NARUTO筋肉伝 (クロム・ウェルハーツ)
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“忍”の道へ
プライオメトリックス


 火の国、木ノ葉隠れの里。

 忍界でも随一の規模を誇る大国の隠れ里だ。

 

 木ノ葉は第三次忍界大戦の勝者となり、栄華を極めた。だが、繁栄はそれほど長く続かなかった。

 今より12年前、平和な里を脅かす事件が起きたのだ。

 

 九尾来襲。

 尾獣と呼ばれる膨大なチャクラでその身を形作られた巨獣。その内の一体である九尾が突如、木ノ葉隠れの里に現れた。木ノ葉は総力を結集して、この災厄に立ち向かい、そして、九尾を封印することに成功。里は10月10日の長い夜から抜け出すことができたのだった。

 だが、封印に成功したとはいえ、九尾が残した爪痕は甚大だった。時の里長、四代目火影夫妻は殉職。その日にこの世に生まれ落ちた一人息子、うずまきナルトを残して帰らぬ人となった。

 

 四代目火影夫妻の願い通り、夫妻の息子は成長した。いや、願い通りといっていいものか疑問が生じるが。とはいえ、成長したことは間違いない。

 

 九尾来襲から月日は流れ、早12年。あの頃は生まれたばかりの赤子であったナルトも、もう忍者学校(アカデミー)を卒業する年齢だ。

 だが、ナルトにはある悩みがあった。

 

 難しい顔をして街中を歩くナルトの姿を見て、立ち並ぶ八百屋、魚屋、肉屋などの店主たちは緊張した面持ちで直立不動の構えとなる。いや、店の者だけではない。それは町人たちも同じだ。ピンと背筋の伸ばした町人たちの姿は巣穴から捕食者を確認する小動物の如し。

 だが、自分を取り巻く状況を意に介していないのか、将又、単純に気が付いていないのか、うずまきナルトは真剣な面持ちのまま歩みを進めて、商店街を通り過ぎた。

 

 例のあの方が歩く度にズズンという擬音、それと男の声での囃子と太鼓の音がどこからか聞こえて圧倒された。

 

 うずまきナルトが通り過ぎた商店街にいた一人の50代男性はそう語った。

 

 身長196cm、体重115kgの筋骨隆々とした体と威風堂々とした佇まい。齢12の少年の風格ではない。しかしながら、外見はどうあれ、ナルト少年の心の内は忍者学校に通う他の生徒と変わらない。

 

 明日の卒業試験、もちろん、全力を尽くすが落第した場合はどのような身の振り方をするべきか……。

 

 ナルト少年は大きく溜息をつく。それを見た商店街にいた女性がビクッと肩を震わせたがナルトは自身の悩みで、それに気づくことはできなかった。常ならば、彼は『お嬢さん、気分が優れないのでは?』と声を掛けるのが心優しいナルトの行動だ。そして、ナルトの予期した状況とかけ離れた状況、声を掛けられた女性の顔から血の気が失われるという結果になるのではあるが。

 

 通常よりも視野が狭まっている彼は地面を見ながら商店街の正道を行く。

 根深い悩みの種は彼の表情に暗い影を落とすのであった。

 

 +++

 

「で……卒業試験は分身の術にする。呼ばれた者は一人ずつ、隣の教室にくるように」

 

 忍者学校の教師、うみのイルカは黒板の前に立ち生徒たちに試験の内容について説明していた。公明正大な教師として生徒の父兄からも信頼の篤いイルカに試験官の話が回ってきたのは不思議な話ではない。

 試験に挑む自らの生徒たちに試験内容の説明後に彼らを鼓舞し、いつも以上のパフォーマンスを引き出そうと無意識の内に行うイルカは正しく教師であった。教室内をぐるりと見渡したイルカの目が一人の生徒に止まる。

 

 がんばれよ、ナルト。

 

 ナルトの頑張りを人一倍知っているイルカは態度には出さないものの目線だけをナルトに送った。それはナルトの父兄のような感覚だろう。だが、イルカはナルトを応援している人間であると同時に、この試験の試験官でもある。

 ナルトの頑張りを一番知るイルカであるからこそ、試験の合格基準を緩めるのは彼の努力に対する無礼な行為であると考えている。

 

「次! うずまきナルト!」

 

 イルカの声からややあって、試験会場となる教室のドアが開かれた。ドアから入ってきたのはナルトだ。

 イルカの隣に座る同僚の教師であるミズキが喉を鳴らす音が妙に静かな教室に響いた。

 

 足音を立てずに、彼ら試験官の前へと進むナルトの所作は忍として完成していた。それこそ、これまでの試験で二度も落ちていることを感じさせない堂々たる雰囲気だ。

 

 今度こそ、ナルトは合格するかもしれない。

 知らず知らずの内に、イルカは身を乗り出していた。

 イルカの期待する眼差しを受けたナルトはすばやく印を切る。

 

「分身の術!」

 

 何も出ない。煙すら上がらない。

 その様子を見たイルカは一度、目を閉じた後、宣言した。

 

「失格!」

「イルカ先生」

 

 にべもなく言い切ったイルカを宥める声がする。ミズキだ。

 

「……彼はもう三度目ですし、一応、分身はできてます。ボクの目には一瞬ですが、分身の姿が見えましたからね、ええ。ですので、合格にしてあげても……いや、彼が怖いからじゃないですよ。仏の顔も三度までって言葉は信じてませんからね」

 

 急に早口になるミズキ。彼を訝し気な顔で見つめたイルカだったが、すぐに切り替えて首を横に振る。

 

「ミズキ先生が何と言おうとダメです! 皆、三人には分身している。しかし、ナルトの場合はたった一人……しかも、ミズキ先生がおっしゃることを信じても一瞬だけの分身。合格とは認められない」

「ですが……」

「ミズキ先生」

 

 低く、そして、重い声が教室の中に木霊した。

 

「無念ではあるが、この結果は己の精進が足りなかった故。それを己は真摯に受け止める。だが、お気遣いには感謝する」

「そ、そうかい? なら、ボクからは何も言えないね」

 

 ナルトに話し掛けられたことで引き攣った表情を瞬時に笑顔に戻す。自らの心の内を隠すこと。これが忍の極意である。

 ナルトは試験官である二人に一礼した後、退室した。

 

 イルカはナルトを辛そうに見送る。子弟のように思っていたナルトに自ら引導を渡さざるを得なかった。イルカの無念はいかほどであろうか。ナルトのことを想っていた故に、イルカは気づくことができなかった。

 ミズキは眉間を指で揉み解しながらも鋭い目つきでナルトの後ろ姿を見ていたことを。

 

 +++

 

「ナルトくん……殿。トレーニング中にすまない」

 

 敬称をなんとつけたら良いのだろうか? その逡巡が普段使うことのない“殿(どの)”として出てしまった。ミズキは僅かに頬を染める。

 ミズキに声を掛けられたナルトは立ち上がり、声がした方向、つまり、後ろへと体を向ける。

 ミズキに突然、話し掛けられたことで、それまでしていた腕立て伏せの回数が頭から飛んでしまったが、また初めから数えればいいだろうとナルトは結論付けて口を開く。

 

「己に殿などとつけなくても結構。いかがされた、ミズキ先生?」

「少しいいかな? 話したいことがあるんだ」

「無論」

 

 ミズキとは違い、ナルトは逡巡なく頷く。

 

 ──これなら、上手く事を進めることができそうだ。

 

 ナルトの様子を見て、ミズキはほくそ笑む。

 

 ミズキが案内した場所は、とある建物のバルコニーだ。一見、建築ミスと思われる構造、廊下の先には柵もなく危険な場所ではあるものの、そこは忍が多く住まう木ノ葉隠れの里。もっぱら、家の屋根を飛び移って移動することも多い忍にとって、柵がないバルコニーは家から高速道路へ直通している道路のようなものだ。

 とはいえ、ここが混むことはほとんどない。朝や夕方ならまだしも、今の時刻は昼過ぎ。出勤や退勤の時間とはズレている。

 

 つまり、今、ミズキとナルトがいる場所は誰も来ることのない場所だ。

 

「イルカ先生、真面目な人だから……小さい頃に両親が死んで、何でも一人でがんばってきた人だからね……ナルトくん。君はどう思う?」

「む?」

「君は自分がイルカ先生に似ていると思うかい? ボクは少なくとも、イルカ先生は自分のことを君に重ねていると思うんだ」

 

 ミズキは隣に座るナルトの顔を見上げる。

 

「だから、君には本当の意味で強くなって欲しいと思ってるんだよ、きっと」

「しかし、己はイルカ先生の気持ちに(こた)えることができなかった。生徒、失格だな」

「そんなことはない。今からでも遅くはないよ」

「む? だが、卒業試験は終わってしまったであろう?」

「……君にだけとっておきの秘密を教えよう」

「秘密?」

「ああ」

 

 ミズキの表情が変わる。どこか爬虫類を思わせる顔だ。

 

「分身の術ができないというだけで忍者を諦めることなんてない。忍者にとって必要なのは“力”だ。だから、皆に分かるように君の力を示せばいい。……火影様が保管している“封印の書”と呼ばれる巻物がある。これを火影様の手から取ってしまえば、忍者としての才能を認めて貰えることは間違いないよ」

「それは……己に三代目火影から、その封印の書を盗めと言っているのか?」

 

 ナルトから強烈な殺気がミズキに向かって放たれる。正義と力と筋肉に重きを置くナルトには窃盗など認められるハズはなかった。

 

「……まあ、いい。準備は整った」

 

 ナルトの目線から隠れて印を組んでいたミズキ。流石、上忍に最も近い実力を持つ中忍と言うべきか。忍者学校も卒業することができないナルトとは忍の技術は雲泥の差だ。

 

 ナルトの目がトロンとした、多分。ナルトの表情、読みにくいけど幻術に掛けた時の感覚があるし、目じりが1mmほど下がっている気がする。

 

「ナルト、お前は三代目火影から封印の書を盗み出せ。命令だ」

 

 兎に角、命令を下さないことには対象を操る催眠効果がある幻術が掛かっているかどうかは確かめられない。ミズキが命令を下したところ、ナルトは静かに頷き、その場から姿を消すのであった。

 ナルトの後姿を見送ったミズキは冷や汗を垂らす。

 

 ただ走っただけでオレの瞬身の術の最高速度よりも速い。なにあれ、意味分かんない。

 

 ミズキの頬を風が撫ぜる。そこで彼は気づいた。なぜか、自らの頬が涙に濡れていたことに。その理由がナルトの筋肉への嫉妬か、ナルトの筋肉への恐怖か答えを得ないミズキだった。

 

 +++

 

 ミズキがナルトに幻術を掛けた、その日の夜、ナルトは火影邸へと忍び込んでいた。静かに廊下を渡り、目的の部屋へと進むナルト。

 

「夜中にわしの家で何をやっとるのじゃ、お前は?」

 

 突如、彼へ声が掛けられた。

 69歳という高齢ながら火影の座にいることが許されている三代目火影である猿飛ヒルゼンは音もなくナルトの後ろへと姿を現す。

 前線から退いて長いと言えども、“忍の神”と呼ばれ畏れられた実力は今も健在であると言えるだろう。

 ナルトの姿を認めたヒルゼンは溜息をつく。

 

 ──ナルトのイタズラはなくなったと思っておったが、悪い癖がぶり返したか。

 

 ナルトを幼い頃から知っており、最近は心身共に成長していたことを実感していただけにヒルゼンの失望は大きかった。

 だからこそ、ナルトの行動に十分に注意を払うことができなかったのだろう。

 

 ヒルゼンの存在を自らの後ろに確認したナルトは自らの襟に手を掛ける。

 

 強者は常に弱点を持つもの。

 そして、ヒルゼンの弱点は“女性”だ。戦乱の時代を生き抜き、やがて、火影として里を守るようになったヒルゼンには遊ぶ余裕などは、ほぼなかった。それ故、ヒルゼンは女性への免疫が極端にない。目の前に裸の女性が突然現れたと仮定した場合、彼は困惑よりも先に興奮し、鼻血を噴き出す結果となるだろう。

 

 そして、それは逆も然り。

 

筋肉披露(おいろけ)の術!」

 

 ナルトの声が火影邸の廊下に響く。

 

 筋肉披露の術。術とナルトは言うが、その実、忍術や幻術に必須とされる身体エネルギーと精神エネルギーを混合させたチャクラは一切使わない。

 つまり、これは肉体の力のみを使う体術だ。

 

 ナルトが意識したのは自らの筋肉。されども、ナルトは無意識の内に血流まで操作していた。血液が筋肉へと送り込まれ肥大(バンプ・アップ)する。

 パサリという音と共にナルトの服が床へと落とされる。ヒルゼンの目が大きく開かれた。

 

 裸体というものに並々ならぬ拘りを持つヒルゼンは、こう考えている。裸体はボンキュッボンのナイスバディな女の子に限る、と。だからこそ、目の前に突然現れた黒光りするナルトの筋肉、更にポージング付きなどは認められるわけがなかった。

 

「うぇろろろ!」

 

 膝を付き、胃の内容物を戻すヒルゼン。嘔吐く彼をチラと見ることもせずにナルトは封印の書が保管されている部屋へと入り込み、封印の書を手に入れた。

 そして、床に置いた服を回収して悠々とヒルゼンの横を通り過ぎるのであった。

 

 +++

 

 それからの木ノ葉の里はハチの巣をつついたような騒ぎだった。危険な術の詳細が記された巻物。それが12年前、里に甚大な被害を与えた九尾の妖狐の手にある。里の者の恐怖は最高潮に達した。

 12年前ですら、四代目火影の命と引き換えにしなければ九尾は封印できなかったのだ。そして、今回は強力な禁術の詳細が記された巻物まで九尾の手中だ。ならば、九尾が何か里へ危害を加える前に無力化、殺さなくてはならない。

 残酷な方向へ思考が飛躍するのは仕方のないことだった。

 

 ナルトを探して里を駆け回る多くの忍たち。

 その中にイルカの姿もあった。

 

 ──なんでだ、ナルト?

 

 +++

 

 木々を飛び回るイルカの目の端に黄の色が映った。イルカは慌ててチャクラを足裏に集めて木の枝に吸着する。チャクラの性質の一つとして物体に吸着するというものがある。壁登りの際などに使われる技術ではあるが、急ブレーキを掛ける時にも有効な技術だ。

 

 木の枝の上から目を凝らすと、それは確かに自分が探し求めていた人物、ナルトの姿であった。

 イルカは瞬身の術で一瞬にしてナルトの前に姿を現す。

 

「見つけたぞ、コラ! ……ナルト?」

 

 虚ろなナルトの視線に気が付いたイルカはナルトに駆け寄る。今のナルトの様子に心当たりがあったイルカは印を組み、ナルトへチャクラを流し込む。

 

「開!」

 

 虚ろだったナルトの視線が定まる。

 

「……イルカ先生」

「ナルト! 何があった? 誰に幻術を掛けられた?」

 

 イルカは矢継ぎ早にナルトへ質問する。嫌な胸騒ぎがしていた。三代目火影が説明していた“ナルトのイタズラ”などでは決してないことを直感で感じていたイルカはナルトの肩へと手を伸ばし、ナルトの顔を見上げる。

 

「ミズキ先生だ。彼は“封印の書”というものを狙っている。気が付いたら幻術に掛けられていた。すまない、己の技量不足だ。幻術返しができなかった」

「ミズキが? しかし、なぜ……ッ!?」

 

 危険を察知したイルカはナルトを突き飛ばした。と、イルカの体にクナイや手裏剣が深く刺さる。

 

「よく、ここが分かったな」

 

 下手人が木の上に姿を現した。ナルトとイルカを見下ろすのはミズキだ。

 

「ミズキ!」

「ナルト、巻物は奴に渡すな! お前が持っている巻物には禁じ手の忍術が記されている。ミズキはそれを手に入れるためにお前を利用したんだ!」

 

 厄介なことになったとミズキは目を細める。本来なら、幻術を掛けたままナルトを殺した後に巻物を奪って、内通していた雲隠れの忍と合流し、木ノ葉を抜けるつもりだったというのに。イルカのせいで計画が狂った。

 

 苦々し気にイルカを睨むミズキだったが、イルカの隣に駆け付けた黄色を視界に入れて唇を歪める。

 デカい図体をしていても、まだ子ども。ならば、簡単に精神を揺さぶれる。

 

「ナルト……その巻物はお前が持っていても意味がないのだ! 本当のことを教えてやるよ!」

「バッ! バカ、よせ!」

「12年前……バケ狐を封印した事件は知っているな?」

 

 イルカの制止も虚しく、ミズキは底意地の悪い笑みを浮かべてナルトに隠されてきた真実を(つまび)らかにする。

 

「あの事件以来……里では徹底した()()()が作られた」

「掟……だと?」

「ああ。ナルト、お前にだけは、決して知らされることのない掟だ」

「どういうことだ?」

 

 クククククッ。

 ミズキの笑い声だけが静かな森に響く。

 

「ナルトの正体がバケ狐だと口にしない掟だ」

「やめろ!」

「黙ってろ、イルカ。黙っていたら、お前は後で殺してやるからよ」

 

 イルカの叫びはミズキには届かない。そして、ミズキの攻撃からナルトを庇ったために、体中の至る所にクナイや手裏剣が刺さった今のイルカでは実力行使でミズキの口を封じることもできない。

 常より饒舌に、そして、冷たくなったミズキはナルトを追い詰める。

 

「つまり、お前が──イルカの両親を殺し──里を壊滅させた九尾の妖狐なんだよ!」

 

 獲物を追い詰めるミズキの顔は醜悪に歪んでいた。

 

「お前は四代目火影に封印された挙句……」

「やめろー!!」

「里の皆にずっと騙されていたんだよ! おかしいと思わなかったか? あんなに毛嫌いされて!」

 

 ミズキは巨大な手裏剣を振りかぶる。

 

「イルカも本当はな! お前が憎いんだよ! お前なんか誰も認めやしない! その巻物はお前を封印するためのものなんだよ!」

「そうか、理解した」

「……は?」

 

 ミズキの動きが止まる。

 

「己が里の者から疎まれていた理由を理解したと言ったのだ。里の者が己を恨むことは仕方のないこと」

 

 唇を震わせたイルカは振り絞るようにナルトに尋ねる。

 

「ナルト……お前は、寂しくなかったのか? 辛くなかったのか?」

「無論!」

 

 ナルトは大きな声を上げる。だが、それはイルカを威圧するものではなかった。イルカを鼓舞する勇気に溢れた声だった。

 

「寂しくも感じた。辛くも感じた。だが、それは己が原因だったという話だ。ならば、己はそれを受け入れよう」

「違うぞ、ナルト。お前は九尾じゃない。お前はオレの生徒だ! 努力家で一途で、そのくせ不器用で誰からも認めて貰えなくて。でも、お前は変わった! バケ狐なんかじゃない。お前は……お前は木ノ葉のうずまきナルトだ!」

「……」

 

 驚いた表情を浮かべるナルトを見てミズキは心底下らないとイルカの言葉を一蹴するかの如く言葉を吐き捨てた。

 

「ケッ! めでてーヤローだな。……イルカ、お前を後にするっつったが止めだ」

 

 ミズキの目が怪しく月を反射する。

 

「さっさと死ね!」

 

 再度、振るわれるはミズキの腕、そして、彼が握る風魔手裏剣だ。今度は狙いを違わず真っ直ぐに進んでいた。自分へと向かう黒い手裏剣の軌跡。思わずイルカは目を閉じる。

 

「……へ?」

「己の筋肉は力を籠めれば刃をも通すことはない」

 

 呆けたミズキの声を聞いたイルカはおずおずと目を開けた。と同時に限界まで目を開く。

 自らに向かって飛んできていた手裏剣は地面に落ちていた。しかも、バラバラになって、だ。

 あまりにも有り得ない光景。それをしっかりと見ていたミズキが大声を上げる。

 

「何を……何をしたァアアア! バケ狐ッ!」

「何。己の拳で以って貴殿の手裏剣を打ち砕いただけのこと」

 

 ナルトは腰に抱えていた巻物を直立させるように地面に置いた。少し巻物を開いて、それに目を通したナルトは十字の印を切る。

 

「試させて貰うぞ、ミズキ。……ハッ!」

 

 一拍、置いたナルトは掛け声と共に左右交互に体を素早く移動させる。

 左右に反復横跳びの動きをするナルトはミズキから目を離さずに重みのある声で語った。

 

「ミズキよ。貴殿には己が引導を渡そう」

 

 ナルトは何度もサイドステップを繰り返す。

 

「そうか、これが封印の書にあった術か! まさか、儀式が必要な術とはな。だが、ナルト。忍術の才能がないお前に禁術が使える訳がない。ハッタリは止めろ!」

 

 ナルトはミズキの言葉を無視して、というより、ナルトの耳は自らの筋肉との対話により周りの音を拾っていなかった。己がやるべきことに極限まで集中した状態だ。

 

 筋肉のッ! 稼働域をッ! 小さくッ!

 そしてッ! 接地時間をッ! 小さくッ!

 

 大殿筋! 大腿四頭筋! 下腿三頭筋!

 伸張反射を意識して、全身を撥条(バネ)とし、跳ね回るッ!

 

 ミズキは目の前の光景が信じられなかった。自らの目に映るナルトの体が段々とブレていく。ブレは一秒毎に大きくなり、やがて、そのブレすらもなくなっていった。

 

「多重影分身の術」

「これが……多重影分身の術?」

 

 自らの周りを取り囲む千ものナルトの姿。術の名をミズキは口にするが、彼の言葉の最後には疑問符が浮かんでいた。

 

 ──しまった! 冷静になれ!

 

 ミズキは一瞬ではあるが呆けてしまった自分を叱咤する。敵前で気をそぞろにするなど愚の骨頂。冷静に周りを確認して、突破するための策を……策を……策を……。

 ミズキの目に映るは自らを取り囲む千ほどのナルトの姿。これが、年相応の少年の姿であれば、どれほど楽だったであろうか。ミズキの目から光が失われる。

 そう、ミズキを取り囲むナルトたちは自分よりも大きく筋骨隆々とした漢であったのだ。

 

 ──あかん、死んだわ、これ。

 

「うぎゃあああああ!」

 

 その思考と悲鳴を最後にミズキの意識は落ちた。

 後に、牢獄の中から彼は語ったと言う。

『オレは今まで生きてきて、あの瞬間ほど筋肉に恐怖を覚えたことはない』と。

 

 +++

 

「む! やり過ぎてしまったか」

 

 影分身の術とナルトが称した体術を止めたナルトの姿は一つに戻っていた。ナルトは地面に転がっているミズキを見下ろして唸る。ボロ雑巾、いや、ボロ雑巾の方がまだ綺麗だろう。明らかにミズキを殴り過ぎてしまったことを後悔しているナルトにイルカが声を掛けた。

 

「ナルト。ちょっと、こっち来い。お前に渡したいもんがある」

「だが、ミズキはどうすればいい?」

「放っとけ。しばらく目を覚ますことはないだろうし、見たところ……二目と見られない姿になってるけど命に別状はない」

「そうか。イルカ先生がそう言うのなら、そうなのだろうな」

 

 木を支えにしてイルカはゆっくりと立ち上がる。自分より高いナルトの顔を見上げてイルカは笑顔を浮かべた。

 

「少し屈んで目を瞑ってくれ」

「承知」

 

 イルカの言う通りにしたナルト。

 

「よし! もう目を開けていいぞ」

 

 ゆっくりとナルトは目を開ける。ナルトの前には笑顔のイルカがいた。

 

「卒業……おめでとう」

 

 そして、笑顔のイルカの前には一人前の忍の証である木ノ葉の額当てをした一人の立派な忍者がいた。

 

「今日は卒業祝いにラーメンを奢ってやる!」

「ゴールデンデイでしか己はラーメンを食べることができない。今日は遠慮させて貰う」

「え?」

「うむ。好きなものを食べたいだけ食べることができる日、ゴールデンデイを毎週土曜日に己は設定している。その日以外は筋肉のためにラーメンは食べることができない。提案は嬉しいのだが、土曜日にして頂いてもいいだろうか?」

「あ、うん。お前、普段、何を食べてんの?」

「低カロリー高タンパクで筋肉に良い食事を心がけている。ささみなどだな。あとサプリメントが主食だ」

「野菜は!?」

「もちろん、スムージーで摂っている。ビタミンも筋肉には必要なのでな」

 

 イルカは決意する。

 今度、普通の食事、お煮つけとか作ってナルトに差し入れとして持って行ってあげようと。

 

 最高を追い求める人間の道は時として理解されないものであるのだ。

 



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ポージング

 火の国、木ノ葉隠れの里。ある一人の少年が忍者になるべく新生活をスタートさせた。

 

 新生活と一口に言っても、それに対する手続きは少なくない。住居の変更、様々な書類の提出、これからお世話になる方への挨拶回りなど猫の手も借りたいほどに忙しい。

 その上、今まで身を置いてきた環境とガラリと変わる生活だ。不安も期待も多いだろう。

 

 だが、彼、うずまきナルトは普通の人間とは違う。精神を常に自らの支配下に置いている彼は感情を昂らせることはない。いや、正確には感情を表に出さないという方が正しい。肉体を変質せしめるほどの修行(筋トレ)を続けた彼は彫りの深い顔立ちとみだりに表情を変えない逞しい表情筋を手に入れた。しかし、彼の心の内は正義の心、そして、筋肉への愛により常に燃えている。

 そして、今日、彼は自分の心を熱くする同志たちと出会ったのだ。

 

「いいよ! それじゃあ、目線をこっちにしてみようか、そうそう、いいね!」

 

 白い光が一瞬、ナルトの肉体を光らせる。常よりも輝くナルトの肉体。その美しさ、逞しさを切り取り、永久に保存するために男は何度もシャッターを切る。

 

 ──こんなもんじゃない。こんなものじゃ魅力を引き出せちゃいない。

 

 男はフィルムを現像して確認せずとも理解していた。男が扱う得物(大判カメラ)は市井ではなかなかお目にかかれない。昨今は持ち運びがし易くコストも低いインスタントカメラの隆盛が凄まじい。男が使うような大判カメラを持つ者は一部のマニアと、そして、男のように写真を生業としている者ぐらいなものだ。

 大きさはコンパクトのインスタントカメラを縦横に三つずつ配置したほどだろうか。取り回しには不便だ。だが、それを補ってあまりある性能、高解像度やレンズに付け替えによる写真効果などはインスタントカメラでは到底真似できないこと。

 

 だが、写真屋の男は納得ができなかった。

 自分の未熟な腕に、そして、自らの想いを反映しないカメラに。

 

 カメラ人生、最高の素材(マテリアル)が目の前にいるというのに、なんだ、この体たらくは? これまでの経験はこの時のためにあったんじゃなかったのか?

 足りない、まだ足りない。彼を光らせるには、筋肉を光らせるためにはどうすればいい? 油をもっと塗る? 論外だ。今の油の乗り具合が最高。これ以上、油を足すと最高のバランスが崩れる結果になる。

 写真屋の男は次のフィルムをカメラに入れるべく、使用済みのフィルムをカメラから取り出し、そのフィルムを箱に保管した。そこで、男は気が付いた。保管用の金属で作られた箱の蓋に映った自らの顔に。

 

「笑顔だ! 笑顔を頼むぜ、兄ちゃん!」

「承知!」

 

 写真屋の男の親指がシャッターボタンを押し込む。その瞬間、男は確信した。

 

 ──これだ。この最高の一枚を撮るためにオレは今まで生きてきたんだ。

 

 彼が全身全霊を籠めて撮った写真は紆余曲折を経て、チタン素材の写真立ての中へ入れられてナルトの自宅へと飾られることになる。

 今日のことは、長く残る、彼にとって初めての写真撮影の思い出となったのだ。

 

 +++

 

「……」

 

 今にも胃の内容物を戻しそうな青い顔色をした三代目火影は口を紡ぐ。

 彼が視線を注ぐのは自らの手の中にある忍者登録者、その左上にはナルトの写真があった。

 

「済まぬ。店主殿と話が弾み、一番上手く撮れたという写真を頂いてきたのだが……確認を怠った己の失態。どのような罰でも受ける所存」

「むむ……罰を与えるような失敗ではないから気にするでない。だが、他に写真はないのか?」

「然り」

 

 三代目火影はナルトの写真を薄目で見る。その写真には笑顔でモストマスキュラーポーズを取るナルトが居た。臍の辺りに両手を持っていき、力を全身に籠めることで二の腕、胸筋を存分にアピールしている写真の中のナルトを見る三代目火影の顔は感情が刻々と抜けていく様子が見られる。

 また、全身に油を塗っているのかテカテカと光を反射するナルトの筋肉は、まさしくアートと呼べるものだが三代目火影の芸術性には筋肉は含まれなかったらしい。

 

「撮り直しじゃの」

「承知……」

 

 この写真は忍者登録者という公的な書類に使われる写真。自身の感情とは別の理由、局部は隠されているとはいえ、公的文書にほぼ全裸の写真を使うことは認められなかった。

 少し寂しげな様子のナルトを前に三代目火影は大きく溜息をつく。と、ガラという音と共に扉が横に開き、空いた隙間から小さな影が部屋の中へと飛び込んだ。

 

「じじィ! 勝負だァ、コレ!」

 

 ──次から次へと……。

 

「ああ! また何てことを! ……あ!」

「いってェェー!」

 

 小さな影を追って大きな影が部屋の中へと入った瞬間、小さな影は自らの足に自らの足をとられ床へと倒れ込む。

 

「くっそぉお! トラップか、コレ!?」

「だ……大丈夫でございますか? お孫様! ちなみに、どこにもトラップはありません!」

 

 床へと倒れた小さな影は自分が転んだ理由をトラップ、又は他者の妨害だと決めつけ、自分を転ばせた下手人を探す。キョロキョロと辺りを見渡す小さな彼は、自分の顔に影が差していることに気が付いた。

 

 ──こいつだ。

 

 なんの根拠もないが、小さな彼は自分の顔にかかる影こそが犯人であると決めつけて、その影を作る人物へと人差し指を向ける。

 

「そうか、貴様が何かしたんだな、コレ……って、でっけぇ!」

 

 ナルトは自らに指を指す小さな少年を見つめる。自らも昔はこの少年のように天真爛漫だったなと懐かしい気落ちになったナルトは彼に親愛の意を示すべく、彼へと笑いかける。

 だが、ナルトの気持ちとは裏腹に少年は『ひぃいいい!』という叫び声を上げてガタガタと震え出す。

 

「ナ、ナルト! お孫様が怯えてしまっただろう! その表情を止めろ! そして、小さくなれ!」

「む、済まぬな、少年。だが、体を小さくするということ、つまり、筋肉を落とすということは認められぬ!」

「なにィー!?」

「少し落ち着くのじゃ、エビス」

 

 エビスを家庭教師にしたのは間違いだったかの? 昔はもっと優秀で礼儀正しい忍だったのじゃが。

 三代目火影は二人の乱入者の代わりにナルトへと謝罪する。

 

「騒がしくてすまんの、ナルト。ここの子はワシの孫、木ノ葉丸。木ノ葉丸の後ろにいるのは家庭教師のエビスじゃ。次からはないように言い聞かせるのでな、許してくれ」

「承知」

「ナルトよ。これから、忍として精進するのじゃぞ」

「無論」

「頼もしい限りじゃ。……行って良い」

「それでは、失礼する」

「うむ」

 

 ナルトは椅子から立ち上がり、一礼する。

 部屋を出ていくナルトの後ろ姿を見ながら、小さな少年、木ノ葉丸は彼の堂々とした所作に目を輝かせていた。

 

 +++

 

 忍者登録室から退室したナルトは建物から出て木ノ葉の里を歩いていた。不意にナルトは立ち止まる。

 

「……して、貴殿は己に何か用があるのではないか?」

「フフフ……よくぞ見破った、コレ! 流石、噂通りの男」

「何分、周りの気配には敏感な方であるが故」

 

 ナルトが振り向くと、そこには先ほど出会った少年、木ノ葉丸がいた。

 

「オレ、お前……あなたさまの弟分になってやってもいいぞ、コレ。その代わり……火影のじじィを倒した“筋肉披露(おいろけ)の術”というのを教えてくれ! 頼む、兄者!」

「……善き日だ。二人目の同志に巡り合うことができようとは」

 

 ナルトは気づかない。

 木ノ葉丸は三代目火影を倒したい。だから、三代目火影を倒したという筋肉披露(おいろけ)の術を会得したい。その気持ちにナルトは気づかない。

 

 ナルトは見誤っていた。

 木ノ葉丸は自らの筋肉を鍛え、そして、披露するための場を心より求める同志(マッスル)なのだと。例え、今は鳥の雛のように弱々しくとも、自らの肉体を虐め抜き、鍛え、そして、鋼と比べても遜色のない、そんな肉体へと木ノ葉丸は成りたいのだとナルトは考えてしまっていたのだ。

 

 +++

 

 場所を森の中に移したナルトと木ノ葉丸は正面から向かい合う。それはまるで、師弟のような、兄弟のような二人だった。

 

「して、同志よ。貴殿は筋肉披露(おいろけ)の術に何が最も大切なのか知っているか?」

「もちろんだ、コレ! 筋肉だ!」

「違うのだ!」

 

 ナルトの声に木ノ葉丸は思わず姿勢を正す。

 

「確かに、筋肉は必要。だが、筋肉がどれだけあろうとも、たった一つの心も持ちようで筋肉の輝きは失せてしまう」

「なら、最も大切なものはなんだっていうんだ、コレ?」

「“自信”」

「……自信?」

 

 ナルトは頷く。

 

「自らを全て曝け出すことができるほどの自信。筋肉は過去を語るもの。どのようなトレーニングを積んできたかだけではなく、それまで食べてきた食事や、その日のコンディションまで雄弁に、な。だからこそ、羞恥心が生まれる。その羞恥心を克服してこその漢だ」

 

 腕を組むナルトは木ノ葉丸に言い放った。

 

「服を脱ぐのだ」

「へ?」

「服を脱ぎ、全てを曝け出す。それを続けることにより、羞恥心に打ち克つことができる」

 

 なるほど、と服を脱いだ木ノ葉丸であったが、その顔は赤く染まっていた。

 

「恥ずかしいぞ、コレェ……」

「羞恥心を乗り越えてこそ、筋肉披露(おいろけ)の術は完成する。……極意を教えよう。己も先ほど知ったのだが、筋肉披露(おいろけ)の術の完成への要素の一つは笑顔だ。笑うのだ」

 

 木ノ葉丸は笑った。今にも泣き出しそうに笑った。

 

 +++

 

「そこまで。少し休憩にしよう」

「分かったぞ、コレ」

 

 すぐさま、服を着込む木ノ葉丸。

 

「同志よ。水分補給は重要だ」

「ありがとう、兄者」

 

 木ノ葉丸が服を着ている間に近くにある自動販売機から飲み物を買ったのだろう。ナルトの手から飲み物を受け取った木ノ葉丸は、それに口をつけながらベンチへと腰を下ろす。

 

 逡巡。踏み込むべきかどうか悩んだナルトは意を決する。

 木ノ葉丸が座るベンチの前に立つナルトは口を開いた。

 

「貴殿に一つ尋ねたいことがある」

「ん?」

「なぜ、貴殿は三代目火影を倒そうとするか聞いてもいいか?」

 

 木ノ葉丸は目を伏せる。ややあって、地面を見ながら木ノ葉丸はポツリポツリと話し始めた。

 

「……木ノ葉丸って名前、じいちゃんがつけてくれたんだ。この里の名前に(あやか)って」

 

 木ノ葉丸の声には寂しさが滲んでいた。

 

「でも、これだけ里で聞き慣れた響きの名前なのに、誰一人、その名前で呼んでくんない!」

 

 寂しさは怒りに変わる。

 

「皆、オレを見る時やオレを呼ぶ時、ただ、火影の孫として見やがんだ。誰もオレ自身を認めてくんない。もうやなんだ、そんなの! だから、今すぐにでも火影の名前が欲しーんだ」

「……貴殿の言うことは間違っている」

「え?」

 

 ナルトの冷静な声に冷や水を浴びせられた感覚を木ノ葉丸は覚えた。目線を上げると、遥か高みにあるナルトの目と自らの目が合った。

 

「火影だから認められる。それは違う。火影は……」

「見つけましたぞ!」

 

 ナルトの言葉を遮り、無粋な声が森の中に響いた。黒い忍装束を身に着けた男、エビスの声だ。

 エビスは憎々し気に、そして、見下したようにナルトに視線を遣った後、瞬身の術で今までいた木の枝から木ノ葉丸の前に姿を現す。

 ツカツカと木ノ葉丸へと近づくエビスは動かない木ノ葉丸へと話し掛けた。

 

「さっ! お孫様、帰りましょ」

「ヤダ! オレはじじィ倒して火影の名前貰うんだ、今すぐ! 邪魔しにくんな!」

「火影様とは仁・義・礼・智・忠・信・考・悌の理を知り、千以上の術を使いこなせて初めて……」

肥大(バンプ・アップ)!」

「ん?」

「喰らえ! 筋肉披露(おいろけ)の術!」

「……」

「あれ? 効かねェ!」

 

 力瘤を自信満々に見せる木ノ葉丸へとエビスは叫んだ。

 

「何を以って効くと思ったのですか!?」

 

 お孫様が訳の分からない行動を取るようになった。その原因は……。

 エビスはナルトを睨みつけた後、木ノ葉丸の手を強引に取る。

 

「お孫様! そんな脳ミソまで筋肉でできているような輩と一緒にいると、バカになる一方ですよ! 私の言う通りにするのが、火影の名を貰う一番の近道なのですぞ! ささっ、帰りましょ!」

「ヤダァー!」

「エビス殿……で、良かったか?」

 

 ナルトの声がエビスの動きを止めた。

 

「何でしょうか?」

「貴殿が手を引いているのは弱々しい少年だ。だが、彼は強くなろうとする気概を持つ少年だ。認めてやってもよいのではないか?」

「君に言われるまでもない。私はお孫様のことを認めていますよ。何せ、“忍の神”と呼ばれた三代目火影様の血を引くのですから」

「……分からぬようだな。貴殿には同志、“木ノ葉丸”を教え導く資格はない」

「落ちこぼれがエリートである私に指図するんじゃない!」

「木ノ葉丸の輝きを分からぬ貴殿では話にならぬ。己の筋肉で以って貴殿に輝きを教え諭させて貰う」

 

 ナルトの姿がぶれる。

 

「影分身の術」

「……それは影分身の術じゃない! ただ速く動いているだけだ!」

 

 エビスは考える。ナルトが使う術は決して影分身の術などではない。高速で動き、残像を作り出している体術のようなものだ。で、あるならば私が使うべき術は……。

 

 ……土遁だ。

 それで、ナルトの足元を不安定にして機動力を奪う。

 

 だが、エビスの考えは実行されなかった。エビスが作戦を立てるためにナルトから意識を割いた一瞬、その時間もナルトは動いていたのだ。影分身の術をしただけでは、エビスに輝きを理解させることなどできはしない。そのことをナルトは理解していた。

 対する者をしっかり見ていたのはエリートを自ら称するエビスではなく、落ちこぼれと称されたナルトだった。

 

肥大(バンプ・アップ)!」

 

 何人もの姿になったナルトたちは一斉に服を脱ぎ捨てる。

 

筋肉審美(ボディビル)の術!」

 

 エビスの顔から一切の表情が消えてなくなる。

 自分の周りには筋肉が肥大し、思い思い、一人で残像を作っているこの場合は思い思いということが合っているかどうかは兎に角として、様々なポージングを決めたナルトの姿があった。

 ナルトが服を脱ぎ捨て、黒いパンツを除くと、産まれたままの姿となったために、エビスの視界は肌色に埋め尽くされている。

 

 そして、ナルトは目に捉えることができないほどの速度で動いたために体温が上がったのだろう。じわりと肌の表面に滲んだ汗が太陽の光を反射する。

 

 エビスは取り敢えず、右を向く。筋肉だ。

 エビスは続いて、左を向く。筋肉だ。

 エビスはそれから、後ろを向く。筋肉だ。

 エビスは最後に、上を向く。空だ。

 

 ──綺麗だな。

 

 エビスの最後の思考はそれだった。筋骨隆々で汗が飛び交う(ナルト)たちに囲まれたエビスの緊張の糸は空の青を見た瞬間に途切れた。

 エリートとして勉学に励み、そして、忍となり、様々な任務をこなした。殺人集団と言われる霧隠れの里が誇る忍刀七人衆とも対峙したことがあった。戦争に赴き、戦って生き抜いた自分の実力に誇りがあった。

 

 だが、今回のことは、彼にとって完全に想定の範囲外、想像を超えていた出来事であった。キャパオーバーとなり、気を失ってしまったエビスを誰が責めることが出来ようか。

 彼の人生全てにおいて、自分の周りを筋肉(マッスル)に囲まれることは予想だにしなかった出来事なのだから。

 エビスの体は吸い込まれるように地面へと顔から落ちたのだった。

 

「くっそおおお! また、めがね教師すら倒せなかった! コレ!」

 

 地面に伏せるエビスを見た木ノ葉丸は声を上げる。

 

「オレは早く皆に認められる名前が欲しーのにィ! なぜだ、コレ! 筋肉がないからか、コレ!」

「それは違う」

「兄者!?」

 

 困惑している木ノ葉丸を尻目にナルトは言葉を続ける。

 

「筋肉があろうとなかろうと関係はない。里の誰もが認める最高の忍が火影だ」

 

 ナルトは優しい笑みを浮かべた。その笑みは忍者登録室で木ノ葉丸に浮かべた笑みと同じであった。今度は、木ノ葉丸はナルトの笑顔に怯えることはなかった。

 

「己にも極最近、己のことを認めてくれる人物が一人現れた。それだけでも、想像を絶するほどに大変であった。……覚悟が必要だ」

「覚悟?」

「皆に認められる火影になるためには……絶対に近道などないということを、だ。己は夢に、火影に向かって愚直に歩き続けるのみ」

 

 木ノ葉丸の目が大きく開かれる。次いで、彼は生意気な笑みを浮かべた。

 

「フン、えらそーに説教なんかしちゃってさ、コレ。オレ、もう弟分なんかやーめた!」

 

 木ノ葉丸はナルトを正面から見る。

 

「これからは……ライバルだ」

 

 笑い合う二人。歳も、体格も違うが目指すものが同じである以上、争いは避けられない。だが、この二人なら遺憾を残すこともなく爽やかに決着をつけることができるだろうと周りに思わせるような笑顔だった。

 まさに、ボディビルダーが浮かべる笑顔と同じだ。

 

『貴殿と闘える日を楽しみにしている。同志、木ノ葉丸』とナルトが言おうとしたが、木ノ葉丸の言葉の方が一瞬早かった。

 

「あと、オレ……筋肉はいいや。ナルト兄ちゃんは多分、筋肉仲間って意味で同志って言っていたと思うけど、オレはあんまし筋肉の魅力は分からなかったし」

「む!?」

「そういうことだから、コレ。……じゃあな、兄ちゃん」

 

 手を上げ、颯爽と去っていく木ノ葉丸。

 少し浮かれていたようだとナルトは自らを叱咤する。写真屋と意気投合しただけで、同志は多いのかもしれないと思っていたナルトの考えは打ち砕かれた。筋肉に対して情熱を燃やすことができる人間は多くないということを木ノ葉丸の言の葉から理解したナルトはエビスと同じように空を見上げる。

 

 同好の士を見つけるのは難しい。そのことが深く心に刻まれたナルトであった。

 



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サバイバル演習開始!
ビタミン、ミネラル、酵素


 忍。

 

 それは、子守りから暗殺まで多岐に渡る任務を全て達成することのできる全能者の職業だ。だが、様々な技術を持ち、様々な依頼に応えることができる忍と言えども、誰しも新人の頃がある。まだ技術が拙く、任務失敗を続けてしまった時期が。その時期を通り過ぎて皆は忍となっていくのだ。自分の身の丈に合った任務を数多く熟し、経験を得て一歩一歩成長していくことが肝要だ。

 そのことを理解している者は少ない。尤も、ナルトが今いる教室にいる忍者に成り切れていない少年少女、下忍になったばかりの者たちの話ではあるが。

 

 ザワザワと落ち着かない音が忍者学校の一つの教室に響く。その教室の中、一際大きな姿があった。ナルトだ。腕組みをし、自らの上腕三頭筋にそれぞれの掌を置くナルトの姿は巌の如し。

 普通の少年の腕を三本集めたほどに太いナルトの腕。例え、彼が小鳥を愛でる優しさを持ち得ると知っていても、彼の腕の筋肉、そして、彼の姿は見る者に恐怖を与える。子どもなら猶更だ。

 そのような理由で、ナルトに近寄る者はいなかった。

 

 だが、畏れは同時に憧れの対象とも成り得る。かつて、世界を震撼させた伝説の忍、うちはマダラの如く、ナルトの筋肉もまた一人の少年にとって憧れの対象だった。

 ある少年は自分よりも三倍ほど大きいナルトへと畏敬の念を持って近づく。少年はナルトと同じクラスメイト。ナルトが忍者学校の卒業試験に落第したことも聞いていた。だからこそ、この少年は忍者学校の卒業生の説明会に出席しているナルトに話し掛けたのだ。

 

「ナルトさん。なんで、あなたがここに?」

「己も合格した。補欠合格ということで説明会に参加するように案内されたのだ」

 

 自らに話し掛けてきた少年に言葉を返すナルトは額に着けている木ノ葉の額当てを示す。自らが所属する里の証明となる額当ては同時に、その所有者が忍であることを示す。とはいえ、職業としての忍を示すものであり、戦闘能力や心構えを示すものではない。

 例え、“忍”というものを理解していなくとも、ある程度の実力さえ示せば身に着けることだけは許される。

 

「そうなんですか! よかった……と、これからもよろしくお願いします」

「無論」

 

 そう、ある程度の技術さえあれば彼らのような年端もいかない少年少女であろうとも、だ。

 

「ごめんね。そこの席、通してくれる?」

 

 女の子の声がした。

 ナルトと彼に話し掛けた少年は後ろから聞こえてきた鈴を鳴らすような声に反応して振り向く。そこには、桜色の髪を背中の大菱形筋ほどの辺りまで伸ばした少女がいた。

 

 春野サクラ。

 桜色の長い髪の他に大きな翡翠色の瞳が特徴的な少女だ。

 

「無論」

「ありがとう、ナルト」

「礼には及ばぬ」

 

 椅子から立ち上がり、サクラを通すナルトに頭を一度下げたサクラはお目当ての少年へと話し掛ける。

 

「サスケくぅん、隣いい?」

「……」

 

 指を顔の前で組み、周りのことは気にしないという風貌の少年は一度、サクラをチラと見た後に視線を再び窓の外へと戻す。それを肯定と受け取ったのかサクラは少年へと身を寄せる。

 

 サクラが想いを寄せる少年の名はうちはサスケ。

 黒髪と鋭い目付きが特徴の少年だ。そして、彼は忍者学校を主席で卒業している。忍としての技能はルーキーたちの中では一番高いと言えるだろう。

 事実、彼が使う忍術は忍者学校を卒業したばかりの子とは思えないほどに卓越している。下忍から一つランクが上がる中忍レベルの忍術を使える麒麟児だ。ちなみに、彼らの教師であるイルカは中忍。このことから、サスケがどれほどの偉才か推し量ることができるだろう。

 

 横に長い椅子に座るナルトとサクラ、そして、サスケ。偶然か運命か、今日この時から彼らの道は交差したのだ。

 

 +++

 

「今日から君たちはめでたく一人前の忍者になった訳だが……しかし、まだまだ新米の下忍。本当に大変なのは、これからだ!」

 

 壇上に立つのはイルカだ。下忍説明会の担当として新米下忍たちに、これからのことを彼が伝えることができる権限内で伝えていく。

 

「えー、これからの君たちには里から任務が与えられる訳だが、今後は三人一組(スリーマンセル)の班を作り……班ごとに一人ずつ上忍の先生が付き、その先生の指導の元、任務をこなしていくことになる」

 

 イルカは手に持つ書類を掲げる。イルカが持つ書類には、この場にいる全ての下忍の名前が記されていた。

 

「班は力のバランスが均等になるようにこっちで決めた」

 

『えー!!』と教室内に響く声。仲の良い者と組むことを期待していたのだろう。がっかりした顔付きの子どもたちが多く見られる中、ナルトの表情は変わらない。特に思う所もないようだ。隣のサクラとは対照的だ。

 サクラの顔は獲物を狙うかの如くギラギラとした目付きだ。お目当てのサスケと同じ班になれるように祈っているのだろう。尤も、あらゆることでトップの成績を修め、更にクールな雰囲気を醸し出す顔付きのサスケを狙うのはサクラだけではなかった。教室内の女子数名が今のサクラと同じ目付きをしている。

 そして、その隣のサスケはイルカの三人一組(スリーマンセル)という言葉に眉を顰めるだけだった。

 

 ──足手纏いが増えるだけだな。

 

 サスケの表情は彼の心の内を雄弁に語っていた。

 そのようなサスケの心の内を知ってか知らずか、粛々と班の発表が進む。

 

「じゃ、次。七班。春野サクラ、うずまきナルト」

 

 読み上げられる自らの名前。サクラは祈る。

 

 ──神様、お願いします。どうか、どうか、どうか……。

 

「それと、うちはサスケ」

 

 サクラの願いが通じたのかイルカから読み上げられた最後の班員の名前は彼女が祈っていた名前と同一のものであった。

 思わず、サクラは『しゃーんなろー!』と叫び、大きく手を上げる。

 

 次々と班が決められていく。そうして、全ての班が読み上げられた後、イルカは新しく木ノ葉の忍となった教え子たちに向けて笑顔を浮かべた。

 

「じゃ、皆。午後から上忍の先生たちを紹介するから、それまで解散」

 

 イルカが教室を出ていくと、新米の下忍たちは同じ班となった者たちと親睦を深めるべく取り出した弁当を持ち寄り、これからの忍としての活動について実に楽しそうに話し始めた。

 その様子を見たナルトは人知れず頷いた。

 

 なるほど、共に食事を摂れば親睦が深まると聞く。己もサクラとサスケを誘って食事を摂るとしよう。

 

 鞄から弁当を取り出したナルトは、サクラとサスケに声を掛けようと横を見る。だが、そこには二人の姿はもうなかった。

 自ら声を掛ける、というより単純な言葉を出すことも必要に迫られなければしないナルトだ。同じ班員となった二人にどう声を掛けようかと考えている間に、その二人は教室から出て行ってしまっていた。

 

 周りの人間からは分からないほどに小さな表情の変化がナルトに起きていた。彼の表情は親しい者、イルカが見れば分かっただろうが、既にイルカは退室している。で、あるからして、この教室内に居る者は一人を除いて、ナルトが寂しいと感じているとは気づくことはなかった。

 そして、唯一、ナルトの変化に気が付いた少女も、彼に話し掛ける勇気がなかったために、ナルトは昼食を一人で摂ることになったのだ。

 

 +++

 

「来ないわね……先生」

 

 サクラが呟く声は教室の壁に吸い込まれた。サクラの言葉に頷くナルト。大きな反応は見せないものの顔の前で組んだ指が微かに上下に動いていることから、サスケもサクラやナルトと同じ気持ちであることが察せられる。

 

 ──遅い。

 

 第七班の気持ちは思いがけない所で一つになったのだ。

 同期の者たちは皆、担当上忍に連れられて三々五々に教室を出て行った。一班、また一班と上忍に連れられていく同期たちを見送りながら、次は自分たちの番かと心待ちにする第七班の三人。しかしながら、彼らの担当上忍は中々、教室へと入って来ない。そうこうしている間に、教室にはナルト、サクラ、そして、サスケの三人のみが残された。

 

「暇ね」

 

 無言で頷くナルトと動かないサスケ。サクラは焦る。

 

 気まずい……っていうか、なんで二人とも喋らないのよ。私だけが喋ってるなんて、私、バカみたいじゃない。

 

 心の中でサクラは声を上げる。

 内なるサクラの叫びは寡黙な男たちには届くことはなかった。

 

 ──ホント……本当に早く来てよ、もう!

