転生した者は喜びの声を上げ (ガビアル)
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転生した者は喜びの声を上げ

 胸元に迫る繊手を場違いにも「美しいな」などと思った。

 一瞬の衝撃、空に薔薇のような血が舞う。

 私はどこか痺れた頭でそれを見て、ゆっくりと倒れ伏す。

 

   ◇

 

 岩塊に潰された自分、それはもう酷い有様だった。

 痛いというより熱い、熱いというより寒い、寒いというより感覚がない。

 ある意味幸せだったのかもしれない、きっと失血性ショック、確かそんな名前だ。心臓が動きを止め、脳に血がいかない。息だけが荒くなるも、眠りにつくがごとく静かに意識は消えていった。

 

「……日本語というのも悪くない。さて気がついたかしら」

 

 一瞬の意識の空白の後、白い場所に居た。石灰岩の純白の床、装飾の施されたやはり純白の柱、そして純白の壁。思考が止まる、血を吹き出してぽっくり逝ったはずだと思ったのに。むしろあれは夢? そうも思いたくなる、手はある、足もある。頬を触れば顔もある。

 

「混乱しているのは理解できる、人は皆そう。記憶は残っている? どこで死んだかは?」

 

 美しい女性が目の前に居た、美しいというより凛々しく、凛々しいと言うには神々しすぎる。纏った乳白色のトーガ、いやヒマティオンというのだっただろうか、衣服を揺らし、手を差し伸べてきた。

 素焼きのコップに水、飲みなさいというので恐る恐る受け取る。なぜだか有り難みのある水を飲み、思考を落ち着かせる。

 

「記憶、記憶……そう、俺は旅行で、アテネに来て……パルテノン神殿に来て、地震が、崩れ……え?」

 

 はっきりしすぎている。あれは夢では、ない? 嘘。

 

「そう、お前は死んだ。ただ、望むならば生かしましょう、その為にハデスに頼み、冥界、レーテのきわより連れてきたのだから」

「死……冥界?」

「ええ、お前は我が名を冠する都市、我が神殿で捧げられた久しぶりの人の魂、機嫌もよくなろうと言うもの。ただ、オリュンポスに入れ、仕えさせるほどの資格は無い、それ故生かし、イアソン以来の祝福を与えようと言うのです。我が祝福を得、今ひとたびの人生を送れば英霊の一角とするだけの命にもなるでしょう。選びなさい、生か死か」

「そ、それは生きたい、生きたい……です!」

「そう、ならば知と美、そして戦を司るゼウスの娘、アテナの名においてお前を祝福しましょう」

 

 女性はいつしか手に持っていたオリーブを編み込んだ輪、それを俺の頭に静かにかぶせた。

 

「そして思いなさい、いかなる大地に生きるのか」

 

 なぜか少し前にあちこちのサイトを巡り読んでいた二次創作なんてニッチなジャンルの事が浮かんできた。待て、待って、何で今更そんなものが、似てる、確かに神様転生とかそんなのと状況似てるけど、止まれ、止まって脳細胞。

 しかし一度思い出してしまったものは止まってくれない、最近もっとも読んでいたアレを思い出してしまうなんて、いやまさか創作物の世界なんてあるわけもない。女性、いやさアテナ様……か? は微動だにしない。ただ静かに眉を顰めた。

 

「父よ、この者は我がものです……いえ、なれば」

 

 独り言を呟いたかと思うと、悩ましげに息を吐く。俺に目を向け、頬に手を当てられる。少しの感情がこもっているように思えた、これは、呆れとかすかな憐憫?

 

「我が父にも困ったもの。そしてオリュンポスは常に享楽に飢えています、むくつけき男などよりヘレネがごとき美女とせよ、などと」

 

 そして俺が何かを言う前に、景色は段々ぼやけ始め──

 

「せめてアフロディーテのものとは異なる、我が美を与えましょう、では次なる生を生きなさい」

 

 視界は白い建物よりさらく白く、塗り替えられた。

 

   ◇

 

 前世の記憶、そんなものを信じる方が馬鹿げている。

 正直信じたくない。そんなものを信じてしまうと、急に世界が壊れ物のように感じてしまい、不安になって、泣きたくなってしまう。ただの六歳児のように。

 そんな子供っぽい心とはちぐはぐ過ぎるほどに体の状態は異常だ、不釣り合いな知性、誰も教えなかったはずの日本語と辿々しい英語はすぐに話せるようになる。記憶力は馬鹿らしいほど良くて、地元の小さな教会が配布していた聖書など一回目を通しただけでそらんじてしまった。

 体も恐ろしく強かった。親に、そんなに乱暴に走り回ってはいけないとも言われるので自粛しているものの、全く鍛える事のない六歳児の体で全力疾走のシェパードに負けず、猫のように自分の何倍もの高さまで飛び上がることもできる。

 容姿については、男であった時の記憶なんかが頭にふとよぎってしまう現状だと微妙なのだが、綺麗な子、美しい子とは言われている。鏡を見れば、確かに目鼻立ちは整っている。茶色というよりもっと薄い色の髪はふわふわと猫っ毛で癖が付きやすいのが難点だが。

 

「うん、今ならまだ少年と見えなくも」

 

 髪は伸ばすのを酷く嫌がってみせるので、常に短い。親指と人差し指でVの字を作り顎に当て、ポーズを取ってみる。何だか鏡の中を自分を無性に殴りたくなった。

 

 極めつけの異常がある。異常過ぎて異常過ぎて扱いに困るもの。

 いつもの場所、地中海の風の吹き付けないオークの林、その奥にひっそりと佇む壁の崩れかけた遺跡。大きな建物ではあったのだろう、石造りの基礎はとても丈夫そうだ。近くに道すら無くて、忘れ去られている。観光客の一人どころか地元の大人達も知らない場所。かつても子供達が見つけて隠れ場所にでもしたのかもしれない。

 その一角で白樺の木を焼いて作った消し炭で模様を描く恐らく元はヘブライ語「白樺」「消し炭」名にも意味がある、それを読み解き数字とし、意味に意味を重ねれば、違う象徴に。本来は占事、自然を占うもの、しかしこれは象徴から現象を生む。回路を動かす、イメージは火。暗闇に蛍のような火が点る。転化された力が模様を走り定着。一瞬の後、発現する『炎』模様に作った象徴通りの現象。綺麗な炎だ。しばらく魅入る。

 魔術に他ならない。それがどんな系統のものであるかなどは全く判らないものの。何故か知識がある。魔術回路がある。何をどうすればそうなるのかが解る。とすると、やはり、どうもその……

 

「抑止力とか埋葬機関とか魔術協会とか、うようよ吸血鬼が居たりするのか」

 

 いかなる大地にと聞かれた時につい想像してしまった物語。

 そんな阿呆なと思い、信じたくなくて、何度も魔術を試した。あの時は混乱していたとしか言えない。試しているうちにどんどん魔術回路が何というか、感覚的にこなれてきた。苦痛が伴うとかどこかで聞いた事あるのだけど、どこに行った苦痛は。少し痺れの走るような気持ちよさすら感じてしまっている。

 足でごしごしと踏みにじり、描いた模様を消す。魔術師連中の狂いっぷりは半端じゃなかったはず。魔術なんかに近づかない方が良いというのは判ってるのに……つい使ってしまう。自分の精神の幼さを盾に取るわけでもないが、常識で有り得ない事を出来るというのはやはり楽しい、新しい事が次々と出来るようになる感覚も癖になる。この知識と労せず使えるこの力、これも女神の加護というものなのか。

 

 家に帰るまでに通りがかった広場で近所の子供に絡まれた。近所の子供といっても自分と同い年、育ちが良く、頭一つ大きい。

 

「ミュリエル! おとこ女のミュリエル! ちょっと待て、新しいドリブル技を覚えたんだ、勝負していけよ!」

 

 ミュリエル、自分の名だった。ミュリエル・クレール、それが新しい名。さすがに馴染んだものの当初は何と無い違和感にも悩まされたものだった。何というかまあ珍しい名前というわけでもなく、ごくありふれた名。そんなありふれた所がちょっと気に入っていたりもするけど。

 この南フランスでもやっぱりサッカー選手は英雄だ、さっきから腕を掴んで放さない少年もまたそんな英雄に憧れるサッカー少年だったりする。

 

「エディー、お腹空いてるんだけど」

「僕の知ったこっちゃない、とにかくきっかり勝負がつくまでやるぞ! いつものように一対一で勝負、シュートはゴールエリア内で蹴ったもののみ有効だ!」

「うおぁー暑苦しい奴だー」

 

 ずるずると引きずられる。勝負がつくまでと言いながら、こうなると自分が勝つまでやめないのだこいつ。そして実はこちらも結構血の気が多いところがあって、盛り上がると中々負けたくなくなってしまう。身体能力が阿呆なレベルで高止まりしているので、大抵暗くなるまでボールを蹴る事になってしまうのだった。

 結局その日も暗くなるまでボールを蹴りあってしまい、悔しそうにしゃがむエディと、腕を組んで勝ち誇る俺、そんな二人が両成敗とばかりに自分の親に夜遊びの罰として拳骨を食らうのだった。

 

 クレールというのは父方の姓なのだが、実は母には先立たれてしまって男手一つで育てて貰っている。この俺みたいな奇妙な子供を育ててくれて何というか、いやまあ、血の繋がりというものもあろうか、やはりかなり好きな父親だった。寡黙だが。プロヴァンス料理のレストランをしていて、ハーブの使い方がそれはもう見かけのごつさに似合わずとても繊細、父直伝のエルブ・ド・プロヴァンスのレシピは到底譲ることはできない。市販のものとはちょっと分量が違うだけなのにこれを使うと三割増しで美味しくなる、正に魔法のスパイスなのだ。

 

   ◇

 

 フランスの卒業式は初夏に行われる。ちなみに暑い。緯度は北海道より高いはずなのに暑い。路上には半袖の人ばかり、ひまわりは咲き乱れる。

 私はコレージュと呼ばれる、日本で言う中学校を卒業し、卒業パーティに参加していた。

 そう、もう自分の事は俺などとは呼べない。むしろそちらの方が恥ずかしさがある、いや自己認識はやはり男であり「俺」でもあるのだが。普通に月経も起き、二次性徴も経て体がもうどうしようもないくらい女になってしまっていた。こればかりはもう致し方ない。友人はやはり男友達が多く、そのくせ恋人として付き合う男はいない。女性を好きになる事にも抵抗がある。人からは不思議な存在と見られているようだが、自分でも不思議だ。話に聞く性同一性障害のようなものかもしれない、中性的な自分、ミュリエルという個性があることを理解してもらう他はない。

 

「それでエディ、この薔薇の花束は何の真似か教えて欲しいんだけど」

「言わせるのかミュリエル、それともシェイクスピアの言葉で飾ればいいのか?」

「いんや、どちらにせよ物好きを笑うだけ」

「僕はその物好きであったというだけだ、ただ、お前からただの誰かと見られるのは最悪だ。お前からだけは特別に見られたいんだよ」

 

 うむ、馬鹿だ。とびっきりの馬鹿がいる。

 私がどうしようもないものだと判っているのにどんどん突き進んでくる馬鹿が。

 どうしろと言うのだまったく。

 そして当然ながら肩をすくめ、首を振った。ため息と共に。

 

「だからさあ、私みたいなのじゃなくて普通の女の子を口説くべきなんだよ、我が幼馴染みよ」

「僕が諦めの悪い男であることは承知の通りだ、我が幼馴染みよ。しかしこの会話も何度目なんだろうな」

 

 少なくとも二十は超えている、面倒になって数える事はやめていた。

 クラスメイト達がなんだまたいつものやりとりかと笑っている。

 レストランの飾り用になら、と薔薇を受け取り、それでも何故か嬉しそうなエディの顔にちょっとした罪悪感を覚えた。

 

「いや本当に普通の女の子ならこれだけ毎回口説かれれば大抵成功すると思う、本当に勿体ない。時間の無駄遣いだ、お前の人生それでいいのか」

「人が旅をするのは目的地に到着するためではなく、旅をするためなのだ、僕の生き方も同じ事」

 

 私は北北東を指でさした。

 

「ゲーテに謝った方がいい、割と全力で」

「……時よ止まれ、お前は美しい!」

「命でも取られたいの?」

「ミュリエルの正体がメフィストならば是非」

 

 お望み通りに、と後ろに回ってチョークスリーパー……をかけようとして。

 

「エディちょっとしゃがめ、届かない」

「今や百八十の大台に乗ったからなあ」

 

 対して私の身長は百六十にも満たない。四捨五入すれば何とか、というレベルだ。届くわけがなかった。

 しゃがんだエディの首に腕を回し、きゅっと。

 

「うん、柔らかい、発展途上だが良い感触だ」

「何を堪能してるんだお前は」

 

 本当に絞め落としてくれようか。と腕の力を強め、エディは顔を青くしてギブギブと腕を叩く。そんなある意味いつもの光景を切り抜くように、クラスメイトの一人が写真に収めた。

 

   ◇

 

 リセ、と呼ばれる日本の高校のような扱いのもの、その一年になってもちょっと愚直に過ぎる幼馴染みとの交友は続いた。むろん人間関係はそれだけじゃない、

 渋みを増す職人肌の父親は健在、最近では何かと花屋のフローラさんとの付き合いも多いようで、男やもめに未亡人、もしかしたらもしかするかもしれない。

 ご近所の物知り婆さんとして知られているジゼルさん、パン屋のイレーヌおばさん、その娘のカティアは同い年だしクラスメイトなのだが、どうもエディが好きなようで、私とはちょっとばかり複雑な仲だ。

 男友達はやはり多く、それはリセになっても変わらない。ちびのアドリアンとのっぽのデニス、インドア派のゲーム好き、日本のゲームも大量所持しているジュリアン、地中海に泳ぎに行くと決まってバーベキューセットを持参してはしゃぐお祭り男のモーリス。

 季節は夏、からりとした暑さの中、私も十六の誕生日に近づきつつある。

 レストランと隣接している家に帰ると、父の料理を手伝い、あるいはウエイトレスとしてこまごまと働く。賃金もアルバイトとしては安いとはいえお小遣い以上のものを貰っていた。あまり服などにもこだわりがないので貯金に回している、一年もすれば安い車の一台も買えるかもしれない。その前に免許だが。

 

 楽しかった。

 だからこそ忘れていた。

 この世界には日の当たらぬ場所で蠢く存在もまた多いのだということを。

 

 始めは猫の死体だった。

 それだけなら珍しくもない、この町には猫が多い。猫同士の喧嘩もあれば、運悪く交通事故に巻き込まれてしまう猫も居る。そう、ただの死体なら。

 

「また猫の干物が発見されたらしいな」

「嘘でしょ、また?」

「ノルベール通りにだってさ」

「この手のは警察も面倒臭がって動いてくれないしなあ」

 

 クラスで噂になっている。そう、ここの所そんな妙な事件が続いていた。失血死した小動物、猫だけじゃない、鶏や鼠、小型の犬もやられている。そのくせ血の痕跡は見つからない。オカルト好きはキャトルミューティレーションなどと騒ぎ立て、どこで聞きかじったのか、イタチみたいな血を吸う外来生物でも来たかと言う奴も居れば、動物虐待を繰り返す変人が居る、危ないからエスコートさせてくれないかと、ここぞとばかりに好きな女の子にアプローチをかける男の子もまた居た。

 何となく視界の端に留めて見ていると、一言で断られている。哀れ。頑張れ男の子、くじけるな。

 

「ああいう断り方見ると私みたいなのってまだ温情主義なんだ」

「一々勇気を振り絞っても常に『のれんにうでおし』のミュリエルは温情主義とも違うと思う、この用い方で合ってる?」

「合ってる合ってる、同じ様な意味で『糠に釘』って言葉もあるよ」

「ぬか?」

 

 エディは糠という単語が判らないようで不思議そうな顔をした。うん、こやつ、私がたまに日本語で喋ってるのでいつの間にか覚えてしまったらしい。

 

「米のふすまの事、日本だとこれを使って漬け物作ったりするんだ」

「相変わらずミュリエルは日本通だな、日本でレストランでも開くのかい?」

「それも面白いか、こっちの料理は結構目新しいかもしれない」

「なるほど、僕もウェイターの修行を今の内にしておいた方がいいな」

 

 私は長机に肘をつくエディの額にデコピンを食らわせた。

 

「プロのチームから誘われてる選手が何を言っている」

「それを投げ打っても得る価値のある女って事さ」

「下手なアンドゥイエット(臓物ソーセージ)並に臭い事を言う、大体おまえね……」

 

 説教をする。いい加減ちゃんと未来を考えろと。

 子供の時遊んでいた、玉遊びとしか言えなかったサッカーについては、いつしか隣町のそれなりに有名なチームに入って頭角を現している。子供の時からの夢が叶いそうだと言うのに何をいっているのだろうこいつは。

 以前見に行った試合を思い出す。とんでもないボールのキープ力だった。

 

「今となっちゃ私だってお前からはボール奪えないよ、ちょっと悔しいけど」

「そりゃあ、自分より小柄で速くて力の強い奴から奪われないように散々鍛えた技術だからね」

 

 自慢げに胸を張るエディを頬杖をついて眺める、その後ろでカティアがこちらをちらちら気にしていた。いつもの事だが居心地が微妙だ。

 

 学校も終わり、地中海の水平線に近づいた太陽を眺めながら歩いていた。猫の血を抜いている猟奇な変態さんと遭遇するのも真っ平御免だ。足早にまっすぐ帰る。いや本当にそんなのが原因かは分からないが。

 あるいはもしかして吸血鬼……とも思わないでもない。何せ物騒な世界なのだ、三咲町なんて町も地図にあったし。もっとも、そんなモノが来たなら猫などではとても済まないだろうけど。

 

「うん、いざとなったらカレー先輩とかも居るだろうし、お願いするしかないよなあ、おもてなしの為に手広げてガラムマサラのアレンジでも考えておいた方がいいか」

 

 プロヴァンス料理はニンニク、トマト、オリーブオイルのみにあらず、魚介のレシピもまた多い、地中海風シーフードカレーでもご馳走して機嫌をとっておくのが吉だろうか。カレーさんが来るかも判らないけども。

 私もいい加減いろいろ変わった経験はしているとは思うが、まず戦うとか物騒な事に参加するなんて選択肢は無い、子供の時は夢中になっていた魔術なんてものも、やはりあれは子供だから楽しんでいたのだろう、今となっては随分ご無沙汰だ。

 

「……まあ、いざという時なんて来ないとは思うけど」

 

 ニュースを眺めていても、当たり前だがその手の情報は出てこない。情勢不穏な東欧の話の方が今は一番飛び交っている。むろん南フランスの小さくも大きくもない港街で起きている猫の変死事件なんてどのメディアも触れる事はなかった。

 

   ◇

 

 乾いている。

 乾いている。

 乾いている。

 ぺたり、ぺたりと無様に、足をもがれた蜘蛛のように歩いている。

 黒いモノが横切る。

 咄嗟に捕まえた。

 飲み物だ。あかい、飲み物。

 優しくしぼり、飲み下す。

 美味しい、美味しい。

 甘く、淡く、命に満ちあふれていて。

 足りない。

 足りない。

 こんな小さなものじゃ足りない。

 もっと大きいものがいい。

 いっぱい詰まっているはずだ。

 あかい、飲み物。

 

 ある日、猫の変死体のみならず、とうとう人の変死体が出てしまった。

 やはり血が抜き取られていて、失血死。これにはさすがに腰の重かった警察も動き始めた。新聞もこぞって取り上げ、蘇ったドラキュラ伯爵か、現代のエリザヴェート・バートリかなどとも書かれている。

 普段あまり口うるさい事を言わない父親もこれには渋い顔をした。新聞を読みながら。

 

「ミュリエル、しばらく仕事が忙しい、バス代は出してやる、早めに帰ってこい」

 

 などと言う。確かにマスメディアの人達が食べに来るかもしれないが、このレストランはどちらかというと地元密着型だ、あまり仕事が多くなったり少なくなったりという変動はない。こんな時くらい素直に心配してる様子を見せんかと言いたい。

 街も皆どこかいつもの空気ではない。何とはなしにそわそわとし、不安げな様子だ。

 もっとも私の内心で沸き上がっている不安にはとても及ばないだろうが。

 何せ知っている、この世界には吸血鬼なんてものが本当に居るんだってことを。確かそう、もう大分風化してしまった記憶だけど、死従と言うのだったか。昼の間は確か動かなかったはず。おお……もっとちゃんと思い返しておくんだった。かなり忘れている。カレーさんと麻婆さんと志貴君とアルクェイドくらいしか覚えていない、辛いもの繋がりで何か混ざった気がする。

 ともかくも、何かあったら教会に逃げ込もう。こちとら週に一回の礼拝は欠かさないカトリック教徒なのだ、あまり敬虔でもないけど多分守ってくれる。きっと、多分。確かそういう吸血鬼退治とかしている組織があったはず、そうだ、聖堂教会とかいったか。これだけ騒ぎになればきっと既に動き出している、調査とかに来ているはず。そう信じよう。

 正直かなり神経質になっていた、気もそぞろで授業に集中なんてできようはずもない。クラスメイト達には途中でばれてしまった。吸血鬼とかの単語が出てくるだけでびくりとしていたので、無理もない話であるけれど。

 

「まさか鉄壁ミュリーにそんな弱点があったとはねえ、ふひひ」

 

 などと日本のゲームに嵌るうちサブカルチャーにも染まったジュリアンなど、好き者以外誰にも判らないネタでからかってくる。

 

「難攻不落の要塞にも意外な落とし穴があったもんだなあ、エディ、付け入るチャンスだぜ」

「おお、苦節十六年、ようやく僕は報われるのか、報われて良いんだな!」

「普段ならまず応援なんかしないが、お前は別だ、そろそろ救われていい、応援するぞエディ!」

 

 妙な盛り上がりを見せる友人達の声を聞いてため息。

 いや、知らなければこんなものか。脳天気なと思ってしまってはいけないのだろう。

 窓の外は燦々とした陽光が照りつけている。うん、今日は早めに帰ってしまおう。友人達にも早めに帰るようには一応言っておくとして。

 

 ちょっとした違和感があった。

 帰り道、ハーブを手入れしているジゼルお婆さんと挨拶を交わす、その痩せた首になぜか手をやってしまい、何やっているんだ私は、と不思議に思う。咄嗟に肩を揉んで誤魔化したものの。

 

   ◇

 

 数日が経っても警察は何の成果を上げることも出来ず、捜査は難航しているようだった。ただ、警察が巡回するようになって以降変死体は出ていない。

 そんな中、私は十六才の誕生日を迎えていた。

 少々不本意ながらも、母親の形見だと言われれば否応もない。ドレス姿を皆の前に披露する。こんな事件の最中なのであくまで控えめではあるが、友達一同が集まり誕生日を祝ってくれているのだ。レストランの中、寡黙な父が腕を振るった美味しい料理に一同舌鼓を打つ。友人たちにそそのかされて、ダンスを申し込んできたエディとも一曲踊ってしまった。サッカーの技術に比べるとそちらは少々覚束ないもので、私は足を踏まれないようにドタバタとしたものになってしまったのだが、周囲の笑いは誘えたようだ。写真もまた撮られてしまっている。

 パーティが終わり、お日様の香りのするベッドに入る。

 今日は楽しかった。皆で騒いで、賑やかで、暖かくて、何もかも忘れて壊したくなった。潰して、抉って、殺したくなった。

 

「……え?」

 

 体が震えた。奥歯がカチカチと音を立てる。自分の体を強く抱き、折れよとばかりに締め上げた。頭が痛い、頭が痛い。震えは止まらない。

 一度認識してしまうと駄目だった、理解する、理解してしまう。なぜならそれを私は知っていたのだから。知っていたからこそ、私は私の中に潜むものを認識してしまう。

 

「あ、ああ、あぁあ……」

 

 恐怖か、何か。訳の判らない激情で涙が溢れる。ただの呻きに似た声しか出せない。

 アカシャの蛇、転生無限者。

 ロアが私の中に居た。

 

 私は奈落に落ちたい。ただ落ち続けたい。

 救おうと伸ばしてくれた手を壊す。愛を注いでくれたものを壊す。美しいものを壊す。そういう存在になりつつある。

 人の認識とは諸刃の剣、私はロアを認識した時点でそれの目覚めを促してしまった。

 パーティの片付けをしていた父の背後から牙を立て、血を啜る。異様な美味さと甘美さを感じた事を覚えている。

 それまでに猫などを襲っていたのは、私自身の掌握に手こずり、力を欲したため。漠然とした吸血衝動を流すことしか出来ず、得体の知れない動物の血なども飲んでしまったが。

 私はいまだ抵抗をする私のためを思い、様々なことをして見せてやっている。親しい者たちが苦痛に喘ぐ姿、それを慈悲なく踏みにじり壊す事の愉悦。知らずに消えるはもの悲しい。

 ああ、エディ、私に愛を注いだ哀れな幼馴染みよ。

 彼は私に犯されながら死んだ。苦悶に満ちたその首は未だに部屋に飾られている。それ以来実に私は大人しくなった。一つの魂に一つの意思となるのも近いだろう。

 

「何と素晴らしい肉体、そして魂であることか。英霊の器にすらなり得る」

 

 先代の折の不完全な転生、肉体的に私にふさわしいものを、としか決められなかった。

 しかしどうだ、このあまりに素晴らしい体は。まさに神代の英雄、その肉体に等しい。神々に愛されているとしか思えない。一人目の私でさえこれほどの素質は持ち得なかった。

 だが不思議な事に私は私の、ある程度以上の記憶を読み取る事ができない。ロアとしての私が変質し過ぎてしまったのか、あるいは魂そのものが異常なのか。恐らく後者であろう、魔術にでも関わったのかもしれない、ロアである私の名前すら知っていたのだから。

 

「念を入れておくべきか」

 

 先代の失敗もある、次代の転生先の選定は早めに行う事とした。

 

「私」は待っていた。

 涙を流したのは最初のうちだけ、四肢を落とされた幼馴染みの上で腰を振り、狂笑を上げた時が最後。

 町はゆっくりと、確実に壊れていった。

 狡猾とも言えたかもしれない、私は科学というもの、人というものを侮ってはいない。情報を断ち、恐怖で縛り付け、確実に一人一人、魂をしゃぶるように弄び、味わった。時には味つけを変え、怒りや、引きずり出した快楽と共にじっくりと。

 姿見に映った体は壮絶な美しさを秘めている。長い栗色の髪、どこか幼い無垢を秘めた顔、積もり立ての雪のように染み一つない体。ワイングラスに注いだ処女の血、確か私と同じ学校に通っていた娘だ、激しい狂気で味つけられたそれをゆっくり胸元から流す。血の彩りがあれば尚更映えるというもの。

 

 もはや町でも味わうべき人が少なくなってきた時。

 赤く染まった美しい月の夜だった。白の姫君が訪れたのは。歓喜、憎悪いずれともつかない感情が身を貫く。

 この体ならば負ける事はない。姫さえ凌ぐ、とまでは言わずとも。

 ──戦い。久しく使う事すら出来なかった固有結界をも用い、戦う。昂揚を覚えた。夢中になった。真祖とここまで戦えるなど、誰が考えたであろうか。

 たおやかな手が神速で私の心臓に迫る、美しいと思い、待っていた「私」はその瞬間、全ての自我を振り絞って動きを止めた。

 

   ◇

 

 私を縛り付けていた蛇はもう居ない。

 きっと選定していた極東の一族の誰かに移るのだろう。いや、知っている。思い出していた。今の私は知っている。

 それが遠野四季であり、ミハイル・ロア・バルダムヨォンもまた、遠野志貴によって完全に『殺』される事を。

 シエル、それは確か洗礼名だった。彼女……エレイシアは幸せなのだろうか、それとも志貴君に会えなくて不幸せなのだろうか。案外ロアなんて繋がりがなくても会ってしまうのかもしれない。人の運命は時に複雑な綾を見せる。

 

 目を覚ました私を囲んでいるのは無数の目だった。

 憎悪、恐怖、興味、嫉妬、悲哀、殺意、色とりどりの感情が込められた目。

 一様にカソックを着、胸元に十字を下げている。

 私はどこか壊れ、麻痺した頭で、これから起こる事を察し、諦念の溜め息を吐いた。

 

 恨み言、と言っていたような気がする。

 志貴君に愚痴のように語っていたそれ。

 確かに恨みたくもなるというものかもしれない。

 私は殺され続けた。

 聖堂教会は容赦をしない。異端、人から外れてしまった者には特に。

 何度焼かれただろうか、幾度斬られただろうか、何回潰されただろうか。

 数えるのも馬鹿らしいほど蘇生の度に殺され続けた。

 シエルさんにも起こった事だ。

 なんで目覚めてしまったのだろう。これも女神のご加護のおかげか、神のご加護はただの人間には重きに過ぎる。

 世界は矛盾を許さない、ロアのラベルを魂に貼られている私はロアが消滅しない限り死ぬ事もできない。殺されるたび世界が修正し、私を巻き戻す。おかげで痛みに慣れる事もない。ただ苦痛の記憶が累積していく。記憶力の良さを嘆きたい。

 鉄と血と炎、痛みと自分の悲鳴に彩られた記憶、そんなものに押しつぶされながら私は狂う事もできずにいた。こうなると狂わない方が逆に異常だ、どこか壊れてしまっている。あるいは狂えばその異常も世界によって修正されているのか。

 時間の感覚もない、呆れる程に死に続けたおかげで私に見えるのは細切れの時間のみ。

 ばらけたピースのような時間の流れが、いつしか一つながりになっている事に気付いた。

 震動がする。重いエンジン音。車輪が石を蹴散らす音。

 どろどろという遠雷のような音にいつしか眠気を誘われ、何年ぶりかにも感じられる眠りについた。

 

   ◇

 

 私はこの世界で起こる一連の事件に関わる事になるとは思っていなかった。

 関わる力があるとも、その性格であるとも思っていなかった。

 失笑するほかない。

 一度死んでから八年が経っていた。私は無関係だとばかり思い込んでいた事件の舞台、三咲町に居る。

 こんな形で日本に来る事になるとは思わなかった。複雑な郷愁と泥のような悔恨が押し寄せ、いつものように飲み下す。季節は秋、街路に植えられているキンモクセイが橙色の花を咲かせ、芳香を放っていた。

 

 埋葬機関の長はやはり私が覚えていたロアの魔術、そして特性に利用価値を認めたのか、無機物を見るかのような目で私を迎え入れた。使いものにならぬ、と見たなら封印処置をした上でロアの探査のためだけに使うつもりだという。本人に直接それを言う所がいかにも「らしい」

 復元呪詛じみた不死を持つ私はおざなりな戦闘訓練を二日三日やった後、実戦に放り出された。最初は悪魔憑きの餌として、二度目は範囲攻撃に巻き込んでも再生できる便利な囮として。三度目は拙いながら死者を一体葬った。

 死徒への憎しみより、自分への憎しみで一杯だった。八つ当たり気味に、敬虔さの一滴さえなく葬られた者達はきっと報われていない事だろう。 

 とにかく戦った。止まれなかった。私の中でのロアの記憶は風化することなく焼き付いている。こんな奇妙な子供だった自分にも優しかった者たち、寡黙で頼りがいのある父、喜悦の中で私が手にかけた幼馴染み。それを全て刈り尽くした記憶が残っている。昨日の事のように思い出せる。

 そんな暴れただけの荒れた日々。戦う事だけは上手くなっていく。当たり前だ、私に祝福をさずけたのは戦の神の一面も持つ。数々の英雄達に武器を与え、助言を与え、守護を与えた存在。ロアの残して行った知識でも判る、私の体は神代の英雄のもの、そのものだと。

 もっとも、一番守りたいものが無くなってしまった私にそれがどれほど価値があるのかといえば微妙だが。

 

「サリアさん、おはよう」

 

 通学路を歩いていると通りがかったクラスメイトが挨拶をする。

 父の付けてくれた名前はもう名乗れない。洗礼名というわけではないがサリアという名前をくれた、邪視を持ち、死を司る堕天使の名前から付けられたものだ。さすが埋葬機関のトップを張るだけはある、人の嫌がる事をよく心得ている。鈍った感性でも少々の恥ずかしさは覚える。

 私は暗示でもってひとまず高校に潜入を始めていた。私が立場を奪ってしまった彼女と同じ事をする必要もないのだが、遠野志貴を追うのはやはり一番手堅い。騒動の中心人物であり、今何が起こっているかの情報が必要だった。もっともそれも一日二日の事にはなるだろうけども。

 遠野の当主が交代したのは確認した、四季によって殺されたのだろう。ただ、正直どこに四季が潜伏しているのかは判っていない。私の感覚でもロアが近くに居るという事が判るくらいだ。まさかまだ遠野の屋敷に潜伏しているわけでもないとは思うが。

 教室に入ると喧噪に身を浸したような気分になる。本当にこの辺りの世代というのはエネルギーの塊のように感じる。

 シエルさんと似た立場になったからといって、私は先輩とは呼ばれていない。同じ学年の同じクラスに紛れ込み、視界の隅で談笑する遠野志貴、乾有彦の姿を収めながら席に着く。少し離れて弓塚さつきが話しかける機会をあからさまにうかがっていた。

 注意深い魔術師など、判る者から見ればその凄まじい出来の魔眼殺しのメガネが目につき、次いでそれで何を隠しているのかが気になってしまうかもしれない。直死の魔眼、予め知らなければ気づかなかった事だろう。魔術で探ってみたが、震えが走った。あれは知る事ができない。あんなモノを抱えて人は存在できない、私も通った「死」だが、無論その間の事なんて覚えていない、見ても私には理解できないから。そんなものを常に見続けている。

 酷い呪いだと思った。

 なのに彼は飄々と振るまい、分け隔てのない優しさすら見せる。ありえない姿。

 私なんて吐き出せぬ憎しみに暴れて、暴れて、八つ当たりに殺し回っていただけなのに。

 だからなのだろう、だからこそシエルさんは彼に惹かれたのだろう。壊れた真祖の姫も、反転の恐怖を抱える義理の妹も、虚ろと後ろめたさで歪んだ姉妹も。

 この時期まで待ったのは理由がある。むろん表に出てこない限り、ロアを滅ぼせないという事情もあるが、遠野志貴の中に眠る人外への殺害衝動、揺り起こすには極上の魔、アルクェイド・ブリュンスタッドとの邂逅が必要だっただろうからだ。

 直視の魔眼、それは重要な因子だ。転生批判の第七聖典のみで確実にロアを滅ぼせるかは判らない。私は大いにそれを利用させてもらうつもりだった。ロアの消滅にこだわらず、最速で解決するならもっとやり方もあったというのに、だ。

 そんな自分が酷く薄汚いものに思えた。

 

   ◇

 

