幻想郷の怖い話 (ごぼう大臣)
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プロローグ

始めまして。ごぼう大臣と申します。

お読みいただく前にいくつか注意点を記しておきたいと思います。

※以下の要素が含まれます。

一 東方project二次創作

二 ホラー

三 SFCソフト『学校であった怖い話』

なお、三についてはご存じでない方も楽しんでいただく事は出来ると思います。

よろしければどうぞ。


 

幻想郷の"七不思議"。

 

秋も深まってきた頃、そんな噂を耳にした。

阿礼の時代から脈々と記憶を受け継いで九代目になる私でさえ、そんなものは初耳だった。というより調べる必要が無かったのだろう。人妖を取り巻く状況も、互いの著名な者の頭数も目まぐるしく変化する故に、そんな真偽の怪しい噂話にかまける暇など無かったに違いない。

しかし、今は状況が違う。幻想郷が出来た当時と比べれば随分と平和になり、人と妖怪を隔てる壁を意識する事は少なくなった。そうなると下らなさを感じさせつつ興味深い件の噂、聞いてみたいというモノである。

 

とまあ、そんな訳で屋敷の者に滅多に無い駄々をこねてみた所、思わぬ具合に話が進み、人、妖怪を七人集めて話を聞かせて貰える、という事になった。私は屋敷に籠りっぱなしの所に従者から聞かされた為に寝耳に水だったのだが、そこは幻想郷、何処かの天才妖怪が気まぐれで手を回してくれたのだろう。

 

そして今夜、ついにその時がやってきた。メモに纏めたら小鈴にも見せてあげよう。

 

 

 

 

・・・ざく、ざく、と土を踏む音がヤケにハッキリ響く。夜道というのは音一つとっても神秘的、そして不気味だ。

実は、皆が集まるのは私の家、つまり稗田邸では無かった。なんでも、人里の中にある私の家に外から七人も居座れば不穏に感じる者は少なく無いだろう、との考えである。そこで「皆が知っている場所」という事で博麗神社に集まる事になった。霊夢さんが苦言を言うと思われたが、説得かはたまた買収でもしたのか快く(某天才妖怪談)貸して頂けるらしい。

ともあれ、私は夜の博麗神社への道を急いでいるという訳である。

 

・・・もう既に月は高く上っている。満月らしく円い光がぽっかりと闇の中に浮かんでいる。ただ、薄い雲でもかかっているのか輝きがどこか鈍って見える。そう思ったせいだろうか、ひゅう、と吹いた風がふと生温く感じた。もう秋だというのに湿り気を帯びた空気が頬を撫でる。白紙の帳面を持つ手が何時の間にか汗ばんでいた。

 

「・・・見えてきた。」

 

小高い丘の上に、ポツンと明かりが漏れている。それがうっすらと鳥居を浮かび上がらせていた。

とす、とす、と階段を一段登る度に乾いた石を砂が滑る音がする。明かりがついているからにはもう誰かいるだろうに、話し声一つ聞こえて来ない。

やっと階段を登りきり足早に玄関に近づき戸を叩く。

 

・・・出ない。もう一度叩いて待ってみたが、やはり誰も出なかった。皆縁側の戸からでも入ったんだろうか。それとも私を待ちくたびれて痺れを切らしているのか。時間には遅れていない筈だが。

 

そっと戸を開け、土間に草履を揃えて廊下に上がる。するとすぐ右手にある部屋の障子から灯りが漏れている。なんだ、すぐ近くに居るんじゃないか。

 

「失礼します」

 

一つ断って戸を開ける。すると既にいたらしいメンバー達が一斉に私を見た。記録上全員は知っていたが、中には面識すらない人もいる。少し緊張したが、会釈して後ろを閉め空いた場所に座ると、すぐに視線を戻し、無言になってしまった。私もなんだか言葉を発するのが躊躇われ、正座したまま時折視線を泳がせる事しかしなかった。

 

・・・どの位そうしていただろうか。畳に掛け軸以外に目立つものは壁に掛けられた時計のみ。それがカチカチと時を刻む無機質な音が、延々と響く。気まずくなって俯いたまま目だけでグルリと辺りを見渡す。すると、ある事に気付いた。一、二・・・六人しかいない。おかしいな、話では来るのは七人の筈・・・

 

「・・・貴女が、七人目の人?」

 

伏し目がちだった一人がチラリと目を向け訊ねてくる。一瞬ドキリとしたが、努めて平静を装い答える。

 

「いえ、私は聞き役で来ました。稗田阿求です」

 

「そう・・・」

 

その人はコクリと頷くと、また元に戻ってしまった。いくら私が皆と面識が少ないからって、あんまりな扱いだ。七人目は未だに来る気配は無いけど、このままじゃ埒が開かない。

私は皆を見渡すと、意を決して話し出す。

 

「あの・・・メンバーが一人足りませんが、そろそろ始めませんか?」

 

こくん、と自分で唾を呑み込む音を聞いた。皆はジロリと顔を見合わせ、無言で頷く。最後の一人が面倒臭そうに頷くのを見てから、気を取り直して言った。

 

「それでは、始めましょうか。」



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一周目
一周目・一話目―レミリア・スカーレット


 

「私が一話目を話すのね。

一応自己紹介しておきましょうか。私は紅魔館の主、レミリア・スカーレット。よろしくね、阿求。

でも良いのかしら?私がトップバッターだなんて、後の人のハードルが上がっちゃわない?・・・まあ良いわ。私の知った事じゃないし。

 

さて・・・怖い話ねえ。

阿求あなた、私の館にある図書館を知っている?ああ、知ってるんだ。行ったことは無いの?一度来てみるといいわよ。見渡す限りの本棚で、一生かけても読みきれないって思うから。貴女の家と良い勝負なんじゃないかしら。

私が話すのは、その図書館で起こった話よ。」

 

 

 

 

「私の館の図書館はね、一人の魔女が管理しているの。

パチュリー・ノーレッジ。見た目は若いけれど百歳をゆうに越えていて、その彼女が一生涯集めた知識の源、更に外界から流れ着く知識を記したものが勝手に増えていく。それらが幾つもの天井まで届く本棚に隙間なく詰められていて・・・常にそれに囲まれて生活しているのよ。その様子は・・・いっちゃ悪いけど、遠くから見たら小人みたいね。本の存在感が強すぎて、私でさえ居ることに気づかなかったりしたわ。

 

さて、そんな彼女だけど体は弱くてね。しょっちゅう咳をして動けなくなるような子だった。とはいってもいつもはひとりでに収まるんだけど、ある日どうにも酷くなった事があった。別室に移したっきり、寝たきりになっちゃったの。

 

そこで、図書館に残ったのは手伝いの、小悪魔だけ。その子が代わりに本棚の整理をしようとするんだけど、まあおっちょこちょいな子でね。本の背表紙が逆さまだったり、本を抱えたままひっくり返ったり、とにかく危なっかしいったら。仕方ないから私が手伝う事にしたのよ。

 

『そ、そんな勿体ないですよ〜』

 

『やかましい。直々に手伝ってあげるんだから、有り難く思いなさい。』

 

なんてやり取りをして、勝手に手を付けだした。下らない本や破けたものを取り出して、代わりに床に平積みになっちゃっているのを詰める。基本はその繰り返しなんだけれど・・・

 

・・・途中で飽きちゃった。だって本を読むならともかく、片付けるだけなんて退屈じゃない?その上終わりが見えやしない・・・。

え?分かってくれる?嬉しい!あの本がただの紙の束みたいに見えてくるの、やってられないわよね〜。でもね、その時の大変さは貴女以上だと思うわ。

というのも、その図書館は地下に造ってあってね、陽が入ってこないものだからカビの匂いが充満していて、その上窓も無いから空気の逃げ場もありゃしない。汗をかいたらそのまま体に戻っていくみたいで、カビの匂いがくっついて、染み付くかと思った。それだけじゃないわ。積んであった本の山をほじくり返す度に、隙間に溜まっていた埃が目に見えるほどにモウモウと立ち上る。

それでとうとう嫌になって、悪戦苦闘している使い魔を放って置いて、隅っこの方にフラフラ歩いて行った。隅の方でちょこちょこやって、うまい具合にサボりたかったのよ。

 

そんな訳で、結構広い図書館の端まで来たとき、今まで本棚と本と、床と天井しか映らなかった視界に、変わったモノが映った。

それがね、小さめの本棚。私でも手を伸ばせばてっぺんに届くんじゃないか、て高さで、角の壁にあてがったみたいにピッタリと置かれていた。

私も、隅から隅までみた事は無くて、こんなモノ前からあったかな、て疑問に思ってね、一応小悪魔に確かめたのよ。

 

『ねえ、この本棚。片付けちゃっていいの?』

 

『へ?う、うーん・・・良いんじゃないでしょうか・・・ってうひゃあ!』

 

『・・・・・・』

 

なんとも気の抜ける返事だったわ。でも丁度良かった。この辺でテキトーに出したり入れたりしていればいいか。そんな気持ちで中の本を無造作に引っ張った。そいつが少し奇妙でね。決まって表紙に女が描いてあって、ヤケに薄っぺらい。そんなのがわんさか詰め込んであった。中身も見てみたけど、やれビヤクだショクシュだハツジョウキだと、何ともまあ下らない代物。・・・え?そっちの方が興味ある?冗談よして。どうでも良いのよそんなもの。

けど、なんたって聡明なパチュリーがそんなものを置いたままにしていたか、それも本棚一杯に・・・。

わざと詰め込んだ、冷静になればそんな発想にも至れたのでしょうけど、その時の私はとにかくどうでもいい気分でね。"なんじゃこんなモノ"とばかりに目の前の棚一つ分を掴んで放り出した。ドサドサドサッと物凄い音がして埃が舞って、さっきまであった本の裏側にあったものが一部、露になった。しばし咳き込んだ後に、私はそれを見る事になったの。

 

見えたものが何か、ですって?ふふ・・・知りたい?

"目"よ。

 

本棚の背のある筈の場所には、ギョロりと二つの赤い目が、ジッと私を見ていたの。

 

『ひゃああっ!』

 

いきなりだったから腰が抜けて、ペタンとお尻を床にぶつけちゃった。立ち上がる時にもちょっと足が震えていたかも。さっきのは何かの見間違い、そう念じて、目をつぶったまま元の姿勢に戻った。そして、意を決して目を開けたの。

 

すると、さっきの目はどうしたと思う?

 

・・・同じように目を開けたの。

 

『・・・?』

 

改めてじっくり見てみると、そいつは私と瞳の色も、髪の色も、更には仕草まで同じ。

・・・なんの事はない。ただの鏡だったのよ。ほら、こんなタイプの本棚を見た事ない?背に充てる板が省略されて、壁につけて置けば使える、て奴。それが鏡に面して置いてあっただけなのよ。

 

『もう、脅かさないで』

 

何故そんな鏡を使えなくするような置き方をしたのかは、少し気になったけれど、

"地下の図書館に籠っているパチュリーの事、姿見なんて使わないだろうし、本棚にスペースを譲ったのかな"

なんて簡単に考えて、気にせずに作業を続けたわ。

 

そうやって本を全部出し終えた頃かしら。

 

本棚を隔てて、鏡に私の全身が映った。後は今まで入りきれてなかった分を入れ直すだけなんだけど・・・

ほら、折角偶然見つけた鏡だし、このまま塞いじゃうのが惜しくなっちゃったの。でね、鏡の前でその・・・漫画とかで見たポーズとかを真似したりしてた。いや本当に下らないんだけど、片付けの最中なんて、そんな事が意外に楽しかったりするのよ。

そして、ふざけて怪人の真似をしていたその時よ。

ふと、ぴく、と鏡の中の私が変な動きをした。最初は見間違いかと思ったわ。でも、それを確かめようと鏡を睨むにつれて、その違和感はどんどん大きくなっていった。勝手にウインクしてきたり、手を振ってみると急に中指を立ててきたり、顔を近づけると白目を剥いて脅かしてきた。

・・・嘘だと思う?でしょうね。それが普通。私も薄気味悪くなって、本を詰める事なんてすっかり忘れてその鏡に釘付けになっていた。・・・それが暫く続いた後、鏡の中の睨み合う何かに、思い切って尋ねてみた。

 

『・・・あなた、何なの?』

 

声は震えていた。視線の先の何者かもしかめっ面をしていたわ。じっと見つめていたら逆に笑ってしまうんじゃないかって位に。・・・ええ、そうなったらどんなに良かったかしら。

違ったのよ。その時は。

その顔は笑ったの。それも急に顔に裂け目が走ったみたいに、にぃーっ、と。そこから真っ白な牙が覗いて、瞳はキュゥッと小さくなって、白眼に赤い点を打ったようだった。

もう見間違いだなんて思えなかった。それどころか目の前のモノが何なのか、考える事さえやめて本を蹴っ飛ばして逃げ出した。体も頭も引っ張って勝手に動く脚を止めた時には、私は物陰に隠れて震えていた。

胸を突き破って来そうな心臓を押さえながら、私はひたすらうわ言を繰り返していた。

 

『近づいたらダメ。近づいたらダメ』

 

アレは見てはいけないモノだ。直感でそう感じた。壊すか、一旦ここから逃げるか、それとも・・・

 

思考が纏まらない中で、ジッと縮こまったままでいた。その時、打って変わって軽い声が聞こえた。

 

『お嬢様〜。どこですか〜?』

 

『!』

 

小悪魔だ。いた筈の場所から何時の間にか私が消えたと思ったのでしょう。私の名を呼ぶ声と足音が、徐々にあの本棚の辺りへと近づいていく。

 

『待って・・・!』

 

慌てて飛び出した、その瞬間。

 

『きゃああぁーーーっ!!』

 

絹を裂くような悲鳴が聞こえた。考えるよりも先に体が動いたわ。本棚の隙間を潜り抜けて小悪魔の叫んだ場所に急ぐ。手前の本棚から顔を出して、やっとそこまで来た時。

 

『あ・・・お嬢様』

 

あの鏡の前で小悪魔が座り込んでいた。私が放り出した本の中に埋もれて、私を見たらヘラヘラ笑っていたわ。

 

『ごめんなさい。ちょっと躓いちゃって』

 

私が何も言わないうちに、彼女は何事もなかったかのように立ち上がって、パタパタお尻をはたいていた。

その子に尋ねようとした。

"本当に躓いただけ?"

 

でも、喉につかえて出て来ない。もし、小悪魔が嘘をついていたとしたら・・・一瞬だったと思うけど、私には何十分も固まっていたように思えたわ。小悪魔が不思議そうにするからつい、俯いて・・・そのまま音一つ無かった。

その時、背中にバタンと大きな音が届いて、肩が跳ねた。

 

『・・・お待たせ。レミィ、小悪魔』

 

入って来たのはパチュリーだった。調子が戻ったのでしょう。元気そうな主人に小悪魔は犬みたいに駆け寄って行ったわ。

 

『お疲れ様。貴女もこの辺で休んで良いわよ。』

 

『わあ、ありがとうございます!』

 

パチュリーが小さなチョコレートを差し出した。小悪魔は『おっとっと』なんて慌てながら、ご褒美を貰って嬉しそうに跳ねて出ていった。

なんかその様子を見たら力が抜けちゃってね。さっきの事も気にしなくて良いかな、なんて思えてきた。きっとアレは私の勘違いで、小悪魔は本当に躓いただけなのだと。

そうと決まれば、私もさっさと休もう。そう思って挨拶しようとパチュリーの方を、何気なく見たのよ。

そうしたら・・・パチュリーは何だか怪訝な顔をしていた。明らかに労うような表情では無かったわ。

 

『・・・どうかしたの?』

聞いてしまったのがいけなかった。

その何気ない疑問が、蓋をした恐怖を噴き出させる元になる。

 

『ねえ、レミィ。あの子・・・

左利きだったっけ?』」

 

 

 

 

「・・・結局、私はあの時の真相を聞けずじまいだった。あれ以来あの場所には近づいていない。

え?問い詰めないのって?・・・無理よ。そんな事したら、"あの"小悪魔がどんな顔をしだすか分からないじゃない。

 

・・・全く同じに見える、って時には怖いわね。だって、ふとした瞬間に何が覗くか、分かりゃしないもの・・・。

 

・・・さて、これで私の話はお仕舞い。次は誰が話すのかしら?」



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一周目・二話目―アリス・マーガトロイド

 

「私が次ね。私の名前はアリス。アリス・マーガトロイド。魔法の森に独り暮らしの魔法使いよ。

 

得意分野は人形を操る魔法。・・そうね。折角だから人形の話にしましょうか。」

 

 

 

 

「・・・私はね、さっき人形を操ると言ったけど、その人形も一から作っているの。金髪にスカートの、女の子の人形が好きでね。もう何千体・・・いいえ、もう数えきれない程作っているわ。

ただ、その中には、他人には見せないけど失敗作も沢山あってね。そういうのはどうしているかっていうと・・・

私は、よく処分せずに残しているわ。人形によっては爆弾として使って、爆発させたりしているけど、あれは元からそういう用途だから。失敗作っていうのは、見せる気も、使う気も起こらない、何か違うなってヤツをいうの。

人によっては、ああ、芸術家とかの話だけど、気に入らないのは思いっきり壊したり、燃やしたりなんかする人もいるのよ。もうこれ以上、存在すら許せない、という風にね。

可哀想、て思う?ええ、それはよく分かる。周りから見ていればそう言いたくなるわ。優しい人なら尚更。

でも、私はそうは思わないわ。何故かって?それが思い入れの強さの裏返しだと思うからよ。一生懸命魂を込めて、時間をかけて作って、それが思い通りに出来なかったからこそ、壊したくなるような激しさが生まれるんじゃないかしら。それで未練が吹っ切れたら、今度こそもっといい作品を作れるかもしれないもの。人によっては、だけどね。私は未練が優って残しちゃうタイプだけど。

・・・前置きが長くなったわね。ようするに、私が壊さずにいた失敗作、これからするのはソレについてよ。

 

 

 

 

「・・・もうどの位前になるかしら。ある失敗作を泣く泣く断念した事があった。それは"自立人形"、操る事なく自分で考え、行動、学習する究極の人形よ。

私と同じくらいの大きさのその子が、動き出して笑うのを何度も夢見たけど、とうとうピクリともしなくて、私は落胆しながら手を加えるのをやめたの。私としては完璧なつもりで、見た目も今にも動き出してきそうだったから余計悔しかった。

それで、いざどこかへ仕舞おうにも、等身大を置いておける場所なんて中々無くてね、そんなの考えて無かったから。その上未だに踏ん切りがつかなかったから、部屋の椅子に座らせて置いたの。テーブルとお茶でも置いたら本当に人が座っているみたいで・・・ああごめんなさい。とにかくいつでも見れる場所に置いておきたかったのよ。

 

暫くそうしていたわ。私にとってはあと一歩の佳作とも言える代物だったから。でもまあ他人にとってはそうじゃなかったりしてね。友達の一人なんて

『うお!?誰だコイツ!!』

から始まって、

『何だよ驚いたー。不気味の谷現象だぜアハハ』

なんて笑って、失礼な話よね。

まあ冗談なのは分かるんだけど、多少は悲しかったわね。別にからかったソイツが悪いんじゃない。私が未だに例の人形を引きずっていたのよ。現に次の人形の制作も、殆ど取りかかれていなかった。

そんな風に悶々とした日々が続いた、ある夜の事。ベッドに入ったはいいけど、何故だか眠れない。背中をずっと誰かに見られているような気がしてね。そんなのが何時までも続くと流石に気になって、確かめようと寝返りをうった。

すると、座らせていた人形と目が合った。今までそんな強い視線なんて感じなかったんだけど、この子が見てたのか、と納得はしたの。けど、見ている内に、何故だか悲しくなるような、怖いような気がして、見ていたくないと思わせるんだけど、その一方で逸らしてはいけない、と目が離せなくなった。人形は何かを訴えかけるような光が宿っているように見えた。私が作った主だからかしら?

ええ、私もそう考えていたわ。

あの現象を目にするまでは。

長い間、そうやって見つめあっていた時の、ふとした瞬間。

 

人形の両目から、スゥー、と何かが流れてきたの。水じゃない。明かりを消した中ではそれは黒く見えた。慌ててカーテンを明けて、月明かりを頼りにその黒い何かを指につけてまじまじと見てみた。

よく見ると赤くて、オマケに鉄臭い。血よ。それが分かった瞬間、寒気がして顔を上げた。あの子が目の前でドロドロと、服に滴る程に血の涙を流していたわ。

その夜は結局、一睡も出来なかった。朝になって見てみると、人形は見るも無惨に血塗れになっていたわ。起き抜けに見ていたら死体と間違えて卒倒したかもしれない。流石に放って置けなくてね、これは良くないモノだと直感したの。

・・・それで、具体的にどうしたかって?霊夢の所に行けば簡単だったんでしょうが・・・また未練が邪魔をする。だってあの子の手にかかれば、お祓いと称してぶん殴って焼却処理するに違いないもの。なんとか自分で出来る方法を考えた。それで一つの案が浮かんだの。

新しく人形を作って、それに負の力を移す事は出来ないか、とね。

とりあえず即急に解決すべきなのは分かってたんで、有り合わせのモノで人形を急いで作ったわ。出来はイマイチだったけど、すぐに"完成"した。まあ元々最後には処分しなきゃいけない物だしね・・・。

 

その新しい人形を、元々の人形の隣に置いとく事にした。最初っから憑かせりる為にと作ったんだし、それでなんとかなると高を括ったのよ。

・・・でも、その日の夜。布団の中で二体の人形を眺めてみると、何だか物悲しい気分になったのよ。有り合わせで適当に、処分する為に作るなんて初めてだったからか、それが自信作と隣同士に並べてあったからなのかしら。そして、ふと疑問が浮かんだ。

 

『この子は、何の為に生まれてきたんだろう。』

 

今までそんな事考えた事もなかった。それに、そんな事自分が一番よく分かっているでしょうに。でもその時は確かに、その人形、本物の人とは似ても似つかないその子でも答えてくれるような気がしたのよ。そう信じて、人形の目をジッと見ていた時。

また、血の涙が人形の目から流れ出した。今度は二体。移す事は出来ずに、二体に分散してしまったの。残念だけど、このままじゃ処分は出来ない。もう一体作って今度こそ自信作から呪いを取り払わなきゃ。その時私はそう決心した。

 

・・・それからは、人形づくりに違う意味で没頭したわ。何度も何度も新しく作っては"此方に来い"と念じ、夜に血の涙を流すか観察する。するとまた憑かれた人形が増える。たまに疲れきって寝ちゃうけど、目覚めて期待を込めて目を開けて、全員が血だらけな光景は中々くるものがあったわ。今では何度も繰り返して、それも慣れちゃったけど。

もう・・・何十体は越えてるんじゃないかしら。今では何で人形を作り続けているのか、いえ・・・そうまでして何故最初の人形から呪いを取り払いたいのかすら、分からなくなる瞬間がある。揃って急ごしらえだから、どんどん出来は悪くなるし、その子達の血も毎晩・・・ああごめんなさい。愚痴みたいになっちゃったわ。これで・・・」

 

 

アリスさんが気を取り直すように笑みを浮かべた、その時。

 

「・・・っ!?」

 

突然顔をしかめ、片目を押さえて塞ぎこんだ。

 

「アリスさん!?」

 

身を乗り出して叫ぶと、ゆっくりアリスさんは顔を上げ、作り笑いをした。

 

「なんでもないわ・・・。最近人形作りばかりで疲れたのかしら。」

 

「・・・!」

 

私以外、本人も気づいていないようだったけど・・

 

私には確かに見えた。アリスさんが目元を拭った片手に、赤い血がついていたのを。

 

「・・・?私の話はここまでよ。次の人お願い。」



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一周目・三話目―比那名居 天子

 

「私が三話目かぁ。あ、そうそう、私は天子よ。比那名居天子。

私普段は天界に住んでるんだけどね、こんな集まりあまり無いからわざわざ来てあげたのよ。感謝なさい。

でー、あー、さてどんなの話そうかな、考えてなかった・・・。

阿求って天界に行った事ないわよね?そうよね〜。折角だし天界の話をしましょうか。」

 

 

 

 

「貴女、天界にどんなイメージ持っている?

ふんふん、歌と踊りを楽しめるノンビリした場所?

う〜ん、40点。

下々は皆そういうんだけどね、割りとすぐ飽きるのよ。

だって、毎日毎日のほほんと暮らしているって、脳も体も鈍っていくって事よ?御爺さん御婆さんならそんな生活させてやりたいけど、この聖なる桃が作った、若々しい常人離れした体にはありがた迷惑って奴よ。

それで、そんな私のお気に入りの、退屈しのぎが何かってーと・・・

天界にある、運動場。まあ駄々っ広いだけの雲なんだけどね。そこで飛んだり跳ねたりして有り余るエネルギーを発散する訳。

幸い、若い姿の天神には同じ考えの奴等もいてね。そいつらとかけっこから球技や格闘技やら色々やるの。

・・・ただ、そこが普通の場所じゃなくてさ。

"いる"のよ。何かって?地縛・・・いえ、"天縛霊"というべきかしら。噂だけど、昔、タチの悪い天女が地上でやらかしたとか何とかで、悪い魂を連れて来ちゃったらしいの。本当かどうかは分からないわ。皆顔も見た事ないもの。ただ、未だにトラブった天女を探してるのか、通りがかる人がいると、たまに青白い手だけをヌーッと出して、足を掴むのよ。ヤワじゃないから怪我はしないけど、揃って冷たい何かに捕まって転んだっていうの。

怖い?ふふふ、怪談っぽくなってきたでしょう。でもこれだけじゃ済まないのよ。今度はその噂、天縛霊の呪いを確かめてやろうって連中が現れた。さっき話した運動好きより、更に退屈が嫌いで、無鉄砲な奴等。私はそこまで馬鹿じゃなかったけど、話だけは聞いたわ。

奴等は横一列になって競争をし始めた。元々その辺を走れれば良かったから、皆順位なんて気にせずにテキトーにやっていたわ。それをやって暫くした頃。

 

・・・何回めかのスタート直後、出たのよ。奴が。

 

一位を走っていた奴の足に向けて、地面から追いかけるように手が伸びていった。そしてどんどん追い抜かされていって、終いには半泣きで足踏みしだした。

 

そのせいで、その場にいたやんちゃ連中も呪いを信じざるを得なかった。ちっとも進まないその子を見て、口々に言ったんですって。

 

『なんだアイツ、鈍い(のろい)・・・!!』

 

 

・・・つってね。」

 

 

「・・・・・・・・・」

 

・・・え?

 

これで終わり?何その落語みたいなオチ。もしかしたら続きがあるかもしれない、とチラチラ様子を伺ったけど、天子さんは相も変わらず満足げな笑顔を浮かべていた。

 

「さ、お次の方どうぞ。私は話す方は満足したから、引き続き面白いの聞かせてちょうだい。」

 

他のメンバーが呆れているのも気づかないのか、更に両手を差し出して促す。本当にこれで終わりなのか・・・

 

まあ良いや。七不思議の一つや二つ欠けたって。はあ。



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一周目・四話目―東風谷 早苗

「私が四話目ですか。そろそろ後半、緊張するなぁ。

あ、忘れる所でした。

私、東風谷早苗です。皆さまどうぞ宜しくお願いいたします。

 

えと、私は普段、妖怪の山のてっぺんにある神社に、二人の神様と一緒に暮らしています。

妖怪の山は、皆さんあまり行った事はないですか?他所の人には厳しいですし、危ない場所もあるのは有名ですが・・・私にとってはもう慣れ親しんだ場所で、普通にテクテク歩いています。

 

・・・ただ、先日少し怖い目に遭いまして、今回はそれについて話そうかと思います。」

 

 

 

 

「・・・あれは、霊夢さん達と宴会をした帰り道の事でした。宴会自体は楽しいんですが、皆さん結構飲みすぎちゃう所がありまして、終わった時にはそこら中散らかり放題でした。しかも気がすむまで飲んだ人達はもう呂律も回らず一人にはしておけない状態です。そしてあまりお酒を好まない子供っぽい子達は、とっくに帰っちゃっている時分でした。

そんな中で、私は珍しく下戸、お酒が飲めないタチでして、素面だったんですよね。

当然後片付けは私と、後は数人の五ボス・・・ゴホン、従者の皆さんでやる事になりました。

それが一区切りついて、寝入っている神様二人を起こして、残った人に挨拶をして・・・その時はすっかり夜も更けていました。

 

そして、自分の神社まで飛んで行こうとしたんですけど、あの時は一人に肩を貸し、もう一人に手を繋いだ状態でしたので、重いわぶら下がって腕は痛いわで、仕方なく歩いていく事にしました。人体は靭帯も脆いんです。

そろそろと慎重に降りていって、斜め前方に距離を稼ぎながら足を着けた場所は、丁度山の麓で、頂上への細い路が始まる場所でした。

 

『なんだ、よりによってココから・・・』

 

ゲンナリと肩を落としました。いえ、どのみちそこは歩く事になるんですが、何だか不吉だったんですよね。山の方が待ち構えていたみたいに、ポッカリと闇が広がっています。まあ、そんな事深く考えても仕方がないので、二人を抱えて歩き出しましたよ。

 

・・・夜中の山の中、もちろん明かりなんてありません。皆さんからしたら当然でしょうが、私は現代の風景を知っているので、まだ怖かったですね。昼間は目を光らせている見張りの白狼天狗も、数の少ない夜勤に交代して全くすれ違いません。

即ち、無音の中をひたすら、一人で重さを我慢しながら坂を登る訳です。唯一の癒しは虫の鳴き声、しかしそれもすぐにどうでもよくなりました。実を言うと私、その時は革のブーツなんて履いていたんです。飛んで帰るつもりでいましたからね。一歩一歩、斜め上の角度に足を屈伸させる度、窮屈な靴の中で足が軋みました。肩と腕には二人分の重みがあるし、更にはその二人のお酒の匂いに惹かれてか、小さな虫が近づいてきます。

 

『あぁんもう、うざったい!』

 

私の頬にまで止まるのを振り払おうにも、腕は塞がったまま、私は一人で髪を振り乱して身を捩っただけでした。想像してみて下さい、両隣に重りつきのマネキンを抱えて、"花一匁"が出来ますか?出来ないんですよ。あの時は正にそんな状況でした。上手く行ったのは最後の蹴りだけです。なんせイライラ・・・いえ、脚は自由でしたから。

虫の鳴き声ではなく羽音の方が五月蝿いのは、変わりませんでしたけど。

 

そんな調子でどの位歩いたでしょう。一向に変わらない景色とどんどん酷くなる肩の痛みに、一度くらい休憩しようかな、と気を抜いた頃でした。

 

『待て、早苗!』

 

いきなり、耳元で声がしました。

 

『うひゃあっ!?』

 

ビックリして肩が跳ねましたよ。思わずお二人を離しそうになった時、ガシリとしがみつかれました。

 

『落ち着け。私だよ』

 

『か、神奈子様・・・?』

 

何時の間にか、肩に抱えた神様の一人、神奈子様が起きていました。よく見えなくとも真面目な雰囲気は分かったので息を呑んでいると、もう片方の、諏訪子様も起きて、こんな事を言ったのです。

 

『これ以上真っ直ぐ行かない方がいい。良くない何かがいる。』

 

『え・・・?』

 

言われて目を凝らしてみるのですが、木の影と石ころの転がる道以外は、何も見えませんでした。それでもいつもならお二人のいう言葉に従うのですが、その時は回り道なんて御免でしたし、何よりべべれけのお二人の顔を間近で見ていました。つい忠告を邪推してしまったのです。

 

(ははあ、さてはお二人で、私をからかう気だな。)

 

私はそう決めつけて、二人を放り出しました。大小二つの尻餅の音と悲鳴をあえて無視して、わざとらしく振り返り、私はこう言いました。

 

『じゃあ私が確かめてきますよ。何かいれば退治してやりますよ』

 

『ちょ・・・!』

 

お酒のせいでまだ起き上がれない二人を置いて、私はズンズン先を行きました。どうせ何もいやしない。放って先に帰るのを見れば、冗談だと謝ってくれるだろう。

そう思って、呆れ半分、期待半分で伏し目がちにクスクス笑っていた時でした。

 

『っ!?』

 

突然、体全体に真冬の突風のような冷たさが襲いました。弾かれたみたいに顔をあげると、そこには何かの白い影が立っていたのです。

 

『・・・!』

 

その影はよく見ると犬の耳に修験者の服、そして大きな剣を携えていました。

なんだ、見回りか。と安心しかけたのですが、すぐにおかしいと気づきました。

何しろさっきは何も見えやしなかったのに、その影は少し近づいただけでイヤにハッキリと、寧ろ闇の中から切り抜いたように真っ白く光っているのです。

その影が、じり、と私に近づいてきました。その時。とうとう全貌が見えたのです。

 

『・・・ひっ!』

 

その姿は私の体を硬直させるには十分でした。目はギラギラ光りながらも明らかに焦点が合っておらず、牙をガチガチと鳴らして隙間からヨダレをダラダラと流し、ブルブル震える体に合わせてざんばら髪がバサリと乱れます。

そして、明らかに敵意の籠った唸り声を私に向けて放っています。

その時私はようやく悟りました。お二人が言っていたのはこれだ。経験の差でしょうか。私は愚かにもその目に留まるような真似をしてしまいました。そして気づいた時には遅かったのです。

ジワリと首筋に汗が伝い、脚が情けなく震えました。妖怪退治の時の威勢は出てきません。この相手は明らかに常軌を逸しているのです。私はただ追い詰められて口をパクパクさせていただけでした。

その時です。

 

『早苗、逃げろ!』

 

『!!』

 

神奈子様の声が響きました。その瞬間バネのように体が動き、私は踵を返して走り出していました。ただ、その方向は神奈子様を避けて、道も何もない、脇の藪の中でしたが。

明かり一つなく、足元に蔦が絡み付くのも構わず、私は木にぶつかりながら手探りで、全力で走りました。危険だなんて言っていられません。いえ、冷静に考えれば分かったでしょうが、その時の私には到底無理でした。何しろ、後ろからガサガサガサという足音と"ハァーッ、ハァーッ、"という獣のような荒い息遣いがひっきりなしに私を追い立てるのです。

 

『あっ!!』

 

ズルッ、と削れるような音と地面が抜けたような感覚がしました。そして視界が真っ暗に、耳にごわごわと嫌な音がまとわりついて、全身を二度三度打ち付けて私は投げ出されました。

何処かの斜面で足を滑らせたのでしょう。顔をあげると前方横一列に川が流れていましたが、私は動かない事への恐怖で一杯でした。痛みも忘れて前のめりに駆け出し、川から顔を出した岩を足掛かりにしようとしました。

その時、背中にズダン、と大きな音が届きました。奴も斜面を降りて来たのです。急がなきゃ、そう焦ったせいでしょう。

 

『っ!』

 

水に濡れた岩の上で足を滑らせ、ブーツのせいもあって酷く足を捻り、私はそのまま川の中に倒れてしまいました。

 

『ぐ・・・』

 

膝をぶつけたのでしょう。ふくらはぎにかけて生暖かいものが伝いました。更に不味いことに、私は足を岩に挟んでしまっていたのです。

 

『くっ!・・・つっ・・・』

 

体を引きずるようにして力任せに抜こうとしますが、どうにも嵌まり込んで動いてくれません。靴のせいで脱ぐことも出来ないのです。水に沈んだ腕をバシャバシャ言わせながら、空いた方の足でガムシャラに岩を蹴ってもそれで壊れる筈もありません。すでに私は判断力など失っていました。頭の中は次第に恐怖が焦りに摩り代わり、ついには私は邪魔な岩を睨み付けようと、後ろを振り返ってしまったのです。

 

『・・・あ、ぁ。』

 

水を掻いた音が足音を掻き消してしまったのでしょう。奴はもう一飛びで私に襲いかかれる距離まで来ていました。あの時の目が、今度は見下ろしています。

 

目があった瞬間、私は意識を失ってしまいました。

 

 

 

 

『・・・目が覚めた?』

 

私は次の朝、永遠亭のベッドに寝かせられていました。横には心配そうな顔の神奈子様と諏訪子様、反対側には永淋さん、そして昨日の宴会の後始末をした鈴仙さんが目に隈を浮かべて立っていました。

 

『・・・え、私は・・・』

 

状況が掴めず戸惑っていると、鈴仙さんが迷惑そうに説明してくれました。

 

『アンタ、夜中にいきなり運ばれて来たのよ。大したことなくて良かったけど。』

 

言われてよくよくみると、あの時挟んだ足には包帯が巻いてありました。あの時の事が本当だったんだと思い知ると同時に、助かったのだと安堵したものです。

でも、何故無事だったのだろう。そう首を傾げていると、永淋さんが神奈子様と諏訪子様にピシャリとした勢いで、こう言い放ちました。

 

『・・・全く、戦えない程ぐでんぐでんになるなんて馬鹿なの?

たまたま川で倒れたから良かったものの・・・』

 

『うぅ・・・』

 

川で、その言葉が引っ掛かって永淋さんを見ると、気づいた彼女は『ああ、貴女には話して無かったわね。』と前置きし、私が出会ったものについて話してくれました。」

 

 

 

 

「・・・私達が幻想郷に来るより昔から、白狼天狗達を中心に恐ろしい病気が存在するようです。なんでもかかると水や風の音、強い刺激を異様に恐れるようになり、体が沸騰するように跳ねて、最後には頭も侵されて一ヶ月もしない内に死に至る、と。

今は患者は存在しないが、治療という方向での解決策は未だにゼロだと永淋さんは言いました。

じゃあ私が出会ったのは何なんだ、患者では無いのか、と尋ねると、永淋さんは苦々しい顔で答えました。

 

『天狗達は昔、その兆候が見られた者を片端から処分した。今発生率がゼロなのはそのお陰よ。』

 

つまり、私が見たのは怨霊だという事でした。治療されずに殺された怨みで今も人を襲うのだ、と。

最初は反発しました。せめてあるべき場所へは帰せないのか、と。

しかし、答えはNOでした。

今では怨霊も稀になってきている。山の上層部は黒い過去を晒して貸しを作る方のリスクを恐れている、という話です。

 

最後に、自分は紫に頼まれて病気を調べている事、そしてこれからは夜に山を出歩かない事、と念を押され、それ以上は何も話してくれませんでした。

・・・結局、そのまま私は退院したのです。」

 

 

 

 

「・・・あれから、私はなるべく日が暮れる前に帰っています。そして、寝る前に枕元に水を用意する癖がつきました。今の所再び出くわしてはいません。

 

・・・ただ・・・。

 

昨夜、夜中に見たんですよ。私の頭のすぐそば、水の入った洗面器の前で苦しそうに呻いて、のたうち回る白狼天狗を。

 

・・・あれが怨霊なのかは、考えない事にしておきます。夢だと、良いんですが。

 

・・・私の話は終わりです。さあ、お次の方。」

 



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一周目・五話目―鬼人正邪

※今回は少し胸糞注意です。あと短め。


 

「・・・私は鬼人正邪。わざわざ私を呼び出すなんて怪しいが、まあいい。

にしても、もう五話目か、何だかそんな気しないな。お前達の話、印象薄いんだ。

嫌な顔するなよ。怖さなんての所詮は主観さ。自分の恐れている事が、他人には普通だなんて良くあるだろ?私にはこの場の全員ヘラヘラして見えるぜ。・・・何だよ、価値観が違うって話しているだけだろうが。

・・・は?じゃあ自分で話して見ろって?言われなくても話すさ。何ならアンタだけ先に帰れば?

 

でもそうさな、価値観、か・・・。じゃあこんな話はどうだい?私も"怖さ"を押し付けさせてもらうよ。」

 

 

 

「あんたら、人里は行った事あるかい?紙芝居に、布教に、ん、そっか元々住んでるか。いや、人間ってのを"種"の名前って認識してると思っていたんだが・・・。ああそうさ、人間、日陰者一人一人にはてんで興味ねーかな、と。

あ、個々人のエピソードなら知らないかも知れないし、話して欲しいって?ならいいや、続けさせて貰うよ。

 

その、そう人里にな、ある妖怪が住み着いた事があった。別に何の変哲もない、敢えて言えば獣人って見た目の、若い雌だった。

別に群れを追い出されたとか、そこで生きる事情があるとか、そんなんじゃない。じゃあ何だと思う?

 

・・・恋だよ。そう、人間にだよ。笑っちゃうだろ?そいつ人間の男に恋していやがった。

・・・とは言ってもだ。幾ら人間も妖怪も人里では顔を合わせるって言っても、まだまだ表面的。心の奥底では怖がる人間も、見下す妖怪も沢山いた。

悪いことに、その女妖怪は内気だった。そんな周りの風潮に晒されながら、陰から見守るばかりの状態が続いたんだ。

女妖怪は次第に思い詰めていった。告白しようにも今のままじゃ赤の他人、しかし距離を縮めようにも自分は妖怪で簡単にはいかない。だけどやきもきして人間の女の子が現れればそれこそ、そちらに靡くに決まっている。彼方が立てば此方が立たず。彼女はそんな状況を変えるために、一大決心をした。

 

・・・妖怪の自分を、捨てる事にしたんだ。

 

住み着いた古い家に隠れて、妖力で何とか耳と尻尾を隠し、鏡とハサミとカミソリを駆使して身体中の毛を剃り落とした。何時間もかけて念入りに丸裸になり、仕上げに牙を削って爪も切った。全てが終わった頃、彼女は鏡に映った女が自分だとすぐには分からなかった。私には良いとも悪いとも思えないが、少なくとも彼女は喜んだらしいよ。これで彼に会いに行ける、ってね。

そして次の日。彼女は彼に近づこうと行動を始めた。道すがらの、待ち構えての挨拶から始まって、買い物先で情報交換したり、それで出来た料理をお裾分けしたりとね。

元々狭い集落の中だ。そんな気は無くても行動パターンなんてすぐ分かる。それに合わせて接する時間を段々と増やしていった。もちろん妖怪を匂わせるものには欠かさずケアをしてね。

そんな日々の努力が実を結んだのか、はたまた妖怪らしからぬ奥ゆかしい性格が功を奏したか、女妖怪は見事恋仲になった。

 

まあここまでなら良い話。本番はここからさ。

 

まあ交際を始めたわけだが、お互い若い男女だ。いつしか子供を身籠った。はたしてアソコの毛までキチンと・・・おっとスマン。

とにかく、最初は二人とも喜んださ。女妖怪は勿論の事、男も幸い誠実な方で、お互いの子として生まれる日を楽しみにしていた。

・・・だが、暫くしてお腹も大きくなり始めた頃、女妖怪はある恐れを持った。自分の正体がバレるかも知れないと。

当時は騙し騙し別居していたが、生まれてしまえば流石に一つ屋根の下で過ごす事になるだろう。そうすれば日々の人間の姿は嘘だとバレてしまう。第一、生まれてくる子は人間の姿だろうか?自身の体と違い、お腹の中となれば手出しは出来ない。他でもない我が子、妖怪の面影を引き継がない筈がない。

 

ここで彼女の性格がまた顔を出した。ただし、今度は思いきりネガティブにね。

男と会う回数を減らし、里にも殆ど出なくなった。表情もめっきり変わらなくなって、時々お腹を撫でては、悲しげな顔をするだけだった。

私なんかは、どのみち先立たれるんだし、既成事実引っ提げて正体をばらしちまえば良いと思うんだが、彼女はそれが出来なかった。それは正体を受け入れてもらえるかという恐れ以上に、男を騙していたという罪悪感が大きかったせいだろう。たとえ妖怪には束の間の時間でも、嘘の自分を演じて男を我が物にした。その事実は重いものだったんだ。彼女は気付く切っ掛けが中々無かったようだがね。

そうして悩む日々が続くうち、彼女の体は再び妖怪の毛が、牙が、爪が、それぞれ戻り出した。処理を怠ったせい、というより精神がついていかなかったからかな。

そしてとうとう、彼女は認識せざるを得なくなった。自分はやはり妖怪なんだと。

彼女はその後、人里から遠く離れた無縁塚で一人、命を絶った。その姿はもう完全に妖怪に戻っていて、前と違うのはストレスでみずぼらしくなった毛並みに、あとは自らの爪で引き裂いた大きなお腹だった。

彼女の中で息絶えた子供は、やはり妖怪の赤子の姿をしていたとさ。」

 

 

 

 

「・・・以上が、彼女の死ぬまで。

・・・へ?男の方はどうしたかって?私に聞かれても知らないね。女は兎も角、そいつの彼氏なんざ。家に上がって来ることも最後には無くなってたし。

 

んー?今度は何だ。何で彼女の家の中を知っているかって?

・・・ああ、聞きたいかい?

私が、あの子の知り合いだったんだよ。じゃなきゃこんなに詳しく知らないって。

そうさ、私はあの時、母親になるアイツに尋ねたんだ。

―『一緒に住めば誤魔化せない。それに生まれてくる子の姿は多分妖怪だ。どうするんだい?』とね。

 

私は重要な事を聞いただけさ。だって事実だろ?だから何回も言ったのさ。念入りにね。

 

―『お前は妖怪だ。今まで誤魔化しても、やっぱり妖怪だ』。

 

・・・何だよ、その目は。私が何をしたって?

 

妖怪の癖に家畜みたいな人間に夢中になって、

 

自分を偽って摩りよって、幻想郷の風潮に疑問も持たずに、甘い夢を見て、

 

舞い上がってガキなんざこさえて、

 

終いには結局自分を受け入れられずにガキまで巻き添えにした!

 

全部アイツが選んだんだよ!アイツ自身もそう言うさ。なんせ私が突っついた弱さは、死に際には全部自覚してたんだ。他でもない私のお陰でさ!

 

・・・もう良いかい?下らない質問は・・・

 

あ?最後に?

 

"何で笑っているのか?"

 

・・・それを知って何が変わるんだい?私の話は終わったんだ。さっさと次を頼むよ。」



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一周目・六話目―霍青娥

 

「さて、もう六話目になりましたわね・・・。ああ、申し遅れました。わたくし、霍青娥といいます。どうか宜しくお願い致しますわ。

 

まだ七人目は来ないですわね・・・。何処かでご不幸に遭ったりでもしたんでしょうか。・・・ふふ、何事もなければ良いのですけど。

 

ああそう、怖い話。阿求ちゃん、ごめんなさいね。私、自分からの引き出しがございませんの。というのも、人里なんかを見ていますと、人が死んだり生き返ったりの程度で怖い怖いと言うんですもの。私からしたらなんとも思わないのですが、感覚が違うんでしょう。

てな訳で私が怖いと思うモノなんて、お話しするのははばかられてしまいますの。

なので、人里で伝えられている噂を一つ。脚色があったり面白くなくても、私のせいではないので悪しからず。」

 

 

 

 

「・・・人里の外れの方にね。お婆ちゃんがいたの。お爺ちゃんは既に亡くなって、独り暮らしでした。近所付き合いはどうかというと、怒りっぽくて文句の多い性格でねぇ。中々周囲からの印象もよくなかったのよ。

そんなお婆ちゃんは、お茶とかお花なんかの趣味もなく、殆ど家の中にいた。楽しい事がないって辛いでしょうね。体はともかく、頭まで老いてゆく。やがてお婆ちゃんは、やはりというべきかあるものに興味を抱いたの。

 

若さ、よ。

若さゆえの活力と美しさに、彼女は憧れた。本来叶わぬ願いだからこそ余計にね。想像だけど、若い頃を思い出しては溜め息をつくような日々だったんじゃないかしら。きっと幾分かはマシだったのでしょう。彼女の頭の中では。

ある日、彼女は街に出てある場所へと向かった。貴女も知っているでしょう。"鈴奈庵"、小鈴ちゃんのお店よ。別に本が欲しがった訳じゃない。話しかけて相手をしてくれるのが、小鈴ちゃんと少ししか居なかったの。お店には迷惑だったかしらねぇ。

で、お店についた訳だけど、店主さんは頃合い悪く片付けの最中。お婆ちゃんは心の中でぶつくさ言いながらも、とって返すのも馬鹿馬鹿しいのでフラリと本棚を物色し始めた。適当に取って開いても訳の分からない本が多くて、元々欲しかった物もないお婆ちゃんは適当に取っては開いて戻す、なんて迷惑な立ち読み客そのものの行動を取り始めた。

そんな中、そろそろ飽きてきた、なんて時。開いたページに丁度、目を引くものが書いてあった。

 

"若返りの術"。

 

お婆ちゃんは余り見えなくなってきていた目を見開き、何度も凝らしたわ。そこには、確かにその方法が書かれていた。

恐らく妖術の本が紛れていたのでしょう。にわかには信じられないものでしょうけど、お婆ちゃんはいたく執着を持ったわ。普通なら一般人には売らないような本、それに本自体貴重で高かったけれど、何がなんでも欲しくなった。

そしてとうとう、一線を踏み越えてしまった。

一人で働く小鈴ちゃんの隙をついて、本を盗んでしまいましたの。」

 

 

 

 

「持ち帰ったその本を、お婆ちゃんは飛び付くように読んだ。そしておぞましい内容にも関わらず、それを実行してしまいました。

 

里の外れで子供を拐かして殺し、生け贄として・・・

 

そしてその子の肝を、呪いの詞を口ずさみながら噛み潰し、

 

残った死体と、日付の変わる瞬間から隣り合わせに夜を明かした。

 

狂気の沙汰と言えるでしょう。しかしよほど若い頃が懐かしかったのか、はたまた自分を蔑ろにする里に怨みであったのか、或いは両方でしょうか。とにかくそうして朝を迎えた訳ですわ。

 

目が覚めたお婆ちゃんは、まず視界が事の外クッキリしていた事に驚きました。そして体も軽く、容易に動く・・・。

まさかと思い隣を見ると、殺した子は血痕を含めて綺麗サッパリ消え去っていました。夢かとも疑いましたが、すべすべした手の感触、黒く長い髪の艶、そして若々しい声。全て現実のものでした。

ただし、昔懐かしい、若かった頃の自分の。

 

お婆ちゃん・・・いえ、彼女は、恐る恐る鏡を覗きました。そして、愕然としましたわ。

 

そこには、何十年も前の、生き生きとした自分が居ましたわ。スラリとした体型で、真っ直ぐに立って、笑っています。

彼女が狂喜したのは言うまでもありません。幸い自分の起こした事件も、幻想郷だけに神隠しの線を疑われ、人間はそこまで怪しまれておりませんでした。

彼女はそれに安心したのか舞い上がったのか、何の憂いもなく里での生活を楽しみました。

高い着物、髪飾りに紅や珍しい置物に騒霊のライブに酒盛り・・・

楽しみというものを貪るかのように、彼女は遊び惚けていました。使い道のないお金だけは沢山あったのでしょう。

 

そうして暫く経ったある日の事、彼女は自分がいつの間にか若干老け込んでいる事に気づきました。あの老婆の姿とまではいきませんが、白髪が目につき、シワが顔に刻まれていました。

 

彼女は慌てて本を読み返してみました。すると、術の効力には限度があり、生け贄を作り続けないと数日で元に戻ってしまうというのです。

 

『そんな・・・いや、あんな姿は、生活はもう嫌!』

 

彼女はまた元に戻るかもしれないという恐れから、なんと殺人を犯し続ける道を選びました。朝になって記憶の中の花の時代に戻れる。その魔力からは逃れられなかったのでしょうね。

頻繁に老いては若返るのを繰り返したお陰で、姿からもバレずに彼女はいつしか術にドップリ嵌まり、取りつかれ、罪の感覚も麻痺していきました。

 

しかしついに、相次ぐ殺人の疑いが人里にも向けられるようになりました。紫や式神、巫女が頻繁に里を回り、人々に話を聞いていました。

そうなると、彼女も大人しくせざるを得ませんでした。徹底して居留守を使い、極力接触を避けました。

しかし、犯人が見つからない以上捜査は止まりません。彼女は老いていくのをいつまでも何も出来ずにいました。

 

何日が経ったでしょうか。珍しく、彼女のもとへ訪ねてきた人間がいました。

彼女の孫娘で、もうお年頃。同時に、お婆ちゃんを気遣う数少ない優しい方でした。

孫娘が入ってきた時、お婆ちゃんは、戸に背を向けて布団にくるまっていました。見えるのは乱れた白髪だけ。声をかけても返事はありません。

 

『お婆ちゃん、具合が悪いの?』

 

もう一度声をかけると、振り返らず声だけの返事が返ってきました。

 

『ああ・・・来たのかい。』

 

その声は、しわがれていました。年寄りというだけでは説明できないほど暗く、どこか空気が抜けるような音が漏れています。

孫娘は若干いぶかしんだものの、すぐに努めて明るく振る舞いました。

 

『今、居てもいい?やって欲しい事があったら言って』

 

駆け寄ってそう言うと、お婆ちゃんはこう言いました。

 

『・・・何も要らないよ。傍にいてくれれば・・・』

 

孫娘は、その無欲な言葉が最初は信じられませんでした。すると、お婆ちゃんの呟くような声が響きます。

 

『・・・これで最後だし、もうろくに動けないんだ。ご飯も、要らない気分さ』

 

孫娘はどう合点したやら、老い先短いでしょうお婆ちゃんを憐れんだわ。せめて自分だけでも少しでも長く、そう思った。

 

『・・・お婆ちゃん、今は物騒だし、今晩は泊まるわ。本当に遠慮しないでね?』

 

『ああ、ありがとう』

 

そして孫娘は、特に何をするでもなく、ご飯を一人だけ食べるのも忍びなくて、ただ夜になってから、布団を敷くなり寝てしまいました。

 

そして、その夜・・・

 

 

『う・・・ん・・・』

 

寝ていた孫娘は、寝苦しくなって眠りから覚めました。首の辺りを、強い力で締め付けられていました。

 

(・・・な、誰が・・・?)

 

まさか暴漢か、だとしたらお婆ちゃんはが危ない。そう思った孫娘は、パッと目を開けた。

 

その瞬間。

 

 

『きゃあーーーっ!』

 

張り裂けるような悲鳴が飛び出たわ。目の前には、皮膚が張り付くように痩せこけ、所々乾いた粘土のようにヒビが入り、ギロリと飛び出すように目が剥いている。むしったら取れてしまいそうな白髪の間から覗くその形相は、まるで夜叉。しかし孫娘には、面影があるのを感じた。

そう、お婆ちゃんのね。

 

(・・・お婆ちゃん・・・!?)

 

声を出せずにいると、その怪物は人のモノとは思えないうなり声をあげて、孫娘に顔を近づけてきた。

 

『アンタはこれで最後だよ。これが最後のチャンスなんだ。この首飾りがかけられなくなって、金も酒も用がなくなる。そんなの御免だ。』

 

怪物は捲し立てるように言った。その目は孫娘を向いていた筈だけれど、肉親を見る眼差しには到底見えなかった。げふう、と気味の悪い息が漏れ、力が強まるにつれ意識が遠のいていく。

ここまでか、そう思った瞬間。

 

バキリ、と嫌な音がした。見ると、怪物の肩が変な形に折れ曲がっている。

途端に力が弱くなり、怪物は終いにはベタンと床に手をついて、壊れた人形のようにもたれ掛かってきた。

そして、ぺりぺりと乾いた音が響く。

 

『あ・・あ・・・』

 

老婆のような狼狽えた声。顔の皮が玉葱の皮のように剥がれ落ちていった。『ヒイィーーーィッ!!』という金切り声があがり、髪がカツラのように落ちた重みに引きずられ、ベロンとめくれてしまった。

そして、中から、どす黒い骨が露になった。肉が欠片もついていない、剥ぎ取られた後のようなその全身の骨は、剥がれた皮膚と共に、ドロリと熔けて消えてしまった。孫娘は、耐えられずに気絶したらしいですわ」

 

 

 

 

「・・・後に霊夢が調べて、例の妖術の本が見つかったんですって。それで事件が解決したという話ですわ。

 

・・・阿求ちゃん、私達はお互いに老いた経験がありませんわね。でも、この話の恐ろしさは、老いでなくとも語れると思うの。

 

満たされないことで、心は貧しくなり、ついには腐り果ててゆく。そして一度まかり間違ってあり得ない幸せを手にしたら・・・。

まあ、私は好き勝手させていただいてますが、他人事ではなくってよ。

 

・・・さて、七人目はまだですが、私はこの辺で。

お粗末様でした。」



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一周目・霍青娥END―『鬼畜』

 

・・・とうとう六話目が終わった。七人目はまだ現れない。時計がコチコチと時を刻む中、次第に皆に落ち着きがなくなってきた。

 

足を崩す者、壁に寄り掛かる者、アクビをして船を漕ぎ出す者、中には明らかに私に苛立った視線を送る者までいた。

私とて呼び出された側だし、メンバーはあの方が集めたし、何より遅刻は間違いなく七人目、本人の責任だ。とはいえ私も含めて元々そこまで仲良くもない手前、そんな事言える訳もない。ましてや会話など"か"の字もない。

 

このまま何の進展もない時間を過ごすのは危険だ。私は思い切って切り出した。

 

「あの・・・皆さん、未だに七人目も来ませんし、ここらでお開き・・・としませんか?」

 

正邪さんがうんざりして私の方を睨む。他の人達はもうどうでも良かったようで、伸びをしたり首を鳴らしたり、口には出さないけどいかにも帰りたそうだった。あまりいい気分ではないが、幻想郷の住人が気まぐれなのは今に始まった事ではない。やれやれ、と心の中でだけ呟いて、"では、ありがとうございました。"と頭を下げようとした時。

 

「・・・いいの?貴女が七不思議を聞きたがっていたんじゃない」

 

「っひゃ!?」

 

不意にアリスさんが喋りだした。それも声色からして律儀に起きていたらしい。お気遣いは有り難いが、今はタイミングが不味すぎる。さっきまでの退屈そうだった面々の顔が一気に曇り、視線が一斉に私に注がれる。

 

「・・・い、いえ、流石にこれ以上はご迷惑かと」

 

「・・・そう」

 

愛想笑いしながらの返事にアリスさんは一言頷くと、スッと立って帰り支度を始めた。アッサリしているというか、何というか。

 

「今晩はありがとうございました。お疲れ様です」

 

ともあれ七人目を待たずして、私達は解散となった。七人目が来たら何もないガランとした状況に一人にしてしまうが、来ないものは仕方がない。

全員が居なくなったのを確認して灯りを消し、神社を後にする。

神社まで灯りを無くすと、外に出た瞬間おのずと真っ暗闇が広がる事になる。めいめい適当な挨拶を済ませて帰路につくと、たちまち夜を泳ぐような心細さに襲われた。辛うじて目につくのは大きな鳥居と地面の石畳、そして長い石段。降りきった地面すら穴の底のようで、手すりすら無い中、時々冷たい風が下から吹き上げる。歩くだけで生唾を呑んだのは初めてだ。

 

「・・・ふー・・・」

 

震える足に地面の感触がした時、ドッと肩の力が抜けて息をついた。こんな事にすら難儀する我が身に、安心した拍子に変な笑いが漏れた。

 

その瞬間。

 

「阿求ちゃん」

 

「きゃ!」

 

急に肩を叩かれ、犬みたいに飛び上がってしまった。振り返ると、ニコニコと青娥さんが満面の笑みを浮かべている。

 

「帰りは一人なの?」

 

「え、ええまあ」

 

動揺が口調に浮き出てしまう。驚いたのがバレバレで恥ずかしいが、彼女は全く意に介さないようで笑顔のまま話し出した。

 

「夜道は危ないわよ。ご一緒しましょうか?」

 

「う、・・・良いですよ。お気持ちだけ」

 

有り難い申し出の筈だが、この人はどうも近寄りがたい。その美人顔の裏に何が潜んでいるのかと、嫌が応にも胸騒ぎがする。

もし女に化けた女狐だと言われたら、そのまま信じてしまいそうだ。夜道で会うと危ないのは貴女じゃないか、印象だけでそう言いたくなるのは我ながら珍しい。

 

「まあまあ遠慮せずに!」

 

一人で考えていると、青娥さんは勝手に私の手を引いて歩き出した。その足取りは妙に軽快で、暗い夜道で何度も躓きかけた。

 

「・・・阿求ちゃん」

 

「へ?」

 

私の手をぐいぐい引っ張り、前を向いたまま青娥さんが尋ねてきた。

 

「今日のお話、楽しかった?」

 

「? ええ、とっても」

 

それは正直な感想だった。しかし青娥さんの言葉は沈んでいた。

 

「怖い話、怪談・・・それらは"色褪せている"から"楽しめる"」

 

どこか、独り言のような響き。

 

「幻想郷でも、それは同じ。死んで話せぬ人がいるだけで、伝え聞く内に陳腐になるのは、他ならぬ皆が証明しています」

 

なんだろう。今日の話が不満だったのだろうか。始めにあった愉快な声色は消え失せている。

 

「私は、"生の恐怖"を聞きたい。

人間が本来、無意識に和らげる恐怖を、体験者から、そのまま・・・」

 

抑揚のない青娥さんの声。手を握る力が痛いほどになり、足は私を引き摺るように忙しなく動く。

・・・あれ、いつの間にこんな森の中に入ったんだろう。人里に行く気では無かったのか?

 

混乱していると、不意に青娥さんの足が止まる。つんのめって背中にぶつかってしまった。

 

「いつつ・・・」

 

鼻先を押さえながら、顔を上げると、背の高い誰かが私を見下ろしていた。目を凝らすと、見たことのある顔。

 

「永琳さん?」

 

八意永琳。月から来たという、迷いの竹林に住む天才薬師だ。

しかし何故、こんな場所に?

 

「ごめんなさい。七不思議、間に合わなかったわね。」

 

「ふぇ?」

 

申し訳なさそうに笑う永琳さんに私が目をパチクリさせていると、横から青娥さんが補足してくれた。

 

「実は彼女は七人目だったのですわ」

 

「悪いわね。どうしても外せない用事があって・・・」

 

ああそうか。それで来れなかったんだ。確かに医療は後回しが効かないわけだ。それでくる途中だった、と。

 

「なんなら今帰りがてらにはなしてあげましょうか?私もただ引き返したくはないし」

 

永琳さんがシニカルな笑みを浮かべる。気持ちは有り難いけど、もう夜中だ。後日改めて御願いしよう。

 

「いえ、もう遅いので」

 

「あらそう。なら・・・」

 

永琳さんは大袈裟に肩を落とし、チラリとこっちを見やる。そして、言った。

 

「"私達"に、付き合って頂けるかしら。」

 

「へ?」

 

私が首を傾げた瞬間、後頭部に鈍い痛みが走る。

 

「・・・!?」

 

暗転する視界の中で、永琳さんが複雑な表情で私を見下ろしていた。

 

 

 

 

「・・・う?」

 

目を覚ますと、最初に不気味な空が見えた。闇夜に七色の月がいくつも浮かんでいるような、非現実的な空。

 

(ここは・・・え!?)

 

寝たまま首を横にすると、手が鎖に縛られている。まさかと思い足を動かそうとすると、やはりガチャガチャと音がして足が傷んだだけだった。次第に頭が覚醒し、固い台に全身拘束させられているのが分かった。

 

「一体誰がこんな事を!?」

 

叫んでもがきながら、必死で思考を巡らせていると、二人の影がぬっと現れた。気絶の直前までいた、霍青娥に八意永琳だ。

 

「どういうつもりですか!?冗談ならやめて下さい!」

 

精一杯睨んで叫んだが、青娥はニタニタ笑いながら私に顔を近づけてきた。

 

「言ったでしょう。私は、生の恐怖が聞きたいと。」

 

つり上がった口角、しかし目は笑っていない。冗談ではないようだ。得体のしれない恐怖にかられて、無我夢中で声を張り上げる。

 

「意味が分かりませんっ!ふざけるのもいい加減に・・・」

 

終始仮面のような笑顔の青娥に、私は噛みつくように言った。しかし、その表情が突如一変する。

 

「黙って」

 

「っ!」

 

一瞬だけ浮かんだ氷のような眼差しに、私の体は射竦められる。そしてすぐに笑顔に戻ると、青娥は私の首筋をそっと撫でた。

 

「ここは私の仙界。泣いても喚いても、私が招き入れた者以外は、誰も来ませんわ」

 

仙界。その言葉に頭が凍る気がした。青娥はそれを見抜いてか満足げに頷くと、さっと離れる。

 

「では、始めましょう」

 

手を高々と掲げ、パチンと指を鳴らす。すると地面から、ゾロゾロと何人もの黒い人影が這い出してきた。それは、死体だった。青娥が操っているのだろう。目玉が飛び出し、肉は腐り、髪の抜け落ちた亡者共が、次々と私を取り囲む。

 

「・・・殺さないようには言い含めておりますわ。

・・・もっとも、それ以外の保障はございませんが。」

 

心底嬉しそうに笑う青娥。するとさっきまで黙っていた永琳が溜め息をついた。

 

「・・・貴女ね、これが実験なの?」

 

「そう。言った通り面白いでしょ?」

 

青娥は私を振り返り、手を差し伸べるような格好をとる。そして言った。

 

「期待していますよ。貴女の宿命の記憶力で、色褪せない恐怖体験を話して下さいね」

 

そう言ったあと、青娥はすぐに群がる亡者の陰に隠れてしまった。

 

私は目をつぶる。それしか出来なかった。

 

きっと、私の生まれついた頭脳は、何をされたか、何回繰り返したか、いくら心が拒んでも勝手に脳に刻むだろう。縛り付けられた体は、逃れる術もない。

ならば、せめて。

私は我が身を呪う。そしてあの二人を呪う。何度転生しようが、永遠に。




これからも語り手の順番を変えて、七週で一巡、他数本を目指していきたいです。宜しくお願い致します。


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二周目
二周目・一話目―霍青娥


ローテーションの関係で霍青娥三連発です。


「あらら、私が一話目ですか・・・

私は霍青娥。どうぞ宜しく。

 

阿求ちゃん、私が実は幻想郷の住人では無いこと、ご存じでした?そう、実は仙界、仙人の創る異空間に居りますの。

そこでは私とそのお仲間、あとは私達に師事する弟子達が日々修行中です。

 

・・・そこで起こった、不気味なお話を一つ。」

 

 

 

 

「・・・さっきも言った通り、仙界では弟子が仙術の修行をしております。

とはいえ、誰がどの位進歩しているか、私はそこまで把握しきれていません。太子様ならともかく、私はあまり弟子の個人に興味はないんですの。だって本来義理も情もありゃしないのですもの。

ただ、以前は一人だけ、気になる者がいました。その子はまだ青年に差し掛かるかどうかという年齢の男の子で、弟子達の中では年少の方でした。なんでも、小さい頃に母親を亡くしたとかで、里を離れ弟子入りしたそうです。

だからでしょうか。事ある毎に私に構ってくるような子でしたわ。仙術のここが分からない、或いはこれが出来るようになったから見てくれ、てな具合に。

何も私じゃなくても、と思ったんですけど、他の人達は男らしさを残していたり、怒ると厳しすぎたり、またオッチョコチョイだったりしたもので、自然と私になついたのでしょう。

私もまあ、悪い癖と言いますか。気まぐれで甘やかしていました。といっても少しだけ皆より長く修行に付き合ったり、内緒でコツを教えてあげる程度でしたが、あの子は馬鹿みたいに喜んでいましたわ。

その内、その子は仙界を創れるまでになりました。今までの贔屓もあって、進歩が速いものです。その時も私の前で成果を見せてきましたわ。私は正直何の感慨も無くて、テキトーに誉めてやりました。本当にいつも通りの中のちょいとした節目、程度に考えていたんです。またあの子は喜んで、この先も同じ事が続く。その時は、そう思っていましたわ。」

 

 

 

 

「間もなくして、その子が居なくなったと噂で聞きました。修行が辛くて逃げ出す者ならたまにいるので、いつもは気にも留めないのですが、その時はふと疑問に思いました。

あの子はつい先日まで、新しい術を修得して喜んでいた筈です。何も言わずに消えてしまうなんて、どうにも違和感が拭えませんでした。

同時に、嫌な予感がしました。・・・それは追々、当たることになりましたわ。

 

・・・その子がいなくなって何日かした夜。私が床に入った後でした。ふと、耳鳴りのような妙な音が聞こえたんです。

 

『・・・?』

 

最初は聞き間違いかと思いました。けど、その音は次第に声になって、大きく響いてきました。

 

『きゃはは、きゃあははあはは』

 

それは笑い声でした。甲高い子供の声。まるで楽しくて仕方ないとでもいう風に、けらけらと大声で笑い続けているのです。いつまでも、いつまでも。

ただ、それはどことなく不気味でした。一見嬉しそうで、だけど笑うことしか出来なくなったような、から笑いだったんです。けど、私はその時一層不気味な事に気づきました。

 

『あの子の・・・』

 

そう、それは高揚して可笑しな声でしたが、確かに消えたあの子のものだったんです。直ぐに灯りをつけて辺りを探しましたが、不思議なことに影も形もありません。念のため他の皆に聞いて回りましたが、誰も何も聞いていないし、見てもいないという事でした。声もいつの間にかやんで、その夜は結局そのまま寝たのです。

 

・・・それから、声は止むどころか夜な夜な続きました。しかも段々調子が崩れて行き、ついには笑いの体さえ成していない、言葉にならない声を相変わらず楽しそうに呟き続けるようになりました。

ここに来て私は、いよいよ嫌な想像を現実に疑わざるを得なくなりました。

 

―仙術の修行をする中で、大事な事が一つあります。

"己の欲を認識する事"です。簡単なように思えますが、人は往々にして体裁などの為、自分の中の欲を無視したり、気づかないままだったりしがちです。それを解放して欲望を受け入れてこそ、良い方にも悪い方にも進歩する為のエネルギーに変える事が出来るのです。

仙界は仙術で創る己の空間、思い描く通りの世界が作れます。しかし、もし己の中に気づかないままの、或いは覆い隠した願望があったとしたら。

・・・それは仙界の中で、予期せぬものとして実体を持って飛び出すでしょう。夢に潜在意識が現れ、時に襲いかかるのと似ています。しかし夢なら目覚めれば終わりですが、仙界はそうは行きません。自分の心を受け入れない限り、永遠に"見たくないもの"に苛まれ、ともすれば一転して溺れてしまうのです。

さては、仙界の中で出られなくなったのではないか。眠れない夜を過ごしながら、そう思いました。

 

ところが、その予想が当たりだったとして、私に何が出来たでしょう。何度も言うように仙界はその人それぞれの空間。招かれるならまだしも、他人が外から踏み込む事など出来ないのです。しかし今のままでは不気味な声にうんざりするばかり。私はひょっこり此方に戻ってきやしないか、と儚い期待を胸に、自分が創った駄々っ広い空間をあてどなく隅から隅まで歩き回ったりしていました。

そうして何日も経った、ある時です。

 

『・・・!?』

 

仙界の隅、丁度私のすね辺りに何かがありました。野球ボール程度の大きさの黒い何か、見つけたのは本当に偶然でした。ヒュウヒュウと微かに風の音がする、真っ暗で奇妙な穴だったんです。

そこから、理屈を色々考えたりはしていなかったと思います。反射的に屈んで、穴に指を突っ込んでいました。進むにつれて指先に感触が伝わってきます。・・・その奥はヌルリと湿って嫌な空気が充満していましたが、私は我慢して腕まで入れました。うまい具合に穴はズブズブと広がってくれて、私は腕を限界まで入れると手探りで辺りを探しました。

すると、つい、と何かに触れる感触がしました。咄嗟に掴むと、柔らかくて温かい、人肌です。誰かいる、そう直感して、力任せにそれを引き抜きました。

始めに汗ばんだ青白い細い手が、そして腕が、つっかえたのを弾みをつけて引き寄せると、穴が深海生物の口のようにグニャリと歪み、毛の生えた何かが出てきました。

それは髪の毛、頭が出てきた所でした。そこからはズルズルと抜け出るばかり、やはり人間でした。

しかし、背中から先を見てギョッとしたのが、何があったのかその子は、布一枚ない全裸だったのです。

その人は穴からすぽんと全身抜け出ると、うつ伏せに力なく倒れてしまいました。私はその姿に面食らって、暫く呆然としていました。

ハッとなって、ひっくり返して顔を確かめました。もしかして、と思って―ええ、予想はつくでしょうね。

消えたあの子だったのです。その子は気を失っていました。今まで何をしていたのか、それを確かめたくて私は慌てて頬を叩きました。そして、ウッスラと目を開けたのです。

 

『あ・・・』

 

その時は少なからず安堵しました。良かった、取り返しのつかなくなる前に戻って来れた、と。まずは記憶が定かか確かめたくて、"私が分かる?"と聞こうとしました。

・・・しかし、答えはイエスでもノーでもありませんでした。その子は焦点の合わない虚ろな目を見開き、口を一杯に開けて、

こう言った、いえ叫んだのです。

 

『ほぅぎゃあ、ほぅぎゃあ・・・』

 

それは、明らかに赤ちゃんの泣き声でした。その子は消える以前もその時も、少なくとも体は少年より育っていた筈です。しかしその子は私の腕の中で、産まれたままの姿で乳を求める子のようにいつまでも泣き続けていました。」

 

 

 

 

「・・・その子の頭は結局直らず、里へと放り出されました。とても修行を続けられる状態ではありませんでしたから。真相を知っているのは私と上の者だけ。他の弟子には未だに逃げ出したのだと言った切りです。

 

あの空間、あの中で何があったのかは結局分からずじまいでした。その仙界自体も無くなって、知る術はありませんわ。

 

・・・いえ、予想はおぼろ気ながら出来るんです。母親を亡くし、私になついていたようなあの子が、どんな欲望を目にして、呑まれたのか、そして何故個人の空間である仙界が、私のそれと繋がっていたのか。

正直、考えたくはありませんわね。普段人が理性で留めているような何かでしょうから。

 

ただ・・・今は距離自体は離れてはいますが、いつか突然私の空間に姿を現すのではないか、と・・・

 

今は、それが気掛かりです。

 

・・・私の話はここまでですわ。ありがとうございました。」



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二周目・二話目―レミリア・スカーレット

「はじめまして皆、レミリア・スカーレットよ。といっても知ってる顔のが多いかな。

さて、私は二話目かぁ・・・。あら、一話目で結構時間が過ぎちゃっているじゃない。これは七話となると遅くなっちゃいそうだわ。阿求は大丈夫?・・・そう。退屈はさせないから安心して。まあ、私の話しか保障出来ないけど。

皆も頼むわよ。私は退屈が大っ嫌いなの。三分でも暇だと一時間耐えた気分になるわ。私の人生の時間は貴重なの。

 

さて、時間ね・・・。怖い話、身内に聞いた事を話しましょうか。」

 

 

 

 

「私の館には、メイドが沢山いるわ。でもほとんどが妖精で、仕事も出勤も滅茶苦茶。ハッキリいって従業員としては赤点ね。

で、仕事はどうしているかというと、メイドをまとめる長がやりくりしているの。

その子の名は"十六夜 咲夜"。人間なんだけど、真面目で手際が良くってね、私も重宝しているの。"元"人間でもなしにそんな立場に就かせるの、後にも先にもあの子だけだと思うわ。

ただ、仕事の能力もさる事ながら、あの子を気に入る理由は他にもあるわ。

 

それが、"時を止める程度の能力"。

 

嘘みたいでしょ?でもあの子には出来るのよ。あの子は小さな懐中時計を持っていてね、スイッチを押すと時間が止まる・・・らしいわ。いや私も見たことは無いんだけど、なんでも自分以外の全てが静止した世界で動けるんですって。

それを活用すれば、十分間に一人だけ二十分間分の仕事が出来るのよ。これがあの子が人並み外れた仕事を出来る理由。周りでボンヤリしてすぐ辞めていく妖精メイドには、その分愚痴を溢していたけれど。

 

―でも以前ね、その咲夜に一人だけ、なついた妖精メイドがいたのよ。普通は滅多に無いんだけど、その妖精は気に入られたくて、仕事を一生懸命覚える殊勝な子だったわ。

まあ妖精の頭だしたかが知れたものだったけど、一ヶ月、二ヶ月・・・半年も続ければおのずと周りより仕事は出来るようになる。普通はそこまで続かないしね。でもその子は顔を覚えられた頃から更に奮起した。

お陰で信用もされて、仕事も任されるようになったある日の事だった。

咲夜が例の妖精に、自分と同じ型の懐中時計をプレゼントした事があった。初めて聞いた時は驚いたわ。あの子が一介のメイドを気にかけるだけでも珍しいのに、贈り物をするだなんて。それも香霖堂で一個だけ置いてあったんですって。

まあ、単に贈り物って何にしたらいいか分からなかったのかもしれないけど、とにかく贈られたメイドの方は大喜びでね。周りの同僚から私にまで見せびらかして、仕事中も誇らしげに、周りに見えるように着けていたわ。懐中時計なんだからしまっておきなさいっての。

 

そうしてしばらく経った、ある日の事。

咲夜がいつも通り時間を止めて仕事をしていた時、遠くから呼ぶ声がしたの。

 

『咲夜さーん!』

 

最初は空耳かと思ったわ。だって今まで、時を止めた世界で声を出せた者なんていなかったもの。けど今度は足音がパタパタと近づいてくる。確実に誰かが活動して、それも接近して来ている。万が一敵意があれば一大事、一体何者だ。と咲夜は振り返った。ところが。

 

そこにいたのは、見慣れた顔だった。そう、あの妖精だったのよ。

さぞかし目を丸くしたでしょうね。今まで誰にも破られた事の無い能力を平然とした顔で無視して、更にその相手が妖精と来たんだから。

呆気にとられている咲夜に妖精は駆け寄って、プレゼントされた時計を満面の笑みで掲げた。

 

『咲夜さん!私、時間を止められるようになりました!咲夜さんとお仕事出来ますよ!』

 

咲夜はすぐには信じられなかったわ。今まで同じ力を持つ、それも後から妖精が獲得するなんて考えもしなかったでしょうね。でも周りを改めて見渡せば、相変わらず誰も彼もピクリともしない。自分と、妖精の二人を除いてね。

考えてみれば、自分と長く一緒にいた事、そして同じ型の時計を持っていた事。他の連中とは違う要因はない訳じゃなかった。

あの子は物分かりも良くてね、そういう事なら、それでいいと。じゃあ今までに増してよろしくね、なんつって仕事の毎日に戻ったわ。何しろ咲夜自身、その能力には前例が無いことが分かっていたから、原因の見当がつく以上気にしても仕方なかったんでしょう。事実それからしばらくは、咲夜も楽になって問題なくやっていたそうよ。

 

・・・ただ、咲夜の経験則しか当てにならないとなると、あれは予想がつかなかったんでしょう。

あんな形で新たな発見があるとはね」

 

 

 

 

「・・・ある日、その日は特別忙しく、二人で時間を止めて駆けずり回っていたそうよ。そんな時、廊下で走っていた二人がぶつかりそうになった。

 

何しろ館の住人はほぼ全員固まっているからね。廊下は走らないなんて律儀に意識してなかったんでしょう。

 

『ご、ごめんなさい!』

 

妖精は、咲夜に怪我をさせては大変と、強引に脇に寄って走り抜けた。お陰で咲夜はなんともなかったけど、代わりに妖精の方が、盛大によろけてしまった。

 

『わったた・・・!』

 

悪いことに、妖精の進んだ側には階段があってね、妖精はなすすべもなく階段から転げ落ちていった。叫び声とドスンという鈍い音、そして最後に何かが砕けたような金属音が響き渡った。

 

『大丈夫!?』

 

『は、はい・・・』

 

妖精だから、体の方は問題なかった。妖精はゆっくり起き上がって、懐を探ったわ。でも探していた物は、傍らの踊り場に転がっていた。・・・そう。あの時計よ。無惨にもネジが飛び出してボロボロになっていたわ。

その時、妖精がどんな顔をしたかは想像に難くないわね。ずっと持っていた自分だけのプレゼントを、よりによって贈った本人の前で台無しにしたんだもの。予想通り時計の残骸を拾い上げて、その子はみるみる泣きそうになっていった。

これには流石に咲夜も弱ってね。時間停止どころじゃないと、能力を解いてとりあえず慰めようとしたの。

でも、まだ悲劇は終わっていなかった。

 

咲夜が、解除の為に時計のスイッチを押した、その瞬間。

 

目の前の妖精の姿が、フッと消えた。

 

一瞬目を疑ったわ。どこか解除を失敗したか、と狼狽えたけど、背中の向こうからは他のメイドの話し声が聞こえるし、窓の外では小鳥が飛んでいる。間違いなく元の世界だったわ。目の前にいた筈の妖精を除いて。

咲夜は、もしやと思い再度時を止めた。すると目の前に、しくしく泣いている妖精が、元通り動いていた。

何度か時間停止と解除を繰り返した。でも、何度やっても例の妖精だけは時間を止めた時にしか見えなかった。もうワンワン泣き出して抱きついてきているのに、時間が動くと消え失せて、泣き声もなく、すれ違う他のメイドも気づく様子は無かったらしいわ。それどころか咲夜本人も、さっきまで触れていた感触まで嘘みたいになくなった。

 

・・・分かるかしら?時間が動いた瞬間、存在を確かめられるものが何一つ無くなるの。」

 

 

 

 

「・・・それから、妖精とは時間を止めた間だけ、咲夜だけは触れ合えるんですって。

あれから妖精もあちこちを歩き回ったけど、誰も気づいてはくれなかった。触れもしない。周りは、世界は滞りなく回っているのに、まるで時間を止めたあの時のように自分だけの別世界があった。

解決策も見つからないままよ。さっきも言ったけど能力には分からないことが多すぎる。そもそも騒ぎにすらならないわ。妖精の出入りなんて皆把握していないもの。

・・・かくして、気にかけているのは咲夜だけ。仕事の合間合間に、なるべく話しかけているらしいわ。

 

・・・このケースが咲夜にも起こりうるかは分からない。ただね、最近例の型の懐中時計を探して、予備に渡そうと思っているの。

 

・・・何しろ、ここ数日は咲夜を見るなり時計を叩き壊そうとしてくるんですって。

その時の様子は秘密にされたけど・・・話している時の咲夜の形相よりも、きっと酷いんでしょう。

 

・・・私の話は終わり。時間は短く済んだかしら?」



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二周目・三話目―アリス・マーガトロイド

遅くなって申し訳ありません


「・・・アリス・マーガトロイドよ。よろしく。もう三話目ね。

ねえ、阿求は電池って知ってる?そう、電気ってエネルギーの燃料よ。幻想郷ではあんまり普及してないのかな。

・・・え?私?使った事ならあるわ。一度だけ・・・

ただ、その一度が少しトラウマでね。その話をしていいかしら」

 

 

 

 

「知っての通り、私は人形作りが得意でね。武器とか人形劇とか、色んなのを作っているわ。

それで、この前ちょっと思い付いたことがあって、スイッチを押したら勝手に動くような、眺めて楽しめるタイプを作りたいと思って。置いて眺めたり、自分で動かすのも悪くないけど、外の世界では勝手に踊り出したりするようなのもあるって聞いて、愉快そうだなあ、って感じたのがきっかけだった。

ところが。アイディアは良いにしても、そればっかりは一人じゃ出来なかった。とりあえず素体は作ったんだけどね、さっき言ったような動力は私には専門外だったのよ。

それで、妖怪の山を訪ねたの。正確にはそこに住む河童の集落ね。正直あいつらの発明は怪しさ満点なんだけど、一番詳しそうだから結局頼ったわ。

最初に頼ったのはにとり。地底での異変の縁もあったし、頼みやすかったのよ。でも、断られた。何故かって聞くと、アイツは笑いながらこう言ったわ。

 

『今、ネズミ一匹逃さない"地球破壊爆弾"を作成中なんだ。悪いけど他をあたっておくれ』

 

『・・・・・・』

 

正直なんじゃそりゃ、って気分だったけど、まあ要するににとりはお断りらしかった。それで他に知り合いもいないし、帰ろうとしたのよ。でもその時。

 

『あの・・・』

 

別の河童に呼び止められた。見ると初めて会う顔の子が、おずおずとこちらを見上げてくる。黙って首を傾げていたら、一分後くらいにその子はこう言った。

 

『その件、私にやらせてくれませんか?』

 

聞けばその子は、今まで発明は好きでも、他の皆と比べて遅れをとっていたんだって。それでにとりが取り掛かれないなら挑戦させてくれ、って訳。

私は別に引き受けてくれるなら誰でも良かったら了承したわ。ただ・・・

 

『わっ、こら!地球破壊爆弾にぶつかる!』

 

『きゃっ!?』

 

にとりの発明品にうっかりぶつかりそうになったり、なんだか少し間の抜けた子のように感じたわ。まあその時はそんなに気にせず、この素体に合わせて作ってほしいって頼んで試作品を渡して、はしゃぐその子を宥めて帰ったわ。

 

―んで、約束の期日にもう一回妖怪の山、今度はその子の家を訪ねた。

でも、戸をノックしても返事がない。何回か繰り返したけど、やっぱり出ない。作るのに夢中で出て来ないのかな、って思って、悪いけど勝手に入る事にした。

部屋に入ると、中央の机には素体と箱に入った工具が散らばって、例の子はベッドで布団にくるまっていた。いかにも作業途中で眠っちゃった、ってな様子で、悪いとは思ったけど何もせずに帰るわけにいかないじゃない。だからその子を突っついて起こしたのよ。

 

『ん・・ありすしゃん・・・』

 

私を見るとにへーっと笑って目を擦ってたわ。呆れて布団を剥ごうとしたけど、そうする前に、

 

『・・・たのまれたの、できてますよ〜』

 

・・・と言ったきり、寝返りうってそのまま寝息をたてちゃった。若干頼んだの失敗だったかなぁ、と後悔したんだけど、今さら言っても仕方がないし、机の人形を取って、お礼のキュウリ置いて、さっさと帰ったわ。

 

・・・家について、早速人形のスイッチを入れてみた。しばらくジィーっと中で機械の音がして、ゆっくりと踊り出した。

それは・・・なんていうか、太極拳みたいなゆったりした動きだったけど、確かに愉快なステップを踏むピエロがそこにはいた。今まで私が操った動きとは違う。電気の力、あの河童の助けを借りて一体の人形が息を吹き込まれたのよ。

あの時は感動したわ。外の世界では玩具屋なんかでありふれているかもしれないけど、幻想郷で、今までに無かったものが自分達の力で完成した。あれは実際に手を加えないとわからないでしょうね。

 

ああ、脱線しちゃった。とにかくそんな風に喜んで眺めていたのよ。

でも突然。

 

ゴトン、と派手な音をたてて、ピエロ人形が頭から突っ伏した。あら、と我に返ると、人形はまだ倒れたまま動いていて、踊るというよりもがいているみたいだった。機械が動く音が突っ伏した机に反響して、ヴぃ〜ヴぃ〜と不気味な音をたてている。

 

『もうっ』

 

仕方ないから立たせてやるんだけど、その人形、すぐまた倒れるのよ。私はまだまだ飽きてなんかいなかったから、その都度直すんだけど、結局前のめりに倒れる。四、五回でとうとう根負けしてね。動きのバランスが悪かったのかな、なんて考えて、スイッチ切って置いといたのよ。

・・・それで済めば良かったんだけど。

 

夜に、私がベッドで寝ていた時。

部屋の中で、急に変な音が聞こえてきた。最初は虫かな、と思ったけどどうも違う。

 

"ヴぃ〜・・・ヴぃ〜・・・"

 

・・・そう、あの音よ。人形が踊る音。

 

でも何故?確かにスイッチは切っていた筈。私以外に部屋には誰もいなかった筈。

 

恐る恐る、寝返りをうって視線だけを動かした。あの人形を置いた棚へ。

 

『・・っ!』

 

あの人形、確かに踊っていたわ。歯車の軋む音と共に闇の中、独りでに。

しばらく呆然として動けなかったわ。見間違いか、夢かと疑ったけど、それはハッキリと見えていた。

その時、ふと。

また、人形が前のめりにドタリと倒れた。

へ、と緊張から変な声が漏れたわ。人形は倒れた後、あの時よりは短くひとしきり動くと、同じような格好で止まった。

 

『何よ、全く・・・』

 

布団から出て、そっと人形を起こしてやると、さっきのが嘘みたいに座り込んでくれたわ。スイッチを見ると、やっぱり切れている。

何かの拍子で切り替わったか、そんな可能性もない訳じゃない。その時はとりあえず、というか強引にそう思う事にした。

 

―それから、私は例の人形を不気味に思うようになったわ。触らないのはもちろん、夜は決して見ないように、昼間も用も無いのに出かけるようにして、とにかく目にする時間を削った。

・・・でも、何回か不意に目にした時。

やっぱり倒れているのよ。家について、部屋を開けて、チラッと見た視界の隅で、決まって頭から地面に倒れ伏している。

出かける時はちゃんと錠をかけておくし、いざとなれば留守番用に仕掛けた人形だってあった。

それでも結果は同じ。倒れるのよ。・・・独りでに。

 

とうとう我慢出来なくなって、その人形は忘れてしまおうと戸棚の中に放り込んだ。どこかにぶつかったような音がしたけど、無視したわ。

 

それから数日後、私がやっと例の人形を忘れかけていた時、いきなりドアをうるさく叩く音がした。開けるとそこには、参った顔をしたにとりが立っていたの。

どうも面倒事みたい、って内心嫌な予感がした。何?って聞く前に、にとりがこう切り出してきた。

 

『なあ、例の子を知らないかい?』

 

『・・・へ?』

 

『あの時の、電池を頼んでいた子だよ』

 

詳しく聞くと、私が電池を持って帰った辺りから姿が見えなくなったらしいわ。最初は身内で山中を探していたらしいけど、ちっとも見つからないから心当たりのある者に聞いて回っている。にとりは弱りきった口調で、でも早口にそう言った。

私はあれ以来会っていなかったんだけど、にとりが"最後に見た様子を詳しく聞きたい"っていうから、仕方なくついていったわ。

頭の中であの人形が浮かんだけど、黙っておいたわ。関係ないことだから・・・いえ、そう思っておきたかったから。

 

件の子の家の前まで来て、ベッドで寝ていた事、私は人形を取ってすぐ帰った事を伝えた。でもにとりが言うには家の中にも、周辺にもやっぱりいなかったって言うのよ。

『じゃ、念のため探し直すかなあ』とかいってそのままうろつき出したものだから、私も一なし崩しに手伝った。でも、一度探しただけあって変わったものは中々ない。

そんな風に進展のない時間をダラダラ過ごしていたら、ふと目に留まったものがあった。

一見草に覆われているけど、よく見たら地面に割れ目が走ってる。知らずに駆けていたら滑り落ちるかも、そんな感じだったわ。

これまた若干嫌な予感がしたけど、腹を括ってにとりに懐中電灯を借りて、その割れ目の中を、照らしてみた。

次の瞬間。

 

『うっ・・・!』

 

二人で言葉を失った。そこには河童の女の子が、うつ伏せの状態で倒れていたの。顔は見えないけど、すぐに探していた子だと分かった。

穴は下に行くにつれて膨らみがあってね、多分足が滑り落ちてから嵌まりこんで、動けなかったんでしょう。

しばらく二人で呆然としてた。するとにとりが、懐中電灯を動かして言ったの。

 

『あれ、何か落ちてる?』

 

言われてから、ハッと我に返って明かりに目を凝らすと、小さな筒状の、金属みたいな何かが2本組で転がっていた。

何なのか分からないでにとりを見ると、彼女はふんふん頷いて呟いた。

 

『・・・乾電池か。アイツも完成させてたんだ・・・』

 

乾電池、それを横で聞いて、不謹慎だけどなるほどと思ったわ。多分電池を入れ忘れて、私を追いかけて電池を落とし、慌てて拾おうとして、穴に・・・

 

間の抜けた第一印象から綺麗に予想がたって、虚しい笑いが漏れた。こんな結果にならなければ愛らしい一面だったのに・・・

そう思ってため息をついた、でもその次の瞬間。

 

『・・・ん?』

 

その予想の矛盾に気づいた。だって電池を入れ忘れて、そもそも動くわけない。それに、あの子が倒れていた、あの格好・・・!

