ナルトくノ一忍法伝 (五月ビー)
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序章 夢幻

 二つの影がぶつかり合う。

 何度も、何度も、何度も。

 空を切るように動き、地を抉るようにぶつかり合う。

 距離が開いて、流れる川が何度も二つの影の間を分けても、繋ぎとめるように、断ち切るように、二つの影はお互いに己をぶつけ合う。

 二人の若き忍。その命と命の衝突。己の全力をかけた、ゆずれない意志を貫き通す戦い。

 ここは、終末の谷と呼ばれる場所。

 かつて、偉大な二人の忍者が、雌雄を決した戦いの夢の跡。

 見上げるような滝を挟んで並び立つ天を突くような二対の石の巨象が、まさしくその忍達を象ったもの。

 そこで今、新たな力が己を賭けて、戦っている。

 全身を満たすチャクラが光のモヤのように両者を覆っている。

 チャクラは生命のエネルギーの具現化。目に眩しい程の光は、両者が只ならぬ者である証。

 それもその筈、両者とも明らかに異形の姿。

 片や、全身黒紫色に染まった、肩甲骨当たりから巨大な手の如き翼をはやした少年。

 片や、輝く黄金色のチャクラを獣の異形に変えた、猛獣が如き様相の少年。

 二つの化け物の如き忍の争い。

 うちはサスケ。

 うずまきナルト。

 五大大国の一つ、木の葉の里の忍たちだ。

 獣の如き少年、ナルトが飛びかかると彼の周囲のチャクラも同時、意思をもっているかのように敵に襲い掛かる。

 それを、サスケが尋常ならざる速さでかわす。

 かわし切れない実体を持ったチャクラの腕の攻撃は翼を盾のように翳して受ける。

 反撃に、翼を力任せに横なぎに振るい、ナルトを吹き飛ばす。背後の巨大な岩に激突する。岩が抉れるほどの一撃。

 すぐに立ち上がり、再び飛びかかっていく。

 鈍い音が響き続ける。

 実力は伯仲している。

 そして二人ともがまだ未熟。

 互いが互いの攻撃を避けきれず、受けきれず、傷ついていく。

 ただの忍ではない力を持ちながらも、その力に振り回されている。

 故に、この光景は長くは続かないことは、二人が一番理解していた。

 終わりは、すでに近づいている。

 ナルトもサスケも、己の力に自分自身が削られていく。しかしそうなればなるほど、振り絞るように気炎を上げ限界を押し上げて力を増していく。

 痛ましい光景だった。

 戦いの熱は過熱していくというのに、二人の表情はまるで真逆。

 そこには実力が近しい相手に対する敬意も、尊敬も、存在しない。

 そこに胸が躍るような高揚はなく、昏い苦痛のみが、お互いの間に積み重なっていく。

 己を傷つけるように、相手を傷つける二人。

 自分も相手も否定する戦い。 

 姿かたちはまるで違えど、鏡合わせのように似通った両者。 

 

 違いがあるとすれば。

 片方の瞳には明確な決意があったが、もう片方には僅かに迷いが揺れていた。

 それが決定的な違いだったのかもしれない。

 両者のぶつかり合いは、やがて終わり。

 最後の力を振り絞った一撃が繰り出され。

 

 

 ―――そして、片方が堕ちた。



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一章 異なる者
『異なる者』


 ―――ああ、オレは負けたのか。

 

 うずまきナルトは痛みと共に、敗北を理解した。

 生涯で、もっとも負けてはならないと思った、とても大切な戦い。

 その戦いでの敗北。何度も殴り合い、最後に胸を貫かれ意識を失うまでのこともはっきりと覚えている。

 

 うずまきナルトはうちはサスケに、負けた。

 

 残酷な事実の実感は、鋭い牙となってナルトを突き刺した。

 胸が痛い。胸の中心がまるで熱した棒で抉られているかのようだ。

 最後に貫かれた胸が、意識が曖昧な状態なのに責め立てているようにすら感じられる。

 

 でも、本当に苦しいのはそれだけじゃない。

 

 思い出すのは、最後のサスケの顔だ。苦しそうだった。辛そうだった。何もかも飲み込んで、自分ひとりで生きていく、そういう顔だった。

 まるで小隊を組んだ時にまで、時間を巻き戻したように。

 

 それが苦しい。悲しい。

 

 結局、サスケにとってはナルトたちと過ごした時間はまるで無価値なものだったのだ。意味もなく必要ないものだった。サスケはそう判断した。

 それはとても、悔しい。

 ナルトにとってはまるで輝くような日々だった。サスケが居て、サクラが居て、カカシが居て、ムカつくことがあったにせよ、嫉妬したことがあったにせよ、それは紛れもなく、代わりの利かない分かちえぬ日々だった。

 涙が溢れる。

 辛そうな顔だった。苦しそうな顔だった。

 自分から捨てたなら、望んでそうしたのなら。

 

 

 ――あんな顔をすんじゃねーよ。馬鹿野郎が。

 

 

「ナルト! おい、ナルト!?」

 自分を呼ぶ声がして目を開ける。

 涙でぼやけた視界で、こちらを見下ろしている、イルカが居た。

「よかった、ナルト!」

 涙を滲ませながら、イルカはそう言った。

「イルカ先生。……オレは……」

 ――サスケは、どうなったってばよ。そう続けようとしたが言葉に詰まってしまった。

「……覚えてないか? あの後、急に気を失ったんだ。理由もわからないし、目を覚まさないかと思ったぞ。本当によかった……!」

 

 ――――?

 

「先生、なんの話だ……?」

「混乱してるのか。……無理もない。あんな術を使ったんだ。チャクラだって凄まじく消耗しただろうしな。とにかくよかった」

 そう言ってイルカはぎこちなく椅子に座った。

 よく見れば、イルカはボロボロだった。頭には包帯を巻いているし、病衣の隙間から見える肌にも覆いつくさんばかりに包帯が見えた。

 その恰好には覚えがあった。アカデミー卒業の一件の時、あの時も同じような姿を見た。

 イルカの隈が濃い顔には安堵の表情が浮かんでいる。

「イルカ先生、怪我してるのか?」

「ん? ああ平気さ。俺がまだまだ未熟だったってだけだ。ちょっと待ってろ、医者を呼んでくる」

 立ち上がったイルカがよろけながら病室の扉に歩いていくのを眺めながらナルトは首を傾げる他なかった。

「??」

 何かがおかしい。自分の中で、そう警告する声が聞こえる。

「――あのさ、イルカ先生ちょっとまって」

「どうした?」

「わりい、ちょっと頭の中、ごちゃごちゃで……質問してもいいか?」

「ああ、なんだ?」

「ほかの皆が、無事かどうか知りたいってばよ」

「え? 他って、えーとミズキのことか? アイツは、まあ無事だけど。ボコボコになってたけどな」

「………ミズキ?」

「ああ、まあ自業自得だ。気にすることはないぞ」

 分からない。嫌な予感が膨れ上がっていく気がした。

「……サスケは、サスケはどうなったんだ」

 

 そう聞いた時のイルカの顔はまるでハトが豆鉄砲を食らったかのようであった。

 

「サスケ、ってうちはサスケのことか? ……どうもなにも、サスケがどうかしたのか?」

「どうもなにもって……、サスケが大蛇丸のところに行っちまったことだってばよ!!」

「はっ? それは本当なのか? なぜサスケが!?」

 驚愕に目を見開いたイルカが驚いた声を上げた。

 どういうことだ。

 知らないはずがない。サスケが里抜けしたことが一切秘密になっているとか? そんなことあり得ないし、第一イルカの反応はそれとは別に大きな違和感があった。

まるでなにか大きく掛け違っているような。

 

 すべて夢だったとか? それこそ有り得ない。

 

 あの時、終末の谷でサスケと向かい合いそして、――殺し合った。

 ――そうだってばよ。

 胸の傷だ。

 サスケに最後に貫かれたその傷だ。まだ痛む胸がそれを証明している。

「あ、おいやめろ!」

 制止するイルカの声を無視してナルトは病衣の上着を脱ぎ棄てる。未だ鈍い痛みを発する胸を指さす。

「ほら、ここにしっかりサスケにやられた傷がある!」

「……どこにだ?」

 何故か少し頬を赤くしたイルカがそう指摘する。言われ、ナルトは視線を下げる。

 まっさらな肌。傷跡は一切ない。

「あれ? もう治った……?」

 それどころかあってはならないものがあるような。微かだが間違いなく、いや間違いあってあるような。

「な、なんだコレ」

 視線を上斜めにもっていっているイルカが大きくため息をついた。ベッド脇にあった雑誌を手に取るとクルリと丸めて、そのままナルトの頭に振り落とした。

 衝撃は軽かったがいい音が響いた。

「いてえ!」

「寝ぼけるなバカ!」

 どういうことだってばよ! 

 ナルトの声なき悲鳴が上がった。

 あるはずの傷がない代わりに、あるはずのないものが己の胸にあった。わずかに盛り上がった、二つの部分。

 混乱するナルトはぐるぐると目を回した。

 どうなってるんだってばよ。

「女の子がそんな真似をするんじゃない!」

 イルカの説教の声を聴きながらナルトは叫んだ。

 

 ――どうなってるんだってばよっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 夢であってくれと祈った。

 どうか悪夢であってくれと。そう願った。そして出来うる限り早く目を覚まして欲しいと懇願した。

 しかし夢でも何でもなかった。これは悪夢のような現実で、それだけは確かなことであるようだった。

 うずまきナルト。12歳。つい先日より忍者学校を卒業。

 得意な忍術は影分身の術。身長145センチ、体重40キロ。好きな食べ物は一楽のラーメンで、生野菜は苦手。

 そして趣味は花の水やり。

 そんな自分の性別、女の子。

 

 ――嘘だろう。

 

 ナルトはもう何度目かになる絶望を覚えた。目が覚めたら女の子になっていた。何を言っているのかわからねーってばよ。

 そして少なくともこの世界ではそれが真実であることも、実感はなくとも理解した。

 まず体が女の物で、たぶん幻術がかかっているわけでもないこと。

 イルカを始め、ありとあらゆる知り合いが、ナルトの性別を女と思っていたこと。

 体が女で、周囲の認識も女。

 

 ――じゃあ、女じゃねーか……。

 

「どうなってんだ!!!」

 ナルトは天を仰いで嘆いた。小奇麗な病院の天井が見えただけだった。先ほどまでは看護婦や医者が代わる代わる見に来たが、今はもうその気配すらない。どうも精神的にちょっとあれな奴だと思われたようだった。そうなれば、奇声の一つや二つは慣れっこなのだろう。

 

 最初に強硬に自分の性別を男だと主張していたのもずいぶんその判断に一役買ったようだった。一時的な気の動転ということで処理してもらったが、あまり奇行を続けるのもよろしくはない。よろしくはないのは分かっているが、我慢ができない。

 女。女。女。

「オレってば女の子は好きだけど、女の子にはなりたくねえ……」

 ぼやくように呟く。

 

 そして、落ち着いてみて気が付いたことがもう一つ。それは時間だ。

 

 ナルトの記憶からしてみれば、ずいぶん昔に戻っているようだった。卒業試験に落ちた後ミズキの口車に乗って禁術の書を盗み出し、多重影分身を習得し、そしてミズキに襲われ撃退した、あの辺りまで時間が逆行しているのだ。

 

 九尾の力を初めて使い、多重影分身を使ってミズキを倒した後、急に倒れ、そのまま数日間目を覚まさなかったらしい。これはイルカに聞いたことだ。

 

「わけわかんねえってばよ……」

 

 なにもかも意味がわからない。時間が巻き戻って卒業試験後に戻ったのはまだ納得はしないが理解できた。

 しかし、性別が変化している。これが意味が分からない。

 誰かに相談したい。しかし、それを信じてくれるような人間はいるだろうか。まず浮かんだのは自来也の顔だった。

 

 ――エロ仙人なら、もしかしたら力になってくれっかもしれねえ。

 

 と思い当たったが、そもそも自来也がこの時期、どこにいるのかを知らない。木の葉には多分いないのではないだろうか。

 綱手も同じ理由でダメだ。

 他に誰かいないだろうか。途方に暮れた気持ちでナルトは己の手を見た。螺旋丸の修行で、己の手に木の葉のマークを書いたことをぼんやりと思い出した。

 そして、ふと、雷鳴の如く脳裏に閃いた。

 

 ――火影のじいちゃんがいるじゃねえか。

 

 三代目火影は大蛇丸襲撃によってその命を落とした。

 しかし、これが本当に時間が巻き戻っているなら今はまだ生きているはず。

 

 ――じいちゃんなら、何かわかるかもしれねえ。

 

 思い立ったら、止まっていられない。

 飛び上がるようにベッドに立ち上がると、病衣を脱ぎ捨てる。こんなところに居られねえ。俺は出ていくってばよ、と叫びだすのは、なんとか堪えた。

 

 幸い、服は以前とさほど変わらないオレンジのパーカーとパンツが、近くのかごに収まっていた。それに着替える。

 

 病衣のズボンに手をかけた所で一瞬躊躇する。

 汗が滲む。一気に下すとろくに見ないまま着替える。違うオレの体じゃねーってばよ、と念じながら。

 廊下をそうっと覗き込む。時間はすでに夜。人は少ないながら人の気配は少なくない。普通に出て行っても忍者だから見つかる恐れは低い。

 が、今はあまり人に会いたくはない。慎重を期して窓から出ていくことにした。

 ブーツは見当たらないのでしょうがなく裸足。

 火影邸はさほど遠くない。窓に足をかけながら、その場所に行くルートを確認する。

 

 ――オレがここにいるのはサスケに殺されたからなのかな。

 

 なんの根拠もない想像。しかし、全く有り得ないとも思えなかった。

 もっとも親しい友になったからこそ、殺す価値がある、サスケはそう言っていた。

 そして本気の目をしていた。拳を突き合わした時、その気持ちに偽りがないこともはっきり感じた。

 なら、最後に胸を突いた腕がそのまま心臓を抉って、そのまま死んだのだとしてもおかしくはない。

 

 ――サスケ。

 

 ぎゅっと、傷がないはずの胸が痛んだ気がした。

 

 

 

 



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1『分岐』

 相も変わらず、火影邸の警備はザルだ。

 こうも何度も簡単に入れてしまうと逆に心配になる。

 ナルトは容易く邸内に侵入すると、火影の部屋を目指す。見つからないように、調度品の影に隠れるようにしながらの移動。

 硬い石の床の冷たさを素足に感じながら歩く。よくよく考えてみれば、別に隠れる必要はない。そのはずなのだがやはりなるべく人に会いたくない。

 病院を抜け出したのを見とがめられるかもしれないと一応の理屈はあった。しかし、今の姿を見られたくないというのが理由としては一番大きい。

 火影の部屋の扉に手を掛ける。少し考え、開ける前にノックをした。

 僅かな間もなく返事があった。

 

「――おや、悪ガキがノックをしおったか珍しい。入れ」

 

 部屋の中では、机に座って書類を手にしていた三代目火影。

 じろり、とナルトをねめつけた。

 

「目を覚まして早々にまたぞろ、悪さでも考えよったか?」

 

 今にもため息を吐きかねない様子で、高年の火影はナルトに言う。

 年季の入った白髪とくたびれた表情。つい最近まで見ていた顔なのに、随分と懐かしい。

 

「やっぱり、じいちゃん生きてる……」

「……失礼すぎるぞお前は、……まったく。言っておくが禁術の巻物は金輪際見せんぞ。もうこの部屋にもない」

 

 先手を取るように三代目が告げる。ナルトは片目に浮かんだ涙を払って首を振った。

 

「巻物なんてどうでもいいってばよ」

「ほう?」

 

 意外そうな声が上がる。

 

「では、お前は一体何しにここに来たんだ?」

「じいちゃん、オレの言うことを信じてくれるか?」

「場合によってはな。はよう話せ」

 

 いつも通りの三代目の様子。ナルトは意を決して、口を開く。

 

「オレってば、実は未来から来たってばよ」

「………………、頭を打ったか」

「違うってばよ! 未来でオレは男で、じいちゃんは未来で大蛇丸に殺されちまうんだ!」

「うーむ」

 

 微塵も信用していない、むしろコイツついにイカれたかとばかりの表情でパイプを銜えようとした三代目だったが、ふと気が付いたように直前で静止する。

 

「……大蛇丸だと? お前どこでそんな名を」

「未来でだってばよ! とにかくどうにかしてくれよ。オレ男に戻りたいし、やんなくちゃいけないことが沢山あるんだ!」

「いや、しかしなあ、未来などと。妙木山のガマか、仙人でもあるまいし。性別が男になるという意味もよくわからん」

「男になるんじゃなくて、元々男なんだってばよ!!」

「―――はぁ……」

 

 三代目の目に宿った僅かな興味はあっという間に消えた。

 

「悪いが病院にもう一度行った方がよいな。九尾のチャクラが何かしらの悪影響を与えているのかもわからん」

「本当なんだってばよ、信じてくれってばよ……」

「わかったわかった。ワシはこれでも凄く忙しい身なんでな。察してくれとは言わんが、もうそこら辺までにせんか。しょうがないから抜け出してきた病院にはワシも付き添ってやるから」

 

 そう言って立ち上がる三代目。

 話は終わりだと言わんばかりの態度。

 どうする。どこかすんなり信じてもらえると楽観視していた部分があったが、それは粉々に砕けた。

 今どうにかできなければ今後まともに聞いてくれなくなる予感がした。

 

 ――どうするってばよ。

 

 ゆっくりと近づいてくる三代目。もうわずかな猶予しかない。その間に信じてもらう他方法はない。

 ある。ナルトは一つだけ確信できるやり方を直感していた。

 いくら過去に戻っても、チャクラの扱い方は忘れない。

 十字の印を結んでチャクラを練る。

 影分身の術。

 

「なんだ? またお色気の術でもする気か」

 

 あきれ顔の三代目の顔が、少し間を開けて、驚愕に染まった。

 

「……それは」

 

 ナルトがチャクラを片手に全力で解放し、影分身がそれを抑える。

 

 ――螺旋丸。

 

 圧縮する前に漏れたチャクラの風が周囲の書類を煽って散らしていくのも一切関心を払わず、三代目はそれを凝視する。

 

「ありえん。ナルト、お前それは一体……」

「エロ仙人……、自来也師匠に教わった。未来で」

「……………」

「信じてくれってばよ。オレの話を一回だけでも真剣に聞いてくれ」

「……………」

「頼むってばよ。じいちゃんしか頼れる相手がいないんだってば」

 

 三代目は眉を寄せている。困惑をその顔にありありと浮かべて。いつになく真剣な気持ちを込めてナルトは三代目を見つめる。

 三代目は溜息を一つ吐くと、意識を切り替えるように少しの間目を瞑った。目を開いた時にはその雰囲気は、先ほどよりは真剣味があった。

 

「………話してみろ」

 

 椅子に座り直し、静かにそう告げた。

 その様子はまだ過半が『疑』というところであったが、取りあえず聞いてみる気にはなってくれたようだった。

 

「ありがとう! 三代目のじっちゃん!」

 

 とりあえず、難関を乗り越え、ナルトは歓声を上げた。

 

 

 

 

 

「ふーむ。大蛇丸。暁。そしてサスケか」

 

 ナルトは過去の事を一から全てを話した。

 再不斬と白のこと。

 中忍試験のこと。

 木の葉崩しのこと。そこで、大蛇丸と戦った三代目が死ぬこと。暁が動き出すこと。そしてサスケが里を抜け出し、それを連れ戻しに向かい、戦い、――そこで意識を失い、今ここにいること。

 洗いざらい覚えている限り全てを告げた。

 初めは、冷静に聞いて時に突っ込みを入れるように質問をしていた三代目も次第に口数は少なくなり、最後には熟考する様に目をきつく閉じながら腕を組んで聞き入っていた。

 ナルトは一気にしゃべった疲れから息を荒げる。

 

「お茶くれ」

「後でいくらでもやる。――あながち、嘘とも思えんな」

「だろ!! 嘘じゃねえって!」

「妄想にしてはあまりに現実感がありすぎる。そしてワシの知る限りの情報とも一致する。お前が知るはずもない情報とすらな」

 

 そう言ってからちらりとナルトを見やる。

 

「いくら精緻な想像でも、よほど綿密に練ったところでこうはいくまい。ましてやお前だしな」

「どういう意味だってばよ!」

「わからんか? 信じてやると言っておる」

 

 ちょっと疲れた様子で三代目は告げた。

 

「未来から来るなどありえん。ありえんが、嘘か本当か知らぬが、六道仙人には未来にすら関与する力があったと聞く。絶対に有り得ないとは言えんな」

 六道仙人という単語には全く理解が及ばなかったが、ナルトは自然にスルーした。

「………本当に信じてくれるのか?」

「そうするのが合理的に思える。これがお前の妄想なら、わしが耄碌していたというだけのことじゃ」

「おお!」

「しかし、お前が男だというのはあまり理解出来んがな。わしはお前が赤ん坊のころから知っとる。まるきり悪ガキで女らしさなど欠片もなかったが、間違いなく性別は女じゃった」

「……オレもそこが一番意味わかんないとこなんだ。なんせこっちはついさっきまで男だったはずなんだからよ」

「……まあ、さほど変わっているようにも見えん。普段からお前はそんな口調だからな」

「いや困るってばよ。どうにかなんないのかよじっちゃん」

「すまんが性別を変える忍術など聞いたことがない」

 

 がっくり。ナルトは思わず頭を項垂れさせた。

 そこが一番大事なことだったのだ。生まれた時からのアイデンティティだったのだ。

 

「……、本当に以前の性別が男だったのならその食い違いに何かしら意味はあるのだろうが、当面は諦める他あるまい」

「……ざけんな――……」

「それよりも、この話をわし以外の誰かにしたか?」

「え?」

「お前の言う未来についての話をだ」

「えーっと。したけど、誰も信じてくれなかったてばよ。医者とかイルカ先生とか……イルカ先生とか」

「……二回言わんでいい。しかし………ふーむ、そうか」

 

 腕を組みながら机の一点を凝視する。腕を組み、しばしの静止。その間、ナルトは全く信用してくれなかったイルカを思い出して愚痴を言っていたが、三代目の耳に入った様子はなかった。

 

「ナルト。よいか、これよりこの事を口外することを禁ずる」

「え、なんで?」

「理屈がどうあれ、未来の内容が分かるなどと吹聴してみろ。変人扱いならまだいいが、もっと質が悪いのは信じられてしまった場合だ」

 

 ――騒動に発展するじゃろうな。

 三代目は確定的な未来を語るように告げた。

 

「それほど未来の情報とは得難く重要な意味を持つ。周囲の人間にも危険が及ぶ可能性もある。よいか、未来の内容を知っているということはわしとお前の秘密にすべきだろう。決して口外するでない。もちろんイルカにもだ」

「………性別が男だって周囲に言うのもダメ?」

「それをどうやって証明するつもりだ」

「うぅ」

「諦めろ。おい、恨めしそうにワシを見るな」

「…………」

「周囲にとってはお前は最初から女だったという認識なのだ。それは無論ワシもだが。それを今どうこうはできん。まあ、ワシも一応手立てがないか考える」

「……はあ、わかったってばよ」

「ともかくワシはお前の言った内容を少ししっかりと精査しようと思う。お前も一旦は病院に戻れ。昨日今日では騒ぎになってもおかしくない」

「……押忍」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナルトが去った後、部屋で三代目はポツリと呟いた。

 

「木の葉崩し、か。それが本当に起こりうるならば……」

 

 しばしの沈黙。

 

「………これは面倒なことになったのう」

 

 

 




アガサ三代目「ワシじゃよ、ナルト……」


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2『分岐』②

 

 朝。小鳥のさえずる音。

 日光。朝の少し湿った空気と匂い。

 目を開ける。目覚めは最悪だった。

 

 ――夢じゃねえ。

 

 怪我はない胸が未だに幻痛を放っていて、それも胸糞が悪い。あまり回らない頭を揺らしながら起き上がり、すっかり冷え切った床を裸足で歩く。カーテンを開けると、眩しい光が飛び込んでくる。

 気持ちの良い晴天。

 欠伸を一つかます。

 服装を寝間着から病衣に着替えて病室から出ると既に多くの人間が活動を開始していた。目覚ましもなく目を覚ますのは普段だったならばあり得なかっただろう時間だが、早朝というわけではない。

 洗面台まで歩くと顔を洗う。冷たい水の感触が寝ぼけた頭には心地が良かった。

 顔を上げた。そこには備え付けの鏡が一つ。

 鏡を睨む。見慣れぬ顔が同じように睨んでくる。

 目つきの悪い金髪の女の子。歳は自分と同じ十二歳前後だろう。両頬には特徴的な猫ひげのごとき斜線が三つ。気の強そうな生意気そうな顔。

 しばらく睨み合っていたが、その顔は一向に変化する様子はない。

 情けない気分になると、それに連動して目の前の顔も困ったような表情に変わる。

 

「う」

 

 ちょっと可愛いと思ってしまった。

 思わず首を前に倒した。

 

「ちくしょう、最悪だ……」

 

 地獄の底から響いてくるような声でナルトは呟いた。

 首筋にかかるぐらい伸びた襟足の感触がこしょばゆくて、気色悪い。

 鏡に映った顔は、以前の顔とよく似ている。似てはいるが決定的に違っている。完璧にどう贔屓目に見てもまるきり、女の子の顔だった。

 顔だけではない。

 体から何から、間違いなく女の子。

 違うのは心だけ。

 

 ――くそったれだってばよ。

 

 力を使い果たして、ふらふらになりながらなんとか洗面台の前を退りぞいた。もうすでに一日分の気力が半分ぐらいなくなっている。

 今日はとりあえず退院して、家に戻る。

 その後は今後どうやっていくか未だ考えていない。三代目にはしばらくの間普通に生活しろと言われているが。

 普通とはなにか、ナルトは世界に問いかけたい気分だった。

 なるべく未来の出来事をなぞる方がよいのか。それは、一つの指針だ。 

 ただし、この世界と以前の世界の出来事が全て同じになる保証はない。もうすでに僅かだがずれてきている。

 ミズキを倒した後、数日間寝込んだりなどしていなかった。

 

 ――よくわかんねーけどよ。

 

 時間逆行やらなにやらナルトは頭がこんがらがりそうであった。

 どうすればいいのか。簡単な答えではない。

 考えねばならない。

 考えるのは得意ではない。しかし、明確な目標を立てなければ行動できない。

単純なところはナルトのよいところでもあるがこの場合は欠点となった。

 

 ――とりあえずだけど、絶対に男に戻る。これは絶対だってばよ。それ以外では体については考えないようにする。気が狂っちまうから。

 

 そう決めた。

 決めれば、僅かに元気が出てきた。

 自分に言い聞かせる。

 こんなの常時お色気の術を使っているようなものだ。とりあえずナルトはそう思うことにした。お色気の術にしては体つきはまだ子供だが、それも不幸中の幸いだ。顔はともかく体型的には以前とさほど変わらない。気にし過ぎなければ、さほど違和感はない。

 ナルトは一つ頷いた。

 大丈夫、問題ない。

 

「あ、ナルトちゃん、ちょっと待ちなさい」

 

 ―――ちゃんて。

 

 聞きなれない呼び方に振り向くと看護師が立っていた。

 

「どこに入ろうとしているのかしら?」

「どこって……」

 

 訝しみながら、一応確認する。

 どこからどう見ても、

 

「トイレだけど」

 

 朝だし普通の行動だ。

 そう思ったが、看護師はやれやれといった表情で首を振った。

 

「そこは男子トイレ」

 そのまま隣の扉を指さす。

「女子トイレはこっち」

「あ、あぁ……」

 

 何を言っているか理解が出来なかった。いや正確にいえば、理解したくなかった。

 

 何故か体がよろけた。壁に手をついて何とか支える。

 

「貴方もしかして、今日もまだ自分の事男だって主張してるの?」

「お、オレは、オレは………」

「俺は?」

 

 看護師は露骨に疑惑の目を向けてくる。目立つマネはするな、と言う三代目の顔が脳裏に浮かぶ。

 あまりの苦しみに胸を押さえる。

 なんとか、絞り出すように声を出した。

 

「………オレは女の子です………」

「そうよね良かった」

 

 ――よくねえってばよ………。

 

 わざわざ親切に看護師はトイレのドアを開けてくれた。

 断る理由はどこにもない。

 女の子だから女子トイレ。それが当たり前の常識だった。

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁーあ……、天気いいってばよ」

 

 太陽がちょうど真上を向いた時間、ナルトは呟いて天を仰いだ。

 木の葉の里の公園のベンチに座って、ぼんやりとしていた。あの後経過を診察され、家に返された。疲れていたが、家に引きこもっている気分でもなくてなんともなく、外に出かけたのだった。

 この公園ではよく遊んだ。数年前の話だが、まだ十二のナルトにとっては大昔の事。公園で遊ぶ歳でなくなっても、一人でいるのが嫌になった時などはたまにこうして何をするでもなくベンチや、ブランコに座ってぼんやりすることがあった。

 今の時間、遊び盛りの子供たち幾人かが、ボールや遊具で遊んでいる。雑踏に身を置いておけば、少なくとも気は紛れた。

 トイレについてはもう忘却した。

 

「……平和だなあ」

 

 木の葉崩しの跡を見てきたナルトは心底そう感じた。崩れた家屋、施設、それらは大分直ってきたが、死んだ人間は生き返らない。木の葉の空気は復興の後もどこか昏い空気を孕んでいた。今はそれがない。

 至極平和な日常。 

 こうなってしまってからというもの、唯一良かったと思える事だ。

 少なくとも二度も繰り返させはしない。

 例え、公園に来ていた保護者が自分の顔を見て、嫌悪の表情を浮かべてきたとしても。

 今思えば、九尾の事を知っているからこその反応だったのだろう。それを知らない頃は訳が分からず、悲しんだり怒ったりしたものだった。

 眉を顰める。しかし、それも一瞬だ。

 

 ――へへ、むしろ懐かしいってばよ。

 

 人は恐れ、嫌悪し、遠ざける。しかし、認めてくれさえすれば友達にだってなれるのだ。それが恐るべき九尾を宿した化け物であっても例外はない。

 だから少し悲しいけれど昔程苦しくはなっていない。

 木の葉崩しを止めて、そして男に戻る。そうすれば、元のように里の忍として生きていける。また、いつの間にか認めてもらえている日も来るだろう。

 微笑みを返すと、相手は慌てたように踵を返した。

 でも、子供の方は振り返って手を振ってくれた。

 ナルトはそれを穏やかな気持ちで見送った。

 

 ――本当にそれでよいのか? 

 

 不意に自分の中の誰かが、そう言った気がした。

 あるはずのない胸の傷が痛みを発する。まるで自分を忘れるなと言うかのように。

 不規則に、鼓動が速まる。

 思わず胸を押さえる。

 確かに里の皆についてはそうだろう。嫌悪や憎しみだけではない関係を築いていける。

 しかしサスケはどうだろうか。

 木の葉崩しが失敗に終わり、大蛇丸がいなくなっても。

 果たしてサスケは復讐を諦めるだろうか。

 ………否。諦めはしないだろう。方法は変わるかもしれないが、サスケの関係を断つことで強くなるという信念がある限り、そこは変わらない。

 いつの日か再び、自分の目の前から姿を消すだろう。

 その時、自分はまた同じ過ちを繰り返す羽目になる。

 約束を守れず、そしてサスケも救えない。

 

 ――そうだ。何をのんびりしてたんだ。

 

 時間はそう短くない。しかし長くもない。

 ゆっくりしている暇など、ありはしない。一刻も早く力を付けなければいけない。そして、選択を考えねばならない。

 一度目はただ我武者羅に生きた。――そして失敗した。

 では二度目は? 

 考えねばならない。もう三度目のチャンスを与えられるとは限らない。失敗は許されない。

 一度目は知らないことが多すぎた。

 大蛇丸も、九尾も、うちはも、暁も、そしてサスケについても。

 何も分からず、知らず、受け身になってそれらに振り回されているだけだった。

 知らねばなるまい。

 そして知識を付け、力を付ける。もう二度と失敗しないために。

「そうだってばよ………」

 知らず知らず内心に呼応するように呟いた。

 立ち上がる。拳をきつく握りしめる。

 

 

 

 ―――強くならなくてはいけない。失わない為に。 

 

 

 

 

 

 

 



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3『異なること同じこと』

 

 

 ナルトの考える強くなるための最も手っ取り早い方法は、強い者に教えを乞うことだ。

 そして、今このときならば、自分が知る限り最も強い忍びが木の葉に存在している。

 ならば、迷うことなど何一つない。

 

 

 

 

 

 荒い息を吐く。目の前には三代目が涼しい顔をして、立っている。きつく睨みながら、足に力を込める。

 飛びかかるようにして、ナルトは三代目に向かっていった。

 

「ほれ、そんなものじゃ一生届かんぞ」

 

 ひらり、と身をかわされる。動きは速くないのに、当たらない。ナルトはムキになりつつも、縦横無尽に体を動かして翻弄する。三代目は涼しい顔でそれを向かい打つ。

 

「チャクラを集約しろ。動く瞬間に足で爆発させるイメージだ」

 

 激しく動き回っているナルトを外周にして、その中心からほとんど動かず、三代目は淡々と指摘していく。

 

「そら、もっと速く出来んのか」

「むき―――!!」

 

 ナルトはサルのように吠えると、再び飛びかかっていく。飛びかかってはかわされ、飛びかかってはかわされ、それでもめげずに何度も何度も何度も、しつこくしつこくまとわり続ける。

 蹴りも突きも、投げも、クナイも、全てを使う。忍の組手だ。ただし得意な術のはずの影分身は使っていない。それだけを含めなければ全力も全力。

 

 荒い息を吐きながら、肉体を酷使する。

 

 チャクラの吸着と反発を利用した基本的な肉体操術。それの練習なのだが、今は下忍にすらなっていない忍者のナルトと、里の頂点に位置する火影とではまるで組手と呼べる代物ではなかった。

 しかしナルトは諦めない。ここしばらくの特訓に付き合っていた三代目火影は、それを理解しているのだろう。厳しい言葉と視線を投げかけているが、ナルトがめげる心配は一切していない様子。

 ナルトは目の前以外の事には関心を払わずにただ真っすぐに向かっていく。

 目標に向かって単細胞的に進むだけではなく、考えることも誓ったのは間違いない。しかしナルトの本質はやはりこの愚直さ。疲れている今は、急ごしらえの思考を扱う余裕などなく、ただ体の声に従って動き続ける。

 足にチャクラを篭め、地を抉りながら突進をくりかえす。それを絶えずに続けてきた結果、周囲の地面はすでに平坦な部分がほとんどなくなっていた。

 その一つに、三代目の足がかかり、動きが止まった瞬間をナルトは見逃さなかった。

 最後のチャンスとばかりに今日最速の突撃をかまし、そしてアッサリと放り投げられた。

 

 ―――ちくしょーっ。

 

 地面を転がり、そしてそのまま停止。三代目はその様子をしばらく見ていたが、ふと、構えを解いた。

 

「……ふぅ。まあ、そろそろ休憩にしようかの」

 

 額から流れる汗をぬぐいながら三代目はそう告げた。

 

「な、なんだじいちゃん……、もうへばったのかよ。だらしねえ、オレってばまだまだやれるぅ………」

 

 ナルトは既に地面に仰向けにぶっ倒れながら、喘ぎ声のような声でなんとかそう言った。

 

「分かった分かった。お前のその根性だけは認めてやる」

 

 三代目の声には多分な呆れが含まれていた。

 手近な丸太の上に腰かけて、竹筒の中の水を呷る。その息は多少上がってはいるもののナルト程ではない。

 

「――この程度で息が上がるとは、全く、鈍っておる」

「……妖怪ジジイ」

「阿呆。この程度、ワシの全盛期なら鼻歌奏でながらでもできたんじゃぞ」

 

 そう言ってため息をつく老人の言葉にはいまだ、プライドという牙が残っているように感じた。

 

 

 

 

 三代目に修行を見てもらえる事になってから二週間ほど過ぎた。

 断られても粘る覚悟で頼みに行ったが、思ったよりもあっさりと受けてくれた。

 三代目曰く、「利害が一致した」とのこと。なお言葉の意味は知らない。

 多忙な三代目火影であるから、さほど多く付き合ってもらっているわけではなく、週に一、二回の頻度ではあるが、ナルトにとっては黄金のような時間だ。

 ここは木の葉の森の中でも人目に付かない特別な場所。この場所を知っているのは火影とナルトを除けば火影直属の暗部ぐらいであった。

 

「術のセンスはともかく、体術は悪くない。どうやら術だけではなく肉体の経験値も残っているようじゃの」

「うーん……」

「どうした?」

「あのさ、……初日から今まで一発も当たらないから自信がなくなってきたってばよ」

「フン。笑わせるな。ワシは火影だぞ」

「じいちゃんが凄いのは前の記憶の時に知ってたけど、やっぱ目で見るのでは大違いだ。カカシ先生よりも速い気がする」

 

 上を仰ぐようにしながらの言葉。

 

「ナルト。お前の言う火影とは、カカシよりも、そして今のワシよりも強い者の事だ。それを目指すのならばそうぼやいてばかりもいられんぞ」

「……押忍」

「それにワシが速いのではなく、お前が遅いのだ」

「そこ一言余計だろォッ!」

 

 上がった息を整え、立ち上がる。体力は少し回復していた。これも九尾の回復力なのだろう。ナルトにとって原理はどうでもいいが、修行を行うのには酷く適した身体なのは間違いない。落ちこぼれだからこそ、量でカバーしなければならないという理由もあるが。

 

「もう起き上がれるのか」

「へへ、言っただろ。まだまだやれるって」

「よし! じゃあ次は水上歩行の訓練を行う。時間はそうだな、十分とする」

「うぎゃあ! まだそこまで元気じゃないってばよ!」

 

 得意げな顔のナルトが一気に弱弱しくなっていく。

 

「肉体とチャクラ、どちらもバランスよく消費して修行するのが強くなる秘訣だ。ワシが見ていられる時間はそう長くはない、無駄にするな」

「ちくしょ――!!」

 

 そう言われれば、言い返す言葉もない。小さな溜池の上に立つ。この水は流水ではないので、青々としていて、水草も大量に生えている。落ちれば凄く臭う水なのだ。

 だからこそ落ちまいと頑張るのだそうだ。

 その理屈はともかく、ナルトは頑張った。

 とりあえず、その日水柱が上がることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 アカデミー合格者講習会の日。修行を早めに切り上げて行く予定だったが、寄り道をしている内に前回の時とさほど変わらない時間になってしまった。

 知った顔だがどことなく若い風貌の知り合いが並ぶ教室に、後ろ扉から入る。

 ここ一週間は修行漬けで、知り合いと会ったり話したりする暇はイルカ以外ほとんどなかった。ナルト自身も、自分を女だと思っているだろう友人との接し方について未だに悩んでいる部分があり、知らず知らずに機会を避けてきた。

 

 ――ちょっと緊張するってばよ。

 

 後ろの席の方を陣取りながら、とりあえず観察。

 幾つもの知った顔が既に着席していた。仲間と会話している者、寝ている者、勉強している者、どれもアカデミーでの知り合いで、前回と変わっていないのであれば、ナルトについて知っている者ばかりだ。

 そして、意識しないようにしていた者もいた。 

 

 ――サスケ……。

 

 今まであまり考えないようにしていた。ここにいるサスケは、記憶にいるサスケとはまだ繋がっていない。今現在、ナルトとサスケはただの知り合いで、それ以上でも以下でもない。

 それでも、かつての記憶と同じように手を組んで前を見据えている姿に、どうしようもなく胸がざわついた。

 

 髪がチリチリと焦げ付くような、言いようのない感情。そして、鈍い胸の痛み。幻痛は未だに途切れていない。

 

 落ち着くように息を吐く。吸う。

 さてどうすべきか。取りあえず、以前と同じように絡んでみるか。ナルトは思案したが、すぐに却下した。そのときの事故でキスをしてしまったことを思い出していた。おえーっと思わず舌を出す。

 

 ――あんな真似、一度でたくさんだってばよ………。 

 

 それに、今、サスケに平常心で会話できる気がしなかった。たとえ今はまだほぼ別人と言ってもいいサスケに対してでも面と向かえば何を言ってしまうか自分自身でも分かっていない。もし間近であの済まし顔のサスケと向かいあったとしたら。想像してみる。

 

 ――ぶん殴りかねない気がする。

 

 冗談抜きでそう思った。

 

 予定通り本を広げることにする。木の葉の歴史についての本だ。正直、修行の為でもなければ巻物だって読みたくはないナルトだったが、三代目にうちはについて知るならば読むべきだと言われている。

 身体を動かす修行よりもずっと辛いが、やるべきことだ。しばらく集中することにする。

 

「ナルトが本読んでやがる!!」

 

 僅かな間もなく、シカマルが絡んできた。隣にはチョウジ。

「よう」

 

 手を軽く上げて挨拶。相手の出方を見る。

 気味悪そうな視線でナルトと本を行き来していたシカマルだったが、気を取り直したのか、いつもの眠たげな顔つきに戻った。少し頬を釣り上げている。

 

「どうした? 久しぶりじゃねえか」

「おっすー」

「なにがだ? ぜんぜんふつーだってばよ?」

「いやお前入院してたじゃねえか。もう平気なのかよ。つーかアカデミーの卒業試験落ちてなかったか?」

「質問が多いっ! ……全部問題なしだってばよ!」

「そうかよ。ま、よかったじゃねえかこれで晴れて下忍だ」

「シカマルちょっと心配してたもんねー」

「ま、知り合いだし、一応は同期だからな」

「ふん、オレってば下忍なんてただの通過点だからよ」

「本気で言ってんだろうなあお前の場合……。けど、その手に持ってるの見る限り、意気込みだけってこともねーか。まあ、てきとーに頑張んな」

「おう!」

 

 それから、しばらく雑談をして別れる。その後ろ姿を見送りながら、相手が不審に思った様子はないか、確認する。

 

 平常心を装った顔を、本で隠す。大きく息を吐いた。

 

 心臓が少し早く動いている。しかし、とりあえず普通に話せた。やはり、さほど自分の記憶と変わらない人生を歩んでいるようだった。

 よほどおかしな行動を取らない限りは、怪しまれる要素はないのではないだろうか。

 

 一つ不安材料が減り、また本と格闘を始めることにした。

  

 それから時間が空いて、講習担当のイルカが部屋に入ってきた。

 下忍の心構えのおさらいから、今後受ける任務の形態についての説明。以前聞いている内容のはずだが、ほとんど覚えていない。今回は一応真面目に聞く。

 最後に、三人一組(スリーマンセル)について。

 イルカはあらかじめ決まっている下忍の班の組み合わせを述べていく。

 特に大きな変化はない。

 

「次に、七班」

 

 淡々と読みあがっていく。

 

「春野サクラ、うずまきナルト、うちはサスケ」

 

 前の時はこの時騒ぎ立てる者がいた。自分自身である。しかし今回はもちろんしない。イルカも当然、次の班の構成員を読み上げていく。

 

「次に、―――」

「ちょっと待ってください!」

 

 遮るようにサクラが手を挙げると同時に叫んだ。

 

 

 

「どうしてナルトと一緒の班なんですか!?」

 

 

 

 



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4『不揃いな班』

 

 

 

 

 私、春野サクラはうずまきナルトが気に食わなかった。

 はっきり言ってしまえば、嫌いである。

 勉強は出来ず、運動もさほどでもなく、忍術はからっきし。見た目は小汚いし、お洒落もロクにしていない。

 本来ならば、自分が気に掛けるような人間ではない。

 見下している、と言ってもよかった。

 努力もせず、そのくせ周りには不平不満ばかり。自分を磨くこともせず、女らしさなどまるでない。

 少なくとも、私にはそう見えた。

 まあ、別にそんな人間がいたって構わない。どうだっていい。

 でも、そんな奴がサスケくんに近づいていくのが、物凄く許せない。

 別にサスケくんとナルトが仲がいいってわけじゃない。優秀なサスケくんにあんなドベが釣り合うわけがない。ナルトが一方的に喧嘩を吹っかけてるだけだ。それも、相手の興味を引こうとしてやっている。分かっていないのか分かってやっているのか。どちらにせよムカつく。もちろん、そんなのサスケくんが相手にするわけがない。

 それを差っ引いても、ありえない。

 どうしてあんな取り柄もない女がサスケくんにズケズケ近づいていけるのか、その性根が理解出来ない。

 他の普通の女子ならば、牽制のし合いや、遠慮がある。何か理由がなかったらサスケくんに話しかけるのもままならないというのに。そういう周囲に一切気を払わない無神経さも腹が立つ。

 そういう鬱憤があったからだろう。

 班員の説明の時、ナルトの名前が上がった瞬間、思わず立ち上がってしまっていた。

 

「………、どうしてとはどういう意味だ?」

 

 イルカ先生は、あちゃーと言わんばかりの様子で尋ねた。

 

「一応聞いておくが、『忍』として言ってるのだろうな」

 

 半ば勢い任せで立ち上がった私は、言葉に詰まる。

 

「……確か、三人一組(スリーマンセル)の基本は男二、女一の組み合わせのはずです」

「それは忍者が男社会だった頃の話で、過去の慣習だ。班の実力の平均化のために数が少ない上に実力的に劣っているとされた女性を均等に配分するのが合理的とされていたからだ。――もちろんそれは随分前の常識だ。今はくノ一が男に見劣りすることはないし、数も男に比べてさほど少ないわけではなくなった。アカデミーの合格者の男女比率がきっかり二対一にならない限りはこういう班も出てくる」

「うっ……」

「ついでに言うと、実力も考慮されている。下忍の班構成と言えど組織の判断で、これは決定事項だ。秀才のサクラなら分かるな?」

 

 正論である。ぐうの音も出ない。

 

「はい……」

 

 私は気まずい思いをしながら再び席に座る。

 でも、こんな風にも思う。イルカ先生はナルトを庇っているんじゃないか、って。これは邪推のしすぎかもしれないけれど。でもイルカ先生が親のいないナルトを何かと気にかけているのは事実だ。

 先生と特別に仲良くなりたいわけではないが、真面目に優等生的な振る舞いをしている人間より、悪戯や問題ばかりするナルトが優遇されているようで面白くない。

 私はもやもやを溜め込んだまま黙る他なかった。

 

 ――何かやりにくい。

 

 私はふと、その原因に思い当たった。いつもならここら辺りでナルトが文句を言ってくるはずなのだ。私はそれに言い返して、そこで言い合いになる。でも、今日はやけに静かだ。

 気味が悪い思いを抱きながら私は振り返った。こっそり視線を後ろにやってみた。

 

 ――いた。

 

 いつものように後ろの方に座っている。ぼさっとした野暮ったい髪型に派手な金髪はよく目立つ。居眠りをしているわけじゃないようだ。しっかりと座って前を見ている。視線が合う。ナルトも、こちらを見ていた。聞こえていなかったわけではないのだろう。

 ナルトは微笑んでいた。そこにはいつものような短気を起こした様子は見当たらない。どこか余裕すら感じられる態度だ。

 なんで。

 私は視線を外せない。釘づけられたかのように硬直する。

 いつものナルトなら、大声を上げて何かしらがなり立てるなりしているはずなのに。あの反応はどうだ? 元の容姿は悪くないから、そういう顔をされると急に大人びて見えた。

 気味が悪い。体調でも悪いのだろうか。ナルトに限ってそれはあり得ないとは思うが。

 視線を外したら負けた気がして、とにかくいつも通りに睨むような視線を送った。内なる自分が負けん気を発揮する。こうすれば、流石に笑顔のままではいられないだろう。私は少しムキになっている。

 ナルトは、少し眉尻が下がって困ったような表情の笑顔。ひらり、と軽く手を振られた。

 なによそれ。 

 今度こそ私は視線を外さざるを得なかった。意味の分からない羞恥心が沸いてきたからだ。

 なんなの一体。

 信じられない。

 あれ、本当にナルトなの?

 そうとは思えない。つい最近まで馬鹿みたいな悪戯ばかりしていたガキだったのに。まるで急激に成長したかのようだ。

 

 ――恥ずかしい理由が分かった。相手にされていないのだ。空回りしている。まるで自分の独り相撲ではないか。

 

 周囲を見渡してみれば、周りも、どこか静かなナルトの態度に違和感を覚えているようだった。

 絶対に、何かがおかしい。挙句の果てに、一連の流れで勝手に区切りをつけたらしく、机に突っ伏して居眠りを始めたようだ。

 絶対おかしい。

 その態度を横目に眺めながら、私はそう思った。

 

 

 

 

 

 サクラとイルカのやり取りを聞きながら、ナルトはその意味を正確に理解していた。

 

 ――わー、なんかサクラちゃんにめちゃくちゃ嫌われてるってばよ………。

 

 何事もなく終わるかと思った説明会での突然の出来事であった。

 好きな女の子に知らない間に嫌われている。しかも、以前よりもずっとだ。いくら鈍感だろうと流石に察しがつく。

 笑うほかない。

 ナルトは穏やかな顔で、絶望していた。

 会話が終わり、サクラが項垂れた様子で座り込む。ぼうっと、サクラの後頭部を見つめていたナルトだったが、サクラと目が合った。僅かな間だったが確かにはっきりと視線で威嚇された。

 ナルトは訳が分からず、肩をビクつかせた後、硬直するほか無かった。愛想笑いを浮かべつつ、手を振ってみる。

 嫌そうな顔をされた後、「ふん!」と言わんばかりにそっぽを向かれた。

 すごく胸が傷ついた。

 

 ――なーにが、『以前とさほど変わらない』だ。全然違う。一番、大事なとこ変わってるってばよォ!!

 

 ナルトは静かに机に突っ伏した。

 涙を見せないためである。 

 その様子を窺っていたであろうイルカが大きく溜息を吐く。

 

「まったく、前途多難だなお前ら……」

 

 まさしくその通りであった。

 光明の見えていた道筋にさっそく暗雲が立ち込めてきたかのようだ。少しだけ、何か上手く出来そうな予感がしていただけに、その落差が大きく感じられる。

 そして思い出す。自分は今、性別が女になってしまっていることを。

 

 ――ああ……、何もかも最悪だってばよ。

 

 早く元の姿に戻ろう。ナルトは心に誓った。好きな女の子に嫌われている上に、恋愛の土俵にすら立てないのは精神衛生上悪すぎる。そう体感で理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 はたけカカシは、三代目の指示を疑ったことは一度としてない。

 だが、下忍の班員構成の資料と共に三代目から伝えられた言葉にはわずかな違和感を感じずにはいられなかった。

 

『サスケと、そしてナルトに注意を払え』

 

 担当上忍になるのに異議はないし、あっても出来うる限りどうにか処理しただろう。この二人に関しては、確かに自分が一番適任であるという自負もあった。

 しかし、だからこそ、三代目の言い様には僅かな引っ掛かりを覚えた。

 普通の、問題児に対する注意喚起のように聞こえなくもない。

 だが、カカシはそこに警戒を喚起するニュアンスを感じ取っていた。迂遠な物言いである。次の言葉を待ったがそれ以上何かが続くことはないことも、すぐに察した。

 だからこその困惑。

 うちはサスケは、うちは一族の生き残りの一人だ。一族の仇である兄に憎悪を燃やし、復讐の機会を待っている。やや危うい状態の精神状態も相まって、注意するに越したことはない。

 うずまきナルトは、九尾の人柱力だ。その価値は確かに一介の下忍とするには重すぎる面もある。

 だが。だが、であった。

 それでも、三代目の口からそのような言が出るような事態はカカシにとっては驚きなのである。

 三代目はあの『うちは』の生き残りだろうが、『人柱力』だろうが、木の葉の住人である以上、他の忍と区別して発言するようなことはこれまで一切なかったからだ。

 はたけカカシはうずまきナルトに対して負い目があった。

 尊敬していた師の忘れ形見であり、木の葉を救った英雄でもあるうずまきナルトが今日に至るまで与えられていた環境は決して素晴らしいものではなかった。だがカカシがそれに対して何かを行うことはほとんどしなかった。

 恩も親愛もある師の子供の窮状であったにも関わらずにだ。 

 侮蔑、嫌悪、差別。それらを見る度に、自らの父親の最期を思い出して、見ていられない気分になった。

 全てはナルトを特別な『英雄』に仕立て上げないためだった。

 一時期、ナルトを意図的に祭り上げようとする木の葉の勢力があったことがある。

 ダンゾウを含む、一部の者達だ。四代目火影が就任して間もなく死亡したという事件を切っ掛けに木の葉が大きく動揺した時期だった。

 木の葉の安定のためにナルトを利用すべきだと、そういう声があった。

 三代目はそれらの声を全て跳ね除けた。ナルトに普通の木の葉の住人という位置を与えたのである。忍になるかどうかすら、本人に決めさせた。

 だからこそ、その暗黙の了解を破って忍であるカカシが関わるわけにはいかなかった。

 そうまでして、普通に扱うようにしてきたというのに。今更なぜそのようなことを言うというのだろうか。

 カカシの疑問はそこに尽きた。うちはサスケにしても同様。殊更他の忍と分けるような真似はしてこなかった。

 疑う、ということはありえない。しかし疑問は残った。

 第一、まだ班が結成するかどうかも本決まりではない。場合によっては三人をアカデミーに突っ返す場合もありうるのだ。しかし、その可能性は低いとそう思っているようですらある。

 そういう経緯もあって、初めて班で顔合わせをするに当たってカカシの意識はやや真面目な面持ちであった。

 だったのだが。

 

「まあ、お前たちの仲がよかろうと悪かろうと、どうでもいいんだけどね……」

 

 妙に距離が開いた三人を眺めつつ、カカシは頭を掻きながらそうぼやいた。

 左にうちはサスケ。やや距離を開けてその隣に座る春野サクラ。そして離れた場所にぽつん、と膝を抱えて安座しているうずまきナルト。どことなく元気がないように見受けられる。らしくない姿だ。

 そのナルトを、サクラは完全に無視してふるまっている。露骨すぎて、強烈に意識しているのが逆に透けて見える仕草。

 どうにも確執を感じさせられる。

 そしてサスケはその二人に全く興味がない様子だ。どちらかといえば値踏みするような視線をこちらに向けている。その眼には強い自尊心とそれに見合うだけの驕りを感じる。若く才能に満ち溢れた人間にはありがちな態度。

 なるほど、めんどくさそうな奴らである。

 

「じゃ、まず、そうだな。自己紹介してもらおうか」

 

 気が付かれないように三人を分析しつつ、気だるげに振る舞う。

 

「どんなことを言えばいいの?」

「そりゃあ、好きなこと、嫌いなこと、……あとはそうだな、将来の夢とか、ま! そんなのだ」

「…………」

「………………」

 

 沈黙が流れる。カカシはまた頭を掻いた。

 

 ――積極性のない奴らだなあ…。

 

「じゃあまずオレからだ。オレははたけカカシ。好き嫌いは、まあお前らに教えるつもりはなかったが、今のこの空気が嫌いだ。将来の夢と趣味は色々」

 とりあえず場を仕切るために適当に自己紹介を述べる。

 ふと、小さく笑い声が上がった。

 

「相変わらず全然答えてないってばよ……」

 

 沈んだ顔をしていたナルトが、吹き出しながらそう呟いていた。

 

「?」

 

 カカシは首を傾げた。と同時にサクラのもの言いたげな視線がこちらに飛んでくる。

 

「あーと、前に会ったことあったか?」

「え!? あー……、――そういうわけじゃなくって、そう! 初対面の印象から変わらず適当だなあっという感じで……」

 

 ――ふむ?

 

「まあいいがオレは一応上司だからな。少しは敬意を払うように」

「押忍!」

「じゃあ次はお前らだ。そうだな、まずは左から」

 

 最初から最後まで我関せずとばかりにカカシを推し量っていたサスケに水を向ける。

 

「……名はうちはサスケ。好き嫌いは特にない。将来の夢などと軽々しい言葉にするつもりはないが、野望はある。一つは一族の復興。もう一つは、」

 

 そこでわずかに言葉を切る。

 

「ある男を殺すことだ」

 

 淡々と、言葉に重みをもたせることなくそう告げた。その様子は自分の感情を理解してもらおうとは思っていなさそうに見受けられる。共感を求めるにしてはあまりに静かな口調。

 

 ――やはりな。

 

 想定内の言葉だった。復讐。それはサスケの境遇を考えれば至極当然ではあった。今はただ、何も言わずに僅かに眉をしかめるに留めた。

 

「じゃ、次は隣だ」

 

 今のサスケの言葉と態度を横目で見ていたサクラははっとした風に前を向いた。

 何故か頬も赤い。

 

「えっと私は春野サクラっていいます。えっとぉ私の好きなものっていうか、好きな人は……」

 

 ――なるほどねえ。

 

 チラチラとサスケに視線を向ける態度を見れば察しない方が難しい。そのあからさまな視線を受けても全く無関心を装えるサスケを見て、こいつモテなれてるな、と把握。

 

「嫌いな奴は、――ナルトです」

 

 ――だとは思ったが。

 

 あまりサクラに関心を持てなかったカカシだったがその直接的な物言いにようやくやや興味を抱いた。ナルトの様子を窺うと眉を八の字にして何とも言えない困り顔だ。その表情にふと、違和感を覚えないでもない。ナルトの性格を考えればもっと大きなリアクションがあってもおかしくはなさそうだが。

 先ほどからあまり表情を変えずに、静かに何かを考えている。

 それをサクラが威嚇するように睨んでいた。サクラが上でナルトが下という判りやすい構図でもなさそうだ。小馬鹿にしているのではなく牽制している言動からもそう透けて見える。

 まあ、その程度ならじゃれ合いみたいなもので可愛いもの。カカシはこの件に関して特に何をするでもなく傍観に徹した。

 

「ま! 最後だ」

 

 少し間が開く。

 

「オレはうずまきナルト。好きなものは一楽のラーメン。嫌いなものは、お湯を入れてからの三分間。将来の夢は……」

 

 どことなくたどたどしい口調。それとも穿って見すぎているのか、三代目の言葉を意識しているせいか。原稿でも読み上げているような印象がある。息を吐く。自分の難癖に近い疑念を追い払うように。

 ナルトの目が伏せられた。僅かに躊躇う様子を見せた後、顔が上がる。

 カカシの目を真っすぐに見返しながら、言葉を紡ぐ。

 

「――火影になることだってばよ」

 

 そう告げられた時、カカシは大きく瞠目した。

 

「…………」

 

 驚いた。その言葉の内容そのものにはさほど想像を飛躍したものはなかった。だが、言葉に籠ったただならぬ重さの覚悟はどうだ。一瞬、目の前の子供が大人にでも変貌したかのような錯覚すらあった。

 その青い瞳は、強い覚悟の光を放っている。

 

 ――お前は誰だ?

 

 長年、陰からではあるがナルトを見守っていたカカシはついそう思わずにはいられなかった。

 うずまきナルトとは果たしてこのような人物だったか。

 

『サスケと、そしてナルトに注意を払え』

 

 何かが変わったのだ。それを確信せざるを得なかった。

 

 

 



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5『変化』

前回の最後に少し追加があります


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サスケの言葉を聞いたとき、やっぱり胸が酷く傷んだ。それと同時に安堵していた。もう一度始められるんだと。やり直すことができるのだと。それはあんまり楽しい感情ではなかったけれど。

 

 

 

 火影を超える。以前は随分と軽くその言葉を口にしたものだ。別にその道が簡単だとは思っていなかった。けれど、火影がどのくらいの存在なのかを、まったく理解していなかったのは事実だ。

 木の葉において火影とは一番偉い奴。その程度の認識しかもっていなかった。

 一度未来を生きて、過去に戻ってきた現在となってはそう単純ではないことも分かっていた。そう易々と言える言葉ではなくなっている。

 だからその言葉を口にする時、ナルトは並々ならぬ決意を込めねばならなかった。

 超えるではなく、『なる』と言ったのは別に目指す場所を変えたのではなく、目指す場所がしっかりと見えたからこその変化。

 もちろん、そんなことはナルトの中だけの話で、他の七班の人間には関係がないことなのだけれど。

 ナルトとしては以前の七班とさほど変わっていないように感じていた。振り出しに戻ったような感覚。お互いの顔見せも多少の変化はあったが、記憶とはほとんど違っていない。とりあえずは前と同じように進んでいるようだった。

 たった一つ、大きな例外を除いて。

 

「男に戻りたいってばよ!」

「なんだ藪から棒に」

 

 火影の執務室にて騒ぐナルトに、三代目は胡乱げな目をした。

 

「なんでか知らないけどサクラちゃんにめちゃくちゃ嫌われてるんだってばよ! それによく考えたら今オレってば女の子だからサクラちゃんと何にも出来ないし!」

「今更だろうそれは………」

「今まで修行とか勉強とかしてたし、それに結構そういう諸々から目を逸らしてたってばよ! だけどオレってば目が覚めた!」

「そうか、まあ、男として気持ちがわかるが……」

「……わかるが?」

「今は諦めるんだな」

「じっちゃんそればっかだってばよ!」

「そうは言ってもどうしようもないこともある」

 

 三代目の声は突き放す響きしかなかった。

 

「………うがー」

 

 ナルトは電池が切れかのように崩れ落ちて、机に突っ伏した。

 

「………何をしておる」

「休憩する……。今日はもう色々あって疲れた」

「ここで休むな。お前、用件はこれだけなのか?」

「…………これ読んだってばよぉ」

 

 突っ伏したまま、本を差し出す。三代目に渡されていた『うちは』についての歴史書だ。

 

「――もう読んだのか。大した項数は無いとはいえ随分早かったな」

 

 意外そうな声。

 

「難しい文字ばっかで頭が痛い」

「そうか」

「………オレってば全然知らないことばっかりだ」

「…………」

「サスケのことどころか、里のことも自分の中にいる化け物についても今まで大して知らずにいて、気にもしてこなかった」

 

 三代目は言葉を返さない。ナルトも返事を期待した言葉というよりは、自分の胸に溜まった感情を吐き出すように言葉を連ねる。

 

「ちょっと調べれば分かることだったんだ。サスケが力を求める理由。最初の最初。

班が決まった時に、サスケの言葉の意味をしっかり考えていれさえすれば。オレってば何にも知らなくて。……前の時はずっと、自分のことばかり考えてた」

 

うちは一族虐殺。それは里どころか国を揺るがす大事件だったはずだ。全く知らなかったわけではない。今よりもずっと幼かったこともある。それでも今更であったとしても、後悔が消えてしまうわけではない。

 息を吐く。感情を吐き出すように。

 

「ま、そんなわけでちょっと頭使って疲れたんだってばよ」

「お前があまり知らんのも無理はない。九尾もうちはについても、多くのことが箝口令が敷かれておる」

「かんこうれいってなんだよ」

「口にすることを禁じておったのよ。その本、随分と薄いとは思わなんだか? 忍に関しては多くの物事が語られんのだ」

「…………」

 

 本の内容は確かに詳細な記述はほとんどなかった。うちは一族の虐殺についての記述にもうちはイタチの名は本の中には存在しない。それどころか、原因すらはっきりとは書かれていなかった。

 

「――なあナルトよ。そんなに急いで知識をつける必要はないのではないか?」

 

 顔を上げたナルトに三代目は気づかうような表情をした。

 

「は? どういう意味だってばよ」

「それがお前の目的ではあるまい? 知識を付けるのはあくまで手段だ。しかし、それが全て正しいというわけではない」

「よく分かんねえってばよ。もうちょっと分かりやすく言ってくれ」

「何かを知ることが全て良い方向に向かうというわけではないのだ。未来の知識を得たお前は確かに慎重に、そして賢くなった。だが、その変化が正しいこととは限らん。そう思い悩むのが苦しいのなら、未来のことは忘れ、ワシに全てを任せてしまってもかまわんのだぞ」

 

 ナルトはただじっと三代目を見上げた。

 

「賢さが正しく、馬鹿が間違ってるとは決まっておらんのだ。結果だけがその答えとなる」

「………三代目のじっちゃんがオレの心配してくれてんのはなんとなく分かった。でも悪い、そりゃできない相談だ。――だってオレってば知っちまったんだからよ」

 

 サクラ、サスケ、カカシ、第七班の仲間達。そして未来で失われてしまった命達。それを守れる可能性があるなら、ナルトは立ち止まるわけにはいかなかった。

 

「結果はもう一度見てる。同じ間違いはもうできないってばよ」

「……忍の世界とは綺麗ごとばかりではない。耳や目を塞いでしまいたくなるようなことが溢れておる。知識を付けるとはそういったものも己が身に取り込んでいかねばならぬこともある」

「………正直それはよく分かんねえけど、でもオレは間違えたくないんだってばよ。今度は絶対に」

「………ふん」

 

 どこか諦める表情で三代目はパイプに火を付けた。

 

「お前のその頑固さはクシナにそっくりだ。だが目は父親に似ておる。純粋で真っ直ぐな決意を秘めた瞳だ」

 

 懐かしむような声と瞳。煙を燻らせながら三代目は少しだけ昔を思い出すように遠くを見る表情をした。

 

「……なんか珍しいってばよ。あんまりそういった話してくれねえのに………、それもかんこうれいってやつだったのか?」

 

 この手の話はよくはぐらかされてきた。今回も何となくそうなるだろうとナルトは考えていた。しかし、予想に反して三代目は少し考える素振りをした後、こう尋ねた。

 

「……聞きたいか? お前の両親の話を」

「ん……?」

 

 意外な言葉に少し虚を突かれる。

 聞きたいかと聞かれれば、間違いなく聞きたい。

 しかし、とナルトは考える。

 

「――今はいいや。じいちゃんが話すべきだと思ったらそん時に話してくれればいい」

「ほう、いいのか?」

「ああ。今は考えなくちゃいけないことが多すぎて、あんまり手が回らないし」

「ふん、ま、だろうな」

「まあオレってば成長期だからよ!」

「………そうか」

 

 得意そうに笑うナルトを眩しそうに見ていた三代目は少しだけ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 



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6『演習』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、木の葉の第三演習場にてサバイバル演習が実施された。

 空はよく晴れている。場所は木の葉の壁外にある伝統的な演習場の一つで前の記憶以前にも、遠足やら実習やらでアカデミー時代から何度も足を運んだことがある場所だ。

 森に覆われた巨大な演習場には、演習場中央を流れる人一人を隠すには十分な深度がある川と、いくつかの広場がある。

 この川が深いのには理由がある。

 この演習場は森林においての訓練を行う場所の一つだが、その役割はもっぱら、戦闘訓練に用いられることが多い。

 演習場随所に身を隠す場所や罠を仕掛けるためのポイントがいくつもあり、森に親しんでいる木の葉の忍としても覚えた技術を実践できる効率の良い地形なのだ。

 ここで多くの木の葉の忍達が野外における実践的な技能の基礎を学ぶ。当然、地形などは頭に入っており里の忍達にとってこの場所は広大な庭のようなものである。

 太陽は真上に近く時間は昼頃。

 第三演習場入口でナルトはカカシを待っていた。

 当然、同じ班であるサスケとサクラも同様。サバイバル演習用の道具一式を詰めたバックパックを用意してすでに待機している。

 会話は当然のようにない。気まずい雰囲気をナルトは味わっていた。元々、空気やらなんやらを読むのは苦手な性格である。基本的にあらゆる意味でボッチであったからそういったモノを育めるような生活をしていなかったという悲惨な理由が原因なのだが、今までは大した問題になってはいなかった。他の知り合いもかなりの割合で空気読めない奴が多かったからだ。

 それならば今まで通り空気を読まずに好き勝手すればいいはずなのだったが、それもできない。

 サスケには今となってはどう接すればいいか決めかねているし、サクラにはかつての記憶以上に嫌われている。原因は未だによくわかっていない。

 どちらにも会話に持っていく踏ん切りがついていなかった。

 サスケを横目で窺う。

 目をつむって腕を組んでいる。いつも通りの姿。予定時間になっても現れないカカシに苛立ち眉間には皺が寄っている。サクラもサスケの態度を察してあまり声はかけていない。そしてそもそもサクラはナルトとはコミュニケーションを取る気がなさそうである。

 故に沈黙。にぎやかしの役割を担う人間がいない以上はしょうがない帰結であった。

 ようやくカカシがやってきた時は、遅刻を怒るよりもほっとした気持ちが大きかった。

 昼前だというのに「おはよう」などとふざけた挨拶をしているカカシに怒鳴るサクラのやり取りを聞きつつ、こっそりと息を吐いた。

 

「じゃ、サバイバル演習を始める。今は十一時と少し。時間制限は十二時までとする」

 

 そう言ってカカシは小さな目覚まし時計を、地面に直角に突き刺さった丸太の断面の上に置いた。三つの丸太が等間隔に地面に差し込まれているこの場所は丁度演習場の中央に位置している。

 

「今回のお前らの『目的』はオレの持つ鈴の奪取だ。つまり戦闘を含む総括的な任務遂行能力を図る演習だな。鈴は一人一つでいい。―――ただし、鈴は二つしかない」

 カカシはそう言いつつ、小さな鈴に細い糸がくくられたものを二つ、目の前にかざした。

 

「……つまり、任務を達成できるのは先着の二人ってことですか?」

「お、流石だなサクラ。その通り。最低一人は任務失敗ということになるな」

「――鈴を取れなければどうなる?」

 

 サスケが訪ねた。

 

「アカデミーからやり直してもらう。ついでに丸太に縛られ昼飯も抜きだ。あ、言っておくが鈴を奪えなければ全員失格だぞ。最低一人っていうのはそういうことだ」

「ていうか朝ごはん食べるなってそういう意味だったのぉ……」

 

 お腹を押さえながらサクラが騙されたと言わんばかりの表情で愚痴った。

 

「ははは。よし、説明は以上だが質問はあるか? ………ナルトはどうだ? 今まで随分と静かだが」

「んー、特に無いってばよ」

 

 空きっ腹を押さえながらナルトは返事をする。下忍合格試験の演習の内容は一律で決まっているし、ナルトはそれを知っているのだから馬鹿正直に朝食を抜いてくる必要はなかったのだが敢えて前と同じようにしていた。

 未来を見たからというのはなんだかズルい気がしていた。かなりの誘惑はあったが。

 

「………そ。じゃあ合図をするぞ」

 

 少しの間ナルトを見ていたカカシは、そう言いつつも気の抜けた態度で腰に鈴を見えるように括るとおもむろに腕を上げた。

 その場にいる忍は無言で身を沈め、それに備えた。

 

 ――ナルトを除いて。

 

「始め!!」

 

 腕が振り下ろされると同時、二人は跳躍する。近場の森林に走っていき、そのまま木々に紛れるようにして消える。僅かな草木の揺れる音が響き、それもあっという間に周囲の音にかき消された。模範的な忍の戦らしい、静かな立ち上がりであった。

 

「……忍びたるもの、気配を消して隠れるべし、なんだが………」

 

 正直に言えば、ナルトはこの瞬間を待っていた。以前と同じ瞬間。以前と同じ相手。そして、前とは異なる自分。

 かつての記憶を経て自分がどれほど強くなれているのか、それを知れる絶好の機会。

 

 ――あの時はまったく勝負にならなかった。でも今だったらどうだ?

 

「―――、一応聞いておこうか。ナルト、お前それはどういうつもりだ?」

 

 前と同じように腕を組んで、仁王立ちをする。

 

「いざ尋常に勝負だってばよ!!」

 

 そう叫んだ。

 カカシはあっけにとられたような表情を浮かべた。それも一瞬、いつも通りの平静な顔に戻ると、今度は呆れを含んだ表情に変化。ただし演習で下忍相手だという油断や驕りは、僅かに感じられる程度。

 戦闘者らしい隙の無い精神力にそれに見合っただけの実力がある。見つめ合っていると、髪がざわつくような、肌がひりつくような、そういった感覚がナルトを襲う。

 

「お前ちょっとずれてるなあ……」

「ははは」

「?」

 

 ナルトは笑った。別に何かがおかしかったわけではない。ただ内側から湧き上がる物に堪えきれなかったからだ。以前と同じようなセリフだったのもあるだろう。心臓の音が静かに高鳴っていく。それに合わせるように体のチャクラが強くめぐっていくのを感じる。

 そう言えば、以前と違っていることが『もう一つ』あった。

 ナルトは他人事のようにそう思った。思考はすでに目の前に集中していた。

 

「忍戦術心得その一。体術だったけな」

 

 向かい合う両者の距離はまだ遠い。とはいえ、上忍ならばそれこそ瞬きの間すら必要ない程度だ。

 

「おいおい、オレに組み手を挑むつもりなのか? それも声に出して」

「お手合わせ願うってばよカカシ先生」

「……良いだろう。丁度、オレもお前の実力を把握しておこうと考えていた所だ」

 

 ナルトは静かに拳を握って、足に力を入れた。基本的なチャクラ操術の一つ。チャクラの吸着と反発を利用した移動術。

 瞬間、地面が爆ぜ、ナルトの姿が掻き消えた。

 カカシが目を見開く。それを確認できるほどナルトはすでにカカシの懐付近まで近づいていた。その勢いを乗せた拳をかろうじてカカシは両腕でガードした。生の肉体がぶつかり合う低音が響いて、カカシの体が宙を浮いた。

 着地。僅かに離れた距離。

 即座に距離を詰める。今度は制動の利く吸着を利用した加速。真っ直ぐに突っ込むと見せかけて急制動。真横に回り込む動き。

 以前と変わったこと。チャクラコントロールが格段に上手くなったこと。

 拳を叩き込むが、素早く片腕で受けられる。

 女に変わったせいか、それとも一度死んだせいなのか、他の理由があるのか知らないがとにかく前と比べれば随分と扱いやすい。そのおかげで以前は特定の限定的にしか使えなかったチャクラコントロールをこのように応用して扱うことができるようになっていた。そしてナルトの有り余るチャクラを肉体に利用すれば、こうなる。ある意味普遍的ともいえる、『瞬身の術』と体術。それがナルトの選んだ強くなるための答えだった。

 

「おらあ!!」

 

 チャクラの反発を利用した凄まじい蹴りをカカシは流石に受け流せずに数メートル足を引きずりつつ、地面を抉りながらの後退。

 足を振り上げたナルトはすぐさま接近とはいかず、戦いに僅かに間が空いた。

 ガードを上げたまま、つー、とカカシの頬を汗が伝った。

 

「…………」

 

 ぼそりと、相手には届かない程度の独白。カカシはまるで幽霊でも見たかのような表情でじっとナルトを見ていた。

 それから、少しだけ表情を緩めた。

 

「………その歳でその動き。やはり大した奴だ」

「まだまだ、これからだってばよ」

 

 実際、ナルトはまだ体力をほとんど消費していない。三代目との修業が、ナルトの継続して戦う力を上げていた。この程度ならば制限時間内まで動き続けられるだろう。

 

「体術を教えて欲しいって話だったな……」

 

 カカシは左目を覆い隠す額当てに触れた。が、すぐに手を放して、もう一度構えを取った。

 

「ま! お前の動きは大体分かった。ナルト、どうして最初に鈴を狙わなかった?」

「…………う」

「まだ細かい制動ができないからと見た。悪くはないがそれではオレには勝てない。武器も使え」

「やっぱりカカシ先生は凄いってばよ………」

 

 ナルトは嬉しくなって笑った。ほとんど一回拳を交えただけでこちらの弱点を悟られてしまった。まだ届いていない悔しさはもちろんあったが、どういうわけか同時にそれが嬉しかったのである。その理由まではナルトは自分では分からなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 



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7『繋がれない手』

 

 

 

 

 

 

「じゃ、遠慮なく使わせてもらおーか」

 

 クナイをバックパックから三本引き抜く。

 

「……それだけか? 忍術でもなんでも使ってかまわんぞ」

 

 意外そうなカカシの声。

 

「へへ、さて、それはどうしようかな……」

 

 不敵に笑う。正直、今の一連の組み手で鈴が取れなかった以上、もうこの場でそれを実行できるとは思えなかった。カカシという忍者はナルトにとっての理想にもっとも近い存在。憧れと言っても過言ではない。

 想像の上でも、もう鈴を奪える絵は浮かんでこなかった。

 つま先で何度か地面を蹴って、サンダルの位置を整える。

 その瞬間、間髪入れずクナイを三本同時に投げつける。

 僅かに遅れて足を踏み出す。地面が軋み、体は弾かれた球のように前へ。

 クナイがカカシに届くよりも速く、再び接近戦。体重を乗せた裏拳。視線が合う。冷静に捉えられている。クナイと共に身を低くして回避される。

 その上を飛び越えたナルトは、そのまま振り返ることなく木々が乱立する木立を目指して走った。反発を用いた瞬身の術ではなく、『吸着』の方を使う。『反発』を使うかどうか一瞬の選択だったが不特定の障害物の多い場所では、爆発力はあるもののまだ不安感が残る。

 

「おい」

「へへーん、じゃーなカカシ先生! 忍者は裏の裏を見ろだってばよ!」

 

 とりあえず試したいことは試した。この試験の目的は一人で勝つことではない。言ってしまえば勝たなくてすらいいのだ。目的と手段を取り違えない。忍者の大原則。そのくらいの心得はナルトにもある。

 

「ま、それが正解なんだが……」

 

 ――ぞく。

 

 静かな声だが、ナルトの背筋に嫌な感覚が走る。迫りくる圧力に大体予感しながらも、走りながら背中を窺う。近い。十歩ほども離れていない距離だ。

 カカシが自分以上のスピードで追いすがってきていた。目が合うと、カカシは目を細めた。どうやら笑顔を浮かべたようだ。

 

「ちょっとお前は目を離すと一番めんどくさそうだ。ここでもう仕留めておく」

「うおお!?」

 

 ――なんかカカシ先生前よりガチだってばよ!?

 

 すぐに前を向いたが、直感する。駄目だ。森に入るよりも早く、追いつかれてしまう。ナルトは咄嗟の判断で、瞬身の術を用いた。ただし直線上にではなく、斜め上。

 風を切る感覚と共に浮遊感。眼下には生い茂る広葉樹の緑一色。森の中を突っ切らずに樹上からの侵入。

 すぐに加速は落ち着き、体は重力に引かれて下へ。とはいえ十分にまだ速度は出ている。

 空を飛んだ僅かな高揚感も消し去る未来予想。顔を引きつらせながらもナルトは覚悟を決めた。腕を体の前に交差して掲げ、体を丸める。

 体は森の中へ。視界は暗転し、枝やら幹やら枝葉やらが体に容赦なく叩きつけられる。

 

「いてえええええ!?」

 

 一瞬開ける視界に捉えた地面。何とか足で着地し、転がりながら体を減速させる。停止。息が上がる。心臓が高鳴っている。疲れというよりは怖かったからだが。

 距離は少し空き、視線も一瞬途切れた。とはいえ追跡は振り切れていない。僅かな間の隙に少し細工をしつつ、ナルトは全力で逃げ出した。

 

 ――絶対逃げ切ってやるってばよ!!

 

 数分間の壮絶な鬼ごっこが繰り広げられた。

 ナルトは藪を突っ切り、木を飛び回り、時に反転して突進するなどして抵抗したが、結局は捕まった。

 狩りで捕まえられた獲物のように片足を捕まれ逆さになったナルト。体中擦り傷だらけで土埃で薄汚れた姿。対照的にカカシは身綺麗なままだったが、汗をかき、若干疲れた顔をしていた。

 

「お前、ほとんど野生の獣と変わらんなあ……。女の子がそんなに髪に木の葉やら枝やらくっ付けてまで逃げるかね…………」

「はあはあ…………うるせえ。――カカシ先生こそなんか、大人げなくないか?」

 

 あっという間もなくす巻き状に縄で巻かれたナルトは肩で担がれる。

 

「いやいやこれが実戦ていうもんでしょ。忍には大人も子供もないからね」

「くそー……」

 

 こんなにも執拗に捕まえに来るのは想定外だった。恨めし気にカカシの後頭部を睨んだ。

 

「逆に、お前こそ手を抜いて戦っていただろう」

「…………?」

「しらばっくれるな。ある程度の実力の忍なら分かる。お前は奥の手を隠し持っている。そういう余裕が感じられる。ただの下忍の態度ではないな。ま! ただの馬鹿って場合もあるんだが、少なくともお前から必死さは感じない」

 

 ぶっちゃけナルトは螺旋丸を使わなかったことを除いてほぼ全力を出した。逃げる時も形振り構わずに打てる手を全て打って逃げた。それでも捕まった。螺旋丸は演習で使うような忍術ではないというだけだ。余裕があるのは、単に未来を知っているからというだけ。カカシの買被りだ。

 

「あー………」

 

 何と答えるか、咄嗟に浮かばずに言葉を濁す。

 

「ここまで派手に戦ってしまっては残りの二人もそう不用意には動かんだろうな。思ったよりずっと面倒な状況にされた。これも狙ってやったのか?」

「?」

「口で伝えようにもあの様子じゃ聞き入れたかはわからないだろうしな。これが一番確実だったというわけだ」

「はあ……」

 

 ――何言ってるかよくわかんねぇ。

 

 横目でカカシの後頭部を眺めつつ、ナルトはそう思った。 

 どうも何やら勘違いをされている予感がしたが、何をどう掛違ったのかいまいち理解できない。

 

「威力偵察ってところか。全くしてやられたな……」

 

 頭を掻いたカカシが首だけで振り返り、ちらりと視線を向けてくる。覗き込むような、探っているような視線。

 何か怪しまれている。それだけは理解した。

 

「あのさあのさ、多分だけどカカシ先生なんか勘違いしてるってばよ本気で」 

「……ま、今はそれでもいい」

 

 そう言ってあっさりと前を向く。

 

「ちょっとこの演習が楽しくなってきたってだけだ」

 

 ――つまりどういうことだってばよ?

 

 前とは異なる対話の感触にナルトは困惑した。

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を『ナルト』は木立に隠れながら観察していた。

 会話は聞こえないが、捕まった方のナルトの出した合図によれば、とりあえずカカシに気づかれてはいない。気配を絶ったまま静かに移動する。

 途中、うまくカカシの視界から隠れた時ナルトは影分身を使い、二手に分かれていた。今まで一切この術を使わなかったのはこの為。昨日の夜、いかにしてカカシに勝つか考えた作戦の一つだ。せっかく未来の記憶という有利があるのだから、ただ前回同様に振る舞うのではなく、できれば鈴を取りたいと思った。

 

 ――まあ、簡単に行くとは思ってなかったしな。

 

 カカシは一旦、丸太の方に向かっている。少し余裕ができた。ナルトは途中で見つけていたサクラの下に向かう。サクラはしっかり気配を絶ってカカシとナルト本体を見張っていたが、影分身で移動するナルトに関してノーマークだったらしく、こっちは割とあっさり見つけていた。

 さっきのナルトと同じように木々や藪に隠れているサクラの前に、小石を一つ落とした。それにサクラが反応して上を見上げるのを確認して、音もなく地面へ降り立つ。

 

「へ!?」

 

 遠巻きにカカシを窺っていたサクラは突然現れたナルトに驚いたようだった。

 

「よ、サクラちゃん」

 

 若干胸を高鳴らせながら、それを悟られぬように平常顔を保つ。内心はかなりの得意顔だったが。

 期待感が不安を消していた。今ならうまく会話できると踏んでいた。

 ナルトは嫌われた理由についてはさっぱりわからなかったが、女の子、というよりもサクラと仲良くなる方法を以前の経験から既に思いついていた。

 何か凄い能力を見せればいい。カッコいい所を見せれば、大概の相手は何かしら好意を持つものだ。以前もそうだった。

 カカシとタイマンを張った理由の一つも、これだった。捕まったとはいえあのカカシ相手にこの戦いっぷりは、決して悪い評価ではないはずだ。

 

「あ、アンタ、今カカシ先生に捕まって……」

「いやー、カカシ先生はやっぱ強いってばよ! ギリギリ影分身できたけど本体はあっち。いやーまいったハハハ」

「……か、影分身って、アンタそんな術いつの間に覚えたのよ」

「へへ、まあ、ちょっとね。実はオレってば結構強いみたいな」

 

 ナルトがそう言うと、サクラは驚いたようだった。

 その反応は、少し新鮮な気分だった。影分身の術はもうずいぶん慣れ親しんだ忍術。それを使ってこんな風に驚かれるのは、随分珍しくなった。

 過去に戻った今、サクラからすればナルトの得意忍術を見るのはこれが初めて。そうだったからこそ、与えた衝撃は想定よりも大きかったようだった。

 悪いことではない。むしろ良いことだ。ガッツポーズをこっそり決める。

 かつて、どんなにこの反応を引き出したかったことか。悲しいことに実力が足りず、せいぜいサスケの引き立て役に終わるのが常だった。たまに活躍してみせても、そこにはサクラはいないか、気絶していて見ていないという状況ばかり。何故か女に変わった今になって、いまさら願いが叶ってしまった。できれば男の時にやりたかった。

 まあそれでも嬉しいものは嬉しい。

 ごちゃごちゃしたものをとりあえずうっちゃりつつ、素直に喜んでおくことにする。

 まだ、サクラは驚いたままのようだった。

 顔を見るのは少し恥ずかしくなり、ごまかすようにカカシがいる方向に視線をやる。いかにも監視してますよという態度をする。

 

「見てたと思うけど、カカシ先生はかなり強い。オレ一人じゃ無理だし、勝つためには連携して鈴を狙うべきだと思うんだ。だからさ、オレと手を組もうぜサクラちゃん」

 

 言いながら手を差し出す。

 

「オレに作戦があるってばよ。まず、サスケと合流して、――」

「………なにそれ」

 

 ぽつりと、呟くような声だった。遮られたナルトは調子がでてきた声を途切れさせる。大きい声ではなかったが、それが逆に違和感があった。

 顔を上げると、サクラと目が合った。

 怒りにも、嫌悪にも見える表情。その顔に浮かぶのは、決して想像したような明るい感情ではなかった。 

 

「じゃあ、今まで手を抜いてたってこと?」

「え……」

「アンタは今まで手を抜いてやってたってことなの?」

「えーっと、サクラちゃん?」 

「気安く名前を呼ばないでよ。―――ふざけないで。なにそれ」

 

 眉尻がキリキリと吊り上がっていくのをナルトはただ眺めた。呆然としていたといってもいい。

 

「私があれだけ言っても、……ううんそれはもういい。アンタ、そうやって今まで内心で馬鹿にしてたんだ。実力を隠して、嘘ついて、見下してたんだ」

「いや、あの」

 

 差し出したまま宙ぶらりんだった手が、弾かれる。

 

「ふざけないでよ」

「あ……」

 

 思わず手を押さえる。ヤバい。ナルトは短くそう思った。こんな会話はしたことがない。

 サクラは、何か言いたげに、もどかし気に口を何度か動かした。

 

「アンタなんかいなくたって……、私にだって」

 

 しかし言葉が続くことはなく、さっとサクラはナルトから距離を取りそのまま歩いていく。

 

「あ、あのサクラちゃん」

「―――私、アンタのことやっぱり嫌いだわ」

 

 振り返ったサクラはそう言い放つと、ナルトを置いて消えた。

 何か言おうと思ったが、最後の一言で頭が真っ白になってしまった。

 かつてやりたかった、カッコいいと思う自分。それをほぼ全部実行したはずだ。 

 何一つミスはしていない、はずだ。それは前の経験から間違いない、と思う。

 その結果がこれ。

 残されたナルトは一人首を傾げた。

 

 ………あるぇ?

 

 

 

 



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8『繋がれない手』②

暗えッ!!


 

 

 

 ………あるぇ?

 

 何かを誤っただろうと理解はしたが、具体的にどうしてそうなったのかまるでわからない。ナルトはただ呆然とする他なかった。

 ショックなのは確かだ。しかしそれだけではない。

 嫌われているのは知っていたが、どうにも以前と比べて勝手が違う。イメージと対応が大きく異なっていて、そしてそれらをすり合わせるとっかかりすらよく見えていない。

 サクラとの付き合いは、時間こそ短いが決して浅い関係ではない。第七班を通じて、少しづつではあるが、友情と信頼を培ってきた。恋愛でこそなかったが、ナルトはサクラに対してすごく深い絆のようなものを感じていた。

 それこそ、班ができてから今までずっとだ。

 軽い付き合いなどではない。だからこそナルトは首を傾げたのだった。

 ナルトにとってサクラとはさっぱりした人物だ。それでいて好悪が分かりやすく、好きな相手にはとことん好意を示し、嫌いな相手にははっきりと嫌悪を示す。

 今までだってナルトは幾度となく怒鳴られたり、嫌悪されたりした。しかし、それらはあくまで単純な感情に基づいた、ナルトでも理解できる内容でのことだった。

 こんなに理解不能な、複雑極まる怒りは、ナルトにとって初めて見るサクラの顔。

 ナルトは喧嘩をコミュニケーションの一つと捉えている。怒鳴り合いも罵り合いも、怒ったり落ち込んだりはするが、別に嫌いなことではない。 

 相手に無視されるよりはぶつかり合って、向かっていく方がいい。そう思う。

 今回も、ぶつかり合いには違いない。でも、やはり何かが変だった。

 

 ――前とはなんか違う。

 

 首を振って、考えるのを中止する。なんだか泥沼に足を突っ込んだ気分だった。

 すぐに前のようになれる。今は少し微妙に遠回りをしてしまっただけだ。

 そう信じるべきだ。だから、気にする必要もない。

 頷く。意識を切り替える。

 サクラとの接触は失敗した。なら、次にすべきことは。

 わかっている。

 

 ――しゃーねえ、サスケだ。

 

 そう考えながらも、気が進まない。

 正直、サスケを避けている。最初にサクラを見つけたとき、実は同時にサスケも見つけていた。

 合流すべき相手は二人いた。

 なのになぜ一切を考慮せずにサクラに向かったのか。

 避けているからだ。会いたくないからだ。

 あの『終末の谷』で殺し合った時。そのとき感じた焦燥、もどかしさ、そういうすべてが未だにナルトの中でうねり続けている。

 しかしそれをぶつける相手はもういない。少なくとも今は。

 それに今、ナルトは女になってしまっている。それも余計にややこしい。サスケに馬鹿にされたくないという思いが、ナルトには常にあった。今でもそうだ。もちろんサスケはナルトの性別を最初から女の子と認識しているはずだから、馬鹿にされるわけがない。サスケがどうこうよりもナルト自身の問題だった。

 競い合ったライバルだからこそなのかもしれないが、普段は無視している劣等感というか羞恥みたいなものをサスケの前では強く意識してしまう。女の子になってしまった現状は未だナルトの中ではまったく消化しておらず、日常的に女装し続けているような違和感が付きまとっている。無理やり考えないようにして忘れているだけだ。それが、サスケの前では目を背けられない。

 舐められたくない。低く見られたくない。そういう意地と、現在の状態がどうしてもかみ合わない。

 だからこそ、気まずい。

 

 ――つっても避け続けるわけにはいかねーもんな。

 

 理屈ではわかっているのだ。

 もたもたしている時間はない。今の段階では、三人一組(スリーマンセル)だというのにナルト、サスケ、サクラの三人の間に合図や連携など全くない。

 見つけていたサスケがいつ移動するかもわからない。そうなれば、合流するのは難しい。

 今直前にサクラに思い切り拒否されて多少弱気になっているのもあるのだろう。

 数秒の逡巡。

 ナルトは覚悟を固めた。

 

「おいサスケ、ちょっと顔かせや」

「……………」

 

 とりあえず接近。サクラとは違い、近づくとすぐに気づかれた。

 林の茂みに身を低くして隠れていたサスケは困惑を露わにした。視線が合う。首にかかるほど伸びた髪の感触がやけにうっとおしく感じる。

 

「お前、どうしてここに」

「影分身の術」

 

 短く答える。

 

「………そういうことか」

「つっても本体は向こうだけどな」

 

 さっきもこんな会話をしたなと思いながら近づく。

 

「お前、アカデミーでは手を抜いていたのか?」

「…………最近修行して強くなったんだってばよ。どうでもいいだろそんなこと」

「………………」

 

 疑わしそうな視線がこちらに向いているが無視する。サスケの性格上、こうしておけば深入りはしてこないだろう。

 会話を少ししただけで、すぐに思い出した。そうだった。こういう奴だった。

 自分と他人の境界線を無数に引いて、自分はその奥に閉じこもって出てこない。他人に一切踏み込まない代わりに、自分にも踏み込ませない。そういう奴だ。

 内向的というわけではない。自分の内側に入れる他人を強烈に選り分けているだけ。

 今はまだ、見えない境界線の外側に立っているのがはっきりとわかった。

 目を見ればわかる。

 ただし、どうでもいい相手という様子でもない。そうだったなら、まともに会話しようともしなかっただろう。カカシとの組み手はサスケの興味は引く効果はあったらしい。 

 ようやく見知った相手を見つけたようで、ナルトは心底ホッとしていた。

 

「?」

「まずは、なによりやるべきことがあるだろ」

「……カカシか」

「そう。このままじゃ鈴は取れねーぞ」

 

 視線の先、やや距離が空いた場所に丸太に縛られたナルト本体と、その近くで腕を組んだカカシがいた。今のところ動く様子はない。

 

「……………」

「ま、お前ならわかるだろ。それとも、自分一人でなんとかなるとでも思ってるのか?」

 

 だからこそ大きく踏み込む。サスケ相手に尻込みしていてはまともに会話はできない。

 

「んだと……」

 

 憤った声。

 

「万年ドベのお前と一緒にするんじゃねえ」

「へえ」

 

 ――おっ。

 かちり、と何かがはまった感じがした。

 

「オレならやれる。確かに一対一でまともにやったら難しいかもな。だが、他に手はいくらでもある。……こんな演習程度に手間取っていられるか」

「いや、お前じゃ無理だよサスケ」

 

 間髪入れず返す。何せ未来を知っているのだから、自信を持ってそう言える。

 

「今のお前じゃどうやったってカカシ先生から鈴は奪えないってばよ」

「テメエに何がわかる……」

 

 反論が飛んできたが、その声はナルトの態度に気圧されたのか、やや小さかった。

 

「自分でわかってるからまだ仕掛けてないんだろ?」

「………っち」

 

 舌打ちが一つ。

 

「ツンケンすんなよ。だからオレがきたんじゃねーか」

「………どういう意味だ」

「お前バカなのか? 手を組もうって言ってんだってばよ」

 

 直截なナルトの言い方にややひるんだ様子ながら、サスケは思案するように視線を上げる。

 

「………なるほどな」

「おう、それしかねーだろ?」

 

 一瞬、サスケの眉に力が入り、そして解けた。

 

「わかった。その提案に乗ろう」

 

 ――よし。

 

「あとはサクラちゃんだな」

 

 正直、業腹ながらナルトはしょうがなく考えていた通り言った。

 

「サクラちゃんにはお前から頼んでくれってばよ。オレじゃあ駄目だ」

「必要ないだろう。アイツがいてもいなくても変わりない」

 

 一瞬、ぶわっと視界の色が変わった。

 

「―――おらあッ!」

 

 ギリギリ最後の理性で、拳ではなく手刀をサスケの頭に振り落した。油断していたのか見事に頭頂に直撃。

 

「何しやがる!!」

 

 声を落としながら、怒声を上げたサスケを睨みつける。

 

「バカヤロー、三人で第七班なんだろうが」

 

 と言いつつもナルトはそこまで激しく怒りを露わにはできなかった。以前の記憶がなければ自分だって勝手に一人でやっていたのだ。説教をできる立場ではない。

 座り心地が悪い思いをしながらも、言わなくてはいけないことだと、自身に言い聞かせる。

 

「いてもいなくても変わりない? そんなこと言うんじゃねえ」

「………どのみちこの演習で一人は蹴落とされる。鈴を全て奪えたとしても取れなかった奴は下に行く、そういう試験だろうが……!」

 

 ――なるほどな。

 

 怒りで視界を赤くしながら、妙に冷静な部分がそう思った。サスケにとってしてみればこの試験とは競争なのだ。カカシが言ったように、二つしかない下忍の席を三人が我先にと取り合う。そういう認識なのだろう。

 だからこその発言。

 ナルトのように未来を知らなければ、すでに試験の答案を得ているナルトでなければわからないことだった。

 わずかに脱力。怒りの矛先はズレてしまった。怒鳴り声は上がらず、静かに諭すように言った。

 

「サスケ、忍者は裏の裏を見ろだってばよ」

「なに……?」

「どうして三人一組(スリーマンセル)の試験で一人を蹴落とすような演習なのか、どうしてカカシ先生が三人を分断するような言い方だったのか」

 サスケはかすかに目を見開いた。

「本当にカカシ先生は、三人がバラバラに鈴を奪うべきだと考えているのか……、お前はどう思うサスケ?」

「―――」

 

 サスケは驚いたようにナルトを見た。今、初めてはっきりとサスケの視界に入ったような気がした。

 そう思いつつ、どうにもしっくりこない。

 

 ――こういう役回りってオレのじゃない気がする。

 

 などと思いながら、ぶん殴るためだった拳で軽く額を小突く。

 

「ま、お前も必死なのは見ればわかる。だからこれで、今の言葉は聞かなかったことにしてやるよ」

「…………」

 

 小突かれた額を押さえるサスケから目を外しつつ、ふと思った。

 これもナルトが、自分自身がしたかったシチュエーションだった。

 サスケが間違った行動をして、それを正しい判断をしたナルトが諫める。そういうことがカッコいいことだと、そう思っていたはずだ。

 でも、何かがやっぱり変だった。

 未来で経験して知ったことで相手の間違いを説教するのは、どうにも座りが悪い。ナルトにとって、厚顔無恥な振る舞いに思えた。

 もし、かつて未来の記憶がない自分が、サスケの言葉を聞いていたら果たして同じように怒っただろうか。ナルトは自問した。怒っただろう。そう思った。サスケの発言を訂正するように言ったはずだ。しかしそう想像することもまた、なんだか卑怯な気がした。

 

 ――やっぱり、なんか違うってばよ。

 

 前と変わらないと思ったサスケとの会話も、やはりどこか形を変えてしまっているような気がした。 

 

 

 



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一章終話

 

 

 しばらく時間が過ぎた。

 

 カカシは腕を組んだ体勢で静止。時計は四十分の経過を示している。時間制限まで後二十分弱。未だにサスケもサクラも動く気配はない。

 さてどうしたものか、カカシは頭を掻いた。

 このまま待つべきか。それとも動くべきか。いくつかの考えからカカシは決め兼ねていた。

 このまま待っているだけで制限時間は過ぎるだろう。演習に勝つという点ではそれが正解だ。目的が勝つためだったならだが。

 鈴獲りの演習は本来ならば競争のためのものだ。三人一組(スリーマンセル)の訓練であえてその演習を行った意味は、伝わるとは思っていない。カカシは一人一人が好き勝手に独断行動をするだろうと考えていた。

 それはそれでよかった。

 しかし、予定はすでに狂っている。

 サスケもサクラも強くカカシを警戒している。単独で力任せには来ないだろう。

 もしかしたら、結果的にだがカカシの望んでいた協力という手段を取る可能性がある。それならば動かずに待った方がいいだろう。

 しかし、そうはならずこのままイタズラに時間が過ぎて無意味に演習が終わってしまうのも否めない。サスケの性格上そうはせずに玉砕覚悟で突っ込んでくる可能性の方が高そうだが。

 かといってこちらから各個撃破していくのはまた意味がない。せめて単独で向かってきてくれればいいが、そうでなければカカシが伝えたいことは伝わらない。

 全てが掌の上にあったはずのこの演習は、すでにその多くが思惑から外れてしまっていた。

 焦りはなかった。その理由は捕らえられたはずのナルトの態度があまりにのんきなのが大きい。焦っている様子も、逃げ出そうとする素振りもない。

 恐らく、なんらかの算段があるのだろう。ならばそれに乗ってみるのも悪くはない。

 

 ――とはいえ、これ以上かかるとなると時間が怪しくなってくるぞ。

 

 と、カカシが考えたところで、目の前の林が揺れた。

 視線をそちらに向ける。現れたのはサクラ。決意を込めた視線をしている。

 一瞬感じたのは、失望だった。が、すぐに考えを改めた。

 

「サクラか」 

「……………」

 

 不意を突いたわけでもなく、意図が読めない行動。ただしそういえばと思うところはある。サクラはナルトに対して対抗心を燃やしていた。その競争意識からこのような行動に走った可能性もなくはない。

 

 ――さて、どうなるか。

 

「………ッ」

 

 無言のまま、サクラはクナイを握り締めて真っ直ぐカカシに向けて走りだした。

 カカシにとっては止まって見える速度。クナイが陽光を反射して煌く。

 軽く身をかわす。サクラは勢い余って体勢を崩しながら、強引にクナイを振り回す。

 工夫のない攻撃。目を瞑っていてもよけることは造作もないだろう。紙一重でかわしながらサクラの足を引っかける。

 

「――――ッ」

 

 よろけて体勢が崩れる。

 瞬間、十字手裏剣が遠方より飛来してきた。それをクナイで迎撃しつつ視線もそちらへ向ける。いない。足音。ただし、視線の先ではない。

 振り向く。

 

 ――なるほど。

 

 サスケだ。手裏剣を旋回させて位置を偽装したのだろう。カカシはすぐに察した。距離は近い。悪くはない連携だ。だが甘い。まだ遅い。

 クナイを構えたサスケに同じくクナイを、こちらは逆手で持ちながら防御の構えを取る。

 交錯。

 違和感。

 二合目。三合目。違和感は膨れる。四合目で、あっけなくサスケのクナイを弾き飛ばす。弱い。この程度のはずがない。

 と、殺気。カカシは咄嗟にしゃがみ込んだ。その上を上段の蹴りが通過していく。

 

 ――サクラ!?

 

 驚くべきことに、蹴り足の持ち主はサクラだった。その目はいつになく怜悧な光を放っている。口元には皮肉気な微笑み。そのまま素手での連撃。体勢を崩したまま不利な体勢で受けにまわらざるを得ない。

 カカシは理解した。と同時、サクラの体から破裂音と共に煙が舞い上がる。めくらましから現れたのはサスケ。同時にサスケだと思っていた方も、煙を上げてサクラに変化した。

 

 ――そういうことね。

 

 変化の術。基本中の基本忍術だが、使い方が上手い。もちろん普段のカカシならその変化に気が付いていたはずだ。甘く見ていたのもあるだろう。ただ、サクラがあのような手裏剣術を使えるのは想定外。うちは一族以外の班員ではあのような芸当はできまいという錯覚から、一瞬理解が遅れた。

 連続した体術の応酬。鋭く変則的な型のない打撃。身を離そうにも、絡みつくように距離を詰められる。カカシは僅かに汗を垂らした。

 

 ――流石にうちは一族だな。すさまじい。

 

 単純な体術だけならば、カカシでもやや手こずる強さ。思考が僅かに追いつかず、その隙を突かれて押し込まれていく。

 

「いや、うちはだからってわけではないか。流石はうちはサスケと言うべきか」

「――無駄口をっ」

 

 殴った拳を起点に逆立ちのような動作で足技。カカシはそれを両腕を上げて最小限の動きで捌いた。

 サスケは真剣な表情でさらに動きを速くしていく。それを受けながら、カカシは冷静さを取り戻しつつあった。追いつめているのはサスケだ。だがカカシに焦りはない。

 確かに速くて上手い。だが結局は下忍の中では、だ。この連撃は悪くないが、しかし立ち直ったカカシに対しての有効打とするには物足りない。

 鈴だけ注意しておけば、後は問題ないだろう。カカシはそう判断した。

 と同時に走っていくサクラを察知する。向かっているのはカカシと丁度反対方向。

 その先には。

 

「なるほど、ナルトね……」

 

 押し込みながら移動したのは距離を離すためだったようだ。よく考えられた策だ。カカシは感心した。

 縛られたナルトを解放する作戦であったらしい。あるいは鈴を取れなかった為の保険なのか。手順が実戦的とはいえないが、この演習に限ってしまえば悪くない。

 

 ――いいチームワークじゃないか。

 

 マスクに隠れた口端が僅かに上がる。急造にしては、出来すぎなぐらいであった。

 ナルトの威力偵察、そしてサクラの陽動、最後にサスケの主力。情報を得て、相手を崩し、そして目的を遂行する。及第点ぐらいの動きはある。

 悪くない。そう思った。

 

「―――なっ!?」

 

 次の一撃をかわして攻撃に移ろうと考えていたその瞬間。足が止まった。

 上段の蹴りをギリギリ腕で受ける。まともに喰らい、衝撃が腕を走った。

 咄嗟にその勢いを利用してサスケの足を捉えつつ、放り投げた。一瞬離れる距離。視線を下に。地面から手が二つ突き出てカカシの足首を捉えていた。

 

 ――やられた!

 

 カカシは一瞬で全てを理解した。サスケがカカシをこの場所に追い込んだのはナルトから引き離すためではなくこの場所に誘導するためだったのだ。サクラの動きはそれを誤魔化すための更なる陽動。時間ぎりぎりまで攻めてこなかったのはこの穴をカカシに気付かれないように掘り進めていたから。目の届く範囲だったからこそカカシも罠があるとは考えなかった。否、考えられないように誘導されていた。

 わからないのは、この腕が誰かという事。思考が一瞬そちらに逸らされる。

 投げ飛ばされながら、空中でサスケが印を組む。

 速い。

 一瞬、動き出しが遅れた。しかしまだギリギリの猶予はある。足の拘束を外す時間を差し引いても避ける時間は十分にある。しかしカカシは動けない。

 自分自身は回避はたやすい。しかし下のカカシを拘束している人間は無事ではすまない。下の腕が実体かどうかその判断がつかず、カカシは避けるという選択肢を取れなかった。

 迎撃、という選択を取らざるを得ない。

 サスケの印が完成する。

 と、同時にカカシの背後の林からもう一人のサスケが現れる。もはや驚愕する余裕もない。

 突き出した人差し指と中指、それを体の前で組んでいる。虎の印。

 

 ――どっちだ!? あるいはどっちもか!?

 

 カカシを挟んで二人のサスケが同時に息を吸う動作。

『火遁豪火球の術』その前動作。巨大な火球を吐き出す、火遁の忍術だ。

 身構える。印なしで使える雷遁で弾くしかない。瞬間、背後のサスケが身を沈めた。虎の印のまま前傾姿勢。意味を理解するよりも早く、サスケが爆ぜるように前へ飛び出した。

「木の葉秘伝んんん!」

 サスケにしては高い声。煙を上げて、変化した髪の色は目を見張る金色。迎撃はもはや間に合わない。虚を突かれ続け、できた隙。その短いほんのわずかな間をカカシは突かれた。

 ナルトの虎の印は、もはやどうすることもできないカカシの背後から、見事に突き刺さった。

 

「――――千年殺しっ!!!」

 

 絞められる直前の家畜の叫びのような声が、演習場に響き渡った。

 

 

 

 

 地面に横たわったカカシは弱弱しくため息をついた。

 尻が酷く痛い。絶対に切れている。今日の夜辺りが地獄だろう。瞬身の術と千年殺しの組み合わせは凄まじい威力を持ってカカシのあの部分を貫いていた。

 カカシをして数十秒もまともに動けないほどの痛み。もはや抵抗することも敵わなかった。ただ転がったままナルトを見上げるぐらいしかできない。

 

「ふっ」

 

 ナルトは人差し指を上に向け銃口に見立てて息を吹きかけた。

 

「お前な~……演習とはいえやっていいことと悪いことがあるだろ、女の子なのに……」

「自業自得だってばよ」

「意味がわからん……」

 悪びれた様子も見せない小憎たらしい顔でナルトはしゃがみ込むとカカシの腰から二つの鈴を取り上げた。

「よし、鈴ゲット」

「おい」

 

 血も涙もない。カカシはナルトの評価を感情面で下げることにした。

 再び溜息。息を整えつつ、上体を起こす。

 

「最初に手裏剣を投げたのはお前か……」

「お? あーそう。オレ」

 

 ――なるほどね。

 影分身の術を使っていたとそういうことだろう。カカシは内心で独りごちた。

 

「――で、それからどうする?」

「どうするって?」

「その鈴をどうするってことだ。試験は鈴を取った者が合格だって言ったろ」

「え、まだ終わってないのかよ」

「当たり前だ」

 

 ぶっちゃければ合格でも構わなかったが、そうやすやすと認めてやる気分にはなっていない。

 

「んー、じゃ、こうする」

 

 ナルトは手に取った鈴をそのままサスケとサクラに投げて渡した。サスケは憐れむような表情で、サクラは複雑な表情でそれぞれ鈴を受け取った。

 

「カカシ先生はさ、鈴を取れとしか言ってなかったよな。オレはカカシ先生から鈴を取る。で、二人はオレから鈴を取る。ハイみんな鈴取った」

「まーもーそれでいいわ、合格」

 

 そう言いつつカカシはナルトの頭頂に張り手を振り落した。

 

「いてえ!? なんで!?」

「ドヤ顔をするな。あ、いてて……」

「大丈夫かカカシ先生?」

「お前な……」

 

 カカシは今度こそ呆れた表情を浮かべた。ナルトが立ち上がってカカシに手を伸ばした。誰がやったんだと、釈然としない思いをしながらその手を掴む。

 

「ワリィな、カカシ先生」

 

 ナルトは少しだけ困った表情で小さく、カカシ以外には聞こえない程度の声でそう言った。尻のことか、と一瞬思ったが、どうも違うように感じた。

 手を離すと、ナルトは煙を上げて消えた。分身を解除したようだ。

 前で会話をする三人を見る。

 素晴らしいチームワークだった。望むべくもない結果だった。

 合格を勝ち取った三人は歓声を上げるでもなく、静かに言葉を交わしている。ナルトを見るサスケの瞳には何かを探りつつ同時に戸惑いのようなものが見え、その二人をサクラは憮然と、押し黙ってみている。

 協力する意義を教えるための演習だった。文句のつけようのない成果のはずだった。

 しかし、これは確かに良い成果とは言い難かった。

 

「……なるほど、やっぱり前途多難だなこれは」

 

 カカシはぼやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 





 影分身豆知識 影分身は消えるまで本体と意識を共有していません。消えると分身の記憶が本体に吸収されます。


 本体ナルト『カカシ先生がちょっと変だってばよ』
 分身ナルト『サクラちゃんとサスケがちょっと変だってばよ』
 
 分身消滅後ナルト『全員変じゃねーか』


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閑話 木ノ葉丸とねーちゃん

 注意 悪乗りあり
    微エロあり(なし)
    

  二話連続投稿ですのでそれも注意。 


 

 

 

 

 猿飛木ノ葉丸は三代目火影の孫である。

 開祖猿飛サスケから始まり、木の葉最強にして最高の忍とまでいわれた猿飛ヒルゼン、その系譜に連なる血統の持ち主。

 とはいえ木ノ葉丸は今まで自分の血など気にしたことはなかった。火影の孫とはいえそれで何か特別な忍術が使えるわけでもない。しかし、忍者アカデミーに通うようになって他の同級生たちと自分を比べるようになって、ふと思った。

 どうも木ノ葉丸という忍者は他とは違うらしい。

 他人から受ける態度が、どうやら普通ではなかったらしいことを知った。

 頭を下げて、丁寧な言葉で、態度で、自分に接する大人たち。

 曰く火影の孫だから。

 曰く最強の一族の血を継ぐものだから。

 曰く三代目火影は素晴らしい人だから。

 木ノ葉丸は最初、自分は特別なんだと思った。でもすぐに違うことに気が付いた。

 特別なのは、自分の祖父と自分の血であって、誰も木ノ葉丸自身を褒めてはいないこと。

 頭を下げるその視線の先は、自分ではなく、その後ろに見える自分の祖父に向けられていること。

 木ノ葉丸は火影の孫であって、それ以上でも以下でもない。

 誰も自分を見ていない。

 先生も、友達も、親も、そして祖父でさえも。

 自分は特別などではなかった。

 

 木ノ葉丸、と、誰も呼んではくれなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 抜き足、差し足、木ノ葉丸は慎重に火影邸を進んでいた。

 

 ――最近、ジジイの様子が何かおかしい。

 

 木ノ葉丸は怪しんでいた。火影の仕事で忙しいのはわかっているがそれにしても最近の三代目の様子は木ノ葉丸の目から見て少し変であった。

 仕事しているとき以外でほとんど家で見かけないのだ。加えて普段なら教えてくれるのに家政婦に居場所を聞いても言葉を濁されることが多くなった。

 あやしい。

 そして、極めつけはここしばらく三代目が女の子と一緒に歩いている姿をよく目撃されているらしいこと。

 三代目の妻、木ノ葉丸から見て祖母が亡くなってからずいぶんと経っている。今でこそ人格者として知られる三代目であるがその性根がスケベジジイであることを木ノ葉丸は知っていた。

 

 ――ジジイ浮気してんじゃねーのかコレ。

 

 緊張から喉を鳴らしつつゆっくり注意深く進んでいく。

 外の喧騒がある程度聞こえるものの、家の中は静まっている。

 静かに。静かに。

 ドアの前にたどり着いた。

 物音は聞こえない。しかし、今日は午後まで火影邸に居ることはすでに確認済みだ。中にいるはずである。さっそく調査すべく、木ノ葉丸はドアノブに手をかけた。中を覗こうとドアノブを回したところで、微かに声が聞こえることに気が付いた。

 女性の声だ。

 どくん。木ノ葉丸の心臓は高鳴った。

 ドアノブから手を離し、扉に耳を当てる。

 

「………りだって、……んなの」

「……言わずに、………やれ」

 

 ――ジジイと、誰だコレ?