 

 鞄の中からダンベルを取り出しトレーニングを始めたナルト、そして、窓の外を見続けるサスケを見ながらサクラは思う。二人とも無言でいることが嫌じゃなくていいなぁ、と。

 

 それから待つこと数十分。

 

 ガラリという音でサクラは目を開けた。

 余りに多い待ち時間の中、サスケのことを恋い焦がれるようになったきっかけを思い返し、さらに、ナルトにビクつかず話せるようになった出来事を思い返し、そして、今日の晩御飯はダイエットのために抜かなければならないことを思い返して、気分が落ち込んでしまうまでに彼女の思考は羽を広げていた。そんな彼女が今晩の食べることのできないデザートに思いを馳せながら、自分の脂肪を呪い、思わず目を閉じた時に教室の中へと一人の男性が入ってきたのだった。

 

 目を開けたサクラは教室の中へと入ってきた男へと目を向ける。

 3/4ほどマスクと額当てに隠れた男の顔から見えるのは右目と周りの部分だけ。その右目は眠たげな様子で教室の中の三人を見つめていた。

 

「どーも。お前らの担当上忍だ。第七班の三人……であってる?」

「あ、はい」

 

 頷くサクラを見た上忍は自身の親指で廊下を指す。

 

「それじゃあ、オレについて来て」

 

 +++

 

 日が燦々と差し込む屋上庭園は昼食時に人気のスポットだ。暖かい春の日差しを身に受けながら食べる弁当は格別である。

 しかし、今は昼下がりの午後。皆、食事を終えて各々の仕事に戻った時間だ。今、屋上庭園にはナルトたち第七班の人員だけしかいない。

 

 落下防止の柵に腰掛けたナルトたちの担当上忍は改めて彼らを見回す。

 

 ──なんていうか、一人だけ画風が違うなァ……。

 

 ナルトを見た上忍の感想はそれだった。彼は自身のメタフィクションな考えを脳の隅へと追いやる。

 気を取り直して、上忍は言葉を発した。

 

「そうだな……まずは自己紹介して貰おう」

「どんなこと言えばいいの?」

 

 サクラの疑問に上忍は両手を広げて答えた。

 

「そりゃあ、好きな物、嫌いな物。将来の夢とか趣味とか……ま! そんなのだ」

「先生、その前に先生のことを教えてください。見た目ちょっと怪しいし」

 

『最近の子は物怖じしないなァ』と感じながら、上忍は自らのことを説明するべく口を開く。

 

「あ……オレか? オレは“はたけカカシ”って名前だ。好き嫌いをお前らに教える気はない! 将来の夢……って言われてもなァ……ま! 趣味は色々だ」

「ねェ……結局、分かったの名前だけじゃない?」

「シャイな方なのだろう」

 

 自分の意見にナルトは納得する。カカシを恥ずかしがり屋だと断定する情報。それは、顔がほとんど見えない彼の服装が言葉はなくとも十二分に語っていた。

 

「じゃ、次はお前らだ。右から順に頼む」

「承知!」

 

 カカシから見て一番右にいたナルトが声を上げた。

 

「威風堂々! 不撓不屈! 堅忍不抜!」

 

 ナルトは立ち上がる。

 

「鍛え上げし肉体に宿るは熱い血潮! 弱きを助けッ! 強きを挫くッ! 正義を以って悪を倒すは己が道ッ!」

 

 ナルトは拳を握る。

 

「ラーメンを啜り、気力は十全! 筋肉に力を充填! 許さざるは己の怠惰! 目指すは火影! 忍の頂きッ!」

 

 ナルトは叫ぶ。己の夢を。

 

「漢の花道、此処に有り! いずれ世界に知らしめるッ! 己の名は……“うずまきナルト”!」

 

 ナルトの口上が終わると、パチパチと気の抜けた音がした。

 

「それじゃあ、次」

 

 カカシはナルトの熱い想いは受け止めなかったらしい。カカシという人間は熱血とは反対の場所にいるが故に、彼の口上をさらりと流す技術に長けていた。

 華麗にナルトの自己紹介を聞き流した彼はサスケへと目を向ける。

 

「名は“うちはサスケ”。嫌いな物ならたくさんあるが、好きな物は別にない。それから……夢なんて言葉で終わらす気はないが……」

 

 一度、言葉を切り、サスケは静かに空気を吸い込む。

 

「……野望はある! 一族の復興とある男を必ず……殺すことだ」

 

 ──やはり、な。

 

 カカシの目が細くなる。

 サスケの事情を知っているが故にカカシは何も言うことはなかった。

 

 カカシは最後に残ったサクラへと目を向ける。

 

「よし。じゃ、最後、女の子」

「私は春野サクラ。好きなものはぁ……ってゆーかあ……好きな人は……えーとぉ……将来の夢も言っちゃおうかなぁ……キャー!」

 

 ──この年頃の女の子は……忍術より恋愛だな。

 

 サクラの自己紹介が終わると、カカシは一つ頷いて話を次へと進める。

 

「よし、自己紹介はそこまでだ。明日から任務やるぞ」

「承知」

「はい!」

「ああ」

 

 三人の返事を聞いたカカシの目は退屈だと語るように濁っていた。

 

「明日の任務。まずは、この四人だけであることをやる」

「ある……こと?」

「そう。サバイバル演習だ」

「なんで任務で演習やんのよ? 演習なら忍者学校で散々やったわよ!」

「……相手はオレだが、ただの演習じゃない」

 

 カカシへと疑問を投げかけてきたサクラはカカシが出してきた更なる疑問に困惑する。

 

「ククク……」

「ちょっと! 何がおかしいのよ、先生?」

 

 馬鹿にされたと感じたのだろう。

 突然、含み笑いをしたカカシにサクラは苛立つような目線を向ける。

 

「いや、ま! ただな……オレがこれ言ったら、お前ら絶対引くから」

「どういうこと?」

 

 叫ぶサクラを冷たい目で見ながら、カカシは彼女らに絶望を突き付けた。

 

「卒業生27名中、下忍と認められるものは僅か9名。残り18名は再び忍者学校へ戻される。この演習は脱落率66%以上の超難関試験(テスト)だ!」

 

 三人の顔から血の気が失せる。

 

「ハハハ……ホラ、引いた」

「ちょっと待って! それなら、卒業試験の意味なんてないじゃない」

「ああ、あれか。下忍になる可能性のある者を選抜するだけだから」

 

『とにかく……』とカカシは話を戻す。

 

「明日は演習場でお前らの合否を判断する。忍道具、一式持って来い。それと、朝飯は抜いてこい。吐くぞ」

「看過できぬ」

 

 それまで押し黙っていたナルトが突然、口を開いた。

 

 カカシはナルトの様子に納得する。

 せっかく卒業できたと思ったのに、またテストがあるなんて(たち)の悪い悪夢みたいなものだしな。

 カカシは柵から降りて、ナルトの前に立ち、彼を見下ろした。

 

「忍の世界は厳しいものだぞ」

「それは理解している。だが、己は吐くことはないという自信がある」

「そ! 頼もしいね」

「だから、朝食はきちんと摂らせて貰う」

「……はい?」

「最高の筋肉は日々の食事から作られるもの。己は毎日の朝食はスムージーと決めている。しかして、朝食を抜くのは認められぬ」

「んー。まさか……まさかとは思うけど、認められないっていうのはオレが言った朝食を抜いて来いってことだけ?」

「然り」

 

 ナルトの発言を聞いた後、カカシは一度、目を閉じる。

 

「……サクラ! サスケ! 集合!」

 

 カッと目を開いたかと思うと、カカシはサクラとサスケの二人に手招きをする。声を潜めたカカシは自分の近くに来た二人に尋ねた。

 

「ねぇ、スムージーって何?」

「ミキサーで野菜や果物をミックスした飲み物です。ダイエットに使われることもあるわよ」

「つまり、野菜ジュースということか?」

「サスケくんの言う通りよ」

「……なあ、スムージーって朝食に入ると思うか?」

「オレは、朝食は和食派だ」

「そうなんだ! なら、私も明日からパンから和食に変える」

「ちなみに、今朝の献立は?」

「白米に味噌汁、それから目玉焼きだ」

「トーストにサラダ。それから、ヨーグルト」

「お前らのは普通の朝食だが……若者の中では朝食はスムージーだけっていう人が増えているの?」

「聞いたことはないです」

「オレもだ」

「……」

 

 眉尻を下げたカカシ。スムージーは朝食ではないと判断する。

 

「ナルト。スムージーなら吐いてもキツクなさそうだし、それなら大丈夫ってことにしとこうか」

「感謝する」

 

 頭を下げたナルトを見てカカシは思った。

 

 ──なんかドッと疲れた。

 

 カカシは説明を終わらせようとプリントを取り出す。

 

「詳しいことはプリントに書いといたから。明日、遅れて来ないよーに!」

 

 カカシが三人に渡したプリントには翌日の詳細に、場所や日時といった細々としたことについて書かれていた。

 

 ──やっとだ。

 

 ナルトは凄惨な笑みを浮かべる。だが、それに気が付いたのはカカシだけ。そして、そのカカシも下忍にしてはいい顔をするじゃないのという楽観的な考えを浮かべただけだ。

 

 これまで鍛えてきた成果が、やっと分かる。

 ナルトの顔は猛禽類の如く凄まじい覇気を放っていた。

 

 ──おもしろい。

 

 カカシは思う。明日が少し楽しみになってきた、と。

 

 +++

 

 次の日。

 試験会場である第三演習場にカカシの声が響く。

 

「やー、諸君。おはよう!」

「おっそーい!」

 

 プリントに書かれていた時刻から大幅に遅れ、現在は午前10時に近い時間だ。サクラが声を上げるのも当然のことだろう。

 だが、そんなサクラの様子を意に介していないカカシは着々と準備を進める。

 

「よし! 12時セットOK!」

 

 第三演習場に備え付けられている丸太。普段はこれを的として扱い、手裏剣術などの修行に用いるものであるが、今回のカカシの使い方は違った。

 丸太の上に正午に鳴るようセットしたカカシの私物の目覚まし時計を置く。続いて、三人の方へと体を向けたカカシは小さな鈴を彼らに見せた。大体3cmほどであろうか。キーホルダーとして使われていそうな鈴がチリンと音を鳴らす。

 

「ここに鈴が二つある。これを、オレから昼までに奪い取ることが課題だ。もし、昼までにオレから鈴を奪えなかった奴は昼飯抜き!」

 

 カカシは丸太を指で指す。

 

「あの丸太に縛りつけた上に、目の前でオレが弁当を食うから」

 

 朝飯抜いて来いって……こういうことだったのね

 カカシの意図を理解したサクラの顔はげんなりと言った様子だ。

 

「鈴は一人一つでいい。二つしかないから、必然的に一人、丸太行きになる」

 

 と、カカシはチャリンと鈴を鳴らした。

 

「……で! 鈴を取れない奴は任務失敗ってことで失格だ! つまり、この中で最低でも一人は学校へ戻って貰うことになる訳だ」

 

 表情を変えないまま、カカシは淡々と説明する。

 

「手裏剣も使っていいぞ。オレを殺すつもりで来ないと取れないからな」

「でも! 危ないわよ、先生!」

「大丈夫。オレはお前らみたいなひよっ子に負けるほど弱くないから。オレが『よーい、スタート』っていうから、それが合図で開始ね」

 

 ひよっ子。

 その言葉が琴線に触れたのだろう。サスケは髪を揺らし、カカシを正面から見る。

 

「フ……言ってくれるじゃねェか」

「いい殺気だ、サスケ。やっとオレを認めてくれたかな? ククク……なんだかな。やっと、お前らを好きになれそうだ」

 

 一瞬で笑いを引っ込めたカカシはいつものように何を考えているのか判断が難しい顔を彼らに見せた後、宣言した。

 

「じゃ、始めるぞ! よーい……スタート!」

 



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レッグレイズ

「忍たる者、基本は気配を消し隠れるべし」

 

 辺りを見渡したカカシは一つ頷く。

 

 カカシの合図と共に、彼が受け持つ予定の部下候補たちは、それぞれ身を隠すべくカカシから刹那の内に離れた。

 隠れ潜み、カカシが隙を見せた瞬間、彼に襲い掛かる算段なのだろう。それは忍者学校で習う忍の基本だ。

 

「で、なんで、お前は隠れないのかな。ナルト?」

「このような機会を己は心待ちにしていた……いざ、尋常に勝負!」

「あのさァ、お前、ちっとズレとるのォ……」

 

 格上の上忍(カカシ)に正面から挑むのは下忍(ナルト)

 彼は静かに闘志を燃やしながらカカシを見つめた。

 

「己は自らを今日まで鍛え上げてきた自負がある。この闘いは己の力を測るためには絶好の機会。カカシ先生、真剣に闘いをしようではないか」

 

 随分と嘗められたな。

 カカシは呆れたようにナルトを半眼で見る。下忍程度の修行がなんだというのだ。確かに筋肉は子どもとは思えないほどに凄い。が、鍛えた肉体、それだけでオレの実力を測れると思われるのは心外だ。

 ほんの僅かな間、カカシの感情は苛立ちに揺れた。しかし、彼は上忍の中でも随一の実力を持つ者。かつて、暗部という里の優秀な忍のみを集めた部隊長を勤めていた彼は動じた心を一瞬で平静へと戻す。

 

 いつものように感情を非常に悟り難い目付きをしたカカシは腰のポーチへと左手を忍ばせる。

 

「忍戦術の心得その一、体術……を教えてやる」

 

 カカシがポーチから取り出したものを見たナルトは困惑に包まれた。

 

「どうした? 早くかかって来いって」

 

 動かないナルトに首を傾げるカカシ。

 思わず、ナルトは唇を噛み締める。

 

「カカシ先生。己と闘おうとする時に、何故そのような物を取り出すのか聞いてもよろしいか?」

 

 ナルトが指し示した物はカカシの左手に開かれた一冊の本だった。

 

「なんでって……本の続きが気になってたからだよ。別に気にすんな。お前らとじゃ本読んでても関係ないからな」

 

 そう言って、カカシは取り出した愛読書、“イチャイチャパラダイス 中巻”に目線を落とす。

 

 完全にナルトを挑発する態度。

 それは、カカシとしては完璧にナルトの実力を見切った上での行動だった。数々の任務で他里の忍との戦闘、そして、隊長として自里の忍を率いてきた経験。その経験に裏打ちされた自分の人を見る目は優れている。その目が、イチャイチャパラダイスを読んでいたとしても、ナルトに勝てると答えを出していた。

 

 オレは下忍程度には負けないよ。

 そう……カカシは今日、この時まで、心の底より思っていた。

 

「無礼を承知で言わせて頂く」

「ッ!?」

 

 本へと目線を落としていながらも、カカシは警戒を緩めていなかった。正確には、彼は常人が警戒しているということができるレベルで周りの様子を常日頃から確認している。それが、上忍、そして、暗部を生き抜いた勇名を他国にまで響かせる忍の所作だ。

 

 そして、本に目を向けている今も彼は常と同じように自らの周りに気を配っていた。

 視覚でナルトの姿を捉えることが出来ずとも、彼には優れた聴覚、そして、特筆すべき嗅覚がある。忍犬使いのカカシの嗅覚は、自らの鼻にチャクラを注ぎ入れることで周りの景色を正確に判断することができる。それこそ、視覚で捉えると同様に。

 つまり、本を取り出したカカシの狙いは、自ら大きな隙を見せることで考えなしに挑んできたナルトにカウンターをするというもの。そして、彼はカウンターの準備として、いつでも攻撃ができるように体全体にチャクラを漲らせていた。

 

「己はカカシ先生と全力で闘いたい。本を読むのは止めて頂きたい」

 

 見ていた本に差していた太陽の光が陰る。カカシはあり得ない出来事に言葉を失った。

 

 ──何故だ。

 

 その言葉で頭の中が一杯になったカカシは致命的な隙を作っていた。しかし、彼はその隙を突くこともなく、カカシが手に持つ本に手を伸ばし、それを閉じさせた。

 

 何故、ナルトがオレの目の前にいる?

 顔をゆっくりと上げるカカシ。あり得ないこと、何かの間違いだと心の中で自分に言い聞かせるカカシであったが、現実は彼の考えを遥かに超えるものだった。

 カカシは自らの前に立つ人物を見上げる。

 

 日の光を遮るようにして立つはナルト。

 先ほどまでカカシの前方8mに立っていたハズのナルトだ。術を使った形跡も何かしらのトリックを使った形跡も全くない。

 

 目を大きく開いたカカシを見下ろしながらナルトは口を開く。

 

「己を認め、勝負して欲しい」

 

 鈴を取ることもなく、オレに攻撃を加えることもなく、ただ立っていたのは闘いたいという闘争本能に従った結果か。

 ナルトのあり得ない所作に納得がいったカカシはナルトから距離を取るべく数歩、後ろに下がる。イチャイチャパラダイスをポーチの中へと戻したカカシは真剣な表情を作る。

 

「ナルト、忍者学校で忍組手は習った?」

 

 左手の人差し指と中指を立て、片手に印を作り出したカカシは構えてナルトに印を見せる。

 

 “対立の印”。

 今、カカシが組んでいる印はそう呼ばれる。両手印で術を発動する所作の半分を相手に示すことで、これから闘うという意志を示す。

『無論』とカカシに返したナルトはカカシと同じように右手で対立の印を組む。

 お互いに準備は整った。

 

 瞬間、空気が変わった。

 彼らの闘気が針となって肌に刺さるような感覚。藪の中から演習場の広場を覗き窺うサスケは思わず、生唾を飲み込んだ。

 

「うずまきナルト……推して参るッ!」

 

 自らに喝を入れたナルトは足を大きく踏み出す。と、ナルトの姿が掻き消えた。

 

 ──前ッ!

 

 ナルトが動くと同時にカカシもまた動いていた。

 自らに迫るナルトの丸太のような右腕、それをカカシはチャクラで強化した左の掌で押してナルトの拳の軌道を変えると共に、自らの体を左方向へと動かした。

 ナルトの拳は虚しく宙を切る。だが、自らの攻撃が空振ったというのにも関わらず、ナルトは犬歯を見せつけるような笑みを浮かべていた。

 タンッと地面を蹴り、ナルトとの距離を取ったカカシはナルトを注意深く観察する。

 

 予想していたとはいえ、オレがなんとか捉えきれるほどの速さ……大した奴だ。

 並の上忍はもちろん、オレと同程度の力を持つ忍でも油断している時ならば対応はできないだろう。

 

 ナルトの実力を測り直したカカシは自らの左目に意識を向ける。

 

 ──使うか?

 

 カカシは心の中で自らの頭を過った疑問を拒否した。“左目”を使うのは下忍相手に大人気ない。その上、自ら『体術……を教えてやる』と語っていた。それにも関わらず、体術に含まれない技術を使うことは先ほどの自らの発言を翻すようでカカシは忌避感があった。

 

 ──どうするか?

 

 奇しくも、カカシの考えた言葉とナルトが考えた言葉は同じものだった。

 ナルトは動きが止まったカカシを注意深く観察する。一見、隙があるように見えるカカシの所作。だらんと両腕を下し、体からは力が抜けている。

 だが、それは自分を謀るためのフェイクだとナルトは勘付いていた。

 カカシから放たれている闘気は対立の印を向け合った時から変わらず濃密なまま。無策で出れば、一瞬で勝負は決まるだろう。

 己の敗北という結果で。

 

 だがしかし、己にはこれしかない。

 ナルトは拳を固める。攻めて攻めて攻めること、これこそ至上。漢の生き様、闘い方だ。

 

 そして、ナルトは考えることを止めた。

 ナルトは膝を曲げ下腿三頭筋、脹脛(ふくらはぎ)と一般に呼ばれる箇所である、に力を籠める。大腿四頭筋が盛り上がることを感じたナルトは更に腰を落として力を溜める。

 人体の全ての筋肉の中で、最も力強い筋肉。それが、大腿四頭筋だ。そして、ナルトの大腿四頭筋は常人のそれよりも遥かに強靭だ。

 

 盛り上がる太腿は樹齢千年を超える古木の如し。ナルトが着ている服がいくらストレッチ性に優れた素材と言えども、彼の大腿四頭筋の盛り上がりで限界まで引き伸ばされている。今まさに張り裂けんばかりに悲鳴を上げているオレンジ色のストレッチパンツ。繊維が伸ばされ、切れていく音が断続的に続く。

 

 頭を上げたナルトは前に立つカカシはキッと見つめる。

 ナルトは下半身の服の声を意に介さず、ただ前を、立ち塞がる壁を、カカシを眼光鋭く見つめた。

 

 ──倒す。

 

 シンプルな答えしか今のナルトは持ち得ていなかったのだ。

 

 瞬間、ミチミチと耳障りな音が止んだ。

 大腿四頭筋が収縮し、ナルトの膝が伸びた。

 それと共に、ナルトの眼前の景色が歪む。視界は一点に狭まり、その注視点の周りは円状にボヤけ、後ろへと伸びていく。

 高速で移動して歪む視界の中、カカシの姿は鮮明にナルトの目に映っていた。

 

 一足飛びでカカシへと近づいたナルトは先ほどの焼き直しのように右腕の拳をカカシに向かって振るう。だが、それは当たらない。空を切った自らの拳を見たナルトは再び笑みを浮かべる。

 前回浮かべた笑みは難敵に対峙する興奮から浮かべた笑み。だが、今回浮かべた笑みは自らの術中に難敵が嵌ったことから浮かべた笑みだ。

 

 僅かな時間も許さず、ナルトは伸びた右腕を渾身の力で引く。目にも止まらぬ速さで引かれたことで右の拳から生まれたエネルギーはナルトの筋肉を伝播し、やがて、左腕へと力を伝える。体の流れるエネルギーに身を任せ、ナルトは左手に予め作っていた拳が前方へと出ることを感じていた。

 

「クッ!?」

 

 ナルトがカカシに繰り出した攻撃はただの正拳突き。それを途轍もない速さで繰り出しただけのこと。

 シンプルに速さを追い求めた拳。シンプル故に、そこには知恵が介在する余地はなく、繰り出された後に対処することは不可能だった。

 

 ──勝ったッ!

 

 今度こそ捉えた。

 ナルトが自分の勝利を確信した、その瞬間、カカシの腹にナルトの左の拳が突き刺さる。だが、結果はナルトの予想を遥かに超えたものだった。

 

「なッ!?」

 

 ──手応えがない。

 

 ナルトは慄く。

 脳内の記憶領域を浚って出てきた記憶と、今、殴りつけた物の記憶が合致する。

 木だ。修行用として殴り続けている木と同じ感触だ。

 

 そこで、ナルトは気が付いた。

 変わり身の術。攻撃が自分に当たる瞬間、動物や植物と体を入れ替える忍術。相手に攻撃を受けたかのように錯覚させ、その隙を突く術だ。

 

 変わり身の術により噴出した白煙の中、ナルトはカカシを探すが既にカカシの姿は目に見える範囲にはなかった。

 文字通り煙に包まれたまま、ナルトは周りの気配を探るがカカシは見つからない。

 それもそのはず、暗部に務めて暗殺などを実行してきたカカシは隠遁術に優れている。いくらナルトの勘が優れていようが、本気で気配を消したカカシの姿を捉えることはできない。

 焦るナルトは忙しなく目線を周囲へと向けた。林、いない。木の上、いない。川、いない。岩陰、いない。

 思いつく限り探してみるが、カカシの尻尾は捉えることはできない。

 

 ここで、話は少し変わるが、何事に置いても当人たちより部外者の方がよく見えるもの。俯瞰的な視点で見れば、カカシの姿は容易に捉えることができる。

 

 茂みから演習場の広場を見つめるは翡翠色。

 カカシを見つけたサクラの目が大きく開かれた。

 

 ──あの手の構えって“虎の印”!?

 

「ナルトーッ! 早く逃げて! 死ぬわよ!」

 

 思わず、サクラはあらん限りの声を絞り出す。隠れていた茂みの中から自分の姿が晒されるというにも関わらずに。

 

 彼女が自ら見つかる可能性が高い愚を犯してまで、声を上げた理由。

 サクラが危惧するのはカカシが使う“忍術”だ。それは火、風、雷、土、水の五大属性に大きく分別される。その忍術を使うために必要なのが“印”だ。いくつかの印を引き金に、そして、適量のチャクラを弾丸として放つ忍術は、そのほとんどが攻撃のために使われる。

 

 そして、その威力は刀や槍で行う攻撃の比ではない。

 岩を砕き、地を割り、林を切り刻む。卓越した忍が扱う忍術は個人に対して使うには過ぎた代物となる。下手をすれば、塵一つ残さないほどの威力だ。

 そして、カカシは今、ナルトの後ろ、しかも足元という反撃をするには難しい位置に陣取っていた。前と横を見て、後ろや下を見なかったのはナルトの戦闘経験の薄さが原因だ。対忍の戦闘経験があれば、上忍であるカカシが己の死角から攻撃を加えることを予想することができ、最終的にはカカシの姿を見つけられた可能性もあった。

 

 だが、全ては後の祭り。

 準備を完全に終えたカカシの指は虎の印を組んでいた。それは火をコントロールして攻撃に転化する火遁のための印。例外はあるものの、火遁の術のほとんどは虎の印で終わるために、サクラはカカシが今から放とうとしているのは火遁だと考えた。

 

 当たったら、まず、間違いなく死んじゃう。だから、逃げてナルト!

 サクラの祈りは届かなかった。

 

「む?」

「遅い」

 

 やっと、自分の後ろにカカシがいることに気が付いたナルトにカカシは引導を渡すべく動き始めた。

 カカシの右目がギランと怪しく光る。次いで、ギュオオオとカカシの指が風を切る音がした。

 

「木ノ葉隠れ 秘伝体術奥義 千年殺しッ!?」

 

 両手の人差し指と中指を合わせ、その他の指を交差させる虎の印。その手の形のまま、曲げた膝を伸ばすことで千年殺しは完成する。体をバネとして使い、相手の菊門(アナル、つまり、お尻の穴)へと指を無理矢理、挿入して悶絶させる体術だ。

 とどのつまり、物凄いカンチョーである。

 

 確かに、体を鍛えているナルトとはいえ、喰らえば唯では済まない。直腸から内臓へと駆け抜ける衝撃は想像を絶するほどの痛みだろう。

 だが、カカシの動きが止まった。人差し指の第一関節まで入った所で、カカシの動きが止まったのだ。本来なら、人差し指の奥まで挿入した後で相手を空中に突き飛ばすことで完成する千年殺し。

 これはつまり、失敗だ。

 

「お前……一体、どうやって?」

「己は全ての筋肉を鍛え上げている。外肛門括約筋もまた然り!」

 

 肛門括約筋を鍛えた所で使い道ないじゃん。

 ナルトの発言に白目を向くカカシ。肛門括約筋は鍛えた方が色々な面で確実にいいのだが、こと戦闘には使わない。使うとしても千年殺し封じのみというニッチな使い方だ。

 

 全身の筋肉を一部の隙もなく鍛えるというナルトの生活が千年殺しを封じた。

 塞翁が馬の出来事ではあるが、結果としてはナルトに闘いの流れが変わったのだ。

 肛門括約筋を締め上げることでカカシの指を己の菊門から抜けなくした上で反撃をする。ナルトの勝利は目前だった。

 カカシに攻撃を加えようとして、ナルトはふと気が付いた。

 

 ──動けぬ。

 

 肛門括約筋を締める際、それまでに積んできたトレーニングの動きが思わず出てしまっていた。

 トレーニングは肛門を2秒ほどの間隔で強く締め付ける運動を続けることと、肛門を締め付ける動きを10秒から15秒ほどし続けることを交互に行う。

 そして、肛門を締め付ける動きを長く行っている方が問題となる。この時、動きがなく詰まらないと感じていたナルトはダブルバイセプスのポーズを鏡の前で取り、体の筋肉と同時に肛門括約筋にも力を入れることと、脱力することを繰り返していた。

 

 残念ながら、ナルトは今、この癖が出てしまっていた。

 ダブルバイセプス、両腕を曲げた状態で上に上げているポーズだ。そのポーズをしながら、全身に力を入れて動かないナルトの菊門にカカシの指が挿入されている。

 

「ウスラトンカチが2人……フン」

 

 動かないナルトのダブルバイセプスと動かないカカシの指の挿入。

 それを木の上から見ながら、サスケは心底軽蔑したように吐き捨てた。

 

 サスケの見立てとは違い、ナルトとカカシは水面下で熾烈な争いをしている。

 全身に力を入れることでカカシの指の侵入を防ぐナルトと、指に力を籠めてナルトの菊門に指を侵入させようとするカカシ。

 

 ──引けば、負ける。

 

 二人には確信があった。

 ナルトは力を抜けば千年殺しを喰らう羽目になり、カカシは指を引いて体勢を立て直そうとした瞬間にナルトからの攻撃を喰らう羽目になる。絶対に負けられない闘いが、確かにそこにあった。

 

 だが、このまま膠着状態が続くのは、両人とも望むことではない。

 先に動いたのは、やはりと言うべきか、忍としての経験が豊富なカカシだった。

 

 ナルトの菊門から指を抜き、後ろへ地面を蹴ったカカシは己へと猛然と襲い掛かるナルトの姿を目に映した。それは一瞬か永遠か。狂った時間感覚の中、カカシは笑うのだった。

 

 ナルトの背筋に冷たいものが奔る。だが、進むしかない。何か企んでいようとも、己の拳で打ち砕くのみ。

 引かぬ気持ちがナルトの拳を前へと進ませる。だが、その拳はカカシの鼻先を掠ることが限界だった。

 

 ナルトの視界が反転する。

 天地が逆となった視界の中、ナルトは自らの体に起こった出来事を把握した。

 

「不覚」

 

 木に宙吊りにされている。

 自らの両足に縄が絡みつき、捕縛している様子を見てナルトは目の前に立つカカシへと話し掛けた。

 

「まだだ」

「ホントに? 忍具はこっちだけど?」

 

 いつの間に、取り外したのだろうか? カカシはナルトがいつも腰に付けている忍具を入れるポーチを彼が手の届かない場所に置く。

 まだ、手刀で縄を切ることはできない。刃物がなければ、この吊るされた状態のままだろう。

 

「己の負けだ」

 

 ナルトは素直に負けを認める。次いで、彼は疑問を口にした。

 

「カカシ先生。いつの間に罠を仕掛けたか聞かせて貰ってもよろしいか?」

「膝を曲げた一瞬、オレから目を離しただろ?」

「まさか……」

「そ! 仕掛けたのは、その時だ」

 

 カカシは肩を竦める。と、一転して真面目な顔付きとなったカカシはナルトを見つめた。

 

「忍者は裏の裏を読め。正直に行動すると、それを逆手に取られるぞ」

「……善処する」

「あんま分かってなさそーだね、こりゃ」

 

 正直はコイツの美徳だけど、忍としてはダメだな。

 結論を出したカカシは吊り下げられているナルトに指を立てた左手を差し出す。

 

「ほら、和解の印」

「承知」

 

 木に逆さ吊りにされているナルトへと伸ばした左手は闘いを始める前に組んだ対立の印と同一のものだ。カカシが組んだ片手印を見て、ナルトもまた右手の人差し指と中指を立てる。

 対立の印を構えた忍同士が、その印、つまり、立てた人差し指と中指を絡ませることで和解の印は完成する。これにより、闘いの作法は終了するのだ。

 対立の印で忍組手を初め、和解の印で忍組手を終わらせる。この一連の流れで仲間であることを示し遺憾をなくす。これが木ノ葉の里に長年受け継がれてきた伝統だ。

 

 和解の印を解いたカカシはナルトに背を向けて歩き出す。

 

 ──危いな。

 

 敵と正々堂々とぶつかり合う。それは、実に立派なことと言えるが、こと、忍に関しては致命的だ。上へと上がれば上がるほど、暗殺などの世に悟られてはならない任務が増える。正面から堂々と暗殺するような者がどこにいるというのか?

 

 また、不用意に顔を晒すことは狙われることに繋がる。強い忍の肉体は研究材料として、喉から手が出るほどに欲しい輩がいるのが忍界だ。大抵、そのような者はタガが外れており、手段を選ばずに外道とも言える行為をすることがほとんどだ。

 そのような輩に狙われ、賞金を懸けられるとすると強力な後ろ盾(木ノ葉隠れの里)の加護を受けていても捌き切れないこともある。

 

 しかし、今はそれに思考を割く暇はない、か。

 ナルトの他にも自分が受け持つ予定、あくまでも予定だが、の下忍は他に二人いる。彼らを見極めなければならない。

 カカシは目線を前の林へと向けると、一瞬で姿を消すのだった。

 

 +++

 

「表情が優れてないけど、お腹空いてるんじゃない?」

 

 12時。

 制限時間となり、カカシから鈴を奪うことができなかった下忍の三人、ナルト、サスケ、サクラは丸太の前に集められていた。ナルトは朝食としてスムージーを取っていたが、サスケとサクラはカカシの言う通りに朝食を抜いて来ている。

 腹が減るのも仕方のないことだろう。

 

「ところで、この演習についてだが……」

 

 話を本題に戻したカカシは一息置いて言葉を繋げる。

 

「……ま! お前らは忍者学校に戻る必要もないな」

「つまり……合格?」

 

 サクラの問いにカカシは笑顔を浮かべる。それを見て、サクラもまた笑顔を浮かべた。

 まだカカシが答えを口に出していないにも関わらず、サクラは自らの合格を信じ切っていたのだ。

 

「そう、三人とも……忍者を辞めろ!」

 

 無情の宣告。

 それは三人を完全に拒絶したカカシの言葉だった。

 



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パンチング

『忍者を辞めろ』

 

 カカシの声が演習場に響く。新米の下忍に突き付けられた明確な拒絶。

 

 お前たちは忍になってはいけない。

 

 言葉の外にあるカカシの意志を受け取った三人は受けた衝撃で何もいうことはできなかった。

 

 カカシの気迫に思わず息を呑む。

 ややあって、言葉を纏めたナルトが口を開いた。

 

「鈴を取れぬ己らには忍としての才がないということか?」

 

 常よりも低い声でナルトは尋ねる。それは自らに対する怒りを無理矢理押し殺しているような声。

 

「ああ。どいつもこいつも忍者になる資格もねェガキだってことだよ」

 

 冷たく言い放つカカシ。それは一部の隙もなく彼ら三人を認めない言葉だった。

 

 ──天は自ら助くる者を助く。

 自分の力を信じ、行動する者に天運は味方するものだ。

 

 カカシの言葉に奥歯を噛み締めたのはサスケだ。こんな所で立ち止まっては自らの野望……復讐を達成することなどできはしない。

 

「あ! サスケくん!」

 

 サクラの声を後ろにサスケは走る。目的はカカシに自らの力を認めさせ、先ほどの“ガキ”という発言を撤回させること。

 握りしめた右手に力を籠め、サスケは駆けた。

 

 ──天は自ら助くる者を助く。

 そうは言っても、その努力の方向が自分を認めない者の排除という負の方向に向かう場合、天は彼を助けることはない。

 

 自分の身に何が起こったのか?

 サスケは理解できなかった。例え、理解が追い付いても彼は認められなかっただろう。そのプライドの高さ故に……刹那に自分が地面に押し付けられて身動きが一切取れなくなっていることを彼は認めることは彼の心を深く傷つけることになる。

 

「だから、ガキだってんだ」

「サスケくんを踏むなんて、ダメーッ!」

 

 サクラの叫び通り、サスケの頭にはカカシの足が置かれていた。地面に倒れ、身動きが取れないように頭を踏まれている。

 これ以上ないほどの屈辱的な状況に、逆にサスケの頭は冴えていく。天地が引っ繰り返っても自らの勝ちの目が見えない状況に追い込まれると、“うちは”の血は覚醒を促すカンフル剤と成り得るのだ。

 負の意志を力に変えるうちは一族の末裔たるサスケもその血により覚醒を促される。

 

 だが、まだ足りないようだ。

 全身に血は巡り、力が湧いて来る。冷静になったサスケは、カカシを打ち倒そうと考えを巡らせるものの、既に状況は詰みだということを理解した。

 その結果、サスケは悔しそうに唇を歪めることしかできなかったのだ。

 

「お前ら、忍者嘗めてんのか? あ? 何のために班ごとのチームに分けて演習やってると思ってる?」

「え? どーゆーこと?」

 

 サクラの疑問にカカシは淡々と答える。

 

「つまり、お前らはこの試験の答えをまるで理解していない」

「答え……とは?」

「そうだ。この試験の合否を判断する答えだ」

「だから、さっきからそれが聞きたいんです」

「……ったく」

 

 心底呆れた。

 カカシの呟きは彼の心情を明確に表していた。

 

「答え。それは、チームワークだ。三人でくれば、鈴を取れたかもな」

「なんで、鈴二つしかないのに、チームワークなわけェ!? 三人で必死に鈴取ったとしても一人我慢しなきゃなんないなんて、チームワークどころか仲間割れよ!」

 

 心底呆れた。

 カカシの視線は彼の心情を明確に表していた。

 

「当たり前だ。これは“わざと”仲間割れするよう仕組んだ試験だ」

「え!?」

「この仕組まれた試験内容の状況下でも、尚、自分の利害に関係なくチームワークを優先できる者を選抜するのが目的だった。それなのに、お前らときたら……」

 

 カカシが始めに目を向けたのはサクラだ。

 

「サクラ。お前はナルトがオレと闘っている間、日和見に徹するだけ。ナルトの援護、そして、サスケのように罠を仕掛ける準備をすることもなかった」

 

 カカシは次にナルトに目を向ける。

 

「ナルト。お前は馬鹿正直に向かって来るだけ。鈴を優先させることもなく、オレとの闘いを優先させた」

 

 最後にカカシは自分の下にいるサスケへと目を向けた。

 

「サスケ。お前は二人を足手纏いだと決めつけ個人プレイ。例え、鈴をオレから取れたとしても、それじゃあ、合格はさせられない」

 

 一度、目を閉じたカカシだが、すぐに目を開いて三人を順々に見遣る。

 

「任務は班で行う! 確かに、忍者にとって卓越した個人技能は必要だ。が、それ以上に重要視されるのは“チームワーク”! チームワークを乱す個人プレイは仲間を危機に陥れ……殺すことになる。例えば、だ」

 

 カカシは取り出したクナイをサスケの首元に当てる。

 

「サクラ! ナルトを殺せ。さもないとサスケが死ぬぞ」

「!!」

「と、こうなる。人質を取られた挙句、無理な二択を迫られ殺される。任務は命懸けの仕事ばかりだ」

 

 サスケから降りたカカシは丸太の後ろに向かって歩く。開放されたサスケがナルトとサクラの元へと戻るタイミングでカカシは口を開いた。

 

「これを見ろ」

 

 丸太が隠すように配置されていた小さな石碑をカカシは指し示す。

 

「この石に刻んである無数の名前。これは全て里で“英雄”と呼ばれている忍者たちだ」

「英雄……」

 

 カカシは声を出したナルトをチラと見た後、すぐに石碑へと視線を戻す。

 

「が、ただの英雄じゃない。ここに刻まれている名前は……全て任務中、殉職した英雄たちだ」

 

 下忍である三人の顔色が変わる。やっと理解できたのだろう。“忍”がどのようなものなのか。憧れだけでは決して至ることはない。忍の頂点を目指すナルトにとって、カカシの言葉は重かった。

 今、生きている者だけではなく、慰霊碑に刻まれた名前、全てを背負っていく。それが火影だ。死者の念を力に変え、生きるものを導き助ける。

 それが、己にできるのか? 疑問はグルグルとナルトの頭を回る。

 

「これは慰霊碑。この中にはオレの親友の名も刻まれている」

 

 目から光が消えたカカシは何を想うのだろうか?

 過去の後悔、今に至るまでの自らの足跡。いなくなった親友たちに胸を張って会うことはできないという咎め。

 

「……お前ら。最後にもう一度だけチャンスをやる。ただし、昼からはもっと過酷な鈴取り合戦だ」

 

 過去を振り切ったカカシはナルトたちへと振り返る。

 

 本当にお前たちは忍を目指すのか?

 カカシにそう問われているような感覚。それを覚えたナルトは静かに覚悟を決めた。

 

「挑戦したい奴だけ残れ。弁当はお前らにやる」

「でも、カカシ先生。お弁当は二つしか……」

「オレが知るか。その弁当は合格した二名に食わせるつもりで用意した弁当だ。元々、お前らみたいな不合格者に食わせるつもりなんかはなかったんだよ」

 

 カカシはナルトたちに背を向けた。

 

「不合格のお前らにチャンスを与えてやってるってことを忘れるな。30分後、試験を改めて開始する」

 

 煙に包まれ、姿を消すカカシ。瞬身の術だ。

 一瞬にして姿を晦ませたカカシを見送った三人は押し黙る。

 

 吹き抜ける春の風。

 爽やかさを想起させる風であるが、演習場には重苦しい雰囲気が充満していた。

 それを打ち破るかの如く動きがあった。二つの手が伸びる。ナルトとサスケだ。

 置かれた弁当を手に取ったのは彼らだった。

 

 ──そうだよね。

 

 サクラは思う。

 サスケくんもナルトも私とじゃ覚悟が違う。私はサスケくんに認められたいっていう理由で忍になろうとした。それじゃあ、二人よりも遅れるのは仕方ないよね。

 

 サクラは目を伏せる。

 と、サクラの視界の中に二つの影が映った。

 

「え?」

 

 弁当を手に取ってから、間髪入れずにナルトとサスケの二人はサクラへと弁当を差し出したのだった。

 

「子女を優先させるは己が自らへと誓ったこと。貴殿が食べるべきだ」

「ナルト、それはお前が食え。サクラにはオレの弁当をやる」

「サスケ、それでは貴殿の体力が持たないだろう?」

「バカみたいに燃費が悪いお前が飯を食わずに試験を受けたら足手纏いなんだよ。次は奴も本気で来るだろう。その時に動けなくなると迷惑だ」

 

 サクラは大きく目を開ける。

 自分が二人と同じ覚悟、忍になるという決意をしていると彼らは信じて疑わない。自分たちと同じ心を持っていると二人は自分を信じている。サクラの胸に熱いものが込み上げた。

 

 ──やってやろうじゃない。しゃーんなろー!