 

『あっ、おい!?』

 

にとりが呼ぶ声も聞かずに、私は一目散に飛び立った。家まで数分とかけずに、靴も並べず飛び込んで、例の人形を放り込んだ、あの戸棚を・・・

 

『きゃっ!』

 

そこには、あの死体と同じ格好で人形が倒れていた。どこかにぶつけたのか、背中の電池を入れる場所のフタが取れて、その中は・・・

 

"空"だった。

 

そのまま目を離せずに、どの位経ったかしら、ゴキッ、て音がして首が折れた。

その拍子に私と目が合った横向きの顔は、無機質な笑顔を、ずっと向けたままだった。

 

・・・そういえば、死体で一番最初にもげるのって、首なんですってね。」

 

 

 

 

「・・・あの子は、今まで人形を通して私に助けを求めていたのかもしれない。動きたくても動けない、あの場所でずっと・・・

 

え?あの人形なら持ったままよ。あれ以来動かしてはいないけど、処分するのも忍びないし。

 

・・・ただ、また電池無しで動き出したら・・・その時はその時ね。もう遅いかもしれないけど。

 

・・・私の話は以上よ。

次は誰?」




チャイルドプレイ無印の電池がないのに気づくシーンは本当に秀逸だと思います


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二周目・四話目―比那名居 天子

「さて、私は四話目ね。

比那名居 天子。天人よ、よろしく。

 

ね、阿求は天人の生活に興味ある?ある?あるの?むふふ、当然よね〜。

俗世の喧騒から離れ、歌に踊りに身をゆだねて楽しく過ごせる場所よ。憧れるでしょ?極楽だって話をする地上人をしょっちゅう見るわ。

でもねー、私はどうにも苦手。代わり映えしない日々って退屈で仕方ないの。穏やかで心が休まる。でもそれだけ。もっとこう、沸き立つような喜びが欲しいものだわ。

 

ああ、愚痴・・じゃない、前置きはここまで。私が天を手放しに誉められないのは、まだ理由があるの。

今回はその話をするとしましょうか・・・。

 

 

 

 

・・・一部の位の高い天人、まあ私みたいな連中はね、大抵が大きな屋敷に住んでいるの。広くて住むにはかえって不便だけど、手入れはいつも万全よ。大勢の使用人が、毎日お仕えしてくれているからね。それに関しては存分に利用しているわ。

 

・・・でもね、問題はその使用人なのよ。

 

最近、彼等は四六時中恐れを抱いている。床を拭くときも、料理を運ぶときも、それがいつ自分を今いる場所から消し去るか、そんな恐怖に苛まれているの。

 

・・・そいつは、独特の響きを持つ。いえ、そう感じさせるのよ。まるで無慈悲に閉じる鋏の刃のように、無機質な音を奏でる。

 

シャキーン、シャキーン・・・と。

 

そいつは使用人には、片時も消すことが出来ない。その存在は段々と大きくなり・・・

やがては、突然に使用人の誰かに襲い掛かる。仕事が遅いもの、失敗したもの、視線を逸らしたもの、或いは無作為に大人数が犠牲になるかもしれない。

誰でも良いのよ。だからこそ必死で、そしてどうにも出来ない。

出来ることは、毎日毎日肩を叩かれないよう祈るだけ・・・。そして、不幸にも選ばれれば・・・

 

首を、切られるのよ。スパッ・・・っとね。

 

何者かって?すぐに分かるわ。ほら、背中に段々と大きく聞こえてきたでしょう。奴が刃を鳴らす音・・・

 

シャキーン・・・シャキーン・・・シャッキーン・・・シャッキン・・・

 

 

 

 

 

 

・・・膨れ上がる、借金の恐怖が・・・

 

 

 

 

「・・・いえね、天が退屈だって話したじゃない?だからつい外界のものとか色んなルートで仕入れちゃったのよ。ぶら下がり健康機に、ファミコンに、あとはまだ集めるけどワンピの全巻とか、東方を旧作から最新作までとか・・・。とにかくそのせいでお金が苦しくなったらしくてね?

まあ要するに、リストラまで考慮され始めたって訳ね。うん、実際私のせいなんだけど・・・

要らないものはTS○TAYAに引き取ってもらって、おやつの量を減らして、ああ、家宝とかもいっそ要らないかなー・・・

 

ま、明日から頑張る。

 

さ、それはともかく次の話次の話!早くしてー!」



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二周目・五話目―東風谷 早苗

「私が五話目・・・ですか。東風谷 早苗です。上手く話せるか分かりませんが、よろしくお願いします。

 

・・・阿求さん、ゲームはお好きですか?いえ、双六や将棋の類いではなく、機械のゲームなんですけど・・・。

うーん、やっぱり幻想郷じゃあまり馴染みがないですよね。私は少し前まで現代にいたんですが、私が子供の時にはもう持ち運びが出来て十分に遊べる位技術が進歩していました。

普通の同世代ならレトロゲーの思いで、とかいって大抵楽しい語り草になるんですが・・・

 

私の場合、そうはいかないんです。知っている人がいないのもありますが、理由はもう一つ・・・。

これからそれをお話いたします」

 

 

 

 

「・・・私が小学生の頃、まだ神奈子様や諏訪子様と現代にいた時です。当時は携帯ゲームのあるソフトが大人気でした。実は今でも続いていて、楽しい思い出どころか現在進行形で熱中する人もいる程のソフトなんですよ。

名前は言いませんが・・・簡単にいえばモンスターを捕まえてパーティーをつくって勝ち進むゲームです。

とにかく、私のいた学校も例外ではなく、その人気のさなかにあってゲームの話で持ちきりでした。攻略法や裏技、当時は簡単には正解が分からないで試行錯誤するのが常でしたから、格好の話題だったんでしょう。

 

で、私はというと、あまり裕福ではなかったもので、そんなものを買ってくれるとは正直期待できない家庭でした。私もワガママは言えずに"男の子のやるものだから"といってわざと欲しがらないフリをしていました。

・・・でもある日、その様子がバレたのかは分かりませんが、諏訪子様が藪からぼうに本体とソフトを"プレゼントだ"といってくれたんです。

それはシリーズの一作目で白黒画面の古めかしい代物でしたが、私はそんなこと全く気にせず大喜びしました。やっと皆とゲームのお話が出来る、明日皆に見せてやろう、そんな風に浮かれた私は例のソフトと本体をこっそり鞄に忍ばせたんです。

 

・・・でも次の日、楽しい話は出来ませんでした。

その時の私のクラスには意地悪な男の子が三人いて、その子達が私のゲームを見つけるやいなや取り上げてしまったんです。

 

『早苗ー、なに学校にゲーム持ってきてんだよ?』

 

『先生にいうぞー』

 

私は必死に抵抗しました。お二人がやっと買ってくれたのに、やりもしないうちから取られるなんて。

・・・でも、そもそも不要なものを持ってきているのは私の方。最後にはあっさりとソフトを渡すハメになりました。残ったのはやるソフトのあてがない、本体だけ。

 

その日の家路は暗いものになりました。意地悪がなければ今頃家でプレイするのを楽しみに大急ぎで帰っていたはずなのに。

 

玄関を開けてただいま、という声は目に見えてしょげていました。宿題もやる気が湧かずオヤツも食べずに部屋にいると、心配した諏訪子様が様子を見に来てくれました。

 

『どうしたんだい?』

 

優しい口調で尋ねられて、今まで堪えていた涙腺が一気に崩壊しました。我慢できずに胸にすがり付いて、泣きながら学校であった事を話しました。たかがゲームごとき、と思うかもしれませんが、まだ年齢が二桁から間もない頃、やっとできると思った楽しみが呆気なく取り上げられたんです。私は学校に持ち込んだ非も棚にあげ、しまいには例の男の子達の名前を連呼しては子供じみた悪口をくっつけてしゃくりあげていました。

 

・・・何十分か経ったでしょうか、黙って聞いていた諏訪子様が私の頭を一つ撫でて、笑って言いました。

 

『分かった、分かったよ』

 

当時は、その"分かった"には特に意味はなく、ただ単に慰めてくれたのだと思っていました。

 

結局私も私で泣き疲れ、その日は何もなく過ごしました。

 

それから数日、返してと言える訳もなく私はまた元通りの日々を過ごしていました。正直未練はありましたが、これ以上ワガママは言えないので我慢していたんです。

けどそんな矢先、急に諏訪子様がまたソフトを手渡してきました。

 

『早苗、これやるよ』

 

それはジャンク屋ででも買ったのかタイトルのシールは剥がしてあり、裸のカセットの表面に"1"、"2"とマジックで書いてある、怪しい二枚組でした。

流石に何ですかコレ、と尋ねようとしたら、既に諏訪子様は立ち去った後でした。

 

『・・・・・・』

 

念のためカセットをフーフーして、まず"1"を起動して見ました。最初の場面は噂で聞いていた、私がやりたがっていたゲームの流れとほぼ同じように見えました。

なんだ、変な見た目だけどまたアレを買って来てくれたんだ、私はそう思って、初めて自分でプレイする画面に目を輝かせました。

 

しかし、主人公の名前を決める段階まできた時。ふと、ボタンを押す手が止まりました。

 

『・・・女の子?』

 

当時は少なくとも、主人公の性別は男の子以外に選択出来ない仕様だったはずです。にも関わらず、主人公のグラフィックは明らかに髪の長い女の子でした。

知らないうちに新シリーズが出ていたか、と疑いましたが、それだけでは済まない疑問がもう一つあったんです。画面のメッセージを見ると・・・

 

 

[・・・きみの なまえは なんと いうのかね? ▼

 

さなえ

 

サナエ

 

(*`・∀・´*) ]

 

・・・なんじゃ、これは。

思わず声に出てしまいました。三つとも・・・では、ないですけど、私の名前と同じで。しかも一見分かりにくいですが、自分で決める事が出来ないではないですか。

さては諏訪子様、普通のゲームに見せかけておかしなもの渡してきたのか、といぶかしみながら取りあえず"さなえ"で次に進めました。

 

すると今度はライバルの名前を決める段階です。今度は男の子だったのですが・・・

 

[えーと、 なまえは なんだっけ? ▼

 

カズキ

 

ユウタ

 

なおき]

 

選択肢に思わず笑ってしまいました。何故かって、三つとも私に意地悪してきた男の子達の名前と、そっくり同じだったんです。

 

ここまでくると諏訪子様が手を加えたのは間違いないと確信しました。さては私が名前を悪口と一緒に叫んだものだから、神の力で憂さ晴らし仕様にでも代えてくれたのか、そんな風に感謝と呆れが入り交じった気持ちで納得したんです。

 

まあそこからの流れは特におかしに思う部分もなく、次の町まで進める頃にはすっかり夢中になっていました。

 

・・・そして、次の日。

私は打って変わってウキウキした気分で登校しました。取りあげられた悲しみは既に代わりが見つかって吹っ飛んでいましたから。

ただ、そんな風に浮かれていると決まってあの男の子達が嫌がらせをしてくる・・・

筈なのですが、その日は違いました。

 

『俺昨日、変な夢見ちゃってさあ・・・』

 

大きな話し声が聞こえて来ました。男の子のようです。

 

『なんか、変なジイサンの家にいって、女の子とバトルするんだよ。』

 

『バトルって何?』

 

『内容はよく覚えてないけど・・・緑の髪の女の子が相手だった。んで、金とられたんだよ』

 

ふと声の方向に目を移すと、話の主はカズキ君、周りにいたのはユウタ君になおき君でした。

・・・妙な気がしました。というのも、カズキ君の話す夢の内容が、私の昨日やったゲームと少し似ているように感じたんです。

 

ライバルのお爺さんの家に行き、最初のモンスターを選択して、ライバルと勝負するんです。そして勝てば、お金が手に入る・・・。

 

『緑の髪の・・・って』

 

『何?早苗の事好きなの?』

 

『バカ、ちげーよ』

 

三人が私を見るのに気づいて慌てて目を伏せました。しかしカズキ君達は冗談で笑っていても、私は違和感を感じたままでした。

白黒画面で色は分からなかったけど・・・

カズキ君の夢とそっくりなゲームをしたのは、夢の中に出てきた女の子とそっくりな髪の色の・・・私。

 

ただの偶然とは思えませんでしたが、いよいよその疑念が膨らんだのは、その日の放課後でした。

 

『なあ、ちょっといいか?』

 

『へ?』

 

帰りの支度をしていると、急にカズキ君が話しかけてきました。その日は珍しく何もされなかったので、もしかしてこれから絡んでくるのか、とつい身構えてしまいました。

しかし・・・

カズキ君の行動は私の緊張とは裏腹に素っ気ないものでした。

 

『これ』

 

一言そう言って、机にカランと投げ出されたもの、それは一本のシャープペンシル、そして消しゴムでした。

 

『・・・?』

 

微かに見覚えがあるのですが、思い出せずにいると、カズキ君がぶっきらぼうに説明してくれます。

 

『この前借りたやつ、返す』

 

そう言われて、やっと思い出せました。その二つはずっと前にカズキ君達に取りあげられたものだったのです。

しかし、何故今になって?

気紛れ、かもしれません。しかし、私は思い当たる節がありました。今朝話していた夢の話・・・

それが頭に浮かんだ瞬間、つい尋ねていました。

 

『もしかして、夢の中に見張りみたいなおじさんが出てきませんでした?』

 

『は?』

 

その瞬間、彼は明らかに驚いた表情で私を睨みました。

実は例のゲームの中に、私が昨日やった部分、次の町へ行くまでにライバルがもう一度勝負を仕掛けてくるんです。それも、まだ大きなバトルに参加する資格を持っていない為に

 

"みはりの おっさんが とおして くれねーよ!"

 

と言いながら。

 

少ししてカズキ君はハッと我に返ると、『知るか』と言ってさっさと帰ってしまいました。

 

口ではああ行ったものの、あれは明らかに言い当てられた顔です。そして、返してきたモノは二つ、ゲーム中で倒した回数は今の所二回・・・

 

もしかしたら、私がやったゲームはカズキ君の夢の中だけではなく現実ともリンクしているのでは・・・?

そんな疑いが頭を掠めました。そしてその疑念は次第に立証されてゆきました。

ゲームで変なおじさんに金色の玉をもらえば、現実ではカズキ君が親戚が変な土産をくれたとボヤきました。

豪華客船やお墓でのイベントが続くと、夏休みにお墓参りで会って、ディズ○ーシーでの思い出を自慢されました。大企業が舞台のイベントの後は学校での社会見学で地元の会社に行き、モンスター園のある街に着けば学校でカズキ君が動物園の自慢話をするのです。

そして、ライバルを倒す度、例によってカズキ君は取りあげたモノを返し、あるいはお土産をくれました。

そして、ゲーム中で一番のバトルを制覇すると・・・

 

秋の運動会で、私達が勝利を納めました。その次の日、最大のバトルを終えたライバル・・・いえ、カズキ君が、照れた様子で何かを差し出してきました。

 

『早苗、これ・・・』

 

それは、あの取りあげられたゲームソフトでした。カズキ君はソフトを私に押し付けると『今までごめん』といって走り去っていきました。

 

・・・いつの間にか、私への嫌がらせは止んでいました。今までとられていたモノも返ってきて、これも諏訪子様のお陰だと感謝したものです。

それからは本家のソフトの方に夢中になり、周りの子と同じようにシリーズを追いかけていきました。カズキ君との関わりも嫌がらせが無くなる代わりに段々と途絶え、中学で別になったのを最後に会うことはなくなりました。

・・・そして数年後、私は幻想郷に引っ越して来たのです。

 

・・・しかし、そこでふとあのソフトを思い出しました。特に"2"と書かれた方をプレイしていないことに気づいたのです。

本体もソフトも探してみると残っています。せっかくだからと"2"をやってみました。

 

・・・始まりは、何も妙な所はありませんでした。主人公は男の子だけで、自分もライバルも自由に名前が決められます。

 

前置きが終わり、とうとう家を出て旅立つ所まできました。しかし、そこで家のお母さんに話しかけた時、ふと違和感を感じました。

 

[・・・そうね。 おとこのこは いつか たびに でる ものね。

がんばって おかあさんの ように りっぱに なってね!]

 

・・・"お母さんのように立派に"?

 

今までのシリーズとは大きく違う台詞でした。今までは決まって"気を付けてね"ぐらいの見送りで、しかも主人公の家族では大抵お父さんが主人公の先輩でした。

それなのに、お母さんが栄光を掴んだとでも言わんばかり・・・

 

ここであのソフトが思い浮かびました。そう、二枚組のもう片方、"1"のソフトです。

あれは主人公が必ず女の子、そして今話しているのはお母さん・・・

 

もしかしたら、"2"は"1"のクリア後、息子が主人公という設定なのでは?しかし、お母さんの名前は表示されていません。私は疑問を確かめるべく、家を出て町を歩き回ってみました。同じです。お店も家も、場所も形も変わらない。

私はライバルの家に飛び込みました。以前はライバルのお母さんがいた場所です。私の予想が正しければここに"2"のライバルの親、つまり"1"のライバルがいてもおかしくない筈・・・!

 

『・・・あれ?』

 

勇んで入った直後、部屋の風景に私はキョトンとなりました。

 

部屋の空気はいかにも寂れており、中央に質素なテーブル、傍らには白い頭、白髪でしょうか。それが目立つ誰かがポツンと座っていました。どうにも父親で前ライバルといった雰囲気ではありません。

 

怪訝に思いましたが、何も話さないというのは詰まりません。私は話しかけようと近寄って行きました。

 

・・・今思うと、やめておくべきだったかもしれません。

 

Aボタンを押した瞬間、テキストが流れます。

 

[・・・カズキったら、 もう じゅうねんも かえらないで・・・ なにが あったって いうの・・・?]

 

その瞬間、私はスイッチを切っていました。一瞬で真っ白になった画面を見ながら、頭の中はぐるぐると回転しています。

 

十年も帰っていない?

 

今のはお母さん?

 

カズキ君、どうなったの?

 

現実にリンクしていたとしたら、一体・・・

 

 

―それから、私はあのゲームに触れていません。進めたら進めるほど、彼が見知らぬどこかでどうなるか、不安なんです。知る術も今は無いですから・・・

 

・・・諏訪子様は、私以上に彼らが許せなかったのでしょう。元々そういう神様だということを、軽く考えすぎていたのかもしれません。

 

・・・ああそれと、いい忘れたんですけど・・・

 

プレイ中、パーティーの中に一匹、いつの間にか紛れている子がいたんです。蛇のモンスターで、よく見ないと分かりづらいですけど、真っ白の・・・

 

メチャクチャ強いんです・・・って、関係ないですよね。私の話は終わりです。怖かったですか?

 




そして、 かずきの たましいは ぶじ てんに のぼって・・・

きえて ゆきました・・・・・・


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二周目・六話目―鬼人 正邪

今さらだけど、正邪は怖い話の範疇から外れている気がしないでもない。


「さぁて、私が六話目かい。あ、私は鬼人 正邪ってんだ。よろしくな。

 

・・・にしても、七人目はまだ来ないのか。ったく私が話し終わるまでに来てもらいたいね。遅刻に漬け込んで面白くも何ともねーとこき下ろしてやりたいよ。話すのよりそっちのが楽しそうだ。

 

 

・・・で、だ。阿求、あんた昔の話も全部記憶に残っているんだって?じゃあ丁度いいや、今よりちょいと荒んでいた頃の話をしようか。もっとも皆の腹の内が、今は優しくなったとは到底思えないがな。

それはともかく、これはある子供の話だ・・・

 

 

 

 

「・・・"無名の丘"って、あんたら知っているだろ?名前くらいは聞いたことがある筈さ。・・・無名、なんだけどな。

そこは今こそだーれもいない鈴蘭畑だけどさ、昔は子供を捨てる場所だったんだ。人里も貧しい人間が今より多かった時代だ。どうにも出来なくなった親が、妖怪にでも拾われて育ってくれれば・・・そんな幾ばくもない可能性、いや単なる逃避かもしれねえ、そんな思いを込めてあの鈴蘭畑に置き去りにしてゆくのさ。

さて、昔一人の男のガキが捨てられた事があった。両親はしがない貧乏夫婦で、眠っている物心つかない我が子を"親の顔を覚えないうちに"と捨てて逃げるように去っていった。残したモノはせめてもの御守りの、ヘソの緒だけさ。

 

で、大抵は野晒しの赤子なんざ数日でくたばるが、ソイツは幸か不幸か、一人の妖怪に拾われた。良かったじゃないか、って?ところがそうじゃない。いっそその場で死んでいた方が幸せだったかもしれないね。

・・・まあ、続きを聞いてもらえたら分かる。

 

・・・ガキが物心ついた頃、ソイツの世界は狭かった。妖怪はソイツを棲みかに閉じ込めやがったのさ。太陽の光もろくに差さない洞穴で、苔むした岩肌の、緑がかった灰色を毎日眺める日々。逃げ出そうにも足には鎖をつけられ岩壁に杭を打たれ、話し相手は自分を拾った妖怪のみ。

それも、うわべでも楽しげな会話が出来ればまだ良かった。或いは黙りこくっていれば。

違ったんだ。そいつが話しかけるのは決まって、食べきれないほどの肉を運び込んでからの事だった。そしてガキから取りあげたもの、ヘソの緒を掲げてはニタニタ笑いながら言うのさ。

『そら、これが分かるか?お前のヘソの緒だ。お前の親は貴様を鈴蘭畑に捨てた。

感謝しろよぉ?"要らない"貴様をわざわざ拾ってやったんだ。

ぎゃんぎゃんうるさかったからなぁ。にも関わらず親は置いていきおった。

ま、こうして見ると、それも正解かもなぁ』

 

・・・てな具合に、ガキを追い詰める台詞をベラベラと、日に何度も、そして毎日浴びせかけたんだ。

なぜわざわざ食べ物だけは食わせてそんな事をしたか?もちろん理由があった。それも残酷なね。

妖怪は人間の中でも、マイナスのエネルギーに満ちた奴を特に好む。要するにたらふく食べさせて体は肥え太らせながら、気持ちは徹底的に磨り潰し支配して、最高級の食事に仕立てようとしたんだ。

普通そこまでやる奴はいないが、中々の変態妖怪だったみたいだね。

ともかく、いじめ抜けばそれだけ旨くなるとなりゃあ、妖怪が子供相手に手加減する訳がない。肉を食べたがらなければ無理矢理押し込む、虫が沸く季節にはわざと水を与えず、のたうち回る様子を嘲笑った。動ける訳もないのに、洞穴で糞尿を漏らせば殴る蹴るの暴行を受けた。顔も体も歪むほどに。果てには小さな咳や鼻をすする音、目があっただけでも身体中に刃物のような深い爪痕をつけた。

そんな日々が何日も続いたんだ。ガキ、いやもう少年か。そいつは逃げ出したいとそれまで何度も思ったが、自分を繋ぐ鎖と、それ以上に妖怪に四六時中怯えていたせいですくんで動けずにいた。彼の中では既にさらった妖怪は何よりも恐ろしい恐怖の権化のようになっていたんだ。狙い通り精神はズタボロ、最早ブクブク膨れた家畜のようになっていた。

そしてついに、少年が思考も感性もほぼ蓋をして、妖怪が食べ頃が近いと舌なめずりし出した頃。

 

妖怪は食べ物を取りに行った。じきに食わせてやるのも終いになるって、ウキウキした様子でな。

しかし、ソイツは一つ見逃していた。自分がつけた縛りを解く方法に、彼が気づいていた事を。

 

足に繋げた鎖と杭自体は、そりゃ頑丈な代物だ。ヤスリくらいじゃ歯が立たん。しかし、少年の体重は年を経るごとにどんどん増えていた。すると、最初は身じろぎ一つでも鎖が張ってつんのめっていたのが、やがて杭が僅かにぐらつくようになっていた。消え入りそうな自我の中で、少年はいつしかそれに気づいていた。

 

節々が痛む体を持ち上げ、足首が締め付けられる痛みも構わず、少年は何度も鎖を引っ張った。最初は地面に這いつくばるばっかりだったが、やがてボロボロと岩が崩れる音が聞こえ、何度目かでついに杭がスッぽ抜けた。

 

少年は鎖と重たい体を引きずり、洞穴を逃げ出した。懐には例のヘソの緒をしまって。眩しい日の光も、布一枚もない素っ裸も構っちゃいられない。洞穴の外に広がる森の中を、フラフラとよろめきながら、出口も分からないままに駆け出した。

 

実際いつ死んでもおかしくはなかった。太っているとはいえ食べ物もなく、身体中傷だらけで、その辺の妖怪に襲われれば確実に死ぬだろう。

・・・けど、ソイツは死ななかった。人里に続く道で行き倒れていたのを拾われたのさ。生き延びた、って意味なら二度目だ。ある意味大した強運だよ。ヘソの緒の御守りでも効いたのかねえ?

・・・いや、実際そうかもしれないね。幼い頃から自身が見捨てられた証拠だ。そして自分に悲惨な打ちひしがれた生を与えた見切りの印。

少年は洞穴に繋がれた間も、さ迷い歩く間もずっと、そのヘソの緒を見ては顔も知らない両親に復讐心を燃やしていた。

皮肉なものさ。倒れそうな少年を支えたのは、よりにもよってそんな状況に追い込んだ輩に刷り込まれた憎悪だったんだ。

少年を見つけたのは中年の男だった。その男は少年を連れ、妻がいる家に招き入れた。それだけじゃなく、風呂に入れ、食事をとらせてやった。行くところがないと話すと、家に置いてやるとさえ言った。

最初は少年は警戒した。それまでの人生を考えれば当然だ。今は甘い顔をしていても、いつか売り飛ばされたりするに決まっている。そう思っていた。

 

・・・けど、一月、二月、それ以上たっても一向にそんな気配は見えなかった。それどころか寺子屋にまで通わせてくれたんだ。

何故そこまでするのか微かに疑問に思いながらも、少年は少しずつ、ほんの少しずつだが夫婦になついていった。

 

 

『おやすみ、平太』

 

少年はいつしか夫婦に名前をもらい、安らかに眠れる日々を過ごしていた。そんな時に、少年はそっと小さな布の包みを、こっそりと取り出した。

 

例の、ヘソの緒。名前のつもりなのか、布には"義一"と弱々しくかかれている。今もって一度も、自分から他人に見せたことはなかった。その名前を与えた主を、平太はそれまで幾度も呪った。人里にいながら手がかりを集めようとしたこともあったけど、そもそも人知れず捨てられた人間の名前だ。その名を知るのは、顔も知らない両親のみ。結局あれ程憎んだ相手は探せず終いさ。

 

けど、その時初めて、平太はそれを捨てようと思い立った。今は拾ってくれた夫婦がいる。義一なんて名ではなく、自分で胸を張って名乗れる名がある。せめてこれからでも、普通の人生を歩もう。

多分、人生で初めて明るい展望を抱いた時だろう。彼は人知れず涙した。そしてその気持ちを与えてくれた夫婦に感謝して眠ろうとした。

 

その時だ。

 

『・・・・・・』

 

ぼそぼそと、夫婦の話し声が聞こえた。もう眠ったと思ったんだろう。ひそひそ話にしては大きかった。

・・・まだ精神は子供だったのかね。平太はつい寝室の襖に耳を当てて、盗み聞きしようとした。

 

『・・・母さん、良かったな。あの子が元気になってくれて』

 

『ええ、本当に。お友達も出来たらしいわよ』

 

どうやら自分の事を話しているらしい。むず痒く思いながらも、平太の顔はほころんでいた。

 

『倒れていたあの時が嘘みたいだよ』

 

『・・・平太は、助けることが出来たのよね。・・・良かった。本当に・・・』

 

思い出して感極まったのか、妻は涙ぐんだ声に変わっていた。平太もしんみりと聞き入っていたよ。ああ、自分は幸せものだ。生まれてきてよかった、なんてね。

・・・けど、次の台詞で、平太ははたと固まった。

 

『義一はもう戻らないけど・・・せめて、可愛がってあげましょう』

 

・・・だってさ」

 

 

 

 

「なあ、ちょっと聞きたいんだが、その後平太はどうしたと思う?

 

気づかないふりをして夫婦に甘える?反省はしているんだし?

 

けど、そう簡単にいくかな?何年も生きる支えにまでした恨みだ。忘れられるかい?

 

第一、自分は死んだ者扱いだぜ?もし最初にヘソの緒と義一の名を見られていたら、同じように助けてくれたと思うかい?傷だらけで憎しみに染まった奴がそこから幸せになれたと思うかい?

 

他人だから、楽になりたいから出来たとは思えないかい?

 

・・・まあ、皆の予想は聞かないさ。話の結末も敢えて伏せておく。その方が面白いからさ。

 

・・・大抵、こんなのは自身の鏡写しだ。

 

さて、こんなもんかな。次を頼むよ。」



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二周目・鬼人正邪ENDー『帰りたくない』

「・・・うーん、来ないな、七人目・・・。

 

アンタちゃんと人数分呼んだんだろうね」

 

今さっき話し終えた正邪さんがぼやき出した。しかし私は弱った事にメンバー集めには全く参加していない。

「すみません、あいにく私は何も聞かされていないんです」

 

「なんだってぇ?」

 

正邪さんの眉が互い違いになる。そしてウンザリしたようにまくし立てた。

 

「ここまでやっておいて、来るかどうかも分かりませんなんて言うんじゃ無いだろうな!?」

 

そんな事を言われても、私には答えようがない。何せ七人目は連絡がないどころか誰なのかも分からないのだ。それを知ってか知らずか、彼女は更に続ける。

 

「もうただでさえ夜遅いってぇーのにさあ、このむさ苦しい神社に待ちぼうけなんて、冗談きついよ」

 

正邪さんは性分もあってかため息まじりにグチグチと文句をいう。とはいえ他の人達も、口にこそ出さないが同じ気持ちらしい。先程からしきりに身動ぎしたり、畳の表面をいじくったりと兎に角落ち着かない。

 

かくいう私も足が痺れてきた。ええい、人前で胡座とかかけないじゃないか。

 

とうとう私も痺れを切らした。七人目には悪いが切り上げる事にしよう。

 

「えー、では皆さん、仕方ないので、お開きとしましょうか」

 

「あ、いいの?帰って」

 

「まあ暇潰しにはなったかな」

 

「・・・お疲れ様」

 

かろうじて一人だけ労いの言葉をかけてくれた他は、一つ二つ呟くか無言でいそいそと帰り支度を始めた。何とも後味の悪い幕切れとなってしまったが、私も巻き込んだ側の人間、文句はいうまい。

「お邪魔しましたー」

 

「あ、はーい。・・・行灯の火は、けしといて、と」

 

私が思い直して腰を上げた頃には、皆は既に玄関先まで揃って行ってしまっていた。アッサリしたものだ。

一人きりになった大部屋で灯りを吹き消すと、これまた暗闇に取り残されたような寂しさが残る。

壁に手をつき、慎重に廊下まで踏み出す。その時。

 

「あああ待って待って!!」

 

「わ、わあっ?!」

 

悲痛な叫び声を上げながら、私を押し倒さんばかりの勢いで誰かがしがみついてきた。踏ん張りながら目を凝らすと、私の胸に顔を埋める、その頭のてっぺんに角がみえる。

 

「正邪・・・さん?」

 

恐る恐る呼び掛けると、彼女は顔を上げて上目遣いに私を見る。泣いているのだろうか。暗がりの中で目がキラキラと光っている。

 

「どうしたんですかいきなり」

 

「ちょ、ちょいとだけ残る気はないかい?ねえ!」

 

「は?」

 

いきなり何を言い出すんだろう。それほど仲良くもあるまいに、なぜ夜中に二人きりで、他人の家にいなきゃいけないのだろう。

真意を掴みかねていると、彼女は何やらプルプル震えながら後ずさり、急に前屈みに股の辺りを押さえて押し黙ってしまった。

・・・あ~、そういう・・・

 

「分かりましたよ。待っていますから」

 

私がそう言った途端、正邪さんは回れ右して全力で駆け出し、突き当たりの扉の中へと飛び込んだ。

予想通り、厠だ。大方外に出る直前にとうとう我慢出来なくなったんだろう。

 

さて、今のうちに帰ってしまう事も出来るが、待つと言った手前仕方がない。戸口で待っていてあげるとしよう。

 

「まったく、したいなら早めに行けばいいじゃないですか」

 

扉越しに声をかけると、ふて腐れたような返事が返ってきた

 

「だって、もう怖い話の途中だったんだよぉ・・・」

 

思わず吹き出しそうになった。さっきまでの柄の悪さからは想像出来ない台詞だ。薄い戸を隔てて響いてくる音がまた情けなさを際立たせる。

 

「せめてアンタがあの時『待っていましょう』って言ってくれたら、アンタを引き止めやしなかったのに・・・」

 

人のせいにしないで欲しい。他人がオシッコしたいかどうかなんて私が知るわけないじゃないか。 気を紛らわしたくてペラペラ喋るまではまだ良い。私に八つ当たりするのは筋が通らない。

 

「・・・・・・」

 

「私、最近ね。考えている事があるんだ」

 

少しムッとして黙っていると、唐突に別の話をしだした。返事をして欲しかったんだろうか。

 

「私の"ひっくり返す程度の能力"ね。あれをもっと抽象的なモノに応用できないか、って」

 

「・・・? 例えば?」

 

「・・・"内と外"とか、"善"と"悪"、あとは・・・

"始まりと終わり"とか」

 

「・・・はあ」

 

正直どうでもいい。私は哲学者では無いのだ。そんなトイレットペーパーに書いてたら止まらなくなりそうな疑問に足を突っ込む気はない。

 

「はぁ・・・帰りたくねえなあ・・・」

 

正邪さんからため息、もとい本音が漏れる。もはや厠からも出たくないんじゃないだろうか。もう随分と長い。

 

「・・・馬鹿な事言ってないで、早く出たらどうです?」

 

少しばかり語気を強めた瞬間、ふと不思議な感覚がした。

 

・・・あれ?

 

こんな事、前も一度・・・

 

思い出そうとする前に、ガクリと視界が暗転した。

 

 

 

ー・・・あれ?ここは・・・愽麗神社?廊下に一人で何してたんだろ?

 

厠に、何か用があった気がするんだけど・・・

一歩一歩歩く毎に、床が冷たい。用があるとしたら、何でこんな離れていたんだろう。

 

扉を開けてみる。鍵はかかっておらず、簡単に開いた。中には誰もいない。

はて、私は何故こんな場所を開けたのだろう。扉を閉めて振り返ると、さっきまでいた場所の右手の大部屋から、明かりが漏れている。

ああ、こんな事している場合じゃない。早く行かなければ。

小走りに近づいて襖を開ける。やっぱりいた。中にいる全員が私を見る。

 

・・・あれ?よく見ると六人しかいない。予定では七人だった筈だが・・・

 

まあいいや。七人目は多分来ない。そんな気がする。中に入って襖をしめ、正座して全員に聞こえるように言う。

 

「お集まりいただきありがとうございます。それでは、始めましょうか」

 



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三周目
三周目・一話目―鬼人正邪


「ん、あー、私が初っぱなか。鬼人 正邪だ。よろしくな。

 

なあ阿求。あんた"思考実験"って奴知っているかい?『中国語の手紙』とか『囚人のジレンマ』とか、証明出来ない、或いは正解のない事柄について、例え話で考えてみる、私もよく分からんがそんな代物さ。

意外と楽しいぜ?特に他人が当然、正義だと思うものを突っつき回すのはな。

 

何故こんな話をしたかってーと、まずは私の体験を聞いてもらわにゃならん。私が逃げ回っていた頃のね・・・」

 

 

 

 

「大分前、私は地底に降りた。危険な場所なのは分かっていたが、地上の連中が中々立ち入らない場所でもある。適当に目を盗みながら私は旧地獄街に紛れ込んだ。

 

元々無法地帯だからな。中央から外れて、街の隅まで行ってしまえば、地上の奴等とは欠片も面識がない奴等ばかりだ。私もちゃっかり元から居たふりをして、路地裏に座り込んだ。

暫くはここでジッとして、ほとぼりが冷めるまで地底で待っていよう。そう思って、何日かぶりに眠りについた。

 

・・・どの位経ったかな。目を開けたときには、辺りは暗くなっていた。

いつまでも地べたに座り込んでいる訳にはいかない。そろそろどっかの空き家でも、夜風の凌げる場所を探そう。そう思って道に出ようとしたんだ。

そしたら、

 

『きゃっ』

 

曲がり角で誰かにぶつかった。子犬みたいな声と倒れる音がして、ついその方向に目が行った。

そこには、白い着物を着たチビな女の子が尻餅をついて唸ってた。黒の長髪で、いかにも大人しそうな子供だったよ。

そこでだ。普通なら黙って立ち去る所だが、そいつは地底にはどうにも場違いな、気弱そうな雰囲気をしていたからさ。持って生まれた性分で、嫌がらせをしてやりたくなった。

 

『おい、どこ見て歩いてんだい』

 

『ひっ・・・』

 

見下ろしながらドスを効かせてやったら、ソイツは立ち上がる間もなく竦みあがった。そこからが良い所さ。わざと眉にシワを作ってみせて、更に因縁をつけてやった。

 

『ほら、お前がぶつかったせいで腕が腫れ上がってらあ。謝ったって治らんぜ?』

 

『そ、そんな・・・』

 

赤くなった腕を近づけて見せてやったら、上半身だけひっくり返りそうな位仰け反ってイヤイヤしていたよ。いやただ単に私がさっきまで寝ていた最中、腕にずっと頬を乗っけていただけなんだがね。

今度はしゃがみこんで目線を合わせてやる。見下ろしてやると俯くが、目と鼻の先まで詰め寄ってやりゃあそうはいかねえ。

 

『あ・・・あぅ』

 

『ん?何だ?黙ってちゃ分からねえだろ。何が言いたいんだい?』

 

 

『ご・・・ごめんなさい』

 

やっとの思いで絞り出した声に合わせて口が開く。するとその奥にチラリと尖ったものが見えた。牙だ。

どうやらソイツは妖怪だったらしい。正直驚いたよ。そりゃ確かにただの人間が立ち入るような場所じゃあない。それにしたってここまで情けなく震え上がる様子は、野蛮な妖怪のイメージとは全くそぐわない。

 

さては何か隠された本性でもあるのか知らん。

 

そこに来て私も少々警戒し始めた。あんまりしつこくからかえば逆鱗に触れて朝日を拝めないかも知れない。地上にもまして奔放な街とくれば尚更ね。普通に考えれば、余計な事せずに立ち去るのが賢いさ。

 

・・・でもね、これもまた性分か、理性にも逆らいたくなった。私はどうにも理に敵った行動が嫌いらしい。

更に煽り立ててやろう。そんな欲がムラムラと沸き出てきた。

 

『おや、可愛い牙だね。ソイツは乳歯かい?それとも生え変わったか?

なあ、尻から指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうか?その拍子に抜けるかもしれないぜ?』

 

『こ、これは・・・もう、永久歯で・・・』

 

『あらま、そりゃそうか。あんな酷くぶつかっても平気だもんなあ。痛かったなあ。

抜けてるのはアンタ自身かあ。こりゃ一生そのままだね。歯医者はもう良いから、頭の医者に行ったらどうだい?』

 

『・・・・・・』

 

見方によれば漫才みたいに聞こえたかもしれない。

でも居合わせてみりゃ分かると思うけど、こういう時絡まれた側は本気で怯えるんだよ。貼り付けた笑顔がいつ豹変するか、恐怖で金縛りになるんだ。

 

『医者っていえば、私も念のため怪我を診てもらいたいなー。でもお金ないんだよなー。初診って高いのにー』

 

ここまでくると、まともな返事を期待してない事に相手も気付いたろうね。状況から逃れる方法はただ一つ、言いなりになる、すなわち"折れる"ことだ。

私もそれを待っていた。お金を差し出したりして来るだろうが、そっちは正直興味無かったんだよな。

私が欲しかったのは、奴が怯える心そのもの。天邪鬼を天邪鬼たらしめるのは、負の感情への渇望だ。奴が完全に恐怖に呑まれ、蛇に見込まれた蛙みたいになった時点で、目的は達せられたんだ。

奴がしょげて肩を小さくしたのを見た瞬間、私の全身にハッカ飴が如く清涼感が迸る・・・っ

 

・・・と思ったんだけどね。

 

『・・・あれ?』

 

何にも感じないんだよ。よもや演技か、と一瞬疑ったけど、眉をしかめる私を見て、女の子はポカンとするばかり。涙目で見上げるその表情、とても嘘には見えやしない。

 

おかしいな、そろそろ"怖い怖い"ってオーラが感じ取れて良い筈・・・って考えていると、女の子が不安そうに覗き込んできた。

咄嗟に咳払いで誤魔化したが、さあ弱った。ここまでやってハイさよなら、なんて間抜け過ぎる。かといってまだ追い詰めて、本当に何の収穫もなければ更に無駄骨だ。

そこで、私は別の利益を考えた。

 

『なあ、アンタの家を見せてくれないかな』

 

『・・・家?』

 

女の子はキョトンとした顔で首を傾げた。私も調子が狂ったもんだから間抜けな顔を見合わせたが、なんとか訳を話す。

 

『いやあ、実は私、宿無しでね。寝床を貸してもらえたら、助かるんだけど』

 

女の子は眉をしかめたけど、相変わらず心の動きを感じ取れない。私は動揺を悟られないよう、更に早口で捲し立てた。

 

『理由は・・・言えないんだ。なあ、察しておくれよ。別に畳の上でなくても、土間や納屋でも構わないんだ!』

 

私は最初の威勢も忘れて頭を下げていた。こうなると女の子は私が何を考えているのか分からない、といった様子で戸惑っていた。

そりゃそうだろう。当の私が思い通りの収穫がなく、頭の中クルクルパーだったんだから。

 

『お願い!』

 

手を合わせて子供みたいにねだると、女の子は暫し考え込んだ後に、ようやく頷いてくれた。

 

『・・・分かりました』

 

私はその子に連れられて、地底の片隅の小さな家に通された。土間でも納屋でも、なんて言ったけど、女の子は客間を貸してくれたよ。"どうせ一人暮らしですから"っつってな。夕飯もキチンと二人分作ってくれた。どうにも私を切羽詰まった浮浪者か何かだと思ったらしい。必死になって良かったんだか、悪かったんだか。

 

・・・しかしだ。そうして散々世話になって寝床に入った訳だが、私は素直に感謝したりはしない。隣に寝ている女の子を見ながら、私は早くも次の嫌がらせを考えた。

起こさないようにこっそり布団を剥いでやって、いかにも寝相の悪い風を装って片足をお腹の上に乗っける。

 

『うぅ・・・ん』

 

苦しそうに呻いたが、そんなの関係ない。これで朝まで耐えて貰おう、寝起きの顔が楽しみだ。そうほくそ笑んで私はそのまま目を閉じた。

 

・・・翌朝、目を開けて天井が目に入った。しかし、女の子に乗っけていた筈の足は畳に投げ出されている。あれ、と思って隣を見たら、既に隣は誰もいなくて、布団も片方片付けられていた。

 

『あ、起きました?』

 

足元から声がして振り向くと、女の子が見下ろしていた。顔には微かな呆れの色。

 

『全く、寝相も寝起きも悪いんですね。もう八時ですよ。』

 

小言を言う間も、心の動きを感じ取れなかった。今度の嫌がらせもまた失敗した訳だ。

すると、

 

『・・・すまん』

 

謝っていたんだ。この私がだぜ?相手が怒っているのが喜べなかったなんて初めてだからか、つい口に出たんだ。すると相手はニッコリ笑った。

 

『顔洗ってきて下さい。ご飯出来ていますよ』

 

そう言ってトテトテと廊下を戻る。その背中に、恐る恐る声をかけた。

 

『怒らないのか?』

 

『しょっちゅう怒ってなんかいたら、ここで暮らしていけませんよ』

 

その顔はどこか疲れた笑顔だった。心を感じるのは無理だったが、こんな表情もするのか、って驚いたよ。

 

・・・もしかしたら、アイツはヘラヘラと媚びて生き延びる道を選んだ、弱い妖怪なのかもしれない。

 

そんな考えが浮かんで、私は最初にアイツに言いがかりをつけた事を、少し後悔した。

 

・・・それから暫く、私はソイツの家に居座った。他に行く場所が無かった、て理由がまず一つ。それと最初は"いいカモだ"と思っていたが、それは次第に無くなっていった。

奴の心は相変わらず読めなかったし、張り合いが無いんで嫌がらせも止めちまったよ。

代わりに、心の中が分からないと、奴の怒った顔が嫌でさ、掃除や洗濯を進んでやるようになった。そうして奴が喜んでも、何故だか私は何とも無かったしね。

 

・・・そのまま何ヵ月か過ごしたあと、私はある場所に行く事にした。

地霊殿だ。もっと言えばサトリ妖怪、心を読む奴の所さ。奴ならあの女の子の心が分かるかも知れない。そうでなくとも何かしら知っている事があるだろう。

・・・そうしたら、もしかしたら、女の子となら上手くやれる方法が分かるかも知れない。彼女に関してはそう思えたんだ。少なくとも嫌がらせも親切も、私に影響を及ぼさないアイツとなら。

 

戸惑う女の子の腕を引っ張って、館の周りの奴等を無視し、真っ直ぐ主の部屋に押し掛けた。

 

 

『おい、いるかサトリ妖怪!』

 

『・・・・・・・・・』

 

ドアを開けて開口一番に叫ぶと、サトリ妖怪は迷惑そうに私を睨んだ。でも私は何も言わない。心を読むアイツには、黙っていても要件は伝わる。

 

『・・・その黒髪の方を別室へ』

 

女の子はお付きの妖怪に連れられて出ていった。まあ、目の前で自分の事をベラベラ喋られても気分悪いだろうし、やっぱサトリ妖怪は気が利くな。

・・・なんて思っていたら、サトリ妖怪が私を見た。いつになく真剣で、悲しそうな目。

 

『・・・なんだよ?』

 

私が聞くと、サトリ妖怪はため息をついてこう尋ねてきた。

 

『・・・貴方、"哲学的ゾンビ"って知っていますか?』

 

 

 

・・・―哲学的ゾンビ。

 

そいつは一見、普通の人間と同じように喜怒哀楽を感じるように見える。笑い、怒り、泣き、疲れたら眠る。しかし、心は"無い"。実際は嬉しいとも悲しいとも感じていない。そう見えるだけだ。

本来は"もしも"で考え出された概念上の存在だ。

けど、その時は嫌な予感がよぎった。

 

『・・・まさか』

 

『ええ、あの子はまさに"そう"なのです。全く違和感のない仕草、言動の全てがうわべだけ・・・悪意すら欠片もない。そんな子です』

 

『そんなバカな!』

 

『表向きはただの人間です。見破れるとしたら、私や貴方のような、感情に敏感な一部の妖怪だけ』

 

嘘を言っているようには見えなかった。それに、信じられる材料も確かにある。確かに人間らしからぬ牙が生えていたし、何より感情は一度たりとも感じられなかった・・・

 

私は暫く何も言えずに突っ立っていた。茫然としていた時間は長くはなかった筈だけど、私には何時間にも感じられた。

 

『あの・・・お話もう終わりました?』

 

あの子の声で我に返った。振り返ると戸口から顔を出して、私をポカンと見ていたよ。今までと変わらない穏やかな表情。何度も笑い、怒るのを見てきた。

 

・・・でも、でもね。その時ばかりは不気味に見えたんだ。心の奥では何の感情も抱いていない、私を何とも思っていない、その顔が・・・

 

・・・それからどうしたかは覚えていない。いつの間にか地上へ抜けて、腑抜けみたいに元の生活に戻った。アイツには、あれから一度も会っていない・・・。

 

・・・なあ、阿求は私の話を信じるかい?

私は逆に聞きたい事があるんだ。

 

・・・この際私の話の真偽はいい。

アンタは一度でも、他人が『自分と同じようにモノを感じ、考えている』と確かめた事があるかい?」



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三周目・二話目―霍青娥

遅くなりました。


 「私が二人目ね。霍 青娥ですわ。どうぞよろしく。

 

 阿求ちゃん、私が仙術の弟子をとっているのをご存知かしら?仙術ってのは、私は基本的に自分の為に使うものだと思っているのですけど、弟子となると勝手が違うものでして、ともかく、弟子たちは仙界の道場で共同生活を送っております。大体百人程度でしょうか、男女も分けて、厳しい修行を課しております。そうして皆立派な仙人になるのですよ。

 ・・・え?自分はどうなんだ、ですって?ふふふ、まあいいじゃありませんか。

 とにかく、本題に入りますわ・・・

 

 ・・・ある男の子二人の弟子のお話です。彼らは同期では中々筋のいい方で、二人で仙術を競い合い、時にはコツを一緒に探るような、まあ良いライバル同士でした。

 その内の一人がある日、得意気にもう一人にこう言いました。

 

『聞いてよ!僕、仙界を開けるようになったんだ!』

 

『ええ?』

 

 仙界というのは、皆さん知っている方もいるでしょうか。仙術の力で、現実世界とは別のもう一つの世界が創れるんです。それは術者が、出入口や広さも実力の許す限り自由に操れるもので、物理法則も関係ない面白いものです。

 それほど難しい術ではないのですが、彼らの代の中ではそれまで出来た者は居りませんでした。つまり本当だとしたら、片方は追い抜かされた訳ですね。

 

『どんな風にやるんだよ?道具とか必要なのか?』

 

『ううん、何も。空間を手でこじ開けるみたいな感じかな。こう、こうするの』

 

 友人は奇妙なジェスチャーを交えながら教えるのですが、当然遅れをとった方は面白くないわけで、半信半疑な表情で友人を問い詰めました。

 

『なら実際に見せてみろよ。俺仙界の中がどうなってるか知らねーんだ』

 

 すると、そう言われた友人がふと弱ったように言ったんです。

 

『い、いやあ・・・流石に人を二人入れる程の広さは、まだ・・・』

 

仙界というのは、先程も言ったように術者の力次第で出来が変わります。要するに彼はまだ人一人分の広さが限界だよ、と伝えたのですが、そこは相手の上達を認めたくないライバル同士。当然素直に信じたりはしません。

 

『何だよ、嘘くせえな~』

 

『なっ、酷い!疑うの!?』

 

『青娥先生から学んだだろ。仙人の基本姿勢だぜワトソン君』

 

 まあ疑う方もからかい半分な所はあったでしょうが、片やさっきまで達成感に満たされていた少年は、なんとかこの成果を見せつけてやりたいと頭を捻りました。そしてある案が浮かんだのです。

 

『じゃあさ、ちょっと隣の部屋に行っててよ』

 

『は?』

 

『仙界を通って、扉を開けずに入って見せるからさ』

 

 仙界の出口を別の場所に繋げて、廊下を一歩も歩かず部屋を移動しようというのです。友人は有無を言わさず部屋の外に放り出され、"集中したいから、覗かないでね"と襖をピシャリと閉められました。

 こうなってしまってはどうしようもありません。閉め出された子は仕方なく隣の空き部屋に行って、畳の上で大の字になりました。 自分がからかったせいもあるとはいえ、まさかただのハッタリを突き通すつもりには見えず、何故歩いて数秒の距離を何倍も時間をかけてワープしてくる奴を歓迎しなきゃいかんのかと、その子は今さら後悔しました。

 

 そしてふて腐れること、十分程度でしょうか?ただ待つ身としてはもっと長かったでしょう。その間彼がいる部屋にはなーんにも音沙汰はありませんでした。回りは相変わらず静まり返っているし、隣からも物音一つしません。何度か壁を叩いて見ましたが、返事はありませんでした。

 

『ふあ~』

 

 耐えきれず飛び出した欠伸も、たちまち壁に吸収されます。目に写るのは天井の、代わり映え木目ばかり。もう眠気に耐えきれなくなったその子はごろりと寝返りを打ちました。

 その時、ふと。

 

『む?』

 

 少年は初めてその変異に気付きました。無音だったので分かりませんでしたが、ちょうど斜め上に手を伸ばしたくらいの場所に、小さな裂け目が見えたのです。

 明らかに違和感のある、虚空に走ったその裂け目。少年は、パッと上体を起こしてそれを凝視しました。やっときたか、そんな気持ちです。

 ぱくり、と顔くらいの大きさに広がったそれは、重油を掻き回したみたいな内面をさらけ出してきました。真っ黒で液体でもないのにドロドロと蠢き、何処が反射しているのかテラテラと目障りに光ります。こんな中を通ってくるのかと、その子は少し驚いたそうです。

 

 しかしその反面、どんな風に出てくるのかと興味が湧いて、その子はつい、と顔を近づけました。

 その時です。

 

 ばっ、と目の前を白い何かが覆ったかと思うと、だらりと太い蛇のようなものが裂け目から飛び出してきたのです。

 

『ぎゃっ!?』

 

 突然のことに少年は腰を抜かして飛び退きました。目をしばたかせ、目の前でのたうつそれを睨み付けました。

 

『・・え?』

 

 眉をしかめて声を漏らしました。裂け目から覗いたもの、それは人間の腕だったのです。それは言うなれば下から這い出てくる、と言った様子で、裂け目の下から垂れ下がった腕は肘から先がだらりと伸び、掌だけが仙界の外をぱたぱたと扇いでいます。

 

 最初こそ不気味に思っていた少年も、慣れるにつれて怖さが薄れてきました。ははぁ、開いたばかりで上手く出られないんだな、と文字通り手探りの親友を見てクスクス笑っていました。

 

 しばらく眺めて、そろそろ手伝ってやるかと彼は入り口に近づきました。もがいていた腕も今やおいでおいでをしているみたいで滑稽です。

 

『はいはい、今出してやるよ』

 

 そう言って、彼は半笑いでその手を取りました。

 その時です。

 

『あ~、やっと出られた~・・・』

 

 少年の耳に聞きなれた声がしました。目の前の穴からではありません。しかし振り向くとそこには、あの仙界の穴からにゅるりと上半身を出している、他ならぬ親友がいるではありませんか。

 

 『・・・へ?』

 

 振り向いた少年の思考が一瞬、止まりました。今やっと出てこられた親友、少し前にこじ開けられた目の前の仙界・・・

 おかしい、矛盾している。パニックになりながら親友をすがるように見ましたが・・・その子も怯えきったその目を見て、同じように眉をしかめて固まっただけでした。

 一瞬、全くの無音。二人は冷や汗を流しながら、同じ疑問を持ったに違いありません。

 

 "コイツは、誰だ?"と。

 

 手の汗のせいか、つかんだ腕がやけに生ぬるく思えました。その刹那。

 その静寂は、突然破られました。

 

『わあっ!?』

 

 突然腕に鋭い痛みを感じ、少年は"誰か"に向き直りました。見るとさっきまでユラユラ動いていただけの白い腕が、ギリギリと音がしそうな程に自分の腕を締め付けています。そしてそのまま裂け目の奥へと引っ張り込もうとするのです。

 

 『た、助けて!』

 

 慌てて親友がもう片方の腕を掴みました。顔も見えない誰かはその不気味な腕からは想像も出来ないほどの物凄い力で、引っ張られながら少年は泣き出したそうです。

 長い長い綱引きの末、ずるりと誰かの手から少年は解放されました。振りほどかれた腕は暫くわなわなと震えていましたが、やがてズルズルと穴の中に引っ込むと、跡形もなく消えてしまいました。

 

 二人は顔を見合わせ、夢でも見たんじゃないかと疑いましたが、引っ張られた方の少年の手首には、確かに誰かが掴んだ手の痕が、血が滲みそうな程痛々しく残っていました。

 

 ―・・・その後で、私は二人から質問攻めに遭いましたわ。イタズラでもしたんじゃないかって・・・勿論謂れのない誤解だったのですが、その時、思い出したことが一つだけ・・・

 

 昔、私のような仙人が国中にゴロゴロいた時代、仙界に入ったきり戻らなかったと噂された人が、何人もいたんです。死神も立ち入れない自分だけの空間で、一人・・・。もしかしたら違うのかも知れませんが、おかしくなっていても不思議じゃありませんわね」

 

 

 

 

 「・・その弟子は結局、仙人の道を諦めてしまいました才能はあったのですけれど、まあ"便利なだけのものはない"ということでしょう。

 

 阿求ちゃん、ついでに、仙人に興味があったり・・・しない?ふふ、残念。

 

 私の話はお仕舞いです。面白かったかしら?」



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三周目・三話目ーレミリア・スカーレット

 「うーんと、私が三話目かぁ。レミリア・スカーレットよ、よろしく。

 それにしても微妙な順番が回って来たわね。この辺で中だるみとか・・・まあしないように努力するわ。

 

 ・・・ね、私に妹がいるって、皆は知っている?ああ、正邪なんかはよく知らないわよね。

 ううん、いいのよ。あの子滅多に外に出ないから。なんていうか少し変わった子でね。でも最近、ちょっとしたことで怖がっていて・・。

 折角だからその話にしようかな。

 

 

 

 

 私がいつも通り部屋で紅茶を飲んでいた時、妹が珍しく寄ってきた事があった。『お姉様ーっ!』ってね。

 金髪のサイドテールを振り回しながら、いつになく上機嫌だった。

 こう言っちゃなんだけど、私は正直ろくでもない事だと思ったわ。その子はいつも一人でいて、おまけに乱暴な所があってさ。今まで身内でもマトモな付き合いが難しい位だった。

 そんなあの子が喜色満面な時ってのは、大抵突拍子もない事をし出すのよ。

 

 とは言っても、可愛い妹だからね。とりあえず普通に返事はしたのよ。そしたら・・・

 

『あら、何か良いことでもあっ・・・』

 

『ちょっとこっち来て!』

 

 フランはそう言うなり私の腕を引っ張って、部屋を飛び出した。どこ行くの、と聞く間もなくその勢いで同じ階の部屋を、ノックもしないで扉を押し開けた。というよりぶっ飛ばしていたわ。張り手一発でドリフのセットみたいに床に突っ伏したの。

 

『きゃっ!?』

 

 中にいた妖精メイドが悲鳴をあげた。そりゃそうでしょうね。いきなり誰かが押し入ってきたと思えば、最高の上司と滅多に見ない謎の妹がセットで登場したんだから。

 でもフランはそんなのお構い無し。そのメイドの部屋にはね、丁度制服でも直していたのか立て掛けるタイプの姿見があった。すると固まるメイドを尻目にその鏡を掴むや、フランは踵を返して出ていっちゃった。

 

『ち、ちょっと、フラン!?』

 

 私が後で叫ぶ声もまるで聞こえないとばかりに、その子は鏡を片手で担いだまま階段を駆け下りて行った。チラリと振り返ると、"ポカーン"とした表情でこっちを見るメイドがいたわ。私も同じ表情でボンヤリして居たかった。正直その時点でもう頭の中はついていけていなかった。

 フランは私の胸中を知ってか知らずか、引きずるみたいに引っ張ったまま今度は下、地下への階段を下り始めた。この子がこんなに館の中をうろちょろするなんて珍しい。一体何処に行く気なのかしら、と眉をひそめた瞬間には、もうその場所に着いていたわ。

 そこは倉庫だったの。茶葉や小麦や、色んな備蓄の為の部屋よ。地下にあるから薄暗い上に、奥には冷凍室が隣接していて、ひんやりした空気が流れ込んでいる。

 

『ちょっとフラン、いい加減に教えなさい。こんな場所で何をする気よ?』

 

 そう言った時、正直少し苛立ってしまっていたわ。訳も分からず連れ込まれた事に加えて、倉庫は本来勝手に入っちゃいけない場所だったから、もしイタズラでもする気なら止めなきゃいけないしね。

 けどフランは、私が不機嫌なのもどこ吹く風。『まあ見ててよ』なんて笑って、目の前に持ってきた鏡を置いた。

 ここに来ても、私の頭は"?"のままだった。というのも、吸血鬼って元来、鏡に映らないのよ。だからメイドの部屋にはあっても私は持ってなかったし、その倉庫には勿論他には誰もいない。一体誰に使うんだ、っていぶかしむ私を無視して、フランは壁際に並べられたあるものに近付いていった。

 え?いや別に変わったものじゃないわ。ただの小麦粉。事ある毎に使うから袋詰めして大量に置いてあるんだけど・・・

 フランは、その袋を三つくらい掴んでね。いきなり空中に放り投げたの。

 

『へ?』

 

 ふわ、と茶色の分厚い袋が浮かんだ。私は一瞬そっちに視線がいったけど、次の瞬間フランに視線を移して・・・

 目が点になった。

 あの子が右手を掲げていたのよ。フランには特別な力があって、右手を握ったらどんなモノでも破壊できる。それを正にやろうとしていたのよ。

 やめなさい、そう言おうとした瞬間。

 "ばふんっ"って物凄い音がして、袋が全部破裂した。直後に煙みたいに小麦粉が舞って、視界が真っ白になったわ。

 "あー、ドリフで全身に粉被ったりとかやるわよねぇ"なんて、目をつぶりながら考えていたわ。

 ・・・んで、恐る恐る目蓋を開くと、そこには相変わらずもうもうと上がる白煙に、床には袋の残骸と一面の小麦粉。ホットケーキミックスの袋を開け損なって、台所にぶちまけたのを思い出したわ。あの虚無感までそっくりだった。

 

『あはは、お姉様真っ白~』

 

 隣で雪だるまみたいな妹がケラケラ笑っている。きっと私も同じような格好だったでしょう。

 そこへ来て、とうとう額に青筋が浮かんだわ。何がしたいんだかいい加減に訳が分からない。フランに向き直って、腰に手を当てて思いっきり言った。

 

『フラン!悪ふざけも大概になさい!』

 

その声でフランは不意にビクンと肩を竦めた。驚いたのでしょう。でもすぐにプイッと顔を逸らして、鏡についた粉を払い出した。だから映りゃあしないっての、って止めようとしたんだけど・・・

 

『やっぱり!お姉様見て!』

 

『は?』

 

 フランは何やらはしゃぎ出した。何だろう、って思って鏡を見たのよ。そしたら。

 

『あ』

 

 何もない筈の鏡に、私達が映ったのよ。真っ白くて、ぼんやりとね。

 その時になって、やっとフランのやろうとしていた事が理解できた。確かに吸血鬼自身は鏡に映らない。けど、表面に付着した粉自体は見える。そのお陰で浮き上がった自身の姿を鏡で見ることが出来るって訳よ。

 

 まあ、お世辞にも褒められた事はしていないんだけど、その発想には感心してね。暫くは付き合う事にしたの。

 

『見てみて!本当に左右逆に映ってる!』

 

『ただのガラスでは無いのよねぇ。水銀入りなんだっけ』

 

『色つきで見てみたいなぁ。』

 

 二人で鏡の前でひとしきりはしゃいだ後、何気なしに私は顔の粉を払った。まあ、いつまでもくっ付けている訳に行かないしさ。そしたら、フランが鏡を見ながらまた声を上げた。

 

『あ!ほっぺたが消えてる!』

 

『えぇ?』

 

 よく分からず視線の先を見ると、さっき私が粉を払った部分がうっすらとしか映っていない。地肌が出るとそこだけ映らなくなるのね。

フランはそんなのも面白い面白いって言って、パタパタ体を払い出した。

 はしたないなぁ、なんて笑いながら、ふと鏡に目を移した。

 その時。鏡の中の私の顔の横から、うっすらと白い腕だけがフワ~ッ・・・と伸びてきた。ははぁ、フランの奴頬でもつねってくる気か、と思ってその手を掴もうとしたの。

 

『やあっ・・・あれ?』

 

 ところが、振りかざした手はヒラリと空を切った。横を振り向くと、フランは不思議そうな顔でこっちを見ている。

 

『お姉様何やってんの?』

 

『え?いや今ここに貴女の手が・・・』

 

『・・・?私何もしてないけど・・・』

 

 最初はシラを切っているのかと思った。でもあの子はキョトンとしていたし、嘘をついているとは思えなかったの。そんな口が上手い子でも無かったしね。

 私が言い淀んでいたら、フランも鼻白んだ様子で首を傾げて、鏡に向き直った。

 

 すると今度は。

 

『きゃあッ!』

 

 悲鳴をあげて、誰もいない方向をキョロキョロして震えだした。何か虫でもいるのかと思ったけど私にも見えない。

 どうしたの?って聞いたら、さっきとは打って変わった困惑した目付きで、私の方に向き直る。

 

『お姉様、ずっとそこにいたよね・・・・?』

 

『・・・?う、うん』

 

『だよね・・・』

 

 フランは柄にもなく怯えた様子でいた。肩を小さくして俯いていたから、"どうしたの?"って聞いたのよ。そしたら。

 

『・・・さっき、肩のとこ・・・誰かの顔が・・・』

 

『・・・!』

 

 流石に単なる見間違い、と言ってもお互い納得出来ない状況だった。私は自分とフランを鏡に向かせて、言い聞かせるように言った。

 

『・・・フラン、このままじっとしていなさい。そして鏡を見て。そうしていても、私達以外に映り込んで来るものは何もない。

あったとしてもそれは見間違いよ。良いわね?』

 

『・・・うん』

 

 フランは頷いてはいたけど、掴んだ肩が震えているのが分かった。言っている自分も自信が無かったわ。手汗がみるみる内に吹き出て、粉がベタついて気持ち悪い。けれども気丈でいなければいけなかった。二人ぶんの影が映る鏡を、じっと睨んでいた。

 忘れていた冷気が、ひんやりと身体中を吹き抜ける。いつの間にか汗ばんでいた背中が、冷や水をかけられたみたいにゾクリと震えた。

 その時、鏡に映る私達の丁度真ん中、背中がわの奥の壁に。

 ふわ、と一瞬、白い何かが舞った。

 体が硬直したのが分かった。フランも小さく息を呑んだのが、微かな音で分かった。

 その姿勢から動けずに、やっとの思いで唾だけ飲み込んだ。ごくり、と頭に音が響いた直後、その白い何かがにわかに大きくなった。

 

『・・・っ!』

 

目を見張ると、ソイツは身動ぎしながら益々大きくなる。否、次第に近付いてきているのだと分かった。いつの間にか、ソイツは私達二人のすぐ背後にまで迫って来ていた。

 首筋を撫でられたような不快感が走る。振り向く事が出来ない、手を伸ばせば触れられる距離に、奴はいる。

 その瞬間。

 バンッ!!と物凄い音がして、鏡に真っ白い手形がついた。小さく体が跳ね、息つく間もなく今度は鏡が粉々に砕け散る。

 倒れて割れたんじゃない。床にチャリチャリと破片が落ちる音がそれを証明していた。

 

『・・・ふ、フラン!?』

 

 私は震えながら横にいる妹に向けて叫んだ。

 

『あ、貴女がやったの!?これ他人の物よ!』

 

 正直、その時はパニックだったわ。今にして思えば怒らなくて良かった。フランの破壊の力だとしても、ちょっとした弾みで言い分は立つ。私は恐らく当たり散らしたかっただけだったのね。

 はぁはぁ息を切らす私を余所に、フランは視線を動かさずにボンヤリと突っ立ったままだった。

 やがて私に振り返った顔は、虚ろで真っ青だった。私がその表情を見て我に返った瞬間、フランは目を見開いて、こう言ったの。

 

『・・・私じゃない・・・』

 

消え入りそうな声でそう言うと、私が何を言う間もなく、フランは踵を返して一目散に倉庫を飛び出して行った。

 私は一人で取り残されて、暫く鏡の残骸を見ながら呆然としていた。そして、何気なしに倉庫の奥、フランが私越しに見た方角に目を向けて。

 あの子が飛び出した理由を理解した。壁という壁に、白く無数の手形、手形、手形・・・入った時には何も無かったのに、まるで何人もよってたかってつけたようなそれらは薄暗い灰色の倉庫の壁にいつまでも、不気味に浮き出たままだった・・・。

 

 ・・・あの倉庫の奥、丁度隣接した冷凍室にはね。人肉が仕舞われているの。罪人や自殺者など、外から来た人間達の・・・

 

 私の話は終わり。少し長かったかな」



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三周目・四話目ーアリス・マーガトロイド

 「・・・四話まできて、いよいよ後半ね。私はアリス・マーガトロイド。人里で人形劇なんかやっている、魔法使いよ。

 

 でも、人里で住んでいるって訳じゃない。魔法の森、普通の人間には害のある胞子が包むあの場所に一軒家を建てているわ。

 その方が研究には便利だからね。人里は安全だけど、その分刺激的なものが少ない。だから私は人形劇の時以外は、専ら家の中にいるわ。

 

 ただ、そんな極端な場所を行き来していると、一度や二度はおかしな事に出くわすものでね。一番最近の事を一つ話そうかしら。

 

 

 

 

 ・・・・あれは、私が定期的な人里での公演を終えて、帰ってきてからの事だった。家に入って一息ついて、いつも人形や小道具を鞄から元に戻そうと、中身を見た時だった。

 

『あれ、一体足りない?』

 

 その日出かける前と今とで、鞄の中の人形の数が記憶と違う。少なくとも家に入ってからは人形自体触れていないから、よもや落したか、と思って家の周辺を探し回った。

 軒下とか、庭の茂みとか掻き分けて探したんだけど、見つからない。里から来た道もある程度探して見たんだけど、やっぱり結果は同じだった。その内に時間は夕暮れに近付いてきてね、そこから里まで探す気にはなれなくて、取り敢えず今日は切り上げよう。そう思って足早に家に帰って、扉を開けた時だった。

 

『おかえりなさい』

 

 不意に知らない声がした。まだ幼い、女の子の声。え、誰?と思うと殆ど同時に、その正体の顔が見えたの。

 私が立ち入った入り口の反対側、真正面の壁にね、外開きの窓があったのよ。その開いた窓から顔だけ出すような感じで、おかっぱの女の子が笑っていた。

 鍵は閉めていた筈なのに、いつの間に?と眉をしかめたけど、その子はニコニコしていただけだった。

 

『・・・何かご用?危ないわよ、こんな場所に一人で来ちゃ』

 

取り敢えずそう尋ねた。子供が一人で私の家まで来るとか、不自然に思える事はあったけど、用件を聞かなきゃ仕方ないしね。

 

『ふふ』

 

 その子は含み笑いを一つして、窓の外からあるものを取り出した。金の髪が生えて洋服を着た、小さく人型の・・・そう、私が普段使っていた人形だったの。

 

『あら、拾ってくれたの?ありがとう』

 

 わざわざ届けにきてくれたんだ。そう思って、その子に一歩近づいた。

 でもそうしたら、何故か人形を背中に隠して、わざとらしく首を横に振った。

 なんだろ、お礼に何か上げた方が良いのかな?考えながら首を傾げていたら、女の子は相変わらず微笑んだまま、人形の両手を持って私に見せてきた。

 

『お姉さん、これ落ちてたよ』

 

『・・・?ええ、探していたのよ』

 

『何か見覚えない?』

 

『は?』

 

 女の子は笑ったままカクンと首を傾げた。見覚え・・・と言われても、私の使う人形自体がどれも同じような見た目だったし、里の子なら大体人形劇を見て、それは知っている筈なんだけれど・・・

 一応目を凝らしてはみても、それは確かに足りなかった人形そのもの。言っている意味が分からずに向かい合ったまま、何分も時間が過ぎた。

 流石に私も痺れを切らしてね、ひょっとしてからかっているのか、そう思ってその子に近づこうとした、 その時。

 

『私、アリスさんにこれを届けようと思って、里から追いかけたんだ』

 

 

 さっきまでポツリポツリとしか喋らなかった女の子が、急に語りだした。つまんない事だけど、さっきまで笑顔で黙っていたからギョッとしちゃったわ。

 

 でもそんな事はお構い無し。私がポカンとしている間に、さっきまでの雰囲気が嘘みたいにペラペラと喋る。

 

『里を出て森の方に行くのを頑張って追いかけた。叫んでもアリスさん、気づいてくれないんだもん』

 

 その子はペラペラとこれまでの経緯を話し出した。私も少なくとも近くに来ていたのを気付けなかったわけで、それは謝るべきだったでしょう。今までの多少気になる挙動があったにせよ、危険を冒させてしまったから。

でも、その時はそんな空気じゃなかった。

 空気って、何って?

