ソードアート・オンライン 約束のその先で  (ココシマ)
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Season1 Hero of the tragedy
episode1 デスゲーム開幕


初めまして。ココシマです。
生温かい目で見守っていただければ、幸いです。
見切り発車ですので、設定やら時系列やらが雑になってます。矛盾も見え隠れするくらいに……申し訳ないです。
では、記念のepisode1です。


 男はたった一人の女性を失った事で道を大きく誤った。

 どこで選択を間違ったのだろうか。

 最愛の女性と会った時だろうか。

 人を助けようとした時だろうか。

 ソードアート・オンラインという名のデスゲームにログインした時だろうか。

 それは誰にも分からない。

 

 唯一つ、分かるのは男の生きる道を繋いでいた理由が音を立てて崩れてしまった事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 少年はたった一人の女性の願いを叶える為にその道を歩み出した。

 しかし、彼女の願いが叶うことはなく、その男は道を大きく誤った。

 正さなければならない。二度と叶わぬ恋と知りながら、初恋の人の為に。

そして、一万五千人に及ぶプレイヤーの為に。

 どうすれば、彼を正せられるか。

 どうすれば、彼に希望を見せられ、あの憧れた英雄の姿をもう一度だけ拝められるか。

 それは誰にも分からない。

 

 唯一つ、分かるのは、今この第二のデスゲームを生き抜かなければならない事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 とうとう始まってしまった。少年は敵の侵入を防ぐ分厚い鋼鉄の門を見上げながら、そんなことを改めて考えていた。

 門の扉が開くと、そこから西の草原へと繋がっており、ここからは敵が闊歩する戦場となる。

 西の草原には整備された道があり、この道を踏んで進めば、最初の村に着く。視界には映っていないが、マップには確かにそう表記されている。

 ふと、マップの端に映った時間を見る。2025年、1月27日。もう直ぐ日が暮れる。夜が来れば、この目の前の門は閉まり、この世界に静かな夜が訪れる仕組みになっている。

 静かな夜、それは街の内にいる者達の台詞であって、戦場に立たされた者達にとっては死闘の夜となるだろう。何故なら、『はじまりの街』に入る門は塞がれており、戦場に取り残されるからだ。

 そんな状態になれば、最初の村に行くしか死闘を避ける道はない。

 ネイトは夜の移動を避けようと考えていた。『はじまりの街』に帰れないからではなく、視界が悪いからだ。日没までには次の村へと着きたいと望んでいたが、準備に少々、手間取ってしまったようだ。

 さっさと、行かなくては。

 

「よし、行くか」

 

 それは恐怖を打ち消すための自分への鼓舞だった。

 恐怖、遊びという名のゲームには少々、似つかわしくない単語。しかし、これがゲームではなく、死を伴うゲームならば、どうだ。ゲームという単語一つの雰囲気すら変わって見える。

 ネイトにはこのゲームという言葉を聞くだけであの三年前の事件を反射的に鮮明に思い出すようになっていた。そして、この『ソードアート・オンライン・メモリアル』通称、SAOⅡという仮想世界に来てからは幾度となく思い返していた。

 三年前の事件を記憶として残そうという企画で立ち上げられ、多種多様なアップデートと追加機能が加わったSAOの第二作目ということになる。世間はこの作品に対して賛否両論の声を上げつつもプレイヤーの数は一万五千と少しという歴史的な快挙を成し遂げていた。

 しかし、これは絶望の始まりであった。

 『ソードアート・オンライン・メモリアル』。この題名が指すのは記憶として残すためだった。その記憶が事細かに必要のない最悪の機能まで表現され、第二のデスゲームが始まることになろうとは、誰もが予想していなかった。唯一人を除いては。

 

 

 

 

 

 

 柱の間から見える夕焼けに見惚れながら、経験値稼ぎを終えたネイトは思い耽っていた。

 これから先、最悪の事態が訪れる。周りを見れば、ゲームを楽しむ沢山のプレイヤーの姿があった。無邪気にモンスターを狩る子どももいれば、趣味に勤しむ年寄りの姿だってある。

 ネイトは密かに心苦しかった。強い罪悪感に苛まれていた。その容姿端麗なアバターも、純粋に野原を駆け回ることも、現実世界に帰ってゲームについて語り合うことも、彼らにはもう出来はしない。それを知っていて尚、隠し通す自分が情けなかった。

 

「クソ……」

 

 静かにそう呟き、その時が来るのを待ち続けた。来なければいい、来ないかもしれない。そんな淡い願望を抱きながら、綺麗な夕焼けを眺めていた。この夕焼けが現実で柱がないのならば、どれほど良かっただろうか。

 淡い願望をぼんやりと浮かべていた時、その瞬間は訪れた。

 『はじまりの街』に鐘の音が響き渡る。身体がびくり、と震え、次の瞬間には血相変えて辺りを見渡した。

 体が青白い光に包まれる。強制テレポートの予兆だと知った時、既知にも関わらず、ネイトは絶望した。

 テレポートした先は予期していた通りに『はじまりの街』中央広場。続々と青白い光から現れたプレイヤー達は困惑していた。時にはあの絶望を思い起こさせ、その顔を青白くさせる者も。

 どよめきが波紋の様に広がっていく最中、次々と放たれていた青白い光が遂に止まった。

 

「……来たな、くそ野郎」

 

 黒いロープに身を包み、不気味なオーラでプレイヤー達を威圧する。

 中央広場のど真ん中に立っていたその男はネイトが想像していた身の丈とは大きく異なっていた。本来の姿と同じ身丈、それ故にその姿に全プレイヤーが気づくのには時間を要した。

 フードを深く被っていてその顔は窺えない。しかし、ネイトはその顔を知っていた。その素顔を思い出すだけで、複雑な感情が駆け巡り、堪えきれなくなって奥歯を食いしばる。

 

「これから皆様にはSAOⅡ。ソードアート・オンライン・メモリアル本来のサービスの受けていただきます。目標は変わらずゲームクリア。三年前のSAO事件、突如、起こったデスゲームにプレイヤーは困惑し、身内や友人を失った者多いことでしょう。そんな残酷な世界を題材にして創り上げられたこの世界を存分に楽しんでもらえたでしょう。しかし、足りないものはありませんか?」

 

 突然、声の色が変わる。どこか事務的で冷めた色からどす黒い暗雲を孕んだような色へと。

 この不可解な言葉に隠れた意味を察した者達の表情が青ざめる。その者達は間違いなく、アレを予期したのであろう。

 

「足りないもの。それは、デスゲーム。HPがゼロになれば現実世界での死を意味する、あの設定を」

 

 誰もが知っている、あの事件があったからこそ、この現状は紛れもない事実であり、本物であると分かっていた。しかし、この現実を受け入れるだけの精神力はなく、考える事を放棄したプレイヤーは指先一つ動かさず、立ち尽くした。

 遊びだと認識していたゲームが命を賭した地獄へと変貌する恐怖。自分の心臓が唐突に握られる絶望。たった一つの要素をゲームに取り入れるだけで人々はこれでもか、というほどの恐怖を味わうことになる。

 ネイトははっきりと覚えていた。機械的なHPバーを自分の命と見立て、それがちょっと減るだけで脈拍が激しくなり、呼吸が獣のように荒くなる。あの恐怖の感覚は未だに鮮明に思い出せる自信がある。

 それが、今、この場で唐突に宣言されたのだ。はっきりと、デスゲームの開始を告げられた一般人は混乱で我を失う。

 だが、世間に詳しい者、機械に詳しい者は冷静にこれを否定する。そう、あの三年前の事件を切欠に『ナーヴギア』は世界から姿を消し、新たに『アミュスフィア』と名を変えて、世界に広がった。

 『ナーヴギア』の欠点を補い、電磁パルスの出力は大幅に低下され、世には安全なVR機器として出回った筈だ。これで人を殺すなどというのは妄言に等しいのだ。

 そう思って平静を装いつつ、内心で恐怖を抱え込む者を嘲笑うかのように、ゲームマスターらしき男から告げられた。

 

「『アミュスフィア』は安全な機器ではないのか? そう疑う人もいるだろう。しかし、人は感覚だけで殺すことも可能だ、ということをご存知だろうか。説明するのは構わないが、これ以上の説明は無用だろう。三年前の事件を思い出しさえしてもらえれば、それでいい。知っているとは思うが、『アミュスフィア』を取り外した瞬間、ゲームオーバー。この世からは強制的に消えてもらうことになります」

 

 ああ、実に簡潔で残酷な狂った説明だ。

 しかし、その統一されない不可思議な口調にネイトは場違いにも鼻で笑った。

 

「ふっ。下手くそか……」

 

 ネイトは黒いロープに身を包んだ男を睨みながら、説明の信憑性が限りなく高いことを感じていた。

 

「では、これにて、正式なサービスチュートリアルを終了します。ご健闘をお祈り申し上げます。尚、旧SAOを再現するため、アイテム欄に手鏡を追加しました……では、ゲームスタート」

 

 瞬間、男の姿が幻のように消えゆく。

 

 最前線を駆け抜けた男の姿が。

 

 あの世界で憧れた英雄の姿が。

 

 残酷な世界に打ちのめされ、最愛の恋人を失ったあの男の姿が。

 

「……和人」

 

 桐ヶ谷和人、またの名をキリト。その名はSAO最強の剣士を意味し、ゲームクリアをもたらした英雄。

 ネイトは英雄を第二のデスゲームをもたらした首謀者だと言い張った。

 

 

 

 

 

 

 夕日が空に落ちる直前の期。真っ赤な夕日に照らされながら、道を駆け抜くネイトは道先を阻む青いイノシシ、『フレンジーボア』を切り裂く。

 何匹目だろうか。エンカウントを知らせる警告音を常時に聞きながら、ポリゴン片に散らばった『フレンジーボア』を見るのは。 

 村で受けたクエストの報酬である『アニールブレード』の耐久値は半分になった。それほどの戦闘を積み重ねながら、そのHPバーは1割しか減っていなかった。

 SAO生還者であり、あの第一のデスゲームでも果敢に攻略に挑んでいたネイトはその能力は初期化されたものの、二年分の経験を積んでいた。名は知れ渡っていないが、それなりの実力派であり、階層の攻略に何度か貢献したことがある。

 だからこそ、第一層の初期モンスター、『フレンジーボア』など雑魚に過ぎなかった。

 

「もう直ぐかな」

 

 見え始めた村の影を細目で見ながら、呟いたネイトは攻撃の手を止めず、突き進んだ。

 夕陽に照らされた村にはもう何人かのプレイヤーがいる。彼らの中にきっと、SAO生還者もいるだろう。スタートダッシュが早いのは恐らく、この世界に住み慣れた者か、勇敢な心を持った英雄志願者か、それ以外か。どちらにせよ、絶望のデスゲームを告げられて尚、戦場に赴く者には多大な勇気があるに違いない。

 そして、彼らはあの村でパーティーを組むつもりの者も多いだろう。この先でパーティーの存在は欠かせない。経験上、それは身に染みて感じていた。そして、彼らもその重要性を知る身。パーティーメンバーの選別には目を光らせることであろう。それに適応するのが、今夜までにあの村に辿り着いた勇敢なメンバーに多数いるという算段だ。

 だが、ネイトはパーティーを組むつもりはなかった。何せ、ネイトが目指す域は決して他人が踏み込めるような域でないからだ。

 これは、俺と和人、そして明日奈との問題。他人を巻き込むような真似だけはしたくなかった。

 

「数が多いな……押し切れるか」

 

 大勢の人が何度かに分かれて村に駆け込んだ証拠だろう。村の付近には『フレンジーボア』の集団が幾つもあった。そのほとんどがこちらに視線を向け、荒い息を零す。

 蹴り出し、剣を所定の位置へと構える。

 魔法の存在しないSAOの世界でプレイヤーに許された最大の攻撃システム、『ソードスキル』。ソードとは名ばかりでSAOに存在する様々な武器に其々のスキルがある。決められた予備動作をシステムが検知、発動という仕組みになっている。

 

「『レイジスパイク』」

 

 基本のソードスキルを発動し、直剣が発光、『ライトエフェクト』が執行される。

 数匹の『フレンジーボア』を切り裂き、時には貫きながら道を抉じ開け、背後に青い光線を残してネイトは村へと駆け込んだ。

 荒い息を整えながら、経験値とコルの獲得した値が表示される画面を一瞥し、村の中心部へと足を運ぼうとする。だが、後ろから声をかけられ、制止。振り向いた。

 

「凄いなアンタ。SAO生還者だろ? システムアシストも動きも完璧だった」

「有難う……それで何の用だ?」

「ああ、ちょっと待ってな」

 

 そう言って、彼は右手の人差し指を縦に振ることでメニューを開き、何度かボタンを押してこちらを見た。同時にネイトの視界に画面が表示される。

 画面には安易に予想できた事務的な文章が並んでいた。ネイトは断る選択を押し、驚いた様子のプレイヤーを見た。

 

「悪いが、パーティーを組むつもりはない」

「何でだ? 俺は十分な実力だと思うんだけどな」

 

 自信満々の発言。さも、自分は有力で立場は上だ、と言い張っている様に見えてならない。内心で他人を馬鹿にしている様にすら見える。その態度にネイトは密かに苦笑してから踵を返した。

 

「理由はまぁ……色々な」

「何だよ。ソロでいる自分が格好良いってか?」

「……格好良くなんかないさ。ただ……自分のことだけで精一杯なんだ」

 

 遠く、遠く、表示されていない景色を眺めるような目でネイトはその場を後にした。

 後味が悪いような顔をしたプレイヤーは首を傾げ、その孤独で悲しげな背中を意味もなく、見送っていた。



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episode2 斥候は程々に

オリジナルの追加点が少し多いのでこれから、この前書きにて補足説明させてもらいます。では早速。

・スキルは武器を持った時点で自動変更
・二刀流は通常スキル扱い

となって、おります。ご了承ください。



 レベル7。自分のステータスを確認しながら、ほぼ無味のパンをかじっていた。

 もうすぐレベル8に到達するというところで、防具の耐久値に危険を感じ、昼食を取りに『はじまりの街』に帰って来たところだった。

 第二のデスゲーム開始を告げられ、早一週間が過ぎ、二週間が過ぎようとしている。

 周りを見回せば、この世界に慣れつつあるプレイヤー達が愉快に生活している。その光景を微笑ましいと見るべきか、危機感がなさすぎるとお灸をすえるべきか。ネイトは前者に属していた。

 理由は簡単だ。言うまでもないが、心の底では攻略の手助けをして欲しいと思っている。だが、一方で三年前のたった一か月で2000人の死者が出たという驚愕の真実を目にしているからこそ、この光景が安らぎにすら思えたのだ。出来れば、このまま、平穏に何事も無く暮らしていてほしい。

 辛い思いをするのは自分だけで十分だ。

 そう自分を悲観するのは悪い癖だが、今回ばかりはそう言ってはいられない。

 

(俺達の問題……だからな)

 

 パンを食べ終わると、一度、路地に通り抜け、大通りに出る。ここもまた平穏な人達で大盛況かと思ったが、案外そうでもないようだ。

 武装した幾つかの人の集まりが点在しており、何やら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。原因は分かっていた。

 第一層のボス部屋を早くも発見したとの情報が流れているのだ。早すぎる展開か、と思われるが、この世界は旧SAOを題材にした世界だ。迷宮区の実体や攻略の道筋はほとんど変わらず、ゲームクリアへの近道を知る者も多い。体験者もいるのだ。

 しかし、第一層のボス部屋の目撃情報があったからと言って、各パーティーの面々の表情が一変するとは思えない。恐らく、彼らが眼にしているのはフロアボス攻略に向けての招集があるのだ。もちろん、強制ではないだろうが、行くか否かで迷っているのだろう。

 ボス部屋を発見したからといって、ボスの力の領域が分かる訳ではない。つまり、未知との遭遇になる。嫌な予感が的中し、圧倒的な力の差を見せ付けられるかもしれないし、楽観的な身構えだけで勝てる弱小かもしれない。

 皆、恐れているのだ。自分の命が危険に晒されることを。当然といえば、当然な話だ。

 ここで、巡る思考を止める。足も止め、『生命の碑』の前に立った。

 見回せば、人の気配は無く、黒鉄に全方位を囲まれた宮殿の中は外の騒めきを取り込みつつも森閑としていた。

 見上げるほどに大きく、横長の黒い碑。

 

「百十二名……か」

 

 クリアした時、二度と拝むことはないだろうと思った、『生命の碑』。その外見は差し込む日光を反射して美しく綺麗であるが故に、死んだ者の名に死の印を付けるという悲惨で冷酷な碑だという事実を薄れさせる。

 一万五千に及ぶ名がアルファベット順にそこに刻まれ、「Neito」の文字も表記されている。その隣に表記された名には非情にも横線が引かれていた。

 

「……」

 