 

 若い女の子の声だ。いったい何をしているのだろうか。目を閉じて耳を澄ます。

 

「……や、……かんねーよ」

「……だ口叩くな。しっかり集中…ろ」

 

 段々と聞こえてきた。どうやら部屋の中には二人だけしかいない模様。

 

 ――まさか。いや、まさかそんなわけねーってコレ。

 

「いや、でかすぎるってばよ。そんなの入んねーってばよ…、いや、むり、まじでむりだって。………あ、うわ」

「いいから集中しろ、ワシの触っている箇所に意識を集中するのだ」

「でかいって、むりぃ……、なんでそんな元気なんだよジジイ……」 

「元気云々ではない。ようは慣れじゃ。意識を楽にして受け入れろ……」

「いや、何か変だってばよ……、こんな修行ほんとにあんのか? 痛いだけだってばよ……」

「サボろうとするな、これはお前からやりたいと言ったことだろうが」

「わかってるけど、いや、やっぱなんか変……、う、あ」

 

 思わずドアから耳を離す。

 

「なにをやっているんだジジイコレぇ!!!!!」

 

 木ノ葉丸は大きくドアを空け放った。太陽の日差しが窓から注ぐ執務室。

 その中央では目隠しをした女の子が胡坐を組んでいる。そしてその額に手を当てている自分の祖父である三代目火影。

 意味不明な光景。

 

「………なにやってんだマジでコレ!」

「それはこっちのセリフだ。さっきから何をやっておる木ノ葉丸」

 

 三代目が呆れたように告げた。どうやら木ノ葉丸のことは既に把握していた様子で慌てることなく対応。

 

「な、何だってばよ?」

 

 目隠しされていた女の子の方は驚いたようで戸惑った態度で周囲に顔をあちらこちらに動かしている。

 少女が胡坐を崩して目隠しを取ると、青い瞳が露わになる。眩しそうに細めた瞳がつ、と木ノ葉丸に向いた。自分より何歳か年上であろう女の子だ。金色の髪に人懐っこそうな表情。にい、と頬が吊り上がる。狐のように目を細めた笑顔。

 

「おー、木ノ葉丸じゃねーか」

 

 女の子らしくない砕けた口調にちょっと驚く。「な、なんでオレの名前知ってるんだ?」

「え、あー」

 

 女の子は困ったように三代目に視線を向けた。

 三代目は軽くその頭を叩いた。

 

「……ワシが教えたのだ。家族の話をしたとき見た目についても言ったのを覚えていたのだろう」

「おーそうそう」

「……………」

「どうした、木ノ葉丸」

「…………………別になんでもねーよコレ」

 

 しばらく木ノ葉丸は黙った。

 

「で、何してたんだコレ」

 

 胡坐を組んでその額に手を当てて、さっぱり意味のわからない光景だ。

 

「お前には関係のないことだ」

 

 三代目が突き放すように告げる。

 

「なんだよそれ!」

「じいちゃん、そう言う言い方はよくねーって。ちょっとした修行だってばよ。頭にチャクラを流し込んでもらって自分以外のチャクラを感知する修行、て言ってたってばよ」

「馬鹿者。忍者が容易く修行について教えてはならんと言っただろう」

「木ノ葉丸はいいだろ別に。他人じゃねーから」

「そういう問題ではない………」

 

 頭が痛いと言わんばかりの溜息。

 それを気にした風もなく金色の髪を揺らしながら伸びをして体を解している。

 それを両方とも視界に入れながら、木ノ葉丸は我慢しきれずに叫んだ。

 

「ズルい! ジジイはオレになんて修行を付けてくれたことなんか一度もないのに!!」

「……お前には講師をしっかりつけているだろう」

「あんなの違う!! ズルいぞこれぇ!!」

 

 悔しくなって何度も地団太を踏む。どうして孫である自分ではなく、この女の子に修行を付けているのか、木ノ葉丸にはそれが不条理に思えた。木ノ葉丸よりもずっと三代目と親しそうな態度もその思いに拍車をかける。

 

「いいか、忍者とは……」

 

 三代目が何か言いかけたが、それを手で遮られた。憮然とした表情で女の子を見ている。数瞬見つめ合い、そしてしょうがなさげに口をつぐんだ。

 そのまま女の子は木ノ葉丸に歩み寄ると、膝を折って視線を合わせた。

 

「なんだ木ノ葉丸、強くなりてーのか?」

 

 青い瞳に押されながら、木ノ葉丸は頷いた。

 

「……なりたい」

 

 そう言うと、女の子は破顔した。

 

「そうか! よっしゃじゃあオレが修行つけてやるってばよ!!」

「へ?」

「オレのとっておきの忍術をお前に授けてやる! この忍術でオレは一度火影を倒したことがあるんだ。それを教えてやるよ」

 

 火影を倒した忍術。木ノ葉丸はその言葉に強く興味を引かれた。

 

「お、オレにそれを教えてくれ!!」

「もちろんイイってばよ」

 

 にっこり笑顔。よく笑う女の子だ。木ノ葉丸はそう思った。ふと、頬の猫髭のような斜線に目が行く。

 

 ――そういえば。

 

 火影を倒した。随分最近、同じ言葉を聞いた。その人物の名を教えてもらったはずだ。確かその人物も同じ特徴をしていたような。

 

「お前、もしかして、おいろけの術のうずまきナルトって名前じゃ……」

「お、オレを知ってんのか?」

「し、知ってるぞコレ!! オレ、お前に憧れてたんだ!」

「おーそうかー」

「オヤブンって呼ばせてくれ!」

「………………フフフ、いいぞ」

「じゃあ今から教えてくれる忍術って……」

「もちろんおいろけの術だ……」

「おおおー」

 

 さっきまで癇癪を起こしていたことなどすっかり忘れて木ノ葉丸は喝采を上げた。女の子、うずまきナルトの手を引っ張ると意気揚々と部屋を引き上げる。早くその忍術を教えて欲しかった。

 

「――いや、ちょっと待て」

 

 それを呼び止める声。三代目火影だ。

 木ノ葉丸は振り返った。

 

「なんだジジイ」

「いやお前ではない。ナルトにだ」

 

 ――むか。

 

「?」

「お前、女の子だろうが……」

 

 どこからどうみても女の子だ。木ノ葉丸は首を傾げた。

 

「それがどうしたんだってばよ」

「開き直るな。女の子がそんな忍術を使うんじゃない」

 

二人の間の空気が急速に冷ややかになっていく。

 

「なんだそれ。関係ないってばよ」

 

 不機嫌そうな声。

 

「百歩譲って女の子が使うとしても、それを他人にしかも子供に教えるなどと、不健全極まりない。やめろ」

 

 木ノ葉丸は口を挟んだ。

 

「おいジジイ邪魔すんなコレ」

 

 火影をも倒す忍術を教えてもらえるこの機会を逃すわけにはいかない。木ノ葉丸は意気込んだ表情。それをなんとも言えない顔で見る三代目。 

 

「ナルト、わかっておるだろう………………」

「……いや、別に前から使ってたんだろ? 問題ないって」

 

 三代目は静かに重々しく、腹に響く声で言った。

 

「ナルト、これよりお前はその忍術を使うことを禁止とする」

「な、ふざけんな!! これはオレの魂の忍術だってばよ!」

 ナルトが発する怒気にも一切の揺らぎを感じさせない涼しい顔で、三代目は続ける。

「破ったら、そうだな、男物に変えてやった下着を女物に戻すことにする」

「なあっ、それは汚ねーぞジジイ!」

「そんなに女になる忍術を使いたいなら何も問題あるまい。わざわざ男物のアレを着る意味もないだろう?」

 

「それが大人のやり方ってやつなのか」

 

 ナルトは無念の表情で唇をかみしめている。木ノ葉丸は何のことかわからないが今、ナルトが押されていることだけはわかった。

 

「いやとにかく教育衛生上その忍術はよくないからやめろと言っているだけだ……、ワシもこんなセクハラじみたこと言いたくはないわい」

「わかったよじいちゃん。今日のところは従ってやる。だけどオレは諦めねーぞ」

 

 ナルトは話は終わったとばかりに振り向いて、木ノ葉丸を連れて部屋を出ていく。

 

「それに、手がないわけじゃない」

 

 そう小さくこぼして。

 

 

 

 

 

 火影の顔岩がある位置から近い林に移動した二人。

 黙って付いてきた木ノ葉丸はここでようやく口を開いた。

 

「オヤブンどうすんだ?」

 

 ナルトが木ノ葉丸に顔を向けた。そこにはイタズラ小僧のような笑顔が広がっていた。

 

「じいちゃんが言ってたろ? オレは術を使うなって。でもオレが教えちゃいけないとは言ってなかっただろ?」

「あ!」

「オレは不当な脅しによってこの忍術を使えなくなっちまった。だから木ノ葉丸、お前にこの忍術を受け継いでほしいんだ」

 

 真剣な表情。真っすぐに木ノ葉丸を見つめてる視線。それが木ノ葉丸にとって嬉しかった。思わず大きく、頷く。

 

「オッス!!」

「いい返事だ。よし、じゃあ始めるぞ!」

 

 そして修行が始まった。

 まず最初に躓いたのは基本中の基本のことだった。

 アカデミーに入ったばかりの木ノ葉丸にとっておいろけの術に欠かせない変化の術を扱うのはとても難しかった。外見を変化させるこの術は繊細で、想像力を精緻に働かせなくてはならない。さらに人に化けるのはもっとも難度が高い。まともな人型になるのも簡単ではなく、修業は難航した。

 しかし、集中できない理由はその難しさゆえではなかった。

 

「どうした木ノ葉丸、さっきよりも悪くなっているぞ。もっと想像力を働かせるんだ」

「――うん」

 

 木ノ葉丸は頷いたが、その声には戸惑いの響きが色濃くあった。

 

「いいか、ボンキュッボン、だ。ハリとムチムチを同居させなきゃダメだぞ」

「う、うん」

 

 頷く。どうしてか頬が熱くなる。恥ずかしさがこみ上げてくる。

 

「お前が思い浮かべる理想の色っぽいねーちゃん、それを掴みあげて表現するんだ」

「………」

 

 言われた通り意識を集中する。胸が大きくて肉付きのいい美人な女性。わかる。そういうのは理解できる。想像もできる。しかし、だ。

 木ノ葉丸は薄目を開けた。目の前には、自分よりも数歳年上のくノ一の少女。髪の毛は無造作に伸ばしてはいるものの、健康的な可愛さのある女の子。そんな少女が真剣なまなざしでこちらをじっと見ている。

 それを目の前にして、エッチな妄想をする。

 

 ――なんか、すごい恥ずかしいことなんじゃないのかコレ……。

 

 今更ながら、木ノ葉丸はそう思った。初めにおいろけの術を教えられたときはそんなこと考えなかった。ただ自分のできることをやろうとそう思った。今でもその気持ちに偽りはない。

 だが、自分はすごいイケナイことをしているのではないか、そんな考えが浮かんでくるのを振り払えずにいた。集中は乱れ、術は失敗する。それを繰り返している。

 

「どうした? また乱れてるってばよ」

「うんごめん……」

 

 木ノ葉丸が謝ると、ナルトは不思議そうに首を傾げた。

 

 ――オレがへんなのかコレ?

 

「がんばれってばよ! やればできる!」

「う、うん」

 

 集中、集中。

 ボンキュッボンの大人の女性。黒髪で、胸が膨らんでて、お尻が大きくかつ締まっていて、それで……、木ノ葉丸は余計な雑念を捨てて想像を続ける。

 想像まではできる。後は印を組んで、それを作り出すだけ。

 それを目の前の少女に見せるのだ。

 そう思った瞬間、やはり頬が熱くなり、集中力は霧散する。想像はちりぢりになり結果はもちろん失敗。見るも絶えない物ができあがる。

 

「―――オヤブン、もう止めよう」

 

 木ノ葉丸は言った。

 

「何かヤバい扉を開きかけてる気がするぞコレ。なんでか知らないけどすごい恥ずかしいんだ」

「木ノ葉丸………」

 

 ナルトは真剣な表情で木ノ葉丸に歩み寄るとその肩に手を置いた。

 

「お前はどうして強くなりたいんだ?」

「え? それは……」

 

 認めてほしいからだ。木ノ葉丸という存在を、火影の孫ではなく自分自身を、見てほしいからだ。

 

「もしお前の決意が本物なら、聞いてほしい。オレの師匠の言葉なんだけど、忍ってのはよ、忍び耐える者のことなんだ」

「! 忍び、耐える……?」

「そうだ。忍び耐える者。どんなに苦しいことがあっても、どんなに辛いことでも歯を食いしばって耐えて、前に進んでいく。それが忍だってさ。……オレもそう思ってる」

「………」

「確かにこの忍術は恥ずかしいかもしれねえ。普通じゃできない忍術だ。だからこそ、意味があると思う。恥ずかしいかもわかんねーけど、それを超えて、この忍術を使いこなせ。お前なら、それができると信じてる」

「オヤブン、オレが間違ってた……オレやるよ、この忍術を極める」

「おう!」

 

 木ノ葉丸は目を強く見開いた。もう迷いはなかった。

 そこからの成長は著しかった。想像さえブレなければあとはチャクラのコントロール次第。羞恥心は消えなかったものの、それすら力に変え、木ノ葉丸は一心不乱に術に取り組んだ。

 今まで近道ばかり探してた。火影になるために、早く認めてもらうために。

 木ノ葉丸の名前を呼んでもらうために。でも、それが違うってことが今わかりかけてきていた。

 

 

 

 ――数時間後――

 

 

 

「………はぁはぁ。ふぅ。…………はぁあああああああ!」

 

 印を組み、チャクラを練る。

 

「―――おいろけの術!」

 

 ぼんっと音を立てて、煙が上がる。想像は完璧だった。後はそれを現実に作り上げて見せること。手ごたえはあった。煙が晴れ、自分の姿が露わになった。スラリとした手足、突き出た胸。お尻。そして会心のセクシーポーズ。

 決まった。奇妙な確信が胸を叩いた。

 目の前で真面目な表情で木ノ葉丸を観察する、ナルト。

 その固い表情が、緩んだ。

 

「よしっ、成功だ! 完璧だってばよ!」

 

 その言葉を聞いたとき、叫ばずにはいられなかった。元の姿に戻るなり、雄たけびを上げた。

 

「やったあああああああ!!」

 

 自分の力で初めて成し遂げた成果。それを確かに感じていた。両腕を挙げて天を仰ぐようにして、歓喜した。

 どん、と胸に衝撃が走った。

 

「うわ!?」

「よくやった木ノ葉丸!」

 

 ナルトが飛びつくように抱きしめてきていた。

 まっすぐ自分の目を見てくるこの瞳。わけもわからず、どうしてか涙が溢れてきた。それをナルトに気が付かれないように拭いながら、木ノ葉丸は笑った。

 

「オヤブン、ありがとう!! オレわかったよ! 近道なんてないんだって!」

「おう、やったな。でももうオヤブンじゃねーな」

「――え?」

「だってよ、お前はもう俺のおいろけの術に並んだんだ。だからもうオヤブンじゃない」

 

 木ノ葉丸は目を丸くして、すぐに笑った。

 

「じゃ、ライバルだな、ねーちゃん!!」

 

 

 

 

 この後木の葉に最強のエロ忍術使いが誕生したとかしないとか言われるときは言われたそうだ。

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二章 氷晶霧中
9『九尾』


 

 

 

 

 深い意識の底。冷たい水の感触。

 一面の水面。足首を隠す程度の高さで、流れることなく床中に均等に広がっている。

 ナルトの動きに揺らされ、無数の波紋が伝って、広がっていく。

 白い壁でできた細い通路。

 明るい。光源は見当たらないが、道のずっと先まで見渡すことができる。

 壁伝いで歩いていく。

 水音を立てながら、いくつかの角を曲がると、急に広い部屋にたどり着いた。

 見上げるほどの高い壁。そして門。白い格子が数本ずつ上から下に伸びており、その様相はまるで牢屋のようにも見えた。中は外側と相反して見通せない暗さ。

 不思議なことに部屋から向こう側には光が届いていないようだ。

 ナルトはじっとその門を見上げる。

 足首から輪を広げていく波紋は、格子に反射しながら門を潜り抜け中に進んでいった。

 中で身じろぎする影が見えた。

 

「オオオオオオオオオオオオ………」

 

 人ならざる雄たけび。空気を隔ててびりびりとナルトを揺さぶった。思わず心胆を凍り付かせてしまいそうな、静かで重い音。

 何かが檻の中をぐるりと一周した。大きい。城門にも匹敵しそうな高さの門に見合った巨大な体躯。水が攪乱され、小さな波となっていくつもナルトを押し戻しつつ通路の奥へ消えていく。暗い檻の中には二つの揺らめく光。ゆらゆらと闇の中で不規則に動いているそれが、ゆっくりと静止した。押し寄せてくる波が次第に小さくなっていく。

 

「―――なんの用だ、小娘………」

 

 

 檻の中から、声が響いた。ナルトは思わず、一歩下がった。その声は決して激しさはなかったが、腹のそこにずしんとくる重さ。

 威圧されては駄目だ。ナルトは再び一歩前に進んだ。

 

「―――よお、九尾」 

「忌々しいその顔、ああ、思い出すぞあの人間ども……」

 

 闇に浮かぶ鋭い眼光が、二つ、ナルトを射抜いた。

 

「……ここへ何をしにきた」

「さあな、実はそこんとこオレもまだ決めてない」

 

 体から緊張を抜かずにナルトはそう言った。友好的ではない態度だが、未だ理解出来ぬ化け物に対して警戒は怠らない。

 

「なんだと……どういう意味だ」

 

 巨大な影が揺れる。訝しむ声が大上段から響く。

 

「小娘、何を企む」

「それも決めてねえ。わかんねーんだ、まだ」

「……ぐるる」

 

 苛立たし気に九尾の妖狐は唸った。

 

「ここを開けろ……、ワシを解放しろぉおお……」

「オレらが憎いか? 九尾」

「当たり前だぁああああ! 人間どもが、こんな場所にワシを封じ込めおって絶対に許さんんんん!!!」

 

 絶叫が上がる。九尾から不可視の衝撃のようなものがまき散らされた。水は跳ね上がり、たまらずナルトは両腕を上げてそれを防いだ。檻が壊れんばかりに激しく鳴動する。

 ナルトは目を細めた。

 

「………そうだろうな」

「なにぃいいい?」

「正直、オレはお前が好きじゃねえ。お前のせいでオレがどんな目に遭ってきたか、お前は知らねえだろ。………でもよ、そりゃ狭い場所にこんな風に閉じ込められたら誰だって怒る。そういうのは、理解できるってばよ」

「何が言いたい小娘ぇええ……」

「オレさ、わかんねーんだお前の事」

 

 九尾をじっと見上げる。大きい。比喩ではなくまさしく山のようだ。

 

「今までずっと、お前はオレにとって疫病神だった。九尾の人柱力ってだけで蔑まれ、怖がられて生きてきた。木の葉を襲った化け物を腹ん中に飼ってる化け物ってな。だけど、逆に言えばそれしか知らねえんだお前について」

 

 苛立たし気な九尾の唸り声が空間に響く。

 

「………そんな勝手なことを言いに此処に来たのかぁあああ」 

 

 ナルトは頭を掻いた。

 

「オレもよくわかんねー。なんつうかさ、そう。人に聞いたことばっかりなんだってばよ。それだけで、なんとなくこうかなって、勝手に想像してた。それを何も疑問に思ってこなかった。自分から向き合おうとは思いもしなかった。前はそれでよかったかもしれねえけど」

「………………………ぐるる」

「知ってどうなるって話じゃねえかもしれねえし、大して意味がある行為じゃねえかもしれない。でも、オレはこれからそういうのから目を背けていられないんだ。

 ――ちゃんと知らなくちゃいけないって、そう思うんだってばよ」

「何を知るぅうう?」

「もう流されるのだけはご免だ。自分で決めたい。お前を憎めばいいのか、それとも許すべきなのか、それすらオレはよくわかってねえんだから」

「…………………ゆるす、だとぉ………?」

「ちゃんと、お前のこと知りたいんだってばよ。そうすれば、もしかしたら、もしかしたら、……………お前とだって友達になれるかもしれねえ」

 

 揺らめいていた影が、止まった。

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………」

「だからよ、話をしようぜ」

 

 そう言ってナルトは水面の上に立つとそのまま座り込んだ。九尾は身動きをせず、ただ黙ってナルトを見下ろしていた。

 音が消え、二つの眼光が何度か瞬く。

 沈黙が下りる。わずかな間。

 

「く、くくくくくくくく……………」

「………………?」

「ぐははっはっははははははははっはははははははっはははは!!!」

 

 狂乱したかのように九尾は哄笑した。その声に現れた隠す様子もない侮蔑の感情をナルトは敏感に察知した。

 

「なにがおかしいんだってばよ」

「―――くくくく、これが笑わずにいられるか小娘」

 

 狂ったように笑っていたのが嘘のような落ち着いた声で九尾は答えた。

 そのまま檻へゆったりとした動作で顔を寄せる。その表情は静かで、微笑んでいるようにも見えた。

 

「――どうした、怯えているではないか?」

「…………!」

「業腹なことだが、ワシとお前の心は繋がっておる。隠すことなどできんぞ」

 

 心を射抜かれたかのようだった。隠しきれなくなった震えで微かに体が揺れる。

 九尾の嘲笑が辺りに響き渡った。

 ナルトは静かに目を瞑った。心臓が高鳴っているのを感じた。それは高揚ではない。

 恐れ。

 敵として相対するならば、ナルトは九尾を恐れはしなかっただろう。忍としての精神が恐怖に打ち勝つこともできたはずだ。しかし、そうはせずに素のままで接するにはあまりに九尾は強大過ぎた。その圧倒的なチャクラが、存在感が、ナルトの心を竦ませていた。相手は檻を挟んでいなければ簡単にナルトを殺すことができる力の持ち主。その威容は、未だナルトには重すぎる。

 敵としてみる方が遥かに楽なのだ。

 しかし、そうはしないと決めていた。そうしなければ、ナルトと九尾の関係は前とまったく変わらないとそう思ったからだ。

 ナルトは目を開けた。変わらず、恐れは消えていない。

 

「なあ、『人間』よ」

 

 九尾の声は優し気ですらあった。

 

「友とは対等な者同士のことだ。鎖につなぎ、檻に閉じ込め、果たしてワシらは対等と呼べるのか? お前の怯えた心がよい証拠だ。ワシらは絶対にわかり合えぬし、そうする必要もない………」

「…………」

「うせろ人間。次に会う時はまた同じように憎しみ合う。それだけで十分だ」

 

 九尾は間違ってない。ナルトはそう思ったが、同時に反論していた。

 

「オレはそうは思わねえ」

「………なに?」

「確かにオレはお前が憎いし怖いし、嫌いだ。嘘を吐くつもりなんてないし、絶対にわかり合えるなんて口が裂けてもいえねえ。今だって怖くてたまらない。お前の言う通り友達になるなんて一生無理かもな」

「ならば」

「でも、逆を言えば絶対に無理ってわけでもないだろ?」

 

 ナルトは手を広げて九尾を見上げた。

 

「試してみてどうしても駄目だったならしょうがない。お前とオレはずっと憎しみ合う関係だった、そういう風にどうしようもないこともあるかもしれねえ」

 

 一瞬サスケのことが脳裏に浮かんで消えた。

 

「………ま、オレは諦めがわりーけどな!」

「………………なんなんだお前は」

 

 奇妙な生物を見る目で九尾がナルトを見下ろした。

 

「じゃあ最初は定番の自己紹介から始めるか。オレの名前はうずまきナルト! 将来火影になる漢だ!」

 

 ナルトは叫んだ。

 

「……………お前は人間のメスじゃないのか?」

「…………う、うるせーっ、どうでもいいだろ! ――で?」

「で、とはなんだ………」

「いや、九尾って名前じゃねえよな、多分。お前の名前はなんなんだよ?」

「ワシの名前、だと……?」

「そうそう、まずはそこからだろ?」

 

 そう言ってナルトは笑った。九尾は理解できぬとばかりに何度も唸り声を上げる。

 ナルトは少しだけ楽しくなっていた。

 

 

 

 

 

 



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10『猿飛の術』

 

 

 

 

 

 生きるということは新しい発見の日々でもある。

 ナルトは朝の清浄な空気が好きだった。ほとんど人が通らない早朝という時間の大通りは人気がなく真新しい空気で満ちている気がして、それを味わう瞬間は眠気を差し引いても、悪くない。

 本来なら夜更かしすることはあっても朝早くに起きることは滅多になかったこと。性別の変化で間接的にであるが変わったことの一つだ。

 

 ――火影のじいちゃんは朝以外あんまり時間取れねーからなぁ。

 

 あくびを噛みながら、静まり返った町を歩く。

 楽々とはいかないまでも、大分慣れてきた早起き。見慣れてきたこの朝の風景も、毎日毎日全く変わらないわけではない。

 思いがけない発見をすることもある。人がいないからだろうか。不思議と視界が広がっていて、普段なら見落とすような何かが目に付くことが多い。

 ただし、その発見が良いことだと決まっているわけではなかったが。

 

「よぉ、バサバサ女」

 

 朝の時間でもなければその言葉が自分を指しているとナルトは思わなかっただろう。振り返って、後ろを見る。

 黒いファーの付いたパーカーのナルトと同じぐらいの体格の男。両頬に牙の如き入れ墨の入った顔に鋭い目つき。足元には白い毛並みの子犬を伴っている。

 その口元はどう贔屓目に見ても好意的ではない笑みが浮かんでいた。

 

「こんな早朝にどうした? 珍しいじゃねーかよ」

「………うげ」

 

 嫌な奴に会った、というのがナルトの正直な感想だった。

 犬塚キバ。忍者アカデミーの同期。前の時でさえ面倒くさい相手だったのに、今となってはさらに面倒な相手だ。

 以前の中忍試験前まで時間が戻っている今は、すなわちキバの認識も同じように戻っているということ。あの時のキバは完全にナルトを見下していて非常に鼻につく態度を取ってくる相手だった。顔を見る限り今回も変わっていないように見えた。

 ニヤニヤと絡む気満々な顔つき。

 女の子になってからキバと面と向かって話すのはこれが初めてだ。ナルトはわずかに緊張を走らせる。前と比べてもさほど変な関係ではないとは思うが、例外があることをしっかり学習していた。

 

「よっ、じゃな」

 

 軽くそう言って、ナルトはとりあえず歩き出した。

 

「お、おい待てよ!」

 

 慌てたような声と足音。回り込むような動きでナルトの前に立ちはだかった。無視するわけにもいかず、ナルトも停止。ちょっと驚いた表情にキバと対面する。 

 

「………なんだってばよ、オレってば忙しいんだけど」

 

 歩くのを再開すると、キバも並行するように歩く。

 

「はあ? こんな朝早くからかよ」

 

 訝し気な声。

 

「つーかよ、結構久しぶりじゃねえか。お前、よく下忍になれたな」

 

 相変わらずの見下す目線。シカマルと同じようなことを言っているはずなのにどうしてこう偉そうに聞こえるのか。

 

「馬鹿にしてんのかお前」

「お、バサバサ女ー」

「?」

 

 ――さっきからなんだ、バサバサってよ?

 

 聞いたことのない言葉。何ともなく腹立だしい単語であるのは間違いなさそうだが。

 

「……………」

「おいおい、黙んなよ。バサバサって言うなーって言わねえの?」 

「いや、バサバサってなんだよ………」

 

 ナルトは思わず突っ込んだ。

 

「―――はあ?」

 

 少し窺うようだったキバの顔が一瞬困惑に染まる。

 マズイことを聞いたか。ナルトは後悔したが、キバはそのまま二ヤリと口端を吊り上げた。

 

「お前のことだろーがよ、バサバサはバサバサだろ。とぼけやがって」

 

 ――うぜぇ………。

 

 その明らかな小馬鹿にするような表情に、ナルトは反射的にイライラしてきた。青筋を浮かばせながら足を止め、キバをじろりとねめつける。怒鳴りつけてやろうと考えていた。

 

「お、バサバサ~、はは」

 

 おどけた仕草でキバは身を翻すとさっと距離を取った。何が楽しいのか少し遠巻きにナルトを窺っている。

 確かに以前からキバに揶揄われることは多かったが、久しぶりにそうなってみるとかつての苛立ちが蘇ってくる。

 

 ――こういう懐かしさはいらないんだよなぁ…。

 

 と、思ったものの最近の出来事を考えるとちょっと嬉しく感じてしまった。前と同じということはたとえこんな微妙な関係でも喜ばしいことらしい。

 はぁ、と溜息一つ。

 

「お?」

「オレってばお前に構ってる暇ねーからよ」

 

 数か月後の中忍試験でまたボコボコにしてやればいい。そうすれば、この言動も少しはマシになるだろう。

 

「なんだノリわりいなー」

「付いてくんなってばよ」

「いやオレら大門に向かってるだけだから。これがいつもの散歩のコースだ、な、赤丸」

「わん!」

「……………」

 

 同じ方向だ。

 黙って歩くナルトの後ろを、鼻歌を歌いながら付いてくる。追い払うのは諦め、無視して歩く。

 気になることが一つ。

 バサバサってなんなんだろ、疑問を脳裏に上らせる。

 

「そういやお前分身の術出来なかっただろ? よく合格したな~」

 

 

 ――いややっぱうぜぇってばよ…。

 

 ナルトの額に青筋が浮かび上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、ナルト、今日はやけにバサバサしおるな」

「だからバサバサってなんなんだよ……」

 

思わず脱力しながらナルトは言った。場所はいつもの木の葉の森にあるとある広場。

 

「? ほれ」

 

 三代目は怪訝そうに片眉を上げ、手鏡を取り出してナルトに見せた。最近は苦手意識を持ってしまった鏡だが、それを考える間もなく覗き込む。相変わらず見慣れぬ顔が映る。しかし、ナルトの視線はそこではなくその後ろに向かった。

 まるで意志を持っているかのように蠢く髪の毛。毛先が持ち上がり、上を向きながら揺らめいている。

 

「んだこれ、めっちゃバサバサしてる!?」

「だからそう言っているではないか」

「なんだってばよこれ……」

 

 ゆらゆらとまるで炎のように、あまり長くはないものの九つに分かれた黄色の髪がナルトの意思とは無関係に動く。

 それをしばし呆然と眺める。

 やや置き復活したナルトは説明を要求。自分の髪を指さし三代目に見せつける。三代目は困惑した顔でナルトを見つめたが、その勢いに押されたように口を開く。

 

「それは九尾の人柱力の特徴だ。どのような原理かはワシも知らんが、どうも感情に

反応して動き出すようだ」

「えええ、そんなの初耳なんだけど!」

「待て待てなんの話だ一体……」

 

ナルトは前の時はこのような現象は起こってなかったことを混乱しながら伝える。目の色が変わったり、頬の髭模様が太くなったりはしていたらしいことは目撃した様々な人間から聞いていたが、髪が変化するとは言われていない。恐らくなかったことのはずだ。

 

「ふーむ、それは少し興味深い話だな。九尾の人柱力の先代も先々代も同じ特徴があったはずだ。それがないとは………だがまあ…………そもそも人柱力についてはまだ多くのことが解析されてはおらんからな」

「いや、ちょっと待ってくれってばよ。じゃあさじゃあさ、オレってばずっと髪の毛がこうやってバサバサしてたってこと?」

「うむ、まさか気づいておらなんだとは」

「うわーまじか……」

 

 そういえばと思い当たる節がないわけではもない。所々、髪の毛がチリチリする感覚が襲ってきたことが何度かあったはずだ。あの時もしかしたら髪が持ち上がっていたのかもしれない。

 とはいえまさかこのようになっているとは想定外。覗き込んでいた鏡の中ではすでに髪はおとなしくなっており、通常のナルトが映っている。

 あまり鏡を見ないようにしていたのがこんな風に仇となるとは流石に予想できなかった。

 

「確か、怒りに反応してそうなると聞いたことがある」

「あー、なるほど……」

 

 キバが散々絡んできたのはどうもこれが見たかったかららしい。腹立だしいが、立場が逆だったならばナルトも恐らくイタズラしていただろう面白い見た目であった。

 

「なんかスゲーこっぱずかしいなこれ……」

「嫌なら髪でも結ってみたらどうだ」

「んー………」

 想像する。おいろけの術のときのようなツインテール姿の自分を。

「――なんかそれって女の子っぽくない?」

「ぽいと言うよりもだな……、ま、男でも髪は結うだろう。イルカやシカマルも別に変ではないだろうが」

「だけどなー……」

 

 ナルトにとっての自分の性別は未だにもちろん男だ。見た目が金髪で、わずかではあるが胸もある少女になろうが、周囲の認識が女の子であろうが、ナルトはナルト。正真正銘の男だ。だからこそ、髪を結うという行為に、普段はのんきしている警戒心がはっきりと警告を発している。

 この状況に慣れてはいけない気がしていた。

 

「なんかやっぱいい。オレってばそういうのいいや」

 

 バサバサするのはかなりうっとおしいが、見た目が女の子っぽくなるよりはいいだろう。そう思った。

 

「あーあ、髪なんてばっさり」

 

 首筋にかかる襟足を触りながらナルトは続ける。

 

「切っちゃえればいいのによ」

「あまり目立つ行いはするな」

「わかってるってばよ。で、今日はどんな修行するんだ」

 

 髪からぱっと手を放すと意識を切り替える。

 

「うむ、そろそろ次の修行に入ろうかと思っておる」

「おお!」

「思った以上に飲み込みが早い。正直少し侮っておったわ」

「にしし、なんか最近は調子が良いってばよ。チャクラコントロールのコツも大分掴めてきたし、オレってばマジで天才かも」

「ふん、調子に乗るな」

 

 静かな声。

 

「だが、これから言う術を扱えれば……あるいは認めてやってもいい」

 

 三代目は後ろを振り返ると手でナルトに付いてくるよう合図。そのまま森に向けて歩き出す。ナルトは後ろを追いつつ疑問を投げかける。

 

「術ってどんな術なんだ?」

「基本は変わらん。チャクラの吸着と反発を使う術よ。南海鬧天宮(なんかいどうてんぐう)に住まわれる舞天老師から我が一族が賜った秘伝の忍術だ……」

「な、なんか凄そうだってばよ……!」

「その名を猿飛の術」

「――へぇ」

「こら一気に興味を失うでないわ。秘伝忍術とは普通なら一族以外には決して伝えぬ重大な代物なのだぞ」

「じゃあオレにそれを教えていいのかよじいちゃん。あ、っていうか猿飛の術ってじいちゃんの苗字と同じ名前じゃねえか」

「…………」

 

 アホを見る目で三代目が振り返った。ナルトは笑ってごまかした。

 

「あははは、いやーでも本当にいいのか? オレってばよく知らねえけどじいちゃんが言う通り、秘伝忍術って他人には絶対に教えちゃいけない忍術なんだろ?」

「今は時代も変わった。それに猿飛の秘伝は少し特殊な術でな」

「?」

「そも、猿飛とは本来は血縁ではなく『猿飛の術』を扱うものを指す呼称だったのだ。猿飛の術を扱えればそれすなわち猿飛。血の繋がりは二の次よ」

 

 森深くへ入っていく。広場から離れ段々と木立が増えていき、視界はどんどん狭まっていく。ナルトは後ろを振り返りつつ、首を傾げた。 

 

「じいちゃん、あんま広場離れっと練習できないってばよ」

「今日は広場は使わん」

「でもよ、瞬身の術の練習するなら森の中じゃ駄目だし」

「いいや、森の中で瞬身をするのだ」

「んん?」

 

 三代目の足が止まった。周囲を見渡すと完全に森の中に入ってしまっていた。

 鬱蒼と樹木が生い茂り、地面は凸凹と隆起していて平地とは程遠い。木々の間隔も狭く伐採されていないのは一目瞭然だ。

 人の手の入っていない自然。

 三代目より教わったナルトの瞬身の術は凄まじい加速があるがそれゆえ、障害物には弱い。無数の木々が周囲を、その木の根が地面を覆いつくしているこのような安定しない場所では、とてもじゃないが一歩たりとも動けないだろう。

 

「これは初代猿飛サスケから長い間受け継がれてきた伝統の練活だ」

「サスケって、サスケと同じ名前……」

「うちはサスケ『が』同じ名前なのだ。とはいえうちはサスケの名の由来はワシの父の猿飛サスケだがな」

「???」

「襲名といってな、まあ要するに同じ名前を一族の長が受け継いでいく、古い時代の仕組みだ。お前には関係がない話だ、あまり気にするな」

「そうするってばよ…。それよりも気になることがあるし」

 

 改めて周りを見渡す。

 

「ここで瞬身するって言ってたけど」

「そうだ。不特定の遮蔽物のある場所で、それ以外は今まで通りの組手だ」

 

 三代目は構えろとナルトに告げる。ナルトは激しく首を振った。

 

「いやいやいやいや、無理だってばよ! こんな狭い場所じゃ速く動いたらすぐにぶつかってまともに組手なんてできねーってばよ!」

「ふん、それはどうかな」

 

 ニッ、と三代目は笑った。

 瞬間、三代目の姿が消えた。僅かな音。木が擦れるような音が連続で響く。ナルトは視線を急いで巡らせた。それでも視界に残るのは僅かな残像のみ。木から木へ、木から地面へ地面から木へ、縦横無尽に影が飛び回る。ついに視線すら追い付かなくなっていく。

 とん、と肩に軽い感触。

 

「ま、こんなもんじゃ」

 

 背後に立った三代目がナルトの肩に手を置いていた。

 

「…………」

「木の幹も枝も、全てが足場になる。それが猿飛の術の力だ」

「すげぇ………!」

「昔の猿飛ではこの術を扱えれば一人前とされていた。――ナルトこの術を会得してみろ」

「オッス!!」

 

 

 

 

 

 

 修行の後は、任務の時間となる。晴れて下忍となったナルト達三人はさっそくカカシを含めた四人で任務に就くことになった。

 とはいえしょせんは下忍になったばかりの見習い忍者が扱える任務のランクは当然のDランク。任務とは名ばかりの肉体労働系の仕事が過半を占めている。

 最初は新鮮な気持ちだが、それが連日続けば物珍しさはなくなっていくし、慣れていく。

 任務中以外は修行しているナルトはなおさら、以前ほど簡単な仕事に対して興味を持つことはできなかった。

 Dランク任務の報酬は達成後日払いなので生活費のやりくりを考えなくて済む分楽といえば楽だったが。

 Dランク任務の肉体労働系の中でも多いのは荷物の荷卸し業務だ。子供とはいえ忍なので体力や力がある上、荷物を運ぶだけなので難しい手順はない。労働単価は割高なので、里の住民の雇用を奪うこともない。日雇い労働者身分は木の葉の里においては下忍が最初に行う下積みの一つであった。

 空は太陽がぎらつく晴天。

 ナルトは一抱えもある米俵を倉庫に置きつつ、汗を拭った。

 

「ふぅ」

 

 仕事は丁度半分ほど終わっていた。目の前には山と積まれた米俵。馬車から倉庫へ倉庫から馬車への往復だ。

 俵三俵を担いだカカシが歩いてきた。

 

「よいしょ、と。お、サボるなよ」

「へいへい」

 

 適当に頷く。

 新しい修行を始めてから数日が経った。その結果は散々なものだ。修行の段階が上がり今までのように順調とはいかず、失敗して何度も何度も木にぶつかって体中が擦り傷だらけ。当然のように三代目にはまだ拳一発も決めていない。

 頭の中で想定を続けているが、上手くいく想像が浮かんでこない。行き詰っている状態だ。

 今はまだがむしゃらに手ごたえを探す日々である。

 汗を額に浮かべたサクラは、黙々と米俵を運んでいた。少し疲れた様子。ナルトは何か声をかけようと思った。

 

「……なによ」

 

 サクラが目を細めて聞いていくる。

 

「あ、えーっと」

 

 何か言いたいのだが、ナルトは言葉に詰まった。

 

「ふん」

 

 そっぽを向くようにしてサクラは通り過ぎる。その後ろ姿を視線で追い、ナルトは肩を落とした。あの取りつく島のなさといったら、ナルトは足が竦む思いだった。

 どうにかして仲直りしたいのだが、何を怒られているのかがわからなく、糸口が見つからない。

 どうしたものか、ナルトは頭を悩ませる。

 ふと視線を感じて、振り返った。

 サスケだ。

 

「おー、どうした?」

 

 ナルトは意識して柔らかい声を出した。

 

「………いや」

 

 目が合ったのも束の間、視線を逸らされる。

 特に用はないのか、何も言わずに去っていく。

 

「………………………??」

 

 首を傾げる。

 

 ――いやってなんだっつうの。

 

 自分のことは棚に上げつつ、ナルトは喉がイガイガするような変な気分になった。

 最近、こんなことが多い気がする。

 勘違いや偶然と片付けていたが、それが一度や二度ではなく任務中に何度もだと流石に違和感を覚える。目が合うと逸らされるので特に何か問題があるわけではないのだが、気分は良くない。

 

 ――なんなんだよ一体よぉ。

 

 ナルトは唸った。

 

「こらこらサボるなって言ってるだろ」

「……うーす」

 

 視線を外す。

 

「お前はどーも集中力が足りないな……」

「おっとと」

 

 カカシがお説教状態に入りかけているのを察知し、慌てて移動。もの言いたげなカカシを背中に、ナルトは再び作業に戻る。

 

 ――この前からサスケはちょっと変だからなぁ。

 

 どうしたものかと考えたが、ごちゃごちゃとしただけで特に名案は浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 任務が終われば再び、修行の時間だ。猿飛の術の修行に入ってから早くも数日が経過した。

 三代目は忙しいが、最近は代理で修業を見てくれることになっている者がいた。

 ナルトは正直に言ってその相手が苦手だった。もちろん修行をサボるという選択肢はないので否はないのだが、あの態度と言動はどうにも慣れない。

 

「あらナルトちゃん、んなにか文句でもあるのかしら~?」

 

 その『猿』はそう言った。ナルト一人半以上もある背丈のその猿は筋骨隆々で、全身は真っ黒の体毛で覆われている。逞しい胸筋に加えて灰色の鞍型の背の毛は明らかにオスのゴリラの特徴だが、本人はカン高い声で女言葉を使う。装飾は胸当てと目隠しの布のみ。後は真っ赤な口紅を唇に塗りたくっているぐらいか。

 

「い、いやぁ………」

 

 目を逸らしつつナルトは口ごもった。最初の日に口を滑らしてぶっ飛ばされて以降、明確に上下関係が出来上がりつつあった。

 

「言っておくけどねぇ、ヒーちゃんの頼みだからこんなことしてあげてるんだからね、普通ならアタシは下のことには関わらないんだから」

 

 オカマのゴリラが心底めんどくさそうに鼻を鳴らしている。名をミザルという。本人が言うにはとても高貴な猿らしい。

 

「大体アンタなんでそんなに小汚いのよぉ。毛もバッサバサだし、汗臭いし泥臭いし、アタシの美的感覚がもう最悪って言ってるわ。これで可愛い男の子だったらまだやりがいあるのによりにもよってメスガキだし、ほんとに萎えるわ」

「それはもうわかったってばよ、感謝してるって」

 

 正直見た目の話をするならば、自分よりよっぽど奇抜な恰好をしているだろうと、ナルトは思った。何故か目隠ししているし、胸当てはしているのに下は特に何も穿いていない。

 端的に見れば変態のそれだ。

 初日にそれを指摘してビンタで張り倒されたのは記憶に新しい。

 

「でもよこの修行難しいんだってば」

「そりゃそうよ、当たり前じゃない猿飛の術って長い時間をかけて覚えるもんなんだから。あ、人間はね」

「なんかコツとかないのか?」

「止まらないこと。流れに乗り続けなさい」

「いや、それが難しいんだってばよ」

「じゃあ、死になさいな」

 

 ばっさり切り捨てられる。

 どうもミザルに快く思われていないことをナルトは察していた。とはいえこちらが修行を頼んでいる身の上。この程度の皮肉で文句を言える立場ではない。

 頭でわかっても腹は立つ。それを抑えて気を静める。

 黙って目を瞑って掌を体の前で合わせる。

 身体の中心、腹部の中央に意識を集中させる。経絡を通り抜けるチャクラを感じ取る。普段は無意識の内に行われるチャクラの循環に意識を傾ける。要は螺旋丸の修行と同じだ。

 チャクラは巡行し、体の中心から手足に伝って、また中央に戻る。その繰り返し。こうして感じてみれば、不思議と今までどうして無視できていたのかが分からなくなるほどその存在は明確な感覚だ。

 こうなってくると、その感覚がナルトにほんのわずかな変化をもたらす。目を閉じている状態では陽の光が瞼を射す以外は何も見えていないのに、不思議と周囲の空気の動きが感じ取れるようになる。正確に表現するなら視界ではなく触覚に近い。体の周りを覆うチャクラが、周囲に触れてその感触がナルト自身にも繋がっている。その感覚が、どうも、目を閉じていても少しだけ見えているような気にさせるのだ。

 とはいえその範囲は本当にわずか、身体の表面を一回り覆っている程度だ。

 ほとんど気休めにもならない。

 

「自分のチャクラは感じ取れるようになったわね」

「……うん」

「まあそれができないならお話にもならないんだけど。じゃ、そのまま目を瞑ったまま目標の木まで歩いてみなさいな」

「押忍…」

 

 そのままゆっくりと歩く。足裏の感覚に意識を集約して、些細な変化も逃さないようにする。小石、地面の隆起、木の根、バランスを崩す様々な障害物。

 それだけではない。目を瞑っているせいで、印のついた木がどの位置なのかはっきりしない。うかつに歩いていけば当然のように向きがズレていく。体と地面の向きをしっかり体感しなくてはいけないのだが、これが難しい。

 

「ほら、ちんたら歩かない!」

「お、押忍!」

 

 どやされて歩く速度を上げる。脳裏に印のついた木を思い浮かべる。それと同時に、自然と目を閉じる前に見た地面のイメージも浮かび上がった。

 たしか、ここはこんな風だったような、とか、ここら辺に木の根がうねっているな、とか、わかっているがイメージは勝手に浮かんでしまう。

 障害を乗り越え、わずかに開けた場所に出た。

 ここから目標はあと少しだ。

 目標に気を向けた瞬間、脛に何かが引っかかった。意識の外のできごと。

 

「どぅわあ!!」

 

 予想外のことに体はバランスを崩し、前のめりに倒れる。速度を上げていたせいで思いっきりすっころんだ。

 

「はいだめー」

 

 平坦なミザルの声。

 脛に当たるほど高い障害物はなかったはずだ。ナルトは目を開けて振り返った。

 そこには足を突き出したミザルの姿。ひっかけられたようだ。

 

「それありかぁ!!」

 

 思わずナルトは叫んだ。

 

「足を出さないとは言ってないし、足裏に集中しすぎなのよねー。それからアンタ、ズルしたでしょ」

「ちゃんと目は瞑ってたぞ」

「地形を記憶してたでしょ」

「う」

「人間てなまじ頭がいいから記憶で補っちゃうのよねぇ。未来とか過去とかが見えるから視界は広い。けれど、今に見えてるはずのものが見えなくなってしまっているの。わかる?」

「?」

 

 ナルトは首を傾げた。

 ミザルは盛大にため息をついた。

 激しく馬鹿にされているのだけはわかる。巨体に似合わず軽快な動作で両手を上げて肩を竦めて首を振った。

 

「馬鹿そうだもんねアンタ。この術向きだわ、よかったわね」

「むがー!!」

「やぁ、品のない叫び声ねえ」

 

 その後、日が傾くまでナルトの修業は続く。

 今日は変わらず、大した進歩は感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よ、ナルト!」

 

 夕方、木の葉大門に戻り中央の商店街を歩いている途中にそう声を掛けられた。

 うみのイルカだ。イルカはナルトのボロボロの姿に驚いた様子だったが、修行と聞くと納得。苦笑しながらナルトの頭を撫でた。

 既にもう夕焼けの時間だ。アカデミーも終わり、イルカも帰宅途中だったようだった。

 

「久しぶりにラーメンでも喰い行くか?」

「おお! 行く!」

 

 即答。

 

「ま、他の生徒の手前奢りは駄目だが、ちょっと遅くなったが少しぐらいお祝いをしよう」

「お祝い?」

 

 ナルトは何のことかわからず聞き返した。

 イルカは少し怪訝な表情で告げた。

 

「下忍になったんだろ?」

「………なったけど?」

「なんだ、うれしくないのか?」

「あ、ああ! そういうことか!」

 

 もう遠い記憶のように感じられるが、確かに以前下忍なったときもイルカに祝ってもらっていたのをナルトは思い出した。 

 

「今日は修行で疲れてるのか? じゃ、日を改めるか……」

「いやいや大丈夫! いやーイルカ先生に奢ってもらえるとは嬉しいってばよ」

「だから奢りはしないと言ってるだろうが」

 

 イルカの背中を押しつつ一楽へ向かう。修行修行であんまりイルカと会う機会がなかったことを実感する。

 

 ――ああ、なんだかこんなやり取りも懐かしいってばよ。

 

 以前と少しも違わない。そして変わることもないだろうという安心感。

 イルカだけは絶対に変わらないだろうと、そう確信できることにすごくほっとした。

 一楽でボロボロのナルトが驚かれる一幕はあったものの、二人で並んで丸椅子の並んだつけ台に座った。

 

「しかし、最近はこんな時間まで修行しているのか」

「へへ、まあ」

「偉いな。頑張っているようだな」

「まあねまあね! オレってば頑張ってるってばよ!!」

 

 ナルトはぐんと胸を張った。イルカはニコニコしながらまたナルトの頭を撫でた。

 

「偉いな、本当に」

「お、おう」

 

 少しだけ照れつつ、しかし前のように意地を張って振り払う気にはなれなかった。どうしてか少しだけしんみりした気分だった。

 

「………でもよ、上手くいかないこともちょっとだけあるってばよ」

「そうか」

 

 イルカは静かに頷いた。それは、悩みがあるなら言ってくれてもいいし、言いたくないなら言わなくてもいいという、優しい仕草に見えた。

 ここで全て打ち明けてしまうのはどうだろうか。それは凄く魅力的な妄想だった。

 想像だけ。

 心内を隠して、ナルトは微笑んだ。

 

「ま、でも別にどうってことないけどな!」

 

 少し暗くなった空気を吹き飛ばす。せっかくラーメンを食べようってときに暗い雰囲気は似合わない。

 

「そうか」

 

 もう一度イルカは頷いた。

 

「……よし、今日はやっぱりオレが奢ってやる!」

「え、いいのか!?」

「ああ、ただし他の生徒には内緒にしろよ?」

「イルカ先生、それってえこひいきになるんじゃなかったのか」

 

 そうナルトが聞くとイルカは少し驚いたようだったが、小さく笑った。

 

「いいや、そうでもないさ」

「そっか? じゃあ、オレってば追加でチャーシューと餃子で!」

 

 一楽の店主のテウチが親指をぐっと立てた。

 

「へへ、替え玉しまくるってばよぉ!」

「ナ、ナルト、あのな……」

「いやー奢りで食う飯は最高だ!」

「いや、だからだな……」

「ありがとなイルカ先生!」

 

 はぁ、と諦めのため息が一回。

 

「……今日だけだぞ」

「よっしゃああ!!」

 

 そのあとめちゃくちゃ替え玉した。

 

 

 

 



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11『霧中』

 

 

 

 朝目が覚めたとき、激しく心がざわつく瞬間がある。

 羞恥と後悔。悲しみと怒り。そして、認めがたい感情。

 憎しみを忘れないためだと自分に言い聞かせていても、目を反らしきれない愚かさを呪わずにはいられない、そんな時間が、うちはサスケにはあった。

 それは愚鈍で、どうしようもない、子供だった頃の記憶の夢を見たとき。

 記憶に焼き付いてしまっている、ただ一人の男の背中を追いかける。そんな夢。

 走る。どんどんと遠ざかっていく背中にただがむしゃらに追いすがる。

 その時の気持ちに憎しみも怒りもない。

 どうしてかあの時の気持ちのままだ。嫉妬、焦り、不安、そしてそれらと同じぐらいの憧憬。

 必死に、必死に、追いつこうと全力で走り続ける。

 何度も、何度も、見た夢。

 その結末もすでに知っている。それだというのに、夢の中の自分は毎回変わることはない。

 何度もその男の名前を呼びながら、愚かに自分の感情をただ曝け出している。目が覚めた後のことになどまるで頓着する様子もなく、その剝き出しの幼稚さを目を覆うことさえできない自分に突き付ける。

 何度も、何度も、何度も、見てきた。

 何もかも変わってしまった。

 それでも、夢の中ではあのころのままだ。

 こんなに憎いのに。こんなに苦しいのに。

 あの背中はどうして未だ、こうも鮮明に記憶に残っているのだろうか。

 やがて前を進んでいく背中が止まる。

 いつも通りの結末。

 そして、後ろのサスケを振り返る。

 振り返ったその顔に見えるのは血の涙を流す異形の写輪眼。そのはずだった。

 そこに立っていたのは、一人の少女。

 金色の長い髪。そして青い瞳。

『おー、どうした?』 

 驚いたように瞳を大きく見開いた少女が、目の前に立っていた。

 そうして、不思議そうにサスケを見た後、狐のように目を細めて笑った。

 そこで目が覚めた。

「……………」

 焦点が定まった視界に飛び込んだのは、見慣れた天井だった。白く塗装された左官天井。

 それを呆然と見上げながら、次第に込み上げてくる感情に、サスケはうめき声を漏らした。

「……………」

 うずまきナルト。最近急に強くなったアカデミーの同期で、今は同じ班員。サスケは班演習以来、どうもこの少女を無視できなくなっている自分を自覚していた。

 疑問のせいだ。体を起き上がらせ、サスケは内心で毒づいた。

 うずまきナルトの強さ。それがどれほどのものなのか。

 アカデミー同期の中では断トツで最下位のドべだった少女が、実はあれほどまでに強かった事実はサスケに少なからず衝撃を与えた。

 強さを求めてきた。それだけの努力もしてきた。自分が才能がないとは全く思わないが、真の天才だとは思えない。だからこそ、努力だけは誰にも負けない様に、量と質を求めてきた。

 上忍や中忍に敵わなくても、せめて同年代の忍ではもっとも優秀であろうと、そう鍛錬してきた。そしてそれを達成してきた自負と自信が、少なからずサスケの中に存在していた。それは『誇り』と言い換えてもいいかもしれない。

 だから、認めがたい。

 小さい、自分でも自覚していなかった自尊心を無造作に殴り飛ばした少女に、サスケは困惑と嫉妬を抱いた。

 アカデミー卒業からの短い期間の修行で強くなった? そんなことは絶対に有り得ない。あってはならない。強さを隠していた、そうに決まっている。

 そして、そうであるならばそれは理解し難い行為でもあった。わざわざ授業では手を抜く意味は一体なんなのか見当もつかない。

 ナルトには何度か喧嘩や組手を挑まれた記憶がサスケにはあるが、そのときも一度も負けたことはない。もちろん、少女相手に本気を出したことはないが、その相手もまた、まるで本気を出してはいなかったのだ。

 まるで狐につままれた気分だった。

 そしてあの演習での言動だ。ただのウスラトンカチであるはずがない。

 第七演習場で見た、ナルトの姿は今までの幼稚な態度とは違い、大人びていた。その姿を思い出す度に、サスケは疑問を覚えずにはいられない。

 今までただの変わった奴だと思っていたが、そう再認識してみれば、急にその印象もぼやけてしまっていく。

 まさしく、捉え難い。

 どれほどまでに強いのか。そしてどこまでが演技だったのか。

 その捉え切れない不確定さが、サスケにある人物を思い起こさずにはいさせなかった。

 小さなひっかかりと苛立ちは修行の集中も乱している。それもまた腹立だしく、そして無視できない障害だ。

 強くなるための邪魔な要素は取り除くべきだ。

「………………見極めてやる」

 自分に言い聞かせるようにサスケは呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「護衛任務…………ですか」

 火影の執務室に呼び出されたカカシはそうぼやいた。

「うむ」

 目の前の壮年の火影は頷く。

「そりゃ構いませんが、ちいっとばかし早すぎやしませんかね。最低でもCランク相当の任務ですよ」

「単刀直入にいこう。まずはこれを見ろ」

 そう言われ、渡された資料に視線を落し、ざっと目を通す。そこにある一つの会社に視線が留まる。

「ガトーカンパニー、ですか」

 世界有数の大富豪ガトーが経営する海運会社。世界中で手広く事業を行う外航海運系で、表向きはクリーンな仕事を行っているようだが、評判はあまりよくない。ギャングや忍を利用して、ヤクザ紛いの商売をしているという噂もあった。

 もっとも、そういった会社はさほど珍しいわけではない。近海はともかく外海は海賊が少なくないし、警備会社や忍者に毎回正規に依頼するのは高く付く。必然、多少の武力は必要になる。

 ガトーカンパニーも、やや黒寄りとはいえその範疇だ。

 資料を読み進め、概要を理解する。

 つまりヤクザ者の地上げだ。ただし、規模は遥かに大きい。

 波の国という小さな島国を、ガトーカンパニーが金と暴力を巧みに用いて乗っ取りつつあるということ。

「なるほどこれは………、厄介ですね」

「うむ」

 波の国は、複数の里の利権が絡む緩衝地帯だ。火の国は他国に周囲を囲まれている立地上、輸出入の多くを海上交通に頼ってきた。必然、戦時にはその主導権を争って、水の国や雷の国との間で何度も海上を血で染めてきた。

 結果的にいくつかの中立地帯の島々を置くことで決着を付けた。波の国もその中の一つだ。要するに、干渉がし辛い場所ということ。

 火の国に近い位置にあるこの島国は、文字通り他国との緩衝材の役割がある。そこに迂闊に近づけば、すなわち挑発行為と受け取られかねない。

 加えてガトーは忍ではない。一般人かどうかは怪しいところだが、忍ではないものは、忍の法では裁けない。国の対応を待たなければならず、それは遅きに失する可能性が高い。

 その点、ガトーは上手くやっている。表面上に犯罪行為は見当たらず、非難する点がない。

「つまり、任務に託けて証拠を集めてこい、ということですね」

「そうだ」

「低いランクの任務依頼ならガトーも油断すると、………………うーん」

 何故、自分の班なのか、カカシの疑問はまずそこに当たった。波の国は火の国という大国から見れば小さな地方都市に過ぎず、重要度は低い。とはいえたがだが組織したばかりの新造の班が担当する任務には不適格だ。

「正直に申し上げれば、ますますわかりませんね。なおさら、この任務はあいつ等には早すぎる。これはAランク相当の任務です。もっと適任がいるでしょう」

「そうだな、それは当然の疑問だ」

 火影がさも当然といった様子で頷くので、カカシとしては続くところの言葉を失った。目の前の人物が愚かな人物ではないという信頼から、余計なやり取りの必要性を感じなかったからだ。

「しかし、あえてこう言うが、お前たちこそが適任なのだ。そして、それは恐らく間違いないだろう」

「?? それはどういう意味ですか?」

「それは言えん」

 火影の断固たる口調とは裏腹に、表情は真摯だった。上から命令する者の傲慢さは毛ほども感じられない。それがよいのか悪いのかは、人の感性によるだろうが、そういう態度をカカシは内心に好ましく思っていた。

 カカシは、一旦、一切の私情を捨て、この任務を達成できるかどうかのみを判断することにしてみた。

 結果から述べれば、やはり難しい。ガトーが尻尾を出すかどうかは分の悪い賭けだ。それに気になることもあった。

「ここに抜け忍を何人か雇っているとありますが、それはどの程度のランクの奴か、それは把握しているのですか?」

「正確にはわからん。数は多くないようだが、その中の一人は元忍刀七人衆という情報もある」

「…………本当にわかりませんね。貴方が無意味にこのようなことを押し付けるとは思えない。しかし、やはり私には理解できない」

 カカシの物言いは、組織の長に向けるにしてはやや丁寧さに欠けた。それを指摘することなく、三代目はもう一度繰り返した。

「それは言えんのだ」

 表向きの理由を述べずに、実直に言えないと断言するのは信頼の証なのは間違いない。

 任務について詳細にはできない場合がある。それをカカシは理解していた。

 カカシの思考の天秤は揺れ、そして片方に傾いた。

「――わかりました。任務を拝命します」

「すまん。頼む」

「私は木の葉の忍としての忠誠があります。ですが、最悪の場合は班員の命を優先しますよ」

「……………お前は正直な男だな」

 三代目は、小さく微笑んだ。

「責任は負うつもりです。申し訳ないですが」

「かまわん。そうするがいい」

 執務室を退室する。

 曲線を描く通路を歩きながら、カカシは静かに物思いに耽った。

 苛立ちも怒りもなかった。ただ考えたいことがあった。

 橋が完成するまでの護衛という任務そのものは、不可能ではない。例え元忍刀七人衆がいようと、自信はある。しかし、ガトーを罪に問うのは難しいだろう。他国人に忍が手を上げるには、それなりの『手続き』と『理由』が必要なのだ。

 ガトーが事故で死ぬか、偶然に第三者がガトーを殺してくれでもしてくれない限りは。もちろん、カカシはそんなことは起こりえないと理解している。

 普通なら不可能。

 ただし、普通ではない者がカカシ班に一人いるのもまた事実だ。

 ――うずまきナルト。

 長い金髪の少女がカカシの脳裏に浮かんだ。

カカシの勘が告げている。

 恐らく、三代目の発言はうずまきナルトが絡んでいる。確証はないが、カカシは確信していた。

 ナルトはカカシ班にとって唯一、不確定な存在。

 未だ底知れない何かを隠している、そんな気がしてならなかった。

 それをこの任務で見極めねばならない。

 

 

 

 

 

 

 



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12『霧中』②

 

 

 

 修行を続けて数日が経った頃。ナルトは少しばかり驚いたことがある。

 相変わらずミザルには馬鹿にされるし、才能がないと言われるのであくまでナルト自身の体感的な話なのだが。

 今まで散々不器用とか『意外性は』ナンバーワンだとか、落ちこぼれ野郎だとか(これは自分でも思っていたが)主に悪い面での評価ばかり下されていた。しかし、必死になって修行をこなしていく内に、ふと思った。

 

 ―――俺ってばもしかして才能あるんじゃねえか?

 

 と。

 うずまきナルトに苦手な分野は多々あるが、とりわけチャクラコントロールの部分に関してはまったくもって才能なしの烙印を捺されてきた。これはどうやら九尾のチャクラが影響しているらしいということは、自来也から聞いている。体に九尾のチャクラが封印されているナルトは云わば巨大な台風を内側に飼っているようなもので、いくら厳重に封印を施しても、完全には防げない。この場合の被害を受けるのが主にチャクラを精密にコントロールする技術ということになる。

 それはしょうがないことだと納得していたし、諦めていた。

 螺旋丸を会得できたことで、何か吹っ切れたような気さえしていた。いくら不器用だとしても、修行を真面目にこなせばこれほど難しい忍術だろうが使えるようになれるんだ、と。そう受け入れられたのだ。

 そこに急に、チャクラのコントロールが簡単になった現実がやってきた。

 気が付いてはいた。三代目に修行を付けてもらってから数日ほど経ったころ、どうも自分は多少チャクラのコントロールが上手くなっているぞ、と、ぼんやりと理解した。それは喜ばしいことだったが、そこまで意識はしなかった。

 ミザルの修業を受けるようになって、学ぶ術の難易度が上がっていくにつれて、その認識がある日急に意識に上り始めた。チャクラコントロールの恩恵をひしひしと感じずにはいられなくなってきたからだ。

 

「―――こら、目を意識しちゃダメよ~、肌でチャクラで空気で感じなさい。(たなごころ)を広げるイメージよ。大きくて広い手がこの空間そのものを包み、周囲の全てを掌握する姿を思い浮かべ続けなさい」

「押忍ッ(タナゴコロ………?)」

 

 そしてその感覚は不思議と体に馴染んでいる気がしていた。特別な力が与えられたという感じではない。例えば九尾のチャクラなどは、凄まじい力を感じはするもののどこか不安定でフワフワした形で捉えている。自分の延長線上ではなくどこか切り離され、体の外側にある感じだ。触れはできるものの、操るのは難しい。翻って今の状態は、大分違う。

 しっくりくるのだ。まるで微妙に掛け違っていた歯車がピッタリと噛み合ったかのような、それ以外に表現しようのない感覚。確かに何かが変わっているのに、それが本来の正しい姿のような気がしている。

 この実感が正しいかどうかはわからないが、間違ってもいないと思う。妙な自信がある。

 

「さあてそろそろ『このそれなりに大きな石』を投げるわよぉ~~、しっかりと見極めて避けないと、まあまあ痛いし多分骨も折れるわよ~」

「………見極めるっても、目隠しで目を開けられないんですけど」

「それはそうよ。そういう修行だもの」

「うーん、オレってば結構現代っ子だからそういうスパルタは苦手っていうか、だああああ!?」

 

 死んだことでチャクラコントロールが上手くなった。そんな風に考えたこともあった。何か死後の世界を見た影響なんじゃないかとも思った。それは確認のしようがないことなので、間違いとも断定はできないが。

 あるいは、自分で気が付いていないだけで前からこのぐらいはできるようになっていたのかもしれないとも考えた。螺旋丸を使えるようになってから、確かに前よりもチャクラの扱いが上手くなった気がするし、それも否定はできない。

 

「ほらほらほら、止まらない。そうよ、そう、そのまま動きをとめてはダメ。流れに乗り続けなさい、いいわね?」

「――――――っ!!」

「あら無視かしら?」

「だらぁあ! 返事してる余裕ねえんだっつの!」

 

 だが、どうもそうは思えない。理屈というよりは、感覚の問題だ。

 何かが変わったというよりは、何かが戻ったという方が、ナルト自身の直観に引っかかるものがある。

 それこそ、無くなっていた腕が一本戻ってきたかのような、そんな感触があった。

 これは完全な想像だが、もし九尾のチャクラの差し響きがなければ、その影響を受けずにしっかりと自分のチャクラに集中できたなら、―――このぐらいコントロールができていたのではないか、そう思うのだ。

 そもそも九尾のチャクラが自身のチャクラに及ぼす影響を自分で認識できたことはない。だからこれは想像。

 まあ喜ばしいことには違いない。―――ただ、全てが上手くいっているかと云えばそうでもない。

 

 代わりになんか、スタミナが落ちた。

 

 体力がなくなってしまっているようなのだ。相変わらず回復力は馬鹿みたいにあるのですぐに元に戻るのだが、そのかわりなのか直ぐにバテてしまう。あくまで以前と比べてではあるが。

 チャクラコントロールが上手くなった事実が、逆にその欠点を隠してしまっていた。減った分をコントロールで埋めた結果いつも通りに動けてしまっていて違和感に気づけなかったのがその理由。自分本来のチャクラ量が減っているらしいことに気が付いたのは、かなり最近のこと。今のところさほど不便はない。

 これも女の子になった影響なのだろうか。

 

「―――じゃ、今日はここまで」

「…………………死ぬぅ」 

 

 

 

「まぁまぁね」

 ミザルが今日の総評を述べた。

「とりあえず見習い坊主てところかしら」

「ほんとぉ? これだけ修行してるのに?」

「ヒーちゃんならアンタぐらいの時にはもう猿飛の術どころかありとあらゆる秘術をマスターしてたわよ」

 ヒーちゃんとは猿飛ヒルゼン、すなわち三代目火影のことだ。

「三代目と一緒にするなってばよ! こちとら筋金入りの落ちこぼれなんだからよ!」

「知らないわよ、人間に物を教えることなんてやったことないからね」

「え?」

 ナルトは休めていた体を起こすと首を傾げた。

「そうなのか? なんか色々知ってる風だったけど」

「それはただアタシがすごいだけよ。言ったでしょ、アタシは高貴なサルなのよ。ヒーちゃんに頼まれなければ人間なんかに関わったりしないわよ」

 そう言って奇妙な文様の刻まれた目隠しの布と胸当てだけ付けたゴリラはフン、と鼻を鳴らした。

「人間なんかって、酷い言いぐさだってばよ」

 ナルトの顔が思わず引きつった。

「人間ったって色々いるだろ」

「人間は人間よ。それ以上でも以下でもない。アタシはずっと前にそれを悟ったのよ」

 アンニュイな顔でミザルは俯いた。

「―――特にメスは碌なもんじゃねえ」

「完全に私怨じゃねえか」

 思わずナルトは突っ込んだ。刺々しい態度とは裏腹にミザルは意外と気さくな性格であった。未だナルトを快くは思っていないようだったが、修行については真面目に教えてくれていたし、手は抜くことはしない。  

 修行の内容は相変わらず激しいが、最近は少しだけ認めてくれている気がした。

「ま、アンタは頑張ってるんじゃない?」

「いいってばよそんな取ってつけなくてもよ」

「あらナマイキね。ま、半分はお世辞で半分は本当。実際、人間の事なんてアタシにはわからないからね。ただナルトちゃんの成長速度は悪くないわよ」

「………ホントに?」

 ちょっと嬉しくなったナルトはニヤけるのを抑える。

「わお、アンタすぐ他人を信じるのねー、忠告しておくけどそういうの止めた方がいいわよ」

 両手で口元を覆い、はっとしたような、わざとらしい態度。軽快で尚且つ腹が立つ仕草だった。

「なんなの! 一体!」

 明らかに馬鹿にされている。 人間が嫌いだと言ってはいるが、随分と人間らしい仕草だな、とナルトは思った。もちろん口には出さないが。

 このムカつくゴリラをナルトは好きになりつつあった。

「猿飛の術そのものは結構できるようになっているわ。実践ではまだ怪しい部分はあるけど、あの『裏技』を使えば、まあ使い物にはなるわね」

「…………」

「ただスタミナの消費は著しいわ。使いどころを間違えないことね」

 これは真摯な指摘だ。釈然としない思いを抱きつつ、受け止める。

「…………押忍」

 結局、猿飛の術は完全にはマスターできなかった。

 猿飛の術には三つの段階がある。

 一つは己のチャクラを感じること。

 次にそのチャクラを使って自分以外を感じること。

 そして最後に自分以外のチャクラを感じること。

 第二段階まではこれたものの、そこでまた詰まってしまっていた。しかしそろそろ期日が迫っている。

 これからしばらくは波の国での任務になるだろう。

 ようやくか、というのがナルトの正直な感想。不安な要素はもちろんあるが、任務を回避するという選択肢は取らなかった。サスケやサクラの成長、波の国の人々のこと、そして白や再不斬のこと。やらなければならないことは多いが、その分ずっと意識してきた。

 確実に力を付けた。不安は残るが、やれるはずだ。

「相変わらず前ばっかり見てるわねえ………」

 ミザルが呆れたように呟いた。

「駄目なのか?」

「さあね、ただ猿飛の術を完璧に扱うためには、『今』を見る必要があるのよ。それができなければ、完璧にはならないわ。アンタが次のステップを踏めるかどうかはそれ次第」

「………?」

「ま、精々、任務の間に無い頭使って考えなさい。それができたら次の修行に移ってあげるわ」

 修行は終了し、疑問は保留のまま一時中断された。

 ミザルが禅問答のようなことを言うのは、もう慣れた。意味ありげに言うのではなく、もっとはっきりと言うべきだと常々思っているが、そのアドバイスがまったく無意味だったことはない。

 不満はあるが、ナルトはそれを飲み込んだ。

 仕方なく言われた通り、しばらく考えることにする。

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、運がよかったな」

 護衛任務より数日前に、波の国で起こったことを改めて話した時、三代目はポツリと呟いた。

 あの任務の時の戦闘が脳裏をよぎる。

 橋作り職人のタズナに護衛依頼されて波の国に向かう途中、霧隠れの抜け忍に襲われた。それがこの任務の一連のできごとの始まりだった。それを撃退したと思ったら今度は忍刀七人衆の一人、再不斬の襲撃。それを退けたら、実は再不斬は生きていて、今度は白という少年と共にナルト達と死闘を繰り広げた。

 

 まあ確かにどこで死んでもおかしくはないな、とナルトは思った。

 

 あの時の未熟さを思うと寒気がする。結局、白は最後までナルト達に対して本気を出してはいなかった。そうでなければ、少なくもナルト達三人は死んでいただろう。未だあの肌を凍らすような寒い霧と、その中で佇む青年の姿がナルトの記憶に鮮烈に焼き付いていた。

 

 同意したナルトに三代目は首を振った。

 

「違う、そうではないわ。よいか、ワシが言ったのは、再不斬がガトーの始末をしたことについてだ」

「…えーっと、それがなに?」

「馬鹿たれ」

 キセルで頭を殴られた。痛い。最近の三代目は前と比べてやけに厳しい。下手な返答をするとすぐに叱責が飛ぶし、次いでに手が出ることもある。

「考えろ。少しは」

「………、あー確か、忍は基本的に普通の人に危害を加えてはならないんだったけか?」

「そうだ。ガトーはマフィア紛いの商人だが、法に則れば奴は一般人だ。だからこそ、運が良かったのだ。抜け忍で犯罪者な再不斬がガトーを殺したからこそ、すべて丸く収まった。なにより元霧の忍というのが良い。波の国は霧隠れと木の葉隠れの緩衝地帯だが、再不斬という相手側の不手際ならば、均衡が崩れる心配もあるまい。最善とは言えんが、恐いぐらいに上手く嵌っている。出来得るのなら、今回もなるべく不測な事態が起こらないよう前回と同じように行動する必要があるだろう」

「でもよ、じいちゃんそれだとさ、白が犠牲になるってばよ。オレ、アイツに死んでほしくない」

「……ナルト、ではどうする? 確かに白という青年に同情の余地があることは認めよう。しかし、未来を大きく変えればそれは同時に波の国に難しい問題を残すことになりかねん。どうあっても再不斬にガトーを殺させなければならないぞ。それができなければ例え再不斬を退けても、波の国にガトーは存在し続ける」

「なんとかする方法はないのかよ? たとえば、……大名に頼むとか」

「できなくはないが、時間がかかる。それにその手の戦いにガトーのような男は強い。確実なのはやはり奴の常識の外にあるような武力なのだ」

「……………」

「そうでなくとも、白という少年を救うのは難しい。もし仮に今回死なずにすんだとしても、それは一時的な救済にすぎんだろう。生き方を変えん限り彼はまたどこかで人を殺し続ける。生かすことがすべての救いになるわけではない。狡い言い方だとは思うがな」

 

『よく勘違いしている人がいます。倒すべき敵を倒さずに情けをかけた………命だけは見逃そうなどと』

 

 白に言われたことを思い出す。

「じいちゃんはつまり、オレに白を見殺しにすべきだって言ってるのか?」

「違う」

 三代目は意外にもナルトに否定してみせた。

「覚悟しろ、と言っておるのだ。救うにせよ救わないにせよ、その結果を受け止める心構えをして置くべきなのだ。正直言って、未だお前の未来の知識についてワシは完全には信用しておらん。だが、それを扱うと決めた以上、お前をただの下忍と見做すつもりはない。お前はその知識を使いこなせるようにならねばならん。そうする上で言っている、覚悟をしろ、と」

「………覚悟」

「そう、覚悟だ。どのように選択したとしても、その責任はお前が負わねばならない。白を救うことなく前と同じようにするのか、危険を冒し、より良い結果を望むのか」

「………じいちゃんはそれでいいのか? オレが勝手にやって」

「どのみち、完全に以前と同じようになどできはしない。ならば、お前が良いと思うような行動を取れ」

 思うように、か。

「とりあえずは必要がないところでは前回と同じように振る舞う方がいいだろう」

 三代目の忠告に、ナルトは頷いた。

「わかったってばよ」

 

 ―――駄目だった!!!!

 

 ナルトはそう叫びかけた。

 波の国と火の国の間に満ちた海をエンジンを切った小舟を櫂で持って漕いで渡っている最中での出来事だった。深い霧で覆われた周囲は見通しが利かず、だからこそ誰にも気づかれずに波の国に辿り着けるだろうと踏んでいたのだったが。

 その目論見はあっさりと失敗に終わったようだった。

 周囲には薄っすらとしかし確かに存在する、殺気。それも複数。

 船上での戦いは多くの場合、二つの戦い方に絞られる。船を破壊するか、乗っている人間を戦闘不能にするか、そのどちらか。敵の居場所は分からない上、貧弱な小舟の上に護衛対象が乗っているナルトたちは、どちらを攻められても圧倒的に分が悪い。

 飛んできた無数の手裏剣を捌いたカカシがクナイを構えた状態でゆっくりと辺りを見渡して、頷いた。

「どうやら完全に囲まれました」

「な、なに! なにも見えないぞ!?」

「どうなっているんだ!? 俺達は安全だって言ってただろ。話が違うぞタズナ!」

「………」

 漕ぎ手の二人が、今回の護衛対象であるタズナを責め立てる。

「さて、どうやら任務を依頼する時には話して頂けなかったことがあるようですね。ま、よくある話ですが」

「…………ああ、その通りじゃわい」

「なんの話ですか!?」

 サクラが悲鳴のような声を上げた。

「スマン。実はこれは単なる護衛任務ではないのだ………」

 そうして手短にだがタズナは自分の命が狙われていることを語りだした。

 無論ナルトは知っていることだ。目を凝らして警戒しながら、ナルトの疑問は別の場所にあった。

 前回の記憶では船の上での襲撃はなかったはず。さらに、その前にあるはずの二人の忍による奇襲、これが起こらなかったこと。

 水溜りに偽装した隠れ身の術を用いて襲い掛かってきた二人の忍。前回は現れたそれが、今回は現れなかった。本来ならそこで橋作り職人であるタズナとマフィアのガトーの因縁が語られるはずだったのだ。

 最初っから全然違ってしまっている。

 

 やはりもうすでに未来は少しずつズレている。

 

 ナルトは焦りを覚えつつも、納得した。そもそも自分自身が未来を変えるつもりなのに、いざ変わってしまうと驚いてしまうのはおかしいだろう。これも想像できたはずだ。

 サクラの動揺した声や、サスケの困惑した声を聞き流しつつ、ナルトは自分を落ち着けた。

「そうだ! 今更見つかる心配もなにもねえだろう、エンジンを動かして逃げようぜ!」

「それは止めた方がいいでしょう。もし相手がこの船を沈める気ならばもうすでに全員海の中ですよ。……恐らく相手は確実を期して仕留めたいのでしょう」

「じゃ、じゃあどうすればいいんだ!?」

「どうする、ナルト?」

 唐突にカカシからの質問。波の国での戦闘は予想していた。その地形とそれに沿った戦術の知識もある程度は三代目と一緒に勉強していたナルトはそのままに答えた。

 

「まずは相手の位置を索敵、発見したらどうにかして相手の隙を作って、それから脱出がいい―――と思う」

「―――よし。サスケ、サクラ、お前らはタズナさんと漕ぎ手のお二人を中心に円の陣形を取れ」

「ッチ、まったくどうなってやがる」

 サスケが短く悪態を吐きながら指示に従う。

「で、でも私なにがなんだか………」

「サクラ、それは生き残ってから考えればいい。今はとにかく切り抜けることを考えろ」

「で、でも」

「大丈夫、サクラちゃんはオレが守るから」

「な、あ、ふ、ふざけないで! そんなこと頼んでない! 私は状況の把握をしてただけよ馬鹿にしないで!」

 安心させるつもりで言ったのだが、逆効果だった模様。肩を怒らせたサクラはナルトに背を向けるように陣形を作った。

「ナイスだナルト」

 なぜかカカシがボソっと呟いた。

 

 えぇ……?

 

 困惑しつつ、陣形を組んで周囲を見渡す。とはいえ深い霧の中。見通しは利かず尚且つ相手からは捕捉されてしまっている最低の状況だ。ふと、水面に映る黒いなにかに気が付いた。黒い大きな塊が、水中を蠢いている。

「カカシ先生、これって」

「ああ、気が付いたか?」

「な、なに?」

「水の中になにかいるってばよ。多分二つ」

 警戒しているのか小舟の周囲を旋回しているだけで近づいてはこない。グルグルと不規則な円を描いて動いている。まるで獲物の隙を窺うサメのようだ。

「………この戦術、覚えがあるな。恐らく霧隠れの忍だ。気を付けろ、下の二人は囮だ。周囲の警戒を怠るなよ」

 

『ご明察。そういうアンタはコピー忍者カカシとお見受けするがどうだ?』

 

 霧の中から声が響いた。ナルトはその声に聞き覚えを感じた。

「オレを知ってるのか? 隠れていないで出て来いよ。自己紹介と行こうじゃないか」

『ははは。そうすれば標的を置いていってくれるか?』

 さっきとはまったく違う方角の霧の中から嘲笑が響く。

「そうしてもいいが、俺達を見逃してくれるか?」

「お、おいあんた……」

『賢明だな。この状況ではあの名高いはたけカカシも手が出しようがないようだ』

「ああ、降参だ。で、見逃してくれるか」

『―――抜け目ない奴。時間稼ぎしながらオレの位置を探ってやがるな。だが、無駄だと言っておこうか。お前はもう詰んでる――』

「―――からよ」

 その瞬間、凄まじい衝撃が船を襲った。波しぶきが上がり、小舟を激しく揺さぶる。舳先(へさき)が海面を大きく凹ませ、その直後、弾かれるようにその先端を上へ向ける。咄嗟に足を船に吸着させたナルトを除き、ほぼすべての乗員が重心を崩し、体を船へ倒した。衝撃で吹き飛んだ海水がまるで雨のように降り注ぐ。

 霧が吹き飛び、乗員の目に飛び込んだのは巨大な刀、だった。

 カカシは両手のクナイでそれを受け止めたのだ。ナルトは一瞬の会合の瞬間を確かに捉えていた。

 片膝を突きながらも完全に受け止めきっている。

 ナルトは目を見開く。体がかつての記憶を思い出して震える。その震えは畏れかそれとも別の何かなのか。それはわからない。

 

 ―――再不斬だ。

 

「思ったよりはやるな。これを止めるとはな」

「その刀、お前はやはり」

 短いやり取りが終わる間もまたず、ナルトは跳ねた。足裏はしっかりと船床をチャクラで捕らえた安定した動き。クナイを抉り込むように前に突き出した。水が跳ねる音が響き、再不斬の姿は霧の中にかき消えた。

『中々悪くない動きだ。いい部下を飼っているなカカシ』

「か、カカシ先生!?」

「気を抜くな! まだ来るぞ」

『退屈な仕事のつもりだったが、悪くないな。くくくくく、殺しがいがある相手がいて――――嬉しいぜ』

 ビリビリビリビリビリ!!

 瞬時にナルトの肌が粟立つ。サスケの押し殺した悲鳴。サクラは声も上げられず、船に座り込んだ。凄まじい殺気が、空気を、海を、そして船体を震わせる。その上に乗った忍でさえも。恐れ、戦かせ、体を震わせる。殺気に中てられ漕ぎ手の二人は腰を抜かし、白目を剥いた。

 辛うじて意識を保ったタズナは体中から汗を垂れ流し、歯を食いしばっている。

 殺気。たったそれだけで船員のほとんどが戦意を失ったようだった。

『………やはり戦うに値しそうなのは、二人だけか』

 船の上に立っているのは、三人。

 しかし再不斬が狙いを定めたのは二人だけだったようだ。

 カカシ。そして、ナルト。

 

 

 こうして波の国での任務が幕を開けた。

 

 

 

 



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13『氷晶』

 

 激しい緊張感。ナルトはチラリとサスケを振り返った。視線の先でどうにか陣形を維持しているサスケ。肩で荒く息をして、クナイを固く握りしめている。

 初の実戦なのに、これだけの相手と対峙してまだ戦う気力をギリギリのところで切らしてはいない。相手との力量差をしっかり理解しているはずなのに、だ。

 流石だ、とナルトは思った。

 不思議な感覚だった。見下しているわけではないし、優越感を感じているわけでもない。しかし、そうやってサスケを素直に称賛できる自分自身がどこかにいた。それはかつての自分だったなら難しいことのはずだ。やはり感覚の問題なのだが。

 

 ―――いや、やっぱ調子に乗ってんのかも。ってそんなこと考えてる場合じゃねえ。

 

 ナルトは自分を戒めた。今は他の考え事をする余裕はない。

 相手は鬼人。………まずはこの霧をどうにかしなければ勝ち目はない。逃げるにせよ、戦うにせよ、どちらを選んでもこの霧隠れの術を攻略する必要がある。自分の手札で、どうにかできそうな手段がないか考える。

 多重影分身はどうだろうか? 手当たり次第に空間を埋め尽くせば、可能性はあるが、分のいい賭けには思えない。なによりそれほどのチャクラの消費は避けたかった。今の自分はかつてほどのチャクラはない。過信は禁物だ。

 猿飛の術もこの状態では意味がない。なにしろ水と精々小舟の足場がある程度。第三段階のチャクラ感知ができれば状況は全く違うが、生憎ナルトが習得したのは第二段階の自分のチャクラで周囲を認識するところまで。

 絡め手は苦手なのだ。役に立たない術を教えた三代目に悪態を吐く。手詰まりだった。

 ―――どうする?

 

 相手が船を一気に沈めてこようとしないのは、依頼主を確実に殺すためだ。自分の有利が動かないと確信しているからこその行動。ならば近付いてくる瞬間を待ち構えるのは一つの手だろう。ナルトは感覚を研ぎ澄ませた。迎撃態勢。

 体の内で、九尾の嘲笑を聞いた。時間の流れがゆっくりになっていく。静止した世界で、視界に、霧とは違う黒い靄のような何かが映り込んだ。空間に墨汁を垂らしたようなそれはまるで影で象った禍々しい獣の様相だった。

【ククク、苦戦しておるようだなぁ】

 ―――黙っててくれ。今集中してるんだ。

 黒い獣は牙を剥き出して異様な笑みを見せた。

【鎖を緩めろ。そしてワシの力を使えばいい。ワシのチャクラを、ほんの少し引き出せばよいのだ。そうすればこのような敵などに後れを取ることもない】

 ―――。

【他の人間を救いたいのだろう? ならば力を求めろ。何時でもワシは喜んで力を渡そう】

 あの夜、九尾と対話して以来、時折このように話しかけてくるようになった。しかし対話というよりは、こうしてナルトに挑発的な言葉を投げ掛けてくるだけなのだ が。

 ―――悪いけど、お前を利用する気はない。

 ナルトは切って捨てた。

【愚かな】

 九尾は断じた。

 ―――なに?

【愚かだ。なにを意地を張る。お前の中にある力だ。なにを躊躇う、なにを恐れる】

―――うるせえ、あっちいってろ。

 九尾のチャクラは確かに強力な力だ。だが、同時に不安定だ。都合のいい力などではないということをサスケと闘ったときにナルトは思い知った。確かに強くはなれる。それは間違いない。だが、それに頼り切ってしまえば九尾に依存することになり、己の成長はなくなる。なにより九尾と対等の立場ではなくなってしまうだろう。九尾もそれを狙っているようだった。友達になれるといったナルトの言葉を言外に否定させたがっているのだ。それに少しチャクラを増やしたところで再不斬に勝てるのなら世話はない。

【まあよい】

 黒い狐の影は欠伸を一つ。

【どのみち使わざるを得なくなれば、お前は使う。言葉では何と言おうが、人間とはそういうものだ。ではまた。ワシはあの扉の奥でいつでも待っておるからな】

 時間の流れが戻る。

 カカシが額当てに手を掛け、上にズラした。

『出したな、写輪眼。昔持っていた手配書通りだな。そこにはこう書かれていたぜ、千の術をコピーした男ってな』

「随分とお喋りだな再不斬。霧隠れの忍ってのは寂しがり屋が多いのか?」

『別に俺だけだ。これから死ぬ人間と会話するのが大好きでね、いつも無駄話をしてしまう。だが、そろそろ仕事をすることにする』

 流れは変わったが、前回と同じ部分も確かにある。この展開もそうだ。霧に隠れ、急襲を狙う再不斬と、写輪眼で迎え打つカカシ先生。ならば、次に来る一手は―――。

「終わりだ」

 陣形の中央に、音もなく再不斬が現れる。誰もが驚愕する間もなく、その長大な刀が水平に振られる。それが動き出すギリギリで、カカシが突っ込んだ。手にしたクナイを深く再不斬に突き刺して動きを止める。その背後から更なる強襲。霧に覆われた空から再不斬が降ってきた。振り返る暇など与えられずカカシの頭蓋に刀が深く埋まった。

 サクラが息を呑む。

 同時、カカシの姿が崩れて溶けた。水分身。最初に現れた再不斬もまた同じように溶けた。

「動くな」

 再不斬の更なる背後。船首から船尾にいつの間にか移動していたカカシのクナイが再不斬の喉笛に添えられた。

 一瞬の攻防。陽動に次ぐ陽動。そして結果。

「ククク、霧の中でも俺の術を見切るとはな、それともこの術を知っていたか。だが、所詮は木の葉猿の猿まねだ。霧の術には及ばねえ」

 勝敗が決してなおその余裕の態度にカカシが疑問を巡らせたかどうか、次の瞬間、再び再不斬が溶けた。

 これも水分身。そして水中に身を隠していた再不斬が船尾の後ろから水をまき上げ、まるでサメのように飛び掛かった。そして、

 ―――知ってた!!

 その顔面に、予め予想して動いていたナルトの足裏が突き刺さっていた。未来予想じみた、というよりもまんまそのままに全力で動き、チャクラを反発。重い感触と共に再不斬を文字通り蹴り飛ばした。水平方向にぶっ飛ぶと、まるで水切りの石のように一度水面を跳ね、そして大きな水柱を上げ、再不斬は再び海に沈んだ。

「………………」

「………………」

「………………」

 沈黙が舞い降りた。

「ナルト、…………助かった、よくやった」

「お、おう」

 蹴り上げた足を下ろすタイミングを見つけて、ナルトはそそくさと下ろした。まさしくジャストミートだった。初めて前回の記憶がしっかり役立った気さえする。こんな状況じゃなければもっと得意がれたのだが。

「は、ははは、お前さん、『超』強いのお」

 どう反応すべきか思いつかない様子でタズナがぎこちなく笑った。

「だけど今ので倒してはいないと思う、再不斬があの程度で死ぬはずがない」

「………そうだなその通りだ」

「だ、だが、今の内に逃げられるのではないか?」

「いえ、まだ下に二人。この二人を片付けないことには…………」カカシは言葉を切った。

 視線の先には未だ波紋が広がる水面。釣られてそれを一同はじっと見つめる。攪拌された水中から水泡が、絶えることなく浮かび上がり続ける。

 そこから、腕が現れた。まるで地面を掴むように何度か水面を叩くと、ぐっと力を入れ、肩、胴体と同時に顔の順に水面から現れる。最後に反対の手に握った巨大な刀。体全体が現れると、水面の上に膝を突いて立つ。その包帯が巻かれた顔面には、血が滲んでいた。

 そして静かな面。観察する目。先ほどの愉悦に満ちた態度とはまるで違っていた。

「やるな、餓鬼」

 静かな言葉。怒りは滲んでいない。少なくとも表面上には。

「予想外だったな。中忍程度と見ていたんだが、まさかオレの動きを完璧に読みやがるとは」

 血が滲んだ頬を腕で拭う。

「あの蹴り、その前の一連の動きも含めて、絶対に偶然なんかじゃねえ。それは間違いない。だが、何かが引っかかる。実力を隠していたっていうならそれでいい。だがそれはどうにもしっくりとこねえ。オレは勘っていうものを気にするタチでね」

 淡々と言葉を紡ぐ。

「なあ餓鬼、どうやってオレの動きを見切った? 初見でこうも対応してきた奴をオレは知らねえ。名は何て言う?」

「…………うずまきナルトだ!」

「うずまきってのは聞いたことがあるが、知らねえ名だ…………、わからねえな」

 傷を確かめるように、コキリ、と首を鳴らした。

「わからねえってのは不気味だ。特に忍者にとってはな」

 ナルトにとってみればこの再不斬の態度が不気味だった。かつての印象ならば、もっと怒りをまき散らし、戦闘が有利になるような動揺を引き出せる算段だった。だがどうだ。その表情は読めず、それが却って恐ろしかった。水面の波紋は消えて。まるで静寂が戻ったかのようだった。錯覚だ。

 ナルトは直感していた。もうこの手の一撃は使えない。たった一度の奇襲で、相手は違和感を感じ取り警戒心を喚起してしまった。

「ふん………、さてどうするか」

 片手で無造作に刀を揺らめかせながら思案するように再不斬は呟いた。ナルトはそこに戦いの再開の空気を感じ取り、対峙するように身構える。

「二対一は分が悪いか………」

 諦めたかのように、静かに溜息をついた。

「一人消えてもらうとしよう」

「―――ナルト! 右だ!」

 カカシが叫んだ。咄嗟に腕を上げようとしたが間に合わなかった。視界が黒く染まり、鋭い痛みが頭を貫いた。体勢を整えられず、足が浮かぶ、そのまま海面に叩き付けられた。全身に衝撃が走り、息が詰まった。狭まった視界。一瞬、白い仮面が見えた気がした。

 意識が飛んだのは一瞬。冷たい水の感触と頬の痛みに、目が覚める。

 ―――くそっ!

 崩れた体勢を必死に立て直し、水面を見上げる。何とか水に落ちる寸前で息を吸ってはいたが、長くはもたない。なにより、上の船が拙い。急いで上がらなければ。

 その時、黒い塊が近づいてきた。見覚えのある姿。かつて戦った再不斬の部下の霧の忍の二人、その内の一人だ。手には鋭い鉤爪。さっき見えていたのはこいつらだったらしい。

 

 ―――邪魔だ!

 

 ナルトは内心で叫んだ。水中を蹴る。笑いたくなるような低速。鉤爪がすぐ近くを通り抜けた。躱しきれずに切り裂かれ血が辺りをわずかに赤く染める。ナルトに対して相手の動きは速い。素早く旋回すると、再び切りかかってくる。今度は頬を浅く裂かれた。血が噴き出す。

 陸上ではまったく大したことがないはずの相手が、水の中という戦場で、恐ろしい脅威に変わっていた。

 まるで魚のように自在に水中を動き回る敵に、ナルトは焦りを募らせる。

 水の抵抗はまるで巨大な綿の壁に包まれているかのようにナルトの動きを遅らせていた。

 

 ―――綿の『壁』?

 

 ナルトは閃くと、次の突進に備えて膝を曲げる。油断したか、真っすぐに突き進んでくる相手にナルトも水面を蹴る要領でチャクラの反発を使って突進。

 驚愕し慌てて身を翻そうとした相手に拳を叩きこむ。

 そして真下からのチャクラの反発。敵の体ごと加速を付けて水面を目指す。

 

 

 




 序盤の敵にしては再不斬って強いんですよねー……。


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14『氷晶』②

 

 

 

 

 サクラは最初に、カカシから任務の概要を聞いたとき、疑問がなかったといえばウソになる。

 護衛任務を受けるには自分たちはまださほど経験を積んでいたわけではなかったから。

 しかし、こうも思ったのだ。これはチャンスだ、と。

 サクラはあの日、第三演習場での訓練以降、猛烈に修行に励んだ。朝早くに起きてまずは運動をして、任務前まで勉強。任務を終えたら復習を行い、寝る前まで勉強。忍術の理論書や戦術論の本、体術の指南書とありとあらゆる知識を吸収しようとした。チャクラを練る訓練も毎晩行った。

 ナルトに追いつくために。

 そして積み重ねた分だけ自信もついた。前の自分とは明らかに違うと感じるほどに成長できた。

 だからこそ、これはチャンスなのだ。

 ちょっと難度の高いCランクの任務。おあつらえ向きじゃないか。なによりナルトの前で動揺している姿を見せたくない。

 あの演習でサクラは、『負けた』と思った。何がどうというのは自分でもハッキリ言葉にできないが、あのとき確かにそう思った。

 うずまきナルトに、春野サクラは負けた。

 誰かに負けたと感じたときそれを払拭する方法はただ一つ。

 即ちリベンジだ。

 サクラは負けるのが嫌いだった。

 負けたままで居続けるのはもっと嫌いだった。

 

 ―――実力を証明しなくちゃいけない。

 

 そう意気込んでいた。 

 だというのに。

 ナルトが蹴り飛ばされたとき、サクラの体はまったく動かなかった。水面に叩き付けられるナルトを呆然と見ていただけだった。その前に再不斬に威圧されただけで、サクラのか細い戦意は簡単にかき消されてしまっていた。

 白い仮面の忍。見た目はまだ自分たちよりも少し上くらいの子供だ。

 信じられなかった。あのナルトがこんな簡単にやられてしまうことが。

 応戦するサスケを見ながら、サクラは辛うじてタズナを背後に庇った。ここを放棄すれば、もはや忍ではない。だが、さほど意味のある行動とはとても思えなかった。

 分が悪い。明らかにサスケが押されている。狭い足場、揺れる船体、慣れない船上での格闘戦はサスケの動きを鈍らせていた。しかし相手はまったくこの戦場を苦にしていないように見える。まるで地上で戦っているかのように動作が淀みない。

 助けを期待してカカシを見る。

 船を庇いながら再不斬と斬り合っている姿が霧の向こうにあった。だがこちらにまで手を回す余裕があるようには見えない。

 どうしようもない現実が目の前にあった。

 

 ああ、これがそうなのか。

 

 サクラはようやく理解した。

 これが忍の戦いなのだ。

 命と命のやり取り。実戦。言葉では理解していたつもりのこと。しかしまったく覚悟できていなかったこと。

 苦痛を押し殺した声と、座り込む音。

 サスケが、足を押さえながらうずくまっている。そこには鈍く光る千本が突き刺さっていた。すぐに引き抜いていたが、足に力が入らないようだった。恐らく秘孔を突かれたのだろう。

 思わず悲鳴を上げた。

 サスケはクナイを握りしめながら、戦意を保っている。

 だが、勝負はもうついた。アカデミーでならそろそろ先生が終わりを告げているだろう。

 だけど、これは実戦。

 終わりとは即ち、死。

 サクラは思わず、縋るように呟いた。

 

 ―――ナルト。

 

 

 

 

 

 

 水柱が吹き上がり、何かが飛び出して来た。水中から弾丸のように飛び出してきたそれを、白は冷静に躱した。

 見覚えのある物体。

 

 ―――これ、部下の人ですね。

 

 確か、鬼兄弟といったか。それが後方に着水するのを視線で追い、前に戻す。死んだのだろうか。それがわずかに気にかかった。無駄な雑念。

 あと一歩だったのだが。黒髪の少年の秘孔を千本(針のような忍具)で突き無力化し、震える無力な少女を無視し、標的に狙いをつけ、そして始末する。

 金髪の長い髪の少女。頬を血で赤く濡らしていた。その瞳には強い意志が燃え盛る炎のように、強く熱い信念となって宿っている。そう感じた。

 

 美しい。そう思った。

 

 最初から標的以外は殺すつもりはなかった。ただ戻ってくる時間を稼げればいいと考えていた。顔を蹴ったのは少し腹が立ったからで、再不斬の顔を蹴ったことへの意趣返しのつもりだったが、仕事として手を抜いたわけではない。

 

―――予想以上に早い。

 

 一瞬、小舟に倒れた黒髪の少年に視線を移したかと思うと、彼女の濡れた金色の髪が、ザワリと持ち上がって蠢いた。それはまるで獣が毛を逆立てる姿のようだった。

「…………」

 潤んだ青い瞳は怒りで輝いて見える。

 白は手順を立て直した。難度が高いが、彼女を無力化しなくてはいけなくなってしまった。

 千本を構える。彼我の距離は二十歩ほどで、この少女なら一歩で埋められるだろう。

 油断なく、視線の先の少女を見据える。

 水面が爆発した。そして次の瞬間には目の前に近づいている。拳をもうほとんど振り抜く瞬間の姿。

 油断はなかったが、白の意識はその速さについてこなかった。辛うじてこちらも水面を蹴って真横に跳びすさる。なんて速さだ。白は感嘆した。速さだけならこの少女は上忍に近い領域にいる。水面が爆ぜる前動作が見えなければ、瞬間移動だと思うかもしれない。また水が爆発し、拳が目の前に迫る。何も考える間もなく首だけで避ける。ギリギリの回避。体を離しつつ、千本を数本、放る。

 避けられた。でも、速度は先ほどに比べれば遅い。これは普通の速さ。

 続けて何度も千本を投擲する。転がるように回避する少女。水面の爆発。

 跳び上がって避ける。その体勢のまま、また千本を投げる。

 あらぬ方角から剣戟の音が聞こえる。再不斬とカカシが打ち合う音だろう。

 そちらに意識が持っていかれそうになる。あの男は強い。場合によっては再不斬が負ける可能性のある相手だ。

 

 ―――否、僕は道具だ。道具は命令を果たすだけ………。

 

 意識を逸らしたわけではなかったが、白が水面に着地するよりも早くナルトが飛んでいた。拳を避けきれずに腕で受ける。重い感触が響く。速い。この少女も強い。自分よりも年下の子でここまでの強者は、白の記憶には存在しなかった。

 相手の腕を掴み、咄嗟に片腕で印を切る。組んだのは水遁の印。少女の目が見開かれ、腕を振りほどかれた。だが、反応は不可能のハズだ。水面が一瞬で巨大な壁となり、少女を包み込むように衝突。 

 水がぶつかり合って破裂する音が響く。

 白はその音で理解した。―――外した。だが、少女はどこへ行った。

 上だ。真上から拳が降ってくる。暗転する視界、転げるように水面を抉っていく。

 

 ―――強い。

 

 片手印を初見で見切られることは多くない。大抵の忍は虚を突かれて動きが鈍るものだ。

 強い。思っていたよりも更に。体勢を立て直して勢いを殺しつつ水の上に膝立ちする。

 

 「はぁ、はぁ、はぁ………」

 

 さきほどの黒髪の少年は海上戦に慣れていないようだったが、こちらの少女はどうやら戦い方を知っているようだ。

 正当な怒りを拳に乗せるようにして一撃、一撃を、白に叩きつけてくる。

 真っすぐな綺麗な目だ。穢れを知らない、無垢な瞳。

 ちくり、と胸を刺すものがあった。自分とはまるで違う、対照的な姿。

 近くで見ていて、白は少し気が付いたことがあった。この少女の瞳は確かに怒りに燃えているが、それだけではない。

 その光に、白は興味を惹かれた。

 だが、考察している余裕はなかった。

 霧に紛れようと真後ろに連続で飛ぶ。しかし、引き剥がせない。

 加速の勢いが乗った拳が突き刺さり、水面が大きく爆ぜた。

 

「くっ…………!」 

 

 体術の応酬。海の上での戦闘には些かの自信があったが、その自信も僅かに揺らぐ。少女の速さに対応しきれず、拳を身に受ける。防御は間に合ってはいるが芯に響く重さがある。腕が痺れる。喰らい続けるのはまずい。

 距離を離すのはもっと悪手だった。あの『瞬身の術』に、白は対応できない。もし自在にあの術を扱えるのなら勝負にもならなかっただろうが、幸い完全には使いこなしていないようだ。

 水遁を織り交ぜつつ、千本、体術、防御、攻撃、回避、目まぐるしく戦闘が推移していく。白は再び感嘆した。一見互角に見える勝負だったが、違いがあった。少女は白の攻撃をほとんど躱しているが、白は相手の攻撃を避けきれず防御で対処している。クナイの方はなんとか回避しているが、その分、打撃はそうもいかなかった。

 鈍い音が積み重なり、白は思わず呻いた。

 姿を見せて近接戦を挑んだのは、白の傲慢だった。霧に隠れ、隙を窺う戦い方をすべきだった。

 上段の蹴りを受け流せずにまともに受けて体が真横にズレた。その勢いに乗って愚策と知りながらも距離を取る。

 荒く息を吐く。

 痺れる腕を抱えながら、白はやはり、少女の目に不思議な色を見た。

 悲しみ? それとも恐れを隠している? 

 いやそうではない。この目にはどこか覚えがあった。だが、それは思い出すのも難しいほどの遠い記憶から響くものだ。

 ぼろぼろになりながら、なんとも不思議と、苦しいだけではない気がした。

 距離が開いたことで戦闘の流れが一旦、途切れた。

「……キミは強いですね。確か、うずまきナルト君、でしたっけ?」

 白は思わず話しかけていた。

「ああ、そうだ。木の葉の下忍うずまきナルトだってばよ」

 音程の高い少女特有の声。下忍とは思わなかったので意外に感じながら言葉を続ける。

「僕は白と言います。元霧の忍です」

「ああ、そうみてーだな」

「ナルト君、標的の方をこちらに渡してくれませんか」

「…………駄目だ」

「でしょうね。でも、このままやれば死ぬのはキミですよ」

 ブラフと思われただろうか。真っすぐ射貫くような視線が白を捉えている。

「なんか、おかしな話だな」

「そうでしょうか?」

「ああ、だってよ、殺せるなら殺せばいい。警告する必要なんてない」

「…………」

「まるで、本当は殺したくないって風に聞こえるってばよ」

 殺したいと思ったことはない。しかし、そんなことを言う必要もない。 

「…………無駄な労力を避けたかったんですよ。これをやれば酷く疲れる」

 これは嘘ではない。この術はチャクラの消費が激しく、気軽に使いたい代物ではない。

 だが、他の手段もなさそうだった。

「駄目だ。依頼人は渡せねえ」

「残念です」

「オレも残念だ。お前ともう少し話がしたかった。でも、そんな時間はねーな」 

 白は虚を突かれた。一瞬の静止。それはあるいは隙と呼べるものだったかもしれない。

 この少女は嘘を言っていない。真っすぐすぎる視線でそれがわかる。殺し合いをしている相手に本気でこんなことを言うとは。

 綺麗な子だな、と白は思った。

 

 ―――どうしてだろう?

 

 白は自問した。

 印を組む。これは一瞬あればいい。

 

 ―――この子のこと、嫌いになれそうだ。

 

 ――秘術 魔鏡氷晶――

 

 

 

 

「強いな、白と互角以上とは」

 振るわれる刀を受け止めた状態で静止。すさまじい膂力に足が水面に僅かに沈む。視線だけ動かして隣の戦場の様子を探る。目の前で再不斬が目を細めた。

「だが、白には勝てねえ。あいつは特別だからな」

 無数の氷がナルトと白を覆い尽くしていくのが、遠目に見えた。中は見通せず、どうなっているかはもはやわからない。

「なるほど、氷遁、血継限界か……!」

 焦りが内心に浮かび上がる。だが、決着はまだ付きそうにない。ナルトに任せるしかなかった。

「くくく、諦めな。お前の相手はオレだ」

「……ああそのようだッ」

 丹田に力を篭め、刀をかち上げる。再不斬はそれに逆らわず距離を取った。

「だが、一つ言わせてもらおう」

 クナイを構える。

「そっちの子と同じようにうちのナルトも、少々『特別』だ」

 

 

 

 



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15『氷晶』③

 


 それはほとんど一瞬の出来事だった。

 長方形の氷の鏡がいくつも現れて半球状に一面を囲っていく。揺れる水面が波紋を広げるように瞬く間に硬く冷たい氷面の床へと変貌する。急速に冷やされた霧が氷霧となって昇華していく。ナルトの頬の血が、体に付いた水滴が、音を立てて氷に変わる。

 これは白の対人用の奥の手の一つだった。

 

 ――完成。

 

 ナルトは周囲を見渡している。少なくとも見た目は冷静さを欠いていない。

 逃げ場を探しているのだろうか。でも、それは無駄なことだ。これは云わば氷の結界。開いているように見える鏡体の隙間からも、逃げることはできない。

 先ほどまでは、ここはナルトの領域だった。

 

「これで、僕の領域だ」

 

 白は告げる。体は既に『鏡の中』に入っている。

 白はナルトと闘って一つわかったことがあった。彼女の『瞬身の術』は強力だ。しかし、対策はあった。推測ではあるが、ナルトはあの術を使いこなせていない。あの術の速度は忍の動体視力の限界を超えている。ある程度開いた距離でしか使ってこないのがその証拠。それ以上近くで使えば、本人ですら意識が追いつけないからだろう。

 つまり、この術のように空間を区切ってしまえば、あの速さで動くのを封じることができる可能性が高い。

 だが、それだけであのような大言を吐いたわけではなかった。

 無数の鏡が半球状の球体を成すこの空間内の支配者は、紛れもなく自分自身であるとの自負から出た言葉だった。

 そして奇しくもこの術の真骨頂もまた、―――速度だ。

「―――ッ!!」

 瞬間、ナルトの体が跳ねた。その真横を白は通り過ぎて行った。

 躱された。攻撃は腕に軽く掠らせただけ。

 白は今日何度目かの感嘆をした。

「……凄いですね、これも初見で躱せるんですか?」

 白の一撃は単純だった。ただ通り過ぎながら斬りつけるだけ。ただそれだけの攻撃。ただ一点違うのはその速さが先ほどまでの比ではなかったこと。まさに一瞬の光と呼べる速度。

 鏡の反射を利用した鏡から鏡への高速移動。それがこの術の正体だ。その速度はナルトの『瞬身の術』にも劣らない。しかも白は完全に自分の動きを制御できる。

 それをこの少女はギリギリのところで察知して躱したのだ。まるで白がこうするのを知っていたかのようなまったくロスのない動き。

 この状態を見て推察したのだろうか。だとしたらやはりとんでもない少女だ。

 戦いを長引かせるのは不味いかもしれない。この少女に時間を与えてしまうと、何をしてくるかわからない。今流れが優勢の内に勝負を決するべきだろう。

 白の決断は早かった。

「ですが、これを避け続けるのは不可能でしょう」

 白は十数体に分身し、それぞれが鏡の中へ。

「行きます」

 降参してくれ、とはもう言わなかった。

 

 

 

 ―――強すぎるってばよお!!

 ナルトは内心で叫んだ。

 超高速で動き回る白に対してナルトは無我夢中でこの空間内を無軌道に飛び跳ね続けていた。チャクラに触れる微細な変化。それを感じ取ってほとんど反射だけで動くのを繰り返す。猿飛の術の修行を応用した行動だった。白の動きそのものはまったく見えておらず、直感頼りの回避だが対応はできている。体はどんどん切り傷だらけになっていくが、さほどダメージはない。……痛いけども。

 あの修業の経験がなければ、もうすでに屍を晒していただろう。さきほどの悪態も忘れてナルトは三代目とミザルに感謝の念を送っておく。

 だが、ジリ貧でもあった。

 本気の白がまさかこれほど強いとは。もちろん強いことは知っていたが自分自身の想定の甘さがあまりに大きい。

 前回は相当手加減してくれていたのだろう。今になって戦いの中に含まれた多大な気遣いを察せずにはいられなかった。

 

 ―――ちょっと調子に乗ってたってばよ。

 

 海上の肉弾戦での手応えで少し思い上がった自分を戒める。やはり、今はまだ自分は格下だ。

 今だって、もしナルトが白の動きをまったく捉えていないと知られれば、勝負はあっという間もなく付くだろう。そうなっていないのは恐らく白がナルトを過大評価しているから。その評価が妄想であると気付かれるまでの短い猶予で、どうにかしてこの状況を打破しなくてはいけない。

 鏡に映った白たちが一斉に千本を投げつける。

 本体は一人のはずだがまったく見極められない。跳び上がって回避。

 

 ―――方法は、ある。

 

 けれど、できれば今回使いたくはなかった。氷の鏡を蹴って次の攻撃を回避する。ナルトは白と二回、闘うことを想定していた。いまさら本来の話をしても仕方ないが、できれば二度目の時にこれを使いたかった。

 なぜならこれがナルトの底の底だからだ。

 これを見せてしまえばもうナルトの全力を全て余すことなく見せてしまったことになる。これ以上はない。

 とはいえここで負けてしまったら温存することになんの意味もなくなってしまう。使うしかないのだ。

 覚悟を決める。

 猿飛の術の第三段階は自分以外のチャクラを感じること。これをナルトはできなかった。だから未だナルトの使っている術は完全ではなく、正確には猿飛の術とはいえない。が、しかし、ナルトはどうにかして今の段階で猿飛の術を使えないか考えた。

 そして一つ思いついた。

 第二段階の、自分のチャクラで周囲を認識すること、これはできる。チャクラを体に纏わせてその周囲を認識する、ここまでは習得している。

 それなら自分のチャクラをさらに大きく放出して辺りを全て埋め尽くせばいい、と。もちろんそんなことすればチャクラを集約することができなくなるので、そもそも瞬身の術すら使えなくなるのだが。

 螺旋丸と似たような悩みだ。一人で右を見ながら左を見ることはできない。放出と集約は同時にはできない。

 

 まあそれなら、解決する方法も簡単だ。

 

 

 

 ―――なにかしてくる。 

 白は悟った。空気が変わったのを感じたのだ。

 見たことのない十字の印。チャクラを練るよりも早くに攻撃を仕掛けるが、また躱される。

 音を立ててナルトは三人に変わった。 

 分身系の術か。白は理解した。しかしだからどうだというのだろう。多少人数を増やしたところでこの術は破れない。チャクラの消費をしてくれて、むしろありがたいことだ。

 相手の意図が読めず、白は攻撃を止めて警戒する。あるいはそれが相手の狙いなのか。三人の分裂したナルト、その一体が、結界の中央に目を閉じて座り、印を組んだ。

 

―――なにをする気だ?

 

 白はその考えを即座に振り切った。何かをする前に、倒す。そうするべきだ。千本を構え、突撃をしかける。と、ほぼ同時に白は大きな風に衝突した。体勢を崩し、驚き、そして理解。ぶつかったのは風ではなく、チャクラだ。結界内にチャクラが溢れている。

 白は体勢を立て直し、状況を把握した。ナルトの恐らく分身の方がチャクラを放出して、結界を埋め尽くしている。だが、それにどんな意味があるというのか。チャクラに物理的な力はほとんどない。これほど広く薄く発してしまえば、なおさらだ。

 白は再び突撃。今度は止まらない。

 見えるはずのない速度で接近。その手に持った千本を振るい、―――掴まれた。

 目の前には目を瞑ったナルト。

 口元には笑み。

 

「……これで、オレの領域だ」

 

 止められた。不味い。どうやって止めたのか、そんなことを考える暇はない。高速で移動するには鏡の中に入る必要がある。ここで止まってしまったら一旦鏡に戻らなくてはならない。

 咄嗟に掴まれた千本から手を離し、反対の手で座っている方のナルトに千本を投げつける。

「おっと」

 防がれるが、時間は稼いだ。再び鏡の中へ。危なかった。しかしどうやって対応してきた? なぜ目を閉じている?

 高速の回転音に意識を戻される。

 二人のナルトがなにかしていた。

 青白い光の球体。それが掌の中で圧縮されていくのが見える。なんだあれは? 疑問は留まらない。だが、直感だけでもわかることはある。あれを喰らったら、死ぬ。ぞっ、と這寄ってくる死の気配に背筋が泡立つ。

 できうることならここから出て、ナルトに攻撃を仕掛けたい。だが、それは恐ろしくハイリスクな気がした。

 見えていないはずのナルトが、こちらを向いた。

「―――いくぜ、白」

 白は素早く鏡から飛び出していた。別の鏡に高速で移動する。

 黄色い閃光がそれを遮った。

「なっ!?」

 顔を蹴り上げられ、後ろへ転がる。仮面が砕ける感触が頬に当たった。転がりながら背後の鏡に逃げる。ナルトは相変わらず目を閉じた姿。

 再不斬のように耳だけでこちらの動きを読んでいるのか。それにしては反応が鋭すぎる。

 そしてあの速さ。あれは『瞬身の術』だ。しかもさっきまでとはまるで違う、完璧に制御された動き。

 ナルトの姿が掻き消える。白は即座に隣の鏡に飛んだ。僅かな間もなく、ナルトの足が白の一瞬前にいた鏡にぶち当たった。鏡が罅割れる。視線が交差する。目を閉じているのに、ハッキリとこちらを見ているのがわかった。 

 白は次々に鏡に逃げ飛んでいく。それを正確に追従してくるナルト。

 この速度の領域で、完璧に相手の位置を把握して距離を詰めてくる。

 白とナルトの速度は互角。だがジリジリと彼我の距離は短くなっていった。

 ナルトの術の衝撃に耐えきれず、直る時間もなく全ての鏡に亀裂が広がっていく。

 外目からは氷のドームの中で二つの光が瞬いているようにしか見えなかっただろう。だが中の二人は勝負の優劣が決まりつつあるのをハッキリと感じていた。

 

 ―――追いつかれる!!