 ・・・その女の子、喋るのと一緒に持っていた人形に振り付けつけだしたのよ。両手で持って、こう、楽しそうに。

 何故そんな事しだしたかは分からなかったけど、女の子の唐突な語り口調と合わせて、顔だけ覗く窓の向こうで動く人形。何だか人形劇みたいに見えてきてね。私もいつしか、"なんだなんだ"ってな気分でその子を眺めていた。

 

『だから、後ろ姿を頼りに、魔法の森まで入って行っちゃった』

 

『あら、それは危ないわ』

 

『だって、届けることで頭がいっぱいだったんだもん』

 

 女の子がプクッと頬を膨らませた。可愛らしい表情をみて、呑気だなあ、って思ったわ。道に迷ったり、妖怪に会ったりしたら、子供じゃどうしようもないでしょうに。でも無事なその子が目の前にいるわけで、ついこう言っちゃった。

 

『ま、今回はまだしも、次からそういう事しちゃ・・・』

 

 そう言いかけた瞬間。

 

 子供っぽくむすっとしていたその子の顔が、さぁっ、と暗くなった。

 そして口を一の字に結んだ、能面のような顔で、こう言ったの。

 

『まだ話は終わってないよ』

 

 不機嫌な声とはまた違う。機械みたいに冷たく、平坦な声だった。私がう、と声を洩らすのも無視して、女の子は相変わらず話を続ける。表情がないような、そんな顔のまま。

 

『でも、途中で見失っちゃった』

 

 窓のさんの上に人形を置いて、キョロキョロ見回す仕草をさせる。結果的には女の子は無事に着いた筈なのに、なんだか胸騒ぎがした。

 

『その時ね、もう一体のお人形を見つけたの。アリスさんが使うのと同じのを』

 

 え、とつい聞き返した。人形劇で使う人形はなるべく管理していたし、そうホイホイ落としていたつもりは無かったから。

 ・・・けど、ふっ、と心当たりが浮かんだ。落っことして置いていても気にしなさそうな、そんな人形を作った覚えがある。

 でも、それはあり得ない・・・

 

 私は一人で落とした人形について巡視していた。その間にも、女の子の話は続いたわ。

 

『森をウロウロするうちに息苦しくなってきて、私はふらついて来ちゃった。もう帰り道も分からない』

 

 窓の外はとうに暗くなっていた。女の子の話は困り果てたような展開と口調。さっき浮かんだ想像、―嫌な想像だったんだけど・・・それがそぞろに膨らんだ。

 

『そんで、つい、躓いて・・・森で拾った方の人形を、ポロッ・・・と・・・落とした瞬間』

 

 あ、と私が止めるよりも早く、女の子が芝居がかった大声を出した。

 

『バア~ンッ、ってものすごい音がして、目の前がオレンジ色になった。そんで、気がついたら、体が吹き飛んでた!』

 

『・・・・・・』

 

『・・・凄く痛かったよ。血が出て自分のお腹の中身が見えたの・・・声も出せない・・・』

 

 ああ、とため息が漏れたわ。"もしも"で浮かんだ、嫌な想像の通りの話だったから。

 いい加減、その想像の中身を話すとね、私は普通の人形以外に、爆弾を仕込んだりしてたのよ。それなら、武器として無造作に投げたりしたかもしれない。不発弾があっても、気づかずにいたかもしれない。それを普通の人形と間違えて、拾う奴がいたかもしれない・・・

 

 かもしれない、の話だけど、そんな最悪の可能性を言い当てられたような気がして、一瞬、ぐらりとうなだれてしまった。

 ・・・いつの間にか女の子も無言になっているのに気づいて、ハッと顔を上げる。

 すると、女の子はまた笑顔を浮かべていた。けど外が暗いせいか、、今度はニタニタと気持ち悪く感じたわ。

 そして、人形劇の続きだと言わんばかりに人形を抱えると、無言でぎりぎりと、脚を引きちぎろうとしだした。

 

『ちょっと!いい加減にしなさい!』

 

 流石に私も怒りを感じたわ。あり得るかもしれない話とはいえ、女の子がこの場にたどり着いた以上、ふざけた冗談でしかない。ましてや悪趣味な人形劇と合わせて、一体なんの真似だ。

 ズカズカ歩いて、両手で窓の取っ手を掴む。

 

『帰りなさい、さっさと!』

 

 女の子の頭越しに体を伸ばしたまま、怒鳴り付けた、その瞬間。

 

 息を呑んだわ。その時初めて見た窓の向こう側・・・女の子の首から下の、体があるべき部分。

 下半身が、そっくり無くなっていた。腰の辺りの断面は、上からだとちぎったように歪な形に見えた。

 立っていられる訳がない。平然と話がしていられる訳がない。けど、確かにそれまで、女の子は確かに何事もないかのように顔を出していた。

 私がパニックになって固まっていると、女の子が斜め上に私を見上げてきた。目と鼻の先で視線が合う。

 

 ・・・それは、生きている目じゃなかった。目は落ち窪んで光がなく、肌は青白くて、歯を見せて口の口角がグニャリと上がる。

 

『アシ、チョウダイ』

 

 私が仰け反って扉を閉めるのと、顔に向けて腕が伸びて来たのは、同時だった。

 音を立てて、閉めようとした窓に女の子の腕が挟まる。

 

『チョウダイ、アシ、チョウダイ』

 

『いや、かえって!』

 

 窓の格子がガタガタ揺さぶられるのに混じって、女の子の甲高い声が聞こえてくる。私は目をつぶって、必死に窓を押さえていた。

 

 

 

 

 ・・・どのくらい経ったでしょうね。私は床の上で目が覚めた。最初に天井が見えて、上体を起こすと開けっ放しの窓から、太陽の光が差し込んでくる。眩しさに目をしかめて、肩が嫌に重かった。

 

 眠っていたのかな、って、ボンヤリしながら思った。あの人形も見当たらない。

 そう、あんなの夢だ。

そう考えて立ち上がろうとした時。

 

 すっ、と私のお腹の所に、人形が置かれた。持っているのは私の手じゃない。肩越しに伸びた、小さな子供の手だった。ちょうど、あの時人形を持ってきたような・・・

首筋にすう、と汗が伝った瞬間、耳元で

 

『・・・夢だと思った?』

 

・・・って。」

 

 

 

 

 「・・・ねえ、そういえば私のスカート、いつも長いと思わない?脚が全部隠れちゃう位に。

 

 ・・・中身、見てみる?

 

なーんて、冗談よ。

 

 私の話はここまで。次は誰かしら?」



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三周目・五話目―比名那居 天子

すいません、下らない話で遅くなりました。
なんで野郎のケツなんぞ一生懸命書いたんだか


 「よーし、私の番ね。

 五話目を勤めるは私、比名那居 天子。よろしくね!

 

 ・・・ねえ阿求。貴方、神様って信じる?ええ、あの拝んだりする神様よ。

 残念、私は偉いけど神様ではないの。エロくも無いわよ。あ、別に拝んでくれたっていいのよ?いいのよ?むふふ。

 ん、早苗どうかした?目ぇキラキラさせて・・・はいはい、アンタの話は次にちゃんと聞いたげるから。

 んで、えーとなんだっけ。そう、神様ね。それ絡みで、聞いた話よ。

 

 

 

 

 これは、去年の秋、妖怪の山で起こった話よ。しがない下っ端白狼天狗が、休みの日に山を歩いていた。紅葉が綺麗な時期だったのもあって、のどかな山道だったわ。

 そこにふと、気になる物が目に入った。

 

 黄や赤の落ち葉の上にポツポツと、黒くトゲトゲした丸い物が落ちている。おっ、と思って上を見上げると、案の定、栗の木が立派に成長したイガに包まれた、大振りな栗を幾つもぶら下げている。

 彼は大喜びよ。見たところまだ誰も手をつけていない。早速上着を脱ぐと、まずは地面に落ちた栗のイガを踏みつけて剥いた。そうやってあらかた地面の栗を採っただけで、包んだ上着の中で固い実がじゃらじゃらと煩い音を立てた。

 その時点で十分すぎる位採っていたのだけれど、頭上の数え切れない程の栗を見ると、まだ満足出来ない。それはもう、少し揺らせばドサドサ落ちてくる位あるんだもの。足下の石でもぶつければ、もっと。

 そこで、彼は食べきれるかどうかの心配も忘れて、いつまでも枝に向けて石を投げては、落ちれば落ちただけ栗をかき集めていった。

 栗をぎっしり詰めて手が震える程の重さになった頃、気づけば日はすっかり傾いて、景色が茜色に染まっていた。

 流石にそろそろ帰るか、と彼が腰をあげる。するとヒヤリとした夕暮れの風が背中を撫でた。

 寒かったのかしらね。彼はようやくの帰り際になって、よせば良いのに木の根本にオシッコをして、意気揚々と栗を抱えて帰って行った。

 

 

 

 

 その日の夜。

 虫の声も止んだ丑三つ時、彼は妙な寒気に苛まれて眠れずにいた。隙間風とか、そんなものじゃない。なんだか、布団まですり抜けてくるような、底冷えする冷気だった。

 暫くは彼も気のせいだと思って寝ようとしたのだけれど、冷気は収まるどころか一向に消えない。イライラして寝返りを打とうとした時、彼はギクリと目を見張った。

 

 体が動かない。意識の上では確かに壁の方を向いた筈なのに、背中は布団に張り付き、手足は誰かが押さえつけているように重く、視線すら天井に釘付け。

 すわ金縛りか、と眉をしかめ、どうにかもがこうとしたけれどピクリとも動かない。焦って視線をグルグル忙しなく動かすと、視界の端に二人の影が映った。

 

 二人とも同じくらいの背丈で、一人は袖の膨らんだふっくらした服に、葡萄がくっついた変な帽子。もう一人は色は見えないけど赤っぽい服に、頭に葉っぱのようなアクセサリーを着けている。

 彼はハッとした。あの、山に姉妹で棲む秋の神様じゃないか。

 眼球をギリギリ横にずらしたままじっとしていると、二人で何かの袋をズルズル引き摺って歩み寄ってきた。彼の顔のすぐ横にその袋をドスンと置くと、彼の左右から見下ろすように座り込んだ。

 

『こんばんは』

 

 葡萄つきの帽子を被った妹がニコリと微笑んだ。彼は口さえ動かせず、話も出来ない。

 

『私は静葉。秋静葉だ。こっちが妹の秋稔子。

今夜来た理由は他でもない。貴様が卑しくも栗の木に小便をしおった件についてだ』

 

 姉の方が厳しい表情で淡々と言った。白狼天狗もまずい状況だと察したでしょうね。どうにか口を利こうとモゴモゴしていると、『おっと』と姉が呟いて、ついっ、と指を微かに動かした。

 すると、白狼天狗の口が途端に開いて一気に空気が入り込む。胸が苦しくてひとしきり咳き込み、困ったような顔の二人に、おずおずと尋ねる。

 

『あの・・・俺は何か罰を受けるんで?』

 

 ひきつった笑顔で姉妹を交互に見ると、二人は薄ら笑いを浮かべて顔を見合わせた。眉をしかめた瞬間、姉の方が、彼の傍の袋を引き寄せて歯を見せて笑い、口を開く。

 

『ここにあるのは貴様が採った数と同じだけの栗がある。

但し、イガつきのな』

 

 姉が袋を揺らすと、艶のある皮がぶつかるあの音ではなく、ガサガサと耳障りな音が鳴った。

 白狼天狗が眉をしかめると、急にひょい、と体が浮き上がった感覚がした。

 

『わ、わっ!?』

 

 いきなり体が軽くなったような気がして彼は焦ったけれど、金縛りは相変わらず解けない。幾分か近くなった天井に視線を写すと、妹がひょいと覗き込んだ。

 

『今特製のお布団敷くからね~』

 

『ふ、布団?』

 

 どうやら妹に持ち上げられているらしい白狼天狗の耳に、姉ががさごそと、先程の袋から何かを取り出す音が聴こえた。

 そういえばイガつきの栗がどうとか・・・、そう彼が巡視した瞬間、また不意にドスン、と下に落とされる。相変わらず手足は動かないままだったから、為す術もなく全身を打ち付けた。

 ところがね、背中の感触は、予想した敷き布団のものじゃなかった。何やらもぞもぞした、落ち着かないものが一面に敷かれている。なにこれ、と口に出そうになった、次の瞬間。

 

『―いっ・・・!?』

 

 にわかに肌を刺すような痛みが走り、彼は声にならない悲鳴をあげた。

 正体はすぐに見当がついた。栗だ。例のイガつきの栗に体を横たえる格好なのだ。この針のむしろのような激痛は敷き詰められた栗に違いない。

 

『いだだだだだ!!』

 

 彼は身をよじる事も出来ずに叫び続けた。気を付けでぶっ倒れた姿勢だったから体を庇うものはない。重力にしたがってイガが服の生地を突き抜けてブチブチと体に食い込んでゆく。

 

『ちょ、ギブ、謝りますから!許してぇ!』

 

 彼は情けない声で言った。まあなんとも間抜けな格好なんだけど、普通なら反射的に仰け反って転げ回るところを、出来ないんだからねぇ・・・。意外と辛かったんでしょうよ。

 しかし、姉妹の行動はまだ続く。

 今度は、寝巻きの帯を緩め始めた。

 

『え、ナニしてんですか!?』

 

 着物が左右にばさりと開かれ、彼は仰天した。ところが剥いだ妹は涼しい顔。

 

『だって、服越しじゃ物足りないでしょ?』

 

『ふぇ?』

 

 まさか、と聞き返そうとした瞬間。

 

『そーれっ』

 

 まな板の上のカレイみたいに体をひっくり返される。そしてさっきとは比べ物にならない痛みが胸から足先にかけて電流のように走った。

 

『んぎゃああぁー!』

 

 裸に剥かれた分だけ激しく、満遍なく栗が食い込んだ。とはいえ場所によって痛みは違うんだけどね。腰を引けず、痛みも引かず、とうとう黙りこんで涙まで流しちゃった。

 

 でも、神様ってのは無慈悲なもんよ。あっけらかんとこう言ったの。

 

『じゃ、次は掛け布団だ』

 

『ほら、袖を脱がして、と・・・』

 

 二人は寄ってたかって彼の着物を脱がした。そして背中の襟を掴んでずり下ろし、毛の逆立った尻尾が露になる。

 

『や、下はまずいですって!』

 

『案ずるな。私は葉っぱの神様だ』

 

『だから何!?』

 

 

【挿絵表示】

 

 

 哀れ、真っ赤になった白狼天狗の抗議も空しく、彼は針ネズミみたいになった自分をぼんやりと想像しながら、いつしか意識を失っていた。

 

 

 

 

 ・・・彼が目を覚ました時には、もう日が高く昇っていた。

 

『はっ!』

 

 汗だくの体を起こす。起きた拍子にキチンと被さっていた掛け布団が捲れ、乱れた着物がずるりと肩を滑る。

 

 はぁはぁ言いながら辺りを見渡すと、彼以外には誰もおらず、イガのついた栗など一つもない。

 夢だったのか、そう胸を撫で下ろして、水でも飲もうと彼は井戸に向かおうとした。

 

 すると、玄関まで行った彼の目に、あるものが留まった。

 

 彼が採った栗。数が多すぎたので処理もせず、袋に詰めて涼しいからと土間に置いたものだった。

 

『あー、これも早めに食べなきゃな。あの神様なんぞ気にせず・・・・』

 

 等と呟きながら、何気なしに袋を覗き込んだ。すると。

 

『いっ・・・』

 

 一瞬息を呑んで、中の"それ"が動いた瞬間、彼は土間に尻餅をついて叫んだ。

 

『うぎゃああああア~~~っ!!』

 

 袋のなか一杯に、栗から孵化した虫がモゾモゾと動き回っていたんですって。彼は神様の祟りだと言って聞かなかったそうよ。

 

 

 ・・・これで話は終わり。さ、次を頼むわ』



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三周目・六話目ー東風谷 早苗

 「えー、六話目ですね。東風谷 早苗です。

 ・・七人目の人はまだですかね?あまり遅くなると、今はまだでも、雨とか降ってくるかもしれませんよ。

 私、雨は苦手なんですよね。肌寒くて、地面はぬかるみますし、湿っぽくて汗なんかかいたらもう最悪です。

 

 それに・・・

 私事なんですが、怖い記憶もありまして・・・。ええ、今からお話致しますよ。

 

 

 

 

 先日、昼頃に里での布教活動を終えて、山の神社に帰ろうとしていた時です。

 里を出て舗装もされていない道を歩きながら、ふと神社のある山の頂上に視線を向けると、空にフヨフヨと誰かが浮かんでいるのが見えたんです。

 最初は人間かと思ったんですが、普通の人間が飛んでいるなんてあり得ないですから。もし妖怪だと里に向かわれたらまずいと、注意深く目を凝らしてみたんです。

 すると正体はすぐに分かりました。水色の髪に服を着た、多々良 小傘(たたら こがさ)ちゃんという妖怪です。紫の大きい茄子みたいな傘を持っているんで目立つんですよ。

 彼女は妖怪とは言っても、捨てられた傘のしがない付喪神でして。幸い人に害を為す類いではありません。それで取り敢えずは安心したんですけど・・・

 

 彼女、少し面倒くさいところがありまして。会うたびに『どうだ妖怪だぞー怖いだろー』みたいなアピールをしつこく繰り返してくるんですよ。そして驚いたら、その感情が彼女の妖怪としての栄養となる訳ですが・・・

 

 その時は早く帰りたくて、鉢合わせで時間を食いたくもなかったものですから。ちょっと大変だけど、空を飛ばずに徒歩で山を登る事にしたんです。

 

 

 ・・・ところが、これがまた辛いものでして。

 

 元々山には妖怪しか住んでいなかったものですから、道は酷く険しく、人間が歩くようにはそもそも出来ていないのです。道中では白狼天狗がピリピリした雰囲気で見張っていますし、野良妖怪に襲われないように注意しなければなりません。

 

 軽い気持ちで歩いて登った落ち度はありますけど、なにぶん体力に自信がある訳でもなし。曲がりくねった道なき道を歩くうちに、さっさと帰りたいとばかり思うようになりました。

 

 そんな時に、ふと目の前の道が二股に分かれているのに気づきました。いえ、ただ分かれているだけならさほど気にしなかったでしょうが、その時は少し妙だったんです。

 一つの道は不自然に大回りで膨らんでおり、もう一方は狭いけれど真っ直ぐ伸びており、分かれたすぐ入り口に縄が張ってありました。

 いかにも"入るな"といった雰囲気です。でも今まで山道を通った通った事も少なく、その縄を張られた道がどういう場所なのか私は当時、ついぞ知りませんでした。

 だから気にせず、遠回りは嫌だからと縄を乗り越え、狭い方の道に入って行ってしまいました。

 

 歩いて暫くしても、特段変わったものは見当たりませんでした。敢えて言うなら見張りの白狼天狗をメッキリ見なくなった事と、道がいつの間にか切り立った崖の中の峠道に入っていった事が気になりました。

 『ああ、だから見張りも立ち入らないのかな』と、片側の剥き出しになった土壁に手をつきながら、慎重に進んでいきました。

 そうして、山に入って十分程たった頃です。

 

『早苗!』

 

『ひゃあっ!?』

 

 背中から大声で呼び止められて、危うく崖の方に転びそうになりました。

 振り返ると、最初に目に入ったのはやけに大きな傘。いつの間について来たのでしょう。はぁはあと息を切らした小傘ちゃんが立っていたんです。

 

『どうかしたんですか?』

 

 私は戸惑いながら尋ねました。その時の面持ちは、とても私を驚かそうとしたり、嘘をついたりしているようには見えません。よくみたら額に汗までかいているじゃないですか。

 小傘ちゃんは胸に手を当てて息を整えてから、顔だけ上げて悲痛とも言える声で言いました。

 

『こ、この先に行くの・・・?』

 

『? ええ』

 

 変なことを聞くものだと、首を傾げました。その道は真っ直ぐな一本道で、私の家は頂上にあるんです。道を選ぶ理由も、変える理由も、ありはしません。

 

『どうかしましたか?』

 

『え、いや、なんて説明したらいいのかなぁ・・・』

 

『?』

 

 小傘ちゃんはしどろもどろになって愛想笑いしていました。なにかこの先に行くとまずいのか、私は理由を聞くにも帰路を急ぐにも、じれったくなりそうな気配を感じました。

 

『ま、歩きながら聞きますよ。ほら・・・』

 

『あー!待ってー!』

 

 とにかく歩を進めようと私が踵を返すと、彼女は私の袖を掴んで子供のように叫んで止めました。つんのめって振り返ると、上目遣いで訴えるような視線。ならばと今度は来た方向に体を回しました。

 

『じゃ一旦戻って・・・』

 

『それもダメー!』

 

 袖を掴んだまま私を軸に半回転しながら、小傘ちゃんは私を引き留め続けました。なんだろなぁ、てな気分で私は彼女の手を払いました。

 

『何なんですか、一体』

 

『行く戻るの話じゃなくてさ、その・・』

 

『はあ・・・』

 

 小傘ちゃんは口ごもるのを一旦息をついて止め、私に向けてひょいと手を差し出しました。

 

『私と一緒に歩いて欲しいのよ』

 

『へ?』

 

 差し出された手と小傘ちゃんの無理したような笑顔を交互に見て、私はポカンとしていました。小学生じゃあるまいし、息咳切らして駆けつけて相合い傘もないでしょうに。

 返事に困っていると、彼女は勝手に私の手を取るや、傘の中に強引に引き込んで、元の道を歩き出しました。

 

『え、ちょ・・・』

 

 ぐいと体を引っ張られ、思わず抗弁しかけました。しかし、さっきまでおどけていた癖に黙ってスタスタと歩くので、むっと言葉を飲み込んで、ついていく事にしました。

 思い返せば私は彼女と会うのを避けてこの細道を選んだ筈でしたが、何故か追いかけてきた上に一人では行くも戻るも却下だと言われ、何故か二人並んで歩くことになり、結局近道も何も意味が無くなりました。

 やれやれと息をついた時。また『早苗』と彼女が呼び掛けてきました。

 

『何ですか?』

 

 少々私はうんざりしながら振り向きました。しかし、彼女の表情を横目に捉えて、ん、と言葉に詰まってしまいました。

 その表情はいつになく真剣な、緊張したものでした。いつもはお気楽そうな子なので私は一瞬面食らい、それが直らない内に彼女はこう言いました。

 

『ここから先は、目を瞑って』

 

 はて、相合い傘で目を瞑れとはどういう事か。キスを迫るような意味には決して聞こえません。そのような意味の必死さではないのでした。彼女は眉間にシワまで寄せて真剣そのもの。返事にしばし窮していると唇をきゅうっと結び、小さく肩を震わせはじめました。まるで緊張して余計な説明をする余裕はないとでもいうように。

 私は不可解な気持ちでした。一体この先に怖いものでもあるのか。いくら大人しいとは言っても妖怪が人間に心細さまで埋めて欲しいと、不安になるものでしょうか。

 色々と真意を推測は出来ましたけど、口許が見るからに強ばった彼女にそれを喋らせるのは気の毒で、私は結局瞼を閉じ、手を引かれるままに再び歩き始めました。

 

 それからの道中、当たり前ですが前は見えません。当てになる感覚は小傘ちゃんが手を握り、引っ張る感触と、二人ぶんの足音、後は時折木々が風でざわめく音くらいです。どれも全く平和なもので、だからこそ小傘ちゃんのあの怯えとも取れる表情の理由が一層分からず、私はいつしか歩きながらウトウトと、味気ないとさえいえる山中を半分寝ながら歩いていました。

 

 その時ふと、鼻先にふうっと湿っぽい、ツンとした空気を感じました。それから間もなくポツリ、ポツリと水音が頭上の傘の上で踊り出します。

 

 あ、と思った次の瞬間には、ザアザアと土砂降りの音が辺りに響き渡りました。小傘ちゃんが傘に入れてくれているお陰で、濡れはしません。ただ、音で目が覚めてしまいました。

 

『急に降ってきましたね』

 

 私はさっきから黙々と歩いていた小傘ちゃんに言いました。傘の付喪神である彼女は雨が好きだったんです。

 ところが、その時に限っては何故か、一言も話さずにいました。何か私は怒らせる事でもしたんだろうか。つい目を開けてどんな顔か見てやろうと思いましたが、それも思いとどまり、また二人で同じ歩調で、今度は雨の中を進んでいきました。

 ただ、心なしか繋いだ手が汗ばんでいるように感じられたのを覚えています。他ならぬ真ん中が濡れるわけもないですし、緊張しているのか、一体何に?といぶかしみましたが、話しかけるのは止めておこうと決めました。

 雨足はますます強くなり、傘に当たる雨音もダバダバと重たい音に変わっていました。

 それだけでは飽き足らず、傘の折り目を伝って、堪えきれなくなった雨水が私の肩にかかりました。きゃ、と悲鳴を上げても仕方ありません。もとから少々入りきらなかったのもあって、私のはみ出した肩はびしょ濡れです。

 

『うぅー・・・』

 

 心地悪さをどうする事も出来ず、情けない唸り声が漏れました。私の巫女服は見ての通り腋が丸出しの独特なもので、地肌に直に雨水が引っかかったんです。しかも湿気のせいか妙に生暖かく、べっとり張り付くような、ぬめりさえあるように思えました。

 私は気休め程度にしかならないと知りつつ、努めて肩を竦めました。ただ、雨は止んでくれませんし、縮こまると今度は窮屈で、煙草の煙に巻かれるような、しつこいストレスを感じました。

 そんな風にストレスを意識すると、悪いことにどうでもいい小さな事にまでイライラしだすものです。

 例えば、地面。雨のせいか土がグニグニと柔らかくなり、滑るどころの話ではありません。まるで何者かが足を掬おうとするかの如く、地面を踏んだ途端に右へ、左へと確かに引っ張られるのです。私は崖に面した側を歩いていたので、つい反対側、小傘ちゃんの方に体を寄せました。

 ところが、それが裏目に出ました。崖に近い脚で地面を蹴ろうとした拍子にずるんと足を持っていかれて、私はあっという間に崖下へと体全部を滑らせました。

 

『あぅ―』

 

 声にならない悲鳴、というより空気が喉からせりあがる感覚がして、一瞬飛べることも忘れて死を覚悟しました。

 しかし、その刹那、小傘ちゃんと繋いだ手にぐりぎりと鈍い痛みが走り、私は殆ど引っ張り上げられるように元の位置に戻りました。

 

『大丈夫?』

 

 囁くように小傘ちゃんが言いました。バタバタともたつく足をどうにか整え、踏みしめました。

 

『や、ご心配なく』

 

 私はこの時ばかりは彼女をやんごとなき命の恩人だと思いました。きっと目を開ければ後光が差しているに違いない。そうおバカな事を考えると同時に、こんな時にまで律儀に瞼を閉じていた事に我がことながら呆れました。

 

 ともかくまた歩き出した訳ですが、小傘ちゃんはそこから先不安になったのか、腕を掴んでぐいと自分の方に引き寄せてきました。

 近い近い、と笑いそうになりましたが、どうして。その掴む手はますますじわりと汗ばみキツくなり、寄せあった肩はぶるぶる震えています。

 さては寒さで気分でも悪いのか、そう思って尋ねようとした時です。

 

『近づいたらダメ。近づいたらダメ』

 

 確かに聞こえました。傍に引っ張られてやっと耳に届くくらいの、か細い声。

 私に向けての台詞ではありません。他ならぬ本人が離してくれないのです。では一体何に?

 

『近づいたらダメ。ダメ』

 

 私の疑問を余所に彼女は同じ事を呟き続けていました。上ずった声で、怯えたように。

 何者かが、危険が迫っているのでしょうか?妖怪、猛獣でもいるのかと思いましたが、唸り声、近寄ってくるような音の一つさえしません。相変わらずの激しい雨音が響くだけです。

 とうとうこの目で見なければ分からない。ただ事ではないと思いまして、すう、と目を開こうとした、その瞬間でした。

 

 あんなに煩く降っていた雨が、トンネルにでも入ったかのようにパタリと止んだのです。

 

『あれ?』

 

 反射的に目を開けて周囲を確かめようとしました。眩しい光が射し込みます。う、と唸って何度も目をしばたかせると、もう歩いてすぐの場所に、見慣れた神社が建っていました。

 ああ、いつの間にかこんなに歩いたのか。小傘ちゃんに傘のお礼を言わなきゃ。

 そう思って私が振り返った時。

 

『じゃ、じゃあまたね!』

 

 小傘ちゃんは私の手を突き放すような勢いで払い、脱兎の如く、私には目もくれずに飛び去っていきました。

 

『あ・・・』

 

 つい呼び止めようとしましたが、彼女を目で追って空へと顔を向けた瞬間、ギラリとした太陽の光が照らし、反射的に目を伏せてしまいました。顔をあげると、もう既に影もありません。

 

『何なんですか、もう』

 

 呼び止めてから去り際まで、秘密にしている事でもあるのか、しばし首を捻っていましたが、いずれ我が家へと足を向けました。いつも通り平和そのもの。境内では場違いな洗濯物がたなびいています。

 

『・・・あれ?』

 

 その時またふと、洗濯物、その何の変哲もない干された衣類が気に掛かりました。ハッとなって改めて周囲を見渡すと、やはりギラギラと照る太陽。虹も、雨雲も欠片もない青空が広がっています。

 まるで、雨など少しも降ってやしないかのように。

 

『そんな・・』

 

 バシャバシャと音が鳴るほどの大雨です。止んだとしても洗濯物が干せているだなんて有り得ない。妖精のイタズラだろうか?

 

 あれこれ考えながらフラフラと鳥居の前辺りに来た時、バタバタと足音を立てて誰かが走ってくる気配がしました。

 

『早苗!!おい!』

 

 見ると、神社の神様の一人である神奈子様が、血相を変えて走り寄って来たのです。そして私の目の前まで来て、膝を折ってはあはあと荒い息をしています。

 何を慌てているのかと気に掛かりましたが、私も胸の支えが取れず、出し抜けながら聞いてみました。

 

『神奈子様、さっきまで雨降ってなかったですか?』

 

『は?』

 

 一瞬沈黙が走り、神奈子様は何の冗談だ、と怪訝を通り越して露骨に怒った顔をなさいました。

 なにも怒ることないじゃないか、と私も少しムッとしたのですが、神奈子様は私の不機嫌など意に介さない勢いで、私に向けて指を指し、焦りの混じった大声でこう叫びました。

 

『そんな、訳の分からん話はどうでもいい!一体、それはどうした!?』

 

 言葉の勢いのままに突き出された指の先、神奈子様の言う"それ"はどうやら私の肩のようでした。丁度、雨水が全体に引っ掛かった方です。

 私はある意味、少しだけホッとしました。きっと汚れでも残っていたのだろう。何かしら痕跡が残っていればあれから今までの不可思議な現象を解き明かせる筈。私はそう思って、今一度、怒られるからには酷く汚れたであろう肩口を確認しようとしました。

 

 しかし。

 

『ひいっ!?』

 

 飛び出たのは悲鳴でした。

 その顔のすぐ横には、赤黒い染みがべっとりとついていたのです。泥がへばりついてひび割れたようで、鉄が錆びた臭いが漂ってきます。

 ・・・血の臭い、それもつい先程ついたものでした。しかし私にはあの時被った雨が血だなどとは信じられず、暫くそのまま呆然としていました。

 

『・・・怪我じゃ、ないのか?』

 

 痛がりもせずに黙っていた私に、神奈子様がおずおずと尋ねてきました。私は声も出さずに首だけで頷くと、神奈子様はふう、と安堵したように息をつきました。

 しかし、すぐにまた険しい顔に戻り、今度はこんな事を聞いてきました。

 

『・・・じゃ、なんだ、あの子と二人でペンキでもぶちまけたのかい?』

 

 二人、という言葉に私はピクリと顔を上げました。小傘ちゃんの事だとは思いあたりましたが、その時は目の前の血が一体何なのかという疑問で、頭が一杯でした。

 その理解も予測も追い付かない頭に、図らずも神奈子様はこんな一言をくれました。

 

『遠目に見かけたが、それでもすぐ分かるくらいに傘が真っ赤だったじゃないか』

 

 

 

 

 ・・・後で神奈子様に聞いた話では、私の通った道は以前、大雨の日に土砂崩れがあり、白狼天狗達が何人も亡くなったんだそうです。

 それからというもの、血の雨が降ったり、何かに引っ張られるように転落したり、また一度踏みいると、飛んでも誰かに捕まれるように体が重くなったりと怪現象が頻発し、とうとう立ち入り禁止になったということでした。

 

 ・・・あの時、小傘ちゃんが来てくれていなかったら、そしてもし途中で目を開けてしまっていたら・・・

 

 果たして、何が見えて、どうなっていたんでしょう・・・?

 

 私の話は終わりです。雨にはくれぐれも御用心を」



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三周目・東風谷 早苗ENDー『ついてきた』

―・・・

 

 早苗さんの六話目が終わった。

 語りの余韻も次第に過ぎ、再び部屋の中に静寂が訪れる。それぞれ接点があまりない故か、気軽に口を開ける空気ではない。

 話を聞いている間に、いつの間にか本当に雨が降り始めたらしく、しとしとと寂しい雨音が響き、縁側に通じる障子の隙間から湿った風が吹き込んでくる。

 

「あーあ、傘持ってきてねえよ、私」

 

 正邪さんが当てつけがましく舌打ちした。雨に対してか、呼び出した私かスキマ妖怪に向けてかは、分からないけれど。

 しかしその時、さっきまで無言でどこかぎこちなかった面々が、その一言に反応する。

 

「あら、お気の毒様。私は仙界を使えばすぐですの」

 

 青娥さんが鼻で笑う。続けて天子さんが天井を見上げながら、どこか自慢げに言った。

 

「私は最初から迎えを頼んでいるわ。傘も用意してくれるでしょう」

 

 雨に濡れる心配はない。二人がそう言ってすぐに、自然と四つの瞳が正邪さんに向く。ムッ、と口をへの字に結ぶ正邪さんとは対照的に、見つめる二人は揃って愉快そうに目を細めている。

 まずい、刺々しい空気が流れ出した。なんとかして話題を変えて・・・

 

「咲夜ももうじき来るでしょうね。私は雨の中を帰れやしないし」

 

 ・・・レミリアさん、空気読んでくださいよぉ・・・

 

 いや、ある意味空気を読んでいるのかもしれない。事実、比較的穏やかな二人を除いて全員、正邪さんが不機嫌そうに、頑なに視線を合わせまいとしているのを目を細めて眺めているのだ。

 

 退屈な雰囲気は確かに変わった。しかしこんな団結は嫌だ。構図が確実に苛めの一歩手前である。こんな時に七人目が来たら、七話を話す間中、遅刻がどうのと正邪さんが茶々を入れかねない。

 彼女はそういう子だ。しかし生まれついてのタチがあるにせよ、立場の弱い者に矛先が向くのはなんと空しい事か。

 

 額を押さえて天井を仰いだ。その時。

 

 入り口の戸からばしん、と叩きつけるような音がして、ドタドタと喧しい足音が近づいて来たかと思うと、居間の戸が外れそうな勢いでスパン、と開けられ、跳ね返った。

 

「こんにゃろー!散々待たせやがっ・・て・・?」

 

 正邪さんが飛び掛かるように言い放つ。しかし、眼前に佇む来客のその姿を見て、はたと固まった。

 

 その子は余程慌てていたのか、全身がずぶ濡れで冷えた服が肌に張り付き、傘を玄関にも置かずに引きずってきた分も合わせて廊下に水の痕をつくっている。額に垂れ下がる水色の髪からはやはり水が滴り、頬ばかり赤く上気させて胸を押さえはあはあと息を切らしている。

 濡れ鼠のその姿、まるで入水自殺の幽霊・・・っていや違う。この子は確か・・・

 

「小傘ちゃん!?」

 

 早苗さんが驚いた顔で立ち上がった。

彼女が駆け寄るよりも早く、小傘さんはその姿を見るや、捉えた色違いの両目をかっと見開き、怒ったような驚いたような顔をわなわなと震わせ、次の瞬間掠れながらも大声を上げた。

 

「早苗、あの話をした!?あの山の、幽霊の話!!」

 

 山の幽霊、思い当たる節がある。ついさっき早苗さんが話してくれた怪談。皆が顔を見合わせ、不安げに眉をしかめたのを見て察してか、彼女は早苗さんをキッと見据えるや泣き出しそうな声で叫ぶ。

 

「口に出しちゃダメだって言われたじゃない!そうしないと探して、ついて来ちゃうからって!!」

 

 あ、と早苗さんが小さく洩らした。その瞬間皆がギクリと身を硬くする。ついて来ちゃう、とは何か。この場にその霊が現れるのかと、口には出さないが恐怖に竦み上がっているのは分かった。

 しかし、ふと私は二人の仕込みを疑った。七不思議の誘いは前もってのもの。あらかじめ知り合いに奇異な登場をするように頼み、あたかもその場に怪現象が起きたかのように装う。そんなサプライズを計画したのではあるまいか。早苗さんの普段の性格を思い返し、無理なく予想が立った。

 

 だが、それは瞬時に裏切られる。

 

 一瞬、ポツリポツリと寂しく降っていた雨が、一転、ゴウゴウと濁流のような勢いに変わったかと思うと、ピカリ、と行灯の明かりしか無かった部屋を真っ白に照らすような閃光が走った。

 そして、ゴロゴロと龍神のうなり声のような雷鳴が響き、同時に叩きつけるような突風が縁側の障子を弾き飛ばし、全員の眼前に雨と風と雷が激しく荒れ狂う天空の一部を切り取って見せた。遠慮なしになだれ込んでくる暴風は行灯の火を吹き消し薙ぎ倒す。

 

「ひゃああっ!」

 

 開け放しになった側にいた人達が転がるようにこちらに肩を寄せる。皆で壁際に押しくらまんじゅうのように固まって小さくなり、あるものは耳を塞ぎ、あるものは隣の人に抱きつき、あるものは押し潰されそうになりながら歯だけをガチガチ言わせていた。

 

 暫くの間、全員が居間全体をガタガタ震わせるような嵐に気を取られていた。すると今度は、ゴトリ、と屋根の上だろうか、転がるような音がやけに大きく聞こえた。

 

 それが何かを気にする間もなく、バタン、バタンと叩くような音から始まって、盛んに踏みつけ、殴り付けるように激しく鳴り出し、ミシミシと天井が軋む程になった。一人ではない。何人もが神社の上で何度も何度も、最早集団で跳ね回るような煩い音を鳴らしている。

 

「ちょっと!何なのよいい加減!」

 

 レミリアさんが金切り声をあげる。嵐に雷鳴、屋根の怪。神社そのものがガタガタと風に煽られ、ますます焦燥感を強くさせた。もうこれ以上ここに居たくはない。いっそのこと目の前の、大きく穴が空いた縁側からでも逃げ出してしまおうか、パニックのあまり、そんな事まで考えた瞬間。

 

 さっきまで、障子のあった場所。今はなすすべもなく風雨に晒されている場所。その上、ここからは見えない、縁側を覆う屋根。それに乗っていたのだろうか。

 屋根の端から逆さまに、頭が覗いた。そして、ずるりと、身を乗り出すように上半身が現れる。

 手はどこにも掴まっていない。屋根から逆さ釣りにされたようなシルエットで、何に支えられているようにも見えない。

 ふと、それが見え出してから、雨風の音に混じって微かに、ポトッ、ポトッ、と雫が落ちる音がした。縁側に黒い水が小さく溜まっている。それは逆さ釣りのそれから流れ落ちていた。

 

 少しずつ、少しずつ姿が顕になり、とうとう体全部が逆さまに、此方に近づこうとでもするかのように頭を揺らしながら現れた。暗くてよく見えないが、人型だと分かる何かが、雨に打たれながら此方を見ている。

 

 何体も、何体も。

 

 一体目と同じように、ずるり、ずるり、と芋虫のように這い出し、最初に見た黒い水は最早ボタボタと何人分も落ちて溜まり、縁側から流れ出るまでになっている。

 

 此方を見る物の怪達。彼らの姿はそれぞれ少し違っていた。腕をなくした者、胸に穴が開いた者、頭の形が変わった者さえいる。

 

 ただ、狼のような耳が一つにしろ二つにしろ、生えているのが見てとれた。

 

 やはり、と小傘さんの言った事に確信を持った瞬間。

 

 がぁあ、と喉を鳴らした、ような気がした。肌が粟立つ。首筋が冷え、畳がざあっとささくれ立つ。

 

 獣の牙を顕にしながら、私達に向け、物の怪達全員が声にならない、どす黒い怨念を放ったのだった。



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三周目・東風谷 早苗END―a.神奈子様の分霊

 暫くの間、皆声も出せずその物の怪達と対峙していた。ブラブラと垂れ下がり此方を見つめる白狼天狗"だった"者らは鈍く身動ぎするだけだったが、それだけでも何故か、地獄の炎の中で蠢く亡者を想わせるような酷く暗い怨嗟の念が、肌を撫でる。

 

 皆はすすり泣いたり、フーフーと低い息を吐いたりしながら身を寄せ合うばかりで、逃げ出そうともしない。

 否、出来ないのだ。さっきまであれほど腰を抜かしておののいた嵐でさえ、今や耳障りな雑音でしかない。

 

 ぬるりとした泥に呑まれるかのように、悪意にまみれた霊の悪寒が包み込む。激しい頭痛に吐き気が襲い、呼吸まで首を絞められたかと思うほど苦しくな

り、ヒュウヒュウと音を立てて必死に空気を交換した。

 

 いつの間にか額にじんわりとかいていた汗が、やけに冷ややかに首筋を伝った。瞬間、ほんの少し思考が回復し、途端に『死』を予感した。私は、神社に湧いて出た亡者達に殺されてしまうのだろうか。

 嫌だ。どうにかして助かりたい。

 目を閉じ、天に祈ったその瞬間、ざっ、と誰かが動く音がした。

 

「えっ」

 

 誰だろう、そう思って恐る恐る目を開けると、そこには暗くて分かりづらいが緑色の長い髪がたなびいていた。

 

 早苗さんだ。いつの間にか私達を庇うように立っている。そのせいか身体中を駆け巡る悪寒が幾らか和らいだ。

 ホッとして一つ、瞬きすると、次の瞬間早苗さんは力むように肩をいからせ、そして案山子のようにぴん、と真っ直ぐ硬直する。

 どうしたんですか、思わずそう叫ぼうとした瞬間。

 突然早苗さんの体がガクガクと揺れ始め、何故か足だけは畳にしっかり根ざしたまま、ブンブンと上下左右に頭を振って痙攣しだした。

 何だ、早苗さんの身にまで何が起こった。事態についていけず混乱していると、頭越しに白いもやのようなものが上るのが見えた。

 注視すると、ガクンと早苗さんが顎を殴られたかのように上を向く。そしてもやだと思っていた何かは、上向いていっぱいに開かれた口から、がばっ、と音を立てて塊となって噴き出した。たちまち早苗さんの頭上を覆うようにもやが立ち込め、天井付近の、亡者の影を白く覆い隠す。

 霊障の類いだろうか。一瞬亡者や嵐の事も忘れて目を奪われていると、そのもやが突然、グニャリとうねり、細長くなったかと思うと、こちら側の先っぽがするりと尖り、もう片方に血のように赤い目がギョロリと剥いた。口をあんぐりと開ける暇もなく、今度は亡者に向けて牙をがばりと剥き、蛇そのままに宙を這って、あっという間に食らいついた。

 

 するとパアッ、と白い光が広がり、思わず目を瞑る。

 

 そして一瞬して開けた頃には、あの白いもやも、亡者達も、外の嵐さえ嘘のように無くなり、雲一つない夜の闇に、ひゅるりと冷たい夜風が吹いているばかりだった。目の前には早苗さんが、後ろ姿で分かるほどけろりとして、悠然と立っている。

 周りを見ると、皆ポカンと口を開けているか、訝しげにキョロキョロしている。私一人が夢を見ていた訳ではないらしい。

 目線を前に戻すと、早苗さんが横顔だけをこちらに向け、ふっと微笑を浮かべて『間に合いましたね』とだけ呟いた。

 

 私がまごついて返事できずにいると、彼女は恥ずかしそうにクスクス笑い、こう言った。

 

「あれ、神奈子様の分霊なんです。こんな事もあろうかと、憑けておいてもらいました」

 

 その話しぶりは妙に平然としたもので、全員がお礼も言わずにボンヤリしていたが、突如、彼女は『あ』と呟いてクルリと体を此方に向けて言った。

 

「でも念のためこの事は他言無用で。話した人の所に来るかも知れませんから」

 

 口許に指を当て、いたずらっぽく言うその姿は、確かにいつも通りの早苗さんだった。

 



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三周目・東風谷 早苗END―b.諏訪子様の分霊

 うめき声が、嵐の中だというのにはっきりと聞こえた。耳にまとわりつくかのように。

 視線は私達を見たまま微動だにしない。ギシギシ揺れている間も、一瞬も漏らさず射竦められて、背中に嫌な汗が滲んだ。

 ぼたり、と誰かの腕が落ちる。それは縁側にごろりと転がり、此方に断面を見せていた。暗い中で白い骨だけが生々しく光っている。

 ひっ、とアリスさんが声を洩らした。

 腕をなくした亡者は痛がりもしない。よくよく見てみれば、時折揺れる亡者の体は、誰かが足を持って揺らしているかのように不安定で、それ程大きく揺れてもいまいに、首、腕、足、各々の部位はてんでバラバラに、頼りなく揺れていた。

 

 しばらく目を離すのもままならず、観察する事で気を紛らわしていた。すると、ふっ、と一体の亡者が視界から消えた。

 

 刹那、ごどん、と重いものが落ちる音がした。下を見ると、亡者が無造作に横たわっている。見える角度が変わると、形、幅広さ、歪みの向きがはっきりと分かる。幻ではないと改めて認識する。

 その落ちた亡者の周りに、もう一体、二体と次々に亡者が落ちてきた。何体かはゴキリと音を立ててバウンドし、一層酷く歪んだ。

 彼らはそれきり動かなくなった。 

 

 チラチラ目線を皆と交わしながら、縁側に無造作に転がった亡者を交互に見た。どう見ても生きているようには、いや、生き物とは思えないが、見てくれは今やただの死骸である。

 今なら逃げ出せるだろうか。そんな望みが頭をよぎった。いずれ霊夢さんが帰ってくるだろう。彼女ならもぬけの殻に一人残されようが、何とかしてくれるに違いない。

 

 きっとそうだ、と一人で頷いて腰を上げようとした、その時。

 

 めき、と音がした。

 

「え」

 

 声が洩れて体がはたと止まる。ぎぎ、と音がしそうな程に首を回すと、一体の亡者が寝たまま、首を少しだけもたげていた。

 

 確かに、さっきより首が上向きに。

 

 その途端、バキバキと音を立てながら、首が糸に引っ張られるかのように体を縦に百八十度回転させ、此方に視線が向く。

 

「きゃああ!」

 

 悲鳴を上げて後ずさり、壁に肩をぶつける。足が震え、自然とまた腰を下ろしてしまった。口がべろりと裂けた亡者の顔は、私を笑っているように見えた。

 

 瞬間、バキバキと骨が砕ける音が重なって鳴り、また頭をもたげ、或いは引きずって亡者の群れが此方を一斉に向く。

 顔が抉れたもの、片目が無いもの、首が、手足があらぬ方向に曲がったもの、それらが雷光によって照らされて直後、彼らはどうやってか、畳の上をズルズルと、血の痕を残しながら這いずってきた。

 

 息を呑み、悲鳴が口をついて出る、その直前。

 

「うぎゃあーーっ!」

 

 誰かの物凄い悲鳴が聞こえた。続いてドタドタという足音に振り向いた瞬間、私の足に誰かが躓く。

 

「でっ!」

 

 顔から着地した誰かが呻く。正邪さんだ。全身を打ち付けた状態から立ち上がろうと、手をついて膝を引き摺る。そのほんの数秒間、私は彼女がもがくのを見ていた。

 その姿に、影、いや、黒いもやのようなものが覆い被さる。

 

「あ」

 

 それだけ呟いて、頭の中に鐘の音のような何かが、ごおんと響き、視界が揺れた。吐きそうになる不快感を感じた直後、黒いもやがやにわに広がり、私の意識はぶつりと途切れた。

 

 

「あ」

 

 同じような声を出して、私は意識を取り戻す。霞んでいた視界が段々とはっきりして、目の前に顔があるのが分かった。

 

「起きた?」

 

 天子さんだ。いつになく悲壮感漂う顔をしている。頭越しには、天井が見えた。私はどうも畳の上に倒れていたらしい。身動ぎするだけで鈍い痛みが走る。

 

「・・・あれ?」

 

 そういえば変だ。嵐の音がしない。

 

 体を起こして辺りを見渡すと、嵐はとうに止み、開け放しの窓からは星の瞬く夜空が見え、行灯には火が差してある。どうやらずいぶん気を失っていたようだ。

 

 すると、耳に誰かのすすり泣く声が聞こえた。見ると倒れた正邪さんを取り囲み、早苗さんが小傘さんにすがり付いて泣いている。

 

 思わず立ち上がるのも横着し正邪さんに取りすがろうとすると、レミリアさんが横から制してきた。

 目が合うと、無言で首を振る。

 

「ごめんなさい・・・私のせいで・・・」

 

 早苗さんが絞り出すような声をあげてしゃくりあげる。どれ程泣いたのだろうか、小傘さんの服に大きな染みが出来ていた。

 

「ま、もう悪霊は去ったようですし、死体は生き返りませんわ」

 

「貴女ね・・・確かにそうだけど」

 

 肩を竦める青娥さんに、アリスさんが顔をしかめた。二人が見つめる正邪さんはピクリともしない。

 ほんの少し青白い、力なく横たわる体。呆気ないものだ、そう溜め息をついた、その瞬間。

 

 ぱっ、とバネが跳ね返ったように、正邪さんが飛び上がった。ぎょっとして見ると、彼女は虚ろな目で妙な格好をしている。

 脚を開いてしゃがみ、真ん中に手をついて背を丸めている。

 見覚えのある姿勢だ。これは確か・・・

 

「・・・蛙?」

 

 口に出した瞬間、正邪さんはビヨンビヨンと本当に蛙のように跳ねたかと思うと、目の前の開け放しの縁側から、靴も履かずに飛び出して行った。

 

「・・・・・・」

 

「あれ、諏訪子様の分霊なんです」

 

 誰も何も言えずに呆気に取られていると、早苗さんがポツリと言った。

 

 

「ああやって安全な場所まで逃げて、時間がきたら黄泉ガエル・・・らしいです」

 

 しょうもない駄洒落にも笑う気は起きなかった。その日は帰ってきた霊夢さんに怒られながら血を拭き取って障子を直した頃には、もう夜が白んでいた。

 

 

 

 

 正邪さんはあの後、気が付くと妖怪の山の中腹にある沼の畔に、泥だらけで倒れていたそうだ。ただ小傘さんが来てからの記憶がなく、沼の近くの祠が光っていたのだけを妙にハッキリと覚えている、とのこと。

 

 それにしても、山の途中までずっとあの蛙スタイルで行ったんだろうか。気になるのは、その一点である。



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三周目・東風谷 早苗ENDーc.神社生まれのRさん

 

 屋根から逆さに列をなす、亡者の群れ。そいつらとにらみ合い、もう何時間にもなる。だのに相変わらず雨足は変わらないどころか更に激しくなり、雨垂れはボダボダと乱暴な音を立てる。

 縁側に流れ落ちた血が雨と混じり、黒い景色の中で灰色の光が妙なシルエットを写し出す。

 

 重苦しい空気もそろそろ限界だ。身体中を張り付く汗は最早外にいるのか中にいるのか分からないほどにジットリと湿り、猛り狂う心臓と対照的に表面ばかりを嫌な感じにヒヤリとさせる。

 

 息を吐くのもままならず、かふ、と咳のようなものを吐き出した瞬間、ふわりと少しだけ空気が変わった気がした。

 

 え、と思って辺りを見渡すと、天子さんがゆらりと立ち上がり、前に進むんだか戻るんだかぎこちない足取りで私達の前に立つ。

 

 物の怪達の前で仁王立ちする天子さん。立ち向かおうというのか。そんな心配を吹き飛ばすように、天子さんは片足を前に出して畳にめり込む程に踏みしめ、背を向けたままこう言った。

 

「桃にはね、神聖な力が宿るの。」

 

 帽子にくっついた桃をもぎ取り、前屈みになって片手の桃を背に隠す。この構え、どこかで・・・

 

「イザナギが黄泉の国を訪れた際、襲いくるイザナミ達を撃退した聖なる果実・・・」

 

 両手で桃を掲げ振りかぶり、次に片足を踏み出す。そうか、これは野球!

 

「喰らいなさい!江夏も真っ青の、退魔の一球!」

 

 深く踏み込み、弦を離れた矢のごとく桃が天に向けて飛んでいく。

 それは亡者の間をすり抜け、雨粒をその勢いで放物線のままに弾けさせながら、その勢いで小さくなり、星となって、消えた。

 

「・・・・・・」

 

 

「退魔の一球(笑)」

 

 

 正邪さんが鼻を鳴らした。亡者の群れが攻撃を察してか、狼の雄叫びをあげる。ギシギシと狂ったように体を揺らす姿を見て、天子さんが小さく飛び上がった。肩がプルプル震えている。

 

「うわーん!」

 

 踵を返して泣きながら、何故か私にしがみついてきた。遠慮なしのボディプレスが襲いかかる。私は元来軟弱なのだ。天界の桃を食らって頑強になった体は、最早凶器に等しい。というか、これでは逃げられないではないか。

 息も絶え絶えにもがきながら、やっと顔だけ自由を確保する。天子さんの髪で半分隠れた視界には、既に目に見えて邪気を放つ亡者達がいた。

 

 もう駄目だ。天子さんにしがみついて死を覚悟した、その瞬間。

 

 

 

 どばしゃあ、と泥を吹き散らしながら、目にも見えない速さで空から何かが降ってきた。目を見張ると、その人は不敵に顔を上げる。

 

「待たせたな」

 

 雨に濡れた艶かしい黒髪、赤いリボンに泥を被ってはいるが紅白の鮮やかな、変な巫女服。

 神社生まれのRさんだ。

 

 Rさんは口から何かの種をプッと吐き出し、御札を掲げる。

 

「人々に仇をなし、桃までぶつける小悪党め!

破あぁーーーーーーーーーッ!!」

 

 叫ぶが早いか御札が亡者の背中に刺さり、目も眩むような白い光と共に亡者達が紙屑のように消え去った。

 

「七人目が登場するとろくな事がない。覚えておくことね」

 

 Rさんは呆気に取られる私達を尻目に縁側に草履を放り出すと、濡れた体も気にせず居間を素通りして寝室に去っていった。

 

 神社生まれってすごい。改めてそう思った。



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四周目
四周目・一話目―東風谷 早苗


 「一話目、ですね。張り切っていきますよ!これは私の・・・

 ・・・あ、ごめんなさい、まずは自己紹介ですね。妖怪の山の神社で風祝をしております、東風谷 早苗です。どうかよろしくお願いいたします。

 

 それで、その神社なんですけど、元々幻想郷にあったものではありません。私達が外の世界での信仰集めに行き詰まり、幻想郷に居場所を求めてやって来た、その時に持ってきたものなんです。

 

 少し前に、その神社に人が訪ねてきた事がありました。文さん、っていう烏天狗なんですけど、あちこち飛び回っていますからご存知ですよね?新聞を作っている方です。

 その新聞に載せる写真がパッとしないだかなんだかで、山のてっぺんの神社まで来て幻想郷を見渡したりなんかしていました。

 色々と悩んでいらっしゃったようで、掃除をしている私にも、カメラを片手にちょくちょく話しかけてきました。

 

『早苗さん、最近変わった風景とか見ませんでした?』

 

『さあ・・・そんな事があれば先に異変解決に乗り出していますよ』

 

『ちぇー、"白狼天狗のブラックな実態!"、なんてやったら干されますし、うーん』

 

 文さんは相変わらず大した閃きもなく、私に暇潰しのように話しかけてはその辺をブラブラしていました。私は正直相手をするのが面倒になり、いつしか生返事をしながら仕事の方に集中していました。

 そんな時、文さんがふとあるものに目を留め、すかさずシャッターを押し始めました。

 シャッター音につられて視線を向けると、彼女がカメラを向けた方向には、神社に隣接した大きな湖がありました。一枚ではなく、ここぞ、といった感じに何枚も撮っています。

 

『そんなの撮って、珍しいんですか?』

 

 私は声を張って訊ねながら、首を傾げていました。神社に来るのが初めてでもあるまいし、彼女は見飽きているだろうと思ったんです。しかし、彼女は振り向きながら、胡散臭い笑みを浮かべ、こんな事を聞いてきました。

 

『早苗さん、この湖って、元々外の世界のものですよね?』

 

 確かに、それは向こうにいた頃から神社の敷地内にあったものでした。しかしそれがどうしたんだろう、と思っていると、文さんは途端に目を輝かせ、手をぱちんと打ってこう捲し立てたんです。

 

『思い付きましたよ!あの湖の中なら、外の世界での生態が生きている筈です!一丁、それを紹介しましょう!』

 

 文さんは言うが早いか、湖の側に目にも止まらぬ速さで飛び付いて、水面を覗き込みました。『魚はいないかなー』なんて言いながら、手で水の中を掻き回したり、水の上で手を叩いたりしていました。

 金魚も鯉も居やしませんよ、と呆れていると、『いやぁ、出来れば生き物の写真が欲しいんですよねぇ』と言って、カメラを持ち出しました。

 

『いざとなれば桶一杯汲んで、永琳さんに顕微鏡で見てもらえばいいんですが・・・』

 

 その後もブツブツと何やら喋っていましたが、それは最早独り言の域で、目線はカメラを構えたまま水面をいったり来たりするばかり、暫くは何を言っても離れそうにありません。

 

 記者の根性、とでも言うのでしょうか。迷惑になる事もあるにせよ、熱意はあるのだなぁ、と妙に感心しました。

 しかしその傍ら、水辺にかじりついてキョロキョロする姿を見ていると、ぼんやりとおかしな連想をしたりするもので、つい餌を落としたカラスの笑い話を思い出してしまいました。

 カラスが川に映った自分を敵と勘違いし、威嚇して鳴いたらくわえていた餌を落っことした、てな話です。

 思い出して、俯いてクスクス笑ってから、天狗とあろう人がそんな間抜けな事をするわけない、と思い直し、

 顔を上げた、その時でした。

 

『ひゃあっ!?』

 

 文さんが急に叫び声をあげて跳ね上がったかと思うと、手からカメラを滑り落として、そのまま湖にボチャンと落としてしまったのです。

 

『あ、あーっ!!』

 

 大事にしていた商売道具を落として焦った文さんは、すっとんきょうに叫びながらも咄嗟に腕から顔にかけて一気に水の中に沈めました。

 何も笑い話そのまんまのドジをしでかさなくても、と吹き出しそうになりました。しかし、どうにもその後、様子がおかしい事に気付きました。

 

 片腕と頭を水に突っ込んだ姿勢のまま、それきり文さんはピクリとも動かなくなったのです。

 大事なカメラを必死に探している、というには深く手探りするような仕草が見当たらないのは不自然ですし、第一息継ぎもせずにジッとしていられるような短い時間ではありませんでした。

 ここまできて流石に笑ってもいられなくなりました。さては岩の出っ張りに頭でもぶつけたかと心配になって駆け寄り、強引に引き上げようとしたんです。

 しかし。

 

『うっ・・!?重っ?!』

 

 上半身を起こすだけの筈が、その体は手にズッシリと重くのし掛かってきました。どう考えても体に力が入っていません。本当に意識を失っているのかもしれない。のっぴきならない状況だと恐れを抱いて、思いっきり弾みをつけて引き上げました。

 

 ざばぁ、と音を立てて、ずぶ濡れの頭が飛び出し、次にびしょびしょのカメラを掴んだ腕がだらんと岸辺に垂れ下がりました。

 

 倒れないように支えてやると、そのまま文さんは正座の脚に上半身をぼんやりと起こしました。そのまま昏倒するような事はなく、取り敢えずはホッとしました。

 

 ・・・しかし、今度はいつまで経っても立ち上がろうとしません。膝はぺたんと地面に着けたまま、体は案山子のように真っ直ぐ、つついたらそのまま倒れてしまいそうでした。それどころか濡れた髪を払いもせず、さながら幽霊のように視線は空の一点を見つめています。

 

『文さーん・・・?』

 

 顔の前で手を振ってみましたが、結果は同じ。私も薄気味悪くなって、肩をガクガクと揺すりました。

 

『文さん、文さん!!?』

 

 大声で、それも殆ど耳元で叫びました。それでも彼女は何も反応せず、髪の先から滴が二、三滴落ちただけでした。

 病気か何かではないか、脳がさぁっと冷たくなるような気がして、一瞬目を伏せかけた、その時でした。

 

 突然首がグリンと回り、文さんの視線が至近距離で思い切りぶつかったんです。

 

『ヒイッ!?』

 

 私は叫び声を上げて、肩を跳ねさせ、魂だけが後ろに飛び退いたような心地で固まっていました。

 彼女の目は、濡れてペッタリ張り付いた髪の毛の隙間から除くそれは、まるで薄墨のようにくすんだ色で、光がなく、生気が感じられませんでした。

 私が何も言えずにいると、文さんは『あー・・・』と呻き声のようなものを洩らし、よろめきながら立ち上がると、濡れたカメラを気にする様子も見せず、フラフラと飛び去っていきました。

 

 その姿を遠目に見ながら、奇妙なものを見たと、嫌な予感が胸の中に残りました。イタズラの演技にしては度が過ぎていますし、第一あの人はそんな悪趣味な真似をするような人ではありません。

 しかし、彼女は古くから続く天狗の組織に属していましたし、いざとなれば彼らの中で何とかするだろう。私達が勢力としては天狗たちと折り合いが悪い事も手伝って、その時は楽観的に考えたんです。

 

 

 

 ・・・それから、一週間程経った日の事です。

 

 そろそろ日付も変わろうかという深夜、玄関の戸をけたたましく叩く音で私達は目覚めました。神奈子様、諏訪子様も寝ぼけ眼で、こんな時間に一体誰だと不機嫌そうにしていました。

 取り敢えず、見るからにイライラしているお二人に出迎えさせる訳にはいきませんから、私が出て行ったんです。冷える戸口の空気を堪えて、扉を開けます。

 

『あら』

 

 そこには、白狼天狗のリーダーを努める犬走 椛(いぬばしり もみじ)さんが立っていました。元々真面目すぎるような方で、文さんのような人とは折り合いが悪い、まあそんな人ではあったんですが、その時は一際切羽詰まった顔をしていました。

 

 椛さんは私が挨拶するよりも早く、事務的な口調で話し出しました。

 

『夜分に失礼します。早苗さんに、よければ他のお二人も来ていただけませんか』

 

 出し抜けに言われ、私も、様子を見にきたお二人も怪訝な顔を見合わせました。しかし椛さんは気にする様子もみせず、いえ、むしろそんな余裕も無さそうにクルリと背を向け、顔だけ振り返り早口で叫びました。

 

『訳は道すがら話します。早く!』

 

 よく分かりませんでしたが気迫に負け、大急ぎで寝間着を着替え、私と神奈子様、諏訪子様の三人で椛さんの後について行きました。

 

『これから文さんの家に来てもらいます。確か一週間前にそちらへ行きましたね?』

 

 顔は前を向いたまま、椛さんは半ば決めつけるような勢いで言いました。どういう事か、と訪ねるとあれから文さんがどうしていたかを教えてくれました。

 

 聞くところによると、神社に行くといった次の日、連絡もなしに仕事場に顔を出さない、といった事があったそうです。同僚が様子を見に行くと家には鍵がかかっており、"ああ、何かネタを見つけたからサボったのかな"とその日は放っていたらしいです。

 ところが、次の日も、また次の日も、依然として家は開かないままで、流石におかしいと思った彼らは、遠くの人の居場所や風景を写真に写し取れる、超能力者みたいな天狗に助けを求めたそうです。

 ところが・・・

 

『文さんの姿を撮ろうとした写真は、ノイズだらけだったんです。一面が砂嵐のようでした』

 

 椛さんは生真面目さを残しつつも、随分と沈んだ声で言いました。

 

『念写した本人も"こんな事は初めてだ"と言いまして・・・流石に笑えなくなり、無理矢理文さんの家に押し入ったんです』

 

 段々と椛さんの声は小さくなっていき、終いには消え入りそうに震え、ふっ、とその場に止まってしまいました。

 

『何か・・・あったのかい?』

 

 心配した諏訪子様が、背中越しに声をかけました。その途端、椛さんは私達の

方にバッと振り向き、さっきまでの淡々とした口ぶりが嘘のように怒鳴りだしました。

 

『何か、ですって!?あったに決まっているでしょう!じゃなきゃあなた方なんて呼びません。

 戸を破って、部屋に入って、そしたら・・・』

 

 捲し立てるその表情を目の当たりにして、ようやく彼女が、余程の焦りと恐怖を圧し殺していたのを理解しました。 眉には深いシワが刻まれ、顔は真っ青、目には涙が浮かび、肩をいからせ牙の間から、ふーふーと荒い息を吐いていました。

 

『誰のせいだと思っているんですか、誰の・・・!』

 

 次第に力が抜けるように肩をすぼませると、一転して顔を引きつらせ、すすり泣くように『ひっ、ひっく』と声を洩らしたかと思うと、顔を覆って俯き震えだしました。

 

『あれは・・・あの姿は・・・』

 

 私達はついギョッとして、道中その場に少しの間固まっていました。椛さんは周りの無言に気付き、ハッと息を洩らすと、目の涙を強引にゴシゴシ拭うと、『取り乱しました』と呟き頭を下げてきました。

 

『・・・とにかく、現場を見ていただければ、ご理解いただけるでしょう』

 

 椛さんはそう言ってまた先を急ぎました。私達は戸惑いながらも、その背中を追いました。

 

 

 

 

 ・・・しばらくして、眼下に文さんの家が見えてきました。降りていくと、周囲には椛さんの部下と思われる白狼天狗の方々が見張っていました。私達を見るや敬礼してきた彼らに、椛さんは『現場は変わりないですか?』と尋ねました。

 しかし、部下たちは浮かない顔を見合わせ、おずおずとこう答えました。

 

『部屋はそのままです・・・。しかし、文さんは拘束せざるを得ず、詰め所の独房に・・・』

 

 独房、と確かに言いました。閉じ込める必要がある程の、一体何が文さんに起こったのか。私の脳裏に、あの時の彼女の虚ろな目が蘇りました。

 椛さんはその答えを聞いて、額を押さえて深い溜め息をつくと、部下を退かせて玄関を開け、顔だけ此方に向けてついて来るよう促して来ました。

 

『・・・早苗』

 

 私が歩き出そうとすると、神奈子様が呼び止めました。その声はいつになく真剣で、思わず振り返ると諏訪子様まで深刻そうに眉をしかめています。

 

『アンタはここで帰りな。後は私達がやる』

 

 思わず、えっ、と声が出ました。ここまで来てそれはないだろうと抗弁したのですが、神奈子様は首を縦には振りません。それに、何故か目線をチラチラとあらぬ方向に向けるので、私はムッとしてしまいました。

 今から思うと、視線の先に何物かを感じ取っていたのかもしれません。しかし、私はそんな事まで気が回らず、焦れったそうにしている椛さんに肩を並べる形でドヤドヤと文さんの家に踏み行って行きました。

 

 中は一見、至って綺麗なものでした。居間の座布団やタンス、本棚、キチンと定位置に整頓されています。書斎も、新聞の資料らしきものが山積みになっている他は、机にも、床にも、ペン一本インク一滴も見当たりません。

 お風呂、トイレなども見て回りましたが、シミや水滴は一つもありません。

 ・・・けど、はっきり言えませんがその時、ちょっと違和感を感じました。話では、文さんは家の中にいたのを発見されたのに・・・

 

『綺麗すぎる』

 

 諏訪子様が綺麗に纏めてくれました。そうです。人がさっきまで過ごしていた筈なのに、例えば飲みかけの湯飲み、書きかけの原稿、そんな生活感を感じさせるものが見当たらず、時間が止まったかのような空間がそこにありました。

 これは、余程家のどこかに籠るような生活をしなければ出来やしない。

 少し混乱しながら先を行くと、今度は台所が目に入りました。例によって綺麗に洗った食器が水切り用の棚に、しかし少しだけ埃を被って並べられています。

 

 その下に、包丁を仕舞った棚が一つだけ、不自然に開いていました。それがふと目につくと、今度は一本だけ抜き取られているのが、見えて。

 

 それに気づいて寒気が走った瞬間、奥へと進んでいたせいでしょうか、ぞくり、と身体中に刺すような悪寒が走りました。肌がチリチリ焼けるようで、は、はっ、と息がおぼつかなくなります。

 

『大丈夫ですか?』

 

 椛さんの声に顔を上げると、いつの間にか皆さんが私より先を行って、一番奥のドアの前で待っていました。何故かついていくのが躊躇われましたが、見た目はただのドアです。

 胸の中でのムカつきを抑えながら恐る恐る頷くと、椛さんはノブに手を掛け、一気に開け放ちました。

 

 その瞬間、さっきまでと比べ物にならない、身体中を舐めるような圧迫感が襲い、私はその場にしばし立ち竦んでいました。背中にじわりと汗が滲み、気を抜けばその場に戻していたかもしれません。

 それでも前を歩く神奈子様と諏訪子様を頼りに、頭がグラグラ揺れる中で必死で部屋に踏み込みました。脳が五感を認識するのが遅れ、その光景を理解するのに十数秒はかかったと思います。

 

 そこは寝室でした。綺麗にシワを伸ばしたベッドに床にはカーペットが敷かれ、後は小綺麗な本棚に出窓、壁にカレンダー、他小物数点。カーテンは締め切られていて薄暗かったですが、しっかりした女の子なんだなあ、と感じさせる、スッキリした部屋でした。

 

 ある一点を除いては。

 

 その部屋は血まみれでした。カーペット、カーテン、壁、あらゆる場所に赤黒いシミがこびりつき、殺人現場のような様相を呈しています。床には、手酷く使ったであろう包丁が剥き出しで、やはり血だらけで転がっています。

 

 それだけで卒倒しそうなものですが、一目見て、更に私を戦慄させるものがありました。

 部屋一面にへばりついた血、それはただ撒き散らされたものではありませんでした。大きく乱暴に、しかし一目で分かる"名前"が、血文字でデカデカと書かれていたのです。

 "八坂刀売神様"、"諏訪大明神様"、"ミシャクジ様"・・・私達の神社の神々の名前が、それも一つや二つではなく、生々しい痕を残しながら無数に書きなぐられていました。

 

 私はその惨状に目を奪われ、椛さんが私達に苛立ちをぶつけた理由を悟り、とんでもない事をしでかしたのでは、と冷や汗が止まりませんでした。

 

 思えば、あの時に文さんを見過ごさずに神奈子様と諏訪子様に助けを求めるべきでした。取り返しがつかないかもしれないと、未知の変貌への恐怖に怯えていました。

 

『椛、文の居場所を教えてくれ』

 

 ふと、神奈子様の冷静な声で我に帰りました。見ると、現場を一度見た椛さんはともかく、神奈子様も諏訪子様も毅然として椛さんに事情を聞いています。

 お二人には既に原因の見当がついていたのかもしれません。未だに憔悴が抜けきらない私を他所に、皆は文さんの元へ向かおうとします。

 

『あ、待ってください!』

 

 私も慌てて後を追いました。怖かったですが、あの時黙って帰してしまった罪悪感がそうさせました。

 

 

 

 

 文さんは、白狼天狗の働く建物の、がらんとした鍵つきの小さな小部屋の中にいました。

 ただ、やはり普通の格好ではありません。

 後ろ手に全身を縄で縛られ、口には猿ぐつわを噛まされて、うーうーと唸り声を上げています。

 

『文さん』

 

 椛さんが呼び掛けると、文さんはこちらに顔を向けて睨んできました。その目は血走ってぎらぎらと光り、とても話が通じる状態には見えません。

 椛さんは泣きそうな顔になって私の袖を掴んできました。文さんは彼女の心配など理解すら出来ないようで、威嚇するように姿勢を低くし、下からせり上がるような瞳を向けました。

 

 その拍子に、前のめりになって背中に縛り付けられた腕が見えました。両腕の手から肩の手前にかけて固く包帯が巻かれ、その表面にうっすらと赤い血のようなものが滲んでいました。

 

『包丁で・・・てを、グサグサって・・・』

 

 涙ながらに訴える椛さんをなだめていると、神奈子様と諏訪子様が、すぅーっと、少しも臆せずに文さんに近づくのが見えました。文さんはお二人に気付くと、さっきにもまして敵意を向けて目で追っていましたが、お二人は意に介さず、手で触れられる距離まできました。

 そして、私が止める間もなく、文さんの目の前でしゃがむと、神奈子様が手を伸ばし、とん、と頭に触れました。

 

 その途端、遠くからでも分かるほど、目に見えて文さんの体のこわばりが消えたのです。そして睨んでいた目には光が宿り、みるみる穏やかになっていきました。

 そして躊躇せずに猿ぐつわを解き、するすると拘束を解いていきました。まるでオカルト系のヤラセみたいな一幕でしたが、確かに神聖な力を感じる空間がそこにはありました。

 

『文さん!』

 

 椛さんが叫んで駆け寄るのにつられてついていくと、文さんは座ったままぼんやりと、起き抜けのような顔を泳がせました。

 

『文、大丈夫か?苦しかったな』

 

 神奈子様が頭をくしゃりと撫でました。すると、文さんは一瞬目を大きくして潤ませたかと思うと、みるみるうちに顔をクシャクシャにして、神奈子様にすがり付いてわんわんと泣きはじめました。

 

『あ、ああぁ・・・わだし、きゅうにワケわかんなくなって・・・少しでも出歩いたらどうかしちゃいそうで、それでっ・・・!』

 

 混乱しながらしゃくり上げる文さんを、神奈子様と諏訪子様は、優しく抱き締めていました。小さい頃私にそうしてくれたみたいにしばらく背中をさすってやると、次第に落ち着いてくれたようでした。

 

『文さん』

 

 頃合いを見て椛さんが再度声をかけると、文さんは今度はいつも通りの、胡散臭い笑顔を向けました。

 

『どうも椛。ご心配をお掛けしました~。あはは、鼻水垂れてる』

 

『・・・泣いたカラスがもう笑って・・・ええ、何よりです、よっ!』

 

 お二人は一旦安心すると、私達の目もはばからずじゃれ合いを始めていました。とりあえず一安心して、邪魔しない

ようにと脇に退いた際、隣に諏訪子様がいたので、二人に聞こえないようにこっそりと、何があったのかと聞いてみました。

 すると、諏訪子様はこう言いました。

 

『あれは、私達の信者だったんだよ。私達が外の世界から幻想郷に来て、その途端に、何らかの不幸があったんだろう。

あの湖がどこかに繋がっていたんだろうね』

 

 もう文さんからは離れてくれたから大丈夫だと、その時は言っていました。

 

 

 

 ・・・それからしばらくして、続けて何かあったという訳でもなく、またいつも通りの日々が戻ってきました。

 境内の掃除をしながら、そろそろ取材に来た文さんの姿も見られるかな、と考えていた所で、ちょうど誰かが飛んでくるのが見えました。

 

『こんにちわ!』

 

 やはり文さんでした。あの時の錯乱の影は既になく、すっかりいつものお調子者に戻っています。

 

『ああ、こんにちわ。あれからお変わりないですか?』

 

『ええ、ええ、お陰様で』

 

『・・・ところで、今日はどんなご用で』

 

『ああいえ、大したことないんですがね・・・』

 

 文さんは愛想笑いしながら頭を掻いたりしていましたが、私は少しばかり構えていたところがありました。

 

 というのも、彼女はいつも最初は社交的に振る舞うのですが、決まっていつの間にかするりと話を引き出そうとしてくるのです。まあ、甚だ失礼な話ですが、元気そうに見えた手前用心していたんですね。

 

 ・・・しかし、その時ばかりは彼女は小さく肩を落とし、笑顔も覇気のない、弱々しいものに変わっていきました。

 

 どうしたのかな、と首を傾げると、おもむろに懐から何枚かの写真を取り出しました。

 その写真を浮かない顔で見つめながら、彼女はこう言いました。

 

『あの・・・以前の写真をですね、一応、現像して見たんですが』

 

 その時言われて思い出しました。あの神社の敷地の湖をネタだーっと息巻いて撮っていたこと。

 水にカメラを落としてダメにしたのかな、なんて考えていると、私の方に写真を差し出してきました。

 

 それを受け取って、見てみた瞬間、愕然としました。

 

『濡れて壊れちゃったんですかね・・・?』

 

 口に出した心配は私と同じものでした。しかし、目にした写真を見れば、文さんは明らかに気休めを言っているのが分かりました。

 

 湖が写ったら写真は、周りに誰も立っていないにも関わらず、その水面に人のような形の影が何人も、何人も映り込んでいるのがハッキリと撮られていました。

 

 文さんがとり憑かれたのは、たまたま"一人"だったみたいです・・・」

 



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四周目・二話目―鬼人 正邪

 「うぃーす。二話目、二話目かぁ・・

 鬼人  正邪だ。とりあえずよろしく。

 

 で・・・怖い話な。正直なところ、思い浮かばないんだよな。不愉快な事ならいっぱいあるんだが。

 そもそも、私の話す事って、楽しめるかね?こちとらしがない天邪鬼だもんで、何かしら嫌な思いをさせなきゃ、味気無いんだよなあ。

 いや、こいつは性分だぜ。そうなったら怖い話のネタなんかも、ぺらぺら話せる引き出しなんて持っていませんや、あっはっは。

 

 ・・・え?そんなんは良いから始めろって?

 分かったよ。じゃ、とりあえず最近の出来事を一つ。

 

 

 

 

 私は、まあ今もそうだが、幻想郷をあちこち放浪していてね。屋根の下で寝るのが珍しい位で、やることもなくフラフラする生活だった。

 そんである日、特に不味い場所に踏み込んじまったことがあった。

 迷いの竹林さ。知っているだろ。あの一度入れば抜け出せないといわれている、人間も妖怪も入りたがらない難儀な所さ。

 普段からの退屈さが祟った。面白半分で歩いて抜けてみよう、なんて考えて、なんの準備もなしにテクテク入ったのが間違いだったんだ。

 結果は、見渡す限りの竹、目印どころか起伏さえありゃしない道、あっという間に迷っちまった。諦め悪くさまよっていたから、飛ぶ体力も無くなった。そんな状況で無理に空を浮かんで、もし巫女やスキマ妖怪に見つかれば間違いなく捕まるだろう。

 結局歩き続けるしかなくなって、いつしか周りはもう真夜中。飲まず食わずだったからヘロヘロで、足元もろくに見えてやしなかった。

 そのせいだろうね。急に目の前の何かにドスン、とぶつかった。

 

『あ、ごめんなさい!』

 

 頭上で慌てた女の声がして、私はそいつを睨み付けた。するとそこには、四十くらいのおばさんが突っ立ってたんだ。

 後ろで髪をお団子にして、何の変哲もない着物を着て、まあ多分里の住人なんだろう。目立つものといえば、地味なおんぶ紐と、顔の後ろからチラチラ覗く、くるんだ形の毛布。多分赤ん坊連れだったんだろうな。

 こんな場所で、それも夜中に赤ん坊を?って少し疑問に思ったんだが、そいつは私が何も言わないでいると、出し抜けにこう切り出してきた。

 

『すみません、この辺りになんでも治すお医者様がいらっしゃると聞いたのですが・・・』

 

 その顔は随分と憔悴し弱りきって、声も辛そうだった。初対面の私に向かって何度もペコペコ頭を下げていたよ。

 その様子と台詞で、なんとなく察しがついたよ。多分赤ん坊が厄介な病気にでもかかって、竹林に飛び込んだんだろう。あの薬師は里にあまり顔を出さないし、案内人もなしに夜中に来るのを見れば、余程切羽詰まっていたんだろうさ。

 それはそうと、問題はそんな奴に関わっちまった事さ。なにぶん道が分からず途方にくれているんだろうが、それは私も同じ。気の毒だがどうしようもない。

 

『悪いが知らないね。他を当たりな』

 

 私はさっさと流して逃げ出そうとした。運が良ければ道に詳しい奴に会えるかも知れないんだ。無駄な情けをかける気は無かった。

 ところがだ、女は私の背中にすがり付いて、悲痛な声で叫んだ。

 

『待ってください!私一人じゃどうしようもないんです。このままでは息子が死んでしまいます!!』

 

 掴むその手は痛い位で、声色は泣きじゃくって酷いものだった。普通の奴なら間違いなく良心が動くんだろうさ。

 けど、こちとらそんな善良な市民じゃないぜ。大体、下手に付き合って右往左往して、間に合わなかったりしてみろ。余計な恨みを買うのは御免だ。

 別々に行けば、一人は助かるかも知れないんだ。私にはどうする気もない。そう早口で言ってやりたかったけど、肝心の女がどうにも離してくれる気配がない。とうとう根負けして、溜息ついて振り向いた。

 

『分かったよ。言っとくけど私だって道は知らないかんな』

 

『いいえ、ありがとうございます。心細さが紛れるだけでも十分です』

 

 女はまた何度も礼を言って、私について歩き出した。その方角が西か東か、北か南かも分かりゃしなかったが、歩かない事にはどうしようもなかった。

 

 見える景色は相変わらず、竹が何本も群れて生え、その隙間を縫うように狭苦しい道が伸び、闇の中に溶けている。

 気まぐれで入った私も、焦って踏み入った連れの女も明かりを持っていなかったから、勘に頼るしかなかったよ。

 耳に聞こえるのは虫の声と、二人分の足音、それに薄ら寒い風の音が、時折ひゅるりと吹き抜けるだけだった。

 女は心細さが紛れるなんて言ったが、これじゃ一人と殆ど変わりゃしないだろ。

 私もどうも薄気味悪い空気に耐えられなくなって、後ろの女にちょいと尋ねてみた。

 

『そういや、あんたは竹林にどの位いるんだい?』

 

 私は昼から歩き回っていた訳だが、心細いとか言い出すあたり、もしかしたら私より先に入っていたかもしれない。そうすれば女の方が道を知っているのでは、なんて淡い期待を持ったのさ。

 けど、女は頼りない口調で答えた。

 

『さあ・・・日付けが何度か変わったのは覚えているんですが・・・』

 

『はぁ?』

 

 思わず眉をしかめたよ。日付けが、って何日も日を跨いで竹林にいるってか?私はしばらく女と見つめあっていたけれど、向こうは戸惑って目をしばたかせるだけだった。冗談、では無さそうだ。

 しかし、ただの人間が赤子を連れて、何日もあの迷路みたいな竹林を彷徨うって、にわかには信じられないよ。見たとこ奴は殆ど着のみ着のままだったし、なんの準備もなしに妖怪にも襲われずに無事だなんて、奇跡としか思えなかった。

 いや、実際に目の前にはいるんだが、確認せずにはいられなかった。

 

『アンタ、何日もその格好で歩き回っていたのか?』

 

『いいえ、一応食べ物や水筒は持ってきていたんです・・・。もう無くなりましたけど』

 

 どうやら飲まず食わずではなかったらしい。だが、それにしても子供を屋根も布団も、安全すら見込めない場所でつれ回すもんかよ。死んでしまうかもなんて抜かしたが、そりゃ病気よりもアンタのせいと違うのか。

 そんな文句が口をついて出かけたけど、あいにくその時は私も疲労困憊で、女が多少場所が分かるかもしれないって可能性の方が気になった。

 精一杯の作り笑いを浮かべて、じゃあ先を行ってくれ、とそそくさに道を譲った。女は『自信ないわ』とか言ってたが、そこをなんとか、私よりゃましだ、期待してるぜ、なんて気持ち悪い励ましを言って背中を押し、どうにか先導してもらえることになった。

 これでなんとか事態が好転してくれと願ったよ。ところが、だ。

 

 前の女は口一つ聞かず、さっきにもまして静かだな、なんて思った矢先、突然女は『あ!』と声をあげた。

 

『この辺り、見覚えがあります!こっちです!』

 

 言うが早いか、女はバタバタ駆け出した。私は慌てたけど、急いで背中を追いかけたよ。

 けど、すぐに女はピタリと止まった。急だったもんで、つんのめり思わずぶつかりそうになりながら、私は彼女を睨んだ。

 

『どうしたんだよ!?』

 

 そしたら、奴は振り返りもせずに、ポカンとした声でこう言った。

 

『・・・あれ?行き止まり?』

 

 女を避けて前を見ると、そこには到底通れそうにない程竹が密集していた。女先に進めるようなことを言ったが、どうやら道を間違えたらしい。

 女はごめんなさいと頭を下げ、引き返してまた別の道を歩き出した。私も黙ってついていったよ。迷いの竹林なんて言われる位だし、気にしても仕方がない。

 ・・・その時はそう思ったんだよ。一度ならよかった。

 

 けどその女はそれから何度も、この広場に一度来た、あの岩は覚えている、なんて言っては私を振り回した。しかもその女の予想は丸っきり当てにならず、沼に嵌まり込むわ、竹が折れて道を塞いでいるわ、兎に角ことごとく進めず引き返してばかりだった。

 

 さすがに私もいまいましく思えてきたよ。一体何がしたいんだと。たまたま会った他人に付き合ったばかりにとんだ無駄足だ。ただでさえ一向に出られずイライラしてたってのに。

 

 すでに棒になった脚を引きずりながら、私はふと女の背中の、おんぶされた赤子を見た。

 眠っているのか、或いは病気でグッタリしているのか知らないが、赤子は泣き声一つあげなかった。それを奇妙に思う余裕もなくて、私は後ろからじっとしている赤子に向けて『いいか、ギャアギャア泣き出して手間かけさせないでくれよ』と、女が振り返らないからと遠慮なく顔に出して、酷いことを念じていた。

 とはいえ、そう考えたくもなるってもんだぜ。こちとら今すぐ地べたでも寝転がりたい気分だっていうのに、見知らぬ女に付き合って、あっちに行ったりこっちに行ったり。正直もう巫女やスキマ妖怪なんてどうでもいいから、さっさと飛んで帰ってしまいたかったよ。

 

 と、ここまで考えて、私の頭に名案、もとい今更なアイディアが浮かんだ。

 目の前の二人を連れて飛べばいいんだよ。途中で巫女たちに会ったとしても、戦う体力はないだろうが、人質にして逃げたらいい。そうだそれがいい。帰り際に上から永遠亭に放り込んじゃえば一石二鳥じゃないか、そうしよう。

 とまあ、そんな風に考えて、後ろから捕まえてやろうと、忍び足で近寄ったんだ。手始めに赤子の方からね。

 

 そっと、音を立てないよう、気付かれないように近寄って、赤子に手をかけた。

 しかし、その瞬間。

 

『きゃあっ!?』

 

 悲鳴をあげて、いきなり女の体が縦に揺れた。

 落とし穴だよ。知っているだろ?竹林の兎がはしゃいで掘っている迷惑な穴さ。私も手の中の赤子ごと下に引きずり下ろされる感覚がしたよ。

 反射的に踏ん張ろうとしたけれど、相手は無防備だからね。なすすべもなく落っこちて、私の持つ赤子のとの間のおんぶ紐がピンと張った。

 ヤバイ、女が宙吊りになる、と焦った直後。

 

 ビリリィ、と古い布が裂けるような嫌な音がして、私の体は後ろによろけた。ドスン、と二人分の尻もちの音がして、女は穴の中に、私はそのそばにひっくり返った。

 

 どうにもおんぶ紐が千切れたらしい。私の腕の中には赤子に毛布と、おんぶ紐の袋と切れ端が残っていた。

 

 安物でも使ってたのかな、なんてボロボロの紐を眺めていたら、

 

『ねえ、赤ちゃんは!?あの子は無事!?』

 

 ・・・って、穴の中から女の叫ぶ声が聞こえた。いの一番にそれかよ、と呆れながら、はいはい無事だよ、と答えようとした瞬間。

 

 ふとおかしな事に気づいた。今は誰よりも近くにいる赤子、そいつが、こんな事になってもまだ泣き声一つあげない。それどころか間近にいる筈なのに、息づかいも聞こえて来ないんだ。

 不審に思ってひっくり返してみた。今までは女の背中に面して分からなかったが、くるんだ毛布の隙間から白い毛のような物が見えた。

 頭まで普通くるむかい?それも二重に。息苦しいだろうに、って思って、つい顔んとこの毛布を、パッと取った。

 すると。

 

『ぎゃっ!?』

 

 私は悲鳴をあげて飛び退いた。中には何があったと思う?