 

 今、自分が二人のためにできること。

 

「あの……三人で分け合えばいいんじゃないかな?」

 

 それは頑固な二人の間を取り持つことだろう。どちらも自分の弁当をサクラへ譲ろうとする。それならば、いっそ三人で分け合いカカシへと挑むこと。それがチームワークのための第一歩であろう。

 

「お前がそういうなら」

「ならば、有難く頂く」

 

 サクラは思う。

 自分を曲げることのないナルトとサスケ。強い故に折れることを知らない二人。ならば、自分が二人の間に入る歯車となり、より良い関係を築く。

 二つの弁当を分け合う三人の姿。彼らを木の影から見つめるカカシの表情は優しいものとなっていた。

 だが、彼はすぐに表情を引き締める。彼らはまだ入り口に足を踏み入れただけ。カカシの求めるチームワークを見せることができるかどうかは、これからに掛かっている。

 

 +++

 

 風が木の葉を揺らす。

 今度の風は重苦しい雰囲気に潰されなかった。作戦を立ててきたのだろう。三人の新米下忍たちは自信を見せつけるように胸を張っている。

 そんな彼らを挑発するようにカカシはマスクの後ろで唇を歪めた。

 

「で……お前らは本気で忍になりたいって訳ね」

「無論!」

「フン」

「はい!」

 

 三人が一様に頷く様を見たカカシは目を鋭くした。

 

「チームワークってのができているか見せて貰おうか」

「承知!」

 

『来い』というように顎を刳るカカシ。それを開始の合図と見たナルトは地面を蹴った。

 

 初撃はナルトだ。

 空中へと飛び出したナルトは右腕を大きく振り上げる。

 

 ──マズイな。

 

 本能が鳴らす警鐘に従い、カカシは地面を蹴った。方向はナルトと同じ。つまり、カカシにとっては後ろへと下がったのだ。

 カカシがナルトの拳を躱すと、遮るものはないナルトの拳は地面へと突き刺さった。

 

「ッ!?」

 

 ナルトの拳が地面へと当たり、一拍置いた後に響くは轟音。それと同時にナルトの拳を起点として地面が陥没する。

 

 躱していなかったとすると……。

 自らの想像でカカシは背中に冷たいものが流れるのを感じた。

 

 ──待て。

 

 カカシは安堵と共に疑問も感じた。

 威力が高いナルトの拳だ。なら、なぜ午前中の闘いでは使ってこなかったのか? 何かリスクがあるからこそ、使ってこなかったのではないか? そう仮定するならばリスクとは……。

 カカシはほくそ笑む。身体エネルギーのみで地面を陥没させるほどの威力の拳だ。すぐに使える身体エネルギーを使い切るほどだとカカシは当たりを付ける。

 単純に言えば疲れて動けない。今のナルトの状態はそうだろう。

 

 罅割れ崩れた足元からナルトへと視線を移す。

 

「サス……ケッ!?」

 

 カカシの視線の先にはナルトの背中に一旦着陸して、すぐに自らに向かって来る青い服の少年の姿。

 

 足元の状態が悪い。避けきれない。

 

 カカシは気づく。

 それを見越して……いや、その状況に追い込むためにナルトの拳を地面に当てたのか。

 半径2mほどとはいえ、まだ体が出来上がっていない少年少女らには、罅割れた地面で速く移動するというのは難しい。それで、地面を陥没させるほどに力を振り絞って動けないナルトを足場にしてカカシへの本命の攻撃を当てる。

 

 ──それだけじゃない。

 

 顔へと向かってきた小さな右の拳を払いながら、カカシは周りへと気を配る。

 ナルトとサスケは両方ともオレへの攻撃を優先させた。チームワークの意味が分かっているなら、ここで来るハズだ。

 カカシの右目が陥没した箇所を迂回して自らに迫る桜色を捉えた。

 ナルトとサスケの攻撃でオレの注意を外し、その間にサクラが直接、鈴を狙う。いいコンビネーションだ。

 

 チームワークを理解した三人の連携攻撃。

 それが見えた今回、ここで試験は終了とするのが一般的である。目的は達成したのだから。

 だが、カカシは良くも悪くも一般的な上忍ではない。木ノ葉の里の中でも類を見ないほど、異例な出世。そして、その全ては彼が己の実力で勝ち取った正当な評価だ。

 だからこそ、彼はこう考えた。

 

『もっと見てみたい』と。

 

 カカシが考えを纏めた時間は僅かコンマ2秒。

 目の前の右手の攻撃をカカシが払った後、左手の拳を握り締めるまでの間の短い間であった。

 

「フッ……」

 

 カカシは右の拳に次いで繰り出された左の拳を受け止め、前方へと押し出した。目の前の二人を接触させて地面へと転がそうという考えだ。

 そして、その隙を突くように鈴へと迫っていた桜色を捕まえる。

 

「ナルトォ!」

「限界を……超える!」

 

 カカシは捕まえる手を間違えた。

 ボンという音がしてカカシが捕まえていた手から煙が上がる。煙の中、カカシは気づく。

 白煙から見える僅かな色。それは桜色などではなく濡烏の如し黒い色。カカシが捕まえていたのはサクラへと変化していたサスケだった。

 

 ──ハメられた!

 

 サスケの姿に変化していた誰かの方を向く。

 そこには、予定調和というべきかサスケへの変化を解いたサクラの姿があった。煙に包まれたサクラの足があるのはナルトの拳。常人よりも大きな彼の拳にはサクラの小さな足が乗せられている。

 そこから推測できる可能性の一つに思い至り、カカシは顔色を変えた。

 

「ふんぬ!」

 

 拳を振り切るナルト。乗っていたナルトの拳に弾かれたサクラの体は真っ直ぐにカカシへと向かって飛ぶ。

 

「しゃーんなろぉおおお!」

 

 左手は鈴を取ろうとするサスケの手に阻まれている。そして、右手は先ほどサクラをナルトに向かって弾いた時に大きく振り切ってしまっている。

 

 戻すには間に合わない。

 

 そのことにカカシが気づいたのと、カカシの体にサクラの拳が当たるのは同じタイミングだった。

 

「ぐっ!」

 

 ぐらつくカカシの体。

 しかし、流石は上忍と言おうか、体全ての筋肉を上手く使ってサクラが自分へと与えた衝撃を地面へと流した。カカシは倒れることこそなかったが、それでも致命的な隙を見せてしまっていた。

 左手の力が緩んだ一瞬の隙を突いてサスケはカカシから離れる。それと同時にチリンという微かな音がしたことから、サスケは鈴を獲得したのだろう。

 だが、もう一つは距離が遠かったようで、まだカカシの腰にある。

 

「ナルト! お願い!」

「承知!」

 

 サクラの声に反応したのはカカシの前にいるナルト。

 サスケが深追いをせずに一つ鈴を取った後に離脱した理由をカカシは理解した。ナルトを信用していたからこそ、サスケはナルトの進行方向から身を引いたのだ、と。

 

 ナルトはカカシの腰に下げられた鈴を見据える。

 体力はない。

 それでも尚、ナルトは駆ける。彼は地面を殴りつけた際、ウエイトリフティングの如く一瞬で体力を使い切っていた。

 

 ここまでしてくれた仲間の為、立ち止まることなどは許されない! 例え、サスケとサクラが動けない己を許そうが、己はここで動かない己を許すことなどできない!

 

 奥歯を痛いほどに噛み締め、ナルトは駆ける。

 体力はない。ならば、気力で補えばいい。全身の筋肉が悲鳴を上げるが、ナルトはそれでもただ一つの目標に向かって駆けた。

 

 忍者は裏の裏を読め、か。

 カカシは自分がナルトに語った言葉を反芻する。限界(裏の)超える()

 

 ──そういうことじゃないんだけどなぁ。

 

 カカシは呆れたように笑いながら、腰に下げた鈴が取られる感触を感じていたのだった。

 

 +++

 

『試験は終了』

 

 カカシの言葉を聞いた三人は動きを止める。

 ナルトは肩で大きく息をしながら、サスケはカカシに掴まれた左手を擦りながら、サクラは地面へと座り込みながらカカシの次の言葉を待っていた。

 

「鈴をオレから取ったのはナルトとサスケだけど……」

 

 鈴を取ったのはナルトとサスケ。それは変わらない事実だ。

 そして、カカシは試験前にこうも言っていた。

 

『ここに鈴が二つある。これを、オレから昼までに奪い取ることが課題だ……で! 鈴を取れない奴は任務失敗ってことで失格だ! つまり、この中で最低でも一人は学校へ戻って貰うことになる訳だ』

 

 鈴は二つ。

 自分は鈴を取れなかった。その事実は覆ることはない。思わず、サクラの目に涙が滲む。

 

「……サクラ、ほら」

「え?」

 

 銀色がカカシの手から放たれる。その銀色は放物線を描きながらサクラの手に収まった。

 

「これって……鈴?」

「そう、鈴。つまり、ここにいる三人は全員合格だな。『ここに鈴がある』ってみせた以外にも、もう一つ鈴を持っていたオレから鈴を取ったサクラも文句なしに合格だ」

「で、でも!」

 

 合格は嬉しい。だが、それはルール違反ではないのか?

 サクラの心情を見抜いたカカシは、三人からは見えないのだが、マスクの裏で口元に笑みを浮かべる。

 

「忍者は裏の裏を読むべし。忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる。けどな、仲間を大切にしない奴は……それ以上のクズだ」

 

 カカシは優しい目で三人をぐるりと見渡した。

 

「オレはお前たちを仲間として認めた。改めて、これからよろしくな」

 

 呆けているようにカカシの言葉を聞いていた三人だったが、やっと理解が追い付いてきたのだろう。合格の実感は興奮を伴い、彼らの表情を明るいものにさせる。

 

「これにて演習終わり! 全員合格! よォーしィ! 第七班は明日より任務開始だァ!」

 

 三人に続いて、明るい雰囲気を出したカカシは親指を天に向かって立てた。

 これから、三人はカカシが隊長となる第七班で様々な任務を積んでいくこととなる。そこには恐怖や悲しみがあることだろう。だが、それ以上に達成感や喜びも待っている。

 

 無知な少年少女は今、忍の世界へと足を踏み出した。

 



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霧隠れの鬼人現る!
血流改善


 火の国、木ノ葉の里は広大かつ肥沃な領土を持っている。里の創立者の一人は森から風に吹かれた木の葉を見て、里の名前を付けたという話もある。

 木ノ葉の里は文字通り、木の葉舞う里だ。

 

 里を囲むようにある森。木々が鬱蒼と茂る森の中を第七班、カカシを隊長としたナルト、サスケ、サクラの四人は足音を忍ばせて駆ける。

 

 目的は対象の捕獲。

 気配に敏感な対象に気取られることのないように慎重に近づく。

 

「目標との距離は?」

 

 カカシは装着しているヘッドセットのマイク部分に問いかける。

 

『5m。合図があれば、すぐに捕らえる』

『オレも同じだ』

『私も』

「よし!」

 

 部下たちの力強い声を聞いたカカシは指示を下す。

 

「やれ」

 

 静かな声色。

 そこには何の感情も感じることはできない。そして、彼の部下たちも作戦通り、感情を見せることなく動いた。

 まず動いたのは黄色、臍の辺りは服の丈があってないため肌色が見える人物だ。彼が動く音に反応した捕獲対象は後ろを振り返る。振り返ってしまった。

 

 捕獲対象の目に映るは筋骨隆々の人間。生物の本能が言っている。こいつには勝てない、と。捕獲対象は理解した。自分の命は目の前に立つ人間に握られて、いつでも握り潰せるほどの大きさでしかないちっぽけなものだと。

 遥か高みから見下ろす人間は動かない。動かず、ただ自分を見るだけ。それだけなのに、捕獲対象は身じろぎ一つできなかった。蛇の前の蛙も今の自分が持つ恐怖には及びはしないだろう。

 

 ──だが……捕まる訳にはいかない。

 

 捕まれば元居た場所に戻されるのは必定。あの女、奴の魔の手からせっかく逃げ出したというのに戻されるなんて最悪だ。

 例え、命を落とす憂き目に合おうが逃げなくてはならない。

 

 捕獲対象は目の前にいる巨大で強大な男を睨みつける。それは精一杯の反抗、そして、彼が生き残るための最適な手段だった。敵の一挙一動を見逃さず、敵が動くと同時に反応する。

 気が高まる捕獲対象と捕獲しようとする人間。どちらかが動けば、もう一方も即時、動くであろう。焦燥感が高まる。ヒリヒリと肌を焼くような感覚。すぐに逃げ出したい。だが、隙を見せたら一瞬で決着が決まる。それが分かっているからこそ、捕獲対象は全神経を自らの前に立つ人間に向ける。

 

 だが、そう捕獲対象が考えること、そのことこそが人間()()の狙いだった。

 

「捕まえた」

 

 自分の体が持ち上がる感覚と同時に女の声が後ろから聞こえた。

 後ろにいるのは人間。そこで、捕獲対象は気が付いた。前の大男に注意を向けさせて他の者が自分を捕まえる。それが人間どもの作戦だったのだ、と。

 

『右耳にリボン。目標のトラに間違いないか?』

「ターゲットに間違いない」

『よし、迷子ペット“トラ”捕獲任務、終了!』

 

 木の陰から出てきた黒髪の少年が装着しているヘッドセットで話している様子を見ながら、捕まえられた捕獲対象、トラは自分の運命を受け入れることしかできなかった。

 

 +++

 

「ニャー!」

「ああ、私のかわいいトラちゃん。死ぬほど心配したのよォ~!」

 

 ──逃げんのも無理ないわね、アレじゃ。

 

 迷子ペットの捕獲任務の依頼人、火の国大名の細君、マダム・しじみがふくよかな頬で捕らえられたトラに頬ずりする様子を見ながら、捕まえた本人であるサクラはトラに同情した。

 行き過ぎた愛は時に重石となる。今、マダム・しじみの腕の中で泣きじゃくっているトラを見れば分かるだろう。

 

 ──随分、器用な猫ね。

 

 人間のようにコロコロと表情を変えるトラを見てサクラは自分の顔から表情がなくなるのを感じていた。

 

「さて……」

 

 と、任務受付室に静かな声が響く。声の主はこの里で頂点に立つ忍、三代目火影だ。

 三代目が発した声の向かう先はトラでもマダム・しじみでもない。ナルトたち第七班だ。

 

「カカシ隊、第七班の次の任務は、と……そうじゃな」

 

 言葉に詰まる。三代目の言葉を止めた原因は昨夜にある。

 目を閉じた三代目は昨夜のことを思い返す。

 

 ///

 

「火影様、よろしいですか?」

「おお、カカシか。なんじゃ?」

 

 夜も深まり、そろそろ帰ろうかと支度をしていた三代目火影の耳にカカシの声が届いた。三代目が振り返ると先ほどまで誰もいなかった火影執務室に一つの影が立っていた。

 逆立つ白髪に、顔の大部分を隠した右目しか見えない忍。カカシだ。

 

 カカシは一度、頭を下げると佇まいを直して口を開く。

 

「一つ、お願いがありまして……」

「願い?」

「ええ。第七班の次の任務、Cランク任務を割り振って頂きたい」

「しかし、あの子らはまだ新米。Cランク任務は早すぎると思うが……」

 

 三代目は自らの顎を撫でる。

 

「……ふむ。お主のことだ。深い考えがあるのじゃろう。理由を話してみよ」

 

 彼はカカシを信用していた。二心なく里に尽くし、任務においては常に成果を上げてきた。遅刻癖は玉に瑕な所ではあるが。

 実の息子よりも上忍としてのカカシを信頼していた三代目はカカシの話を聞くことを決めたのだった。

 

「演習で彼らの非凡な才能を見たことが原因です。そして、それが間違いではないことをここ数日の任務で確かめました。彼らにはもっと経験を積ませてやりたい」

「……考えておこう」

 

 結論を先延ばしにした三代目。彼も思う所があった。忍になったばかりの彼らに忍としての心構えができているかどうか判断がつかない。だからこそ、第七班の任務報告が終わった後、しっかり彼らのことを見ておきたい。三代目の親心からの行動だ。里の者、全てを家族と考えている三代目は忍らしからぬ優しさを持ち合わせている。

 

 家族である下忍たちが忍者学校を卒業してどれだけ成長しているか?

 自分の目でしっかりと見ておきたかった。

 

 ///

 

 目を開いた三代目はナルト、サスケ、そして、サクラを順々に見ていく。彼は被っている傘を目深に被り直した。それは浮かんでしまう笑みを隠すための所作。

 彼は決めた。

 

「Cランクの任務をして貰おう」

「火影様!? こいつらはまだ新米のペーペーですよ!」

 

 三代目のセオリーから外れた宣言に隣に座っていたイルカが思わず立ち上がる。忍者学校の教師として受け持っていた生徒たちができる任務を選定するために呼ばれているイルカだ。彼ら全ての実力を判断しているイルカは、新米たちにCランク任務をさせるように上申した覚えはない。

 そして、新米たちにはCランク任務はまだまだ早いと考えていたイルカは三代目に考えを改めて貰うよう口調を強くして主張する。

 

「しかし、イルカよ。第七班は優秀だと聞いておる。違うか?」

「確かに優秀です。しかし、Cランク任務はまだ早い! もう少し経験を積んでからにしてください」

「イルカよ。お主の言うことも一理ある」

「では……」

 

 頭を振る三代目。

 

「しかし、ワシは信じておる。ここにおる……第七班を、の」

 

 火影として数多くの忍を見てきた三代目は確信した。目の前に立つ三人は粗削りではあるものの忍としての目をしていた。

 子どもだった彼らを教え導き高めたのはカカシの手腕。三人が忍の世界に足を踏み入れたことを三代目は認めたのだ。

 

 ──やっと、見つけられたようじゃな、カカシよ。

 

 今まで下忍を受け持つことがなかったカカシだ。他の上忍よりも彼の判断基準は厳しい。そんな彼の眼鏡に適う下忍たちがやっと現れたのだ。力を入れるのも納得と言えよう。

 三代目はカカシに向けていた優しい目を、今度は彼の受け持つ下忍たちへと向ける。

 

「ある人物の護衛任務だ」

「ある人物?」

「うむ。……入ってきて貰えますかな?」

 

 三代目の声が扉の外へと届く。ガラリと音を立てて部屋に入ってきたのはCランクの任務を依頼した依頼人だ。

 

「なんだァ? 超ガキばっか……超デカい!」

 

 扉から入ってきた人物は飲んでいた酒を思わず噴き出した。

 扉の外から聞いていた話では新米下忍が自らの護衛任務を引き受けるというではないか。それで、本当に自分の身を守る事ができるのか? 彼はできないと踏んでいた。なら、より経験がある忍に自分の護衛をして貰うためにゴネてみよう。

 

 そう考えた彼は実行に移すべく、ヤリ玉に上げやすそうな“下忍”に対して“ガキ”だと言おうとした。

 だが、そこにいたのは自らの体躯を優に超える大きさの一人の漢。口に含んでいた酒が飛び出るのも仕方のないことだろう。

 

「お前ェ、本当に忍者か? 全然忍べてないぞ。超目立っとる」

 

 そこまで、言って依頼人は考えを改めた。

 だが、これほどの立端があれば、護衛としては十分。敵に威圧感を与えることができるだろう。

 

「ワシは橋作りの超名人、タズナというもんじゃわい。ワシが国に帰って橋を完成させるまでの間、命を懸けて超護衛して貰う!」

 

 +++

 

 準備を整えた第七班は木ノ葉の門の前にタズナと名乗った依頼人と共に立っていた。

 “あ”と“ん”と書かれた巨大な門。里と外界を仕切る巨大な壁に空いた出入り口だ。

 

 里の外に出たナルトは早速キョロキョロと辺りを見渡す。ナルトの行為に納得したサクラは彼に続いて視線を動かしながらナルトへと話し掛ける。

 

「やるわね。門から出てすぐに警戒をするなんて」

「いや、里から出るのが初めてでな。珍しい景色に心を奪われた次第」

「『私も負けてられない』って気持ちを返しなさいよ!」

 

 叫ぶサクラの隣から一瞬、呆けたタズナがナルトへと声を掛けた。

 

「里から出たことがないって……。お前ェ、一体、歳はいくつだ?」

「12だ」

「ガキじゃねェか、見えねェけど! おい、先生! こんなガキで大丈夫なのかよォ!」

「ハハ……上忍の私がついてますので、そう心配はいりませんよ」

「タズナ殿。己も全力で以って貴殿を守る心構えだ」

「そうは言ってもよォ。どんだけ強いんだって話だ。そりゃ、大抵のチンピラはお前を見ただけで逃げていくだろうが……」

「己はいずれ火影に到る者。任されよ」

 

 “火影”。

 その言葉がタズナの琴線に触れた。

 

「火影かァ。火影っていやァ、里一番の超忍者だろ? お前ェみたいな体だけがデカい奴にはなれるとは思えんが……」

「夢を叶えるため……火影となるために、どのような努力もしていく所存! いつか貴殿にも己を認めさせてみせよう」

 

 タズナはナルトを冷たく見遣る。

 

「認めやしねーよ、“ガキ”。火影になれたとしてもな」

 

 ──夢だとかなんとかを見れるなんて気楽でいいな。

 

 タズナは続けようとした言葉を飲み込む。所詮、他国の者に語っても意味はないと感じての行為だった。

 拒絶したタズナ。だが、ナルトは嗤うのだった。

 

「それでこそ、挑む価値がある。どのような逆境に晒されたとしても、己はそれを打ち破り、貴殿に己を認めさせてみせよう」

「フン」

 

 解っていない。

 そうナルトに言っても無駄だと感じたタズナは言葉を飲み込み、代わりに鼻を鳴らしたのであった。

 

 +++

 

 タズナの国である波の国へと歩くこと数刻。突然、ナルトが立ち止まった。

 

「感じる……」

「ん? どうした、ナルト」

 

 ──気づくか。

 

 到底、下忍レベルではないレベルの感知能力。獣じみた勘により隠れ潜んでいる者たちの気配を感じたナルトの様子にカカシは目を細める。

 サスケも水たまりを見つけた時に自分と目を合わせた事といい優秀だとカカシは心の中で彼らに評価を下す。

 サクラは気づいていないとはいえ、サスケは既に総合力で言えば中忍レベル。ナルトは特定の条件下では上忍レベルの実力を持っている。決してサクラが優秀ではない訳ではなく、サスケと、そして、ナルトが異常に優秀なだけだ。

 

 カカシは体ごとナルトへと向いて、わざと隙を見せる。

 次の瞬間、カカシの目に黒い線が上から下へと通っていった。軽く金属音がしたと共にカカシの体が拘束された。手裏剣を繋げた形状の鎖。

 

「なに!?」

 

 驚いたように声を上げるカカシ。彼に巻き付いている鎖に繋がる小手を装着した二人の“忍”の内の一人がボソリと呟く。

 

「一匹目」

 

 声を合図とし、彼らは同時に腕を力の限りに引く。チャクラで上げた膂力は鎖で捕らえた獲物を引きちぎるほどの力だ。これまで、同様の策で数々の獲物を葬り去ってきた二人の忍は今回の仕事も楽に終わると確信していた。木ノ葉の上忍を殺した後にいるのは下忍が三人、そして、戦う力を持たないターゲットだけ。

 鬼兄弟と呼ばれる自分たちに敵はない。

 

 そう、まだカカシを殺すどころか傷一つ付けられていないのにも関わらず、カカシへと襲い掛かった忍たちは自分らの勝利を確信していたのである。

 

 ──おかしい。

 

 鬼兄弟の二人は同時に気が付いた。

 鎖を引いても引いても……引けない。

 

「!?」

 

 同時に後ろを振り返る鬼兄弟は信じられないものを、そこに見た。

 

「う、嘘だろ……」

 

 呟くは鬼兄弟の一人、業頭だ。

 彼の目に映る光景は鎖を素手で掴む大男の姿。木ノ葉の上忍を縛るように巻き付いた鎖の両端を持っている、ただそれだけだ。

 業頭は右腕に着けている小手から伸びる鎖を渾身の力で引く。それと同時に彼の兄弟である冥頭も左手の小手から伸びる鎖を引く。

 

 だが動かない。

 

 鎖が千切れそうなほどに引っ張るが、カカシに巻き付いた鎖は全く動く様子もなく……それどころか鬼兄弟たちが徐々に引っ張られている。

 

「綱引きしてるんじゃねーんだぞォ!」

「動けェエエエ! クソがァ!」

 

 足が地面を削る。鬼兄弟は恐怖を覚える。

 このまま引き摺られていけば、やがて、あの巨体の男の攻撃範囲に入ってしまう。そうなれば……。

 

 自らの想像に汗を掻きながら鬼兄弟たちは考える。殺されないためには……ここにいる男と自分たちの上司に殺されないためにはどうするのが最善かと。

 彼らはその答えに同時に辿り着いた。

 

 ──ターゲットを殺す。

 

 手の小手のロックを外した彼らは倒れかかりつつも、すぐに体勢を立て直す。鎖を外し、不意を突いた鬼兄弟は真っ直ぐにターゲットであるタズナへと足を進めた。

 

「やっとか」

 

 タズナへと向かう鬼兄弟を見るサスケは何の感慨も浮かばせない顔付きで言葉を発する。

 

「嘗めるな、このガキがッ!」

 

 サスケの物言いに頭に血が上った業頭は右腕を振り上げる。

 

 ──殺してやるッ!

 

 漲る殺気。だが、それは一瞬で冷やされることとなる。

 サスケの影で桜色が踊り、桜色から黒色が放たれた。それは真っ直ぐに業頭の顔を狙ってくる。

 

「クッ!」

 

 手裏剣だ。

 そのことを理解する前に業頭は顔を逸らし、自分へと向かう手裏剣を回避した。だが、もう一つの危機からは完全に意識を逸らしてしまったのだ。

 

「カハッ!」

 

 腹に奔る強い痛み。あまりの痛みに業頭は意識が飛ぶ。意識が飛ぶ一瞬前に見えたのは黒髪の少年、サスケが蹴りを自分の腹に入れている光景だった。

 

 手裏剣を投げた後、サクラはクナイを構える。彼女の正面にいるのは冥頭だ。

 冥頭は隣にいた業頭が後ろへと蹴り飛ばされたことを横目で見て、怒りを覚える。

 

 ──だが、怒りは捨て置け。

 

 自らを律し、目的を達するために冥頭は冷徹に徹する。

 それが霧隠れの里の流儀。例え、里を抜けていたとしても生まれ育った里で教え込まれたことは早々、体から抜けることはない。仲間を犠牲にしても目的を達成することこそが至上。

 冥頭は爪の付いた左腕を立ち塞がる邪魔な桜色へと振りかぶる。

 

 ミシッという音が体内で響いた。

 同時に吹き飛ぶ体。地面を転がる冥頭は何が起きたのか分からない混乱の中に陥る。

 転がる体が止まり、痛みに顔を顰めながら冥頭は吹き飛ばされた方向を見遣る。

 そこに居たのは業頭とは別の足を振り切っていたサスケの姿。業頭を蹴り飛ばした後、一瞬で足を入れ替えて、自分を蹴り飛ばしたのか。

 

 ──何という判断力と決断力。下忍とは思えぬ。

 

 と、頭上から影が落ちていることを感じた冥頭は振り返る。いつの間に移動したのだろうか?

 そこに居るのは大男、ナルトだった。

 

「ヒッ!」

 

 彼の姿を目に収め、恐怖に駆られた冥頭は自らの最高の武器である左の小手を突き出した。

 

 まだだ。まだ戦え……。

 

 バキンという有り得ない音がした。

 突き出した小手はナルトの右の拳にあっさりと打ち砕かれていた。共に戦場を駆けてきた相棒である小手。固い鋼で出来た小手。それが拳の一打で砕かれたのだ。

 

 ……戦えない。

 

 呆ける冥頭はゆっくりと頭を上げる。太陽は筋肉に遮られ見えない。影に生き、影に死ぬ忍らしい最期だなと冥頭は自嘲した。

 顔にナルトの拳がめり込む感覚を最後に冥頭は意識を手放したのだった。

 

「己もまだまだだな」

 

 小手の爪で拳を少し切ったナルトは小さな声でしみじみと言う。その声が届く者はいなかった。

 

 +++

 

「三人とも、よくやった」

「よくやったって……カカシ先生が戦った方がよかったじゃないですか! 怖かったんですよ!」

「オレにも考えがあったんだよ。……タズナさん」

 

 底冷えするような冷たい声。それは殺気を少し混ぜた声色だ。

 

「な……何じゃ?」

 

 カカシの殺気に晒されたタズナの声は震えていた。無理もない。荒事とは遠い所にいる一般人であるタズナには殺気に対する抵抗力は全くと言ってもいいほどなかった。

 戦争を生き抜き、その後も暗部として血煙の中に生きてきたカカシの殺気、ほんの少しとはいえ、それを受けて心を強く保てるほどタズナは強くなかったのだ。

 

「ちょっとお話があります」

 

 カカシの言葉に頷く以外の選択肢がないタズナ。頷いたタズナを見たカカシはタズナから縛り上げた襲撃者たちに目線を落とす。

 

「こいつらは霧隠れの中忍ってとこか……。こいつらは、いかなる犠牲を払っても戦い続けることで知られる忍だ」

「なぜ……我々の動きを見切れた?」

「数日、雨も降っていない今日みたいな晴れの日に水たまりなんてないでしょ?」

 

 カカシは業頭の疑問に簡潔に答える。

 

「あんた、それ知ってて何でガキにやらせた?」

「一つはこいつらに忍同士の戦いの経験を与えるためです。他の忍との戦いの経験は財産になります。後……」

 

 話に入ったタズナへとカカシは自分の考えを口にする。

 

「……私には知る必要があったのですよ。この敵のターゲットが誰であるのかを」

「どういうことだ?」

「私は里の内外に有名な忍です。私を暗殺しようとする者も少なくない。それなら、こいつらは私だけを狙う可能性が高い。連続攻撃で反撃の隙を私に与えないように。ですが、こいつらは私に攻撃をするより、アナタへと殺す勢いで向かっていった。こいつらの狙いはアナタだ、タズナさん」

 

 縛り上げた二人からタズナに目線を移したカカシは嘘や言い逃れは許さない雰囲気を出す。

 

「我々はアナタが忍に狙われているなんて話は聞いていない。依頼内容はギャングや盗賊など、ただの武装集団からの護衛だったハズ。しかし、忍が相手。これだとBランク以上の任務。依頼は橋を作るまでの支援護衛という名目だったハズです」

 

 ゴクリと喉を鳴らすタズナを見て、カカシは更に情報を引き出すべく言葉を続ける。

 

「敵が忍者であるならば、迷わず高額なBランク任務に設定されていたハズ……。何か訳ありみたいですが、依頼で嘘を吐かれると困ります。これだと、我々の任務外ってことになりますね」

「この任務、まだ私たちには早いわ。やめましょ! ナルトも鎖を掴んだ時や相手の反撃で傷を付けられてるし。里に帰って医者に見せないと」

「いや、己は大丈夫だ」

「ナルト! 無茶よ!」

「己のことよりも、タズナ殿に尋ねたい。なぜ、嘘を吐いていたのか、を。教えて頂けないか、タズナ殿」

 

 ややあって、タズナは重い口を開いた。

 

「あんたらの言う通り……。おそらく、この仕事(ヤマ)はあんたらの任務外じゃろう。実はワシは超恐ろしい男に命を狙われている」

「超恐ろしい男? 誰です?」

「あんたらも名前ぐらい聞いたことがあるじゃろう。海運会社の大富豪、ガトーという男だ!」

「えっ? ガトーって、あのガトーカンパニーの? 世界有数の大金持ちと言われる!?」

 

 カカシの雰囲気が変わる。あまりにも大きな名前が出て尋問の空気は崩れ去った。それほどにガトーという男は影響力が大きな人物だ。

 

「そう、表向きは海運会社として活動しとるが、裏ではギャングや忍を使い、麻薬や禁制品の密売。果ては企業や国の乗っ取りといった……あくどい商売を生業としている男じゃ」

 

 悔しそうに唇を噛み締めながらタズナは続けて口を開く。

 

「1年ほど前じゃ。そんな奴が波の国に目をつけたのは。財力と暴力を盾に入り込んできた奴はあっという間に、島の全ての海上交通・運搬を牛耳ってしまったのじゃ! 島国国家の要である交通を独占し、今や富の全てを独占するガトー。そんなガトーが唯一、恐れているのが、かねてから建設中の……あの橋の完成なのじゃ!」

「なるほど……で! 橋を作ってるオジサンが邪魔になったって訳ね」

「じゃあ、あの忍者たちはガトーの手の者……」

「委細承知した。ガトーという輩を改心させればいいのだな?」

「そんなことできる訳がないじゃない! 殺されるわよ!」

「脳筋め」

 

 受け持つ下忍たちから視線を外したカカシは視線をタズナへと戻す。

 

「しかし、分かりませんね。相手は忍すら使う危険な相手。なぜ、それを隠して依頼されたのですか?」

「波の国は超貧しい国で、大名すら金を持ってない。もちろんワシらにも、そんな金はない。高額なBランク以上の依頼をするような、な」

 

 と、横からナルトがタズナへと話し掛けた。

 

「一つ、貴殿に聞きたいことがある」

「ん、なんじゃ?」

「貴殿が橋を完成させた後、貴殿はそこで得た富を懐に入れるか否か、だ」

「ワシが橋を完成させた後に通行費を取るか、ということじゃな。そのようなことをしてみろ。波の国に来る人はあまり増えん。そうなると、せっかく作った波の国の希望が希望でなくなってしまう」

 

 タズナは空を見上げた。故郷である波の国、今の波の国ではなく、彼が過ごしてきた昔の波の国を思い返しているのだろう。

 

「ワシはあくまで、波の国に元気になって貰いたいんじゃ。そこに住む人たちが昔のように笑って過ごせるように」

「貴殿の想い、しかと受け取った。義による願い。ならば……」

 

 ナルトは右手に力を籠める。血流が筋肉により圧迫され、血液の流れが変わる。

 

「……己がこの拳で……」

 

 流れを変えられた血液は唯一の出口に向かって殺到する。

 血は、毒に侵されたナルトの血は傷口より勢いよく噴き出した。

 

「……タズナ殿、貴殿を守ろう。任務続行だ」

 

 血に濡れた拳をタズナに向けたナルトは犬歯を見せて笑った。

 



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シックスパック

「凄い霧ね。前が見えない」

 

 サクラが言うように、波の国は霧が多いことでも知られる国だ。海に近く、水場が多い波の国は寒暖差が激しい。その影響か霧が発生することが多々ある。

 普通の人間ならば鬱陶しいと感じる霧ではあるが、カカシ率いる第七班の面々は忍。霧に紛れて移動することを自分の身を隠すメリットと捉える忍者たちだ。

 

「そろそろ、橋が見える。その橋沿いに行くと波の国がある」

 

 船頭であるタズナの知り合いは小さな声で説明する。彼の言葉通り、すぐに橋は彼らの前に姿を現すのだった。

 

 霧に隠れて全容は確認できない。だが、見える範囲、それだけで十分過ぎるほどだった。力強さを感じさせる作りの巨大な橋が彼らの前に現れた。

 前に見える橋を見たナルトは一つ頷く。

 

「見事。しかし、視界が優れぬのが残念だ」

「この霧に隠れて船、出してんだ。霧がなけりゃ、すぐにガトーに見つかっちまう」

「……ガトーという男はそれほどに恐怖を与える存在なのか?」

「ああ、アンタに会った時に感じた恐怖よりも数段上だ。ガトーは……悪魔だ」

 

 青い顔をする船頭の言葉を聞いて、ナルトは自らの顔に影を作る。彼は許すことが出来ないのだろう。力で以って波の国に不幸を撒き散らすガトーを。

 難しい顔をしたナルトを余所に船頭とタズナの話は進んでいた。

 

「もうすぐ国に着くぞ。タズナ、どうやら、ここまでは気づかれてないようだが……念のため、マングローブのある街水道を隠れながら陸に上がるルートを通る」

「すまん」

 

 石で作られた街水道のトンネルを潜り抜けると、そこにはマングローブ林と木造家屋の住宅がいくつかあった。木ノ葉の里では見ることのできない異国情緒溢れる光景に目を奪われる。

 しかしながら、今回は観光で来た訳ではない。任務だ。よく見ることも出来ない内に桟橋へと辿り着いたナルトたちは、船から降りて地面に足を下す。

 

「よーしィ! ワシを家まで無事、送り届けてくれよ」

「はいはい」

 

 一路、タズナの自宅へと向かうカカシたち第七班はタズナの周りに控え、周りを警戒する。

 と、ナルトの右腕が目にも止まらぬ速さで振るわれた。それとほぼ同時に風切り音とクナイが木へと刺さる独特な音が混じった音がした。

 ナルト以外の4人は慌てて音がした方へと目を向ける。

 

 クナイが木の幹へと深く、深く突き刺さっていた。投げたのはナルトだ。

 ナルトの投擲はさほど上手くない。ナルトは不器用である。彼はクナイを投げる時、必要以上に力を入れてしまいコントロールが甘くなるのだ。その上、入れ過ぎた力はクナイにブレを生じさせる結果となる。

 持ち手以外の全てが木の幹の中へ突き刺さったクナイが震え、音を微かに立てている。その虫の羽音を思い起こすような甲高い音だけが響いていた。

 

「気のせいか」

「ど、どうしたの?」

「何者かが殺気を放った気がしてな」

「殺気ってアンタ……漫画じゃあるまいし」

 

 サクラが呆れたように肩を竦めるのを尻目に、カカシはナルトがクナイを投げた木の根元にある茂みを手で避けていく。

 茂みとクナイが刺さった木の間。そこの隙間に倒れているものを見つけたカカシは目を細めた。

 

 兎だ。

 ナルトが投げたクナイの衝撃で気を失った白い兎が、そこに倒れていた。

 

 カカシの後ろから現れたナルトは兎をむんずと掴む。

 

「丁度いい。タズナ殿、兎は好きか?」

「あ? まァ、嫌いじゃないが」

「では、土産として貴殿に振る舞おう。貴殿の家に着いたら台所を貸してはくれぬか?」

「ああ、いいけど……って、食べるのか、それ?」

「無論。高タンパク低脂肪且つビタミンも豊富。筋肉には、いい食材だが?」

「ダメェー!」

 

 サクラの声が響き渡った。

 同じ気持ちだよ、と目線で気持ちを送ったタズナであるが、一つ、どうしてもナルトに聞いておきたいことがあり、疑問を口にする。

 

「というかお前ェ、兎を捌けるのか?」

「他にも猪や鹿、熊なども捌ける。昔、精神を鍛える修行をしていた時に身に着けた技術だ」

「イヤァー!」

 

 それ以上、聞きたくないというように頭を振るサクラに意識を欠片も割くことなくサスケはじっとあり得ないものを見続けていた。

 ナルトに抱えられている兎、そう白い兎を見つめたサスケは難しい顔でカカシへと話し掛ける。

 

「カカシ……」

「ああ。油断はするなよ、サスケ」

 

 ナルトが持つ兎はユキウサギ。

 ユキウサギは日照時間によって、その毛の色を変えることが特徴の兎だ。ナルトが持つユキウサギの毛の色は“白”。自然界では日照時間が短い冬の時の毛色だ。

 だが、今は春。自然界に生きるユキウサギの色、今の季節は“茶”でなくてはならないにも関わらず白色だ。

 

 ──さっそくお出ましか。

 

 カカシは辺りを警戒する。

 季節を間違えたようなユキウサギの色。これまでに、カカシは自然ではないユキウサギの色を度々見てきた。

 その全ては忍が絡む事態だった。ユキウサギは丸太と同様に変わり身の術に用いられることが多い。兎に気を取られている間に攻撃を加える。それがセオリーだ。

 しかし、彼らには攻撃は未だに加えられていない。カカシはそれに心当たりがあった。

 

 おそらく、敵は見に徹しているのだろう。相対する者が“写輪眼のカカシ”であると知って。

 

 警戒するカカシの耳が木の葉が触れ合った微かな音を捉えた。自然ではない音にカカシの警戒が最大限に引き上げられる。自然に起こされたのではない木の葉が触れ合う微かな、ほんの微かな音。

 敵の“忍”が高い実力を持つ証である。

 

「全員伏せろ!」

 

 風を切る刃。

 それを確認することもなく、カカシの声に反応したサスケとサクラは身を伏せる。もちろん、タズナを地面に押し付けることも忘れない。依頼人を守り抜くことこそが、この任務の絶対条件。いや、例え、任務ではないとしても彼らのことだ。一般人であるタズナを全力で守る事に何の迷いもないだろう。

 

 そして、その心はナルトも同じだ。正義の心を筋肉で覆い、熱い血潮で心臓を動かすナルトは何の力も持たないタズナへ向けられた凶器を許すことはできなかった。

 そうであるから、ナルトは己がタズナを守るという意志を敵に示すために力を籠め、そして、堂々と立ったのだ。

 

 風を切る音がナルトに近づく。果たして、黒い刃はナルトの体を捉えた。

 

「……は?」

 

 呆けた声がナルトの前より響く。凶器である巨大な刀をナルトたちに向かって投げた男の声だ。口元を布で隠した男。今は霧散しているが、常ならば剣呑な雰囲気を醸し出しているハズの男は忍だった。

 忍の中でも上位の実力を持つ男が投げた武器は首切り包丁という。大きさは成人男性を丸々隠すことができるほどの常軌を逸したサイズだ。

 そして、特筆すべきは、その切れ味。首切り包丁は一刀の元に人間を縦に真っ二つに切ることができる。

 

 だからこそ、男は自分の目の前で起きた出来事を信じることができなかった。

 大男の体を切り裂き、子ども二人の首を落とし、ターゲットとはたけカカシの体を泣き別れにする。一度で全てを終わらせるつもりで投げた首切り包丁。避けられたならば移動して、木に深く刺さった首切り包丁の持ち手の部分に姿を現すつもりだった。

 そして、避けられる確率の方が高いと踏んでいた。

 

 ──だが、これは一体どういうことだ?

 

 男の目の前には自身が想像した光景とは全く別の光景が広がっていた。

 一番始めの獲物として男が狙った大男、ナルトが両腕を天に向かって掲げている。実に堂々とした姿だ。天地に自らの引き締まった肢体を見せつけるようなポーズ。

 

 決して戦闘中にして良いようなポーズではない。常人であれば、という注釈がつくが。

 

 刃が迫る一瞬、その一瞬でダブルバイセップスの形になったナルトは全身に力を籠めたのだ。固く硬く、(かた)く。常人には到底引き出すことができないほどの筋肉が持つ力の奔流、筋肉の蠢き。それを無理矢理、一つの(ダブルバイセップス)に押し留める。

 

 ナルトは知っていたのだ。己の筋肉は負けないということを。

 

 カラン。

 

 自分が投げた首切り包丁が地面に落ちて金属音を立てた。男はそのことが全く理解できなかった。

 なぜ、高速で回転する首切り包丁を……服すらも覆っていない腹で受け止めることができたというのか? しかも、あんなふざけたポーズで。

 布で口元を完全に覆った男は今まで以上に目を丸くする。

 

「カハッ!」

 

 驚愕の次に男を襲ったのは痛撃。腹から伝わる痛みに男は思わず地面へと膝をつく。そこで、男は自分に攻撃が加えられたという事実に気が付いた。

 

 このオレが……鬼人と呼ばれたこの再不斬が……ただの一撃でッ!?