 

 鏡に逃げ込んだ白は咄嗟にチャクラを集中して防御の構えを取る。そこにナルトの恐るべき力を込められた球がぶつかった。

 

 

 氷晶の壁が崩壊していく。そこには力なく落下する黒髪の少年と、傷だらけだが無事の様子なナルト。

 その二人の明暗が、同時にカカシと再不斬の動揺の差を生み出した。

「馬鹿な」

 再不斬は呻いた。その隙をカカシは逃さなかった。再不斬に向かってクナイをねじ込む。首を狙ったが、腕で辛うじて受けられた。だが、これで右腕を封じた。

 空いた胴体を力を込めて蹴り飛ばす。

 内臓に深く響いた感触。追撃をかけるか一瞬の判断だったが、迷わずサスケたちのところに戻る。再不斬を殺すことが任務ではない。それに船を囲っていた影が、離れていくのも見えた。

「今がチャンスです、脱出しますよ」

「あ、ああ。わかった! しかし漕ぎ手がみんな……」

「この船の使い方はわかりますか?」

「一応は波の国育ちじゃ、大体はわかるが」

「では、すみませんがお任せします」

 備え付けられたエンジンのリコイルスターターのワイヤーをぎこちない動作で引いているタズナを横目に、サスケとサクラの様子を見る。

 サスケは千本の跡があること以外はさほど傷はなかった。重要器官にはいずれも深刻な怪我をした様子もない。

 サクラは、見た目は無事だ。だが、精神的なダメージは深そうだ。初の里外任務がこれでは、無理もない。

「とにかく、二人とも生きていてよかった」

 カカシは敢えてそう言い切った。

「すまない。オレのミスだ」

「カカシ先生ぇ……」

 サクラは涙を流した。よほどの恐怖だったのだろう。全身が青白く冷え切っていた。

「サスケもサクラもよく頑張ったな。いい動きだった」

 エンジンの駆動音が響いた。

「う、動いたぞ!」

「―――よし、ともかく今は生きてここを脱出しよう。思うことはあるだろうが、まずはそれだ、いいな」

「……うん」

 船の振動が強くなっていく。

 そして、未だ感じる殺気にカカシは振り返る。

 腕から血を流している再不斬が、少し離れた水面に立っている。

その漲る戦意はまったく揺らいではいない。だが、動く気配はなかった。

「わかったぞ、あの娘の正体が。……金髪に、瞬身の術、そしてあの術」

「…………」

「木の葉の『黄色い閃光』の忘れ形見、まさか本当に存在していたとはな。なるほどそりゃあ『特別』だ」

「………黄色い閃光……?」

 サクラが小さく溢した。カカシはなにも答えなかった。

 そして船は動き出す。加速を付けて大きく水面を波しぶきで叩く。

 最後まで視線は外さなかったが、再不斬は追ってこなかった。

「ナルト! 乗れ!」

 進行方向に立っていたナルトに呼びかける。

「―――おう!」

 軽い感じに返事が返ってくる。

 船が横切ると同時に、全身傷だらけのナルトが船に飛び乗った。そのまま、船は危険な領域から離れていく。殺気は遠ざかり、危機は一旦は終わりつつあった。

 再不斬がこれで終わるとも思えないが、すぐに戦闘再開はない。伏兵も十中八九ないはずだ。あれが斥候だったなどという恐ろしい事実がなければ、だが。

 ナルトは後ろを振り返っている。

 その横顔を見た。見た目に反してさほど大きな怪我はないようだ。

 

 ―――アレは、『螺旋丸』だ。そしてさらにもう一つ………。

 

 この少女はやはりとんでもないものを隠し持っていた。それも予想以上の。

 だが、恐らくこれが底ではあるまい。

 

 ―――黄色い閃光の忘れ形見、か。

 

 再不斬の言葉がカカシの頭を過った。

 

 

 




 


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16『対抗心』

遅くなりました。また追加するかもです。


 

 

 波の国に到着したのは丁度昼頃に差し掛かるころだった。あれほど濃密な戦闘であったが、結局時間的に見れば到着した時刻は以前とさほど変わらない。日が強くなるにつれ霧も晴れかかっており、エンジンを切った小舟がゆっくりと進む水路の両端にマングローブと木の小屋が立ち並ぶ景色が見える。

 

 観光していたなら感嘆符の一つや二つは出ても損はない光景だ。

 

 だが、小舟にしがみつくように座っている面々の顔には、心動かされた様子はない。

船は町はずれのタズナの家に止まる。目的地に着くなり、漕ぎ手の二人は逃げるようにして去っていった。

 家に入り、中に居たタズナの娘のツナミに挨拶を済ませる。疲労困憊の様子のタズナ、血だらけのナルト、カカシに背負われたサスケといった様子を見て事態を悟ったのか、ツナミは驚いて声を失ったようだった。道すがら傷の簡単な手当は済ましてある。ナルトたちは家に入るなり、倒れるようにして休息を取ることにした。

 

  流石にナルトも大分疲れを覚えている、横になって体を休める。

 

体を横たえながら、ナルトはこの次はどのように戦うかを考えていた。間違いなく今度は完全に対策を練ってからやってくるだろう。防御していたとはいえ螺旋丸を喰らったダメージからの回復するまでの時間も含めて、猶予は幾らか存在する。それこそ前の時と同じぐらいはあるはずだ。

 

 ―――ただ、次は勝てばいいって戦いでもねーしな………。

 

 やるべきことは二つ。

 白を死なせないようになにか手を考えること。そしてサスケとサクラを最低でも以前と同じぐらい、できればもっと強くなってもらうこと。

 どうするべきか、気が焦ってしょうがない。体力も気力も疲れはあったが、できれば今すぐにでも修行を始めたかった。

 目は閉じていたが、眠れる気はしなかった。

 

 

 ナルトたちが起き上がったのは太陽がすでに真上を過ぎたころだった。

 洗面台にて傷の様子を確かめる。鍵爪で頬に刻まれた傷がもっとも大きい。しかし傷は塞がりつつあった。自分の顔とはいえ女の子の顔に生傷があるのは気分が良くないのだが、この分だとすぐに目立たなくなるだろう。九尾のチャクラのおかげだ。気を取り直し顔を洗うと、幾分気分も晴れた。

 

 ―――サンキューサンキュー。

 脳内でお礼を言うと、即座に返事が返ってくる。

 ―――黙れ。

 

 こいつ意外とノリがいい奴なのではないかという疑惑を持ちつつ、ナルトは居間に戻った。

 居間の空気ははっきりと重苦しかった。

「まあ、しかし、これで、相手も超懲りただろう。簡単には襲ってこなくなるのではないか?」

 取り成すようにタズナが苦笑いした。

「そうであればいいのですが、そう簡単にはいかないでしょうね」

 カカシはバッサリと切って捨てる。

「そ、そうか」

 タズナは手ぬぐいで汗を拭きつつ、頷く。

 実際のところ、その通りなのだから希望的観測をさせないためにあえてそうしたのだろう。それはカカシが緊迫しているからなのだろうか。ナルトは疑問を持った。

カカシはいつものなにを考えているかわからない顔だが、それがつまりいつも通りの平常、ということなのかどうかはわからない。ナルトにはその表情の下は見通せず、推測することしかできない。

「ナルト、傷の様子は平気か?」

「ん? ああ、大丈夫だってばよ」

「そうか、ま、全員そろったことだし、これからのことを少し話し合っておくか」

「―――これからのこと?」

 サクラが暗い顔を上げて、疑問を口にする。その声は普段よりも随分小さい。

「ああ、つまり、任務を続けるかどうかって話だ」

「っ!!」

 緊張した面持ちでタズナが息を飲んだ。

「………まあ、そうじゃな。わしは、お前たちを騙した。むしろここまで護衛を続けてくれていることを感謝しなければならないだろうな………」

「いえ、違います」

 自嘲するタズナを軽い様子で否定する。

「え、な、なに?」

「ま、それもそうなんですが、そもそももっと根本的な問題として我々にこの任務を遂行するだけの能力があるかどうか、まずはそこを考えなければなりません」

 そう言うと、カカシはサクラとサスケを順繰りに眺めた。そして最後にナルトに視線を送る。ナルトは動揺しながらも、視線を返す。

「ハッキリ言って、この任務、オレは今のままでは達成困難だとみている」

「………」

 カカシの言葉に対する反応は全員の沈黙だった。言葉にしなくても、それは肯定に等しかった。

 サスケは苦々しく眉を寄せ、サクラは再び顔を俯かせる。

「単純な戦力で見れば拮抗しているがそれは相手も理解したはず、策を存分に練って万全を期して奇襲してくるだろう。そうなってくると攻められるこちら側が不利になる。なぜならこちらには護衛対象がいる上、位置もバレバレだ。こういう場合、あくまで迎撃に拘るなら、最低でも相手より総合的な戦力で抜きんでている必要がある」

「………うん」

 ナルトは頷く。付け加えるなら、敵の基地を探してこちら側から攻める手もあるが、優れた忍との戦いでそうするのは非常に難度が高い。

「だが、現状はそうではない」

 断言する。

 カカシは指を二本持ち上げて見せた。

「だったら二つに一つ、―――任務を諦めるか、こちらの戦力を上げるか、そのどちらかだ」

 さてお前らどうする? と、その瞳で語っていた。

 即座に反応したのはサスケだった。カカシを睨み付けるように鋭い視線を向けた。その表情は屈辱によって歪んでいた。

「決まっている、オレはやられっ放しで終わるつもりはない」

 なんだってやる、そう表情が言っていた。

「私は………」

 サクラは言葉を淀ませた。

ナルトはそのとき気が付いた。机の下のサクラの手が酷く震えているのが見えてしまったのだ。

 

 ―――怖がっているんだ。

 

 あんな戦闘があった後だ。こうなっても不思議ではあるはずがない。そんな単純なことをこの瞬間まで見落としていた。以前のサクラのイメージに引っ張られて、勝手に大丈夫だと決めつけていた。

 まだこのときのサクラはそこまで強くはないのに。

「サクラちゃん、大丈夫か?」

 思わず声を掛けると、ナルトの視線に気が付いたのか、サクラは頬を赤らめて、両手を強く合わせて握った。だが、視線は逸らされ、いつものように睨み付けてくることはなかった。

「もちろん任務は最後までやります、私だって忍ですからっ」

 半ば勢いと虚勢交じりの声なのは明らかだったが、カカシはただ頷いた。

「わかった、じゃ、時間がない、すぐにやるとしようか」

 全員が立ち上がった。

「あ、それと、ナルト」

「ん?」

「お前には別にやってもらうことがある」

 

 

 

「これが木登りの修行だ」 

 木の太い幹にカカシは、事も無げなく逆さになって『立って』いた。

 髪が逆立っているのを除けば、まるで地面に立っているかのように見えるはずだ。

「これはチャクラのコントロールを強化する修行法だ。足に集めるチャクラの量は極めて微妙、足の裏はチャクラを集めるのにもっとも困難な部位でもある」

 そのまままた幹を伝って下まで降りてくる。わかりやすいように垂直の姿勢で、重力を無視しているかのように動く。もちろんあえてやっているのだが、この動きを実際にやろうとすればチャクラコントロールだけではなく腹筋とか背筋とかが必要になる無駄動作だ。ただ、見た目上のインパクトは大きい。

「よっと………、うん、まあこんな感じだ。さ、やってみろ。さっきオレが登ったところまで登れたら合格だ」

 わざわざパフォーマンスしてみせたのに明らかに不満そうな二人。カカシは頬を掻いた。

「こんな修行がなんになる………、って顔だな二人とも」

「だって木登りが上手くても、戦闘にはあんまり役立たないじゃないですか」

「それは違うなサクラ」

 カカシは首を振って見せた。

「そうだな、例えば、もしサスケがこのチャクラコントロールを習得してたとしたら、あそこまであの黒髪の少年に圧倒されることはなかっただろうな」

「……………」

「あの船上での戦いの一方的な勝敗は、決して慣れや経験だけの差じゃない。もし木を足だけで登れるだけのチャクラコントロールがあれば、あのように不安定な足場でも平時に近い状態で戦うことができただろう。もちろんチャクラコントロールってのは忍術の発動にも、とても重要なことだ」

「なるほど、つまりこの修行は」

「そう、戦闘力の総合的な上昇が見込めるってことだ」

「なるほどな………」

 サスケは納得がいったのか頷くと、木に向かい合った。

「ちなみにナルトも先の戦闘でこの技術を使っていた」

「………っ」

 サスケの背中から闘志が溢れるのがはっきりと見えた。

 

 ―――わかりやすい奴だ。

 

 仲間内での対抗心を煽るのは制御が難しいのだが、しかしそれでやる気が出るならそれを利用しない手はない。

 ここは、波の国にある森。温暖な気候の火の国付近のこの島国は森に恵まれ、市街地以外は広葉樹の森が至るところに広がっている。その中の一つだ。

 木登りの修行にはもってこいの場所。

 カカシの『影分身』は腕を組んで見守る体勢に入った。

「ねえ、カカシ先生」

 つ、とサクラがこちらを見ていた。

「ん? どうした?」

 サクラは言い難そうに、唇を噛んだ。カカシは辛抱強く次の言葉を待った。サクラは決心、というよりは勢いに任せたように口を開いた。

「―――これでナルトに追いつけますか?」

「いや、無理だ」

 カカシは正直に答えた。

「え……」

「アイツは、少し特別すぎる」

「………そうですか」

 だが、とカカシは言葉を切る。

「近づくことはできるはずだ。この木登りの術の先に、ナルトやあの黒髪の少年が使った水上歩行の術がある」

 サクラの眼に強い光が宿った。

「技術ってのは割と色んな所で不思議とくっついてるもんだ。だから何事も基礎が大事だって言うんだろうな」

「………わかりました」

 表情を消してサクラはそう言った。

 本人は軽く頷いたつもりなのだろうと察せられたが、その眼だけは隠せない光でギラギラと輝いていた。

 怯えているよりはいい傾向なのだが、やはりその感情の取り扱いは難しいことになるだろう。

良くも悪くもこの班の中心は間違いなくあの少女であるようだった。

 

 ―――オレとオビトの関係によく似てる。けどこっちはもっと複雑だなぁ………。

 

 四代目ももしかしてこのような苦労をしていたのだろうか。それは非常に申し訳ない気分にさせられた。こんなめんどくさいものできれば一生関わらずに過ごしたい。

 だがその手間暇の報酬は大きいかもしれない。この任務を達成できた暁には第七班の力を飛躍的に伸ばせられるだろうと、そうカカシは考えた。

 

 

 

 

 



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17『転』

 

 

 

 

 

 ナルトはタズナの家に残った。

 

 木登りの修行はナルトには必要なく同行する意味はない。

 

それに一度再不斬を退けたとはいえ今はまだ護衛の最中であることに変わりはないのだから、これは妥当な命令といえるだろう。橋の建設に向かったタズナの護衛はカカシが受け持ち、ナルトはタズナの家族の護衛を任されていた。

 

川辺にせり出すように際しているこの家は、そのすぐ下と傍を緩やかに水が流れ、家を囲む板べりの通路は川の水からやや高いところに木の杭で支えられている。

 

 おんぼろ家ではあるが海辺の家にしては珍しい二階建てで、その屋根に上がれば視界はずっと遠くまで見渡すことができた。

 

 とりあえず危険な気配は感じない。修行によって以前よりずっと鋭くなった感覚のアンテナは、随分と使い勝手がいい。

忍者の用語として『感知タイプ』という言葉がある。この言葉の対象は多岐に渡るが、要するに、目標物(多くの場合は敵)を見つける能力に秀でた者を指している。ナルトはまださほど大した性能ではないが、その言葉の範囲にギリギリ入るぐらいの力はあるようだった。

 

その他にも一応何体か影分身を作って、周囲数百メートルを警邏させていた。チャクラ量的にはそれほど多くは置けないが、よほどのことがない限りはこの警戒網を突破されることはないだろう。

 やや高い空から太陽の光が頭上を差している。

 

 南の島らしい晴れやかな天気だが気温はさほど高くない。海風で少し肌寒いぐらいだ。

 

 雲が凄まじい速さで流れていく。そこに何かしらの形を見出しても、数秒ごとに大きく姿が変化していき、その姿は留まらない。

 

ナルトは太陽のまぶしさに目を細めつつも目でそれを追いかけた。

 

ナルトを配置したカカシの意図が妥当なのはわかるのだが。

 

 ―――滅茶苦茶さびしいんですけど……。

 

 

 

ドアの開く音が聞こえた。

階下を見下ろせば、子供の姿が見えた。黒髪の、頭に帽子を被った六歳前後の子供。イナリだ。

ドアを閉め、一人だけで桟橋を歩いていく。どうしたものかと考えたが、とりあえず声を掛ける。

屋根を壊さないように軽く蹴って、イナリの前まで跳躍した。

「―――おい、どこに行くんだってばよ?」

「うわぁ!」

 イナリは腰を抜かして尻餅をついた。

「い、今ど、どっからきたんだお前ぇ!?」

「屋根の上。一応、ツナミさんには言っておいたんだけど聞いてないか?」

「………きいてない」

「わるいわるい。オレ、うずまきナルト、木の葉の下忍だ。もしかしてこれも聞いてないか?」

「………ううん、それは聞いた。ボクはイナリ」

 急なことに取り繕う暇もなかったか、イナリは素直な様子でそう言った。ナルトが腕を引いて起こしてやる。

「そっか、良かった。しばらくの間よろしくな」

「うん、………ってどうでもいいよ」

 素直に頷いたあと、手を払うと、急にイナリはバツの悪そうな顔をした。

「ボクには関係ないよ、そんなこと」

「まあそう言うなって橋が完成するまでの短い間だ」

 突き放すような言い方も、前回で経験済みなので忖度せずにそうナルトは流した。

「あ、あっそ」

「で、どこ行くんだ?」

「お前には関係ないだろっ」

「いや、説明しただろ、関係あるの」

「……ちょっと散歩だよ」

「そうか、じゃ、ついてくってばよ」

 ナルトがそういうとイナリは露骨に嫌な顔をした。

「ついてこないでよ。ボク一人にしてよ」

「ダメ」

「母ちゃんについてなよ、どうせボクなんて狙われっこないし」

「それを決めるのは相手なんだよなぁ………、それにツナミさんにもちゃんと護衛は付けてるから大丈夫だってばよ」

「………」

 下から睨み付けられる。

 ナルトはとりあえずの笑顔。女の子になってわかったことが一つあった。笑ってれば意外と色々上手くいくことが多い。ただしサクラを相手するとき以外は、と注釈がつく。

 イナリはやや慌てたように視線を下ろして息を吐いた。

「………わかったよ、でもボクに喋り掛けるなよ」

「おっけーおっけー」

 

 

 

「イナリ、それなんだ?」

「全然言うこと聞いてないじゃんか………」

脱力した様子のイナリ。人気のない海岸沿いでイナリが近くの繁みから釣り竿を取り出した。紺色の塗装がされたシンプルな形の釣り竿だ。

 隣にはやや年季の入ったバケツとクーラーボックスが一つづつ。

「見ればわかるだろ、釣りの道具だよ」

「ふーん、それがそうなのか」

「なんだよ、初めて見たかのようなこと言って」

「いや、知ってはいたけど実際にはあんま見たことないんだよなー、木の葉の里って近くに海ないし、大きな川もないし」

「………あ、そっか」

 イナリは納得したかのように頷く。

「ちょっと見せてくれよ」

 ナルトは手を伸ばしたが、さっと躱された。

「ダメ」

「えー、けちー」

「ふんっ」

 ふと、疑問に思ったことを口にする。

「そういや、なんでこんな場所に釣り竿を置いてたんだよ?」

「そんなことも知らないの?」

 イナリは今度こそ心底驚いたと言った様子だった。まるで信じられないものでもみたかのような態度だ。ちょっと癪なので少し考えてみる。釣りの道具を家から持ってこないであえて繁みに置いておく理由。

 うーんと首を捻る。

「めんどくさいから」

「ちがうよ、そんなわけないだろ」

 即座に否定。会話をしながらも移動は止まらない。人気の無い岩礁を四苦八苦しながらゆっくりと登っていく。

「共用で使ってるから」

「はずれ」

「………盗んだ」

「なわけないだろっ」

 降参、と手を上げる。まったくもって見当もつかない。

「ガトーの手下に目を付けられるんだよ、ここら辺はもうガトーの縄張りなんだ。だからバレないように隠してる」

「へー、って結構大問題じゃねーか」

「お前、そンなことも知らないで護衛の任務受けたのかよ」

 ナルトたちが波の国事情に詳しくないのは主にイナリの祖父のタズナが原因なのだが、もちろんそれは言わない。

 ただ、ややこしい事情として、他の班員とは異なって今回のナルトはある程度情報を知っていた。

 どこまで知っている風で話すか少し考えた方がいいだろうか。もしカカシに事情を知っていたと気付かれた場合、少し厄介なことになる可能性がある。

 腕を組んで、少しの間考える。

 

 ―――まいっか。

 

 大丈夫だろう。ナルトはそう結論付けた。

「色々な権利を取られたってのは聞いた。けど、この程度の釣りもダメなのか?」

「因縁を付けるって言葉知ってる?」

またちょっと考える。

要するに、別に違反じゃないけど絡まれる理由になるってことか。

「………なるほど、って難しい言葉回しすんのな歳の割に」

「大きなお世話だよ。それに別にボクが考えて言ってるわけじゃないよ。そこら中でみんなが似たような会話してるからおぼえちゃうんだよ」

「でも、じゃあなんでわざわざ釣りなんてするんだ?」

「………別に関係ないだろ」

「またそれか。護衛に支障がありそうならやめてほしいんだけどなー」

「ボクは護衛なんて頼んでないだろっ」

 イナリが怒りだしたので、また手を上げて降参の合図。

 機嫌を損ねたようで、口をへの字に曲げてしまった。黙々と釣りの準備を始める。その動作は明らかに手慣れていた。よく釣りをしているのだろう。手早く餌を付けて、さっと釣り竿を岸に向かって振ると、しなった竿の先端がやや斜めに空を指し、その勢いに乗って赤い色の浮きが遠くまで飛んでいく。

 その一連の動作にナルトは興味を覚えた。

任務が終わったら一回釣りをやってみたいな、とナルトは思った。そんなのんきな時間を想像するぐらいはいいだろう。実際にやる暇があるかどうかは置いといて。

 いい景色だ。明るい太陽、透き通った海。

 しかしイナリの顔は険しい。楽しくて釣りをしているのではないのだろう。

 その理由を考えて、かつてタズナに聞いた話を思い出す。イナリの義理の父が、ガトーに殺されてしまったこと。そのせいで、イナリは戦うことを諦めてしまったこと。

 以前よりも、その痛みはよくわかった。

 どうしようもない現実に打ちのめされる気持ちは、ナルトも文字通り死ぬほど味わった。

 イナリなりの理由がある行為なのかもしれない。ナルトはさほど何か言うつもりはなかったが、わずかにあったそれが完全に消えた。

 

 ―――ま、オレが見張ってれば問題ないしな。

 

 納得したはずだったが、何故だろうか、やけに胸の幻痛が強い。

 

 その痛みを意識している内にふと、思考が動いた。

 

イナリの事情はわかった。

 しかし、まだ疑問は残る。ナルトの思考は感傷だけにとどまらなかった。 

 

釣りをするだけでこんな問題になるとは一体どういうことだろう。

 

 違う。もう少し前提があるはずだ。などとまるで三代目のような言葉が脳裏を浮かぶ。

釣りが云々というよりも、そもそもガトーはなぜこの島を狙ったのだろうか。確かに緩衝地帯で木の葉が手を出しにくい場所な上に、あまり問題が起きてほしくない土地ではあるのだが、それは木の葉の理由だ。

 大富豪であるガトーにとってこの島の経済など、塵芥のようなものではないのだろうか。

 労働力、というわけでもなさそうだし、島の経済が必要ないならば、こんな締め付けるような生活を強いる理由もないはず。第一、経済が理由だとしても、あまりにこの島に拘りすぎているような気がする。

「なあ、イナリ」

 話しかけたがシカトされた。しかしそこになにか思う間もなく言葉を続ける。

「おい、イナリってば」

 めんどくさそうな返事が返ってきた。

「なんだよ」

「あのさ、ガトーが漁業権を取り上げたって話しただろ? それって具体的にはどうなったんだ?」

「はあ? ………どうなったって、詳しくは知らないよ。島の一番大きな仕事がやりにくくなったってみんないってるぐらい」

「他には?」

「だから詳しくは知らないって。朝とか夜とか、やたら時間の制限ができたり、獲る魚の量を大きく減らされたり、通れる場所が減らされて沖への行き来がめんどうになったり、そういうのだよ」

「へえ」

 まだ考えは纏まらない。

 だが、少し考える必要があるように思えた。もしかしたら、これは再不斬や白と闘う上では役に立たない可能性もあるが、手札が多いに越したことはない。

 やるべきことを考える。

 

 



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18『転』②

  

 

 その日の夜、ナルトは修行を切り上げ帰ってきたカカシたちを出迎えた。

 驚いたことにサクラは全身がびっしょりと濡れ、疲労困憊の様子で今にも倒れそうによろめきながら家に入ってきた。肩にかけた大きめのタオルもすでに水浸しになっていてあまり役立っている様子はない。

 ふらつきながらナルトの横を通り過ぎる。ナルトがいることにすら、もしかしたら気が付いていないかもしれない。

「サクラ、寝る前に風呂には入っとけよ」

 カカシが声を掛ける。

「………」

 サクラからの返事はなかった。

 ナルトは困惑しながらサクラの消えた扉を指差した。

「サクラちゃんどしたの?」

「ああ、今日は流石にグロッキーだな。木登りの修行は終わったんだがその次の修行に手間取ったからな」

「次ってまさか、水面歩行の術のことか」

「ああ、まだ早いって言ったんだが」

 それはナルトにとっても意外なことだった。

 水面歩行の術はチャクラコントロールも必要だが、その上で要求されるスタミナが木登りの修業とは段違いに多い。体を浮かし続けるだけのチャクラを放出しつづけるのはそれだけでスタミナを大きく消耗させ、体への負担も大きい。かつてのスタミナお化けのナルトですら長時間維持するのは難しかった術だ。

 いくらサクラがチャクラコントロールが上手かったとしても水面歩行の術は結局、絶えずチャクラを放出する技術の高度な形に過ぎない。扱うにあたってチャクラは最低限これだけは必要という目安が存在し、それを下回った場合は容赦なく水に沈む。

 今のサクラのスタミナでこれを習得するのは、やや性急に思えた。

 びしょ濡れだった理由については理解したが、わからないことが新たに増えた。

「反対するつもりはないけどさ、焦らずに木登りの修行でしっかりスタミナを鍛えた方がいい気がするんだけど」

 サクラがあそこまで修行にのめり込む姿は初めて見た。これが良いことなのか悪いことなのかは、ナルトの中では判断が付きかねた。

「サクラが木登りの修行を一日で終えたことにはあまり驚かないんだな」

 と、カカシはやや意外そうな顔。

「サクラちゃんはチャクラの扱いが上手いのは見てればわかるから」

 と知ったようなことが自然と口から出た。

「そうか、よく見てるな」

 カカシは何かが引っかかった様子もなく頷く。それを見ながらナルトはふと思った。

 ―――なんか自然に嘘つくようになったなぁ。

 これはあんまりいい傾向ではないとナルトは内心で少し自省を感じた。嘘を吐くのはしょうがないのかもしれないが、あんまり気軽に使うようになってもいけない。

「お前の意見には賛成だが、本人がいたくやる気なんでな。それならやらせてみようとオレは思う」

「そっか」

「反対か?」

「だから反対するわけじゃないって。ただ、ちょっと急ぎすぎだと思っただけだってばよ」

 前回のサクラは木登りの修行を一日もかけずに終えられて、それからはほとんど修行には参加していなかった。なにかしらの心境の変化があったに違いなかった。だが、悪い変化とは決めつけられない。

 前のサクラなら嬉々としてサスケについていたはずだ。それを想定して落ち込んでいたのだが、なんだか拍子抜けした気分だった。

「あいつは早くお前に追いつきたいんじゃないかな」

「―――オレに?」

 ナルトにとってそれは意外な言葉だ。

「昨日の戦闘で随分思うところがあったみたいだしな。ま、お前に負けたくないんだろう」

「んー? あー………」

 

 ―――そっか。なるほど。

 

 ナルトは頷く。

「そうか、サクラちゃんはやっぱ努力家だなあ」

 感心してナルトはそう言った。考えてみれば前回と違うことといえば一番大きいところはそこだ。恐らくサクラは任務を遂行するにあたって自身の能力をもっと強化する必要を強く感じたのだろう。サクラの責任感の強さを、ナルトはよく知っていた。

 納得して頷く。

「お前な、サクラの前で絶対そういうこと言うなよ………」

 そう言われて顔を上げると、カカシは溜息を吐きかねない呆れた様子。

 意味がわからない。

「なんで?」

「うーん、いや、多分言っても意味ないんだけどね。とりあえずお前はサクラと仲良くしたいみたいだからオレからの忠告だ」

「わ、わかったってばよ」

 頷く。会話の糸口になりそうな気がしていたので惜しかったが、無視して強行する気にはなれるはずもない。サクラとは最近すれ違ってばかりなことを思い、ナルトは肩を落とした。

「あれ、そういやサスケは?」

 思い出して、カカシの背後をのぞき込んだが誰もいない。

「………………ああ、まだ修行中だ」

「結構もう暗いけど、大丈夫なのか?」

「ま、そのうち戻るだろう。心配しなくていい」

 カカシは手短にそう言った。その態度は一見すると随分素っ気なく、ナルトは首を傾げた。

だが話を切り上げて椅子に座ってお茶を啜る背中は続きを話すつもりはなさそうだった。

 言外にあまり触れてやるなと、そう拒絶しているように見えた。

 サスケは今もまだ、一人で森の中で修行しているのだろうか。

「あっ………」

 ナルトは察した。

『サスケだけまだ木登りの修行の段階』なのだ。

 

―――うわぁ。

 

 同情を禁じえなかった。

そもそもサクラがサスケと別行動を選択するとはまったくもって想像すらしていなかったことだ。

 修行は必要なのでこればっかりはしょうがない状況なのだが、考えが至らなかったのは確かだった。

 班員で一番修業が遅れている状態なのはよくよく考えずともサスケなのだ。

 つまり、本来のドベであったはずのナルトが一番上に移動したことによってできた順位の移動―――それが引き起こした誰にとっても哀しい悲劇だった。

 想像するだに恐ろしいが、サスケの内心を理解するのは容易だ。

 もしナルトが逆の立場だったら相当堪えていただろうし、ましてやサスケはそれに増してプライドがものすごく高い。間違ってもからかえそうにすらないだろう。

 これに触れるのは止めておこうと、ナルトは男の情けを以てそう思った。

「そっか、了解」

「そっちはすぐに察するんだけどなぁ………」

「へ?」

「いやなんでも」

 カカシは静かに茶を啜った。

 

 

 その日の夕食後、ナルトはカカシに自分の考えについて語った。

 考えといっても結局具体的なことはなにもない。ただ、ガトーの狙いがなにか別なモノなのではないだろうか、という推測だ。

 夕食を片付けたテーブルには今はカカシとナルトしか座っていない。

 結局サスケは戻ってこなかった。カカシの分身を置いているそうなので、流石に深夜ぐらいまでには戻ってくるだろうから、ナルトはあまり心配はしなかった。しないほうがいいとも思った。

「……ま、」

 カカシは頭をかいた。

「そういうこと言い出す気もしていたけどね」

「まじか、流石カカシ先生」

「言いたいことはわかった。しかし問題がある。―――時間が全く足りてない。いくら小さな島国とはいえ数日の間に探せる広さじゃあないしな」

「えっと、それはまあオレの影分身を虱潰しにやればいけるかな~っと」

 ナルトとしてはこれぐらいしかないという案だったが、カカシは首を振った。

「やれやれ、どうやらお前は諜報任務の経験がないようだな」

「あるわけないだろ」

 何言ってんだ、と思わず突っ込む。

「そりゃ、………、ま、今はいいか。ナルト、影分身を大量に動かせば、当然、相手にもそれが伝わることになる」

「あ、そっか。敵にバレちゃいけないんだもんな」

「そうだ。できるかぎり静かに任務をこなす必要があるってこと」

「ん~~、そっか………」

 名案どころか、大分無謀な考えであったようだった。

 いい考えだと思ったのだが。

 だが、無駄に時間を使うぐらいならば、初めからしない方がいいだろう。未練がましくナルトは唸りながら、方法を思案する。

 もう少し情報を集める手段を取ってみるのもいいかもしれない。もしかしたら範囲を限定できる手がかりが見つかる可能性もある。

「ま、それの解決手段も実は持っているが」

 ナルトが考え込んでいると、カカシが事も無げに告げた。

「マジで!?」

「ああ。ガトーが行っている漁業の制限や海上交通のルートの閉鎖は一見無秩序な規制に見えるが、島付近に限定して観察してみると、島のある一部の区域を人目から遠ざける形になっている」

「つまり………そこにガトーが本当に必要としているなにかがあるかもしれないってことか?」

「そういうこと」

「流石カカシ先生だってばよ!」

「明日辺りから本格的に探ってみることにしようと思う。ちょっとキナくさいものを感じるしな」

 ナルトは頷いた。ナルトが言うまでもなくどうやらカカシ自身も情報を集めていたようだった。別に不思議はない。ナルトが付け焼刃で考えたことをカカシが想定していないと考える方が不自然だ。

 後はカカシに任せていれば解決するだろう、とナルトは少し油断した。

「ナルト、お前もオレの仕事を手伝え」

「へ?」

「お前だけ修行ナシでは不公平だからな」

 カカシは少し微笑んだ、ように見えた。

「これからオレが、諜報の基礎を叩きこんでやる」

 



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19『転』③

 波の国滞在から数日が過ぎた。

 ここ数日の間、事態が急変するようなことは起こらず仮初ながらの平穏が訪れていた。

 サクラやサスケは己の修行に集中し、その成果はナルトには定かではないが、やるべきことをこなしているようだった。

 ナルトはその間、昼間はツナミとイナリの護衛を、夜はガトーの隠している何かを探りつつ諜報能力を鍛えている。気配の消し方、標的の追跡の仕方、標的の残した痕跡の分析、自分の痕跡の消し方、諜報というよりは隠密寄りの内容が多い気もするが、ナルトは言われるままにそれらを習得していった。

 街中で情報を集める方法も、いくつか学んだ。

そうしていく中で、ナルトはこの国について理解を深めていった。

 

 ナルトの目から見て、この国はやはり、どこかおかしかった。

 

 主要な産業である漁業は制限されて人が街にあぶれて仕事を探しているのもそうだが、街の中でも周辺では、ガトーの手下の姿をほとんど見かけないのだ。もし仮に国を支配したならば、その支配を盤石にするために自分の配下を要所に配置するはずだ。だというのにガトーの手下を見かけないのは、普通ではない。

 やはりガトーはこの街そのものには興味がないのだろう。

 カカシが言っていた、『ガトーが意図的に隠している場所』は向かってみると人里から遠く離れたところに位置し、パッと見ではただの森があるようにしか見えない。その場所に入り、中心に近づくにつれガトーの手下の警備は厳重になり、たやすくは近づけないようになっていることを知る。どうやら推測は当たっていたようだ。ナルトは小さく達成感と感動を覚えたが、これから監視の網を攻略していく作業に入ることを考えると喜んでばかりもいられない。

 

 楽観的にはなれないが、今のところは特に問題はなさそうだ。

 

 釣り針を揺れる水面に垂らしながら、ナルトは大きく口を開けて欠伸を一つ。

「…………釣れねえなあ」

 

 本日の釣果、ゼロ。

 

 いちおう、昨日は一匹釣れたのだが。横を向くと、もくもくと海を眺めるイナリが目に入る。さらにその隣のバケツを見ると、そこには数匹の魚が泳いでいた。

 それを半眼で眺める。

 黙って前を向くイナリの顔もどことなく調子に乗っている顔をしている。ナルトは竿を強く握った。

 

 ―――まだまだ。勝負はまだ付いてねぇ。

 

 今度はもう少し遠くまで釣り針を飛ばしてみよう。ナルトは戦法を変えることにした。

 

 イナリの警護もこれで四日目だ。最初は後ろに控えて警戒していたナルトだったが、護衛対象から『気が散るから後ろに立つな』との言葉を賜り、どうしたものかと考えていたらタズナからお古の釣り道具を貸してもらえたので隣に座って釣りをしているわけであった。

 最初はルアーで魚を釣ろうとしたのだが、どうもこれは難しい。というわけでイナリに釣り餌の捕まえ方を教えて貰い、その場で現地調達しつつ、ナルトはここ三日間は昼の間は釣りを満喫していた。

 

 昼間は護衛、夜は諜報任務と休む時間はほとんどない。その上、ほぼ常に影分身をし続けてスタミナを消費して、相当疲労が溜まってきていたがナルトはそれを態度に表さない。

 

 やはり前と比べてチャクラの絶対量が少ないという実感があった。スタミナを鍛えても前のように戻れるか、やや怪しい気がする。

これも課題だろうな、とナルトは思った。

「なんだ、まだ釣れてないんだ」

 と、ナルトのバケツを覗きこんだイナリがワザとらしくそう言った。挑発するようなそれを、ナルトは正面から受け止めて笑い返す。

「見とけよ、これから釣りまくってやるってばよ。今日こそオレが勝つ」

「期待してるよナルト姉ちゃん」

 まったくそう思っていないだろう口ぶりで、イナリは海に視線を戻した。

 イナリとナルトの関係は少し曖昧だった。護衛と護衛対象者という感じもあるが、友達のようでもある。

 前のときのように激しい対立はないが、その分どこかよそよそしいと感じるときもあった。

 多分それはナルトが女の子だから、なのだろう。

 

 ―――女の子に弱っているところを見せたがる男はいない。

 

 それがナルトの持論だった。そしてナルトは女の子としての踏み込み方がよくわかっていないし、それを利用しようとは思えない。

 イナリにもできれば前のときのように成長して欲しいと思うが、その方法はナルトにはわからない。

 わからないことだらけだ。人との触れ方など、ナルトには難しすぎた。

「お、引いてるよナルト姉ちゃん」

「む!?」

 竿に手ごたえを感じ、ナルトは笑みを浮かべた。

「見ろイナリ! 勝負はこっからだってばよ!」

「いいから竿に集中する! しっかりリール持って!」

「う、うす、イナリ先生、こうですか?」

「違う! それじゃ張りすぎ!」

 イナリにどやされながら、ナルトは慎重に魚を弱らせつつ、ゆっくりとリールを引いていく。最後は慣れた様子でイナリがタモで魚を手繰った。

「うおお、釣れた!」

「おー、おめでとう」

「なんか変な顔の魚だってばよ」

「カワハギの一種だね」

「へぇー、食べれんの?」

「捌くのがちょっとめんどくさいけど食べれるよ」

 これをサスケたちに持って帰ってやれればなあ、とナルトは思った。それはできないのだが。どうもイナリは釣りをしていることを家族には話していないらしい。ツナミは母親としてイナリが危ない行為をしているのを知れば恐らく反対するだろうし、タズナも孫の無茶を喜ばないだろう。釣りの道具を貸してくれたことを考えると、タズナは察しているようだったが。

 

 最初になぜ持って帰らないのかと聞いたときのイナリの「ボクの家は裕福だから」という自嘲混じりの言葉が耳に残っていた。

 

 というわけで、この魚はもったいないことに釣りが終わったらリリースすることになるだろう。

 ナルトは魚をバケツに入れると、再び釣り竿を握った。

イナリに追いつくにはまだ数匹必要だ。

 

 

 

 

 

 体が震える。ただ立っているだけだというのに、すぐに息が荒くなる。体中から汗が吹き上がり、まともに前を向いているのも辛くなってくる。

 堪えきれない。水面に手を突いて疲労に抵抗するが、それも長くは持たなかった。

 

「五分三十秒経過、十秒延びたな」

 

 水に沈む直前でサクラの体はカカシの手によって支えられる。

「はあ、はあ、はあ……」

 息が苦しい。吐きそうだ。サクラは喉からせり上がってくる朝食を必死になって抑える。

「すぐに座り込まない方がいい。キツイだろうが少し歩いておけ」

 頷く。答える元気はなかった。二日目の修行で思いっきり吐いた経験で朝食を減らしておいたおかげでなんとか吐き戻す衝動は抑えられた。もっとも疲労で食欲もなかったが。

 陸に上がると、その堅い感触に酷く有難味を覚えた。ふら付く体を抑えながら、少し歩いて息を整える。

 修行を始めてからすでに数日が経っていた。

 その修行によって得た成果は、遅々たるものだった。

 五分。それがサクラが水面歩行を維持できる時間だった。初日は一分維持するのも難しかった。二日目でコツを掴んで何とか三分を超えてできるようになったが、その後のタイムは中々伸びなくなっていた。

 死ぬ気になって五分と少し。それがサクラの限界だった。それもただ立っているだけでの話だ。

 この状態で戦おうと思ったら維持できる時間はさらに短くなり、大体一分か二分程度だろう。つまり、今のままでは実戦でまるで使い物にならないということ。

 サクラは歯噛みした。

 思い出すのはもちろん、一人の少女のことだ。

 

 ―――ナルトはあんなにも軽やかに動いていたのに。

 

 修行を始める前にカカシに言われたことを思い出す。

『あいつは少し特別すぎる』

 それの否定は、もうできそうになかった。修行を始める前はまだ噛みつくだけの元気はあったが、それも現実に直面したときあまりに甘い想定だったことを突き付けられてしまっていた。

 それでも修行を続けているのは、意地を覚えたからだ。

 ナルトに対して最初に感じていた怒りは、もう残っていない。

 ただ、ナルトに対してどうすればいいのか、どうしたいのか、サクラはわからなくなっていた。

 

 だから、修行なのだ。

 

 ナルトに対する感情は複雑だが、それでも素直に称賛したい気持ちは確かにある。しかしそれも今この惨めな気持ちに決着を付けてからの話だ。何一つ役に立たなかった自分。それを振り払いたかった。

「カカシ先生……」

「ん?」

 息は少し戻ってきた。座り込んだ地面から視線は上げないまま、乾いて罅割れた唇を動かす。

「本当にまた、あの再不斬って忍は襲ってくるんですか?」

 カカシは考える様子もなく頷いた。

「可能性は高い。もしそうならなかった場合でもガトーの雇った別の忍と闘うことになるだろう」

「………そうですか」

「なにか気になるか?」

「………………………いいえ」

 首を振った。

 黒髪の少年、そしてあの大剣使いの男、あの二人を、あの戦いを思い出すと恐怖が蘇る。だが、今だけはそれを忘れておく。

 次は絶対に足手まといにはならない。

「修行を続けましょう、カカシ先生」

 サクラは立ち上がって前を見据えた。

 

 

 



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20『転』④

 闇の中を一隻の船が進んでいく。小型船のその船には二人の男の姿があった。明かりを点けず、音も立てず、灯台からの光を遠目に警戒しながら進むその船は、姿形は普通の小型漁船であったが、見る者が見れば違和感を抱く不自然さがあった。まず、船がイヤに綺麗なままなこと。そしてなにより、吃水の位置が明らかに普通の船に比べて低い。加えて乗っている二人の男は若い男とやや年嵩の男なのだが、若い男の方は漁師にはありえない日本刀を、腰に誇示するようにぶら下げている。

 その船はやがて切り立った崖を両端にした河口へ突き当たった。そのまま止まることなく川を遡るようにして北上していく。水を切るエンジンの音も静かな闇夜には少し響いたが、市街地から遠く離れたこの場所で聞く者はいるまい。川の途中に至ったところで、左右の崖から二つのライトが瞬いた。

 船番所の見張りの合図だ。こちらも決まった合図を送る。それはここに来てから一度も変化したことのない『異常なし』の報告だ。船のライトを決まった回数だけ瞬かせる。

 返事のライトが返され、それっきりまた闇が戻る。

 

「ふぁああ………」

 

 温い風が船の後方へとゆっくり流れていく。仕事が大方片付いて気が緩んだのだろうか、男の一人が大きく口を開けて欠伸をした。

「まったく、退屈な仕事だ」

 タバコに火を付けると、ぼやくようにして呟いた。

「おい、タバコ光ってるぞ」

 操舵室の方から声が聞こえた。

「ここまで来たら誰もいやしねえよ。いいだろ一本ぐらい」

「……いいが、仕事の方はサボるなよ」

 そう言うとあっさり男は引き下がった。

あまり仕事熱心という感じでもなさそうだった。

「わかってるよ」

 舌打ちをしながらの返事。

「金払いはいいが、こりゃつまんねえ仕事だな」

 小さく言って、タバコを海に投げ捨てる。

「ん?」

 投げ捨てる寸前にその手をピタ、と止めた。

「………いや、気のせいか」

「どうした? なにかあったか」

「いや気のせいだ」

「なんの話だ」

「………後ろの方の崖になにか張り付いてるように見えただけだ。勘違いだよ」

「なに? どこだ?」

「だから勘違いだ。今見たら何もなかった」

「おい、大丈夫なんだろうな」

「だから見間違いだって言ってんだろ。第一、あんな断崖絶壁に人が登れるわけねえだろうが、猿じゃあるまいし」

 そういうと、男は今度こそタバコを投げ捨てた。

 

 

 

 

 ナルトは崖の上で手を揺らしながら息を吐いた。船の側面を掴んでくっついていたのだが、そのせいで随分と筋肉が張っていた。チャクラで吸着して補助もしていたが、まさかずっとそうしてるわけにもいかない。

 体がずっしりと重い。それは疲れだけではなく、塩水を吸って重くなった服もそうだ。

取りあえずバックパックから替えの服を取り出して、今着ているものを脱ぐ。まさかびしょ濡れのまま潜入は出来まい。

「着替えたか?」

「押忍」

 既に服を取り換え終えたカカシ、いつの間にかマスクも乾いたものに変わっている。しっかり見とけば良かったと少し雑念を覚えつつも、返事をする。

「って、全然拭けてないな」

「大丈夫、服はしっかり着替えたってばよ」

「あのなぁ、そんな状態で隠密行動ができるか」

 そう言うとカカシは持っていたナルトのタオルを自然な動作で奪うとそれでわしゃわしゃとナルトの髪を拭いた。

「おー、ありがとうカカシ先生」

「どういたしまして。ま、こんな感じか」

 ひと段落。

「カカシ先生の読み通り、入り口は相手が教えてくれたな」

「ま、大よその場所は分かってたけどね。地元の漁師も近づかない険峻な岸辺だ、秘密基地の入り口には丁度いい」

「反対側に比べると警備も手薄みたいだ、―――人の気配も随分少ない」

「こちら側からの侵入者は考えていなかったみたいだな。関所を抜ければ後はザルだ」

「へへっ、忍を舐めすぎだってばよ」

「油断はするな、想定外はオレたち側にも起こりうることだ」

 短く会話を終わらせるとナルトたちは山の中を船を追うように川沿いを登っていく。当初、ガトーの隠蔽している場所に町側からの侵入を試みたが、警備の厳重さから断念。時間をかければ安全に見つからずに忍び込めるルートを発見できるかもしれないが、それでは遅い。

 ということで、警備の緩い海側の方からの侵入がもっとも現実的だという判断を下したのだった。もちろんそれは忍者にとって、という注釈が必要だが。

 

 波の国は小さな島の集合体でできているがその中でももっとも最南端にあるこの島は、火山灰が多く含まれた柔い土でできていて、岸辺を波で削られ、まるでネズミ返しのように裏返っている。それが広い範囲で続き、常人が登ることは不可能に近い。唯一の入り口である川もその両端は川の流れで削られてまるで崖だ。川の中腹に見張り番がいるので、普通に船で川を突破するのも、まず不可能である。

 

 というわけで敵の船に同乗するという作戦を決行したのだった。関所を抜けてから船を離れ、素早く崖を登り、後は川沿いに船を追っていけば敵の本拠地へと潜入できるという算段だ。

音もなく二人は夜の森を駆け抜けていく。黒い影が二つ、木々の間をすり抜けていく。ナルトは猿飛の術の特訓の成果か、カカシに遅れることなくその背中に追従する。

 

 静かな闇夜に、満月が浮かんでいた。

 

 月明りが強い夜は本来潜入には向かないそうなのだが、日程を選ぶような潤沢な時間など、当然の如くない。

 

 ―――カカシ先生曰く、時勢、兵力、情報、その全てが完璧な作戦の方が珍しい、ということだけど。

 

 監視の目の中に忍が存在しないのは幸運だったといえるだろう。ガトーがもし再不斬たちを信頼してこの場所の警備を任していたのなら、侵入の難度は遥かに高いものになっていたはずだ。

 

川の途中で、船が停止するのを崖の上から確認する。そこは人工的になのか自然にできたのか、崖の一部がなだらかになっており、その根元に簡易的に作られた小屋のような建物がある。船に乗っていた男たちが、その中に入っていくのが見えた。その真上の崖に移動すると、そこでナルトたちは一旦停止。

 硬い地面の感触が足裏に触れる。人の手で均したのか、草が刈られて、土を固めた道ができていた。一つは崖下へ続き、もう一つは森の中に続いている。

 

 ナルトは地面の足跡に触れる。どうやら男たちはここをよく往復しているらしい。乱れも少なく、ここはただの通り道に過ぎないことがわかる。足跡が深いものもあるが、これは何かを運んでいるのだろうか。

先にどちらに向かうか、ナルトはカカシを横目で確認する。

「下には監視としてオレの影分身を送る。先に森の確認にいくぞ」

 潜入任務はむやみやたらな影分身は厳禁だが、目的物が複数あるこの場合はこの判断は妥当だろう。ナルトは頷く。

 

 感覚をさらに集中して研ぎ澄まし、どれだけ周りに人間がいるのかどうかの確認も同時にしておく。

 森の中にまで、広い道が続いている。五人並んでも余裕で通れるはずだ。人の気配は少なく、辺りは木々や動植物の、自然の音だけが聞こえる。ここは山の麓近くなのだろう。すぐ目の前にはもう、山の姿が巨大な黒い塊として見えた。この山に登って東を見れば、波の国の島と町が見えてくるはずだ。

 さらに少し進むと、開けた場所に辿りついた。森の陰が消えると、突然世界が明るくなったような錯覚に陥った。月明りを遮るものがなくなったからだ。

 そこにはさほど広くはないが、耕された土地があった。

「これは……畑?」

 ナルトは呟く。

「これは……なるほどそういうことか……」

 カカシは得心がいった様子で頷く。ナルトの視線の先には森を切り払ったかなりの広さの畑。そこにはナルトの知識にはない(とはいえ植物の知識など全然ないが)ナルトの背丈半分ほどの草が大量に生い茂っている。

 カカシはしゃがみ込むと草に手を伸ばし、その先端をのぞき込んだ。ナルトは周囲の警戒を続けながら、月の光に照らされた草の大地を眺める。人の姿はなく、その気配もない。

「カカシ先生、これなんの植物だってばよ?」

「これは、恐らく麻の一種だろう」

「麻ってえーと、服とかに使われてるあの麻のことか?」

「そうだ。火の国の場合、昔は建築にも使われていたこともある。麻の繊維は丈夫で、手間はかかるが土に混ぜて使えばより強い強度の家や壁が造れる。だが、それとこれは種類が違う。その手の木の葉原産の野生種の麻は背丈が高く、得てして人以上の高さに育つ」

 ナルトは焦れた。

「カカシ先生、時間がないし講釈は後で聞くってばよ。つまりこれはなんなんだ?」

「これは、麻薬だ」

 溜息を吐きながらカカシは続ける。

「断言はできないが、まさか医療用ってことはないだろうな。麻は種類が多い上にオレも専門家ってわけじゃないが、見ろ、このあたりの麻は全て雌株だ。これだけの広さで栽培していながらキッチリ雄株を取り除いている」

「いや、雄か雌かなんてわかんないってばよ……」

 草の先端を向けられたナルトは困惑した。闇夜も手伝い、ただの草にしか見えない。

「麻薬の材料の麻は濃度を増すために雌株しか育てない。ま、そこら辺の講釈は止めて置くか。……しかも、オレの見たところこりゃ新種だ」

「………つまりガトーの隠していたものってのはこの草のことなのか?」

「恐らく、そういうことになるだろうな。麻薬用の麻ってのは基本的に直植えはしないはずだ。……この新種の植生がたまたまこの国の気候に合った、そういうことかもしれんな。あるいは出荷ルートに関係しているのか。そこら辺のことはあの小屋を調べればわかるかもしれない」

 考えを少し纏める。

「……なるほど、だからガトーはここに人を近づけたくなかったのか」

「麻薬はご禁制の品だからな。末端価格でも一キロ売れば五年は遊んで暮らせる。この新種の濃度がさらに高いものだとすれば、それ以上かもな。奴の資金源だったわけだ」

「カカシ先生、オレが知りたいのはこれは、ガトーを倒す手段に成り得るのかどうかってことだってばよ」

「麻薬は一般での流通は固く禁じられている。これらの事実を大名に伝えれば、少なくともガトーの脅威からこの国を助けることができるだろう」

「そっか」

 ナルトは腹立だしさと安堵を同時に感じていた。こんなもののために波の国全体を苦しめていたのかという忸怩たる思いがあった。だが、潜入した意味はあったようだ。

「しかし、問題はこれの薬効とその輸出先だ」

 カカシが呟く。

「どういうことだってばよ?」

「ま、今はそれはいい。とにかく、これで問題の一つは片付きそうだ。よかったなナルト」

「……うん」

 腑に落ちない思いをしながら、ナルトも頷く。確かにこれで未来が変化したとしても最悪の展開にはならない保険ができた。

 あとは、二人の修行の成果次第か。

 

 

 

 

 

 影分身を解除したナルトは、目を見開いた。

 タズナの家の、ナルトに割り当てられた部屋の布団の上に、ナルトは胡坐をかいて座っていた。

 チャクラを温存するためだ。ここのところ影分身の多用でややチャクラが減っている。いつ何時も戦いに備えているためには、あまり無駄に体力を消耗するわけにはいかなかった。今日はカカシ本体が家の警備をしているためナルトは最小限の警戒すらせずに休息に専念した。

 

 以前のように修行にのみ専念するようなことは、今はしたくてもできなかった。

 

 潜入に使っていた影分身を解除したことでその分身体の記憶がナルトに同期していた。

 

 ―――ふぅ。

 

 息を吐く。どっと疲れが体に伸し掛かってきていた。影分身体を解除すると得られるのは記憶だけではなくその疲労ももれなく付いてくる。休めていたはずの身体が逆に疲れてしまったぐらいだ。

 

 ―――やっぱ、スタミナがねえな……。

 

 自分の体力を心配するというあまりやった記憶のない作業に辟易しつつ、ナルトは立ち上がった。あれから一週間ほど時間が経過している。そろそろタイムリミットが近い。

 二人の修行がどれくらい進んでいるか。それはナルトはあまり関知していないことだ。ただし、それほど心配はしていない。サスケはあの通りムカつくぐらいの天才なのだし、サクラも前以上に修行を頑張っていることだけは知っている。そこに関しては不安な要素がない。

 部屋を出て、階下のリビングへ行くとそこにはタズナとカカシが座っていた。台所からは夕食の良い匂いが漂っていた。

「お、起きたか。どうやらうまくいったようだな」

 さっきまで一緒だったカカシにそう言われるのはなにか不思議な気分だった。

「まぁね、問題なしだってばよ。カカシ先生がヘマしなきゃだけど」

 証拠の品を持って帰ってくる作業があるのでカカシの分身体は解除していないため記憶の共有がまだ済んでいないのだ。そこら辺は実に複雑で面倒臭い。

「あれサクラちゃんとサスケは?」

「サクラは部屋で寝てるよ。しばらくは起きないだろうし、そっとしておけ」

「サスケは?」

 そう尋ねたナルトにカカシはしばし沈黙で返した。

 何故だか嫌な予感が膨れ上がった。席に付こうと椅子を引いた手をそのまま止める。

「カカシ先生………?」

「サスケは、まだ戻ってないな」

「まだって……、そういやサスケの修行はどうなってるんだってばよ?」

 ナルトはその嫌な予感を抑えながら質問を繰り返す。

「まだ木登りの修行が完了していない。……これはちょっと予想外なんだがな……」

「………嘘だろ」

 

 新たな問題、浮上。

 




 


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21『月光』

 

 

 

 カカシの制止を振り切って、ナルトはサスケの修行している森に走った。単純に信じられないという思いがあった。

 前回と今回、多少の違いあれど、時間だけ考えるなら修行期間は決して前よりも短くない。以前カカシが写輪眼の使い過ぎでしばらく動けなかった数日間が今回はまるまる修行に使えたのだから、数日分の猶予すらあった。 

 それゆえ、ナルトの頭の中からはサスケとサクラの修行の成果を疑う余地は発生しえなかったのだが。

 あてが外れたというよりは、まったく信じられなかった。

 以前の記憶をたどるように、森を駆けて修行場に急ぐ。

 かつては、三人で歩いた修行場の森への道へ今度は一人で走った。

 酷い落差だ。ナルトは焦りと動揺を抱えているせいか、夜の暗い道にたった一人で立っているような心細さを覚えた。

 今でも覚えているあのときの胸の鼓動の高鳴っていく感覚だけが、かつての記憶が幻でないことの証明だった。

 皆でやった木登りの修行。僅か一週間前後の短い期間だったが、そのときの風景はナルトの心に鮮明なほど焼き付いていた。

 それほど昔ではないはずなのに、振り返ってみると隔てた時間以上にその記憶は遠い気がした。

 

 満月で照らされた修行場に着いたとき、ナルトは咄嗟に音を消して隠れた。サスケが一心不乱に木に登っているのが見えたからだ。

 未だに内心で信じきれない思いを抱えながら、サスケの背後の繁みに回り込むと、ナルトは目を凝らしてその姿を眺めた。

 ―――……………。

 しばし、その後ろ姿を観察する。そのサスケの後ろ姿もまた、ナルトにとって懐かしい。あの背中を睨みながら競うように木登りの修行に励んだものだ。どっちがどれだけ高く登ったのか、互いに強烈に意識し合いながら、内心で勝った負けたを繰り返した。

 負ければ焦ったし、追いついたり、たまに追い抜いたりすれば、安堵と優越感を感じた。その直後には追い抜かれる恐れで、また焦ったりした。

 

 だが不思議なことに、どっちが早く修行を終えたのか、その結果そのものはナルトの中では大した意味を持つことはなかった。

 

 木を登り切ってその頂点で見上げた夜空がナルトの中にあった小さな全てを吹き飛ばしてしまったのだ。その隣の木には同じようにサスケが居て、一緒になって空を見上げていた。そのとき感じたなにかをナルトは未だ、言葉にする術を持たなかった。

 

 ナルトがやってきたのは丁度よいタイミングだったようで、間もなくサスケは木に向かって走り出した。助走をつけて加速すると、その勢いのまま猛然と木を駆けあがった。勢いに乗って木の頂きギリギリまでを登り切り、そして弾かれるように木から足が離れた。樹皮や枝を蹴りながら下に降りて、しばらく留まって荒く肩を上下にさせる。

その姿を最後まで見て、ナルトはほっと息を吐いた。安堵の溜息だった。

 

 ―――なんだ、ほとんど出来てるじゃねーか。

 

 想像してしまったような、全然修行が完了していないなどといった様子はなかった。ちょっとばかり勢いまかせなやり方だったが、木を登り切るという修行の目標まであと少しといったところだ。

 安心すると急に腹が立ってきた。動転して急いで走ってきた自分への恥ずかしさを誤魔化していることを理解しながらも、心中でカカシに文句を呟く。

 

 ―――カカシ先生め、大げさに言いやがって。まったく。

 

 愚痴は溢したものの、それほど大きな怒りはなかった。どこかで、『そりゃそうだろう』という思いがあったからだ。

 もし仮にサスケの修行がまったく進んでなかったとしたら、どのような対処をすればいいのか、ナルトには想像ができなかった。そのような事態そのものが、ナルトにとって有り得ない、妄想するのにも難しい想定だ。それぐらいナルトはサスケの才能を信じていた。

 

 この分ではサスケの修行は今日中に終わるように見えたし、自分の出る幕はないだろう。ナルトはそう結論付けた。

 

 頑張れよサスケ。ナルトは心の中で呟いて、踵を返そうとして、足を止めた。

 思わず胸の中心を押さえる。ズキ、ズキ、と内側から針で刺されるような鋭利な痛みにナルトは眉をしかめた。

舌打ちをしたい衝動を我慢する。たまに思い出したように痛むこの傷はナルトにとって楽しいものではない。

 理由のない痛みは、理由がないから治す方法もない。それゆえ、痛みが引くまで耐えるしかない理不尽さがあった。なんだってんだ。音を立てないようにゆっくりと木に寄りかかりながらナルトはぼやいた。

 痛みはすぐに消えたが、すぐに動く気にはなれず、ぼんやりとサスケの修行を眺めた。

「…………?」

 なぜだろう。少し違和感を覚えた。覚えたというよりは、意識に引っかかったという方がより正確だ。それは胸の傷のことではなく、目の先にいるサスケについて。

 

 うすく不定形な、霧のような違和感があった。気を紛らわせるためもあって、その違和感に思考を伸ばしていく。

 

 泥まみれで修行するサスケの姿は見慣れないが、それに違和感をおぼえたわけではないだろう。かつてと同じように懸命に修行に励んでいるようにしかみえない。

 敢えてあげるなら、サスケの表情がいつもより苛立っているようにみえた。まあ、楽しい状況ではないしそれはそうだろう。気にする必要はない。そう思わなくもないが、違和感は消えなかった。

 

 理由を内面に潜らせて行く。もうなんとなく、などというぼんやりした意識ではなく、はっきりとした疑問に変わりつつあった。

 

 ふと、前回と大きな違いがあることに気が付いた。

 前のときのサスケはもっと楽しそうだった、気がする。ナルトは木登りの修行が終わりに近づくにつれ、手応えを感じ、達成感を覚え、そして手の届く位置にきた目標に心躍らせた。それはサスケも同じだったはずだ。

 

 だが、『今のサスケ』はそうはみえない。

  

 修行が終わりに近づいているというのに、その表情は歪んでいた。その顔には修行の成果を喜んでいる様子はない。

 確かにサスケ一人だけ木登りの修行だ。置いていかれている、という状況はサスケにとっては慣れないことだろう。多分、修行の達成はサスケにとって強くなったというよりは、マイナスがようやくスタート地点に行った、そういう認識なのかもしれなかった。

 

 それは残念なことだと思った。

 

 サスケにはもっと自信満々の顔の方が似合う。それこそ腹立つぐらいが丁度いい。

 なにより、この修行での成長をもっと喜ぶべきだ、と思った。それはナルト自身の経験から、とても大事なことだと確信していた。あのとき見た空を、サスケにはもう一度見て欲しいと、そう思った。

 どうやら、色々やっている内に足元を見失っていたようだった。やるべきことは多いが、もっとも大事な目的が、『皆で前のように笑う』ことのはずだ。

 疲れた体が僅かに訴えているのを感じながら、ナルトは完全にそれを無視した。

 

 さて、どうやるか。普通に行って『修行を手伝う』などといってもサスケは絶対に頷くまい。もう少しやり口を考えねば。ナルトはまずはどこかにいるであろうカカシの分身に会うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 満月がもう空を登り切っていた。それを認識したとき、サスケの胸中に浮かんだのは、荒々しい感情のうねりだった。焦燥が、色濃く心を覆いつつあった。

 

 ―――ちくしょう。

 

 目の前にそびえ立つ木を睨みながらサスケはそう内心で吐き捨てた。木に刻まれた無数の傷跡がサスケの今までやってきた修行の密度を雄弁に語っていた。

 この傷の一つ一つが、サスケのこれまで行っていた修行の成果なのだ。だが、サスケはそれを誇らしいなどとはまったく思わなかった。もっと正確に述べるなら、憎悪していた。

 

 ―――たったこれだけが、今の俺の全て。

 

 唾棄すべき現実が目の前にあった。無理をして息も整えずに連続で動き続けてきたせいだろう。満足に動かない体で地面を這いながら見上げる木は、切り倒してやりたいぐらい高く見えた。

 

 ―――ちくしょう。

 

 何百回目かの罵倒が、苛立つ内心に浮かんだ。こんなはずではなかった。

なにもかもが、サスケの想像をはるかに逸脱してしまっていた。その混乱した心の中のイメージは、一人の少女を中心にして、まるで嵐のように浮かんでは消えた。あの船上での戦い。そしてその後の自分の修行の現状。『見極めてやる』などと自惚れた己の思考の末路。

 

 あのとき、船の上で無様に這いずりながら、サスケは悔しさを覚えることすらできずに、ただ茫然とその戦いを見送った。

 

 その後の修行でサクラにすら遅れをとり、そして今なお達成すらできていないこと。

 

 認めがたい、そして呪わしい現実。早く『この程度の修行』など終わらせて、さっさと次の段階に入るべきだ。そう思っているのに、現実の方は付いてこない。当初、カカシが想定していた修行期間は一週間だったがサスケはそれを半分以下で終わらせるつもりだった。

 それぐらいなら、やってしかるべきだとすら思っていた。しかしそれどころか、修行期間を過ぎても、未だ、第一段階の目標にすら届かない。

 それが脳裏を過る度、焦りが抑えきれなくなりそうになる。

 精神の均衡の揺らぎ、それがチャクラコントロールに悪影響を及ぼすことをサスケは体感で理解していた。何度も考えないよう、無心になろうと努力していた。だが、疲れた体に精神が引っ張られるように、思考は簡単に天秤を動かすように傾いていく。同じような屈辱を味わったのは幼少期の兄に対してだけ。結局、サスケはそれを克服する機会すら得られないまま、ここまで来てしまった。

 

 なんとか、息を整える。

 

 頬を袖で拭い、立ち上がって木を再び睨む。

 こうなったらもっと疲れてやろう。サスケはそう思った。もっともっと疲れ切れば、余計なことを思わずに済む。覚悟を決めるように意識を研ぎ澄ました瞬間、ふと気配を感じた。

「よお」

 振り返ったとき、サスケはまた精神の均衡に揺らぎを感じた。

 一人の少女が、月光に照らされながら、佇んでいた。

 どくん、と心臓が跳ね上がったのを感じた。先ほどからずっと脳内を駆け巡っていた少女が目の前に現れていた。一瞬、幻かとすら、思ってしまった。

 

 サスケはナルトに目を奪われた。朝会ったときと見た目に変化があるわけでもない。しかし月明りの下で初めて見るこの少女には、僅かに妖しい気配が漂っていた。大きな蒼い瞳、月夜を照り返す金色の髪、その表情。陰影のせいなのか、サスケが疲れ切っているせいなのか、目を離せないなにかがそこに宿っているように思えた。

 

「?」

 

 固まったサスケを見て、少女が小首を傾げて表情を変えた。瞬間、霧散するようにその気配は闇夜に溶けて消えた。サスケは訳のわからない心境を覚えたが、それを考察することなく放り捨てた。

 今、一番会いたくない少女が目の前に立っている。サスケは激しい羞恥を感じながら、それでもいまさら無視することもできずに訊ねた。

 

「……何の用だ?」 

 

 自分の声のあまりのか細さに、サスケは驚いた。

 たった数日の挫折でこんな風になってしまうのかと新しい発見でもした気分すらあった。もちろんそれを遥かに上回る屈辱が全身を駆け巡っていたが。

 

「修行を見に来たんだってばよ。そろそろ一区切り付くころだと思ってよ」

 

 少女がそう言った。普段となんら変わらない声音。身構えているサスケを見ても特に気負った様子はなく、そのままサスケが木登りの修行に使った木に歩み寄っていく。

 サスケは思わず制止の声を上げようとした。別段見られたところで問題はないはずなのに、この少女にそれを見られることが重大な出来事のような錯覚を覚えた。

 だが、それは結局、なにかしらの言葉になることはなかった。

「……ほー」

 サスケはナルトの背から目を逸らして地面を見た。数秒後、木を眺めていたナルトが振り返った気配を感じた。

 

「あと少しってところだな、サスケ」

 

 あまりにも無造作にサスケの内心に踏み込む言葉に、考える間もなく、反射的にサスケは答えた。

「…………なるほど、それが言いたかったことか」

「?」

「修行期限は一週間、そりゃ何か言いたくもなるだろうな」

 

 言ってすぐに後悔するような失言だった。しかも同世代の少女相手に吐くにはあまりに情けない言葉だ。だが吐き捨てた言葉をいまさら無かったことにはできない。

 

「……………………」

「未だに修行が終わってないんだからな。お前が釘刺しに来なくてもオレ自身が十分にわかってる。カカシとお前が裏でなにかやってるのも理解してる。悪かったな」

 

 止めるべき瞬間を見失った言葉は、暴言ではあったが本心でもあった。

 

「オレに構うな。安心しろよ同じ班員として任務の邪魔になるような真似はしねえ。………それで十分だろう」

 

 後悔に塗れながら、言い切った言葉を撤回するつもりはなかった。心のどこかで、自分の発言の正しさを信じていた。慣れ合うつもりも同情される気もそもそもなかったはずだ。だから、別に構いはしない。任務で与えられた仕事をこなす、それだけの関係だ。 

 

 だが、ナルトの目は見れなかった。そこにあるだろう侮蔑、蔑み、哀れみ、そのどれか少しでもナルトから感じ取ったなら、なにかが折れてしまう気がした。

 目を逸らして、ナルトの横を通り過ぎる。とにかくこの場所を離れたかった。修行の場は、適当に変えればいい。

 

「サスケ」

 

 静かな声だった。今まで一度もこの少女から聞いたことのないほど、大人びた声だった。

 思わずなにも考える暇さえなく反射的に顔を向けた。

 見上げた先に見えた少女の顔には、想像したような表情は浮かんではいなかった。ただ、じっとサスケの目を見つめていた。元々の顔が整っているせいか、雰囲気から人懐っこさが消えると、途端に怜悧に見えた。

 その瞳には何の色も帯びていなかった。ただ透き通るような透明さだけ。

 自分の中にあるなにもかもを見通すような瞳。かつて一人だけ同じような目を見たことがあったのを思い出す。

 

「今日さ、満月だってばよ」

「―――――――――――――――は?」

 

 その口から出たのは思いもよらない言葉だった。ナルトが視線を上げるのに釣られて見れば、確かに満月。いや、知ってはいたが、言われてみると初めて気が付いた気がした。

 視線を戻すと、ナルトは未だ静かに空を見上げていた。

「木の葉の里でも星は綺麗だけどさ、やっぱ明かりが少ないと見え方も違うんだよなあ」

「……何の話だ一体」

「せっかく景色を楽しめそうな場所なんだ。任務中でもそれぐらいは観光してもいいじゃないかって少し思ったんだってばよ。ま、オレもそんな余裕今の今までなかったけどよ」

 すっとサスケに戻した視線は、やはり怒りは宿ってはいなかった。

 

「お前の修行の成果も、ちゃんと見た。取るに足らないなんて少しも思ってない」

 

 媚も恐れも言葉には含まれていなかった。そうだからこそ、怒りは沸かなかった。

 虚を突かれて毒気は抜かれてしまった。狙ってやっていたとしても脱力してしまった気持ちはもう戻らなかった。

 

「……どこがだ。未だオレは木登りの修行すらできていないだろうが」

 

 言ってからまた後悔した。まるで慰めて貰いたがってる子供のような発言だった。

 

「…………んー」

 

 ナルトは少し考えるように上を見た後、木に歩み寄ってそこに刻まれた跡をゆっくりと撫でた。

「この跡は、…………最初の一歩でチャクラを込め過ぎた、だから調節しようとして逆に最後にチャクラが弱くなりすぎてる。あそこの跡は、コントロールはしっかりできてるけど、木の起伏をしっかりと把握できてなかったな。だから配分は合ってるのに弾かれてしまっている」

 

 少女はまるで見ていたかのようにあっさりと答えて見せた。サスケの腕を引くと、木の根元に立たせて同じように見上げさせた。驚いたことに二つとも確かに当たっていた。

顔から疑問を読み取ったのかナルトは笑った。

 

「わかるってばよ。オレも木登りの修行はお前と同じぐらい手間取ったんだからよ」

「なっ…………」

「嘘じゃない。大体みんな少しオレを買いかぶりすぎなんだよ。……いや大分か。木登りの修行なんてゲロ吐いて必死になってようやく会得したんだ」

「…………」

「でも、今ではあっさり会得できなくてよかったと、そう思ってる。基礎をそれだけしっかりやっておいたら、それは後になってもっと大きな財産に変わってた」

 そう言うとナルトは真っすぐにサスケを見た。

「ま、しょうがないから、木登りの修行のコツを一つだけ教えてやるよ。それは」

 その顔がイタズラっぽく変わった。

 

「力を抜くことだってば―――っよ!」

 

 ぼすっと腹を殴られた。衝撃は軽いが、不意打ちだったので思わず咽てしまった。

 

「て、てめえ……!」

「やーい、あんまり情けない面すんなってばよ!」

 身を翻して、スルスルとあっさり木を登っていく。くそったれ、そのコツならもうすでに知っている。サスケはそう思った。ただ、それを実践することこそが一番に難しいのだ。だが、殴られて動揺したせいなのか、力が入っていた体と心は確かに多少、緩まっている気がした。

 

 追い付いてやる。ずっと思っていたことだったが、今まではどこか歪んでいたその想いが、今は明確で爽快だった。まったくもって訳のわからない女だ。太陽みたいに笑うかと思えば月のように静かに諭す様子を見せる。結局、どれが本当の顔なのかわかりはしない。

 

 サスケは助走も付けずに木に足を掛けると、ナルトの真似をするように緩やかに登っていく。張りつめていたときは難攻不落の城のように思えた木は、落ち着いて登るとあべこべに馬鹿馬鹿しいぐらいに簡単だった。

 頂点で待っていた少女が伸ばした手を、躊躇いながら掴む。

 木の頂点に立ったとき吹き抜ける風を強く感じた。そして、空。

 木々の上から見上げた星は相変わらず澄み切っていて遠かったが、ほんの少しだけ近づいて見えた。多分錯覚なのだろうが。

「………登れた」

「おー」

 そして零れ落ちそうな満月が当たり前のように頭上に輝いていた。わずかな雲を身に纏いながら浮かぶ月のその陰影ですら、ハッキリと見えた。実感として認識できた気がした。

「………確かに、今日は満月だな」

「だろ?」

 なにか考えることもなく、ただ月を見上げるだけだったが、悪い気分ではない。

 そうやって、しばらく二人で並んで月を眺めた。

 

 

 

「悪かった……」

 サスケは木を降りた後、ナルトに頭を下げた。

「?」

 

 本気でわからなそうな顔をされたので、自分の恥を解説する羽目になった。

 

「お前に八つ当たりをしたことだ。全面的にオレが悪かった」

 言い慣れぬ言葉にやや詰まってしまった。そもそも誰かに謝るなど小さいころ以来ほとんどやったことがない。

 手にじんわりと汗がにじんだ。謝罪に対する主導権は当然相手にあって、それはサスケにとっては随分と恐ろしいことに感じられた。だが、そうしなければならない、今は素直にそう思った。

 

 緊張した面持ちでナルトを見た。

 

 ナルトは気持ち悪いものを見た顔をしていた。おい、それありなのか、と思わずツッコミかけた。

「別にいいってばよ、ンなもん気にすんな、オレ等同じ班の仲間じゃねーか」

「………それもすまない」

「なにが!?」

 少女は今日一びっくりした顔をしていた。

「オレは班の人間を仲間などとは思ったことがなかった。だから……」

「あーっ、もういいっ! いい! 変なこと気にしすぎだってばよ。悪いものでも食ったんじゃねーかお前」 

 ドン引きするような顔をされた。許しを請う立場ではあったが、それを差し引いても中々に腹の立つ表情だった。

「このウスラトンカチ女……」

 と、思わず呟くと、ナルトは目を丸くした。

「ははは! ウスラトンカチ女か! そりゃいいな!」

 そうやってなぜか今度は上機嫌になって笑い転げた。本当に訳の分からない女だ。

 しばらくその笑い声を聞きながらなにか反論の言葉をぶつけてやろうと思ったが、その顔があまりに楽しそうだったので、続く言葉はなくなってしまった。

 

 ―――なんでもいいか。

 

 そんな風に諦めの気持ちが沸いた。この少女と一緒にいると、なぜだか兄を思い出す。サスケはそれを認めた。性格は似ていないはずなのに、その計り知れないところがどうしてか似通って見えた。

 

 

 

 



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22『月光』②

「あー、笑った………」

 しばらくしてからナルトがようやくこちらに視線を向けた。その間、自分がナルトをずっと見ていたことに気が付き、サスケは気まずさを覚えながら顔を逸らした。

「オレは今の感覚を体に馴染ませてから戻る。………お前は先に戻っててくれていい」

 木の方に向き直って、そう告げる。体は疲れ切っていたが、気力は十分。今日の内に今の感覚を反芻して、体に覚えさせたかった。

「いや、感覚を馴染ませるなら、もっといい方法があるだろ」

「………なに?」 

 ナルトは腕をぐるん、と回した。

「組手しよう」

「は?」

「カカシ先生ー」

 ナルトが暗闇に呼びかけると、近くの繁みから当たり前のようにカカシが現れた。

「………………よっ」

 サスケを見て、気まずそうな顔で軽く手を上げる。 

「……………」

 言いたいことや思ったことは、頭の中では無数に浮かんだが、サスケの心に浮かんだのはたった一つだった。

 

 ―――居たのかよてめえ。

 

 態度から察するに、今来たばかりというわけではなさそうだった。つまり今までのやり取りはすべてカカシが見ていたわけだ。

 悪態を吐いたり、一緒に木を登って月を眺めたり、謝ったり、そういう、自分とは一切無縁だと思っていた諸々のすべてを、だ。

 

 己の醜態を振り返り、頬が熱を帯びるのを感じた。

 

「……………っ」

「いやースマンな、邪魔するつもりじゃなかったんだが……」

「? 邪魔ってなんだ?」

 ナルトが本気で理解できていない顔をしているのが唯一の救いだった。それを呆れたように眺めながらカカシは取り成すように、サスケの肩に手を置いた。

「………ま、これも青春だな」

 

 こいつを消すべきなのかもしれない、一瞬本気でそう思った。

 

「―――青春?」

 ナルトが妙なところで喰いついた。カカシが余計なことを言う前にサスケは話題を逸らした。

「……なんでもねぇ。それよりもどういうことだ、ナルト」

「あ、そうそう組手だ。じゃ、カカシ先生、予定通り立ち合いをしてくれってばよ」

「はいよ」

 その様子から、これは予定されていたことなのだということを悟る。困惑しながらも、ナルトの方を窺う。

 サスケから距離を開けるように、少し離れたところに歩いていく。

 振り返ったナルトが挑発的に笑った。

「ん? カカシ先生が前に言っただろ。班の総合的な戦力を上げるって。お前がどれだけ強くなれてるのか、それを今ここで見せてもらおうと思ってよ」

「………なるほど」

 本当に訳が分からない女だ。サスケは今度は呆れながらそう思った。

 なるほどとは言ったものの、納得したわけではなかった。どうせ、なにかしらの企みがあるのは間違いあるまい。ただ、この少女の考えを推測したところで詮がないことも、もうわかっていた。

「言っておくけどよ、もし、お前が戦力にならないと思ったときは、お前をこの任務から外す。これはカカシ先生の許可も取ってるってばよ」

 だから本気で来い、と少女は言った。

「………!」

 横目で窺うが、カカシは反応しない。ただ、成り行きを見守るように二人を眺めている。

 

 なるほど、本当らしい。

 

 プライドを的確に突く言葉に、乗せられているとわかりながらも闘争心に火が付くのは止められない。それに、細かいことを抜きにしても、この提案はサスケにとっても悪くはなかった。

 

 目の前に立つ少女は、おそらく『木の葉最強の下忍』だ。なんの確証もないまま、サスケは確信していた。その相手に今自分が出せる全力をぶつけるということは、自分の実力がどれほどか、それの指標になりうるはずだ。

 当然、相手が女であることへの侮りなど、サスケの中にはもはや存在していなかった。

 

 ―――やってみたい。

 

 サスケは、己の中にある欲求の声に従うことにした。いくつかの小さい疑問、困惑、それはすべて投げ捨てる。体に残った残り少ないチャクラを燃やして、臨戦態勢に入っていく。

 

 それを見たナルトがにぃ、と頬を吊り上げた。その背後で金色の髪が、獣の鬣のようにざわつきながら蠢く。月夜と相まって、まるで幻想の獣のように見えた。

 

 この任務を受けるとき、ナルトを見極めることが、目的の一つだった。ずいぶんと想像からはズレてしまったが、どうやらそれが叶ってしまうようだった。

 

 なんとも奇妙な巡りを感じながら、苦笑を気付かれぬように小さく浮かべた。

 

「じゃ、お互いに構えて」

 カカシの気の抜けた声を遠くに感じながら、全身に意識を散らばらせる。

「はじめっ」

 カカシの腕が振り下ろされる。

 

 それと同時に示し合わせたように二人は飛び出していた。

  

 両者が立っていた場所から丁度中央でぶつかり合う。勢いは互角だった。

 顔が触れるほどの距離で、少女は目を見開きながら獰猛に笑った。その笑顔に圧倒されるものを感じながら、拳を繰り出す。肘で跳ね上げられ、上段の蹴りが飛んできた。後ろに跳びながら、腕で受ける。受けた腕が痺れる一撃。

 

 その威力に、これが遊びではないことを実感する。本気の蹴りだ。

 

 離れた距離をナルトは即座に詰めてくる。しかし、先ほどの直線的な動きとは異なっていた。変則的な軌道を描きながら流れるように接近。側面を取られたサスケは受けに回ざるを得ない。

 

 顔面に鈍い衝撃が走る。防御を抜けてきた拳で、左頬を殴り飛ばされた。それを認識しながら、サスケの意識は別にあった。ナルトの足が地面に吸着しながら動いていたのが確かに見えた。

 

 今度は地面が爆ぜると同時にナルトの姿が掻き消える。咄嗟に上げた腕に拳が突き刺さった。ふっ飛ばされながら、冷や汗が噴き出る。体が宙を浮き、背に木を激突させながらも、しかしサスケは冷静だった。

 動きは速い。そして読めない。だが、見える。わかる。理解できる。

 チャクラの流れが、直接は見えずともしっかりと想像できた。

 

 ―――なるほど、そう動くのか。

 

 連撃を受けて後退しながら、サスケはナルトの動きを観察した。チャクラで吸着したり反発したりする理由や効力、そのタイミング、すべてを相手が教えてくれる。体力が尽きかけているのに、不思議と集中力は増しているような気がした。

 幾度か打撃を受ける内に、段々と動きに対応できるようになってきた。

 足に篭めるチャクラを調節しながら細かな制動を繰り返す。ナルトとサスケは立ち位置を複雑に入れ替えながら、拳を交わした。

 

 連綿と続く打撃戦の中で、ついには、『躱せる』、そんな直観が胸をよぎった。そしてサスケはそれに逆らわなかった。

 

 ナルトの突きを、サスケは首を傾げて最小限の動きで躱した。残ったチャクラを足に集めて爆発させる。

 ナルトの動きにすら肉薄する加速。しかし、辛うじて横跳びに回避される。だが、それでいい。サスケの狙いはナルト、ではなくその背後にある木だった。サスケは反転して木の幹に足から着地すると、そのままチャクラで吸着して、ほんの一瞬だけ完全に停止する。ナルトが驚いたふうに目を微かに見開いた。崩れた体勢だ。回避はもうできまい。サスケは拳を握り、幹を思いっきり蹴って加速する。ナルトが腕を上げたのを見ながら、敢えてぶつからずに、その横に着地する。地面はチャクラでしっかりと掴み、両手両足に力を込め制動距離を完全な零に抑える。――――背後を取った。

 振り向きながら、無防備な状態のナルトに拳を叩きこむ。ナルトの頬を完璧に捉えた一撃。

 

 重い感触が、腕を伝った。

 

 ナルトの足は離れ、体は地を転がった。

「―――――」

 倒れ伏すことはなく、ナルトはすぐさま体勢を立て直した。頬には赤い跡、そして、それを伝うようにして、赤い線がこめかみから頬を撫で、血が滴った。

「…………ナルト」

 達成感と罪悪感が綯い交ぜになってサスケの胸中に満ちた。

「―――ちぇ、やっぱりやるなぁサスケは」

 ナルトは頬の血を手で拭うと、ちょっとだけ悔しそうに笑った。

「よっしゃ、これで最後だ」

 そう言うと、十字の印を組んで、二人に分身した。

 

 ―――これは、確かあのときの。

 

 片方のナルトは地面に座って印を組んだ。その体からは、膨大なチャクラが溢れた。それに押されるようにして後退。サスケは顔を腕で守りながら、目を細めた。この術は、やはりそうだ。

莫大なチャクラの半球体、その中心でナルトは目に強い光を湛えていた。

 その口が小さく動いた。―――いくぞ、と。

 

 ナルトの姿が、消えた。

 同時、鋭い衝撃音が辺り一面に連続して響いた。サスケは首を巡らせるが、見えるのは金色の残像のみ。

  なんて術だ。闇夜も合わさって、もはや目で追うことも叶わない。

 

 ―――無茶苦茶やりやがる……。

 

 思わず、そんないまさらな感想が浮かんだ。

 

 どんっ、と体になにかがぶつかった。多分拳なんだろうが、それすら確信がないままに通り過ぎていく。あまりに速すぎる。先ほどのナルトと同じように、バランスを崩して地面を転がった。よろけながら立ち上がる。

 

 立ち上がる度に身体は吹き飛ばされる。もはや、組手ではなく、暴風の中にでもいるような心地だった。

 おそらく、ナルトは加減しているのだろう。そうでなければ一撃で沈んでいるはずだ。しかしそれがなんの慰めになるというのか。この術を攻略する術を考えているものの、今の状態ではまったく不可能に思えた。

 

 ほとんどチャクラも残っていない。意識もぼんやりとしてきた。

 

 まるで捉えきれない。どうしようもない。

 そのはずだったが。

どうしてだろう、先ほどのように躱せるという直観が胸を過る。

 眼が燃えるように熱い。鋭く尖っていく意識と急激に体から失われていくチャクラを不思議に思う間もなく、サスケはナルトの動きに集中した。

 見えないのか見えてるのか、それすら、もうわからなかった。

 一瞬の煌めきが目の前を過った気がして、サスケは倒れ込むように横に跳んだ。

 そこで、意識は途絶えた。

 

 

 

「…………よし」

 倒れたサスケを腕で支えながら、ナルトは小さく呟いた。

「それまで、だな」

「ああ」

 組手終了を告げるカカシに返事を返す。体からチャクラを抜いて、影分身体も消す。

「と、ととっ」

 分身を消すと、急激にその疲労が伸し掛かってきた。一瞬、サスケを放り出しかけたが、なんとかサスケを抱き抱えると、足を突っ張って堪える。

「こりゃ和解の印は結べそうにない、な」

 それを見ていたカカシの軽口にナルトも苦笑いで返した。ナルトにとってもここまでの状態になるのは予想外だった。だが、結果は上々だ。

 

 最後、サスケは確かにナルトの拳を躱していた。

 

 組手の最後にサスケの眼に宿っていたのは間違いようもなく『写輪眼』だ。この力を引き出すことには成功したのだから。

息を吐いて、気絶したサスケを労うように二、三回背を軽く叩いた。

 

 ―――よくやったなサスケ。

 

 達成感が胸を満たしていた。

 それはそうと、力も抜けそうだった。

「か、カカシ先生、早くサスケを受け取ってくれってばよぉ!」

 足をプルプルさせながらナルトは情けなく叫んだ。

「ハイハイ」

 ひょい、といった感じでカカシはサスケを持ち上げると背に背負った。

 ナルトは安堵しながら、腕をプラプラと振った。気を失った人体は、チャクラの減った状態のナルトにはキツすぎる。

「……………」

 カカシはもの言いたげにナルトを見ていた。言いたいことは予想しながらもナルトはとぼけた顔をして返した。

「なんだカカシ先生?」

「わかっていたのか?」

 ―――なにが、とは言えそうにないほど、真剣な目だった。

 

 サスケとの組手でナルトがやったことは単純だった。

 

 ようするにかつてあった『白とサスケの戦い』。その再現をしただけだ。サスケが写輪眼を不完全ながら発現させたあの戦いをナルトなりになぞってやってみた。ただそれだけ。前と同じようなことをすれば、写輪眼に目覚めるんじゃないのか、という単純な仮説に基づいた行動だった。結果は、まあ出来過ぎなぐらいだ。

 

「もしかしたら、とは思ってたけどよ」

 

 正直に答えた。カカシはそうか、とだけ呟いた。

 あまり詮索する気はないようだった。拍子抜けしながら、ナルトは懸念材料が一つ片付いたことを素直に喜んだ。

 前回よりも戦力を上げておくという目標は達成できた。

 

 それになんだか落ち込んでいたサスケを元気づけることもできたのではないだろうか。

 

 これならすぐにでもまた前のようなムカつくぐらい自信満々なサスケに戻るだろう。それはそれで腹立たしい気もするが、それがサスケの普通なのだから仕方がない。また喧嘩もするかもしれないが、まあそれでもいい。

 ただ一つ問題があるとすれば。

 

 ―――次やったら多分勝てないんじゃないだろうか………。

 

 たったあれだけの組手で体術は追いつかれてしまったし、それに写輪眼もある。猿飛の術は、時間制限があるし、どう考えても次は負ける気がする。

 この天才め。ナルトは気絶したサスケの疲れ切った顔を睨んでおいた。

 

 しかし、まあなにもかもが片付いたわけではないが、一旦、サスケに関しては放置しても問題なさそうだと、そう判断した。

 

 ナルトは気を引き締めなおした。

 やらなくてはいけないことはまだまだ多い。

 そろそろ決断しなくてはいけないこともある。

 

 ―――再不斬と白、あいつらのこともそうだ。

 

 ここから先は、ナルトのエゴにすらなりかねない問題が横たわっていた。

 すなわち、再不斬たちを救うのかどうか。

 一番危険が少ないのは、二人を見捨てること。これはただ眼前の任務をこなすだけで済む。再不斬と白は前と同じように死ぬが、前と同じように波の国は救われる。もちろん危険は少ないと前置きしたものの、これだけでも十分に難度は高い。すべてを前回同様にすることは、もうできないからだ。不測の事態は起こりうる。

 

 二番目に簡単なのは二人の命だけを助けること。つまりほとんどの流れが一番目と同じだが、白が死ぬ展開、そこだけは回避するという方法だ。これも、戦闘で相手の命を考慮しながら戦うという点で難しくなるが、展開の予想はし易い。

 

 ―――しかしそれでは、白が救われることはないだろう。

 

 ただ命を助けても彼らは『殺し』を止めることはない。それは結局、結末を先延ばしにするだけなのだろう。ナルトの目の前では白は死なないかもしれないが、いつかどこかで、誰かに殺されて死ぬ。

 

『よく勘違いしている人がいます。倒すべき敵を倒さずに情けをかけた………命だけは見逃そうなどと』

 

 かつて白に言われた言葉が波の国に来てからずっと頭の片隅から離れない。それはナルトの自己満足を非難しているように、そう感じた。

 三番目の選択肢は、ある。

 

 ―――白と再不斬を『救う』。

 

 選択肢だけは常にナルトの中にあった。ただ、その方法はあるにはあるが、明確な計画という段階ではまったくない。救うとはそもそも何なのか。それは、殺さないだけでは不十分なことだ。

 

 もしナルトが白に殺しを止めさせようとするなら、それは二人の生き方そのものを変えなくてはいけない。

 

 そんな方法を容易く完璧に仕上げることなどできない。

 よしんばそれができたとしても、それを実行するということはすなわち、波の国に余計な危険をもたらすということでもある。彼らには必要のないリスクを背負わせるし、それは七班のメンバーに対してもそうだ。闇雲に白を救おうとして、結果的に最悪の事態を招くことは十分に有り得る。誰も救えず、誰も助からない。そういう結末が。

 

 前は見えていなかった選択肢が見えるようになったことが、自分の首を絞めていることをナルトは自覚していた。

 

 『賢い者が正しいとは限らん』『どのように選択したとしても、その責任はお前が負わねばならない』なるほど、三代目の言葉の意味がようやく身に染みたようだ。これには苦笑を浮かべる他ない。知らなかったら良かったとは思わない。しかし、知ってしまえば選ばなくてはいけないのだ。

 

 絶対に救う、なんて力強い言葉は言えるはずもない。それはもう一度失敗してしまった。だからここにいるのだ。

 

 ただ一つの希望は、かつて見た再不斬が白のために流した涙。それだけが、ナルトの内心を渦巻く混沌の中で、か細くも、かき消されることのない光を放っていた。

 

 



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23『霧』

 身体は大方、癒えた。手を開閉させてその力の握り具合を確かめて、白は自分の肉体をそう評した。

 服を上半身だけ脱ぎ、体に巻いた包帯を解くと、手拭で体を拭う。打撲の跡も見た目上では、ほぼ引いている。まだ少し内部に痛みが残っているが、白はそれを『不調』とは捉えなかった。

 

 白の生きてきた世界の視点でみればこれ以上の休息は不要。抜け忍にとって、あらゆる意味で万全であることの方が珍しい。

 

 白の十分の定義はすなわち、再不斬の任務を補佐する『道具』として、万全の機能を果たせるかどうかということ。物理的に肉体が動ければそれでいい。多少の痛みや怪我程度で働きが鈍るようでは道具としては失格だ。

 

 思考はすでに次の戦いに向いていた。

 

 咄嗟とはいえ全力を出した氷壁の防御すら貫いて、白の身体に致命的なダメージを残したあの恐るべき攻撃が、『螺旋丸』という名の術であることは再不斬から聞いていた。失態ではあったが、皮肉なことに、傷を治しながら考える時間はたっぷりとあった。ナルトの術や動きを解析し、徹底的に研究した。恐るべき強さではある。ではあるが、無敵の強さ、ではない。白は冷徹な視点で、うずまきナルトという忍びへの対抗策を組み上げつつあった。そしてそうしていながらそこに油断や慢心はない。

 

 ナルトが実力を隠している可能性は十分にあり得ると考えているからなのもそうだが、そもそも白は誰に対しても侮るつもりはなかった。それは戦闘者としてというよりは、白の性分だろう。

 

 傷の具合を確かめるために使っていた姿鏡。そこに映った己の目に、ふとあの燃えるような光を宿した蒼い瞳を連想した。故のないことではない。最近ふとしたときに、あの長い金髪の少女が白の心に浮かび上がるのだ。そしてその理由もすでにわかっていた。

 

 ―――あの子、綺麗だった。

 

 それはその容姿もそうだが、それ以上に引き付けられるなにかが、あの少女にはあった。それは輝きと呼べるものかもしれない。

 味方を傷つけられた怒りを持ちながら、それに支配されることなく真っすぐに白を見ようとしていた。

 ああ、きっとこの人は素晴らしい生き方をしてきたんだろうという直観に近い感覚を覚えた。真っすぐに胸を張って生きてきた人間の目だと思った。

 本来なら白にとって好ましい在り方のはずだ。

 綺麗なものは好きだ。それが物であれ者であれ、それを美しいと感じるなら白はそれが好きだった。対岸から眺めるようにその美しさを愛でるのは、楽しい。世界には美しいものがある、白にとってそれは喜ばしいことなのだ。

 

 なのに、ナルトという人物を思い浮かべる度に、白の心は僅かにざわついた。

 

 鏡から目を切って、服に手を伸ばした。着替えると、部屋を出る。すでに再不斬は起きていた。静かな佇まいだったが、それは表面だけのこと。嵐の前の大河が穏やかなように、戦う前の再不斬は深く深く闘志を身の内に沈ませていく。だから、一見するとまるで凪いでいるようにみえるのだ。

 迫る殺し合いの期待が大きいほど、その落差も大きくなる。

 

「完全に動けるようになったか」

「はい再不斬さん。お互いに」

「そろそろ動く、………次は仕留められるな」

「ええ、必ず」

「ああ、疑っちゃいない。全くな」

「ありがとうございます」

 

 白は微笑んだ。どんな内容であれ、再不斬に認められることは白にとっての喜びだった。

 それがたとえ信頼ではなく信用であるとわかっていても、それをしっかりと理解した上で白は素直に喜んだ。それこそが道具として正しい在り方だと信じていた。

 かつて忍びの血を引いているという理由で母を殺した父。その父を殺して孤児になり、再不斬に拾われて忍びとして生きていくことを決めた、そのときからずっと。

 

「再不斬さんも気を付けて下さい。写輪眼の対策は考えましたが、それだけの相手ではないはずですから」

「コピー忍者のカカシだ、そうじゃねえほうが有り得ねえ。だが、でき得る限り手を読みつくした先は……相手の息の根を先に止めた方が勝つ、それだけだ」

「それでも、ボクは再不斬さんが傷つく姿は見たくありませんから」

「そう思うことはお前の自由だ。だが抜け忍である以上は戦いの中で死ぬ。子供のような感傷はほどほどにしておけ」

「それでも、ですよ」

「白、普段お前がどんなことを考えようが好きにして構わねぇ。興味もない。が、今回ばかりは自分の相手に集中するんだな。前の敗北はオレが奴らの強さを図り損ねたのが原因の一つだ。だからこそ、一度の敗北は許す。だが、同じ相手に二度負けるような『道具』は――、オレには必要ない」

 

 肌を刺すような緊張感が場に満ちる。それは普段の再不斬に比べてさほど激しい威圧ではない。だが抑えていても溢れる殺意は、まるで蠢く影のような幻視を伴いつつ、白を包み、そして部屋中に広がっていった。心弱い者なら全身から冷や汗が噴き出るような圧力に、白は恐れは抱かなかった。

 

「忠告ありがとうございます」

 

 白は先ほどと変わらぬ態度で嬉し気に答えた。空かされた形となった再不斬は表情は変えずに殺気だけを強めた。そこに怯えや恐れを見出そうとしているのだろう。

 もし白が再不斬に甘えて中途半端な態度で戦いに挑もうとしていると感じたなら容赦なく、道具としての価値すらないと判断するはずだ。それを理解しながら、白の静かな微笑みが変わることはなかった。

 

「…………相変わらず毒気がない奴だ」

 

 殺気を収めた再不斬は溜息をついた。

 

「好きにしろ」

 

 そう言うと、再び目を閉じる。

 白は壁に身を預けた姿の再不斬に一度、頭を下げてから、歩き出した。

 

 再不斬は恐らく気が付いているのだろう。白の迷いに。

 

 半ば無意識に懐に入れた追い忍の証である仮面を、指で撫ぜる。仮面を被るときは対象の監視。仮面を持ち出さないときは変装して外出。白のパターンはその二つだったが、今回はそのどちらにも当てはまらない。

 

 うずまきナルトの感知範囲はすでに完全に把握していた。それの外側から、万が一にも顔を見られぬように仮面をして観察するのがここ最近の白の行動だった。もちろんその意味は相手の動きのくせや傾向を把握するためだ。

 

 それは――もう終えた。恐らくこれ以上情報が引き出せることはないだろう。だからもう監視に行く意味はなく、ただ出かけるだけなら仮面は必要ない。

 これからすることは無意味。あるいは余計な行動。だから未だに迷いがあった。

 その迷いが仮面を置いていかず、かといって付けるわけでもない矛盾した行動に現れていた。

 なぜ、あの少女があんなにも気にかかるのか、今この瞬間に、一つだけわかった。

 あんなにも真っすぐに見つめられたのが、随分と久しぶりだったからだ。

 道具でもなく敵でもなく、ただの白として。

 

 ―――ああ、だからこそ、ボクはきっと彼女に…。

 

 

 

 

 うずまきナルトを監視していて、不可解だったことは多い。ただでさえ、影分身という術を多用していて追跡するのが困難な上に、幾つかの個体は上忍と共にいる場合がある。ナルトと上忍が行動を共にしている場合は基本的に追跡は諦めた。怪我を負ったまま上忍の警戒網を潜り抜けながら追いかけるのは難しい。

 

 ナルトがガトーのことを嗅ぎまわっていることは察しがついたが、それに対してどうこうするつもりはなかった。それは仕事の範囲外だ。

 

 白が監視しているのはもっぱら単独行動あるいは護衛任務についているときのナルトだった。

 

 見る度に思う。この少女は一体どういう人物なのだろうか、と。

 

 白は強敵と出会ったとき、相手を細かく分析して対策を練るのが得意だった。相手の身体能力、血継、性格、主義、自覚のある習慣から無意識の癖、それらを併用することで相手そのものの全体像すらみえてくる。霧隠れの追い忍だった頃の経験から、白にとっては慣れた作業だった。

 

 その経験から言えば、うずまきナルトは酷くチグハグな忍びだった。

 

 下忍らしからぬ強さを持っている。しかしそれは白にとって脅威であったが、逆に言えばそれだけだ。自分より強い忍びも、ナルトより強い忍びも、数多くみてきた。

 白が読み切れなかったのは、ナルト自身の在り方だった。一見、うずまきナルトは単純明快な少女にみえる。

 しかし、時折見せる仕草や言動には深い思慮を感じさせることがある。

 それはときに、白の理解すら超える。

 

 これもそうだ。白は遠くからナルトを眺めながら、そう思った。

 

 誰もいない山の中。特に重要な拠点もなく、人気もない。強いて言えば他の下忍たちの修行場に近いだけの場所に、ナルトは必ず一体、影分身を置いていた。なにをするでもなく、ただ座っているだけの。

 まったく理解できない。そう思っていた。

 

 しかも、なんの偶然かここには白の探していた薬草が生えているようだった。再不斬の傷を治すために取ろうと思っていた薬草の群生地だったのだ。それを知ったときはなんという迷惑な偶然かと少し笑ってしまったものだ。

 

 ―――本当に偶然か?

 

 そう思ったのはしばらく経った後だった。なぜあんな場所に影分身を配置しているのか、解からないだけに引っかかる思いがあった白は、ふと思いついた。なんの根拠もない発想。

もしかして、自分がここに来ると彼女は思ったのではないか、と。

 有り得ない。そう否定すべきことだったが、どうしてか、白にはそれが有り得ないこととは感じられなかった。彼女の持つ底知れなさならあるいは有り得るのではないか。

 

 それは同時にゾッとする想像でもあった。

 

 なぜなら、もしナルトがこの場所にいなかったのなら、確かに白はこの場所に来ていただろうからだ。そうなのだとしたら、相手は想像以上のとんでもない怪物なのかもしれない。

 

 いや、これはさすがに妄想だろう。白は思い直した。

 

 あまりに相手を過大評価しすぎている。自分らしくもない思考。やはり動揺しているのだろうか、白は意識的にやや脱線しかけた思考を元に戻した。

 だがしかし、ナルトが白を待っているというのは、あながち間違っていないかもしれない。薬草の群生地だったのは偶然だとしても、やはりなにかを待っているようには見えた。

 白は未だに迷っている。

 これが罠なのかどうか。それ以前に、行ってなにをどうするつもりなのか? 

 ナルトは白と話がしたいと言った。

 まさか、本当に本気で?

 そんなわけがない。これは罠だ。

 だが、ならばなぜ、ここに来た。

 もう時間はない。もし、会うとしたら、今日が最後になる。

 白は迷っていた。

 ナルトは一度、白を殺すことができたのだ。しかし、理由は知らないがそれをしなかった。

 そのせいで、白がナルトへ持つ感情も随分と複雑になってしまっていた。

 白はナルトを十分に解析できたと踏んでいたが、それでもなお、未だに読み切れていない部分がある。それは決定的な失態となり得るのではないか、という考えはあった。

 多分、次戦うとき、白は手加減をする余裕はないだろう。そのときに、今持っている迷いは隙になる。

 見極めるべきだ。

 白は覚悟を決めた。

 もし、相手がうずまきナルトという少女でなければ、白はここまでしようとは思わなかったはずだ。

 結局、白の判断の決め手は、ナルトを信頼してしまったこと、ただそれだけなのかもしれなかった。

 仮面を付けると、白は気配を消すのを止め、木から降りた。

 そしてゆっくりとナルトの方へ歩み寄っていく。敵意をないことを示すために、その速度は緩やかに。ナルトはすぐに気が付いたようだ。木に背を預けていた体勢から立ち上がると、真っすぐに白を見た。強い視線だった。やはりこの子の目には力がある。それは成長すれば、人を惹きつけずには居られない魅力となるだろう。とはいえそれはまだ原石に過ぎないが。

 やはり、ナルトはこうなることを予想していた。白自身も想像通りのできごとだ。しかしそれでも、驚きを感じないわけにはいかなかった。

 

「…………こんにちは」

「ああ、来たのか。よかった。もう会えないのかと、少し思った」

「……キミは未来でも見えるのですか?」

 

 白は思わず、そう聞いてしまった。

 

「…なんでそう思うんだ?」

「いいえ、すみません忘れて下さい。戯言です。それより、ここでなにをしているんですか?」

「言ったじゃねーかよ。話がしたいってよ」

「それを本気で言っているのなら、キミは大物ですよ」

「まあな、オレってば将来は火影になる男だ」

「……………………、キミはやっぱりよくわからない子ですね。任務の最中に敵と会って戦いもせずに会話している意味を考えないのですか? これは裏切りに等しい行為ですよ」

「………かもな。だけど、それじゃあ白はなんで来たんだ?」

「キミには借りがあるからです」

 

 白は意識的に緊張感を保たねばならなかった。そうでなければ肩の力が抜けてしまっていたかもしれない。

 息を短く吐いて、精神を整え直すために白は自分の仮面に手を掛けた。仮面の縁を撫でると、それに合わせて心が静かになっていく。

 追い忍だった頃の教えに、『他人の前で決して仮面を外すな』という掟があった。それは敵味方を問わず誰かに正体を知られてしまうことの危険性を説いたものであった。追い忍は常に誰かに憎まれ、あるいは利用しようと狙われる。それ故のこと。しかし、もう一つ、重要な理由があった。感情を殺すためだ。

 人は仮面を被ることで、別の存在になることができる。自分ではなく、追い忍という軍の一部になれる。

 そうすることで、躊躇いなく元仲間である抜け忍を殺すことができる非情さを持てるのだ。

 例外なく、白の心も乱れなく戦いに備えたものに変わる。

 

「提案があります。できれば今すぐにこの国を去ってください」

「それはどういう意味だってばよ?」

「……次に戦うときは、ボクはキミを殺してしまうからです。だからそうなる前に任務を放棄して消えて欲しい。そうすれば、ボクは無駄な殺生をせずに済みます」

「無駄な殺生、か………」

 余計なことを言ってしまった。挑発のつもりで言ったはずが、僅かに本音が紛れてしまったのを勘付かれた。鋭い。白は気を引き締めなおした。

「ま、けどよ、前に戦ったときも同じようなセリフを聞いた気がするんだけど」

「確かに信ずるには値しないかもしれません。どう受け取るかはキミの自由です。ナルト君、キミは一度ボクを殺せた。―――そうでしょう? あのとき、ボクの術を打ち破ったあの瞬間に、キミはあと一撃加えるだけで容易く仕留めることができたはずです」

「どうだったかな」

「………キミがどう認識しているかは、この際関係ありません。ボクはただその借りを返しただけ」

「お前、わざわざそんなことのために来たのか? 義理堅い奴だな」

「それは違いますよ。ボクはただの半端者です。ボクは、二種類の人間しか殺すことができないんですよ。一つは悪人、もう一つは、――ボクに殺意を向ける人です。後者は、ボクが最初に殺した人です。ボクの、実の親でした。まだ物心がつくかつかないかという幼い頃です」

「………………………………」

「ナルト君、キミが何を考えているのか知りません。ですが、次は余計なことを考えずに殺しに来てください。ボクは誰かに情けを掛けられるような存在ではないんですから」

 

 再不斬が言っていたことと同じことを言っていることを白は理解していた。

 敵同士であるはずの二人。知り合いでもなく、利害関係があるわけでもない。互いのことなどなにも知らず、本来ならただ殺し合うだけの関係だ。そうであるというのに、こうして会話を交わしているこの状況は恐らく奇妙なことなのだろう。そのことに関する実感は、白に恐れを抱かせた。

 

 突き放す刺々しい言葉は、あえて意図して言っている。

 

 少しでも気を抜いてしまえば、どういう立場でこの少女の前に立っていればいいか判らなくなりそうだったから。

この不思議な時間は危うい均衡の上に、それでも確かに存在していた。

 白の言葉を聞いたナルトの目に迷いが揺れている。白はそれを見て逆に少しホッとした。おかしな行為をしていると実感できたからだ。

 

「…………白、オレはお前を殺すつもりはない」

 

 驚くべきことにナルトはそう言った。しかし、そう言われても、白の心は揺れなかった。この綺麗な少女は、そんなことを言い出すのではないか、そんな風に心のどこかで思っていた。

 若く、そして危うい言葉。今のこの均衡と同じぐらいに。

 羨望するほどに綺麗で、だからこそ敵でありながら心配してしまいそうになる。

 

「ナルト君。もしキミがこの任務を放棄しないなら、ボクを殺すしかないんですよ。それが言いたかったんです。キミは人を殺したことがないのかもしれない。だけど、想像は出来るはずですよ。仮にボクを生かしたままにすれば、この国の人々がどうなるか。そしてキミの仲間だって」

「……………」

「大切なモノの、愛するモノの為に戦う、それは正しいことです。ボクはボクの愛するモノを、キミはキミの愛するモノを守る。たとえ他を切り捨ててでも」

「………白が言いたいことはわかった。だったら、やっぱ戦うしかねーか」

「ええ、そうですね……」

 

 そう言いながら、やはり白はこの少女を捉えきれなかった。

できるなら、この少女の目から怒りを感じたかった。あるいは憎しみでもいい。そうすればこの奇妙な時間は終わり、ただの敵同士に戻れるはずだ。

だが、揺らぎを見せながらやはりこの少女の芯は動くことはなく、ただ真っすぐな視線で白を見ていた。

 どうしようもなく胸が疼く。それは不快な感覚だった。

 

「ナルト君、きっとキミは綺麗な世界を生きてきたんでしょうね……」

 きっとと言いながら、白の声にはそれを決めつける響きがあった。

 うずまきナルト。英雄の一人娘にして忘れ形見。再不斬から訊かされた話は、白の想像に確信を持たせるに十分な力があった。

「世界に愛され、人に愛され、大切に育てられて生きてきたんでしょう。キミの在り方はとても美しい。まるで昔話で読んだ英雄のようです。正しく、真っすぐで、揺るがない。だけど、世界に愛される人間はほんの一握りの限られた人間なんです。大抵の人間はそうではないんですよ」

 

 ―――やはりボクはうずまきナルトが、この少女が、好きになれない。

 

 震える手を迷うように彷徨わせた。仮面を取って言ってしまいたい。白という忍びがこれまでどういう生き方をしてきたのか、この美しい少女に叩き付けてやりたかった。この少女の目に嫌悪を、憎しみを、諦めを浮かばせてやりたかった。

 言いたい。言うべきではない。言ってやりたい。言う意味などない。グルグルと二つの葛藤がせめぎ合い、結局、諦めへと向かった。今まで通り変わることなく。

「……………ナルト君、キミはボクよりも強い。ですが、これだけは忠告しておきます。次に会ったとき、ボクはいかなる手段を使ってでも絶対に、キミを殺す」

 

 

 

 

 

 白の強い気迫に圧されたナルトは、なにも言えずにただ去っていくその背を見送った。その言葉に一切の反論がなかったわけではなかった。しかし言っても意味がないことだと思ったし、白の言葉の正当性も、的外れながらあるように感じた。

 

「オレだって…………」

 

 続く言葉はなかった。ナルトとて、平坦な生き方をしてきたわけではない。里からは憎まれ、蔑まれ、家族もなく、たった独りで生きてきた。苦しみがない生き方なはずがない。

 だが、ナルトには愛してくれる人がいた。イルカがいた。三代目がいた。サスケやサクラやカカシがいた。

 白にはいなかったのだ。

 

 ―――それにオレが英雄だって?

 

 自嘲が浮かびあがった。

 ナルトは胸を押さえた。

 そんなものではない。そうはなれなかったから今ここにいるのだ。だから迷っている。

 かつてはあんなにも明確だった道は今は霧で覆われ、先は見えなくなってしまった。だから一歩一歩必死になって歩いているだけだ。

 しばらく、ナルトはその場に胸を押さえて留まった。

 ナルトの頼りなく揺れる姿を見た者は誰もいなかった。

 ただひとり、九尾を除いて。

 

 



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24『氷晶霧中』

 ―――九尾にとって時間とは流れの速い川に似ている。怒涛のように流れるそれは、川底を削りながらあっという間にその形を変えていき、絶えず変化し、移ろい続ける。

 

 巨大な山だろうが小さな砂山だろうが、一本の雑草だろうが広大な森だろうが、九尾には同じようなものだ。いつの間にか形を変え、意識せねば記憶に留まることも残ることもなく、その姿を忘却していく。

 

 長い時の中で、九尾は一つの真理として理解していた。存在する以上、いずれ全て朽ちて消えていく。物も、思想も、記憶でさえも。そこには一つの例外もない。

 

 九尾にとってみれば、人間など、時間の川の上を流れる一枚の木の葉に過ぎなかった。区別する間もなく、流され、いなくなる。感傷など抱きようもない、ちっぽけな存在。

 

 時折、九尾を利用しようとする人間が現れることもある。そういう意味では人間を侮るつもりはない。その手の相手には、ときには勝ち、ときには負けた。どちらの場合も、憎悪を持って相手を記憶することもあった。しかし、それもまた結局、長い時間の流れで淡い感情の名残のみを残して、忘却していった。

 

 九尾は決して、人の内面について無知であるわけではなかった。彼は人ならざる化け物としての視点で、交わることはないまま、人間というものを見てきた。

 しかし、これほどたった独りの人間のことを考えているのは初めてであった。

 封印されて有り余る暇を持て余した、というのが理由の大半ではあるのだが。

 

 ―――だが、切っ掛けは、あの出会いだ。出会い、と呼べるものであるかは定かではないが、九尾にとっては、ただの『憎しみの対象に連なる人間』から『うずまきナルトという名の少女』に切り替えさせられた日であった。

 

 『友達』などという理解不能な一言を言い放たれたあの夜から、九尾は、うずまきナルトという少女をずっと観察してきた。

 

 いまもまた、蹲るナルトを見ていた。

 

 わかったことがある。ナルトは、矛盾しているのだ。そしてそれに本人が気が付いていない。

 明るく、真っすぐに理想を信じる心。

 冷たく、冷徹に全てを管理しようと考える心。

 口では希望を述べながら、心のどこかで、それを疑っているのだ。本当にそれが成しえるのか、もしかしたら、不可能なのではないか。そういう、相反する感情。

 

 人間ならだれしも持っているものではある。決して混じりあうはずのない二つが不合理にも心の中で溶け合って渦巻いている、よくある話だ。だが、どうにもナルトという少女の在り方は、その両方の色が余りに深すぎる。曖昧なのではなく、二つとも完全に断絶しているのだ。

 

 まるで、二つの心が存在するかのように。

 

 今はまだ、光の方が強い。しかし、どちらにも傾きうる。

 今、ナルトは沢山の物に激しく価値観を揺さぶられている。九尾にとってはどうでもいいようなことに、重荷を感じ、なおかつ、それらすべてを背負おうとしている。

 九尾はそれを興味深く見守っていた。手助け? 冗談ではない。

 重荷に耐えかねて、切り捨てるのか。

 拘ってきた己の在り方を、諦めるのか。

 それとも―――、別の何かがあるのか。

 

 全てのナルトを取り巻く流れは、この少女の意志一つにかかっている。ナルトはそれに気がついているのだろうか。ナルトは九尾のチャクラという切り札を持っている。その価値をどう思っているかは知らないが、この力を適切に使えば、あの程度の相手は余裕で殺せるはずなのだ。

 それを決意さえすれば。

 

 複雑に絡み合った様々な事象、思惑。それらは結局のところ、ある一つの疑問に行きつくのだ。

 

 ―――うずまきナルトはどう在るのか。

 

 九尾はただ黙って、その答えを待つ。

 

 

 

 

 

 

 太陽が真上を指す頃。

 

「うーん、仕掛けてきたねどうも…」

 

 タズナの家の近くの高台に上ったカカシは、視線の先に広がっている街を見下ろして、小さく呟いた。

 その視線の先では町全体を覆い尽くすようにして、白い霧が広がっていた。それは上から俯瞰していてなお、見渡すことが不可能になるほどの濃霧だ。

 

 おそらく、まだ町の人間ですらこれが異変であることに気が付いてはいまい。カカシですら、一瞬これが忍術であることには気が付かなかった。あまりに広大すぎるからだ。

 波の国は昼頃はかなり暑くなることがあるものの朝はよく冷え込んで、しばしば山裾の方から霧が降りてくる。しかし時間が経って太陽が登り切る頃には十分に気温も上がって、街付近の霧は晴れる。

 

 しかし、この霧が時間の経過で晴れることはあるまい。少なくともこの日一日は。

 霧隠れの術。

 その名の通り霧隠れの忍びがよく使う戦闘法だが、今回のこれはあまりに規模が大きい。街全体を覆ってしまうとは、流石にカカシにとっても規格外。にわかには信じがたい事実も、左目の写輪眼を使って見れば、これが明確に敵のチャクラが込められた術であることがわかってしまう。

恐らく、結界忍術の一種。敵はこの二週間の間に傷を癒すだけではなく、次なる戦いに向けた仕込みをしていたと、そういうことだろう。カカシたちと同様に。違いがあるとすれば、カカシは根本的な戦力の強化を選んだが、相手は自分たちに有利な状況を作り出すことを選択したということ。

 

―――それにどうやらただの霧隠れの術じゃない……

 

 カカシは霧に触れて、手を透かして見た。ただの霧にしては妙に肌寒い。朝の冷え込みにしては度が過ぎるし、空気は張りつめるように『硬い』。これは恐らく乾燥のせいだ。

 見下ろした街全体が、光り輝いて見えた。これは太陽光を弾いているから。

 

 ―――凍霧か。

 

「広域戦か、成程いい一手だ」

 タズナの家は街外れではあるが、この霧は、それすら覆っている。つまり、カカシたちもまた、すでに術中にあるということ。

 そして、ナルトとイナリは今は別行動中だ。合流できるかどうかは、今は判断が付かなかった。

 太陽の光を乱反射して光り輝く街を見ながらカカシは頭を掻いた後、この状況を一言で表した。

「厄介だな」

 

 

 

 

 

 とある場所に座る一人の少年。白い仮面を被り、青と白の忍装束姿。下には複雑な術式が刻まれた結界が引かれていて、その紋様の丁度中心に座している。その手は、どのような忍びでも見覚えがないであろう異質な、左右非対称の異様な印を組んでいる。その印も絶えず変化し、変わり続け留まらない。

 白の呼吸は静かで、まったく腕以外は身動き一つない。まるで機械のように正確に印を組み続ける。

 その他には、周囲に物一つなく。ただ白い壁に覆われている。

 

 ―――そろそろ気が付くか。

 

 白は小さく思った。視界はすでに肉体ではなく、霧を通して様々な場所に広がっている。カカシも、ナルトも、既に視界の中だ。

 近距離、中距離、それでは勝てない。ならば、答えは簡単だ。

 姿さえ見えない距離から一方的に攻撃すればいい。

 言うなればこれはかくれんぼだ。この場所を探し当て、白を見つければナルトの勝ち。できなければ、白の勝ちだ。

 驕りも慢心もなかった。ただ、役目を果たすだけ。そのはずだったが、わずかに不要な想いを走らせる。胸中で小さく呟く。

 

 ―――さあ、ナルト君。始めようか。

 

 

 

 

 

 ナルトは後ろを振り返って、しばらくの間、視界に広がった森を見た。

 

「……………」

 

 陣形を組んでいた影分身体の一体が、体を消して情報を共有したからだった。

その理由は、違和感だった。あまりに霧が深すぎる、と。ナルトの脳裏には影分身体が見た、茫洋と広がる霧の景色と肌寒さの記憶が、浮かんでいた。

 集中してみれば、チャクラを感じる気がする。しかし、それはどうにも曖昧だ。

 わずかな間も空けずに、ナルトは即決した。

 

「イナリ、一旦家に戻るぞ」

「ふーん、一人で戻りなよ」 

 いつもの軽口が返ってくるがナルトは構わずにイナリをひょい、と持ち上げた。

「な、なにすんだよっ」

「いいから、オレから離れるな」

 

 声に真剣さを篭めて言うと、イナリも察したのか、表情を変えた。

 

「………なに?」

 

 その問いは曖昧ではあったが、それの意図することは理解できた。

 

「わかんねえけど、嫌な感じがする」

 

 白と再不斬が、元霧隠れの忍びであることはナルトも知っている。前の知識でも、霧を造る能力があることも覚えていた。危機感は持っていた方がいいだろう。

 そしてそれらの判断とはまったく別のところで、ナルトは直観していた。

 

 ―――仕掛けてきた。

 

 家にはまだカカシがいるはずだ。タズナの仕事仲間を手伝ってくれている漁師たちの時間帯に合わせているので、橋作りが遅くなる日がある。それが今日だ。

 なので、影分身はそちらの方にはない。カカシが居るので必要がないと思ったからだが、軽率だったかもしれない。

 

 ナルトは後悔した。最近チャクラ不足を感じることが多いせいか、節約を意識していたのだが、それが裏目に出た形だ。

 イナリを背負いながら、ナルトはわずかな先も見えない森を走った。チャクラ放出は最小限だが、この程度なら、猿飛の術の応用で問題ない。

 

 それよりも、いつの間にか広がっている霧に気付けなかったことが悔しかった。

 

 この肌寒い霧は、どうにも普通ではない。ナルトは予想が確信に変わっていた。

 影分身を先行させながら、ナルトたちは家に急ぐ。

 敵の攻撃がないが、それはまったく安心には繋がらなかった。

 

 ―――対象が、自分でないってことは、つまり。

 

 カカシがいるし、サスケもいる。焦る必要はないはずだが、焦燥感は消えない。感情ばかりはどうしようもない。せめてイナリにはそれを悟られないように取り繕う。

 未だにピンと来ていないのか、イナリはのんきな様子だった。霧が出ること自体は珍しいことではないらしいので、違和感を抱き辛いのかもしれない。ナルトはあえてそれを訂正しようとはしなかった。

 霧を進み、川沿いを遡り、板張りの通路に着いた。先は見えないが、この先にタズナの家はある。

 イナリが背を降りようとするのを制止しつつ、ナルトは慎重に前に進んだ。

「!」

「えっ!?」

 イナリが大声を上げた。

 半壊したタズナの家が、そこには広がっていた。

 いくつもの木片や、生活用品の残骸とでも云うべき欠片が辺りの水面をゆっくりと流れていく。呆然としたナルトの隙を突くように、イナリがもがくようにして背から飛び降りた。止める暇もなく、自分の家の成れの果てに走っていく。ナルトは慌てて追いかけた。

 

 人の気配は、ない。

 

 タズナの家は無残な有様だった。巨人の張り手でも喰らったかのように二階部分は完全に崩壊してしまっている。下の階は辛うじて壁が残っているものの、大穴の空いた天井の下を、家の残骸の破片が覆っていた。

 水に濡れた外壁を見ながら、ナルトはこれが水遁の術によるものだと理解した。突然の奇襲を受けたのだ。イナリの家族を呼ぶ声を聞きながら、ナルトは手を握りしめて動揺を殺した。

 全員、無事なんだろうか。

 状況を把握するために、多少の体力の消費は仕方がない。覚悟の上でナルトは己のチャクラを広げて周囲を探索する。 

 

 瓦礫の下の隙間、周囲の川、広げられるだけ薄くチャクラを伸ばしていく。

 一分ほど、時間を使う。

 瞑っていた目を開くと額に浮かんだ汗を払う。これだけで少し疲れた。時間が経てばすぐ回復するものの、やはり最近の自分は体力がない。

 とりあえずは、全員ここには既にいない。それがわかった。

 

「イナリ、落ち着け。ここにはもう誰もいない。多分、みんな無事のはずだ」

「落ち着いてなんていられないよ! ここはボクの家なんだぞ! 父ちゃんの写真だってあったんだ! それが、こんな………!」

「……悪い」

 

 少し言葉を切るが、すぐに繋ぐ。

 

「でもゆっくりしてはいられない。今こうしている間にもカカシ先生達は、再不斬に襲われているはずだからよ」

 

 言いながら、ナルトは敵の目的を察した。ナルトとカカシ達を引き離したかったのだろう。敵にとってナルトが唯一の不確定要素。再不斬とカカシの戦いに邪魔になる要素を排除するための行動ということだ。

 やはり再不斬はカカシとの戦いに拘っている。

 つまり逆に考えるなら相手が一番嫌がることは、カカシと自分が合流すること、ということになる。

 カカシ班は班員がはぐれた場合の落ち合う場所を決めていた。一つはタズナの家。そしてもう一つは。

 

 ―――橋だ。

 

 カカシ達はそこに向かっているはずだ。だが確証を得るには、まずは敵の動きを確認する必要がある。

 イナリはどうするか。万が一の護衛対象の避難場所も決めてあるものの、この霧の結界の中でイナリを一人にするのは、恐らくマズイ。

 

 ―――くそ、頭痛ぇな。

 

 考えることが多い。しかも周囲の警戒も続けながらだ。今この場で戦えるものはナルト一人だけ。自分の内側にのみ集中するわけにもいかない。

 イナリは連れて行こう。この霧にどういう性質があるか判らない以上は、そうする他ない。ナルトは決めた。とにかくカカシ達と合流して全員の無事を確認したい、そういう焦りもあった。

 

「……………ナルト姉ちゃん?」

 

 不安そうな声に、意識を引き戻す。見たこともない情けない顔をしたイナリが居た。震える手で、ナルトの服の裾を掴み、不安そうに見上げている。

 ナルトは、とっさに笑った。

 

「なんでもない。ちょっと考え事してたんだってばよ。大丈夫、さっさとタズナのじいちゃんたちのところに行こうぜ」

「………うん」

 

 今までの態度が嘘のような従順な態度でイナリは頷いた。表情から動揺が溢れていた。今、この場でイナリが頼れるのは自分一人なのだ。その自分が焦っていれば、それはイナリにも伝わってしまう。

 ナルトは、焦燥を笑顔の下に隠した。

 昔は必要なかった行動だ。根拠などなくても、絶対の自信が自分の中に満ちていたから。今はもう、努力が必要だ。

 イナリを背負い直すと、ナルトは、橋の工事現場の方角に足を向けた。

 さて、この霧が本当にナルトとカカシを引き離すためのものなら、スンナリとは行けないはずなのだが。

 影分身を周囲に配置して敵への警戒を続けながら、ナルトは移動した。

 そして、それは唐突に、あるいは、当然に、現れた。

 気配はなかった。しかし、前兆はあった。ナルトの感覚は確かに、背後から『何かが集まっていく』のを感じていた。

 

「イナリしっかり掴まってろ!」

 

迫り来るそれを、冷静に屈みこんで躱した。

地面に手を付いて体を反転させつつナルトは背後のナニかに蹴りを回し込んだ。

 硬い感触と、硬い音が響いた。

 

 ―――白!? いや、これは何だ!?