 知らぬ名だ。しかし、人が死んだことに嘘偽りはなく、それが誰かにとっては尊い何ものにも変えられない命だったという事は明白だ。

 ――ああ、今度は一番右から三番目の列にいた名に横線が引かれた。――ああ、今度は上で、下もか。

 一斉に死んだのだからパーティーを組んでいたのだろうか。こんな早くに組んでいたからには親しい関係だったのだろうか。モンスターに殺され、死んだのだろう。事務的に死因が表記された。顔も、本名も、分からぬ三人組は唐突にその命を絶たれた。

 ――そうか、今さっき、三人死んだのか。

 

「……っ」

 

 悲愴な表情を浮かべ、吐き捨てるように言いながら、ネイトは黒鉄宮を後にした。

 一度、拝んでおきたい。理由もなく、気紛れで訪れたが、来て良かった。

今も尊い命が無くなっている。それを身に染みて感じられた。戦場に赴く理由としては十分過ぎる。

 

 

 

 あれから、迷宮区を訪れ、『ルインコボルド・センチネル』や『フレンジーボア』を何匹か分からなくなるほど倒し、レベル9に達した。

 そして、奥に進むに連れて、マッピングで表示されるマップも広がり、まだ先のある道も何本か見えるが、目の前にはボス部屋に繋がる巨大な扉があった。

 レベリングとマッピングに夢中になってダンジョンを駆け回っていると、偶然見つけただけで攻略する気など無かった――筈なのに、出来心が足を一歩ずつ前に進める。

 

「……少しだけ、見るか」

 

 フロアボスはボス部屋の区画外に出る事は出来ない。一方でプレイヤーはいざとなれば、『転移結晶』で離脱が可能だ。ボス部屋には転移結晶使用不可なものもあるが、第一層のフロアボスでそんな鬼畜なことはしないであろう。

 『転移結晶』は非常に高価で今も一つしか手元にないが、悠長なことは言っていられない。最悪の事態は考えるべきだ。

 興味と衝動で大きな扉に手をそえる。押せば、この扉が開き、ボス戦が始まる。

 勝率は低い。だが、簡単に負けようとも思わない。

 ここで奴を倒せば、先程の死んでいった三人組は報われるだろうか。そんな整合性のない思いを抱きながらゆっくりと扉を押し開ける。

 薄暗い教会のようだ。部屋の第一印象はこうだった。

 だが、次の瞬間、天井と壁に統一性のない配置で張り巡らされた幻想的な色彩が部屋を照らし、部屋の全体を露わにする。両側に並び立つ支柱は一定の間隔を開けながら、部屋を挟む長方の形をしており、その奥に赤い巨体は佇んでいた。

 全長は人間の身丈を優に超え、肥えた腹と太い脚に驚くべき筋力があるのが分かる。左手に円状の盾を、右手に質素な金属製の斧を握っている。肘と膝に黒い金属の防具を付け、頭も兜で守っている。唯一剥き出しの腹も肉厚で簡単に刃が通りそうにない様に見える。強靭な尻尾にも注意が必要だ。

 聞いた情報に間違いはないようだ。旧SAOと全く同じ様相をしている。その頭上に表示された名、『イルファング・ザ・コボルドロード』が明らかな証拠だ。その付近には四つの体力ゲージが浮いている。

 『コボルドロード』によるけたたましい咆哮と共に『ルインコボルド・センチネル』が三体召喚される。こちらには一本だけの体力ゲージが浮かび上がった。

 幻想的な色彩の光に照らされた醜い巨大な『コボルドロード』と全身を防具で包んだ取り巻きの『コボルド』が同時に床を蹴る。

 

「来るんじゃなかったな……」

 

 弱音を吐きながらも、剣を抜き放ち、どう戦うべきかと頭を回転させている。

 低く重苦しい咆哮を上げて、『コボルドロード』と『コボルド』が地を蹴る。

 本来ならば、ここで離脱するべきだ。ボス部屋を目撃したパーティーはボスと対峙することを恐れ、部屋までには入らなかったという。そのパーティーが出来なかったことを単独で成し遂げ、ボスの情報は手に入ったのだ。これは大きな戦果となるだろう。

 しかし、心の底から湧き上がる猛烈な戦意が撤退を許さなかった。戦意の源は分からず、原因も分からない。 

 唯一つ言えることは、自分は今、この退くべき戦況で一戦を交えようとしているのだ。

 剣を構え、迫る三体の『コボルド』の内、一体に照準を絞る。多勢を相手にすると、どうしても、不利な面が目立つ。簡単に倒せる敵を確実に始末してから、強敵と対峙するのがセオリーだと思っている。

 従来ならこれを各プレイヤー、若しくはパーティーに分担するのだが、生憎ネイトは単身。全てを担う羽目になる。

 棒にごつごつとした岩を付けたような斧を『コボルド』が振り抜いた。その一閃を危なげなく避け、一撃で怯ませ、四撃目で仕留める。

 

「くっ」

 

 際どいところで、『コボルドロード』の斧を躱す。その巨体の背後に潜んでいた『コボルド』の急襲を返り討ち、すぐさま攻撃に転じた。

 片手剣のソードスキル、『レイジスパイク』で突進し、二体目の『コボルド』を撃破しながら、『コボルドロード』から十分な距離を取った。

 

「結構、厳しいな」

 

 積み上げた経験から命の危険を感じ、敵の情報を収集するのは断念する。

 敵の動きを把握しながら、退路を幾つか思い浮かべる。強引に突破。自分のHPを確認し、行けると確信する。

 ネイトが剣を握り直し、一瞬、退路の道筋へと視線を逸らした時だった。視界の端に驚愕の光景が映る。

 円盾を持つ手で垂直に跳び上がった『コボルド』の足裏を押し出し、一気に加速させる。全身を装甲で包んだ『コボルド』が恐ろしい速度で眼前に迫った。

 

「っ……!?」

 

 金属と金属が激しく衝突、火花を模したエフェクトが飛散する。

 強烈な衝撃で足が床から離れ、密着したまま背中を床に打ち付ける。目前に迫る『コボルド』は単なるデータでありながら、兜の内から殺気を孕んだ視線を向けてくる。

 力任せに『コボルド』を押し退け、自分のHPバーを一瞥する。まだ緑色だが、1割くらいは減った。

 一瞬の油断を悔いる余裕もなく、突貫してくる『コボルドロード』を迎え撃とうと剣を構える。しかし、右方から飛びかかってくる『コボルド』に気づけずにいた。

 

「しまった……ッ!」

 

 何とか剣で受け流し、『コボルドロード』へと向き直る。かなり距離を詰められた。対処を考える暇もなく、強引に背後に回り込む。

 行ける。退路が見え、走り出した。刹那、背後から凄まじい殺気を感じ、慌てて振り返った。

 地面ギリギリを振り抜かれた斧。考えるより早く、剣を盾に。

 全身を衝撃が駆け抜ける。吹き飛んだ体は何度も床を転がって、ようやく止まった。

 体を起こし、顔を上げる。追撃してくる様子はない。むしろ、剥き出しの戦意を薄れさせていた。

 敵達が落ち着いていく原因が分かるのにそう時間はいらなかった。ボスの部屋から出てしまっていたらしい。

 呆気ない脱出だったが、結果が良ければそれでいい。周りに敵の気配は無いので、一先ず、安心できそうだ。

 

「……はぁ、もう二度とやらないぞ」

 

 溜息をつき、そう強く決意を固めた。

 

 『はじまりの街』に帰った後、新しく追加された攻撃方法、『コボルド』を投擲する動作を掲示板に打ち込み、明日の第一層攻略会議に向けて、体を休めるのだった。



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episode3 第一層攻略会議

 デスゲーム開始から二週間が経ち、プレイヤー達の先に待つ死闘、第一層攻略は不安で一杯だが、同時に期待もあった。

 たったの二週間で第一層のフロアボスを倒せたという事実はゲームクリアへの希望になるはずだ。逆の不安は死への恐怖で間違いない。初っ端で返り討ちにあって、それがゲームクリアへの足枷になるという不安を懐く者などいないはずだ。

 そんなことを考えるのはきっと、本当の英雄か、偽善者だけだ。

 そして、そんな不安と期待を懐いたプレイヤーは不安を振り払って、『はじまりの街』の劇場に集った。

 第一層攻略会議。ネイトはこれが二度目になる。

 25人が観客席に座り、舞台に1人の攻略会議考案者が堂々と立つ。

 既視感だらけの攻略会議は、まるで、三年前の第一層攻略会議を真似たように見える。開催に入れる一言目もびっくりするくらいに似ている。

 

「それじゃあ、そろそろ始めさせてもらいますよー!」

 

 ざわざわとした話し声がぴたりと止み、劇場の付近に群がった野次馬の騒音だけが聞こえていた。

 二十歳か、それ以上の顔つきと雰囲気。髪の毛をこげ茶色に染め、ブロンズの防具で固めたどこにでもいる普通の青年だった。一見、彼からはプレイヤー達を招集して、纏めるほどの指導者のような風情は感じられない。

 だが、ネイトは彼を見知っていた。小さな村『ホルンカ』でパーティーに誘って来たあの青年だった。あの時の彼とはまた別人に思えてくる。恐らく、今の顔は表だ。そして、前に見せた顔が裏だ。

 

「僕の名前は、マルク。今回の指導者を務めさせてもらうよ! 早速、本題に入るけど……今日、皆に集まってもらった目的は他でもない。第一層のフロアボス攻略の作戦を立てるためだ。こんな危険なことを自主的にしてくれて、本当に感謝している」

 

 良く言えたものだ。内心ではそんなこと思っていないだろう。ここに集ったプレイヤー達を駒か何かと思っているに違いない。

 ああいう奴は学校生活の中で数え切れないほど見てきた。過度な自信家で、他人を蔑んで、自分の生まれた地位を自慢して。

 彼の言葉を参加者達が熱心に聞く中、まるで、興味のない音楽を聞き流すように冷めた表情でネイトは居座っていた。

 

「もう知っている人も多いと思うけれど、昨日、掲示板に新しい情報が入った。ボスの名は『イルファング・ザ・コボルドロード』。SAOの第一層フロアボスと全く同じ……という訳にも行かないようで、新しく攻撃方法が追加されたらしい。そのことも考慮した上で攻略会議を行いたい。ということで、先ずは皆にパーティーを組んでもらいたい。出来れば、3人から6人までで組んでくれ」

 

 予想していた通りの事態だ。あっという間にパーティーを組み始めた、いや、元から組んでいたプレイヤー達は其々の箇所に集まっており、気付けば、省かれ取り残された。

 既に親しい関係を築いたパーティーの中に割り込むだけの勇気はない。完全に置いていかれた、恥ずかしくて顔が赤くなりそうだ。

 

「なぁ、アンタ。1人か?」

 

 突然、上から降り掛かった声に顔を上げる。

 20歳か、それ以上の青年は良く聞こえる低い声だった。声の色は暖かく、印象は野性的で毒気がなさそうな感じ。第一印象は概ね好感触だった。

 

「あ、あぁ。アンタもか?」

「まぁな。どうだ? 省かれ者同士、組む気はないか?」

「……だな」

 

 一度、見回し、もう既にパーティーを組んでいないのは自分と彼だけだと察した。

 男は赤髪を光らせながら、気前良い笑顔を作った。彼ならうまくやっていけそうだ。そう確信したネイトも訝しめな表情を緩ませていた。

 視界のど真ん中に堂々と表示された画面。隣に座る彼がパーティーの申し出を出したのだ。その可否を問う画面だ。無論、認可のボタンを選択し、正式にパーティーが成立した。

 

「ヴェルフだ。よろしくな」

「ネイトだ。よろしく」

 

 二人は名を名乗り、がっちりと手を握り合う。

 全方位から向けられる視線を感じ、慌てて見回した。どうやら、握手するまでの過程を見られていたようだ。気恥ずかしくなって、何事も無かったような顔をする。

 6人のパーティーが2つ、5人のパーティーが1つ。3人のパーティーが2つ。最後に自分とヴェルフのパーティーだ。

 人数からして、取り巻きの『ルインコボルド・センチネル』の掃討に任命されるのは間違いなさそうだ。恐らく、2つの6人パーティーが『コボルドロード』と主な戦闘役を担い、その補助に5人パーティーが回る形になるだろう。取り巻きの『コボルド』の危険度は低く、一対一でも十分事足りるのでこの分担が妥当だろう。

 

「それじゃあ――」

「――あのっ!」

 

 全員の視線が一斉に移動する。

 集まった視線に少なからず驚いた注目の的の少女は恥ずかしげに頭を下げる。

 その容姿にプレイヤー達がざわつく。一人を除いて。

 

「――明日奈?」

「あれ。ネイト君?」

 

 

 

 

 

 

 攻略会議が終わり、場所は移り替わってNPCが管理するレストラン。時刻は丁度、夕食時だ。

 洋風な内装は現実のレストランに激似しており、馴染み深いことから客も多い。料理はこの世界特有の物が多いが、現実の料理も少々、取り入れられている。

 事実、三人が囲う卓には見慣れた料理が置かれていた。断片が綺麗なサンドイッチやホワイトソースのグラタン、ネイトの前にはこんがりと焼き上がったムニエルがあった。

 三人、ネイトとヴェルフとアスナは食事を兼ねつつ親睦を深めようとこの場に集まった。

 しかし、親睦会の雲行きは怪しく、その原因にネイトがいた。開始早々からネイトは眉を寄せ、近寄りがたい空気を身に纏っていた。

 ヴェルフは攻略会議でアスナが途中参加してきた時からネイトに異変を感じていた。その様子がレストランに来ても、悪化しているようで、様子が変わった原因はアスナとの関係にあると踏んでいた。故に場を和ませようと必死だった。

 

「その……明日は『コボルド』の相手をするだけだから……き、気軽に行こうな」

「そうですね。油断はできませんけど」

「……」

 

 アスナは初対面にも関わらず、気分の良い返しだ。それに比べて、ネイトは聞く耳を持たず、食事にすら手を付けない。その眉は寄ったまま、顔は険しいばかりだ。

 ついに痺れを切らしたアスナが忠告する。

 

「もうっ、ネイト君? 言いなさいよ。何があったの?」

「……アスナがここにいる理由、聞いてもいいか?」

 

 視線は合わさず、険しい面持ちで言った。思わず、拍子抜けな表情の後、この事がネイトにとって、どれほど気がかりな事だったのか、と想像すると、彼の怪訝な表情にも十分に納得できた。

 

「そっか……話してなかったね。SAOで死んだ時からずっと……この世界に来るまでの記憶がないの。でも、一度だけ……一度だけね。キリト君の声がしたんだ。またSAOの世界で会おうって言ってくれた気がするの」

「……キリトが?」

「うん。でも、キリト君とまだ会ってないのよ……全くどこほっつき歩いているのかしら?」

「そうか……キリトが……」

「もう、大丈夫?」

「あぁ……悪いな。すまん、ヴェルフ。変な空気にしちまって」

「いいや、構わないぜ。それより、2人の関係を聞いてもいいか? 気になって仕方ねぇんだ。アスナちゃんって、あの『血盟騎士団』の副団長だった人だろ? そんな凄ぇ人とパーティーのメンバーが関係を持ってんだ、そりゃ気にならない方がおかしいぜ」

「幼馴染なだけ(・・)だよ。小学校と中学校が同じだったの」

 

 ――幼馴染なだけ(・・)か。そう、俺とアスナの関係はそれ以上でもそれ以下でもない。アスナにとっては。

 

 でも、俺は違う。

 

 偶然見かけた彼女の泣く姿を見て、令嬢の事情や悩みを聞いて、初めて他人に何かをしてあげたいと思った。気付いた時にはそれが初恋になっていて。

 

 彼女の傍にいたくて、SAOの世界に飛び込んで行った。

 

 けれど、彼女の傍にいたのは俺じゃなくて、キリトだった。

 

 これが、人生初の失恋で、初恋は虚しく終わってしまった。

 

 きっと、俺は今でも彼女が好きだ。

 

 だから、彼女に真実は伝えない。第二のデスゲームの火蓋を切ったのがキリトだとは絶対に言わない。

 

 もう、彼女の泣き顔は見たくないから。

 

 

 

 

 

 

 アスナの一言でネイトの帰り道は大きく変わった。

 彼女は攻略会議に途中から参加した為に抜け落ちた情報が欲しい。それと同時に久しぶりに話がしたい、とのことだった。

 無論、ネイトはこの誘いに乗り、2人は肌寒い夜の、ほんのり明るい道を並んで歩いていた。

 

「そういえば……アスナが遅刻って珍しいな」

「あぁ、そのぉ……えっと……色々あってね」

 

 彼女が話を濁す一瞬に僅かな怒気を感じ、詮索を止めた。思い出すだけで立腹するような出来事、なんとなく想像が付いた。

 SAOに関わらず、今回のSAOⅡもやはり、女性の割合は極端に少ない。その中で美貌な女性を見つけた軟派な男が寄ってきたのだろう。その男達が強引だったのか、執拗だったのかは定かではないが、返り討ちにあったことは先ず間違いない。