 

 混乱の渦中にいる男、再不斬は自分に向けられた視線を感じた。地に膝をついた男、再不斬はゆっくりと上を見上げる。

 

「先ほどから感じていたのは貴殿の殺気か」

 

 初めに目についたのは拳。再不斬は順々に上へと視線をやる。鋼の小手を思い起こさせる手根伸筋。曲げていないにも関わらず、膨れ上がっているように見える上腕二頭筋。

 再不斬は息を吞んだ。

 彫像のような彫りの深い顔は影に染められている。そこから表情を窺い知る事はできないが、彼から立ち上るオーラが再不斬に告げていた。己は怒りを覚えている、と。

 

 動かぬ自分の体。そして、前に立つは仁王の如き肉体を持つ怒りに満ちた男。

 

「タズナ殿を狙うということはガトーの手の者だと判断する。覚悟しろ。己は貴殿を許さない」

 

 ──ここまでか。

 

 再不斬は拳を固めたナルトの姿を見て思う。

 そして、その思考が彼の脳を電気信号として走る抜けると共に、彼の首を二本の細い木、千本という武器が貫いた。

 血を地面に撒きながら倒れていく再不斬の体。地面に彼の体が倒れた時には彼の鼓動は止まっていた。

 

「!?」

「ええ、アナタの言う通りです。彼は許されないことをしてしまった」

 

 木の上からナルトに声が掛けられた。ナルトの目に入ってきたのは仮面を被った人物の姿。ナルトはその者の一挙一動を見逃さないように目線を外さない。

 

 睨み合う両者。

 それを横目にカカシは地面へと伏せた再不斬へと近づく。再不斬が本当に死んでいるかどうか確かめるため、再不斬の首に指を当てるが脈はない。

 

 ──確かに……死んでるな。

 

「ありがとうございました」

 

 ナルトから目を離した仮面の少年はナルトの上司であるカカシに向かって頭を下げた。

 

「ボクはずっと、確実に再不斬を殺す機会を窺っていた者です」

「やはり、この男は再不斬か。それから、お前……その面、霧の追い忍だな?」

「流石……よく知っていらっしゃる」

 

 桃地再不斬。

 忍の世界では知らぬ者はいないというほどの実力者だ。首切り包丁をナルトに防がれた衝撃で致命的な隙を晒してしまった彼ではあるが、今回のことがイレギュラー中のイレギュラー。普通の忍なら手も足も出ないほどの実力を持つのが彼である。

 水の国が有する忍の隠れ里である霧隠れの里を抜けた忍で、霧隠れの里の掟通り正規の忍によって命を狙われている再不斬は自分を殺さんと追ってくる忍を何人も始末してきた。それほどに強い忍なのだ。

 

 そして、仮面の人物も、中々、再不斬を殺す機会がなかったと歪曲ながら彼の強さを認める発言をした。それほどに再不斬は強い忍なのだ。

 

「そう、ボクは……抜け忍狩りを任務とする霧隠れの追い人部隊の者です。再不斬の遺体と首切り包丁を渡して頂けますね?」

「ああ。霧隠れと事を構えるつもりはないよ」

 

 仮面の人物の要求にカカシはあっさりと頷く。だが、カカシのように割り切る事ができない人物がいた。

 

「貴殿は何者だ?」

「安心しろ、ナルト。敵じゃないよ」

「殺気もなく、人を殺したのだぞ。それは鬼の如き所業だ」

「ま、信じられない気持ちも分かるが……これも事実だ。この世界にゃ、お前より年下で、オレより強いガキもいる」

 

 ナルトは唇を噛み締める。

 これが忍。心を一切動かさず、まるで機械のように人を殺すのが忍。なんともやり切れない気持ちだった。

 

「申し訳ありません。ボクはこの死体を処理しなければなりません。なにかと秘密の多い死体なので……」

 

 ナルトが悩んでいる間に仮面の人物は全ての用を済ましたらしい。仮面の人物は印を組んだ。

 

「それじゃ、失礼します」

 

 木の葉が舞った後には何も残されていなかった。仮面の人物も再不斬の体も、何も。

 

「フー」

 

 カカシは大きく溜息をつく。

 なんとかなったから良かったものの、下手をすればナルトは殺されていた。もっと気を配らなくちゃいけないね、こりゃ。

 

「さ! オレたちもタズナさんを家まで連れて行かなきゃならない。元気よく行くぞ!」

 

 カカシは自らが受け持つ下忍たちを見る。

 何をするのか行動が読みにくい奴が2名と何をすべきなのかいまいち分かっていない奴が1名。

 

 ──前途多難だな。

 

 カカシは再び大きく溜息を吐くのであった。

 

 +++

 

 森の中、再不斬が地面の上に寝かされていた。それを見下ろすのは先ほどの仮面の人物。隣にはハサミなどといった切断用の医療器具を保管している黒い布が広げられていた。

 

「まずは口布を切って……血を吐かせてから」

 

 ハサミが再不斬へと近づく。その手を別の手が掴んだ。

 

「いい……自分でやる」

 

 血走った目で仮面の人物を見つめる男は擦れた声を出して身を起こす。動かないハズの体を起こしたのだ。

 三白眼を仮面の人物に向けるのは、死んだハズの再不斬。しかし、死者が蘇る光景を見ても仮面の人物は動揺することはなかった。

 

「なんだぁ……もう生き返っちゃったんですか」

「ったく。手荒いな、お前は」

 

 苛ついた様子の再不斬は首に刺さっている千本を引き抜いた。

 

「あ! 再不斬さんこそ、あまり手荒に抜かないでください。本当に死にますよ」

「……いつまで、その胡散臭せー面、付けてんだ。外せ!」

「かつての名残で、つい……。それに、猿芝居にも使えたので」

 

 仮面の人物はゆっくりと被っている仮面を外す。女と見間違う整った容姿の少年。

 そう、再不斬と少年の間で予め取り決められていたのだ。危なくなったら千本で秘孔を突き、再不斬を仮死状態にするということを。

 

「ボクが助けなかったらアナタは確実に殺されてましたね」

「仮死状態にするなら、態々、首の秘孔を狙わなくても……」

 

 血を吐き捨てた再不斬は少年に鋭い目を向ける。

 

「……もっと安全な体のツボでも良かっただろーが。相変わらずいやなヤローだな、お前は」

「そうですね!」

 

 邪気の全くない笑顔を浮かべる少年を見た再不斬は毒気を抜かれたように息を吐く。それは思っている事を話せという無言のシグナル。再不斬と少年の間でしかやり取りすることができないシグナルだ。

 

「……再不斬さんのキレーな体には傷を付けたくなかったから」

 

 少年は再不斬に本当のことを答えた。

 

「それに、筋肉のついてない首の方が確実にツボを狙えるんです」

 

 再不斬は特に反応することもなく少年の話をただ聞いている。

 

「一週間程度は痺れて動けませんよ。でも、再不斬さんならじき、動けるようになりますかね」

「全く。お前は純粋で賢く汚れがない。そういう所が気に入ってる」

「フフ……ボクはまだ子どもですから」

 

 風が二人を撫でる。

 

「いつの間にか……霧が晴れましたね。次、大丈夫ですか?」

「次は……確実に……」

 

 再不斬の目は血走っていた。

 

「……殺す」

 



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体幹トレーニング(忍式)

 タズナの家に着いた一行は思い思いの場所に腰を下ろしていた。

 海の上に建てられたような家は、多くの場所が木材で出来ており木の匂いがする家全体の雰囲気は落ち着いたものだ。

 

「粗茶でゴメンね」

「いえ、ありがとうございます」

「熱いから気をつけてね」

 

 声を掛け、サクラの近くへとお茶が入った湯呑を置く黒髪の女性。

 彼女の名はツナミ。タズナの娘である。タズナ譲りの勝気そうな眉をした彼女ではあるが、見た目に反して優しい女性である。

 

 ツナミから湯呑を受け取ったサクラの横で、疲れを拭きとるようにタズナは額の汗を拭う。

 

「ガトーの手先の忍者を何人も倒したんじゃ。お陰でもうしばらくは安全じゃろう!」

 

 タズナに頷いたサクラだったが、気になる事があったのか顎に手を当てる。

 

「それにしても、さっきのお面の子って何者なのかな?」

「アレは霧隠れの暗部、追い忍の特殊部隊が付ける面だ。彼らは通称、死体処理班とも呼ばれ、死体をまるで消すかの如く処理することで、その忍者が生きた痕跡の一切を消すことを任務としている」

 

 カカシはサクラの疑問に答える。

 いつの間に飲み干したのかカカシの湯呑は既に空になっていた。

 

「忍者の体はその忍の里で染みついた忍者の秘密やチャクラの性質、その体に用いた秘薬の成分など様々なものを語ってしまう。だから、追い忍が必要なんだ。里を捨て逃げた抜け忍を抹殺し、その死体を完全に消し去ることで、里の秘密が外部に漏れ出てしまうことをガードするスペシャリストという訳だ」

 

 表情も、声色でさえもカカシの心を読み取るには不十分だ。どこか遠くを見つめるようにカカシは静かに声を出した。

 

「音もなく匂いもない。それが忍者の最期だ」

「じゃあ、あの再不斬も死体バラバラにされて消されちゃうの? こわぁ~」

 

 体を自身の両腕で抱き締めるサクラ。そんな彼女に特に声を掛けることもなくカカシは自らの思考に没頭する。

 

 ──何だ? この言い知れぬ不安感は?

 

 サクラの言葉に違和感を覚えたカカシは口を噤んだままだった。

 

「あの少年は忍として完成された仕草だった。己もまだまだ精進が足りぬな」

 

 ナルトの言葉が妙に引っかかったカカシは更に深い所まで思考を落としていく。

 

 ──重大な何かを……何かを見落としている気がする。

 

 カカシは霧隠れの追い忍を見た時の自分とナルトとのやり取りを思い起こす。

 

 ///

 

「貴殿は何者だ?」

「安心しろ、ナルト。敵じゃないよ」

「殺気もなく、人を殺したのだぞ。それは鬼の如き所業だ」

「ま、信じられない気持ちも分かるが……これも事実だ。この世界にゃ、お前より年下で、オレより強いガキもいる」

 

 ///

 

 ──まさか……オレとしたことが見落としていた?

 

「なあ、ナルト」

 

 自分の考えを確かめなければならない。

 カカシは意を決してナルトに尋ねる。

 

「む? いかがされた?」

「追い忍が再不斬を殺した時、殺気はしなかったって言っていたよな」

「うむ。薄っすらとではあるが、気配は感じることが出来ていたのだが殺気は全く感じることができなかった」

「え、どーゆーことなの? カカシ先生」

 

 カカシの様子に不穏なものを覚えたのか、サクラも彼らの話に入る。

 

「……死体処理班ってのは殺した者の死体は、すぐ、その場で処理するものなんだ」

「それが何なの?」

「分からないか? あの仮面の少年は再不斬の死体をどう処理した?」

「持って帰ったけど……再不斬って忍を殺した証拠として必要だったんじゃないの?」

「いや、証拠なら首だけあれば事足りる。それに加えて、追い忍の少年が使った武器も臭い。千本を使った攻撃な上に殺気を感じられないとなると……」

 

 それまで沈黙を守ってきたサスケの顔色が変わった。

 

「まさか!?」

「あーあ、そのまさかだな」

「さっきからグチグチ何を言っとるんじゃお前たち?」

 

 只ならぬ雰囲気を感じたのだろう。タズナは拭ったばかりの額に水の玉を浮かばせながら尋ねる。

 カカシはタズナを一度見た後、重々しく口を開いた。

 

「おそらく、再不斬は生きてる!」

 

 一番早く声を上げたのはサクラだ。

 

「カカシ先生、再不斬が死んだのちゃんと確認したじゃない」

「確かに確認はした。が、あれはおそらく仮死状態にしただけだろう。あの追い忍が使った千本という武器は急所にでも当たらない限り、殺傷能力のかなり低い武器で、そもそも、ツボ治療などの医療にも用いられるものだ」

「あの男が……生きている?」

「ああ。あの少年は再不斬を殺しに来たのではなく助けに来たと取れないこともないからな」

「超考えすぎじゃないのか? 追い忍は抜け忍を狩るものなんじゃろ?」

「いえ、臭いと当たりを付けたのなら、出遅れる前に準備しておく。それも忍の鉄則。それに、ガトーの手下に、更に強力な忍がないとも限らない。だから……」

 

 カカシはナルトたち三人へと向き直った。

 

「……お前たちに修行を課す!」

「えっ? 修行って……。ナルトがパパッとやっつければいい話じゃない?」

「いや、サクラ。それは違う。拳を再不斬の腹に減り込ませて初めて分かった。再不斬は強い。己が攻撃していなければ激闘は必至であっただろう」

「けど、ナルトのパンチ一回で……そうよね、お腹に当たったら意識は間違いなく飛んじゃうのも納得ね」

 

 サクラは丸太のようなナルトの腕を見て合点がいったというように頷いた。

 

 サクラの様子を見たカカシは改めて説明する。

 再不斬は今回、ナルトの拳によって何も出来ずに退場させられた。だが、侮ることは出来ない忍だ。

 本来ならナルトたちよりも格上の相手。今のままでは天地が引っ繰り返っても白星を挙げることはできない。尤も、今回のように筋肉で以って再不斬の意表を突けば、その限りではないが。

 その上、再不斬ほどの男が同じ愚を犯すとは思えない。次に襲撃を行う時は完全に準備を整えてから来るだろう。

 

 カカシの言うことに納得したのか、神妙な顔付きでサクラとサスケは頷く。

 演習で自分たちを簡単に打ち負かしたカカシだ。彼の忍としても才覚を認めていた彼らは、カカシの言うことに無言で頷く。自分たちよりも修羅場を潜り抜けてきた上忍の言うことは信ずるに足るものがあった。

 だが、ナルトだけは別の表情を浮かべていた。

 

「しかし……また強敵と戦う機会に恵まれるかもしれぬとは」

「面白そうだな、ナルト」

「昂ることは否定できぬ」

「面白くなんかないよ」

 

 突如、全てを達観した声が響いた。ナルトたちは声の主へと視線を向ける。

 そこには、帽子を目深に被った少年が立っていた。年端もいかない少年。彼の目は暗く、子どもがしていいような目ではなかった。

 

「おお、イナリ! どこへ行ってたんじゃ」

「お帰り、じいちゃん」

 

 スタスタと家の中へと入ってきた少年は来客であるナルトたちが見えないというように振る舞う。それを見過ごせなかったのか、ツナミは少年、イナリへと声を荒げる。

 

「イナリ、ちゃんと挨拶なさい! おじいちゃんを護衛してくれた忍者さんたちだよ!」

「……」

 

 無言のイナリはナルトたちへと、やっと目を向けた。

 見定めるように彼らを見たイナリはポツリと呟く。

 

「母ちゃん、こいつら死ぬよ。……ガトーたちに刃向かって勝てる訳がないんだよ」

「いや、勝つ」

「……」

「己が見せよう。正義は負けぬということを。巨悪に立ち向かう正義の英雄がいるということを」

「フン……英雄(ヒーロー)なんてバッカみたい! そんなのいる訳ないじゃん!」

 

 吐き捨てたイナリは踵を返す。

 

「死にたくないなら早く帰った方がいいよ」

「どこへ行くんじゃ、イナリ?」

「部屋で海を眺めるよ」

 

 それだけ言い残し、イナリは部屋を出て行った。

 

「すまんのう……」

「いや、貴殿が謝る事ではない」

 

 ナルトはタズナへと首を振る。

 その類稀なナルトの鋭敏な感覚はイナリの感情をも察知していた。

 

 ──哀しみ……か。

 

 ナルトは何も言うことはなく、ただ拳を握り締めるのみだった。

 イナリのような小さな少年の心を踏み躙り、希望を持つことができないようにしてしまうガトーの支配。必ず打ち破らなければならないとナルトは一人、決意を固めるのであった。

 

 +++

 

「では、これから修行を始める」

「押忍!」

 

 カカシに連れられた三人はタズナの家からほど近い林の中へと移動していた。

 

「と、その前に、お前らの忍としての能力、チャクラについてだな。分かる人?」

「はい」

「それじゃ、サクラくん」

「身体エネルギーと精神エネルギーの2つで構成されるエネルギーのことです。忍術を使う時の燃料となる他にも身体強化などにも使われます」

「簡潔な説明ありがとう」

 

 胸を張るサクラに頷いたカカシは次いで、ナルトとサスケへと目を向ける。

 

「お前たちはまだチャクラを使いこなせていないってことは分かる?」

「術は使えている。使えないということはないだろ?」

「ああ、サスケの言う通りチャクラを使って忍術を発動すること自体は出来ている。だが、忍術には必要なチャクラの量、つまり調合が変わってくる。チャクラを多く使って無理矢理、術を発動している今のお前たちはチャクラを使いこなせているとは言えない」

「把握した」

 

 頷くナルト。そもそも、忍術を使うことは疎か、チャクラを練る事自体が苦手なナルトだ。カカシが提案する修行は渡りに船であった。

 

「そして、無駄なエネルギーを使うことは長時間戦えなくなってしまうことに直結する。一度練り上げたチャクラはスタミナに還元されることは基本的にないしな」

「つまり、今からする修行はチャクラコントロールの修行か?」

「そ! 命を張って体得しなきゃならないツラーイ修行」

「なっ……何をやるの?」

「ん? 木登り」

 

 サクラの目が細くなる。

 

「そんなことやって修行になんの?」

 

 例え、自らを導く上忍が提案する修行法であっても、流石に突飛過ぎる。サクラはカカシへの信頼よりも先に不信感が出てしまっていた。

 

「まぁ、話は最後まで聞け」

 

 サクラを宥めるカカシは両手を三人へと向ける。

 

「ただの木登りじゃない。手を使わないで登る」

「承知!」

 

 いつの間にサンダルを脱いだのだろうか?

 勇み足でナルトは傍の木に素足を乗せる。ミシリという音がして、木の幹にナルトの右足の指が食い込んだ。体が地面と平行のままナルトは左足を踏み出す。またも木の幹が悲鳴を上げ、ナルトの左足の指を受け止めさせられる。

 そして、もう一歩、ナルトが足を踏み出した瞬間、カカシからストップが掛けられた。

 

「ナルト、これはチャクラコントロールの修行だ。足の指の握力で木を掴んで登るっていうのは、チャクラコントロールじゃなくて体術の修行になる……多分」

 

 ──そもそも、足の指を鍛えてどうするのだというのだろうか?

 

 その答えをカカシは持っていなかった。

 そうであるから、カカシは話を戻すべくナルトに降りてくるように指示する。

 

「降りてこい。オレが手本を見せるから」

「承知……」

 

 張りのあるナルトの筋肉が少し萎んだように見えたのは気のせいだろうか。

 

「よく見てろ」

 

 カカシは彼らに分かるように印を組み、チャクラを練り上げる。

 微かな音がカカシの足元からした。チャクラを放出した音だ。

 足の裏からチャクラを出したカカシはそのチャクラを足の裏に留める。留めたチャクラを維持したまま、カカシは足を木の幹に付けた。チャクラにより木の幹へと吸着させた足を交互に動かすことで、木を垂直に登っていくカカシ。

 横に這う木の枝へと移動したカカシではあるが、その体は蝙蝠のように足を木の枝につけたまま逆さまになっていた。

 

「と、まあ、こんな感じだ」

 

 木の枝から逆さまにナルトたちを見上げながらカカシは説明を続ける。

 

「チャクラを足の裏に集めて木の幹に吸着させる。チャクラは上手く使えばこんなことも出来る」

「チャクラコントロールの修行になることは分かったけど、それで本当に強くなれるの?」

「サクラの疑問も尤もだな。……っと」

 

 チャクラを霧散させて、木の枝から足を離したカカシは体を回転させて地面に降り立った

 

「チャクラのコントロールが上手く出来たら、こんなこともできる」

 

 再び印を組んだカカシの体が何の前触れもなく、弾かれたように上に跳び上がった。

 

「今のは木に登ったのとは逆で、足の裏に集めたチャクラを地面と反発させることで跳び上がった訳だ」

「そっか。チャクラが持つ性質を変化させて移動させることが出来るようになるってことね」

「そう。それを応用することで瞬身の術の強化に繋がる。急制動は相手の意表を突ける最も簡単な動きだからな」

 

 カカシはクナイを取り出して三人に手渡す。

 

「そのクナイで今登れる位置に印をつけて目標にしたらいい。……ま! オレがごちゃごちゃ言っても仕方ない。体に覚えさせるしかない修行だから、後はがんばれ」

 

 カカシのエールを背に三人はそれぞれ木に向かっていく。

 が、極僅かな天にその才を愛された者以外は初めて行うことは失敗することが多い。ナルトとサスケの手を使わない木登りは初めてということもあってか失敗に終わった。

 しかし、三人の中で天に才能を愛された者がいた。下忍とは思えぬほどのチャクラコントロール。ゆっくりと木の幹を登る桜色。

 

「先生、できました!」

「サクラ、よくやった。今一番、チャクラコントロールが上手いのは、サクラみたいだな」

 

 カカシはチラとナルトとサスケを見る。

 両者ともあまり表情には出さないものの、忍として観察眼も非常に高いカカシは二人が悔しがっていることが手に取るように分かった。

 

 ──発破になれば、いいんだけどな。

 

 心配要らないか。ナルトとサスケが再びチャクラを練り上げる様子を見てカカシは笑顔を浮かべた。諦めない二人にいとも容易くチャクラコントロールを身に着けたサクラ。

 これは将来が楽しみだと感じたカカシは彼らがより高みに登るための手伝いをすることに何の躊躇もなかった。

 

「それじゃあ、次の修行だ」

 

 サクラへと目線を戻したカカシは次の修行法を伝えるべく口を開く。

 

「次の修行?」

「そう、次は水の上に立ってもらう。それが出来たら、重いものを持つことが出来るようにチャクラをコントロールした身体強化の修行だ」

「でも、サスケくんとナルトは?」

「まだ、木登りも出来てないから次のステップには進めさせられないな」

「ってことは私だけ?」

「ああ。がんばれ、サクラ」

 

 サクラは複雑な表情を浮かべる。褒められて嬉しい、だが、想い人であるサスケと離れるのは嫌だ。そのような葛藤があったが、カカシに背中を押されたサクラは泣く泣くその場を後にする。

 林の中に残されたナルトとサスケは黙々と木に登り続ける。

 

 そんな彼らを木陰から見つめる者がいた。イナリだ。

 ナルトとサスケが木に登り、そして、落ちる様子を憎々し気に見つめながらイナリは自分の隣にいた人物の顔を思い出していた。自分を助けてくれた憧れの人、そして、父として傍にいてくれた大切な人。

 もう失ってしまったその人の笑顔を脳裏から消すようにイナリはナルトとサスケに背を向ける。

 何の感情からくるのだろうか? いつの間にか握り締めていた拳の理由が彼には分らなかった。

 



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オーバーワーク

「出来ぬ……」

 

 地面に胡坐を掻いたナルトの表情は固かった。

 

 ナルトは悩んでいた。

 カカシから教えて貰ったチャクラコントロールの修行法、手を使わず足だけで登る木登り。それがどうしてもナルトはできなかった。そして、彼は諦めることも知らなかった。

 

 ゆっくりと彼は立ち上がる。

 

 そもそも、普通のチャクラを練る事が苦手なナルトだ。チャクラを練り、それを足に留めるということは、今のナルトにとって非常に高いハードルであった。

 

 ──これではない。

 

 カカシに手本を見せて貰った時、彼は靴を脱いで自身の足の指の力だけで木を登ってみせたが、それはチャクラコントロールを身に着けるという修行の目的に反することだ。

 あくまでも、この修行で求められることはチャクラコントロール。足先で微細な木の幹の瘤を靴越しに把握出来たとしても意味はない。

 

 青色のサンダルを履いたナルトの足は樹の幹にしっかりと着いていたものの、それは足の力のみを上手く使った上での成果だ。チャクラを使わずに木の幹を垂直に歩くという人間離れした動きを見せながらも、これでは趣旨が違うとナルトは顎を擦る。

 チャクラというものをさっぱり把握できないナルトは考えた。チャクラを使わずに同じ動きをしていれば、チャクラを把握できるようになるのではないか、と。地面と平行にした体を上へと移動させているナルトだったが、成果は全くなく無駄足ではないかと考え始めた頃、隣の青い服が徐々に梢に近づいていることに彼は気が付いた。

 

「サスケ」

「何だ?」

「貴殿がどのようにしてチャクラを練っているか教えて貰ってもいいか?」

 

 普段の時ならば、出来るまで只管に、愚直に、とことん同じことをしただろうが生憎、時間がない。仮死状態になった再不斬が復活するまで一週間程度とカカシは断定した。

 つまり、ナルトは一週間以内にチャクラを練る事を覚え、更にチャクラコントロールまで出来るようにならなくては再不斬に対抗できない。

 だが、チャクラを練る取っ掛かりすらもないのでは時間だけが過ぎて一週間が経ってしまうと考えたナルトはサスケへと尋ねるのだった。

 

「そこからか」

 

 登る足を止め、地面に降り立ったサスケはナルトへと口を開く。

 

「身体エネルギーと精神エネルギーを体の中で混ぜ合わせる。それだけだ」

「しかし、己はエネルギーが何なのか分からぬのだ」

「バカは考えるな。感じろ」

「ぬ!?」

「テメェはこれまでもそうやってきただろうが」

「そうで……あったな」

 

 ナルトの目に煌々と炎が灯った。木の影から彼らの様子を窺っていたカカシは昔の自分たち、下忍であった自分たちとは違う彼らの関係に破顔する。

 

 弱気になったナルトをサスケが励ましている。チームワークが分かってきたみたいだな。

 これはいい兆候だと考えたカカシは木の影から出て、彼らの前に姿を現した。

 

「サスケは上手くいっているみたいだな。で、問題はナルトか」

 

 カカシはナルトを見つめる。

 彼が今からナルトに行おうとすることは、成功する保証がない一種の賭け。上手く行かない場合は、まず間違いなく自分の命はないだろう。そして、下手をすれば、この地域一帯が更地となる可能性がある。

 だが、行わないという選択肢はない。ここで、自分が何もせず、そして、再不斬が再度、襲撃してきた場合、再不斬はナルトを狙うだろう。その時に、自分がナルトを助けに入ることができないとしたら、その場合も波の国が滅ぼされる可能性がある。

 

 どちらに転んでも悪い結果を引き当ててしまったら滅亡。それならば、まだ自分の力でなんとかできる可能性がある前者をカカシが選ぶのは当然とも言えることだった。

 

「……時間もないし荒療治といくしかないな」

「荒療治?」

「そ! 今から幻術をお前に掛けて、お前がチャクラを練れるようにする」

「そのようなことができるのか?」

 

『ああ』と頷いたカカシはナルトに教えられる程度の情報に嚙み砕いて説明する。

 

「なんというか、な。お前の中には大きなチャクラの塊がある。それが常にお前の体を循環していることで、お前がチャクラを練ることを阻害している訳だ。ま、そのチャクラのお陰で身体能力や治癒能力の大幅な向上になっているって面もあるけど」

「なるほど」

「幻術を掛けてお前の精神の中に潜り込む。そして、チャクラの塊を操作してお前にチャクラを流さないようにする」

「では、よろしく頼む」

 

 ナルトは胡坐を掻き、体中の力を抜いてリラックスした状態をカカシに見せる。それと対照的にカカシの雰囲気は非常に硬いものだった。今まで見た事がない担当上忍の雰囲気にサスケは思わず息を呑む。そして、カカシが一体、ナルトに何をしようとしているのか見定めようと無意識の内に眼を見開いていた。

 

 ゆっくりとした動作でカカシは左目を覆っていた額当てを上にずらす。

 

「なッ!?」

 

 思わず、サスケの唇から声が漏れた。

 

 ──写輪眼!?

 

 サスケの眼が捉えたのは、カカシの眼だった。赤く染まった虹彩の中に三つの黒い巴模様が浮かんでいる。

 カカシが持つ眼。それは写輪眼と呼ばれる特異体質だ。木ノ葉の里“うちは”一族の中でも一部の者しか開眼できていなかった特異な眼。その能力は目を合わせることで幻術に引き込むことができる催眠眼、高速で動くものをも捉える洞察眼など瞳術の道具として最高峰の能力を持つ眼だ。

 血継限界と呼ばれる血に依存する特異体質の中で“うちは”の血にしか許されていない力。それが、うちは一族でないカカシに宿っているのを見て、サスケの顔が強張る。

 

「サスケ。オレの写輪眼について、また今度、説明してやる」

「……ああ。今はアンタのことよりもナルトだな」

「済まないな、サスケ」

 

 下忍とは言え、サスケも忍。優先させるべきものが何かはきちんと把握していた。

 今一、話に付いていけていないナルトへと左眼を合わせたカカシは練り込んでいたチャクラを原料にナルトへと幻術を掛ける。

 

 景色が変わった。

 緑溢れる林の中から、灰色しかない建物の内部のような場所へと一瞬で景色が変わったことから、カカシは自分の術が上手くいったと確信した。

 

 ──ここが、ナルトの精神世界か。

 

 まるで迷路のように入り組んだ廊下。足元には水が溜まっており、物寂しい景色が永延と続いている。

 廃墟のようなナルトの精神世界を進むカカシの足取りには迷いは見られない。カカシの感覚が捉えている強大で冷たいチャクラ。そのチャクラを感じることができる方向に向かって進むことが正しいのだとカカシは理解していた。

 

 水音がカカシの足元で跳ねる音が止まった。カカシはあるドアの前で立ち竦む。ややあって、覚悟を決めたように視線を鋭くしたカカシがドアを開けると、そこには巨大な牢があった。

 

「ワシに何か用か? ……人間?」

 

 牢の隙間から見えるのは橙の巨体。それをカカシは以前にも見た事があった。

 これから先も忘れることなどはできないであろう、あの日の出来事を。師を失った日のことを。そして、その怨敵とも言える存在がカカシの前にいる。

 

 ──今はその感情を捨て置け。

 

 彼は忍だ。

 自分の感情を殺し、部下のために依頼人のために最善を尽くすこと。今、自分が何をすべきなのか把握していたカカシは檻の中の存在へと話し掛けた。

 

「九尾の狐。アナタに話がある」

「ナルトにチャクラを練らせるようにワシからのチャクラを止めたいという所だろう?」

 

 予期していない九尾の狐の言葉にカカシの動きが止まる。『なぜ?』という疑問をカカシが口に出す前に九尾の狐は先手を打ったのだ。

 

「ナルトの中から見ていたからお前のしたいことも分かる」

「なら……」

「ああ、好きにしろ。ワシとしても、封印が弱まったせいでナルトにチャクラを勝手に持っていかれるのは不快だ。カカシ、貴様に任せる」

 

 前足に顎を乗せた九尾の狐が目を閉じたことを確認して、カカシは九尾の狐の力を抑えている封印を補修しようと手を少し上に上げた。と、九尾が下した瞼を持ち上げた。

 

「ああ。言い忘れていたが、カカシよ」

「ん?」

「ワシを“操作”できるなど随分と大きく出たものだな」

「!?」

 

 九尾から発せられる強大なチャクラにカカシは身じろぎ一つできない。矮小な人間が天災とも言える存在の前で気を抜き、無礼な態度を取る事などは決して許されないことであった。

 カカシが恐怖に固まる様子を見て満足したのか、九尾の狐は荒ぶるチャクラを収めた。

 

「ワシからナルトへ流れ出すチャクラを止めるという功績を認め、今回は目を瞑ろう。だが、次はない。覚えておけ」

「ええ」

 

 顔を青く染めたカカシに満足したのか九尾の狐は唇を器用に歪ませて笑みを作る。

 

「ワシは寝る」

「……失礼します」

 

 ──なんだ、アレは。

 

 暴力。思考が恐怖一色に染められるほどの力。

 

 ──アレが……尾獣か。

 

 自分の見通しの甘さに震える。

 例え、九尾の狐が暴走したとしても抑えることに自信があった。上手く行かなかった場合を考えていたといっても、それはあくまで最悪のケース、あまり考えられなかったケースだ。それなのに、今の自分の状態はどうだ? 震えているじゃないか。

 

 自嘲気味にカカシは笑う。

 

 ──先生は……こんなモノを相手にしていたのか。

 

 カカシの手の震えが止まった。

 

 ──なら、オレもがんばらなくちゃな。あの世で先生に会った時に顔向けができない。

 

 印を組んでいくカカシの表情には、もう恐怖はなかった。あるのは覚悟。恩師の子である“うずまきナルト”を教え導くという覚悟だ。そして、あの悲劇の“うちは一族”の末裔であるサスケ、忍者学校でも特に目立つことがなかった普通の生徒であるサクラ、全員を守り纏めるためには、自分の力はまだ足りない。

 目を閉じるカカシの瞼の裏に浮かぶのは、黄色の閃光。カカシが心の底から憧れた忍の姿だった。

 

 カカシは目を開ける。まだ、自分の姿と重ならない影に向かって苦笑いを浮かべながら、彼は封印の修繕を完了させるのであった。

 

 +++

 

「よいしょっと」

 

 掛け声と共にサクラは鉄骨を持ち上げる。

 

「超すまんのう。護衛に加えて手伝って貰うなんて」

「修行の一環ですから」

 

そう言って笑うサクラへと微笑みを返したタズナは、ふと、他の二人の姿がないことに気が付く。

 

「そういやぁ、ナルトとサスケの姿が見えんが、奴らはどうした?」

「別の所で修行中。二人とも合格したら、こっちに来ると思う」

「ってことは、お前さんは先に合格したって訳か」

「ええ、私は優秀だから。ちょっと、全然信じてくれてないじゃない!」

 

 タズナの目線を感じたサクラは唇を尖らせる。

 

「ちょっといいか、タズナ」

「ん? どうした、ギイチ?」

 

 二人の談笑の中に一人の男が渋い顔をして入ってきた。彼の名はギイチ。タズナと長年付き合ってきた橋作りの職人だ。

 ギイチは重苦く声を絞り出した。

 

「色々考えてみたんだが……橋作り、オレ、降ろさせて貰っていいか?」

「な……何でじゃ!? そんな急に……お前まで!」

「タズナ、アンタとは昔ながらの縁だ。協力はしたいが、無茶をするとオレたちまでガトーに目を付けられちまう。それに、お前が殺されちまったら元も子もねェ!」

 

 荒げた声を抑え、ギイチは己の足元に視線を向ける。

 

「ここらでヤメにしねーか? 橋作りも」

「……そーはいかねーよ」

 

 タズナは足元を見るギイチの顔を正面から見て宣言した。

 

「この橋はワシらの橋じゃ。資源の少ないこの超貧しい国に物流と交通をもたらしてくれると信じて、町の皆で造ってきた橋じゃ」

「けど、命まで取られたら……」

「もう昼じゃな。今日はこれまでにしよう」

 

 タズナはヘルメットを目深に被り直す。

 

「ギイチ、次からはもう来なくていい」

 

 ギイチに背を向けたタズナは歩き出す。彼の護衛を最優先させるようにカカシから言いつけられていたサクラは一人で先に行くタズナを慌てて追った。

 

 タズナを追って、波の国の街を歩くサクラの顔色はいいとは言えない。先ほどのタズナとギイチのやり取りもサクラの顔色が優れない理由ではあるが、それ以上に、彼女は目の前の街の様子を注視していた。

 

 ──何なの、この町……。

 

 活気がない。人通りが多いとは言っても、その全ての通行人の目は死んだ魚のように無気力なものだった。

 道路に座り込む子どもに心を痛ませながらも、サクラはタズナについていく。

 

「おお、ここじゃ」

 

 タズナの案内に従い、サクラは一軒の店へと足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい」

 

 覇気の感じられない店主の声が彼女らを迎える。店の中を見渡すサクラの表情は更に曇った。

 

 ──ほとんど何もないじゃない。

 

 数えるほどしか商品がない八百屋。書き入れ時にはまだ早い時間というにも関わらず、商品はほとんど残されていなかった。

 自分たちが住む木ノ葉隠れの里では考えられない状況。それに意識を割かれていたサクラは自分に接近する影にギリギリまで気づくことができなかった。

 

 サクラに近づく影がサクラの鞄に手を振れた瞬間、振動が彼女に伝わり、条件反射のような動きでサクラの足が近づく影の顎を捉えた。

 

「キャー! チカーン!」

「ち……違……」

 

 倒れる男。本当は彼はサクラの財布を狙うスリだったのだが、彼を痴漢と思い込んでいるサクラは、彼が痴漢以外の目的があったことに気づくことはなかった。

 それであるから、意識を失った彼に犯行に及んだ理由を聞くこともなく、彼女はただ呟くだけだ。

 

「何だって言うのよ、この町は?」

 

 タズナたちは、サクラが痴漢と思っているスリを撃退した後、商品を買った八百屋を後にする。

 

 突然、サクラの裾が引っ張られた。先ほどの男が頭の中をチラつき、サクラは最大限に警戒を高めて振り返る。だが、そこには拍子抜けするような光景があった。

 裾を引っ張られたサクラが振り向くと、そこには手を広げた少年がいたのだ。彼の何かを待つ様子にピンときたサクラは、手を広げた子どもにいくつか飴を渡す。

 

「ガトーが来てからこのザマじゃ」

 

 タズナは去っていく子どもを見ながら誰ともなしに呟く。

 

「ここでは大人は皆、腑抜けになっちまった。だから、今、あの橋が必要なんじゃ。勇気の象徴、無抵抗を決め込んだ国の人々に、もう一度、“逃げない”精神を取り戻させるために。あの橋さえ……あの橋さえ出来れば……町はまた、あの頃に戻れる、皆、戻ってくれる」

 

 タズナは誰ともなしに呟く。

 それはきっと、自分自身に言い聞かせていたのではないかとサクラは思うのだった。そして、彼に掛ける言葉が何一つ出てこない自分に歯噛みするしかなかった。

 

 +++

 

 サクラたちがタズナの家に着いてから数時間後、食卓には食事が用意されていた。ツナミの腕を振るった料理は、質素ながらも海に近い波の国の郷土料理で木ノ葉の里では見ることがほとんどない料理だった。

 ツナミの料理に舌鼓を打つ木ノ葉出身の4人。黙々と料理を口へと運ぶ4人。言葉はないものの、美味しいという雰囲気を出す彼らにタズナは上機嫌だ。

 

「いやー、超楽しいわい。こんなに大勢で食事するのは久し振りじゃな!」

「タズナ殿。おかわりを……しても良いだろうか?」

「おう! 食え食え! それにしても、ナルト。お前さん、いい食いっぷりじゃのォ!」

「……おかわり」

「サスケもか! うむうむ。やはり、男はこうでなくてはな! 先生、アンタはどうじゃ?」

「いえ。私は遠慮させて頂きます」

「育ち盛りのこの子らと比べたらいかんとは思うが……それにしても、あまり箸が進んでおらんが?」

「いえ、とてもおいしいのですが……何分、小食なもので」

「残念じゃのォ。おっと、サクラはおかわりどうじゃ?」

「私もお腹一杯なので。というより、この二人が凄いから比べられても困ります」

 

 頬を膨らますサスケと黙々と出された食事を平らげていくナルト。二人の食べっぷりは見事なものであった。それこそ、タズナが見とれるほどに気持ちのよい箸の進め方だった。

 

 満足したように笑うタズナを横目に、自分で作っていないために正確とは言えないものの、大雑把にカロリー計算を行うナルトは、ツナミの料理は筋肉にも良いことに気が付き、いたく感激した。アジやサバなどの魚類やエビやイカに含まれるタンパク質、カルシウム。玄米や野菜に含まれる糖質やビタミン。ヒジキに含まれる鉄分も体にはいい。

 海に近い波の国の食事は健康によく、更に、筋肉に必要な栄養素もしっかり摂れる。ナルトは満足だった。

 

 そんな呑気なナルトとは裏腹にサスケは只管に料理を口へと収めていた。目的はスタミナの回復のため。チャクラを練る時に使われる身体エネルギーはスタミナと呼ばれることがある。そのスタミナを回復させるための手っ取り早い方法が食事と休息だ。

 外部から栄養を取るため、いつも以上に料理を胃の中に押し込むサスケ。

 

 彼らを見てツナミはタズナと同じように笑うのだった。彼らに影響されてか、どこか影のあった笑顔が今だけはツナミ本来の明るさによって輝く。そんな笑顔だった。

 

 しかし、楽しい時間は長く続かないのが世の常。

 食事が終わり、熱い茶を啜りながらサクラは疑問に思っていたことを口にした。

 

「あの~、なんで破れた写真なんか飾ってるんですか? イナリくん、食事中ずっとこれ見てたけど……なんか写ってた誰かを意図的に破ったって感じよね」

 

 サクラが指し示すのは壁に掛けられた一枚の写真。上半分は破り捨てられている奇妙な写真だ。

 

「……夫よ」

「……かつて、町の英雄と呼ばれた男じゃ」

 

 瞬間、ツナミとタズナの顔から笑顔が消えた。それと同時に、食事の間も暗い顔のままだったイナリの表情が一段と暗くなる。

 やおら、イナリは立ち上がって足早に部屋を出ていった。

 

「イナリ! どこ行くの? ……イナリ!」

 

 ツナミへのイナリの返事は扉を閉める音。

 

「父さん! イナリの前ではあの人の話はしないでって、いつも……」

 

 唇を噛み締めたツナミはタズナへと怒鳴るが、それが単なる八つ当たりだと気が付いたのか目で謝罪の意をタズナへと表した。分かっているというように寂しそうな顔付きのタズナから目を伏せたツナミはイナリを追うため、部屋から出ていく。

 

「イナリくん、どうしたっていうの?」

「何か、訳ありのようですね」

 

 カカシはタズナを見遣る。

 

「……イナリには血の繋がらない父親がいた。超仲が良く、本当の親子のようじゃった。あの頃のイナリはほんとによく笑う子じゃった。しかし……」

 

 静かにタズナは涙を流す。

 

「……しかし、イナリは変わってしまったんじゃ。父親のあの事件以来。この島の人間、そして、イナリから“勇気”という言葉は永遠に奪い取られてしまったのじゃ。あの日、あの事件をきっかけに」

「あの事件? イナリくんに一体、何があったんです?」

 

 タズナは悔しそうに顔を歪めながら事のあらましを説明していく。

 それは、カイザという英雄の話だった。イナリを助け、町の危機を救い、そして、英雄が邪魔だと感じたガトーに処刑されるという救いのない話。英雄を惨たらしく奪われた町民からは一切の希望が奪われ、ガトーの支配を受け入れるしかなくなってしまった悲劇をナルトたちは静かに聴いていた。

 

 タズナの話が終わると、おもむろにナルトが立ち上がる。

 

「ナルト、修行なら今日はもう止めとけ。チャクラの練り過ぎだ。今は体力の回復に務めろ」

「済まぬが、それは了承できぬ」

 

 カカシに向かってナルトは首を横に振る。

 

「己は証明しなければならぬ」

「どういうことだ?」

「己が……この世に英雄(ヒーロー)がいるということを証明してみせる」

 

 ナルトの広背筋は雄弁に語っていた。

 彼が……ナルトこそが英雄であるということを。

 



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ハンドグリッパーは鞄のサブポケットに入れるもの

 朝日が木の隙間から差し込む。日が昇ってそう時は経っていない。夜露が足を濡らす時間だ。濡れた足に気を向けることもなく、一人の少年が早朝の林を歩いていた。

 

 長い黒髪に女物の着物。見目麗しい少年だ。彼の名は白という。名は体を表すというが、なるほど、彼の肌は新雪のように滑らかで白い。

 女性と言われても納得してしまうほどに美しい少年は草を摘む。彼が草を摘む目的は体の痺れを和らげる効用を持つ薬草を集めるため。

 一般には、あまり知られていない草が持つ効用。その知識は、彼が霧隠れの忍としていた時に叩き込まれた知識の一つだ。

 

 彼が手に下げる籠の大体半分ほどだろうか。

 草を集めた少年は耳を澄ませる。爽やかな朝には似つかわしくないドタバタという音。立ち上がった少年は音の方向へと足を向けた。

 

 少年が目を凝らすと、朝靄の中に一つの大きな人影があったことが確認できた。人影は手を使わずに足だけで木を登る。上へ上へと登っていくが、途中で足が滑り人影は地面へと叩きつけられる。

 木の中腹、大体3~4mほどだろうか。その高い位置から地面へと背中を叩きつけられた人影は何ともなかったように、また立ち上がる。そして、人影はまた足を木に着けて、垂直に登っていく。だが、また落ちる。

 

 あまりにも痛々しい。例え、本人は痛みを感じずとも周りで見ている者の方が痛みを感じてしまう。そのような常軌を逸した拷問とも呼べることを人影は何度も繰り返していた。

 

 見ていられない。少年は足元の草を踏みしめて音を立てる。彼は音を立てて人影に自分の存在をアピールしたのだ。

 そこで、やっと大きな人影は少年の存在に気が付いたようだ。

 

「貴殿は……?」

「通りすがりの者です」

 

 大きな人影、ナルトは音がした方向に顔を向け、そこにいた少年へと視線を注ぐ。柔和な雰囲気を醸す線の細い人間。

 

 ナルトは少し眉を顰めた。

 例え、修行である木登りに集中していたとしても気配に勘付かない訳がない。

 以前、ナルトは精神修行のために山籠もりをしていたことがあった。その時に様々な技術を身に着けたナルトは周りの気配に非常に敏感である。

 だからこそ、獣じみた気配察知の能力を持つナルトの鋭敏な感覚をやり過ごした目の前の人物は唯者ではないと、ナルトは感じ取っていた。

 

 とはいえ、殺気は全く感じない。

 清廉な空気を漂わせる人物が自分を、そして、周りの人を傷つけることはないと確信し、ナルトは口を開いた。

 

「しかし、貴殿はこのような早朝から何用でここにいるのだ?」

「それはアナタもでしょう?」

「む? これは一本取られたな。では、まずは己から説明させて貰おう。己は自らを鍛えるためにここにいる」

「鍛えるため、ですか」

「うむ。して、貴殿の方は?」

「この薬草を取っていたんです。そしたら、こちらの方から音がしていて」

「五月蠅かったか? 済まない」

「いえ、それほどではありません」

 

『杞憂で済んだか』と声に出したナルトは少年へと近づく。

 

「貴殿を手伝おう」

「いいんですか?」

「無論。子女を助けるは己が道」

 

 力強く頷くナルトへ少年は雪の結晶のように美しく笑うのであった。

 

 +++

 

 彼らは薬草を取るため、場所を移していた。光が差し込む林の中の広場。一つ(筋肉)を除き、童話のような光景の中でナルトは少年へと話し掛ける。

 

「貴殿も朝早くから大変だな」

「アナタこそ。そういえば、アナタはここで何をされていたんですか?」

「修行だ」

「修行……ですか?」

「うむ」

 

 頷くナルトへと少年は問いかける。

 

「何で修行なんかしているのですか? アナタは既に十分、強そうに見えますけど」

「いや、己はまだまだ至らぬ未熟者、故に修行を続けなければならぬ。それに、己を鍛え上げるは自然なことであろう?」

「普通の人は必要に迫られなければ、そこまで筋肉をつけないんですけどね」

 

 小さく笑った少年だったが、一転、真面目な顔を作る。

 

「……何のために、アナタは強くなろうとしているんですか?」

「里で一番の忍となるためだ。後は……世界を諦めている小さき者に素晴らしさを教えるためだ」

 

 少年は口に手を当て、上品に笑う。笑みを浮かべながら少年は再びナルトへと問いかけるのであった。

 

「アナタには、大切な人がいますか?」

 

 少年の目が昏くなる。光を映さない黒い目。少年は自分の身に起きた出来事を思い返してしまっていた。

 自ら思い返すことを忌避するほどに冷たく、そして、絶望に押しつぶされるほどの過去。その中で現れた確かな光。その光の後についていく自分の姿を瞼の裏に収めた少年は、現実の、目の前にいるナルトに真っ直ぐな視線を向けた。

 

「人は……大切な何かを守りたいと思った時に、本当に強くなれるものなんです」

「然り。貴殿の言うことは金言だ。改めて胸に刻みつけよう」

 

『既にアナタは知っていたんですね』

 笑顔を浮かべる少年は言葉を飲み込んだ。伝える必要もない言葉だからだろう。

 

 おもむろに、少年は立ち上がる。

 

「アナタは強い人だ。またどこかで会いましょう」

 

 少年はナルトへと振り向くことなく歩いていく。

 

「あ、それと……」

 

 振り向くことはなかったが、少年は足を止めた。黒く長い髪を揺らしながら、少年はナルトに訂正を行う。

 

「……ぼくは男ですよ」

「む!? それは済まなかった、謝罪する」

「ふふ……では、また」

 

 去りゆく少年を見送りながら、ナルトは確信していた。少年と同じように、また、すぐ、どこかで会うだろうことを。

 

 +++

 

 修行開始から七日目の朝。

 

「ナルトの奴、どこ行ったんだ? 毎日、夜まで出かけて無理しやがって」

「いつもなら、もう帰ってきてる時間なのに。それに、サスケくんも」

 

 朝食の時間になっても帰ってこないナルトとサスケを心配したカカシとサクラは木登り修行の場所に訪れていた。

 

「カカシ、それに、サクラか」

 

 突如、上から聞こえてきた声。サスケだ。

 カカシとサクラは声がしてきた方向、サスケがいつも登っていた木の上へと目をやる。

 

「まさか、な」

「嘘でしょ……」

 

 サスケは昨日の時点でチャクラコントロールによる手を使わない木登りは完成していた。だから、サスケが木の天辺に足を着けていること自体は驚くことではない。しかし、問題はその横だ。

 

「カカシ先生よ。己も……ようやく至った」

 

 サスケの隣の木の天辺。そこにいるのはナルトだ。両足を木の梢に着け、そして、地面と平行にカカシたちを見下ろしている。

 腕を組むナルトを見て、カカシは眩しいものを見るように目を細めた。

 

「よし、それじゃあ、次の修行だな。水面歩行の業だ……と、言いたい所だが、あれからもう七日経つ。再不斬が生きていれば、いつ動き出してもおかしくない頃合いだ」

「では、修行は?」

「ここまでだな。と言っても、お前らは優秀だよ。サクラはチャクラコントロールで身体強化、サスケは水面歩行、そして、お前は木登りが出来た。正直な所、一週間じゃ三人とも木登りが精一杯だと考えていたからな。期待以上だ」

 

 カカシが『降りてこい』と合図をすると、ナルトとサスケは木の幹に足を張りつかせながら地面へと歩く。

 二人の様子を見ながらカカシは更に目を細めた。

 

 ──たった七日でここまで……。

 

 中忍レベルの術を使うことが出来ていたサスケはまだしも、チャクラをまともに練ったこともないナルトがここまで出来るとは、ね。

 

 ──あまりにも人としての枠から外れている。

 

 カカシは戦慄していた。

 ナルトの睡眠時間は約1時間。その程度であれば、通常の忍の任務、Bランク以上の任務ではあるが、偶にある。睡眠時間がほぼ取れない状況で監視対象を監視し続ける任務などはカカシも数多く行ってきた。

 だが、その任務は体力を使わないように身を潜めることが最優先される任務だ。だからこそ、ほぼ休むことなく体力を極限まで使い切るような修行をするナルトは異端だった。

 

 ナルトが修行を休む時は食事や睡眠といった生理現象から生ずる時のみ。それ以外の時間は全て修行の時間だ。ナルトは休憩することもなく、ただ木に登り続けていたのだ。それがどれほど過酷なことなのか、上忍のカカシですら想像もつかない。

 ただ一つの単純作業を七日間貫き通した精神性は、山に籠り何日間も動かない仙人と同様。10年と少ししか生きていない少年が、その境地へと至っている。

 

 木の梢に立つナルトを見上げながらカカシは思う。

 ひょっとしたら、ナルトの言う夢が叶うのかもしれない、と。

 

 +++

 

 ナルトが木登りを達成した、その日の夜。

 

「さぁ、じゃんじゃん食べちゃって!」

「ツナミ殿、感謝する」

 

 詳しい修行法はカカシから伝えられなかったツナミではあるが、自分の家に泊まっているナルトの様子から、尋常ならぬ修行をしていると感じ取っていた。その修行が終わったと聞き、ツナミは豪勢な料理をナルトのために作ったのだ。

 朝は自分が起きるよりも早くに出かけ、食事の時だけ帰ってくるとはいえ、夜は自分が寝た後に家のドアを開ける。

 体にも悪いだろうとツナミはナルトの体調を心配していたものの、自身の父親であるタズナを守るためと聞いていた彼女は止めることができなかった。

 

 そんな心中の中、ナルトの過酷な修行が無事に終わったと聞き、ツナミは胸を撫で下ろすのだった。そして、彼を労うために腕によりをかけた料理を振る舞う。

 タズナを護衛した初日よりも豪華な料理に木ノ葉から来た四人は、物価が高い波の国で振る舞われる大盤振る舞いに目を丸くしたものの、そこはツナミの交渉力で席に着かせることに成功した。タズナもまた、自身の娘であるツナミと同じ気持ちだったのだろう。

『じゃんじゃん食え』という家主の鶴の一声でナルトたちは箸を伸ばすのであった。

 

 テーブルに所狭しと置かれた料理が消え、食後のほうじ茶を啜りながら、ナルトは考える。

 

 好きに食べていいチートデイではないとはいえ、料理を作って待っていてくれたツナミ殿の好意を無碍にする訳にもいかぬ。明日はチャクラコントロールの修行だけではなく、筋トレもしっかり行うべきだな。

 

 明日の筋トレの予定を頭の中で組み立てるナルト。彼の心を知ってか知らずか、帽子を目深に被った少年、イナリの目から一筋の滴が流れた。

 

「なんで、そんなになるまで必死に頑張るんだよ! 修行なんかしたってガトーの手下には敵いっこないんだよ! いくらカッコイイこと言って努力したって、本当に強い奴の前じゃ弱い奴はやられちゃうんだ!」

 

 一度、火がついた感情は止められなかった。涙を流しながら、激情に身を委ねながらイナリは感情をナルトへとぶつける。

 

「お前、見てるとムカツクんだ! この国のこと、何も知らない癖に出しゃばりやがって! お前にボクの何が分かるんだ! 辛いことなんか何も知らないで、いつも何も感じないような顔をしているお前とは違うんだよォ!」

「……貴殿の言う通り、己は何も知らぬ。だが、それでも己は命を懸けて貴殿らを守る」

「綺麗事なんか言うな!」

「約束だ。貴殿らを守ってみせよう」

 

 力拳をイナリに見せながらナルトは宣言した。

 ナルトの静かな、だが、力強い声にイナリは息を呑む。

 

「逆境にあっても、己の信念を貫き通すは漢の道。その途中で命を落とそうが信念は譲らぬ。そして、その信念は己を活かす糧となる」

 

『辛くても、悲しくても……頑張って頑張って……例え、命を失うようなことがあったって、この二本の両腕で守り通すんだ』

 

「イナリ、貴殿はまだ雛だ。貴殿は己の背を見ていろ。漢の花道が何かを、己は貴殿に説いてみせよう」

 

 ──全然、違うのに……。

 

 イナリの目が映すナルトの姿はある人物と被っていた。それは自らが敬愛した人物の姿。

 そのことが認められず、イナリは逃げるように駆け出したのだった。

 

 イナリが部屋を出ていく様子を見送ったナルトは立ち上がる。

 

「ナルト、どこ行くの?」

「……今日は三日月だ。月を愛でるのも、偶にはいいだろう」

「全く……少しは休みなさいよ」

 

 同じ班になってから短いとはいえ、サクラはナルトがこれから行うことに気が付いたのだろう。軽く笑みを浮かべてナルトへと声を掛ける。

 

「……善処しよう」

「フン……」

「ってサスケくんも?」

「……散歩だ」

 

 出ていく二人の後姿。

 きっと、二人は木登りの修行をしに行くのだろう。なら、自分は……。

 

 サクラの目がナルトの荷物の横に置いてあったダンベルに止まる。

 

「ナルト。これ、借りてもいい?」

 

 声を掛けるが、そこにはナルトの姿はなかった。声はない。だが、サクラは魂で感じ取っていたのだ。ナルトなら、自分がダンベルを使うことを歓迎したであろうことを。

 サクラはナルトが置いたままのダンベルを持ち上げる。

 

「って、重ッもォ!?」

 

 ──15kgのダンベルを持ち運ぶなんてバカじゃないの!?