 

 常人なら仮面ごと頬骨が砕けていてもおかしくない威力の蹴りを受けて、それは桟橋から吹き飛び、水に沈んだ。

 同時、周囲から、霧を割いて無数の仮面の忍びが現れた。

 それもナルトの至近距離から、ナルトの分身の陣形の、その内側に、四つ。

 

 ―――なにぃ!?

 

 驚愕は声にならない。まったく気配はなかったはずだ。

 相手はそれぞれ手にクナイを握っている。ナルトは反射的に、足にチャクラを込め、そして背後のイナリを思い出す。ダメだ。猿飛の術は使えない。

 正しい判断を考えている余裕はなかった。

 ナルトは咄嗟に三代目との組手に費やした時間にすべてを託した。

 一撃目は避けた。二撃目も体勢を崩しながら躱した。三撃目は躱しきれず手で逸らし、四撃目の蹴りを捌かずに腕で受けた。

 水面に飛ばされながら、意識を集中。足に水面を感じた瞬間に、チャクラをそこに集約する。激しく水しぶきがあがった。しかし体は沈み込むことはなく、水面を一度、小さく跳ねる。縦に回転してバランスを取ると、猫のように両手両足で水面に着地する。

 水で髪や服が重くなるのを感じながら、ナルトは荒く息を吐いた。

 

「姉ちゃん!」

 

 背後のイナリが悲鳴染みた声を上げた。

 あまり喋っている時間はない。

 

「大丈夫だイナリ。オレが絶対に守る」

 

 短く告げて、ずり落ちかけたイナリを抱え直す。遅れてナルトの影分身が、こちらに集まってくる。イナリを預けるか考えるが、止めておく。

 もう一度やれと言われてもできるかどうか怪しい曲芸染みた動きで、距離を取ることに成功。しかし、喜びよりも、先ほどの蹴りで残った感触にナルトは意識を割いていた。

 硬く冷たい何かの名残を。人の感触ではなかった。

 これは、氷か。

 感覚的に理解。

 しかしどうやって自分の警戒をすり抜けたのか。桟橋上の無数の分身を警戒しつつ、ナルトは戦慄せずにはいられなかった。この術には気配がほとんどない。

 やはり妨害してきたか。しかし、これは予想以上に強固で不可解な防備だ。

 

『降参しますか?』

 

 白は静かに尋ねた。

 

「じょーだんじゃねえ!」

 

 ナルトは吠えた。

 桟橋の白の分身が『薄まった』そうとしか言えない、感覚。瞬間、分身体が消えた。

 ナルトは一瞬だけ大きくチャクラを放出した。周囲の霧は、払いのけられるよりも早く凝固し、分身体を形成する。

 

 ―――なるほどそういう術かッ!

 

 不意打ち気味にナルトの背後から、イナリを狙ってくる。ナルトの分身体が飛びつくように弾き飛ばす。

 抑え込んだ、と思ったが白の分身はナルトの影分身ごと凍り付く。相討ちだ、一体減らされてしまった。

 すぐに気が付く。初めから分身を削ることが目的だったようだ。

 こちらを消耗させようとしている。……恐らく気が付いているのだ。ナルトの自分自身のチャクラへの不安に。

 

 次々と周囲の霧から、分身が現れる。

 

 息を吐きながら、ナルトは眉に力が籠るのを感じた。

 逃げるか? ナルトは一瞬、思案したが、自分のチャクラのこともある。何度も何度も挑戦し直す余裕はない。

 今、この瞬間にもう少し、この術を把握しておきたい。

 

 まず、白はどこにいるのか。この術の範囲はどのくらいなのか。持続時間は。分身を作る以外になにができるのか。知っておくことは沢山ある。

 

 三代目から聞いたことがある。古い忍者は、時として相手の忍術を完全に把握するために一か月以上戦い続けることもあったと。そんな時間はないが、幾つかの方法は利用できるはずだ。

 ナルトの分身と白の分身が互いにぶつかり合う。しかし、最初の一体を除いて、こちらはほぼ無傷で倒しきった。

 一体、一体はさほど強くはないようだ。

 しかし。

 

「おいおい、無限かよ」

『さあ、どうでしょうか』

 

 次々と沸いてくる。

 この術はチャクラを消費しないのか? また数体が霧から生み出される。相手にしていられない。ナルトは、桟橋に上がると霧の中に佇む白の分身を睨んで内心で悪態を吐く。どうやら個体数に上限はあるようだ。

 強引に突破するしかないのか。残されたチャクラを考えると、そうするのが最上に思えた。あるいはこのまま白と戦い続けるか。この結界術を二か所同時に操っているとは考え辛い。ここで白の手を煩わせることによって、結果的にカカシの援護をできるかもしれない。

 

 ―――いや、まてよ。

 

 ふと、ナルトはあることに気が付いた。そういえば、だ。

 

 ―――ほんとうに再不斬とカカシ先生が戦うことを止める必要があるのか?

 

 再不斬はカカシを己の術で仕留めることに拘っている。それは記憶で知っている。確かに、今は相手の理想通りの展開だ。しかし、それはあくまで今現在の視点から見た、理想だ。

 

 未来の結果を踏まえれば、答えは逆転する。

 

 なぜならカカシと再不斬が霧の中で戦った場合、未来の記憶ではカカシが勝っているのだから。ナルトはそれを知っている。もちろん、すべてが記憶通りにはいかないのもわかっているが、付け加えるなら、写輪眼に覚醒したサスケと、前以上に強いサクラという二つの要素もある。

 どちらかというなら、これはこちらにとっても理想的といえるのではないか。

 少なくとも時間はあるはずだ。

 

 ならば、自分がすべきことは本当に合流することなのか?

 いや違うはずだ。やらなくてはいけないこと。やるべきこと。ナルトの頭の中で、それらすべてがゆっくりと組み上がっていく。

 

「イナリ、ちょっと行き先を変更していいか?」

「え? ど、どういうこと?」

「街に行くぞ。多分そこに、お前にしかできないことがある」

 



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25『氷晶霧中』②

だらしなくてすまない………。


 まあ、それも。まずはここから逃がしてもらわなければいけないのだが。ただで逃げられるなどとは思わない。白の狙いはナルトをここで足止めして、再不斬の戦いの邪魔をさせないことだ。ナルトを殺すと宣言しておきながら、その実、そのことに拘りはしていない。あくまで白の目的は一貫して、再不斬の願いを叶えることなのだ。

 ブレがない。ある意味、完璧な忍びの姿だ。

 だからこそ、厄介で、そうだからこそ、そこに糸口もある。

 

『ナルト君、聡明なキミのことだ。もう気が付いているんじゃないですか? キミにこの術は破れない』

 淡々と告げる白の声は分身を通しているせいか、どこか歪んで聞こえた。聡明な、と呼ばれたことに猛烈な違和感を感じたが、それは無視した。

『あるいはその背中の子供を捨てて突貫するのなら可能性はありますが』

「………」

『それができないなら、ここでボクに嬲り殺しにされるだけ。あるいは仲間は見捨てて自分だけ逃げだしますか?』

 

 白の挑発染みた言葉は概ね、正しかった。今のナルトにはこの術は破れないし、橋の方面に突破することも、恐らくできない。かといってただ逃げた場合、白がその後なにもせずにじっとしているはずもない。追いかけてもくるかもしれないが、ナルトの心配はその逆にあった。ナルトがここから逃げ出した場合、今ナルトに費やしている術の余力の幾分かを、再不斬の援護に回すかもしれない。

 状況の確認という作業は、あるいは白にとってナルトの動揺を誘う手段だったかもしれなかった。一見、確かになんの活路も見いだせない。

 

 だが、ナルトが考えていたのは全く別のことだった。

 すなわち、自分の使えるチャクラの容量。それの限界ギリギリの範囲について。

 影分身は、今それほど沢山は作れない。それぞれが全力で動き回ると考えると、一番安定している数は、今のように数体程出している状態だ。それを超えて限度いっぱいまでチャクラを分割するなら、数十体は出せるには出せるが、そうしたところで活動できる時間はごくごく短い。

 十五体。それが、全力で活動する上で、今のナルトの限界だった。

 

 十字印を組むと、音を立てて、十五体の影分身が現れる。

『………』

 白の分身たちは僅かに身構える程度であったが、場の空気は一気に張り詰める。

 飛び出したナルトの影分身を、白の氷の分身が迎え撃つ。

 ただし、ナルトの本体はその場に留まった。

 

 先ほどのように、自分の周囲を守ったりはしない。全部の影分身がバラバラに動きながら、橋の方に向かって走っていく。

 当然、白の分身たちも向かわせまいと、立ちふさがって迎撃していく。

 

 ナルトはその隙に踵を返すと、水面を走り橋とは逆方向に逃げ出した。その行動が意外だったのか、白の気配が一瞬、たじろいだ。

 

『なにを……………』

 

 言いかけた白にナルトの分身が飛び掛かったのを横目にナルトは森に向かって一目散に逃げ込んだ。

 

 

 

 森まで、白の分身は追ってこなかった。

 だが、辺りを覆う霧の濃さはまるで変わっていない。霧の効果がわからない以上、追跡を振り切ったのかどうか、それを知る術は今のナルトにはない。警戒を解くことはしてはいけない。

 くらり、と視界が歪む。

 

 ぜぃ、ぜぃ………。

 

 木に寄りかかる。同時、どっと、ナルトの身体から大量の汗が拭きだした。分身を無視して追ってこられたらまずかったが、追ってくる様子は今のところはだが、ない。イナリを背から下ろし、息が整うのを待つ。正直、今は水面歩行すらキツかった。後数秒留まっていたらまずかっただろう。

 

 だが、まずは一つ、クリアだ。

 分身にはまともには戦わずになるべく持久戦をするように指示してある。消えれば感知できるし、これである程度の猶予を確保できた。

 

「……姉ちゃん、平気?」

「あ、ああ。………大丈夫。イナリこそよく耐えたな。偉かったぞ」

 

 イナリはぶるっと身を震わせた。

 

「アイツ、追ってこないのかな……」

「多分な」

 

 そう言いながら、ナルトにはある程度確信があった。白の目的はあくまでナルトの足止めであって、ナルトを倒すことはさほど重要ではないはずだ。影分身を出している限りナルト自身もほぼチャクラを使えない。むしろ分身を再不斬の所に向かわせないために、ナルトの足止めに付き合ってくれるだろう。無論、もし白が無限に分身を出せるならその限りではないが……。しかしその想定はあまりに無意味だ。対処のしようがない。

 

 ナルトは白の術がある程度限界があると仮定して行動していた。

 

 それがどの程度なのかは判らない。分身体の陽動の対処で手一杯になってくれているのならありがたいのだが、それは希望的観測かもしれない。

 今は少しでも、この場所から離れよう。ナルトは街の方角へ足を向けながら小走りに走り出した。

 

「ね、ねえ本当に街に行くの? じいちゃんたちは橋の方にいるんじゃないの?」

「橋には向かわない。今はな」

「街に行ってどうするの?」

「―――街の人間たちを立ち上がらせる」

「え? な、なにそれ? どういう意味?」

「ガトーに立ち向かうってことだ」

「―――えっ」

 

 ナルトはかつての記憶を思い出していた。波の国に橋が造られて、それから交易が始まった後のことを。それは大きな変化の連続だったのだろう。風の噂でナルトが時折耳にした知らせではそれは良いことばかりではないようだった。だが、それらの噂を締めくくるのは何時だって、崩れない国の人々の結束の強さを称える言葉だった。

 そしてそれは、ガトーを倒す今この時生まれた物なのだ。これは絶対にやるべきこと、ではないかもしれない。しかし、ナルトはできるなら前と同じように、立ち上がって欲しいと、そう思っていた。

 

「ガトーに立ち向かう………?」

「ああ」

「……………そんなこと、できるのかな」

「ああ、きっと」

「ど、どうやってするの……?」

「イナリ、それをお前にやって欲しいんだ」

「……………ボクが?」

「ああ、お前が皆に呼びかけるんだ」

「な、なんで!? 姉ちゃんがやればいいじゃんか!」

「他国の人間のオレじゃ、駄目だってばよ。この国の人間が自分の足で立ち上がる必要がある」

「やだよ! ボクにはできないよ!」

「んなことないって。お前なら―――」

 

「できっこないよッ!!!」

 

 ナルトの声を遮るようにイナリは悲鳴のような声を上げた。その声の調子に違和感を感じたナルトは足を止めてイナリを見たが、顔は俯いて表情は窺えない。

 イナリは足を止め、ただ体を震わせた。

 

「イナリ………」

 

 言いかけて、驚く。イナリは、―――泣いていた。

 

「わ、悪いイナリ。急に言って驚かせたか?」

 

 前の時できたことだったから、今回もできる。そんな単純なことじゃないのに、ナルトはまた失念していた。できるはずだと、思い込んでいた。

 嗚咽を漏らして泣くイナリを前に、ナルトは自分の浅はかさを悔いた。イナリの目をハンカチで拭ってやりながら、ナルトは謝った。

 

「……悪い」

「姉ちゃん」

「………うん?」

「ボクだって、姉ちゃんみたいにできるならやりたいよ……、でも勇気が出せないんだ。怖くて怖くて堪らないんだ」

「………うん」

「ナルト姉ちゃん、―――英雄(ヒーロー)ってさ……………本当にいるの…?」

「―――――」

 

 その不意打ち気味の問いは、深く深くナルトの中に突き刺さった。息が止まる。半ば無意識に胸の中心を押さえる。

 しばし、ナルトはその答えを返せなかった。

 

「ボクの父ちゃんは英雄だったんだ。どんな波にも、どんな相手にも負けるはずがないって、そう思ってたのに、死んじゃった。ガトーに殺されたんだ。………、ねえ、姉ちゃん英雄って本当にいるのかな」

 

 不安そうな声に咄嗟に応えてやることもできずに、ナルトは顔を伏せた。

 イナリの望む言葉はわかっている。

 嘘を言ってしまおうか。動揺からか、そんな考えが一瞬浮かんだ。『いる』と前のように断言してしまえばいい。こんな葛藤イナリにはわかりっこないのだから。望む答えを返してやればいい。

 どうすればいいのか。時間にすれば短い間隔、ナルトは悩んだ。

 

「わかんない」

 

 そうして、正直に答えることにした。

 

「前は居ると思ってた。でも今は、そう言えない」

 自分は失敗してしまったから。とても大切な物だったのに、守り切れずに掌から溢してしまった。

「オレってば一回失敗しちゃったんだってばよ。―――それも二度と取り返しのつかない失敗を。だから、なにもかも上手くできる確信なんてない。だけど、本当に守りたいものがあるなら、戦わなくちゃいけないことがあると思ってる。そのとき、絶対に失敗しないために、自分のできることを全部やっておきたい」

「ぜんぶ………?」

「そう、全部」

 そうだ。言いながらナルトは曖昧だった自分の内心の混沌の一つが固まっていくのを感じていた。

 英雄は居ないかもしれない。判らない。けれど、結局、やるべきことがあるなら、確証がなくたって自分はそれに向かっていくしかない。

「波の国の人たちが立ち上がる必要は絶対じゃない。けど、できるのならやるべきだと、そう思う」

「…………」

「無理か?」

「こ、怖いよ、でも………」

 イナリはまだ、涙に濡れる顔を上げてナルトを真っすぐに見た。

「ボクもじいちゃんや母ちゃん、姉ちゃんや、―――父ちゃんみたいに勇気を出したい」

「そっか」

「でも本当にボクにできるかな……」

「わかんないってばよ!」

 ナルトは胸をはって情けなく断言した。

「………なにそれ?」

 イナリが呆れたように小さくだが、笑った。

「わかんないけど、けど一緒にやってやろうぜ」

 ナルトもそう言って笑う。

「……う、うん」

 照れた表情でイナリは頷いた。

 前とは多分、違う形なんだろうけども、今、イナリと少しだけ通じ合えた気がした。

 

 

 

 

 

 

「父ちゃんなら、できるかもしれない」

 

 霧深き森の中をナルトとイナリの二人は、転ばぬように気を付けながら走った。

 

「ボク、この国が嫌いだったんだ」

 

 イナリが小さく溢すようにして呟いた。まだ少し照れた表情をしているが、雰囲気は落ち着いているように見える。

 

「ほら、ボクのじいちゃんって橋造りの大工だろ? だから、街の漁師の人たちに比べるとちょっとだけ裕福なんだ。それに普通はボクぐらいの歳になると親の仕事を手伝ったりするんだけど、ボクはまだしてない。それでか、よくからかわれてた」

「へぇ………」

「釣りを始めたのも、そうすれば仲間に入れて貰えると思ったからなんだ。まあ、釣りと漁の仕事が全然違うってことは、かなり後になってから知ったんだけどさ」

 

 イナリは真っすぐ前を見据えて走りながら、言葉を続ける。

 

「父ちゃんに会うまで、ずっと、この国にいるのが嫌だった」

 

 ナルトは急ぎ過ぎないように気を付けながら、イナリに合わせて走る。

 

「―――今は違うのか?」

「今は違うよ」

 

 間を開けずにイナリは答えた。そして、少し考えるように視線を上げて、ナルトを見上げた。

 

「姉ちゃんがどのくらい知ってるのかは知らないけど。ボクには血の繋がってない父ちゃんがいたんだ。優しくて、強くて、カッコよくて、みんなから好かれてるボクのヒーローだった。その父ちゃんがさ、よく釣りに連れて行ってくれたんだ」

「へー、じゃあイナリが釣り好きなのは父ちゃんの影響なのか」

「まあ、そうだね。父ちゃんは漁師の仕事をしてたんだけど、休みの日にも釣り竿持って海に行ってた。たぶん父ちゃんは釣りが好きっていうより、海が好きだったんだろうね」

 

 なにか大事なことを言おうとしていることに、ナルトは気が付いた。イナリの言葉の続きを待つ。

 

「海だけじゃない。父ちゃんはきっと誰よりもこの国が好きだった。初めから住んでいたボクよりもずっと。だってさ、父ちゃんが教えてくれたんだから。ボクが嫌いだと思ってたこの国のいい所を数えきれないぐらい沢山。…………ボクは父ちゃんのおかげでこの国を好きになったんだ」

「………そっか」

「だから、ガトーからも逃げなかった。どんなに脅されても、どんなに痛め付けられても、決してアイツの言いなりになんてならなかった。―――うわっ」

 

 霧で見えそこなったのか木の根に躓いてイナリはつんのめった。ナルトはとっさにイナリの服の背襟の下を掴んで止める。

 

「よっと。平気か?」

「あ、ありがと」

 

 霧と汗で湿る頬を袖で拭うと、イナリはまた走り出した。

 

「父ちゃんの言葉なら、もしかしたらみんなを動かせるかもしれない」

 

 それが具体的にはどのような事を意味するのか、ナルトは完全に理解したわけではなかったが、詳しい説明は求めなかった。

 

「よし、任せる」ナルトは頷いた。「頼んだぜ、イナリ」

 

 イナリは一瞬、不安とも高揚ともとれるような顔でナルトを見上げた。しかし、口を真っすぐに結ぶと、力強く頷いた。

 

「うんっ」

 

 それを確認したナルトは、次の行動について思考を巡らせた。

 

 ―――次の問題はオレの方か……。

 

 ナルトは辺りを覆う異様に冷たい霧を眺めた。まだ、この霧を攻略したわけではない。ただ無限に分身を生み出すだけの術だとも思えない。

 

 イナリの説得が成功したとしても、この霧が晴れぬままでは身動きが取れない。術を破る、そのためには術者を見つけ出して打ち倒す必要がある。もしかしたら他にも方法はあるかもしれないが、残念ながらナルトは結界に関する知識を持ち合わせていなかった。なんとなく、結界を構築するなにかを壊せばいいのはわかるが、それだけ。

 

 だが、カカシならこの術を破る方法を知っているだろう。だから、この後どうにかしてカカシと渡りを付ければいい、とナルトは単純にそう考えていた。

 

 ―――合流、とまで行かなくてもいい。連絡を取れれば………。

 そう内心ひとりごちるナルトの内側で、九尾が身じろぎするのを感じた。

 

 

 

 衣服を貫いて肌を刺す様な、異様な寒さを纏った霧が、見渡す限り延々と続く。

 サクラは水に濡れた身体から体温が奪われていくのを感じながらも、足は止めなかった。否、止められない、が正しい。

 

 この霧の中で足を止めることはすなわち、敵の攻撃をただ待つに等しい行為。どうすればいいかもわからず、ただ前を走るサスケの背を見失わないようにするだけだ。

 

 ―――なんなの!? この霧は!?

 

 全て突然のことだった。洪水のような波にタズナの家が押し潰され、命からがら逃げ出したと思ったら、数十歩先も見えないような深い霧の中に唐突に投げ出された。周囲にはあの仮面の少年の分身が蠢いていて、こちらを窺っていた。

 

 恐怖を覚えながらも、サクラは戦うつもりだった。しかしその機会はほとんど与えられることはなかった。

 

『敵はオレとサスケで対処する。サクラ、お前はお二人の護衛を任せる』

 

 そうカカシに言われたとき、サクラはわずかな安堵と、安堵した自分に対する苛立ちを感じた。

 ただ、カカシの判断は的確で正しかった。視界が利かないこの結界の中での自分はあまりに無力だということに、サクラ自身が一番深く理解できた。

 

 敵がいつ飛び出してくるかもわからない。前面にはサスケ、背後にはカカシが付いているが、もしそれを突破されたとしたら、果たしてサクラに対応できるのか。

 護衛と言いつつ、自分自身もまた護衛される立場であることは、薄っすら気が付いていた。

 

 ナルトなら―――。サクラは歯を食いしばった。

 

 あんなに修行したじゃないか。サクラは自身に対する疑問を投げ捨てた。できないはずがない。冷え切った手と、氷のように冷たいクナイを握りしめる。

 

 霧を押しのけるようにして、真横から黒い影が飛び出した。

 

 再不斬だ。すでに大刀を振り上げている。

 

 反応はまるで追いつかなかった。硬直する足。直観的に、防げないことを悟る。

 一閃が瞬いて、次の瞬間、再不斬は白目を向いて喉笛から水しぶきを上げた。

 溶けるようにして水に戻る分身を眺めながら、サクラは緊張の糸を緩められなかった。

 

「平気か?」

 

 その声に視線を上げて、サスケの瞳に釘付けになる。

 そこには紅い色に黒の勾玉が二つ浮かんだ、瞳。

『写輪眼』。―――名前だけは知っていた。

 うちは一族に伝わる、血継限界。その瞳はありとあらゆる忍術、体術、幻術を見破ると云われる。

 

 つい先日までのサスケには使えなかったはずの力だ。

 

 分身とはいえ敵の上忍を一撃で切り伏せたことを誇るでもなく、サスケは注意深く周囲を見渡しながら、サクラを横目に窺っている。

 

「………、ありがとサスケ君、大丈夫」

「ああ」

 

 礼を述べながら、サクラは以前のように無邪気にはしゃぐ気にはなれなかった。

 数日前のサスケなら、こんな風にサクラを気遣ったりはしなかったはずだ。視界にすら、入れなかったかもしれない。

 

 変わったのだ。いつの間にか。

 

 サクラはなにも知らない。

 知っているのは、あの夜、カカシに背負われて帰ってきたサスケの顔が見たこともないほど穏やかだったこと。少し遅れて戻ってきたナルトの頬が少し腫れていたこと。次の朝、サスケがぎこちない様子でナルトに喋り掛けていたこと。それから、少しだけサスケの態度が柔らかくなったこと。

 そしてサスケが写輪眼を使えるようになっていたこと。

 

 サクラが知っているのはそれだけ。

 

 あの夜なにがあったのだろう。聞けば誰か答えてくれたかもしれないのに、サクラは誰にも聞くことはなかった。

 今もまた、疑問が腹をぐるりと回って、喉元まで競り上がってくるのを感じた。

 だが、サクラの口から出たのは、まったく別の疑問だった。

 

「ナルトは、独りで大丈夫かな」

「………アイツなら、問題ないだろう」

 

 その声に篭められた信頼にも少なからず打ちのめされたが、サクラを更に叩きのめしたのは、サスケの表情にほんのわずかに憂うような表情が浮かんだことだった。それは淡雪のようにさっと消えたが、サクラは見落とさなかった。見落とすことができなかった。

 

 誰のためにそんな表情を浮かべているのか、考えるまでもない。

 

 サクラの固まった顔をどう受け止めたのか、サスケは言葉を続けた。

 

「今オレ達ができることは、任務を全うすることだ。それが、ナルトへの援護にもなるはずだ」

「……………うん、そうだね」

 

 サクラは頷いた。

 場違いなのは理解していたが、感情がうねるのを止められなかった。

 私だって、修行を頑張ったんだ。

 ナルトに追いつけるように。サスケ君に見て貰えるように。なのに、どうしてまだ、こんな風に足手まといのままなんだろう?

 

 

 

「着いた……」

 

 ナルトは霧の中におぼろげに見える街の入り口を見据えて、小さく息を吐いた。とにかくなによりも、チャクラの消費が堪えた。スタミナギリギリまでチャクラを分割しているため回復もできない。

 多重影分身なぞしようものなら、どうなることやら、考えるだけでも恐ろしい。軽々しく扱っていた術が禁術指定されている理由が今更ながら理解できる。

 

「さて、イナリまずはどこに向かう?」

「町長のおじさんの所に行こう。漁労長もやってる人だから一番、話が早いと思う」

「ほう」

 

 ―――ぎょろうちょーってなんだ?

 

「あっちの家だよ」

 

 イナリが指差した方に向かっていく。流石に異変には気が付いているのか、街の人間は肌を擦りながら、不安そうに辺りを窺ったり、周囲と情報を交換したりしているようだ。

 敵が紛れていないか、警戒しながら、ナルトはイナリの後ろを歩く。

 



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26『氷晶霧中』③

 

 

 今のところ、影分身はまだ一体も倒されていない。それと同時に、未だカカシたちと連絡できたという情報も伝わってこない。膠着している、と見るべきだ。

 どうしても心配はしてしまう。イナリの手前、顔には出せないが。

 開けた場所に出る。お世辞にも新しいとは言えない古びた木造の一階建てが立ち並ぶ中、他の家よりも一回りは大きい屋敷が見えた。突出して広大なわけではなく、見た感じではイナリの家と同程度だが、周囲はよく掃除されている。

ここが、町長の家だろうか。

 

「ギイチのおじちゃん!」

「イナリ!」

 

 家の前に立っていた初老の痩せた男に、イナリが駆け寄っていく。ナルトも後を追う。

 

「この霧の中をひとりで町まで来たのか? タズナは一緒じゃないのか?」

「ひとりじゃないよ、ナルトの姉ちゃんも一緒」

「………アンタは確か、タズナが雇った木の葉の忍び、だったか?」

「どうもー」

「こんな子供が……、いや、忍びに歳は関係がないというが。……なんにせよ、イナリ、今はあまり出歩かない方がいい。早く家に戻れ。この霧はどうにもおかしい。今日は漁にもいかんつもりじゃ」

 

 両肩を震わせながら、ギイチはぼやいた。ぶっきらぼうな口調だが、声音は優しい。悪い人ではなさそうだ。

 ナルトは端的に、事の状況を説明した。この霧が敵の忍びの攻撃であること。タズナが今、襲われていること。

 ギイチは、目を見開くと、大きく身震いをした。

 

「………………………………そうか」

 

 なにかを察したように、ギイチの表情はさっと抜け落ちた。下におろした視線をナルトに向けたときには、瞳に暗い色が現れていた。

 

「で、ワシになにをさせるつもりだ」

 

 それは、赤の他人であるナルトでも、はっきりとわかる恐れと拒絶の感情が含まれていた。

 

 ―――これ、大丈夫か?

 

 ナルトは、そう危惧した。

 

「じいちゃんと一緒に戦ってほしいんだ! 今がガトーに勝つ最後のチャンスなんだよ!」

 

 イナリはそれに、気付いているのかいないのか、ただ必死な声でそう叫ぶ。ギイチの顔には同情が色濃く浮かんだ。しかし、その拒絶の色は消えない。

 

「すまん、イナリ。ワシらはもう戦うことを諦めたんじゃ。…………戦いさえしなければ、命を取られることはない」

「戦わなければ勝てないじゃないかっ」

「イナリ、わかったようなことを言うな………。ワシらにも大事な者がおる。それをもう失いたくない。イナリ、お前だってそうだ」

「じゃあ、じいちゃんは? じいちゃんは今、命懸けで、この国のために戦ってるのに」

「そ、それは……」

 

 イナリは緊張した様子で、ギイチを見つめた。真っすぐな視線。二人に流れる雰囲気は、けして心地よいものではなさそうだ。

 ナルトは居心地の悪さを覚えながら、やや後ろで見守る。

 ギイチは動かない。小さく「スマン………」と呟いただけ。

 それは、タズナを見捨てるという意味にも、ナルトには聞こえた。

イナリは動揺しなかった。

 

「ボクは、行くよ」

 

 ただ静かにそう告げると、ナルトを振り返った。ギイチの視線は、まだ下を向いたままだ。

 イナリは、真っすぐに背を向けて歩いていく。

 

「…………イナリ」

「いいんだ、ダメならしょうがないよ」

 

 イナリがそう言うなら、ナルトに是非はない。だが、一応、言うべきことを言っておく。

 

「これからオレたちはこの霧のことと、タズナのじいちゃんのことを町の人たちに伝えていくつもりだ。あんたがどうするかは聞かない。霧が晴れたとき、もしその気があるなら、橋にいるタズナのじいちゃんの所に向かってくれってばよ」

「……………………………」

 

 ギイチは応えなかった。霧の中をただ立ち尽くしている。

 ナルトは視線を切ると、イナリに続く。

 情けない、とは思わない。

 できれば、町の人たちに伝える役目も頼むつもりだったのだが。駄目元で頼んでみるべきだっただろうか。そう考えたが、動く気があるならナルトが言わなくても自分からそうするだろうし、ないなら言ったところで動くはずもない。

 

「あれで、良かったのか?」

「―――わかんないよ」

 

 イナリは困ったように笑いながら自信なさげに言った。

 

「でもむりやりにはできない、でしょ?」

「そりゃな」

「父ちゃんなら、こうすると思うから」

 

 もっと、魔法みたいななにかがあると少し思っていた。いや、それはナルトの勝手な想像だ。

とにもかくにも、イナリは腹を括っている。それだけはわかった。

どのみち時間はかけられない。止まることなく次へ進もう。

 

 

 

 

 ―――、一体、何をしている?

 

 白は、白色の正方形の部屋の中心で困惑した。

 

 ナルトへの監視は未だ途切れていない。声こそ聞こえないものの、その眼は確かにナルトを捉え続けている。

 『この距離』では分身を使って接触するのは不可能だ。正確にはできなくもないが、精度は随分と落ちる。

声は聞こえずとも、戦術上においてどう行動するかは、動きを見れば大体の予測が付く。そのはずだった。

 

 強引に包囲を突破する。

 迂回して、包囲の隙間を突く。

 結界の起点を探し、それを破壊しようとする。

 

 ナルトが取る行動は、大まかに分ければ、この三つに分類できるはずだ。そう白は断定していた。

 しかし、ここにきて、ナルトの意図が読めない。

 戦いにおいて不確定要素は常に付きまとう。それは、白にとってもそうだ。意外な一手というのは、そう珍しいことでもない。しかし、とはいえ、忍びの戦いはある程度、定型化した戦術上の駆け引きというものが存在する。それは予想外であるだけで、指されれば、その意図は理解できる。

 しかし、これは違う。

 

 ―――、一体、何をしているのか?

 

 それが判らない。判断が付かない。

 

 町の人間の家を一軒一軒尋ねていくナルトとイナリの行動がこの先どのような意味を持つのかが、理解できない。

 

 声を聞けばなにか判断できるかもしれないが、そうするにはもう少し近くにいる必要がある。

そうすれば、ナルトの分身を留めきれなくなるだろう。

 

 ただのブラフか?

 

 白という存在を縛り付けておくための行動なのか?

 そう決めつけてしまうことは、それを外したときに、致命的な間違いとなってしまいうる。

 そして、ナルトはこれまでの行動、そのすべてに確かに意図があったという事実。

 今は白が望んでいるはずの膠着状態にある。しかし、熟練した忍びである白にとって、まったく『読めない』ということは酷く不気味に思えた。

 

 要するにこれは死角からの一撃だ。

 

 この霧の戦場をまるで盤上のように俯瞰できるはずの自分がまったく想像できない手。まるで盤面を挟んでもう一人の打ち手が実体を持って目の前にいるかのような気さえする。

 あの月夜で会ったときのように、真っすぐにこちらを見据えて。

 

 ……………手は止めることなく打ち続けなければいけない。だが生半な一手では駄目だ。

 

 相手の一手が読めないなら、より強力な手を打ち、盤面を盤石にしていかなくてはいけない。

 その手は当然、用意してあった。

 相手の死角を突くのは、敵の専売特許ではない。元追い忍である白が、もっともよく慣れ親しんできた作業だ。

 白は、ナルトの監視から一時的に、視界を『切り替える』。

 橋付近、そろそろ到着しているだろう。

 

 ―――居た。

 

 ターゲットと、その護衛達だ。

白の視線はその中の一人に留まった。緊張した様子の桃色の髪の少女。あの四人一組(フォーマンセル)の中で唯一、ナルトが見えていないもの。白が観てきたのはナルトだけではない。それを含めた、盤面上にあるすべてだ。

 

 ―――キミの死角だ。

 

 

 

 

 橋に着いたのか、それとも誘導されたのか。

 どっちの思惑も重なった、と見るべきか。

 カカシは、橋の入り口に立つと、土を払って、隠していた結界を起動する。黒い文字が、地面をのたうつ蛇のように広がっていき、赤い光を放った。

 

『霧払いの結界』

 

 周囲の霧を吸い込み、また、掻き消す結界だ。

『霧』と書かれた文字を中心に、ゆっくりと霧が薄まっていく。

 しかし消滅は、しない。薄まったものの、依然として霧は無くなることはなく辺りを漂っている。

 

 ―――ま、普通の霧ではないからな。

 

 効果は半々と言ったところか。だが、肌寒さは大分、和らいだ。視界も先ほどのように数メートル先も見えないほどではない。これなら、十分に戦える。

 同時に発煙弾を上げ、ナルトに居場所を知らせておく。

 白が襲い掛かってこないことを見るに、まだ足止めを喰らっている可能性が高い。合流は難しそうだと判断する。

 悪い等価交換ではない。再不斬がもしこちらを無視してナルトを狙った場合、依頼人はこのまま一旦海外に逃げることになるだろう。つまり敵の任務達成は著しく困難になる。もちろん、カカシがそれを実行するかどうかはまた別の話だ。

 

 

 相手は可能性がある以上は、カカシたちを追いかけざるをえない。

 

 班員と護衛対象の様子をそれぞれ確認する。タズナとツナミは、息を荒げてはいるものの、比較的落ち着いて見えた。イナリの心配はしているが、ナルトが付いていることを知ってはいるので、取り乱すほどではないようだ。―――いや、そういうふうに協力してくれている、そう考えるべきだろう。

 結界の中心に来てもらい、それらの周囲をサスケに任せることにする。

 

 ある程度の負担を任せられる、カカシはサスケの実力をそう評価していた。

 

 ここまでの道中の活躍を鑑みれば、その判断は十分に信頼するに値する。サスケが護衛において大きく貢献してくれたおかげで、カカシはチャクラの温存に努めることができた。

 再不斬にとってもやや予想外だろう。戦局は敵の圧倒的優位から、また五分の位置にまで押し戻しつつある。

 それはサスケの急激な成長を、相手が想定できなかったという点がもっとも大きい。

 

 ―――ま、それはこっちもそうだけどね…。

 

 正直、サスケの成長がここまで重要な要素になるとは予想できなかった。

 ナルトはこうなることを知っていたのか?

 否、そもそももっと根本的な疑問がある。なぜうちは一族秘伝であるはずの写輪眼の開眼要素を知っていたのか。

 カカシはあの夜問い詰めなかった自分の判断が間違っていたとは思わない。忍びは他者に言えないこともある。

 

 とはいえやはり、ナルトには謎が多い。

 

 今は、とりあえず感謝しよう。疑問の解消はこの任務の後でいい。

 正面から感じる、禍々しい殺気を前に、カカシは集中することにした。

 

「……ここに来るまでに何人かは削れると踏んでいたんだがな」

 

 気配から遠ざけるために、護衛対象を背後に庇う。ゆっくりと歩み寄ってくる影が、薄白い霧の壁を通して、段々と色濃くなっていく。

 

 鋭い切っ先が空間を絶ち、霧が二つに別たれる。それは、留まることなく広がり、空間となり、道となる。

 

 薄霧を纏って、再不斬が姿を現した。見た目にはもう負傷した様子は見られない、万全の状態だ。

 

 ブラフではない。内に充溢したチャクラが、この距離からでもハッキリと感じ取れる。

 

 一歩。肩に大刀を背負った再不斬が歩みを進めた。

 忍びの戦において、距離とは大きな意味を持つ。この位置はもう、クナイが最大威力で届く、中距離戦の間合い。瞬き一つで、致命傷になりかねない。

 

 再不斬は意に介した様子もなく、その死線を越えていく。

 

 一歩。…………また、一歩。

 ジジッ。カカシの足元の小石が、微かに震えた。あのとき、―――船での一戦のときのように、いや、さらに増した圧力が周囲に撒き散らされる。

 ビリビリと肌がヒリつく。

 カカシは目を細めた。再不斬は、頬を歪めて、嗤った。

 

 ―――。

 

 近距離。歩幅。僅か、数歩分の距離。生と死の、彼岸の間合い。

 

「数日前までは狩るまでもなかったはずの雑魚が、あっという間に鋭い牙を持つ。………本来、白の読みが外れるなんてことは、そう何度も起こるもんじゃない。いや、読みを外したのか、それともあるいは―――読み負けたのか」

「何が言いたい? ……降伏でもしているつもりか?」

「素直に称賛しているだけだ。今この時代に写輪眼の使い手に出くわすことなんてもうないだろう。それも二人も、だ」

「…………首尾よくいかなかったにしては、随分と機嫌が良さそうだな」

「ハッハ。実際、この構図を描いた奴が存在しようがしまいが、どっちだろうと構いはしねぇ。てめぇには右腕に風穴開けられた借りがあるんでな、サックリ死なれたら興醒めもいいところだった」

「…………怨みを晴らしたいということか」

「怨みはしない、が、借りはキッカリ返すモンだ。……ただ生憎、オレの刀は大刀。()()()()()だけじゃ、済みそうにもないが」

「似たようなことを言う敵は五万といたが、それを達成出来た奴はいなかったよ、ま! 俺相手の場合はな」…………もっとも『味方で』なら知っているが。カカシはそれは告げずに胸に秘めた。

「………ふ」

 

 再不斬が手を横に振った。同時に、サスケたちの方へ敵の気配が移動する。カカシの写輪眼は、霧の中では微かにしか見えない影を、ハッキリと捉えていた。

 再不斬の部下だろう。今のサスケなら、十分に対処できる敵だ。

 

 口上は終わった。

 

 再不斬は肩に背負った刀を両腕で握りなおすと、腰を落とす。体の後ろで刀が地面と水平となる。(たわ)められた筋肉は、もうどの瞬間にでも、剣閃を閃かすことができるだろう。大刀の鈍重さに大きな期待を持つのは愚かだ。次の瞬間には体を二つに切り裂かれ死ぬことになる。うかつに受け止めようと試みることも、同じぐらい、あるいはそれ以上に危険だ。

 

 下手な受け方では、大刀の破壊力を受け止めることはできない。得物ごとなます切りにされてしまう。躱すことを試みても簡単には成功しないだろう。振り回されるのはただの鉄塊などではない。一撃一撃に確かな意思を秘めた、達人の剣だ。

 

 身の丈を超える大刀をまるで普通の刀のように扱う膂力、そしてそれを操るのは、ただの怪力バカではなく卓越した技術を持った達人。派手な能力はなにもなく、―――ただ純粋に強い。

 

 とはいえ、写輪眼相手に真っ向勝負とは。

 

 なにか、仕込みがあるのか。目で見ただけでは判別できない。カカシはクナイを両手に一本ずつ逆手に構えたまま、相手の動きを待つ。

 瞬間、再不斬の姿が、ブレた。

「!」

 

 左の写輪眼と右の裸眼、その左右で著しく視界に隔たりが生まれる。ブレる右目とピントを合わせようとする左目の写輪眼。あまりに格差が有り過ぎる両眼の性能差から生み出される、カカシのみが知る一瞬の世界。 

 

 脳に引きつるような痛みを覚えつつ、左側から迫る大刀を屈んで躱す。振り切った反動で刀を返しつつ、掬い上げるような右の切り上げが来る。これを一歩前に進んで懐に入ろうとして、写輪眼が警告を発する。再不斬がすでに対応をしている。右目が描く未来予想図が変化。大刀の柄によるカウンター。続けて腕を畳んだコンパクトな斬撃。凄まじい速度。足をその半歩前で止め、致命傷に至る威力を秘めた刀をクナイでいなす。火花が散って赤い花を咲かせる。

 

 即座の振り上げから、振り下ろし。流石の神速。

 

 カカシは右前方に、体を投げ出すようにして回避。側面に移動する。再不斬の足は既にこちらの向きに対応している。近づけば、即座に横薙ぎが来るだろう。

 

 大刀の間合いのわずかに外から、連続して手裏剣を投げて弾幕を張る。全て捌かれるだろうが得物の重さの差ゆえに、再不斬の先手を取っていく。一瞬、さらに加速して、視線を引きはがす。背後を取る。

 

 時間が、まとわりつくように緩やかになっていく。再不斬はまだ、振り返っていない。あと二歩の距離。

 そこで、また止まる。目の前には大刀の切っ先。顏の真横を大刀が横切る。

 

 加速が止まる。再不斬は振り向きざまに、片腕で大刀を薙いだ。

 

 一歩進んで躱す。あと一歩。

 再不斬の足が鋭く踏み込んだ。崩れた体勢から完璧な振り下ろしの一撃。

 

 カカシも先ほどよりも深く踏み込む、剣先の速度が更に上がるのが視えた。しかし、これはもう一度『視』た。また大刀の届かない右前方へ、移動する。

 

 大刀が振り終わると同時にクナイが胴を切り裂く。その一瞬前。

 

 カカシは、目の前の再不斬ではなく、自身の真横に視線を飛ばしていた。

 再不斬の刀が不自然な軌道を描いている。地面へ垂直から、水平の横薙ぎへ。

 

 そのあまりの急激な変化に、カカシの『右目』は即座の反応を示せなかった。それは、あまりにも周到な、写輪眼の死角からの強襲だった。

 

 クナイを横手に構えたが、大刀の威力を消すには至らない。

 

「オオオッ!」

「―――ッぐ!!」

 

 再不斬は吠え、カカシは呻いた。

 強引極まる横薙ぎは、カカシの身体を、地面から引きはがす。大刀に押し込まれた自らのクナイが左腕に食い込んで肉を抉る。大刀の衝撃が、全身を強く打ち付けた。

 勢いのまま、弾かれるようにして吹き飛ばされる。

 手足を地面に付いて衝撃を殺し、僅かに地を抉って、止まる。

 左腕を血が伝い、滴り落ちる。

 

「はぁ、はぁ。―――クク」

「……………」

「ああ、悪いな、間違えちまった。…………右腕をもらうつもりだったんだが」

「…………」

「どうした? 意外そうな面だな」

 

 わずかに息を荒げながら、再不斬は再び哂った。

 

「正面からの戦闘なら、写輪眼があるこのオレが負ける筈がない。―――お前の疑問はそんなところか?」

 

 カカシは驚愕を覚えていた。

『視え』なかった。再不斬の動きが、ほんの直前まで。振り下ろしたときには、確かに足にチャクラはなかった。だが、あの動きは、体重移動の面から見てもどう考えてもチャクラによる吸着を行っていなければ、『有り得ない』。

 写輪眼でも見切れない程の、超高速のチャクラ移動。つまりこれは、

 

 ―――対写輪眼用の剣術。

 

 奇襲、などとという言葉だけでは片付けられない。ただ純粋な真っ向勝負で、押し負けた。

 

「―――思い入れなんぞありはしねえがよ。忍刀七人衆の名は、そんなに安いもんじゃねえ」

 肩に刀を担ぎ直すと、荒くなった息を整える。

 膝を突くカカシを見下ろしながら、傲岸に告げる。

「写輪眼如きでオレを舐めてんじゃねえよ、カカシ」

「………如き、ねえ」

 

 その言葉は単なる挑発であるのはわかっていたが、カカシの内心には過るものがあった。

 しかしそれは表情にも気配にも見せることはない。ただ今の状況を把握することに努める。出血はあるが、傷は深くはない。とっさに跳んだおかげで骨にも影響はない。

 

 しかし、大刀のぶつかった衝撃のそのすべてを殺せはしなかった。特に左腕の力が上手く入らない。印を結ぶような術の精度はやや落ちるだろう。だが、幸い利き腕ではない。

 

「ま、驚いたよ」

 

 ただ、あの接近戦での戦闘は、やはり大刀を持った再不斬の方がより多くのスタミナを消費するようだ。追撃をかけて来なかったのがその証拠。

 

 しかし、それは微かな光明に過ぎない。

 

 少し荒かった再不斬の呼吸は、このわずかの間にほぼ通常に戻っていく。スタミナを削り切るのは、簡単な作業ではなさそうだ。

 

 …………一歩。また再不斬が踏み出した。

 

 カカシも再びクナイを構え直す。

 もう一歩、再不斬が歩みを進めようとして、止まる。

 ほぼ同時にカカシの写輪眼もまた、異変を感じとった。

 それは微かな気配。この方角は、町の方か。

 

 ―――、霧が……。

 

 

 

 

 それは、まったくの偶然だった。

 

 ただの偶然。想定外の出来事。それが喜ぶべきことなのかどうかも、ナルトには判断できなかった。

 

 ナルトとイナリの行動は、順調とは言えないものの、最悪な結果でもなかった。

 

 イナリの気迫が通じたのか、何人かの協力を取り付けることができたのだ。その人たちにも手伝ってもらい手分けして行動することで、大分時間を短縮している。

 

 積極的には動かないが、霧の正体が忍術であること、霧が出ている間は出歩かないことなど、そういう情報の伝達だけでも手伝ってくれる人たちもいた。

 

 正直、誰も手を貸してくれないかもしれないと思っていた分、安堵の気持ちが大きかった。

 

 霧が消えていないので、あくまでご近所ぐらいの範囲までしか頼めなかったが、それで十分だ。

 にわかに騒がしくなってきた周囲を尻目に、イナリとナルトは動き続けた。

 その周辺で動き回る人達もまた、ただ最善を尽くしていただけだった。

 だから、これから起こることはまさしく偶然、という他なかった。恐らく、誰にとっても。

 

「―――――うわぁ、誰だお前ぇ!」

 

 突然、悲鳴のような声が上がった。

 

「なんか変な奴がいるぞ!」

「こっちだ! あ、動いたぞ!? おい、人を呼べぇ!」

 

 近い。ナルトとイナリは顔を見合わせると急いでその場に向かった。

 辺りより一層霧の深い大通りから外れた小道。寂れた雰囲気に見えたが、そこにはすでに数人の町民が集まっていた。

 その視線は、上。丁度、トタン屋根の上に足を掛けている、黒い服の忍びが、こちらを振り返っていた。

 

「!」

「あ!」

 

 ―――再不斬の部下の奴!

 

 ナルトを見ると、慌てたように霧に紛れる。逃げられる―――、ナルトはほとんど本能だけで地面を蹴ると同じように屋根の上に躍り出た。

 いない。

 一瞬ならいけるか、その計算もまともにせずに、ナルトは周囲を覆い尽くすチャクラを放出した。   

 

 ―――――――――――――――いた。

 

 ダンッ、と屋根が凹むほど強く飛び出す。数軒先の家々の屋根伝いに移動していた忍びの男が驚愕に目を見開いた。その顔面目掛けて膝を叩き込む。

 交錯は、一瞬で終わった。男は吹き飛ぶと、隣の家の屋根にぶつかった。その勢いに耐え切れず、男ごと、屋根が倒壊していく。白目を向いた敵の忍びが落ちていくのを見届けた瞬間、ナルトは意識が一瞬、遠のいた。

 

 【阿呆】

 

 九尾が呆れたように呟いた。視界が明滅し、足元が揺れた。いや、揺れているのは自分の足だ。おぼつかない足で、何とか堪えようと、そう試みるよりも早く、力尽きる。

 

 ―――あ。

 

 下に誰も居なかったのは、ただ幸運だった。家が低く、そして剥き出しの地面だったことも。

 どんっ、と鈍い衝撃が胸を、次に間断の差もなく全身を走った。再び、視界が明滅した。

 

「―――ぐうううっ……」

 

 いや、それよりも、息が苦しい。胸に酸素が入っていかない。体を、命を、それらを構成する大事なナニかが欠けている。

 それは、一分ほどの時間だったが、ナルトにとっては永遠のように感じられた。

 わずかに、肺に空気を送り込めた。その瞬間、激しくせき込みながらも、構う事なく空気を貪欲に貪っていく。

 意識が、ゆっくりと戻っていく。

 全身を冷や汗が覆っている。一瞬、間違いなく死にかけた。

 

 ―――そうか、これが。

 

 初めての感覚に戸惑いながら、ナルトは理解した。

 

 ―――これが、チャクラの枯渇か。

 

 身体を起こす。そこで、ナルトを探すイナリの声が聞こえた。そこでようやく、自分の耳が聞こえていなかったことに気が付く。

 失態である。なにもかも。

 起き上がって、イナリの声に応えようとして、ふと気が付く。

 

 ―――霧が、消えている?

 

 

 



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27『氷晶霧中』④

 

 

 

 壁に手を付け、反対の手で顔を拭う。視界は既に、元に戻っている。

 消えている、というよりは薄まっているとでも言うべきか。わずかな先も見えなかった先ほどに比べ、今は数軒先の家ぐらいまでは見渡すことができる。勘違いというわけでもなさそうだ。

 

 イナリが駆け寄ってくるのが見えた。何人かの町人も一緒に付いてきているようで、路地裏の道が俄かに騒がしくなる。

 

「―――姉ちゃん!」

「イナリ…」

「敵の忍者は!?」

 

 信頼しきった目でそう訊ねてくるので、ナルトはややきまりが悪かった。

 

「倒した。今見てくるから、イナリはここで待っててくれ」

「うんっ」

 

 イナリの周囲の町民が驚いたようにざわつく。「まさか………」「…こんな子供が」という言葉が交わされている。すぐに化け物を見るような畏怖の視線が混じり始めた。まあ、慣れたものだ。イナリだけが、当然と言った様子で頷く。ナルトも頷き返してから、屋根が崩壊して半ば瓦礫となった家を見上げた。

 

 今落ちたばかりの屋根によじ登る。

 

 無遠慮な忍者二人が飛び回ったせいで、ただでさえ年季ものだった家の屋根は崩れ、ほぼ倒壊寸前といったところ。下手に衝撃を与えると、もう一つ大穴を開けて下に落ちていく羽目になるだろう。

 

 慎重に屋根に上がると、ナルトはまず敵の忍びが激突して崩れた家の中を覗き込んだ。未だ意識を取り戻すことなく倒れている姿が見えた。家の住民の姿は見えない。出払っているのか、そもそも空き家なのか。おそらく後者だろう。

 

 気絶したフリ、ということはないはずだ。そんな手間暇かける時間があれば、動けなくなっていたナルトの首を取るか、逃走した方がマシだ。

 

 ナルトは一旦、敵の忍びから視線を切る。

 

 ―――しっかし、これは一体どういうことだってばよ。

 

 眼前に広がる光景を見ながら、ナルトは唸った。

 両目の上に手を掲げ、目を細めて水平線を見る。

 高い場所に登って視界が変わると、先ほどよりも霧の動きがよくわかった。

 ナルトのいる場所辺りを中心に、霧が解けるように薄まっていく。それは止まることなく、広がり続けているようだ。

 

 状況から考えて、そこで倒れている敵の忍びが、なんらかの関係があるのは間違いなさそうだ。

 だが、この敵一人で霧の術の全てを担っていたとは思えない。

 術の一部に、――どういう形でかはわからないが――、携わっていたはずだ。

 理由をつらつらと、考えている内に閃くものがあった。

 

 ―――あ、そうか。チャクラだ。

 

 そもそもこんな莫大な霧の結界を一人の忍びが維持できるはずがないのではないか。それこそ、人柱力でもなければ、不可能のはずだ。己の肉体すら壊しかねないほどの有り余るチャクラを持っていたナルトにとっては、ちょっとした盲点だった。

 

 白のほかに、この霧の結界を維持している奴がいるということか。

 

 どうやらナルトは敵の結界の一部を破壊することに成功したらしい。問題は、それをまったく意図していなかったということと、それによって起こり得る状況の変化を理解しかねているということだ。

 

 結界のバランスが崩れたのは間違いない。しかしそれはどれほどのものなのか?

 霧がすべて消えるほどの大きな影響があるのか、それともこの周囲一帯が術の範囲から切り離されるだけなのか。

 

 判らない。とにかく、事態は大きく動いてしまった。

 

 頭の中を整理しながら、ナルトは次第に焦燥を感じ始めていた。状況が動くのはなにもいいことばかりではない。思考を切り上げて敵の忍者のそばに降り立つと、縄でグルグルに縛り上げる。

 

 入ったときは吹き抜けになってしまった天井から侵入したが、出るときは家の出入り口を使う。瓦礫を踏み砕きながら這い出ると、ナルトは眩しさに目を細めた。

 

 真上に上がった太陽が再び地面を照らしていた。

 霧が消え、遮るものがなくなったせいだろう。

 

 目が明るさに慣れたとき、ナルトの周囲には大勢の町民が集まっていることに気が付いた。ぎょっ、と体が一瞬固まる。騒がしいとは思っていたが、まさかこれほどの人数だったとは思わなかった。

 

 数十人、下手したら百人以上の人間が集結している。

 霧の結界が無くなったのと、ナルトが派手にやらかしたせいで周辺の住民がこの場所に集まってきているようだった。

 知らない人間から一斉に注目されて、体を固くしていたのを隠しつつ、一旦、縛った忍者を地面に放った。

 周囲からどよめきが響く。

 困惑したが、よくよく考えれば、これはチャンスだ。

 これだけの住民を説得出来れば、随分手間が省ける。状況がどのように変化しようと今やるべきことをやっていくしかない。

 

 

 

 

 

 

 ―――やられた!

 

 白は、白い部屋の中で、身に走った衝撃を感じずにはいられなかった。小さくない動揺が、鼓動を早めていく。わずかに浮かんだ冷や汗が頬を伝う。

 無力なはずの民衆をこんな方法で利用できるとは思ったこともなかった。

 

 白にとって、忍びではない者とは、それすなわち一切の戦力にならないことと同義だった。

 

 ましてやそれを利用するなどととは、考えた事すらない。

 民衆を扇動して、結界の起点を探索させるなどというまったくの予想外の発想。しかし、いざやられてみると確かに妙手であった。結界の起点の大まかな位置はナルトもわかっていたのだろう。結界の応用的な知識さえあれば、それくらいの絞り込みは可能だ。ならば、探す人間の数さえそろえば、虱潰しに探す方法はむしろ有効な手の一つだ。しかし、それを今の今まで無関係だった素人を多数従えて実行に移すのは並大抵のことではない。

 

 おそらく民衆たちも、自分たちが戦術上の駒にされているなどとは露ほどにも思わなかっただろう。白ですら、結界の『楔』を一つをへし折られるその瞬間までまったく気付くことができなかった。

 

 今だからわかることだが、ナルトは気取られないようにあえてなにも民衆に教えなかったのだろう。だからこそ、そこにあるハズの策の匂いを白は察知しそこねた。

 結界の位置を予測し、気付かれぬように近づき、気付かれぬように見つけ出して破壊する。言葉にしても、出来過ぎだ。

 

 影分身で白を足止めしたのも、すべてはこのため。仮初の安心を与えられて、ナルトの不可解な動きを、いぶかしみながら許容させられていた。

 ナルトの行動は、白の思考をすべて読んでいなければできるはずがない。今や、疑惑は確信に変わっていた。いや、これですら、また何かの布石なのかもしれない。

 

 ―――………恐ろしい子だ………。

  

 単純な戦いでは分が悪いのは知っている。だが、戦術上の戦いでは経験値で勝る自分が有利なはずだ。それですら、慢心だったのか。

 

 ………………っ。

 

 気が付かない内に、拳を握っていることに気が付いた。

 

「………………」

 

 熱くなる必要はない。自分自身の勝ち負け自体に価値はない。

 ただ、再不斬の願いを叶えるために動き続けるだけでいい。

 

 力を抜き、術式を組み直す。

 

 まだ負けたわけではない。

 ただ楔が一つ砕かれた以上、結界の維持は長くはできそうにない。

 それに、時間を作ってしまうと、またナルト側に手番が回ってしまう。そのとき、白はそれに対応することができるとは、もう思わなかった。

 

 

 

 タズナの家の付近。ナルトの影分身たちは未だ、白と一進一退の攻防を演じてきた。

 互いに攻め手を欠ける戦い故、どちらも消耗もなく、手の内も見えてこない。それは両者の目的が一致していた故の結果だったので、ナルトにとってもなにも問題はなかったが。

 

 ナルトの影分身たちは、余計な事を考えず、白の意識を少しでもこの場に釘付けることだけに集中して、動き続けている。

 

 本体の方がどうにかするだろ。と、丸投げしている、とも表現できるが。ナルト自身そっちの、なにも考えたりしない方が得意だったりするので、是非もない。むしろ今までずいぶんと慣れない作業をしていたようだったと感じるくらいだ。

 そうして、膠着してしばらくが過ぎたころ。

 

「おらよっと!」

 

 ナルトは前蹴りをぶちかまし、何度目なのか数えるのも億劫なぐらい目の氷像を破壊する。破壊してもすぐに新しい分身が送り込まれるため、特に感動はない。氷像は普通の分身よりも硬いので壊すのに拳は使えない。基本的に、足技に限定され、普通の分身を相手するよりもやや難度が高い。しかし、それももう慣れた。

 また新たな分身が現れるだろう。それに備えて警戒するが、氷の残骸が動き出すことはなかった。

 それどころか、他の氷分身もまた、上を見上げる動作をした後、動きを止めた。

 

『………………………………』

「へっ、どうしたってばよ? もう打ち止めか?」

『………………………………』

 

 ナルトは挑発してみるが、反応は返ってこない。ナルトたちは慎重に近づくと、それぞれが氷像を攻撃する。こうすれば反撃がくるはずだ。

 だが、予想に反し、すべての氷像は回避も防御も行わなかった。

 すべての氷像が砕け、力なく巻き散らかっていく。

 再生する様子は、ない。

 

 ―――どういうことだ?

 

 ナルトはわずかなあいだ、動揺する。

 白になにかあったのか? まさか本当に力尽きたわけではないはずだ。

 氷像の操作をなんらかの理由で手放した。つまりナルトの分身に構っている暇が無くなったということ。それが指し示す理由。

 

 ―――カカシ先生の方か、オレの本体の方。どちらかでなにかがあったのか……?

 

 そしてその情報を一切渡すつもりがなかった白はなにも告げることなく移動した。要するに、要するに……………。ナルトは淀みなくとは言えない速度で思考を回転させる。

 

 ―――急いだ方がいいってことじゃねえのか?

 

 だが、どちらに行けばいいのか。いやまずは分身を一体消して情報を共有する。それからだ。いや、どちらかなどと考える必要はなかった。分身を半分に分け、半分はカカシの方に行き、残りはチャクラに戻って、ナルト本体の方に帰る。それが一番早いはずだ。

 

 ナルトは決断すると、すぐさまカカシの方に向かう。

 思考に使った時間の経過は、長くもなかったが決して短くもない。急がなくてはいけない。

 

 霧の中を森を通って進む以上、どうしても時間は掛かる。敵の警戒は、この際もうやらない。どうせ分身だ。

 先ほどまでは一歩も踏み入れなかった領域に踏み入っても、白が襲撃してくる様子はない。やはり、もう白はここにはいない。

 

 ナルトは、あの白の氷像の操作の手放し方に違和感を覚えていた。まるで慌てて移動したかのようだった。余裕の無い動きに思えたのだ。

 

 ―――なんか、マズイ気がするな…。

 

 ナルトが造り掛けの橋が見える位置に移動したのは、それからもう少し時間が経ってからだった。最大限全速力で動いたが、即座にとまではいかない。

 

 まず感じたのは、凄まじい殺気。それから破壊の跡。霧が薄いのは、霧払いの結界の効果だろう。お陰で視線は良く通る。

 殺気は再不斬のモノだ。その姿もすぐに見つける。

 そしてカカシの姿も。ナルトは少し安堵しながら、邪魔にならないようにわざと大きく音を鳴らしながら近づき、叫んだ。

 

「カカシ先生!」

「! ………ナルト!」

 

 カカシもこちらに気が付いていたようだ。わずかに視線をこちらに向ける。再不斬とは今は少し距離を離して対峙しているようだ。一時間も経っていないはずが、ずっと会っていなかったような気分だ。込み上げてくる感情を押さえつつ、ナルトはまずは知っていることを話そうとして頭の中の情報を整理する。

 

「先生、オレってば……」

「ナルトすまない。オレのミスだ」

 

 カカシはナルトの言葉を遮ると、酷く、わざとらしいほど落ち着いた声でこう告げた。

 

「サクラが、………………攫われた」

 

 

 

 ナルトが到着する少し前。

 

「…………ふぅ」

 

 サスケは小さく息は吐きながら、気は抜かずに周囲を見渡す。

 視界は狭い。だが、不思議と不便だとは思わなかった。むしろ、今までよりも良く見えている気さえする。

 

 これが『写輪眼』というものか。

 

 文字通り、かつての自分とは見ている世界が違う。視界を遮る霧のその流れ、それのわずかな乱れが、むしろ敵を際立たせている。

 敵は、霧に紛れているつもりだろう。だからこそ、その事実の差は大きい。相手は理由もわからずにサスケに位置を見破られ、奇襲を迎撃されていく。

 

 何体か倒したところで、相手は近寄って来なくなった。

 

 流石に距離を取られると、位置取りを把握するのは難しくなる。だが、負ける気はしなかった。

 問題はチャクラ切れぐらいか。

 

 サスケは自分が高揚していることを認めた。明らかに今までの自分とは違う。

 ナルトは、この状況になることを察していたのだろうか。ふと、頭の片隅で考える。

 あの少女は、明らかに写輪眼の開眼方法を知っていた。そこに関しては、サスケはまったく納得をしているつもりはなかった。うちは一族ではない者が、如何にしてそんな情報を知ったのか、それはいずれ必ず、聞き出さなくてはならないだろう。

 だがそれは戦うに当たっては余計な疑問だ。今は目の前に集中する。なんにせよ、この力を使いこなす絶好の機会だ。

 

「ふっ………ふっ………」

 

 隙を減らすために短く息を吐き、そして吸うのを繰り返す。まだ長時間の写輪眼の維持は難しい。すでに少し疲れを感じてきている。だがチャクラさえ激しく消耗しなければ、まだ使い続けられるとも感じる。

 護衛対象からは絶対に離れるつもりはない。もう敵は近づいてこないかもしれない、が、それでいい。時間を稼げば有利なのはこちらだ。相手もそう思っているかもしれない。

 

 ―――悪いが、お前らの方は錯覚だがな。

 

 ナルトは今、白という忍びと戦っているはず。その結果次第で、サスケの対応も変わってくるが、まずは己の役目を全うし、ナルトの足を引っ張らないことが重要。そうすれば、そのあいだにナルトが戦況を有利に変えていくだろう。………他人を頼りにするなど、屈辱もいい所だが、それほど不快感はなかった。それが今の自分の実力だからだ。

 

 その事実を前よりは少しだけ素直に受け止められることも、サスケは認めた。

 

 もちろんそれは、それを許容し続けるという意味ではない。

 あくまで、今は、だ。

 その内心の意味をサスケ自身、深くは考察しない。ただ、あの夜にナルトと見上げた月が、なにかしらの言葉になることすらなく、サスケの胸の中で存在しているだけ。

 

「…………」

 

 霧のわずかな乱れを目の端に捉える。

 橋の根元からやや遠くに離れた水上に、霧で霞みながらも、薄っすらと人影が見えた。

  顔はこちらからは窺えない。水面に立ち、体を陸地側に向けている。今倒したばかりの敵たちと変わらない黒を基調とした忍び衣装で、その他の人影は見えない。

 

 先ほどまでと大差ないように見える敵。

 

 だが、サスケの本能が微かな警戒を発している。ただの勘などでは決してない。

 サクラたちに警告しつつ、敵を観察する。

 波打つ水面。それが、あの忍びを中心に、ゆっくりとうねりを増していくのがはっきりと見えた。

 大量のチャクラが、あそこで渦まいているのだ。

 

 丑 申 卯 子 亥 酉 丑………。

 

 状況や印から推察して、間違いなく水遁の大技だろう。その術の詳細までは看破できないが、やろうとしていることは理解できる。

 なるほど、思ったよりもしぶとかったサスケたちを前に業を煮やした敵は、霧払いの結界ごと依頼人たちをふっ飛ばしてやることに決めたらしい。

 印の速度は酷く遅い。だが、サスケ側からの攻撃は、あまりに距離が離れていて、難しい。相手もそれはわかっているようで、ゆっくりと時間をかけて大技を組み上げている。

 手裏剣の扱いにはそれなり以上の自信があるサスケでも、流石に遠すぎる。そして、近づこうにも水面歩行の術はまだ未習得だ。

 

 だが、今の自分なら、水面歩行の術も可能かもしれない。サスケはそう思った。チャクラコントロールの精度は今までにないほど高まっている。ぶっつけ本番だが、確信に近い自信すらある。依頼人から離れることにはなるが、それは一瞬のこと。一撃で敵を倒し、すぐに引き返せばいい。

 

 ――抑えていたはずの欲が、顔をもたげた。

 

 確かに敵の足止めをするだけのつもりだった。しかし、これはチャンスではないか? こんな強引な手に出るということは相手も追い詰められているということ。あの水上の敵を倒してしまえさえすれば、後はサスケ単独で敵の全滅すら可能だ。その後にカカシと合流して再不斬を叩く。

 できないことではない。

 そうすれば、そうすれば。

 ナルトも自分のことを見直すのではないか……?

 

「………ふー」

 

 息を吐く。いつの間にか、つま先に乗っていた力を抜いた。

 想像の中のナルトは怒った顔をしていた。仲間を危険に晒すことを、ナルトが喜ぶはずもない。

 悲しそうな顔じゃないあたりが、ナルトらしい気がした。こんな状況なのに、サスケはなぜか少し可笑しさを覚えた。

 それに、あの敵には、どうにも違和感がある。霧のせいでハッキリとは見えないが、なにかがおかしいと、写輪眼が警告している。

 近付く必要はない、か。

 

「結界を放棄することになるが、一旦、海岸から離れ――」

 

 サスケが言いかけたとき、その真横から誰かが飛び出していた。

 

「――サクラ!?」

 

 サスケは思わず叫び、遅れて手を伸ばした。しかし遅かった。サクラはよろけながら水面に乗ると、敵に向かっていく。敵に集中していたせいで、反応が間に合わなかった。

 

「任せてサスケ君ッ! 私がアイツを止める!」

 

 いつの間に水面歩行の術を習得していたのだろう。サスケも流石に意表を突かれ、対応を遅らせてしまった。

 

「よせ! サクラ、そいつは倒さなくていい!」

 

 焦りながら叫ぶが、サクラは止まらない。

 思わず追いかけそうになるが、それはできないと思いとどまる。

 と、同時に写輪眼が再び警告を発する。突如として周囲から、仮面の忍び達が湧き出した。

 

「きゃああ!?」

「な、なんじゃ!?」

 

 ―――ちッ!!

 

 混乱の中、サスケの判断は早かった。四体の敵の分身を、蹴りの連続ですべて弾き飛ばす。壊す必要はない。依頼人から距離を引き剥がすための攻撃。

 実体の感触はなく、すべて氷。―――ただの分身だ。

 細かい氷の破片が宙を舞う。交錯はほとんど瞬く間だったが、サスケが振り返ったときにはすでにサクラは、追いつけない距離まで進んでいた。

 敵は移動していない。

 やはり、なにかが変だ。

 

「戻れ! サクラ!」

 

 

 

 

 

 これはチャンスだ。

 待ちに待った絶好の機会だ。サスケですら手の出しようがない陸上から攻撃の届かない水上の敵。

 敵の意図は明白だ。大規模な術でこちらを吹き飛ばして陣形を破壊するつもりなのだ。

 止めなくてはいけない。しかしこちら側の主力であるサスケは、依頼人達から遠くへは移動できない。

 

 つまり、自分の出番だ。

 

 サクラはそう確信した。

 この数週間、水上歩行の訓練だけに注力した。敵と交戦しても戻るだけの体力は十分にある。もし倒せなかったとしても、少し邪魔してやるだけで術は途切れるだろう。あの規模の術を連発することはできないはずだ。

 やらない手はない。

 だが、動けない。

 以前散々思い知らされた実戦への恐怖が、再びサクラを襲っていた。

 足が震える。視線が足元に落ちる。

 

「………………………………」

 

 それに躊躇う理由はまだある。

 サスケはサクラが水面歩行の術を会得したことを知らない。

 だが、たとえもし伝えたとしても、サスケがサクラの実力を信じて任せるとは思えなかった。今まで足を引っ張ってしかいなかった現状、任せるに足る説得力はないに等しい。信頼を得ることができるとは到底思えない。

 ナルトが同じ班にいなかったら、サクラはこうまで必死になることはなかったかもしれない。だがサクラにできない多くのことも、ナルトならできてしまう。その事実はあまりにも無慈悲に、サクラを強く打ちのめす。

 今だって、ナルトがいれば、なんの問題もない。あっさり水上の敵を叩きのめして、もうすでに帰ってきている頃だ。

 そう思うと、怯えている自分が、酷く情けなく思えてくる。

 

「………っ」

 

 サスケの撤退を促す言葉を聞きながらサクラは敵を見据えて、覚悟を決めた。

 サスケの横を通り抜けると、真っすぐに敵に向かって走る。波に乗る瞬間、少し体が傾いだ。だが、慌てることなくバランスを取ると、そのまま水面を走る。

 

「サクラ!?」

 

サスケの驚愕する声が背後から聞こえた。

 怖気づく内心を無理やり無視して応える。

 敵の意表を突いたのか、まだ印を組んだまま動いていない。油断はせずに視線を相手に向けたまま、サクラはクナイを投擲する。安定しない波の上でも、過たずに相手に向かってクナイが飛んだ。これも練習の成果だ。

 

「ぐっ………!」

 

 肩口にクナイが突き刺さり、相手が呻いた。

 

 ―――あ、当たった!?

 

 命中したことに、サクラは自分でも驚いた。だが、蹲る的の肩の周りの服が赤く滲んでいる。間違いない。

 もはや術の妨害どころではない。倒せる。倒せてしまえる。

 そこに至って高揚が恐怖を消した。

 敵がひるんで動けない今が好機だ。逃げ出す前に近づいて完全に倒し切って無力化する。

 敵を逃してしまうかもしれないという焦りから、サクラは急いで敵に近づく。

 

「―――!っ!」

 

 サスケの声が聞こえたが、もはやそれも、音の連なりにしか聞こえてこなかった。

 もはやクナイを再び取り出せる体勢ではないが、拳で十分だ。このまま勢いに乗って一撃で倒す。

 ―――ナルトみたいに。

 拳を振り抜く。

 氷が砕ける音が響いた。周りの景色が、罅割れて砕けていく。

 

「――そう、キミならそうすると思っていた」

 

 その声には聞き覚えがあった。あのとき、船の上で聞いた、透き通るような声の少年。

 氷の欠片が降り注ぐ中に追い忍の仮面の少年がサクラの腕を押さえるようにして佇んでいた。

 氷の鏡に映っていた敵の姿が、バラバラになって次々と水面に沈んでいく。

 脅威を認識するだけの暇もなかった。

 

「あっ」

「………ね」

 

 聞き取れないほど小さい声で少年がなにか呟くと同時、視界が黒く染まり、首筋に鋭い衝撃が走る。意識が激しく酩酊し、立っているのもままならなくなる。

 水に沈む寸前に、抱きとめられる。

 

 混濁する意識で仮面の少年が喋る言葉が、微かに聞こえた。

 

『………交渉するつもりはありません。ボクが出す条件は二つ。今からすべての影分身を解除し、これから指定する場所に来るということ。これをナルトさんに伝えて下さい』

 ――――! ―――!!

『……受け入れるかどうかはボクには関係ありません。この子の命と引き換えにその条件なら、そう悪くない取引だと思いますけどね。あの森で待つ、ナルトさんにそう伝えて下さい』

 

 そこで完全にサクラの意識は途絶えた。

 

 




ナルト「なんかもうよくわかねえってばよ」
 白 「こういう手を打ってくるとはやはり天才か………」
カカシ「やはり、やはりか………」
ナルト「」

 


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28『氷晶霧中』⑤

「ま、待てナルト!」

 

 ナルトは、咄嗟にすぐさま分身を解除し本体に情報を伝えようとした。カカシが素早く制止の声をかけなければ、すぐにでも動くつもりだった。

 

「何だってばよカカシ先生! 早くサクラちゃんの所に行かないと!」

 

 苛立ちを覚えながら、何を考えればいいか定まらない。ここまで緊張続きだったせいで、立ち止まって考えるという行為そのものが、もう酷く鬱陶しく思えていた。

 

「まさかサクラの救出に向かうつもりなのか?」

「当たり前だってばよ!」

「…………そうか。しかし、イナリ君はどうするつもりだ。まず、落ち着いて状況を整理しろ」

 

 カカシが何時になく真剣な声で告げた。それはナルトの混乱を鎮める為の言葉だったのだろうが、恐らくカカシの意図していない理由でナルトの更なる動揺を引き起こした。

 どうしてこうなったのか。白の術のまだ知らない効果のせい、サクラの意図の理解できない行動のせい、カカシが頼りなかったせい。

 

 ―――違う。オレのせいだ。

 

『そう、覚悟だ。どのように選択したとしても、その責任はお前が負わねばならない。白を救うことなく前と同じようにするのか、危険を冒し、より良い結果を望むのか』

 三代目の言葉はなにもかも正しかった。ナルトは何度目かも分からない実感を、再び覚えた。

 未来を変えるということは、こういうことなのだ。未来を知っているということは人よりもずっと多くの選択肢を持つということ。そしてより多くの選択肢があるということは、より多くの責任があるのだ。

 そしてそれは、知らない者には決して理解できない後悔でもあった。

 未だに、ナルトは考えが足りないままだ。

 きっと、もっと良い結果があったはずなのだ。しかしそれはもう遅い。

 ナルトはもどかしさを覚えた。カカシに今ナルトの胸中を渦巻く後悔を伝えたかった。しかし、それは決して共有できない類のものでもあった。

 なにより、自己憐憫になど時間を使っている場合ではない。

 

「………お前も、そんな顔をするんだな」

「………?」

「―――時間がない。簡潔に訊こう。ナルト、お前は今は影分身だな」

「うん」

「なら今からイナリ君をこちらに連れてくることを本体の方に頼めるか」

「……いや、それは多分難しいってばよ」

「どういうことだ」

「悪いけど、こっちも色々あって………、説明すると長いんだけど」

「ホントにお前はよくわからん事をしてくれるな、危険はないのか」

「今はない、けど流石にオレ自身が長い間離れるとマズイ気がするってばよ」

 

 カカシはしばし躊躇い、そしてナルトを見た。

 

「白は、『あの森』と言っていた。その意味がわかるか?」

「………………ああ、わかるってばよ」

「そうか」

「先生オレは………」

「お前には後で聞きたいことがある。だが――、とりあえず今はいい。お前はなによりもまず第一にサクラの身を案じた。だから」

 

 お前を信じることにする。カカシは一瞬だけナルトに視線を送り、そう告げた。普段の緩い笑顔を浮かべて。

 

「ナルト。今からお前に中忍相当の裁量を一時的に預ける。これより中隊長として班を率いてサクラの救出に迎え」

「え?」

 

 予想外の言葉に一時思考が停止する。

 

「い、いやサスケまで来る必要はないってばよ。第一、合流すんのも手間が……」

「サスケは白がサクラを攫った時に使った術を間近で見ている、力になるはずだ」

「でもよ。それじゃカカシ先生の負担がヤバイってばよ」

「ナルト。お前は優秀だが、欠けているものもある。一人ですべてやろうとするんじゃない。班員の力を、もっと信じろ」

 

 ガツン、と殴られたような衝撃が走る。そんなつもりはまったくない。はずだったが、その割には胸に走った動揺は思いの他、大きかった。

 

「サクラは、大きな失敗をした。だが、その原因の一端は、ナルト、お前にもある」

 

 なんとなくは、わかる。サクラがナルトに対抗心を燃やしていることも、薄々はわかっていた。しかし、どうしてそうなったのかが、根本的に掛け違っているような気がする。それがナルトにはよくわからない。前の時と今。違うことはなにか。

 

 ――オレが女だからなのかな……。

 

 それは、何か核心に近い推察に感じられた。だが、消耗している現状で考えを進めるのは億劫だった。心の片隅に留め、今は前を見ることにする。

 カカシは親指の先端を噛み切ると、印を組んで地面に手を翳す。平らな平地に黒い文が走り、小さな輪とその中心から外部へ走る放射線を描く。

 煙が爆ぜ、カカシの周囲を守るように、大小無数の忍犬が現れる。

 

「こいつらを今からイナリ君とタズナさん達の護衛に向かわせる。こいつらと入れ替わりでお前は移動を開始しろ。幸い、お前のおかげで霧の結界に綻びができた。時間は掛からないはずだ」

「………先生、口寄せは再不斬を倒す為に必要だったんじゃないのか」

 

 確か、前回はそれを利用して霧隠れを破り、再不斬に勝利したはずだ。それを使ってしまうのはカカシの切り札が一つ減るということ。

 

「………ほんっとうに可愛くない部下だな、お前は。そんなところに、気が付くんじゃないよ」

 

 カカシは感心を通り越して呆れた様子で溜息をついた。

 

「お前にそこまで心配されるほどには、頼りなくはないと思ってるんだがな。いいから自分のことに集中しとけ。オレはタズナさん達を守りつつ、これから時間を稼ぐ。白が自棄を起こさないようにな。その間にできる限り迅速にサクラを救出し、班員『全員』の力を活用して安全を確保しろ。そっちは頼んだぞ、ナルト」

「………………押忍」

「――、相談は終わったか?」

 

 大刀を下に向けたままの自然体で再不斬は訊ねた。警戒していたナルトは、慌てずに視線を向ける。カカシは当然、会話の最中も一切油断せずに再不斬に向かい続けている。ナルトのやや前で庇うようにカカシが立ってはいるが、視界を遮ってはいない。再不斬と視線をぶつけ合う。いつぞやのような叩きつけるような殺気は感じない。

 

「行儀よく待ってくれるとは意外だったが」

「別に飛び掛かっても良かったんだがな。だが、そうなるとオレは、オレの部下が役立たずだったと判断しなければならなくなる。アイツがオレとそこの小娘が戦うべきではないと思ったのなら、まあ従ってやるさ」

「………再不斬」

「よう、小娘。色々やってくれたようじゃねえか。どこまでがテメエの読みの内だったか知りてえところだが、さっさと失せるんだな。これ以上時間を稼ごうって腹なら白の思惑がなんだろうが、オレが一人で全て終わらせる」

 

 お前の相手は白だ。そう言外に告げている。

 それはナルト自身も欲するところだ。

 このまま戦闘に雪崩込むことは、サクラの命の保証がなくなるということ。それだけは避けなければならない。

 どこまでが読み通りか、などとキツイ皮肉だ。ナルトは歯噛みしながら、拳を握りしめて通り過ぎる。

 

「わん!」

「………………」

 

 前を先導する忍犬の後を追い、距離を開けつつ横を通り過ぎる瞬間、ナルトは再不斬を流し見た。その眼はすでにナルトを捉えておらず、目の前のカカシに注がれている。

 戦闘への愉悦を眼に湛えながら、その頬を歪めている。

 再不斬に感じる『違和感』をナルトは、ぼんやりと言葉にできないまま遠ざかり、過ぎ去っていく。

 サスケにも今の会話を伝えなくてはいけない。

 背後でカカシが、口寄せ獣に指令を送る声を聞きながら、ナルトは走り出した。

 伝えた内容に、タズナ達からは当然反発はあった。命の危機を感じ極限の興奮状態であったはずであるし、忍犬に護衛をさせるということも、忍びではないものにとっては困惑すべき状況だっただろう。なによりもイナリが危険な立場にいることも彼らにとっては大きな衝撃だったはずだ。

 タズナの娘であるツナミは、流石に平静ではいられずナルトに詰め寄った。この状況でのそれはむしろ相当理性的な行動であったとさえ言えた。タズナは、驚いた様子ではあったが、年月を重ねた経験からなのか、少なくとも表面上は、それを抑えるのは早かった。ツナミを抑えると、小さく首を振った。

 

「この戦いを始めたのは、紛れもなくワシじゃ。そして、本来ならこの子達はそれに付き合う義理もなかったはず。それなら、今更ごちゃごちゃ言うこともあるまいよ。なあに、イナリはワシの孫じゃ、心配はいらん!」

  

 ぎゅっと手を握りしめ、汗を掻いた顔で笑った。

 

「それよりも早くあの子を助けに行ってやるべきじゃ。助かるうちにな……」

「………………ありがとう」

「いいや。あともう一つ。どうもお前達は妙にギクシャクしているようじゃが、もしかして喧嘩でもしとるんじゃないか?」

「う」

 

 依頼者にすら気付かれるほどあからさまだったのは間違いないが、まさか今言われるとは思わなかった。いや、任務中にギスギスしているんだから、考えてみれば当たり前だ。気まずい思いを味わっていると、タズナはいつもの老獪な老人の顔に戻ると今度はニヤリと笑った。

 誤魔化すのは諦めて、正直に答える。

  

「……仲良くしたいんだけどな、正直どうしていいかわかんねえ」

「それなら、歳をとった爺として、助言を一つ。もし仲良くしたいのに仲良くなれないとしたら、それはやり方が間違っているのかもしれんぞ」

「やり方?」

「うむ。相手が望む関係と、お前が望む関係が常に同じとは限らんということじゃ。橋を渡すときに片方の台地だけ見ても、決して橋は掛からんのと同じようにな。相手のことをもっとよく見てやるんじゃ。そうすれば、きっと上手く行く」

 

 その言葉は妙に耳に残った。

 それはタズナはこんな状況でも自分のことではなく相手のことを気遣い、ナルトを励まそうとしていることがわかるからだろう。ナルトは短く感謝を述べた。

 精悍な顔をした中型犬の忍犬に護衛を引き継ぎ、サスケと合流する。カカシからの命令を話すと、サスケは特に反論することなく了承。

 一旦、本体と落ち合うためにタズナの家に戻ることにする。

 何時までも影分身を出しているわけにもいかない。サクラの身の安全の為にも、ナルトは術を解除した。

 

 

 

 

 

 

 

 サクラの救出に向かう、その準備に掛かった時間は驚くほどに短かった。それはイナリが協力してくれたことが一番の理由だろう。ナルトがそばを一時的に離れるということに、すぐに理解を示したのだ。不安そうな顔を一瞬したものの、タズナと同じように、早く行ってやれ、と力強く告げた。

 焚きつけておきながら自分だけ途中で離れてしまうことに対する申し訳なさを感じながら、感謝を述べる。

 

 関わる全員が協力的でいてくれたからこそ、時間的な損失をすることなくナルトは最速で行動をすることができた。

 

 ここまで多くの人間に頼った以上、焦って行動して失敗するわけにはいかない。

 ナルト自身も、動揺をできる限り抑えようと努力した。相変わらず胸の中心で古傷のように鈍い痛みがぶり返していたが、逆にその痛みが精神を落ち着かせる効果があった。

 

 サスケと共に、昨夜に白と会った場所へと移動する。そこには一段と濃い霧が立ち込め、視界の利かなさはさっきまでの比ではない。

 異様な雰囲気を感じ、視界が利かないことに対する本能的な危機感から、侵入するのを拒む気持ちが湧くがサクラが人質である以上、入っていくしかない。

 分断されないように、サスケとは付かず離れずの距離でお互いを視界に入れつつ、ゆっくりと進んでいく。

 

 あっという間に、足元すら覚束なくなり始める。

 

 ナルトが苦労して歩く中、対してサスケの動きは幾分か、機敏だった。

 カカシの言う通りサスケの写輪眼はこの霧の中では非常に役に立った。いちいちチャクラを消耗しなくては索敵できないナルトと違って、サスケの場合は発動さえしていればそれで充分に周辺を把握できる。サスケ曰く、チャクラの練り込まれた霧のせいで写輪眼でも視界は良くはないそうだが、何の力も持たないナルトの目にとっては暗闇に等しい空間を、薄暗い場所程度の状態にまで軽減できるのだから、やはり凄い力と言わざるを得ない。しかもそれが血統などと、自分ではどうしようもない分野から生まれる力とあっては、そのギフトに嫉妬をしない方が難しい。才能という二文字が頭を過って、小さく対抗心が疼くのを感じた。

 

 こればっかりはもはや、条件反射に等しい。

 

 しかし当然、その力を過信してもいけない。写輪眼とて完全ではないのだ。

 ナルトは頭を切り替えつつ警戒を解くことのないように、自分を戒める。山裾に入るが、傾斜は少ない平地だ。足場は悪くないが、その分似たような景色が続いている。霧も相まってナルトは度々自分の位置を見失いかけた。

 本来なら森に入って数分の場所に、その数倍の時間をかけて遅々とした速度でようやく、やってきた。

 背の低い花畑が続く平場に辿り着く。つい先日、白と初めて向き合った場所だ。

 今は人の気配はない。

 ナルトのチャクラが届く範囲にも、何か引っかかるものはなかった。

 

「………………っ!」

 

 花畑の中心に、サクラが横たわっていた。

 鼓動が早くなる。視界がギュッと狭まる。焦れるのを抑え、更に少しだけ動くのを待ったが、何かが起こることはなかった。

 周囲の索敵をサスケに頼み、早足に近づく。 

 やや泥で汚れているが、目立った外傷はない。近づいて口元に手をやる。

 息を呑む。

 

「………………ふー」

 

 眠っているだけだ。ナルトは人知れず安堵の溜息をついた。手足を縛る簡素な拘束をクナイで切って外し、体を自由にしてやる。

 

「―――無事か?」

「うん。無事だってばよ」

「ん…………」

 

 刺激に反応したのか、サクラはゆっくりと目を開けた。茫洋と視線を彷徨わせていたが、やがてゆっくりとその焦点を目の前のナルトに合わせた。眉を寄せると、さっと体を逸らせた。

 その反応に寂しい思いをしつつ、ナルトは笑顔を作った。

 

「えっ…………」

「怪我はないか、サクラちゃん」

「……………?」

 

 状況が上手く飲み込めないのか、キョロキョロと辺りを見渡していたが、サスケの背を見るや、目を見開いた。怯えたような目をナルトに向ける。

 

「………………わ、私」

「起きたばっかのサクラちゃんにはほんとうに悪いんだけど、動けるようなら今はとにかく移動したいってばよ」

 

 ナルトがそう言うと、サクラはまた目を見開いた後、顔を隠すように俯いた。

 

「……うん」

 

 大丈夫かな? まだ痛いところがあるのかもしれない。しかしそれを指摘してもサクラが素直に答えるとも思えない。ナルトはさりげなくフォローもできるように備えておくことにした。

 

「―――ナルト!」

「ま、そうだよな…」

 

 屈んだナルトとサクラを中心に、霧を纏うように白の分身が現れた。その数は十体ほど。

 

「また会ったな、白」

 

 ナルトが声を掛けても、氷の分身たちは反応を返さなかった。ただ包囲の輪を一気に縮めてくる。

 サスケが敵に対応するが、氷の分身は技量はさほどではないが耐久力がある。吹き飛ばしや、破壊ができなかった半分以上はすり抜けてナルトに向かってくる。

 やはり対処が容易ではない、手ごわい術だ。

 だが、そろそろこの攻撃にも慣れてきた。

 ナルトは影分身を解禁すると四体に分身。サスケの止めた一方以外の三方に配置するとチャクラで加速、突撃させて、強引に吹き飛ばして距離を離す。

 ナルトの分身も、白の分身も霧に飲み込まれて見えなくなる。

 あの氷分身についてわかっていることの一つに、分身を再生させるよりも生成することの方が白は嫌がるということ。恐らくチャクラ消費の問題だろう。つまり、一度引き離せば、すぐには向かってこないはず。

 ただし、それは時間稼ぎに過ぎない。すぐに霧に無数の影が浮かびあがる、

 わずかにできた間隙を縫うようにナルトは叫んだ。

 

「サスケ! サクラちゃん! 逃げるってばよ!」

 

 

 

 

 

 来た道を戻りながら、ナルトは直観していた。

 白はナルトをここに移動させることを目的にしていた。そのための餌がサクラだったのだろう。つまり、白がサクラを無傷で放置した理由は単純で、ナルトをここに誘き寄せた段階で、サクラの役目はもう終わっていたから。

 だからこそ、解かる。

 

「…………」

 

 走っても走っても、森の終わりが見えない。

 既に数分間、真っすぐ進んでいるはずなのに一向に藪が途切れる様子がない。散発的に襲ってくる白の分身に追い立てられ、完全な直線移動ではないものの、明らかに侵入した時に比べて倍以上の長い距離を走っている。

 しかし、出口には辿り着かない。

 ナルトの息も少し上がり始めたころ、見覚えのある花畑が見えてきた。

 

「はぁ、はぁ…………なによこれ」

 

 サクラが膝に手を置きながら呆然とした声を出した。

 戦闘跡もそのままだ。間違いなく、先ほどの花畑だ。

どうやら、抜け出すどころか一生懸命に走り回された挙句振り出しに戻って来させられてしまったようだった。

 三人は敵の襲撃の危険も忘れて、しばし呆然とした。

 そこからの復活は、かつて中忍試験で経験したことのあるナルトが一番早かった。

 

「幻術だ…」

「―――なに?」

「前に雨隠れの忍びが………………えーと似たような戦法を使うって本で読んだような」

 

 中忍試験の時のことを話そうとしてしまい、慌てて誤魔化す。

 

「………………………………………成程」

 

 サスケが妙に長いような気がする沈黙の後に、そう応えた。その態度は、ついさっきのカカシの様子によく似ていた。

 この任務が終わるまでは、疑問を棚上げにする心づもりらしい。溜まった宿題の上に更にまた宿題を積み上げてしまったような気分を味わいつつ、ナルトはもう諦めた。

 

「だけどサスケ君の目だったら」

「………悪いが、まったく気が付かなかった」

「あ、ご、ごめんなさい…」

「いや……」

 

 白がそこを見落とすはずがない。そういう意味で、ナルトは落胆はしなかった。

 そしてナルト自身も一度、似たような術を経験したことがあるとはいえ、結局幻術を破ったわけではない。相手を油断させ、目の前に誘い出して、そこを叩くことで勝利した。つまり慢心を突いた戦い方だったわけだ。

 

 白相手では同じ攻略はできないだろう。

 

 幻術には複雑な種類があり、対応手段も千差万別。ナルトもまだ三代目から幻術の破り方は教わっていない。

 精々、体内のチャクラを整えて、より深い幻術に嵌められないように努めるぐらいか。

 あくまで一人で突破するのなら方法はある気がするが、今は三人。それはできない。

 

【……………………】

 

 内側で九尾の胎動を、僅かに感じた。が、それは無視した。

 

「これは推測だが…………おそらく、鏡だ」

 

 サスケはナルトを真っすぐに見てそう告げた。

 その意味を聞き返そうとしたが、また敵が集まり始めた。先ほどから包囲というほどではないが、休ませない意思を感じさせる頻度で攻撃を仕掛けてくる。

 三人は再び移動を開始した。

 走りながら訊ねる。

 

「サスケ、さっきのは…」

「白がサクラを攫った時、奇妙な光景を見た。何もないはずの空間に広がった罅割れ、それが砕けて景色が一変し、そこに奴が立っていた。アイツは変化で別の忍びに化けていたのではなく、壁のようなものに異なる映像を映して、俺の目を誤魔化しやがった」

 

 サスケがサクラが攫われた時のことを話す時、サクラは目を伏せた。それをナルトは察しながら、かけられる言葉がなかった。

 

「…………………壁って氷か?」

「さぁな。予想が当たっているとしたら、その可能性が高いが。だが、それが全てでもない」

「…………………」

 

 偽物の風景。

 それとこの濃霧に、襲い掛かってくる氷分身。そしておそらく視界に影響する幻術、それらを組み合わせて、ナルト達をこの霧の森に閉じ込めてしまう算段だったのだろう。そしてそれは、ほぼ完全に機能していた。

 ナルト達は白の思惑通り、分の悪い持久戦に持ち込まれてしまったようだった。

 

 

 

 



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29『繋ぐ手』

 幻術に嵌ってしまった以上、むやみやたらに動き回るのは愚策だ。体力を消耗する上に、脱出できる可能性は恐らく相当低い。運に任せて脱出を狙うのは命を賭けて行うギャンブルにしては分が悪すぎる。

 しかし、そう知ってはいても白の分身が一定の間隔で襲ってくるために長い時間は一か所には留まれない。

 

 何故相手は、間断なく襲ってこないのか、ナルトには疑問だった。その方が、もっとずっと早くナルト達は追い詰められていくだろう。そうされずに助かっている反面、酷く不気味に感じていた。

 

 何度目かの奇襲を突破し、ナルト達は周囲に気配がなくなったことを察して、少し息を吐いた。与えられた僅かな休息の時間だ。

 サスケもサクラも、流石に疲労感を隠せていない。慣れてしまえば分身の一体一体はさほど脅威ではないとはいえ、それでも一歩間違えればこちらを戦闘不能にするだけの能力はある。

 

 真綿でじわじわと首が絞まっていくように、削られていく。

 ナルトはもう一度、チャクラを周囲に放射した。目ではまったく見えない霧の結界の中でも、チャクラ感知による超感覚は有効だ。ナルトの脳裏に浮かぶのは、通常通りの、否、それ以上に詳細な森の景色だ。

 その中に、幾つか違和感を感じるポイントを発見した。

 先ほどからもう都合八度、ナルトはこの作業を繰り返していた。

 

「サスケ。…………三時、八時、十二時の方角だ。距離はそれぞれ、えーと……、十五、二十二、二十三だってばよ」

 

「了解」

 

 ナルトの合図でサスケが手裏剣を投擲する。寸分たがわない正確な軌道を描き、木々が無数にそそり立つ森の中、一撃も過たずに目標に命中。

 その瞬間、鏡が砕けるような、硬質な音が森の間を響き渡り、木霊する。

 

 サスケの手裏剣が、氷の薄鏡を砕いた音だ。

 

 氷の壁に映し出された偽の景色が消え、正しい景色が視界に映し出された。とはいえ濃霧のせいでそれを視認できるのはサスケだけだが。

 

「命中した。視界の変化を確認。……、やはりオレの写輪眼では、あの偽の景色は見切れないようだな」

「だけど、通常の幻術なら見切れるんだろ?」

「ああ。――ナルト、また少しチャクラが乱れている。サクラもだ」

「マジか。サンキュ」

 

 霧を介した幻術の攻撃もこれでしめて八回目だ。視界を通して襲ってくるそれは、判っていてもナルトには防ぎようがなかった。

 放置していれば、幻術に囚われて精神の錯乱をきたす。

 それ自体は微弱な力だ。しかし決して無視はできない。

ナルトは体内に意識を集中して、チャクラを循環させる。幻術は体内チャクラを乱すことで精神に干渉してくる。それは厄介なことに、被術者自身には認識できない。認識する自分自身の感覚そのものが狂わされていくからだ。それゆえ定期的にチャクラを循環させて、乱れさせられたチャクラを戻していかなければいけない。

 だがそれも、サスケの写輪眼なら初動を見切ることができる。

 ナルトは暫くチャクラを循環させてから、目を開いた。

 

 この一連の流れも何度も繰り返した結果、随分とスムーズに進行するようになった。

 

 今まで、闇雲に逃げ回って来たわけではない。

 正しい景色を認識してからできるだけ常に同じ方角へ進む。それがナルト達の出した結論だった。というよりも白を探しても見つからず、そして近づいても来てくれない以上はそれしか方法はない。

 しかし、何度やっても森の終わりは見えてこない。流石に三人にも迷いが生じつつあった。敵から逃げている時は悠長に幻術を看破している暇はなく、その分ロスが生じている。

 だがなによりも白がこの行動を見逃していること自体が、今までの動きがすべて無駄ではないかという疑念を次第に強めていくのだ。 

 

「っち。体力が残っている内に、一か八か、火遁で周囲を吹き飛ばすか?」

 

 汗と泥の滲んだ顔でサスケはナルトに訊ねた。気力はまだ衰えていないようだが、疲労を隠せていない。ナルトは首を振った。

 

「だが、敵は間違いなくオレたちの近くに潜んでいる。少なくとも、目視できる位置には」

 

 苛立ちを含んだ声でサスケは吐き捨てた。敵にいい様に嬲られている現状に、屈辱を感じているのだろう。

 

 白はナルトの近くにいる。

 

 その可能性は、ずっと前から気が付いていた。複数の術を行使しながら、それぞれの術の精度があまりに高すぎるからだ。まるで近くで逐一調整していなければ不可能だと思うぐらいには。

 

 だからこそ、サスケはその場所を燻り出す方向に切り替えるべきなのではと提案しているのだ。

しかし、ナルトのチャクラ感知にも、サスケの写輪眼にも、一向にその姿は捉えられずにいた。それが距離の問題なのか、それとも精度の問題なのかはわからない。

 あるいは、凡てが勘違いであり、白は遠くからずっとナルト達を攻撃しているだけかもしれなかった。

 

 サスケの火遁の案は、一理ある。一理あるが、それを行うにはチャクラ消費を伴う。

 

 失敗してしまった場合、サスケのチャクラが底を尽きかねない。

 サスケのチャクラ切れ、すなわち写輪眼の使用が不可能になれば、この危うい均衡は一気に崩れてしまうだろう。ナルトはサスケとサクラの二人をカバーしきれなくなり、脱出は不可能になる。

 ナルトはすでにこの結界を抜け出す方法を見つけていた。

 

 ただし、それはナルトが己の身一つしかない場合に限った。

 

 猿飛の術を応用して、敵の分身を蹴散らしながら一気に切り抜ける。目を瞑っていれば、視界を介す幻術は無視できる。チャクラ探知で絶えず周囲を把握しながら強引に突き進みチャクラ切れよりも先に抜け出す。

 この森自体は、それほど広くない。力技だが、勝算は十分にある。

 サスケと二人でも、おそらくは可能だ。ナルトがサスケを先導し、連携しながら撤退できるだろう。

 

 しかしサクラを含めた三人でいる限り、そう簡単ではない。

 

 サクラはこの霧の中では視界が利かず素早く移動はできない。幻術による攻撃も、防ぐ手立てがない。

 もし白がサクラに攻撃を絞ってきた場合を考える。その場合、ナルトとサスケは足を止めてサクラの援護に入らなければいけなくなるだろう。そうなると、逃げ切るまで必要な時間は増大し、結界を抜けるよりも早くナルトのチャクラの枯渇がする。

 

 ―――いっそイナリみたいに、サクラちゃんを背負って……。

 

 などと、考えたがそれはいくら何でも無理がある。ならば、囮でサクラを背負ったナルトの分身を大量に作り出してーーー、とこれは本当に馬鹿すぎる考えだった。 チャクラの問題が増えただけだ。

 チャクラが切れてしまった状態を経験していたのは幸運だった。アレがどれだけマズイことなのか、体感することができている。

 チャクラ放出と影分身を併用して使うのは、最後の手段だ。

 

【そうやって何時まで目を逸らし続ける?】

 

 己の内側で、九尾が嗤った。時間が止まり、黒い獣が、足元で牙を剥き出した。

 

 ―――っ、……………。

 

 ナルトは息を呑んだ。

 

 ―――なんだよ、出てこないつもりじゃなかったのか。

 

【そのつもりだったのだがなぁ】

 

 ククク、とまるで人間のように頬を歪める。

 

【チャクラの問題だと? 何故そうやって己に嘘を吐き続ける】

 

 ―――…………。

 

【そんな問題はないはずだ、そうだろう小娘。お前が勝手にそうしているだけだ】

 

 ―――お前の力を使うつもりは……。

 

 言いかけて、言い淀む。それが正論であったからだ。

 九尾の力を使ってしまえばいい。そうすればチャクラの残量を気にし続ける必要などなくなる。

 

 何故それを無視し続けていたのか。

 

 理由はあった。それは九尾と対等になる、そのためだった。

 力を利用し続ける関係では、九尾と同じ立場になど立てない。そう感じたからこそ、この体になってから初めて九尾と話した時に、そう決めたのだ。

 ただの意地と言えば、まさしくその通りだ。

 自分の言葉を真っすぐ曲げない。

 しかしそれは今までずっと、ナルトの芯であり、核であり、進むべき道だった。

 今でもそうだ。

 そこに落ちてしまった、一片の影を除いて。

 

『サスケはぜってーオレが連れて帰る! 一生の約束だってばよ!!』

 

 それは、かつて己の大切な人に誓った言葉。

 そして、もう果たせない誓いだ。

 サスケに負けて、そして殺された時に、永遠に守ることができなくなってしまった誓いだ。

 そのときから、ナルトは一つの疑念が胸に過るようになった。

 英雄などいるかいないかわからない。英雄のように振る舞ったとしても、ただ意味もなく無駄死にすることなど、世の中には有り触れている。一体どうして、自分だけはそうではないなどと言えるのだろうか、と。

 

【お前はワシの力を利用するつもりはないと言った】

 

 ―――ああ。

 

【ならば、その約束一つのために仲間を捨てるか?】

 

 ―――っ。

 

【お前に与えられた選択肢は三つだ。ワシとの約束とやらを守って他を切り捨てるか。それとも仲間を救うためにワシのチャクラを使うか。――あるいは、英雄にでもなって、全てを得るか、だ】

 

 ―――英雄…。

 

【ワシはただその答えが聞きたい。分かり切っていることだったとしてもな】

 

 以前は、すべてうまくいくと真っすぐに信じられた。

 しかし、今は違う。

 それは時折、胸を襲う痛みと同じようにナルトの中に深く根付いてしまった諦観だった。

 このままもし、無為に時間が過ぎればサスケのチャクラはじきに尽きるだろう。そうなれば、何もしなくとも作戦は失敗する。

 自分自身の意地と、重大な責任。そんなもの比べるべくもないではないか。

 既に一度は破ってしまった忍道だ。だから構うことはない。

 その内心の言葉が正しいとは思えない。しかし、世の中にはそうせざるを得ないことだってあるのだろう。『しかたなかった』、『しょうがない』と。

 

 カカシに任された以上、いやそうでなかったとしても二人の命を守る責任が、ナルトにはある。

 このまま手をこまねいても、サスケのチャクラは遠からず尽きてしまう。

 白は、それを狙っているのかもしれない。追い詰め過ぎればナルトが強硬策に出る可能性を考えて、敢えて攻め切らずにゆっくりと弱らせていこうと画策しているのではないか。

 

 だから、手立てがないなら『しょうがない』。大げさに考える必要はない。捨てるのは自分のちっぽけなプライドだけだ。

 その答えを、強く否定する自分を感じながらナルトはそう結論付けた。そこに感じる、己への問いかけから目を背けることで。

 

【…………】

 

 全てを察したように、九尾はなにも問わなかった。

 何時ものように嗤いすら、しなかった。怒りも、嘆きもしなかった。

 黒い影が消える。

 

 時間の流れが再び動き始め、景色が色を取り戻す。

 

「ナルト、どうする。このまま続けるのか?」

 

「…………………いや」

 

 躊躇う気持ちを、胸の痛みが塗りつぶしていく。

 

「今からオレが……」

 

「―――ナルト、サスケ君」

 

 言いかけて、それに覆いかぶさるようにサクラが口を開いた。

 今の今までほとんど無言だったサクラの声に、少し驚く。

 ナルトが振り返ると、サクラは悔しそうに、そしてそれ以上に辛そうに顔を歪めて、思いつめた表情をしていた。それはまたしても、ナルトの知らないサクラの表情だった。

 

「今から、今から私が囮になる。そうしたら二人で脱出して」

 

「な、なに言ってんだってばよサクラちゃん」

 

「それしか、方法なんてないからよ。このままじゃ皆死んじゃうでしょ」

 

「そ、そんなこと」

 

「馬鹿にしないでよ…………。わからないはずがないじゃない! 私がアンタの足を引っ張らせるためにここにいるってことぐらい!」

 

「そ、そんな風に思ってなんていないってばよ!」

 

「私がいなければ! ナルトはもっと自由に動ける! サスケ君だって! 私がいるからこうなってるんじゃない!! だから、私ができるのはもうこれぐらいしかないじゃない!」

 

 両腕を強く握りしめながら、サクラが叫んだ。

 一理あるとかないとか、そういう事よりもあまりにサクラらしくない言動にナルトは驚いた。

 自暴自棄とか捨て鉢なんてものは、ナルトの専売特許だったはずだ。

 前のサクラはどんなに動揺したとしてもこのように激昂したり、暴走する真似はしなかった。

 サクラは、落ち込んでいるとは思っていた。しかし、それはナルトの思うそれではなかった。

 

 あのとき、カカシとの演習の時にも思ったことだ。また、ナルトの知らないサクラの感情の動きだ。そのときは、よくわからないまま終わらせてしまったこと。

 今でも、理解できていない。

 だから、なんて声をかけてやればいいのかが、わからない。それは今だけの話ではなく、今までずっとナルトはサクラにどのように接すればいいのかわからなかった。

 

【………………どうした小娘?】

 

 ―――悪い。ちょっとだけ待ってくれ。

 

 そもそも、ナルト自身が激昂して叫ぶのは一体どんな理由からだったか。

 あまり考えたこともない疑問だった。

 自分自身のことを、あまり深く考えたことがないからだ。

 多分それは、自尊心を傷つけられたとき。

 それは、多くはサスケに向けていた感情だった。

 その理解と共に、ナルトの中で腑に落ちたことがあった。

 

 ―――ああ、そうか。そういう、ことか。

 

 わかってしまえば、あまりに単純な答えだ。

 サクラは、ナルトがサスケに向けていた感情をそのまま、今のナルトに向けているのだ。

 

 そのことへの衝撃は、大きかったのに、ナルトの心は不思議なほどに凪いでいた。

 そして、その疑問への納得はそこだけに留まらなかった。連鎖的にナルトの持つ他の疑問へ波及していった。

 

 なんで、そんな単純なことに気が付かなったのだろうか。

 

 視点を少し変えれば、そんなこと直ぐにわかっただろうに。ナルト自身、それが不思議だった。

 

 ああ、だがそれはきっと。そういうことなのだろう。

 簡単なことなのに気が付けないのは、得てして本人が見ようとしていないからなのだ。この場合もそうだ。

 

 ナルトは、戻りたかったのだ。

 

 あの、第七班の日常に。

 

 サスケが格好つけ、ナルトがヘマして、サクラが怒る。ムカつくことがあったにせよ、嫉妬したことがあったにせよ、でもそれが本当に大事だったから。だから、口先では未来を変えると言いながら、本心の奥の奥では、あの三人に戻れると信じたかったのだ。

 

 だから、サクラに何時までも前のままのサクラとの関係を押し付けて、感じるはずの違和感から目を背けていた。

 ミザルは、ナルトが前ばかり向いていると言っていた。しかしそれは正確ではない。ナルトが追い求めていたのは、ずっと過去だった。

 

 だからナルトの行動はサクラを苛立たせるのだろう。相手を見ていないのだから、当然だ。

 

 今更ながら、ナルトは思い知った。

 

 あのときの第七班にはもう二度と、永遠に、戻ることなどできない、と。それはサクラも恐らくサスケも、そしてナルト自身でさえも。

 

 ナルトはその事実を『ああそうか』、と静かに受け止めた。

 

 本当はもっと前に受け止めなくてはいけなかった。

 真っすぐに前を見て、ただ我武者羅に夢に向かって突き進むことはもうできない。考えることを決めたときに、それはもう知っていたはずだったのだから。

 そしてそれは、もう一つの事実をナルトに突き付けていた。

 

 ―――オレは、…………英雄にはなれなかったんだな。

 

 英雄はいるのか、それともいないのか、それはわからない。しかし少なくとも、自分ではないのだろう。ナルトはそれを受け入れた。

 それは決して、諦めや落胆の独白ではなかった。

 虚勢などではなく、内側から湧き上がってくる想いがそうさせたのだ。英雄になれなかった。だが、それがどうしたというのか。

 自分が英雄じゃない。そう認めることで、曖昧だった道が開けた、そんな気がした。

 ナルトは淡く笑みを浮かべた。

 英雄になれなくとも、九尾との約束は捨てない。仲間も見捨てない。

 

 ―――それなら。英雄のフリをしてやるだけだってばよ。

 

 考えて、考えて。

 良いことも悪いことも、綺麗ごとでは済まない世界だって、全部受け入れて。

 それでも自分は、自分の在りようを守り続けてやる。『自分の言葉を真っすぐ曲げない』。それを死ぬまで成し遂げ続けてやる。やれることは何だってやろう。綺麗なままでいられなくなっても、変わり続けなくてはいけなくなっても。

 

 大事な物だけは、持って居続けてみせよう。

 

【………それがお前の答えなのか? なんだそれは? 意味がわからん】

 

 困惑したように、九尾が呟いた。

 

 ―――そうか?