 一番恐ろしい生き物は人間の女だと言い始めたのは一体、誰なのだろうか。案外、的外れでもなさそうだ。

 などと、冗談交じりに考えていると、アスナが帰り道に同行をお願いした第3の理由かもしれないと、一人考えていた。アスナに頼られているのか、馬鹿げた淡い妄想で勝手に喜びを感じながら、自嘲する。

 

(何考えてんだ、全く……)

「ねぇ、ネイト君。どうせなら、フレンド登録しない?」

「ああ、そうだな。……あれ?」

 

 メニュー画面を開き、いつも通りにボタンを押していくが、フレンド登録の項目が見つからない。間違ってはいない筈だ、ともう一度、メニュー画面を開き直し、ボタンを押していく。

 

「あっ。それはね、アップデートで変わったらしくて……」

 

 そう言って、不用意にネイトの開くメニュー画面を覗き込み、ボタンを淡々と押していく。

 近い。鏡のように輝く艶やかな栗色の髪の毛が鼻をくすぐる。鼻の痒みを忘れてしまうくらいの淡い柑橘系の香水にどぎまぎする。

 頭が真っ白になっている間にも彼女はフレンド登録をさっさと済ませてしまったらしく、フレンド登録の完了のメッセージが届き、名のないフレンド一覧に「Asuna」の名が追加された。

 それから2人は懐かしい子どもの頃の話やSAOでの出来事を話し合いながら、静かな街を歩いた。

 『はじまりの街』には2つしか宿屋がない。その内の1つが見えてきた。アスナが今夜、泊まる宿だ。

 

「ネイト君は明日のこと、どう思う?」

「絶対に勝つ……みんなの為にも」

「そうだね。今日はありがとね。ここまでで大丈夫だから」

「そうか。じゃ、またな」

「明日、頑張ろうね」

「あぁ」

 

 彼女は振り返ること無く、宿屋の中へと入っていった。

 胸の高鳴りも消え、意識はしっかりと明日に向かっている。

 心配ない。きっと、上手くいく。岩をも通すような強い信念になるよう、必死に言い聞かせながら、薄い影を伸ばしながら、ほんのり明るい帰り道を静かに1人で歩き出した。

 

 

 

 明日に待ち構える第一層攻略に胸を弾ませ、得物の刀身を撫でる。NPCから買った武器だが、何時かは自分で素材を手に入れて自ら愛刀を作りたいという野望がある。

 その為にも明日の攻略戦でネイトとアスナ、二人をしっかりと見極めたい、という密かな思惑もあった。

 

「不謹慎かもしれねぇけど……明日、楽しみだな」

 

 

 

 宿屋の一室に入るや否や、ベッドに蹲り、曇った表情でまるで、深い穴に沈んだように落ち込んでいる。

 密かに好意を抱く彼の存在を知らず、ピンク色に光る唇から漏れる声は確かに人の名を呼んでいて。

 

「キリト君……どこにいるの?」

 

 

 

 窓から見える静かな街の夜は心を落ち着かせ、渦巻き交錯する複雑な感情を取り除こうとしてくれる。

 それでも、思い悩まれる事実はネイトの心に棲みつき、感情を掻き回す。

 

「死んでなかったのか? ……アスナ」

 

 

 

 其々が各々の想いを心に滲ませながら、彼らの向かう明日には第一層攻略戦が待ち構えていた。



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episode4 黒の剣士

 遺跡のような迷宮区を死傷者なく、通り抜け、マップに従って進む事、数十分。

 30人近くのプレイヤーの前に現れたのは、異質な空気を漂わす巨大な扉。ボスが待ち受けていると言わんばかりの威圧感を放ちながら、プレイヤー達を歓迎していた。

 先頭を切っていたマルクの足が止まる。無言で振り返り、皆が立ち止まるのを待った。

 前口上が始まる。

 

「皆、聞いてくれ。今から僕たちはゲームクリアへの一歩を踏み出す! 恐れることは無い。僕たちは強い――勝つぞ、皆の為にッ!」

 

 マルクの気炎を燃え上がらせるような前口上にプレイヤー達が勇ましい声を張り出す。

 懐かしい。多くの人達が一つの目的に向かって大きく声を上げる光景。見るだけで心が洗われる不思議な力をもった光景だ。

 郷愁に近い感情はボスの部屋の前に置いていこう。邪念はいらない。これから始まるのは紛れもない命を懸けた、ゲームクリアの嚆矢の良し悪しを決定する大事な死闘だ。

 鉄の扉が重々しい音と共に開き、続々とプレイヤーが流れ込む。

薄暗い部屋。気配は感じられない。

 見知った場所であるからこそ、ネイトは逸早く赤金色の2つの点が奥で光るのを見た。ボスの眼だ。

 転瞬、照明が照らされ、幻想的な広間へと早変わりする。どよめくプレイヤー達を他所に赤い巨体、『イルファング・ザ・コボルドロード』は咆哮を上げ、開戦を告げた。

 

「攻撃開始ッー!!」

「「「おおおおぉぉーーっ」」」

 

 ネイトが予想した通り、2つの6人パーティーが『コボルドロード』目掛けて駆け出し、5人パーティーがそれに続く。残された3つの3人パーティーが突如、出現した3体の『ルインコボルド・センチネル』を相手取る。

 E隊に配属されたネイト・ヴェルフ・アスナの3人は合意の上、1体の『コボルド』に照準を絞った。

 取り巻きの『コボルド』を危険視するほどの脅威はなく、一対一(サシ)でも十分だ。だが、A、B、C隊が全意識を『コボルドロード』に集中させるため、取り巻きの『コボルド』は害でしかない。これを完璧に防ぐため、3人がかりで『コボルド』を押さえるのだ。

 暫定の攻略組なために経験値はラストアタックをしたパーティー ――止めを刺した隊――のものとなり、完全に優先される。その為、『コボルド』を倒した分だけ、それ相応の報酬が手に入る訳だ。

 開戦から十分と少し。『コボルド』を倒した総数は大よそ、10体。その内の4割がネイト達の努めるE隊の戦果だ。

 そして、今、5体目を仕留めようとしていた。

 

「スイッチ!」

 

 ネイトの一寸の狂いもない『パリィ』に素早く対応したアスナが無防備な『コボルド』へと速攻の刺突を繰り出す。驚くべき敏捷値を持っているらしく、その剣先は目で追うのも難しい。

 2人にはまるで、不可視な合図が見えているかのようで、その連携はヴェルフが圧巻するほどだった。

 『スイッチ』とは、1人目が敵の攻撃を弾いたり、無効化したりするなどして隙を作り、2人目がその隙に攻撃を仕掛ける単純明快なコンビネーション攻撃だ。これは、プレイヤーが攻撃の後、硬直し無防備になる欠点を補うために考案された。

 見かけで簡単だと判断しがちだが、案外難しい。片方のリズムが崩れれば、一瞬で体勢は崩れ、失敗する。仲間の命を預かる緊張感と預けられる信頼関係が無ければ、まず成立しない。

 

「すげぇや」

 

 感嘆の声を漏らすほど、ヴェルフに暇はなく、直ぐにネイトから檄が飛んだ。

 

「ヴェルフ! 次、来るぞ! 」

「お、おう!」

 

 再び現れたコボルドにネイトが突貫していく。その走る姿には何の躊躇いも感じられない。ヴェルフはその背中を追い駆けながら、密かに高揚を感じていた。

 ネイトはコボルドの先手をひらりと躱し、足に1撃、頭に2撃加える。少し距離を離したかと思えば、直ぐに接近し、剣を振り上げた。コボルドの斧が打ち上げられた、見事な『パリィ』だ。

 

「スイッチ! おりゃああ!」

 

 ヴェルフは無防備なコボルドを斬り付け、更にコンボを続け、最後だ、と言わんばかりに刀を思い切り振り下ろす。

 青い光となって散ったコボルドを見つめ、大きく息を吐く。

 

「良い調子だな、ヴェルフ」

「まだまだいけるぜ」

「二人とも……そろそろボスが」

 

 アスナに声にハッとした2人がアスナの視線を追う。

 

 ――グォォオオオ!

 

 けたたましい咆哮。コボルドロードのHPバーが残り一段となり、赤色に変わる。予期通りであれば、ここで奴は武器を変える。しかし、次の武器が何なのか、それが問題だった。タルワールか、野太刀か、または全く異なる武器か。

 斧と円盾を投げ捨てられ、コボルドロードが腰に両手を回す。光に包まれた両手の先、ネイトは光が消える直前で既に驚愕していた。

 

「両手!?」

 

 光が消え、武器が露わになる。鈍い光を放つ鉄の野太刀を両手に握り、交差させる。似つかない攻撃モーションにA、B、C隊の全員が恐れ戦き、恐怖が支配する。

 見かけによらない速度で駆け抜け、両の手の野太刀を振り抜いた。4人が同時に吹き飛ぶ。そのHPバーは奇しくも瀬戸際で止まった。

 想像を遥かに超えてきた。全く異なる武器とは一味違って、野太刀を2本握るとは。背筋が凍るほどの驚愕かつ、作者の憎々しい下衆な顔が目に浮かぶ。

 

「くそッ! アスナ、ヴェルフ……行けるか!?」

「うん!」

「どうにでもなりやがれ!」

 

 一対の野太刀を振り回すコボルドロードは尚もプレイヤー達を吹き飛ばし、軽々と2人目を死に追いやった。そして、3人目を睨み付け、右の野太刀を振り下ろす。

 間に合わない。誰もが野太刀を振り下ろされる3人目の彼の死を予想した刹那、野太刀は小さな盾に阻まれた。

 蛮勇な意志で駆け付けたのは、マルクだった。振り下ろされた野太刀を辛うじて受け止め、歯を食いしばりながら、徐に減り続けるHPバーを見て、顔を顰める。

 

「アイツ……!」

「急がないと!」

 

 もう1本の野太刀を振り下ろされれば、間違いなく、あの2人は死ぬ。何が何でも阻止せねば。

 ネイトのHPバーは1割減っているだけ。奴の斬撃を受けても、死ぬことはないだろう。確実性はない、根拠のない推測だ。それでも、駆ける足は止めない。覚悟は決まった。

 

「アスナ! ヴェルフ! 後は……頼んだぞ」

「ネイト君!?」

「ふざけんじゃねぇぞ!」

「これしかねぇだろッ――行くぞ!」

 

 否応なしに2人を攻撃側に指名する。自分は捨て身で隙を作る役を買って出た。

 赤金色の眼がこちらを向く。右の野太刀はそのままに、左の野太刀を振り翳した。ただならぬ恐怖、今から自分の身は、あの鉄の太い野太刀と激突する。恐ろしい速度で迫る野太刀、その切っ先は地面ギリギリを駆け抜けた。

 

 ――大丈夫だ! ――衝撃を逃がせば、死ぬことは……ない!

 

 剣を構え、身をよじる。一瞬という言葉すら生ぬるい時間。爪先から頭頂部までを凄まじい衝撃が走り抜け、体が浮き、計り知れぬ力に押し出されて、吹き飛んだ。

 支柱に叩き付けられ、倒れ込む。揺らぐ視界でHPバーを確認する。命を可視化した緑色のバーは瞬く間に減って黄色に変わり、赤色に変わり、すんでのところで止まった。

 本気で死ぬかと思った瞬間を体験したにも関わらず、意識は既にコボルドロードへと向いていた。

 アスナの熾烈な刺突、ヴェルフの剛毅な一閃、そして、再び入れ替わったアスナがソードスキル、『リニアー』による鋭利な刺突がコボルドロードのHPバーを左の奥へと押し込んだ。

 転瞬、断末魔の咆哮。プレイヤー達を恐怖のどん底へと落とし入れ、2人の尊い命を奪った真っ赤な巨体はポリゴン片となって散り、消えた。

 この瞬間、プレイヤー達は真っ暗闇な恐怖から解放される同時に大画面に皆が目視できる位置に堂々と「CongratuLation‼」と表示され、フロアボス攻略の賞賛が届けられた。

 巻き起こる大歓声を誰もが心地良く、聞いていた。歓喜の声は暫くボスの部屋に鳴り響き、衰えることはなかったという。

 

「終わった……な」

 

 この30分で蓄積した疲労をすべて吐き出すような溜息を吐き、体を起こす。いたずらによる拳打で無くなってしまいそうなHPバーを一瞥し、さっさとポーションを取り出し、飲み干した。見る間に増えていくHPバーを見て、一先ず安堵し、振りかかった声に顔を上げる。

 

「ネイト君! 大丈夫!?」

「……何とかな。良かったな、ラストアタック。ボーナスアイテム……どんなだった?」

「えっと……『ベスティア・ファング』。残念、直剣だから私は使わないかなぁ。ネイト君にあげるよ」

「良いのか?」

 

 アスナは微笑んで、首を縦に振った。

 

「喜んでいただくよ。でも、後でな。今は……余韻に浸りたい」

「……そうだね」

 

 プレイヤー達は各々で余韻に浸っていた。喜びを分かち合う者、上がったレベルを見せ合う者、亡くなった2人に哀悼を注ぐ者も。

 そんな彼らを眺めながら、ネイトは余韻に浸るのだ。大声を上げて喜ぶわけでもなく、感動のあまり嬉し涙を流すわけでもなく、ただ達成感に包まれながら彼らを眺めるだけで。

 眺める喜ばしい景色を遮るように男が嬉々とした表情で駆け付けてくる。赤髪の男、ヴェルフだ。

 

「お疲れさん。こんなところで、悪いが……二人に話したいことがあるんだ。実は俺、2人に――」

「――ヴェルフ」

「ん? 何だよ?」

「その話、後にしよう」

「何でだ……よ――えっ?」

 

 アスナとネイトの表情が一瞬にして驚愕と狼狽の色に染まったことでヴェルフは反射的に視線を追った。

 直後、部屋の中央に大画面で表示される「Warning」の真っ赤な文字。大胆に表現されたその意味は警告。つまり、まだイベントという名の死闘は続く。

 場にいる全員が凍り付く。波紋のように広がる警告音は頭の中で執拗に鳴り響く。

 再び恐怖のどん底に落とし入れられたプレイヤー達の中で驚くべき声が上がった。

 

「おい! 嘘だろ!? 扉が開かねぇ!」

 

 完璧に閉じ込められた。第二層へ続く入口も鋼鉄の柵が阻んでいる。

 緊急の事態にプレイヤー達から怒号や恐怖の声が上がる最中、青と白の光に包まれて出現したそれは漆黒の闇を思わせる剣と白い氷雪を思わせる剣を両手に握り、全身を装甲し、その真っ黒な体は当初の様子とは違えるが『黒の剣士』という名に相応しい。

 彼が両手に握る『ダークリパルサー』と『エリュシデータ』を見飽きたほどに視界に収めてきたアスナは最速で彼の名を呟いた。

 

「キリト……君?」

「……え、キリトってあの? ……おい、冗談じゃねぇぞ」

「ねぇ、ネイト君……キリト君とは……」

「関係ない。キリトと関連はあっても、キリト本人とは関係ない。多分、作者のサプライズだろうな。元々、SAOを題材にしたゲームだから、SAO最強の剣士という名を欲しがる奴もいる筈だ、って考えたんだろうな。それをサプライズとして裏ボスに控えさせた。ゲームとしては、良い案かもしれないが、皮肉なもんだな……今の状況じゃ、迷惑だ」

「だよね。キリト君じゃないよね……良かった」

 

 ネイトはそう尤もらしい理由を述べたが、内心は反対の意見だった。自分も心の底から彼ではないと、そう願いたいが本人である可能性は高い。ゲームマスター自らがボスとしてプレイヤーの前に出ることは珍しくないだろう。SAOもそうだった。

 まだ推測だが、ネイトはほぼ確信に近いものを握っていた。そう思えるだけの節がネイトにはあった。

 しかし、今問題視されるのはあれがキリト本人なのか、そうで無いのかという事ではない。目の前にいる脅威はこの場にいるプレイヤー達にどれほどの被害を与えられるのかはなんとなく想像ができる。

 真っ黒な鎧に身を包んだ剣士はキリトと全く同じ構えを取った。直後、頭上に『黒の剣士』と名が表示される。1段だけのHPバーも追加された。

 

「お、おい……どうするんだよ」

「まだ死にたくねぇよ」

 

 こうなった以上、立ち向かえる者は限られる。ここまで先頭に立ち、指揮を自ら行ったマルクでさえ、怖気づいている。今の彼には絶対的な指揮権が与えられており、且つ、今ここで指示して人を動かせるのは紛れもない彼である。彼を発破して、指揮させ、この場を乗り切るということも出来なくはない。

