慮している。恨まれてるって言われればそれまでだけど。

 こいしちゃんは先述の通りだし、他の面子もかなり不安定だし……あれ? 素直に言うこと聞いてくれるの藍と諏訪子しかいなくない? 

 

「で、諏訪子はどうして挙動不審なの?」

「何かの間違いで早苗に出会したら大変じゃないか! ほら早く目的を達成して撤収しよう」

「んー……それもそうね」

 

 納得したわ! 

 かく言う私も、今にも霊夢が乱入してくるんじゃないかと気が気じゃない。確認だけ済ませて、さっさと菫子の力を戴くとしよう。

 

「残ったのは全員戦闘不能にしたみたいだけど、何人に逃げられたの?」

「竹林の連中が数人と、正邪って奴だね。凄いよアイツ、仲間をみんな騙して切り捨ててる」

 

 聞くところによると、私の家から窃盗していたアリス特製『呪いのデコイ人形』を駆使して妹紅と菫子の逃走を助けてたみたいなんだけど、正邪が持っていたのはダミーの人形だった。

 つまり、のじゃのじゃ亡霊と典にデコイを押し付けて逃げたのだ。

 

 まあ何と言うか……流石よね。

 のじゃ亡霊は諏訪子が封印。典は取り決め通りに逃してあげたわ。あっ、言ってなかったっけ? あの狐は私が潜り込ませてたスパイね。

 筒抜けなのよ。全部。

 

 彼女とは利害関係が完全に一致してたのもあって、こまめに報告を入れてくれた。対価もそこまで重要な物ではなかったので良い取引だった。

 私が菫子に力を返してもらうように、典には私から返すべきものがあった。それだけですわ。

 

 兎に角、3人娘から話を聞く限りでは問題は無さそう。正邪やてゐが逃げ果せたところで、私の手の内に菫子がいて、さとりが再起不能に陥った以上はね。

 それに思わぬ拾い物もあったし。

 

「では……始めましょうか。夢を現実に変える為の、遥かな旅路の幕開けを」

 

 私達の戦いはこれからだ! 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………あれ? 

 

 

「どしたのゆかりん」

「さっさと始めようよ。元に戻るんだろ?」

 

 こいしちゃんとぬえが口々に急かしてくる。諏訪子も怪訝な様子で首を傾げている。

 いや、あのね。私もそうしたいのは山々なんだけど、なんかこう……。

 

「どうやって力を貰えばいいのかしら?」

 

 空気が白けた。

 

「嘘だろお前。いつも通りにやれよ」

「この子の力は貴女達みたくガサツに扱っていい物じゃないのよ。余す事なく私の物にしなければならないの。取り零したら大変」

「酷いこと言うなー」

「鬼畜妖怪!」

 

 そ、そんなこと言われても、こいしちゃんとぬえは昔の私が片手間にやってたんだもん。私は悪くないですわ! 諏訪子は初めてで慣れてなかったからノーカン! 

 いやけどね、不完全な同化だからこそ私が私で存在出来たのは確かにそうなのよ。正体不明やら無意識やらを自在に操れたのなら、きっと酷い妖怪になっていた。

 だからってクソ雑魚のまま放置するのもどうかと思いますけどねっ! 

 

 ただ菫子に関しては完全に話が別だ。この子の力をカケラでも取り逃がしてしまえば、私の悲願が絶たれるどころか色々な罪悪感で二度と立ち上がれなくなってしまうかもしれない。そもそも大前提からして私にとってかなりリスキーな行為だしね。

 

 万に一つにも間違える訳にはいかない。ちゃんと方法を確立させておくべきだったのに、少々気持ちが焦ってしまったせいでうっかりしてたわ。

 

 考える時間が欲しいところだけど、時間はいつだって私に牙を剥く。

 僅かに肌がヒリつく感覚。

 

 結界越しにここまでの圧力を飛ばしてくるなんて尋常じゃないわ。当然、感知した3人娘が各々戦闘の準備を進めている。彼女達を以ってしても手を焼くだろうと予想される人物。

 

 九分九厘、霊夢ねこれは。

 

「一旦退きましょうか」

「なんでー? 戦おうよ!」

「こいしの言う通りだ。博麗霊夢をぶっ倒せば急ぐ理由もなくなるでしょ」

「いやいや帰った方がいいって。私だけでも先に帰っていいかい?」

 

 血の気の多い2人は霊夢相手でも全く怯んでいない。この威勢の良さは頼りになるけど、霊夢相手に過信は禁物ですわ。ここであの子と雌雄を決したところで得られる物は少ないし。

 霊夢というよりは早苗を恐れている諏訪子が正しいと思うわ。

 

 んー……。

 

「スペルブレイク」

 

 発動していたスペルを無理やり破棄して、呼び出していた3人を消滅させる。もう戦闘は無いから暴発の恐れがある彼女らをそのままにしておく訳にはいかないわ。

 代わりに私の意を汲んで、藍が駆け付けてくれた。破られる結界の維持なんて無用だしね。どうやら私のうっかりも把握しているようだ。

 

「紫様、いかがなさいますか」

「霊夢と争えば否応無しにそこが最終局面になる。それは少し勿体ないわね」

「では私に案があります。少々時間を取る事になろうかと思いますので、幻想郷を離れましょう」

「そうしましょうか。名残惜しいけど幻想郷に居る意味は無いものね」

 

 藍は恭しく首を垂れると、私から菫子を受け取る。そして、ほんの少しの力と願いを込めてスキマを縦に引き裂いた。AIBOと慧音を監禁している空間へと続く道。

 此処に篭ってしまえばどんなに強力無比な存在でも私達に介入できなくなる。

 何せ、この世界を感知し足を踏み入れられるのは、境界の住人たる私と、私が招いた客人だけ。

 

 幻想郷に住まうみんなとは今生の別れね。

 

「これが最後でも未練はない?」

「何を仰います。前に申し上げた通り、私はいつだって紫様と一緒ですよ」

「ふふ、ありがとう。貴女が側に居てくれるだけで私は……」

「紫様」

「ええ。先に行ってて」

 

 抱え上げた菫子と共にスキマの奥へ消えていく。この境界が私と幻想郷を隔てる最後の一歩。

 どういう結末になるのだとしても、この決断に対する後悔は忘れないようにしたい。

 

 

 宙を見上げた。

 月と星と、黒い海。そして紅白の巫女。

 

 身体に心が生まれてからというもの、私は道に迷ってばかり。

 それは絶対的な導を失ったからだ。月と星が何も教えてくれなくなったから。

 私は此処が夢なのか、それとも地獄なのか。それすら朧げなのだ。

 

 でもね霊夢。

 貴女が、きっと貴女だけが。私に残酷な幻想を思い出させてくれるのよ。

 

 

*1
制御不能




ゆかりんの物語もあと少し


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黄昏と黎明の境界※挿絵あり

2023.6.13 挿絵追加しました


 最悪の目覚めだった。

 知らない天井と埃っぽい和室の匂い。

 

 寝心地の悪い低質な布団。身体中に束縛するかの如く巻き付いた包帯。意識が飛びそうになる程の耐え難き激痛。理解を拒むほど恐ろしい悪夢。

 全てが不快の極みだ。

 

「残念、悪夢じゃないわ」

「……心を勝手に読まないでもらえますか」

「貴女が言うか」

 

 一番に視界に飛び込んできた顔もまた、さとりを嫌な気分にさせてくれた。

 幼い姿の八雲紫。ドレミーが用意した仮の身体。さとりが言うところの『擬き(AIBO)』である。

 

 行方不明のまま放置していたものだからてっきり死んだのかと思っていたが、ちゃっかり生き延びていたようだ。擬きが生命体か否かは意見が分かれるだろうが。

 ふと、側の障子から降り注ぐ木漏れ日に目を遣る。少なくとも一夜、時間を無駄にしている。

 

 風景からして地上は確実。

 博麗神社か。

 

「貴女が呑気に寝ている間に大変な事になりました。そうね……悪い知らせが三つ、良い知らせが一つあるけど、どうします?」

「相当厄介な事態になっているんでしょうね。正直、気が参っているので良い知らせからで」

「この数週間、私と上白沢慧音は『私』に拉致されていました。しかしこうして脱出に成功した次第ですわ。まあ、もう力はほぼ残っていないので出来る事は殆どありませんけども」

 

 期待していた訳ではないが、良い事があまりにもショボい。さとりの頭は重くなるばかりだ。

 

「それで悪い知らせですが、一つ目は……まあそれよね」

「……」

 

 自分の胸元、サードアイへと目を向ける。

 縦に裂傷が走っており、瞼が動かない。ダメにされたのは明白だった。こいしが念入りにサードアイをナイフで痛め付けておいたのだろう。

 おかげで読心が全くできなくなっていて、さとりは使い物にならなくなってしまった。心を読めない覚妖怪に価値は存在しない。

 

 乾いた笑いが溢れる。

 

「私は、こいしのようにはなれないんですね。サードアイを失ったという点では同じである筈なのですが」

「それは貴女に適性がないからですわ。狭間(境界)に生きる化け物としての質が妹に大きく劣っているの。逆に言えば、それ故に八雲紫に魅入られずに済んだ」

「喜ぶべきなのですかね……」

「当然ですわ。でなきゃ貴女、今頃向こう側に連れて行かれていたわよ」

 

 面倒臭そうな、うんざりした様子で扇子をパタパタと仰いでいる。八雲紫の手に堕ちた強大な存在達の多さに辟易しているのだろう。もはや手駒の質は幻想郷随一だ。

 その集団にさとりが加わるような未来があったのなら目も当てられない。

 

「次です。宇佐見菫子は貴女達の手の届かない場所に連れて行かれてしまいました。何か問題があったようで未だ力は奪えてないようですけど、まあ時間の問題でしょう。外部からの介入がなければいずれ彼女の願いは成就する」

 

「なんたって側に優秀なブレインが付いてますもの」と。これまた面倒臭そうに呟く。

 自分が紫を止めきれなかった以上、やはり避けきれないかと奥歯を噛み締める。妹紅かてゐあたりが何とかしてくれれば、なんて期待は少々酷だろう。

 

 だが紫がまだ目的を達成できていないのは不幸中の幸いだ。どうせ何かガバっているに違いない。

 

「手の届かない所、とは?」

「全ての境界の交錯地。死と夢、夜と黄昏、八雲紫そのものと言っても過言ではない空間ですわ。我々の居る世界とは強固な境界により隔てられていて、侵入する方法は限りなく少ない。私と慧音も幾らか手段を試しましたが、あの境界を踏み越えるのは容易ではないでしょう」

 

 不可能とは言わないのが実に擬きである。

 ほんの数瞬、擬きは瞠目して自身の考えを語り始める。珍しく言葉を選んでいるようだった。

 

「なるべく犠牲が少なく、かつほぼ確実に侵入する手段としては貴女の能力とドレミーの能力、これらが有効"だった"と考えられる」

「……だった?」

「これが悪い知らせ三つ目。貴女が刺されている頃かしらね、青娥娘々の記憶を全て把握したドレミーは貴女の計画の失敗を悟った。なのでせめて完全な敗北とならぬよう、囚われていた私達を外に出してくれたの」

「……」

「で、当然気付かれた。私と慧音も応戦したけどあえなく返り討ち」

 

 淡々と語る様からは想いを感じ取れない。サードアイが使えないのもあるのだろうが、擬きはどこまでも機械的な存在なのである。

 だがそれでも圧倒的な戦力差、そして当時の絶望が容易に想像できた。

 

 確認できただけでも封獣ぬえ、洩矢諏訪子、古明地こいし、八雲藍と錚々たる面子であり、更に厄介なのは『これで全員ではない』という事だ。

 実体としては存在しなかったが、擬きは他の狭間の匂いを嗅ぎ取っていた。今頃は調整も終えて、仮に次があれば間違いなく追加が出てくるだろう。

 

 結果、擬きは力を使い果たし、慧音は再起不能となる重傷を負い、そしてドレミーは死んだ。

 ついでに邪仙の仮死体も消えている。

 

 恐らく、大人しく静観していてもドレミーは襲われていただろう。今の紫には、自身を阻む可能性のある存在全てを害してしまう危うさがある。夢を掌握する獏が狙われない訳がない。

 それを察知したからこそ、ドレミーは最後に一矢報いる為に擬きと慧音を助け出した、そんな経緯が想像できる。あの獏は真面目な仕事人だから。

 

 ドレミーの最期に、さとりは悲痛な表情を浮かべた。

 

「容赦、ないですね……」

「する必要がないからでしょう。アレの願いが叶えばドレミーが死のうが貴女が死のうが、後から幾らでも修正できるので」

「やはり、そういう事ですか」

 

 擬きの一言で全てを察し、深く項垂れる。想定していた中でも最悪に該当するパターンだった。

 

 

「だから隠し事はもう金輪際やめなさい。次、黙ってたら退治するから」

 

「っ!? 霊夢、さん……」

「何があったかは死にかけの連中から聞いたわ。後はアンタ達だけよ」

 

 肩をビクつかせながら声の発生源へと目を向ける。

 襖を背にいつの間にか腰掛けている博麗の巫女。愛用のお祓い棒が小刻みに揺れている。部屋の重力が何倍にも膨れ上がったように感じた。

 心を読めなくなったさとりにとって、博麗霊夢の登場は心臓に悪過ぎた。冷や汗が止まらない。

 

 彼女の目に宿るは激しい怒りだ。

 その矛先が紫に向いているだけまだマシなのだろうが、オマケ達(さとり&擬き)に対する圧力でも相当だ。かなり腹に据えかねていると見える。

 

「随分と御立腹な様子ね」

「当たり前でしょ。ウチの裏庭を散々荒らして、おめでたい祭りを台無しにして、バカみたいな数の怪我人を出して、挙句に幻想郷を捨てた? 何の冗談よ?」

 

 一息に捲し立てて、拳を畳に打ち付ける。破裂音とともに神社が傾いた。

 自身で展開した結界がなければ境内もろとも消し飛んでいたのは想像に難くない。

 

「アイツは幻想郷を捨ててまで何をしようとしている? 一から十まで一切合切滞りなく答えろ」

「答えたらちゃんと『アレ(八雲紫)』を殺してくれるのかしら? それ以外に止める手段はもうなくてよ?」

「無駄口を叩くな。私の質問に対して簡潔な答えを用意しなさい」

 

 腹の探り合いなんて段階はとうに通過した。擬きとさとりに選択肢など存在しないのだ。

 霊夢の中にあるのは敵か味方か、それだけだ。

 

 頼もしい限りであると、擬きは満足げに頷く。消沈しているさとりの代わりとなる。

 

「では答えましょう。アレの目的は自らを苦しめる夢から覚める事、より良い現実を手にする事です。その必要経費として幻想郷を手放した」

「話聞いてる?」

 

 擬きの役目は語る事のみ。

 

「あの化け物は夢と現実の区別ができていない……もとい、直視しようとしていないのよ。性質の問題ね。だからこの混沌に満ちた世界を悪夢だと切って捨てたの」

「逃げたってわけ?」

「自分の記憶を壊してまで逃避を続けていたアレに、自身にまつわる悲劇を受け入れるような強さはなかった。でもそんな努力も虚しく全てを思い出してしまったなら、取れる手段は二つよねえ」

 

 更に逃げるか、諦めて死ぬか。

 

 擬きやさとりからすれば可愛らしいものであった小心者な性根が悪い方向に作用した。

 紫は自己愛の塊でできたような保身第一な妖怪だが、同時に他人の不幸事を自分の事のように悲しんでしまう、いわば自他の境界の薄さを併せ持っている。

 悲劇の上に成り立った自分の妖生や幻想郷を受け入れられなかったのだ。

 

「アレに高尚な理念なんてものはありません。自分の心を守る為に、幻想郷成立の過程で起きた悲劇や、狂わせてしまった者たちの悲しみを無くしたいとでも考えているんでしょう。私や過去の自分が犯した悪事の贖罪」

「過ぎたことをどうやって無くすのよ」

「簡単な話、時を遡る」

 

 時といえば十六夜咲夜に八意永琳、ついでにチルノの畑である。しかし彼女らを以ってしても時間逆行は擬似的なもので精一杯だ。どれも純正ではない。

 八雲紫から発生する因果が時の流れに逆らう事へのハードルを格段に上げているのだ。定められた運命が時空に厚みを持たせている。

 故に短時間かつ、夢の世界や並行世界を利用した場合のみ許される危険な冒険となる。

 

 そしてチルノや紫の方法は、言ってしまえば馬鹿の極み。緻密な理論などカケラも存在しない。凡そマトモな方法でないのは言うまでもないだろう。

 

「須臾とは生き物が認識できない僅かな時のこと。時間とは、認識できない時が無数に積み重なってできています。時間の最小単位である須臾が認識できないから時間は連続に見えるけど、本当は短い時が組み合わさってできているの」

「う、うーん? なんか似た話を月で聞いたような、聞かなかったような」

「要するに紐の繊維を解くように、少しずつ途方もない時間をかけて須臾の境界を越えていくのです。幾億幾兆なんて低次元な数ではない、限りなく無限に近い境界だけど」

「……」

「……あの人はアホなんですか?」

「知っての通り」

 

 力技も力技。尋常ならざるアイデア。

 流石のさとりも紫がそんな事を考えていたとは把握していなかったので、霊夢と共に呆れるしかない。

 

 しかし不可能では無いのは確かだ。

 今は道筋すら存在せずとも、それを切り拓くだけの力をかつての八雲紫は有していた。

 

「じゃああの菫子って娘を狙う理由は何?」

「宇佐見菫子の力が無いと時を遡るだけの"根拠"を得られないから。今のアレに何もかもが足りていないのは明らかよ。例えば妖力の出力、次に境界操作の技術。そして一番大切な、自分の位置を測る力」

「……押し寄せる歴史の波を逆流し、因果の大海原のど真ん中を漂流するのなら、何より大切なのは自身を見失わない事、ですか」

「話が早くて助かるわ」

「早すぎるわ! 私に合わせなさい」

 

 会話から弾き出されそうになり慌ててツッコミを入れる。霊夢は情報弱者である。

 というより、意図的にさとりの構築した情報網から霊夢は弾き出されていた。不用意に紫に関する情報を与えても不確定要素が増えるだけだと判断されたからだ。

 博麗霊夢は諸刃の剣であるという認識は、やはり擬きやさとりの間でも共有されていた。

 

 だが事ここに至っては、さとりに選択肢はない。毒を飲み込むしかないのだ。

 一息ついて擬きを見遣る。

 

「例の件、霊夢さんに話してもいいですね?」

「……」

「では代わります。──今ばかりは勘弁してあげてくださいね霊夢さん。その人はこの事を話せないようにできているんです」

「慧音から聞いたわ。式神みたいなもんなんでしょ? 擬きは」

「生誕の過程は同じでも素材と役目が全くの別物ですので、似て非なる方ですよ」

 

 表情を覆い隠すようにして擬きは扇子を広げる。先程までの堂々とした態度が完全に鳴りを潜めている。それほどまでに不都合な事なのだろう。

 

 八雲紫が他者に伝えたくなかった何か。

 それはきっと──。

 

 

「紫さんは今より遥か先の未来で生まれる人間が妖怪に転じた存在、その半分です」

 

 

 不条理に塗れている。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 酷い寝心地だ。

 最悪の気分で目が覚めた。

 自宅のベッドのような柔らかさは無く、ひんやり冷たくて、ゴツゴツしてて、硬い感触。

 

 霞む目を擦って周りを見渡す。

 

 アスファルトの上に座らされていた。大きな壁を背凭れにしているようで、ふと首を上げるとてっぺんが見えないほど長大なビルがあった。

 まるで彫刻のように、数え切れないほど何本も生えている。東京よりも凄い。

 

 目が痛い。眩しい。

 私の住んでいる町も中々に発展しているが、これとは比べ物にならないわ。

 でも何故だろう、人の気配がしなかった。

 

 と、何か固いものを打ち付けるような音がした。路地の向こうから段々と大きくなっていく。

 靴音だ。

 

 建物と建物の隙間。真っ暗な影から月のように明るい金の髪が覗く。菫色の宝石が浮いている。

 メリーと呼んでいた馴染みある姿では無く、幻想郷で何度も私ともこたんの前に立ちはだかった姿。

 酷くふらつく身体に鞭打ってなんとか立ち上がり、目の前の友人を睨み付ける。

 

「おはよう菫子。ご機嫌いかが?」

 

「っゆかりん!」

 

 どの口が言うかと言ってやりたかった。

 でも一番に私の口から溢れた言葉は、そんなものじゃなかった。ゆかりんに対しての非難だった。

 

「なんで……どうしてもこたんにあんな酷い事ができたの!? 私の大切な恩人だったのに!」

「貴女と私の繋がりを阻むからよ。それに彼女は諦めを知らないからねぇ、ならば飴を与えて懐柔するしか無いでしょう? 死という決して口にする事のできないはずだった甘美な飴を」

「もこたんに会わせて!」

「別にいいけど、多分話はできないわよ。悪い事は言わないからやめておきなさいな」

 

 不思議な感覚だった。

 ゆかりんの目を見ていると、感情が言葉に乗って伝わってくる。本気で私を労わろうとする心が、この時ばかりはこの上なく恐ろしく感じた。

 

 ふとゆかりんの背後に目を向けると、同じく路地の奥から女性が現れる。二つの突起がある変わった帽子に、ゆかりんのような金髪、恐ろしいほどに整った顔。そして一番目立つのが沢山の尻尾。

 チャットで見たことがある。確か、ゆかりんの家族の人だ。藍さんだっけ? こんなに狐な感じだとは思わなかったけど。

 

「紫様。準備ができましたので此方へ」

「いえいえそれには及ばないわ。今は歩きたい気分なの。散歩がてら菫子と一緒に向かうからお構いなく」

「左様でございますか。ではご一緒しましょう」

 

 蠢く尻尾のうち一本が私に絡み付き身体を持ち上げる。負担は全く無くて、むしろ心地良さすらあった。先程とは文字通り雲泥の差だ。

 

「身体の調子はどう? 慣れないうちは無理しないようにね」

「えっと、別に変な所はないけど」

「案外鈍臭いのねぇ。下を見て、下」

 

 言われるがまま視線を落とす。

 ……あれ、もしかして腕と足が伸びてる? 着てる服も、もこたんが買ってくれた物じゃなくて、現代風のチェック柄の服になっている。

 

 訳が分からない。私の身体じゃないみたい。

 何より不思議なのが、まるで最初からそうだったかと錯覚させる程の違和感の無さ。

 自分を見失ってはいない。だけどこの姿も私なんだと納得してしまう奇妙な感覚。

 

「小学生の身体だと少し問題があってね、全盛期の身体に調整しておいたわ。その姿が貴女の超能力を最も強力に発揮できる時よ」

「そ、そんなぁ私もうすぐ修学旅行だったのにー! 戻してよ!」

「これから私と一緒に修学旅行よ。山城(京都)大和(奈良)に行く予定だったんでしょう? 生で見せてあげるわ」

「私はまだ小学生がいいのっ!」

「貴女はもう元に戻らない方がいい」

 

 サイコキネシスでゆかりんと藍さんを縛り上げようとしたが、逆に私が動けなくなった。呼吸以外、一切の動作が封じられてしまった。

 力の発生源はゆかりんでは無く、尻尾で私を包んでいる藍さん。まだ身体の使い勝手に慣れてないのを差し引いても、私が力負けするなんて……! 

 

「本来ならば、貴女が幻想郷に来るのは7年後くらいだったのよ。その容姿は一つ前の八雲紫(AIBO)が記憶していた、ちょうどその時のもの。女子高生の宇佐見菫子ね」

「なら私はラッキーだったってわけね。小学生で幻想郷に辿り着けたんだから」

「その通り、幸運だったわね」

「うっ」

 

 微笑み掛けるゆかりんから思わず目を逸らしてしまう。

 

「一つ前の貴女は幻想郷を覆う博麗大結界を内部から破壊させ、侵入を試みたの。その結果、幻想郷と貴女の世界は繋がった。好奇心だけで突き進んだこの行為、結末はどうなったと思う?」

「どうって……」

 

 細くしなやかな指が頬を撫でる。

 安心させるように、想いを受け取ってもらう為に。

 

「少なく見積もっても日本だけで2000万人が即死したわ。虚構の波に飲まれて、これまで連綿と紡いできた記録の殆どが初めから存在しないものとなった」

「にせ……え?」

「幻想郷とその他の内的なエネルギーの比率は平等じゃない。永遠と錯覚するような永い時を経て絡み付いた因果が、膨大な質量を彼方へ押しやる衝撃を生んだ」

 

 声が出なかった。

 紫の言葉に嘘はない。

 

「単独でこれだけの人数を殺したのは貴女を除いて1人だけ。黒谷ヤマメっていう土蜘蛛なんだけどね、世界中に病原体をばら撒きまくった時期があったの。それと同程度」

「……」

「この話を聞かせるだけでも貴女を成長させた意味があるわ。年端のいかない子供にあんまりショッキングな話や光景を見せたくないもの」

「私も、その……一つ前の私? と同じ運命を辿る予定だったってこと?」

「因果は巡る。同じ出来事がそっくりそのまま起きる事はないけれど、大体似たような事象は必然的に発生するの。つまりそういうことね」

 

 途方もない話で実感が湧かない。未だに夢心地な気分なのかもしれない。実際のところ気分は最悪グロッキーなんだけど。

 私でない私が大量殺人鬼だなんて……。いや、故意では無さそうだから過失での殺人か? どちらにしろ犯罪に違いない。

 

 抵抗の意志がないのを確認したんだろう。藍さんが念力での拘束を解いてくれた。

 ゆかりんと戦ったところで勝てないだろうしね。今は大人しくしておくが吉だと判断する。

 

 路地を抜けてビル内部へ。エレベーターを使わずに階段で登っていく。

 

「じゃあゆかりんは……私がとんでもない事をしでかすのを止めるために、夢やチャットで私に優しくして、幻想郷に招いたってわけ?」

「それはついでよ。私は貴女そのものに興味があったの。でなきゃこんなに愛おしく思うはずないじゃない。ね?」

「うっ」

 

 思えばゆかりんには随分と可愛がってもらったものだ。だから私もゆかりんの事が大好きになってすぐ懐いた。何か打算的なものがあったのだとしても、あの奇妙な時間は私にとって救いだった。

 人と群れるのが苦手な私がゆかりんとの絡みを成立させる事ができたのは、想いが一方通行ではなかったから。今の怖いゆかりんと話して確信した。

 でもそれをわざわざ口に出すのは違うと思うんだよね。

 

 あと負担には感じないんだけど、藍さんからの圧が段々強くなってきてるような気がする。えっなに? そういうこと? 勘弁してくれないかな……。

 

「実はね、私と貴女の間にはとても深くて近しい縁がある。時空と夢幻の境界すら超越でき得るほどに強固な、素晴らしい繋がりが」

 

 そう告げると同時に、階段が突き当たりに到達した。あんなに大きなビルなのにあっという間に最上階に着いてしまった。距離と時間の概念がおかしくなっているのだろうか。

 煌びやかな外観からは程遠い、寂れた鉄扉を藍さんが蹴りでこじ開ける。まるで紙切れのように彼方へと飛んでいってしまった。おお怖。

 

 どうやらこの町……というか、都市の中では一番高い建物だったようで、全てを一望できる。どこまでも延々と漆黒の摩天楼が続いている。

 自然を一切感じないけど、風だけが無駄に強い。

 気味が悪かった。突っ立っているだけの建物に恐怖を覚えたの初めてだ。

 

「貴女の超能力はね、私が遠い昔に手放してしまった力の起源なの。だから貴女が共に居てくれれば、私は力を取り戻し、何だって出来るようになる」

「……」

「分かって頂戴ね。貴女の為でもあるの」

「嫌だって言っても聞いてくれないくせに」

「ごめんね」

 

 ゆかりんは困ったように微笑むと、目を細める。……始める気なんだろう。

 

「藍、備えをよろしく」

「やはり、此処に来ると予想されますか?」

「自分の意思とは関係なく"やり直し"させられるなんて、納得する方がおかしいわ。流されるがままなんて幻想郷の連中が一番嫌いそうな事でしょう。来れる来れないは別にして、来ようとしてくる筈よ」

「……」

「特にあの子は諦めが悪いでしょうし。あと境界の仕組みがAIBOに筒抜けなのも痛いわね」

「相棒?」

「あっ、こっちの話ですわ。おほほ」

 

 藍さんは恭しく首を垂れると、一足飛びにビルから飛び降りた。

 誰かが助けに来てくれるんだろうか? Sさん、布都っち、典っち……来てくれないかなぁ。

 

 私は今から力を失う。

 とても便利だから無くすのは惜しいけど、抵抗もできないんじゃ仕方ない。それよりも問題は、どのようにして私から超能力を取り上げるのか、よね。

 

 途端に、私を庇ってゆかりんに食べられてしまったもこたんの最後の姿が脳裏に蘇る。

 ああダメだ。吐き気が込み上げてきた。

 

「頭からバリバリ食べるのはやめてほしいなぁ」

「まさかそんな、どこぞの吸血鬼じゃないんだから。丁重に余す事なく取り出すから安心して」

 

 終始一貫して私を安心させるように語り掛けてくる。多分酷い事されてると思うんだけど、もこたんの件以外いまいち怒りきれないのよねぇ。

 見事に術中に嵌っているんだろうか。

 

 と、ゆかりんが印のようなものを結び、暫しの静寂を経て()()を召喚した。

 

 

「擬似式神『摩多羅隠岐奈』」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 さとりと擬きの知る情報を全て把握した霊夢は、無言で部屋を出た。気配からして、沢山の人妖が犇いている境内に向かったようだ。

 

 残されて再度2人きりとなるや否や、擬きがあっけらかんに言い放つ。

 

「貴女はもう地底に帰って療養してた方がいいんじゃなくて? 十分に役目は果たしてくれた」

「しかし私は」

「言い方を変えましょう。その怪我と喪失で何ができるのかしらね」

 

 さとりは全てを失った。

 残されている物はもう地底にしかない。

 

「……」

「帰るなら送ってあげるわ。まだ最後の抵抗まで少しだけ時間はあるでしょうし」

「擬きさんは諦めないんですね」

「八雲紫はいつだって、どんな時だって諦めが悪いのよ。それに何も残せず消えるだけなんて……私を送り出してくれた藍と橙に悪いもの」

 

 本当に、沢山の不幸を見てきた。

 それを糧として整えた『今』が決して最高と言えないのは分かる。だけども、少なくとも最低でないのなら、報われる芽はあるだろう。

 

「私は、私のせいで苦しみを連綿と繰り返し続けるこの世界に、終わりを与えたかった。その為に沢山の犠牲を強制させてしまいました」

「こいしの死もその一環だと?」

「妖怪の山の弱体化は必須ですわ。特定の妖怪が力を増していくこの世界で幻想郷を成立させる為にはあの事件が必要よ。もっとも実行したのは私でなく、かつての八雲紫ですが、間違いではないと思っています」

「……そのような数々のエゴが紫さんを狂わせたのでしょう」

「それもあるでしょうけど、アレの本質は更に浅い。そもそも自分の生まれに納得してないのよ。どの道こうなる流れだったのかもしれないわね」

 

 澄まし顔でそんな事を宣う擬きに純粋な殺意を抱いた。だが、今の自分では何もできる事はなく、射殺さんばかりの視線を投げ掛けるので精一杯だった。

 それが彼女の役割であり、全てを好転させる為の処置だったのだとしても、妹を殺されて怒りを収められるほどさとりは寛容でなく、また妖怪的ではない。

 

「貴女はやはり、このままの幻想郷が良いと考えるのですか?」

「幻想郷に貴賤無し。どれだけ醜くとも、どれだけ残酷であろうと、幻想郷が受け入れるのなら私はそれを受け入れます。八雲紫が滅びた後も幻想が果てなく続いていく事こそ、私の願いですわ」

 

 随分と厄介で独り善がりな願いである。

 思想、イデオロギーは大きく異なれど、根の部分でやはり同じスキマ妖怪なのかもしれない。

 

 ならば……。

 

「お気付きだと思いますが……紫さんの行動には一つ、大きな矛盾があります」

「そうね」

「きっとそれが大きな隙となる」

 

 心を読めないようにさえすれば私から逃げられるとでも思ったのか? 舐めるな、と。さとりは奮い立つ。

 あの勘違いスキマ妖怪に改めて分からせてやるのだ。覚妖怪が何故、数多の妖怪達に忌み嫌われ、恐れられるようになったのかを。

 

「聞かせてください。どうやって紫さんの下へ辿り着くつもりなのか」

「此方に残された(ゆかり)を辿ります。八雲紫とマエリベリー・ハーンがそうであったように、繋がりは万物の境界を超越し得るのですから」

 

 

 

 

 博麗神社の境内に幻想郷の有力者が一同集まっていた。この最後の楽園に何度も話題を提供してきた者達である。面構えが違う。

 

 幻想郷の庇護者であったあの八雲紫が遂に自分に牙を剥いてきたのだ。流石に楽観視できるような雰囲気にはならなかった。実際に紫の率いる集団と矛を交えた者達は一様にピリピリしている。

 

 中でも紅魔館、特にレミリアの機嫌は頗る悪かった。並の妖怪であれば眼力だけで消し飛ばしてしまえるほど、身体中が力み苛立っている。日中のため日傘の下で縮こまっている分まだマシではあるのだが。

 

「なあパチュリー。レミリアのやつはなんでいつになく不機嫌なんだ?」

「愛しの妹様をスキマ妖怪に拉致られてるからよ。数日前から行方不明でずっと探していたんだけど、昨晩に八雲紫本人から自白されたらしいわ。私は見てないけど」

「なるほどなぁ納得した」

 

 どこか他人事のように魔理沙は頷いた。重い後遺症を負っている身では異変解決の役に立たないから、一歩引いた視点で場を俯瞰する事ができた。

 関心はどちらかといえば紫よりも霊夢に向けられている。打つ手無しの現状では彼女の勘に頼るほか方法がないからだ。

 

 その霊夢はというと、華扇や早苗と何事か話している。険しい表情からしてあまり良い内容ではないのだろう。早苗に至っては涙ぐんでいる。

 やがては話を切って背を向けた。

 待ってましたとばかりに車椅子を走らせる。

 

「あんまり、って感じだな」

「あの2人は紫に構ってる暇なんかないからよ。華扇と阿求を除いて賢者連中はみんなのされちゃったし、山の妖怪は怪我人が多過ぎる。早苗が処置してなかったら今頃死屍累々でしょうね」

「散々か。どうなっちまうんだろうな」

「どうにかすんのよ」

「戦いの土俵にすら乗れてないのに。戦えたところで相手が相手だし」

「アイツの好き勝手を指咥えて見てるだけなんて許せるもんですか。どんな手を使ってでも境界の狭間? とやらに乗り込んでアホづら引っ叩いてやるわ」

 

 予想通りの言葉に「そうかい」とだけ返す。

 誰も彼もが鬱憤や不満を募らせている中、相変わらずな霊夢にちょっとした安心感を覚えたのは内緒だ。こういうところが頼りになるんだかならないんだか。

 

「霊夢はやっぱそうでなきゃな。んじゃ、私も似非魔法使い共と一緒にちょっと考えてみるか」

「……あのねぇ」

「首突っ込んだら今度こそ死ぬって言いたいんだろ? 異変解決に失敗しちまっても紫が時を戻そうとしてるなら生きようが死のうが同じ話だろうぜ」

「まあ一理あるわね」

「お前こそ無茶するなよ」

「嫌よ」

 

「やっぱりコイツは何言っても聞きやしないな」と、当然の事を互いに再認識した。

 これが霊夢と魔理沙の日常だ。紫が何をしようが関係ない、2人は日常のままに異変を解決するだけだ。

 

 

 

 

「ごめんね……霊夢。わざわざ来てもらって」

「こんな頗る忙しい時に呼び出したんだもの、相当な理由なんでしょ? 聞かせなさい」

 

 呆れた様子でぶっきらぼうに言い放つ。そんな変わらない言葉に救われた気がして──橙は苦しげに頭を下げた。

 霊夢は堅苦しい態度は無用とばかりに手を翻す。

 

 2人が居るのは常用のスキマ空間。紫と藍(と居候の天子)が住んでいた八雲邸があった場所。しかし今は文字通り何も無く、ひたすらな無が広がっている。

 初めから何も存在しなかったかのように。

 此処を起点にして大結界が揺らいでいたため確認しに来たら、案の定、責任者の一匹がいた。

 

「紫さまと戦うんだよね?」

「当然。アンタとも戦り合うことになりそうね」

「ごめん……」

「アンタに謝られたところで仕方ないわ。どーせ分かりきったことだし」

 

 紫の凶行に藍が付き従うなら、橙にそれ以外の道は存在しない。あの3人が道を違える事はあり得ないのだから。故に橙の立ち位置については若干の理解を示した。

 まあそれはそれとして、立ち塞がるなら容赦なくブッ飛ばすだけだが。

 

「宣戦布告でもしにきた?」

「似たようなものかな。紫さまがね……霊夢とは絶交だって、幻想郷にはもう戻らないって。別れを伝えに来たの。それだけ」

「断るって言っておいて」

「そっか」

 

 決別のつもりなのだろうが、そんな一方的に言われたところで納得できるはずがない。橙も半ば分かりきっていたことなので軽く頷くだけに留まった。

 八雲主従とて霊夢とは物心付く前からの付き合いだ。為人は互いによく知っている。

 

 橙にとって霊夢とは不真面目だけど根は頑張り屋で一所懸命な優れた妹であり、霊夢にとって橙とは昔から何かと馴染みのある鈍臭い友達擬きなのだ。その関係が深くない訳がない。

 だから、橙は無理をした。

 ここから先は式として許されない領域。

 

「来たら、多分死ぬよ……?」

「へえ」

「いくら霊夢でも紫さまには勝てないと思う。藍さまだって、私だって、手加減できない」

「自惚れ……って言いたいところだけど、一筋縄でいかないのは分かるわ。正直、死ぬこともあり得るかも。なんたって相手は紫だしね」

 

 あの紫が対霊夢を見越して本気で迎撃体制を整えているのなら、きっと熾烈を極めた死闘となるだろう。命を賭けなければ奴の下に辿り着くことすら不可能だ。

 霊夢でさえ確たる自信を持てない。

 

「なら──!」

「でもね、手が届くのなら諦めきれない」

 

 空を思わせる瞳が橙と交錯する。

 

「諦めきれないの」

 

 紫にどんな想いがあろうが関係ない。殴って、連れて帰って、教えてやるのだ。

 お前の生きていくべき場所は此処(幻想)に在るんだと。

 

「諦めの悪さは親譲りだからね」

 

 

 橙は膝から崩れ落ちた。

 震える肩と声。

 

「本当にごめんね……私、何もできなくて。紫さまも、藍さまも止められなかった」

「元から期待してないわ」

「紫さまの苦しみを取り払う方法が私には分からなかった。どんな言葉を掛けてあげればいいかすら分からなかったの! 力が無いから! 心が弱いから!」

「……」

「賢く無い私でも分かるよ。こんなやり方は、紫さまがやろうとしてる事は、善くないことだって! 途轍もない苦しみしかないんだって!」

 

 大粒の涙を溢しながら霊夢の手に縋る。いつもなら鬱陶しそうに振り払うであろう霊夢も、今回ばかりはそのような仕草を見せず、じっと橙を見据える。

 

 どうしようもない我儘だった。

 

「お願いっ……紫さまを助けてあげて!」

「……うん」

「そして、死なないで。霊夢が死んだら、紫さまはきっと、戻って来れなくなっちゃう」

「分かってる」

 

 注文の多い化け猫だ。しかも、どれもが無理難題といえるほどの要求。

 だが霊夢には快諾以外の答えは無かった。

 

「紫に伝えて頂戴。絶対に許さないって」

 

 






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物部毒鼓様(@monodoku)に超絶素敵なイラストを描いていただきました。天空璋ZUN絵風ですね!幻マジも時系列的には天空璋くらいなのでちょうどいい!
やっぱりゆかれいむなんですよね…。


原作ゆかりんも月面戦争でボコボコにされても何度だって再起してますので、東方で3本の指に入るくらい諦めの悪い妖怪なのかもしれない。幻マジだと一番は正邪
ちなみに時空の厚みがどうとかって話については、咲夜さんのガチヤバ能力があまり活躍できてない理由だったり


次回からゆかりんが誕生するまでの過去話(未来話?)が始まります。
感想にて「これの何処が八雲紫やねん」と7年間言われ続けた謎のポンコツ妖怪の正体が明らかに……。


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禁忌の膜壁
【フェイクブルー秘封倶楽部】


 

 今となってはもう殆ど思い出すことのできない幼い頃の記憶。

 断片的に、限定的に、刹那的に蘇る私のそれには、いつも色褪せた海があった。

 

 簡素な部屋の小さな窓には収めきれないほどの広大な塩の湖。日の入り具合で表情を変える神秘性。寄せては返す白波の穂。全てを引き摺り込む恐ろしい魔力。

 海は飽きずに私へ色んな姿を見せてくれた。

 

 でも私は、そんな海が嫌いだった。気持ち悪く感じた。

 その事を両親や友達に話しても不思議がるだけ。私だけがおかしな感性をしていた。

 

 胸の中で燻る不快感の正体を掴めないまま歳を重ね、私は家を離れた。街を離れた。国を離れた。

 

 大人の身体に近付こうかという今なら、何となくだけど、その理由が分かる気がする。

 私は、海に日常を見出せなかったのだ。

 私の生活に偽物が混在しているような、異物に対する嫌悪感。乖離した心象風景。

 

 私はアレを偽りと断じていた。

 

 

 海は嫌いだ。

 なんだか私だけが、みんなと違う場所に取り残されているような気がするから。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 サマーシーズン到来ッッッ!!! 

 

 太陽照りつける地獄のような猛暑と、寒風吹きすさぶ冷夏が日によって反復横跳びするこの季節。そんな現世の地獄にも屈することなく、我ら秘封倶楽部はW県某市の海水浴場に向かっていた。

 ちなみに今日は猛暑側の地獄である。

 

 大規模な気候変動により、例年ならこの時期となる海開きは文字通りお開きになってしまっているのだが、なればこそだ。人混みは私達には似合わない。

 

「いやーそれにしても狭い車で悪いね蓮子くん、ハーンくん。快適な旅とは言えないだろうけど、まあゆっくり寛いでいてちょうだいね」

「いえいえ! 同乗させてもらえるだけでありがたいですよ。ね、メリー」

「うん……今日はありがとうございます」

「そんな気にすんなって! ほら冷たいもんでも飲みなよ。色々あるぜ!」

 

 運転席の岡崎教授、助手席にちゆり、後部座席に私達2人。計4人での車旅だ。

 次なる遠出先をメリーと練っていたところ、岡崎教授から「海にでも行かない?」との誘いを受け、これ幸いと乗っかった形になる。

 なんでもこの時代の水質を調査しに行くんだってさ。パラレルワールドごとに塩分濃度が違ったり、なんなら海岸線の形も結構違うみたいで色々興味深いわ。

 

 まあ、メリーもサナトリウムから帰還したばかりだし、いきなり境界調査っていうのもどうかなーって思ってたから丁度良いと思ったの。休暇は大切だ。

 当の本人はあんまり良い顔してないけどね。海が嫌いとか言ってたけど、泳ぎが苦手とかそういう話は聞いたことがない。意外な一面が見れるなら儲け物という事で無理言って連れてきたわ。

 

 メリーと岡崎教授達は初対面。さらに私からのメール報告のせいで奇人としての印象が強いのもあって、メリーの雰囲気が若干遠慮したものになっている。

 そもそも格好がいつも通り変だしね。真っ赤な服装と水兵服はやっぱり奇抜だ。

 私は大学の方でそれなりの頻度で会ってたからもう慣れたものだけども。

 

 気を利かせたちゆりから簡易クーラーボックスを受け取って、メリーが夏場にいつも飲んでいるスポーツ飲料を2本抜き出した。

 

「遠慮しないでね〜」

「教授! 後部座席がめっちゃ暑いんでエアコン付けてくれません?」

「ガソリンが勿体無いからダメ」

 

 内燃自動車なんていつの骨董品だろうか。

 まあまあ、と。メリーは私を宥めながら手回しハンドルで窓を開けてくれた。熱風が車内に吹き込んできて微妙な感じだ。

 

「──ところで貴女達の活動の要はハーンくんの能力にあると聞いたんだけど、確か境界を操る能力……だったかしら?」

「そ、そんな大層なものではないですよ。ちょっと変な境目が見えてしまうだけのものです」

「謙遜する必要はないわ。とても素敵な能力よ。そしてここ最近は発展著しいと聞くわ。裏側だけに留まらず現実にまで影響を及ぼせるほどに」

「自覚はないんですけど」

「ふぅむ、厄介な傾向にあるかもしれないわね」

 

 不意に脇腹を小突かれた。勝手に能力について話した事を咎めているのだろう。

 メリーには悪いけど、彼女の能力を話さない事には私達の活動を語れないんだから仕方がない。私なら自慢しまくっちゃうけどなー。

 

 ……ただメリーの能力が変に成長してきている事は伝えてなかったような気がする。いや、言ったような気もする。うーん? 

 

「そういう事も私達の見てきた世界では珍しくないわ。何か困ったら気軽に相談してね」

「まあ無能で出涸らしな私らに出来る事なんか何もないから、精々コーヒー淹れてお茶を濁すくらいしかできないけどな。あんまり信用するなよ──アイテッ!? ちょ、夢美様! 前見て前ぇえ!」

「もっと私に優しい言い方があろうがぁー!」

「うおおおおお!?」

「きゃっ」

 

 突如取っ組み合いの喧嘩を始める運転手と助手。当然ながら持ち手不在となったハンドルは高速回転を開始し、けたたましい音を立てながら路肩にタイヤを擦りまくる。年季の入ったオンボロワゴンなだけあって揺れと衝撃が凄まじい。

 慌てて身を乗り出して私がハンドルを掴む事で事なきを得たが、生きた心地がしなかったわ。

 なお隣の相方は黙々と謎空間を開いて脱出の準備を整えていた。こういうちゃっかりしてるところが頼りになるのよねぇ。

 

 

 

 案の定ガラガラな浜辺に青い海! 絶好の海水浴日和に気分が高揚する。今すぐにでも海に飛び込みたい。私の頭はそれ一色だ。

 だけどその前に一つの試練が待ち受けていた。

 

 メリーとちゆりがビーチパラソルなどの設置をしている間、私は教授に付き添って妙な機材の運搬をしていた。あまりの重さと暑さに視界が歪む。

 頭上を照り付ける太陽が酷く煩わしい。教授め、さてはこの為に私を連れてきたな? 貧弱なのは分かるが、細腕の女子大生にやらせる事ではないわ。

 

「お疲れ様。本当に助かるわー」

「ぜぇぜぇ……も、もういいですよね?」

「まあまあそう言わず、2人きりになった事だし水入らずでお話ししましょうよ」

「早く海に行きたいんですけど」

 

 私の切なる願いは教授に届かなかった。

 

「今だから言うけどね、蓮子くん。私はね、君とハーンくんの活動をあまり良いものとは思わない」

「……まあ犯罪行為ですし」

「いやそんなチープな問題ではなくて、生命を危ぶんでいると言っているの」

 

 私と目も合わせようとせず、妙な機械を弄りながら岡崎教授は言う。日々の活動について良い意見を貰ったことなど一度も無いが、彼女から咎められたのは意外だ。

 納得できない気持ちが強い。

 岡崎教授とちゆりがやっている事だって似たようなものじゃないか。秘封を解き明かそうとするこの気持ちを否定されて、気持ちの良い気分になる訳ないのは一番知っている筈なのに。

 

「怪異に近付き過ぎれば自然と身の置き場所もそれに似通っていく。境界を踏み越えかけているのを自覚しているのは良いけど、解明されていない物に首を突っ込むのなら、我々の想定を超えてくる事を前提として動かなければね」

「高説痛み入ります」

「別に咎めている訳じゃないのよ? ただね、貴女達はどう足掻いても目立ちすぎてしまうの」

「部員2人の零細サークルですよ?」

「分かっているくせに」

 

 宇佐見蓮子、渾身のすっとぼけ。

 しかし付き合う気はないらしく手を振って話を断ち切ると、浜辺に向かって指を指す。気怠げな様子で波に沿って歩くメリーの姿があった。

 

 ……まあね。

 

「自慢の相方なので」

「とんでもない厄介事を引き寄せるのだとしても構わないと」

 

 構わなくはないけど、そんなものでメリーとの冒険を止めてたまるもんか。

 

「メリーと出会って異能の力を知った時、天啓だと思ったわ。それからはトントン拍子で、私がずっと目指していた秘封倶楽部の再興が成ったんだもの。今でも夢のよう。恐ろしくて気味の悪い、素敵な力」

「運命を感じたのね。素敵な話だわ」

「物理学者が運命という重力を受け入れるんですか?」

「あるでしょ。私とちゆりは随分と長く旅をしてきたけど、運命に翻弄され続けてきたわ。この世にはどう足掻いても変えられない定めがある」

 

 それ以上、深くは聞かなかった。だけど前回ちゆりの言っていた『滅び』とやらに近いものだろうという見当はついた。教授の抱いている諦めがその証拠だ。

 

 考えてみれば絶望の連続だろう。

 未知の探究を是とする彼女らが『滅び』など受け入れる筈がない。どうにかそれを回避しようと試みていたのは想像に難くない。

 でも破滅は避けられず、数多の世界の最後を看取り、新天地に移るたび自身の力は弱まっていく。できる事がどんどん少なくなっていく。

 

 タチの悪いSF話だ。

 もし私とメリーがその立場に置かれたのなら、果たしてどういう行動を取るだろうか? 私達は運命に抗おうとするのだろうか? 

 そんな事、考えたところで無駄よね。

 

「世知辛いですね。何もかもが」

「まあね。だけど悪い事ばかりじゃないよ」

「?」

「私達の旅も、貴女達の活動も、何か意味があると信じた結果だったはず。だからこうして実が結ばなくても抗ってきたんでしょう?」

「……」

「未知の中に可能性と奇跡を見出すのが、探究者の務めよね」

 

 これまた科学者ならぬ言葉だ。やはり教授は私の知るどの人種にも当て嵌まらない。

 多少無理に例えて言えば、中世の魔女っぽいメンタルっていうのかな。

 

「奇跡とは『バグ』よ。運命という抗いようのない道筋……その側に転がる小石や小虫。または窪みに亀裂。大局で観れば些細なことなのかもしれないし、神や仙人から見ればあってもなくても変わらない無象の現象に過ぎないのかもしれない」

「……?」

「だけど奇跡において注目すべきは、その規模ではない。運命に極小の歪みを与えるその存在そのものである。要するに『塵積も』ね」

「運命は変えられないって先程」

「でも抗おうとする気持ちからしか奇跡は生まれないわよ。人が動いて初めて観測できるんだから。連続する小さな奇跡はこの世を塗り替えてしまうほどの大きな奇跡になるのかもしれない。……そうとでも考えてないと、やってられないよね」

 

 教授はカラカラと笑いながら私の肩を叩く。その力はあまりにも弱々しかった。

 

「私とちゆりの旅はそろそろ終わるけど、貴女達の素敵な冒険はまだまだこれからだもの。──相方への想いを忘れずにね。草葉の陰から応援してるわ」

 

 え、死ぬの? 

 急に遺言のようなものを宣い始めたので吃驚してしまった。真意を問い質しても教授は曖昧な笑みを浮かべながら機器の調整に意識を向けているだけ。

 やっぱり噛み合わないんだよなぁ。この人との会話は。

 

 

 私とメリーの出会いは最初から決まっていた事なのか、それとも教授の言う奇跡なのか。

 それを決めるのは未来の私達自身かな。

 

 

「という訳で我々はあっちの防波堤で調査してるから、蓮子くんとハーンくんはビーチで楽しんでらっしゃい。陽が沈む頃に呼びに行くから」

 

 どういう訳なんだか。

 勝手に置いて帰らないでくださいねと念押ししつつ、ちゆりと入れ替わる形で教授と別れた。あの2人は普段からふと目を離した隙に世界から消えてそうな気がしてならない。儚さとかは一切感じないのに不思議な話だ。

 

「岡崎さんと何を話してたの?」

「数理統計学について」

「随分と実のある話をしてたのね」

「そこそこ有意義な時間だったけど、海に来てまでやる話ではなかったわ」

「それに気付いてくれたようで何よりよ」

 

 呆れ顔のメリーいただきました。

 まあ普段の秘封倶楽部としての活動からして、世間一般的に観光地や禁足地ではやらないような事ばかりやってる訳だし、今更ではある。

 

 メリーの言う通り、今日は思いっきり羽を伸ばしに来たのだ。満喫しなきゃ損よね。

 普段内陸に住んでるから海で遊べる機会なんてそうそう無いし。

 

 パラソルの日陰に身を寄せてメリーの隣に座る。細波はすぐそこだ。

 

「海ね」

「そうねぇ」

 

 海である。

 

「……」

「……」

「……泳ぎませんかハーンさん」

「行く前から海が嫌いって言ってるでしょ。眺めてるだけで十分よ」

「泳げないのを隠したいだけだったりして」

「あらこう見えて水泳は得意よ? 地元じゃエーゲ海のドブ貝なんて言われてたわ」

「それ褒められてないと思いまーす」

 

 間抜けな事を言いながら嫌々な雰囲気を隠そうとしない。ビーチパラソルに掴まって梃子でも動かない事を態度で示している。強情ね……! 

 無論、そんな事は許されないので無理やり服をひん剥いて浅瀬に投げ飛ばしてやったわ。

 

 下が水着で助かったわねメリー! 

 

「あらあら、これじゃ瀬戸内海のドブ貝ね」

「宇佐見蓮子ぉ……!」

「あはは漸くやる気になったわねメリー。……ってそれ反則あばばば!」

 

 メリーがやったのは海中に謎空間の入口を開いて、出口を敵の頭上に置くだけ。それだけで私の優位は喪失してしまった。

 滝のように叩きつける急転直下の瀑布に、私の着ていた衣服が全滅したのは言うまでもなく、あまりに残酷な過剰報復という他ない。

 

 ぐぬぬ許すまじマエリベリー・ハーン! 

 

「もぉーびしょ濡れ! これでどうやって帰れっていうのよー!?」

「水着か裸で帰ればいいでしょ。メリーさんは何も知りません」

「くぅ……! この駄肉妖怪めっ!」

「は、はぁ!?」

 

 こうなってしまってはもはや戦争しか道はない。秘封倶楽部史における通算十数回目くらいの内紛である。

 互いに取っ組み合って浅瀬を何度も転げ回る。もう全身が海水塗れ、砂塗れだ。

 真夏の暑さに頭をやられてしまったのだろう。狂気じみた戯れに笑いが止まらない。

 

 だけどまあ、肉体の勝負になってしまったら私に勝ち目はないので、最後には白旗を振る羽目になるんだけどね。とほほ……。

 仰向けにひっくり返りながら投了の意を示す。

 

「きょ、今日はこのくらいにしておいてあげるわ」

「はいはい。いつか決着するといいわね」

 

 勝ち誇った顔が気に食わないわ。

 それに、このまま私の戦績に土が付いたままなのも気に入らない。

 

 シャツと黒スカートを脱ぎ捨て、乙女蓮子のビキニを披露。そのままザブザブと入水して、腰の辺りまで浸かると教授達のいる防波堤を指し示す。

 私の意図を汲み取ったのだろう、メリーが不適な笑みを浮かべる。

 

「一日に二度の敗北……言い訳できないわよ?」

「ふふん。ここだけの話、私も結構泳ぎに自信があったりするのよ」

 

 というか、運動全般得意なんだけどね。メリーに敵わないだけで。

 だが技術では負けてない筈。潮の流れを予め計算し、波の動きを我が物とすれば。

 よし、勝てるわ。

 

「バタフライの蓮子ちゃんと呼ばれた私の超絶美技に恐れ慄くといいわ!」

「あら、エーゲ海のマーメイドと謳われた私に勝てると思って?」

「詐称すんなドブ貝!」

 

 復讐の第二ラウンドが幕を開ける。

 

 なお私は敗北した。

 おかしい……何故勝てない……。

 

 

 

 

 

「あー疲れたー。陸に上がりたくなーい」

「蓮子ったら張り切り過ぎなのよ。泳ぎのコツでも教えてあげようか?」

「ふっ……勝者の施しは受けない」

「あっそ」

 

 浮き輪に乗って波に揺られるだけの時間も悪くない。この心地良さが敗北の傷を癒してくれるわ。気にしてなんかないもんね。

 というかメリーの泳ぎはお世辞にも上手いとは言えないと思う。滅茶苦茶な動きが何故か泳法として成立しているのだ。ていうか身体スペックが高いだけで運動音痴寄りだしね、メリーは。

 

 取り敢えず今度時間がある時にメリーには内緒で室内プールにでも行こうかな。別に何も気にしてないけど泳ぎの練習がしたくなったのだ。本当にそれだけ。他意はない。

 

「海って良いよね。できる事なら毎日行きたいわー」

「夏限定でしょそれは。どうせ飽きるわよ」

「メリーったら海水より冷たいねぇ。そういえば海はそんなに好きじゃないんだっけ?」

「まあね」

 

 ふと思い出した事をそのまま聞いてみる。

 嫌いって言う割に泳ぎが得意って変な話よね。プールとか河川は別って事かもしれないけど。

 

「でもさ、楽しそうじゃん」

「え? そう?」

「なんなら私よりも」

 

 揉みくちゃになって暴れてる時なんてバカ笑いしてたしね。私も今回の二連戦を制する事ができていれば勝利の美酒に酔いしれて、もっと楽しい気分になれたかもしれないけど。

 兎に角、メリーは楽しそうだった。

 メリーの療養を兼ねての海水浴だったから計画自体は成功だろう。海が嫌いなんて言われた時はホントどうしようかと思ったわ。

 

 自分が抱いた気持ちの理由が分からないのか、メリーは不思議そうに首を傾げている。

 

「そもそもメリーって名前からして海と相性良さそうに思えるけどね」

「そうかしら? 由来とかも聞いた事ないし、あんまり気にした事ないけどなぁ」

「イカしてると思うわ」

 

 マエリベリーの綴りはラテン語圏だとMaribelだったと思う。『海の星(マリベル)』って意味になる。

 これが正しいかは知らないけどね。『mulberry(桑の実)』かもしれないし。何にせよ色んな意味が考えられるのは良い事だ。私なんて蓮の女の子だもん。

 

「まっ、どう解釈するかはメリーの自由よ」

「うーん……蓮子に任せる」

「なら『my reverie(私の幻想)』の方がいいかな」

「よくそんなにポンポン出てくるわね」

 

 呆れた様子で、だけど可笑しそうにメリーが笑う。夕暮れに差し掛かろうかという茜色の陽光が艶やかに照らし出している。

 ……何やっても映えるのは狡いわ。

 

「そろそろ教授達の所に戻ろうか。暗くなったら危ないだろうし」

「ええ、夜の海はさぞ良からぬ境界が漂っているでしょうしね。私は兎も角、泳ぎが下手な蓮子が心配だもの」

「しつこい!」

 

 いつか吠え面をかかせてやるんだから。

 砂浜へ上がった途端に、重力がいつも以上に煩わしく感じる。大分長い時間浸かっていたからだろう。その代わり、熱砂が幾らかマシになっている。足裏を火傷しなくて済みそうだ。

 

 乱反射する水面を背景に波打ち際に沿うようにして、メリーと一緒にえっちらおっちら歩みを進める。

 

「ありがとうね、蓮子」

「うん?」

「貴女のおかげでやっと海の事が好きになれそうよ」

「それは良かった。どういう心変わり?」

「分からないわ。だけど貴女がいるだけで、色褪せてた不快な水溜りがこんなに綺麗で素敵に思えるんだもの。偽物が本物に変わったのは、きっと蓮子のおかげ」

「おうおう嬉しい事言ってくれるじゃないの! まっ、メリーは私が居ないとダメダメだもんね」

「なんか釈然としない……」

 

 納得していない様子だけど、積極的に否定しないのはそういう事なのだろう。かく言う私もメリーが居ないとダメダメだから、私達にとっては今更な話だ。

 やっぱり2人で一つの秘封倶楽部、なのかしらね。

 まあ、初代のあの人は1人で切り盛りしてたらしいけど。大したものだ。

 

「ねえ蓮子。明日からは以前よりもっともっと活動していきましょうか」

「あらら珍しい。えらく乗り気ね」

「なんだか休んでた間の時間がとても勿体なく思えてきたの。ほら私って蓮子が居ないとダメダメらしいし、実際のところ療養期間はあんまり楽しいものじゃなかった。"本物の"海を見たら尚更そう思えたわ」

「あはは……よーし、そうと決まれば早速考えちゃうわ! 日付が変わるまでには良さげな場所を見つけておくから楽しみにしててちょうだい!」

 

 腕が鳴るとはこの事だ。

 

 ただ……一抹の不安はどうしても拭えない。メリーの能力が酷く不安定なのは慣れたものだが、毎回失神されると流石の私も心配になるわ。

 岡崎教授の言う通り、メリーの異能はあまりに特別だ。向こう側の観測し得ない世界を限りなく身近にまで引き寄せてしまう。彼女自身、自分がどちらに身を置いているのかすら曖昧になる時だってある。

 

 海の色と同じ、透き通るような青の瞳には抗い難い魔力が宿っている。

 

「ねえメリー」

「ん」

「私は貴女の行きたい所、全部に付いて行くからね。忘れないでよ」

「置いていくわけないじゃない。蓮子と一緒じゃないと楽しくないんだってば」

 

 やはり私達は酷暑に頭をやられてしまっているらしい。じゃなければ、こんな狂気じみた事を言えるはずがない。きっと、暑さのせいだ。

 そう思うとなんだか安心できて、メリーと笑い合う。きっとこれで良いのだ。これで。

 

 

 

 自宅に着いたのは日付が変わろうかという頃だった。私もメリーも遊び疲れてクタクタで、教授の乱暴な運転に揺られながらも深く眠りについていたように思う。

 

 すぐにでもベッドに倒れ込みたい気持ちを抑え込みつつ、疲れ果てた身体に鞭打つ。

 明日からの秘封倶楽部再始動に備えて、ほんの少し調べ物をしておこうとデスクに向き合い、ポケットから一つの手帖を取り出し眺めながら据置端末を叩いた。

 

 真夜中2時を過ぎ、そろそろ就寝しようかと寝惚け眼を擦る。ふと携帯端末が青白く光っているのが目に入ったので、手に取って何となしに通知を眺める。

 教授からだった。

 

【今日はもう家から出ないように。早く寝て明日に備えなさい】

 

 教授がメッセージを送ってくる際は無駄に長文となる事が多いのだが、今回はヤケに短い一文が添えられただけの簡素な内容だった。

 突然だったので【何かあったんです?】と返信するも、応答無し。既読すら付かない。ていうか私が起きているのを何故知っているんだろう。

 

 不思議に思いながらも、教授の奇行は今に始まった話でもない。言われなくても寝ますよ、と心の中で唱えながら、私は床に就いた。

 明日からも続いていくだろうメリーとの素敵な日々に胸を躍らせながら。

 

 

 明朝、いつも通り時間ギリギリで大学に向かおうかという時に呼び鈴が鳴る。警察だった。

 もしや今までやらかした事がバレたのかと肝を冷やしながら応対したところ、ただの事情聴取とのことで、胸を撫で下ろす。

 

 でも、続いて伝えられた内容が、私の思考を完全に凍て付かせた。

 

 昨夜メリーが自宅の前で凶漢に襲われ、大怪我を負ったというのだ。

 匿名の通報により現場へ駆け付けたが、犯人はまだ見つかっていないらしい。違う、そんなのは今どうだっていい。

 兎に角身体が芯から震えて、まるで自分のものじゃないようだ。丁寧な物腰で何やら話している警官の言葉を聞き取る術はなく、呆然と突っ立っていたように思う。

 メリーの状態を知る事しか頭になかった。

 

 聴取の内容とか、どんな事を話したとかはあまり覚えてない。気付いた時には時間は15時を回っていて、市内有数の大病院の前に立っていた。

 受付に駆け込んでメリーとの面会を求めたがにべもなく断られた。それが暗に示す事とは、簡単に会えるような状態ではないのだろう。

 

 何か進展を求めて待合室で何時間も粘ってみたけど、結局メリーに会う事はできなかった。

 失意の中、私は祈るように項垂れる事しかできない。やるせない気持ちと無力感が恨めしい。

 

 

 

 

 メリーの目は光を失った。

 外的な強いショックに加えて、眼球に無理やり流し込まれた薬品の作用により、その視力を著しく低下させた。そして失明したのだ。

 

 それを聞いた時、私は何を考えただろうか。メリーに対し何を想っただろうか。膨大な思考に塗り潰されて視界が真っ暗になっていったことだけ覚えている。

 辛い想いをしているだろう相方にどう寄り添えばいいのか、私はそれを考える事すら恐ろしく感じた。

 

 秘封倶楽部はいつまでも続いていく。私とメリーの情熱が続く限りいつまでも。

 

 その幻想が崩壊へとにじり寄って行く様は酷く非現実的だ。今そこまで迫っているものなのだと私に認識させるには、あまりに惨たらしい現実だった。

 

 

 鏡に映る私は酷い顔だ。赤みがかった瞳が、まるで兎のように更に真っ赤に腫れ上がっている。こんな顔じゃメリーには見せられないな、なんて見当はずれなことばっか。まだ夢を見ているような気分だった。

 

 何度だって宙を見上げる。下を向いてしまわないように。涙が溢れないように。

 

 23時37分29秒。私はここに居る。

 これが決して夢でない事を、私の無価値な目を通して星と月が教えてくれた。

 

 

 

 私とメリーの旅は、あと少しで終わりを迎える。





ゆかりんは泳ぎが得意
ゆかりんは男の人と話すのが苦手

最初はメリー視点で失明までの経過を書いていたんですが、あまりにも胸糞が過ぎたため代わりに蓮子が悲しむ事になりました
でも実は……?