 

 難しいことなんてない。ただ、ナルトは道を決めたのだ。

 ならば、簡単に諦めてたまるものか。

 そうだ。何をうじうじしていたのだろうか。

 ナルトは、女になってから初めて第七班で顔合わせしたときを思い出していた。

 あのとき自分は、『火影になる』と言った。

 なんと中途半端なことか。かつての自分が見たら、きっと鼻で笑ってしまうだろう。

 あのときは言えなかった言葉を、ナルトは覚悟を持って先へ進める。

 サクラに背を向けると、先の見えぬ霧に向かって息を吸う。

 

「――ナルト?」

 

 サクラが訝し気にナルトの名を呼んだ。それに背を向けたまま、ナルトは叫んだ。

 

「オレは! うずまきナルトは! すべての火影を『超える』忍びになるんだってばよ!! だからオレはこんな霧なんてなんてことはないし、何一つ諦めるつもりもねえ!! 今すぐこんな結界なんてぶち破ってやるから白ッ、その首洗って待っていやがれってばよ!!」

 

 ナルトの絶叫が、森を木霊した。

 すっきりした。

 そうだ。自分はこうでなくてはならない。ナルトは久しぶりに気分よく笑った。それが、嘘から出た言葉だったとしても、何をしてでも本当にしてしまえば、それでいいではないか。

 振り返ると、二人はあっけに取られた顔をしていた。

 ナルトはサクラを真っすぐに見つめた。それは、女になってからは初めてやったことかもしれなかった。

 

「な、なによ」

 

「…………………足手纏いがどうとか、役に立たないからどうとか、下らねーこと言ってんじゃねーってばよ、()()()

 

「えっ」

 

 目を丸くするサクラ。ナルトはサクラに向かって今まで一度も使ったことのない乱暴な口調で、続けた。守ってやる対象としてではなく、対等の相手として認めながら。

 

「そんなこと言ってる暇があったら今自分になにができるかを考え続けろ」

 

「な、何がって…………」

 

「本当に何もできないならオレがおんぶして連れてってやるってばよ。オレにとっちゃ丁度いいハンデだ。そうするか? サクラ」

 

「ふ、ふざけないで!」

 

「なら、簡単に諦める前に何かやることを考えるんだな」

 

 そう言って、ナルトは少し馬鹿にするように笑ってやった。サクラは顔を真っ赤にして目を吊り上げた。傍目から目に見えるほどの怒気を、その全身から立ち上らせる。

 ナルトは内心で心底ビビった。頬が引きつり、今にも土下座してしまいそうになる。が、ど根性で表情には出さずに踏みとどまる。額をぶつけ合えるほど近くで、そのまま睨み合う。

 困惑からか、サクラの視線は揺れていた。だが、ナルトは決して目を逸らさなかった。

 先に視線を落としたのは、サクラだった。

 目を伏せると、サクラは深く息を吐いた。わだかまりを吐き出すように。

 

「―――わかったわよ。全部アンタの言う通り。情けなかったわね、私」

 

「ふーん。ま、じゃあおんぶは勘弁してやるってばよ」

 

「はぁ!? アンタこそ調子のいいこと言って、何か策でもあるの? なかったらジリ貧のままじゃない」

 

 しゃーんなろー! と拳を突き出しながらサクラはジロリ、とナルトをねめつける。

 ナルトは後ろで置いてけぼりになっていたサスケを見た。やや引いたような表情でナルトとサクラを見ていた。

 そういえば、サスケはまだサクラの本性を見たことがなかったはずだった。サクラはややバツの悪そうに小さく頬を染めながら、ナルトを睨んだ。

 ブリっ子よりもこちらの表情の方がずっと魅力的だとナルトは思っているのだが。

 

「大丈夫、策なら面白いのが思い浮かんだってばよ」

 




白は空気が読める子です


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30『繋ぐ手』②

 幻術破りの理屈は、血継限界まで含めてしまえばそれこそ千差万別だが、その中でももっとも多くの技法の根幹を為すのは、己のチャクラの正常化だ。

 要するに、乱れたチャクラを元の流れに戻すことこそ、幻術破りの基本であり、そして乱されないようにすることもまた、それを防ぐ為には有効な手段となる。

 ナルトが実践できるのは、その中のたった二つしかなかった。

 サクラに向かって、自分の手を差し出す。

 

「? ……なに?」

 

 サクラは怪訝そうに眉を寄せた。

 

「サクラ、アカデミーで習った幻術破りの基本的なやり方二つ、覚えてるか?」

 

 因みにナルトは三代目に改めて教えて貰っていただけで、アカデミーでのことは記憶にない。

 

「そんなの簡単よ。自分でチャクラの流れを元に戻すか、それとも他の忍びのチャクラを流してもらってそうするか、よ」

「その両方のメリットとデメリットは?」

 

 サクラはさらに怪訝そうな表情に変わったが、なにか反論するでもなく答えた。

 

「自分で流す方法のメリットは比較的簡単で、尚且つ準備がいらないこと。チャクラを練るだけでいいから。デメリットは、効力が弱いこと。他人から流してもらう方法については、――丁度その逆よ。効力は大きいけど、チャクラを流す技術の難度が高いことと、接触しなくちゃいけないから動きが制限されること」

 

 答えを確認するような視線に頷く。自分だったらこうもスラスラと解説できる気がしなかったから言って貰ったのだが、それはおくびにも出さない。

 

「自力で解除するには、どうしても時間が要る。だけどそれじゃ、相手の思うつぼだってばよ」

 

「だったらっ、……………だったら……」

 

 文句を言いかけて、止まる。ナルトが差し出した手を見つめ、何かに気が付いたように視線を上げる。

 

「……まさか」

「そう。自分じゃ駄目なら、味方に解除して貰いながら進めばいいんだってばよ」

 

 互いの身体の一部を触れ合わせながら絶えずチャクラを流し合う。そうすることで、弱い幻術程度なら無効化できるはずだ。もちろんそれは、簡単ではない。チャクラを一定の量を放出し続けるのは高度な技術だ。木登りの術よりも、あるいは繊細さで考えれば、水面歩行すらも上回る難しさかもしれない。

 サクラが即座に賛同しないのは、それが理由だろう。

 だけど、ナルトは信じていた。サクラならこの程度のことできないはずがない、と。それはただの妄信などではなく、サクラの才能と努力を誰よりも知っているから。

 だから、ナルトは背中を少し押すだけでいい。

 

「この任務で一番チャクラコントロールが成長したのは、サクラ、お前だってばよ」

 

 サクラの身体が、震えた。

 木登りの修行も、水面歩行の修行も、決して無駄だったとは思わない。その努力があったからこそ、今ここでこの行動に移れるのだから。その気持ちを、真っすぐに態度で伝える。

 だから、その先の言葉は続けない。

 ただ、待つ。

 ふと、少し前の演習のことを思い出していた。あの時は手をサクラに弾かれてしまった。今思えば、それがサクラとナルトの大きなすれ違いの始まりだった。

 決してナルトが望んでいた形ではないけれど。前と同じように、しかしまったく違う立場で、少し不安を隠しながら、ナルトは震えそうになる手を差し出す。 

 サクラは、ナルトの内心の恐れには気が付かなかったようだ。ただ己の内にある覚悟を漲らせながら、しっかりと、ナルトの手を握った。

 冷たい手だ、とナルトはとっさに思った。冷や汗と疲労ですっかり冷え切ってしまった手だった。ナルトが察したことをサクラも察したのだろう。少し頬を染めた。

 

「…………………だが、あの鏡の術はどうする?」

 

 サスケが空気を読まずに訊ねた。短い間にサスケは、立ち入り辛い内容だと理解し、それについては関わらないことを決めたようだ。鉄面皮の男はすでに、戦いにのみ集中する風を装っている。

 まあ、ナルトでもそうするだろう。色んな意味で間違いなくサスケが正しい。

 

「あれは、………ナルトにしか見切れん。チャクラの放出の為に立ち止まっていては、どのみち先ほどまでと変わらないことになる」

 

「それも考えがあるってばよ」

 

「なんだと」

 

 ナルトも別の意味で赤くなった頬を隠すようにあらぬ方角を向きながら、警戒しているフリをする。好きな女の子と手を繋ぐという行為にこんな状況ながら照れを感じ始めていた。

 

「やり方を間違えていたんだってばよ。チャクラの放出は、……何も全方向じゃなくていいんだ」

 

「…………………ふん、そういうことか」

 

 それだけで、サスケは理解したようだった。

 わかってしまえば、それは至極簡単な理屈だ。

 その盲点を作ったのは、ナルト自身が未だ、チャクラの節約という概念に慣れていないせいだ。何も律儀にあらゆる方角に向けてチャクラを放出する義理などないというのに。

 ナルトが進むべき方向、そこにだけ真っすぐチャクラを伸ばせばいい。

 

「サクラ、行けるか?」

「…………………大丈夫」

 

 流石に軽口を叩くほどの余裕はないらしい。汗を浮かべながらチャクラコントロールに集中している。

 互いのチャクラが互いの中を流れていく。

 それは不思議な感覚だった。心地よいか悪いかで言えば、あまりよくない。異物感がある。

 だが、どこかで違和感のあった視界が元に戻っていく。

 明らかに幻術の効力が薄れていく。文字通り、目に見えている。

 後は、真っすぐに突き抜けるだけだ。

 ナルトは二人に不安を悟られないよう、自分を鼓舞するように笑った。

 

 ―――これで、チャクラコントロール失敗するのが自分だったらどうしよう?

 

 

 

 

 

 ナルトたちが立ち止まった時、白はすぐには追撃をかけなかったのには理由があった。

 もちろん、あまり追い詰め過ぎて相手が自暴自棄になって困るというのもあった。しかし、一番の大きな理由は白自身のチャクラも尽きかけていたからだ。

 やはり、結界の楔を折られたのが痛かった。すでに結界の維持に費やすチャクラ量は白の回復力を大きく上回っている。

 仕留める必要はない。結界の中から抜け出す手段が無い以上、なるべくチャクラを温存しナルトたちをここに留めるだけでいいのだ。

 それで情勢は動かない。

 そう思っていた矢先だった。

 状況が、動いた。

 霧の迷宮を、強引に真っすぐ突破されていく。白はそれを『追い』ながら、大いに焦燥した。

 目で確認し、すぐに理解する。

 あんな乱暴なやり方で結界を突破するつもりなのか。

 分身を送り込むが、護衛するように黒髪の少年が破壊していく。

 鏡に映った幻の景色も、あっという間に破壊されてしまう。

 強引極まる攻略だが、有効であることを認めざるを得ない。

 まずい。このままだと、森を抜ける。

 しかし、状況を打破する手段が無い。

 この結界は対人特化の『魔鏡氷晶』とは違い、あくまで支援型だ。故に物理的な力はほとんど持たない。幻術を二つとも無効化されてはもはや為すすべがなかった。

 森を抜けても、結界の中であることには変わりないが、その場合。『気づかれる』

恐れがある。

 だからこその焦燥。

 しかし、もう打つ手はなかった。

 

 

 

 

 ナルトはサクラの手を握りながら、真っすぐに走った。

 今日はもう動きっぱなしだ。心も体もなにもかも、激流に晒されるような一日だ。体力も気力もすでに限界近い。しかしそれは三人とも同じだ。サスケも、もう写輪眼を維持するのもキツイはずだ。サクラだってチャクラはもう残り少ない。

 しかし、不思議と焦りはしなかった。

 あまりの疲れのせいか。

 隣から伝わってくるサクラのチャクラ。そして自分自身に流れる、チャクラ。それらを強く感じる。

 

「ナルト、私もわかるわ。アンタのチャクラを、確かに感じる」

「…………………」

 

 サクラの言葉に、少し驚く。それは猿飛の術で表現する所の第二段階に当たる感覚で、ナルトが数週間修行して得た技術だ。それをこうもあっさり習得されてしまうとは。

 やはり、自分は三枚目が似合いのようだ。締まりの悪いオチがつく。

 白の分身が連続して行く手を遮ってくるが、サスケが悉く、薙ぎ倒していく。何体かは突破してくるが、それは蹴り飛ばし、倒れている間に走り去る。

 身体は重いが、体は軽かった。

 

「あと少しで森を抜ける!」

 

 サスケが叫んだ。

 ナルト自身も、それを察していた。そしてたぶん、この結界にはもうほとんど謎は隠されていない。残った疑問は、白の居場所くらいか。

 それを見つけない限り、完全な勝利はない。

 もし、猿飛の術を完全に扱えれば、白を見つけることもできるのだろうか。

 

『さあね、ただ猿飛の術を完璧に扱うためには、『今』を見る必要があるのよ。それができなければ、完璧にはならないわ。アンタが次のステップを踏めるかどうかはそれ次第』

 

 任務前にミザルの言っていた言葉が、唐突に浮かんだ。

 あの時は意味がわからなかった。今もよくわからない。

 しかし、今の自分なら、何かを掴める気がした。

 真理を知った、などとは言うまい。

 ただ、自分の心から目を逸らさずに全てを正しく見据える、それが少しだけできる気がしたのだ。

 

 ―――(タナゴコロ)を広げる…。

 

 理解ではなく、実感。

 身体の外に見えない手を伸ばす幻視。

 それが、何かを掴んだ感触があった。 

 その瞬間、視界が一変した。

 

「―――あ」

 

 霧が消えた。否。目を開ける必要が無くなったのだ。霧はある。しかし、それはもはやナルトにとって関係なくなっていた。道どころではない。ナルトの意識は、遥か遠く、街の方にまで届いていた。

 もはや、広がるというより拡散すると表現した方が正しい。ナルトは慌てて押しとどめた。

 このまま広がり続けるのは、まずい気がした。

 広がっていく手を抑えるイメージを必死に浮かべる。

 

 ―――これが、じいちゃんが言っていた本当の『猿飛の術』なのか?

 

 猿飛の術の第三段階。他のチャクラを感知する状態。考えたいことは山ほどあったが、今はそんな暇はない。そうだったとしたら、この感覚が消える前にやらなくてはいけないことがある。

 ナルトは周囲に意識を張り巡らす。自分の内側にある強大なチャクラ。これは九尾の物だろう。このチャクラに意識を繋げるのはマズイと直感し、矛先を逸らす。直ぐ近くにサクラのチャクラ。小さいが、温かい。その少し先に、サスケのチャクラ。大きいが少し不安定に揺れている。そして遍く広がる、不思議な色のチャクラ。

 

 ―――これが白のチャクラなのか。

 

 言うなれば青と白が混ざり合ったようなそんなイメージ。焦り恐れそんな感情が流れ込んでくる。その意思を、慎重に手繰っていく。そもそもこれが正しい猿飛の術の使い方なのかどうかも、今は考えない。

 まるで川の流れのように、チャクラから誰かの心が流れ込んでくる。それを必死に遡っていく。

 そして、見つけた。

 

「サスケ、サクラ。―――上だ」

 

 

 




 幻術突破のシーンは原作のネジvs鬼道丸を参考にしました。


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31『砕氷』

「―――、上だと?」

「見るなよ。勘づかれるかも」

「む……」

 

 どのみち、見上げたところで今のサスケの写輪眼では見えないだろう。それは今までの結果が証明している。

 ナルトは自分と白を繋ぐ、半透明の手の幻視を、目で見ずして、見ていた。それは木々の高さを超え、霧を貫き、そして更にその遠く先まで伸びている。

 霧すら届かぬ、上空。

 白はそこから、ナルト達をずっと見ていたのだ。

 

 ―――そりゃあ、見つけられないってばよ。

 

 納得。そして感嘆。

 それは完全な意識の外だ。空間を二次元で捉え続けている限り、絶対に見つけることのできない場所だ。白はナルトの傍にいた。あるいはずっと、遠くにいた。どちらも正しい。

 これで数々の疑問も氷解していく。答えがわかった今では推察できる点はいくつもあったことにも気が付く。

 常に感じていた僅かな白の気配。一度に一箇所からしか出現しない分身。カカシから習った追跡術でも一向に見つからない白の痕跡。

 そこをもっと掘り下げることができれば、もしかしたらこの感覚が無くても同じ結論を導きだせたかもしれない。

 忍びの戦い。戦略。それはまだナルトには届かぬ領域だ。

 そういう意味で白はずっと上手だった。

 ナルトの超感覚での発見は、いわばその完璧な盤面をひっくり返すことでなかったことにしてしまった裏技。

 

「見なくていい。白は、オレ達の真上にいる」

「…………………」

「うん」

 

 サスケが首肯し、サクラが小さく呟いて同意を示す。

 

「届く距離なのか?」

「いや、普通にやったら無理だ。だからこれを使う」

 

 自分のではなく、サスケのバックパックから輪の付いた巨大な四組の鉄剣を取り出す。組み立て式の風魔手裏剣だ。

 それを手渡したとき、サスケはその感触からその意味を感じとったのか、目を見開いた。

 すぐに表情を引き締めると、疑問を呈した。

 

「この霧がある限り、オレにはアイツの正確な位置が掴めねえ。第一、何故自分で投げない」

「この距離で当てられるのがお前しかいないからだ」

「…………………だとしても、この霧をどうするつもりだ」

「それは、オレに任せろってばよ」

 

 霧は晴らす。だから当ててくれ。と、ナルトは押し付けた。無理だったらこのままカカシに合流するだけだ。一矢報いるという点では、霧を攻略した時点ですでに済んでいる。これはさらにもう一撃加えてやろうとしている、そういうことだ。

 サスケにできないなら、誰もできない。ナルトは無責任にそう放り投げた。

 やるか、やらないか。それだけを問う。

 プライドからサスケはそれ以上、否とは言わず手裏剣を受け取った。表情には女に男の矜持を盾に取られたとき特有の苦々しさが露わになっている。ナルトは見えないように小さく微笑んだ。

 これは中々に気持ちが良い。まあ、これを多用するのは良くないことだと、ちゃんとわきまえなくてはいけないことは知っている。その辺は、ナルトも男だからだ。

 白との戦いもこれで最後になるだろう。

 結果は、直ぐにわかる。 

 

 

 

 地上より数十メートルの高さで、白はナルトたちを追っていた。周囲の白い壁は、実際はさほどの質量を持たない。小さな粉粒のような氷の鏡と霧の合わさった物。これを用いて周囲の光景を映し出すことで敵の眼を欺く迷彩の役割を果たしていた。

 ナルトたちに使っていた幻術の、より精度が高い術であると表現するのが一番正しい。

 その術を用いて、白は常にナルトか、ナルトの分身の真上にいた。白が分身を操れる距離が丁度その程度までしかないからだ。 

 故に、遠くに離れすぎることはできない。

 氷分身は、チャクラをあまり使わない反面、一体一体が意思を持たない分、どうしても戦闘能力が低い。

 白にできることは、結界を維持し続けることだけだ。

 森の中にナルトを留めておく、それだけが白の勝利条件だった。しかしそれはもう叶わない。

 森を抜けられれば、もはや小さな幻術だけでは止めきれない。

 どうしようもない。

 どこで詰めを誤ったのか。考えても、白にはわからない。

 ふと、視線の先で、三人が急に停止した。

 理外の行動。白は一瞬思考が停止した。

 しかし直後に印を高速で組み替える。なんにせよこれはチャンスだ。分身をけしかけ、幻術を張り直し、少しでも時間を引き延ばす。

 その印の組み替えが終わったとき、一瞬、爆発が起こった。

 少なくとも白にはそう見えた。空気を震わす轟音が鳴り響き、そして霧が弾け飛ばされた。

 抉れた地面。薙がれて、辺り一面の木々の枝が大きく揺れる。

 一体何が起きたのか。何も分からず、白はただ下をのぞき込んだ。

 その中心で、黒髪の少年が、目を大きく見開いて真っすぐ真上を見据えていた。腕には、巨大な手裏剣が握られている。その頭が何かを探すように動き、そして止まる。

 白は目ではなく感覚で、あの特異な眼が、ぴたりと、こちらに焦点を合わせたのを感じた。

 ぞっ、と背筋に小さく悪寒が走る。

 直感と経験、両方が同時に警告を出した。しかし、それに即座に反応を返すには、白の身体はあまりにも疲労し過ぎていた。数呼吸分、体が揺らぐ。

 その間隙に、全てが終わっていた。サスケが身体を数回、回転させ、途中で体を倒し回転の軌道を変えて地面から垂直。その蓄えられた遠心力を余すことなくその手に握られた巨大な手裏剣に乗せた、まさに乾坤一擲の投擲。投げた勢いで体が宙を浮き、地面を転がっていく。

 その手裏剣は、恐るべき精確性をもって、白に向かって真っすぐに伸びてきた。

 ―――躱すことができたのは、幸運だったと云えよう。その手裏剣は白の氷霧に突き刺さり、引き裂いて、軌道を変えて、上空へ飛び上がっていった。霧が割け、己の姿が露わになる。足の真下には、口寄せ獣である鶴の巨鳥が、白日の下に晒される。

 手裏剣の行方を一瞬、視線で追ってしまった。故に、次の反応が僅かに遅れた。

 己の迂闊さを呪う暇すらなく、白は巨鳥の背を蹴って空中に躍り出た。

 巨鳥の肩口を切り裂いてもう一つの風魔手裏剣が白の真横を通り過ぎていった。

 

 ―――影風車の術か。

 

 同時に投げ、しかし片方は僅かに遅い速度で投げる技術だ。

 まさにギリギリだった。巨鳥の肩口に当たって軌道が僅かに逸れなければ、避けられなかったかもしれない。しかし、躱した。落下していく巨鳥の悲鳴を聴きながら白は油断なく下を見据えた。風が視界を遮るが、すぐさま対応し、順応する。黒髪の少年はまだ倒れている。追撃はない。ナルトは、止まったままだ。

 

「サクラ! 今だ!!」

「―――しゃ――んなろぉ――――!!!!」

 

 その声を聞いて、白はようやくもう一人の忍びがこの場にいることを思い出した。声の方に視線を向ける。一本の木に背を向けて踏ん張っているように見えた。 

 目を細めた白の真横でなにかが光った。

 

 ―――糸? 

 

 否、ワイヤーだ。緩んでいたワイヤーが張られたことで陽光を照り返してわずかに光ったのだ。それを呆然と辿り、真上を見上げた。

 白は、ナルトを調べる序でに見た資料の一つにあったうちは一族についての記述を思い出した。

 

 ―――操風車の術。

 

 ワイヤーに引かれ、一投目のあらぬ方向に飛んで行ったはずの風魔手裏剣が落ちてくる。その黒い影は遅く流れる時を切り裂きながら次第に白の視界の中で大きく膨れ上がっていく。避けるのは不可能。だが僅かに体の芯からズレている。身を捻れば致命傷は避けられそうだ。この期に及んで、白は冷静にそう分析した。死なず、そして戦い続けるために必要な行動。白は即座に左腕を体の前に差し出した。

 左腕一本の犠牲なら、まだ戦える。

 痛みと衝撃に耐える為に歯を食いしばる。

 その白の目の前で、風魔手裏剣が、弾けた。

 そこから現れたのは、金髪の少女。

 視線が合った。

 会った時から変わらず、真っすぐ揺るがない視線。

 

「白ッ」

 

 ナルトが短く叫んだ。極限の圧縮された時間の中で白はその少女に見惚れた。

 長く伸びた髪が風にたなびき、太陽の光を乱反射して、まばゆく煌めいた。

 少女の顔には勝利の笑みなど浮かんではいない。ただ、戦う者としての厳しさが宿っていた。

 少女の身体から、氷も霧も打ち払うような凄まじい生命の力が燃えている。

 その姿は戦いによる傷や汚れに塗れ、まったく身綺麗などではない。しかし白はハッキリと比類なき美しさを感じていた。

 初めて会ったときから知っている。

 まるで太陽の化身のように強い光をその身に宿している。

 この少女は、美しい。

 ナルトの握った拳が、白の仮面に振り下ろされる瞬間まで、白は動けなかった。

 

 

 

 

 鳥が下敷きになってくれたおかげで、ナルトの受けた落下の衝撃は多少緩和された。白もまた、そうだっただろう。空から半ば砕けた仮面が遅れて落ちてきて、乾いた音を立てて地面を転がり、少し離れた場所で止まる。

 哀れな巨鳥は、損傷が限界を超えたのか、煙を上げ姿を消した。元居た場所に戻ったのだろう。

 ナルトは鳥の上から身を空に投げ出され、地面に衝突した。

 緩和されたとはいえ、あの高所からの墜落のダメージは大きい。ナルトは呻きながら、なんとか体を持ち上げた。この体は分身ではなく本体だ。

 影分身でよかったはずなのに、何故、本体で突っ込んだのか。そこに合理的な理由などない。単に、自分が自分だからだ。

 倒れ伏した白を見る。

 拳をぶつけた時、一瞬、白の記憶が見えた気がした。かつてサスケが言っていた。一流の忍び同士が拳を交えると、戦った相手の心が読めるという。

 サスケのときにも感じた感覚。だが、それよりもさらに深く、強く、白と繋がったような感覚があった。

 雪国の光景。優しい両親。自分の力を知った父に母を殺され、そして自分までもが殺されそうになり、逆に殺してしまう情景。それらがまるで己の記憶の如く、ナルトの中を流れていった。その強い想いも、一緒に伴って。

 これも猿飛の術の影響なのだろうか。

 

 ―――白…。

 

 ナルトはその感情に引っ張られるように涙を流した。そしてそれを直ぐに拭った。

 

「ナルト!」

 

 離れた距離からサスケとサクラが走り寄ってくる。霧が晴れていき、視界が通る。陽光が射し、寒々しい空気がほんの僅かに和らいだ気がした。

 その直後、ナルトの足元で止まっていた白の気配が、動いた。

 

「―――ぁぁぁぁああああああっ」

 

 指が動き、呻き声を上げながら体を起こす。

 

「アイツ、まだ………!!」

「ナルト、離れろ!」

 

 サクラが驚き、サスケが警戒の声上げる。

 ナルトはその二人を、手で制した。

 二人は驚いたように、止まった。ナルトは内心で詫びつつ、白を見守った。

 やがて体を起こした白は顔を手で押さえ、茫洋とした目で、辺りを見渡す。

 

「…………………仮面。ボクの仮面。アレがないと、ボクは……」

 

 視線がうろつき、直ぐに、砕けてほとんど用の成さない仮面に目を付けた。よろめくようにそこに近づいていく。伸ばされた手。その先にある仮面を、ナルトは蹴り飛ばした。

 白は、一瞬呆然とし、そしてナルトに視線を向けた。

 その目に映るのは、紛れもない―――、憎悪。

 それを受け止める。

 

「来いよ白。仮面なんて捨ててかかってこいってばよ!」

 

 

 

 

 




次回は精神漢、肉体男の子による女の子同士のキャットファイトです。


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32『砕氷』②

 霧が、潮が引くかのように、ナルトと白を中心にして後退していく。

 白のチャクラによって維持されていた結界だからこそ、白にそれができなくなった時点で、この術は消えていく定めにある。

 まさか血継限界の使い手が二人もいるなんてことは、ない。

 つまり、白とナルトの結界を巡る攻防に関して言えば、既に勝負がついてしまっている。

 現在の残存する戦力で比べても、チャクラの激減したであろう白と、同じく消耗してはいるが三対一の数の有利があるナルト達では、圧倒的に後者が有利だ。

 理性で考えるならば、これ以上の戦闘は無意味。

 合理的な白がそのことをわかっていないはずがない。

 だが、白は立ち上がった。チャクラ不足なのだろう。その動きは緩慢で、精彩さの欠片もない。しかし、そうだというのに、武器もなくただ、拳を握りしめてナルトを睨み返していた。

 その内に激しい炎を燃やしながらも、同時に白は困惑していた。

 それがナルトにはわかった。察したのではない。文字通り、『分かち合って』しまったのだ。

 

 ―――なぜボクは立ち上がっている?

 

 流れ込んで来る意思が言葉を伴ってナルトの心を通り抜けていく。白が理性によって導き出される答えに辿り着くよりも早く、ナルトは一歩踏み出した。

 自問していたが故にナルトの接近に気が付かなった白が顔を上げたと同時に、ナルトはその頬に拳を振るった。

 無抵抗に、白はその拳を受けた。

 

「がっ」

 

 耐えることができずに崩れ落ちる。その体に宿った意思の炎も同じように揺らぐ。

 その炎に向かって、ナルトは焚きつける言葉を探して、投げつける。

 

「どうした? もう諦めるのか」

「…………………」

「再不斬に、オレ達を止めるように言われたんじゃなかったのか」

「―――っ!!」

 

 白が、蹲りながら拳を握った。内側に宿る炎がどす黒く燃え上がる。

 そのとき、ナルトはその直後の白の動きを目で見て予想したわけではなかった。かと言って当てずっぽうで動いたわけでもない。ただそう感知できた、としか表現できない。白がどう動き、どのように拳を振るうのか、それがおぼろげにナルトの意識に浮かび上がった。咄嗟に、その予想通りにナルトは身を躱した。ナルトは白が立ち上がるよりも早く身体を傾け、白が振り返って拳を振るよりも早く地面を蹴った。予想と寸分違わず、白は立ち上がると、振り返ってナルトに向かって拳を振るった。拳は空を切り、白の体が泳ぐ。

 白の動きは精彩さに欠け、尚且つ素早くもなかった。目で見ていたとしても、躱すことは容易だ。故にこの異常な感覚について察した者はナルト以外いなかっただろう。

 ナルトだけが、この異様な現実を実感していた。

 僅かに、恐ろしさを覚える。この術は一体どういう術なのか。

 

 ―――じいちゃんは、一体オレに何を教えていたんだ?

 

 今更ながら、そんな疑問が浮かび上がる。

 ただ、今は無駄な思考だ。その答えを欲しながらも、ナルトはそれを捨て置いた。

 だが突然、ナルトの思わぬところから答えが返ってきた。

 

【…………それは仙術だ】

 

 ―――ンン?

 

【仙道の術だと言ったのだ】

 

 ―――センドーの術ってなんだ?

 

【…………チッ】

 

 ―――おい。

 

 思わぬ所から回答に一瞬戸惑う。問い返すが、答えはなく、九尾の気配も消えてしまった。身勝手なことだ。だが、この状態が『センドー』の『セン術』という術だと呼ぶらしいことだけわかった。あるいは、知らない単語が増えて疑問が二つほど追加されてしまったとも捉えられるが。意味があったかどうかで考えると微妙だ。

 しかし、どうしてか、妙に嬉しかった。

 

 ―――訳わかんねーことだけ言って黙りやがって。

 

 体をよろめかせながら、白は再び拳を握り、踏み込んだ。ナルトが思考に没頭したのは僅かな時間だったが、それは戦いの最中では随分と悠長な行動だったはずだ。そのうえ疲労しているとはいえ、白は歴戦の忍びだ。だが、ナルトはまるで脅威を感じなかった。

 

「キミみたいな、キミみたい奴になにが…………!!」

 

 ナルトの感覚はまたしても白の動きを教えてくれていた。どう動くのかも、そしてどう動けばいいのかも。

 それは至極簡単な作業で、――そしてナルトはそれに従わなかった。

 大ぶりな拳が、ナルトの左頬に迫り、そして乾いた音を立てた。歯を食いしばったが、いい衝撃が響き、ナルトはたたらを踏んだ。

 

【阿呆】

 

「っぐぅ」

 

 意識が揺れる。

 一瞬あらぬ方角に向いた視線を戻すと、殴った白自身が驚いた顔をしていた。殴っておきながら当たるとは思っていなかったようだ。それを少し可笑しく思いながら、ナルトは殴り返した。

 

「おらぁ!」

 

 全力で殴ったが、脳が揺れていたせいかあまり腰の入らない一撃になってしまった。殴られ返された白も虚を突かれたようで、踏ん張れずに吹き飛んだ。

 口の中を切ったらしい、口の中に血の味が広がった。痛みはなく、鉄の味を感じたことで理解する。いつの間にか混じっていた砂利と共に血の混じった唾を吐き捨てて、口の端に垂れた血を袖で拭い、笑い、九尾に答えを返す。

 

 ―――うるせぇ。

 

 白が再び起き上がるのを待つ。

 すぐ近くで殺気が巻き上がるのを感知した。しかしそれは、白ではなかった。

 目の前から視線を切り、そちらに意識を向ける。

 サスケが、その両目を見開いてこちらを凝視している。写輪眼持ちがその目を見開いている姿には、その見た目だけで異様な迫力があった。ナルトはこんな時だったが、思わず少し引いた。

 サスケとサクラが困惑していたのは、見ずとも知っていた。その気持ちは良くわかる。しかし、白がナルトを殴った瞬間、サスケの困惑が一気に黒い炎に変化したのだ。その変わり身の早さにナルトは戸惑いを隠せない。サスケの心は、白ほどには見通すことはできない。

 怒っている、ということだけがわかった。

 この状態は、ナルトの自由自在とはいかない。今、白との繋がりを切ってしまえばもう二度と繋ぎ直せない気がしていた。

 

「サスケ、大丈夫だ」

 

 短く声を出す。なんとなく、興奮する犬を宥めている時と同じ気分を味わった。

 更なる困惑が伝わってくる。しかし、ナルトは自分の行動を変えるつもりはなかった。

 サスケは多分、あんな一撃を貰ったナルトに対しても怒っている気がした。サスケとの組手のときは、散々殴り合ったが結局一発しか貰わなかった。そういう細かいところでプライドが高いのがサスケだ。

だが、そこは受け入れてもらうしかない。何故ならこれからもっと殴られる。

 

「二人とも手出ししないでくれ」

 

「…………………なんだと」

 

「頼む」

 

「お前のそれにどんな意味がある」

 

「意味はあるってばよ」

 

「……だったらそれを説明しやがれ」 

 

「サスケ、オレを信じてくれ」

 

「…………………」

 

 困惑、動揺。その感情の波動を受け取りながら、ナルトはサスケを見つめる。狡い話だが、ナルトにサスケを説得するに足る言葉などなかった。全て行き当たりばったりだ。

これまでの実績という名の偶然の積み重ねを持って、誤解してくれることを期待するだけ。

 果たして、渋々とサスケは押し黙った。ひとまずは任せてくれるようだ。

 

「さんきゅー……」

 

 白が起き上がるのを待つ。内側に燻る火は、随分と小さくなった。しかし、それに反してその色彩は濁っていく。暗く、昏く。

 ナルトを見る目は、いまや憎悪に塗れている。

 

「なん、の、……なんの、つもりですか」

 

「さぁな」

 

「いたぶっているつもり、ですか。それともまさか、敵を殺せない、とでも、言うつもりですか」

 

「…………………………………」

 

 肯定も否定も返さなかったが、白はそれを是、と受け取ったようだ。

 

「ははは、やはりキミは甘いですね」

 

 明らかな嘲笑。

 

「それは優しさなんかじゃないですよ。ただ、自分の手を汚す覚悟がないだけです。自分が人を殺したという現実を受け入れたくないだけでしょう。そういう奴は自分の手ででさえなければ、それで満足できてしまう。その後のことなんて考えもしないで。命だけは助けてやろう、などと。……それだけで自分の慈悲深さに酔うことができるんですから」

 

「…………………」

 

「気持ちいいですか。圧倒的な強者の立場で相手に慈悲を与えることがそんなにも」

 

 白の言葉そのものも、確かに本音だろう。しかし、それは本音の上辺でしかない。

 いまのナルトには、もっと別の物を感じることができた。

 ――――、『怒れ』。『怯えろ』。『憎め』。『蔑め』。

 

『諦めろ』。『諦めろ』。『諦めろ』。

 

 言葉という装飾を剥ぎ取られ、剥き出しになった白の感情が波になって、何度も押し寄せる。それは、言葉の意味からは想像できないような、懇願にすら近かった。

 白が、ナルトがただ恵まれた人生を送っている奴だと、そう勘違いしていることは知っていた。ナルトが誰からも愛され、才能に恵まれ、不幸を知らず、苦しさを知らず、輝かしい日々を過ごしてきたと。

今更、そんなことを訂正するつもりもない。

 そうでなかったところで、ナルトは愛を知っている。

 それは白とは違う。

 

「いまのオレはチャクラが残り少ない」

 

「…………………?」

 

「体力も気力も、もうほとんど残ってない」

 

「何を言ってるんですか?」

 

「オマケにサービスで今から攻撃も避けないでいてやる。これならお前でも勝てる」

 

「…………………なにを」

 

「ごちゃごちゃ負ける言い訳言ってねーでかかってこいよ。男だろ?」

 

 ナルトも、笑って返す。嘲笑ではない。ただ楽しそうに笑ってやる。それが最大の挑発になることを知っていながら。

 

「―――それとも怖いのか?」

 

 自信に溢れ、大胆不敵に。……そういう演技をする。絶対に、諦めなどしないと、言外に告げてやる。

 言葉の上では、まるで繋がっていない、ピント外れの言葉のように見えても、白にだけはそれが解かったはずだ。

 自分の在り方は、それだけは絶対に諦めないと、そう決めたのだから。

 自分の言葉を真っすぐに曲げない。

 そういう風に在ると。

 

「何故、何故、そんな」

 

「決まってる。そうしたいからだ」

 

「ふざ、けるな」

 

 ふざけてなどいない。大まじめだ。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるな」

 

 言葉のやり取りで、土台、ナルトが白に勝てるはずもない。だからこそ、自分の土俵に引っ張り込んだのだ。

 これは言葉の戦いではない。結局どこまでいっても感情の勝負だ。

 白の端正な顔が歪んだ。まるで眩しさに目を細めるように。

 

「そんなことに意味などあるものか」

 

 ならばこれから証明していくだけだ。

 白の憎悪がこれ以上ないほど、激しく強く燃え盛っていく。

 拳を握る。フラつく体で、白に近づいていく。

 間合いに入ったとき、白は躊躇なく拳を振った。

 それは、まるで振り払うかのような、怯えた動きだった。

 ナルトはそれを、全てわかった上で、受け止めた。

 逆に殴り返す。

 意識が揺れる。視界が滲み、黒く染まる。だが、白も同じだ。

 白は悲鳴のような声で叫び、再び殴りかかってくる。ガツンと頭に響く一撃。またしても意識が飛びかける。

 一つわかったことがある。

 殴り返しながら、ナルトは実感した。

 

 ―――ヤバイ、この体、前より打たれ弱い。

 

 

 

 

 



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33『砕氷』③

 死んだと思っていたか? トリックだよぉ(ねっとり)


 


 

 

 

 白は、物心ついた頃に実の父親を殺した。そうナルトに話した。――しかし厳密には逆だ。その記憶こそが、白の始まり。父を殺す前までの記憶は、どこか霧がかかっていて断片的で夢の中のように覚束なかった。平和だったと思う。愛されていたとも思う。

 微睡の中でふと思い出すこともある。目を覚ますとほとんど忘れてしまっているけれど、暖かな日だまりのような、朧げな記憶。

 自己とは己を守る殻だ。だからこそ、きっと白はそれを必要としないぐらいに、健やかに育てられていた。

 白がハッキリと思い出せる最初の記憶は、初めて人を殺した、悍ましくも生々しい感触だった。

 鮮明な色の赤。それが白の記憶の始まり。

 そこが白という人間の自我の芽生えだ。

 それほどあまりにも唐突に、幼かった白は誰かに頼らなくては生きてはいけない幼子でいることを許されなくなってしまった。

 故に母親の顔を思い出すことはできないが、父親の最期の表情は脳裏に焼き付いて離れることはない。

 血だまりに沈む自分の妻を呆然と見下ろす顔。ふと白の方を見る感情のない顔。悲しみとも怒りとも取れない壮絶な表情でぎらつく刃物を振り上げる姿。

 

「お前は悪くない。全てお前に流れる血のせいだ」

 

 父はそう言った。

 

「お前は生きていてはいけない」

 

 父は、白を見てはいなかった。白を通して何か別の大きな物を見ていた。

 血だ。母から白へ受け継がれたであろう血継限界という力。それは忍びに非ざる者に取っては災いにしかならない過ぎた力だ。

 故に絶やさなくていけない。

 白が生まれた村では、そうすることが掟だった。

 汚らわしいものを見る目で父は白を見下ろしていた。

 白は動けなかった。ただ、ぼんやり父親を、見上げていた。危機であることすら、理解していなかった。――しかし白の体は自分を守った。

 刃物が振り下ろされる寸前に地面から湧き出した氷の柱が、父親の首を切り裂いていた。

 誰に教わったわけでもなく、それを行ったのが自分だと直感した。

 白がただの子供でしかなかったのなら、死んでいたのは白だったはずだ。

 結局、死んだのは襲ってきた父親の方だった。

 武器を持った大人の男を幼子が容易く殺せるほどの異質な力。なるほど、父は正しかった。

 血によって母は死に、血によって父を殺した。

 その時、白は、悲しみよりも罪悪感よりも怒りよりもただただ、一つの実感に打ちのめされた。それを言語化できるのはもう少し時間が経ったころだ。けれど、間違いなくその瞬間に、白はそれを理解したのだ。

 強張った父の死顔を見下ろしながら悟らざるを得なかった真実。

『白』という存在には何の価値もなく。

 

 自分は、自分の中に流れる血の、その器でしかない存在なのだと。

 

 再不斬に拾われたのもそうだ。白に流れる血の価値が、再不斬にとって有用だったからこそ、白は野垂れ死なずに生かされた。

 忍びになり、そして追い忍になったのもそう。

『忍びを殺す忍び』になるだけの才能が白にはあったからだ。

 人間を殺す感触は、耐えがたいほど悍ましかった。自分の手を赤く染める度、父のことを思い出した。

 だが、白はそれをこなし続けた。

 仮面を被り、心を凍らせることですべてを忘れた気になって。

 そして白はそれ故に、その時が来ることを覚悟していた。

 自分が才能によって人を殺すのならば。

 いずれ白自身もまた、己を上回る忍びによって殺されなくてはならないことを。

 

 覚悟していた、はずだった。

 

 なのに、何故自分は、みっともなく殴り合っているのか。チャクラは尽き、武器も術も残っていない。

 うずまきナルトは、自分よりも年若く、才能に溢れた忍だ。

 初めて会った時から、その力強い瞳に惹かれていた。

 けれど、そんな目であまりにも真っすぐに白を見てくる。それが厭わしい。それは白が初めて感じる不快感だった。どんなに術や言葉で揺らしても、決してその目を逸らすことはない。

 恐ろしかった。

 四代目火影の遺児として生まれ、三代目火影の加護の下に育った、まさしく生まれながらのサラブレット。

 猿飛の術は、猿飛に連なる者にのみ伝わる秘伝忍術。螺旋丸は四代目火影が編み出した超高難易度の術だ。どちらも、白の血継限界など足元にも及ばない本当の秘術だ。

 そして、それだけの力がありながらその性根は、驕らず、真っすぐで揺るがず、少しも後ろめたいこともない。

 この世界に愛された一握りの人間。

 まさしく英雄になるべくして生まれた存在だ。

 殺される相手として、これほど妥当な相手はいない。

 血によって生き、それを超える血によって殺される。皮肉めいて、まるであつらえたように自分に相応しい最期だ。

 こんな殴り合いなどする必要はない。今すぐにでも負けを認めて己の命を絶てばいい。そういう存在であるべくして、これまで生きてきたのだから。

 そうやって『逃げ出して』しまいたかったのに。

 ああ、だけど。

 心から響く、衝動を止めることができない。

 

 ―――だって、そんなのあんまりじゃないか。

 

 白の血継限界は、白の存在意義そのものだった。

 母が殺され、父を殺した力。再不斬に見初められ拾われた理由。

 それですら、自分の持っていないものを全て与えられた少女に勝てない。

 たった一つ、白が唯一持っているもの。白を呪い、そして生かしてきたこの力ですら、この綺麗な少女に及ばないのなら。

 一体自分は何のために存在してきたのか。

 英雄の歩く道の路傍の石ころのように、ただ蹴り飛ばされるためだけに存在したとでもいうのか。――こんな感傷など必要ない。理性はそう告げる。しかし仮面を失い、そして朦朧とする意識の中、感情を押しとどめる事ができない。

 

 ―――負けたくない。

 

 他の全てが何一つ敵わないとしても、それだけはどうしても負けたくない。

 

「はははっ!」

 

 ナルトが笑った。

 何を笑う。白は憤りを感じた。顔面は腫れ、足はもうフラフラだ。拳を受けて今にも倒れそうになりながらも、楽しそうに笑っている。

 意味が分からない。何一つ楽しくなどない。

 殴り返され、意識が一瞬飛ぶ。

 

「来いよ白! オレってばまだまだ全然余裕だっってばよ!」

 

 嘘だ。今にも倒れそうなくせに。

 肉体的にはそこまで強い子ではない。

 なのに、有利を捨てて真正面から殴り合っている。馬鹿だ。

 だけどこの少女がそう言うと不思議と本当にそうなのかもしれないと、思ってしまう。それもまた腹立たしい。

 意識が明滅する。

 

「オレに負けたくないんだろ! なら」

 

 口上が終わる前に意地で殴り返す。

 負けたくない。そうだ。その通りだ。

 せめて戦いでだけは負けたくない。

 

 ―――そうか? 

 

 疑問が巡る。

 気付いてはいけないことに気が付こうとしている。

 それ以上は駄目だ。考えてはいけない。

 頭に登った血が心臓に戻らずにぐるぐるとその場で巡っているような気がした。父親の死顔が思い浮かぶ。

 父だけではない。次々と今まで殺めてきた人間の最期の顔が走馬灯のように浮かんでは消える。

 自分の為に何人殺したと思っている? 

 今更だ。許されていいはずがない。

 

「違う……」

「―――違う?」

 

 自分でも何を言っているのか、思考に追いつかない。

 この少女があまりに無遠慮に土足で白の内側に入り込むから。意識が朦朧としているから。

 ただ、これ以上続けてはいけないことだけはわかる。取り返しのつかないことを口走ろうとしている。

 続けてはいけないのに、ナルトはただ真っすぐに白を見ていた。それだけで、留める意思が解けてしまいそうになる。

 視線を彷徨わせる。

 仮面を探す。だが、見つからない。言葉が止められなくなる。

 

「本当はそれすらどうだってよかったんだ」

 

 言うな。

 

「ボクは」

 

 言うな。

 言ってどうなる。

 許されない。意味がない。ただ後悔するだけだ。

 それはわかっているのに。

 

「……………………ただボクは誰かに言ってほしかった」

 

 誰でもよかった。たった一人だけでよかった。

 血や才能の器としてではなく、便利な道具でもなく、ただの白として。

 そんなものは関係ないと。

 

「お前はここにいていいんだって、―――そう誰かに言ってほしかったんだ!!」

 

 ああ、気が付いてしまった。

 認めてはいけないことを、認めてしまった。

 気力と共になにもかもが抜けていく感覚があった。

 心の奥の奥に必死に押し込めて。

 誰にも、再不斬にも、自分にすら隠してきたのに。

 何という自分勝手な悍ましい願いだ。道具であろうとして、どれだけの人を殺めてきたのか。再不斬を理由にして、仮面を被って。

 なのに、縋ってしまった。救われたいなどと、思ってしまったのだ。この少女と話していると、それに手が届きそうな気がしてしまったのだ。

 忍びとして道具として生きてきた自分がいたことは、決して消えないのに。

 白以外にわかるはずもない言葉だ。

 

「わかった」

 

 ナルトは何も訊き返さなかった。変わらずに白を真っすぐに見ていた。

 

「任せろ」

 

 そう短く告げて、容赦なく白を殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死にかけた。

 意識は飛び飛びで、心なしか奥歯もぐらぐらしている気がする。口の中は血反吐塗れだろう。頭を支える首も、引きつったような痛みを発している。なにがどう痛いというよりも全身が痛い。

 今すぐにでも倒れ込んでしまいたい。

 

「ナルト!」

 

 サクラとサスケが走り寄ってくる。

 

「サ」

「馬鹿!」

 

 ナルトが何か言うよりも早くサクラによる罵倒が飛んできた。疲労困憊なのか、サクラも今にも倒れそうだが、怒鳴り声にはまだ張りがあった。

 

「いきなり殴り合いなんかして! 一体どういうつもりだったのよ!」

 

 ごもっともだ。返す言葉もない。

 痛々しそうにナルトの顔を見る。

 

「ああ、こんなに傷だらけになって……」

「ごめん。心配かけた」

「……どんな理由があったかは知らないけど、アンタは忍びだけど一応女の子でもあるのよ。自覚ないの?」

 

 残念だがそれは全くなかった。この傷もどうせ九尾のチャクラで治るからどうでもいいとすら思っている。

 

「サスケもさんきゅーな」

「……………………」

 

 サスケがサクラを押しとどめてくれたのは横目に見えていた。サスケは背を向けて、白の方に歩いていく。表情は見えない。まさか殺しはしないだろうが、なんとなく不安だ。

 目で追っていたが、ただ捕縛するだけのようだ。

 

「…………サスケ君すごく苛立ってたわよ」

「え?」

「なんでもない」

 

 その場に強制的に座らされる。

 呆れたような顔でサクラが血を拭い、消毒をしてくれた。手際がいい。

 

「はぁ。ま、でもこれでわたし達の仕事は終わったのよね」

 

 作業がひと段落するとサクラは息を吐いた。

 疑問ではなく、自分自身に向けて呟いたようだ。

 

「いや」

「―――いや?」

 

 ナルトの否定に不思議そうに首を傾げた。言葉の意味そのものがよくわからないと言った顔だった。

 ナルトは応えずに立ち上がると、目端に映っていたある物に近づいていく。

 

「まだやることがあるってばよ」

 

 拾い上げる。白が付けていた、頬の辺りが砕けて壊れたお面だ。土汚れを払い、掌でくるくると回して状態を確認する。

 一応、まだつけることはできそうだ。

 

「やることっていったい何よ」

 

 サクラがやや警戒したような声で訊ねた。

 お面をかぶったナルトはなんてことないように答えた。

 

「――――――鬼退治」

 

 

 

 




 ちなみに今回の殴り合いのイメージは酎vs浦飯のナイフエッジデスマッチをちょっと可愛くした感じです。


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34『露払』

 

 

 

 結界が崩壊し、少し時間が経った頃。

 カカシと再不斬は、『それ』をほとんど同時に感じとっていた。結界の均衡が崩れていく前の、漣のような、わずかな前兆。二人の歴戦の忍びの、命懸けの戦いで研ぎ澄まされた感覚が、それが間違いではないことを告げていた。

 一度目の戦いの結末によく似ている。

 故にお互いの動揺は薄かった。

 意外じゃなかったわけではない。三人の力を合わせて乗り切れとは言ったが、まさか乗り切るどころかあの状態をひっくり返して敵を打ち倒してしまうとは。

 何があったのか、どんな経緯でこの結果に導かれたのか、カカシにはまったく伺いしれない。

 どうしてこう、あの少女はいつも想像の範疇に収まってくれていないのか。カカシは安堵と、呆れを、僅かな空恐ろしさと共に覚えた。だがその内心の結びの言葉は当然、決まっている。

『よくやった三人とも』、だ。

 

「……あぁ。敗けたかあいつは」

 

 再不斬は誰に言うでもなく、呟いた。

 厳密に考えるならば、そう決めつけるのはまだ早計だろう。今わかっているのは結界が壊れたという事実だけだ。戦いの勝敗が確定したと判断するのは、まだ早い。

 だが、再不斬はそれを否定した。

 そこには甘えた希望を許さない、忍びとしての厳しさがあった。

 あるいは信頼か。白という少年が、戦う力を残していながら結界を解いてしまうような失態を犯すはずがない、と。

 いずれにせよ、互いに手札を出し尽くし、そして結果は返ってきた。

 二人の忍びは、それをただそれぞれの結論で受け止めたのだった。

 

「まあ、──しょうがねえな。あの小娘が白を上回った。ただそれだけのことだ」

「……思ったよりも寛大な言葉だな」

「白はまさしく道具そのものなんだよ。何時いかなる時でも揺れることなく冷徹に、実力のすべてを発揮できる。そういう風にオレが仕込んだ。だからこそ運が悪かったとか実力を発揮できなかったとかいう言い訳は挟む余地がねえ」

「……あの子の安否は気にならないのか?」

「二度、機会は与えた。それでも役にも立てねえ道具なんぞに興味はねえよ」

「…………」

「テメエの左目と同じようなもんだ。自分には無い血継限界という力を持っていた稀有な道具だった。だから欲し、手に入れた。ただそれだけだ」

「そうか」

「だから、しょうがねえ。テメエを殺した後で、白とやり合って消耗したあのガキどもを殺しに行く。それですべて──」

「再不斬、もう黙れ」

 

 再不斬の言葉は、忍びの価値観としては正しい。だが、そうだったとしても、その語り様は酷く目障りだった。

 自分の部下を道具と言い切り、そしてカカシの写輪眼もそれに等しく侮辱した。

 左目の写輪眼は、カカシの誇りだ。自分自身を如何ほど貶されたところで、この左目へのたった一つの嘲りに勝ることなどない。

 そして写輪眼と共に託された『言葉』もまた、カカシのもっとも深い所に根付く信念となった。

 意図していなかったとしても、再不斬はカカシの誇りを嘲り、カカシの信念を吐き捨てた。

 だがそんなことを目の前の男に伝えるつもりなどない。

 ただ、また一つ、相手に容赦する理由がなくなった。

 どのみち、この男は野放しにして置くのは危険すぎる。

 カカシやナルトたちはもちろん、この波の国の人々にとっても。

 生かしておく理由はなく、そして生かしてやるつもりもない。

 カカシは殺意を留めるのを止めた。ナルトたちの状況が分かった今、もはやカカシを縛る条件はなにもない。全力で目の前の敵を仕留めにいける。

 

「もうお前の長話は聞き飽きた」

「…………ふん」

 

 再不斬はカカシの殺気を受けて少し目を見開いたが、それだけだった。ただ、頬を歪めて嘲るように嗤った。

 

「そのザマでよくそれだけの口を叩けたもんだ」

 

 己の勝利を半ば確信した、余裕。

 そしてそれは決して侮りなどではない正当な理由があった。

 人質の無事が確認できるまで戦いを長引かせるカカシの目論見は成功した。しかしそれには当然、上忍一人相手に時間稼ぎをするための対価を支払った。

 体力、精神力、そして術。

 写輪眼の連続使用による体の異変。本来の持ち主に非ざる肉体への負荷はすでに精神で無視できる範疇を超えている。

 加えて、対霧隠れの忍び用の術でもあった忍犬の口寄せは既に見せてしまった。

 最後の切り札だけは未だ切っていない。だが、こと、この戦闘に於いての客観的な有利不利は明らかだ。

 違いがあるとすれば、先ほどまでと比べて条件が一つ変わっている。

 

「ふっ!」

「オォッ!」

 

 カカシが踏み込み、そして再不斬が迎え撃った。

 消耗を感じさせない鋭い踏み込みが、再不斬の大刀の領域を大きく侵した。だが、再不斬の斬撃の速度は、さらにそれを上回る。初動で遅れたはずの大刀が、カカシがクナイの間合いに入るよりも早く振り切られる。異常な剣速。初太刀を、身を捻って躱す。二撃目の間髪入れない横薙ぎを、溜まらず下がって躱す。容易に、間合いを突き放される。三撃目の振り下ろしは、躱せずに両手のクナイで受け流す。しかし大刀の重さを全ては流しきれず体が沈み、片膝が突く。

 重い衝撃で濁る視界の端で、再不斬の横薙ぎが迫るのが見えた。

 カカシの胴体を消し飛ばす幻影。当たれば、現実になるだろう。

 その斬撃に加速が乗る瞬間の、刹那の前。カカシは両手のクナイを投擲した。

 狙いは首の動脈と胴体。同時にカカシは一瞬、完全に無防備になる。再不斬と視線を交わす。驚愕、動揺、怒り。それに対し、カカシは覚悟を持って返した。目まぐるしい感情が一瞬で流れる。先ほどまではやれなかった命の駆け引き。大刀が、遮る武器がなくなったカカシの横腹に迫る。

 互いの脳裏に無数の選択肢が次々に雷鳴の如く走り抜けて消える。

 再不斬は一瞬の躊躇いの後、加速が乗ってしまった大刀を強引に引き戻しクナイを受けた。

 カカシは当然、その隙を逃さなかった。

 地を抉る勢いで前に飛び込む。再不斬の間合いを密着することで完全に潰し、左手で大刀を押さえ、鳩尾を右拳で抉り、下がってきた顎を掌底でかちあげる。血反吐が巻き上がった。逃がさない。さらに詰める。再不斬の反撃の左拳の裏拳を後頭部を掠めながら屈んで躱し、カウンターで顔面に一撃。

 再不斬がのけ反り、一歩後退する。

 そこでようやく再不斬は首切り包丁を手放した。地面に落下する寸前に、再不斬が大刀の峰を蹴り上げる。カカシの手首を切り上げる軌道。追撃の動作が止まり、掴んでいた手を離す。再不斬はすぐには柄を持たずに刀身を掌で一度回す。反動を付け、柄を握り込んだ時には即座に大刀を振れる状態に入る。

 

「……………………」

 

 血と憎悪に塗れた悪鬼の表情でカカシをねめつけた。

 同時にカカシもクナイを取り出し終える。

 再不斬が大刀を振るった。霧が割け、遅れて破れた空気が破裂する鈍い音が響く。ギリギリの距離で躱す。躱し切れず、僅かに皮膚が裂けた。カカシの反撃よりも速く、再不斬の大刀が振られる。また辛うじて躱す。もはや再不斬の剣戟の速度にカカシは付いてこれなくなっていた。大刀という巨大な武器を振るう再不斬の方が軽装のカカシよりも速いという異常な光景。

 連撃に切れ目などなく、それどころかさらに加速していく。

 もはや受け流すのも至難。しかし、カカシはその嵐の中を退こうとはしなかった。ギリギリの距離を保ち、斬撃を紙一重で躱し続ける。再不斬が首切り包丁を振るう度、僅かに身を削られながら、しかし退かない。

 隙とも呼べない、小さな間に強引に反撃を捻じ込む。クナイの切っ先が当たるか当たらないかの小さな傷。

 それは再不斬にはまるで致命傷には至らない。血が滲み、僅かに垂れる程度。

 動きに支障はでない。しかし、カカシは構わずに積み重ねる。

 互いに、体中を削り合っていく。

 肉を削らせ、肉を削る。

 どちらの体力が尽きるか、あるいは集中力が途切れて致命傷を喰らうまで。

 

「テメェ…………!」

 

 遅れてカカシの狙いに気が付いた再不斬から忌々しそうに悪態が漏れた。

 この小さな相討ちを続けた結果に待つ、未来の予想図。

 例え、カカシに勝つことが出来たとしても、それで終われるわけではない。そのあとに戦うべき相手も、果たすべき仕事も残っている。

 白がまだ健在なら、こんなことにはならなかっただろう。

 だが、現実はナルト達が勝利し白は敗北した。

 故に再不斬は余力を使い切るような真似はできないはずだ。

 無論、カカシはここで死ぬつもりはない。ただ、己の命を、確実性の無い賭け台に、そっと乗せたのだった。

 出目の分は五分。

 しかし状況は悪くない。

 初めて、再不斬の表情に焦りが僅かに浮かんだ。

 それを振り払うように、再び、斬撃の嵐が吹き荒れる。一撃一撃が必殺の技術と力が込められた、触れるものを残らず切り刻み、人に当たるならば血霧にすら変えてしまいそうな恐るべき嵐だ。

 だが、カカシはそれを悉く躱し続ける。

 そこで、ようやく再不斬の斬撃が乱れ始めた。

 一つ一つは、僅かな隙だ。しかし、それは歴戦の忍びの拮抗した白兵戦においては大きな差となる。

 

「ぐぅ……!」

 

 大刀を横に振り切った再不斬の体が、堪えきれずに横に振れる。

 横薙ぎを屈んで躱したカカシは完全に一手、上を行った。次の一撃に、再不斬は間に合わない。

 そこで、カカシはクナイを振り上げ──―。

 放てる状態のはずではない、再不斬の神速の斬撃が割り込んだ。

 対写輪眼の、斬撃。

 カカシのクナイはすでに加速している。クナイでの受けは間に合わない。

 再不斬の表情に、堪えきれない愉悦が浮かぶ。脳裏に走るのは、両断されたカカシの姿か。目尻を歪めて哂うその顔は、笑顔というよりも獣の相貌がたまたま人間の表情に似ていただけの、笑顔とは似て非なる別のナニかといった方がまだ理解出来る、狂喜の相。

 悪鬼が口を歪めて嗤う。

 必殺の一撃を、カカシの手甲に阻まれるまでは。

 カカシの手甲は再不斬の力が大刀に完全に乗り切る位置よりも手前で、それを受け止めていた。

 それでも左手の手甲は切り裂かれ地肌を抉る。右の手甲は衝撃で撓む。だが、そこまでだった。

 再不斬が驚愕の表情を浮かべた。

 

 ──ま、写輪眼『如き』を舐めすぎたな。

 

 声に出さずにカカシは意趣を返した。いくら必殺の一撃だろうと、来るタイミングさえ読めれば、写輪眼に見切れない攻撃など存在しない。

 再不斬が晒したのは、振り切るはずだった大刀を不自然な位置で止められた、隙だらけの姿だった。再不斬が思わず押し返そうと腕に力を込めた瞬間をカカシの写輪眼は逃さなかった。あえて力を抜き、逆らわずに受け流してやる。想定していたはずの抵抗がなくなった再不斬は今度こそ本当に大きく身体を揺らめかせた。大刀の先端が、力なく地に付いた。

 カカシは左のクナイを手首のスナップで素早く鋭く投擲した。

 再不斬は後ろに体勢を大きく崩しながら、顔を逸らして避ける。

 同時にもう一本の右腕に残ったクナイを再不斬に向かって切り上げた。地から浮いた足はもはやいかなる迎撃も間に合わない。

 首に向かっていったそれを、辛うじて再不斬は右腕で受けた。

 肉を抉り、硬い骨に当たる感触。

 

「があああああああ!!」

 

 再不斬は吠えた。クナイを持つカカシの腕を掴むと、その剛力で無理やり振り払うように投げ飛ばす。鮮血がまき散る。

 カカシは受け身も取れずに地面を転がる。

 勢いが止まると、手を付き、体を持ち上げる。精彩はない。

 身体が鉛のように重かった。

 

「ぐぅ!」

 

 左目を押さえる。写輪眼から発する鋭い痛みが限界が近いことを告げていた。

 距離が離れたのは、むしろカカシにとって都合が良かった。

 持久戦に持ち込む素振りは、ただのブラフだった。本命は写輪眼の使用限界ギリギリの短期決戦だ。そしてカカシは賭けに勝った。

 額当てを下ろし、写輪眼を隠す。そうした瞬間に、どっと、今までのすべての疲労がその体に伸し掛かってきたようだった。身体を支える腕が、震える。

 写輪眼は使えてあと一回。『切り札と併用』して一瞬だけ使えるぐらいか。

 だが、それで十分だった。

 カカシは残った右目で前を見据えた。

 右手を押さえた再不斬が、歯を食いしばり、汗を流しながらカカシを睨んでいた。固く掴んでいたはずの首切り包丁は、地面に投げ出されている。 

 

「あぁ、『借りを返す』、だったか? 悪いな再不斬、これで二度目だ。───そして三度目はない」

「テメェ……!」

 

 再不斬もカカシに欺かれたことを理解したようだ。カカシにまんまと嵌められ、利き腕を潰されたことに。

 再不斬は痛みに顏をしかめながら、ゆっくりと左手で再び、大刀を拾い上げる。利き腕を失ってなおその長大な武器に拘るその在り様は、愚直か、あるいは誇り故か。

 互いに荒い息を吐きながら、決して相手から視線を逸らさない。

 一分。二分。相手の隙を窺いながら己の呼吸を整える。

 恐らく。次か、その次の交戦で、どちらかが命を落とす。

 この場に誰も居なくてよかったと、内心でカカシは思った。

 この戦は旧い時代の忍びの戦いの在り様だ。

 鍛えた身体と精神と術、そして血脈に培われたすべてを、ただ敵の命を奪う為だけに使う。

 なんとも下らなく馬鹿馬鹿しいことか。

 今を生きる忍びには似つかわしくない。似つかわしくあって欲しくない。

 今がまだそういう時代の只中で、そしてこの思想がただの理想論であるとわかっていても。やはり、カカシには新しい世代には、こんな死闘が遠い過去になっていて欲しいと、そう思う。

 終わらせよう。

 状態は、ある程度、整った。

 体に力を込める。万全には程遠いが、動く。

 

「……………………」

「…………」

 

 足先に力を込め、踵を浮かす。

 意識が張りつめていく。互いに。

 そしてカカシが足を踏み出そうとした、その時。

 近くの家屋の屋根に何かが降って来た。

 いや、誰かが。

 その姿を、その仮面を見た瞬間にカカシは思わず、戦慄した。

 まだ僅かに薄霧が残り、十数メートルの距離でも視界が少し通らないがそこに誰かが立っているのは間違いない。

 

「白、────いや」

 

 再不斬が、言いかけて否定する。

 カカシはその全貌を確認できた瞬間、思わず叫んだ。

 

「ナルト!」

 

 何故か、うずまきナルトが、あの少年の仮面を付けその場に立っていた。

 砕けて鮮血に染まったその白い仮面に遮られて、その表情は窺えない。よほど急いで移動したのか、肩で息をしている。

 どうして? 

 カカシの脳裏に浮かんだのはそんな曖昧な疑問だった。それはどうしてこれほど早くやってきたのか、どうして二人は一緒じゃないのか、どうしてその仮面を付けているのか、という複数の問いを合わせたが故の疑問だった。

 ナルトはただじっと、二人の方を向いたままただ立っていた。

 

「…………」

 

 短く、何かを呟いた、ように聞こえた。しかしそれは意味のある形ではカカシの耳に届かなかった。

 

「───よぉ、再不斬」

 

 ナルトがそう言った時、カカシは思わず耳を疑った。それはナルトらしからぬ、傲岸な響きがはっきりと籠められていたからだ。

 そのまま嘲るように、ナルトは吐き捨てた。

 

「白は、死んだぜ」

 

 

 

 

 

 

 




 
受け継がれる卑遁


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35『氷細工の仮面』

 今回の文字数は?

 答え 約一万三千文字や

 
 ※覚悟して読んでください


「白は、死んだぜ」

 

 冷え冷えとした、低い声。軽やかな動作で下に降り立つと、その血に染まった仮面を再不斬に向けた。ゆっくりとした動作で歩き始める。

 カカシの横に並ぶ。カカシは感情の映らない仮面を見上げた。立ち止まることなく、ナルトは歩き過ぎていく。

 その背に、カカシは呼び掛けた。

 

「ナルト! 二人は……」

「大丈夫」

 

 ほんの一瞬だけ、その表情の読めない仮面が振り返った。

 カカシの懸念に、ナルトは短い返事で返した。

 

「二人とも、無事だってばよ」

 

 その言葉に、ひとまず、安堵する。

 と、同時にもう一つの疑問が喉をせり上がっていく。

 

「──白が死んだ、だと?」

 

 カカシが尋ねるよりも早く、再不斬が地獄から響くような声で問い質した。

 カカシと再不斬の間で、ナルトはぴたりと足を止めた。

 頷きもせずに答えた。

 

「ああ」

「それは………………クク、どうだかな。テメェらのような戦争も知らねえ木の葉のガキが、本当に白を殺せたのか……?」

「…………………………」

 

 敵の言葉ではあったが、カカシもそれには同意せざるを得なかった。サクラもサスケも、敵を殺す覚悟はない。ナルトも、確かに底知れない所はある。しかしそれでも、敵を何の躊躇いもなく殺せはしないと、そう信じている。

 再不斬を追い詰めるためのただの狂言であったほうがずっと現実的だ。

 だが今のナルトは、今までのナルトとは纏う雰囲気がまったく異なっている。

 まるで何かが決定的に変わってしまったかのように、あるいは隠していた何かが露わになったかのように。

 先ほど滲んだ感情の波も消え、冷え切った水面のように、まるで感情が読め取れない。

『何か』は、確かに起こったのだ。

 故にカカシは、有り得ないと思いながらも、まさか、という思いを捨てきれなかった。

 少し、思案するようにナルトは首を巡らせた。

 

「まぁ…………どちらでもいい」

「『再不斬さんに弱い忍びは必要ない……』」

「……ああ?」

「『君はボクの存在理由を奪ってしまった』」

「──」

「『君の手を汚させることになってすみません』」

「『ボクを殺して下さい』」

 

 ナルトがそう、諳んじた瞬間、再不斬が雷に打たれたかのように動きを止めた。瞬きも、呼吸も、殺気もなにもかも。

 カカシにはその言葉が真実かどうか分かるはずもなかった。しかし、再不斬だけにはその言葉そのものの意味以上の何かが伝わったようだった。

 目を閉じると、静かに、絞り出すように声を出した。

 

「ああ………………そうか。そりゃあ、間違いなく、『アイツの言葉』だ」

 

 ナルトは白という少年を本当に殺したのか。それとも白が自ら死を選んだのか。それはわからない。ただ、白という少年が死んだのは間違いない真実だと、ナルトは少ない言葉だけで再不斬に突き付けてみせたのだ。

 再不斬がそれは疑いようのない真実だと断じ、カカシもまた、それを信じた。

 ナルトは、これを伝えるためにここまで来たのだろうか。

 殺意が萎んだまま、再不斬は動かない。

 これで、もしや、終わりなのか。カカシは僅かにそう思いかけた。

 

「────で、それがどうした?」

 

 目を見開いた再不斬は、変わらずにその瞳に戦意を宿していた。涙などまるで浮かんでなどいない、掠れて乾いた、獣の眼だ。

 

「オレのやることは何一つ変わらねえ。テメェらを皆殺しにした後、標的も殺す、ただそれだけだ」

 

 再不斬の大刀を握った左手に、メキメキと軋ませながら力が籠められていくのがわかる。

 

「…………ナルト、もう下がれ」

「死にたくなきゃどいてろ。まずはカカシ、テメェは次だ」

 

 ナルトはただ、拳を握りしめた。

 今更、再不斬は止まらない。業腹ながら、同じ時代を過ごした忍びとして、その気持ちは理解出来てしまう。己の理想のためにすでに全てを捨てているのだ。

 再不斬の野望のことはカカシもある程度、知っていた。その動機は、私欲なのかあるいは義憤だったのかはもはや知るよしもないが、かつて再不斬は水影の暗殺を目論んだ。結果は失敗に終わり、里から逃亡して抜け忍になった。

 ガトーに与したのは、金と身を隠すためのコネが必要だったからだろう。

 止まれるような位置はとっくに過ぎている。もはや殺さない限り、再不斬を止める方法など存在しない。

 忍び、とはそういうものなのだ。

 少なくともカカシは、それ以外の方法を知らない。

 

「ナルトっ」

 

 カカシの呼びかけにも、振り返らない。

 カカシの中で不安が沸き立つ。今のナルトがどういう感情を抱いているのか、どのような表情をしているのか、その背からは読み取れない。

 何を考えているのか、何を想っているのか、何もわからない。

 カカシはもう一度、今度はやや強く呼びかけた。

 カカシの呼びかけに応えたのかどうか、ナルトは再び、止めていた足を動かした。

 ただし、その向かう先はカカシの方、ではなかった。

 

「なっ」

 

 カカシは呻いた。

 

「おい、何のつもりだ」

「…………」

 

 再不斬が訝し気にナルトを見た。

 ナルトは応えない。

 一歩。

 

「テメェ……、まさかオレに挑もうってのか」

「…………」

「白に勝った程度で図に乗っているのか。それとも片腕のオレなら勝てる、とでも思っているのか」

 

 ナルトは応えない。ただ、前に進んでいく。

 再不斬が、威嚇するように鋭い殺気を放つ。遠い位置にいるカカシですら肌がヒリつく混じり気のない純粋な殺気だ。しかし、ナルトはそれを真正面で受けながら、何事もないかのようにゆっくり進んでいく。

 あと少しで再不斬の刃圏に、足を踏み入れてしまう。

 いくら片腕しか使えない状態だろうと、ナルトでは再不斬の相手はできない。

 止めなければいけない。

 だが、カカシは迷ってしまった。

 何故? 明確なものなどなにもない。

 ただ、薄っすらとした期待が、カカシの胸を過ったのだ。この状況を打破する何かが、ナルトにはあるのではないかという、何一つ根拠のない期待が。

 何事にも全力を出さないナルトという少女の、本当の真価が、今ここで見れるのではないか。

 今更になって三代目の『サスケと、そしてナルトに注意を払え』という言葉を思い出していた。

 それを愚考だと断ずる間に、ナルトは再不斬の刃圏の一歩外に届いていた。

 再不斬はナルトを見下ろした。

 

「あと一歩でも進んでみろ。まずはテメェから──」

 

 ナルトは、一歩踏み入れた。躊躇うことなく。まるでただ大通りを歩くように気負いすらなく。

 

「馬鹿が」

 

 再不斬は躊躇わずに、左腕だけで大刀を閃かせた。

 カカシの右目では、距離と微かな霧の影響ではっきりとは見えなかった。

 見えたのは結果だけ。

 再不斬の大刀の一撃をギリギリの距離で躱しているナルトの姿だった。

 

「くっ!?」

 

 まさか、避けられるとは思っていなかったのか、再不斬の乱れた二撃目を、ナルトは余裕をもって躱し、拳の一撃を顔面に叩きこんだ。

 体重の乗った、しかしチャクラは伴っていない一撃は、虚を突かれた再不斬を後方へよろめかせるに留めた。

 しかし、正面からまともにいともたやすく再不斬を殴ってのけたのだ。以前のように流れの中ではなく完全な一対一の状況で。

 

 ──やはり、まだ力を隠していたのか。

 

 疑惑を確信に変えながら、カカシは目を見開いた。

 再不斬は数歩分よろめきながら、体勢を立て直し、顔を上げる。怒りではなく今起こった出来事が信じられないといった呆然とした表情。

 ナルトは歩き続けている。もうすでに間合いに入っている。

 再不斬が、再び大刀を振るう。

 ナルトはわずかに身を傾けるだけで、あっさりと躱す。再不斬は再び驚愕し、そしてカカシはここでようやく違和感を覚えた。

 目の前で繰り広げられる攻防を、よく観察する。もはや、ナルトを止めることも頭から抜け落ちていた。

 

「何故だ! 何故当たらねえ!」

「………………」

 

 ……確かにナルトの回避は巧みだ。しかし、それ以上に再不斬の動きが鈍い。

 片腕ということを差し引いても、先ほどまでの精彩さが突如として抜け落ちてしまったかのように全ての動作に覇気がない。首切り包丁は、特殊な武器だ。怪力だけでは扱えない。技の伴わない大刀は途端にその大きさと重さがそのまま枷になる。無論、技だけでは振るう事すら敵わない。

 力と技の完全な統制。それができなければ大刀はまさに無用の長物そのものだ。

 再不斬の中で何かが乱れてしまっているのだ。技か力、あるいは両方が。

 疲労か? 

 いや、それだけではない。

 動揺している? 

 一体何に? 

 ナルトに? 

 それともまさか、まさか白という少年の死に──? 

 わからない。

 ただ、再不斬はそれに気が付いていない。そしておそらくナルトの方はその原因をすでに理解している。

 ナルトはふらふらと捉えどころのない動きで、再不斬の攻勢を躱す。

 一見、もう今にも倒れてしまいそうだと勘違いしそうなぐらいに力が抜けている。

 再不斬に対する攻撃も、体重こそ籠められているもののチャクラは使っていない。

 まるで、これで十分だと言わんばかりにナルトは、格闘だけで再不斬を嬲っている。

 あの鬼人を相手にして、何の感情も見せることなく。

 

「テメェ如きが! オレに纏わりつくんじゃねえ!」

 

 呻いた再不斬の首筋にナルトの上段の回し蹴りが叩き付けられた。

 またしてチャクラは使われなかったが、積み重なった打撃はついに再不斬の膝を折り、強制的に跪かせた。

 有り得ないものを見るように再不斬はナルトを見上げた。ナルトは感情の読めない仮面で冷徹に見下ろした。

 

「何故、テメェ如きにッ、このオレが翻弄されなくちゃならねぇ…………!」

「……逆だってばよ。今のお前じゃオレにすら勝てないんだ」

「こんなことはあり得ねぇ! オレは、オレの、オレの理想がこんな場所で終わるハズがねぇ!」

「────理想?」

 

 そう再不斬が喚いた瞬間、ナルトの表情が初めて変化を見せた。

 頬の辺りが砕けた仮面の下からわずかに見える口元が、歪んだ。

 獣が牙を剥くような、寒気のする嘲笑が仮面越しに、微かに覗いている。

 

「はは、嘘つけよ再不斬」

「……?」

「ホントはよぉ、──────お前、諦めてんだろ?」

「なんだと…………」

 

 再不斬を弄する言葉を、ナルトは愉し気に続ける。

 涼し気な笑みを浮かべたナルトの仮面がカカシの方を向いた。反射的に、カカシは身構えた。身構えてしまった。

 

「カカシ先生との戦いを見て、違和感があったんだってばよ。お前、ただ愉しんでただろ。命を懸けるに値する敵と出会えて。子供みてぇに。……でもよ、それってなんかおかしくねえか?」

「…………………………」

「本当に叶えたい理想があるんだったらよ、愉しむ余裕なんてないはずだって。そうじゃないとしたら……、ってな。なのにお前は忍びとして、カカシ先生に勝ちたがった」

「黙れ…………」

「ハッキリとわかったのは、部下を全員失ってなお、まだこの仕事にしがみ付いていたからだってばよ。果たしたいなにかがあるなら、こんな場所で死ぬような真似できっこない」

「黙れっ」

「お前、本当は…………とっくに諦めてたんだろ」

 

 撃発するように立ち上がった再不斬が首切り包丁を薙いだ。ナルトは当然、あのゆったりとした動作で躱している。

 

「なんだ、当たりか」

「黙れ!」

「理想のために名のある強敵と戦って敗れる。……まあ、言い訳は立つよな。オレは一生懸命やったんだ、しょうがなかった、って」

「黙れッ、黙れ!」

 

 もはや、あの細緻な斬撃など見る影もない。息を乱し、隙だらけな大振りで大刀を振り回す再不斬はまるで子供のようだった。

 カカシはただ素直に恐ろしかった。

 ナルトはもはや、あしらうだけで反撃すらしていない。

 すでに互いの立場は完全に逆転してしまっている。

 

「あるいは、そういう自覚もなかったのかもな。目の前のことに没頭していれば、先に待つ現実を見て見ぬフリができる。…………ま、わかるけどよ」

「だ、まれっ」 

「だけど、それがいちばん卑劣だってばよ」

「何も知らねぇ小娘が知った風な口を叩くな…………! オレの命をどう使おうがテメェに説教される謂れはない!」

「オレはお前に付き合う気がないってだけだってばよ。……オレはカカシ先生ほど優しくない」 

 

 力任せに振るわれた大刀はナルトには届かず、足を引っかけられた再不斬は、受け身など取れるはずもなく地面に派手に叩き付けられた。

 呻く再不斬をナルトは静かに見下ろした。

 

「立てよ再不斬。白は、最期まで立って戦い抜いた」

 

 もう勝負は付いた。カカシはそう言って割って入るべきだっただろう。もう再不斬に抗う力は残っていない。ナルトもわかっているはずだ。

 だがナルトは容赦しない。再不斬の心を覆う鎧を、ナルトは一枚一枚、執拗なまでに丁寧に剥ぎ取り続ける。

 鬼を甚振るのを愉しんでいるのか、あるいは他に理由があるのか。

 仮面はなにも語らない。

 そしてカカシにはうずまきナルトの全てを、何一つ見極められなかった。

 

 

 

 

 

 色々な意味で限界が近すぎて逆にナルトは笑えてきた。

 走っている体がさっきから休息だけしか訴えてこなくてひどく煩い。

 この際、地べたでもいいからこのまま倒れてしまいたい。次の瞬間には夢の中だろう。

 魅力的な想像だったが、それをするのはもう少しだけ先だ。

 森の中を海岸沿いに木々を蹴って走る。霧がどんどん引いていくから、もう道を迷う心配もない。

 カカシ先生の位置は、一度あの不思議な超感覚が伸びたときに感知している。まさかまったく別の場所に移動しているなんてことは、多分ないはず。

 確証はない。戦いは、曖昧さをどんどんと積み上げていく作業なのだと、なんだか真理めいたことを考え、そしてすぐに疲労で忘れる。

 あの不思議な感覚は、もうほとんど残っていない。残ったのは微かな縁だけだ。

 結局あれは一体どういうものだったのか。九尾は「センドー」と呼んでいたが。

 木々を高速で飛び回る猿飛の術のための技にしては、随分と大仰すぎる力の気がする。

 突然、感覚が一個増えて、広がり続け、そして急に縮んだ。あのまま広がり続けていたらどうなっていたのだろうか、あまりよいことは起こりそうにない気がした。

 とするならば、これが今、ほとんど引っ込んでいる現状はありがたい状態なのかもしれない。

 かわりにこれから、不思議な力ほぼナシ、体力ゼロ、チャクラ限界、というとんでもない状態で再不斬に会いに行かなくてはいけない。

 あの鬼人を相手に、なんともまあ、頼りないことだ。

 

【そいつ、もう死んどるのではないか?】

 ──死んでねぇ、……ことを祈るだけだってばよ。

【死んでいた方が面倒がないと思うがな】

 ──それは困る。白と約束したんだ。

【敵のために、敵が生きていることを祈る。これ以上馬鹿馬鹿しいことも珍しい。貴様は物事をややこしくする天才だな小娘】

 ──うるせぇ。

【その仮面も一体なんの意味がある】

 ──顔見られたら、演技だってばれる。

 ──それに、多分。再不斬と話すときにこの仮面が必要なんだってばよ。多分。

【まったく一寸もこれっぽっちも理解出来ん】

 ──うるせぇ。

 

 先ほど感知したときは再不斬もカカシも生きていた。霧もまだ完全には引いていない。霧が引き、結界が崩壊したことをカカシが知るまでは、再不斬は生きているはずだ。

 だからこそ、出来る限り急がなくてはいけない。

 それに、確かにほとんどスッカラカンな状態のナルトだったが、かわりにといってはなんだが、減っていく色々に反して、テンションが異常に上がってきた。

 不思議なことに、死にたいほど疲れているが、死にそうなほどテンションが高い。

 

【ワシが見てきた死ぬ前の生き物は大概、そうだったなぁ】

 

 九尾がなんか不吉なことを言っていたが無視する。

 もうこの勢いのまま突っ走ることしか考えていないし、多分それしか出来ない。

 その結果として、ナルトは戦いの決着がつくよりも早く、二人の下に辿り着いた。

 

「……ま、間に合った…………」

 

 ナルトは聞こえないように小さく呟いた。カカシも再不斬も、それぞれがそれぞれの傷を負い負傷しているが、致命傷には至っていない。

 とりあえず、まだ約束は破っていないようだ。

 二人とも動きを止め、ナルトの動向を観察している。

 このまま、流れを掴まなくてはいけない。

 ナルトは膝に手を当てて呼吸を整えたい欲求を必死に抑えて、虚勢を張ることにした。

 

「──よぉ、再不斬」

 

 精一杯の元気というか威嚇を篭めて声を出す。疲労特有の耳鳴りがしているので自分の声がどのように響いているのか、イマイチ判断が付かないが、とにかく押し通す。

 

「白は死んだぜ」

 

 嘘だと悟られないように、こっちは感情をなるべく殺して言う。

 相手の反応が遠すぎてよくわからないので、とりあえず屋根から降りて近づいていくことにする。

 再不斬は何の反応もせずに、ただ視線だけがナルトを追っている。

 大型の猫科の肉食獣に見つめられている気分だった。少しでも目を逸らすと喰らいついてきそうな、そういう雰囲気がある。

 じっとりとした汗が出た。

 まるで本当に獣を相手にしているように目を逸らさずにゆっくりと歩く。

 カカシが声をかけてきたことで初めてカカシの居る位置を追い越したことに気が付く。

 一瞬だけ視線を送って答える。

 

「──白が死んだ、だと?」 

 

 再不斬がここでようやく、声を出した。獣の唸りにも似た低い声だ。

 表情が見える距離に達した。ナルトは足を止めて、声を返す。

 

「ああ」

「それは………………クク、どうだかな。テメェらのような戦争も知らねえ木の葉のガキが、本当に白を殺せたのか……?」 

 

 悲報・再不斬、めちゃくちゃ鋭かった。

 普段のナルトなら動揺を露わにしていただろうが、そこは、高いテンションと体の疲労が相成って奇跡的に無反応でいられた。

 棒立ちのまま、しばし呆然とする。

 まさか、速攻で疑われるとは思っていなかったせいで、想定が全部吹っ飛んだ。

 

【馬鹿すぎんか小娘】

 

 九尾の罵倒にも返事を返す余裕すらない。というよりさっきから九尾が地味にうるさい。

 白を殺した証拠など、どこにもない。なにせ殺していないのだから。

 本当に白が死んだのは、前回のときだ。

 適当な嘘では即座に見破られる未来しか見えない。

 再不斬はナルトの仮面を被った顔をしばらくは見ていたが、諦めたように視線を外した。

 

「まぁ…………どちらでもいい」

「『再不斬さんに弱い忍びは必要ない……』」

「……ああ?」 

 

 訝し気な声。咄嗟に言ってしまった言葉は、前回の白が、ナルトに告げた言葉だ。

 勢いのまま続ける。

 これはナルトにとって紛れもない真実の言葉だ。故に、躊躇いなく続けることができる。

 

「『君はボクの存在理由を奪ってしまった』」

「『君の手を汚させることになってすみません』」

「『ボクを殺して下さい』」

 

 言っている内に、ナルト自身もそのときの気持ちを思い出していた。世界の残酷さに対する怒り、やるせなさ、無力感──。

 かつての白をみすみす死なせてしまった自分への苦々しい思い。

 ナルトはすべて含めて、再不斬を真っすぐに見る。

 

「ああ………………そうか。そりゃあ、間違いなく、『アイツの言葉』だ」

 

 再不斬はそう小さな声で言った。

 今ではないけれど、でもこれは確かに白の口から告げられたものだ。

 それを話したのは咄嗟の出来事だったけれど、ナルトは自分が上手く騙したとは思わなかった。

 異なる世界での白の最期の言葉でさえ、再不斬は次元を飛び越えて掴み取り、そして受け止めてみせたのだと、そう信じたかった。そこにナルトは、二人の間に確かに存在する、切り離せない絆というものが見えた気がしたから。

 

「────で、それがどうした?」

 

 だから再不斬が口ではそう言っていても、態度でもそうだったとしても、ナルトはそれを信じなかった。

 あのとき再不斬が白のために流した涙こそが、本心だったと信じる。

 故に、拳を握って前に進める。

 カカシが警告し、再不斬が威嚇する。

 だが、歩みはもう止めない。

 再不斬の刃圏に入った瞬間、再不斬は首切り包丁を振るった。再不斬が、本心から白の死をどうでもいいと考えていたのなら、躱せるはずもない即死の一撃だ。

 だが、ナルトは簡単に避けることができた。

 再不斬自身は、気が付いていない。

 だけど、それだけでナルトにはハッキリとわかった。

 そして、それで十分だった。

 殴り返す。チャクラなどもう込める体力など残っていないので、ただの拳の一撃。体重差が激しいせいで殴ったこっちも地味に痛い。

 超感覚はまだ少し残っている。白ほどではないが、再不斬とも少しだけなにかが『結ばれた』のが解かる。

 再不斬本人の乱れも相まって、今は大刀が当たる気がまったくしない。

 躱し、反撃する。

 段々、殴ったり蹴ったりする体力も無くなってくる。チャクラを使わずにこの体格差の相手に攻撃を効かすには思いっきり体重を込めなくてはいけないのだが、それは疲れた身体には随分としんどい。人を殴るのにも体力は要る。

 再不斬が倒れるのが先か、ナルトが殴る体力が無くなるのが先か。多分、普通にやっていたら後者が先になるだろう。

 だが、再不斬が大きく隙を見せたときに、上段の蹴りを決めることができた。

 地面に両手両足を付けて、再不斬はナルトを見上げた。身長の差がありすぎるので、再不斬が屈んでも、ナルトとの頭の位置が結構近い。これを見下ろす、と表現すべきかどうか。とにかくなんとも締まらない光景だ。

 

「こんなことはあり得ねぇ! オレは、オレの、オレの理想がこんな場所で終わるハズがねぇ!」

「──理想?」

 

 再不斬のやってきたことは、ナルトももう知っていた。前のときにはカカシから軽く聞き、今になってからは三代目にある程度詳しく教えて貰った。

 だけどそれを聞いてからナルトの中で、ある疑問が残っていた。だけどそれは、本来なら解消されるはずのなかったものだ。前のときは再不斬もそれに付き従う部下たちも死んでしまったから。故にナルトは、かつて、それが微かに引っかかりながらも、そのまま形にすることはなかった。

 そして今ここに至って、ナルトはハッキリと再不斬の気持ちが分かった気がした。

 

 ──再不斬はきっと、『今のオレ』と同じなんだってばよ。 

 

 自嘲から苦々しい笑みが浮かぶ。ついでに笑っただけで痛みで顔が引きつり変な顔になった。幸い、仮面を被っていたお陰で誰も見てはいない。白に助けられた。

 ズキズキと、また胸が痛む。……きっとこれからも痛む。

 理想を追って追って、ただそれのために生きてきた。なのに、あるとき、取り返しようのない失敗をしてしまった。もう一生、どう足掻いてもどう泣き叫んでも取り返しようのない失敗だ。 

 けれど、それを認められなかった。

 まだ取り返せる。また戻ってくる。

 そんな風に自分に言い聞かせて。

 前を見据えているようで、過去しか見ていない。

 どうしようもないことだと、考えもしない。

 考えたくないから考えない。

 それが一番、楽だからだ。

 

「はは、嘘つけよ再不斬」

 

 自分で、少し前の自分を笑う。

 

「ホントはよぉ、──────お前、諦めてんだろ?」

 

 どう言えば、上手く響くのか、より伝わるのか。それはナルト自身がよく理解していた。少しズレていることを言ってもいい。核心さえ突いていれば、再不斬には伝わる。

 だからナルトは深く考えることなく、より自分の胸に突き刺さる言葉を続ける。

 

「黙れッ!」

 

 再不斬は激高し、むやみやたらに大刀を振り回した。

 避ける。しかし、もう殴る体力がない。腕が上がらない。足も伸びたまま固まってしまっている。避けることしかできない。

 よろけた再不斬の足元に、自分の足先を差し出した。上手いことつんのめり、再不斬が転んだ。

 息を整える。ナルトの意識は浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

 蹲る再不斬は全ての力を吐き出し尽くしたのか、萎んでしまったように見えた。

 ゆっくりと身を起こし、辛うじて大刀を地面に突き立て、そして地べたに力なく倒れるように座った。

 ぽつり、と再不斬が呟いた。

 

「……ああ、そうかもな。確かにオレは、もう諦めていたのかもしれない」

「…………………………」

「だが…………なんだってんだ。オレが理想を諦めていたからそれがどうした……。それを暴いてお前に一体なんの意味がある」

 

 再不斬の声が遠くに聞こえた。

 疲れ切った覇気のない声だった。

 今にも死にそうな声だった。

 その声を聞いて、僅かに力が戻って来た。

 それは、怒りだ。

 何が言いたいのか。

 これだけは確かにある。

 

「逃げんじゃねーってばよ」

「…………なに?」

「自分の理想が叶わなかったから、それで死んで逃げようなんて都合が良すぎるんだってばよ。自分が楽になることばかり考えて、お前が巻き込んだ者はどうなる? 諦めを愉悦で誤魔化して、殺すだけ殺してそして勝手に野垂れ死ぬつもりだったのか」

「…………」

「ふざけるなってばよ。……自分が失ったことだけを嘆いて、これから白が失っていくものを考えもしなかったのか」

「…………」

「巻き込んだお前にしか、できなかったんだってばよ」

「…………」

「──、自分の夢が叶わなくて、生きる意味も失くしたんだったら、お前は白のために生きてやるべきだったんだ。それが白を自分の願いに巻き込んだお前の責任だろうが」

 

 再不斬はただ、ナルトを見上げた。

 そして不思議そうに訊ねた。

 

「お前は、お前は…………白の一体、なんなんだ」

「オレは白の友達だってばよ」

 

 ナルトは心の底から胸を張って答えた。

 その言葉を聞いてもなお、再不斬は不思議そうな顔をしていた。

 だがナルトは撤回はしなかった。

 

「アイツが……トモダチだと?」

「ああ」

「お前、…………………………白は生きているな?」

 

 バレた。やはり再不斬は鋭い。

 頷く。

 

「…………下らねぇ。こんな青臭い嘘に騙されるとは……オレも焼きが回ったな」

 

 再不斬はしばらく俯いていたが、すっと立ち上がった。疲れを感じさせない自然な動きだった。

 光が走った。

 両断された仮面が地面に落ちた。

 視界が広がり、視線の真下、喉元に大刀の切っ先が突き付けられた。

 

「……………………」

 

 反応出来なかった。──意識よりも速く繰り出された斬撃。超感覚の感知ですら間に合わない神速の一撃だった。

 如何なる鍛錬を積めばこの領域に至れるのか想像すら出来ないような神業だ。それもこうも無造作に。

 

「だが、……………………もしオレがそれでも、一度受けた任務だけは遂行すると、そう言ったならどうする?」

 

 再不斬は試すようにそう訊ねた。

 そんなことを言われたら、どうしようもないというのが答えだ。ナルトはぼんやりと完全に霧が去った青い空を眺めた。死が目の前にあるのかもしれないのに緊張感すらもう続かない。

 そうして力を抜くと、ふと、周囲が騒がしくなってきていることに気が付く。

 

「──、おーおー派手にやられちまって、がっかりだよ再不斬」

 

 橋の向こうから小柄な中年の男が杖を突いて歩いてきた。

 その背後には無数の人間の群れ。

 そういえば、霧が晴れてからもう随分と時間が経った。

 ナルトは理解した。

 もう前と同じようにコイツが来ていてもおかしくはない時間なのだ。

 

「ガトー……」

 

 再不斬が呆然とその名を呼んだ。それを受けて、どうやら勝手に自分に取って好意的な状況だと判断したらしい小柄な中年の男はニヤニヤとイヤらしく口元を歪めた。

 

「ククク、少々作戦が変わってねぇ。というよりも初めからこうするつもりだったんだが」

「──何だと?」

「再不斬、お前にはここで死んでもらうことにする。お前に金を払うつもりなど毛頭なかったんでね」

 

 そう言ってまた口を歪めて嗤う。再不斬の呆れた視線の意味などまったく理解していないある意味幸せな愚か者の姿。後ろに控えるならず者どもも、一緒になってニタニタと嗤っている。

 

「抜け忍なんてどう裏切ろうが、面倒がなくていい。道が見えねぇくらい霧が出たときはどうしようと思ったが、結果的に最高のタイミングだったみたいだな。なぁ再不斬」

「今のお前ならぶっ殺せるぜぇ!」

 

 そう嘲笑しているが、もう再不斬はガトーの方を見ていてすらいなかった。ナルトの方、でもなく丁度ガトーとは反対方向だ。ナルトも釣られてそちらを見た。どうでもいいが、大刀が未だに喉の近くにあるせいでどうにも顔を動かし辛い。

 そこには波の国の面々が集まりつつあった。いや集まりつつあるなんている段階ではない。地響きすら上げて国中の人間がこの一点に集中して走ってくる。

 以前よりももっともっと多い、とんでもない人数だ。

 そしてその先頭には、やはりあの少年が居てくれていた。

 

「ね──────────ちゃ──────────────────ん!!!」

 

 近づくにつれその顔がハッキリと見えてくる。

 イナリだ。元気そうだ。

 嬉しそうにぶんぶんと手を振っている。ナルトも首に大刀を突き付けられたまま、笑顔で手を振り返す。

 ふと、イナリの周りに他の少年が群がっているのが見えた。

 

「お、おいイナリ、忍者だ! 忍者が居るぞ!!」

「あぶねぇよ! あんまり前行くなよ!」

「忍びコワイ!」

「もううるさいなぁ! ねーちゃん大丈夫!? ボクが今行くからぁ!」

 

 群がる少年達をイナリが面倒くさそうに蹴散らすとこちらに向かって走ってくる。むしろ周りの少年の反応の方が正しいとナルトも思うのだが、イナリは意に介していない。

 あれはもしかしてイナリをイジメていた奴らだろうか。あれから一体どういう経緯でああなったのか、それを想像するに愉快だった。

 

「あはははははははっ」

 

 ナルトは笑った。力が抜けたせいか随分と女の子みたいな声だった。でもまあ今はどうでもいい。

 

「これもテメェの小細工か、小娘」

 

 再不斬が波の国の面々が集まってくる様子を見ながらそう聞いてきた。

 そんなわけあるわけがない。全部偶然だ。そう答えたかったけど、あまりに愉快過ぎてナルトは笑うのを止められなかった。

 そのナルトを胡乱な目で見ていた再不斬だったがやがて諦めたように溜息をついた。

 大刀をナルトの喉元から外し、天を仰いだ。

 

「………………オレの負けだ」

 

 その声はどこか清々しさすら孕んでいる気がした。ナルトの思い違いかもしれない。でもそう聞こえたのだ。

 そして今更になって狼狽えるガトーが見えた。

 

「再不斬ぁ! やはり金は払う! オレを守れぇ!」

「さて。あの馬鹿にだけは落とし前を付けさせてもらうとするか」

 

 再不斬はひどく面倒そうに呟くと大刀を肩に担いだ。

 そして歩み去っていく。その手をナルトは掴んだ。

 

「痛ぇな……、そっちは穴が開いてんだよ」

「再不斬」

「なんだよ」

「もう殺すなよ」

「………………」

「あと、死ぬなよ」

 

 ガトーは死んでもらっては困るし再不斬に死んでもらっては困る。そういうつもりで言ったのだが、それに対する再不斬の反応は劇的だった。

 目を見開くと、一度だけ指先が激しく震えた。

 懐かしむような、あるいは寂しそうな、そういう不思議な目で再不斬はナルトを見つめた。

 意味が分からずに見つめ返す。

 再不斬は震える声で呟いた。

 

「……オレにそれを言うかよ」

「?」

「もし、もしお前が霧に居たならオレは……」

 

 再不斬がその不思議な目をしていたのはほんの一瞬だけだった。次の瞬間には元の乾いた獣の目に戻っていた。

 動かすだけで痛そうな右腕を上げると強引にナルトの頭をごしごしと撫でた。

 痛い! ナルトは抗議の声を上げた。

 

「じゃあな、小娘」

 

 そう言って再不斬は歩み去っていく。

 ナルトはその背を見送った。

 同時に、意識が飛ぶ。

 誰かが受け止めてくれたのだけが、辛うじて認識しながらもナルトの意識は沈んだ。

 



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エピローグ『太陽と月の間の』

 20000文字です。九尾と心の中で喋るときのフォーマットをちょっと変えました。大丈夫そうならこのまま続けます。
 あとツインテール信者の方にはあらかじめ謝っておきます。
 まことにごめんなさい。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喉の渇きと寝苦しさに目を覚ますと、薄暗い部屋と襖が目に飛び込んだ。

 上体を起こし、しばし頭を掻きつつボンヤリと周囲を眺める。

 やがて脳が起動し始めたが、ここがどこなのかが、どうも分からない。部屋の造りを見る限り、お世辞にもあまり上等な場所ではないようだった。

 まだ朝日が昇る前の時間なのか物音のしない静まり返った室内。

 服装がいつの間にか寝間着に変わっている。身体には包帯が巻かれ、顔には湿布が幾つも貼られている。誰かが身体を拭ってくれたであろう感覚はあったが、ところどころに汗でべた付く不快感が残っていた。

 水が飲みたい。

 まずはそんな原始的な欲求が浮かぶ。

 布団から起き上がり、少し伸びをする。

 血行が巡ってくると、もう少し思考が回り始める。

 最後の記憶は倒れるナルトを、カカシが抱きとめてくれたところまでだ。

 包帯を解き、湿布を剥がし、部屋の隅のゴミ箱に捨てる。怪我は既に治っているので必要ない。

 あれからどうなったのだろうか。

 少なくとも、第七班は全員、無事のはずだ。

 普段着に着替えて部屋を出て、寝静まった家を音を立てないように歩く。イナリ、タズナ、ツナミ、サスケ、サクラ。順繰りに部屋を巡って、様子を窺う。起きている人間はおらず、皆疲れ切って熟睡している。唯一、カカシだけがどこにも見当たらなかった。

 そのあまりの疲弊ぶりに起こすのも憚られ、結局、ナルトは誰も起こさずに台所で水を飲んで一息吐いた。

 少し経って洗面台を見つけた。鏡に映る顏はもう腫れが引いている。寝方が悪かったせいか、涙が乾いた跡が頬を這っているぐらいだ。体の痛みも、疲労感もない。

 音を立てずに静かに顔を洗って諸々を洗い流すと、少しすっきりとした。

 カカシはどこに居るのだろうか。家の中には気配を感じない。

 外に出ているのかもしれない。

 

(なにか知らねえか?)

【さてな】

 

 そうだろうとも。ナルトは苦笑した。一応、聞いてみただけだ。緊迫した様子はないので、焦ることはない。

 これから寝直す気にはならず、一度この家から出ることにした。

 外に出ると東の空が白んでいた。もう夜明けは近いようだ。

 湿った空気と、薄っすらとした朝靄が立ち込めている。

 海岸にほど近い場所にある家らしい。海の匂いがする。思いっきり息を吸い、胸いっぱいに新鮮な空気を取り込んでいく。

 

「起きたか」

 

 声がする方を向くと、家の横に小さな丸テーブルが一つポツン、と置いてあった。そこに腰かけていたカカシが、振り返ったナルトに小さく手を上げた。

 態度は何時も通りのカカシだが、至る所に巻かれた包帯がそうではないことを告げている。

 近づいていく過程でカカシが『イチャイチャパラダイス』を広げて読んでいることに気が付いたが、特に反応はしなかった。

 

「カカシ先生、…………体は平気なのか?」

 

 なんともなく、隠された左目を流し見た。写輪眼を行使した後のカカシは、動けなくなってしまう印象があった。しかし、今のカカシはそうではなさそうに見える。疲労感は隠せてしまうにしても、行動不能な様子ではないことは確かだ。

 

「…………はぁ」

 

 カカシは何故か溜息をついた。

 心配したのに酷い対応だ。

 本を閉じて胸にしまうと、カカシはなにもかも諦めたような様子で小さく言った。

 

「…………ま、オレのことは気にするな。全員が眠りこけるわけにもいかないでしょ」

「そっか。ここはどこだ?」

「タズナさんのご友人の漁労長さんの家の一つだそうだ。タズナさんの家は昨日壊されてしまったからな。親切にも寝る場所を借してくれたのさ」

「なるほど……じゃあ」

「まあ待て。一度、すべて順を追って話そう。その方が効率がいい。……オレも聞きたいことがあることだしな」

 

 聞きたいこと、それはあるいは普段のナルトなら緊張してしまう言葉だったかもしれないが、今は妙に落ち着いていた。昨日色々あったせいかもしれない。なるようになる、という感覚があった。

 素直に頷く。

 

「うん」

「……眠気覚ましに少し歩くか。あまり遠くまでは行けないが」

「じゃあ、―――海が見たい」

「……………………………………ま、どこでもいいけどね」

 

 頷き立ち上がったカカシを見て、ナルトはふと、あることに気が付いた。

 あの遅刻魔のカカシにこんな朝早くから会ったのだから言わなくてはいけないことがあることに。

 ナルトはなんとなく達成感を覚えながら告げた。

 

「おはよう、先生」

 

 

 

 

 

 

 

 歩きながら、カカシはナルトが気絶して倒れた後の出来事を時系列順に語ってくれた。

 あの後、小規模の闘争があったらしい。……そう、小規模だ。

 ガトーとその手下のゴロツキどもは皆、片腕の再不斬にすらまったく歯が立たず、簡単に薙ぎ倒されていったらしい。結果として戦いは長く続かず、戦意を喪失したゴロツキの面々はガトーを置いて勝手に方々に逃げていったらしい。それを自国の地理に明るい波の国の面々が虱潰しに各個撃破していった。というのが顛末のようだ。まだ幾人かが森の中に潜んでいるのだろうが、それらがいなくなるのも時間の問題だろう。

 何故なら全ての元凶であったガトー自身が、もう既に捕縛されているのだから。

 敵味方含めて重傷者も軽傷者も出たが、死人は一人も出なかった。

 ガトーも含めて。

 結局、ガトーは殺されなかった。

 カカシ曰く『死んだ方がマシかもしれない』状態であるが、とにかく辛うじて命だけは許された。

 再不斬に嬲られながら全力の殺気を間近に浴びたガトーはあまりの恐怖に気が触れてしまったらしい。今までの悪事を全て洗いざらい告白し、どうか自分を再不斬の手の及ばない場所に連れていってくれと、監獄に行くことを自ら要求しているとのこと。

 波の国の人々は、ガトーのその有様を見て、それ以上の報復をすることはなかったそうだ。

 タズナが私刑を止めるように説得したのも理由の一つだっただろう。

 それではガトーと同じになってしまうからだと、そう言ったそうだ。自分の持つ暴力の力を利用したガトーと変わらない、と。

 かくしてガトーは法の下に裁かれることになったそうだ。

 金と暴力で成り上がった男の、悲惨な最期といったところか。

 けれどここまでくれば、もうナルトには関係のないことだ。興味もない。

 再不斬はガトーを殺さなかった。その事実だけで十分だ。

 その後、再不斬は意識の無い白と、他の部下を引き連れてどこかに消えたらしい。

 ガトーが無力化したからにはもう脅威ではないとカカシは判断し、それを見逃した。

 その後はゴロツキどもの残党狩りを夜が明けても続けているのが現状、だそうだ。

 

「―――ま、こんなところだ」

 

 カカシは一通り話し終えたところで、一旦そう締めくくった。

 流石だな、とナルトは思った。聞きたいことが一度の説明だけで全部聞けてしまった。ナルトが納得したように短く返事を返すと、今度はこちらの番とばかりにカカシは話を変えた。

 

「ナルト、お前はこの結末をどこまで予想していた?」

 

 一番聞きたかったことを単刀直入に聞いた、といった風情。

 再不斬にも似たようなことを言われたことを思い出す。

 嘘は吐かずに答える。

 

「予想はしていないってばよ。ただ、こうなればいいなとは思っていたけど」

「…………自分が手繰り寄せたとでも言いたいのか」

 

 カカシの声には僅かに非難の色が見えた。

 

「違うってばよ。オレの考えがどこまでも甘かっただけだ。こうなったのはただの偶然なんだ」

「サクラからも話を聞いた。お前は、白と再不斬を殺したくなかった。………………いや、違うな。お前は彼らを救いたかった、違うか?」

「…………いや、違わない」

「それは一旦、置いておく。だが、何故それを誰にも伝えなかった。その結果、お前は班員の命をむやみに危険に晒した」

 

 カカシは淡々と言葉を紡いだ。

 耳が痛い。

 

「この程度の状況は簡単に乗り越えられなくちゃこの先どうにもならない、そう思い上がっていたんだってばよ」

 

 未来の記憶があった。そして一度は乗り越えた危機だという慢心も、また同時に。この程度の状況を乗り越えられなくては、この先一体どうやって戦い抜くのかという焦りもあった。

 この任務は三代目の力を借りていれば、もっと簡単だったことはナルトも分かっていた。

 しかし、それは反面でサスケとサクラの成長の機会を奪ってしまうことになっただろう。

 それは近い未来、致命的な失敗となりうるのだ。

 未来の知識など、もうすぐに意味がなくなるかもしれない。

 音隠れの忍び、砂隠れの忍び、大蛇丸、暁。敵はどんどん強力になっていく。それらに自力で打ち勝っていかなくてはいけなくなるときがもう今にもやってくる。

 この戦いは、どうあっても避けては通れなかった。

 

「―――この先だと?」

 

 カカシが不可解な物を見る目でナルトを見つめた。

 

「ナルト、お前は一体何を知っている。この先に何を見ている」

 

 今ここですべてをバラしてしまえば、楽になれるのは分かる。しかし三代目から他言無用と言われたことを忘れたわけではない。

 視線を外し、しばし、逡巡する。

 そして首を振った。

 

「悪い。言えない」

 

 結局、そう言うに留めた。

 

「……そうか。分かった」

 

 カカシは失望を見せなかった。しかし、その飾りのない言葉そのものがカカシの内心を表しているように、ナルトは感じた。

 少し二人で無言で歩く。

 

「どのみち、オレも同じ穴の貉だ。……お前だけを責め立てるのはフェアじゃない」

「?」

「そういうことだ」

 

 ―――いやどういうことだ? 

 

 ナルトは内心で『?』を浮かべまくった。

 意味が分からず聞き返したかったがカカシは、それですべて伝わったと言わんばかりの態度だ。聞き返し辛い雰囲気を感じる。ナルトが迷っている内にカカシはさっさと話を進めていく。

 

「お前は、彼らが本当に救われたと思うか?」

「…………」

「再不斬が本当に殺しを止められると、そう思うか。再不斬も白も人を殺すことしかしてこなかった忍びだ。そんな彼らが別の道を行くのは、容易なことではないだろう。そして彼らが殺しを止めて、野望を諦めたところで、追い忍の追撃は止まるわけではない」

「うん」

「なにより、彼ら自身が犯した罪も、消えることはない」

 

 それはナルトも分かっていた。どんな綺麗事で取り繕ったところでそれは変えられない事実だからだ。

 考えた。考えに考えた。けれど、分かったのは自分の無力さだけだ。白と再不斬に対してナルトがやったことはただのエゴだ。それは忘れてはいけない。

 だからこそ、言わなくてはいけない。

 

「でもそれは結局、アイツら自身の問題なんだってばよ」

 

 ―――自身の言葉の冷たさに、自分自身で驚く。けれど、それが偽りならざるナルトの出した結論だった。この世のすべてを背負って守ってやることはできない。ナルトにできることはほんの僅かだ。彼らの人生を背負ってやることなど、到底できない。

 彼らがしてきたことは、究極的には彼ら自身が背負っていかなくていけないのだ。

 ナルトは英雄でも、ましてや神でもない。

 

「だけど」

 

 そう続けようとして、やはり止める。それを口に出すのは卑怯な気がした。自分が綺麗でいたいから言うだけの言葉になってしまうように感じた。だから、言わない方がいいと思った。

 

「だけど、…………なんだ?」

 

 カカシが聞き返してきた。なんでもない、と答えようとしたが、カカシの目に懇願するような色が見えた。 

 思わせぶりに区切ったナルトが悪い。

 羞恥を感じながら嘘偽りなく答えた。

 

「だけど、………………でも、もしアイツらが将来何かに困って、そしてどうしようもなくなってオレに助けを求めてきたとしたら、……そのとき、助けられるだけの力を持った自分でいようって、そう思ったんだってばよ」

「……何故、お前があの二人のためにそこまでする」

「それは、…………オレがアイツらを好きだから」

「アイツら、をか?」

「うん」

 

 迷いだらけのナルトだが、それは確信を持って頷ける。

 

「初めて会ったときから、オレはアイツらが結構好きだったんだ」

 

 好きだから。どんなに取り繕ってもナルトの本心はたったのそれだけに集約されていた。

 きっと本当に最初からだ。あの二人が恐るべき敵だったころから、ナルトは気付かない内にそうなっていた。

 その強さに憧れて、その過去に共感し、そしてその結末を悼んだ。

 だからこそ、ナルトは二人を助けたかった。

 考えが足りなかったし、力もまったく足りなかった。後悔だらけだ。

 けれど、やらない方が良かったとは思わない。

 もし彼らが今後再び道を踏み外し、外道に堕ちて罪のない人々を苦しめるようになったとしたら、それは結末を変えたナルトの責任だ。

 背負いきれなくなるかもしれないその責任を背負うことを、ナルトは受け入れた。

 それが誰かを焚きつけた者のやるべきことだと思うから。

 

「…………オレはお前を咎めてやるべき、なんだろうな」

 

 カカシは溜息を吐いた。

 

「…………お前は、オレの先生に少し似ている気がするよ」

「え?」

「オレの先生は、よく人からこう言われた。『アイツは無駄なことはしない奴だ』ってね。間違ってはいないが、でもオレから言わせればそれは少し足りない。先生は無駄なことはしない。けれど、無駄ではないと信じたことには―――誰に何と言われようと全力を尽くす。そういう人だった」

「んー……?」

「頑固なところが少しだけ、似ている気がする。…………オレがそう思いたいだけなのかもしれないが」

 

 カカシの言葉の意味をどう解釈するべきか、ナルトには分からなかった。

 それ以上の言葉を重ねることなく、二人は無言で歩く。

 ナルトはただ、本心を語っただけだ。それをカカシがどう受け取ったのかまでは分からない。しかし、カカシがナルトの語ったことに対して何かしらの結論を得たことは、なんとなく理解した。

 森を抜けて、防波堤の先に赤茶けた浜辺が広がっていた。

 太陽はもう、水平線から顔を出し始めている。

 夜明けだ。

 ブーツを脱いで、服の襟と裾をめくり、足を塩水に浸す。

 

「…………なにやってんの」

「もう少し近くで見たい!」

「あっそう……」

 

 波に逆らって少し進む。直ぐに捲った裾まで水に浸ってしまうが、構うことはない。

 足を止め、眩しい光の洪水に手を翳す。

 

【なぁ、小娘】

(なんだよ)

【お前は英雄にはならないと言ったな】

(うん)

【それは結局、諦めなのではないか? 他者の為に己の夢を捨てるのだろう。つまりところ単なる自己犠牲なのではないのか】

(ぜんっぜん違うってばよ)

【なにぃ】

(犠牲になるなんて立派なもんじゃねー。ただ、そうだな…………オレがそうしたいから、そうするだけなんだよ)

【…………】

(自分が進んでいく道を選んだ理由を人のせいになんかしたくない。だってそんなの勿体ないだろ)

【………………】

(オレが進む理由はオレだけのモンだ。誰にもやらねー)

 

 自分は他人の犠牲になどならない。そう、かつて再不斬の墓前で誓ったのを覚えている。今も、その気持ちは変わっていない。

 これからナルトは変わっていく。けれど、その理由は自分がそうしたいからだ。

 

【……だが】

(なんだよ、まだなんかあんのか?)

【もし誰もが何も諦めなくていい、………………そんな世界があるとしたら? そこではお前も、なにも諦める必要はない。誰もが理想のままに生きられる世界があったとしたら】

(なんだよ急に)

 

 呆気に取られる。

 九尾の声が真剣だったので一応真面目に考えてやることにした。

 何も諦めなくていいなら、ナルトは男のままでそもそも過去になんか戻ったりもせず、サスケは里を抜けたりもしない。そんな世界があるとしたら、ということだろうか。

 つまり前の世界に戻れるとしたら、と言い換えてもいいかもしれない。ついでに女の子にモテモテにもなれるかもしれない。

 未だ、あまりに眩しい鮮烈な日々の記憶。

 そんな世界に思いを馳せようとして、しかしあまりの現実との懸け離れた想像過ぎて、すぐにやめた。いや、女の子にモテモテなのはこれから現実になるけども、と脳内で訂正はしておく。

 そんな世界を考えるだけ無駄だ。なにもかも理想通りの世界などない。故にナルトはここにいるのだ。

 

(そんな夢みたいこと考えても意味ないってばよ)

【……………………………………………………そうか。そうだな。下らんことを言った、忘れろ】

(いやそこまで反省されても逆に困るけどよ……)

【お前は、ワシの名を聞きたがっていたな】

(んぉ?)

【いいか、一度しか言わん。ワシの名は、…………九喇嘛、という】

(えっ……)

【六道のじじいが名付けた、ワシのただ一つの名だ。まあどう呼んでも構わん。九尾でも狐でも好きに呼ぶがいい小娘】

(…………クラマ)

【…………………………………………………………ふん】

(どういう、字を書くんだ?)