 だが、怖気づいた指揮者に的確な指示ができる筈がない。彼の性格を分かっていたネイトには尚更できないだろう、という結論に至った。

 しかし、誰もが恐怖するこの状況で歓喜にも似た感情が沸き上がり、ネイトを昂ぶらせたのだ。

 

「俺が1人でやる……皆は下がっていてくれ」

 

 プレイヤー達が血の気の引いた顔でネイトを凝視する。そして、『黒の剣士』の視線もまた彼を向いていた。

 

「駄目だよッ! ネイト君!」

「いくらお前でも……!」

「大丈夫……簡単に負けるつもりはない」

 

 その殺気にも似た気迫に敵意を向けられていないアスナ達でさえ、命を脅かされたような悪寒が走った。初めて感じた彼の尋常ならざる気迫に本能が手を出してはいけないと告げている。

 その言葉の直後、ネイトは剣を引き抜き、1人で『黒の剣士』の前に出た。

 沈黙が支配するこの場には剣士2人の間に踏み込むだけの勇気を持つ者はおらず、誰もが言葉を失って見入っていた。

 負けることは許されない。この後の為にも、約束の為にも。

 同種と殺し合う時、生き残るのに必要なのは、強気な攻め。少しでも迷えば、生死を左右する。

 

 ――迷うな。――殺す気でかかれ。――コイツ(キリト)は罪人だ。

 

 刹那、両者共に地を蹴った。



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episode5 闇に落ちた英雄

『ベスティア・ファング』:濃い緑色の刀身に切羽には獣の剛毛が飾られた片手用直 剣。『イルファング・ザ・コボルドロード』のラストアタックボーナス。



 同時に駆け出し、馳せ合う時、思い出された言葉がネイトの頭の中で響く。

 

『SAOⅡで待っている』

 

 SAOが見事に終幕を迎え、同じ病院に居る筈のアスナを弱り切った足で探し回った。アスナの死を知らされるとも知らずに。

 長く辛いリハビリを終え、生活できるまでに至ったネイトは怒りの形相でキリト、桐ヶ谷家を訪問した。理由はアスナの死の真相を和人から聞き出すため。ヒースクリフ――茅場晶彦の仮想世界での名――との決戦でアスナの身に何があったのかを、彼女の最期をこの耳に入れる為に。

 しかし、彼は無言のまま、彼女の死を受け入れようとはせず、視線すらも合わせなかった。その態度に思わず、ネイトは怒号していた。初めて胸倉を掴んだ感覚は今でも鮮明に思い出せる。

 そして、部屋を出る間際、聞いた言葉だった。

 彼と一瞬後には斬り合う今になって、ようやくあの時の言葉の意味が分かった気がする。

 

(宣戦布告ってわけか。気になるのは動機だが……今は関係ない!)

 

 思索を切り、眦を鋭くする。

 剣の軌道を見切り、体勢を崩すことなく避け、剣を振り翳すも2本目の剣を見咎め、素早く対処にかかる。

 打ち合う剣。本来の『ダークリパルサー』ならこの一撃で『アニールブレード』は砕けるか、ヒビが入るか、目視できるほどのダメージを負うのだが、どうやら、流石にパラメータは抑えられているようだ。

 だが、片手直剣と双剣の間には確かな差が生まれる。それは単純に剣の数だったり、耐久値の減少する割合だったりと痛手になる。双剣は扱いにくいという点があるが、彼に関しては論外な話だ。ユニークスキルでないが為に攻撃力は減少し、かなりの利点を失くしたが、それでも片手直剣との差は見上げるほどにあった。

 事実、『エリュシデータ』は自由を謳歌しており、ネイトの『アニールブレード』は鍔競り合っている。言うまでもなく、『エリュシデータ』がネイトを襲う。

 

「くっ」

 

 紙一重で黒い剣が頭上を過ぎ、危機を感じたネイトが距離を取る。だが、それはたったの数秒で詰められた。

 果敢な間髪容れない攻め。手数の少ないこちらとしては厄介だ。序盤から欠点を突き、確実に急所を狙ってくる。やはり、SAO最強の剣士の名は伊達ではない。

 顔を顰めながら、1撃目を防ぎ、2撃目を受け流す。3撃目を危険と判断し、バックダッシュ。何とか免れた。

 息をつく暇もない猛攻に苦渋の表情になりながらも、内心で嬉々としていた。

 SAOで名立たる存在にはならなかったが、ネイトは攻略組に匹敵するだけの力を持っていた。故に黎明期の今に若干の物足りなさがあった。仮想世界での職種とはいえ、然るべき剣士の在り方なのかもしれない。

 だが、今欲するのは然るべき剣士ではなく、敵を上回るだけの圧倒的な力。単純に力を求むのではなく、何なら驚異的な英略でも、詐欺師紛いの狡猾さでも、勝利の女神から授かる強運でも良い。兎にも角にも、賞賛など必要なく、ただ純粋に勝ちたいのだ。一対一(サシ)で。

 ソードスキルで格好良く一撃で仕留めるなどという英雄染みた勝利は出来ないであろう。先ず間違いなく、硬直の隙を狙われて、呆気無く殺される。

 やはり、じわじわと攻め、隙さえあれば、あの黒い鎧を蔑ろにするほどの一撃を叩き込むというのがベストだろう。その為にもまず、あの2本の剣に対処しなければなるまい。

 

「クソッ!」

 

 言うは易しか。2本の剣に対応できるだけの反応速度はなく、今のところ悪態を突くばかりで防戦を強いられている。

 何とか避けてきたが、先程から剣の腹で受けることが多くなっている。HPも少しずつ減ってきていた。

 袈裟切りを受け、右切上を跳び退いて逃れる。最後の刺突も驚くべき動体視力で見極め、剣の腹で軌道を逸らした。その後、放物線を描くようにして大きく後ろに跳んだ。

 流石にこの距離を一瞬で詰めるだけの敏捷値はない筈だ――そう思っていたからこそ、一瞬で眼前に迫った時、体の反応が遅れた。

 

「嘘だろ――ッ!」

 

 精神的な動揺と攻められる恐怖で引き下がろうとしたのが、間違いだった。

 見たことのあるソードスキル、重突進技『ダブルサーキュラー』。剣が赤色に光った直後、『黒の剣士』は強烈な突きを勢いに任せて、放ってきた。奇しくも剣で防いだが、大きく弾かれる。

 これがソードスキルの1撃目だと察した時、背筋を冷たいものが奔った。

 

「――ッ!」

 

 剣を弾き、無防備な状態に晒し、地面ギリギリを駆けるもう片方の剣を強烈に振り上げる。

 ネイトの胴を縦に1本の切り傷が走り、赤が舞った。激痛に耐え切れなくなって負けるという流れにならないのが唯一の救いか。

 ソードスキル発動後の硬直を狙って反撃に出るのも容易いが、あの鎧を打ち抜ける技は持っていない。一度退くべきだと冷静に判断した。

 

「……次はないな」

 

 真っ赤なHPバーを見て、苦笑する。これで、2度目の死期を免れた。案外、運は味方をしてくれているのかもしれない。

 ポーションを取り出し、飲もうとすると、『黒の剣士』が駆け出した。まだ半分しか飲めていないが、構っていられない。ポーションが入った瓶を投げ付け、急いで構えを取った。

 駆け出す。攻勢に打って出る。それも派手に。

 先程までずっと難点だった片手直剣と双剣の間に生まれる差をまるで、忘れたかのような疾走。自暴になった訳ではない。事実、その口角は吊り上がっていた。

 投げ付けられたポーションを剣で粉砕し、『黒の剣士』が双剣を構えて迎え撃つ。

 剣を突き出し、突進。これを容易く上に弾かれるが、勢いは止めず、そのまま体当たり。踏鞴を踏んだ『黒の剣士』の腹に強烈な蹴りを入れ、袈裟切り。惜しくもこれは剣で受け流された。

 しかし、動きは良い。勝率が確かに上がったのを感じ、この攻めで行こうと腹に括る。足、肘、頭なんでもいい。相手が2本の剣で戦うならこちらは1本の剣と全身を武器にする。部位欠損を狙われる可能性があるが、構っていられない。

 一瞬の静寂、瞬く間に両者が疾駆する。勢いを乗せた斬撃は相殺に終わるが、即座に入った鍔競り合いは余った剣を振るう事で『黒の剣士』が上回る。

 

「らぁっ」

 

 一歩下がり、地を蹴る。下段からの振り上げを難なく避けられた。足を狙った切り払いを垂直跳びで逃げ、剣を振り降ろすも容易く防がれる。

 矢継ぎ早に変化する激しい剣戟にもつれ込み、目が追いつかないほどの激しい斬撃の打ち合いなのだが、両者一歩も退かないという訳にもいかず、ネイトがやや劣勢になりつつあった。周りで呆気にとられるプレイヤー達でもその差は十分に理解できた。

 

「ハァアアッ!」

「ヅッ」

 

 猛然たる剣戟の最中、跳んだネイトが意表を突いた鋭い突きを放った。その剣先は僅かに兜を掠めるが、十分な進歩と言える。これは初めて剣が敵の身体に触れた攻撃でもあるのだ。

 しかし、鋭い突きを放った剣は籠手に握られ、床に押し付けられた。そのまま、剣で押さえこまれ、身動きが取れなくなる――かと、思われた刹那、ネイトは剣を手放し、腰を捻って猛烈な蹴りを頭に叩き込んだ。

 

「「「おおっ」」」

「すげぇ!」

 

 ネイトの曲芸に似た動きに歓声が上がる。

 床を転がり、起き上がる『黒の剣士』の千鳥足を見たネイトは確信する。

 

(脳が揺らいであの動き……間違いないな、あの動きは人間だ)

 

 頭を振り、視界を正常に取り戻した『黒の剣士』が双剣を交差させて構える。その燃え上がるような闘志は衰えていないようだ。

 剣を拾い、疾走する。猛攻を避けるか、防ぐかのどちらかでやり過ごし、時折見せる反撃で微々たるダメージを与える。依然として凄まじいスピードで繰り広げられる代わり映えのしない剣戟が続く。

 しかし、膠着していた流れに次の瞬間、動きが見られた。支柱を足場にして跳び上がった『黒の剣士』。ネイトは固い支柱に剣をぶつけ、激しい痺れに顔を顰めながらも、『黒の剣士』の行く先を目で追う。

 永遠のような一瞬。視線を絡み合わせた両者は視線の激突による不可視な火花を散らせ、互いの気迫をぶつけ合う。

 そして、急激に『黒の剣士』の剣戟は加速に加速を重ね、ネイトを追い詰めていく。『黒の剣士』が兜の内から目を光らせた。足をすくわれ、転倒したネイトの頭の僅かに左を剣が突き刺した。

 悪寒が全身を駆け巡る。冗談じゃない。

 剣を床に滑らせながら、突貫してくる。強烈な斬撃を防ぐが、体勢が崩れる。視線が合う、確かな殺気だ。

 剣が迫る。死が具現化されたように見えた。

 

 ごめん、アスナ。約束……果たせそうにない――。

 

「――ネイト君!」

 

 瞬間、死を悟った目は眦を鋭くし、瞠る。アスナの手から投げられた細長い飛来物。

 死に物狂いで身をよじり、斬撃を間一髪で避ける。剣は床に突き刺さって固定され、『黒の剣士』の自由を奪った。

 しかし、強引に振り上げ、床から抜き出した。

 閃く剣。大きく弾かれた剣。もう1本の剣が迫る、これを避ける術はない、しかし――防ぎ、反撃する術ならある。

 新たな剣の柄を掴み取り、『エリュシデータ』を弾き返した。

 アスナから受け取った剣――『ベスティア・ファング』と『アニールブレード』を両の手に握りしめ、咆哮を上げた。

 

「あぁあああーーッ!!」

 

 剣と鎧の衝突で起きる音がネイトの振るう双剣の速度を物語る。

 渾身の連撃は見る間に加速し、全方位から放たれる剣が華麗な剣光となって交錯する。

 高速の剣戟に耐えかねた鎧が粉砕し、破断した。

 直後、青白い光が部屋中を行き渡り、ポリゴン片となって『黒の剣士』は幻であったかのように消えた。

 一瞬の静寂の後、嵐のような歓声が巻き起こる。突然、閉まった扉は再び開いた。部屋から溢れ返った歓声は第二層へと波のように押し込まれた。

 しかし、英雄を謳う栄典の中、当の本人は意識が途切れ、その場でひっそりと倒れ込んだ。

 意識が途切れるまでに彼が見た最後の景色は狼狽えた表情のアスナだった。



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episode6 不協和音

 第一層フロアボスの攻略後、突如として現れた黒の剣士はプレイヤー達に攻略への恐怖感を植え付け、消えてしまった。

 亡くなった2名はあの後、第二層の主街区にて手厚く弔われた。その後、暫定の攻略チームは何事も無かったかのように解散。後に発足した『英姿颯爽』と『タレント・オブ・ザ・スター』というギルドが先陣を切って攻略に挑んだ。

 そして、事件は起きる。第十五層で『タレント・オブ・ザ・スター』は突如、解散を告げた。第十五層のフロアボス、『ザ・ポイゾナス・スパイダー』を倒した後、黒の剣士は再び現れたという。激戦の結果、生存者はたったの3名、解散を余儀なくされたとの情報がネイトの耳に入っていた。

 ネイトはソロプレイヤーとして活動を続けているものの、何度かギルドと協同して攻略に参加していた。しかし、黒の剣士との再会はなく、第十五層フロアボスの攻略にも参加していなかった。

 その為、解散の原因を聞いた時は心底、後悔した。それからというもの何度も第十八層に至るまで攻略に惜しみなく参加したが、黒の剣士との再戦は果たせなかった。

 しかし、その黒の剣士との再戦を望む姿を見た誰かがネイトを『白の剣士』と名付け、いつの間にか異名としてプレイヤー間で呼ばれていた。

 そして、今日は明日に第二十層攻略を控え、其々のギルドが忙しなく働いていた。

 

「……ネイトは明日の攻略に参加するのか?」

 

 ヴェルフは高品質な金槌で剣を叩き、高い『鍛冶』スキルで片手用直剣『イフリート』を作った。

 ヴェルフに問いかけられたネイトは真剣な面持ちのまま、カウンターに頬杖を突いて、3か月前になる話を振り返っていた。

 第一層攻略戦の後、ヴェルフはネイトとアスナに大事な話と称して、『はじまりの街』にある親睦会で立ち寄った洋風レストランに呼び、言った。

 

『俺は最前線で戦える鍛冶師になりたい。そして、2人と専属契約を結びたい』

 

 彼の職人気質で気前のいい性格を知っていたネイトはこの申し出を喜んで引き受けた。もちろん、アスナも引き受けた。2人はヴェルフとフレンド登録し、形だけだが専属契約を結んだ。

 専属契約と言ってもNPCや他のプレイヤーから武具を買うことが許されない訳ではない。特に彼から出された規則はなかった。専属契約を結ぶことで鍛冶に精が出るということらしい。戦いばかりを続けてきたネイトには理解し難い考え方だ。

 ここでネイトは現実に引き返してきた。ヴェルフから『イフリート』を受け取り、一振り。「良い剣だ」と呟いてから雪のように白い直剣、『フェンリル』と交差させる様にして納刀した。

 

「あぁ、もう『英雄颯爽』のリーダーにも言ってある。ヴェルフは? 行かないのか?」

「ん、ああー。ちょっとな……」

「まさか……昆虫がダメなのか?」

「う、うっせぇ。そのなぁ、ちょっと苦手なだけだっ」

「マジかよ……意外だな」

 

 第二十層のフロアボスはもう情報が広まっており、巨大なカブトムシ『グランド・ザ・カブト』であった。この名はSAOでは聞いたことがなく、フロアボスの変更や改善は何度かあった。コボルドロードもそうだった。

 どうやら、SAO生還者――今、流行の名は第一世代――に簡単にクリアされたくないらしい。

 第二十層。ここでまた黒の剣士が姿を現すかは分からないが、切りのいい数字という不十分な根拠で来るのではないか、と密かに予想していた。だからこそ、気になる点があり、それが頭の中から薄れることはなかった。

 そして、今日は『イフリート』をヴェルフに作ってもらうと同時にこの事について相談したいことがあった。

 

「何だ、考え事かぁ?」

 

 3か月の付き合いだ。そろそろ、お互いが考えることまで分かってくるらしい。

 ネイトは重要な情報を包み隠しながら、言った。

 

「現実では機械に詳しかったんだろ? そんなヴェルフに聞きたいんだことがあるんだ。例えばの話だが、現実で死んだ人間が仮想世界で生き返ることって出来るのか?」

「ん? お前、エリートの学校通ってて、賢いんだろ?」

「機械だけは理解できないんだよ」

「まぁ……無理だろうな。死んだ人間が生き返るなんて話は先ず、ねぇだろうな。でもよ、生き返ることは無理でも、AIなら作れるぜ。記憶も、人格も何もかもコピーして、AIに取り入れる。そうすれば、全く同じ人間の出来上がりってわけだ」