『マエリベリー』ですが、蓮子が発音しにくい名前とのことなので、マエの部分の発音は[mæ]だと思うんですよね。ただ八意xx様みたいに正確な発音ができない名前という線もあるので、何とも言えない

次回、あの子が登場しちゃうかも


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【リユニオン秘封倶楽部】

蓮メリちゅっちゅ
作中経過期間はかなり曖昧です。


 

 

「お早う御座います。ご機嫌は如何でしょうか? ……お休みのところ失礼致しますね」

 

 私の一日はまず、眠る貴女様の顔を、身体を、濡れた布で拭いてあげる事から始まる。

 呼吸以外の生命活動を一切行っていないため汚れは何も無いけれど、少しでも不快感なく過ごしてほしいから。お召し物も新しく取り替えて、清潔に保ち続ける。

 

 一通り行って満足したら、障子を開けて外の空気を取り込む。暴力的な日差しは幾分収まり、今は陽気な暖かさと言える程度になってきた。

 

 からりとした風が心地良い。もう夏が完全に過ぎ去る頃か。

 ──そういえば、貴女様は秋が好きで御座いましたね。ならば今日は良い日だ。

 

「今日もいつも通りお日柄が良くて、過ごし易い日が続きそうです。庭の木々もそろそろ紅く染まる頃やもしれませんね」

 

 布団の側に跪いて一緒に開放された風景を眺める。

 枯れ果てた木が葉を付ける事は二度と無いだろう。でもそれじゃ味気ないから、しばらくの間は紅葉を楽しめるようにしておこう。数週間程度あれば私でも再現できる。

 何も無いよりも、彩りがあった方が喜んでくれるに違いない。

 

 ああそうだ、食事をお待ちしなければ。

 私が昨晩置いていた手付かずの夕食を回収し、代わりに朝食を枕元に置いておく。

 こんなに長く眠られているのだから、きっとお目覚めになった際は相当お腹を空かせている事だろう。ちゃんと用意しておかなきゃ。

 

 次に、部屋奥の襖を開けて鎮座する仏壇を丁寧に拭き上げる。写真立ても念入りに、かつての美しさが少しでも損なわれないようにしっかりと。

 そして油揚げを供えた後、仏壇に手を合わせる。

 

 ここまでがルーティンだ。

 昨日までの出来事と、今日の予定を2人に報告して、私の早朝の日課は終わる。

 

 

 藍様。私は今日も元気です。

 外の世界で少々問題が起きました。すぐに歪みを修正いたしますが、結果として『来るべき日』がかなり早まったように感じます。

 不安は日々高まるばかりですが、私は決して挫けません。藍様の分までしっかりお役目を果たします。どうか最期まで私達を見守っていてください。

 

 

 深く、深く。項垂れるように拝む。

 こうして報告ができるのも、きっとあと僅かだろう。それはとても良い事なのだけれど、私にとって拭いきれない切なさが、寂しさがある。お門違いだと分かっていても。

 

 感傷に浸り過ぎると業務に障る。私は自らに課せられた役目を今一度思いおこし、心を保たせた。

 さあ、行こう。外の世界へ。

 

「少しばかり幻想郷を離れます。来客は無かろうかと思いますが……何かあればすぐに戻りますので、どうかご容赦くださいませ」

 

 足を擦らせ真後ろを向いて、眠る貴女様へ頭を下げる。

 次は紅葉なんかよりもっと良い事が話せそうです。きっと大いに喜んでくれる。

 だから──その時まで、どうか安らかに。

 

 お休みなさい。紫様。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 錆びついているのか、やけに重く感じる窓を力尽くでスライドさせる。入ってくるのは排ガス混じりのなんて事のない風だけど、篭りっぱなしよりかは全然良い。

 一息ついて備え付けの丸椅子に腰掛ける。

 

「どう? メリー。寒く無い?」

「ええ大丈夫。とても涼しくて心地が良いわ」

「そっか。林檎剥くけど食べる?」

「貰おうかしら」

「おっけー」

 

 持参したバスケットから林檎を一つ、包丁を一本取り出す。どうにかして綺麗に皮を剥きたいんだけど、何分初めてのことだからちっとも上手くいかない。

 教授達みたく苺を見舞品にすれば良かったなぁ、なんて後悔するがもう遅い。果肉のたっぷり付いた皮をゴミ箱にボトボト落としていく。

 

「なんか凄い音してるけど大丈夫? 無理しなくてもいいわよ」

無問題(モーマンタイ)! ほら召し上がれ」

「ありがとう。……美味しい」

「誰が剥いても味なんてそうそう変わらないからね。故に無問題」

「ゴツゴツしてるけどね」

「次はきっと上手く剥いてみせるわ。──はい、あーん」

 

 メリーの口元に奇妙な形となった林檎の欠片を運んでいく。まるで雛に餌付けする親鳥の気分だわ。

 

 目が見えなくなって不便の極みだろうに、メリーはそれを感じさせないほど溌剌としていた。いや──正確には、私の前だけでは。

 頭を何周もする分厚い包帯。身体の至る所に浮かぶ痛々しい青痣。無事なわけがない。

 

 泣きそうになってるのは私だけか。

 

「ごめんメリー。ちょっと席外すね」

 

 室外に出て涙を拭う。

 見えなくてもメリーの前で泣くのは嫌だった。嗚咽なんて聞かれたら言い訳ができない。

 しっかりしなきゃ。私がメリーを支えるんだ。

 

「随分と参ってるみたいね」

 

「……教授。それにちゆり」

「久しぶり蓮子くん。あの海と惨劇の日以来かしら。元気にしてた?」

「無神経過ぎるぜ夢美様。ごめんな蓮子」

 

 通路の奥からやってきたのは岡崎夢美と北白河ちゆり。相変わらず派手な身なりだ。慌てて瞼を擦る。赤くなってないだろうか。

 教授の言う通り、みんなで海に行ってから1ヶ月半は経つが、その間一度も会っていなかった。メールで話したりはしてたけど。

 軽い会釈をして、要件を目線で尋ねる。

 

「きみと同じだよ、我々もメリーくんの見舞いに来たの。奇遇だね」

「私は毎日居ますので」

「そうなの。相方想いね」

「……メリーがお礼を言ってましたよ。苺と、通報について」

「やはり聡いわね貴女達は」

 

 教授はわざとらしく肩を竦めた。

 メリーを間一髪で救った匿名の通報は十中八九、教授達によるものだろう。あの晩に私の下に届いたメールもかなり不可解だったしね。

 

 故に、私は彼女達を怪しんでいた。

 

「メリーを襲った人について何か知っているんですか? まさか関係者なんて事は」

「それは勘繰り過ぎだぜ蓮子。まあ疑われる理由は十分だから仕方ないけどな。教授なんか見るからに怪しい風貌してるし」

「喧しい」

 

 暫定不審者だしね。そんな人達と海水浴に出かける私達もアレだけども。

 疑いの理由は、彼女達のメリーへの認識にある。2人は間違いなく、メリーの能力を危険視していて、なおかつ興味を持っていたんだ。

 

 それが意味する事とは。

 

「蓮子くん、一つだけハッキリさせておこう。確かに私は貴女達秘封倶楽部を危険視している。万が一に備えて監視すらしているわ。ハーンくんが襲われている事に気付けたのはそのおかげ」

「やっぱり私を利用して……!」

「貴女の優しさと好奇心に付け込んだのは事実よ。ごめんね。……だけど同時に、私は貴女達の素敵な活動を応援したいとも思っているの」

「はい?」

「ハーンくんが眼を潰されたあの一件、アレは私に言わせてみれば反則技だ。全く道理に合わない甚だ愚かな選択。腹が煮え繰り返る思いよ」

 

 苛立たしげにそう呟いた。

 目にはハッキリとした怒りが宿っている。

 

「あの夜、ハーンくんを襲ったのは物怪とは違う怪異の一種。貴女達の観測している境界より更に上の世界が弄した策よ」

「何を、言って……」

「そいつらは世間一般的に神と呼ぶに近い存在なのかもね。そして蓮子くん、きみも同じように狙われていた可能性がある。あの夜、あの瞬間に」

 

 私は堪らず駆け寄って教授の肩を掴む。弱々しいそれは、私の僅かな力で簡単に揺れた。

 

「訳が分かりません。何故私とメリーがそんなものに狙われなければならないんですか!? 心当たりなんて……いや無いわけじゃないですけど」

 

 墓を回したり、禁足地を踏み荒らしたりはした。それのしっぺ返しというなら後悔が募る話だ。

 でも教授は静かに首を振る。

 

「アレらはね、貴女達の存在が邪魔で邪魔で仕方がないの。秘封倶楽部の活動云々のせいではなく、生まれながらの性質が自分達に不都合だから。実にくだらないわ」

「……」

「私は貴女達を害しての決着はフェアじゃないし、何の解決にもならないと判断している。つまらない、本当につまらない連中よ」

 

 

 

 メリーの能力は、境界を観測するだけのものから、夢と現を地続きにするものへと変貌しつつあった。その果てが意味する事は、私にはまだ分からない。眼を失った結果、どのように作用するのかすらも予想できない。

 でもメリーの経過を観察していると、それが少なくとも良い方向の話ではない事は分かった。

 

 私と共に居る時、メリーは至って普通だ。失明以前と変わらない態度で私に接してくれている。私が気を病まないよう無理をしてくれてるのかとも思ったけど、それを踏まえてもメリーは普通だった。

 だが担当医や岡崎教授の話を聞くに、私が見る以外のメリーは……。

 

 まず、睡眠が増えた。いくら呼び掛けても反応しない事が多々あって、その時間は日々増えていく一方だ。私が来た時は起きてる事が多いけどね。

 メリーの眼には暗闇しかないのだから、睡眠時間が増えるのは当然だろう。痛みを抑えるために鎮静剤を投与されてるようだし。だがそれでも異常だった。寝たきりで目を覚まさなくなる可能性すらあるそうだ。

 

 それに伴って、どうもメリーは夢と現の境が把握できずに居るようだった。

 自分の意識が覚醒しているのかすら判別がつかないそうだ。私と話している時だって、何度も此処が夢でないことを確かめるように問い掛けてくる。その度に私は彼女の手を取って、確かに存在しているのだと伝えてあげることしかできない。

 

 時間は私達の味方にならなかった。

 日を重ねるごとにメリーは疲弊して、壊れていく。

 

 

「ねえメリー」

「……どうしたの?」

「ごめん、呼んだだけ。起きてるかなって」

「……どうかな。蓮子と話せてるなら、多分そうだと思う。私ちゃんと話せてるかな」

「大丈夫、大丈夫だよ」

「……こっちきて」

「うんいいよ」

 

 私が顔を寄せると、メリーの手が頬や髪に触れる。形を確かめるように撫で回す。ちょっとくすぐったい。

 満足したのか、メリーは枕に頭を落とした。

 

「貴女の顔を忘れそうになるの。だから触ったの。ごめんね薄情者で」

「特徴のない顔だからね。気にしなくて良いよ。まっ、私は一生メリーの顔を忘れないと思うけどねー」

「私だって貴女のこと、忘れたくないわ。でも暗闇ばかり見てると沢山の物事が頭に浮かんできて、かつての鮮やかだった光景が色褪せていく」

「……」

「私、怖いよ。蓮子のこと忘れてしまいそうで」

 

 メリーの弱音も日々増えていく。

 限界なんだ。全部が。

 

「暗闇ってさ、なんで怖いんだと思う?」

「……人の子はみな、闇から生まれるから」

「母親の心が分かって恐ろしいのかな? ──きっとね、みんな闇自体は怖くないんだよ。その中と外の隙間に潜む住人が恐ろしいから」

 

 人間の根源的な恐怖とはなんだろうか。

 飢え、病、寒冷、闇、死……。ここらをよく聞くけど、私は『私でない誰か』だと思っている。

 

 メリーの暗闇。その外側には私がいる。

 彼女が二度と害されぬよう、私は恐怖を取り除く存在となろう。闇を喰らい、光に溶かす。

 2人でずっと歩んでいくって、とうの昔に心に誓っているから。なんて事のない話だ。

 

「また一緒に旅に出られるよ。だからそう弱気な事言わないで、次に行くところを考えよう。日本中の不思議を集めるまで私達の活動は終わらないんだから」

「以前のようにはできないわ」

「秘封倶楽部は永劫不滅よ。何人たりとも私達を妨げる事はできない!」

「……私のこと、忘れてくれてもいいよ?」

「絶対嫌だ。ずっと一緒」

 

 2人でなら何だってできる。何も変わらない。

 そう自分に言い聞かせるように叫んだ。

 

 メリーは唇を震わせながら、弱々しく頷いた。

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

「危ないところでしたね。大丈夫ですか? 意識はハッキリしていますか?」

「──あ、れ?」

 

 1秒前と今に至るまでの情報が一致しない。

 現実との偏差。乖離。

 

 私はいつの間にかアスファルトの上に転がっていた。病院の側だ。

 秋の暮れだというのに、とても熱く感じる。いや、私が冷たくなっているのか? ダメだ、何も完結しない。何も分からない。

 

 ふと、呼び掛けてくれた人に視線を向ける。

 私と同い年くらいの、少し幼さの残る顔をした女性。橙色のミディアムヘア。相方愛用の物に似ている緑のナイトキャップ。白いワンピースの上に、中華風の導師服を着込んでいた。倒れる私に手を伸ばしている。

 

 姿形は一般人そのものだけど、もういい加減、私にだって分かる。人間じゃない。

 いつまで経っても手を握らない私に飽き飽きしたのか、脇の下から持ち上げられて無理やり立たされた。まるで猫のような扱いだ。

 

「よいしょ。立ち眩みとかがあったら言ってくださいね。治しますから」

「い、いえ大丈夫ですけど……ここは?」

「ああ貴女は上から落ちてきたんですよ」

 

 人差し指を一本立てる。

 見上げてみると、窓が開け放たれた一室がある。あそこから落下したのか? 

 でもそんな記憶は……。

 

 待て、違う。そうじゃない。

 思い出せ。私は何をしていた? 私はさっきまで、誰と何を話していた? 

 

 決まってる。私は……! 

 

「っ、メリー!」

「一度先程の病室に戻りましょうか。さっ、口を閉じていてくださいね」

 

 急いで駆け出そうとした私を制止して、今度は人差し指を私に向ける。すると視界がみるみる歪み、気付けば病室の丸椅子に腰掛けていた。

 そして間髪を容れず、開け放たれている窓から先ほどの女性が飛び込んでくる。

 

 何だこれは? 

 もしや化かされているのか? 

 

 いや、それよりもメリーは何処!? 

 パイプベッドに横たわっていた彼女の姿はなく、最初からそんな者など居なかったかのように、掛け布団が丁寧に折り畳まれていた。

 私や教授が見舞いに持参していた物だけが備え付けの棚に置かれている。

 

 動ける筈がないのだ。

 あんな怪我していて、目も見えないのに。

 

 急いで携帯端末を確認するも、メリーの名前はなかった。まるでこの世から1人だけ煙のように消えてしまったみたいに。

 記憶も酷く曖昧だ。話した内容、メリーの表情、全てが断片的にしか思い出せない。

 

 私はこの1ヶ月、本当にメリーと会えていたのか? 

 

「あのバカどうして……!? さ、探さなきゃ!」

「無駄でしょうね。先程までの貴女様方は()()()()()()()。実在しない痕跡から失せ物を探すのは不可能に近い。残念ですけど」

「アイツ、大怪我してるんです。しかもまた変なのに襲われでもしたら……!」

「ああその点に関してはご心配無く。貴女様の相方を傷付けた者、そしてそれを裏から操っていた者、全て私が殺しておきました。もっとも、今のマエリベリー様を害す事のできる者などもう居ないとは思いますが」

「殺したって……何なんですか貴女は」

「同類です。ほらこの通り」

 

 訝しげな視線を払うように彼女は手を翻す。

 不快な破裂音を響かせながら、眼前の空間が裂けた。あまりに突然のことに驚いて腰を抜かしてしまった。その裂け目は、間違いなくメリーが使っていたものと同じ物だ。こっちの方が若干禍々しく感じない事もないが。

 

 メリーの能力が成長した、その成れの果てが目の前の怪異のような存在なのか? 

 分からない。分からないけど、そんなとんでもないのが向こうから接触しに来てくれたのは渡りに船だ。

 

 私の眼が告げている。

 この怪異こそ、メリーに繋がる唯一の道筋なのだと。

 

「……相方を探せるんですか?」

「できます。但し今ではない」

 

 もう怪異でもなんでもいい。

 藁にもすがる思いでの問い掛けは、あっさり肯定された。ニッコリと、笑みを絶やさずに頷く。

 

「蓮子様も薄々気付いているのでしょう? マエリベリー様の能力が誤作動を起こしたのです。今、彼女の周りの境界は非常に不安定だ。見境がなく、何が起きているのか本人ですら把握できていない。歪みは拡大する一方」

「ならその歪みの中心に向かえば!」

「その通り、辿り着けるやもしれません」

 

 しかし、と付け加える。

 

「理を破壊する境界の坩堝に飛び込んで無事なままなんてありえない。次、マエリベリー様に巡り合う事があれば、その時は貴女様が死ぬ時です。しかし恐らく、貴女様でなければあの方を呼び戻す事はできない。……さて、どうしたものやら」

「メリーの居場所を教えてください。私が迎えに行きます」

「何度も言いますが、死にますよ? 骨すら残らない。記録にも残らない。初めから無かったことにされるかもしれない」

「死んでもいい。メリーを独りにさせない」

「ならば意味のある死にしていただきましょう。その為に私が参ったのです」

 

 しゃなりと窓の縁から私の目の前に降り立つと、宥めるように、敬うように私へと言葉を紡ぐ。

 一眼見た時から分かっていた。これは諏訪の地で出会った『サナエさん』と同類だ。アレから悍ましさを引いて胡散臭さを足したのがこの怪異。

 

「貴女の勇気と想いに敬意を」

 

 彼女はきっと、私を破滅へと導く死神。

 でもそんな彼女の手招きが、私には差し伸べられた救いの手にしか思えなかった。

 

「悪魔の契約気取りで対価を寄越せってわけ?」

「そんなまさか。ただのお願い事で御座いますよ。正確には私の御主人様から、ですけども。内容は御主人様から直接お伝えさせていただきます。蓮子様にとっても決して悪い話ではない」

「分かったわ。その人に会わせて」

「……本当に大切な方なのですね。自身の命を即決で投げ打ってでも救おうとするとは」

「……」

 

 愚問である旨を視線で投げ掛ける。

 すると彼女は目を細めて、私の頭に何かを乗せてくれた。帽子だ。転落した時に離れていたのだろうか。

 

「明け方に再度お迎えに上がります。それまでは何が起きても未練が無いよう、好きにお過ごしください。……もし明日までに決心が鈍ったところで誰も責めません」

「待って! 私は今からでもっ」

「此方の準備が整っていない。先程述べた通り、マエリベリー様に近付ける者はもう居ません。その点については御安心ください」

「けど……」

「大丈夫です。手が届くところまで絶対に蓮子様を連れて行きますから」

 

 はやる気持ちを抑えて不承不承に頷く。

 

 私が思いつく限りの『やり残し』を一つずつ列挙してみたけれど、その殆どがメリーと一緒にやろうと思っていたものだった。

 極一部、私的な未練もあるけど、なるほど半日あれば全部果たせそうだ。

 私は驚くほど薄っぺらかった。

 

 メリーごめん。

 あともうちょっとだけ待ってて。

 

「私の大切な人なんです。どうしても、どうしても救ってあげたい。どうかお願いします」

「任せてください。それではまた明日」

「えぇと、せめて名前だけでも教えてくれません? なんて呼べばいいか」

「あら言ってませんでしたっけ?」

「そもそも何者なのかすら知らないんですけど」

「アハハ……申し訳ございません。どうやら私も焦っているようでして」

 

 帰還する為に開いたのであろう空間の亀裂をそのままに、陽気な笑い声を上げる。うっかりしていたとばかりの言い様だ。というか実際そうなのだろう。

 なるほど、これが素か。

 

 と、ついさっきと同じように視界が馴染む。

 

 

「私の正体は化け猫。名は八雲橙」

 

 

 ナイトキャップの外から覗く可愛らしいふさふさの耳。スカートから伸びる細長い二尾。

 もう驚かない。驚かないわ……! 

 

「お二人が欲してやまなかった幻想に引導を渡す者。かつての理想郷を管理する賢者です」

 

 玉のような愛嬌ある二つの瞳を細めて、彼女はあどけなさの残る笑みを浮かべていた。




幻想郷最後の賢者です。
この話に出てきたキャラ全員かなりギリギリな状態で頑張っているそうです。ぐっすり眠ってるだけの人もいましたけど。

また妖怪の藍様に仏壇はこれ如何にとも思いましたが、アルティメットブディストなので……。

評価、感想いただけると完結に向けて非常に励みになります。なります。


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【アナザーエンド秘封倶楽部】

後書きに簡単な図があります


 

 実家で暮らしていた頃、大掃除中に物置で埃を被った一冊の日記(ダイアリー)を見つけた。何十年も前に書かれたと思われるそれが、私を今の道へと突き動かした。

 

 初代秘封倶楽部会長を自称していた宇佐見家の誰かさんが書いたそれは、夢に満ちていた。

 化石のような言葉で飾り立てられた日記──というより伝記は、私の燻っていた探究心を大いに刺激してくれたことを覚えている。

 以来、その日記を我が人生のバイブルとして毎日のように持ち歩いたものだ。

 

 もっとも、メリーと出会ってからは2人での冒険に意識が向いてしまって、いつの間にか手元から消えていたけど、私の情熱は完全に秘封倶楽部に注がれていたので気付かないのも仕方がない。

 活動が落ち着いてからその存在を思い出して家中ひっくり返して探してみたりもしたけど、結局見つからずじまい。残念だった。

 

 まあ、最近になってまたひょっこり手元に現れたんだけどね。だからこの日記をメリーに見てもらおうと思っていた、そんな矢先の事件だった。

 日記はずっと、私のカバンの中で眠ったままだ。

 

 

 一枚ずつ、乱雑にページを破り捨てては次々と火に焚べていく。

 乾燥し切った古紙は僅かな破裂音を立てながら灰になって崩れていった。

 

 沢山の胸踊る冒険や、関わった人達の多彩な想いが詰まった文字列が、私の気の迷いともいえる些細な行動で、この世から失われていく。

 もう二度と回帰しない。誰の記憶からも完全に消え去ってしまうのだ。

 

 淡水が噎せ返るような、この感情。

 その背徳的な喪失感の名前を、私は知らない。ただ一心不乱に、日記を引き裂いた。

 

 日記はどんどんその厚みを無くしていき、最後の数ページを残すだけになった。

 この辺りからの内容は、正直好きじゃない。

 

 想定外の出来事に慌てふためき、ただひたすらに自らの罪を懺悔し、心身を追い詰められていく様が荒々しい筆跡で綴られている。「こんな冒険なんて、始めなければよかった」という言葉で日記は終わる。

 彼女の冒険は悲劇で幕を下ろしたのだ。

 沢山の犠牲と後悔を伴って。

 

 もう一度軽く目を通して、ハードカバーごと火に放り込んだ。これで断捨離完了。

 私の未練。やり残した事。橙さんに言われて改めて考えた時、一番に浮かんだのがこの日記の処分だった。

 秘封倶楽部の幕開け──或いは再始動の発端となった物だが、これからの私達には必要ないものだ。

 

 私達は後悔なんてしない。絶対に。

 

 

 

「火遊びとは感心しないな蓮子くん。この時期は空気がよく乾燥している。小さな種火でも気を抜けば大火の原因になるのよ」

「……教授」

「非行に走るような子ではないと思っていたけれど。何かあったの?」

 

 草も眠る丑三つ時。滅多に人の通らない高架橋の下でこっそり燃やしてたんだけど、やはり岡崎教授には全て筒抜けらしい。

 一応私達を監視しているようなので、この一件でそれが本当だと確認できた。

 

 教授は手に持っていた水筒を傾けて、燃え上がっていた炎を鎮火する。そして焼け焦げてしまった日記のハードカバーを手に取った。

 元がどんな本だったのかも分かるまい。

 

「これは蓮子くんの?」

「いえ、違いますけど……」

「そうなのね。なら貰っていい?」

「いいですよ別に。教授に回収してもらえるなら処分したも同然ですし」

 

 私の言葉に教授は微笑み、黒い長方形をポケットに突っ込んだ。灰だらけ、水浸し、中身無しのそれに何の価値があるのかは知らないけど、記録がこの世から消え失せた時点で、私にとっての価値はない。

 

 彼女が私の下に来た理由は分かってる。

 それ前提での会話だった。

 

「マエリベリー・ハーン……もはや、その名前しか思い出す事はできないけれど、きっと貴女にとってとても大切な存在なのでしょう」

「この世でたった1人の相棒ですから」

「それはそれは……本当に素敵な話」

「前から思ってたんですけど、教授ってホントにロマンチストですよね」

「よく言われるわぁ」

 

 さらに言うならメルヘン中毒だ。いつも「素敵」ばっか言ってるし、私とメリーのやり取りも目を輝かせながら見てたし。

 例えるなら青春を謳歌する若者に対する中高年のそれである。憧れでもあるのだろうか。まあ教授の実年齢なんか興味ないけど。

 

「教授が来てくれてちょうど良かったです。最後に挨拶だけ言っておこうかと思ってて」

「そう……それが蓮子くんの決断なら止める訳にはいかないわね」

「はい、お別れです。ちゆりにもよろしくって伝えておいてください」

「叩き起こして連れてこようか?」

「それは流石に悪いですよ」

 

 もう二度と会う事はないだろう。そう思うと途端に寂しくなるものだ。

 2人にはとても大きな物を貰った気がする。

 

「教授はこれからどうするんですか?」

「一か八か、残された力と燃料を使って最後の旅に出るわ。今日の日の出と共にね。この世界の行末を確かめる事ができたし、貴女達が居ないんじゃ留まっていても仕方ない」

「これから何が起きるのかも知ってるんですね」

「知らないわ。だから確かめに行くのよ」

 

 そう言い残すと、教授は派手なマントを翻して夜の闇へと溶けていく。彼女もまた、最初から存在しないものとして、意識の外へと滲み消えていくのだろう。

 

「ありがとう蓮子くん。貴女があの日、ちゆりを見捨てないでいてくれたおかげで、私達は最後まで挫けず抗い抜く事ができた。矜持を失わなかった」

「どういたしまして?」

 

「さようなら。また何処か、遠い遠い世界の果てで出会えるといいわね」

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 橙さんが再び現れたのは、まさに陽の光が差し込もうかという瞬間だった。

 結局一睡もせず、高架橋の下で燃え滓を見つめながらその時を待っていると、光と闇の狭間からぬるりと現れた。もう隠す必要がないのだろう、耳と尻尾はそのままだった。

 

 相変わらずしゃなりとした猫のような挙動で近付いてきては、私の瞳を覗き込む。

 そして満足げに頷くのだ。

 

「覚悟は鈍っていないようですね。──いえ、それこそ昨日の貴女が言うところの『愚問』でしたか」

「……あのー、心読んでます?」

「いえいえあくまで予測と統計ですよ。それは私の領分ではありません」

 

 悪びれた様子もなく温和な笑みを浮かべる彼女は、やはり妖魔の類いなのだろう。

 この一連のやり取りについては、某奇妙な冒険の2部主人公みたいなものだと勝手に解釈することにした。ただ心臓に悪いのであまり多用してほしくないものだ。

 

 私の逸る気持ちも当然分かっていると言わんばかりに、橙さんは慣れた動作で例の裂け目を作り出す。本当にメリーの物と瓜二つだ。違いといえば、裂け目の端にあるリボンの有無くらいか。

 怪奇にもデコレーションの概念が存在するのだろうか。非常に興味深い。

 

「中に入れば御主人様の待つ屋敷はすぐそこです。粗相の無きよう……いえ、蓮子様であれば問題ありませんね。好きに過ごされてください」

「それはどうも」

「では此方へ」

 

 ああ、ついに死神の手を取ってしまった。

 

 橙さんに促されるまま裂け目を潜り、僅かな浮遊感の後、景色が一変する。

 非現実的な現象と、目の前に広がる光景に私は唖然とするしかなかった。

 近世を思わせる建物が立ち並んでいて、そのどれもが時代そのままに整備されている。空気も非常に澄んでいるし、遠くに見える山々には何か安心感を覚えた。

 

 橙さんの歩みに従い、追随しながら周りを何度も見渡す。

 とても面白そうな場所だったけど、人間どころか生き物の気配がしないのは少し不気味だ。

 この広い世界に、たった2人で投げ出されてしまったような不安が込み上げてくる。

 

 やがて民家は途切れて、外れに辿り着く。死神の指し示す先には、とても大きくて立派な和を感じさせる屋敷があった。独りで住むには広いだろう。

 

「ここには貴女と、その御主人様の2人で暮らしているんですか?」

「いえ。私と、私の御主人様2人です」

「うん……ううん?」

「私には御主人様が2人いるのですよ。陪臣という立場なんですけども」

「えーっと、つまるところ御主人様と、そのまた御主人様、という事?」

「左様でございます」

 

 日本語って難しいよね。

 それよりも橙さんが下っ端とは、到底信じられない。彼女から感じる得体の知れなさは尋常でなく、まるで組織の元締めでもやっているのかと思うほどの器量がある。

 賢者とか言ってたし。

 

 その更に上となるなら、果たしてどのような化け物が待ち受けているのか。

 メリーや橙さんにはちょっと悪いけど無性にワクワクしてきたわ。

 

 玄関で靴を脱ぎ、客間と思わしき部屋へと通される。橙さんは「主人の様子を見てくるので少し待って欲しい」と言って、湯呑みにお茶を注ぐとパタパタ駆けていく。

 うーん、お茶が美味い。

 

 時間の流れがいまいち分からない。時計を眺めていても秒針の動きは経過と共に遅くなっていくように感じるだけだ。クロノスタシス現象ってやつね。

 

 暇なので部屋を探索して生活の様子を伺ってみたが、確かに複数人が暮らしているようではあった。居間として使われているのだろう部屋を覗いたところ、湯呑みが複数あったし、玄関にも靴が三足置かれていた。

 また、今よりいくらか幼い橙さんの写真が多くあった。自分の幼少時代の写真を飾るような人には見えないので、他の誰かの趣向だろう。あの怪奇にもこんな無邪気な笑顔を浮かべていた時期があったのか。

 

 ただ……私の勘違いかもしれないけれど、誰かが意図的に作っている生活感であるように感じた。不自然な雰囲気を拭いきれないのだ。

 まるでそう、敢えて演出しているような。

 不思議な場所だ。

 

 

「蓮子様、お待たせいたしました。準備ができましたので御案内いたします」

「あっ、はい」

「……ではこちらへ」

 

 慌てて写真立てを置き直していた私を見た橙さんは、何も言わずに目を細めただけだった。「昔の写真ですか。可愛いですね」なんて言えばよかったのだろうか? でもあまりの物々しい雰囲気に私は口を閉ざすしかない。

 

 板張りの廊下を進み、居間の更に奥。障子で締め切られた部屋に辿り着く。

 

 

 ──空気が変わった。

 

 

 一枚の境界を隔てた先に居る存在。心胆を寒からしめるとは、まさにこの事なんだと、急激に冷えていく頭の中で呑気に思考する。

 呼吸が詰まって喉が音を立てる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 橙さんは私を試すように見ている。襖に手を掛けたまま、私へと問い掛ける。

 

 本当に対面するのか? 

 本当に会っていいのか? 

 

 土壇場になって心が日和り始めてる。

 怖い。恐ろしい。根拠のない焦り。

 崖から足を踏み外せば転落死するように、息を止め続けていれば窒息するように、体験した事のない"死"が鮮明に思い起こされ、その道筋を辿る感覚。

 

 ……ダメだ宇佐見蓮子。挫けるな。

 怖いからなんだ。私が本当に恐れているのはそんな事じゃないだろう。メリーを私の手で助けるんだって、心に誓ったじゃないか。

 

 強く目頭を押さえながら、深く息を吸う。

 そして、此方を見遣る橙さんに向かって力強く頷いた。彼女もまたこれに応えた。

 

「……お休み中のところ申し訳ございません、紫様。申し付け通り、お連れいたしました」

「し、失礼しまーす」

 

 障子の奥は寝室だった。側方には襖と庭へと続く縁側があって、陽の光が眩しく差し込んでいる。

 中央に布団が一組だけ置かれていて、誰かが寝かされていた。橙さんに促されるまま入室し、恐る恐るその人物の顔を覗く。こんな時でも怖いもの見たさの好奇心が勝った。

 

 でも、そんなものはすぐに消し飛んだ。

 私は呆然と、問い掛けることしかできなかった。

 

「なんで、メリーが寝ているの?」

 

「この御方──()()()様は貴女の知るマエリベリー様ではございません。しかし限りなく近い存在であると言えましょうか。貴女様の事もよく存じておられますよ」

 

 世界には自分と全く同じ顔の人間が数人居ると聞いた事がある。ドッペルゲンガーなんて言って、怪奇の一種として語られる時期もあった。

 しかしこれは、眼前で眠る女性は……紛れもなくメリーであると、私の目が告げている。顔の造形は勿論のこと、微細な特徴も合致していた。

 違うことと言えば髪が長くなっていて、私の知るメリーより大人びた雰囲気、そして危うさと妖しさを発しているように思えることくらい。

 

 ふと、目が沁みて涙が止まらなくなる。何故だろう、彼女を見つめていると、どんどん痛くなっていく。

 

「紫様、目を開けられてください。紫様」

 

 揺するが反応がない。消え入りそうなか細い寝息を立てているが、それ以外はピクリともせず、意識が回復する兆しは見られない。

 心無しか橙さんの表情に焦りが見える。

 

 激しい混乱と、これからの進展の不明瞭さに、私は固唾を飲んで見守ることしかできなかった。

 と、橙さんが耳元に口を寄せる。

 

「漸くですよ、紫様。蓮子様がお見えです。どうか、どうか……」

 

「あ!」

 

 ほんの僅かに瞼が痙攣したのを私は見逃さなかった。具に観察していたおかげで見逃さずに済んだ。

 そしてゆっくり、少しずつ瞳が露わになる。

 

 白濁としている。機能しているようには到底思えない。だけど視線は真っ直ぐに私を射抜いていた。

 そんな衰弱した紫さんの姿が、私には病室で蹲るメリーと重なって見えた。

 

「お久しゅう、真にお久しゅうございます紫様。私が分かりますか?」

「──橙」

「左様でございます。……お疲れのところ申し訳ございませんが、時が迫っております。急ぎ現在の状況を把握していただきますよう」

「──藍は?」

「志半ばに……。今は私と、霊夢が」

 

 伝えたい事が沢山あるのだろう。平坦な口調で事務的に伝えている最中でも、その節々から万感の想いが溢れそうになっている。目から涙が溢れてるし。

 何を話しているのかは身内話なのもあって私にはよく分からないけれど、辛い事なのは間違いない。

 

 必要事項を次々伝えていく橙さんに、衰弱した状態でも集中を切らさない紫さん。

 私はそんな2人を所在なげに見守る。

 

 

 

「お待たせいたしました。どうぞ、蓮子様」

「は、はい! どうも……始めまして?」

 

 10分経たずに話は終わったようで、橙さんが一歩引いて、代わりに私が布団の側に座る。

 ひとまず初対面だろうという事で恐る恐る挨拶してみたけど、感触はイマイチだ。何というか、私も紫さんも、初めましてと思っていないのかも。

 

 しかし怖気付いている場合じゃない。私は早く彼女の頼みとやらを聞いて、メリーの下に連れて行ってもらわなきゃいけないのだ。

 その為にも、ハッキリさせなきゃいけない部分が沢山ある。

 

「単刀直入に聞かせてください。貴女とメリーは、どういう関係なんですか? 何故メリーと同じ能力を持った部下を擁し、容姿が瓜二つで、私達の素性に詳しくて、それに、えっと──」

「……蓮子は、どうおもう?」

「っ!」

 

 なんて事のない、質問を質問で返しただけの実りなき一言。

 でもその一言が私に一つの確信を抱かせた。

 

 私は紫さんの手を取る。細くしなやかで、何度も握ってきた感触だった。触れ合う肌が焼け付くような痛み。眼の時と同じだ。

 

「貴女、メリーなのね。そうなんでしょう?」

 

 私の言葉に彼女は深く息を吐き、遠くを見つめながらポツリと呟く。

 

「私にその名前だった頃の記憶は、ありません。ただ無性に懐かしさを感じる。心が温かくなる。きっと貴女と沢山旅をして……そして……」

 

 

「貴女が死んで、私が生まれた」

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 極々単純な仕組みについての話だ。

 

 マエリベリー・ハーンはある日を境に夢と幻の狭間に取り込まれ、我が身と心を失い、スキマ妖怪という唯一無二の存在へと限りなく近付いてしまう。

 途轍もない苦痛を伴う進化。或いは退化。

 

 彼女の能力制御が未熟であったというのが大まかな結論になるのだが、能力の性質上、どう足掻いてもメリー単独での制御は厳しかったと言わざるを得ない。

 成長と変異がイコールであったから。

 

 もっとも、そのプロセス自体に問題はない。

 歴史上よく見られるケースであり、力を持ち過ぎた人間が魔に身を堕とすだけの話。その成れの果てが如何に強力な存在であったのだとしても、本来なら当事者間を除き気にするものではないのだ。

 

 しかしながら、メリーの変異には致命的な欠陥──世界の法則を乱す間違いがあった。

 

 それは、唯一無二である筈のスキマ妖怪が()()()()()()()()()だ。八雲紫が同じ世界線に2人、存在することになってしまうのである。

 境界を司り概念を定める、神が如き能力を持った妖怪が2人。紛れもない異常事態であるのは言うまでもない。そしてそれに伴う歪みとは、絶大なものであった。

 

 同一の存在が同一の世界線に重なって留まるのは禁忌である。

 タイムパラドックス、エネルギーの不均衡、対消滅……通常であればこれらのペナルティーが適用され、道理の合わない矛盾は無かったことにされる。

 しかし、境界を司る者が2人となれば話が大きく深刻なものに変わってくる。

 

 八雲紫が対消滅してしまう事による影響があまりにも重大であるからだ。

 

 那由多の因果を纏った妖怪が誕生し、同時に死ぬ。全く同じ境界が二重に発生し、定着する。前者が意味するのは膨大なエネルギーの損失、そして不均衡であり、後者は理の侵犯である。

 文字通り、万物の全てを消し去りかねないほどの歪みが生じる事だろう。夢と現実の境が失われたあやふやな世界。空虚な幻。

 

 

 なので、この世の理は矛盾の解消を優先するのだ。決定的な破滅が確定したその瞬間に、重なった境界の下積みを破棄し、新たな軸を生じさせる。

 八雲紫の誕生から新たな夢が再スタートするのだ。この世に完全な現実など介在する余地もない。

 

 全ては夢幻が如く。

 

 

 かつての夢の残骸を下地に、螺旋のように繰り返す。八雲紫が生まれ、メリーが八雲紫と成り、八雲紫が死ぬ。その流れの中で何が起きようと、どう足掻こうと、全てが無駄。夢幻泡影。

 

 八雲紫を減らして1人にしてしまえば、と考える者も少なからず居ただろう。

 だが幾多の螺旋を繰り返し、凝り固まってしまった因果を覆すのは不可能だった。世界の崩壊を防ぐどころか、八雲紫を殺す事さえ儘ならない。

 

 

 何が発端でそんな事になってしまったのか、紫とメリーどちらが先なのか。もう誰にも分からない。

 ただ確かなのは、生まれながらにして2人は詰んでいた。自身の夢見た幻想ごと、因果に雁字搦めにされ、残骸の上で人形のように踊り続ける。

 

 それはそれは残酷で、つまらない話だ。

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 ホーキングの時間矢逆転……。エントロピーの超越……。突っ込みどころは多々あるけど、まあ岡崎教授とかちゆりと会っておいて今更な話ではあるか。

 それよりも、メリーの置かれた状況があまりにも酷過ぎる。そんなの、メリーだけじゃどうしようもないじゃないか。理不尽だ。

 

「じゃあメリーは……もう助からないって事なの」

「残念、だけども」

「なら私が死ぬっていうのは──」

「遅かれ早かれ、死ぬ事になる。メリーの支えは貴女。あの子を現実側に踏み止まらせていたのも、貴女。宇佐見蓮子の眼が、自分の境界を見失わない導となっていた」

 

 私の役立たずの眼。地図要らず以外に何の価値も無いと思っていたそれが、メリーを引き留め続けた鍵となっていたのか。うーん。

 ……そうなのか。

 

「導が消える事で私が生まれるのだから、そこまでは確定している。でも、逃げる事は可能よ。上手くメリーと関わらずに逃げ抜く事ができれば、本来の寿命を全うできるかもしれない」

「相棒の身に起きている事から目を逸らして、平凡な毎日を送れと」

「先に申した通り、終わりは遅かれ早かれの話ですので」

 

 

『……私のこと、忘れてくれてもいいよ?』

 

 

 メリーも同じく言ってたっけ。

 ……アイツはいつだってそんな調子。性根はビビリなくせして、いざ危険が迫ったら自分を差し出そうとする。私はメリーのそんな所が大好きだから、それをいつだって拒絶してやるのだ。

 

 紫と名乗るメリーを強く見つめる。

 

「ねえメリー。貴女の知る宇佐見蓮子は、それを真に受けて、ただ怯えて縮こまるような女だったの?」

「……」

「違うよね」

 

 くすりと、初めての笑みが溢れる。

 

「確かに、メリーの言う事を殆ど聞いてくれない、無鉄砲な相棒(蓮子)でしたわね。そんな気がします」

「そういう事。因果とか運命とか、そんなの知ったこっちゃないわ! 私がメリーを引き止める鍵になるのなら、私は自分の可能性に賭けてみる!」

「……頼もしい限りですわ」

「だから貴女も安心してよ。メリーが何度道に迷おうが、私が何度だって連れて帰ってやるんだから!」

 

 勢いに任せた勝手な発言だったけど、八雲の方々には好意的に受け止められたようだった。

 メリーと同じだとは思えないほど、妖しくて綺麗な顔を綻ばせ、満足げに目を瞑る。

 

「……橙」

「はい」

「蓮子を、お願いね」

「畏まりました。紫様こそ、お気を付けて」

 

 それが別れの合図だったらしい。橙さんは畳に頭を擦り付けると、しゃなりと立ち上がり私の手を引く。

「ありがとう」と。空に溶けるような声がした。

 

 退室して障子を閉めるなり、初めて会った時と同じ表情で終了を告げる。

 

「それではマエリベリー様の下へご案内いたします。気構えはよろしいですか?」

「ちょ、ちょっと待って。メリー……っていうか、御主人様から何かお願い事があるんじゃ? 私、ちょっと話しただけなんですけど」

「それで満足されたのでしょうね。蓮子様にとっても実りある話だったかと」

「それはそうだけど」

 

 釈然としない気持ちだ。

 

「紫様は、きっと蓮子様に会いたい一心で意識を戻されたのでしょう。ずっと昔からこの時を待っておられたので。私も感無量でございますよ」

「そんな途方もない時間なんて私には想像もつかないけど……救いになれたなら良かった」

 

「……本当に、羨ましい限りです」

 

 その一言に込められた意味もまた、私には知る由も無かった。ほんの僅かな恨み混じりでも。

 私に想像の余地はない。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 ──我が式、八雲藍に『身体』を。

 

 ──我が式の式、八雲橙に『能力』を。

 

 ──我が巫女、八雲霊夢に『名前』を。

 

 私の私たる要素をそれぞれ分割し、今日この日まで、守り抜く。そして蓮子に託す。

 蓮子という方舟を通じて次の世界に持ち込み『意思』を残すのが、幻想郷を犠牲にしてまで用意した唯一の突破策。私と隠岐奈が作り上げた『意思』が、次の八雲紫と共に忌まわしき螺旋を破壊してくれる。

 

 だけど藍が死んでしまった事で、身体は満足に用意できなくなってしまった。この不完全な状態でどこまでやれるかは未知数だ。

 もはや私にできるのは、これからを祈り、天命に従い死にゆくことだけ。

 

 もう二度と、悲劇が繰り返されませんように。

 どうか、失われてしまった愛しき幻想が八雲紫亡き後も永遠に続きますように。

 今度こそ、蓮子とメリーが想いを遂げられますように。

 

 

 

「ごめんなさい、蓮子」

 

 先程の言葉。私に向けてのものでは無いのに、無性に嬉しく思ってしまった。きっと、自分の時の蓮子も同じような気持ちでメリーに尽くしてくれたのだろう。

 

 故に心が苦しくなる。

 もう既に決まっているのだ。彼女の想いが果たされる事はない。メリーを現実に呼び戻せず、失敗してしまう。それを知っていて送り出した。

 

 彼女には肝心な部分を半分伝えなかった。

 八雲紫が誕生する、最後のプロセスについて。

 蓮子が歩む事になる残酷な最期を。

 

 話しても話さなくても結末は同じだろう。それでも伝える事ができなかったのは、私の弱さだ。

 

 蓮子は私の事をメリーとして扱い、接してくれた。それは彼女なりの真っ直ぐな優しさであり、メリーに対しての揺るぎない想い。

 

 でも違う、違うのよ。

 私は、メリーは……蓮子は……──。




  ↓
八雲紫誕生→→→→→→→八雲紫死亡|
      メリー誕生→八雲紫誕生|
              ↓
  ←←←←←←←←←←←←←
  ↓
八雲紫誕生→→→→→→→八雲紫死亡|
      メリー誕生→八雲紫誕生|
              ↓
            以下ループ


時が戻っているのではなく、八雲紫を起点にして、似たような出来事が起こる夢と現実を延々と繰り返している感じ。八雲紫は二度生まれ、一度死ぬ。
月の皆様がゆかりんを必死に殺そうとしていた理由です。
この辺りの話は若干ややこしいので後日補完的に書き直すかも。


八雲邸の内装が3人で暮らしていた頃のままで保持されている理由はご想像にお任せします。当然、管理しているのは八雲橙です。

また、岡崎教授が「アオハルだなぁ」と秘封倶楽部に婆臭い憧れを抱いていたのは、自分が13歳で院を卒業してることに起因するとかなんとか。


次回、秘封倶楽部編は最終話。
恐らくあと数話でゆかりん関連の伏線は全て回収し終える筈……?

感想や評価をいただけると完結に向けて励みになります。なります。


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【ネバーエンド秘封倶楽部】

 君想う、故に我在り。


 

 

 

 少女は空を見上げた。

 淀んだ水面に乱反射する光源を眺める為に。

 

 爛々と輝く星が散りばめられた夜空。

 大きな、丸い満月が浮かぶ夜空。

 周りには誰も居なくて、ぽつんと一人取り残された、そんな状態でした。

 

「はて、何故こうなったんだろう?」と、少女は深く考えます。

 拭いきれないほどの酷い違和感が彼女の脳内を埋め尽くしました。

 

 自分に降り注ぐ星の光も、月の明かりも。

 我が身、我が心さえも。

 全てが偽りの中にあるかのような酷い違和感。

 

 しかし、それらは彼女が特別意識を向けるほど特別なものではなかったようなんです。

 もっと彼女を狼狽させ、焦燥に駆り立てるほどの何かがあるようでした。

 

 彼女はふと思いました。

 もしかして夢なのか? と。

 

 覚めて欲しいと願いつつ、少女は強く目を擦ります。

 だけどちっとも夢は覚めません。

 それどころか少女の指には血がべっとりと付着していました。そして思わず、水面に映る自分の姿を見てしまったのです。

 

 

 

 ──ああ、そうか。

 

 

 ──そうだった。私は生まれたのか。

 

 

 

 水面に映るのは混ざりつつある二つの色。

 

 本来の輝きと血の淀みで、徐々にそれは新たな忌々しい色へと変化していく。もはやかつての色には戻れない。全てが遅すぎたのです。

 

 

 少女は空を見上げた。

 

 星と月が彼女の存在を決定付けてくれました。

 

 それは決して祝福と言えるような優しいものではないけれど、彼女はとても嬉しく、そして悲しく想い、激しく憂い───。

 

 月へと手を伸ばすのです。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 私は、生まれながらにして特別な眼を持っていた。

 この世界の境目。現と幻の境界。人ならざる者達の為の世界。それらを見通す奇怪な眼。

 

 そんなものが何故私に備わっているのか、時々考えてみたりもしたけど、今に至るまで分からず終いだ。代々奇怪なものが見える家系ではあったけれど、私のそれと比較できるようなものではなかったらしい。

 きっと、この世に生まれ落ちる時に何か不具合を起こしたのだろう。何処ぞの宗教風に言うなら、前世に犯した悪業の結果となるのか。

 

 この世界は不条理に塗れていると何度思ったことか。これが呪いによるものなのだとしたら、どれだけの恨みを買っていたんだろう。

 

 正直、私はこの眼を好きになれなかった。

 自らの手を離れて様々な能力を開花していく様が恐ろしかったのだ。立ち向かう気概はあった筈だ。なんとか能力を制御して私の持ちたる力にしようと、試行錯誤を繰り返した記憶がある。

 でも段々と見え過ぎるようになっていって、不覚を取る事が多くなり、やがては何を見ているのかが分からなくなった。自分が何を考えているのかすら。

 

 逃れられない事を悟り、深く落胆した。

 私の辿る末路が明白になった。

 

 けれど、自分の運命を最悪だと悲観した事はない。

 貴女に会えたその一点だけで、私の人生は捨てたものじゃないって思えたの。

 

 蓮子と一緒に居る時──秘封倶楽部のマエリベリー・ハーンとして存在している時だけ、私はこの恐ろしい眼を少しだけ誇りに思えた。

 蓮子と見つめ合っている時だけ、本当の世界が覗けたような気がする。夢幻の先にあるまだ見ぬ世界。私が存在するべき現実が。

 

 彼女と冒険を続けていれば、いつかこの眼も私の一部として上手くやっていけるような、そんな未来があったのかもしれない。所詮はたらればの話だけど。

 

 蓮子と共に在る事が私にとって好都合でも、逆もまた然りとはいかないのが世の常だ。

 いつだったか──衛星トリフネ……いやそれよりもっと後だったか。時系列が曖昧だけど、夢が現実を侵食するようになっていって、私は一番に蓮子の生命を案じた。

 彼女をいつか私の視る世界が殺してしまうのかもしれないと、恐ろしくなった。自分の眼に対する恐怖が再び蘇った瞬間である。

 

 蓮子から離れられなかったのは私の甘えだ。大切に想っているなら、黙って姿を消して、好きなように()()すれば良かったのに。情けない、申し訳ない。

 

 

 だから……あの夜、顔を殴られて、お腹を蹴られて、硬い地面に叩きつけられて、甚振られて穢されて、痛みと恐怖に泣き叫ぶ裏でほんの少しだけ安心していたような気がする。

 眼を失った時、蓮子には内緒だけれども、全てが終わった気がしてホッとした。蓮子の役に立てなくなる事だけが心残りだったけど、役立たずになってしまった私を変わらない態度で受け入れてくれて本当に嬉しかった。

 

 美しい世界なんていらない。胸を焦がすような探究心だって、この想いに比べてしまえば。

 私は蓮子と一緒に、本当の世界で生きることができれば、それだけでよかったのに。

 

 

 

 いつから終わっていたんだろう? 

 私が生まれた時。

 違う世界に初めて迷い込んだ時。

 蓮子と出会ってしまった時。

 この眼が光を失った時。

 

 どれも違う。やはり私が生まれるよりも遥か昔から、私の運命は決まっていたのかもしれない。終わりはなく、同じように始まりはない。

 眼を失っても悪夢は終わらなかった。

 

 ねぇ、蓮子。

 私は貴女に「忘れて欲しい」なんて言ったけど、あれは嘘だ。しかし本心でもある。醜い事に私は両立しない二つを願ってしまった。

 どちらを選んでも蓮子は不幸になるだろう。どっちを選んでくれても、私は嬉しく思うし悲しく思う。そしてそんな面倒臭い自分がもっと嫌になる。

 

 私は、もう、自分が何をしたいのか分からなくなってしまった。

 

 

 

 ああ蓮子。

 どうして、どうして。

 

 何故来てしまったの? 

 

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 

「う、お!?」

「蓮子様、手を離さないでくださいね」

 

 裂け目が開くと同時に、凄まじい勢いで吹き抜ける猛風が私の身体を攫った。

 咄嗟に橙さんが手を繋いでくれなければ、私は柵に叩きつけられて頭から転落していただろう。

 単独では立つことすらままならない。

 

 暴力的な風から顔を守りながら何とか目を開き、周りを確認する。

 ビルの上か? かなり高い。

 日はいつの間にか沈んでいて、夜空に浮かぶ月が私の居場所を教えてくれる。ここは、私達の住んでいる街だ。私とメリーが出会いを重ねた場所。

 その全てを一望できる。どこまでも延々と、漆黒の摩天楼が続いている。

 

 無機質なネオンを眺めているのか、私達に背を向けて柵に寄り掛かる影。まるでもう一つ月が浮かんでいるのかと錯覚するほど、煌々とした明るい金髪。

 私が何度も追いかけてきた、いつもの姿! 

 

「メリーっ!!!」

「不用意に近付いてはいけません」

 

 駆け出そうとした私を橙さんが引き寄せて制止する。まるで石像に掴まれているように微動だにしなくて、振り払えなかった。万力に挟まれているのかと思うほど強力で骨が軋む。

 じっとりと汗が滲んでいた。

 

「分かってはいても、いざ実物を目の当たりにすると圧倒される。よもやこれほどとは……」

「確かに凄い風ですけど!」

「今、マエリベリー様が世界の中心となっています。本来有ってはならない辻──境界が幾重にも折り重なり、歪な形を保っている。まさにあらゆる境界の交錯地!」

 

 徐に、橙さんがメリーへと手を伸ばす。

 すると途端に腕が──否、線が捻じ曲がった。霧散するのとも違う。紐が解きほぐされるように、構成される性質が剥がされている?

 やがて腕は消滅し、それが当然の事象となった。

 

「……眠りと死の境界とは非常に薄いものであり、同様に夢が深ければ深いほど、現実との境目もまた薄くなる。全てを受け入れると言えば聞こえは良いですが、実情はこの世で最も呪われた体質」

 

 メリーまでのたった数メートルが、無限の距離に思えるほどの隔たりとなる。

 橙さんは変わらない和やかな笑顔で、しかし冷たい視線を自身の空白へと投げ掛ける。

 

「私の持つ境界が奪われました。この通り、あの坩堝には如何なる境界も役に立たないのです。我々の目に映るこの景色も、実像と虚像の境界により構成されたものでしょう。全てマエリベリー様そのもの」

 

 これが事前に言っていた"死"の形なのだろう。

 

 『メリーを独りにさせない』

 これが意味するのは、自身の存在すら剥奪される完全な死。きっと、想像もできないような苦痛が待ち受けている。悠久に続く責苦。

 

 だが、不思議と恐怖はなかった。

 八雲紫と名乗るメリーと顔を合わせた時からだろうか。私の進むべき道が明らかになった事で、迷いがなくなった。未来を捨てる覚悟はとうにできている。

 

「橙さん、行きますよ私は。メリーの下に辿り着く為のサポートをお願いできますか」

「承知いたしました。幻想郷の賢者としての最期の責務──八雲の役目がいま果たされる刻。お2人の為、存分に力を奮いましょう」

 

 橙さんは私から手を離すと、残された左腕を払い裂け目を生成する。けたたましい断裂音とともに現れたそれは、今まで見た裂け目のどれよりも強力である事が素人の私でも見て取れた。

 妖しく発光し、境界を押し退けか細い道を繋ぐ。その代償は大きいようで、彼女の眼から、鼻から、口から、夥しい量の赤が溢れている。指先は既に原形を保っていない。

 

 でもやはり、橙さんは苦痛を押し殺した顔で言うのだ。何でもない風に、さも涼しげに。

 

「決して振り返ってはいけませんよ。境界を越えるとは、そういう事ですから」

「……っ」

 

 言葉は不要だった。崩れ落ちていく橙さんを尻目に、裂け目を踏み越えてひたすらに走り続ける。

 彼女が私達に抱いている期待、そして畏敬の念。その正体の意味が今なら大体分かる。

 それはきっと、私の一大決心すらも運命の一部でしかない事の残酷な証左。でもね、物理畑の私にラプラスの魔物なんて通用しないんだから! 

 

 

 まるで夢の中を走っているような感覚だった。前に進みたいのに足が上手く動かないもどかしさ。あの何とも言えない嫌悪感が支配している。

 大丈夫だ、此処はまだ現実。

 私の眼は本質を見失わない。

 

「メリーっ! 私と帰ろう!」

 

「……」

 

 背を向けたままのメリーに叫ぶ。

 聞こえてる筈なのに何故応えてくれないんだろう。私の事が嫌いになったのならそれでいい。だけどせめて、拒絶の言葉だけでも……! 

 

「うああああぁぁああッ!!!」

 

 がむしゃらに腕を振って見えない壁を叩き壊す。手応えが無くても、それに意味がある事を身体が教えてくれる。頑張れ、頑張れ私! 

 私に気付け! 私を見ろ! 

 

「ずっと一緒だって……言ったでしょう? ねぇメリー。ねえったら!」

 

「……蓮子」

 

 やっと振り返った。

 メリーの顔が露わになる。失った瞳が私を見据える。顔に巻かれていた包帯は解けていて、深海のように真っ暗な青が私を映してる。

 

 ああ、メリー。

 

「私も……貴女の事が大好きだった」

 

 儚い笑顔と涙には訣別の意味が込められていた。

 青が、視界を歪ませた。メリーの背景が歪み、澱み、糸が切れてしまったかのように重力に従って世界の深淵へと落下していく。

 手を伸ばしたけど、間に合わない。

 

「だから、ごめんね」

 

「メリィィィィィィィッッ!!!」

 

 迷いなくメリーの後を追ってビルから──いや、夢の深奥へと飛び降りる。

 いつの間にか周りはメリーの扱う裂け目のような空間になっていて、私達と無限の境界だけの世界となった。もう、帰る事はできない。

 

 望むところだ。

 私は力を振り絞り、境界へと拳を振り下ろした。

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 追い付けない。

 どこまでも落ちていくメリーとの距離は少しずつ縮まっているけれど、手が届くよりも早く私にガタが来る。深淵に近付くほど、私の身体がダメになっていく。

 でも諦めない。私の命が続く限り。

 

 蓮子の身体が崩れていく。私から溢れ出る境界が、幻想が、喰らい尽くさんと纏わり付き、蓮子を貪る。違う。私はそんな事望んでいないのに。

 体の自由が利かない。目を閉じることさえできないから、蓮子が苦しむ姿をただ見ているだけ。想いに応えて手を伸ばしたいのに。

 

 

 いつまでも、貴女(メリー)と一緒に。

 

 もう一度、貴女(蓮子)と一緒に。

 

 

 きっと、私達の何気ない小さな願いはこの世のどんなものよりも酷く強欲で、独り善がりで、得難きものなんだろう。最も爛れている関係。穢れた2人。蟲のように機械的な感情だと言えるかもしれない。

 でも私達はそれを認める事ができなかった。一生叶わない願いなのだとしても。

 

 

 やがて蓮子が動かなくなった。

 

 ああダメだ。力尽きた。

 手を伸ばせば届くのに、その手段がもう無い。眼前まで来ているのに、最後の境界を突破できない。此方からではもはや繋ぎ止められない。

 

 終わってしまう。

 

 

「いいや、秘封倶楽部は終わらせないわ」

 

 

 歯を食いしばり、境界へと頭を打ちつける。想いの強さと結果が伴わなくても、宇佐見蓮子の諦めの悪さの前には些細な問題だ。

 にへらと、無理やり笑顔を浮かべる。

 互いにしみったれたままなんて、そんなの勘弁よ。

 

 そんな顔で私を見ないで。

 

 

「私の眼をあげるよ、メリー」

 

「……」

 

「道に迷った時は空を見て。私がメリーの進むべき道を教えてあげるから」

 

「……」

 

 

 解けていく。消えていく。

 (蓮子)貴女(蓮子)で無くなる。

 蓮子の滴る赤が、私の青に注ぎ込まれて馴染んでいく。瞳の熱が、脳髄を焼き尽くすほどに煮えたぎっていた。

 錯綜するだけだった境界が一つに纏まり、新たな像を結ぶ。広がる世界。もう底が近い。

 

 きっとその先に、私達の求めた幻想の(美しい)世界が広がっている。羨ましいよ。

 

 

「私達の冒険は、貴女の気が済むまで続けてちょうだい。貴女が見て聞いて感じた事が、私の求めた答えになってくれると思う」

 

 

 頼りない相棒でごめんね、メリー。

 私がもっと強ければ、貴女をいつもの日常に連れ戻す事ができたのかもしれない。それが不可能だったとしても、もっと色々な物を渡せたかもしれない。

 だからせめて、この役立たずな能力が貴女の導となるのなら、喜んで差し出すよ。

 

 違う、それは違う。

 私は、蓮子がいたから現実に縋り付いていたんだ。私だけで進み続ける事なんて出来る筈がないの。

 貴女のいない世界なんて。

 

 

「もう二度と、独りにさせたりしないから。ずっと一緒にいるから、ね」

 

 

 初めての味は鉛味。

 私と彼女の雫が混ざり合う。

 

 

 ……そっか。一緒にいてくれるのね。

 ありがとう。蓮子。

 

 いつか絶対に起こしに行くから。今はどうか安らかに。

 おやすみ。メリー。

 

 

 境界が、重なった。

 埋まるはずの無かった隙間が塞ぎ込む。

 闇夜に続く黄昏が、夜明けに繋がる黎明へと流れていく。青と赤の流転。

 

 夢を現実に変えるのだ。

 私達の手で。

 

 

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 

 

 夜が降りて、意識が覚醒する。

 

 美しくて残酷な幻想の微睡に浸るもまた一興。しかし、もういいだろう。胎児の真似事にもほとほと飽いた。いや、空いた。

 

 口に広がる甘露な赤に舌鼓を打ち、残さず噛み砕いて物言わぬ誰かさんに別れを告げた。とても美味しくて、後悔の残る味だった。酷い、あまりに酷過ぎる。

 食えたものじゃない。

 この行為は金輪際不要だ。そこらに吐き捨ててしまえば楽になる。

 

 

 さあ……約束通り旅を始めよう。

 大切な人と拠り所を探す為に歩き続けよう。

 

 この目があれば、別れ道や自らの心に迷うことはない。この目があれば、幻想を見極め誰にも置いていかれることはない。

 これが私の夢……私の禁忌。

 

 ──ひたりと、涙の跡をなぞる。

 

 もう赤は流れていない。

 水面下には私の瞳。何にも勝る『紫色』の贈り物。そう──私に在るのは、この瞳とこの身体だけ。

 まだ名前がない。何者でもない。

 

 

 ねぇ、(蓮子)

 私はどうしよう? 

 

 ねぇ、(メリー)

 誰になろう? 何になろうかしら? 

 

 ……ふふ。

 ならば【(ゆかり)】とでも名乗りましょうか。

 

 貴女達とは縁も()()()も一切ないけど、いずれそれらに満たされる日が来ることを願い、微かに夢見ながら。

 

 私は月へと手を、伸ばすのです。

 

 




メリーの失明は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が右目を失明していた事に関連付けてます。同じ理由でギリシャ出身です。

次回、ゆかりん誕生編も完結。
全ての謎を回収して心置きなく最終章に向かいます。多分


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私が選ばれた理由(わけ)

心が一つになれば、悲しみを全て無くせるのかな?

2023.8.21 設定集を追加しました。


 

 悲しい、あまりにも残酷な物語。

 

 綺羅星のように煌めく2人の人生。それは走馬灯という形で朧げながら私の中に残っていた。

 心にずっと染み込んでいた二つの想い。

 

 瞬間、八雲紫に蘇る在りし日の記憶ッ! 

 押し寄せる奔流は、容易く我が情緒の悉くを灼き尽くしたッ! 脳味噌大爆発ッ! 

 

 アあ゛い゛っ! 

 はぁはぁ、蓮メリは劇薬ですわ……! 

 

 脳を駆け抜けた記憶が強い衝撃となって襲い掛かる。強い眩暈と吐き気を覚えるほどのそれは、私が次の段階に進もうとしている証なのだろうか。

 とってもビリビリする。とんだ副作用よ。

 

 氷嚢で頭を冷やしながら、スキマをソファーにして仰向けに寝転んだ。身体の消耗は一切ないけど、心はそうはいかない。適度な休養は大切よ。

 

 感覚的にはあれだ、過去の黒歴史が唐突に蘇ってきた時の負荷に近いわね。日常生活に支障をきたすレベルのあれ。くっ、鎮まれ私のハート! 

 

 過去の例としては、何も無いところで視線を感じると「貴様見ているなッ!」なんて事を叫んでた時*1とか、香霖堂で暮らしてたメリーちゃん*2時代を思い出した時によく起こる現象である。

 

 くそぅ……蓮子とメリーの甘々な過去を見せつけられて私の心はボロボロですわ! 「2人は短い生涯をあんなに一生懸命に生きてたのに、私ときたら800年も何やってんだか」みたいな嫌悪と羞恥が! 

 

 惰眠を貪り、人様に迷惑をかけ続け、何を為すこともなく漫然と生きるだけのダメ妖怪。しかも恋愛経験ゼロ! 

 

 ごめんなさい! ごめんなさい! 

 私なんかが生まれてきちゃって申し訳ない! 隙間があったら入りたい! 

 

「どうした紫。敵襲か?」

「うぅ……お、お気になさらず。それよりも貴女(隠岐奈)は万が一の失敗もないよう、全力で事に当たってくださいな。全ては貴女の腕にかかってるわ」

「ほぉ私を疑うか。お前に頼まれた以上、雑な仕事はしない。期待して待っていると良い」

 

 発作を雑に誤魔化しつつ、オッキーナに抜かりが無いよう念押しする。究極の絶対秘神である彼女にミスなんてあろう筈がないのは私自身よく知るところではあるけれど、やはり内容が内容なので過敏にならざるを得ない。

 

 気怠げに向けた視線の先には、これまたぐったりした様子で項垂れている菫子。立っているのも辛いようで、座り込んで終わりを待っている。

 その原因は私のような身から出た錆ではなく、外的要因により体調を著しく損ねているからだ。その下手人こそがオッキーナであり、彼女に命令(お願い)した私である。

 

 彼女の背中に仕掛けられたバックドアー。そこから菫子を菫子たらしめる力が流れ出し、余す事なくオッキーナが回収していく。

 超能力と呼称されるそれこそが、本来の私に備わっていた力。()()()()()()()()()()()()()()である。

 これが私の手に渡った時、形はどうであれ最強超妖怪パーフェクトゆかりんが誕生するのだ。

 

 力の放出、回収という面ではオッキーナの右に出る者は居ない。蓮子を余す事なく受け入れなきゃならないこの状況において、彼女の力を借りないという選択肢はハナからなかった。

 まあ段取りを考えてくれたのは藍なんだけどね。

 

「あとどのくらい待てばいいの?」

「そうだな……全てを抜き出すまであと3時間といったところか」

「ふむ、それなりに時間がかかるのね」

「それだけ緻密な操作を行なっているという事だ。菫子自身の潜在能力が途轍もなく大きい、というのもあるがな。まあ、一番の理由については敢えて言及しまいよ」

「助かりますわ」

 

 オッキーナの含みある笑みに嫌なものを覚える。彼女が最後に言葉を濁したのは私への配慮に他ならない。

 というのも、現在進行形で私の目の前に居るオッキーナは本人ではない。これは諏訪子やぬえ、こいしちゃんにも言える事だけど、少々存在の定義が異なる。

 

 後者の3人娘は故人であり本質的には『存在しない者』だ。幻想そのものと言える。

 しかしオッキーナは死んでは居るけれど、実体を失っている訳では無い。

 

 これが『トリニタリアンファンタジア』での召喚と『擬似式神』での召喚による違いね。ゼロから生み出すか、再利用するかの違いだ。

 言わずもがな、私に依る部分が少ないほど制御が難しくなる。中でもオッキーナは曲者中の曲者。無理に使い倒そうとすればバグが酷い事になるわ。

 故に様々な縛りを設けている。

 

 どんなバグが起きても我が永遠の盟友(という設定の)オッキーナなら私を害すような事はしないと思うが、万が一変な方向に思考が進んで「死こそが救済!」なんて言って襲い掛かられたら一大事だ。

 いやまあ、それはそれで望むところなんだけどね。多分負けないし。

 

 そうそう、オッキーナの再現の為に私も色々と手を打っててね。

 例えば配下の二童子ちゃん達に分けていた力はしっかり回収しておいたわ。秘神亡き後、機能を失って人里に拘留されてたけれど、私にかかれば多少の境界なんてそよ風も同然ですわ。

 慧音が居なくなってたのも大きいわね! 彼女の拘束には実のところ深い意味があったのだ! ……ま、まあ結果オーライですわ。

 

「悠長にしてた割には、さっさとやれ、疾くしろ、とやけに急かしてくるじゃないか。やはり懸念しているのは、アレのせいか?」

「……アレ?」

「擬きの事だ。逃しただろう」

「ああAIBOねぇ。型落ちとはいえ、前世界の希望を一身に背負った八雲紫ですもの。そう易々とやられはしないでしょう。次はしっかり消しますけど」

「AIBO……? アテム気取りか?」

「元ネタが分かる人に初めて会えたわ」

 

 勝手に感激していると、オッキーナは呆れたのか自分の作業に戻ってしまった。ほらなんていうか、こういうノリが無意識で出てしまう仲は大切だと思うのよね! 

 早苗も多分乗っかってくれるけど、やり過ぎて引かれるとダメージが大きい。一応彼女のお師匠様で通ってるみたいだし……。

 

 まあそんな話題はさておき、AIBOについてだ。

 みんなは偽物とか擬きとか言ってるけど、なんか可哀想だから私だけはAIBO呼びで続行ですわ。もう協力関係じゃなくてただの敵だけど。

 

 そもそも彼女の生まれも中々特別。どうも彼女自体は前世界の産物であるようで、ループの破壊を使命として送り出された式神なのだ。

 

 蓮子を経由して八雲紫に取り憑いたんですって。

 

 私の追憶にもあったけど、八雲紫が橙*3を遣わせてまで死の間際に蓮子と接触してたわよね。

 あの時に紫が蓮子に渡していた物。

 八雲紫の『名前』『能力』。

 この二つが八雲紫の意思を持った式神を時空を超えて存在させているのだ。

 

 本当は『身体』も渡して常時動けるようにする予定だったらしいけど、保持を託されていた藍が死んじゃってそれどころじゃなくなったとか。

 当初こそ「何処の何奴がうちの藍に手ェ出したんじゃ!」と憤って犯人を調べたんだけど、諸々の経緯を知った私はそっと回れ右をした。

 

 ……やっぱ辛いですわ。

 思い出したくもない。

 

 この話をAIBOから読み取った時、悲しくなったと同時に納得したわ。

 AIBOの力の源泉は藍なのだ。春雪異変や永夜異変で私に成り代わった時だって藍に何らかのアクションを取ってたようだし。

 ちょっと前に『妖力のチャージ方法』なるものをAIBOが仄めかしてたんだけど、あれは要するに藍から妖力を引っ張る方法だったのだろう。

 

 成り立ち、経緯、結果。全てが血塗られた呪われし式神。それがAIBOだ。

 そしてその本懐は成し遂げられた。

 

 AIBOの暗躍とかつての八雲紫の決断が私の誕生に結び付き、蓮子とメリーの悲劇を根底から破壊した。

 この世界に『本物の』八雲紫は居ない。つまり、八雲紫が2人存在するなどという馬鹿げた現象が是正されたのだ。世界は微睡からの目覚めに進んでいる。

 

 

 ……。

 

 

 私にとって、宇佐見蓮子という存在はやはり特別なものだったようだ。

 記憶が無くても彼女に対する想いは、夢や菫子へと無意識に表出していた。

 

 それはきっと幼子が母を求めるのと同じことなんだと解釈している。

 自分の一部だった者に対する哀れみだとか、メリーとしての何かが反応している訳ではない。決して。

 私の中に蓮子は居ない。あるのはメリーの死骸と、私だけだ。

 

 私の身体は秘封倶楽部の墓標なのよ。

 その事実が私を苦しめる。

 

 このままでは終われないと、私を暗闇へと引き摺っていくのだ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 八雲紫とは元来、検討と思案を重ねて慎重に物事を進めていく傾向が強い妖怪だったようだ。

 無鉄砲な行動で大切な何かを失った経験がそうさせるのだろうか。それとも、ヘタレなメリーとしての側面がそうさせたのかもしれない。どちらにせよ保守的な一面があったのは間違いないだろう。

 

 それを踏まえた上でかつての私──敢えて本当の八雲紫と呼ぼうか。

 紫は、これまでの八雲紫には強く見られない一つの性質があったらしい。

 それは、酷く無責任であるという事。長い年月を紫と共に存在していたAIBOからの評価である。

 AIBOは真逆のタイプだから余計そう思えたんでしょうね。

 

 月勢力との殺し合いは良い娯楽。言葉も分からないほど幼かった藍を溺愛してたのも娯楽。気まぐれに数多の妖怪と親交を持って、それらが自分に対して何を想い消えていこうが、紫はその様子を興味深く観察していた。

 

 所詮、この世は夢幻。自分のせいで何が起きようが知ったことでは無いとでも思っていたのだろうか? 