【…………………………後で一度だけ教えてやる】

(一度、に拘るなぁ……)

【黙れ小娘】

(そんで、オレは『小娘』のままかよ)

【お前などまだまだ小娘で十分だ】

(へいへい。…………ま、そうかもな)

 

 ナルトは自分でももっともっと成長しなくてはいけないと、そう思っている。だとすれば九尾に認めてもらえるように頑張る、というのは良い目標の一つなのかもしれない。

 クラマ。とナルトは心の深い所まで響くように呟いた。決して忘れぬように。

 

(これからもよろしくな)

【…………ふん】

 

 九尾と共に、水平線から太陽が現れるのを見る。

 月は沈み今日もまた、とりあえず日は昇る。

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を刺す痛みすら伴う光の不快さで白は意識を覚醒させた。

 まず飛び込んできたのは、水平線から持ち上がる巨大な火の玉だった。

 目覚めたばかりの白の目を突き刺すその光に視線を外す。ぼやけた目をしばし彷徨わせると、次に黒い影が見えた。ぼんやりとその辺りに視線を漂わせていると段々と視界が戻ってくる。黒い影だと思っていたのは、逆光に晒される再不斬の背であることに気が付いた。

 その背を見ても、何の感慨も浮かばなかった。

 小舟に乗っていることに気が付いたが、体を起こす力もない。

 何もかも燃え尽きてしまったかのように、何の欲求も浮かんではこなかった。

 白は乾いた唇を薄く開いて、横たわったまま、小さく呟いた。

 

「…………再不斬さん」

「………………ああ」

 

 再不斬は振り返らずに声だけで返した。

 白は次に何を言うべきか決めぬまま、再不斬に呼びかけてしまったことにここで気が付いた。

 何かを言うべきことがあったはずだ。しかし、疲れ切った意識が付いてこない。焦りすら、浮かべるのが億劫だった。中空に言葉を漂わせたまま、しばし白は次の言葉を探した。

 

「ボクは…………負けてしまいました」

「そうか……………………オレもだ」 

 

 それっきり、会話は途切れる。白は力なく煌々とした太陽を視界の端に置いたままどこまでも広がる海を見るでもなく見ていた。

 

「なぁ、白」

 

 ふと、再不斬が小さく声を出した。再不斬にしては随分と珍しい覇気のない声だった。白は「はい」と声を掠れさせながら応えた。

 

「―――これから、どうする」

 

 その言葉を聞いたとき、白に沸き上がったのは自分でも理解できない感情、『怒り』、だった。

 再不斬に向かうその感情を、白は慌ててそれを押し殺す。それでも殺し切れなかった感情が、そのまま声に乗ってしまう。

 

「…………わかりません」

 

 それは普段の白の声音に比べて随分と素っ気ない響きがあった。自分で自分の感情が理解できない。しかし再不斬は「そうか」と短く返すだけだった。

 急にどうしてか、白はどこまでも果てしない海を眺めるのが恐ろしくなった。視線を逸らし、再不斬の背を見つめ、結局、舟板に視線を落とした。

 

「お前は、―――生きたい、か?」

「………………」

 

 死ぬために、生きてきた。どこかで相応しい死に様が待っているのだと信じていた。

 今でもまだ、心のどこかでは信じている。しかし、もう今までのような確信が持てないことに、気が付いた。

 白は戸惑いながらもう一度「わかりません」と答えた。

 再不斬もまた「そうか」とだけ呟いた。

 

「生きてやりたいことも、ないか?」

 

 やりたいこと。そんなもの考えたことなかった。

 そんなものはない。そう考えたとき、痛みと共に、ふとある少女が脳裏に浮かんだ。

 あの太陽の化身のような燃え盛る熱を持った少女のことを。

 その少女と殴り合った余熱が、まだ体に残っている。

 白の心にもまた、同じように燻るような痛みが残っていることに気が付いた。

 それは小さな小さな火種だ。しかし間違いなく白の心にそれは灯っていた。

 あの少女にもう一度会いたい。

 会ってどうするのだろうか。

 まさか、殺さないでくれてありがとう、とでも言うつもりなのだろうか。生かしてくれてありがとうなどと。そんな感謝などするわけがない。もしかすると、……恨み言なんかを言ってしまうかもしれない。勝手なことをしやがって、と。

 分からない。そんなあやふやな未来など考えたことがない。

 けれどもう一度、いつかあの少女の前に立ちたい。

 そしてそのときは、せめて虚勢だったとしても胸を張っていたい。

 それはほんの些細な願いだ。けれど白が自覚した初めての願いだった。

 

「一つだけ、あります」

 

 小さな火種に煽られたかのように、白はそう答えた。

 

「そうか…………ある、かぁ…………」

 

 再不斬はまるで途方に暮れたような力の抜けた声を上げた。

 頭を掻いて脱力し、深々と息を吐いた。その弱弱しい仕草を見ると、まるで再不斬の背が一回り小さくなってしまったかのように感じた。

 それは白がこれまで一度も見たことのない再不斬の姿だった。

 

「じゃ、……………………生きるかぁ」

 

 そして観念したかのように、再不斬は霧一つない空を見上げながら呟いた。

 

「―――――はい」

 

 白はそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼頃になるとツナミが起床して、風呂を沸かしてくれた。ナルトは体を清め、朝から贅沢に湯舟に浸からせてもらった。

 少し長湯をしてから上がって洗面台の前で髪をバスタオルで拭いていると、のそのそとサクラが起きてきた。

 大欠伸をしながら、ショボショボと目を擦りながら洗面台を目指してゆらゆらと歩いてくる。

 そうなると必然的に、洗面台を占拠しているナルトと鉢合わせになった。

 

「えーっと……」

「―――? あっ」

 

 目が合う。始めは細められていた目が、段々と見開かれていく。

 

「ナルト! アンタ身体は平気なの!?」

 

 サクラは走り寄ってくると、怪我を探るようにナルトの体をペタペタと触った。

 

「ひゃっ」

「怪我が、…………ない?」

 

 まだ意識が完全には醒めていないのか、何度も同じ場所を無遠慮に撫でながら、サクラは眉をひそめた。

 そしてその流れのままにナルトの頬に手を添えた。

 サクラの手が柔らかくナルトの頬の輪郭を撫でた。

 

「顔の怪我も、治ってる」

「あの」

「なんでアンタより私の方がボロボロなのよ……」

「あ、あの。サクラちゃん……」

 

 ナルトが焦ったように呟くと、どこかボンヤリした様子だったサクラが眉を寄せて、むっとした表情に変わった。

 ナルトの顔から手を離すと、じとっとした目でナルトを見た。

 理由も分からずナルトは内心で戦々恐々になりながら目を細めて口端をヒク付かせながら笑う。

 

「あははっ……、あっ、洗面台、使う?」

「アンタが使ってるじゃない」

「オレはもう終わったから使っていいよ」

「終わったって、生乾きじゃないの。これからドライヤーでしょ」

「や、オレってばドライヤーとか使わないから」

「―――――はぁっ?」

 

 ビクゥ。

 低い、低い声が響いた。胡乱げな目でナルトをじっと見据えている。なんだろう、妙な威圧感がある。ナルトは半ば無意識に身を引いた。

 

「あんた何時もそうしてんの?」

「………………そうですけど…………」

 

 返事を自動的に敬語に移行しつつナルトはサクラを窺う。ここ数日もずっと同じようにしてきたのだが、サクラに風呂上りを見られるのはこれが初だったかもしれない。基本的に行動する時間帯が合わなかったせいだろう。

 サクラはしばらくナルトをじーっと見ていたが、今度は下を向いて黙り始めた。ナルトは固まったまま、サクラの様子を探る。もう動いてもいいのだろうか。

 ナルトがそーっと移動しようとするのと、サクラが顔を上げるのはほぼ同時だった。

 

「あのさ」

「はいっ」

「――――――髪、私がやってあげようか」

「へっ?」

 

 カミヤッテアゲルってなんだ、と一瞬、素で考え、それが髪をやってあげると言っていることに気が付くまでに五秒。髪やってあげるの意味を理解するのにさらに五秒の時間を要した。 

 

「嫌なら…………べつにいいけど」

 

 …………流石に鈍いナルトでもこれはわかる。

 これは、『仲直りの儀式』なのだ。正直、髪の毛なんて適当でいいと思っているし、不潔じゃなければどうでもいいのだが、そんなことは重要ではない。

 今、サクラが歩み寄ってくれている。

 内容が女の子らしすぎて、若干拒否反応はある。

 だがしかし、せっかくサクラの方から動いてくれているのだ。これを拒否するという選択肢はナルトにはない。

 

「じゃ、じゃあ、お願いしようかな」

 

 そうナルトが言うと、サクラは口元を綻ばせた。

 

「もうっ、しょうがないな」

 

 サクラはナルトの手からバスタオルを奪うと、優しく丁寧に濡れをふき取り始めた。肩を緊張させながらナルトは鏡越しにそれを見つめる。

 

「なんなのもう、凄くゴワゴワしてるんだけど」

「…………お風呂に長く入ってたから」

「まさかアンタ、髪の毛を湯舟に付けてたんじゃないでしょうね」

「…………それって駄目なの?」

「はぁああ?」

 

 信じられないとばかりにサクラは瞠目した。

 

「昨日の殴り合いもそうだけど、アンタもう少し自分を大事にしなさいよね」

「んー……」

 

 別に大事にしていないわけではないのだ。ただ九尾のチャクラがあるせいでどうしても雑になってしまうというか。それが大事にしていないのだ、と言われればその通りなのだが。

 サクラは手際良く全体を軽くタオルで拭くと、オイルのようなものをナルトの髪に軽くまぶしていく。ドライヤーで髪の根元を乾かすと、今度は全体を満遍なく温風を当てていく。

 凄く手慣れている。ナルトは感心して眺めた。

 

「こんなの応急処置だからね。髪の毛は毎日のケアが大切なん、だか、ら………………」

 

 滑らかに動いていたサクラの口が止まった。サクラがドライヤーを動かす度にナルトの荒れて指通りが悪かった髪がふわふわと柔らかくなっていく。

 ものの数秒辺りでナルトの髪は適度に乾き、綿毛のように広がった。

 ナルトは「へー」と思った。

 ドライヤー当てるだけですぐにこんなに変わるのか、と。使ったことがほとんどないので、ちょっと驚いた。

 

「…………………………」 

 

 ゴトッ。サクラはドライヤーを置くと、櫛を取り出してナルトの髪を梳き始めた。何故かドライヤーの置いた音が無機質に響いた気がしたが、きっとナルトの気のせいだろう。

 サクラが櫛を通す度に、ナルトの髪は真っすぐに伸ばされていく。あっという間に綺麗な直線を描いて地面に伸びた。

 完璧に流れが揃ったナルトの髪は陽光を照り返してキラキラと輝いて、少し眩しい。

 手入れって意外と簡単なんだな、とナルトは思った。

 真っすぐな金髪の少女が鏡越しに無垢な表情でこちらを見ている。

 鏡の向こうに居る自分は、まるで別人のようで現実感がなかった。それが自分であることも実感できない。ナルトは少し恐ろしくなった。綺麗だとか、可愛いとか、そういう感情を抱くことを本能が拒絶しているのを感じる。

 

「ねぇ、ナルト。………………アンタ普段からなにかケアとかしてるの?」

 

 いつもより低い声でサクラは囁いた。寝起きでまだ本調子ではないのだろう。ナルトは首を振った。

 

「や、なんにも」

「ふーん。そうなんだー」

「…………あの、サクラちゃん? その、櫛が頭皮に刺さって、あの、痛いってばよ……?」

「え、あ、ご、ごめん。ちょっとその、…………憎しみが溢れちゃって」

「に、憎しみが……!?」

「――――ねぇ、ナルト。私以外の人にはちゃんとケアしてるって、そう言いなさいね?」

「な、なんで?」

「いいから」

「は、はい」

 

 かつてない緊張感を感じる……。ナルトは汗をかきながら頷いた。サクラは溜息を吐きながら再びナルトの髪を優しく梳き始めた。ナルトはまた少し緊張しながら固まっていたが、やがて体の力を抜いた。

 優しく撫でられているようで気持ちがいい。

 

「………………むぅー」

「なによ、変な声出して」

「いやさ、他の人に髪梳いてもらうのって気持ちいいんだなって思って」

「はぁ? そんなの子供の頃に誰だって………………」

「…………?」

「……なんでもない。別に、こんなのいつでもやってあげるわよ。どうせこれから任務で一緒になるんだし」

 

 口ごもったサクラをナルトは不思議に思ったが特に追求はしなかった。ナルトは単に、前のときは床屋に行ってもサッと切ってサッと帰るだけだったので髪を梳かれるという体験をしたことがなかっただけだったのだが。

 

「そっか、ありがとサクラちゃん」

「―――それ!」 

「んぁ!?」

「なんでまた『ちゃん』付けに戻ってるのよ」

「……………………あ」

 

 ナルトは昨日、サクラを呼び捨てにしたことを思い出した。どさくさ紛れにそうしたので、呼び方を変えたことなどすっかり忘れていた。

 なるほど、サクラがさっき怒った理由はこれだったのか。ナルトはようやく理解した。

 

「前からずっと気になってた、どうして、いのとかヒナタは呼び捨てなのになんで私だけ『ちゃん』付けなのよ」

「………………」

 

 ―――確かに。

 

 好意があからさま過ぎる。ナルトは赤面した。好きな子だけちゃん付けで呼ぶなんて真似を特に何も考えずにやっていたことに今更ながら気が付いた。

 昨日は、妙な勢いのようなものがあったから気にしなかったが、改めて呼ぶ状況になると、気恥ずかしい。

 いや、とナルトは首を振った。今は同性同士なのだから深く考える必要はない。サスケを呼ぶみたいに、サクラ、と呼べばいいだけのはずだ。男に戻ったときのことはそのとき考えればいい。ナルトは開き直った。こうなれば行くところまで行こう。

 覚悟を決める。

 

「サ、……」

「…………」

「………………サクラ」

 

 呼びながらナルトはそっと両手で真っ赤に染まった顔を隠した。

 予想以上に、これは恥ずかしい。

 

「なんで照れてんのよ」

 

 サクラは呆れたような目でナルトを見つめた。しかしそう言うサクラも少しだけ頬を赤いように見えた。

 自然に呼び捨てで言えるようになるまでには、まだまだ時間が掛かりそうな予感がした。

 しばらくナルトは下を向いて頬の火照りが収まるのを待った。サクラも黙ったまま、ナルトの髪のセットを続けた。

 

「ツインテールとか似合う気がするんだけどね」

「いや、さすがにそれはちょっと」

 

 変化の術のときはナルトもそういう髪型を好んで使っているが、自分が常にその髪型が良いかと言われれば確実にノーだ。ナルトの中であの髪型は女の子らしさの象徴みたいな意味がある。悪く言うとブリッ子するとき用の髪型なのだ。

 

「まあ、確かにアンタの性格には合わないかもね」

「そうそう」

「うーん、じゃあアレかなぁ。アイツと被るからホントは嫌なんだけどねー」

 

 サクラは顔を顰めながら、ビニールで包装された黒い髪留めを取り出した。何でもないハズのそれが、何故かナルトの目を惹いた。中身が新品なのに、その包装だけが妙に年季が入っているように見えたからだろう。

 

「それって」

「…………これ私は使わないからナルトにあげる」

 

 いつの間にか髪を結ぶことが前提で話が進んでいる。今更ながらナルトはどうしたものかと考えたが、この流れで拒絶できる気がしない。

 

「あー……いいの?」

「いいの。どうせ子供のお小遣いでも買えるようなやつだから」

 

 そう言ってサクラはナルトの視線から逃れるようにさっさと袋をゴミ箱に捨てた。

 また沈黙が流れる。サクラは作業に集中するフリをしてナルトと視線を合わせないようにしているような、そんな不自然さを感じた。

 また怒らせてしまったのだろうかとナルトが考えていると、

 

「昔ね、おでこがコンプレックスな女の子が居たの」

 

 ポツリとサクラが溢した。

 

「その子は、おでこが広いことを周りの子に馬鹿にされててね、デコリンなんてあだ名を付けられてイジメられてた。だから友達一人居なくて、いつも隅っこで独りで泣いてた。そんなとき、ある女の子がリボンをくれて、それからおでこを可愛く見せる髪型も教えてくれたの。その瞬間、女の子の世界は一変した。それからは友達も出来て、いつの間にか皆の輪に入れるようになった」

「………………うん?」

「でね、同じように女の子の輪に入ってない子がもう一人居たの。おでこのコンプレックスがなくなった女の子は、その子もきっと自分と同じように皆と友達になりたいに違いない、って思いこんでね。おねだりして貰ったお小遣いで髪留めを一つ買って、その女の子に持って行ったの。自分も、自分を助けてくれた女の子のようになりたくてね。……でも、結果は大失敗。もう一人の女の子は、べつに皆と友達になりたいわけじゃなかったから。初めて喋ったその日に大げんかして喧嘩別れしちゃって、結局、ずっとポケットの中で握りしめていた髪留めは渡せないままで。…………でもその女の子は、せっかく買ったそれをどうしても捨てられずに、未練がましくずっと机の奥に仕舞ったままにしてた」

 

 唐突に始まった話は唐突に終わった。

 結局、何についての話なのだろうか。ナルトは内心で首を捻った。

 話し終えるとサクラは唇を結んで、緊張した様子で鏡越しにナルトを見つめていた。

 ナルトは、正直よくわからなかったので、目を細めて「へー」とだけ相槌を打った。

 サクラは頬を染めながら、頬を膨らませた。

 しかしすぐに口元を綻ばせるとピンときていない様子のナルトを笑った。

 

「………………もうっ」

 

 しょうがないなぁ、というようなそんなふうな柔らかい笑い方だった。

 

 

 

 

 

「―――どう?」

 

 サクラがやや得意そうにそう訊ねた。

 ナルトは、鏡に映った自分の姿を唖然と見つめた。

 確かにこの体は、自分の体ながら客観的に評価すると悪くはない容姿をしていることを知っている。

 しかし、どことなく男っぽいというか、子供っぽいというか、以前の自分はそういう男だったときと変わらないと感じることができるギリギリの容姿をしていた。

 しかし、これはもうその範囲を完全に逸脱してしまっている。

 艶やかなハイポニー姿の少女が鏡の中に立っていた。今までは前髪に隠れがちだった勝気な目も、長い睫毛も、サクラが整えてくれた眉毛も、この髪型ならよくみえる。……見えてしまう。

 

 ―――可愛い。

 

 ナルトは奇妙な敗北感と共にそれを認めた。活発そうなスポーツ少女っていう感じで、まだナルトのストライクゾーンの年齢よりは若干幼いものの、その内に秘めたポテンシャルは存分に感じる。

 ご丁寧に額当てを付けやすいように前髪を上げてくれているし、ポニーテールも結び方はそれほど難しくないらしい。至れり尽くせりで、サクラが色々気を配ってくれているのがわかる分、文句も言えない。

 髪の毛をどうしていいかわからないと感じていたのは確かなのだ。額当てを付けるときも邪魔になりがちなのに、男の時と違って短く切ればいい、というわけでもないからだ。サクラが教えてくれたやり方ならば、ナルトでもできなくない。

 抵抗感を除けば、悪くはないのだ。

 

「………………あんまり良くなかった?」

「や、全然、そんなことないってばよ」

 

 少し、考えを改めよう。

 そもそも、ナルトの格好が少しばかり女の子っぽくなったからって誰か困るというのだろうか。普段は鏡でも見ない限り自分では意識しないし、他の人間もナルトの見た目などに大した興味などないはず。

 

 ―――少し自意識過剰だったかもしれねぇ。

 

 少し容姿が変わろうがナルトの精神は男のままだ。一度殺され、生き返ったと思ったら過去に戻っていた上に女になるというとんでもない経過を経てここに居るのだ。いまさら髪を結ぶぐらいなんだというのだろうか。

 折れかかっていた膝を堪え、そしてぎゅっと握りこぶしに力を込めた。

 一度だけ深く息を吐き、視線を上げて再び鏡に向かい合う。

 確かに鏡に映った自分は、今までの自分とは多少違う。しかしそれだけだ。ヤバイ扉を開けかけているとか、ズルズルと流されて感覚がマヒし始めているとか、そんなことはないのだ。

 

 ―――大丈夫。

 

 そう内心で唱えると、本当にたいしたことではないような気がしてきた。

 ナルトは己の精神的な成長を感じ、唇の端を持ち上げた。

 と、後ろで扉が開く音が聞こえた。

 

「あ、サスケくん」

 

 その瞬間、肌が泡立った。

 ――ナルトは地面を蹴ると素早く反転し、壁に背を付けて頭を手で隠した。コンマ数秒の神速の動きであった。

 振り返った視線の先には、壁に片手を付いた体勢のサスケが居た。

 寝起きなのか、疲れのせいか、あまり機嫌の良くなさそうなしかめっ面をしている。

 まだ見られていないはずだ。ナルトは背中にじっとりした汗を感じながらそう判断した。

 

「…………サクラと、……ナルトか。……っぐ」

「だ、大丈夫? サスケくん」

 

 目の辺りを押さえたサスケにサクラが駆け寄っていく。

 慣れない写輪眼を酷使し過ぎたせいだろう。三人の中ではサスケが一番体調がよろしくなさそうだった。意識が完全に覚醒していないのか、妙に据わった目をしている。

 

「まだ寝てた方が」

「問題ない。……それよりナルト。お前には聞きたいことが………………なにしてやがる」

「い、いや。なにが?」

 

 サスケは訝し気に壁に背を付けたナルトを見つめた。

 振り返ったサクラまでも不思議そうな顔をしている。

 ナルトは急に現実を思い出した気分だった。自分は女になってしまい、そしてついにこんな女の子らしい格好まで許容し始めているという、恐ろしすぎる現実を。

 

 ―――ぜんっぜん、大丈夫じゃなかったってばよ……。

 

 受け入れなければいけないことはわかっている。わかっているが、その事実に感情がまだ追いついていない。

 今はまだ、サスケの前でこの格好のまま平静でいられる気がしない。せめて自分を慰める時間が欲しい。

 頭を隠し壁に背を付けながらナルトは目を動かして逃げる場所を探す。しかし、退路はサスケの背後だ。

 

「………………まぁいい」

 

 頭痛がするのか顔の辺りに手をやりながら、少し覚束ない足取りでサスケがナルトの方に歩いてくる。どうやら珍しいことに、サスケは少し寝ぼけているようだ。

 追い詰められたナルトは背を反らして壁に身体を密着させる。

 

「まずは、てめぇはなぜ写輪眼の開眼法について知っていやがった」

「あー、それな……」

 

 その問いも大分やっかいだったが、それ以上にナルトはこの状況を一旦逃げ出したかった。助けを求めるようにサクラの方に視線を滑らせる。

 視線が交わると、サクラが何かを察したような表情に変わった。

 

「あー、……………………私、ちょっとカカシ先生呼んで来るね」

「ちょ」

 

 ―――違う。

 

 そう言うよりも早くサクラはくるりと背を向けて部屋を出ていった。

 そしてナルトが動揺している間もサスケは止まらずに距離を詰めてきていた。ナルトがサスケに視線を戻したときには、サスケはナルトを下からのぞき込むような位置まで接近していた。

 顎を上げてなんとか壁と同化しようとするナルトと、少し屈むような体勢で壁に手を付いている状態のサスケ。

 気が付けばとても変な体勢になってしまった。多分、ナルトが男のままだったなら胸倉を掴まれていたのだろうが、あいにく今の性別は女なのでこんな状態になってしまったようだ。

 壁とサスケの手に囲まれてしまっていて、両手が塞がったままのナルトには抜け出せない。

 

「写輪眼について、知っていることを全て話せ」

 

 ―――なんも知らねぇ……。

 

 ナルトは途方に暮れた。本当に真剣でまるっきりこれっぽっちも知らない。というより間違いなくサスケの方が、写輪眼の知識はあるはずだ。ただ、その真実を伝えてもサスケは納得しないことだけはわかる。

 どうしたものか。ナルトは若干つま先立ちしながら思考を巡らせようとするが、焦って上手くいかない。

 その間もサスケの雰囲気がどんどん剣呑になっていく。

 

「オレの一族の血継限界だ。それを知る権利ぐらいオレにはあるハズだ」

「いやー、なんというか……その話、後にしない?」

「駄目だ。今ここで答えろ」

 

 サスケがさらにぐっと顔を近づけてくる。逃がさない、という意思を感じる。

 逃げられない。ナルトは冷や汗を浮かべる。

 一体、なにをやっているのだろうか。ナルトは客観的に自分を見て泣きたくなってきた。

 この間抜けな状況のなんと情けないことか。一体、なんの罪があって自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。

 そして時間を掛ければ必然的に、サスケの視線がナルトの指に留まってしまった。

 

「…………さっきから何を隠していやがる」

「べつになにも」

「おい――――てめぇ、まさか昨日の怪我がまだ」

「いやいやっ、全然そういうアレじゃ」

「…………見せろ」

 

 サスケは据わった目のまま、ナルトの腕を掴んだ。

 ナルトは抵抗しようとしたが、サスケの指は外れない。その目には苛立ちと、そして心配の色もまた、わずかだが浮かんでいるようにも見えた。

 うっ、とナルトは顔を顰めた。そんな目で見られると罪悪感が沸く。

 この後の凍った空気を想像しながら、ナルトは抵抗するのを諦めた。

 手を下ろして、頭を隠すのを止める。ナルトの視界の端でポニーテールの先端が揺れているのが映った。

 サスケの半眼が、見開かれた。

 

「………………………………………………………………………………………………?」

「へ、変か…………?」

 

 テンパってよくわからないことを聞いてしまう。

 無言無表情で目を見開きながら固まっているサスケ。想定外な状況に脳の処理が追いついていないようだった。

 人生最悪の羞恥プレイが始まった。

 予想通りの地獄のような空気が流れる最中、突如、サスケの見開かれた両目の瞳孔が、赤く染まった。サスケの眼が何の前触れもなく写輪眼に変わったのだ。それを至近距離で見ていたナルトは、「うぉっ」、と悲鳴を上げ、壁に頭をぶつけた。

 瞳孔がすーっと赤く彩られていくのを直近の距離で見てしまった。

 普通に怖いし、普通に引いた。サスケの表情に変化がない分、余計にホラー感が強い。

 

「サスケ、目、目」

「っ…………ぐ」

 

 再起動したサスケが慌てて目を押さえて止まる。

 多分、写輪眼が開眼してまだ日が浅いせいで操作がやや不安定なのだろう。疲労のせいもあるはずだ。ただ、それにしても驚かされた。

 サスケが目を閉じていた間に、ナルトは息を整えた。

 若干、自分は写輪眼がトラウマになっていることにナルトは気が付いた。写輪眼を見ると悪い意味で胸がズキズキし始める。別に取り乱したりはしないが、あまり近くでは見たくないかもしれない。

 しばらくして目を開けたときには、また元の黒目に戻っていた。ナルトは人知れずほっと息を吐いた。

 

「大丈夫か?」

「………………ああ」

 

 これだけでもチャクラを使ったようで、サスケの頭がまた若干ふらふらしている。どうやら結構恥ずかしかったようで頬を赤く染めたまま、支えていたナルトの手を振り払った。

 まあ、勝手に写輪眼が発眼してチャクラを消費してしまうなんて、プライドの権化たるサスケに取っては恥ずかしかろう。お漏らししてしまう子供みたいだとからかってやろうとも思ったが、流石に可哀想すぎるので自重してやった。

 しかし、その想像のおかげでナルト自身の羞恥心もある程度は相殺できた。恥ずかしいが、逃げ出したいほどではなくなった。

 

「…………下らねえ真似するんじゃねえ」

「……ごめん」

 

 下らないというよりも意味不明な混沌とした空間のような感じだった気がしたが、ナルトは素直に謝った。

 真面目な話をするような空気ではなくなってしまった。

 サスケは頭をガシガシと掻きながら、洗面所を出ていった。

 どうやら危機は一旦は逃れたようだ。今の内にまた問い詰められたときどう誤魔化すか考えておかなければならないけども。

 

 

 

 

 

 

「ね、姉ちゃんが、姉ちゃんが、……きれい?」

「おい、それは結構失礼だってばよ?」

 普段が汚いみたいではないか。一応、ナルトだって汚れ等にはちゃんと気を遣うぐらいの男子力はあるのだ。

 一瞬、戸惑った様子のイナリだったがすぐに順応してナルトに飛びついた。ナルトも窒息するぐらい思いっきり抱きしめ返してやる。

 

「ねーちゃん!! ボクやったよ!」

「ああ、見てたぞ。凄かった」

「えへへっ」

 

 無事でよかったとは言わない。男と男にそんな言葉は要らないのだ。

 

【貴様は男ではない】

(うるさい)

 

 無粋なツッコミは無視して、イナリの頭をくしゃくしゃになるぐらい撫でてやった。あの捻くれた態度が嘘だったかのように、素直にイナリはそれを受け入れた。

 

「今日も釣りに行くのか?」

「…………ううん、しばらくはいいかな」

「あれ?」

 

 イナリはナルトから離れると、少しだけ精悍になった顔で笑った。

 

「橋が出来たら、父ちゃんに報告に行く! けどそれまではもういいんだ」

「そっか?」

「うん! 橋の工事、ボクも手伝うから。……ボク、父ちゃんやじいちゃんや―――姉ちゃんみたいにカッコいい大人になりたいから。だから、いいんだ」

「……そっか」

 

 もう十分イナリは格好いいとナルトは思った。けれど、そんなことは言うべきではない。きっともっともっとイナリは成長していく。もしかしたら、ナルトにはなれなかった本当の英雄にだって、いつの日かなってしまうのかもしれない。それを眩しく思いながらナルトも笑い返した。

 

「だから、…………待っててね姉ちゃん」

「待たない」

「えっ」

「…………追いかけて来いってばよっ」

 

 拳を胸にとん、とぶつけてやる。

 きょとんとした表情のイナリだったが、すぐに真剣な表情に変わると、「うん」と重々しく頷いた。

 ナルトも、笑ったりしない。

 簡単に追い抜かれてなどやるものか。ナルトだってまだまだ進んでいける。

 せいぜい追いかけ甲斐のある大人になって、イナリの前を走り続けてやろう。

 少し格好つけたやり取りを終えると、二人で気恥ずかしさを払うように笑い合う。

 

「わあっ、に、忍者がいるよ!」

 

 子供特有の甲高い声が遠くから聞こえた。

 イナリと同い年ぐらいの少年たちが、いつの間にか集まってきていた。ナルトからやや離れた位置に立って、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。どいつもこいつも生意気そうな面をしていて、将来有望だ。

 

「うわぁ、本物の忍びだぁ」

「昨日の女の人だよっ」

「い、イナリ! こっちに来いよっ」

 

 ナルトが怖くて近寄ってはこれないようだ。

 遠くからイナリを呼んでいる。ナルトがその集団に指を指すと、一層騒がしくなる。

 

「あれは?」

 

 イナリもやや戸惑ったように、

 

「昨日、その、約束したんだ。橋の工事の時間になるまで一緒に、その…………なんかやるって」

 

 と言った。

 

「ふーん」

 

 ナルトは頷いた。昨日ナルトと別れてからイナリも色々あったらしい。これもまた前とはちょっと違う未来の形だ。

 まあ、街の中ならばもう危険はないだろうし、時間的にもそう遠くにはいけない。

 ナルトはイナリの背を押してやった。

 

「行って来いよ」

「……うんっ、姉ちゃん、またあとでね」

 

 イナリがナルトの下から走り去って、騒がしい集団に混じってあっという間に街の方へ消えていく。それを少し寂しい気持ちでナルトは見送った。弟が居たなら、多分、あんな感じなのだろう。 

 

 ―――そう言えば。

 

 かつて、波の国に造られた橋の名前は『ナルト大橋』と名付けられたそうだ。風の噂でその話を聞いたときは、嬉しいような面はゆいような、そんな気持ちになった。

 そして、なにより誇らしかった。

 でも、今度はどうなるのだろうか。

 また同じように『ナルト大橋』になるのだろうか。それとも、今度はまったく違う名前が付けられるのだろうか。遠ざかっていくイナリの背を見つめながら、ふと、そんなことが思い浮かんだ。

 ナルトはそれを知るのが少し楽しみだった。

 未来は変わっていく。

 けれど、ナルトはもうそのことから決して目を逸らさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご報告が一件あります」

 

 火の国から遠く離れた、とある秘境。

 無数の実験器具が立ち並ぶ、岩肌が剥き出しの異様な広さの大部屋。中は薄暗く、光を通す窓一つない。

 灯された蝋燭が頼りなく周囲をぽつぽつと照らしている。

 訓練された忍びでも、この中を完全に見通すのは難しいだろう。

 その目が蛇の目でもない限りは。

 

「波の国のマフィアに任せていた『醒心丸』の原料プラントが、木の葉に潰されてしまったとのことです」

 

 男は闇に言葉を投げ掛ける。しかし、返答はない。

 

「そしてプラントの破棄も完全に間に合いませんでした」

 

 蝋燭の火が、揺らいだ。

 いつの間にか、男の近くの壁に黒い影が浮かびあがった。それは揺らめく火のせいかまるで人の影とは思えない、まるでのたうつ蛇のように男に這寄って来た。

 声が響く。

 

「………………ぬかったわね。カブト」

「申し訳ありません」

 

 カブトと呼ばれた男は膝を突くと見通せない闇に頭を垂れた。

 

「まさか、木の葉がこれほどまでに迅速に動くとは全く予想できませんでした。これはボクの失態です」

「………………」

 

 蛇の影は鎌首をもたげて男をのぞき込んだ。まるで品定めするような、いますぐにでも飛び掛かってきそうな、そんな動きだ。男は汗を浮かべながら、しかし体勢は崩さない。舌先が男の頭上を掠めた。

 

「…………まぁ、いいわ」

 

 蛇の影は引き、男は小さく息を吐いた。

 

「どのみちあれはもう用済みだった。切り替えは用事が終わった後にするつもりだったけど、この際もういらないわ」

「ありがとうございます」

「新薬の製造に移りなさい」

「はい。すでに稼働準備を進めております」

「そう……」

 

 男は立ち上がって、持っていた紙を捲って今後の製造スケジュールを述べ始めた。内容は全て記憶してはいるが万が一のミスも許されない。

 伝え終えると、影は満足そうに「ではそのようにしなさい」とだけ告げた。

 

「でも、木の葉如きがアレに気が付くなんてね。少しだけ気になるわ」

「ええ。それにあの方のリークも一切ありませんでした」

「知っていて黙っていたのか。あるいはあの男ですら、―――出し抜かれたか」

「……恐らく、後者だと思われます。このプラントの破壊は彼にとってもデメリットでしかないはずですから」

「……………………」

 

 男は次に何かを告げられるよりも早く、資料を捲って一つの写真を取り出した。そして闇に向かって一枚を放った。受け止めた音だけが静寂が占める部屋に響いた。

 

「うちは……サスケ」

「ええ、貴方のお気に入りの一人ですね。しかし、実際にプラントを発見したのは別の二人の忍びです。一人ははたけカカシ。あの噂に名高いコピー忍者です。そしてもう一人が、そのとき随伴していたうずまきナルトという下忍です」

「…………うずまきナルト?」

 

 影は訝し気にその名を繰り返した。それはその名に驚いたというよりもその名前を単に記憶していないからゆえの疑問だったようだ。少し間を開けてから、影は思い出したように呟いた。

 

「あぁ…………九尾の餓鬼ね」

「ええ。監視役の報告によれば彼女が表向きの任務の方でも重要な役割を担っていたとか」

「ふぅん」

 

 興味なさげな声。

 暗がりから、蝋燭の火が届く場所に男が現れた。病的なまでに青白い肌をした、不気味な目をした痩身の男だ。

 歳は壮年のようにもあるいは若々しい青年のようにも見える。

 一見、ただの優男な外見だがその隈模様に縁どられた目が、明らかに異様な光を放っている。

 

「人柱力の餓鬼がまさかサスケ君と同じ班員とは、ふふ。三代目の考えそうなことね」

「………………」

「前見た時は才能なんてまるで無さそうに見えたけど」

 

 男は手に持った写真を蝋燭の火にくべた。乾いたそれは、瞬く間に燃え広がっていく。

 

「ま、どんな才能があろうと興味はないわ。四代目の血もうずまきの血も、うちはの血の魅力には到底及ばないもの。…………それにどうせ」

 

 指で庇って燃え残った写真にはサスケの姿だけが残っていた。それを見つめながらその男―――大蛇丸は邪悪に嗤った。

 

「暁に殺されちゃうんだものね」

 

 

 

 

 




 あとがき



 ナルト「よし、白と再不斬生存させた上にサスケとサクラも前以上に強くなったってばよ! そしてオレもちょっとは強くなれた!」

 びーぶー(警戒音)

 音の勢力が貴方に注目しています。
 木の葉のある勢力が貴方に注目しています。
 ―――の勢力が貴方に注目しています。
 カカシが貴方に―――を抱きました。今後のルートに影響が出ます。
 裏ルート白生存ルートが達成されました。『難易度が上がります』

 ナルト「」

 
 NARUTOの世界は上には上が居続けるのでどんなに強くなろうと敵もそれに合わせて強くなるのでつまり常に白熱した戦いが見られるんだ! やったね!

 因みこの世界を司る神は、鯨の形してたり心臓の形をしてたり雛見沢におわしてたりするよ! 皆の好きな邪神を想像してね!

 

 今後の予定
 短編幾つか挟んだら、(たぬき編)と(ほね編)を予定してます。大丈夫だ、プロットはできてる。
 








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幕間
幕間『幼狐の一日』①


『幕間と本編は別々に投稿してはならない。何故なら読む人は本筋を読みたいのであって幕間はそれのおまけに過ぎないからだ』―――民明書房発行アドルフ・ヒトラー著『我が闘争』より抜粋


 すまねぇ、力尽きちまったよ…………幕間のしかも半分です。


 

 犬塚キバは何時も通り日が昇るよりも早くに赤丸の散歩に出かけていた。

 すがすがしい天気の朝。

 空に雲はほとんどなく、通りには清々しい風が柔らかく吹いている。ご機嫌な天気だ。

 しかし、それに反するようにキバの内心はあまり芳しくなかった。

 そしてその理由を、自分自身でも完全には理解できていない。

 ただ原因は分かっている。

 それは、ごく最近起こったとある出来事に起因していた。

 それは、ある人物に関連している。否、その人物そのものが原因だった。

 兄弟の微妙な内心などまるきり構うことなく、赤丸は周囲を縦横無尽に走りまわる。

 キバはその後ろを一歩下がった状態でやや俯き気味に、益体の無い思考をグルグルと回しながら歩く。

 しばらく歩くと、大通りに面した交差路が見えてきた。

 ふと、匂いがした。

 その匂いを嗅いだ瞬間、キバは鼓動が激しくなるのを感じた。

 犬塚一族であるキバは嗅覚がイヌ科の動物に等しい。目よりも早く、匂いで周囲の異変に気が付くことができる。今回もまたそうだった。

 

「あ、赤丸っ……!」

「?」

 

 大通りに向かって走る赤丸を追って捕まえると、交差路の入り口付近の壁の窪みに身を隠す。

 匂いが近づいてくる。一段と上がったキバの心臓の音が、静寂にうるさく響いた。

 間一髪だった。

 少し間を開けて大通りの道を歩く匂いの主が、キバが潜んでいる通りを横切った。

 特に立ち止まることはなくそのまま通り過ぎていく。

 間を開けてそっと物陰からその背に視線を向ける。

 軽やかな歩調で石畳の上を歩いていく柔らかな匂いの少女。

 その特徴的な明るい色のポニーテールを忌々しく睨んだ。

 

「グゥルル………」

 

 腕の中で赤丸が苦しそうにもがいた。

 キバは慌てて赤丸を抑えた。

 

「静かにしろ赤丸っ」

 

 気付かれたのではないか。キバは恐る恐る壁から顔を出した。

 少女の背はもう遠く、小さくなっている。ほっと息を吐く。

 

「わりぃわりぃ、赤丸」

 

 赤丸を開放すると、腕から飛び出すようにして赤丸は地面に降り立つと一度、抗議するように、ワンっ、と鳴いた。

 赤丸にもう一度謝りながらキバは何故自分がこのような真似をしなくてはいけないのかと理不尽に思っていた。

 あの少女に、会いたくない。だがどうしてか、気になってしょうがない。

 原因は分かっている。―――しかし、その理由がわからない。 

 任務を終えて里に帰って来たあの少女に会ったあの日から、キバの理解できない不調は始まったのだ。

 

  

 

 

 

 すがすがしい天気の朝。

 キバは毎朝の日課である赤丸の散歩に出かけたのだった。空気は程よく朝冷えしていて身が引き締まるような、ご機嫌な天気だ。それに伴ってキバの気分も絶好調だった。

 街中なので、幾分森でするよりも控えめに小便でマーキングをしている赤丸を視線の片隅に置きながらキバは薄っすらと雲が透けている、青々とした空の下、鼻歌を歌いながら歩いていた。

 道なりを歩き大通りに差し掛かる頃、ふとある古馴染みの匂いを感じた。

 数週間ぶりの匂いだ。ここ最近はよく早朝に会うことが多かった少女だが、しばらくは任務で里を出ていたせいでその匂いを嗅ぐことはなかった。

 帰ってきていたのか。

 気分を良くしながらキバはやや進路を変更する。もちろんその少女の方向へ、だ。

 基本的に寝起きがいいキバだったが、朝にあの少女をからかうことで更に良い気分で一日を始めることできるのだ。

 

「ワン!」 

 

 赤丸が吠えた声が曲がり角の先で聞こえた。

 

「よぉ、バサバサ女!」

 

 先に走っていった赤丸が吠えた匂いの主に、道を曲がりながら声を掛ける。

 しかし、その先には思い描いていたような人物は存在しなかった。

 道を曲がった先には、キバの見知らぬ少女が立っていた。

 黒とオレンジの忍び装束姿で、丁度キバと同世代ぐらいに見える。

 足元で赤丸にじゃれつかれて、少し屈んで相手をしていた。慌てた様子もなく、軽くじゃれてやっている姿はどこか大人びている。

 相手を間違えたか、キバは突然のことにやや混乱した。

 

「あ、ス、スンマセン」

「あん?」

 

 少女は、最初に感じた凛々しい雰囲気に反して粗雑な口調で応えると、背を伸ばし伏せていた目をキバに向けた。

 身長は、ややキバよりも高い。すらっとした均整の取れた体型。柔らかそうな金髪をハイポニーテールでまとめている。

 なにより、その真っすぐに力強いアーモンド形の眼が印象的な、そんな少女だ。

 若い中型の猟犬を思わせる、無駄のない立ち姿。

 

「あ、いやソイツ、オレの忍犬で……」

 

 気圧されながら応えつつ、再び匂いで相手を確認する。しかし、先ほどと寸分たがわず目の前の少女は旧い馴染みの知り合いだと告げていた。赤丸の反応も、初対面の人間に対するものではない。

 混乱を深めるキバは少女の頬に特徴的な斜線が三つ並んでいるのを視界の端に捉えた。

 まさか、キバは直観に導かれるまま口を開いた。

 

「………お前、もしかしてナルト、か?」

 

 少女は形の良い眉を片方上げて、左手を腰に当てた。

 

「見りゃわかんだろ」

「は………………」

 

 わかるかっ!! と叫びたい衝動にキバは襲われた。それをしなかったのは、単にそれ以上の衝撃を受けていたからに過ぎなかった。

 目の前の少女が『あの』うずまきナルトだと、頭の中で等号して処理できない。

 ……身長、抜かされてる。

 任務の間に伸びたのか、以前までは明らかにキバの方が高かった身長が、ほんのわずかにだが、明らかにナルトの方が高くなっている。

 その事実に予想外のダメージを負わされた。

 何時もは野暮ったい前髪に覆われていた真っすぐすぎる目に圧されて、視線を彷徨わせる。

 そういやこいつは女だった、などと今更ながら思い出した。

 

「はぁ、ふぅん……へぇ」

「なんだよ」

「いや………」

 

 正直、ほとんど別人だが元々顔立ちは悪くはなかった。

 驚いたが、有り得ない、とまでは思わない。

 圧されるものを感じながら、反面でそれではいけないと言う声が内心から響いた。

 ナルト如きにビビるなど、ましてや侮られるなど、あってはならない。ナルトは万年成績ドベで血統なしの落ちこぼれであり、自分はそんなナルトを見下しつつも、しかし最上位にはいけないことは弁えているそれなりに優秀な秘伝忍術継承者の忍なのだ。

 その階級の差は明らかであり、絶対の事実だ。

 多少見た目が変わろうと、その群れの順位が入れ替わるような道理はない。

 キバは努めて、何時も通りに振る舞うように言葉を探す。

 

「……ブスが着飾ってるなぁと思ってよ。ま、ちっとはマシになったんじゃねーの、ブスに変わりないけどな」

「あ?」

「しっかしお前の場合、見た目に気を遣う余裕があんなら、もっと修行とかした方がいーんじゃねぇか、なにせ成績万年ドベなんだからよ」

「………………………」

 

 ここでナルトが怒り出すから、その後は何時もの流れにもっていける。キバは長年で固定された関係性からそう予想していた。

 しかし、次に見たナルトの表情は完全に予想外だった。

 ナルトは、怒ってなどいなかった。

 悲しみもしなかった。呆れたり、殊更に無表情に努めていたりもしない。そんな虚勢は目で騙せてもキバの嗅覚までは誤魔化せない。故に嘘はない。

 それを例えるなら、街中で思いがけず知り合いに会った時のような、そんな素朴な表情だった。

 

 

「そういやお前は……」  

 

 反射的に身構える。

 

「な、なんだっ」

「お前は、…………前のときと全然、変わってないよなぁ」

 

 淡々と事実を述べるようにナルトはそう小さく呟いた。

 

「は?」

 

 馬鹿にしているとか挑発して言ったのだとしたら理解できる。しかしそれは、不自然なまでにぽっかりと穴が開いたように感情が乗らない声だった故に、キバがその言葉の意味を瞬時に理解しかねた。

 ナルトは足元ではしゃいでいた赤丸を抱き上げると、また小さく呟く。

 

「お前も」

 

 忍犬である赤丸が、こうもあっさりと抵抗なく捕まったことに驚く余裕もなく、キバは困惑で固まっていた。ナルトから視線を剥がせない。 

 

「………ほい」

 

 気が付けば顔面に赤丸を乗せられていた。妙に湿った感触に意識を覚醒させる。そういえば、先ほど赤丸はマーキングしていたばかりだ。

 

「ばっ、ヤメロ!」

「じゃーな」

 

 赤丸をどけると、既にナルトは背を向けて歩いている。それを呆然と見送りながら、キバは自分が動揺していることを認めた。

 そこでやっと、先ほどのナルトの言葉が自分に対する罵倒であったと理解した。

 

「おいブスが調子乗んな! 何が変わってないだ。オレは変わった! 前よりも強くなった! アカデミーの頃よりももっと差は開いてんからな!」

 

 歩き去るその背に言葉をぶつける。

 反応しないだろうと予想したが、意外なことにナルトは足を止めると、キバの方に振り返った。

 蒼い双眸が、キバを射貫いた。

 

「っう」

「………そりゃ、良かったな」

 

 ナルトはただそう言って、ニッコリと笑った。

 

「ぐっ」

 

 その顔を見た瞬間、キバは何故か二の句を告げられなくなってしまった。頬が妙に熱い。ナルトを真っすぐに見れない。ナルトが去るまで、キバはその場を動けなかった。

 これでは完全に負け犬の遠吠えではないか。

 苛立ち冷めやらぬまま、キバは寄って来た赤丸に同調を求めた。

 

「………………ブスが調子に乗りやがってよぉ、なぁ赤丸っ」

「――クゥン?」

 

 妙に興奮する兄弟を赤丸は不思議そうに見上げるのだった。

 

 

 

 

 今思い返しても、理解できない。

 しかも、誰かに相談しようという気にもならない。鬱屈とした気持ちを溜めこんだまま、キバは長々とため息を吐いた。

 

「くそっ、オレはなにやってんだ……………」

 

 遠いナルトの背を睨みながらキバはぼやいた。

 

 

 

 

 

 木の葉の蒼い野獣ことロック・リーの朝は早い。

 日が昇る前に起床して軽く朝食前に木の葉の里の外周を走るランニングから、リーの一日は始まる。もちろん、本格的な修行前とはいえ気は抜かずに全力で走りに集中する。集中し過ぎてランニングは気絶するまで続けるし、なんなら気絶してもしばらくは走る。

 班員のテンテンからは『頭がオカシイ』、などと言われるが、リーは心外に思っていた。本当はもっと走りたいのだ。しかし任務に支障をきたすような真似はできないのでしょうがなく、この程度で納めている。

 ただ走り続けるだけ、それだけで持久力と根性が付く。こんなに素晴らしいことはないとリーは常々思うのだが、賛同者は少ない。

 雨の日も風の日も、この日課は欠かしたことはない。一日の始まりを告げる大事な時間。

 と、しばらく前まではそうだったのだが。

 ここ最近は少し事情が違っていた。

 リーが何時ものように木の葉の里を丁度一周したとき、木の葉大門の前に人影が見えた。

 軽くストレッチをしていたようだ。黒とオレンジの忍者装束の少女が何時も通りの時間に立っていた。

 リーは胸をときめかせながら、手を上げて挨拶をした。

 

「―――ナルトさんっ! お早うございます!」

 

 静寂に響き渡るリーの声に反応して少女が振り返った。ただそれだけの動作が、リーには光のエフェクトを伴っているように見えた。陽光を照り返す柔らかな金色の髪を揺らしながら少女は振り返ってリーの姿を認めると、優しく目を細めた。

 

「ああ、おはよー。ゲジ…………リーさん」

 

 金髪のポニーテールの可憐な少女が微笑みながら挨拶を返してくれた。

 うずまきナルト。ここ最近、早朝によく会う年下の忍の少女だ。

 大門を通り過ぎると、ナルトと二人で並んで軽くジョギングする。

 そうして、しばらく会話もなく静かに走る。リーはこっそりと横を窺う。ナルトは呼吸を整えるようにしながら、ポニーテールを規則的に左右に揺らして走っている。澄んだ色の蒼い瞳とそれに覆いかぶさる淡い色の睫毛が朝日に透かされてまるでガラス細工のように眩い。 

 可憐だ……。

 リーは内心で感嘆した。走る姿勢も良い。どことなく、同じ班員のネジを思わせる柔らかい走り方だ。一目で体のしなりが良いことがわかる。

 おそらく、体術の体系も柔拳の方に近いのではないだろうか。あまり忍の話はしていないがそんな気がした。両の手も戦いに備えた忍の手をしてはいるものの、打撃を多用する者特有の厚みのある拳ではない。

 

「ナルトさんは、なにか体術をなさっているのですか?」

「んー、今はやってるのは体術っていうか………………踊り、に近いかな」

「へぇっ、踊りですか」

「うん、結構難しいんだってばよ。決まった動きを覚えるだけじゃなくて、それを状況に合わせて使わなくちゃいけないんだ」

「それは…………、ボクも同じことを悩みます。型を習得することと、実戦で使うことには大きな差がありますからね。ボクの場合は練習あるのみですが」

「練習あるのみ、か。確かにそれしかねーか…………流石だな、ゲジ、じゃなくて、リーさんは」

「いえいえ全然っ、ボクにはそれしかありませんからっ」

 

 ナルトの素直に感心した様子に、リーは照れてしまった。

 女性と自然な世間話をしている。しかもかなり良い雰囲気で。 

 リーは内心で感動の涙を溢した。どころか実際に、走りながらナルトから顔を背けつつ涙を流しながら拳を握りしめた。

 リーとナルトの出会いは、今と同じようにリーが朝のランニングをしている時に、同じように走っているナルトに挨拶をしたのが始まりだ。

 ナルトは、初対面のリーに対して全く嫌悪感を示さなかった初めての女性だった。それどころか、最近では薄っすらと尊敬の念のようなものすら、時折感じてしまう。

 体術しか使えない忍というのは白い目で見られがちだし、そうでなくとも見た目や言動から女性に敬遠されるのは慣れていた。それを含めて自分で選んだことだ。そこに暗い気持など、今はない。

 けれど、ナルトはそうではなかった。最初からリーの見た目で判断して遠ざけたりせず、笑顔で会話してくれた。

 体術への熱いこだわりをうっかり熱弁してしまった時も目を輝かせて『カッコイイ』と本心から言ってくれた。

 今では、時間が合えば少しの間だけ一緒にウォーミングアップしながら会話するぐらい親しくなっていた。

 ただ、そうなるまでには実はリーは一つ、悩んだことはあった。

 リーは未だ修行の身だ。それなのに色恋に現を抜かして、あんなに張り切っていたランニングを中途半端にしていいのか、と。

 悩んだ末に担当上忍であるガイに相談したこともあった。

 ―――そのとき殴られた頬の痛みを、まだ覚えている。

 リーは心の中でガイに感謝しつつ殴られた左の頬を撫でた。

 

「どうしたってばよ?」

「あ、いえ。…………単なる青春の痛みです」

「??」

 

 不思議そうにこちらを眺めるナルトに曖昧に誤魔化す。流石に本人を前に語るには恥ずかしすぎる内容だ。

 それは数日前のことだ。

 

 

 

 

 

「バッカヤロ――――!!!」

 

 不可避の鉄拳を喰らい、リーはもんどり打って吹き飛んだ。修練場の硬い地面を転がり木人椿に頭をぶつけて止まる。衝撃が心身を駆け巡ってリーは体勢を立て直すことも出来ずにガイを見上げた。

 背後に青い炎の幻影が見えるぐらいに熱く燃え上がっている自分の担当上忍の姿が、そこにあった。

 突然の鉄拳に、リーは目を白黒させた。

 

「ガ、ガイ先生………」

「いいか、リーよく聞け」

 

 ガイはゆっくりとリーに歩み寄って来た。リーを見下ろせるぐらいの距離まで歩いてくると足を止め、リーを見た。

 

「青春は、けっしてお前を縛るものではないっ」

「えっ」

「青春とは、己のやりたいことに全力でぶつかっていくこと! 恋も青春! 修行も青春だ! どちらにも優劣などあるものか」

「………ガイ先生」

「いいか、大事なことは現状に満足せずに何事にも全力で挑み続けることだ。そうすれば、決してどちらも中途半端になどならない」

「…………」

「…………リーよ、間違うな。『青春』は、お前の可能性を狭めなどしない」

「っ」 

 

 ガイは屈みこむと、未だ木人椿に寄りかかったままのリーの肩に力強く手を置いた。

 

「明日を照らす希望の灯―――、それこそがお前の目指す青春なのだ」

「―――ガイ先生っ」

 

 リーは躊躇わずガイの懐に飛び込んだ。相当な勢いで突っ込んだが、ガイもまた当然のようにリーを受け止めた。互いに強く抱きしめ合う。

 

「ガイ先生、ボクは、ボクは………!!」

「いいんだリー………、もう何も言うな」

 

 そうして師弟で青春の涙を流し合った。

 

「―――どうでもいいんだけどさ」

 

 声がした方を向くと、近くの材木置き場兼休憩場の丸太山に座っていた黒髪の少女、テンテンが冷めた目でこちらを見ていた。

 

「その女、普通に怪しくない?」

「何を言うんですかテンテン!」

 

 聞き捨てならないと、リーは立ち上がって抗議の意を示す。それを見下ろしながら、テンテンは組んだ足の上に顎肘をついて意に介さずに言葉を続ける。

 

「リーのその暑苦しいテンションにドン引きしない同年代の女の子が一人もいないとは私も言わないけどさ、でもそれが『この時期』な上に、その相手がそこそこ手練れそうな忍の女なのは、流石に出来過ぎじゃない?」

「ナルトさんはそんな人じゃありませんよ」

「ま、あんたはそう言うでしょうけど……」

 

 テンテンは呆れたように何か言ってやってくれという目線をガイに送った。

 

「うずまきナルト、…………カカシ班の子か。しかしカカシはそんな卑怯な真似をするような奴ではないし、教え子にもそう指導しているだろう」

「…………うーん、ガイ先生がそう言うなら」

 

 言葉ではそう言いつつ、どこかテンテンは納得いっていない様子だった。

 

「仮にそうだったとしても、その程度の策略一つでお前たち三人の力に打ち勝てはしないよ。自信を持て! お前たちは木の葉の下忍の中でも頭一つ抜けている」

「自信と過信は違いますから。……特に私は二人ほど飛びぬけた地力があるわけじゃないですし」

「そんなことありませんよ! テンテンはウチの班唯一の遠距離型ですし、頼りにしています」 

「話がズレてる………、ま、もういいわ。私の考える通りだったら一度は顔を合わせることになるから」

 

 見た目のお転婆感に漏れず、テンテンは中々頑固な側面がある。今日もまた他人の意見を鵜呑みにはせずに自分なりの結論を出して落ち着いたようだった。

 テンテンが班員として心配してくれているのは分かっているし、感謝もしていた。しかし、その心配は杞憂だとリーは言いたかった。

 とにかく、これで心の迷いは晴れた。リーは清々しい気分で夕日を見上げたのだった。

 

 

 

 

「じゃ、オレはこっちだから」

 

 別れ道でナルトが手を上げてそう言った。リーも返事を返し、その背を見送る。緊張が走り、運動とは別の汗が掌に滲む。それを服で拭って、リーは思い切って声を上げた。

 

「ナルトさん!」

「んー?」

 

 目を細めてリラックスした様子のナルトが振り返った。

 

「なんだ?」

「あ、あの。その、今度、ボクとよかったら―――」

「?」

「ボクとその、デ、デ、………組手でもどうですか」

 

 直前で意気地が足りなかった。臆病な自分が恨めしい。何も知らないナルトは嬉しそうに頷いた。

 

「もちろん! こっちこそお願いしたいぐらいだってばよ!」

 

 太陽もかくやという笑顔のナルトを前に、今更別のことを言いだせる雰囲気ではない。

 リーは未練を断ち切って、さっと諦めた。

 ニコニコと本当に嬉しそうなナルトを見ていると、これでよかったような気さえしてくる。

 

「―――今度約束な」

「ええ、もちろん」

 

 今度こそ去っていくナルトを見送って、リーは肩を落とした。

 誘えなかった。

 しかし、次の瞬間にはリーは再び燃え上がっていた。失敗なんて何度も経験してきた。これを糧に次こそはもっとスマートに誘って見せる。

 ぐっと拳を握りしめ、リーは静かに心を燃やした。

 

 ―――ガイ先生、今ボクは青春を謳歌しています!!

 

 

 

 

 

 



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幕間『幼狐の一日』②

 


 訂正 前章の最後に判明した大蛇丸の造っていた薬の名前は『覚醒丸』→『醒心丸』です。

 ちなみに醒心丸はサスケが呪印の状態2に覚醒する時に飲んだヤバイ薬です。オリジナルの怪しい薬登場シーンではなく原作にあったやつなんです。普通に間違えて覚えていて読んでいる人には訳わからん新薬登場させてしまっていました。すみません。


 

 

 奈良シカマルは基本的に任務以外の予定を入れることがない。理由は自分の為の時間を過ごすことが最も大事な予定だからだ。

 しかし何事にも例外はある。たとえば友人との時間。自分の時間と同じぐらいには、意味のある時間だ。

 そしてそれとは別に不本意ながら、自分の時間よりも優先しなくてはいけない事もある。

 奈良一族には通常の任務に加えて、ある重要な業務がある。

 木の葉の薬学関連の書籍の管理をすることがそうだ。

 今は医療の発展が著しいがそれでも薬学に関しては未だ、古くから積み重なった経験からなる知識が必要になる。

 とはいえ直接それに携われるのは奈良一族の中でも限られた極一部の上役だけだ。

 ただ、季節ごとの改訂版や新しい書籍を公共施設に献本したりといった、そういった雑用はもっぱら下っ端の下忍の仕事になる。

 面倒くさいが、こればっかりはサボるわけにはいかない。

 

「どーも」

「あらシカマル君、こんにちは」

「…うす。コレ、新しい本っす」

「はい、ご苦労さま。ちょっと待って、今確認するから」

「ういっす」

 

 カウンターの上に本を置くと、中々重たい音が響いた。シカマルは疲れた肩を回しながら、近くの椅子に腰を掛ける。

 しばらくは暇だ。休みながらぼんやりと周囲を眺める。

 図書館にはこれ以外の用事ではあまり来たことがなかった。自分の家の倉庫の方がよほど詳細な書籍があるし、そもそも本を読むという習慣がない。一度読めば内容は頭に入るので、必要な知識を詰め込んだ後は、日常的に本を手に取る理由がないからだ。

 

 ──はぁ、疲れた……。

 

 下忍というのはアカデミー時代よりも色々な雑用を押し付けられる。一応一端の忍になったことで、ある程度の責任が伴う仕事を割り振れるようになるからだ。この手のお使い染みた雑用も、そういうことだ。

 中忍にでもなれたなら、こんな雑用から解放されるだろうか。シカマルは一瞬だけ魅力を感じたが、だがどうせ中忍になったらなったでより重い責任のある仕事が降ってくるだろうことが容易に想像がついた。

 一生雑用も嫌だが責任のある仕事も嫌だった。

 自分の人生に思いを馳せながら、溜息をつく。

 一族という括りの中に居る忍なら多かれ少なかれ感じる類の悩みだ。これを名誉と思うことができれば楽なのだが、生憎とシカマルはそうではなかった。

 しかし一族に生まれたからこそ得られた物も多い。

 キリがない悩みだ。といつも通りの結論に至る。

 うだうだと考えるのも面倒になって、シカマルは思考を捨ててぼけーっとすることにした。

 

「────あれ、シカマルじゃねーか」

「………ん?」

「こんなところで珍しいな」

 

 知らない女がいた。目に痛い金髪をポニーテールにした妙に目力の強い気の強そうな女だ。気の強い女は苦手だ。何故なら自分の母親を思い起こさせられるからだ。

 思わず無視しようか考えたが、この女からは名前を呼ばれている。知り合いならばその対応は流石に良くない。

 

「チョウジは一緒じゃねーのか?」

 

 その物言いには記憶に引っかかるものがあった。そしてそれに該当する人物は一人しかいない。

 よくよく見れば、面影がある。

 

「……お前、ナルトか」

 

 こう表現すべきなのかどうかわからないが、ナルトが女に変わっていた。ナルトとは男友達と同じ感覚で接していたがために、シカマルは一瞬、どう対応すべきか悩んだ。

 率直に考えて、めんどくせー、というのが感想だった。

 しかしここまで見た目が変化してそれに触れない方が不自然だろう。

 

「見た目がずいぶん、変わったな」

 

 見慣れぬ少女は、シカマルの内心に同調するが如く、どうでも良さそうに頷いた。

 

「まぁ、色々あってな」

 

 心底どうでも良さそうだった。

 その所作はまるで以前と変わっていない。

 どうやら見た目以外はあんまり変わっていないようだった。シカマルはわずかにあった緊張を解いた。

 面倒くさそうなやり取りはしなくて済みそうだと判断する。

 気の強い女は苦手だが、『女女している女』も苦手なのだ。気を使いたくない。

 

「………なんつーか、お前のそういう所、安心するわ…」

「なにが」

「めんどくさくねぇってことだ。──後、珍しいのはお互い様だろ」

「オレは最近割と来るってばよ」

「…………そーいや、説明会のときにも本持ってたな」

 

 驚くべきことにどうやら古馴染みの少女はあれから継続して色々努力しているようだ。そう考えて、自分で否定する。空回り気味ではあったが、努力は今までもしていたことは知っていた。故にこれだって、シカマルにしてみればそれほど驚くべきことではないのだ。

 そのように思いつつ、しかし口では正反対の軽口を叩く。

 

「お前がそうしてるの、違和感がすげーな」

「うるせぇってばよ」

「火影になるんだっけか………よくそんなめんどくせーもん目指せるもんだ」

「なるんじゃなくて、超えるんだってばよ」

「はー………」

 

 熱気がスゴイ。シカマルは引いた。まったく共感が沸かない。上昇意欲が強いのとも違う、理解不能の情熱だ。

 

「そうだ、丁度いいや。ちょっとこの本について聞きたいんだけど」

「…………なんでンなことをオレに聞くんだよ、めんどくせー」

「あのさあのさ、この本、歴史の本なんだけどさ、なんか書いてることが変なんだってばよ」

「聞けよオイ」

 

 ツッコミつつ、わずかな違和感。

 

 オレ、べつに勉強してるキャラじゃなかったよな……?

 

 アカデミーでのペーパーテストは毎回ナルトと同じ零点の落ちこぼれ扱いだったはず。

 しかしナルトのことだ。考えても無駄かもしれない。シカマルは覚えた違和感を一旦捨てた。

 仕方なく、ナルトが広げた本のページを眺める。しばらく視線を走らせたが、ごくごく普通の歴史書に見えた。

 

「………どこが変なんだよ」

「こっちも見てくれってばよ。ホラ、この名前の忍、こっちでは男って書いてあるのにこっちでは女になってる」

「あー…………それか」

 

 シカマルは納得して頷いた。

 

「古い歴史書だと女を男って書いてるやつがたまにあるんだよ」

「………なんで?」

「知るかよ………確か、名誉の為、だったか?」

「??」

 

 昔の忍の一族の人間関係は多くの場合一族の中で完結していた。同盟や主従関係こそあれ、それは交流がある、というだけであって同じ一族とは見做さなかった。

 一族に属する条件は単純だ。

 同じ血が流れていること。

 そして婚姻関係も原則的に同じ一族同士だと決まっていた。

 ここまでわかれば後は単純な話だ。

 女性を戦場に出せばそれだけ一族の子供を産める女性の数が減る。女性の数が減れば一年に生まれる子供の数も減る。

 戦力が増えるメリットを差し引いても、デメリットの方が大きい。

 文化や風習は実益の後を付いてくる。

 故に女性を戦場に送るのは余裕がない表れだとされ、恥ずべき行為だと考える文化が生まれた。

 もし女性を戦場に送ることがあっても、自分たちの歴史書にはその人物を女ではなく男と書く場合が往々にしてあった。あるいは相手の一族を侮辱するために男を女と書く例も多くはないが、あったそうだ。

 大戦以前の忍の歴史に登場する女性の数が、圧倒的に少ない理由がそれだ。

 

「ま、要するに古い世代ほど男とか女とかにうるさいってことだよ」

 

 シカマルは、そう投げやりにまとめた。

 シカマルにしても男とか女に拘る性分なのは明らかに父親の影響であり、そしてその父親もまた、一族の伝統から影響を受けているのだろう。里という単位で忍が纏まってそれなりに長い年月が経つがそれでもなお、未だに一族と伝統という括りは残り続けている。

 秘伝、秘術、秘薬、秘技──、響きは格好いいかもしれないが、要するに同じ里の仲間であっても完全には腹は見せ合ってはいないということ。

 ゆっくりと同化してはいるのだろう。けれど、まだ時間は必要なのだ。

 

「ふーん、なるほど……」

 

 わかったようなそうでないような顔でナルトは頷いた。面倒くささを押し殺してまで説明してやったのに、とシカマルは少し呆れた。

 仮にナルトがその時代に生まれていたとしたら、火影になるという夢を見ることすら許されなかっただろう。まぁその時代には火影も里も存在しないのだが。などと益体の無い思考を回す。

 

「本に書いてあることが全部正しいわけじゃないのな」

 

 ナルトらしい答えにシカマルは笑って頷いた。

 

「はっ、そりゃそうだろ。特に歴史なんてもんは勝った方の視点で書くもんだしな」

 

 奈良一族が公開している薬学の研究も、いま届けたばかりの本も、その全てを明らかにしているわけではない。公開してもいいと判断した情報だけを選別してから、段階的に公表しているのだ。と、これも脳内だけで呟く。

 

「……そっか」

 

 少し、青い顔をしてナルトは頷いた。

 

「どうした?」

「あ、いや、なんでもないってばよ」 

「…………」

 

 どう見ても嘘だな。

 と、思ったが触れない。

 元から、ナルトには触れられない部分が幾つかあった。何故か、里の大人達から排斥されていること。親がいない理由。『四代目』火影との関係。そして九尾の妖狐について。シカマルは薄々、様々な事柄を察しつつも、しかしそれらには一切触れてこなかった。友人でも、否、友人だからこそ、相手が口に出さない以上は踏み込まない。

 それが忍の一族に生まれた人間の処世術だ。

 これまで一度も、ナルトはシカマルに助けを求めたことはなかった。だからこそ、差し出がましい真似はしない。

 

「慣れない勉強のしすぎで眠くなったか? ──あんま無理すんなよ」

「うるせーって、さんきゅーなシカマル」

 

 ナルトは舌を出すと片手を上げて歩き去っていく。

 それをシカマルは黙って眺めた。

 

「──はい、シカマル君。確認終わったわ」

 

 ナルトが歩き去ったのを見計らったように、司書の中年の女性はシカマルに声を掛けてきた。

 友人と喋っていたから待ってくれていたのか、たまたまこのタイミングで確認が終わったのか、あるいは──。シカマルはこれまでと同じようにあえてそれを確定させることなく、挨拶を返して図書館を出た。

 思い浮かべるのは、あの古馴染みの少女のこと。何時も通りに見えて、何時もとは少しだけ様子が違っていた。

 ガシガシと頭を掻いた。

 

 今度からたまには、図書館に寄っていくか。

 

 このぐらいなら、別に踏み込み過ぎには当てはまらないだろう。

 そう思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの時間、猿飛木ノ葉丸は、疲れで足を引きずりながら歩いていた。エビスの特訓はアカデミーが終わった後、日が暮れるまで続けられる。

 とはいえ、疲れているのは特訓が理由ではなく、特訓が終わった後に伊勢ウドンとのおいろけの術の練習が白熱しすぎてしまったせいだった。

 チャクラを危うく枯渇しかけたところで我に返ったが時すでに遅し。

 体を引きずって家に帰る羽目になったのだった。

 疲れと空腹で視界がグルグルと回る。

 木ノ葉丸の通る道の両脇には小売りの店が軒を連ねており、時折見かける屋台からは腹に響く匂いが漂っている。

 ポケットを探ってみる。……お小遣いの残りの小銭が数枚転がり出てくる。

 買い食いは、できそうになかった。

 せめて視界に入れないように前を向くと、ふと、あの明るい金髪が目に飛び込んできた。

 

「姉ちゃん!」

「────ほぐぁ?」

 

 木ノ葉丸が呼びかけると、くるりと、少女が振り返った。

 金髪に青い瞳。木ノ葉丸よりも随分と高い背。

 最近のトレードマークとなっているポニーテールは今は結わずに下ろされていた。髪はやや濡れて艶めいており、首にはタオルがかけられている。黒とオレンジのウェアは、袖が捲られファスナーも外されて中に着ていた黒のインナーが見えていた。

 額当ても、今は額には掲げておらず、ウェアのポケットからその黒い布が覗いている。

 うずまきナルト。

 木ノ葉丸の姉貴分であり、師匠でもあり、憧れでもある。

 そして今、その憧れの口には肉まんがはまっていた。

 

「いほぃか」

 

 口にはまっている肉まん越しに不明瞭な声が響く。恐らく木ノ葉丸の名を呼んだことはわかった。その手にはまだ幾つかの肉まんが抱えられている。木ノ葉丸の視線は、否応なくその肉まんに吸い寄せられていく。

 ぐぅう、と大きく音が響く。

 ナルトの視線が木ノ葉丸のお腹を捉えた。

 木ノ葉丸は視線でナルトに訴え続ける。 

 

「………ふぅか?」

 

 肉まんを差し出された。木ノ葉丸は頷くと同時に礼を言いつつ受け取って頬張った。

 

「むぐっ!」

 

 熱い!

 齧った瞬間に思ったよりもまだ全然熱が冷めていないことに気が付いた。予想外の熱に、木ノ葉丸は飛び上がった。

 空腹から思いっきりかぶりついたのがよくなかったが、もう後の祭りだ。

 口の中の突如として灼熱地獄が発生してしまった。

 喜びから一転、のたうちまわる。 

 

「ほら」

 

 呆れた様子のナルトが、片手に持っていた缶ジュースを手渡してくれた。蓋がすでに開いているそれを木ノ葉丸は一気に呷った。

 冷たいリンゴジュースが咥内を流れて熱を取り去っていく。ヒリヒリと痛む舌を外に出しながら木ノ葉丸は一息ついた。

 

「あーあ、まだちょっとしか飲んでないのに」

「ごめんだぞコレ。ナルト姉ちゃん」

「まぁいいけど。後輩に奢るのは先輩の役目だからよ」

 

 肉まんを頬張りながらナルトは少し得意そうにそう嘯いた。

 頬を染めて胸を張っている。どうやらナルトは人に奢るのが好きなようだ、と木ノ葉丸は思った。ちなみに実は、木ノ葉丸は基本的に人に奢られるのがあまり好きではない。何故なら、大抵の人間は三代目火影の孫だからという理由でなにかとよくしてくれるからだ。それを理解してからは理由なく物を贈られたりした場合は受け取らずに断っていた。他人に物をねだることも、ほとんどしなくなった。

 もちろん、ナルトは例外だ。

 ナルトだけは木ノ葉丸自身に良くしたいと思ってくれていることがわかるから。

 なので遠慮なく色々ねだっている。

 幾つかあった肉まんも、二人で食べるとあっという間に無くなってしまった。

 ナルトは機嫌が良さそうに調子の外れた鼻歌を歌っている。

 そんなナルトを、通りすがる人々はチラチラと眺めているのを、木ノ葉丸は察していた。

 火影の孫として生まれた時から人に注目されてきた木ノ葉丸は人の視線には敏感な方だ。故に以前よりそのことには気が付いていた。

 ナルトはまったく気にした様子はない。

 

「…………」

 

 気にはならないのか、以前、ナルトに問うたことがあったが、その答えはあっけらかんとした「別に。もう慣れたってばよ」という言葉で返され、それ以上は何も言わなかった。

 今も視線は続いている。

 しかし、それは以前までとは少し毛色が違って感じられた。

 前は、冷たい目線や嫌悪の視線が多かった。露骨に避けるようにしている人もいた。

 今もそれはある。けれど、そうではない視線も混じっているように、木ノ葉丸には感じられた。

 なんというか、若い男が多い。

 大半は里の外から来たであろう、木ノ葉丸が見かけたことのない男達だが中には里の住民も混じっている。

 悪意のある目つきではない。

 それどころか好意的に見えなくもない。

 そうなった切っ掛けは、木ノ葉丸も理解していた。里外任務から帰ってきてから、ナルトの見た目は随分変わった。前から整った容姿はしていたことは木ノ葉丸は知っていたけれど、見た目が全然女の子らしくなかったせいで他の誰も気が付いていなかったのだ。

 でも、今はそうではない。

 前よりも背も伸びて、どこか大人びて見える。

 

 オレの姉ちゃんなのに…………。

 

 木ノ葉丸はなんとなく不愉快だった。

 今もすれ違った男が流し目にナルトの様子を窺っていたのを木ノ葉丸は見逃さなかった。 

 ムカついた。

 腹立たしい。

 ナルトを知らなかった里の外の者はともかく、理由は知らないが今まであれだけあからさまに避けておきながら、見た目が良いことがわかった途端に掌を返すように態度を変えるのは気持ちの良いものではない。

 これはナルトにとっては悪いことではないかもしれない。けれど木ノ葉丸には無性に腹立たしかった。

 咄嗟に木ノ葉丸は手を伸ばすと、ナルトの手を握った。

 

「おっ」

 

 ナルトがやや驚いた様子で木ノ葉丸を見た。木ノ葉丸は視線を逸らして前を向いた。

 

「なんだー?」

「……………なんとなくだぞコレ」

「?」

 

 狐のように目を細めるとナルトは不思議そうに首を傾げた。しかし、木ノ葉丸がそのまま手を握ったまま歩き続けると、特に振り払うことはせずにそのまま手を繋いだままにしてくれた。

 木ノ葉丸は周囲をねめつけると精一杯を圧力を放った。

 

 オレの姉ちゃんだ。近づくんじゃねーぞコレ。

 

 ナルトは、木ノ葉丸の憧れで、凄い忍者だが、どこか自分に無頓着というか無防備というか抜けている所がある。特に男に対してそんな感じがする。

 守らなくてはいけない。

 その為なら、火影の孫という七光りの立場だって使っても構わない。

 木ノ葉丸の気も知らずにナルトは再び、のんきに鼻歌を歌い出した。

 

「友達に見つかったら恥ずかしーんじゃねーの?」

「うっ」

 

 それはその通りだった。ナルトはおかしそうに笑った。しかし木ノ葉丸も意地で手は離さない。

 

「なんかよ、こうしてると本当の姉弟みたいだな」

 

 ナルトが本当に木ノ葉丸の姉だとしたらそんなに嬉しいことはないだろうと、木ノ葉丸は思った。

 それに、そうだとしたら木ノ葉丸同様、ナルトも火影の孫ということになる。そうなったら、この不躾な視線も少しは減るのではないだろうか。

 そうなればいいのに。木ノ葉丸はそんなことを想った。

 

「姉弟、家族、か…………」

 

 ナルトは小さく呟いた。その声に篭められた憧憬に木ノ葉丸は思わずナルトを見上げた。ナルトは明後日の方向をぼんやりと眺めていた。

 その視線を追うと、一組の親子連れが目に入った。

 どこにでもいそうな普通の親子だ。幼い男の子が親に手を引かれて、人混みの中を歩いていて、手には買い物袋が握られている。どこかで今日の夕飯を買った帰りなのだろう。

 ナルトは静かな目でそれを見つめていた。木ノ葉丸は、その親子連れではなく、それを見ているナルトを見上げ続けた。

 いつもの強い光を宿した目ではなく、どこか儚い、淡い色の目をしたナルトを。

 その後、長い間、折に触れて、木ノ葉丸はこの時のナルトを想い返すことになる。

 それは時間で見れば短い間だった。ナルトは視線を切るとまた前を向いて歩きだした。

 

「そういや……」

「え?」

 

 ふと、ナルトは何かを思い出したように顔を上げた。その顔はいつものナルトに戻っていた。

 

「あ、いやなんでもねーってばよ」

 

 そう言うと誤魔化すように笑った。

 そうして、二人でゆっくり帰り道を歩いた。

 

 

 

 




 
 また力尽きた………、次でこの閑話は最後です。


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幕間『幼狐の一日』③

 下校する生徒達に返事を返しながら、うみのイルカは深々と溜息をついた。

 アカデミーの職員室の窓の先に既に薄暗くなりつつある運動場が面している。そこからは部活動で最後まで学校に残っていた生徒たちが校門からそれぞれ帰っていく姿が見える。 

 今日の業務も何事もなく終わりそうだと感じて、ふと気が緩んでしまったようだ。ハッとなって口元を押さえるが、もう大分遅かった。

 幸い、生徒には見られていない。

 ただ近くに立って同じように下校する生徒達に挨拶を返していた年嵩の同僚とはバッチリ目が合ってしまった。

 イルカは気まずい思いを味わいながら、苦笑いを浮かべた。

 

「スミマセン、仕事中に…………」

「ああ、いえいえ生徒も全員下校したようなものですし、お気になさらず。ただ、いつも明るいイルカ先生があのように溜息をつく姿が少し珍しかったもので」

「あ、あはは……」

「なにか悩み事でも?」

「…………いえ、昨日少し友人と飲み過ぎてしまって」

 

 その言葉は嘘ではないが、完全な真実でもない。

 

「ははぁ、なら今日は飲みには誘え無さそうですねぇ」

「あははスミマセン……」

 

 イルカは自分のデスクに戻ると、今日何度目かすら思い出せないぐらい繰り返した数日前の記憶を再び思い起こした。

 今日から遡ること三日前の、早朝の事。イルカの住むマンションに一人の忍が訪れた。黒装束で顔に白い面を被った痩身のその忍は、日常の景色には明らかに異質で、しかし反してその存在感は酷く希薄で、それゆえ見慣れた朝の景色に奇妙な不協和音を起こしていたのを覚えている。

 忍は己を『暗部』だと告げた。

 突然のことにイルカは驚いたが、しかしかといって暗部に探られて困るような後ろめたい事情などは存在しない。すぐに平静を取り戻すと、暗部の使者に用件を尋ねた。

 何かの事件の目撃情報か、あるいは不審な人物の心当たりか、大方、そんな所だろう。イルカは返事が返ってくるよりも早く内心でそう当たりを付けた。自分でこそこのような場面に遭遇したのはこれが初めてだったが、知り合いや同僚からは似たような話は一つ二つ聞いたことはある。

 しかし暗部の忍がイルカに尋ねてきた内容はイルカの想像したような類のものではなかった。

 彼はこう言った。

 

 ────『九尾の人柱力』について、幾つか訊ねたいことがある。

 

 その物言いに反射的に不快感を感じ、その質問も意図を掴みかねた。

 彼はナルトのアカデミー時代の印象や言動、そして最近のナルトに対して感じた違和感などをイルカに続けて問い質した。それらに意味も解からないまま答えながら、イルカは疑問を呈した。うずまきナルトは確かに九尾の人柱力ではあるが、それ以外の点に置いては今更暗部が特筆しておくべきことなどない、と。

 彼はイルカの疑問には答えなかった。

 まさかナルトが木の葉に反逆するとでも勘ぐっているのだろうか。イルカは危惧した。ナルトは木の葉に対して常に従順な忍であるわけではない。しかしあのような境遇に追いやられて迫害されていながら、木の葉の里に対して愛情を持ってくれていることをイルカは知っている。

 そうだとしたら勘違いも甚だしい誤解だ。

 イルカはそれを告げたが、彼に響いた様子はなかった。

 

『お前が知っている人柱力の姿がどうしてあのバケモノの本性であると言い切れる』

 

 イルカは憤慨した。

 自分がナルトを一番理解している人間だという自負がイルカにはあった。

 ただ、最近のナルトの態度が変わったと何となくではあるが感じていたのは事実だ。それは単純に下忍になって様々な経験をしたゆえの成長なのだと、そう解釈していたのだが。

 暗部が去ってから、イルカは不安が僅かに沸き上がった。

 ナルトが自分を騙しているなどとはまったく思わない。

 ただ自分の知らない所でしかし自分の身近で、見えない何かが動いているような、そんな不快な予感があった。

 それが錯覚であれば別にいい。

 だがそうでないのだとしたら………………。

 三代目がこれに関与しているとは思えないが、流石にまだこの段階で三代目に直談判などは出来ない。

 それとなくカカシに話を聞いてみようと、軽く考えた。

 時間を作ってカカシに会いに行き少し聞きたいことがあると告げると、カカシも、丁度イルカに聞きたいことがあったと、そう返された。

 そのときもまた、嫌な予感が沸き上がったのを覚えている。

 機密性の信頼できる忍御用達の居酒屋のつけ台で、横に並んで座る。暗部が家まで来てナルトの事を探っていたことを話すと、カカシは少し驚いた様子だったが、それと同時にどこか納得したような表情でもあった。

 おそらく、全てを話せるわけではないのだろう。お猪口の中の酒を眺めて逡巡しながらカカシは言葉を選ぶようにゆっくりと語り始めた。

 先日、波の国から受けた依頼で起こったことを。

 初日に霧の中での忍び刀七人衆の一人と血継限界を持つ忍の少年の奇襲を撃退し、修行中にサスケの写輪眼を覚醒させてみせ、再度戦った二人の強力な忍を完膚なきまでに叩きのめした後、波の国での問題を一掃してみせた一人の少女の話。

 螺旋丸、瞬身の術、猿飛の術、仙術────、その少女が披露した底知れぬ秘術の数々。そしてそれ以上に恐ろしいのは、すべてを見通して敵味方を動かして見せた慧眼と知性。

 何の話だ。と戸惑っていたイルカは、カカシの話を最後まで聞いてもそれがナルトの事を話しているとは到底信じられなかった。

 冗談、でしょう? 

 イルカがそう言うと、カカシはオレもそう思いたいですよ、と静かに返した。

 有り得ない。

 ナルトは、忍術が苦手だ。チャクラを練ることも下手くそだ。体術だって大したことはない。チャクラ量も九尾のチャクラを除けばそれほど多いわけでもない。

 頭だって余りよくはない。イタズラが好きで短気で我慢が出来ない性格でもある。

 忍としての才能はあまりない方だった。

 けれど、一生懸命な奴だった。真っすぐに前を見据えて諦めずに歯を食いしばって泥まみれになりながらも頑張れる、すごい奴なのだ。

 自分にとっては手の掛かる可愛い教え子でそしてなによりも、誇りだ。

 決してカカシが語るような忍とは重なるような子ではない。

 しかし、カカシがこんな嘘をつくはずがないとも思った。確認しようとすれば簡単にわかることだ。嘘をつく理由もないしカカシはこのようなことをふざけて言ったりするような男ではない。

 

『イルカ先生。貴方でさえ、知らなかったのですね』

 

 そう言われて、ショックを受けている自分がいることにどこか他人事のように気が付いた。ナルトと過ごしてきた日々そのものを薄っぺらいものだったと言われたにも等しいというのに。

 螺旋丸に猿飛の術を習得しているのだとしたら、少なくとも三代目と自来也が関係していることはもう半ば確定している。伝説の三忍に加えて現役の火影が秘密裏にナルトを鍛えているならば、それはもはやイルカが首をつっ込める次元にはない領域の話だ。

 カカシも戸惑っているのだろう。その話し方がどこかたどたどしいのはカカシ自身が自分の語っている内容をどのように評価していいのかわかっていないからではないのか。衝撃の中でもどこかで冷静な部分がそうやって答えを補間して、カカシの言葉を疑う理由を、自分自身で消していってしまう。

 呆然とするイルカを横目に見ながら、カカシは言葉を続けた。

 

『オレは、ナルトがボロボロになりながら敵の忍を救ったことを怒ってやらなくてはいけなかったんですよ。そんな生き方を続けられるはずがない。すぐに犬死するだけだと。けれど、言えなかった』

 

 カカシは恥じ入るように目を伏せた。

 

『殺さなくてはいけない敵だったし、オレはそう判断した自分に後悔はない。でも、そんな敵をアイツは救ってみせた。オレが絶対に出来ない、やろうとも思わなかったことをナルトは実行し、そしてやってのけた。正直、胸が震えました。恐ろしさと、多分、……憧憬で。三代目や四代目、そしてオビトに感じた大きな何かを、あんな小さな女の子から見出してしまったような気になってしまった。だから、言えなかった』

 

 カカシの喋っている内容は理解できる。しかし頭に浸み込んでこない。それが事実だったとしても幾ら想像してもイルカの知るナルトと重なり合うことがない。

 カカシはお猪口の酒を飲み干すと、一息ついた。

 

『初の里外任務の下忍にこれですよ。案外、数年後にはアイツは火影になっていて、そしてオレ達は心の底からナルトを崇拝しながら、『うずまきナルト万歳!』と叫んでいるかもしれませんよ』

 

 カカシは苦笑を浮かべつつ冗談めかした口調でそう言った。場の空気を変えようとしたのだろう。間が開いて返事がないことを不審に思ったのか、顔を上げてイルカの表情を見たカカシは目を丸くした。おそらくあまりに酷い表情だったからだろう。慌てるように訂正をした。

 

『……いや、これは冗談ですよ』

 

 まったく笑えやしなかった。

 そこからの記憶はあまりない。

 いつもは適量の範囲で抑える酒の量を大幅に超えてからも飲み続けた記憶が辛うじてある。

 一晩経って二日酔いと共に少しだけ冷静にはなった気がするが、思考はあまり纏まっていなかった。

 幸い今日の当直はイルカではない。急ぎの業務もない。少し早めに帰って休もうと思った。

 夜の帳が落ちた校門の前に、一つ影が伸びている。まだ帰っていない生徒がいたのだろうか。

 

「あれ、イルカ先生」

 

 その声にイルカは身を固くした。今イルカがもっとも顔を合わせづらい少女が、そこに立っていた。見慣れない少し大人びた格好で、しかしいつも通りの狐顔で機嫌良さそうに目を細めている。

 

「ちょうどよかった、イルカ先生に会いに来たんだ」

 

 ナルトは普段と変わらない様子でそう言った。

 動揺を隠しながらイルカはぎこちなく笑った。

 

「な、なんだナルトか。どうした何かオレに用でもあったのか?」

 

 ナルトは頬を染めて頷いた。そのあまりに珍しい表情にイルカは固まった。

 そしてその次にナルトから飛び出した爆弾発言に耳を疑った。

 

「あのさあのさ、イルカ先生さぁ、────オレと手ぇ繋いでくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 等間隔に並ぶ街灯の光が頼りなく照らす住宅街を歩く。

 人影は少なく、静けさが広がる道を大通りへの方に向かって歩いていく。

 横を歩くナルトを横目に見ながら、イルカは何時になく落ち着かなかった。

 一緒に帰ろう、とナルトは校門の前でイルカに言った。断られるとは微塵も思っていない表情で。イルカは反射的に動揺を隠すと、頷いた。

 この遭遇自体は別に不思議な事ではない。ナルトがアカデミーまでイルカを訪ねて来ることは時々あることだ。

 ただ、このタイミングの悪さは居心地が悪かった。何となく作為的ななにかがそこにはあるのではないか。普通の態度のナルトの裏に、何か得体の知れないものが隠れているのではないか、などという益体の無い想像だ。

 ましてやどういう経緯で『手を繋いで欲しい』などというお願いが飛び出したのか、まだナルトからは聞いていない。

 そうやってナルトを疑ってかかってしまう自分に自己嫌悪を感じた。

 

「イルカ先生、どうかしたか?」

「な、なにがだ?」

「うーん……、なんか元気がないよーな」

「大人は色々あるんだよ」

「ふーん」

 

 誤魔化しつつ、ナルトの慣れない見た目に少し戸惑う。ついこないだまではただの悪ガキで男に間違われることもしばしばあったのに。女の子の成長の早さには驚かされるばかりだ。

 

「…………お前こそ、最近は何か変なこととかなかったか?」

「変なこと?」

「あ、ああ」

 

 ナルトは少し考えるように右上を見上げて腕を組んだ。

 

「最近、たまーに、知らない奴から声かけられることかな」

「なんだって…………どんな人だ?」

「里の外の奴だってばよ。なんかご飯奢るとかなんとか」

「んっ? …………それってまさか男、か」

 

 ナルトは頷いた。

 そのどこか幼さを感じる仕草に、イルカは今までとは別の意味の危機感を覚えた。まさか意味を分かっていないわけではないだろうが。

 背が伸びて見た目は確かに多少大人びたが、イルカからすればまだまだ子供にしか見えない。しかし世の中には色んな人間がいるものだ。イルカは新しい頭痛の種が増えるような予感がして思わず頭に手をやった。

 

「まあ、忍ってわかるとどっかいくけど」

「額当てはどうした。あれを付けていればそんなことは起こらないだろう」

「サクラがさー、任務後に汗かいたまま付けてると怒るんだってばよ。だから任務帰りの時は外してる」

 

 その言葉に少し驚く。サクラとナルトが一緒の班になった時はどうなるかと思ったが、どうやら上手くやっているようだった。

 

「サクラとは、仲良くやっているようだな」

「うーん、まぁ………」

 

 微妙に歯切れが悪い表情でナルトは頷いた。

 

「…………それはそうと、次同じようなことがあったら、すぐに額当てを出すか、忍であることを言いなさい」

「あー、ハイハイ」

 

 ナルトののんきな返事にイルカは溜息をついた。忍だと知ってまで手を出してくる愚か者はそうはいないだろうが、しかしそれと自己防衛するしないは別の話だ。

 と、伝えたがナルトは面倒くさそうに両手で耳を塞いだ。

 見た目が変わろうと、中身は悪ガキの頃と変わらないではないか。イルカは呆れた。 

 どのように言い諭せばよいか、何時ものように頭を悩ませる。

 その途中で、イルカは先ほどまで感じていた焦燥感のようなものが薄れていることに気が付いた。

 ナルトをじっと見つめる。けれど、そこに居るのはやはりイルカの知っているナルトだ。

 少し話しただけなのに、それがわかる。

 やはりイルカにはこのナルトの姿が嘘だとはどうしても思えない。

 しかしカカシが言っていることもまた、嘘ではないはずなのだ。

 どういう事なんだろうな、とイルカは途方に暮れた。

 おそらく、アカデミーを卒業した後に、ナルトの中になにか大きな断絶があったのだ。そこにイルカの知っているナルトと、カカシから聞いたナルトを繋ぐ答えがある気がした。

 

「…………………………」

 

 この子の抱えている物は一体何なのだろうか? そしてそれをどうして自分に話してくれないのだろうか。

 ナルトにとって自分とはいかなる存在なのだろうか。

 頼りないだろう。九尾の事も、里の人間から受ける酷い扱いに関しても、イルカはナルトを助けてやれたとは到底思えない。そしてこれからも大した力にはなれないだろう。カカシにも、ましてや三代目や自来也には及ぶべくもない。

 ならば、ナルトが自分を頼ってくれないのは必然ではないか。

 三代目に口止めはされているのだろう。けれど、そうでなくともイルカに話した所で解決できる問題などたかが知れている。

 

「…………ナルト、さっき言ってた手を繋いで欲しい、ってあれどういうことなんだ?」

「ん? あぁ……」

 

 ナルトは恥ずかしそうに頬を染めて視線を前に逃がした。

 

「今日、木ノ葉丸と一緒に帰る途中に手を繋いで歩いてる親子を見てさ、思い出したんだってばよ。昔、ああいうのを、羨ましいって思ってたなって。今よりもっと小さいときの話だけど。だから今更だけど一度ぐらいやっておこうかなって」

「……………………」

 

 ──変わったな、とイルカは衝撃と共に改めて思った。以前のナルトならこんな風に自分の弱さを人に曝け出したりできなかった。意地を張って、自分の弱さなど認めてやれない弱さがあった。自分が子供であることを、ナルト自身が認めていなかった。

 

「イルカ先生はオレの、親父みたいなもんだろ?」

「……せめて兄貴にしてくれ」

 

 茶化すように、そう返しながらイルカは内心で自分の気持ちが分からなくなっていた。今のナルトの話を聞いたときの衝撃と嬉しさと寂しさ、それに影を差すカカシに聞いた知らないナルトの姿、今までのナルトとの関係、暗部が吐き捨てた言葉、そのすべてがイルカの中に渦まいていた。

 なにか行動しなくてはいけないのは分かっているのに、イルカはそれ以上動けなかった。

 ナルトは頬を染めたまま困ったように眉を寄せた。

 

「……そりゃ急にこんなこと言ってオレだってすげー恥ずかしいってばよ。けどよ、きっと、やりたいことはやらないよりもやった方がいいんだ」

「…………?」

 

 ナルトはいつになく静かな声で呟いた。

 

「だって、いつか出来なくなってから後悔しても遅いから」

 

 その声にはどこか、不吉な予感を孕ませた響きがあった。

 イルカは反射的にナルトの手を取っていた。

 ナルトは驚いたように目を見開いた。

 

「手ぐらい、…………手ぐらい、いつだって繋げるだろ」

「……………………そうかな」

「そうだろ」

 

 照れたようにナルトは「へへ」とはにかんで、首を傾げた。さらり、と明るい色の髪が柔らかに流れた。

 

「いやー…………さすがに、これ以上成長したら恥ずかしすぎてムリだってばよ」

「──―ん?」

 

 思っていたよりものんきな返事の内容にイルカは固まった。

 そんなイルカの様子に気が付かなかったのか、ナルトはふと、何かを思いついたようにように「あっ」、と声を上げた。

 

「ああ、でもそうだな。イルカ先生がこのままずっと独身のままだったら、────オレが手を引いて介護してやらなくちゃいけないのかも」

「………………おい」

 

 あまりに失礼な発言に、思わず声が低くなる。

 生憎そんな予定はない。これから間違いなく可愛い奥さんを迎えるのだからそんな悲しい未来は永劫に来ないのだ。今のところ残念ながらその相手はいないのだが。

 イルカが突っ込むと、ナルトは「にしし」と楽しそうに笑った。ボケとツッコミが綺麗に嵌ったからだろう。ネタにされたイルカ自身は表向きには業腹な振りをしたが、心の底では同じ感覚を覚えていた。

 

「……………………はー」

 

 イルカは肩に入った力を抜いた。

 ナルトの抱えているものがなんなのか全然わからないままだ。けれど、ナルトが敢えて言わないのであれば自分はそれを知らなくてもいい、と今は思えた。

 いつか、握ったこの手が離れるときがくるのかもしれない。

 いずれその日がくると思っていた。けれどそれは、イルカが想像していたよりもずっと早いのかもしれない。

 でも、それだけのことだ。

『この子の中にあるもの』が何であれ、ナルトがナルトである限りイルカはナルトの味方であり続ける。 

 ただその決意さえあれば、それでいいはずだ。そしてそれはもうずっと前に自分自身に誓っていたではないか。

 ならば何も迷うことはない、とまで言い切れる強さは自分にはないけれど。

 この子を信じよう。 

 かつての誓いを思い出しながらイルカはぎゅっと、ナルトの手を強く握ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………任務に行きたくない」

 

 ナルトが呻いた。

 

「どうした、藪から棒に」

 

 三代目火影こと猿飛ヒルゼンは朝の修行の時間が終了するや否や地面にだらしなく横たわったナルトを胡乱げに見やった。

 ナルトは地の底から響くような唸り声を上げながら、再び、「任務に行きたくない」と呻いた。

 口寄せしていた大猿のミザルの方に問いかけるように視線を向けると、ミザルはヤレヤレと言った様子で首を振った

 

「最近、いっつもこうなのよ」

 

 手足をばたばたさせつつ、ナルトは任務に行きたくないと呪文のように喚いた。

 

 ──なんじゃこいつは。

 

 しばらく見ていたが起き上がる様子がないので、しょうがなくヒルゼンは一喝することにした。

 

「いい加減にせい。意味もなく仕事を休むことは許可せんぞ」

「だってぇ!」

 

 ナルトは素早く身を起こすと、怒涛の勢いで語り始めた。

 最近、任務中に妙にカカシやサクラ、果てはサスケにまで意見を求められる機会が格段に増えたと。そしてそれに対して少しでも変な提案をしてしまうと、大真面目に訂正されたり、疑問を返されたりするらしい。しかも真顔で。

 どうもナルトが切れ者であるという誤解が班内で広がっているようで、そのせいで酷く辛い思いをしているらしい。

 

「…………………………はぁ」

 

 心底下らない内容に、ヒルゼンは思わず怒鳴りかけて、抑えて溜息をついた。最近、妙に色々な本を精力的に読んだりしていたので驚きつつも感心していたというのに。

 自分の感心を返して欲しかった。

 

「自分が馬鹿であると正直に言ってしまえばいいだろうが」

「ジジイは若者の気持ちを忘れちまってるんだってばよ…………」

「なにぃ?」

「男が、男がっ、好きな女の子を前にしてそんな情けないこと言えるわけねぇだろぉ!」

 

 わからなくもないが、知った事ではない。ヒルゼンの感想は至極シンプルであった。

 

「見栄っ張りは血反吐を吐きながら続ける地獄のマラソンなのよねぇ」

 

 ミザルは憐憫を籠めた声音で呟いた。嫌だぁ、とナルトは再び地面を転がる。と思ったら、ハッとした表情になると、今度は急に立ち上がって慌てたように服に付いた土埃を払い始めた。

 サクラに口酸っぱく指摘され続けて、あんまりにも汚い姿は流石にマズイという意識が芽生えつつあるらしい。

 新調したオレンジと黒の忍装束を叩いたり、指で摘まんで広げて汚れを確認したりしつつ「サクラに怒られるから…………」と呟く背中はどことなく哀愁が漂っている。

 

「最近、オレ少し変なんだってばよ…………、夜にさ、風呂に入った後、乾かした髪を梳かしていると妙に落ち着くっていうか。でも同時に怖くもなるんだってばよ。──大丈夫だよね? オレってばいつか男に戻れるんだよね?」

「うむ。大丈夫だろう」

 

 ──もう駄目かもしれんな。

 

 忍の里の長として長い間政治の世界で君臨し続けた男の持つ冷徹な観察眼はそう結論付けたのだった。

 しかしナルトがこのまま男に戻れなくてもヒルゼンにはなんの不都合もないのでまるで問題はなかった。同じ男としては多少同情はするが。

 一応、色々な術を調べてはいるものの性転換に関わりそうな術は軒並み禁術指定されている。喫緊の事情がなくば、あえて掟を破ってまで禁忌に手を出すのは避けたかった。

 要するに、ナルトが男に戻る目途がまったく立っていないということだった。

 

「サクラとの関係もそうだし、他にもなんかちょっと皆変な気がするというか。このまま女の子のままだとなんかマズイ予感がするんだってばよ。引き返せなくなりつつある気がするというか、戻れる内に男に戻っておきたいっていうか。上手く言えねーけど…………」

 

 喋っている内に、ナルトは頭をガシガシと掻き始めた。

 

「あぁあもう! ムキ──ッ!」

 

 そして、爆発するように両腕を空に高く上げて、ナルトは悲痛な声で叫んだ。

 

「────だれでもいいから早くオレを男に戻してくれぇ!」

 

 

 

 




 はい。生きてました。


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三章 憎愛の器
36『二周目』


 

 

 

 

 

「…………そうか、そういう、ことか」

 

 陶然と呟くと、少年は口を歪めた。

 まるで酩酊しているかのような心もとない足取りで、数歩前に進む。

 目を大きく見開き、歯をむき出して犬歯を晒す。

 それは脈絡のない突然の変貌であった。

 少なくともサスケはその変化に理解が追いつけなかった。

 砂漠の我愛羅、そう名乗ったときの落ち着きを払った理性的な様子などもはや微塵も感じられない狂人の相。

 

 

「お前は、オレと同じだ」

 

 少年の存在感が増していく。

 尋常の気配ではない。

 それは殺気などといいう副次的な力の余波でなく、もっと純粋な根源的な力の発露。

 底の見えない異常な量のチャクラが少年の周囲から湧き上がり続けていく。

 チャクラ量だけならば、あの再不斬ですら比較にできない。

 そしてこの少年の異常さはそれだけですら、ない。

 

「この世界で唯一人の」

 

 少年の背後に何かが、朧げに浮かび上がっている。

 サスケの不完全な写輪眼ではそれを捉えきれない。余りに密度の濃いチャクラの奔流に直視を続けるのも難しい。

 巨大な、怪物の影。 

 冷や汗が噴き出る。身体が震え、歯が勝手に音を立てる。

 チャクラの嵐を巻き起こす少年は身構えるサスケには意もくれず、その嵐の中心で何事もないかのように真っすぐに、ナルトを見据えていた。

 

「────オレの番の化け物」

 

 狂気じみた表情に反して、その言葉は甘く響き、どこか愛の告白に似ていた。

 サスケは、衝動的にナルトの横顔を見た。ナルトもまた目を見開いて同じように砂隠れの少年、我愛羅を見つめていた。ポニーテールを括っていた髪留めが音もなく外れ地面に落ちた。

 呼応するかのようにナルトの髪がゆらゆらと蠢く。

 そのナルトの背後にも目の前の少年と同じような、捉えきれない何かの気配が沸き上がっている。

 その表面上の圧力はこの少年と比ぶべくもなく微かだが、その写輪眼ですら見通せない底知れない何かを、確かに感じる。

 奇しくもあの少年の言葉を裏付けるように。

 我愛羅は笑みを深めた。

 サスケは半ば確信した。確かにこの二人には何かがある。他ならぬ写輪眼を持つサスケだからこそ、それが間違いないことを察することができてしまった。

 そしてそれがこのうずまきナルトという少女の根幹に関わる何かであるということも。

 思えば、この少女の謎は未だ誤魔化されたままだ。

 一度は抑えていた疑惑、疑念、それらが再び頭をもたげる。

 この数か月の間、いくらでも踏み込もうと思えばできたはずだ。それなのに自分はどうしてかその踏ん切りをつけることができなかった。

 それを暴くことで、イタチのいる高みへ這い上がるための何かを掴めたかもしれないというのに。

 復讐を果たすための力が目の前にぶら下っているのならば、手を伸ばさないでいる理由など存在しない。

 しない、はずなのに。

 

 ──―オレは今まで何をやっていた? 

 

 理由も意味もない、その停滞をサスケは悔いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木の葉隠れにて中忍選抜試験が開催されるより遡ること数か月前、木の葉隠れより砂隠れへ、ある一通の密書が極秘裏に届けられた。

 木の葉と砂の間に同盟が組まれて以来、一度として利用されることがなかった暗号通信文を利用したそれは、後に忍の世界そのものの流れを大きく変えることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 波の国から帰還後、数日たったある日のこと。

 ナルトが何時もの様に修行場に訪れると、珍しいことにミザルだけではなく三代目火影こと猿飛ヒルゼンがそこで待っていた。足元には小さめの袋と、花と手桶、そして柄杓のような物が置いてある。

 

「まさか、本当に仙道が開いてしまうとはな……」

 

 嘘だと疑っていたわけではないのだろうが、三代目はやや困惑した様子で独白した。

 岩に腰かけて顎に手を置く姿は喜んでいるというよりも、どうしたものか、とどこか悩んでいる様子に見えた。

 

「じいちゃんが習得してみろって言ったんじゃねーか」

「……それは少し、意味が異なる」

 

 三代目曰く、猿飛の術は元々は確かに仙術用の体術であったが、それは昔の話。仙術による感知を使えなくても猿飛の術を使う方法は幾らでもあるらしい。

 

「例えば写輪眼や白眼のように特殊な眼や感覚を持つ者たちがそうだ。常人の限界を超えた速度で動いても順応することができる。だが、たとえそれらがなくとも、体術とチャクラコントロールの訓練を繰り返すことで時間は掛かるが習得は可能なのだ。つまりワシはあくまでチャクラコントロールと体術の訓練のつもりでお前に猿飛の術を教えたのじゃ。まさかチャクラ放出で空間を覆うなどという裏技を使うとは思わなんだが、しかしそれでも使えるようになったことには変わりない」

「……ようするに?」

「お前は波の国に任務へ行く前に、既に猿飛の術を習得しておったということだ」

 

 ナルトは思わずミザルの方を向いた。そんなことは一言も聞いていないからだ。

 ミザルは肩をすくめた。

 

「だから言ったじゃないのよ。私は人間を訓練したことなんてないって。そんな事情知らないわよ」

 

 三代目は頭が痛いと言わんばかりの表情で額を揉んだ。

 

「…………そうだったのぅ」

 

 三代目の考える猿飛の術とミザルの考えるそれにはどうやら差異があったらしい。

 三代目はしばらくの間ミザルにナルトの訓練を任せっきりだった。それ故の齟齬だったようだが、実のところナルトはそのことにはあまり興味が湧かなかった。

 ナルトが気になっているのは、それとは別のことだ。

 

「まぁ結局、使えたのは一度きりなんだけどよ」

「……まぁ、そうだったとしても。よく」

 

 そこで三代目は少し言葉を切った。褒めてもらえるのだろうか、ナルトは心なしか僅かに胸を反らした。

 

「……よく、死ななかったな」

「ジジイテメェゴラぁっ!! やっぱアレ危険な術だったんじゃねーか!!」

 

 ナルトは反射的に三代目の胸倉に掴みかかった。

 猿飛の術の第三段階に至ったときに感じた意識が拡散していくようなあの恐ろしい感覚。あのとき感じた危機感は間違いではなかった。

 多少の齟齬があったとはいえ、教わった忍術を使っただけで死にかけるなどと、いくらなんでも杜撰が過ぎる。

 ナルトはとりあえず正当な復讐の権利として一発ぶん殴ることにした。

 

「ま、待て! 話を聞け!」

 

 三代目は慌てた様子でナルトの肩を押さえた。

 

「仙術使うの失敗してたらどうなってたんだってばよ!」

「それは仙術の種類によるわね。例えば、蝦蟇の仙術の場合は体が蛙になっていき最期には巨大な石になって死んでしまうわ。けれど狒々の仙術の場合は──」

「…………場合は?」

 

 ミザルは事も無げに答えた。

 

「意識が獣のようになっていって、最終的には自我が壊れて気が狂うの」

「ジジイ!!」

「そもそもお前の仙道が開くこと自体が異常なんじゃ!」

「言い訳するな! 責任取れクソジジイ!」

「そうではないっ。本来、人が仙術チャクラを修得しようとするならば、師の監視の下で仙獣の秘薬を用いて行うものであって断じて勝手に目覚めるようなものではない!」 

「……」

「蝦蟇は油、蝮は毒、蛞蝓は粘液、狒々は酒。幾つか種類はあれど、他力を必要とすることに変わりはなく、それはうずまきの血が流れていようが同じ、のはずだった」

 

 ワシが見誤ったことに関しては謝るが、と三代目は続けた。

 嘘は言っているようには見えない。

 

「……むぅ」

「そして、そう。──―これもまた、その内の一つだ」

 

 そう言って三代目は思い出したように胸元から一つの小瓶を取り出した。ナルトは目を細めて胡乱気にそれを見やった。

 中には小さい黒色の丸薬が、瓶の中ほどまで入っている。

 

「……なにそれ?」

「醒心丸、と呼ばれる代物らしい。お前が見つけた麻薬プラントの植物、あれを原料に製造されていたもののようだ。……粗悪な代物だがな。大量に生産は出来るようじゃが、人の命を顧みてはおらん。仙獣の秘薬よりもさらにリスクを伴う上に、飲んで運よく生き延びて仙道を開けたとしても、仙術チャクラを引き出す度に肉体と精神に強い負担を強いる」

 

 ──―そしておそらくサスケはこれを飲んだのだ、と三代目は続けた。

 ナルトは息を呑んだ。

 

「呪印、肉体の変異、お前から聞いた内容から考えてまず間違いないだろう」

「じゃあ…………あれも仙術なのか?」

「うむ、酷く歪な使い方じゃがのう」

 

 終末の谷で見たあのサスケの恐ろしい形相が脳裏に浮かび上がった。呪印の力。それは力を求めたサスケが里を抜ける理由の一つだったはずだ。大蛇丸から与えられた呪印の行きついた先があの姿だったということなのだろう。

 また、胸がズキズキと痛んだ。

 

「……ダッセーな。そんなドーピングで強くなったつもりだったのかよ…………」

 

 身体の内をグルグルと渦巻く感情を言葉に出来なくて、ナルトはただそうやって悪態を吐き捨てる。

 

「ならサスケはもう、呪印でああなる心配はないのか?」

「そうはいかんじゃろうな。プラントが一つ潰れただけで、今まで製造した分までが無くなったわけではないからのう」

「…………そっか」

「だがこれで分かったじゃろう。お前が突然仙術チャクラを使えるようになったことの異常さが。本来、才能あるものが時間やリスクを伴って初めてそれが叶う術なのだ」

「んなこと言われてもよ…………」

 

 ナルトは頬を掻いた。自分がまた何かしてしまったのだろうか。生憎、全く心当たりはないが。

 

「──―その胸の傷のせい、かもね」

 

 ミザルがポツリと呟いた。

 

「えっ?」

「………………」

 

 三代目は少し考える風に眉を寄せてから、小さく、うむ、と呟いた。

 

「お前には話しておかなくてはならんことがある」

 

 胸の傷? ナルトは内心で首を捻った。そんな傷など存在しない。確かに前の時の記憶を思い出すと胸が痛み出すことはあるが、本当に傷跡があるわけではない。

 ナルトは服の襟元を下に引っ張って覗き込むが、やはり傷跡など見当たらない。

 

「いや、傷なんてないってばよ」

 

 頭を引っ叩かれた。

 

「やめんか、はしたない」

 

 そっちが変なことを言うせいだろうが、とナルトは不満を覚えたが話の先が気になったので渋々飲み込んだ。

 

「肉体の傷じゃないわ。わかり易く言うならチャクラの根幹、魂の傷、とでも言うべきかしら」

「…………魂?」

「そう。そして私がわざわざアンタに修行をつけていたのも、それが理由なのよ」

「?」

「アンタの身の上に起こったことは大体聞いているわ。でも、それがどういう状態なのかアンタは本当に理解しているのかしら」

「そりゃ、わかってるってばよ」

 

 終末の谷でサスケに殺され、目が覚めたら時間が巻き戻っていて性別が女に変わっていて、周囲の認識も自分が女だという認識に変わっていた。

 理解出来ないが、そうとしか説明できない。

 

「まあアンタ目線なら、そうなるのかもね」

「なんだよ、じゃあどういうことなんだってばよ?」

「それはわからないわ」

 

 肩透かしの解答にナルトは一瞬、脱力してしまった。

 

「あまりに不可解すぎるのよ。死からの復活、過去への逆行、性別の転換、ひとつひとつなら説明が出来なくもないけどそれらすべてが同時に起こるなんて、考え難いわ」

「…………」

「一番シンプルなのはぜーんぶナルトちゃんの妄想だったってオチなんだけど」

「それはありえん。ナルトの未来の記憶は、妄想の類と片付けられるものではない。あまりに正確過ぎる」

「……自分の性別の認識を除いて、ね」

「だからよくわかんねーってばよ」

 

 頭が痛い。

 ナルトは三代目から離れると、切り株の上で胡坐をかきつつ抗議した。

 

「結局、何の話なんだってばよ」

「わかり易く言うと私はアンタの監視役だったってこと」

「!」

「アンタが何者なのか、それを見極めるためのね」

 

 衝撃の言葉がアッサリと投下された。唖然とするナルトに三代目はやや気まずそうにしていたが、発言したミザルはどうでもよさそうな態度のままだった。

 ナルトは驚いたものの、黙って監視されていたと知っても、不思議と裏切られたという感覚はなかった。

 他の『やるべきこと』が多すぎて、自分の体に起きたことについての原因など考えている余裕がなかったが、三代目がそれを警戒しなくてはいけないことは理解できる。

 

「…………………………」

「体を流れるチャクラとその痕跡を見れば、アンタが一体どういう状態なのか、それが解かるハズだったのよ。もしアンタの言う通り性別が入れ替わっていたのだとしたら、なおさらね」

「…………それで?」

「言ったでしょ? なにもわからなかったのよ。まるで変化なし。おかしなことに男女では大きく性質が違うハズの精神チャクラでさえアンタは女と変わらないのよ。でも、観察していて一つだけ小さな違和感があったわ。一体なんなのか、見極めるのに時間が掛かったけどそれが」

「…………胸の傷ってことか?」

「そう」

 

 ミザルは頷いた。ナルトは半ば無意識に胸の中央に手を当てた。そこには衣服の感触とその下の滑らかな肌の感触があるだけだ。だが、ナルトはそれだけではないことを知っている。  

 この胸は時折、ナルトを酷く苛み、焦らせるのだ。

 まるで、あの未来に辿り着いてはいけない、と言っているかのように。

 

「不思議な傷よ。古いようにもその逆にとても新しいようにも見える。ナルトちゃんのチャクラそのものについている傷。僅かにだけど六道の力も感じるわ。故にいくら人柱力だとしても簡単には癒えることがない」

「本当に、見えない傷がここにあるのか?」

「ええ、間違いなく。ナルトちゃんでも仙術チャクラの感知を鍛えれば感じとれるようになるかもね」

「………………」

 

 この胸の痛みはサスケの千鳥に貫かれたときの痛みに良く似ている。それは痛いだけではない。ズキズキと痛む度にどこからか昏い衝動が伝わってきて、ナルトの心に黒い影を落とす。

 これはサスケに殺されたときにできた傷なのだろうか。

 状況を見れば、そうとしか考えられないが。 

 なんとなく、そうだったなら嫌だな、とナルトは思った。

 たとえかつての自分と繋がる唯一の証拠だったとしても、この傷の痛みを好ましいとはナルトには思えない。

 この傷に教えてもらったこともある。失うことの痛み、そしてそれに対する恐怖。失敗をして弱さと臆病さを認めることで、見えるものは確かにあった。

 けれどこの胸の痛みを、ナルトはどうしてもあまり好きにはなれないのだ。

 

「黙っていたことを怒るか?」

 

 三代目が訊ねた。ナルトは首を振った。

 

「じいちゃんはオレを気遣ってくれたんだろ」

「……」

「別に子供じゃねーんだ。何でもかんでも話してくれなんて言わないってばよ」

 

 当然の事として、仙術で死にかけたことについては未だに納得いっていないけど、と付け加えておく。

 

「その傷は時々幻痛があるようね。どんなときにそうなるのかしら」

「前の時、特に…………サスケの事を思い出したときに痛むってばよ」

 

 今のサスケの写輪眼を見たときにも若干痛む。ただしこの痛みは前の記憶を思い出しているときに比べればさほど強くはない。

 

「…………それだけ?」

 

 ミザルは少し拍子抜けしたように呟いた。

 それだけとはなんだ、とナルトは少し気分を害した。それだけでも結構辛いし、立っていられないほど痛むことだってあるのだ。

 

「ナルトちゃんの魂の傷そのものは大きくはないの。もしかしたら時間が経てば寛解するかもしれないと思っていたわ。むしろ伝えて意識させるよりそっちの方がいいかもしれない、そういう理由もあって黙っていたのもあるのよ。でもその傷、前より少しだけ広がっているように感じるの」

「ええっ?」

 

 むしろ、波の国の任務で自分と向き合うことで、目を逸らしていた問題を少しは決着をつけたつもりだったのだが。

 胸の傷というぐらいだから、トラウマ的ななにかではないのか。

 

「それって大丈夫なのかよ」

「さぁね。そもそも魂に傷を刻むなんて真似、六道の源流にある力、すなわち神の御業なのよ。それが一体どういう影響を及ぼすかなんて想像もつかないわね。むしろその程度で済んでいるなら良かったと思うべきよ」

「………………うーん」

 

 良かったとは、流石に思えないけれど。

 今すぐどうこうなる、と言う話ではないようだったが、しかし徒らに不安を煽られただけのようにも感じる。対処のしようがないのならば確かに知らない方がよかったかもしれない。三代目が黙っていた理由も理解できる。

 

「まぁ、よくわかんねーってことがわかったってばよ。けど、なんで急に黙っていたことを教えてくれる気になったんだよ?」

「これからワシはあることに集中せねばならん。今までよりもお前に気を配ることが難しくなるじゃろう。故に、不安要素は伝えておこうと思ってな」

「集中って──あっ」

「そうだ」

 

 ──中忍試験。

 

「中忍選抜試験は、『例年通りに開催される』ことになる」

 

 ナルトは肌がざわつくのを感じた。

 この意味がわかるな、と三代目の目が言っている。もちろん、ナルトはよくわかっていた。

 このまま前と同じように進めば、大蛇丸の襲撃と砂隠れの裏切りによる、木の葉崩しと呼ばれる戦乱が再び起こる。

 里が戦場になることで多くの被害が出る。

 そして、その結末が、三代目火影の死だった。

 

「ワシは大蛇丸を止めねばならん」

 

 強い意志を宿した瞳で三代目は胸の前で拳を握った。かつて見た死に顔とは似ても似つかない力強い瞳の光に安堵を感じ、それと同時にナルトはどこか薄ら寒い不安が胸をよぎっていた。

 

「それはサスケが里抜してしまう未来を変える、というお前の願いとも繋がるはずだ」

 

 それはそうだ。もし大蛇丸をここで止めることができれば、そもそもサスケが里を抜ける道理そのものがなくなるはずだ。

 無論、サスケの復讐が止まるわけではない。

 すべてが解決するわけではないが、しかし流れは大きく変わる。

 だが、そのリスクはあまりにも大きい。

 皮肉にも波の国の任務を何とか乗り越えたナルトだからこそ、三代目の言っていることの危険性がよくわかった。

 

「……危険は確かにある。しかし、目先の危機から逃れたとて、大蛇丸の脅威が消えて無くなってくれるわけではない。むしろお前の未来の記憶の優位性が失われる分、いずれより深刻な脅威となって立ちふさがってくる」

 

 それもまた波の国の任務のときにナルトが感じた事とまったく同じだ。そしてそれは間違いなく正論なのだ。

 未来で得た記憶は、なにもかもを解決するような万能の魔法などではない。けれど、使い方次第ではとても強力な武器になるのだ。

 だが、その優位性を加味してもなお、大蛇丸はあまりに危険すぎるのではないか。

 

「言って置くが今回ばかりは、お前の責任ではないぞ、ナルト。お前の記憶を頼ると決めたのは、あくまでワシ自身だ」

「…………だけど」

「いい加減にせい。たかだが一介の下忍風情がワシの決定に責任を感じるなどと、己惚れるのもたいがいにせんか」

 

 三代目らしからぬ強い叱責の声に、ナルトはハッとなって顔を上げた。

 

「木の葉隠れの里のあらゆる決定と責任は総てがワシが背負うべきものだ。そのワシがお前の記憶を利用して大蛇丸を討つと決めた。その結果にいかなる被害が出ようとも、それは他の誰でもなく木の葉隠れ三代目火影たるこのワシが、受け止めなければならんことだろう」

「……………………」

「お前はお前の為すべきことを為せ。それがお前のやるべきことじゃろう」

「…………そうだな。わるい、じいちゃんの言う通りだ」

 

 ナルトは素直に己の誤謬を認めた。

 三代目の言う通りだ。自分のどうしようもないことで悩んでいる暇などナルトにはないのだ。ただ自分ができることを今は全力でやるしかない。

 大蛇丸のことは三代目に任せる。

 ナルトはそう決心した。

 そうであるならば、ナルトがするべきことはただ一つ。

 修行だ。強くなることだ。

 

「それでいい」

 

 三代目は満足そうに頷いた。

 

「………………お前にはこれを渡しておく」

 

 そう言って三代目は下に置いてあった袋から一つの白いお面のようなものを取り出した。

 狐を模した形の白面で、青と赤の紋様で彩られている。

 

「?」

 

 ナルトは手渡された仮面を眺め透かしながら疑問符を飛ばした。これは一体なんだろう。

 

「本来なら右腕に刺青も入れねばならんが、…………まぁ、今は構わんだろう」

「じいちゃん、これは?」

「なんだ、知らんのか? これは暗部の面だ」

「暗部…………?」

「まさか暗部も知らんと言うわけじゃなかろうな」

 

 三代目が呆れた視線を向けてきた。失敬な、とナルトは憤慨した。それぐらいは知っている。カカシが前にいた部署で、里の裏の仕事的な何かを請け負っている謎の組織的な場所的な何かだ。

 

「……まぁ、お前にしては知っている方じゃな」

 

 言葉とは裏腹に露骨に蔑みの目をしつつ、三代目は頷いた。

 

「その暗部の身分を保証する面だ。他にも必要な衣装は後で渡してやる」

「ちょ、ちょっと待ってくれってばよ。なんで急にオレが暗部なんかに入らなくちゃいけないんだってばよ」

「なんだ、意外に嫌そうじゃな。お前はこういう、いかにもな闇の組織とかに憧れそうなタイプだろうに」

 

 確かに、以前カカシがさも凄そうな組織のように語っていたのを聞いてからは、ナルトは暗部に対して少しだけ憧れのような感情を抱いてはいたが。

 だが、最近発達しつつあるナルトの警戒心センサーがバリバリに警戒音を鳴らしているのだ。

 

「言ったであろうが。ワシはこれからあまりお前にばかり構っている暇がないと」

「だからそれがなんだってんだよ」

「暗部には幾つかの権限が与えられるが主だったものは二つ。一つは特別上忍相当の権限、これはたとえば里の内外への通行の自由や、禁書へのアクセス権限などがある。そしてもう一つ、こちらが重要なのだが、暗部に指定された忍は火影の許可なしに拘束することができなくなるのだ」

「…………つってもオレなんかを誰が拘束するんだってばよ」

「その話もせねばなるまいな」

 

 三代目は足元に置いてあった手桶と花束を持ち上げて、ナルトについてくるように指示した。

 

「前に、この場所が火影直属の暗部しか知らない場所だというのは伝えたな」

「……………………………………………………うん」

「……まぁいい。今からその理由を教えてやろう」

 

 そう言って三代目はすたすたと歩きだした。

 ナルトはその後を首を傾げながら追いかけた。

 

 

 





 引用した設定

 魂に干渉できるのは六道の力←屍鬼封尽で口寄せする死神やペインの六道の地獄道の閻魔の力等を参照


 


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37『二周目』②

 

 

 

 

 

 

 三代目の背を追いながら、ナルトは先ほど会話を脳内で反芻していた。

 あっさりと暗部に入る流れになってしまったが、今更ながらそのことへの戸惑いが襲ってきていた。里の内外の通行の自由だの、禁書がどうのこうのは、正直まだ意味が分かっていない。

 ただ一つひっかかることがあった。

 ただしそれは、とても個人的な理由だった。

 

「……どうした、浮かない顔だな」

 

 振り返った三代目が訝し気にナルトを見やった。

 

「あのさ、暗部になると特別上忍相当、ってやつになっちまうんだろ?」

「? そうだ」

「………………皆がこれから中忍になるための試験を受けようってときに、オレだけ裏でこんな風になってるのが、……………………なんか、上手く言えないんだけど」

「──茶番のように感じる、か」

「………………」

 

 うん、とナルトは頷いた。

 中忍試験に集まった忍たちは試験合格とは違う思惑を持っている者たちも少なからずいた。けれどその大半は皆、真剣に命懸けで試験に臨んでいた。

 それを嘲るような真似だけはしたくない。

 未来の知識を使うときにも、常に同じことを感じている。

 どんなに理屈を積み上げても、どれだけ納得しようとしても、ナルトの本心はズルいと思ってしまうのだ。

 視線を上げると、三代目が苦笑していた。

 

「そんな顔をするな」

 

 そう言われて反射的に自分の顔を触った。

 

「………………どんな顔してた?」

「うむ、心細そうな表情に見えた。思わず慰めの言葉でも言いそうになるぐらいにな。そういう顔はな、ワシの前などではなく他の男の前でしろ。そのような表情を見せておれば、お前に降りかかる重荷も少しは減っていたかもしれんぞ。……たとえばサスケの前とか」

「言ってる意味はわかんねーけど、──サスケの前でだけはゼッタイそんな顔しねーってばよ」

 

 三代目はサスケのことを良く知らないからそんなことを言うのだ。

 怯えた態度の人間を前にしたときのサスケは、馬鹿にしながら「ビビリ君」だのなんだのと言って追い打ちをかけるような奴だというのに。それは相手の性別が男だろうが女だろうが関係ない。まぁ流石に女の子に対しては口には出さないかもしれない。けれど内心ではそう思って蔑むに決まっている。

 そしてたとえサスケが万が一、絶対に有り得ないが女の子に同情をするタイプだったとしても、悪戯以外でそれを利用するような真似はしたくない。

 

「お前は本当に謀に向かんやつだ」

 

 そのように伝えると、三代目は呆れた口調だったが、どうしてか少しだけ嬉しそうだった。

 あと言っておくが悪戯で利用する方がもっと悪質だぞ、と付け加えていたがそれは無視した。

 

「あくまで特別上忍相当であって、中忍を飛び越えたわけではない。暗部を辞めればお前は何時でも元の下忍に戻れるのだから、安心して中忍を目指せ。もっとも、お前が中忍になれるかどうかは知らんがな」  

「そっちは問題ないってばよ」

 

 まぁ、前回はなれなかったのだが。

 中忍選抜試験の合格基準を鑑みれば、今のナルトでも受かるかどうかは非常に怪しいところだった。

 なんにせよ、どのみちこの面を受け取らないという選択肢はない。ないのだが、三代目の言葉を聞いてナルトは少しだけ、気が楽になるのを感じた。

 

「ナルト、そろそろ着くぞ。その面を付けなさい」

「? ……はい」

 

 三代目に促され、よくわからないまま面を顔に付ける。

 更にもう少し歩くと、森が開けて、広場が見えてきた。

 森をくり抜いたようなそこは、あまり広くはないようだ。高い木々が影となって、日が高く昇っている時間なのに随分と日差しが柔らかい。灌木で視線が遮られるのも相まって、何も知らずにこの場所を歩いているだけだったなら見逃してしまっていたかもしれない。

 背の低い草が靴先を撫でた。

 ナルトがキョロキョロと周囲を見渡している間に、三代目は広場を進んでいく。

 その背を追いかける。広場の中心には周りの木々よりもやや背の低い木が一本生えていた。

 おそらく植林された木なのだろう。名前はわからないが周囲の木とどこか雰囲気が異なっているように見える。

 近付く途中でその木の根元には小さな石碑があることに、ナルトは気が付いた。

 手入れはしているのだろう。目立った汚れもほとんどなく、小奇麗にされている。けれど、それが古い物であることもなんとなく理解した。

 僅かにヒビが入り、光沢も色褪せている。

 どうしてだろう、ナルトは首を傾げた。

 いつか、何処かでこれと同じようなものを見たことがある気がした。

 どこで見たのだったか、ナルトは喉元までせり上がってくるそれを思い出そうとした。

 ナルトが自分の記憶を探っている間にも、三代目は手際よく石碑を清掃していく。手桶の水を石碑にかけ、雨水やほこりであろう黒ずみを、布巾でふき取っていく。

 その石には無数の文字が短く分かれて刻まれていた。

 それを認識した瞬間ナルトは突然閃くようにこの石碑のことに思い当たった。

 

「あれ?」

「………………」

「なんでこれがこんなところに」

 

 誰に言うでもなく、ナルトは呟いた。

 これは、第三演習場の慰霊碑だ。

 あまりに古びていたので、すぐには同じ形をしていることに気が付かなった。

 だが間違いない。

 三代目は黙々と手を動かし続けている。ナルトはその様子を横目で窺いつつ、手持無沙汰なので取りあえず屈みこんで慰霊碑を観察することにした。

 

「………………ん?」

 

 書かれた名前を流し読みしていたナルトはふと、違和感を覚えて目を細めた。

 姓名のどちらも合わせて刻まれていた第三演習場のそれとは違い、こちらの石碑に乗っているのはおそらく姓の方だけだ。

 おそらくなのは、それが本当に人の名前なのかイマイチ断定できなかったからだ。

 

 

  飯綱 八雲 大噛 千足 突破 覗見 ──。

 

                        』

 

 ここに書かれた姓にはまったく見知ったものが見当たらない。

 どういうことなのだろうか。

 第三演習場の方の慰霊碑にはその個人名にこそ見覚えがないものの、その苗字の方には幾つか知り合いと同じものがあることを知っている。

 しかしこちらには、どうにもそれがないように見受けられた。全部の名前をしっかり確認したわけではないけれど、そもそも並んでいる名前そのものがあちらとは違っているのだ。

 つまり、この慰霊碑と第三演習場の慰霊碑はよく似ているけれど、同じものではない。

 そしておそらくこの石碑の方が、更に古いものなのだ。 

 

「……………………」

 

 不思議な気分になりながら、ナルトは目の前の慰霊碑に見入っていた。

 第三演習場の慰霊碑は、里の任務で殉職した英霊を刻んだ物だった。里の為に戦い、犠牲となって死んだ人たちを慰霊するために造られた物だ。

 では、こちらの慰霊碑は? 