 夜の町を歩く。意識を逸らさせているので、誰も私に気付かない。人混みの中、カバラと魔力感知のミックスでロア……遠野四季を探す。当然だが効率が悪い。人手が居ればと思わないでもない。

 私にナンバーの入った刺青はない。埋葬機関に所属しながら未だに番外。永遠のピーターパンに言わせれば機関に保管された生きた財宝、らしい。私にも不満はない。武器も技も情報も手に入った。無いのは権限のみだ。

(あるいはあの女の事だ、そこまで私に興味を持っていないか)

 自分自身を殺したがっているような者はつまらないのだとか。ただ雑多な仕事を片付けるには役に立つ、その程度の認識なのだろう。

 弱い反応を感じた。

 一蹴りで屋根まで飛び、空を舞う。私の感知は範囲が狭い、さらに建物の屋根を蹴り、飛ぶ。居た。

 ビルの屋上から見下ろす、死者が一揃い、三人? 散る前か。黒鍵を人数分、掴みだす。

 投擲。

 狙いはそぐわず、あっさりとその体を塵とする。死者には天敵のような概念武装、刀身を聖書で編んでいる、ロアの知識にある魔術とはひどく相性が良い。

 路上に下り、十字を切り、略式の祈りを捧げる。

 死者が多い、かなり手駒を作り出しているようだ。その分こちらも気張って塵に返しているが。そろそろ血を求め、本人が積極的に動いてくるかもしれない。

 襲われる可能性の高い弓塚さつきも含め、一応クラスメイトには暗示でしばらくの間真っ直ぐ家に帰りたくなるようには方向づけてある。こんな事をやっているとまたぞろ魔術協会と揉めてしまうかもしれないが、揉めたらそれまでの事だろう。

 

 地理の把握は基本中の基本だ、ただこの三咲町は路地裏など細く小さい道が多い。血を求める死者達が多く集まる繁華街、そこを中心に頭に入れていったので、外縁部は後回しになっていた。

 公園でうずくまっている人がいる。

 血に汚れ、自分の吐瀉物に顔を埋め、小刻みに震えていた。

 

「……まさか」

 

 地図を確認する、少し離れた場所、それなりに高さのあるマンションがあった。

 なるほど、と思う。何階の何号室だかは忘れたがきっとその一部屋は大変血生臭い事になってしまっているに違いない。十七分割された肉塊が転がっているはずだ。

 少し考え、うずくまる人影に近づき、様子を確認した。べたべたに汚れたその顔は苦悶に引き攣っている。完全に気を失っているようだ。

 どうしたものか、と首を傾げる。一つ小さな息を漏らし、公園のベンチに運んで寝かせた。

 起きないように軽い催眠をかけておき、ハンカチで丁寧に顔を拭う。困惑の呟きを吐いた。

 

「遠野志貴……どうしよう、屋敷まで運ぶ?」

 

 魔術で返り血をどうにかしようかと思ったが、考えるまでもなく、見る間に血は薄れていく。それもそうだ、真祖の姫の返り血だった。復元は既に始まっているらしい。

 学生服の内ポケットに無造作にメガネがしまわれている。それを顔に掛け、寝かせた頭の隣に座った。月夜に照らされて青白いその顔を何となく眺める。屋敷まで運ぶのは却下だ、今の段階で遠野に警戒される事はない。順当に交番にでも……

 ぽつりと水滴が落ちる。にわか雨。月が出ながらの雨とは、どこかで狐の嫁入りでも起きているらしい。

 修道服の上に着込んだ外套を広げ、青い顔をした彼を覆い隠し、雨除けとする。ざあ、という音の中に足音が聞こえた。身を翻し、隠れる。

 

「……志貴さま?」

 

 訝しげな女性の声、どうやら運ぶまでもなくお迎えが来たようだった。

 

   ◇

 

 風に吹かれた木の葉が一枚、こんな高い場所まで巻き上げられ私の前を通り過ぎる。

 ホテルの向かいにあるビルの屋上、給水塔の上から私はホテルの最上階を監視している。

 自分をさておき眠ってしまった、護衛のはずだった遠野志貴、そんな彼を最初は怒った様子で、次に興味深そうにいじり回しているアルクェイド・ブリュンスタッド。その姿はやけに楽しそうで、ロアの記憶にある白の姫君と同一の存在とはとてもとても思えない。やがていじる事にも飽きてきたのか、起こしにかかった。しかしこうしているとどうもやるせない気分になってくる。

 

「出歯亀か私は、出会ったばかりなはずの二人なのになんでこうも……」

 

 どれほど話す事があるのか、と言いたいくらいに二人は話している。遠野志貴は悠揚と、アルクェイド・ブリュンスタッドはひどく楽しげに、それはそれははしゃいで。

 どうもペースが崩される。

 こちらはネロ・カオスの襲撃に備えて緊張しているというのに。

 むろん私は聖職者などとは到底言えない、ただ、これ以上目の前で死人を見せられて楽しいはずもない。そして目論見もまたある。

 ふと、ホテルの窓際、アルクェイド・ブリュンスタッドの背中で飛ぶ蒼い鴉を見つけた。

 

「──来た」

 

 給水塔が凹むほどに強く蹴りつけ跳躍、ビルから飛び降り、壁面を蹴って地上に降り立つ。舗装炉に大穴が空いたが勘弁して貰おう。何しろ濃密な「魔」が私を巻き込み、ホテルに突貫したのだ。

 頭が割れるかと思う程の轟音と共にホテルの壁に叩きつけられた、壁が崩れる。

 

「ゲ……は、ぐ」

 

 それなりに魔力で強化しているというのに肋を軒並みやられた。馬鹿力め。血を飲み込み、獣の口に突き込み、食われ、皮一枚でつながっている右腕を無理やり千切る。ネメアのライオンじみた獣が現れその私を巨大な前足で殴り飛ばした。空中にあるうちに回転、壁を蹴り、床に膝をつく。ここでやっとロビーに居た人達が悲鳴を上げ、騒ぎだす。

 

「ぬ……う、貴様、何をした」

 

 ネロ・カオスは小刻みに体を揺すりながら立ち止まっている。体からは今にも出てきそうな獣、獣、獣。

 私は無言で残っている腕で瓶の水を彼の前に線を引くように垂らした。アラムの海の水、現代の聖人によって聖別済みだ。引かれた線を媒介とし簡易な結界を張る。内部に催眠作用がある。騒いでいた人達が静かになった。あくまで脅し、同時に人がこの古い死徒に近づかないための守り。

 

「六百六十六、ゲマトリアにも通じる獣の数字、その根柢を崩すイリエの異端反駁外典、写本だけど原典は年代物。悪食を呪って」

 

 ネロ・カオスにのみ通じる手。根幹を成す数字の神秘を否定する外典。ロアと共同研究もやった事のある彼だ、カバラも知り、数秘に耐性もあろうが、それでも猛毒に等しいもの。そして起こるのはネロ・カオスという存在をある意味構成しているとさえ言える固有結界の暴走。今は抑えるのに精一杯だろう。

 左手で黒鍵を持ち、誇示してみせる。

 

「死徒二十七祖が十位、ネロ・カオス。私はロアの抜け殻と言えばその困惑を解消できる?」

「……なるほど、私の事を知るはずだ。そしてその服、その概念武装、教会の犬と化したか、蛇の娘」

 

 唇を噛み切った。痛みと血の味で心を静める。記憶にも残っている。ロアは転生のうち、ネロ・カオスとは幾度か盟友として会っていた。

 

「ここは引きなさい混沌。今頃真祖の姫も降りてきている。下らぬゲームの代価が消滅ではつまらないでしょう」

「教会のものが死徒に引け、と?」

「三すくみは面倒、戦いたいなら戦うけど」

「やめておこう」

 

 そう言い、存外静かにネロ・カオスは退いて行った。戦っているうちに夜明けになると踏んだのだろう。死徒の中でもある程度理性的なおかげで助かった。そしてそろそろ私も急がないといけない。返り見て確認すればエレベーターは降りてきている、私はネロ・カオスに続くように壁に開いた大穴から飛び出した。

 

   ◇

 

 真祖の姫と遠野志貴はホテルから公園の近くのアパートへ移っていった。ホテルに撒いた聖水の残滓、壁の大穴で大体察したのだろう。力が大分弱っているのか、ネロ・カオスと交戦したわけでもないのに朝日の中、貧血持ちの少年に背負われている姫の姿は何とも言えないものだった。

 

 ネロ・カオスという死徒は正真正銘の化物だ。相手が私の事を知らず、私が相手の事をよく知っていたからこそ易々と取れた勝利。正直アレを食らっておいて、あそこまで人の姿を保てるとは思わなかった。一筋縄でいかないどころではない、上手くすればロアを滅ぼすまでは行動不能にできるんじゃないかとすら思っていたのに。

 

 梟が鳴く。虫の音が響き、闇の中、月の光を浴び、ひっそりと佇むアルクェイド・ブリュンスタッドはやはり美しかった。アパートにほど近い公園、前日の交戦がなかったせいか、少しは力が回復しているようだ。

 だがおかしい。遠野志貴がいない。一瞬ほっとした自分を殺したくなる。

 真祖の姫はどうするつもりなのか……どこかぼんやりと月を眺めている。その目がふと前を向いた。

 虫の音は止んでいる。じゃり、と重い足音、昨日と変わらぬ様子のネロ・カオスが居た。

 

「待たせたようだな、真祖の姫君。昨晩は邪魔が入り、騒がせるだけとなったようだ。失礼をしたな」

「ええ、待ったわ、ネロ・カオス。でもね、最悪な気分よ。出来の悪い劇を見ているようだわ。そんなゲームの盤上にあなたが乗ってくるなんて。教会も動いてるみたいだし、まるであなたの二つ名のように混沌とした舞台ね」

 

 アルクェイド・ブリュンスタッドは言い、ふと気付いたようにネロ・カオスは訝しげに目を細めた。

 

「ふむ……なにゆえそこまで衰退している。あの者は確かに代行者だったようだが、そこまで強かったとでも言うのか」

「……本当に最悪ね、来てるのはよりによって教会の殺し屋? ……ぷっ、ふふふ。でもね、ネロ・カオス。私がやられたのはね、教会とは全く関係ない殺し屋に、よ」

 

 アルクェイド・ブリュンスタッドは楽しげに笑い、それを収めると話はこれまで、とばかりに爪を見せた。興味を惹かれていたらしいネロ・カオスもまた臨戦態勢となる。深夜の公園に、真祖の姫と使徒二十七祖が互いを滅ぼさんと戦いを始めた。

 

 一体何匹の動物、何体の生物が屠られた事だろうか。真祖の姫の力は空想具現化能力無くしてもやはり桁外れだった。しかしそれでいてなお状況は段々とネロ・カオスが優勢になっている。

 こればかりはどうしようもない、相性の問題だ。私は出るべきかと黒鍵の柄を握る。しかしここでネロ・カオスを削りきり、追い返したとしても、次はアルクェイド・ブリュンスタッドとの戦いになる。私は──

 その時、声が聞こえた。少年の声が。

 

「アルクェイドーーッ!」

「志貴! 駄目!」

 

 遠野志貴がナイフをあらわにし、ネロ・カオスの背後から走り寄ってきた。普段の様子とは打ってかわって凄い敏捷さだ、走りに異常に無駄がない。

 ネロ・カオスに斬りつけようとし、湧き出た黒豹に驚き、それでも死点を見たのか、歯を噛みしめ、ナイフで突く。泥と化したそれが遠野志貴の全身にふりかかった。

 

「人か、よい養分になりそうだ」

 

 食え、と虎が飛び出し襲いかかる。なぜか私は、手に持った黒鍵でも刺せば良かったものを、阿呆にも突発的に駆けつけ庇ってしまって。

 ぞぶ、と首の肉が持っていかれた。ああ、この瞬間は痛くないんだけどなあと、どこか場違いな事を思う。熱くなって、次には気を失えない程の痛みになるのだ。気管も、頚椎もまとめて持っていかれた。声が出ない。体が動かない。手に持った黒鍵が落ち、レンガに軽い音を立てる。

 

「何と……昨夜の。人ゆえ庇ったか? いずれにせよ愚かしい。だがよかろう、蛇の娘よ、私の血肉としてやろう」

 

 ちぎれかけた首筋を噛まれ、虎は主人の元におもねるように帰って行く。私もまた共に、ネロの体内に引きずり込まれた。

 自由にならない体をまとわりつくコールタール、獣が闇の中にずらりと、私を包み、削り落とし、食らいつく。ごりごり、ぼりぼりと。私が食われてゆく。

 再生が始まらない。そうだ、固有結界の中では……世界の、修正も。

 何で庇っちゃったかなあ。シエルさんの代理なんてのが頭の片隅にでもあったのか。

 ああ、そうだ、直死の魔眼が無くなったら困る、そういう事に──

 意識が塗りつぶされてゆく。真っ黒に染まり、混沌の一部となり、私の憎しみもまた。混沌の海の中へ。沈んでゆく。

 

   ◇

 

 街灯の明かりが眩しい。瞼を通しても判る。仰向けになっているようだった。

 ぱちりと目を開く、何故か向こうを向いている遠野志貴とこちらを見て呆れた様子の真祖の姫が居た。

 

「志貴、ほら見て、目覚ましたわよ」

「ま、まてアルクェイド、さすがにさ、裸の女の子が目を覚ましてから、俺が見たらまずくないか?」

 

 自分の体を見る、肌色だ。一面の。なるほど、うん。

 離れた場所には私が着ていた外套が落ちている。聖書だの聖水だの黒鍵だのが多数結わえ付けられていたので、ネロ・カオスも嫌ったのだろう。とりあえず、とそれを羽織る。

 真祖の姫はどこか不機嫌そうだ、当然か。私の正体は最初から理解しているのだろう。遠野志貴は、こちらを見て、裏表のないほっと安堵した様子を見せる。

 

 無様を晒してしまったようだった。

 結局のところ。ネロ・カオスを倒したのは真祖の姫でも、元ロアの代行者モドキでもない、一番人間である少年だった。本当にこの遠野志貴という奴はとんでもない。

 ネロ・カオスと戦うにあたって、真祖の姫は遠野志貴が本当に「殺」せるかを危ぶみ、魔眼で縛って部屋に置き去りにしてきたらしい、その支配もはねのけてしまったようだが。何だろう、七夜にそんな性質でもあるのか?

 私はクラスに潜入していたとはいえ、極力接しないようにしていた。暗示まで使って。まず覚えられてないと思っていたのだが、甘かった。名前は覚えられてなかったが、クラスメイトの誰かさん程度の認識はあったようだ。結局名乗る羽目になった。

 身の上も曖昧に煙に撒いておきたかったのに、ほぼアルクェイド・ブリュンスタッドにばらされてしまう。不満を持っている。とても不満を持っている目だ。多分、同じ学校に居た事が気に入らないのだろう。勘弁してほしい、一応秘密の機関なのに。

 話していたら遠野志貴が疲れからかふらりと倒れてしまった。思わず支え、どうしようかと思っていたら真祖のお姫さまが私から奪い返すように遠野志貴を抱え、強い視線でこちらを睨む。

 

「おもちゃを取られた子供ですか」

「志貴はおもちゃじゃないわよ。それよりこの事を報告するつもり?」

「あなたを敵にする余裕はない、報告はしません、恐らく混沌を滅ぼしたのはあなたの仕業ということになるでしょう」

「そう、賢明ね、代行者」

 

 遠野志貴を背負い真祖の姫は私と語る事など無いと言わんばかりについと顔を向け、離れる。

 私は少年を背負った背中に向かい、聞こえるだろうぎりぎりの声で言った。

 

「アルクェイド・ブリュンスタッド、今後も彼と会うつもり?」

 

 真祖の姫は立ち止まり、こちらを振り向く。月の明かりで髪がほのかに青みを帯び、赤い瞳が困惑をたたえている。何か言いかけ結局言わず、そのまま去る。唇の動きは「わからない」と言っていた。

 

   ◇

 

 しばらくは死者を塵にする日々が続いた。すでに学校は行っていない。私は最初から居ない事になっているはずだ。ほんの少しだけ、郷愁じみたものを覚えて楽しかったのは事実。

 最初の思惑通りだ。遠野志貴とアルクェイド・ブリュンスタッドを邂逅させ、直視の魔眼によってロアを完全に滅ぼす。私はその流れを邪魔しないようにすればいい。不測の事態に備え、付随する障害を弱めればいい。ネロ・カオスも私が仕込んだものである程度弱ってはいたのだろう、二人の調子は悪くない。最後にだけアルクェイド・ブリュンスタッドにトドメを刺されぬように注意しておけばいい。

 ただ、すっきりと胸が晴れない。

 あのお人好しと真祖の姫、会わせて良かったのかと。ただのどこかで起こった物語であったなら俯瞰できた。ただ、実際に会い、話し、楽しげな様子を垣間見てしまうと心の奥底から膿に似たものがにじみ出す。

 未来には絶対に悲劇が待っているだろう二人。遠野志貴は吸血鬼などには関わらず、ブリュンスタッドは感情など知る事がない方があるいは幸せだったのではないか。ふとそんな事も考えてしまう。利用するのを決めていたというのに、今更な事だ。つくづく自分が凡庸な精神しか持ち合わせてない事にため息を吐く。

 

 アルクェイド・ブリュンスタッド、彼女は楽しそうだ。八百年の時を経て初めて持ちえた感情、きっと子供が初めて遊園地で遊んだ時のように、あれもこれもきらきらと眩しく、楽しく映っているのだろう。遠野志貴に絡み「セカイはこんなに楽しいものだったんだ」と言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 そしてそれは真祖の姫の、ただでさえ迫っている限界、それに近づく事でもある。

 好意が高まるほど、愛情を感じるほど高まる吸血衝動、本当に、なんて呪い。

 ロアは未だに姿を現していない。遠野四季という特殊な存在に顕れてしまったために相当に変質しているのだろう。思考が読めないものほど厄介なものはない、このまま時間だけが過ぎると、真祖の姫の方が衝動を押さえつけられなくなってしまうかもしれなかった。

 

 そしてある日──

 予兆はあった。遠巻きに見ていたが、明らかにアルクェイド・ブリュンスタッドの力が弱まっている。否、吸血衝動を抑えるために力を割きすぎている。空を見れば満月、ほのかに赤く染まって見える月。

 

「持たなかった……か?」

 

 黒鍵を手に電柱を足場に飛ぶ、二人を囲んでいる死者達に投擲、苦しそうな真祖の姫に遠野志貴が近づき、姫は震えながら後ずさり、だが駄目だった。

 目を赤く輝かせ、遠野志貴にしがみつき、首筋に牙を立てようとし──

 その体がずれ込んだ。

 私が投げようとした黒鍵ではない。そんな効果はない。まさかアルクェイド・ブリュンスタッドが首を落とされるとは。

 全力で飛び出す。そこには包帯を体に巻き付けた長髪の男がゆらゆらと、幽鬼のように立っていた。

 

「あ、アルク……ェイド」

 

 遠野志貴は呆然と二つに分断され、血のしぶきをあげる姫の前に膝を落とす。

 その背に無造作に振るわれる男のナイフ。

 黒鍵を投擲、鉄甲作用で男を弾き飛ばす。何とか間に合った。

 

「ロア……ッ!」

 

 そうだ、この可能性をなぜ考えなかった。

 二人は命を共有、いや共融だったか、しているはず。それは遠野志貴の感覚をロア、四季もまた知ってしまうという事。例え四季の人格ベースで変異しているとしても今日は満月、ロアの意思が強く出るはず、そして真祖の姫に執着するロアが、新たな姫の死徒を作らせようなどとするわけがない。

 

「あ、ああ、サリ……アさん? アルクェイドが」

「大丈夫です遠野さん、真祖はその程度では死にません、いずれ復元します。ただ、彼女は既に限界、離れていてください、衝動に耐えきれなくなってますから」

 

 第七聖典、装飾過多な銃剣のそれを外套の下で握りしめる。ふらりと起き上がってきた男は私を目に止めるとぬたりと笑った。

 

「なるほど、久しいなミュリエル、私の娘よ。相変わらず匂い立つような美しさよ、そこな真祖の姫には及ばぬがな」

 

 娘、などと言われ、一瞬で頭が煮えたぎる。何でもいい、世界がどうなってもいいからこの銃剣を突き込んで抉ってしまいたくなる。乱暴に息を一つ吐き出し、気を落ち着かせた。

 

「……離れていろって、そんな事、できるはずないだろ」

 

 何しろ大馬鹿者がいる、ナイフを片手に、メガネを外し、倒れた姫と私さえも庇うように一歩出て。

 ロアは遠野志貴に目をやると別種の、全く違う人物の笑みを浮かべ、顔に巻いた包帯を解いた。赤い目はそのまま、調った顔が表れる。

 

「ああ、ああ、久しぶりだな志貴、どうだいオレになっていた気分は」

「なんッ……の」

 

 頭痛を感じたように遠野志貴は頭を抱えた。

 

「知って……俺はお前を、知っている?」

「ククク、忘れちまうなんて薄情なもんだ、なあミュリエル、お前は私を八年間も思い続け、こんな所まで物騒なモノを手に追いかけてくれたというのになあ」

「ミュリエル……? サリアさんの事か」

 

 ロアは目を開き、ナイフを背後の壁に突き刺した。

 

「ああまあ、そんな事はいいんだ。今はいい、思い出せないのか? 本当に思い出せないんだな志貴。は……はは、はっはは、親父もやってくれる。クソが! クソクソクソ。思い出せ! オレを殺したお前を思い出せ! オレから奪ったお前を思い出せ!」

「俺が殺し……奪った? お前は……が、は──」

 

 突如激昂したロアに対し遠野志貴は変調をきたした。胸を抑え呆然としていた。顔色は死人のようで、私は用意を急ぐ。

 梟の使い魔を動かし結界のための紋様を刻んだアクアマリンを五角に設置、強力なものではないがある程度外界と内界を遮断することはできる、どこぞの宝石魔術というわけではない、ただ象徴による増幅だ。

 準備が調い、なおも夢中に話しかけているロアに黒鍵を放つ。一度に八。

 

「……チッ!」

 

 ナイフで二本が切られた、まだ残っていたのか操り人形めいた死者を出し、防ぐ。私の手元でも狂ったか、逸ったか、数本は狙いを外し、逸れ、ロア本人にはかすりもしなかった。水葬式典、本来カトリックで忌避されるやり方。船上での葬送、その概念を魔術的に刻んだものだ、効果が発揮され、当たった死者や土、壁がどろりと溶ける。

 

「ほう、私の魔術を立派に継いでいるではないか、意味は水葬、そして海に帰すか、些か教会とは合わぬのではないか?」

「ぐ……」

 

 仕方無い、体に祝福を与えたのはアテナ、母方に水神を持つ女神、そして私の本来の名はそのまま海を意味する。他の属性は適正が薄い。しかしおかしい、何故だ。再び投擲、投擲──繰り返す。

 当たらない、当たらない、弾かれ、時には混ぜた鉄甲作用で弾き飛ばす事もあるが、決定的なダメージにならない。

 

「なんで、なんで届かない……!」

 

 第七聖典、本来ならば切り札になるもので接近戦を挑む。判っている。直死でないものの、今代のロアに接近戦が危険過ぎる事は。しかし、私の身体能力と魔力による底上げがあるなら、それにも劣らぬはず。

 

 ──だというのに、傷を負わせたのはわずか、私は慢心創痍、無様にも両足を落とされ、ロアの前に這いつくばっていた。

 

「なん……で」

「判らんのか、愚かな娘よ」

 

 ぐしゃり、と剣を取ろうとした手を踏み抜き、砕かれる。痛みと呻きを噛み殺し、ロアを睨み付ける。

 

「お前は八年間、無惨な目、ことごとく不運に遭遇したのではないか? 何度死んだ? 何度殺された? 少しでも頭をかすめはしなかったのか? 私の知識がありながら、一度も思いつかなかったというのか? 抑止の力の事を」

「抑止……? まさか、私は世界を相手どる気も、根源への、興味も」

「神代の英雄と同格の魂、肉体、そして膨大な魔力、全てを開放すればただの力で白の姫君とも真っ向から戦えるものを見逃すはずはあるまい、死徒であった時とは違うのだ、そして考えなかったか? 私を滅ぼせるのならば世界などどうなっても、とでもな」

 

 ──あ、あ……考えた、一瞬だが思ってしまっていた。

 力が抜ける、敵にしてはいけないものを敵にしていた?

 ざくり、と私の体をロアの爪が貫く。

 

「う、ぎ……あ」

「愚かな娘よ、本当に愚かな娘よ、自身の力が制限されている事にも気付かず、何を敵にしているかも気付かず、自滅の道を歩むとは。くく、抑止そのものが気付かせぬたぐいのものではあるが」

 

 心臓を背中から抉られ、潰される。蛙のような声が出、体が引き攣った。

 

「……おい、何だよ志貴、随分と苦しそうな顔じゃねえか、ええ? 気にするなよ、こいつはどうせ何やったって死なないんだ、よっと」

 

 頭を突き刺された。暗転し、時間が途切れる。

 

 蘇生し、私が最初に見たものは闇夜にあってなお青い目。

 そして追い詰められているロア。

 私の結界ごと地形を丸ごと「殺」す、ブロックの壁を「殺」す、穿つかのような蹴りを放ち、追い詰め、最後にはあっけなく、酷くあっけなく、ロアを灰にしてしまった。

 

   ◇

 

 何となく私の八年も一緒に志貴君に殺されてしまったような気がしないでもない。

 あれだけ憎んでいたのに、煮えたぎるように憎んでいたのに、まるでそれが悪い夢だったかのように終わりは呆気なかった。気を失ってしまいそうな疲れが心と体を蝕む。

 ロアに奪われていた力はアルクェイドに戻った、満月であった事もあり復元は速やか、ただそれでも吸血衝動を抑えるために割く力は相当なものらしいが、それを引き合いにか、良い事思いついたとばかりに顔を明るくさせ。

 

「疲れちゃったー、志貴、おんぶ!」

 

 などと子供のようにはしゃぎかかる姿は何とも言えない。

 夜道を同道しながら、私はここに居ない誰かのために「あーぱー吸血鬼ですね」とだけ言っておいた。そう、思い出したので言っておかないと。丁度、道の別れ際だ。

 

「では私はこれで、もう会う事もないですが、本当にお疲れ様でした。今後何か裏の事情で困った事があれば妹さんに相談すると良いでしょう、間違っても教会に行っては駄目です、私みたいなのははぐれもいいところですから」

 

 背中のアルクェイドは「志貴には私がいるもの」ときつい眼差し。志貴君は苦笑。それと、と続け、私はとっておきの情報を伝えた。地図の入ったカードと一緒に。

 

「フランスのパリ……パリと言っても片田舎なんですがベルシー駅から出てすぐにパン屋があるんです。とにかく絶品のパン屋さんなので近くに来られた時は是非来てみてください。おっぱいとお尻の大きい、遠野君好みの美人さんがいますよ」

 

 志貴君はむせ込んだ。案外当たっていたのだろうか。背中のアルクェイドがむーと唸っている。

 二人と別れ、夜道を歩く。行き先は三咲町を一望できる小高い山。ついでに使い魔の梟を呼び戻し、今回の一件を「適当」に記した報告の書類、こんな事に魔術使うなと怒られそうなそれを結びつける。ちょっと離れたところにある教会に梟を飛ばした。

 

 山の天辺、少し進むと切り立った崖になっているそこは登ると町が一望できる。深夜もいいところだと言うのに夜更かししている者が多いようだ。明るい月に負けぬよう、町もまた明るい。

 

「あー、終わった。長かったあ」

 

 吹き抜ける夜気に声が溶ける。私は夜空を見上げるよう仰向けに寝転がる。

 満天の星空、大きい月。

 

「ふふ」

 

 忘れていた笑いが浮かぶ。本当に何年笑っていなかったのだろう。

 そして私は懐に入れていた第七聖典を取りだし、祝詞を唱え、自分の心臓に突き刺した。

 神様への最後の反抗、私は神様の元になんか行かない。オリュンポスなんてまっぴらだ。

 魂が霧散する感覚。

 ゆっくりと、私という存在は無くなっていった。

 

 地中海の風の中、夕日を浴びてきらきらとした目でエディがサッカー選手の面白話を語る。

 実際面白い、私はふんふんと頷きながら時には笑い、時には幼馴染みと同じように目を輝かせた。

 ところで、と悪戯気な顔になり、何度目か、何十度目かも判らない告白を私にした。差し出した花は一輪の鈴蘭、五月一日じゃあるまいし。

 

「美しきミューズの足が痛むことの無いよう敷かれたパルナス山の鈴蘭の一輪、真心と誠意と思いやりの証と思って受け取ってくれると嬉しいね」

「んー、だからさあ、お前は私みたいなのじゃなくて他の女をね……」

「旅も大変だったんだろうミュリエル、僕だって色々ひねるさ」

「ん、そっか、そういう事なら貰っておくよ」

「ついでに僕の長年叶わぬ思いも受け取ってくれるとなお嬉しい」

 

 ばかめ、とおでこを指で弾く。いつものやり取り。

 でも、そうだ。心遣いを貰った事だし。うむ。

 幼馴染みと逆を向く。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけなら前向きに見当してみるよ」

 

 大げさにやったやったと騒ぎ立てる幼馴染みを蹴飛ばし、私は彼を置いて先に歩き出した。

 林檎のような顔を見られぬよう──




 ここまで読んでいただきありがとうございました。
 そしてタイトルでの引っかけすいません、喜びの声を上げてるのは無限者さんの方です。
 最近神様転生などの要素を捻ってくるのが多かったのでちょいと刺激され勢いで書いてしまったものです。
 4/28改稿しました、大体倍に増えてます。短編連載という形とはちょっと違うように思ったので追加投稿ではない形にしたのですが、逆にご不便をおかけしたかもしれません。
 後から大幅な改稿してしまったので、ちょっとずるい気もしますし、ランキングから外れさせてもらいました。評価等いただいた方には申し訳ありません。


原作前に最強系キャラがいればロアさん喜ぶだろうな、と昔考えたネタです。
考察を漁っている途中で、某掲示板でも似たような突っ込みしてる人が居ました、やっぱり結構だれかが考えたりしてるもんです。ネタ被りのSSが有りましたらお手数ですがお教え下さい、あんまり被り部分が多いようなら対処します。
あと美味しいアンドゥイエットはやたら美味いです。

捏造設定項目について
 ロアの転生についてはあちこちで考察されていますが、このお話の中の設定としては、一代前に次の世代の転生条件を決めておく事、本来は遠野四季でなくその子供に発現させるつもりだった、という事にさせておいて下さい。
 最初からロアの子として生まれてくる設定だと次はエレイシアさんがやはりロアになってしまいそうです。アルクェイドに健やかな眠りを。
 魔術の描写についても同様に捏造設定です、数秘紋による雷霆とか何じゃそれは、だったので。カバラっぽいかなーとでっちあげました。
 抑止力についてはこの場合働くかは判りません。
 獣の数字の否定書などはでっちあげです、616を獣の数字とする異読もあるようなので。


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おじいさまも喜びの声を上げ

 安直、だったのだろう。

 魂を壊せば逃げられると思っていた。

 そんなもので、そんな手段で、そんな理解で、逃れられるはずがなかった。

 それでも私はもう私でいたくなくて、一刻も早く自分から逃れたくて。

 親を殺し、友を殺し、隣人を殺し、殺し、殺し、殺し尽くした、愉悦のために、ただそれだけのために死ぬより辛い目に合わせ、魂を陵辱してのけた私から逃げたくて──

 

 逃げられなかった。

 魂を壊し、霧散させるはずの第七聖典。そんなモノでは死ねなかった。

 

 白亜の神殿がある。

 空気は人にとって害にすらなるほど清浄、あの世界の基準で言うなれば事象の果て、あるいは根源、それとも『外』の世界だろうか。魔術師ならば狂い死ぬ程求める場所かもしれない。あるいは案外、ただの異界という扱いか。どちらにしてもどうでもいい。私には興味も、意味もない。私のような何でもないただ一人の凡人には両手で掴める程度の世界で良い、ただそれだけで良かったのに。

 純白の視界に、いつしか女性の姿があった。

 いつか見た女性、美しく、凛々しい。そして今ならば解る。決して見てはならない存在だったのだと。その神々しさに人は耐えられない。耐えられるはずがない。神を少しでも理解してしまえば人の身は人の身たり得ない。

 

「我が祝福を拒絶するか」

 

 玲瓏とした声が響く。温度を伴わない、聞いただけで全ての存在が凍り付くかのような声。

 

「なれば」

 

 女神は微笑んだ、微笑みかけていた。恐怖という感情さえ悲鳴を上げて消え去りそうな微笑み。そして何かを言うと同時に私の視界は暗く、黒く──

 

   ◇

 

 ぎちぎちと音がする。きいきいと声がする。

 腹の底から、口の中から、骨髄の中から、血管の中から。脳髄に弾ける痛み、痙攣する胃から逆流する胃液が蟲に堰きとめられ、喉を焼く。神経があまりに交錯する信号に耐えきれず弾け飛ぶ、心臓が機能不全を起こして止まり、それを這いずる蟲が無理やり機能させる。急に血が流れだし、食いちぎられた肌から血がしぶいた。魔術回路が苦しく呻き、開き、書き換えられていく、置き換えられていく。ゆっくりと。

 

「急に大人しゅうなりおったのう、あれほど泣き喚いておったというのに。気を失えるようになどしとらんはずじゃが、のう茜や」

 

 人型の蟲が笑う。呵々と。呵々と。

 ああ、思い出した。思い出してしまった。

 蟲倉に入れられてちょっと早めな経験のショックで思い出すなんて。もっと捻った理由でもあれば良かったのに。なんて普通で、当たり前な思い出し方だろう。平凡さを一歩たりとも踏み出していない。何て私らしい。

 

「この子は葵……君への感謝も込め、対となる名、茜としたい」

 

 そんな、お父様、昨日までそう呼んでいた人の言葉も思い出した。母の胸の中で聞いた言葉。

 葵という言葉の源は下(あ)ふから来ている、対照的に茜は上(あ)ぐ。葵が合い、協調し、理想の伴侶であるなら、茜は正方向に優れ、勝り、至る。そんな話もしていたっけ。体を労るように言い、父が病室を出た後、母は小さく溜息をついて、それでも嬉しそうに、肝心な所でデリカシーが足りないわね。などと言っていたものだった。

 

「この子は……何という事だ。よもや三人目までとは……禅城の血と我が家の血はこれほどに相性が良いと言うのか」

 

 からりと宝石が落ちる。幼い私は父の様子がただおかしくなった事が心配で、何となく不安になって、父の服の裾を掴んだものだった。そんな私の頭に手を置き、ゆっくり撫で、言った。

 

「属性は水、それは取り立てて変わったものではない。しかしこの大海を思わせる程の魔術回路、大成すればいかなるものになろうか。惜しい、桜も、茜も……凡俗に落とすには余りに惜しい」