 私に彼女の全貌は分からない。しかし唯一、確実に言えるのは、紫は善い妖怪ではなかったという事。どこまでも自分本位な女だった。

 

 AIBOから世界の仕組みと、これから起こり得る未来を教えてもらっても、少なくとも表面上、紫の態度は変わらなかった。関心が無かったようにも思える。

 

 或いは……自分の妖生を秘封倶楽部の活動の延長と考えていた? 幻想郷成立への熱意は本物であったようだし、()()の記憶もかなり鮮明に残っているような言動が多かった。

 

 あの八雲紫は、私やAIBOでさえ本質を掴みきれないブラックボックス。温和な性格をしているように見えて、何重にも策謀を張り巡らせているようなタイプ。

 強さや格においても、恐らく最強の存在であった筈。私もAIBOも、彼女が苦手だ。

 

 

 

 ぬえは、そんな紫を慕っていた。紫の未知な部分というか、正体不明なところに惹かれていたんだと思う。何処に行くにも引っ付いていたようだ。

 楽しい毎日だった。戦乱に塗れた日本中を巡って、時にはマミさんを交えて色々なお酒を呑んで。

 たくさん笑った。

 

 そして殺した。

 妖すら寄り付かない墓場にぬえを誘い出し、こいしちゃんによる背後からの一撃。無敵の大妖怪といえど、心を破壊されてしまってはどうにもならない。

 紫は喜んでぬえを食した。

 

 どんな神経をしていれば姉のように慕ってくれていたあの子を殺すことができるのか、私には分からない。少しでも葛藤するそぶりがあれば、ぬえにも救いがあっただろう。でもそんなものはなかった。

 

 正体不明の能力は()()()()八雲紫の性質に合致している。貧弱な私でも自然に扱えていた事から、親和性の高さは当時から目を見張るものがあったのだろう。

 でも、たとえ私を活かす為の措置だったとしても……ぬえを犠牲にしたのは全く納得できない。

 

 

 

 妖怪の山を弱らせた時の手段も酷かった。

 密かに天魔の右腕、大天狗の飯綱丸龍と接触して取引(恫喝)を仕掛けていた。

 簡単な話が「お前の能力を差し出せば天狗に力を貸すし、少なくとも五世紀は取り潰さないでいてやるよ(意訳)」だった。

 

 飯綱丸さんの能力は『星空を操る能力』であり、これがループの突破口になるのを期待したのだと思われる。更に王佐の天狗と持て囃された彼女を潰せば天狗は伸び悩む。幻想郷の成立もスムーズに進むというもの。

 

 飯綱丸さんに選択肢は無いようなものだ。

 

 当時、天狗は時の覇権を巡りリグル・ナイトバグとの決戦に臨んでいた。

 今でこそ幻想郷のバランスブレイカーの中でも控えめな妖怪として細々と暮らしているリグルだが、この時の彼女は強かった。というより強過ぎた。

 

 本人の絶大な妖力もそうだが、配下がヤバい。蟲妖怪は『飢え』を司る存在なだけあって一匹一匹が大妖怪並の力を持つ。それが津波のように押し寄せるのだ。

 アレらが通った後は草木一本残らない。

 

 さらに姫虫百々世と黒谷ヤマメの存在。ヤマメの凶悪さは世間の知るところであるが、更に酷いのが百々世ちゃん。ハッキリ言って、アレは当時の萃香や勇儀より強かったと思う。

 当時の最強といえば、それは蟲妖怪を指すのだ。

 

 そんな連中との戦いに勝機など存在しなかった。

 天狗の中には悲観的な雰囲気が漂い、みな死にに行く亡者のような有様。

 

 勝つ為に己の身を差し出す事を厭うほど、飯綱丸龍という天狗は弱く無かった。実に天狗らしく、天狗社会の成長維持発展の為に死んでいったわ。

 見届人は管狐ね。例の典ちゃん。

 

 結果として天狗は戦争に勝利した。時の覇権妖怪を斃した事もあって名声は天を衝くほどに高まり、それが現在の賢者としての求心力に繋がっている。

 でもそれは決して天狗にとって幸運な事ではなく、凋落の始まり。悪夢が産声を上げた瞬間だった。

 

 飯綱丸さん亡き後の天狗に覇権を維持する能力など無く、後は知っての通り。

 

 こいしちゃんが殺され、天魔は狂い、文とはたては夢を失った。沢山の妖怪が絶滅した。

 最後に紫が天魔を始末して終わりだ。妖怪の山は今に至るまで浮上できずにいる。

 

 私が幻想郷を滞りなく運営できるよう、数多の妖怪が無為に命を落とし、未来を狂わされたのだ。

 八雲紫に目を付けられた時点で、山に住まう妖怪達の命運は尽きていたのだろう。

 

 

 

 

 この世界でのマエリベリー・ハーンとの邂逅もまた、計画された出来事である。

 メリーの夢は時空を超越する。中でも幻想郷との同期が最も強くなるのが、迷いの竹林を彷徨い藤原妹紅と遭遇する時のものだ。今から約800年ほど前の事よ。

 

 メリーとして存在していた時の記憶。AIBOから予め聞かされていた未来知識とその重要性。

 それらがあれば時期の特定は容易い。

 あの瞬間こそ、全てのターニングポイントであり、延々と巡る夢を破壊する唯一のチャンスだった。

 

 八雲紫は邪魔立てする妹紅を排除し、メリーを喰らう。それは一度身体に取り込むことで、自身の内にある物を無理矢理定着させる為の処置。

 

 自分の中にある宇佐見蓮子を、丸ごとマエリベリー・ハーンに移譲したのである。

 星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる能力。自身の境界を見失わず、導へと誘引する力。それら全て、丸ごと。

 

 蓮子を得たこの世界のメリーは、私の元になったメリーのように暴走する事なく、擬似的な八雲紫として、ただの人間の女の子として生涯を全うするのだろう。

 最愛の相方と、最期の時まで。

 

 

 そして蓮子──己の半身を失った紫は死亡する。

 

 

『貴女の事が憎らしい。羨ましくて、妬ましい。私が貴女であっても良かった筈』

 

『……ごめんね蓮子。私達の冒険、終わっちゃったわね』

 

 

 そう言い残し、彼女は消えた。

 残ったのは残骸と名前だけ。

 

 八雲紫はこの日、終わりを迎えた。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 で、私が生まれたってわけ!!! 

 

 空の器に芽生えた新たな心。それが私! ナウでヤングな八雲紫ですわ! つまるところ肉体年齢はともかくとして、私の実年齢は800歳くらいって事。

 私のことを耄碌したババアとか言ってた人達には即刻反省してもらいたい。

 

 いやーホント傍迷惑な話よね。

 あんな厄の塊みたいな事をしまくった挙句、私に丸投げだもの。もう少しなんというか、こう……手心というか!

 

 ちなみに記憶が戻った時、一番に抱いた感想だけど。

 

 誰が生めと頼んだ! 

 誰が造ってくれと願った……! 

 私は私を生んだ全てを恨む……! 

 

 という悲しきモンスターのようなものだった。

 絶対に許さねえですわ! 

 元ネタよろしく、私のやろうとしてる事は創造主への逆襲みたいものかもしれないしね。

 

 

 AIBOの目論見通り、八雲紫の自死によってループは決着した。

 ……結局、偉大なる八雲紫の真意は分からず終いであるため、何を思い、何を成す為に命を投げ出したのかは闇に葬り去られてしまったのかもしれない。

 

 記憶の全てが戻ったわけじゃないから、いずれ判明するかもだけど、どうせ大した理由ではないのだろう。世界を救うとか高尚なものじゃなくて、きっと自分本位な動機だ。

 

 ただ何はともあれ、これで世界の全てを巻き込んだ歪みは是正され、何も知らない間抜けな私が生き続ける限り幻想郷と秘封倶楽部は存続する。

 数多の犠牲と上に立つ愚者により世界は在るべき姿を取り戻したのだ!

 

 めでたしめでたし。

 

 

 そんな終わり、私は納得できない。

 八雲紫とAIBOの唯一の誤算。それは、私が生まれてきてしまった事。

 

 冷酷で何を考えてるのか分からない貴女(八雲紫)

 使命に縛られて過去を省みようとしない貴女(AIBO)

 成り行きで私に無いものを全て手に入れた挙句、私の半身ごと相方を引き離した貴女(メリー)。自分の弱さに咽び泣くだけだった貴女(メリー)

 どいつもこいつも嫌いよ。大嫌い。

 

 逆恨みだろうがどうだっていいの。

 私は私だ。私の心が、お前達の望んだ未来を否定してやれと叫んでいるから、それに従うだけ。

 

 

 

 私の身体はみんなの亡骸で出来ている。

 

 気が遠くなるほどの年月、ずっと昔の、それこそ消えていった時間も含めて、私は一体どれほどの犠牲の上に生きているのか。

 考えただけで身が竦む。生きていた頃の、知人たちの変わらない顔が思い浮かぶたび頭が割れそうだ。

 

 許せないのは、そう、ヘカちゃんとの問答まで彼女達のことを忘れていた事もよ。

 アレらが生きた証は、もはや私の心にしか残っていない。けれど私は自らの保身のためにそれらを忘却の闇に葬ろうとしていた。

 彼女達を忘れる事で自身の心を守っていた。思い出すと心が壊れてしまうから。

 

 本当に思い出せて良かった。

 私は鬱な物語が嫌いなの。ハッピーエンド以外は断固拒否ですわ。

 

 せめて私の手が届く限りの場所を救ってあげたい。私は、私が望んだ永遠を塗り替える。

 そうすればきっと、この世界とみんなに迎え入れられて、死ねる筈。

 

 

 所詮私は不純物ですわ。

 八雲紫ではなく、妖怪ですらない。この世に存在する筈のないバグそのもの。

 

 だから運命なんてものに縛られず、生物として当然の権利である死すら与えられない。

 資格がないから意味を持たない。心を実感できない。

 

 そんな私が作った幻想郷は紛い物だ。蓮子が望んでいたものには決して成り得ない。

 だって、私の中のメリーは死んでしまったから。旅の果てを見届ける筈だった蓮子が居なくなってしまったから。残ったのはただの悪夢でしかないわ。

 

 だから頑張るの。

 なるべく本来の幻想郷に近付けて、赦しを乞うの。

 

 その時になれば私はこの悪夢から覚めて、死という眠りにつく事ができる。全てが自己満足だ。

 ね、どこまでも自分本位でしょう? 

 

 私は、自分が救われたいからみんなの想いを無碍にするのだ。

 

 

 幻想郷に受け入れられなかった者の末路。それはそれは残酷な話ですわ。

*1
はたての念写

*2
幼女

*3
めっちゃ成長してて吃驚した






タイトルロゴがドーン!!!


かつての八雲紫について長々と語られていましたが、そもそもAIBOもゆかりんもかなり極端なものの見方をするので正確性については何とも言えないやつです

次回から最終章に入ります。上手くいけば今年中に完結となるやもしれません
評価、感想いただけると励みになります♡


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貴女と私の幻想郷
少女幻葬綺想曲


R5.8.21 設定集追加


 

 

「ああ可哀想な藍……。たった1人で大丈夫かしら、心配で心配で昼も眠れないわ。今頃私を恋しがって泣いてたらどうしましょう」

【──】

 

 

「力なら誰にも負けないだろうけど、まだまだ幼いし、変なもの食べてお腹壊したりしないかしら……」

【──】

 

 

「口先だけの反社妖怪に誑かされてヤクザの手下にでもなっちゃったらどうしましょう! 純粋なあの子だもの。とんでもないアウトローになる可能性だって……」

【──あのねぇ】

 

 遂に聞くに堪えなくなった。

 

【これで8901回目ですわ。いい加減踏ん切りを付けてちょうだい】

「でも心配なの。あの藍よ!? 私の事をふぇぇ〜ゆかりしゃまぁ〜とか舌足らずに呼んでた最可愛狐の藍! ああ心配だわ……ていうか寂しいっ!」

【その声真似は二度としないでくださる?】

 

 幻想郷どころか、日の本に統一国家が存在していないほど昔。八雲紫は中華内陸部、未開の荒野を漂っていた。

 時期としてはちょうど、藍を置いてけぼりにして数日後くらいの事だった。私の中の記録媒体が鮮明に当時を保存している。

 普段は力の節約のために裏に引っ込んでいるのだけれど、あまりにも表が騒がしいものだから我慢ならず苦言を呈したのだ。

 

 あの八雲紫も本当に五月蝿かった。

 

【そんなにソワソワして落ち着かないなら、こんな回りくどい事なんてしなきゃよかったのよ。正直なところ、あの別れ方は私も少々不安が残りますわ。今からでも迎えに行って式神にすればいい】

「いや、これは必要な事なのよ相棒! 藍には片時の空白もなく私の事を想ってくれる式神になってもらわなきゃならない。その為には有り得た可能性を全て断たなくちゃ」

【私には、寧ろ他の可能性を提示しているように見えるのだけど】

「その無限の中から私を選んでくれるならサイコーよ! まあ最悪、私と共に歩む道を選んでくれなくてもいいけどね。まだ見ぬ幻想郷を脅かす存在にならなければ、それで」

 

 同じ妖怪と話しているとは思えないほど、紫の緩急は凄まじかった。涙を流して唸ったかと思えば腹が捩れるほど面白そうに笑って、挙句にあの無機質な冷たい目。

 今だって、その身から漂う妖力に釣られ襲い掛かってくる妖達を一瞥する事なく、圧だけで粉微塵に吹き飛ばしている。

 

【まあ藍がどう転ぼうと、大元の問題さえ解決できるのなら私から言う事はないわ】

「ループを止めろって話でしょう? まあ気が向いたらやりますわ」

【ずっとそればかり。いつ動くのです?】

「分からないわ。明日かもしれないし、何万年先の話かもしれない。でもどうにかしようとは思ってるから安心しててちょうだいね!」

【安心できる材料が一切ない】

 

 それどころか懸念事項ばかりだった。なにせ力の差があり過ぎて私の制御を全く受け付けないのだから、心の中からの呼び掛けしかできない。

 そして当の八雲紫は私の願いを意に介す事なく訳の分からない遊びで時間を費やすばかり。今のところ私の言う事を聞いてくれたのは、藍になる九尾の狐との接触だけ。

 

 もし私に完全な心があったなら、憤懣で頭がおかしくなっていたかもしれない。

 

「まったく、相棒も素直じゃないわねぇ」

【何がです?】

「自分が本来存在する筈の無い不純物だからって理由で全ての関わりに一線を引いてるようだけど、フツーに勿体無いわ。蓮子にメリー、そして八雲紫。みんなが欲して止まなかっただろう経験をしてるのよ? 貴女は」

【私はそのどれでもないですわ。そしてただただ機械的に目的を達成するだけ】

「あー頑固頑固。じゃあさせめて藍には優しくしてあげない? 相棒もあの子には思うところがあるでしょうし。うんうんそれがいいわハイ決定!」

 

 横暴過ぎる。

 

【よりにもよって貴女が言うか】

「私は次また会えるか分からないもの。だけど相棒はきっと再び巡り会うから。その時こそ優しくしてあげてね。私の分まで」

 

 勝手な事ばかり。だけど確かに、藍の運命を狂わせたのは私に大元の原因がある。見透かしたような態度が私の中に不快として現れる。

 

 藍に早いうちにから接触して楔を打ち込んでおく。これは保険として必須だった。藍はこの後、数奇な運命を辿って再び八雲紫に出会うだろう。

 でもその時、藍が私の知る藍でなければ非常に厄介だ。憎悪と力に溺れて数多の国を滅ぼし、幻想郷に牙を剥く可能性だってある。畜生界に堕ちてそのまま戻らない、なんて事もあるかもしれない。

 

 だからあの子の中での八雲紫の存在を何よりも大きくする必要があった。

 

 頭の回路を過ぎるは、前の世界の藍。彼女を殺したのは()()()()()()()()()()()()()()だったけど、その争いの発生は私が生まれる上で必然だった。

 結局、藍は最後まで八雲紫の運命において、使い捨ての道具でしかない。

 

 それをどうにかしたいと紫が望んだのだとしても、頼む相手が私では本末転倒というもの。

 

【まあ、善処します】

 

 そうとしか答えられなかった。でも紫は満足げに頷いていたので、それで良かったのだろう。

 何を考えているか分からない、気味の悪い妖怪だ。

 

 

 だけどそんな紫も、今はもういない。

 この世界でもやはり親友になった幽々子が、徐々に弱って死に至るまで、しっかり看取ってから彼女は深く考え込むようになった。死を意識していたように思う。

 それからの紫は知らない。私を西行妖に縛り付けて、何処かへ消えてしまったから。亡霊となった幽々子が異変を起こした際、私に対応させる為だろう。

 

 そして次に目を覚ました時、彼女は既に別人になっていた。あの馬鹿で間抜けで浅ましくて考え無しの愚か者が新しい八雲紫だった。

 藍は相変わらず雁字搦めで、霊夢にもそれなりの危うさがある。当然ながら幻想郷そのものや、そこに住まう者達も酷い有様。

 

 私が負うべき役目は明白だった。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 八雲紫、乱心。

 

 その報は各勢力の長へと瞬く間に広がり、大きな動揺が生まれた。幻想郷を象徴する妖怪と言っても過言ではなかったあのスキマ妖怪が、まさかこうも突然に幻想郷へと牙を剥くなど誰が想像できただろうか。

 

 否、予見できた者は居た。

 だがそれらは全て排された。もはや八雲紫を止める事ができた者など、あの瞬間あの場所には存在しなかった。

 

 

「結論から申し上げると、八雲紫を欠いた幻想郷運営は不可能です。断言します」

 

 華扇の第一声が全てを要約していた。

 非常に不本意ながら概ねその通りである事は明白であったため、阿求は沈黙を貫いた。

 紫にこっぴどく叩きに叩かれた残る2人。はたてとてゐも首肯する。

 

 幻想郷を代表する賢者。顔触れと人数は変われど、意見が初めて総意で合致した瞬間だった。

 あまりの緊急事態に対立する暇が無いとも言える。

 

 紫が何を想い、何をしたくてこんな騒動を起こしたのか。そんなものは関係ない。

 奴無しでは幻想郷が回らないのなら、問答無用で連れ帰るしかないのだ。というより此処に居る全員が紫をブン殴りたくて仕方がない。

 

 なお、はたては全身をギブスと包帯で覆われた状態での参加である。

 同じ死地に居た筈なのに無傷なてゐとは大違い。どちらが正しいかは別として、上に立つ者としてのスタンスが対照的である様を如実に表していた。

 

 またそんなはたてに考慮し、臨時賢者会議の会場は永遠亭となっている。永琳は兎も角として、家主である輝夜は快く場所を提供してくれた。

 

「結界管理の点においては(華扇)や霊夢でも代わりは務まりますが、直ちに全権を掌握するのは難しい。ノウハウは全て八雲にありますからね」

「万が一の後継に橙を育てていたのは良いけど、それが幻想郷に仇なす側に行っちゃったんじゃ世話ないよ。……しかし生け捕りかぁ」

「どう考えても難しいよねぇ」

 

 直に八雲紫の勢力と相対したてゐとはたては、幻想郷ひいては八雲紫が生き残る為の道筋を思い浮かべ、その難しさに渋い顔を作る。

 なにせ手も足も出なかった。

 

 本人は一切手を下さず、その配下だけで完全壊滅に追い込まれた。

 這う這うの体で八雲紫の追跡から逃げ切った上白沢慧音からの情報では、あれでちっとも手札を見せていないのだというから驚きだ。

 

 妖怪の山でまだ戦えそうなメンバーといえば守矢神社くらいだろうが、どうやら片割れの神が紫に加担しているらしく、動揺が収まらないようだ。ついでにはたての切り札だった天子は、騒乱の最中に姿を消している。

 というより、生半可な戦力では相手にならない。無駄に数を積み上げたところで、犠牲が多くなるだけ。

 

「何とかして紫さん側の陣容を暴くことはできませんか。この先、推測で動くにはあまりにも危険過ぎる。紫さんとの対決に至る前に少しでも実態が掴めれば……」

「うーん、私の念写も空振ってばかりなんだよねぇ。紫の現視点を撮っても──ほらこの通り」

 

 手元のガラケーを無事な人差し指で操作しつつ、画面を一同に見えるよう掲げる。

 乱雑に塗り潰された闇の中、幾つかの妖しい光が浮かんでいる。幻想郷には無いタイプの明かりだ。しかしそれらも激しく歪んでしまっていた。

 見ていて気分の良いものではない。

 

 これが今、紫の見ている風景なのならば相当不安定な場所にいるのか、若しくは紫の精神状況が危ういのか。この二択である。

 

 何はともあれ、賢者達の知りたい情報はそこに無い。

 

「……やはり、手探りでいく他なさそうですね。何度跳ね返されようが、少しずつ全貌を解明していきましょう。幸いな事に、突入方法は確立されつつあるようですし」

「異議はないよ。で、誰が先陣を切る?」

「無論、私が出ます。というより私しか居ない」

 

 華扇の淡々とした、しかし揺るぎない決意混じりの言葉に一同は深く項垂れる。

 有力者の大多数が死亡、負傷、離反しているこの状況下において、最も適当な強さと立場を持っているのが、この茨木華扇だからだ。

 

 西行寺幽々子や伊吹萃香は紫と関係が深い分、手の内が割れている。レミリアは妹を人質に取られているらしいので全力を出せない可能性があった。

 強さだけなら八意永琳や、その監視対象である純狐がいるが、アレらを投入する勇気はない。

 

 と、阿求は思わず身を寄せる。

 

「我らが博麗の巫女はやる気ですよ」

「霊夢はトリよ。正直なところ、紫と真正面から戦える可能性があるのはあの子くらいしかいない。だから本番の前に捨て石になる役目が必要になる」

「しかし……!」

「幻想郷の賢者としての役目を全うするならば、私が一番効果的に死ねるのはこのタイミングです。八雲紫と事を構える以上、我々も相応の決意を示さなければなりません」

 

 紫に立ち向かえる程度の戦力、死んでもギリギリ許される立ち位置。

 これらを満たすのが華扇だ。それに彼女には紫にも知られていない奥の手が存在する。

 簡単にやられはしないという自負があった。

 

 

 

「てゐっ! ちょっと入るわよ!」

 

 ぼちぼち解散して、いざ華扇突入の準備を始めようかと各々腰を上げた瞬間だった。

 板間を踏み抜かんばかりの足音を立てて、扉を開け放つ兎が一匹。

 月の英雄こと鈴仙が慌しく現れる。そこそこ急いで来たのか、ブレザーの着こなしが崩れていた。

 

「うるさいなぁ。どうしたのよそんな慌てて」

「いやそれが、師匠から急いで伝えて来いって指示されたのよ。火急の用ってやつ?」

「天下のお師匠様が言うならその通りなんだろうねぇ。で、どういう用件よ」

「そ、それが……」

 

 ちらりと場の全員を一瞥する。

 

「霊夢がもう出発しちゃったらしいのよ。今から八雲紫と1人で戦うんだって。いや、偽八雲紫って奴もいるんだっけ? よく知らないけど」

「は?」

 

 目を丸くした一同に内心ギョッとしつつ、鈴仙は更に言葉を紡ぐ。

 

「八雲紫が待ち構える世界へのゲートが開けたからって、みんなの制止も聞かずに飛び込んじゃった。で、肝心のゲートは1人用だから役目を終えて消滅……」

「それを早よ言えバカ!」

「ちょ、痛いわね!」

「あんの馬鹿者……!」

「ぎゃんっ!」

 

 てゐに尻を蹴っ飛ばされた挙句、慌ただしく駆け出した華扇に突き飛ばされて廊下を何度も転がる羽目になった。理不尽。

 自分よりも重傷なはたてに「大丈夫?」と手を差し伸べて貰えたことだけが救いである。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 膨大に積み上がる境界の残骸を、躊躇なく踏み付け更に先へと進んでいく。

 赤紫に発光する不気味な空間が延々と続いている。

 

 目的地までは途方もない距離のように思えるけれど、紫へと辿り着くために肝心となる部分はそこではない。大切なのは見失わない事だ。

 擬きが導きになる限り、迷う事はない。

 

「挨拶はしなくて良かったの? 今生の別れになるかもしれないのに」

「いいのよ。誰に言ったところで止められるだけだもん。時間の無駄よ」

「実際、魔理沙には止められていたものね。無理やり押し通っていたけども」

「怪我人に止められるようじゃ紫には勝てない」

 

 あらそう、と。

 擬きはくすくすと笑みを溢した。

 

 自分の巫女袖を掴んで、必死に留めようとしていた親友の姿が思い起こされる。魔理沙だけではない、早苗やあうんにも遠回しに諌められた。

 彼女らの言う事は間違いなく合理的だった。

 

 現在、紫の待つ世界と幻想郷を繋ぐゲートは一つだけしか開通していない。

 複数用意できるのなら選りすぐりで突入しても良かったけれど、そうはならなかった。故に単身乗り込む事にしたのだ。

 

 特別な境界の上に立つ空間を目指すにあたり、必要となるものは大きく二つある。

 

 一つが、紫と強い因縁を持つオブジェクト。

 現世との交わりを強固な境界で閉ざしているため、八雲紫に連なるモノ以外では通行が不可能となっている。故に繋がりが必要なのだ。

 当然ながら紫は既に対策を施していたようで、幻想郷からは紫に関連する物がほぼ消え失せていた。八雲邸を消滅させてしまったのもそれが狙いだろう。

 

 更にもう一つが、境界に風穴を開ける能力を持った強大な存在。

 隔絶された別個の世界を目指すのだから、生半可な空間操作能力では辿り着けない。

 それこそ、世界の概念を改変してしまえるほどの技量力量が求められる。

 さとりとドレミーが潰されてしまった結果、それに該当する人物はもう殆どいない。

 

 これらが揃ってようやく1人だけ、八雲紫への挑戦権が与えられるのだ。面倒な話である。

 今回、その二つは擬きが該当する。

 

「アンタは私を止めなくてよかったの?」

「何故? 貴女が望んだ事でしょう」

「……それなりに無謀な事をしている自覚があるわ。魔理沙達のが正しい。犬死になんてアンタが一番唾棄してそうな事だと思うんだけど」

「意外と私を見てくれてたのね。嬉しいわ」

「いつまた殺し合うか分からないもの」

 

 そうぶっきらぼうに言い放つとそっぽを向いてしまったけれど、物騒な繋がりでさえ今は貴重だ。

 擬きは微笑むと、ゆっくり頷く。

 

「博麗霊夢の選択は全てが正解なのです。これ以上私から口を挟む事はありません」

「そう」

「思えば私の選択は間違いばかり。目的に囚われるあまり色々なものを蔑ろにしてきました。今の状況はその報いなのでしょう」

「巻き込まれる身としては堪ったもんじゃないわ。全部終わったら各方面に謝っときなさい」

「ダメよ。心が篭ってないもの」

 

 霊夢は何も言わなかった。

 心の有無なんて興味はないけれど、そんな状態であれほどの強い執着を全面に出せるものなのかと少し不思議に思っただけだ。

 

 いや、自分自身分かっていないだけか。

 

「そうだ。蔑ろといえば、幽々子が異変を起こした時! 私達に喧嘩を吹っかけてきたでしょ? あれはどういう魂胆だったのよ」

「訓練以外の何物でもないわ。……本当はね、あの時の僅かな時間を使って菫子を消そうと思ってたの。でもできなかった。力が足りなかったから」

「で、暇になったと」

「笑止。大忙しよ。貴女達3人と藍に楔を打たなきゃならなかったし、幽々子やアリスに攻撃されないよう説明に時間を費やす必要があったもの。私は寧ろ被害者ですわ」

「アンタねぇ……」

「結局藍は上手くいかずに八雲紫の因果に絡め取られてしまったわね。でも貴女達3人については、役に立ったでしょ? 特に霊夢」

「不本意だけど」

 

 あのクソッタレな時間が無ければ、きっと夢想封印の真価を発揮する事はできなかっただろう。できたにしても相当な期間を要した筈。

 あの奇妙な覚醒と、萃香に敗北したほろ苦い経験が博麗霊夢を何倍も強くした。

 それら全てが擬きの計画による産物ならば大したものだ。まるで霊夢が強くなる道筋を予め知っていたかのような動きだった。

 

 幼い姿も相まってどこかしたり顔に見えるのが癪に障るが、世話になったのは事実。

 お祓い棒の一撃で勘弁してあげた。

 

 擬きと話す時は大抵ペースを崩されてしまうので若干苦手意識があるのかもしれない。ポンコツ妖怪メリーの姿をしてるのも本調子になれない理由の一つか。

 

 

 と、徐に擬きが立ち止まる。

 境界の質が一気に変化したのは霊夢も知るところであり、ここが例の目的地かと得心する。なるほど、あの馬鹿が根城にするにはお似合いだろう。

 

 擬きの手振りと共に空間が砕け、景色が塗り変わっていく。墨汁が和紙に垂らされて拡がっていくように、ジクジクと夜が降りてくる。

 此処が終着点か。

 

 霊夢には見覚えがあった。

 

「何処かと思えば、アンタと戦り合った場所じゃない。確か外の世界を模したっていう」

「そうね。私の時のものは、この世界をそのままコピーした模造品よ」

 

 漆黒の大地からはいくつもの長方形の建物が生え出ており、切り取られた穴から溢れるネオンの光が闇を切り裂き、擬似的な昼を演出していた。

 連なる山々のような摩天楼が2人を威圧するように堂々と聳え立つ。

 

 紫色の夜空に欠けた爛々の月が浮んでいる。

 

「八雲紫が生み出した境界と境界の狭間。夢幻にも満たない、空想のなり損ない。このアスファルトも、ビルも、全て虚構が見せる醜い幻ですわ」

「アンタも紫も、外の世界に憧れでもあったの?」

「いいえ。憧れではなく喪失感が生んだものでしょうね。八雲紫そのものと言ってもいいこの世界は、取り戻したかった物で溢れている」

「……」

 

 霊夢にとっては面白くない話だったらしい。

 顰めっ面なまま、袖から取り出した札を四方へばら撒き結界解除の準備に入る。

 此処が紫を幻想郷から引き離す理由の一つならば、破壊してやろうという荒療治。擬きは決して良い顔をしなかったけれども、それはそれで有りだと判断した。

 

 どんな結界も軽い動作で破壊してしまう霊夢の得意とする技術。

 博麗の巫女相伝のインチキ技である。

 

「確かに境界に風穴を開けてしまえば幾らか楽になりそうね。手伝いますわ」

「別にいいわ。いつ紫が出てくるか分かんないから見張りでもしててちょうだい」

「感知網を広げているから大丈夫よ。境界の揺らぎを感じればすぐに備える」

 

 霊夢の結界を即座に補強し、幻想を繋ぐ楔へと昇華させる。手慣れたような早技だった。

 なるほど、これは体験済みらしい。

 

 あとはこのまま霊力を注ぎ込み続けて、力任せに貫通させてしまえば完了だ。

 

「……アンタ、未来の世界から来たんだっけ」

「過去とも言えるかもしれないわね」

「細かい事はいいわ。まさかとは思うけど、そっちの私と仲が良かったりしたの?」

「それは無いわね。寧ろ憎まれていたと思うわ」

「どうせ余計な事をしたんでしょ」

「そうねぇ。余計では無かったと信じたいけれど」

 

 正直なところ、未来の話になんて興味はない。何を知ったところで博麗霊夢を縛る鎖とはなり得ないから。

 気になったのは別の部分。

 

 擬きの結界技術は紫のものと瓜二つだった。

 永夜異変の際、協力して発動した夢符『二重結界』と同じ感覚だ。技量や力、癖は全く異なっていても、術式構築に至る合わせ方がほぼ同質。

 

 きっと擬きは擬きで、違う博麗霊夢と同じような経験をしたに違いあるまい。

 憎しみ合っている者達では実現不可能な連携。だから気になったのだ。

 

「これまでアンタが何をしてきたのか、全ては知らないけど、今回の一件が終わったら素直になればいいと思うわ。そうすれば少しは生きやすくなるわよ」

「貴女に言われちゃお終いね」

「うるさい」

「所詮、私は縛りに雁字搦めにされた出来損ないの式神。力無き今、八雲紫に寸分も満たない無象。それでも貴女達の世界で生きていけると思う?」

「幻想郷は全てを受け入れるのよ」

 

 その言葉はほんの意趣返し。

 だけども全ての問題を悉く解決してきた紫直伝の魔法の言葉である。

 

 霊夢からそんな事を言われるとは流石に予想していなかったのか、擬きは嬉しそうに笑みを溢した。

 

「……その言葉はね、他ならぬ八雲紫が最も欲してやまなかったものなのよ」

「そうなの?」

「私達はいつも大物そうに偉ぶってるけど、本当は酷く小心者で内心はいつも穏やかではない。不穏分子を放って置くことも出来ないし、自らが動くのも怖くて出来ない、って奴なの。貴女の知る紫が最も顕著ね」

 

 自らを卑下して敢えて厳しい言葉を並べているのだろうか。いまいち点と点が結び付かない。

 

「全ては不安を誤魔化すための逃避行動だったのかもしれないわね。幻想郷を作ろうとしたのも不安の裏返しで、本当は自分を受け入れてくれて、好き放題できる場所が欲しかっただけ。どこまでも自分勝手な妖怪だからねぇ」

「まあ、それで救われてる連中がいるなら悪いことではないんじゃない? 妙な事を始めたらこうしてぶっ飛ばせばいいだけだし!」

「ええその通り」

 

 霊夢の脳裏に浮かんだのは、全員が種族も思想も異なる身勝手な連中。

 紫の事を好いてる奴もいれば嫌ってる奴もいるけれど、幻想郷が極上の止まり木として作用しているのはやはり紫の性根が独特な居心地を作り出しているからだろう。

 

 それが意図せずして得られた奇貨だとしても、紫の頑張りを否定する理由にはならない。

 全てを受け入れるとは頗る難しく、並大抵の決意では実現し得ない奇跡である。

 

 次はその奇跡を自分に使って欲しかった。

 

「アンタも紫も、隠れて自分だけで物事を完結させるんじゃなくて、もっと幻想郷を信じて縋ってみればいい。そうすればきっと──」

 

「ありがとう霊夢」

 

 これはきっと本心からの言葉。

 赦しを得て、自覚に至る。

 

「それだけ聞ければ、もう十分よ」

「……」

 

 

 

 境界が揺らいだ。予兆はなかった。

 

 先手を取られた完璧な奇襲。しかし霊夢と擬きに抜かりはなく、完成間近であった結界を破棄し頭上から降り注ぐ光弾の群れを回避する。

 付随する異能は自我消失。掠りでもすれば心を失い、世界に取り込まれていただろう。

 

 容赦無しの一撃だったわけだが、惨めったらしく生半可な反撃をされるよりは幾分マシか。

 遥か頭上のヒビ割れ、その先を睥睨する。亀裂が空いっぱいに広がり、八雲紫が降りてくる。霊夢達の正面、ビルの屋上へと降り立ち、転落防止用の柵に腰掛ける。

 

 続いて世界が歪み、アスファルトを砕いて像を為す。虚無から出でし八雲紫の一部達。封獣ぬえと洩矢諏訪子が、それぞれの得物と殺気を侵入者へと差し向けた。

 幻想郷の外を見たことがない霊夢でも知っている。遥か太古から語り継がれてきた正体不明の妖怪と、日の本最大にして最強の土着神。

 やはり自分の勘は良く当たる、と。一筋縄ではいかない事を再確認した。

 

 だがそれでも、霊夢は紫から目を離さない。

 

「他所様の思い出の街に穴を開けようだなんて、随分と無粋な真似だと思わない?」

「ご生憎、親の教育が悪かったからね」

「ふふ、それを言われると返す言葉もないわねぇ」

 

 扇子で口元を隠しつつ、鈴を転がすように笑う。

 だが目が笑っていない。

 

「で、橙からの忠告を振り切ってまで此処に来たという事は──貴女達もこの醜い悪夢と共に虚無へと還りたい、って事でいいのよね?」

「違うわね。アンタにはその悪夢とやらで、これからもとことん踠き苦しんでもらうわ」

「なら消えるしかないわね悪夢、もとい霊夢。残念よ……手塩にかけて育てた巫女を私達の手で葬らなきゃならないなんて。悲しい、本当に悲しいわ」

 

 心にも無い事だ。

 流す涙は偽りに満ちている。滑稽だ。

 

「欺瞞」

 

 何の意味も持たない拙い三文芝居に笑いを抑えられなくなったのは、擬き。さも面白いものを見たかのように口端を吊り上げている。

 

「これが最後だと決めているなら、最後くらい心のまま素で話してみたらどうです? こんな時まで自分を守りたいが為にかつての自分を真似なくてもいいでしょうに」

「あら言ってくれますわね」

「当然ですわ。私は最初から貴女の破綻した内面を知っているんですもの。今だってそう、貴女の願いは多くの矛盾を孕み収拾がつかなくなっている」

「ふむ……」

 

「あの時、貴女が『八雲霊夢』を認めなかった理由。それは自分との繋がりをこれ以上密接にしたくなかった、その無意識の表れですわ」

「擬き、どういう事?」

「ただの答え合わせですわ」

 

 これが霊夢に対する自分からの手向けになる。

 どう活用し、未来を掴み取っていくかは霊夢次第。無責任でも、自分にできるのはそれだけだ。

 

「親子の契りなんて結んでしまえば紫と霊夢の境界は限りなく薄くなってしまう。そうなれば──貴女は八雲紫に抗う資格を失う事になったでしょう」

「……」

「藍や、そこの2人のように、八雲紫の一部となっていたと言えば分かりやすいかしら? それを避けたくて、霊夢を敢えて突き放す必要があった。違って?」

「憶測でモノを言うのは勝手ですわ」

 

 紫は否定も肯定もしない。ただ突き放しただけ。

 話の流れが読めず、霊夢どころか召喚されたぬえと諏訪子まで、真意を探るように2人の八雲紫を見る。

 

(擬き)貴女(抜け殻)は正反対ではあるけれど、紛い物同士という点で理解できる面もあるわ。もはや自身の意思に依るものか、それとも器が望んだ事なのか。酷く曖昧であっても、貴女が霊夢に求めるのは些細な願い」

「……」

「それは──」

 

 

「藍」

 

 

 紫の声が宙に溶ける。その時点で、既に事は完遂されていた。一手遅れの致命傷。

 霊夢ですら微塵も反応できなかった。紫同士の対談に見入っていたのは確かだが、それでも警戒は緩めず、僅かな揺らぎにも注意を割いていた。

 だがあの式神は、意識の空白すら必要とせずに割って入ってきたのだ。

 

 胸へ手刀による抜き手、一突き。

 もはや力など微塵も残していない擬きの術式を、完全消滅させるに足る一撃だった。

 やはり擬きも反応できていなかったようで、表情は驚きに満ちていた。しかし状況を把握するにつれ、強張りが緩み、目尻が下がる。

 

「──因果応報とは、まさにこの事かしら。他でもない貴女が私を殺してくれるなんて」

「事情は聞き及んでおります」

「ふふ、その優しさ、やっぱり貴女は式神失格よ。八雲紫に近付くのは、もうこれで最後になさい」

「それは……難しゅうございます」

 

 霊夢の放つ弾幕が到達するより早く藍は跳躍し、変わらない態度で場を見下ろす紫の傍らへと降り立つ。それが藍の答えだった。

 主従共に八雲紫を騙った者の末路を見届けていた。藍は涙を湛えた目を伏せて、逆に紫は嬉々として食い入るように。

 

「擬き! ……あんた、死ぬの?」

「元々存在しなかった式神が、改めて無に帰すだけの話。大した損失ではないわ」

「違うそんな事聞いてない」

 

 ただでさえ不安定だった身体が遂に形を保てなくなっている。かつて戦った時の、何をしても効いていないような不気味さは無い。滅びゆくただの式神。

 擬き自体が、そもそも存在できているだけでも奇跡のような産物なのだ。当の本人も、ようやく来るべくして終わりが来た、という感想しかない。

 

 陰りの無い温和な笑顔を浮かべる。

 

「あっちが畜生の理に身を委ねた以上、この問答はひとまず私の勝ちよ。後は他ならぬ貴女(霊夢)が、その手で八雲紫を討滅できれば……全て解決する」

「なんで、私なの?」

「前の幻想郷で──私の元となった八雲紫の死因を作ったのが博麗霊夢だったから。貴女にも紫同様、強固な因果が纏わりついているわ。どんな終わりも受け付けない難儀な体質も、貴女なら打破できる可能性がある」

 

「殺さない」

「それが彼女の望みでも?」

「いやよ、絶対に嫌」

 

 ようやく示された明確なビジョンを霊夢は切って捨てた。因縁だとか、八雲紫の想いだとか、そんな重圧を受け取るのは真っ平御免である。

 霊夢の望みはもっと軽くて俗なものだ。

 

 霊夢は膝をつくと、崩れゆく擬きの手を掴む。

 

「誰があんたらの言う通りに動いてやるもんか。私は楽園の巫女、博麗霊夢。どうあっても幻想郷は守る! そして人間も妖怪も、(アイツ)も。軽々しく死なせやしない」

「……」

「だからアンタも、死ぬな紫」

 

 擬きは首を横に振った。

 それは違う。一言一句間違っている。そもそも自分は生命体ではないのだから、この身に訪れるのは死ではなく、況してや八雲紫でもなし。贅沢過ぎる。

 

 だが博麗霊夢がそう言ってくれるのなら、間違えているのは此方の方なのかもしれない。

 

 死への憧れ、幻想。

 それらを抱いた事が無いかと言えばきっと嘘になる。だがその意味を最後まで理解しきれなかった自分に資格はないのだろう。

 ただそれでも、憧れるだけでも許してくれるなら、それは何よりの安らぎになる。

 

 擬きには十分過ぎる手向けだった。

 

「霊夢。だから貴女じゃないとダメなのよ」

 

 溶ける視界はもはや像すら結ばず、闇の中に紅白を残すのみ。だがそれもやがては消え去った。

 

 自分に死後というものは無い。虚無に消えゆくだけの存在しない者。

 だけどもし、何かの間違いで、同じく虚無に消えた『みんな』がその先に居るのだとしたら。

 記録の中だけでなく実際に一度くらいは会ってみたいものだ。

 

 その限りなく薄い微かな希望が、自分の過ぎたる想いを肯定してくれるのだから。

 

 

 

 

「やっぱり、AIBOには敵わないわね。最後までしてやられたわ。けどこれが式神の限界」

 

 どこか感慨深げに呟く。

 

「幽々子が暴走した時やヘカーティアとの戦いに余計な力を使ってさえいなければ、こんなところで消える事はなかったでしょうに」

「そしたら私ももっと早く目覚められたのに、とことん邪魔してくれた! そのくせしてヤケに大人しく消えちゃうし、拍子抜けだわ」

「そう言わないの。自らに書き込まれた使命に妄執するしかなかった彼女にはそれしか道が無かったの。生き残ってさえいれば違うビジョンも得られたかもしれないけど」

「あはは、しかしそうはならなかった。それでこの話は終いだがな!」

 

 結局話の流れをいまいち掴めなかったのだろう、ぬえが飽き飽きしながら言い放ち、それをやんわりと、しかし明るい口調で紫が諌める。

 一方で残された者達の反応は様々だ。

 

 藍は振袖を顔に当て、さめざめと泣いていた。溢れ出る涙は止め時を失っている。

 諏訪子は自分なりに大体の事情を察した上で、先程まで其処に居た筈の存在に思いを馳せた。感じ入るものがあったのだろう。

 そして、霊夢は──。

 

「さて……あっという間に1人になってしまったわね。貴女は昔から単独行動を好んでいたけれど、果たしてこの状況に至っても同じ事を言えるかしら?」

 

 弛緩した空気が一気に張り詰める。

 紫の意思と共にぬえと諏訪子が臨戦態勢を整え、藍が本丸を守るように一歩前に進み出る。

 世界の頂点に立つ者が同時に3人、半包囲の状態から霊夢へと混じり気無しの純然たる殺意を向ける。戦う前から死を確定させんばかりの容赦無い威嚇行為。

 

「頼もしい『私』はもういない。お友達はみんな蚊帳の外。──だから日々忠告していたのよ? 独りでは何事にも限界がある、だから仲間を頼りなさいって」

「昨日も言ってたわね」

「あらそうだったかしら。でもそういう事。最後まで私の言う事を聞いてくれなくて悲しいわ」

 

 決別には十分な言葉だった。

 諏訪子が鉄の輪を投擲せんと身を捩り、ぬえが三叉槍を振り翳す。だがそれらが放たれるよりも僅かに早く、霊夢の顔が綻ぶ。

 絶望はカケラも存在しなかった。

 

「独りじゃないわよ」

「ふふ、強がりは何の意味も持たないわ」

「違う。独りじゃないのはアンタよ、紫」

 

 

 純白の巫女袖が空を薙いだ。

 流麗な舞が如く、靡く。

 

「幻想郷にはね、アンタを独りにさせるのが我慢ならない奴らが沢山いるの。理解できないけど」

「……」

「その中の1人が私ってだけ、よっ!」

 

 何の前触れなく身体を揺らし、空を切る不自然な音が響く。存在しない者による存在しなかった筈の一閃。それが空振って本来の形を取り戻しただけだ。

 

 そして霊夢は間髪を容れず自分が居た虚空へと手を伸ばし、無を掴み、倒れるまま力任せに地面へと叩き付けた。

 

「ぎゃんっ!」

 

 可愛らしい叫び声とアスファルトの破砕音が入り混じる。道路が陥没したことで両サイドの建造物がみるみる傾き、そのまま倒壊した。

 粉塵噴き上がり、爆心地の中心には背中を強か打ちつけ悶える少女の姿がある。

 

 古明地こいし。その手には数多の大妖怪、そして姉を重篤に追いやった包丁が握られていた。

 一突きでも成功していれば意識が霧散し、霊夢は戦闘不能に陥っていただろう。

 

「ぐえー! いったぁーい!」

「あっはははは! 惨めだなこいし!」

「っと、笑ってる場合じゃないよ」

 

 霊夢の行動は早かった。

 振り向きざまに反対方向の諏訪子に向けて封魔針を投擲して横槍を阻害。その間にぬえへと迫り、横薙ぎにお祓い棒を振るう。

 ぬえとて大妖怪としての驕りと余裕はあれど、油断は一切ない。霊夢の機動力に若干驚きはしつつも動きは見切った。三叉槍で棒を絡め取り痛烈なカウンターを仕掛けてやろうと、万全に待ち構える。

 

 噴き上がる鮮血とともに、ぬえの視線が真上を向いた。天地がひっくり返った。

 これには然しものぬえも自らの身に起きている事態を把握するのに数瞬の時を要した。

 灼けつくような痛み。どこを斬られた? 

 首だ。切先が首を掠めたのだ。あと拳一個分でも深く斬られていれば完全に切断されていたかもしれない。

 莫大な霊力を纏う一撃がぬえの三叉槍を破壊し、肉を抉っていた。

 

 当然、追撃を座して見守る手心は必要ない。これ以上の勝手を阻止すべく、諏訪子の練り上げた呪がミシャグジの成れの果てとなる触手を象り、倒れ伏すこいしとぬえを諸共吹き飛ばす規模の攻撃で圧殺せんと迫る。

 彼女らに互いを思い遣る博愛精神など無く、あるのは統一された機械的な意思だけだ。

 

「祟り神『赤口さま』」

 

 同輩2人の居た場所が粉微塵に吹き飛び骨肉の砕け散る音がしたのとほぼ同時、途端に眼前を埋め尽くした御札群が妖しく発光する。死角から放たれたゼロ距離の奇襲。

 即座に紫から送られてきた情報で亜空穴による回避が状況に該当したが、もはや手遅れだった。

 

「夢符『封魔陣』」

 

 祝詞を詠む必要すらない。

 荒れ狂う霊力に晒された諏訪子は充填していた呪を霧散させ、衝撃そのままに成す術なくビル壁へと突っ込んだ。都合良く紫の陣取るビルの真下である。

 

 その場所も既に射程範囲である事を示すアクションとしては十分過ぎる。包囲は壊滅。頼りになる自分の一部達を歯牙にかけず、霊夢はただ歩みを進める。

 

 蛮勇と同じく、天性の勘、そして戦闘センス、全てがここに極まれり。霊夢の頭は過去最高に冴え渡っていた。

 これが八雲紫が信じた最強の姿。生半可な対応では止めることすら能わない。

 

 

「私にはアンタの苦しみの正体が分からない。何に絶望してるのかすらね」

 

 答えはなかった。顔から笑みが消えている。

 

「本当ならそれを取っ払って楽にしてあげたいけど……ごめんね。紫に手が届くのなら、どうしても諦めきれないの。だからこれからも苦しんでもらわなきゃならない」

 

「酷な話ですこと。望んでもいない幻想へと誘い、私に覚めない悪夢を永遠と彷徨い続けろと?」

 

 愚問だ。

 

 

「それがアンタの帰る場所(幻想郷)よ! 八雲紫ッ!」

 

 

 

 




AIBOへの鎮魂歌

最新作にて藍様が畜で生な時代があった事が判明しましたが、幻マジでも同じような出来事は起きています。しかし予め紫が介入してるので式神化は確定路線です。同盟長涙目。
藍様の過去や飯綱丸様の件もそうですが、後の世に影響を齎しそうな事は全部「八雲紫が手を打っていた」で強引に排除してしまう荒業。最新作で今後新しく幻想郷の賢者が判明しても多分消されてます。


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八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)

別称:ユカニウム


 

 

 誰かが息を呑む音がする。

 静寂を破り声を発する事ができない。

 

 この世界では無い何処かの隔てられた場所で繰り広げられる美技の応酬は、感性の肥え太っていた幻想郷の修羅人達をして余りに刺激が強過ぎたのだ。

 

 一瞬でも目を瞑ればその間に状況は二転三転し、下手すれば決着となってしまうかもしれない死闘。見逃す訳にはいかず、食い入るように画面を一心不乱に見つめる。

 これが頂上の戦いなのだろう。

 

 

 そこまで大きくない博麗神社の境内は、古参から新参まで分け隔てなく集まった人妖に埋め尽くされ、過密状態になっている。その盛況たるや、つい先程まであうんが必死に並びを整理していたほどだ。ほんの些細な衝突で此方まで殺し合いが起きては堪ったものではない。

 

 その場の全員が見ていたのは、博麗神社のお賽銭箱──ではなく、その上に据え置かれた三枚の水晶である。

 吸血鬼異変や『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』で使用されたパチュリーお手製の魔道具であり、最も鑑賞し易いアングルでの中継を半自動で多角的に行ってくれる優れものだ。

 もっとも、境界の隔りによって通常での中継は不可能だったが、そこは念写を得意とするはたての協力により実現する運びとなった。

 

「……これ、勝ってるん、ですよね?」

 

 静寂を破ったのは、この中で最も戦闘経験が少ないだろう早苗。彼女の視点からすれば、まさに霊夢は圧倒的だった。多人数の強者に囲まれても、それをものともせず跳ね返し、さらに躍動する。

 流れは完全に霊夢のものだった。

 しかし周りの雰囲気は弛緩する事なく緊張感を保っている。だから、もしや状況は思わしくないのかと不安になったのだ。

 

 答えたのは、意外にも小傘だった。

 

「みんな吃驚してるみたいだね。紫さんが妙な事をしてるのもそうだけど、一番はやっぱり霊夢さんの強さ。あれは尋常じゃないよ」

「あの人はいつだって常識で測れるような人じゃないですし……」

「そうなんだけど、今日のはなんか、こう……なんか違う気がする!」

 

「霊夢が強いのは当たり前。それはみんな分かってる。だけどまさかここまで圧倒的な力を出してくるとは思ってなかったんだろうよ。しかもアレでまだ本気じゃないな」

 

 知ったような口をきくのは魔理沙。

 後方親友面をするだけあって、霊夢の真価を誰よりも近い領域で感じていたからこその余裕だった。

 だが、分かっていたとはいえ、いざ目の当たりにすると圧倒されてしまうのは他の皆と同じだ。動きのキレや、霊力の規模が普段とはまるで別人である。

 まるで後ろに目が付いているのかと疑ってしまうほどに、霊夢は戦場の全体図を把握しているようだった。

 

 博麗霊夢とはここまでの領域だったのか? 

 今もまた、ビルの間を疾駆しながら的確に敵を分断して叩きのめしていく様を見てつくづく思う。あれだけの存在を相手に多人数で囲まれたにも関わらず、霊夢の舞は止まらない。

 

「思えば霊夢が最後に真面目に戦ったのなんて数年前だしな。それだけの期間があれば地力は格段に上がってるだろうし、運が良いことに今日は霊夢にとってベストコンディションだ。マイペースなあいつには珍しい」

「えっと、いつ以来の状態なんです?」

「永琳との戦い……そうだな、お前(早苗)がやって来る一年前の異変だぜ」

 

 苦々しい思い出と共に呟く。なお当の永琳もこの場におり、話も聞いているのだが、大して気にした様子もなく興味深げに画面に見入っている。

 

「なら霊夢さんは勝てるんですね!? それでお師匠様も、諏訪子様も! みんな連れ戻して……」

「そう上手く事が運べば良いんだけどな」

 

 一応だが、この場にいる者全員が霊夢の勝利を、紫の敗北を願っている。紫の利己的な目的など到底許せるものではない。

 それに紫が使役している者達の安否もある。命蓮寺の面々や地底妖怪、そして他ならぬ早苗と神奈子が。消えてしまった筈の家族の帰還を願う。

 

 と、この決して悪くない筈の展開に対し、我慢ならない様子で地団駄を踏む者がいた。

 レミリアである。発生した地響きにより、観戦に集中していた者達から非難の視線を向けられるも当人はどこ吹く風といった態度で身体を揺すっている。苛々は増していくばかりだった。

 

「ええい何をしているの霊夢! 悠長に戦っている場合じゃないでしょうに……!」

「どうされましたかお嬢様」

「どうしたも何も、あの巫女、力を温存して機を探ってるのよ。勝手に独りで乗り込んだくせして日和るなんて信じられないわ。不甲斐ない。やはり私が一番に行くべきだった!」

「行っても殺されるだけよレミィ」

 

 穀潰しの要らない一言で更に不機嫌になっていく。緊張感の無い連中である。

 だがレミリアの指摘はある意味で的を射ていた。これが今の戦況を楽観視できない理由。

 

 ぬえ、こいし、諏訪子。いずれも死力を尽くさねば勝ちの目を掴むことすらできない強敵であるのは間違いない。異変の黒幕を務めても違和感のないような存在共だ。

 それを相手取れている霊夢は確かに凄まじい。

 

 しかし、親玉はあくまで紫。幻想郷最強と謳われる妖怪が最後に控えている。あの3人との戦闘で力を浪費してしまうのは下策。

 更に言うなれば紫擬きを葬って以降、藍の動きが一切ない。主従揃って、霊夢の足掻きを他人事のように観察しているのだ。紫側が余りにも大人し過ぎる。

 

 間違いなく何かまだ隠し玉がある。

 霊夢もそれを警戒しているからこそ、半ば様子見しているのだろう。

 だが時は決して霊夢に味方しない。宇佐見菫子との同化は今も進行しているのだから。

 

「古明地! まだ新しいゲートは開通しないの!?」

「無茶言わないでください。何もかもが足りていない状態なんですから」

「早くしないと間に合わなくなる!」

 

 レミリアの焦燥が、霊夢の敗北──ひいては幻想郷の終焉を指しているのは言うまでもなかった。良からぬ運命が迫ってきているのは明白である。

 

 当然、霊夢を助ける増援が必要だ。

 そのためにさとりや幻想郷の賢者達、さらにパチュリーに咲夜、永琳に神子など、専門の知識を有した者達で戦場に繋がるゲート開通に向けて、戦況を確認しつつ試行錯誤を重ねていた。

 しかし『無』からではキッカケすら掴めない。

 

 紫擬きが言い残した、境界を越えるために必要となる二つの要素。

 八雲紫と縁深き物──八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)

 そして概念改変に片足を突っ込むレベルの空間操作能力。

 そのどちらともが足りていないのだ。後者についてはまだやりようがあるのだが、問題は前者である。

 

「いまナズーリンに『八雲紫と縁のある物』を捜索させてますが、もう暫く時間が掛かると思います。もはや幻想郷にそれらは殆ど遺されていないようですので」

「紫と一緒に作った酒饅頭も、繋がりとしてはちょっと弱いみたいで残念だわ〜」

「幽々子様、だからっていま食べなくても……」

 

 八雲紫に関係しているのだとしても、基準に満たない程度の物ではダメだ。

 紫が手塩にかけて作った酒饅頭や、はたてが密かに集めていた紫の秘蔵盗撮写真でも、異界との間にある境界を破壊するには心許ない。

 常日頃から身に付けていた物、本人が大切にしていた物などがあれば話が早いのだが、そうはいかない。

 

 紫擬きが看破した境界の特性を、他ならぬ八雲紫が見過ごす筈はなく、幻想郷を離れる前に徹底的に対策を施していたようだ。おかげで幻想郷からは紫のいた痕跡が悉く消え失せている。

 残っていたのは精々消耗品かガラクタくらいだろうか。八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)は希少なのだ。

 

「まあ、あの紫がそんなあからさまなミスをする訳もないよな。やっぱり一からルートを開拓するしかないか。でもそれじゃ時間が……」

「待って魔理沙、そう判断するのは早計だわ。この一連の動きが入念に練られた計画的なものであったとしても、絶対に何か見落としがある筈よ」

「でも紫だぜ?」

「紫だからこそよ」

 

 アリスの言葉に強く頷いたのはさとり。彼女らがユカリンオブジェクト探しに奔走するのは、言い換えれば紫の粗探しである。

 あの八雲紫が考えた計画に粗が無い筈がないのだ。

 

 それに月から帰還した後の紫の行動は、はたての念写で逐一監視されている。その全てを改めて見返してみれば、かなり突貫的な準備だったのは明白だ。

 何かある筈。致命的な何かが。

 

 

「そういえば……」

 

 自信無さげに呟く声。阿求だった。

 この状況下においてはどんな些細な情報でも値千金の価値になり得る。「あくまでも参考までに」と前置きした上で語られたのは、ほんの数日前の出来事。

 

「紫さんが人里の復興確認という名目で突然我が稗田邸に来訪されまして。話もそこそこに幻想郷縁起の改訂の為に原本を寄越せと言われ、渋々渡したところ一部ページを千切られた、という事がありました」

「なるほど、回収作業の一環かしら」

「でも結局紫のやつに奪われたんじゃどうにもならなくないか?」

 

 ところがどっこいである。阿求は昏い笑みを浮かべる。

 

「実はですね、そのまま渡すのも癪だったので、こっそり鈴奈庵で刷ったばかりのコピー品を渡しておいたのですよ。原本はまだ私の手の内にあります」

 

 常日頃から紫に振り回され続けてきた阿求にとって、それはほんの細やかな仕返しであった。また、あの時の紫の様子を少々疑わしく思い、咄嗟に機転を利かせた結果でもある。

 これが何らかの突破口になってくれるのなら、阿求も大満足だ。

 

「よし早速確認しましょう。咲夜、すぐ取ってきて」

「かしこまりました」

「ではこの委任状を使用人に渡してください。すぐに幻想郷縁起を用意致しますので」

 

 まだ確たる結果には至っていないが、ようやく示されつつある閉塞からの脱却に、場の雰囲気がやや和らいだ。上手くいけば最低でも1人を戦場に送る事ができる。

 反撃の時は間近に迫っているのかもしれない。

 

 

 だが運命は絶え間なく流転する。

 そう、時間は決して幻想郷に味方しない。

 

 水晶を通して戦場を眺めていた幾人が騒めいた。驚き混じりのそれは、徐々に不安そのものへと変わっていく。

 霊夢を取り巻く状況が更なる苦境へと突入した分かりやすい合図でもあった。

 

 地獄はより深みへ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「本当に末恐ろしい子よねぇ。神代含めて霊夢以上の輝きを放った傑物は果たして存在するのかしら」

「居ないでしょうね。唯一無二の才能かと」

「これも貴女の計算通りだった?」

「……まことに恥ずかしながら、私の想定を大きく越えていると言わざるを得ませんね」

 

 僅かに目を伏せ、申し訳なさそうに藍は言う。

 別に責めている訳じゃないのよ。むしろ共感しかないわ。霊夢の凄さと煌めきを改めて見せつけられた。当然、私にとっても想像以上。

 べ、別に怖くなんかないけどね? このくらいじゃまだまだ負けないしー? 

 

 震えてる? 武者震いですわ! 

 

 初めの予測では、さしもの霊夢といえど、ぬえと諏訪子のタッグで十分対処可能な範疇という考えだった。それにこいしちゃんまで加えてしまえば勝ち目はない。

 しかし蓋を開けてしまえばこの通り。私の自慢の分身達は撃破され続けている。

 霊夢の成長スピードと潜在能力が藍の計算を狂わせたのだ。流石は霊夢ですわ。

 

 いや、この点において褒めるべきはAIBOかしら。彼女は博麗霊夢の爆発力を高い次元で理解していた。故に無謀とも取れる単独突撃を止めずに、むしろ手伝ってあげたんだろう。

 それに霊夢への対応のせいで菫子への干渉が弱まってしまった。おかげでスケジュールに若干の歪みが生じちゃったわ。もう少しだったのに。

 

 ……第一ラウンドは貴女達の勝ちね。流石はAIBOですわ。

 

 だけど何度でも言いましょう。

 この程度の頑張りでは所詮、消滅前提の自己満足止まりよ。私を止めたいのなら、もっともっと上を見せてもらわないとね? 

 

 私が念じれば、半壊した我が分身達の身体はみるみる修繕されていく。

 実体のある幻想が彼女らであり、我が傀儡たる本質。滅ぼす事なんてできないわよ。

 

 あの3人を同時に捌けるのは確かに凄いけど、それだけじゃ私の下に辿り着く事すらできません。

 

 強敵達の今日何度目かの完全復活に霊夢は苛立たしげに舌打ちし、此方を睨み付けると再度戦闘を開始する。目線だけで殺されそうですわ! 

 まあ元気なのはいい事よね! だから霊夢がまだ元気なうちに、やる事は全部やってしまいましょう。このまま時間切れで私の勝ちなんて味気ないもの。

 

「さて、藍。貴女ならもう、この善戦の絡繰に気付いているんじゃなくて?」

「無学の身であります故、確証は持てませんが」

 

 貴女が無学なら私はバクテリアかしら? 

 謙遜の姿勢に半ば呆れつつ、答えを促してみる。

 

「夢想天生を使わずしてあの立ち回り。古明地こいし、封獣ぬえを相手して己を失わぬ理由。……恐らくですが、霊夢以外の視点、思考が存在しているものかと」

「流石ね。この快進撃の秘訣はまさにその通りで、全ての鍵を握るのはあの陰陽玉よ」

 

 博麗の秘宝、陰陽玉。

 私個人として把握していた効力は『使う人の力に影響されて、その力を吸収。十分に力を吸収した陰陽玉は、その絶大な力を1回だけ放出する』というもの。霊夢含め、歴代の博麗の巫女にも同じような説明をしていたわ。

 

 しかし、その真価は別にあった。かつての私の中に存在した知識から知り得た情報よ。

 

 あの陰陽玉は本来、封印を目的として作成された呪具だった。博麗の巫女の調伏をより高度に成す為、そして博麗の血を絶やさぬ為の最終兵器である。『夢想封印』が封印なんて呼ばれてるのはその名残ね。

 

 しかし、皮肉にもその役目は初代である博麗靈夢の時代に一旦の終わりを迎えている。

 

 陰陽玉に封じられし意思。

 幽幻魔眼、魅魔、エリス、菊理、矜羯羅、サリエル。

 

 地獄と魔界にかつて存在していた超越的な神々、妖怪、怨霊。それらの封印で陰陽玉の容量を全て使い果たしてしまったみたいなのよね。

 それに初代はサリエルと相討ちで死んじゃったみたいだし。死なば諸共ってやつ? 

 

 それ以来、彼女らは陰陽玉の中で眠ったままであり、本来の用途は失伝してしまった。博麗の技術が一子相伝だったのが災いしたわね。それに、その経緯を知っていた八雲紫は滅んでしまったし。

 一応博麗神社に住んでる例の亀爺も知ってたみたいだけど、初代の死を引き摺ってるせいで伝えず終い。このまま技術と力は失われるだけだと思われていた。

 

 しかーし! 綺羅星の如く現れた才能の塊、私の霊夢が見事陰陽玉を使いこなした事で封印が軟化。結果として『夢想封印』の使用で陰陽玉に眠るいずれかの意思を我が身に憑依させ、力を自在に振るえるようになったのだ! 

 やっぱり霊夢がナンバーワンですわ! 

 

 で、そんな陰陽玉の特性が上手い具合に今回の戦いに合致しているのよね。

 

「並列思考で3人の動きを完全に把握し、尚且つ自己への干渉を断ち切るべく全身の細胞の隅々にまで意識を向けている。あれでは古明地こいしの能力も形無しですね」

「意識の隙間を上手いこと補っているのよね。それに天性の勘かしら? アレが霊夢に最善にして最高の選択を取らせ続けている。そりゃ押し切れない訳ですわ」

 

 こいしちゃんの能力は幻想郷の基準を遥かに上回るほど凶悪だ。

 少しでも彼女から意識を外せば存在は忽ち世界からフェードアウトし、再度認識する頃には既に手遅れ。しかも理や概念の外側からの干渉だから、能力や結界まで貫通しちゃうのよね。

 なんなら対象の無意識行動まで掌握できるからこいしちゃんにだけ意識を向けていればいいって話でもない。気付いたら窒息していたなんて事もあり得る。

 

 でも霊夢に対しての相性は最悪だったようだ。メタられてるからね。

 これに関してはぬえも同様で、不利気味。諏訪子とはイーブンって感じかしら。

 

「さて、もう様子見もいいでしょう。切るべきカードはしっかり消費しないとね」

「よろしいかと。では、誰を?」

「そうねぇ……次はこの2人」

 

 頭の中で境界を結び、形を整える。

 次に2人の心を曖昧に抽出して、後は印を通じて出力するだけ。要領は先の3人と何も変わらない。

 

 霊夢の対応策は一時凌ぎに過ぎないわ。だって、所詮は力技でしかないもの。

 残念ながら、ゴリ押しについては私達の方が遥かに有利なのよね。

 

 混沌とした世界に狭間を与えよう。

 貴女達の感じた虚無と絶望が、願いの力を更に強くする。大義は必要ない。あるのは、救われたいという利己的で切実な願い。それだけで十分ですわ。

 

 

「擬似式神『フランドール・スカーレット』」

 

 

「擬似式神『藤原妹紅』」

 

 

 さて、更なる悪夢にどう対処する? 霊夢。

 これでもまだ、希望と輝きを失わずに舞えるかしら。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「くっそぉ人間の分際でいい気になりやがって! 妖雲『平安のダーククラウド』ッ!」

「調子に乗ってるのはそっちの方でしょうが。悪霊『夢想封印 魔』」

 

 スペルの詠唱から数瞬を待たずに曇暗の空が激しい豪雷と爆熱に彩られる。

 これで何度目の相殺になるのだろうかと、影と衝撃の合間を縫って飛来する超高密度の鉄の輪をいなしながら、ぼんやり考える。逆に言えば、それ以外の思考が全て状況把握に費やされているため頭が纏まらない。

 

 魔理沙や紫は、霊夢の現状を「余裕がある」と評したが、もしそれを霊夢が知ればいつもの顰めっ面で2人の顔にお祓い棒を振り下ろすだろう。

 切り札を温存している事と余裕は決してイコールでは無いのだ。

 

「まだ粘るのー? そろそろ退場しちゃいなよ」

「アンタ達が往ねばいい」

「此処は私達が唯一自由に存在できる場所。そこから出ていけっていうのは死ねって事かい? そりゃないでしょう、巫女が神に向かって」

「死にたくないならさっさと降参して道を開けなさい。私は紫を引っ張り出す為に遥々ここまで来たのよ。傀儡のアンタらに用はない」

「その物言いが生意気でムカつくんだよ。意地でも通してやらないもんね」

 

 小休止。

 苛烈な波状攻撃を中断し、3人が等間隔に霊夢を取り囲む。陣形を組み直す心算なのか。

 

 各々がエゴイズムの塊のような能力を保持しているくせに、妙な連携を取ってくる点も厄介だ。

 

「正直、アンタらを見てると物悲しさを感じるわね。紫の言いなりになって、こんな使い捨てみたいな役目を負わされて満足なのかしら? どいつもこいつも、生前は名のある存在だったでしょうに」

「言いなりじゃない!」

「そうは見えないわ」

 

 ぬえが怒り立つ。

 

「私は仕方なく協力してやってるだけだ! 本当は今にも紫の奴をブチ殺したくてウズウズしてるんだよ。何たってあいつは私を背後から不意打ちしやがったんだからな!」

「あーゴメンネぬえちゃん。それやったの私ー」

「よし、お前(こいし)も後で殺す! くそ……思い出しただけでも腹が立つ。とんでもない裏切りで、あんな体験は初めてだったのよ。私を串刺しにした挙句、手籠にしたんだからな! 責任を取ってもらわないとな!」

「キショいよぬえちゃん」

 

 身をくねらせながら熱弁を始めたぬえに、一同ドン引きであった。

 しかしその一方で、思いの外自我がある事に霊夢は内心驚き、そして一息吐いた。

 感情の無い戦闘マシーンと殺し合うよりは幾分マシだ。

 

 もっとも、この感情の吐露の全てが紫の『調整』によるものだとしたら、甚だ悪趣味でしかない。

 傀儡の仕組みは既に紫擬きやさとりから聞いているので、判断に困る。

 

 

 

「そう、私達はただの操り人形って訳でもないのよ、霊夢。この身体や本質は作り物だけど現の私そのもの。口から出る言葉は決して本音ではないけれど、心に秘められた確かな願い。紫はそれを形にしてるの」

 

「……やっぱりアンタもいるのね、フラン」

 

 ぬえ達と同じように、形の無い影が幾重にも重なり像を結ぶ。荒れ狂う妖力と共に降り立ったのは、悪魔の破壊神フランドール。

 さらにその少し後ろ、輪から外れた場所には、俯いてうわ言を呟く妹紅の姿があった。

 

 どちらも見知った顔ではあるけれど、嬉しさは微塵も無い。霊夢をして「できれば出てくるな」と考えていた連中ばかりだ。

 

「レミリアが怒り狂ってたけど?」

「そう」

 

 分かりきっていた事だ。驚きは無い。

 

 そもそも、紫に合力したのはフランの意思によるものだった。形は違えど諏訪子やこいし、ぬえですらそうだ。唯一違うのは妹紅くらいか。

 

 全員、現状を割り切ってはいたのだ。自分に命が無くても家族が幸せに暮らしてくれたならそれで良かったし、ドン底の頃に比べれば雲泥の差だ。

 

 それでも、心の奥底では満足できなかった。最高ではなかった。本来望んでいた未来は別にあった。

 諦めきれなかったのだ。

 

「さあやろうか霊夢」

「これで戦力差五倍だけど、卑怯とは言うまいね」

「こんな陰気臭い所に引き篭もって妙な事してる時点でアンタら全員卑怯者よ。何度でも言うけど傀儡に用はないわ。同時にかかってきなさい」

 

「威勢のいい人間を見てたら無性にぶっ壊したくなってくるわ。なあ、もこたん?」

「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」

「もこたん殺る気満々じゃん! 私もテンション上がるなぁ〜!」

 

 狂人達の口からは理解不能な言葉ばかりが垂れ流されていく。だがその反面、霊夢を追い詰める為の動きは整然としていて、傀儡らしさを引き立てている。

 フランとぬえが隣り合い、妹紅を前面に出した諏訪子が呪を蓄え、こいしの姿が消える。

 

 そして繰り出される飽和攻撃。

 霊夢の対応能力を超える密度の嵐だ。

 

「……! ぐ、ぅ!」

 

 ぬえの三叉槍を躱した途端、間髪を容れず眼前へと迫る炎剣。受ける他なくお祓い棒で鍔迫り合うが、骨と肉の軋む音が大きくなっていく。

 さしもの霊夢といえど、吸血鬼の馬鹿力を真っ向から受け止めるには種族として限界がある。こんな衝撃を受け続ければ身体が持たない。

 

 無理な拮抗は余計な消耗を生む。そう判断し、力を受け流し距離を取らんとするが、途端に真下から噴き上がった爆風に煽られ、ビルの側面へと叩き付けられた。咄嗟に展開した結界が間に合わなければ足を失っていた。

 まだだ、動きを止めてはならない。

 壁を蹴り宙を一回転。数瞬前まで霊夢が居た場所には、無機質なナイフが生え出ていた。室内に待機していたこいしの仕業か。

 

「っと、見えてんのよ!」

「あらら、ちぇ残念」

 

「次は私の番だ! 喜べ巫女!」

「この……っ!」

 

 禍々しいスパークを迸らせ、横薙ぎに放つ。ぬえの得意とする広範囲殲滅の妖術であり、妖怪の山の面々を屠った大技だった。

 その背後ではフランが。また、無数の火の鳥を展開する妹紅に隠れるように諏訪子が。次なるスペルの準備を着々と進めている。

 

 思考の膠着は死を意味する。

 足を止めるな、手を動かせ、詠唱を続けろ。1人をマトモに相手すれば忽ち袋叩きにされる。

 

 だが相手が5人に増えた事で、連携の質が上がった。

 2人同時に仕掛けられた場合、片方をいなしても、もう1人の相手を強いられ受け止めざるを得なくなる。そして、その僅かな膠着を残りに狙い撃ちにされてしまうのだ。

 しかも復活する仲間に遠慮などする必要がないから、手加減無しの最大火力。結界で受けに回ればその時点でゲームオーバである。

 

 唯一嫌々戦っているのか、得意の接近戦を仕掛けてこない妹紅が綻びになるのだろうが、それでも中距離から放つ炸裂する火焔弾が厄介だし殺意は本物だ。

 

「私とお姉様を倒した時の貴女は全てを破壊する目をしていたわ! その頃を思い出せ! 私達を殲滅してみせろ! 禁弾『スターボウブレイク』ゥ!」

「だっ、から! そんな暇ないんだってば!」

 

「楽しんでるとこ悪いけど、そろそろ終いだってさ。源符『厭い川の翡翠』」

 

 水平に放たれたフランのスペルが前方に存在する限りの悉くを薙ぎ払う。

 さらに、灰燼と帰したビル群を諏訪子の吐き出した濁流が押し流し、そのまま水没させた。閑静な無人の都市は既に壊滅の様相を呈している。

 世界そのものを呪で飲み込み、霊夢を徐々に圧殺する心算か。可動域をこれ以上奪われては対抗手段の殆どを失うことに直結する。そうなれば詰みだ。

 

 噴き出てきた汗、そして口の端から流れる少量の血液を拭う。

 

 

(もう、夢想天生しかない……! けど)

 

 唯一の打開策として思い浮かぶは、博麗霊夢の究極にして最強の奥義。

 しかし、このタイミングでの発動が勝利に結び付かないと、自身の勘が訴えかけてくる。

 ここで力を使い果たしては紫を連れ戻せなくなってしまう。それ以前に、紫の下に辿り着くことすら不可能だろう。これ以上の消耗は許されない。

 

 自身の命惜しさに夢想天生を発動すれば、その瞬間、霊夢の負けが決定する。

 

 悪条件に悪条件が重なり、遂に霊夢の足が止まる。次の一歩を踏み出せずに、飲まれていく世界を見届けるしかなかった。もう、道が無い。

 立ちはだかる妖怪小娘達は霊夢のそんな様子を見て、半ばガッカリしたように、けれど勝利の笑みを浮かべた。順当な結果だった。

 

 

 ──『お願いっ……紫さまを助けてあげて!』

 

 ──『霊夢。だから貴女じゃないとダメなのよ』

 

 ──『もしも私が死にたいって言ったら、貴女はちゃんと殺してくれる?』

 

 

「うるさい」

 

 煩しい思考を振り払うように頭を掻きむしる。

 

 とうに分かっていたのだ。

 紫の言葉に乗せられ、らしくもなく張り切ってしまった。現在進行形で冷静でなくなっているのは百も承知。いつだってあの妖怪に掻き乱されている。

 

 でもだからこそ。

 一度でも『待ち』に回ってしまえば、二度と紫に追い付けなくなる気がした。博麗霊夢の歩む道が、底無しの谷を臨む崖にしか通じていないのだとしても。

 

 進み続けるしか無い。

 

 

 ──『博麗霊夢の選択は全てが正解なのです』

 

(そうなんでしょ? 紫)

 

 心はちっとも折れてなんかいない。むしろ追い詰められてなお、熱く沸るばかりだ。

 

 踏み出す一歩は貴女の為に。

 

 

 

 

 運命は絶え間なく流転する。

 それはとても気紛れで──諦めの悪い者にだけ微笑んでくれる。

 

 

「やはり貴女は最高よ。霊夢!」

 

 

 天が砕けた。

 

 鬱屈とした星空を叩き壊し、緋色のノクターナルデビルが戦場に舞い降りる。

 破滅の先へ、新たなる運命を切り拓く為に。

 

 霊夢も、フランも、傀儡達も。そして紫さえも。境界を踏み越えた侵入者に対し、唖然とするしかなかった。

 

「こんな所で死なせやしない。貴女の描く最高の未来は、この先にあるんだから」

「アンタ、どうやって……」

 

「貴女が意地で貫き通した運命が私を引き寄せたのよ。喜びなさい霊夢。これは必然であり、誰が欠けても成し得なかった奇跡だ」

 

 この瞬間をずっと待ち侘びていたのだ。

 幼い頃、初めて運命というものに触れたその瞬間から。

 

 今、レミリアの本懐は果たされた。後は次へ繋ぐだけ。

 

()()で貴女の運命を紡ぐわ。ここまで来たら、もう誰にも止められないわよ」

 

 




伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)に謝れ

急に生えてきた靈異伝キャラの紹介をするぜ!