 

 ・・・赤子なんかじゃない、兎だよ。・・・それも、死体だった。白い毛は既に見るも無惨にゴワゴワで、所々禿げて、体が痩せ細って干からびていた。目元は黒ずんで、耳は萎びた花びらみたいに、千切れそうになって張り付いていた。

 

 訳が分からず、座り込んだまま呆然としていたら、女の必死な叫び声で我に返った。

 

 『ねえ、大丈夫なの!?何とか言って!』

 

 いつの間にか這い上がって顔だけ出して見つめていた。私を、いや兎の死体をね。

 その顔は真剣そのもの。女は本気で、兎を子供だと思って連れ回していたんだ。それも状態から見て、何日も。

 考えた途端に気味悪くなって、私は寒気をごまかすように、いきり立って怒鳴った。

 

『ふざけんな!アンタ正気か!?』

 

 私が言うと、女はまともになるどころかワナワナと震え出して、丸っきり話の通じない様子でこう言い出したんだ。

 

『そんな大声出さないで!泣き出しちゃったじゃない!』

 

 冗談じゃない。兎が、死体が、鳴き声の一つでもあげてたまるもんか。

 

『こいつは死体だ!兎の死体だよ!よくみろ馬鹿野郎!!』

 

『何ですって!狂ったのアンタ?!』

 

 私は女の言葉には耳を貸さず、吐き捨てるように叫んでから死体を放り出した。そして言うことを聞かない脚をバタバタさせて、どうにか立ち上がって逃げ出したんだ。

 

 どうかしてる。兎に角女から逃げることで頭が一杯だった。その時、足が急に引っ張られる感覚がして、ばたんと頭から私は地面に突っ伏した。

 

『ぐあっ!』

 

 立ち上がろうとしたけれど、引っ張られる力は物凄いものだった。這ってでも逃げようとしたが、引き潮に捕まったみたいにズルズルと戻されていく。

 振り返ると、あの女が穴から上半身だけ這い出て、今までと打って変わった鬼か般若のような面相で私を睨んでいた。

片腕で死体を抱え、もう片方は私の足を爪が食い込みそうな程に掴み、まるで地獄の怪物が私を引きずり込もうとしているみたいだった。

 

 私も片足を蹴って体全部で抵抗したけど、地面を跳ねただけだった。どこにそんな力があるというのか。ついに、私の爪先が穴に入った。

 

 その時だった。

 

 ぼんっ、と枯れ木が崩れたような音がして、女の背中に火がついた。続けざまに、頭にもう一つ。

 

『ヒイィーーーッ!!』

 

 女は金切声をあげながら、あっという間に火だるまになった。私が咄嗟に足を引っこ抜いて逃げると、女は穴の中に力なく落ちていった。鬼が一転、地獄で焼かれる罪人みたいだった。

 

 穴からうめき声が響き、吐き気のする焦げた臭いと煙が充満する中で、私は動けずに呆然としていた。すると、誰かがゆっくりと歩いてくる足音が聞こえた。

 

 振り向くと、そこには白いシャツと赤いモンペ、銀髪の藤原妹紅(ふじわらのもこう)が立っていたんだ。

 

『・・・・・・』

 

『・・・・・・』

 

 私は暫く何も言えないまま、そいつと向かい合っていた。とりあえず助かった。いやこいつが助けてくれたのか。と纏まらない頭で考えて、ある事に気づいてハッとなった。

 あの女、狂っていたとはいえ人間じゃないのか、殺してしまって大丈夫なのか?

 そう尋ねようとした時、妹紅は私の疑問をよそに女のいた方角を向き、こう呟いた。

 

『あの亡霊、まだ居やがったか・・・』

 

 そう聞いて、私は這って駆け寄り、穴の中を覗いてみた。まだ火はプスプスと燻っていたけれど、人形の炭も、その一部も、骨の一本も見つかりはしなかった。その中に釘付けになっていた私に、妹紅は独り言のように、こんな事を語って聞かせてくれた。

 

―妹紅も、知り合いから聞いたらしいが・・・昔、まだ永遠亭が里に知れ渡る前に、人里である女が子供を亡くした。彼女はいたく悲しんで、いなくなった子供に話しかけたり、人形を子供に見立てて世話をしたり少しずつ病んでいったそうだ。

 周囲も気の毒がりながらどうにも出来ず、打つ手がないまま月日が過ぎていった。

 そんな折り、チラリと永遠亭の噂が里で囁かれるようになった。とはいっても、最初は与太話の類いとして、だった。案内人、妹紅の事もあやふやで、竹林に入って名医に会おうなんて言い出す奴は、大抵ただの冗談だった。

 

 あの女を除いて。

 

 ある日、女はいつも抱いていた人形と家のありったけの食糧を持ち出して、忽然と姿を消した。誰もが竹林に行ったんだと噂したが、おいそれと探しにも行けず、永琳から会ったという話もなく、元々厄介払いしたいと思われていたのか、次第に皆、忘れていった。

 

『じゃ、アイツはずっと死んでも迷っているのか?』

 

 私が聞くと、妹紅は頷いた。

 

『ああ、兎を子供だと思って、捕まえては連れ回してる。

亡霊は死体を見たら死んだことに気づくんだが、子供は元より母親もとうに土の下だろう。どうしようもねえよ』

 

 妹紅はそう言って、肩をすくめた。

 

 妹紅についていって竹林を出た頃には、もう空は白んでいた。彼女は最後に『また竹林の何処に出るか分からないから、なるべく近づくなよ』とだけ言って、ぶらぶら帰っていった。

 

 

 

 

 ・・・私ね、妹紅の帰り際の背中を見ながら、ふと考えたことがあるんだ。

 格好良い?いやいや冗談じゃない。そんなポジティブな事なわけねえだろ。

 

 じゃ、何かって?ああ・・・

 

 アイツも、いずれあの亡霊みたくなるのかなあ、ってさ。

 

 だって奴は死なないんだろ?いずれは知り合いから何から亡くして、狂ったって不思議じゃない。死なないぶん、永遠に苦しみは続くだろうさ。あの亡霊と何も変わりゃしないじゃないか。

 

 ・・・阿求、アンタも不死みたいなものだったかな?余計な思い出引きずって迷惑かけるようになるなよ。もっとも、私はその時生きてやしないだろうが・・・。

 妹紅が近づくなっていったのは、とうとうおかしくなりかけていた自分のことだったり・・・って、考えすぎか。とにかく妹紅も阿求も、これからは関わらないようにするよ。

 

 おっと、喋りすぎたな。私の話は以上。次を頼むよ。」



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四周目・三話目―霍 青娥

 「さて、私は三話目ですわね。霍青娥と申します。どうぞよろしく。

 

 ねえ、阿求ちゃんはキノコはお好きですか?ええ、あの秋に生える、煮ても焼いても美味しいキノコですよ。けしてあの肌色のキノコではありません。

 皆、食べ物として認識しているそれですが、正体はカビなんですってね。私達が普段認識している姿はカビの胞子を撒く為の一時の姿で、白い斑点のような姿であちこちに生き延びていますし、もっといえば地中に糸のように体を張り巡らせています。

 それが中々面白いものでしてね、阿求ちゃんも知識としては知っているでしょうが、私はたまに見に行くんですよ。

 

 どこへって?魔法の森ですよ。普通のキノコにまして、更に奇妙な姿形のものが様々にあって、興味が尽きませんわ。

 ただ、害のある胞子が少し困りものですが・・・それに限らず、危ないものが多いですわね。ただでさえ毒や形は千差万別ですから。

 

 幻想郷とくれば尚のこと・・・。先日、それを改めて思い知らされましたわ。よろしければ、聞いていただけますか・・・?

 

 

 

 

 事の起こりは、私が気まぐれに人里を訪れたある日の事でした。

 最初は行きつけの料亭や妖怪の営む怪しいお店を見物したりして楽しんでいたのですが、ふと、背中に気配を感じたんです。

 

 誰かに、つけられている。

 それは丸っきり素人の尾行で、遠くからでもこちらに目をつけているのがありありと感じられました。

 最初は別に警戒する必要もないかと思ったのですが、念には念を入れて、表通りを避けて裏道に入っていきました。とりあえず人混みをさけて、二人きりでどうにでも料理できるようにと考えたのです。

 努めて素知らぬふりをし、薄暗く狭い路地に潜ってゆきます。追っ手は予想通り、私がわざと誘い込んだ事に気づく様子もなく、フラフラとついて来ました。

 或いは初めから気づかれても構わないのか、私は色々考えながら、曲がり角に隠れて待ち伏せました。

 段々と足音が近づき、角のすぐそばまで来たところで、両手を広げて相手の前に躍り出たんです。

 

『ワアーッ!』

 

『ぎゃっ!?』

 

 ビックリ箱のように大声を出すと、追ってきた誰かはよほど驚いたのか、腰を抜かし、その場にへたりこんでしまいました。

 

『あらら・・・?』

 

 予想以上に驚かれたので、私は少々面食らって、その人をついまじまじと見つめてしまいました。

 その人は、見たところ何の変哲もない三十程度のおじさまで、私を見たまま目を丸くし、立ち上がりもせずに口をパクパクさせていました。

 慌てていたんでしょうか、時折ふうはあと息を吐いては目を泳がせ、肩を微かに震わせています。

 私はといえば、その男の姿を見ながら、どこかで会ったかなあ、それとも何かまた恨みを買うような事しちゃったかなあ、と首を傾げておりました。

 もしかしたら酷いことをしでかしたのかも、と思わなくもなかったですが、そういうのはすぐに忘れてしまうタチですの。

 

 とにかく、そんな心当たりもついぞなく、いつまでもお互い黙っていてはラチがあかないので、こちらから『何かご用ですか?』と聞いてみました。

 男はそれで我に返ったようで、ハッと息を呑むと、私を見据え、フラフラと立ち上がり、おそるおそる私に聞き返してきました。

 

『なあ、アンタ・・・仙人様だよな?』

 

 その問いに思わずキョトンとなりました。今まで里に降りたことは何度かありましたが、この自分でも分かるくらい節操のない常識はずれな私を、"仙人様"だなんて呼ぶ人は初めてでしたから。

 戸惑いながらも『はい』と頷くと、男はすがり付くように私の手をとり、子供のようにわめき出しました。

 

『助けてくれ!化け物を退治してほしいんだ。早くしないとおかしくなっちまう!』

 

 私は更に面食らいました。化け物、といえるような者は幻想郷では珍しくもありません。しかし、よりにもよって私を頼るような人間は覚えている限り皆無でした。

 普通なら博麗の巫女なり半妖の先生にでも頼むでしょう。私は流石に面倒そうな匂いを嗅ぎ付けました。考えてみればわざわざ追いかけてきた時点で一層その手の連中には相談しづらい厄介ごとだと想像がつきます。

 ただ、彼の話は嘘ではないようで、間近でみれば髪は所々禿げ、目元には黒ずんだ隈が、気の毒な程に蒼白な顔色の中で浮き出ていました。

 

 さて、私はここでふと悩みました。

 これは間違いなく虚言ではなく、しかし難しい相談に違いありません。でもそれだけに、首を突っ込んで見るだけでも興味深い事象を目にする可能性も、ゼロではありません。

 

 私が顔をほころばせていると、男はまるで弱味を握られた小役人の如く、揉み手をしてひきつった顔で私を覗き込んできました。その顔はいかにも憔悴し、私はそれが何だか面白くて、つい意地悪してしまいました。

 

『さあ・・・もう少し詳しくお聞きしませんと・・・』

 

 私がわざとらしく首を傾げると、男は仰け反りぎょっと肩を竦め、独り言のようにオロオロとこう話し出しました。

 

『す・・すまん。あまり時間は無いんだ。早く帰らんと起きちまう。今は、その、無理なんだよ』

 

 どうにも、要領を得ない話です。しかも一体何を気にしているのか、ブツブツ言っている間中しきりにチラチラとどこかを気にしていました。起きる、というと、起きたら追っかけてでも来るのでしょうか?

 訳が分からず黙っていると、彼はそれが不安になったのか、急に私の肩を掴み、揺さぶりながら目を向いて叫びました。

 

『なあ頼むよ!事情は後で話す!とにかく今は引き受けてくれ!アンタしか頼れないんだ!』

 

 男の声は完全に弱りきっており、額だけではなく手のひらにまで汗をかいておりました。その汗がジットリと服越しに肌に染みつき、思わず顔をしかめました。

 最初から怪しかったですが、間近で見る彼は今や完全に冷静さを失い、断れば肩を掴むその手で、私を絞め殺しにかかるのではないか、そんな想像まで浮かびました。

 

 その気迫に押されたのでしょうか。私はいつの間にか、首をカタカタと縦に振っていました。

 

『そうかぁ・・・』

 

 男は途端に、厠に間に合ったみたいな腑抜けた顔になって、私から離れました。気持ち悪くて後ずさると、男は思い出したように『今夜零時、この場所にまた来てくれ。誰にも見られないように』と言い、逃げるように去っていきました。

 奇妙な親父だと、どうにもムカつきが消えませんでした。彼のいう通りにする義理もなく、逃げ出すのも簡単な筈でしたが、狂気じみた男の表情が忘れられず、結局その夜、私は再びその場所に出向いたのです。

 

 

 

 

 雲が分厚く、どんよりとした夜でした。皆寝静まって明かり一つない、男に言い渡された午前零時。念のため一人で仙界を使いあの路地裏に出ると、彼は既にそこで待っていました。

 ただし、昼間と違い、人の頭ほどの大きさの何かを包んだ風呂敷を持って。

 

『ああ、来てくれたか』

 

 男は心底ホッとしたような声を出して駆け寄ってきました。その間にも、彼は抱えた包みに何度も目を落とし、おそるおそる抱きかかえていました。

 余程大事なものが入っているのか、恐らく男の頼みはその包みにあると思い、開口一番『それはなんです?』と尋ねてみました。

 

『ん、ああ・・・』

 

 男はフッと真顔になると、抱えていた包みを地面に置き、ゆっくりと結び目をほどきました。中には大きなガラス瓶に、何か丸い塊が入っています。

 

 なにぶん夜中なのでよく見えず、近寄って間近に目を凝らしました。次第に視界も慣れ、段々と瓶の中の中身の全容が見えてきます。

 そして、次の瞬間。

 

『きゃっ!』

 

 瓶の中に入っていたモノが何か分かった直後、反射的に悲鳴をあげて飛び退いてしまっていました。―いえ、"分かった"というのは違いますわね。そこには正直、なんとも名状しがたいモノがあったんですの。

 

 それは一口でいえば、白く細長い、うねうねした触手の塊でした。植物の根っこが絡み合った、そんな様子に少し近いかも知れません。それがガラス瓶の口に届くか届かないかの所まで一杯に、みっちりと詰まっているのです。

 それだけでも奇怪に見えたのですが、更に私を驚愕させた特徴が、もう一つありました。

 

 まるで、お面で型を取ったかのように、白い固まりに粘土のような人の顔の凹凸がありました。女の顔、一目でそう分かるほど精巧で、人の頭に植物が寄生して根を張り巡らせたようなグロテスクな代物でありながら、閉じた瞳を見ると寝息まで聞こえてきそうな、そんな不気味なほど良くできた顔でした。

 

 私が何も言えずにいると、男はカクンと頭を垂れ、まるで懺悔のように、こんな経緯を話してくれました。

 

 

 

 

 ・・・事の起こりは、一月ほど前だったと言います。彼は些細な言い争いから、妻を殺してしまったのだそうです。

 当然、彼は慌てました。このままでは自分は人殺しになってしまう。

 しかし、気が動転すると異様に頭の回転が良くなったりする事もあるらしく、彼は恐ろしい事に隠蔽を図りました。

 その時既に夜だったのを良いことに、人気のない場所に妻の死体を捨てることにしたのです。人間の立ち入らないような場所なら、埋めてもばれないだろうと。

 死体を背負って大急ぎでその場所へ。男が選んだのは魔法の森でした。かつて妻がつくってくれた襟巻きで口を覆い、水筒に詰めた水を何度もかけ、胞子を防ぎながら森に入っていきました。

 そして森の奥に念入りに妻を埋めると、彼は一目散に家まで逃げ帰りました。

 

 家に飛び込むなり錠をかけ、暫くは部屋の中でじっと震えていた彼でしたが、ふと襟巻きをみると、胞子がベットリとへばりつき、白い斑点が無数についています。

 彼はやれやれと桶に水を用意し、襟巻きを中で洗い出しました。これさえ元に戻せば一件落着だ、と一瞬気を抜いた、その瞬間。

 

 突如桶の水が、ずるんっと手の中に吸われるように干からびたかと思うと、代わりに襟巻きからにょろにょろと白い触手が無数に生え出したというのです。

 

『うわっ!?』

 

 男が思わず洗っていた襟巻きを放り出すと、べちゃ、と地面に投げ出されたそれは、襟巻きを包み込むように白い触手を丸め、次第に丸い岩のような形になり・・・

 最後に、目、鼻、口のような凹凸がぼこぼこと浮き出たかと思うと、その目と口がすっと開き、こう言ったのです。

 

『アンタ、女房なしで暮らせるつもりかい?』

 

 

 

 

『それが・・・奥さん?』

 

『ああ、あの顔も声も、妻そのものだった』

 

 男は話す内に項垂れ、両手で頭を抱えていました。そして俯いたまま、肩を震わせてぽつぽつと話し出したんです。

 

『あれから、瓶に閉じ込めても四六時中俺を見ているんだ・・・。毎日、毎日、生きていた時みたいに話しかけてきて・・・』

 

 私は何も言えずに黙っていました。すると男はパッと顔を上げ、涙声で私に叫びました。

 

『なあ、助けてくれ!人を殺しただなんて、他の奴には言えないんだ!アンタだけが頼りなんだよ、お願いだから・・・』

 

 男は土下座せんばかりに捲し立ててきました。しかし、正直私は尻込みしていました。こんな情けない男のために、よく分からない化け物を受けとるのは、どうにも乗り気になれなかったのです。また、よく分からない触手、いえ、菌糸なのでしょうか?それが人の顔をしているというのが、話を聞いて一層気味悪く感じたのです。

 そんな訳で、やはり断ろうと思い、考え込んで俯いていた顔をふっ、と上げました。その時です。

 

 いつの間にか起きていた顔と、目が合いました。その顔は目を吊り上げ、にいぃ、と歯を見せて笑っています。

 男は気づかずに私の表情を凝視していて、それが優れないとみるや、あろうことか瓶を私の目の前に押し付け、尚も頼み込んできたのです。

 

『他の女と話したなんてバレたら殺されちまうんだよ!断る気か!?この人でなしめ!!』

 

 男の吐く唾が顔にかかりました。しかし、私の視線は彼の手の中、彼が目もくれない、しっかりと私を見据える女に釘付けでした。

 女は私と視線を外さずに菌糸をズルズルと蠢かせ、瓶の中で私に近づいてきました。

 顔を瓶の側面に寄せ、鼻を潰れる程に押し付け、目、口、頬・・・顔全部を瓶にへばりつかせました。そして、髪の毛のように菌糸が上の方に逆立つと、瓶の縁を沿い、出口の蓋に向けて菌糸を伸ばし始めたのです。

 

『いやっ・・・!』

 

 堪らず男を突き飛ばしていました。男は突然の事に呆気なくよろけ、瓶を落として尻餅をつきました。

 がしゃん、と瓶が地面に砕けました。尻餅をついた男の前に、粉々になったガラスと、あの菌糸が固まった女が露になりました。

 その女が、ぐりんと男に向き直り、よく澄んだ声でこう言います。

 

『アンタ』

 

『ひ、ひいぃっ!』

 

 男は途端に顔面蒼白になり、ガタガタ震えて後退りしようとしました。立ち上がれもしないので、腕でほんの少し体を引きずっては、コテンと倒れるばかりです。

 女はその間にも、菌糸をするすると長く男に向けて伸ばし、自らも地面を滑るように近づいてきました。二人の距離はすぐに目と鼻の先です。

 そして、菌糸の先がつい、と男の爪先に触れた瞬間。

 男を呑み込むように菌糸が一斉に伸び、蛇かミミズの群れに取り込まれるかのごとく、あっという間に体全体を白く覆いました。

 

『ひいやあああ!』

 

 男の絶叫が響きます。じたばたもがく手足も関係なく、男の体の上でなお蠢く菌糸の上を滑り、女の首が男の顔の傍で、こう囁きました。

 

『あなた、あなた』

 

 その声は心底嬉しそうでした。それとは対照的に、男の顔はまるで枯れ木のように茶色く干からびて、みるみる縮み上がりました。

 私はそれ以上その場に居られず、仙界で振り返りもせずに帰ってしまいました。

 

―それから眠ることなど出来るわけもなく、夜が白む前に、もう一度あの場所に行ってみました。

 

 何も、残っていませんでしたが。

 

 あの男も、白い菌糸の痕も、ガラス瓶の破片さえありませんでした。夢だったのかと疑うほどに。

 

 ふらふらと、足が魔法の森へと向きました。男がどうなったのか、いてもたっても居られず確かめたくなったのです。

 視界が霞むほどの胞子をこらえ、奥へ、奥へと進んでいき、ついに、それらしい場所が見つかりました。

 遠目に見ても分かるほど、奇異な光景でした。地面が人の大きさに荒々しく掘り返され、その傍らには、一人は所々土気色に腐った女が、もう一人はキノコの菌糸らしきものが身体中にこびりついた男が、隣り合わせに向かい合って横になっていました。

 そして、二人の首には、真新しい襟巻きが男女を繋ぐように巻かれていたのです。

 

 

 

 

 あの出来事が、果たして妻の執念によるものだったのか、それともあの森の魔のキノコの成した事だったのか、私には分かりません・・・。

 

 ただ、あの森に近づくのは、あまりよくないのかもしれませんわね。後ろめたい事があれば尚更。ふふふ・・・

 

 私の話は終わりです。お疲れ様でした。

 



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四周目・四話目―レミリア・スカーレット

 「紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ。それじゃあ三話目を話させてもらおうかしら。

 

 阿求、貴方は確か、何百年も前から転生を繰り返してきたんですってね。だからどうって訳じゃないんだけど、やっぱり親への感覚って、変わっているのかな、と思って。

 私も、顔もよく覚えていないのだけどね。やっぱり親子っていうの、昔から皆が関心を持っていたんでしょうね。

 

 昔話一つとっても、子供を助けるため腕が生えてきたり、死んでも霊になって子供を育てたり、逆に継子を実子と比べて憎んでしまったり・・・

 

 そういう話って、不思議と世界中に似たものがあるのよ。奇跡なんて滅多に信じてやしないけど、親子の情っての?凄いものだと感じる人が、昔からいたって事ね。

 

 なんでこんな事話したかっていうと、私の身内が似たような現象にあってね。それほど後味のいい話でもないから、怪談としていけると思うわよ。

 

 

 

 

 以前ね、退屈だから咲夜の調理場を見に行った事があった。そうしたら、珍しく門番の美鈴(めいりん)が一緒にいたの。

 

『美鈴?何してんの?』

 

『ああ、お嬢様』

 

 振り向いた美鈴は中華包丁を持って、手が血塗れだった。ぎょっとして後ずさったけど、咲夜が横から説明してくれたわ。

 

『人間丸ごとの解体に少々手間取りまして、手伝ってもらっていたのです』

 

 そう言われて覗き込んだら、成る程二人の間から見える大きなまな板の上には、既に血抜きされて所々切られた、女の死体があった。

 ・・・ああ、気分悪くしたらごめんね。でも貴女も知っているでしょう。私達も妖怪だし、外から流れてきた人間を食べるのよ。まあ、その時も一見殺人現場なんだけど、魚を捌くようなものだと思ってちょうだい。

 そんな訳だから、美鈴は妖怪で力持ちなのもあって、フンフン鼻唄を唄いながらゴリゴリ死体を切っていたわ。暫くは『うひゃあ』って思いながら眺めていたんだけど、ふと、美鈴が内臓の一つを取り上げて、お、と声をあげたの。

 私も何だろうと思って見せてもらったんだけど、何か平べったい肉の塊に、管のようなものがついていたわ。美鈴がしげしげ眺めていたから珍しいのかと思って、『何それ?』って聞いたら、咲夜がまた話してくれたわ。

 

『恐らく胎盤でしょう。赤ちゃんがお腹の中にいる間、それを通して栄養を送るんです』

 

 咲夜はお腹の辺りで身ぶり手振りまじえて教えてくれたんだけど、死体の方を見て『あれ?』ってなったの。

 だって、美鈴が捌いた場所を覗いても、どこにも赤ん坊なんていないんだもの。そう言ったら、美鈴が少しまごついた後、わざとらしく首を捻った。

 

『え、あーその・・・』

 

『途中で死んだのでしょうね』

 

 美鈴がごまかす間もなく、咲夜が本当の事を言ってくれた。あの子たまに無遠慮な言い方するのよ。私も気にしてなかったけど、美鈴が気まずそうな顔をする横で、淡々と教えてくれたわ。

 

『普通、出産から少し経てば胎盤は排出されるんですが・・・へその緒切った辺りで力尽きたんですね』

 

 咲夜はそう言って、少し目を伏せた。私もいい気持ちではなかったからね。つい聞いちゃったのよ。

 

『赤ん坊は・・・もう?』

 

『母体がこの状態となると生き延びる確率は・・・多分ゼロでしょう。』

 

『そっか・・・』

 

 二人で顔を見合わせて、お通夜みたいにしんみりしていたわ。ふと見ると、横で中華包丁と胎盤持ったまま所在なさげの美鈴が。

 

『美鈴、それ貴女にあげるわ』

 

『えぇ!?』

 

 気分が気分だったし、食べなれないモノだから譲っちゃった。

 その日の夕食は見物だったわ。あの子、故郷では不死の妙薬と名高いだのウンチク言ってたんだけど、いざ食べるとなるとそりゃ緊張していてさ。無理しているのが丸分かりだった。

 でもまあ、元から無理のきく子だったからね。時間はかかったけど無駄に頑張って完食して、普段通りの職務についたのよ。

 

 ・・・で、その夜。

 館内の仕事も大体が片付いて、幻想郷全体でもそろそろ妖怪の時間になろうかという頃。

 美鈴は門の前で、来客もとうに来ない中で終業まぎわの退屈な時間を過ごしていた。

 景色は夜の闇に溶けて目を引くものの一つもない。辺りは虫の声が響くばかり。あんまりにも静かで代わり映えするものもなくて、あの子はうーんと伸びをしたりしていた。

 そんな時。

 

 静かだった耳に急に、人が泣き叫ぶような声が聞こえた。でもよく聞くと、普通の泣き声とはどこか違う。

 甲高い、赤ん坊特有のけたたましい声。

 あの子は最初、眉をしかめたわ。こんな場所に赤ちゃんが?ってね。でもビイビイと泣くその声は気のせいどころかますます大きくなって、注意しなくともすぐに泣いている子の場所がすぐ分かる程になった。

 紅魔館の庭、門の内側から、それは響いていたの。

 普通ならあり得ないわ。美鈴は赤ん坊なんか入れた覚えはなかったし、鍵のかかった門を乗り越えるなんてまず出来るわけがない。何度も聞き間違いかと疑ったけど、実際に格子の隙間からその場所に目を凝らすと、すぐにそれが見えた。

 

 確かに、庭の真ん中で赤ん坊が泣いていた。近くには他に誰もいなくて、暗闇の中で親を探すように、頼りなげに這い回っている。

 美鈴は急いで門を開けると、その赤ん坊の近くに駆け寄った。でも、すぐ足元の辺りまできて、やはりその子が普通で無いことに気付いたの。

 

『うっ・・・!』

 

 その赤ん坊は、まるでゾンビのような見ためだった。皮膚は全身どす黒く、指先からは白い骨が覗き、目は瞳孔が開いて黒い影を落としている。

 あの子も初めは、ぎょっとして逃げ出そうとしたわ。でも近くにいる美鈴に気づきもせず、相変わらず泣き続けるその子を見て気が変わった。

 哀れな幽霊かもしれない。或いは元からこんな姿の妖怪か。いずれにせよ放っておく事は出来なくて、美鈴は気味悪さをグッとこらえ、その赤ん坊を抱き上げた。

 

『おーよしよし、怖くないからねー』

 

 上ずって棒読みだったけれど、あの子は頑張ってあやしていたわ。するとどういうわけか、その赤ん坊はたちどころに、ピタリと泣き止んだの。

 

『おろ?』

 

 何故急に?と疑問に持つ間もなく、今度はお腹にぐりぐり顔を擦り付けて、甘え出した。戸惑いながらもじっとしていると、微かに赤ん坊が喋っているのよ。

 嬉しそうな声で『ママ、ママ』って。

 

 あの子も段々慣れてくると、赤ん坊が可愛く思えてきてね。『そっかー、お母さんが恋しかったかー』とか言いながら抱き直そうとした。

 その瞬間。

 美鈴のお腹、ちょうど赤ん坊が顔を埋めている辺りの内側から、ゴロゴロした違和感を感じたの。それも突然によ。

 腹痛じゃない。もっと激しく、何かが中から蹴ってくるような・・・

 美鈴が違和感に気を取られていると、赤ん坊が一際ぎゅっとお腹に顔を押し付けた。

 すると、

 

 バリッ、って張り裂けるような音と共に、お腹の中から二本の腕が飛び出して、赤ん坊を掴んだの。

 

『うひゃああっ!』

 

 美鈴もこれには仰天して、赤ん坊を離して飛び退いた。腕がその赤ん坊を受け止め、更に美鈴が離れた分だけ、お腹の中から腕から先がズルズルと抜け出てきた。

 長い黒髪に細い肩、上半身が一気に飛び出て、続けて足先まで蛇のようにするりと、大人の女が現れ、赤ん坊を抱き上げたの。

 

 美鈴は目の前の光景に何も言えずに、パクパクと息を交換するのが精一杯だった。そうして真っ青になってポカンとしていると、その腹から飛び出した女が、クルリと視線を向けてきたの。

 ・・・それは確かに、青白く不気味さを増してはいたけれど、昼間に切ったあの死体の女だったと言うわ。彼女は一瞬だけフッと微笑むと、腕の中の赤ん坊と一緒に、景色に溶けるように消えていった。

 

 気がつくと、美鈴は庭の真ん中で、一人でへたりこんでいた。ハッと我に返って辺りを見渡すと、赤ん坊も女もおらず、お腹の傷も痛みどころか、痕さえない。

 

 美鈴は大慌てで館に飛び込んで、私達に一部始終を話した。私もその時にこの話を聞いたんだけど・・・、最初は夢でも見たんじゃないかって、到底相手にしなかったわ。結局適当に受け流して、寝室に追いやったの。

 

 ・・・けどね、まだ続きがあるのよ。館にはね、人骨を一時的に置いておく部屋があったんだけど・・・

 咲夜が翌日、処分の為に入ったら、妙な事に気づいた。

 確かに骨の人数は管理していた筈だったんだけど、一人ぶん、子供の骨が増えていたんだって。それも、一番新しかったあの女の遺骨に、しがみつくように・・・

 

 

 

 

 ・・・結局、美鈴が見たのは死んだ親子の霊だったのかしら。でもだとしたら、自分を食べた輩に対して、母親も随分と優しいものよねぇ。

 もしかしたら、自分はどうでもよくて、子供に優しくしてくれたのが余程嬉しかったのか。いえ、たまにそういう母親もいるっていうじゃない。

 

 ・・・でも、もし美鈴が赤ん坊を気味悪がって、邪険に扱ったりしたら、今頃どうなっていたのかしらね?

 ・・・ふふ、いえ、やめておきましょう。素直に死後の再会を喜んでおきましょうか。

 

 さて、私の話はここまで。次も退屈にさせないでよ」



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四周目・五話目―アリス・マーガトロイド

 「・・・五話目は私ね。アリス・マーガトロイド、人形遣いよ。

 

 ・・・ねえ、突然だけど、阿求は何か、芸術品を作った事はない?いえ、そんな大層なものじゃなくて良いの。例えば小説、絵巻物、カラクリ人形に、粘土細工とか絵画とか・・・

 誰しも、興味はあると思うの。そして感じた事があるはず。

『作品には、少なからず人の心が表れる』ってね。

 ううん、持論って程大したものじゃないけど、例えばピカソ某のゲルニカなんて胸を衝く悲痛さが一目で伝わるし、太宰某なんてそりゃもう自身の情けなさや理想とのギャップに苦しむ様が前面に出されているし、手塚某も自然、社会、権力、思想、ありとあらゆるものに思いを馳せていたのがガツンと伝わってくるの。昔話や童話で世相が分かったりするのも、それと似たような・・・

 って、ああごめんなさい。話が逸れちゃった。言い出すと切りがないんだけど兎に角、私がそう思うって話。

 勿論、それなりの考えを持つ理由はあるのよ。ただ、あまりいい話ではないから、怪談として話すんだけど。

 ・・・聞いてくれるかしら?

 

 

 

 

 ・・・あれは、私が人里で人形劇を見せるようになって間もない頃だった。家に着いて人形を片付けていると、物凄い勢いでノックの音が聞こえて来たの。

 その時はわざわざ訪ねてくる知り合いなんていなかったから、騒々しいのもあって嫌な予感がした。

 少し警戒しながらドアを開けると、そこには十四、十五才程度の知らない女の子が立っていたの。森の胞子も構わずに来たのか、袖で口を押さえながら、真っ青な顔で今にも倒れそうだった。

 私はてっきり、また森に人が迷い込んだのかと思って、中に通そうとしたのよ。そうしたらその子、何を思ったか私を止めて、代わりに大声でそう言った。

 

『弟子にしてください!』

 

・・・だって。

 

 詳しく話を聞くと、何でも私の人形に感動して自分でも作りたいけれど、悪いことにその娘の家は里の中でも厳しい家柄で、とてもそんな浮わついた真似は許してくれそうにない。でもどうしても諦めきれず、置き手紙を一枚書いて家出同然で追いかけてきた、て話だった。

 最初はなんとはた迷惑な、と思って追い返そうとしたんだけど、その娘がまあ年頃のせいか頑固で、どうせ森の中には

親も追いかけて来ないからと粘り続け、とうとう日も沈み始めた。

 流石に夜の森に放り出すわけにもいかなくて、その夜は兎に角家に泊めてあげたのよ。

 

 で、次の日からどうしたと思う?帰らないどころか私の部屋の人形、完成体から作りかけ、果ては私の作業風景まで、一言も喋らずジーッと見ているのよ。

 私は努めて無視するんだけど、何時間もそうされると流石に根負けしてね。定期的に親に手紙を書け、とか条件付きで、雑でも良いから一体だけ人形を作らせる事にしたの。

 最初の一体ならさぞかし気合いが入るでしょうし、それで挫けるならそこまで。親御さんを説得する足掛かりにも出来ると踏んだのよ。

 

 そして、次の日から人形づくりを教える日々が始まった。デザインの時点でどんどん理想が膨らんでくるのを宥めてなんとか納得させて、原型を何度も念入りに作らせて・・・、その子は事ある毎に粘土で細かい形を作りたがったけど、先走るのを毎回止めながら根気よく教えていった。

 最初は正直、いつ投げ出してもおかしくないと思っていたわ。何を始めるにしてもそうだけど、どうにか形にするだけでも思った以上に相当な苦労がいる。私自身、覚えがあるわ。

 でもあの子はなかなか挫けなかった。欲張った理想像を妥協して、思うように行かない、華やかさの欠片もない原型作りへの愚痴も減って行った。

 昔から窮屈な家庭だったせいかしらね。自分の手で何かをする、っていう体験に夢中になった目をしていた。昔の私にそっくりだったわ。箱入りなだけに変に素直な所もあってね。実物の観察を忘れるな、と言ったら、『じゃあ裸になって下さい』とか言われたりもしたわ。まあ断ったけど。

 

 とにかくそうして、いよいよ粘土を使って、人形らしい形に仕上げる段階まできたの。あの子はいよいよ張り切って、原型を粘土で念入りに包んで、もう私が言わなくても細かな部分にこだわるようになった。

 お腹回りの滑らかさ、五本の指それぞれの長さ、太さ・・・。段階が進んでも楽になる訳じゃない。でもあの子は作り直しはしても諦めなかった。私も普段使う粘土が一気に無くなっても気にはならなかったわ。

 あの頃には、本気で熱意に感心していたのよ。もし一つ完成したら、きっと弟子にしてやろう。

 

 そう思っていた。あの時までは。

 

 ある朝、女の子が手をしきりに気にしていた事があった。何だか袖に隠すみたいにして、私に見せまいとするのよ。

 

 不審に思って、見せてと頼み込んだら、その子は渋々手の甲を差し出した。その瞬間にある事に気づいて、自分の失敗を悟ったわ。あの子はばつが悪そうにしていた。

 その両手には、細かいブツブツが大量に出来ていた。その時に初めて、相手が肌の病気を持っていたと知ったの。粘土なんか弄ったせいに違いないんだけど、人形を作りたいばっかりに、ずっと黙っていたのよ。

 

 最初は責めたわ。なんで黙っていたのって。あの子はごめんなさい、ごめんなさい、とばかり繰り返していた。医者に行けと勧めたんだけど、あの子は首を縦に振らなかった。

 私も理由は分かっていたわ。まだ永淋も来ていない頃、里の医者に生まれつきの持病を治せる訳がない。そうすれば当然人形づくりをやめざるを得なくなる。私の家に来る理由がなくなれば、今度こそ両親も一層強く彼女を締め付けるでしょう。

 

 私も悩んだけど、やはり一つきりの他人の体の事。心を鬼にして、嫌がる彼女を引きずって里まで連れていった。

 それから日が沈むまで、苦い気持ちの連続だったわ。医者は悪気もなく人形だけはやめとけと言うし、女の子は嫌々と言い続けてしまいに泣き出すし、私はどちらの味方も出来ずに黙っているしかなかった。

 その内医者はラチが開かないと見て、彼女の両親を呼び出した。その両親がまた酷く怒ってね、何日も娘が帰らないままだったんだから仕方ないけど、それだけじゃないの。

 お前には将来嫁がせたい家がある、妻としてやってもらいたい事がある、今は他にすべき事があるだろう・・・って、まるでその娘本人の事はどうでも良いみたいな口ぶりだった。

 

 私も流石に口を挟んだわ。今までの熱意は本物です。病気はそりゃ仕方ないけど、分かってやって下さいって。だけど『連れ去っておいて何を言うか!』って怒鳴られて、放り出されちゃった。

 外に出る間際、女の子の泣きじゃくる顔が見えたわ。その時になって、あの子があれだけ弟子になりたいと言った理由が分かった気がした。

 

 ・・・それから、今度こそ彼女は里の中でも自由を失っていった。稽古や勉強の合間には必ず使用人が顔を出して、勝手な行動、もとい余暇を持たせないように親が手を回していったらしいわ。

 らしい、っていうのは、ええ、彼女に直接聞いたのではないの。というより、病気での一件以来顔を合わせていない。

 

 ・・・書いてあったのよ。あの子の『遺書』にね。

 

 死因は家の梁を使っての首吊りだった。私は葬儀にも呼ばれず、里で偶然参列を見かけただけだった。両親が私を見るなり金切り声をあげて、『人殺し!』と叫んであの子の遺書を叩きつけてきたわ。

 遺書には、親の無理解の辛さ、私を悪く言われる悲しさ、そして何より、初めて夢中になれた人形づくりを、生まれついての病気でやめさせられた、これさえなければ上手くいっていたと、自分の体の不遇を嘆く文面が細々と綴られていた。

 私は空しい気持ちで一杯になって、葬儀に居合わせる気にもなれずに家まで帰ったわ。

 家に入り、椅子に座って溜め息を一つ。あの頃は少し狭かった部屋をボンヤリ眺めていると、ふっと彼女の作りかけの人形が目に入った。

 粘土もつけられず、骨組みだけでとうとう完成しなくなったあの子の人形。まさか形見になるとは思わなかった。そう思って、ついフラフラと手に取ったの。

 そうしたら。

 

 つい、と糸で引かれるように体が勝手に動いて、人形を持ったまま、スタスタと作業部屋までひっぱられた。

 首をギリギリ動かして、一生懸命周りを見渡したけど、ドアを開けた気配もなく、誰もいない。

 そのまま戸棚から粘土を取り出すと、ドスンと椅子に腰を下ろさせられ、意思とは無関係に、やけに手際よく人形作りの格好を取らせられた。

 これは一体、と冷や汗を流していると、頭の中に声が響いてきた。聞き間違いじゃない。やけにハッキリと。

 

『アリスさん、人形を作らせて』

 

 それは紛れもなく、死んだはずのあの子のものだった。気づけば指先の細かいもたつきも、あの子そっくりだった。そうしてみるみる形が出来ていく。

 もはや人間でも、幽霊ですらない。心残りのあまり人にとり憑き操る、とうとう怨霊になってしまっていた。

 

『今度こそ、遠慮なく先へ進めます・・・。これからも、お願いしますね・・・』

 

 そう言う声は、やけに静かだった。

 

 

 

 

 それから、その人形は一応完成したわ。髪の毛を植えて、服を着せて。

 良かったじゃないか、って?それが違うのよ。あの子は満足出来なかった。

 

 ・・・ねえ、最初に言った事、覚えてる?

 『作品には、少なからず人の心が表れる』。

 人形はね、粘土が乾いたら、細かい形を造るために表面を削るのよ。あの子も無論その工程はやったんだけど・・・

 手を、やたらと削るのよ。ざらつきが残っているって、まるで荒めのヤスリか何かみたいに、ゴリゴリと。心の中で止めようとしても、『まだです、まだ綺麗に出来ます』といって、端から見ても充分滑らかな人形の肌を痛め付けるように削り続けた。

 一度、荒れたあの子の手を見ていたからかしら。まるであの発症した表面をかきむしっているみたいに見えた。あの子にとってはそうだったのかもしれない。

 

 彼女は死んでも周り以上に自分が許せなかったんでしょう。両親の言いなりになり続けた情けなさ、そしてそこから脱する道を奪った他でもない自身の病気・・・。

 自分を嫌ってばかりじゃ、良いものなんて作れやしないわ。事実何体完成させても、あの子は『違う、違う』とそれこそ憑かれたように人形を作った。同じように不格好な手の子達を、みるみる出来映えを雑にしながらね・・・。

 

 それに悲観したのかしら。しばらくしてパッタリと体を操られる事はなくなった。正直ホッとしたわ。疲労は全部私の体に返ってくるし、眠り込んで死ぬかと思うことが、何度もあったのよ。

 

 ・・・まあとにかく、今はこうして、普通にしていられるんだけど・・・

 

 もし、もしも、また操られるような事があれば、それが一番恐ろしいわ。何もかも諦めた怨霊が、舞い戻ってきたら。

 

 作るのは難しいけど、壊すのは凄い簡単だから、ね。

 

 私の話は終わり。聞いてくれてありがとう」



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四周目・六話目-比名那居 天子

天子だからと奇をてらったつもりでしたが、ただの拍子抜けかもしれない。


 「さて、もう六話目かぁ・・・。

 あ、私、天子。比名那居 天子よ。よろしくね。

 

 で・・・どうしようかなぁ、一杯ネタがあるから、何を話そうか迷うのよねえ。そうだ。アレにしよ。ちょっと聞いてよ。

 

 

 ・・・あの夜雀が出している、鰻の屋台があるじゃない。あれね・・・馴染みの妖怪にだけ、内緒で人肉を出しているんだって。

 終わり」

 

 

 

 ・・・

 

 

 ・・・・・・え?

 

 それだけ?確かにぎょっとする人はいるかもしれないが、いくらなんでもサラリとしすぎている。

 天子さんは満足げに微笑を浮かべているが、周りの皆は白け顔だ。ここは一つ、無粋ながら水を向けてみよう。

 

「あのう・・・本当にこれで終わりなんですか?」

 

「ええそうよ。七人目に聞かせてやれないのが残念だわ。」

 

 一種のジョークであろうか。彼女ははにかみながら肩を竦める。私も七人目がいないのは残念だが、天子さんの話を聞かせてやりたいとは到底思わない。

 

「何よ、まだ聞きたいの?」

 

「え、ええ。次の人もまだですし・・・」

 

「ったく、しょうがないわね」

 

 作り笑顔に気づいているのかいないのか、顎に手を当てて考え始める。少しは練られた話をしてくれると良いが。

 

「あ、そうそう。あのひまわり畑に住む妖怪がいるじゃない?あの土の下にはね。あの妖怪を怒らせてしまった人間が埋まっているんだって。

 終わり」

 

 ・・・

 

「ああ、それとね。その死体の上に咲いたヒマワリは、花びらが真っ赤だからすぐに分かるんですって。

 ・・・今度こそ終わり」

 

 ・・・この人、本気だ。さっきのですっかり落ちをつけた気になって、得意満面に周りを見渡している。

 彼女の目には呆れた半開きの、十二の瞳がどう映っているのだろう。眩しさに顔をしかめているとでも思っているんだろうか。

 

「にしても、遅いわね次のやつ」

 

 話題を変え始めた。つくづく周りが見えていない・・・

 

 いや、これは寧ろチャンスか。お茶を淹れるなりして閑話休題に持ち込めるかもしれない。そう思ってひっそりと腰をあげる。

 

「仕方ないわね。じゃあもう一つ、取って置きの怪談を話してあげましょう」

 

 あ、ちょっと待って、と止めに入る間もなく、彼女の口は動き出していた。

 

「これは、ついこないだの話なんだけど・・・

 

 

 

 

 あの『無縁塚』ってあるじゃない。桜がいつも綺麗なんだけど、霊が溜まりやすい場所でもあるから、里の人間、特に子供は滅多に近づかない場所でもあるわ。

 そのせいかしらね?私も全部は知らないけど、妙な噂がたつようになった。

『蒼白い女が立っていた』

『隅っこのボロ小屋にネズミ人間が出る』

『死者が持って行けなかった財産が地下に眠っている』・・・

 

 まあ、与太話の類いなんだけど、どういう訳かある一つの噂だけがまことしやかに囁かれ始めたのよ・・・

 曰く、『塚の外れに立っている桜の木に、日付が変わる瞬間に体当たりすると、死者の階段にいつの間にか立っている』というものだった。

 他の似たような噂はしばらく経つ内にたち消えになるんだけど、これだけは『本当だった!』と騒ぐ奴が出たらしくてね・・・。途切れるどころか更に尾ひれがついて、内容がどんどん細かくなっていった。

 

 そんな折り、また三人の子供がこっそり里を抜け、無縁塚の噂を確かめようと集まった。

 その頃には噂の内容に禁止事項がくっついていた。

 

『階段についたら、決して上に登ってはならない。また、降りる間、決して後ろを振り返ってはならない』

 

 どこかで聞いたような感じがするけど、だからこそ広がったのでしょう。子供らはすっかり伝聞まみれの都市伝説でも確かめる気分で、手を繋いで一斉に飛び込む準備をした。

 準備は里で売っている申し訳程度の御札が数枚。いざとなるとやっぱり緊張したけど、目の前にあるのは一本の桜の木。互いに冗談めかして『離すなよ?』と確認し、三人は一斉に走り出した。

 そして、桜の木に激突する瞬間・・・!

 ・・・全員が意識を失った、らしいわ。

 

 

 

 

 程なくして、二人が目を覚ました。どちらも額に汗を浮かべてはぁはぁと息を荒げている。

 まだ眠っている一人を挟んで、二人は顔を見合わせ、どちらともなく口を開く。

 

『見た?』

 

『見た』

 

『階段あったよね』

 

『あったあった!』

 

『上登った?』

 

『無理無理無理!すぐ一目散に戻ったっつーの!』

 

 とまあこんな風に、恐怖体験も喉元過ぎればなんとやら。しばらく階段の周りの景色がどうだとか、段数がどれだけあるんだろうとかいう話題で盛り上がっていたんだけど、何分かして、次第に目を覚まさない残りの一人が気になってきた。

 

『ねえ、僕たち生きてるよね?』

 

『生きてる生きてる!馬鹿いうな』

 

『でも・・・ならこいつは、死・・・』

 

 片方が悪い予感を口にしそうになった瞬間、二人の脳裏にある可能性が浮かんだ。ひっ、と息を呑んで、慌てて問いかける。

 

『振り返らないで降りたよね?』

 

『あ、ああ・・・俺はな』

 

『僕もだよ。でも・・・』

 

 真ん中の少年は、横たわったままピクリともしない。暗い中でも瞳の光がなく、目蓋を閉じているのが分かった。

 二人はいつしか、単なる噂の中のルールに本気で怯えはじめていた。振り返ったらどうなるかまでは伝わってなかったし、そもそも細かい部分は好き勝手な付け足しだと、少年たちも高をくくっていた。

 だけども、現に起きない仲間を見て、自分たちがとんでもない事をしでかしたのではないかと、どっと悪寒が背を走った。

 噂のルールは、考えてみれば武勇伝の如く噂を広めた誰かが言った事。無事に戻ってきたから伝わった、といえない事もない。

 最初に言い出した一人がどんな風に語ったかは知る由がないが、噂の広がり方、巷での話しぶりに騙され、破ってはいけないものを、つい軽はずみで・・・?

 

 二人がついにベソをかきはじめた時、突然一人がガバッと勢いよく体を起こした。

 

『わあーーーっ!!』

 

 あたり一面に響き渡る悲鳴に、二人が飛び退く。叫んだ奴は立ち上がりもせず、しばらく三人で固まっていると、急にボンヤリと空を見ていた真ん中がぐるりと左右の二人を見る。

 

『・・・みんな』

 

 それだけ言い、フラフラと立ち上がった。周りの二人も次第に警戒を解いて、その子に駆け寄る。

 

『大丈夫?僕らが分かる?』

 

『・・・うん』

 

『階段行ったのか!?何か見たか!』

 

『・・・うん』

 

 寝ていた子は頷いてはいたけれど、その目は虚ろで、暗闇に浮き出るほどに顔色はまっ白だった。肩は微かに震え、何かに怯えるように気のない返事を繰り返すばかり。

 振り返ったに違いない。二人は顔を見合わせ、唾を呑み込んだ。当の彼は何を目にしたのか、とても語ってくれそうにない。

 それでも彼は仲間の先を歩くように、一歩よろめきながら前に踏み出した。

 その瞬間。

 

『ぎゃあああーーーっ!!』

 

 さっきまでの覇気のなさが嘘のように、先ほどより一層激しい悲鳴が、寝ていた子から上がった。他の二人がぎょっとして彼をみると、地面に目を落としてワナワナと震えている。

 そこには、三人が持ってきていた御札の、黒く変色した使い古しが落ちていた。恐らく階段に行った時に悪いものを受けたんでしょうが、何故か彼はその燃えかすみたいな札を異常なほど怖がっていた。

 

『なに?これがどうしたの?』

 

 仲間が心配になって訪ねると、怯える少年は消え入りそうな声で、確かにこう言ったそうよ。

 

『蝶が・・・黒い蝶が・・・』って。

 

 ・・・黒い蝶々は昔から不吉なものとされていてね。死の使いともいわれるのよ。

 彼がそれを知っていたかは分からないけど、その日以降、彼はとにかく黒色の、特にヒラヒラしたものを怖がるようになっていった。

 墨のこびりついた半紙、黒い蝶々の折り紙、果ては夕飯に出たキクラゲまで。

 少年は為す術もなく段々おかしくなっていって、ついに無縁塚で倒れて帰らぬ人となった。

 で、なんの偶然か他の二人も、その後それぞれ妖怪に襲われて死んでしまった・・・。

 これで、"今巷に広がっている噂"は全部。

 

 でもごめん。もう少しだけ聞いて欲しいの。

 私、思うんだけど・・・この話、そのうち『三人とも呪いで死んだ』って改変がされると思うのよ。

 理由?その方が面白いから・・・って、信じてない?でもね、確信はあるの。

 ちょっと里で噂の元を探ってみたんだけど・・・どうやら、『無縁塚に行った三人が後々死んだ』てのだけは間違いないらしいの。

 うん、黒い蝶々がどうとかは、後付け。まあ元々霊が来る場所で肝試しなんかするおバカさんたちだからね。不注意で死んだとしても、それほどおかしくはないでしょ。

 つまり、噂が伝わる途中で三人が死んで、呪いでも関わっているかのように肉付けして触れ回った誰かがいた訳よ。

 もっと言えば、『振り返ったらどうなるか』を隠して話した奴もいたと思う。大体、おかしいと思わない?霊の世界の階段って、要するに冥界でしょ?半霊のアイツが見張っているし、主の姫様だってみすみすガキンチョを死なせたりなんかしないでしょう。

 ・・・これは推測だけど、最初に言い出した奴は軽く注意でもされて帰されたんでしょう。でもそれじゃつまらないから、さも恐ろしい場所に行ったかのように誇張した。それからまた想像力を膨らませて怖くして・・・多分それを繰り返したんでしょうね。噂なんてそんなもの。

 

 でもね、油断しちゃいけないわ。膨れに膨れた噂話を確かめようとして、もし取り返しのつかない事があっても、だーれも責任なんて取ってくれないんだから。

 だから私は話す時に限って、わざとふざけるの。間違っても興味が湧かないようにね。・・・ま、行くなら止めないけど?

 

 私の話は終わり。あー、疲れた」

 

 



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四周目・比名那居 天子END-『噂の真相』 前編

長くなってテンポも悪いので二つに分けました。


 ・・・天子さんの六話目が終わった。なんだか怖い話というよりは都市伝説が生まれるまでの解説、興味深いと言った方が当たっているような話だったが、それはそれで良しとしよう。箸にも棒にもかからない最初の戯言よりは万倍ましである。

 

 しかし、問題は肝心の七話目、トリを話す人間がまだ来ていないという事である。せっかく六つも話しておいて、ここで解散となるのは実に惜しい。

 ふと時計を見る。今まで気にしていなかったが、あと一時間もしないうちに日付が変わってしまう。何人かは妖怪だから良いだろうが、私はそろそろ目蓋が重たくなってきた。

 次第にこくり、こくり、と視界が揺れだした、その時。

 

「わりい、遅くなった!」

 

 突如大声とドタドタという足音が響き、ガラリと勢いよく襖が開かれる。そこにはやや陰鬱なこの部屋の雰囲気に相容れない、明るい金髪と笑顔の人物が立っていた。

 

「魔理沙?」

 

 アリスさんがその人物を見て声をあげた。そう、長い金髪に魔女そのものの黒い服ととんがり帽子。手には好んでよく乗る箒。アリスさんと同じく魔法の森に住む魔法使い、霧雨 魔理沙(きりさめ まりさ)その人である。

 

 彼女は「よっ」と片手を上げて挨拶すると、空いている場所に腰を下ろし、「今、話の途中だったか?」と無遠慮に聞いてきた。

 大して悪びれる様子もない。タメ息が出たが、この人は元からこんな人である。司会の私がふて腐れていても仕方がない。

 

「もう皆は話し終わりましたよ。あなたが来るのを待っていたんです」

 

「え、まじかよ。うわー、聞きたかったな。そりゃ残念」

 

 魔理沙さんは頭をかいて笑った。自業自得と口をついて出そうになったが、彼女も切り替えが早い。いきなりぐいっと身を乗り出すと、声をわざとらしく潜めてこう言った。

 

「じゃ、私の番だな。皆はこんな話を知ってるか?」

 

 良くも悪くもムードメーカーと言えるだろう。話し出すと一気に雰囲気が変わり、皆が注目しだした。普段ヘラヘラしてはいるが、何だかんだ頼りにもなる彼女の人柄がなせる技であった。

 しかし、ほぼ同時に、次の語り口で若干気まずい色が皆の顔に浮かび出す。

 

「無縁塚の、桜の木にまつわる噂を・・・」

 

 無縁塚、桜、そのワードはつい先ほど、天子さんの話に出てきた大事なキーである。私達の胸中に浮かんだ悪い予感を知ってか知らずか、魔理沙さんは怖い声色を作りながら更に続ける。

 

「里の子供らの間で、ある噂が流れた。『無縁塚の外れの桜の木に、日付が変わる瞬間に三回回ると、冥界への階段に行ける』って話だ」

 

 ・・・予感は的中した。多少変わってはいるが、天子さんの話に少なくとも酷似しているに違いない。全員が反応に困ったような曇った表情をしているのを見て、自信のあった顔が徐々に崩れてゆく。

 

「な、なんだよ、まだ序盤だぜ?」

 

「ああいえ、そういう訳ではなくて・・・」

 

「ごめん、私が先にその話しちゃってたの」

 

 私の弁解を遮り、天子さんがぶっきらぼうに言う。え、と魔理沙さんが眉をしかめた。

 

「なにい?お前まであの噂を嗅ぎ付けたのか!?」

 

「退屈だからねー、いや元々は話すつもりなかったけど、あんたが来ないからさ」

 

 天子さんは冷淡に経緯を話した。とはいえその目は魔理沙さん本人ではなく、暇そうに弄る爪の間に注がれている。

 天子さんにしてみれば噂が無責任に改変される、なんて予想した後にまさしく面白おかしく語る人間が現れたのだから、もしかしたら退屈を通り越して『疑いもせずにペラペラ喋る人間』と馬鹿にしているのかもしれない。

 彼女は確かに多少軽薄だが、それで鼻で笑われるなどあんまりな話だ。ぞんざいな態度にむすっと拗ねたような顔になる魔理沙さん。

 

「ま、まあ、たまたま同じ話だっただけじゃないですか。気にする事ないですよ」

 

 早苗さんが慌てた様子で宥めるが、すかさず意地悪なメンバーが口を挟む。

 

「ハナから遅刻しなければ良かったのでは?」

 

「そうそう、さんざん待たされ挙げ句聞かされ損ときた。時間を無駄にしたね」

 

 青娥さんが嫌らしく目を細め、正邪さんが気だるげに肩を鳴らす。

 傍観している場合ではない。こんな後味の悪い幕引きがあるものか。かくなる上は私が八話目でも話してお茶を濁そうか。七不思議の数に合わないとかは、この際どうでもいい。このままでは魔理沙さんはしょげてしまうか、下手すれば理不尽に耐えきれず弾幕勝負を・・・

 

「いや待て、分かった。少し聞いてくれ」

 

 巡視していると、魔理沙さんが急に手のひらをつき出した。予想に反した毅然とした声に、皆がほんの少したじろぐ。

 

「確かに、私の不手際は謝ろう。けど私だって、ただ遅れた訳じゃないんだぜ?ある場所の下見に行っていたんだ」

 

「ある場所?」

 

 レミリアさんが首を傾げると、ずいっと魔理沙さんは前のめりになってこう言った。

 

「そう、ズバリ無縁塚にだよ。確かに一本だけ、それっぽく外れに木が立っていたのさ」

 

「もしかして・・・」

 

 アリスさんが言いかけてから、魔理沙さんは勢いよく立ちあがると拳を握り、大声で言った。

 

「そう!今から実際にその場所に行って、噂を確かめてやろうじゃないか!今からいけば丁度日付が変わるぜ!」

 

 魔理沙さんは意気揚々と立て掛けていた箒を手に取り今にも飛び出しそうな雰囲気だ。だが、周囲の面々はいまいち気乗りしなさそうに顔を見合わせる。

 そりゃそうだろう。日付が変わる時分に妖怪なんて見慣れたであろう人妖が、これまた割りと身近な冥界に行かないかと言われたら、それほどワクワクとはすまい。

 あるいは魔理沙さんなぞは好奇心から楽しめそうに見えるが、生憎私も含めてこの場はひねくれ者揃いである。

 

 しかし、私が頭の中でそんな風に納得していると、ややあってスッと立ち上がる人物がいた。アリスさんである。

 

「私は行く。折角だし」

 

「お、サンキュー!まあ気楽に行こうぜ」

 

 魔理沙さんはさっきまで孤立していたのに気づいていないのか、アリスさんにペラペラ軽口を叩いている。その反応はと言えばそれほど楽しそうに見えないが、付き合って相づちを打つのは近所のよしみだろうか。

 そう思って眺めていると、レミリアさんもゆっくりと腰を上げる。

 

「私も行くわ。遅くなったついで」

 

「あ、私も私も!」

 

 早苗さんがパタパタと後を追う。私も仕方なし、と背中についていくと、肩を竦めて天子さんが傍に来ていた。そして「やれやれ」と呟いて残りの二人を見る。

 

 すると、壁に寄りかかった正邪さんが肩を竦めた。

 

「はっ、肝試しかよくだらねえ。どうせ大したもん出やしねーよ。カメムシのケツでも嗅いでた方がマシだぜ。なあ?」

 

 正邪さんは同意を求めるように隣の青娥さんを見る。が、青娥さんはその顔を一瞥すると軽やかに腰を上げる。

 

「貴女と一緒にされては不本意ですわ。ごめんあそばせ」

 

「なっ!おいどういう意味だそりゃ!?」

 

「あーもー早くしろよ。置いてくぞ?」

 

 魔理沙さんが呆れたように手招きすると正邪さんは「チッ」と一つ舌打ちし、行灯の火を乱暴に吹き消すと廊下の列に割って入った。結局は部屋の一団まとめての七話目が始まったのである。

 

 

 

 

 魔理沙さんの箒に乗せてもらって二十分位だろうか。暗い中に小ぢんまりとした桜の木々が見えてきた。

 魔理沙さんは勢いよくその中に降り立つと、振り返りもせず早足である木に向かっていく。

 

「これだこれ!上から見ても間違いねえ!」

 

 ある桜の木の木をペタペタと叩きながらいう。見た目は何の変哲も無い桜だが、確かにほんの少しだけ周りに他の木が無いように見えた。他の人達も興味深い様子で眺めている。

 

「んじゃとっとと始めちゃいましょうよ。桜の木に体当たりだっけ?」

 

「あれ、三回回るんじゃないのか?」

 

「ぶつかる方にしましょうよ。この人数で輪になるなんて、まどろっこしい」

 

 レミリアさんがそう言うなり、一瞬腰を屈めたかと思うと、ひょいと跳ぶ。

 その瞬間、ふっ、と姿を消した。

 

「ど、どこへ!?」

 

「早苗、落ち着け。どうやら本当に冥界に行けるみたいだな」

 

 魔理沙さんは訳知り顔で頷いていた。ぶつかる寸前、木の目の前が入口なのだろう。しかし、私はそこであの噂の時間の事を思い出す。

 

「ってあれ?だとしたら丁度今が夜中の零時?」

 

「へ?あー時計持ってなかったな。皆、今のうちだ!」

 

 魔理沙さんが慌てて呼び掛ける。下見なんてしても、結局適当な人だ。まあ、噂で夜中なんてありがちだし、気にする事かは分からないが。

 ともあれ、皆が次々と木に飛び込み、吸い込まれるように消えていった。一人、二人といなくなり、ついには私一人になる。

 

 まさかこの先が冥界でも何でもない、異界だったらどうしようか、なんて不安も無い訳ではないが、取り残されるのは一番怖い。一息ついて、木に向かって走る。

 

「うっ!」

 

 一瞬頭痛がし、視界が白く染まった。

 



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四周目・比名那居 天子END-『噂の真相』 後編

 

 

「・・・」

 

 二、三回瞬きする。眩しさはない。どうやら冥界には来れたようで、薄気味悪い色の景色の中を白い煙のような魂が飛び交っている。

 下を向くと底の見えない程の階段。無数ともいえる石段が目の痛くなる程に連なっている。

 

 さて、噂では振りかえらず、すぐ帰れと言われていたが、他の皆はどうしているのだろうか。

 私の周りには誰もいる気配がない。他の人達もこの階段のどこかに一人でいるのだろうか。だとしたら、下に降りるべきか、登るべきか・・・

 

 連中の性格からして、てっぺんのお屋敷まで行って乗り込む可能性が高い。とはいえ予想が出来ても、この階段以外現実離れした空間を、一人で動き回れるものだろうか?

 そんな風に考えていると、俯いた視線の先にちらと人影が見えた。そしてそれらはどんどん大きくなる。

 

「阿求さん?」

 

「なにやってんだお前、ぼーっとして。」

 

 早苗さんに魔理沙さんだ。いつもの調子で階段に沿って飛んで来たらしい。表情に恐怖は欠片もない。

 

「てっぺんに行くんですか?」

 

「当たり前だろ。とことん究明しなきゃ、私の立つ瀬がないぜ。」

 

 魔理沙さんはあっけらかんと言い放つ。ちょっぴりでも怖がった私が馬鹿みたいだ、と一人で肩を落とした。

 そして顔をあげると、また飛んでくる人影が見える。

 

「先行くわよ。のろまさん」

 

「もう、お子様は元気ねぇ」

 

「くそ、階段長すぎだろ・・・!」

 

 

「お先に」

 

 レミリアさん、青娥さん、正邪さん、アリスさんが順番に飛んで脇を通り抜けていく。階段、いや怪談とは何だったのか。もはや恐怖の色どころか風情の一つもありゃしない。

 そんな風に呆れていると表情に出てしまったのか、早苗さんが横から宥めてきた。

 

「こういうのは怖さを期待する振りをして、ノリを楽しむものなんですよ。現代でもそうでした」

 

 ふふ、と諦観混じりに笑う彼女。平和になると呑気な連中は増えるものだ。こんな調子で夜中に叩き起こされるであろう人に少し同情する。

 とにかく気を取り直し、また魔理沙さんに掴まって上へ。すると先に行った四人に加え、もう一人見知った人物が階段の一番上で囲まれるようにして立っていた。

 

 その人物こそが、冥界の階段を見張る幽霊とのハーフ、魂魄 妖夢(こんぱく ようむ)さんである。肩越しに自分の半身である幽霊を浮かべ、寝巻き姿にも関わらず刀を二本腰に挿している。

 近づくにつれて、銀髪のおかっぱに隠された表情が、明らかに苛立っているのが見てとれた。

 

「さて、あなたが言い出しっぺですか?」

 

 妖夢さんの目がジロリと魔理沙さんに向けられる。しかし魔理沙さんは軽快に降りて駆け寄ると、周りの天子さん他を押し退け妖夢さんに詰め寄る。

 

「その通り!なあ、今夜は子供らの冥界の噂を確かめに来たんだ。ちょいと手伝ってくれ」

 

「・・・・・・」

 

 私には後頭部しか見えないが、妖夢さんの渋面から察するによほど神経を逆撫でする笑顔を向けられているのだろう。しばらくそのまま見つめあった後、妖夢さんがやたらと大きなタメ息をついた。

 

「あの三人組以来、少しは収まったかと思ったのに・・・」

 

 一瞬そっぽを向き、独り言のようにそう呟いてから、妖夢さんが観念したように両手を上げる。

 

「分かりましたよ。でも聞きたいこと聞いたら帰ってくださいね?」

 

「心配しなくても長居は無用だ。私も眠いしな」

 

 妖夢さんの目に殺意の光が宿る。明らかに寝起きのしょぼくれた瞳にも、くっきり浮かび上がるほどだ。そのあと瞼を悩ましげに閉じ、額を押さえて「で、ご質問は?」と促す。青娥さんが笑いを噛み殺していた。

 

「まず前提としてだ。お前やお前のご主人が里の子供を手にかけた、なんて事は無いよな?」

 

 妖夢さんはその問いを鼻で笑い、噛んで含めるような口調で言う。

 

「一度もありません。里の人間を安易に殺すのがタブーなのは、あなただって知っているでしょう。精々私が追い返す程度ですよ」

 

「へえ、追い返す、てのは、顔を合わせたのか?」

 

 魔理沙さんはわざとらしく語尾を上げる。妖夢さんは面倒臭そうに頷いた。

 

「最初は、ね。『登ってはいけない』と噂にあったでしょう。恐らくそれが広まってからは、すぐ帰ってくれましたよ」

 

「なるほど、お前の注意は結局、噂を盛り上げただけって訳だな?」

 

 魔理沙さんがからかうと、妖夢さんはグシャグシャと頭をかく。否定はしなかった。『来ちゃ行けないよ』と言い聞かせたは良かったが、皮肉にも怖い話の禁忌のような広まり方をしたわけだ。

 

「気配で部外者は分かるっつーに、ピンポンダッシュかよ・・・」

 

 どうやら手を煩わされる事自体は減らなかったらしい。敬語も無しにぼやきだした。

 しかし、そこでレミリアさんが横やりを入れる。

 

「じゃ、私達が来たのも分かってたの?出迎えてくれたら良かったのに」

 

 ぼやいていた顔のまま妖夢さんが向き直る。その眉の皺は刃で彫ったかの如く深い。

 レミリアさんはその表情を見てクックと笑みを漏らしていたが、私は気が気でなかった。なんと図々しい要求をするのか、からかうにも限度がある。たしなめようとレミリアさんに一歩踏み出すと、丁度同じタイミングでレミリアさんが私に振り向いた。

 射すくめられる形で、私ははたと止まる。間もなくレミリアさんは私を指さして言った。

 

「阿求なんて飛べもしないのに一人だったのよ?体も弱いのに、歩かせるの?」

 

 やばい、私に振られた。妖夢さんの目が私を見る。視界の端ではレミリアさんが愉快そうに見つめていた。期待に応えるつもりも無いのに、私の頭はフル回転して体に働きかける。

 

「そ、そういえば何故みんなバラバラだったんです?」

 

 口をついて出たのは、大して興味もない急ごしらえの質問だった。私の裏返った声に妖夢さんは鼻白んだように数度瞬きし、ぽつぽつと話し出す。

 

「それは・・・寿命ですよ。死ぬ運命が近い人ほど、こちら側、階段の上の方に出るんです」

 

「じゃ、阿求は一番早死にするってか」

 

 正邪さんが問うと、妖夢さんは遠慮がちに頷いた。しかし私は気にならない、と目で合図する。三、四十年で転生する代もあるのだ。魔理沙さんや早苗さんより短命なのも不思議ではない。どうせ記憶は受け継ぐのだ。しかし彼女は浮かない顔のままだった。

 

「以前つい寿命の事で脅かしちゃいましてね・・・また思い出しちゃった」

 

 妖夢さんは俯いて首を振る。魔理沙さんも流石にん、と黙るが、そこで無遠慮にも青娥さんが『聞いても良いかしら?』と言って進み出た。妖夢さんはしばし目を泳がせ、重い口を開く。

 

「丁度この辺に、子供が一人、ポンと出てきたんです。つい黒い蝶の話をしちゃったのですが・・・」

 

「いきなりこの辺に、ってのは死ぬ直前?」

 

「ええ、あれ以来収まりましたが・・・悪いことをしました」

 

 妖夢さんは寂しげに首を振った。皆もしんみりと黙り込み、しばし涼しい空気が流れる。

 

「なにもあなたが悪いんじゃないわ。その子が死ぬのは仕方無かったじゃない」

 

「そう・・・ですかね」

 

 アリスさんがなぐさめると、妖夢さんは弱々しく頷く。これ以上根掘り葉掘り聞こうという者はなく、魔理沙さんがパン、と両手を打つ。

 

「よし、じゃあそろそろ帰ろうぜ。妖夢、邪魔したな」

 

「ええ、それでは」

 

 魔理沙さんと妖夢さんがするりと互いに背を向けたのを合図に、皆がぞろぞろと階段を降り出す。噂の余韻などはなく、皆少々悪いことをしたかなぁ、と後ろ髪を引かれる思いに見えた。

 

 

 

 

 結局そのまま無縁塚の元の場所まで戻り、何となく皆の顔を窺う。怖くもなく、楽しくもない、何とも言えない微妙な表情だ。

 魔理沙さんが、ふと口を開く。

 

「結局なにも無かったな」

 

「噂なんてそんなものよね」

 

「ああ、アクビが・・・」

 

 各々が気を抜いて感想を言い合う。所詮は噂か。私にもあんなヨタ話を無邪気に語り合えた時期があったのだろうか。すこし口惜しい。

 

「さて、帰るか」

 

「そうね」

 

「輪になって回る方は?」

 

「もういいでしょ、眠いし」

 

「えー、そう言わずに」

 

「この期に及んで文句いわない」

 

 少々ごねた人もいたが、一人が飛び立つと自然と次々について行った。私も魔理沙さんの箒に乗せてもらう。

 景色の中にぼんやりとした月が現れた。普段は空を飛んだりも出来ず、こうして誰かと空に浮かんで景色を眺めるという経験は、これからもあまり無いだろう。

 

 そう思って前は魔理沙さんに任せ、私はろくに掴まりもせずに辺りの木々や町並みを眺めていた。

 すると急に、視界がガクガクと揺れる。

 

「きゃっ!?」

 

 慌てて魔理沙さんにしがみつくと、魔理沙さんは慌てた様子で振り向いて「大丈夫か!?」と叫んだ。

 

「な、なんとか・・・」

 

「あー良かった。寝ちまう所だったよ」

 

「気をつけて下さいよ」

 

 私は下を見ないようにして念を押した。私はただの人間で、居眠り運転されて落ちれば助からない。魔理沙さんはそのせいでバツが悪いのか、大きな声で言った。

 

「あーもう、誰だ、更に輪になって回ろうとか言ったやつ」

 

 それはほんの冗談の筈だった。しかし、その一言で皆の動きがはたと止まる。戸惑った魔理沙さんだったが、皆は互いに顔を見渡し、首をかしげた。

 

「ど、どした?」

 

「魔理沙じゃないの?」

 

「私も、あなただと思ってた」

 

「言い出しっぺだし、ねえ」

 

「え!?いや違う違う!」

 

 皆に次々と尋ねられ、魔理沙さんは勢いよく首を横に振る。それは狼狽といっても良いくらいで、とても嘘には見えなかった。

 

「じゃあ誰が・・・」

 

「私は知りませんわ」

 

「私だって・・・」

 

 皆が口々に否定する。しかし、正邪さんが「違う」と言った瞬間、魔理沙さんがバッと指を指す。

 

「嘘だ!お前だろ!いくらつまらねえからって!」

 

「は?何言って・・・」

 

「あーそれなら納得だわ」

 

「また別の時にくれば良いじゃない」

 

 皆は本人が否定するにも関わらず、よってたかってからかっていた。まあ、天邪鬼が疑われるのは分からないでもない。

 

 しかしどうして。私は何故か、言い知れぬ不安のようなものを感じていた。何かあったかしら、と記憶を辿ると、ふと最初の方の妖夢さんの言葉が甦る。

 

『あの三人組以来、少しは収まったかと思ったのに・・・』

 

 その時、背中に冷たいものが走った。そして頭が勝手にセリフをなぞる。自身の記憶力、疑いようもない。

 

『一度もありません。里の人間を安易に殺すのがタブーなのは、あなただって知っているでしょう。』

 

『気配で部外者は分かるっつーに、ピンポンダッシュかよ・・・』

 

『それは・・・寿命ですよ。死ぬ運命が近い人ほど、こちら側、階段の上の方に出るんです』

 

『丁度この辺に、子供が一人、ポンと出てきたんです。つい黒い蝶の話をしちゃったのですが・・・』

 

『ええ、あれ以来収まりましたが・・・悪いことをしました』

 

 間違いない。最後に脅かしてしまったという子供は、『噂が収まる直前の三人組』の一人で『たまたま死ぬ間際だった』のだ。黒いものに怯える噂とも合致する。

 では、他の二人は?天子さんは『三人が相次いで死んだのは間違いない』と言っていた。寺子屋もあり管理されている里で、勝手に子供が死人にされるものか。

 

 三人組以来、冥界の階段に来なくなった子供。

 最近になって出てきた新しい噂。

 

 そして、誰が言ったのか分からない、新しい噂を試したがる謎の声。

 

 

 恐る恐る、今はもう遠くなった無縁塚を振り返る。見えるはずも無いのに、誰かがじっとあの桜から見ているような、そんな気がした。



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五周目
五周目・一話目-比名那居 天子


 「私が一話目?ふーん・・・

 とりあえず自己紹介しとくわ。比名那居 天子、よろしくね。

 ねえあなた、ろくろ首って知っている?そう。あの夜になると首が伸びたり飛んだりして、行灯の油を舐めるとか好いた人間のもとに飛んでいくとか言われている、あれ。

 人里にいる奴を知っている?なら話は早いわ。里で又聞きした話でも良いかしら。

 ん、災難や問題?特にないわよ。ああ、怖い話って言うから警戒してる?心配しなくても、最後まで聞いてもらえれば分かるわ。きちんとオチもついているし、お気に入りなのよ。

 

 じゃあ行くわね。これは里のちょっとした馬鹿な小噺・・・

 

 

 

 

 里のある大きなお屋敷に、一人の使用人が住み込みで働いていた。といっても、大勢いる男の中でもそいつは一際だらしない奴で、朝寝坊や遅刻は当たり前、皿を割ったり雑巾を洗う水をひっくり返したりドジの絶えない、いつ辞めさせられてもおかしくない奴だった。

 その日の朝も、布団から出ると他の同僚はとうに着替えて働きに出た後で、男は毎度の事と慌てる事もなく、旦那様の前での朝礼に参加しようとノコノコ歩いていった。

 

『・・・ん?』

 

 ところが、どうもいつもと様子が違う。旦那様がズラリと並んだ使用人にあれこれ言うのはいつもの事、しかし今日はその隣に見知らぬ女が立っている。

 その女はまだ男より年下、旦那の娘くらいの見た目で、黒と赤の服と真っ赤なスカート、マント、おまけに赤い髪の毛ととにかく目立つ容貌だった。

 着物だらけの屋敷の中で浮いていながら凛凛しい雰囲気を放つその娘に見とれていると、いつの間にか朝礼が終わったのか皆がぞろぞろと各々の仕事場に散っていく。

 あっ、と思った頃にはその場には男と、旦那と、娘の三人。ぼんやり突っ立っている姿はすぐに旦那の目に留まった。

 

『こら!また寝坊か!』

 

 男は逃げ出す訳にも行かず、そろそろと旦那の前に出た。すると旦那は隣にいる娘を指して、こう言う。

 

『他の皆にはもう紹介したがな。今日から新しく奉公してくれる』

 

『・・・赤蛮奇(せきばんき)。よろしく』

 

 娘、赤蛮奇は口元まで覆うマントの中で呟いた。その態度がどうにもふてぶてしくて、男は初対面からどうにもイヤーな心地がしていた。

 しかし丁度その時、旦那は男と赤蛮奇を交互に見て、よりによってこんな事を言い出したの。

 

『遅れたついでだ。お前、お茶の汲み方でも教えてやれ』

 

『えぇ~、あっしがですかぁ?』

 

『やかましい、さっさとせい』

 

 男は露骨に嫌な顔をしたけれど、旦那に睨まれて男はしぶしぶ赤蛮奇に手招きした。彼女はまた済ました顔で一言も喋らずついてくる。しかも後ろから旦那が『男を見張っといてくれよ、赤蛮奇』とかイヤミったらしく言うものだから、ますます男は面白くない。

 まあ我慢しながらお茶の葉の場所やら湯の沸かし方やら教える訳だけど、赤蛮奇は相変わらずニコリともせず、『うむ』とか『かしこまった』とか一言二言しか喋らない。

 それでいて試しにやらせてみると、これが男よりずっと手際が良い。雫一滴溢さず温度も完璧。湯呑みの並びまでついでにササッと整理してくれて、男は内心、面白くないを通り越して焦りだした。

 この赤蛮奇という奴、ただ者ではない。このまま仕事に慣れていけば差は開き、自分の株まで下がるに違いない。

 男は少しでも良い所を見せようと、いつもとは打って変わってバタバタと忙しない働きをするようになった。しかしその焦りが足を引っ張ったのか、男がつい、赤蛮奇にぶつかってしまった。

 

『おっと・・・』

 

 男はすんでのところで体勢を立て直したけど、体格の小さい赤蛮奇の方はどたんと倒れ込んでしまったわ。

 

『す、すまん、大丈夫か!?』

 

 男は慌てて助け起こそうとした。けど、その時ある事に気づいてしまったの。

 

 床に突っ伏した赤蛮奇の首が、変な方向に曲がっている。マントのせいで分かりにくいけれど、胴体から離れて頭だけ転がったような・・・

 男は一瞬見間違いかと疑った。けど赤蛮奇が『おっと』と言って素早く起き上がる拍子に、今度こそ転がった頭が胴体についていってないのが分かった。マントの先にあるはずの首が、無い。

 

『ヒャア~っ!』

 

 男は悲鳴をあげて、一目散に廊下へ駆け出した。息急き切らして旦那の部屋に飛び込むと、顎をガタガタ震わせながら必死でさっきの事を訴える。

 

『だ、旦那様ぁ!赤飯、じゃなくて赤蛮奇、ポン●ッキ、じゃなくてばんきっき』

 

『なんじゃ、落ち着け。何言っているか分からんぞ』

 

 旦那が呆れた顔をすると男は泣きそうになって、さっきの出来事を細かく伝えた。すると鼻で笑うかもしれない、と思っていた旦那は意外にも、神妙な顔つきになって黙りこんだ。

 

『・・・?』

 

 男は旦那の表情の理由が分からず、怯えておろおろしたままだった。旦那はしばし巡視すると、ぼそりとこう尋ねた。

 

『・・・見たのか』

 

『は?』

 

 思いの外冷静な反応に男は顔をしかめて固まった。旦那はその様子に構わず『見たなら仕方ねえ・・・』と独り言のように呟いて、こんな話をしだした。

 

 

 

 

 先日、旦那が河原を散歩していた時、草むらに奇妙なものが落ちていたらしい。

 それが赤い髪の女の子、あの赤蛮奇の首だったの。野ざらしにも関わらず血色の良い、生首が眠っている、とでも言えるような光景だった。

 最初は旦那も仰天して、つい先程人死にが出たかとましまじと見つめたけれど、ひっくり返して回してみても血の跡一つさえない。かといって作りものかといえば、頬の薄い赤みといい指で触った感触といい、生き物でないとは思えない。

 

 旦那は不気味に思いつつも、放って置く気にもなれず、人目につかないように使用人からも隠して屋敷に持ち帰った。

 そして、やがて日も沈み使用人も明日に備えて寝入った頃・・・

 

 旦那はどうにも拾った首の事が気がかりで眠れずにいた。押し入れに仕舞ったのをこっそり出して眺めてみると、やはり目を閉じて安らかな寝顔だった。それどころか耳を澄ませば寝息まで聞こえてきそうだ。

 首を見慣れた旦那はそんな風にふざけた事を考えて、つい、と耳を傾けてみた。

 ところが、聞こえてきたのは場所も内容も予想外のものだった。

 

『首やーい、首やーい』

 

 突然、とうに皆が寝静まった筈の里の街道から、女が叫ぶ声が聞こえた。何かを探しているような声色だったが、妙な文句。聞き間違いでなければ探しているのは『首』?