 

 そしてしゃがみ、ベッドで寝ている私と視線を合わせて微笑む。

 

「この父もよくよく考えてみよう。茜、君の未来を潰す事の無いようにな」

 

 人の幸福ではなく魔術師としての幸福を願った父、その思いがどんな事をもたらすものか、小さい私はまったく解らずに、ただ微笑んだ父がうれしくて、きゃっきゃと笑っていたのだった。

 

 間桐の家に養子に出す、なんて言われた時はどうだっただろうか、きょとんとして聞いていた覚えがある。何しろ子供だ、養子の意味すら判らないのだから。

 三人でリボンを交換、私が作ったものを一つ上の姉に、一番上の姉が作ったリボンを私に。

 いつもと違う洋館に連れて行かれ、今日からこの家の子だよと言われる。泣いたかもしれないが、それ以上によく意味が判らず、ぽかんとしていたかもしれない。

 そしてどこか怖いお爺さんに連れられ、地下の一室へ。

 

「茜よ、ちいと痛いが間桐の者となるためじゃ、我慢するのじゃぞ」

 

 そう微笑みながら言うお爺さんに、私はやはりわけが判らないながらも、こくりと頷いていた気がした。

 

 諦念と疲れた精神の中、苦痛に身を任せる。肉を潰し、魂まで陵辱するこのたぐいの痛みはよく味わった、ある意味親しんだものだった。聖堂教会で殺され続けた時だったろうか。概念武装での魂の昇華、あらゆる摂理を撃ち込まれ、あらゆる異端殺しの道具を使われたものだ。

 無論苦痛に慣れたなんて言えない、ただ、この蟲の翁を喜ばせる反応をするのを止めただけだ。

 骨がかりかりと蟲に囓られ、肉の一筋一筋に絡みつく。掻痒感、狂う寸前の痛み、もう少しで狂ってしまう、その一線の一歩手前を行く手腕は大したもの。

 神経を弄られれば体は反応する、電気を当てられた蛙のようにビクビクと跳ね、失禁し、表情筋が歪められた。それでも頑なに声は上げない。

 

「ぬう……ここまでしても音を上げぬか」

 

 魔術の調練であるべきが、間桐の翁はどうやら苛立ちを募らせているようだ。

 否、初日なのだからこれはきっと体を少々馴染ませ検査する程度に考えていたのだろう。魔術回路を探っている様子があった。魔術の調練などとはとても言えない。しかしそれでも、この五百年を生きたはずの老魔術師を苛立たせたのにはちょっとした暗い喜び、やりこめたような感情を覚える。

 だからだろう、私も、そしてこの魔術師も、私の肉体の限界を考えるのを忘れてしまっていた。

 

「……さか、初日で命を奪ってしまうとは思ってもおらなんだわ。尤も、ここまで精神が頑強であればむしろ肉体のみの方が──む、何と、何とな、蘇生しおったか」

 

 時が千切れた感覚。世界が異常と判断し、体を再生させてゆく。真祖の復元呪詛じみた有り得ぬ不死。これもまた以前の私が慣れ親しんだ感覚。そしてこの現象が起こるという意味、それを考え、理解し、理解してしまい──私は笑いの衝動が腹の底より湧くのを感じた。

 

「ぐ、く、ぶ、ふ、あ、ははぁ」

 

 蟲に口内も陵辱されたままだ、当たり前には笑えない。それでも笑った。痛みで出たものとは違う涙を流しながら。

 こんな事になるなんて、有り得るとすればそれは魂のラベルが未だにロアのものだということ、そして同一の存在が滅びていないという事。平行世界という単語が頭をかすめる。ならばシエルさんもいるのだろう、もしロアがまだ滅ぼされていないとしたら三重に同じ名前の魂がある、いとも珍しい三つ子という事になる。成長したのは何故だろう、魂に肉体は引きよせられるはず。通常の赤子として生まれた事でさらなる矛盾を抱えた存在にでもなってしまっているのだろうか。

 笑いが止まらない。

 

「ぬう……これはどうしたことか」

 

 ミュリエルという私、あれだけの被害を出して、殺しに殺して、それでも一人だけは確実に、不幸にはならなかったと思っていた存在が居たのだ。それはロアを滅ぼす、その時までのただ一つの拠り所だった。おこがましくて到底口には出せないけれども、あの世界ではシエルさんはおらず、ただのエレイシア。普通に生きて、美味しいパンを焼いている看板娘だった。

 そんな、たった一つだけ得たと思っていた事。

 

 無かった事にされた。

 

「い、ひひ、は、ぎ」

 

 力の入らぬ体を震わせ笑っていると、何かが体に注ぎ込まれ、急速に意識が薄らいできた。毒か、麻酔か。今はかえって、ありがたい。

 

   ◇

 

 気がつけば、ベッドに寝かされていた。見慣れない布団、清潔だが温もりのない病院で使うようなシーツ。薄暗い部屋にはカーテンの隙間から夕日が差し、ほとんど物が置いていない、片付けられたばかりと見える部屋を照らしている。

 私が遠坂に生まれ間桐に入れられたのは何でだろう。案外、因果律でも裏返ったのだろうか。メドゥーサが呼ばれるからこそ私がこの位置に収まった、なんてところかもしれない。アテネの怒りを買った事といい、蛇の繋がりといい、あまりに似たもの同士に過ぎる。

 そういえばメドゥーサを蛇に変えただけでは飽きたらず、ペルセウスに加護を与えて首を取ったのだったか。アテネの盾であるアイギスにはメドゥーサの首がはめ込まれているなんてお話だったはず。

 

「は、あはは」

 

 知恵と戦の女神は念入りだ。二度三度と呪いがかかってきてもおかしくはない。

 あるいはそこまで興味もなく、適当に放り投げたら縁を辿ってこう生まれたのかもしれないけども。

 笑ってしまう。本当に笑ってしまう。いろいろこそげ落ちたあげく、笑うしかなくなってしまった。

 

「どうすれば真っ当に死ねるのかな」

 

 記憶もぼんやりだけど何となく覚えている。大聖杯にこの世すべての悪なんてものを背負ったアンリマユが居るんだっけ。

 ああ、一つ思い出した。

 殺すという方向性にならそれなりに聖杯も使えるのだった。

 

「願うだけ願ってみようか」

 

 世界に孔を開ける程度の奇跡や神秘では届かない。そんな事も思いながら、口に出すだけは出してみた。

 

 夜になると、疲れた目をした男性が食事を部屋に持ってきてくれた。味はよく判らない。もそもそと食べ終えると、無言で待っていたらしいその人は、躊躇うように口を開いた。

 

「間桐鶴野、この家の家主で一応の当主だ。動けるようならついてきなさい。邸のどこに何があるかを案内する」

 

 私は頷き、ベッドから身を下ろした。体の調子は悪くない、蟲が体に入れられている違和感はあるが動くのに支障はないようだ。そんな私の事を鶴野さんがどこか驚いた顔で見る。二秒遅れで気付いた。そういえば普通の子供は、いや、思い出す前の私ならきっと蟲倉での経験なんてしたら自失状態か、怯えに怯えている頃だ、すっかり忘れていた。今の私の精神はどういう状態なのだろう、記憶に影響されているとはいえ、そこだけは元の遠坂茜だった存在の持っていたモノのはず。泣き虫で、一番上の姉にからかわれ、よく一つ上の姉に泣きついていた。到底強いとは思えない精神。

 

「何をぼうっとしているんだ」

 

 考え込んでしまったらしい、空の食器を持ってキッチンに行く鶴野さんの後を追った。

 

   ◇

 

 一ヶ月が過ぎた。私はマキリの魔術に合うように体を作り替えられている。

 何度か私を殺し、蘇生の様子を確かめた後、間桐臓硯は喜悦の笑みを浮かべて言った。

 

「最高の素材よ、魂が矛盾存在とは、なるほどこれは死なぬ訳よ、矛盾せぬが故に腐れるワシとは違うモノとなっておる、なにゆえこのような事になっておるのか。しかしなるほど、これは良い。これは良い掘り出し物じゃ、望外のモノを引き当てたわ」

 

 そしてぐちゃりと、私をまた少し壊して笑う。くつくつと。きしきしと。

 

「これなら余程の無茶も出来ようなあ」

 

 一週間に一度、一時間だけ蟲倉の外に出ることを許されている。一ヶ月という時間の経過が判ったのはその為だった。鶴野さんは最初はどこか私に対する申し訳のなさを含めたような目をしていたが、変わってくる私の姿を見て、段々それは化け物か汚物を見るような目になってきた。

 無理もないと思う。

 人間は寝ないで三十日を過ごせない。

 休みなく蟲に全身を浸されながら気が触れずになどいられない。

 水と蟲だけで命は繋げない。

 記録者が居たからこそ判った事だったが、精神が壊れてしまった事も何度かあったらしい。ただし、それも世界は矛盾と見なすようで、寸前の状態に巻き戻されるようだった。

 魔術の属性が水なだけに同属性のマキリの業が馴染むのは思ったより早かったらしい。今では髪の色も、目の色もすっかり変わり、肌の色すらより白くなっている。

 おねえさんは元気だろうか。

 私が泣かされると決まって頭を抱いて優しくさすってくれたおねえさん。

 名前の通りの綺麗な肌のままなんだろうと思うと、こんな境遇を引き受けるのも別にいい。

 きっとそれでも、また死ぬのに失敗すれば、こんな苦労の意味など存在しなかった、そんな世界に投げ込まれてしまうのだろうけど。それでもいい。

 

 間桐臓硯はやはりロアであった時の私などより、よほどサディストとしては一流だった。

 苦痛より快楽、私の嫌う場所をよく心得ている。愉悦の心で殺した事を思い起こさせる。嗜虐の笑みで殺した事を思い起こさせる。快楽に蕩けた顔で親友に跨りながら殺した事を思い起こさせる。

 正直に言えば何度か蟲倉を潰して、逃げてしまおうという衝動に駆られた事もあった。

 ミハイル・ロア・バルダムヨォンの魔術の記憶は未だに持っているのだから。そして聖堂教会の代行者モドキをしていた時の経験、場を整えての洗礼詠唱などこの間桐の翁にはよく効くだろう。信仰心の限りなく薄い私の詠唱でどれほど効果があるかはさておき。

 ただ、そこまでする熱意が浮かんでこなかった。

 今の私を蟲の巣と例えるならば、その真ん中にはひときわ大きな虚無の蟲が潜んでいたのだろう。

 あの人が世界を殺しちゃいたい程の憎悪、そんなものを抱けるだけの意思があることをただ、凄い人だったんだな、と妙な感心の仕方をしていたりもした。憎むのだって、悲しむのだって、怒るのだって疲れるのだから。

 

 いつものように蟲倉で無感動に埋もれていると、見知らぬ人が入って来た。どこか鶴野さんにも似ている。いや、確かそうだ、たまにきて、私達と遊んでくれた人。一番上のおねえさんに馬にされていたりした人。

 

「雁夜おじさん?」

 

 母の幼馴染み。たまに来て遊んでくれる人、そんな事しか覚えていない。その人はずかずかと無造作に蟲の中に分け入ると、私の頭を抱きしめた。

 ああ、色々な汁だの液だの蟲の体液だのでべとべとでぐちゃぐちゃなのに。何をやっているのか。私は押しのけようとし、結局大人の力に勝てず諦めた。

 

「汚れるよ、服が」

 

 当然の事を言っただけと思ったのに、雁夜さんは何故か強く私をかき抱いた。泣いているのだろうか、慟哭しているのだろうか。その姿を見せたくないのかもしれない、体が震えている。

 困った。

 仕方無く背中をぽんぽんと叩いて慰める。何か悲しい事でもあったのかもしれないし。

 震えはますます酷くなった。口の中で噛みつぶしてるつもりらしい、すまない、すまない、という声も聞こえる。どうしよう。

 説明を求めて臓硯を見ると、凄まじい愉悦の笑みを浮かべていた。

 そして噛み合う。なるほどと思う。そう言えば母は間桐の名を言った事が無かっただろうか。

 

「雁夜おじさんはこの家の人だった?」

「……うん、おじさんはね、本当はこの家の人だったんだ。ずっと逃げ出してた弱虫でね、茜ちゃんに一人背負わせちゃった悪い大人なんだよ、でも、これからは、これからは──」

 

 声にならなくなったのか啜り泣くような音、そして強く抱きしめられた。

 何なのだろうか。

 

「やめて下さい」

 

 何度も言った。

 

「こんな所に下りてこないでください」

 

 何度も言った。

 

 でもその度に寂しそうに笑って首を振るのだ。

 おじさんはこういう生き方しかできないと。

 罪が増える。

 こんな私を助けようなどと思っている人がいる。

 それに応えようがない自分が居る。

 

 蟲の翁がほくそ笑んでいるのも承知している。面白がっているのだろう、楽しんでいるのだろう。それを私が察している事をさえ揶揄してみせるのだから。

 

「のう茜や、あやつが来てから巌のようであった心が開いてきたのう。幾度責めようと開かぬ心を開くとは、見込み無しと思っておったが、存外使い所があるものよ」

 

 蟲に犯され、神経をずたずたにされ、耐えきれずに気を失っているおじさんを楽しそうに見る。

 蟲の翁は全てを明かしてくれた。それはもう楽しそうに。

 雁夜おじさんはあろうことか、私なんてものを助けるために聖杯戦争に参加するのだという。

 勘弁してほしい。本当に勘弁してほしい。

 あろう事かこの人は、私を救いたいというただ一念でこんな薄暗い場所に来てしまったというのだ。あまつさえ命を賭ける、などと。

 その優しさは私が受け取っていいものではない。その感情は私が受け取って良いものではない。

 誤魔化していたのに。

 気付いてしまう。

 苦痛ならまだ良かった。

 しかしこれは私が受け取って良いものではないのだ。

 それはきっと一つ上のおねえさんが受け取るべきだった感情。

 もうこれ以上重くもならないだろうと思っていた罪科の重みが増す。支える鎖は悲鳴をあげ今にも千切れそうだ。

 全て流しきったと思っていたのに、一すじ涙が流れた。

 

   ◇

 

 私は動く事にした。

 それはちょっと遅かったのかもしれない。ただ、きっとまだ手遅れじゃない。

 間桐臓硯は今回の聖杯などには興味がない。あれが正常に機能しない事など判りきっているから。

 ただ雁夜という、魔術師としては不肖の子孫を使ってかき乱し、観測したいだけ。

 だから正面から助命を願うなんて下の下。きっとそれを面白がり、調教に利用するだけ。

 ならばどうしよう。

 私と雁夜さんの二人が逃げ出すだけなら全く難しくはない。

 翁は蟲倉ごと葬送すれば良い。教会で教えられた浄化の儀式は相性がとても良さそうだ。

 ただ、その程度で滅びてくれるような緩い存在でもない。

 間桐が管理している十七箇所の霊地。その場所全てに存在する予備の脳虫。魂の容れ物を一箇所のみにするなどという迂闊さはこの翁には存在しない。どこまでも周到であり、魔術師。予測のできる不測の事態には考え得る全てに対応できるようになっている。

 私の居ない世界、本来あるべき世界では、殺されたと見せかけ、何十年かした後にひょっこり姿を見せ「よき子は生まれたか」などと笑い、絶望に暮れる姿を見て愉しんだのかもしれない。

 ただ、それだけ用意周到であった間桐の翁であっても、五百年を生きた魔術師であっても。さすがに私のような存在は想像はできなかったのだろう。

 間桐臓硯は私の矛盾している魂を幾度も観測していた。何の防性も持たずに、無思慮に覗きすぎた。覗かれているならば覗く事はかえって簡単。ただ、得られた知識には頭を抱えたくなったのだが。

 おそらくこの蟲の翁は文字通り人ではないものになりかけている、ゾォルケンという蟲の種類そのものになりつつある。

 魂は腐っていっているのではない。長く存在しすぎ、魂そのものが変質しようとしている。あくまで人であろうとしている本人は決して認めないだろうが、ガイア寄りの存在として規定されかけている。人であろうとするために人を食っているが、もし人を食わずにあと百年ほども存在していれば、蟲が成り果てた精霊種の一つとなるかもしれない。

 本人は気付いているのだろうか、人で在る事さえやめてしまえば、今現在の望みである不老不死などといったモノになってしまえるという事に。

 それとも、それでもなお不老不死にはほど遠い、星の寿命ほどではまだ遠い、とでも言うのだろうか。

 私は蟲に食い荒らされながら内心で溜息を吐く。

 私が逃げ出せば恐らく遠坂家に違約の責めが行く。そして今度こそ逃げ出さないように、念入りに鎖を繋ぐだろう。間桐臓硯からすれば次代に繋げる胎盤であれば良いのだから。

 では間桐臓硯を滅ぼせるかといえば、否だ。それこそ汚れた聖杯を使って殺す事でもしない限り、滅ぼせるものではない。それに、私自身があまり憎いとも思っていない。魔術師の業など幾度も見てきたからかもしれないし、外道と言うなら自分もそうだ。

 

「お爺さま。私の中の虫を雁夜おじさんにあげたいです」

 

 全てを救う最高の一手なんてなかったので、私の考えた次善の手を打つ。あまりいい手でもないのかもしれないが。

 私の中でなみなみと魔力を吸って肥えたマキリの刻印虫、まだ馴染んでもいないが、それ故に私以外でも何とか適合するだろう、体の中のものだけに仕込みも出来た。そして何よりこの翁の性格。案の定、たまらぬ、と言ったようにニタリと笑い。

 

「おうおう、何といじましい事を言ってくれる事よ、良かろう、良かろう。茜や、おぬしの刻印虫を雁夜めの力にしてやろうの。のう雁夜よ、喜ぶが良い、茜の体中を犯し抜いた一虫を受け入れる事が出来るのじゃ。思い人の影を忍ぶならなおさらに望外の幸せであろうなあ」

 

 その言葉に雁夜さんはぎしりと歯を噛みしめ、臓硯を睨み付ける。涙が流れていた。ごめんなさい。

 魔術師というものは存外自分の流派以外のモノには疎い。古い魔術師ほどその傾向がある。まさか、刻印虫に数秘紋の術式を刻むなどとは思わなかったのだろう。虫の見た目も違っていたが、私の体に適合する過程で変化を起こした程度に思っていたんじゃないだろうか。

 刻んだ象徴は蘇生、活性、生命。マキリの魔術刻印として活動すると同時にカバラの魔術刻印としての機能も果たす。魔力から活力への転換。これで、そう。魔力切れでも起こさない限りはしぶとく生き残れるはずだった。

 

   ◇

 

 養子に入れられて一年、私の体はほぼ作り替えられていた。恐らくもう細胞の一片とて遠坂だった時のものはないだろう。臓硯も言っていたが、予想以上に早い仕上がりらしい。それはそうだ。何しろ死ぬ心配がないので何でもできる。

 不死の特性を利用しての調教はそれはもう、何というかアレなものだった。愚痴の一つもこぼしたくなる。遠慮を無くした蟲の翁の本気は凄かった。もうぐっちゃぐっちゃにされた。人の形を留めた日の方が少ない。間近でそんなスプラッターシーンを連日見せてしまって、雁夜さんには本当に申し訳ない。聖杯戦争までこの人の精神が持つのか、そちらの方が心配だった。肉体の方はカバラの魔術が正常に機能してくれているようで、今の所五体満足なのだけど。

 

「ああ、眩し」

 

 自室の窓のカーテンを開け一年ぶりに太陽の光を浴びた。体の中の蟲がちょっと騒いだけど無視。考えてみれば、自室に戻れる時間も夜のみだった。蟲倉と真っ暗な自室、ここ一年はその二部屋の往復しかしてない。体力も多分相当落ちているのだろう、階段を昇るだけでも息切れを起こすことがあった。

 ぼんやりと街を眺める。間桐邸が結構な高台にあるので、それなりに景観は良い。

 この地で行われる聖杯戦争については正直半端な知識しかない。かつての朧な記憶と、教会に居た時に聞きかじった知識。どれも参考程度にしかならない。

 私は手の甲を見る。小さい手。やはり令呪は存在しない。ぼんやりとした「消え去りたい」なんて願いは願いのうちには入らないのかもしれない。雁夜さんの右手にはしっかり令呪が刻まれていたというのにだ。

 あの人は止まらないだろう。あの人が欲しいのはきっと遠坂家に居る当たり前な家族の私の姿だ。過去にしか存在しない、有り得ないものを求めるあの人の願いはやはり奇跡でもなければ不可能、聖杯も十分に資格を認めるというものかもしれない。

 

「もう一つ、二つは……」

 

 手を打たないといけないだろう。ああいう人は真っ直ぐ走って死んでしまう。良くも悪くも魔術なんかに関わっていい人じゃない。

 サーヴァントは何を呼び出す事になるのだろうか。参加する魔術師はどういった人達だろうか。

 いずれにせよ私にできる事はそれほど多くない。魔術と不死の体というものがあれど、この体はやはり脆弱。雁夜さんについて回っても力になるどころかただの足手まといになるのだから。

 

 気付いたら眠りについていたらしい。

 そういえばまともに眠ったのも久しぶりだったかもしれない。

 ベッドから身を起こす。ぼんやりした頭がはっきりしてくるに従って、今何時だったろうかと思い、時計を見て、しばらく前から止まっていた事を思い出した。夜であるには違いない。夜行性の虫達の音色がちりちりと聞こえている。

 ──背筋に電流が走ったような感覚があった。

 大気の魔力が凄まじい勢いで流れ込んでいる。屋敷の一点に。屋敷の一画に。まるで嵐、台風、天災規模の異変が収束している。

 

「……これが」

 

 サーヴァント、英霊の召喚。

 のそりと起きて、サーヴァントが召喚されたらしい虫倉へ行こうとすると鶴野さんが廊下で私を止めた。

 何を見たのか、酷く顔色が悪い。

 

「……自室に戻っていなさい」

 

 様子がおかしい。いつもはもっと私を幽霊か何かを見るような目で見るのだが。もっと酷いものを見てしまったような。

 黙っていると眉をひそめる、小脇に抱えられ、自室に戻されてしまった。

 どうしようか。

 何となく窓から外を見、月を眺める。ふと感覚がいつもと違う事に気付いた。

 結界、間桐の敷地に張られている結界が破られている。

 それもそうか、英霊なんて規格外の神秘が形を成すのだ、なまじの結界なんてひとたまりもない。

 

「Die sammeln(集え) zu duft(香りに)」

 

 いい機会なので、結界を張り直される前にやることをやっておく。

 魔力探知も兼ねた結界はさりげに厄介だったのだ。窓を開け放し、羽虫集めの香りの魔術。感知さえされなければ私自身には監視の目は無い、雁夜さんの体には臓硯の使い魔が入り込んでいるが、私にそんな事をしていたら鍛錬が特殊なだけに一々面倒臭すぎるのだろう。

 集まった羽虫を片っ端から使い魔にし、周囲に散らす。これらはあくまで餌、本命の鳥を探す。森の中に散らす羽虫が蜘蛛の巣にかかり、夜行性の鳥の餌食になる。食べた鳥の方は使い魔に仕込んだ軽い暗示で間桐邸の窓、ここが巣だと錯覚し、入って来た。

 予め紙に書いておいた「魔女、支配」の数秘を以て梟を縛り、血の交換により契約。使い魔とする。マキリの魔術の方が使い魔を使うには向いているとはいえ、絶対に臓硯に気付かれてしまう。いずれ私にも臓硯の脳虫が入れられてしまうかもしれないが、その前に別種の術による目が欲しかったのだ。

 同じ要領で五羽の梟を使い魔にし、冬木市に散らし、窓を閉めた。ベッドに入り具合を見るために視界の転移を行い、梟の目を借りる。

 魔法使いには梟、おとぎ話のイメージそのままとはいえ、それなりに理由はあった。

 なにせ梟は目が良い、猛禽類は皆目が良いものだが。その上夜目が効き、立体視ができる。モノクロの視界ではあるものの、距離感というものを感じ取れる梟の視界は人間にほど近いもので、理想的な目でもある。もっとも、あまりに知られてしまっている事から魔術士達からはかえって忌避の念があるらしい。

 順々に視界を切り替えて行く、使い魔とはいえ、いざという時行って欲しい場所に行ってもらう程度の緩い縛りにしてある。三羽目はどうやら鼠を捕らえたようだ。食らいついているが、迂闊に興味本位で味覚も借りてしまうと酷い目に合ったりもする。虫よりはマシだろうけども。

 

「あ……」

 

 五羽目の視界に映ったのは遠坂邸だった。心臓が早鐘を打ち、汗が吹き出た。

 不意打ちだった。

 あの庭で、あの椅子に座って、私はおねえさんと。

 違う。

 違う。

 違う。

 それは私ではない遠坂茜という少女の終わってしまった幸せだ。

 なんて。

 うん。何の事はない。

 蟲倉の事に耐えられなかった私はミュリエルという人格で身を守っていたのだろう。二重人格にすらなっていないただのペルソナ。一人劇場。どこまでいっても私は普通。一番上の姉のような輝きもなければ一つ上の姉のような秘めた激情もない。

 だからきっと、流れた涙も気のせいなんだろう。ミュリエルは泣いたりなんてしないのだから。

 

   ◇

 

 聖杯戦争が始まってからは臓硯もそちらに興味が行っているのか、蟲倉での鍛錬はかなり短いものとなった。少なくとも一日放り込んだままという事は無くなった。鶴野さんと話している感じでは、そろそろ学校に通わせるために一般常識も教えておくべきという事らしい。

 

「しかし、あの人形はそこまで頭を働かせられますか」

「呵々、おぬしは茜が壊れていると見るか、あれは壊れてなどおらぬよ。顔は動かぬが心は動いておる。雁夜が来てからなど面白い程に揺らいでおったわ」

 

 多分まだ、かろうじて生きているのだろう。多分外側は人の形を留めてないだろうけど。

 結局この鍛錬、肉体をすり潰して蟲に置き換え、それを魂にフィードバックさせているだけだ。馴染ませながら最後に殺せば、魂からまた少しマキリに染まった肉体が再生される。

 

 

 臓硯の趣味的なものもたまに入ってくるが、効率はこちらの方がいいようだ。慎二君もこんな姿見ればさすがに嫌気が差すかもしれない。

 

「では、手配を……」

「……う……ように……」

 

 声が遠くなる。

 時間が途切れ、覚醒した。蟲の中。今日は後何回だろうか。

 

 蟲倉に居ないで良い時間、自由な時間というものができるようになった。

 自室でぼんやりしている事が多い。

 使い魔の梟の視点を借りて空から冬木市を見ている。

 結界も内側の魔力感知はごく大雑把なようだ、既に魔力のパスが繋がった梟くらいなら感知されることはなかった。それだけが少し心配だったが、良かった。

 

 英霊達の気配を察する範囲は半端なもんじゃない。遠目でもって梟に観察させる程度だったが、やはりこと戦いという事に関しては英霊は凄まじい。アルクェイド・ブリュンスタッドも大概だったけども、あれは根本的に力任せだ。

 視界の中で槍騎士がその双槍を振るう、音速すら超えた衝撃波をものともせず、騎士王がその見えぬ剣をいなし、捌く。神話の再現。使い魔の目ではその剣閃の一筋すら捉える事ができない。

 勝負が決まるかというところで破天荒な登場をした戦車のおじさん、誰がどう見てもライダーだ。耳は借りてないので判らないが、何か呼びかけている様子。

 そして誘われるように現れた、どこかで見かけたような英霊、やたら偉そうに喋っている。しかしまさか、こんなにサーヴァントが一堂に会するなんてどんな混戦だというのか。

 そして唐突に出現した黒い騎士、使い魔の目を通してすら瘴気が見える。

 その二騎の戦いは何と言えば良いものか。武器を撃ち出してはそれを掴み取りして打ち払い、などという冗談のような光景だった。

 そんな中、私は使い魔とは別のパスで結んだ存在の異変に気付いた。

 刻印虫が激しく蠢いている。

 私の中で、ではない。雁夜さんが取り込み、魔術回路の一部となっているものだ。もっともパスを結んだといっても魔力を直接やりとりできるようなものではない。ただ、状態は判る。これはひどく不味い。

 どちらかが、今戦っているどちらかのサーヴァントが雁夜さんの魔力を吸い上げている。いや、この吸い上げ方は普通じゃない、有り得ない目減りだ。そうだ、そう言えばそんなクラスがあった。

 バーサーカーを呼ばせたのか。

 どうやら本当に臓硯はこの戦いで雁夜さんを使い潰すつもりらしい。そんな事だろうとは思っていたものの、あそこまで手をかけ、しかも魔術回路を急造したにせよ、健康面でも問題はなかった。惜しむ気持ちが少しは出たのではと淡い期待もしていたのだけど。

 体の中できいきい鳴く蟲共に静かに苛立つ。

 そろそろ私は決めなくてはいけないかもしれない。

 臓硯に警戒されれば恐らく私は始末されるだろう。この場合の始末は、すなわち精神の封印だ。最終的に母胎としてのみ役立てば良いのだから。

 そうなればいつか同一のラベルの魂を持つシエルさんが寿命で死に、私も同じ時間に死ぬ事だろう。

 それも楽でいいかと思わないでもない。

 メドゥーサとは縁がありそうだったので、一度会ってみたかったけども。

 ただ、それでまともに死ねるのかという恐怖がある。

 有るとも無いとも判別できない恐怖。

 本当に私の不死はロアによるものなのだろうか、という疑念。

 少なくとも今の不死は、成長している。不老ではないようなのだ。確かにロアの魂とされていた時も私の魂は停滞していたが決して不変ではなかった。しかし今はその停滞すらない。果たして私はどんな存在となっているのか。臓硯は矛盾した魂と言っていた。もしそれが、私の想像しているものの外だとしたらどうなるのか。

 それは怖い。

 どうしようもなく怖い。

 生きる事ができないなら死ぬ事ができない。

 そんな矛盾でも孕んだ存在としたら。

 杞憂だろう。きっと杞憂なのだろう。天が落ちてくるのを心配するほど馬鹿げた事はない。

 私は頭を振り思考を払った。

 

   ◇

 

 いつものように無感動に蟲倉での鍛錬を終わらせ、自室で作業を始める。

 臓硯は今の所私に警戒している様子はない。それはそうだろう、何時なりとも何とでもできる存在を警戒しても仕方がない。無駄というものだ。

 ただ、私が今から始める作業を見れば、間違いなく警戒の域に達してしまうだろう。かなりの綱渡りな気もする。それでも天秤にかければ私の生などより、ただひたすらに人間らしい雁夜さんの生の方が重かったので仕方無い。

 姉から貰ったリボンを解き、真ん中で切る。

 少し感傷が残っていたのか、はさみを持つ手は震えてしまった。

 

「Frere Jacques, Frere Jacques」

 

 昔聞いた覚えのある子守歌を口ずさみ、心を平静に保つ。失敗ができない。

 

「Dormez-vous, Dormez-vous」

 

 リボンに血で描く術式は十三、洗礼詠唱の意味も兼ねた浄化の術式、自律移動。そして制御に補助、正直とってもありえない。あの馬鹿吸血鬼も魔術師としては超一流であり、その知識を継いだからこその離れ業。

 

「Sonnez les matines, sonnez les matines」

 

 そしてリボン、この頃からすでに才能を発揮していた一番上の姉のお手製のリボンはとても魔力転換と相性が良い。

 

「Ding dang dong, ding dang dong」

 

 最初の一つを描ききり、静かに息を吐く。

 髪を一本抜き、縫い針を探したがそんなものはなかったので、馬鹿らしい事ながら、髪そのものをちまちま強化しながら縫い付け模様とする。

 半分ほど完成させた頃には既に良い時間になっていた。机に仕舞い込み、一階の食卓に向かう。

 ここのところ家政婦さんの作ったまともに人が食べるものが食べられるのでありがたい。

 

 聖杯戦争の行方はどうなっているのだろうか。

 礼装を作り始めたのでここの所まったく確認していない。

 雁夜さんもここのところ私と会わないようにしているのか、姿を見た事がなかった。

 礼装そのものはほぼ完成している。というか数秘の神秘は本来こういった魔術礼装を作るのが一番向いているのだ。黒鍵に魔術付与して死徒を狩り出すような使い方の方がむしろ異端、逆に言えばそんな使い方をすることで、ロアの魔術を貶めている気持ちも少しはあるのかもしれないが。

 リボンを加工してお守り袋のようにしたそれ、中身にはびっしり術式が描かれ、編み込まれている。かなりの複雑な魔術をして、あまりに限定的な用途にしか使えない礼装。多分、正当な魔術師が見たら、目を剥いて怒る。何という無駄な事に神秘を使うのかと。

 ただ、最後の仕上げは行っていない。かなり強い魔力反応が出てしまうはずなので、結界内だと中々仕上げられないのだ。

 

「といっても──」

 

 梟の視界を借りてその異常を眺める。

 巨大な魔、タコかイカか、何だろうあの邪神的な触手。取り込まれれば私みたいなのでも分解してくれるだろうか。

 そんなものとぶつかりあっている英霊達、空では黒く染まって無茶な軌道をする自衛隊の戦闘機と空想の世界から飛び出てきたとしか思えない妙な飛行機がドッグファイトを繰り広げている。何というお祭り騒ぎ。

 そしてそんな英霊達と魔物の饗宴から離れたところで戦う一人の魔術師と一人の急造魔術使い。

 どうしてそーなってる。

 かつてお父様なんて呼んでた人と雁夜さん、ことに雁夜さんの様子はおかしい。あれほど憎しみを剥き出しにする人だっただろうか。人間らしすぎる人ではあったけど、臓硯に何か妙な弄られ方でもしたのだろうか。

 梟の一羽を寄せ、聴覚も借りる。

 何やら雁夜さんが、なぜ私を間桐に預けたかを問いただしていた。

 我が父の台詞は予想通り。魔術師らしい魔術師だ。人として歪み、魔術師として正しい。

 ただ思わぬ情報が聞けた。一つ上の姉は時計塔から講師の一人を招き、直弟子にするらしい。どれほどの代価を支払ったのか、少し憂鬱そうだったが。ゆくゆくは遠坂から分家筋として新たな家門を立ててくれればという考えのようだ。

 少し安心、架空元素の虚数なんて宝石魔術とは相性も悪いだろうし教えようもなかったのだろう。ちゃんと考えてくれている。くすくす笑ってごーごーなんて事にはならなさそうだ。

 なんて考えているうちに雁夜さんは激昂しはじめた。聞いているとどうも魔術師に対する抑圧? 臓硯に対する抑圧のようなものが爆発してしまったのだろうか。ただ、殺してやると息巻くその目はどこかおかしい。

 さらに聞いていると我が父は「間桐の魔術は娘に渡る事となった、感謝する筋合い──」などとも言っていた。

 ああ、と私は深く頷く。同調している梟も頷いたかもしれない。

 これが遠坂の呪い、うっかりか。

 おとーさま。刻印蟲は次々埋め込まれているものの、魔術らしい魔術の知識はまるで教えられてないです。というか臓硯さんは教える気も無さそうです。魔術の秘匿なんて基本の基本すら言われていない。今の所家から出すつもりがないからだろうけど。養子にするイコール魔術の後継者にする、なんてうっかり思い込んでしまったのか。

 やがて二人は戦い始めたが、当然ながら圧倒的に雁夜さんに分が悪い。炎の防御陣に次々と蟲を突っ込ませていくのだ。のみならず最後は強化を自分にかけて殴りかかっていった。

 あまりに魔術師らしくないその行為に意表を突かれたか、魔術行使か、ただ躱すか、瞬時の悩みが出たようだ。かつてのお父様は横面を殴られ、思い切り吹き飛び、雁夜さんは力を振り絞ってしまったのか、そのままの勢いのまま、防護フェンスを突き破り落ちていってしまった。

 あんぐり、と言う言葉が一番正しいか。

 梟を慌てて追わせると、何とか息があった。ぷすぷすと燻ってはいたが、意識を失っているだけで私の仕込んだ魔術はまだ生かせている。しかしそろそろ臓硯もこの異常に気付いてくる頃かもしれないが。梟に頬を突かせ起こそうとしていると、じゃりと足音がする。

 

「間桐の魔術ではないな、梟の使い魔とは……別口か?」

 

 僧衣を纏った男が現れた。

 見覚えがある、そう遠くない記憶だ。確か第八秘蹟会に居た、かつての代行者でもあった男。聖堂教会ではそれなりに有名だった。そうだ、言峰綺礼。そうだ、何で思い出さなかったのか。写真と名簿を見て、ああ麻婆神父が若いとか思った事があるのに。

 まるで重心のぶれない嫌な歩法で近づかれ、あっという間に使い魔が殺された。

 

「……まいった」

 

 半ば駄目かと思いながらも、近くに居たもう一羽の梟を飛ばし、見てもらう。

 何故か言峰綺礼は雁夜さんを治療していた。訳がわからない。問答無用で攻撃してきたって事は敵扱いなんじゃないのか。一体どういう立ち位置なのか。不思議に思って見ているうちに抱えて間桐邸の前に置いていく。

 使い魔との同調を切ると、玄関口で小さく音がする。倒れた雁夜さんを見つけて鶴野さんが運び入れているのだろう。

 しばらくすると私にもお呼びがかかった。

 蟲にたかられる時間らしい。

 

   ◇

 

 ある夜、鍛錬という名の何かが終わって、自室でいつものように窓を開け、月を眺めていると、結界が揺らいだ気がした。

 ──いや、結界が破られた。

 侵入者らしい。どちらさまに用だろうか。

 誰かは知らないがありがたい、雁夜さんも持ち直したとはいえ、最後の手が必要だった。これでやっと礼装が完成させられる。

 いそいそと机から二つの守り袋を取り出し、パジャマのポケットに突っ込む。敷地の霊脈が噴出するポイントは把握している。視力、聴力を強化し、一階へ。鶴野さんはまた食堂で飲んだくれているのだろう。そっとスルーして玄関を出ようとする、そのとき、銃声が響いた。

 魔術師の家で銃声? なかなか有り得ない組み合わせ、それはそれとして食堂に駆け込むと、無くなった右手を押さえて悲鳴を上げる鶴野さんと、どこか幽鬼めいた着古したコートの男が居た。硝煙の臭い、そして馴染みの血の臭い。

 殺し屋めいたコートの男は私に気付くと無造作に銃を構え、目を細めるとその銃を下ろす。苦悶している鶴野さんを爪先で蹴ると詰問調で言った。

 

「遠坂の娘が間桐に入ったと聞く、この娘か?」

「そ、そそ、そうだ、茜、茜だ。そいつが引き取った養子だ、ああ手が、手が。助けを、助けを!」

 

 そんな鶴野さんを無視し、コートの男は無言で私を小脇に抱えると間桐邸を後にし、凄まじい勢いで走りだした。

 ……あれ、攫われてる?