「そんなことが出来るのか?」

「ああ、今の技術ならな。けどな、1つ問題点がある。作った偽物のAIからはちょっと面白い研究結果があってな、AIは自分を本当の人間だと思い込んでいる。記憶や人格を入れ込んだんだから、当たり前な話だ。だけど、もしも、AIが自分を偽物だって知った時……99%の確率で自律崩壊するんだ。自分に関するすべてのデータを削除して、完全に消滅する……面白いだろ。この話を聞いてお前もちょっとは機械に触れるんだな」

 

 死んだ人間と全く同じ人間、AI、自律崩壊、消滅、面白い研究結果……様々な単語を整理する最中でだんだんとネイトの表情が曇っていった。

 それを直ぐに察したヴェルフは頭の上に疑問符を浮かべ、冗談を言って見せる。

 

「子どもには早ぇか」

「……ヴェルフ、有難うな」

「お、おう……じゃあな」

 

 無言で部屋を出ていく寂しげな背中を静かに見送る。その背中には赤い剣と白い剣が交差して背負われ、かれが双剣使いであること再認識させる。

 ベルの乾いた音が静かになった店内に鳴り響く。首を傾げたヴェルフは静かに「次、来た時はお詫びにサービスしてやろっかな」と呟いて、店の奥に歩いて行った。

 

 

 

「キリト……お前……」

 

 ネイトは二十層の主街区に設置されたベンチに腰掛け、前のめりになりながらキリトの動機について、着々と思索していた。

 死んだ人間でも仮想世界で全く同じ人間を作り出せる。キリトと相思相愛だったアスナは最終決戦でログアウトし、現実から亡くなった存在になってしまった。

それに耐え切れなくなったキリトがアスナのAIを作り、再びSAOの世界で幸せに暮らそうとした。例え、アスナが偽物であっても、構わない。愛が人を狂わせてしまったのか。自分も一歩間違えれば、アスナを思う気持ちから狂ってしまったのだろうか。

 どちらにせよ、彼はSAOⅡでアスナと過ごすため、このデスゲームを開始させた。またSAOの時のように幸せに暮らせるとでも思ったか。あの幸せな時間を取り戻せるとでも思ったか。

 

「――ふざけんじゃねぇよ」

 

 アスナの死を知っていた俺は世界で邪魔な者だというのか。だから、このSAOⅡに呼び込んで、合法的に殺そうとするのだろうか。

 親友でもあり、恋敵でもあったキリトの動機が狂っていることもショックだったが、それ以上にアスナがAIで本当のアスナはもう死んでいるという事実が何より辛かった。

 明日、攻略戦で会うアスナは偽物。偽物ならもうこの世にいない方がいいのではないか。どうせ、偽物なら――出来る訳がない。 

 何が何であれ彼女には意志があり、記憶があり、感情がある。例え、偽物と言われようと見間違いようのない自分が恋したアスナだった。そんな彼女を自分の手で殺めるなど出来る訳がない。

 アスナが自分を偽物だと知れば、自律崩壊? ――させる訳がない。

 でも――きっといつかは。

 

「……ああ……クソ……」

 

 ネイトには嘆く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 2025年 4月。

 

 100の階層からなる浮遊城アインクラッドの第二十層にある迷宮区。その最奥にフロアボスの部屋はあった。

 その中から響く叫び声と断続的な戦闘音はフロアボスと攻略組によるものだった。

 フロアボスの部屋はジャングルをテーマに作られた広大な体積を使っており、腐った倒木や壁から天井にかけて張り巡らされた蔦、地面は腐葉土で草木が至る個所に生えている。

 緑に囲まれた一風変わったボス部屋にプレイヤー達は調子を狂わせながらも、順調に優勢を保っていた。

 一方、フロアボスの『グランド・ザ・カブト』はその硬い甲殻と巨大な体を活かし、ひたすらに攻勢だった。強靭な角を振り回せば、盾の役を担ったG隊、H隊が吹き飛ばされ、A、B隊による近接攻撃も易々と弾き返した。唯一、効果的なのはC隊によるハンマーの打撃だけだった。

 『英雄颯爽』のリーダーが作戦開始を号令してから、約15分。ついにフロアボスのHPバーが2段目に突入した。直後、『オニックス・キラー』が湧出した。大人の上半身ほどはある体長の蜂。赤色の眼をプレイヤーに向けながら、『グランド・ザ・カブト』の周囲を羽音と共に飛び回った。

 情報にない事態。しかし、攻略組のプレイヤー達は直ぐに順応。近接戦を得意とするB隊と飛び道具を得意とするD隊が『オニックス・キラー』の対処に目的を変更した。

 B隊に配属されていたネイトも『グランド・ザ・カブト』の身体を借りて、高度な位置から飛び降り、『オニックス・キラー』を連続で斬り付け、両断した。

 

「つあぁっ!」

 

 更に落下点にもう1体を控えていたネイトはまるで、雨のように降り掛かり、2本の剣を思い切り突き刺した。途端に炎と氷が発生し、蜂に追加ダメージを与える。

 落下ダメージ無く、着地し、近接が苦手なD隊の援護をしながら、『オニックス・キラー』の掃討にかかる。

 同じくB隊に配属されたアスナが敏捷値に応じて攻撃力が増す『リニアー』を発動、瞬殺した。その勢いに任せて、次の敵もあっという間に連続の刺突で撃破する。その延長線上で交戦するネイトを見つけ、駆け寄った。

 

「どう? 何も問題ない?」

 

 『ミスリルレイピア』を突き出し、応戦しながら声を投げ掛ける。しかし、ネイトは無反応のまま、その場を駆けて、離れしまった。

 

「ネイト君? どうしたんだろ」

 

 不審に思いながらも、戦闘中だと喝を入れ、迫ってくる針を避けて『ミスリルレイピア』を3度、突き刺した。

 幾度となく、『オニックス・キラー』を迎撃し、約10分の時間が流れた。『英雄颯爽』のリーダーの号令が響き渡る。

 

「全員、攻撃開始―!」

 

 アスナはその号令にハッとし、巨大なカブトムシのHPバーを確認する。1段目の赤色。零まであともう直ぐだ。

 アスナは目の前の敵を『リニアー』で仕留め、踵を返して、合図に従う。

 『グランド・ザ・カブト』が野太い角で天を穿ち、大きい体躯をのそりと反った。動作そのものは緩慢だが、角が振り上げられた際に巻き上がった腐葉土の塊がプレイヤーを襲う。

 持ち上げられた大地をも砕く剛の角がごう、と音を立て、風を逆巻きに巻き込んで、地面と衝突した。最高の一打は土煙を舞い上げ、風圧を起こした。

 しかし、プレイヤー達はその上手を行く。盾役を担うG、H隊が風圧を完全に堰き止め、その後ろからプレイヤー達が続々と駆け込んだ。狙いは瀕死の強敵、力を惜しまない総力戦だった。

 勇ましい咆哮を上げて、プレイヤー達が次々とソードスキルを発動する。『グランド・ザ・カブト』の命の値を示す1本の棒は見る間に短くなって、あっという間に消失した。

 圧倒的な体躯全てが瞬く間にポリゴン片となって、爆散。その光に目を瞬かせた直後にはあの巨大なカブトムシは姿だけでなく、気配さえも消し飛んでいた。

 ひらひらと舞い降りるポリゴン片に囲まれながら、プレイヤー達は安堵の息を吐いて、脱力する。

 大画面で映された「CongratuLations‼」の文字がプレイヤー達にフロアボス戦の終幕を実感させる。

 皆が疲れを吐き出す中、ネイトは密かに黒の剣士の出現を待ち続けた。が、依然としてその姿は現れず、仕方なく断念した。

 

「お疲れ様」

 

 満面の笑みを浮かべて、佇んでいたのはアスナだった。

 栗色の髪を揺らして、ネイトの様子を窺っている。

 

「どうしたの? 元気ないよ?」

「……アスナには……関係ない」

「え? どうしたの、ネイト君。今日、なんだかおかしいよ?」

「別に」

 

 素っ気ない返事にアスナは首を傾げ、しかし、一歩も退かずに、無愛想な態度を見せるネイトの深層にずかずかと土足で踏み入れようと試みた。

 

「私が悩み事を話した時のこと覚えてる? 約束したよね。隠し事はなしにしようって」

 

 ――約束。ああ、覚えている。

 

「……忘れた」

「え……」

 

 ――今でも昨日のように思い出せる。

 

「忘れた。聞こえなかったか?」

 

 冷たく突き放す。視線は合わさない。否、合わせられない。

 

「……本気で言ってるの?」

「……ああ、本気だ」

 

 瞬間、聞こえた言葉を理解するより先にアスナの手が動いていた。

 乾いた音と手に走る僅かな痛み。頬を押さえたネイトの顔は、いつに無く情けなかった。

 激情が渦巻いているのか、やってしまったという危機感から心臓の音が耳の中から響いてくる。怒鳴りそうになるのを無理やりに抑えてから、急激に溢れ出した悲しみで、不思議と涙が出そうになった。

 

「「……」」

 

 お互い無言のまま、別の道へと進み、すれ違う。

 片方は複雑な感情を渦巻きながら、彼女との付き合いに恐怖を感じていた。距離を離すことを傷心に誓いながら、アスナに冷たく接した。これで良いのかはネイトにも分からなかった。

 唯一つだけネイトに分かることがある。今、ネイト自身はアスナとの間に不安な隔たりを感じ、彼女が自身を偽物であると知覚するのではないか、と恐怖していると。

 心の奥祖から湧き上がる恐怖がネイトの態度を冷たくさせていた。悲しげなアスナの背中を一瞥して、傷心しながらもこれで良い、と言い聞かせた。

 

 アスナは第二十層へ続く道へ振り返らず、歩き出す。ネイトは目を細め一度だけ振り返ってから、来た道を戻り始めた。

 遠くなる足音が不協和音のように鳴り響く。



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episode7 ショウ

『ザ・ポイゾナス・スパイダー』:第十五層のフロアボス。毒々しい体を持った巨大な蜘蛛。毒液と毒の追加ダメージを与える糸が攻略組を苦戦させた。
『イフリート』:『ブレイズウルフ』の牙と『サラマンダラ』の鱗を素材とした炎系の片手用直剣。
『フェンリル』:『水晶』と『スプリンタードウルフ』の牙と『雪結晶』を素材とした氷系の片手用直剣。
『グランド・ザ・カブト』:第二十層のフロアボス。黒い甲殻に太い角。攻撃力と防御力が非常に高いが、動きがとても遅い。



「はぁ~……」 

 

 アスナとの諍いは3日経った今でも解決しておらず、メッセージでのやり取りもしていない。無論、顔も合わせてはいなかった。

 現在、4月のイベントで『はじまりの街』で仮想世界では滅多に見られないだろう、と思っていた桜が咲いている。だが、そんな胸が躍るイベントでさえも今は虚しく感じられた。

 アスナは桜を見に『はじまりの街』に行っているだろうか。ネイトが座るベンチの前には『転移門』が『はじまりの街』へ伺うのを誘っている。本来、そんなこと有りえないのだが、傷心し切ったネイトにはそんな風に見えていた。

 辺りは静けさに満ちており、ネイトの思索を促した。時々見かけるのもNPCで、プレイヤーの姿は見られない。

『はじまりの街』で桜が咲くというサプライズが起きている時期に第十三層の主街区の中央広場でベンチに座っている人など自分くらいだと思っていた。

 だから、声をかけられた時、過剰に体が反応してしまった。

 

「なぁ」

「うぉっ」

 

 思わず、ベンチから立ち上がり、急に隣に座った男の顔を凝視した。そして、次の瞬間には驚愕の色に表情を染めていた。

 

「やっぱり樹じゃねぇかー、久しぶりだな!」

「……翔太?」

「そう俺だよ、俺! まさか、こんなとこで会えるとはなっ!」

 

 両親がお金持ちな人や賢人ばかりが集まる学校の中で、アスナと同じく気を許せた親友だった。ネイトには彼の前向きな姿勢と他人のプライベートなど全く気にしないような親しみ易さが周りの人間より光って見えていた。時折、見せる優しい気配りと思いやりに惹かれて、気付いたら、親友と呼べる存在になっていた。

 そして、今もそれは変わらない。地元で何度も遊びに行ったり、食事したりする仲だ。そして、唯一、アスナに好意を抱いているということを彼には知られている。正確に言うと、見抜かれた。

 

「あっ、そうだ! お前、この情報知ってるか!? きっと喜ぶぞ! 攻略組にアスナがいるらしいだっ! 死んでなかったんだよ、アイツ!」

「……あぁ、知ってるよ。ずっと、前から」

「……なんか、元気ねぇな。どうした? アスナと喧嘩でもしたのか?」

 

 図星だ。長年、翔太とは仲良くやってきたが、彼の推理力には時々、驚かされる。

 

「図星かぁ……全くお前ってやつは」

「……どうしてこうなるんだろな」

 

 その自分に嫌気がさしたような言葉に事の重大さを察した翔太が困ったような顔をする。そして、少し経った後に表情を明るくした。

 

「なぁ、釣りに行かね? この十三層に『白鳥の湖』ってフィールドがあるんだけどさ、良い釣りスポットなんだよ。それでさ、なんか珍しい魚がいるみたいでさ……『ラール・ミーヌ』って名前らしいんだけど、スッゲェ美味しいらしいんだよ、だからさっ……」

「ふっ、変わってねぇな。魚好き」

 

 ネイトの顔に笑みが戻る。その笑みを見た翔太は安心した様子で話を続けた。

 

「そんじゃ、釣り行こうぜ? お前、竿持ってるか?」

「いいや、興味ないからな」

「んじゃ、今日から興味持てよな。絶対、楽しいから!」

「あー、俺、待つの苦手だし」

「大丈夫だってぇ!」

 

 2人はいつものように会話をする。まるで、ここが仮想世界であるのを忘れたかのように。

 

「なぁ。元気づけてくれて、ありがとな」

「ん? 何のことかさっぱり分かんねぇな」

 

 『白鳥の湖』に向かう2人の背中はまるで、周りの景色をより一層彩るように喜色に満ち足りていて、いつも以上に幸せそうだった。

 ネイトは灰色に見えた景色が少しずつ、色付くのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 ネイトとショウ――翔太の仮想世界での名――が『白鳥の湖』に通い続けて、5日が経った。

 3時間ほどの釣りを終えて2人は、第十三層のレストランで食事をしていた。相変わらず、ショウは焼き魚を食べている。

 ショウは希少で美味な魚、『ラール・ミーヌ』が釣れる気配がないと、レストランで愚痴を叩いているが、ネイトはショウに隠して、密かに釣っていた。

 金粉のような黄金の光が鱗に散らばった人の顔くらいはある魚。仮想世界ではアイテムストレージに保管してある限り、常に鮮魚として保たれるらしい。

 ネイトはショウに内緒でもう一匹釣り次第、不意打ちの晩餐をしようと考えていた。

 

「もう、5日だぜ!? いい加減、釣りてぇなぁ」

「それだけ、レアなんだろ? 味も結構、期待していいんじゃないのか?」

「だよなー。それにお前と釣りができるのは嬉しいしな! よっし、なら、さっさと食ってもっかい行くぞ!」

「また行くのかよ」

「当ったり前だろ! ほら、早く食えって」

 

 マイペースなところも、人を強引に引っ張っていくところも相変わらずだ。そんなところも含めてネイトは彼のことを気に入っていた。

 ソースのかかった肉にフォークを刺しながら、ふと、頭に過ぎった良い案を考えなしに口から出していた。

 

「小学校のとき、2人で作った友情のマーク覚えてるか?」

「あー……あったな。覚えてるぞ、月と風をイメージしたんだっけか」

「そう、俺の樹から月とお前の翔太から風。あれのさ、ブレスレット作らないか? たしか『はじまりの街』でオリジナルの装飾品作れただろ? パラメータ超低いけど」

「おー、良いかもな! でも、どうせブレスレット作るならさ、俺たちでギルド作らね? ブレスレットはその象徴」

「いいかもな。じゃあ、名前何にする?」

「『月と風と魚』なんてどうだ?」

「却下。魚の要素は必要ない」

「じゃあさ――」

 

 それから2人の他愛もない会話は30分に及んだ。

 

 

 

 

 

 

 2025年 5月2日 第二十層・ひだまりの森

 

 自然で溢れた第二十層は昆虫系モンスターが現れるフィールドだ。

 そんなフィールドで八日間と長い付き合いで蓄積された連携を主力にネイトとショウは『キラーマンティス』を翻弄していた。

 カマを振り上げながら、突進してくる『キラーマンティス』との距離を見極め、振り下ろすタイミングでネイトが両方の剣を交差させる。がっちりと受け止めたカマを弾き返し、素早くバックダッシュ。