 旦那はまさかと思って例の生首に向き直ると、微かに月明かりで照らされて顔の陰が浮き出ている。

 そして次の瞬間、かっと目を見開いて

二つの瞳の光が旦那を捉えた。ぎょっとして肩を硬直させると今度はなんと口を開き、よく通る声でこう叫び出す。

 

『おぉい、ここだ、ここだ』

 

 旦那は目を見張って腰を抜かすのもままならなかった。得体が知れないとはいえ、生きている人間そのものの声でもって、言葉を喋り出すとは。しかもこの首の、若い娘の声は、街道からのそれとそっくり同じ・・・!

 旦那がわなわなと震え出すと、街道から屋敷の戸口に向かって、スタスタ足音が近づいてきた。ひい、と小さく息を呑むと、間もなくドンドンと戸を叩く音が。

 

『・・・・・・!』

 

 心臓がうるさくなるのをこらえ、暗闇の中を震える足取りで玄関に向かう。たどたどしい手つきで鍵と戸を開けると、扉の隙間、少し見下ろした場所に見知らぬ娘の顔が。

 その顔、まさしくあの拾った首と瓜二つ。一体何者、いや他人の空似か、と首の方を振り返ると、なんと寝室に置いてきた筈の首が浮かんでひとりでに、スゥーッとこちらに向かって飛んで来るではないか。

 流石に旦那も飛び退いて、『な、何だテメエは!?』と怒鳴ると、腕の中にぽすんと首を抱え、娘は落ち着き払ってこくんと頭を下げる。

 

『脅かしてすまない。あなたが首を拾ってくれていたんだね』

 

 旦那はその態度に調子が狂ったのか、ポカンとして娘を見つめていた。すると娘の方から正体と経緯を話してくれたの。

 

 曰く、彼女は赤蛮奇というろくろ首の一人であり、複数ある首の一つをなくしてしまい、普段は妖怪の身分を隠しているが故、拾われるのを見られてはまずいと夜中に探し回っていたら旦那の屋敷に行き着いた。どうか今夜の事は内密に願いたい、との事。

 人間のふりをして害を為そうなんて事は決してない。それに勿論ただで見逃せとは言わない、一つくらいなら頼みを引き受けようじゃないか、というものだから旦那も次第に落ち着いて、代わりに頼み事を何にしようかと考えた。

 有名な落語なんかじゃ拾ってくれたお礼に女の霊と一晩を・・・なんて噺があるけれど、そこは年もいって分別がある旦那。お互いの益も考えてこう持ち掛けた。

 

『御前さん、人里にある程度慣れていなきゃいかんはずだ。ワシの所で働かんか?』

 

 

 

 

 ・・・結局その取引が成立し、今朝に新しい働き手として赤蛮奇が屋敷に来たという訳だった。

 聞かされた男は正直半信半疑だったけれど、旦那の神妙な顔つきを見るにどうも嘘とは思えない。

 しかし事実だったとして、『はいそうですか』で済む話では到底ない。本当に一つ屋根の下で働いたりして安全なのか、男は承服できずに旦那に詰め寄った。

 

『しかし、本当によろしいんですかい?今に本性を現したり・・・』

 

『そう怯えるない。ワシも歳をとった。妖怪だろうが若い娘のお茶が呑めたら満足よ』

 

『だからって、あの妖怪でなきゃいかん理由は・・・!』

 

 男は食い下がろうとしたけれど、なにぶん雇われた、それも日頃失敗ばかりの身、『お前が一人前の働きをしてくれたらなあ』なんて言われて取りつく島もない。

 そんな言い争いですったもんだしている内、背後からあの声が響く。

 

『失礼、お茶をお持ち致しました』

 

 気づくとお盆にお茶を乗っけた赤蛮奇が立っていた。ぎょっとして男がその場を退くと、旦那は途端に笑顔になり

 

『やあ、ありがとう。後はこの男に後片付けを教わっておくれ』

 

などと調子の良いことを言って、体よく男を放り出すと赤蛮奇に茶を受け取り、やあ、茶柱が立ってらあ、なんて楽しそうに話すものだから、男は陰で毒づいた。

 すけべえな旦那め。ありゃあ妖怪にたぶらかされてやがる。きっとその内赤蛮奇も面の皮が剥がれるに違いない。

 妖怪の企みを暴き、手柄を立てる。ふとそんな出世ストーリーを男は思い浮かべた。何より初めて見た時から無愛想で自分より仕事が出来そうな赤蛮奇に、男は悪い印象を勝手に膨らませていたのだ。そして一人で許しちゃおけねえ、と一計を案じる。

 掃除を教える途中、わざと用があると言って隠れ、男は戻ってくるなりこう言った。

 

『おい、旦那に買い物を頼まれてな。案内がてらついて来てくれや』

 

 勿論旦那は何も知らない。赤蛮奇を連れ出す為の嘘だった。そうとは知らずに赤蛮奇は二人で屋敷を出て店の方へと向かった。

 男は親密になる気はなく、赤蛮奇も元より無口な性格。互いに何の会話もないまま里の中心部に近付くと、人間と、それに妖怪の姿もちらほらと見えるようになってきた。

 

『妖怪ってのはこうしてみると身近だが、やっぱり隣にいたりしたら怖いなあ』

 

 男は何気ない風を装って呟いた。しかしチラリと赤蛮奇に視線を移すと丁度気まずそうな視線とぶつかる。

 

『人気のない場所へ行こう。話がある』

 

 赤蛮奇の緊張も予想していた。やはり転げた首を見た男を、彼女は気にしていたのだ。正体がばれたくないというのなら、街のすぐそばで秘密を出汁に詰め寄れば本性を暴けるに違いない。男はそう睨んだ。

 狭い裏路地に入り、男は声を潜めて尋ねた。

 

『お前は妖怪だな?誤魔化しても無駄だ。俺もお前の首が取れたのを見ちまった』

 

『・・・ああ、やっぱり知っていたか』

 

 存外素直に認めたものだ。根は正直なのかもしれない。しかし正念場はここから。

 

『何を企んでいる?』

 

『何が』

 

『とぼけるな、ただで妖怪が働くなんて信じられん。旦那の命か屋敷の財産、そんな所か?』

 

 男が壁に追い詰めると、赤蛮奇は面倒臭そうに息を吐いた。

 

『変な勘繰りはよしてくれ。私は平穏に暮らせていれば、満足なのだよ』

 

『それを信用できれば苦労はしない。今なら屋敷を出ていくだけで済むんだ』

 

『・・・!』

 

 屋敷を追い出す、そう語気を強めた時、赤蛮奇がふっ、と間近で見てようやく分かるほど、瞳に困ったような色が浮かんだ。

 その時、男もつい目を見張った。つまらなそうな表情ばかり印象に残っていたせいで、急にそこから赤蛮奇が別人のように見えてきたのだ。

 視線を泳がせてみれば、貧相でこそあるが肩は小さく、体はすらりとして、何よりスカートから覗く脚は傷一つなく綺麗で目を奪われた。

 思えば、ここにいるのは男と赤蛮奇の二人きり。それに秘密を握っているとなれば、旦那のように頼みの一つ二つ三つは聞いてくれて良いではないか。最初のなけなしの功名心はどこへやら、代わりに燃えるは官能の火。

 里にはまだ、スカートなんてそれほど普及していなかった。愚にもつかない町娘の小袖姿くらいしか知らなかった男にとって、赤蛮奇の脚はそれはそれは刺激的だった。ああ、今、手を伸ばせば・・・!

 なんて、男がすっかり妄想にふけっていた頃。

 

『おーい、赤蛮奇ー。いないかー』

 

 いつの間に来ていたのか、表通りから旦那の呼ぶ声が。まずい、この状況を見られては只では済まない!男が慌てて顔を上げると・・・

 首が、ない。ハッとなって周囲を見渡すと脚に見とれている間に、赤蛮奇の首が浮かんで表通りに顔を出していた。

 

『おぉい、ここだ、ここだ』

 

 やばい、逃げ出そうとすると、今度は赤蛮奇の胴体ががっしと男の腕を掴む。離せ、離せ、ともがいていると、行く手を塞ぐように怒りに顔を歪ませた旦那が仁王立ち。

 

『てめぇには愛想がつきた。何処へでもいっちまえ!』

 

 男は言い訳する間もなく道端に放り出され、ほうほうの体で逃げ帰った。その先は屋敷に勤めて以来帰っていなかった、今は母親が一人の実家。

 

『あれ、どうしたんだいお前。まさかまた勤め先でバカをやったんじゃないでしょうね!?』

 

 幼少より男の間抜けぶりを知る母親は、そう問い詰めた。男は気が動転したまま、母親に言い返す。

 

『てやんでぇ、えらいことがあったんだぞ!』

 

『なんだい、えらいことって』

 

『聞いて驚け、首がとんだ!』

 

 

 ・・・お後がよろしいようで。」



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五周目・二話目-東風谷 早苗 A

※今回の話はやや風刺的表現が含まれます。
苦手な方は早苗のBを用意しましたのでそちらをどうぞご覧ください


 「私が二話目ですか。一話目で大分空気がほぐれたんで、気楽にいきましょう。東風谷 早苗です。よろしくお願いいたします。

 

 皆さん、地底の地獄跡をご存じですか?危ない場所なので、行ったことのない方もいるでしょうが、あそこにある温泉はちょいとしたものですよね。

 私の神社は少々あの場所と繋がりがありましてね。もっと言えば、そこで働いている霊烏路 空(れいうじ うつほ)さんにです。

 もうずっと以前の話になりますが、神奈子様が『幻想郷独自のエネルギー源を』と企んで、地底に降り、一匹のカラスに神様の力を与えた事がありました。そして生まれたのがお空さんです。

 その力は本来とても強く危険なもので、当時はちょっとした騒ぎになりました。ですがすぐにお空さんが制御を成し遂げてくれたので、結果的には何だか急に温泉が湧いた、というだけで終わりました。

 正確には今の姿になったのも、その事件以後なんですよ。手足をいかついアーマーに包んで・・・。今では強い力を認められ、焦熱地獄で悪い魂を処理する仕事をしています。多少のいざこざはあるにせよ、問題なく地底も地上も暮らせているようです。少なくとも、対外的には・・・

 え?どういう事か?今からお話ししますよ。ただ、あまり広まるのも好ましくない話なので、どうか一つ、ご内密に・・・

 

 

 

 

 ある日、お空さんがいつものように仕事に出かけようとした時、ちょっと寒気を感じた事があったそうです。その時は少し気になったようですが、朝方は冷えるものだろうと深くは考えず、いつも通り仕事に向かいました。

 

 しかし、焦熱地獄で作業を始めてからも、魂も溶かすとてつもない熱さの場所にいるにも関わらず、体の寒気は収まりませんでした。

 それどころか今度は体が怠くなり、頭がかぁっと熱くなって、眩暈が怒りました。体は表面ばかりが不自然に冷えるようで、首筋にぬるりとした嫌な汗が伝い、周りとの温度差で気持ち悪くなるほどだったと言います。

 今考えればただの風邪なのでしょうが、彼女はその、何て言うか、ちょっと鈍い子でして、そこまで思い当たらなかったのでしょう。最早動作の一つ一つが億劫なフラフラの体に鞭打って、『しっかりしなきゃ』とばかり考えていました。

 ただ、そんな時は往々にしてどこかでボロが出てくるものです。

 ・・・彼女は鈍いだけではなく、『あれをしてはダメ、これをしてはダメ』という事柄をキチンと覚えて置こうとする、いわゆるマニュアル馬鹿のような所がありました。だから体内の力の制御も、細かく出来ていたのだと思います。

 しかし、体の不調で判断力が落ちていたんでしょう。止まない肌寒さに騙され、彼女は体内の力を使い、ほんの少しだけ―体温を上げようとしました。

 

 その途端、お空さん自身どころか周りの焦熱地獄までもが急に更なる熱気に包まれました。辺りの隔壁がジュウジュウと音をたて、飛び回っていた地獄鴉までギャアギャア鳴きながら逃げ出しました。景色が熱気でユラユラと歪み、視界がおかしいと気づいた瞬間には、お空さんも体が焼けつくような痛みが沸き上がって来たといいます。

 

 その熱は次第に真上に建つ地霊殿にまで及びました。地盤を隔てているにも関わらず、舘全体が蒸し風呂のように暑くなり、飼っていた動物たちが一斉に、本能的に騒ぎ始めました。

 流石に何かあったと勘づいたのが、主のさとりさんでした。彼女が部屋を飛び出して廊下に出ると、急に肌を薙ぐような熱風が吹き付けました。

 その廊下の先に・・・・・・音が聞こえて来そうな程の熱を放つ、お空さんが倒れていたのです。

 

『さとり様ぁ・・・助けてぇ・・・・・・』

 

 彼女は殆ど呻くように言いました。顔は真っ赤に上気して眉は堪えるようにシワをつくり、威厳のあったアーマーは見るも無惨に融けかけていました。

 さとりさんは咄嗟に駆け寄ろうとしましたが、いかんせん熱さのせいで直接触れるだなんて出来ません。何とか無理をして動いてもらって、地霊殿の温泉まで誘導しました。

 なぜ温泉かというと、そこには水風呂もありますし、焦熱地獄が滅茶苦茶ならば温泉も熱源がなくなり、次第に湯も冷たくなります。体を冷やすには持ってこいだと踏んだのです。

 それからしばらくは地獄の余熱だけで地霊殿が大騒ぎになりました。主の妹、こいしさんが急に地底に帰ってきて乗り込もうとしたりハプニングもありましたが、地獄の方はさとりさんの読み通り、勝手に熱を失っていきました。機能が停止しちゃった訳ですが、暴走し続けるよりはマシです。

 

 ただ、問題はお空さん自身でした。熱だけではありません。今度は、普段制御している神の力が外に漏れだしているとお空さんが言い出したのです。周りの人たちは何も見えも感じもしなかったのですが、本人は感覚で分かったのでしょう。私達も風邪などで器官を患ったりしますし、あり得ない話ではありません。

 しかし、近づいては危険とあっても、放ったらかしには出来ません。体を冷やす温泉の水だって、放っておけば熱されて沸いてしまう程だったのです。それにずっと動かないままでは生活もままなりません。

 

 そこで、温泉を一時閉鎖し、周りに仮のトイレなどを作る事にしました。一番の友達の火車や、大工仕事が得意な蜘蛛の子が作業を買って出たそうですが、お空さんの発言を重くみて断られました。定期的に水を入れる作業も同様に。

 

 お空さんは温泉にジッと浸かり、その為の水や飲み水、そして食事を運んでくる妖精と会話をする時間も取れず、そもそも顔ぶれさえコロコロ変わっていったといいます。

 そんな風にろくにコミニュケーションもない、服も着られず軟禁まがいの生活が長く続いたのです。

 

 ・・・これは後の話になりますが、駆り出された妖精が何人か、しばらくして倒れたんだそうです。強すぎる力が害になったのだと、皆は噂しました。お空さんにはひた隠しにされたらしいですが。

 とにかく、そうした苦労の甲斐もあり、お空さんの体温は長い時間をかけて元に戻りました。その時は皆涙を流しての大喜びです。そのままメデタシで終われば良かったんですが・・・

 

 それからも問題は山積みでした。水の継ぎ足し係、飲食物を運ぶ係、掃除をする係、それぞれの妖精たちのケアを始め、お空さんの体調管理など。

 トイレや様々な処理に使い循環した水まで、念をいれて保管し、隔離していたのです。何より漏れ出た神の力とやらがどの程度影響を及ぼしているのか、閉鎖した温泉とその周辺や地霊殿が大丈夫なのか・・・・・・尽く不明でしたから―

 流石にここまで来ると分からない事だらけで、力の元を辿ってさとりさんが守矢神社まで来たのでした。私もその時経緯を聞かされたのです。

 しかし、当の神奈子様も全能神の如く知恵を授けてくれた・・・なんて事はありませんでした。しばらく頭を抱えた後、答えた事と言えば、

 

『神の力は危険なのは確か。融けたアーマーはすぐに処分し、閉じ込めた温泉にはしばらく近づくな。というより地霊殿も出来れば放棄した方が良い』

 

という、急に言われても戸惑うような内容でした。『いつまで放棄するんですか』と聞くと、『ハッキリとは答えられん』とのたまう。

 その返事を皮切りに、さとりさんは矢継ぎ早に質問を浴びせかけました。お空さんに力を戻すのか、最初にボロボロになった焦熱地獄は復旧出来るのか、地面から湧いた天然温泉にお空を入れて、地下まで危なくなってやしないか・・・

 最後は不安がありありと出て、悲痛な口調に変わっていました。神奈子様は黙ったままで、しばらく息を切らすさとりさんと向き合っていました。

 そして、両肩に手を置き、歯切れの悪い調子で言いました。

 

『分かった。一緒に何とかして行こう。次の機会までに知恵を絞っておくから』

 

 精一杯のやり過ごす文句だったと思いますが、相手はさとり妖怪、心中は筒抜けです。明らかに信用していない目付きでした。身内の私でもそう呆れたのですから、さとりさんの胸中は察するに余ります。私も傍で聞いているだけでどれだけ苦い思いをしたか。

 

 しかし、苦難はこれだけではありません。私にとっては、むしろここからが始まりでした。

 

 

 それから幾度もさとりさんと神奈子様が話し合いをしました。しかし、相談の内容一つ一つが、揉め事の種にしかなりませんでした。

 

 例えば水の事。神奈子様が『お空を介した水分も今まで通りにしろ』と言うと、すぐにさとりさんは渋い顔をしました。

 お空さんに摂取、接触させた水を隔離するにも限度がある。行き場のない危険な水は増えるばかりということでした。水分なしでは生きられませんから。

 

 そして行き場の話になると決まって、あの融けたアーマーも話に上がりました。神奈子様は処分しろとの考えを変えませんでしたが、では何処に?と返されます。同じく、あの温泉は、地霊殿は、焦熱地獄はどうするのかと不安の範囲は際限がありません。たとえ放棄するにしても放ったらかしで誰かが立ち入っては危険ですし、解体したらしたでどう処分するか。

 そもそも、処分に使った場所は大丈夫なのか・・・

 

 神奈子様は決まって、極力現地でどうにかしてくれと言いますが、さとりさんは当然首を縦には振りません。

 

『もしヤバイものを押し付けられたとあっては、こっちには荒くれものの妖怪が』

 

『いやこっちこそ天狗との兼ね合いが』

 

 話は平行線です。しかし住まいに危機が迫るさとりさんの方が事情は深刻で、『地霊殿を捨てたらペットたちはどうする、野放しか見殺しか』と迫っていたのを覚えています。

 私も黙ってばかりはいられず、『おいでください。出来る限り、地上でも支援します』と勝手に口を挟んでいました。 しかし、さとりさんは死んだ魚のような目で睨んできました。そして子供が泥遊びをした後のように手のひらをこちらに向け、こう言うのです。

 

『本当ですか?心を読む上に、今や謎パワーがへばりついているんですよ、うへへ』

 

 さとりさんは必死でふざけた振りをしていましたが、私は胸が締め付けられるような気がしました。彼女は昔の迫害された時を思い浮かべたのでしょうが、現代でも、恥ずかしながら似通った心理がありふれていた覚えがあったのです。

 しかし確かに、急に家を、それも元はといえば神奈子様の実験で立ち退けだなんて、ひどい話です。

 

 結局落としどころは見つからず、仕舞いには『お前の所の鴉だろう』『あなたが訳の分からない力を与えたんじゃないか』と決まって言い合いになりました。

 その時の神奈子様の姿は・・・・・・私達を守る、という面もあったのでしょうが、ある時は革新のエネルギーがどうのと言いながら、危険な一面が見えると責任は被りたがらず、少々情けなく見えました。

 『家庭の幸福』というものでしょうか。

 

 ズルズルと話は続きました。地底からの縦穴から地上まで力が及んでいる恐れがあるから入り口の土を削るだの、立ち入れない場所への調査に河童の造ったロボットを使うだの。

 それでも『もう大丈夫!』なんて言われた事は一度たりともありません。難しい問題といえばそれまでですが、こんな深刻なら最初から神様の力なんか手を出さなければ良かったのでは、と内心思っていましたよ。

 ・・・・・・はっきり言って、安全へと向けて前進出来ているのか、丸っきり分かりゃしない。

 

 私だって他人事と思って言っているんじゃないんです。不安ですし、身を切りもしたんですよ。・・・・・・具体的にはお小遣いが減らされました。焦熱地獄の修繕諸々に使うとの事でしたが、私は温泉ぐらいしか恩恵の記憶は無く、理不尽な気がしたものです。

 同時に、こんな方向にまで、本当に色んな種類の影響があるものだと、その時妙に関心しました。

 

 ・・・・・・ここまでが今まであった事の大体のあらましです。愚痴みたいになってすみません。でも、話しておかなきゃ、と思ったんです。

 だって、地上も地底も、殆ど人々が事情を知らないんです。外の世界ならすぐに嗅ぎ付けられるんでしょうが、こちらにそんなネットワークはありませんから。

 ましてや、互いに構造は崩したくない、反感は買いたくない、面倒は被りたくない、そんな心理が共通ならむべなるかな、です。

 

 お空さんは神奈子様に再度元通りにされ、あれほど揉めたゴミ捨ての話も、いつの間にか話はついていました。

 ・・・多分、地底は幻想郷よりずっと広いですから、どっか隅にでもコッソリ捨てたんじゃないですか?

 いえ、文句は言いませんよ。どうしようもないと言われれば、なるほど納得します。

 でももし万が一、お空さんのバージョンアップ版をもう一体作ろうなんて話になれば、反対するでしょう。ただでさえ地底の隅でカラスがまた力を取り込むかも知れないというのに、もう沢山です。

 

 ・・・ええ、もう沢山。皆さんに聞かせておいてなんですが、私もあれこれ考えるのが億劫になってきました。

 皆さん、出来れば今回の話も忘れちゃってください。無理して覚えておく話でもありませんし、私もこの一件は忘れたいのです。なんせ話す最中すら、頭が痛くなってきましたから。あはは。

 

 ・・・もう私はいいですよ。次に行っちゃって下さい。」

 



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五周目・二話目-東風谷 早苗 B

 「二話目、ですか。東風谷 早苗です。よろしくお願いいたします。

 まだ人間の若輩者ですので、どうかお手柔らかに。

 

 皆さん、地底の地獄跡をご存じですか?危ない場所なので、行ったことのない方もいるでしょうが・・・

 

 私の神社は少々あの場所と繋がりがありましてね。妖怪の山の地下に位置する焦熱地獄、そこで働く霊烏路 空(れいうじ うつほ)さんとは、特に深い関わりがあるんです。

 もう随分と前の事になりますが、私の神社の神奈子様が『幻想郷独自のエネルギー源を』と企んで、焦熱地獄の住人に力を与えた事がありました。その結果生まれたのが今のお空さんです。

 色々と大騒ぎにはなりましたが、最終的には地底にポンと強力な妖怪が増えた、というだけで済み、今は平和にやっています。

 ただ、本人はともかくその周り・・・私も含めてちょっと珍事がありまして。その話をしたいと思います。

 

 

 

 

 ある日、私がいつものように空を飛んで神社に帰る途中、切っ掛けの出来事がありました。

 空中なんて障害物がある訳でもなく、偶然誰かとかち合わないかだけ注意していました。スペルカードが普及して以来、身を潜められる地上ならともかく、空の上で手加減もなしに不意打ちしてくる輩なんてのはそうそういないものですから。

 だから、油断もしていたんですかね。急に、バシィッ、と頭に殴られたような衝撃が走りました。

 えっ、と思って辺りを見渡すと、視界の端に黒いものが映りました。一瞬でよく分かりませんでしたが、鳥のような・・・

 

 それが何だろう、と考える間もなく、後頭部に生暖かい感触がありました。咄嗟に手を当てると、ベットリとした液体がくっつきます。気味が悪くなって慌てて手を確かめると、同時に後頭部に鋭い痛みが走りました。

 

 ・・・あの殴られたような感覚のあった場所からは、ダラダラと血が流れていました。一度撫でただけなのに手のひらが真っ赤になるほどで、呆然としている間にも頬にツゥーッと液体が伝い、鉄臭い匂いが鼻をついてきます。

 

 急にさあっと背筋が寒くなって、とって返して永遠亭にいきました。幸い包帯を巻くだけで済みましたが、怪我は何かの爪痕、それも偶然ぶつかった等ではなく明らかに悪意があって引っ掻く、もとい抉ったものだと言われました。

 何処かで恨みでも買ったのかと言われましたが、そんな事はありません。ましてや心当たりは途中で見た鳥くらいしか無かったものですから、頑として首を横に振りました。診ていただいた方も深くは疑わず、とりあえず空を飛んで帰るのは止しなさい、と手伝いの人、ウドンゲさんを付けてくれました。

 永遠亭はご存じの通り迷いの竹林の中にあるものですから、ウドンゲさんの後をついて歩くのですが、そのウドンゲさんがまたどういう訳か、歩いている間中チラチラと上を見ては顔をしかめています。

 それがあんまり何度も続くので、流石に私も気になって『どうしたんですか?』と尋ねました。すると彼女は険しい顔で振り向き、こう言うのです。

 

『・・・念のため神社まで付いていくわ』

 

『え?どうしたんですか?』

 

『いいから』

 

 ウドンゲさんは言うなり私の手を掴み、引き摺らんばかりの勢いで駆け出しました。私は訳も分からず引っ張られるままに竹林を抜け、街道を突っ切って、幻想郷の中でほぼ正反対の位置にある妖怪の山のてっぺんの神社まで、二人で走り続けました。

 神社の見える場所に来てようやく止まったウドンゲさんは、はあはあと肩で息をしながら振り返って、未だ事態を飲み込めない私にこう言いました。

 

『しばらく一人きりで行動しない方が良いわ』

 

『どういう事です?』

 

私が尋ねると、ウドンゲさんはまた上を睨んで、

 

『奴らが狙っている』

 

 私がその方向を見ると、丁度夕暮れの赤く染まった空に、カラスが一羽、大きな黒い翼を広げてガアガア鳴いていました。

 

 

 

 

 神社に帰ると神奈子様は、私の頭に巻かれた包帯に大層驚いて、何があったのかと詰め寄ってきました。私はその時は人伝の推測が殆どだったのですが、

 

・カラスらしき鳥がぶつかってきた事。

 

・どうもそれは故意で、何らかの意図が感じられる事。

 

・ウドンゲさん曰く、カラスが自分を、特に一人きりの時を狙っているらしい事。

 

 ・・・等を話しました。神奈子様はカラスと聞いて山の天狗の仲間だと直感し、『どういうつもりか知らんが明日問い詰めてやる!』と息巻いて、ついでに今後出歩く時は私に伝えろと言ってくれました。

 

 そして翌日、私は大事を取って家で休んでいました。神奈子様は朝から天狗の集会所まで出向いて、昼頃に帰ってきたのですが、その顔色はどうにも浮かないものでした。曰く、

 

『天狗たちが集まっている場所で聞いてみたが、一斉にざわつくばかりで、誰も彼も覚えがないという面だった』との事。

 

 何も大勢の前で堂々と聞かなくとも、責任のある立場の人に警戒を促すとか出来なかったのか。家族ながら少々軽率に思いましたが、そこは性格と諦めました。

 とりあえずはこれで犯人が萎縮でもしてくれたら儲けもの。しばらく神奈子様が行動を共にしてくれる間に、天狗たちの方で身内の不届きものをあぶり出してくれたら、万事解決だ。その時は神奈子様とお二人でそう思う事にしました。

 それから、人里や霊夢さんの神社に行く時には神奈子様が逐一ついて来てくれました。ウドンゲさんの忠告通りカラスは二人でいると襲っては来ず、時々木の枝に止まったヤツがジッと睨んでくるのが目につく程度で、相変わらず災難の影はチラつくにせよしばらくは何事もなく過ごすことが出来ました。

 

 しかし、そんな状況が一ヶ月続き、頭の傷もすっかり痕が消えた頃、今度は天狗たちから不満が出始めました。

 なんでも、例の神奈子様の訪問からこっち、怪しい者がいないか調査をしたが、一向にそれらしき者は見当たらない、らしかったです。それだけなら誤解で済むのですが、連日、山を含めてあちこちを神奈子様が同行していましたから、わざわざあんな大物をいちいち動かすのはどういう事だと、天狗の一部が騒ぎだしたそうです。

 悪いことに、神奈子様の訪問と、犯人が見つからないこと、そして私が神奈子様に守ってもらっていた事が合わさって、天狗たちの警戒心を煽る結果になってしまいました。

 

 あまりその声が大きくなってくると、神社のお二人もむやみに山での立場を悪くはしたくないと、頭を悩ませるようになりました。

 私はといえば、未だカラスがどこかで見ているような気がしていましたが、神奈子様と諏訪子様にこれ以上迷惑をかけるのも気が引けて、つい、『もう一人で出歩けますよ』と言ってしまいました。

 お二人は揃って反対しましたが、私はもうずっとカラスは現れないし、そう何日も顔を覚えている訳ない、と押し切り、次の日からいつもの生活に戻ると決めました。

 

 そしてその翌日、私はいつもの人里の布教に出かけました。一人で行くのはま

だ少し怖かったですが、自分で言った手前それを表面に出さないようにして飛んで山を降りました。

 期間にしてみればちょっとの筈なのですが、一人で行くのは随分と久々な気がして、訳もなく辺りをチラチラと、何度も見渡しながらの飛行でした。何しろ以前のあの一撃は一瞬でした。バサリ、と羽音が聞こえた次の瞬間には、小さい獲物なら容易に殺せる蹴爪が食い込み、すぐに飛び去って行ってしまうのです。

 

 ただの向かい風程度でさえ、体がひゅっと冷えて肩がすくみました。下をふと見ると豆粒ほどの人と遥か遠くの地面が見えます。

 ただの一撃でも貰って、もし一瞬でも飛ぶのを忘れてしまったら・・・私の体など呆気なく潰れてしまうでしょう。そう思った途端、今度は首筋に嫌な気配を感じました。咄嗟に振り向くと、二つの視線がぶつかりました。

 カラスがいつの間にか、背後をついて飛んでいたのです。私は慌てて反射的に、そのカラスから目を離さないまま下に降りました。殆ど落ちるような勢いで、前も見えてやしませんが、気にしてはいられません。ただひたすら、そのカラスが私めがけて突っ込んでくるのではないか。その時はそれだけで頭が一杯でした。

 すぅーっ、と近づいてきた瞬間、思わず目をつぶっていました。・・・一拍して薄目を開けると、カラスが横を旋回して飛び去っていきます。

 ただの思い過ごしでした。ほっとして前に向き直ると、目の前にはもう地面が。慌てて体勢を直し、足を着けるとその拍子に地面を転がってしまいました。

 

 そこはちょうど里の入り口で、何人かがこちらを見てクスクス笑っていました。さっきまで怖がっていたのが途端に恥ずかしくなり、土を払って里に駆け込みました。

 

 それからしばらくは何事もなく里を回っていました。往来を沢山の人が行き来し、平和に挨拶を交わす中では襲いかかる者などいやしません。

 それでも、心の中では恐れていました。一旦いつもの調子に戻っても、長屋の屋根に一羽でもカラスがいたら表情が固まり、作り笑いで誤魔化して逃げる。そんな事が何度も続いたのです。里の外に出れば奴等が追いかけて来るのではないか、そんな恐怖にかられて私はいつまで経っても里の中を歩き回っていました。

 

 そんな事をしているうちに一時間経ち、二時間経ち、とうとう夕方になってしまいました。遠くを見渡すと、オレンジ色の空を飛び回る沢山のカラスが。

 なんて事ない筈の風景ですが、私は不安で胸がスッと冷たくなるような気分でした。カアァ、カアァ、とよく通る鳴き声がどうにも耳障りで、それでも山まで帰らなければいけないと、沈んだ気持ちは晴れる事はありません。いつまでもぐずぐずしていたら日が暮れてしまいます。

 

 しかし、いざ帰るという段になって、来るまでの事を思い出しました。空を飛んでいる最中にもし、襲われて落ちてしまったら・・・・・・

 これからの時間、視界はまず暗くなりますし、あの時より数も増えるかもしれない。そう考えて、時間はかかるけれど山道を走って帰る事にしたんです。

 

 出来るだけ早く帰りたくて、不安にせき立てられるように里からの道を走りました。しかし太陽は容赦なく沈み、さっきまで茜色に眩しく照らされていた景色がみるみる藍色に染まっていきます。

 ようやく山の麓に辿り着き、山中に足を踏み入れた所で、よりによって周りはスッポリ暗くなってしまいました。樹も、茂みも暗い色に溶けて、歩くだけでも難儀する程です。

 

 それでもまだ普通に通れる場所では見張りの白狼天狗の方々がいたりして、まだ安心出来ました。しかしこれが少々奥まった道になったりするとそうは行きません。周りに誰もおらず目の前は何があるかもろくに見えない。おまけに足下は整地などされていないボコボコの道で、所々木の根が張り出しています。鍛えた妖怪なら勝手は違うのでしょうが、私はそうもいきません。

 幾度も躓き、足を滑らせました。気づけば靴は泥だらけで、足首にも擦り傷が。たまらず傍らの樹に手をついて、ほう、と一つ息を吐きました。

 その時です。

 がさり、と背後の頭上で木の葉の擦れる音がしました。反射的に振り返りますが、樹に生い茂った葉の、その中に紛れた何かなんて夜の闇の中では分かりません。

 しかしどうしても見られている感覚は消えず、ぎこちなく回って辺りの樹を見渡しました。

 山の狭い道だと木の葉に上から覆われているような格好で、その時も真っ黒な樹の影の隙間から、辛うじて細長い夜空が見えただけです。それらを見上げているうちに、何だか樹にぐるりと取り囲まれているような錯覚がしました。更にはその取り巻く樹の枝という枝に、カラスたちがびっしりと停まってこちらを見下ろしているような気さえしてきたのです。

 

 体が強張り、冷たい汗が流れました。

その瞬間、見上げてばかりいたせいでつい、クラリとよろけてしまいました。あ、と気づいた時には、私は呆気なく山道に転がりました。

 その時狙いすましたかのように、カラスがバサバサと群れになって向かってくるのが仰向けの視界一杯に映りました。咄嗟に顔を庇い縮こまると、全身を刺されるような痛みが襲いました。

 目は腕で覆うのが精一杯で、クチバシでつつかれているのか蹴爪で引っ掻かれているのか分かりません。耳には羽ばたく音や煩い鳴き声がわんわん響き、蟲にでも集られたようです。

 動く事すらままならず、ただ目をぎゅっとつぶり、ここで死ぬかもしれないとさえ考えました。

 しかしその時、急に遠くから誰かの大声が響きました。

 

『こらーっ!!!』

 

 その途端、カラスはバタバタと遠くに散り、私は傷だらけの所で解放されました。誰が助けてくれたんだろうとボンヤリ思っていると、声の方向から足音が近づいてきて、私は恐る恐る、その方向に目を向けました。

 

『大丈夫?』

 

 上から屈んで声をかけてくる誰か。体を包み込めそうな大きさの翼を持ち、胸元に赤い眼のアクセサリーをつけた女の子。霊烏路 空さんでした。

 

『立てる?早苗』

 

 差し出された手を取り体を起こすと、ズキズキと痛みが走りました。さっきまで恐怖で気づきませんでしたが、腕から血が流れ、服もズタズタです。

 樹を背にしてお空さんと並んで座りました。しばらくは安心感に浸ったままはぁはぁ息を交換していましたが、お空さんが黙ってこちらを見ているので、ふと気になりました。

 

『お空さん、そういえば何故こんな場所に?』

 

 いつもは地底にいる彼女が、地上の、それも日の暮れた山の中を出歩くのは珍しい事です。何か用でもあったのかと尋ねると、お空さんはふっと眉を下げ、目を伏せました。

 そして、声を潜めてこう言うのです。

 

『早苗、さっきカラスに襲われてたでしょ?』

 

『ええ、助かりました』

 

『あれね、地獄にいるカラスなんだ』

 

 え、と洩らした後、ああそうか、とふと気づきました。

 カラスといえば山の連中を見慣れていましたが、地底の地獄にも別種のカラスが住んでいたのです。地底の皆に話を聞かなかったのは盲点でした。

 

 しかし、何故私が地底のカラスに狙われているのでしょう。そう聞くと、お空さんは苦々しそうにこう切り返しました。

 

『私、元はただのカラスだったのが、力を貰って強くなったでしょ?』

 

『はい』

 

『でもね、それから他のカラスの皆に嫉妬されるようになっちゃったんだ。お前だけずるいーって』

 

 地底のカラスは通常、地獄に放り込まれた死体などを喰らって強くなるのですが、それではイッパシの妖怪になるまで長い年月が必要です。お空さんはそれよりは遥かに短い期間で飛躍的に力を伸ばしたのですから、他のカラスからのやっかみも頷ける事でした。

 更に彼女はこう続けます。

 

『そこで、早苗が狙われたの』

 

『どういう事です?』

 

『早苗、現人神でしょ?』

 

 ・・・私は人間の体ですが、諏訪子様の子孫で、神様でもあります。信仰が集まれば死後は本当に心身ともに超越した存在になるかもしれないとか言われますが、それはいつ死んでも良いわけでは決してありません。

 今は少なくとも死ねばそれっきりです。

 

『アイツラ、早苗の死体が目当てなんだ。人間の体でも、いやだからこそ今の内に食べて、一気に強くなるつもりなんだよ』

 

 お空さんが唇を噛み、腹立たしげに首を振りました。

 その横で私は、全身の傷を見ながら今までの事を思い返し、震え上がっていました。本気で彼らは殺す気だった。少しでも間違えば私は今頃、そしてこれからだって・・・

 

 生唾を呑み自分の体を抱いていると、心配そうに覗き込むお空さんと目が合いました。あ、と慌てて愛想笑いをすると、お空さんはしょげた顔で一言『ごめんね』と呟きました。

 

『え?』

 

『だって、元はといえば私が強くなって、こんな事に・・・・・・』

 

 お空さんはどうやら責任を感じていらっしゃるようでした。しかし勿論そんな必要はないと否定します。そんな事を言い出せば発端は力を与えた神奈子様ということになってしまいますから。

 でも、彼女は浮かない顔のままです。心配してくれているのでしょうか。確認するようにポツポツと、こんな事を聞いてきました。

 

『早苗は、私と同じように強くなれないの?』

 

『多分無理でしょうね、体の方が耐えきれません』

 

『人間の魂は・・・無理か』

 

『消化器官がないです』

 

 私が強くなって心配せずに済むよう、色々と考えてくれているようでしたが、どれも妖怪ならではの方法で参考にはなりません。

 気持ちだけで十分ですよ、そう言おうとした時。

 

『あ、そうだ!』

 

 お空さんが急に思い立ったように立ち上がり、空に飛び立ちました。慌てて追いかけようとしましたが、彼女はチラリと振り向き、『早苗はここで待ってて!』と叫んで行ってしまいました。

 

 しかし、私はその通りに出来ませんでした。既に真っ暗な山の中に、またいつカラスが襲ってくるかも知れない中で一人きりではいられません。とうに闇の中に消えてしまったお空さんを追いかけようと、身を乗り出しました。

 

 でも、傷だらけでさっきまで座り込んでいた体は、思い通りに動いてはくれませんでした。

 斜面に足がもつれ、よろよろと横によろめき、私は道を外れて身を乗り出していました。

 

 その時の光景は、スローモーションで覚えています。捕まる物もなく、所々岩肌の剥き出しになった急な斜面が眼下に広がり、どんどん視界の遠くにあったものが近づいてくるのです。

 叫ぶ間もなく、強い衝撃を受けて斜面を転がり、頭にガツンという音を聞いて私は意識を失いました。

 

 

 

 

 ・・・次に目覚めた所は、永遠亭のベッドの上でした。

 両脇には諏訪子様と神奈子様がおり、『あんまり遅いから探しにいったら、山の中腹に倒れていたんだ』と聞かされました。まさか山を歩いて帰ると思っていなかったから大慌てだったそうです。

 ともあれ幸い命に別状はなく、二人とも良かったと胸を撫で下ろしていました。

 しかし、私は一つ気になる事がありました。

 

『あの、お空さんがいませんでしたか?』

 

『へ?知らんぞ。なんでアイツがいるんだ?』

 

 お二人はきょとんとしていました。あの時『待ってて』と言ったまま、結局は戻って来なかったようです。

 しかし、あんなに突然何をしに行ったのか・・・見当もつかず首をひねっていると、部屋にパタパタと入ってくる足音がしました。

 同時に諏訪子様と神奈子様が『う』となにやら呻きます。

 

『やっと見つけた~』

 

 お空さんでした。よほど急いでいたのか息を切らし、ズルズルと大きな荷物を引きずっています。

 

『・・・・・・・・・』

 

 私が何も言わずにいると、お空さんは私と諏訪子様たちにペコリと頭をさげました。

 

『ごめんなさい。私が思い付きで動いて、早苗を置いてっちゃって』

 

『い、いえ良いんですよ。謝らないでください』

 

 彼女に何かされた訳ではありませんし、お空さんがどこか間の抜けた思考をしているのは知っていたので、そこは気にしませんでした。しかし、それよりもずっと気になる事が、一つ・・・・・・

 

『お空さん、その格好は・・・』

 

 彼女は血塗れでした。引きずっていた荷物、縄で封をした麻袋は二抱え以上の大きさがあり、中から滲んで溢れた血が運んできた路に合わせて赤い筋をつくっています。

 一目見て言葉を失うには十分すぎました。

 

『あ、これね。待ってて、今開けるから!』

 

 お空さんは私の内心を知ってか知らずか、意気揚々と袋を開けはじめました。縄をほどいた瞬間、鉄臭い臭いが漂っています。

 

『ちょっと手間取ったけど、腐ってはいないはずだよ』

 

 そして、袋の口を広げ、こちらに見せてきた瞬間・・・!

 

『きゃっ!』

 

 危うくまた気を失う所でした。袋の中には、血だるまになった死体が一杯に詰め込まれていたのです。驚いて目を離せずにいると、死体の頭に小さく角が見えました。恐らく地獄の住人です。

 

 お空さんが手にかけたのでしょうか。そう思って彼女を見ると、お空さんがニッコリ笑ってこう言いました。

 

『妖怪のお肉なら食べられるでしょ?そうしたらきっと体も変わるよ!ほらどうぞ!』・・・って。

 

 

 

 

 ・・・それから、地霊殿に手を回してカラスの件は何とかなりました。

 しかし、価値観の違いとは恐ろしいものですね。お空さんやお燐さんが以前やってきた事と、立場を変えれば大差ない筈なのに・・・・・・

 

 彼女は純粋といえば純粋なのでしょうか。なんだか人間やめて神になるのが怖くなってきましたよ。

 

 私の話は終了です。ありがとうございます」

 



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五周目・三話目-鬼人 正邪

 「さて、私は三話目か。鬼人 正邪だ。

 なあ、いきなりで何だが、皆はイライラする時ってあるかい?

 ふんふん、筆が割れていた時?妹とケンカしちゃった時、後は天女に叱られた時、かあ・・・・・・

 皆、お気楽だな(笑)。

 ああいや、失敬。随分幸せそうな悩みだなあと思ってさ。勘弁してくれな。私はそんなに恵まれた身分でもないし、明日の飯とか、身を隠す場所とか、もっと切羽詰まった事をいつも考えてんだ。

 こればっかりはどうしようもない部分もあるのさ。生まれつき含む色んな要因で気を煩う内容も、更にはそれを発散する中身まで変わってくる。例えるなら金と仲間のある奴は宴会を開き、逆にスカンピンのはみ出しものは安酒やクスリをやっては弱いものいじめをする。

 後者に至っては悪事に違いないが、往々にして起こる現象なんだ。健全な趣味も、出来る環境も持たない、持てない連中がその中でイラついて、もがいてやがるのさ。

 

 私は兼ねてからそんな考えを持ってはいたんだが・・・・・・こないだあった事は、それにしたってちょいと特異でね。その話をしようかと思う。暇つぶし程度に聞いておくれよ。

 

 

 

 

 あれは確か秋の事だった。

 ある日、私が人里をぶらついていた時だ。寺子屋の近くで、一人の子供がふと目についた。私も知っている顔だ。

 というのも、その子は里の中でも珍しい、妖怪と人間の間に生まれた子でね。一見普通の男の子なんだけど、肌がすこーし青白かった。

 だからどうしたって訳でもなく、里の中では普通に暮らせていたんだが、どっこい私は天邪鬼。ちょっとでも嫌がらせ出来る口実があれば、なんでも使って糧にする生き物だ。その時もご多分に漏れず、近寄っていって声をかけた。

 

『よう病人!相変わらず酸桃みたいな面してんな!』

 

 子供はぎょっと振り向いて、いかにも嫌な顔をした。うわあ、アイツが来やがった。そんな表情だ。

 こうなると私はワクワクしてしょうがない。近寄っていって更に続ける。

 

『そんな顔するなよ~。なんたってお前さんは遠くから見たってすぐ分かるんだから。今にも死にそうでさぁ。

 あ、死んでも大して見ため変わらないか?つーかお前生きてる?幽霊になって気づいてなかったりしない?

 ちょっと脈確かめさせてよ。手首の青い筋が目印・・・って分かんねえ!いやいや怒るなよ。心配してんだって。そんな額に青筋・・・・・・あ、全部青いか』

 

 こんな調子の私を男の子はずっと無視していたが、次第に涙を浮かべ始めた。やっぱり悪意ってものが透けてみえたんだろうさ。男の子はどうも暴力は我慢しているらしく、拳をプルプル震わせながら俯いてた。

 これ幸いとばかりに私が更に煽り立てようとした、その時だ。

 

 ガツンっ!! と頭に衝撃が走った。チカチカする目の前では、男の子が呆気にとられた顔で私を見ている。

 やったのはこの子じゃない。じゃあ誰が?

 

『こら、正邪』

 

 戸惑う私の頭上に、鬼神のごとき低く恐ろしい声が降りかかった。いっ、と一瞬固まって恐る恐る振り向くと、あの半妖で寺子屋の先生の慧音(けいね)が、眉に幾つもシワを刻んで私を見下ろしていた。そいつにゲンコツ食らったんだな。

 

『・・・・・・・・・』

 

 私がしばらく何も言えないでいると、慧音はため息を一つ吐いて、静かにこう尋ねてきた。

 

『その子の肌が青かったらどうした?お前に何か被害があるか?どうなんだ?』

 

 頭の痛みが引いてから、私は彼女をチラリと見た。最初は煽って捲し立ててきてるように聞こえて、罵倒で言い返してやるつもりだった。

 『知るかバーカ!こんなカビ生えたみたいな顔色してっから悪ぃんだよ!!』てな具合にね。

 

 しかし彼女はじっと私の目を見て、腕組みして仁王立ちしていた。どうやら本気で答えを待っているらしい。

 私は別に何も考えてやしなかったし、不都合とか言われても『何いってんだコイツ』としか思わなかったんで、どうにも答えられなかった。

 強いていえば、天邪鬼だし、ってくらい。

 

 調子が狂って、すごすご逃げ出したよ。男の子や慧音がどんな顔をしていたかは、振り向いてもいないし分からない。

 ただ、慧音が言った『何か被害があるか?』っていうセリフが、妙に胸に引っ掛かっていた。

 

 ・・・・・・里の外まで出ても落ち着かないままで、私は気晴らしにある場所に行く事にしたんだ。

 

 『再思の道』だよ。幻想郷の端の小さな道、外の世界の自殺者なんかが迷い込んだりもする、陰鬱な雰囲気漂う場所さ。

 その分妖怪もうろついたりして危険なんだが、私は死に損ないが府抜けた面をしているのを眺めるのが好きでね。むしろウキウキしながら向かった。

 里から魔法の森を抜け、更に歩いていくと、ちょうど彼岸花が咲き乱れて真っ赤に染まった再思の道が現れた。

 

 ただ、その日はいつもとちょいと様子が違ってね。先客がいた。彼岸花の真ん中に座り込んで、下を向いたままジーッと固まっている男が一人。

 見た目はただの人間だけど、見慣れない服を着て、遠目に見ても沈んだ黒いオーラが出まくっていたから、『ああ、外から来た自殺者だな』と直感した。大抵はその辺の妖怪に食われてすぐ消えちまうんだが、その日はたまたま死ぬ前に居合わせたらしい。

 

 ともかくも目の前に鬱々とした人間がいる。私はカモだとばかりに寄っていき、絡むことにしたんだ。

 

『やあやあモテない顔のオッサン、こんな場所にいたら危ないぞ?どんな死にたくなる人生歩んできたのか知らないけど、ここにいたら最悪の終わりを迎えるよ』

 

 男はフッと上目遣いに私を睨んで、いかにも鬱陶しそうに目元を歪めた。まだ気分は落ち込んだままだ、私はしめしめと心の中でほくそ笑んだ。

 というのも、あの場所の彼岸花は少し変わった毒を持っていてね、その毒が体に回ると、気分は悪くなるけど、同時に何故か生きる気力が湧いてくるんだ。

 せっかく死んでない獲物に出会えたのに、すぐ生きたいだなんて思われちゃつまらないだろ?もう少しからかってやりたかったから、好都合だったのさ。

 

『私は鬼人 正邪だ。こんな場所で何してるんだい?』

 

 とりあえず名乗ってやると、男は不機嫌そうにしながらも、見知らぬ場所への不満が先立ったのか弱った顔で尋ねてきた

 

『正邪・・・ここ・・・どこなんだ?』

 

『気になるかい?』

 

『・・・・・・俺、樹海に入ったら、いつの間にかここに出て・・・』

 

 男はボソボソと呟いて目を伏せた。本当に何も知らないらしい。私はこれ幸いと、一つ嘘を吹き込んだ。

 

『ここはねぇ、アンタのように迷い込む人間がよくいるんだ。でも戻る方法はある』

 

『ほ、本当に!?』

 

『そうさ、だがそれには条件がある。

番人である私に、死にたくなった経緯をぶちまけろ』

 

 男は一瞬怪訝な顔をした。しかしやはり私を信じない理由もない。

 

『それだけでいいのか?』

 

『私も黙って聞きはしないが、それに耐えれば元通りだ。』

 

 それでお前さんの心の迷いも消えて云々、と話して納得させたが、勿論出任せさ。私は番人でもなけりゃ、元の世界に戻す力もない。ただ男が過去を話して、弱味をさらけ出すのを狙ったんだ。

 そこをなじってやればこの男は失意のどん底に落ちるに違いない。天邪鬼にとっては極上の甘露だ。

 一方、男は私の考えなんぞ露知らず、静かに今までを語り出した。

 

『最近になって、その・・・仕事が上手くいかなくてさ』

 

『へぇー、今いくつ?』

 

『・・・・・・28』

 

『30近くかぁ、若い頃程バネも利かなくなってくるよねぇ。うんうん』

 

『その内何もしたくなくなって・・・酒も美味くないし・・・・・・』

 

『ははぁ、そんでこんな場所まで来たわけだ』

 

 しばらくはウンウンと頷いてた。でもそれは仮面さ。ある程度つけこめる隙がみえたら、私の本領発揮だ。

 

『でもさぁ、考えてもみなよ?

アンタが上司に怒られている間、ハロワに並ぶ人間が何人もいるんだぜ?』

 

『・・・・・・・・・え?』

 

『しかもさ、辛い時に酒を飲む金だってある。辛い分だけ飲んできたんだろ?

世の中辛い奴が、飲む余裕もない奴がどれだけいるよ?』

 

 私は折を見て、わざと突き放すような言葉をべらべらかけてやった。

 正論と思うか? 冗談! 意図しての、無理解その物のセリフさ。

 いや、人によっちゃ正しく思えるか知らないけど、何となくムッとするだろ?

男も案の定、苦々しい顔になって口を挟んできた。

 

『いやだって、それでも辛いもんは辛い・・・』

 

『だーから、辛い人なんざ珍しくないんだっつーの。それを死んでまでグダグタ言いやがって』

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

『その元気をさぁ、も~ちょっと仕事の方に向けてりゃ、上司も苦労せずに済んだろうに。

クビにならなかったなら寧ろ感謝すべきだろ。その発想に至らないのが既に甘えなんだよ、無能なんだよ、分かるかポンコツ、デブ』

 

『・・・・・・・・・・・・はい』

 

 男は次第に唇を噛んで涙まで浮かべ始めた。思うに、そいつの中で言われたくない言葉だったに違いない。私は本能で分かるんだ。追い詰められた人間は『甘え』って言葉に極端に弱い。

 

『元の世界に戻ったら、また同じ日々が始まるぞ。今度は文句抜かすなよ、テメェはその位で丁度良い。

私は番人だから見抜ける。自惚れんな、たまには自分の失敗を数え直せ』

 

 男はすっかり頭を垂れて、表情さえ分からなくなった。怒り出してもおかしくない、そう思うかもしれないが、そこは私の『番人』っていう詐称が役に立った。

 私を人以上の、何か特別な存在だと思い込んで抗弁も出来ない。恐らく職場の上司なんかに対しても同じだったろう。

 ただ言われるままになっている姿は、そりゃあ無様だったよ。

 

 暫くして一旦台詞を切り、互いに無言の時間を作った。勿論無意味じゃあないよ。悪罵の後に黙ると、相手は沈黙の中のプレッシャーに怯え、かといって何を言えばいいのか分からなくなる。あとはわざとらしい溜め息なんかも効果的だ。

 それがまた、『ああ、俺は情けない』っていう自己否定を加速させるんだなあ。そこまでは完全に目論見通りだった。

 

 ・・・けどね、落ち込んで黙り込んでいるかと思って男をふと見ると、ちょっと変なんだ。

 なにやら微かにフンフンと鼻を鳴らしていた。最初はベソかいてんのかと思ったけど、よく見たら違うんだよ。

 匂いを嗅いでんだ。目は伏せたまま、鼻だけ盛んに動かしてね。その先には地面を埋め尽くしている赤い彼岸花。

 さては、触れてもいないのに花の毒気にあてられたか、と訝しんで、すぐにやめさせようとした。

 

 でも、私が触れるより男の行動は早かった。・・・・・・そう、一瞬だったんだよ、『アレ』は。

 

 ばっ、と音を立てそうな勢いで男は彼岸花を鷲づかみにすると、なんとそのまま口一杯に頬張ったんだ。生で洗いもせず、花から根まで毒持ちの花を。

 

『お、おい何してんだ!?』

 

 男はすぐに咳き込んで苦しみだした。顔には脂汗が浮かび、口元にはダラダラと唾液か胃液かよく分かんないもんが垂れている。

 生きる気力が湧く毒、とはいうが、目の前の姿を見てとてもそうは思えなかった。転げ回って低い呻き声をあげながら、男はそれでも何度も花を掴んで口に運んだ。中毒性でもあるのか、それとも毒の取り方がまずかったのか、流石の私も手が出せず、暫く苦しむ男を前にオロオロしていた。

 

 ・・・どの位経ったかな、男はようやく落ち着いて、背を丸めてまた最初の姿勢に戻った。

 酷い形相も戻っていて、見た目変わったのは周りのもぎ取られた花だけ。

 けろりと治った所を見ると、やっぱりただの毒草じゃない。これから彼岸花の効果が見られるのかな、って、今度はそっちに期待を持った。すると、男は急にカッと目を見開き、険しい顔で私にこう言った。

 

『そうだ。思い出した』

 

 何を? と尋ねる前に、男はさっきまでの落ち込みようが嘘のように、早口でこう捲し立てたんだ。

 

『俺はまず女が嫌いだ! なんだ、俺が満員電車に毎日乗ってるのに専用車両なんか乗りやがって!!』

 

 ・・・女が目の前にいるんだが・・・

 ってのはさておき、最初は、何故男が豹変してこんな事を言い出したか分からなかった。さっきまでそんな話は欠片も聞かなかったしね。

 でも、男の愚痴は私を丸っきり無視して次々と、様々な方面に飛び出して行った。

 

『おまけに何だ? 痴漢冤罪で嵌める奴が山ほど居やがる。誰がテメーらのケツなんぞ触るか!

 

それに駅で見かけるあのメ●ラ! いつもいつも白い杖持って、タシタシタシタシウルセェーんじゃぼけ!!

 

職場のデブめ! 邪魔なんじゃテメーは。クビになれさっさと。腹つかえたら押してやるから、五階の窓から出ていけ!

 

あとあの辺の店のホモヤロー!俺は帰り道近いんだぞ、とっとと潰れちまえ、怖いし気持ち悪いんじゃ』

 

 

 ・・・よくもまあ、ここまで人の悪口が言えたものだと呆れたよ。しかも内容は何かをされた訳でもなく、他人の生活上仕方ないような事ばかりで、『放っておけば良いじゃん』と何度も言いそうになった。

 そのうち話はライトノベル? の主人公がキモいだの、酔っ払った眼鏡のおっさんの同人ゲームがウザいだのどんどん個人的な嗜好に移っていった。

 特に不思議だったのは、死ぬまで追い込まれた仕事の恨みは全然口にしなかったんだよね。一から十まで、気にしなければ何も害がないもの、下手すれば名前すら知らないような他人への悪罵をずーっとネチネチネチネチ言い続けていたんだ。

 それも私みたいに悪口が楽しいならまだ分かる。でもやはり人間。男の顔はちっとも楽しそうじゃなかった。

 恨むべき相手じゃなく、よく知りもしない誰かに毒をはく。傍で聞いていて、なんとも奇妙な心地がしたよ。

 

 それがいつまで経っても止む気配がなくてね、私もいい加減にうんざりして、ぽろっと言っちゃったんだ。

 

『・・・あんた、そいつらに何か酷いことでもされたのかい?』

 

 私が慧音に言われたのと同じような台詞。別に意識した訳じゃない。本当に自然と漏らしたんだ。

 その一言がまずかった。

 

 男は唾が飛ばんばかりだった口をパクンと閉じ、まんまるい目で私を見た。その両目が次第にギラギラと光を強くして、顔がかぁーっと血が昇って赤くなり、歯を音がしそうな程に強く噛んで、それに合わせて口元の筋肉がピクピク震えた。

 その姿は人間を見ている筈なのに、何か異星人でも見ているようだった。不気味にすら見えて、思わず後ずさりすると、男はのそりとこっちに向かってきた。

 叫び声も出せず、尻餅を付きそうになった。

 その時、誰かが私の腕を掴んで、凄い勢いで引っ張った。振り返る暇も与えずに、その誰かはバタバタと走っていく。

 視界に映った男は、彼岸花に囲まれて私を睨んだまま、小さく遠くなっていった。

 

 そのまま再思の道を抜けて、ポツポツ人の姿が見えるようになってきた所で、誰かはようやく私の腕を離した。一体誰だと振り向くと、そこには里で見た慧音がいた。

 

『大丈夫か? 何かされなかったか?』

 

 慧音は生徒の心配をするみたいに屈んで私の顔を覗き込んできた。私は感謝より先に意外に思って『なんで来たの?』と聞いたら、慧音は呆れ顔になってこう言った。

 

『お前が逃げるから、ここは一回説教してやらねばと探していたんだよ』

 

 ・・・どこまでも面倒くさい奴だ。さてはこの場で説教する気か、と身構えたけど、奴は先に『何があった?』と聞いてきた。

 私としてもおかしな体験だったんで、一部始終を語って聞かせた。それを聞いて慧音は一つ頷き、『生きる気力・・・か。なるほど』と呟いた。

 よく分からなくて黙っていると、慧音は教師のようなしぐさで両手を広げ、こんな問いを投げかけて来た。

 

『敵がいるっていうのは、意外に奮起させるものでな・・・

ほら、お前も小人を焚き付けた事があったろ?』

 

 恐らく、逆さ城の異変の事だ。私が小人の姫様に嘘の歴史を吹き込んで、『今、貴女の先祖のように苦しむ弱者を解放しよう』とか言って異変に協力させたんだ。確かにあの時の姫様はえらく張り切ってた。

 けど、所詮は嘘っぱちだ。そう言うと、慧音は残念そうに首を振った。

 

『嘘でも構わない手合いがいるんだよ。ただ憎たらしい気持ちになって、却って元気になる奴が。

 

嘘の歴史、というが、"虐げられた歴史が欲しい"なんて輩も、世の中にはいるかもしれない』

 

 嘘を言う奴には見えない。それに私よりも人間の気持ちには詳しいだろう。

 それにしても不可解な気持ちで一杯だった。それこそ天邪鬼じゃあるまいに、恨む順番が完全にひっくり返っている。

 

『生きていれば、そんな事もあるさ。無論良くない事だがな』って、アイツは笑っていた・・・・・・

 

 

 

 

 ・・・・・・それから、再思の道にはあまり近付かなくなった。あの花の毒、それが呼び起こす気力とやらの正体が、えらく空しいものに思えてね。

 気力は湧いても希望はねえ。あの男も現世に戻れたか知らないが、また辛いことがあれば、今度は耐えられるのかねぇ・・・?

 

 いや、私が聞いたアイツの愚痴、実際外の世界の物がたくさん出てきたし、もしかしたら再思の道みたいに憎しみを膨らませる空間も、同じようにあったりして。ただの想像だけどさ。

 

 もし詳しく知りたかったら、自分で調べなよ。どうなっても知らないけどね。

 

 私の話は終わりだ。お疲れさん』



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五周目・四話目-霍 青娥

不思議な世界って難しい


 「あら、私でもう四話目ですの? 早いものですね。私、霍 青娥と申します。良ければお付きあい下さい。

 

 ねえ阿求ちゃん、貴女は神・・・・・・いえ、仏様を信じていますか? 私は仙道が専門であまり詳しくはありませんが、伝承によっては奇跡を起こしたり、神様と同じような扱いを受けていたりしますよね。

 

 実は私は信じていますのよ。幻想郷にもお寺がありますが、そこで見たんです。

 それも、怖い体験と合わせて・・・

 へ? 妖怪の仕業? いえいえ違います。あれは妖怪などではありません。れっきとした仏です。

 

 とにかく、聞いていただければ分かっていただけますわ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 以前、私が気まぐれで人里近くのお寺を訪ねた事がありました。

 命蓮寺というお寺です。妖怪たちが修業をしている変わったお寺ですわ。特に用は無かったのですが、私の弟子はそこの住職とお知り合いでして、まあお話でも出来たらなぁ、と思って立ち寄ったのでした。

 

 石段を登り、お寺の門とその向こうの庭が見えてくると、箒で掃除をしている子供の姿が目に留まりました。

 幽谷 響子(かそたに きょうこ)ちゃん、犬みたいな耳と尻尾の生えた、女の子の妖怪です。

 彼女は山彦の妖怪だそうで、声が大きくて、相手の言葉を繰り返す妙な習性を持っていました。結構面白いもので、その日も私は遠くから声を張り上げました。

 

『おはようございまーす!!』

 

 その声に響子ちゃんはクルリと振り向いて、『おはようございまーす!!!』と更に大きな声で返してきました。近づいて行ってもくりくりした笑顔で嫌な表情一つせず、『お掃除? 偉いわね~』なんてお世辞を言って撫でてやると、尻尾まで振っていましたわ。

 

『御住職はいらっしゃる?』

 

 私が尋ねると、響子ちゃんはチラリと顔を曇らせ、しばし思い出すように目を泳がせて言いました。

 

『和尚様は里に説法に。一輪様は買い物、代理様とナズ様は神社、ぬえとマミゾウ親分はどっか行っちゃいました』

 

 ご丁寧に答えてくれたものです。とにかく生憎全員お留守という事でした。これは拍子抜けと、私はとりあえず帰ると言いました。響子ちゃんも素直なもので、名残惜しそうに別れの挨拶をして下さいましたわ。

 

 しかし、その響き渡るサヨナラと大袈裟な手振りでの見送りを受けて数分後、私は響子ちゃんが掃除に戻った頃を見計らって、寺を大回りに裏手にこっそり回りました。

 誰もいないと言った通り、庭の木に覆われた寺は声もせずしんと静まり返っています。

 

 ひとっ跳びで壁に手をつき、すかさず仙術で穴を開けました。木の壁はパックリくり抜かれ、畳と襖の和室が露になりました。

 

 誰もいないのなら、と気紛れで忍び込んでやろうと思ったのです。先ずは穴から顔を出してチラチラと覗きます。

 誰の部屋だったのかは分かりませんが、流石はお寺というだけあって、娯楽品は殆どありませんでした。衣服を入れるタンスに押し入れ、お経の解説書か何かの詰まった本棚に、あとは貯金箱なんかの小物が数点。

 つまらない、念入りに恥ずかしい物でも見つけ出してやろうと、忍び足で部屋に足を踏み入れました。

 しかし、ふと振り返った瞬間。

 

『うわっ』

 

 叫び声が漏れました。その時始めて気付いたのですが、襖から入って正面の場所に、大きな仏像があったのです。

 片手に槍を持ち、もう片方に宝具を掲げた、そう。毘沙門天様の像です。

 

 思えば、その寺は毘沙門天を奉り、代理の寅の妖怪と、遣わされた鼠の妖怪が出入りする寺でした。それも毘沙門天本人が居るとは聞かなかったので、像があること自体は不自然とは思いませんでした。

 しかし、入った場所はどう見ても一人ぶんの居室の広さで、そんな場所に私よりも背の高い像を置くなんて随分信心深いというか、変な寺だなあと思いました。

 ともあれ、そんな珍しい物があると分かれば見逃す手はありません。部屋を探すとおあつらえ向きに墨と硯が見つかり、早速落書きを始めました。

 寺の連中にとっては御本尊。それにベタベタ不遜な事を書けばさぞかし慌てるに違いない。笑いを堪えながら隅から隅まで筆を走らせました。

 

『~魔界の僧は破戒僧 おまけに胸はでっかいぞう~』

 

『~寅丸と鼠は凸凹コンビ 宝塔なくして何処此処コント~』

 

『~ぬえとタヌキの妖怪魂 和尚を出し抜き尽く騙し 増える騒ぎの際限は無し~』

 

『~響子ちゃんは可愛い~』

 

(以下略)

 

 ・・・みたいな事を頭のてっぺんから足の先まで書き連ねていました。誰もいないというだけあって、ゲラゲラ笑っていても誰も近寄る者はおりません。

 そんな風にいつしかバレないように警戒するのも忘れ、一人で好き勝手にしていた時でした。

 

『おい』

 

 不意に、誰かの声がしました。野太く低い男の声です。ハッとなって慌てて周囲を見渡しましたが、誰もいません。それに、あんな声の男の人、寺に居たかしら・・・

 

『私だ』

 

 また聞こえました。今度はよりハッキリと。しかしその方向は、襖の向こうでも無ければ私が通ってきた穴でもない。声のするはずもない、目の前・・・・・・

 

『呼んだのは私だ』

 

 毘沙門天の像から聞こえていたのです。ぎょっとしてよく見てみましたが、無機質な光沢はどこから見ても金属で出来た作り物に違いありません。

 私は『ははぁ、裏で誰かが喋ってるんだな』と思い、クルリと背中側に回ってみました。

 

 しかし、誰もいません。壁と像の少しばかりの隙間には、暗がりの中で畳がうっすら見えるだけでした。

 

 じゃあどこから聞こえてくるのか、そう疑問を抱きながらフッと顔を上げました。その時。

 

『悪戯ではないぞ』

 

『きゃっ!?』

 

 ぐるりと、首を回転させた像と目が合いました。その両の目の光は生々しく、口は台詞に合わせて柔らかく変形しました。今度こそ穴の開く程見つめてみましたが、息がかかるまで近づいても確かに仕掛けのシの字もありません。

 

『な、何者ですか? 貴方は』

 

 震える声を必死に抑え、目を離さずに問いかけました。額が汗ばむのを敢えて無視するかのように、像は口をニタリと歪ませて言いました。

 

『私は毘沙門天、本人だ。いつもこの寺を陰から見守っておる』

 

 何をたわけた事を。いつもならそう言って鼻で笑ったと思います。しかしその時はどういう訳か、像と対峙しているだけで体が石のように固まり、重苦しくプレッシャーを放つ像はにわかに動き出して私を掴み上げても不思議ではないような気がしました。

 

『それで、私に何のご用で?』

 

 一つ一つの言葉が上手く発音出来ません。像、いえ毘沙門天は真面目な顔で頷き、初めて目付きを鋭くして言いました。

 

『今までこの寺を見守って来たが、貴様の行いは目に余る。寺に害をなす前に罰をくれてやろう』

 

 その瞬間、鋭い眼光に心臓を射抜かれたような錯覚がし、像の放つ重圧が増し、その周りの部屋の空気までが重苦しくなったように感じられました。

 

『貴様の感じる気配、それは己の悪行を重ねたツケだ。耳を澄ますと聞こえて来るだろう。貴様を恨み呪った怨嗟の声が』

 

 

 そう言われた瞬間、耳にビリビリと痺れるような音の波がぶつかりました。ゴウンゴウンと脳を直接揺さぶるような凄まじい轟音。最初は寺の鐘かと思いました。

 しかし、違うのです。金縛りの体は耳を塞ぐ事も出来ず棒立ちになっていました。すると否が応でも朦朧とするはずの耳に、寧ろハッキリと聞こえてくるのです。

 濁流を作り出す一つ一つの憎悪の声。細かい呟きのような呪いの言葉が、今度はそれぞれの意味を以て蟲の群れの如く襲ってきました。

 

『死ね』

 

『地獄に落ちろ』

 

『一生呪ってやる』

 

『生まれ変わったら四肢を引き裂いてやる』

 

 それは今まで何度も投げつけられ、その都度無視してきた言葉でした。しかしその時だけはどうしてか、声が身体中に噛みついてくるようで、何度煩いとはね除けようとしても頭の中にこびりついて離れないのです。

 

 私はとうとう耐えきれずに、強引に体を引きずって毘沙門天に背を向け逃げ出しました。押し倒すような勢いで襖を開け、廊下に飛び出します。

 

―しかし、そこには木の床の廊下はありませんでした。

 同じような畳の部屋に、その先にはまた襖の出口がありました。

 

 机、本棚、小物、目の前にそっくりそのまま同じ部屋が、散らかり具合までご丁寧に真似て広がっていたのです。数度瞬きをしましたが変わりません。部屋が二つ繋がっていたとしてもこれは奇妙です。

 しかし鼓膜を破るような呪詛に苛まれ、構ってはいられません。まっすぐ先の部屋に飛び込み、戸に手をかけまた扉を開けます。

 

 そして見えたのは、また同じ部屋。部屋の先には先ほどくぐったのと同じ模様の襖があります。向こうにはまた同じ光景が広がっているのでしょうか。

 いや、そんな筈はない。無限の空間などあるわけが無い。そう信じて何度も襖を開け、部屋を飛び出しました。

 何回も、何回も、何回も。

 しかし、いつまでたっても部屋が続くばかりで、違った景色の一つも見えてきません。かれこれ数百メートルは走っています。とっくに廊下どころか外まで突き抜けていておかしくありません。それなのに。

 どうなっている、これが毘沙門天の言った罰なのか。そう思って後ろの像を振り返って睨んだ時でした。

 

『・・・・・・へ?』

 

 しかめていた目付きが途端に丸くなりました。確かに自らの足で走り、部屋を隔てた先にあった筈の毘沙門天像。

 それがすぐ傍、壁を背にして私の『目の前』にいるのです。

 そんなバカな、慌てて前に振り向くと襖はピッタリと閉じ、いつの間にか私は忍び込んだ時と全く同じく、部屋の真ん中で毘沙門天と対峙していました。

 

 さっきまで駆けずり回っていた複製紛いの部屋は、この手で確かに開けた扉は一体何だったのか。襖を再度開けようにも、また同じ部屋があったらどうしよう、そう考えると手が震えて汗ばみました。

 かといって反対の位置には毘沙門天がいます。どちらにも近寄って行けずに、私は逃げるように脇の壁に向かって走りました。

 

『どこへ行く?』

 

 毘沙門天が嘲るような口調で尋ねるのを無視して、頭の簪に手をかけました。出口が無いなら作ればいい。仙術で壁に穴を開け、外の空気が肌に触れた瞬間、反射的に部屋から飛び出しました。

 

 ああ、やっと逃げられる。思えば初めからこうしておけば良かった。私はため息をつきながら、半分目を閉じて地面の感触を待ちました。

 

 ・・・・・・しかし、いつまで経っても足が地についた感触がしません。代わりに何か冷たい空気が下からヒュウヒュウとせり上がってくるのみです。

 

 はて、寺はそう高い場所には建っていなかった筈です。さては知らないうちにまた船に変形でもしたのか。私は不審に思って目を開き、足元を確かめました。

 

『うわっ!?』

 

 そこには、地面などありませんでした。白い雲、いえ、煙のようなものが一面に広がっていたのです。

 

 慌てて上に飛ぶ暇もなく、私はその中に足を踏み入れました。落ちる勢いでズブズブと煙の中に沈み、瞬く間に全身が包まれました。

 それでもなお、煙が晴れる気配はありません。それどころか落ちるにつれて下から怪しい光がぼんやりと照らし、煙の隙間から覗きました。

 その光は赤く、辺り一面に届くほど広大でした。一体どれ程の大きさのものが、こんな広さの光を放つのか、地に立っているとしても相当なものです。

 いえ、寧ろ、この先に地面など無いのではないか、私にはそんな気さえしてきました。

 

 皆さん、地球以外の星で、ガスが集まって出来た星の写真を見た事はありませんか? 小さな核にガスが引き寄せられ、間近で見ると淡く照らされた雲が底無しに見える深さで球の形を作っているのです。雲の海、そんな言葉さえ浮かぶような神秘的な光景でした。

 

 私はその時まさに、煙で作られた深海に落ちていくような感覚でした。いつの間にか目に届く光は下の赤色だけになり、手探りでもがいてみても掴める物はなく、溺れたような心細い感覚がします。

 

 やがて、冷たいばかりだった風が何やら熱を帯びてきました。同時に煙の向こうの赤色が、ぐんぐんと吹き出るように濃くなっていきます。

 脚にちりちりと熱い空気が上るのを感じ、流石にこのままではまずいと、上に飛んで逃れようとしました。

 しかし、動けません。ただの人間のように、なすすべもなく落ちていくばかりです。何故、どうしてだ。パニックになる間にも下からの熱気は火傷しそうな程に高まり、ごうごうと空気のうねる音が聞こえてきました。

 

 焦りがますます募り、空を掴みながら天を仰ぎました。その時、落ちてきた白い煙の中で、一瞬だけ見えたのです。

 透明な、私を握りつぶせそうな大きさの手のひらが浮かび上がりました。私を押さえ付けるような形で上からぐいぐいと五指を伸ばして迫ります。

 私は死物狂いで、その透明な手に弾幕を撃ち込みました。花火のような煙が上がり、手のひらの形がふっと消え失せました。

 

 その事に一瞬だけ安堵し、体からすっと力が抜けました。

 直後、背中に焼けるような痛みと、打ち付けた衝撃が走りました。

 

『がっ!』

 

 動物のような悲鳴が飛びだし、落ちた勢いのままに硬くでこぼこした場所を転がりました。そして地面に接した分だけ、皮が剥けるような感覚。

 

『つぅ・・・』

 

 全身の痛みに縮こまり、しばらく呻いていると、さっきまで気づく余裕の無かった音が耳に届きました。

 パチパチと何かがはぜる音。続けて地面に炙られるような灼熱。そして辺りから立ち上ぼり肌を舐める熱風。意を決して目を開けると、赤い光が飛び込んできました。

 顔をしかめて目を凝らすと、光の正体は燃え盛る、私の背丈よりも高い炎でした。見渡す限りの場所に業火が広がり、隙間を縫うような地面には石ころが幾つも転がり、熱されて巨大な焼け石のようになっていました。

 空を見上げると、あの煙はどす黒く分厚い雲となって辺りを覆い尽くしており、光一筋通しません。

 草一本生えない地面、景色を一色に染める炎、黒煙のようなおぞましい雲に覆われた空・・・・・・

 

 『地獄』。そう表現する他ありません。見れば人影がちらちらと、おぼつかない足取りで近づいてくるのが見えました。

 ・・・ここまで来ると嫌でも予想できました。亡者です。体は黒こげで炭のよう、 曲がって伸びなくなった手足はどういう原理で動いているのか、ズルズルと音をたてています。

 まぶたもなく、真っ白く浮き出た目玉は私を捉えているのか、皆一様に私に向かってひきつった体を揺らし、群がって来ました。

 

 言い知れぬ恐怖を感じ、一目散に逃げ出しました。出口なんて分からないけれど、この悪夢のような世界で捕まってしまえば二度と抜け出せないような、そんな気がしたのです。

 地べたに転がった時の素肌が痛み、ゴツゴツした地面を走ると靴の中が軋みますが、必死で走り続けました。炎の中を掻い潜り、掴みかかろうとする亡者を振り払いながら、気も遠くなるような時間が過ぎました。

 やがて息も絶え絶えになり、吹き出した汗が炙られて体に張り付くまでになった頃、私はいつしか炎の地帯を抜け、幾分か涼しく暗い場所に迷いこんでいました。

 

 そこは一抱え程の石が無数に並べられており、その下の土が盛り上がって見えました。あの寺ほど丁寧ではありませんが、ちょうど土饅頭に申し訳程度の石を置いた、墓場のように見えました。

 

 気づけば追って来ていた亡者たちはもういません。辺りを見て乾いた息をつき、少々その場の雰囲気を不気味に思いながらも、疲労には勝てず、その場にへたり込んでしまいました。

 地面にも構わず腰を下ろし、震える足を労ります。火照った肌を一撫でして、安心した瞬間に頭から後ろに倒れました。

 

 しかし、体を投げ出した筈が、頭はかくんと急に傾き、体が引きずり込まれるように宙に投げ出された感覚がしました。

 

『へ?』

 

 我に返ると同時に背中をまたどこかに打ち付け、視界が明滅しました。瞬きすると四方を土の壁に囲まれ、眼前にはあの灰色の空が切り取られています。

 穴だ。直感で分かりました。しかしいつの間に私の真後ろにあったのか。とにかく起き上がろう、そう思って身動ぎした瞬間、耳元に間延びした声が聞こえました。

 

『せーが』

 

 それは聞き覚えのある声でした。恐る恐る顔だけ動かすと、瞳孔の開いた死体の目がぶつかりました。

 宮古 芳香(みやこ よしか)。普段私の使役しているキョンシーが、よく見れば下敷きになる形で寝ているではありませんか。

 

『芳香、何でここに?』

 

 呼びかけてみても彼女はニコニコと笑うばかり。まともな答えをしないのはよくある事ですが、その時ばかりはもどかしくなり、空をチラリと睨みました。そうして芳香から目を逸らした刹那。

 

『ぎゃっ!?』

 

 首筋に痺れるような痛み。悲鳴を上げて目だけを精一杯脇にずらすと、芳香が噛みついていました。何を言う暇もなく、首に生暖かいものが溢れだします。

 

『あ・・・あ・・・・・・』

 

 事態が飲み込めずに呻いていると、今度は上から誰かの近づいてくる足音がしました。助けて、お願い。望みを込めて天を睨むと、その姿が現れ、私を見下ろしました。

 

 今度は、響子ちゃんでした。暗くて表情は見えませんが、柄のついた大きな道具を手に、私と芳香をじっと見つめています。

 

『お願い! 助けて、手を伸ばしてくれるだけでいいの!』

 

 私は絞り出すような声で叫びました。芳香の牙が一層深く食い込みましたが気にしてはいられません。響子ちゃんはかくんと首を傾げ、少し屈んで顔を近づけました。

 そのまま手を差し伸べてくれる。そう思っていました。しかし。

 

『オネガイタスケテ! テヲノバシテクレルダケデイイノ!』

 

『へ?』

 

 響子ちゃんは九官鳥のような奇妙な高音で私の言葉を繰り返すと、何か湿ったものを浴びせかけてきました。

 

『うぷっ』

 

 喉に砂利が滑り落ち、砂の匂いが鼻をつきました。恐らく持っていた道具はシャベルで、土をかけられたのだと思います。

 

『や、止めなさい! 何のつもり!?』

 

『ヤ,ヤメナサイ! ナンノツモリ!?』

 

 響子ちゃんはまた私の言葉を繰り返しながら、土をかけ続けました。目に、耳にまで土が入り、体が重たくなってきます。

 

『ゆるし、て、おねが』

 

『ユルシ,テ,オネガ』

 

 視界は段々と塞がれ、意識が遠のいていきました。最後に土の隙間から、能面のような無表情の響子ちゃんの顔が見えた気がして、私の意識は途切れました。

 

 

 

 

『わーーっ!?』

 

 大声を出して私は目覚めました。ハッと気がつくと汗はびっしょり、辺りには芳香は居らず、響子ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでいます。

 

『きゃあ!』

 

 悲鳴を上げて飛び退くと、響子ちゃんは驚いた様子でオロオロしだしました。とてもさっきまで他人を生き埋めにしかけた子には見えません。

 

『・・・あれ・・・』

 

 一拍して、周りがさっきより随分明るいことに気づきました。寝ているのは木の床で、火の気一つなく、体も火照ってすらいません。

 呆けて響子ちゃんに向き直ると、首を傾げて『大丈夫ですか?』と言ってから続けざまに早口でまくし立てました。

 

『びっくりしたんですよ。うなされる声がしたと思ったら、本堂に倒れているんですから』

 

『本堂に?』

 

 聞き返して辺りを改めて見渡すと、最初に入った居室よりずっと広く、天井は高い。そして奥には大きな毘沙門天が奉られています。

 像と目があってギョッとしながらも、頭の中で今までの事を思い出しました。あの無限に続く部屋は、煙の海は、地獄の風景は何だったというのか。

 

『ねえ響子ちゃん、私が帰ると言ってから、どの位経った?』

 

 すがるように両肩を掴むと、ひとしきり彼女は瞬きを繰り返していましたが、『ご、五分くらい、です・・・』と答えて俯きました。

 

 五分、明らかに体感時間より短いものでした。ならば夢だろうか?しかしだったら何故本堂になど倒れていたのでしょう。

 

 まさか本当に・・・・・・

 

 

 生唾を呑み、すぐそばの毘沙門天像を見ました。私がした落書きなどどこにもない。荘厳な一体の像。

 しかし、ある一点が目に留まり、私はその場に凍りつきました。

 

 宝塔を乗せている手のひら。そこに微かに、表面が剥がれ傷が出来ていました。

 あの煙の中を落ちていた時に一瞬だけ見えた、透明な巨大な手の、弾幕を撃ち込んだ場所。何度思い返しても、不思議なほどハッキリと思い出せる同じ場所です。

 

 震えて視線を逸らそうとした瞬間、毘沙門天がぎろりと睨み付けた、ような気がしました。

 

 

 

 

 ・・・・・・結局、あれはただの夢だったのか、毘沙門天の下した罰だったのか、不可思議な体験は謎のままです。

 

 ただ、死なないように気を付けようかな~とは思うようになりました。なんせ死後にどうなるのか、にわかに心配になってきましたからね。

 

 え? 反省? 何の話ですか?