 ナルトの内心の疑問に答えるように、三代目は呟いた。

 

「ここに刻まれた名はな、ナルト。木の葉の里によって滅ぼされた一族、……その者たちの名なのだ」

「────」

「……正確には、里が出来る以前の時代のものも含まれるがな。里が出来たとき、それぞれの一族の代表が集って、覚えている限りの滅ぼした一族の名を、この石に刻んだ。第三演習場の石碑は、後にこれを模して二代目火影様がお造りになられたのだ」

 

 この石碑に刻まれた一つの名が、一つの一族。

 ナルトは呆然と目を見開いて、再び目の前の小さな石碑を眺めた。

 そこに刻まれた一族の名の数は、十や二十などでは到底きかない。

 死んだ人間の数に至っては、もはや数えきれないだろう。

 夥しい数の死がこの石に刻まれていることを、ナルトは理解した。

 

「…………………………」

 

 手入れを終えると三代目はナルトの横に並んで石碑に向かい、手を合わせた。ナルトは戸惑いながら、それに倣った。

 けれど、何を祈ればいいのかはわからなかった。

 今の今まで存在すら知らなかった者たちに対して、祈る言葉が見つからない。

 結局、ナルトは手を合わせたまま、当惑する他なかった。

 三代目は何故、これを自分に見せたのだろうか。

 いや、それよりも。

 何故これはこのような場所に、人目から隠すように置いてあるのだろうか。

 三代目は淡々と言葉を紡いだ。

 

「木の葉の里が出来た当初は、今よりも不安定な時代だった。里という大きな集団が出来たことで一族ごとの闘争は次第に収まりつつあった。──しかしほぼ同時期に複数の大規模な集団が生まれたことで、逆により大きな大戦への火種も燻らせた」

 

 三代目の言っていることの意味をすぐには咀嚼できないナルトに合わせるように、三代目はすぐには言葉を続けなかった。

 

「…………うん」

「辛うじて纏まった里も、到底、安定しているとは言えなかった。何世代、あるいは何十世代と積み重なった遺恨が簡単に消えるはずもなく、それどころかいつそれが爆発してもおかしくなかった」

 

 その時代のことを思い出しているのだろうか。三代目の目は少し遠くを見るような色をしていた。

 

「……我らは、足を止めるわけにはいかなかった。綱渡りのような危うい均衡の上に出来た平和への道の影に隠れた憎しみや犠牲に足を取られて、なにもかも無駄になってしまうことが何よりも恐ろしかった。過去を顧みて伝える歴史と伝えない歴史を選り分けている余裕がなかったのだ」

「…………難しくてよくわかんねーってばよ」

 

 三代目はナルトの方に一瞬目をやると慰霊碑に近づいて、柔らかく触れた。

 

「ここに刻まれた名は決して木の葉全ての一族の仇敵であったわけではない。……それどころか、ある一族にとっては友邦や同盟、かつての守るべき主や、忠義を尽くしてくれた家臣の一族もいたのだ」

 

 たとえば奈良一族と秋道一族の関係のようにな。と三代目は続けた。

 

「────」

「……辿っていけばキリが無かった。故に生き残った一族同士で話し合って、過去の遺恨を継がないと決めた。……滅んだ一族にとっては本当に勝手な話だがな……。いつか里が真に安定し、戦争の危機がなくなるその日まで、我らは多くの過去を受け継がずに、捨て置くことを選んだのだ。そして選ばれたごく少ない者たちのみがそれを伝え続けた」

 

 九尾の一件と同じように、里に住む者たちは『伝えない』ということには慣れておるのだ、と三代目は自嘲するように言った。

 ────ふと、白の顔が脳裏に浮かんだ。

 彼もまた、滅んだ忍の一族に連なる一人だった。

 波の国の任務で、白の筆舌に尽くし難い人生を、ナルトはほんの少しだけ分かち合うことができた気がしていた。けれどナルトと白が分かりあえたそれですら、きっと白の人生の中のほんの一端に過ぎないはずだ。人ひとりの人生は、一生を尽くしてさえ完全に分かち合うことなどできないのだから。

 そしてその一端を分かち合うことでさえ、多くの苦しみと困難を伴った。

 ナルトはこの石碑に刻まれた膨大な数の人間の人生を想わずにはいられなかった。

 暗部や火影だけしかこの場所に入れない理由は、納得はともかく、理解はできた。

 

「……だけど、戦争ってのはもう終わったんだろ? だったらもう」

「──いいや、未だ終わってはおらん」

 

 ナルトの言葉を三代目は静かに否定した。

 

「最後の大戦から十数年──、軍縮に移りつつある忍の世界はまた少しずつ変化を迎えておる。だが、軍縮の中でも雲隠れを始めとした多くの里が、静かに牙を研ぎ、力を蓄え続けている。それについてこれない弱小の忍里は依頼を奪われて困窮していき、血を流さずとも真綿で首を絞められるように追い詰められていった。今の砂隠れの里がまさにそうだ」

 

 その結果、追い詰められた砂隠れは大蛇丸の奸計に嵌って音隠れと共に木の葉崩しを実行するに至った。

 

「砂隠れが未来で、お前の言うような事態を引き起こした遠因は、木の葉自身にもある」

「…………」

「そして暁もまた、同じ流れの中で誕生し、育んでしまった。何も、終わってなどいない」

「…………」

「……お前に以前言ったことを覚えておるか? 忍の世界には目や耳を塞ぎたくなるような話で溢れているということを。どうだ、後悔しておるか?」

 

 ナルトは首を振った。けれど、それは後悔しなかったという意味ではなかった。

 ただ単に、三代目の言った事を半分も受け止めきれていないからだ。

 

「…………わからない」

 

 ナルトは素直にそう答えた。

 

「でも、オレはそれを見て、聞かなくちゃいけないんだ」

 

 見て聞いて考えて、そして自分自身で判断しなくてはいけない。

 知ってどんなに後悔することになったとしても。自分が、変わってしまうかもしれなくても。

 後で気付いて後悔するよりはずっといい。

 前と同じような失敗だけは絶対に繰り返してはいけないのだから。

 

「…………そうか」

 

 三代目は、ナルトを見つめて溜息をついた。

 

「……暗部は余りここには寄り付かん。ワシもこれからは訪れられない日が多くなるじゃろう。ナルト、しばらくの間、ここの手入れをお前に任せてもよいか?」

 

 ナルトは頷いた。三代目は短く感謝を述べると、再び石碑に手を合わせた。ナルトも同じようにそれに倣った。

 祈りの言葉はまだ浮かばない。なのでまた無心で祈ることにした。

 

「────イタチは、よくここを訪れておった」

 

 目を瞑っていたナルトに三代目は小さく呟くように告げた。

 思いがけない名前が出てきたことで、ナルトは少し固まった。

 うちはイタチ。サスケの兄であり、うちは一族を虐殺した後に里を抜けた大罪人。

 サスケの復讐の相手。一度出会ったことがある。けれどあの時はただ慌てていただけで、何かを見極めることなどできやしなかった。

 ナルトは少し考えてから訊ねた。

 

「…………イタチってどんな奴なんだ?」

「そうだな、とにかく才能に溢れた子だった。あらゆる忍術の才に溢れ、驕らず、非の打ち所がなかった。十歳で中忍に昇格し、十二歳の頃には暗部に入隊しておった。……む? 暗部に関してはお前もそうか………………、うむ。まぁ、とにかくイタチは、天才という言葉そのもののような子であった」

「…………」

 

 三代目の物言いには釈然としないものが残ったがナルトは先を促すために、頷くだけで済ました。

 

「思慮深く物静かな性格であった。いや、あるいはそうならざるを得なかったのかもしれんがな。若くして一族を代表とするような忍になってしまったが故に、一族と里を繋ぐという歳不相応な重圧に晒されて、苦しんでおった」

 

 一度会ったときの冷徹ななんの感情も浮かばない機械のような表情を思い出す。

 イタチはこの慰霊碑を前にしてなにを想っていたのだろうか。

 どうして、一族を虐殺するなどという行為をするに至ったのだろうか。

 ナルトには想像もつかない。

 落ち着かない気分になって、ナルトは目の前の慰霊碑に手を伸ばした。そこに刻まれた名に、触れないようにしながら、なぞっていく。

 やはり、どれもこれも目にしたことがない。そもそも第三演習場の方の慰霊碑でさえ、下忍にならなければ基本的には知らされることがない。

 その意図すら、まだナルトには理解が及ばない。

 文字をなぞる手が、慰霊碑に刻まれた名の最後に差し掛かって、ナルトは思わず目を見開いた。

 

「────え」

 

 そして、見つけた。いや見つけてしまった。

 そこには唯一、ナルトが知っている名が刻まれていた。

 

「…………どうしてだろうな。かつてのイタチと今のお前が、少し重って見えるのだ」

 

 近くにいるはずの三代目の声が遠くから響いてくるように感じた。

 サスケの一族を虐殺したような人間に似ていると言われたのに、ナルトは怒る気にはなれなかった。

 三代目の声には憎悪ではなく、懐かしさと後悔のようなものが籠っていた。

 だが、それらを訝しんでいる余裕などナルトにはなかった。

 慰霊碑の最後にはこう刻まれていたのだ。

 

『うちは』、と。

 

 ぐるぐる、と思考が巡る。

 ここに刻まれたのは木の葉隠れの里によって滅ぼされた一族だと、三代目は言っていた。だが、うちは一族はうちはイタチの手によって虐殺されたはずではなかったのか。

 胸がズキズキと痛む。目を逸らすなと言っているかのように。

 そもそも木の葉隠れの里によって滅ぼされた一族、とはどういう意味なのだろうか。

 それは木の葉隠れの里が行った選択によって滅んでしまったという、間接的なものも含めた意味なのか、あるいはただ単に、攻め滅ぼした、という意味なのか。

 もし前者ならば、ここに刻まれている意味は通る。けれどもし後者ならば。

 昏い、昏いなにかが這寄ってきているような悪寒が、ナルトを襲った。

 

「もし、サスケが本当に里を抜けようとするならば、もう一つお前に話して置かなくてはならないことがある」

 

 ナルトはハッとなって顔を上げた。三代目は変わらず、慰霊碑に向かって祈ったままだった。

 

「────だが、少し待ってくれんか。大蛇丸の一件がどう転ぼうとも、中忍選抜試験が終われば必ず伝える。だがそれまではまだ待っていて欲しい」

「…………………………」

 

 即座に返答はできなかった。

 疑惑や疑念がナルトの脳内で渦巻いていた。まだ、明確な形にはなっていない。

 けれど、手を伸ばせば触れられそうな位置にそれはある気がしている。

 胸の傷が、それに早く触れろ、と急かすように痛み続けていた。

 ──だが、同時に三代目があえてこの慰霊碑をナルトに見せてくれたことも、忘れてはいけない。

 むやみやたらと信じるのは、きっと違う。けれどただ疑うのもまた違うのだろう。

 きっと正解はない。だからこそ、それは難しい。

 ナルトはその二つを飲み込んで、自分の信念に従うことにした。

 

「わかった。待つってばよ」

 

 胸の痛みの抗議を無視して、ナルトは頷いた。

 

「…………すまんな」

 

 謝罪とも感謝とも取れるような言い方だった。

 

「…………長く生きると後悔ばかりが募る。より良くしようとしてきたはずが、過去を振り返ればもっと正しい選択肢があったように感じる。平和や平等を追い求めて、少しでも忍の在り様に光を当てようとし続けた結果────」

 

 三代目は地の底に響くような溜息をついた。

 

「ワシはより深い影を生み出してしまっただけかもしれん、とな」

 

 

 

 

 

 

 

 木のように穏やかに生きたい、というフレーズがある。

 確かに、木は一所の場所に留まって人のようにむやみと動いたりもせずに、太陽に向かって真っすぐに立っている。その姿は、あるいは一見心穏やかに見えもする。

 だが、木は日の光を少しでも自分の物にするために枝葉を広げ、絶えず領土を奪い合っていることは知っているのだろうか。

 足元では己の子孫である種を無数に殺し合わせ、優秀な、あるいは運の良い者だけが生き残り、そして親と同じように戦いに明け暮れる。他の木々と栄養と光を奪い合い、自分に群がる害虫を殺すための油を生成して己の身を守り、絶えず襲い来る外敵に抗い続けている。

 それを穏やかと呼ぶのは、人がただ木に無関心であるだけだ。

 であるならば、穏やかに生きるがよい。

 その影にあるものを忘れ、無関心なまま、ただ過ごせばいい。

 それを引き受けるために暗部は存在するのだから。

 木の葉隠れの里の表からは見えぬ地の底に存在するソレは人々に知られることなく、そして知っている限られた者だけがこう呼ぶのだ。

 

 ────『根』と。

 

 木の葉の里のとある場所に存在する根の本拠地にて、その長たるダンゾウは部下たちから届く報告に目を通していた。

 その手にあるのは、複数の書類と小瓶に収められた黒い丸薬だった。

 

「余計な事をしてくれたものだ…………」

 

 手元にある資料の一つである写真を眺めながら、小さく息を吐く。

 この丸薬が如何なる物なのかは、ダンゾウにとってはどうでもよいことだ。重要なのは、これを火の国を通して音隠れに輸出してやることで得られる手数料が『根』を運用するための重要な資金源だったということだ。

 自分の足が付く可能性は限りなく低いとは思うが、輸送ルートは完全に割れて、そこから芋づる式に随分と多くの人間が処理されてしまった。

 少なからず手痛い打撃だ。

 それは単純な金の問題だけではなく、ダンゾウ自身の信頼にも関わってくる。

 何の予兆もなく、故に対応も随分と遅れた。ほとんど手遅れだったといってもいい。

 まさかたかが上忍一人と下忍三人の班が一つ波の国に入ったことでこの事態を想定することなどできはしない。

 できはしないが、やらなくてはいけなかった。

 そのおかげでダンゾウの裏社会での評価は随分と落ちてしまった。

 長い間、時間を掛けて作り出したものが理不尽にも一瞬の油断ともいえない隙で、崩されてしまった。

 であるがゆえに、その原因を探さねばならなかった。

 一番の大きい要因ははたけカカシであると、当初は想定していた。任務前に三代目と接触していたことはすでに調査済みであったし、過去の実績から見てもこの男以外には有り得ない。

 だが、波の国の現場から得た情報ではその裏付けは得られなかった。

 むしろ、まったく別の人間が浮かびあがってきていた。

 ダンゾウの手にある写真には、一人の少女が映っていた。

 

「………………」

 

 アカデミー時代での資料から鑑みれば、それは妄想にも思えるような異常な行動や成果を叩き出した少女の写真を、ダンゾウは静かに見下ろした。

 もっとも最近に作られた資料の中での評価は、彼女には忍としてなにも特筆すべきことはなく、無能で無才であるという結論に終わっていた。

 だが、その少女がこの事態を引き起こしたという事実はもはや疑いようがない。

 資料を読み進める上で、まるでアカデミー卒業と同時に別人にでも入れ替わったかのように感じた。

 そんなことは有り得ない。しかしアカデミー卒業直前に起こった禁書持ち出し事件のときにこの少女は九尾の力を開放した後、数日間昏睡状態に陥ったという。

 この日を境に、二つの少女の情報の歪みを、ダンゾウは感じていた。

 故に、調べた。

 病院で医者から得られた証言は、荒唐無稽なものばかりだった。性別が入れ替わっただの、うちはサスケが里を抜けただの、三代目が死んでいるだの、こんな事態でなければ目を通すことすらないような、妄想の羅列だ。

 ただ一つだけ、ダンゾウが興味を引かれたものがあった。

 

「…………………………未来、か」

 

 あの少女が口走った妄想の中にあった言葉の一つ。

 有り得ないことだ。未だ、信じてはいない。だが、この少女が特異ななにかを持っている可能性は極めて高いように見える。

 

「見極めねばなるまいな」

 

 深い影の中で、男は呟いた。

 

 

 

 

 






 前までは私が更新を滞らせると、『更新頑張ってください!』とか『続き待ってます!』なんて心温まる感想を送ってもらえたんですが、最近は読んでくれている人も一、二か月の更新遅れには慣れてしまったのか、『サスケの写輪眼がポニーテール見ることで覚醒したらどうしよう』とか、『我愛羅ちゃんが女かもしれない可能性について』だの私の話を読んでくれている人らしい意味不明な感想ばかりで普通に草です


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38『二周目』③

 

 

 

 

 

 

 

「今更ながら、…………お前が仙術を扱うのはまだ早すぎる」

 

 修行場まで戻ってきてから、三代目はまず手始めにそう告げてきた。

 修行に集中するために慰霊碑のことは一旦、意識の外に置いておくように切り替える。

 

「体がまだ未成熟だからだ」

 

 ナルトはごく自然に自分の胸に視線を落とした。…………確かに未成熟ではある。釣られたように三代目も同じ場所に視線を向けてから、気まずそうに咳払いした。

 

「…………誰も胸の話はしておらん。精神と身体の事をいっておるのだ。どれほど才があったとしても、仙術を学ぶのは成人してからが望ましい。ただでさえ危険な術であるし、お前は九尾のチャクラのこともある。最低でも…………後三年は、仙術の修行はするべきではない。ワシが教えるのが蝦蟇の仙術だったとしても、数年程は、お前には基礎的な体術訓練と螺旋丸などのチャクラコントロールの修行などに集中させるじゃろうな」

「それじゃ間に合わないってばよ!」

 

 もう数か月後には大蛇丸が攻めてくるというのに何年も基礎修行なんてやっている暇はない。九尾の力を利用しないと決めている以上は、それ以外の力が必要なのだ。

 

「まぁ、…………そう言うじゃろうな」

「それにオレ覚えてるってばよ! じいちゃんがオレぐらいの歳の頃には全ての秘術を会得してたってミザルが言ってたのをよ!」

 

 あまり記憶力が良くない方のナルトだが、そういう才能関係の話には敏感なのだ。

 自分は良くてお前は駄目などと言うズルい大人の言が一番反発されることを三代目は知らないのだろうか。

 

「…………余計な事ばかり覚えておるのぉ。時代が違う上に、…………ワシは少々特殊なのだ」

「また才能の話かよ!」

「そうではない。それにそのワシですら、老いには勝てん。今のワシではほとんど仙術は使えないからな」

「よくわかんねーけど、……とにかくオレは、今更、基礎修行なんてやるつもりはねーからな!」 

 

 ナルトはそう宣言すると三代目を睨み付けた。撤回するつもりはないという、強い意思表示のつもりだった。

 

「早合点するな。ワシは何も、基礎修行だけをしろと言っているわけではない」

 

 そう言うと三代目は懐から一枚の紙を取り出した。

 

「これはチャクラに感応する紙だ。これでこれからお前のチャクラの属性を調べる」

「……属性?」

 

 三代目は頷いた。

 地面が剥き出しになった場所に、枝を使って『火→風→雷→土→水→』と円形に閉じるように書き出した。

 

「チャクラには個人の資質ごとに固有の性質があり、大まかにはこの五大性質に分類される。その資質のある程度は血統によって予想することができるが、もっと正確に判別できるのがこの感応紙、というわけだ」

「……オレってば螺旋丸をもう使えるってばよ。これって風の性質変化ってやつじゃねーのか?」

「螺旋丸は性質変化ではなく形態変化だ。チャクラの放出の高度な形であって、チャクラの性質そのものが変化しているわけではない」

「えーと、あー、うーんと、………………ようするに、オレってばこれから忍術の訓練をするってことか」

 

 それは、どうなんだろう。ナルトは首を傾げながら腕を組んで唸った。確かにこれは基礎訓練ではないのだけれども、しかし、それも今更な気がしないでもない。

 

「まあ、普通は仙術やるよりもそっちが先よねぇ。っていうか出来ないのがオドロキ」

 

 ミザルが呆れた口調で呟いた。できないのではなく、教えて貰っていないのだと、ナルトは声を大にして言いたかった。自来也やカカシどころかアカデミーですらこの手の授業を受けた記憶がなかった。もしあったならナルトは前の時にもっと熱心に修行に励んでいたはずだ。

 サスケが火を吹いたり手をバチバチさせているのを、心の底から羨ましく思っていたからだ。

 

「かつてのお前は、チャクラの量が今よりも多かったがその反面、チャクラコントロールは苦手だったと聞く。小手先の忍術を覚えさせるよりも強みを生かす方が良いと考えたのだろう」

 

 三代目はそう推察を述べながら、感応紙を手渡してきた。まだ仙術の修行をしないことに納得したわけではないナルトは、受け取りつつも、どうやって反論しようかと頭の中で思考を巡らせた。

 

「でも、だったら、小手先の忍術なんて覚えたとしても、強い忍相手には意味ないってのには変わりないってばよ」

「そうとも限らん。螺旋丸は形態変化の極みの術じゃ。それに性質変化を加えることができれば、史上最強の必殺技になりうる、……かもしれんぞ」

「──―史上最強の必殺技?」

 

 ナルトの琴線に的確に触れる単語に、反射的にあらゆる思惑が吹っ飛ぶ。

 

「うむ。……な、とにかくまず調べるだけ調べてみろ。なんにせよ、いつかは必要になることだ」

「………………まぁ、調べるだけなら」

 

 また三代目に丸め込まされているというのを感じつつも、自分のチャクラがどんな属性なのか、興味が無いといえば嘘になる。

 とりあえず確かめるだけはやってみようという気になった。

 ミザルが小さく「チョロいわね」と呟いた。

 

「…………で、どうやればいいんだってばよ」

「感応紙にチャクラを流してみろ。その結果、チャクラの属性に応じて感応紙に反応が出る」

「ふーん」

 

 随分とお手軽なものだ。ナルトは感応紙を掌で弄びながら感心した。

 

「イマドキ便利な物もあるものねぇ」

 

 ミザルもナルトの内心に同調するように感心した様子でナルトの手に収まった感応紙を観察していた。

 一体自分の素質はなんなのか、火か、風か、あるいは雷ということも────。ナルトはようやく、わずかに胸がときめくのを感じた。

 

「おそらく、水か風の性質だろうな」

 

 若者の気持ちが分からない老人は、至極あっさりとそう述べた。

 ナルトは思わずジト目を三代目に向けた。

 

「………………………………」

「──? なんじゃ?」

 

 ………………先に言うんじゃねーよクソジジイ、と若干萎えつつ、ナルトは再び手中の感応紙に向き合った。

 さて、風か水らしいが、真実はどうか。

 ナルトは軽い気持ちで感応紙にチャクラを流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ……なんとなく瞑っていた目を開くと、ナルトの掌の中心には丸まった黒い塊が鎮座していた。

 一瞬、それが異物に見えて、ギョッと身を固めたが、すぐに紙が丸まったものであることに気が付いた。

 

「あれ、焦げちゃった、のか」

 

 おそるおそる鼻先まで黒い塊を持っていくが、特に紙が焼けたような匂いはしなかった。

 

「焦げ臭くは、……ないか、って、うぉ?」

 

 ナルトの鼻先がその黒い塊を掠める掠めないかの微かな振動で、それは崩れ始めた。風に吹かれ、あっという間にチリとなってその欠片すら残さずに消える。

 ナルトは呆気に取られて、空になった掌を眺めた。

 感応紙がそれぞれの属性に対してどのような反応をするのか、聞くのを忘れていた。思っていたよりも何の属性を表していたのかがわかり難いもののようだった。

 近くに立っていたミザルと顏を合わせて、一緒に首を傾げた。

 

「じいちゃん、──何これ?」

 

 三代目の方に視線をやりつつ、声をかける。自分の属性が如何なるものなのか、早く答えが聞きたかった。

 

「………………」

 

 果たして、三代目は困ったような様子でナルトの掌を眺めていた。

 困惑した顔で小さくこぼした。

 

「何じゃ…………それは」

「いや、……こっちが聞きたいってばよ」

「………………」

 

 ナルトがそう返すと、三代目はもう一枚感応紙を手渡してきた。もう一度やってみろと言われ、先ほどと同じようにチャクラを流してみる。

 結果は同じで、ナルトの掌には黒い塊が出来上がっていた。

 光を吸い込むような漆黒のソレをナルトはしげしげと眺めた。

 やがて触れてもいないのに塵すら残らずに消えた。

 先ほどと同じように。

 三代目はそれを、顎鬚を擦りつつ眉を片方跳ね上げて、黙って見つめていた。

 

「……で、これは属性は、火? 土? あのさあのさ、それとももしかして雷の性質、とか」

「…………………………………………わからん」

 

 三代目はたっぷり沈黙した後に、そう呟いた。

 ナルトは困って眉を寄せた。

 

「いや、わからんって、どういう意味だってばよ」

「言葉通りの意味じゃ。五大性質のいかなる属性の反応とも違う。まさか血継限界の反応なのか……? いやしかしワシの知るどの血継限界による変質にも当てはまらん……」

 

 ブツブツと、段々と独り言に移行する三代目をナルトは手持無沙汰に眺めた。

 ミザルはそもそもこのチャクラの感応紙は初めて見る様子だったので三代目がわからないならこの場にいる誰もなにもわからないのだ。

 

【………………ふん】

 

 体の内側で九喇嘛がわざとらしく鼻を鳴らした。

 

(なんだよ)

【…………別に】

 

 九喇嘛が存在感をアピールするときは大概なにか言いたいことがあるときなのだが、その割には自分からはそれを言い出さない。面倒くさいがナルトが上手く察してやらないといけないのだ。

 ナルトが内側に意識を向けている間に、痺れを切らしたミザルが声を上げた。

 

「で、結局なんの性質なのよ」

「…………………………おそらくだが。血継限界よりも多くの──少なくとも血継淘汰以上の性質が同時に発現している可能性が高い…………だが、ミナトとクシナの子である限り、それは考え難い」

 

 けっけいとうた? 

 また知らない単語が増えた。説明を求めたかったが、どうにも質問できる空気ではない。

 長い沈黙の後、顔を上げた三代目がナルトを見た。

 疲れた表情だった。

 ナルトは身構えた。

 

「な、なんだってばよ」

「まったくお前の身体は、………………いったいどうなっておるのか」

 

 心底困ったような、そんな声音だ。

 そんなこと、ナルトが一番知りたかった。

 ミザルが、慰めるように三代目の肩にポン、と手を置いた。三代目は縋るようにミザルを見上げて、その肩に置かれた手に触れた。

 

「ねぇ、ヒーちゃん」

「……なんじゃ」

「まさかアンタ孫弟子の嫁に手を出したんじゃないでしょうね」

「────ぬぁッ!?」

「だって、仙道の才と五大性質に加えて陰陽遁のチャクラまで持ってる人間なんて、アタシが知る限りアンタぐらいしか居ないじゃない」

 

 それに昔からむっつりスケベだし、とミザルは続けた。

 三代目は驚愕した様子で口を大きく開けた。

 ナルトは雷鳴に打たれたように、目を見開いた。

 

「えっ、──つまりじいちゃんが、オレの父ちゃん、ってコト!?」

「違うわバカタレ! こんな時ばかり変に察しの良さを発揮するな! ────いいか、見ろ!」

 

 三代目は叫ぶと、肩に乗せられた手を払いのけて感応紙を胸の前に掲げ、チャクラを流してみせた。

 すると紙に紅い火が灯り、そしてあっという間に燃やし尽くしてしまった。

 ナルトのときとは違い、三代目の基本性質が火であることが一目でわかる結果だった。

 

「いくらワシがすべての基本性質をマスターしようとも、この紙が反応するのは己の最も得意な性質の『火』だけだ。たとえばカカシとて複数の性質変化を扱えるが、この紙には雷の性質しか表れん」

「ほー、…………ん? じゃあ、オレの黒い塊は?」

「だから今それを考えておるのじゃろうが」

 

 胡乱な目でナルトを見やってから三代目は再び大きく溜息をついた。

 けっけいとうた、けっけいもうら………………、ナルトは聞き慣れない単語を脳内で反芻した。そしてふと、似た響きの言葉を思い出した。

 

「────あれ、けっけいげんかい……?」

「血継限界は二つの性質変化を混ぜ合わせたもののことじゃ。血継淘汰は更に多い三つ。血継網羅は全ての性質を合わせたものだ」

「へー」

 

 つまり、自分は複数の性質変化を扱うことができるのかもしれないということのようだが、けれどそれがどれだけすごいことなのかは良くわからない。カカシといいサスケといい自来也といい、複数の性質を使う忍なんてナルトが知っている者だけでも、それこそ枚挙にいとまがない。

 それらを同時に使えるメリットもよくわかっていない。

 ナルトにしてみれば、特別すごいことのようには感じられなかった。

 ただ、別に悪いことではないように思えるので、三代目がどうして悩んでいるのかもよくわからなかった。

 だが一つだけ、ナルトにも確信を持てることがあった。

 

「じいちゃん」

「──なんだ?」

「つまり、──こういうことだろ」

 

 ナルトは高揚から歯を見せて笑い、拳を胸の前できつく握りしめた。

 三代目が驚いた様子で、ナルトを見つめてきた。

 ナルトは三代目を安心させるように力強く頷いて、口を開いた。

 

「……ナルト、お前」

「────つまり、オレもサスケみたいに千鳥が使える……! ──そういうことだろ?」

「────────────────そうではない……」

 

 三代目は心底疲れたといった様子で片膝を突いた。

 一転してナルトは慌てた。

 

「え、あ、つ、使えないのか?」

「…………そうではないが…………そうではない」

「ど、どっちだってばよ」

 

 訳のわからない返答にナルトが戸惑っていると、それを見つめながら三代目は「なんでこんな馬鹿にこのようなことが……」と小さく嘆いていた。

 三代目の中で急激に自分の株が下がっている予感がして、ナルトは口を噤むことにした。しばらくして立ち直った三代目は、額を揉みながらぼやいた。

 

「……やはり一度、あ奴に診せるべきなのじゃろうな」

「あ奴?」

「綱手のことだ。……お前も知っておるのだろう?」

「…………綱手のばあちゃんか」

 

 なるほど、確かに医療忍術のスペシャリストである綱手ならば、ナルトの体に起こったことを解明できるかもしれない。しかし同時に、綱手を里に連れ戻すために起こった一連の騒動のことを想うと、あまり期待はできそうにない気がした。

 

「…………ナルト、その呼び方はやめておけ」

「えっ、あー、………………まずいかな?」

 

 前のときからの呼び名なのでそれなりに愛着があるのだが。しかし男の時に許されていても女になると許されないことがあることぐらいはナルトも学習している。そしてもちろんその逆があることも。

 ナルトが『ばあちゃん』の響きの良さに未練を引きずっていると、三代目は目を細めて付け加えた。

 

「止めておけ。……死にたく無くばな」

「うす」 

 

 寒気を覚えたのでナルトは速攻で素直に頷いた。

 しかし結局、また謎が増えただけのようだ。

 何時になるかわからないが綱手に診察してもらうことで少しは何か手がかりが掴めるのだろうか。

 

「…………なんかまた、謎が増えそーだな」

「勘弁してくれんか……」

 

 三代目は心底うんざりしたように呟いた。

 どうやらナルトと似たような想像が浮かんでしまったらしい。

 ミザルが取り成すように、手を一度叩いた。

 

「まぁ、ようするに今この子の目の前には、二つの道があるってことでしょ」

「二つ? なんのことだってばよ」

「決まってるじゃない。仙道と、」

 

 やや声を潜めてミザルは続けた。

 

「────六道の道よ」

 

 三代目はひどく複雑そうに顔を顰めた。

 

「不吉な言い方をするのぅ…………」

「でも事実じゃない」

「…………ナルト、…………やはり九尾の力を使う気はないか」

「ない」

 

 ナルトは敢えて言い切った。心の揺れや迷いを切り捨てるように。

 

【…………………………ふん】

「………………」

「別に、意地だけで言ってるわけじゃないってばよ。九喇嘛の力は確かに強力だけど、でもそれだけに頼りっぱなしだった前の時は、それが通じない相手には手も足も出せなかった」

 

 大蛇丸には妙な封印術で一発でやられてしまったし、特に暁の二人には簡単に無力化されてしまったのは記憶に新しい。

 このまま九喇嘛から与えられる力に縋っていてもあの領域にいる相手には絶対に勝てないと、そう確信できる。

 そしてサスケにも届かない。それは力云々だけではなく、借り物の力に縋っているだけでは、ナルト自身が本心の所で踏ん張れないからだ。

 まずは自力を伸ばし、己を高めなくてはいけない。

 

「…………クラマ、とは?」

 

 三代目の疑問に、ナルトは、あぁ、と眉を上げた。失念していた。そういえばまだ三代目には九尾の名前を聞いたことを伝えていなかった。

 

「九尾の名前だってばよ」

 

 三代目は目を見開いた。

 

「…………九尾に、名前があったのか……?」

【………………クク、なんとも人間らしい傲慢さだ】

 

 九喇嘛が喉で小さく笑った。最近はあまり聞かなくなったような気がする、突き放すような皮肉の籠った声音だった。

 

「うん」

「……………………お前は、それを九尾から聞いたのか」

「頼んだら教えてくれた。まぁ、結構最近のことだけど」

 

 ナルトが答えると、三代目は呆然とした表情で口元を押さえた。

 

「九喇嘛、…………そう、か」

「ふぅん」

 

 横で聞いていたミザルも興味深そうに目隠しした顔で見つめてきているように感じた。

 ナルトの中で九喇嘛がイライラとした様子で身じろぎした。

 

【──おい、小娘。言っておくが、こ奴ら如きにワシの名を軽々しく口にさせるな】

 

 冷ややかな怒気を滲ませて九喇嘛は地に響くような低い唸り声をあげた。

 

(────)

 

 オレは呼んでいいのに二人は駄目なのかよ、と反射的に思ったが、それを言ったら最後、とんでもない藪蛇になりそうだったので自分の脳内だけに留めた。

 二人にあまり九喇嘛の名前を口に出さないで欲しいと伝えると、三代目とミザルは顔を見合わせた後、「わかっておる」と、あっさりとした態度で了承した。

 ナルトも人前ではなるべく九喇嘛の名前を出さないようにすることに決めた。九尾の事を知らない人間はもちろんのこと、知っている人間でも絶対に面倒くさいことになる。

 それでも、前進はしていると感じた。少しずつだけどゆっくり打ち解けていけばいい。

 

「まったく、お前は何時も想像の斜め上をいくな」

 

 溜息をつきながら、三代目が大分、疲れたようにそう纏めた。

 

「いくらワシでも、流石に血継限界の鍛え方は知らん。……最も得意な性質の習得ができない以上、性質変化の修業は無駄が多すぎるな」

「じゃあ、どうするんだってばよ」

 

 三代目が口の中でかすかに「仙道と、……六道、か」と呟いたように聞こえた。

 

「…………危険はあるが、仙術の修業を続けよう」  

 

 覚悟を決めたように、真っすぐにナルトに視線を向けた。

 

「これからお前には猿飛の奥義たる、猿舞を伝えることにする」

「えんぶ」

「猿の舞と書いて猿舞と読む、────猿飛最大の秘技だ」

「ふーん」

 

 強い決意を込めた三代目の表情を眺めながら、相変わらず技名がダサいな、とナルトは思った。

 

 





 ちょっと短いですが切りがいいのでここまで。
  
 三代目の言う三年早い云々→一部と二部の間にある期間である三年間でのナルトの成長度合いから妄想


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39『砂塵』①

 

 気が付けば真っ暗闇の中たった一人で、ナルトは立っていた。

 どんなに目を凝らしてもほとんど見通せず、物音もなく、なんの匂いすら感じない。

 ただ、胸の中央に灯る篝火だけがわずかに周囲を照らしている。

 すぐにここが夢の中であることがわかった。

 もうすでに何回も見た夢だ。

 ナルトは歩きだすことにした。

 そうしなければならないからだ。

 理由は忘れた。

 踏み出す度に、地面に波紋が広がる。

 どこからか、ミザルの声が聞こえた気がした。

 

『心をどこにも留めずに真っすぐに今を見つめ続けなさい』

 

 ナルトは頷くと、その通りにした。

 むやみに恐れたり、それを誤魔化すために怒ることもしない。

 どんな感情も今は必要ない。悲しみや憎しみ、さらには喜びでさえ、この暗闇を歩き続けるためには邪魔になってしまう。

 やがて地面に足が沈みこみ始める。そのままゆっくりと全身が暗闇の中を潜っていく。恐れず、それをただ受け入れる。

 夜の海を潜るように静かに体が闇の中を降りていく。

 全身に闇が纏わりついてくるが、心を乱さない限りは触れて通り過ぎていくだけだ。

 深く潜っていくにつれ、心音が段々と遅くなってくる。心に灯った篝火もそれに合わせて少しずつ小さくなっていく。

 そうすると、また声が聞こえてきた気がした。

 最近増えた二人目の、お猿の先生の声だ。

 

『心の音はあくまで──カルマートに。しかし決して絶やさぬように』

 

 ナルトはまたしても頷いた。

 確かにこの闇を潜っていくためには、すべての感情が邪魔だ。けれど闇から帰ってくるためには、この胸の火が必要なのだ。

 小さく小さく、しかしそれとは逆にその音色はより深くしていく。

 胸の火がリズムを刻む度に闇の中に波紋が輪を広げていく。

 ナルトはさらに潜っていくことにした。

 そのとき、遠くでなにかが波紋に触れた。

 なにかはわからない。しかしとてつもなく大きいなにかだ。

 ナルトはそれの方向に向きを変えた。

 近づいていくにつれて、これが想像以上に巨大な何かであることに気が付いた。

 どんなに近づいても、そのサイズはナルトが認識できる範囲にはまったく収まらない。

 ふと、その巨大な何かが身じろぎした。それだけで無数の巨大な波紋が広がり、ナルトの波紋を掻き消した。

 そこでようやく全容が感じられた。

 ナルトは驚愕した。これは生き物なのだ。

 そして理解する。この巨大な何かはナルトを既に認識している。

 精神が乱れ、均衡が崩れる。闇が途端に牙を剥き、ナルトの身体を蝕み始めた。呼吸ができない。肺の空気が泡となって外に逃げていく。直後に左手がグンッと上に引かれる。

 山鳴りのような咆哮が響いた。

 周囲の闇が攪乱されて無数の波紋と激流に、ナルトは踏みとどまることなど出来ずにグチャグチャにかき回された。

 濁る視界の中、ナルトは自分に向かって伸ばされる巨大な怪物の手が迫るのを理解しながら、その背に揺らめく一本のソレを観ていた。

 

 ────尻尾……。

 

 

 

 

 

 全身に電流が流れたかのような衝撃が走って、ナルトは跳び起きた。

 急いで周囲を見渡すと、何時もの見慣れた自宅の寝室の景色が視界に飛び込んでくる。

 荒い息を吐きながら、しばらくそれらを眺めているとやがて動悸が緩やかになっていくのを感じた。

 

「夢か…………」

 

 そう言ってから、はて何の夢を見ていたのだったかと、髪の乱れた頭を掻いた。んー……、と寝ぼけつつ思い出そうとしたが、寝起き直後の脳はその恐怖の余韻だけは覚えてはいるものの、肝心の夢の内容そのものはどんどん記憶から抜け落ちていくようだった。

 まぁ、夢などそんなものか。ナルトは早々に抵抗することを諦め、抜け落ちるままに任せることにした。

 ふと、左手首に違和感を覚えて目をみやると、そこに刻まれた三重の輪の形をした法印が痛みを発していた。

 確か、緊箍児の印だとかなんとか。

 仙術を使わなければ痛まないと、そう言っていたはずだったのだが。

 悪夢を見たのはこれのせいなのだろうか。

 ナルトは不良品を押し付けられたような気分になりながらがそれを胡乱気に眺め、溜息をついて立ち上がった。

 伸びあがり、大きく息を吐いて気分を変える。

 

(おはよー……、九喇嘛)

【……………………】

 

 心の内側に呼びかけると、九喇嘛はわずかに片目を開いた後、何も言わず、すぐにまた目を瞑った。今日はどうもご機嫌ナナメらしい。別に珍しいことではないのでナルトは気にしなかった。

 まぁそもそも機嫌が比較的良いときでも、返事が返ってきたことはないけれど。

 目が覚めてくるとナルトの元気な胃腸がすかさず朝ご飯にしろ、と訴えてくる。

 ただ今は汗をかいているし、少し体が匂う気もしている。

 先に汗を流すべきだろうか。

 ちょっと考える。

 ま、別にいいか、とナルトはすぐにその思案を投げ捨てた。この体になってからというもの、風呂に入った後の手間が増えて億劫なのだ。

 特に朝は面倒くさい。入りたくない。だから入らない。

 と考えると同時に、脳裏にサクラの顔が浮かびあがった。

 

「………………」

 

 再び溜息をつくと、ナルトは朝食前にシャワーを浴びることにした。

 ナルトはもう一つ気になることがあった。どうも全身が少しピリピリするような気がするのだ。

 首を傾げつつ、部屋を出るときに壁にかけられたカレンダーが目に入った。上から一枚、切り取ってゴミ箱に捨てておく。

 六の月は丁度、昨日で終わりだ。

 今日からは七の月だ。

 まずは、歯を軽く磨く。

 次に脱衣所でパジャマを脱ぎ捨てて、適当に洗濯機にぶち込む。

 ナルトは未だ、服を脱ぐ、という行為が苦手だった。

 意識しないように努めているせいか、変化した自分の姿というものを見慣れるということがない。身長が伸びていることだけは嬉しいのだが、それと同時に男だった自分と言う存在がどんどん遠くなってしまっている気がした。

 今もなおそのことに慣れてなどいないという事実に、少しだけ安堵を得る。

 自分の身体のことは大事な問題だ。けれど今はそれにだけ集中しているわけにはいかない。結局、日課である一旦そのことを頭の片隅に追いやっておく作業を、ナルトは今日も繰り返した。

 あまり自身を見ないようにして、ナルトはさっさと浴室に入る。

 朝冷えした浴室で冷たいシャワーの水を浴びていると、頭がハッキリとして、少しだけ気分が晴れてきた。ガムテープで覆い隠してある姿鏡を睨みつつ、髪をかき上げる。

 

「────よし」

 

 意識を切り替え、ナルトは頷いた。

 髪の水気を絞ってから浴室を出て、髪をタオルドライした後、下着を棚の一番上から適当に掴んで履く。

 サクラに貰ったくノ一用の無香料のオイルを薄く伸ばして髪に塗す。それからドライヤーで髪の根元から乾かしていく。

 サクラに言われたようにやっているだけなのでこれにどれほどの意味があるのかはよくわかっていない。

 あっという間に髪が乾くので、そのあと適当にブラッシングしていく。

 そこでナルトはやはり体が少し高ぶっていることを認めた。

 九尾のチャクラが漏れているわけでもないのに、髪が時折不意に波打つのだ。

 その原因を考えようとしたが、ぐぅ、とお腹がなると眉尻を下げて、ナルトは肩の力を抜いた。

 

「…………飯」

 

 ブラシを放り投げると、ゾンビのような顔でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事を取って身支度をしてから家を出る。外出する時は手首の法印を一応リストバンドで隠しておくことにしている。

 男のときよりも時間が掛かるようになった分、何時もよりも早く起きてもいつもよりも遅くに出発することになる。

 面倒なことだが、最近はようやくこちらの感覚に慣れてきた。

 今日の集合時間はいつもより早いので、朝の修業はなしだ。

 ナルトは指と手足で一定のリズムを刻みながら歩く。

 これも修業の一環だ。最初は面倒臭かったが、慣れてみると前よりも歩きやすい気がする。

 未だ、体の高揚は治まらない。

 理由は分からない。

 再不斬と白に会ったときと少し似ているように感じた。

 感覚的に近いのは再不斬のあの鋭い殺気を受けたときの、全身が粟立つあれだ。

 けれど、再不斬のときほどにはハッキリしない。敵意なのかどうかもよくわからない。

 近くにいるのか、遠いのか。それもよくわからない。

 なんというか予感とか、直感のようなものだ。

 論理的な答えなどなく、漠然とそう感じているだけだ。

 これも仙道の修業の影響なのだろうか。

 本格的な仙道の修業を始めて早、二か月が経った。その内容は濃密過ぎて思い返すのも辛いものがあるが、その成果だけを分かり易く端的に述べるなら、ナルトの体術とチャクラ感知能力を幾分か伸ばすことができた。

 おそらく、そのチャクラ感知が何者かに反応しているのだろうと思う。

 それこそ白と殴り合ったときのように。

 まぁ、その人物がどのくらい近くにいるのか、そもそもなんで反応しているのかという、もっとも大事なことがさっぱりわからないわけなのだが。

 折しも中忍選抜試験が近いので、近日は無数の他の里の忍が木の葉隠れに集まりつつある今はなおさら、仙術が反応している相手の特定は難しい。

 音の勢力の誰かなのか、それとも砂の忍達の誰かなのか、あるいはまったく別の里の者なのか。

 修業に励んだ後でいまさらこう思うのはどうかと感じないでもないが、やはりどうにもイマイチ使い勝手が悪い術の気がする。

 待ち合わせ場所ではすでにサスケとサクラが待っていた。

 二人をそれぞれ見つめてみたが、どうやら二人からは特に何も感じない。この二人に反応しているわけではないらしい。

 案の定、待ち合わせ時間にやってこなかったカカシを待つ間に、割と恒例になりつつあるサクラによる身だしなみチェックを受ける。毎日毎日よく飽きないな、とナルトは思いながらも、ちょっとしたスキンシップを内心で密かに喜ぶ。

 それから遅れてやってきたカカシから中忍選抜試験の正式な開始時間と、それに推薦したことを告げられる。そういえば前もこの日だったような、と前回の記憶を思い出しながら、驚く二人に挟まれて、居心地の悪い思いを味わう。カカシが何か言いたげにじーっ、とこちらを見てくるのを座り悪く横を向いて誤魔化す。

 本気で追求したいわけではなくある種の意趣返し的な雰囲気を感じた。

 この程度の気まずさぐらいは味わっておけ、ということだろうか。

 まぁ、確かに気まずいは気まずいが、誰にも咎められない状況よりはナルトにとっては、少しだけ気が楽だ。

 そこまでカカシが気を使ってくれたのかどうかは知らないが。

 それはそれとしてこのピリピリの相手は、カカシでもないようだった。

 カカシから中忍選抜試験の説明を受け、それぞれに志願書が手渡される。

 試験の締め切り時間は明日の午後四時だ。ずいぶんと急な話だが、これは前と同じだ。

 ナルトも二人と同じようにそれを受け取った。

 前も見た紙なので、とりあえず折りたたんで無造作にポケットに突っ込んでおく。

 サクラからの視線を感じ、視線を返すと逸らされた。

 

「……………………」

 

 嫌な感じの視線ではなかった。

 むしろ、その目に宿っているように見えた熱意の意味をナルトは良く知っている。

 どうしたものか、とナルトは少し困った。

 サクラの気持ちから逃げるつもりはないのだが、その熱意に応えるだけの熱い想いがナルトの中にはないからだ。

 サクラのことは対等な仲間だと思っている。

 けれど、それはそれとしてナルトは未だサクラに向けてサスケに対して常々思っているような、殴り合ってみたい、という欲求を抱けないのだ。

 敵ならば女だろうが関係なく殴れるし、戦える。けれど決してそれを求めているわけではない。

 いくら対等だと思っていても、サクラと闘ってもナルトはきっと楽しくはない。

 これはあらゆる理屈や論理を超越した、ナルトの男としての核の部分にある本心なのだ。

 しかし一方で、そんなことを思う自分の身体は女の子なわけで。であるのに、自分自身は強いライバルの男と闘ってみたいわけで。

 それもできれば熱く闘いたい、と思っているわけで。

 まったく、なんという酷い矛盾だ。

 少なくとも、サクラの想いに関してはナルトが受け止めなくてはいけないことだし、受け止めたいとも思っている。

 いざとなったら腹を括るしかないのだろう。

 ナルトはとりあえず頭ではそう結論付けた。実行できるかどうかに関してはまったく不安しかないけれど、それはもうどうしようもない。

 結局、今日は任務はないとのことだったので、そこで本日は解散となった。

 

 

 

 

 

 

 第七班の面々と別れた後、ナルトは日課である慰霊碑の手入れに向かった。二か月もあれば掃除の手順も大分、覚えてきた。

 手入れを終えると、慰霊碑の前に屈んで手を合わせる。

 まだ祈る言葉が見つからないままなので、手は合わせるがなにも祈りはしない。

 かわりにその時間でこの石碑に刻まれた一族のことを想うことにしていた。

 彼らがどのように生きて、そしてどのように滅びたのかを。

 一般に公開されている歴史書でも、調べてみると意外にも彼らの記述を少しずつだが見つけることができる。決して多くはないそれらをナルトは時間をやりくりして探し出して、繋ぎ合わせ、頭の中に思い描いた。

 あまり時間は取れないし、そんなことしたこともないので調べることができた一族はごく僅かだ。

 それをやっている理由も、なにか立派な動機があるというよりは個人的な興味の部分が大きい。結局のところナルト自身には未だ、これらの当事者であるという意識があまり沸かないのだ。

 ただ、この石碑のおかげ、という表現が適切なのかどうかはわからないが、ナルトが以前まで歴史というものに感じていた、どこか遠い世界の物語、という印象は少しだけ変わった。

 ここ二か月の変化はいってしまえばその程度のことだ。

 ナルトはじっと黙って手を合わせていたが、数十秒ほど経つとさっさと立ち上がって、掃除中に付いた土埃を払い、掃除道具を手桶にまとめると石碑に背を向けて歩き出した。

 明日の朝一にそろそろ萎びてきた献花を変えておこう、と脳内にメモしておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中忍試験前なので修行を早めに切り上げて、ナルトは里に戻ってきた。

 他の里の忍が大勢やってきているせいなのか、どこか里の内部の空気が少しだけ張りつめているように感じた。

 朝のピリピリは収まるどころか酷くなっている。

 お猿の先生がたの話によると、やはりナルトの仙道が誰かに繋がってしまっているようだが、それが誰なのかはわからない、とのことだった。

 その人物はナルトと多少なりとも縁があるそうだが、だというならなおのこと心当たりがない。

 今のナルトと縁がある人物など木の葉隠れの住人かもしくは、波の国で出会った面々ぐらいのものだ。

 まさか白と再不斬が、今、木の葉隠れの里を訪れているなどとは流石に思えない。

 

【……………………】

 

 不思議なことに九喇嘛も、今日は何時にも増して静かだ。

 なんなんだろうな、と、ナルトは疑問を抱きつつ、人気の少ない帰路を歩いていく。

 この調子では修行にも勉強にも集中できないし、いっそのこと今日はもう休んでしまおうかと考える。

 

「…………………………」

 

 ふと、足を止める。

 ほんの微かに、誰かが潜んでいるような気配を感じた。

 実のところ、最近はたまに同様の気配を感じることがあった。気のせいかとも思っていたが、仙術の修業を進めて感覚が研ぎ澄まされていくうちにその気配が段々とハッキリと感じ取れるようになってきた。

 明らかにナルトを捕捉した上で、どこかに隠れ潜んでいる誰かがいるのだ。

 今までは半ば気付きつつも放置していたが、妙なピリピリによる苛立ちもあって、ナルトはその誰かを炙り出してやろうと思い立った。

 立ち止まって、気配を強く感じる、進行方向にある十字路の方へ声をかける。 

 

「おい。そこに隠れている奴、出てこいってばよ」

 

 気配が動揺しているのを感じる。

 

「──出てこないなら、こっちから行くってばよ」

 

 とナルトが宣言するとさらに慌てたような雰囲気を出したけれど、出ては来ない。焦れたナルトが一歩踏み出そうとしたその瞬間、戸惑うような足音が路地に響いた。

 ただしそれは、一歩踏み出そうとしたナルトの真後ろからだったが。

 振り返ると、もじもじと服の裾をひっぱりながら、所在無さげな様子のヒナタが立っていた。

 

「──ご、ごめんね、その、隠れるつもりじゃなかったんだけど」

 

 隠れていたのは十字路ではなく、後ろの路地だったようだった。ナルトは持ち上げていた足を華麗に半周回して、まったくの予想通りでしたといった感じでヒナタに向き直った。

 

【……………………………………………………】

 

 九喇嘛が表情も変えずに無言でナルトを見つめてきたが全力で無視した。

 おかしい。ナルトは羞恥に頬を赤くしながら内心で首をひねった。確かに十字路の方からも気配がしたように感じた気がしたのだが。

 

「よ、よぉ。なんだヒナタか」

「!」

 

 ナルトがそう応えると、なぜかヒナタは驚いた様子だった。

 

「あ、あのね、あの────ナルちゃん、その」

「な、ナルちゃん?」

 

 聞き慣れない呼び方にナルトが戸惑うと、ヒナタはあわあわと両手を振った。

 

「ご、ごめんね、あのその、ナ、ナル」

「いや、別にいいけどよ」

 

 ただ戸惑っただけで、呼び方などどうでもいいナルトがそう言うと、ヒナタはその特徴的な目をまんまるにして、ぽかんと口を開いた。

 

「いい、の?」

「だから良いってばよ」

 

 特別な事を言ったつもりは微塵もなかったが、ヒナタは頭に複数の『?』を浮かべながら、衝撃を受けたようにしばらく動かなかった。

 呼び方ひとつでこうなるとは相変わらず訳の分からない奴だ、とナルトは少し呆れた。

 ややあって再起動したヒナタが、またもじもじと自分の服の裾をひっぱり出した。

 

「あの、私、その、紅先生に聞いたからそれで」

「聞いたって、何が?」

「ナルちゃんが、その、中忍試験の、推薦を貰ったって」

「?」

 

 確かにカカシに推薦して貰ってはいるが、それでどうしてヒナタが会いに来る理由になるのかはわからないままだ。

 ナルトが答えないとまたヒナタが慌てだしたので肯定してやると、またたどたどしく話し出した。

 

「ナルちゃんは、中忍試験受けるんだよね……?」

「まあな」

 

 ナルトが頷くと、ヒナタはほっと息をはいた。

 

「私も、私も中忍試験に推薦してもらったから……」

「ふーん」

 

 それで? とナルトはまだよくわからなかったので続きを促した。

 ヒナタは目を泳がせながらも、ナルトの目を見返すと、ぎゅっと服の両裾を握りしめながら震える声で、こう告げてきた。

 

「わ、私もナルちゃんと同じように中忍試験、受けることにしたから」

 

 振り絞るような声だった。

 

「だから、私たち、その、────ライバル、だよ」

「……………………?」

 

 決意は感じた。

 ただ、後はよくわからなかった。

 中忍選抜試験を受ける以上は確かに全員がライバルであることは間違いないが、しかしなぜそれをナルトに宣言することになるのだろうか。さっぱりわからない。

 

「──────────」

 

 けれどそれを考察するよりも早く、ナルトの脳裏に過るものがあった。

 それは、ネジにボロボロにされても折れることなく立ち向かって己の忍道を貫き抜いた、目の前の女の子の姿だ。

 そしてナルトが本選の一回戦でネジと戦うときに、最後の一押しをしてくれたあの言葉も、同時に聞こえた気がした。

 誇り高き失敗者────、その言葉は今でもナルトの胸に刻まれたままだ。

 ナルトは大きな失敗をしたけれど、それでも立ち上がっていられる理由の一端が、きっとあの言葉にあった。そしてそれは今はもう辿り着けない未来での世界の話で、その恩はもう二度と返せないのだ。

 そう思うと、考えるよりも早くナルトは衝動的に動いていた。

 ヒナタの肩に、勢いよく手を置いた。

 

「そうか、ヒナタ! お互い頑張ろーな!」

「はれぇ……?」

 

 ヒナタが戸惑ったような声を上げた。

 至近距離で見つめ合うと、ただでさえいつも紅潮気味の頬をのぼせているのかと勘違いしそうなほど真っ赤に染めた。

 なんとなくこれもサクラと同じような案件だろうということをナルトも薄々、察していた。

 前のように拗れるかもしれないのだから、相手側の気持ちを見極められるまでは本当は余計なことはしない方がいいのかもしれない。

 けれどナルトはそれには構わずに言葉を続ける。もし拗れたのなら、そのときはそのときだ。

 

「だけどなにか手伝って欲しいこととかあったら、力を貸すってばよ」

 

 今度良かったら組手でもしよう、とナルトはニッコリ笑いながら告げた。ヒナタは微動だにせずにただ目をまるくしたまま固まっていた。

 ナルトは何度かヒナタの肩を軽く叩くと、じゃーな、と手を上げて別れを告げる。

 これでよかったのかどうかはわからない。

 しばらくすると、遠くから「あれぇ?」といった声が聞こえた気がしたが、ただの気のせいかもしれない。

 そういえば、どうやらこのピリピリの相手はヒナタでもないらしかった。

 結局、一体誰に反応しているのだろうか。

 帰路に就きつつ、ナルトは疑問を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 
 ナルト20周年おめでとう! 



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40『邂逅』①



 ナルト「あとサスケのこと考えるとたまに下腹辺りがきゅんっとするんだってばよ」

 三代目・ミザル「!?」

 ナルト「まぁ男のときの話だけどよ」

 三代目・ミザル「!?!??!?!?!」

 ――――というやり取りを入れようと思っていたのにうっかり忘れてしまってました。私と同等レベルの変態以外は別に怒ったりしないと思われますので特に謝罪はしませんがここで供養しておきます。








 何度も読み返した志願書に再び目を通しながら、サスケは特に目的地も決めずに歩き続けた。

 身体が微かに高揚している。

 流石に中忍選抜試験を明日に控えながら本格的な修行をするわけにもいかないが、ただじっと部屋に籠っているような気分にはなれなかった。

 正直に述べれば、サスケは中忍という地位そのものにはさほど興味はなかった。

 しかし無数の里の下忍が一同に集って競い合うという状況は悪くない。むしろ非常に都合が良いといっていい。

 波の国の任務以降、サスケは己の修行が停滞していると、そう感じるようになってしまった。

 修練の成果そのものは任務前と今とではさほど変わってはいないはずだ。

 けれど、命懸けの実戦の中で勝ち得る経験値の密度をサスケは知ってしまったのだ。

 あれを知ってしまえば、普通の修業で得られる遅々とした成長と変化には、もう満足することができない。

 少なくとも、このまま普通に鍛えていても兄に追いつくイメージなど欠片も浮かばない。

 基礎を詰めるのも必要だが、しかし圧倒的な才能の差を埋めるためには普通の努力だけではどうしても足りない。

 波の国で知り得た、己の命を天秤にかけたリスクを伴う選択の中に、その格差を打ち破る可能性を見いだせる気がしていた。

 だからこそ、ここしばらくの平穏はサスケにとってはもどかしかった。

 未だはるかに遠い兄の背中に少しでも近づくための踏み台としては、中忍になれるかもしれないという結果よりも中忍選抜試験そのものの方が、魅力的に思えた。

 暗い視線でその兄の背の幻影を見据える。

 自分を眼中にすら納めないその傲慢な男の背に、いつの日か握った刃を突き立てるそのときまで、利用できるものはすべて利用していくべきだ。

 ふと、兄の背中のイメージの手前に見え隠れしたある人物の姿に、思わず眉をしかめた。

 明るい金髪のポニーテールの少女の姿。

 未だに、この少女のことはよくわからないままだ。

 とてつもない実力者に思えることもあれば、ただの馬鹿なのかと勘繰りたくなることもある。

 果たしてその背は今サスケのすぐ目の前にあるのか、それともあるいははるか遠く、うちはイタチのそばにまで迫っているのか。サスケには捉えられていない。

 歩いていく最中、幾人かの忍とすれ違った。

 見たことがない顔の、他の里の忍たちだ。中忍選抜試験の受験者とその関係者たちだろう。

 軽く観察しただけではその実力まではハッキリとはわからないが、大したことはなさそうに感じた。

 すぐに興味を失い、適当なところで観察を切り上げて移動する。

 

「やぁ、キミ。今はそっちの方向には行かないほうがいいかもよ」

 

 柔らかな声がサスケの背後から聞こえた。聞き覚えの無い声に訝しみながら振り向くと、背の高い眼鏡をかけた優男風の青年が立っていた。

 歳は二十くらいか。額当ての印から同じ木の葉隠れの忍らしかったが、あいにくサスケの記憶にはない顔だった。

 

「…………どういう意味だ?」

 

 誰だ、と言わなかったのはシンプルに興味がなかったからだ。

 青年はサスケの態度に苦笑すると、聞いてもいないことを語り出した。

 

「……一応ボクはキミと同じ木の葉隠れの下忍で、キミの先輩にあたるんだけどね」

 

 言いたいことは理解するが、それを汲み取ることはしない。

 下忍と聞いて一応相手を観察するが、すぐに打ち切る。サスケは目の前の男を先ほどの他里の忍と同様に、自分の格下だと認識した。

 多少の戦闘経験はありそうだが、その身のこなしも、纏った雰囲気も、何一つ特筆すべきところが見当たらない。

 階級はともかく、実力が伴わない者に払う敬意はなかった。

 

「どうでもいい」 

 

 短く切り捨てる。

 

「……あはは、辛辣だなぁ」

 

 予想外、と言った様子で、青年はやや動揺した風に頭を掻いた。

 

「…………」

「………………」

 

 微妙な空気が流れる。

 なんだこいつ、とサスケは思いながら会話を切り上げて再び歩きだそうとすると、相手は思い出したように声を上げた。

 

「あ。そうそう! だからそっちの方には行かない方がいいよ」

「…………何故だ」

 

 大分面倒くさくなりながらサスケは再び訊ねた。眼鏡の男は手元にある花札のような紙を眺めながら、勿体をつけるような口調で答えた。

 

「今、そっちに行くのは危ないってこと」

「…………?」

「キミも気が付いたかもしれないけれど、昨日中忍選抜試験の開催が正式に決定されてね。それで他里の忍が今この里にどんどん入ってきてるってわけだ」

「知っている」

「あぁ、それなら話が早い。つまり、その中でも飛びぬけて危険そうな奴が、キミが今のんきに歩いて向かっている方にいるんだよ」

「…………危険そうな奴だと?」

「それもどうやらご機嫌があんまりよろしくなさそうな、ね。これは忠告ってわけさ。余計なトラブルに巻き込まれたくなかったら、今日は家の中に籠っていることをお勧めするよ。そうでなくとも他の里に入ったばかりの忍は気が立っている奴が多いからね」

 

 この気の利かなそうな様子では意図的でないのかもしれないが、子供に言い聞かせるような物言いにやや苛立ちを覚える。

 

「──どこだ?」

「えっ?」

「そいつらの今いる場所だ」

「ああ、それなら多分今は大門の西側辺りかな…………」

「そうか」

 

 サスケは頷くとそちらの方角へ向けて歩き出した。

 慌てたように後ろから足音が近づいてきた。

 

「ちょ、ちょっと、待って! ボクの忠告ちゃんと聞いてた?」

「ああ」

「だったら、止めておいた方がいい。────ってあれ、手に持ってるそれって……」

 

 そこでようやくその男はサスケが手に持っていた中忍試験の志願書に目を落とした。

 

「──もしかしてキミも中忍試験を受けるわけ?」

 

 忍にしては随分と目端の利かない奴だ、とサスケは呆れた。

 

「ああ」

 

 と、答えながらサスケは疑問を覚えた。目の前の男はサスケのことを下忍だと認識していたはずだ。しかしその疑問の答えはすぐに目の前の男が自分から喋り出した。

 

「キミ、まだ下忍になって一年にも満たないだろう。それなのにもう中忍試験を受けるつもりなのかい?」

「…………」

 

 答えるのが面倒だったので返事はせずに歩き続けようとして、もう一つの疑問を感じて止まった。

 サスケはこの男にまったくの見覚えがない。だというのにどうやら相手の方は少なからず、サスケについて詳しいようだった。

 サスケは足を止めて振り返ると、相手の顔をハッキリと捉えて見た。

 青年は最初の印象と変わらない、何の特徴もない笑顔を浮かべたままだ。

 やや警戒した視線の意味を理解したのか、少し得意そうな顔になると、自分の胸に手を当てて語り出した。

 

「ボクはこれでも中忍選抜試験を七回も受けているからね。他の下忍については自慢じゃないがかなりの情報通だと自負しているよ。もちろんキミのことも知っている。とはいえ、まさか今年、試験を受験するとは思わなかったけどね。もしかして今年はルーキーが多いのかもしれないね」

 

 本当に自慢にならない内容に毒気を抜かれつつ少し呆れたが、納得はできる。なによりこの男が言っていることが事実ならば、目の前の男は利用価値があることになる。

 乗せやすそうな性格でもあるようだ。上手く扱えれば他の里の忍の情報が手に入るかもしれない。

 サスケの内心の変化を知ってか知らずが、男は警戒心の足りていなそうな笑顔のまま言葉を続けた。

 

「ボクの名前は薬師カブト、まぁよろしく、────うちはサスケ君」

 

 

 

 

 

 薬師カブト曰く、他国の里に入ったばかりの忍は皆少なからずトラブルを引き起こすものらしい。特に弱小の隠れ里の者ほど、その傾向にあるようだ。

 その根底にあるのは、劣等感だ。

 表向きは、すべての隠れ里は力の大小に関わらず皆対等であるというお題目があるが、それはあくまで建前にすぎない。

 たとえば木の葉の里のように他の里を召集して合同で中忍選抜試験を開催することができる隠れ里は選ばれたごく一部だけだ。

 すなわち五大国の隠れ里、それのさらに上位の里だけ。

 各国の隠れ里の忍を召集できるだけの外交力、いざというときに無数の里を押さえつけることのできる軍事力、そしてそれを支える強い経済力、さらには協力的な多数の大名の存在、これらすべてを揃えられて初めてそれが実行できる。

 各国合同の中忍選抜試験を開催できることそれそのものが、ある種のステータスなのだ。

 しかし、対等というのは建前だったとしても、否、建前だからこそ、そのことを公に認めてしまうわけにはいかない。

 故に他国の隠れ里に足を踏み入れた忍は意識して自国の面子を保とうとする傾向にある。

 大国の隠れ里だろうが唯々諾々とは従わない、という態度を取るわけだ。

 そしてその面子を傷付けられた場合は、相応の報復を返さなくてはいけない。

 ちょっとした揉め事から、大きなトラブルに発展することはままあることのようだった。

 愚かしい、とサスケは突き放して考えることはできなかった。

 木の葉隠れは大国故にそのようなことを他国に対して意識したことはなかったが、その反対に国の内部ではまったく同じようなことをやっているからだ。

 どこどこの一族の権威がどうの、どこどこの勢力が蔑ろになっているからどうのと、正直に言えば身につまされるものがある。

 

「ま、傍から見れば馬鹿馬鹿しいことこの上ないけれどね」

「………………」

 

 サスケが父親やうちは一族のことを思い出して気分を害したことには気付かなかった様子で、カブトは揶揄するような冷笑をサスケに向けた。

 サスケは己の内で蠢く感情を隠して、何の言葉も返さなかった。

 

「おっ、あれは、音隠れの忍か。直接は初めてみるな」

 

 カブトの声に反応してそちらを見ると、見慣れぬ額当てをした集団を見かけた。

 集団で行動しており、顔は布に覆われて見えない。下忍がほとんどだが、中忍クラスの実力者も混じっているように感じた。

 初見で感じたその印象は、異質、だった。

 忍の集団があそこまで統一された服装をしているのは珍しい。

 新興の隠れ里ゆえの団結力のようなものがあるのだろうか。

 しかし、際立った何かは特に感じない。

 互いに認識し合いながらも、特に干渉することはなくすれ違う。

 

「オイ。まさか今のがそうだって言うんじゃないだろうな」

「まさか。それに、そもそもいくらボクでもあんな新興の小国の情報までは持っていないさ。正直、里そのものにまだなんの実績もないから調べようがないしね」

 

 カブトは両肩をすくめると、どことなく小馬鹿にするような口調で嘯いた。サスケが直接見たところではそこまで質が低いようには感じなかった。隠れ里が積み重ねた育成のノウハウはないのかもしれないが、逆に新興国だからこそ、下忍一人一人が実戦を積んでいるという見方もできそうな気がした。

 

「それより、本当に行くのかい?」

「……どのみち試験で顔を合わせるだろうが」

「倒せない敵からは逃げるのも、試験の内だと思うけど」

「オレはそんな遠回りをする気はない」

「…………ふぅん。立派だねぇ」

 

 よくわかっていなそうなあるいはどうでもよさそうな相槌だった。

 わかった風な顔をされるよりはいい、とサスケは気に留めなかった。

 サスケが再び居場所を尋ねると、渋々といった様子でカブトは答えた。

 

「多分、そろそろだよ」

 

 複数の他国の忍がうろついているからだろう。不自然に人が捌けた場所に出た。

 そこを、二人の忍が歩いていた。

 身体に巻かれた額当てにはシンボルである砂時計が刻まれている。

 砂隠れの忍だ。

 砂隠れの里は、五大国の隠れ里の中でもっとも下位に位置する隠れ里である。

 だが、その規模に反して所属している忍の質に関していえば木の葉隠れにも引けを取らないと聞く。

 黒い頭巾を被ったやや背の高い男と、髪を二つに結ったデカい扇を背負った女の二人組だった。

 足運びを見るだけでそれなりの実力者であることがわかる。

 けれど、カブトが言う程には、危険な感じは受けなかった。

 

「どっちだ?」

「いや、──」

 

 カブトが答えようとした瞬間、黒い影が目の前を遮った。

 

「どうも、こんにちはー」

 

 感情の籠らない平坦な声。

 すでに気配を感じていたサスケは特に驚かなかった。

 目の前に立っていたのは、顔を包帯で隠した男だった。両の腕には特異な形の忍び装束を纏っている。

 額に掲げられたそれには、音符が刻まれていた。

 

「…………どうも。何か用ですか?」

 

 カブトがわずかに動揺を隠しきれないまま訊ねた。男は露わになった目だけで微笑んだ。

 

「いやー、先ほど興味深い話が聞こえてきましたもので。何でもマイナーな小国の隠れ里である音隠れの情報は知る価値もないとか、……そんな話ですよ」

「そんな、ことは」

「いえいえ、ご遠慮なさらず。こう見えてボクって結構親切なんだ」

 

 男が指を鳴らすと、サスケたちの背後に二人の忍が立ちふさがった。男と女が一人ずつ、二人とも音隠れの忍だ。

 

「ボクの名前はドス・キヌタ。音の里の下忍ですよ。ボクでよろしければ今からでも、音隠れの忍のイロハを『聴かせて』あげますよ」

「………………」

 

 他国の忍に気を付けろと言っておきながら、自分が絡まれていては世話はない。しかも完全に自業自得だ。

 巻き込まれた形になったサスケは内心でカブトの評価をさらに下げた。

 とはいえサスケも、もはや当事者になってしまった。

 どう動くべきか、少し考える。

 目の前の男は多分、かなり強い。サスケの知っている実戦を積んだ者特有の空気を纏ってもいる。油断はできない相手だ。

 後ろの二人も、ただの雑魚ではない。簡単には蹴散らせないだろう。

 選択肢によっては今この場で写輪眼を見せるべきかどうかも考えねばならない。

 

「いやー、せっかくだけど遠慮しておくよ」

 

 愛想笑いを張り付けてカブトがそう言うと、音隠れの三人は嘲笑った。その様子を面白そうにニヤニヤと眺めながら砂隠れの二人が通り過ぎていく。

 

「──ふふ、五大国だがなんだが知りませんが、実態はこんな物ですか。図体ばかりでかくなって肝心の忍の質は劣化しきってしまっているアナタがた木の葉のような里もあれば、五大とは名ばかりの今や弱小の里と変わらない落ちぶれた里もある。まったく、名実とは釣りあわないものですねぇ」

 

 と、ドスと名乗った男が言った瞬間、笑いながら歩み去ろうとしていた砂隠れの二人の足が、ピタリと止まった。

 

「…………おい、そりゃどこのことを言ってるんだ?」

「カンクロウ、止めな」

 

 カンクロウと呼ばれた男が据わった目で振り返り、それをとなりの女が諫める。

 包帯の男はニヤリと笑った。

 

「────おや。そちらの名は出した覚えはありませんが、どうやら心当たりがおありの様子で?」

「おいおいおい。新興の弱小が調子に乗ってんなよ。ぬるい木の葉の雑魚どもを脅して気分が上がっちゃったか? 絡んでいい相手の見分け方を教えてやってもいいんだぜ」

「カンクロウ」

「止めるなテマリ」

「いいから、面倒だからやめておきなって」

「………………ふっ」

 

 音の忍の内の一人である黒髪の女が、カンクロウを諫めるテマリと呼ばれた女を見て、鼻で笑った。

 ビキッ、とテマリの額を青筋が走った。

 

「…………あ?」

「──あら怖い」

 

 二人の敵意がぶつかり合う。

 止める者がいなくなったせいで、場の空気がどんどんと際限なく張りつめていく。

 驚いて成り行きを見守っていた様子のカブトがややあって取り成すように乾いた声を上げた。

 

「まぁまぁ、試験前に争うのは無意味だ、ここら辺で止めておこ──」

 

 取り成しの言葉を最後まで続けることはできなかった。

 一度カブトの方に視線を向けたドスが視線を切ると、直後に無造作に腕を振るったからだ。

 サスケは咄嗟に写輪眼を発動していた。

 明確な理由はなく、強いていうならば直感で危険な何かを感じ取っていた。

 どこか大ぶりな軌道を描いて、カブトの顔面に迫るそれはギリギリの距離でかわされる。

 だがその瞬間、ドスの手甲が一瞬だけチャクラの光が覆ったのをサスケは見逃さなかった。

 

「ふぅ、────―え?」

 

 カブトが一息をついたそのとき、かけていたメガネにヒビが入った。

 驚いたカブトが顔に手を当てたかと思えば、次の瞬間膝を折ると胃液を地面にぶちまけた。

 

「ぐぅ、あぁ!?」

「キミはもういいや。もっとイイ楽器を見つけたから」

 

 手甲は絶対にカブトに触れていなかった。だがカラクリが必ずある。写輪眼にも見えないなにか、それがカブトのメガネを割り、そして脳を揺さぶったはずだ。この包帯の男の里の名前からしても理由は一つしか考えられない。

 

「…………音か」

 

 小さい声で呟いたが、男は敏感に察知すると機敏な動作でサスケの方を向いた。

 

「──まぁ、流石に解かるか。っと、キミ、面白い眼をしているね。キミもいい音を奏でそうだ」

 

 そう言い放ってから、今度はカンクロウの方に視線を向ける。

 カンクロウはやや警戒した視線で、包帯の男をねめつけた。

 

「うん? 怖気付いちゃった? 逃げるなら別に止めないけどね」

「……調子に乗るなって言ったじゃんよ」

 

 後に引けなくなったのか、カンクロウは背負っていた包帯に包まれた『二つの』大きな何かの内、一つを地面に突き立てた。

 

「カンクロウ! まさかこんなところでカラスまで使うつもりか!」

「…………」

 

 カンクロウはテマリにはもう返事を返さない。

 人ぐらいの大きさの背負っていたなにかの包帯が解けそうになったそのとき、三人の音の忍の内のもう一人が突然、飛び出した。

 

「馬鹿が、誰がそんなモン待つかよ!」

「────」

 

 叫ぶと、そのままカンクロウに向かってクナイを片手に突っ込んでいく。カラスとやらはまだ解かれていないままだ。けれどカンクロウは動じていない。音の忍が肉薄したのと同時にカンクロウの指がわずかに動き、空間をチャクラの線が走ったのが視えた。

 音の忍はそのチャクラの糸に躓いて、体勢を崩して地面を転がった。

 

「何やってんだ!」

 

 そのあまりに情けない姿に仲間の女が思わずといった様子で声を上げた。

 男は狼狽したように首を振るった。

 

「ち、ちがう。オレの足に何かが絡みついて…………」

 

 二人にはあのチャクラの糸が視えなかったようだった。

 けれど目の前のカンクロウがほくそ笑んでいることはわかったようだ。理屈はわからずとも何かされたことは理解したのだろう。顏を赤くすると、カンクロウに向かって両腕を突き出した。

 見る間にそこにチャクラが集中していく。印は結んでいないはずだが、サスケは確かにそこから脅威を感じていた。

 あそこから何かが、来る。

 

「止めなよザク。キミのそれは流石に大事になり過ぎる。──ボクがやろう」

 

 今にもチャクラが炸裂しようとしていたそのとき、ドスは男の腕に自分の手をポン、と置いて宥めた。

 

「……………………くそ」

 

 ザクはやや躊躇ってからチャクラを抜いて腕を下ろした。

 包帯の男はカンクロウに向き合って目を見開いた。

 

「面白いね。どうやってザクの足を止めたんだい」

「……見えない術がてめぇの専売特許だとでも思ったのかよ」

「面白いよ本当に。是非ともボクの見えない攻撃を、キミの見えない術で防げるかどうか試してみたいね」

 

 カンクロウは付き合わずに今度こそカラスに手をかけた。ドスは微笑みながら、手甲を体の横に構えた。

 サスケはそれを視ていた。

 蚊帳の外に置かれながら、ただ視ていた。

 目覚めたばかりの写輪眼を見開いて。

 どの忍のそれも、木の葉にはないような奇妙な技、術を使っている。それを視て分析し、理解して自分の中に落とし込んでいく作業を繰り返す。

 ゾクゾクと背筋を高揚が走った。

 高ぶった体は発汗し、汗が雫となって頬を伝う。

 これが中忍選抜試験で争う他の里の忍たちなのだ。

 木の葉の仲間内だけに閉じこもっていても決して得られなかった経験が、今あっさりとサスケの目の前に広がっている。

 

 ────これだ。オレはこれが欲しかった。

 

 サスケは強くなるために自分が求めていたものが本当に正しかったことを確信した。

 今は、除け者になっていても構いはしない。ただ立っていることへの恥も感じている暇がない。

 己の両の眼に集中して、眼前の光景を見つめる。二人の忍の激突を一瞬たりとも逃さないために。

 やがてドスが足を踏み出した。迎え撃つカンクロウはカラスに巻き付いていた包帯を半ば解き今すぐにでも開放できるように構えていた。

 二人の忍が激突するまさにその瞬間に、まだあどけない少年の声が聞こえた。

 

「────止めろ」

 

 何の気負いも力みもない落ち着いた声だった。

 まるで時が止まったかのように二人の忍が制止する。

 その間にはいつの間にか一人の少年が立っていた。

 

 

 





 キリが悪いですけどここまで




 


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41『邂逅』②

 

 

 

 

 

 

「────止めろ」

 

 何の気負いも力みもない落ち着いた声だった。

 まるで時が止まったかのように二人の忍が制止する。

 その間にはいつの間にか一人の少年が立っていた。

 少年の顔を見たとき、最初は化粧でもしているのかと疑った。

 それほどまでに病的な白い肌。

 なにより、墨でも塗っているとしか思えない黒に縁どられた目が嫌でも目に付く。

 短い髪の色は赤茶けた土を思わせる暗い赤。

 その背からは巨大な砂色の瓢箪が覗いている。砂の忍は何かを背負わなければいけない制約でもあるのか、などと状況にそぐわない感想を、頭の隅にどける。

 

「ぐっ、我、愛羅…………」

 

 カンクロウが呻くように呟いた。

 我愛羅、おそらくそれが、この少年の名前なのだろう。我愛羅はそちらを軽く見やったが、なにも応えなかった。

 そこでサスケは二人が動かないのではなく、動けないのだと気が付いた。

 まるで彫像にでもなったかのようにカンクロウとドスの二人は戦いに備えて構えたまま、実態はその正反対に、まったく身動きできずに隙を晒しているのだ。

 忍としてはある意味、もっとも屈辱的な姿だろう。一応は仲間である様子のカンクロウはともかく、ドスの驚愕のほどは如何ほどなのか。包帯で隠されたその表情からですらそれが伝わってくる。

 金縛りの術の一種なのだろうか。それとも別の何かなのか。サスケの写輪眼は小さく視界に違和感を覚えているものの、今はあの少年から視線を外せない。

 誰も声を上げなかった。仲間である砂隠れの忍はともかくとして、敵である音隠れの忍たちもまたこの少年の異質な雰囲気に飲まれたかのように、赤髪の少年を凝視したまま口を噤んでいる。

 ──こいつだ。

 サスケは確信した。カブトの言っていた危険な忍とはこの少年のことなのだ。

 今日出会った他の忍たちのレベルも、低くなかった。

 どの忍も生半ではない修練を重ねてきているのは間違いない。戦えば確実に勝てると断言できる相手はほとんどいなかった。

 けれど、目の前の少年はそれとは桁が違う。

 勝てない、のではない。

 その逆に、わからないのだ。

 目の前の少年がどれほど強いのか。そして自分とどれほど差があるのかが、サスケの写輪眼を以ってしてもわからない。

 間違いなく強い。けれど何がどれほど強いのかがわからない。そう感じる。

 体術が強いとか、術が強力だとか、簡単に目に見える強さではない。

 無理やり言語化するならば、強さの質が違う、と表現できるかもしれない。

 その謎を少しでも解き明かそうとより写輪眼に意識を割いたそのとき、赤髪の少年がサスケの方を振り返った。

 視線が交錯する。

 瞬間、その少年の背後から巨大な何かの影が視えた気がした。

 

「──────」

 

 サスケは息を呑んだ。

 少年はやや目を見開いてはいたが、それ以外は表情を変えないまましばらくじっとサスケを見ていた。

 

「が、我愛羅。そ、そろそろ許してあげなよ」

 

 砂の忍の少女が怯えたような猫なで声でそう懇願した。

 サスケから視線を逸らすことなく我愛羅は、静かに溢すように呟いた。

 

「……………………………………違う」

 

 その声はどこか落胆したような響きがあった。見開かれていた目が無感情な表情に戻り、視線が逸らされる。

「我愛羅」、と砂の忍の少女が再び懇願するように名前を呼んだ。

 少年が「ああ」、と頷き、つい、と手を動かすと、氷が解けるように二人の忍は動き出して地に手を付けた。

 

「────うちの忍が失礼をした」

 

 意外にも、この異様な雰囲気を纏った少年はドスに対して、そう謝罪した。頭こそ下げてはおらず、感情の起伏も見えないが、少なくともあからさまな慇懃無礼な態度ではない。

 地面に片膝を突いたままのドスは、我愛羅を見返してはいたが何も答えなかった。

 謝意は受け取ったと判断したのか視線を切ると、敵意を見せないようにゆっくりとサスケたちの方に歩み寄って来た。

 

「木の葉の忍にも、迷惑をかけた。どうやら他国の里に入ったばかりの身ゆえ少々気が立ってしまっていたようだ」

 

 感情の読めない鉄面皮に、墨のように黒い隈で囲われた静かな目でサスケとカブトを視界に収めながらそう謝辞を述べた。カブトはズレたメガネを直しながらなんとかといった様子で立ち上がると、「いえ、大体ボクらが原因みたいなものですから」と返した。ボクらというよりもお前が原因だ、とサスケは内心で突っ込んだが、口には出さなかった。

 我愛羅は軽く顎を引いて頷いた。

 大国の隠れ里の忍であることへの自負を感じる自信に満ちた態度だった。

 だが、その理性的な姿を見ながらもサスケは先ほどこの目の前の少年から発せられた強烈な違和感の名残を拭うことはできなかった。

 我愛羅は胸元から通行許可証を取り出して見せ、正式に名乗った。

 

「オレは砂隠れの下忍、名は砂瀑の我愛羅。今回の中忍選抜試験の受験者、ということになる」

 

 

 

 

 

 

 ────やべ、忘れてた。

 家路を辿っていたナルトは、もうすぐ家に着くというところで、ある出来事を思い出して足を止めた。

 それは中忍選抜試験が開始したときに起きた一つの騒動のこと。

 木ノ葉丸が砂の忍に絡まれて、そこでちょっとした一悶着が起るのだ。

 正確にはそれが起ったのは、中忍試験の志願書を受け取る前だったはずだ。

 色々前後したせいか、そのことがすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。

 まぁ、実際のところそこまで重大な事件だとはナルト自身思ってはいなかったということもある。

 再現性の低い偶然の衝突で、同じことが起きる可能性は限りなく低い。未来は意外と簡単に変わることをナルトはもう知っている。 

 別に危険はないとは思っているけれど何か他の用事があるわけでもなし。

 一応軽く見回りぐらいはしておいても悪くはないのかもしれない。

 そう思い立ったナルトは、家に向かっていた足を今とは逆の方向に向けて歩き出した。尾獣を体内に封印していることはあまり知られていないせいか、ナルトは基本的には大体の忍からノーマークな存在だ。

 ある程度気を付けていれば他国の忍と余計なトラブルに巻き込まれることもない。

 しばらく歩くと、ばったりとサクラと鉢合わせた。

 サクラに木ノ葉丸に会わなかったかと尋ねると、さっきまでしばらくナルト絡みのことで纏わりつかれていたとのこと。うんざりした様子のサクラに苦笑いを返しながら、さっそく用事が終わってしまったことを理解する。

 すぐに引き返すのもなんだか無駄な徒労感がある。どうしたものかと思案しているとサクラが少し話したそうにしていたので、予定を変更して二人でしばらくそこら辺を歩くことにする。

 サクラに出し抜けに「ナルトはあんまり緊張していないのね」と言われ、やや言葉に詰まる。

 咎められた気がしたのだ。

 もちろんサクラにそんなつもりはないだろうから、ただのナルトの被害妄想ではあるのだが。

 そうだともあるいは違うとも答え辛く、ナルトは曖昧に笑って誤魔化した。

 ナルト自身は好まざる状況ではあるが、実際、中忍選抜試験に集中することはできない。

 せっかくのイベントが目の前にあるのにそれを冷めた目で眺めなくていけない立場なのは、まったく以って不本意なことだ。行事を楽しめないことに関してはある意味慣れてはいるのだが、ナルトは常に不本意だった。

 けれどだからといってサクラの意気込みに水を差したいわけではない。

 

「まぁ、オレってば中忍になれなくても別に構わないから」

「え?」

「中忍になれなきゃなれないで、下忍のまま火影になればいいんだからよ」

「────なにそれ?」

 

 ナルトが胸を張ってみせると、プッとサクラが小さく笑った。

 冗談だが、嘘ではない。

 嘘は言いたくないがそれでも言わないといけない、という罪悪感との葛藤を経て、ナルトは最近、この塩梅の言い回しが少し得意になりつつあった。

 嘘をつくよりかは、多少は滑らかに言えるからだ。

 それが良いのか悪いのかはわからないが。

 サクラは少しは緊張がほぐれたのか先ほどよりは幾分か表情が和らいだように見えた。

 ナルトはサクラが前の中忍試験のときよりもどこか気負っているふうに見えた。

 気弱なよりはいいのかもしれないが、あまり意気込み過ぎると逆に空回りしてしまうのではないかと少し心配に思ってしまうのだ。

 もちろん絶対に口には出さないけれど。

 

「うげ」

 

 サクラがやや品の無い声を上げて、しかめっ面で前方を睨んた。

 ナルトも釣られて同じ方向に視線を向けるとそこには見慣れた顔の二人が立っていた。

 同時に向こうもこちらを把握したらしい。片方が面倒くさそうに眉を寄せ、もう片方はどこか嫌な笑みを浮かべて手を振ってきた。

 

「あらぁ、アカデミーで学年一の秀才だった春野サクラさんじゃない。こんなところで偶然ね」

「………………どうも」

「…………いきなりメンドクセー状況になったなおい」

 

 瞬時に臨戦態勢に入ったサクラと、それを余裕を持って迎え撃つ山中いのが至近距離で睨み合い始めた。

 それを横目にナルトが「よっ」とシカマルに手を上げて挨拶すると、シカマルはやや呆れた視線で返してきた。

 

「で、サスケ君はどこ?」

「いないわよ」

「なぁんだ。そ」

 

 目当ての男がいないと分かった瞬間に纏っていた雰囲気を脱ぎ捨てて目を細めるとサクラに挑発的な笑みを浮かべた。

 

「聞いたわよガリ勉ちゃん。アンタも中忍試験に推薦されたんだってね」

「……そういう口ぶりってことはアンタもそうってことよね」

「正直、まだ早いって思ったけどねー。だからこそ、アンタが受けるつもりそうなのは驚きだったけど」

「どういう意味よ」

「だってアンタの班って、正直サスケ君のワンマンチームじゃない。サスケ君が凄いのはもちろん知ってるけど、残りがアンタとドベのナルトじゃあねぇ…………」

 

 言われてるぞ、と無言でシカマルがいのを指で示してきたがナルトはさほど気にしなかった。ムカつきはもちろんするのだが、最近は過大評価されることの方が多すぎている気がしていたからだ。

 いのとサクラのやり取りがしばらく続きそうなのでナルトもシカマルと中忍試験に関して情報交換しておくことにした。

 そこでサクラが二、三、なにかを言ってナルトの方を指差した。あいにくナルトはシカマルに意識を向けていたので聞き取れなかったのだが、いのの反応は劇的だった。

 ぼんやりとナルトに視線を彷徨わせたかと思うと、大きく目を見開いて、機敏な動作で素早く詰め寄って来た。

 ナルトの頬を両手で挟むと、ええっ、と驚愕したような悲鳴を上げた。

 

「まさかアンタ、ナルトなの!?」

 

 ────気付いていなかったんかい。

 とおそらくここにいる三人の内心がシンクロした瞬間だった。

 サクラに至っては口と手でもしっかりと突っ込んでいた。

 三人のジト目に耐えかねたのか、いのは焦ったように口を開いた。

 

「いやっ、見ない顔だなとは思ったけど!」

「…………」

「あと身長も伸びてるし!」

 

 そういえば、シカマルとチョウジはちょくちょく顔を合わせていたが、いのとは久しく会っていなかったかもしれない。

 そこまで親しくはなかったはずだし、案外気付かないものなのかもしれない。まぁそれを言ったらキバに関してはなんの言い訳もできないわけだが、どうでもいいので気にしなかった。

 

「はぁー…………、あのナルトがいつのまに…………」

 

 ぺたぺたと無遠慮にナルトを撫でまわしながら、感嘆するようにいのは溜息をついた。

 サクラもそうだが、あんまり慣れてないタイプのスキンシップに戸惑う。

 対応の仕方が判らず、ナルトはとりあえず目を細めたまま受け流すことにした。

 

「それに、──なんか前と感じが変わった?」

「……はいはい、そこまで。ナルトが困ってるでしょうが」

 

 タイミングよくサクラが割って入ってきてくれて事なきを得る。あんまり人からベタベタされたことがないのでどうすればいいのかわからないのだ。サクラに引き剥がされるとき、いのの視線が目ざとくナルトの頭の後ろに走った。

 

「あれ、その髪留めって確か……」

「……………………」

 

 瞬間、サクラがしまった、というような表情を浮かべた。それは短い間に過ぎなかったが、どうやらいのはそれを見逃さなかったらしい。

 

「────ああ、そう。ふーん」

 

 と呟くと、ニヤッと笑った。

 

「へぇ、そっかそっか、渡せたんだ」

「………………いいでしょ別に」

「わるいなんて言ってないでしょ。ま、アンタって意外と執念深いからねー」

「…………うっさい」

 

 にやにやと笑いながらサクラをからかういのと、どうやら分が悪いようで頬を染めながら耐える姿勢のサクラ。

 よくわからないが大勢は今、いのの方にあるらしかった。幼馴染らしいので二人にしかわからない楽屋ネタのようなものがあるのだろうか。ナルトは若干さみしい気持ちになりながらそれを眺めていると、そういえばと、今この場に一人、ある人物が欠けていることを思い出した。

 

「あれ、シカマル。そういや、チョウジは一緒じゃねーの?」

「ああ、アイツは、べん、……トイレに行ってる」

 

 言いかけて言い直した言葉に疑問を覚えて考えている内に、ああ、とナルトはそれに思い当たった。

 

「べつに便所でいいのに」

「いや、…………難しいんだよこういうのはよ」

 

 シカマルはメンドクセーケド、と呪文のように唱えた。

 そういうことか。嫌な気分になりながらナルトは察した。

 ナルトも心底同感だった。そういうふうに配慮されると、なんだか心の距離が離れたように感じた。

 喉から文句が出かかって、しかしうまく言葉にできずに黙ってしまった。

 ナルト本人が良くても周りがどう思うかは別なのだ。そうでなくともシカマルは男とか女を気にするタイプなのは知っている。いくら中身がナルトだったとしても、見た目が女の子な相手に対してあんまりにも汚い言葉は、言い辛いのだろう。

 自分の視野が広くなった分、相手の立場や思考がわかってしまう。

 ここで怒らないのは自分らしくないとは思うが、しかし自分の都合だけを押し付ける気にもなれない。

 まったく、自分はなんと中途半端な存在なのだろうか。女にはなれず、かといって男でもない。ただの一介の下忍にも成りきれず、かといって特別な存在であるなんて思えはしない。

 中忍試験が終わり、ひと段落着いたなら、本格的に元の姿に戻れる方法を探そう、そう心に決めた。きっと真剣に探せば、何かを見つけられるはずだ。そう信じ、それを心の支えにして、ナルトはわだかまりを一旦、飲み込んだ。

 

「た、大変だ──―っ」

 

 と、言葉に反してどこか間延びした声が向こうから聞こえてきた。シカマルと一緒にそちらを振り返ると、ポテトチップスの袋を抱えたチョウジがこちらに駆け寄ってきていた。

 

「たいへんだよ、シカマル! それにナルトも! 丁度良かった!」

 

 そう言うと、チョウジはポテトチップスの袋から一つかみのポテトを掴みだして口に放り込んだ。

 そして急いで咀嚼して飲み込んだ後に、また口を開いた。

 

「おま、ちゃんと手は洗ったんだろうな」

「洗った! いや、それどころじゃないよ!」

 

 そういうと再びチョウジは興奮した様子でポテチをつかみ取ると口に放り込んだ。

 

「…………………………」

 

 目を血走らせてチョウジは何度もポテチを咀嚼している。そして素早く飲み込むとまた慌てたように口を開いた。

 そして掴んだポテチをさらに口に運ぼうとして、そこで流石にナルトは切れた。

 

「てめぇ、ポテチ放せバカ!」

「わるい、チョウジは興奮するとバカ食いする癖があってだな」

「むぐぅ!?」

 

 頑迷な抵抗にあいながらなんとかシカマルと協力してポテチを口に運ぶのは阻止すると、ようやくチョウジはここに走って来た目的を口にした。

 

「向こうで音と砂の忍が暴れてたんだよ!」

「────なに?」

 

 ナルトは予想外の言葉に思わずシカマルと顏を見合わせた。

 中忍選抜試験は明日のハズだ。それなのに、一体どういう理由でそんな事態になったというのだろうか。

 しかし、続く言葉にそれ以上に驚かされることになる。

 

「それからたぶん、サスケもそれに巻き込まれてるらしいよ!」

 

 

 

 

 

 よくわからないがまた未来が変わってしまったらしい。

 それも、揉め事というあまり嬉しくないような形で。

 チョウジから聞いた場所に向かいながら、ナルトは理解した。

『なるべく騒ぎを起こすな』と三代目が念を押すように言っていたのを思い出して、後でまた呼び出されるのだろうか、とすでにもうやや嫌な気持ちになりつつあった。

 とはいえ今回ばかりは自分のせいではない。

 まさかサスケが、と思ったがよくよく考えてみれば、さもありなん。

 すかした態度のくせに割と好戦的というかなりタチの悪い性格をしているサスケのことだ。ナルトを除けば第七班で一番の問題児と言ってもまったく過言ではない。

 中忍選抜試験の推薦を受けて高揚してるところを他国の忍に絡まれたとか、そういうオチな気がする。

 ナルトがその場に到着したときには、すでに一般人の人気はなく、そのかわりに騒ぎを聞きつけた野次馬的な忍たちが遠巻きに様子を窺っているようだった。

 その中心地に踏み入ると、幾人かの見知った者たちの姿を見つけ、そしてその中にはサスケも含まれていた。

 

【……………………】

 

 サスケの方もナルトに気が付いたようだった。視線を返してくる。その姿は、先ほど解散した直後と大きく変わりはないようだった。安堵と同時に文句がせり上がってくるのを感じ、とりあえず一回は何か言っておくか、と思った瞬間だった。

 サスケの横に何気なく立っていたメガネの男を認識して、足が止まる。

 

「──────」

 

 あまりにも突然の邂逅だったせいで、意識の統制が間に合わなかった。

 ナルトの無意識が反射的に、目の前の男を敵と認識した。

 髪が一瞬、ざわり、と蠢く。

 止める間もなかった。なによりサスケとこの男が並んで立っているその姿が、どうしようもなくナルトのトラウマを刺激してしまったからだ。

 薬師カブト。大蛇丸の腹心の男。

 一度は殺されかけたこともある相手だ。

 いつかは借りを返さなくてはいけないけれど、だが、今はまだその敵意を見せるべきではなかった。

 三代目の計画の邪魔はするわけにはいかないからだ。

 ナルトが裏にある何かを悟られるヘマをすれば、すべてが瓦解する。故にこの敵意は隠さねばならない。

 ナルトが足を止めたのはわずかに一瞬だけだった。ナルトは奥歯を食いしばって敵意を胸の内に隠すと表情を取り繕ってみせた。

 なるべくカブトを意識の外においやろうと、懸命に努力した。

 そこで、サスケの近くにはカブト以外にもう一人誰かが立っていることに気が付いた。

 視線を上げる。

 その服装には見覚えがあった。

 その背負った砂の瓢箪も、よく覚えている。

 けれど、この感覚は初めてだった。

 いや、違う、今朝からずっと続いていたそれをナルトはもう知っているはずだ。

 目を合わす前にすでにナルトはハッキリと確信していた。

 今日起きたときからずっと感じていた感覚の相手が誰であったのか。その相手を。

 

 ────こいつだったのか。

 

 砂瀑の我愛羅。

 目が合う。

 瞬間、ナルトの指先から頭の頂点まで痺れるような電流が走った。

 

 

 

 

 



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42『邂逅』③


 


 ヨシッ! 一か月以内ィ!