 

 サクラは言葉を飲み込んだ。言っても、聞く人は既にいない上、言っても聞かない人であろうことに気が付いたのだ。

 

 +++

 

 リンゴが潰される。

 滴る果汁が流れるは再不斬の掌だ。

 

「大分戻りましたね」

 

 再不斬の横に控えるは見目麗しい少年。そう、ナルトと薬草を取っていた少女のような少年だった。

 

「よし、そろそろ行くか」

 

 再不斬は横に控える少年の名前を呼ぶ。

 

「白」

「はい」

 

 少年の手には面が握られていた。その仮面は再不斬の首に千本を刺した人物が被っていたものと同一のもの。カカシの予想が的中した。追い忍の少年は再不斬の味方だった。

 

 体の痺れが完全に抜けた再不斬は、己の獲物である断刀(首切り包丁)を手に取る。

 再不斬は再び牙を剥いた。

 



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走り幅跳び

 朝日がサスケの顔を照らす。

 眩しそうに顔を顰めたサスケは、まだ重い瞼を億劫そうに持ち上げて隣に目を遣る。金色に染まる桜色は幻想的だ。

 

「あ、サスケくん。おはよう」

 

 どこか眠たげな声がサスケへと掛けられた。サスケは顔を上げて、声の主を見る。忍装束を既に身に着けたサクラが髪を櫛で梳かしている。

 窓から差し込む朝日に照らされながら、長い髪を梳いているサクラに『ああ』と短く返事をしたサスケはいつもと違う光景に目を止めた。

 

「今日はいるんだな」

 

 サスケがサクラの次に見たのは自分の隣に寝ているナルトの姿。

 いつもならば、自分が起きるよりも早く、それこそ朝日が昇る前よりも早く修行場へと向かうナルトであったが、修行が終わったということもあり、睡眠をキチンと取るべく休んだのだろう。

 そう結論付けたサスケは静かに布団から身を起こす。

 

「今日は起こさない方がいいかも」

「そうだな」

 

 どうやら、サクラもサスケと同じ考えだったようだ。

 サスケはサクラに頷き、それまで自分が被っていた布団をナルトへと乗せる。

 

 ──足……寒くないのか、コイツ。

 

 布団から飛び出していたナルトの足に掛布団を乗せたサスケは敷布団を畳んでサクラと同じように部屋の隅へと重ねたのだった。

 

 着替えを手早く終えた二人は階段を降り、居間へと向かう。タズナの家、二階の一室を割り振られた第七班の三人。一部屋で雑魚寝をしている下忍の彼らとは違い、上忍のカカシは一階の客間で寝泊まりをしている。

 とはいえ、三人はそれに不満がある訳でもない。忍者となったからには何日も野宿があることを覚悟していた。野宿に比べれば、多少部屋が手狭だとはいえ何の不満があるだろうか。

 例え、朝に目が覚めたら隣に筋骨隆々とした(ナルト)がドドンと寝転がっていたとしてもサスケとサクラには不満はなかった。

 

 居間についた二人を出迎えたのはツナミとカカシだ。

 

「二人ともおはよう」

「おー、おはよう」

 

 朝食の準備をしているツナミ。彼女が準備をしている横でカカシは呑気そうに二人に向かって手を上げた。サクラとサスケも彼らに応えた後、サクラは疑問を口にする。

 

「タズナさんとイナリくんは?」

「今、着替えているらしい。で、ナルトはどうした? オレの見立てだと、まだ休息が必要そうだけど」

「ぐっすり寝てる。もう少し寝かせてあげて置いた方がいいと思う」

「そうか。ツナミさん、すみませんが先ほど言った通りナルトは寝かしてやって貰ってもいいですか」

「もちろん」

 

 ツナミは力強く頷く。

 

「ふぁ……おはようさん」

「タズナさん、おはようございます。イナリくんもおはよう」

 

 リビングへと入ってきたのはタズナとイナリだ。

 

「……」

「こら、イナリ。挨拶は?」

「……おはよう」

「うん、おはよう」

 

 まだ、慣れてくれないか。

 ツナミに促されて挨拶をしたイナリに頬を掻きながらサクラは苦笑する。一週間、寝食を共にしたのに、未だ距離が感じられるイナリ。サクラは一抹の寂しさを感じていた。

 テーブルの前に腰を下ろすタズナに続いて、イナリやカカシも近くへと腰を下ろす。

 

「タズナ、アンタの分だ」

「おお、すまんのう」

 

 トンと軽く音がしてタズナの前にサスケが皿を置いた。

 あれは何日前のことだっただろうか? 朝食の準備の手伝いをしているサクラの姿に触発されたのか、サスケも朝食の準備を手伝うようになった。なんでも、目玉焼きを作るのは得意だということで朝食のメインである目玉焼きは、ここ数日サスケの手で作られている。

 そして、率先してツナミを手伝っていたサクラはすることがなくなってしまったというのは何と言う皮肉だろうか。

 

「おお、旨そうじゃ」

 

 得意だというだけあり、サスケが作る目玉焼きは最高の出来栄えだ。卵への火の通り方は完璧だという他ない。火を操る団扇(うちわ)が家紋となっている“うちは一族”の末裔というだけはある。

 黄身は半熟、白身はしっかりと火が通っている。そのことを彼らは数日前から知っている。

 

 朝食の準備が整い、全員がテーブルの周りに座ると誰ともなしに手を合わせた。

 

「いただきます」

 

 玄米に大根の味噌汁。そして、目玉焼き。シンプルながら奥深い味わいのスタンダードな朝食だ。

 サクラが箸で黄身を割ると、トロリと白身が黄身に覆われる。綺麗な目玉焼きを崩すのは少し勿体ない気もするが、これがおいしい食べ方だとサスケに教わったサクラは黄身で彩られた白身を箸で持ち上げる。調味料は塩、それと、胡椒。

 シンプルな味付け故に、サクラが目玉焼きを口に運ぶと彼女の口内が卵本来の豊潤な香りで一杯になった。

 

 ──卵。

 

『歯ごたえがいい』『香りがいい』などといった美味しさを表す言葉を知らないサクラではない。だが、サスケの目玉焼きの美味しさを表す言葉は『卵』という一言だけしか思いつかなかった。ただの固有名詞、その一言だけでは味を伝えることなど到底出来はしないことはサクラも分かっている。だが、全ての言葉に優先して出てきた言葉が『卵』という言葉だった。

 次いで、サクラから零れるのは感嘆。朝一で食べる食材に対する感動と感謝だ。感動に浸ったまま食事を進めたいと考えたのか、サクラは左手に茶碗を持つ。玄米を程よくブレンドしたご飯。ピンと米粒がしっかり立っている。

 それを見たタズナは小さく頷く。

 

 ──口に入れなくても分かる、これは美味い。

 

 タズナは口の中にまだ残存している目玉焼きの風味を逃さないようにご飯を口に入れ、そして、また目玉焼きを口に運ぶ。卵の香りと玄米の香りが合わさり、何とも言えぬ美味しさに思わず声が零れる。

 

「ほう……」

 

 タズナは満足した。

 朝の活力を全身へと漲らせる儀式、それが朝食だ。体に力が湧いて来るのを感じる。だが、体のスイッチを入れるには後一つ必要だ。

 茶碗を持ち替え、味噌汁の器を手に取る。箸を味噌汁へと入れ、下へと沈んだ大根を持ち上げながら味噌汁全体の濃さを均一にするべく静かに掻き混ぜるタズナ。まずは、大根と言わんばかりに口へとそれを放り込み、続け様に味噌汁の器に口をつけて啜る。

 口から喉へと下っていく熱い液体。

 

 ──これだ。これを待っていた。

 

 タズナがリアクションを出す前に動いたのはカカシだった。

 

「ごちそうさま」

『食べるの早ッ!』

 

 思わず、タズナとサクラの声が重なる。

 

「いや、だってオレ、結構、早食いだし」

「先生よ、勿体ないぞ」

「んー。そうは言っても目玉焼きで、そんなに感動しなくても」

「カカシの言う通りだ。オレが作った時から毎日、目玉焼きって飽きないか?」

『全然!』

 

 再び重なる二人の声。

 

「おかわりは?」

『これを食べてから!』

 

 ツナミに声を返した二人は、その後、無言で食事を進める。逃さぬという気迫が感じられるほどの二人から目を離したサスケは上を見上げるのだった。

 

 ──ナルトの分まで食うんじゃねぇだろうな、コイツらは。

 

 +++

 

「じゃ! ナルトをよろしくお願いします」

 

 朝食を終えたナルトを除く第七班、そして、タズナは家を出る。橋作りも佳境を迎え、完成するまでの目途がしっかりと立ってきた。だが、タズナを狙う者はまだ諦めていないとカカシは確信していた。再不斬を退けた第七班ではあるが、刺客は再不斬一人だけという甘いことはないし、再不斬が生きている可能性があるときた。

 だからこそ、カカシは修行を切り上げさせ、自分が持ち得る最大の戦力でタズナの護衛をすることに舵を切ったのだ。とはいえ、一人は起き上がる事もできないほどに体力を使い切っているが。

 

 カカシはツナミに頭を下げる。

 

「限界を超えて体、使っちゃってるから、今日はもう動けないと思いますんで」

「ええ、任せて」

 

 胸を軽く叩いたツナミは力強く笑った。

 

「じゃ、超行ってくる」

「ハイ」

 

 彼らを見送るツナミは遠くの空、そこに掛かる雲を見て思う。なんだか……冬の雲みたい、と。

 

 +++

 

 魚や海藻は海に近い波の国ではよく捕れる。鳥や猪などの肉も波の国が有する森で捕ることができる。しかしながら、野菜の生産量はそれほど多くない。国民の多くは漁業などの海にまつわる仕事をしている者が大半だ。従って、農家をしている者の数は限られ、別の国からの輸入で野菜の供給を賄っている。

 

 とはいえ、別の国からの輸入がある程度、できていたのは昔の話だ。

 今は輸出入を全て取り仕切るのはガトー。彼は野菜の輸入を極端に少なくして物価を上げることで波の国の国民から富を絞り取ろうとしている。これは彼の計画の第一歩だ。物流を取り仕切り、波の国の国民から富を絞り取った上で、自らが経営する金融企業に金を借りさせる。その借金が膨らんだ者を自らが囲い込み、ガトーカンパニーの仕事を斡旋する。

 つまり、ガトーは波の国の民を全て自分の奴隷にしようとしている。

 

 ──だからこそ、邪魔なのだ。あの橋を作っている奴らは。

 

 黒スーツに黒ネクタイに黒いサングラス。マフィアのような恰好をしたガトーは手に持つトランシーバーへと命を下す。

 

「襲撃の用意はいいか?」

 

 ガトーの言葉に反応はなく、トランシーバーは無言を貫いたままだ。

 

「おい、再不斬! 聞いてんのか、おい!」

 

 声を荒げるガトーではあるが、どうやら、回線の向こうにいる者は彼を無視しているらしい。

 

 ──まあ、いい。

 

 サングラスの奥で、ガトーの目が冷たくなる。爬虫類を思わせるような冷酷で他者を喰らい尽くすことに何の躊躇いもない目。

 

「予定通り、再不斬を殺せ」

 

 左手を擦りながらガトーは少し前の出来事を思い起こしていた。

 ナルトたちと戦った後、再不斬が臥せっている時、ガトーは彼の様子を見に行ったことがあった。その時、自分の話に返事をしない再不斬に手を伸ばした所、控えていた少年が自分の左腕を折れるかと思うほどの力で握ったのだ。

 年端もいかない少年が波の国の実質的な王である自分に逆らう所か、痛みを感じさせたのだ。許せるか? いや、許すことなどできない。

 

「あと、白とか言ったか? 奴はただでは殺すな。悲鳴を上げさせ、嗚咽を漏らさせ、この世に産まれたことを後悔させてやるように痛めつけろ。豚の様に、虫けらの様に、生きながらにして……殺せ」

「ハッ!」

 

 ガトーの隣に控える黒服は自分の背に冷たいものが流れるのを感じた。あまりにも恐ろしい主人。その機嫌を損ねてしまっては、自分がその白とかいう者の前に、白にされる拷問を受けさせられる実験体として扱われる可能性も十分ある。

 

 迅速に動かなければならない。

 白を主人の気が済むように痛めつけなければならない。そして、その白を痛めつける前に立ちはだかるのは“鬼人”と謳われた桃地再不斬。前門の虎後門の狼ならぬ、前門の鬼後門の悪魔。

 黒服は悪魔に魂を売り自分の身を守るべく、自分の部下へとトランシーバーで指示を飛ばした。

『木ノ葉の忍と再不斬の戦闘後、どちらも抹殺しろ』と。

 

 +++

 

「む? 寝過ごしてしまったか」

 

 タズナたちが家から出て行った後すぐにナルトは目を覚ました。

 

「急がねばな」

 

 呟くと同時に、ナルトは事前に予備動作が必要ない機械のような身のこなしで布団から起き上がった。そのまま、立ち上がる彼は手早く布団を畳み、部屋の隅へと持っていく。その際に、足に被せられていた布団があったが、特に気に留めることもなくナルトは全ての片づけを終えたのだった。

 

 次いで、ナルトは自分の鞄に近づく。

 鞄の中からいつもと同じオレンジ色の服を取り出したナルトはまず、ズボンの裾へと無理矢理足を通す。ミチミチと繊維が悲鳴を上げているもののナルトはそれを気に留めることなく、黒いTシャツを取り出した。12歳用とアパレル店のポップに書いてあったTシャツだ。確かにナルトは12歳、今年で13歳になるのではあるが、メーカーが想定していた12歳のものとは非常に大きな隔たりがあった。

 改めて、ナルトの体格を確認するが、彼の身長は196cm。ナルトは成人男性の身長を優に超える。そのナルトが子ども用のTシャツを身に着けると、パンパンに伸びた生地がナルトの体にピッタリと張り付き、筋肉の質感を再現する結果となる。その代わり、腹回りは全て出てしまうという真夏の女性の、余程自身の体に自信がないとできないことではあるが、ファッションになってしまう。

 

 しかし、ナルトはこの服装を気に入っていた。周りの人が視線を思わず逸らしてしまうような服装。もちろん、ナルトの姿を初めて見たツナミも視線を逸らしたが、今となっては慣れたものだ。

 

「あれ? ナルトくん、もう起きたの?」

 

 階段を降りてきたナルトへとツナミが声を掛ける。

 

「済まない、ツナミ殿。この時間まで起きることができなかった。皆は先に橋へと向かったようだな」

「そうだけど、先生が今日はゆっくり休めって言ってたわよ」

「それには及ばぬ。己の体調はすこぶる良い」

 

 力瘤を作り、白い綺麗な歯を見せるナルト。ナルトの様子を見たツナミは息を吐き出す。

 

「体調が悪くなったら、すぐに帰ってくること。それを約束してくれるなら、行ってもいいわよ」

「承知した」

 

 そのまま扉を開けてタズナたちに追いつこうとしたナルトをツナミは止める。

 

「ナルトくん。朝食はキチンと食べなきゃダメよ」

「む。しかし……」

 

 護衛任務で来ているにも関わらず、自分の朝食を優先することはナルトには認められることではなかった。

 

「サスケくんが折角作ってくれたのに、食べないのはダメでしょう?」

「……しかし」

「もう、仕方ないなぁ。依頼人からの要請。ナルトくん、朝ごはんをしっかり食べなさい」

 

 朗らかに言うツナミに苦笑しながら、ナルトはやっと首を縦に振った。

 

「そこまで、言われては断る事などはできぬ。済まぬが、ツナミ殿。朝食を頂いてもいいか?」

「うむ、よろしい」

 

 ナルトに座るように促すツナミにナルトは一度、首を振る。

 

「荷物の中からプロテインを取ってくる」

 

 そう言って、ナルトは自分たちに割り当てられた部屋へとUターンしたのだった。

 

 +++

 

 所変わって、建設中の橋の上。そこへと辿り着いたタズナは信じられないというように己の目を丸くする。

 

「な……なんだァ、これは!?」

 

 タズナの声が響き渡った。

 彼の視界に写るのは、血を流し横たわる己の部下の姿。タズナは慌てて駆け寄る。

 

「どうした!? 一体、何があったんじゃ!?」

「ば……バケモノ」

 

 ──まーさかなァ……。

 

 タズナの部下の“バケモノ”というワードを耳にしたカカシの目が鋭くなる。

 バケモノ。それは、異形の者。隔絶した力を持つ者。まさかとは思いつつも、カカシは下手人の正体が誰なのかを確信していた。

 

 と、霧が彼らを包み込んだ。

 

「来るぞォ!」

 

 ──やっぱり生きてやがったな。早速、お出ましか。……再不斬。

 

「カカシ先生! これって、もしかして!」

「ああ、気を抜くなよ。再不斬は無音殺人術(サイレントキリング)のスペシャリスト。音を立てずに敵を暗殺するのが奴の手口だ」

 

 カカシがサクラに声を掛けた後すぐに、霧の中から声が響いた。

 

「久しぶりだな、カカシ。……あの筋肉ダルマはどうした?」

「修行の疲れで寝ているよ」

「そうか。それは良かった」

 

 優し気な再不斬の声。だが、それは一転して恐怖を突き付ける言葉の刃となる。

 

「……アイツの枕元にお前らの首を並べることができるからな」

 

 言葉だけではない。霧に反射する鈍い刀の色。

 霧に隠れて接近したのだろう。再不斬の姿がサスケの前に、いや、サスケの前だけではない。周り全てを取り囲むように何人もの再不斬が迫っていた。水分身の術だ。

 自分を取り囲む再不斬に物怖じすることなく、サスケは不敵に笑った。

 

「ナルトばかり見てんじゃねーよ」

「やれ、サスケ」

 

 カカシがサスケに指示を出した瞬間、彼らを取り囲む再不斬の体が弾け水となる。致命傷を負わされた水分身はその姿を保てずに水に還った。

 

「ホゥ……水分身を見切ったか。やるのは筋肉ダルマだけじゃないらしいな」

 

 霧の中から姿を現した再不斬は自分の水分身たちを一瞬で屠ったサスケを面白そうに見つめた。

 

強敵(ライバル)出現ってとこだな……白」

「そうみたいですね」

 

 再不斬の横に付き従うように現れたのは霧隠れの追い忍部隊の仮面を身に着けた白だ。

 彼を見たカカシは思わず溜息をつく。

 

「どうやら、オレの予想、的中しちゃったみたいね」

「あ!」

「あのお面ちゃん。どう見たって再不斬の仲間でしょ。一緒に並んじゃって」

「どの面下げて堂々と出て来ちゃってんのよ、アイツ」

 

 下品なジェスチャーを白へと向けるサクラの前にサスケが一歩足を踏み出した。

 

「アイツはオレがやる。下手な芝居しやがって。オレはああいうスカしたガキが一番嫌いだ」

「カッコいい、サスケくん♡」

 

 ──サスケにはツッコまないんだよなァ、サクラの奴。

 

 カカシは半眼でサクラを見つめる。

 今一、緊張感が感じられない戦場ではあるが、それはまだ、両者とも臨戦態勢に入っていないことを示す。

 

「大した少年ですね。いくら、水分身がオリジナルの1/10程度の力しかないにしても……あそこまでやるとは」

「だが、先手は打った。行け!」

「ハイ」

 

 サスケの感覚が警鐘を鳴らした。

 本能に従い、クナイを振るうと甲高い音が霧の中に響く。クナイと千本が奏でる音だ。

 眼前の者を改めて敵と認めたサスケの視線と、仮面の奥から覗く黒い瞳の視線が交錯する。

 

 今、戦闘が始まった。

 

 +++

 

 再び、タズナの家。ナルトが出て行った後、家にいるのはツナミとイナリだけ。

 イナリは自室で海を眺め、ツナミは昼食の準備をしていた。今日の献立のメインは鯵の南蛮漬け。仕込みは全て終わっており、後はタズナたちが帰ってくるのを調理で使った器具を洗いながら待つだけ。

 そんなどこにでもある家庭の一幕。それを文字通り壊しに来た刺客が腰の刀に手を掛ける。

 

 瞬間、タズナの家の壁が切り刻まれ、バラバラと音を立てた。

 

「!?」

 

 刺客は二人組の剣客。帽子を被ったゾウリと半裸のワラジ。どちらもガトーに与する者だ。

 そして、二人の剣の技術は優れていた。刹那の間に何度も居合で刀を振るう腕力、そして、木造とはいえ壁を切り刻むことができるほどに的確かつ正確な刃の入れ方。

 唯者ではない。

 

「アンタがタズナの娘か? 悪いが一緒に来てもらおう」

 

 振り返ったツナミへと帽子を被った男、ゾウリが有無を言わさぬ物言いでツナミへと話し掛けた。

 

「母ちゃん!」

 

 只ならぬことを感じ取ったのか、イナリが顔を覗かせる。

 

「何だ、ガキ!」

 

 半裸の男、ワラジの顔が厭らしく歪んだことに気が付いたツナミはワラジがしようとしていることを感じ取った。

 

 ──この男は殺す気だ。

 

「出て来ちゃダメ! 早く逃げなさい!」

「こいつも連れてくか?」

「人質は一人居ればいい」

「じゃあ……クク……殺すかァ?」

「!?」

「待ちなさい!」

「その子に手を出したら、舌を噛み切って死にます。……人質が欲しいんでしょう?」

 

 しばし睨み合うツナミとガトーの刺客たち。

 軍配が上がったのはツナミだった。敗北の中、捕まえた唯一の勝利。ゾウリは肩を竦めて、ツナミからイナリへと視線を移す。

 

「フッ……母ちゃんに感謝するんだな、ボウズ」

「あーあ。なんか斬りてーなァ」

「お前、いい加減にしろ。さっき試し切りしたばかりだろーが。っと、そんなことより連れてくぞ」

 

 母親が縛られ、連れて行かれる様子から目を離すことも、止めろと叫ぶこともできないイナリ。彼は涙を流すことしかできなかった。

 

 ──母ちゃん、ごめん、ごめんよ。ボクはガキで弱いから、母ちゃんは守れないよ。

 

 イナリは誰も聞くものはいないということが分かっていても、心の中で独白する。母が、祖父がガトーの手先にいい様にされるのを見ていることしかできない弱い自分に対する言い訳だった。

 それに死にたくないんだ。ボク、怖いんだ。

 彼は只々、体を震わす。

 

『逆境にあっても、己の信念を貫き通すは漢の道。その途中で命を落とそうが信念は譲らぬ。そして、その信念は己を活かす糧となる』

 

 思い出すのは木ノ葉の忍たちの姿。そして、母の、祖父の姿。

 

 ──みんな、すごいよなぁ……。

 

 ──カッコイイよなぁ……。

 

 ──みんな、強いよなぁ……。

 

 (ナルト)の後ろ姿。そして、父親(カイザ)の後ろ姿。

 

 ──ボクも……筋肉はないけどボクも強くなれるかなぁ……父ちゃん!

 

 イナリの震えが止まった。

 

 +++

 

 タズナの家は海の上に作られている。木を海中に沈め、それを組み合わせて家を作ることで玄関を出るとすぐに海へと飛び込むことができる構造だ。家から陸地まではこれまた木製の橋が架かっており、そこをツナミとガトーの手先たちは歩いていた。

 後ろ手に縛られ、ゾウリとワラジに連行されるツナミへと刺客たちは愉し気に声を掛ける。

 

「クク……アンタのそのキレーな肌見てると斬りたくなるねェ」

「ホラ、早く歩け」

「待てェ!」

 

 突如、響くはイナリの声。

 

「あん?」

 

 三白眼を大きく開き、イナリを見るのはワラジだ。一廉の大人でも、思わず後退ってしまうほどの迫力をワラジは有していた。

 

「イナリ!」

「何だ。さっきのガキじゃねーか」

 

 そんなワラジに加えて、ゾウリまでもが自分を拘束している状況。イナリが彼らに挑めば、その結果は目に見えている。だからこそ、ツナミはイナリに叫んだのだ。

 だが、イナリは逃げない。

 

「かっ……母ちゃんから離れろー!」

 

 イナリは拳を握り締め、勇気を絞り出した。

 

「うおおおおお!」

 

 鼓舞するは己。貫くは信念。母を守るという決意だ。

 

「ったく。しょーがねーガキだな」

「斬るぞ」

「ヤリィ!」

「イナリ!」

 

 刀を鞘に収めたチンという音がした。目にも止まらぬ速さの剣戟。居合だ。

 

 ──傷一つ付いてないとは……。

 

 後ろを振り返ったワラジとゾウリはバックステップで彼から距離を取る。

 ゾウリもワラジも報告で聞いていた。あの“鬼人”と恐れられた桃地再不斬を一拳の元に屠った木ノ葉の忍。油断はできないとゾウリは威風堂々と立つ、その人物(マッスル)を見つめた。

 

「遅くなって済まない」

「な、ナルトの兄ちゃん」

「ナルトくん……どうして?」

 

 もう大丈夫だというように笑うはうずまきナルト。タズナの方へと向かったナルトの姿がそこにあった。

 ツナミの問いにナルトは迷いなく答える。

 

「イナリとの約束を果たすため」

 

 イナリの目が大きく開かれる。

 

『約束だ。貴殿らを守ってみせよう』

 

 確かにナルトはそう言った。綺麗ごとだと思っていた。戯言だと思っていた。しかし、ナルトは約束を守ったのだ。どんなに危険な敵でも恐れることなく、自分たちを守るために敵の前に立ったのだ。

 そのことがどれだけイナリの心を打ったか。彼の頬を流れる涙を見れば、それは自ずと解ることだ。

 

「何だ。誰かと思ったら、タズナが雇ったダメ忍者か」

「ワラジ、気を引き締めろ。オレたちの居合で斬れなかった奴だぞ」

「ハッ……なら、斬れるまで斬るだけのことだろーがよ」

 

 状況はそう変わっていない。確かに、二人の凶刃からイナリを救い出したナルトではあるが、敵は消耗もなくいつでも次の攻撃に移れる体勢だ。

 そのことに気が付いたイナリは喉を鳴らす。だが、常人では恐怖を感じるような状況に晒されてもナルトは眉一つ動かすことはない。

 

「動くな」

「あん?」

 

 ナルトが今にも飛び掛かってきそうなワラジへと声を掛けた瞬間、ワラジが着けていた眼帯がハラリと地面に落ちた。

 

 ──どういう……ことだ?

 

 ナルトが飛び道具を使っていないことは、しっかりと観察していたワラジは分かっている。ならば、罠かと下を見ると木製の橋へと突き刺さっていたのは銀色の刃。抜き身の刃だ。

 そして、それは自分が持っていた相棒と呼ぶべき刀に酷似していた。尤も、持ち手はない刃なのだが。

 ワラジは恐る恐る刀を鞘から抜く。

 

「……嘘だろ」

 

 呟くワラジの視線の先には何もなかった。あるはずの自分の刀の刃の部分が綺麗さっぱり無くなっていたのだ。

 ゾウリもワラジと同様に信じらないという表情を見せる。彼の右手にあるのはワラジと共に戦場を駆け抜けた己の半身。ただし、敵を殺すために在った機能は根本から綺麗さっぱり無くなっている。

 

「貴殿らの刀は己の手刀で叩き折った」

「ふざけんな!」

 

 それは心からの叫び。なぜ、鋼で出来た刀が骨と血と肉で出来た手刀に叩き折られなくてはならないのか。常識に照らし合わせると、まずあり得ない事態。認められる訳がなかった。

 次いで、彼らの胸に去来するは怒りと悲しみ。自らの誇りと言ってもいいほどの刀が折られたのだ。折った者を許せる訳もなく、ワラジとゾウリは感情に身を任せ、目の前の怨敵の命を奪おうと走り出した。

 

「貴殿らにも大切なものがあるように、己も大切なものがある。……忍道だ。己が信念を貫く。それが己の忍道だ」

 

 自らに向かって来る二人の怒りが大切にしていた刀を折られたものだと感じ取ったナルトは二人に向かって静かに忍道を説く。

 だが、彼らはそれどころではない。

 

「痛い痛い痛い!」

「離せ離して離してください!」

 

 ワラジとゾウリは外聞も恥もかなぐり捨てて両手でナルトの手を掴む。だが、自分たちを襲う痛みは変わることはない。ナルトの手は彼らの頭から動かない。

 掌全体で自分の頭が掴まれている。脳天締め、アイアンクローと呼ばれるこの技は雲隠れの里の里長、雷影が得意とするとゾウリは聞いたことがあった。そして、その時、自分は『アイアンクローをされたら、そいつの腕を斬り落としてやるよ』と冗談交じりに言ったのだ。

 だが、現実は雷影ではなく木ノ葉の下忍に、そして、刀を折られた状態で頭を締められている。尤も、刀が万全の状態でも、頭を掴まれた瞬間の恐怖と痛みで刀を取り落としていただろうが。

 彼らにはもう為す術はなかった。

 

 忍道とは何かということを懇々と説くナルトの耳には彼らの悲痛な叫びは届かない。やがて、彼らは抵抗する力も失い、ダラリと全身から力を抜くのだった。

 

「兄ちゃん」

 

 沈黙したゾウリとワラジを下に置いたナルトへとイナリは声を掛ける。

 

「どうして、この人たちがここに来るって分かったの?」

「森の中に刀で斬られた猪がいてな。それで、それをここへと運んでいたら、イナリがこ奴らへと向かう様子が見えて、駆け付けた訳だ。おそらく、こ奴らは再不斬と同じようなガトーの手先であろう?」

「うん。この人たちは……」

 

 イナリは父、カイザが処刑された光景を思い出す。命を下したのはガトーであったが、処刑を実行したのは今、自分の足元で気絶している二人だった。

 そして、イナリは昔の自分と今の自分を比べ、答えを得た。

 

「ナルト兄ちゃん。ボク分かったよ。漢の花道って立ち向かうことだったんだね」

「然り。漢の花道、それは勇気」

「勇気……」

「イナリよ。貴殿は勇気を示した。貴殿はもう雛ではない。立派に翼を広げたのだ。これからは貴殿が……」

 

 ナルトは広背筋をイナリへと見せる。

 

「……この国を背負え。勇気ある若人よ」

「……押忍ッ!」

 

 思わず出てきた涙を拭ったイナリは満面の笑みをナルトへと見せたのだ。

 

「さて、ここが襲われたということはタズナ殿の方にも刺客が向かっていそうだな。イナリ、ここは貴殿に任せてもいいか?」

「うん……無論!」

 

 イナリは袖で流れ続ける涙を拭いて、また笑った。

 

「今夜は祝勝会としよう。ツナミ殿、ここに来る途中でこの者たちに狩られた猪を見つけて近くに運んだ。牡丹鍋などは如何か?」

「うん、任せて。……ナルトくん。お父さんをお願い」

「無論!」

 

 地面に伏していたワラジとゾウリの襟首を掴んだナルトは猛烈な勢いで橋へと向かって駆けた。

 

「牡丹鍋……猪ってどうやって捌けばいいのかしら?」

 

 目の前で起きた出来事が自分で捌ける量を超えた時、人は現実から逃避する行動をするという。未だ何が起きたのか分かっていないツナミが現実に気づくのは、もう少し先だろう。

 

 +++

 

 霧に包まれた橋の上から甲高い音が何度も空気を叩く。

 霧は自然に作られたものではなく、“忍”がその超常の技を使って作り上げたもの。つまり、橋の上は忍がその力を存分に活かす場、戦場となっている。

 

 橋の上では青色と水色が両者とも目にも止まらぬ速さで攻防を交わしていた。

 

 ──ほう……あのスピードを見切るか。

 

 二人を見つめるのは“鬼人”再不斬。そして、“写輪眼”のカカシ。両者とも、唯の忍ではない。血を血で洗う戦場を生き抜いた強者だ。その弟子たる者が弱い訳がない。

 

 自分の弟子である青い服の少年、サスケならば水色の服の少年、白の攻撃から暫くの間は持つだろうと判断したカカシは再不斬から目を離すことなく、部下たちへと指示を下す。

 

「サスケ、そいつはお前に任せる。サクラは職人たちの応急手当を!」

「すまん、先生! アイツ等を頼む、助けてやってくれ!」

「もちろんです」

 

 そう言ったものの、カカシは動くことができない。以前、再不斬はナルトに不意を突かれ一敗地に塗れたとはいえ、その実力は折り紙付きだ。

 不用意に動けば、命はないということを理解していたカカシは見に徹するしか選択肢はない。特に、彼の背中には自らの身を守る術がないタズナがいる。彼を守ることは何においても優先しなければならないことだ。

 

 カカシと同様に、再不斬も動くことができない。再不斬の目的はあくまで、タズナの殺害。依頼主の望みを叶え報酬を受け取ることが、再不斬が第一に優先することだ。

 そして、彼が第二に優先すること。それはナルトの命。出来るならば、ナルトと戦うまでは体力を温存しておきたいと考えた再不斬は白を使って、なるべく戦いを長引かせることを選択した。

 

 ──気配を消していたオレに気が付いた筋肉ダルマだ。ここでの戦闘に勘付かない訳はない。

 

 だからこそ、カカシと再不斬両名は動かない。カカシは再不斬と、再不斬はカカシと戦うことは望んでいなかった。

 カカシと再不斬が見守る中、サスケと白の動きが止まる。手に持つクナイと千本を突き合わせた彼らは引くことをしない。右手の千本をサスケの方に押し込みながら白は口を開く。

 

「君を殺したくはないのですが……引き下がって貰えはしないのでしょうね」

「アホ言え」

 

 サスケの返答を予期していたのか、白は『やはり』と呟き、言葉を続けた。

 

「しかし、次、アナタはボクのスピードにはついて来れない。それに、ボクはすでに2つ先手を打っている」

「2つの先手?」

「一つ目は辺りに撒かれた水」

 

 先ほど、サスケの攻撃によって再不斬の水分身が破られた。その際に、形を保つことが出来なくなった再不斬の水分身の材料である水が彼らの足元に飛び散っている。

 

「そして、二つ目にボクは君の片手を塞いだ」

 

 キチキチとサスケのクナイと白の千本が音を立てた。

 

「従って、君はボクの攻撃をただ防ぐだけ」

 

 瞬間、サスケの顔が驚愕の色に染まる。

 

 ──なにィ! コイツ、片手で!?

 

 秘術 千殺水翔。

 通常、忍術は印を組んで発動される。その印の組み合わせは無限大。12の印をパスワードのように組み合わせ、更にその術に対応したチャクラを正しく練り込むことで忍術は発動する。

 しかしながら、忍術の発動には必ずと言ってもいいほどの共通点がある。それは、印を“両手”で組むこと。片手で印を組むことなど、サスケだけではなく、忍の世界の深い所で長年、活動を続けてきたカカシですら見たことも聞いたこともない。それを、いとも容易くやってのけた白への驚きによって、刹那の間ではあるがサスケは硬直してしまった。

 

 一瞬の隙。

 それが致命的だ。白の術は完成し、千本の形に固まった水がサスケの周りを一部の隙もなく取り囲んでいた。サスケの周りに浮かぶ、数えるのも嫌になるほどの水で作られた千本。それを見たサクラは声の限りに叫んだ。

 

「サスケくん!」

 

 だが、サクラの声が聞こえないほどにサスケは自分の内側に集中していた。思い出すのは、この一週間の間、何度も行ってきた“基礎的な”チャクラの運用。チャクラを練り上げ、足の裏に集める修行だ。

 それの応用。天性の感覚がサスケへと答えを囁く。

 

 と、細い水が一斉に動き出した。猛烈な勢いを持って、サスケへと迫る千もの水の刃。固めた水が一点に収束し、弾けた。

 

 ──消えた!?

 

 白がそう錯覚するのも無理はない。自身の術で体から血を流すハズのサスケの姿どころか、白の視線の先には何も、それこそ、布切れ一つこそなかったのだから。

 

「!」

 

 白は風を切る音に気が付いた。その方向は自身の上。

 音源が手裏剣だと把握した白は音の方向から手裏剣の到達地点を瞬時に計算、そして、自分にとって最適な行動をするように体に命令を下した。

 

 小刻みにバックステップを繰り返すことで、5枚の手裏剣を躱した白は視線を上へと向ける。しかし、そこにはサスケの姿はなかった。

 

「案外トロイんだな」

「!?」

 

 後ろから聞こえたサスケの声。今度は仮面に隠された白の顔が驚愕の色に染まる番だった。

 

「これから、お前はオレの攻撃をただ防ぐだけだ」

 

 右手の鈍い煌めき。クナイだ。それが自分の体に刺さらないように白はサスケの右腕へと自分の左腕を当てて、サスケの斬撃を防ぐ。

 

「!」

 

 しかし、その程度はサスケの予想の範疇だった。サスケは薄く笑い、白に防がれたクナイの斬撃を投擲にシフトする。

 とはいえ、敵もさるもの。サスケの右手から放たれたクナイを避けるために白は身を伏せる。

 だが、それもサスケの予想の範疇だった。

 

 目の前に迫るサスケの左脚。手玉に取られていたのは白だったのだ。気づいた時にはもう遅い。

 

「ぐっ!」

 

 サスケの左足が白の顔を捉え、彼を再不斬の足元まで蹴り飛ばす。

 

「どうやら、スピードはオレの方が上みたいだな」

 

 勝利宣言にも似たサスケの物言い。

 

「ククク……」

 

 それに返ってきた反応は蹴り飛ばした白からのものではなく、再不斬の含み笑いだった。

 

「何がおかしい?」

 

 サスケの疑問に答えることなく、再不斬は身を起こした白へと話し掛ける。

 

「白……分かるか? このままじゃ、返り討ちだぞ」

「ええ、残念です」

 

 地面へと膝をつけた白の姿を見たサスケは寒さを感じた。白の殺気に体が反応した訳ではない。

 

 ──これは、冷気?

 

 白は印を組みながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 そこからは一瞬の出来事だ。

 サスケを閉じ込めるように氷の板が突如、出現した。

 

 秘術 魔鏡氷晶。

 白しか映さない氷で出来た鏡による必殺の忍術。過去、白のこの術から逃れた者はいない。

 

 そして、そのことを情報として知らずとも、これまでの経験からカカシはサスケを取り囲んでいる氷の鏡が危険な、あまりに危険なものと判断した。

 

「サクラ! ここを頼んだ!」

「おっと……」

 

 思わず、足を踏み出そうとしたカカシの前に再不斬が出る。

 

「あのガキは白とやらせるんじゃなかったか?」

 

『ここを動けば、ジジイを殺す』

 再不斬の目がそう告げていた。今のカカシに出来ることは再不斬と睨み合うこと、ただそれだけだ。

 

 ──サスケ。

 

 無事でいることを祈る事しかできないカカシ。

 カカシが動かないことを確信した白は氷の鏡へと足を踏み出す。すると、吸い込まれるように氷の鏡へと白はその身を沈めていく。そして、全ての鏡に白の鏡像が映し出された。

 サスケを囲む何枚もの氷の鏡全てに映る白の姿。本能が最大音量で警告音を鳴らすが、サスケに打つ術はなかった。

 

「じゃあ、そろそろ行きますよ。ボクの本当のスピードをお見せしましょう」

 

 肩口が斬られた。

 そのことに気が付いたサスケだったが、次の瞬間、全身を隈なく引っかかれた痛みが一斉に彼の脳を襲う。

 

「ぐぁあああ!」

 

 サスケの声を聞いたサクラの顔が強張った。

 霧と、そして、氷の鏡のよって遮られた空間でサスケが白に何をされているのか分からない。だが、その声から彼が傷ついたことは容易に理解できる。

 

「タズナさん、ごめん。少しだけ、ここを離れるね」

「ああ、行ってこい」

 

 サスケを助けるためにサクラは白が作り出した氷の鏡へと向かって、全力でクナイを投擲した。助走で威力を高め、更に、チャクラコントロールで身体能力を底上げしたクナイの投擲だ。

 だが、それは易々と白の手に掴まれた。

 

「無駄ですよ」

 

 クナイを止めた白はクナイをサクラへと返そうと刃先を彼女へと向ける。しかし、それは実行されることはなかった。

 

 突如響くは、ドドドドドという忍の戦いにおいて似つかわしくない騒音。それは遠くの方から段々と橋へと近づいて来ているようだ。

 白はクナイを投げるのを止めて、音が聞こえてきた方へと首を向ける。

 

 土煙を上げながら、橋へと一直線に迫る橙色。濃い霧の中でも、何故か妙にその色はハッキリと見えた。そして、その両手が掴んでいる者が上下に激しく揺られていることも見ることができた。だが、土煙の線が走る場所は橋の入口から遠く離れた場所。

 橋の上に来るまでには一度、迂回しなければならない。

 

 彼が橋の上に到着するまでには時間が掛かる。以前の彼の動きから算出した速さでも、橋の入り口に到着するために2分は必要だ。例え、チャクラコントロールを身に着け、水の上を歩くことができるようになったとしていても、最短で20秒は掛かる距離。

 そう白は考えた。

 

 ──彼が来る前に全てを終わらせなくてはならない。再不斬さんの為に。

 

 仮面の奥で白は忍としての顔を作る。無情に、無意味に、無敵に成り切るための忍者としての自分を表に出したのだ。

 だが、白は気づくことはない。白は見誤っていたのだ。彼の大腿四頭筋を。

 

 瞬間、空気が爆ぜた。

 

 それはあまりにも巨大で強大であった。白い霧の中から、突如現れた漆黒の影が白の仮面を黒へと染めるかのように光を遮る。

 

 彼は白の手にあるクナイを認めたのだろう。クナイが向けられている先には彼の仲間がいる。

 彼の優先順位の第二は“仲間”だ。班員であるサクラへと凶器が向けられている状況は看過できなかった。で、あるから、彼はタズナの家から一直線に橋へと向って林を抜け、霧に包まれた橋を確認したと同時に膝を曲げた。彼の前を防ぐようにあるのは海だけ。目の前には障害物はない。

 

 ──ならば……征こう!

 

 力を太腿へと溜めた彼はV字の端から端へと移動するように、橋まで200mはあろうかという距離を飛び越えた。

 そして、一足飛びに近づいた白へと仮面越しに頭突きを食らわしたのだ。

 

 橋の上へと転がる白、そして、思わず、後ろを振り返る再不斬。そこにいたのは、霧で大部分が見えない大男の姿。彼の手から離れた何かがボトと地面に落ちる音が二つ響いた。

 次いで、ボンと音がし、霧に加えて煙が大男の姿を更に隠す。

 

 誰のものだろうか?