・幽幻魔眼…デバフ、バインド担当。シャイで引っ込み思案。ロリコンを一喝する
・魅魔…精密魔法、アドバイス担当。加虐大好きな魔理沙のお母さん。幽香に頭が上がらない
・エリス…ステゴロメルヘン魔法担当。古いタイプの吸血鬼でレミフラの遠い祖先
・菊理…結界、治癒担当。身体も存在も薄い。影で支えてくれる縁の下の力持ち
・コンガラ…近接担当。頼りになるみんなの纏め役。多分一部地獄の支配者とかやってた。霊夢が好き
・サリエル…暴力担当。靈夢を相討ちで殺しているため実は調伏できてない。捻くれてる。神綺様の先輩



今話最後のシーンは萃無双編の最後のセルフオマージュだったり……(小声)


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亡き王女の為の輪舞曲(前)

前話最後の5分前くらいから


 

「確か……そう、ここのページ。妹紅さんが竹林で拾ったという謎のメモ書きを掲載した箇所ですね。思い返せば、紫さんが初めて幻想郷縁起を検閲した時も、このメモ書きに妙な反応を示していました」

「なるほど。いやしかし、何故こんな意味不明の物を載せたのですか?」

「尺稼ぎのためです」

「どいつもこいつも……!」

 

 幻想郷縁起の杜撰な編纂作業の実態に、華扇は思わず天を仰いだ。紫を連れ戻した際には4、5発殴らせてもらわないと気が済まない。

 しかし、それが今回の突破口となったのも事実。良性の結果となった事は素直に受け止めなければなるまい。大変嫌々ではあるが。

 

 と、さとりは幻想郷縁起からメモを慎重に引き剥がし、内容を吟味する。彼女の知り得ている知識から総合するに、これの書き手として該当する可能性がある人物はほぼ1人しかいないだろう。

 当時の文化水準では考えられない紙質、近未来的なワード、迷いの竹林。そして何より『蓮子』という人物名。

 

「マエリベリー・ハーンの物で間違いありません。恐らく、かつての八雲紫が彼女を捕食した際の落とし物でしょう。これならば境界を越えるに足る八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)になるかもしれない」

「役に立てたようで光栄です」

 

 かつての八雲紫が死に、今の八雲紫が誕生した瞬間を見届け、更にはあのメリーが書き込んだメモ。十分過ぎるほどの要素が詰まっているように思える。

 よくぞ、よくぞ残っていてくれた。

 

 しかし冷静に考えてみると、ただの紙切れが800年という年月を大した経年劣化無しに存在し続けているのは不自然。何らかの細工が施されていたのか。

 

(かつての貴女(八雲紫)が何を考えてこのメモを後世に残したのか、その意図は知りませんが、せいぜい有効活用させてもらいますよ)

 

「境界の先との繋がりは手に入れました。次に道を開く手段ですが……」

「パチェ、咲夜。進展はどう?」

「偽八雲紫が道筋を遺してくれてるから、ゲートを開けばすぐにでもあの戦場に辿り着けると思う。ただ問題はやはり、如何に境界を突破するか」

「申し訳ございませんお嬢様。どうも私の能力とはロジックそのものが異なるようで、試行錯誤していますが、うんともすんとも言いやがりません」

 

 困ったように肩を竦める咲夜。その横では、メリーのメモを片手に楼観剣を振り回し空間をズタズタになます斬りする妖夢の姿があったが、見当違いの場所に開通してばかりだった。

 通常の手段では殺せない八雲紫の特性そのものと言えるなら、正攻法ではハナから不可能という事もあり得るのかもしれない。

 

 もっとも、時間を掛ければ開通は可能だろうと有識者は分析している。そのあたりは永琳や神子の太鼓判付きだ。

 しかしそれでは宇佐見菫子への干渉終了に間に合わないどころか、霊夢の限界が先に訪れてしまう。

 タイムリミットは刻一刻と近付いているのだ。

 

 水晶の先では、霊夢の姿が膨大な弾幕に押し潰されかけていた。

 

「ああ……霊夢さんがやられちゃう!」

「負けるなー! 頑張れ霊夢っ!」

「5人で同時だなんて卑怯者め。見損なったぞ紫!」

「それ、貴女(萃香)が言えた立場なの?」

 

 フランと妹紅の参戦から、戦いの趨勢が一気に紫側へと流れている。

 あの面子を相手にして戦闘が成立しているのは、流石霊夢であると言う他ないが、それでも勝利には程遠い。このまま状況に変化が無ければ確実に負ける。

 

「神奈子様。……諏訪子様やお師匠様は、望んで霊夢さんを殺そうとしているんでしょうか? 私の大切な人達が殺し合うところなんて、見てられません……!」

「大丈夫だ早苗。お前の見てきたこれまでの2人を信じなさい。お前の願いをあいつらが無碍にする事なんて無かった筈だ。奇跡を信じよう」

 

 そう言って早苗を落ち着かせるが、その神奈子も、歯痒い想いが止めどなく溢れ出していた。

 否、神奈子だけではない。

 マミゾウが、聖が、さとりが、レミリアが、慧音が。全員が戦いたくて仕方がないのだ。

 

 大切な者が一つの境界を隔てた先に居るのに、手を伸ばす事しかできない。

 自分への無力感で頭が沸騰しそうだ。

 

 

 

「──皆様、どうやらお困りの様子。ここは一つ、私にも手伝わせてもらえませんか?」

 

 その声音を知る者は背を震わせた。

 即座に臨戦態勢を取り、声の主へと破壊の矢印を向ける。この場にかの者が居るなど有り得ないという思いもあったが、反射故に行動が先行した。

 

 その揺蕩う姿を認めて、自らの目を疑う。

 彼女を知らない者も、その身から迸る邪悪な雰囲気に「まあ、敵だな」との感想を抱く。

 

 清純な水色に身を包む、この世で最も強欲で邪な仙人。

 青娥娘々が境内に現れた。

 

 彼女の仮死体を最後に見て、そして取り逃がしたさとりが対応する。読心能力が使えない事がここまでストレスになるとは思わなかった。

 

「随分とお元気そうで。──紫さんの差金ですか? それとも自分の意思でここに? どちらにしろ貴女の命は無いと思いますが……」

「あらまあ物騒ですこと。今は幻想郷が一丸となって立ち向かわなくてはならない時、そうではなくて? ここで私を殺しても何の得にもなりません♡」

「何をぬけぬけと! 貴様が紫に協力していたのは明白だ。この通り、貴様に殺された諏訪子が今ああして紫の配下として幻想郷に牙を剥いている」

 

 射殺さんばかりの視線を向けながら、神奈子が重々しく語る。

 青娥の今日に至るまでの行動は、全てが幻想郷に害を為すもの。犠牲者だって少なくない。信用できる要素など皆無に等しいのだ。

 

 しかしこのタイミングで出てくるからには、何らかの思惑と、自分が殺されない確信があるのだろう。

 あの生き汚い青娥が無用な選択をする筈がない事をよく知っていた神子は、荒れ狂う面々を制止して、いつもと変わらぬ態度で臨む。

 

「師よ、見ての通り時間が押している。早急な弁解と、此処に現れた目的、そしてその手伝いの内容とやらを言うがよい。嘘を申せばお前の首と胴は泣き別れだ」

「あら恐ろしい。では本題に入るためにさっさとお話を済ませてしまいましょう」

 

 

 

 ほんの好奇心だったのだ。

 

 隠岐奈の要請に従って諏訪の地に降り立ち、紫への情報収集と妨害工作を進めていた時のこと。

 

 守矢神社事務所の寝床に忍び込み、ドレミーが霧散させていた夢塊を紫へ試験的に戻してみることで、どのような反応が起きるのかを試した事があった。

 その思惑は単純で、さとりや隠岐奈ですら知らない八雲紫の一面を自分一人が独占できれば、心地良い優越感に浸れるだろうという身勝手なものだ。賢くて強い者達が自分の掌の上で踊る様は何よりの娯楽となる。

 

 藪をつついて何が出るか。蛇が出たなら青娥の一人勝ちとなるだろう。

 仮に狂った八雲紫が本性として現れ世界を破壊し尽くそうとしても、青娥にとってはこれまた一興。

 

 しかし結果からすると、青娥の目論見は外れたといえる。紫は紫のままだったのだ。ただし、ほんの少しだけ病んでいて、強い恨みと願望を抱いていた。

 青娥娘々が、紫を扱い易い相手だと判断したのは言うまでもない。

 さらに潜在意識が目指している『時を遡る』という行為には強く惹かれた。協力の決め手となったのはどの部分かと問われれば、ここである。

 

 だが全てが思い通りにいったわけではない。

 問題の一つはその身に宿した狭間の存在達である。危うく目覚めかけていたため慌てて再封印を施したのだが、これ以上の無理な干渉は破滅を招く。

 流石の青娥といえど、ぬえを相手に真正面から勝つのは難しかった。

 

 そして二つ目が致命傷だった。

 紫は夢現の中で青娥の干渉を全て把握していたのだ。自分の内部を覗き見た事、隠岐奈の企図する幻想郷同時多発異変の計画、その一端に至るまで、全てだ。

 それを察知し、紫の機嫌を損ねる前に諏訪子を害して自分の立場を明らかにできたのは幸運だった。青娥の長年の経験によって培われた生存本能が選択したアドリブである。

 もしこの時判断を誤っていれば、遅かれ早かれ青娥は物語の表舞台から退場していただろう。

 

 

 

「それで諏訪子を殺したのか。紫に媚びる為に」

「殺したというのは間違いですわね。死んでしまう前に紫様に食べさせた、というのが正しい」

「何の違いがある?」

「確かに結果的には死んでしまいましたが、諏訪子様の神格の情報は残り続ける。それを元にして境界を操る能力により実体を再構築したのが、今も巫女様を追い詰めている諏訪子様でございます」

 

 諏訪子の取り込みに成功した際、紫の喜びは尋常ではなかった。

 明らかに敵性の行動を取っていた青娥を許し、周囲の反対を押し切ってまで幻想郷に再び迎え入れたほどだ。その詳細な理由を青娥は知らないが、何にせよ結果オーライだ。

 

 後は時間切れで再度記憶のないポンコツに戻ってしまった紫に代わり、場を整えてあげるだけ。

 守矢神社を幻想郷に移し、神子を復活させ、隠岐奈を紫に始末させる。そして自分は情報を保持したまま仮死体として来るべき時を待つ。

 紫が全ての条件を満たし時を遡る時、青娥も一緒に付いて行くのが狙いだった。

 

 しかし最後の最後で誤算が発生した。

 

「こんなにも献身的に協力したのに私だけ置いていかれましたの。とっても悔しいですわ! 私とあの子達に違いなんてありはしないのに」

「流石の紫さんでも貴女を取り込みたくはなかったんでしょうね。貴女のこと相当嫌ってましたし」

「面と向かって言われると余計傷付きますわね。まあ、お断りが入った以上はもう協力する義理も無いですし、こうして阻止側に回ったという訳ですわ」

「それはまた、随分と勝手な……」

「私が居ないのに時を戻されては堪りません」

 

 というより、青娥の当初の目論見では紫が何と言おうが無理矢理付いて行こうとしていた。

 しかし幻想郷同時多発異変をスムーズに解決されてしまった為に一時死を装う必要が出てしまった。このロスが誤算の原因である。

 

 理由を聞いても信用できる要素が皆無に等しいのは如何なものか。さとりや神子をしてどう判断したものか困ってしまう。

 しかし迷っている暇はない。

 決断を下したのは、この場において意思決定の最高責任者となる華扇だった。

 

「自分への利害に敏感な貴女だからこそ、この場に限定するなら信用してもよいでしょう。では、紫の陣取る世界への入り口の開き方を教えなさい」

「その前に私の身柄の保障と、芳香を返してもらう事。この2つを約束して貰いますわ。であれば方法を教えるどころか、入り口を用意する事すらできます」

「……」

 

 華扇はほんの少し眉間に皺を寄せ、ゆっくりと頷いた。その僅かな間の意味を知る者は、この場には2人を除いて居なかった。

 賢者の赦しを得た事で青娥は正式に幻想郷側の存在へと鞍替えを果たした。これで心置きなく紫の邪魔をする事ができる。

 

「では、ゲートを開く必要条件は既に把握しているものと判断して話を進めさせてもらいますわ」

 

 清々しい笑みを浮かべた邪仙は辺りを見廻し、妖夢の持っていた古びたメモ(ユカリンオブジェクト)を確認。

 そして次に、鍵を握る()()へと視線を向けた。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「なるほど、青娥の仕業ね」

 

 ぬるりと境界から顔を出す。

 できればずっと後方に引き篭もっていたかったけれど、折角の来訪者だもの。労いの言葉くらいは掛けてあげないと粗相になるでしょう? 

 妹紅を正面に配置して障壁としておく。

 

 ちなみに青娥の仕業だと断定したのは、藍がそう推測したからよ。いま幻想郷に存在するファクターの中から導き出した答えだそう。

 正直、存在を忘れてたわね! 

 

 菫子の確保と正邪の暗躍に意識を向け過ぎていたのが青娥を野放しにしてしまった主な原因だけど、ドレミーの反抗もタイミング的に効果的なカモフラージュだった。

 流石邪仙、運が良いわね。

 つまるところ私は悪くない。運命の悪戯でちょっと不都合が生じただけ。

 

「おかしいわね。幻想郷に存在していた私に連なる物は全て処分した筈。どうやって此処に?」

「幻想郷縁起、それだけ伝えておくわ。貴様との繋がりが出来てしまえば、あとは邪仙の壁抜け能力で境界を越えるだけよ」

 

 レミリアは手元の紙を私に見せびらかしながら、愉快そうに笑う。あれはまさか、忌々しきマエリベリー・ハーンの惚気落書きメモ!? 

 

「………………ああそういう事。完全に理解したわ」

「クックック、誤算だったかしら?」

 

 ど、どういう事だってばよ。

 メリーのメモはちゃんと念入りに処分した筈ですわ。どうしてそれをレミリアが持っている? 何か汚い手を使ったに違いない! 

 うーん、考えても分からないから後で藍にそれとなく聞きましょう。

 

 それにしても青娥ったら、私の予想以上に情報を仕入れているわね。小賢しい。

 レミリアが1人増えたところで、私の自慢の分身達には敵わないというのに。前にも言ったけど、もうそういう段階じゃないのよ。

 

「でも少し意外だったわね。二番手が貴女(レミリア)になるだなんて。てっきり、増援があり得るとしても萃香か魔理沙あたりだと思っていたわ」

「私が幻想郷で一番素早いからね」

「押し除けてきたの?」

 

 まあ確かに、文が負傷してる今なら幻想郷最速はレミリアになるのかもしれない。

 勇み足な気がしないでもないけど。

 

「ああ愚かなお姉様。運命が見えるのにわざわざこんな見え透いた死地に飛び込んじゃうなんて。堪え性がないレディは長生きできないよ?」

「愚妹の愚行を止めるのは姉の役目よ。ついでに馬鹿をやってる友人が2人もいるし」

「ああ?」

 

「あらそこに居るのは古明地の妹だったかしら? これからもフランと仲良くしてやって頂戴ね。そいつ友達いないからいつも独りなのよ」

「わぉ切なーい」

「黙れ!」

 

 フランと霊夢の紅白コンビに睨まれても微動だにしないレミリア。その胆力は見習っていきたいわ。

 

 しかしやはり、レミリアは持っているわね。

 あとは霊夢を押し切るだけの作業だったのに、勢いが完全に殺された。埋められない戦力差こそ健在なれど、これでは一度仕切り直す他ない。

 

 その場に居るだけで皆の目を惹きつけ、峻烈な存在感を叩き付ける。今まであまり意識してこなかったけれど、なるほどこれがカリスマというものかしら。

 生まれ持つ王の才ね。

 

 やいのやいのと罵倒している我が分身達を一旦黙らせる。愉しい団欒もいいけれど、この戦いの本質を見誤ってはならない。

 隠岐奈による超能力抽出の完了は霊夢達にとっての敗北になる訳だが、今この状況下であれば私達にとっても望ましくない事だ。因縁がやって来たんだから。

 

「レミリア・スカーレット、世界に冠たる吸血鬼の女王に問いましょう。貴女の選択してきた運命が最善でなかった事は明白。それでもなお胸を張って生きていけるの?」

「私の半生を愚弄するか」

「だって全てが手遅れなんですもの。私が今、こうして貴女達と敵対しているのも、未来永劫解消される事のないフランドールの悩みも、そしてこれから死にゆく貴女も──全て甘き幻想に依存した貴女の失態ですわ」

「……」

 

 レミリアは瞑目して思いを凝らす。

 彼女とフランの確執は記憶から読み取っている。確か、本来存在していたフランの人格を破壊してしまったんでしたっけ。その悲劇に後悔が無かった筈がないのだ。

 

 フランの望みは時を遡る事でしか達成される事はない。如何に紅魔館の住人と打ち解けて幸せな日々を送ろうと、心を蝕む罪の意識からは解放されないのだから。

 私が願いを諦めて幻想に妥協するとはそういう事なのよ。失われてしまった者達を永劫に虚無へと追いやり、忘れてしまうという選択。

 それ即ち、己が手で殺すも同義ですわ。

 

 私はそれが堪えられない。

 レミリア、貴女はどう捉える? 

 

「……紫。私はね、幻想郷に来て良かったと、心から思っているよ」

「……そう」

 

 感想はない。

 

「お前がフランを救い、血塗られた運命を破壊してくれたから、今の私達がある。それはきっとこの世の理に縛られない枠外のお前だからこそ成し得た結果。胸を張るのは私じゃない、お前よ。紫」

「でも完全ではなかった」

「完全で最良の運命、そんなものはない。全てを等しく掴み取る事なんてできやしない。私でさえそうなのに、お前は思い上がりが過ぎるのよ」

「望むことの何が悪い。貴女は自らの失態で失わせた妹の命を諦めるの?」

「目を覚ませ! お前の一存でやり直すほど私達の歩みはチープな物じゃない」

 

 挑発的な笑みだ。私の決意をせせら笑うように、霊夢の隣に歩みを進める。

 やはり同じ道を往くことはできないか。まあ分かってはいたけどね。

 フランと顔を見合わせ、肩を竦める。妹の心、姉知らずか。逆もまた然りなんでしょうけど。

 

 

「貴女の気持ちは理解できますよ、紫さん。でも私達は、その為にみすみす家族や貴女を苦しみの道に進ませる事を良しとできるほど強くはない」

「げぇっ」

 

 

 思わず声に出してしまった。

 レミリアのように派手な登場ではなく、頗る地味に現れたのは我が不倶戴天の敵。最初からそこにいたように、奴がビルの陰に佇んでいた。

 味方である筈の霊夢からもイマイチ歓迎を受けていないような表情を向けられている。

 

 出たわね鬼畜ロリ2号、古明地さとり。その胸元には失われた筈のサードアイが爛々と私を睨み付ける。

 現と幻想の狭間に位置するこの世界であれば、確かに再起不能に陥った器官の回復くらい実現できるけども、上手いこと利用してくれたわね。

 

「レミリアに続いて貴女まで……。そう易々と侵入できるような空間ではないんですけど」

「ええ、実際外では未だに苦戦しています。非常に癪ですが、貴女にしてはよくできた境界だと思いますよ。まあ貴女の無能に助けられて今ここにいる訳ですけども」

「……参考までに聞きたいのだけど、何を経由して侵入したの?」

 

 私のミスでは無いと思うけど、念のための確認ね。

 

「早苗さんと貴女の繋がりですよ。お忘れですか? 守矢神社が幻想郷にやってくるまでの一幕を」

「あ」

 

 さとりの人差し指に嵌められている紐状の安っぽい指輪。見覚えがあった。

 

「……完全に忘れてましたわ」

「やっぱり穴だらけの計画だったようですね。恥ずかしくないんですか?」

 

 これは、アレよアレ。俗に言うケアレスミスというやつですわ! 

 

 早苗との繋がりとは恐らく、いつでも念話ができるようにと用意した指輪の事を指している。

 私からの妖力波の受信機にする為に、私の血をそこそこ染み込ませてあるから、図らずも八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)と化してしまったのか。

 

 な、なるほどね。それは盲点だった。

 他にはもう無いと思うけど……いや無いよね? 

 

 あと何だか周りの我が分身達から白けた視線を向けられてる気がする。じ、事故だからノーカンですわ! もうこれ以上は無いと思うから許して欲しい。

 まさかAIBOを取り逃した事がここまでの事態を招くとは。考え無しに最善を目指すというのも考えものね。

 目標達成後の教訓とさせて貰おう。

 

貴女(さとり)にもレミリアと同じく考えを聞かせてもらいたいけれど、私の心を読んでその態度であれば、どうやら共感はできなかったみたいね」

「その通りですよ紫さん。貴女は足る事を知らなければならない。闇雲に全てを掬おうとしても、指の間から溢れていく命を無くす事なんてできないんだから」

「嘆かわしいわね、他ならぬ貴女にそれを言わせてしまうなんて。在りし日のこいしの幻影に追いすがり、自慰のように決して満たされない心に水を注ぎ続ける日々を選択したのは貴女(さとり)じゃないの」

 

「それを救ってくれたのが紫さん、貴女なんです。私に妹の温もりの懐かしさと、進まなきゃいけない道を教えてくれた。私たち姉妹に意味を与えてくれた」

 

 さとりは宙を抱くように両手を伸ばす。

 抱擁に応じての和解を求めているのかしら。

 

「安心して帰ってきてください。生前のこいしも、かつてのフランも、決して貴女を責めたりしない。それは他ならぬ私たちが一番良く知っている」

「この世界は残酷よ。貴女がどれだけの想いを受け入れようが、満たされず消えていく物は存在する。それでも──前に進んで行くしかないわ」

 

 同時にレミリアの相貌が訴えかけてくる。

 言葉は尽くされた。

 

 私が昔から苦手にしていた2人からの、嘘偽り無い本心の発露。私が一方的に嫌っていただけで、レミリアもさとりも、私のことを友だと思ってくれている。

 道を違えてしまった私に精一杯の未来を示してくれている。

 

 その事実は、私の心を確かに揺り動かした。

 だから、応えなきゃならない。

 

 

「貴女達は何か勘違いをしているようですね」

 

 

 私の願いはもっと醜悪だから。

 その辺を履き違えてもらっちゃ困るのよねぇ。

 

 

「貴女達の想い? 我が分身達の想い? 違う違う違う違う違う──そんな物は私を縛る要素足り得ない。私にあるのは自分の欲求を叶えたいという身勝手な欲だけ。即ち偽りの抹消」

「紫さん!」

「幻想の戯言に耳を貸すほど私は狂ってないの。紛い物の幻想郷を正すのに悪夢(貴女達)は邪魔ですわ。私を救いたいというなら、今ここから消えていただけるかしら?」

 

 博麗霊夢。

 レミリア・スカーレット。

 古明地さとり。

 

 我が門出を祝すには相応しい顔触れだ。

 きっと私もみんなも、満足してくれる。狭間になるしかなかった存在の悲しみをくれてやろう。

 

「総員、一人一殺の構えで参りましょう。もはや手加減は無用である」

 

 スキマを閉じて、遥か後方へと陣取った。

 

 式のギアを更に引き上げる。出力の増加は私の支配の安定に反比例するので、ここまで至ってしまえばもう以前のようには戻れない。

 フランドールが狂気の咆哮を上げ、こいしがゲラゲラと虚ろに笑う。ぬえは猛る戦闘欲を瞳に宿し、諏訪子の神格が意思を超越し、妹紅の呪詛が爆炎となって立ち昇る。

 

 己が願いに身を任せ、破壊を叩きつけよ。

 ここで果てる幸せを知れ。

 

 

「紫さん! 話はまだ……!」

「もういいわ。言葉を尽くしても頷かないのなら、無理やり連れて帰るしかない」

「同感ね。言って聞かない馬鹿は、ぶん殴って言うことを聞かせるのが幻想郷の流儀だもの」

「はぁ……やっぱりこうなるんですね。私はその幻想郷の流儀とやらが苦手なんですけども」

 

 そんな事をぼやきながらも、第二ラウンドの口火を切ったのはさとりだった。

 戦闘が避けられない事を悟るや否や、スペルの詠唱と共にサードアイの発光が妖しく歪む。

 来るか。

 

「想起『河童のポロロッカ』ッ!」

 

「霊夢、私の後ろに続きなさい」

 

 凄まじい海鳴り。

 街を水没させていた呪の海が、唸りを上げて爆散していく。恐らくにとりのスペルを再現したものなんだろうけど、模倣にしては強力すぎる。

 呪いごと全員押し流すつもりね。

 

 月まで届いてしまいそうなほどに迫り上がった呪海が、絶壁そのままに降り注ぐ。回避と反射神経に優れるフランとこいし、ぬえは空へと飛び上がる事で回避したが、諏訪子と妹紅は捕まり、引き摺り込まれてしまった。

 と、状況を把握する間も無く横撃を受けたぬえが世界の果てへと吹っ飛ぶ。レミリアの超高速戦闘は片手間に対処できるものではない。仕方なく、彼女への相手にこいしを割り振って、霊夢の対処をフランに任せる。

 

 ……いや駄目ね。これは悪手だ。

 1人だけでは霊夢を止める事は難しく、数瞬の攻防の後に横薙ぎの一撃で弾き飛ばされてしまい、片手間に放った弾幕がこいしを撃墜する。

 レミリアは最初からこいしなど見てなかった。氾濫する呪の坩堝から這い出た諏訪子へと起き攻めのように踵落とし。再度海底へと叩きつけ、続けて妹紅の対処へ向かう。

 怒り心頭の高速飛来で戦場に復帰したぬえは、またもや不意の横撃によりビル群へと突き刺さった。これではただの焼き直しだわ。

 さとりの奴、いま滅茶苦茶気持ち悪い動きから蹴りを繰り出してたわね……。

 ぬえでも捉えきれない程の速度。文あたりのスペルを模倣したんでしょう。柄にも無いことを。

 

「後ろは向かなくていい霊夢っ! ただ翔って紫を目指しなさい!」

「解ってる!」

 

 流石の私でも気付く違和感。

 あの3人が弱いわけがないのは分かるわ。霊夢は説明不要だけど、さとレミも幻想郷に根を張る勢力の長。上澄みの中の上澄みだ。

 それでも本能のままに戦う我が分身5人を一度に相手して、ここまで優位に立ち回れるものか? 

 

 否否否──仮に素直な戦力のぶつけ合いであれば、今頃私達の圧勝でこの戦いは終わっている。戦闘力の総計は此方が依然上回っているのだから。

 それでも押し切れない理由。

 秘密はレミリアとさとりの連携に隠されていると見た。

 

 怒涛の飽和攻撃を掻い潜り、反撃に至る道筋をレミリアが能力により瞬時に把握。

 同時にさとりが読心で運命と戦場全員の動きを先読みし、無限とも言える手数で各均衡を差配。そして緩和した包囲を霊夢とレミリアが突き崩す。

 

 あとは運命を無視する霊夢の動きにより霧散した未来をレミリアが切り拓き、新たな運命を掴み取る。そしてさとりが瞬時に把握し、対応する。

 唯一阿吽のシンクロから外れている霊夢だけども、そこは彼女の天才的な感性が無意識的に適応させている。

 

 まるで各々が明確な役割を持った歯車のようですわ。互いの動きが他者の動きを更に加速させ、自らの突破力を高める一助としている。その勢いが狭間の力を大きく後退させ、私へと近付く原動力となるのか。

 

 初めての共闘でここまでやれるのも流石だ。出自も種族も、ましてや思想も異なるあべこべな3人の中に芽生えた共有意識の賜物ね。

 それほどまでに私を止めたいか。

 

 

 さて、ここまで戦況を分析してみて明らかになった事がある。

 

 仮に一時的な優勢であっても、このままの調子で推移すれば、恐らく霊夢は私の下へ到達するだろう。まだまだ距離はあるが慰めにはならない。

 レミリアとさとりは流石に無事では済まない……というより済まさないけど、霊夢に肉薄されるのは非常に厄介だ。

 で、当然それを避けるために対策を施したいところなんだけど……思考のキャパが足りない! 

 

 つまるところ、私の指揮じゃどうにもならない! 

 らーん! 助けてェ!!! 

 

「参上いたしました。私が居る限り紫様には指一本触れさせませんが、一厘に満たない可能性でも排除するのが私の務め。お任せくださいませ」

「ふぅ……助かるわ。ありがとう藍」

 

 心の叫びを聞いてか、藍が再び出張ってきてくれた。一応彼女には菫子とオッキーナの様子を見に行ってもらってたのよね。

 あちらは何事もなく順調そうで何よりだ。

 

 吊り目の相貌が細くなる。この一瞬で何が起きているのかを把握したのだろう。

 

「見れば奴ら、随分と調子に乗っている様子。紫様を敵にして希望を抱くなど愚かの極み、許しておけません。──手心は必要ないのですよね?」

「我が持ち手を離れる幻想に用はないわ」

「ふふ、それを聞いて安心いたしました。私は紫様のように上手に手加減できるほど器用ではございませんので」

 

 何がおかしいのかはよく分からないけど、取り敢えず藍と笑い合っておきましょう。

 さて、それでは手筈通りに始めましょうか。

 2人で息を合わせ、唱える。

 

 

「「憑依『ユーニラタルコンタクト』」」

 

 

 擬似式神の支配権を8割ほど藍に移譲。

 それに伴い私と藍の立場がそれぞれバックアップとメインに切り替わった事で、スパコン以上の情報処理能力が私達全体に浸透する。

 これで共有される情報が一気に円滑化し、各自の思考能力が極限まで引き上がった。脳を破壊された妹紅ですら、ここからは全盛期と何ら変わらない力を振るう様になる。

 

 狂気と暴走を伴う完全な支配。

 藍の明晰な頭脳で曲者達を完璧に統制し、霊夢達の勢いを塗り潰してやるのだ。

 

 勿論、私とて手持ち無沙汰ではない。更なる境界を放出する事で陣容に厚みを持たせるのが私の役割だ。生産を私が行い、ブラッシュアップと運用を藍が請け負う体制。

 

 さあ、ここからはこれまでの様な生易しさは一切ない、お遊び無しの殲滅戦。冷酷なまでに合理を突き詰めた、敵を嬲るだけの戦い。

 私の手足だけで苦戦していた貴女達に、八雲家総出の大捕物を躱せるかしら? 

 

 

「擬似式神『比那名居天子』」

 

「擬似式神『秦こころ』」

 

「式神『橙』」

 

 もう中途半端な出し惜しみはしないわ。

 頼りになる最高の盟友に、恩人の忘れ形見、それに我が八雲の至宝まで動員してしまおう。

 橙はまだ役割があるから前に出さないけど、これで場は7vs3。

 

 で、さらにダメ押し。

 

「暗黒能楽『八雲パワフルチアーズ』」

 

 オッキーナを取り込んだ今、摩多羅神の権能は我が身に宿っている。当然、腹心たる二童子の任命権も私の物。

 精神力を引き出す『爾子田』を藍に、生命力を引き出す『丁礼田』を橙に任せる事で、八雲に連なる者の潜在能力を引き出し、全能力を最高値にできるのだ。

 

 仮に月の都を正面から陥落させようとするならば、あの中から誰か2人を連れて来さえすれば、あの恐ろしかった軍勢も軽く潰せてしまうだろう。

 それほどまでに私の愛しき狭間の存在達は極まっているのだ。

 

 

 もしも万が一、そんな彼女らをも乗り越えて私の前に立つ者が現れるとするならば──。

 

 その奇跡と愚かさに大いなる敬意を表し、(藍が)直々に受けて立ちましょう。実力行使というのも私、嫌いじゃありませんことよ? 

 

 





娘々と華扇、芳香の過去については別作品『芳香の忘れモノ』の内容と似たような出来事が起きた感じです。(どっかで開示しようと思ってたけど尺が足りなかった)
ゆかりんが一切出てこないので見ても見なくてもいい感じの話です。


あとさとりがゆかりんに指輪を見せつけるシーンですが、最初は薬指に付けている予定でした。
しかしそうなるとお姉ちゃんルートが確定してしまうのと、早苗さんが「人の指輪で何やってるんですか!?」と激おこするルートに入る為無しになりました。
でももしかするとそういうルートもあったかもしれないのでお好きな解釈で。何せ幻想郷は全てを(ry


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亡き王女の為の輪舞曲(後)*

あと5話くらいで終わり


 

 

 酸いも甘いも知る老練な幼き吸血鬼は、己の矜持と屈辱を一度捨て置く事にした。

 

 当人にとっては非常に釈然としない事ではあるのだが、レミリアの真価とは他者へのサポートに回った時、遺憾無く発揮されるものである。

 

 最も顕著であったのが永琳との戦い。あの化け物を形振り構わない反則技のオンパレードに追い込んだのは、藍や幽々子の驚異的な戦闘力もあっただろうが、レミリアの運命支配に依る所が大きい。

 他にも吸血鬼異変では、仮に魅魔の妨害がなければ、結果は紅魔勢の優位に進んだ可能性すらある。

 

 今回もまた同じだった。

 レミリアの支配は遂に神懸かりな領域に到達しつつあり、圧倒的な戦力差を何度も跳ね返す原動力となっている。霊夢の援護へいの一番に駆け付けたのがレミリアであったのは最善手の一つであったし、その後のさとり投入は、レミリアに合わせての人選だったところが大きい。

 差し詰めサポートのサポートと言ったところか。

 

 三度目の『想起』を終えると同時に、僅かな立ち眩みと共にさとりの呼吸が荒くなった。しかし連携の乱れに発展するよりも早くレミリアが穴を補填し、霊夢がスピードを緩めて群がる壁を引き付ける。

 1人の遅れは即座に全体の詰みへと繋がりかねない。それだけギリギリなのだ。

 

「どうした古明地。まだやれる?」

「……愚問ですね。こんなところでへばってられますか」

「ならいいけど、死相が見えるわよ」

「元からです」

 

 終わってたまるものかと気炎を吐く。

 まだやれる事を確認したレミリアは満足げに発破をかけると、運命の歯車をあるべき形で回すべく戦闘を再開する。

 

 攻防一体。互いの不利を強力な能力で互いに補い、足し合わせ以上の相乗効果を生み出す。

 それは、単純な殴り合いでは決して敵わない狭間の存在達に抗う為、必須となる最低条件だが、その点でレミリアとさとりは極まっていたといえよう。

 

 但し、八面六臂の活躍をしているように見える中で、その実情は限りなく窮していた。

 霊夢含め3人、特にさとりの消耗が激しい。レミリアの軽口も、さとりの状態を確かめる上での必要なやり取りだった。

 

 本来、サードアイを失ったさとりに継戦能力などある筈がない。今この場に立てているのは、現実と幻想の境目が限りなく薄く、死者すらも存在できるほどに特殊な世界だからこそ誤魔化しが利いているだけだ。

 存在しない筈の能力を駆使すればするほど、さとりは狭間に蝕まれ、限界に近付いていく。

 

 しかしこの状況下において、さとりを下がらせる選択肢は取れない。彼女の『想起』の応用による下支えと、『読心』による先読みの共有が無ければ瓦解は必至だ。それに、リスクの高さは既に本人が承知済みである。

 だからレミリアも発破に留めた。

 

 生き残る事などハナから微塵も望んでいない。

 

 

 

 世界を覆いつくさんとしていた呪の大海は、さとりに利用されるのを嫌った諏訪子の手により消失し、塵芥に塗れたアスファルトが再び表出している。

 戦況は陸上戦に切り替わりつつあった。

 

 倒壊したビルの残骸を突っ切り、左右から挟撃の構えを見せるぬえとフランをさとりが予防的に対応。

 背後から猛追する妹紅をレミリアがスペルで足止めしながら、こいしを好きにさせまいと注意を配る。

 その遥か前方を疾駆する霊夢は、地中を泳ぐように移動し追い縋る諏訪子と激戦を繰り広げつつも、着実に紫との距離を縮めている。

 

 優勢とは程遠い苦難の連続だが、レミリアとさとりが役目を十分に果たせている現状は、あまりにも上出来だ。

 

 レミリアとさとりの主目的は紫と戦う事ではなかった。勿論その望み自体はあるが、それが叶わない事をよく知っていた。

 十中八九、紫の下に辿り着くまでに殺されてしまうからだ。悔しいが、強化されたフランとこいしの2人にすら単純な戦力では及ばない姉達に運命は微笑まなかった。

 可能性があるのは霊夢ただ1人であり、自分達の想いを含めた全てを託す他ない。

 

 か細い勝利への道を繋ぎ止めるのだ。その為なら自らが捨て石になる事も厭わない。屈辱に囚われる暇など微塵も存在しなかった。

 

 2人の役目。それは、時間稼ぎである。

 

(本人はああ言っていたけど、古明地の状態が良くないのは明白。アイツが崩れれば私と霊夢の受ける圧力は今の比じゃなくなって、私もそう長くは保たなくなる。それまでに間に合うか? 彼方(幻想郷)側もそろそろ進展があってくれないと困るが……)

 

 余裕のある涼しげな表情を変えずに、苦々しい内心と焦りを封じ込める。

 戦術面での対応や、局所的な優位はレミリアの差配によって為されている。しかし、戦略面や大局を見越した指示には至らない。運命が不規則過ぎるのだ。

 

 その原因は明白。

 八雲紫だ。

 運命の輪から外れたイレギュラーの塊が断続的に戦闘への介入を行っているのだから、根本から乱されるのは当たり前か。

 

 ならば更なる不確定要素を呼び込み、全ての前提条件を根底から覆すしかあるまい。

 その時が来るまで兎に角耐え忍んで、霊夢をなるべく紫へと近付けておく。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

「チッ、やっぱり不死人に碌な奴は居ないわね。──妹紅(コイツ)を退けたらフォローに入るわ! それまでくたばらないでよ、古明地ッ!」

 

「言われず、とも……!」

 

 2人の規格外の大妖怪による乱撃を、読心による先読みと予知を駆使して回避し続ける。一撃でもマトモに喰らえば命がないだろう事は、彼女らから放たれた攻撃の余波だけで明確なビジョンとして叩き付けられている。

 倒そうにも自身への危害となる要素を悉く破壊したフランと、不定形かつ不明瞭なぬえに致命傷を与えるのは難しく、仮に苦労して倒せても、少しの時間さえあれば全快で復活してしまう。

 

 であれば、回避盾と妨害に徹する事で攻撃対象を自分に絞らせるのが、最も貢献できる方法だ。

 幻想郷の強豪達の中からさとりが2人目の乱入者として抜擢されたのには、確かな理由があった。

 

 

「運命『ミゼラブルフェイト』ッ!!!」

 

 レミリアの手元が紅く照らされ、紅蓮の鎖が射出される。凄まじいスピードで飛来した鎖は猛進する妹紅の脇腹を貫き、そのまま巻き付いて身体を囲う。

 紅い鎖は対象の運命を縛り付け、停滞と硬直を齎す。その効力の強大さはグングニルに並ぶ、レミリアが誇る反則技の一つであった。

 

 これで妹紅の運命は閉じられた。殺せはしないが、暫くの間は身動ぎもできない。

 反転し、次へと意識を向ける。

 

 想定としては、さとりに気を取られているフランを背後から彼方へ吹っ飛ばし、2人でぬえを押さえ込む。その後、霊夢の下に改めて駆け付ける手順だ。

 これでさらに戦える。

 

 ここまでは確定していた。

 運命をレミリアは掴み取っていたのだから。

 

 あまりにも上手く運び過ぎていた故の弊害。

 油断はしていなかった。だが思考に染み付いていた往年の慣れが、レミリアの行動を半ばマニュアル化させていたのが拙かった。

 

 

 紫の介入により潜在能力の扉が開かれる。

 運命は暴力により掻き消された。

 

「……は?」

 

「爪符『デスパレードクロー』」

 

 視界の端で飛び散る紅鎖の残骸と、己が肉片。脳裏で崩壊する運命の道筋。

 背後から受けたのは妖力を帯びた爪による一閃。それはレミリアの強靭な肉体を何分割にも容易く切り裂き、遥か先のビル群すら粉々に切断する。

 

 妹紅の力が爆発的に上昇し、運命の鎖を力尽くで破壊せしめた。もはや小手先のテクニックは通用しない領域。

 永遠の属性を持つ妹紅に負わされた傷は、自然治癒を著しく阻害する。不死と不壊の象徴である吸血鬼の女王レミリアでも、その法則からは逃れられない。

 自身の大計が失敗に終わった事を悟った。

 

「……掴めない、か」

「ッ! いま行きま──!?」

 

 如何に窮地に陥ろうが、レミリアの能力は常に運命を示し続ける。待ち受けていたのは、残酷な結果。

 レミリアを救うべくスペルの発動準備に入ったさとりだったが、途端、下半身の自由を失い空中に身を投げ出す事になる。その理由は己の肉眼で確かめるまでもなく、運命が指し示していた。

 

 諏訪子の仕業だ。

 自身の内で蓄えていた呪の奔流を瞬間的に地面を這って拡散させ、アスファルトに接着する有機物全てを腐り殺したのだ。今までとは比べ物にならない程の規模とスピードであり、レミリアの思考を読むのが一手遅れた。

 相対していた霊夢ですら、その急転に己が身を守る咄嗟の防御しか間に合わなかった。

 

 コンマ1秒にも満たない接着だったにも関わらず、さとりの右足は腐り削げ落ちていく。這い回る激痛に脂汗が止まらない。

 助かるには早急に手遅れな箇所を切断し、これ以上の侵食を防ぐしかない。しかし、そんな時間がこの場で許される筈がなかった。

 

「禁忌『クランベリートラップ』」

「禁弾『カタディオプトリック』」

「禁忌『フォービドゥンフルーツ』」

 

「喪失『アンノウンカタストロフ』」

 

「そんな……! 馬鹿なっ!」

 

 禁断の二重詠唱、否、五重詠唱。

 分裂した3人のフランドールが同時にスペルを発動し、膨大な量の弾幕がさとりに向け殺到する。

 しかし、それですらも狙いの真意は牽制でしかなく、本命はその背後に控える本体(フラン)と、ぬえの合体スペルだ。2人で1枚のカードを掲げている。

 

 効果範囲は全域。この空間だけでなく、三界全てに効力を齎す絶対の無差別破壊だった。

 

(妹紅さんといい、先程までとは何もかも格が違う! 何が起きた? 紫さんは何をした?)

 

 疑問は尽きない。しかしそれに意識を傾けるほどの余裕は、さとりに存在しななかった。

 生き残る為の行動が必要だが、もはや死地に向かう以外に方法は見出せない。

 眼前を埋め尽くす発光体の群れの全てに『破壊』が付与されている。肉体、精神、記憶……分け隔てなく消滅へと追い込む防御不可のスペル。

 

 もはや先は存在しない事を突き付けられた。

 ここまでか。

 ……いや、諦めるな。最期まで泥臭く足掻くのだ。

 

(お空、お燐! 私に力を……!)

 

 

 

 

 

 

「ふん、随分と後ろが気になるみたいね? さっきから注意散漫だけど、そんなんじゃ私と相対する事すら能わない! 心構えから出直して来いッ!」

「だから、アンタらに用は無いんだってば!」

「気にせずともアイツらは終わりだ。心置きなく闘争に身を投じよ!」

 

 完全な拮抗。

 菊理と矜羯羅の加護により無類の強化を受けたお祓い棒と、力任せに押し込む緋想の剣の鍔迫り合いは時空を捻じ曲げる程に苛烈さを増していく。

 

 比那名居天子と博麗霊夢は知己だった。

 月の都の独房で紫も合わせて3人で暇潰しに興じた経歴がある。当然、互いの実力も高い次元で理解していた。だからこそ天子も、霊夢を自分をぶつけるに足る存在であると判断したのだろう。

 

 天子は藍や橙と並び、思考そのものに紫の介入が行われていない稀有な存在である。

 ありのままの心で紫に協力しているのだ。

 ある意味一番タチが悪い。

 

 助けてやろうとナイフを振り翳したこいしに向かって強く威嚇する。眼力と迫力で大気が震える。

 

「霊夢との勝負に手出しはさせん! お前達は根暗覚妖怪と吸血鬼の所に行くといいわっ!」

「まったく、勝手な事ばかり言ってくれるなぁ。どうする? こいし」

「お姉ちゃんのトドメは私が刺したいから、向こうに行こっかな。藍ちゃんからも均等に別れろって命令が飛んできてるし」

「藍も容赦ないねぇ。じゃ、私は念の為に待機して、紫への道を塞いでおこうかな」

 

 有り余る数の利を以って戦場を分断し、包囲撃破を狙う心算か。

 どうやらいつの間にか傀儡達の操作が紫から藍に移っているようで、なるほど、このいやらしさは確かに藍だと霊夢は納得する。

 

 こいしが消えて、残ったのは天子と諏訪子、そして周囲に能面を漂わせてぼーっとしている変な妖怪の3人。先にレミリアとさとりを潰してしまう気なのだろう。

 舐めやがって。

 

「どうした霊夢! もっとだ、力を込めろ!」

「くっ……この馬鹿力が! アンタ、別に紫から洗脳されてる訳でも無いんでしょ? なんでこんな馬鹿な事に協力してるのよ」

「単純明快! 私と紫の理想が合致したからだ。お前を倒して時を遡ったらまず、天界を滅ぼし、地上を滅ぼし、人類を導き、地をならし、美しい四季を作り、新しい生命を造り、悲しむ事のない心を創り、貧する事のない社会を作り、この世界全てを創り直してやろう!」

 

 揺らめく炎の等身が倍に膨れ上がる。

 想いの強さだけ緋想の剣は強くなるのだ。

 

 

「私は新世界の神となるっ!!!」

 

 

「あーなるほど。アンタは元から正気じゃなかったわね」

 

「んー……どう思うよこころちゃん」

「解析しました。脳みそ空っぽ気持ちいいぃぃ、という感情で埋め尽くされています」

 

 霊夢は勿論、仲間からの受けも悪かった。

 完璧な統率を見せる一方で、霊夢に対して諏訪子とこころを介入させず天子を好きにさせているのは、何処ぞの狐による粛清願望が込められていたりするのやもしれない。

 

 ただ厄介な事にどれだけ馬鹿らしくて低俗な想いであっても、天子のそれは天地を滅ぼしてしまうほどのパワーが込められている。

 霊夢にとっては迷惑極まりない。

 

 レミリアとさとりには悪いが、助けに行く暇はないし、本人達もそれを望んでいない事は理解していた。

 何せ、霊夢は既に肉眼で紫を捉えている。

 

 諏訪子の呪が障壁となって行先を塞いでいく中、その合間から一瞬見えた遥か先に聳え立つ超高層ビル。その屋上に確かに居たのだ。

 式神2人を前に出し、その後方で高みの見物に興じているスキマ妖怪の姿。

 更にその背後には見慣れない金髪の女と、俯く茶髪の少女の姿があった。恐らく、あの茶髪が件の宇佐見菫子なのだろう。

 

 もう少し、もう少しで手が届く。

 

「魔空『夢想封印 瞬』ッ!」

「う、おぉっ!?」

 

 僅かな質量を残す残像。天子の思考が硬直する。

 エリスによる身体能力強化魔法の加護が齎したスピードは天子の視線を振り切り、顳顬を横薙ぎに打つことでアスファルトへと頭を強かにぶつけ、何度も転がる羽目になった。

 

 だが霊夢の舞いは次に続かなかった。

 勢いのリズムに割り込むように大振りの薙刀が霊夢の頬を掠める。天子がやられる時を虎視眈々と狙っていたのだろう。「こころ」と呼ばれた妖怪──付喪神が躍り出る。

 

「口惜しや次は私の番だな。我が名は秦こころ! さあ私と最強の称号を賭けて闘え!」

「そんなものくれてやる。どけ」

「投げやりな感情? いやごちゃごちゃ? うぅん……難しい。参考にはできないな」

 

 妖力の質が今までの連中に比べて幾らか艶やかだ。生まれたばかりの妖怪特有のそれである。

 霊夢の妨害を遂行できる程度の力はあるようだが、他の傀儡連中と比べれば些か劣るようだった。

 まだ自分の存在を上手く確立できておらず、未完でありながら他要素の埋め合わせで完成形へと昇華した狭間の存在には及ばない。

 急遽用意された数合わせ要員か? 

 

 だが霊夢の勘は視覚から伝わる情報とはまた違う脅威を教えてくれている。真正面からの突破は面倒な事になりかねない。

 

「……魔空『夢想封印 瞬』」

「『仮面喪心舞 暗黒能楽』」

 

 出鼻を挫く刺突。戦闘を避けようとする霊夢を嘲笑うように、流麗な舞踊に操られる薙刀が的確な軌道で進行方向を阻み、大きな動作を許さない。

 まるで自身が演目の一部と化してしまったのかと錯覚するほどだった。

 

 如何なる超スピードを以ってしても振り切ることができない。それもその筈で、天狗避けの性質を含む『暗黒能楽』だからこその対応術だ。

 しかも二童子(八雲の式神)の援助もある状態。こころの能力が最大限に発揮される布陣である。

 

 事実上こころ1人に勢いを完封されてしまっている事は霊夢を大いに焦らせた。

 その間にも手が空いた諏訪子は一足飛びで距離を取ると、悠々と紫への道を呪で押し潰していく。さらに地べたを這い蹲っていた天子が金切り声を上げながら復帰する。

 

 と、緋想の剣はその輝きを苛烈に吹き上がらせた。今まではほんの小手調べのつもりだったと言わんばかりの力の高まり。周囲の瓦礫から蒸気と熱波が溢れ出る。

 見境なしに放出されるエネルギーは徐々に集約を始め、力に指向性が生まれる。無何有(むかう)の大災害が人の意思により害を為そうとしているのだ。

 

「『全人類の緋想天』!!!」

 

「うおおお待て待て待て! その位置は(こころ)も危ない!」

「知るかッ! 諸共幻想の塵となれぃ! ──ああ? 流石に止めろ? うるさいッ私に命令するな!」

「ひえー」

 

 流石に藍からも中止の指令が入っているようだが、まさかの拒否。強力な式縛りを受けて身体に夥しい量の裂傷が走っているが、それでもなお抵抗の構えを崩さず射出準備に入る。

 狭間の存在に成り果てた事で抑圧されていた欲望が膨れ上がり、結果凶暴性が増しているのだろう。どの陣営に居ても迷惑極まりない。

 

 天子の強行姿勢に観念したのか、哀の仮面を付けたこころは「もはやこれまで」と呟き薙刀を構える。霊夢をここに留めて巻き込みを狙うのだろう。

 もっとも、八雲紫の傀儡たるこころであれば粉微塵になっても復活できるだろうが。

 

「はっはっは! なんと素晴らしいパワー! 今なら軽く太陽系すら吹き飛ばせてしまえそうだ!」

「あながち嘘でも無さそうだけど……」

「嘘なものか。お前は確実に殺しておかなきゃならん」

 

 天子は眩しい物を見るように目を細めた。

 

「お前が死んで漸く紫は柵から解き放たれる。未練が無くなるんだよ。あいつは優柔不断だからな」

「……どういう事?」

「さてね? お前が大事な娘だから、って言えばそれで満足する玉でもなかろう。兎に角! お前は私の目指す新世界の障壁! 少々名残惜しいが、消えてもらうわ!」

 

 地響きと共に跳躍した天子は、剣の切先を霊夢とこころへと差し向ける。

 瞬間、蓄積された膨大なエネルギーが緋色に弾けた。全人類どころか、積み重ねてきた世界線全ての気質を天子の霊力によって撃ち出す超高密度の閃光。

 

 今日何度目かの詰み。思わずスペルを唱えようとして、口を噤んだ。

 

 まだだ、夢想天生の使い所はここじゃない。

 使うのは『紫と戦う時』だと決めていた。

 このカードを温存するためだけに、レミリアとさとりが命懸けで万金に値する一分一秒を稼いでくれたのだ。

 こんな所では──。

 

「さらば! 我が好敵手──ッッッ!!!」

 

 

 

「はい、それは駄目〜」

 

 しゃなりと降り立つ華霊の蝶。淡い桜色の波動が世界を駆け巡る。

 緋色の閃光が忽ち減衰し、消滅した。

 否、()()()()()()()

 

 相変わらずの無茶苦茶な能力。その無法さに霊夢は呆れ返ってしまった。

 

 その一方で、天子は困惑のあまり立ち尽くすしかなかった。何が原因であるにしろ、自慢の超必殺技が破られるとは夢にも思っていなかったのだ。

 しかし、不意に肩に手を置かれ、反射的に思わず振り返る。

 頬を剛拳が貫いた。

 

「ぐえぇっ!?」

「おー痛。相変わらずの硬さだなぁ」

 

 再び地面を這い蹲り、土を味わった。

 その傍で、二角の古豪──伊吹萃香が拳をさすりながらアルコール混じりの吐息を吹きかける。

 

「だらしないぞ霊夢。こんな所で足止めを喰らうようじゃ、紫には勝てないよ」

「……分かってる」

「だけど、まあ、私達が来るまでよく頑張ったな」

 

 足りない背丈をうんと伸ばして霊夢の頭をポンポンと叩く。

 萃香だけじゃない、頭を優雅に撫でるもう一つの手。

 

「小鬼の言う通り、ちょっと頑張り過ぎね。柄にも無く心配ではらはらしちゃったわ」

「嘘だ。こいつずっと饅頭食って笑いながら呑気に観戦してたよ」

「小鬼はいつも五月蝿いわねぇ」

 

 幽明の蝶を漂わせながら、西行寺幽々子は言う。

 奇しくも八雲紫の親友2人による同時の境界突破だった。尋常ではない頼もしさ。

 

 と、萃香は四肢を大の字に広げ、太々しい笑みを浮かべた。よろよろと今も起き上がろうとしている天子や、揺蕩っているこころに向けてのものだ。

 

「この場は私達に任せな。これ以上あの餓鬼共の邪魔は入れさせないから、お前はあの親友(馬鹿)を絶対に逃すんじゃないよ」

「友人の無余涅槃の願いを否定する気は毛頭ないけれど、日日是好日(にちにちこれこうにち)の素晴らしさを思い出して、もう一度考え直してもらいたいの。お願いね」

「私の分まであいつに言ってやってくれ。お前の願いよりも、私はお前と過ごすくだらない毎日の方が大切なんだって! 頼んだぞ」

 

「……分かった。任せて」

 

 素直に頷く事にした。ここで幽々子と萃香が傀儡を引き受けてくれるなら大幅な時間短縮になる。

 霊夢の狙いは最初から紫だけだ。

 

「さあ突っ走れ霊夢!」

「もう止まる必要は無いわ。紫の所まで、ただただ前へ」

 

 

 

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……。助かり、ました」

「それは此方のセリフ。よくぞ持ち堪えてくれました、礼を言います」

 

 膝を付いて蹲るさとりを庇うように、幻想郷の最終兵器(リーサルウェポン)が立ち塞がった。

 賢者、茨木華扇。堂々の参戦である。

 

 その右腕には深々と包丁が突き立てられているが、堪えた様子はない。下手人のこいしは首を傾げるばかりだ。

 こいしが振るう凶刃の恐ろしさは、身体へのダメージ以上に、意識そのものを刈り取る精神攻撃にあるが、華扇には何故か通じなかった。

 

 右腕の中身が空だから、ではない。

 意識が華扇以外にも存在しているからだ。

 

「私だけではありません。これからどんどん新手がやってきます。これで数の差は逆転した」

「それがどうした! 雑魚が何匹やって来たところで無駄なのよ。私には敵わない」

「そうかもね。だけど貴女が幾ら私達に勝ったところで、大元(八雲紫)が負けてしまえばそれで終わり。結構な話ではないですか」

「なら話は早い。さっさとお前達をぶち殺して紫の所に向かえばいいわ!」

「よろしい、やってみせなさい」

 

「幻想郷の賢者は頼りない奴等ばかりだと思ってたけど、どうやらマシな奴もいるみたいね」

 

 身体中に付着した血を拭いながら、レミリアはどこか感慨深げに呟く。幻想郷史上最も賢者という存在をコケにしてきたからこその態度か。

 その一方で優美なドレスがズタズタに引き裂かれ、キャミソールが露わになり締まらなかったので、さとりが想起で元に戻してあげる。

 コンビネーションは健在だった。

 

 さて、ぬえと華扇が言い争っている間に自分達も行動を起こしてしまおう。

 

「霊夢の方はもう大丈夫そうだし、そろそろ私も好きにやらせてもらうわよ」

「そうですね……私もそうしましょう」

 

 2人は妹に狙いを絞る事にした。

 ()()()()()()()()()()()()()今、フリーになっているのはフランとこいしだけだ。

 もはや戦局は大幅に改善し、一人一殺の構えでも十分に貢献できる段階になっている。

 ならば勝手を知る者を相手するのが良い。

 

「へぇ、やっと私と戦ってくれるんだ? これが最期の姉妹喧嘩になりそうね」

「違うわね。これが最初の姉妹喧嘩よ、フラン」

 

「お姉ちゃんったら昨日からぶっ通しで頑張り過ぎじゃなーい? そろそろ休みなよ」

「そうしたいのは山々だけどね、この悪夢をもう少しだけ楽しみたい気分なのよ。こいしとお話しできる時をずっと夢見てたんですもの」

 

 片や引き裂かれた身体を無理に接着しているせいで崩れかけていて、片や力の使い過ぎでまともに立つことすらできていない。

 それでも威勢の良さと自分達を見る目は変わらない。

 

 妹2人は呆れながらも納得した。

 そうだ、確かに姉はそういう人だった。




元々のEX5人組は藍が完全に制御してますが、追加の黄昏2人組はゆかりんの手が若干加わってます。なので天子もこころも勝手な事ばかりしてるんですね(開示)
また、天子の「太陽系を吹き飛ばす程のパワー」発言ですが、これはドラゴンボール愛読者のゆかりんによる影響です。本来なら「非想非非想天を丸ごと滅せる程の力」とかそんな感じのことを言います。

単純な戦闘力は
天子≧諏訪子≧ぬえ≧妹紅≧フラン>こいし>こころ
厄介度は
こいし≧こころ>フラン≧ぬえ>諏訪子>妹紅>天子
みたいな逆転現象


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アウトサイダーの呉越同舟

あと4話くらい


 

 

 

「あーもう、ダメだってば! それ以上進むんじゃないよ!」

「断る。その様子だと紫も相当焦っているようね?」

「ぐぬぬ……生意気な巫女め」

 

 紫の傀儡は諏訪子を除き全員排された。

 一時的には7人まで膨れ上がっていたあの恐るべき陣容は、紡がれた絆に導かれし者達による捨て身紛いの足止めで機能不全を起こしている。

 この機を逃すわけにはいかない。

 

 一方で最後の壁となる諏訪子は手加減無しの全力で霊夢と相対し、幻想郷の想いと自身の激情に後押しされた破竹の勢いを何とか留めんと奮戦していた。

 

 流石は日本最恐の土着神と言うべきか、夢想天生を使わない場合での最強形態の霊夢から一歩ずつ後退しつつも、簡単には抜かせない。

 比較的後方での戦闘を心掛けていたのが功を奏したのだろう。着実に溜め込んだ呪をふんだんに解放するだけでなく、土着神としての坤を創造する力をもフルに使い霊夢の行先を阻み続ける。

 

 しかし、その悉くを霊夢は乗り越えていく。

 その目には既に紫を捉えている。

 

「どれだけ足掻こうと私は紫を逃さない。地獄の底までも追いかけて連れ戻す!」

「嫌だ、そんなことは許さない。私は……今度こそ家族と一緒に暮らしていくんだ」

「そう。悪いけど、私も同じよ」

 

 並々ならぬ事情があるのは理解している。

 フランドールは傀儡達の願いを『本音ではない、心に秘められたもの』だと言った。

 家族と暮らしたいという、日本最恐の土着神としては余りにも人並みな望みは、きっと本来であれば他ならぬ本人が否定し、心の奥底にしまい込む類いのもの。

 最終的には諏訪子の命と共に葬られてしまったけれど、確かに存在していたのだ。

 

 もはや、その願いは紫と共に歩む事でしか成し遂げられない。だから邪魔者への敵意は高い水準で保たれ続けている。傀儡とて必死なのだ。

 

 だから霊夢は気持ちをいっそう熱く激らせる。

 自分の願いだって負けていないのだと示す為に。

 

 願いとは常に一方通行。己が願いの成就の先には、無碍にされた誰かの願いがある。

 それでも全員、前に進む事を目指すしか無い。それがこの世界の理である限り。

 相反する願いの両立、実現。そんな奇跡は到底起き得ないのだから。

 

 

 故に。

 その無理を塗り替える奇跡を起こし、一石を投じることができれば、理は大きな波紋を見せる。

 それは他ならぬ八雲紫が既に成し遂げた事だ。その()()()()にできぬ謂れはない。

 この世の理をコケにするのは紫だけの専売特許ではないのだ。

 

 東風谷早苗、境界突破。

 

「や、やったぁ! いけたっ!」

 

「さ、早苗ぇ!?」

 

 早苗が現れたのは、なんと幸か不幸か諏訪子と霊夢が火花を散らすホットスポットのど真ん中。

 何の前兆もなく出現した場の趨勢を書き換えかねない存在に、霊夢は思わず眉を顰め、諏訪子は口をあんぐり開けたまま硬直してしまった。

 

 補足すると、紫の支配する世界に侵入した際の着地点は一定では無い。紫擬きの残した道標を辿って進めば霊夢のスタート位置──紫擬きが死亡した場所に現れるが、それ以外はランダムである。

 つまり、早苗はあろう事か確実なルートではなく、一か八かの方を選んだ事になる。

 

「霊夢さん! お待たせしました!」

「待ってないわ。えっと……なんで来たの?」

「酷い!? そんなの決まってるじゃないですか。頼れる援軍というやつですよ」

 

 霊夢は顔を覆いたくなった。

 百歩譲って、レミリアにさとり、萃香や幽々子の参戦は頼りになるだろう。流石の霊夢もこの状況においては否定できなかった。

 一方で早苗に関しては、正直期待外れ、足手纏いな印象が否めない。コモンレアである。

 

 しかし! 早苗とて無策で駆け付けたわけではない。

 

「此方に赴く前に神奈子様からありったけの加護をいただきました。泣くだけのお荷物だったかつての東風谷早苗はもういません! 今の私は──スーパーミラクル現人神ッ」

 

 漲る神力を無闇に振り翳しながら高らかに宣言。霊夢は頭を押さえたい気持ちでいっぱいだった。

 だがその傍ら、諏訪子は明らかにたじろいでいた。

 早苗と目線を合わせようとせず、やりにくそうに後退る。

 

「……やっと会えましたね諏訪子様。この日が来るのをずっと待ち侘びていたました」

「それ以上こっちに近付くな、今すぐ現実へ帰れ。お前を、殺したくない」

 

 重厚な殺意を滲ませ凄む。

 しかし早苗には通用せず、脅しに屈する事なくどんどん前へ進んでいく。

 

「私の命は元より、諏訪子様とお師匠様のおかげで繋がっているようなもの。お二人を救う為なら……この命、喜んで捧げましょう!」

「この、おバカ……ッ!」

 

 至近距離まで近付かれた諏訪子が取った行動は、迎撃でも静観でもなかった。

 背を見せての敵前逃亡。一目散に紫のいる方向へと駆けて行く。早苗を手にかけたくない諏訪子による苦肉の選択だった。

 

 何はともあれ、チャンスだ。

 巫女袖を捲り上げ全力疾走を開始する。

 

「追いかけましょう霊夢さん! このままお師匠様の下へ一直線です!」

「……そうね」

 

 霊夢としてもそうする以外の選択肢は無かったので、素直に頷く。

 ただし内心では「本当にこのまま最終決戦に突入するんだろうか」と一抹の不安を抱いていた。

 

 

 

 

「藍、橙、もういいわ。解放された潜在能力は完全に定着した。これ以上の強化は悪影響しか出ない」

「はっ、かしこまりました」

「は、はい」

 

 声音には冷たさが含まれていた。

 踊りを止めさせるのと同時に、2人に与えていた『爾子田』と『丁礼田』を回収し、元の持ち主である隠岐奈へと返還。八雲と摩多羅のあるべき形へと戻した。

 

 空間の裂け目から腰を浮かし、眼下を眺める。

 当初の想定より遥かに多い人数での侵入を許している。恐らく、これからも増え続けるだろう。

 その原因が自身の計画の甘さによるものなのか、それを判別する時間すら惜しい。

 一つ確実に言える事は、幻想郷側は侵入手段を確立しつつあるという事。

 非常によろしくない。

 

 宿敵、同僚、親友。錚々たる顔触れではあるが、まだ紫の方が強い。

 しかし、彼女達の執念が計画を大きく狂わせたのは事実であるし、何より本命であろう霊夢と何故か早苗が、自分達の陣取るビルの真下に到達している。

 

 藍としてもこれ以上は看過できない。

 

「紫様。私が芽を摘んで参ります。御命令を」

「うーん……橙は?」

「橙は紫様の身辺警護です。こうして不測の事態が連続している以上、紫様と今回の要である摩多羅様をノーガードという訳にはいきません」

「私もその方が助かるな。仮に妨害を受ければ作業はまた一からになるぞ」

 

 菫子のバックドアーから力を抜き出しつつ、片手間に隠岐奈は言う。この一連の戦闘において、菫子と隠岐奈は紫陣営での一番の急所である。万が一の無きよう周りを固めるのは当然の判断。

 

 だが紫は首を横に振る。

 

「藍、貴女が此処を離れるのは許可しない。やるなら八雲全員で迎え撃ちましょう」

「し、しかし……」

「霊夢とAIBOの足掻きが我々の完璧な備えを打ち崩した、それだけの話よ。あれだけ見事な反抗を見せられては、私も腹を括るしかないですわ」

 

 むしろ、霊夢にとってはここからが真の難所だろうと、扇子に隠された顔はほくそ笑む。

 フラン達には悪いが、傀儡の波状攻撃はあくまで前座。アレを乗り越えない限り、八雲紫への挑戦権など存在する余地もない。

 傀儡は多種多様な矛だった。ならば藍と橙は、矛を兼ね備えた盾だ。全てを貫き通し、全てを跳ね返す八雲紫が誇る最強の障壁。

 

「橙、覚悟はできているね?」

「……藍さまから作戦を聞かされた時から、既に」

「そうか。偉いぞ」

 

 いつもならその覚悟を褒め称えて頭を撫でてあげるところだが、今の橙にそれは失礼になるだろうと、藍は寂しげに笑いながら手を引っ込める。

 今、2人の立場は対等となっているからだ。

 

 そんな式達のやり取りを流し目に見ていると、隠岐奈が口を紫の耳に寄せる。

 

「確かにお前とお前の式神がいれば博麗霊夢を斃せるだろう。しかしその他はどうなる? お前が先ほど言ったばかりじゃないか」

「ああ、更なる増援ね」

「巫女と、助けに来る面子によっては苦しい戦いとなるかもな。最悪を想定しておくといい」

「ふふ、何を馬鹿な。私が負けるとでも?」

「勝ち負けがお前の全てではなかろう」

 

 隠岐奈の言葉にほんの少しの恥ずかしさと、感心が込み上げる。

 やはり賢者と謳われる者達の頭は出来が違うようだ。もっとも、それが故の傲慢が彼女の身を滅ぼしたとも言うのだが、愚者と形容するには思慮が深過ぎる。

 

「では当然、貴女の思う最善手を提示してくれるのよね?」

「簡単な話だ。援軍の供給源を潰してしまえばいい。単純明快だろう?」

「……」

「できないとは言わせんぞ。お前がやっているのはそういう事だ」

 

 愚者を自覚する紫でも秘神の意図は容易に汲み取れた。そして自らの心に込み上げた一つの想いもまた、改めて理解するに至る。

 

 隠岐奈の言う通りだ。

 幻想郷そのものを潰してしまえば、これ以上の援軍は現れないだろう。帰る場所を失った霊夢達の戦意喪失も狙えるかもしれない。なるほど、最善手だ。

 

 他ならぬ八雲紫の手で幻想郷を破壊する。

 残酷な話だが、そもそも紫が現在進行形で行なっているのも幻想郷を破壊する行為である。直接的か、間接的か、いずれかの違いしかない。

 

「甘ったれるな。勝負は水物、最後に事を決めるのは想いの強さだ」

「幻想郷を壊す事で覚悟を示せってことよね。……分かったわ。とくとご覧にいれましょう」

「楽しみにしているよ」

「意地悪ね」

 

 快活に笑う隠岐奈と、冷たい眼差しを向ける紫。まさに対照的な2人。幻想郷を守り、育んできた賢者にあるまじき行為だった。

 心を落ち着けるべく深呼吸。

 

 スペルカードをスキマから取り出しながら考える素振りを見せるが、結論は既に決まっていた。

 災厄と混沌の坩堝たる幻想郷を滅ぼすのなら、並大抵の戦力では役者不足。紫が切る事のできる手札の中でも最強クラスの物を用意しなければ。

 ならば彼女しかありえないだろう。

 

 繰り出すは彼女を模倣した規格外のスペル──『トリニタリアンファンタジア』である。

 自身に属する幻想の存在を3体まで現世に呼び出す召喚詠唱。傀儡制御の難度に目を瞑ればデメリット皆無の反則技だ。また今回に限れば意図的に傀儡を暴走させるのが目的なので寧ろ好都合なまである。

 

 今、幻想郷に最強の刺客を解き放った。

 隠岐奈や正邪が主犯となり起こした幻想郷同時多発異変を超える敗亡の嵐になるかもしれない。援軍を寄越す暇などもはやなかろう。

 さて、どうなるか? 