 男は無言で走り続け、坂の上の遠坂邸の前で止まった。

 結界の手前で解析魔術を使い、確認すると、軽く頷く。

 

「血筋による選別、やはり仕掛けられているか」

 

 裏門に行き、かなり高度な結界破りの技を見せる。どうやら遠坂邸への侵入手段として私を使う為、誘拐してきたらしい。マキリとして大分変質してはいるものの、大本は同じなので大分短縮できるのだろう。

 聖杯戦争に関連した人には違いない、今の所私は放置されているものの、騒ごうという素振りを見せただけで殺しにかかるかもしれない。あるいは眠らされるか、どのみち私の目的には都合が悪すぎる。さらにはマスターだとしたら当然サーヴァントが居るはずで、私では絶対に勝ち目がない。

 進退を決めかねていると、かつて慣れ親しんだ遠坂の結界に仕込まれた機能、中の人が居るか居ないかという確認になっているだけの、ドアに飾り付けられた翡翠の色に気付いた。不在らしい。

 それでもなお、この身の生まれの親を裏切るのもどうかと数巡悩み、いずれにせよこの男の手際からすれば無理やり結界を破壊して入ってしまうだろう事を考え、一つ頷き、言った。

 

「開け方は、変わってなければ、ルビーをケテルの位置へ、ダイアをビナー、サファイアをコクマー、です」

「……セフィラを模した宝石の位置取りか? しかし君は……いや」

 

 男は余程切羽詰まっているのか、疑問は後回しと言いたげに、結界の一つを解く。そしてどうもその、お父様のうっかりはここでも優雅に炸裂しているようで、娘を間桐に出したというのに、結界の構成は変えていなかった。少し頭が痛くなる。次は──

 さすがに聖杯戦争中らしく、私が居た頃にはなかった仕掛けも相当数仕掛けられていた。物理的なものから霊的なものまで、様々だ。しかもえらく完成度が高い。そんなトラップはこの男が無理やり紐解いていった。こちらも相当な手腕だ。魔術を解体するという事にかけては超一流なんじゃないだろうか。

 やがて二階まで昇ると、まただ。また、慣れた香り。血の臭い。

 テーブルの上には放置されたティーセット。カーペットには大量の血痕。こんなに流しては魔術師だって生きてはおれないだろう。大量の。

 まるで、殺人がこの場で行われたかのような。

 

「──え?」

 

 そういえば、あの姉妹に親は居たのだっけ?

 私は見逃していた?

 誰が、どうして、誰を殺した。

 それに、答えるわけでもないだろうに、邸内を探索し終えたらしいコートの男は再びこの場に戻り、何かを推測するように、考察するように、目を細め、無意識かもしれない言葉を小さく吐いた。

 

「言峰、綺礼」

 

 ちょっと後で文句の一つくらいは言ってやろうと思っていた相手は、死んだ後でした。

 聖杯戦争だし、それはまあ、死者の一人も出る。ただ、あの人がそんなにあっさり死ぬとはまったく思っていなかった。目の前に今にも死んでしまいそうな雁夜さんがいたからか、あるいは私にもやはり遠坂伝来の呪いが継承されてしまっているのか。

 気付けば遠坂邸に一人残されていた。

 コートの男は何者だったのか、何も言わず語らずに、風のように消えてしまった。

 思考を切り替える。

 礼装を完成させるには願ってもない条件でもあるからだ。

 

「親不孝者でごめんなさい」

 

 一言呟く。今度は自分の手で殺したわけじゃない、それでもやはり、血肉を分けてもらった子供としては失格だっただろう。本来居るべきはずのない子供だとしても。

 一度も入れてもらった事のなかった工房に入り、見つけた宝石箱を開ける。魔力の込められていないアクアマリンを二つ取り出し、手の平へ。

 久しぶりに行う宝石への魔力注入。失敗しないよう慎重に。手順を踏んで。

 魔術回路を起動、暗闇に舞う蛍が次々と多くなる。忘我の中、人の身には必要のない痛みが魂に走る、いつもの痛み。マナを汲み取り我がモノとし、ただ一つだけ遠坂の象徴として教わった基礎魔術、宝石への魔力定着──

 目を開け、正常にアクアマリンに宿った魔力を感じると安堵の溜息を吐く。海に入れると溶けてしまうと言われるほど、水や海との親和性の高い宝石。魔力を込めた宝石にさらに工房に置いてあった針を強化し、宝石に起動用の式を入れる。守り袋にそれを入れ、紐で留めた。

 同じ作業を繰り返し、できた礼装を使い魔の梟に運んでもらう。

 力が抜ける。

 ひとまず私にできることはここまでだろう。

 霊脈を利用して最後の仕上げをしようとしていたが、動力源に蟲を使う事になるので、臓硯に気付かれる可能性もあったのだ。どうせ遅かれ早かれ次代の蟲の苗床になるだろう身なので、最終的にはそれでも構わないとも思っていたが、気付かれないならそれに越した事はない。

 遠坂邸の庭先で待っていると、暗い臭いが漂ってきた。きちきち、きいきいと音も聞こえる。

 どうやら、迎えが来たようだった。

 

   ◇

 

 その日は一きわ暑い日だった。

 まるで重い澱みが熱を持ち、宙に舞っているかのよう。

 敏感な人は気付いていたかもしれない、大気の魔力の濃密さに。

 ごく一部の人は感じていたかもしれない、終結の予感を。

 

 鶴野さんは右手を砕かれ病院に入院しており、臓硯は私を蟲倉に放り込んだまま、どこぞへ姿を消してしまった。精密な制御を失い、自由気ままに蠢く蟲達が私を食らい、這いずっている。

 私は慣れ親しんでしまった快楽と苦痛に反応している体をさておき、ただぼんやりとしていた。

 使い魔の目を借りられれば時間も潰せるというものだが、ここは間桐家の工房でもあるのだ、分野の違う、極めて極小のパスであっても、感知されてしまうかもしれない。多分されるだろう。それでも危険を冒して見てしまおうか、なんて気紛れも起こしそうになる。

 最後の一手、偶然の要素もあれど、宝石魔術の出力に数秘紋の汎用性、蟲に犯し抜かれたおかげで優れた触媒となってしまった私の髪、三種混合させた阿呆みたいな礼装だ。教会の秘蹟も入っているから四種か。それだけ使って効果は一度きり、雁夜さんの刻印虫の反応が無くなる事が発動のキー、バーサーカーに使い潰されると同時にあの人間らしい人間を魔術から切り離すためだけの礼装。

 呼び寄せるための片方は冬木市の外へ、もう片方は雁夜さんに梟が届けているだろう。

 発動すれば刻印虫の死骸を浄化し、肉に補填、魔術に対する防御や物理的な防御もある程度は兼ね、意識が無くても片割れに招き寄せられ、揃えば暗示がかかる。綺麗さっぱり忘れて貰おう。補填の際に魔力が足りない場合のフィードバックは私に来るようにもしてあるし、これで駄目だったらもう正直無理だ。

 あとは祈るとしたら、暗示が解けないように、だろうか。体は助けられても私に心は助けられない。雁夜さんの思う遠坂葵の娘はもう二重の意味でどうにもならない。

 

「もうこんな世界に関わらないように」

 

 湿った蟲臭い空気を吸い、小さく呟く。

 呼応したわけでもないだろうが、一際蟲たちが元気に群がった。

 

 どれほど時間が経ったろうか、何度か死んだらしい。記憶を辿ると何回か体感時間がズレ込んでいた。私の魔力がごっそり持っていかれる感覚がある。転換効率が良くなかったようだ、あれだけ術式が重なれば無理がないが。多分普通の魔術師だと五十人くらい干からびる量が持っていかれていた。ともあれ安心した。上手く発動してくれたらしい。かつて私の中にあった刻印虫も死んだのだろう。その存在を感じない。

 ふと蟲の動きが変わった。体が勝手に反応を返す。蟲倉にはいつの間にか臓硯の姿があった。

 いとも楽しげな、好々爺とした笑みを浮かべ、言う。

 

「のう茜や、どうやら雁夜めが死によったわ、惨めにのう、情けなくのう。呵々、おぬしは期待を外してくれるでないぞ」

 

 答えは返さない。ただいつものように冷えた感情のまま見上げた。

 

 自室に戻された時は深夜を回っていた。どうやら蟲倉の蟲を大量に使って何やらするらしい。臓硯にしては珍しい事だ。梟の視界と聴覚を借り、後の様子を探る。聖杯戦争の余波にでも巻き込まれたか、使い魔としての梟は二羽にまで減っていた。街は救急車、消防車がひっきりなしに行き交い、サイレンがところかしこで鳴り響いている。そして動物の鋭敏な感覚ゆえだろう、梟の目は新都の大火災に立ちこめる何かを捉えているようだ。火勢に照らされる濛々とした空を見ていた。

 梟に頼んで深山町の南、隣接する町との境にある森に飛んでもらう。国道にほど近い林道、大きな木の根元に私の作った礼装と、人の倒れていた跡がある。礼装の片方は雁夜さんが持っていってしまったらしい。足跡はさらに南の国道に向いていた、冬木市には何となく来たくない程度の暗示はかかっている。弱いものだけに長く保つだろう。

 残された礼装を回収。そのままにしておくと、多分無作為に色々なものを呼び寄せてしまう。間桐邸の窓に使い魔の梟を寄せ、礼装を受け取り、中の宝石の魔力を吸収する。コートの男に結界を破られてからまだ張り直してないので助かった。少し逡巡したのち、宝石だけ梟に川にでも捨ててきてもらい、守り袋の形になった元リボンは机にそっとしまった。

 

   ◇

 

 魔術師とて表向きは人間と偽らないといけない。

 社会に混じるための仮初めの姿、その為に私は小学校に通わされていた。

 赤いランドセルを背負い、誰に声かけるともなく学校に通う。正直面倒と疲れしか感じていない。臓硯が手を回したのか、学校側には軽度の精神病と説明されているらしい。教師は壊れ物を扱うように私に接してくる。

 梟の使い魔はしばらく前から触れていない。聖杯の欠片を刻印虫として埋め込まれ、その様子を観察するためか、臓硯が脳虫を心臓に寄生させてきたのだ。もっとも、あちこちの霊地を管理しているだけあって、常にこちらを監視しているわけでもないだろうが、そう迂闊な事もできない。出来れば次の聖杯戦争までは自分の意思を残しておきたい。

 脳虫と聖杯の欠片を入れてからは死ぬ程の無茶な鍛錬は無くなったが、逆に言えば臓硯からするともうマキリの肉体としては合格点に達する程度にまで変質していたのかもしれない。

 

 淡々と無機質な毎日が続く。

 三年程経った頃だったろうか。

 ある日学校帰りに、買い物をしているのか、赤毛の少年に引っ張られる、どこかで見た覚えのある男性を見つけた。どこで見かけたのか、あまり親しい人も居ないというのに。

 

「──ああ」

 

 思い出した。確か結界破りの達人。あの時は助かった。

 

「あの時の人攫いのおじさん」

 

 ちなみに学校帰りだ。子供も多い。これから一緒に夕飯の買い物に行こうという親も多い。私の呟きに反応し、視線が、視線が、視線が、伝染するように男性に集中する。ざわつく周囲。慌てる男性。

 やってしまった。遠坂の呪いはここまで変質しても健在だった。

 

「お、おい、うちの爺さんに限ってそんな事しないって、人違いだろ」

 

 赤毛の少年が私に詰め寄る。私は少し考え、頷いた。男性に頭を下げる。

 

「すいません、人違いでした、騒がせてごめんなさい」

「いや……うん、いいんだ」

 

 その男性の目を見て、私は何故か酷くショックを受けた。

 何を失い、何を得たのだろう。

 その目はどこか私にも似ていて、でも私には持ち得ないものを持っていた。

 諦めて、疲れてしまった目。でも何かを持っている。何だろう。

 

「なあ、大丈夫かお前」

 

 ぼうっとしていると今度は少年に覗き込まれた。真っ直ぐな目、空っぽだけど、それだけに誰よりも真っ直ぐな。

 ああ、そうか。

 拠り所はこの少年。

 この少年に救われたのか。

 いや、そうだ。頭が回ってなかった。

 ここ数年、虫の苗床か学校か家でぼんやりしてるだけだったからか。

 

 つまりこの赤毛の少年が──衛宮士郎。

 

 感慨は少なく、なぜかすとんと落ちる。

 二つ上の少年は不思議そうに私を見ている。

 特に話す事もなく、別れ、蟲倉へ。

 想像をはべらす。

 一つ上の姉はこんな境遇でなくてもやはり彼に惹かれるのだろうか。

 一番上の姉は妹が気にかけている存在でなくともやはり彼に惹かれるのだろうか。

 私には何もないと思っていたけども。結構気になっていたらしい。終わってしまっている私と違って前途洋々たる二人だ。あの二人ならきっと衛宮士郎の歪みを知りつつ導いてくれるだろう。だとすれば、そうだとすれば、私もまた、彼に爺さんと言われたあの男性のような目になれるのだろうか。

 

 だとすれば──それはきっと救いなのだろう。




完結したお話に追加するなど蛇足もいいところなのですが、浮かんできてしまったもので。
短編連載という形なので、今回がZERO編、次回がSN編で終了という形になると思います。
薄暗い話ですが、お暇潰しをお探しの方はどうぞ

捏造設定分として間桐の爺さんをちょっとしぶとくしてあります。


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王様も悦びの声を上げ(上)

 紅葉のような手。

 少しくせのかかった、絹糸のようなふわふわの髪。

 丸い、ふくふくと柔らかい頬は一生懸命にその生を訴え、生きるために、大きくなるために、胸にしがみつき、最も効率の良い食料をこくこくと飲んでいる。

 赤子だった。

 義理の兄との不義の子。

 生まれながらにして人である事の許されない子。

 魔道に身を染め、魔道を引き継ぎ、魔道の生贄となることが生まれる前より決定された子。

 感慨はある。

 この子が生まれてから、蟲倉での調教などとは比べものにならない程に揺らいでいた。

 私の行き先は地獄しかないだろう。

 子への人としての愛情を感じながら、しかしなお諦念を破れず、この子を魔術へ差し出すのだから。

 

 聖杯戦争が始まるより早く、私は間桐の胎盤として完成したらしい。義理の兄との交配による後継者を作るよう臓硯に命令された。

 嫌も応もない。応じなければ暗示で操られた義理の兄が蟲倉に訪れるようになるだけだ。

 義理の兄は私の鍛錬風景を見て以来、魔術への傾倒を捨て、マキリの胎む薄暗い香りから逃れたく思っているらしい。私の精神疾患を思わせる無表情、無感動もまたそれを助長したようだ。より判りやすい形だったがために理解してくれたのだろう、魔術というもの──人には毒でしかない、醜悪な歪みでしかない。そう思ってくれたのだろう。

 鶴野さんの息子である義兄、慎二は人間らしい人間と言えるかもしれない。幼少期に親元から引き離されて遊学させられていたせいか、必要以上に自分を認めさせようというきらいはあったものの。やはりそれはとても生々しく、人間らしく、生きるという事を堪能していて、私は見ているだけでもほっとした気分になったものだった。

 一つだけ臓硯に条件をつけた。何の事はない、ただの方法の変更。

 魔術を用い、眠っている間に精を貰う。私のような人か蟲か定かならぬモノを抱けばこの人も戻れなくなる。そんな気がした。

 男に跨り精を受ける時は嫌でもかつての私を思い出してしまう。

 ロアとなり、親友であった人を愉悦のままに嬲り殺した時の事。

 その愉悦、その喜悦、それだけは私は自分を騙せない、あれは本物の感情だった。だからこそ許せなくもある。

 幾度かの交配の末、命が宿っていた。

 世間体を繕うために通っていた学校は精神病の病状が悪化したため通信制に切り替える、なんて形にされたらしい。そして出産までの十ヶ月は蟲倉で体内の赤子の調整のために過ごす。

 多分それは異様な光景だったのだろう。

 呻き声一つ立てない幼い妊婦、今か今かと待ちわび、きちきちと鳴く無数の蟲達。血と羊水と蟲の体液に塗れ、五百年を生きた蟲の翁の手によりその子はとりあげられた。

 こんな湿った、土臭く、蟲臭い部屋に、新たな命が己の存在を主張して、泣く。おぎゃあおぎゃあと。

 

「おうおう、元気な赤子じゃ。魔術の素養も申し分無し、純粋なマキリとは言えぬであろうが、枯れかけた根に水が通いおったわ。ようやった、ようやったのう茜や」

 

 呵々と喜ぶ、魔術師としての喜び。

 川筋を変える事で再びマキリに魔道を戻す。それがこの蟲の翁の選択だった。

 多分この老魔術師の中にはもう二つしか重要な事が残っていない。

 自らの延命と魔術師の執着。

 特殊な素材である私を律する実験だろう。幾度か支配を受けた。その関係は聖杯戦争中のマスターとサーヴァントに近い。マキリ・ゾォルケンという魔術師の五百年に及ぶ膨大な記憶の一端を夢の形で見る事もあった。一応流入しないようにカットすることも可能なはずだが、それもしないのは、多分もう私が既に使い魔のような扱いだからだろう。

 ユスティーツァへの思いも、当時抱いた願いも見た。ここまで変質すればもうどうしようもないモノでもあるのだろうが。

 私は黙って瞑目する。胎盤としての役割を果たした今となっては、もういつお役御免になってもおかしくはない。マキリの聖杯がどう変化を遂げるか、その実験台ではあろうものの、そこに心はいらないだろう。これからはこの翁の気紛れの上に生きる事になる。

 臓硯の気分次第ではただ蟲の苗床ともなってしまうかもしれない。少し考え、何も感じなくなるならそれもまた良いかと思う。ただ、残される事になる子が、少し哀れだった。

 

 最近、一日の時間が長い。

 こんなに時間は長いものだっただろうか。

 やっている事といえばただ子供に乳をやるか、寝ている子供の傍でぼうっとしているだけ。

 子供の世話は雇われの家政婦が全てやっている。知的障害の少女がどこかで性的被害を受けたと説明されているらしい、家政婦が私を見詰める目はひたすらに憐れみの篭もったものだ。

 子の名前は鶚と名付けられた。難しい漢字だがミサゴ、と読むらしい。臓硯は鳥類に思い入れでもあるのかもしれない。

 蟲倉での鍛錬は精々が三日に一度程度となった。遠坂との魔術的な約定を破らぬための形式的なもの。おざなりに蟲を操る鶴野さんとのまるで何の役にも立たない鍛錬。臓硯はあちこちの霊地を管理するか、蟲倉に篭もりきっている。週に一度、埋め込まれた聖杯の様子を観察するだけだった。

 一年が経つ頃、鶴野さんが亡くなった。ひっそりとした死、肝臓を病んでいたのだろう。黄疸で染まった手でミサゴの頭を撫で、孫が見れるとは思わなかった、と呟いていた。

 その鶴野さんの息子の慎二と言えば、丁度、穂群原学園に進学している。性格的なものが噛み合うのか、衛宮士郎とは仲が良いようだ。うん、かすれた知識でも少しは覚えている。いずれ彼が事件の中心になるのだった、だろうか? 弓道部にそろって所属したらしく練習で着る袴がよく干されている。友人を魔術などに近づけたくないようで、間桐邸には一度も招いた事がないが、私や、ミサゴの存在もあるので、招こうと思っても臓硯に止められるだろう。

 勿論、ミサゴが自分の子であるなんて事はまず慎二は知らない。私が何か外法を以て生んだ存在のように思い込んでいるらしい。ある意味当たっているが。

 

 赤ん坊の成長は驚く程早い。

 半年前には這う事しかできなかったのが1歳にもなると、活発に動き始め、はいはいどころか、立って歩く事も覚えた。さらに半年も過ぎれば単語を二つ繋げる事ができるようになり、活発どころがやんちゃが過ぎて、家政婦を困らす事も多い。私はあまり手をかけていないはずなのだが、それでも「まま、まま」と呼びかけてくる。慎二も、そのあまりに普通な子供っぷりからいつしか警戒を解き「にいちゃ」と呼ばせているようだった。たまにその様子を臓硯がニタニタ見ているので、いずれネタを明かして慎二を愕然とさせるつもりなのかもしれない。

 さらに一年が経つと、性格も段々表に出るようになってきた。活発な人見知り、と言えばいいのだろうか。頭が良く飲み込みは良いようで、箸の使い方や言葉の使い方、文字や算数など面白がって慎二が教え込んでいた。彼には案外何かを教えるという所に適正があるのかもしれない。

 

 ちくりと、手の甲に痺れが走った。見ればみみず腫れのような痣。のたうつ蛇のような模様。

 窓から空を見上げる。

 ちらほらと寒空から雪が舞っている。

 私は久しぶりに、本当に久しぶりに溜息を一つ吐いた。それは安堵だったのか、諦念だったのか、疲れだったのか。どうしよう、もういろいろ記憶もすり切れている。まあ、いいか。

 蟲倉に向かう。

 令呪の顕れ、聖杯戦争の訪れを間桐臓硯に告げるために。

 

   ◇

 

「──Je suis ici(魔術はここに)」

 

 自己暗示。魔法陣の前に立ち、我が身の魔術回路を励起状態に。闇空に蛍が乱舞する。

 触媒はエルトリアで発掘されたという鏡。意外な事に臓硯は手に入れた遺物を見せ、私に選ばせた。こういう物は相性が大切だそうで、直感で選べという。いずれにせよ、私の手は引きつけられるように、鏡を手にしていたのだが。

 

「──告げる」

 

 召喚の呪文。肉体のことごとくに浸透している蟲共が術式を補佐し、蠢き、這いずり回る。いつもの痛み。全身の神経に万遍なく絡みつく幾億の虫の胎動。マキリの楔。霊脈の大量のマナを吸い上げ、吸い上げ、魔術回路に汲み取り、力とする。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に──」

 

 詠唱を唱え終えぬ間にも、目前の魔法陣に感覚器を潰すがごとく、災害のごとき魔力が集約し、エーテルが実体を取ろうとする。目を閉じ、集中。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──」

 

 しん、とそれまでの暴圧的なまでの魔力が静まるのを感じた。目を開ければ、目前には長身の美影、紫のしなやかな髪がふわりとゆれる。予想通りの結果にどこか安堵を感じた。何となくこのひとに会いたくて、ここまで生きのびたような気もする。

 

「──あなたが、私のマスターですか?」

 

 どこか気品を漂わせる佇まいで、彼女は私にそう声をかけた。

 

 彼女を召喚してから一日が経った。

 緊張しているらしい慎二と、その膝の上できょとんとしているミサゴを前に、臓硯が聖杯戦争が始まった事を説明する。かつて鶴野の右手が義手だった理由や十年前に間桐邸が一人の魔術師に侵入されたことも交え。

 

「とはいえ、ワシがこの家におる限りはそうそう結界も破らせるつもりはないがのう、それにアレは魔術師殺しならではの荒技よ。あれほどの手腕を持つものはそうおるまいて。まあ、念のためというものじゃ、ワシも可愛い孫達に死んでほしくはないでな、しばらくは大人しくしておるとよい」

「せーはい?」

「うむ、ミサゴにはまだ難しかろうの。いずれこの爺が教えてやるでな」

 

 まだ体が出来ていないため、魔術の教養の無いミサゴが不思議そうに首を傾げる。この後継者に対しては私のような扱いはしないらしい、壊さないように慎重に慎重に、魔術の知識から教え込んでいきたいようだ。割と真っ当な扱いなので少し驚いた覚えがあった。

 慎二は私とは話さない。鶴野さんと同じように意図的に無視している。私もこれ以上特に話す事もなかった。席を立ち、自室へ。黒のシンプルなワンピース、それに何の変哲もないコートを着込み、外へ出向く。

 

 霊体化しているライダーを背に冬の街を歩く。久しぶりの自由を感じていた。

 臓硯の脳虫は既に私の体には存在しない。聖杯戦争で一番厄介なマスター殺し、それがほぼ不可能な私の不死の特性を存分に利用し、戦う方針だからだ。私に組み込まれている虫ならともかく、臓硯の移し身とも言うべき脳虫は共には再生できない。それはどんなに神経に紛れ込んだとしても無理だったのだ。

 無駄に脳虫を潰されたくもなかったのだろう。その方針で行く事を決めると、すぐに蟲倉で施術し、私の心臓から這いだしてきた。

 ある意味での全幅の信頼──というより道具に対する信用なのだろう。この十一年、一切の反抗もせず、従順であった道具への。

 少なくとも私自身も、汚れていたとしても聖杯に漠然とした用事はあるし、臓硯が何を考えているかはともかく、マキリの魔術師として聖杯戦争に参加するのは決めていた事だった。ただやはり、ふと子の顔を思い出してしまう。十一年も前から、ぼんやりとしたものであろうと、聖杯取ろうなんて考えていたというのに、一人の子供に揺さぶられてしまう。精神は相変わらず一般人の感性を引きずっているのだろう。魔術師の饗宴に身を任せ、英霊達の戦いに首を突っ込むには脆弱すぎる精神。雁夜さんの事を笑えない。

 

 坂を下り、冬木大橋を渡り、新都の方へ。バスやタクシーを使っても良かったのだが、時間もあった事だし、久しぶりに自分の足で歩いてみようと思ったのだ。

 

「やっぱり運動不足だった」

「のんきですねアカネ」

 

 途中でベンチに座って足を休めていると、どこか呆れたような様子を漂わせながらそう声をかけてくる。霊体化しながらでも話すことができるらしい。私が声を返すと独り言を話しているように見えてしまうのかもしれない。

 

「私自身、遠出するのが久しぶりだし、ね」

 

 体の調子を理解しておかないといけない。魔術で底上げするにしても自分の体の隅々まで把握しているのと把握していないのではかなりの違いが出てしまう。かつてミュリエルであり、代行者もどきだった頃とは全く勝手が違うのだ。

 

「貧弱なマスターでごめんね」

「いえ、あなたの場合は可愛いと言うのです、貧弱などと言わないで下さい」

 

 ……何か認識のずれを感じてならない。

 

 どうにかこうにか川向こうの冬木の教会にたどり着いた時は既に日も暮れかけていた。

 豪奢な作りの教会、広場を抜け、階段を昇り、扉を開ける。

 礼拝堂は薄暗く、ぼんやりとした明かりが点っていた。

 人影は無く、しんとした静けさに包まれた気がする。

 教会を見るのもひどく久しぶりな気がした。実際久しぶりか。どのみち私には悪い思い出が圧倒的に多すぎる。

 

「──ようこそ、祈りの家へ」

 

 まるで私が来るのを待っていたかのように、バリトンの声が礼拝堂に響き渡った。

 しかし持って回った言い回しをする。マタイによる福音書でも読んでいたのか。

 言峰綺礼は悠々とした体格のままに両手を広げ、歓迎するとでも言わんばかりの笑みを浮かべている。

 私は数秒その、いかにも取り繕った事を隠そうともしない笑みを見つめた。無言で右手の令呪を見せると、言峰は真面目な顔に戻し厳かに言う。

 

「なるほど。聖杯戦争へ参加の意思を示しに来た──という事で間違いないな?」

 

 私は無言で肯定の頷きを返す。

 

「私の名は言峰綺礼、この教会を預かり、此度の聖杯戦争の監督役を任されている。君の名は何と言うのかな?」

「間桐茜です。サーヴァントクラスも必要?」

 

 言峰の唇がきゅっと吊り上がった。

 

「──いや、それは結構。しかし、間桐、茜か。覚えていないかもしれないが、私は君の父上の弟子だった時がある。時臣師が見たら大層喜ばれよう。よくぞそこまで間桐の者として仕上がったものだ」

 

 嘆くに決まっている。胎盤としてのみ扱われ、間桐の魔術継承と言いつつ魔術刻印代わりの虫を入れられる。知識がなければ扱えるものでは無い。人の親でなく魔術師としてあったあの人とて嘆くに違いない。

 

「一つ教えておこう、三人目のマスターよ。遠坂凛、私の弟子でもあるが、こちらも素晴らしい仕上がりと言える。未だ召喚はしておらんが優勝候補と言っても良かろう、夢気を抜かず、戦い抜く事だな」

「……情報はありがとう神父さん」

 

 まだ私は三人目だったらしい。かなり初期に令呪が顕れたようだ。もっとも言ってる人そのものが信用できないのでどうだか判らないが。

 あまりねちねち苛められていても仕方無いのでさっさと教会を後にした。

 わざわざ来たのは形式的な申請とどれだけ既にサーヴァントが召喚されているかの確認。

 そして一応自分の目で言峰綺礼という人を見ておきたかったというのもある。

 なんとも埋葬機関の連中ほどではないにしろ、化け物じみている。今でも代行者務まるんじゃないだろうか。

 戦闘者としては衰えているはずだが、なお健在。もし敵にするならサーヴァントか、魔術礼装でも作らない限り難しい。そもマキリの魔術がさほど戦いなどに向いたものでもない。アインツベルンと同じで、研究主体のものなのだろう。多分。方法論を教えられてないので、ロアの知識での独自解釈でしかないが。

 

 そして教会からの帰り道、それは出会ってしまったとしか言いようがない。

 

「ほう……あれを加工したか。くく、馴染む前に死んでおく事よ、女──いや、貴様。中々に面白いな」

 

 どこまでも傲岸不遜、唯我独尊を姿形にしたような男が私を一目見、そう言った。前回の生き残り、十年前に見た姿そのままだ。うん、知っている。英雄王。臓硯が言峰綺礼を厄介だと思いながらも手を出せずにいた要因。

 しかし、死んでおけ……とはまた。私は内心溜息を吐く。

 

「痛み入ります、いずれ、また」

 

 何となく全て見抜かれている気がしたので、さらりと流して去ろうとしたのだが、まあ、待てと腕を掴まれる。受肉しているとはいえ、英霊の力、とてももぎはなせない。ライダーが助けようと実体化をしかけたので急いで止める。

 長身の、王様としか言いようの無い傲岸な男は私の目を、いや、これは、その奥、魂そのものを覗き込み──

 

「ぶッ、は、ハッハハハハハ! 何だ貴様! そんななりをして元はそのような雑種か! いかなる道化だ、いかなる笑劇だ、この我を笑い殺す気か! しかも英雄たる存在として在れるだけの力を手に入れながらあの末路、さらには蟲か! これほど滑稽な者は古今おるまい! なんたる道化! なんたる神の玩具よ!」

 

 盛大に笑い出した。

 まさか。

 見られたのか。因果でもたどられたのか。そこまで眼力があるのか。前の前の自分。そこまで見通せるのか。

 

「ぅ……」

 

 さすがに謎の恥ずかしさがこみ上げてくる。顔を地に向けた。

 しかしそうか、この王にかかれば私の煩悶などそれこそ道化じみたものか。いや、そうかもしれない。

 道行く人も怪訝な顔でこちらを見る。そんな事をお構いなしに往来で笑い続ける英雄王。

 一幕の笑劇のようなものなのだろう。私のような凡人でなく、英雄の一人であれば、私が通って来た苦境なんてものともしないだろう。どんな些末の英雄であろうと、笑って切り抜けられただろう。たやすく諦め、自滅を願うような脆い英雄など存在しない。判っている。判っているけども。

 諦念ばかりが身を包む。沈んでいた心がなお深く、地の底まで突き抜けてしまいそうだ。

 やがて笑いの衝動が収まったのか、英雄王はその輝く髪をかき上げ、私を見下ろし言った。

 

「良い見せ物であった。道化。褒美に真知をとらしてやるとしよう。この地のアレは、招く事に限定すればその造りはもはや神域と呼べるものよ。故に、到る事があれば貴様の望みもまた叶うかもしれぬ」

 

 招く事に?