 ネイトと入れ替わるようにして飛び出したショウが曲刀のソードスキル『リーバー』で止めを刺した。

 341Expと170Colを獲得したという確認画面を一瞥し、ショウが軽くガッツポーズする。

 七日間ずっと釣りに没頭していた2人はネイトの提案で、気分転換ついでに第二十層でレベリングしていた。ショウのレベルはネイトの5つ下の23で、『ひだまりの森』でのレベリングは簡単なものとなっていた。

 

「ふー。ネイト、戦うのも結構、楽しいな」

「そうだろ? ……なぁ、ショウは第二十一層の攻略には参加しないのか? ショウぐらいのレベルなら十分、行ける筈だけど」

「攻略ねぇ。……俺さ、単純に死ぬのが怖いんだよな。だから、最前線で戦ってる人たちをすげぇ尊敬してるし、感謝してるんだ。もちろん、ネイト、お前のこともな」

 

 ショウはそう言って、決意を固めたような表情で言った。

 

「参加、してみようかな。いつまでも臆病者じゃ、やっていけねぇ。それに攻略組に会いたい奴がいるんだ。あ、誘ったんだから……ネイトも来てくれよな」

「……悪ぃ、ちょっと野暮用があってな」

「マジかよ。折角の俺の攻略初挑戦に来ねぇつもりかよ」

「悪ぃな。外せない用事なんだ。また今度な」

「また今度って……ったく。見てろよ、直ぐにお前のレベル抜いてやるからな!」

「おう、楽しみにしてるよ」

「攻略サボる罰だ。今日はお前がずっと、フォワードな!」

「はぁ!? 話が別だろ!」

「おい、『キラーマンティス』が来るぞ! さっさと働け、フォワード!」

「ったく、後で覚えてろよ!」

 

 ネイトは周囲の緑を見渡し、『キラーマンティス』に気づく。それを見つけるや否や駆け込んで行った。

 接近する『キラーマンティス』のカマの3連撃の内の2つをよけ、1つは弾き返す。直ぐにスイッチするのではなく、ネイトは矢継ぎ早に2回斬りつけた。

 怒った『キラーマンティス』が吐いた毒を躱し、盾に使うカマを切断、合図を叫ぶ。

 

「ショウ、スイッチ!」

「おりゃああ!」

 

 『キラーマンティス』の懐に飛び込んだショウが叫び声を上げて、曲刀を振り回す。休み無しに放たれた曲刀のコンボは計3度の斬撃で『キラーマンティス』をポリゴン片へと変えた。

 それから、2人は20数体に及ぶモンスターを狩り、ショウのレベルは24になっていた。

 ひだまりの森を奔走する2人は手首につけた友情の証である月と風の紋章が描かれたブレスレットを打ち合った。

 

 

 

 

 

 

 2025年 5月10日 第二十一層 迷宮区

 

 現在の最有力ギルド、『英雄颯爽』に並び、第二の座にギルド、『革命騎士団』にアスナの姿があった。

 ネイトと組んでいたパーティーは自ら解散し、ギルドでの活動が自分の性に合っているという決断に至った。結果、『革命騎士団』の方針に惹かれ、アスナは入団した。

 第二十一層の攻略戦に集った人数は42人。第十八層から攻略戦は『英雄颯爽』と『革命騎士団』の会談の下で行うと決められていた。無論、ソロがボス部屋を覗く事もあるが、基本的に攻略にはこの2つのギルドが関わっていると言っていい。

 アスナは団長から指示を仰ぎ、フォワードを兼ねた援護役として行動することになっていた。その敏捷性を活かし、援護に逸早く駆け付けられ、尚且つフォワードとして才能と経験があるという点で抜擢されたのだろう。この指示にアスナの異論はなかった。

 『英雄颯爽』のリーダーが扉の前から合図を送る。皆が合図に気づき、ボス部屋への扉が開くと知覚する。

 アスナも緊張感を高め、同時に大きく吐気して意識を集中させていた。だが、その集中が突然、投げられた声によって断たれた。

 

「よ、アスナ」

「……翔太君? あ、やっぱり、そうだ。久しぶりだね。……どうしてここに?」

「ちょっとな」

 

 理由は笑みで濁したが、口調は奥歯にものが挟まったようだ。アスナは問い質そうとしたが、話を否応なしに切り替えられた。

 

「そんなことより……聞いたぞ。ネイトと……樹と喧嘩したんだって?」

「あっ……。うん、ちょっとね」

 

 上手く話を切り替えられた上に痛いところを突かれたアスナはショウが攻略戦に参加した理由を完全に聞き逃した。

 もう、長い間、顔を見ていない。その前まではパーティーを組んでの行動が多かったためにほぼ毎日、声を聞いて顔を合わせていた。だからこそ、最近は歯車が噛み合わずにいた。何をするにも脳裏をネイトのことが過ぎっていた。

 それを頭の奥に押し込もうとして無理なレベリングをしていたところを『革命騎士団』の団長に注意された。その後の談笑からギルドへの誘いへと発展し、ネイトのことを忘れるには良い切欠になりそうだ、とアスナも誘いに乗った。

 しかし、結局はまた、こうしてネイトと関わらなければならない出来事に出逢う訳で、アスナは因縁を感じていた。

 重々しい音が鳴る。ボスの部屋へと繋がる扉が開く音だ。

 その音を聞いたショウが口早に言い捨てた。

 

「2人の間に何があったかは詳しくは知らねぇけどよ。アイツはアイツで、いろいろ考えてんだよ。そりゃあ、ちょっと素直じゃないところもあるけどな。でも、その……あんまり悪く思わないでやってくれねぇかな。アイツのこと……俺の唯一の親友なんだ」

「うん……私も分かってるよ」

「そっか。なら良かった……じゃ」

「あ……」

 

 口早に言い残したショウは、身を低くして人混みの中へと割り込んで行った。彼が来た理由を、また聞き逃した。

 

 何とか、アスナの許から強引に離れたショウは体に篭った熱を徐に出しながら、先頭に出た。

 ボスの部屋は真っ暗。奥の方で光っている2つの黄色い眼がボスの『サーベル・ザ・パンサー』であることは間違いなさそうだ。間もなくして、その両側に目測では数え切れない数の黄色い光が見える。その光の群れが『ビーストパンサー』の眼だ。

 ショウは冷静に状況を見極めながら、同時に早鐘を打つ鼓動を抑えようと努めた。

 鼓動は順調に正常に戻っていった。ネイトに紹介してもらった人物、ヴェルフによる悪意の篭った言葉が寄越されるまでは。

 

「どうした、ショウ? 顔が赤いぞー」

「……っ」

「うぉ、そんな睨むなって。……わ、悪かったよ」

 

 鋭い眦で一瞥すると、ヴェルフは焦った様子で身を低くしながら、逃げていった。

 ショウは心労のあまり目頭を揉んだ。第一印象から空気の読めない男だとは思っていが、酷く空気の読めない男と再認識する必要がありそうだ。

 

「アスナの事は諦めたつもりなのによぉ。はぁ~……素直じゃないのは俺の方かもな」

 

 ショウの誰にも知られていない、初めて口にした秘密は、赤い鬣の『サーベル・ザ・パンサー』が放った咆哮に揉み消された。



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episode8 彼との食事は永遠に

これから用語には《》をつけることにさせてもらいます。
急な変更ですみません。


《ラール・ミーヌ》:《白鳥の湖》と呼ばれる釣りスポットで釣れる魚の名称。A級の価値があり、釣り人ならば、誰もが釣りたいと願う代物。

《オリジナルブレスレット》:形やデザインなどをプレイヤーの好きに作れる装飾品。《はじまりの街》のNPCの鍛冶屋で作れる。そのパラメータは初期武器にも満たな
い。





 ショウが攻略会議や攻略戦に行く時間をすべて釣りの時間に費やした。幸いにもショウが、喉が出るほどに食べたがっていた《ラール・ミーヌ》を釣り上げた。

 今、ネイトのアイテムストレージには入手困難な《ラール・ミーヌ》が2尾入っていた。

 今日、第二十一層の攻略戦から帰ってくるショウにサプライズで祝いをするつもりだった。場所はどこが良いか、やはり料理するなら彼の好きなムニエルにするべきか、彼はどんな反応するだろうか。想像するだけで愉快だった。

 夕暮れに照らされる帰路の最中、メッセージの着信音がして、立ち止まった。

 ヴェルフからだった。内容は「話したいことがある」それだけだった。彼にしては珍しい文章。こういう日常のちょっとした変化には嫌な予感が過ぎるものだが、今は気分がいい。何なら、ショウと《ラール・ミーヌ》を食べるところを自慢してやろうか、とも考えた。

 取り敢えず、泊まっている宿を示した。これで、許可の意を汲み取ってくれるだろう。

 

「じゃあ、ショウを呼ぶか」

 

 そう思って、メニューを開こうとし、急に手を止まる。逡巡する様子を見せた。

 

「いや、明日でも良いか。初めての攻略戦で疲れてるかもしれないしな」

 

 そう呟いてメニューを閉じた。宿は直ぐ目の前だ。

 数余分後に宿に入り、階段を上って、自分の部屋に入った。窓から見える街の景色に暫く和んでいた。レンガ作りの家が立ち並び、街灯が目立ち始める時間。入り組んだ道は石が綺麗に敷き詰められ、街の中心に聳え立つ時計塔がネイトの密かなお気に入りでもあった。あそこからの眺めを見てしまえば、こればかりは製作者に感謝せねばなるまい、と思うようになる。

 頬杖を突いて、窓の景色を眺めている事数分。ドアをノックする音が部屋の中に響いた。

 

「開いてるぞ」

 

 ドアが開けられる。あの調子の良い声が聞こえてくるかと思えば、ヴェルフは無言で入って来た。

 窓から視線を外し、振り返る。苦虫を噛み潰したような表情で佇むヴェルフから話が穏やかならざる雲行きであることを悟った。

 居住まいを正し、座ったまま身体ごと向き直る。内容の濃い話なら座り合うことに越したことは無い。ベッドに座るのを促した。

 しかし、ヴェルフは唐突に告げた。

 

「……ショウが死んだ。ボスの攻撃から1人のプレイヤーを庇ってな……」

 

 言葉が重く陰鬱に響いた。

 

 ――そして、室内が凍結した。

 

 理解が追いつかない。首を振りながら後退る。

 必死に事実を脳裏で挽き潰し、理想を命一杯に並べる。頭の中が雲に埋もれたように真っ白になり、まるで、体の中の何かが死んでしまったかのような絶望感を覚える。

 しかし、不思議だった。嗚咽は漏れないし、涙も溢れないが――胸を貫かれたような虚無感と悲壮感があった。

 ネイトは唇を噛み、瞼を閉じる。そして、何をすべきかを混乱した頭に問う。

 答えは直ぐに見つかった。ゆっくりと瞼を開ける。

 

 その眼は悲しい光を湛え、不可視な未来をしっかりと見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 部屋の中央にはトレジャーボックスが未開封で鎮座している。

 白い壁には複雑な四角の凹凸があり、それは床や天井にまで行き渡っている。

 トレジャーボックスがそこにあるのが不思議なくらいの無機質さで、何もないと言わんばかりの純白が逆に不安を懐かせる部屋。

 この部屋に隠された秘密――トラップの部屋と知ってネイトは足を踏み入れた。

 トレジャーボックスを無造作に開ける。突如、けたたましい警告音が部屋を埋め尽くした。この数日で聞き慣れてしまったトラップ発動の合図だ。

 出入り口が塞がれ、潔白を証明する壁は赤色に明滅し、壁が開くと、モンスターが次々と姿を現した。

 《転移結晶》による脱出や《回復結晶》によるHPの回復という便利な戦いには欠かせない結晶アイテムが全て無効化されるエリア、通称、結晶無効化エリア。そんな鬼畜な設定を孕んだトラップの部屋での死亡率は目を疑うレベルで酷い。

 しかし、ネイトにとって、幾つものトラップは全て好機と成り得た。元より背水の陣を覚悟で来て、過激なレベリングを目的としていた為、結晶無効化もモンスターの大群も罠の域に達していない。必要な糧となっていた。

 剣を交差させ、目蓋を閉じる。直ぐに閃く、親友の顔。

 静かに瞳が開かれた。

 

 ――慟哭と刻薄の瞳が光る。

 

 直後、剣が閃き、鋭く軽い音が響いた。

 猛烈な勢いで駆け出したネイトが敵陣地に切り込んでいく。

 狼がネイトを捉え噛み付くより早く、狼の身体を剣が貫いた。

 部屋中にぎっしりと敷き詰められたモンスターが窮屈そうにしている間にもモンスターの数は嘘のような速度で減っていく。

 腕が引き千切れる錯覚を抱くほど、剣を猛然と振り続ける。

 不意にショウの言葉が再生される。

 『お前の分まで生きてやるって台詞、格好いいよなぁ。格好いいと思わね?』

 ショウがアニメにのめり込んでいた頃だったか。確か、ネイトは冗談で返事をした覚えがある。

 ――果たして、どっちだったか。

 ネイトは剣を閃かせ、同時に身を捻って猛攻を避ける。

 赤い血が弾ける。自分の身と相手の身から。

 青白いポリゴン片を切り抜け、咆哮。

 どちらともなく蹴りを出し、剣を振り、体を捻って首を巡らせ。時には体当たりも加えた。

 迅速な身のこなし。目まぐるしい変化起きる中でネイトはしかと好機を見咎めた。

 脳裏に一条の光芒が一閃――カッと見開いた瞳には勝利への道筋が映り込んでいた。

 ――《ダイヤモンド・インフェルノ》!

 炎剣《イフリート》と氷剣《フェンリル》の12連撃。

 ✕印に炎と氷が交差し、瞬く間に横一線に重なる。車輪の如く体を回転させて、4連撃叩き込む。見る間に炎と氷の剣閃がモンスターをポリゴン片へと変えていく。

 前進しながら、2本の剣を同時に振り上げる。振り翳された一対の剣の尖端は天井を見遣り、簡捷に振り下ろされた。

 最後のモンスターがポリゴン片となって、飛散。気付けば、真っ白の部屋に戻っていた。

 幻であったかのような電光石火の一時。しかし、大量の経験値とコルの獲得を示す画面が表示され、先程の一戦が現実味を帯びる。

 だが、荒業を成し遂げたネイトの顔は晴れぬまま俯き、硬直時間が過ぎるのを待っていた。

 そして、その足は止まることを知らず、次の戦場を向いていた。

 

 

 

 

 

 

 ヴェルフはがらん、としていた。最近、ドアのベルが鳴る回数が激減している。その理由は判然としていた。

 現在の攻略組と呼ばれるギルド、《英雄颯爽》と《革命騎士団》が揉めているのだ。最前線を戦う彼らが口論する原因は各地を騒がせるPKを積極的に行うプレイヤー通称、レッドプレイヤーの存在だった。

 彼らのような危険分子が束ねられ、作り上げられたギルド、《餓えた狩人(ハンガー・ハント)》を撲滅するべきか否かで口論していた。《英雄颯爽》は撲滅派多数と黙視派少数に分かれ、《革命騎士団》は黙視派で塗り潰されていた。

 これの結果、攻略は長く停滞。膠着状態のまま、埒が明かないということになり、近々、決定権を賭けて、決闘することが決まったらしい。

 攻略が停滞したことと攻略組の口論がプレイヤー達の興味を惹き、しばしばフィールドや迷宮区にプレイヤーの姿が現れることは無かった。

 

「どうして争うかねぇ~……」

 

 他人事のように呟いたヴェルフの思考は世間が騒ぐ事件に然程の興味は湧かなかった。

思考を埋め尽くすのはネイトのことばかり。ショウの死を伝えて以後、彼は迷宮区で命懸けのレベリングをしている。

 親友の死が彼の合理的思考を潰してしまう程の衝撃で、それを告げた自分にも責任があると分かっていた。だからこそ、今日こそは彼の暴走を止める。しかし、自分にはもう出来ないと限界を感じている。だから、メッセージでアスナを呼んでいた。

 間違いなく、今日も一昨日と同じようにしてネイトが武器の耐久値を直してくれと頼みに来るだろう。アスナが来るまでの時間稼ぎをせねばなるまい。彼女は《革命騎士団》の分団長の座として、《餓えた狩人(ハンガー・ハント)》についての会議は外せない。

 

(来た……)

 

 乾いたベルが鳴る。疲弊し切ったネイトはまるで、作業のように耐久値回復を頼み込んできた。

 

 

 

 ヴェルフが家具を揃え始めたらしく、その様子を是非とも紹介したいと熱心に訴えてきたので、ネイトは呆れ顔で店の2階に上がった。

 2階は、やはり熱心に訴えられるほどのクオリティはなく、黒いソファーとガラスの机、民族的な絨毯、他には質素な棚や花瓶があるだけだった。唯一、称賛すべきは窓から入ってくる風が気持ちいい事くらいか。ネイトは内心で溜息をついた。

 下手くそな笑顔を作って、部屋の紹介をするヴェルフを他所にネイトが話を割り込ませる。

 

「ヴェルフ。……心配してくれるのは嬉しいけど、止めないぞ。俺は」

「……気付いてたのかよ。必死な俺が恥ずかしいじゃねぇかよ」

「……もう10日が立つのか」

「もう5回もここに来てんのにさ……お前がその話するの、初めてだよな。」

 

 暫くの沈黙。ネイトがヴェルフに視線を向けたが、ヴェルフは肩身が狭くなって視線を明後日の方向に逸らした。

 

「俺のこと……最低な野郎だと思ってるだろ?」

「んなこと思ってねぇよ。泣くの必死に我慢して、命懸けてゲームクリア目指してんだろ? 俺より年下だってのに……むしろ、尊敬するぜ」

「違う……俺には泣く資格がないだけだ」

 

 また沈黙が訪れる。無意識に思考が駆け巡る。

 

 ――ショウに攻略を勧めなければ? ショウは生きていた?