 

 スペルの発動を確認し、続いて霊夢と早苗への対処に動く。切り札その二の出番である。

 

「あの子達に最後の試練を課すわ。藍、準備を」

「例の技でございますね? では、恐らく霊夢も早苗もただでは済まないでしょうね」

 

 得心したように頷き、主人と並び立つ。

 全てを出し切り、どんな手を用いてでも勝つ。

 

 八雲紫への挑戦権を賭けた熾烈な攻防は、遂に佳境を迎える事となった。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 壊乱。

 

 数刻前まで戦場を映す水晶に釘付けになっていた観客達は、秩序を失ったように慌しく動き回っていた。異様な雰囲気が博麗神社を包んでいる。

 

 但し、迷走している訳ではない。少々のパニックはあるが、それに思考を奪われてもいない。

 海千山千の強者達が一丸となり、この戦いの当事者として為すべきことを為そうとしているだけだ。

 

 中でも特に成果を挙げた3人。

 紫を裏切った挙句内部情報を続々とリークし、境界に穴を開けた青娥娘々。

 幻想郷の各地から八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)を的確に収集するナズーリン。

 そして、自分の普通ではない立場を利用し、起死回生の決断を行なったアリス・マーガトロイドである。

 その成果が伊吹萃香、西行寺幽々子、茨木華扇の参戦。そして東風谷早苗の独断に繋がった。

 

「よくやってくれましたナズーリン! 成功ですよ!」

「してくれなきゃ困るよ……」

 

 星の褒め言葉に応える元気がないほど、ナズーリンは消耗していた。ロッドを地面に突き立て、息を荒げながらも探知を続けている。

 この広い幻想郷からガラクタ同然の物体を的確に探し当てるのには、尋常ではない集中力を要する。それを三つも短時間のうちに探し当てたのだ。大活躍である。

 

 幽々子に授けたのは、紫が賢者会議の際に勢い余ってへし折った愛用の扇子。

 萃香に授けたのは、八雲邸跡地の地下に埋まっていた小さな筒状の物体。

 華扇に授けたのは、人里の空き家に放置されていた、焼き焦げたハードカバーらしき物。

 

 扇子はともかくとして、あと二つと八雲紫にどのような繋がりがあるのかは分からない。しかし、ナズーリンの能力が指し示した以上、ただならぬ物であるのは明らか。

 現にそれらは八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)としての役割を見事に果たしてくれた。

 

 なお早苗に関しては、なんと手ぶらでの境界突破を果たしている。

 並ならぬ幸運があったのもそうだが、彼女自身が紫との繋がりを持つ存在。東風谷早苗という八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)と化していたのだ。

 ただ乱入については神奈子達から強く制止されていたが、強引に振り切っている。

 

「済まないけど、ブツはまだまだ必要になる。引き続き捜索を頼むよ」

「まったく、鼠使いの荒い兎だな……。おっと、反応有りだ。んー確か、香霖堂って名前の古道具屋だったかな? そこから八雲紫との繋がりを感じるな」

「よし私に任せろ。すぐ店主から奪い取ってくる!」

 

 報告を受けるなり、魔理沙は箒に跨った。怪我人だからという理由で引っ込んでいられるほど、現在の状況は楽なものではないから。

 魔理沙だけではない。満身創痍だった文に椛も精力的に活動している。

 

「──見つけました。髪色が異なりますが、間違いなく稀神正邪ですッ!」

「よしナイス千里眼よ椛。さあ、動ける奴ら全員で捕まえに行きましょう」

 

「針妙丸様! リーダーに会いに行こう!」

「うん! 今度こそ絶対に逃がさないんだから!」

 

 文の号令と共に元草の根の妖怪達が駆け出した。捕縛しに行く、というよりも、針妙丸達にとっては迎えに行くという感覚に近い。

 

 正邪に拘る理由は単純明快であり、彼女の持つ八雲紫の私物を狙ってのものだ。

 反幻想郷連合の頭目として活動していた際、今は無き八雲邸の空き巣を行い、幾つかの呪具を回収しているらしいので、それを譲り受けるためだ。

 

 その情報源である()()()は善良な笑みを浮かべ、下手に出ながら胡麻を擦る。

 紫から正邪、そして紫。極め付けは幻想郷を守護する側への転身。

 あまりの変わり身の早さに元同僚の天狗達はドン引きしていた。節操が無さ過ぎる。

 

「正邪様であれば一つや二つの八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)を所持しているでしょう。そこまで強くもないですし、まさに狙い目でございますよ」

「そ、それはいいんだけど……」

「ふふ、私が忠誠を誓うのはこの世で飯綱丸様と天魔様の御二方のみ。全ては八雲紫の横暴を阻止せんが為の行動だったのですよ」

「いやまあ妖怪の山に戻りたいっていうなら受け入れるけどさ。飯綱丸さんが生きてたのも驚きだし」

 

 釈然としない表情ではたては呟くのだった。

 典の真の目的は、八雲紫に奪われていた飯綱丸龍の能力と存在の陰を返還してもらうこと。その為に紫の手先として暗躍し、様々な勢力に取り入って情報を横流ししていた。

 

 菫子の確保と共に契約は履行され、晴れて先ほど、主人の復活に必要な物を集め終えた。

 後はこれらの苦労を無に帰させないよう、協力関係にあった八雲紫に反旗を翻し、計画を頓挫させれば完璧だ。一から十まで龍のための行動である。

 

 なお一つ補足すると、典の忠誠は龍1人だけに向くものであって、天魔(はたて)に対する感情は皆無である。棚ぼたで成り上がった天狗の若造ぐらいの認識だ。

 利害が一致するうちは非常に使い勝手の良い駒。それが管牧典という忠臣(下賤な狐)の正体である。

 

 

 

「まったく……此処はいつの時代も性根の腐った者が多過ぎる。私の説法は効果無しですか」

「地獄や畜生界の方がマシだと思えるのは凄いですよねぇ。私もつくづく思いますよ」

「トップがあれでは仕方ないと諦めたくなる気持ちもありますがね。あの者ほど馬耳東風という言葉が似合う者も然う然ういないでしょう」

 

 立ちはだかる困難を乗り越えるべく清濁併せ呑む方針を取った幻想郷に対し、一定の理解は示しつつも、やはり納得がいかない様子で難しい顔をする者がいた。

 四季映姫・ヤマザナドゥこそ、その最たる人物である。

 

 幽々子からの要請を受け、職務を放り出し慌てて幻想郷に出てみればこの始末。

 映姫は紫の事情を知る数少ない人物であるため、驚きは比較的軽かったが、それはそれとして大いに呆れ返った。

 紫の記憶が戻ったのだとしても、現在のような凶行に走らないないようしっかり説法を行ってきたつもりだ。しかし聞く耳を持たない紫には無用の長物である。馬の耳に念仏。

 

 だがそれでも、映姫は諦めずに手を尽くすつもりだった。それが俗世との隔たりを重視する閻魔にあるまじき、今回の積極的な協力に繋がったのだ。

 

「説法以外で閻魔様に感謝したのは初めてですよ。ご助力に深く感謝します」

「嘘は吐かなくてよろしい。それよりも貴女は自分の役目に集中しなさい」

 

 戯れ合っている暇など無いと言わんばかりの態度に対し、てゐは和かに頭を下げるだけ。

 華扇が実動要員として居なくなったので、繰り上がりで全体指揮を取ることになったてゐだったが、そんな彼女が呑気に話しているのはどうにも緊張感が感じられない。

 

「嘘じゃないさ。感謝をしてるのは本当よ。閻魔様とそこの死神の能力が『境界を操る能力』に対して一方的な有利を取ってくれたおかげで、境界の突破に繋がったんだから」

「まあ、ね。そこに転がってる邪仙の代わりにしかならないけど、そう言ってくれると飛んで来た甲斐があったってもんだ。ね、映姫様」

「むぅ……」

 

 満身創痍な状態で境内に転がる青娥を全員が一瞥する。レミリアとさとりを境界の先に送り出した際に力を使い過ぎてしまったのである。

 同じく、華扇達を転送した映姫と小町もそれなりに疲れていた。3人は次の更なる人員を送り込むために、力の回復に努めているのだ。

 八雲紫が用意した境界は、やはり相応の対価が必要になってしまう。

 仮にアリスの『ツテ』がなければ相当苦しい事になっていただろう。

 

 生死の裁きを司る身としては、いま青娥を捕まえて地獄に突き落としてやっても良かったが、状況が状況なので半ば見ないフリをしている。

 それよりも大切な事が間近に迫っていた。

 

「話を戻しましょう。この難局、生半可な指揮では切り抜けられませんよ。分かってる?」

「勿論、全て想定済みさ。戦争において敵の後方支援から叩くのは定石だからね。寧ろ紫にしては策謀が些か王道に寄り過ぎだな。もっと凄い奇策を見せてくれると思ってたからガッカリだよ。さては本調子じゃないな」

「何と言いますか、信頼しているのですね」

「長い付き合いだしねー」

 

 竹林の賢者因幡てゐにとって、この程度の相手であれば百戦危うからず。

 敵を知り、地の利、人の利、天の利を掴む彼女に負けは存在しない。少なくとも引き分け以上には持っていける確信があった。

 

 だが、映姫と小町の難しい顔は変わらない。

 

「しかし八雲紫も遂に思い切った手段を取ってきやがりましたね。幻想郷を破壊する気満々じゃないか。自分の作った世界に対して未練が無い。こりゃ、上手く此方に連れ戻せても意味がないんじゃ?」

「いや、アイツは未練たらたらだよ」

「ん? でもこれは……」

 

 困惑気味に小町が呟く。

 

 数分前、幻想郷の北西、西端、南東に3柱──否、1人の傀儡が解き放たれた。

 この報せを聞いた時、映姫と小町は幻想郷の終焉を悟った。ついでに鈴仙も泣き叫んだ。もはや抗う手立ては存在し得ないと。

 そんな諦念の気持ちを抱いてしまう程に、あの神は──ヘカーティア・ラピスラズリとは圧倒的であり、文句無しの最強に位置する超越者なのだ。

 

 ヘカーティアというカードを切った以上、紫の幻想郷に対する温情は皆無であると判断した。

 しかしてゐは否定する。

 

「幻想郷を吹っ飛ばすつもりなら、少なくとも巫女が侵入した時点ですぐにヘカ何某とやらを投入してきたさ。いつもの紫にはない手緩さだ」

「でもあの地獄の女神だよ?」

「それに、そもそもこの世界を一からリセットするつもりなら、記憶が戻った時点でさっさと姿を眩ませてしまえば良かったんだ。でもアイツはのこのこと姿を現して、幻想郷の賢者としての職務を遂行している。何もかもが中途半端だよね」

「へぇなるほど」

 

 てゐの分析に小町は感心したように声を漏らす。確かに言われてみれば紫の行動には不自然な点が明らかに多い。ヘカーティアの存在感に圧倒され思考が先行し過ぎたかと、映姫も同じくして認識を練り直した。

 

 ただ得意げに語っているてゐだが、実際はさとりと紫擬きの会話を盗み聞きしていただけである。あの2人は早々に紫の思考分析を行っていた。

 当然、てゐ単独でもいずれはその結論に辿り着いただろうが、この短時間で結論付ける事に成功したのは、以上の要因が大きかった。

 

 まあそれはそれとして、ヘカーティアの対応には幻想郷側としても最大級のアクションを取る必要があり、煩わしい限りではあるのだが。

 だがありがたいことに、現在の幻想郷には過去最高水準で戦力が揃っている。

 自分が賢者に選ばれた頃とは凄まじい違いだ。紫が残した影響力はもはや幻想郷に留まらない。

 

「さあて、これが私達に許される幸運の最大値。後は人事を尽くして天命を待つってところかな」

 

 

 

 

 幻想郷北西部。無縁塚にほど近い再思の道、その最奥。紫色の桜舞い散るこの地は、幻想郷を構成する結界の交錯地であるということで常に境界が曖昧となっている。

 冥界とも密接な関わりのあるこの地ほど、地獄の女神再誕の場所として適切な場所は無い。

 降り立ったのは青髪と母なる地球を携えた女神。

 

 地球、異界、月。3人のヘカーティアによる幻想郷縦横断。目につく『敵』を容赦無く殲滅し、博麗神社での合流を目指す計画である。

 地球担当のヘカーティアは組み込まれた術式を面白そうに眺めた後、行動を開始、南下を始める。

 

 否、始めるところだった。

 

「ここから先に進む事は罷りなりません。どうぞ地獄へとお帰りください」

「ふむ、仏の道を往く尼僧の言う事とは到底思えないが、良い啖呵だ」

「破戒僧ですので」

 

 再思の道を塞ぐように、聖白蓮と豊聡耳神子の二大巨頭が立ちはだかる。

 その背後には門下の雲居一輪、村沙水蜜、そして再度冥界から脱出した物部布都も控える。

 全員が女神との戦力差に慄きながらも、物怖じしない態度でそれぞれの得物を構えた。

 

 さらに、無数に降り注いだ御柱がつっかえ棒となって、魔法の森へと続く退路を塞いだ。下手人は当然、蘇った戦神八坂神奈子。

 博麗神社へは決して通さないという不退転の意思の表れである。ここに居る全員から同意を得ての、背水の陣だった。

 

「さて……ここまで分の悪い戦いは初めてだが、どうなるかね?」

「お主は先ほど早苗殿に力を分け与えたばかりであろう? 問題ないのか」

「神の力はいくら分けようと減らないのです。いわば早苗は私の分社になっているようなもの。全開で戦えるから安心して欲しい」

「なんとなんと! それを聞いて安心しましたぞ」

 

 布都はわざとらしく仰天する。

 初めて聞いたような物言いだが、古代神道の祭事を司っていた彼女が知らない筈がない。敢えて神奈子が全開で戦える事を自然な流れで周知させ、知識がないであろう仏門勢に情報伝達を行ったのだ。

 事実、一輪と水蜜は「ほぉ〜」と感心したように頷くばかりだった。

 

 相変わらずな腹心の様子に笑みを溢しながら、神子はヘカーティアを伺う。

 欲は確かに感じるものの、酷く歪だ。自然な状態でないことは明らか。そもそも、興味深げに此方を見遣るだけで、ヘカーティアは一言も言葉を発さない。

 

「どうやら雁字搦めの制約を受けているようだな。これでは西洋魔術の詠唱も儘ならないだろうに……叛逆を恐れた措置? 案外小物か」

「やはり八雲紫は噂に違わぬ悪辣な妖怪。……正さねばなりませんね」

 

 好き勝手言う2人に神奈子は曖昧な笑みを向ける。ノーコメントである。

 

 こうして、幻想郷では比較的新参、これからを牽引していく三大新興宗教のトップが並び立ち、最強の女神へと挑む構図が出来上がった。

 ここらで存在感を見せつけて、今後の幻想郷での活動を円滑に進めていこうという打算は当然存在した。それ込みでも、大変頼りになる。

 

 ある意味ではこれも宗教戦争。

 神道&道教&仏教VSギリシャ神話である。

 

 

 

 

 無縁塚では三竦みの宗教が手を取るという打算と善意による奇跡が起きた。

 そして他二ヶ所でも同等の、若しくはそれ以上の目を疑うようなタッグが誕生していた。

 

 此処、幻想郷の西端は、かつて太陽の畑と呼ばれる肥沃な大地が広がっていた。

 しかし現在は霧雨魔理沙と風見幽香の激闘による影響で荒廃してしまっており、不毛の荒野が延々と続く魔境と化している。

 穿った見方をするなら、そこそこ大袈裟に暴れても壊れる物は何も無いのである。

 

 両者共に展開される暴力の嵐は、互いの間に存在するあらゆる物を完全消滅させるに至る。

 

 思いがけず現れた未知の強敵に、赤髪──異界担当のヘカーティアは口の端を吊り上げる。自分に対して真っ向からの火力勝負を挑み、張り合ってくる存在は初めてだ。

 何処のどいつだろうかと、目を細めた。

 

 対してその相手──暴虐の化身、幽香は逆に目を見開いて凄絶な笑みを浮かべる。愛用の傘が拉げてしまう程の莫大な魔力が彼女の周りを渦巻いていた。

 

 隠岐奈との戦いで死亡した風見幽香とはまた違う存在であり、例えるなら『夢の世界の風見幽香』とも言うべき夢幻館に巣食う恐るべき怪物である。

 髪型はロングで、服装もスカートではなくチェック柄の長ズボンとなり異なっている。

 

 そしてその横に並び立つは、ヘカーティアと同じく異界の神。六対黒色の翼を浮かせ、赤いローブと白髪のサイドテールが特徴的な女神だった。

 

 その正体は、己が手で一つの絶対的な神域を生み出した魔界創造神、神綺。

 微細な所作の一つ一つから繰り出される幾多の魔砲には世界を崩壊させるに足る魔力と緻密な術式が編み込まれている。その隔絶された魔法技術は、魔導の祖であるヘカーティアをして激しく心を踊らせる程の領域だった。

 

「腕は全く衰えていないようね。流石は魔界神サマ、勉強になるわぁ」

「節操ないラーニングは相変わらずか。下賤な妖怪に相応しい立ち振る舞いね」

「いきなり呼び出されたと思えばこんな面白い殺し合いをやってるんだもの。余す事なく吸収しないと勿体無いわ。こっちの『私』を殺した秘神とやらも気になるしね」

「もう……」

 

 狂ったバトルジャンキーめ、と内心毒吐く。

 なお、そんな幽香を現世に召喚したのは他ならぬ愛娘のアリスであった為、帰れとまでは言わなかった。一応足手纏いにはならない程度の強さもある。

 

 また神綺が幻想郷の為に力を振るっているのも、アリスからの頼み故だ。

 ある日、魔界の至宝を持ち出して姿を眩ませてからというもの消息不明だった娘からの急な連絡に、神綺は思わずその場のノリで了解を出してしまったのだ。

 その結果、世界最強の地獄の女神と戦わされる羽目になったのだった。しかも怨敵と共に、かつて魔界を破壊した化物どもを輩出した忌むべき化外の地、幻想郷を守る為に。

 

(本当なら私も紫ちゃんと一緒にこの魔境を滅ぼしちゃいたいんだけど、アリスちゃんからの頼みだしな〜。困っちゃうわ〜)

 

 なお、緊迫した状況に対して、内心はかなり呑気していた。今回の騒動を無事乗り切ればアリスが魔界に帰省してくれる約束なのである。

 その為に先ほども、世界と世界を隔てる境界に穴を開けてあげたのだ。一つの世界を管理する者としての権能が役に立った。ただ個人的な感情として、ママ友繋がりの紫に助太刀したい気持ちが多少あったり。

 

 そんな私情に塗れた不純な戦いではあるが、相見える全員が最凶クラスの猛者。

 その様相はまさしく、魔術と暴力の頂上決戦であった。

 

 

 

 

 

 そして、最後の戦場。幻想郷南東部のほぼ全域を占める広大な迷いの竹林でも、地獄の女神と歪なタッグの相対が行われていた。

 有り得ない組み合わせという観点では、恐らく此処が一番だろうか。相手の姿を認めた金髪──月担当のヘカーティアですら明らかに戸惑っていた。

 

 灼熱の憎悪に身を焦がし、月の破滅を画策した金色の災厄。比類無き明晰な頭脳を持ち、月の守護に尽力した白銀の賢者。

 純狐と八意永琳が並び立っていたのだ。

 もしここに月の都の関係者が居たなら、泡を吹いて卒倒していただろう。なお鈴仙は心不全を起こした。

 

「なんという数奇な運命……我が復讐を散々邪魔してきた貴女と肩を並べて戦う日が来るなんて。しかもその相手は我が友ヘカーティア」

「私も少々驚いています。災害と肩を並べ、地上を守る事になるとは。一体どういう風の吹き回し?」

「別に不思議な話では無い」

 

 長年の確執はこの際水に流すとしても、ただ単純に気になった。あの理性を失い暴を振り翳すだけの純狐が、何故こうして幻想郷の防衛に立ち上がったのか。

 しかし純狐は、ごく当たり前のように言う。

 

「私の生涯唯一の友を救いたい気持ちに理由はいらないわ。それに、他ならぬうどんちゃんの頼みですもの。ね、うどんちゃん♡」

「……そうなの? うどんげ」

「ゑ!? そ、そうですけど、これはその……! てゐに言われてやむを得ず……!」

「今回の一件が片付いたら話があるわ」

 

 足手纏いだということで、やや後方に控えていた鈴仙は絶望に打ちひしがれた。

 ヘカーティアが殺し合いの相手という事もそうだし、純狐に付き纏われているのもそうだし、永琳からのお仕置きが確定したのもそうだ。

 

 ただ実のところ永琳は鈴仙を褒めてあげるつもりだった。月の民なら誰しもが震え上がる大災害を手懐けたのだから、その功績は計り知れない。自分の弟子として申し分のない働きであると。

 しかし当の鈴仙からは怯えられてしまい、永琳はちょっとだけ傷付いた。

 

「でも意外と言うなら貴女もそうでしょう。かつては自分の手で八雲紫を殺そうとしてたのに、今となっては他の者に任せて、自分はヘカーティアを抑える役目なんて」

「……姫様の判断です」

「蓬莱山? でも彼女は弱かった筈」

「確かに姫様はか弱いお方。しかしその聡明さは私を遥かに凌駕します。現に今も八雲紫を引き摺り下ろすために策動されています。その邪魔はさせない」

 

 心中を明かしてみれば、案外どちらも納得できる理由だった。永劫に近い時間で積み上げてきた怨みを踏み越えて、今を守る為に力を振るうのだ。

 その心に偽りは無い。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「やった、着いた! 後はこのバカ高いビルを登っていくだけですね!」

「律儀に階段を使う必要はないわ。行くわよ」

 

 ビル内部に侵入しようとしていた早苗を制止し、宙へと舞い上がる。このあたりの意識の違いは空を飛ぶ事への慣れの違いだろう。

 

 いつの間にか諏訪子は姿を消しており、妨害は何もない。迎撃を諦めてしまったのかと思ってしまうほど、素通りで到達できた。

 だが突き刺すような殺気は相変わらず充満している。むしろ、紫に近付くほど増していくばかりだ。

 

 遥か遠方から聞こえる不気味な爆発音は、助っ人と傀儡達の戦闘から発せられるものだろう。それ以外には何も、物音すらしない。

 あまりの不自然さに、早苗は肌の泡立ちを抑えられなかった。

 

「どうしたんでしょう。お師匠様は諦めてしまったんでしょうか? 諏訪子様の姿も見えませんし」

「いや、あの諦めの悪い馬鹿がこの程度で投げ出すとは思えない。何が来てもすぐに対応できるよう、全神経を集中させなさい」

「は、はい!」

 

 とは言うものの、霊夢も困惑していた。

 傀儡7人と繰り広げた激闘が嘘のようだ。もうビルの中間に到達してしまう。

 

 そして──。

 

「ッ!」

「あっ!? お師匠様と藍さん!」

 

 屋上の手摺りを越え、縁に立つ2人の姿が見えた。

 自分達の足掻きを楽しんでいるように、笑みを浮かべて見下ろしている。

 

 と、徐に紫がスキマを開く。

 ようやく迎撃開始かと霊夢は構えを取るが、空間を跳躍し現れたのは、紫色をした球状の物体。

 それを手に乗せた途端、側面からコードのような紐が伸び出て紫の頭と胸に接着する。

 

 まず『瞳』が開かれた。

 

「れ、霊夢さん! アレは!?」

「……見覚えがあるわ。確か、古明地さとりに付いてるやつよね」

 

 通称サードアイ。心を読み取る覚妖怪限定の器官である。だが知っての通り、八雲紫は覚妖怪ではない。なのに何故あんな物を? 

 いや、そうか。霊夢は答えに行き着いた。

 

 アレは、古明地こいしの物か。

 こいしを殺害した旧天魔は、サードアイを奪った。ならばその旧天魔を殺した八雲紫の手にサードアイが転がり込んでいてもおかしくはない。

 さらに、こいしを己の一部とした紫であれば、サードアイを十全に操作する資格を持つ。

 

 ならば繰り出すのは、まさか。

 

 

「想起『蟲姫さまの輝かしく落ちつかない毎日』」

 

「想起『剛欲な獣神トウテツの夕餉』」

 

 

「やられたッ逃げなさい早苗!」

「ひっ……なにあれ!?」

 

 紫が想起したのは、かつての紫の記憶に埋もれていた妖怪の姿。天狗にとっての悪夢であり、恐怖そのものともいえる大蜈蚣(姫虫百々世)の力。

 移動するだけで山脈を突き崩し、大陸を割ったとも伝えられる規格外の妖怪。

 

 そして、紫の想起の術式を式複写でコピーした藍が、自分なりの改良を加え完全再現。畜生の理に身を委ね、欲と破壊に忠実だった頃の親友(饕餮尤魔)の力を形作る。

 大陸の有機物を喰らい尽くし、藍と共に数え切れない程の命を吸い上げた最悪の獣。

 

 それらが少女の姿だったのも束の間で、真の姿とも取れる異形へと成り果てた途端、ビルそのものを遥かに超える巨躯が摩天楼を薙ぎ払いながら、唸り、のたうち、迫り来る。

 全てを喰らう暴食の前には、如何なる手段を駆使しようが無意味だ。

 あんなものはマトモに相手できない。

 

「早苗、私の後ろに!」

「あ、あんなのと真っ向から戦うのは無理ですよ! それよりも、ここは敵の攻撃を敢えて利用して切り抜けましょう!」

「あん!? ……いや、そういう事」

 

 現代社会で暮らしてきた早苗には、幻想郷育ちの霊夢にはない『気付き』があった。漫画やゲームで得られた着想が役に立ったのだ。

 霊夢は早苗を脇に抱えると、『夢想封印 瞬』で高速移動を開始。大蜈蚣の前に躍り出ると、自らを囮として誘導しもう一方の怪物へと進路を変更させる。

 饕餮もまた巫女の姿に反応し、大口を開ける。その瞬間、亜空穴を開き回避。スペル同士を衝突させる事に成功した。

 

 紫と藍の繰り出した想起のクオリティは高かった。故に幻影の怪物は自らの欲に正直過ぎたのだ。

 饕餮と大蜈蚣が互いの肉を貪り、徐々に消滅していく。所詮は奪う事しかできない畜生の末路。実物には及ばない『想起』であったのも好材料だった。

 

「こうも上手くいくとは」

「わ、私もびっくりしました。鳥○先生はやはり偉大なんですね……」

「誰よそれ」

「言っても分からないでしょうから気にしないでください。さっ、今度こそお師匠様の下へ向かいましょう」

 

 危険な賭けだった。

 スペルの性質を見誤っていれば、今頃あの地獄のような空間で延々とすり潰されていただろう。

 いや、それ以前に霊夢の動きから早苗が策を提示するタイミングまで、何か一つがズレていれば成し得なかった成果である。霊夢と早苗の長所が見事合致したのだ。

 

 あれが紫の用意していた最後の切り札であろう事を考えると、それに見合うだけの恐ろしい技だった。

 しかし無事に切り抜けた。それはきっと、とても幸運なことであり──。

 

 

「貴女達が生ける者に刻み付けた恐怖はこんなものではなかった筈。想起せよ、自壊せよ。喰らい尽くせ」

 

 

 ──どんな奇跡も想定内だ。

 

 八雲紫の秘策を1人の犠牲もなく突破するなど許されない。このスペルの真髄はブレイク直後に発生する幻想と幻想のぶつかり合いにある。

 饕餮が喰らい、大蜈蚣が喰らい、互いの肉により満たされた妖力は、スペルカードという名の外殻から解き放たれた時、衝撃波となり駆け巡る。

 

 鮮血のように赤い波動。波状に広がるそれは、眼下の尽くを消滅させていく。

 音速以上の速さで空を翔ける霊夢ですら軽く飲み込んでしまえる程の規模だった。

 

 アレに飲み込まれてしまえば命は無い。博麗の勘に頼るまでもなく明らかだった。

 振り返る暇もなく霊夢は早苗の手を取ると、自身に許される最高速度での飛行に入る。アレだけの規模であれば間違いなく紫の位置も危ない筈。ならばあの周辺だけ安置となるよう調節していると見た。

 

 それしか助かる道はない。夢想天生を使用したところで早苗が死んでしまう。

 

「霊夢さんダメ! 追い付かれる!」

「舌噛むから黙ってなさい!」

「ッ……ごめんなさい」

 

 途端に霊夢の身体が軽くなる。

 繋がれていた手が解かれたから。そして、身体を下から押し上げる突風に吹き飛ばされたから。

 

「大奇跡『八坂の神風』!!!」

 

 吹き抜ける風は虚しかった。

 咄嗟に手を伸ばしたけれど、早苗はもう届かない場所にいた。背後の鮮血が身体を巻き込み始めていた。

 

「行って、ください霊夢さん! 役立たずな私の分まで、どうか……! お師匠様を──」

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……クソ、ちくしょう。どうして」

 

 風に後押しされた勢いそのままに屋上へと不時着し、転がってうつ伏せになる。

 立ち上がろうと手を付き膝を立てるが、震えて上手く動かない。疲労もそうだが、霊夢にとって初めてとなる感覚がチグハグな反応を起こしていた。

 

 自分を送り出した直後、眼前で砕け散った早苗の顔が何度も脳裏を過ぎる。

 守られた。この博麗霊夢ともあろう者が、屈辱だ。

 でももう、怒鳴る相手が居ない。居なくなってしまった。

 

 

「あらら、本当に辿り着いちゃった」

 

 打ちひしがれている暇などないと、追い求め続けた相手が楽しげに笑う。霊夢は震える膝に握り拳をぶつけて、ふらつきながら立ち上がる。

 大丈夫だ、闘志は折れていない。

 

 紫がいて、その両脇を藍と橙が固めている。また、その背後には息も絶え絶えな状態で寝かされている宇佐見菫子と、その力を貪る摩多羅隠岐奈の姿がある。

 無言でお祓い棒を構える。

 

「はぁい霊夢、お久しぶり。前に会った時よりも随分とボロボロになったわね。紅白、というよりは紅煤の巫女ってところかしらね。うふふ」

「黙、れ……」

 

 手に乗せていたサードアイが崩れていく様を眺めながら、ふと首を傾げた。

 

「もう1人巫女がいた筈だけど見当たらないわね。もしかして避けられなかった?」

「……早苗はアンタのことを最期まで慕ってたわよ」

「知っています。しかし、如何なる想いを抱いていても私の下に辿り着けなかったのなら何の意味も無い。この世界に遥々やって来た勇気ある者も、幻想郷で足掻き知恵を絞る者も、結局はただの犬死にですわ」

 

 違う。

 

「そうさせない為に、私がここに居る!」

 

「ならば貴女も無意味に死ぬしかないわね」

 

 

 

 




ヘカーティア(弱体化)(式縛り)(無詠唱)(33%)(変なTシャツ)
デバフだらけ!しかも台詞無し!

なお他従者枠の星、夢子、エリー、クラピですが、みんな博麗神社にそれとなく待機してます。最後の壁となる役割ですね。ただクラピだけはヘカちゃんと戦うのを怖がってます。

早苗とゆかりんの繋がりですが、幻想郷に来る前の一幕で、念話の開通の為に結んだ契約が原因です。
またその時にゆかりんが自分の血を早苗の頬に付けていましたが、それが影響して神奈子等の霊的な存在が見えるようになっています。
ゆかりんの身体は殆どメリーの据え置きとなるので、ゆかりんには『摩訶不思議な物が見える程度の能力』が備わっているんですね。それが早苗にも感染した形です。


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ラストリモート*

あと3話
サブタイはこんなんだけどこいしちゃん早苗さんとはあんまり関係ない


 

『よし、一旦休憩にしようか。昨日よりも随分動きが良くなったね』

『……そう』

『なんで不貞腐れてるの? せっかく褒めてるんだからもっと喜んでよ』

 

 こちらを眺めながら、不思議そうに首を傾げる藍の顔を見て、無性に苛ついたのを覚えている。

 

 まだ私が物心ついたばかりで幼かった頃、右も左も分からず雲のように流されるだけだった頃。

 この時間が一番嫌いだった。

 ただただ退屈なだけの座学も嫌い。だけど藍との組み手はもっと嫌だった。

 

『手加減するな』

『そりゃ手加減するよ。手元が狂ってお前を殺しちゃったら紫様に申し訳が立たない』

『私は死なないもん』

『死ぬよ。私がその気になれば、一瞬で』

 

 姿を視認する前に、首元へと食い込んだ指。自分を見下す冷たい目。皮一枚破る事はなく痛みもなかったけれど、私に深い挫折を刻み込んだ。

 なんて事のない勉強である。

 自分が最強だと勘違いしている子供に世界の広さを教えるだけの簡単な作業。

 

『さっさと私よりも強くなるといい。紫様の為に』

 

 お前は人間ではない、幻想郷を回すための道具なんだと。否応無しに叩き込まれた。

 

 

『藍……貴女なにしてるの?』

『紫様!? いや、これは訓練の』

『あらそうだったの。良かったわ、橙の件で腹を立てて報復してる訳じゃなかったのね』

『……ッ。ま、誠に申し訳ございません!』

『え?』

『え?』

 

 こんな訳のわからないやり取りも、酷く日常的だったと思う。

 

 そうだ、最初は橙が組み手の相手だった。

 でも簡単に倒せてしまったから拍子抜けしたのを覚えている。あいつもあいつで未熟だったんだろう。そして藍もまた式神使いとして未熟だった。

 

『あまり調子が上がらないみたいね。藍が嫌い?』

『そうじゃないけど……。そうだ、アンタが相手してよ。そっちの方が』

『それはダメ。私が欲しいのは幻想郷を守る最強の巫女であって、何の役にも立たない物言わぬ死体ではないのよ』

『……』

『ごめんね霊夢。藍の方が私よりも教えるのは絶対に上手だから』

 

 紫はそう言うと、畏れ多いといった様子で項垂れる藍に何かを告げてスキマの奥に消えていった。

 

 ずっとこんな調子だ。

 私に強くなれと言い続ける割に、紫は私と一度たりとも戦ってくれなかった。幻想郷最強の妖怪を相手取る実践を許してくれなかった。

 幼心に凄くムカついたのを覚えている。

 

『あまり紫様を困らせないようにな。あの御方はとても忙しいから』

『ふん、どうだか。私はアンタが働いてるところしか見たことないわ』

『それはいい事だ。主人より忙しくない式神なんて存在する価値がないからね』

 

 皮肉をたっぷり込めた言葉を投げ掛けても、藍は嬉しそうに答えるだけ。

 生き方はどこまでも紫第一で、その有り様に私はほんの少し恐ろしさを抱いた。

 

 藍は、私が目指す理想的な生き方に最も近い癖に、私の思想から最もかけ離れていた。

 私はそれが、どうしようもなく気に入らなかったのかもしれない。

 

『呆れた。自分から縛られる事を望むなんて』

『それはそれで悪い事ではないよ。紫様の手足となる事が私にとっての至福だから』

『……なんていうか、紫に『死ね』って命令されたら喜んで死にそうな勢いね』

『私にできる事だったらなんだってするよ』

 

 理解できない。

 

『いや、でもどうだろうな? なんかこう、恥ずかしい事とか命令されるとちょっと困っちゃうかも……。いや紫様に限ってそんな命令は絶対に無いのは分かるんだけど、万が一、万が一ね? そういう御趣味がおありだとしたら、一体どんな命令をされちゃうんだろうな!? そりゃあ、できる事ならなんだって頑張るけども!』

 

『あーはいはい、紫のことが好きで好きで仕方ないってことは嫌というほど分かったわ』

『そうか! 分かってくれるか!』

 

 満面の笑みで私の両手を上下に振り回す。正直ドン引きだけど、藍の愛は深く伝わった。

 私はやっぱり……この狐が嫌いだ。

 

 すると、私の気持ちを見透かしたように藍は目を細めて、逆に私へと問い掛けてくる。

 

『私が羨ましいの?』

『……別に。奴隷になんかなりたくないし』

『言ってくれるじゃないか。……だけどね霊夢、羨ましいのは寧ろ私の方なんだ』

 

 藍は寂しそうに笑う。

 

『私はね、今の生き方に不満なんて一つもない。紫様の意思のまま生きていく事が、童の頃から目指し続けた未来だったからだ。もうそれ以外の生き方なんて考えられない。紫様も、それ以上の私を求めていない』

 

 複雑な表情だった。様々な感情を孕んでいる。

 子供の私には、それを上手く表現する言葉がついぞ見つからなかった。

 

『でも霊夢はそうじゃないだろう? 紫様はお前の全てを愛しておいでだからな。敵対的でも、従順でも、どっちだっていい。それが博麗霊夢である限り、紫様の心はお前と共にある』

 

 それを踏まえて藍は清々しく言ってのけるのだ。

 

『もう一度言うけど、大事な人に全てを委ねるというのも案外悪くないと私は思うな。縛りが思わぬところで役に立つことだってあるんだから』

『ある訳ないでしょ、そんなの。邪魔なだけよ』

『霊夢にもいずれ分かる時が来るかもしれないね』

 

 あの時の藍の真意は未だ分からず終いだ。

 私への牽制だったのか、それとも将来の同輩候補に向けたエールだったのか。

 

 どちらにしても碌でもない話だ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「あぁ……あのクソ狐……」

 

 霊夢の脳内を駆け巡った在りし日の記憶。

 走馬灯か、白昼夢か。どちらにせよ、一瞬だけ意識が飛んでいたのは確かだ。

 

 見た事のないコンクリート造りの天井を眺めながら、霊夢はぼんやり考える。

 額から流れ落ちる血が視界の端を赤く染め上げていく。思考が上手く纏まらない。

 

 何が起きたのかすら定かでなく、視線を振り切った何かにはたき落とされて、一撃で昏倒寸前に追い込まれた事だけ辛うじて把握できた。

 状況は理解できる。だが、その次が思い浮かばなかった。

 

 と、足首に見覚えのある尾が巻き付き、一気に浮上。天井に叩き付けられ、そのまま屋上へと引き摺り出された。

 上下反転。霊夢は力無く吊るされるだけだった。

 

 藍を隣に侍らせた紫が愉快に笑う。

 

「強いでしょ、私の式神」

「……どういう絡繰よ」

「これが八雲紫の式神、八雲藍の本気だという事。術者の力不足で今の今まで歯痒い思いをさせてきたけれど、それももう終わり」

 

 ここに至ってもまだ紫の余裕が消えなかった理由が分かった。藍が居るのなら万が一は無いと判断しても何ら間違いはないだろう。

 圧倒的な戦力。他の追随を許さない忠誠心。

 

 だがそれにしても異常だ。

 あまりにも強過ぎる。

 

 というのも、藍の強さに違和感を覚えたのは紫擬き(AIBO)が殺された時が最初だ。

 あの時も、今も、動きを目で追えない。

 

 と、九つの尾が蠢き、霊夢の四肢と首を縛り上げる。凄まじい力に身体のあちこちから嫌な音が鳴り響いていた。苦痛で顔が歪む。

 

「で、どうされますか紫様。巫女の命、もう終わらせてしまっても?」

「そうね……名残惜しいけれどどうせ次が来るでしょうし、これ以上可能性を与えても仕方がない」

「かしこまりました。──橙、やってくれ」

 

 合図とともに静観していた橙が腰を落とす。爪に禍々しいまでの妖力が集約され、霊夢の命を奪うに足る凶器へと昇華を続けている。

 如何に圧倒的であろうと手は抜かない。

 藍が全力で縛り上げ、橙が全力で屠る。各々の役割が式神らしく徹底されていた。

 

 そう、藍だけでは無い。その式神であった筈の橙にも何か尋常ならざる変化が起きている。

 最早自分の記憶にある2人の情報はリセットする必要があると、霊夢は認識した。

 

 故に、此方も相応の奥義を見せなければならない。

 使うべき時が今でないのは明白。それでもここでやらなければ、命は無い。

 

 

「『夢想──ッ天生』!!!」

 

 

 勝負はここで決める。

 

 橙の爪が首筋を通過し、藍の拘束が解かれた。

 2人は何が起きたのかを瞬時に把握したのだろう。故に一足飛びに紫の側へと帰還する。

 

 齢にして10と半ばの博麗霊夢を古豪犇く幻想郷において最強の一角と言わしめる所以、博麗究極奥義『夢想天生』の恐ろしさはよく理解している。

 アレが使用された以上、霊夢に対して如何なる影響も行使できなくなってしまう。発動すれば自動的に霊夢の勝ちが確定してしまう無法技。

 

 魔理沙は瞬時に負けを認め、レミリアの野望を真っ向から粉砕し、幽々子に引き分けへの算段を画策させ、萃香の心をへし折り、永琳を地へ叩き落とした。

 皆に共通するのは、一様に勝ちを諦めたことである。夢想天生状態の霊夢には、彼女らを以ってしてもそう思わせるほど、清々しいまでの瑕疵なき壁があった。

 

 しかし──霊夢の表情は険しい。

 紫の笑みが深まった事も合わせて、どちらにとって都合の良い展開であるかは、互いに共通の認識となっているのだろう。

 

「あーあ、使っちゃった」

 

 当然、紫が数ある障害の中で最も警戒したのも夢想天生に他ならない。

 だからこそ霊夢には傀儡による飽和攻撃をぶつけ続けた。夢想天生を自分に対して使用させない為に。

 ただ当初は諏訪子、ぬえ、こいしの3人で囲んだ際に使わせる予定だったのだが、大いに計画を狂わされた。その辺りは素直に称賛するしか無い。

 

 だがそんな霊夢の足掻きも限界。最後の壁があまりにも分厚く、そして高過ぎた。

 ここで全てを出し尽くしてしまっても、八雲の双璧を野放しにするリスクの方が高いと霊夢は判断した。

 

「完全無欠と謳われる夢想天生。数多の強敵がその技の前に敗れ去った。その様は一番近くで何度も観てきました。いざその矛先を向けられると、なるほど先人達の気持ちもよく分かる」

「ほう、最強の技か。打つ手無しか?」

「いいえ。その幻想を打ち破りましょう」

 

 隠岐奈の茶々を切り捨てる。

 

 八雲紫は最も近くで博麗の奥義を見てきた妖怪。

 何せ、霊夢に奥義の習得を命じたのも紫である。相応の知識は持ち合わせていた。

 

 その上で断言する。

 夢想天生は完全無欠でも、最強でもない。

 

「霊夢、貴女が愚か者でないのなら……私の考えもある程度予想がつくでしょう?」

「勿体ぶるな」

「ふふ……その奥義には三つの弱点があるわね。その一、あくまでも自己に対して発動するスペルであり、周囲への干渉は限定される。例を敢えて挙げるなら、私がこの世界を破棄してしまえば、貴女は為す術なく境界の狭間を永遠に彷徨う事になる」

 

 永夜異変で永琳が用意した対抗策と同列とも言える。

 あの時は企みを看破した紫擬きが干渉対象を藤原妹紅1人に絞らせた事で、不発に終わらせている。故に、今回はそう上手くは逃れられないだろう。

 

 だがこの世界は──蓮子とメリーが過ごした町の幻像は、破壊するにあたって紫への影響が大きくなるので、事の完遂までは是が非でも避けたい。

 

「その二、時間制限。スペルブレイクまでの6分間が貴女の寿命ですわ。難儀なものよね? 本来の夢想天生は時間無制限で、一度発動すれば永遠に効力を失わない技だった。時間制限を設けたのは貴女だけよ」

「十分でしょ。アンタをぶっ倒すのに大層な時間はいらないわ」

「結構な自信で」

 

 ただこの時間制限という点に関しては、霊夢が未熟だから不完全、という理由ではなく、また歴代の博麗の巫女に劣る要素とはならない事には注意が必要だ。

 寧ろ異常なのである。本来の夢想天生とは生涯一度きりの自爆技のようなもの。使用した巫女は以後普通の生活は送れなくなるし、大抵はそのまま空に消えてしまう。

 全てから解き放たれてなお、一定期間を経て現世に戻ってくるなど尋常ではない。霊夢の夢想天生が歴代で最も優れており、異質であると言わしめる要因。

 

 しかしそんな長所も、空間を自在に操るスキマ妖怪が相手では看過できないデメリットと化す。別の空間に逃げられてはそれで終いだ。

 

 そして──。

 

「その三、同条件での衝突」

「……ッ」

「いつから夢想天生を使えるのが自分だけだと錯覚していたの? さっきも言ったでしょう。()()が一番、貴女の戦いを近くで観てきたのよ」

 

 絡繰の開示が合図だったのだろう。

 式神に刻まれた術式を己が手で書き換え、藍の存在が一つ上へと昇華する。霊夢と同じ土俵へと。

 当然、博麗の血を持たない一介の畜生に夢想天生の適性などある筈もなく、そのクオリティに反して実現したのは旧型の奥義。

 

 思わず唇を噛み締める。

 

「馬鹿!!! お前がそんなことしたら、戻って来れなくなるわよ!?」

「その為の橙だ。霊夢、お前さえ斃せば後の有象無象など橙1人で事足りる」

「違う! そんな事を言ってるんじゃない!」

「逆に問おうか。自身の消滅などという陳腐な問題で私が躊躇するとでも?」

「ああそうだったわね! バカ狐!」

 

 死ねと命令されれば迷いなく命を断つ。それが八雲藍という式神。

 

「この世界は紫様そのもの。私が宙に溶けてしまっても、共に在れるのなら……巡り会えるなら、これ以上ない贅沢な死に様だ」

「どいつも、こいつも……っ!」

 

 先の早苗もそうだった。

 勝手に命を賭けて、託して、死んでいく。

 

 お前も私と同じ気持ちだろう、と。紫を鋭く睨み付ける。しかし反応はなかった。

 

「さて、あまり時間が無いのでね。早速で悪いけど、刺し違えさせてもらおう」

「やってみろ。さっきまでのようにはいかないわ」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「持ってきたぜ! 香霖が隠し持ってたブツだ」

 

 箒から飛び降りて五点着地しつつ、回収物をナズーリンへと投げ渡す。

 見覚えのある紫色のドレスに、紐リボンの付いた見覚えのあるナイトキャップ。

 紫が春や夏に好んで着ていたものであることは明白だった。思い返せば、春雪異変の時の物に酷く似ている。

 

「……うん、間違いない。これこそ私が探知していた八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)だ。……ところでなぜ古道具屋に八雲紫の衣服が?」

「さあね。妖怪の考える事はよく分からん」

「鼠妖怪の私にも分からんよ」

 

 所有者である霖之助も多くは語らなかったため、入手経路は謎なままである。

 ただ現状そんな事に思考を費やしている暇はないので追求は後回しだ。全てが終わった後に存分に真相を聞けばいい。

 

 何はともあれ、ドレスとナイトキャップ、それぞれが紫との間に強力な繋がりがあるとの事で、追加で2人を戦地に投入する事ができるようになった。

 すぐにでも向かわなければ。

 霊夢の苦境はしっかり把握している。

 

「霊夢の様子は!?」

「……押されてるわ。正直、あの戦いの中に飛び込むのはかなり勇気がいるわね。私が行ったところで果たして何秒保つか……」

「なんだいつになく弱気じゃないか」

「力量を見誤って許される場面じゃないわ」

 

 普段なら自分の弱みを見せたがらないアリスですら、そう言うしかなかった。

 かく言う魔理沙もそうだ。霊夢と藍の戦闘は既に別次元の域に達している。アレに意気揚々と割り込めるほど、愚かではなかった。

 

 今も蠢く九つの尾の合間を縫って、霊撃の応酬を繰り広げている。しかし、如何せん素のスペックと、手数が違い過ぎる。

 残された者達も固唾を飲んで見守るしかない。

 

「しかし、藍さんがまさかあれほどの力をお持ちだったとは。何度か手合わせさせてもらいましたが、それでも(妖夢)の目では見抜けませんでした」

「普段から強いもんな、アイツは。でも今の状態は明らかに異常だぜ。何か細工してあるに違いない」

 

「細工というよりも、式神としてあるべき形に成った、という方が正しいのかもね」

 

 画面越しでも分かる絶対的な強さ。

 

 星熊勇儀を赤子扱いできる剛力。

 射命丸文が止まって見えるほどの速度。

 紅美鈴すら到達し得ない至高の戦闘技術。

 犬走椛の数百倍の動体視力。

 比那名居天子すら脆く感じるほどに堅固。

 そして、八雲紫以上の頭脳。

 

 これが藍にとって正常な形なのだとパチュリーは言う。

 曰く、あくまで使い魔を使役する者としての知見であるが、完全な式神契約とは術者の意を余す事なく汲み取り、第三の手足として存在させる事にある。

 

 つまるところ、使役者の能力を完全にトレースした姿こそ式神の本来あるべき姿。

 今の藍は『もう1人の八雲紫』と言っても過言ではない存在と化している、という事になる。

 しかもベースとなる九尾の狐は据え置きとなる為、藍は紫を超越したのだろう。であれば、あの出鱈目な強さにも納得の余地がある。

 

「以上が私の考察。まあ、なんで今の今まで不完全な式神契約になっていたのかについては知らないけど」

「いや絡繰さえ分かれば十分だ。……つまり、弱点は無いってことだな」

「そういう事になりそうね」

 

 パチュリーは挑む気など更々ないと言わんばかりの態度で手を扇いだ。そもそも、あんな暴力の塊のような怪物の相手など魔女に務まる筈がない。相性が悪過ぎる。

 もっとも、普通の魔法使いには関係の無い話であるが。

 

「次は私が行くぜ。準備してくれ閻魔様」

「ふむ……貴女にはあの地獄が如き戦況をひっくり返す妙案が?」

「まあ、幾らかな。それに私は誰よりも霊夢と一緒に戦ってきた。居ないよりはマシ程度だろうが、アイツの助けになれる自信がある」

 

 嘘だ。映姫は魔理沙の本音を見抜いていた。

 秘策など存在しない。自信など微塵もない。それでも何もしないまま終わりたくないという、身勝手な意地が彼女を突き動かしていた。

 

 しかし映姫はそれでも頷くしかなかった。この場に残された者達の中で一番の適任は魔理沙だったからだ。

 他は皆、ヘカーティアの足止めや後方支援で手が空いていない。そもそも『最低限』を満たせる者すら限られている。遂に幻想郷側もリソースが不足に直面しつつあった。

 

「分かりました。そしてあと1名は……」

 

「私が行きましょう」

 

 これもまた納得の人選だった。

 

 

 

 

 

「っと、ゲートに飛び込んだかと思えばあっという間だったな。どういう原理なんだか」

「ええそうね。──それでは後ほど」

 

 手短に別れを告げると、彼女は音も残さずその場をから消え去った。

 相も変わらずせっかちな奴だが、彼女の性格からみれば随分我慢していた方だろう。霊夢がいの一番に紫の下に向かった時からずっと落ち着かない様子だった。

 今は一足先に此方の世界に来ていた上司の安否確認と、今後の指示を貰いに行ったのだろうか。置いてけぼりを食らった魔理沙もそれはそれでアリだと考える。

 彼女に距離などあってないようなものだ。すぐに合流できる。

 

 周囲は既に破滅的な暴力の嵐によって建物の殆どが原形を残していない。紫の傀儡分身達と第一陣の援軍共の仕業だろう。

 遠くない場所から鳴り響く轟音が、変わらぬ激戦を伝えてくれる。

 

(おかげで霊夢と紫の所までフリーパスってわけだ。助かるな)

 

 このフェーズに至った以上、傀儡に構っている暇などない。だからさとり達を助けに行くという選択肢は無かった。

 下半身の不随が解消している事を手短に確認し、全盛期の身体を存分に活かした飛行を開始する。久方ぶりの感覚が魔理沙の錆び付いていた戦闘センスを呼び戻していく。

 

 そして、見えた。

 真っ赤に染まったクレーターの更にその先。空を覆う紫雲を貫かんばかりに聳え立つ長大な建造物。

 

 この瞬間、魔理沙の初手は確定した。

 

「光符『ルミネスストライク』!」

 

 天に向けて放つ渾身のスペル。巨大な星型弾幕が太陽光顔負けの光量を湛えながら屋上を直撃した。

 否、寸前で藍の尾が防いでいた。霊夢と戦いながらでも的確に、魔理沙の乱入へと意識を傾けていた。そして排除すべき相手である事を認める。

 

 しかし藍が行動に移すよりも早く、魔理沙の二段仕掛けの罠が作動する。

 勢いを失い消えるだけの筈だったルミネスストライクが、魔理沙の魔力に応じて瞬きを増した。

 その光量たるや、強化されていた藍の視覚を一時的に奪い去る程。目を瞑ろうが瞼を貫通して視神経を焼き切った。当然、紫や橙も同様だ。霊夢のみ影響の排除に成功している。

 

「小賢しいッ! 目を潰したところで無駄だ!」

「来るな魔理沙!」

 

 霊夢の叫びとほぼ同時、伸縮自在に唸る九尾の尾が魔理沙へと殺到する。視覚を失ったところで、鋭敏な嗅覚と触覚が魔理沙の居場所を炙り出していた。

 回避の名人と謳われるほどの神懸かりな技術を持つ魔理沙でも、動体視力を遥かに上回る速度での攻撃には殆ど対応ができない。生存本能に従った激しい飛行とともに身を捩るが、僅かに脇腹を掠った攻撃が致命傷一歩手前の被害を齎した。

 死の匂いがする。

 

 だが魔理沙の闘志は尽きない。

 こうなる事は分かっていた。もとより無傷でいられるなんて甘い考えは捨てている。

 

「今だ! いけぇ!」

 

 箒から転落しながらも、ルミネスストライク維持のための魔力は止めない。

 全ては次の一手を活かす道筋。

 

 最強のガードと化した藍を突破するにはただ素早いだけではダメだ。小賢しいだけではダメだ。

 距離と時間の概念を飛び越え、直接的な脅威をぶつける。

 

「あ」

 

 背後から聞こえた溶けるような声に藍は我に返る。

 張り巡らされた感知網に引っ掛からず、自身の後ろに控える主人を害す事のできる存在。

 該当するのは小野塚小町と、もう1人。

 

「十六夜、咲夜」

「……思わぬところで悲願が叶ったわね」

 

 紫の胸に深々と突き立てられたシルバーナイフ。

 付与されていたのは時間停止の力。意思と生命、その流転をゼロで固定する。

 蓬莱人以上に不死身な紫を止めるには、これが最適解だろう。

 

 当然、それより先を許すほど八雲の式は悠長ではない。

 瞬く間に切り刻まれた咲夜の両腕が宙を舞う。

 下手人は橙であり、そのスピードは藍を僅かに上回る。しかし主人を守れなくては意味がない。悔やみきれぬ一瞬の抜かりに憤怒を浮かべる。

 

「よくも……ッ! よくも! よくも!!!」

「橙、落ち着いて。残念なことに死なないから」

 

 顔を顰めながら、紫はゆっくりと異物を引き抜きスキマへと投げ込む。滴る血を裾で拭う。

 咲夜の一撃を以ってしても、紫の因果を穿つには至らなかった。

 

「ふふ……撃つ、斬る、衝く、放つ、殺す、何を取っても私には効きません。あ、いやでも死なないけどこれめっちゃ痛いわ。あ"いたたた!」

「ゆ、紫様お気を確かに!」

「殺してやる……! 殺してやるぞ十六夜咲夜!」

「思った以上に効果があったようで満足です」

 

 結果としては右腕を失ってしまった咲夜の読み負け。しかしそれでも愉快なのには変わりない。

 紫に一矢報いてやる事が幻想郷来訪以来の咲夜の悲願だったからだ。かつてのような身を焦がす憎悪は薄れたが、それはそれ、これはこれ。

 

 さらに紫の暗殺に失敗した際の保険として、菫子へ向けてナイフ群を放っていたのだが、こちらは隠岐奈によって片手間に防がれている。被害といえば弾き損ねたナイフが一本だけ隠岐奈の手の甲に突き刺さったくらいか。

 本命と保険、いずれも空振り。

 

 ただ一連の攻防全てが失敗という訳でもない。

 八雲主従の連携の綻びを利用して、霊夢は連戦の疲れを僅かに癒やし、魔理沙は血反吐を吐きながら屋上の縁へと手を掛けた。

 

 ここでこの3人が揃うのかと、紫は数奇な運命を感じずにはいられなかった。

 ついでに刺し傷が痛くて泣きそうだった。

 

「巫女に魔法使い、そしてメイド。はて、何処で見た並びだったかしら?」

「春雪異変の時でしょうか。確かもう1人の紫様が相手取ったと聞き及んでいます」

「あの時は私も(貴女)も気絶してたものねぇ。なるほど、記憶には無くとも身体が覚えているわ」

 

 幻想郷に住まう人間達の中で、恐らく頂点に立つだろう3人。その綺羅星が如き爆発力は目を見張るものであり、妖怪では持ち得ない力の一つだ。

 各々、幾多の死線を乗り越え潜在能力を開花させてきた。その物語の積み重ねが遂に花開き、八雲紫の下に辿り着くという結果を引き寄せたのだろう。

 

 これで、漸く最低限。

 

「一人一殺……と言いたいところだけど、ちと高望みが過ぎるな。貧乏くじ引かされちまった」

「美味しい役はお嬢様と地霊殿の覚妖怪に取られてしまったものね。残されてるのが時間稼ぎだけだなんて、とんだ余り物だわ」

「一番キツイのは最初からぶっ通しで働いてる私よ」

「それはお前のせいだろ」

 

 不満を漏らしつつも、各々の役割は既に決まっている。霊夢が紫を斃すまでの間、その式神達を相手に喰らい付いて、死んでも介入を許さない。

 

 息も絶え絶えな疲労困憊の巫女、脇腹を抉られて失血死寸前の魔女、両腕を欠損したメイド。

 急拵えの応急処置でなんとか継戦を可能にしているが、不恰好な事この上ない。

 

 

 一方で八雲陣営も次なる対応を迫られていた。

 

 紫が初めて被弾してしまったのもそうだが、紫にとってアキレス腱以上の急所となる菫子の命を狙われたのが問題だ。霊夢や魔理沙は人である菫子を殺める選択はしないだろうが、悪魔の従者たる咲夜は別だ。

 

 菫子は将来的に蓮子に連なる血を残す役目があるため、紫に負けず劣らずの因果を纏っている。故に殺そうとしても紫同様、殺しきれない状態が続くだろう。

 しかし隠岐奈が因果の元となる『超能力』を回収している今は話が別だ。何かの間違いで想定外の惨事が起こる可能性は否定しきれない。

 

「隠岐奈。そろそろ待ち遠しくなってきたわ」

「急かすな急かすな。心配せずとも工程は9割方完了している。そうだな、あと2分貰おうか」

「もうそんなに終わってたのね。あと2分、あと2分で私はようやく……」

 

 待ち望んだその時を恍惚と思い浮かべる。

 しかしそれと同時に、欲した物が手に入る寸前で失われる事に対する焦りがどうしても芽生えてしまうのは、妖怪といえど人間と変わらなかった。

 

 そも、本来であれば既に抽出作業は完了している筈だった。霊夢の侵入を皮切りに遅延が続き、今がある。

 これ以上は待てない。

 

 スキマを開く。

 これが紫の残していた万が一の時の逃走経路。これを避難場所として利用したのだ。

 

「万全を期すことにしましょう。この中へ」

「ほう、そんな場所まで残していたのか。差し詰め、心の終点とでも言うべきか」

「その表現で相違無いわ」

 

 会話を断ち切って行動を促すと、隠岐奈はつまらなそうに肩を竦め、菫子を抱えてスキマの奥へと消えていく。

 これで霊夢達の勝利条件が一つ減った。

 

「紫様もどうか避難を」

「いえ、それはできないわ。私が行くのは2分後」

「……ではそのように動きますが、何故でございましょうか?」

「別世界に逃げれば貴女達との式契約が切れてしまう。それでも貴女なら負けないかもしれないけど……」

 

 言わんとする事は分かっている。

 

 今でこそ立派な一線級──否、紫と藍の妖力が流れ込んだ事で誰よりも強くなった橙だが、式契約無しでは流石に足手纏いになってしまう。

 そう考えれば紫がここで踏み止まる理由としては十分だろう。式2人が最強の状態を保ててこそ、現在の圧倒的な優位を確立できる。

 

「ごめんなさい……。最後まで私は、藍さまと紫さまの足を引っ張ってばかりです……」

「それは違うよ橙。お前が私と並び立ってくれたからこそ、積み上げてきた物を失ってもいいと思える勇気が生まれたんだ。おかげで私は、畜生の理に身を委ねて紫様を守る事ができる」

「私だって橙を頼りにしなかった時なんて一度たりともなかった。貴女も藍と同じく、欠かす事のできない私の家族ですわ。自分を卑下する必要はありません」

 

 手放しの賛辞に思わず顔を上げる。

 

 事実、橙がここまで大きな存在になってくれるとは予想していなかった。

 種族としての優劣や、経験に裏打ちされた技術など、覆せない差を自覚しながらも折れる事なく八雲の式としての道を歩んできたその心意気は、如何なる言葉を用いても報いる事はできない。

 

 また、橙が紫の計画に本心から賛同していないのを承知した上で、それでも付き従ってくれた事に対する深い感謝が含まれていた。

 

 橙は目を擦り、声を張り上げる。

 今回の件がどのような形で幕を下ろすのだとしても、橙の歩む道は一つだ。

 

「最後まで『八雲』の名に恥じない戦いを約束します!」

 

 これが八雲橙にとって、最初で最後の晴れ舞台。

 

 

 

「なんか私達が悪者みたいな雰囲気だな」

「気にしなくていいわよ。それよりも心配なのはアンタよ魔理沙。大丈夫なの?」

「問題ない。引くほど粘ってやるさ」

「脇腹が欠けてるんだから無理しない方が良くない?」

「両腕無くしてる奴には言われたかないぜ」

 

 軽口を叩きつつも意思疎通は滞りなく行われた。

 霊夢が予備動作なく駆け出すと共に魔理沙は八卦炉から高密度のレーザーを乱射し、不可触の経路を現出する。霊夢はただ用意された道を往くだけだ。

 

 時同じくして藍が霊夢の接近阻止に動くが、咲夜がそれを許さない。

 不意打ち。光速で放たれる回し蹴りが頬を貫き、妖力により膨れ上がった九尾ごと押し除ける。さらには口に咥えたナイフを顔の振り向きのみで放ち、貪欲に紫を狙う。

 

「ひぇっ」

「もう紫さまに怪我はさせないよ!」

 

 しかしこれを橙が阻止。

 次の行動を起こす為の思考よりも疾く咲夜を殴り飛ばし、魔理沙と衝突させた。

 損壊した部位の時間を停止し、機能が失われる寸前を保つが流石の咲夜といえど限度は近い。常人どころか妖怪と比べても強靭な肉体を誇る咲夜でも、これ以上のダメージは動くことすら儘ならなくなる。

 

 だが最低限の役目は果たせた。

 魔理沙が放ったレーザーの中を突っ切った霊夢が紫の前へと躍り出る。ついに射程圏内に収めた。

 お祓い棒を振るえば、届く。

 

「ゆ、かりぃいい!!!」

「やば」

 

「ああああああっ!」

 

 顳顬を打たんと振るわれたお祓い棒が横撃により弾き飛ばされ、フロア外へと消えた。

 間に割り込んだ橙の拳が半透明に輝いている。

 藍が実現した夢想天生の模倣をがむしゃらに式ごとトレースした結果だ。これによって橙もまた霊夢への干渉権を得た。自らの存在と引き換えに。

 

「絶対に通さないっ!」

「このっ……!」

「霊夢急げ! 止まるなッ!」

 

 即座に復帰した藍が縋り付く魔理沙の妨害をものともせず、また、咲夜の時空操作を正面から破りながら迫る。というよりも、直進そのもので発生する圧が衝撃となり2人の機動力を奪い九尾で拘束しつつあった。

 とはいえ、藍の速度が肉眼で捉え切れる程度には低下している点で、2人の妨害は非常に効力を発揮しているといえよう。

 

 前門の橙、後門の藍。絶対防御を失った今、挟まれては流石の霊夢といえどひとたまりも無い。

 後退しか選択肢はなかった。しかし、ここで下がれば紫は嬉々としてスキマを開き、菫子と隠岐奈の待つ空間へと去っていくだろう。

 

 もう間も無く2分が経とうとしている。

 

 陣営を問わず全員が必死だった。

 僅かな時を稼ぐために、全身全霊をかけて命を投げ捨てる。そうでもしないと相手を止められないからだ。

 お互いに。

 

 

 

「空観剣『六根清浄斬』」

 

 豪鉄を両断したようなけたたましい音が響く。

 激痛に身を硬直させた藍は、痛みの元──尻尾の付け根を睨み付ける。霊夢を狙った一尾が切り落とされていた。夥しい量の血が流れている。

 

 置物と化した尾の側で同じく硬直していたのは、魂魄妖夢。

 楼観剣を振り下ろした体勢のまま固まっていた。額には脂汗が浮かび、震える両腕を凝視する。

 

「ぐぅっ、なんという硬さ……!」

「妖夢ッ! 貴様ァッ!」

 

 空間を引き裂き無駄を跳躍する事で、戦場への即参戦を果たした。そして勢いそのままに藍の尻尾を全て切り落としてしまうつもりだったのだ。

 しかし、妖夢の剣筋は狂いなく標的を捉えたにも関わらず、肉の切断が満足にできなかった。

 

 当然即座のカウンターが為されるが、それは切り落とされた元尻尾によって防がれた。ひとりでに浮いて妖夢の身を守る盾となった。

 

 最高のタイミングで行われる的確なサポート。こんな美味しい役をいけしゃあしゃあと持っていくのは、自分が知る限りではアイツくらいか。

 魔理沙は、妖夢の他に来ている援軍の正体をいち早く看破し、叫ぶ。

 

「アリス! 藍の相手を頼んだ!」

 

「任されたわ」

 

 一足遅れてふわりと死地に舞い降りたのはアリス・マーガトロイド。指先で魔法糸を操作し、屋外に投げ出されていたお祓い棒を回収、霊夢へと投げ渡す。

 最早一切の出し惜しみは不要。『究極の魔導書(Grimoire of Alice)』を開いて早速足止めの準備に入る。

 

 藍の優秀な頭脳が場の趨勢を即座に叩き出す。

 霊夢は言わずもがな。夢想天生はもうじき効力を失うだろうが、それでも彼女の類稀なる戦闘能力には目を見張るものがある。

 体力全開かつ、自身の能力を様々に応用させる妖夢とアリスの対応は一筋縄でいかないか。片手間で確実に殺せるほど甘い相手ではない。

 魔理沙も自分への圧力が減ったと判断すれば、容赦なく高火力で紫ごと焼き払いにかかるだろう。機動力も完全には失われていない。

 厄介な咲夜は念入りに痛め付けたが、まだ僅かに余力がある。脅威は排除できていないのだ。

 

 そして、迎えたタイムリミット。

 藍の判断はどこまでも合理的であり、私情の一切を取り払っている。全ては主人の望みが為に。

 

「紫様。どうかお達者で」

「……分かったわ」

 

 自らを愚鈍であると自嘲する紫だが、この時ばかりは式の言わんとしたい事を即座に察した。

 開かれるスキマ。その先には菫子と隠岐奈が待っている。

 

 きっとこれが最後の別れになる。

 紫と藍の間には確信があった。

 

「藍、橙。私はまた貴女達と旅をするわよ」

「いってらっしゃいませ。私と橙はいつまでもお待ち申し上げております」

 

 時はきた。

 完全なるスキマ妖怪に返り咲く、その時が。

 

 と、それをみすみす見逃すような人妖はこの場に居ない。

 拘束から脱した魔理沙が箒に跨ったまま霊夢の手を引き、一直線にスキマを目指す。それに妖夢も追随する。

 アリスと咲夜は己に残存する全ての魔力を用いて藍の動きを阻害。究極の魔術、時空の凍結、それらを駆使して漸く目に見える程度に鈍重になった。

 

 この数秒が全てを決する。

 既に紫はスキマに足を踏み入れ、閉じる態勢を取っている。

 

「切り捨て御免ッ!!!」

「させるかああああ!!!」

 

 霊夢の活路を開くべく神速の抜刀で斬撃を飛ばさんと構えた妖夢と、間に割り込み魔爪を振るう橙が交錯する。

 結果、妖夢の右腕が捥がれた。圧倒的な身体能力の差が刀ごと腕を奪い去った。

 

 激痛と喪失に顔を歪めるが、同時に妖夢は口の端を持ち上げた。奪ってくれたのが右腕(楼観剣)で助かった。

 魂魄二刀流の抜刀術は全て隙を生じぬ二段構え。本命は残された左腕(白楼剣)

 

(紫様──幽々子様の言う通り、貴女様に寸分でも迷いがあるのなら──!)