 謎かけのようなその言葉を残し、金色の英雄王は去っていく。時折思い出し笑いをしながら。

 残されたのは何だかもう早々に離脱したくなってきた疲れた私と、いつの間にか実体化してただ傍にいてくれるライダー。心遣いが嬉しい。

 

「ごめんなさいライダー。ただアレとだけは戦っちゃ駄目だったから」

「いえ、ただ説明を頂ければ」

 

 私が笑われて沈んでしまった時、ライダーが英雄王に何かしそうになっていたので、それもまた慌てて止めたのだった。私は臓硯から聞かされている情報、前回の聖杯戦争で圧倒的な力を見せたサーヴァントの話をライダーにし、少なくとも真っ正面からは当たったりしないようにと言っておく。

 

「受肉した最古の英雄王……ですか。まさかそんな事になっているとは。それとそのアカネ、聖杯を加工した、という事についてですが」

「あ……」

 

 あの王様、眼力も凄いけど口の軽さも世界一かもしれない。

 少し考え、嘘をついて信頼関係を損なっても本末転倒なので、話してしまう事にした。どのみちいずれは話すつもりであったのだけど。

 幸い人気はない。歩いているうちにかつての市民会館、新都の中央公園、かつての聖杯の降臨した場所にたどり着いていたのだ。それを話すには一番縁の深い場所だろう。しかし相変わらずここはそう、怨念に満ちている。以前ここに来たのは何年前だったか忘れたが、やはり人気の無い、寂しい公園だった。

 

「ん、十年前、ここの霊脈上に顕現した聖杯の欠片、お爺さまが私の中に埋め込んで定着させてみたんだ」

「前回、ですか。余程破滅的な願いを叶えたのでしょうね。ここまで淀んでいるとは」

「何を願ったかは知らない、ただ、ここの聖杯は汚されてしまっているから」

 

 この世全ての悪であれ、そう望まれ、生まれた英霊、その呪いによって本来無色であるはずの聖杯が変質している事、ここの聖杯による願いは全て殺すという事のみにしか発現しないという事を話す。

 

「だから、ライダー。私はあなたに謝らないといけない。あなたの願いがどんなものだったかは判らない、でもここの聖杯では願いを叶えられない、と思う」

 

 私はライダーを見上げ、その静謐で美しい顔を見ながら言う。私はメドゥーサが何を望んだのか判らない、判りようもない。ただ聖杯に応えたのならきっと願いがあったのだろう。それが何かを殺すという事ならともかく、それ以外であったなら、ここの聖杯で叶えさせる事はできないのだ。だからもし、それを嫌って私から離れるなら、それもまた仕方無いだろうと思っていた。

 

「この世全ての悪(アンリマユ)により呪われた聖杯……ですか」

 

 ライダーは静かな表情のまま、私に手を伸ばし、髪を梳った。

 

「アカネ、その話通りであるなら聖杯の欠片は、紛れもなく呪いを持った異物、あなたにとって影響はないのですか?」

 

 予想外の答えに、私は首を傾げる。ひとまず問題は無いと答えておいた。

 ライダーはわずかに口を緩ませる。

 

「私が聖杯の呼びかけに応えたのは、ただ自らに似た存在を助けるためです。さほど明確な願いを持っているわけではありません。いえ……あるいはその望みを持ったのも、もしかしたら私がかつて救われる事の無い存在だったから、かもしれませんが」

 

 まばたきを二度、三度。その答えを理解するにつれ、何かが心に染みわたるような感覚を覚えた。安堵、かもしれない。そして罪悪感、かもしれない。ただ、これだけは言わないといけない。

 

「ありがとう、ライダー、応えてくれて」

 

   ◇

 

 目を向ければ石に。

 目を向ければ石に。

 幾多の戦場をくぐり抜けた歴戦の戦士も。

 悲運の王女を救い、数多の冒険譚をくぐり抜けた王子も。

 不死に限りなく近づいた、己以外の全てを魔術に捧げた魔法使いも。

 ライオンを射止めた勇者も。世界を股にし無数の鍛冶師から剣を奪う蒐集者も。七度の戦争を戦い抜き傷一つついたことのない戦士も。

 みんなみんな石になった。

 潮騒に揺られる島に、相も変わらず人は来る。馬鹿な者たち。愚かな者たち。

 来ないでほしい。恐れ、恐れ、恐れればいいのに。

 待ち遠しい。私の手が戦士の腸を引きずり出し、真っ赤な真っ赤なキレイな色に彩られるのが。

 一艘船が近づいた。

 きっとまた名のある英雄なのだろう。勇者なのだろう。戦士なのだろう。

 アテネに唆された愚かな男達。

 この島は侵させない。

 私は身をもたげて冷たい息を吐く。

 砂粒のような疑問、いつから私はこんなに大きくなっていたのだろう。いつから私はこんなに長くて大きな体をしていたのだろう。

 まあいいか。

 お姉さま、お姉さま、最近この人間達で遊ぶ事がめっきりなくなりましたね。

 飽きたのですか。私が石にしすぎているのですか。

 いらえはない。

 きっと飽きちゃったのだろう。飽きっぽいお姉さまだ。

 生贄が神殿に上がってくる。イケニエは私だっただろうか。でもそれは生贄で。

 ああ、美形な男だ。

 きっと石にすればお姉さまの好みだろう。

 でもその前に××を、少しだけ。

 

 ──意識が水面より上がる。

 たゆたう夢から引き上げられる。

 目を開ければ一筋の細い明かりが差し込む自室。飾り気の無い部屋。

 ああ、そうか。メドゥーサの夢。怪物になりかけている夢。

 主観が私に入れ替わるとああなるのか。

 

「お姉さま……お姉さまか」

 

 ぺたりと、自分の手を瞼に置く。ひんやりしている手。耳を澄ませばこの手の中にすら無数の神経に混じった蟲の音色が聞こえてきそうだ。一つ上の姉、一番上の姉、最後に見かけたのはいつだっただろう。

 学校に行っている時は何度か見かけた気もした、見られていた時もあった。子供が出来てからはほとんど引き籠もるようになってしまい、それ以後は見かけた覚えがない。

 楽しく学園生活を堪能しているだろうか。幸せだと良いなとぼんやり思う。

 体を伸ばし、血流を整える。ベッドから下り、時間を見る。お昼になっていた。いそいそと着替え始める。相変わらずの黒のワンピースに飾り気の無いコート。

 子供の面倒をずっと見てもらっている馴染みの家政婦さんに挨拶をし、病院に行ってきますと言って家を出る。少々お腹も減ったので、パン屋で遅い朝食を買いこみ、いつも静かで人のいない、小さな寂れた公園に行き、紙袋から買ったものをごそごそと出して言った。

 

「ライダーもどうぞ」

「アカネ……私はそのような食事はせずとも」

 

 実体化し、少し困ったような仕草を見せる。どこか可愛い仕草。

 

「ライダーもどうぞ」

 

 続けて念押しすると、折れてくれた。私の隣に座り、トマトとオリーブの入った生ハムサンドを手にとり、割と豪快に食べ出した。

 私自身あまり喋る方でもなくなっていたが、ライダーもまた必要の無い事を話す方ではないのかもしれない。あるいは食事中は一切喋らないタイプなのか。二人して黙々と食べ終え、ゴミを紙袋に入れる。一緒に買った紅茶のキャップをとって渡し、自分もまたミルクティーを含む。

 紅茶を飲んでベンチでライダーに寄り掛かりぼうっとしていると、冬にしては陽気がいいこともあって、眠気も感じてきてしまう。こんなにおだやかな日を送ったのはいつぶりだったろうか。

 ──と、もう少しぼんやりしていたかったのだが、令呪の反応があった。隠そうとしていない、近くにマスターが居るようだ。誰だろう。

 

「ライダー、マスターが近くにいるみたい。周囲を探って、この辺人は少ないと思うけど、何か異常があったら一般人を避難させて」

 

 霊体化させる、ライダーが離れる感覚がし、間を置かず、姿を隠す魔術でも使っていたのか、私の座っているベンチの後ろで魔力の霧散する流れを感じた。

 

「呆れた、マスターの存在を感じ取りながら霊体化させるなんて」

 

 雪の中に鈴が響くような声が私に届く。もっともな話だ、ライダーも私が基本的に死なないという事を知らなければまず従ってくれなかっただろう。

 ゆっくり後ろに振り返ると、赤い目をした少女が心底呆れた目をしてこちらを見ていた。

 

「まだ、魔術師の時間じゃないですから」

「そう……ふふ、そうね、七体はまだ揃ってない。でも気の早い人も居るかもしれないわ」

 

 銀色の髪の少女は上品に笑った。ふとそのスカートをつまんで持ち上げ、演技めいた会釈をしてみせる。

 

「初めましてアカネ、わたしはイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」

「カーテシー、生で見たのは初めてです」

「あら、このくらいは淑女の嗜みよ?」

 

 くすくすと笑っている。妖精のような笑みだ。

 きっとやる気になれば、この笑みのまま、殺せとサーヴァントに命ずるのだろう。

 

「では、調べてきているようですが、初めましてイリヤ。間桐茜です。今日は下見ですか?」

「そんなところね、でもあなたはちょっと見過ごせなかったから」

 

 そして目を細める。私の中身に何かがあるかのように。

 

「──ねえ、何でアカネがそれを持っているの?」

「……お爺さまがいろいろ弄りまわした結果です」

 

 実際こちらの仕上がりもかなり良い具合らしい。ただ、勿論の事、私にアインツベルンのようにそれを制御する術など存在しない。溜め込むだけ溜め込む魂の容器。ただの実験作。

 

「そう、マキリも無茶するわね。最初からそれ用に作られたわけでもないのに」

「まったくです」

 

 術式の違うそれを無理やり虫にしたせいか、西瓜大の大きさになってしまったあれを埋め込まれた時は、まあ色々アレだった。イリヤの言う無茶とは違う意味で無茶だったかもしれない。日常茶飯事でもあったけど。それでも移植の過程で十回以上死なせるのはどうかと思わないでもない。分割すれば良かったのに。

 興味を失ったのか、イリヤは「それじゃあ、失礼するわね」と言って、去って行く。アインツベルンとしてはかなりの問題だと思うのだけど、彼女にとっては割とどうでも良い事なのか。もっとも、聖杯戦争が始まればアインツベルンとして真っ先に制裁しに来るかもしれないが。

 それを見送り、既に戻って来ているライダーに声をかけた。

 

「付近に魔術の痕跡などはありません、一般人は二人、操られているという事もないでしょう」

「そっか、少し安心した。アインツベルンがそうそう変な存在を育てるわけもないけど」

 

 前回のアインツベルン、魔術師殺しの衛宮切嗣は凄かったらしい。とはいえ、私が知っているのは一部の話だけだけども。結界破りの技がとんでもなかった印象が強すぎて、こう、イメージが掴みにくいものがある。名前の通り魔術の構成を切って、絶妙なところに嗣ぎなおし、自壊させるのだ。普通はあんな力技を結界にかまそうものなら、トラップが発動するか、暴走した魔力が逆流して自分の魔術回路を壊す。ある意味で神技だったと今でも思う。

 

 そろそろ移動しようかと腰をあげ、公園を背に。やがて深山町の交差点に歩いていくと、先程別れたばかりの銀色の幼い姿が地図を片手にきょろきょろとあっちを見てこっちを見て、と、挙動不審な姿を見せていた。昼過ぎなので通る人もそう多くはない、ただ皆無でもない。迷っているなら素直に聞けばいいのに、とも思うが、そういう発想は無いらしい。バス停のベンチに座って目を瞑り集中を始めた。

 誰かと交信でも行っているのかもしれない。私は小さく溜息をついて、彼女に近づく。

 

「イリヤ」

「──あ、良かった、アカネだ。ねえねえ、キリツグの家に行きたいのだけど、地図が古くて道が違うみたいなの」

 

 どっちに行けばいいのかなと、ごそごそベンチに地図を広げる。

 地図の発行年を見ればどうも古い。前回の時にアインツベルンが入手した地図をそのまま持ってきてしまっているのかもしれない。

 

「道幅が拡幅されただけで、この地図にある細い道が住宅地に続く……ええと、この道です。その丸印がついている家に行くなら……ん、少し住宅地に家も増えたので大分違うかもしれません、ただ、その太い道を道なりに坂を上っていけば着けると思います」

「こっちだったんだ、ありがとうアカネ!」

 

 何ともいきなり親しみを持たれているような感じなのだが。私は心を許すような事をしたのだろうか。

 不思議に思っていると、イリヤが判ってるぞー、などと言いたげな顔をした。

 

「不思議に思ってるでしょ、やっぱりあなたリズにそっくり」

「リズ?」

「リーゼリット、わたしの世話役の一人よ」

「似てましたか」

 

 んー、とイリヤが小首を傾げて考え込む。銀色の長い髪が揺れた。

 

「無感動そうに見えて、その実、色々頭の中で喋ってるの」

 

 そこがなぜかセラには微妙に伝わらないのよね、などと言って笑っている。

 多分、外に出て、こうして歩くだけでも楽しいのだろう。彼女の存在を考えればどんな環境だったかは想像がつく。それでもこれだけ笑えるのは、やはりそれだけ彼女の魂も特別だって事なのだろう。私には眩しくも感じた。

 住宅街の方に消えるイリヤを何となく見送った後、私もまた、ようやく来たバスに乗り移動をはじめる。時間帯もあり、乗客はお年寄りが多く、それも片手で数えられる程度だ。一番後ろの席に座り、流れる景色をぼんやり見ていると、ライダーがぽつりと漏らした。

 

「どうもその、もう少し上手く走れるのでは」

「……ライダー、もしかしてこんな物まで乗りこなせるの?」

「はい、恐らく」

 

 サーヴァント恐るべし。まさかバスも乗りこなしてみせようとは。

 いや──考えてみれば十年前は戦闘機が操られていたような。もう、サーヴァントのやる事を魔術の概念に当てはめてあれはおかしいとかおかしくないとか考える方が馬鹿なようだ。

 隣町で降り、指定の場所、駅前通りの喫茶店へ行く、個室が多く、打ち合わせなどに用いられる事が多いのかもしれない。価格表を見るとかなりお高いようだが、それなりに繁盛しているようで、ちらりと見えた予約表はかなり埋まっている。入店し、店員に名前を告げると、お待ちしておりました、と行き届いた仕草で一室に案内された。

 四畳ほどの個室にはテーブルが置かれ、壁際に革張りのソファが置かれ、先に来ていた男性が私を見て、言葉を出そうとし、失敗したかのように口がわなないていた。

 総白髪はもう治らなかったらしい。いや、もう早い人ならそうなっていてもおかしくない年齢か。さすがに皺は増えている。とはいえ体調は悪くないようだ。体のどこにも滞っている妙な流れなどはない。

 案内してくれたウエイトレスが去るのを背中で感じ、私は十年ぶりに会ったその人に軽く会釈をした。

 

「久しぶりです、雁夜おじさん」

 

 一体どこから情報を嗅ぎつけてきたのか、ライダーを召喚し、教会に一応の届けを出した翌日の事だった。間桐の家にその電話がかかってきたのは。

 臓硯が出たらどうするつもりだったのか……いや、その時は普通に切れば良いだけか。大昔の電話機だったら魔術でトレースする事も出来たろうが、今の世となっては無理な事だ。

 ともあれ、会ってほしいと頼まれたのだ。もの凄い罪悪感に満ちた声で。

 本当に、つくづく、思ったように行かない。

 私には絶対に雁夜さんの心を助けられないから記憶を操ったのに。

 短い時間とはいえあんな記憶を残したままで健常人に戻れるほど、人は強くない。そんなのは私自身が身を以て知っていたから引きずられる事の無いよう処置したのに。

 私には一人を助ける事すら荷が重いらしい。

 対面に座り、コーヒーが運ばれてきてなお、雁夜さんは黙ったままだった。何から話していいのか、何を話すべきなのか、そんな事を考えているのかもしれない。人間らしいところは本当に変わらない。何度か言葉を出そうとして、その都度失敗している。仕方無いので私から切り出した。

 

「雁夜おじさんはあの後、大丈夫でした?」

「──あ、ああ。あの後は……そうだな、ぼろぼろになりながら何とか生きていたんだ」

 

 一度言葉にしたら、堰を切ったように話し始めた。

 何故か「嫌な」感じを覚える冬木市を背にヒッチハイクで離れようとし、気付いたら病院に担ぎ込まれていた事。

 体そのものはしっかり治っていたらしく、検査入院のみで退院できたこと。

 遠坂時臣と大切な幼馴染みは子供達と幸せそうにしており、野暮を感じて、しばらく日本から遠い場所を中心に取材を続けていたこと。

 久しぶりに日本の事件を追ってみようと、三咲町で起こった連続猟奇殺人事件を追っていたこと。

 そして、そのオカルト中のオカルト、仮初めとはいえ存在した魔術の知識によって──死徒二七祖が一柱、ネロ・カオスと真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッド、転生無限者、ロア、さらには混血の一族、遠野家、そして聖堂教会の代行者が入り交じった凄まじい事件の真相に近づきすぎてしまったこと。

 私の作った礼装はそのままでも一種の護符にはなる。それで埋葬機関の女性が暗示が効いていない事に疑いを持ち、接触──記憶の操作に気付いて、解いてしまったものらしい。

 善意だったのだろう、あまりに妙な術式、普通の魔術師は絶対に作らないであろう、他流派の技を混合させた限定礼装。そんなものを持ち歩いているなら、しかもその術式が一目でどういう働きをするものなのか理解できてしまえば、心配にもなるだろう。

 

「……どうしてそんな事になったのか、いや。言い訳にもならない。記憶が解放されてから……何度様子を伺いに行こうと思ったか判らない。ただ俺は……」

 

 苦しそうだ。それもそうだろう。雁夜さんからすれば、助けようと思っていた相手を蟲倉に残し、一人、ただ忘れて過ごしてしまったのだから。そんな罪の意識などいらないのに。本当にままならない。

 やはり、暗示をかけ直すべき、なのだろうか。しかし二度同じ暗示をかけるのは違和感を持ってしまう。特に弱まったとは言え魔術回路の残る雁夜さんだ。難しいものがある。

 その雁夜さんは全ての感情を押し込めるように大きく息を吸い、吐いた。こちらにしかと目を向け言う。

 

「本来六十年であるはずが十年というピッチで行われる事になった今回の聖杯戦争。茜ちゃんは参加するのかい?」

「……出ません。今回間桐は見に徹するとお爺さまは言っていました」

 

 嘘を吐く。このただ人の良いだけの男を安心させるだけの嘘。

 情報の出所が気になっていたが、どうもこれは教会つながりかもしれない。

 雁夜さんは露骨な安堵を顔に浮かべた。正直に言ってしまえばまた飛び込んできてしまうかもしれない。力足らずと知りながらも。

 前回のおり、使い魔を通して聞いていたのだ。この人は私と姉が相争う事を良しとしない。

 その後は他愛もない話をして別れる。雁夜さんは最後まで私に対して深い言葉を言わなかった。言えば気持ちを軽くする事も出来ただろうに。全てを自分で引き受け飲み込み、それもまた自分と割り切ったようだった。

 別れ際に一つだけ言っておく。私の本心。

 

「魔術師の事なんて忘れ、関わらないでください、雁夜おじさんには似合いません」

「茜ちゃん、君もまた──いや」

 

 何かを言いかけ、唇を噛み、目を地面に落とす。

 雁夜さんは去っていった。しかし、気がついていなかったのだろうか。私に会うということは例え冬木市の外であろうと、臓硯にまだ生きている事が知れてしまう、その確率が高いということに。それとも気付いていながらなお、聞かずにはおれなかったのか。

 もっとも、臓硯からすれば、雁夜さんの事は既に終わった事になっている。知られたところで積極的に殺しにかかることはないかもしれないが。

 

   ◇

 

 正直に言って、聖杯を取ろうという気持ちは数日で萎えていた。

 ゼンマイ仕掛けのおもちゃの人形。途中で止まっても、少し指で押せばちょっとだけ動く事がよくある。そんなものだったのだろう。

 強い動機もなく、強い望みもなく、強い願いもない。聖杯もこれは人選を失敗したかと今頃慌てているかもしれない。

 ただ、少し悩みがあった。

 未だに揺さぶり続けるもの。

 不義の子がいる。魔道の中に生まれつき墜ちていた子がいる。きっと間桐の業の継承者としてみっちり仕込まれ、人の生というものとは縁薄く育つのだろう。いずれ子を成したら臓硯の肉として使われるのだろう。そういうものだ。マキリから変質した間桐の魔術は親蟲のために子蟲が生まれ死ぬ。

 冬木市の新都と深山町を分ける未遠川、そこにかかる冬木大橋のアーチの上で寝そべり、私はぼんやりしていた。空は一面の星空、欠けた月、川に沿って吹く風は一際涼しい。涼しいというより寒い。体を生かそうとする虫の動きを止めれば一夜で死ぬだろう。ぼうっとしているには良い環境だ。

 惰性で聖杯戦争の参加者らしく、夜歩きをしているものの、歩き疲れて寝転がっている。

 

「ねえ、ライダー」

 

 いつも傍にいてくれる霊体、彼女が呼びかけに応えて身じろぎした気がした。

 

「子にはやっぱり何か残した方がいいのかな」

「……私には解りかねます」

「神話だと、海神との間に子供いなかったっけ」

「その……聞かないでください、アカネ」

 

 不思議な反応をされた。どうも踏みこんでほしくない話らしい。

 

「俺が言えるこっちゃないが──何かしてやれるならしてやった方が良いぜ」

 

 応えがあった。

 ライダーは既に実体化し、私を守るように身構えている。

 どうも聞かれていたらしい、ライダーのサーヴァント感知能力はさほど広いものではないのか、あるいはこの青い装束の槍兵が気配を隠す事に長けているのか。

 ああ、まあ仕方無い。一応聖杯戦争参加している身だ。のっそりと立ち上がり、反対側のアーチの上に立ち、肩に槍を乗せている男を見る。

 男は私に目を移すと、ひどくげんなりした顔になり、大きく溜息を吐いた。

 

「なんだ、おい。えらくやる気のないマスターだな。お嬢ちゃん、あんたも魔術師なんだろう?」

「……はい、一応」

「何とも暗い嬢ちゃんだな、全く、調子が狂っちまうぜ。しかし、まあ、こうして出会ったからにはヤることは一つだよな」

 

 獣のように笑い、青い槍兵は己の色と正逆の、禍々しいまでに赤い槍を構えた。その一動作にすら無駄がない。

 ライダーはいつしか鎖のついた杭のような短剣を手に構えている。

 ランサーはその豊満な肢体に目を留めたのか、笑みを深くした。

 

「ハッ、マスターの方はまだまだだが、サーヴァントの方はなかなかイイ女じゃねえか」

「私はあなたのような男は願い下げです」

 

 ライダーは一考の考慮もなしとばかりに切り捨てる。

 

「へえ、ならば、戦場の習いに従ってねじ伏せるか。無理やりってのも嫌いじゃねえ」

 

 ライダーの持つ独特の冷えた空気がさらに冷えた気がした。

 

「アカネ」

「うん、前言った通り私は気にしなくていい。存分に」

 

「Schleichen den Himmel(空に這うものたちよ)」

 

 私は橋のアーチをとん、と蹴り、空に舞う。一小節で呼び出したのはただの大量の飛蟲、無論これだけでは体は支えられない。ただ空中にいる時間が少し長ければいい。もう一小節を唱えるだけ。

 

「Ich lade(私の洞より) Spinne auf wasser(水上の蜘蛛よ)」

 

 マキリの魔術がこれで正式なものなのかは知らないが、とりあえずロアの知識の解釈でも使えたもの。吸収した虫の特性、虫に人が抱く象徴そのものを神秘とし、我が身に移し替える。使い魔の機能を我がモノとする。

 憶測にすぎないけれども、マキリの魔術は動物の雛形を探す事で、原初の一、完全な生命から根源に至る、なんて事を考えていたんじゃないだろうか。使い魔に秀でたのも支配や吸収に長けたのも何となく副産物な気がする。

 水面に着水する。時期的なものか未遠川の流れは緩やか。

 もっと正統派のカバラや転換得意の宝石魔術だったら重力制御や重量軽減なんてのも出来たろうけど、私ではこんなものだ。

 先程招いた飛蟲を散らせて索敵、視界も聴覚も借りられない、無機質な魔力の網。そのうちまた梟でも捕まえて頼りにさせてもらおう。

 しばらく探るが周囲に人の気配はない? 川の両岸一帯にもいない。

 サーヴァントの単独行動? あるいは同盟などを組む前に単騎同士で相性のいいサーヴァントを狩りにきた?

 いや、あるいはもっと単純なのか。

 ああいう剽げた戦闘者は代行者もどきであった時にも見た覚えがある。

 私はパスを通じてライダーに伝える、相手は威力偵察の可能性も有りと。そして圧倒できないなら撤退するようにと。

 足を強化し水面を蹴る。冬木大橋の手すりに掴まり、戦いの様子を見て、固まった。

 ──この橋は巣だ。

 そんな思いを一瞬抱く。

 あの鎖はどこまで伸ばす事ができるのか私は知らない。宝具なのかも聞いてなかった。

 冬木大橋はアーチ状の鉄骨によって作られた橋だ、それは遠目にみると檻にも近いのかもしれなかったが、ライダーは文字どおりそこを鎖で上下左右全てを封じ獣の檻のごとく仕立て上げ、人では有り得ぬ立体的な軌道でランサーを攻め立てていた。

 速い、ただ速い。ランサーもライダーも動きが速すぎてとても介入するどころではない。

 そこそこ離れた場所から見ているので動きも見えるが、間近であんな動きをされたらきっと消えたようにしか見えない。

 まるで軽業師のように宙を舞い、変幻自在に襲いかかるライダー、張り巡らされた鎖を足場に罠にはまった獣を追い立てるがごとく、じりじりとランサーの逃げ場を無くしてゆく。

 ランサーもまたその口元は凄惨な笑みを浮かべ、目を爛々と光らせていた。地の利はライダーに占められ、なお浮かぶその獣の笑み、そう、解ってしまう、あれはただ躱し、防御しているのではない。狙っている。ランサーは狙っている。刺突にて殺そうと、斬打し殺そうと。一瞬の交錯を狙っている。

 宝具を出していない戦いでこれだ。

 かつては使い魔を通して見るだけだったが、本当にこの聖杯戦争という奴は馬鹿げている。死徒二七祖と真っ向から討ち合える様な連中を七体も戦わせるのだ。ルール無用で行ったらきっと一日で町が壊滅する。

 

「ふ──く、ははッ!」

 

 ランサーはライダーの攻撃を受け、流しながら笑いだした。

 

「くだらねえ縛りに、つまらん命令、なんて思っていたがなるほどこりゃ存外悪くねえ。まさかこの俺が弱者の戦いをするとは──」

 

 楽しそうに、傷つき血を流しながらそれはもう楽しそうにランサーは笑う。

 正面からライダーの杭剣を受け、その衝撃を利用して後ろに飛び、何時準備したものなのか、石片を無造作に放り投げた、刻まれ輝く文字は──ルーン?

 狙いを定めた蛇のごとく動きで追撃したライダーを瞬時湧き出た霧が覆い隠す。

 その全く見えない中で弾ける金属音、橋の上を行く風に霧が吹き散らかされ、視界が明瞭になったそこに見えたのは、肩口に傷を負い、距離を取るライダーと、傷だらけになりながらも、深手は一切負わず、壮絶な笑みを浮かべるランサーの姿だった。

 

「私に視界封じなど、と思わせてもう一枚ですか」

「クク、昔は大軍相手の一騎駆けなんぞもやっていてな、騙し合いも慣れたもんさ」

「霧に温度すら紛れ込ませての奇襲。私の知覚をこれほど早く看破するなど……全く、どこの戦神の子ですか」

「ふ、ははは、そうさなぁ──それを知ってみるか?」

 

 赤い槍を空気を裂くように震う。次の瞬間、世界は息を潜めた。その槍を恐れるように。その槍が持つ死を恐れるように。荒神が酒を浴びせ飲むがごとく貪欲に大気のマナを飲み込み──

 槍兵は何か酷いモノを食べさせられたような顔になり、槍を垂らす。

 

「さすがにまたあの麻婆地獄は御免だな、すまねえが続きはまた後だ、去らして貰うぜ」

 

 ライダーの動きが鈍い間にと思ったのか、ランサーは鉄橋を囲う鎖を切り開き、身軽に消えて行った。

 私はライダーの近くに行き、魔力を送って傷つけられた部分を補填する。ちょっとした呪い持ちの槍だったのかもしれない。呪詛が混じっているので、簡易的に私に呪詛を移し替える事で対処した。

 やがて治療が終わると、ライダーはどこかしゅんとした様子で項垂れ「すいませんアカネ」と言う。うん、やっぱりどうもライダーは美人なのにどこか可愛くて困る。

 

「ところで麻婆地獄とはなんだったのでしょう?」

「……さあ?」

 

 ランサーの最後の台詞に私とライダーはそろって首を傾げた。

 

   ◇

 

 間桐慎二という少年と最後に口を聞いたのは何年前だっただろうか。

 私が立場を奪った少年。

 魔術を継げなかった少年。

 聖杯戦争を避けるためか、幼児期から英国に預けられ、ファーストスクールをトップの成績で通り抜け帰国した少年。

 彼は最初私を受け入れられないようだった。

 当然だろう、異分子もいいところだ。親の愛を無心に受けていたい時期のはず、その時期に自分は親元を離れ、その間の空隙を埋めるように養子という形で妹が出来ていた。普通の子供なら受け入れ難い事だろう。

 それでも少年はなお明晰だったのかもしれない。

 理性をもって、自分の妹として受け入れようと努めていた。

 会う機会そのものも少ない。彼の方は一年もしないうちに慣れていったようだ。

 きっと臓硯の愉悦の種でもあったのだろう、魔道の書の閲覧を許され、それを己のアイデンティティとして育っていた。自分で使う事もできないのに。

 彼が蟲倉に迷い込んできたのは何時の頃だったか、相手をしていたのは鶴野さんだったかもしれない。臓硯特製の刻印虫、通常の魔力を食うだけのものとは違い、死んでも生き返る私用に作られた、魔術回路と一体化し絡みつき、よりマキリに適したものに作り替えるためにのみ植え付けられるそれ。人体が破壊されてなお植え付けられ、すでに肉塊と化した後に殺され、また少し魂をマキリ寄りに近づける。胎盤への調整作業。よりにもよってそんな醜い光景を目にしてしまったらしい。

 相手をしていたのが臓硯であったならまだ結果は違っていたかもしれない。不死なのをいいことに私で散々実験してくれたあの翁はところどころで趣味に走るきらいがある。私に通常の魔術を教えるフリでもして、それを慎二に見せつけるくらいはするだろう。コンプレックスを育て上げ、自分のみは味方であるフリをし、最後の最後で絶望させるだろう。

 蟲倉での醜い業を見た時から慎二は一月余り部屋に閉じこもった。

 最終的には鶴野さんが部屋に入り、親子で腹を割って話したものか。部屋から出てきた時にはまるで違っていて、固執していた魔術から距離を置き始めたのはその日からだった。

 そんな彼、私を居ないもののように扱い、無視するようになった慎二は、なぜか臓硯から家に居るように言われてもなお、学園に通い続けている。

 ──そしてそんな彼が今、私に助けを求めていた。

 

 それは日がとっぷり暮れてからの事だった。

 汗だくで駆け込んできた慎二が真っ先に私の部屋に飛び込み、泣きそうな顔で言ったのだ。

 友人が聖杯戦争に巻き込まれたと。

 衛宮士郎を助けてほしいと。

 一瞬言葉を失った。

 この人はこう友人を思える人だったかと。

 いや、思えば慎二が私を見ないようにしているように、私もまた慎二を見ていなかった。どこまでも縁の薄い関係だ。推し量るなんてことはきっとできない。

 そして私には慎二に負い目を感じていた。

 頼まれるなら受ける他はない。

 ライダーに先行してもらい、私は慎二と共に夜道を走る。鍛えているのだろう、彼の足には強化の魔術を使わないと追いつけない。

 考えてみれば私は慎二が衛宮士郎とどこまで親しい友人なのかすら知らない。

 道々に話してもらうと、衛宮士郎に遠坂の姉妹を結びつけた関係なのだという。

 どうも衛宮士郎は無茶な鍛錬をしていたらしく、たまたま見た慎二もどこが無茶なのかは解らず、それでもその方法が間違っているものだとだけは理解し、遠坂家を頼ったらしい。代価に間桐の蔵書で得た知識を流しているのだとか。

 最初は魔術を嫌いながら、友人をあえてその道に踏み入れさせるジレンマ。そんなものも感じていたのだという。

 ただ、ほどなくして発覚したその友人の異常さ。魔術協会に見つけられればサンプルとして蒐集されかねないほどの異常、形を失わない、世界すら騙す投影魔術。結局の所、そんなものがあっては身を守るためにも魔術の習得は必須だったそうだ。

 そして聖杯戦争、これは遠坂姉妹と慎二の三人で衛宮士郎には知らせないように決めていたという。知れば絶対に首を突っ込んできてしまうというのが理由のようだった。学園に通い続けていたのもそのためだったらしい。

 

 ──ただ、厄介事は頼まなくても向こうから来てしまう事はままある事だ。

 いつかも通った交差点を抜け、住宅街の方へ、そこからさらに坂を上がった先の武家屋敷、和風の邸宅、その敷地の中で激しく争う音がしていた。門をくぐる時間もないかもしれない、慎二を抱えて強化した足で跳び越える。

 広い敷地は戦場と化していた。

 凄まじい巨体、力の具現、そんな存在が暴れている。

 無骨な、斧なのか剣なのか判らない、とてつもない重量がありそうな得物を振り回し、その巨体に見合わぬ俊敏さで対峙する敵、私が先行させたライダーと赤いサーヴァントを一体にして圧倒している。

 

「あら、あなたも来たのアカネ?」

 