 

 そんなことより次の話をお願いしますよ」



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五周目・五話目-レミリア・スカーレット

 「あら、もう五話まで来たのね。レミリア・スカーレットよ。

 

 阿求、貴女は『霧』と聞いてどんな印象を持つ?やっぱり不思議な感じじゃないかしら。ひんやりして、白くて、けど掴めなくて・・・・・・朝方の山なんかじゃよくみるけど、前なんか見えなくて危険でも、何だか惹かれる人も多いと思う。

 へ?私が昔やらかした異変?あぁんもう、それは言いっこなし。十年以上前じゃない。

 

 ・・・で、私の近所にね、霧のよく出る場所があるの。貴女も知っているでしょ、霧の湖。

 そこでちょっと恐怖体験をね・・・・・・聞いてくれるかしら?

 

 

 

 

 ・・・・・・あれはまだ、今よりだいぶ肌寒い時期だったわ。

 ある日朝方の早い内に目が覚めてね。窓を見ると、もう館を取り囲むような白い霧が立ち込めているの。

 普段は日光がダメで、日傘なしじゃ私は外出出来ないんだけど、外を見てこれ幸いと飛び出してみた。

 

 すると案の定、日光は濃霧に遮られて気にならないレベル。空気は丁度よく起き抜けの頭を冷やしてくれて、湿った風邪に草木の匂いが混じり、この上なく爽やかな気分だった。誰もいなくて雑音もゼロ。

 こうなれば散歩と洒落こむか、と降り立つと、脇には大きな湖が見えた。霧と相まって青白い水面に、向こうの霞んだ景色が鏡のように映って、幻想的って表現に相応しい場所だった。夜の風景も美しいと思っていたけど、それぞれ違った良さがあるものね。様々な景色を湖の畔で眺めるのを想像しただけで、詩の一つでも書きたい気分だったわ。

 

 とまあ、そんな上機嫌で鼻歌とか歌いながら、何となく湖の周りを歩いたのよ。別に道には迷わなかったけど、次第に霧もますます濃くなって、気がついたら足元と湖面の光る部分以外は覆い隠されたように見えなくなっていた。

 

 そろそろ帰ろうかな、と思い始めた時、紅魔館に向かって飛ぼうとして、視界の端に、ふと変なものが映った。

 

 畔から見た霧の向こう、真っ白く染まった景色の中に、うっすらと影のようなものが映った。細長くて、目を凝らすと人みたいだった。

 けど、真下には湖面が見える。一瞬誰かいるのかと思ったけど、足のある筈の場所には何度見ても、揺らぐ水面しか見えない。

 

 誰か飛んでるのかなーってじっと見つめていたら、ふと、霧の中の影が、ゆらりと大きくなった。え、と思った瞬間、影は墨みたいに広がって、こちらに躍りかかってきたように見えた。

 

『きゃっ!』

 

 ビックリして離れようとしたけど、視界の霧を黒色が一瞬で塗り潰したと思ったら、動けなくなる位の立ちくらみが襲った。

 視界が白黒に明滅して混ざり合い、気づいた頃には、地面に頬をつけて、眠るように意識を無くしちゃった。

 

 

 

 

 ・・・目が覚めた時は、同じ湖畔だった。霧も晴れていなくて、多分そんなに時間は経っていない。

 体を起こすと少し頭痛がしたけど、さっきのほんの短い間少しだけ居眠りしたみたいな、奇妙な感覚の方が気になった。

 とにかく早いとこ家に戻ろう、と思って立ち上がった時、背中から急に声がしたの。

 

『レミリア』

 

『わあっ!?』

 

 ボンヤリしていたから驚いて飛び上がっちゃった。瞬きしながら振り返ったら、きょとんとした顔の女の子が一人。

 

『どしたの?』

 

 小首を傾げたその子はチルノ。湖の近くに住んでる、氷の妖精よ。そいつは慌てる私を不思議そうに眺めていた。

 

『な、何よ急に。なんか用?』

 

 何でもない振りをして、チルノに訪ねた。彼女はちょっとの間ポカンとしていたけど、すぐにニッコリ笑って、こんな事を言い出した。

 

『あっちに面白いもの見つけたんだ。一緒に見に行こうよ』

 

 そう言って、私の返事も待たずに背を向けて、顔だけ振り向きながら手招きしてくる。

 私としては、出し抜けに面白いものなんて言われても興味湧かなかったから、ちょっと詳しく聞いてみたわ。

 

『ちょっと待って。面白いって何よ』

 

『ひーみーつ! 先に言ったら楽しみが無くなるじゃない』

 

 ・・・答えてはくれなかった。そりゃあ妖精は元々悪戯っぽい性格だし、チルノの言うことも分からないではなかった。でも子供の言う面白いってたかが知れているし、第一朝っぱらからそんなのに付き合うのもなあ・・・・・・って、しばらく躊躇してた。

 チルノの方はもう待ちきれない様子で足踏みしていて、終いには私の手を掴んで走り出した。止めようとしたけど、あの子は意に介さない様子で、白い歯を見せて笑ってこう言った。

 

『たまには良いじゃない、ね』

 

『・・・・・・・・・』

 

 と言うわけで、押し切られる形でついて行った。別にチルノの事は嫌いじゃ無かったし、期待しないで付き合う事にしたわ。

 

 

 

 

 しばらくは、手を引かれるままに歩き続けた。時間が経つと次第に霧が濃くなって、いつしか目の前のチルノしかハッキリと見えるものは無くなった。

 どこに行くかは知らなかったけど、そんな中でいつまでも歩いているとちょっと不安になってきてね。なるべく何でもない風に聞いてみた。

 

『ねえ、見せてくれるものってどこにあるの?』

 

 するとチルノは手をフッと離して、こちらに振り返った。その顔は笑顔ではあったけど、今度はどこか上辺だけの、愛想笑いのように見えた。

 

『まだ先だよ。普段は誰も行かないんだ』

 

 口調も少し焦れったそうだったわ。楽しみな気持ちを邪魔して悪かったかな、って思ったけど、何だか違和感が拭えなかった。チルノの苛つきもそうだけど、もっとハッキリとしたもの。

 その正体が分からずに色々考え込んで、いつの間にか俯いて立ち止まっていた。そしたら急に、前の方で『きゃっ!』ってすっとんきょうな声がした。

 へ?と思って顔を上げると、数メートルくらい向こうでチルノが転んだのか前のめりに地面に突っ伏していた。

 

 

『ちょっと、大丈夫?』

 

『あはは、滑っちゃった』

 

 我に返って駆け寄ったら、チルノは服の泥を払いながら恥ずかしそうに笑った。

 その姿を見て、考えすぎかなぁ、と思い直して、手を取って助け起こした。

 でもその瞬間。

 

 チルノの手を握りながら、ある事に気づいて立ち尽くした。チルノはいつまでも手を離さないのが不思議みたいで、私の顔と手を交互に見ている。その表情はさっきみたいに不自然さがあるかは分からなかったけど、最早問題じゃなかった。

 

 私がつい取ったチルノの手。でも本来、氷の妖精の体は触ると冷たすぎて凍りついてしまう。

 にも関わらず、今も、最初に引っ張られた時も、冷たい感触は無かった。

 違和感の正体に気付いて、手にじんわりと汗が滲んだ。そして必然的にまた疑問が浮かぶ。

 

"この子は、誰?"

 

 目の前の彼女をじっと見つめてみても、チルノの姿そのものだった。別の妖怪が化けているのだろうか。可能性はいくらでも考えられるけど、それでも、周りを取り囲む真っ白な霧のせいか、眼前の限りなく知人に似た別人が、そぞろに不気味な存在に見えてきた。

 

『どうかしたの?』

 

 長い間ぼうっとしていたらしく、チルノが私の手を振り払った。咄嗟に『あ、うん』と生返事をしたけど、動揺を隠しきれていた気はしない。

 それに気づかなかったのか、それとも私の戸惑いに興味などないのか、チルノ―によく似た誰かはさっと背中を向けて、駆け足で走り出した。

 

 追いかけて大丈夫だろうか。あの子はもしかして、私をどこかに連れ出す気じゃないだろうか。

 後ろ姿を見ながら、今までなかった警戒心がついていくのを止め、代わりに視界の分析に神経を働かせる。

 そして、また違和感。

 

『ね、ねえ! 待って!』

 

 叫んで呼び止めると、随分遠くまで行っていたチルノが、今度は無言で振り返った。その表情はむすっとして、もう隠すつもりもない苛立ちが見て取れた。

 その目に見据えられて、震える声で疑問を口にする。

 

『アンタ・・・左利きだったっけ?』

 

 駆け出した時の脚を見たら、確かに左足から先に踏み出していた。考えてみたら、最初に私の手を引いたのも左手。ほら、大抵の人って手も足も右利きじゃない。チルノも左利きだとか聞かなかった。だからちょっとおかしく思ったの。

 

『は? どうでもいいじゃんそんなもん! いい加減早く行こうよ!』

 

 確かにどうでもいい質問。でも今朝からの様子は微妙に短気なようで、ちょっとした弾みに恐ろしい本性を現したりしまいか。そんな想像が浮かんで、これ以上このチルノの偽者に合わせるのは危ない気がした。

 景色も見えない霧のなかに、一人浮かんでいるような彼女は、どこか見知らぬ場所から来た、未知の存在のように見えた。

 

『ご、ごめん! そろそろ朝御飯だから、また今度!』

 

 テキトーな出任せを言って、踵を返して駆け出した。その時相手がどんな顔をしていたのかは知らない。怖くて見られなかった。ただ全速力で、周囲の建物も木々も道も見えない中を走って行った。

 

 その間、忙しなく動く体とは裏腹に、頭では今まで気づかなかった、些細な不可思議な点に気づいていた。

 

 バタバタと大股で走っている筈なのに、足音がしない。アイツが言ったように滑りやすく、冷えた朝方らしく湿った草原。何度か私も転びそうになったけど、靴の裏が擦れる音もない。地面はあるけれど、土を踏んでる感じがしなかった。

 そして、体にぶつかる空気が、肌をひんやりと冷やす。心なしか水をかけられたみたいに衣服が張り付いてくる。

 最初は霧のせいだと思ったけど、ふと腕を見るとチラチラ光を反射し、今度は髪が額にぺたりと張り付いた。

 雨の中にいる訳でもないのに、濡れ鼠のように体が冷える。一体辺りを包むこの霧は何なのか?視界も効かず、音もせず、疲れて手足が重たくなってきた頃には、冷たい水の中をもがいているみたいだった。

 

 どのくらい走ったかしら、今にして考えると随分広い草原を抜け、目の前に湖畔とその向こうの水面が見えた。

 

 あの湖を突っ切れば、どこかに出られる。そう思って、一瞬安堵した瞬間。

 

 足が滑り、その勢いのまま、私は湖に飛び込んだ。

 

『わっぷ!』

 

 急に顔に何かがぶつかって、上も下も分からなくなった。さっきまで必死で走っておいてなんだけど、いきなり水に入ったら泳ぐとかの考えが浮かばないものよ。

 目と口に水が入って、とにかく一旦上がろうとボヤけた目の前に手を伸ばしていると、パシ、と地上から誰かが掴んだ。

 頭を振って水滴を払い、目を凝らすと、それがあのチルノの偽者だと分かった。

 

『大丈夫!?』

 

 私は最初、捕まったと思った。本人から逃げていた訳だしね。

 でも、引き揚げようとしてくれるのを見て、一瞬心が揺れた。この手を振り払って逃げるべきか、正体を確かめてからでも遅くはないんじゃないか、そんな考えがよぎった。

 そうして、迷っていた数瞬後。

 

 今度は、湖の中から、急に引っ張り込まれる感覚がした。一気にうなじと髪の先っぽまで沈み、掴まれた腕に痛みが走る。

 

『きゃあ!』

 

 ビックリして振り払おうとしたけど、余程強く引っ張っているのかびくともしない。足首が外れるんじゃないかと思う度に、腕を引く力も強くなる。こうなると四の五の言ってられない。水中の奴が誰かは分からないけど、偽者が私を助けようとしてくれているのは確かだった。

 

 誤解してた、ごめんね、そう思って必死に踏ん張っている彼女を見ようとした時。

 耳に、妙な声が響いた。

 

『レミリア! 死ぬなー!! 戻って来い!!』

 

 その声は、聞き覚えがあった。

 確かに、チルノの。

 

 でも、『死ぬな』って言葉は、眼前の偽者が言ったんじゃない。

 いえ、すぐ近くからでも、空からでもない。

 

 あり得ないけど、『水の中から』その声は聞こえていた。

 

 へ? と声に反射的に反応して、私は水面をキョロキョロと見渡した。水の中を見通せる訳がない。見えるとしたら、間近に鏡になって映る、私達だけ。

 だけど、それでも私の視線は一点に釘付けになった。何処って?

 

 『水に映った私一人』によ。

 

 そう、前のめりになって必死で引っ張っている子も当然見える筈なのに、姿どころか私の腕を掴む両手も、光の揺らめき一つ、いくら凝視しても見えなかった。

 

 ハッとなって彼女を見る。ついさっき怖がって悪かったと心の中で恥じたそいつの姿は。

 

 霧に溶けるように、段々と薄くなって、いつしか、すうっと消えていた。

 

『うっ・・・・・・』

 

 

 それを見届けるかどうかという所で、最初にしたような視界の明滅が襲い、私は湖に引っ張られるまま、力が抜けて気を失った。

 

 

 

 

 ・・・しばらくして、私は頬をはたかれて目を覚ました。

 

『おい! 起きてよ、肉って書くぞ!』

 

 大声で叫んで肩を揺さぶられ、唸りながら目を開けると、ボンヤリと、二人分の影が映り込んだ。続けて、ギラリと鋭い光が飛び込んでくる。

 

『くっ・・・・・・』

 

 顔をしかめると、二人の影は私を囲んで光を遮ってくれた。二、三回瞬きすると、二人が湖にいるチルノと、わかさぎ姫っていう人魚妖怪の二人だと分かった。

 

 なんでコイツらがいるんだろ。朦朧とする頭で考えていると、二人は悲しそうな怒ったような顔をして、こんな事を聞いてきた。

 

『アンタ大丈夫?何ともない?』

 

『ふぇ?』

 

 初めは意味がわからなかった。起き抜けだけど痛い場所とかも無かったし、さっきまでの事は、なんだか夢だったような気がしていたから。

 

『何が?』

 

 ついそうこぼすと、わかさぎ姫が呆れたような顔で言った。

 

『あなた、湖で溺れてたのよ?引き揚げても目を覚まさないし・・・・・・』

 

『えっ!?』

 

 言われて慌てて自身を見ると、確かに体は頭から足の先までびしょ濡れだった。まるで、霧の中を走ったあの時みたいに。

 

 でも湖に落ちた記憶なんかない。覚えがあるのは立ちくらみの後、チルノの偽者に引かれて霧の中を歩き回った事だけ。

 あの気絶の後、私は溺れながらずっと夢を見ていたのだろうか。周りを見ても、朝の霧はとうに晴れている。

 

 でも、目を覚ます間際に聞こえてきた、チルノの声は釈然としなかった。現実で起きない私にかけていても、おかしくない台詞なだけに尚更。

 

 混乱しながら座り込んでいると、その様子を見ていたチルノがふと『あ』と声をあげた。

 そして私をまっすぐ見て、こう言ったの。

 

『アンタ、霧をじっと見たりしなかった?』

 

 

 

 ・・・意外なことに、チルノは私の不思議な体験に心当たりがあった。普段は気にしてなかったけど、あの子幻想郷では私より先輩なのよ。

 

 一部始終を聞いたチルノが話してくれたのは、時々霧の深い日に、何者かが湖に引きずり込もうとしてくるんですって。

 霧の世界の夢を見せ、その中で湖に映った事のある知り合いの姿を真似て・・・

 だからよく見たら左右が反対。

 

『引きずり込まれたら、一体どうなってたの?』

 

 さっきまで瀬戸際にいたのを思い返して、おそるおそる聞いてみた。すると、チルノは首を横に振って、歯切れの悪さを見せた。

 

『分かんない。途中で逃げてきたって人の話しか、聞いた事ないんだもん』

 

 ・・・ただ、湖で行方不明になった者の死体は、揚がってきた事が無いんですって。

 

 私の話は終わりよ。次は誰かしら?」



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五周目・六話目-アリス・マーガトロイド

 「ああ、もう私で六話目ね。アリス・マーガトロイドよ。よろしくね、皆。

 

 ・・・七人目はまだ来ないのかしら?トリを務める程の自信はないんだけど・・・・・・

 

 まあいいわ。私ね、知ってると思うけど人形作りが趣味で、人里で人形劇やったり、たまに注文受けたりもするの。

 

 当たり前だけど、大抵は子供向けのもの。武器に使ったりもするけど、それは自分用だけで、危ないし他人に寄越したりしない。

 言ってしまえば、小さい年頃の子が、『自分の世界』の中で他人に見立てて遊ぶものだからね。ごっこ遊びに使ったりして、後は忘れ去られるのはおかしくもなんともないのよ。そういう玩具。

 

 ・・・・・・ただ、やっぱり人間の形を模しているせいかしら。時々とんでもない事が起こる。

 少し前にも一大事になって、その話をしても良いかしら?

 

 

 

 

 あれは、私が人里での公演を終えて、里の帰り道を歩いていた時だった。街道で急に、後ろから大きな声で呼び止める声がしたの。

 

『人形師さん! ちょいと待っとくれ!』

 

 甲高い、必死な声。ちょっぴり普通ではない感じで嫌な予感がしたんだけど、呼ばれてつい振り向いてしまった。

 

『ああ、良かった、貴女に頼みたい事があるのよ』

 

 そう言って息を切らして駆け寄ってきたのは、四十代くらいの人間のおばさん。

 

 一見普通にみえるけど、目がギラギラと光って、顔のシワは深く、笑みは口角をやけに上げてひきつっている。髪の毛はボサボサで表面が汚ならしく光って、乱れた生活を窺わせた。

 一瞬うへぇと思ったんだけど、おばさんは逃げる間もなく私の手を取って、唾を飛ばしながらこう言った。

 

『私の家に来てちょうだい! とにかく話だけでも聞いて』

 

 返事も聞かずにおばさんは私の手を引っ張って走り出した。逃げることも出来ずに、妙な事に巻き込まれるのかなぁ、とその時は思ったわ。

 

 

 ・・・・・・夕暮れの頃、里を走っていたおばさんは一軒の家の前でやっと止まった。木造で心なしか薄暗く、外郭の隅に虫が巣くっている。

 

『入ってください。お茶でも飲みながらゆっくりと』

 

 おばさんは上機嫌で私を中に招き入れた。部屋の様子はやはりというか散らかっていて、生乾きの洗濯物が落ちていたり、生ゴミがそのままだったり、そんなものが積み重なって畳が殆ど隠れている、酷い状態だった。

 おばさんはそれを乗り越えて、奥の襖を開けてその向こうでゴソゴソ何かを探しだした。玄関先から目を凝らすと襖の陰から少しだけ、大きな黒い箱のようなものが見える。

 何だろあれ、って首を傾げていると、おばさんが一枚の写真を手に戻ってきた。差し出されたそれを見ると、目の前のおばさんが少し若くなったような女の人と、隣には柔らかい雰囲気で笑う男の人、そして二人に挟まれるように無邪気に微笑む小さな女の子が写っていた。

 その写真を眺めていると、おばさんは笑顔は変わらないものの、僅かにしみじみとした表情で話し出した。

 

『この子ね、私達の娘なのよ。二ヶ月前に死んじゃって・・・・・・』

 

 ・・・襖の陰の箱は、仏壇だったのだと気付いた。

 娘さんが死んで、さぞかし落胆したんでしょう。部屋の乱れようも、そう考えると理解できた。

 そして、おばさんが私を呼んだ理由も想像がつく。

 

『・・・・・・私に、娘さんの人形を作って欲しいと?』

 

『そうなのよ。写真がそれしか無くて悪いけど、そっくりなのをお願い』

 

 おばさんは笑みを顔に張り付けながら言った。死者の人形なんて、冷静に考えれば気が重い上に薄気味悪い。だけど写真を私に押し付けてからのおばさんの顔はまた目を光らせて、断れば豹変しそうなただならぬ雰囲気があった。

 

 どうしようか、私はしばらく迷っていた。おばさんに娘の身代わりとして人形を作っても、この人の救いには恐らくなり得ない。一時的に喜んで、現実から逃げ続けるか、二度と帰らない娘に絶望するか・・・・・・

 

 ろくな結末が浮かばない。本来私がそこまで考える義理も無いんだけど、悪い方向にきっかけを与えちゃうのは怖かったのね。

 

 おばさんが笑う前で考え込んでいると、おばさんはそれを見て何を考えたか、部屋の隅の箪笥に飛び付くと金属の束のような物を差し出した。

 それがお金だと気づくと同時に、おばさんは必死さを増して辛うじて笑顔のまま詰め寄ってきた。

 

『タダでなんて言わないわ!お金ならあるわよ、幾らでもあげるから!』

 

 長い小銭の束は見ただけで大金と分かった。みた感じ裕福な家には見えない。にも関わらずおばさんは躊躇いもなくお金を押し付けてくる。

 後先の事なんて考えちゃいない。ただただ娘への妄執で、この人は家庭の今後すら見えなくなっている。

 

 この人の言う通りにしちゃいけない。そう思って出口の方に目を向けると、ガタガタ、と戸を鳴らして男の人が入ってきた。

 

『あ・・・・・・』

 

 慌てて挨拶しようと体を向けた。けどその人は私を一瞥すると、おばさんをキッと睨んで部屋に踏み込んできた。

 

『・・・・・・おい、この人は何だ』

 

 男はじっとおばさんを睨んでいる。よく見たら、やつれてはいたけれど写真に写っていた夫だった。おばさんは微かに肩をすぼめ、あからさまな作り笑いを浮かべた。

 

『アリスさんよ。知っているでしょ?あの子の人形を作ってもらおうと・・・』

 

 そこまで言って、夫が言葉を遮り、烈火の如く怒りだした。

 

 

『まだそんな事を言ってるのか! アイツはもう死んだんだぞ!』

 

 怒鳴り声が家中に響いた。私もびくついて止めようとしたんだけど、それより先におばさんが怒鳴り返す。

 

『知っているわよ! だから人形で我慢するんじゃない!』

 

『そういう問題じゃない! いつまで引きずるんだと言ってるんだ!!』

 

 私を蚊帳の外にして、怒鳴り合いはエスカレートする。段々と家庭内の不満まで飛び出してきた。

 

『いくら辛いからってなぁ、掃除も洗濯もせずに塞ぎ込まれちゃ迷惑なんだよ!』

 

『酷い! じゃああなたは何とも思ってないっての?!』

 

『だったらどうした!? 俺は働いてるんだ、葬式にいくらかかったと思ってる!?』

 

 罵り合いは止む気配がない。それ以上その空間にいるのが耐えきれなくて、私は無言で家を飛び出した。おばさんが何か言ったような気がしたけど、無視したわ。

 

 外はもう暗くなっていて、足下もろくに見えない。立ち止まったら真っ暗な景色の中にあの怒鳴り合いの光景が浮かんでくるようで、目の前だけ見て振り返りもせずに里を抜け、家に向かって走り続けた。

 魔法の森に入り、我が家を見つけて飛び込み、蝋燭に火をつける。するとぽっ、と柔らかい光が部屋の中を照らした。

そこでやっと帰ってきた感覚がして、ベッドに座り込んで一息つく。

 

 すると、自分が手に何かを持っている事に気付いたの。

 

『あら』

 

 それは、あの親子の写真だった。そういえばおばさんに押し付けられてから返すのを忘れていたの。

 ・・・・・・しばらく写真の中の幸せそうな家族を眺めて、おばさんの事を思い返していた。

 気の毒だとは思う。でも正直、頼みを受ける気にはなれなかった。おばさんの押し付けがましい笑み、その下に隠れた悲壮感に溢れる素顔、それを怒鳴って撥ねつける夫に、心を映すかのように荒んだ汚い住まい・・・・・・

 関わりたくない、そう思わせる嫌悪感がありとあらゆるモノから溢れていた。

 

 人形は断って、その折りに写真も返そう。そう考えて、その日はさっさと疲れた体をベッドに横たえた。

 

 ・・・・・・でも、驚いたのはここからだったのよ。

 

 

 

 

 寝入ってからしばらくして、私は急に目が覚めた。体はベッドの上で、視線は天井に釘付け。とっさに起きようとしたけど手足一つ、眼球一ミリ動きはしない。

 金縛り。まさか妖怪でも出たかと寝たまま焦っていると、耳にざわざわと小さく、何かが這いずるような音が聞こえた。

 次第に音が近づき、視界の端にチラリと、髪の毛の先のようなものが覗いた。音の源はあれか、と動かない目を無理やり、関節を逆に曲げるような感覚で動かす。

 そしてついに、耳障りな音の正体が見えた。

 

 あの写真、机の上に置きっぱなしだったそれから、髪の毛の束のような、あるいは虫の群れのような黒い何かが広がって壁を伝い、私に迫ってきていたの。

 

 ひぅ、と出せない声の代わりに小さな息が漏れる。黒い何かは私に覆い被さるように天井を遮り、視界一杯に広がると、ざざ、と灰色の砂嵐のような奇妙な光景を私の目の前に映し出した。

 あのおばさんの顔。

 あのにやついた顔がユラユラと歪み、狂気を孕んだ表情に変わった瞬間、ぶつりと意識が途切れた。

 

 ・・・・・・目が覚めると、いつもの朝の風景があった。白い壁には染み一つないし、写真は相変わらず同じ場所にある。

 

『夢かぁ・・・・・・』

 

 そう腑抜けたように呟いて体を起こし、ある方面に目を向けてぎょっとした。

 

 自分が作った人形を飾っている棚。そこに座らせてある筈の、金髪の少女の人形達が。

 何が起こったのか、一つ残らず黒髪で、老け込んだ女の・・・・・・あのおばさんの顔に変わっていた。体は人形のまま、顔だけ型を取ったみたいに細かく、気味悪い位にそっくりだった。

 あのシワの深い顔が、何列にも整頓され、ズラーー・・・・・・・・・っと。

 

 昨夜見た幻影は嘘じゃないと気づくと同時に、私は観念するしかなかった。

 要するに人形を作れ、って事よ。

 

 それから、部屋から殆ど出ることもなしに苦しむ日々が始まった。たった一枚の写真を元に幼子ほどの大きさの人形を作り上げる。背の高さも、お腹周りの造形も写真から推察して割り出すしか無かった。髪の毛も香霖堂から黒髪のカツラを取り寄せて、なるべく似せる。

 家族から詳しいことを聞けたら良かったんだけど、私としては訪ねるのは御免だった。ただでさえあのおばさんは毎晩毎晩、金縛りと幻影を繰り返し見せてきていたの。まるで完成を急かすかのように。

 

 何日かして、寝不足と緊張で私は立っていられない程だった。それでも座ったまま作業の手は止められない。

 もう殆ど人のような見た目の人形を眺めながら、それまでの精神がすり減る日々を思い返し、吹き出しそうになった。

 

 (これだけ生霊まがいの執念にさらされたんだから、人形まで魔性を帯びたりして)

 

 そんな冗談を思い浮かべ、ふっと目を逸らした。その瞬間・・・・・・

 

『いたっ』

 

 指先に何かが食いついたような痛みが走った。慌てて見ると指先から血が滴っている。

 どこかにぶつけたかな? そう思ってキョロキョロ辺りを見ると、目の前の人形、その口許から、つぅーっと血が流れている。

 

 何度見ても、そこ以外に血のついた場所なんて見当たらなかった。でもおかしいのよ。人形のどこにも怪我する程の出っ張りなんて無かった。なんでそこから血が流れるのか。

 よく分からなかったけど、いつまでも気にする余裕はなくて、結局そのまま人形作りを続けた。

 

 ・・・・・・そして、ついに人形が完成し、意を決して人里に向かった。あの古ぼけた家の扉を叩くと、おばさんが顔を出す。

 

『あら、アリスさん!』

 

 おばさんは私を見るなり目を見開いて、更に私が一抱えもある人形の箱を持っているのに気づくと、途端にウキウキした表情に変わった。

 私はというと、相変わらずくたびれた身なりに、おばさんの後ろに広がる散らかった部屋を見て沈んだ気持ちだった。

 おばさんはそれに気づかないのか、ペラペラと上機嫌で話し出した。

 

『本当にすまないわねえ。主人は怒ってばかりで、私も望み薄と思っていたのだけれど・・・・・・』

 

 どうやらおばさんは無意識に私に念でも送っていたみたい。心のなかではどうしても諦めきれなかったんでしょう。

 頼まれてもいないのに必死になって、旦那さんにも煙たがられ、どうにも割りに合わない気分だった。

 

『とりあえず、お代を渡すわ。主人が帰らないうちに・・・・・・』

 

『いえ、私はこの辺で・・・・・・』

 

 おばさんは私を中に引き入れようとしたけど、私は解放されたい一心で咄嗟に断った。

 けれども次の瞬間、おばさんがハッと息をのみ、私を振り回すような勢いで引き寄せた。

 

『きゃっ!』

 

 何が起きたか分からない内に、暗い場所に押し込められ、何処かからばたんと戸を閉められた。かび臭くて、柔らかい感触と、キィキィと小動物が逃げる音がする。

 押し入れだ。そう気づいて、息を殺して戸を少しだけ開ける。隙間からはあのおばさんが玄関先で誰かと言い争うのが見えた。

 

『今、誰か来なかったか?』

 

『さ、さあ、見間違いじゃないかしら?』

 

 おばさんに詰め寄っているのは、あの夫だった。見つかったら気まずくなるから隠されたのね。

 けど、おいてけぼりの人形はどうにもならなかった。夫は道端の箱に気づくと、遠慮なしにビリビリと箱を破る。

 おばさんが止める暇もなく、あの女の子を模した人形がむき出しにされた。

 

 さあ、夫が怒り出すぞ、と覗きながら息を呑んでいた。

 

 その時、信じられない事が起こったの。

 

 ぎぎ、と音を立てて、人形が体を起こした。

 おばさんと夫は短く叫んで飛び退いた。私も目を疑ったわ。勝手に動く機能なんて、付けた覚え無かったもの。

 

 でも女の子の人形は今度は首を回し、辺りを見渡してこう言った。

 

『オカアサン』

 

 喋る機能もつけていない。でも確かにお母さんと言った。おばさんは狂喜と言っていい程にはしゃいで、きゃあきゃあと大きな声を上げている。夫はというと信じられない様子で立ち尽くしている。

 私もその光景を飲み込めずにいた。勝手に人形が能力を得るなんて、これもあの母の思いが為したのか、そう思わざるを得なかった。

 視界の先では夫がおずおずと話しかけている。これはもしかしたら夫婦がやり直すきっかけにもなるかも知れない。押し入れの中で思わずそんな淡い期待を抱いた。

 

 けど、人形の答えは更に予想を裏切るものだった。

 

『アナタハ、オヤジャ ナイ』

 

 さぁっ、と冷たい空気が流れた。夫の顔が険しくなり、おばさんを睨む。

 

『おい・・・どういう事だ』

 

『え、そんな・・・もう、変な冗談止してよ』

 

 おばさんは狼狽えながら人形に呼びかけるけど、今度はウンともスンとも言わない。次第に夫は苛立ち、終いにはおばさんに掴みかかって声を荒げた。

 

『どうりで俺がいくら言っても聞かなかった訳だ。他の男が・・・・・・』

 

『待って! 誤解よ、決めつけないで!』

 

『やかましい! どうせ大好きな野郎との子が恋しかったんだろが!! この尻軽が!!』

 

 間もなく男女の叫び声と、ドタン、ガチャンと物の壊れる大きな音が響き渡った。

 私は怖くて耳も目も塞ぎ、ただただ時が過ぎるのを待っていた。

 

 

 

 

 どの位経ったかしら。気がつけばうるさい音は止んでいて、戸の隙間からは破れた箱しか見えない。

 あの人形はどこに消えたのか、それに注意深く聞くと、どこからかピチャピチャと舐めるような水音がしている。

 確かめるには出なきゃいけない。生唾を呑み込み、戸をそっと開ける。すると、鼻面をつんと鉄臭い臭いが襲った。

 

 嫌な予感を押し殺して、臭いと水音の源を探る。すると、例の仏壇の部屋に二人の男女が横たわって、一人の子供がうずくまっていた。

 

 もみ合ってどこかにぶつけたのか、あのおばさんと夫は畳の上に大きく赤い血だまりを作っていた。そして子供がそれに顔を近づけ、ピチャピチャと音を立てている。

 

 その後ろ姿には見覚えがあった。頬を嫌な汗が伝う。乾いた息を交換しながら震える足で一歩、近づこうとした時、その子供はパッと振り向いた。

 

 ・・・それは、あの人形だった。顔も、服も、あの女の子そのまま。そいつが何故か動いている。

 立ち上がるしぐさは滑らかで人間そのもの。作った覚えのない歯の並んだ口には、両親から流れていた血がベットリとついている。

 

 目が釘付けになって動けずにいると、人形、女の子はニッコリ笑い、先程とは打って変わったハッキリした声で言った。

 

『お母さん』

 

 そう言って、私に向けて駆け寄ってくる。その時ハッとなった。確かに、その人形を一から作ったのは、私・・・・・・

 

 抱きついてくる人形をボンヤリ眺めながら、血の臭いが充満する家の中で、私はずっとそこに立ち尽くしていた・・・・・・

 

 

 

 

 ・・・・・・その人形は思うに、血を飲んで成長する妖怪になったんだと思う。見た目はまだ球体関節の人形なんだけど、言語や動きの進歩ぶりは、血を飲んでから目を見張るものがあったわ。

 え? いやぁねえ、さっき話した事件の中での話よ。

 

 でも、処分するのは惜しかったわ。半ば自律人形の理想に近くって・・・・・・

 

 ああごめん、喋りすぎたわ。それにしても七人目はとうとう来なかったわね」



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五周目・アリス・マーガトロイドEND-『生き人形』

 アリスさんの話が終わり、しばらく経つ。部屋にいる面々は話題も尽き退屈そうに壁に寄りかかり、家人の霊夢さんも帰ってくることはなく、変化のない沈黙が流れるのみ。

 

「なんか喉乾いたなー」

 

 正邪さんが呟く。そういえば皆が話す間中、飲み物の一つも出していなかった。暖かくなってきたこの時期には意外と堪えたのか、皆がチラチラと顔を見合わせる。

 

「なあ天子、裏の井戸から水汲んできてよ」

 

 正邪さんが顎でしゃくりながら命令する。言われた当人は不機嫌そうに眉をひそめた。

 

「嫌よ、なんで私が。自分で言って飲んでくれば良いじゃない」

 

「気が利かねえな、皆の分も要るだろ?面倒臭いからさ」

 

 舌を出して天子さんをコキ使おうとする天邪鬼。天子さんの口元が歪んだ。

 

「何よ、重たいから私にやれっての?」

 

「私じゃ桶ひっくり返しちまうよ」

 

「お断り。なんで天人たる私がそんなこと」

 

「・・・つまらんプライド 意固地な態度 井戸より浅いぞ器の程度♪」

 

「・・・・・・・・・」

 

 天子さんがツカツカと詰め寄る。成る程、少しうざったい。

 と思っていたら、正邪さんがあっという間に胸ぐらを掴まれてしまった。

 

「あんたねぇ、井戸に放り込むわよ!」

 

「うわぁ、水飲み放題だー浮かばれねー」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 慌てて止めに入る。正邪さんはヘラヘラ笑っているが、天子さんは割りと本気でイラついている。下手したら喧嘩にもなりかねない。

 誰か手を貸してはくれないかと周りを見るが、レミリアさんと青娥さんなどは声を押し殺して笑っていた。妖怪の間に割り込むなんて相当覚悟がいるのに、この人達ときたら。

 額と額がぶつかり合うかと思うほどににらみ合う二人。私など目もくれないばかりか、片手間に振り払われそうだ。

 気迫迫る表情を間近で見ていられず、目をつぶり祈る。神様、仏様!

 

 その瞬間。

 

「じゃあ、私が行くわよ」

 

 そう言ってスッと立ち上がる影があった。アリスさんだ。

 

 

「あら、いいの?」

 

 傍観していたレミリアさんが素知らぬ顔で言う。アリスさんはニッコリと頷いた。

 

「私も手伝いましょうか?」

 

「いいのよ、皆お茶で良い?」

 

「任せますわ。出されたものは漏れなく頂く主義ですの」

 

 立ち上がろうとする早苗さんを止め、きびきびと準備に入るアリスさん。気を配れる人がいて良かった。座りっぱなしで体が凝ったのか、無駄にセクシーなヨガなんか始めている青娥さんを見ると、余計そう思う。

 

 

 

 

 しばらくして、盆に湯気の立つ湯飲みを六つ乗せてアリスさんが現れた。

 

「はい、どうぞ」

 

 分ける時まで自分で、皆の前にお茶を置く。つくづくいい人だ。対して他の面々は受けとるなり無遠慮に口をつけていた。

 内心少し呆れつつ、私も一口。すると、独特の味と香りがした。

 

「あれ、なんか変わった味がしますね」

 

 青娥さんが首を傾げる。するとアリスさんは照れ臭そうに笑った。

 

「ごめんなさい、日本のお茶って少し不慣れで」

 

 そうか、彼女なら西洋、或いは魔界の嗜好品の方が馴染みが深いのだろう。

 

「貴女、一体どんなもの嗜んでいるの? 興味あるわ」

 

 レミリアさんが子供っぽく目を光らせると、アリスさんはしばし宙を見上げ、流暢に話し出した。

 

「そうねぇ・・・・・・レミリアは知っているだろうけど、紅茶かなあ。こういうのとは違って、苦味や渋みが少ないの。色は本当に茶色」

 

「ダージリンやアッサムは良いわよ。ジャスミンは少し癖があるけど、スーッとする香りは好きな人は本当に好むわね」

 

 アリスさんの語りに便乗してレミリアさんが熱弁する。話したがりの子供みたいだ。

 やれやれ、と正邪さんが肩を竦めたのを見て、アリスさんが苦笑する。

 

「もっと以前だと魔界だからね・・・・・・。変なのが一杯よ」

 

「あ、それ興味ある!」

 

 天子さんが身を乗り出すと、アリスさんが遠慮がちに一つ頷いた。

 

「・・・芋虫のムースとか、蛇の佃煮とか、猫の肝鍋とか・・・」

 

「うひゃあ、悪趣味・・・・・・」

 

 早苗さんが笑顔をひきつらせる。彼女にはさぞかし刺激が強いだろう。アリスさんはそれを見て、フッとわざとらしい笑みを浮かべ、一拍置いてこう言った。

 

「・・・人の生き血を混ぜたワイン・・・とか」

 

 瞬間、一同が息を呑む。しん、と冷たい空気が部屋の中に流れた。

 

 早苗さんが生唾を飲み込み、冗談めかして問いかける。

 

「マジ・・・ですか」

 

「本当よ。つい最近も飲ませたもの」

 

 答えるアリスさんの声はいつの間にか、平坦で低く感じた。さっきまで浮かべていた社交的な笑みは消え失せている。

 

「飲ませたって、一体誰に・・・・・・っ!」

 

 言いかけた早苗さんが、ビクンと体を突っ張らせたかと思うと、糸の切れた操り人形のように畳に体を投げ出した。

 ほぼ同時に、酷い頭痛が襲い、視界が歪む。その中で一人、二人と皆が倒れていく。たった一人、アリスさんが涼しげに正座したままお茶を飲んでいた。

 酔ったような視界のせいで、どんな表情をしているかは分からない。

 まさか、このお茶、混乱する思考の中、まだ感覚の生きている耳に、この部屋への廊下を渡る足音が聞こえた。霊夢さんじゃない。もっと小さい、子供の足音。

 

「代用品じゃ限度があってね」

 

 廊下の方を向いたアリスさんが呟く。ガクリと視界が揺れ、畳に体を打ち付ける。

 同時に、ガラリと襖が空いて、小袖を着た子供の足下が覗いた。

 

「もう、呼ぶまで来ちゃダメって言ったじゃない」

 

 叱るようなアリスさんの呑気な声。知っている相手なのか、この状況で驚きもしないなんて、一体誰?

 

 力を振り絞って顔を上げる。霞んでいく目に、黒髪を伸ばした小さな女の子の見下ろす顔が映った。

 

「毎回こうは行かないからね。今日は特別よ」

 

「うん、お母さん」

 

 ああ、そうか、この子は。

 

 ようやく全てを理解した直後、私の意識は闇の中へ、深く、深く沈んでいった。

 血をすすり貪る音を微かに聞きながら・・・・・・・・・



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六周目
六周目・一話目-アリス・マーガトロイド


 「あら、一話目は私なのね。

 アリス・マーガトロイドよ。どうぞよろしく。

 

 それで・・・何から話そうかなぁ。初っぱなから来るとは思ってなかったから。

 

 ・・・・・・人形の話して良い?私って家で人形作りばっかりしてるから浮かぶネタが限られているのよね。

 

 あ、良いの?ごめんね。じゃあ本題入りましょうか。

 

 

 

 

 ・・・・・・あれは、私が使える拾い物でもないかと香霖堂に行った時の事だった。いつも通り店主と世間話しながら、ガラクタの置かれた棚を見回っていたんだけど、ふと気になるものが目に入ったの。

 

 店主のいるテーブルより更に奥、客からは中々見えない隅っこの方に、一体の人形が置いてあった。

 なにも綺麗だったとか、大袈裟な入れ物に入っていたとかじゃないの。むしろ汚かった。髪がボサボサで、手垢で汚れて服も所々破けた、古ぼけた人形。

 そんなのがポツンと置いてあった。

 

 だからどうした、って訳でもない筈なんだけど、何だか気になってね。でもあの店主さんの事だから、また変な拾い物でもしたんでしょう。

 深く考えずに、一つ二つ買い物して、店を出た。

 その時、何気なく店の中を振り返ったんだけど・・・・・・

 

 店主は既に背中を向けて、業務に戻っていた。その後ろ姿に隠れて、二つの視線がぶつかった。

 あの人形が、横向きになってこちらを見ていた。勝手に倒れたのかもしれないけど、それほど不安定だったとも思えなくて、扉を閉めるまでの間、何故か目を逸らせずにいた。

 

 家に向かって歩き始めても、なんとなく嫌な感じが拭えない。あの戸の隙間から見えていた二つの目がまだ何処かから見ているような気がして。

 魔法の森の中だから、周りには誰もいない。時折木々のざわめく音が聞こえるだけ。道らしい道の無い森の中でも、足は習慣で家路に向かって動く。背中の寒気は焦りに変わって次第に早足になっていった。

 

 サクッ、サクッ、と乾いた土を踏む音が規則的に響く。木の枝葉が頭を掠めたりしたけど、気にしてはいられなかった。そんな風にして、幾らか進んだ頃。

 

 耳に、別の足音が聞こえてきた。

 微かだけど、私の足音に少し遅れて、カリッ・・・カリッ・・・って忍び足のような気配を押さえる音。

 

 咄嗟に振り返ったけど、誰もいない。自分が通ってきた足跡が辛うじて見えるだけ。

 怪しく思ってしばらく向こうを凝視してみたけど、変わったものは何もなかった。

 でも、前に向き直って歩き出すと、また一定のリズムで、小さな足音が聞こえるのよ。一度わざと止まったり蛇行したりしてみたけど、全然足音の大きさが変わらない。どんなに私が歩く調子を外しても、規則正しく、距離も一向に付かず離れずついてくる。

 

 これは気のせいやただの動物なんかじゃない。明らかに意思がある何者かがつけて来ている。

 途端に怖くなって、振り切ろうと全速力で走り出した。ザッザッザッと荒々しい足音が耳に届く。すると後ろからはサッサッサッと同じ調子で誰かがついてくる。

 引き離そうとしても糸で繋いだみたいに離れない何かから逃れようと、もう息を切らしながら走り続けると、やがて自分の家が見えてきた。

 

 助かったと思ってドアに飛び付くと、押しても扉は動かない。鍵をかけていたのに気づいて大急ぎで鍵を挿し込む。その間にも、足音はドアにかじりつく私の耳にジワジワと近づいてくる。

 鍵を回すだけの間でも焦ってドアを五月蝿く押してしまう。解ける金属音がしてから急に体が軽くなって、ドアを押す勢いで中に転がり込んでしまった。

 

『きゃっ!』

 

 床に情けなくへたり込んで、家の中に入れたんだと一瞬だけ安堵する。その直後にドアが開けっ放しなのに気づいて、動悸の止まない体を引きずって膝立ちでドアに手をかける。

 そのまま押して閉めようとした時、はたと体が止まった。

 

 あの香霖堂で見かけた人形が、独りでにカサカサと走ってくる。周りに誰もいないのに、私に向かって二本の足でみるみるうちに近づいてくる。

 家を見つけて隠れる必要も無くなったのか、目が釘付けになった私へ生きているかのように、駆け足で、一直線に。

 

 思わず扉を閉めて、引っ掻くように腕を伸ばして鍵をかける。

 続けて家中の窓の錠を確認してカーテンを閉め、暗くなった家の中で、ベッドに座り込んで固まった。

 

 息を潜めて、無音になった部屋で布団を被る。コトリとも音がしない空間を、自然と目線がいったり来たりする。

 家の外にはまだアイツがいるんだろうか。どういう訳か動き回り、私の後ろをずっとついてきた、あの古い人形。

 

 少しずつ目が慣れてきた。部屋の端のカーテンに目をやる。窓は締め切って当然ながら風は入って来ない。だのにカーテンの向こうに浮かぶ影が揺らめいた気がして、ひっと体が硬直した。

 ・・・・・・見間違いかもしれない。しばらくしても、物音一つしないし、もしかしたらもうどこかに行ってしまったかもしれない。だけどすぐには震えが収まらなかった。

 

 身動ぎも出来ずに視線ばかり泳がせ続けて、色んな予想と不安が浮かぶ。そういえば戸締まりは間違いなかっただろうか、今さっきつい気を抜いて何かを聞き逃さなかっただろうか?

 動いて確かめ直せば早かったけれど、そうも出来なかった。不安が杞憂で終わればいいけど、いざ的中したら。何処かから侵入されて、目の前に現れでもしたら・・・・・・

 

 そう思うと縮こまるばかりだった。そんな気を張る時間が一時間、二時間と続いて、いつしか私は疲れきってしまった。

 

 

 

 

 ・・・・・・どのくらい経ったかしら。私は座ったままの姿勢で目を覚ました。カーテンから差し込む光はもう一片もない。

 手探りでベッド脇の置き時計を取って目を凝らすと、もう夜中の零時を回っていた。何時間も眠っていた事に気づいて、例の人形はどうしただろうと背筋がにわかに寒くなる。

 

 その時。

 

 カタ、と小さな音が、天井の方向から響いた。肩が跳ね、反射的に音の方向を睨む。

 

 音はカタン、カタン、と妙に小気味良く、屋根を伝うように響いた。窓からは雨や風の音は入って来ない。

 その時、たった一つ、外から通じる開け放しの場所を思い出した。

 

 煙突よ。まさかとは思ったけど、音は段々とその方向に移っていた。

 

 恐る恐る体を起こして、机からマッチを取る。一本だけ擦って明かりを灯すと、足音を潜めて居間に向かった。

 煙突から繋がる暖炉の前まで来ると、ちょうど上からゴトゴトと伝って降りる音がする。一度火を消して、常備してある薪を一本取って息を潜めた。

 

 降りる音が少しずつ大きくなり近づいてくる。暖炉の脇から顔だけ出して睨んでいると、ヒョイ、と小さなものがぶら下がった。

 人間の足のような形。それがソロソロと下に伸びて、一気にドスンと本体が降りてきた。

 灰がもうもうと舞って、うすぼんやりと辺りが白く光る。それに照らし出され、暖炉から落ちてきたものが這い出してきた。

 人形の影がスタスタと歩き出す。誰かを探すようにキョロキョロと周りを見渡す。片手で持ち上げられる無機物が、人間のように意思を持った動きをするのが不気味だった。

 意を決して飛び出し、思いっきり薪を振り下ろす。バキッという木の音と何かが割れる感触、手にもじんわり痺れが伝わったけど、無我夢中で薪を何度も叩きつけた。

 次第に砕ける感触と音が潰れるようなそれに代わり、ふと気がつき目が慣れるとソイツは少しも動かない、バラけた物体に変わっていた。

 手足は四方に飛び散り、胴体は細かく割れてひしゃげ、床にへばりついている。頭は押し付けられてグチャグチャに張り出した髪の毛に隠れて原型を留めていない。荒い息をしながら無惨になった人形の残骸の前で立ち尽くしていた。

 

 しばらくして、ハッとなってマッチを擦り、暖炉に火を入れる。そして人形を大急ぎでかき集めて残らず火にくべた。

 小さくなっていた分、簡単に形を歪め、熔けていく。

 それを見ながら、ようやく恐怖が消えて、火をつけたまま眠り込んじゃった。

 

 

 

 

 また目が覚めると、暖炉の中には消し炭と、人形の燃えかすが残っていた。目玉や髪の毛がまだ形を残していて、やっぱり夢じゃないって、気味悪くなって庭に埋めたわ。

 昨日の奇妙な事件の痕跡を残らず土の下に押し込むと、真っ直ぐ香霖堂に走った。あの人形が一体なんだったのか、聞いとかないと気分が悪かったからね。

 

 朝方の冷える森を抜けて、香霖堂のドアを押す。日が昇ったばかりだからまだ開いていない。けど人形の正体が知りたくて居ても立ってもいられず、扉を乱暴に叩いた。

 しばらくして、奥の方から足音がして扉が開けられる。そこには、疲れた顔の店主が、腕に包帯を巻いて立っていた。

 文句の一つでもいってやろうと直前まで思っていたけど、その姿を見て急に我に返った。思わず昨日は無かったその包帯に目がいく。

 

『なんだい、こんな朝早くから』

 

 店主は、突っ立っている私に不機嫌そうに尋ねてきた。慌てて昨日の一部始終を伝える。人形が追いかけてきた事、結果的に燃やしてしまった事。

 それを聞いた店主は、一瞬だけ顔をしかめ、『やはりか』と呟いた。

 

 詳しく聞いたら、あの人形は無縁塚に落ちていたもので、拾ったは良いもののそれからラップ音がしたり、人形の置場所がいつの間にか変わっていたり、変な事が立て続けに起こったんですって。

 しばらく置いていたけれど、昨日私が帰ってから腕の骨を折るまでになって、とうとうお祓いしようと決めたら肝心の人形がない。それで朝方まで探して気が気で無かった、と。

 

『君の所について行くだなんて、迷惑をかけたね、すまなかった』

 

 店主は深々と頭を下げてきた。でも次の瞬間には気まずそうな笑顔を向けて、『でもまあ、燃やしたなら大丈夫だろう。肩の荷がおりたよ』なんていい加減な事を言っていたわ。

 

 私としては、不安が消えた訳じゃなかった。店主の話を聞く限りただ動くだけの人形って訳じゃない。怪我をしたのを見ても悪意、良くないものの影響を受けているのは想像出来た。ましてや無縁塚に落ちていた訳だしね。

 物理的に燃やした位じゃまだ解決しない。頭ではそう思った。

 けど、私も疲れきった状態で、しかも一度見えないようにしちゃったから、正直もう忘れてしまいたかった。わざわざ掘り返すなんて、したくなかったのよ。

 

 大丈夫、そこまでする必要ない。無理やりそう思い込んで、何事もなかったように元の生活に戻った。特に変わったこともそれから起こらなかったわ。

 

 数日は。

 

 ある日、あの人形を埋めた場所に、ひょっこり植物の芽が顔を出した。草むしりは割りとマメにしていたつもりだったんだけど、妙にポツンと、大きく伸びた芽だった。

 一瞬嫌な予感がしたけど、気にしないようにして引き抜いた。根がズルズル抜けて、一瞬人の形に見えて、すぐに捨てた。

 

 けど、次の日見るとまた同じ場所に芽が生えていた。それも、少しだけ大きくなって。

 同じように抜き取るんだけど、次の日にはまた成長した姿の芽がある。何度抜いても、抜いても、それは消えなかった。いえ、それどころかみるみる太くなって、私の背を追い越すまでになった。

 数ヶ月が経って、あの人形の上には森の木々と変わらない大きさの大木が、庭に一本だけすらりと伸びていた。

 

 いくらなんでも変でしょ?竹じゃあるまいし。・・・・・・もちろん、それまでの間なんとか抜き取るか、切ってしまおうか、色々と試した。

 けど、不思議と出来ないのよ。なんていうか、地に足が着いていないというか、腰がぐらつくの。宙ぶらりんになっているみたいに踏ん張れなくて、引っこ抜こうとしても、鋏を入れようとしても、斧を振ろうとしても、力が入らなくて傷一つつけられない。

 終いには段々と息が苦しくなりだして、その場に決まってへたり込んじゃう。でも木から離れると不思議と収まるのよ。

 そんな訳で、完全に成長しきる頃にはなるべく近寄らないようにしていた。

 

 そうして無理に忘れようとしていたある日、一人の女の子が訪ねてきた。今までもままあったように、森で迷ったから止めてくれとね。

 けど、その子は他と違い奇妙だった。目が虚ろで焦点を結ばず、言葉も弱々しい。口が動いて喋ってはいるけど、"言わされてる" って表現がピッタリ似合う姿。

 

 それを見て、またあの人形が頭をよぎった。詳しくどう関係あるかは分からない。けど、とにかくただ事じゃないのは確かだった。

 

 でも森の中に放り出せる訳もなくて、結局家に入れた。夜まで戦々恐々としてはいたけど、とりあえず寝てはくれたのよ。

 けど、そこからが余計心配だった。寝静まれば当然無防備になる。煙突から入ったあの人形じゃないけど、目を離せばどんな悪いことが起こるか分からない。

 

 そこで、私も強引な手に出た。手頃なロープを引っ張り出して、寝ているあの子をベッドごとぐるぐる巻きにしたの。起きてからの言い訳が大変だけど、とりあえずはこれで動けない。

 幸いその子も気づかずに、変わらず寝息を立てていたから、チラチラ見つつも次第に安心して、自分も床についた。

 

 

 

 

 ・・・・・・目が覚めると、もう日は高くなっていた。どうも心配事が続いたからかしら。慌てて飛び起きて家を探したけど、女の子もどこにもいない。

 まさかあの子もまだ寝ているのか、そう思ってお客用の寝室を開けた。

 

 ・・・・・・すると、中身はもぬけの殻だった。帰ったのか、一瞬そう思ったけど、書き置きも何もなく、何より、縛っていた筈のロープまで消えている。

 嫌な予感がして、家を飛び出した。一番に目に飛び込んでくるのは、庭でいっとう背の高い、あの木。

 

 その木の枝に、あの女の子が首を吊っていた。私が使ったロープでね。

 駆け寄って下ろそうとしたけど、ブラブラと頼りなく揺れる後ろ姿は一見して、もう手遅れだった。

 しばらく呆然として動けなかった。背中を見ながらこれも人形のせいなのか、この木のせいなのかとぼんやり考えていると、不意に、グリンと首だけが捻れて、死体が私を見て笑った。

 

『ひっ!』

 

 飛び退いて腰を抜かしたわ。急に動いたのもそうだけど、何よりその時の目が恐ろしかった。

 暗く淀んだ、死骸の目。それはあの時初めて見た、人形が見つめてきた時の目とそっくりだった。

 

 口をパクパクさせて固まっている私に、死体はニーッと顔をニヤつかせて、ぶら下がったままこう言った。

 

『パパもね、こうやって死んだんだ』

 

 

 

 

 ・・・・・・それから、霊夢を呼んで、木を祓ってもらったわ。細かくは知らないけど、さぞかし流れ着く前に色々あったんだろうって言われたわ。

 

 あれからは私も店主も変なものになるべく手を出さないようにしてる。お陰で最近は平和だわ。

 

 ・・・けど、時々夜中にコトコト、って小さな音が聞こえたりするのよ。近寄っても何もないんだけど・・・・・・ね。

 

 私の話は終わり。怖がってもらえたら嬉しいわ。



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六周目・二話目-比名那居 天子

 「おっと、私が二つ目ね。天人である比名那居 天子よ。

 それにしても、話を聞いてて思ったけど、やっぱり雰囲気出てるわね。生ぬるい風が入ってくる薄暗い部屋で怖い話・・・・・・。古臭い神社、擦れた畳にシミのついた襖なんかもナイスな会場を演出してくれてるわ。こう薄汚い場所って新鮮だわ。

 

 へ?違う違う、バカにしているんじゃないわよ。私の家って物に不自由しないからさ、古くなると捨てるか取り替えちゃうのよ。

 穴の開いた傘とか、シミのついたソファとか、飽きちゃった敷物とか。

 

 だからこういう場所に来るとね、色々思い出しちゃうのよ。ああ、思えばアレも悪くなかったな、勿体なかったかもなあ、って。

 

 無くなってから有り難みに気づくってこと、皆にもある? 物に限らず色々あると思うのよ、例えば・・・・・・

 

 いえ、ここから先は話した方が早いわね。

 

 

 

 

 ・・・・・・昔、人里に一人の娘がいた。その人はお母さんを亡くして、年老いたお父さんと二人暮らしだった。

 娘さんはもうそろそろ恋人なんか居てもおかしくない年齢で、普通なら父親と距離を置いてたりする頃。

 けど、彼女の場合父親を意識せざるを得ない機会が毎日あったの。

 

 彼女の家は和菓子屋を営んでてね。父親も年をとってからは娘さんになんとか継いでもらいたいって、菓子作りの修行をつけていたのよ。一人娘だったのもあって、そりゃあ厳しくね。

 

 一方、娘の方はどうにも素直に慣れなかった。よくある話よ。 "お父さんの夢は私の夢じゃないのよ!" なんて。思春期の途中ってこともあって、結構反発したんでしょうね。

 私もお父様の恩恵で天界に居るけど、余計な苦労がついて来るってんなら話は別だなあ。お父様にバカとかなんとか言っちゃってたかも。

 

 で、そんな日々が続いて、娘は次第に家に寄り付かなくなった。家出とまではいかないけど、毎日忙しい父親を尻目に、手伝いもせずに人里を遊び歩いていた。

 今までも、二人以外に家族が居なくてかなり険悪な雰囲気だったことは想像に難くないけど、一人で残される時間が増えたとなれば心労は更に深刻になったでしょう。働き手の数だけの問題じゃない。マイナスの感情が元で誰かいなくなるって辛いものよ。奥さんに続いて娘さんも、それも今度は自分の不甲斐なさで取り返しのつかない事になったら・・・・・・

 毎日一人で不安を抱え込んで、父親も段々と心身を弱らせていった。

 

 それが祟ったんでしょうね。ある日、父親は倒れてしまった。すぐに対処すれば何事も無かったかもしれないけど、運悪くその時は既に閉店した後。娘はどうしたかというと、騒霊のライブに出かけていた。

 騒霊って知ってるわよね?あの三人組の楽器の幽霊よ。プリズムリバー三姉妹って言えば分かるかしら。そいつらの演奏会は人妖問わず人気があってね。娘は夜まで夢中になっていた。

 

 帰った頃には、父親は帰らぬ人になっていた。嫌ってはいたけど、その時は泣き通しだったそうよ。それに、葬儀の時間も。

 

 それから、娘は近所の人達に助けられながらも、働き口を探さなきゃいけなくなった。未熟だった菓子作りの腕には頼れず、和菓子屋は閉店。自ずと娘は父親の理想から外れていく事になった。

 

 結果的に父親から解放されたいって願いは叶った訳だけど、娘の心は晴れなかった。それどころか塞ぎ込んだり落ち込んだり、暗い表情を見せることが多くなっていった。

 継ぐ気に今さらなった、てんじゃないでしょうが、あんまりにもお別れが唐突過ぎたんでしょうね。死に目も見れなくって後悔してももう遅い、と。

 

 そんな訳で、追いたてるものも息抜きできるものも無くなり、浮わついた日々を過ごしていた。とりあえず食い扶持を探して駆けずり回り、夜になったら帰って寝るだけ。年頃もあって味気無いと何度も思ったでしょうが、贅沢は言えない。

 その日も娘はいつものように暗い家路を急いでいた、その時。

 どこからか軽やかな音楽が響いてきた。聞き覚えのある気がして振り向いてみると、三人組を中心に人だかりが出来ているのが見える。

 

 プリズムリバー三姉妹だった。以前は心が躍るほど楽しんで聞けていたけど、今は気が沈むばかりだった。恨む筋合いは無いのに『あの時行ってなければ』と後悔が募る。

 頭の中がごちゃごちゃになって、いつしか道の真ん中に佇んでいた。俯いて黙ったまま、どの位の時間が過ぎたんでしょうね。ふっ、と耳に響いていた音が止んだ。

 ハッとなって顔を上げると、もう演奏は終わっていた。高らかな拍手が上がり、三姉妹はその面々に満足そうに頭を下げている。

 辺りはもうすっかり日が沈んでいた。暗く静まった里を見渡して現実に引き戻され、こんな事している場合じゃないと娘は慌てて帰ろうとした。

 その時。

 

『もし』

 

『ひゃっ!?』

 

 突然背後から声がした。振り返るといつの間に来ていたのか、三姉妹がすぐ近くに並んで立っている。

 

『な、何か・・・・・・?』

 

 娘が戸惑っていると、大人しそうな長女がスッと進み出て、微笑む。

 

『失礼、何やらとても落ち込んでいるように見えまして・・・・・・』

 

『あなた、確かライブに一度来てくれたよね~?』

 

 三女が首を傾げて近寄ってくる。一度来ただけの客の姿なんて覚えているものなのか。それにしても、わざわざ気にかけて訪ねてくるなんて。

 娘はどう返事したらいいか分からず二人の顔を交互に見ていた。するとさっきまで黙っていた次女が口を挟む。

 

『私達みたいのは、人の精神に敏感でね。ちょっと気になっちゃったんだ』

 

 路上で突っ立っていたのも見られていたみたい。娘は自分の心を見透かされたみたいで、少しだけ恥ずかしくなった。目の前の三人は悪意の欠片も無い笑顔で自分の表情を伺っている。

 

 悲しい気分になっていたのは本当。でも姉妹にそれを打ち明けていいものかとやはり躊躇われた。そりゃあ彼女らの噂は巷でも聞くし、善意で声をかけたのは分かる。だけど、完全な身内の話だし・・・・・・

 

 結構な時間悩んだけど、言ってもどうなるものでは無し、と娘は父親との事を話した。彼女もしんどかったんでしょうね。話しているうちに、ポロポロ涙が溢れてきた。嗚咽混じりに話終えると、長女がしばらくして言った。

 

『・・・・・・すみません、身内のご不幸とはついぞ知らず・・・・・・』

 

『いいえ、良いんです。私も楽になりました・・・・・・』

 

 娘は涙を拭い、足早に立ち去ろうとした。しかしその背中に三女が大声で、こんな事を言い出した。

 

『ねえ! お父さんとまたお話したくない~?』

 

 娘の足がはたと止まる。聞き間違いかと振り返ると、三女はスタスタと歩み寄り、あっけらかんと続ける。

 

『私達なら出来るよ。死んだお父さんを呼び出す事が出来る』

 

 まさか、そう思って長女の方を見ると、遠慮がちに微笑んでからこう言った。

 

『もしあなたが望むならですが・・・出来ますよ。お父さんと、一度だけ』

 

『我々騒霊楽団、普通の演奏家とはちょいと違うよ!』

 

 次女がえへんと胸を張る。けど娘はにわかに信じられなかった。でも心残りは確かにある。普通ならたちの悪い嘘か詐欺かと疑う所だけど・・・・・・

 一生引きずるはめになる方が辛くて、ダメもとで娘は頷いた。

 

 

 

 

 数日後、娘は紅魔館の脇の、古びた洋館に招かれた。

 三姉妹の棲みかよ。薄暗いホールに足を踏み入れると、三姉妹が立っていた。その前には一本の火がついた蝋燭に、何故かポツンと置かれた座布団に、湯気を立てるお茶。

 

『あの、これは一体・・・・・・』

 

『ああ、その座布団はそのままにしといてください。それと例の物を』

 

 娘はあらかじめ頼まれたものがあった。それは娘が作った和菓子。久々に作ったそれを娘はいぶかしみながら座布団の前に並べる。

 まるでこれから誰かを招いて茶会でもするのかという浮いた空間が、駄々っ広い洋館に出来上がった。娘は脇によけるように言われ、三姉妹が顔を見合わせる。

 一拍して、三人の息のあった演奏が始まった。静かに染み渡るような、物悲しくそれでいて惹かれる美しいメロディー。娘もいつしかうっとりと聞き惚れていた。

 風のような旋律に浸り、何分か経った頃、娘は何気なく誰もいない座布団に目を向けた。

 そして、目を疑った。

 

『え?』

 

 座布団に誰かが座っている。人が入ってきた気配なんてしなかったのに、白い着物を着た初老の男が正座して、お茶を飲んでいたの。

 しかもその横顔、どこか見覚えがある。娘が目を丸くしていると、その男がゆっくり振り向き、微笑んだ。

 

『よう』

 

『お父さん・・・・・・?』

 

 そこにいたのは、紛れもなく死んだ筈の父親だった。彼は息を呑む娘を尻目に菓子を一つ頬張り、穏やかに語りかける。

 

『元気だったか? ・・・・・・少し、やつれたか』

 

 生前と何一つ変わることなく、娘を気遣う父親。演奏は続いている筈だけど、不思議と一つ一つがハッキリと耳に届き、包み込むように暖かかった。

 娘はそれだけで感極まって、はらはらと涙を流し始めた。そして亡くなってからの後悔から、謝罪の言葉が流れ出す。

 

『ごめんね・・・・・・。私、何もしてあげられなくて、お店ももう・・・・・・』

 

 しゃくり上げながらそう言うと、父親は黙って頷き、そっと頭を撫でる。

 

『いいんだ。俺もお前の気持ちを考えて無かった。苦労をかけちまったな。謝るべきは俺の方だ。』

 

 ずっと言いたくて言えなかった言葉。それをキチンと受け止めてもらえて、娘は恐る恐る父親に目を合わせた。

 父親は照れ隠しなのか、目の前の和菓子を摘まんで口に入れる。

 

『うん、美味い』

 

 父親が大袈裟に手を打ったのを見て、娘は涙目のまま吹き出した。

 

『やだ、何度も私にダメ出ししたくせに、今になって』

 

『いやいや、本当。素晴らしい。百点満点、俺の見る目が無かったんだ』

 

 親子はしばらく冗談を言っては笑いあっていた。生前にはお互いに突っぱねて手放してしまった温かさを、二人は十数分が何年にも感じられる程に噛み締めていた。

 

 しばらくして、長女が演奏の手を止め、二人に申し訳なさそうに囁く。

 

『失礼。そろそろ留める限界です。今のうちにお別れを・・・・・・』

 

 娘はそれを聞いて、やはり残念そうな顔をした。父親が向き直って、そんな娘の頭をまたそっと撫でる。

 

『もう俺の事は気にするな。悪いことさえしなけりゃ、後は自由に生きてくれ』

 

『お父さん・・・・・・』

 

 鼻を赤くして、必死で涙をこらえる娘に、わざと父親は呑気な声で言った。

 

『冥界になぁ、和菓子とか好きなお姫様がいるんだ。土産に持っていこうかなぁ』

 

『・・・・・・恥ずかしいよぉ』

 

『なーに言ってんだ、自信持てや。俺は堂々と聞いてやるぜ。

 

()()(え)()()

 

・・・・・・なーんつってな。あはははは・・・・・・』

 

 それだけ言って、父親は笑いながら空に引っ張られるように浮かび上がると、そのままスウーッと消えていった。

 

 

 

 

 良い話でしょ? 親子は色々あるものだけど、素直にありたいっていうもんよ。

 

 ちなみにね、最後のオチは私が脚色したの。ちょっとしたアクセントになったでしょー?

 ・・・・・・って、え? 何?

 それより娘がそれからどうなったか知りたい?

 ああ、それね。里の表通りに甘味処があるでしょ? そこで働いてるのよ。旧姓で尋ねればすぐに分かるわ。

 

 ・・・・・・何よー? さっきまで白けた顔しておいて。私の話終わった時と反応違わない?まあ良いけどさ・・・・・・

 

 次の人、お願い。」



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六周目・三話目-東風谷 早苗

 「えー、私が三話目を話すんですね。妖怪の山で風祝をしております。東風谷 早苗です。上手く話せるか分かりませんが、しばしお付き合いください。

 

 さて、皆さん、妖怪の山で神様と言えば私達、守矢一家をまず想像するでしょうが・・・・・・。

 え? そうでもない? そんな馬鹿な。

 ・・・・・・まあ良いですよ。ええ、外から来た身分ですし、まだまだ布教の余地があるって事ですから。気にしていませんよ。神様なんてたくさん居ますし。

 ・・・フンだ。

 

 オホン、失礼。妖怪の山と言いましたが、そこに守矢も天狗も関係ない神様がいらっしゃるのを知っていますか?

 神というか、どちらかというと妖怪に近いのですが・・・・・・

 

 鍵山 雛(かぎやま ひな)という方です。彼女は山の中腹でよく見かけるのですが、見つけても大抵皆逃げてしまうんですよね。

 恐れ多いから? いえいえ、そういう訳ではありません。さっきも言いましたが妖怪に近いですからね。フランクでも威光は出せるものなんですよ。守矢神社に来ていただければ分かります。

 彼女も大概人当たりは良いんですよ。私も何度か会いましたが、気さくで明るく、可愛い方でした。

 

 では何故かというと、彼女、厄神なんです。

 

 厄神っていうのは、何ていいますかね。人々から不幸を引き受けて、幸せを守ってくれる神様です。雛人形を考えてもらえれば分かりやすいでしょうか。

 そんな彼女が何故避けられているかというと、雛さん自身が自ら引き受けた不幸にまみれているからです。

 

 雛人形も本来は行事が終わる毎に捨てる物だとよく言われますが、あれは置きっぱなしにするとせっかく雛人形にくっつけた厄が、元に戻るからなんです。

 

 そういう訳で使用済みの人形は川に捨てたりしますが、雛さんはそれに付いた厄を引き受けます。雛さんは一人きりで替えがききませんから、厄を溜め込むばかりだという事です。

 

 ・・・・・・長々と話してしまいましたが、要するに雛さんは人の不幸を最終的に留める役目に収まり、近づくとその影響を受けるからと皆に敬遠されています。山でももっぱら一人で静かに過ごしていますね。

 

 ・・・・・・ただ、何ヵ月か前は少し違いました。彼女の傍に居たいという人が、一人いたんです。前は、というのは・・・・・・

 

 あ、お待たせしました。順を追って話していきますね。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・以前、雛さんに恋をしたという天狗がいたんです。なんでも物憂げな表情で川辺に佇む姿に一目惚れしたんだとか。

 当然、周囲は止めました。物理的に近寄るだけでも不幸を受けるというのに、心理的にも近付こうだなんて、今まで誰も考えやしなかったですから。

 それでも彼は折れませんでした。今行動しなければ一生後悔する、なんて月並みな台詞を言って、雛さんを探し回ったのです。

 

 そして雛さんを見かけるなり呼び止め、いきなり告白しました。私もその時は傍で見ていたのですが、雛さん、面食らっていましたよ。

 結果は当然、断られました。初対面という理由もあったでしょうが、何より雛さんが関わりがたい存在だというのは自他共に認める事実でしたから。

 

 しかし、彼は諦めなかったのです。仕事ぶりや外見に磨きをかけ、折りを見ては雛さんに会いに行き、友達からでもいい、どうか僕と付き合って下さいと頼み込んだのです。

 勿論その間、何事も無くはいられませんでした。ある時は野良妖怪に襲われ、ある時は毒虫が家の中に入り込み、またある時は巫女に誤解を受けて追いかけ回され、散々な事が続きました。

 それでも彼の告白は勢いを失うどころか、ますます熱意を増していきました。もしかしたら度重なる不幸がかえって彼を燃え上がらせたのかもしれません。恋は盲目、並びに障害がある程たぎると言いますから。

 

 そうこうしているうちに、雛さんも根負けして天狗の告白を受け入れました。彼女も独りでいるのが寂しかったのでしょう。めげずに好意を伝える天狗は、もしかしたら初めて愛しく見えた相手だったかもしれません。

 天狗の方も、念願かなって大はしゃぎしていました。雛さんに何度も確認し、何度もお礼を述べ、数日間で辺りの同僚にのろけまくまったと聞きました。

 第三者から見たら多少どうかと思う行動ですが、当事者二人には些細な事だったようです。それから仕事場に迎えに来たり休日を共に過ごしたりと、今までの厄神としての暮らしが嘘のように華やかに二人でやっていました。表情もウキウキとして明るく見えることが多くなり、すれ違うと挨拶を自然にするようになったといいます。

 そんな風に二人はいつしか、物好きで稀有なカップルとして山の人々に知れ渡っていきました。

 

 ただ、良いことばかりではありません。天狗は仕事場で、関わって不幸が付いては堪らんと避けられるようになりました。たまにからかってくる同僚を除けば、皆が遠巻きに、腫れ物に触るように仕事をする。気安い会話が出来る相手はどんどん減っていきました。もしかしたら嫉妬もあったのかもしれません。

 

 それだけならまだ耐えられたかもしれません。しかし、雛さんと付き合ってからというもの、天狗の身には今までにも増して凄惨な不運が立て続けに起こりました。

 

 家に雷が直撃する、山で道を踏み外し大怪我をする、貰ったばかりの給与を全額引ったくられる・・・・・・・・・。

 更には仕事場でも、何人も大病を患ったりボヤ騒ぎが起こったり、自分達だけの問題では済まなくなってきました。

 

 とうとう、天狗は雛さんにある相談を持ちかけました。同僚がひどい目に遭い始めたのは自分達が付き合ってから。しかし原因は『一人』なのです。今からでも雛さんと付き合いを絶てば、被害は最小限に抑えられる。

 天狗は額を擦り付けるように頼みました。本当にすまない。別れてくれ。僕も周りも、もう限界なんだ、と。

 雛さんはしばらく悲しい目をして天狗をじっと見つめました。弱々しい背中。頑なに下を向いたままの顔。その表情を自分から確かめようとする意欲は、その時の彼女にはありませんでした。

 やがて、彼女はこくりと頷きました。

 

『分かったわ。顔を上げて』

 

『本当か!?』

 

 向き直った彼の表情は、あからさまにホッとしたものでした。目には光がなく、まぶたには隈が浮かび、愛の言葉を口にした時の覇気はどこにもありません。

 精一杯の作り笑いを浮かべてお礼をいう天狗。そんな彼に雛さんは作り笑いで返し、ふと言いました。

 

『この際だから、あなたに付いてる厄も全部取ってあげるわ』

 

『え、あ、ありがとう』

 

 雛さんが手を差し出すと、男は拍子抜けしてその手を取りました。その瞬間・・・・・・

 

 ネジの切れた人形のように、天狗が倒れました。

 突然床に体を投げ出し、眠るように・・・・・・。それからはピクリとも動かず、しばらくしたら冷たくなってしまいました。

 彼の人生は既に、死ぬまで厄がつきまとう運命にありました。だから厄を取り除いた途端、命そのものを投げ出すに至ったといいます。

 その事を雛さんが予想出来ていたのかは知りませんが・・・・・・。本当に "一生後悔する" よりはマシだったのかもしれませんね。

 

 

 

 

 ・・・・・・それから、雛さんは間もなく元の生活に戻り、天狗達も皆『やはりこうなったか』と言い合って、死んだ天狗は忘れ去られていきました。今では、この事を話す人は滅多にいません。

 

 ・・・そうそう、大事な事を忘れていました。厄神って、話を伝え聞くだけでも悪影響があるんです。皆さんもどうかお気をつけ下さい。

 

 え? どういう意味、ですか? 分かりません?

 

 これ、雛さんに直接聞いたんです。本人しか知り得ないような事がちょくちょく出てきたじゃないですか。

 なんでも彼女曰く、好意を寄せる者をこれ以上出さない為にも、この話を広めてくれというのです。仮に不幸に見舞われたとしても、実際触れ合うより数段安全だからと。

 ・・・・・・悪く思わないであげて下さい。噂を広めるのが、そしてあの時天狗の命を奪ったのが私怨混じりだったとしても。

 どのみち、悲しい話に変わりないじゃありませんか。

 

 私の話は終わりです。ありがとうございました」



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六周目・四話目-鬼人 正邪

なんか自分の中で正邪が狂気を孕んできた。


 「私は鬼人 正邪だ。四話目は私がやるんだな。まあ、退屈させない程度に頑張るよ。

 

 阿求、アンタすごろくをやった事あるかい? サイコロ放って、出た目の数だけ進んで競争するんだ。知識としてはまあ、知っているだろ?