 

 魔理沙の全速力でもスキマに飛び込むには僅かに足りない。入り口は既に半分閉じて徐々に境界を消失させている。だから妖夢が必要だった。

 迷いを抱く者が創造せし境界など、魂魄妖夢に斬れないはずがないのだから。

 

 放たれた斬撃が境界を引き裂き、紫の安堵の表情が驚愕に歪む。

 妖夢へのトドメを中止して慌てて反転する橙と、自身の式ごとデバフを引きちぎりながら迫る藍を押し留めるのは、魔理沙の役目だ。

 

 魔理沙は強化魔法を施した腕を振るって霊夢をスキマへと投げ飛ばし、振り向きざまに放つはマスタースパーク。八雲の式には最早通用しないだろうが、目と耳、ついでに触覚を奪えればそれで良かった。

 目障りな白黒魔女の位置に当たりを付けて振るわれる暴力に対しては、アリスの身を挺した守りで僅かな延命と相成る。

 

 

 目的は達した。

 後は──。

 

「霊夢をお願いします! 魅魔様!」

 

 陰陽玉の中に眠る師へ。

 

 

 

 

「貴女は、どこまで私に追い縋る?」

「無論。果てまで」

 

 遂に追い詰めた。もう逃げ場所はない。

 

 スキマの先は見慣れた空間だった。

 目に悪い毒々しい紫色に塗り潰され、何者とも知れぬ無機質な目が埋め尽くしている。紫がスキマを開くたびに見えていたものと同質のものだろう。

 延々と続く広大な世界。そもそも距離の概念が存在しているのかもあやふやだ。

 

 目線の先には三つの席が向かい合うようにして置かれてあった。

 一つは空席。一つは昏睡する菫子。最後に隠岐奈。それぞれが座っている。

 秘神は面白そうに繁々とこちらを眺めており、霊夢は嫌なものを感じた。率直に言って気持ち悪い。

 

 だが一番目を引いたのは紫だった。

 これまでの余裕綽々に微笑を浮かべていた表情は無く、苛立たしげに睨め付ける。

 それが意味するのは……。

 

 と、紫が声を張り上げ叫ぶ。

 

「隠岐奈! 私に菫子の力を!」

「ん? なんだ、もう自分でやるのか。私が巫女の相手をしてやってもいいが」

「構わない。霊夢の相手は私が務めるわ」

 

 霊夢は思わず身構えた。

 遂に紫が動くかと警戒感を露わにする。

 

 八雲紫といえば疑いようもなく幻想郷最強の妖怪。アレだけの力を示した藍の主人であり、その深謀遠慮は何者にも理解される事はない。

 

 実のところ、霊夢ですら紫の真の実力は分からない。

 永琳との戦いの際に共闘した経験はあるものの、主体は紫擬きであったし、本人はあまり真面目に戦っているようには見えなかった。

 

 

「……」

「隠岐奈? 早くして頂戴」

 

 語気を強める。頼りになる傀儡、愛しき式神が必死に時間を稼いだ事で漸く辿り着いた結果なのだ。

 冗談でも笑えない。

 

「いやぁ改めて振り返ると凄まじい激戦ばかりだったな。お前の用意した障害は並大抵のものではなかった。しかし、博麗の巫女はそれらを次々乗り越え、此処まで辿り着いた」

「まだ総括には早いわよ」

「いいじゃないか。どのみち最後なんだから」

 

 隠岐奈の態度に霊夢は困惑を隠せない。

 制御された傀儡ではなかったのか? これも全て紫の仕込みなのか? しかし紫は明らかに苛立っている。自身の望む行動でないのは明白だ。

 

「取り込んでいた傀儡達も、頼りになる最高の式神も、私以外には失ってしまったな。世界を隔てる境界もここまで侵入されては形無し。挙句に最後のフロンティアだった心奥にすら踏み込まれる始末」

「……」

「いざという時の切り札だったヘカーティアや、想起を利用した大技も使い切った」

 

 苦々しい表情で唸る。

 

「いざ言葉で羅列されると確かに信じられない思いになるけど、概ねその通りであると把握しているわ。しかし貴女を失わなかった、その一点で私の完全勝利」

「はて、それはどうかな」

 

 訝しげに眉を顰める。

 

「隠岐奈。何が言いたいの?」

 

「いやなんだ、つまるところ──お前の願いもこれまでだという事だ」

「はえ?」

 

 秘神の何気ない手刀が、紫の首を切り落とす。

 





藍と橙の強化については、全盛期の八雲紫様の妖力の一部が流れ込んだ結果になります。ゆかりん陣営最高戦力は橙という罠。
さらに相手の能力を解析して自らの力としていくので、後半は咲夜の時間停止も殆ど通じていませんでした。
後出し適応の式神!最近どっかの漫画で見た気がするマコねぇ……。

妖夢はゆかりんが外の世界で質に出してたノートPC(マミゾウさんが回収)、アリスはゆかメリーにあげた万能スカーフ(正邪が盗んでた)を使って侵入してきてます
ゆかりんガバガバかよ……


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Phantasmagoria*

あと2話


 

 

 マエリベリー・ハーンは夢を見た。

 自身の体が不治の病に蝕まれ、果てた時の事。

 

 科学神秘主義の跋扈する世界でさえも手の付けようのない、境界となる為の未知の病。メリーを終わらせる為だけに存在する予定調和。

 歩く事ができなくなり、白い病室に押し込められた。高熱にうなされ、肉は削げ落ち、呼吸だけで全身に凄まじい痛みが走る。

 

 縋っていた相棒の声は、もう聞こえない。

 メリーの短い生涯は、相棒の天寿と共に尽きた。

 

 

 

 

 

 マエリベリー・ハーンは夢を見た。

 冒険の末に谷底に叩きつけられ、殺された時の事。

 

 メリーは激痛に悶えながらも身動ぎし、潰れていない右目の眼球で、自分とは違い即死した相棒を見る。濁った紅い瞳の中に映る自分の色。

 やがて時が経ち、自分と相棒の身体から蛆が湧く。飢えを満たすために肉を貪るそれらをメリーはぼんやりと眺め、自らの飢えを自覚した。

 

 湧いた蛆を噛み潰す。生き残る意志も、目途もなかったけれど、飢えを癒す為には仕方ない行動だった。

 腐り、朽ち果て、蟲に喰われていく相棒を見ながら、メリーもまた長い時間をかけて事切れた。

 餓死だった。

 

 

 

 

 

 マエリベリー・ハーンは夢を見た。

 白銀の幻想に抱かれ、ゆっくりと死に至った時の事。

 

 突然の事だったように思う。廃材の山と化した文明の残骸を寝床にしながら、相棒と身を寄せ合い明日を目指した。雪が降り、氷に閉ざされ、熱が奪われていく。

 生きて生きて、必死に生きて。力尽きた。

 

 どちらが先だっただろうか。地に伏せた自身を覆う雪の塊の中、微かな温もりが感じられなくなると共にメリーの心は幻想に還った。

 美しい死に様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 繰り返す。デジャヴのように何度でも。

 

 

「何で人を食べないの?」

「……きっと味に飽いたから」

「それは嘘。口に含んだ事すら無いのに、味なんて分かるはずがない」

「分かりますとも。今も口の中に感触が残っています。到底食えた物ではなかった」

 

 ああ言えばこう言う。阿呆らしい。

 妖怪の本懐を果たさずして何が妖怪の賢者か。

 

 ルーミアは心の中で賢者を小馬鹿にしながら、摘んでいた肉を口へと放り込む。筋が多くて味も悪い。この質から察するに、碌な人生を歩んでいないようだ。

 つまらない人間は味もつまらない。

 

 だが、それが良い。

 人を喰らう事こそ『恐怖』の真髄。

 

「私を連れて行けば、また思い出せるよ」

「何を?」

「親友の味。自分の味。忘れてしまった罪の味」

「ふふ……貴女、自分が捨てられた理由をよく分かっているのね。どれも不要ですわ」

 

 少量の妖力を纏った人差し指。これが僅かにでも揺らげば、ルーミアの生命は無い。

 賢者がルーミアを殺す理由は無数にあるし、逆に殺さない理由は皆無に等しい。

 

 ルーミアの口が真っ赤に裂けて笑みを深める。

 それも良い。

 

「覚えてるなら別にいいよ。それが確認できただけでも、私のお腹は膨れるから」

「悪趣味ねぇ。まるでタチの悪い寄生虫……生まれ方は私の姉妹のようなものなのに」

「生みの親を食い殺したのはそっちでしょ?」

 

 

 2人が生まれた記念すべき日。

 

 彼女は因果の流れに逆らい、この世界に辿り着いた。長旅を終え、まず一番にした事は、自分の傍らに転がっていた物を貪る事だった。

 身体を突き動かしたのは食欲では無かったように思う。もっと原始的なものだ。

 

 覚えている。

 握り返してくれた愛しい手。

 抱きしめてくれた愛しい腕。

 血に濡れて台無しになった綺麗な茶の髪。

 驚くほど脆い骨。

 誰の物かも分からなくなった五臓六腑。

 彼女の物になった特別な紅い目。

 食べられない物はそこらに捨て置いた。

 

 とても酷い味だった。もう二度と味わう必要はないと心の底から思った。

 故に、生まれたその日に衝動を捨てたのだ。

 

 ルーミアになるのは、半ば必然だったのだろう。

 

 今ではそれら全てルーミアの物。

 八雲紫が思い出すだけで、ルーミアのお腹は膨れて、闇が濃くなっていく。

 

 だから何度だって意地悪な言葉を投げ掛ける。

 

「蓮子は美味しかったでしょう?」

「知らない名前ね」

「ゆめゆめ忘れるな」

 

 何度だって釘を刺す。

 

()()はマエリベリー・ハーンの恐怖と絶望から生まれた。逃げられないのよ、決して」

「脅しのつもり?」

「なんて事のない、ただのスパイス」

「ゲテモノが好きなのねぇ。下衆には相応しい」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「──しっかりしなさい。ゆっくり息を吸って」

「う、うぅん……頭が、いたい。此処は?」

「私にも分からない。でも絶対にお家に返してあげるから大人しくしてて」

 

 椅子に座らされていた菫子の意識が覚醒したのを確認し、霊夢は頷く。

 力を抜き取られた影響だろうか、ぼんやりとして目の焦点が合っていない。体調も悪そうだ。しかし命まで取られていないのなら無問題。

 

 ひとまず安静にするよう伝えた。これ以上の役割が彼女に有るのかは分からないが、もう二度と戦闘には巻き込まない方がいいだろう。そう霊夢は判断した。

 

 もっとも、これからどう状況が動くのか霊夢には見当も付かない。取り敢えず自分にできる事をと思い、混乱の最中に菫子を救出しただけだ。

 安否確認を終えると、厳しい目付きで混乱の発端へと視線を向ける。

 

 

「それにしても、やはり顔は良いのだよなぁ顔は。あの頃と何も変わっていない。心を共にした今こそ、古明地さとりの気持ちもよく分かる。この顔であんな心をぶつけられたら温度差で風邪を引いてしまいそうだ」

 

 返り血で真っ赤に染まった己の体躯を気にする事なく、掌に乗せた首をじっくり眺めている。和やかな笑顔を浮かべて、愛おしそうに。

 その傍らには首のない身体が転がっていた。

 

 秘神──摩多羅隠岐奈の裏切り。何の前触れもなく鮮やかに行われた謀叛。

 紫が全く対応できていなかった事から、まさに青天の霹靂だったのだろう。無抵抗なまま死んでしまった。

 

 霊夢は心を落ち着けると、敵意を剥き出しに隠岐奈と向かい合う。念のため菫子との間を遮るように位置取りを意識しながら。

 

「何故、紫を裏切ったの?」

「ふむ。その前に初めましての挨拶だな。私の名は」

「摩多羅隠岐奈でしょ。さとりと紫擬きから聞いたわ。前の異変で無様にくたばって紫に喰われたって」

「あいつらめ好き放題言いおって……」

 

 不満げに呟く。

 ただ嫌われている理由は心当たりがあり過ぎるため、ぞんざいな扱いについては目を瞑った。

 

「てっきりアンタも、フランや天子みたいに紫の言いなりになってると思ってたんだけど」

「言いなりさ。私は今も忠実な紫の式神よ」

「どこがよ」

「これもまた紫が望んでいた結末の一つだった、と言っても納得しないか」

 

 そろそろ我慢の限界かと、隠岐奈は目を細める。

 霊夢の目的は紫を連れ戻す事であり、殺す事ではない。隠岐奈の行動は霊夢にとって明確な敵対行動に当たる部類のものだ。

 あまりにも見通しの甘い目標だと言わざるを得ないが、それが幻想郷、引いては世界にとって最善であるのは言うまでもない。成せるのならそれが一番良いに決まっている。

 隠岐奈にはどうでもいい話だが。

 

 さて、このままでは霊夢との戦闘が勃発しかねない。それは誰の得にもならない不毛な諍いだ。

 なので隠岐奈は生首に口を近づけ、囁いた。

 

 

「で、いつまで死んだふりをしているつもりだ?」

 

「……ふふ。貴女には通用しないか」

「うわ!?」

 

 流石の霊夢も仰天した。これが人生で一番驚いた瞬間かもしれない。菫子も思わず写メを撮ろうと、ふらつきながらポケットを弄っていた。

 

 真っ青だった顔にみるみる生気が戻り、桔梗色の瞳が開かれる。首を切り離されても紫は健在であり、死に絶える素振りは皆無。

 ルーミアや萃香なんかの不定形の妖怪であれば首だけになっても平気なケースはままあれど、紫の姿でそれをされると違和感が凄い。

 

「完璧な偽装だと思ったんだけどねぇ」

「手応えの有無くらいは分かるさ。しかし不意を突いて、しかも致命傷を負わせても殺せないか。まったく、理不尽な因果だな」

「無意味ではなかったわよ。現にこうして私に恥辱を与える事に成功している。スキマ妖怪から飛頭蛮に退化したみたいになってるし」

 

 赤蛮奇が聞けば顰めっ面になりそうな会話である。

 

「確かに生首でそうペラペラ喋られるのは奇妙だな。まるで、ほら、外の世界で有名な……」

「あれね、何でも実況してくれる饅頭」

 

 幻想郷の賢者はネット文化にも理解が深かった。

 だが和やかな会話もここまでという事で、空気のひりつきが徐々に強くなる。

 

「で、この裏切り者。よくもやってくれたわね」

「まあやるなら今しかなかろうよ。九尾や猫又が側にいたのでは選択肢も限られるのでな」

「……よくよく思い返せば、さりげなく私の思考を誘導していたわね? 全ての手札を使い切るように」

「流石にヘカーティアの相手は手に余る」

「幻想郷に押し付けちゃったわね」

「問題なかろう。この程度の危機であれば容易に撥ね返してくれるさ」

「先の異変で立証済みってわけ」

 

 答え合わせのようにすらすらと言い当てていく。瞬時に答えを導き出しているのか、それとも最初から隠岐奈の叛心を見抜いていたのか。

 知ったかぶりをしているだけかもしれない。

 判別は付かないが、それはこの際どうでもいい。

 

 それよりもまだ肝心な部分がある。

 

「アナーキーな混沌を好む摩多羅神、それを手の内へ加えるにあたって相応の準備はしておいたわ。貴女は私に不都合な行動を取る事はおろか、その計画を思考することすらできないよう術式を組んだ」

「うん、今も作用しているよ」

「なら何故裏切ったの。どういう絡繰で」

「お前が私と同じだからだ」

 

 回答にならない言葉だったけれど、紫は隠岐奈の意図をそこそこ正確に理解した。なるほど、そういう事もあるのかと1人納得するまである。

 

 摩多羅神とは一つの体に数多の神格を宿す闇鍋の神。神格の数だけ思惑があり、当然行動理念も違ってくるし、紫への想いの種類もそれぞれだ。

 それと同じだという事。

 

「今、お前を突き動かすのは誰の想いだろうな。マエリベリー・ハーンか? 宇佐見蓮子か? 融合した傀儡の誰かか? それとも……かつての紫か?」

「……私の心は私の物ですわ」

「そういう事にしておこう。つまり、私がお前の死を願った理由が逆説的に証明されたな」

 

 隠岐奈の行為が意味するもの、それが指し示すのはたった一つのシンプルな答え。

 

 八雲紫は()()()()()()()()()()()()()()

 

「死を望む心が何処かにあるのだろう。まあ、死を実感できないお前には幻想のようなものだ。それ故に生まれた死への憧れ(ネクロファンタジア)か?」

 

 全てが正しかった。紫もそのあたりはヘカーティアと対面した時から既に自覚していたので、無言の肯定を貫いた。訂正の余地も無い。

 霊夢も納得した。紫が乱心する少し前、自分に向けて言い放った言葉を思い出す。

 

 ──『もしも私が死にたいって言ったら、貴女はちゃんと殺してくれる?』

 

(本気だったのね……)

 

 ならば紫は、自分が殺されるようにわざと仕向けているのかとも考えたが、それにしては抵抗と幻想郷の破壊に対しての手心が無さすぎる。間違いなく、紫は己の用意できる限り最高の迎撃を用意していた。

 その点が違和感として残る。

 

 いや、そうか、そういう事か。

 隠岐奈の言葉通りだ。

 

 紫は目的の完遂、そして自死。どちらも本気なのだ。

 どちらに転んでも紫の勝ち。

 

「死を望む心、幻想郷を切り捨てる行為、それら全て本来のお前が望むものではない。今の世界に未練がないのならお前の行動はもっと違っていた筈だ。目を覚ませ紫」

「……」

「あんな小娘達など放っておいて、私とこれからも愛すべき幻想郷を導いていこうじゃないか。私達の創る理想はまだまだ道半ばなんだから」

 

 本来の紫は自分の保身を第一とする薄汚れた性根を持った妖怪だった。その生き汚さは幻想郷でも一二を争うだろう。

 そして、大切な者を失う事を忌避する気持ちもまた強かった。思わず自分の身を差し出してしまうほどに、喪失を酷く恐れていた。自他の境界が薄い紫ならではの利己的本性。

 

 今の紫とは大違いだ。ちぐはぐ過ぎる。

 何かの異物に影響されていると隠岐奈は考えたのだ。

 

「断れば?」

「残念だが……お望み通り殺すしかないな」

「貴女ってやっぱり真面目ね。律儀だし」

「むず痒い。まあそれはそれとして、裏切りという行為自体に興味があったのも事実だがな。あの時、私を裏切ってくれたレティ・ホワイトロックの心境もきっとこれだ。なるほど確かに、これは快感。スカッとした」

 

 まるで先の敗北も計算のうちであったかのように語る様に、紫は苦笑を浮かべる。

 隠岐奈のようなある種開き直りのような考え方ができれば自分の無様な今も変わっていたのだろうかと、ぼんやり考える。しかしそうはならなかった、紫はそれほど器用ではなかった。

 

「では殺してもらいましょうか。殺れるものなら」

「そうか……是非も無し」

 

 悲しげな表情は一瞬だった。紫の望み通りに隠岐奈は動くのみ。

 強力な因果を纏う紫を消し去るには、それに匹敵する因果を以って制すしかない。

 八雲紫に並ぶ因果を持つ物とはなにか。八雲紫と同等の宿命を位置付けられた存在とは。

 

 それは宇佐見蓮子、引いては、その少女を生み出す全てを持つ宇佐見菫子に他ならない。

 

「我が手には菫子から抜き取った力の全てが集約されている。これをお前に叩き込めば安らかな死へと導くことができよう。良かったな」

「首を切られても死ななかったけど?」

「私が作り出すのはきっかけだけだ。締めは然るべき者にやってもらうさ」

 

 2人の目線が霊夢に集中する。

 紫擬きが今際の際に言っていたように、霊夢に纏わり付く因果もまた特別。彼女もまた、紫を殺害し得る可能性を持った存在。

 

 隠岐奈が紫を殺そうとするならば即座に制止に入ろうと考えていたが、まさかボールが自分に投げ渡されるとは思っていなかった。

 

 眉を顰め、首を横に振る。

 

「そいつを殺す気はないわ。そして殺させもしない」

「だが紫は全てを振り出しに戻すまで止まらんぞ。幻想郷の巫女としてやるべき事は明白だろう」

 

 死こそが救済などとベタな事を言うつもりはない。

 倒すべき敵が居るから戦うだけ。それくらいの心構えの方が幾らかやり易いだろうという、ある種の気遣いである。余計なお世話だ。

 

 

「内輪揉めは結構だけど、私もそろそろ動いていいかしら? 貴女達が何を想い、何を為すために動こうが、私の返答は変わらないわよ」

 

 

 闇が溢れる。

 

 切断面から流れ出る血液が漆黒に染まり、隠岐奈の手を忽ち飲み込んだ。

 顔を顰め、もう片方で弾幕を放たんと力を込めるが、身体が硬直して上手く動かせない。まるで氷に閉じ込められたように、頭から爪先までの制御を失いつつある。

 術式に逆らった事による式縛りであった。

 

「む、ぅ」

「貴女の身体は変わらず私の影響下にある。式神の使い方は貴女の愛した八雲紫の知識から沢山勉強させて貰ったわ。逆らう事は無意味よ」

「この程度のクオリティで自慢されても反応に困る」

「ま、まあ応用技術は追々ね。そんなことより──菫子の力を全て渡しなさい」

 

 技術もクソもない権能の力任せな行使といえど、完全な上下関係が決定付けられている隠岐奈に抵抗の術は限られている。全権を掌握されるのは時間の問題か。

 

「お前にしてはヤケに力があるな。この闇といい、さては私達に何か隠していたな」

「家族や親友にも知られたくない秘密の一つや二つ、誰にでもあるでしょう? 私もあんまり使いたく無かったんだけど、隠岐奈が悪いのよ。私を裏切るから」

 

 咄嗟に霊夢へと目を向ける。

 当然異変を感知して此方に駆け出していた。しかし首のない紫の身体に行手を阻まれている。

 その異様な姿に困惑を隠せていない。

 

「博麗の巫女よ惑わされるな。戦闘において紫はズブの素人、簡単に倒せる!」

「そ、そうなの!? 紫なのに!?」

「怖気付かなくていい、こいつは顔と詭弁と雰囲気だけで窮地を切り抜けてきた雑魚妖怪だ。一度でも紫が戦っているところを見た事があるか? それが答えだ」

「ひ、酷い言われようですわ」

 

 言われてみれば、確かに。

 戦うのはいつも自分や藍ばかりで紫は後方に引っ込んでた。紫が本気を出すと幻想郷が壊れるからと、藍や顔見知りの妖怪、人間に教えられたから自然と霊夢もそう思うようになっていた節はある。

 もしかすると、自分はとんでもない思い違いをしていたのか? 

 

 試しに身体へと近寄り、お祓い棒を振り下ろ──。

 

「ッ……っ!」

 

 脳を埋め尽くす膨大な不快感に従い、思わず仰け反るのと同時だった。致命の風が鼻を掠め、世界が断たれた。

 境界操作を殺傷力に全振りした一撃。

 反応が僅かに遅れていれば、紫と同じく首と胴が泣き別れになっていただろう。指を横になぞるだけで起こされる現象としては余りにも釣り合っていない。

 

 更なる追撃を横っ飛びで躱しながら、怒り混じりに叫ぶ。

 

「強いじゃないの! 普通に!」

「うん? こうはならん筈だが……事は私が思っているほど単純ではないのか……?」

「自信失くすな!」

 

 全てを二つに捌く境界の前には霊夢の反則結界も意味を為さず、ほんの僅かの拮抗もなく砕かれてしまう。

 指の軌道を見切る事でなんとか躱せてはいるが、射程が無限である関係上、菫子を巻き込まないよう立ち回らねばならない為に次に繋がる有効な選択が取れない。

 

 と、一瞬の空白を利用した身体がスキマを開き隠岐奈の背後へと回る。そして羽交締めにする事で首と身体でサンド。より効率的に隠岐奈を飲み込んでいく。

 秘神が再び紫の手に落ちるのを危惧した霊夢は、即座に陰陽玉を展開し夢想封印の準備に入る。隠岐奈と紫を諸共吹き飛ばす為だ。

 

「やめなさい霊夢。その攻撃は私には届かないし、隠岐奈の身体が滅べば宿主を失った菫子の力は私を次の止まり木とするでしょう」

「……じゃあ言わなきゃいいじゃない」

「痛いのが嫌なの。それに衝撃で取り零しが発生したら面倒だし」

 

 本来であれば『取り零し』が発生した時点で紫の計画は破綻するのだが、自身の中枢たる心奥まで引き摺り込んだ今なら話が別だ。ここで霧散した力は後で余す事なく回収する事ができる。

 今はとにかく、少しでも八雲紫としての力を取り戻すのが先決なのだと判断しているのだろう。

 

「さあ隠岐奈、そろそろ年賀の納め時よ。儚い三日天下だったわね」

「ふむ、確かに事の成り行きで衝動的に裏切ってしまった点については、明智何某と同じかもしれんな。だが、私は奴とは違って根回しの時間と仲間に恵まれている」

「……時間ですって? ずっと私の心の中に居た貴女にそんな物は存在しない──」

 

 言葉が最後まで紡がれる直前。

 耳をつんざく爆音が鳴り響き全てを掻き消した。突然の出来事に霊夢は思わず耳を塞ぎ、菫子は微睡から叩き起こされ椅子ごとひっくり返った。

 

 爆発の発生源は隠岐奈の背中。燃え盛る爆炎が紫の身体を焼き尽くし、闇ごと塵芥に還していた。

 

「流石だ蓬莱山輝夜! 期待通りの働きに感謝しよう」

 

 

 

 紫が菫子を指名手配にかけた際、輝夜は紫が起こし得る行動に当たりを付けていた。

 豊姫を経由して伝えられたヘカーティアとの戦いの顛末。狭間の存在を己と同一として取り込んでいく性質。そして別世界線での出来事と、その末路。

 それらを鑑みれば可能性として十分存在すると判断したのだ。

 

 紫の思惑が菫子確保になるのなら、間違いなく『アイツ』は紫に歯向かうだろう。そして無様を晒した挙句に、吸収されてしまう。

 どの時空でも傍迷惑な奴だが、輝夜はこれに活路を見出した。

 

 獅子身中の蟲という訳でもないが、爆弾を一つ送り込めるなら儲け物だ。

 

 紫は輝夜への警戒を疎かにし過ぎたのだ。

 自身の脆弱さを自分(八雲紫)とは違い前面に押し出し、八意永琳と因幡てゐという最高の隠れ蓑を駆使して能力をひた隠しにした輝夜の立ち位置は、事ここに至った紫にとって脅威に映らなかったから。

 

 そして、脆弱な者の足掻きは巡り巡った果てに、紫の計画を破綻一歩手前まで追い詰める事になる。

 

 ()()()()()()()という結果を以って。

 

「も、もこたん!!!」

「……私の力が足りないばかりに、ごめんな菫子。今度こそお前を守ってみせるよ」

 

 焼け落ちた隠岐奈の後戸を蹴破り、颯爽と現れる蓬莱人。白銀の長髪を爆風になびかせ、場を見据える。

 斃すべき巨悪と、守るべき命を確認した。成長して姿が変わっていても、自分と共に過ごしていた童である事を一瞬で把握する。

 

 恩人の無事に菫子は大きな歓声を上げるのだった。

 

「どうやら上手くいったようだな。狭間の楔から解き放たれた気分はどうだ?」

「最悪だね。頭の中にありったけの情報をぶつけて術式を無理やり押し潰したんだ、普通なら死んでるぞ。あと輝夜のヤローは後でぶっ殺す」

 

 輝夜の能力により、並行世界に存在していた妹紅の情報、記憶、経験を詰め込み、永遠に近い年月をかけて紫の呪縛を中和するという力技である。

 当然ながら想像を絶する苦痛と負担が心身を襲うが、そこは蓬莱人クオリティ。普通に耐え切った。

 

「悪いな八雲紫。アンタの操り人形もここまでだ」

「貴女、いい加減しつこいわ。これまで何度退けたと思ってるの? 通算5回よ5回。そろそろ諦めてよ」

「アンタが死ぬ時まで死ぬ気は無ェな」

「そんな格好良いこと言っても靡かないけどね」

 

 爆発のどさくさに紛れて隠岐奈の手から逃れていた生首がスキマを転がり、焼き焦げた自分の身体へとドッキング。妖力の漲りと共に薄い黒膜が剥がれ、煤一つ無い体躯への再生を遂げる。

 

 八雲紫完全復活。

 

 しかし、もう笑みはない。今この状況下において、紫の望んだ結果は一つとして無かった。

 如何に完璧なプランと備えを披露しようが、幻想郷は更にその上をいく。

 嬉しいのやら悲しいのやら、はたまた恐ろしいのやら。

 

 どちらにしろ、挑戦者(チャレンジャー)としての立場が逆転したのは言うまでもない。

 ここからが紫にとっての正念場か。

 

「よくよく考えれば、圧倒的有利からそのまま勝ち切ったことなんて私の妖生で一度もなかったわね。そういう星の下に生まれたと諦めるしかないのかしら」

「そこからなんだかんだで趨勢をひっくり返してくるのがお前の恐ろしいところだろう」

 

 どれほど窮地に追い込まれようと、八雲紫は何度でも這い上がってくる。その恐ろしさは霊夢、妹紅、隠岐奈、全員が心得ている。

 故に油断はない。

 目的を達成するまで死力を尽くす。

 

 と、隠岐奈の能力により空間の至るところに魔力回路となるドアが展開される。その様相は徐々に後戸の国の風景へと近付いている。

 世界そのものへの侵食。

 

「ここから私は紫との綱引きに入る。この世界の主導権を巡っての争いだ」

「するとどうなるの?」

「奴をこの世界から引き摺り出し、幻想郷へと叩き込む。成功すれば霊夢(お前)の一人勝ちだな」

「……幻想郷全員の勝ちよ」

「まあ、そうだな。それでも良かろう」

 

 当然、隠岐奈への式縛りは継続している為、このままでは万に一つも勝ち目はない。

 だが数の利はもはや紫にはなく、対して隠岐奈には幻想郷でも最強クラスの前衛が2人もいる。

 

「私達のやるべき事は?」

「とにかく紫を攻撃しろ。奴の力を少しでも削いで、世界に対する影響力を弱める。何も難しい事は考えず、攻めて攻めて攻めまくれ」

「単純で助かるわ」

「やる事が明確なのは良い事だ」

 

 この世界に来てから、毛色が違う何人もの猛者達と即興で共闘してきた霊夢にとって、これまで幾度と殺し合ってきた事で手の内が分かる妹紅との連携は比較的容易な部類。

 長かった戦いが終わろうとしている。

 

 後もう少し、もう少しなのだ。

 

「あんだけ傀儡を召喚して好き勝手やってきたんだもの。文句は言わせないわよ」

「3人同時でも卑怯とは言うまいね」

「言わないけど、なんというかこう……手心というか」

 

 何やら言っているが無視。

 霊夢と妹紅は互いに目配せし、役割を構築。一気呵成に攻めかかった。温存の必要はなく、己の持つ全てを幻想郷最強の妖怪へとぶつけ勝利を掴み取らんと沸る。

 

 対して紫は、不規則かつ奇妙な挙動で迎撃。四方八方から迫る不可視不可触の境界を放つ。

 とにかく手数と射程で優位を取って攻撃の構えを崩さないという、八雲紫にしては些か脳筋に寄り過ぎている身も蓋もない戦法。

 

「奴の姿と動きに騙されるなよ。この世界にいる以上、八雲紫は何処にでも偏在している。見てくれに気を取られると痛い目を見るぞ」

 

 隠岐奈の助言が全てを言い表している。

 境界に潜むスキマ妖怪は、もはや境界そのものと言い表しても差し支えないほどの存在。故に変幻自在。

 固定された姿で認識すると思わぬ攻撃を喰らう。

 

 不変の蓬莱人と不変の巫女には水と油である。

 

 

「邪穢『夢想封印 靈』!」

「『こんな世は燃え尽きてしまえ!』」

 

「貴女達ったら相変わらずスペルカードの使い方が……いやまあ、いいけど……」

 

 紫が何か言いたそうな顔をしていたが、無視。

 肉体のみならず心を含む本質さえも断たれようが、藤原妹紅は止まらない。過密に詰め込まれた経験と想いが人形の身体を前へと押し進めていくのだ。

 

 細胞の全てを燃焼させ、ありったけの妖力を噴出させた結果、引き起こされたのは未曾有の至近距離大自爆。

 菫子に届かないよう調節されているとはいえ、1人に対して使用するにはあまりにも過剰な火力だろう。だが相手が八雲紫ではそれでも足りない。故に自爆に躊躇は無かった。

 

「だあああぁぁああアああアアァッ!!!」

 

「あっづぁ! 溶ける溶けるっ! もう! こんな奴仲間にするんじゃなかったわ!」

 

 命には届かないが手応えあり。

 しかし、地獄の業火に炙られながらも紫は力の指向性を一定に保っていた。

 蓬莱人の攻略方法は分かっている。魂となった瞬間に結界で囲い込んで封印してしまえばいい。

 突然の自爆には驚いたが、それはチャンスでもある。

 

「境符『四重結界』」

 

「見え見えよ。神技『天覇風神脚』」

 

 妹紅の魂が囚われ──それを見越していた霊夢が結界をサマーソルトで蹴り破る。どんな結界も問答無用で解いてしまう博麗相伝のインチキ技だ。

 有機物を融解させるであろう温度の中でも霊夢は涼しい顔で、次なる一手を構えている。

 その髪は白に近付き、背中からは翼のように六対の魔力が垂れ流されていた。

 

 かつて初代博麗の巫女と壮絶な死闘を繰り広げ、その命と引き換えに陰陽玉へと封じられた存在(サリエル)。それをこの身に宿した結果がこれだ。

 意思の疎通ができない為に矜羯羅や魅魔を降ろすよりも危険が伴うが、最も強力な攻撃を出せるようになる。妹紅の熱が届かないのはその副次的な効果。

 

 最早我が身の消耗を気にする必要がないのなら、使うしかない。

 我が身、倒れ逝くその時まで。

 

「夢想天生以外にも手札を揃えていたのね。なんかあまり身体に良くなさそうな技だけど」

「奥義に頼るなって『別の八雲紫』から教えてもらった結果よ! おかげでエライめに遭ったわ!」

「……なるほど納得」

「そう言うアンタはどうなのよ!」

 

 横振りのお祓い棒が、熱波により炭と化した腕を粉砕する。

 皮膚が炭化した事で思うように関節が曲がらないのか、動きがぎこちない。

 

「どう、とは?」

「簡単すぎるって言ってるの。お前の能力はこんなものじゃない筈」

「手を抜いているって言いたいのね」

 

 砕け散った空白に境界が集約し、新たな腕となる。だが続いて肩を砕かれ、更には妖力を纏った妹紅の蹴りが腰を消し飛ばした。

 再生の精度は高いが、スピードはそれなり。霊夢と妹紅の猛攻を相殺できるレベルではない。

 

「AIBOのように戦えって事でしょう? 確かに、境界を操る力の使い方の理想的な形はあのようなものを指すのかもしれないわね。この窮地の打開策にもなり得るかも」

 

 素っ気ない言葉だった。

 境界を自在に敷く事とは、この世の理を書き換える事と同義。概念への干渉など御茶の子さいさいで、まさしく何でも有りな能力。

 霊夢が紫と戦う上で最も警戒していた事項の一つである。

 

 しかし、それは他ならぬ紫の手によって否定された。

 

「それでは換骨奪胎の域を出ない。あの人にはあの人の、私には私なりの戦い方があるのよ」

「つまり更に嬲られるのがお望みってわけだ。ならお言葉に甘えさせてもらおうか」

 

 まだまだ仕返し足りないのだろう、妹紅が肉薄し顔を殴り飛ばした。

 困惑しつつも手心は不要だと身に染みている。霊夢もまた高密度の弾幕を雨霰のように叩きつける。

 当然紫の反撃は苛烈だが、妹紅相手には決定打にならず、霊夢は持ち前の勘で掠りもしない。

 

 一つの結論だ。紫は強い事には強いが、どうしようもないほど強大というわけではない。

 

 身体の崩壊と共に紫の影響力が削がれ、後戸の占める空間が急速に増えていく。

 幻想郷は近い。もうすぐだ。

 

「一気に畳み掛けるぞ霊夢!」

「ええ」

 

 次の大技で勝負を決める心算だった。

 紫を完膚なきまでに破壊し、隠岐奈の支配を確実なものにする。恐らくもう一度、致命的な傷を与えればそれも可能だと霊夢と妹紅は判断したのだ。

 

 勝利は目前。

 しかし、故に霊夢はどうしようもない違和感を抱えていた。紫相手に優勢を取っている間ずっと。

 

 あの紫が果たして、そんな簡単に自分たちを勝たせてくれるだろうか? 

 

 否。断じて否。

 

 考えろ。紫に残された勝ち筋の全てを。

 

 

「一手、遅かったわね」

 

 

 世界の完全掌握よりも早く、霊夢が結論に辿り着くよりも早く、忍ばせていた策が成就する。

 

 本体は、囮。

 

 霊夢と妹紅を止める事はできない。ならば脅かすべきは後方の要にある。

 紫の狙いは最初から最後まで隠岐奈だった。

 

 内部から炸裂した鋭利な闇が秘神の神格を喰い破り、身体をズタズタに刺し貫く。

 神格の叛乱、或いは目覚め。

 摩多羅隠岐奈が幻想郷の賢者として名を馳せる為に必要だった神格が牙を剥いた。

 その正体は、とある大妖怪の残滓。

 

「ルーミアと約束しちゃったのよね。私は置いていかないって」

「……分の悪い契約だな」

「それも私にとっては今更な話ですわ」

 

 隠岐奈の力が急速に弱まり、狭間が増大する。一度均衡が崩れてしまえば脆いものだ。

 支配の大方を取り戻した今、馬鹿正直に霊夢と妹紅の相手をする必要性は限りなく減した。本当の力さえ、この身に取り戻せば決着がつく。

 

 間髪を容れず叩き込まれる熱線、殺到する御札の嵐は、自らの右腕をスキマと化し飲み干してしまう事で回避。接近戦に移るまでの僅かな時間、紫に与えてはならなかった自由時間が生じた。

 

「さあ頂こうかしら、私の原石を!」

 

「……」

 

 互いの中に存在していたルーミアを介し、菫子の力を抜き取りに掛かる。

 隠岐奈にそれを防ぐ手段は無く──。

 

 

 八雲紫は『無』を手に入れた! 

 

 

「ふぁ?」

 

「かかったな阿呆め」

 

 勝ち誇るは秘神。

 隠岐奈の中に菫子の力など微塵も存在していなかった。どれだけ彼女の中身を弄り、星々の如く存在する神格をチェックしても、無いものは無い。

 

 妹紅に殴られた衝撃を殺しきれず蹈鞴を踏みながら、紫はそもそもの状況設定から考え直す。

 

 自分の認識が狂ったのはいつだろうか? 

 そもそも隠岐奈が自分の命令に従い抽出作業を行っていたという前提から間違っていた可能性。

 いや、抽出自体はしっかり行われていた筈。でないと、自分は兎も角として、藍の監視の目を誤魔化す事なんて幾ら隠岐奈でも不可能だ。できる訳がない。

 

 ならば命令完了後の何時か、となる。

 

 そうだ、謀叛を起こし首を叩き切ってくれたあの瞬間。隠岐奈はさも自分が菫子の力を持っている風に振る舞い、紫の命を狙う姿勢を見せた。

 八雲紫の数少ない殺害方法を霊夢へと開示しつつ、その力を持っていると見せびらかす事で、無意識に隠岐奈もそうであると思い込ませるのが狙いだったのか。

 

 謀叛後の行動、全てがブラフ。

 

 つまり隠岐奈は、紫が己の式達と応戦してる間に抽出作業を完了させ、力を隠したのだ。ハリボテ用に極少量の力のみ自らに習合して。

 

 ならばその隠し場所は……元の鞘。

 全ての力を抜き取られた事で疲れ果て、椅子で眠っていると思い込んでいた、あの少女。

 

 

「ッ、菫子!!!」

 

「──ごめんっ、ゆかりん! 念力『サイコプロージョン』!!!」

 

「ぐぇえっ!?」

 

 因果が紫の背に炸裂した。

 

 椅子に目を向けた瞬間の出来事だった。そこに菫子は居らず、代わりに背後から聞き覚えのある声と共に、強い衝撃と凄絶な痛みが襲いくる。

 

 テレポーテーションとサイコキネシスの合わせ技か。

 激痛に悶えながら、苦しみの正体と裏を取られた理由を瞬時に察する。

 

「菫子! 体調は大丈夫?」

「うん治った。さっきまでヘロヘロだったんだけど」

「……なるほど、あのドア女が回収していたのは菫子の純粋な体力と精神力か」

「ここからは私も戦う! ゆかりんを止める為に!」

「そうか。立派になったな」

 

 

 

 趨勢は決した。

 

 自身を守る因果の大半を掻き消され、返して貰わなければならない力は未だ健在な菫子の手にある。

 中途半端な力では霊夢にも、妹紅にも勝ち切れない。その間に隠岐奈は自分をこの世界から叩き出そうとするだろう。猶予などあってないようなもの。

 

 潰えてしまう。

 みんなの想いに応えられない。

 

 やっとの思いでここまで来て、あと少し手を伸ばせば届くのに諦めなければならないなんて、残酷過ぎる。

 

 所詮は紛い物。ここらが限界だったのだろうか。

 そう思うと諦めの気持ちを少しだけ許せる気がした。

 

 

「どうやら……ここまでのようね」

 

 遂に膝から崩れ落ちた。

 

「持てる力の全てを結集したけれど、やはり身の丈に合っていなかったのでしょう」

「まあそうだなぁ」

「当たり前よ! 散々手こずらせてくれて」

 

 隠岐奈は苦笑し、振り回され続けた霊夢は憤った様子で一喝する。

 空気が弛緩しても油断はない。その間にも後戸の侵食は続いており、幻想郷との開通も秒読みに入った。

 

「よもや幻想郷がこれほどの団結を見せるとは。この八雲紫の目を以てしても見抜けませんでした。やはり共通の敵という劇薬は幻想郷にとって必須なのかしら」

「耳の痛い話だな」

「でも、これで良かったのかもね。最期の最期に有り得ないものが見れたんだもの」

「死ぬ事前提で話するな。アンタは幻想郷に帰るのよ」

 

「いえいえ、死ぬのは貴女達ですわ。邪魔者が居なくなって、それで終わり」

 

 てっきり降伏の意を示すつもりなのかと考えていたものだから少々面食らった。

 冗談では無く本気。

 紫はまだ進む事を諦めていない。

 

「確かに、今の私では貴女達を相手取るのは厳しいでしょう。仲間もいないし、これ以上後退できる場所もない。それも時間制限付きのクソゲーですわ」

「クソゲー?」

「だからこそ私、必死に考えました。この限りなく詰みに近い状況を打開する一手を」

 

 有り得るのか、そんな事が。

 自信満々に言い放つその態度に警戒が募る。

 

 紫の策動はいつだって諸刃の剣だった。流動性を失った状況を、激流が如き急変へと導き、破壊してしまう。

 良い方向にも、悪い方向にも。

 

 その計算され尽くした一撃は、博麗霊夢にも、摩多羅隠岐奈にも予測は不可能。

 

 いざ明かされたその正体は──。

 

 

 

「もう自爆するしかない!!!!!」

 

「「「「!?」」」」

 

 

 やはり、斜め下に駆け抜けた。

 

 心臓を起点に袈裟懸けのように亀裂が走る。

 万象を捌く境界。それを自らに打ち込む事で擬似的な自害を引き起こす。

 

 きっと死ぬ事はできないだろう。かつての八雲紫が自身を境界で破壊した時、蓮子を失ってもなお、身体が滅びる事はなかった。

 しかし教訓は得られた。

 

 命に届かなくとも、心身の一時的な破壊は可能なのだ。

 

 それ即ち、狭間世界の崩壊を指し、そこに存在する異物もろとも消失させてしまう。

 

 活路を開く手段として自爆が有効であることの前例を妹紅が示していたのも不味かった。

 望まずして紫にインスピレーションへ至る蓄積を与えてしまったのだ。

 

「あの野郎やっぱり正気じゃねえ! 伏せろ菫子!」

「ひえぇ!」

 

 異物達の行動は早かった。

 矢面になるべく前に躍り出た妹紅が全員を不死の炎で包み込み、その範囲を後戸の領域に定めた隠岐奈が保持に死力を尽くす。更に内側から結界を補強し、菫子を守る霊夢。

 全員が自分にできる最大限を発揮した結果だが、誰が望んだ訳でもなく、期せずして最高の対処と相成る。

 いわば、擬似的な極小の幻想郷を作り上げたのだ。

 

 しかし紫の身体が爆散すると共に空間が270°拉げ、残された領域をも食い潰す。

 

 誰の声とも知れぬ絶叫があたりに響き渡り、幾つもの宇宙を押し潰してきた因果の波が全てを押し流した。

 

 




全然強くなさそうで本当はちょっと強い、でもやっぱり微妙なゆかりん
実のところ身体のスペック自体はEXボス並みですが、戦闘経験が壊滅的なのとゆかりん補正でその真価を殆ど発揮できませんでした。しかも相手が菫子を除いて百戦錬磨の古強者ばかり。
これにはルーミアも呆れ顔。

・生産元同一の存在を吸収する事で完全体を目指す。
・余裕ぶって淑女っぽい態度を取る。
・追い詰められると自爆する。
・未来版と現代版で複数個体いる。
・cvが若本○夫

つまりそういう事です。


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そして貴女と巡り会う*

 

 

 彼女達の存在を初めて意識したのは、ヘカーティアと問答を繰り広げたあの瞬間。

 死と夢の狭間で記憶を取り戻し、自分が何者でもないことを知った時。

 

 いや……多分さらに遠い昔から、私と彼女達は夢や無意識で繋がり合ってたんだと思う。

 目を逸らしたかったの。

 悲劇を直視してしまえばもう引き返せない。楽な道でないのは明白だったから。

 

 途轍もない苦しみと後悔が待ち受けていると知りながら、わざわざその渦中へ飛び込もうなんて酔狂な真似、馬鹿げてる。

 でも私の心は否応無しに修羅の道を選んでしまった。

 

 我が身可愛さの極み。

 

 いつだって自分が嫌になる。

 私はどれだけ卑しい妖怪なのかと。

 

「ねえ」

 

 私の心にポツンと佇んでいる、向かい合う三つの席。その上で眠る彼女達に問い掛ける。

 この問いもきっと初めてではないのだろう。

 

「貴女達はどうしたいの?」

 

 彼女達の願いと無念が混ざり合って私が生まれた。

 この身体も心も、名前も運命も、私が望んだものはただ一つとしてなかった。

 

 だから委ねるしかない。

 私は『私達』の欲に従うだけ。それが私の心だから。

 

 

 

 

 

 

「もう嫌だ。なにもかも」

「……そう」

「死にたい。消えてしまいたい」

 

 マエリベリー・ハーンは虚ろに呟く。

 項垂れたまま此方を見ようともせず、塞ぎ込んでいた。最早何も見えていない。

 

 この子の絶望はあまりにも根深かった。全てが不本意で、酷い理不尽の連続。どんな詭弁を弄しても、救う事はできないように思う。

 彼女の中で物語は終わっている。後の蛇足は全てタチの悪い悪夢でしかないのだ。そんなメリーの心は痛いほどよく分かる。

 

 自分が許せないんでしょうね。

 

 私の性質は、どちらかと言えばメリー寄りだ。それ故か、彼女に対してとても同情的な気分になるし、同時に強い悪感情を抱いている。

 これこそ同族嫌悪と言うのだろうか。

 

 貴女のことは正直大嫌いだけど、同じ『私』で、運命に翻弄され続けたよしみだ。

 その悲しい願いを叶えてあげたい。

 

 

 

 

 

「……」

「貴女はやっぱり、何も言ってくれないのね」

「……」

「でも言わんとする事は分かるわ」

 

 宇佐見蓮子は無言の願いを私に訴えかけてくる。

 椅子に深く腰掛けて、眼球のない暗い空洞で私を強く見据えていた。

 

 彼女がメリーに与えた紅の目は、結局戻ってくる事はなかった。別のメリーに渡ってしまったからだ。

 あの欠けた眼窩こそ八雲紫が壊れてしまった事の何よりの証左であり、出来損ないの私がこの世に生を受けてしまった間違いを形として残している。

 

 ある意味裏切りのような八雲紫の行為に彼女は何を思っただろうか。全てに絶望した相方に何か伝えたい事があるのだろうか。私には分からない。

 もしかすると蓮子に確固たる意思なんてものは無くて、抜け殻が恨み辛みだけで私を睨んでいるのかも。

 恨まれて当然だものね。憎しみを甘んじて受け入れるしかない。

 

 けどそんな彼女にも願いはある。沈黙の少女は何も語らないけれど、『私』の心だもの。全てを誤魔化すことなんてできやしない。

 永遠に終わらない冒険、或いは夢の先を求めているのでしょう? メリーとの日々がよっぽど楽しかったのかしら。

 

 彼女からどう思われていようと構わない。色々なものを繋ぎ止めてくれた憧憬への対価。

 その小さな願いを叶えてあげたい。

 

 

 

 

 

 

「貴女の好きなようにすればいいわ」

「は、はぁ……」

「自分で道を切り開けるだけの用意はしてあげたでしょう。私から言う事は何もない。自分の心に正直に、最善だと思う道を選びなさい」

 

 八雲紫は椅子にふんぞり返りながら、そう言い放つ。

 不敵な笑みを湛えた私のそっくりさん。でもその佇まいは私と全くの別物で、混乱に拍車をかける。

 

 願いを聞いたのに、それを私に委ねてくるとは思っていなかった。或いは突き放されているのかも。

 蓮子とメリーがあんな状態で、唯一話せるのが腹の底が読めない化け物なんてあんまりな話だ。

 

「もしかして良い迷惑だった?」

「まあ、正直に申しますと。貴女のおかげで幻想郷は成立前から滅茶苦茶ですもの。どこもかしこも争いばかりで、誰も言うことを聞いてくれない」

「あらそう? 私には退屈のない楽しそうな場所に見えるけどね。羨ましい限りです」

「……」

「私が創っていたなら良くも悪くもこうはならなかった。貴女が納得していようがしていまいが、これも一つの幻想郷であり、八雲紫が守るべき場所」

「本当にそれでいいの?」

「そして貴女が還るべき場所」

 

 きっと話半分にしか聞いていないのだろう。私が微妙な顔をする事の何が楽しいのか、頬杖をついてニタニタと笑みを浮かべている。

 こういう雰囲気はオッキーナと似ているのよね。

 

「貴女はそうすべきだと思うのね」

「虚像の言う事に耳を傾ける必要はない。これはただのあり得たかもしれない感想ですわ。まあ、私ならわざと霊夢に負けてあげて、みんなに一通り詫びた後、布団に潜って寝るわね」

 

 それもいい。

 

 家に帰ったら藍と橙が迎えてくれて、ルーミアと天子さんを加えてみんなで食卓を囲んで、少しゆっくりしたら床に入って、ぐっすり眠って、また朝が来る。そして幻想郷の諸問題に胃を痛めながら奔走する一日が始まる。

 夢か現実かもあやふやな毎日に目を瞑りながら、何も考えずに生きていくのだ。

 

 これを幸せと呼ぶのかは判断に困るけど、少なくとも不幸ではないと今なら自信を持って言える。

 いつだってそうだ。

 失ってから大切なものに気付いてしまう。

 

「そんなの……何の解決にもならないわ」

「解決する必要ある? 貴女は弱いんだから、身の丈に合った願いだけ抱えていればいいのに。既に終わった物語に何を加えても駄作以上にはならない」

「承知の上よ」

「無謀だと分かってる癖に、難儀な性根をしてるわ。我ながら自分勝手ねぇ」

 

 死んでしまった者達の十字架。

 蓮子とメリーの想い。

 そして目の前の八雲紫の願い。

 

 全部私には手に余る代物なのは当たり前。

 でもそれが自らの安寧を諦める事に繋がりはしない。

 

「まあ、貴女が道に迷っているうちなら夢と現の境界は確定しない。なるようになればいいわね」

「そこまで頑固に全てを委ねたいと言うなら、相応の後悔の準備はしておいて頂戴ね。どちらに転ぼうが『私達』は終わりよ」

「それで貴女の気持ちが晴れるなら」

 

 見透かしたような目が苦手だ。

 きっと彼女には私の考えはおろか、当人でさえ認知し得ない奥底の気持ちまで手に取るように分かるのだろう。さっきから問答が誘導染みてるし。

 

 この八雲紫なら幻想郷の統治もさほど問題なかっただろう。私みたいなお飾りじゃなくて、本物の管理者になれていたはずだ。

 いや、これこそが本当の八雲紫なのか。

 

 羨ましいわ。

 

「そう。貴女は自分を確かめたいだけなのよ」

「……」

 

 何も言えなかった。言う必要がないから。

 

「功績、傷痕、矛盾。そんな事はこの際どちらでも良くて、自分の存在意義をただ証明したい。だから『私達』の尻拭いを──」

 

「やめて」

「尻拭いを完遂する事で八雲紫の業を背負ったつもりになって、自分が『私達』と同じだと思い込みたかった」

「あの、やめてって言ってるのに……」

「やめませーん」

 

 なんなのコイツ。

 

「最初から言っているように、私は貴女の気持ちを尊重します。メリーの心に従って消滅の道を選ぶも良し、蓮子の心に連れられて更なる苦難の旅を選ぶも良し。でも最後の決断を自分以外に委ねるのはお勧めしないわね」

「他ならぬ貴女が言うのか」

「このザマだから説得力も増すってものよ」

 

 さも嘆くように深い溜息を吐く。

 確かにこうして身体を私なんかに明け渡して、幻想のなり損ないと化してしまった彼女の現状は、AIBOの提案に従った結果ともいえる。

 

 もっと好き勝手できたであろう最強の八雲紫の最期としては、やはり違和感が残る。

 自分やぬえ、こいし。そして蓮メリを犠牲にしてまで何故この世界を望んだのか。

 私に全てを託す意味とは。

 

 頭がぐちゃぐちゃになってしまった私には、もう何も分からない。

 

「なら教えて頂戴。私が選ばれた理由(わけ)を!」

「それを貴女に知ってもらうのが私の願い」

 

 

「やりたいことを自由になさい。私の創りたかった幻想郷が、いつだって貴女の支えになるから」

「……」

「ほら、最後に言ってみて? 貴女の本当の想いを。全ての柵から解かれたら何がしたいの?」

 

 

 

「私は──」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 夢の中の夢。悪夢の中の悪夢。

 意識が覚醒して一番に感じたのは困惑だった。

 

 はて、この記憶はいつの時のものだろうかと考えを巡らせるが、答えは出なかった。若しくはまだ存在しない産物のかもしれない。

 境界の世界は全てがあやふやだ。

 

 過去、未来。夢と現。

 混ざり合う自分に確たる物はない。

 

 

 と、ここでようやく意識が異物へと向いた。

 片膝をつき、お祓い棒に寄り掛かる事でなんとか体勢を保った霊夢。呼吸は荒く、霊力の残量はゼロに近い。

 そしてその背後では菫子が呻き声をあげて、うつ伏せで倒れている。

 

 他の2人──妹紅と隠岐奈の姿は無い。

 自身の消滅と引き換えに霊夢と菫子にバトンを残したか。最後の最後まで手を焼かせてくれる。

 

 

「霊夢、もう終わりにしましょう。悪夢はいずれ覚めてしまうけれど、境界は決して消え去らない。永遠なのよ。貴女と私が交わる事は未来永劫ないのです」

「……そうね。夢はいつか覚める。境界もまた永遠だと認めてもいい。だけど紫」

 

 最後の力を振り絞り立ち上がる。瞳に宿る強烈な決意。

 

「アンタも永遠ってわけじゃない」

 

「貴女達のその煌めきもまた、ね」

 

 啖呵を切ったものの、霊夢の余力は皆無に等しかった。

 度重なる連戦と奥義の酷使により、限界を迎えつつある。恐らく、次の攻防が霊夢に残された最後のチャンス。

 

 しかしそんな僅かな希望すら打ち砕くように、紫の妖力が加速度的に増しているのが分かった。

 菫子の力の弱まりに反比例するその意味を、霊夢は的確に理解している。

 

 何にせよ次の一撃だ。それに全てを賭ける。

 

 そして当然、霊夢にそれしかない事を紫は把握している。窮鼠猫を噛むとも言う。ならば究極のスペルカードを以って応えるしかあるまい。

 

 この弾幕が成就する時、八雲紫は完成するのだ。

 

 

「紫奥義『深弾幕結界-夢幻泡影-』」

 

 

 自身の存在が完成されていくにつれ、様々な知識が頭の中に流れ込む。

 数多の八雲紫が創り出したスペルカードの中でも、これは別格だ。所詮は弾幕ごっこ、遊びの範疇。しかしこれだけは明らかに他と趣旨が異なる。

 

 八雲紫を超えることを企図して作成されたスペル。いずれも博麗の巫女を試すために用意した八雲紫本気の遊戯。

 

 これを攻略できたのは、長い歴史の中でも前周の霊夢のみ。結果、その戦いで致命傷を負った八雲紫は、蓮子の絶命時まで半死半生の寝たきり状態となった。

 因縁は十分である。

 

 このラストスペルで博麗霊夢を仕留めること、或いは八雲紫の試練を乗り越えるということ。それはどちらに転ぼうが完全決着を意味する。

 

「貴女が破壊しようとしている境界の厚みを知りなさい。如何に無謀な挑戦であるか、とくと味わえ」

「一つや二つの境界なんて……!」

「そんなに少ないと思って?」

 

 術者と殲滅対象を中心として妖しい光を放つ弾幕が連なる線のように円形展開され、囲いを形成していく。

 全方位を隙間なく埋め尽くし、超高速で包囲を縮小。霊夢の領域を塗り潰す。

 

(一つでも被弾すれば残る全ての弾幕が絡みつくように一斉に殺到するってわけね。霊力が無い以上正面突破は不可能。なら、囲いの動きに沿うようにして……!)

 

 紐で結うような挙動。全ての弾幕が等速で動いているわけでは無い。

 弧を描くように旋回すれば、僅かに生じた隙間を縫っての回避が能う。博麗霊夢の天性のセンスが導き出した最適解の道。

 

 だが霊夢の悪寒は止まらない。

 境界を超えた先には、また別の境界。それも更に濃密な死の気配を漂わせている。

 

 ──『八雲紫という名前が指す意味、それは神を囲う、つまり巫女である君を決して逃さない、といった風にも解釈できるね』

 

 いつの頃だったか。霖之助から日課の如く垂れ流された蘊蓄をふと思い起こす。

 なるほど言い得て妙。

 スペルの性質が自分との対決を想定したものである事を理解した。菫子がスペルの対象に含まれていない事からも紫の狙いが窺い知れる。

 

 そう、それでいいのだ。

 お前(八雲紫)が目を向けるべきは訳の分からない残酷な不幸事なんかじゃない。もっと(霊夢)を見ろ。

 

「そんな下手くそな弾幕、私には当たらないわ! もっと狙いをつけなさい!」

「……霊夢。余裕なんてない癖に」

 

 一波、二波と隙間を掻い潜る。

 空っぽの霊力では成し得ない筈の精細な動き。霊夢はまさに極まっていた。

 

 だが、だからこそ底が分かってしまった。断言できる。今の霊夢に全てを躱しきるなど不可能だ。

 次々と蓄積していく因果が、完全な八雲紫と化していく思考が、来るべき結末を囁く。

 

(次は左右から挟み込む弾幕を厚くして、真正面から突っ切る以外の道を潰す。その次は、敢えて弾幕の交錯地に留まらないと被弾するように──)

 

 思考のスペースが拡張された影響か、煩わしく感じていた数々の『想い』が鳴り止んだ。否、相対的な静けさを取り戻したと表現するべきかもしれない。

 余計なモノに振り回されるのはリソースの無駄だ。今はただ、目の前の敵を屠るのに全力を。

 

 

 これまで振り撒かれた不幸の全てを失くすために、やれる事を悉くやって、がむしゃらに頑張って、それでもどうにもならないなら潔く死ねばいい。

 そんなことを漠然と考えて行動してきた。元から期待なんてされてない存在なのだから、精一杯やれば少しは赦される余地があるかもしれない。

 

 そんなどっち付かずの心構えなど元から不要だった。

 決定的な矛盾を抱えたまま、沢山の想いに押し潰されておかしくなってしまった頭。

 そんな状態で、純然たる心のままに戦う霊夢達を相手取るなど、ひっくり返されて当然。

 

 ならばその異物を排除すべきだ。

 とにかく勝つ事だけを一心不乱に。

 

 

 三、四波を凌いだ時点で紫の半分が馴染んだ。

 それに伴い境界の厚みとともにスペルの難易度が桁違いに膨れ上がる。

 

「う、ぁぅ……霊夢、さん……」

 

 自分を喰らい尽くしていく正体不明の違和感に抵抗しながら、菫子は頭上で展開される弾幕の群れを眺めるべく目を食いしばる。

 恐ろしいまでに難解で、震えるほど美しいスペル。その中で乱れ舞う二色の蝶。

 

 永遠とも思えたゲームに綻びが生じつつあるのが、素人の菫子の目でもよく確認できた。

 

 霊夢と紫の考えがここに来て一致を見る。

 次は、避けられない。

 空っぽの霊力では、震える腕では、覚束ない足では、照準定まらない視界では。

 

「はぁ……! はぁ……! くっ、そぉ……ッ!」

「これにて終いですわ」

 

 機械的な口調が耳にへばり付く。眩しく思えるほど妖艶に煌めく桔梗色の瞳には、まだ博麗霊夢は映っていない。

 

 終われない。終わってたまるもんか。

 紫擬きに始まり、幻想郷の命知らずどもが矜持をかけて切り拓いた現在(いま)だ。

 これを無碍にするなどあり得ない。

 

 連れて帰ると誓ったんだから。

 ぶれない想いを胸に、ラストスペルを唱える。

 

 

「『むそおぉ!!! てんせええぇぇぇえッ!!!』」

 

 

 禁断の二度打ち。

 いくら霊夢といえど、夢想天生の完全制御はどう考えても日に一度が限界。しかも、前回の使用からまだ数分も経っていない。即ち術者の消滅を伴う奥義となってしまう。

 消えてしまうのであれば紫としても願ってもない話。この世界での消滅はイコール八雲紫との同化である。

 

 だが紫は目を見開いた。それは霊夢の無謀な行動に対するものではない。

 

「馬鹿な、有り得ない。霊夢……貴女はどこまで」

 

 弾幕に絡め取られる事はなく、その峻烈な存在が陰る事もない。博麗霊夢は境界を突破してみせたのだ。

 少し前までの紫なら「まあ霊夢だし仕方ないか!」と勝手に開き直っていただろう。しかし数多の因果を束ねた今の紫には到底受け入れられない事象。

 

 何がここまで彼女を突き動かす? 

 心身を留めるモノとは? 

 

「分からない。どうして、何故──」

 

「バカ。前にも、言ったでしょ」

 

 溢れる雫。宙に溶けていく涙。

 身体が粉々になりそうなほどの苦痛と疲労を噛み殺した表情(かお)で、霊夢は儚げに笑みを浮かべていた。

 

 初めて見るその姿に動揺が生じる。

 境界が揺らぐ。

 

「……私には最初、紫しか居なかった。アンタしか居なかったのよ」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

『まさか一発で成功するとは……。一応最難関の奥義らしいけど、秘伝書もアテにならないわね』

『ん。楽勝』

『でも失敗したら消えちゃうところだった(らしい)のよ? 勝手な行動は慎むように』

『……私が消えたら、紫は悲しいの?』

『勿論。私の可愛い霊夢が消えちゃった日にはもう二度と立ち直れない気がするわ』

 

 桜舞う昼下がり。博麗神社の境内。

 吸血鬼異変が終わったばかりくらいの頃か。

 

 藍と橙が所用で不在だったから私が霊夢の修行を見ることになってたのだが、当然実技なんかは教えることができないので、座学に励んでもらう事にした。

 

 そんな訳で夢想天生を含む博麗の奥義が記された書物を霊夢に読んでもらおうと思ったのだが、目を離した隙に習得してしまっていたという一幕である。

 

 立ち直れないなどと宣ったが、それはきっと嘘になってしまうだろう。心に酷いショックを受ければ記憶は消し飛び、夢の奥底へと封印されるからだ。

 心の中に潜む無意識(こいし)がそうさせるから。

 

 歴代の巫女が死んだ時も同様だったのかもしれない。彼女達の顔が浮かんでこないという事は、つまりそういう事なんだろう。

 

 ただ少なくとも霊夢に対してそれだけの思い入れがあったことは間違いない。

 

『でもホント、素晴らしい事だと思うわ。厳しい藍もきっと褒めてくれるわよ』

『期待してないけどね』

『そ、そう。ところで何かコツとかはあったの? ほら、一応後世の巫女の為に秘伝書をアップグレードしておいた方が親切でしょうし』

『……知らん。藍に聞け』

 

 素っ気なく言い放つと、夢想天生を解除して神社の奥に引っ込んでしまった。

 何が何やらよく分からず、ただ茫然とするしかなかったあの時の記憶。

 何故、あそこで藍の名前が出てきたのかも結局分からず終いだ。

 

 でも夢想天生の仕組みを完全に把握した今になって、霊夢の言葉の意味に気付いた。

 霊夢は自身の拠り所を現世に作っておいたのだろう。己の制約とする為に。

 その正体が幻想郷であって、また八雲紫でもあった、というだけの話か。

 全ての事象から解放されるという最強の性質、その一部を冒してまでも、その道を選んだのね。

 

 

 そこまでして、貴女は私の事を──……。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「……そういう事。なるほど、全て理解できた」

 

 しばしの瞑目、そして目覚め。

 新たな記憶の復活とともに、自分と霊夢の関係性における一定の答えを得た。

 

 故に確信する。

 進むにしろ、死ぬにしろ、霊夢との決着という前提無くしてはやはり有り得ない。

 

 最も難解な七波と八波ですら夢想天生の前には無力。程なくして攻略されるだろう。

 決め手となるのはスペルブレイク直前だ。

 全盛期と比較しても7割近い力が蘇った。この純粋な妖力の塊を霊夢へとぶつける。

 当然、藍が解き明かした夢想天生の術式を付与する事も忘れない。

 

 境界により確立されていた空間の崩壊。振動とともに無から滲み出る弾幕が霊夢を飲み込んでいく。

 八雲紫最強のスペルカード、その最後の足掻き。

 

 

 紫、霊夢、両者共に現時点で発揮できる全てを出し惜しみなく披露していた。次など無いという決意の現れ。

 

 故に失念していた。

 足掻きを残している者はまだ居た。最後の力を死守しつつ、最高の一矢を報いるその瞬間を、虎視眈々と狙っていた者が。

 

「いい加減っ目を覚ましてよ! ゆかりん!」

 

 不可避の弾幕から霊夢を守っていたのは身体全体を覆うバリア。圧倒的な力の前に薄氷が如く剥がれ落ちてしまっているが、僅か数秒の延命を成しただけでも万金の価値がある。

 振り回されっぱなしの菫子にだって意地がある。紫を救ってあげたいという気持ちは霊夢と同じだ。

 

 高まる圧力に慄きながらも、泣き叫びながらも、サイコキネシスを止める事はなく、埋め尽くす弾幕を押しのけ紫へと続く道を作る。

 数歩分の空間を確保するだけでも力を使い果たしてしまったが、これで漸く射程圏内。

 

 霊夢の踏み込みが境界を越えた合図。

 スペルブレイクまであと三秒。八雲紫の完成まであと一割。

 

 

 何かを願うような、縋るような瞳が射抜く。

 

 

 逆袈裟斬りで放たれたお祓い棒に対し、対照的な軌跡を描く指。幻想郷の全員が作り上げた最後の希望を、忌々しい巫女諸共断つための一撃。

 

 これまで何万、何億と繰り返してきたスキマを開く動作だ。いつもと何も変わらない。

 たったそれだけで、遂に本物の八雲紫と成るのだ。

 

 

 ──『私はいつだって一緒ですから。この心が消え去るその時まで、ずっとお仕えいたしますから』

 

 

 この指を振り下ろせば勝てる。

 

 

 ──『この世界は残酷よ。貴女がどれだけの想いを受け入れようが、満たされず消えていく物は存在する。それでも、前に進んで行くしかないわ』

 

 

 あの霊夢を斃せる。

 

 

 ──『ほら、最後に言ってみて? 貴女の本当の想いを。全ての柵から解かれたら何がしたいの?』

 

 

 霊夢が、死ぬ。

 

 

 

 ──『私には最初、紫しか居なかった。アンタしか居なかったのよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、霊夢」

 

「……っ!」

 

 指は結局動かなかった。

 

 お祓い棒の切っ先が紫の胸を抉り、空洞から夥しい量の妖力が崩れ落ちていく。

 

 紫の命を確かに奪った感触。

 忘れる筈がない。

 

「なんで、最後まで手を抜くのよ……!」

「私は最後まで本気だったわ。いつだって一生懸命」

 

 八雲紫は嘘を吐かない。

 

「でも、やっぱりダメみたい。肝心なところでいつも上手くいかないの。だから結局、貴女に辛い役目を押し付けてしまう」

「そうよ! 迷惑してるんだから!」

「ふふ、こんな私に親は務まらないわ」

 

 線を保つことができず、境界が崩壊を始める。

 自爆の時とも違う、世界そのものが虚無へと還ろうとする動き。紫を起点として歪みが広がっている。

 一人の大妖怪が終わりを迎えようとしているのか。

 

 霊夢は鉛のように重い足を前へと突き動かし、紫へと手を伸ばす。しかし届かない。隔てる空間が際限なく拡充している。

 

 まるで夢の中を走っているような感覚だった。前に進みたいのに足が上手く動かないもどかしさ。あの何とも言えない嫌悪感が支配している。

 大丈夫だ、此処はまだ現実。

 霊夢の目は本質を見失わない。

 

「迷惑だけど、死ねなんて思ってないわ! つべこべ言わずに帰ってくればいいの!」

「でも私、眠たくて……」

「帰って寝なさい! 家が無いなら私んちの布団貸してあげるから!」

「眠りたかったの。ずっと」

「違う! それは紫の心じゃない!」

 

 霊夢の叫びも虚しく、胸から流れ出るスキマの成り損ない、かつての自分だった物に沈む。

 夢のまた夢、深淵へと向かうのだ。どこまでも、どこまでも堕ちていく。

 

「こうなったら……!」

【やめな霊夢。迂闊に足を踏み入れれば、きっとただじゃ済まない】

「その声、魅魔ね!? そんなの百の承知よ。でも諦めてたまるもんか」

【……眠りと死の境界とは非常に薄いものであり、同様に夢が深ければ深いほど、現実との境目もまた薄くなる。全てを受け入れると言えば聞こえは良いが、実情はこの世で最も呪われた体質。それに飛び込めばどうなると思う? 塵も残らないね】

 

 陰陽玉の中から響いてくる自身を案じる声。魅魔だけではない。矜羯羅や菊理、エリス。陰陽玉に封じられた者達が一斉に止めていた。

 当然、霊夢も紫の沈んでいった境界の危険性については承知している。

 

 本来有ってはならない辻──境界が幾重にも折り重なった歪な世界。

 長く留まれば霊夢はありとあらゆる境界を奪われ、存在しなかった事になる。

 

 それでも諦めきれないのだ。

 

「さあ行くわよ! 全員気張りなさい!」

【こんだけ止めても聞きやしない。こういう悪い所だけは魔理沙と似てるんだから……】

 

 こうなっては術者と一蓮托生である。

 夢想封印の要領で霊夢の身体へ自らの存在を纏わせる。夢想天生と合わせれば如何なる干渉に対しても相当な耐性となりそうだ。

 しかしそれでも完全な対策とはならない。あくまで目的は時間稼ぎだ。

 

 と、紫が不完全なまま崩壊した事で全快した菫子が復帰。超能力をスキマへと流し込む。

 すると不定形に蠢いていた動きが徐々に鎮まっていく。この様子なら不意に入り口が閉じたりする事はないだろう。帰り道が確保できている意味は大きい。

 やはり彼女の力には八雲紫を中和する効能があるのか。

 

「お願いゆかりんを助けてあげて! あの人とっても寂しがり屋だから!」

「知ってる!」

 

 力強く頷くと、霊夢は漆黒の洞穴へと躊躇なく飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 境界とは即ち結界である。

 まるで紫との絶対的な距離を暗示するかのように、多大な障壁が積み重なっていた。

 

 力を振り絞り、何度も拳を振り下ろす。

 遮る物を悉く破壊し沈んでいく紫を追う。徐々に近付けてはいるものの、博麗の勘が頭の中で騒がしく警鐘を鳴らしている。このままでは間に合わない。

 

 紐が解きほぐされるように、構成される性質を剥がすために境界が入り込もうとしている。

 夢想天生と魅魔達のサポートがなければ今頃半身を失っていただろう。しかしそれも一時凌ぎであり、均衡が崩れるのは時間の問題だ。

 

「紫! 手を伸ばして!」

 

「……」

 

 霊夢の言葉に薄らと瞳が開く。

 混濁とした意識の中、身体は思い通りにならず指先が僅かに震えるだけ。

 

 そして霊夢もまた行き詰まった。最後の障壁を叩き壊す事ができずに力無く突っ伏してしまう。これが紫と霊夢を阻む最も強固な境界。

 気力は満ち満ちているのに身体が付いてこない。

 

【霊夢。これ以上は危険だ、戻りなさい】

「いやだ、絶対に諦めるもんか」

 

 駄々をこねる子供のように喚いた。眼前で微睡む紫を腹立たしげに睨み付けながら。

 

「どうして、いつも、いつも、私を突き放そうとするのよ。置いてかれるのは嫌なのに。私のこと勝手に期待させて、弄んで」

 

 今までの鬱憤が弾けたかのように、大粒の涙が流れ落ちては消えていく。

 子供の頃でもこんなに泣いた事はなかった。きっとこれから先も無いだろう。喉が裂けるほどに声を張り上げ泣き叫んでも、届かないのか? 