 数日前にも見た銀色の少女が私の姿を見て笑った。

 

「あれはイリヤの?」

「ええそうよ、凄いでしょ、英雄中の英雄なんだから!」

 

 えっへんと、鉄火場に似合わぬ様子で無い胸を張る。しかし次の瞬間、不機嫌なふくれっ面になった。

 

「あのね、お兄ちゃんがいつまでたっても呼ばないから最後の一騎が揃わないの、お兄ちゃんが選ばれてるのは間違いないのに」

 

 もしかして、発破をかけに乗り込んだのだろうか。だとしたらこう、随分と強引な。

 イリヤのその言葉を聞くと、向かいで緊張の眼差しを注いでいた三人が慌てだした。赤毛の少年、きっと家主だろう、衛宮士郎の手を一人が確認し、一瞬の沈黙の後。

 

「なん……っで桜じゃなくてアンタに令呪があんのよーッ!」

 

 盛大に吠えた。

 もう一つの人影は何やら肩を落としてがっくり項垂れている。

 イリヤはきょとんとした表情でその様子を見ていた。私は何となく察しがつき、説明する。

 

「遠坂伝来の呪い、うっかりです」

「もしかして、リンはお兄ちゃんがマスターだって気付いてなかったの?」

 

 私がおそらく、と頷くと、イリヤは大きく溜息を吐いた。

 

「もういいわ、バーサーカー。気が抜けちゃったわ、帰りましょ」

 

 巨体のサーヴァントは一飛びでイリヤの傍まで後退すると、その腕に少女を抱え上げた。

 イリヤは巻き起こった旋風でずれた帽子を整え、場を一瞥して言う。

 

「じゃあね、お兄ちゃん。次はちゃんとサーヴァント呼んでおいてね、じゃないと殺しちゃうんだから」

 

 そして凄まじい圧力を発していたサーヴァントは無言で跳び、壁の向こうへ消えてゆく。力で消し飛ばされたこの邸の結界の残滓が何とも無惨。

 ただ、暴威が去ったとはいえ、サーヴァントがこの場に二騎いることは間違いない。緊張感はそのまま、ライダーは後退し、私を守るように、赤い衣装を纏い、対の短剣を構えるサーヴァントと対峙する。

 

「助力は……もう要らないですね。久しぶりです、遠坂……凛さん、桜さん」

「……ええ、お久しぶりね間桐さん、病気と聞いたけど、大丈夫なのかしら?」

「はい、問題ありません」

 

 久しぶりに見た一番上の姉は夜にもくっきりと輝いて見える。魔術師然とした怜悧な顔でこちらを見、笑った。

 

「そ、なら始めようかしら。あなたのはライダー?」

「やる、と言うなら構いません。遠坂さんのは……セイバーですか?」

「……なら良かったんだけどね」

 

 悔しそうな顔を見せる一番上の姉、ライダーと対峙しているサーヴァントは何とも言えない表情をしている。油断は一切見せないが。とすると短剣持ってるしアサシンなのだろうか、能力を確認できるほどには見れなかったのだが。

 割って入ったのは慎二とも違う男の人の声だった。

 

「ちょっと待て遠坂! さっきのといい、こんな子まで、ああもう一体なんだってんだ、ひとまず止めろ!」

「せ、先輩ちょっと、止まってくださいい」

 

 一つ上の姉が制止しようとしているが、お構いなくこちらに飛んでくる。私の隣で慎二が溜息を吐いた。

 

「ライダー」

「……いいのですか?」

 

 私が頷くと、ライダーが構えを解いた。霊体化してもらい、片手を上げて一番上の姉に呼びかける。

 

「一時停戦を求めます、遠坂さん」

「……ええ、こっちを先にした方が良さそうね。アーチャー、そういう事だから」

 

 なるほど赤いサーヴァントはアーチャーらしい。彼も短剣を消すと、一つ頷き霊体化した。

 

   ◇

 

 坂の上の一際大きい武家屋敷、間桐の家も遠坂の家も大概とは思うが、ここも半端なものではない。

 どこをまかり間違ったのか、私はこの衛宮邸でお茶を振る舞われている。

 どうも遠坂姉妹は頻繁にこの屋敷に入り浸っているようで、各自専用の湯飲みが用意されていた。一番上の姉が敷地を囲む結界を知った顔で張り直したのを確認し、私は一つ家主にお願いを言っておく。

 

「慎二をしばらく置いて欲しいって?」

「はい。いずれお金と身分証明書も用意しますが、道端で間桐の魔術を遠坂に流している事を言ってしまったので」

 

 あれは迂闊だった。聞いた私も。いや、多分間桐臓硯という人の手広さと怖さというものを慎二は本質のところで理解していないのだろう。

 

「間違いなくお爺さまに殺されるので、最低でも県外に、出来れば海外に出た方が安全です」

「いや……だって実の孫なんだろ?」

「衛宮君、この場合は茜……間桐さんの言う通りよ。魔術師にとって裏切った身内は敵より憎いもの」

 

 一番上の姉がそう言ってくれる。慎二はさほど落ち込んでいないようだ。これを機に間桐と縁が切れると思って内心ではすっきりしているのかもしれない。

 そしてやはり衛宮士郎は善人なのだろう。一方的な頼み事だというのにそういう事なら、と大きく頷いてくれた。これでいい。少なくとも先程確認した結界なら臓硯の蟲では通り抜けできないだろうし。

 そして思い出した事もあり、ある出版社の名を口にする。

 

「慎二……さん、そこで聞けば、雁夜おじさんに連絡がつくはずです。あの人は、お爺さまの事をよく理解しているから、助けてくれると思います」

「……お前はどうするんだよ」

「私、ですか?」

 

 どうすると言っても困る。私はどうしようもない。

 

「お前は間桐に残るのかよ、そんな……当たり前のような顔してさ、なんなんだ……なんなんだよお前は」

 

 私もよく判らない。ただ、ことごとくこの人とは縁が薄かった。人らしい人で、私は好ましく思っていたけれど。

 慎二は一つ溜息を吐いて、居間から出て行く。彼にとってもこの屋敷は勝手知ったる他人の家という奴らしい。何となく重くなった空気を払うように、一番上の姉が口を開いた。

 

「雁夜おじさん生きてたんだ、顔くらい見せればいいのに」

「姉さん、時期を考えると多分……」

「前回のマスターとして参加してたってくらい察しはつくわよ、お父様と敵対もしたのだろうし。でもそういう魔術儀式なんだから私怨なんか持たないわ、直接の仇じゃなければ、全力ガンドで許すつもりだったのに」

「遠坂……それ死ぬんじゃないか?」

 

 わいのわいのと騒ぎ出す。一つ上の姉も一番上の姉も楽しそうで何よりだった。

 魔術師として、人間として、両立できるこの二人。この在り方は希有だろう。とても眩しい。

 少し安心した。

 ほっとした気分でお茶を飲む。慎二のこともこれで何とかなりそうだし、あと心残りがあるとしたら子供の事だけど、そればかりはどうしようもない。魔術の後継者なのだ、臓硯も手放さないだろう。

 ふと、ひっかかりを覚える。どうしようもない。どうしようもないのだろうか。

 ぼんやりしていると、いつの間にか話が聖杯戦争の事になっていた。

 一番上の姉が何故かメガネをかけ解説、一つ上の姉がそれを補足するように衛宮士郎に説明している。

 何となく聞いていると魔術師同士の殺し合いという話し方をしていた、強い言い方で危機感を持たせようって感じなのかもしれない。

 お茶を一口。

 頭にふと柔らかい感触が乗る。いつの間にやら一つ上の姉が私の隣に座っていた。ゆっくりと撫でられる。

 

「……ちょっ、桜あんた、その子は敵陣営なんだから馴れ合いは駄目よ!」

「大丈夫です姉さん、私、聖杯には認められなかったみたいですから。聖杯戦争に無関係なただの魔術師です。こうやって久々のふわふわを味わってもいいんです」

 

 そういえば髪質はミュリエルの時からあまり変わってない。猫みたいな毛だ。青く染まってしまっているけれど。遠坂にいた頃は二人の姉に実にいじられていたものだった。うぁ……一番上の姉に三つ編みを二十本ばかり編まれてとんでも無い事になった記憶が。

 妙な記憶を掘り起こしていると、衛宮士郎が不思議な顔でこちらを見た。

 

「慎二に妹が居るなんて聞いた事もなかったけど、こんな子供までそんな殺し合いに参加するってのか」

「まさか。魔術師を見た目で年齢判断すると痛い目見るわよ、その子だって私のたった二つ下だし」

 

 衛宮士郎の顔が世の中の不思議を見たようなものになっている。

 

「……本当か?」

「本当です」

「マキリの業は肉体に帰すのが基本らしいしね、魔術を修めた副作用ってとこでしょ」

 

 そういえば、慎二から知識を流されていたのだったか。

 確かにいつからだったか身体の成長が止まっていた。色々思い当たる節が多すぎて困る。あれだけ実験されれば幾つの結果が混ざっているか知れたものではない。

 さて、と一番上の姉は話題を打ち切るように手を叩いた。

 

「期限もぎりぎりだし早速召喚してみましょうか。衛宮君は調子の波が無いから楽でいいわね。で、間桐さん。ここからは──」

「……はい、そろそろ失礼します。衛宮さん、兄をよろしくお願いします」

「ああ。大丈夫だ、あいつは友達だし」

「慎二は任せときなさい、あんな人畜無害ワカメは陽の当たるところで干しておくのが一番なのよ」

「姉さん、告白されたからって照れ隠しにワカメ扱いはさすがに慎二さんが可哀想なんじゃ」

 

 魔術嫌ってるというのに告白したらしい。なかなか男気がある。しかしそのあげく海草扱いとは慎二も報われない。

 帰宅すると案の定、臓硯が慎二について報告を求めてきた。

 遠坂と衛宮の庇護下に入った事を告げると、ひどく忌々しそうに笑っていたので、今夜あたり蟲倉で八つ当たりされるかもしれない。まあ、いいか。

 

   ◇

 

 がくがくと勝手に反応する体。

 血の味と蟲の味と腐臭。汚れに汚れた体を蟲が這う。

 もう間桐の胎盤として役目を果たした以上マキリに染める意味もなかろうに、臓硯の趣味か、久しぶりに酷い事になった。

 実は結構すごい魔術師なくせに変態過ぎて困るのがこのお爺さまなのだ。

 一晩で二十死には久しぶりだ。雁夜さんの漏らした言葉だとどうもロア事件は解決して本体は消滅しているらしいので、ちょっとだけそのまま普通に死ねるんじゃないかと期待したが、やはり駄目だった。最近の臓硯の趣味は快楽で責めるよりはもう少し変態的で嗜虐的なものが多い。頭は残しておいて、最後まで私に見せつけるのがこだわりポイントのようだ。

 

「よいのう、よいのう茜よ。表情を失った面貌も慣れてくれば聖女の顔よ、いつかは己から歪ませてやろうのう、ほぉれ、これなどどうじゃ」

 

 などとまあ弄くられ、B級ホラー的なスプラッタな何かになったりもするのだが。時間が途切れればやはり戻る。

 

「しかし慎二の奴めも逃げ出すとは何とも情けない事よ、雁夜に続いてほんに、あの代は良くなかったのう。これでは次代も不安が残ろう、ワシの精では胎ませる事もできぬというに」

 

 そうして蟲の翁は呵々と笑い。

 

「茜や、此度の聖杯戦争は生き残る事を優先せい、英霊の宝具ではさしものオヌシも危ういものがあろうからの。聖杯は次を待てば良い。オヌシには再び胎盤としてミサゴとの子を成してもらうとしようかのう」

 

 さらなる不義を犯せという。

 私は惰性で頷く。

 うんざりするような無気力感と諦念の中、その奥深いところで、何かが壊れた気がした。

 

 蟲倉から出る間際に一度殺されリセットされる。肉体的には問題がないはずなのに、何かがやはりすり減るのか、この時ばかりはよろめきながらバスルームへ。ミサゴは既に就寝中、邸内を裸でうろついても問題はない。体中に付着している蟲の体液を流し、ぬぐいとる。復元も血は無くなってくれるくせに汚れは一緒に落としてくれない。髪の隅々まで染みついた粘りつくそれを念入りに。ぬぐいとる。ぬぐいとる。ぬぐいとる、ぬぐいとる。

 あれ、と思う。

 シャワーの湯気の中で、気付けば私は崩れ落ちていた。

 

 ──ああ。うん。そうだ。思い出した。

 否定の感情だこれ。

 駄目だ。

 私だけならいい。

 でもそれだけは、駄目だろう。

 

 のろのろと服を着る。

 コートを羽織る。

 もう時間は朝に近い。ライダーを伴い薄明かりの中の散歩へ。

 いつしか来た前回の聖杯が出現した地、新都の公園、瘴気が渦巻く私に馴染み深い場所。

 

「ライダー、令呪を以て命じます。私の魂と精神の悉くを食べて下さい」

「な……」

 

 何か言いかけるライダーだったが令呪には抗えなかったか。私の首に噛みついた。血が、私を構成する全てが吸い上げられ、飲み込まれてゆく。喉を鳴らせ、喜悦と嘆きの表情を浮かべるライダーに少し申し訳なくて、私は力の抜けていく手でその頭を抱いた。

 時間が途切れる。

 魂を食らわせても世界が修復する。きっと改竄するには根源まで行かないと無理なのだろう。

 始めに見たのはライダーの顔。口の端から血を一筋流し、どこか上気し、それでいて悲しげだった。

 

「……アカネ、二度とこんな真似をさせないでください」

「ごめんなさい、魔力は一杯になった?」

「当然でしょう、あなたの内包している魔力がどれほどのものか判りました」

「うん、こんな方法でしかあげられないんだ。特殊なものでも刻印虫の基本の性質は変わらないから。ほとんどはもってかれてる」

 

 常に多量の使い魔を養っているに等しい。十年前ならいざしらず、今の私は魔力にモノを言わせて何かをする事なんてできない。

 

「じゃあ、行こうか、まずは冬木の教会へ」

 

   ◇

 

 聖堂では神父が朗々と早朝の祈りを捧げていた。

 その祈りは悪意に満ちていて、それでいて信仰に殉じている。

 やがて祈りが終わり、神父は緩やかにこちらを振り向いた。

 

「間桐茜か。昨夜七騎が揃い、聖杯を巡る魔術師と英雄の饗宴は幕を開けた。このような場所に居て良いのかな?」

「言峰綺礼、実の師を殺した時の気分を聞いて良い?」

 

 ゆっくりと、ゆっくりと神父の口は弧を描いた。

 

「──何故、そんな夢見事を思いついたのかね?」

「十年前、魔術師殺しに攫われて、遠坂邸に私は居た。衛宮切嗣はぽつりとあなたの名前を呟いていた」

「なるほど、だがそれは魔術師殺しの読み違い、という事もあるのではないかな」

「間桐雁夜を起こそうとしていた梟、あれは私の使い魔だった。そして遠坂時臣のサーヴァントであった英霊、うちのお爺さまはとてもあの人を警戒している、教会を中心に行動している事を把握する程度には」

 

 神父の笑みは増している。言葉を重ねるごとに増している。愉悦に歪んでいる。

 

「なるほど。そこまで洞察しているなら、初見で私が仇であった事が理解ったはず。父の仇を見逃したか。だが今になって、とはどのような変心かな」

「あなたの命の代価として代行者の武装、一式を貰い受けたい」

 

 意外、という顔をする。それはそうだろう。教会は魔術師とは本来仲が悪い、代行者の装備を魔術師が使いこなせるはずがない。やがて神父はまじまじと私を見つめ、カソックを翻した。

 

「よかろう、私とてまだ少々命が惜しい」

 

 ついてこい、という事らしい。

 第八秘蹟会に居ただけの事はある、聖骸布、聖人の遺骨、恐らく聖十字架のものと思われる破片、教会の秘蹟に関する聖遺物が、こんな地方の教会にとは思えぬレベルで収納されていた。ただ、私の目的はもっと実用的で味気のないもの。黒鍵の柄、聖別され霊体への干渉力を持った聖水、古来より場を清めるために使用されていた没薬。

 魂がミュリエルとかけ離れたものとなっても、黒鍵はなぜか手によく馴染んだ。小さい手で握れるのは一本のみではあろうけど。試しに手近な聖書を使って剣身を精製、軽く振ってみる。強化をかければ何とか使い物になるだろう。

 

「……マキリは教会とも繋がりがあったか?」

「まさか」

 

 訝しげな神父の言葉には取り合わず、得るものを得て、教会を去る。やはりこの程度ならあの英雄王は動かないようだ。多少の賭けだったが。

 間桐邸に戻り、慎二の身の回りの品をライダーに持ち出させ、世間を誤魔化すためとはいえかなりの額の入っている口座の通帳を持ち出す。

 引き出したお金の半分を慎二に、ライダーに荷物と一緒に持っていかせ、私は暗示も用い、新都の週単位で借りられるマンションを借りる。臓硯には教会を襲ったので拠点を移すとだけ言っておいた。

 借りた部屋を簡易な工房とする。

 マキリでは感知できない、そして理解のできないだろうカバラによる結界。

 部屋の中央、馬鹿げた魔法陣、多分誰かが見たらその効率の悪さに口を開けっ放しになるだろう、それの上で裸となり仰向けに寝そべった。

 欲しいのは方向性、指針、大海の中を進むための羅針盤。

 時間はもとより足りない、本来数十年を要するもの。

 だから無茶をする。人にはできないただ一つ、自身を生贄に捧げるという無茶を。

 

「じゃあライダー、後は」

「はい、アカネ。今よりここは我が神殿、誰にも侵させはしません」

 

 頼もしい言葉に一つ頷き、私は魔法陣の中央で目を瞑った。

 魔術回路を叩き起こし、暗闇に蛍が舞い、ある魔術基盤に接触するための魔力を紡ぐ。

 とてつもなく原始的で、とてつもなく古い。それなのに脈々と継がれ、絶える事のない魔術系統。

 ある、という事を知っていても、それにどう繋ぐかは手探り。分は悪すぎる。だから象徴を用いる事に強い数秘を用いる、我が身を贄に見立て探し出す。

 

「か……くぁ」

 

 幾度かの、幾十度目かのパターンを試し、繋がった、と同時にそれを制御できず食い荒らされ、体内が全て裏返る。血を吐き、一瞬の時の途絶の後再生。

 まだ、先は長い、これは手がかりを見つけただけ。この連綿と続く業を身の内に引きずり込み、練り上げ──

 

 時の感覚はない。幾度か狂ったかもしれない。いつもの事ながら覚えていないが。

 ようやくそれが体内に一つ完成した時には、部屋は文字通りの血の海だった。術に苦しんだか、堪えきれず私の体から勝手に逃げたらしい蟲の死骸もちらほら見える。あとで魔術で綺麗に浄化しておこう。

 

「ライダー、どのくらい経った?」

「……四日と八時間ほどです」

 

 立ち上がろうとして、力が入らないのに気付いた。いや、力の入れ方を忘れてしまった、と言うべきか。どの筋肉を動かせばどこが動くのか、指の一本一本を動かしながら確認する。

 一時間ほどしてようやく立ち上がり、シャワー室で全身の血を洗い流す。着替えを済ませ部屋に戻るとライダーが何かしてくれたのか、血で汚れきっていた部屋は綺麗になっていた。水を一杯飲み、ソファに腰掛けてぼんやり。ここまでしなきゃいけないのかと投げ出したくなる気持ちが一瞬湧き、抑える。動かなければ、悪い方向にしか行かない。それでも良いかと思っていたが、一つだけは投げ出せないものが出来てしまった。

 

「……それじゃ、ちょっと聖杯戦争に行くとしようか」

 

 私の、少しだけ熱量の篭もるようになった言葉に、ライダーは静かに頷いた。



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王様も悦びの声を上げ(下)

 市内全域に無数の細かい羽蟲を放つ。夜に始め、全域に浸透したのはようやく昼にもなろうかという頃。

 勿論索敵のためだ。マキリの術もこういう事には非常に強い。もっとも、こんな低級な使い魔では結界やサーヴァントなどには触るどころか近づく事さえできない。逆に網のように張り巡らした羽蟲のライン、それがぽっかり空いた部分に魔術師やサーヴァントが居るという事になる。

 北西の衛宮邸、西の柳洞寺、南側には間桐邸と遠坂邸、新都の東にある教会、そこは大きな穴となっている。教会は多分あの英霊により自然と結界じみたものになっているだけなのだろう。柳洞寺はよくわからない、一番強い霊脈なのでおかしくもないが。そして、新都の公園、かつての聖杯降臨地もまた蟲は寄りつけない、魔的なものが強く焼き付けられているせいか。

 編み目のような蟲のラインに線を引くように空白が出来ていく部分がある、魔術師かサーヴァントが移動しているという事だろう。哨戒しているのだろうか、新都の南方から公園にゆく者と、西の郊外に動いてゆく者。郊外のあの森は確か臓硯が言うにはアインツベルンの居城があるはず。誰かが攻め込むのか、あるいはあの気紛れな銀の少女が町を探索でもしていたのか。それぞれ新たに使い魔になってもらった梟を飛ばし見てもらう。魔力の残りもそう多くない、二羽が精々だったが。

 新都の方はどうもサーヴァントのようだ、梟がその目に捉える事はできない。それでいて蟲の網を吹き散らす存在、もっともあの公園に近い場所なので、妙な怨霊が飛び出してきていてもおかしくはないのだが。単独行動をしているとなると、何となく冬木大橋で出会ったランサーを思い出す。

 そしてもう片方の梟の視点を借りて見ると、私は無言で頭を抱えた。

 

「アカネ、どうしたんです?」

「どうした……というか、どうしよう」

 

 一番上の姉と衛宮士郎が郊外の森に向かってタクシーで移動している。それはいい。きっとサーヴァントも霊体化して乗ってるのだろう。同盟組んでアインツベルンに戦いを挑みに行くに違いない。

 ただ、梟の目は上空からとんでも無いモノも捉えていた。あんなデザインの車は見た事がない。三世紀ばかり未来を先取りしたかのようなフォルムの車。それもまた、だいぶ後ろからとはいえ、同じ道を走っている。あんな派手な真似をする存在、私には一人しか頭に浮かばない。

 臓硯が調べた英雄王の戦いは比類ないものだった、鬼札にも程がある。

 しかし、イリヤのサーヴァントもまた桁外れ、そこに飛び込む遠坂、衛宮のチーム、その三つどもえ。どうしてそんな事になってしまっているのか。

 いや、ひとまず考えは置いておき、向かわないといけない。小聖杯であるイリヤはとても特殊な存在だ、臓硯は知っていたが、考えてみれば一番上の姉はどうだったか。もしかして、聖杯戦争が本当にただの願望機を得るための儀式だと思っていなかったか。言峰綺礼が正確に教えていなかった?

 

「ライダー。郊外、アインツベルンの森に向かおう、最低でもイリヤは守らないと」

 

 小聖杯を失えば聖杯戦争は破綻する。残りの英霊はマキリの聖杯が馴染んでしまっている私に来てしまう、無論それでも構わないのだがイリヤにはやってもらわないといけない事がある。

 

 屋上でペガサスを召喚してもらい、なるべく人目につかないよう、高度を高くとってもらう、今日は生憎の曇天、その上このマンションの近辺そのものがそう人通りの多い場所ではない。そういう条件で選んだのだ。目撃者もいるかもしれないが、秘匿は教会の方々に頑張って貰おう。

 天馬は一ついななくと、一直線に森へ向かって空を駆ける。ごうごうと風を切る音がするが、乗っている分には微風が吹いているようにしか感じない。

 距離はかなりあったものの、空を直線で行っている事もあり、その深い森にたどり着くまでさほどはかからなかった。ただし、空からは視認できないように、霧がかかっているようにも見える。結界の外縁部にペガサスを降ろし、話に来た事を告げると、結界が開かれる感じがした。サーヴァントを実体化させた状態で先行させれば結界があっても何てことはないのだけど、開かれたならそれはそれで良し。イリヤの方もこれは油断というより、自身のサーヴァントへの信頼なのだろう。

 

 ペガサスで低く飛びながらアインツベルン城を探す。いや、探すまでもなく案内してくれるらしい。針金細工の小鳥がいつしか羽ばたき先導してくれる。

 三十分程も飛んだ頃にはそのお城、まるでおとぎ話の世界に迷ってしまったかのような造りの城が見え、その正門の前でバーサーカーを後ろにしたイリヤが軽く手を振った。

 

「わたしの城にようこそアカネ。まだワルプルギスの宴には早い時間だけど歓迎するわ」

「ありがとうございます、イリヤ。ただ、戦いじゃなく話に来ました」

 

 ライダーに後ろに下がって貰い、バーサーカーの前に身を晒す、一般的には自殺行為だろう。

 イリヤは一瞬ぽかんとし、少し悩むように唇に手をあてて、悩んだようだった。

 

「それはマキリとして?」

「茜として、です」

 

 イリヤは顔を満面の笑みにすると、私を城に招き入れてくれた。

 

   ◇

 

 とても品の良い紅茶を変わった格好のメイドさんが運んで来てくれた。セラと呼ばれていただろうか、乱れのない動作でカップに入れてくれる。

 多分城に誰かを招くという事自体初めてなのだろう、どこかわくわくした感じの顔をしているイリヤに、楽しい話でもないです、すいません、と一言謝り、前回から受肉し、現界しつづけている英雄王の話をする。能力は完全には不明、ただ複数の宝具を一斉に放ち、戦闘機と渡り合う飛行宝具すら所持、その後の臓硯の調査からの推測である、恐らく全ての宝具の原型を所持しているのだろうという事までも。

 

「そんな元サーヴァントがここに近づいてます。急ぐつもりもない様子でしたが、あなたが狙いでしょう。前回を経験しているならきっとあなたの存在についての知識もある」

「……そう、情報は感謝するわアカネ。でも、どんな奴だってバーサーカーで」

 

 ごん、と城を揺する震動があった。続いて激しい剣戟の音、激突音。

 説得に時間を掛けすぎたか。まだ時間に猶予はありそうだったものの……

 イリヤは何を感じ取ったのか、目を開き、嘘、と驚愕に顔を歪ませる。

 唇を噛むと、身を翻し、走りだした。

 私もまた追いかけ広間に出ると、やはりと言うべきか──そこには英雄王がいた。飛び出したイリヤを爛々とした赤い目で一瞥し、言った。

 

「ほう、今回はまた変わった趣向よ、雑種と人形の合いの子とはな。そこで控えておれ」

 

 そう言い、右手でバーサーカーを指し示す。ただそれだけだった。

 中空から次々と、剣、槍、槌、矢、短剣、斧、ありとあらゆる武器が顕れ、射出される。

 間近で見ると、何と言う圧倒感、これはどうしようもないモノだ、と心が弱音を訴える。

 だがしかし、バーサーカーは愚直に、愚直に。死にながら前に進んでいた。

 

「バーサーカー! やめて、もう!」

 

 イリヤの声が広間に響く、だが、バーサーカーの歩みは止まらない。いや、ライダーの見立てによるなら彼は──ギリシャ最大の英雄、ヘラクレス。ならば、その歩みは止まらない、止まるはずがない。

 何度死んだだろう。

 私は、本来の目的であったイリヤの安全の確保を忘れ、ヘラクレスの姿にただ見惚れていた。

 あれが英雄だ。

 あれが英雄の姿だ。

 巻き戻ってしまう私と違い、その圧倒的に苦しいはずの死、それを受け入れながら、なお歩は止めない。

 死に立ち向かう、というのはああいう姿を言うのだろう。

 あんなものを感じてなお足を前に踏み出す。その行為、ただその行為が私には信じられず、格好よくて、綺麗過ぎて、凄すぎて。

 だからだろう。無意味な事をしてしまったのは。

 十度も殺されながら、英雄王の目前まで迫ったヘラクレスを鎖が縛る。

 ぎちぎちと締め付けられ、捻られ、身動きの取れなくなった巨体。

 既に現出されかけた二十以上の名剣、名槍。

 イリヤは泣き顔で叫んでいる。

 私は黒鍵を一本、英雄王の足元に投げ、突き立てた。影縫いに近い魔術付与。

 英雄王は無礼を咎める顔となり一瞬動きを止める。

 そのわずかな挙動、一秒にも満たない時間があれば十分。

 

「Je suis ici(力はここに)」

 

 己への暗示、問いかけ、全力での強化を体にかける、かけながら飛び出し、その巨体の首にしがみついた。

 因果を逆転させる剣が刺さる、竜殺しの名剣が刺さる、投げれば必ず敵に当たる槍が刺さる。

 精一杯の強化などものともせず、まるで紙のように宝具は私を裂き、ヘラクレスに突き立った。

 ボロクズのように千切れ飛びながらも、私は自分という紙一枚の成果を確認し、ちょっとだけ満足する。

 

「■■■■■■■■■■■■■ーーッ!」

 

 四肢を切り飛ばされながら、声にならぬ声、雄叫びにならぬ雄叫びを上げ、神話の大英雄は、己に刺さった名も知れない名剣を噛み締め、英雄王に迫り──

「……一矢、報」

 

 みなまで言えず、私は瓦礫に転がる、首だけとなっては自力で動く事もできない。

 だが判った。きっとヘラクレスは一矢を報いたのだろう。

 

 時間が途切れる感覚。

 目を開くと、血のような赤い眼、再生した私を傲然と英雄王が見下ろしている。ただそのまま見ていると、やがて凄惨極まりない笑みを浮かべた。

 

「足掻く気にでもなったのか道化よ」

 

 私は答えない。ただ見返す。

 ──クク、と英雄王は喉の奥で笑い、空間の揺らぎより一本の剣を取り出す。黄金の柄、ただ貴いその剣身。

 

「よかろう、我を愉しませてみよ。だがその前に──王の執行を邪魔したその罪を問わねばならぬ」

 

 剣を構える、ただそれだけで全ての無機物、有機物全てが声を潜めた気がした。

 

「この剣はメロダックという、原罪の名を冠する聖権の大本よ。蛇に縁の深い貴様を罰するにはふさわしかろう」

 

 動こうとしたライダーにイリヤを連れて逃げるように、ラインを通して命じる。衛宮士郎、あのお人好しならサーヴァントを失ったマスターでも拒まないだろう。

 

「裁きを下す、貴様は八度は死んでおけ」

 

 無造作に剣が振られ、その原罪、メロダックと呼ばれた剣に宿った極光のごとき魔力の奔流が私を包み、焼き尽くした。

 

   ◇

 

 何も見えない。

 真っ黒な何かの中で時間が途切れては流れてを繰り返す。

 ばらばらの時間の流れの中、ただ苦痛でしかない再生したてのわずかな時間を繋ぎ合わせ、導きだした答えは。瓦礫の中で押しつぶされている、なんてどうにもならない現状だった。

 生き返っては潰され、尽きた空気を吸い、頭に血の霞がかかる。そして死に、また生き返る。

 聖堂教会に回収された時、似たような状況になった時もあった。石棺に入れられ、潰された状態で埋められたのだったか。

 途切れ途切れの時間の中、妙な幻影を見る。

 赤子にして在った自我。

 絞め殺した蛇。

 師である半人半馬の賢者。

 恨みを買っている女神により狂わされ、殺してしまった我が子、後を追った妻。

 神託を受け、数々の冒険を乗り越え、栄光を手にし──

 

 あの時、一番近くに居たからか。

 バーサーカーであったヘラクレスの魂は私という杯に注がれていたようだった。

 あれだけイリヤと信頼関係を結んでいたくせに。

 英霊の魂。

 ああ、格が違う、と判る。これは確かに人としての機能は無くしていく他ない。

 そして同時に理解する。

 少なくとも、私という容れ物は不完全だが頑丈極まりない。ロアで汚れ、私の行いで血塗られ、マキリの業で蟲臭く、繋がりっぱなしのアンリマユで真っ黒にはなっているが。壊れる事だけは無い。

 幸い私の死は英霊の魂を逃すものではないらしい、とすれば魂の容れ物の中で私の魂だけが死ぬ度に明滅しているという事なのだろう。

 ならいい。目論見は果たせそうだ。

 自我などどうでもいい。

 

 ──音が聞こえる。何かを破壊する音。投げ捨てる音。

 途切れ途切れだった時間が連続性を急に取り戻した。

 ばらけていた思考のピースが急に合う。

 

「遅くなりましたアカネ」

 

 気付けば息が出来る。のしかかり、体を潰していたものがなくなっている。

 ようやく苦しさから逃れられ、大きく空気を吸い込み、吐いた。

 英雄王、八度どころじゃない回数死んだ気がします。

 それとも私の命の安さを考えれば百倍されて当然なのだろうか。

 目を開ければ、夕日に照らされ不思議な色に輝く美しい髪がまず目に入った。

 

「ん、ありがとうライダー。状況は?」

 

 私が埋まっていたらしい場所から出て、周囲を見渡すと、アインツベルンの城は惨憺たる有様になっていた。客を迎え入れるのであろう絢爛豪華な広間は半分ほどが消失し、支えを失ったらしいテラス部分や屋根が軒並み崩れ落ちている。わずかに残ったらしい無事な部分も倒壊した建物の下敷きとなって、瓦礫の隙間にそれを覗かせるばかり。まるで空襲でも受けたかのような有様に成り果てていた。

 ライダーからその後の状況を聞くと、どうやらイリヤを衛宮邸に運び込み、即引き返してきたらしい。遠坂、衛宮のチームもアインツベルン城の残骸を見たらしく、途中で引き返していく姿を見かけたとか。

 ペガサスに乗り、構築していた蟲の探査網に繋げようとして、ちりぢりになっているのに気付く。魔力を強化に回す際、無意識に契約を切ってしまったかもしれない。

 少し考え、ライダーに衛宮邸に進路を向けて貰う。情報を得ておきたい、術式を作るために引き籠もっていた私と違って、色々動いていたはず。

 

 一応、秘匿を考え、ペガサスを衛宮邸の遙か上空で待機させ、ライダーに着地を任せて落下する。

 派手な着地音はしたけれども、見た者が居るとしても目の錯覚だとでも思うに違いない。

 魔術で強化した体でもかなり衝撃が響く。二、三秒の痺れの後、ライダーに下ろしてもらい、突然の落下音にだろう、驚いて飛び出してきたらしい一番上の姉と、隣の衛宮士郎に会釈をした。

 

「こんにちわ、情報交換をしに来ました。一時停戦を求めます」

 

 何故だろうか。衛宮士郎は慌てて横を向き、一番上の姉は頭痛でも感じたかのように額に手を当てている。はて、と首を傾げて見ていると、溜息を混ぜたような声を出した。

 

「話なら幾らでもしてあげるから、というか私の方も聞きたい事だらけだからいいとして。茜、あんたまず服を着なさい、なんでそんな裸で堂々としてんのよ……」

「あ……」

「あ……」

 