 

 

 

 

 周りの景色、当たり前の日常であるはずの木の葉隠れの景色が深い水底の世界に塗りつぶされていく。人も建物もすべて、我愛羅と自分だけを残してナルトの視界から弾きだされていってしまう。

 これは仙道に深く潜っていくと稀に見ることのできるチャクラ感知の世界だ。

 仙術の修業で調子が良いときに、ナルトは何度かこの景色を見たことがある。けれど、これほどまでに急速に引きずり込まれるようにこの場所に来たのは初めてだった。

 我愛羅にはこの景色は見えていないのだろうか。微動だにすることなく、ナルトだけを見つめている。

 その我愛羅の顔が困惑したように、歪んだ。

 

「お前は、お前は、……………………なんだ?」

 

 我愛羅は確か、尾獣という存在がいることをまだ知らなかったはずだ。

 それ故、この邂逅の意味をすぐには飲み込めないようであった。

 ナルトが答えを言うよりも早く、我愛羅すらも塗りつぶすようにして巨大な何かが、底すら知れぬ水底から浮かび上がってきた。

 左手の法印がナルトに危機を伝えるよりも早く、その怪物が放つ威容にナルトの全身がビリビリと震えた。

 山のように巨大な砂でできた身体。その身体を波打つように走る薄紫の紋様まではっきりと見える。

 かつて見たままに、砂隠れの尾獣、一尾、守鶴がナルトの眼前に聳えていた。

 

【オオオオオオオオオオオオオ!】

 

 逃げる間もなく、そのチャクラの波がナルトを襲った。

 

【シャハハハハハハハハ!! よりにもよってやっぱテメェかよ!!!】

【………………………………】

【理由は知らねえが、──んなもん関係ねぇ!! 来いよ、今度こそぶっ殺してやんよぉ!!】

 

 どうやら九喇嘛と守鶴はナルトの与り知らぬ関係があったらしい。考えてみれば尾獣という同じの括りの存在どうしだ。そうであっても不思議ではない。

 ナルトの背後からも目の前の守鶴と同等の気配が沸き上がっている。

 途切れ途切れの視界の端に、金色の尾が揺らめくのが微かに見えた。

 しかし今はそちらに意識を割く余裕がない。

 守鶴はナルトを認識してすらいない。だが、ナルトはその存在の余波だけですでに意識が掻き消されそうになってしまっていた。

 

【……………………こうなると思っておったわ。なまじ猿の仙術なんぞを齧るからこういう目に逢うのだ小娘】

 

 盛大な溜息のような音が響いた。

 ナルトの左右から巨大な壁のようなものが迫り、身体を包み込んだ。

 分厚いそれに視界が完全に覆われると、わずかに一尾の気配が弱まった。

 ナルトは、自身を守るように覆うその壁が、九喇嘛の両の手であることに気が付いた。

 

【はやく法印を絞れ。今のお前如きが尾獣同士のチャクラを繋げていれば、すぐに経絡系が焼き切れて、死ぬぞ】

 

 上から響いてくるその声に、ナルトは躊躇わずに従った。

 ナルトは目を閉じると、呼吸を整えながら左手首に刻まれた『金 緊 禁』の三重の緊箍児の法印の上に震える右手を乗せ、ゆっくりと、時計周りにひねった。

 仙道が閉じていくのと同時に、深い水の世界が急速に遠のいていく。

 

【おい、待てバカ狐テメェ! 逃げんじゃねぇ!】

【────たかが尾が一本の分際でワシに対等な口を叩くな。阿呆が】

 

 守鶴の怒り狂った咆哮が響くが、それもどんどんと小さくなり、やがて聞こえなくなった。慎重に目を開けると、ナルトの視界は元の現実に戻っていた。

 凍り付いたように冷たくなった息を吐く。

 原因はよくわからないが、どうやら仙術が暴走してしまっていたらしい。

 狒々の仙術は『繋ぐ力』が強いと、三代目は言っていた。

 人柱力どうしだからだろうか、それともナルトの未熟さ故なのか、我愛羅とナルトのチャクラが繋がってしまったようだった。

 おそらく三代目にとっても想定外ではあったのだろう。

 そうだとしても。

 

 ──二度目だぞクソジジイ……。

 

 脳裏に真顔でピースしている三代目のイメージが浮かびあがって、割とガチで殺意を覚えながらナルトは怨嗟の呪詛を紡いだ。

 どうしてこう、ちょっとした不具合でいちいち死にかけなくてはいけないのか。まるで意味がわからない。

 ナルトが助かったのは偏に、九喇嘛が守ってくれたおかげだ。

 そう、あの九喇嘛が、だ。

 

【……前を見ろ】

 

 ナルトが何かを想うよりも早く、九喇嘛が足早にそう告げた。

 現実世界の自分は、まったく動いてはいなかったようだが、しかしどうやら現実の時間の方は止まってはくれていなかったようだ。

 気が付くとナルトのすぐ近くまで我愛羅が迫ってきていた。

 あと数歩で手を伸ばせば触れられそうな距離だ。

 尋常ではないその表情にナルトはハッとなったが、やや遅かった。

 我愛羅が足を踏み出して、そして遮るように人影がナルトと我愛羅の間に立ちふさがった。

 その背の主はサスケ、ではなかった。

 ナルトよりも少しだけ上背のある、白と黒の忍装束の、長い黒髪の男だ。

 こちらの人物も、ナルトは良く知っていた。

 

「どけ」

「そうもいかないな」

「────何故、庇う」

「……別に、庇ったつもりもないが」

 

 緊張した様子もなくそう返すと、その男は掌を我愛羅に向けた。

 進むな、という意味ではない。

 進むなら容赦しない、という意味の、戦うための構えだ。この構えのことも、ナルトは嫌になるほどよく知っていた。

 

「木の葉隠れの里の内部で、これ以上他国の忍に我が物顔で好き勝手されるわけにはいかないんだよ」

「………………」

 

 そう言って、木の葉隠れの名門である日向一族に生まれた希代の天才日向ネジが、我愛羅の前に立ちはだかっていた。

 我愛羅といえど有象無象のように無視できる相手ではない。

 どうしてネジがここにいるのか、とナルトは疑問を覚えたが、すぐに察した。

 ナルトの意識が半ば飛んでいた間に、我愛羅の様子が急変していた。おそらく少しの間とはいえチャクラが繋がっていたせいだろう。尾獣という概念は知らなくても、ナルトと我愛羅の中にある存在がとても良く似た何かであるということだけには気が付いてしまっているようだった。

 面倒なことになったな、とナルトは内心で頭を抱えた。ただでさえ余計なミッションが多い中忍選抜試験だというのに、更にややこしい問題が一個余計に生えてきた。

 他の誰かに執着されるよりは自分を狙ってくれる方がましではあるのだが、しかし正直、九尾の力を使えない以上は、我愛羅の存在は今のナルトでは手に余る。

 そして、なにより今の状況はあまり良くない。

 ナルトは、この場所に続々と無数の忍の気配が集結しつつあることに気が付いていた。

 今日は中忍試験の前日だ。

 故に、明日この試験を受験する下忍たちが次の日に備えて、任務や修行に行くこともなく精神を研ぎ澄ましながら、静かに英気を養っていたはずなのだ。

 そこに、我愛羅のあまりに強大なチャクラと存在感が撒き散らされれば、さて一体どういうことが起こるだろうか。

 そんなものは火を見るよりも明らかだ。

 明日中忍選抜試験を受けるであろう各国の下忍たちが、吸い寄せられるようにこの場に集まってくるに決まっていた。

 我愛羅とナルトを中心にして。

 建物の屋根を見上げれば、幾つもの視線が矢のように降り注いできた。

 その中には、見知った顔も幾つか見られた。

 その端の方にキバの姿も見つけたが、視線が合うと同時に建物の影に隠れた。

 大蛇丸の化けている草隠れの忍の姿は見当たらない。まぁ、それを探し過ぎて逆に気取られてしまう方が拙かろう。それに仮に見つけたところで、ナルトにできることはなにもない。

 シカマルやいのもそこで周りの気配に気が付いたのか、焦ったような声を上げた。

 

「中忍試験を前に、この衆人環視の中で己の手札を明かすつもりか」

 

 それでもオレは構わないが、と言わんばかりの強者の自信に満ちた声。

 

「が、我愛羅。これ以上は流石に……」

 

 金髪の、確かテマリという名の少女が上ずった声で呟いた。

 

「──何故、そいつをお前が庇う?」

 

 我愛羅は心底理解できないといった風情で、再びそう呟いた。

 

「?」

 

 ネジは質問の意味がよくわからないといった様子でわずかに首を傾げた。他の誰もが我愛羅が状況を理解できていないとでも思ったかもしれない。

 けれどナルトには我愛羅が言っていることの内容が、よくわかった。

 我愛羅は『何故この化け物を庇うのか』と訊いているのだ。

 それは我愛羅の常識では考えられないことだから。

 

「まさか、お前は、──いや『お前たち』は、その背に庇っているモノがなんなのかを、まったく知らされていないのか?」

「────どういう意味だ」

「……………………」

 

 我愛羅は答えなかった。

 ただ、その瞳には理性的な色が戻りつつあるのが見えた。

 顎に手を当てて少し考えるように視線を反らした。

 

「…………」

 

 そうして、少し思案してから、なにかを理解したかのように小さく哂いを溢した。

 

「………………クク」

 

 ナルトに視線を向けると、愉しそうに目を見開いて嘲笑うように口を歪めた。

 

「…………なんだお前。化け物のくせに、まさかまだ人間のフリなんか続けているのか?」

 

 ナルトは、その言葉を聞いた周囲の忍の視線が自分に集まったように感じた。他国の忍ばかりではなく、木の葉の仲間の視線も含めて。

 

「────」

「取り繕うなよ。何の為にオレ達がこんなモノを背負わされていると思っている? この身に宿った力を振るうことだけが、憎悪と呪いに苛まれながら生き地獄を歩まねばならないオレ達にとっての唯一の楽しみのはずだろう」

 

 自身の言葉に一切の疑いを感じていない確信に満ちた口調だった。

 

【人柱力としては中々まともな奴だな】

 

 九喇嘛は同調と揶揄が籠った声でそう言った。

 

「………………オレは」

 

 我愛羅の言葉にナルトは反感を覚えた。

 けれど即座に反論はできなかった。

 我愛羅の言葉にどこかで理解できてしまう部分があるからだ。

 ナルト自身も、様々な意味で九喇嘛の存在に苦しみながらも、その代償として、九喇嘛を都合の良いドーピングの道具として利用してきたのは事実だ。楽しいかどうかはともかくとして、そうしてきたことは間違いない。

 必要に迫られたからそうしてきたのであって、人柱力であることの当然の対価だと割り切ることもできることだと思う。けれど、ナルトはそう考えることに心のどこかで欺瞞を感じ始めていた。

 九喇嘛を自身の身体に封印していることは、まだ誰にも話していないことだ。

 殊更に吹聴することではないのは確かだけれど、しかしそれだけが理由ではないことは自分が一番理解している。

 どこかで後ろめたく、隠しておきたいという気持ちがあったのだ。

 里の大人達から憎まれたり避けられたりすることにはもう慣れたけれど、だが一度親しくなった相手から忌避されることは、とても怖い。

 ナルトは、九喇嘛と理解し合いたい。それは事実だ。

 けれど、そこにどんな事情があったにせよ、九喇嘛が里の人間を大勢虐殺したこともまた変えることのできない過去なのだ。

 彼らに九喇嘛を憎むなとは、言えない。

 我愛羅は人柱力であることは呪いだと言った。

 ナルトは、それを完全には否定することはできない。少なくとも、まだ。

 だからこそ、自身の存在を隠すことなく堂々と誇示している我愛羅に対して引け目を感じてしまった。

 その在り方を正しいとは思わないけれど、しかし我愛羅に迷いはなく、うずまきナルトにはまだ確信というものはない。

 だからこそ、言う。

 

「…………オレは、呪いだとは思わない」

【……………………】

 

 確信はないけれど、虚勢だけれど、在りたいように、目指す存在に少しでも近づけるように、そう振る舞ってみせる。 

 そうすると、もう決めたからだ。

 呪いではないなら一体なんなのだ、と聞かれたら、まだ納得のいく答えは返せないのだけれども。

 

「オレとお前は、同じじゃない」

 

 尾獣の存在も、自分が人柱力であることも、まだナルトの中では完結してはいない。

 だからこそ安易な答えに飛びつきたくはなかった。

 我愛羅の気配が、ザワリと蠢いた。

 ナルトは身構えた。

 

「…………………………いいや、同じだ」

 

 そう呟くと我愛羅は、意外なことにチャクラの圧を収めてみせた。表情を消して、寒気のするほど静かな視線で周囲を見渡した後、ナルトを見つめ返した。

 

「お前も、すぐに思い知る」

 

 決して大きな声ではない、しかし強い言葉を残して、我愛羅はナルトに背を向けて去っていく。

 二人の砂の忍を連れて。

 慌ててついていく二人の忍を視界に入れたとき、ナルトはふと違和感を覚えた。

 

「────?」

 

 確か、そいつはカンクロウ、というような名の砂の忍だった。

 彼の背負っているミイラのように包帯が巻いてあるあの荷物。あれの中身は傀儡と呼ばれるカラクリ人形、だったはず。

 けれど、前のときに見たときは彼の背負っていたそれは一つだった。

 今は、どういうことかその背に、二つ背負っている。

 重要なことかどうかはわからないが、一応、ナルトは頭の片隅に入れておくことにした。

 

「…………去ったか」

 

 くるり、とネジが振り返った。

 その特異な白の瞳が、探るような視線でナルトを見下ろした。

 こいつはこいつでやっかいなんだよな、とナルトは顔に出さないようにしつつ、内心で汗をかいた。

 

 ──つーか、やっかいな奴しかいねぇ…………。

 

 カブト、我愛羅、ネジ、さらにこの後に控えている大蛇丸に至ってはまだ姿すら見ていないのに、すでにこの現状だ。

 息のつく暇もないとはまさにこのことだろう。

 なんなら例えの方がやや役者不足感すらある。

 そう思いながら、首筋に髪の当たる感触が妙に気になり、半ば無意識に触れてみて、そこでその理由に思い至った。

 何時の間にか髪留めが外れてしまっている。

 

「やべ、髪留め、──―」

 

 と振り返って、自身に降り注ぐ視線に直面した。

 困惑、戸惑い、────そして恐れ。

 怒りと憎しみが含まれてはないけれど、それを除けばよく見知った視線だ。

 ナルトは思わず、言葉を切った。

 いまさら、この手の視線に動揺するとは思わなかった。

 ぐい、とナルトの肩を誰かかが抑えた。

 

「──サクラ」

「…………ホラ、髪留め落としてたわよ」

 

 そう言って自然な動作でいつものようにナルトの髪を結ってくれた。

 

「…………あ、ありがとう」

「なんか、かなり面倒臭そうな奴に目付けられちまったなお前」

 

 シカマルとチョウジが周りを窺うようにしながらナルトの傍に歩いてきた。

 

「あんな奴が中忍試験受けるならボク、やっぱり止めておこうかな……」

「割とマジでそれな。──で、お前はどうすんだよ、ナルト」

「オレは、……受けるってばよ」

「マジかよ」

 

 本気で驚いたような表情でシカマルは呻いた。

 

「………………」

 

 やや離れた場所でこちらを見ていた、いのも、一度息を吐くと、ゆっくりとこちらに歩み寄って来た。

 流石に表情はどこか硬い。

 

「あ、あはは、私も、なんか急展開すぎてびっくりしちゃった」

 

 後頭部に手をやって落ち着きなく、乾いた笑いを浮かべた。

 

「試験については置いといても、なんにせよあのヤバそうな奴には関わらない方が良さそうね。普通じゃないわよ、アイツ」

 

 思い出したように肩を震わせながらいのは声を潜めた。明らかにナルトの方に視線を向けないようにしながら。

 

「……………………」

「ナルト、────そうか、お前がリーが最近、夢中になっている女か」

 

 奇妙に空いた間に、ネジの独白が響いた。なんとなく全員がそちらの方に意識を向けた。

 

「あ、あのナルトを庇って下さってありがとうございます」

 

 ネジを背格好からか、年上と判断したらしいサクラが丁寧に感謝を述べた。

 

「言っただろ。別に庇ったわけじゃない。成り行きだ」

 

 つっけんどんな、謙遜などではなく本当に本心から言っている口調だった。実際、ネジの性格を知っているナルトはそれが事実であることがわかる。本当に他国の忍が好き勝手やっているのが我慢ならなかっただけなのだろう。

 

「ただ、お前たちのことはオレの『担当上忍』からもよく聞かされていた。少しは期待………………していたんだがな」

 

 そう言ってから、ネジはナルト達の後方へ視線を向けた。

 そこには、不自然なまでに黙りこくっていたサスケが立っていた。

 

「まさかあのうちはの末裔が、女の後ろで怯えて突っ立っているだけだとは思わなかった」

「…………なんだと」

 

 何故そこでサスケに喧嘩を売るんだ。

 ナルトは本気で迷惑に思いながら内心で突っ込んだ。

 一旦は収まり掛けていた場の空気がまた張りつめてきた。

 どうしてか、何時になく余裕のない表情でサスケはネジを睨んだ。

 

「先輩として忠告してやるが、力不足だと理解できたなら今年中忍試験を受けるなんて真似は止めておくことだ。そのザマでは、無駄に命を落とすだけだ」

「てめぇ……」

「いやいやいや」

 

 隣で立っていたカブトが割り込みながら、両手を振った。

 

「そこまでにしときなよ。今すごく目立ってるみたいだし、これ以上騒ぐと治安部隊が出てきかねない。そうなったら明日の中忍試験を受けることもできないかもしれないよ」

 

 ネジとサスケにだけでなく、周りにも聞こえる声量でそう告げる。

 ナルト達の動向を探っていた周囲の忍たちもそれを聞いて、疎らに元いた場所へと戻って行き始めた。

 カブトはそれを横目に眺めながら、ホッと息を吐いている。

 それを視界の端で捕らえながら、頼むからこっちを向くな、とナルトは思ったが、それに反してカブトはにこやかな笑顔でナルトの方を見た。

 

「いやー、キミも災難だったね。ナルトさん、だったよね?」

「……………………………………ああ、そうだってばよ」

 

 感情を押し殺して、ナルトは答えた。

 

「ボクの名前は薬師カブト。よろしく」

 

 

 そう言うと、右手を差し出してきた。

 不意に思い出すのは、その手によって綱手やシズネをぼろぼろに追い詰め、そして自分を本気で殺そうとしてきた、この男の姿だった。

 

 ──まだだ。まだそのときじゃない。

 

 ナルトは固まった表情筋を無理やり動かして笑みを作ると、怒りで震えそうになる手を必死に制御しながらカブトの手を握り返した。

 

「……………………よろしく」

「………………うん。よろしく」

 

 カブトは嬉しそうにニコリ、と人当たりのいいお人好しな笑みを浮かべた。

 



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43『二つのたたかい』



 生きてました。


 瞳を伏せて、努めて敵意を抑える。

 握手を解くと、ナルトはすぐにカブトから目を背けた。

 敵が近くにいるというのに平静を装わなくてはならないのは、ナルトの精神構造上、非常に辛いものがある。それが自分よりも格上ならば猶更だ。

 なにより一度は尊敬したこともある相手だ。

 強い決意を漲らせられないならば、心に残った怒りや、恐れ、動揺から目を逸らすことは難しい。

 だからこそカブトが場を収めようとしていたのは、渡りに船であった。

 ナルトは自分がこれ以上ボロを出す前にさっさとこの男から離れたかった。

 サスケは納得がいっていないようであったが、周囲の雰囲気はすでに解散に傾きつつある。

 想定外のトラブルであったが、とにかくなんとかなった。

 そうナルトが思ったときであった。

 なにか、忍らしからぬ騒がしい音を立てて誰かが近づいてくるのがわかった。それも高速で。ナルトだけではなく他の全員もまた察知できるほどに、まったく気配を隠していない。

 屋根を蹴って跳ぶその男の特徴的な格好を見た時、ナルトは、ああ、と一人忘れていたことを思い出した。

 確かに中忍選抜試験を受ける下忍のほとんど全員が、今日だけは任務や修行を休養し、明日に備えて体力を温存するのは間違いない。

 けれど、たった一人。

 この男だけは変わらずに修行に打ち込んでいたのだろうことは考えてみれば至極当然のことだった。

 

「ダイナミック──────」

 

 大きく屈んでから強く屋根を蹴って跳び上がり、空中でクルリと縦に回転して軌道を修正すると、ナルトの真正面に大きな音を立てて片膝を突いて着地した。

 

「エントリー!!!」

 

 無駄にカッコいい登場を経て、ロック・リーがエントリーしてきた。

 ナルトを背に庇うようにして立ち上がると、片手の甲を相手に向ける独特の構えをとりながら混乱する周囲を睥睨した。

 

「遅れてしまい申し訳ありません!! しかし!! ここからナルトさんはボクが守ります!!」 

 

 場を再び沈黙が支配した。

 今度はまったく別の意味で。

 守る、と言われたナルト自身ですらこの状況を理解できていなかった。リーがこの場に遅れて来た理由はわかる。けれど何故自分を守るなどと言いだしたのかはわからない。どういう経緯かは知らないが中途半端にこの状況について把握はしているようだった。

 守る、と言ったのはリーにとってはナルトは知り合いの女の子だからなのだろうと、とりあえずそう当たりをつけて、反射的にちょっと屈辱を覚えながらナルトはすぐにそれを飲み込んだ。

 忍にしてもよくいえば個性的な格好をしているリーに気を取られていた面々も、ようやくリーがナルトの名を口にしていたことを認識したのか、サクラとサスケ辺りから問うような視線を感じた。

 ナルトは軽く息を吐くと、リーに呼びかけた。

 

「リーさん、もう終わったってばよ」

「ええ!?」

 

 リーは大げさなぐらい肩を飛び上がらせて情けない声を上げた。

 構えを解いてうかがうような視線でナルトを振り返ったリーに「いや、ホントだってばよ」と続けると、今度は面白いぐらいに落ち込んだ。うずくまって膝を抱え、ブツブツと自分自身への叱責を欝々と呟き始めた。

 一瞬前に魅せたあの素晴らしい身体能力の持ち主とは到底思えない奇行に、ネジとナルトを除いた全員が唖然とした様子でそれを眺めた。

 どこか懐かしさすら感じるそのコミカルな動きに、ナルトはこれまでの緊迫した空気も忘れて、思わず強張った頬を緩ませた。

 

 ───ゲジマユのこういうところ、やっぱオレ結構好きだ。

 

 素直で真っすぐで考えるよりまず動く。

 リーのせいでまた状況がややこしくなってしまったのは事実であったが、ナルトは迷惑に感じながらも少し肩の荷が軽くなった気がした。

 さて、どうしたものかと考えている、屋根の上からさらにもう一人がこの場に静かに降り立った。

 黒髪のお団子頭の忍の少女だ。リーと同じ第三班の一人で、名はテンテン、だったはず。

 

「………………」

 

 一瞬、ナルトを見やり、視線をリーの方に動かして溜息をついたあと、ネジの方に足を向けた。

 これでどうやら第三班も勢ぞろいしてしまったらしい。

 こうなってくると、もはや明日中忍選抜試験を受けるであろう木の葉の下忍のほとんどが、今この場に集まってしまっているという状態になってしまっているらしい。

 

「なんだ。お前らも来たのか」

 

 同じような感想を抱いたらしいネジが、つまらなさそうにそう呟いた。

 その声に反応したリーが素早く顔を上げると、信じられないものを見たような表情でネジを見返した。

 そしてなぜかナルトとネジの顔を交互に見つめた。

 

「?」

 

 ナルトは首を傾げた。

 

「ま、まさか…………」

 

 震える指先をネジに向けると、

 

「────敵に襲われたナルトさんを颯爽と助けた挙句に恩に着せるでもなく別にお前を庇ったわけじゃない的なことを言って去り際までナイスガイに決めたりしてたわけじゃ、そんな状況じゃありませんよね!?」

「………………」

 

 大体当たっていた。

 こういう言いがかりは的外れなのが相場なのだと思うのだけれども、ニュアンスに若干の違いがあるが奇跡的に訂正する箇所が見当たらないぐらいには合っている。

 

「…………くだらない」

 

 面倒くさかったのか是とも否とも言わずにネジはそうやって切って捨てた。

 このノリに付きあうメリットを感じなかったのだろう。ただ、その態度は図星をさされたように見えなくもなかった。

 案の定、リーはいきり立った。

 

「ネジ! ボクと決着を付けましょう! 今ここで!」

「やるわけがないだろう馬鹿が」

 

 ネジは付き合ってられんとばかりに背を向けた。

 その様子を眺めていたサクラが突然ナルトの肩に手を置いた。

 

「ねぇ。あのリーさんって人、もしかしてナルトに気があるの?」

 

 内緒話するように声を狭めたサクラがそんな世迷言をナルトの耳元で囁いた。

 くすぐったさに肩を震わせながら、そんなわけないだろう、とナルトは内心でツッコミを入れた。

 未来の知識からナルトはリーが好きな相手が誰なのかを既に知っている。

 その相手は他ならぬナルトの目の前にいる少女、サクラだ。

 リーがナルトを守りたかったのは、ナルト自身の事を気遣ったのもあるのだろうが、一番の理由はサクラに頼りがいのある姿を見せたかったからのはずだ。

 少なくともナルトはそう解釈していた。

 

 ───サクラちゃんってサスケ以外眼中にねーからなぁ。

 

 ナルトは同じ片思い仲間のリーを気の毒に思いながら、やれやれとばかりに溜息をついた。

 本来ならばナルトにはリーの恋路を応援する義理は無かったはずだったが、しかしナルトはリーに大きな借りが一つあった。

 リーは君麻呂に足止めされていたナルトを、手術直後のまともに動けるはずもない状態で助けに来てくれたのだ。

 そのおかげでナルトは何とかサスケに追いつくことができたのだ。

 その結果の不甲斐なさは、自分を罵る言葉も見つからないが。

 あの後のリーはどうなったのだろうか。

 ナルトにはもう確かめる術がない。

 おそらく、君麻呂に殺されてしまった可能性が一番高い。

 ナルトはそうなることが薄々わかっていながら、サスケを追うためにリーにその場を託した。

 リー自身が覚悟を決めていたのがわかったからこそ、躊躇うことが侮辱になると知っていたから。

 サクラとナルトの約束の意味を、その重さを、リーが一番真摯に受け止めてくれていたと思う。

 だからこそ、ナルトはリーを尊敬していたし、そして同時に負い目を感じていた。

 ナルトの視線の動きをどう解釈したのか、サクラはくいっとナルトの服の袖をひっぱった。

 

「──自覚ないかもしれないけれど、アンタは結構可愛いんだからね?」

 

 だから気を付けなさいよ、と忠告めいて告げる。

 前にも似たようなことを言われた気がする。

 そういうんじゃないんだけどなぁ、と思いつつもナルトがリーの想いを代弁するのも違う気がして、上手く言葉には纏まらなかった。

 丁度リーとネジのイザコザも終わりを迎えたようで、というよりも相手するのも億劫になったらしいネジがさっさと立ち去ろうとしているのが見えた。

 そのネジの目の前に、サスケが立ちふさがった。

 

「待て。……話はまだ終わってねぇ」

 

 緩みかけた空気など意にも介さずにサスケは鋭い視線をネジに向けた。カブトが諦めたように溜息をついた。どうせ困っているフリだろう。ナルトはイラっとした。

 カブトの姿を見かけてからナルトは半ば確信していた。

 この一連の騒動は、偶然に見せかけてこの男がコントロールしていたに違いない、と。目的は情報収集とかそんなところだろう。

 巻き込まれた形のナルトはひどく業腹だった。

 ネジは一呼吸だけ速度を緩めたが、しかし足は止めずにサスケの横を通り抜けた。

 

「時間の無駄だ」

 

 そうあっさりと言い捨てる。

 

「今のお前ではオレはおろか、そこにいるリーの相手にすらならない」

「なんだと……」

 

 まるで確定した事実かのように、ネジは断定した。

 客観的な立場というにはややサスケ贔屓なナルトであったが、正直今のサスケではネジやリーには敵わないのは事実だ。けれど相手にならないかどうかは話が別だ。

 白眼や柔拳の初見殺しは厳しいかもしれないが、それを差し引けば勝てはしないとしてもまったく歯が立たないほど絶望的な差があるとも思えない。

 とはいえ、すぐに断言したがるネジらしい発言ではある。天才ゆえか境遇のせいか、ネジの思考の視野は、その目に反して広くない。

 だからこそ、その隙を突かれ、格下であるはずのナルトに敗北してしまったのだから。

 しかしそんな事情を知らないサスケには、その迷いのない言葉が強く響いたようだった。

 やり取りに引きずり込まれたリーは、そこで初めてサスケに視線を向けた。

 

「…………いえ、そんなことはありませんよ。見ただけで分かります。キミは強い」

 

 それは周りの空気に流されない冷静な意見だった。

 そして次に飛び出した言葉もまた、リーの本心だっただろう。

 

「キミたちの来季の中忍試験が楽しみですよ」

 

 一瞬の静寂の後に、堪えきれなかったネジの哄笑が広場に響き渡った。

 このときのリーはおそらく、ナルトたちが中忍選抜試験を受けることを知らなかったのだろう。

 だからこそ、その発言に裏はなく、故にその言葉はどんな挑発よりも深く、サスケに突き刺さったはずだ。少なくとも同じ言葉を受ければ、ナルトだったらぶち切れている。

 雰囲気が完全に切り替わったのは、そこにいる誰もが感じ取っただろう。

 

「おい、そこのゲジマユ」

 

 両目に再び写輪眼を浮かび上がらせながら、サスケは限界に達する直前のような震えの籠った声で、言った。

 

「オレと闘え」

 

 

 

 

 

 

 実際のところ、この争いそのものは決して悪いイベントではなかった。

 前回のときも似たようなことはあったし、サスケにとっても良い経験になるはずだ。

 他の忍の注目もあったので、リーの提案で場所は移すことにした。

 やや広めの運動場で、フェンスで覆われた囲いがあり、人目もさほどない。

 遠巻きにフェンスにもたれながら、ナルトはこの闘いの行方を眺めることにした。

 反対するつもりはない。

 だが、不満はある。

 まず、自分が戦えないことだ。

 前回はサスケの前座としてだがまずナルトとリーが手合わせをしたのだ。この流れなら行けるかと思ってまずはナルトとリーが闘うのはどうかと一応申し出てみたのだが、リーからは「な、ナルトさん…………?」困惑した目で見られるし、サクラには「アンタは本当に意味がわからない」と怒られるし散々な目にあった。

 男女差別だ。オレとも殴り合え。

 ナルトは自分を棚に上げて内心で文句を言った。無論、反省もしていない。

 未だ、リーとの手合わせの約束も果たされていないし、猿とばかり組手をさせられていたナルトは欲求不満であった。

 そして、もう一つ不満なことがあった。

 それはこの状況に至ったことをほくそ笑んでいるだろう奴が少なくとも一人はいるということだった。

 

「いやー、ボクも止めたんだけどね」

 

 そう言って薬師カブトはナルトの隣で気の抜けたような笑みを浮かべた。

 

「…………なんでこっちにくるんだってばよ」

「始まっちゃった以上は、ボクもこのカードに興味があるんだよね。あのうちはの末裔と体術最強と噂される下忍。同じ試験を受ける身としては見逃せないよ」

 

 そういう意味ではなく、暗にオレに近寄るなと言ったつもりだったがカブトには通じなかったらしい。当然だが、通じなかったのではなく気付かなかったフリをしているだけだ。この男がその程度の機微がわからないはずがない。

 ナルトとサクラから少し離れた場所ではあるものの、声が届く位置にカブトは陣取っていた。

 どうやらついでにこちらの情報も収集しておきたいようだった。

 それに気が付いてさらにイライラしながらナルトはカブトから視線を外した。

 もっとあからさまにはねつければ、拒否できるかもしれないが、それはあまりに不自然だ。後に厄介な出来事を引き寄せかねない。

 故にここは堪えるしかない。

 ナルトの視線の先では、サスケとリーが向い合せで睨み合っていた。

 そこには熱い闘志が渦巻いていた。

 怒りや苛立ちといったほの暗い感情もあるが、それをかき消すような強くて激しい熱気が確かにそこにはある。

 まさしく中忍選抜試験前哨戦だ。

 羨ましい。

 それがナルトの率直な感想だった。

 なにが悲しくて、欝々と陰気な気分になりながら、殴りたくても殴れない男の横で思考をぶん回して自分の企みを隠す作業を続けなければいけないのか。

 なにも楽しくない。

 

 ──オレもあっちで闘いてぇ。

 

 何も考えずに中忍試験を愉しむ側に心底回りたかった。少し歩けばすぐに近寄れる場所のはずなのに、その距離が酷く遠いように感じられた。

 

「こんにちは」

 

 柔らかな声音に顏を上げると、お団子頭の少女、テンテンがそこにいた。

 やや上向きの目尻やその身体から滲み出る自分への自信が、いかにも勝気そうな気配を漂わせている。

 さっさと立ち去ったネジの姿は隣にはなく今は一人のようだった。「どうも」、とサクラがやや警戒したように返事をする。

 

「あたしもここで観戦していいかな?」

 

 尋ねてはいるものの、断られるとは思っていない口調だった。

 ナルトとしては特に拒否感はないので気にしなかった。

 ナルトが了承を返すと、サクラとは反対側の、ナルトを挟むような位置にテンテンはやってきた。

 ニコリ、と社交的な笑み。

 

「ごめんねー、うちの天才くんと努力バカが無神経なこと言っちゃって」

 

 と、軽い感じにまずは謝罪を述べてきた。

 

「だけどさ、事情は聞いたんだけど、リーはともかくネジは言い方は良くなかったかもしれないけど、ちゃんと本気で忠告してたんだと思うんだよね」

「忠告、ですか」

「そう。わたしたちも一年、中忍選抜試験を先送りにしてるから。そこに立ってる人みたいに何年も受験し続けている人も沢山いる。別に一年じっくり実力をつけて、経験を積んでからだって全然遅くないと思うから」

 

 それは親身な言葉だった。自分にだけは微妙に無神経な言葉にカブトは苦笑を浮かべていたが、テンテンの言ったことに嘘や間違いはないだろう。サクラもその言葉を受けて考え込んでいる。

 けれど、何故だろう。認めたくないが最近発達してきたナルトの妙な女の勘のようなものが、それだけではないと告げている。

 

「────ああ、そういえば。キミは、リーと知り合いなんだっけ? じゃあそこら辺の事情はもう知ってるんだ?」

 

 今回聞いてはいないが前回の記憶から知ってはいる、という微妙なラインな情報だったので、ナルトは少し脳内で言葉を選んだ。

 ややあって首を振って否定し、知らなかったことを告げる。

 

「………………へぇ」

「あ、そういえばあたしも聞いてないんだけど。ナルト、いつの間にリーさんと知り合ったのよ」

 

 そう言われても、特筆して語ることなどない。言ってしまえば、ただの偶然だ。ナルトがリーを見知っていた、というのが理由としては一番大きいかもしれないが、それを言うと話が非常にややこしくなるので、当然言わない。

 

「──そっかー。おもしろい偶然だね」

 

 またニコリ、とテンテンは笑みを浮かべる。

 

「あのバカの相手は大変だったでしょ。暑苦しいし、空気読めないし、なにかにつけて努力、とか言い出すしさ」

「…………いや」

「でも、いい奴なんだよ、本当に。困ってる人は放っておかないし、自分だって大して余裕ない癖に、すぐに人の心配しだすようなバカでさ。たまたま同じ班になっただけの仲だってのに、余計なお世話ばっかり焼こうとしてくるしさ」

 

 だから、とテンテンは続けた。

 

「アタシもなんかほっておけないんだよねアイツのこと。──アイツが勝手に舞い上がって玉砕するのはぜんぜん構わないけど、アイツの気持ちを分かっていながらそれを弄んで、利用して、馬鹿にするような奴がいるとしたら」

 

 アタシはきっと、そいつを許さない。

 そう、感情の乗らない声で呟いた。

 静かな目でナルトを見た後に、また、ニコリ、と笑みを浮かべた。

 

「……なんてね。あ、そろそろ始まりそうだよ」

 

 いくらなんでもナルトでも流石に察することができる。

 テンテンから感じるこれは。

 これは、敵意、だ。

 よくわからない。よくわからないが、サクラと揉めたときと同じように、理解の範囲外の何かが始まっていることだけはわかる。

 視線を前に戻す。

 そこには互いに熱い闘気をぶつけ合う二人の若き忍の青々しいプライドを賭けた戦いが、今まさに始まろうとしているところだった。

 ナルトは横を窺った。その視線に気が付いたテンテンが再び、ニコリ、とほほ笑みかけてきた。

 気が付いてみれば、何故わからなかったのかわからないぐらい、暖かさを微塵も感じさせない無機質な笑みだった。

 相互理解からは程遠い、寒々しい隔意がそこには横たわっていた。

 対処の仕方は、無論ナルトがわかるハズもなかった。

 

 ────なんで。

 

 黙って顔を前に戻しつつ、ナルトは内心で血の涙を流した。

 

 ────なんでオレばっかりこんな目に遭うんだってばよぉ……! 

 

 ナルトの悲しみの涙を余所に、サスケとリーの闘いの火蓋が切られたのだった。

 

 

 

 



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44『洗礼』

 

 

 

 

 

 

 かつての記憶通り、先に仕掛けたのはサスケの方だった。

 数歩分の距離を瞬く間に潰すと、右の拳を繰り出す。写輪眼の動体視力に物を言わせた出来得る限りの最速の一撃だ。リーの反応はわずかに遅れた。

 初動で後れを取ったリーは突き出していた右手でそれを捌くと、少し下がって距離を開けた。わずかに体勢を崩されたサスケが立て直して追いすがる。

 サスケが攻め、リーが受けに回った。

 左の拳、その勢いのまま右の裏拳、死角に回って高速の上段の蹴り。

 リーは再びサスケの拳を捌き、裏拳は上体を引き、さらに首をひねって躱し、回し蹴りを屈んで避けた。

 間隙を突いて立ち上がりざまにサスケの胸部に肩を押しつけると、足で鋭く地面を踏み砕いた。軽く衝撃音が響いて、サスケの身体が宙に浮いた。

 わずかな滞空時間の後に、サスケの両足は地面を削って止まった。

 

「……ごほっ」

 

 胸を押さえつつ、サスケが小さく咳をこぼした。ダメージは、致命的というほどでもないように見えた。あるいは衝撃を殺すために自分で跳んだのかもしれない。あいにくナルトの動体視力ではハッキリとしなかった。

 その様子を見て、サクラがほっと息を吐いた。

 サスケの表情は厳しいが、動揺はあまり見られなかった。

 むしろ場を制したはずのリーの方がやや驚いた表情を浮かべていた。

 

「あのリーさんって人、ほんとうに強いのね」

 

 サクラが驚いたように呟いた。

 だがナルトの方は、むしろその逆の感想が浮かんだ。

 

 ──前よりも、サスケが強くなってる……。

 

 喜びと焦りの板挟みで複雑な気分になりながらナルトは歯を打ち鳴らした。

 写輪眼の力はなにも敵の動きを見切ることだけではない。

 普通の人間はどんなに万全な状態で戦っていたとしても、常に最速で動けるわけではない。自身の動きに、自分の目が追いついてこれなくなるからだ。

 故に修練によって型を体に覚え込ませて、パターンによって状況に対応する。

 だが、写輪眼を持つ者たちは、違う。

 最速の動作を、やりたいように自由に制約なく繰り出すことができる。

 基礎的な身体能力でいえば、サスケはすでにナルトよりも上だ。

 とはいえ、速度の領域でいえば重りを付けたままでも、それでもなお、未だリーの方が速いはずだ。

 だが、為す術が無かった前回の時とは違い、サスケはそれに初見で対応してみせた。

 明らかに前回よりも、強い。

 

「…………リーの一撃に耐えるなんて、あの子、結構やるね」

 

 テンテンが意外そうな声で呟いた。演技ではなく、本気で称賛しているように聞こえた。

 

「耐えただけじゃないってばよ」

「え?」

 

 視線の先でリーは、自身の右の頬に触れている。

 手を離したそこは、わずかに赤く腫れているように見えた。

 

「嘘」

「………………」

 

 サスケの裏拳が思った以上に伸びてきたせいで、上体を傾けるだけでは躱し切れなかったのだ。そこで首をひねって直撃を避けたが、完全ではなかったようだ。

 

「──想像よりも、もっと速いですねキミは」

「………………」

 

 あのサスケの表情は、『馬鹿にしやがって』と思っているな、とナルトはアテレコした。

 リーは掠ったとはいえサスケの攻撃を躱し、サスケは致命的ではないにしろ、直撃を受けている。痛み分け、とは言えない結果だ。

 呼吸を整えながら、サスケが立ちあがった。どうやら先ほどよりは頭が冷えたように見える。

 リーは赤くなった頬を親指で払うような動作をして、構え直した。

 また、体の前に右腕を差し出すような形の、先ほどと同じ構えだ。

 対して、サスケは両腕を柔らかく脱力した姿でじっとリーを見据えている。

 その飾り気のない雰囲気はどことなく、野生の獣を思わせる。思い返してみれば、サスケが特定の構えというものをとっている姿を見たことがない。

 きっと、必要がないからだろう。

 武術という解説書がなくとも、サスケの身体はなんら不自由することがないのだから。

 その逆に、リーは常に同じ構えしかとらない。

 たぶん、それしかできないからだ。

 それしかできないからこそ、ただそれだけを突き詰め続けて、極めている。

 あの構えから出来うるすべての動作を学習し、反復して、自身の中に落とし込んで、型として昇華したからこそ、あの構えしかとらないのだ。

 木の葉の青い野獣を名乗ってはいるが、リーの動き自体は、統制が取れた理性的なものだ。

 そこにあるはずの重厚さは、今の状態のナルトでは感じ取ることはできないけれど、相対しているサスケの方は、どうやら『視えている』ようだった。

 サスケの頬を伝う汗が、それを物語っている。

 前のときは視えていなかったのに。

 だからこそ、やはり、サスケが前よりも強くなっているのは間違いない。

 そして、その理由の一端ぐらいは、きっと自分なのだ。

 リーにとっては想定外かもしれないが、この試合は思ったよりも長引くかもしれない、とナルトは思った。

 サスケが仕掛け、リーが迎え撃つ。

 サスケは止まらずに攻め続けるが、どれも弾かれ、流され、躱され、出来た隙に一撃を穿たれる。だが、辛うじて致命的な一打はもらわないようにしながら喰らい付ていく。

 先ほどと変わらぬ流れだ。

 けれど、その流れが終わらないのならば、話は別だ。

 流れが切れない。

 数十秒経っても、明確な決着は訪れなかった。

 形勢は明らかににリーの側に傾いているが、この短時間でサスケが少しずつ対応し始めている。

 写輪眼にはこれがあるのだ。

 一度見た動作をあっというまに解析して自分のモノにしてしまう。直撃してはいないとはいえ、リーの技を受け続けることがけっして楽な作業ではないことはわかる。けれど、戦いが長引くほどに、サスケの動きが洗練されていく。

 リーもそれを徐々に感じ取り始めたのだろう。長い修業を経て獲得した自身の格闘術をわずかな時間でドンドンと吸収してくる怪物を目の前にして、流石にその顔に驚愕が現れ汗が滲み、そして──、最後に微かな笑みが浮かんだ。

 怯えた顔ではない。

 天才を見つけてしまった敗者の、諦めた失笑でもない。

 相手の強さを認めた、好敵手へと浮かべる笑みだった。

 

 ──かっけぇな。

 

 ナルトは素直に称賛した。

 リーは相手を受け止めようとしていた姿勢を捨てて、自ら攻めに転じ始めた。

 守りの体勢を捨てたそれは、流石にサスケの攻撃すべてを捌ききれない。打撃を受けながらも強引にさらに一歩踏み込んだ一撃を繰り出していく。

 互いの拳が顔面を捉えて、頬を歪めた。けれど構わずに、さらに次の一撃を放っていく。

 

「あのバカ、試験前だったのに……」

 

 ヒートアップするリーに、テンテンが思わずと言った様子でぼやいた。

 リーの突然の変わり身の攻勢にサスケが戸惑ったようだったが、すぐにその意図を察したのか、同じように歯を見せて笑った。

 あの顔は『面白れェ!』って言っているな、とナルトはアテレコした。

 二人はもはや外野の声など聞こえないとばかりに、組手の域を超えた致命的な打撃の応酬を繰り返す。サクラの悲鳴が短く聞こえた。

 

「…………………………」

 

 燃え上がる二人を遠巻きに眺めながら、対照的にナルトの気持ちは次第に冷えていった。

 あることに気が付いてしまったからだ。

 悟られぬように、横目で少し離れた場所に立っている男の様子を観察する。

 ナルトの目には、カブトはただの一下忍としてこの試合の行方を見届けようとしているようにしか見えなかった。

 けれどこの男が、彼の主の新しい肉体の思わぬ成長ぶりに心動かされていないわけがない。

 今のナルトの観察眼では、その裏にある真意までは見通せないだけだ。

 ……大きな蛇の地面を擦る悍ましい音が、どこからか這寄ってきている気がした。いや、錯覚ではないのかもしれない。今もどこかで、あのぞっとするような無機質な目でこの試合をじっと見つめている、そんな予感があった。

 大蛇丸は三代目に任せるという約束を、ナルトは忘れたわけではない。だからナルトは心の内でだけ、静かに抗う決意を呟いた。

 

 ──テメェらに、サスケは渡さないってばよ。

 

 今度こそ。絶対に。

 振り払うようなリーの木ノ葉旋風とサスケの回転蹴りが噛み合って激突し、お互いが弾かれて、サスケは地面を転がり、打ち勝ったリーはバランスを崩しながら辛うじて踏みとどまった。

 ナルトから見て、二人の一撃の速度と技の鋭さはほとんど互角だった。違いがあるとすれば、一つ。

 

「はいはーい! そこまでそこまで!」

 

 テンテンがここだ、とばかりに試合終了を大声で宣言する。

 ナルトも意識を切り替えると、テンテンの後ろに続いて、二人に近づいていく。

 さすがに力尽きたのか膝を突いたまま立てないサスケに、顔の血を拭ったリーが歩み寄っていく。サスケは立ち上がろうとしたが、力が入らない様子で、悔しそうにリーを見上げた。その眼からも、すでに写輪眼は引っ込んでしまっている。

 

「この勝負は、お預けのようですね。ですが、ボクはまだまだキミと戦いたい」

「…………」

「──ですから、この勝負の決着は、本番の中忍試験で付けましょう」

「!」

 

 そして、拳を開くと、真っすぐにサスケに向かって手を伸ばした。

 その言葉の意味するところは誰にとっても明白だった。

 前言を撤回する、リーはそう言ったのだ。

 

「…………ああ」

 

 おそらく、サスケはリーの足の秘密について察しがついたのだろう。

 何かを飲み込むようにしてサスケはそう応えると、伸ばされたリーの手を取って立ち上がった。互いの顔に笑みはない。しかし、苦々しいだけの雰囲気かといえば、そうともいえない。

 テンテンは暑苦しい、とばかりに溜息をついた。

 

「ナ、ナルトさん…………」

 

 握手を解いたリーが、気まずそうな表情でこちらを見ている。ナルトは、おう、と軽く応じた。リーは視線を落として肩を縮こませると、自身の人差し指を突き合わせた。

 

「ぼ、ボクはまだまだ努力が足りませんでした。あんな大口を叩いておきながらこの様です」

「大口?」

 

 なんだっけ? とナルトは首を傾げた。

 

「アナタを守れる漢になると、そう誓った直後だったのに」

 

 そんな言い回しではなかったし、そもそも守ってもらう筋合いもなければ、そのつもりもないのだが。

 いつのまにかこの場にいる全員が、ナルトの挙動に注目しているように感じた。

 気まずい……。ナルトは思考を巡らせた。

 

「…………」

 

 第一、リーが本当に守りたいのはサクラだ。この発言は誤解を生むだけだろう。それに今の手合わせにしても、己を卑下してしまうような内容では決してなかった。むしろ、サスケと真正面から戦ってくれたことに関しては感謝しかなかった。

 色んな人間が様々に妙な勘違いを繰り広げている現状が酷くややこしい。

 しょうがないのでナルトは、この場で訂正とフォローをしておくことにした。

 

「べつにオレは、守ってもらう必要はないってばよ」

「え」

「それに、────木の葉の蓮華は二度咲く、だろ? 次はもっと強くなりゃ、それでいいじゃねーか」

 

 流石に、リーが実力を隠していることを言うことはできないのでそこら辺は微妙に誤魔化しつつ、ナルトは言葉を続けた。

 

「オレは、お前の目指す先がまだまだこんなもんじゃねーって知ってるからよ」

 

 言外に、次は重りを外して本気で戦おう、と聞こえなくもないように告げておく。

 

「……ナルトさん」

 

 リーは感激したかのように目を潤ませた。何故か、テンテンのナルトを見る目つきがさらに鋭くなった気がした。

 

「────誓います。次に会うときは貴方を守るにふさわしい、もっと強い男になっていることを!」

 

 ──そうじゃねぇってっつってんだろ。

 

 どんな誓い立ててんだ、とナルトは困惑した。

 せっかく訂正しておこうとしたのに、余計に拗れそうなセリフを吐かれて戸惑っている内に、テンテンがリーの耳を引っ張って連れていってしまう。ナルトは連行されながら手を振るリーに反射的に手を振り返しながら、力の抜けた肩からアウターがズレ落ちるのを感じた。

 

「…………なんか、変わった人、だったわね」

 

 二人の姿が見えなくなってから、疲れた様子でサクラはそう控えめに総括した。

 

「けど、すごい強かった」

 

 サクラは瞳を伏せた。

 リーを含め、今日会ったすべての下忍が、中忍試験ではライバルとなる相手だ。

 聡いサクラはすぐにその現実を理解してしまったのだろう。実際はサクラが出会った忍の大半が中忍試験における上澄みの連中ばかりであって、すべての忍があそこまで強いわけではない。けれどサクラはそんな事実は知る由もないのだ。

 怖気づくのが普通の反応だ。

 けれど、ふと思い出したかのように、パッとサクラは顔を上げた。

 

「で、でも確かにリーさんは強かったけど、サスケくんも負けてなかった。試験でなら、忍術とか武器とかも使えるわけだし、ちゃんと作戦を練れば──」

 

 と、そこでサクラは言葉を切った。

 サスケがすべてを意に介さぬ様子で、地面のある場所を睨んでいたからだ。

 窺うようにサクラはサスケの横に並んだ。

 

「なによ、これ」

 

 サクラは愕然と、そう呟いた。

 その場所は最後にリーが木の葉旋風を放った位置だった。

 何の変哲もないはずのグランドのその部分に、今は小さなクレーターが刻みこまれていた。

 ナルトはすぐに理解した。

 とてつもない重量の重りをつけたリーが本気で踏み込んだがゆえに、地面は踏み砕かれて陥没してしまったのだろう。

 理解が追いついてしまったらしいサクラが、その顔を青ざめさせた。

 サスケは自分が踏み込んだ跡と、リーの刻んだクレーターを見比べて歯を食いしばった後、傍から見ても無理やりだとわかるほど強引に口の端を持ち上げみせた。

 『上等だ、中忍試験』と思っているんだろうな、とナルトはアテレコした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………リー。あんた最後のアレ、本気で蹴ってたでしょ」

「うっ」

 

 リーは痛い所を突かれた、とばかりに呻いた。

 

「年下の下忍相手にあんなことして、下手したら死んでたわよ」

「つい、熱くなってしまいました」

 

 反省したようにリーは、がくーんと首を前に倒した。

 

「中忍試験を受けることの難しさを伝えるつもりだったのですが、……ボクが思った以上に、サスケ君が強かった」

「そうね」

 

 無謀に実力も伴わないまま中忍選抜試験を受けるつもりならば先達として一度ぐらいは忠告すべきだと思っていたが、どうやらその必要はなかったようだ。

 もちろん全ての下忍がそうだったとは思わないが、それも結局は自己責任だろう。

 洗礼を受けてそれでも受験をするのならば、その先まで気に掛けてやる義理はない。

 

「ナルトさんにもカッコ悪い姿を見せてしまいました」

「………………」

 

 おそらくあの少女は、リーが足の重りを付けて実力を制限していることに気が付いていた。

 それを伝えようか迷ったが、やっぱりムカつくので言わないでおいた。

 結局、あの少女の胸の内は、テンテンには見通せなかった。何を考えているのか、何を狙っているのか、あるいは狙っていないのか、まるで分からないままだ。

 もしかしたらただの天然な少女なのかとも思ったが、それにしては所々に嘘の気配があった。

 そしてネジから聞いた話では、どうやら砂隠れの忍とも因縁があるようだ。

 限りなく黒に近いグレー。だけど、その黒が一体何なのかが検討が付かない。そんな印象の少女だった。

 なんにせよ、リーの手に負えるような子ではなさそうだ。

 

「そういえば、アンタが急に走り出すから、伝え損ねてた伝言があるわ」

「え?」

「ガイ先生から。明日の中忍試験では、足の重りを自分の判断で外していいそうよ」

 

 

 予想外の言葉だったのか、リーは大げさに驚いた。

 

「し、しかしガイ先生は、この重りは大切な人を複数名守るときでないと外してはならないと………………」

「アタシに言われても分からないわよ。言われたまま伝えてるだけなんだから」

 

 そうですか……、と真剣な表情で呟くと、リーはガイの言葉の意図を考え始めた。これも修業の一環、とでも思ったのかもしれなかった。

 テンテンは自分の推論を述べた。

 

「もしかしたら、今回の中忍試験にキナ臭いものでも感じてるのかもね」

 

 言ったテンテン自身も、今回の中忍選抜試験を受験する面々が通常の試験とはいささか異なっている様相なのを肌で感じていた。

 上忍のガイならば、もっと詳細な情報を持っていても不思議ではない。

 中忍試験は、予選まではチームプレイが重要になる。三人の中で一番実力が低いと自覚しているテンテンだからこそ、せめてこういう問題に意識を配っている必要があると感じていた。

 今回の中忍試験で注意しなければいけない相手を頭にピックアップしていく内に、やはりテンテンの脳裏にはある一人の少女が浮かびあがってきた。

 警戒は、しておくべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして騒乱の様相を呈しながらも、これで一旦は中忍試験の手厳しい洗礼の一日が終わりを告げる。

 ナルトが思った以上に、予定外の出来事が立て続けに起こり続けた。その結果にいかなる事態が巻き起こるのかは、もはや想定ができなくなりつつある。

 その中でも、もっともナルトが予想できなかったことが一つ、あった。

 

 ────ナルトの警戒を余所に、これから始まる中忍選抜試験の予選の最中で、終ぞ一度として大蛇丸がナルトたちの前に姿を現すことはなかった。

 

 

 

 

 





 


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45『試験開始』

 

 我愛羅とナルトの尾獣同士の巨大なチャクラの衝突は、本元の争いが止んでしばらく経った後も、その余韻はすぐには収まらなかった。

 わずか数秒の出来事であったが、その衝撃は木の葉隠れの里にいたすべての忍の身に戦慄を走らせたほどだ。

 それに中てられた血気盛んな若い忍たちの一部が、木の葉の里中で大小様々な揉め事を引き起こしていた。

 

「ったく、またあの九尾のガキか…………」

 

 中忍選抜試験開催決定にあたって急遽、増員された警備の忍の一人である年嵩の男は、余計な仕事を増やされた苛立ちを吐き捨てるように、小さく悪態をついた。

 ただでさえ今は他国の人間が多数里の内外へ出入りしている現状は、想定外のトラブルも多く、現場で作業している人間は休む暇もなく動き回らなくてはいけないというのに。

 今回の暴動一歩手前の騒動の反響は、確実に今夜の警備の仕事にまで響くのは確実であった。末端には騒動の詳細な情報は届いておらず、ただ、人柱力どうしで一触即発の状態であったことを又聞きしただけであったので、そういう意味では彼の不満は正当だった。

 自分の衝動すら制御できない未熟な忍たちが起こすだろう無用のトラブルの処理のことを思うと、今から溜息が出るというものだ。

 

「──そもそも、本当に三代目は九尾のガキを中忍試験に参加させるおつもりなのか」

 

 嫌悪感を隠さずに男はぼやいた。隣に立っていた同僚は静かに答えた。

 

「今回は砂隠れの方が一尾の人柱力を参加させているからな。……そういうことだろ」

「化け物には首輪をかけておけばいいものを。余裕のない砂と違って、木の葉は人柱力を現場に置く必要はないだろうに」

「三代目は九尾のガキに少し甘いところがあるからな」

「だからあいつは図に乗っているんだよ。忍になったところでちっとはマシになったのかと思えば、結局ろくでもない奴のままじゃねえか」

 

 彼らの口調は滑らかで、明らかに話慣れた話題であることがわかる。

 実際、こういった、『九尾のガキ』に対しての誹謗は決して珍しい光景ではなく、彼らのこれも木の葉では日常的に行われていることの一つに過ぎなかった。

 今回の件に関していえば、必ずしもナルトが騒動の原因とはいえず、どちらかといえば巻き込まれた形であることは少し調べればわかることだ。

 けれど、彼らは実のところ、その事実にはあまり興味がなかった。

 ただ、自分たちの仕事が増えたことに対する不満のはけ口として、『九尾のガキ』という存在がひどく便利であっただけのことだった。

 文句を言ったところで誰も咎めないし、むしろ木の葉の共通の憎しみの対象として再確認することで、ナルトを迫害してきた自分たちの過去の行いを正当化することもできる。

 

『ほらみろ。やっぱりアイツはろくな奴じゃなかった』、と。

 

 嫌いな上司の悪口で日々のうっ憤を晴らすように、彼らは日常的にナルトという存在を便利に使ってきたし、そういう意味では好んで、親しんですらいた。

 けれど、彼らは決してただの馬鹿でも、愚か者であるとも言い切れなかった。

 うずまきナルトを、本当に九尾の狐そのものだと勘違いしている、わけではない。

 人柱力という存在が里にとってどのような意義があるのかも、理解はしている。

 木の葉にはかつてより九尾の人柱力がいたことは察しがついているし、その人物への心当たりもある。

 ナルトが生まれた日に、九尾が暴走したことの理由も、そこから少し思考を掘り進めればわかることだ。

 おそらく、四代目が失態を犯して、自分たちがその尻拭いをさせられたことも。

 誰も口には出さなかった。

 表向きは里のために殉死したことになっている四代目火影への非難はできない。

 なにより、彼らは心の底から、四代目火影という存在を尊敬し、慕っていた。

 だからこそ、淀んだ行き場のない怒りや悲しみが残った。

 彼らは四代目火影を憎むよりも、その命を奪う原因となった存在を憎むことを選んだ。

 人柱力といういつ爆発するかも分からない爆弾に対する恐怖も、それに拍車をかけた。

 彼らがナルトへ行った迫害に正当性はなかったが、内心で自己を正当化できる程度には正しかった。

 けれど、それももう昔のことだ。

 いくら大きな被害を被ったとはいえ、十年以上も前のことを強く怨み続けられる人間は、そう多くはない。彼らも言葉で言うほどには、ナルトが憎いわけではない。

 ただ薄っすらとした敵意と恐怖が残っているだけだ。

 不満を吐き捨てるときに便利だから使っているだけで、極論を言えば不満を言えさえすれば、別に『九尾のガキ』でなくともいい。

 もし、ナルトが大きく里に貢献するような事をして、周りの評価が変われば、彼らも抵抗することもなく掌を返してナルトへの評価を改めるだろう。

 そうして、どこか小さく後ろめたい気持ちを抱えながらも、新しい英雄の誕生を祝福するはずだ。

『ごく普通の良心的な人間の一人』として。

 そう、彼らは確かに良心を持っていた。

 少なくとも彼らは、この憎しみを受け継がせないことを選び、そしてそれはもう半ば成し遂げつつはあったのだ。

 

「ま、どうせ、アイツなんかが中忍になれるわけがないけどな」

「違いない」

 

 やがてひとしきり文句を言って気が済んだのか、彼らの険しかった表情も徐々に和らぎ、陰口への後ろめたさを隠すように殊更に明るい話題に移っていった。

 ひっそりと吐き捨てた悪意の行く先は、これまでもこれからも、どこでもない場所に違いない。

 月が沈むと、日が昇るのと同じように、彼らはそう信じ切っていた。

 

 

 

 

 

 

 ナルトがそれに気が付いたのは、中忍選抜試験当日のことだった。

 会場へ向かう途中で、ふと、違和感を覚えたのだ。

 理由は、視線だ。

 周りの忍から向けられる視線。

 当初は、試験前なのでそういうこともあるだろうと気に留めていなかったが、流石に、その数が多すぎた。

 忍にしてはあまりにあからさまなソレは、いくらなんでも勘違いとは思えなかった。

 そしてその違和感は、試験会場に到着することで、解消されるどころか、更に膨れ上がっていった。

 会場の敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の気配のざわめきを、肌で感じた。

 待ち合わせの場所に向けて、粘つく空気の中を進みながら、ナルトはこの状況への心当たりを探した。

 おそらくは、昨日の騒動がおおまかな原因なのだろう。

 そしてナルトは、この視線をかつてより、よく知っていた。

 化け物を見るような、恐れを帯びた視線。

 ナルトは静かに強張った息をはいた。

 昨日の我愛羅とのイザコザが、想像以上の反響となって返ってきたようだった。

 相変わらず、未来はナルトの手には負えないままだ。

 あのたった一つの騒動だけで、こうもあっさりと姿を変えてしまうのだから。

 三代目や大蛇丸の件を考えると、あまり注目されたくないんだけどな、とそう考えて、同時に少し可笑しさを覚えた。

 前の時は、まったく逆のことを考えていたからだ。

 周囲を窺いつつ、目的の場所に向かう。

 

「──ナルトっ」

 

 待ち合わせ場所に近づくと、先に到着していたサクラが手を振ってきた。

 昨日の騒動のショックからは立ち直っているように見えたが、反動で気負った顔に逆戻りしているように見えた。

 ナルトがサクラの様子を観察しているのをどう捉えたのか、サクラはむっ、と眉を寄せた。

 

「なによ。来ないとでも思ったの?」

 

 そう言われて、ナルトようやくその可能性もあったことに思い至った。

 中忍選抜試験の参加は強制ではない。昨日の一件でサクラがまだ自分には無理だと判断していたのなら、試験を辞退する、という選択も有り得たのだ。

 あいにく、大蛇丸のことで頭が一杯で、他のことを考えている余裕がなかった。

 

「──いや、そんなこと考えもしなかった」

「そ。…………ならべつにいいけど」

 

 サクラは、逆に少し照れたように頬を赤く染めた。

 べつに殊更に褒める意図はなかったが、ナルトはサクラが心の強い忍であることは既に知っている。

 いくら実力差を見せつけられたところで、一度も挑戦もしないまま終わるとは思っていないのは事実だ。

 けれど、実際のところ、サクラが思っている以上にこの試験は過酷なものになる可能性が高い。

 三代目からは肝心な情報を一切伝えられていないナルトは、そのことをもどかしく思いながらも理解はしていた。

 今となってはナルトこそが三代目の足手纏いになりかねないからだ。

 三代目に任せると決めた以上は、ナルトは目の前のことに集中するべきなのだろう。

 出来る限り危険な相手は自分が対処しよう、とナルトは決意した。

 サスケはまだ来ていないのだろうかと思ったところで、その姿を見つけた。

 どうやらナルトが一番最後だったらしい。

 

「よう」

「…………ああ」

 

 集中していたのか目を瞑っていたサスケは、背を預けていた壁から身を放すと、ナルトの方を一瞥することもなく、試験会場に向かって歩き出した。

 相変わらず、いちいち動作が気取っているよう見える奴だ、とナルトは思った。

 それが普通に格好良く見えてしまうことが、一番タチが悪いのだが。

 サスケは、昨日から少し口数が少ない。

 リーや我愛羅やネジといった格上の存在が現れたことによって焦りのようなものを感じているのだろうか。

 実力差は昨日の一戦で痛いほど理解しただろう。

 怖気づいている、というわけではないはずだ。

 むしろ格上のライバルが多い方が挑む価値は高いと、そう思っているに違いない。

 あまり喋らないのも、中忍選抜試験に強く意識を向けて集中しているからだろう。

 そう解釈して、ナルトは一旦、サスケの事を意識から外した。

 視線を感じたからだ。

 ソレは周囲の窺うような視線とは違い、か弱くもハッキリとナルトに向かって伸びていた。

 気配を辿ると、やや離れた場所に紅い髪をした眼鏡の少女が立っていた。

 髪は少し前の自分みたいにボサボサで、格好も身綺麗とは言えない見た目だ。

 じっと、静かにナルトを見つめていた。その視線がどこか昏く、浮かぶ表情からは怯えと敵意を、わずかに感じた。

 わずかと感じたのは、少女の雰囲気があまりに弱弱しいからだ。まるで周囲の全てを怖がる小動物のような様相で、そのせいか、その少女から漏れる敵意もどこか吹けば飛ぶようにか細く見える。

 少女の額に、紅い髪に半ば覆われた草隠れの額当てが見えた。

 脅威は感じないので無視しても良かったはずだが、ナルトはその少女の紅い髪と自分に向ける表情の意味が、妙に気になった。

 けれどナルトが何か行動を起こすよりも早く、少女の連れらしき忍が横合いから現れ、少女に向かって乱暴にがなり立てた。

 慌てたように紅い髪の少女はナルトから視線を切ると、引きつった媚びるような笑みを張り付けてその忍の方に走って行った。

 

「………………」

「──ナルト、どうかしたの?」

 

 サクラが足を止めたナルトを不思議そうな表情で見ていた。

 視線を戻すと、そこにはもう草隠れの忍の姿は無かった。

 

「………………いや、なんでもないってばよ」

 

 明らかに重要度は低く、わざわざ伝える意味もないだろう。

 けれど、忘れてしまうには妙に印象的な出来事だった。

 ナルトは今見た紅い髪の少女を意識の上から取りのぞきながらも、なんとなく頭の片隅に置いておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 中忍選抜試験は例年通りに行われると三代目が言った通り、昨日の騒動があったにも関わらず、受験者の面々はすでに問題なく試験会場に集まっているようだった。

 少し驚いたことにナルトの同期は全員参加を決めたようだった。

 昨日の様子から、もしかしたら猪鹿蝶のトリオは参加を取り止めるような気がしていたからだ。いのはああ見えて現実的な思考ができるくノ一だし、シカマルに関しては言わずもがなだ。そしてチョウジはそもそもあまり受験したいという意思もなさそうだった。

 ナルトの意外そうな顔を見たシカマルが言った言葉が印象的だった。

 

『別にお前が参加するからじゃねーぞ』、と。

 

 それはそうだ。ナルトが中忍試験を受けることと、シカマルが試験を受けると決めることには、まったく関連性がない。

 シカマルはライバル云々とか言うような性格でもない。

 さらに意外なことに、シカマルはナルトが何か言う前にさっさと会話を切り上げてしまったことだ。

 見た目よりもけっこう律儀なこの友人が、相手の返事も聞かずに会話を終わらせたりするような真似をする姿を、あまり見たことがなかった。

 いのは軽く手を上げて謝る動作をして、何時も通りののんびりとしたチョウジは軽く手を振ってから、シカマルの後に続いて去って行った。

 変な奴だ。らしくもなく緊張でもしているのだろうか、とナルトは少しだけ心配した。

 それに立ち替わるようなタイミングで、ヒナタとシノが近づいてきた。

 キバはいない。いや、正確には居るのだが何故か若干遠くに離れて、こちらに背を向けている。

 この三人も、どうやら参加することに決めたらしい。

 シノが昨日は災難だったらしいな、と切り出してきて、そのときの状況を聞いてきたので、少し情報を交換する。ヒナタはいつも通りもじもじしてから、変なタイミングで挨拶をしてきたので、それにも返事をした。

 ただそのせいで、会話に妙に間が空いてしまった。

 しょうがなく、アイツはなにをしているんだ、とナルトがキバの方を向いて訊ねてやると、ヒナタはよくわからなさそうに首を振った。

 シノは少し沈黙してから、突然、意味が分からないことを言い始めた。

 

「そもそも薄々わかっていたことだ。…………なぜなら、犬は好きなものにほどちょっかいをかけるものだからだ」

 

 ヒナタはそれを聞いてどこか驚いた様子だった。

 大方、突然意味不明なことを言いだした同じ班の仲間にびっくりしたのだろう。

 シノが回りくどいことを言いだすのは珍しくもないので、ナルトは深く考察することもなく受け流すことにした。

 しかしそのナルトの様子が気に入らなかったらしいシノは、再び口を開くと言葉を続けた。

 

「つまり──」

 

 その続きが紡がれるよりも速く、シノの後ろから手を伸びてきて、喋りかけの口を塞いだ。

 何時の間にか背後に忍び寄っていたキバが、真っ赤な顔をして必死な様子でシノの喋りを妨害していた。

 

「おいブスっ、ちょっと強い奴に注目されてるからって調子に乗るんじゃねーぞ!」

 

 相変わらずのマウントを取ることしか考えない思考回路に、ナルトはどこか安心感を覚えた。この三人は、少なくともキバ一人に限っては、前のときとあんまり変わっていない。顏が赤い理由は不明だが。

 ナルトが言い返してやろうとしていると、ヒナタが恐る恐るといった様子で横から口を挟んだ。

 

「キ、キバ君。ブスはよくない、かも」

 

 シノはもがいて口元からキバの手をどかすと、また口を開いた。

 

「ヒナタに同意する。そういう言い方は感心しない。なぜなら、悪態をつくことは、好む相手へのアプローチの仕方としては最悪の部類に──」

「黙れっ」

 

 キバに引きずられるようにしてシノが連れていかれる。抵抗していたが、存外に強く引いているようだ。その姿が人混みに紛れていく。ヒナタは軽く会釈をしてから、その後を追っていった。

 騒がしい三人組(主に一人)のせいで、どうやらさっきとは別の意味で周囲の視線を集めてしまっていた。

 試験に向けて集中していたい奴らにとってはいい迷惑だろうし、そうでなくても血気盛んな奴らを刺激しかねない行為だ。

 

 ──ま、いいけど。

 

 どうせ前のときは自分からやっていたことだし、注目に関しても今更だ。

 絡まれたら、そのときはそのときだ。よっぽどの相手でもない限り、問題はないと思う。

 例外といえば、精々、二人ぐらいのものだ。

 その内の一人である我愛羅は、この部屋の中に気配は感じるが、今のところ近づいてくる気はないようだ。

 我愛羅は前のときから妙に理性的なところもある不思議な奴だった。

 暴走しないように自制しているのかもしれない。

 もう一人の方も、どうやら今のところ寄ってくるつもりはないらしい。

 ありがたい。正直、あの男が傍にいるだけでどんどん神経が擦り減っていくような心地がする。

 ナルトは静かに、試験開始の時刻を待った。

 

 

 

 




 

 帰宅した瞬間は「そろそろ書くか……♠」って顔してPCに向かうのに、結局一ページも進まずにトイレに籠ってナナチの鳴きまねするしかなかったりするけど、――でもこんな暮らしもまあ、悪くはない、かな?






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46『情報戦・心理戦』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一試験が開始してから十分後、ナルトは支給されたペンを机に置いて、解答用紙を裏にして伏せた。

 もう用紙を見る理由もなく、そしてこのペンももう、必要ない。

 中忍選抜試験の第一試験は、ナルトの記憶の通りペーパーテストのままで、特に変化はなかった。

 第一試験の試験官である森乃イビキの試験の説明にも大きな差異はないように思えたし、実際に渡された解答用紙を見ても、以前の記憶と異なるところは見受けられないように感じた。

 かつてと違うところを上げるとするならば、主に三つ。

 第一試験に参加した忍の人数、そして各々の座った席順、ナルトの持っている実力、ぐらいなものだろう。

 まず一つ目の、参加している忍の数についてだが、これは明らかに前回よりも少ない。

 理由は、多分、これもまたナルトと我愛羅のせい、なのだろう。

 特に、他国の里に遠征してきたわけではない、開催国出身の木の葉隠れの忍の参加者の目減りが大きいように見えた。試験参加は強制的ではないのだから、参加しなくても大した痛手ではない人間にとっては、今回の試験はリスクの方が大きいと判断したのだろう。

 少し複雑だがそれは別に構わないし、特に問題ない。

 二つ目の席順の変更は、それに伴った変化だ。

 状況が変われば、座る場所も変わるのが道理だ。

 前回のときは、日向ヒナタがナルトの隣に座っていた。 

 いつものように頬を紅潮させながら、目をキラキラさせて、『お、お互い頑張ろうね……』と控えめに言っていたものだ。

 今回のナルトの隣には薬師カブトが座っていた。

 まったく熱のこもらない冷めた顔面を晒しながら、眼鏡をキラキラ反射させて表情が伺い知れない様子で、『ボクたち、どうやら隣同士みたいだね……』と薄く微笑んでいた。

 

 ──こっちに来んな。

 

 サスケの方へ行け。いや、行くな絶対。自分の目の届かない場所にいて欲しい。いや、それはそれで困る。

 と、矛盾したことを考えながら、ナルトは横に視線を向けて「ああ」、とだけ答えた。

 未だナルトはこの男に対して消化できない想いがあった。

 演技が苦手なこともあるが、それ以上に、一度は友達だったこともあったからこそ、簡単にはただの敵だ、とも割り切れずに、抑えきれないまま必要以上に過剰に忌避してしまっているところがあった。

 この状態が良くないことは十分にわかってはいる。なにより、こういうことをグチャグチャ考えている自分と、考えなくてはならない状況が嫌でしょうがなかった。

 だからこそ、気兼ねなくぶん殴れるようになるそのときまで、ナルトは薬師カブトが苦手だったし、できる限り意識したくもなかった。

 席に座ってすぐにイビキの第一試験の説明が始まったので、余計な会話をほとんどすることがなくナルトは安堵した。

 配られた解答用紙を表に返して、ナルトはさっさと問題に集中することにした。

 ナルトは、以前に試験を受けたときに見た問題の内容は一切覚えていなかったが、とはいえかつての自分とは持っている知識の量が違う。

 苦手な勉強を積み重ねて、今この場で向かい合っているのだ。

 それゆえに、かつては問われている内容すらわからなかった問題の意味を全て、完璧に理解することができるようになっていた。

 ナルトは問いを上から下までしっかりと順繰りに眺めていき、ややあってペンを一度くるりと指の上で回した。

 そして、目を閉じると、フッと笑った。

 

 ──こんなの……、一問たりともわかんねぇ…………。

 

 以前とは違う。それは間違いない。何故なら、自分がこの問題のなにが解かってないのか、どういう情報があればこれに答えられるのか、それぐらいまでは大体わかったからだ。

 その成果が、最後の一問を除けば、出された問題全てを一問たりとも絶対に自力では解けないという究極の事実を突き止めたということだっただけだ。

 まだ大丈夫、ナルトは自分に言い聞かせた。

 確かにこのテストがただの筆記試験であったのなら、ここでナルトは落第が確定していたが、幸いこれは、忍の能力を測るテストだ。

 情報処理能力を試す試験でもあり、つまりカンニング行為が暗黙の了解で許されている。

 五回失敗するまでは、カンニングがバレても減点で済む。

 べつにカンニング自体は、できなくはない。

 ナルトは、自身の左手首の法印に触れた。

 しかし、考え直して、手を離した。

 隣に座っているカブトの存在が気にかかったからだ。

 なにを考えているのか読めないが、以前の記憶から考えると、いまこの時点では、この男はまだナルトを警戒してはいない、はずだ。

 なるべくこの男には、自分の手札をギリギリまで隠しておきたかった。

 

 ──マジでこっち来んな、だったってばよ。マジで。

 

 ナルトは内心で頭を抱えた。

 とはいえ、試験の内容が前回とすべて変わっていないのなら、そもそもカンニングをする意味がないともいえる。

 なぜなら、最後の問いで『試験を辞退する』という選択さえとらなければ、解答用紙が白紙でも第一試験は突破できるからだ。

 ただ、そこまで徹底的に試験に参加しないというのもズル過ぎる気もする。

 しかし、一度クリアしたことのある試験ということは、ある意味ナルトはこの試験を合格するに値している忍であることはすでに証明している、と解釈できないこともない。

 つまりなにもせずに試験が終わるのを待っていてもべつにズルくはない、と考えることもできる。

 ただし、試験の内容が以前と完全に一致しているとは限らない。最終問題がナルトが予想だにしていなかった問題である可能性もなくはない。

 皆が問題と格闘している最中、試験とはまったく関係していないところで、ナルトは一人頭を悩ませていた。

 試験、第七班の仲間、大蛇丸、三代目、様々な存在が、ナルトの中の天秤のそれぞれに乗ってその皿を揺らしていった。

 その最後に、ふと、いま教室の檀上に立って受験者を睥睨している森乃イビキの、額当てを取った姿を思い出していた。

 剥き出しになった地肌に刻まれた拷問の痕を合格者全員に見せて、彼は笑ってその傷跡の由来を語ってみせた。

 

『なぜなら、……情報とはその時々において命よりも重い価値を発し、任務や戦場では常に命懸けで奪い合われるものだからだ』 

 

 と。

 それを思い出した瞬間に、ナルトの中の天秤は傾き、決意を固めさせた。

 一度、深く息を吸って、吐いて、────そしてナルトは自分の解答用紙を裏にして伏せ、顔の前で指を組んで前を見据えた。

 これは情報戦の試験だとイビキは言っていた。

 そして試験とは、実戦のために存在するものなのだ。

 ナルトの持つ情報とは、未来の知識と、そして今の自分の持つ実力だ。

 この二つが命よりも重い価値を発するというのならば、今はこうすることが、きっと正しいはずなのだ。

 背中に汗を滲ませながら、ナルトは顔だけは涼しく装って、ただ前を見つめた。

 隣でカブトが驚いた様子が伝わってきた。どうやら、こっそりとこちらの様子を窺っていたらしかった。

 やはり自分の判断は正しかったようだ。

 表情にはおくびにも出さずにナルトは少し安堵した。

 少しキツイがこのまま四十五分経つのを待って、最後の問いをクリアすれば第一試験を突破できる、はずだ。

 そう思ったときだった。

 たまたまナルトの目の先に立っていた森乃イビキと、視線が合ってしまった。

 ナルトは固まった。

 

「…………」

「…………」

 

 無言で見つめ合う。一度イビキの視線が伏せられているナルトの解答用紙に向かい、そして再びナルト自身に視線が戻る。

 イビキの、何をしているんだコイツは、という訝し気な視線がナルトに突き刺さった。

 …………よく考えると、試験開始十分後になにも書かずにペンを置いて解答用紙を伏せるのは、流石に少しやりすぎたかもしれない。

 ナルトは固まったまま視線を剥がせず、そしてイビキも視線を逸らすことはなかった。

 ペンの走る音が響くような静かな教室の中で、イビキとナルトはただ見つめ合った。 

 

 ──やべェ。

 

 ナルトは更に背中から汗が流れるのを感じた。

 ふと、イビキが何かを察したような表情に変わり、ニヤリ、と口元を歪めた。

 小さく漏らした笑い声は大きくはなかったが、静寂した試験場の中ではよく響いた。

 

「────なるほど、どうやら一人、小賢しいヤツがいるようだな」

 

 ハッキリとナルトを見つめながら、イビキは独り言というにはあまりに大きな声でそう言った。

 

 ──やべェ。

 

 ナルトは再びそう思った。

 イビキはどこか愉しそうに目を細めると、腕を後ろに組んでゆっくりと教壇を横切るように歩いた。

 ざわめきはなかったが、ペンが走る音が戸惑うように途切れた。

 

「試験の内容を鑑みれば、自ずと推察できることもあるだろうが、……流石にそれは少々度が過ぎていると言わざるを得ないな」

 

 窓際まで歩いていくと今度は身を翻して、反対側にある扉の方に歩いていく。ゆっくりと、しかし緊張感を伴っている。

 

「試験官と言うものは、物語の作家のように自分が出した試験の裏側を考察して欲しがるものだ。自分が出した演出についてそれを見た客が深く考えを巡らせて、裏の裏を読もうとする行為にある種の快感を見出す。しかし、それにも程度というものがある。勇んで劇場の舞台の裏側まで覗き込むような輩には、──流石に苛立ちを覚えるというものだ」

 

 苛立つ、と言う割にはどこか愉しそうに、イビキは言葉を紡いだ。

 なにを言っているのか正直よくわからなかったが、たぶん、ナルトがこの試験の答えを知っているという事実を、イビキはあっさりと看破したようだった。

 目の前の男は拷問と尋問を専門とする、いわゆる情報収集のプロだ。

 決してなめてかかっていい相手ではなかった。今さらながら後悔が浮かぶ。

 ナルトはなんとか表情筋を平静に保ちつつ、もう一度フッと笑った。

 

 ──やばいってばよぉ……。マジでェ…………。

 

 我愛羅や大蛇丸の対処がどうとか考える前に、今この瞬間の対応を誤るだけで、ナルトたちの試験は終了してしまうかもしれない。

 中忍選抜試験最大かもしれない危機が目の前に迫っていた。半分は自分、残り半分は主にカブトのせいで。

 

「随分と自分の推測に自信があるようだが、…………果たしてそれが真実であると、どうやって判断する?」

「………………」

 

 やっぱり今からカンニングします、とは言い出せない雰囲気だった。

 

「そしてもう一つ。たとえそれが本当に正しい情報だったとしても、それを誇示するような振る舞いは度し難い愚か者だといえる。なぜなら、情報を得たことを敵に悟られた時点で、その情報は正確性を失うかもしれないからだ」

「………………」

 

 ナルトはただ黙って、イビキの言葉を聞いた。

 表情筋を動かさないこと以外にできることがないだけだった。

 イビキは今、言葉を続けながらじっくりとナルトの様子を観察している。言っている内容が正しく、ぐうの音も出ないほど間違いがない。だが、それは本命ではない。

 それに対する反応こそが相手が引き出したい情報なのだ。

 だからこそ、怯えは見せない。

 三代目との仙術の修業の日々は決して肉体の鍛錬だけではなかった。

 むしろ精神的動揺を抑える鍛錬の方が、辟易するほど執拗なまでにやらされた記憶があった。

 ゆえに法印でチャクラ感知を絞った状態でも、表面上の動揺を隠す駆け引きぐらいはできる。

 背汗をダラダラ流しながら、逆にナルトはわずかに感じるイビキのチャクラの反応を観察した。

 

「………………なにより自分が得た情報を過信してそれに班の命運を軽々に委ねてしまうような輩に、中忍になる資格などない」

 

 会話に思ったような手応えが無かったのか、イビキの内にわずかに動揺が生じたように感じられた。

 ここだ。ナルトはこの小さな隙に畳みかけることにした。

 ナルトは左腕を真っすぐに上げた。

 イビキは表情は変えなかったが、内心では少しだけ動揺した様子だった。

 

「…………なんだ」

「──そう思うなら、そうすればいい」

「フム?」

「これは中忍試験なんだろ? だったらアンタはただ、中忍にはなれないと思ったやつを──」

 

 ナルトは上げた腕をゆっくりと下げて机に掌を置いてみせた。

 

「落とせばいいだけだってばよ」

「………………」

 

 意識しなかったにせよ、これはナルトが売ってしまった喧嘩だ。

 だからこそ、芋を引かないという意志を込めて、真っすぐにイビキの目を見返した。

 

「…………ふん」

 

 結局のところ、ここでなにを言ったところで、イビキがナルトを中忍に値すると思うかどうかがすべてだ。

 ナルトは怯まずに自分のできることをただ示すだけだ。

 

「……試験中だ。余計な私語は慎め」

 

 イビキはくるりと黒板の方を向くと、そう一言だけ告げただけで、それ以上の言及はしなかった。

 なぜか我愛羅がザワリ、と気配を蠢かしてナルトが背筋を凍らせた一幕を挟みつつ、最終的に第七班は問題なく一次試験を突破した。

 ──死ぬほど疲れた。

 

 

 

 

 

 二次試験に残った人数は意外なことに前回のときと大差なかった。

 一次試験の最終問題でリタイアを宣言した者が前回よりも少なかったのが原因だった。おそらく昨日の騒ぎのせいで、試験参加を決めた段階で覚悟を固めてきた者が多かったのだろう。あるいはナルトと試験官であるイビキの口論がなにかしらの影響を与えたのか。

 追求するほどの意味は感じないので、どうでもいいが。

 第二の試験会場は例年通り第44演習場、またの名を『死の森』だった。

 ここからが、本番だ。

 なぜか今の時点で前回よりも精神的に疲弊を感じていたが、ナルトは意識を切り替えた。

 前回大蛇丸が変装していた草隠れの忍は一次試験を突破したようだ。けれど、それが本当に今回も大蛇丸が入れ替わっているのかどうか、外見だけでは確信が持てない。

 纏っている雰囲気も、かつての底知れない不気味さは感じない。

 三代目にはすでに前回の記憶にある限り伝えてあるのだから、もしかすると今回は大蛇丸とは無関係なのかもしれない。

 注目し過ぎるのもよくないので、ナルトは半ばそうだと確信しつつも、それを確定することは一旦保留にした。

 そして、赤い髪のあの子もまた、第一試験を突破していたようだった。

 第44演習場は直径約二十キロの広大な円形の演習場だ。その中央には塔が鎮座しておりその周囲を森が囲っている。演習場の中央を横切るように流れる一本の大きな川があるが水量はそれほど多くはないようだ。

 この中に入って二種類の巻物を巡って争う、それが二次試験の概要だ。制限時間は五日。

 ナルトは死亡同意書にサインを書いて、前回通り、一対の巻物の片割れを受け取った。

『地』とだけ書かれた巻物をバックパックの底に仕舞うと指定のゲートの前に立つ。

 一次試験での揉め事についてサクラから軽くツッコミと説教はあったが、どうやら割と色々諦められている節があり、本格的な探りのようなものはなかった。

 サスケは、なにも聞いてこなかった。

 時折、視線のようなものを感じるが、イマイチどういう感情を抱いているのかよくわからない。

 試験に集中しているだけ、なのだろうか。

 違う気がしてきた。

 

 ──何かあっても自分から言ってこねぇからなぁ。

 

 ナルトは警戒心を少し上げた。

 今は試験に集中しなければならないが、タイミングをみてサスケと落ち着いて会話する時間を作ろうとナルトは思った。

 

 

 

 






 


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47『情報戦・心理戦』②

 円形の試験会場の円周上に配置された四十四個のゲート入り口にそれぞれ班ごとに配置され、それが完了すると入場と同時に試験開始が宣言された。

 試験の期限は五日間。試験だけでみれば中忍試験最大の長丁場だ。

 とはいえ前回の経験で考えるなら、もっとも敵の巻物を奪い易いタイミングなのは試験会場内に一番忍の数が多い日、つまり初日だ。

 そこから脱落者が増えていくにつれ倒しやすい忍は消えて、より厄介な忍が残っている可能性が高まっていく。この厄介というのは単純に強いというよりは、生き残る能力がある奴、という意味だ。

 慎重だったり、用心深かったり、隠れるのが上手い奴だったりする。

 前回の雨隠れの忍がそうだったように。

 できれば初日に巻物を奪取して、目的地である塔の周りに罠を仕掛けられるよりも早くそのままゴールまで向かうのがベストだ。

 おそらくほぼすべての忍が、それが最適解であることはわかっているはずだ。

 だからこそ、初日が一番肝心だ。

 サクラは露骨に緊張した様子で密林の中を歩いていた。いつ他の忍が襲ってきても対処できるように気を張って、警戒を解くことなく進み続ける。

 ナルトも周囲の気配に意識の大半を割いた。

 大蛇丸が接触してくるとしたら、これからだ。他の忍に成りすまして潜入していないのだとすればどのように試験官の目を掻い潜っているのかは知らないが、あの男だったら手段はいくらでもあるだろう。

 ナルトが警戒したところで意味はないのかもしれないが、どのみちこうする他ない。

 それからしばらく時間が過ぎた。

 始めのうちは慎重に進んでいたサクラも、二時間ほど経った辺りで段々と、その様子に変化が表れてきた。

 表情からも緊張が抜け落ちつつあり、それどころか少し苛立っているようにすらみえた。

 まったく接敵できないからだ。

 敵を見つけられない、のではない。

 接敵できないのだ。

 なぜなら、他の忍はナルトたちを認識すると、一切戦うこともなく逃げてしまうからだ。

 敵を発見まではできる。けれどナルトたちの隠密では近づく過程でどうしても相手に気付かれてしまう。

 そして相手はこちらの姿を認めるや否や、即座に踵を返すと形振り構わずに逃走をしてしまうのだ。

 関連性のない三組の忍が一様にそうやって必死に逃げる姿を目撃すればさすがに理解できる。

 疑いようのないぐらい明確に他の忍から避けられている。

 正面から戦えば負けることはないだろうが、あそこまで全力で逃げる相手を仕留めるのは難しい。よしんば可能だったとしても、この敵だらけの密林の中であまり派手な追走劇は避けたかった。

 逆に積極的にナルトを探しているであろう忍に一人だけ心当たりがあるからだ。

 

「あーもう! またなの!?」

 

 四組目の忍が逃げ出した野営の跡地で、サクラは堪えきれないとばかりに叫んだ。

 食料や水はおろか、仕掛けてあったトラップすら手付かずなまま放置されていた。

 ここまで徹底して逃げられるともはや清々しさすら感じてくる。ナルトはサスケが写輪眼で発見したワイヤートラップをクナイで解体しながら、サクラの視線に肩身の狭さを感じて身を縮こませた。

 我慢の限界、といった様子でサクラはつかつかとナルトに歩み寄った。

 

「試験前のアレは、アンタだけのせいじゃなかったと思ってる。──だけど」

 

 ナルトの鼻先にサクラの指先が突き付けられた。

 

「やっぱり第一試験の悪目立ちはどう考えても余計だったでしょうが!」

「ごめんて……」

 

 ナルトは目を細めながら謝罪を述べた。

 一言一句サクラの言う通りで反論の余地もない。

 

「どーすんのよ! もしこのまま試験終了まで他の忍に逃げられ続けたら!」

 

 イライラを吐き出すようにサクラは捲し立てた。

 サクラ自身も本当にそうなるとは思ってはいないのだろうが、特殊な環境に、想定外の状況が重なって感情的な言葉が止まらないようだった。

 ナルトとしてもここまで極端な状況になるとは思っていなかった。

 尾獣を宿した人柱力への恐れは、ナルトが想像する以上に大きかったようだ。加えて第一試験でのやり取りの影響がどれほどだったのかは知らないが、少なくとも第二試験においては良い影響はなかったとみるべきなのだろう。

 

「──それで、この後はどうするつもりだ」

 

 静かな声でサスケが呟いた。そちらの方に視線を送ると、サスケは淡々と残ったトラップを破壊し続けていた。最後の落とし穴のトラップが踏み砕かれて、少し大きな音が鳴った。

 

「確かに、このまま同じことを続けても埒があかない」

 

 ナルトとサクラは顔を合わせた。サスケの声があまりに静かだったせいだろう。冷や水を浴びせられたようにサクラは鋭角になっていた眉尻を下げた。

 

「……そうね。作戦を変えるしかないのかも」

「…………作戦」

 

 ナルトがオウム返しに呟くと、じっとサクラが視線を向けてきた。

 サスケも続けてナルトに目を向けた。

 

「…………」

 

 ──どうするんだ? と目が語っている。

 相変わらず勘違いが進行している。

 ナルトの自業自得で。

 とはいえそれを否定していない理由は意地もあったが、その勘違いがあった方が自分の未来を知っているが故の不可解な行動も見過ごされるから、という思わぬ利益もあったからだ。

 今さらそれを手放してすべて撤回するのはもはや許されない領域の話になりつつある。

 そんなことをすれば、むしろ今よりもさらにたくさんの嘘を重ねる必要すら出てくるからだ。

 プレッシャーを感じながらナルトは必死に頭をブン回した。

 

「だったら、先に、目的地の塔に行くべきだってばよ」

「それって…………」

「………………なるほど。つまり、──相手が戦うしかない状況に追い込むわけか」

 

 ナルトは頷いた。巻物を二対集めたところで、ゴールまで持っていかねば意味がない。塔の付近に陣取っていれば、いつかは絶対に他の忍と相対することができる、というわけだ。

 サクラは少し悔しそうに、サスケは納得した様子でそれぞれナルトの意見を受け入れた。

 もちろんこれは前回の雨隠れの忍の作戦をそのままパクっただけだ。思えば事あるごとにこうやって雨隠れの忍のことを思い出して、参考にしていることが多い気がする。好き嫌い強い弱いはともかく、間違いなく彼らは全力を尽くしてナルトたちを追い詰めてきた『手強い忍』だった。

 ナルトは心の中で密かにあの経験に感謝した。

 

「まぁ、そもそもすべての忍が戦いを避けるとは限らないけど」

「…………でもそれって相応に自分の実力に自信がある忍ってことよね」

 

 ナルトの言葉にサクラは少し考えるように俯いた。会話が終了したような雰囲気ではなかったので、ナルトは切りあげずに黙ってサクラの次の言葉を待った。

 

「…………そういえば一つ聞きたいことがあったんだけど」

「うん?」

「ナルトは、あの我愛羅ってヤツに出会ったらどうするつもりなの?」

「逃げる」

 

 ナルトは即答した。

 自分の中で、無鉄砲だったころの自分が『闘う!』と同じく即答を返してきていた。

 厄介なことにナルトはこの意地っ張りなころの自分が大好きだったので、しばしばその欲求に応えてしまうのだが、今回ばかりはそうするわけにはいかなかった。

 眉を寄せてサクラは重ねて訊ねてきた。

 

「ナルトでも勝てない相手なの?」

 

 我愛羅の異常なチャクラを目の当たりにしてなお、サクラはどこか納得しきれない表情だった。

 サクラの想像の中の自分がどれだけ誇張されているのか少し空恐ろしく感じながら、ナルトは頷いた。

 今の状態ではおろか、もしかつてのように九喇嘛の力を使っていたとしても、おそらく勝てはしないだろうと思っている。単純に人柱力としての完成度の差が著しいからだ。

 九喇嘛がキレるだろうから内心でも大っぴらには言えないが。

 我愛羅を無効化できたのは、連戦に次ぐ連戦で我愛羅が疲弊していったのもあるが、一番の要因は偶然の積み重ねがあったからだ。アレを再現することは難しい。

 他の忍がナルトから逃げていくのに、自分だけが誰からも逃げちゃいけないなどという道理はないだろう。幸いこの試験はそれが許される。

 この広いフィールドだ。偶然の遭遇は起こりづらいだろうし、仮に出くわしたとしても逃げるだけならいくらでもやりようはある。

 木の葉の仲間たちが少し気がかりだが、我愛羅の危険度はあらゆる忍が認知しているはずだ。それ以上の心配はこの試験を受けた者にとっては侮辱にしかならない。彼らは彼らの覚悟を持って試験に臨んでいるからだ。

 さっさと巻物を奪取して、この試験を抜ける。それがナルトの出した結論だった。

 

「……そう。わかったわ」

 

 言葉とは裏腹に納得しているのかしていないのかよくわからない表情でサクラが頷いた。

 我愛羅の実力そのものを実際に見たわけではないので、もしかしたら実感があまり湧いていないのかもしれなかった。

 とはいえ反論があるわけではなさそうだ。

 そのまま三人が塔の方向へ向かおうと動き出したとき、ナルトは自身の感知範囲に誰かが立ち入ったのを察知した。

 すぐにそのことを二人に伝える。

 

「…………人数は?」

「たぶん、一人だってばよ」

 

 距離はそう遠くなく、どんどんとナルトたちの方へ近づいてくる。

 ナルトの感知能力の精度ではその人物の詳細な情報まではわからない。

 正体は不明だが、三対一だ。

 二人に目配せして、迎え撃つように足を止めて相手を待つ。

 少し離れた場所の繁みが揺れた。サクラが警戒するようにクナイを少し前に構えた。

 藪をかき分けて、一人の見知らぬ忍の男が飛び出すように転がり出てきた。

 

「止まって! 動かないで!」

 

 サクラがクナイを構えて叫んだ。

 

「ひぃっ」

 

 男はナルトたちを見ると悲鳴を上げると目を剥いて両手を上げた。

 

「ま、待て! やめろ! やめてくれ!」

「いいから動かないで!」

 

 サクラが再び叫ぶと、男はパニックになったように地面を転がりながら後退った。

 その様子からみて戦意はすでに無さそうだった。

 男の額には三つの山なりの線が特徴的な草隠れの里の額当てが掲げられている。

 

「ち、違う! 戦うつもりはない! オレはもう試験を降りたんだ!」

「この試験にリタイアはないでしょ!」

「仲間がやられた! もう戦う意味もない!」

 

 その言葉は間違いではない。試験に合格するための条件の一つには班員の全員が無事であることが求められる。班員が誰か一人でも欠けてしまったのならばもはや確かに戦う意味はないだろう。

 この男が嘘を吐いていなければ、だが。

 ナルトはこの男に見覚えがあった。

 記憶を辿るまでもなく、すぐにナルトは思い出した。

 先ほど赤い髪の少女に、高圧的に怒鳴っていた男だ。

 

「巻物はどうしたのよ」

「オレは持ってない! それは別のヤツに持たせてたんだ!」

 

 男は証明とばかりに自分の持っていた荷物を武器や医療道具なども含めてまとめて地面に放り出した。

 必死に命乞いするあまりに情けない姿に、思わず戦意が削がれてしまう。

 

「ナルト、どうする?」

 

 サクラも同じ様子で、困ったようにナルトを窺ってきた。

 ナルトは少し考えてから男に近づいて行った。

 

「…………なぁ、お前と同じ班に、紅い髪をした眼鏡の女の子がいなかったか」

「あぁ? ──あぁ、あのガキか。い、いたよ。巻物もそいつに持たせてたんだ」

「その子はどうした?」

「知るかよ! とっくに殺されてんだろ! なぁおいもういいだろ! 見逃してくれよ!」

 

 ナルトはその男の胸倉を捩じり上げた。自分の表情が強張っていくのを感じた。

 

「…………仲間を見捨てたのか」

「し、仕方ねぇだろ! 相手が強すぎたんだ! それに、あ、アンタには関係ないことだろう!?」

「……………………その相手っていうのはどこのどいつだってばよ」

 

 男は顔に恐怖を浮かべながら叫んだ。

 

「音隠れの、試験前の騒動でもいた顔に包帯巻いたヤツだ!」

「!」

 

 意外な存在の登場にナルトは少し動揺した。

 けれど嘘は言っているようには見えない。

 

「………………」

「────なぁ、流石にもういいだろ!?」

 

 ナルトはしばし間を開けてから手を離した。

 窺うような怯えた視線がナルトを見上げていた。ナルトが去っていいと伝えると、男は弾かれたように立ち上がって逃げ去っていく。サクラもサスケも追いかけるつもりはないようで、やがてその背は草木に紛れて見えなくなった。

 男を視線で追っていたサクラはナルトに視線を戻すと、再び、たずねてきた。

 

「ナルト、──どうするの?」

 

 音隠れの忍は当然大蛇丸の部下たちだ。彼らは前回はサスケを襲うように大蛇丸から指令を受けていたはずだ。おそらくそれは今回も同じだろう。

 彼らはサクラの言うところの『相応に実力のある忍』だ。このどうするという質問はつまり、彼らと戦いに向かうのかどうかと訊いているのだ。

 これが罠の可能性はあるのだろうか。そうとは思えない。そうだとすればあまりに迂遠すぎる。

 こちらの居場所がわかっているなら直接襲って来ればいいだけの話だ。草隠れの男の慌てようだけは気になったが、今のところ誰も追いかけてきている気配はない。

 どうするべきだろうか。

 避けるか、立ち向かうか。

 ナルトは音の忍たちと本格的に戦ったことがなく、ほとんどが人づてに聞いただけだが、その実力は本物だと聞いている。戦うにはリスクがある相手だ。

 けれど、今なら相手から奇襲されることなく、戦うタイミングをこちらが選べる。

 だとするならば、大蛇丸に襲われて消耗しているときよりも万全の状態である今この時に叩いて置いたほうがいいのかもしれない。

 メリットとデメリットを釣り合わせてみると、わずかにメリットに傾くように思えた。

 状況を俯瞰するナルトの脳裏に、自分を睨み付ける赤い髪の少女の姿が浮かんだ。

 これは単なる私情だ。けれど仲間に裏切られ、見捨てられたであろう少女を、助ける理由がないから捨て置くというのは、正しい行いであるとは思えなかった。

 いや、正しいとか正しくないなんて、それは格好つけすぎている。ただ気に食わなかっただけだ。

 合理的な自分と、直情的な自分の意見が珍しく一致していた。

 ナルトは決断した。

 

「──行こう」

 

 ナルトの表情を見た二人は『どっちへ?』とは聞いてこなかった。

 ただ、サクラが諦めたように、溜息を一つついた。

 

 

 

 

 

「────おやおや。よもやアナタがたの方からやってきてくれるとは」

 

 ナルトが彼らの目の前に姿を見せたとき、ドスという音忍の男は表情の見えない包帯を巻いた顔の、唯一感情が見える片目を見開いてみせてそう呟いた。

 その横には彼の仲間である忍が並んでいる。彼らにとってもこれは偶発的な遭遇だったのか、その二人も少し驚いた様子だった。

 

「まいったな。そっちの方はこっちの仕事を片付けてから、取り掛かろうと思っていたんだけど」

 

 ドスはそう言うとちらり、と自分が引きずっているものに視線を向けた。彼の手にはボロ布のような物が握られていた。薄汚れたそれは、果たしてあの赤い髪の少女であった。

 すでに意識がないのかピクリとも動かない。

 まだ死んではいない。けれど決して無事とはいえない姿だ。

 

「まぁ、とはいえ出会ってしまったものはしょうがないか」

 

 ドスの身に纏う気配が変わる。隣の二人も腰を落として構えた。

 

「逃げないってことはキミたちもそのつもりなんだろ? ──いいよ。やろうよ」

 

 ナルトには疑問があった。何故その少女を連れて行こうとしているのか、何故他の者は逃がしたのか。けれどナルトはもう一つ、訊かずにはいられないことがあった。

 

「…………おい」

「──、んん?」

「お前たちは結構強い忍なんだろ」

「…………さて。どうかな」

 

 はぐらかすような言葉には取り合わずにナルトは続けた。

 

「ソイツは、…………抵抗したのか?」

「? いいや。すぐに巻物を差し出してきたよ」

「お前は、ソイツをそこまで痛め付ける必要があったのかよ」

 

 ナルトの言葉にドスは不快そうに眉を寄せた。

 

「いくらなんでも、そこまで見損なわないで欲しいなぁ」

 

 そう言うとドスは、少女の赤い髪を無造作に掴んで、物のように目の前に持ち上げてみせた。

 髪で吊り上げられた少女が、意識のないまま痛みに無意識に呻いた。

 

「こんな雑魚、ボクが本気なら一撃で仕留められるさ」

 

 ナルトは眉をひそめた。そんなことを訊いたつもりはなかったからだ。

 

「昨日のアレは、──流石にボクもショックでさ。少しは自分の強さに自信があったつもりだったんだけど、それが全部、一瞬で崩れていく音が聞こえた気がしたぐらいだよ」

 

 だから、と言葉を続けた。

 

「ちょっと思い出す必要があると思ってさ。ボクがどれだけ強いのかを」

「──だからわざといたぶったってことか?」

「まぁ、そういうことだね」

「────────、そうか」

 

 ナルトはこの男との対話の無意味さを、この瞬間に理解した。

 とん、と一度地面を爪先で蹴って、それから体の力を抜いた。

 

「あれ、心音が少し上がったね。もしかして怒ってる? はは、大丈夫。気にすることはないよ。どうせコイツの生命力はゴキブリ並だ。なにせコイツはキミと同じ──」

 

 ナルトは一瞬でドスの懐まで入り込むと、その不快な言葉を紡ぐ顎に掌底を叩きこんだ。顎の骨が砕ける感触が、ナルトの手を伝った。

 瞬身の制動が完璧ではなく、わずかに地面を擦りながら止まり、緩んだ手から少女を奪った。

 ドスは力なく地面を転がっていった。

 

「────あげぇ?」

 

 何が起きたのか理解できないようで、ドスは間の抜けた声を出した。

 遅れて横の二人がようやくナルトの姿を認めた。二人の余裕の表情が驚愕に崩れた。けれどそこからの挽回は、流石に場数を踏んだ忍らしく、早かった。

 立ち直ったザクが、反射的にその両の掌に開いた孔をナルトに向けた。

 ナルトは回避のために足をたわめたが、その必要はなかった。

 その腕から風圧波が放たれるよりも早く。サスケが背後からザクの腕を取って捻り上げたからだ。

 

「ザクっ!」

 

 咄嗟にそちらに意識が割かれたキンの顔の前に、サクラのクナイが突き付けられた。

 

「くッ!」

「──ナイス」

 

 ナルトは短く称賛した。

 足で地面を蹴った意味を、二人はしっかりと理解し、遅れることなく行動してくれていた。

 ドスはまだ地面を転がっていた。意識はあるようだが、流石に立てはしないようだ。

 ナルトはほんの一瞬だけ意識を抱えた少女に移した。

 酷く痛々しい在り様だった。顏は腫れ上がり、衣服は血に染まっている。先ほど見たときにかけていた眼鏡もなくなっていた。

 

「……………………」

 

 ナルトが視線を前に戻してもドスはまだ地面を転がったままだった。もちろんナルトも警戒を解いてはいなかったが。

 そういえば目の前の男は少し気になることを言っていた。ナルトとこの少女が同じであると、そう言っていたように聞こえた。

 続きを聞く前に自分が顎を吹き飛ばしてしまった。失態だったか。

 

「──────―ぁ」

 

 状況を把握できずに、呆然とナルトを見上げていたドスの顔に理解が走り、憎悪が露わになるのがわかった。

 身体に力を入れようと地面に両手を突き立てようとしたが、立ち上がれずにまた地面を転がった。けれどその目だけはただひたすらにナルトを追っている。

 怒りのあまり見開かれた目に血が走っていた。

 動けないはずだが、あの目をした忍は危険だ。ナルトは油断せずにドスの意識を刈り取ることに決めた。

 

【────なんだ。いたぶってやらんのか?】

(誰がそんなダセェ真似するかよ)

【クッ】

 

 何が面白いのかわからないが、九尾は短く呻くように笑った。

 少女をそっと地面に横たえようとして、得体のしれない悪寒を感じて、手を止めた。

 視線の先でドスが何かを力なく投げ捨てたのが見えた。

 どこでもない場所に放り出されたそれは、武器や起爆札ではなかった。 

 何の変哲の無い小さなガラス瓶だ。中身はすでに空だ。

 

「────―」

 

 ナルトの視界の端で、ゆらり、とドスが立ち上がった。

 瞬間、ドスのチャクラが膨れ上がった。

 地面が踏み砕かれて、ナルトの目の前でドスが腕を振りかぶっていた。

 それが振り切られるよりも速く、左手で抑える。

 衝撃で体が数歩分後退するが、そこで止まる。

 ドスがさらに一歩踏み出した。

 抱えた少女ごと、ナルトの身体が宙に浮いた。

 ドスが片手で持ち上げたのだ。

 

 ──な。

 

 そのまま片腕で薙ぎ飛ばされた。

 ナルトは放物線を描き、木に背後から叩き付けられた。少女と木に挟まれて、ナルトは肺の空気を吐き出した。

 

「ハハ、ハハハハ────―」

 

 霞む視界の先で、顎を砕いたはずのドスが明瞭に嗤っていた。

 

「すばらしい。これが、これが」

 

 とぐろを巻いた黒いチャクラの渦の中で、ドスは両腕を上げて空を仰いだ。

 

「────呪印の力か」

 

 恍惚と呟くその頬には、黒い呪印紋が走っていた。

 

 

 

 






 メリクリよいお年をあけてましたおめでとうございます!


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48『猿舞』

 

 

 

 

 ──なぜ。

 

 ナルトは動揺を抑えて、目の前の状況を理解しようとした。

 しかし、この状況は、長々と類推しているような悠長な行動を許されそうになかった。

 サスケが弾かれて地面を転がったのを視界の端に捉える。

 腕を極められていたはずのザクが無理やりサスケを引きはがしたのだ。

 理屈に合わない剛力、ナルトの内心に嫌な予感が過った。そして、大体の最悪な予感がそうであるように、それは当然のように的中した。

 ザクの全身にも、黒い呪印が巻き付いているのが見えた。

 紛れもなく、大蛇丸の呪印だ。

 ただサスケは投げ飛ばされながらも、関節を極めていた腕だけはキッチリとへし折っていたらしい。ザクの右腕が不自然な方向に折れ曲がっている。痛みはないのか自分の力に酔った叫びをあげてはいるが。

 この二人とも、呪印は持っていなかったはずだ。

 そしてそれは簡単に手に入るようなものでもない、はずだ。

 未来が変わった? そういつものように表現するのは簡単だが、こうなった道筋がナルトにはまったくわからなかった。

 しかしそれを考察している時間はない。

 

「キン、お前は離れてろ!」

 

 ザクが叫ぶと黒髪の女が身を翻して近くの木の枝に飛び移った。サクラも状況の変化に対応できずに虚をつかれたようだった。

 躊躇うように振り返った女にザクは続けて叫んだ。

 

「行け! 早くしねえとお前までぶっ殺しちまうぜ!」

「ま、待ちなさい!」

 

 背を見せて逃げる相手を追いかけようとしたサクラを、ナルトは制止した。

 一人減ってくれるのは、むしろナルトにとっても好都合だった。

 サクラに気絶した少女を手渡す、というよりは半ば無理やり押し付ける。

 

「は? え? なに?」

「その子を安全なところに頼む!」

「────はぁああ!?」

 

 困惑と抗議がこもった怒声を聞きながら、ナルトはサクラに頼み込んで敵に向かい合った。非常識なお願いをしていることはわかっているが、どのみち足元に子供が転がっていてはおちおち戦いにも集中できない。同情もあるがそれ以上にナルト自身の気質として、今この少女を見捨てるという選択肢は取れなかった。

 サクラに頼んだのはけっして戦力外だから、というわけではなかった。むしろこの少女さえいなければサクラには援護に回ってほしかったぐらいだ。

 ただ、今はこうしてもらわなくてはナルトが戦えない。

 

「……アンタ、このせいで試験を勝ち残れなかったらマジでぶっ飛ばすからね!」

 

 サクラはそう怒鳴りこそしたが、結局はナルトの頼みを聞いて後方へ下がってくれた。

 助かった。ナルトはサクラに深く感謝した。

 目の前から発せられる殺気が、ナルトの身を撫でた。ナルトは正対しながら強く敵を睨みつけた。

 

「サスケ」

 

 ナルトが呼びかけるとサスケは困惑した様子でナルトにたずねた。

 

「……あれはなんだ?」

「………………たぶん、呪印ってやつだってばよ。一時的にあいつらのチャクラは倍増している、はず」

「へぇ。キミ、知ってるんだ?」

 

 ────ドスはただひたすらにナルトを見ていた。

 その視線を遮るかのように、サスケがナルトを背に庇った。

 意外な行動に、ナルトは少し驚いた。

 

「…………サスケ」

「…………………………」

 

 ドスは面倒くさそうに目を細めた。

 

「──ザク、人柱力のガキはボクがやるよ」

 

 ザクは一瞬、ちらりと折れた自分の腕に視線を向けてから頷いた。

 

「──ああ、いいぜ。そっちは譲ってやるよ」

 

 そう言ってじっとりとした視線をサスケに向けた。

 相手の望みに沿うのは癪だったが、この組み合わせで戦うのはこちらとしても都合がいい。

 敵の能力はすでに大体は互いに共有している。ザクという忍ができるであろうだいたいの忍術も、サスケはすでに把握している。このアドバンテージの差は大きい。

 むしろ、この二人相手には共闘の方が危険だと思った。遠距離中距離専門のザクと近距離特化のドスの相性は極めて高い上に、この二人が連携した場合どのような動きができるのかを、ナルトが把握していないからだ。

 もちろん、呪印状態の相手とサスケを戦わせるのは、危険もある。

 しかしそんな心配をすることのほうがことサスケ相手には悪手であることもわかっている。幸い、サスケが事前にザクの片腕をへし折っている。相手は全力では戦えないはずだ。

 

 ────しっかしこいつら、どこまで使える? 

 

 確実なことは言えないが、呪印の力そのものには慣れていないように見えた。さすがに今はまだ、次の領域の力までは使えないはずだ。

 逃走も視野に入れながら状況を判断して、そしてナルトは決断した。

 

「サスケ、包帯のヤツは俺がやる。もう片方は任せたってばよ」

 

 ナルトは短く告げた。

 

「……………………サスケ?」

「……………………」

 

 返事がない。ナルトはサスケの様子を窺うように首を少し伸ばしたが、流石にその表情までは伺えなかった。

 調子でも悪いのかと不安になったが、サスケはすぐに答えた。

 

「わかった」

 

 サスケは振り返ることなく頷いてそう言った。

 ザクのチャクラが膨れ上がった瞬間に、ナルトとサスケは左右に別れて飛んだ。直前まで二人が立っていた場所に、ザクの手のひらに空いた孔から放たれた衝撃波が襲った。着弾したそれは大木を抉り、爆風の余波が周囲を薙いだ。ほとんどノーモーションでこれほどの威力の風遁を放つとは。ナルトはわずかに戦慄した。

 前方に回避したサスケの目の前にザクが迫り、互いの武器がぶつかる硬質な音が響いた。絡み合う蛇のごとく、残像を残して二人の忍が森の木々の陰に消えて見えなくなる。あとは時折、空気が破裂する音が響き渡り森の木々が激しくざわめいて、それで戦いが継続していることがわかるだけ。

 ナルトは切り替えて、目の前の敵に意識を移した。

 

「さぁ、やろうよ」

 

 ドスが無造作に両手を垂らしながら呟いた。ナルトは油断なく相手の動きを見極めた。

 先ほどの意趣返しのようにドスが鋭く踏み込むと、大きく弧を描いて腕を振りぬいた。ナルトは地面を大きく蹴って飛び退った。

 攻撃は余裕をもって躱して十分な距離を取った、はずだった。

 しかし、足が地面に着いた瞬間に、ぐらりとナルトの意識が揺れた。鋭い痛みが走ってナルトは思わず片耳をおさえた。

 傷の具合を感覚で理解する。

 ダメージは負ったが、回避に専念したおかげか、鼓膜は破れていない。

 揺れた視界の端で、敵の術の余韻で地面がピリピリと揺れたのが見えた。

 

「ハ、ハハ」

 

 ドスは追撃せずに、自分自身の術の威力に驚いたように笑った。

 音による攻撃。

 知識では知ってはいたが、なるほど、これはなかなか厄介な術だ。

 ナルトは傷の痛みではなく脳が揺れる気持ち悪さに、眉をしかめた。

 おそらく呪印の力で術の効果範囲も広がっているだろう。目で見てからの反射とはいえ、全力で回避したのに被弾してしまった。これの完全な回避はそうとう厳しそうだ。

 圧倒できるだけの実力差があれば問題にはならないが、真正面から戦うとなると、手ごわい相手だ。

 強い。ナルトは認めた。

 舐めていたつもりはなかったが、ナルトは内心でドスの戦闘の評価を改めた。

 

「さあ、そろそろボクに見せてくれ。キミの内側にいるバケモノの力とやらをさ。キミはあの我愛羅とかいう奴と『同じ』なんだろう?」

「………………」

「今のボクがどれだけアイツを凌駕できているかどうか…………、キミで試させてくれよ」

 

 憎悪を滲ませながらドスはそう嘯いた。

 こいつは、もしかするとナルトにとっても、ちょうどいい相手かもしれない。

 むろん、人柱力として、ではない。

 ナルトはわずかに血の滴る自身の耳から手を外すと、左手の手首の上に、右手の掌を乗せた。

 思えば、未だ修行以外で、仙術を使ったのは波の国のときだけだ。

 できれば中忍試験の中で、実戦で、今の自分の仙術を試してみたかったところだ。

 目の前の相手はそうするに足る相手のようだ。ドーピングで強くなったつもりになっている敵をそう評価することに、わずかに引っかかりを感じながら、ナルトはそう思った。

 ナルトは少し考えて、左の手首に刻まれた『金・緊・禁』の三つの輪の法印のうち二つを、右手の掌を回して解く。

 

「────」

 

 少し汗が浮かぶ。

 静かに息を吐いて、高ぶった精神を落ち着かせる。

 両手を、緩やかに円を描くように、柔らかに体の前に構えさせながら、ナルトは修行中に教わったミザルの言葉を思い出していた。

 

『仙道は大きく分けて二つの種類があるのよ』

 

 次の瞬間、世界が変わった。

 

 

 

 

 

 

「仙道って二つあるのか?」

「そうよ」

 

 波の国から戻ってから修行を再開したある日、ミザルはナルトにそう告げてみせた。

 

「静と動、昼と夜、空と地、正と負、陰と陽、────呼び方は色々あるけれど、今風に言うなら、精神エネルギーと、身体エネルギー、っていうんだったかしら」

 

 そのぐらいの理屈ならばナルトでも付いていくことができそうだった。過去に戻ってから叩き込まれた知識を使うまでもなく、これはすでに知っていることだ。精神エネルギーは文字通り精神から生み出されるエネルギーであり、身体エネルギーは肉体の細胞一つ一つから作り出されるものだ。

 

「そうね。まぁ、間違ってはいないわ。とてもニンゲン的な狭い見識だけど、今はそれでいいわ。簡単に言うと、仙術とは、自然界に存在する精神エネルギーと身体エネルギーのどちらかを肉体に宿して扱う術のことなのよ」

 

 ミザルは地面に指で『仙人』という文字を書き、それを人という文字と山という文字にそれぞれ分けて見せた。

 

「山は、自然そのものを表すわ。人は、言うまでもないわね。その二つに間に立つ者が仙人という存在」

「フム」

「蝦蟇の仙術は静の力、いわゆる身体エネルギーの仙術チャクラを練って取り込むわ」

「うんうん、でっ、そうするとどうなるんだってばよ」

 

 ナルトはわくわくしながら身を乗り出して尋ねた。

 ミザルはうっとおしそうに身を引いてから答えた。

 

「…………身体が頑強になるし感覚も鋭くなるわ。けれど身体エネルギーの場合は肉体がメインだから、仙術チャクラを貯めるまで自然に同化するために動けなくなるっていう弱点があるわ。そのかわり、安定していて実戦的な『扱いやすい仙術』といえるわね」

 

 あくまで比較的であり、仙術そのものは扱えるものが少ないらしいが。

 ふんふん、とナルトは興奮しながら頷いた。

 

「あのさ、あのさ、じゃあさ、じゃあさ」

「あー、わかったわかった。聞きたいのはこれでしょ。狒々の仙術はそれの対、動の仙術チャクラを取り込むのよ」

 

 おぉー、とナルトはうなった。

 

「……ねぇアンタ、そろそろうっとうしいわよ」

 

 いい加減にしろとばかりにミザルはそう言ったが、ナルトは猛然と反論した。

 

「こーゆうのは男のロマンなんだってばよ!」

「…………あそう。で、どこまで話したかしら。そうそう、狒々の仙術は動の仙術チャクラ、精神エネルギーを使うの。身体エネルギーを扱う蝦蟇の仙術とかに比べると、よりチャクラ感知に特化している状態になるわ。意識はより研ぎ澄まされて、目や耳ではなく心で、世界を捉えることができるようになるわ」

 

 なんとなく、それは理解できる。頭ではなく体感でナルトはその状態をすでに体験していたからだ。白と戦ったとき、意識は宙に散らばって、まるで自分自身が世界そのものになったかのような感覚になった。

 

「心で捉えた世界には他の感覚と違って遅延がない。だからこそいかなる感覚よりも早く今ある世界のあるがままを、そのまま心に写し取ることができる。そうなれば、戦う相手の次の動きすら、見通すことすらできるわ」

「──それってなんか、まるで写輪眼みたいだな」

「……アンタにしては鋭いわね。間違っていないわ。もともと仙道っていうのは『そういう力』に抗うために生み出されたものだから」

「そういう力って?」

「六道の力よ」

 

 ソレ、何度か聞いた気がするな、と思いながらナルトは尋ねた。

 

「りくどうってなんだってばよ?」

「…………すっごく面倒くさい歴史のお勉強になるけど、本当に今聞きたいのかしら?」

 

 ナルトは即座に首を振った。

 

「今はいい」

「賢明ね。まぁ今のアンタには関係のない御伽噺みたいなものよ。もしかしたら、今はもう忘れてしまった方がいいような大昔の、ね」

 

 そう言われると逆に少し気になってきたが、ミザルは切り上げて続きを話し出した。

 

「簡単に説明すると六道は断ち切る力であり、奪う力であり、仙道とは繋ぐ力であり、そして与える力なの。心を繋ぎ、意思を繋ぎ、そして互いに分かち合うための力、それが仙術の本来の役割だったのよ。そしてその仙道の中でもっとも源流に近い術こそが、狒々の仙術である『猿舞』なのよ」

 

 ミザルは地面に指で『忍宗』という文字を描いたが、少し黙ってから、それを説明することなく掌でその上を均して、かき消した。

 

『……………………ふん。随分とまあ、懐かしい話だ』

 

 ナルトの心の中で九喇嘛がそう呟いた。その口調はナルトが今まで一度も聞いたことのないようなものだった。

 それは懐かしむような、それでいて嘲るような、けれどどこか悔いているようにも聞こえる、深くて不思議な声音だった。

 ナルトは思わず自身のお腹に手をやった。

 そして今の九喇嘛の言葉にこめられた感情を、想った。それが九喇嘛の心のひどく脆くて柔らかいところから響いた言葉に思えたからだ。

 けれど、それが何を意味するのかまでは、今のナルトでは察することはできなかった。

 しかし、思うところはある。九喇嘛は仙術について、以前から何か知っているような素振りを度々見せているからだ。

 

「どうしたの?」

 

 ミザルが不思議そうにナルトを見ていた。

 

「いや、…………なんでもないってばよ」

 

 ナルトはそう答えた。

 

「…………そう。静の仙術の訓練は蝦蟇のそれとは違うわ。身体エネルギーはほとんど使わないから、体を制止させる必要もない。けれどだからこそ、綱渡りのような不安定で危険な術よ。心をどこにも留めることなく、常にあるがままに今を捉え続けなければ簡単に足を踏み外してしまうの」

「それは、──つまりどういうことだってばよ」

「詳しい説明は、あの子に任せることにするわ」

 

 そういうと、ミザルは巻物を地面に広げると、親指をかみ切って血を滲んだ指をそれに押し付けた。煙が巻き上がり、そして晴れた。

 けれどそこには、誰もいなかった。

 

「……? だれもいないってばよ」

「よく見なさい」

「んー」

 

 言われて、ナルトが目を凝らすと、ふと巻物の上に小さな何かが乗っているのが見えた。

 それはとても小さい、掌に乗りそうなサイズの猿だった。

 黒い耳当てをして、その人形のような体格にぴったりとあった黒いテイルコートを着込んでいる。サングラスに覆われた目は、その表情をうかがわせない。

 ピクリとも動かずに一言も喋ることなく黙って腕を組んでナルトを見上げている。

 

「……………………」

 

 小柄ながら威圧感を覚えないでも、ない。

 なんとなくナルトも口を閉じて小柄な猿に指を向けながらミザルをうかがうと、ミザルは静かに頷いた。

 

「この子はキカザル。アンタに猿舞のイロハを教えてくれるわ」

 

 どうやらそういうことらしかった。こんな小さなお猿さんが次の先生か、とナルトは驚かされながら、かろうじて無遠慮に叫びだすことは堪えられた。

 それをやった初日に、ミザルに思いっきりぶっ飛ばされたからだ。

 

「……………………」

「……………………」

 

 無言で黙って見つめあう。そうしていると、ふとナルトの脳裏にあることが浮かび上がった。 最近読んだ本にたまたま、『見ざる、言わざる、聞かざる』という三匹の猿の話が乗っていたのを思い出したのだ。

 

「ミザル、キカザルってことは、これってあの『三猿』とかいうヤツだろ!」

「──あら?」

「見ざる聞かざる言わざる。三匹の猿の先生に修行をつけてもらって、次のイワザルで修業が完了するとかそういうことじゃねーのか!?」

 

 ナルトはミザルに振り返りながら、自分の会心の名推理を叩きつけた。

 ミザルは感心したようにふっと微笑みながら肩をすくめた。

 

「ちがうけど」

「違うんかい!」

 

 ナルトは盛大に何もない空間にそろえた指を叩きつけた。

 

「なんでアンタの修行のためにこっちの名前を合わせないといけないのよ」

 

 それは至極ごもっともな反論だった。

 ナルトはぐうの音が出なくなりながらも、なにか納得がいかない思いを抱きつつ、黙った。

 今のやり取りを聞いていたのかいないのか、キカザルはなんのリアクションをすることなく、くるりと背を向けると歩き出した。

 ナルトが戸惑っていると、キカザルは振り返らぬまま小さな指をくいくいと動かして、ついてこい、と合図してきた。

 

「今から君に猿舞の基礎を叩き込む」

 

 小さい見かけに反して、その声は重低音に響いた。

 

「猿舞の基礎となる技法────『金鎖』と『遁甲』、その二つを」

 

 ごくり、とナルトは喉を鳴らした。

 

「それは、いったいどういう技なんだってばよ」

 

 ナルトは答えを待ったが、キカザルは答えなかった。黙ってついてこい、そういうことなのだろうか。

 この可愛い見た目を侮ったつもりはなかったが、思った以上に厳しいタイプの先生なのかもしれない。

 これはキツイ修行になるかもしれない。ナルトはそんな予感がした。

 しかし、ふと、もしかするとそうではないのかもしれない、とナルトは思い直した。

 ミザルも厳しい先生ではあったが、言っていることや振る舞いにはすべて修行のための意味があった。

 キカザルもまた、仙人としての振る舞いをすでにナルトに示してくれているのではないのか、と。

 ミザルは仙術とは心を繋ぐ術だと言った。心を繋ぐとは即ち、そこには言葉すら必要なく分かり合える、ということではないだろうか。

 今はまだナルトが未熟だからこそ、それが上手くいってないだけなのではないか。

 

「………………わかったってばよ。ようするに修行はもう始まっている、そういうことだな先生!」

「……………………」

 

 ナルトがそう叫ぶと、そこで初めてキカザルは足を止めて振り返った。

 黒い耳当てを外し、背筋をまっすぐに伸ばした美しい姿勢でナルトに正対した。

 

「────ん? 聞いてなかった」

「……………………」

「すまない、もしかしてボクに何か話しかけていたのかい?」

 

 とよく響くバリトンボイスで気さくに答えた。

 

「……………………………………………………」

 

 ナルトは再び虚空に向かって平手の甲を叩きつけた。

 

「んンン、────―聞いてなかっただけかいッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が切り替わっていく。

 演習場の密林の姿が水底に沈み、暗くて果てしない水面の世界が広がっていく。

 一変した世界の水面には煌々と輝く月が一つ、その姿を揺らがせながら静かに浮かんでいる。

 水面の上に足をそっと降ろす。今は水の中にまでは入る必要はない。

 これで十分だ。

 それでも、足裏を黒い淀みが撫でる度に、寒々とした空気が肺に入る度に、意識がうつろい自分という存在の形が輪郭を揺らがせる。

 ここは、人が長くいてはいけない世界だ。

 とん、とナルトはリズムを刻んだ。足元に波紋が広がり水面を滑っていく。とんとん、と再びリズムを刻む。波紋はそのたびに輪を広げていく。

 これは標だ。自分という存在に帰ってくるための標。

 心を静め、あるがままに世界を見る。けれどそのすべてに流されず、ただこの世界を漂う自分を繋ぎとめるただ一つの楔だ。

 とん、と再び水面に足をつける。けれど黒い淀みはもうナルトを蝕むことはなかった。ただ触れて通り過ぎていくだけだ。

 よし。とナルトは頷いた。

 上手くできた。

 会心の猿舞の手ごたえに、ナルトは小さく微笑んだ。

 さぁ、戦おうか。

 ナルトは目の前のドスを見据えた。

 

 

 

 






 遅くなりました。
 文中にある金鎖と遁甲はどちらも中国の陣形である八門金鎖と八門遁甲が元ネタです。二次の設定なので隠す意味もないですしね。
 これはどちらも本当に使われたのか定かではない上に、どちらも逃走のためのものだったとか。うろ覚えなんでなんですが。

 あ、あとNARUTO総合5位になりました。やったー。


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