 外の世界にさ、それを人の一生に例えたゲームがあるんだ。出た目によって金のやりとりがあったり、結婚したり荒れ地に引っ越したり、イベントがそれぞれ現実の人生になぞられてある。時々変な事件が起きたりすんだがよ。

 

 私が言うのもなんだが、ありゃ良く出来てるぜ。サイコロの目が小さくとも、思わぬラッキーがあったり、逆に出た目が大きくともまさかと思う落とし穴があったり、一筋縄じゃいかないんだ。

 仕事選びで就職後のコースが丸っきり変わっちまったりする。そうなりゃどんなに頑張って前に進もうとしても成果がまるで違ってくるんだ。もし私が作るなら、スタート地点から裕福な出身のコースと貧乏人あがりのコースで分けるんだがなぁ、はははは・・・・・・。

 

 おっと悪い悪い。別に私は人生がどうとか大袈裟な事を話すつもりは毛頭ないんだ。ただ、真っ直ぐ進もうとして必ず上手く行くとは限らない、って事さ。

 

 ひねくれた見方? いや、私だって何の根拠も無しに言ってんじゃない。実際に考えさせられる事件があったのさ。

 

 今からお話しするよ。ちょいとだけ "不運だった" 男の話を・・・・・・

 

 

 

 

 里に、二人の兄弟がいた。

 兄の方は真面目に育ち、周囲も良くできた若者だと口々に言う、人徳のある青年。

 ところが弟の方は、どうにもだらしなく育って仕事もいい加減。兄と比べてお世辞にも性格が良いとは言えなかった。

 

 それだけならまだ良かった。時々、似ても似つかないなんて陰口を叩く奴は居たにせよ、二人とも気にしちゃいなかったし、お互いに一人立ちして稼ぐ程度は出来ていたしね。

 

 ただ、ある時から弟が少々、酒にはまり始めた。

 少しだけと飲み出した酒が毎日少しずつ増えていって、いつしか毎日毎時間毎分、アルコールを手放さなくなっちまった。ま、自制心に欠けていたって事さ。

 兄は何度も訪ねては注意したんだけど、てんで聞かずに流されるばかり。家の中の酒を没収してもいつの間にか買って飲んでしまう。それどころか里を回る薬売りまで折を見て口を出したんだが、それでもダメだった。

 

 かくなる上は強行手段に出なければ取り返しのつかない事になる。そう考えた兄は、永遠亭に入院させてしばらく根本的に治療させようと考えた。ちょうど永遠亭から出向いている薬売りと顔を合わせては溜め息をついていた頃さ。

 

 兄は薬売りに協力を頼んだ。二人で立てた作戦はこうだ。

 

 まずは二人で家に押し掛け、一応入院を勧めてみる。聞かなければ二人で取り押さえて放り込んでしまうというものだ。

 やり過ぎに思うかも知れないが、念には念。目立った症状が出ない内に治した方がお互いに得だろうと考えての事だ。

 

『すまん、このまま放ってはおけないからな!』

 

 かくして弟は永遠亭のベッドに押し込まれた。あ、言っとくけど説得は無駄だったよ。

 

 それからは退屈な生活が始まった。しばらくは酒から引き離して個室に入れられ、慣れてくれば生活リズムを揃える為にも掃除や洗濯なんかの手伝いをやらされる。出される食事は味気ない病院食さ。酒とそれに合う高カロリーの食物を食べながら気ままに過ごしていた弟には、不満だらけの日々だった。

 立地が竹林だもんで、知り合いなんか来やしない。永遠亭の主も無愛想なもので親しくする様子はなかった。淡々と日課の検査をされ、業務に戻り、暇があれば訳の分からん研究に没頭する。

 愚痴を吐ける相手といえば、見舞いにくる兄くらいだった。しかしそれも薬売りに同伴してもらっての事だったから、下手な事は言えなかったらしい。

 いつも仏頂面の弟に、兄は会うたびに

 

『元気か? 治るまでつまらないだろうが、勘弁してくれよ』

 

と謝っていた。

 

 その内そんな兄に、薬売りと一緒にもう一人くっついてくる奴が増えた。

 

 因幡 てゐ。永遠亭に住み着いた長生きの兎だ。多分竹林を歩く中で出会ったんだろうが、弟が初めて見た時からとても上機嫌でついてきていたらしい。

 それはそれは兄を好いていたようで、初めは薬売りと兄の三人で見かけていたのが、次第に薬売りの方が気まずくなり、里に迎えに行く役目をてゐに任せたりする程だったという。

 てゐって奴は、聞く所によれば悪知恵の働く生意気な奴だったと思うんだが、兄の心が広かったのかてゐの態度が特別良かったのか、多分両方かね。わりかし仲良くやれていたみたいよ。弟からすればますます愚痴を溢す余地は減ったんだが。

 

 それはそれとしても、気兼ねなく回復に専念出来る恵まれた環境にいた弟。だけど、それでも充実感ってのは得られないものでね。仕方ないんでてゐの毎日はしゃぐ様子に耳を傾けていた。そんなもん第三者が聞いても楽しいか知らないが、無いよりはマシだったんだろう。

 さぞかしラジオの如く喋りまくったんだろうねぇ。女って好いた男の前では本当に態度が変わるからさ。

 

 そんな事を続けていたある日、気になる言葉が耳に入った。弟が廊下を掃除していた時、向こうから兄とてゐが並んで歩いてこんな会話をしていたんだ。

 

『本当に良かったのかな、あんな大金・・・・・・』

 

『大丈夫だって。持ち主はもう仏だろうし、使うのがせめてもの供養だよ』

 

 大金、その言葉に弟はピクリと反応した。生まれてこの方謙虚だった兄からそんな言葉を聞くのは珍しかったから。そしててゐの口ぶりから使う権利は兄にあるらしいとも感づいた。

 

『・・・・・・ありがとう。ちょっと永淋先生に薬貰ってくる』

 

 兄はてゐと一、二言交わしてから、曲がり角に消えていった。弟はその隙を狙って、てゐにさっきの事を詳しく尋ねた。大金がどうのと言ってたが、何かあったのかと。てゐは一瞬白けた顔をしたが、渋々こう話してくれた。

 

 聞けば、兄が例によっててゐと永遠亭に向かっていた途中、金が詰まった荷物が落ちていたんだそうだ。竹林では迷ったまま亡くなる奴も多くて、兄も悩みながら拾ったんだと。

 弟は驚いたが、てゐは大袈裟だと笑った。なんでも彼女には幸運を招き寄せる力があって、傍にいると良いことがよく起こるんだとか。

 弟は思わず羨ましがったけれど、てゐはそんな彼を鼻で笑い、嫌みったらしく一歩離れ、しっしっと追い払う仕草をした。

 

『言っとくけど、アンタとプライベートでの付き合いはゴメンだよ。アイツだからこそ私も嬉しいんだ。

 ありゃ本当に見所があるね。大国主様に次ぐ魅力だ。私が五百年も若けりゃ、放っておかないんだけどなぁ』

 

 前段と後段の言い様の差に、弟はゲンナリと肩を落とした。てゐはそんな弟の肩を叩き、投げやりな調子で言う。

 

『まあ、アンタもここに長くいるんだ。そのうち一回位は良いことがあるんじゃないの?』

 

 しょげたままの目付きで顔を上げる弟。するとちょうど目線がてゐとぶつかった。てゐは少しだけ真剣な顔になると、弟の鼻先にびっと指を突きつけて言った。

 

『いつまでも甘えるんじゃないよ。兄貴は、アンタの為に疲れを取る薬まで使ってんだから』

 

 そこまで言って、背後で足音がした。兄が戻って来たんだ。てゐは途端に顔色を明るくして兄に駆け寄った。

 

『用事は済んだかい?』

 

『ああ、今日は大事を取って帰るよ。お前も、無理はするなよ』

 

 兄は笑顔で声をかけるとてゐに案内されて廊下の先に消えた。てゐは背中越しでもウサギのように跳ねてウキウキとし、兄はその影のように細く、痩せて見えた。

 

『無茶はしないでくれよ。幸運の後には不運が付きものだ』

 

 そんなてゐの忠告が、微かに聞こえ、遠くなっていった。

 

 てゐに言われた叱咤は、その様子を見ても当て擦りや意地悪ではなかった。気に入った男の弟に向けた心配もあったろう。

 けど、所詮他人にそんな事を言われても心に響くものじゃない。弟の頭には兄の授かった "幸運" 、そのおこぼれの事で一杯だった。

 

 

 また日が開いて、兄が見舞いに来た日の事だ。てゐや薬売りが席を外したのを見計らって、弟は兄に話しかけた。

 

『なあ、竹林で金を拾ったって本当か?』

 

『ん・・・ああ、この前な』

 

 兄は嘘も下手だった。金絡みの話なんてろくなもんじゃないだろうに、あっさり白状したんだ。弟は食いつくように顔を寄せた。

 

『いくら? 大金って本当か?』

 

『・・・・・・三十万くらいか。拾うにしちゃ十分過ぎる』

 

 弟の勢いに押されてか、兄は歯切れの悪さを見せ始めた。それでも弟は不遠慮に質問を続ける。

 

『すげえ! なあ、何に使うんだよ、俺にもくれるんだよな!?』

 

 お預けされた犬のごとく目を輝かせる弟。すると兄はさっと目を曇らせ、目をそらした。いかにも言いにくいという仕草に、弟はふと眉をひそめる。演技も隠し事も慣れていない兄の事、良くない話だとすぐ想像した。

 しばしの沈黙の後、兄が愛想笑いしながら口を開く。

 

『もう半分以上、お前の入院費に充てちゃったんだ。ゴメンな』

 

 永遠亭は良心的な価格でやってはいるが、それでも長い間世話になれば金もかかる。

 ましてやこの兄弟は兄一人しか稼げなかったし、弟は貯金なんて柄じゃない。これ幸いと医者に支払ったんだ。表は愛想よくしていても、兄も薬を買っていた辺り辛かったんだろう。

 弟は自分の為にとただで金を貰ったようなもので、本来なら感謝すべき立場だ。それでも、思わず跳ね起きて怒気を露にした。

 

『なに!? 何でそんな勝手な事した!? 俺は何も聞いてねえんだぞ!』

 

『仕方ないんだよ。ただでさえ待ってもらった状態だったし・・・・・・。相談したら、多分反対しただろ?』

 

 弟にしてみれば降って湧いた金なぞは自分の楽しみに使う物と決まっていたんだろう。今のつまらん生活を続ける為じゃない。

 兄もそれを分かっていたから、なるだけ穏やかに言い聞かせた。

 それでも弟は収まらず、終いには何を思ったか兄をはね除けて病室を飛び出した。

 

『おい!?』

 

 兄は慌てて追いかける。複雑な永遠亭の中を走り回り、追い付いたのはもう門の前だった。後ろから肩を掴むと、弟は鬱陶しげに振り返る。

 

『何考えてんだよ、勝手に出歩いて!』

 

 流石の兄も呆れていると、弟は手を振り払って、こんな事を言い出した。

 

『今から兄貴の家に行く。本当は隠してんだろ?』

 

 兄は一瞬呆気に取られた。自分ではこんな疑われ方は想像していなかったから。その間にも弟はズンズンと先を行く。兄は取り乱しそうになりながら追いかけ、叫んだ。

 

『ちょっと待てよ、俺が嘘ついてるってのか!?』

 

『ああそうとも、口でなら何とでも言えるさ』

 

 弟は聞く耳を持たずに吐き捨てる。兄は息急ききらして弟の前に回り込んだ。

 

『待て、とにかく今は戻れ。金は退院したら残りを全部やる。だから・・・・・・』

 

 兄は焦る気持ちを抑えて必死に頼み込んだ。その時はどうしても出歩かせる訳に行かなかったんだ。何の力もない人間が、人里以外をうろつく危険は死に直結するから。

 けど、弟はいまいち緊張感に欠ける顔でこう言った。

 

『離せよ、今度は俺に幸運が回ってくる番なんだ。じっとしてたら逃しちまうよ』

 

 いつかてゐが言った言葉、それが弟を増長させていた。心のどこかで、死ぬわけがない、それどころか外に出れば兄以上の棚ぼたが舞い降りるだろうと。兄を疑う気持ちも相まって、見返して笑ってやろうと都合の良いビジョンばかり浮かんでいた。

 

 兄の方は幸運とやらの意味がよく分からず、困惑しながら固まっていた。それに苛立った弟はまた心ない台詞を吐く。

 

『大金を他人の為にポンと使うもんか。俺が兄貴の事いつでも信じると思ったら大間違いだぜ』

 

 その一言で、兄が切れた。丸出しにしないよう気を使っていた心配と怒りと疲れが、一気に噴出する。

 

『何だその言い草!! お前は誰の弟だよ!? お前だけの命じゃないんだぞ!!』

 

 恐らく本心から出た言葉だったろう。そう確信させる程に大きく、力のある声だった。弟も気圧されて肩が跳ねる。

 一瞬、兄が息をつき脱力する。けど、この大声は弟を止める以上に最悪の結果を招いてしまった。

 

 ふと、二人の傍からバキバキ、と音がした。重みで竹がへし折れる音。続いて、低く濁った唸り声に、鼻が曲がりそうな獣臭さ。

 

 竹林では、迷った人間を狙う妖怪がウヨウヨいる。大声なんか聞き付ければ、寄ってくるのは明白だった。

 

 二人が錆びた歯車のように振り向く。そこには二人を合わせてもまだ優に越しそうな高さの、毛むくじゃらの妖怪が鋭い牙からヨダレを垂らしながら二人を睨んでいた。

 

『あ・・・・・・あ・・・・・・』

 

 弟は口をパクパクさせ、案山子のように突っ立って震えだした。幸運がどうのと言った威勢はどこへやら、小便を垂れながら汗と涙で顔を歪ませた。

 『死』は、大抵の人間を圧倒する。一人ならまず助からなかったろう。

 

 けど、もう一人の人間が躍り出た。立ち竦む弟の前に、兄が。

 

『逃げろ! 早く逃げろ!!』

 

 弟はハッと我に返り、踵を返して駆け出した。今までどこをどう通って来たかも忘れて、無我夢中で。

 どんどん藪が多くなる。道だと思っていたものが先細っていく。それでも彼は止まれなかった。足を止めたら、すぐ後ろにあの妖怪がいる気がして。

 

『のわっ!?』

 

 不意に、弟の足が沈んだ。踏んだ場所が軽くなり、続いてあっという間に体全部が落っこちる。

 てゐが竹林に作った落とし穴だった。尻もちをついて、戸惑いが一瞬恐怖を上回った、その直後。

 

 穴の向こうから男の悲鳴が聞こえた。声と一緒に何かを吐き出すような、耳をつんざく動物のような悲鳴。

 見なくとも直感した。兄の断末魔。自分を逃がす為に、兄は・・・・・・

 

 弟は咄嗟に耳を塞ぎ膝を抱え、穴の底でじっと震えていた。

 

 

 しばらくして、穴から這い出た弟は、あの声のした場所を目指した。歩く間中、ひょっとしたら、という思考が目まぐるしく浮かんだ。

 

(あれは、兄貴の声じゃ無かったかも知れない)

 

(兄貴だったとしても、死んではいないかも知れない)

 

(そうとも。そうに決まっている。大体兄貴がどんな悪いことをしたっていうんだ)

 

 脂汗が浮かんでも、躓いてひっくり返っても、弟は都合の良い考えを止めようとしなかった。

 そして、藪を抜け、それを目の当たりにする。

 

 ハラワタを引きずり出され、顔は半分にかけ、手足はねじ曲げた針金みたいに齧られ潰された。

 兄の死体。

 

 すぐには認識出来なかった。瞬きして、視線を泳がせて、何度も、何度も確認して。

 やがて諦めて、フラフラと歩き出した。医者なんぞ役に立たない。それでも弟の頭には永遠亭が浮かんでいた。兄へ好意を抱いていた子に、伝えねばと思っていたから。

 

 やがて、その子は向こうから現れた。兄弟を探していたようで、弟を見るなり怒ったような顔で駆け寄る、てゐ。

 

『何やってんだ、こんな場所で!』

 

 てゐは金切り声を上げる。が、ぼんやりと自分を見下ろす弟を見ているうち、怪訝な顔で辺りを見渡した。

 

『・・・・・・なあ、アイツは? 兄さんはどこ行った?』

 

 迷子のように不安げなてゐの顔を見て、弟の顔が微かに歪む。てゐがそれに気づくと、弟は涙の粒をポロポロと溢して、それに釣られるように先程あった事を話した。

 

 

 ・・・・・・あらましを伝え終えた後、弟は気まずさと申し訳無さで土下座すら出来ずに俯いたままだった。対するてゐも心のない人形のように立ち竦むだけ。時間が止まったように目さえ合わせず対峙したまま、段々と日が傾いていった。

 

『以前・・・・・・』

 

 突如てゐが、消え入りそうな声で呟く。弟はびくりと芯を硬直させた。

 

『アンタにも良いことがあるかもって、言ったよね』

 

『ああ・・・覚えてる』

 

 廊下で気休めのように言われた言葉。大して気にして無かったのに、今になって謎の言葉として脳内にざわざわと甦る。

 

『幸運を、アンタは今日使いきった。兄さんが付いていたのが幸運で、向こうにとっては逆だったんだ』

 

『え・・・・・・』

 

『ああ、なんて事だい』

 

 弟は何も言えなかった。代わりにてゐがすすり泣く声が、日が沈みきるまで竹林の一角にいつまでも聞こえていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・善人、賢人、悪人、俗人・・・・・・

 

 世の中色々いるよなぁ。んでそれぞれ色んな人生がある。

 

 実に上手く出来てるよ。何だかんだで釣り合いが取れている。誰かが放り出しても、肩代わりする奴がいる。甘えても、立ち直らせる奴がいる。

 

 この弟もそうだった。この事件以来、見事立ち直ったとさ。今は素行も良いんだと。

 

 てゐがどんな気持ちだったかは分からない。話しちゃくれなかったからな。

 けど、チラッと、運勢を歪める自分の力を恨んでいたよ。『何でアイツが生きるんだ』って、言外に含んで。

 

 兄が助けたからに決まってる。今はどうしているか? 天界に登った? さあ、知らないね。

 

 ・・・・・・なあ、私を見なよ。 "天邪鬼"。

 人間が考えた妖怪だ。悪意そのものみたいな人間がいれば、逆の人間もいる。ただそれだけの話なんだよ。

 感謝? そんなん求めない奴が山ほどいる。

 

 とにかく、世の中そんなもんってこった。この話をどう思おうが勝手だがな。

 ・・・・・・嫌な空気になったな。次の話にいっちまおうぜ」



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六周目・五話目-霍青娥

 「えー、もう私で五話目ですね。霍青娥ですわ。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 突然ですが皆さん、寿命と聞いて、どのような考えが浮かびますか? ここにいる方はまだまだ意識などしていないか、さもなくば悲しい概念、そんな風に考えていらっしゃると思います。

 近しい者の永遠の別れはとてもつらいものです。他人ならば天命だと諦める事も出来ますが、身内ならば心の中の支えが消えるといっても過言ではありません。

 大袈裟に聞こえますか? しかし、一度でも経験するとそうも言えなくなります。心に隙間風が吹き抜けるように、その人が泣いても笑っても戻って来ないという事を、否応なしに実感するのです。

 

 ここで皆さん、仙術をやってみませんか? 不死をも可能にする魅惑の力、大好きな方と修行したらそれこそ二人で永遠の時を・・・・・・・・・。

 冗談ですよ。

 

 しかしこう言っておいてなんですが、そう寂しいばかりでは語れないのも事実です。

 なんせ人間の寿命は短いですからね。死人に権利はないとばかりに遺してくれたものを搾り取り、後は放ったらかしなんて話をよく聞くのです。その姿を死体を漁るハゲ鷹だなんて形容する方もいますが、私はピンと来ないのですわ。

 

 あれこそ人間。死に心の底では怯えて少しでもこの世の享楽を貪ろうとする、浅ましい本来の姿です。仙人になってみて、多少は冷めた目で見れるようになりました。今はもう笑い話としてさえ躊躇いなく披露できますよ。

 

 その中でも飛びっきり愉快な話をいたしましょう。大丈夫。あなた方には身に積まされる事など欠片もないでしょうから・・・・・・・・・

 

 

 

 

 ある日、太子様と一緒に人里に繰り出した事がありました。特に目的もありませんが、お互いブラブラしながら人々の生活に目を通すのが好きだったのです。

 しばらくは挨拶してくる子供たちと戯れたり、甘味処で新商品に舌鼓を打ったりと呑気に過ごしていたのですが、夕暮れに差し掛かった頃でしょうか。

 街道で声をかけられたのです。

 

『やあ、そこにいるのは太子様と仙人様ではございませぬか!』

 

 いやに上機嫌な声に振り向くと、人間の中年の男が早足で駆け寄ってきます。今までもままあったように有名人に会って無邪気に近付くような・・・・・・いえ、むしろ目的があってそれが叶いそうだと歓喜しているような、煩く光るような風情のない笑顔を浮かべておりました。

 

『何かご用でしょうか』

 

 ただ、私の印象はともかくも、太子様は流石の冷静さ。負の感情の欠片も見せない菩薩の如く笑みを浮かべて応えます。

 

『急に呼び止めてしまい、申し訳ありません。実は以前より、どうしても貴殿方に会って頂きたい方がいるのです』

 

 男の方もさるもので、およそ庶民には似つかわしくない文句をスラスラと述べます。『どのような方でしょう』と聞くと、男はペコペコと憐れな仕草を交え、表情をころりと悲しく一変させました。

 

『私の父親なんです。寄る年波には勝てず、年々体を弱らせております。どうか有難いお言葉の一つでも、かけていただけませんでしょうか』

 

 男の台詞はますますスラスラと、芝居がかってさえいる口調で続けられました。そこに何か胡散臭さを感じて太子様の方を見ると、やはり私にチラリと、白けた目線を向けていました。

 しかし男はそれに気付かないのか、卑屈な笑みを張り付けながら太子様の機嫌を伺っています。太子様が『分かりました。どうぞ喜んで』と答えると、喜び勇み小走りで私達を案内しはじめました。

 

 いくらか里を歩き、やがてありふれた長屋よりは相当大きな屋敷が見えてきました。所々古臭くて年季が入っていましたが、探せば目ぼしい物が見つかりそうです。

 

『さあさあ、こちらへ』

 

 導かれるままに上がり込むと、廊下の向こうからご夫婦とおぼしき男女が歩いてくるのが見えました。最初に会った男よりは幾分若く、子供などの近い間柄にも見えません。

 

『あ、こんにちは』

 

『お邪魔します』

 

 夫婦はこちらを見るとにこやかに挨拶してくれたのですが、男とは一言も喋ることなく、それどころか憎たらしそうに睨みあって去っていきました。

 不思議に思ってしばし背中を見つめていると、男がまた『さあさあこちらへ』と急かすように言いました。

 

 しばらく長ったらしい廊下を歩いていると、奥の小ぢんまりした部屋に通されました。男が襖を開けると、布団に寝かされた一人の老人がいました。

 

 その人は白い髭を蓄えたお爺様で、簡素な白い着物の下には痩せ衰えた体が覗いています。

 部屋をそれとなく見渡すと、一見高価そうな壺や掛け軸があり、貧しさとは無縁で満たされたように見えます。服や布団、部屋も隅まで清潔で、最初は慕われている方なのだと思いました。

 しかし、少し経つと部屋の奥から陰気な、冷えた空気が漂ってきます。表情を観察すれば微かに開いた目には光がなく、警戒したように男と私達に視線を泳がせていました。

 

 男の芝居がかった態度といい、さっきの廊下で会った夫婦といい、この家で会った人々にはどこかギクシャクした、素直に触れ合えていないような印象がありました。

 

『御父さん、里で噂の道士様です。きっと気持ちを穏やかにして下さいますよ』

 

 そう言って男は老人の脇に座り、しかし老人本人には目もくれずに私達に頭を下げました。

 

『お願いします』

 

 御父さん、と呼ばれた方は一言も喋りませんでした。ただ、顔だけをこちらに向けて仏頂面をするばかりです。

 

 男の媚びた雰囲気、裕福そうな大きな屋敷、仕草から見えるよそよそしく冷たい空気、目の前の見るからに寝たきりの老人とそれを丸っきり無視する男・・・・・・

 

 点と線が繋がり、男がどういう目的で自分達を招き入れたのか、段々と見えてきました。恐らく死にそうな老人を前に遺産の取り合いでもしていたのでしょう。私達が死ぬ前に有難い説法でも聞かせればさぞ好印象だろうと、さもしい計略をしたに違いありません。

 

 私はつまらぬ時間を使ったと後悔していました。神妙な顔でいる振りをして、いっそ目の前でくたばれば面白いのに。そんな風に考えておりました。

 太子様も色々とその時点で察していたとは思いますが、嫌悪の色などおくびにも出さずに仏教の死生観など説いておりました。

 

 その中身を今ここで解説するつもりはございません。一つ言えるとすれば、欠片も心に響いてはいなかっただろう、という事ぐらいです。

 

 ともかく話を終え、男の相変わらずペコペコするお礼を流して屋敷を出た頃には、すっかり日も暮れていました。

 

 里から仙界へ入り口をくぐり、周りに誰もいなくなった所で、太子様と自然に顔を見合わせました。二人とも顔をしかめ、不機嫌です。

 最初に口を開いたのは私の方でした。

 

『・・・・・・あの方、舐めた真似をしてくれましたわね』

 

『物騒なことを言うものではありません』

 

 口では窘められたものの、太子様の口調にも刺々しさが混じっておりました。肉親を道具のように利用したり、自分達を安い目的のダシに使ったことは間違いなく不興を買ったと見えます。

 私は言葉を選んだ上で、あの男に戒めを送るように、こう焚き付けてみました。

 

『太子様、しばらくあの家を見張りませんか?

 万が一身内の揉め事などで私達の名前を出されては、名誉に傷がつきます』

 

 太子様が私の意図に気づかなかった、という訳ではないでしょうが、それでも表情は穏やかに、しばらく沈黙した後に小さく頷きました。

 

『・・・・・・良いでしょう。私の説法がどの程度の意味があったのか、見届けるのもまた一興』

 

 あくまで男の無粋な目的を見抜けない振りをして、太子様は笑っていました。

 

 

 ・・・・・・それから、里をいつものように歩きながらあの屋敷をこっそり観察する日々が始まりました。しばらくは屋敷から不機嫌そうな人が二、三人出入りするだけだったのが、やがて老若男女がぞろぞろと纏まって訪問するようになっていきました。恐らく死期がとうとう近づき見舞いと称して遺言を聞き出そうとした、そんな所でしょう。

 表向きは愛想よく接したのかも知れませんが、ろくに動かない自分の周りにワラワラと集まる面々は、お爺様にどう見えたのでしょうねぇ。

 

 ともかく、私達は遠巻きに屋敷を見張るに留めました。お爺様に会おうとする人々の心中には興味があり、特にあの男がどんな面で過ごしているのか知りたくはありましたが、ただノコノコと顔を出すだけではまた卑屈に取り繕い、喜んでみせるに決まっています。

 本心が少しでも露になるタイミング、狙っていたその時は案外すぐにやってきました。

 

 ある日、屋敷の周りにはいつもと違い人だかりが出来ておりました。誰も彼も黒い服を着て、よく見れば頭を丸めたお坊さんと喪服の大勢の方々がごった返しています。

 お葬式でした。ちょうど解散の時間だったのか、人が少しずつ散って帰路についてゆきました。

 その中には、帰る人々に頭を下げるあの男も。私達は顔を見合せ、早速偶然を装って男の前に現れました。

 

『お久しぶりです』

 

 男は私達の顔を見ると一瞬キョトンとし、すぐにあからかまな作り笑いで駆け寄ってきました。

 

『おお、太子様と仙人様! いつぞやはありがとうございました!』

 

『この度は御愁傷様です。すぐに駆けつけられたら良かったんですが・・・・・・』

 

『いえいえ滅相もない! 御父さんも喜んでおりましたよ。安らかな最後でした』

 

 喜んでいた、そんな訳はないと思うのですが、私はハッキリとは指摘しませんでした。自分から場を悪くするつもりはありません。ですのでさり気なく、首を傾げてみせました。

 

『そうですかねぇ、お役に立てました?』

 

『勿論です! 連れてきてくれてありがとうと言っておりました。

 遺産も私に殆ど譲ってもらえて・・・・・・』

 

 案の定、聞いてもいない遺産の事を喋ってくれました。ご本人が亡くなって気が抜けていたのでしょう。思わず金銭欲を表に出したその時、表情も確かに人の良い仮面が剥がれ、どす黒い私欲が浮き出ていました。

 

 さぁて、これでコイツは悪人確定だ。そう思って隣の太子様にしてやったりと振り向くと、太子様はいつの間にか黙って俯いておりました。

 私ばかり喋っていたので気づきませんでしたが、太子様はお気に入りの耳当てを触りながら、騒音を煙たがるようにじっとしていました。

 周りは参列者で多少賑わってはおりましたが、そこまで気にする程ではありません。それに彼女は人前で急に黙りこくってしまうなんて、あまりする人ではありませんでした。

 

『太子様?』

 

 

『あ、ああ』

 

 そっと呼びかけてみると、太子様は戸惑った様子で生返事をし、男に頭を下げました。

 

『このような日に長居も何ですから、そろそろ失礼いたします』

 

『へ? はい。・・・どうも』

 

 男も若干不思議そうにしていましたが、太子様は私を引っ張ってスタスタと去っていきました。私はいよいよ男に鉄槌を下せるとワクワクしていたのですが、どういうつもりなのかイマイチ分かりません。

 人の居ない場所まで一言もなしに歩き続け、太子様は急にクルリと振り返りました。その顔は相変わらず、不快に感じさせない冷静な笑みが浮かびます。

 

『明日、また来てみますか』

 

 来てみる、それだけなら単なる訪問です。もっと思い切った事はしないのか、そう訪ねようとした私を、太子様は手で制します。

 

『まあまあ、その内分かりますよ』

 

 いやに穏やかな、未来でも見通すような言い方でした。私はつまらないと思いつつ、その日は何事もなく床につきました。

 

 ・・・・・・しかし、その不満は明日になり、すっかり消え失せました。

 

 ちょうどあの葬式の日の夜、例の屋敷で大火が起こりました。あの男の家族含め、都合が合い通夜に参加していた人々、全員が焼死したんだそうです。

 里に行った時に見た焼け跡は凄惨なものでした。どれ程栄華を極めようが、呆気なく価値が無くなる事があるのです。

 

 しかし、驚きはそれだけに留まりません。里の人に聞くと、私達と話していたあの男が、ただ一人逃げ出したというのです。里の端の、貧民窟の方に走って行ったといいます。

 ただ、教えてくれた住人はそこまで言うと口をつぐみ、どうにも言いにくそうな顔でこう仰りました。

 

『でも、会わない方がいいと思うなぁ、あれは・・・・・・』

 

 顔をひきつらせる住人にどういう事かと聞こうとすると、また太子様が笑顔で言いました。

 

『教えていただき感謝します。それでは』

 

 相手の表情など意に介さない様子で、また私を引っ張って里の寂れた方に歩いていきました。今度は火事の手前、黙ってついてゆきます。

 しかし、いったい太子様は男が生きていたのが嬉しいのだろうか・・・。飄々とした背中を見ながら心中を掴みかねていると、ふと前方から声が聞こえました。

 

『あー・・・あー・・・』

 

 確かにあの男の声です。しかし妙に間延びした、震える情けない声です。

 何事かと思い太子様の肩越しに目を凝らしました。すると見えたのです。

 

 あの男が、所々焦げたぼろ切れを身に纏い、舗装もされていない雑草だらけの道端に座り込んで。

 

『あはは・・・おはよう、今日は寝坊したな。通夜、お疲れ』

 

 道端に小銭を並べ、それに話しかけていたのです。火事の時に持ち出していたのでしょうか。男が着物の袖から掴んで取り出し、焦げた穴からもチャリチャリとお金がこぼれ落ちていきます。

 しかし男は気にせず、小銭をつまみ上げては人形に話しかけるように、言葉をかけては笑っていました。

 見ない方がいいと言われた理由が分かりました。

 

 

 それから連日、その男を観察してみました。妄想は収まるどころかエスカレートし、五十銭を見ながら『飯はまだか』と言い、一銭を見ながら『寺子屋は楽しいか』と言い、五厘を見ながら『やあ、おねしょは卒業だ』とはしゃいでいました。

 時には小銭に紛れていたのかおはじきを取り出して五厘の上に置き、『飴だぞ、大事に食べなさい』と言って、五厘と舐めて無くなる訳もないおはじきを、晩までじっと眺めている事さえあったといいます。

 

 そんなある日、男が追い剥ぎにあった事がありました。おかしくなっていたとはいえ金を堂々と、貧民窟の往来に広げていたのです。遅かれ早かれそうなるのは当然でした。

 それからの男の行動はますます狂気を孕みました。本気で小銭を家族に見立てていたのか、妻や息子二人の名を叫びながら、裸で辺りを走り回りました。私達が見たときには、口からヨダレを垂らし、体はいつか見たお爺様そっくりに痩せ衰え、最初の面影は殆どありません。

 

 一度だけその彼に見つかった事がありました。私達の顔は覚えていたのか、姿をみるや目を爛々と光らせ、フラフラと近寄ってきました。

 私は気味悪くて避けようとしたのですが、太子様が顔色一つ変えず、男と向かい合いました。

 

『あ・・・・・・』

 

 男は不気味ながらも太子様を見るとニッコリと笑いました。皮肉にもあの卑屈な笑みよりもマシに見えましたわ。

 太子様もニッコリと笑い、懐から紙の束のような物を差し出しました。

 

 それを見て仰天しました。百円札です。幻想郷では滅多に見ない大金でした。どういうつもりか太子様は分厚いその束を押し付け、無言で踵を返します。

 あわてて後を追いました。途中で一度だけ、チラリと振り返ると、男は束を掲げ、既に暗くなり始めた里の一角で奇声を上げながら踊り狂っていました。

 

 

 

 

 そして、しばらくして・・・・・・

 

 また二人で同じ場所に行ってみました。果たして男はあのお金をどうしたのか。ひょっとしたら元手にして立ち直るように太子様は願ったのか。色々考えを巡らせながら、あの貧民窟の一角に足を踏み入れました。

 

 ・・・・・・居ました。あの時と全く変わらない場所に横たわっています。死んでやしないかと近づいて覗きこむと、男が大事そうに何かを抱いています。

 あの百円札でした。変わらない分厚さのまま、少しも乱れずに男の手の中にあります。

 

 その気になれば何でも買えたでしょうに、男は枕にしてぐっすりと寝ていました。

 

 怪訝な目でじっと眺めていると、男がフッと目を開けました。ぎょっとしてのけ反りましたが、男の視線はすぐ近くの札束に注がれていました。立ち上がり手を伸ばせば届く距離にいるのに、私達に気づく様子もありません。

 

 男は札束を見たまま、頬がこけた顔で笑うと、消え入りそうな声でこう言いました。

 

『ああ、道士様だ。道士様がいらっしゃる・・・・・・』

 

 そうして、また目を閉じ、手足を力なく地面に這わせました。

 私が何も言えずに突っ立っていると、太子様が呟きました。

 

『バカな人だ。折角のチャンスを』

 

 そう言って、男をまるで無視するように札束を拾い上げました。恐らく、もう死んでいたのでしょう。

 

 太子様は一言も喋らず、表情一つ変えずに立ち去ろうとしました。その背中に、一つだけ聞いてみます。

 

『太子様、何かしたんですか?』

 

 彼女はピタリと足を止め、振り返りました。眉をひそめる私に向けてゆっくりと首を横に振り、耳当てに手を添え、こう答えました。

 

『いいえ・・・聞こえませんか? 怨霊の嘲り嗤う声が・・・・・・』

 

 私にはそよ風の音しか聞こえませんでした。しかし、太子様の顔はいつも通り冷静で、陰りのない完璧な笑顔に見えたのが、ずっと記憶に残っています。

 

 

 

 

 ・・・・・・あの出来事が、果たして死んだ老人の祟りだったのか、まだ私には分かりません。

 

 ・・・・・・しかし、皆さん覚えていますか? あの男とその家族以外にも、里には一族の方々がまだ生きているのです。

 

 本当なら巫女に伝えねばならないのでしょうが・・・・・・。言っていませんよ。これから果たしてどうなるのか、興味がありますから。

 

 これで私の話は終わりです。次で、六話目ですわね」



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六周目・六話目-レミリア・スカーレット

元ネタの質問が、調べたら二十個近くあった・・・・・・。そしてレミリアの詰問を描くうちに某岩下さん臭が漂う。


 「とうとう私で六話目ね。まずは自己紹介しときましょうか。レミリア・スカーレットよ。

 紅魔館という屋敷で当主も務めているわ。皆で集まるって嫌いじゃないから、これを機に親交を深めてあげても良いわよ。

 

 それにしても、七人目は遅いわね。ドタキャンする気かしら? 約束は破るものじゃないでしょうに。

 

 ・・・・・・まあ良いわ。先に始めちゃいましょ。私のさっき言った紅魔館なんだけど、色んな部屋があるのよ。エントランスからリビング、食堂、住人の居室は勿論のこと、中庭に屋上、時計塔に地下室まで、掃除も行き届いていつでも気分に応じて楽しめるの。

 それとね、図書館。地下にあるんだけど、これがまたとてつもない広さ。そして本の数。私の友人とその部下が二人で管理しているんだけど、大変だっていつもぼやいている位よ。

 勿論、内容も流石のモノよ。伝説と謳われた昔の魔術師が書いたものや、今は失われた秘薬の作り方、魔物を生み出す本や外の世界の呪いの本まで、図書館にしか無い本が山程。そんじょそこらの古物商なんかに値はつけられないわ。どっかのコソ泥にあげるなんて、もっての他。

 

 で、今日も一冊持って来たのよ・・・。『呪いの書』。おっと、ここではまだ出さないわよ。何故かって?

 

 ・・・・・・阿求。ちょっと貴女一人で付き合ってもらいたいの。今までのように、由来やら事件やら話して終わりってものには出来ないの。

 ちょっと別室に来てもらうだけで良いのよ・・・。出来るわよね?

 

 ・・・・・・ふふふ。ありがとう。じゃあ皆、ちょっとゴメンね。阿求借りるから」

 

 

 

 

 「・・・・・・ここなら誰にも聞かれる心配はないわ。ふふ、緊張してる?そんなに堅くならないでよ。変なことしようってんじゃないんだから。

 

 これが呪いの書。一見大きさも厚さも普通なんだけどね。ほら、文字読めないでしょ?なんでも古代文字らしいんだけど、私でも何が書いてあるかは分からないのよ。

 

 でも、ある儀式の方法が伝わっているの。そこであなたの協力が必要になるんだけど・・・私の頼みを聞いてくれるかしら?

 

 ・・・・・・え、まずはその頼みの中身を聞いてみたい? 用心深いのねぇ。ううん、良いのよ。怒らないから。

 難しいことを頼むんじゃないわ。この本の表紙に、紋章が書いてあるでしょ? ちょっとそこに手を置いてもらいたいのよ。手のひらをね。簡単でしょう?

 

 ・・・・・・うん、それで良いの。

 

 ・・・・・・ちゃんと置いた? ふふ、置いたわね?

 

 ねえ、最初に呪いの書だって言ったけど、どういう方法で呪うのか、まだ話してなかったわね。

 ・・・・・・この本が呪うのはね、その紋章に触れた人。つまり、あなたよ。

 

 あら、怒った? もう、短気ね。最後まで聞いてよ。呪いを解く方法だって、ちゃあんと知っているんだから。

 これから私がする質問に、答えて欲しいのよ。嘘をつかずに全部正直に答えたら、呪いは防げるわ。

 慌てないで。良いわね? 始めるわよ。

 

 

 ・・・・・・・・・まず、あなた、ちゃんと私の話を信じているのかしら? 本当は疑っているんじゃないの?

 ・・・・・・そう、信じているわね。確認したわよ。じゃあ次。

 

 

 あなたは、今までに嘘をついたことはあるかしら?

 ・・・・・・へえ、あるのね。そりゃそうか、生きていれば誰もが嘘をつく。どんな嘘をついた? 悪ふざけの軽い嘘? その場しのぎの姑息な嘘? それとも人を貶める汚い嘘を吐いたのかしら?

 ま、この場で正直に言ったのだけは誉めてあげる。

 

 

 じゃ、次ね。あなたは、死にたくなったことがある?

 ・・・・・・あら、無いの? 本当に? 随分幸せな人生を送って来たのね。何代も転生してきて、心当たりが無い? へえぇ、結構な事ね。あ、それとも不幸を感じ取れないほど鈍感で馬鹿なのかしら。ああ、多分そうね。決まってるわ。

 あなたは、お馬鹿。これ決定事項。

 

 

 次は・・・あなたは、人を殺したくなった事はある?

 ・・・・・・無い? 嘘はついちゃ駄目よ。殺してやりたいと思った事は無いの?  ふん、信じがたいわね。あなたみたいな頭の固い偏屈な奴、カッとなって誰かを殺めるなんて、いくらでも場面が想像できるけれど。

 ああ、質問が悪かったかしら、殺したくなっただけじゃなく、実際にやるまでがセットなんじゃない? ・・・違う? つまらない。

 

 

 じゃ、今度は、人を傷つけた経験はあるかしら?

 ・・・・・・あるの? そうそう、人間は正直であるべきよ。ちょっとしたことで他人を傷つけるなんて、誰もがしちゃうのよ。それも時には、想像以上に深い傷をつける。

 あなた、今までに毒牙にかけた人々に謝ったんでしょうね? まさかもう過去のことだから大した罪じゃないなんて考えてやしないでしょ?

 いえ、むしろ忘れていたりして。やっぱり一度呪いにかかる方がいいんじゃない? そうしたら思い出すでしょう。あなたの今までに重ねた、無数の薄汚い所業を。

 

 

 次は・・・何よ。怒ったの? 嫌ならやめても構わないのよ。あなたが呪われようが、それこそ死のうが私には何の関係もないんだから。

 怖い? なら早くしなさい。さっさと座って、続けるのよ。質問はまだまだあるんだから。

 

 

 あなた、誰かを裏切ったことは無いかしら?

 ・・・・・・あるの? そうよね。誰だって期待や信頼に応えられない場合がある。自分の利益を考えたら、他人の気持ちを慮り行動するなんて、誰かを背負って山道を登るようなもの。時には裏切るのも無理はないわ。

 

 ・・・・・・なにホッとした顔をしているのよ。いい気になるんじゃないわ。

 あなた、すっかり自分がやむを得ず裏切る想像をしたでしょう。都合の良い奴ね。吐き気がする。

 裏切られた側になってみなさい。あなたが仕方なくだったとして、今度は相手に皺寄せがいくのよ。そして相手は苦しむ羽目になる。あなたのせいで。あなたなんかのせいで。あなたごときのせいで。

 あなたはそんな事許されないのよ。倒れようが、手足が潰れようが、必死に、無様に他人の気持ちを損なわないよう努力すべきなの。

 分かった? 分かったら次に行くわよ。

 

 

 あなたは、人に憎まれていると思う?

早く答えなさいよ。憎まれているか、そう聞いているの。

 ・・・・・・思わない? この期に及んでまだそんな事を言うわけ? 呆れた能天気ね。憎しみっていうのはね、敵を見たらすべからく発生する感情なのよ。あなたと関わって、憎まずにいられた人間がどれだけいると思う? いないのよ。いるわけがないわ。あなた一度くらいは鏡を見て胸に手を当てて考えてみなさい。その出来の悪い脳みそのお陰でどんなに不幸を振り撒いたか、出来の悪い脳みそでも十個は思い当たるでしょう。

 

 

 よし、次ね。あなたは、恨まれていると思う?

 ・・・・・・へぇ、これもNOなんだ。まあ良いわ。正直に答えなくても、私は何も損しないから。

 けどね、そのムスッとした顔が素敵だから教えてあげる。あなたは恨まれているわよ。それも沢山の人々にね。

 恨みを買った覚えが、本当にないの? 道案内を断ったり、酔っぱらいを素通りしたり、雨の日に傘を盗むのを止めたりした事はない?

 ない、ですって? ああ、あなたは恨まれるのも納得ね。ふてぶてしい。自分がどこまで利己的か、例を出してあげても認めないなんて、人としての良心までイカれたのかしら。

 

 

 次は・・・あなた、今まで楽しい生活を送ってきた?

 ・・・・・・送ってきたんだ。そりゃあぁ、そうよねエェ? あんな大きな屋敷に住んで、奉公人に囲まれて、他人の富を吸い上げて膨れ上がった家柄に、貧相なその体であぐらをかいているんですもの。楽しくない、なんて言えばバチがあたるわ。

 せいぜい甘い汁を吸っていたらいいわ。生まれついての肩書きに記憶能力のお陰でちやほやされながら、閉じ籠ってミミズみたいな字で記録をつけて死ねば良い。

 ・・・は? なんですって? 『羨ましいのか?』

 なめた口を叩くんじゃないわ。あなたはただ聞かれたことに答えていれば良いの。

 

 

 今度は・・・人を殴ったことはあるかしら?

 ・・・・・・ない? ふぅん。信じられないわねぇ。いくらあなたが腰抜けのモヤシ娘でチンチクリンだとしても、拳を作ってぶつけるくらい出来そうなものだけれど。

 何も度胸なんて要らないじゃない。使用人にかんしゃく起こしてひっぱたいたりしないの? 立場の違いがあるなら『あなたの為』とか屁理屈こねても怒られやしないわよ。

 ・・・・・・ないんだ。余程の臆病者なのね。カタツムリみたい。

 

 

 そして、・・・あとは、悪いと思いながらも何かをした事はある?

 ・・・・・・あるのね。いくら駄目だって躾されても、犬じゃないんだもの。欲に目が眩んだり、魔が刺したり、いくらでもあり得る話よね。

 悪いと思う程度の理性はあったのね。素晴らしいわ。良い子、良い子。突き抜けた悪にはなり切れないのが、あなたの良いところよ。惨めで間抜けで、卑怯で、おまけに中途半端。何代も転生してようが、所詮は人間ね。見ていて飽きないわ。

 

 

 そいで、お次は・・・

 今までに何かで、後悔したことってある?

 ・・・・・・そっか。あなたでも後悔なんてするのねぇ。何やらかしてきたの? こっそり黒歴史小説でも書いてたの? それとも家の財産を賭博にでも突っ込んだ? 屋敷の使用人と淫らな行いでもしたのかしら。

 ・・・最大級の後悔? 良いじゃない。是非聞かせなさいよ。

 ・・・今まさに・・・私に付き合って? ふん。言うじゃない。でもそういうのは最後まで終わってから言ってもらわなきゃ。まだ聞きたい事はあるんだからね。

 

 

 今まで、虫を殺したことはある?

 ・・・あるの。あなたならさぞかし沢山殺してきたんでしょうね。ハエに蚊は無論のこと、蝶に蛾やトンボなんかも、羽をむしって楽しんだんでしょう。虫だけに。

 ・・・・・・あとはブックワーム、だっけ? アレ虫に入るのかな? まあ良いわ。抵抗できない虫けらを弄ぶってどんな気分だった? あなたは見るからにひ弱だし、そんな時ばかりニヤついているんでしょう。どこかで愉悦感を得なきゃ生きていけないものね。精々ストレス解消しなさいな。

 へ? 馬鹿ねぇ、そんなムキになって嘘をつかなくても、表に出さなきゃ問題ないわよ。みーんな、あなたの青カビチーズを吐き戻して腐らせたみたいな本性を知らないんだから。

 

 

 次、ちょっと例えばの話。もし、あなたに恋人がいたとする。その恋人が死にそうな状況であなたが身代わりになれば助かるような状況だったら、あなたはどうする?

 ・・・・・・身代わりに、なる? ふぅーん。自己犠牲というやつね。まああなたが犠牲になる程度で回避できる危険って何かしらね。聞いといて思い付かない。

 でも考えてみれば、恋人はあなたを死なせた罪を背負うわけよねぇ。どうせ大した危機でもないでしょうに。ああ、そう考えると傑作だわ。その時はいっそ一緒に死ねば良いんじゃない? 恋人は永遠にあなたのモノよ。どうせあなたの恋人なんてろくな奴じゃないでしょうけど。

 

 

 じゃ、次ね。あなたは、盗みをした事はある?

 ・・・・・・無いの? 感心ね。私の館は頻繁にコソ泥が出入りするのよねぇ。毎回逃げられるんだけど、死ぬ時には返してくれるらしいわ。あ、じゃあ殺したら解決するのかな。

 でも、そいつはまだ良いのよ。悪事をしている自覚はあるからさ。厄介なのは、自覚無しに盗む輩よ。

 本人はあくまで全うに生きているつもり。だけど、その実どこかで他人が手に入れていた筈のモノを奪っている。

 ・・・・・・心当たりが無い? あなたに聞いているの。

 無いのね。まあそりゃそうか。相変わらず悪びれない子猫みたいな面をして。

 構わない。自分でも矛盾した事を言ってるのは理解してるわ。

 

 

 次ね。これは大事な質問よ。

 今までに犯した罪に対して、反省している?

 ・・・・・・悪いことをしたとは思っているのね。じゃあ言葉だけじゃなくて、行動で示してもらわなくちゃいけないわよね?

 罪が残した傷痕がどの程度か、決めるのは被害者側なの。だから当然、罪に対しての償いを決めるのも私達なのよ。

 ・・・どういうことか、分からない? まだそんなキョトンと出来る程度には罪の意識が薄いのね。じゃあ一旦、もう一個だけ確認させて頂戴。

 

 

 人殺しをした事はない?

 ・・・・・・・・・無いの? さあどうだか。まあ今更あれこれ懺悔を始めようと、こちらのやる事は決まってるわ。

 この質問が最後よ。

 

 

 ・・・罪を償うつもりは、ある?

 

 ・・・・・・そう、無いの? 悪い子ね。あくまで意地を張る気なんだ。それがあなたの答えなのね。じゃあ・・・・・・・・・」

 

「覚悟しろっ!!」

 

 

 

 

 ・・・・・・突然、頭にガツンと衝撃が走った。視界が暗くなり、体がいとも簡単にくず折れる。

 

 なんだ? 私は頭を殴られたのか? 分からない。ズキズキと疼く痛みも遠のく中、辛うじて感覚が残る耳に知らない声が聞こえた。

 

「やっと始められる」

 

「待ちくたびれたよ」

 

「御阿礼の名は・・・・・・今日で終わりだ」

 

 



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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 プロローグ

※今回、設定上しか登場しないキャラが出たりします。元ネタとなるシナリオがかなり残酷な為、原作キャラのキャラ崩壊を防ぐための自分なりの処置です。
苦手な方はご注意下さい。


 ・・・・・・頭が痛い。

 私はあれから気を失ったのだろうか。後頭部を殴られてからの記憶がない。

 瞼がいやに重い。視界は暗いままだ。ここはどこで、私はどうなっているのだろう。

 

 体を動かそうとすると、ギシギシという音がして体に痛みが走った。この感触は縄だ。膝に擦るような不快感。ふくらはぎから足先は折り畳まれて窮屈なばかり。どうやら今、柱のようなものに縛り付けられ、膝立ちになっているらしい。

 

 なんだ? 私は何をされた。パニックになって身をよじる度に、腕に縄が食い込み、ズリズリと足が畳を滑る。

 いったい誰がこんな事をしたんだろう。気を失うまでのあの出来事が夢じゃないというなら、周りの状況も十中八九ろくなモノではないだろうが・・・・・・

 

 このままでは埒が開かない。意を決して、そっと目を開ける。

 

 

 

 

 

 眩しさが一斉に襲ってくる。顔をしかめて瞬きをすると、段々と視界が色彩を帯びてきた。

 周囲は和室。あの六人が集まった大広間に似ているが、襖の柄など、細かい部分が違う。未だにボヤけた頭ではハッキリと分からないが、見覚えがあった。しかしまだ目が慣れていないのだろうか。やけに目に映るもの達の色がくすんで見える。

 

 そして目の前に、じっと私を見下ろす奴等が五、六・・・八人もいる。うち六人はすぐに分かった。さっき・・・・・・いや、気絶する直前まで顔を合わせていた連中。やはり仕組んでいたのか。

 

 しかし、残りは何故いるのかが思い当たらず戸惑ってしまう。

 

「おはよう、よく眠れた?」

 

 私が何も言わずにいると、金髪をかきあげ、前に進み出る人がいた。

 八雲 紫(やくも ゆかり)だ。今日の語り部を集めてくれた天才妖怪。急に現れたり神出鬼没なのはいつもの事だが、あんな事をされた後だと否応なしに警戒してしまう。

 少しでも離れようと体が勝手に引こうとする。すると頭が柱にぶつかり、ガツンと間の抜けた音が響いた。

 それを見て、紫の隣にいる人物が吹き出した。

 

「何やってんだよお前。まだ寝ぼけてんのか?」

 

 博麗 霊夢(はくれい れいむ)。怪談の場所を提供してくれた博麗神社の巫女。しかし、こんな男の子みたいな口調だっただろうか。表情など私を見下ろして嫌らしい笑みを浮かべ、いつも幻想郷の為にと働く姿とは別人のようだ。

 

「アッハッハッハ! まるで事態が呑み込めてないみてぇだな、養豚場の豚そっくりだぜ!」

 

 後ろにいるレミリアが指をさして笑ってきた。明らかにおかしい。こんな粗野な言葉遣いをする子じゃなかったのに。

 

 まさかお芝居か? 私を驚かそうと口調まで無理をして、壮大なドッキリにでも嵌めようとしているのか? しかし、面々を見渡すと、愉悦の色こそあれ穏やかでは到底ない。引きつる顔に無理に笑みをつくり、目の前の紫に問い掛ける。

 

「ゆ、紫さん、冗談はよして下さいよ。まさかこれが七話目だなんて言わないですよね。

もう十分ですから。縄をほどいて下さい。苦しいですって」

 

 声が震えて上ずった。しかし紫は私の頼みに一瞬鼻白むと、ふん、と鼻を鳴らす。

 

「あなた、まだ分からないの? 怖い話なんてどうでもいいのよ。今までの話も全部でたらめ。

あなた、まさか本気で信じていたの、くくっ、ふは、アハハハハ! これは傑作ね! ほら、皆も笑ってあげなさい!」

 

 紫がそういうと、部屋の全員が声をあげて笑う。大口を開けて白い歯を見せ、おかしくて堪らないという風な大きな笑い声。誰も彼もまるで別人のように、私を見せ物のような目付きで見る。

 最初に感じた恐怖が薄らいで、代わりに理不尽への怒りがふつふつと沸き上がってきた。

 

「ふざけないで! こんな悪趣味な真似、許されると思っているのですか!?

何の目的があって、こんな事を!」

 

 息を荒げて捲し立てる。すると、皆は笑いを止めると顔を見合わせた。そしてレミリアが薄ら笑いを浮かべながら言う。

 

「最初から決まっていた。六人目は誰であれアンタを連れ出して気絶させる。

もちろん理由があっての事さ」

 

「だから、それを聞いているんです!」

 

 レミリアが一旦言葉を置き、少しだけ低い声で言う。

 

「これはな、復讐なんだよ」

 

 部屋が一瞬静まり返る。レミリアはいつの間にか責めるような目付きで、口を結んで私をじっと見つめている。他の皆も未だ笑みを残してはいるが、目の奥には私を蔑むような冷たい光があった。

 

 しかし、復讐? 私は復讐されるおぼえなんか無い。大体が屋敷に籠って本ばかり書いていた私に、彼女らがどんな恨みを持つというのだ。

 黙ってにらみ返してやると、天子がやれやれと首を振る。

 

「ね、紫。正体を見せたら、少しは思い当たるものがあるんじゃない?」

 

 正体? 一体何の話だろう。首を傾げたが紫は訳知り顔で、扇子を口に当てて『ああ』と頷いた。

 

「それもそうね。驚くでしょうけど」

 

 紫が皆に目配せする。その途端、全員の姿がユラユラと揺らめきだした。人の形が完全に崩れ、ムラサキと黒とピンクの混じりあった気味の悪い光に包まれる。

 息をのみ、目を疑った。光は大きさも伸び縮みし、大体子供くらいの大きさになると、また人の形を取り始めた。

 

 噂で聞いた、妖怪の変化の様子に似ている気がする。こけしのような塊に四肢が生え、目鼻ができ、髪が生える。その髪はどれも紫色だった。

 やがて、全員が同じ背格好の、同じ人間になって変化が終わった。その姿を見て言葉を失う。

 

「・・・・・・私・・・・・・?」

 

 前に立つ八人は、私が鏡でしか見たことのない筈の、自身と同じ姿だった。私には代々兄弟はいない。お⚪️松くんじゃあるまいし、こんな大人数尚更あり得ない。何度も瞬きをしていると、紫の位置にいた誰かが慌てたように手を振る。

 

「やだ、混乱しすぎじゃない? あなたの知らない人物じゃないわ。・・・ただ、ある意味怖いかもしれないけど」

 

 私の知る人物・・・・・・そりゃあ自分なんて知ってて当たり前・・・・・・

 いや、違う。よく見たら髪型や服装が微妙に違う。更に分かりづらいけど男の子も混じっている。

 男女入り交じった、私にそっくりの、八人・・・。・・・・・・八人?

 

「気づきましたか? "九代目" 」

 

 早苗さんの位置にいた子が笑う。そうだ。私を入れて九人。まさか。

 

「御阿礼の・・・・・・?」

 

 私が呟くと、青娥の位置にいた子が満足そうに頷いた。

 

「そう。あなたの先祖、代々の御阿礼の子がここにいるのです」

 

「馬鹿な! 八代目までは死んでいます。だから私がいるんじゃないですか!」

 

 我らの稗田家では、幻想郷の記録係として初代の阿礼から、私こと阿求まで記憶を受け継ぎ転生し続けてきた。当然先代たちはこの世にいない。生きている内に関わった人々と、私の頭の中の残骸、それら記憶の中にしかいない。残りは義務として残した面白くもない書物の隅に名が記してあるだけだ。

 

「呑み込みの悪い人だ。生きている人間がこんな事出来るわけないでしょ」

 

 正邪に化けて戻りながら、男の子がため息を吐いた。続けてレミリアだった子が得意気に前に進み出て、言った。

 

「順番に自己紹介させてもらおうか。

俺が初代御阿礼の子、レミリアこと稗田阿一」

 

「二代目、アリスこと稗田阿爾」

 

「三代目、天子こと稗田阿未」

 

「四代目、早苗こと稗田阿余です」

 

「僕が五代目、正邪こと稗田阿悟」

 

「六代目、稗田阿夢ですわ」

 

「・・・七代目、稗田阿七」

 

「そして私が八代目。紫ことあなたの先代、稗田阿弥」

 

 確かに、稗田家のご先祖様の名前。じゃあ、この場にいるのは正真正銘、私の先代たちの亡霊なのか? でも何故私にこんな仕打ちを?

 

「上手く誘いに乗ってくれたわ。偽者とは知らずに・・・・・・」

 

「さて紫、自己紹介も済んだし次に進めましょうよ」

 

 阿爾がぼそりと進言した。

 すると阿弥は卑劣な笑みを引っ込めるとピシッと背筋を伸ばし、こう叫ぶ。

 

「それでは、判決を申し渡す!」

 

 続けて親指を立て、私に向けて一気に指を下に向ける。

 

「死刑!!」

 

「異議なし!!」

 

 そっくりな顔をした裁判官たちが一斉に親指を下ろす。私の側に弁護士は一人もいない。皆の賛同に阿弥は満足そうに笑うと、紫の姿に変わり、人差し指でつい、と虚空を引っ掻いた。

 

 途端に、空間に裂け目が走り紫色の世界が覗く。スキマだ。こいつら、姿だけじゃなく能力まで真似られるのか。

 紫モドキはその中に腕を突っ込むと、なにかの丸薬の入った瓶を取り出した。一粒取り、私に向けて腕を伸ばす。

 

「はい、あーん」

 

 丸薬を口許に押し付けられる。必死で顔を背けるが、頬を掴んで無理やり放り込まれてしまった。喉を転がり、胃までするりと落ちていく。

 

「う、うぇっ・・・・・・けほ、な、何を・・・」

 

 えづきながら問い掛けると、阿弥は姿を戻し、とても愉快そうに顔を歪める。

 

「それはねえ、毒薬。放って置くと死んじゃうわ。すぐって訳じゃないけど、胃液で溶け出すまで・・・・・・五時間程度かしら」

 

 頭の中がさぁっと冷たくなる。私の命が、あと五時間? こんな訳の分からない復讐とやらで私は死ぬのか?

 

「数時間で死ぬってのはどんな気分? 寒気がする? 鳥肌が立つ? 目眩がする? ふふ、ひひひひひ」

 

 は、は、と呼吸が乱れていく。息もろくに出来ず、脂汗が滲む。それを見て、阿弥は飽きもせずへらへらと笑った。

 

「心配しないで。毒を持っているからには、解毒薬もちゃんとある。ほら、ここに」

 

 阿弥が懐から小瓶を出す。黄色い液体が入っていた。阿弥はそれを目の前で振って見せる。

 

「これを飲んだらあなたは助かる。どう? 欲しい?」

 

「ほ、欲しい!」

 

 思わず犬のように顔を近付けると、阿弥はひょい、と小瓶を遠ざける。

 

「欲しい? 欲しいじゃないでしょ?

いただけませんか、阿弥さま。そう言ってみなさい」

 

 ・・・・・・どこまでおちょくるんだ。いや、ここは我慢しなければ。下手に機嫌を損ねたら未来はない。

 

「い、いただけませんか、阿弥さま・・・・・・」

 

「ふふ、良くできました。じゃあ屈服の証に、私の足を舐めなさい」

 

 阿弥が足袋を脱ぎ、白い足を突き出してきた。歯を食い縛り、恐る恐る舌を出して、這わせる。遠慮がちに触れると、「ほら、もっとしっかり」と押し付けてきた。

 舌の上に苦い味が広がり、涙が浮かぶ。私と同じ顔で、そんな破廉恥な表情をするな。

 

「じゃあ、私のも舐めて下さいよ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 阿余がウキウキとした表情で足を差し出す。ゲンナリする思考をシャットアウトし、舌を這わせようとした。

 

「そうだ! 全員の足を舐めてもらいましょうよ! 慣れれば喜んでくれるかもしれないわ」

 

 阿未がとんでもないことを抜かし、思わず舌を噛んでしまう。慣れてたまるか。喜んでたまるか。私の思いを他所に代々の御阿礼の子は足袋を脱いで準備しだした。ああ、夢ならば覚めてくれ。

 

 

 

 

 ・・・・・・ひたすら足を舐め続け、面々は満足したのかまた阿弥を残して後ろに下がる。私は屈辱の味を堪えるのに精一杯で、涙が伝うのもしばし忘れて俯いていた。

 

「や、約束です・・・。解毒薬を下さい・・・」

 

 やっとの思いで掠れた声を絞り出す。阿弥は「ああ」と詰まらなそうにいうと、刹那に豹変し、残忍な笑みを浮かべる。

 

「や、だ❤️」

 

「あぁーーーっ!??」

 

 叫んでも遅かった。阿弥は薬の栓を開け、ゆっくりと傾けたのだ。私の目の前で液体はなすすべもなくこぼれ落ち、ボタボタと音を立てて畳にシミをつくっていく。

 やがて音がしなくなると、瓶の中は空になり、畳に黒々とした大きなシミが残されるのみとなった。

 

「ど、どうして・・・・・・」

 

 シミを見つめながら勝手に情けない声が出た。阿弥は瓶をポイと放り投げ、私の顎を掴む。

 

「みっともなく慌てちゃって。解毒薬はまだあるわ。あと一つだけ」

 

 まだ薬はある。反射的に阿弥の目を見据えると、阿弥も私を見つめながら言う。

 

「その場所は私しか知らない。でも教えない」

 

「どうして?」

 

「あなたに探してもらうのよ」

 

 阿弥は立ち上がり、両手を広げる。

 

「この屋敷のどこかに薬はある。私達は見つけるのを邪魔する。それを倒して薬を見つけ出せば、あなたの勝利」

 

 いよいよという感じに、面々が笑顔を見せ合う。こいつら、なんて奴等だ。ひ弱な人間の私を遊び道具にして、いたぶって楽しもうというのか。

 

「私達全員を倒さなきゃ、屋敷の外には出られないわよ。紫や霊夢が来るにしても・・・・・・五時間じゃバレないでしょうね」

 

 ・・・・・・倒す? 曲がりなりにも妖怪の力を使える連中が、面白い冗談を言ってくれる。しかも私が薬を見つけなければ救出も間に合わないということか。

 

「最後に時間が分かるように、私の秘蔵の懐中時計をあげましょう。良い? これから五時間だからね。

 

さあ、縄を解くわ。行きなさい!」

 

 阿弥に背中を押され、私は廊下に飛び出す。後ろでは奴等の喝采が響く。

 

「走れ!」

 

「走れ!」

 

「急がないと死んじゃうぞ~っ!?」

 

 阿悟がランニングの真似をして囃し立てる。襖を閉めて遮断。目の前の光景に気を配る。

 

 明かりがなく暗いが、やはり床板も襖や天井も、一面の色がくすんで見える。まるでこないだの、幻想入りした古い映画に飛び込んだような気分。出られない屋敷というのは、満更嘘ではなさそうだ。

 

 まだまだ分からない事はある。が、敢えて思考を振り払った。今一番重要なのは、薬を見つけなければ私は死ぬということ。

 

 懐中時計に目を凝らす。ここから五時間。それを過ぎれば全て終わり。時計を懐にしまい、一つ深呼吸。

 

「・・・・・・さて」

 

 走り出す。やられるものか。絶対に奴等の鼻を明かしてやる!



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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 前編

 ・・・・・・屋敷の廊下を、忍び足でそろそろと歩く。きぃ、きぃ、と鳴る自分の足音と、カチコチと無情に時を刻む懐中時計、それに緊張から高鳴る心臓がうるさく頭に響く。

 

 どこに刺客が潜んでいるか分からない。 "復讐" とやらを企んで魑魅魍魎に化けた者共が、今でも虎視眈々と私を狙っているのだ。

 

 さっきから足が震えっぱなしだ。非力な私など彼らにとって格好な獲物だ。本当なら無闇に動き回らずじっと隠れていたいが、それも出来ない。

 奴等は私に毒を飲ませた。解毒薬を飲まなけれは五時間程で死んでしまう毒を。助けが来るにしてもいつになるかは分からない。先に私が毒に侵されてしまえば、元も子もないのだ。従って、私は屋敷のどこかにあるという解毒薬を探し回っている。

 

 屋敷の外には出られないと奴等は言った。最初は疑っていたが、歩き回った今なら分かる。さっきから視界に映るもの全てが色褪せている。明かりのない暗い中では色が認識出来なくなったかのようにさえ見えた。何もかもが灰色だ。

 加えて、さっきから誰一人いない、物音も気配もない奇妙なこの屋敷。違和感だらけなのに何故か見覚えがある。

 ここは稗田邸だ。現実の私の家ではないけど、恐らくあの八人の先代が "創った" 空間なんだろう。だとすれば全員を倒せと言われたのも納得がいく。

 いよいよハッタリではないと覚悟を決める。どうにかして五時間のうちにけりをつけなくては。

 

 手始めに脇の部屋の襖を、音を立てずにそぉーっと開ける。どこに敵がいるか知れないのだ。一瞬でも気を抜いたらどうなっても不思議ではない。

 

 部屋は何か黒い箱のようなものが見える。暗い中では細かくは見えないが、見渡せば全体が見える狭い部屋だったので、形は大体分かる。仏壇だ。どうやらここは仏間らしい。

 

 ならば幸いと、仏壇に駆け寄り手探りで引き出しを開ける。どこまで最近の時代の物があるか分からないが・・・・・・

 

「ビンゴ!」

 

 マッチがあった。まずは明かりが欲しいところだ。目の前に使いかけの蝋燭が立ててあったので、そのまま火を灯す。

 部屋の中に不思議なオレンジ色の明かりが生まれる。荘厳な仏壇が暗闇の中でぼんやりと照らされているのは、言ってはなんだが、少し不気味だった。

 

「ん?」

 

 蝋燭に照らされ、仏壇に乗った様々な仏具や供え物が浮かび上がる。その中にキラリと光を反射するものが見えた。

 反射的に手に取る。確かにガラスの感触だ。

 まさか、これが解毒薬・・・? いや、焦るな、罠かも知れない。蝋燭の光を頼りに目を凝らす。黄色の液体が目印だ。

 

「・・・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・

 

元気ハツラツ?」

 

 ただの健康ドリンクだった。こんな紛らわしいもの、これ見よがしに供えておくんじゃない! 思わず壁に放り投げそうになったが、グッと堪えた。無いよりはマシかもしれない。持っておこう・・・・・・・・・

 

 気を取り直し、部屋の探索に戻る。仏壇の隣にはタンスもあった。一応探るがやはりあるのは衣類ばかり。もしかしたら底の方に埋もれているのかと全部中身を放り出すが、空振りが続いた。

 一段目が空になり、二段目が空になり、とうとう最後の段、靴下や足袋ばかり詰まった中を掻き回す。

 

ない。

 

ない。

 

 とうとう靴下も全部無くなり、代わりに私の回りに山が出来る。放っておいていいのかな、と辺りを見渡していると、ふと妙なものが目に入った。

 

 蝋燭に照らされて目の前の壁に写った、間延びした影。一人ぶんの私のそれの隣で、もう一つの影がゆらゆらと大きくなっている。

 誰かが背後から近づいて来ている。なにぶん蝋燭の火なのでシルエットだけでは誰だか分からないが、相手は自分の影が写し出されたのには気づいていないらしい。

 気づかない振りをして不意をつくか。いや、後ろにいるのが誰にしろ、私が能力的に不利なのは間違いない。ここは相手の出方を待って・・・・・・

 

 巡視する間に、影がにわかに踊った。私の手は触れた柔らかいものを、咄嗟に後ろの誰かに掴んで投げつけていた。

 

「のわっぷ!」

 

 衣類を被り、その誰かはよろめいた。その隙に素早く距離をとる。布に隠れた隙間からは青い髪に、黒い帽子、そして手に持った赤く細長いものが見える。

 

「・・・・・・天子さん、いえ、阿未ですね」

 

 阿未はブンブンとかぶりを振ると、帽子を被り直して小生意気な笑顔を見せた。

 

「運が悪いわね。私にいきなり見つかるなんて」

 

「・・・緋想の剣まで使えるなんて、先に言ってくれれば良いのに」

 

 私が阿未の手元に目を移すと、相手は「ああ」と言ってその剣を掲げた。

 本来は天界の宝剣だ。比名那居 天子が使っているのには違和感を感じないが、化けただけの阿未が当然の如く持っている姿は、反則だろうと言いたくなる。

 

「あんたが天子ちゃんと一緒に詳しく書いてたから、自然とイメージが浮かぶのよ」

 

「・・・イメージ?」

 

「言ってなかったっけ? あんたが纏めたなんとかいう本が、私達の力の源。

この天人の頑丈さも、細かい記述から自分で想像して真似てるって訳」

 

 ・・・・・・そうか、いつ覗き見したか、どういう仕組みか知らないが、能力は私の知っている分しかない。という事は、私の知識を総動員すれば、付け入る隙はあるか・・・?

 どうにか活路はないかと考えていると、阿未がヒュッ、と緋想の剣を突きつけた。先っぽにはパンツがぶら下がっている。締まらないなぁ、三代目。

 

「残念ながら、気質がどうたらの部分はよく分かんなかったけど・・・・・・あんたを殺せれば何でも良いわ。死になさい」

 

 そう言って、阿未が剣を向けたまま近づいてくる。緋想の剣を微かに揺らし、先っぽのパンツが左右に動く。視線が定まらず、動きが予測できない。意外と手練れか、三代目。

 

 ジリジリと追い詰められ、背中に仏壇がぶつかる。狭い部屋の中だ。横に抜ける余裕もない。

 腰の辺りで火がプスプスと音を立てる。阿未がほくそえんだ。もう一刻の猶予もない。私は手の中の物をぎゅっと握り、口を開いた。

 

「ちょっと良いですか?」

 

「は? 何よ、遺言?」

 

 阿未はあからさまに興ざめした表情を浮かべた。ここからが勝負だ。あの顔の変化を少しでも見誤れば、この作戦は失敗する。

 

「解毒薬の場所は・・・・・・本当に阿弥しか知らないのですか?」

 

 阿未は一瞬目を丸くすると、すぐに皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。

 

「あー、ごめんねぇ。冥土の土産に教えてあげたいけど~、阿弥のヤツ言ってくれなかったのよ。残念でした」

 

 肩を竦め、わざとらしく天を仰ぐ阿未。完全に王手をとったつもりだろう。私は、なるべくそれを嘲笑うような笑みをイメージして、言った。

 

「へえ・・・・・・なら、本当に何処にあってもおかしくないんですね」

 

 阿未が眉をしかめる。顔のひきつりを、声の震えを悟られまいと気を張った。ハッタリを見抜かれてはいけない。余裕が焦りに変われば、崩すのは容易いはずだ。

 

「私は運が良かったです」

 

「・・・・・・あんた、まさか!」

 

 手に持った健康ドリンクをそっと掲げる。阿未の顔が途端にさぁっと青くなった。

 

「こんなに早く見つかるなんて・・・・・・ねっ!!」

 

「あ! ちょっと!?」

 

 いい終えるが早いか健康ドリンクを上に放り投げる。阿未は慌てて緋想の剣を放り出すと、ダイブして両手でドリンクを掴む。その勢いで衣類を吹っ飛ばしながらタンスに激突した。バキッ、と豪快な音がしてタンス全体がひしゃげる。

 その隙に後ろの仏壇を漁り、何本かの数珠を取り出す。そしてタンスにゴンして畳に突っ伏した体を押さえつけると、足をまとめて数珠で縛り上げた。

 

「う、こ、このぉっ!!」

 

 阿未が呻く。すると天子の姿がみるみる、元の阿未の姿に戻っていった。思った通りだ。何らかの神聖な力で変身は抑え込めるらしい。見た時の印象もお世辞にも真っ当な力には見えなかったし、そう好き勝手には出来ないということだ。

 

「あ、あんたね、分かってんの!? 私がこれを叩き壊したら、あんたは助からないのよ! それでも・・・・・・」

 

「ご自由に。というか飲んでも良いですよ。要らないんで」

 

 へっ、と間抜けな声を出す阿未。手に持った健康ドリンクと私を交互に見て、最後に私を睨み付ける。

 

「まさか・・・・・・騙した?」

 

「はい」

 

 健康ドリンクを取り上げ、腕の方は靴下で縛る。すると阿未は手足を動かせないまま、陸に上がった魚のようにジタバタと暴れだした。

 

「この、卑怯もの! 絶対に許さない!  あんたなんて他の奴にやられちゃえばいいのよ!」

 

 負け惜しみか。現れてからこっち、この子は何とも三下くささが拭えない。下らない理由ながら神社に絡んで策謀を巡らせた天子さんとは、それこそ天地の差だ。そう思って呆れていると、突然阿未が体を突っ張らせ、びくりと震える。

 

「いっ、たった、た!!」

 

「どうしたんです・・・・・・うっ!?」

 

 目を凝らすと、阿未の背中にどす黒い血が滲んでいる。見るとさっきまで乗っかっていた私の膝もベットリ染まっていた。うろたえて凝視していると、阿未が顔だけ振り向いてまくし立てた。

 

「あのねぇ! あんたと間違えて味方襲っちゃったの! あんたが私達と同じ顔してるからよ、このバカ!」

 

 ・・・自業自得じゃないか。なんで私が顔の事なんかで怒られなきゃいけないんだ。ちょっとでも心配したのが阿呆みたい。

 いやいや、呆れている場合じゃない。解毒薬の場所はともかく、聞いておかなきゃならない事がまだある。

 

「阿未、教えて下さい。復讐って何なんですか? どうしてこんな事をするんですか?」

 

 さっきからそれが不可解なのだ。何しろ私には皮肉でもなんでもなく心当たりがサッパリ無い。すると阿未は私をキッと睨み付ける。今までの八つ当たりの憎しみとは違う、真剣な表情で私の目をじっと見つめるその瞳には、うっすらと涙が滲んでいるように見えた。

 

「・・・・・・・・・あんた、六百三十八年前の事って覚えてる?」

 

「はい?」

 

 よく分からない質問だ。私の記憶も年数が経てば細かいことは思い出せない。考えるに阿未の時代の事だろうが、具体的に何の記憶を聞きたいんだろう? そう首を傾げていると阿未はフッと目をそらし、小さな声で喋りだした。

 

「私、好きな人がいたの・・・・・・。お勤めの合間にこっそり会って・・・・・・短い間だったけど、楽しかった」

 

 そんな思い出があったのか。恐らく転生の際に不要だと切り捨てられたのだろう。その相手の殿方も最早生きてはいまい。

 その記憶を未だ残しているであろう阿未が、いつの間にか溢れた涙で腫らした顔をこちらに向けた。

 

「そういう気持ち、あんたに分かる? 分かんないわよね? 私の気持ちなんて分かんないわよね!?」

 

 少し錯乱ぎみに喚く阿未。まだ私を狙う動機はよく分からないが、泣き顔を見ていると追及する気も失せてきた。時間の上でも得策ではないし、少なくとも彼女本人は真剣で、あれこれ問い詰めるのが可哀想だというのは、自分でも分かる。

 阿未の頭を撫でて落ち着かせ、蝋燭にマッチ、あとは縛るための靴下をいくつか手に取ると、さっさとその部屋を後にする。襖の向こうから嗚咽を漏らす声が、微かに聞こえた。

 

 

 

 

 

 気を取り直し、屋敷内を探索する。とりあえず仏間で明かりが手に入った。これで目に届く範囲も格段に広がる。

 たて続けに台所や使用人の居室をいくつか探し回ったが、見つからなかった。

 最初は敵に遭遇しなかった事にいちいち安堵していたが、次第に苛立ちや焦りが増してきた。懐中時計を見るたびに確実に残り時間は減っていく。

 

「・・・・・・・・・おっと」

 

 そんな中、偶然入った居室のタンスに御札がたくさんしまってあった。恐らく個人的な護身用に集めていたんだろう。十枚ほど抜き取る。ありがたや。

 対抗手段を見つけて一瞬だけ気を抜いた。

 その時背後でコトリ、と音がした。

 

 びくりと肩が跳ねる。背中に感じる寒気が体を凍らせていた。ゆっくり、そろそろと背後を振り返り、蝋燭を向けて照らす。

 

 誰もいない。

 

 生唾を呑み、音を立てないように気を配りながら部屋の外に顔を出し、左右の廊下を見渡す。辛うじて木の色が分かる路が伸び、数メートル先で闇に呑まれている。

 何度も何度も確かめるようにキョロキョロと振り向いては、真っ暗な先を凝視する。

 

 ・・・・・・十秒。

 

 

 ・・・・・・・・・二十秒。

 

 

「・・・・・・・・・誰もいない、かぁ・・・・・・」

 

 胸を撫で下ろし、その場にヘナヘナと座り込む。全く、物音一つで戦々恐々だ。つくづく自分が異常な状況にいるのだと思い知らされる。

 壁に手をつき、よろけながら立ち上がる。廊下に寄り掛かって、ずり、ずり、と袖を擦りながら弾みをつけて体を前に進める。そうでもしないと倒れてしまいそうだ。

 

 一歩、二歩。

 

 ひたすら長い廊下と、左右にある襖。広いだけあって、同じような部屋がたくさんある。いちいち調べて、同じように収穫が無く落胆する。それを繰り返す内に、見回りでもしているような気分になってきた。

 暗い中を、明かり一つで歩き回る。いつしか慧音さんが寺子屋の見回りの話をしてくれたっけ。隅々まで見て回らなきゃいけないから大変だと。

 しかし今回は、寺子屋の数倍の広さを、時間内に探さなきゃいけない。蝋燭だって、マッチはあっても蝋がいつまで持つか・・・・・・

 

 ・・・・・・待て。蝋燭?

 

 顔を上げて前を睨み、ふと我に返った。数歩先はいくら目を凝らそうと、誰がいるかも分からない。その暗がりをハッキリと際立たせるのは、他ならぬ私の手元の蝋燭の火だ。

 向こうからもし私を見た時、私の姿はどう映るのだろう。誰かは分からなくても火はボンヤリ見えるだろう。そうなれば自ずと確かめようと近づいてくる。奴等からしたら仲間と鉢合わせする可能性もあるが、私は自分以外、敵だらけ。

 これでは自ら居場所を知らせているようなものではないか。光源を欲しがるあまり、当たり前のことに考えが及ばなかった。

 狼狽えながら前後を何度も振り返る。すでに見つかって、つけられていたらどうしよう。今にも奴等の一人が走り寄ってきたら?

 何もない闇がにわかにありがたく見える。私の視界に現れるまで近づかれたら、私はその瞬間に・・・・・・!

 

 その時。

 

 ぎぃ、と確かに床の軋む音がした。ハッとなって声が漏れそうになるのを手で押さえる。

 数秒だけ聞き間違いであってくれと願った。しかし、音は確かに、ぎい、ぎぃ、と少しずつ大きくなって近づいてくる。一本に伸びる廊下の、見えない闇の向こうから。

 

 まずい!

 咄嗟に明かりを吹き消し、右手の部屋に飛び込む。布団が隅に畳んで置いてあり、人手の入っていない独特の匂いがした。

 押し入れを見つけて戸に手をかける。中から何かが引っ掛かっているようで、戸が重たい。外れないよう焦りを押さえて半分まで横に引き、少しだけ顔を出した布団をよじ登る。

 中は少し暑苦しいが、構ってはいられない。中から戸を閉めると、詰まった布団のせいで擦れる静かな音と、軋むうるさい音が変わりばんこに鳴った。締め切った時の音が怖くて、数ミリの隙間を残してしまう。

 

 やがて、廊下の板が軋む音が近づき、畳を踏む音に変わる。南無三! 戸の隙間から部屋の中を覗いてみる。紙を張った扉に万が一でも触れて音が出ないよう、体は固く丸めて首だけをぐっと伸ばす。

 とす、とす、と畳を歩く足音。小さな子供の影が押し入れの前に現れ、扉の隙間からちょうど見える位置で立ち止まる。

 汗ばんだ手を、何故か戸に添えていた。閉めるでもなく、相手が無理矢理開けようとする訳でも無いのに、ただ押さえる。今にも視線の向こうの子が、目があった途端に襲いかかって来そうで、意味の無い事でもしないと正気を保っていられそうに無かった。

 布団にめり込みそうになる足を強張らせ、体は石のように微動だにさせない。ただただ目だけを精一杯見開き、部屋の中の影を注視する。

 やがて、影は不機嫌そうにため息をつくと、くるりと踵を返す。あの怯えた足音が逆再生されたように遠ざかり、小さくなっていった。

 音が完全に聞こえなくなった頃、戸に添えていた手に力を込める。思いっきり開けたつもりだったが、いやに立て付けが悪く感じた。

 部屋に降り立ち、中を見渡す。特に変わった部分は見当たらない。家具やその他の配置も、動かした気配は無かった。もし押し入れの中まで探されたら間違いなく見つかっていただろうが・・・・・・

 果たして運が良かったのか、いつでも殺せるとたかを括ったか・・・・・・

 

 とにかくこの場所にいつまでも居るのは危険だ。時間があればまた来る事にして、一旦離れよう。

 

 押し入れの戸もそのままに、早足で戸口に出る。そして廊下に沿って曲がろうとした、その瞬間。

 

「あ」

 

 目の前に、誰かの足があった。上を見上げると、浮かんで私を見下ろすレミリアさん、いや、阿一の姿が見える。

 

 ・・・・・・浮かんで・・・・・・そうか、足音・・・・・・!