 私とライダーの声がハーモニーを奏でる。どうも揃ってうっかりしていたようだった。

 

   ◇

 

 居間に招かれお茶をすする。私の体型だと合った服が無かったので、ひとまずは、とセイバーに着せていたものらしい一番上の姉のお古を着させられる。それでもだいぶ袖が余ったけども。

 着替えている間に飛び起きてきたらしいイリヤに押し倒されたり、一つ上の姉がなぜかその様子を撮影していたり、何とも一騒動だった。

 

「──で、結局アインツベルンの城で何が起こったのよ。酔っちゃう程の残留魔力に爆撃かって言うほどの有様。戻ったら戻ったでイリヤスフィールは寝てるし、結界は破れてるし、桜もまるで事態を把握していないし……後でお仕置き……ね」

 

 最後の所で一つ上の姉がびくりとした。表情は変わらずにふるふる震えている。なぜか霊体化しているライダーも微妙に怯えているようなのだが、一体どうしたのか。

 

「というかアカネ、あれで生きてるなんて、あなたどうなってるの? もしかして死徒とか体のスペアを一杯持ってる人形師だったりする?」

 

 イリヤが少し困惑げに私を見る。素直に言っても良いのだけど、普通に信じられないか、信じさせても驚かせる事ができるだけで重要な事でもない。適当にマキリの秘術という事にしておいた。

 

「そんなわけで、プラナリア並にしぶといので、あのくらいでは死なないだけです」

 

 他家の秘伝と言われれば怪しくとも突っ込めないのが魔術師の関係というもの。そういうものとして認識するほかない。

 先だってイリヤにも話した前回から存在する英雄王の話をする。馬鹿らしいほどのバランスブレイカー、ウルクの王ギルガメッシュ、多分まともに相手をできるのはエンキドゥか、そもそもサーヴァントではない存在を聖杯戦争の外から呼ぶしかないんじゃなかろうか。

 臓硯から聞いた話に加え、使われたメロダックという剣、バーサーカーを有無を言わせず殺しきった話をすると、一番上の姉は大きく溜息を吐いた。

 

「でたらめ過ぎるわね……まったく」

「はい、移動しているのを見つけたので、イリヤに忠告に行ったのですが」

「……あんた達って同盟組んだりしてたわけ?」

 

 胡乱げな目で見られる。この様子だとやはり言峰は教えていなかったらしい。

 

「アインツベルンは特殊な役割──」

 

 言いかけ、イリヤを見ると、その目が言わないでと言っている。

 

「……聖杯の儀式をする巫女のような役割を毎回担っています、イリヤが居なくなれば魔術儀式そのものが破綻しますから」

 

 何とか誤魔化した。考えてみれば彼女の体の事を部外者がペラペラ喋るものでもない。

 

「そう、あんたが知ってたって事なら御三家には伝わってた話って事よね……そう。うふふ、あはは。あぁのエセ神父」

「と、遠坂落ち着け、湯飲みに非はないっ!」

 

 衛宮士郎が赤いナニカになりかけていた一番上の姉をなだめる。

 それで、と私がこちらの状況を聞こうとしたところ、その姉はどこか決まり悪げな顔をして罅の入った湯飲みのお茶をすすった。待っていると、恥ずかしそうに頬を掻きながらぼそぼそと呟いた。サーヴァント、取られちゃったのよ、と。

 つまるところ、この家によく出入りしていた藤村大河という女性、預けられていた間桐慎二、その二人を人質にとられ、衛宮士郎のサーヴァントだったセイバーを奪われ、ならば奪い返してやろうと意気込んで行ったものの、さらにはアーチャーも相手に寝返る始末。普通なら脱落したものとして諦めてもおかしくないのに、負けん気たっぷりのこの人はサーヴァントを取り返そうと、イリヤに協力してくれないかと交渉を持ちかける予定だったらしい。

 

「それは、何と言うか……」

「……いいわよ、笑いなさいよ茜」

「うふふ、リンったら間が抜けてるわね、サーヴァントに裏切られちゃうなんて」

「あんたが笑うなーーッ!」

 

 再びわいのわいのと騒ぎ始める。明るくて何より。そして慎二を安全な場所に置いたつもりが裏目に出たようで少し申し訳なくもある。

 しかし状況がとんでもない事になっていた。

 柳洞寺に篭もり、アーチャー、アサシン、ことによればセイバーも手駒にしてしまっているキャスター。築かれた堅固な神殿、さらにはキャスターのマスターである葛木宗一郎も凄まじく腕が立つらしい。何でまた一箇所に四騎もサーヴァントが集まるなんて事態になってしまっているのか……

 

「キャスターがコルキスの王女、メディアというのは確かですか?」

「ええ、アーチャーが挑発した時の敵意、あれは本物だったわ」

 

 ライダー、メドゥーサである彼女は本来神霊であったために魔力に対しても耐性がある。そもそも彼女の速さなら魔術に当たる事もそう無いだろう、直接的な戦闘であるなら多分ライダーに負けの要素はない。一対一なんて状況に持ち込む事ができればの話だが。

 既に神殿を形成し、魂喰いで大量の魔力を蓄えている状態だとすると、恐らく本人は出てこないだろう。直接戦闘ができるアーチャー、アサシンに任せ、本人は見えない場所から儀式魔術による支援に徹するはず。この手の魔術師らしい魔術師には私のような使い勝手の良い囮に食いつかせ、出てきたところを多数で囲んで有無を言わせず抹殺するのが異端狩りの基本であったものだけど。

 ──と、悩んでいると天井に吊られた鐘が鳴る。一番上の姉が「また侵入者!?」とうんざりした顔で飛び出した。

 私も引き続き、ライダーを実体化させながら庭に出ると、いつぞや橋で出会った青い槍兵が相変わらず剽げた様子で庭石に腰掛けている。

 

「よう、困った陣営だな、槍の一本も要るんじゃねえか?」

 

 そんな事を言った。

 言い分を聞いてみればどうも強大になりすぎたキャスター対策に一時的な同盟をしたいらしい。ランサーのマスターは表に出てくる気が無いようだ、組む相手の選別すらランサーに任せている。

 ランサーは一番上の姉を気に入っていたようだ、あれよあれよという間に話がまとまってしまった。

 その上で私にも対キャスターに限っての協力を求めてくる。

 ランサーとライダー、案外良いのかもしれない。どちらも速さで他を圧倒できる存在だ。

 もちろん単騎で何とかする手もある。

 物量には物量、相手が広域の魂を溜め込んだのなら、こちらは無制限の魂という反則がある。ライダーに自分の魂を与え──恐らくその過程で反転してゴルゴンの怪物になるであろうけども、敵を倒すという事に限れば多分、英雄王以外は何とかなるだろう気もする。

 ただそれは、最後の手段、好んで彼女のトラウマをほじる気などはない。

 私は頷き、一時間後の柳洞寺攻めが決定された。

 

 イリヤは衛宮邸の一室を仮の部屋として与えられていた。一番上の姉は渋っていたものの、家主が頑張った。あれはよく頑張った。褒め称えたい。具体的にどういういざこざがあったかは席を外していたので伺いしれないものの、どたんばたんぎにゃーという猫が喧嘩するような音がしていたので、多分色々苦労があったのだろう。

 柳洞寺攻めをする前の一時の合間、私はイリヤの部屋を訪れていた。

 

「アカネ、言い繕ってくれてありがとう、あの事はシロウには知られたくなかったから」

「衛宮さん……とはもう面識が?」

「うん、最初はキリツグの代わりだった。殺そうと思ってたんだけど、シロウはほら、あーんな性格でしょ? 襲いかかってきた相手なのに、平気で心を許しちゃうの。何だかわたしも大事になっちゃった」

 

 朗らかに笑う。私も一つ頷き、少し瞑目し、話を切り出した。イリヤに悪いのだけど、あまり愉快な話を持ってきたわけでもない、アインツベルン城でしようとしていた話の続き。

 

「イリヤ、大聖杯の異常は感知していますか?」

「……ええ、海を渡る前は分からなかったけど、この地に来てから妙な感覚はあったわ。だからあちこち見たりもしてみたのだけど」

 

 どこから話せばいいのか、頭の中で整理し、諦めた。信用させる材料が足りない上に時間もない。

 私は溜息を小さく一つ吐き、魔術師としては絶対に有り得ない言葉を言う。

 

「防壁を解きます。イリヤなら、自らの意識を私の内部に移す事も出来るでしょう。聖杯が出来てよりずっとこの地で観測し続けたマキリ・ゾォルケンの知識、それと十年前に見た私の記憶を読んで下さい」

「──え。アカネ、それっていいの?」

「アインツベルンにも関わる事ですし、何より私の言葉で信用させられるとは思えません、見やすいように表層に浮かせておきます。あと、他の部分は見ない方が良いです。気持ち悪いと思いますから、それと興味本位でも絶対に同調しないで下さい」

 

 そして私はイリヤの前で正座し、目を閉じた。ライダーに一つ断りを入れると、眠っていてさえ循環している魔力も止め、完全に無防備な状態になる。躊躇っていたのだろう、やがておずおずといった感じで、ひんやりとした手が私の額に当てられた。

 当然ながら自分の記憶を読ませるなんて事は通常の魔術師なら有り得ない。

 先祖代々から続く研究成果を他者に漏出させるなどという事は一族から殺されても文句は言えない。加えて今は聖杯戦争という枠組みの中で一応形だけとはいえ争っている状態、余程の馬鹿か、命を欠片とも大事に思わないモノ以外にはこんな真似はしないだろう。

 逆に、そんな妙ちきりんな生き物を前にして、この銀色の、好奇心旺盛なお姫様が、必要な知識だけを見るだけで済ますなんて事はやはり無かったわけで──

 

 額から手が離れたと思ったら、なんとも言い難い顔でイリヤはブルブル震え、そのままソファに転がった。股間を押さえ、ふるふると震えている。

 

「あの、まさか、マキリの鍛錬とか……同調しちゃいました?」

「……うー、だって、わたしは経験できないから、どんなものなのかなって」

 

 どの場面の記憶かは知らないが……うん。ろくなもんじゃないだろう、げんなりした顔がそれを物語る。

 

「イリヤ。普通のは気持ち良くなるらしいです」

「……ホント?」

「普通の体験が無いのでどうとも言えないですが」

 

 人間相手よりそれ以外の方が多かったし、人間相手の時すら作業か、ロアとして壊れていた。うん、あらためて思い返しても私はつくづく気持ち悪い。

 

「それで、大聖杯の事情については」

「──そうね、把握したわ。でも、アハトおじい様は気にしないでしょうね」

「第三……ですか、確かに方向性が変わっていようと力は力、孔は開くのでしょう」

「ええ、ただ。自我を無くしたわたしでは開ける事はできても閉じようとは考えないと思う」

 

 だろうとは思っていた。だからこその提案ができる。

 

「私が容れ物になります。今から調整すればイリヤなら開ける門も、閉じるべき門も把握できるでしょう」

「アカネ……正気? それ用に作られたわけでもないのに」

「私は私の目論見があります、バーサーカーを取り込んだのは偶然でしたが、そうでなくてもお願いするつもりでした」

「……アカネは何を考えてるの?」

 

 明かせるだろうか。衛宮邸を覆った結界は万全、私の下にないものは再生時に消え去るという特性のため、臓硯は根本的に監視を出来ない。それでもなお躊躇った。

 アレに最も近い所に居たから、アレに最も飲まれた存在であったから。

 蟲の翁は死なないのではない、極端に死ににくいのだ。日本全土に散らばった悪性腫瘍のようなもの。一部を殺しても全体を殺さなければすぐに復活する。それを殺し得るとすれば──

 

「……マキリ・ゾォルケンの消滅です。手段は巫蟲、三千年以上に渡り続けられた古代よりの呪。それは術式として作りましたが、肝心の魔力源が足りませんでした、殺す事に傾いた聖杯の力などはもってこいなんです」

「今の聖杯の二次的な力の方が目的ってわけね、でもあなたは間違いなく死ぬ。わかっている?」

 

 私はどんな表情をしたのだろうか。

 イリヤを驚かせてしまったようだ。

 死ぬ、のか。私が無くなるのか。それこそ、本当の意味で願ってもない。諦めてなお諦めきれない。

 ともあれ承諾は取った。

 アインツベルンとしても損の無い話、らしい。

 

   ◇

 

 結論から言えば柳洞寺に攻め入る事には成功した。

 墜ちた霊脈を利用し作られたキャスターの神殿、参道に沿うその最も太い地脈部分にライダーの他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)を小規模に展開する。わずかな時間で敷かれたその結界、囲える範囲などは微々たるもの、やっておかないよりやっておいた方が良いという程度の考えだったのだが、これが上手くはまってしまった。

 神秘はより強い神秘により打ち消される。考えてみれば当たり前だったのだろう、神殿とは本来の意味からして神を祭るモノだ。微かに残っているに過ぎないとはいえ、神霊としての一側面があるメドゥーサの作る神殿。クラス補正を以てしても、神秘としての重さが違ったものらしい。

 クサビのように打ちこまれたライダーの鮮血神殿によりキャスターの神殿を形作る、最も主要な動脈部が破壊され、キャスターの作った神殿は機能不全に陥ってしまったようだった。

 キャスターの支援が無くなった状態ならば、耐魔力を持たないアサシンにとってライダーは天敵にも過ぎたものだったのだろう。

 石化の魔眼(キュベレイ)。

 大地母神。その信奉者は儀式により自らの男根を去勢し、社会的にも女性として扱われる、死と再生を司る女神、その名を冠した魔眼。

 メドゥーサの逸話として最も有名なモノだろうそれに、山門に括られた存在であったアサシンは抗する事など出来ようはずもなく、石化。ランサーが「真っ向からの打ち合いなら相打ちになる」とまで評価していた神技を披露する事もなく終わってしまった。

 ともあれ、そこまでは全てが相性の問題だ。この後がどうなるかは判らない。

 石像が砕かれ、解き放たれるエーテル、アサシンの魂。英霊とは言えないまでも十分な量と質を兼ね備えるそれを受け入れ、さすがに一時的な不調に陥る。訝しむ他の面々には先に行かせた。元よりアーチャーにはランサー、キャスターにはライダー、葛木には遠坂、衛宮、そして私の三人で当たるつもりだったのだ。葛木宗一郎という人がどれほど凄まじい鍛錬を重ねた武術家だったとしても魔術師ではないという、ならばキャスターと切り離せば何とでもなるだろう。そんな目算だった。

 

「……ぅ」

 

 容れ物の中で私という自我が軋む。いや、そんなものは苦しくない。人としての機能を削り落とすなどより物理的に千度も万度も味わってきた。

 覚えのある感覚が身を包む。自分を裏返しにしたかのような衝動。ロアになった時のような衝動。

 死に愉悦し、苦しみを糧とし、破壊に快楽を覚えていたあの時。ああ、そうだ。アンリマユに私が影響されればどうなるかなんて、とうの昔に判っている。

 大聖杯の中のモノ、大聖杯の中で形を得たモノの胎動が、英霊二体の魂を容れた事で始まったようだった。

 下手に大聖杯の中に居るものを認識している分、表層意識までその手は伸ばされる。

 衛宮邸で待っている、今回では情報収集に当たっている一つ上の姉を思い出した。綺麗な黒髪、うっすらと桜色に輝く頬、クォーターなのに下手な日本人より大和撫子といった風情。楚々としながらどこか柔らかく、頼りになる姉がいるためかどこかでふわふわしている。

 ふと、あの人なら耐えられるのだろうか、と思った。

 すり減らして微かになった記憶、あの人は耐えられたのだったろうか。

 頭を振る、境内でもどうやら決着がついたらしい、今度はキャスターの魂が──

 

 まるで死んでしまった時のように、時間が断絶した。

 押しつぶされる。馴染む暇すら与えられずにそんなにぎゅうぎゅうと詰め込まないでほしい。

 ぎちぎちと、ぎちぎちと、私の存在が潰される。

 こどもが喜ぶ、産まれる事ができるのだと、生まれる事ができるのだと。そうだ、この地下にいる。私と臍帯で繋がりっぱなしのこどもが。

 

「……ッは……ぁ」

 

 ただ息をするという機能を使うのに苦労した。

 体をどう使うかを忘れたかのような感覚、酩酊してしまったような気さえする。

 立ち上がり、参道の階段を一歩一歩進む、遅々とした進み。埒があかない。

 

「Je suis ici(力はここに)」

 

 強化し、やっと人並みに動けるようになってきた。

 先行きが思いやられる。でもやることはやらないといけない。

 あの子に、ミサゴに選択肢を与えてあげないといけない。

 色々余分な部分をそぎ取れば結局それだけ。本当に雁夜さんを笑えない。

 

 境内は荒れ果てていた。爆発した痕跡、抉られた石段、焦げ付いた石畳。敵マスターだったはずの葛城宗一郎は誰だろう、倒れている男性がそうだろうか。

 きん、きんと音が聞こえる。

 連続する金属音、打ち合う音。飛び散る火花、欠ける剣。無数の折れた剣の中で、何故か衛宮士郎とアーチャーが戦っていた。

 互いに鏡映しのように同じ黒白の短剣を構え、打ち合わせている。

 

「ライダー、これって?」

 

 階段を昇る途中から静かに寄り添ってくれていたライダーに聞く。と、答えは妙なところから返ってきた。

 

「おぉよ、あのアーチャー、いけすかねえ野郎だと思ってたが、案の定最初からキャスターを裏切るつもり満々だったらしいぜ。なんであの小僧を目の仇にしてんのかは知れんがな」

「……ランサー、まだ居たのですか」

 

 ライダーが妙に怒った様子で鎖を構える。

 

「おおっと、おっかねえおっかねえ。美人が怒るもんじゃねえぜ。しっかしほれ、あの小僧結構やるぞ、魔力切れで殺気の一つもねえとはいえ、サーヴァント相手によくもまあ対応できるもんだ」

 

 木の上であぐらをかいて観戦しているランサーは今にもビールと枝豆でも取り出しそうなほどリラックスしている。争っているとは思えないほどに気安げだ。

 こちらに戦闘の意思はないと判断し、アーチャーと衛宮士郎の戦いを見る。一合、二合、三合、剣と剣が噛み合い、砕かれるごとに、衛宮士郎は加速していく。精度が高くなる、深く切ってしまったはずの傷が皮一枚となり、一寸の見切りになる。一体どういう現象か。その剣を鍛えるようにも聞こえる、同質の剣同士を打ち合う音のみがただ響く。

 

「──やはり、貴様は既にして違うか」

 

 アーチャーはぼそりと呟くと、衛宮士郎の振るった剣の前に、あろうことか棒立ちになり、自分の剣を消し去った。どこか絶望に染まった目で空を眺める。

 

「なッ!」

 

 突如の事に対応できず、止めきれない双剣がアーチャーを切り裂こうと迫り──

 割って入ったのは青い装束を纏った女性だった、一際強い響きが鳴り、黒白の剣が空に舞う。

 

「そこまでですシロウ。そしてアーチャー、凛がお冠ですよ」

「──ええ。色々言いたい事はあるけど、さっきのはそれにも増して許せない。あんた、殺されようとしてたわね?」

「む……確かに。だが、凛。君はセイバーを得た身だ。はぐれサーヴァントを出す事を忌避することこそあれ、怒る意味など無いと思うが」

「……そう、そんな事言っちゃうんだ。へえ、そっかあ、ふーん」

 

 恐ろしく平坦な口調になる一番上の姉。顔は下を向いており、表情は伺えない。衛宮士郎は何かを感じ取ったのか、そろりそろりと後退する。

 赤い弓兵の傍まで近づいた一番上の姉はゆっくり顔を上げ、弓兵を見た。そこに何を見いだしたのか、アーチャーはその鋭い目を大きく見開いている。驚愕した様子のその顔はどこか一抹の幼ささえ漂っていて──

 

「……必ず私が幸運だった、と思い知らせてやるんじゃなかったの?」

「あ……いや、凛、私は……」

 

 言葉を失うとはこの事だったろうか。

 アーチャーは何かを言い出そうとして、そのどれもがふさわしくない、かのように迷っている。

 

「その、だな、君に泣かれるのだけは……困る」

「うるさい、もうあんたには内心何度も泣かされてるんだし今更よ、一度や二度死んだくらいでこの負債が返せるなんて思わない事ね」

「──ああ、承知した、凛。どうやら私はいつの間にやら絶対に逃げる事の出来ない難敵を作ってしまっていたらしい」

「ええ、私から逃げられるなんて甘い考えは捨てなさい」

 

 事情は判らないものの、うん。丸く収まった?

 木の上で何故か槍兵が不機嫌になり、ブツブツ言っているのだが。

 

「ああ畜生、いい女だなあ、何であんな奴に、あーやってらんねえ」

 

 境内では、どうやらセイバーの契約を衛宮士郎に、アーチャーの契約を一番上の姉にし直したようで、元の鞘に収まった形らしい。これにて助力は終了、という事なのだろう、槍兵はじゃあなと一言言って身軽に去って行こうとし──固まった。

 

「て、めえ……」

 

 ──重ねて令呪を以て命令する。自害せよランサー。

 

 ランサーの持つ赤い槍はその持ち主の心臓につきたっていた。ランサーは眼光のみでも殺せるのではないかと思わんばかりの怒りの目で山門を睨み付ける。口から血反吐を吐き散らし叫んだ。

 

「この、糞、野郎、があああああああーーッ!」

 

 獣の雄叫びを上げ、自らの心臓を突き破った槍、血塗られたそれを、最後の力とばかりに振りかぶり──

 

「“──刺し穿つ(ゲイ)死棘の槍(ボルク)──!”」

 

 投げ放つ。

 その閃光と化した槍は紛う事なく、参道から上がって来た人影の心臓を貫き、その人影は一瞬意外そうに首を傾げた後、前のめりに倒れた。

 

「へ……ざまを──」

 

 最後の言葉を言い残す事もなく、槍兵は消えゆく。そして私はこの日四度目の魂を注がれ、急速に意識が遠くなるのを感じ、ライダーに、イリヤの元に私を持っていくようにラインを通し伝え──

 

   ◇

 

 ひもじい。ひもじい。ひもじい。

 足りない。

 何かが足りない。

 何だったのか思い出すこともできない。

 赤くて、とろっとして、甘くて、いのちで溢れてて。

 絞れば絞るだけ。

 殺せば殺すだけ。

 いたぶればいたぶるだけ。

 ぎゃあぎゃあ叫ぶ、きいきい喚く。

 おもしろくて、たのしくて、せつなくて、いのちで一杯で。

 なんだったのだっけ。

 なにを思い出さなきゃいけないのだっけ。

 私は、ワタシは、わたしは。

 

 目を見開いた。

 霞む視界にぼんやりとした明かり。銀色の影がふわふわと揺れる。

 

「──アカネ、まだ聞こえてる? 一日に四体なんて無理がきて当然よ」

「イリヤ、ですか?」

 

 身を起こそうとし、体に力が入らないのに気付く。魔術回路はどうやら無事、体の調子を解析してみると、やっぱりどうにもならない状態に気付く。

 

「触覚、視覚あたりがもう駄目です、ね。神経があちこち切れてるのはそのうち繋がるかもしれませんが」

 

 頭がまだまともに動いてくれているのが有り難い。

 

「そう、まだその程度で済んでるなら良い方ね。手短に言うけど、あなたを通して大聖杯の中のモノがこちらに出ようとしてるわよ、気付いていた?」

 

 私は一つ頷く。

 

「魂を溜め込むペースが早かったですから、生まれる前に終わらせられます」

 

 懸念があるとしたら、母胎となったせいか、ロアとなり一度似たような経験を経ているせいか、アンリマユが表に出てこようという動きもまた早い事か。大聖杯に居るものにとって、私は開きやすい産道なのだろう。

 もちろん、それについても考えはある。ライダーの宝具、自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)これにより、私という触覚を封じれば良いだけだ。いずれ自我も無くなればアレは私を動かす事はできない。

 問題があるとしたらむしろ。

 

「マキリ・ゾォルケンが自我を無くした私を使いたがると思います。アンリマユを釣り上げるにはそこそこの出来ですから。その際にも巫蟲の術は自動発動するようには組んでありますが、万が一を考え、イリヤ、私の支配権をあなたに委ねたい」

「あら、いいの? じゃあアカネはわたしのサーヴァントという事ね」

 

 目が見えない。手を、と言って右手を彷徨わせたら握ってくれたので、私の中に移されている魔術刻印、使い捨てに近いそれを継ぎ接ぎ継ぎ接ぎ、カバラを合わせて作った魔術を走らせる。

 

「うまく、できました?」

「これは、令呪?」

「もどきです、マキリは令呪を考案した家ですから。それは、私の精神、魂に対しての絶対命令権となってます、回数は無制限。サーヴァントのように魔法に近いような現象は起こせませんが、パスも繋がったと思います」

「ええそうね、あなたを変質したマキリなんかには渡さない」

 

 その言葉を聞いて、肩の力が抜けた。

 後の問題は──英雄王か。

 

「イリヤ、私が倒れた後、どうなりましたか?」

 

 英霊の魂は私の中に四つ、イリヤからはそれを感じない。とすれば、セイバーとアーチャーは無事なのだろう。

 その時、足音が聞こえ、襖が開くような音が聞こえた。

 

「……茜」

 

 私はこの衛宮家へ関わった事を、この時、本当に心の底から、後悔した。

 一番上の姉、あんなに輝いている姉のこんな暗い声、こんな声を出させてしまったというのか。

 いや。判っていた。この人は魔術師として有り得ないほど情が深い。魔術師でありながら人間なのだ。

 私がこんな状態になれば、どう思うかなんて判っていたのに。

 

「ゴメンね、アカネ、リンには話しておかないといけなかったから」

「……いえ、いいんです」

 

 私は一つ息を吐く。力を抜くように。そして魔術師としてあるよう願い、冷たい言葉を出した。

 

「間桐の当主、間桐茜として古き盟友である遠坂の当主、遠坂凛に願います」

「……ッ、聞きましょう」

「間桐は私の代を以て魔道の系図より外れます。あらゆる間桐の魔術的価値のある霊地、魔術書、魔術関連一切を遠坂に譲り渡します。代価とし、間桐家に連なる者、間桐慎二、間桐鶚への成人までの庇護、私的財産の保護。判断はお任せしますが、魔術的保護が必要になった場合の後見人をお願いしたい」

「間桐……ミサゴ?」

「鳥の名と同じ漢字、父については聞かないで下さい。私の子です」

 

 息を飲むような音がする。本当にこの人は。こんなの魔術師の中じゃそう変わった事でも無いというのに。なんて優しい。

 私は息を吐きながら、そっと囁くように本音を吐いた。

 

「魔道へ進みたいというならそれもいい、でも普通に生きる選択肢もあげたいと思ったんです」

 

 結局私は、間桐臓硯をさほど憎んでいない。魔術師なんてものはあんなものだからだ。ただ、ミサゴに選択肢をあげるため、邪魔だったというだけ。そして私がようやくその気になった時には、もう聖杯に頼るくらいしかマキリ・ゾォルケンという存在を滅ぼせる手段が無くなっていただけ。

 脳虫なぞ入れられてなくても、真っ向から向き合えば必ず支配されるだろうから。あの老魔術師がそんな不手際を犯すはずもない。

 気付かれぬように準備を出来たと思う。幸い従順であった私に対して臓硯は寛容だ、聖杯戦争に参加し、それなりに戦っている間には少々妙な動きをしたとしても怪しむ事はなかった。いや、怪しんでいたとしても、問題なく滅ぼしきるだけの術式を作った。

 巫蟲の術、いわば呪術の魔術基盤に接触したのは結局それだった、ろくな知識もなく挑むには壁が高すぎ、数秘を用いて外法もいい所の術となっている。己の臓腑を蟲毒の壺の象徴とし、体内にて、アンリマユに繋がっている刻印虫の子供を増やし、共食いさせた。体中に仕込まれたあらゆる虫にもその呪いを植え付け、共食いさせた。

 死という方向性が定義づけられた呪いにマキリの蟲の怨念を絡み合わせ、生き残った最後の蟲、に数秘紋による象徴付けを以て術式は完了する。

 マキリに類する全ての蟲への呪い。汚染された聖杯の持つ殺しの方向性に対する明確なビジョンであり、方向性。黒の泥に行き先を告げる羅針盤。

 そう、誰が勝っても良かったのだ。聖杯すら私自身がならずとも、最終的に現出した聖杯の近くまでこの死なない体を持っていけば事は済む。汚染された聖杯からこの世に漏れようとする力を利用するだけなのだから。

 今のところ思ったように事は動いている。私自身が英霊を受け入れ、アンリマユの呪いを直接受けとる状態になっておけば一番確実だった。

 自我を無くそうと、魔術回路が生きていれば自動実行される術式。余った力は全て自死に繋がる、終わった後はアンリマユに自死の方向性が行く。浄化できないなら自壊せしめる。あまりに人を外れすぎてしまった相手への対処。さらにはそれでも無理だった場合の、本来の聖杯であるイリヤ、彼女に門を閉じて貰えば良い。姉の運次第では無色となった膨大な魔力を使って、表向きの正常な聖杯の力を得る事もできるだろう。

 

 一番上の姉がしばらく押し黙っていたのはやはりショックを受けていたせいか。

 いや、案外気付かず自分が叔母さんなんかになってしまったのが嫌だったのかもしれない。

 

「遠坂の当主、遠坂凛としてその願い。全て受け入れます。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、証人となっていただけますか?」

「お受けします、立会人としてアインツベルンの名において証しましょう」

 

 しん、と部屋が鎮まった気がした。魔術の使われた気配がする。魔術証書でも作ってくれたのかもしれない。

 これで、後の事も全て済んだ。私自身が聖杯として機能するという事は自我がなくなるというだけでなく、イリヤの一部、一種の礼装のような存在となるに等しい。もし根源への道に導かれるというなら、帰還を考える事はできない。

 

「二人とも、ありがとうございます」

 

 私は動かない体に強化をかけて、起き上がり、頭を下げた。

 

「それで、目先の話に戻して──柳洞寺であの後何があったか教えてください」

 

 結局起き上がっている事は厳しく、寝た状態で説明を受けた。

 ランサーのマスターは言峰綺礼だったらしい。何を思ったのかランサーに自害させ、反撃で心臓を貫かれ死んだのだという。

 そして現れた英雄王ギルガメッシュ、あろう事かその場でなぜかセイバーに求婚、そつなく振られ、宝具を山と降らすもアーチャーに阻まれ、興が削げたと言い、この地下にて待つとだけ言い残し、言峰綺礼の死体を回収し引き上げていったのだとか。

 なんでそんな、三流の悪役っぽい事になってるのだろうか英雄王。

 

「ともあれ、それなら明日は決戦ですか」

「ええ、残りは三騎、セイバー、アーチャー、ライダーよ。セイバーとアーチャーでイレギュラーの金ピカを叩く予定だけど、ライダーはどう動かすつもり?」

「一応、私もマスターの一人ですが」

「ああもう、聖杯戦争のシステムもイリヤスフィールに聞いたわよ。それでもあくまで敵として望みたいなら喜んで叩き潰してあげるけど?」

 

 くすくすと笑う。輝きを取り戻し、そんな言葉を言い放つ一番上の姉。私は目を瞑った。ぼんやりと感じていた光もなくなり暗闇に沈む。

 

「ライダー、その話は聞いてた?」

「はい、アカネ」

「この儀式はそういうモノなんだ。利用しちゃって本当にごめんなさい」

「謝らないでくださいアカネ。私は──そうですね、あなたの願いがあなた自身に帰るものではない事が残念な程度です。私はあなたに生きていてほしかった」

「ん、あなたは本来大地の女神だしね、生を賛美するのは当然か」

 

 私は心の中でやはりライダーに一つ謝り、口からは何の変哲もない指示を出した。

 

「ライダー、明日はセイバー、アーチャーと共に英雄王に当たって」

「承知しました」

 

 ライダーにはもっとお酒を飲ませたり、映画を一緒に見たり、図書館に一緒に行ったり、色々考えていたのに、結局とても中途半端になってしまった。

 我が身の変節には呆れる他無い。

 やがて一番上の姉と、イリヤが部屋から出ると、私は布団に体を沈めるように力を抜く。

 

「──ああ、血が欲しい」

 

 吸血衝動。吸血鬼でもないのに。きっと私と繋がっているアンリマユが生まれ出るために魂を欲しがっている、命を欲しがっている。それがこんな形で出ただけ。理解していながらこの衝動は嫌悪しか湧かせない。笑いすらこみ上げてきそうになる。

 ロア、ロア、ロア。あなたの付けた傷は今だに膿んだままです。

 ……しかし溜息の一つも吐きたくなる。

 私がソレを、アンリマユを認識していなければ、きっとこんな意識がある状態で干渉してくるなんてなかったろうに。

 

「自己封印を一晩私にかけてライダー」

「良いのですか?」

「うん、何だったら明日に供えて吸血して魔力も補って」

「アカネ──それはなかなか魅力的な言葉です」

 

 そしてばちんと音がして。

 夢を見た。

 懐かしい夢。

 地中海の吹き抜ける風、乾き、それでいて涼しい風。

 エディが笑っていた。

 私も笑い返し、一緒に遊んでいた。

 女の子ばかりのダンスレッスンに馴染めず、どうせならもっと男連中と愉しもうなんて、キャンプに誘い、一晩中ケタケタ笑って遊んで楽しんで。そうだよ、俺達はもっと楽しく生きるべきなんだ、なんて変なノリになって炎を囲んでファランドールじみたへんてこりんな踊りを踊って。

 ああ、なんで私はそんな日々を手放してしまったのだろう。

 あいつは私が私であるがままに受け止めていてくれていたというのに。

 失ってから思い出す。

 それでもいい、とあいつは言った。

 それでもいいと、手を引いて言った。

 狂熱の冷めぬままに潮騒の中私は腕を引かれ──

 

   ◇

 

 目が覚めたら視界は完全に失われていた。

 体の感覚も既にほとんど失われ、四肢はもう動かない。思考も、もしかしたら、自分で大丈夫だと思っているだけで外からするとかなり変なのかもしれない。

 しかし──顔が熱い。わずかに動く首を動かし、布団に埋もれる。

 まさかの淫夢だった。

 そういえばそうだ。私は通常の男女の営みなどはしたことがなかったし、完全にイメージだけのものだったのだ。

 苦痛も快楽も幾らでも味わってきた、そんなので私は壊されはしない。

 でもそれはそう、味わわされてきたものなのだ。ロアでもない私が自分から求めた事はなかった。

 それがまさか、あんな痴態──

 

「ぅ……ぅぁ」

 

 思い出してしまう。恥ずかしすぎる。身悶えしたいのに体が動かない。私じゃない、あんなのは私じゃない。

 

「ら……らいだぁ」

「はい、おはようございますアカネ」

 