 

「お願い帰ってきて。紫」

 

 願いは虚しく溶けていく。

 

 

 

「え?」

 

 涙で滲んだ目を慌てて擦る。目の前の光景が俄かに信じられなかった。

 紫との距離がどんどん狭まっていく。

 

 霊夢は全く動けていないので、紫の方から近付いてきているようだった。だが彼女自身もまたアクションを取っていない。なんならまだ眠りこけている。

 その背後だ。背中を押している者が居た。

 

「……誰?」

 

 空間の歪みが重なっていて顔がよく見えない。黒の帽子を被っていて、茶色の髪。少なくとも霊夢の会ったことのない人物。

 境界の向こう側から紫を押し出そうとしている。

 

 困惑するのは後だと、雑念を振り払う。この際彼女の正体はどうでもいい。今はこの幸運を逃さない為に、できる事を全てやるべきだ。

 

「ごめん魅魔。力を貸して」

 

 陰陽玉が残していた最後の霊力を拳に乗せ、障壁を突き破る。全体を破壊する事は叶わなかったが、腕を伸ばせただけでも十分。

 逆巻く衝撃に堪えながら霊夢は合図を送る。

 

 背中の彼女が紫を突き飛ばすと同時に、遂にその手は握られた。

 

 

 境界を越えて触れ合う心。

 漸く、紫に届いた。

 

 

 

 




あと2、3話で最終回です


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【ネクストドリーム秘封倶楽部】

 

 

 

「おはよう。寝坊助メリー」

 

 何気なく掛けられた言葉に驚いて肩を震わせる。

 

 体を包んでいた浮遊感は消え去り、霞む目を擦りながら辺りを見回した。

 

 いつもの場所。いつもの時間。

 2人で駆け出した夜の街を眼下に収めるビルの屋上、その縁にメリーは座らされていた。

 若しくは、ずっと此処で夢を見ていたのか。

 

 側に立つ相棒へと何とはなしに視線を向ける。

 

「……蓮、子」

「いや、これから本当の眠りにつくのかもね」

 

 とても優しい声音。

 子守唄のように全てを委ねてしまいたくなるような、そんな魅力を孕んでいる。

 

「いつまでこの意識が続くのかも分からない。きっととんでもない奇跡の上に成り立った時間だから、そんなに長くないと思う」

「……そう。やっと終わるのね」

 

 安堵混じりの声音。

 蓮子は無言で頷くと、隣に腰掛ける。深く帽子を被っていて表情を窺い知る事はできない。

 

「夢の世界にいる間ずっと考えてた。岡崎教授も言ってたんだ」

「何を?」

「私とメリーの出会いって一体なんだったのかなって」

 

 秘封倶楽部の運命が大きく狂ってしまったあの日。日差しの照り付ける防波堤での一幕に思いを巡らせる。

 

「私たちだけじゃない。八雲紫さんや菫子さん、私達より前の私達。みんな決められた歯車を回すためだけに生まれてきたのかな。心に芽生えた怒りや悲しみ、そして喜びも。全部最初からそうなるようになってて」

「……」

「ねえメリー。私達の活動に意味はあったのかな」

 

 いざ問われてみて、不確かで面白くない答えをそのまま伝えて良いものか逡巡する。

 

 メリーにしてみれば、少なくともこれまでの自分の行動や意思に意味があったとは到底思えない。だからこうして沢山の悲劇が積み重なってしまったのだ。

 与り知らぬところでループが終わっていたのだとしても、それは我が儘な自分(メリー)の想いに見切りを付けた八雲紫の功績だろう。

 

 しかしそれを肯定する事は、自分に対する蓮子の献身と想いを無碍にしてしまうものである。

 よって、首を振る以外に答えはなかった。

 

「それは……ごめん。私にも分からない」

 

 僅かに身動ぎして、蓮子は天を仰ぐ。

 星と月を眺めても答えはやはり出ない。

 

「そっか。まあそうだよね」

「でもね」

 

 彼女に倣ってメリーもまた空を見上げた。

 

「意味はきっと、あの子がこれから見出してくれるんじゃないかしら。あの子は私達だから」

「……うん」

私達(お邪魔虫)はもう居ないしね。期待してる」

 

 自身に言い聞かせるように、そっと胸が存在していた部位へと手を当てる。当然空振るばかりだが、その空虚さこそメリーが解放された何よりの証。

 

 霊夢の一撃は確かに命へと届き得るものだった。その対象が八雲紫からメリーへとすり替わっていただけの事。

 西行妖から幽々子を切り離した妖夢の絶技を参考に、霊夢が土壇場で編み出した神技である。

 

 的確に、紫の裏に潜むモノだけを殺してくれた。

 

 だからこうしてメリーは蓮子と巡り会う『死の幻想』へ辿り着けた。

 彼女達には感謝してもしきれない。

 

「それにね、貴女や他のみんながどう思っているのだとしても、私だけはあの日々を否定したくない」

 

 ハッキリと、そう告げた。

 

 自分のせいで不幸にしてしまった人達からの恨みと罰は甘んじて受け入れよう。

 だけども、蓮子と共に生きてきた日々にだけは、どうしても触れないで欲しかった。

 それが正直な気持ち。

 

 死を許されて、ようやく向き合うことのできた自分の心が導いた我が儘だった。

 

 2人の間を縫うように吹き抜けていく強風を塗り潰すかのように、快活な笑い声が響き渡る。

 一頻り笑った後に、蓮子は袖口を濡らした。

 

「同じ気持ちで安心したわ」

「最初から分かってたくせに。何年一緒だったと思ってるのよ」

「それはアレよ、試したのさ!」

「適当ばっかり」

 

 呆れ混じりに、けれどやはり安堵の息を吐く。

 背中の手摺りに掴まり立ち上がると、蓮子の手を引いた。彼女には何も見えていないだろうから、先導が必要だ。

 

「何処に行くの?」

「ちょっとそこまで」

 

 

 

 

 

 スキマを抜けた先は、艶やかなコバルトブルー。

 寄せては返す白波の穂。見果てぬ広大な塩の湖は、やはり私を特別な気持ちにさせてくれる。

 

 その光景を見る事のできない蓮子でも、波音と潮風で大方の場所を把握したようだった。

 砂浜へと着地し、波打ち際で2人佇む。

 

「海が嫌いなんじゃなかったの?」

「うん。でも言ったでしょ。貴女と一緒なら少しは楽しめるって」

「こんなになって泳げなくても?」

「どうせ泳いだって蓮子は私みたく上手に泳げないわ」

「ちぇ。リベンジしたかったなー」

 

 口を尖らせる蓮子と軽く笑い合った。

 

 この海こそ、真に実在しない幻の海。私が嫌っていた不快な水溜りそのものだろう。

 でも蓮子と一緒に見るそれは、紛れもなく本物なのだ。それを改めて確認した。

 

 

 

「今頃、教授達はどうしてるんだろうねぇ」

「違う世界でまた新しい発見をして、ちゆりと一緒にはしゃいでるんじゃないかしら」

「ははは違いないわ。息災なら良いんだけどね。……いやね、行く末を憂う人なんてもうあの人達くらいしかいないからさ」

「みんな消えちゃったもんね」

「うん。せめて、橙さんにはこの結末を教えてあげたかったなぁ。いっぱい世話になったし」

「いつか届くといいわね」

「サナエさんは復讐を成し遂げられたのかなぁ」

「どうでしょうね」

 

 半ば上の空といった様子で、頭に浮かぶ事を片っ端から投げ掛け合った。

 話題は尽きないけれど、2人の僅かな時間に費やすには適当でなかった。しかしそれでよいのだ。

 

 終わりの更にその先、永遠が約束されているのだから、何を躊躇う必要があろうか。

 

 

「そういえば」と、妙に不安げな様子でメリーは呟く。今更になって何かやり残した事でも思い出したのかと、蓮子が先を促す。

 話題は自分達の居ない、これからについて。

 

「さっきしたり顔で『期待してる』って言っておいてなんだけど、ちょっぴり不安なのよね。あの子ったら蓮子に似てるから」

「……はぁ?」

「考え無しに面倒事に首を突っ込んで、最終的に痛い目に遭うテキトーで大雑把なところなんかそっくりよ。自覚ないの?」

「そんなまさか!」

 

 これには流石の蓮子も黙っていられない。

 

「いやいやどちらかと言えばメリーの方が似てるって! いつもは自信満々なくせして、いざとなったら強がり言いながらヘタレるところとか。あと情緒不安定なところとか。顔も含めて生き写しよ」

「ふふん。何をバカな」

「うわー自覚無しだー」

 

 完全な無から心が生まれる事はない。

 自分達が元となって誕生した八雲紫。その身体に宿った新しい心。やはり無関係という訳でもないだろう。

 互いに愛おしく思っている部分が煮詰まったように色濃く反映されているような気さえする。

 

 ひょっとすれば親バカとも形容すべき一種のバイアスが働いているのか。それはそれで面白いので、指摘せず心に留めておくが吉である。

 それに、全てを委ねられた八雲紫へのエールの気持ちが偽りではない何よりの証左だ。

 

 

 

 と、不意に蓮子が手を取った。汗が滲んでいる。

 その意を汲み取ったメリーは、黙って頷くと、共に歩みを進める事にした。

 

 時間が来たのだ。

 

「そろそろ出発しなきゃね。此処に留まってたら何も始まらないもの」

「うん分かってる。──もう目星はついてるの?」

「勿論」

 

 靴のまま、普段着のまま、波の境界を越えて進む。

 新たなる旅立ち。

 

 あっという間に腰まで呑まれていった。優しい細波に甘えながらゆっくりと己の身を沈めていく。

 

「不思議ある所に秘封倶楽部在り。……だけども、海の果ては流石に不安だわ」

「怖い?」

「退屈しないかどうかね」

「波の下にも都がございますよ」

 

 ここでそれを言うかと、込み上げてきた面白さに我慢できず吹き出してしまった。

 身投げ前の口上にしては豪華過ぎるし、ネバーランドを信じる幼児に言い聞かせるモノとしては、あまり適当ではないだろう。

 

 まあ、蓮子らしいと言えばそれまでだ。

 

 

「またね、メリー」

 

「うん。また明日」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうかどうか、ただ、自分を信じてほしい。

 

 貴女は確かに、此処に居るのだ、と。




幻想郷に海はない

これで蓮メリの物語は終わりです


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八雲紫の帰還

 

 

 異変の完全解決が里の人間向けに正式告知されたのは、紫さんとの決着から二週間ほど経過した頃だった。

 勿論、それなりの時間を要したのには訳がある。

 

 事後処理は当然ながら、紫さんの領域に突っ込んだまま帰ってこられなくなっていた人達の救助にかなり時間を取られたからだ。

 

 一番最初に幻想郷へ帰ってきたのは、本戦中に境界から弾き出されていた早苗。逆に最も帰還に時間がかかったのは妹紅さんだった。

 最深部で身体を粉々にされたらしく、回収が非常に面倒だったのだ。しかし、そんな生き地獄を味わったにも関わらず心に全く異常が見られなかったのは流石である。

 ここにきて彼女も一皮剥けたのだろう。

 

 結局、あれほど大規模な異変が起きたところで幻想郷の営みは何一つ変わらない。

 傀儡のヘカーティアが残した大量の破壊痕や、戦闘により負傷した者達の復帰は未だ中途半端ではあるものの、その程度で何か支障が出るほど幻想郷と其処に住まう者達はやわではない。

 

 かく言う私もつい数日前までは永遠亭で集中治療を受けていた身だが、簡単な歩行が可能になると同時に職務を再開している。

 博麗神社例大祭の一週間前からずっと地霊殿を空けていたものだから、もうやる事が山積みだ。新たな面倒事も幾つか発生している。

 

 普段なら手伝ってくれるお燐も肉体の再生が間に合ってないから役に立たないし、ドレミーは死んじゃうし。

 泣き言を吐かしてる場合ではない。

 

 お空の世話を妖怪の山が一丸となって引き受けてくれた事だけが直近での唯一の救いか。

 打算は兎も角としてね。

 

 

「お燐。ちょっと地上まで出掛けてくるから、何か困った事があったら連絡をお願いね。……うん大丈夫。貴女よりか全然元気だから」

 

 心配する愛猫を宥めつつ、手短に準備を済ませた。

 そしていざ出発しようかという時、背後から聞き慣れた胡散臭い声が私を呼び止める。

 

「博麗神社に行くのか。丁度いい、同道しよう」

「嫌です」

「そう突き放さなくても良かろうに。共に策謀をぶつけ合った仲ではないか」

「どの口が……。というか、よく何の悪びれもなく私達の前に出てこれましたね」

「地獄鴉の件については悪かったな。あれくらいせんとお前を拘束できそうになかった」

「お燐。ステイ」

 

 色々と因縁深い摩多羅隠岐奈の巫山戯た登場に思わず口調が刺々しくなってしまった。

 明らかに殺気が滲み出ていたお燐をまたもや宥めながら、うんざりとした気分を何とか抑え込む。

 

 結局のところ、この秘神は恥という概念を知らないのだろう。だからあんなに節操のない立ち回りもそつなくこなせるのだ。

 

「というか何で生きてるんですか。綺麗に死んでおいてくださいよ後味が悪い」

「紫が斃された時に、砕け散った神格の一部を回収できたのが大きかったな。まだ身体は用意できていないが、後戸の国と一体化し事なきを得たのだ」

「だから姿を現さないのか。しぶとさなら幻想郷でも四本の指に入りますね」

 

 ちなみに他三本は紫さん、正邪、青娥である。見事に『アレ』な連中で固まってしまった。

 

 取り敢えず、このまま彼女と問答しても不毛な掛け合いにしかならないので適度に無視しながら出発することにした。

 旧地獄の歓楽街を抜け、黒谷ヤマメと水橋パルスィの縄張りを避けつつ、地上を目指す。

 

 当然、道すがらの雑音は消えない。

 

「死ぬ死なないで言えば、私の他にも怪しい奴がちらほら居るだろう。お前を含めてな」

「何度か死にかけた事は否定しません。レミリアの支えがなければ恐らくは……」

「だがその苦労が最も効果的だったな。博麗霊夢にとって一番苦しかった時間帯は、間違いなく傀儡5人に囲まれた時だろう。あの時にお前と吸血鬼が幻想郷の本格参戦まで時間を稼いだ意味は非常に大きい」

「意外ですね。褒めてくれるんです?」

「まあMVPは私だがな」

 

 二言目には自分を誇示しないと死んでしまう病気にでも罹っているのだろうか。難儀な性格だ。

 あとMVPは普通に霊夢さんでしょうに。

 

 ただ秘神の裏切りが無ければ紫さんには恐らく勝てなかったし、その後の幻想郷に帰還する為の脱出経路が大幅に限られていたのは事実。

 癪なので直接礼を言う事はないが、ほどほどにヨイショしてあげよう。

 

「貴女が起こしたテロや、お空に対する仕打ちを許すつもりは毛頭ありません。しかし、一定の有用性があった事は認めます。一体いつから計画を練っていたんです?」

「無論、紫の成り立ちをお前から聞かされ、協力を持ち掛けられた時さ。あの時、地底に『物事の本質』を見極めた者がいる事を確認できたから、ここまで大胆な行動が取れたのだ」

「物事の本質、ですか」

「因幡てゐや茨木華扇、更には博麗霊夢。こいつらですら正しくは理解できていなかっただろう。紫の本質に辿り着けたのは、私とお前だけだ」

「……」

「いや、もしかすると蓬莱山輝夜は一端を知る事ができていたのやもしれん。しかし奴には実行力が無い。どのみち私とお前しか決定権はなかった」

 

 紫さんの本質。

 つまり、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの事。かつての八雲紫の事。それらを知っていて尚、さらに踏み込んだ先にあった秘められた想い。

 

 秘神は私が全てを把握していたと思い込んでいるようだが、それは大間違いだ。

 私は紫さんの事をちっとも分かっていなかった。あの人自身の心を無意識に軽視していた。だから、こいしに抵抗できなかった。

 

 無言のままの私を見て、内情を察したのだろう。明らかなトーンダウン。

 

「まあ奴の全てを理解する事などハナから不可能だよ。何せ本人ですら最後の最後まで分かっていなかったようだからな。そんな奴の心奥を僅かにでも覗けていたのだ。大したものじゃないか」

「本当に僅かですけどね」

「その僅かな気付きが分水嶺だったのだ」

 

 瘴気満ちる洞穴を抜けると、煩わしい地上の光が我が身を包み込む。取り敢えずルーミアのスペルを想起する事で、直射日光を遮断しておいた。

 後戸から「そのスペルはやめろ」と抗議の声が上がるが無視。嫌なら引っ込めば良い。

 

 彼女の意向に従う気がさらさら無い事を把握したのだろう。大きな溜め息と共に会話が仕切り直された。

 

「私達は紫への対応を二極化させてしまったな。生かすか、殺すか」

「貴女の目論見を打ち砕く事で紫さんに幻想郷で生きていく道を提示できた時は、万事上手くいったと思ったんですけどね。……紫さんは生きる事を必ずしも望んではいなかった」

「死ぬ事も然り。生死の如何は奴の本質ではなかった。それだけの話よ」

 

 かつての故郷(妖怪の山)を背に東へ向かう。

 

「気に病む必要はあるまい。全ては紫の今後に必要なプロセスだったのだから」

「改めて上手くいきすぎな気もしますけどね。私や他の皆さんはがむしゃらに頑張ってただけですし」

「ふっふっふ、全ては我が掌の上よ」

 

 知ったような風を装っているが、全てがアドリブの上に成り立つゴリ押しであったのはバレバレである。

 よくここまで堂々としていられるものだ。これくらい図太くないと幻想郷の賢者は務まらないか、とも考えたが、紫さんとはたての存在を思い出して考える事をやめた。

 

 螺旋構造解消後の世界で紫さんが幸せに暮らしていくための欠けてはならないプロセス。

 幻想郷の強さを見せつけ、自らの望みが叶わないことを存分に思い知らせる事。

 彼女の心に焼き付いた蓮子とメリーの影を、根本から取り除いてあげる事。

 そして最後に、本来この世界に存在しなかった筈の彼女(八雲紫)を私達が受け入れてあげる事。

 

 紫さんを救うには以上三つを完遂する必要があったと隠岐奈は云う。腑に落ちるとはこの事だった。

 正に擬きさんが推測していた内容と一致する。

 

「一つ面白い話がある。古明地よ、この幻想郷とは紫にとってどんな意味を持つ場所だと思う?」

「どんなも何も、紫さん自身は想定した理想郷とは程遠いと考えてましたけど」

「ところがな、成り立ちに隠されたとある要素を鑑みれば、此処は正しく理想郷なのだよ。他ならぬ八雲紫にとってのね」

 

 再生途中のサードアイでは秘神の真意を正確に掴む事ができない。丸腰での腹の探り合いは得意じゃないのに。

 諦めて話を続けるよう促す。

 

「一つ前のマエリベリー・ハーンの死因は、光を失った事による、夢と現の境界の喪失だった。この時、根源的恐怖である暗闇の力が強まった」

「暗闇……ですか?」

「その前は凍死。更にその前は餓死、病死、とマエリベリーが八雲紫に至る上での死因は様々であり、その恐怖を糧とする妖怪の強さをループと共に引き上げていったのだ。勘の良いお前ならもう分かるだろう」

 

 根源的恐怖を司る妖怪達とは総じて強大だ。際限ない残虐性と、底無しの妖力を持つ。

 忘れもしない。ちょうど私が生まれた頃こそ、彼女達の全盛期であったから。

 生けとし生ける者、皆が等しく恐れた。

 

 暗闇を司るルーミア。

 寒冷を司るレティ・ホワイトロック。

 飢餓の象徴を司るリグル・ナイトバグ。

 病苦を司る黒谷ヤマメ。

 

 世界を絶望に陥れた四大妖怪。

 あの時代を生きた妖怪は全員口を閉ざした。心に焼き付いた恐怖を思い出したくないのだ。

 

 しかしそれもかつての話である。

 

「あの方達の強さの秘密がメリーさんにある事は分かりました。しかしそれと幻想郷に何の関係が?」

「知っての通り、アイツらが主役だった時代はとうの昔に終わっている。後に『幻想郷の賢者』と呼ばれる存在によって打倒されたからだ」

「……! そういえば」

「黒谷ヤマメは茨木華扇に斃され、リグルは天魔率いる天狗勢力に敗れ、ルーミアとレティは私が降した。まあレティの奴を真の意味で仕留めたのは最近のことだが」

 

 一種の世代交代と言えるのかもしれない。

 ちょうど、私がこいしを喪って失意のドン底に沈んでいた頃、急激に勢力図が塗り変わったのだ。そしてこの時のトップが今の指導者達、賢者となった。

 

 つまり──。

 

「マエリベリー・ハーンの恐怖から生まれた妖怪。それを打ち倒した英傑達の手で創られたのが、この幻想郷なのだ。八雲紫の安住の地としては十分すぎる験担ぎだろう?」

「はぁ……なるほど、それは考え付かなかった」

 

「もっとも、かつての紫による誘導もあっての結果だがな。リグルの件なんかは奴の手引きによるものだ。妹の命を利用されたお前には認め難かろうが」

「別に」

 

 素っ気なく答えた。

 どれだけの時が経とうが、私の幻想郷への嫌悪が消えることはないだろう。ただそんな私情に惑わされて幻想郷の破滅を願うような真似はしない。

 私は紫さんとは違う。あの人ほど弱くないから。

 

 憎き幻想郷が紫さんの安住の地だというなら、これからも陰から守ってあげよう。

 自らの大切なモノを投げ出してでも紫さんはこいしを救おうとしてくれた。実際の内情がどうであろうが、その想いだけで私は満足なのだ。

 

「以上で長ったらしい話は終わりだ。では、古明地さとり──後は頼んだぞ」

「……任されました」

「期待してるよ、我が人生2人目の好敵手よ」

 

 そう言うと、古木の軋む音と一緒に気配が消える。振り返っても後戸は存在しなかった。

 まったく、不名誉な称号を押し付けられたものだ。

 

 陰鬱な気分そのままに、私は博麗神社へと続く石段へと一歩を踏み出した。

 

 

 

 

「よう覚妖怪。随分とご無沙汰だったな」

「暇を持て余してる貴女とは立場が違いますので。一応地底の纏め役をやらせてもらってるんですよね」

「相変わらず陰湿な野郎だ」

 

 松葉杖を脇に抱えて不恰好に近付いてきたのは、魔理沙さん。彼女とまともに話したのは、暴走するお空の下へ送り出した時以来になる。

 互いにバタバタしてたから話す機会がなかった。

 

 博麗神社を根城にする彼女なら大体の状況も知り得ているだろう。サードアイを前面に押し出していく。

 秘神相手なら兎も角、人間なら今の不完全なサードアイでも十分だ。

 

 と、心を読まれるのを嫌ったのか、視線を手で払いのけながら自発的に答えを用意してくれた。

 

「ああ、お前の目的は分かってる。アイツなら相変わらず、寝室で眠りこけてるぜ」

「助かります。ところで霊夢さんは?」

「さあな。ここ最近幻想郷の各地を飛び回ってるから」

「大忙しですねぇ」

「じっとしていられないんだろうな。霊夢の奴をここまで掻き乱せるのはやっぱりアイツくらいだ」

「まあまあ安心してください。霊夢さんにとっての唯一無二の親友は貴女ですから。そもそもカテゴリーが違いますので嫉妬されないよう」

「……お前と話そうとした私がバカだった」

 

 そう吐き捨てると私を一瞥する事なく石段を降りていってしまった。私なりのエールだったのだが、やはり素直になれないお年頃のようだ。

 愛いものである。

 

 さて、どうやら家主は居ないみたいだが勝手に上がらせてもらおう。

 

 庭先の障子を開けば寝室はすぐだが、私は地上の連中のように常識知らずではない。礼儀正しく玄関から。

 心ここに在らず。私など眼中にも無いと言わんばかりに、居間で独り惚けて虚空を見つめている藍さんに軽く会釈しつつ、寝室へと入る。

 

 そこには布団の中で死んだように眠る紫さんの姿があった。

 あの日、私達と相対した姿そのままに、紫さんは目を覚まさなかった。

 

 此方も相当な無茶を繰り返したが、紫さんはそれ以上だ。あれだけの数の傀儡を使役し、自らの世界に引き込んで戦闘を行い、阿保みたいな自爆をぶちかました。そして挙句に霊夢さん渾身の一撃を受けたのだ。

 積み重なった重大なダメージにより再起不能に陥っても不思議では無い。

 

 そんな状態だから無理に動かす事もできず、霊夢さんが博麗神社に運んでそのままな状況である。

 交友関係のある少女達が紫さんを訪ね、様々に呼び掛けてみたものの反応は未だ無い。如何なる手段を用いても意識を戻す事はできなかった。

 

 打つ手無し、八方塞がり。

 だから私が来たのだ。

 

 

 紫さんの側に座る。

 そして一通り姿を眺めた後、いつものように、呆れを含んだ無機質な声で問い掛けるのだ。

 

 

「で、私には全てバレバレな訳ですが。いつまで廃人のフリをしてるんです? 紫さん」

 

 

「……」

 

 表面上の反応は無い。

 しかし内面は忙しく蠢いている。

 

「へえ、無視ですか。あんまり私を焦らすようなら然るべき対応を取らせてもらいますけれど」

「……ら、藍に聞こえちゃうから、もうちょっと寄って

 

 消え入るような小声で、しかし薄らと目を開けながら必死な形相で訴えかけてくる。

 まあ、こんな事だろうと思った。

 

 ルナチャイルドの能力を想起し、寝室を完全な防音空間とする。その旨を伝えたところ、紫さんは勢いよく起き上がり、私の膝に縋り付く。

 見苦しい事この上ない。

 

「後生ですわ……! 私が狸寝入りしてる事はどうか、どうか内密に……!」

「こんな生活いつまでも続けられませんよ。さっさと白状して、大人しくこれまでの一件を謝罪されてはどうです? まあ何らかのペナルティーは生じるでしょうが」

「それが問題なのよ! 絶対殺されるわ……!」

「貴女、死にたくて異変を起こしたんじゃ」

「今はなんか死にたくない気分なのよぉ! あの時の私はマジでどうかしてたわ!」

 

 非常に情けない姿。しかしそんな姿に確かな安堵を感じてしまう。

 直に話して漸く、紫さんが帰ってきてくれたことを実感できたのだ。この気持ちも致し方ない。

 

「心中お察ししますけど、それでも腹は括らねばなりません。時には潔さも大事ですよ紫さん」

「無理無理死んじゃう! そうだ、あの時の私は茫然自失で正常な判断ができる状態ではなかったわ! 責任能力無しってことで……」

「外の世界ではそうかもしれません。しかしここは幻想郷ですので」

「ひぃぃん!」

 

 遂には泣き崩れてしまった。

 ただ紫さんの言う事も一理ある。あの時の紫さんと今の紫さんは、厳密には違う存在。責任の所在を問うには中々難しい面があるだろう。

 

 取り敢えず私が紫さんを訪ねた目的の一つは、さっさと日常に復帰してもらう事なので、多少無理をしてでも立ち直ってもらうことにする。

 

「まあまあ。もし裁判沙汰になっても私が弁護してあげますので」

「……本当?」

「ええ任せてください。それに、はたてやてゐ、果てには映姫様とは貸しがありますからね。便宜を図ってもらうよう私から言っておきましょう」

「いやもう本当にありがとう、さとり……! これからは姉と呼ばせていただきますわ」

「嫌です」

 

 私の妹はこいしだけだ。

 

「それでは紫さん、早速行動を開始してください。貴女の大好きな根回しの時間ですよ」

「へ?」

「迷惑をかけた各勢力に頭を下げて回るのです。謝罪行脚ですね。そして大多数の赦しを得られれば、後々の弁護材料になりますからね」

「でも行脚中に殺されたら……?」

「貴女が死んだら命懸けで助け出した意味が無くなっちゃうじゃないですか。手は出してくるかもしれませんが、流石に致命的なところまではいかないでしょう」

「うぅ……ビンタくらいなら我慢しますわ」

 

 残念、グーを予約してる所が殆どだ。

 まあ穏便に済ませてくれる所もあるし、その辺りは祈るしかあるまい。私は優しいから別に罰なんかは考えないけどね。存分に感謝して欲しい。

 さて、紫さんも漸く行動する決心を固めてくれたようなので、後は成り行きに任せよう。

 

 まだ藍さんに報告する勇気はないのか、そそくさとスキマを開いて出て行こうとしていたが、ふと立ち止まって私の方へと振り向いた。

 よそよそしい態度で、視線をわざと外している。

 おっと。

 

「その……なんというか、色々ありがとうね。実はそんなに記憶とか残ってないんだけど、貴女が必死に呼び掛けてくれてたのは何となく覚えてるわ」

「まあ相応の苦労はさせられましたね。でもお礼は私よりも先に、霊夢さんや貴女の馬鹿げた異変に付き合ってくれた人達に言ってあげるべきですよ」

「それもそうだけど、貴女には異変以前から随分世話になってたみたいだし……」

 

 こいし経由の情報だろうか。まったく。

 隠れて勝手にやってた事だから、あんまり知られたくないんだけども。

 

「貴女のことが正直嫌いだったわ。いつもいつも悪口ばっかで執拗に苛めてくるから。でもよくよく考えたら、本心を曝け出せたのは貴女の前だけだった。話してるとね、ほんの少し気分がスッキリしてたんだと思う」

「そうですか」

 

 本音を話せる相手が私しか居なかった事もストレスの一端であったのは言うまでもあるまい。

 私もそのアドバンテージを利用して、良き理解者ではなく、さらに彼女を追い詰める役を担っていた。そうすれば紫さんの人格をより強固にできると判断したから。

 

 いま思えば全部失敗だった。

 

「私、やっと貴女のことが分かった気がするわ。これからはきっと仲良くできると思うの」

「別に私は嫌いじゃなかったですよ。最初から」

「ならなんというか、こう、手心というか……」

「紫さんが痛い思いをしないうちに踏み止まってもらえるよう、尽力したつもりでした。ごめんなさい」

「貴女の目指してた事は何となく分かるわ。でももう大丈夫よ。私は私だから」

 

 無言で頷く。

 

「じゃあこれからは改めてお友達だという事で」

「……うーん」

「えっ、不服!?」

「貴女と私の付き合いですよ? 友達と言わず親友から始めましょう。水臭い」

「そ、そう? なら親友で」

「よろしくお願いしますね」

 

 若干顔を引き攣らせている紫さんと握手を交わす。急な距離の詰め方に困惑しているようだったが、そんなものはお構い無しだ。

 相手の心の弱みに付け込むのは覚妖怪の得意技ですので。

 

 それに、私が夢見てきた瞬間でもあるのだから。多少強引にやらせてもらっても罰は当たるまい。

 

「ではこれで用件も粗方済んだことですし、地霊殿に帰るとしましょうか」

「あら送るわよ?」

「お構いなく。ちょっと幻想郷を見て回りたい気分なんですよ。紫さんはじっくり行脚を楽しんできてください」

「さ、さっさと終わらせますわ!」

 

 嫌な事を思い出したとばかりに顔を顰めると、紫さんは()()()()を瞬かせ、スキマの奥へと消えていった。

 

 

 さて、私は言葉を尽くしたつもりだ。後は幻想郷の住人達が続いてくれる事を願う。

 あの人を受け入れる準備はできている筈。正直な気持ちをぶつけるだけで良いのだから、あの死闘に比べれば随分と簡単なラストミッションである。

 

 ……貴女も、きっとこうしたでしょ? 

 

「ね、こいし」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 謝罪は続くよどこまでも。

 幻想郷のあらゆる場所を巡り巡ってがむしゃらに謝意を伝える謝罪行脚の旅。顔を合わせたらまず土下座。

 頭を下げた回数ですって? 百! ……それから先は覚えていない! 

 

 行脚って確か山伏とかがやってる仏教の修行だったと思うけど、この苦行レベルは確かに一種の修練と言い換えても過言ではないかもしれない。

 いやね? この一件に関してはマジで申し訳ないと思ってるんだけど、流石にこの回数繰り返してると心が折れてしまいそうになるわ。

 あと主に首と腰の骨がイカれてしまう! 

 

 しかもね、私への罵倒ならまだ良いのよ。傷付くのが心だけだから。

 身体へのダイレクトアタックはマジで手心を加えて欲しい。死んでしまいますわ。

 

 多分めっちゃ手加減してくれたんだと思うんだけど、萃香のビンタと幽々子のデコピンは本当に死にかけたわ。ていうか死んだ。

 点滅する意識の中、三途の川の向こうにお世話になった皆さんが見えたのよね。一斉に「こっち来んな」の大合唱を食らったけど。

 泣いてない……ゆかりん泣いてないもん。

 

 ぐすん。

 

 ちなみに今は紅魔館への謝罪訪問が終わったところね。レミリアからは悪意たっぷりの皮肉と、フランを拉致った事への非難をいただきましたわ。

 いやもうね、ぐうの音も出ないわ。

 

 ただ彼女にはさとりと同じく、お礼を言っておいた。記憶とか結構朧げなんだけど、レミリアからも結構励ましの言葉を貰ってた気がするから。

 まあ友人とか親友どうこうみたいな話にはならなかったけどね。陰キャの私にとって、一日に親友が2人も増えるのは精神衛生上あまりよろしくない。

 

 ていうかアレはさとりがおかしい。

 

 

「もう結構な場所回ったと思うけど、あと何処が残ってるかしら?」

「細かい勢力は多々ありますが……紫様にとって外せない場所はあと一つかと」

「そうよねぇ。はぁぁ……」

「体調が優れないようでしたら日を改めては? 目覚められたばかりで無理をなさるのは……」

「いやただ気が重いだけだから大丈夫よ」

 

 終始心配そうにしている藍に向けて笑い掛ける。ちなみに空元気ね。

 白玉楼への訪問が終わったあたりで駆け付けてくれて、殺意をセットに一緒に嫌々謝ってくれてる。幽々子かさとりの差し金でしょうね。ふぁっく。

 

 ちなみに藍に対しての謝罪は既に完了している。あんなに一生懸命頑張ってくれたのに負けちゃってごめんね、って感じに。

 そしたらね、藍が大号泣しちゃったのよ。それを見てた私もなんでか分かんないけど涙が出てきて、年甲斐もなくおんおん咽び泣いたわ。

 何というか、申し訳なさかしら? 藍の覚悟を無駄にしちゃった気がして。

 

 ああそれと、不完全な夢想天生を発動したのに彼女が消滅していないのは、私のおかげなんだって。パーフェクトゆかりん状態の時に強制的な術式解除を藍と橙に施していたらしい。

 私も本気出したら中々のもんでしょ? ふふん! 

 まあなーんも覚えてないんだけど! 

 

 と、過去の栄光に縋って現実逃避を試みるも、目的地が近付くにつれ誤魔化しが利かなくなってきた。どんよりとした重い気分だ。

 何せ山場も山場だ。

 ああ……スタート地点だった鳥居が見えてきた。お腹がクッソ痛い。

 

「ちなみにだけど、私が寝てる間あの子はどんな様子だったの? 怒ってる?」

「いえいえ、ずっと紫様の事を心配していましたよ。空間の裂け目から紫様を運び出す間も必死に呼び掛けてましたし。あの執念は、いやはや流石と言うべきですか」

「うぅん……」

「紫様? 顔色が悪いようですが」

 

 敵ながら天晴れ! とでも言いたげな藍の態度は置いといて、私にそんな余裕はないのだ。

 何せ朧げな記憶を掘り返してみたら、恐ろしい姿のあの子ばっかり出てくるのよね。血走った目、全身を隈無く染める返り血、鬼のような形相。

 あんなのに追いかけ回されて夢の世界の私はよくぞ失禁せずにいられたものだと感心するわ! 覚えてないだけで実は漏らしてる可能性については考えないものとする。

 

 まあ半分冗談だとしても、あの時の彼女はそれだけ鬼気迫るものがあったという事だ。

 

「さて、改めてどういった言葉を投げ掛けたものか。非常に悩ましいわ」

「一番待ち望んでる言葉を掛けてあげてください。きっと何にも優るご褒美になる筈です」

「……何か知ってる風な言い方ね?」

「私に分かるのは寂しがりやな子供の気持ちくらいですよ」

 

 むっ、藍から感じるこの凄みは、まさかお母さんオーラ……!? 

 だ、ダメよ! お母さん枠は私のもの! ていうか貴女には橙がいるでしょうに、不公平ですわ! 

 

「藍、やるわね。だけど私も負けないわよ」

「???」

 

 

 

 

 長い石段を上り切って境内を見渡すと、ちょうど参道の落ち葉を掃いているあの子を見つける。後ろを向いてたので、少しだけホッとした。ほんの少しだけね。

 どうやら私が幻想郷を巡っている間に戻ってきてたようだ。まあなんだかんだ早朝から夕暮れ時まで時間が経過してるし、当たり前か。

 

 普段はそこそこ賑やかな博麗神社も、何故か今日だけは妖精の1匹もいやしない。

 まるで誰かが予め人払いしておいたような不自然さですわ。私の危機センサーが警鐘を鳴らしている……! 

 

 いや、寧ろ好都合と捉えるべきかしら。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずというやつね! 意味はうろ覚えだけど、とにかく危険に突っ込めば何か良いものが手に入るよ的なニュアンスだった筈。

 

 無言のエールを飛ばしてくれているらしい藍に向かって力強く頷き、一歩を踏み出す。

 始まりの言葉はいつだってこれだ。

 

 

「はぁい霊夢。お久しぶり」

 

「私はそうでもないわ」

 

 

 私を一瞥する事もなく、素っ気なく返された。

 くぅ〜これこれ! 霊夢堪らないわ〜! ちなみに私は冷たくされて興奮する変態さんって訳じゃないから、そこらへん勘違いしないように。霊夢だからオッケーなのよ。

 

 まあ霊夢がこう言うのも分かるけどね。ずっと博麗神社で一緒だったし。私が狸寝入りしてコミュニケーションを一方的に遮断していただけで。

 だって怖かったんだもん。

 

 やべ、いざ目の前にしたら緊張してきた。

 

「あー……えっと」

「なによ。言いたい事があるんならさっさと言いなさい。ていうか言え」

「何というか、お互い大変だったわね?」

「誰のせいだと思ってんのよ」

 

 お祓い棒で頬っぺたをぐりぐりされた。これちょっとでも力を込められたら貫通するわね。

 けどまあ、霊夢に負けた私に生殺与奪の権などあろうはずもなく、為すがままにされるしかないのだ。異変の挙句に敗れた者の末路ですわ。

 

 と、取り敢えず霊夢の機嫌を回復させなきゃ! 私の統計上、あからさまなご機嫌取りは逆に虎の尾を踏みかねない。お小遣いあげたら喜んでくれるけどね。

 今こそ藍の言う『待ち望んでいる言葉』とやらの出番なのか……? 

 

 こんな時霊夢が一番喜びそうな言葉とは。

 瞬間、八雲紫に電流走る──。

 

「天晴れな戦いでしたわ博麗霊夢」

「あん?」

「いつまでも可愛い子供だと思っていたけど、やはりいつかは成長してしまうもの。三日会わざればなんとやら、博麗の巫女とは斯くあるべきね」

「は?」

「名実共に幻想郷最強となった貴女にとって私の保護は最早窮屈の極みでしょう。少し寂しいけれど、これからは私の手を離れて──むぐっ!?」

 

 霊夢の独り立ちを認める旨を宣言したその瞬間、私の口に御札が叩き込まれた。

 殺傷目的でなかったのが救いだが、強く張り付いて無理に取ろうとすれば唇諸共いっちゃいそうだわ! 

 

 いやほらね、霊夢って私からの過度な干渉を嫌ってる風だったから、今回を契機に控えようかと思ったのよ。彼女の成長を実感したのは本当だし。

 けどこんなにスンッてなってしまうとは。

 やっぱり甘えん坊さんなのかしら? 

 

 そんな私の内心を見透かしているのか、霊夢は呆れ半分、怒り半分な眼差しで睨む。

 

 自然と目が離せなくなる二色の蝶。彼女を見るといつだって不思議な感覚に陥ってしまう。不安で不安で仕方なくなるのに、とても心地よい。

 儚い紅白が、私に幻想を思い出させる。

 

「アンタが一番最初に言わなきゃいけないのは、そんなんじゃないでしょ。紫」

「……」

 

 疎らに蘇る二週間前の記憶。

 私と相対した霊夢がどんな想いで戦っていたのか。それを考えれば、自ずと返事は決まっている。

 

 どうやら私が愛した永遠の巫女は、私が思っている以上に大人だったみたいね。

 

 

 藍の手で慎重に御札を剥いでもらい、自由になった口で私は言うのだ。

 

 悪夢に敗れ、夢に生きる事への諦め。

 ある意味での敗北宣言。

 

 そして、新しく始まった私の第一歩。

 

 

「ただいま」

 

 

「ん、おかえり」

 

 

 

 おめでとう、と。

 誰かの囁く声が聞こえた気がした。

 




次回、最終回です。


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夢が現に変わる日

 

 夜の浜辺に独り佇み、目眩(めくるめ)く毎日を思い起こす。

 私には勿体無い宝石のような日々。

 

 寄せては返し、人も物も攫っていく黒々とした波を眺めていると、忘れていた恐怖が呼び覚まされる。ある意味での自戒だ。

 恐怖によって自身を見つめ直し、かけがえの無い毎日への未練を募らせておく。

 

 こうして楽しい記憶で頭を埋め尽くしておかないと、気が狂ってしまいそうで怖いのだ。

 沈思黙考に励めば、きっと失われた記憶が蘇るだろう。私を慕ってくれた者達に対する酷い仕打ちや、自暴自棄に塗れた己、その全てが。

 

 その時、私はまた完成するのだ。

 しかしそれに拘る意味は最早存在しない。

 

 

 ……羨ましかった。

 

 因果から解き放たれ、心晴れやかに艶やかな海へと消えていった蓮子とメリーが。

 存在しない己を奮い立たせ、最後まで役目を全うし、そして消えていったAIBOが。

 

 みんな私よりも先に逝ってしまった。

 自分の生まれた意味を理解して、満足しながら私の下から離れていったあの人達が妬ましくて堪らない。

 

 分かっている。私はまだ『意味』を見つけられていないから、終わる事ができても決して満足できない。

 

 そして、逃げを選択した私には、もう二度とその時が巡ってくる事はないのだろう。

 今までと何も変わらない。

 

 思い出さなければ私は世界一の幸福者だ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「いやー皆様お待たせしてごめんなさいね。これには諸々の事情がございまして」

「……もうこれで五回連続の遅刻ですよ。あんまりこういう事は言いたくないんですけど、貴女最近弛んでるじゃないですか?」

「お恥ずかしい限りですわ」

 

 我らが筆頭賢者から叱られるのもこれで何度目か。申し訳なさ全開に頭を下げつつ素早く着席した。

 大体3分くらいの遅刻かしら。うん、誤差ね! 

 最近寝る前に色々考えるのが趣味になってるんだけど、おかげで寝坊癖が付いてしまったのだ。藍も起こしてくれないし! 

 

 周囲の方々から飛んでくる呆れ混じりの視線が痛い。あとついでにお腹も痛くなってきたんだけど、流石にいま離席するのは不味いわよねぇ。

 

「それでは全員揃いましたので、只今より賢者定例会議を開始しましょう。進行は不肖ながら私、茨木華扇が務めさせていただきます」

「そんな仰々しく宣言しなくていいよ。どうせ今日も話すことなんか無いんだからさ」

「うんうん賛成! もっと気楽にやろう。あと山如さんから美味しいハーブティー貰ってるからみんな飲んでみてよ。気分が良くなるよ」

「あらいい香り。いただきますわ」

「最近人里で流行ってる人気の茶葉ですね。私も愛飲してます」

 

 厳かも糞もないはたての一言で会議は事実上終わりを迎えた。

 

「はぁ……由緒正しき格式高い会議の筈が、いつからお茶飲み同好会になったんだか」

「まあギスギスするよりかはマシでしょう?」

「それは間違いないけどね」

 

 半ば観念したように呟いた華扇。そんな彼女を労うつもりでお茶を汲んであげた。

 大変でしょ? 筆頭賢者。

 

 そうそう申し遅れたけど、遂に私、賢者の纏め役を辞退できましたの! 後釜は華扇ね! 

 つまるところ今の私は平賢者ですわ。

 

 ほら、賢者の中で異変を起こさなかったのって華扇だけだから。私がやらかした後は、必然的に彼女が中心的な立ち位置になっちゃったのよね。阿求は寿命が短いし。

 可哀想だけど適任だと思うから頑張ってほしい。

 

 それに私の時と比べたら全然マシだろうしね。まさしく天と地ほどの差があると思う。

 

 ここ数回の集会が弛んでいるといえばそれまでだが、見方を変えれば、話し合うべき問題がそんなに起きていないという事。平和な幻想郷を維持できている証よね。

 厄介ごとの火種はオッキーナが全部消化しちゃったし、()()()()()()()()()()さえどうにかしてしまえば平穏そのものである。ここ一年ずっとこんな感じ。

 

 そんな幻想郷の雰囲気に影響されてか、会議も非常にほのぼのしているのだ。

 

 いつからか示威行為の最たる例だった護衛の人選も消滅するか適当になってる。

 そもそも今って賢者が私含めて5人しか居ないしね。今後もしかしたらメンバーが増えるかもしれないけど。

 いっそのこと勢力の長を全員招聘したらどうかしら? 

 いや、でもそうしたらレミリアとかさとりが此処に来るのか。やっぱり無しで。

 

 ちなみにオッキーナは療養休暇中である。みんなから復帰をあまり望まれてないっぽいのは内緒だ。

 混乱と諍いの元だからね。仕方ないね(他人事)

 

「では今日も議題無し、という事で自由解散にしましょうか。どうぞお好きな時に退室してください」

「「「「異議なし」」」」

 

 そして当然の如く満場一致である。みんな惰性で集まってるだけなのよね多分。

 はたては会議のたびに山の妖怪が作った特産品を楽しそうに振る舞うだけだし、てゐはタダ飯を食いに来てるだけだと思う。

 華扇と阿求は真面目で偉いわー。

 

 私? 賢者とかいうカッコいい称号を保持するためだけの暇潰しですわ! あと藍に対する点数稼ぎね。

 あんまりサボってばっかいると流石に心配されるから忙しさは演出しておかないと。

 

 

 

 ……よし、計画通りですわ。

 会議を早めに切り上げた事で私のスケジュールに空白が生まれた。八雲家への体裁を保ちつつ、私が好き勝手できる時間──即ちエンペラータイム! 

 

 満を辞して、我が大望を成し遂げるだけの時間を確保できたのだ! 

 

「では、私はそろそろお暇させていただきますわ。ちょっと用事がございまして」

「遅刻してきたくせに今度は一番早く帰るのか。付き合いの悪い奴だね。もしかして、まーた何か良からぬ事でも企んでるんじゃないの?」

「ふふ、幻想郷を敵に回すのはもう懲り懲りですわ。もう二度と貴女達の前に立ちはだかる事はないから安心してくださいな」

 

 てゐからの余計な茶々を躱しつつ、貴女達に逆らうつもりは毛頭無いよと伝えておく。

 やっぱりまだ警戒されてるっぽいのよねぇ。あの異変からもう一年経つのに。

 

 まあ、あの時は私も幻想郷のみんなをブチ殺すつもりで戦ってたんだろうし、弁解のしようがないわ。

 へへ、どうもごめんなさいねてへぺろ。

 あと永琳を匿ってたこの戦犯ウ詐欺には言われたくないわね……! 

 

「んー? ちょっと待って紫。たったいま哨戒中の椛から報告があったんだけどね」

「何も聞こえません」

「あ、聞こえなかった? すぅぅ……いまぁ! 椛からぁ! 連絡がきてぇ! 

「聞こえました。音量下げて貰える?」

 

 誤魔化してさっさと退室しようと思ったけどダメだった。

 はたてには冗談が通じないのだ。

 

「妖怪の山の麓で反乱だってさ」

「そう。首謀者は?」

「正邪」

「えぇ……今年に入って何度目ですか?」

「六か七、だったような気がする」

 

 これが例の散発的に発生する問題ね。

 元賢者であり、幻想郷に仇なす巨悪(自称)の正邪ちゃん。私が異変を起こしてる最中に一度針妙丸や草の根妖怪達の手で捕まったらしいんだけど、隙を見て脱走。

 今もこうしてレジスタンス活動を続けているのだ。

 

 勿論その都度霊夢や魔理沙、時々冷血メイドを派遣してるんだけど、仕留める前に逃げられちゃうから、みんな嫌気が差しちゃったらしいのよね。

 一々異変認定するのも面倒臭いし。

 

 なので彼女に関しては私達賢者の方で対処するのが暗黙の了解となっている。

 前回はてゐがうどん何某(オプション純狐さん)と一緒に鎮圧してくれた。なら今度は私の番になるかしら? 

 

「彼女もいい加減懲りないですね。きっぱり不可能だと諦めて欲しいものですが」

「あの天邪鬼に潔い決断は無理でしょ。今回は誰と組んでの反乱か知らないけど、さっさとぶっ潰してしまえばいいよ。死ぬまで抗わせて、見せしめにすればいい」

「考えが物騒ですわ。私は逆に彼女を賢者に改めて迎え入れてあげれば良いんじゃないかと思うけどね。あの子機転が利くし、政治も上手でしょ?」

「流石にそれはどうかと思います。ていうか紫さん、それに乗じてまた賢者を辞めたいとか言い出すつもりじゃないでしょうね?」

 

 阿求のマジトーン。正直なところ図星も図星であったため曖昧に笑うことしかできなかった。他皆様も「まだ言ってんのかコイツ」みたいな目で見ている。

 まあダメ元で言ってみただけですし。

 

「では信頼を取り戻すために、今回の反乱は私が対処いたしましょう。ちょうど暇を持て余している天人も居ることですしね」

「えー天子にやらせるのー? うーん……でも紫自身にやらせるよりはいっか」

(てゐ)は別に構わないよ。妖怪の山がどうなろうが知ったこっちゃないし」

 

 はたてが不安になるのも分かる。何せ彼女は前科持ちですし、何なら一番間近で天衣無縫というか、傍若無人なところを見てますものね。

 でもまあ大丈夫でしょ。私の起こした異変が力で捩じ伏せられた事で天子さんも世の無情を感じ取ったらしく、ここ最近は大人しくなってるから。

 

 ここらで天子さんの株を爆上げしておいて、後に賢者に推薦すれば引き継ぎもスムーズというもの。賢者比那名居天子の誕生と共に八雲紫はクールに去るわ。

 私はまだ辞職を諦めてないわよ! また何かどでかい異変が起きる前に辞めてみせるんだから! 

 

 

 

 

 さて、賢者会議からのトンズラに成功し、正邪の相手を天子さんに押し付けた事で、色々あったが私の計画は遂に達成された。

 ふふ……この日が来るのを今か今かと待ち侘びていたわ。

 

 我が大望、成就の時! 

 幻想郷の民よ。恐れ慄き、心を震わせるがよい! 

 

 

プリズムリバーマジたまんねぇですわ!!! 

 

 

 そう、今日は人里の特設スタジアムでプリズムリバー楽団結成50周年アニバーサリーコンサートの前夜祭が開かれる超絶めでたい日なのである。

 リリカを愛でる会の名誉会員である私が行かないわけにはいかないでしょうよ! 

 ちなみに本祭と後夜祭も行く気満々ですわ。

 

 メル姉(メルラン)が引っ張るアップテンポに合わせてサイリウムをブンブン振り回す。

 身バレ防止の為にサングラスとマスクをしてるからすぐ息が上がっちゃうけど、これは一心不乱に愛を伝えるための必要経費。仕方がない。

 ハァハァ、リリカ愛してる。

 

 いやー前からプリズムリバー三姉妹の演奏は好きだったんだけど、異変の後から趣味嗜好が変わったのか大ファンになっちゃったのよね。

 アップテンポながらニヒルな死生観のある曲が良いのよこれが。

 

 しかしまあ前夜祭という事で、新曲の披露などはなく「明日、私達から重大発表があります!」との意味深な言葉と共にライブは早々に幕を閉じてしまった。

 名残惜しそうなファンも多かったが、私は十分堪能できたわ。明日も楽しみね! 

 

 次は握手会という事で、ルナ姉(ルナサ)の列に並びながらライブの素晴らしさに想いを馳せる。

 プリズムリバーはやっぱり一生推せるわ。

 

 ちなみに握手会の参加には、プリズムリバーグッズを三点購入する事で手に入る握手券が必要になる。そして私はこれを四枚持っている! 財力に物を言わせてやりましたの。

 なんか外の世界で時々見る悪どい商売のような気がしない事もない。噂じゃライブの運営にマミさんが関わってるって話も聞くしね。

 

「それにしても重大発表ねぇ。さっぱり予想がつかないわ。悪い内容じゃないとは思うけど、万が一を考えると夜も眠れないわ……!」

 

「ふっ、アンタも気になるか。分かるよ、私もさっきからその事で頭がグルグルだ」

 

 ふと、私の真後ろに並んでいた見ず知らずの人から声を掛けられた。

 声音からして女の子。

 肩口で切り揃えた白髪と、私と同じく身分を隠すためのサングラスが印象的だ。『ルナサ命』とプリントされたTシャツを見るに誰推しかは明白か。

 

 何も珍しい事ではない。メル姉の演奏でハイになったファン達が勢いに任せて交友を深めていくのはよくある話。

 彼女達の演奏の影響をあまり受けない私にはよく分からない感覚だけど。

 

「ええ。果たしてどのような内容なのでしょうね? 新曲かレコードの発表、幻想郷ツアーの告知、外の世界進出。この辺りが妥当かしら」

「大穴だが、新メンバーの紹介。もしくはプリズムリバー楽団の解散もあり得るかも」

「そ、そんなまさか! いやしかし完全に否定できる根拠はない……!」

「あまり考えたくはないがな」

 

 プリズムリバー推しの中では有名な話だが、三姉妹の中で主に音楽性での意見の食い違いが起きているらしい。特に顕著なのが私の最推しリリカ。

 一時はソロ活動に走ったとも聞く。

 

 もし解散となれば、それは悪夢だわ! 全てをやり直さなければ……(漆黒の意思)

 そんな私の不安な表情をマスク越しでも感じ取ったのだろう。同志は笑い飛ばした。

 

「心構えはとうの昔にできている筈だ。どんな内容でも私達はプリズムリバー三姉妹の新たなる門出を祝福するだけ。そうだろ?」

「……ふふ、その通りでした。ありがとうございます。ファンとして大切な心を取り戻しましたわ。お礼と言っては何ですが、コレを差し上げますわ」

 

 布教用に買い揃えていたルナサの帽子をあしらったキーホルダーを渡した。

 

「ありがとよ。ところでお前、推しは?」

「リリカですわ」

「ふっ……赤いいよな」

「いい……」

 

 ファン同士多くは語らないのだ。

 

「アンタとは気が合うな。やはりプリズムリバーを推す者に悪人はいない」

「私も心の底からそう思うわ。貴女のようなファンの鑑に出会う事ができて光栄です」

 

 握手を交わした。

 これ以上の言葉は必要ない。

 

 同じ偶像(アイドル)を崇拝する者同士、乙女と乙女の無言の唄があった。

 

 とまあね、これで話が終わっていれば双方気持ちの良いまま別れてたと思うんだけど、予想だにしない人物の登場で事態は急変を告げる。

 

「あ! やっと見つけた。もこたんったら、はしゃいですぐどっか行っちゃうんだから……。ってあれ? ゆかりんじゃん何してるの?」

 

「あら菫子久しぶり。背が伸びたわねー、今は小学何年生だったかしら」

「六年生!」

「ごめんなさいね中々お祝いに行けなくて。前の一件があってからあんまり貴女とは接触しちゃいけないことになってるから……」

「ははは、ゆかりん滅茶苦茶怖かったもん。今のゆかりんがあの時と違うのは何となく分かるから私は全然気にならないんだけどね」

「折を見てまた会いに行きますわ。それじゃあね」

 

「ちょっと待てや」

 

 糞ッ! 触れないようにしてたのに! 

 スキマ移動を中止して嫌々振り向くと、そこにはサングラスを投げ捨て、凄まじい形相で此方を睨む妹紅の姿があった。

 そういえばプリズムリバーの熱烈ファンでしたわね。一体化してた時に共通の趣味が判明してちょっとだけ吃驚したのを覚えている。

 

 何というか、お元気そうでなにより。

 

「喧嘩はダメだよもこたん」

「しねェよ。ちょっと話があるだけだ」

「ひぇ……」

「今日ここで話した事は忘れろ。いいな?」

「そ、そうしたい気持ちは山々なんだけど、ほら私の知り合いって心読める奴がいるから、いくら口が固くても限界が──ゔぉえ゛え゛!」

「ならテメェの頭捻り潰してやるよ」

「コラもこたん!」

 

 菫子が慌てて止めてくれたおかげで、私の首は無事解放された。

 もし彼女が居なかったら本気で殺されていたかもしれない。宇佐見一族には頭が上がらないわね。

 

 断髪してまで隠れて通ってるみたいだから、きっと輝夜や慧音達には知られたくない趣味なのだろう。

 変に隠そうとしない方がいいと思うんだけどね。恥ずかしがってたり目立っている人にこそ文屋は喜んで寄ってくるものだ。

 

 まあ私が言えた立場ではないんだけど! 

 

「此処に居る事は私も身内に知られたくない。つまり貴女と私は一連托生ですわ。その一点を以って私は貴女の名誉を守る事を誓いましょう」

「……分かった。話が広まったらまず一番にお前を消しに行くからな」

「これで仲直りだね!」

 

 違う、違うのよ菫子。これは脅しなの。

 この引き攣った笑顔と、殺気混じりの獰猛な笑顔が何よりの証拠ですわ。

 

 でも前の妹紅なら問答無用で燃やしてきた筈だから、まだ手心がある方かもしれない。前が極端に酷すぎただけとも言うんだけど! 

 どっちが悪いかと聞かれれば、まあ7:3……いや、6:4で私かしら? 色々と悲しい事件だったわね。

 

「言っておくが今回の件とは別件で、まだアンタの事を完全に信用した訳じゃないぜ。幻想郷のみんながお前を許したとしても、私だけは目を光らせておくつもりだ」

「……そうね。そうしていただけると私も助かります。貴女には昔から損な役割ばかり押し付けてしまって、申し訳なく思いますわ」

「気に入らないのは確かだけどな、それでも私があの時助けたメリーが未来でちゃんと生きてるんなら、まだ救いようがあると割り切るよ」

 

 ふと、言葉が胸の奥からこみ上げた。

 

「私とは違う、()()八雲紫が言ってたわ。貴女に、ありがとうって」

「……は?」

「正直私もよく分からなかったけど、多分メリーを想い続けてくれた事に対してじゃないかしら」

 

 伝える機会は異変の前にも、況してや異変の最中にも沢山あった。でも、全部終わってからじゃないと言っちゃいけない気がしたのだ。

 

 秘封倶楽部の願いが『終わり』と『これから』であったなら、八雲紫の願いもまた『これから』なのだと思う。勝手に推測した。

 八雲紫は私の他に、未来を生きるメリーにも特別な想いを寄せていた筈だ。自分の命を投げ打ってまで切り拓かせた未来なのだから。

 

 今を生きる者の中でメリーを知るのは最早妹紅だけ。彼女の記憶と体験が確かな導となり、秘封倶楽部の未来を繋ぐのでしょう。

 

 妹紅は「そうかい」とだけ呟き、そして中指を立てながら素っ気なく告げる。

 

「くたばれ、とでも伝えておいてくれ」

「いや、もうくたばってるので……」

「それでもだよ」

「あっ、待ってよもこたん! じゃーねゆかりんっ。また今度!」

 

 そう言うと、妹紅は菫子を連れて列を進んでいった。さりげなく順番抜かしされたわね。

 いま思えばあの2人の出会いも運命的なものがあったのかもしれない。妹紅が見届け、そして妹紅が守った命が後の世に奇跡の出会いを作り出すのだから。

 

 まあそれはそうとして、この後しこたま握手した。リリカ愛してる。

 

 

 これは余談だが、後日、プリズムリバー楽団改め『プリズムリバー ウィズH』のライブ会場に現れた最凶最悪の姉妹を相手に、妹紅と即席タッグを組んで、通りすがりの虹川親衛隊として戦う羽目になるのは別の話である。

 

 どうしてこうなった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「紫様、そろそろ橙が到着する頃かと」

「うんちょっと待っててね。私もキリが良いところまで終わらせちゃうから」

「何をされているのですか?」

「んー……式神の練習」

 

 スキマ空間に改めて再築されたニュー八雲邸。その私室にて積み重なった書物を前にうんうん唸っていると、不審に思ったのだろう藍が声をかけてくれた。

 記憶に残る動作と手順を繰り返し、覚えている限りの術式を紙に書き述べていく。

 

「式神、でございますか。新たな(しもべ)を使役なさる予定なのですね」

「その準備でもあるけど、今はまだ私自身の訓練段階ですわ。もっと高度な術式を組めるようにね」

 

 一瞬の全盛期、その際に掴んだこの世の理。式神操作の核心。それを何とか僅かにでも再現できないか試行錯誤しているのだ。

 しかしやはり中々上手くはいかないもので、こういう頭を使う単調作業はやっぱり苦手ですわー。

 

 だがあの時の力を模倣できたなら、万が一の時に己が手だけで戦えるようになるかもしれない。何より歪な形であっても、私の中に留まっている諏訪子、こいし、ぬえの心を現世に呼び戻す事が能うかもしれない。

 正直実現の見込みは限りなく薄いのだけど、また幻想郷を相手にして暴れるよりかは全然可能性があるわ。

 

 さとりや神奈子は「負い目にしなくていい」って言ってくれるんだけど、やっぱり諦めきれない。

 何百年、何千年かかろうが成し遂げてみせるわ。

 

 ちなみにヘカちゃんはいつの間にか私の中から居なくなってたわ。もしかすると既に復活しているのか、もしくは地獄で復活の機会を虎視眈々と狙っているのかもね。

 復讐に来られたらその時こそ年貢の納め時だと思って諦めるしかないかも。今のうちに純狐さんに媚を売っておきましょう! 

 

「紫様。失礼を承知で申し上げたき事が」

「あらなぁに?」

「その、紫様が書かれている、何と言いますか、私如きでは理解できない独創的な術式では、式神の操作は少々難儀な事になるのが予想されるかと……」

「……下手くそってことね」

「……」

 

 凄い難しそうな顔をしながらも否定してこないのは藍の優しさである。私も涙ちょちょ切れですわ。

 一流の式神使いである藍から見れば、私の書いた術式なんて便所裏の落書きのようなものだろう。ほ、本格的な練習を始めたのは今日が初めてだから仕方ないでしょ!? 

 

 ほら、私が今まで書いた術式なんて藍に『この子は八雲の式です』っていう名札代わりの物を用意したぐらいですし。他は全部藍が自前で用意してくれたのだ。

 私は主人という名の飾りですわ! えっへん。

 

「紫様のお考えと狙いは分かります。古明地こいし達のためなのでしょう?」

「当然、それもあるわ」

「では私が術式を研究、解明し、紫様の式神としてこの世に復活させましょう。なので紫様は気に病まれず、どうかお休みになられてください」

「ダメよ」

 

 非常にありがたい申し出だけど、私にだって譲れないものはある。

 甘い誘惑に靡きまくったのは内緒ね。

 

「彼女達を救うのは今の八雲紫たる私が務め。私でなければならないの」

「……差し出がましい言葉である事は重々承知しているつもりですが、それでもやはり心配なのです。紫様は、すぐ無理をなさるので」

「貴女ほどじゃないわ」

 

 軽く笑い飛ばしてみたんだけど、藍は物憂げな瞳で私に最大限の不安を奥床しく伝えてくれる。

 

 きっと、私がまたおかしくなってしまう事を恐れているんでしょうね。

 一年前の愚かな決断に対しても、藍は健気に私と心中する道を選んでくれた。でも内心では私を止めたい気持ちでいっぱいだったのだから。

 

 この子にそんな思いは二度として欲しくない。

 

「それにね、ずっと前に約束したでしょう?」

「……」

「貴女にとっての『理想の八雲紫』を目指すって。なら式神操作で泣き言を言ってる場合じゃないわ」

 

 頭では分かってる。どんなに頑張ったって、私じゃ彼女にはなれない。

 でもやはり、あの輝きに近付く為の歩みを続ける事は私にとって大きな意味があると思うし、何よりも藍への贖罪になってくれるかもしれない。

 

「大丈夫よ、もう無茶はしないから」

「……」

「今はね、少しでも長く貴女達と生きていきたいと思ってるわ。嘘じゃない心の底からの本音」

 

 全てを投げ捨ててでも前に進もうとしていたあの時とは、何もかもが違う。

 今の私ではもう、家族を、幻想郷を、手放す事はできない。掌に残された沢山の幸せを必死に包み込んで、絶対に溢さないよう逃げ続ける事しか。

 

「大丈夫、大丈夫よ。もう二度と居なくならないから」

「……はい」

「よしよし。いい子ね」

 

 屈んだまま上目遣いで此方を見る藍へと微笑み、頬を擦り合わせながら頭を撫でてあげる。愛しい子供やペットにしてあげるようなスキンシップ。

 

 溢れ出る慈愛で甲斐甲斐しくお世話をしてくれたりとママ味が日々増していくと同時に、甘えん坊のように直接的な愛情を求めてくるようになった最近の藍。

 正直私も色々と参ってしまいそうよ。

 妙齢の美女が見せる子供仕草からしか得られない栄養がある──! 