 ――貧弱なパラメータのブレスレットを装備させなければ? ショウは生き残っていた?

 ――彼が死なない選択肢は幾つもあったはずだ。

 

 自分が死なせたんだ。唯一無二の親友を。

 時間は巻き戻せない。彼が死んだという事実は一生変わらない。

 逃げ出したくなるほどの責任が圧し掛かって、妙に居心地が悪くなって、ネイトは黒いソファーから立ち上がった。それを止めようとヴェルフが手を伸ばすが、その手は直ぐに止まった。

 ネイトは棚の近くで立ち止まり、そこに置かれていた腕輪を指さした。

 

「なぁ……これって」

「ん? あぁ、ショウが装備してたブレスレットだな。レアアイテムに《メモリ・キーピング》ってのがあるらしくてな、装備やアイテムに使用すれば、死んだときに……」

 

 ヴェルフが察し、口を噤む。目を見開いて、驚き、切ない表情で踵を返した。

 

「お、客か? ……ちょっと下見てくるわ」

 

 嘘だ。ベルの音は聞こえないし、気配もない。

 しかし、気遣わしげな声は妙に快く聞こえた。

 

「……悪い」

 

 震えた声にヴェルフは確信した。虚勢を張っていた男の背中が小さく、切なく、震えている。

 

「……素直じゃねぇなぁ……」

 

 階段を駆け下りながら、小さく殺した声は本人しか聞こえないような響きで消え去った。

 吹き込む風がネイトの黒髪を揺らめかせる。その間から一瞬、雫が垣間見えた。

 

「っ……ぅっ、ちくしょう…………」

 

 弦を震わすような声は自らトラップの部屋へ入り込んでいた時を思わせないほどに弱々しい。

 ネイトはブレスレットを右手に握りしめていた。そのまま、ゆっくりと屈み込み、胸の奥から不意に止めどなく込み上げてくる悲しみが溢れ出してくる。

 果てしなく揺れ動く心から満々と溜め込んでいた悲しみが水のように零れ落ちてゆく。

 それはまるで、現実で具現化されたように涙となって絨毯に零れ落ちた。

 小さく響く階段を上がる足音。ネイトには嗚咽で一寸も聞き取れなかった。

 背後に気配を感じることで、ネイトはようやくその存在に気が付いた。涙を強引に拭い、目元に跡を残しながら、立ち上がる。

 

「ネイト君……」

「情けないところ、見られたな……」

 

 まだ歪むネイトの視界には、栗色の髪を揺らめかせたアスナが切なく佇んでいた。



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episode9 仲間と共に

《メモリ・キーピング》:装備やアイテムに使用することで、死んだ場に実体化されて残せるアイテム。非売品。






 ネイトはすべての事情を話し終え、それを黙って聞いていたアスナは聞き終わると同時に堰を切った様にネイトを強引に引っ張って、ヴェルフの店から飛び出した。

それからどうやって、アスナの家に辿り着いたかあまり覚えていない。

 アスナが鍵を開け、ゆっくりと家に入るとき、温かな空気が頬を撫でていった。

 洋風のレンガ作りの家は平凡な外見を持ちながら、内装は思った以上に豪華だった。

従うがまま廊下を通り過ぎ、ダイニングとキッチンが一緒になった大きな部屋に来た。 アスナは私服に着替え、白いエプロンを重ねて着ると、早速に調理に取り掛かる。

 

「いつまでそんな格好してるの?」

「ん、あぁ……」

 

 抜け殻のような返事。茫然としたまま、椅子に座っていたネイトは胴当てや剣を外し、青色のTシャツと紺色のズボンと身軽な格好になった。

 待つこと数分。包丁の一振りで《ラール・ミーヌ》を切り分け、フライパンで綺麗に焼くと辛みの効いたスパイスを足して、あっという間に完成する。

 2つの皿が机に並べられ、向かい側にアスナが座る。

瞬間、鼻をくすぐる香りが部屋一杯に広がった。

 お洒落に盛られた青々とした野菜が《ラール・ミーヌ》と色と相性がよく、見た目の良さを助長している。見た目も香り同様に申し分なかった。

 

「どうぞ?」

「いただきます……」

 

 ヴェルフの店から引っ張り出され、初めてしっかりと声を出した気がする。

 フォークで身を切り分け、口に運ぶ。辛味がピリッと口に広がったと思えば、柔らかい魚肉が一度噛んだだけで幾つにも裂け、口の全体を転がる。

 

「どう?」

「……うまい」

 

 それからは無心で食べ続けた。アスナがこちらに視線を向け微笑みながら、《ラール・ミーヌ》を味わって居ることも知らずに。

 彼が食べたかった《ラール・ミーヌ》のムニエル。それは想像していた味より遥かに美味しく、きっと彼もこの美味しさの域を想像していなかっただろう。

 口から伝わる温度はどうしてか、生きている感覚を味わわせてくれる。

 幸福感と同時に湧き上がる彼を亡くした悲壮感が衝突して、思考が停止する。

 それからはあっという間。気付けば、皿の上に身は残っていなかった。

 食べ終わり、アスナが洗面台でフライパンやら食器やらを洗う音だけが部屋に流れる。ネイトはというと椅子に座ったまま人の身丈ぐらいの窓から見える景色を眺めていた。

 久しぶりの家の温かみ。宿とはまた違う温かさがここにはあった。

 同じ屋根の下に人がいて、その人に料理を作ってくれる。現実ではほぼ当たり前のことをこの世界に来て、忘れかけていた。

 キュッと閉まる音。水が流れる音が止まった。

 

「リビングがあるの。そっちに移動しよっか」

「ああ」

 

 ベージュ色のソファーにアスナと腰かけ、窓の外に広がる仄かな明かりが点々とする夜の街並みを眺める。空には満天の星空が広がり、静寂に包まれている。

 暖色系の部屋から眺める夜の景色には心を内から温めるような風情があり、眼を閉じたくなるような落ち着きがあった。

 瞼を閉じかける。その様子を盗み見たアスナがそっと呟くように声を寄越してきた。

 

「どう? 落ち着いた?」

 

 日常の生活を過ごした時間がショウの死を意識から薄れさせていった。戦闘に染み込んだ身体もゆっくりと癒されてゆくのが分かる。

 この時間はショウの死のことを少しずつ少しずつ薄れさせていった。

 

「……ああ」

「私、ショウ君が目の前で死ぬところを見ることしかできなかった。私にも責任があるのよ。だから、ネイト君1人のせいじゃない。もっと、私を……皆を頼ってよ。皆、ネイト君の味方だから」

「悪かった……」

「もう1人で無理しないって、約束して?」

「ああ、約束する」

 

 自分はショウを殺した罪人だと思っていた。その罪が少しだけ許されたような気がして、沈んでいた気持ちが楽になった。

 

「じゃあパーティー再結成しましょう? 明日、迷宮区の探索手伝ってくれるかしら?」

「分かった」

 

 

 

 

 

 

 2025年 5月20日 第二十二層 迷宮区

 

 この層からフィールド、迷宮区ともに雰囲気はがらりと変わり、乾燥し切った砂漠が主に広がっている。

 薄い黄土色の大地を抜けた先に待っていた迷宮区もまた、黄土色の壁に包まれた砂漠の地中のような場所だった。

 ネイトは首を巡らせ、あたりを見る。敵は3人。乾燥地帯で特有の服装をした盗賊が曲剣を握り、睨んできていた。

 ソロなら、この数は正直言って厳しい。だが、今、自分の後ろにはアスナがいる。これほどの安心感があるとは思いもしなかった。

 両翼を広げるかのような構えを取り、突貫する。地を踏みしめ、腹部に力を入れる。

 渾身の回転切り。3人同時に巻き込み、怯ませた。間を入れずに《ブリガント》――盗賊につけられた名――に肉薄し、斬り込んだ。4度斬り付けた時点でポリゴン片と化す。

 ネイトが先程まで居た場所にアスナが飛び込み、残りの《ブリガント》に高速の刺突を繰り出す。見る間に10回突き刺して、1体をポリゴン片に還した。

 ネイトとアスナが入れ替わるように駆け、最後の1体をネイトの剣を交差させる斬撃で仕留めた。

 

(……やっぱり、だいぶ楽だな)

「ふぅ……片付いたね」

「だな」

 

 見回す。敵の気配はない。

 粗々とマッピングされた迷宮区の地図を眺め、ネイトが控えめに発言する。

 

「ボスの部屋……覗くか?」

「うーん……ちょっとだけなら構わないよね。フィールドが大きく変わったから、ボスの様子も見ておきたいし」

「決まりだな。この道を真っ直ぐだな」

 

 マップに従って道を歩む。

数分後、ネイトの足が止まった。正確には止められた。

 行く手を阻む大きな門は丸石で固めらており、どこから開くか想像もつかない。しかし、その奥の部屋から漂う危険な匂いは確かにボスの部屋であることを証明していた。

 

「どこかに開くための鍵かなんかがあるはずだけど……」

「見当たらないね」

 

 アスナの言う通り、歩いて見ても窪みの1つも見当たらない。地と垂直に丸石が固められているだけでそれと言って怪しい箇所はなかった。

 何かイベントが必要なのか。歩き回り、様々な視点からこの一帯を見回す。しかし、目ぼしい物はなく、ここに仕掛けはないという前提で2人は推察を始めた。

 

「まだマッピングされてないところか」

「結構、あるよね。どうする? 見て回る?」

「時間もあるし、行くか。どうせ、通る道だ。早めに済ませよう」

「うん」

 

 この迷宮区は4階層からなり、全ての階層が完全にマッピングされている訳ではない。

 効率を考えた2人は一度、1階に戻り、徹底的にマッピングし、順に探索する形にしようという結論に達した。1階から順に解かなければならないという可能性も否めないのがもう1つの理由だ。

 来た道を振り返り、その長い道のりにネイトがそっと溜息をつく。

 ボスの部屋への扉を開くための条件があるのはこの第二十二層が初めてだ。もしかしたら、この先にもその仕掛けがある可能性は十分ある。

 解き方はまだ分からないが、苦戦を強いられるような場合ならば、このシステムは非常に厄介だ。仮に苦戦を強いられずとも時間の消費は否めない。

 浮かない表情で思考を巡らしているうちに1階に繋がる階段まで来た。

 その時だった。幾人かの悲鳴が混じって響いてきた。

 

「何だッ?」

「下から聞こえたみたい!」

「くそっ!」

 

 階段を跳ねるように駆け下り、着地。耳を澄ませ、声のする方へと急いで駆けた。

 駆けるたびに増す声量から尋常ではない事態が予測される。もう既にこの辺りからマッピングはされていない未開の地。現に見慣れない景色が続いていた。

 立ち並んだ砂岩の柱に挟まれて、規則的に設置される像は中世の騎士を思わせる佇みで甲冑を着ていた。その姿はまるで、動き出しそうなほどに恐ろしい気を放ち、来たる者を脅かす。

 しかし、ネイトの頭の中には像を見遣るだけの余白はなかった。

 段々と近づき大きくなる悲鳴に途切れるな、と強く願いながら見え始めた光景にハッとする。

 目に飛び込んできた広間には無数の盗賊、《ブリガント》とリーダー格に当たる大盗賊、《トップ・ブリガント》の姿があった。それに取り囲まれるは悲鳴を上げた主たち、合計6名のプレイヤーが同じ服装に身を包み、怯えていた。

 

「おいっ、早く《転移結晶》を使えッ!」

 

 後から駆け付けたアスナがその光景を見て、絶句すると共に驚きの声を上げた。

 

「あの制服……ネイト君、あの人たち《革命騎士団》だわ!」

「知り合いか?」

 

 そういえば、アスナは分団長だった、と後から気づき、ネイトは後ろ頭を掻く。

 

「ううん、でも間違いない。最近、団体を意識するために制服が作られたんだけど……」

 

 そんな事情はどうでもいい。頭を過った言葉がアスナを余計に焦らせる。

 目の前で怯え震えながらも、剣や斧、盾を構える6名の《革命騎士団》の団員たちのHPバーは赤色、危険域に達し、死がすぐそこに近づいていることを示していた。

 彼らが危険な立場に居ることは間違いない。そして、彼らが攻略組であることも。つまり、《転移結晶》は持っている筈。ならば、何故使わないのか。答えは簡単、使えないのだ。

 

(結晶無効化エリアか……!) 

 

 こちらに何名かの視線が向き、一瞬、その眼に希望の光が差した。分団長を担うアスナの実力と人格を知り、この絶望的な場面を切り抜けられる道筋を垣間見たのだろう。

 しかし、皮肉にもアスナは躊躇っていた。全てを助けようとする意志を掲げる人格者でも死を恐れない訳ではない。この状況を客観的に理解していたアスナは恐怖と良心が葛藤していた。

 ネイトも同様に心の中の複雑な感情に足が止まっていた。

 そんな時、死を関連付けて、ショウの死が頭を過った。

 瞬間、脳裏を電流のようなものが閃く。

 

「……なぁ、アスナ」

 

 途端に響く小さな声。アスナはこれを聞き逃さなかった。

 

「……何?」

 

 アスナはネイトの次の言葉を聞くより早く、内容を予感し、背筋に冷たいものを感じた。

 

「早速、頼って良いか?」

「……もちろん。構わないわよ」

「合図から5秒後……俺が斬り込む。後に続いてくれ」

「分かったわ。気を付けてね……」

 

 返事はできない。ネイトは聞く耳を持たずに合図を送る。

 5秒後、ネイトは敵陣へとその身を投げ出す。ゆらりゆらりと揺れる《ブリガント》の曲剣が妙に恐ろしく見えた。それと同時に嫌な景色を予期し、身をぶるっと震わせた。

 5秒が経った。ネイトが血相変えて身を沈ませる。

 

「絶対、死なないで」

「ああ、そっちも――なッ!!」

 

 全速力で駆け込む。

 無数の敵を切り裂き、鬼の如き形相で敵陣を駆け抜ける。

 一対の剣が織り成す光跡の模様を追うように細剣が正確無比にモンスターの急所を突き、様々な方向に突き出す。それはまるで、花火が爆発した瞬間のよう。

 ネイトの足が転瞬止まり、進路を垂直に変更する。その後を続いていたアスナがそのまま、突き抜け、敵と団員たちの間合いに割り込んだ。

 

「私たちが道を作ります。走る準備をして下さい」

 

 荒い息の混じった声の勢いに気圧されたように団員たちが無言で頷く。交替でポーションを飲みながら、命の安全を確保し、その間にアスナが激しく駆け回って、敵の接近を妨げた。

 一方でネイトは敵陣の最中で1対の剣を振り回し、攪乱を誘う。斬撃を剣で防ぐ度、曲剣が体を掠る度、ネイトのHPバーが微々に削られる。

 一瞬の戸惑いや手違いが命を大きく削る緊迫感に追われながら、ネイトは冷静沈着に全方位から嗾ける攻撃を防ぎ、躱し、受け流す。攻撃を見に受けたとしてダメージを最小限に抑えていた。そして、この激しい防戦の間々に反撃を挟んだ。

 

「……っ!」

 

 死角から背中を斬られた。体が前に押し出され、目の前に曲剣が迫る。

 紙一重。瀬戸際を曲剣が過ぎる。悪寒に恐怖を駈られ、しかし、負けまいと地を踏みしめ、基本突進ソードスキル《レイジスパイク》を放つ。明るい青の閃光が敵陣を駆け抜ける。

 更に勢いに乗せて、2本の剣を振り翳し、地に振り下ろす。刹那、《バッシュ・ウィンディ》の強烈な衝撃波が放たれた。ネイトを中心に半球形に広がった衝撃波がモンスター達を吹き飛ばし、怯ませる。

 

「今だッ! 走れッ!」

 

 空いた空間に繋がる道を強烈な刺突、《リニアー》で抉じ開けたアスナが6名のプレイヤーを連れて部屋から脱出する。硬直化したネイトと立ち止まったアスナを置き去りに6名のプレイヤーは急いで遠ざかった。