 ゴクリと喉が鳴る音が妙に大きく橋の上に木霊した。

 

「子が泣く、母が泣く、人が泣く。尊厳を踏み躙る悪は跋扈し、血は流される」

 

 煙玉により悪くなった視界の中、聞く者を皆、震わす声が朗々と響く。

 

「されど、悪は必ず打ち滅ぼされん。邪悪を倒す英雄譚はここから語り継がれよう」

 

 その声は心を震わせる。正義の者の心を鼓舞し、悪の者の心を威圧する。

 

「その名を、その姿をその目に焼き付けろ! さあ、己の名を高らかに謳い上げよ!」

 

 風が彼の頬を撫でる。

 

「うずまきナルト……只今、見参!」

 

 煙が渦巻く中心に姿を現したのは英雄。悪をその拳で打ち払う英雄だ。

 昂然たる英雄の姿。白はナルトの姿を見た瞬間、悟ってしまった。

 

 ──ボクはこの人に勝てない。

 

 だからこそ、彼が選んだ答えはあまりにも残酷なものだった。

 

「ナルトくん」

「む? 貴殿は……」

 

 仮面が割れるのも気にせず、白はナルトへと昏い瞳を向けた。

 

「ボクを……殺してください」

 

 白が下した結論は自ら投降するのではなく、処刑を望むもの。

 

「それは出来ぬ相談だ」

 

 白は寂しそうに笑って、ナルトへと首を振る。

 

「再不斬さんにとって弱い忍は必要ない。君はボクの存在理由を奪ってしまった」

「強くあることだけが……貴殿がこの世に生きていていいという理由なのか?」

「ええ。アナタと森で会った日、アナタとボクは似ていると、そう思いました。アナタにも分かるハズです。再不斬さんに必要のないボクは生きることはできない」

「そのようなことは断じてない!」

 

 ナルトは叫ぶ。

 

「自分の命を任せられるほどの存在。それは強さだけではない信頼で結ばれた絆。そうだろう? ……再不斬!」

 

 腕に力を籠めたナルトの左腕が、彼を切り裂こうと最上段に上げられ振り下ろされた再不斬の刃を止めた。再不斬の刃を押し戻しながら、ナルトは立ち竦む少年へと目を向ける。

 

「……まだ貴殿の口から名前を聞いていなかったな。貴殿の名はなんと言う?」

「ボク……ですか?」

「無論」

「白……です」

「白よ、己が保証しよう。再不斬は確かに貴殿を愛していると!」

「……黙れ、小僧」

「黙らぬ! 貴殿も貴殿だ! なぜ、白へ言葉を掛けぬのだ? なぜ、斯様に力を持ちながら、その力を正しく使わぬのだ?」

「テメェに何が分かるッ!?」

「分からぬッ! 己は貴殿らのことを何も知らぬ! だが、一つだけ分かることがある。貴殿らの行為は人々を傷つける……“悪”だ!」

 

 ナルトの筋肉は再不斬の刃を大きく弾いた。再不斬とナルトの距離が広がる。

 

 対峙する二人。鬼と、阿修羅。

 

 ナルトはゆっくりと再不斬へ拳を向けた。

 

「……己は悪に与する者への対話の方法は一つしか知らぬ」

「何?」

「拳で語り合うことのみ。再不斬よ、覚悟はいいか?」

「……フン」

 

 離れた所で鼻を鳴らす再不斬を見たナルトは静かに上着を脱ぎ、地面に落とす。

 

「ハッ!」

 

 ナルトが自らの大胸筋に力を入れた瞬間、着ていた黒いTシャツが弾け飛んだ。

 臨戦態勢を整えた両者は視線を交錯させる。

 

「来いよ、クソガキ。身の程を分からせてやる」

「己はクソガキなどというものではない。木ノ葉流“忍者”うずまきナルト……」

 

 ナルトは大きく息を吸い込む。

 

「……推して参る!」

 

 覇気が霧を吹き飛ばした。



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血潮

 気が高まる。殺気、闘気、勇気。

 互いに一歩たりとて引くつもりはない。そこから導き出される答えはただ一つ。

 

 闘争だ。

 

「ウラァ!」

「フン!」

 

 再不斬の斬撃をナルトは鍛え上げた腕橈骨筋と上腕三頭筋で防ぐ。右からナルトの体を薙ごうとする再不斬の首切り包丁だったが、まるで、磁石と磁石が反発したように刃は筋肉によって弾き飛ばされた。

 それを確認した再不斬は白の推測が正しかったことを確信する。

 

 ナルトの異常な防御。それに対する白の推測は二つ。

 ナルトは適切な箇所の筋肉に力を入れることで攻撃に耐え、更に無意識の内、条件反射に近い状態で放出したチャクラによって敵の攻撃を反発させるというもの。筋肉に力を入れることとチャクラの放出の二つを組み合わせて防御しているのではないかというのが白の推測だ。

 

 俄かには信じられない。ナルトの防御方法は、少しでも攻撃箇所と違う場所でチャクラを放出したら、敵の攻撃を何の対策も打てないままに食らうという重大な欠陥がある。ところが、どこに攻撃されるか分からない実戦では使えない代物だというのにも関わらず、ナルトはそれを使いこなしている。

 恐るべきは、戦闘経験が少ないと目される下忍にも関わらず、攻撃をされる箇所の正確な推測能力。いや、どちらかと言えば、獣じみた第六感だろう。

 

 だが、戦闘に特化した獣は時として脆い。

 

 ──つくづく、いい拾い物をしたな。

 

 獣を檻へと追い込むかの如く、再不斬は動く。

 白はその推測を再不斬に伝えた時に、ナルトの絶対防御とも言うべき鋼の筋肉を打ち破る方法をも伝えていた。白の推察通りに再不斬は体を動かしたのだ。

 

「む!?」

 

 ナルトに首切り包丁が弾かれた勢いを利用し、再不斬はナルトに足払いを仕掛けた。とはいえ、ナルトもさる者。足を横に動かされた程度で再不斬の足払いを止める。だが、それは再不斬が狙っていたことだ。

 

「オラァ!」

 

 ナルトに止められた足を支点として、再不斬は横に一回転する。その勢いのまま、再不斬はナルトへと首切り包丁を再度、薙いだ。

 今度は逆の方向から襲う再不斬の首切り包丁。ナルトは先ほどとは違い、再不斬の凶刃を防ぐべく右腕に力を籠めた。

 

「むッ!?」

 

 だが、今回は弾くことはできず、首切り包丁がナルトの肉に食い込む。ナルトに弾かれたこと時の勢いを活かし、更に体を回転させることによる遠心力で威力を上げた刃はナルトの防御をも貫いた。しかし、斬れたのは皮一枚。その程度で満足する再不斬ではなかった。

 

「ラァアアア!」

 

 足に集めたチャクラで橋の上に吸着して体を固定する。安定した再不斬の体は、チャクラで上げた膂力で以って首切り包丁を振り上げることで、100kgを超えるナルトの体を吹き飛ばすことに成功した。本来ならば、対象の身体を真っ二つに斬るほどの斬撃だが、それを皮一枚で留めたのは流石、ナルトの筋肉と言うべきか。

 吹き飛ばされたナルトは端の柵をも飛び越え、橋から下へと姿を消す。下からドボンというナルトが海へと落ちた音を聞いた再不斬の顔が愉悦で歪んだ。

 

 再不斬は白の言葉を思い起こす。

 

『あの人はチャクラコントロールができません』

 

 ある朝、体の痺れを和らげるための薬草を採ってきた白はそう語った。詳しく話を聞くと、チャクラコントロールの初歩の修行である木登りをしていたということだ。

 その上、木登りの修行をしていたというのが昨日の朝の話だ。それから、応用の水の上へ立つためのチャクラコントロールを習得しているとは考えられない。

 

 そして、水の上に立つことすらできないナルトとは違い、水は再不斬の武器となり得る。水遁使いの再不斬にとって、ここは最高のフィールドだ。負ける要素などはないと確信した再不斬は橋の上から海へと降りようとした。

 

「ッ!?」

 

 が、突如感じた殺気に再不斬は身を翻す。肘の辺りが浅く手裏剣で傷つけられたことに気が付いた再不斬は血走った目で邪魔をした下手人に睨みつける。

 

「行かせない」

「カカシィ……」

 

 自分の腕を流れる一条の血を気に掛けることもなく、再不斬は追撃のために背負い直した首切り包丁の柄を再び握る。

 カカシへと足を踏み出そうとした再不斬だったが、それが実行に移されることはなかった。

 再不斬の前へと二つの影が躍り出る。

 

「悪いが、アンタは通させない」

「大人しく斬られろ」

「お前たちは……」

 

 口を開いたのは再不斬ではなくカカシだ。

 カカシと再不斬の間に割って入ったのはゾウリとワラジの二人。

 

 ──コイツ等は確か、ナルトが持ってきた二人組。

 

 いつの間に意識を取り戻したのだろうか。再不斬に注目をしていて、気絶した取るに足らない二人が自分の前に立ち塞がるとは全く予想していなかったカカシの誤算が彼の足を引っ張る。

 

「先生! そいつらはガトーの手下じゃ!」

 

 タズナの声に反応したカカシは目を細める。厄介なことになったと言いたげな視線を向けるカカシを無視して、ゾウリは再不斬へと顔を向ける。

 

「行け。アンタの敵はアレだろ」

「……フン」

 

 瞬身の術で姿を消す再不斬を見送ったゾウリは再びカカシへと顔を向け、懐から巻物を取り出す。

 

「そこのジジイの言う通り、オレたちはガトーと手を組んでいる。再不斬と目的は同じだ。写輪眼のカカシ、アンタはオレたちが止める」

 

 ゾウリとワラジの二人組とカカシは橋の上で睨み合う。

 そして、橋の下でも睨み合う者たちがいた。ナルトと再不斬だ。然れども、その位置関係は一目見てナルトが不利だと解るもの。水の上に立つ再不斬と全身を水の中に沈めたナルトだ。

 自分が有利な状況に戦況を変えた再不斬は立ち泳ぎを続けるナルトへと声を掛ける。

 

「全身に力を入れる時、テメェは体の動きを止める必要がある。そして、水の中で体に力を入れたまま動かないと沈む。つまり、テメェの勝ち目はない」

 

 もし、水中で再不斬の斬撃を先ほどのように防ぐと、体に力を籠めたせいで水底へと沈む。そして、立ち泳ぎを続け沈まないようにすると、再不斬の首切り包丁で斬られる。再不斬は自身の勝利を確信していた。

 だが、まだ、彼はナルトのポテンシャルを見誤っていた。

 

「フン!」

 

 跳ねる水音、轟く打音。

 

 ……あれは、いつの事だっただろうか?

 再不斬は過去に思いを馳せる。忍者学校に入った後の頃だっただろう。まだ、小さな少年だった再不斬なのだが、彼の顔は控えめに言っても恐ろしいものだった。鋭い目つきに薄い眉。その人相のせいで、再不斬少年は友達が出来なかった。そのため、忍者学校の授業が終わった後は、専ら、図書室に籠っていた。

 

 今の彼の言動からはとても信じられないことであるが、再不斬は動物が好きだ。白など彼と近しい人物ですら、その事実は知る事はないが、事実は事実。優しい心を人相と言動でひた隠しにしているが、彼は動物が好きなのだ。

 

 図書室に入り浸っていた再不斬少年は一冊の本に目を止めたことがあった。題名は大人となってしまった再不斬は思い出せないが、その内容はしっかりと覚えている。その本の内容はトカゲの生態について詳しく書かれていたものだ。その中に書かれていた“バシリスク属”のトカゲ。その記述を読んだ再不斬少年は目を丸くした。

 

 “このトカゲは水の上を走ることができる”

 

 単純ながら、心動かされる一文に再不斬少年は目を輝かせたのであった。地を這うトカゲが水の上を歩く。純粋であった再不斬少年は、長い年月をかけ不可能を可能としたトカゲのポテンシャルに胸を打たれたのだ。

 

 では、なぜ、バシリスクが水の上を移動できるのか?

 それを知るためには水という物質について知らなければならない。

 水というのは存外、“固い”物質だ。日常生活の中で、水が固いと感じることはないだろう。だが、このような経験はないだろうか? 海や湖、川でもいい。水へ向かって、広げた掌を叩き付けると、固いものに打ち付けた時のように掌が痛くなったという経験が。

 

 元に戻ろうとする慣性力と水が持つ粘性。それが作用して、一定以上の力を瞬時に加えると水はそれこそ、コンクリートのように固くなる。そして、それは水面に叩き付ける面積が大きければ大きいほど固くなるのだ。

 

 水泳競技の一種、飛び込みで選手が着水の時に水と当たる面積を少なくする理由は、これに起因する。大の字で水面に叩き付けられると、痛い。大の男でも泣いてしまうほどに痛い。だからこそ、水面に当たる面積を可能な限り小さくして着水する。

 

「……」

 

 そう水は固くなる。ナルトの目にも止まらぬほどの速さの足踏みで彼の体を水の上に立たせる。ナルトの足の裏はそれほど大きな面積ではない。だが、それを速さで補う。速く水面に叩き付ける足の裏で、水はナルトの体重を支えることができるほどに固くなり、水の慣性力が失せる前に交互に足踏みすることで体を支えている。

 

 跳ねる水音、轟く打音。

 

「チャクラを使え!」

 

 思わず、再不斬は声の限りに叫んだ、叫ばざるを得なかった。忍者としてあまりにも泥臭いナルトの動きが許せなかったのか、それとも、少年時代の思い出を汚されたから、自分の怒りがどこから来ているのか再不斬は分からなかった。

 

「己はチャクラを使うことが苦手だ!」

 

 ──ああ、分かった。コイツ、バカだな。

 

 再不斬は手に持っていた首切り包丁を担ぎ、両手を自由にした。

 使えない道具(ジャンク)は叩き潰すに限る。

 額に血管を浮き上がらせた再不斬。彼の手が見えないほどの速度で印を組み上げていく。

 

「水遁 水龍弾の術!」

 

 再不斬の後ろで盛り上がった水は、天に向かって鎌首を擡げるように高く聳え立つ。ナルトの前に顕現した水の龍は咢を開き、彼を噛み砕かんと迫る。

 矮小な人の身で龍に立ち向かうのは蛮勇というもの。だが、ナルトは引かない。それどころか、海を蹴り、ナルトは宙に躍り出る。ナルトは右腕に力を籠める。

 

「ハアァアアア、ラァ!」

 

 迫る水の龍の鼻先に上から叩き付けるは拳。

 固ければ殴りつけることができる。単純な理論だ。形を保てなくなった水龍弾の水飛沫を浴びながら再不斬は首の骨を鳴らす。水を掛けられたせいか、頭が冷えた再不斬は冷静さを取り戻した瞳でナルトを見る。

 

 ──認めてやるよ。

 

 言葉にはしなかったが、この時、初めて再不斬はナルトの力を理解したのだった。

 

 +++

 

 ナルトと戦う再不斬の姿を呆けたように見つめる白。橋の上から見る二人の姿はとても大きく、そして、遠かった。

 

「おい。いつまで、そうしているつもりだ?」

 

 と、白へと横から声が掛けられる。

 

「君は……」

「まだ、名乗ってなかったな。……うちはサスケ」

 

 白へと声を掛けたのはサスケだ。

 

「オレは負けちゃいねェ。さっさとかかって来い」

「しかし、ボクは君と戦う理由がない」

「本音を出せ」

「……」

 

 サスケは顎をしゃくる。その方向は今し方、大きな水飛沫が上がった海の上。

 

「アイツ等の戦いを見て、本当にお前は何も感じないのか?」

「……」

「戦いたい。違うか?」

「……」

「もう一度、言う。さっさとかかって来い!」

「君は……愚かだ」

「御託はいい。さっきの鏡を作れ」

「どういうことですか?」

「邪魔が入ったからやり直す。それだけの話だ」

 

 白は微かに笑う。

 

「君は本当に愚かだ。でも、何故でしょうか。そんな君とは……戦ってみたくなりました。秘術 魔鏡氷晶!」

 

 再不斬とナルトの戦いを見ている内に、いつの間にか解いていたのだろう。白が作り出した鏡は割れて、地面に散らばっていた。

 鏡の欠片へとチャクラを流し込み、鏡を再び作り出す白に対してサスケはクナイを両手に持ち構える。先ほど、追い込まれていた時に感じていた焦燥はもうない。自らの周りを囲む氷の鏡に映る白へと、眼を開きながらサスケは口を開く。

 

「来い」

 

 氷の鏡が煌めく。それを見つめるは赤き瞳。二つ巴模様が浮かぶサスケの眼、(一族)に刻まれた力だ。

 

 ──アナタは……強い。

 

 言葉にはしなかったが、この時、初めて白はサスケの力を理解したのだった。

 

 +++

 

 カカシは焦っていた。

 ナルトは再不斬と、そして、サスケは白と戦っている。ナルトもサスケも勝てないことをカカシは知っていた。忍の世界では、敗北は死に繋がることが多い。自分が担当している若き才能を摘まれるということは認められない。

 だが、目の前にいる者たちはそう簡単に通してくれなさそうだ。

 

「お前たち、ただの用心棒じゃないな。……忍か?」

「ああ。霧隠れ中忍、ゾウリ」

「同じくワラジ」

 

 彼らが取り出した巻物から煙が上がる。口寄せの術の一種で、巻物に封じ込めた予備の刀をゾウリとワラジは、その手に持つ。

 

「オレたち一派としちゃあ、ガトーを見て置く方が、都合がいい」

「分かっているのか? それは、波の国の民を犠牲にするということだ」

「オレたちの意志は意味がない。上の者の指示通り動く。それが霧隠れの忍だ」

「木ノ葉とは違うな。多くの人を犠牲にするなんてことは……忍のやることじゃあないんだよ」

「甘い木ノ葉と一緒にするな。例え、クズだと呼ばれようがオレたちには使命がある。過去を忘れないために、生き続けるという使命が」

「……相容れないな」

 

 逡巡。

 カカシはゾウリの言うことを理解した。過去、何か大切なものを喪失したのだと。自分と同じ経験をしたのだと。

 だが、ゾウリたちがしていることは、この国の未来を奪う行為。それをカカシは認められなかった。だからこそ、彼は戦う。

 

「悪いが、一瞬で終わらせて貰う!」

 

 額当てへと手を掛けたカカシに反応した

 

「ワラジ! 作戦通りいくぞ!」

「ああ!」

 

 二人は横に並ぶ。

 

 ──目を閉じただと?

 

「恨むんなら、テメェの勇名を恨め」

「アンタが“写輪眼”のカカシだと知った時からアンタの対策はしっかりしている」

 

 ワラジとゾウリの得意そうな声が橋の上に響く。確かに、カカシが持つ写輪眼対策に目を閉じるということは正しい。視線を合わせただけで、意識を失わせる幻術を掛けることができる写輪眼相手には視線を合わせずに戦うのが大前提だ。

 だが、人の感覚器官で最もウェイトの重い目を閉じたらカカシの攻撃を感知することはできない。そう、通常ならば。

 

 カカシの視界には、目を閉じたワラジとゾウリの体の周りに色がついているのがしっかりと映っていた。

 通常、視覚化できないチャクラを色で見分ける写輪眼が見抜く、彼らの戦略は自分たちの周りにチャクラを張り、それに触れたものを感知するというもの。

 

 ──すまない。ナルト、サスケ。一瞬じゃ終わらなそうだ。

 

 言葉にはしなかったが、この時、初めてカカシはゾウリとワラジの力を理解したのだった。

 

 +++

 

「水遁 水牙弾」

 

 再不斬は忍術を発動させた。

 ナルトは腕を広げ、体を回転させる。水のドリルが足元の水面からナルトの体を六方向から襲うが、その全てを回転させたナルトの拳に打ち払われた。

 

 ──どこに?

 

 再不斬から目を離した一瞬で、再不斬の姿はナルトの前から消えていた。足を小刻みに動かして、その場に留まりながらナルトは周りを観察する。前はもちろん、左右、背後、どこにも再不斬の姿はない。

 と、ピクリとナルトの感覚が殺気を捉えた。

 

「上!」

 

 影がナルトの顔に差す。首切り包丁の切先を下、つまり、ナルトに向けて再不斬は上から彼を切り裂こうと落下してくる。首切り包丁を華麗に躱した後に右腕を天へと、つまり、再不斬へと向かって突き上げると、ナルトの拳に柔らかい感触が伝わった。

 

 ──違う。

 

 手応えがないことに気づいたナルトの顔に水がかかる。拳で打ち抜いた再不斬の体が液体に戻った結果、ナルトの体を濡らしたのだ。

 

 ──そこか。

 

 ナルトの勘が告げていた。再不斬は橋の上にいると。

 一度、水面から両足を離したナルトは、上げた足を今度は思いっ切り水面へと叩き付ける。伝わる衝撃で固まった水を足場としたナルトは一足飛びに橋の上まで跳び上がる。

 

 ナルトの考え通り、再不斬は橋の上でナルトを待っていた。橋の両端で向かい合う再不斬とナルトだったが、それは刹那の間だけ。再不斬は水分身でナルトを牽制していた内に全ての準備を終わらせていた。

 再不斬のチャクラが膨れ上がる。

 

「水遁 水神鬼刃」

 

 印を組み終わった再不斬は肩に首切り包丁を担ぐようにして構える。すると、橋の下の海が津波の如く盛り上がり、一斉に首切り包丁へと集まっていく。首切り包丁を核とした大量の水はチャクラにより形を設定され、長く、太く、強く、その姿を構築していく。

 

「嘘じゃろ……」

 

 タズナは、その強大な再不斬の武器に思わず声を溢した。

 再不斬が担ぐのは、自分たち橋職人が何日も、何ヵ月も、何年も掛けて作り上げてきた橋と同等の大きさの水の刃。全長100mの武器を担いだ再不斬はナルトに視線を注ぐ。

 

「逃げんじゃねェぞ……」

 

 口元に巻いた包帯の内で、再不斬の唇が歪む。

 

 ──橋ごと斬るつもりか!

 

 カカシの目が大きく開かれる。ナルトが避けたら橋が斬られる。積み上げてきたものが一瞬で壊されるとなれば、建設に携わる者たちの士気が落ちるのは必然。完成まで時間が掛かれば、その分、ガトーの毒牙にかかる者が増えてしまう。

 そして、それを防ぐことができるカカシの前に立ち塞がるは二人の霧隠れの忍。侍の技を身に着け、ナルトに倒された時とは違い、油断を捨てた彼らは一筋縄ではいかない。とはいえ、打ち破る以外には方法はない。

 間に合えと願いながら、カカシはゾウリとワラジに向かって駆けるのだった。

 

 カカシの前方、約20m。その位置で再不斬と向き合うナルトの表情は無だった。再不斬の術を見、そして、再不斬の発言を聞いてもナルトの顔は変わらない。

 

 希望を断たんとする絶望。水の大鉾を睨みつけたナルトは拳を握り、腰を低く落とす。

 

「己はこの国を背負っている。……逃げる気など毛頭ない!」

 

 ナルトは右手に力を籠める。全身に漲る力をただ一点、自身の右の拳に集中。歯を噛み締める。目を見開く。そして、ナルトは笑う。

 絶望に負けないように、心を昂らせ、血潮を熱く燃え上がらせ、彼は波の国の希望を背負い、拳を握り締める。

 

「終わりだ! うずまきナルトォ!」

 

 思わず、再不斬はナルトの名前を叫んでいた。それは、ナルトを“敵”と認め、自らの最高の術で葬り去るという決意。

 再不斬は橋ほどに巨大な水の刃をナルトに振り下ろした。

 

「ラァアアアァア!」

「オォオオオ!」

 

 力と力がぶつかり合った。

 

 結果を言おう。

 橋は守られた。ナルトの拳が水の刃を叩き折ることに成功したのだ。そして、チャクラで固められた水は橋の床に到達する前に液体に戻り、橋を濡らすに留まった。

 

 だが、ナルトの筋肉と言えども、限界がある。自らを追い込んだ過酷過ぎる修行、そして、再不斬と白がナルトのために練った戦略。ナルトの筋肉に蓄積された疲労がここになって彼を蝕む。彼らがナルトを倒すために分析し、立てた対策がナルトの強みを消す。

 いや、例え、疲労がなかったとしても、彼らが対策を打たなかったとしても、結果は変わらなかったかもしれない。それほどに、再不斬の忍としての実力とナルトの全てを懸けた実力は距離があった。

 

 橋の上から水が排水溝に流れていく。排水溝に流れる海水の色は常とは違う。

 水の次に、橋には血が流れていた。

 右拳、右腕から左胸、そして、左腰に到るまでの裂傷。肺にまで到達したのだろう。口からは大量に血が流れている。

 

「終わったな……白」

「はい」

 

 シャンと軽い音がして、氷の鏡が全て割れて天へと還るように消えていく。再不斬の近くへと近づいた白は彼らを油断なく見つめるカカシと対峙した。

 所々、体から青い雷光を散らしながら橋の上に倒れているゾウリとワラジの間を通り抜け、自分たちの方へ歩いて来るカカシを見ながら再不斬は白へと指示を下す。

 

「白、二人でやるぞ」

「分かりました」

 

 カカシは唇を噛み締める。

 

「ナルト……。サスケ……」

 

 血に染まるナルト。まだ、生きているが猶予は然程ないほどの重傷。

 地面に倒れるサスケ。体に千本がいくつも刺さっており、更に二本の千本が首を貫いている。サスケの心肺機能は完全に停止していた。動かないサスケの体を、体が動かせないナルトの目が捉えた。

 

「オオオォオ……」

 

 哭く声がする。

 

「クッ!?」

「!?」

 

 再不斬と白は幻視する。自分たちを巨大な手で叩き潰す三面六臂の狐の顔をした阿修羅像を。

 

 瞬きをし、死のイメージを飛ばす。

 だが、イメージが齎した影響までは飛ばない。

 

 ──手が震えている……?

 

 このオレが、鬼と呼ばれたこのオレが恐怖したというのか?

 

「許せぬ」

「ッ!?」

 

 再不斬が振り返る前に、阿修羅の如き声が彼の動きを止めた。

 怒りが立ち昇るかの如く、赤いチャクラが火山のように噴出する。

 

「再不斬さん、逃げてください! ボクが時間を稼ぎます!」

 

 白の声で動きを取り戻した再不斬は振り向き、倒したハズの怨敵の強大な姿を正面から見つめる。

 再不斬は何も言わず白の肩を掴み、その胸に抱き寄せた。

 

「こいつはオレの戦いだ。テメェは口を出すな」

「再不斬さん……」

 

 ──持てよ、オレの体。

 

「水遁 水神鬼刃!」

 

 再不斬は自らの最高の術で立ち上がったナルトを再び沈めるべく、体中のチャクラをかき集めて術を発動させる。

 が、再不斬の体も既に限界だった。膝から崩れ落ちそうになった再不斬の体を白い手が支えた。

 

「ボクはアナタの道具です」

「……勝手にしろ」

 

 ──今度こそ。

 

 断ち切る意志を水の刃に載せ、二人は断刀を振るう。

 ここで終わるハズがないと、自分たちの未来を信じて。

 



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リベレイト サブミッション

 ナルトの前に再度迫るは再不斬の最高の術。動かない体を気力で動かす再不斬を支えるは白。彼らの目的は一つ。目の前の脅威を排除すること。

 その対象である漢は自らに迫る凶刃を意に介さず、倒れ伏している友をただ見ていた。

 

 ///

 

 あれはいつの頃か。

 確か、己の腹筋が完全に割れた時のことだったと思う。あの時はまだ体も小さく、精々、他の子どもたちよりも頭一つ分大きかったぐらいだ。

 

 まだ足りない。

 里の者たちに認められるためにはまだ筋トレが足りないと朝から晩まで筋トレに明け暮れていた日々。その中で、自分と触れ合おうとする者は皆無だった。そもそも、自分を自分として認めてくれたのは、両手の指で足りる人数。その他の人間は恐怖と憎悪の感情が混ざった視線を向けてきていた。自分じゃない自分を見られて、憎まれているような感覚。

 

 筋トレこそが自分を成長させ、里の者に認められるための第一歩だと信じて腕立て伏せをしていたあの頃。疲れて動けない日があった。忍者学校の休日が祝日と重なり、三連休になった時、筋肉を虐め抜き、どこまで耐えられるか試したことがあった。その結果は、二日目で動けなくなったという情けないもの。体力も気力も尽きたあの時、夜空の星を地面に寝転がって見上げ、目を閉じたあの時、出会った。

 

「そんな所で寝ると風邪引くぞ、ウスラトンカチ」

 

 顔に乗せられたタオル。冷たく濡らされたタオルが火照った顔を冷やす感覚がして、タオルを少しずらした。その先にいたのは己が好敵手(ライバル)と定めた漢の姿。

 彼もまた修行の後だったのだろう。泥が所々、着いた服を着ていた。

 それを見て、嬉しくなったのだ。修行に打ち込む目標の姿と、動けない己を見て与えてくれた優しさ。

 

 うちはサスケとは共に歩んで、生きたかった。

 

 ///

 

 赤いチャクラが更に勢いを増して吹き荒れる。

 

 ナルトの顔付きが変わった。

 哀しみの表情から憤怒の表情へ。より強い感情を乗せ、ナルトは叫ぶ。

 

「ウォオオオオオオオウ!」

 

 チャクラを込め、固く握りしめた拳は大砲の如き威力を持った武器となる。それは、先とは違い再不斬と白の最高の術を真っ向から打ち破る結果となった。

 轟く声は音の圧となる。それは、先とは違い再不斬と白の動きを止める結果となった。

 

 空へと向かって上がる大量の水。それが雨粒のように落ちて白の体を濡らした。

 仁王も裸足で逃げ出すほどに今のナルトの気迫は鋭く肌を突き刺す。白は思わず体を震わせた。

 豪雨のように、上から降り注ぐ海水の中に居るナルトの体は微動だにしない。白が仔犬のように震えているのと対照的だ。

 

 ナルトは一歩を踏み出す。次いで、二歩、三歩と彼は歩みを止めることなく、再不斬と白に向かって来る。

 

 ──動け……動けよ!

 

 チャクラを使い切って動けないことは分かっている。しかし、再不斬は何度も自分の体に脳から命令を伝える。目線を足に向け、なんとか動かそうと集中するが、水に濡れた橋の上は力が抜けた再不斬の足を滑らせることしか許さない。

 再不斬は諦めたかのように上を見上げる。

 

 ──ここまでか。

 

 再不斬は拳を固めたナルトの姿を見て思う。それは、初めてナルトと戦闘をした時に思ったことと全く同じ。前回は白と打ち合わせていたお陰で五体満足でいれたが、今回は白の助けはない。再不斬は自分の野望が断たれたことを理解した。

 引き絞るナルトの右腕を見ながら、せめて、最期は逃げることなく自分の運命を受け入れようと再不斬は考える。恐怖で思わず閉じてしまいそうな目を開く再不斬の行為は彼のプライドから来るものだ。

 ところが、命を諦める再不斬を認めないというように再不斬の前に影が過る。

 

「!?」

 

 再不斬の前、ナルトの拳の前に躍り出たのは白だ。

 

「貴殿は……」

 

 ナルトは怒りの籠った目を白へと向けた。

 

「貴殿は何故、その男を庇う?」

「再不斬さんはボクの大切な人だからです」

 

 体を震わせながらも、白の言葉は震えていなかった。

 

「悪だと知りながら、貴殿は再不斬に与するというのか?」

「はい」

「貴殿は正義を……愛を理解している者だと、あの朝、思ったが間違いだったか」

「ボクの正義は……再不斬さんの道具であること、再不斬さんを守ることです」

 

 白はナルトに提案をする。

 

「再不斬さんは見逃してください」

 

 それは自分を生贄にナルトの怒りを鎮める行為と同義だった。

 

「それに、サスケくんを殺したのはボクです」

 

 ナルトの右腕が白を殴り飛ばした。

 

『白!』

 

 叫ぼうとした再不斬だったが、細い糸で意識を繋いでいる今の再不斬にとって、声を出すことは難しかった。

 

 だから、再不斬はナルトを睨みつけた。動くことが出来ない再不斬にとって、それは精一杯の反抗。運命への反抗だ。

 そして、ナルトも再不斬と同じように動かない。自分はどうするべきなのか、迷っているようだ。感情のままに白を殴り飛ばしたせいで、白の犠牲を受け入れる結果となってしまったナルトは再不斬に対して手を出すことができない。もし、再不斬に手を出してしまえば、それは身を捧げた白の犠牲に反する行為だ。それを無視し、怒りのままに再不斬を殴りつけることはナルトにはできなかった。

 

「おーおー、派手にやられてェ。がっかりだよ……」

 

 と、コツという杖をつく音がした。水を打ったように静かな橋の上で、その音は遠くまで届いた。

 

「……再不斬」

 

 たっぷり皮肉を混ぜた得意げな声が橋の上に響く。

 黒いスーツを着た小柄な人物、ガトーが橋に立っていた。そして、彼の後ろには数えるのも嫌になるほど多い荒くれ者たちの姿。

 

 ──クソが。

 

 再不斬はガトーの考えを理解しながらも、尋ねなければならないと感じた。それは、ナルトへ、そして、白へ対する礼儀。敵対していた者へ、そして、自分が巻き込んでしまった者への礼儀だ。

 なけなしの体力を振り絞って、更に振り絞って再不斬は口を開く。

 

「ガトー……どうしてお前がここに来る? それに、何だ? その部下どもは?」

「ククク、少々、作戦が変わってねェ。と、言うよりは初めからこうするつもりだったんだが……」

 

 下卑た笑いを浮かべたガトーは再不斬へと宣言した。

 

「再不斬。お前にはここで死んで貰うんだ」

「何だと?」

「お前に金を支払うつもりなんて毛頭ないからねェ」

 

『ククク』と小さく笑うガトーは再不斬へ彼の考えを余すところなく伝え始める。

 

「正規の忍を里から雇えば、やたらと金がかかる上、裏切れば面倒だ。そこで、だ。後々、処理し易いお前たちのような抜け忍を態々、雇ったのだ。他流忍者同士の討ち合いで弱った所を数で諸共攻め殺す。金のかからんいい手だろう?」

 

 再不斬はガトーの疑問に答えない。

 トランシーバー越しに無視をされ、鶏冠に来た経験があったガトーだったが、こうして、自分が上位だと理解させて、相手に何も返事をできなくさせることは嫌いではなかった。

 

「ま、一つだけ作戦ミスがあったと言えばお前だ、再不斬。霧隠れの鬼人が聞いて呆れるわ。無駄に筋肉をつけただけの奴にしてやられるとは。私から言わせりゃあ、なんだ……クク、ただのかわいい子鬼ちゃんってとこだなァ」

「今のお前ならすぐぶち殺せるぜェ!」

 

 ガトーに続き、ガトーの取り巻きが笑う。

 柵に体を預けながら、再不斬はフラフラとした足取りで立ち上がる。ガトーの無駄に長い説明で体力は雀の涙ほどではあるが回復したようだ。

 

「カカシ、済まないな。戦いはここまでだ。オレにタズナを狙う理由がなくなった以上、お前ら木ノ葉と戦う理由もなくなった訳だ」

「ああ、そうだな」

 

 カカシの発言を見過ごせなかったのか、ナルトは唇を噛み締める。

 

「カカシ先生」

「ナルト、駄々をこねるな。忍なら状況を把握しろ。オレたちの敵は再不斬たちじゃない」

「くっ……」

 

 ナルトの言いたいことが分かったカカシはナルトを止める。

 再不斬に対する怒り。その感情はカカシも十二分に理解できているが、状況が感情を優先させることを許さない。再不斬は敵ではなくなったとはいえ、彼らの前には数多くの荒くれ者たちがいるのだから。

 

 高い実力を持つ忍たちを前にしながらも、ガトーは余裕を崩さない。それは、圧倒的な自信から来るもの。自分の多数の部下たちが少数の忍を蹂躙するイメージから来る多大な自信だ。

 一人、輪の中から出たガトーはナルトに殴り飛ばされ、意識を飛ばした白の近くによる。

 

「私の腕を折れるまで握ってくれたねェ……」

 

 ガトーは倒れて動かない白の頭に足を乗せた。

 

「あの時は痛かったよ」

 

 気を失った白を橋へと押し付けるようにガトーは足で白の頭を踏み躙った。

 ナルトの目の炎が再び燃え上がる。ガトーへと体を向け、今にも飛び掛からんとしたナルトの二の腕を掴んだのはカカシだ。

 

「あの敵の数を見ろ。迂闊に動くな」

「だがッ!」

「小僧。カカシの言うことを聞け」

「彼奴がしているのは、戦うことができなくなっているものを貶める行為。許せる訳がない。……貴殿は何も思わぬのか? 白は貴殿の仲間だろう?」

「ガトーがオレを利用したように、オレも白を利用しただけのことだ。忍の世界には利用する人間と利用される人間のどちらかしかいない。オレにはアイツに向ける感情なんてモンは持ち合わせてないんだよ」

 

 再不斬の冷たい言い様にナルトの怒りが臨界点に到達した。普段、見せることのない怒りの表情でナルトは再不斬へと怒鳴る。

 

「心を曝け出せ! 白は貴殿を確かに愛していた! 貴殿も確かに白を愛しているだろう! ならば、何故、声の一つも掛けぬのだ!? 共に生きてきた相棒があのように傷つけられて、何故、怒らぬのだ!? あの者は貴殿のために命を捨てる覚悟だったというのに、貴殿は何も思わぬのか!? 本当に……本当に何も思わぬのか!?」

「小僧」

 

 再不斬の頬に清水が流れる。

 

「それ以上は……何も言うな」

「なれば、聞かせろ。貴殿はどうしたい?」

「分からねェよ」

「ならば、生きろ」

 

 我慢の限界だった。

 

「生きる内に見えてくるものがある。己はそうして生きてきた」

 

 ガトーの行いは見過ごせるものではない。波の国の、タズナの、イナリの、白の尊厳を踏み躙るガトーの支配を変えなくてはならない。

 ナルトの第一歩はとても大きかった。足を後ろに蹴り出し、その勢いのまま一気にガトーに近づいたナルトはガトーの足を掴み、白の顔から無理矢理、足を退かせる。

 

 ──動かない、だと?

 

 ナルトの手を振り払おうとしたガトーが、自分の足がピクリとも動かないことに気づき部下へと声を掛けようとした瞬間には、自分の足を掴んでいたナルトと自分の足元にいた白の姿がなかった。

 

「済まぬ、カカシ先生。己は未熟者故、忍に成れてはいないらしい」

「ま、お前らしいか。……お前がメインでいいか?」

 

 ガトーの目には映らないほどの速さで動いていたナルトは再び再不斬の前にいた。

 再不斬へと白を渡し、気持ちを汲んでくれたカカシへとナルトは力強く頷く。カカシは肩を竦めた後、額当てをずらし、その写輪眼をガトー一派へと向ける。それは戦いを始めるというカカシの合図。

 それを見たナルトは立ち上がる。

 

 雪が一片、白の頬に触れる。すぐに融ける雪。ゆっくりと白は目を開けた。初めに気づいたのは自分が暖かな再不斬の腕の中に居ること。次いで、気が付いたのは自分たちへと影が差していること。何故か、この影を白は冷たいとは感じなかった。

 白は目線を前にやる。

 

 彼らの前に立つのは大きな背中。

 

「渡すは引導。勝負を汚す者に抱くは衝動」

 

 厚い雲の隙間から一筋の光が彼を照らす。

 

「汚させはせぬと誓うは波と雪。海と空の間で己は立つ!」

 

 薄明光線、光芒、天使の梯子、光のパイプオルガン、様々な呼び名がある美しい光景だ。

 

「この国を、ここの者を蝕む悪鬼に立ち向かう己の心は意気軒昂! 昂る正義は砕かれぬ! 刀、槍、鉈、斧、大刀、刺股、薙刀、来るがよい。全てを打ち砕き進もう!」

 

 清澄な景色の中に浮かぶは漢の姿。

 

「魅せるは己の生き様! 忍の道から外れようが意志は曲げぬ! 血を流しても夢へと! 未来へと! 希望へと橋を架ける!」

 

 それは救世主の如き姿。

 

「陽に煌めく波の国を取り戻すため、己は戦う! 戦い続ける! 覚悟せよ!」

 

 ガトーは震えた。恥も外聞もなく、情けない声で後ろにいる用心棒たちへと助けを求める。

 

「お、お前ら! 何をしている! 殺せ、殺すのだ!」

 

 大きく、大きくナルトは息を吸った。

 

「うずまきナルトォオオオ! 推して参るッ!」

 

 恐怖に駆られたガトーの手下の一人が奇声を上げた。ナルトの覇気に中てられたのか、混乱に陥った手下の一人は刀を振り上げる。が、その刀、いや、刀だけではない。彼の体ごと宙に浮き、高々と上がった後に重力に従い橋の上へと落ちてきた。

 上に飛ばされ落ちてきた男の隣に立っていた男は一連の出来事をスローモーションで見ているかのように感じていた。と、男は自分の視界のほとんどを覆い隠している肌色の存在にやっと気が付いた。おそらく、気が付いていても気が付かなかった振りをしてしまっていたのだろう。その恐怖から逃げるために。そして、その恐怖を感じさせる物体がゆっくり、それはゆっくりと自分の顔に向かって近づいて来る。

 

 そういえば、と男は思い出す。

 死に瀕する時、何故か周りの出来事がスローモーションに感じると男は聞いたことがあった。

 

 ──オレ、死んでまうん?

 

 あまりの恐怖におかしくなりそうな精神状態のまま男はゆっくりと自分の顔面へと減り込むナルトの拳の感触をしっかりと味わいながら意識を手放したのだ。

 

 二人の男を一瞬で戦闘不能に陥れたナルトはガトーの一団に視線をやる。

 その瞬間、止まっていた時間が動き出したかのように、ガトーの後ろに控えていた者たちが騒ぎ出す。

 

「ガトーさん! 勝てません! 逃げましょう!」

「もうだめだぁ……おしまいだぁ」

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

「冗談じゃねぇ! こんな所にいられるか! オレは帰る!」

「ふざけるな、バカ野郎! バカ野郎! バカ野郎!」

「うわーん! ママー!」

「オ、オレを見逃してくれたら十万両やる! だから、見逃してくれ!」

「もし私の仲間になれば、世界の半分をお前にやろうぼふッ!」

「オ、オラァ、国に残してきた家族がふッ!」

「ぶっちゃけあり得なーいたいッ!」

「ひでぶッ!」

「せめて、何か言わせてあげろよふッ!」

 

 橋に叩き付けられビクンビクンと痙攣している男たちの姿は競りに出された魚のよう。男たちを魚と例えると、彼らをそんな目に合わせているナルトは漁師だろうか。狩る者と駆られる者の絶対的な立場の差がそこにはあった。

 

 しかし、雑魚と言えども矜持はある。ナルトに一矢報いてやろうと、彼の背後から鉈を振り下ろそうとする者がいた。

 

「オレの仲間はもう……絶対、殺させやしない」

 

 いつの間に近づいていたのだろう。カカシが鉈を持つ男を横から蹴り飛ばした。橋の柵まで蹴り飛ばされた男は、その勢いのまま柵へと頭をぶつけて白目を向いた後、動きを止めた。

 

 ガトーの部下、つまり、彼らの味方が次々と戦闘不能に陥っていく光景を見ながら、ゾウリとワラジは涙を流していた。だが、それは一時とはいえ、自分たちと同じ立場だったガトーの部下へと流す涙ではなかった。ゾウリとワラジにとって、荒くれ者たちは偶々同じ陣営に属していただけの間柄でしかない。大儀のために自らの心を殺したゾウリ、友を戦場で亡くし心を壊してしまったワラジにとって、ガトーの部下たちの有り様は認められるものではなかった。略奪をよしとする者たちを見ても、何もできない自分たちが歯痒くてしょうがなかった。

 

 ところが、どうだ。

 目の前では、下種なガトーの部下たちが天罰を受けているではないか。そして、それは子どもの頃、自分たちが憧れた英雄の如き姿だ。弱きを助け、強きを挫く。正しく英雄だ。

 彼らの成りたかった存在が顕現していたのだ。

 涙で滲むゾウリとワラジの視界であったが、戦場を駆ける肌色の閃光は彼らの心に深く刻まれた。

 

 倒れたまま涙を流し続けるゾウリとワラジを見て、ガトーは理解した。時間を稼げば、彼ら二人が背後から筋肉野郎と木ノ葉の上忍の隙を突いたり、桜色の少女とタズナを人質に取ったりできるのではないかという考えは意味のないことだと。

 ナルトとカカシによって、ガトーの手下の士気は崩壊したのだ。

 

 ──そんなバカな。私の完璧な計画が、どうして、どうして崩れたというのだ!?

 

 ガトーは目の前の光景が信じられなかった。

 嘘だ、あり得ない、あってはいけない、これは夢だ、悪夢だ。

 そのような現実を否定する言葉がガトーの頭の中をグルグルと回る。しかし、流石は一代で財をなしたやり手経営者と言えるだろう。頭が回らないと言えども、彼の体は勝手に最適な行動を取っていた。

 それは、逃げること。勝てぬ相手に真っ向から立ち向かうことは蛮勇であり、賢い選択だとは言えない。だからこそ、ガトーは振り返ることなく駆けたのだ。

 

「クッ!?」

 

 しかし、そうは問屋が卸さない。

 橋の前には多数の人影があった。構えるのは鎌や果物ナイフといった武器ではないもの。そして、被っているのは工事の時に使われるヘルメットや中華鍋といった、これまた戦場で使われることがないもの。

 橋の入り口でバリケードを作っていたのは波の国の人々だった。その先頭には闘争には不釣り合いな小さな少年、イナリの姿。

 ガトーは知る事はない。この小さな子どもが波の国の人々を鼓舞し、自分の前に立ち塞がることを勧めたのだと。勇気ある少年(マッスル候補)なのだと。

 そして、その少年が今自分に敵意を向けている強大な存在(マッスル)が守ろうとしているのだと。

 ガトーの無知はここに極まった。

 

「どけェ!」

 

 少年を人質に取ろうと考えたガトーは周りの大人たちへと大声を出して威嚇する。走る力を緩めずに、ガトーはイナリに狙いを定めた。

 だが、ガトーの試みは上手くいかない。固くも柔らかい物体に顔が当たり、ガトーは翻筋斗(もんどり)を打って倒れる。

 

 いつの間に移動したのだろうか?