 あ、ああ、責めるわけにもいかない。自分を抑えるために頼んだのは私の方だった。

 しかし、あれはきっと誘導された夢だ。そうに違いない。私の深層意識であんな望みがあったなんて思いたくない。嘘だ、うん、絶対嘘だ。大体私は未だに男性には親愛以上のものを感じた事がない。私に恋愛感情なんて芽生えるはずが……はずが。なんで自信を失っているのか。いやそれ以前にここまで汚れに汚れてなおこんな羞恥に悶えるなんて事自体が……ああ、もどかしい腕が欲しい。頭を抱えて盛大にごろごろ転がりたい。

 

「……むぅ」

 

 結局私は何も言えず押し黙るしかなかった。

 

 時間が千切れる感覚がある。

 死んで巻き戻る時とは違う、飛ばし飛ばしになる感覚。

 一番上の姉、名前のごとく凛と張った声、イリヤの雪の中で鈴が響くような透きとおった声。

 私がとんちんかんな答えを返すせいか、粘り強く同じ事を言ってくれているようだ。

 整理すると、柳洞寺の地下に突入する事の打ち合わせ。それと私の扱いについては衛宮士郎や一つ上の姉には距離を置くようにしてくれているらしい。最終的に敵となり得るマスターでもあるのだから、という理由で納得させたようだ。

 ……良かった、何となく私やイリヤの事情を知ればこの家の家主は我が身構わず突っ込んできてしまいそうでもあったのだ。あまり接点もなかったのにどこでそんなイメージを抱いたのか不思議だけども。そして最終的には知ってしまうのかもしれないけれど、その時はその時。この姉が手綱を握ってくれるだろう。

 

 時間が千切れる感覚がある。

 気付けばライダーの腕の中で洞窟を移動していた。

 多分洞窟だろう、湿った空気、反響する音。

 聴覚が未だ生きてるのがありがたい。

 ふと、ごうごうと流れる風の音が止んだ。

 

「アカネ、聞こえていますか、これから英雄王との交戦に入ります。ここで待っていて下さい」

「ん、気をつけてライダー、三対一でも厳しい相手だから」

「はい、ただそちらはトオサカリンとアーチャーの方に何か考えがあるようです」

 

 ライダーが離れる感覚。

 すでに油断すると思考も途切れるようになっているみたいだ。ただでさえ五体の感覚はすでにない、音が聞こえなくなったら意識も薄れてしまうかもしれない。

 ああ、馬鹿か。頭が駄目になっていた。

 魔術を使えばいい、視蟲も数十、この身には宿っている。あれはあまり良好な視界じゃないのだが。

 魔術回路を回し、蟲を出す。同調させたが、見る事ができない。

 少し考え、それもそうかと納得した。

 見る機能そのものをカットしたのだから認識できなくて当然なんだ。

 魂のうちのその部分は別の機能に既に使われているわけだ。

 音が聞こえてきた。かなり離れた場所のようだけど、戦闘が始まったようだ。

 洞窟に音が反響し、響き渡る。連続する剣戟の音、爆発音。派手にやらかしているらしい。

 その音に混じり、足音が聞こえたような気がした。

 

「──ふむ、未だ意識はあるかね、間桐茜」

 

 低い声。この声、聞き覚えがある。

 ランサーに殺されたんじゃなかったのか。

 魔術回路を回し、残り少なくなっている魔力を炉にくべ、解析。周囲の地形、熱量、音を探知。体中の千切れた神経を魔力で繋げ、一時的に体を動かす。強化、そして黒鍵の刀身精製、二呼吸の間にしてのけた。言峰は既に十二メートルの距離、だがこの男にとっては無いも同然な距離、懐から聖別された聖水を瓶ごと取り出し投げつける。

 

「Trois et neuf(海と界の秘を以ち)Je separe le monde(世界を別つ)」

 

 水膜が張り、簡易な結界となる。それも足を少し遅らせるに過ぎなかったらしい、腕を振るうとたやすく裂かれ、散ってゆく。そう、魔術を消すには秘蹟を以て打ち消す、そこに隙が生まれる。黒鍵を投擲、目一杯まで強化した腕でさえかつての通常時と同じレベルにしかならない。剣身を魔力で肥大化させた何かで防がれ、流された、一足、二足。次の黒鍵を精製、間に合わ──

 ずん、という震脚の音、震え。感覚はない、だが魔術のラインが切れた事が判る。私の右腕がちぎり飛ばされた。

 拳、だろうか、ごつ、という音と共に下顎が無くなった。

 倒れた私の左腕、踏み砕かれ、魔力が通らなくなる。

 

「よもや鉄甲作用までとは……な、埋葬機関に縁でもなければ伝わらんはずだが──さて」

 

 ──令呪を以て命ず、ライダーよ、石化の魔眼にてアーチャーを直視せよ。

 

 ……あ。

 

 ──続けて令呪を以て命ず、ライダーよ、自害せよ。

 

 ……ああ。

 こぼれてゆく。

 なにもかもが。

 わたしは。

 わたしは。

 そんなにも、ゆるされないのでしょうか。

 

 ライダーの魂が私の中に注がれ、英霊の魂に圧迫され、意識を失う直前。多分、もう流れないだろうと思っていた涙が流れた。

 

   ◇

 

 ぐつぐつと煮えたぎった大釜。

 真っ黒な器、真っ黒な虚、煮えているのは魂、数々の魂の悲憤、喜怒、安寧、赫怒、その記憶、無数の冒険譚、強き意志、守り通せたもの、守り抜けなかった誓い。

 身の丈を遙かに越す九本首のヒュドラを殺し──

 ただひたすらに、ただ一途に、どこまで届くか、届かせる事すら考えずに剣に没頭し──

 魔女であることを民から英雄から神からすら強いられ──

 ただあるべき己の生命のまま戦場を駆け抜け──

 ただの怪物となり最も大事だった己の姉さえ飲み下し──

 幼き誓いを傷だらけになりながら最後まで守り抜き、その守り抜いた理想にさえ裏切られ──

 

 入り交じる。

 重すぎる。

 入りきらない。

 いっそ破裂してくれればいいのに。

 破裂もしないから、私が潰される。

 吹き散らされる。

 

「ギルガメッシュ、お前は人の死のためにそれを使うものだと思っていたがな」

「なに、それは別に今でなくともよいのだ言峰。いつなりともできる事だからな。それよりも面白いモノが見れるやもしれんぞ」

 

 言葉が聞こえる。耳だけ生きているのは何故なのか。

 息すらできない、目は見えない。五体の感覚は皆無。血すら停滞している。体は既に人である事をやめ、ただの容れ物と化している。人である事をやめながらなお生きている、いや生かされている。思考だけは途切れ途切れに続けられる。微かに残った人の部分。

 

「ぐ……ギルガメッシュ、貴方は……そんな、呪いを……う、く……ぁ」

「クク、囚われた姿も中々のものだぞ騎士王よ、古来、我が捕らえた他国の王をどう処したか身をもって教えてやろうか」

「やめ……ろ」

「ふ、クク、この後に及んで怯えの一つも見せぬか。ならばこそ手折りたくもなる、が──今は饗宴の時よ、陵辱は後にしておくとするか」

 

 きょう、えん?

 セイバーの声、そういえば、私の中の魂は6つ、だからぎりぎりで人として残っている部分が。

 それも、いつまで持つものか判らないが。

 意思を強く張り詰めておかないと吹き散らされる。

 ここまでして耐えなくてももう良いじゃないかと思う。

 術式は発動した、呪いは発動した、全てに届いたかは判らないけども。マキリの蟲そのものに対する呪い、私の中の蟲も一切が死滅し、穴だらけの、つぎはぎだらけの体だけが残っている。聖杯としての存在でなくなれば即死するだろう。いや、今の状態を生きている、と言って良いのだろうか。

 かつん、かつんと足音が近づく。

 やがて、私の近くでふ、と小さく笑う声が聞こえた。

 

「つまらぬ業を負ったものだ。ただ得られぬ滅びのみを望んでおれば中々に滑稽であったものを、やはり凡百の雑種であったか。だがまあモノとしては中々良い出来ではある」

 

 私の頭が何かで掴まれ、ずぶずぶと、沈み込んでゆく。思考さえも、魂さえも、それは掴み、戯れるかのように絞り上げ──

 

「初めて見るものだな、その爪は」

「興味があるなら使ってみるか? 名などない、ネイブとだけ呼んでいるが、人を支配し操るだけのつまらん道具よ。モイライ、ノルンらの雛形であろうがな」

 

 声など出せない。肺が動いてないのだから。

 声など出せない。顎がないのだから。

 それなのに──

 

「ぎ……か──はッ」

 

 聖杯として機能していたはずなのに、無理やり人としての機能を呼び起こす。開いた口に何かの滴が垂らされ、顎が再生する、逆流した血が口から溢れた。

 

 視界すら、視る機能すら一時的に繋がった。

 ただそれは──

 

「イリ……ヤ」

 

 大空洞の宙空に鎖に縛られたイリヤが見慣れない衣を纏って浮かんでいる。意識がないのか、身じろぎ一つしない。

 その後ろには真っ黒で、真っ黒で、黒すぎる孔。それは未だ小さく、それでも、その意味する事は私にはよく理解っていた。

 

「ふむ、だがギルガメッシュ、お前の言う通り孔を開くとして、六体で事足りるのか?」

「問題なかろう。七体分が必要なのはそれだけの大きさがなければ、すぐ閉じられる程度の孔しか出来ぬからよ。だが、これから釣り出すのはそれ以上の魂だ、まあ見ておれ」

 

 ぐちり、と音を立てて、頭に立てられた爪が食い込んだ。

 思考が白く、なる。

 私自身が私自身でなくなる。

 口が勝手に言葉を紡ぎ出す。

 

「──告げる」

 

 それは奇しくもサーヴァントを召喚する時のものを踏襲していて。

 

「汝の身は我が内に、我が命運は汝の贄に。聖杯の求めに従い、この意、この願いに応えよ」

 

 魔術回路は無理やり励起され、すり切れ、大量の魔力を吐き出す。刻印虫の絶えた私の本来の魔力。応じるように宙のイリヤの魔術回路もカチカチと。機構が噛み合い動くように──

 

「誓いを此処に。我は此世総ての悪と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 喜ぶ、悦ぶ、歓ぶ。私と繋がっている大聖杯の中の魂が名前を呼ばれた事で喜んでいる。

 

「象徴たるは金星、娼婦でありて聖、陰にて陽、死したるドゥムジの半身、世界にあまねく光」

 

 どくん、と世界が脈打った。違う、違う、違うと、世界そのものが。それを拒絶している。それを呼んではならないと。それは既に終わった幻想なのだと。

 

「ウルクの王、原初の英雄、ギルガメッシュの導きに従い、我が滅びの願いを聞き届けるならば──」

 

 孔が広がる。コールタールのような泥が噴出し、その人類を全て殺しうるだけの呪いのさらに奥から。

 何かが覗いた。

 

「我が身に来たれ──アヌの娘よ──!」

 

 黒の孔、それは広がり、広がり、広がり、大空洞を埋め尽くす。

 その広がった孔より、黒い、一滴。月から漏れた黒い滴のようなそれが、私に入り込み。

 支配した。

 異界に染まる。

 否、私ガ作り上げてイるのガ異界。

 

「ふ──クク、はははは、はははははははははーーーッ! 幾星霜の果てか、神代より遙か隔てた時に再び貴様に会えようとはなイシュタルよ、悪性の呪いに犯され墜ちた気分はどうだ!」

 

 ああ、これが。神霊の降臨。

 私というちっぽけな意思は神などという大雑把で巨大過ぎる流れに揺られて、ただ溶け込むように、揺られている。英霊は私を押しつぶした、けどこれは違う。私という殻など破り捨て、魂など壊し、私が逆に飲み込まれた。最初にいじられた頑丈すぎる魂の殻が無ければこのちっぽけな私すら残っていない。

 

「ィィ──ァァ──」

 

 女神は苦しんでいる。呪いに犯され、人の多すぎる、神秘の少なすぎる、自らが存在すべきものでない場所に存在する事に。大気は身を灼き、忘れられた信仰が己の存在を薄いものにする。存在しながら存在を許されない。

 苦し紛れに手を振った、翼を振った、それのみで世界が崩れる、一挙動のみで世界にとってもそれは猛毒。

 

「ははははは! 愉悦! 大いに蜿いてみるがよい! おお! 我が友よ。お前の力を存分に振るえる時が来たぞ。天の鎖!(エルキドゥ)」

「──ェェ──ィィ──ァァ」

 

 英雄王は金色の髪を風に揺らせ、その左手より、出した鎖の端を掴む。天の雄牛すら殺した鎖が体に巻き付き締め上げる。苦しさに悲鳴を上げ、声のみで大空洞は崩壊した。

 

「ギルガメッシュ! 貴方は一体何をした! マトウアカネのどこをどうすれば神霊を招くなんて事になるのですか!」

 

 自由になっていたセイバーがイリヤを抱え、崩落する瓦礫の合間をすり抜ける。今にも刺し殺さんばかりの顔で英雄王に迫った。

 

「──確かに、私も神に問うてみたいとは思っていたが、異教の神ではな」

「クク、何。心配するな言峰、あやつも神の一柱ではある。気付かせてくれるぞ? 意味など最初から無いのだと」

「理、など有り得ぬのか」

「ああ、無い。有って無きものを追い求める貴様の業もまた我の好むものであったが──アレを見よ。神すら人と変わらぬ獣だ。神などには答えなど導き出せようはずがない」

 

 神父と英雄王が暢気に会話を交わしている。

 当然だろう、対峙する強大な力を持ったものはエルキドゥという神から作られし、それでいて神すら凌駕する力を持った鎖に抑え付けられている。ぎちぎちと、悲鳴を上げながら。

 

「──それで、どういう状況なのかね、英雄王。守護者としてのバックアップを感じるのだが、人類の滅びに繋がる選択でもしたと言うのかな、とするなら討たれるべきは君か」

 

 赤い弓兵が皮肉げに瓦礫に立つ。

 

「贋作者(フェイカー)貴様も女神に押し出されたか。疾く消えよ、貴様は我の視界に入るな、目障りだ」

「さて、そうもいかん。アレが動く以上非常時も良い所だ。英雄王、何をした?」

 

 その問いには答えず、英雄王は己を糾弾するセイバーの碧玉の瞳を愛おしむように目を細めて言う。

 

「ふむ、セイバーよ。我はアレの願い『自らの消滅』を聖杯に叶えさせてやったに過ぎぬよ」

「──な、自滅を」

「ああ、そこな贋作者のごとき自業自得でさえなく手渡された力と運命、雑人の身には重すぎよう。ヘレネスの処女神は相も変わらず知恵足らずと見える。ああ、蛇よ、貴様もかの女神とは縁深き身であったな」

 

 英雄王は視線を移す。下らぬものを見る目でライダーを見て嘲笑った。

 

「魔術師共のよく言う言葉だ。神秘はより強い神秘に打ち消される。神もまた同じ事よ、起源を同じくするものであれば、より本流に近いものにより打ち消される。すなわち──処女神の力を殺すならば、バアルの妹を以てして、さらにはその本流、イシュタルを降ろせばよい。聖杯は我の示した道筋を辿り、ソレの持つ願いを十全に叶えて見せたのよ」

「触媒は、あなた自身という事ですかギルガメッシュ。しかしアカネは、漠然とした自滅の願いはあっても強いものではありませんでした。少なくともこんな望みは……」

「──ふん、それよ。子に縛られるなど、つまらぬ業に成り下がったものだ。道化ですらない雑種に何ほどの価値があろうか」

 

 ぎちぎちぎちと鎖が締め付ける。

 零れ散る。

 鎖で千切られ血がはねる。

 血が世界を歪め噎び泣く。

 煮えたぎり沸騰し、獣となり軍勢となりそれは国で世界で山で川で海で王で死で罪で雲で鳥で人で。

 

「──チ、胸糞悪ぃ台詞だぜ」

 

 青い槍兵が瓦礫の上で顔を歪める。

 英雄王はそれを愉快そうに眺め、もう一端の黙り込む姿を見た。

 

「クク、己の為であるなら子など煮潰してしまえばよい、そうは思わぬか? 道化の魔女よ」

 

 ローブ姿のその影は、答えない。ただ床に立てた爪が剥げ、血の痕を残した。

 そして英雄王は思い出した、と言わんばかりにああ、と声を上げ。

 

「そう言えば──半神でありながら、狂わされ、我が子を火にくべ焼き殺した愚か者もいたな、さて、何処の誰であったか。まあ、さほどの者ではあるまい」

 

 黒い、巨体の戦士は爛々と光る目を英雄王に向ける。巨大なふいごのように息を吐いた。

 

 血は際限なく、止めどなく流れ、一対の翼を、真っ赤に染め上げる。

 血は腰を浸すほどに止めどなく流れ、手を足を頭蓋を胴を作り上げる。

 血は地となり、戦士を作り、槍となり、剣となり──

 

「──なるほどこれが神霊というものか、悪魔とさほど変わらんな」

「当然であろう言峰。墜ちた神はただ己の性に従い異界を作る、それは世界にとっての毒に過ぎん。さて──雑種どもよ、そろそろ我が友も疲れてきたようだ。止めは我が刺してやる。我のために露払いをするがよい。相手は大淫婦にして戦神、血塗られし女神よ、墜ちて力を弱らせているとはいえ、敵に不足はなかろう」

 

 そう言い、英雄王は円筒が三つ繋がったような、妙な形の剣を宙空より取り出した。

 

「……セイバー、文句はあるだろうが、これが守護者の仕事だ。今回世界は、丁度その場に居合わせた私達を使うつもりだな。後始末でないだけマシ、というものか」

「アーチャー……貴方はずっとこのような事を」

「クッ、まさか君とこう肩を並べる事があろうとは、英雄王は気に入らんが、それだけは光栄だ」

 

 弓兵はその鷹の目を細め、最早人の姿──というより赤い血のその塊、私もその一部か、それを見つめ、騎士王は銀の少女を背にし、絶対に通すまじとその見えない剣を構える。

 

「アカネ……あなたは。まだそこにいるのですか。アカネ」

 

 ライダーにいるよと返したいけど今の私はただの一部。感じ取る事はできてもただそれだけ。

 

「たく、存分に戦えねーわ、良い女には最後まで逃げられるわで散々じゃねーか」

「──ふ、ふふ。散々、ね。そう──本当に」

 

 槍兵は不満げに呟き、魔術師はどこか掠れた声で乾いた笑いを上げる。

 黒き巨漢の英雄は、聖杯戦争のクラスに括られたまま守護者として用いられたせいか、未だ狂気に陥った目で斧剣を構えた。

 

 神話の戦い、それはそうとしか言えないものだったかもしれない。

 無限とも思える血により浸食された世界、作り出された一つの界そのものが英霊達の、世界の敵だった。

 その兵も、その大地も、その空気さえも女神の肉であり血。

 その悉くを、英雄達は疾駆し、あるいは消し飛ばし、天馬にて蹂躙し、切り開き、穿ち抜く。

 そして頃は良し、と見たのか、最後に踏み出したのは上半身の鎧を脱ぎ捨て、凄惨に、爛々と輝く赤い瞳で睨め付ける英雄王。その姿は笑みを浮かべていながら、油断も慢心も一部の隙さえもなく、ただ目前の敵を倒す事のみに向けられていて──

 

「奮えよエア、時が来た。場が整い、敵とまみえた」

 

 ごう、と咆哮を上げ、魔力を際限なく飲み込み、起動する三つの刃。

 

「足りぬ──我が友が死したは何処の神のためか」

 

 風を巻く、励起され、押し込まれた魔力はすでに飽和、物質化しかねない程に圧縮され、空間が、自らが裂かれる事に悲痛の呻きを漏らす。

 

「我が意思を、我が魂を、我が在り方を示すにはなお足りぬ!」

 

 渦巻く魔力で英雄王の神の体とすら言える肌にも罅が入り、血がしぶく。

 

「今こそ時ぞ! 久しき神殺しぞ! ここで力を渋っては英雄王の名が泣こう!」

 

 集った力は最早力とすら言えなかったかもしれない。

 全ての者が見る事さえ憚られる程の圧倒的な意思。

 それはただ、英雄王の在り方。唯我こそ有り。

 そして、それは解放される。

 

「“天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)──”」

 

 世界が、光で、断ち切られた。

 

   ◇

 

 冬木の局地地震。それは後に教会の手により偽装され、そう呼ばれる事になった。

 柳洞寺地下にあった大空洞は完全に崩落、地盤沈下により柳洞寺そのものも壊滅的な被害を受けた。

 嗜好はともかく仕事に一切手を抜かない言峰神父の手により、事前に避難誘導されていたため、人的被害が無かったのが唯一の救いだろう。

 結局、聖杯戦争は第三魔法を成す事もなく、孔を開き、アンリマユを出しかけ、それ以上の存在を召喚し、それごと消し飛ばすなんて荒技で、限りなく力技で世界の抑止力なんてものまで巻き込み、終結してしまった。むろん、そんな衝撃に大聖杯が耐えられるはずもなく、今後、この地での聖杯戦争が起きる見込みはないだろう。

 

 問題になったのは事後処理だった。

 何しろその事態をそのままに報告すれば魔術協会、聖堂教会、共に攻め込んで冬木市を戦場と化し、その成果を片や保護しようと、片や破壊しようと躍起になってもおかしくない。

 一度小聖杯に取り込まれた英霊、それが世界の壁を破る時の根源へ続く孔を利用するのが聖杯戦争という魔術儀式の一側面だ。その世界の壁を押し破り、座に到達する以前に女神という巨大な存在に押し出され、聖杯戦争のクラスで括られたままに守護者として世界からのバックアップを受けた彼等だったが……そんな特殊ルールで括られていたゆえか、何人かの英霊が依り代を得てそのまま現界しているのだ。

 セイバーは聖杯を願う意思はまだ変わらないものの、この時代を通し、自身の願いを見つめ直すつもりらしい。魔力の豊富な遠坂桜が供給を引き受け、アーチャーは遠坂凛が「逃がさないって言ったでしょ」とあくまの笑みで捕まえていた。

 門を開いたのみで、無事に生き残っていたイリヤスフィールは少しだけ理性的になっているバーサーカーを従え、キャスターはあの混乱の中、ちゃっかりと世界から供給されていた無尽蔵の魔力を溜め込んでいたらしく単独で現界、怪我をして入院している葛木宗一郎の病室でその姿をよく見る事ができるらしい。

 前回の聖杯戦争から生存していたギルガメッシュは文字通りあの一撃で全てを使い果たしたのか、大聖杯が無くなり、受肉させていたアンリマユが消えた事からか、消失。

 言峰綺礼もそれに前後して倒れたが、溜まった怨みを晴らす前に死なれては困るとばかりに遠坂凛が父から継いだ宝石を用いて心臓を再生、アーチャーは自らの死後にすら大事に所持していたペンダントを握りしめ、愕然としていた。彼の持つペンダントと蘇生に使ったペンダントでは微妙に意匠が違う事に気がつくのはいつになることだろうか。

 その助けられた言峰綺礼は冬木市にはもう何の価値も見いだせぬと思ったものか、教会への報告については一番手短な方法、起こった事実を適当なものに塗り替え、万遍なく平らに均し、冬木の聖杯戦争という魔術儀式は最初から失敗していたのだと報告し、海の外へと立って行った。親切心などでは当然無く、信仰とも己の求道にも趣味にすら関わらない場所で時間を潰したく無かったからだろう。

 

 そして私はといえば、やっぱり死ねなかった。

 神霊を降ろし、その中に飲み込まれ、最後は消し飛ばされても、魂がぐちゃぐちゃに吹き飛んでしまっても。再生してしまった。何事も無かったかのように。

 本当に世界の修正力で再生しているのか、かなり自信が無くなってきた。シエルさんが寿命で死に、それでも私が生きていたとしたらどうすれば良いのだろうか。本当に先行きが不安になる。

 英雄王に介入された事で巫蟲の術は中途半端に終わってしまった。魂のより奥の方にまで関わるダメージでも受けたのか、あるいはアンリマユを用いての巫蟲の呪いは魔術基盤を欠損させるほど強力なものだったのか、私の魂すら染め上げたマキリの蟲も九割は死んでいる。だが、少しでも残っている、という事は同時に間桐臓硯の存命も考えなくてはならない。

 間桐家の蟲倉は綺麗さっぱり消えていて、痕跡を辿る事もできなかったものの。

 

「じゃあ行こうかライダー」

「アカネ、本当に良いのですか。彼等に何も伝えなくて」

「うん、私は死んでいた身になっていた方が良い。どこから話が漏れるかなんて判ったもんじゃないから。神霊を降ろした上に生存なんてレアケースは教会も協会も欲しがる。厄介の種でしか無いんだ」

 

 あの事件の中の行方不明者の一人、世間的にはそういう事とされ、一部の事情を知っている人達からすれば、さすがに生存を諦められていた。

 神霊の依り代なんてものになれば当然だろう、それ以前に聖杯として機能し、人間としてほぼ死に体だったのだから尚更だ。

 私が生きている事などが知れれば、必ず周囲に被害が及ぶ。ミサゴは自衛の為に人としての自由を失い、魔術師として生きる他無くなり、慎二は気軽に旅行に行くことすら出来なくなる。

 だから私は事後がどうなったかだけを確認し、ライダー以外の誰にも知られずに冬木市を去ることにした。

 間桐の管理地である霊地は全て頭に入っている、一箇所ずつ確認していく事にしよう。

 この世のどこからもマキリ・ゾォルケンという存在が居なくなったら、一度冬木市に戻って、皆の様子を見るのも良いかもしれない。

 その後は──

 その後は風任せ。だろうか。

 冬木の長い冬、酷寒にはほとんどならない、どこか緩い冬も終わりもうすぐ春になる。

 ただの名前も忘れた誰かだった自分、海の名をつけられた自分、末の妹だった自分、蟲に染め上げられた自分。今の自分は誰なのか。何者なのか。あの嗜虐の求道者ほど己への問いに興味があるわけでもない、ただ、それを探してみるのも良いかもしれない。

 空っぽで平坦な感情のまま、ただ漠然とそう思った。

 




stay nightはやはり長かった。一話で納まらず字数制限で上下になってしまいました。
スーパー我様タイムの生贄が主人公。
ヒャッハーしてます、多分英雄王本人は神殺しをした後に悠々とセイバーに求婚したかったに違いない。
ええまあ、冬木の聖杯では神霊呼べないって設定なので有り得んですが。
その割に神性備えてる存在もぽんぽん呼んでるので、根源への孔があり、さらに聖杯の大魔力を以て神霊を降霊させる事に使えば、てな感じです。
神様で始まったなら神様で終わってみようかという思い付きでした。
この子の話はひとまずこれでお終いです、お付きあい頂き、ありがとうございました。

 主人公視点からは見ることが不可能だったので一応SSの設定をば。捏造、後付設定盛り盛りでした。

●元の世界
 型月世界の平行世界の一つ、神秘は存在すれど、魔術は廃れている。
 赤いお姉さんが座に存在する英霊にどうやって干渉するかの実験で、fateのお話が刊行されている。ルートはひたすらUBWルート推し。たまにHFルート。こちらのお話ではセイバーの影が薄い。ZEROは刊行されていない。そりゃあ面白そうだ、と妙なお爺さんまでノリノリで吸血姫のお話を書いているらしい。
 平行世界のさらに源、根源の外側に存在する異界の一つ、ギリシャ系列の神様が存在する場所に主人公は絶えて久しい信仰と勘違いしたアテネにより引き込まれた。
 こちらのオリュンポスは死後の命を召し使いとして使うなどしている。神様にとってそれが人の栄誉であり喜びである事を疑わない。
 死に設定にも程があるけど死亡したのは●●士郎なんて思い付きもあった。

●転生一回目
 月姫SSなんぞ思い浮かべてしまった主人公はその話の大本に関りやすくなる運命と切り開けるだけの力を授かり生まれ変わり。
 ギリシャ神話で加護と試練はワンセット。おおむね悪い末路もワンセット。
 知恵と戦の神らしく分かりやすい補強を受けている。肉体、知能、魂、存在そのものが神造性能、ただ中身は英雄とほど遠い精神性だったのでのんべんだらりと生活。
 ロアの転生については、前代の時に転生の条件付けと儀式が必要、ミュリエルがロアであった時に極東の名家に生まれる条件付けをした。
 本来ロアは遠野家の新しい赤子として生まれるわけが、四季の反転により不完全な転生。
 死徒という存在が真祖のおまけ、ガイア寄りのものとして世界に認識されており、その何の縛りもない、ロア状態のミュリエルなら殺しにかかっているアルクェイドとガチ戦闘ができる阿呆スペック。
 星の触覚であるアルクェイドにそんな事をしてしまったものだから、妙な情報として世界に記憶されてしまい、その後、死徒でなくなった後はガイア側の抑止力が動きやすい状況に置かれている。
 第七聖典はパイルバンカーになる前の状態、銃剣型、普通のナイフ程度には切れる。転生批判という概念と共に霊体に対する絶大ダメージ。ただし自殺を禁じているカトリックであること、本人の信心の薄さにより消滅は失敗。

●転生二回目
 女神は魂を回収してみたら欠損した上に薄汚れていた。おまけに自分の祝福を否定されている。こんなもの要らないとばかりに投げ捨て。
 わずかに残っていたロアであった時に選定した「極東の名家に生まれる」という設定と、メデューサとの強い因果により平行世界の遠坂家に誕生。
 この時期エレイシアは未だロアではないが、未だ生まれていないロアが既に生まれているという矛盾に囚われ、主人公はやはり不死。ただ、不老とは呼べず成長はしている。後に間桐の家に養子に出された時期と前後してエレイシアはロアに覚醒、アルクェイドに殺され、数年後に復活。この時点でロアの魂を持つものが三重に存在するという事になり、より重なった矛盾により主人公の成長が停滞。
 ただし既にこの頃にはどんなに壊しても元通りになるという特性のため、臓硯にそれはもうSSとして詳細を書くだけでも手にお縄がかかりかねない事をされており、子供を産める状態になっている。
 聖杯は適合したものの原作の間桐桜ほどではなく、その機能はあくまで霊体を溜められるタンクのようなもの。
 原作のHFルートで出てきた影はあくまで桜の属性、架空元素"虚数"と吸収、アンリマユが合わさったものだったので、この主人公だとアンリマユが表面化しても黒桜さんほどの無双にはならない。ただロアであった時の記憶をなぞるように水の属性である血液を媒介に命を吸収する吸血鬼として表面化する。
 我様により神霊の降霊に使われ、魂も欠損どころかほぼ全損に近い状態になる。アテネとの関連性はイシュタルの降霊により完全に潰されたものの、今度はイシュタルとの縁が出来た。娼婦としての運命に引きずられやすくなっている。

●ロア
 喜びに喜んでいたけれども、それは愛しのアルクェイドと真っ向からダンスパートナーができる事への喜び。本人は理解もできていない。

●間桐臓硯
 魔改造されたキャラ。主人公の性格を読み違えた事により酷い事に。
 蟲に身を変え延命しているが、その実長く蟲でありすぎ人というより精霊種に近い存在になってしまった人。
 ユスティーツァとの誓いを捨て、人のままで在る事を捨てさえすれば恐ろしい存在となり果てる。
 主人公の特異性を利用しながらとはいえ魂の加工すらこなす。首のすげ替えも、もはや魂喰いに近い。意識して「肉」として扱うために魂喰いにはならないだけ。
 脳虫は各霊地に百匹以上のスペアがある、冬眠しているそれを全て殺さない限り死なない。
 半端に終わった巫蟲の術のため生きのびて、どこかで機を伺っている。伺っているうちに鮮血神殿でトロトロに。

●ギルガメッシュ
 最初は薄汚れた聖杯で増えすぎた人間を殺してやろうかなどと思っていたが、主人公の因果を見てみれば面白い事が出来そうだったので気分を変えた。
 友のエンキドゥが死ぬ事になった原因であるイシュタルを呼び出して腹いせに神殺し、世界を滅ぼしかねない遊戯に励む。
 本当はセイバーに神殺しの勇姿を見せ「見惚れたであろうセイバー」などとでも言いたかったが、本気になりすぎ、力を使い切り消滅。詰めの甘さはやはりギルガメッシュだった。
 ヘレネスの処女神とはアテナの事。ヘレネスは古代ギリシャ人が誇りを以て自らを言う自称、本来ギルガメッシュが使う言葉ではないが揶揄して嘲笑っている。
 バアルの妹。アナト、アテナと同一視される神、愛と戦の女神、殺戮したり兄を熱愛したりと色々インモラルな神様。イシュタルが起源……らしい。

●言峰綺礼
 聖杯戦争ではギルガメッシュに、面白いモノを見せてやろうとばかりに誘われ襲撃。半年後に教会の都合で冬木市に舞い戻る。アルビノシスターと麻婆を食いながら毒舌合戦。
 犠牲者は挟まれた衛宮士郎。ここの世界の衛宮家には胃薬が常備されている。

●衛宮士郎
 相変わらず正義の味方を目指している、が、遠坂姉妹と早くに巡り会ったおかげか、特に遠坂姉の躾けは効いている。魔術知識も師匠の助手をする程度にはある。

●遠坂凛
 妹がいることで、さらには手のかかる弟子が早くから出来た事で原作よりさらに雄々しく逞しくなっている。原作以上にヒーロー。SSに出る事はなかったものの。

●遠坂桜
 小さい頃に引き離された影響からか、小さくて可愛い者が大好き、姉のお仕置きを恐れながら心の底から頼り切っている。
 クォーターなのに大和撫子、どこか天然さん。ゆるい。

●魔術詠唱 自己暗示の「Je suis ici」私はここにいるよ、直訳するとそんな意味、この主人公にしたら結構血を吐くようなフレーズ。

●間桐雁夜 記憶が戻ってしまい、その記憶に苦しむが、聖杯戦争の末間桐家が魔術の道から降りた事を人づてに聞き、密かに喜び、行方不明者の主人公の事を知って遠坂凛に接触、ガンドを食らう。

●間桐慎二 魔術知識のある一般人として、多少支配的な部分も出ながら、至って普通に成長。センター試験を控えてペンを回しながら、あいつは一体なんだったんだろう、とふと思う時もある程度。おそらく人としては一番幸せ。

●その後
 根本的に心の弱い主人公はマキリの蟲を滅ぼしたのを確認すると冬木に直行。ミサゴの姿を見てほわほわ。子供の扱いに慣れない衛宮士郎や遠坂凛の扱いに思わず飛び出しそうになりライダーにニヤニヤされる存在。もはやただの萌えキャラ。可愛くて可愛くて仕方ないのに触れられず、キャスターと複雑奥様同盟を組む。そんなhollow。

 うんまあ、一人称では語らせるのは無理でした。
 ちょっとした疑問のお答えになれば重畳。いずれまた。


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