 

 と、藍は満足したのか柔らかな笑みを浮かべると、とある提案を投げ掛ける。

 

「よろしければ、私の持つ技を紫様に伝授いたしましょう。非才の身なれど、『尊敬する方』からかつて受けた薫陶は、今も胸の内にございます」

「そうね、お願いしようかしら。橙も呼んで3人で一緒に、ね」

「はい」

 

 八雲一家みんなで一からの出直しですわ。

 

 

「この一帯だけヤケに湿っぽい気質がするぞ! なにかあったか!?」

 

「あっ帰ってきた」

「……」

 

 雰囲気ぶち壊し。

 我が家の引き戸が開け放たれると同時に、爆音が私の私室にまで轟き響く。この鼓膜が震える衝撃も、合間に聞こえる藍の舌打ちの音も最早慣れっこだ。

 別に何か疾しい事をしていた訳ではないけど、何となく藍と距離を取って居住いを正しておく。

 

「いま戻ったぞ紫! 夕餉の時間にしよう」

「お邪魔します紫さま、藍さま!」

 

「おかえり橙、苦労をかけたね。夕食の準備をするから手を洗ってきなさい。──おい天人、その汚らしい身体で紫様に近付くな。浴槽で泥を落としてこい」

「煩いなぁ。あー獣臭い獣臭い」

「嫌なら出て行け」

 

 正邪の反乱をぶっ潰してきた天子さんと、道先案内人の役目を言い渡していた橙の帰還ですわ。

 そしてこの対応の差である。

 

 天子さんがウチに居候を始めてからかれこれ二年も経つ。私はもう慣れたものだけど、どうにも藍と馴染めてないのよね。隙あらばすぐ追い出そうとしてる。

 私としてはもう愉快な同居人を通り越して家族みたいな感覚なんだけど……。

 

 ただねぇ、あの2人の不仲を考える上での問題は、橙が天子さんに懐いてる点なのよね。

 賢者見習いとして行動を共にする事が多く、幻想郷のゴタゴタを鎮圧する中で必然的に仲良くなっていたのだ。これに早苗を合わせてトリオで活動している事すらある。

 異変解決屋本家の霊マリに一丸となって対抗している様にはほっこりさせられるわ。なお霊夢からのクレームを処理してるのは私ね。

 

 心配しなくても橙にとっての一番は藍なんだから、嫉妬しなくてもいいのに。

 こういう所も子供っぽくて可愛い。

 

 さて、と。

 

「それじゃ行きましょう、藍。手伝いますわ」

「……ありがとうございます」

 

 やっぱり私達ってまだまだ互いに気を遣ってるのかもしれないわね。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「……いるんでしょう? ずっとそこに」

 

 何気なく発した言葉が暗闇に溶けていく。

 

 今日の出来事を一つずつ思い返しながら、真っ暗な天井を見上げ安らかな眠りに就こうとした時、いつも心の奥底から不安が込み上げてくる。

 言葉にできない漠然とした憂い。

 

 もしかしたらと思い、声を掛けてみたのだ。

 結果として私の考えは合っていたらしい。

 

 部屋の隅に小さな存在を感じる。

 闇の中からいつも私を見ている怪物。きっと彼女はルーミアであり、その大元。

 

 心に直接囁き掛ける昏い声音。

 

「幸せそうだね」

「失ってから気付くなんて悲しいもの。もう二度と投げ出さないよう、小さな幸せを強く意識するようにしたの。生活は前と殆ど変わらないわ」

「本当に満足しているの?」

「ええ満足です」

 

 くすくす、と。か細いくせに耳に残る笑い声。

 

「見なきゃいけないものから目を逸らして逃げてるだけじゃないか。何も解決なんかしてないんだ」

「そうかもね」

「何度だって思い出させてあげるよ」

 

 それが貴女に残された存在意義だからでしょう? 私が完全に救われてしまえば、ルーミアの力は今と比にならないほど減衰してしまうから。

 望むところだ。

 

「霊夢なんて百年もしないうちにすぐ死んじゃうね。藍も橙も、少なくとも貴女よりは早く死ぬ。蓮子とメリーだってそう。八雲紫が必死に築き上げた現在(いま)は、いつか終わる」

「……」

「幸せの悉くが掌から零れ落ちた時、果たして貴女は狂わずにいられるのかな?」

 

 その時が来るまで待つつもりなのか? 随分と気の長い話である。

 今の私にそんな先を見据える頭はない。どんなに儚くても、目の前に広がる甘美な夢に浸り続けるのが一番の幸せだから。

 

 自分の幸福の為なら、地の果てまで逃げ続けてやる。

 私を想ってくれたみんなが報われる為なら、どんな醜態を晒してでも幻想郷にしがみついてやる。

 

 私はどこまでも利己的な存在だから。

 

「……本当に諦めてしまうのか」

「もう私には必要ないものですわ。でも、だからといって貴女に消えて欲しい訳でもない」

「甘いねぇ」

「そんな小さな闇に隠れてないで、明日ウチの晩御飯を食べにおいでなさいな。お腹が膨れればそんな物騒な考えも消えてなくなるわ」

「そうなのか?」

「誰だって目先の幸せが一番大切なんだから」

「そうなのかぁ……」

 

 分かってるんだか分かっていないんだか。いや敢えてすっとぼけたフリをしてるのだろう。

 闇故に掴み所はない。

 本質を暴かれたらその時点で妖怪は終わってしまうのだから、彼女の態度は正しく妖怪のあるべき姿である。やはりそういう所は八雲紫との連なりを感じるわ。

 

 まあいいや、この問答は私の勝ちだ。

 論破勝利の余韻に浸りながら気持ちの良い眠りを堪能させてもらおう。

 

「ふぅ、もう寝るわね。おやすみ」

「碌な死に方しないよアンタ」

「もう諦めてます」

「あっそ」

 

 呆れ混じりにそう言うと、部屋に充満する暗闇がみるみる濃くなって私を包んでいく。

 月明かりすらも通さない漆黒。でも不思議と恐怖はなく、心地良さすら感じる。眠りを妨げるものは悉く取り除かれ、快眠一直線。

 

「アンタがそういうつもりならコレはもういらない、返したげる。必要ないかもしれないけど」

「……?」

「せいぜい楽しみなよ。胡蝶の夢をさ」

 

 瞼の重みに比例するように、心から情景が次々浮かび上がってくる。

 そうか、私の中から記憶を取り除き、持って行ってくれたのは、貴女(ルーミア)だったのか。

 

 ああ確かに、この記憶は必要ないかもね。

 だって、私はもう既に──……。

 

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 満開の花弁の中に埋もれて眠る夢。周囲の喧騒で目を覚ました、という(てい)のようだった。

 

 夢の中でまで寝ているなんて、いつからこんなに睡眠が好きになったんだろう? 

 八雲紫を模倣しようとするあまり、妙な副次効果が生まれつつあるのかもしれない。

 こういう所ばかり追い付かなくてもいいんだけどねぇ。

 

「失礼ね。睡眠こそ最大の幸福よ」

 

 満開の夜桜、その側に立つ八雲紫。

 私と藍の憧れであり、現在(いま)への道を我が身で切り拓いてくれた本物の賢者。

 

 その後ろでは、華奢な少女が背負われていた。

 金髪で、恐ろしく顔が整っていて、親子かと見紛うほどに私達にそっくりな身体。

 もしかして、AIBOだろうか? 

 

 喧騒に一切反応することなく、先程までの私と同じように八雲紫の背を枕にして眠っている。

 あの戦闘狂とは思えないほど安らかな顔。黙っていれば年頃の少女なのね。

 

 夢の中だとしても、貴女達に逢えて良かった。

 でもどうして? 

 

「あの時の答えを改めて聞かせてもらおうと思ったの。前は言う前に消えちゃったでしょう?」

 

 そうだっけ……? 

 相変わらず謎な時系列だと妙にメタい事を考えつつ、ぼんやりと眼前の情景を眺める。

 

 桜の下なのだ。幻想郷ならばやる事は一つだろう。

 みんな私そっちのけで盛り上がっている。思い思いに酒に飲んで呑まれて馬鹿騒ぎ。

 このトンチキな宴こそ、幻想郷の平和の証。

 

 すると、手前にいた早苗が私に気付いて手を振って、それが伝播するように私へ視線が集まる。

 

 

「あっ、そんな所に居たんですねお師匠様! お待ちしてましたよ!」

「やっと来たか紫ぃ! ほら飲むぞー!」

「来て早々眠るなんてせっかちね〜。桜の木の下は縁起が悪いわよ〜」

 

 

「こんな馬鹿騒ぎの中でよくあんなに気持ち良さそうに眠れますね。そういう図太い所は見習っていきたいです」

「私はもう少しお前の痴態を眺めていたい気分だったけどね、八雲紫」

 

 

「お姉ちゃんズは相変わらず一言多いなぁ。別に気にしなくていいからねゆかりん」

「おっと気にして欲しそうな奴が居るみたいだから、そいつには構ってあげておくれよ紫」

「余計なこと言うな諏訪子ッ! ま、まあ詫び代わりの接待なら受けてやらん事もないがな」

 

 

「紫様、こんな所でお休みになられては風邪を引きますよ。辛くなったら私に申し付けてくださいね」

「紫さまのご飯はちゃんと確保してますので安心してください! ……かまぼこは食べちゃいましたけど」

 

 

「そんな所にぼーっと突っ立ってないで、早くこっちに来なさいよ。アンタが呼んだんでしょ? 紫」

 

 

 ああ、そうか。そうだったわね。

 夢だけど夢じゃない。

 

 別々の記憶を都合良く継ぎ接ぎに組み合わせて、願望という形で投影しているのだろう。

 

 納得した。

 やはりこれが私の願ったものの正体なのだと見せつけられたのだから。

 

 

 

「ほら、もう一度言ってみて? 何者でもない、貴女の本当の想いを」

 

 敢えて口にする事で、言葉が揺るがない意志となり、私を作り上げてくれる。

 私は──。

 

 

「借り物じゃなく自分の目で、愛しき幻想郷を見守っていたい」

 

 金色の瞳を瞼越しに撫でる。

 みんなが褒めてくれた綺麗な桔梗色は失われたけれど、これが私に許された本当の色。

 

「私の想いで、私の足で、みんなと一緒に幻想郷を踏み締めて生きていきたい」

 

 因果は消滅した。

 これからの私がどうなっていくのかはきっと誰にも分からないし、もしかすると明日には虚無に消えている可能性だってゼロじゃない。ルーミアが言うように、私だけが取り残される未来もあるのかもしれない。

 

 でもそれが生きるって事だと思う。

 私の歩んだ痕跡がみんなと共に有ればいい。

 

「そんな俗で矮小な、本当の私を受け入れて欲しい」

 

 立場に裏付けされた崇高な思想や、八雲紫の名に見合うような理念は持ち合わせていないけれど。そんな何もかもが足りない私だけれど。

 

 どうかどうか、この夢の中に居ても良いのだと。

 

 

「ね、無事に叶ったでしょう?」

 

 

 ふと振り返ると、八雲紫は居なくなっていた。

 舞い散る桜の波に溶けてしまったかのように、其処に居たという記憶だけ残して。

 

 言葉は最後まで続いていた。

 

 

「だって、幻想郷は全てを受け入れるのですから」

 

 

 それはそれは残酷で──とても優しい物語。

 

 

 (そよ)ぐ春風に後押しされるように、私は改めて一歩を踏み出した。

 






大変長きに渡るお付き合いありがとうございました。
これにて『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで』通称:幻マジは完結となります。

最終回は敢えてゆかりんの何気ない日常の詰め合わせです。
もっと酷い終わりを予定していましたが、最後の最後でゆかりんに幸せになって欲しい気持ちが勝ちました。

伝えたい事は多々あれど長ったらしい後書きなど不要かと思いますので、作者個人の想いや裏話は活動報告の方に書いておきます。
今はただただ、この物語に最後まで付き添ってくださった方、今日に至るまで沢山の感想と励ましを書いてくださった方、皆様に対しての感謝を伝えたく思います。
本当にありがとうございました。

後日談的なものについてはゆっくり投稿していこうと思います。
ゆかりんの災難はまだまだ続いていきますし、死にっぱなしのキャラや一つ前の世界線など、回収しきれていない要素もございます。
特に八雲霊夢、八雲橙、洩矢サナエに関してはここからが本番と言えるやもしれません。かなり鬱成分強め。
ただゆかりんの物語は一区切り付いたので、本編は一応の完結という形を取らせて頂こうと思います。

重ね重ねにはなりますが、ここまで読んでいただき本当に本当にありがとうございました。
よろしければ、感想や評価をいただけたりとか、拙作の印象に残っているエピソードなんかを教えていただけるととても嬉しいです。

それでは次話か違う作品(多分東方)でまたお会いできれば幸いです。


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Ex
幻想郷弾幕コンテスト 白玉杯『開幕編』


あのスキマ妖怪が帰ってきた!
帰ってきてしまった


 

 

 蝉の声も徐々に消えゆく秋の入り口。

 気の早い秋神様達の奮闘で次々色付く山々を眺めるも良し。夏の残り香に思いを馳せるも良し。

 今日もみんなで仲良く血生臭く物騒に暮らしている、そんな幻想郷の変わらない日々。

 

 しかしそんな季節の流れに逆行するように、私こと八雲紫は大いに花見を堪能していた。

 長月に眺める桜は最高ですわね! 

 真昼間から飲むお酒が進む! 

 

 白玉楼は今日も春真っ盛り。天空を埋め尽くす桜の花弁が燦々と私達に降り注いでいる。

 かつての春雪異変のように過剰な様ではなく、あるがままの美しさ。

 

 ただそんな素晴らしい景色も、今は眼前で繰り広げられる美麗な剣技の引き立て役でしかない。

 一振りが春風を巻き起こし、時には断ち切り凪とする。極まった剣術は魔法と何ら遜色ないのだ。

 

 白玉楼の庭先で相対するは1人──否、二刀の極意を修めた半人剣士と、まるで熟練の技を披露するように小太刀を流麗に振るう九尾の式。

 魂魄妖夢と八雲藍の腕試しである。

 

 そして隣に座る我が友、幽々子はそんな死合を菓子の肴にしていた。時折声援を飛ばしたりはしているものの、殆どが野次のようなものだ。

 何だか可哀想だったから私は2人とも応援してあげるわね。がんばえー。

 

 と、三度目の凪と同時に高速移動による残像が掻き消え、鍔迫り合いが開始される。

 妖獣故に腕力の勝る藍と純粋な力比べ。しかし妖夢は一歩も退かずに両腕で押さえ込み火花を散らす。

 

「ハァッ! ……まさか藍さんがこれほど凄まじい剣の腕をお持ちだったとは、驚きです。余程の鍛錬を積まれたものとお見受けします」

「いや刀を主軸にして戦うのは今回が初めてだよ。妖夢の動きを見様見真似に模倣しているだけだ。少し自己流に工夫してはいるけどね」

「そっちの方が驚きなんですけども!? それじゃ私の立場が……」

「私の性質上模倣できて当たり前なんだ。しかしお前の剣術に関しては、完全に模倣できていない。やはり熟練の技には理屈を超えた領域があるのだろうな」

 

 精神攻撃も欠かさない藍にドン引きである。

 藍は自らに刻まれた術式を己の手で書き換える、常識を遥かに超えた式神。

 戦闘中であるにも関わらず相手の動作や能力を都度解析し、完了すれば自身の身体が許す限りの模倣や適応を可能とするのよ。

 これぞ式神の真髄。八雲藍の神技。

 ロジックとしては霊夢の夢想天生を破った方法と殆ど同じだ。

 

 まあ反則(チート)も良いところですわね。

 しかも純粋な身体能力は幻想郷最強レベルだし、頭も凄く良いし。あと美人。

 ふっ、流石は私の式神。肩身が狭いですわ。

 

 と、徐に藍が手で制す。

 

「妖夢、一旦ここまでだ。これ以上は正しく真剣勝負──命のやり取りになってしまう。紫様の命令無しに踏み込んでいい領分ではない」

「……分かりました。わざわざお付き合いいただきありがとうございます」

「こちらこそ貴重な体験をさせてもらった。良ければ今度二刀流についても教えておくれ」

「嫌です。た、ただでさえ色々負けてるのに剣術まで抜かれたくないので」

「あら」

 

 互いに刀身を鞘に収めると、歩み寄り握手を交わすことで和解の証とする。

 非常に和やかな雰囲気である。妖夢は若干青ざめてるのに対し、藍は苦笑を浮かべているけども。

 

 取り敢えず幽々子と共に、両者へと大きな拍手を送った。素晴らしいものを見せてもらったわね! 

 突然幽々子の無茶振りで始まった試合だったけど、花見以上に価値があったと言わざるを得ない。

 

「2人ともお疲れ様。素晴らしい剣技の応酬でしたわ。こんなにも白熱した戦いだったんだもの、互いに得る物があったんじゃない?」

「紫様の満足に足る一戦でしたなら幸いです。八雲の従者たるもの、遅れを取る訳にはいきませんから」

 

 剣を持つだけで普段とは違った雰囲気を纏う藍。

 率直に言うと爽やかイケメン度が増し増しになっているような気すらするわ。収まれトキメキ! 

 

 その一方で、妖夢は浮かない顔をしている。あまり納得のいく内容ではなかったのかしら? 

 幽々子もそんな妖夢に声を掛ける事なく場はお開きとなり、稽古の後はお食事タイムという事で昼食の準備が進められる。

 稽古の当事者ではなく観戦してただけの幽々子がメインなのは最早ご愛嬌よね。

 

 

 とまあ、藍と妖夢が準備で席を外したのを見計らって、幽々子から一つの提案がなされる。

 

「前に紅い館のパリピ蝙蝠がやってた大会があるでしょう? アレみたいなのを私もやりたいと思ってるの」

「えっと、それはまた急な話ねぇ。今に始まった話でもないけど」

 

 パリピ蝙蝠、つまりレミリアが開催した大会といえば『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』のことでしょうね。月面戦争の戦闘員を募る目的で行われたやつ。

 私としてはあの大会にあまり良い思い出がないが、幻想郷の住民達には人間妖怪問わず盛況だったとか。みんなお祭り好きだからねぇ。

 

 まあ幽々子がこういう事を言い出すのは時間の問題だと思っていたのでそこまで驚きはない。

 むしろ前もって相談してくれただけ有難いわ。

 

「貴女の頼みだもの。できる限りの協力はさせてもらうけど、どういう内容を考えてるの?」

「そうねぇ……妖夢を励ます会、かしら」

「うーん予想の斜め上」

 

 肩叩き券でもあげれば良いんじゃないかしら。

 曲がりなりにも大会の名を冠するんだから、一応集客を見込んだ目的は必要でしょ。

 妖夢を労る為の催しに募集をかけても……あんまり言いたくないんだけど、前回大会に比べてあんまり参加者は出てこないと思うのよね。

 

 ただ流石に幽々子がこの発想に至ったのにもそこそこの理由があるらしく、深刻そうな表情を浮かべながら、淡々と経緯を語り始める。

 

 

 

『師匠はいつになったら帰ってくるんでしょう……』

『んー妖忌ねぇ。貴女の武名が冥界を越えて顕界にまで轟いて、妖忌の耳に入れば帰ってくるんじゃない?』

『そうですか。はぁ……』

 

 

 

「で、結局伸び悩んで困ってるみたいなの」

「適当に滅多な事を言うもんじゃないわよ……」

 

 結局、幽々子のせいってオチなのね。っていうか回想短すぎよ。

 なるほど藍と戦わせたのも、単純に妖夢の練習相手になってほしいという気持ちからか。

 

 ああ、知らない人向けの説明になるんだけど、妖忌さんとは妖夢の祖父であり、剣術を仕込んだ師範でもある人ね。現在失踪中。

 ちなみに私がテンパらずに会話できる数少ない男性の1人でもある。他には霖之助さんくらいかしらね。共通点は若干ダメ人間の毛があることね。

 

 確かに、大規模な大会を開いて妖夢が優勝できれば、かなりの名声は手に入るでしょうね。実際、前回大会で準優勝だった天子さんもその一件で一目置かれるようになったみたいだし。

 妖忌さんの耳に入る可能性もゼロではないだろう。

 

 まあ勝てるかどうかは別として。

 

「なら異変解決でもやらせてみたらどう? あれもかなり名が知れ渡るわよ」

「ダメダメ。私が楽しくないわ〜」

「やっぱりそれが一番にくるのね」

 

 要するに、妖夢に往年の自信を取り戻させてあげて、尚且つ行方不明の妖忌さんを呼び寄せて、さらに幽々子も何らかの形で目立ちたいと。

 じゃあもう大会を開くしかないわ。

 

 レミリアの時と比べて私が乗り気な理由として、剣術大会ならそこまで大規模な被害が出ることはないだろうという予想からだ。

 攻撃方法を武器に限定すればさしもの化け物達でも大きな問題は起こさないと思う。思いたい。

 不幸にも斬殺死体が一つ増えてしまっても幻想郷にあまり影響はないわ。

 

 そう、前回はあれだけ念入りに被害が出ないよう対策を施したのに、結局マヨヒガが半壊したり、霧の湖が汚染されたりと大変だったわ。

 レミリア許すまじ。

 

「白玉楼は地理がちと厳しいから、会場はマヨヒガか人里ね。御前試合が如く腕に覚えのある者達が貴女の前で立ち会いを繰り返す。これでどう?」

「地味よそんなの〜。負けた相手の首を門前に晒していってもまだ地味〜」

「霊夢に退治されても文句言えないわよそれ」

 

 忘れられがちだけど幽々子の生前は、鎌倉時代一歩手前の平安時代を生きた武家の娘。

 あの時代の侍といえば、百姓を刀の試し斬りで斬り殺したり、家の前を通った坊主を弓矢の練習台にするようなトンデモ連中である。

 倫理観についてもしっかり幻想郷仕様に仕上がっているのよね。こわー。

 

 ひとまずそんな物騒な大会はコンプライアンス的にNGなので、穏便なルール策定を要請しておいた。ここばかりは親友としてではなく、賢者としてね。

 草案は後で藍に通しておきましょう。

 

 はぁ……まったく世話の焼ける親友ですわ! 

 と、そんな感じで後方親友面をしながら着々と構想を練っていたのだが、幽々子の願いはこれだけに留まらなかった。むしろ次が本命である。

 

「それでは大会の際は私も観覧に興じるとしましょうか。楽しみにしてるわ」

「あっ、それなんだけどね〜」

 

 柔らかな笑みを浮かべる幽々子。

 私の背筋に走る悪寒は危機信号に他ならない。

 

「紫って前回は審査側だったでしょ? 今度は選手として出場してほしいのよ〜」

「……急用を思い出したわ」

「ダメ」

 

 残念、大魔王からは逃げられない! 

 幽々子が急に意味不な事を言い出すのは今に始まった事ではないが、ここまでナチュラルに無理難題を提示されるのは珍しいわね。

 私が参加しても一回戦で首を飛ばされるだけだと思うんだけども? 

 

 取り敢えず理由を聞いてみた。

 

「ほら紫って最強の妖怪でしょ」

「違うけど」

「そんな貴女が参加してくれれば大会としての箔が付くし、盛り上がると思うのよ〜」

「私を客寄せパンダにしないでくれる?」

「それも目的なんだけど、紫の格好良いところを見たいのが一番よ。前の異変は天人や面霊気と戯れるだけで貴女とは矛を交えてないし」

 

 どんな冷やかしよ。

 いやね、私が幻想郷で随一の実力者である事は否定しないわ。なんたって大妖怪ですもの。そこんじょそこらの人間や妖怪には(多分)負けない。

 でも最強とは縁遠い存在である事もまた確か。

 

 霊夢と藍の助力を私の力と数えていいなら最強を名乗ってもいいかもしれないけど、タイマンだと絶対無理。霧の湖に住んでる緑髪の妖精にも勝てないわ。

 まあ私の無様な敗北姿が見たいっていうなら話は別だけどね! 見損なったわ幽々子! 

 

「ね、お願いよ紫〜。一生のお願い」

「亡霊なのをいい事に連発するのはやめなさい」

 

 多分これまで5回くらい聞いたことのある『一生のお願い』に軽く突っ込みを入れつつ、どうしたものかと逡巡する。答えに窮してしまった。

 

 他ならぬ幽々子にここまで頼まれちゃったからにはね、話に乗ってあげたい気持ちも山々なんだけど、やっぱりどう足掻いても無理があると思うのよね。

 大会の組み合わせを操作して私には雑魚しか当たらないようにしてくれない限りは、致命傷を負ってそれで終わりである。私は死ぬ! 

 

 折角色々な苦難を乗り越えて楽しい毎日を送れるようになったんだもの、もう少し長生きしたいわ。

 まあ住む場所が白玉楼に変わるだけなような気もするけど。

 

 ……よし。

 

 一つの決意を固め、私は幽々子へと可否を伝えた。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 幻想郷の住民は娯楽に飢えていた。

 

 数多の破滅的な異変を経験し、平穏な日常の尊さを改めて噛み締める機会に恵まれた事は、一般大衆や支配者層の区別なく幸福であっただろう。

 しかし『慣れ』とは如何な学びも隅へと追いやってしまう恐るべき病魔である。

 

 幻想郷の住民は非日常を求めていたのだ。

 

 そんな中、幽冥のお嬢様西行寺幽々子が主導となりレミリアの事業を引き継ぐ形で、急遽『幻想郷弾幕コンテスト 白玉杯』の開催が決定。

 天狗達による過剰な宣伝効果もあってか、幻想郷は再び熱狂の渦に飲まれる事となる。

 

 なお弾幕コンテストとは名ばかりで、各々好きな得物を駆使したチャンバラ勝負がメインとなる奇妙な大会である。弾幕のダの字もない。

 第二回目にして大会の趣旨は形骸化した。

 

 識者や賢者の一部は「これ如何に?」と疑問を呈したが、野暮を嫌った世論により些細な問題は意識の外へと押し流されることになる。

 やはり皆、基本的にお祭りが大好きなのだ。知性や理性は不要。

 

 

 会場に選ばれたのは、人里一広大な敷地面積を誇る稗田邸門前と中庭。

 幻想郷同時多発異変での共闘を契機に阿求と幽々子の交流が深まっており、それが今回の会場確保に結び付いた。また仲介に紫が入ったのも大きい。

 

 阿求としては自身の管理する敷地で血生臭い死合を行う事に多少の抵抗を抱いたが、大会終了後の浄化作業、救護活動を永遠亭に要請する事を条件として認可に至る。

 

 なりより阿求も娯楽に飢えていた。

 自宅の軒先が血で汚れるよりも、幻想郷縁起のネタ探しの方が彼女にとっては大事だったのだ。

 そしてその思惑は果たされることとなる。

 

 幻想郷の各地から腕に覚えのある武芸者達が集う。

 種族に区別はなく、人里を警備する自警団員から取ってつけたように棍棒を装備した妖怪、果てには前回運営側で冷飯を食わされた紅魔館の住民など、兎に角自らの力を誇示したい困ったちゃん達が集結したのだ。

 

 

「何だか大変な事になっちゃいましたね」

妖夢(アンタ)のところのご主人様が始めた事でしょ。他人事みたいに言うんじゃないわよ」

「私なにも聞かされてないんですもん」

「おかげでお嬢様立っての希望で私どころかウチの門番までヌンチャク振り回してエントリーしちゃったし」

「まあまあ折角参加したんですから優勝目指して頑張りましょうよ! 簡単に負けちゃったらお嬢様の面子が潰れちゃいますしね」

「ふーんどいつもこいつも大変ねぇ。まぁせいぜい不様を晒さない程度に頑張って」

 

 女性出場者の控室として開放されている稗田邸の一室にて、悲哀漂う従者会がひっそりと取り行われていた。

 自分が大会の開催事由である事など知る由もない妖夢。主人の酔狂で無理やり戦わされる羽目になった咲夜と美鈴。1人余裕綽々な鈴仙。以上4人である。

 

 横暴で底知れぬ主人からの無茶振りは最早幻想郷の主従関係における一種の様式美。

 泣くのはいつだって下の者達である。

 ただまあそれはそれとして、全員が闘争をこよなく愛する戦闘狂なのでノリ気ではあるのだが。

 

 なお鈴仙が1人だけ余裕なのは訳がある。

 周りからの冷めた目を気にする様子もなく、ドヤ顔をかましながら肩を竦める。

 

「いやぁ前回大会優勝者である私が連覇してやっても良かったんだけどね。殿堂入りかつVIP対応って事なら仕方ないわー。まっ、出来レースになっちゃうし仕方ないよね」

 

 要するに出禁である。同じく優勝者である霊夢対策の意味合いが強い。

 しかし特別扱いである事に変わりはないのだ。

 

「で、そのVIP様が何で此処にいるの?」

「そりゃ当然一般参加の皆様方への激励よ」

 

 有頂天へと届かんばかりに鼻を伸ばしながらふんぞり返る様ももう見慣れたものだ。

 このイキリ芸さえ無くなればそこそこ尊敬できる幻想郷屈指の戦士なのだが、悲しいかなこれが鈴仙・優曇華院・イナバという兎の全てである。

 

 と、そんな鈴仙はさておき。

 引っ切り無しに周りを窺っていた美鈴が「それにしても」と切り出す。

 

「凄い人数の参加者ですね……。かなりの手練も相当数混じってます」

「私も武器持ち限定の大会なので参加者は限られると思ってました。意外です」

「まあ前回大会がレミリアお嬢様の手腕で大成功に終わったからね。曲がりなりにもその続きを冠するならこれくらい集まってくれないと」

 

「いやそれよりも原因は明らかにアレでしょ」

 

 咲夜の言葉を遮り、鈴仙が指差す。

 有象無象を押し除けるように形成された空白──否、自然の結界。誰もがその空間には近寄らず、遠目でその存在に慄いていた。

 妖夢と美鈴は生唾を飲み込み、一方で咲夜は白けたような目を向ける。

 

 桔梗色の居合道衣と黒袴を着衣。背まで届くウェーブのかかった金髪。傍らには無銘の小太刀が置かれている。

 瞠目し厳かに鎮座する様は、正しく達人の佇まい。

 しかし、それでいて暴風が如き圧力が彼女を中心に吹き荒れていた。闘気を出さずしてこの領域。

 力ある者でなければ一瞬で戦意を挫くであろう。

 

 幻想郷の象徴にして最強の妖怪、八雲紫。

 まさかの一般参加である。

 

 彼女の参加こそ今大会一番の目玉であり、熱狂の火付け役になったのは言うまでもない。

 

「……あの化け物は刀も扱えたの?」

「わ、私は見た事がないです。ましてやまともに戦っているところすら……」

「私も擬き(偽物)としか戦った事がないわ」

「しかしあの一分の隙もない構え、気を発さずして相手を萎縮させる存在感……刀だけでも並大抵の使い手ではない事が分かりますね」

 

 武術全般の達人である美鈴の指摘に通ずるものを感じたのか、妖夢が頷く。

 

 八雲紫が強いのは当たり前。

 数えるのも億劫になるほどの逸話が彼女の実力を裏付けているし、直近の異変では幻想郷を相手取り暴れ回ったばかりである。

 残念ながら紫本人と最後まで戦ったのは霊夢だけだが、紫の従えていた妖怪達の規格外な強さを鑑みれば、その主人を疑う必要はないだろう。

 紛れもない幻想郷最強格。

 

 しかし刀の扱いに長けているとまでは思わなかった。それなら自分にそれとなく言ってくれればいいのにと、妖夢は少しだけしょんぼりした。

 

「ここにいる大半の連中はアレ目当てでしょどうせ。あわよくば八雲紫を倒して名を上げたいって浅はかな魂胆。武舞台の上なら殺されないから」

「気持ちは分からんでもないですけどね……」

 

 八雲紫に戦いを挑むような物好きは気狂い揃いの幻想郷においてもそうそういない。

 古来より敵対者や意にそぐわない者を討滅し幻想郷の頂点に立った冷酷妖怪である。戦いに敗れる事となれば間違いなく命はないだろう。

 そもそも彼女と接触する事自体が困難であり、仮に襲いかかる事に成功しても配下の式達や同盟者に袋叩きにされて終い。戦いそのものが成立しない。

 

 つまり今大会は一切の邪魔無しに紫相手に腕試しを挑める絶好の機会なのだ。

 さらに殺しが基本反則となるルールの中での戦いとなるため、自分の命を担保とする必要がない。

 まさにローリスクハイリターン。

 幽々子の狙いは完全に的中していた。

 

 

 と、騒ぎはこれに留まらない。

 

「ここが待合室ね! 邪魔するわ!」

 

 襖が開け放たれると同時に馬鹿デカい声が部屋中に響き渡る。中にいた全員が顔を顰め耳を塞ぎ、間に合わなかった者は泡を噴いて卒倒した。

 

 非想非非想天の不良天人、比那名居天子。

 前回大会【決闘部門】の準優勝者であり、最早幻想郷に知らぬ者など居ない怪物である。

 今日も今日とて自慢の緋想の剣を見せびらかしながら畳を練り歩く。

 

「げぇッアイツもいるんだ!? 参加しなくてホント良かったわー」

「うわぁ……」

「できればあの人とは当たりたくないです」

 

 この言われようである。幻想郷において一目置かれるようになった天子だが、大体の認識はこんなものだ。

 まさに腫れ物扱い。

 

 だがそんな視線など知った事かと、天子は我関せずの態度のまま闊歩する。

 行く先は勿論、自分を除いて俊烈な存在感を放っている盟友の下。

 

「お前が催しに参加すると聞いて私も飛んできたぞ紫! お前とは一度本気で戦り合ってみたかったんだ」

「……」

 

 無視。

 

「今日こそどちらが上か決着をつけような! な!」

「……」

「おーい? 何か言ってよ寂しいじゃないか」

 

 ガン無視。普段の紫であればあり得ない対応に天子は眉を顰めると、肩に手を掛け──乱暴に払われる。

 

 

「──分からない? 貴様のような下奴などハナから相手にしていないという事に」

 

 

 僅かに開かれた相貌から迸る冷酷な眼差し。

 まるで塵芥を見るかのようなその様に天子の身体が固まる。予想だにしない言葉の数々だった。

 

「いつも飽き飽きしてましたの。口を開けば知性の無い文句を垂れ流す毎日。まるで馬鹿の一つ覚え、畜生が如き下劣な品性ですわ」

「ゆ、紫?」

「果てには私と競おうだなどと妄言を吐き散らし、その気になっている貴女の姿は滑稽そのもの。身の程を知りなさい。下奴は下奴らしく分相応に雑魚共と戯れていればいいの」

「……!」

 

 聞き捨てならぬ言葉であった。

 途端に目が座り、大気が震える。腰にぶら下がる緋想の剣が紅蓮を揺らめかせた。

 

 天子は懐の深い天人である。普段なら些細な悪口や挑発に心を乱される事などなく一笑に付すところだ。程度の低い小物に何を言われようが戯言に過ぎない。

 しかし今回は相手が悪かった。八雲紫とは、あの傲慢な天子が自分と()()同格だと認める地上において数少ない稀な存在。

 かつて志を共にしたはたて、自分から一勝をもぎ取った鈴仙、高貴な種族である針妙丸ぐらいしか該当しないレアケースなのだ。

 

 罵詈雑言そのものには殆ど関心を示していない。苛ついたのは確かにそうだが、天子に激情を抱かせたのはもっと別の要因だった。

 

 これまで異常なほど天子に対し丁寧に接してきた紫からの、唐突な煽り。

 即ち宣戦布告。

 

 普段の紫の態度が気に食わなかった訳じゃない。寧ろ天界から追い出され失意のドン底にいた自分に配慮した言動は、天子を大いに慰めてくれた。

 しかし物足りなさを感じていたのも事実。

 藍や橙に対するそれに比べ、一線を感じていたのだ。

 

 胸の内から込み上げるこの激情こそ、天子が幻想郷に降臨してからずっと追い求めてきたものだったのかもしれない。

 

「は、はは……なるほどそれがお前の意思か」

 

 振り絞るように笑みを溢し、上気した顔を見せまいと背を向ける。敵に対しこれ以上の馴れ合いは不要。

 言いたい事は刃を通して語ればいい。

 

「面白い。私をガッカリさせてくれるなよ」

 

 そう言い残し天子は去っていった。

 呆気に取られる群衆。しかし彼女らもまた他人ではない。

 

 鋭い相貌が安全圏にいた筈の有象無象を射抜く。当然だが、紫と戦うのは天子だけではない。

 此処に居る者全てにその挑戦権が与えられる可能性がある。

 全員が八雲紫に屈服すべき存在なのだ。

 

「万に一つでも私に勝てると思い上がった愚者の集まりを眺めるもまた一興。しかし先の天人を始めとして余りにも滑稽で逆に心配になってきましたわ。身の程知らずが幻想郷に多すぎる」

 

 誰もが一声も発さずに見入っていた。

 話しかけられる者など居る筈がない。圧倒され、無関心を装いながら聞き耳を立てる。

 

「故に良い機会。貴女達のような愚者をこれ以上出さぬよう、この催しで私の力を嫌というほど再確認して貰います。ふふ……皆様の無様な足掻きを期待しているわ」

 

 そう言い捨てて、天子の後を追うように紫もまた退室する。たった1人のスキマ妖怪が居なくなる事で、漸く一同は見えぬ圧力から解放された。

 しかし安堵の色を浮かべた者は鈴仙を除いてほぼ皆無だった。ここまでコケにされてヘラヘラ笑っていられるほど、幻想郷の修羅人達の矜持は安くない。

 

「舐められたものね。いや、元からかしら」

「……ここまで言われては此方も引き下がれなくなりましたね。お恥ずかしい限りですが、胸の滾りが抑えられない。久方ぶりの感覚です」

「普段何を言われても気にしない貴女が珍しい。よっぽど腹に据えかねたのね」

「私は紅魔館の門番であると同時に武人ですので」

 

 あの温厚な美鈴ですら額に青筋を浮かべ、闘気を練り上げている。怒りもそうだが、武に身を置く者としての欲望が表出していた。

 改めて、最強の妖怪八雲紫に挑みたい気持ちが確固たるものになったのだ。

 

 咲夜や鈴仙にはイマイチ掴みきれない感覚だったが、一方で妖夢はそんな彼女の気持ちを深く理解していた。

 妖夢もまた同類だからだ。

 主人の一番の親友であり、自らもまた敬愛して止まない存在。刃を向けるには余りにも畏れ多いけれど、やはり挑めるのなら挑んでみたい。

 

 

 

 

 

 ただ一つ誤解があるとすれば──。

 

 

「ふぅ、紫様の模倣も楽ではない。やはり少々不安は残るが……しかし紫様からの久々の御命令だ、一切妥協するわけにはいかないからな」

 

 八雲紫に戦闘の意思はさらさら無く──。

 

「ふふ、御安心くださいませ。八雲第一の部下八雲藍の名にかけて、幻想郷最強の称号は紫様のものであると改めて示してみせます!」

 

 

 挑戦権など初めから存在しなかった点だろうか。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「という訳で、やむを得ず藍に替え玉をお願いしたのよ。影武者ってやつですわ」

「貴女という人は相変わらずですね。いい加減恥という概念を知ってもいい頃でしょうに」

「命の方が大切ですわ。逃げるは恥だが何とやら」

「失礼、恥そのものでしたね」

 

 人里の大通りをさとりと共に闊歩する。

 彼女の呆れ返るような目ももう慣れっこだ。諦めて楽しく過ごしましょうね。

 お祭りだという事で異様な熱気に包まれている人々を見るだけでも十分な娯楽となる。管理者目線かしら? 

 

 ちなみに八雲紫が2人存在する訳にはいかないので、私の方は夢と現の境界を弄る事で姿をメリーに変更している。能力を鍛えた結果ですわ! えっへん。

 ただこのままだと流石に八雲紫の面影が残ってしまう。そもそもメリーと私って殆ど同じ顔だし。ハッキリ違うのは髪の長さと背格好くらいかしら。

 よってサングラスとマスクまで着用した。

 

 ふっふっふ……完璧ね。どこからどう見てもナウでヤングなイマドキJDですわ! 

 これには蓮子もニッコリでしょう。

 

 

 余程の急用でもなければ館から出てこないさとりが何故ここに居るのかというと、暇だったので地底から呼び寄せたのよね。

 

 橙は私と藍の代役で結界の管理中だし、他は「なんでお前大会に出てないん?」と突っ込まれるのが目に見えてるからね。その点、さとりは呆れ返るだけで真実を知っても何かしようとはならないだろうし。

 

 まあそれに、たまには親友らしい事をしてもいいでしょう。交友関係を結んでしまったからにはね。八雲紫は一度好きになるとしつこいのだ! 

 さとりもさとりで嫌々言いつつも地上まで出てきてくれたという事は満更でもないのだろう。

 

「違います。あんな阿保な計画が進行していると知ったからには様子を見に行くしかないじゃないですか。血反吐を吐いてまで働いたのに私の知らないところで幻想郷が滅んでは堪りません」

「うふふ、またまた大袈裟な」

「私の杞憂なら問題無いんですが、忌々しい事によく当たるんですよ。特に貴女関連では」

 

 返す言葉もないわてへぺろ。

 そんな感じで謝ってみたら凄い顔で睨まれた。いやもうね、本当にごめんなさいね。

 

「はぁ……そもそも、紫さんが幽々子さんの無茶な要求を蹴っておけばこんな面倒な事にはならなかったと思うんですけどね」

「そうなんだけど、他ならぬ幽々子からの頼みだし。私が一回戦であっさり負けちゃったら幽々子も観衆もガッカリでしょ?」

「仲の良い方からの頼み事を嫌と言えないのは紫さんの悪い癖ですよ」

 

 三つのジト目が私に向けられる。

 うーん心当たりがあるような、ないような。

 

「要するにチョロいんですよ貴女は。相手からの好意への応え方が下手くそなくせに、なんとかして報おうとしてしまう。たとえ自分の立場を悪くしてでも」

「で、でも幽々子には前の異変でいっぱい迷惑かけちゃったし、持ちつ持たれつというか」

「幽々子さんは別に気にしてないですよ。というか貴女達や萃香さんもですけど、親友という概念に対しての捉え方が歪過ぎる気がします」

 

 だって親友は大切にしたいじゃない! 

 私を好いてくれる稀有な人達には沢山幸せになって欲しい。だから私も頑張れる。

 それに一々見返りを求めてしまったら私達は友達じゃなくなってしまうもの。

 

 今回の幽々子の一件や萃香に対してだってそう。相手を想う純然たる心で動けてこその親友ですわ。

 当然さとり、貴女もね。

 

「……まあ何にせよ自分の首を絞める結果にならなければいいですね。……一つ申しておきますけど、私は武器なんて扱えませんから大会には介入できませんよ」

「べ、別に期待してないわ」

「ならいいんですけど」

 

 嘘、実は期待してた。

 

 武器を扱えないなんて言ってるけど『想起』を上手く使えば優勝候補に名乗りを上げる事も可能でしょうし、私に化ける事もできるだろう。

 藍を影武者にする前はさとりを頼ろうと思ってたしね! 藍には悪いけど、こういう場面での安定感はさとりに分がある。

 藍はね、時々暴走しちゃうから。

 

 以上さとりに筒抜け。

 

「今頃、私に化けた藍が上手い事やってくれてる筈よ。しかも頗るカッコよくて美しくね」

「自分が雑魚な事を自覚してるくせに妙に見栄っ張りなところも貴女の欠点ですね」

「わ、私だって偶にはカッコいい私が無双するところを見てみたいのよ!」

「藍さんが不憫でなりません」

 

 確かに、藍には無理を言ってしまった。大会が終わったら労わってあげなきゃ。(n回目)

 でもあの子ったら最初は「畏れ多い」って言いながら遠慮してたんだけど、いざ私に変身した後は凄いノリノリだったのよね。私のエミュも引くくらい上手だったわ。

 舞い上がり過ぎて妙なキャラ付けになってないかだけが心配ね。ほら、藍の夢小説の中では私ってなんか凄い妖怪って事になってたらしいし。

 

「んふっ」

「……どうしたの?」

「別に、何でもありません」

 

 さとりがそっぽを向いてプルプル震えている。風邪かしら? 大変ね。

 

 

 

 

「あっ、そろそろ始まるみたいね」

「ええ。俄かに周りが静かになってきました」

 

 稗田邸からほど近い茶屋で軽めの昼食を取っている中、周辺の喧騒が徐々に収まっているのが見てとれた。どうやら動きがあったみたいね。

 差し詰め幽々子か阿求が出てきて開催の挨拶でもしているのだろう。そろそろ私達も中に入ろうか。

 

 さとり分と合わせて勘定を終わらせ、群衆を掻き分けながら稗田の門を跨ぐ。

 中庭も人でいっぱいだわ! 揉んで揉まれてナイトキャップとサングラスが外れそうになったので慌てて付け直す。万が一にも周りに私の正体を知られる訳にはいかない。

 

 そんな訳で私は無理ができないので、さとりに人混みを押し分けてもらった。

 陰キャ引き篭もりでもそこらの人間や妖怪なんかとは比べ物にならない腕力を持ってるからね。楽勝楽勝。

 

「私にこんな力仕事をさせたのは貴女が初めてですよ。……さて、この辺りでいいでしょう」

「ベストポジションね。ありがとう」

 

 武舞台の全体を見渡せる良い位置だ。

 

 どうやら幽々子による開式の挨拶が行われていたようで、天幕に沿うようにして選手が勢揃いしている。

 物凄い人数ね。ざっと100人は軽く超えてそうだわ。

 

 中には見知った顔が幾つかある。

 紅魔館の門番さんと鬼畜メイド。今大会影の主役である妖夢に、山のお巡りさんこと犬走椛とその部下天狗一同。命蓮寺の虎女ちゃんや、いつの間にか幻想郷に居着いた飛鳥文化臭のするのじゃ亡霊ちゃんまでいるわ。

 多分みんな上司からの命令ね。

 

 中には機関銃や火炎放射器を装備した河童、顔を隠して何故か尺八を持っている不審者丸出しな虚無僧(こむそう)、自分の身体の一部を武器と言い張る付喪神、平知盛が如く碇を担いでいる奴まで居る。

 これで大会に参加してくる連中もそうだし、これを許す幽々子もどうかと思うわ。剣術大会ってコンセプトじゃなかったっけ……? 

 

 そんなカオスな選手の待機スペースから見て対角線上には来賓(VIP)席があって、顔色の悪いうどん何某や阿求、四季映姫にレミリアが座っている。

 ……うどんの背後に純狐さんが居るような気がするけど多分私の気のせいだろう。

 

「残念、幻覚じゃないですよ」

「知らないわ。私は何も気付いていない」

 

 世の中には知らない方がいい事もある。

 なお来賓席には『博麗霊夢』の名札も置かれていたんだけど、当然のように空席だった。

 まああの子は来ないでしょうね。

 

 

 さて……そろそろ私の抱いている違和感についても言及しておきましょうか。

 あのね、なんか会場全体の雰囲気が物々しいのだ。あくまで形式的な立ち合いであって、本格的な命のやり取りは発生しない筈なのに、ヤケに殺気が充満してる。

 まるで戦争最前線の激戦区に居るかのような空気の張り詰め方ですわ。

 

 当然ながらその発生源は選手達であり、全員が血走った目をしている。獲物を鳴らす音がヤケに響く。

 常在戦場ってやつかしら? 武人って凄いのね。

 

 問題はその矛先である。

 選手だけじゃない。会場にいる全ての者の視線が1人に注ぎ込まれている。勿論私含めて。

 

 八雲紫──に扮した八雲藍。物の見事な変化(へんげ)ですわ。

 

 幽々子や妖夢ですら気付く余地はないだろうと思わせる圧巻のクオリティ。正しく私がもう1人いた。八雲紫への理解が深過ぎる! 

 それにまじまじと見てるとなんだか妙な気分になってしまう。ほら、AIBOとか本当の八雲紫に対してはちょっと複雑な感情があるから……。

 

 うーん、それにしてもやっぱり美人ね。私に惚れてしまいそうですわ♡

 

「きっしょ」

 

 うぐ……さとりからの辛辣な一言で何とか正気を保てたわ。それだけ藍が模倣した八雲紫からは尋常ならざる雰囲気が醸し出されていた。

 今も全ての殺気を一身に受け止めながらも、涼しい顔で佇んでいる。あまりにも余裕があり過ぎて周りから浮きまくってない? 

 

 ていうか何でこんなに殺気を向けられてるの!? 明らかな異常事態ですわ! 

 さとりに説明を求めてみた。

 

「藍さんは貴女の指示通り、格好良くて美しい、完璧で孤高の最強妖怪八雲紫を模倣しているみたいですよ? 色々と極まった結果がこの現状ですね」

「幾つか求めてない要素が追加されてるんだけど?」

「お忘れみたいですけど、藍さんから見た『理想の八雲紫』とはどのような存在であるか。今一度よく考えてみればいいと思いますよ」

 

 あ、ああ……! 夢女子フォックス!!!!! 

 

 大体の経緯を察し、恨みがましい目を向けていると藍が私の存在に気付いた。

 そして自信満々な様子でばちこんとウインクをかましてくれるのだった。

 




果たして後日談一発目がこの話で良かったのか?作者は訝しんだ……。
ゆかゆゆ、ゆからん、さとゆかの詰め合わせでした。

ちなみに最終回後からの大きな変化として
ゆかりん→能力や式神操作の訓練によって若干器用になった。交友関係を大切にするようになった。欲望に若干忠実になった。
藍・橙→戦闘力が最終決戦時のままなのでアホみたいに強い。紫様万歳。
さとり→さとゆかちゅっちゅ。
となってます。

以下ゆかりんからの好感度順です。完結したので色々と好き勝手にやってみました。
些細なことで変動します。

【挿絵表示】

トップ10に入るくらいになるとゆかりんへの告白が可能になります(ギャルゲー脳)
一時期かなり高順位だった秘神がいたみたいですが、現時点では結構下になってしまってますね。最後の裏切りがちょっとね……。



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幻想郷弾幕コンテスト 白玉杯『興行編』

・自身が最も得意とする武器のみ使用可能。スペルカードの使用は禁止とする。
・致命傷を受けた時点で試合終了。過度な追い討ちは禁止とする。
・武器の過度な複数携帯は原則禁止。銃火器類に使用する銃弾等、幽々子の裁量次第では認可とする場合有り。
・能力は対象を対戦相手にのみ制限し戦う事。
・シード枠を除き、全七回戦の勝ち抜きで優勝を争う。
・準決勝で再度くじを引き、再組分けを行う。


 

 八雲紫とは無敵にして最強の妖怪である。

 

 ただ一点、彼女をスキマ妖怪たらしめる要素がその地位を確固たるものにした。

 規格外の異能を行使する存在は幻想郷において大して珍しいものでもないが、その中でも最強と呼ぶに相応しいものこそ、この八雲紫の能力。

 その認識に旧き者、新しい者の隔てはない。

 

 境界を操る事とはそれ程までに尋常ならざる力である。如何なる事象であっても本質そのものを別つ境目に抗うことはできない。攻防一体、無限の汎用性を誇る。

 一介の妖怪の意思一つで質量、熱量、総量はおろか、この世の理さえも書き換えてしまう。

 八雲紫と敵対しただけで、相手はまな板の上の鯉と化すのだ。

 

 当然、紫の桁外れの妖力や森羅万象を熟知する明晰な頭脳を以って最強と呼ぶ者もいるが、それはあくまで紫が見せる遊びの側面でしかない。

 彼女とまともに相対できる敵など存在しない。故に無敵なのだから。

 

 とまあ、以上が紫に対する一般的な想像図である。イメージが先行し過ぎている点については最早指摘するまでもない。

 しかし紫に脅威性や危険性を感じている、もしくは感じていた者達にとっては至極大真面目に対策を考えなければならない第一の壁であった。

 まず紫の境界操作をどうにかできなければ勝負の土俵に立つ事すらできないからだ。

 

 故に注目されたのは、完全無欠とも謳われる能力の弱点。境界に対し一方的な優位を誇る力。

 即ち、四季映姫・ヤマザナドゥの権能である。

 

 

 

 

 一足早い決勝戦。そんなワードが全員の脳裏をよぎる。

 ここで八雲紫を止められるか、否か。それがこの大会の行末を占う分水嶺になるだろう。それが出場者と観衆問わずして共通する答え。

 

 そんな傍迷惑な期待を一身に背負う稀有な存在。冥府の水先案内人、小野塚小町は身長以上の尺を誇る巨大な鎌を軽々振り回し、刃を全面に押し出すことで油断なく相手の出方を伺う。

 対して紫は対照的に切先を地面に接着させ、脱力の構えを取る。全てを見通す冷たい目が小町の挙動の悉くを見透かしていた。

 

(参ったねぇ……。四季様の手前、いっちょ格好いい所を見せてやりたいんだが。生憎そう簡単に許してくれるような奴でもないか)

 

 張り詰める緊迫感を誤魔化すように、今も来賓席から死合を見守る上司へと思いを馳せる。

 広い武舞台の上、少なくともこの全域が2人の射程範囲である。謂わば互いに喉元へと刃物を突き付けた状態であり、隙を晒せば瞬間お陀仏だ。

 そんな極限状態で己を保つ為の、一種の逃避策。

 

 だが小町に悲観は無かった。腕を伸ばせば、そこには勝利が首を擡げて待っている。

 勝てるのだ。小町と紫の間には絶対的な相性差が存在しているが故に。

 

 三途の川で船頭をやっている小町は、生と死の境界が曖昧となっている場所を常に活動の拠点としている死神。境界を見定める技量を持たずして務まらない。

 彼女が持つ距離を操る能力とは、言い方を変えれば即ち、境界へと介入する技術。さらに踏み込むのなら、境界を消失させる権能なのだ。

 

 同じく曖昧な境界の一切を否定する四季映姫の一番の部下らしい能力である。

 小町は今大会において最も紫を倒す可能性が高いと見込まれたある種の対抗馬筆頭だった。

 

 勝敗は一瞬で決まるだろう。時間の経過とともに加速度的に圧が強まる。周りの者達など声を発するどころか、息すら忘れている。

 紫にとっても、小町にとっても、距離は存在しない。互いが互いの命に手を掛ける事を可能とする存在。

 

 刹那の駆け引き。

 故にこうして、小町が鎌を振るえば──。

 

「……ッ!」

「……」

 

 ──刃が砕け、意味を持たぬ残骸となり武舞台へと降り注いだ。

 須臾の時すら用さず、2人は接敵していた。

 薄命を断つ生魂流離の鎌は粉砕された。残ったのは、傷一つない刃を死神の首へと当てる紫と、生殺与奪を握られた敗者のみ。

 

 誰の目にも理解できない、単純明快な決着の姿が其処にはあったのだ。

 

 小町は観念したように肩を竦めながら両手を宙に揺蕩わせる。「それまで」と、幽々子にしては珍しい芯の通った声が稗田邸に鳴り響いた。

 そして一斉に沸く大衆を尻目に、鞘へと刀身を収めて武舞台を後にしようとする紫を呼び止める。

 

「どういう絡繰なのかな、今のは」

「答え合わせをする迄もない。理解している相手に態々説明してあげるほど暇ではないのだけど」

「理屈では分かる。アンタならやりかねない事にも納得している。でもやっぱ俄かには信じられないんだよ。それはあたいが頑固だからかな?」

「さてね。でも惜しかったわ」

「何がだい?」

「貴女とあまり斬り結べなくて」

 

 さも残念だと言いたげに笑みを浮かべると、紫は武舞台を降りていった。

 そんな後ろ姿を眺めながら、小町は気怠げに愛用だった鎌の残骸を拾い集めるのだった。

 

 

 先述したように小町の能力は紫に対し、一方的に有利を取る事のできる稀有なものである。

 彼女の振るう距離を無視した凶刃は境界を断つ力が付与されていた。それどころか、肉体は距離の否定まで纏っており、万が一のカウンターも小町には届かないようになっていたのだ。

 

 しかしそれらは全て覆された。

 境界を断つ鎌は一撃で破壊され、無限の距離を踏み越え紫は易々と小町の領域へと侵入してきたのだ。

 

 簡単な絡繰だ。

 小町の距離を操る力とは、大雑把に言い表してしまえば三途の川が持つ性質の再現。生前の行いによって変化する川の長さそのもの。

 紫は小町の能力の正体を接敵の一瞬で完全に看破し、それに対応する性質へと自らを作り替えた。──否、この領域は既に通過していた。

 

 三途の川の長さを求める公式など、何十年も前に解き明かしてしまっているのだから。

『境界の力を扱う八雲紫と戦う準備』を進めていた小町が勝てる道理など微塵もなかったのだ。

 

 

 小町、引いては彼女を送り出した四季映姫の目論見は対八雲紫という観点では最適解に近い。

 しかしたった一つの予期せぬ計算違いが此度の決着に繋がってしまった。

 

 気付いた時には後の祭りである。

 それは、戦っていた相手はそもそも八雲紫ですらなく、境界の力を扱う可能性などなかった、という事。

 

 今も観客席の一画に向かって謎のウインクを飛ばしている八雲紫の正体が、まさかその式神であるとは。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「藍さんが必死にアピールしてますよ。応えてあげなくていいんですか?」

「そんな事したら目立つでしょうが!」

「報われないですねぇ」

 

 他人事だと思って呑気なことを宣うさとりは無視である。ていうかこの状況を楽しんでやがる……! 

 

 はぁい! とにかく周囲からの注意を浴びないよう人混みに姿を隠しながら縮こまってる本物のゆかりんですわ! 

 毎試合勝つ度にこっちに向かって手を振ったりウインクを飛ばしたりとアピールしてくる藍を躱しつつ、何とか正体が周囲に露呈しないよう頑張ってるの。

 

 ほらほらほら四季映姫がこっち見てる! 

 

「映姫様は(さとり)に向かってアピールしていると思ってるみたいですよ。良かったですね」

「な、ならいいんだけど……」

「まあいいじゃないですか。晴れて私との蜜月を周りに知らしめる事もできますし」

「どのみち救いが無い話ですわ」

 

 笑顔で手を振り返しているさとりにげんなりした。ついでに藍も顰めっ面になってた。

 

 さとりは地底引き篭もり陰キャの世間知らずだから知らないかもだけど、これって滅茶苦茶恥ずかしい事なのよ。そう、俗に言う悪目立ちってやつね。

 ていうか、どちらにしろ明日から表通り歩けなくなるじゃないのヤダー! 

 

 

 

 現在、剣術大会でも弾幕コンテストでもない珍妙な催しは4回戦まで進行している。

 幻想郷各地から集った100人を超える猛者達は次々と数を減らし、今となっては8人を残すのみとなった。

 興味本位で参加したような身の程知らずはとうの昔に淘汰されており、ここまで勝ち残ったのは紛れもない幻想郷屈指の戦巧者という事になるだろう。

 

 で、ここまで大会を観察してきた身として感想を述べさせてもらいますけども。

 これってもしかして私を虐めるのを目的とした大会なのではなかろうか? 私は訝しんだ。

 何が酷いって、明らかに対戦相手に偏りが生じているのよね。くじ引きでトーナメント表を決めたらしいけど、()の相手に上澄みが集中し過ぎている。

 

 一回戦は本来シード枠という事で免除されていたのだが、大会の存在をギリギリで知った魔理沙の飛び入り参加で急遽八雲紫が宛がわれる事になったのだ。

 範馬○牙の最大トーナメントでも見ているのかと思うくらいガバガバな審査基準である。あとわざわざ私にぶつける所とか悪意を感じるわね。

 

 まあ結果として弾幕、スペルカードが使用できない今大会のルールは魔理沙向けではなかった。彼女の武器なんて箒でしたし。

 首元をを狙った藍の一太刀を持ち前の回避力で躱したはいいものの、ついでとばかりに放たれた強烈な前蹴りで場外まで吹っ飛んでしまったわ。瞬殺。

 金髪の子かわいそう。

 女の子のお腹を蹴るの、良くない。

 

 で、試合が終わった後、お腹を押さえて蹲りながら凄い恨めしそうな顔で()を睨み付けてたのよね。間違いなく根にもたれましたわ畜生。

 

 

 二回戦の相手は本大会一番の問題児、河城にとりだった。何が酷いって、持参した武器が明らかに銃火器系統のものなのよ。

 一回戦では対戦相手の名もなき妖怪を蜂の巣にしてたわ。永琳からの発表では死んでないらしいけど、どうだかね。脳味噌にマイクロチップでも埋め込んで遠隔操作してるんじゃないの? 月の技術ってそんなんばっかでしょ(偏見)

 

 そんな危険人物であるにとりだが、彼女とは一応友好関係を築いているつもりだ。昔から対天狗での抑えとして色々と優遇してたし。

 だから手心を期待してたんだけど、あの野郎容赦なく残弾全て使い切る勢いで一斉射撃しやがりましたわ畜生。

 銃火器が変形したと思えば砲口が分裂し、銃弾レーザー各種弾幕ウォーターカッター等々が殺到した。私が受けたならきっと木っ端微塵になっていただろう。マジで許せねえですわ。

 

 しかしそこは藍の方が数段上だった。

 にとりの放った攻撃の悉くを切断しながら接近、銃火器ごとにとりの身包みを細かく引き裂いたのだった。装備といつもの作業着を失い、文字通り丸裸になってしまったにとりは泣きながら降参したわ。

 あのメカキチにも恥じらいの精神があったとは驚きですわ。……恥を知らない貴女より全然マシ? さとりシャラップ! 

 

 ああ、あとにとりからは恨めしそうな涙目で睨まれてたわ。大衆の前でひん剥かれちゃったんだから当然と言えば当然よね。畜生。

 

 

 で、三回戦の相手が犬走椛ね。

 正直結果は分かりきってると思うけど、まあ藍の勝ちだったわ。そもそも藍と椛の戦闘スタイルって畜生的でかなり似通ってるから、地力の違いがモロに出ちゃった感じ。

 ただ本大会にしては珍しい正々堂々とした素晴らしい死合ではあったわね。

 

 互いの優れた五感と卓越した戦闘IQのぶつけ合い。素人目で見てもとんでもない水準の技術が鎬を削る分かりやすい展開だった。

 最後は藍が息も切らさず勝利したけど、ようやくまともな剣術勝負が見れて私も満足でしたわ。

 まあその後、感服した椛からまたの再戦を希望されて快諾してたのはどうかと思うけどね! だってさ、それって戦うの私でしょ!? 

 

 この辺りから気付いたんだけど、藍ったら演技にのめり込み過ぎて八雲紫と八雲藍の境界が曖昧になってきてたみたいなのよね。某鎧の巨人かしら。

 

 流石にこれ以上の暴走は不味いと思い藍との接触を試みているのだが、選手の中で突出して悪目立ちし過ぎているせいで近付く事すらできない。

 念話を使おうにも微弱な妖力波に反応しそうな連中が会場にひしめいてるし……。

 

「まあこれ以上大事にならないよう祈るしかないんじゃないですかね。紫さんが保身に走らなければまだ手はあるかもしれませんけど」

「なら打つ手無しですわ。祈ります」

「でしょうね」

 

 目的は既に達成された。

 めちゃんこカッコいい私の姿はもう十分見れたから、後はいい感じに負けて欲しい。明日からの幻想郷内での私の立ち位置が危うい事になってしまう前に。

 ていうか一々勝負の仕方が綺麗なのよね、藍って。戦闘スピードに目が追い付かない一般大衆に考慮して分かり易い方法でしか決着に持っていかないし、相手の手札をなるべく開示させてから潰している。

 

 エンターテイメントというものを理解してる戦い方ですわ。流石ね。

 そのせいで偽りの八雲紫像がとんでもない事になりつつあるのは看過できないんですけども。

 

「と、ぼやいてる場合じゃないですよ。五回戦も順次開始してるみたいです。さてベスト4決定戦、誰が勝ち上がってくるのか楽しみですね」

「純粋に楽しんでる貴女が羨ましいわ」

「自業自得でしょうに」

 

 それはそうだけど。

 ……しかしここまでくると誰が勝ち上がってくるかは大体予想が付くわね。

 

 (八雲紫)は紅魔館の門番さんと対戦しているが、恐らくこの勝負も藍が勝つだろう。互いに小太刀と三節棍を押し付けあったまま蹴りの応酬を繰り広げている。

 段々とその動作すら見えなくなって、少年漫画の効果音みたいな凄まじい打撃音だけが聞こえる。久しぶりのヤムチャ視点ですわ。

 しかし肉弾戦で藍に勝つのは不可能。一応門番さんの土俵ではあるみたいだけど相手が悪かったわね。

 あ、試合終了。

 

 妖夢は槍を振り回す虎女ちゃんを相手に優位に立ち回っている。二刀流は槍に対して有利って宮本武蔵先生が言ってた気がするわ! 多分! 

 しかし虎女ちゃん……名前は確か(ほし)くん、いや(しょう)ちゃんだったかしら? 彼女もかなりの使い手。光速に片足突っ込んでいる妖夢の動きを見切りながら一定のリーチを保つ堅実な戦い方ですわ。

 ここはどちらが勝つかまだ分からない。

 私はどちらか片方を贔屓するような応援はしないからね。2人に目一杯エールを送りますわ! 星くーん! しっかりー! ヴェイ!

 

 さて、お次は……。

 

「あ、すみません紫さん。ちょっと呼び出しが掛かったので席を外しますね」

「あら珍しい。どちらから?」

「映姫様からです。一応上司になりますので」

 

嫌な名前を聞いた。

 

「えっと、今?」

「火急の用事らしいです」

「……分かったわ」

「はい」

「くれぐれも」

「言いません」

 

 話が早くて助かる。

 いや、しかし油断はできない。四季映姫は嘘を見破る能力を持ってるからね。

 さとりにその気がなくても変なところでボロが出ればズルズルと今回の件が露呈する可能性がある。

 閻魔は誘導尋問のプロですわ。

 

「大丈夫ですよ紫さんじゃあるまいし」

「いや、念には念を入れましょう。ちょっと此方へ」

「……」

 

 いつものジト目だ。

 どうせ「保身の事になるとすぐ必死になる」とか思ってるんだろう。その通りですわ。

 

 さとりの手を握りスペルを発動。私と彼女の境界を取り払い狭間の力を流し込む。

 いつぞやの召喚スペル『トリニタリアンファンタジア』の応用ですわ。失われた実体を顕現させる事は力量不足でできないけれど、ほんの一部なら再現できる。

 いっぱい訓練した成果ですわ! 

 

 選択したのはこいしちゃんの無意識を操る能力。これをさとりに譲渡して隠れ蓑にしてもらうのだ。あくまで一部なのでステルスみたいな事はできないけど、精神に対しての介入を妨害する程度なら問題ない。

 四季映姫やさとりなどの精神攻撃を得意とする存在に対してめっぽう強いこいしちゃん、頼りになるわ。

 

 さとりからは「そこまでするか」と呆れられていたが、まあ愛する妹の力なので満更でもなさそうな様子だった。このように私の技量が上がればこいしちゃんの復活も夢物語じゃなくなるしね。

 

 そんなさとりを見送って、ふと武舞台の方を見ると五回戦全ての試合が終了していた。

 あと、飛鳥のじゃ亡霊ちゃんがレミリアの来賓席に頭から突っ込んで揉めてたけど何があったのだろうか? 面白そうな試合を見逃してしまって残念ですわ。

 

 

 

 

「期待していたよりもずっと面白いものが見られて満足だけど、ここまではあくまで前座。各々の持てる技能全てを発揮し、最後まで健闘してちょうだい」

「はいっ!」

「更なる盛り上がりを期待しているわ〜」

 

 おおよそ主催者のものとは思えない有難いお言葉が並び立つ4人に掛けられた。

 ただ元気良く返事したのは妖夢だけだった。

 他3人は無言。ていうか何を考えてるか分からないというか、注意が別に向いているというか。

 

 勝ち残った4人の印象をざっと並べるのなら、順当、そして意外という感想が一番に浮かぶ。

 順当とはつまり、当初の予想通り勝ち残るべくして勝ち残った猛者のみだという事。

 次に意外とは、1人だけ幻想郷において全く知名度のない者が居たからだ。

 かく言う私もその者の事は何も知らない。

 

 まず優勝候補と目されているっぽいのが(八雲紫)である。正直私も藍が優勝すると思うわ。

 圧倒的なフィジカルと如何なる小細工も看破し己の力に変えてしまう対応能力。この大会を通して剣術の腕も相当仕上がってきてるみたいだし、負けるヴィジョンが思い浮かばない。

 ガワが私である事を除けば完璧で究極の剣客ですわ。

 ……明日から私どうなるんだろ。

 

 次に数多の激戦を乗り越えてきた妖夢。もう既に満身創痍一歩手前だけど、持ち前の爆発力と今大会でも一、二を争う剣才で勝利を手繰り寄せここまで辿り着いた。

 あの子が負けたらこの大会のコンセプトそのものがぶち壊しだからね。良かった良かった。

 幽々子の目の前で無様に負ける訳にはいかないって考えてるだろうし、何とか優勝を目指してもらいたいものですわ。

 

 その次が我らが天人様、比那名居天子さん! やっぱり今回も勝ち上がってきたわね! 

 これまでの試合の殆どで致命傷になってもおかしくない攻撃を貰っているにも関わらず大した傷は無し。全ての敵を破壊力全振りの一撃の下に葬り去った。

 天子さんには悪いけど、彼女こそ剣術大会のコンセプトから最もかけ離れた存在でしょう。技量も糞もなく、純然たる暴力で勝ち上がったのだ。

 そして一番の問題が、(八雲紫)への敵意が天元突破してる事。マジで何があったらこんな事になるのよ!? 

 

 で、最後の4人目。

 深編み笠を被った虚無僧さん。当初持っていた尺八は何処へやら、バカ長い野太刀を変幻自在に操り神技を連発。数多の幻想少女を撃破した恐るべき誰かさんである。

 ……いや誰!? 誰なの!? 

 

 あまりにも謎の存在過ぎて観客どころか選手達まで困惑している。藍や妖夢もチラチラ横目で見ていた。彼女達ですら無関心を貫けていない。

 何せこの虚無僧、五回戦で十六夜咲夜を破っている。時を切り裂き時間停止を真正面から攻略しているのだ。投げナイフの持ち込みに制限が掛かっていて鬼畜メイドに不利だった事を鑑みても、恐ろしい実力の持ち主だ。

 身長や肩幅から推測するに恐らく男性ですわね。女尊男卑というか、実力者が女性に集中している幻想郷には珍しいわ。ていうか初めて見たかもしれない。

 

 ただまあ、あり得ない話ではないのよ。

 私達の知らないような災厄級の化け物が幻想郷に潜んでいる可能性は否定しきれないの。

 前回大会だって、アフリカ出身の猛者『レーセ・ンウドゲイ・ンイナバ』さんが優勝してるしね。在野にとんでもない奴が紛れてても驚かないわ。

 ……そういえば、ンウドゲイさんったら前回大会から見掛けないわね。今どこで何をしてるのだろう? 

 

 とまあ、そんな4人が優勝を争っていく訳だ。なんだかんだで刀持ち揃いね。

 

 ちなみに山城たかねとかいう緑髪の河童擬きが優勝予想の賭け金を受け付けていたが、一番人気はやはり八雲紫だった。うふふ照れちゃいますわね! 人気者は辛いですわー! (ヤケクソ)

 その後ろに天子さん、虚無僧さん、妖夢の順で続いている。

 天子さんは前回大会の実績と華々しい試合内容からして納得の位置なんだけど、後の2人はうーん……何とも言えないわね。

 虚無僧さんはあまりにも未知過ぎるし、妖夢はここに至るまでの試合内容がギリギリ過ぎた。まだ余裕の勝利を重ねた虚無僧さんの方が観客の目には強そうに映ったらしい。

 

 主役の筈なのに……妖夢不憫! 

 

「準決勝と決勝は御夕飯休憩の後に開始するわ。皆様暫しお待ちを〜」

 

 これは多分、幽々子の個人的な事情ね。

 幽々子の食事が一日三食に留まる筈がないのは皆さん周知の事実だと思う。少なくとも八食は食べてるわね。夕飯と晩御飯は別枠ですわ。

 お腹が空いたから一旦進行を中断したんだろう。

 主催席でも色々食べてたように見えるのは気のせいよ。忘れましょうね。

 

 観客は離散し、ベスト4の面々も準決勝用の振り分けクジを引くと解散してしまった。

 私も何処かで暇を潰していましょうか。なんか周りから「紫の野郎絶対許さねえ」「夜道で服ひん剥いてやる」「椛様に恥をかかせた恨み」とか色々聞こえてきて気が気じゃないしね。

 

 ふふ……蓮子、メリー、AIBO。私がそっちに行く日も近いかもしれないわね。(白目)

 

 

 

 この時、私は自分の境遇に悲観して絶望するあまり、注意が散漫になって気が付かなかったのだ──。

 

「なぁ紫。ちょっと付き合ってよ」

「あら腐れ天人。馴れ馴れしく話し掛けないでって控え室で申し上げたばかりでしょう? 何か言いたい事があるならこの八雲紫に完膚無きまでに敗北し、地べたを這い蹲った状態で言ってもらいますわ」

「ふ、ふふ……相変わらず人をイラつかせるのが上手い奴だな」

 

 武舞台の裏で天子さんと(八雲紫)が接触し──。

 

「そう言うな些細な事だ。いや、アンタにとっては大事かもしれないけど」

「はい?」

「上手く周りを化かしているようだが私には通用しないぞ。畜生の臭いが消せてないからな。それに戦闘の癖がまんまだ。何度お前と戦ったと思っている」

「……貴様」

 

 溜まりに溜まった鬱憤を爆発させ──。

 

「ハッ、尻尾を出したな女狐め! よくもこの私を謀ってくれたな!? もはや試合まで待つ必要もなかろう……斬り殺してやるッ!」

「良かろう手間が省けた。大勢の前で恥をかかせて紫様との繋がりを断ち切ってやろうと考えていたが、どうやら回りくどかったようだ! 知られた以上は消す!」

「ぬかせッ! 主人の威を借る下賎な狐がッ!」

 

 今この瞬間、最悪を更に加速させる最悪の出来事が起こりつつある事に。

 

 




長いので分割しました。
次回は既に半分ほど書き上げているので、多分早めに投稿できると思います。


【挿絵表示】

前回に引き続きゆかりん好感度ランキングのワーストを置いておきますね♡
10位までしかないのは、そこから先は結構団子になってるからです。ちなみに最終章前だとさとりとかレミリアが入ってました。
次回は幻マジ時空最強ランキングでも作ってみます。みんなでゆかりんの順位を予想してみよう!


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