 うつ伏せのまま、視線を上げるガトーの前にはナルトが仁王立ちをしていた。

 

「ひぃいい!」

 

 ガトーは逃げようともがくが、濡れた橋で震える手足が滑り上手く立てない。

 そして、その隙は非常に大きな隙だった。

 

「ヒッ!?」

 

 ガトーは自分の足に太く固いものが絡んだことを感じた。

 次いで感じるのは内臓が上から下へと一気に移動するような感覚。それと、想像を絶するほどの痛み。

 

「いたたたたたあああああああひゃひゃひゃひゃあああうんんんんんきょっほっととっとととととぉおおふんごほごほごまごぐががが、ふんぬううううううう!」

 

 もう自分が何を言っているのか分からない。筋肉が、骨が、関節が上げる悲鳴を表現した言葉がガトーの口から次から次へと出てくる。言葉の体を成していない言葉だったが、それは聞く者全てに理解を及ぼした。

 

 ──すっごい痛いんだろうな、アレ。

 

 ロメロスペシャル。

 相手の足に自分の足を絡めて腕を掴み、そこから一気に技を掛ける者が寝転ぶ技だ。そうすることにより、技を掛けられた者は四肢を地面に向けた格好で天を仰ぐ格好となる。股を強制的に開かされ、更に技を掛けたものの足に体を持ち上げられて宙ぶらりんとなった姿で大衆の目に晒される。屈辱的な恰好だ。

 

 プロレス技の中では痛みが少ないと言われている技だが、一般人である彼は関節技どころか肉体的な痛みを受けることはそう多くなかった。そのため、痛みに対して耐性がそれほどない彼は、自らの体が軋むことをより強く感じたのだった。

 

 屈辱と痛み。

 そこから逃れるため、ガトーは頭を最高速度で回転させる。ガトーの優秀な頭脳は答えをすぐに弾き出した。

 一度、降伏した後、油断した奴らを殺す。それでいこう。

『参った』と言葉を出そうとしたガトーの心を更なる宣告が貫いた。

 

「反省の色はない、か」

「ふんぎゅわああああんだすたぁああああんッたはははああああらおうおおうざざーがらぬふはあああああ!」

 

 絶対に許さない。私の持てる力全てを使って、貴様を……。

 

「はがらああああ!」

 

 ぶっ殺す!

 

「だあああんもうううう!」

 

 覚えてやがれ!

 

「まっちゃああああ!」

 

 まずは、逃げて体勢を整える。今度は抜け忍を50人集めて……。

 

「ほどれぇええええ!」

 

 いや、100人集めて……。

 

「にっちゃああああんぐうう!」

「あー、皆さん。こうなったら、もう大丈夫です。逃げられませんから」

 

 叫ぶガトーを尻目にカカシは集まった波の国の人たちへと説明する。既に、ガトーの手下たちはカカシがどこからともなく取り出した縄で縛られ、橋の上に転がされていた。

 

「ワシらの勝ち、か?」

「はい」

 

 響き渡るは歓喜の声。それとガトーの絶叫。

 

「もうガトーたちに怯えなくていいんだ!」

「この国に平和が! ありがとうございます!」

「宴だ! ありったけの食料を持ってくるぞ!」

「あ、私の家のすぐ近くに猪がいるから、それを捌いて」

「おう! ……え、猪?」

「後から考えろ! 兎に角、祝おうぜ!」

「ぎゅおっほおおおおおうううばばばがらおうっちゃあああ!」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 

「よほろおおおううう!」

 

 助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ、助けて!

 

「もうやああああ!」

 

 喜ぶ波の国の民の横で、彼らを恐怖に陥れてきたガトーは痛みに涙を流すだけだった。

 

 ──許さんぞ、貴様ら。なぜ、助けん。私はガトーカンパニーの社長だぞ。私は……私は……。

 

「いっぐうううう!」

 

 ガトーは痛みの中、自問自答していた。一種のトランス状態の中、ガトーは自分の人生を思い返していたのだ。

 

 思い出すのは幼少期。彼が貧乏だった時のことだ。

 後に第一次忍界大戦と呼ばれる大きな戦いの余波で彼の住んでいた国は疲弊していた。その日の食事にも満足に摂ることができなかったガトー少年は世の中を恨んだ。

 そこで、彼は学んだ。この世は力が全てだと。見てみろ、力のある忍がいい様に振る舞っているじゃないか。戦うためと言って、オレたちから食料を巻き上げている。

 少年は学んだのだ。力こそ、全てだと。

 

 だが、少年に力はなかった。食料がなく、栄養不足で体が大きくならなかったガトーは体力面で他者に劣っていた。そして、チャクラを練る才能もなかった。つまり、兵士である忍として他者から奪い、自分を富ませるという行為ができなかった。

 そこで、彼は学んだ。頭を使うことを。流通は国の血管だ。これを思い通りに出来たら、自分に富が集まる。

 青年は学んだのだ。流通こそ、力だと。

 

 青年となったガトーは自分よりも上の立場にいた人物たちを時に策略で、時に暴力で追い遣り、小さな海運会社のトップの地位に立った。会社は自分の思い通りになった。だが、世界は自分の思い通りになっていない。

 

 ──私の腹は満たされていない。

 

 ガトーの会社は他社を喰らう。そして、気が付いた時には彼のガトーカンパニーは世界有数の海運会社となっていたのだ。

 

 ──私の腹は満たされていない。

 

 ガトーの次なる獲物は国。そこで、彼が目に付けたのは流通を簡単に支配できそうな波の国だった。元々、波の国の海運業を一手に担っていたガトーカンパニーだ。国を実質的に支配するのに、そう時間は掛からなかった。そして、後は自分の野望に邪魔な橋の建設を止めさせるだけ。それだけだったというのに。

 

「らあああんめええええ!」

 

 何故、私は痛い思いをしているのか?

 涙と鼻水で顔を濡らしながら、ガトーは考える。自分に対して、鋭い目つきをしていた少年(イナリ)の姿を。それは、少年だった頃の自分の姿と重なって見えた。

 

 ──いつしか、私は昔に恨んでいた世の中を作っていたのか。

 

「ふっ……ふっぐ……」

 

 それは嗚咽だった。後悔と反省による嗚咽だ。

 ガトーの体はゆっくりと橋の上に下ろされる。ナルトの拘束から解かれたガトーを見た波の国の民は静まり返り、緊張の面持ちで視線を交わす。

 

「ごめんなさい」

 

 ガトーの第一声はそれだった。謝っても謝り切れないほどの罪を犯してしまっていたことをガトーは理解していた。だが、謝らずにはいられなかった。頭を擦り付け、何度も何度も謝罪の言葉を口にする。

 

「ボクは……」

 

 土下座をしたガトーの上からまだ年若い声が降ってきた。ガトーは顔を上げる。

 

「……父さんを殺された。ボクの気持ちはアナタを許せない」

 

 そこに居たのは険しい顔をしたイナリ。一度、唇を噛み締めたイナリだったが、少し笑い、力を抜いたように言葉を繋いだ。

 

「でも、父さんならこう言うと思う。『男なら、悪いことした奴でも謝ったら許してやるものだ』って。だから、ボクはアナタを許す」

「お、おおお……」

 

 何と気高き少年だろうか。

 ガトーの目から流れた涙は痛みから来るものだった。今度は体ではなく精神の痛みだ。自分は自分を不幸にした世界(モノ)を許すことができなかった。だが、目の前の少年は自分を不幸にしたガトー(モノ)を許したのだ。

 

「イナリ……」

「一番小さなイナリがそう言うんじゃ仕方ねェ。それにしても、オレだけじゃなくガトーまで変えちまうなんてお前の孫は素晴らしいな、タズナ!」

「ギイチ……」

「……なあ、もう一度、橋を造らせて貰ってもいいか?」

 

 タズナは溢れ出た涙を拭って快活に笑った。

 

「もちろんだ! 超こき使ってやるから覚悟しとけ!」

「おう!」

 

 涙を流しながら肩を組むタズナとギイチの後ろからサクラの声が響く。

 

「ナルトォ!」

「む? サクラか」

「サスケくんは……サスケくんは無事よ!」

「……サスケェ!」

「うるせェ! 抱き着くな、ウスラトンカチが!」

 

 抱き合う彼らから目を離し、カカシは額当てを元の位置に戻しながら白へと歩み寄る。

 

「殺さなかったんだな」

「殺せなかったんです」

 

『そうか』と呟いたカカシは白を抱えている再不斬へと目を向けた。

 

「この子は忍には向いてなかったようだけど、お前はどうする?」

「……どうやら、オレも忍には向いていなかったようだ」

「で、どうする?」

「生きるさ。アイツに言われたように、な」

 

 再不斬は口に巻いていた包帯を取り外した。その顔は憑き物が落ちた晴れ晴れとしたものだった。

 

 そこからは、波の国の人々が主役だった。食い、呑み、歌い、踊り、笑い、そして、自分たちを害していたガトーの手下の縄を解き、彼らとも語り合い、仲間となったのだ。再不斬や白、ゾウリにワラジ、そして、全ての元凶だったガトーも例外にならず、波の国の人々は全てを許し、未来に希望を託した。

 皆の笑顔を見たナルトは腕組みをして頷き、一言呟いた。

 

『これにて、一件落着』と。

 

 +++

 

 それから、1週間が経った。心を入れ替えたガトーが橋の建設に着手したお陰で予定よりも早く建設が完了したのだ。

 そして、今日はナルトたちが木ノ葉隠れの里へ向かって出立する日。彼らは橋の近くにある静かな林の中に来ていた。

 

「“鬼人”再不斬は死んだ」

 

 十字にした丸太の後ろの地面に再不斬は己の力の象徴だった首切り包丁を突き刺す。白も自分の帯を隣の十字架へと掛ける。

 

「世話になったな」

「全くじゃ」

 

 そう軽口を叩くのはタズナだ。謝ろうとした白を止めて、タズナは再不斬へと尋ねる。

 

「それで、お主らはどうするつもりなんじゃ?」

「オレたちは霧隠れの里から追われている。ゾウリとワラジがオレたちは死んだと霧隠れに報告するそうだが、それでも、オレたちが生きていることが分かれば霧隠れはオレたちを追ってくる」

「だから、ボクらは旅をしようと思います。波の国にはもう迷惑は掛けたくないですし」

 

 再不斬と白は印を組む。

 

「うずまきナルト」

「何用か?」

「……またな」

「うむ。貴殿らとまた会える日を楽しみにしている」

 

 最後に微笑みを見せた再不斬と白は瞬身の術で姿を消したのだった。

 

 +++

 

「お陰で橋は無事、完成したが……超さみしくなるのォ」

 

 完成した橋の入り口でタズナと別れの挨拶を交わすのは護衛任務の隊長であるカカシだ。

 

「お世話になりました」

 

 頭を下げたカカシを見て、これが最後のチャンスだと思ったのだろう。イナリがナルトへと声を掛けた。

 

「ナルト兄ちゃん」

「む?」

「また、来てくれる?」

 

 ナルトが口を開く前にイナリは首を振った。

 

「ごめん。次はボクから会いに行く」

 

 寂しさに涙を流すイナリの頭を、ナルトは何も言わずに撫でた。そして、彼は踵を返す。

 その大きな背中はイナリの記憶に長く残り続けるだろう。イナリだけではなく、タズナの記憶にも。

 

「彼がイナリの心を変え、イナリが町人の心を変え、二人がガトーの心を変えた。彼は“勇気”という名の“希望”への架け橋をワシらにくれたんじゃ!」

 

 小さくなっていく木ノ葉の忍の後ろ姿を見送りながらタズナはギイチと話す。

 

「架け橋か。橋って言やぁ、この橋にも名前をつけんとな」

「そうか……。なら一つ、この橋にピッタリの名前があるんじゃが」

「おお、どんなだ?」

 

 タズナは取って置きの考えをギイチに向かって話した。

 

「ナルト大橋……ってのはどうだ?」

「フフ、いい名ね」

「じゃろ? この名はな、この橋が決して崩れることのない、そして、いつか世界中にその名が響き渡る超有名な橋になるよう……そう、願いを込めてな」

 

 風がタズナの頬を撫でる。

 彼は遠ざかり、もう見えなくなってしまった力強い姿を見送り続けるのだった。

 



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中忍選抜試験開始!
ワンフォーオール オールフォーワン


 今日もまた朝日が昇る。日は木ノ葉の里を照らし、里の者へ光を与える。

 朝の冷たく清々しい空気を大きく吸い込んだのは一人の老年の男性。“火”と意匠が凝らされた笠を被る小柄な男性は日に照らされる木ノ葉隠れの里を火影邸から見ていた。

 その男の名は猿飛ヒルゼン。ここ、木ノ葉隠れの里長だ。

 三代目の里長、三代目火影として里を見守るヒルゼンは朝の清廉な空気を肺に取り込み、ゆっくりと吐き出した。

 

 ──中忍試験……か。

 

 彼の頭にあるのは目前に迫った中忍選抜試験のこと。下忍が隊の隊長として隊員を率いることができるかどうか見極める試験のことだ。

 通常ならば、火影が頭に留めるほどの案件ではない。運営の責任者は確かに火影であるヒルゼンではあるが、実質的に運営をするのは彼の部下である上忍、中忍、そして、特別上忍といった運営に直接携わる者なのだから。そして、運営を行う忍は優秀だということもヒルゼンは分かっていた。

 

 それにも関わらず、頭を悩ませるヒルゼン。彼を本当に悩ませるものは下忍うずまきナルトの存在だった。

 

 ──もし、ナルトが中忍試験を志願して、そして、中忍試験の本戦に出場したとしたら……。

 

 ヒルゼンは目を閉じて、そうなった場合のシミュレーションを行う。脳裏に浮かぶのは、筋骨隆々の逞しいナルトの姿。

 

 ──筋肉披露(おいろけ)の術は使わんで欲しいのォ……。

 

 中忍試験の本戦では多くのゲストが木ノ葉に訪れる。各国の大名の前でポージングを取るナルトの姿を思い浮かべたヒルゼンは再び大きく息を吐いた。

 清々しい朝には似合わず、ヒルゼンの表情は何とも言えず暗い表情だった。

 

 +++

 

 木ノ葉隠れの里では至る所に演習場がある。二代目火影の案で、スポーツジムのように簡単な手続きで使用可能な演習場は木ノ葉の里の忍の力を上げることに貢献している。目先の利益回収よりも、後世の忍の成長のために手続きを簡略化した二代目火影は先見の明があったと言えよう。

 その演習場の一つで、一人の少年が大きく息を切らしていた。

 

「紅先生、どうだ?」

「ええ、良い調子よ」

 

 己が部下にそう声を掛けるのは妙齢のくノ一。灰色のパーカーを着た野性味溢れる少年に頷く彼女は自身の部下の成長を感じていた。

 

「先生、次はオレと組手を頼む」

「シノ、少し休んだ方がいいわ。あまり無茶をし過ぎるのは却って良くないものよ」

「そうか」

「ヒナタも休みなさい」

「は、はい」

 

 サングラスを掛けた物静かな少年と内気そうな少女に、そして、先ほどの少年へと水が入った水筒をそれぞれ手渡しながらくノ一は空を見上げる。

 

 ──何かしら……。

 

 上忍、夕日紅は空で鳴く鳥を見つめた。

 

 +++

 

「ん~、ここの栗は最高だね」

「うん。この栗、甘いし柔らかいし、とっても美味しい。やるわね、チョウジ」

「でしょ? 木ノ葉の美味しいものはボクに任せてよ」

 

 ニヤリと自信あり気に笑う大柄な少年を見た髪の長い少女は、その態度に何か思う所があったのだろう。顎を組んだ手の上に置きながら、彼女はぼやく。

 

「はぁ~、それにしても何で私の隣にいるのがサスケくんじゃなくてチョウジとシカマルなのよ」

「へーへー、悪うござんした」

「チョウジにシカマルももう少し経ったらオレみたいに大人の色気が出てくるもんだ。もう少し待ってやれ」

「アスマ先生は大人の色気っていうかオジサン臭いし。無精ひげとか」

「なッ!?」

「残念だったな、アスマ。アンタもオレたちと同じ穴の狢だ」

 

 ズズッとどこか達観したように茶を啜る少年はサスケと同じ年齢にも関わらず、若さがなかった。彼が醸し出す雰囲気は、彼の担当上忍よりも大人びていた。彼の班員の少女に言わせてみれば、ジジ臭いというのだろう。

 

 隣のざわつきに我関せずというように甘栗を次から次へと口に放り込んでいく少年に『そろそろ、控えてくれないか』と声を掛けようとした担当上忍だったが、聞こえてきた音に反応して上を見上げる。

 

 ──チィ……今すぐかよ。

 

 上忍、猿飛アスマは空で鳴く鳥を見つめた。

 

 +++

 

 波の国の任務が終わり、里に帰ったナルトたち第七班は今日も任務に赴いていた。

 その日に割り振られた任務を終わらした、第七班の四人は木ノ葉の里を行く。

 

 その中で、一人浮かない顔をしたサスケは心の中で悪態を吐いた。

 

 ──ちくしょう。

 

 サスケは爪を噛む。

 苛つくぜ。外にはオレより強い奴がゴロゴロいやがるってのに、こんな任務ばかりちんたらと……。

 思い出すは白の姿。そして、再不斬と戦うナルトの姿。自らを高めてきたサスケだったが、自分の底を知り、自らが大したことはないと現実を突き付けられたサスケの心情は荒れていた。

 

「さーてと! そろそろ解散にするか。オレはこれから、この任務の報告書を提出せにゃならん」

「なら、帰るぜ」

 

 里の中心街へと着いた第七班はカカシの一言で解散の流れになる。サスケはカカシへ顔を向けることもなく、早足で歩き始めた。

 

「あ! ねー、サスケくん待ってー!」

「……」

「ねェ、あのねェ、これからぁー♡ 私と二人でチームワーク深めるってのは……」

「オレに構う暇があったら術の一つでも練習しろ」

 

 サクラの提案をサスケはにべもなく断る。サスケには色恋に現を抜かす暇などはない。サクラに背を向けたサスケは早足で去っていった。

 

「ふむ……」

 

 カカシもいつの間にか姿を消しており、残されたのはサクラとナルトの二人だった。見ていて哀れだと思ったのか、ナルトはサクラへと声を掛けようとする。しかし、その途中で妙な視線が背中へと纏わりついたことに彼は気が付いた。

 振り返るナルトの視線の先には長方形で石垣の模様が凝らされた箱があった。子どもならば、三人ほどは入る事ができそうな大きさだ。

 

 その正体に心当たりがあったナルトは箱に向かって声を掛ける。

 

「何用だ?」

 

 箱がずれた。

 その中からワラワラと出てきた見知った三人の子どもへとナルトは視線を注ぐ。

 

「流石、オレの見込んだ男! オレのライバルなんだな、コレ!」

「久しいな。木ノ葉丸、モエギ、ウドン」

 

 任務がない時に面倒を見ている三人の忍者学校生たちだ。ナルトは彼らには、度々、忍としての基礎修行を教えている。だが、彼らは筋トレには興味がないというのがナルトにとって悲しい所である。

 

「して、何用か?」

「あのね、兄貴はこれから暇?」

「いや、修行をしようと思っていたが……」

「ええ~! 今日は忍者ごっこしようと思ってたのに、コレェ!」

「フン……。忍者が忍者ごっこしてどーすんのよ」

 

 サスケにきっぱりと断られたことで落ち込んでいたサクラは、感情の赴くまま木ノ葉丸の“忍者ごっと”という発言をやり玉に挙げる。

 と、サクラの目線がナルトの筋肉へと注がれた。

 

 ──私も……筋トレしよっかな。

 

 修行をして、ある程度の実力、サスケと同じぐらいの実力を身に着ければ振り向いてくれるのではないかとサクラは考えた。とはいえ、ナルトのような体型になってしまうのは、乙女として認められないこと。

 葛藤を覚えたまま、じっとナルトを見つめているサクラを見た木ノ葉丸は、何かに気が付いたように手をポンと打ち鳴らす。

 

「もしかして、この姉ちゃん……ナルトの兄貴のコレ?」

 

 そう言って、木ノ葉丸は小指を立てて見せる。

 

「ちがーう!」

 

 瞬時に、攻撃モードへと移行したサクラは両手で木ノ葉丸の襟首を持ち上げた。その姿は雌の獅子を思い起こさせるほどに強烈なもの。

 

「サクラ、子どもの戯れだ。少々、大人気なくはないか?」

「うっさい! 私たちもまだ十分、子どもよ! アンタは子どもには見えないけどね!」

「しかし、年下の子にすることではないだろう?」

 

 ナルトの言葉を聞くほどの理性はあったようだ。渋々、怒りを収めてサクラは木ノ葉丸を地面に下ろす。

 

「……はぁ。アンタたち、ナルトの顔に免じて今日はこのくらいにしてやるから、感謝しなさいよね」

 

 しかし、木ノ葉丸にしてみれば、なぜ自分が怖い思いをして感謝をしなければならないのかという思いで一杯だった。

 彼は自分の発言の何が悪かったのか全く理解できていなかったのだ。

 

「このブース! ブース!」

 

 で、あるから、彼はサクラへと悪口を言うことにしたのだ。

 ゴチンという音が響いた。サクラの拳骨が木ノ葉丸の頭へと落ちた音だ。

 しかし、ここでめげないのが木ノ葉丸。何度も三代目火影を襲撃した時に培われた根性は流石というべきか。

 

「ったく、あのブスデコぴかちん。アレで女かよ、マジでコレ……ねェ、兄ちゃん」

「女性に対して悪口を言うものではない」

 

 ナルトが『漢としての嗜みとは言えぬからな』と続けようとした時には、もう遅かった。

 

「ぎゃああああ!」

 

 追うサクラと追われる木ノ葉丸。ナルトが止めようとした時には、もう遅かったのだ。

 

「イテッ!」

「……いてーじゃん」

 

 木ノ葉丸は黒い服を全身に着込んだ通行人の少年へと顔からぶつかった。自分の足元に倒れている木ノ葉丸へと少年は手を伸ばす。

 だが、黒い服を全身に着込んだ少年は、木ノ葉丸の襟首を掴み片手で持ち上げたのだ。

 

「木ノ葉丸ちゃん!」

「ごめんなさい。私がふざけてて……」

 

 モエギとサクラが少年へと声を掛けるが、黒い服を着た少年はこちらへチラと顔を向けることもなく、自分の目線まで木ノ葉丸の体を持ち上げた。

 

「やめときなって! 後でどやされるよ!」

「うるせーのが来る前に、ちょっと遊んでみたいじゃん」

 

 少年の隣の少女が声を掛けるが、少年は嗜虐的な笑みを崩さない。

 

「済まぬ、そこの御仁。この子を離してやってはくれないだろうか? しかと言い聞かせる故」

 

 そこで、やっと黒い服の少年は声の方向へ、つまり、自分へと声を掛けた人物であるナルトへと目線を遣る。

 

 ──額当ては木ノ葉。確か、木ノ葉の中忍以上はベストを着用していたハズだ。

 

 下忍なら大したことないじゃん。筋肉はすげーけど。

 ナルトの正体へと当たりをつけた少年はナルトは脅威にならないと理解した。そして、少しコイツで遊んでやるかと心の中で好戦的な笑みを浮かべる。

 

 自分の方へと歩き出したナルトを見て、黒服の少年は“仕掛け”を動かした。

 それは、幾人もの相手を転ばせ、隙を作ってきた少年の得意技。しかしながら、ナルトには通用しなかった。

 ドスンという音が響き渡る。

 

「……何をした?」

 

 石畳に罅が入った。自分の右足が引っ張られた感覚がしたと同時にナルトは右足を思い切り石畳の上へと叩き付けたのだ。

 

 ──コイツ、強いじゃん。

 

 黒服の少年の闘争心が刺激される。ナルトと闘ってみたい。

 そう考えた少年がナルトに意識を向けた瞬間、少年の右腕、木ノ葉丸を掴んでいた腕に痛みが奔った。

 

「くっ……」

「よそんちの里で何やってんだテメーは」

「サスケくーん!」

 

 少年は飛んできた石の方向へと目を向ける。少年の視線の先、木の上にはサスケが佇んでいた。

 

「クッ……ムカつくな、テメェは」

「失せろ」

 

『キャー、カッコイイー!』という黄色い声をBGMに少年の怒りはグングン上がっていく。

 

「おい、ガキ。降りて来いよ。オレはお前みたいに利口ぶったガキが一番嫌いなんだよ」

 

 黒服の少年は背負っていたものを下す。

 

「おい、カラスまで使う気かよ」

 

 少年の隣にいた少女は殺気を放つ少年へと声を掛けるが、少年の殺気は鎮まることはない。

 

「カンクロウ、やめろ」

 

 だが、少女の代わりに静かな声が響いた。

 

「里の面汚しめ」

「が……我愛羅」

 

 昂っていた少年の心は一瞬にして鎮まった。少年は怯えたように自分に掛けられた声の主の名を呼び、そちらへと目を向ける。

 子どもほどある巨大な瓢箪を担いだ赤髪の少年が蝙蝠のように木の枝に逆さにぶら下がっていた。

 

 ──コイツ、いつの間にオレの隣に? ……カカシ並みの抜き足だぜ。

 

 内心、慄くサスケは我愛羅と呼ばれた自分と同じ年頃の少年へと驚愕の表情を向ける。

 

「喧嘩で己を見失うとは呆れ果てる。何しに木ノ葉くんだりまで来たと思っているんだ?」

「聞いてくれ、我愛羅。コイツらが先に突っかかってきたんだ」

「黙れ、殺すぞ」

 

 鋭い殺気。

 カンクロウと呼ばれた少年には謝罪することしか選択の余地はなかった。

 

「わ、分かった。オレが悪かった」

「ご、ご、ごめんね。ホント、ごめん」

 

 下の二人は慌てて謝る。いや、謝ることしか許されないように感じていた。

 その様子を見ながらも我愛羅という少年は眉一つ動かさず、能面のように動かない顔を木ノ葉丸へと向けた。

 

「君たち、悪かったな」

 

 ──あのカンクロウに、いとも簡単に石礫を当てるとは……できるな、コイツ。

 

 思考を表に出すことなく、我愛羅は瞬身の術でカンクロウと呼ばれた少年と、その姉である少女、テマリの間へと移動した。

 

「どうやら、早く着き過ぎたようだが、オレたちは遊びに来た訳じゃないんだからな」

「分かってるって」

 

 機嫌を取るような笑みを浮かべたカンクロウに何の感情も感じさせない表情を浮かべた我愛羅は木ノ葉隠れの里の忍たちへと背を向ける。

 

「行くぞ」

「ちょっと待って!」

「何だ?」

 

 呼び止めたのはサクラだ。

 

「額当てから見て、あなたたち……砂隠れの里の忍者よね? 確かに木ノ葉の同盟国ではあるけれど、両国の忍の勝手な出入りは条約で禁止されているハズ。目的を言いなさい。場合によっては、アナタたちをこのまま行かせる訳にはいかないわ」

「フン! 灯台下暗しとはこのことだな。何も知らないのか?」

 

 テマリは懐から通行証を出した。それは、自らの所属を証明し、木ノ葉隠れの里の中を、胸を張って行動できる公的な書類だ。

 

「お前の言う通り、私たちは砂隠れの下忍。中忍選抜試験を受けに、この里へ来た」

「中忍選抜試験?」

「本当に何も知らないんだな。中忍選抜試験とは、砂、木ノ葉の隠れ里と、それに隣接する小国内の中忍を志願している優秀な下忍が集められ、行われる試験のことだ」

「何で一緒にやるの?」

「ああ。合同で行う主たる目的は同盟国同士の友好を深め、忍のレベルを高め合うことがメインだとされるが、その実、隣国とのパワーバランスを保つことが各国の緊張を……」

「ナルトの兄貴。中忍試験に出てみれば?」

「てめー! 質問しといてこのヤロー! 最後まで聞けー!」

 

 自分の説明に一瞬で興味を失い、ナルトへと話し掛けた木ノ葉丸へとテマリは怒鳴る。

 と、そんなことはどうでもいいというようにサスケが一歩前に出た。

 

「おい! そこのお前……名は何て言う?」

「え? わ、私か?」

「違う。その隣の瓢箪だ」

「……砂瀑の我愛羅」

 

 サスケを見つめる我愛羅。

 

「オレもお前に興味がある。……名は?」

「うちはサスケだ」

 

 しばし、視線を交差させるサスケと我愛羅だったが、今はこの程度で満足したのか、我愛羅は踵を返した。

 

「行くぞ」

「少し待ってくれないか?」

 

 去ろうとした我愛羅たちの背中へと声を掛けたのは沈黙を守ってきたナルトだ。

 

「……何だ?」

「カンクロウ、と言ったか?」

「カンクロウはオレだが……何だ?」

「木ノ葉丸」

「え? オ、オレ?」

「まだ貴殿はそこの御仁に謝っていないだろう」

「けど、オレは……」

「悪気はないとは言え、不注意でぶつかった貴殿は謝らなくてはならない。違うか?」

「う! ……ごめんなさい」

「ああ」

「カンクロウ、お前からも謝れ」

「お、おう。……済まなかったな、ボウズ」

 

 我愛羅はナルトへと興味深いというように視線を向ける。

 

「聞き忘れていた。そこの……名は?」

「うずまきナルト」

「ナルト……か」

 

 我愛羅はそれだけ呟くと、今度こそ姿を消した。

 

 その様子を木の影から見ている三つの影。

 

「どう思う?」

「まあ、大したこと無いけどさ。木ノ葉の黒髪と砂の瓢箪。あの二人は要チェックだよ」

「ガチムチは?」

「見ての通り、正面から手を出しちゃダメだ。あの人、多分、ボクらに気づいているよ」

「チッ……一筋縄じゃいかねーってことか」

「けど、私らなら勝てる」

「フフ……そうだね」

 

 三つの影は音もなく姿を消した。その所作は下忍とは思えぬほどに優れたものだった。

 

 +++

 

「聞きましたか?」

 

 修行場に走り込む一人の少年。おかっぱで緑色の全身タイツを身に着けている少年は軽やかに見知った少年と少女に近づき、話し掛ける。

 

「今度の中忍試験、5年振りにルーキーが出てくるそうです」

「まさかぁ! どうせ、上忍の意地の張り合いかなんかでしょ?」

 

 器用に掌の上でクナイを回す少女はおかっぱの少年に言葉を返す。

 

「いえ、それがですね。ルーキーの内の三人が、あの“はたけカカシ”さんの部隊だという話だそうです」

「面白いな、それ。まぁ、いずれにしても……」

 

 少女はクナイを投げる。それは寸分違わず、ターゲットマーカーのど真ん中へと突き刺さった。

 

「……可哀そうな話だがな」

 

 黒い長髪の少年は不敵に笑う。自分の力から来る自信、そして、彼と同じ班員の力を信用している少年は、頭のすぐ上で空を切ったクナイに気を割くこともなく座禅を続けていた。

 



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エントリー

 ナルトたちが我愛羅たちと遭遇した同時刻。ナルトたちと別れたカカシは、他の多くの忍たちと共に、とある会議室に集められていた。

 

「さて……」

 

 カカシたちを集めたのは里のトップである三代目火影だ。重々しく口を開く三代目火影は、目の前に並ぶ中忍、上忍たちをゆっくりと見渡す。

 

「……まず新人の下忍を担当している者から前に出ろ」

 

 今日、三代目火影が中忍以上の忍たちを一同に集めたのは中忍選抜試験の説明のため。中忍選抜試験は、担当上忍の推薦と本人の志願によりエントリーされることになる。これは下忍を受け持つ担当上忍が自分の部下の推薦に対する意志を確かめることが要の会議だ。

 

 三代目火影の言葉に従い、三人の上忍が前に出る。

 

「カカシに紅にアスマか。どうだ? お前たちの手の者に今回の中忍選抜試験に推したい下忍はいるかな?」

 

 第七班隊長、はたけカカシ。

 第八班隊長、夕日紅。

 第十班隊長、猿飛アスマ。

 

 カカシは言うまでもなく、紅もアスマも忍としての実力は高い。とはいえ、それは彼ら個人の戦闘能力の話。彼ら三人の、下忍を教育し力を伸ばすという能力は未知数だ。

 三代目火影も彼ら三人が推薦するかどうかは分からなかった。通常ならば、推薦することはないだろう。だが、万が一ということもある。彼らの意志を確かめるため、三代目火影は口を開いた。

 

「言うまでもないことだが、形式上では最低8任務以上をこなしている下忍ならば、後はお前たちの意向で試験に推薦できる。まあ、通例、その倍の任務をこなしているのが相応じゃがな」

 

 前に出た三人から離れた後ろの方で、イルカは受け持った生徒たちの顔を思い浮かべる。

 

 ──聞くまでもない。アイツ等にはまだ早すぎる。

 

 まだまだ子どもの下忍たちだ。中忍試験は命をも遣り取りされる試験。どんなに優秀な者だろうが、この平和なご時世で一年も忍として活動しない者を中忍試験へと推すことは考えられないことだった。

 

「じゃあ、カカシから」

「カカシ率いる第七班、うちはサスケ、うずまきナルト、春野サクラ、以上3名。はたけカカシの名をもって、中忍選抜試験受験に推薦します」

「何……?」

 

 上忍たちは新人の忍を推薦しないだろうと高を括っていたイルカの表情が驚愕に染められる。

 

「紅率いる第八班、日向ヒナタ、犬塚キバ、油女シノ、以上3名。夕日紅の名をもって左に同じ」

「アスマ第十班、山中いの、奈良シカマル、秋道チョウジ、以上3名。猿飛アスマの名をもって左に同じ」

「……ふむ。全員とは珍しい」

 

 ただでさえ、新人の下忍が中忍選抜試験を受験するのは5年振りのこと。それが、今年は新人全員が受験するときた。しかし、そのことを僅かばかりとはいえ、予想していた三代目火影は少し眉を顰めるだけで首を縦に振る。それは、上忍たちの推薦を受理するという意志表示。

 

 そのことを認めることはできない。

 イルカは前にいる忍を押しのけながら、声を上げる。

 

「ちょ……ちょっと待ってください!」

「なんじゃイルカ?」

「火影様! 一言、言わせてください! 差し出がましいようですが、今、名を挙げられた9名の内のほとんどは、学校で私の受け持ちでした。確かに皆、才能ある生徒でしたが、試験受験は早過ぎます。アイツ等にはもっと場数を踏ませてから……」

 

 イルカは三人の上忍に鋭い視線を遣る。

 

「……上忍の方々の推薦理由が分かりかねます」

「私が中忍になったのは、ナルトより6つも年下の頃です」

「あの時とは時代が違う! アナタたちはあの子たちを潰す気ですか? 中忍試験とは別名……」

「イルカ先生」

 

 いつもと変わらないカカシの眠そうな目はイルカに更に苛立ちを募らせる。イルカは、カカシが何か下手なことを言えば三代目火影の前で糾弾することも辞さない覚悟だった。

 

「アナタの言いたいことも分かります。しかし……」

「カカシ、もうやめときなって」

 

 紅の意見を無視したカカシは現実をイルカに突き付ける。

 

「口出し無用! アイツ等はもうアナタの生徒じゃない。今は私の部下の“忍”です」

「くっ……」

 

 アナタのそれは越権行為だと暗に示すカカシの言葉でイルカには黙るしか選択肢はなくなった。

 

「それに、私は信じているんですよ」

「信じる?」

「オレが受け持った下忍たちは一味も二味も違う。中忍試験程度の障害物なんて叩き壊して進む、と」

 

 細くなったカカシの右目を見たイルカは嘆息する。

 彼は彼なりに受け持った“忍”たちのことを見ていたのだと。巣立った生徒たちは既に自分の手を離れて羽ばたいていっていた。そして、羽ばたく彼らを一番近くで見てきたのは、目の前の担当上忍たち。

 

「カカシさん、失礼しました。紅さん、アスマさん。すみませんでした」

 

 イルカは頭を下げる。

 話は終わった。そう判断した三代目火影はイルカから目を離し、目線を前に戻した。

 

「では、次に新人以外の下忍を担当している者たちで、今回の中忍選抜試験に推したい下忍はいるか?」

 

 会議室の中で、粛々と推薦が行われる。

 何か言いたそうなライバルに向けて、アイコンタクトで『後でな』と示したカカシは踵を返し、後ろへと下がるのであった。

 

 +++

 

 昨日のことを思い返していたカカシの意識は現実へと舞い戻る。

 地面を蹴り跳び上がったカカシは、小川へと掛けられた小さな橋を囲む鳥居へと降り立った。

 

「やあ! お早う、諸君! 今日はちょっと人生という道に迷ってな」

「ハイッ! 嘘ッ! ちょっとは反省してください!」

 

『信じてくれないなんて、先生、悲しいなァ……』とぼやきながら、カカシは鳥居から三人の前へと移動する。

 

「ま! なんだ……いきなりだが、お前たちを中忍選抜試験に推薦しちゃったから。ほれ、志願書」

 

 とんとん拍子に進んでいく話の中、三人の顔色が変わる。

 

「推薦したと言っても、これは命令じゃない。受験するかしないかを決めるのはお前たちの自由だ。受けたい者だけ、その志願書にサインして明日の午後4時までに学校の301に来ること。以上!」

 

 言いたいことだけ言って、瞬身の術で姿を消すカカシを見送ったサスケの顔が歪む。

 

 ──アイツと闘えるかもしれない。

 

 サスケの体が震える。それは、興奮から来るものだった。我愛羅の顔を思い出すサスケは闘いを求めていた。自分の力を証明できる絶好の機会である中忍選抜試験。それを逃さぬというように、サスケの目は獲物を狙う肉食獣のそれと同じように爛々と光っていた。

 

 ナルトの表情はいつもと同じように影に覆われており、表情を窺い知る事はできないものの彼の足取りは軽い。

 ナルトもナルトで中忍試験を楽しみにしているのだろうとサクラは当たりをつける。

 

 ──私、嫌だ。このまえだって……。

 

 二人について行くどころか、二人が戦っているのを後ろで眺めているだけしかできなかった。それなのに、私が中忍選抜試験なんて。

 グルグルと回る思考。サクラの思考の渦には、不安と劣等感がマーブル模様を作り出していた。

 

 +++

 

 翌日、待ち合わせの定食屋で顔を合わせる第七班の三人。

 

「二人とも、お早う」

「うん、お早う。ナルト」

「ああ」

 

 と、ナルトはサクラの表情に目を留める。

 

「む? サクラ、少し顔色が悪いが朝食は摂ったのか?」

「え? うん、バッチリよ」

「……」

 

 ナルトとは違い、言葉が少ないサスケだ。彼は言葉に出すことはなかったが、サクラの不調に気が付いていた。その原因についても推測しており、彼の推測は的を射たものだった。

 

 ──体調が悪いというよりは不安感か。

 

 かと言って、口下手なサスケだ。正確にサクラの心情を見抜いていたが、彼はそれを口にすることはなかった。同じ班員であるサクラのことが心配とはいえ、どのような言葉を掛ければいいか分からない。それに、サスケはサクラがこの程度の不安で潰されるとは思っていなかった。

 

 ただ、何か機会があれば声を掛けよう。

 そう考えたサスケはサクラとナルトの前に立ち、忍者学校への道を先に行くのだった。

 

 +++

 

 忍者学校へ着いたナルトたちはいつもとは違う物々しい雰囲気に目を細める。ナルトとサスケにとっては程よい緊張感。至る所で闘気がぶつかり合って牽制し合っている。

 その中へと何の気負いも見せず、ナルトは足を踏み入れた。

 

「おい、アレ……」

「下忍、か? いや、それよりも忍か?」

「凄ぇ体」

「ナ……ナルトだ」

「なんでアイツがここにいるんだよ。まだ忍者になってすぐだろ?」

「落ち着け、もしアイツと本戦で当たったとしてもギブアップすれば、死ぬことはない。そうだろ?」

「ついてねェ……。何でアイツが出てくるんだよ」

 

 周りのざわめきには関心を向けることなく、ナルトたちは忍者学校の廊下を進んでいく。と、廊下の途中に何やら人だかりができていた。

 

「ふ~ん。そんなんで中忍試験、受けようっての?」

「止めた方がいいんじゃない、ボクたち?」

 

 一人の男が鼻を啜る。

 

 教室の扉の前で陣取るように二人組がいた。ツンツン頭の黒髪の男と、頭巾を被った伊達男の二人組だ。

 二人組の男は通さないというように扉の前で立ち塞がる。

 

「ケツの青いガキなんだからよォ……」

「そうそう!」

 

 お団子頭の少女が一歩足を踏み出す。

 

「お願いですから、そこを通してください」

 

 先ほど鼻を啜ったツンツン頭の男の左手がぶれた。

 近づく少女が吹き飛ばされる。

 

 ──妙だな。

 

 その様子をじっと見たナルトは目を細める。

 少女をつぶさに観察したナルトは一つの結論に辿り着いていた。それは少女が避ける気配を全く出さなかったことに起因する。

 男の裏拳をワザと受けるように動いた少女の実力は高い。本来ならば、男の拳の軌道を見切り、背中をほんの少し逸らすことで、いとも容易く男の拳を避けることができるだろう。それほどに、少女の筋肉(インナーマッスル)は鍛え上げられていた。

 そのことを見抜いたナルトは少女たちのやり取りが演技だと察し、動くことはなかった。

 

「酷ぇ……」

 

 だが、それを見抜けない者もいた。忍とはいえ、他人の筋肉の付き方から実力を推し量ることができるのは、そう多くはない。

 少女が殴られたことに同情した声を耳聡く聞きつけた男は、声を出した者を睨みつける。

 

「何だって?」

 

 次いで、ツンツン頭の男は威嚇するように周りを見渡す。

 

「いいか? これはオレたちの優しさだぜ。中忍試験は難関だ。かく言うオレたちも3期連続で合格を逃している。この試験を受験したばっかりに忍を辞めていく者、再起不能になった者。オレたちは何度も目にした。それに、中忍って言ったら部隊の隊長レベルよ。任務の失敗、部下の死亡。それは全て隊長の責任なんだ。それを、こんなガキが……」

 

 鼻を啜り、男は自分の行為を正当化するべく声を上げた。

 

「……どっちみち、受からない者をここで(ふるい)に掛けて何が悪い!」

「正論だな」

 

 ツンツン頭の男の声を止めるように、クールな声が学校の廊下に響く。

 

「だが、オレは通して貰おう」

 

 自信に満ち溢れた声。サスケだ。

 

「そして、この幻術で出来た結界をとっとと解いて貰おうか。オレは3階に用があるんでな」

「何、言ってんだ、アイツ」

「さあ?」

 

 首を傾げる下忍たちには目を向けることなく、伊達男は面白いものを見つけたという表情を浮かべ、サスケを見つめる。

 

「ホウ……気づいたのか、貴様」

「サクラ、どうだ? お前なら一番に気づいているハズだ」

「え?」

「お前の分析力と幻術のノウハウは、オレたちの班で一番伸びてるからな」

 

 それはサクラに自信を取り戻させる言葉。

 俯きがちだったサクラの表情が明るくなる。

 

「もちろん、とっくに気づいてるわよ。だって、ここは“2階”じゃない」

 

 髪を揺らし、宣言したサクラには迷いはもうなかった。

 

「ふ~ん。中々、やるねぇ。でも、見破っただけじゃあ……ねぇ!」

 

 突如、ツンツン頭の男が繰り出した全体重を掛けた右の回し蹴りがサスケを襲う。だが、サスケは余裕の表情を崩さない。そもそも、今、自分に襲い掛かってくる蹴りなど、ナルトの超人的動きに慣れたサスケやサクラの目には止まって見える。

 迎撃のためにサスケの右足が前にいる男の頭に向かって繰り出される。それは、確実に男の意識を刈り取る結果となった。

 

 そう、邪魔が入らなければ。

 

 二人の間に出るは緑色。二人の蹴りをそれぞれ、別の腕を使って止めたのは廊下の床に転がっていた少年だった。ナルトたちが来る前にツンツン頭の男によって殴り倒されたと推測していたサクラだったが、痛みを感じないというような少年の動きに目を丸くする。

 

 ──この人、唯者じゃない。サスケくんの蹴りを見切るなんて。もしかして、殴られていたのは演技?

 

 ナルトに続いて、サクラも気が付いたようでサスケとツンツン頭の男の蹴りの間に体を滑り込ませた少年を油断なく見つめる。

 

「フー」

「おい。お前、約束が違うじゃないか。下手に注目されて警戒されたくないと言ったのはお前だぞ」

「……ですが」

 

 黒の長髪の少年は親し気に、サスケたちの蹴りを片手で受け止めた緑のタイツの少年へと声を掛ける。

 緑の服を着たおかっぱの少年は黒の長髪の少年の言葉に答えることなく、サクラを見て頬を赤らめた。

 

「これだわ」

 

 呆れたように首を振るのは先ほど、男に殴られたお団子頭の少女だ。先ほど、殴られたのが嘘のようにピンピンしている。その頬には痣どころか、赤くすらなっていなかった。

 

「あの……」

 

 サクラへと近づいた緑タイツの少年。

 

「……僕の名前はロック・リー。サクラさんと言うんですね」

 

 リーと名乗った少年はその白く綺麗な歯をキラリと光らせた。

 

「僕とお付き合いしましょう! 死ぬまでアナタを守りますから」

「絶対、イヤ。あんた、濃ゆい」

 

 告白した瞬間、断られたリーから目を離した黒の長髪の少年はサスケへと視線を注ぐ。それは、愉しみを見つけた少年の表情だ。

 

「おい、そこのお前」

 

 黒い長髪の少年はサスケへと声を掛けた。

 

「名乗れ」

「人に名を聞く時は自分から名乗るもんだぜ」

「お前、ルーキーだな。歳はいくつだ?」

「答える義務はないな」

 

 ──やれやれ、バケモン揃いだぜ。中忍試験はよ。

 

 長髪の少年にクルリと背を向けたサスケは自分が冷や汗を流していることを感じた。

 そのサスケの様子を冷ややかに見つめるは二対の眼。

 

「クククッ。あれがカカシとガイの秘蔵っ子ってガキたちか。取り敢えず、志願書提出は通過ってとこだな」

「ああ」

 

 倉庫から覗く二人の忍。先ほど、扉の前に立っていた二人だ。ボンという音と共に煙に包まれた二人はその正体を現す。

 

「今年の受験生は楽しめそうだな」

「オレたち試験官としてもね」

 

 煙が収まった後に居た二人は木ノ葉隠れの中忍以上が身に着けることを許されている緑色のベストを着ていた。

 

 +++

 

「リー、行くわよ。何やってんの?」

 

 去っていくサクラたちの後ろ姿を見つめるリー。

 

「テンテン、ネジ。先に行っててください。僕にはちょっと確かめたいことがあります」

「はあ……すぐに終わらせてよね」

「あまり虐めすぎるなよ」

 

 お団子頭の少女、テンテンと黒の長髪の少年、ネジは緑タイツの少年、リーが何をしようとしたのか分かったのだろう。言葉は少なくとも互いに何をしようとしているのか理解できるほどに彼らの一年の付き合いは濃かった。

 

 テンテンとネジと別れたリーは目的地の教室へと向かうサスケの後ろ姿を踊り場の上から見つめる。

 

「目付きの悪い君、ちょっと待ってくれ」

「……何だ?」

 

 サスケは目を細める。自分を上から見下ろすリーが気に食わなかったのだろうか。

 苛つきを滲ませながらサスケはリーへと答えた。

 

「今、ここで僕と勝負しませんか?」

 

 リーの言葉を聞いたサスケの唇が孤を描いた。

 



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目覚める闘志

 心の中の興奮を押し隠して、サスケは自分を見下ろすリーへとゆっくりと振り返った。

 

「今、ここで勝負?」

「ハイ」

 

 見ていた場所から忍者学校の踊り場へとリーは降りる。しばし、見つめ合う両者。

 サスケと向き合ったリーは口を開く。

 

「ボクの名はロック・リー。人に名を尋ねる時は自分から名乗るもんでしたよね?」

 

 ///

 

「名乗れ」

「人に名を聞く時は自分から名乗るもんだぜ」

「お前、ルーキーだな。歳はいくつだ?」

「答える義務はないな」

 

 ///

 

 それは先ほどサスケがネジに言った言葉だ。

 続いて、リーはサスケが驚くワードを口にした。

 

「うちはサスケくん」

 

 サスケの目が細くなる。

 

「フン……知ってたのか」

「君と闘いたい! あの天才忍者と謳われた一族の末裔に、ボクの技がどこまで通用するのか試したい。それに……」

 

 リーはジッとサクラを見つめる。

 何やら嫌な予感がしたサクラは緊張した面持ちでリーの次の行動から目を離さないように集中する。

 ところが、それがいけなかった。

 

 突如として、ウインクをしてきたリーのナイスな表情にサクラは総毛立つ。

 

「イヤー! あの下まつ毛がイヤー!」

「サクラよ。あまり人を否定するものではない」

「そんなこと言ったって! 嫌なものは嫌なの!」

「知ろうともせずに拒否するのは頂けないものだ。それに、彼は好青年だと己は考える」

「へ?」

 

 生理的な嫌悪を表に出したサクラを窘め、ナルトはサクラからリーへと視線を移す。

 同時に思い出すのは隣にリーと同じような恰好をした上忍と共に修行に打ち込んでいた彼の姿。

 

「貴殿の姿は見た事がある。里の周りを逆立ちで進んでいた姿を」

「ボクもアナタの腹筋をしている姿を見たことがあります。うずまきナルトくん」

「ほう……」

 

 ──サスケだけではなく、己の名まで。

 

 少し嬉しそうに目を細めるナルト。実力者に認められたことは、ナルトに喜びの感情を齎す。

 

「アナタはボクの目標です。常に努力を続けるその姿勢にボクは何度も励まされました」

「おい」

 

 と、ナルトと話すリーへとサスケは刺々とした感情をぶつけた。

 

「やるのか? やらないのか? 悪いが“うちは”の名を出されて黙っておけるほど、オレの気は長くないぜ」

「失礼しました」

 

 改めて、対峙する二人。

 交錯する闘志の中、サスケは髪を揺らしてリーを挑発する。

 

「ゲジマユ。“うちは”の名がどんなもんか体に直接、教えてやる」

「是非!」

 

 気負いはない。

 サスケの挑発にも心を揺らすことはなく、リーは只々、闘いのみに心を昂らせていた。

 

「宣言します。君はボクに絶対、敵いません。なぜなら、今、ボクは木ノ葉の下忍の中でも上位の実力があります」

 

 ハッタリではない。

 リーの発言をサスケは認めた。リーの立ち振る舞いは洗練されたもの。サスケは全身にチャクラを漲らせる。

 だが、闘いの空気に心を昂らせることなく、冷静に事を見ることができたものがいた。サクラだ。

 

「あ! やめて、サスケくん! 受付の4時までにあと30分もないのよ」

「5分で終わる」

 

 サクラの指摘を軽く受け流し、サスケは駆け出した。

 今は目の前の敵を潰す。そうしなくては、中忍試験を受ける際に心に引っかかりができるとサスケは理解していたのだ。

 

 だが、サクラの指摘で心に焦りができたことも事実。

 そして、その隙を見逃すリーではなかった。

 

「木ノ葉旋風!」

 

 自分へと近づくサスケよりも、より速くリーは動く。それは、下忍の動きの範疇ではなかった。

 サスケの動きを見切り、彼の進行方向へとリーは回し蹴りを繰り出す。体勢が崩れたサスケは必然、それを防ぐ以外の選択肢はなかった。

 

 ──くっ! 避けきれねェ。ガードだ!