 

 頭で理解するよりも早く、目の前にある足が蹴飛ばしてきた。頭が揺れ、意識が飛びかける。そのまま体が壁に叩きつけられ、さっきの部屋の畳に転がった。

 バキバキとあちこちの壊れる音がする。立ち上がろうと首を起こすと、一瞬で伸びてきた腕が首を掴み、ひょい、と玩具のように持ち上げる。

 

「こそこそとネズミみたいに隠れやがって・・・・・・。俺が引っ掛かると思ったか?」

 

 上目遣いに悪魔のような笑みを浮かべる阿一。まさか初めから? 眉をしかめると、阿一はふん、と鼻を鳴らす。

 

「明かりを消した程度で・・・吸血鬼が、誤魔化される訳ねえだろうがっ!!」

 

 叫ぶが早いが、今度は畳に体を打ち付けられる。背中の感覚が一瞬麻痺し、その下でめしゃ、と潰れるような音がする。

 そのまま阿一は低空飛行し、私を引きずって壁を突き破り、外に放り出した。視界に月と星空が巡り、ドスンと体が音を立てて転がる。空が、地面が、何度も場所を交代してチカチカと煩く光る。

 

 ようやくそれが普通に戻った頃、視界を覆うように間近で阿一が覗き込んできた。

 

「いい面だ」

 

 阿一がくくっと音を立てて笑う。私は今どんな顔をしているんだろう。頭が熱くて、歯がぐらぐらする。口内に鉄の味が充満し、手足は微かに震わせるだけでズキリと痛む。

 

「余程私を恨んでらっしゃるようで」

 

 飛び出した軽口は現実逃避の為だったかもしれない。阿未も殺意は伝わってきたが、こいつはもっと危険だ。きっと恨み節は吐いても涙なんて欠片も流さないに違いない。

 腹を勢いよく踏まれた。口から血が溢れる。なけなしの余裕まで崩され、阿一は愉快そうに笑った。

 

「ああ、恨んでるさ。だがこの力のお陰で存分に晴らせそうだ。よくもこんな怪物に取材なんて出来たな」

 

 肩を竦める阿一。大した奴、と軽々しく吐く顔を見て、思わず口を結んだ。コイツは知らない。どれだけ幻想郷が平穏に近付いたか、妖怪と触れ合うのに、蛮勇以外にどんなものが必要になったか・・・・・・! ただ非力を嘲笑う恥知らずに向けて、傷だらけの口を勝手に開いていた。

 

「・・・・・・怪物はあなたでしょう。死に損ないの癖に、知人を気安く侮辱しないで下さい!」

 

 叫び声と共にまた血が飛び出た。阿一は私の態度が気に入らないのか、怠そうに唸り、今度は顎を蹴りあげる。

 

「言ってくれるじゃねぇか。そうとも、俺は稗田の屋敷で妖怪に怯えながら、同じ立場になりたいとも思ってたのさ。

 例えば、こんな風になぁ!」

 

 げひゃひゃひゃひゃ、と一層下卑た声をあげる阿一。嫌悪感が胸の底から込み上げてくる。コイツは今の時代にいちゃいけない。葬らなきゃいけない存在だ。鉛のような体をどうにか動かそうともがいていると、阿一はまた口の端を吊り上げ、こんな事を言った。

 

「そうだ、分かってないようなら、考える時間をやろうか? 俺がお前をどうしてやりたいか」

 

 ふざけて首を傾げる阿一。答える前に人差し指を突きつけ、また続ける。

 

「見事に言い当てれば、苦しまずに殺してやる。ま、死体は阿弥たちと分割だな」

 

「・・・・・・もし外れたら」

 

 呟くように尋ねると、阿一は長い舌で舌なめずりを一つ。

 

「血を吸って奴隷にした後、ゆっくりと味わわせてやるよ。その時は思い知る頭も無いだろうがな」

 

 どっちにしろ死ぬ。いや、そりゃそうか。元から生かすつもりなどない。阿一の腐った瞳を見ていればすぐに分かる。

 

 けど―

 

 彼は一つミスを犯した。理由は、私が纏めたレミリアさんの記録。コイツは頭から抜け落ちていたようだが。

 

「・・・・・・阿一、あなたは・・・・・・」

 

 私が喋りだすと、阿一は興味深そうに耳を傾けてくる。完全に命を握った気でいる。

 だが、それは間違いだ。

 

「・・・・・・私の血を吸って奴隷にした後、ゆっくりと憎しみを味わわせてやりたいと、そう思っている」

 

 

「・・・・・・・・・・・・っ!?」

 

 瞬間、阿一の体がびくりと跳ねる。そして小刻みにぶるぶると体を震わせ、体に脂汗をかきはじめた。

 

「なんだ、これ・・・・・・」

 

 油の切れた人形のように、そろそろとしか動かない手のひらを睨み、震える声で呟く。

 体が動かないのだ。その理由は私しか知らない。

 

 ・・・・・・―『人食いワニのジレンマ』をご存知だろうか。ワニが子供をさらって食べようとして、返してくれと泣く親にワニはこう持ちかけるのだ。

 

『俺がこれから何をするか、見事に言い当てたら子供を返してやる』

 

 この場合、親が何を言おうが『外れ』と言って食べてしまえばいいと考えたのかもしれない。しかし、問われた親はこう返すのだ。

 

『あなたは、その子を食べるだろう』

 

 これにワニはどうすればいいか分からなくなった。『外れ』と言って食べてしまうと親の予想は見事『当たり』、矛盾が生じる。かといって『正解だ』といって子供を返せば、食べるだろうという予想が『外れた』事になり、これも矛盾する。

 早い話が自分でした約束が自分を縛るのだ。別名『自己言及のパラドックス』と言われるゆえんである。

 

 この場合も、私の『血を吸って~』の予想が当たりなら、阿一は約束通り私の血を吸わずすぐに殺してしまわねばならず、矛盾する。外れでも然りだ。

 

 加えて、レミリアさんは吸血鬼だ。契約、約束は絶対に破る事が出来ない。阿一も御阿礼の生まれ変わり、読み込んだ記録は漏れ無く記憶したに違いない。

 ・・・・・・いかに力に溺れ、表層記憶からは抜けていたにしても。

 木偶の坊と化した吸血鬼モドキを睨み、拳を握る。痛みを堪え、跳ね起きた勢いで彼の頬を殴り付けた。

 

「ぐっ!!」

 

 くぐもった声をあげて阿一が吹っ飛ばされる。つられて腕が千切れ、飛んでいった錯覚がしたが振り払い、御札を取り出して抑え込む。

 

「この・・・がはっ!?」

 

 我に返って動き出す前に、腹に御札を張り付ける。荒い息をしながら本来の姿に戻る阿一の手足を、素早く靴下で縛り上げた。

 

「糞が! 何でだよ!? やっと軟弱者じゃなくなったのに、なんでこうなるんだ!!」

 

 阿一が私の足元で喚く。かりそめの姿に宿っていた力が消え、代わりに悔しさと惨めさを詰め込んだような顔で歯を鳴らす。不思議と私は一片たりとも同情を感じなかった。ただ、五月蠅いハエでも眺めるような、冷たい衝動が流れ込む。

 

 何気なく周りをみると、中庭に植えられた柊の木が目に入った。魔除けにもなるからと大事にされていたものだ。

 

「使える」

 

 その柊に近寄り、背伸びして張り出した枝の先を掴む。しなって苦労したが、ぱきりと折れた。その先っぽを持って、阿一が倒れている場所に戻る。

 

「な、何すんだ・・・・・・?」

 

 阿一が戸惑いと恐れの入り交じった目で私を見る。片手で阿一の顔を押さえ、上から柊の枝の先を目玉に突き付ける。

 

「阿一、強さというものは、時に驕りも生むんです。最も今更言っても遅いですけどね」

 

「う、嘘だろ、おい・・・・・・っ」

 

 自分でも意外に思うほど平坦な調子で、説教が流れ出る。阿一はアワアワと目を見開き、眉を滑稽な程に歪めている。枝を持った手を、一瞬高く振り上げた。

 

「いっ・・・・・・・・・ッ!」

 

 短い鳴き声をあげる阿一。手に何かを突き破る感触。

 

「あっ・・・・・・ひぃ・・・・・・」

 

 阿一は数瞬、身体中をぎゅっと強張らせ、涙と鼻水を垂らしながら顔を歪めた。涙が流れ出る血と混ざっていく。

 

 目の数ミリ横。こめかみの部分に深い傷を作り、柊の枝は地面に突き刺さった。阿一は目を潰されずに安堵したか、単に腰が抜けたか、私を見る事もなく泣きじゃくっている。

 吸血鬼は柊の枝に近付けない。無理矢理近くに置けば妖怪は力を失うだろう。もう少なくともレミリアの力は使えない。放っておこう。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 痛む腰をあげ、屋敷の方を振り返って、ため息をつく。壁を突き破られ、外から丸見えになった部屋。一度叩きつけられたせいで畳がめくれ、床下まで所々骨組みが剥き出しになっている。

 たった二人を相手にしてこの始末だ。命がいくつあっても足りやしない。

 

 改めて無謀さを感じ、空しく笑う。その時ふと、あるものが目に留まった。

 

「・・・・・・ん?」

 

 丸見えになった部屋。そこの比較的まともな姿を保つ床。めくれあがった畳の下から、一冊の本のようなものが見える。

 

 よろめきながら近づき、その本を手に取る。暗いので仕方なく落としていた蝋燭に火をつけて、書かれた字を照らす。

 

「・・・・・・『稗田阿余の手記』?」

 

 四代目が書いたものらしい。しかし、何故畳の下なんて隠すように置いたのだろうか?

 

 何か有益な情報があるかもしれない。時間も惜しいが読んでみよう。

 

 

 

 

 残る時間は、三時間と四十三分。

 残る刺客は、あと六人。



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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 中編ノ一

 ―『稗田阿余の手記』

 

 ついさっき、ボロボロになった部屋の畳の下から見つけたものだ。パラパラとめくるとどうも日記らしく、ページ毎に日付が書かれている。

 終盤で真っ白なページが現れ、パッタリと記述はやんだ。途中で飽きたか、はたまた何か事情があったのか。

 

 少しだけ嫌な予感がしたが、最初に戻って読み込んでみた。以下は阿余の書いた手記の文章の抜粋である。

 

 

 

 

 三月 七日

 

 今日から、療養の部屋に移る事になった。元から体は弱かったけど、最近は特に調子を崩しがち。

 退屈だから日記をつける事にした。普段書いてるお堅い文書には飽き飽きだ。隠しながら好きなことを書こう。

 

 三月 十日

 

 どうにも体調が戻らない。仕方ないから寝そべってゴロゴロしてばかり。幸いというか、食欲はまだある。元気になったらちょっと運動しよう。

 

 

 三月 二十五日

 

 朝昼晩のリズムが崩れてきた。食事を出されても中途半端に食べて残してしまう。

 女中さんが気をきかせておにぎりを作ってくれた。中身は滅多に幻想郷で手に入らない海産物。張り切って三つも一気に食べたら呆れられた。このおにぎりがシャケだから畜生。

 

 四月 七日

 

 暖かくなってきたせいか、やたらと飲み物が欲しくなる。それは良いけど、布団にいつまでもいるせいで寝汗をよくかくようになった。

 お風呂に入ると、自分が酷くやせっぽちに見えた。体を洗って肩まで浸かると気持ちよくて、つい寝てしまった。今も、正直ねむぃ

 

 四月 二十一日

 

 珍しく紫さまが現れ、式というものを見せてくれた。小さな狐の女の子で、藍って名前。

 何かお手伝いがしたいと言ってくれたけど、獣の毛が駄目だったみたいで咳が出てしまった。何度も謝っていた姿は、正直可愛かった。ゴメンね。

 それはそれとして、咳が長引く。今夜眠れるといいんだけど。

 

 五月 三日

 

 布団を夏用に変えた。分厚いと重くて、体が痛くなる。

 ご飯を吐いてしまった。食欲が湧かない。

 

 五月 二十一日

 

 紫さまと幽々子さまが大事な話があると言ってきた。私の死・・・・・・いや、転生の時期が近いのだという。

 正直驚きは少ない。以前手続きは済ましていた。お二人は泣いていたが、不思議と涙は出なかった。

 

 六月 八日

 

 食事がお粥位しか出なくなった。体が受け付けてくれないし、作る側も食べなきゃ嬉しくないだろう。美味しいと思う事が少なくなってきた。

 

 六月 十九日

 

 気紛れで外に出てみると、太陽が眩しくて倒れてしまった。気がつくと布団の上。歩いてすぐの距離なのに、別世界にでも行ってきた気分。

 これが最後の外の景色かもしれない。

 

 六月 二十五日

 

 眠るのが怖い。また次の朝に目覚める事が出来るだろうか。周りは口に出さないけど、いつ死んでもおかしくないと思っている。

 藍ちゃん、元気かな。頑張っているかな。

 

 六月 三十日

 

 夢に五番目が出てきてうなされた。死ね。来るな、消えろ。

 

 七月 一日

 

 酷いことを書いてしまった。とにかく思ったことを書いて残したいと焦る。

 

 もっと面白おかしく書きたかったけど。

 

 

 ・・・・・・しばらく、『いやだ』『助けて』という言葉がポツポツ書かれている。

 

 

 七月 十一日

 

 (ページの半分ほど何かが長々と書きなぐられているが、上から塗りつぶされ解読不可能)

 

 今までお世話になりました。あいしておりま す。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 阿余の弱っていく様を綴った日記。読まなきゃ良かったと、暗澹たる気持ちになる。

 死が近づくというのはやはり恐ろしいものなんだろうか。私はいまいち想像が出来なかった。まだ健康体だからか、不都合だからと恐怖の記憶は受け継がなかったのか。

 しかし、次の代に転生できるとはいえ、少なくとも阿余は平静ではいられなかった。転生したら阿余ではなく、阿悟となってしまうのだから、だろう。阿余としてのこの記録も途切れた。

 ・・・・・・一応持っていこう。何かの役に立つかもしれない。

 

 日記を閉じて顔をあげると、壁の穴からは相変わらず夜空の中で月が光り、見下ろしている。

 そうだ、私が暗い気持ちに浸っている間にも、時間は刻々と過ぎている。解毒薬を探さなきゃいけない。

 頬を叩き、腰を上げ、壁の穴から外に出る。少し中庭も探してみよう。

 

 

 

 

「やっぱり駄目か・・・・・・」

 

 植え込みの中を探りながらため息をつく。枝葉をかき分け、根元を掘り返したりしたが、収穫なし。手は泥だらけだ。結構白い手は自慢だったんだけどなあ。

 中庭をあちこちうろつき回り、屋敷を取り囲む塀を乗り越えようともしてみたが、流石に塀から外は出られなかった。

 塀のてっぺんから身を乗り出した瞬間、目の前に閃光が走って弾き飛ばされた。御札を使おうともしてみたが、同じように光に呑まれ、粉々にされる。万が一にも逃げられないよう強い結界を作ったらしい。

 

 そうなれば仕方ない、と思い直し、植え込みの陰から動いた。

 

 その瞬間。

 

 頬を微かに熱風が撫でる。反射的に飛び退くと、光の玉のようなものが植え込みの上を掠め、地面に落ちる。植え込みの葉が丸い形に抉られて焦げ、地面には拳大の穴が空き、プスプスと煙を噴いていた。

 

「・・・・・・え!?」

 

 二度見してから焦って辺りを見渡すと、屋敷の二階の屋根に誰かが立っているのが見えた。周りには小さな人形がいくつもフワフワと浮いている。

 

「あれは・・・・・・」

 

 人影の指先から、周りの人形に向けてキラリと糸のようなものが光る。見下ろす明るい色の瞳には見覚えがあった。

 それに気を取られていると、前から何かが迫る気配がした。慌てて視線を戻すと、いつの間にか何人もの人間のような者達がワラワラと近づいて来ていた。

 皆一様に背筋を異様に伸ばし、腕を前に突きだして、額にはおかしな札を張り付けている。

 あれは知っている。キョンシーだ、ということは・・・・・・

 見え隠れする一番奥を睨むと、縁側に立った女性が妖艶な笑みを浮かべていた。

 

 アリスと青娥、いや阿爾と阿夢だ。今度は二人がかりか。

 

 阿爾が人形達を操り花火のように光弾を放つ。必死で体を翻すと、その場所にまた攻撃がくる。

 右へ左へ必死になって避けていると、目の前を黒い影が覆った。避けると同時にキョンシーが掴みかかってくる。前のめりになってめくれた御札の陰には青白く牙を向いた死体の顔があった。

 恐怖にかられて死物狂いに目に映るモノを掻い潜る。目の前を何度も眩しく熱いものがよぎり、血の通っていない化け物が群がる。

 こちらは操り主の二人に近づけもしない。唯一の武器の御札は投げつけて当てる自信もない。どうにか逃れようと息を切らしながら考えていると、急にキョンシーが一体跳ね、覆い被さろうとしてきた。それに向けて振り返ろうとした矢先に、今度はボトリと地面に何かが落ちた音が届く。

 気が散らされる中で眼球だけを目一杯音の方に向け、何が落ちたかを探る。

 

 小さな人形が倒れていた。わざわざ武器を投げ捨てた? 何故? と一瞬混乱してから答えが浮かび、迫ってきたキョンシーを掴み、盾にする。直後、キョンシー越しに強い風圧と衝撃が伝わってきた。

 

 オレンジ色の炎が破裂する。体が吹っ飛ばされ、キョンシーに押し倒されるようにして地面に背中を打ち付けた。

 ぎょっとしてはね除けたが、爆発のせいかキョンシーは呆気なく転がった。開けた視界には千切れた手足や燻る火、鼻にむせ返るような煙が届く。アリスさんの作る人形型爆弾だ。一瞬遅ければ死んでいた。

 

 ハッとして屋敷の方を見ると、阿爾は既に懐から新しい人形を取り出し、阿夢は仙界と思われる空間の裂け目から新しいキョンシーを引っ張り出している。幾らでも武器に代わりはいるか。

 このままではジリ貧もいい所だ。どうにかして打開策を考えようと頭の中の知識と今までの動きを思い出す。

 

 まず、二人とも近接戦闘、特に青娥さんは戦い自体が得意ではなかった筈だ。アリスさんは人形を多数使役して距離を保つし、青娥さんはお付きのキョンシーと一緒に異変を起こしていた。

 となれば近づけば勝機はあるか、しかしキョンシーが何体も進路を阻むし、人形の弾幕を潜り抜けるのも容易ではない。

 問題になるのはそれぞれの攻撃の特性だ。

 人形遣いは攻撃の瞬間、必ず指が動く。

 そしてキョンシー共は、動きが鈍い。現れてから今まで、私の動きを阻む壁の役割しか果たせていない。

 

 頭の中で情報を整理し、勝算を立てる。その頃にはまたキョンシーが集まって来ていた。

 

 私も素早く動き出した。まず、最初にキョンシーを避けつつ植え込みの土を一掴み持ち出す。

 幸い爆発の破片のお陰でキョンシーの動きはますますぎこちなくなっていた。すかさず転がっている千切れた腕を残った手で拾いあげる。そして後はひたすら死体を押し退けながら前へ前へと駆け出した。

 

 キョンシーを全部追い抜き二人の前に躍り出ると、阿爾がすぐさま人形で迎撃しようとしてくる。キョンシーがいない分狙いやすいと思うだろう。しかし、その瞬間を狙って拾った腕を力一杯投げつけた。

 腕は放物線を描き、阿爾に向けて真っ直ぐ飛んでいく。顔の前まできたそれを、阿爾は思わず両手で掴んだ。

 手が塞がった事で人形達の動きが停止する。それを目だけで確認しながら私は前方、縁側の阿夢に向けて全力疾走していた。

 阿夢の顔に驚きの色が浮かぶ。そりゃそうだろう。後ろからはキョンシーが大勢追いかける音がひっきりなしに聞こえてくる。一見先頭に立って引き連れてくるように見えただろう。でも構ってはいられない。体はとうに悲鳴をあげている。

 気を取り直した阿夢が応戦しようと構えを取る。しかし私は一瞬早く掴んでいた土を投げつけた。

 

「ぎゃっ!」

 

 阿夢は叫び声をあげて顔を押さえ苦しみ出す。ここだ、と足を踏み締め、一足飛びに阿夢の懐に飛び込む。ドスン、と重い音がして二人で畳に倒れこんだ。

 

 下で阿夢がジタバタともがくのを必死で抑え込みながら、顔に御札を叩きつける。瞬間、背後でバタバタとキョンシーの倒れる音がした。

 

 ほっ、と体から力が抜ける。振り返るとから庭から縁側まで死屍累々の如く死体が横たわっている。阿爾は降りて来ない。様子を窺っているのだろう。

 

 さて、今度は阿爾への対応策を考えねば、と頭を切り替え立ち上がる。すると足下でくぐもった唸り声が聞こえた。

 

「んーっ! んーっ!」

 

「ん?」

 

 振り向くと、元の姿に戻った阿夢が御札の下でモゴモゴと口を動かしながら涙を浮かべている。どうやら慌てて貼ったせいで口を塞いでしまったらしい。

 流石に苦しそうなので、どこに貼っても同じと貼り直そうとする。が、そこである考えが浮かんだ。

 変身が解けた姿は顔つきも体も私そっくりだ。体当たりの時の、あの二つの柔らかい膨らみは跡形もない。

 加えて喋れない状態にしておけば・・・・・・

 

 残った靴下で阿夢を縛り上げ、横たえておく。そして私は、部屋に入った時に見つかりにくいように、部屋の隅に死体に紛れて伏せた。

 

 やがて痺れを切らした阿爾が、屋根を伝ってゴトゴトと降りてきた。

 

「むーっ! フーッ!」

 

「阿夢!?」

 

 口を塞がれもがく阿夢を目にして、阿爾はすぐさま駆け寄った。好都合だ。私はすぐさま起き上がり、阿爾に向けて声を張り上げる。

 

「待って! その子は阿求! 騙されないで!!」

 

「え、えぇっ?」

 

「んんーっ!」

 

 阿爾が慌ててキョロキョロと視線を泳がせる。元々見分けがつきにくい上、状況が状況だ。冷静に考えておかしくても簡単に判断はつくまい。ましてや阿夢は喋れないときた。

 オロオロとする阿爾が一瞬背中を向けた。その隙に御札を張り付ける。

 

「あぅっ!」

 

 阿爾が飛び上がって阿夢に倒れこんだ。ぶつかって痛そうな音が響き、うぅーとうめき声をあげる。急いで倒れている死体から帯を剥ぎ取ると、それで阿爾を縛ってしまった。

 

「だ、騙したわね阿求!」

 

「動くと痛いですよ」

 

「イタタタタタ!」

 

 念のためきつめに結び、阿夢の横に転がす。すると二人は揃って私を睨み付けてきた。同じような顔が二人並んでいると、なんだか姉妹のようにも見えてきた。自分と同じ顔でもある訳だが、一人に睨まれるより罪悪感のようなものが湧いてくる。

 自分としてもボロボロの状態だったので、さっさと二人を置いて部屋を後にした。廊下に出ると、扉越しに何やら阿爾がしゃべる声が聞こえてくる。

 

「ごめん、阿夢・・・・・・大丈夫?」

 

 気遣うような声色。阿夢の心配をしているのか。自身も動けないというのに、この期に及んで。

 

「私のせい・・・・・・だよね。頑張ったんだけど・・・バカやっちゃって・・・・・・」

 

 訥々と謝罪の言葉を述べる阿爾。阿夢は答えようもない。それでも阿爾は続ける。

 

「怒ってる・・・・・・よね。全部私のせいだよ。もっと頑張ってたら・・・・・・阿夢は、キチンとやってたのに、私ったら、どうしようもなくて、肝心な所で。ああ、本当にごめんなさい」

 

 阿爾の謝罪は、阿夢が返事を出来ないにせよどこか一方的に聞こえた。自分を責めるような言葉を歯切れ悪く重ね、謝る気持ちより恐れのようなものが伝わってくる。

 まるで嫌われまいと無理しているような・・・・・・

 

 阿爾が何を考えているのか気にはなったが、解毒薬の方を優先した。蝋燭を無くしてしまったので、マッチが頼りだ。

 

 

 ・・・・・・そういえば、友人関係で悩んだりなど私はしたことがあっただろうか。せいぜい小鈴くらいかな。

 

 

 

 

 またしばらく屋敷中を歩き回る。特に変わったものは見つからず、時間だけが過ぎていく。最低限の警戒だけしながら、比較的大きな部屋の襖を開ける。

 

 そこは明かりがつけっぱなしだが、誰もいなかった。真ん中には大黒柱らしき太い柱があり、下の畳には縄がほどけて落ちている。

 

 なんだ、最初に出発した部屋じゃないか。グルグル歩き回る内に戻って来たらしい。

 

「何よ、もう・・・・・・」

 

 思わずぼやいて、その場にうずくまってしまった。今までの苦労は何だったんだ。結局屋敷には無かったということか?

 しばらく落胆して動けなかった。しかし懐中時計の音が耳に入り、頭痛を堪えて腰を上げる。

 ぐずぐずしている暇はない。屋敷の中に無かったとしても他から薬を探さなくては死んでしまう。それに、最初の部屋は調べずに飛び出してしまった。もしかしたらこの部屋こそ盲点かもしれない。

 

 気持ちを奮い立たせてタンスや掛け軸の裏、壺の中まで覗き込む。しかしそれらしきものはない。

 

「つっ・・・・・・!」

 

 ふとした拍子に傷が痛み、ふらついた。探すだけでも身体中が悲鳴をあげる。一瞬力が抜け、襖に後ろから倒れ込んでしまった。

 

「うわっ・・・・・・」

 

 咄嗟にどこかに掴まろうとして、襖の表面をビリビリ破いてしまった。無惨なボロボロの扉が、廊下に音を立てて倒れ伏す。

 

「あぁ全く・・・・・・」

 

 慌てて誰かに気づかれていないか廊下を見渡す。代わり映えはせず、ほっと胸を撫で下ろす。敵の事もそうだが、なにぶん家のものを台無しにするというのはバツが悪い。

 裏側が丸見えになった扉を見て、こんな時に何をやっているんだと我ながら苦笑いする。襖のバタンと倒れる音がずいぶん大げさだったな、と思いながら、足下の扉に目を移した。

 

 すると。

 

「・・・・・・・・・?」

 

 扉の紙が剥がれた下に、紙の本のようなものが隠れている。和紙で作った雑記帳のようなもので、使われた形跡がある。

 

「何かしら・・・これ・・・・・・」

 

 こんな場所に隠しておくなんて、何が書いてあるんだろう。めくって見ると、人の名前と一、二行の文章がセットでいくつも書かれている。

 稗田阿一、稗田阿爾・・・・・・。名前はあの連中のものだ。それ以外には、それぞれこんな事が書かれていた。

 

 

 稗田阿一・・・

妖怪に怯えず暮らしたかった。

 

 稗田阿爾・・・

気安い友達が欲しかった。

 

 稗田阿未・・・

好いた人と共に生きたかった。

 

 稗田阿余・・・

もっと健康に生きて死にたかった。

 

 稗田阿悟・・・

大胆に生きてみたかった。

 

 稗田阿夢・・・

死を克服したかった。

 

 稗田阿七・・・

立派に稼げる人になりたかった。

 

 稗田阿弥・・・

私の事を覚えている人に、また会いたい。

 

 

 ・・・・・・後悔、心残り、いわばそんなものが綴られている。未練、ともいえるそれらは、私の記憶からは消えていた。御阿礼の子の宿命が為に、消された。

 

 もしかしたら、皆の願いや苦悩を忘れて、生まれ変わりとして生きた事が恨みを生んだのかもしれない。

 

 最後のページにはこう書かれていた。

 

 ~" 我らは御阿礼の子にして御阿礼の子にあらず。一人の人間として死ぬ事を望んだ、輪廻転生の輪から外れた魂の残滓なり。

 

 ささやかな記憶に救済を。忘れ行く者に制裁を "~

 

 その文章が妙に、胸に突き刺さった。

 

 

 残る時間は、二時間十五分。

 残る刺客は、あと四人。

 



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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 中編ノ二

 阿弥達の未練が記された本を閉じ、しばらく呆然としていた。

 

 御阿礼の子の生まれ変わりとして、また次の代に生まれ変わるまでの記録を任された人間たち。その間に様々な望みを持っていた。

 

 自分は世界にたった一人しかいない。誰もが人生で一度はそう言う。しかし、稗田の私達がそれを言ったとして、果たして人々はどう受け取るのだろう。記憶も容姿も姓も、役割も受け継いだ私達を。

 

 『こう望んで死んでいった。もう二度と戻らない』。

 

 そう理解してくれる人がどれだけいるだろう。もし、『次の代に代わっただけ』としか思われなかったら。

 

 死に際にもない私が言って良いかは知らないが、きっと悔しいだろう。そんな恐れを抱くのは怖いだろう。悲しいだろう。

 彼らへの同情が心に枷を嵌めていく。それでも体は勝手にズルズルと動いた。殺される度胸もない。迷いの生まれた足取りのままで私はいつの間にか庭の方に出ていた。

 

 

 

 

 屋敷を出ると、遠くから母屋とは別の離れ、そして蔵と厠の建物が見えた。ああ、あそこも探さなきゃいけないのか。面倒だなあ・・・・・・。

 思えば私はなんでこんな必死になっているんだろう。どうせ自分も数十年で転生する運命にあるというのに。

 阿未や阿爾は他人を想ったり心配したり出来る人だった。阿一だって落ち着けば良いところが見えて来るかもしれない。

 彼らの企てを打ち破れば、私は今日の事も単なるトラブルとして記憶し、残りの短い生涯を記録に費やすのだ。

 ・・・空しくなってきた。

 

 

 タメ息をつき、気がつくと厠の前に立っていた。後ろ向きな思考が知らず知らず影響したんだろうか。今の私になんとなくお似合いの場所に思えた。

 戸をガラガラと暗い音を立てて開け、マッチを擦る。元々物を持ち込むような場所ではなく、一畳そこらの広さに汲み取り式の穴と備え付けの紙、あとは小さな小窓があるだけ。いっぺん見渡しただけで変わった物はないと分かった。

 

 無かったならさっさと他を探さねばならない。しかし相変わらず体が動いてくれない。この暗く狭い空間で、もうしばらく何もせずにいたい気分だった。

 ほう、とまたタメ息をついた直後。

 

 ひゅう、と風のような音がしてマッチの火が消えた。ぎょっとして真っ暗闇の中を見渡したが、戸口の方角からはそよ風すら入ってこない。

 中には私以外に誰もいない。じゃあ誰が火を消したんだろう? 目が慣れない中ソロソロと後ずさると、耳に小さな、すきま風のような震えた声が響いた。

 

「赤いチャンチャンコ着せましょか・・・・・・赤いチャンチャンコ着せましょか・・・・・・」

 

 冷たい女の声だった。最初は空耳かと疑ったが、その方角は今まで見過ごしていた、" 天井 "から聞こえて来ていた。そんな場所に一体誰が、と焦りながらその声の主を見上げる。

 

 ・・・・・・鬼人 正邪が、天井に足を着けて逆さに立ち、赤い目で真っ直ぐ私を見下ろしていた。口からは長い舌が覗き、手元には包丁がギラリと光る。

 見つめあった目が、にぃーっと鋭く、愉快そうに細められる。

 

 悲鳴をあげそうになった時には、落ちる勢いで迫ってきた正邪が音を立てて私を床に押し倒していた。後頭部にガツンと衝撃。視界が一瞬チカチカと明滅する。

 

「よくここまで来たね。阿求さん」

 

 思ったより柔らかい声色。そうか、こいつの正体は阿悟だった。男子の中では比較的大人しそうだったが、包丁を片手に跨がられた今となってはとてもそうは思えない。

 

「厠まで来たら自然と気を抜くだろうと思ったんだ。待っていた甲斐があった」

 

 既に私が動いてから二時間以上経った筈だが、考えがあっての事ならコイツはずっと厠で待ち伏せしていたんだろうか。ご苦労な事だ。

 

「悪いけど、すぐに終わらせてもらうよ。天邪鬼ってそんなに強くないみたいだし」

 

 ぺらぺら言いながら阿悟が包丁を振り上げる。この体勢から押し退けるのは無理だ。

 ・・・・・・ここまでか。

 銀色の先端が迫り、ぎゅっと目をつぶった。ほんの一瞬の最期の痛みを覚悟する。

 

 ・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・が。

 

 いつまで経ってもその瞬間は訪れない。最初はまぶたの裏の闇がいつ永遠の闇に変わるかと思っていたが、意識はいつまでも途切れない。瞬きをしてみると、慣れてきた目にちょくちょく色が入ってくる。

 

 恐る恐る目を開けてみた。一番間近にあったのは、視界の隅の、首もとに突きつけられた包丁。それを掴む手は腕に、腕は肩口に繋がって伸びている。そして肩から首、首の上の阿悟の顔はじっと私に向けられている。

 目線をそっと包丁に向ける。もう数センチで首を切り裂ける筈なのに、何故か寸前で止まった刃は動かなかった。

 

 心の中でいぶかしんでいると、阿悟が口を開く。

 

「そ、そうだ、首とお腹どっちが良い? それくらい選ばせてあげる」

 

 なぜか吃りながら両手を広げる阿悟。心なしか笑顔がひきつっている。

 

「どっちだって同じじゃないですか」

 

「いやその、なんだ、首だとすぐ死んじゃうし、苦しむ姿を見るのも悪くないから・・・・・・。

 知ってる? お腹に逆さまに刺して回すと助からないって」

 

 そんな事は知らん。さっきからぺらぺらと言葉面は残忍だが、どこか表面的な脅しだった。目を泳がせたり、しきりに手汗を拭いたり。

 

「やるなら早くして下さい。焦らすなんて悪趣味な」

 

「ち、違っ・・・・・・! そんなつもりじゃ」

 

「何なんですか一体」

 

「う・・・・・・うぅー・・・・・・」

 

 妙におどおどした仕草で話すから緊張感が抜ける。

 逆に私が苛立ってきた。つい睨み付けると、阿悟は目を見開いて固まった。小さく弱った声を出しながら、怯えた子犬のように体を震わせ始める。

 それでも目を離さずにいると、終いには丸くなった目の端を潤ませたかと思うと、肩をすぼめて頭を垂れ、こんな事を呟いた。

 

「出来・・・・・・ない」

 

「は?」

 

「出来ないよぉ・・・・・・!」

 

 情けない声をあげ、両手で顔を覆い泣き出す阿悟。私は戸惑い、白けるしかなかった。さっきまで私に刃物と脅迫を向けていたではないか。こんな追い詰めた状況になって、今更なんだ、その台詞は。

 下敷きにされたまま口を挟めない私をよそに、阿悟は絞り出すように泣き続けた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「ひ、ひくっ・・・・・・」

 

 しばらく泣いてしゃくりあげる阿悟を見ながら、恐る恐る問いかけてみる。

 

「・・・・・・なんでこのゲームに参加したんですか?」

 

「・・・・・・だ、だって、皆怖いし・・・・・・」

 

 正邪のスカートを押さえながら、阿悟が目を逸らす。お前だって怖いわ、と口をついて出かけたが、なるほど今の態度を見ればあの連中に迫られて断れなかったんだろう。あの時のせせら笑いも連中に合わせての事か。

 

「あなた、わざわざ作戦立ててここにいたんでしょう? 本当は乗り気だったんじゃないですか?」

 

「ううん、厠ならもしかしたら・・・かち合わずに済むかも、って・・・・・・」

 

 念のための確認にも阿悟は弱々しく首を振る。私が殺す気でかかるのを恐れて先手必勝とサイコの振りをしていたのか。

 随分と小心者に思えたが、いつ殺されるか分からないという条件自体は同じなのだ。何度も相対して感覚がマヒしかけていたが、これが案外普通なのかもしれない。

 

「あの、とりあえず、退いてもらえませんか? 体が痛くって」

 

「へ? あ! ご、ごめんなさい!」

 

 狼狽えて物凄い勢いで飛び退く阿悟。とりあえず最初の殺気は確実に演技だ。ヤレヤレである。

 

「えと、見逃してもらえるなら私はもう行きますよ」

 

「あ、待って!」

 

 体を起こすと、今度は阿悟が膝立ちで目を合わせてきた。今度は何だ?

 

「・・・・・・薬、見つけられそう?」

 

「いえ、それはなんとも」

 

 阿悟が心配そうに覗き込んでくる。対して、私は何故か感謝も焦りもさして湧かなかった。毒が回れば自分が死ぬ。死なない道を選べば阿弥達はいなくなるのだ。目の前の阿悟も含めて。

 今となっては、ますます決心が鈍る。

 

 しばし目を伏せて黙り込んでいた。阿悟も何も言わないのでチラリと顔をあげると、何やら天井を睨んで小さく唸っている。

 そして誰もいない周囲をキョロキョロ見渡すと、声を潜めて囁いた。

 

「あのね、これは内緒だけど・・・・・・

 薬の場所・・・・・・」

 

「えっ!?」

 

 思わず言葉を遮り、身を乗り出してしまう。薬の場所、確かにそう言った。阿悟は慌てて口に指を当て、言いにくそうに口ごもりながら、また下を向いた。緊張の為か、何度も唇を舐めて濡らしている。

 

「あ、あのね」

 

 またしかめた顔を上げる。そしてしばし目を泳がせると、打って変わって軽い口調でこう言った。

 

「阿求も仲間に入らない? 十代目が生まれたら、その子を狙うんだ。

 僕から阿弥に話してあげる。そうしたらキチンと転生するまで待つ筈だから」

 

 心なしか早口で、本心を誤魔化す時の話し方にそっくりだった。最初になんと言いかけたか気になったが、それより阿悟の申し出を聞いた時、私は確かに内心でこのまま流される事に違和感を感じた。段々と、それは口に出せる形を成していく。

 対して阿悟は見ているこっちが気の毒になりそうなくらい真っ青な顔をしている。とりあえず答えにくいので、少し話を逸らしてみた。

 

「良いんですか? そんな事してもらちゃって・・・・・・」

 

「うん、僕としてもそっちの方が・・・・・・。あ、でも・・・・・・」

 

 首肯しかけて、阿悟の視線が私に向けて一点に留まる。何だと思って自身を見ると、さっきドタバタしたせいで襟元が少しはだけていた。

 ・・・・・・まさか、そう思って阿悟に向き直ると、ハッとなって縮こまり、今度は顔を真っ赤にする。お前はリトマス試験紙か。

 これだから男は。

 

「・・・・・・た、タダじゃダメって言ったら・・・・・・」

 

「従うしか無いですよ。有利なのはそちらです」

 

「じ、時間は・・・・・・」

 

「さあー、あんまり無いんじゃないですかー?」

 

 わざわざ時計を確認するのもアホらしく思えた。大体、死後に、自分が絶対的優位に立ってから、おっかなびっくりに要求するのがそれか。後の代として情けないぞ。

 ・・・・・・と言いたいのをぐっと堪え、一つ条件を出した。

 

「出来たら正邪の・・・・・・女の子の姿でいてくれますか」

 

「あ・・・・・・そ、そうだよね。分かってる」

 

 何が分かったのかは聞こうとも思わないが、阿悟はしょんぼりした様子で頷いた。・・・・・・どこまで期待したんだろう。

 

 ふん、と鼻を鳴らし、ゴロリと体を横たえる。その視界に阿悟の顔が現れた。

 

「ちょ、ちょっとだけ・・・・・・」

 

 うわ言のように呟く阿悟の表情を正邪の顔を通して眺める。見ただけだと完全に乙女だった。禁忌を犯すかのような、ただならぬ興奮が伝わってくる。

 そのせいだろうか。私が正邪の姿でいろと頼んだ真意も、見抜けていないようだ。このまま誘いに乗る気も、いつまでも下手に出る気もない。

 阿悟の手がこわごわと肩に触れる。その腕を掴んで、強引に引き寄せた。ビクリと震えた阿悟の体がそのまま落ちてくる。

 耳元で阿悟の熱っぽい息遣いが聞こえた。私のすぐそばにも、妖怪特有の長い耳がある。垂れてくる髪がこそばゆい。

 この期に及んで密着しそうになる体を片手で辛うじて支える、文字通り耳まで真っ赤になった阿悟。少し力を入れれば簡単に壊れそうな彼の耳元で、そっと、こう囁いた。

 

「・・・・・・大好き」

 

 その瞬間、阿悟の体が弾かれたように飛び上がった。私が囁いた耳を困惑した表情で押さえている。

 

 天邪鬼となったからには、好意を示す言葉は毒だ。私から油断しきるように誘いをかけたお陰で、阿一と同じく忘れていたのだろう。

 

 すかさず脚を振り上げ、阿悟のお腹を蹴りつけた。慌てていた阿悟は呆気なくよろけて、そのまま後ろに引っ張られていく。

 

「わっ、たっ、た!!」

 

 首から下があっという間に吸い込まれる。必死で腕で床に掴まり、阿悟は汲み取り式便所に落ちそうになりながら涙目になっていた。

 御札を取り出して近づく。こちらを見上げる表情は、まだパニックが解けていない。

 

「耳、耳が・・・・・・痛いよ、痛いよ・・・・・・」

 

「はいはい、少し黙ってて下さい」

 

 泣きそうになって訴える阿悟の頭に札を押し付ける。姿が戻り、阿悟がキョトンと目をしばたかせる。

 

「落ち着きました?」

 

「あ、ありがとう・・・・・・ってひゃあ!」

 

 阿悟の言葉も遮り、落ちていた包丁を突きつける。またしても困惑する阿悟に向けて、努めて強い言葉で問いかける。

 

「じゃ、薬の場所を教えて下さい。今すぐに」

 

「な、何で・・・・・・」

 

 阿悟が気弱そうな声と瞳で問い返してきた。私の態度の変わりように驚いたか、好意を撥ね付けられてショックなのか・・・・・・。少しばかり胸が痛んだが、そうしなきゃいけない理由がある。

 

「私が仲間になれば、また次の代を狙うのでしょう。他人に理不尽を強いてしまう。

 ・・・・・・そんな事は、するもされるも御免です」

 

 じっと目を合わせて語気を強めると、阿悟はう、と短く呻いた。ちょうど痛い所を突かれた子供のように。

 上目遣いに阿悟が私を見上げる。しばし未練がましくチラチラと表情を窺っていたが、やがて諦めたように俯き、言った。

 

「・・・・・・離れに行って」

 

「離れ? そこに薬が?」

 

 私が念を押すと、阿悟は頷く。

 

「僕、見ちゃったんだ・・・・・・。阿弥ちゃんが離れの方角から歩いてくるの。

 詳しくは分からないけど、あっちにあるのは多分、間違いない」

 

 ぎゅっと目をつむり、押し殺すように話す阿悟。奴等への裏切り行為だ。相当勇気が要ったんだろう。

 

「・・・・・・ありがとうございます」

 

 腕を掴んで引き上げようとすると、阿悟は首を横に振る。

 

「僕は放っておいて」

 

「でも」

 

「良いから」

 

 少しだけ強い口調で言われる。無言で頷くのを見て、包丁を持ち、背を向ける。

 

「ここから動かないで下さい。必ず戻ってきますから」

 

 飛び出して戸を閉める。すると、扉越しに阿悟の独り言が聞こえてきた。

 

「・・・・・・エッチな事考えたから、バチが当たったんだ」

 

 大袈裟な、と少し笑いそうになった。紫が来たら、彼らを助けられないか聞いてみよう。彼女や周辺の妖怪なら、魂を清浄な場所に導けるかもしれない。

 その為にも生き残らなければ。殺されてやるのは彼らにとって救いでもなんでもない。

 

 決意を新たに、離れに向かって飛び出した。

 

 

 

 

 未だ闇の中に沈む稗田邸の敷地内。厠を出ると、左手に蔵、そしてその向こうに離れが見える。

 あの中に薬があると言った。残り時間も少ない。さっさと行かなければ。

 

 離れに向かって駆け出す。すると、蔵を横切った所であるものが目に入り、足が止まってつんのめった。

 

「これは・・・・・・」

 

 明滅する光の壁のようなものが見えた。最初は見間違いかと思ったが、その壁の根本を見れば御札が点々と地に並べられている。

 ・・・・・・結界。奴等の中でこんな事をするのは限られている。恐らく・・・・・・

 考えながら後ろを振り返る。月の光に照らされて、母屋の屋根から飛び立ち空を滑空する影があった。次第にそれはハッキリとした色を帯びていく。

 赤と、白。

 

「阿七!!」

 

 名を呼んだ瞬間、霊夢さん得意の針の弾幕が発射される。あまりの速さに光線にも見えるそれは、私が飛び退いた直後に音を立てて地面と結界に突き刺さり、針鼠のような跡を残し、或いは弾けとんで消えた。

 

 相手も見ずに必死で逃げ回った。後ろではひっきりなしに針の刺さる音が、弓矢の如く低く響いている。豪雨に追いかけられているみたいだった。しかも狙いは私の命。少しでも動きが鈍れば一瞬で蜂の巣だろう。

 

 来た道を振り返ると厠が見える。しかし阿悟を巻き込む訳にはいかないと辛うじて思考が動き、反射的に蔵の扉に取りすがる。

 

 取っ手に手をかけるとガタガタと扉は引っ掛かったように開かない。手元に目を凝らすと小さな錠がかかっていた。

 こんな時に、と阿七を睨むと、彼も何か懐を探っている。どうやら弾切れらしい。

 一瞬でも遅れを取れば良い的だ。血相を変えて持ってきた包丁を叩きつける。鈍い金属音がして手に振動が伝う。何度も繰り返すと手が痺れてきた。やがて包丁が根本から折れ、同時にガチャンと音がして錠の一部が壊れる。すぐさま戸を引いて中に飛び込んだ。

 

 私がちょうど扉の陰になった瞬間、扉に一斉に針がぶつかり、揺れる。すぐさま閉めたが、錠は外側のものしか無かったらしく、内鍵が見当たらない。

 踵を返して蔵の奥に逃げ込む。幸い中は煩雑に散らかっていたので、ガラクタの山の陰に身を隠した。

 

 戸口の方から乱暴な音と共に月明かりが射し込んでくる。そっと顔だけを出すと、阿七が飛んで上から探しだしたのが見えた。蔵は古いだけあって広く天井も高い。屋内にも関わらず空を飛べるというアドバンテージが発揮できるのだ。

 ゆっくりと浮遊しつつ、隙のない目で隅々まで見通す。手には御幣。霊夢に狙われた妖怪はこんな気持ちなのだろうか。冷や汗が止まず、息遣いさえ聞こえやしないかと気を揉む。

 逃げ出す隙を窺いたかったが、いざこの状況になってみると厳しいものがあった。もし阿七の目を盗んで戸口に向かったとしよう。駆け出せば早いが、音も立ち、気づかれる。かといってこっそり行けば長時間見つかるリスクを犯す。見下ろし視点で飛び道具を使ってくる相手だ。如何に素早く逃げようが巧妙に隠れようが見つけるなり射殺されるに違いない。

 ならば速急に倒してしまうより他ないが、何しろ私ではジャンプでも届かない。一か八か、物でも投げてみるか・・・・・・

 

 考えている内に阿七がこちらに向かってきた。とにかくこの場からは動かなければ。そう思って音を立てないよう身を捩った。

 

 その時、ガラクタが背中にぶつかる感触がした。ハッとなって上を見ると、積み上がった様々な物品の山。見るなりこれだ、と体が動いた。

 

 体全体を押し付け、迫りくる阿七に向かって山を揺らす。頂上が引っ張られるように揺れると、連鎖的に他の積まれた物たちも次々と均衡を失っていく。

 

「うわっ!?」

 

 阿七が驚いて体を捻ると、すぐそばに雪崩のようにガラクタが崩れ落ちる。さっきまであった場所のすぐ前に突っ伏した形の山が出来、床が抜けてもおかしくないような音がして、もうもうと埃が舞う。

 

「・・・・・・けほっ」

 

 阿七が咳き込む。普段誰も立ち入らないだけあって、視界を白く染める程の埃。私にとっても邪魔に違いないが、それは狙っていた好機でもあった。

 目が痛いのも構わず御札を持って走り出す。前傾した山を駆け上がり、狙うは阿七一直線。

 

 阿七が顔をしかめながら振り返り、驚愕の表情を浮かべた。私は出来る限りのジャンプをして飛びかかる。阿七に組み付いて御札を貼り、互いに御阿礼の姿で飛ぶ力のないまま空中を落下していく。

 

「ぐあぁっ!」

 

 木の入れ物や古い金物、使わなくなった火鉢に水瓶、陶器、焼き物。

 

 耳にやかましい破壊音、身体中に重い鈍痛。様々な物にぶつかりながら転がり、阿七を上から押さえ込む。私と同じく体を打ったのだろう。抵抗する力はいやに弱かった。

 

「阿七! もうやめにして下さい。でないとこれ以上の目に合いますよ」

 

 首に腕を押し付け、締め上げる。阿七は呻いて血を吐いた。それでも嫌らしく歯を見せる。

 

「よく言うぜ、まさか諸共に叩き落とすなんて・・・・・・」

 

 まだ意気は挫けていない。だがどうにかして分かってもらいたかった。私が消えて欲しいなんて思っていないことを。

 今までのように縛って放っておくのは簡単だ。でも阿悟に戻ると約束した手前、彼らの意思で殺し合いをやめて欲しい。あの雑記帳の事もある。

 

「・・・・・・約束します。あなた方の魂はキチンと弔いますから、もう大人しくして下さい。

 こんな事、間違っています」

 

「あぁ?」

 

 阿七が凄む。傷だらけで額から血が流れ、目力が増して見える。

 それでも瞳の奥に、罪悪感を示すような暗い淀みが見えた、ような気がした。それを信じて、目を離さずに語りかける。

 

「私が生きたいのもあります。けど、御阿礼の子として生きて残したいものも、あなた方が遺した、もっと知りたいものもあるんです。

 ・・・・・・・・・今まで、蔑ろにしてきた分」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 阿七が訝しげに私を睨む。しかし紛れもない本心だ。彼らのこの仕打ちが正当だなんて勿論思わない。でも先代の事を真剣に考えようと思った。阿一から阿弥まで一人一人の犠牲や悲しみの上に自分が立っているという実感。それは確かに足りなかったかもしれない。

 

 見つめ合って数分、鋭かった阿一の目が段々と穏やかになり、ばつが悪そうに目を逸らした。分かってくれたのだろうか。警戒を続けながら、少しだけ姿勢を変える。

 

「まず話をすると約束して下さい。迷うのは当たり前でも、考えてもらえたら・・・・・・」

 

 言いながらゆっくりと拘束を解く。すると、ぼんやりと天井を見上げていた阿七が、不意に顔を歪めた。

 

「くっ・・・・・・くく・・・・・・」

 

 小さい引き笑い。眉をしかめると、阿七がひねくれた笑顔のまま私を見た。

 

「おい」

 

「な、なんです?」

 

 再び強気な口調。まさか罠か、と一瞬身構える。しかし次の瞬間阿七の口から出た言葉は、意外なものだった。

 

「離れた方が良いぞ」

 

 え? と言いかけて気を抜いた瞬間、阿七が体を起こし、私を掴んで投げ捨てた。

 

「きゃ!」

 

 肩肘に痺れた感触が襲う。身体に意識がいかず、目だけを前に向かって剥く。そこにあった光景に、思わず息を呑んだ。

 

 阿七の真上、さっきまでの私の背後に、ムラサキ色の裂け目があった。見間違う筈もない。紫の、そして阿弥のつくる空間。

 そこから手が伸び、薄ら笑いを浮かべる阿七の首を掴むと、瞬く間に阿七を空間に引きずり込む。後には、阿七も裂け目も何もない。暗く散らかった、それでいて音だけは何もない空間が広がるばかりだった。

 

「あれ・・・・・・?」

 

 二、三度瞬きする。目の前で起こった事が信じられなかった。阿七が消えた。恐らく、阿弥の手によって。

 

 私ごと始末するつもりだった、とも考えたが、それなら今立て続けに引きずり込んでしまえばいい。いや、そもそもあんなに呆気なく決着がつくなら最初にやってしまえば良いではないか。今までに何度もチャンスはあった筈だ。

 

 ・・・・・・今まで・・・・・・

 

 縄をほどかれてからの記憶が甦る。

 

 阿未の錯乱ぶり。

 

 阿一の悲壮な表情。

 

 阿爾の自らを責めるような謝罪。

 

 阿悟の大袈裟に思えた後悔。

 

 みんな、『後が無いから』だとしたら。

 

 今まで考えもしなかった現実。私が彼らを下す度に阿弥が始末していたとしたら。

 私が救いたいと思った彼らは、もうどうにもならなくなったのか。

 

 ・・・・・・ああ、バカだ。バカだ。バカだ私。

 

「クソッ!」

 

 毒づいた瞬間に壁を蹴飛ばしていた。こんなズタボロの体でも気持ち次第で動くものだ。いや、むしろ怒りと共に身体中に熱がふつふつと沸いてくる。

 

「離れだ・・・・・・とにかく離れに行かないと」

 

 そこに薬はある。こうなったら意地でも私だけは生き延びなきゃいけない。阿弥は最後に出てくるだろう。その時は・・・・・・

 

 さっき蹴った拍子に穴が開いた壁。そこに何気なく目を落とす。壁に横向けに、長い二つ折のはしごが掛けてあった。ちょうど、離れの屋根に届くくらいの全長。

 

 普段なら『そんな都合よくいかない』と思うだろう。しかし、その時はそれに賭ける気になったのだ。まるで阿七が差し出してきたように思えた。

 

 

 残る時間は、五十分。

 残る刺客は、あと二人。

 



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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 後編・エピローグ

 蔵の中の荒れようを気にもせず、梯子を手に離れに向かう。普段なら苦もなく持てるであろう梯子がまるで鉄の重りのように体にのし掛かる。それでも無言で、ただただ薬があると言われた建物に向けて歩を進めた。

 

 ・・・・・・少しして離れの前に立つ。母屋より小さく、使われる事も少ないからか寂しい雰囲気が漂う。もし誰かが夜に通りがかり、この中にポッと明かりが灯ったら、物の怪を疑うかもしれない。

 しかし、今の私はもっと差し迫った危機の中にいる。明かりがあれば敵がいると確信し、無ければ敵が潜んでいると疑い、そうでなくても気を抜く訳にはいかない。時間にだって限りがある。

 

 そこはかとなく不気味な外観に思いを馳せる思考をシャットアウト。梯子を真っ直ぐ伸ばし、屋根に立て掛ける。ちょうど届く高さだったので、周りに誰もいないのをもう一度確かめてから、ゆっくり梯子に手をかける。

 

 一段、二段と登ってゆき、顔を出すとなだらかな瓦屋根が見えた。空との境界には滅多に見ない屋根の頂上。地上から見上げるでも、母屋の二階から見下ろすでもない、不思議な光景だった。

 

 瓦は暗い藍色。隙間の陰は黒い線を入れたようだ。立ち上がって見る姿勢だと見つからないかもしれない。じっと目を凝らし、梯子から身を乗り出すようにして屋根を端から手探りで探していく。

 緩やかな山なりになっている屋根を這うようにして、気づけば梯子には足を引っかけているだけになった。

 中途半端な姿勢で危なっかしかったが、下手に屋根に体を預けるとずり落ちてしまいそうで、足元、胴体、手元、視界、様々な場所に神経を使う。

 

 そうして規則正しく並べられている瓦に視線をじっと巡らせていると、頂上近くの一点が目に留まった。

 一枚だけ、少し欠けている瓦。その隙間に、微かに煌めくものが見えた。その一点を、今度は穴の空くほど見つめる。黄色く、ガラスのように反射する小振りの物体。

 

「あった!!」

 

 間違いない、あれが解毒薬だ。咄嗟に体を前に引きずろうと、足が梯子を蹴った瞬間だった。

 

 ふっ、と足元から感触が消えた。反射的に足をばたつかせて屋根を登る。梯子を誰かが動かした、そう直感すると同時に、地上から金切り声が響いた。

 

「キイイイィィーーーッ!!」

 

 直後に、梯子が屋根に叩きつけられる音。そしてガタガタと梯子を登ってくる。あの声は聞きおぼえがある。早苗だ。阿余に見つかった!

 

 解毒薬を拾って立ち上がり、梯子とは反対側に走る。後ろからの叩き割るような音に振り返ると、屋根の頂上から這いずる蛇のような姿の阿余が顔を出した。

 

 思わず後ずさろうとして、屋根から足を踏み外しそうになる。下にはギリギリ飛べるかどうかの遠さの地面。今の体では耐えられるか分からない。

 

 前からは目を鬼のように光らせながら近づいてくる。もう手の中に薬があるのに、ここまできて!

 どうする、戦うか? しかし私が正面切って勝てる可能性はゼロに近い。それにもし薬の瓶が壊れたりでもしたら本末転倒だ。

 

 なにか、弱点でもあれば。阿余だけの・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・阿余だけ?

 

 そうだ!

 

「これを見なさい!」

 

 懐からある物を掲げる。阿余の目が一瞬それに向くと、すかさず言い放った。

 

「療養の部屋で見つけた、あなたの日記です!」

 

 阿余の目が丸くなる。信じられないという表情で、私と手の中の手記を何度も見た。やがて嘘ではないのを察すると、おろおろと震えながら立ち上がり、乞う。

 

「か、返して! 私の大事な・・・・・・」

 

「来ないで!」

 

 叫んで制すと、近づこうとした足を止めてへたり込んだ。予想しなかった事態に驚いている。平地じゃなく歩きにくくもあるだろう。

 だが、それだけじゃない。

 

 彼女は足を怪我していた。それも赤黒く治癒しかけの傷。恐らく阿未が同士討ちした時のものだろう。下手に動かれては、阿余に万が一があるかもしれない。

 

「私が薬を飲んだら、お返しします。それまで大人しくしてください」

 

 言いながら手記を瓶と一緒に持ち、もう片方の手で蓋を開ける。微かに薬品の匂いがした。それを口許まで持っていく。

 

 その瞬間。

 

「うわあああぁぁっ!!」

 

 阿余が躍りかかってきた。驚いて避けると、手から手記が滑り落ちる。阿余は空中のそれに手を伸ばしながら、脚をもつれさせて落ちていった。

 

「あ―」

 

 何も言う暇は無かった。引っ掻かれた手記が散らばり、阿余は前のめりになって視界から消える。

 直後に、ごきりと嫌な音がした。

 

 走り寄って下を見ると、地面に倒れた阿余が、元の姿に戻る所だった。当たり所が悪かったのだろう。血に染まったその体は動く気配がない。その体の上にパラパラと手記の頁が覆い被さっていく。

 

 死ぬまでの気持ちを、誰にも見せないつもりで書いた日記帳。それでも本心は塗りつぶされていた。

 ほんの少し前の弱った顔を思い出す。あの私を殺そうと血走った目は果たして自然な姿であっただろうか。

 苦しくはなかったか、言いたいことはなかったか。

 

 今となっては何度問いかけようが答えてはくれない。死に顔は遠くから見ても、皮肉なまでに穏やかだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 手の中の薬に目を移す。幸い中身は無事だった。何故か感動も緊張もなく、私はそれを絆創膏でも貼るかのように飲み干す。

 

 そのまま屋根に座り込む。もう毒は消えた。敵も殆どいない。そう思うと強烈に虚無感が襲い、私は何もせず、腰を下ろしたままボンヤリと空を眺めていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・どのくらいの時間が経っただろう。いつしか太陽が顔を出し、空は白みはじめた。思い出したように時計を見ると、ちょうど五時間が過ぎたところだった。もう確実に毒は心配ない。

 後は、敵が一人だけ。

 

 梯子を降りて、反対側に回る。阿余の死体はとうに無くなっていた。奴が片付けたのだろう。

 周りには血の染みが付いた頁がそのままになっていた。阿余が最期に遺したもの。奴にとってはどうでも良かったのか。

 

 唇を噛んで、一枚ずつ頁を拾い集める。きちんと日付けの順番通りに。

 生きて持ち帰らねばならない。私は、彼らの恨みを忘れられない。幻想郷に帰って生き続けるなら、同時に背負わねばならない。

 

 日記を纏め、庭を歩き出す。その足は、自然と正門へと。

 

 毒が消えたなら、紫の救助が来るまで待つという選択肢もあった。しかし、周りから隠れようもない正門の前に立ち、虚空に向けて言い放った。

 

「逃げても、無駄なのでしょう?」

 

 その瞬間。目の前にがばっとムラサキ色の裂け目が現れ、紫―の姿を真似た阿弥が顔を出した。あの見下ろす舐めきった目付き、忘れる筈もない。

 

「はぁ~い、ご機嫌いかが?」

 

「・・・お陰様で最悪です」

 

 ぼそりと飛び出す言葉。少しでも気を抜けば、胸の奥のどす黒い感情が噴き出していきそうだった。

 知ってか知らずか、阿弥はにんまりと笑う。

 

「まさか連中がやられちゃうなんてねぇ。しかも解毒まで済ませちゃって」

 

 からからと笑い声をあげる阿弥。明るくはあったが、感情のこもっていない冷たい笑い。

 その笑いの主に、一つ問う。

 

「聞いても良いですか」

 

「ん、何? スリーサイズ?」

 

 無邪気な、しかし張り付けた笑顔。それが変わることを願って、真剣な眼差しに変わるように祈って問いを口にする。

 

「・・・・・・何故、彼らを殺したんです? 

私を憎む同士ではないんですか?」

 

 目をじっと見つめると、阿弥は一瞬意外そうな顔をした。そしてすぐに訳知り顔で頷く。

 

「・・・・・・ああ、あなた、あれを見たの」

 

「見ましたよ。みんな、普通の悩みを持っていました。あなたと同じように。

 なのに何で・・・・・・」

 

 喋るうちに涙声になっていた。皆を先導し、誰よりも彼らの気持ちを分かってあげられただろうに、何故踏みにじるような真似をしたのか。私なんて、最初は一つも心当たりが無かったのに。

 

「ふーーん・・・・・・・・・」

 

 阿弥はしばらく神妙な顔で唸っていた。そしてつまらなそうに私を睨み、こう聞き返してきた。

 

「ねえ、私の時代の妖怪たちって、今どうしてる?」

 

「へ?」

 

 よく分からない。妖怪ならばまだ生きている者も多いだろう。雑記帳の阿弥の欄にも『また会いたい』とあった。

 

「生きている方もいますよ。それが何ですか?」

 

 急かすように言うと、阿弥は眉間に小さくシワを刻んだ。

 

「そう、生きている・・・・・・。いつも通り、平和にね」

 

「だからそれが・・・・・・」

 

「私のいた席を、あなたが埋めて」

 

 私の言葉を遮って阿弥は語気を強める。そして堰を切ったように激しい口調で話し出した。

 

「私の記憶が、阿求の記憶に塗りつぶされるのを目の前で見せつけられる気持ちが分かる?

 あなたの幻想郷縁起、私の知っている子がいた。私の知らない知識があった。それを目の当たりにした時の気持ちが、あなたに分かるの!?」

 

 体を震わせ、吠えるように阿弥は言った。その気迫に気圧されかけたが、まだ疑問は解けない。

 

「・・・・・・私を阿弥の再来のように思う人は、確かにいるかもしれません。

 けど、それが何故全員を消す理由に」

 

「私は、たった一代前」

 

 阿弥が呟くように言う。すぐに意味が飲み込めずに口をつぐむと、阿弥は低い声で続けた。

 

「私の事なら、きっと皆覚えてくれているわ」

 

 両手を広げ、天を仰ぐ。その目は一見穏やかになったかに見えたが、目尻が変に下がり、夢の中に向かって喋るような虚ろな瞳だった。

 

「たった一代前だもの。紫も、幽々子も、藍も、文も、阿弥だって言えば、きっと抱きしめてくれるわ」

 

 阿弥の目から涙が流れ出る。それは歓喜の印か、自分の中の狂気を嘆いてでもいたのか。

 

「阿一? 阿未? 阿余? あんな奴等の時代はとうに終わってる。未練を晴らすためだけに動く、下らない亡霊よ」

 

 その言葉にぞくりと寒気が走る。阿弥のぞんざいな話しぶりは、目の前の私だけじゃなく自分以外の全てを見下すような響きがあった。

 

「その亡霊を仲間にしたのは、あなたじゃないですか」

 

 目一杯声を張り上げた。阿一たちに同情する気持ちと、ふと芽生えた疑念に押し潰されそうになる。

 ・・・・・・『そんな事』あってはいけない。

 

 恐れる気持ちと怒る気持ちがない交ぜになり、阿弥の返答を聞き出そうと耳がざわつく。知らず知らず呼吸が荒くなっていた。

 阿弥はそれを見て、愉快そうに首を傾げる。

 そして、言った。

 

「仲間? 冗談! 奴等は『駒』よ。そして、あなたへの憎しみを出汁に集めた『エサ』」

 

「え・・・・・・エサ?」

 

 阿弥が先代を何とも思っていなかった事実に、目の前が暗くなりかける。気になる最後への疑問を口にした時には、その言葉は消え入りそうな程小さくなっていた。

 それでも阿弥には聞こえていたのか、それとも見せるつもりだったのか。襟をずらし、服に隠れていた部分を、ほんのちょっと露にした。

 そこから覗いたものを一目見て、背筋が凍る。

 

 胸元が青白く変色し、黒い穴が開いている。心なしか皮膚の上とは思えない凹凸があった。それが蠢き、ぼこぼこと襟元から這い出そうとする。

 その拍子に、穴がもう三つ現れた。合わせて数は四つ。心なしか、目鼻と口のようにも見える。そいつが阿弥の体から飛び出そうとするかのようにキィキィと鳴いた。

 

「人面疽・・・・・・?」

 

「まだ上手く馴染んでくれないのよ。エネルギーが足りないと、幻想郷でも存在を保てないのに」

 

 阿弥は財布の中身でも見るかのような口調だった。まさか、あの人面疽が先代の成れの果てなのか? 阿弥は、彼らを取り込んだとでもいうのか?

 悪寒と吐き気が込み上げる。震えて歯を鳴らす私に、阿弥はにたりと気味悪く笑った。

 

「あなたが最後よ。阿求。私はきっと皆の所に戻る」

 

 阿弥が両手を掲げる。取り落としそうになりながら御札を取る。もう残りも少ない。あの紫の能力を相手にどう立ち向かおうか。

 上半身だけを乗り出して、腕を伸ばす阿弥。真っ直ぐ飛び込むのはまず論外だ。どんな術を使ってくるか分からない。加えて、あのスキマがあれば逃げるのも自由自在。その気になれば四方八方から体のパーツ一つ一つを出し入れ出来るのだ。迂回や死んだ振りなんて小細工も悪手だろう。

 

 ・・・・・・・・・どのように隙をつくか、正直な所思い付かない。可能性があるとすれば、阿弥の両手から何が飛び出すか分からない点だろう。それを凌いで、状況次第で出方を考えて・・・・・・・・・

 

 恐怖で停止しそうな頭をフル回転させる。目は阿弥に釘付けだった。ほんの小さな動きも見逃さないつもりで・・・・・・―

 

 瞬間。背後からドン、と押される感覚があった。

 突然の事に頭が真っ白くなり、その直後に頭が勝手に分析を始めた。

 

 まるで蹴られたような感覚。そして見えていた阿弥の体は腰から上だけ・・・・・・

 

 そうか、足だけを後ろに・・・・・・!

 

 結論が出た頃には、両手を広げた阿弥が目の前にいた。

 有無を言わさず飛んでいた体を受けとめ、抱きすくめられる。息が出来なくて、必死に顔だけを引き離すと、阿弥の手が上から頭を掴んだ。

 

 力はそれほどでもなかった。しかし、頭の中に割れるような痛みが走る。そして今まで阿求として歩んできた人生が次々と思い起こされる。

 

 生誕を皆が祝ってくれて、新聞にも載ったこと。藍さんが大人っぽく、橙がすくすくと成長していた事。紅魔館の吸血鬼が契約というものを幻想郷で結んだこと・・・・・・

 脳にもし「記憶用」の器があるとしたら、それを掻き回された気分だった。

 

 そしてその中に新しいものが入れ込まれる。知らない記憶。知らない時代。知らない人。

 ああ、先代の記憶。

 

 友達が目の前で妖怪に食われて。

 

 型通りの記録ばかりして、他人との触れ合いが感じられなくて。

 

 好きな人より先に死ぬのが悲しくて。

 

 もう一度だけ外を思いっきり走り回りたくて。

 

 周りに良い顔ばかりして、『模範的な記録者』として死んだのが悔しくて。

 

 知り合いが死ぬのを見て、自身の短い生涯が怖くて。

 

 里の中で稗田より貧しい子供を目にしても、記録者としてしか働くのを許されなくて。

 

 文が『阿求が生まれたら会いに行く』と言ったのが最期の別れになって。

 

 こんな時に、と映像を振り払おうとしたが、涙が溢れて動けなかった。悲しみの感情が流れ込んでくる。その悲しみを背負う彼らを食い物にしたのは、他ならぬ阿弥なのに。

 

 頭を掴む手に力が込められる。このまま握りつぶす気か。

 死ねば、私は彼らと同じ場所に行くんだろうか。それも良いかもしれない。もうどうにもならないのだ。下手に望みを抱くより、彼らを慰める事を想いながら逝く方が幸せかもしれない。

 こっそりと、最期に阿弥の顔を見上げる。少しだけ、悔やんでいるように見えた。これが終わったら、幻想郷に帰った阿弥は私達を覚えてくれるだろうか。

 いや、きっと大丈夫。死の間際になって、奇妙なまでに安らかな気持ちに包まれる。諦めたら、全てが終わる。そう思って瞼を閉じた。

 

 その時である。

 

『諦めないで』

 

 頭の中に女の子の声がした。妙にエコーがかかり、耳に届いた声にしてはおかしい。じゃあ阿弥か? それにしては不自然な言葉だ。

 考えているうちに、瞼を閉じて真っ暗な筈の視界に白い光が浮かび上がる。それは次第に人の形になり、おかっぱの女性のシルエットになった。

 

『あなたは、ここで死んじゃいけない』

 

 今更だ。誰だか知らないけど、無茶なことを言わないで欲しい。生きていたらいずれ、あの哀れな先代と同じ道を・・・・・・・・・

 

『思い出して。あなたが会ってきた人々を』

 

 誰かは思考を遮るように言った。その言葉で、急に映像が色鮮やかになる。

 

 恐ろしくも頼もしく、それでいてものぐさな巫女。汚い部屋で実験ばかりして、異変の時はいっとう輝く魔法使い。

 

 彼女らを軸に、幻想郷の様々な住人が人々を賑わせた。

 

 湖畔の赤い館の吸血鬼。冬をいつまでも長引かせた亡霊のお嬢様。人知れず隠れていた名医に忍者そっくりの不死者、山に突如乗り込んできた神々と風祝・・・・・・・・・

 

 数え出せばきりがない。相変わらず適当な理由で騒ぎを起こし、ここが神と妖怪の楽園だと思い知らせてくれる。かと思えば、最近では人妖の平等を望む者が蘇り、才能に溢れた方が幻想郷の在り方を考えたり、平和を好みひっそり生きる妖怪達が表に出たり、新しい風を吹き込んでくれることもある。

 

 やっぱり見たい。幻想郷の行く先を。僅かな間しか生きられないとしても、恨みを抱えて苦しむより、自分だけの思い出を持って死にたい。

 それに、小鈴・・・・・・。危なっかしくて軽はずみだけど、気の置けない友達だ。纏めた怪談も、縁起も、秘密の創作小説だろうが、彼女が喜ぶなら見せてやりたくなる。

 

 他人がどう言おうと、私が培ったものは、大事な宝物なんだ。

 

『あなたはただ一人の、大切な・・・・・・』

 

 

 

 

 右手で、阿弥の腕を掴んでいた。どのくらいの時間が経っていたのだろう。意識はまだハッキリとしている。目を開けると、阿弥が信じられないという目で見下ろしていた。

 

 掴んだ腕に力を込め、阿弥の手をじりじりと引き剥がす。阿弥も歯を食い縛り抵抗したが、どんどん私の手が押し返していく。

 不思議だ。傷だらけだった筈なのに、今は全身から力が溢れてくる。地に足を踏み締めると、阿弥が怯えたように後ずさった。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 息を荒げながら阿弥が言う。知っている筈だ。私は、お前と同じ顔だが一人だけ。

 

「・・・・・・を」

 

 残った手で拳をつくる。腕力に自信など無かったが、異様に力強い。

 

「私を・・・・・・」

 

 一歩足を踏み込む。阿弥の体がぐっと近くなる。拳を振りかぶり、全力の誇示の台詞と共に、迷いなく振るった。

 

 

「稗田阿求を舐めてんじゃねえっ!!」

 

 

 振り抜く拳に重い衝撃。食い込むような感触がして、阿弥が吹っ飛んだ。間抜けな声をあげて、いやに呆気なく地面に転がる。

 

「こ、この・・・・・・っ!」

 

 阿弥が上半身だけ起こして睨んでくる。しかしそれは悔しがる子供のようで、私を動じさせるものでは到底なかった。

 殴られた頬を押さえたまま、阿弥が立ち上がった。よろよろと、支えてやりたくなる程に弱々しい歩み。その目に浮かぶ涙が見える距離まで来た所で、阿弥が突如仰け反って叫んだ。

 

「ぎっ・・・ヒイーッ!痛い・・・・・・イタイィ・・・・・・・・・っ!」

 

 何事かと注視すると、阿弥の髪の色が、どんどんムラサキ色に戻っていく。ちょうど頬を押さえる部分から化粧が剥がれていくように、瞳の色や顔つきまで、元の姿に戻っていくように見えた。

 

「阿求ウゥ・・・・・・!」

 

 まだら模様の顔を怒りに歪め、阿弥が手を伸ばしてくる。次第に体も骨が軋むような音を立てながら、小さな背丈に変わっていった。紫の服がばさりと音をた立てて霧散し、元の阿弥の着ていた着物が小さな体を包む。小柄になりながらよろめいて近づいてくる彼女は、酷く哀れに見えた。

 

「逃がさない・・・・・・私は・・・・・・」

 

 獣が唸るような声で、阿弥が目の前に来た。恐怖は湧かない。もう何も出来そうに見えなかった。乱れた髪の奥の目だけを鋭く光らせながら、腕を前のめりに目一杯伸ばしてくる。

 

 その途端、ばたりと地面に突っ伏した。

 

「な、何・・・・・・」

 

 阿弥が振り返ると、彼女の足に何かが掴まっていた。地面から開いたあのスキマから、ムラサキ色の頭の子供が足にしがみついている。

 

「な、なんで、出てきて・・・・・・っ!」

 

 阿弥がひゅう、と息を吐いて、這いつくばって逃げようとする。その周囲、四方八方にスキマが開いた。そしてそこから御阿礼の子達が何人も、阿弥に群がり、押さえつける。

 

「いや、いやアァーーッ! 離して、離してよぉ!! 私は帰る、幻想郷に帰るんだから・・・・・・!!」

 

 阿弥は半狂乱になってもがくが、七人も束になった彼らを振りほどける筈もない。手足や体の節々を押さえつけ、着々と身動きをとれなくしていく。

 そして、がんじがらめになった所で、とうとう阿弥の真下に全員を呑み込む程のスキマが現れた。その無数の目が剥いたこの世ならざる空間に、阿弥の体が沈みはじめる。

 

「ひっ・・・・・・」

 

 眼下にどんなものが見えたのかは分からない。阿弥は色の抜けたような顔をして、私の方をすがるように見た。

 

「あ、阿求・・・・・・助けてよ、お願い。何でもするから。謝るから。逃げないでよ、阿求!!」

 

 底無し沼に嵌まるように、全身を徐々に引き込まれながら阿弥は叫ぶ。目の前の事について行けず、木偶のようになった足を必死で踏み出した。

 

 すると、突然辺りに、ガラスが擦れる音を何倍も大きくしたような怪音が響いた。

 

「!?」

 

 思わず体を強張らせる。辺りを見渡すと、今度は色褪せていた景色が白黒になったり虹色になったり、明らかに変調をきたしている。

 

 そこで思い出した。阿弥が全員を倒せば空間を出られる、と言ったこと。最期に阿弥が一人で出ていくにしても、空間を操作する権利は阿弥達か、全員を倒した者に限られるのだろう。

 

 しかし、こんな状況は想定していただろうか? 全くの別物と化した彼らに、空間を創った最後の主が殺されたら。

 

 この空間は、消えるだけで済むんだろうか。

 

 そう考えついて、一瞬体が停止する。すると、背後から誰かが強く腕を引っ張った。

 

「来なさい!」

 

 振り返ると、鬼気迫る表情の紫がいた。阿弥じゃない本物だ。彼女は有無を言わさず自身のスキマに引き込もうとする。

 

「でも、阿弥が・・・・・・」

 

 ポツリと漏らすと、紫は撥ねつけるように大声で私を叱りつけた。

 

「馬鹿! 死にたいの!?」

 

 体ごと宙に浮かんでスキマの中に。阿弥の方を見ると、顔が沈む所だった。スキマから口を何度も浮き上がらせ、阿弥は私を見たまま途切れ途切れに叫ぶ。

 

「やだ・・・・・・おいてかないで・・・・・・・・・」

 

 スキマが閉じられたのは、そのすぐ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ほえー・・・・・・これはまた大層なホラー風ファンタジーね」

 

 私の激闘の記録を読み終えた小鈴は、ペラペラと頁を読み返しながら『この子、馬鹿ねえ』なんて言って笑っている。退院したての体が、少し痛んだ。

 

「馬鹿にしないで。死ぬかと思ったんだから」

 

「いやー、あんたがいきなりコレを見せたら『遂におかしくなったか』って思うけどさあ」

 

 懲りもせずケラケラ笑い、椅子にとすんと腰を降ろす。鈴奈庵に客がいないせいか、軽口に遠慮がない。

 その後、ふっと表情に影が差す。

 

「あれ、見ちゃったらね」

 

 ・・・・・・あれから私が目覚めたのは、永遠亭のベッドの上だった。聞けば何日も気を失っていたらしい。体は全くと言って良い程動かせず、永淋先生は御阿礼の子に記憶喪失を心配していた。

 

「ミイラかと思ったわ、最初」

 

「あはは、その時動いたら面白そう」

 

 私が言うと、今度は小鈴が目で嗜めてくる。実際の所死んでも不思議じゃなかったらしい。目が覚めた時は上へ下への大騒ぎ。泣きはらした小鈴なんてのを初めて見た。

 

「でも、紫さんも詳しくは知らなくて、あんたから聞くまで不安だらけだったのよ」

 

「私が口で話したら、更に心配してたじゃないの。しかも頭の」

 

「だぁーって起き抜けに話すのがホラー風ファンタジーなんだもの。

 これが事件の状況説明に見える? 自分で推敲してリアリティー見直しなさいよあっきゅん」

 

「ちょ、痛い痛い」

 

 小鈴は原稿を丸めてポカポカと頭を叩いてくる。頑張って書いたホラー風ファンタジーに何をする。

 一頻りじゃれる。すると思い出したように小鈴が尋ねてきた。

 

「冗談はともかく・・・・・・その亡霊って大丈夫?」

 

「へ?」

 

「いや、置いてきぼりにしちゃったんでしょ?」

 

「ああ・・・・・・」

 

 ・・・・・・・・・先代達は、あの後紫と幽々子が二人がかりで探し回ったけれど、結局は行方不明だった。予想だと今も、憎悪に塗れたまま何処とも知れない世界を漂っているらしい。それを伝えると、小鈴は苦い顔で頷いた。

 

「・・・・・・私があの時、無理にでも・・・・・・」

 

「あんたのせいじゃないよ。勝手に他人を呪ったんだもの。仕方ないって」

 

 自己嫌悪に陥りかけた私を、小鈴は止めてくれる。しかし、実際入院中も何度も悔やんだ。あの時の、最後の助けを求める顔が頭に焼き付いて離れない。

 

「ま、あんただけでも助かって良かったけどさ」

 

 小鈴は明るい口調で言って、うんと背伸びをする。がたりと椅子を揺らしてから、なおも無言の私にまた尋ねてきた。

 

「そういやさ」

 

「・・・・・・ん?」

 

「最後の奴って誰よ? その、謎の女の子は」

 

 私が阿弥に取り込まれそうになった時、励ましてくれた誰か。正直、正体は未だに分からない。分かっているのは、どうやら性別は女性であるという事と、阿弥の変身を解いた神聖な力。私の味方だとは思うが、私は何せ現実の存在として見聞きした訳ではないのだ。

 

「分かんないなあ・・・・・・」

 

 手のひらを見つめながら呟く。しかしすぐに「でも多分」と付け加える。あの光のシルエットは。

 

「阿礼さん・・・・・・だと思う」

 

「阿礼? 阿一より前の?」

 

 私は頷く。私にまで受け継がれる完全記憶能力、『求聞持』を生かして縁起を最初に書いた人だ。

 

「なんとなくだけど・・・・・・あのシルエット、私達にそっくりだった気がする」

 

 もしそうなら、御阿礼の子の断絶を防いだのだろう。これからも移り行く幻想郷の様を、後世に伝えてくれと。お陰で今、私はここにいる。御阿礼の運命に耐えられなくなった子達の襲撃から逃れて。

 ・・・・・・これからどんな事があるかは、まだ分からないけれど・・・・・・

 

「じゃ、さ」

 

 思いに耽っていると、小鈴が一つ咳払いをする。そして思いっきり私の背中を叩いた。

 

「ケホッ!」

 

 むせかけた私の目の前に、人差し指をピンと突き付ける。

 

「いーかげんシャンとしなって。阿礼さんが頑張れって言ってくれたんでしょ?」

 

 少し強く言った後、おどけるように例の原稿を素早くめくる。

 

「こんだけ私の事熱く語っておきながら、私の前でしょげてどうすんの。それで先代さんが喜ぶの?」

 

 ・・・・・・阿弥達の事をまた思い出す。後悔を残し、自分を受け入れられずに八つ当たりした彼ら。

 他人事じゃない。だからこそ分かる。他人が苦しむのを見ても気持ちが晴れたりなんてしない。

 

「・・・・・・喜ばない」

 

「そゆこと」

 

 私に出来るのは、過去を大切にしながら、後悔しないように生きる事だけだ。だとしたら、やっぱり友達に心配はかけられない。

 「ありがとう」。そう言った直後。

 

 外で巨大な花火のような轟音がした。しかし今は昼間だ。二人で顔を見合わせる。

 

「何かあったかな?」

 

「また騒ぎみたい」

 

 誰かが弾幕ごっこを始めたらしい。小鈴が顔を輝かせて出口に駆け出す。

 

「私見てくるね!」

 

「野次馬か」

 

「店番お願い!」

 

「なんで私が!」

 

 病み上がりの体で駆け出すと、また小鈴が興味津々の子犬のように走り出す。幻想郷では騒ぎを楽しめないのは損だ。神仏妖怪摩訶不思議、何が起きても不思議じゃないから、何でも楽しんだもの勝ち。塞ぎこんでいる暇なんかない。

 

「わぁっ・・・・・・」

 

 街道に出て空を見上げた小鈴が感嘆の声をあげる。巫女と誰かがきらびやかな弾幕を撃ち合い、昼間の色とりどりな星空を作っている。

 

「片方は知らない顔だわ」

 

 小鈴が言う。確かに新顔らしかった。また取材にいかなきゃならない。また1ページ、幻想郷の住人が増える。

 

「嬉しそうね」

 

「え?」

 

 小鈴が笑う。新しい子は、果たしてこんな笑顔で接してくれるようになるだろうか。

 ・・・・・・きっと大丈夫。そう思っておこう。これからも。

 

「だって、嬉しいんですもの」

 

 大変な事もある、誰もが幸せでもない幻想郷だけど。

 

 退屈せず、常に心が踊る。もしまた夏の夜にでも暇を持て余すという連中がいたら。

 また七不思議大会を開いてみよう。ひょっとしたら、幸せな幻想郷を彼らに見せてあげられるかもしれない。

 

 その時は精一杯生きて、笑って会おう。

 

 

 

 幻想郷の怖い話

 

          完




とりあえずくぅ疲、完結です。今までありがとうございました。
多分あると思う次回作にご期待下さい!


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