 硬直が解ける直前のネイトに曲剣が振りかかる。高い金属音と共に曲剣は明後日の方向に弾かれた。弾いた物の正体はアスナの細剣だ。

 ネイトは《観察》スキルで目まぐるしく首を巡らす。次の瞬間、《観察》スキル特有の音が脳内に響いた。見つけた内容が脳内で速読される。

 

「アスナ! 《トップ・ブリガント》だッ!」 

 

 その短縮された言葉だけで意図を理解する。ネイトの後に続き、《トップ・ブリガント》だけを目掛けて駆け抜ける。

 目にも止まらぬ連撃で《トップ・ブリガント》への1本道を抉じ開ける。その道をアスナが疾走した。

 

「《パイルストーム》」

 

 熾烈な刺突が暴風雨の如く、《トップ・ブリガント》の体へと突き刺さる。しかし、倒し切るには至らなかった。相手に3秒ほどの硬直時間を強いられたのが幸いの出来事だった。

 アスナの真横を過ぎ去り、ネイトが飛び出す。即座の行動であったが、《トップ・ブリガント》の硬直は解けていた。

 ネイトは既にソードスキルの予備動作へと入っている。防御は間に合わない、かと言ってこの好機を逃せば、次はない。捨て身の覚悟だった。

 恐ろしい速度で迫る曲剣がネイトの袈裟から入って、脇腹を過ぎる。

 ソードスキルが中断された――が、諦めない。次の手は打ってある。

 《ダブルサーキュラー》による突撃の2連撃。突進の勢いを乗せた突きからコンマ1秒遅れてもう片方の剣で切り裂く。勢いを殺さず、怒濤の猛攻を仕掛け、遂に《トップ・ブリガント》が散った。

 その次の瞬間、思い出したかのように部屋に掃いて捨てるほどいた《ブリガント》が矢庭にポリゴン片となって、各地で爆散した。

 束の間の後、4階の門が音を立てて、動いたのを彼らは知る筈もなかった。



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episode10 白熱の大将戦

急展開ですみません…。
オリジナルの設定が若干、多く含まれます。ご了承ください。

《観察スキル》:戦闘系スキルの一種で敵の情報やアイテムの情報など様々なものの情報を読み取れるスキル。


 1000人に及ぶ観客から浴びせられる無数の視線には胸が痛くなるほど緊張させられた。

 見上げて、首を巡らせれば、多くの目が自分を見ている。この状況が自分にとっては苦痛でしかなかった。

 目の前には高揚した様子で剣を構える青年が1人。今から彼と《デュエル》をすることになる。事実、彼らの間にしか見えないカウントダウンはもう既に30秒を切っていた。

 渋々と《イフリート》と《フェンリル》を構えた。

 

「はぁ、やるんじゃなかった」

 

 この場に巻き込まれた原因は2日前に遡る出来事のせいであった。

 

 

 

 

 

 

 ヴェルフの店で他愛もない話をしている時だった。アスナが突然、扉を勢いよく開け、必死の形相で叫んだことから事は始まった。

 アスナ曰く、第二十二層で助けた《革命騎士団》の団員たちの吹挙により、《英雄颯爽》と《革命騎士団》によるギルド1の座と絶対的な決定権を争う3体3の試合の選手として候補されたらしい。

 後は流れのままに団長のルドルフに呼び出され、丁寧な説明付きで懇願された。

 無論、第一声目は断った。人目に出る事を嫌うネイトにとっては最悪のイベントでしかないからだ。しかし、ネイトは《革命騎士団》側の意見に大賛成というのもまた事実。

 《餓えた狩人(ハンガー・ハント)》を黙視するのは心が痛いが、二次災害が否めない。ここで、多くの攻略組プレイヤーが失われれば、ゲームクリアから足が遠退く可能性がある。

 そして、一番大きな理由がネイトには密かにあった。候補として名が挙がったのはネイトだけではなく、《革命騎士団》の団長、副団長、そして、アスナだった。もしも、ネイトが断れば、当然選ばれるのはアスナ。これは絶対に避けなければならない、と強く思っていた。

 単に彼女にこのような経験をして欲しくないという理由もあるが、男としての意地というか何というか言葉に表せない合理的でない感情があった。

 結局、団長の発破と執念もあって、これを受諾した。

 

「やるからには勝ちます」

「期待してるよ、ネイト君」

 

 

 

 

 

 

 思い出すだけでも不快だ。あそこで押し負けた自分に一喝を入れてやりたいくらいだ。

 自分に視線を掻き集める観客を見るたびにそう思う。

 しかし、観客の中から眉をひそめて心配するアスナの視線と視線が合った時、その後悔は吹き飛んだ。彼女がこの場に立つ未来に比べれば、よっぽど良い。こちらの感情が後悔を上回った。

 さて、敵は間違いなく、強敵だ。経験上で分かるが、事実上でもそうである。

 団長の計らいで唯一、戦わなくて済むかもしれない大将にネイトを抜擢してもらったが、裏目に出たようだ。一番大事な立場になってしまい、しかも、敵は《英雄颯爽》の大黒柱ときた。

 見るからに武器は片手用直剣だ。双剣使いのネイトとしては有利なのは確か。だが、本来、片手用直剣を握る者はもう片方の手に武器や盾を握られるという利点がある。それを放棄するほどの理由があるとなると怪しい。

 手数はネイトの方が多い。利点を活かしつつ、丁寧な試合運びをすれば勝てないことは無い。

 残りカウントは20秒。手に汗握る瞬間は直ぐ目の前にある。

 だというのにも関わらず、敵は堂々と話しかけてきた。

 

「ねぇ、キミは強いの?」

「……」

「だんまりしないでよ。僕はベル。名前くらいは教えてよ」

「……ネイト」

「ネイトさんだね。よし、覚えたよ」

 

 残りカウントは10秒。

 彼の口が開く。まだ喋るつもりか。

 

「僕、ずっとこの時が楽しみだったんだ。だから最初から――」

 

 刹那、背筋が凍るほどの狂喜染みた殺気が全身を包み込んだ。

 

「――本気で行くよ」

 

 ――瞬刻。

 ベルの顔から悦楽の色が消え、冷血な殺戮者が滲み出たような狂気的な表情へと一変した。

 初めて殺気と表情だけで見の危険を感じた。瞬く間に肉薄したベルの顔に動揺を見せる間もなく、咄嗟に剣を構えて、防御の姿勢を取る。

 

「っ!?」

 

 激しい衝撃に吹き飛ばされ、地面に足を擦り付けながら、体を静止させる。

 顔を顰めながら、ゆっくりと見上げる。

 驚きと喜びが混じり合った不可解な表情を滲ませたベルの顔に顔が引き攣るほどの不快感を覚える。

 

「へぇ、あれを防ぐんだ……楽しみだなぁ」

「っ、楽しくねぇよ」

 

 苦笑いを浮かべながら、剣を構える。

 本気で、殺すつもりで挑まなければ、確実に負けることを悟ったネイトの表情が一転。

 眦を鋭くし、駆け出す。恐ろしい速度で迫る狂気の顔を真っ直ぐに睨み、臆さない。 狂った眼と対等に睨み合えるだけの精神力と実力がネイトにはあった。

 ネイトの斬撃の圏内にベルが入ったとほぼ同時に《ダブルサーキュラー》の刺突と斬撃の2連撃が叩き込まれる。これを容易く、防いだベルは不敵な笑みを浮かべながら、一閃する。だが、これを軽いステップで躱したネイトが猛攻を仕掛ける。

 

「っあああ!」

 

 唸り、ネイトの剣が十字を描く。次々と目に止まらぬ速さで2本の剣が乱雑に踊るが、これを掠り傷1つなく、躱すか、防ぐかであしらってみせるベル。

 2本の剣による数々の一閃を全て1本の剣だけで対処し、尚且つその顔からは不敵な笑みを絶やさない。流石のネイトもこれには焦燥を感じざるを得なかった。

 ネイトは鮮やかな火花が舞い散る中、飽きっぽい表情を浮かべたベルの目と目が合った。

 

「速いだけで読み易い、よッ!」

「ぐっ」

 

 下段からの振り上げを、剣を十字に交差させてその交点で防ぐ。しかし、ネイトの体は真上に吹き飛び、奇妙な浮遊感に襲われた。直後、体が一瞬静止し、ものすごい勢いで落下していく。

 垂直落下していくネイトの真下では剣を振り翳し、待ち構えるベルがいた。その握られた剣の刀身は赤いライトエフェクトを帯びて、ソードスキルの発動を示す。

 全身に悪寒が走る。前転で姿勢を正し、剣を構える。そして、来るべき衝撃に備えた。

 

「《ウィンガル》」

 

 詠唱の後、振り下ろされた剣は暴風を巻き込むようにして纏い、ネイトの双剣と衝突する。

 内臓まで響くような衝撃。垂直落下していた体は急激に進路を変えて地面を凄まじい勢いで転がった。

 喘ぎながら、顔を上げる。剣は2本とも手にある。HPバーは運よく1割削られただけですんだ。

 さて、思考するべき件を脳裏に浮かべる。

 彼が放った《ウィンガル》。見たことの無いソードスキルだった。風を巻き込み、剣に纏わせ、威力を高めてそれを振り下ろす。

 そして、驚くべきことは正にこの後だった。

 

「風を操っている……?」

 

 ソードスキルとは本来、システムアシストに合わせて自発的に体を動かすことで威力と攻撃速度を大幅に上昇できるもの。硬直時間や使用間隔という欠点もあり、決してアシストを妨げるような動きはあってはならない。

 しかし、彼は今も尚、剣に風を纏わせながら、自身の自由な意思が伴った動きをしている。魔法が存在しないSAOⅡにおいて、剣に何らかの属性や効果を持たせ、可視化するほどの現象を付加させることなど聞いたことがない。

 

「驚いているようだね。これが僕のユニークスキルさ」

 

 ユニークスキル。その言葉を聞いて合点がいった。名の通り1人のプレイヤーに与えられる特有のスキル。ゲームバランスを大きく歪ませるほどの強力な性能を有しており、その習得には相当な時間が必要な筈。

 この段階で習得しているのは早すぎる。

 

「名前は《魔法剣士》。様々な属性を片手剣のみに付加でき、その属性に応じて様々な効果を発揮する。使用時間は限られているし使用間隔はけっこう長いのが残念だけど、硬直時間はなし。凄いでしょお」

 

 子ども紛いの自慢に苛立つが、その力は本物である。

 ネイトは口角を釣り上げた。道理で強い筈だと納得できた。先程まで自分が有利だと勘違いしていた時が恥ずかしい。

 

「じゃあ、時間も惜しいし……始めようか」

 

 単に試合を再開しようと言っているだけなのだが、妙に恐ろしい。早く殺してしまいたい、そんな風に聞こえてくる。

 観客から降り掛かる盛大な歓声は最早、ベルの味方に付いている。観客までもを味方につけ、最強のユニークスキルを暴露し、常に笑みでいられる余裕を持つ。

 どこに付け入る隙があろうか。否、作るのだ。

 勝ちはほぼ絶望的ではなかろうか。否、滾ってきた。

 

「やってやる」

 

 嬉々とした声を出し、猛進する。

 振り上げた単調な斬撃は空を切り、薙ぎ払いは剣で軽くあしらわれた。

 諦めず、果敢に剣を振るう。敵の剣との衝突で起きる軽い衝撃は恐らく、奴のいう属性の効果というものだろう。風から連想されるのは言うまでもないが、ノックバックだろう。それは敵の斬撃でなければ、発動しないらしいが、衝突するだけで軽く発動するのは厄介だ。

 猛威と言うに相応しい剣戟をベルは見事に対応して見せる。捌きつつ、時折、見せるベルの反撃は全て空を切っていた。

 少し距離を取ったネイトが再びシステムアシストに合わせた動きで《ダブルサーキュラー》を放つ。しかし、1撃目の刺突を受け流され、2撃目は速断で中断。そのまますれ違うと見せかけ、足首を強くひねって、ベルの腹に向けて突き込んだ。

 

「甘いよ」

 

 腰を捻って躱され、更に攻撃の機を与えてしまう。横一線に振るう薙ぎ払い、ネイトはこれを予期した。

 ネイトは驚異的な動きで身体をのけ反り、薙ぎ払いを躱す。更に思い切り蹴り上げて体を回転させ、剣を振るって反撃に持ち込んだ。

 すっとベルの横腹に傷が入る。しかし、ネイトの剣先が掠っただけでその動きに見合っただけでのダメージは与えられない。

 ネイトは曲芸人紛いの動きでステップ。しかし、これを見切ったベルは逃すまいと風を纏った剣を振るう。

 ひゅおん、という風を引き裂くような音が鳴り、次の瞬間に剣と剣がぶつかる。

 強烈な一閃を防御したネイトが放物線を描いて後ろに跳ぶ。それはノックバックを出来る限り押さえるためのネイトの策だった。だが、ノックバックを完全に消す事は出来ず、やや体が仰け反るが、大事には至らない。

 

「知ってるとは思うけど、風の効果はノックバック。そんなに攻めてきて良いの?」

「避ければ良い……そうだろ?」

「ふふ、君はやっぱり、面白いね」

「褒められた気はしないな」

 

 2人の会話には最早、愉快さすら感じられる。だが、その奥に秘めた、突き刺すような攻撃的な心意の数々はまるで、対話するだけでも争っているに見える。

 その真意を知ってか知らずか、お互いの好ましい洗練された会話に会場が歓喜の声を上げる。場の盛り上がりは十分だ。2人は場を盛り上げる演者のようであるが、その真相はただ純粋にお互いを斬り合う闘士。場の雰囲気など気にもしていなかった。

 数秒ほどの睨み合いをした直後、ほぼ同時に全速力で地を蹴った両者が激しい剣戟を繰り広げる。

 ネイトは怒濤の猛攻を仕掛け、隙あらば、襲いかかってくる必殺の剣を死に物狂いで避ける。

 ベルは鬼の様を思わせる気迫を纏ったネイトの猛撃を全て防ぎつつ隙を見つけ出して、猛威を振るう。

 

「はぁあああ!」

「っせあああッ!」

 

 激しく剣がぶつかる。ネイトが吹き飛ばされ、地面を擦過する。

 腕に伝わる痺れ。つい、躍起になって、剣に触れてしまった。押し負けることは確実だ、と改めて言い聞かせ、剣を構える。

 ネイトが歩み出ると、ベルが先に仕掛けた。薙ぎ払うように剣を振るう。

 直後、コロシアムの砂煙が舞い上がり、ネイトを飲み込んだ。思わず、目を塞ぎ、腕を被せる。

 接近する足音。追い立ててくる気配。鮮明になる殺意。それらを頼りに敵の位置を判断し、がむしゃらに剣を振るう。ひゅっと砂煙に1本の筋が入る。

 微かに見えた屈み込む影。振り上げられるのは真っ赤に染まった剣。

 それが炎だと気付いた直後、身体を熱が飲み込んだ。

 砂煙の中央で赤い閃耀が煌めく。突如、観客たちを襲った風と砂と熱は圏内システムの保護により、何らかの影響を与えることなく、消えた。

 激痛に顔を顰めながら、たたらを踏む。背中に何かが当たった。コロシアムの端まで来てしまったようだ。

 

「っ……」

 

 HPバーを一瞥する。もう4割なくなった。残りあと1割で負けが確定する。あの時の咄嗟のガードが無ければ、きっと今頃、敗北の報せを見ていたに違いない。

 砂煙が晴れる。堂々と立っていたベルの剣は既に真っ赤な炎を包んではいなかった。あの強大な1撃は1発が限界らしい。

 戦闘狂ではないが、追い詰められ、新しく追加されたモード、《強制復帰》のためシステム上、この《デュエル》で死ぬことはあり得ないのだが、緊迫した空気と明確な殺意でHPバーが可視化された命のように見える。

 だからこそ、敵を殺すという明確な意志で、冷酷無情になれた。もしかしたら、命の危険を錯覚し、本能的に勝ちを求めた結果かもしれない。

 

「そろそろ……終わりにしようか」

「ああ」

 

 途端に短く話を切り、研ぎ澄まされた両者の眼がお互いを噛み殺す獣のように光る。

 

「「……」」

 

 その緊迫された様子に騒ぎ切っていた観客たちが固唾を飲んで見守る。皆が唇を食い締めて黙り込み、会場が静謐に統一された。

 石のように堅くなり、全身が緊張する。思えば、嫌々で臨んだこの《デュエル》。今となっては、高鳴る心臓の音がはっきりと聞き取れるほどに昂然としている。

 どういった動きで攻めるかはもう心に決めている。あとはその時を待つだけだった。

 今や、2人の間に観客という存在はいない。この試合本来の最終目的も眼中にない。あるのは勝利か敗北か。

 刹那、お互いの体が深く沈んだ。

 熾烈を極めた熱戦が後半戦へと突入する。



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