 

 左手を出すサスケ。だが、その顔は驚きに包まれた。

 

 ──何!?

 

 頬に当たるリーの蹴りの感触。踊り場の床へと転がらされながら、サスケはあり得ない出来事に体を震わす。

 

「サスケくん!」

 

 サスケの身を案じたサクラの声が響く。奇しくも、蹴りを受けた者と蹴りを見ていた者の思考は同じことを示した。

 

 ──今、確かにガードしたハズなのに。

 ──ガードをすり抜けやがった!? 何だ? 忍術か、それとも、幻術?

 

 二人の思考に疑問符がいくつも湧く。

 

「サスケ! 頭を冷やせ!」

「ナルト?」

「彼は強い。うちはを引き合いに出され怒りがあろうが、それは捨て置け」

 

 サスケへと怒鳴るはナルト。ナルトの声でサスケは自分を省みる。

 

 ──オレとしたことが焦っているとはな。

 

 ナルトの叱咤に己を取り戻したサスケは目を閉じた。目を閉じたサスケはリーへと意識を集中する。

 

「リーとか言ったな」

「ハイ」

「これからは本気でいく」

 

 リーの風貌から、心のどこかで慢心していたのだということを認めたサスケは、目の前の男の力を正しく理解し、眼を見開く。サスケの虹彩は赤く爛々と光っており、その中には二つの巴が浮かんでいる。

 

 写輪眼。

 波の国での白との戦いの中、覚醒した(うちは)の力だ。

 

 ──まさか、こんな所で使うとはな。

 

 ナルトにもサクラにも見せることのなかった力。中忍試験も始まらない内から使うことになるとは考えていなかったサスケだが、リーを難敵と認めて使用に踏み切った。

 

「覚悟しろ」

 

 先ほどリーへと向かっていった時以上の速さでサスケは駆ける。それを迎撃するリーは右手を前にした独特の構えを解くことなくサスケの動きを見ている。

 

 ──幻術か忍術か。いずれにしても、何らかのマジック。それを暴いてやる!

 

 サスケの眼はしっかりとリーの姿を写していた。だが、サスケの体はリーの姿に追いつかない。スローで動く自分の体へと襲い掛かるリーの蹴りを見るサスケは背筋に冷たいものが奔ることを感じた。

 背筋にチャクラを注ぎ込み、サスケは上体を逸らす。

 顎に繰り出されたリーの左脚の蹴り。それを紙一重で何とか避けることに成功したサスケだったが、続けて放たれた右脚の蹴りは避けきれなかった。

 とはいえ、リーの一撃を躱した時にできた僅かな時間はサスケにとって僥倖だった。サスケは両手で顎をガードするための時間を取ることができたのだから。

 

 サスケの両手へリーの蹴りが当たった。

 それと共に、足にチャクラを集めて跳躍力を上げたサスケは上へと跳び上がり、リーの蹴りの威力を殺す。

 上へと飛ぶサスケ。リーの下忍とは到底思えない動きの正体に気が付いたサスケは空中で思わず動きを止める。

 

 と、リーの気配をサスケは感じ取る。空中に飛ばされたサスケに寄り添うようにして背後にピッタリとつくリー。

 その技にサスケは心当たりがあった。

 

「影舞葉!?」

 

 木ノ葉流体術の一つである影舞葉。敵を木の葉に見立ててその影を舞うかの如く動き追跡する技だ。

 人体構造上、人は背後へと攻撃はできない。また、間接を外すなどをして、背後に攻撃ができたとしても、その威力は微々たるものだ。

 

 ──まさか、こいつの技は……。

 

「気づいたみたいですね。そう、ボクの技は単なる体術です。俄かには信じられないかもしれませんが。写輪眼には幻・体・忍術の全てを見通す能力があると言われます。確かに印を結び、チャクラを練るという法則性が必要な忍術や幻術は見破って確実に対処できるでしょう。しかし、体術だけはちょっと違うんですよ」

「……」

「例え、写輪眼でボクの動きを見切っても君の体はボクの体術に反応できるスピードを備えていない。つまり、目で分かっていても体が動かないんじゃどうしようもない訳です」

 

 リーは腕に巻いたサラシの結び目を解く。

 

「知っていますか? 強い奴には天才型と努力型がいます。君の写輪眼がうちはの血を引く天才型なら、ボクはただ只管に体術をだけを極めた努力型です。言ってみれば、君の写輪眼とボクの体術は最悪の相性。そして、この技で証明しましょう。努力が天才を上回ることを」

「随分、饒舌だな」

「!?」

 

 サスケの声色に危険なものを感じたリーは目を丸くする。サスケには成す術がない。状況はそうだ。

 だが、サスケの余裕は自分が追い込まれたことを感じさせないもの。ここに来て、リーは自分が天才と称した男の前で油断していたことに気が付いた。

 

 リーの間違いは三つ。

 サスケの両手の動きを止めなかったこと、サスケが手裏剣をホルダーから取り出していたことに気が付かなかったこと、そして、サスケの準備が整う時間を与えてしまっていたことだ。

 

「体術使いだろうが空中じゃ動けない」

「!?」

 

 サスケの手から手裏剣が放たれようとした。

 ところが、サスケが行動を起こす前に、勝負の結果は決まっていた。

 

 どこからか、風を切る音が聞こえた。

 リーの腕に繋がるサラシが壁へと縫い付けられる。

 

 次いで、聞こえるのはカラカラという子どもの遊びのような音。

 リーのサラシは風車によって壁に縫い付けられていた。

 

 ──今度は何だ?

 

 壁にサラシが縫い付けられたことで、リーの空中機動はできなくなった。サスケとしても、そのような相手に追撃を加える気は起きなかった。体勢を崩し、床へと向かうリー。サスケは空中で体勢を立て直して、猫のように床へと降り立った。

 

 リーの姿から一瞬、目を離したサスケだったが、すぐにリーの姿を目に捉える。床で跪くリー、そして、リーが顔を向けた先にいるのは、リーのサラシに風車を当てて闘いを邪魔した乱入者だ。

 と、サスケは怪訝な顔付きで乱入者を見た。

 

「そこまでだ、リー!」

「見てらしたんですか?」

 

 乱入者に怒鳴られ、項垂れるリー。

 

「リー! 今の技は禁じ手であろうが!」

「す、すみません。つい……」

 

 乱入者である陸亀に怒鳴られ、項垂れるリー。訳が分からないと言葉にせずともサスケの顔はそう語っていた。

 

 陸亀に睨みつけられたリーは、その迫力に思わず弁解を始める。

 

「し……しかし、もちろん、ボクは“裏”の技の方を使う気はこれっぽっちも……」

 

 状況についていけないサスケ。そんな彼は目の前で起きていることを、ただ眺めるだけしかできなかった。

 

「馬鹿め! そんな言い訳が通用すると思うか! 忍が己の技を明かすということは、どういうことかお前もよく知っているハズじゃ!」

「オ……押忍」

「覚悟ができたであろうな?」

「オ……オッス……」

「では、ガイ先生。お願いします!」

 

 陸亀の甲羅の上で煙が立つ。

 

「全く! 青春してるなー! お前らーっ!」

 

 状況についていけないサスケ。そんな彼は目の前で起きていることを、ただ眺めるだけしかできなかった。

 そう、煙の中から出てきたリーと瓜二つの恰好をした成人男性を眺めることしかできなかったのだ。

 

「あの出方……参考にさせて貰いたいものだ」

「何言ってんの!?」

 

 後ろで聞こえてきたナルトの声にサクラのようにツッコむ余裕すらないサスケは、目の前の成人男性をただ眺める。リーと同じ黒髪のおかっぱで緑色の全身タイツを着こみ、太い眉毛の男性。全体的に“濃い”人物である。サスケはその男性が来ている木ノ葉のベストに着目した。

 おそらくは、リーの担当上忍、陸亀が呼んだガイ先生なのだろう。

 

 ──カカシの方がまだマシか。

 

 木ノ葉の忍はどうなっているんだと内心、嘆息しながらサスケはリーと彼の担当上忍のやり取りをただ眺めていた。

 

「リー!」

「あ、オッス」

「バカヤロー!」

「ふぐっ!」

 

 突然、ガイはリーを殴りつける。

 

「お前って奴ァ……お前って奴ァ……」

「せっ、先生……!」

 

 涙を流しながら見つめ合う二人。

 

「先生、ボクは、ボクは……」

「もういい、リー! 何も言うな!」

「先生!」

 

 熱い抱擁を交わす二人。

 

「そう……これこそ青春だ」

「先生~!」

 

 きつく互いの体を抱き締め合う二人の男。

 

 ──こんな奴にオレは押されていたってのか?

 

 そんな彼らを冷ややかな目で見つめるサスケ。

『こんなふざけた奴らに押されるとは』と認めたくないサスケだったのだ。

 

「いいんだ、リー! 若さに間違いってのはつきものなんだ」

「優し過ぎます、先生っ!」

「だが、喧嘩をした挙句、禁を破ろうとした罰は、建前上、中忍試験後にでも受けて貰うぞ♡」

「ハイッ!」

「演習場の周り500周だ!」

「押忍!」

 

 そんな彼らを冷ややかな目で見つめるサクラ。

『こんなふざけた人たちにサスケくんが押されるなんて』と認めたくないサクラだったのだ。

 

 二人の冷たい視線に気が付いたのか、リーとの抱擁を辞めた上忍らしき人物、ガイが立ち上がる。

 

「それより、カカシ先生は元気かい? 君たち!」

「カカシを知ってんのか?」

「知ってるも何も……クク」

 

 瞬間、ガイの姿が掻き消えた。

 サスケとサクラは弾かれたように後ろへと振り返る。

 

「人はボクらのことを“永遠のライバル”と呼ぶよ」

 

 ──この子たち……なるほど、カカシが中忍試験に推す訳だ。

 

 それに、ナルトは驚いた様子もないとは。

 ガイはカカシが担当している下忍たちの所作に驚く。ガイが手塩に掛けた下忍たちならいざ知らず、他の下忍が自分の動きを見切れるとは思ってもみなかったのだ。

 

 とはいえ、自分が受け持つ下忍、特に下忍の中でも随一の実力を持つネジならば、今のナルトと同じように驚くこともなかっただろう。自分の担当している下忍たちは強いと思い至ったガイは自信有り気に声を出す。

 

「50勝49敗。カカシより強いよ、オレは」

 

 ──速い。スピードならカカシ以上だ。筋肉もナルトほどついていないってのに……このスピード、どうやって?

 

 慄くサスケへとガイは視線を向ける。

 

「今回はリーが迷惑を掛けたが、オレの顔に免じて許してくれ。この爽やか(フェイス)に免じてな」

 

 ウインクをするガイの顔にやっと視線を向けたサスケは唇を噛んだ。

 

 ──カカシよりも上、か。いや、そんなことはどうでもいい。コイツで上忍。……クソがッ!

 

 自分の実力を痛感したのだろう。

 彼の目的である復讐を成すには、まだまだ力が足りないという事実を目の前に突き付けられたサスケは拳を握り締める。

 

「リーも君たちもそろそろ教室へ行った方がいいな」

 

 サスケの様子を見たガイはクナイを投げ、風車へと当てる。自分の爽やかな顔にサスケは嫉妬したと判断したのやもしれない。余裕綽々のガイは、その場から立ち去るために足を曲げた。

 

「じゃ、頑張れよ、リー! あばよ!」

「押忍!」

 

 一瞬で姿を消すガイ。

 ガイを見送ったリーはサスケへと再び視線を遣る。

 

「サスケくん。最後に一言、言っておきます。実のところ、ボクは自分の能力を確かめるために、ここへ出てきました。そして、木ノ葉の下忍で最も強い男を倒すために」

「……木ノ葉の下忍で最も強い男?」

「ええ、先ほど君へ名前を聞いた人です」

 

 サスケの脳裏に一人の男の顔が過る。

 

 黒の長髪に白い眼の男だ。

 

「彼の名は日向ネジ。ボクは彼を倒すために出場するんです。そして、君もターゲットの一人。それから……」

 

 リーはサスケからナルトへと向き直った。

 

「……ナルトくん。アナタはボクの憧れだった。だからこそ、ボクはアナタと闘い、アナタに勝ちたい。だから、中忍試験本戦まで上がって来てください。ボクがアナタを倒すための舞台はそこが相応しい」

「無論……己は誰にも負ける気はしない」

 

 獣のようにナルトとリーは笑い合う。

 

「試験! 覚悟しといてください!」

 

 ガイに続いてリーも姿を消した。

 

 固めた拳を解き、サスケは肩から力を抜いて写輪眼を元の瞳へと戻す。茫洋としたサスケの瞳はいくつかの顔を映し出していた。

 サスケが思い返すのは、数々の顔。砂曝の我愛羅、日向ネジ、ロック・リー、そして……。

 

「面白くなって来たじゃねーか。中忍試験、この先がよ!」

「無論」

「うん!」

「行くか、ナルト! サクラ!」

「承知」

「ええ!」

 

 ──ナルト。オレはお前と闘いたい。

 

 言葉にはせず、サスケは静かに意志を固める。

 力がないことは分かったサスケだ。だが、それがどうしたというのだ。この若い血潮をどうして止められるというのか?

 彼は足を進めるのだった。

 

 +++

 

「そうか、サクラも来たか」

 

 サスケたちが廊下を進むと、見知った人物の姿がそこにあった。

 試験会場である忍者学校の301の教室。その前に立つのはカカシだ。

 

「中忍試験、これで正式に申し込みができるな」

「どういうこと?」

「実のところ、この試験は初めから三人一組(スリーマンセル)でしか受験できないことになってる」

「え? でも、先生、受験するかしないかは個人の自由だって。じゃあ、嘘、吐いてたの?」

「もし、そのことを言ったなら、お前はサスケやナルトのためと自分の意志を押し込もうとするだろ?」

「そう……ね」

「だが、お前は自分の意志でここに来た。いい顔になったな、サクラ」

「へ? ……あ、ありがとうございます」

 

 カカシは笑う。

 

「お前らはオレの自慢のチームだ。さあ、行って来い」

 

 ──そして、驚かせてやれ。

 

 扉の先に進む己の部下の後ろ姿を見たカカシは実に愉しそうに笑った。

 



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シンクロ・マッスル学習

試験問題として挿絵をつけていますので、お手数ではありますが表示をお願いします。


 忍者学校301。

 つまり、中忍試験の会場へと踏み入れたナルトたち第七班は、その異様な光景を目にする。彼らが過ごして慣れ親しんだハズの忍者学校の姿はなかった。

 

 周りを見渡せば、数多くの忍の姿が目に入る。木ノ葉だけではない。砂、雨、草、滝、音。各国の隠れ里より集められた自分たちよりも忍の経験を積んだ忍たちの姿。

 

 サスケと言えども、余裕を保ってはいられなかった。自分たちへと向けられる、決して好意とは思えない視線の数々。サスケは思わず息を呑む。

 常に余裕を持ち、下忍の実力の範疇に収まらないサスケでこうなのだ。サクラは言うまでもない。

 

 ──何か……みんな凄そうな奴らばっかり。

 

 二人とも目の前の異様な雰囲気に吞まれていた。だから、後ろから足早に近づく影に気づけなかったのだ。

 

「サスケくん、おっそーい♡」

 

 場違いな声と共に、突如、サスケの背に抱き着く一人の少女。

 

「私ったら、久々にサスケくんに遭えると思ってぇ~……ワクワクして待ってたんだから―♡」

 

 彼女の猫撫で声がサクラの逆鱗に触れる。

 

「サスケくんから離れーっ! いのぶた!」

「あ~ら、サクラじゃな~い。相変わらずのデコり具合ね、ブサイクー」

「なんですってー!」

「べー」

 

 サクラの叫びに舌を出す金髪の少女。

 彼女の名は、山中いの。サスケやサクラ、そして、もちろん、ナルトとも顔馴染みの少女だ。同じ忍者学校で学び、同じタイミングで卒業し、同じく下忍として日々の任務に汗を流す。同期という言葉が彼らの関係を表すに最も相応しい言葉であるだろう。

 

「何だよ、お前らもこの試験受けんのかよ」

「久しぶりだねー」

「久しいな。シカマル、チョウジ」

 

 癖のある黒髪を後頭部で纏めた少年と小太りの少年、彼らはいのに続いてナルトたちへと歩いて来る。

 

「よりにもよって、お前らと同じ時に中忍試験を受けるなんてツイてねーな」

「もし、闘うような時があったら、お手柔らかに頼むよ」

 

 癖のある黒髪を後頭部で纏めた少年は奈良シカマル。そして、小太りの少年は秋道チョウジ。彼らもナルトたちの同期で、更に、いのと同じ班員だ。

 上忍、猿飛アスマが率いる第十班……いの、シカマル、チョウジの三人が此度の中忍試験へとエントリーしていた。

 

「ひゃっほー! みーっけ!」

 

 と、シカマルとチョウジの後ろから新しい声がナルトたちへ届く。

 シカマルたちの後ろから現れたのは、頭に仔犬を乗せた少年、サングラスを掛けた少年、少しサイズの大きいパーカーを着た少女だ。

 

「これはこれは皆さん、お揃いでェ!」

「お前らもかよ。めんどくせーな」

「貴殿らも中忍試験を受けるのか」

 

 彼らもまた、ナルトたちと同期の下忍たちである。

 

 頭に仔犬を乗せた少年は犬塚キバ。それと、彼の相棒である赤丸。

 サングラスを掛けた少年は油女シノ。

 少しサイズの大きいパーカーを着た少女は日向ヒナタ。

 

 上忍、夕日紅が率いる第八班……キバ、ヒナタ、シノの三人が此度の中忍試験へとエントリーしていた。

 

 自分の班以外の6人を見渡したキバは好戦的な笑みを浮かべる。

 

「く~、なるほどねー。今年の新人下忍9名、全員受験って訳か! さて、どこまで行けますかねェ、オレたち。……ねェ、サスケくん?」

「フン……えらく余裕だな、キバ」

「オレたちは相当修行したからな。お前らには負けねーぜ」

「ワンワン!」

 

 主人に同意するというように赤丸が鳴く。

 

「おい、君たち! もう少し静かにした方がいいな」

 

 と、ナルトたちへと声が掛けられた。振り返る彼ら9人の前にいたのは眼鏡を掛けた青年だ。

 

「君たちが忍者学校出たてホヤホヤの9人だろ? カワイイ顔してキャッキャッと騒いで。全く……ここは遠足じゃないんだよ」

「む? それはすまない。……ところで、貴殿は?」

「ボクはカブト。それより、辺りを見てみな」

「辺り?」

 

 カブトと名乗った青年は9人の目線を教室の奥へと向けさせた。

 

「君の後ろ、アイツ等は雨隠れの奴らだ。気が短い。試験前で皆、ピリピリしてる。どつかれる前に注意しとこうと思ってね」

 

 ナルトは周りを見渡す。

 カブトの話を聞くこともなく、ナルトは自らの頭の中で言葉を組み立てていた。

 

 ──ナルトくんが頭を捻ってる。

 

 ナルトの様子にいち早く気が付いたのはヒナタだ。他の者は皆、カブトの話、サスケが尋ねたリーや我愛羅の情報を聞く方に意識を割いており、ナルトへと注意を向ける者はいなかった。

 

 ──ナルトくんも緊張するのかも。

 

 ヒナタはナルトを見るだけで行動は何も起こさない。いや、何も起こせないという方が正しいだろう。端的に言うと、彼女はナルトに惚れていた。内気な彼女は好意を寄せている相手に自分から声を掛けることを苦手としていたのだ。

 

 そのため、ヒナタはサクラへと視線を注いだ。

 ナルトと同じ班であるサクラ、且つ、自分と同じ、尤も好意を寄せる対象は違うが、恋する乙女であるサクラならば、自分の視線にも気が付くのではないかという考えの元、実行されたヒナタの熱視線にサクラは気が付いた。

 

 サクラが視線を注がれていることに気づき、頭を上げる。そこには、自分を見つめるヒナタの姿。

 

 ──どうしたの、ヒナタ?

 ──あの……ナルトくんが……。

 

 アイコンタクトで通じ合うヒナタとサクラ。分析力に関して図抜けた血筋を持つヒナタと天性の分析力を持つサクラだからこそ成し得た技である。

 

 サクラがヒナタからナルトに目線を向けると、鋭い目つきで中忍試験の受験生である忍たちを見つめているナルトの様子が目に入る。

 

 ──なんか、ナルトらしくない。

 

 緊張……してるのかな?

 

 そこまで考えたサクラはサスケの言葉を思い出す。

 

『お前の分析力と幻術のノウハウは、オレたちの班で一番伸びてるからな』

 

 それは自分の力を認めてくれた言葉。それが、どれだけサクラの心を軽くしたことか。

 

 ──ナルトを励ましてあげよう。

 

 サスケと同じように、自分もナルトの緊張を解そうとサクラはナルトに向かって手を伸ばした。

 

(つわもの)どもよ。遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」

 

 その声は朗々と響いた。思わず、伸ばし掛けていたサクラの手が止まる。

 

「敢えて語ろう、己は強者だと」

 

 静まり返る教室の中、ナルトは口を動かす。

 

「敢えて語ろう、己が名を」

 

 心底、愉しい。

 教室の中にいた忍たちは全員、ナルトの表情から彼の心の内を推し量ることができたのだ。

 

「うずまきナルト。貴殿らと闘う者の名だ」

 

 そして、言われっぱなしで黙っていられるほど彼らは大人ではなかった。尤も、色めき立つことができる蛮勇を備えていたのは、木ノ葉の額当てを着けていない忍に限るが。

 

 タンッと床を蹴る音がした。

 

 ──この殺気……あの時の者か。

 

 我愛羅と初めて会った時、自分たちを見下ろすように上から感じていた殺気。それと同等の殺気を放つ者。

 

 ナルトは感じた殺気の方へと目を向ける。

 逆立った黒髪の少年が宙へと跳び上がっていた。少年は何も言わず、素早い動きでナルトへとクナイを数本投げつける。

 

 ──クナイはフェイク。

 

 死の文字が服に書かれた少年はニヤリと笑い、同じ班員である少年を見る。

 

 ──本命は……こっちだよ。

 

 包帯で顔の大部分が覆われた少年は右手にチャクラを流す。ナルトの目は上から迫るクナイに向いており、ナルトの死角である下から攻める少年は包帯の下でほくそ笑む。それは、必勝の手順。

 そして、初めて見せる自分の術に相手は成す術がないだろうという自信。

 

「その闘志、見事。だが、今は戦うべき時ではない」

「!?」

 

 井の中の蛙大海を知らず。

 それは所詮、根拠のない自信であった。

 

 顔に包帯を巻いた少年の動きが完全に止まる。

 死と服に書かれた少年も目の前から消えたナルトの姿を探すために辺りを確認する。そして、ナルトの姿を見つけた少年は目を大きく見開いた。

 

「して……貴殿の名を聞いてもよいか?」

「……ドス・キヌタです」

「貴殿と闘う時が楽しみだ。互いに全力を尽くそう」

「……はい」

 

 ドスは頷くしかなかった。

 いつの間に移動したのだろうか。ドスの右腕がナルトに掴まれていた。右腕に着けた特製の小手が掴まれているこの状況では、自分の力を発揮することはできない。それどころか、自分が何かアクションを起こした瞬間、右腕に着けた小手が握り潰される可能性がある。

 

 ──まさか、ここまで速いとは。考えを改めなくちゃダメか。

 

 音符の意匠が凝らされた額当て。それは新興の隠れ里、音隠れの忍である証。

 そして、彼は音隠れの長から命を受けていた。その命令を達成するためには、ここで潰される訳にはいかない。

 だからこそ、ドスも、そして、彼の班員もこれ以上、無理に動くことはできなかったのだ。とはいえ、優秀な彼らだ。ナルトが自分たちへと攻撃をする意志はないと考え、心を平静に戻した。

 

 と、ボフンと大きな音が教室の中に響く。

 

「静かにしやがれ、どぐされヤローどもが!」

 

 教室の前方に煙が立つ。先ほどの怒号は煙の中から発せられたものらしい。

 薄くなる煙。そこから現れたのは試験官の忍たちだった。20ほどの忍たちの先頭に立つのは、厳しい顔付きの男性だ。

 

「待たせたな……。『中忍選抜第一の試験』、試験官の森乃イビキだ」

 

 黒頭巾を被った忍は森乃イビキと名乗る。

 と、イビキの目が鋭くナルトとドスへと向いた。

 

「音隠れのお前ら! 試験前に好き勝手やってんじゃねーぞ、コラ。いきなり失格にされてーのか?」

「すみませんねぇ。なんせ初めての受験で舞い上がってまして……つい……」

「フン」

 

 ドスのあまり反省していない様子にイビキは鼻を鳴らす。

 

「いい機会だ、言っておく。試験官の許可なく対戦や争いはありえない。また、許可が出たとしても相手を死に至らしめるような行為は許されん」

 

 イビキは教室をギロリと見渡した。

 

「オレ様に逆らうようなブタ共は即、失格だ。わかったな?」

 

 教室がイビキの言葉でざわつく。ある者はイビキの様子に恐怖を、ある者はイビキの言葉に甘さを感じた。だが、感じた感情が違ったとしても、次の動作は同じものだ。イビキの次の言葉を待つべく、下忍たちは口を閉じていく。

 ざわつきが収まるのを待った後で、イビキは再び口を開いた。

 

「では、これから中忍選抜第一の試験を始める。志願書を順に提出して代わりにこの…………座席番号の札を受け取りその指定通りの席に着け! その後、筆記試験の用紙を配る」

「……ペッ……ペーパーテストォオォォオ!!」

 

 ナルトの悲鳴が木霊した。

 

 +++

 

 ──己としたことが……。あまりの衝撃に冷静ではいられぬとは。

 

 また山籠もりが必要だなとナルトは結論付けながら、ナルトは指定された席へと着いた。

 

「ナルトくん」

「む? ヒナタか」

 

 奇しくも、同じ木ノ葉隠れの里出身であるヒナタがナルトの隣に座っていた。

 

「お……お互い頑張ろうね」

「無論」

 

 頷き合う二人を割くようにイビキの声が説明を始める。

 

「試験用紙はまだ裏のままだ。そして、オレの言うことをよく聞くんだ」

 

 黒板の前に立つイビキがこの第一の試験のルールを説明していく。

 

「この第一の試験には大切なルールってもんがいくつかある。黒板に書いて説明してやるが、質問は一切受け付けんからそのつもりでよーく聞いとけ」

 

 説明しながらイビキはチョークを黒板に滑らせる。

 

「第1のルールだ! まず、お前らには最初から各自10点ずつ持ち点が与えられている。筆記試験問題は全部で10問、各1点。そして、この試験は減点式となっている。つまり、問題を10問正解すれば、持ち点は10点そのまま。しかし、問題で3問、間違えれば持ち点10点から……」

 

『2. 3問不正解』と書かれた文字の左に右矢印を引く。

 

「……3点が引かれ、7点という持ち点になるわけだ」

 

 イビキは一呼吸置く。

 

「第2のルール。この筆記試験は“チーム”戦。つまりは、受験申し込みを受け付けた三人一組の合計点数で合否を判断する。つまり、合計持ち点30点をどれだけ減らさずに試験をおわれるかを“チーム単位”で競ってもらう」

 

 ゴンという音がイビキの説明を止める。そして、音がした方向から声が上がる。サクラだ。

 

「ちょ……ちょっと待って! 持ち点減点式の意味ってのも分かんないけど、チームの合計点ってどーいうことぉ!?」

「うるせぇ! お前らに質問する権利はないんだよ! これにはちゃんとした理由がある。黙って聞いてろ!」

 

 サクラは有無を言わさず黙らされる。

 

「分かったら肝心の次のルールだ。第3に試験途中で妙な行為……つまり、『カンニング及びそれに準ずる行為を行った』とここにいる監視員たちに見なされた者は……」

 

 悪い顔で微笑むイビキの顔は下忍たちにプレッシャーを与える。

 

「その行為“一回につき”持ち点から“2点ずつ”減点させてもらう」

「あ!」

 

 ──筆記問題以外にも減点の対象を作ってるってことね。

 

 サクラが勘付いたことに気が付いたのだろう。イビキは頷く。

 

「そうだ! つまり、この試験中に持ち点をすっかり吐き出して退場して貰う者も出るだろう」

「いつでもチェックしてやるぜ」

 

 イビキの言葉に同調した中忍、コテツが椅子を軋ませながらバインダーで自分の膝を軽く叩く。

 

「無様なカンニングなどを行った者は自滅していくと心得てもらおう。仮にも中忍を目指す者、忍なら……立派な忍らしくすることだ。そして、最後のルール。この試験終了時までに持ち点を全て失った者、及び、正解数0だった者の所属する班は……」

 

 イビキは衝撃的な言葉を口にした。

 

「……3名全て道連れ不合格とする!!」

 

 下忍たちの顔が固まる。

 問題が解けないものは、仲間の足を引っ張ってしまうという想像を絶するプレッシャー。

 

「試験時間は一時間だ。よし……」

 

 教室内の緊張が高まる。

 

「始めろ!!」

 

 +++

 

 改めて、中忍選抜“第一の試験”のルールを見てみよう。

 ①最初から各受験者には満点の10点が与えられている。試験問題は全部で10問・各1点とし、不正解だった問題数だけ持ち点から引かれる。減点方式。

 ②試験はチーム戦。つまり、三人一組の合計点(30点満点)で競われる。

 ③「カンニング、及びそれに準ずる行為を行った」と見なされた者は、その行為1回につき、持ち点から2点ずつ減点される。

 ④試験終了時までに(カンニングにより)持ち点全てを失った者・及び正解数が0だった者は失格とする。また、その失格者が所属するチームは、3名全員を道連れ不合格とする。

 

 特殊なルールが用いられた試験。中忍になるものを選抜するためとは言え、素直にイビキの言ったことを読み解くと不誠実極まりない試験だ。

 だが、ナルトは立ち止まらない。どんな困難もその両手の拳で打ち砕いていくナルトは止まらない。

 

 ──己はただ、一問一問愚直に取り組むのみ!

 

 ナルトは試験用紙をぺラリと捲ってひっくり返す。

 試験の必勝メソッド、その一として、ナルトは自分の名前を丁寧に書く。丁寧に名前を書くことで昂った精神が落ち着くとはイルカの談だ。

 

 自らの名を丁寧に、本当に丁寧に名前欄に書いたナルトは視線を下す。

 

 一問目は暗号文だ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……」

 

 ──分からぬ。

 

 汗が滴り落ち、答案用紙に染みを作る。

 そんなナルトの後ろ姿を見ながら、サクラは困ったと周囲に見せるかのように髪をかき上げた。

 

 ──大丈夫かな、ナルト。って、私も自分の心配をしなくちゃ。

 

 忍者学校に在籍していた時、ナルトの座学の点数は良いと言えるものではなかった。

 これは余談ではあるが、暗記をする際に動きながら物を覚えると記憶に残り易い。そのことを聞いたナルトは早速、試してみた。スクワットをしながら、巻物を読み上げ暗記をしようとした。

 だが、元々、頭脳仕事が苦手なナルトだ。努力の成果は中々出ず、忍者学校卒業時の彼の成績は一番下であった。尤も、これはナルトの努力に触発された他の忍者学校生が真面目に授業に取り組んだ一因となったのではあるが。

 

 一問目からレベルの高い問題だ。サクラは意識をナルトから目の前の答案用紙に切り替える。

 

 えっと、第二問。

 図の放物線Bは、高さ7mの木の上にいる敵の忍Aの手裏剣における最大射程距離を描いている。この手裏剣の描く楕円に現れる敵の忍者の特徴、及び、平面戦闘時における最大射程距離を想定し答え、その根拠を示しなさい。

 

 サクラの顔色が変わる。

 第二問は、ナルトが止まった第一問、暗号問題以上の難易度。座学では忍者学校トップクラスだったサクラと言えども、動揺を隠せない。

 

 ──これって、不確定条件の想定と力学的エネルギーの解析を応用した融合問題じゃない。ここにいるほとんどの奴ができないわよ、こんな問題!

 

 その“ほとんどの奴”にサスケも含まれていたことをサクラは知らない。

 

 ──こんなの……一問たりともわかんねェ……。

 

 大きく溜息を吐くサスケの顔は常とは違い、焦燥に駆られているものだった。

 

 ──おまけに何だよ、この10問目は。

 

 サスケは試験用紙の一番右下へと目を向ける。

 

 第十問。

 この問題に限っては、試験開始後45分経過してから出題されます。担当教師の質問を良く、理解した上で回答してください。

 

 サスケはチラと横目で試験官たちを見る。

 

 ──にしても、この念の入れよう。オレたちがカンニングするって、まるで決め込んでるようなやり口だな。嫌な奴らだぜ。

 

「!」

 

 ──誰かやられたな。

 

 試験官が持つバインダーからカリカリと何やら音がする。誰かのカンニングがバレて、チェックされたようだ。

 

 試験官の様子を見ながら、サスケは責任者たるイビキの顔を思い返していた。

『無様なカンニングなどを行った者は自滅していくと心得てもらおう。仮にも中忍を目指す者、忍なら…立派な忍らしくすることだ』

 

「!」

 

 ──ちょっと、待てよ……そうか、そういうことか。

 

 イビキの言葉には“裏”がある。そのことにサスケは気が付いた。

 

 ──チィ……何てこった。これはただの知力を見る筆記試験(ペーパーテスト)じゃなかったんだ! 早く気づけ、ナルト! 命取りになるぞ。何故なら、このテストは……カンニング公認の偽装・隠蔽術を駆使した“情報収集戦”を見る試験でもあったんだ。

 

 サスケはカカシの言葉を思い出す。

 

 ──『忍は裏の裏を読め』か。つまり、試験官の本意は、カンニングをするなら、無様なカンニングじゃあなく、“立派な忍らしく”バレないようにすべしってこった。

 

 サクラに続いて、サスケもナルトの背中を見遣る。

 

 ──気づけ、ナルト! 勘のいい奴はそろそろ動き始めるぞ!

 

 だが、ナルトは気が付かない。物事を素直に捉え過ぎるきらいがあるナルトだ。

 カカシの教え、『忍は裏の裏を読め』を理解していても素直さ故に、その言葉通りに動くことはできなかった。

 

 つまり、この第一の試験はナルトにとって最悪の相性の試験だと言えるだろう。だが、彼はここで諦める訳にはいかない。

 ただ只管に問題へと取り組むのであった。

 




暗号文のヒントはド根性忍伝です。
というか、答えの文はド根性忍伝の一文より引用しています。


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一手

 焦燥が場を支配する。中忍試験受験者たちの前に立ち塞がるのは筆記試験問題。班員と共に落ちるか否かという現実が受験者たちに与えるプレッシャーは計り知れない。

 感じるプレッシャーのせいで、問題を解くための集中力が途切れる。実力の全てを出し切ることができない者が頭を抱える状況の中、ナルトは微動だにせず、彼の顔は影を作っていた。

 

 ──分からぬ。

 

 腕を組み、穴のあくほど試験用紙を見つめるナルトだったが、文字が変わることはなく彼の前に難問は立ち塞がるままだ。コチコチコチと時計の針が進む音が規則的に響き渡る忍者学校301教室。

 ある者は頭を掻きむしり、ある者は掌を顔に当て、ある者は目に涙を浮かべ試験問題へと挑む。試験の問題は難易度を間違えていると受験者たちに思わせるほど高い。

 だが、中忍試験の運営に携わるイビキには、下忍には決して解けないほどの難問を出題した理由がある。

 

 彼の意図、それは、受験者たちの情報収集能力を見るというものだ。つまり、“忍びらしく”試験官にバレないようなカンニングを受験者たちに強制させるのが目的の試験だ。そして、その目的に気づかない者は試験時間中、何もできることはない。

 彼の目論見通り、第一の試験はイビキという忍の力をフルに活かす場となった。

 

 特別上忍、森乃イビキ。

 木ノ葉暗部、拷問・尋問部隊隊長。

 拷問のスペシャリストである彼は、どこをどのように突けば、人の精神が壊れるか熟知している。彼が作り上げた第一の試験のルールは下忍たちを精神的に攻める非情なものだ。

 

 そして、それは真っ直ぐな性格のナルトにとっては、あまりにも……あまりにも相性が悪い試験。ナルトは、第一の試験の“裏”に気づくことはできなかった。だからこそ、彼は正面から暗号問題へと取り組むのである。

 だが、彼もまた一廉の忍である。忍としての教育はしっかりと忍者学校で受けており、忍者学校のカリキュラムの中には、もちろん、暗号の解読もしっかりと入っていた。

 ナルトは暗号の授業を担当していた恩師、イルカの言葉を思い浮かべる。

 

『いいか? 暗号には大きく分けて3パターンある。まず一つ目が“ステガノグラフィ”と呼ばれる手法だ』

 

 ──そう、ステガノグラフィだ。ステガノグラフィとは……。

 

 ナルトの頭にある言葉、ステガノグラフィとは絵などに文章を入れ込む手法のことだ。主な使われ方としては、敵地に赴いた忍が作成する地図に俳句などを書き加えて、敵地の情報を、それとは分からないようにすることが挙げられる。

 また、左から右へ読む文章の頭文字を上から下へと読んでいくことで、意味のある文章を見つける縦読みも、このステガノグラフィの一種である。

 

 ──全く思い出せぬ……。

 

 だが、彼は思い出せなかった。

 思い出せないと悩む彼の頭の中で、またもや、イルカの声が響く。

 

『それじゃあ、次に行くぞ。二つ目がコードと呼ばれる手法だ』

 

 ──そう、コードだ。コードとは……。

 

 続いて、ナルトの頭の中で語ったイルカの“コード”という暗号の手法。これは、ある言葉を別の言葉で表現するというもの。

 簡単に言えば、隠語だ。“チョコ”という言葉は“大麻”の意味を持つ隠語。予め決められた全く別の言葉を使い、分かり難くするという暗号方式をコードと呼ぶ。

 

 ──全く思い出せぬ……。

 

 だが、これもナルトは思い出せなかった。

 

『そして、これが最後の手法。“サイファ”と呼ばれる手法だ』

 

 ──そう、サイファだ。サイファとは……。

 

 サイファとは、予め定めたアルゴリズムに従って、文字を別の何かに置き換える暗号の手法だ。文字を小さな図形に当てはめることで、図形の羅列で以って文章を構成することもできる。

 暗号と言えばサイファの手法で作られたものが思い浮かぶ者が多いだろう。

 

 そして、ナルトもまたそうだった。

 

 ──思い出すことができた。感謝する、イルカ先生。

 

 サイファについて、思い出したナルトはイルカの教えを手掛かりに試験問題へと再度挑むため鉛筆を手に取った。

 

 ──全く分からぬ……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 止まるナルトの体。停止した動きの中、ナルトの頭は目の前の情報を処理するために動きを速める。

 

 暗号ということで、なんらかの文章を変換したものだということは分かる。だが、それを解くための鍵はない。例え、イルカの教えがあろうが、それはあくまでも取っ掛かりを教えるだけ。暗号を解くには、解読のための膨大な共通鍵の知識が必要だ。

 それがない場合、非常に困難なことであるが、隠された鍵を自らの閃きで見つけ出さなくてはならない。

 

 じっと試験問題を見つめるナルトはあることに気が付いた。

 

 ──忍という字が多い。

 

『と、このように意味のない文字を多く入れることで読みにくくする手法もある。あまり使われることはないけど、覚えておくことに越したことはないぞ』

 

 ナルトは頭の中で解説する過去のイルカの姿に向かって頷く。

 

 ──これは引っ掛けか。

 

 “忍”という文字は意味のない文字だとナルトは当たりをつけた。それならばと、ナルトは忍という字を鉛筆で黒に染めていく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ここまで来て、やっと文章らしくなってきたとナルトは一人頷く。答案用紙の問題と同様に、この暗号も左上から右下へと読んでいくものかと思っていた。しかし、塗りつぶして見えてきた文章は縦読みの形式のようだ。上が一マス開いている箇所があることから、そう推察される。となると、最後の文字である“丸”は句点を、文の途中にある“点”は読点を示すものだろう。そして、文章であるならば、鍵という字は鍵括弧を示すものだと考えられる。

 つまり、右上から左下へと読んでいけばいいのだとナルトは一人頷いた。

 

 しかしながら、そこまで分かった所でナルトの鉛筆は止まった。

 読む方向が分かっていても、そこに書かれた文字が何を意味するのか分からない。例えば、初めの文字である“南”に、その次の“必”という文字。意味は解るものの、南必という言葉を聞いたことがないし、そこから続く言葉はナルトの脳にはインプットされていなかった。

 

 ──だが、諦める訳にはいかぬ。

 

 ナルトは集中を高め、問題用紙を見る。

 その集中力は、彼の右頬を掠めたクナイの存在を忘れさせることができるほどに卓越したものだ。

 

「な……何の真似ですか!?」

「5回ミスった。テメーは失格だ」

「そ……そんなぁ……」

「こいつのツレ、二人ともこの教室から出てけ。今、すぐだ」

 

 今し方、行われた自分の後ろの遣り取りが聞こえないほどにナルトは集中していたのだ。

 ナルトの頭が唸りを上げて回転する。だが、そう簡単に解ける暗号をイビキが出す訳もなく、ナルトは思わず天井を見上げた。

 その行為自体に深い意味はない。ただ斜角筋が動きを欲しがっている。そう感じただけだ。動くことでナルトの集中力はほんの少しではあるが、途切れてしまった。

 

「ナルトくん」

「む?」

 

 そこで、ナルトは微かな声に気が付いた。隣に座るヒナタの声だ。

 

「私の答え、見て」

 

 声を抑えて、ヒナタはナルトに話し掛ける。ヒナタの提案にナルトは心の中で首を傾げる。だから、ナルトはヒナタと同じように微かな声で彼女へと尋ねた。

 

「何故?」

「そ、それは……わ、私……」

 

 言い淀むヒナタの頬に朱色が差す。

 

「ナルトくんに、こんな所で消えて貰いたくないから」

 

 と、自分の本心を隠すように、取り繕うようにヒナタは言葉を繋ぐ。

 

「ホ……ホラ。新人は私たち9人だけだし、この先、不安も多いから……ね」

「ヒナタよ」

 

 焦るヒナタをナルトの深い音色の声が落ち着かせた。

 

「その申し出、断らせて貰う」

「え?」

「己は自らで障害を打ち砕く。そうでなくてはならぬ」

「そうだよね。ごめんなさい」

「とはいえ、ヒナタよ。貴殿の情け深さは美徳だ。貴殿の懇篤(こんとく)な所作は己も見習わなくてはならぬな」

「え? う、うん」

 

 ──ナルトくんに褒められた……んだよね?

 

 ヒナタの頬が深い赤に染まり、彼女は羞恥のあまり俯いた。ヒナタが自分から目線を外したということからナルトは彼女が話すことはなくなったのだろうと判断する。

 ナルトが問題用紙に目を向けると、そこには“忍”という字が全て塗りつぶされた暗号問題。

 

 ──さて、と。

 

 ナルトの動きが止まった。

 

 ──どうするか。

 

 素直にヒナタから答案を見せて貰えば楽だったろう。だが、それはナルトにとって認められないこと。正々堂々がモットーの彼の健全なる精神は不正行為をする自分自身を認められる訳がなかったのだ。

 例え、ヒナタの提案を断ることで自分が窮地に陥ろうとも。

 

 ──そう、己はかくあるべし。

 

 自分の生き様は曲げない。

 改めて自分の心に誓ったナルトの目が突如、細くなる。

 

 ……“ある”?

 

 ナルトは問題用紙を見る。了儿と漢字が連なっている箇所が“アル”とカタカナに見えた。

 ナルトの目は動く。漢字が並ぶ暗号。だが、よくよく見るとカタカナのように見える文字がいくつかある。問題用紙から距離を取り、俯瞰的に見ると多くのカタカナが見えてきた。

 例えば、“発”の左上が“ヲ”に見えるように。

 

 ──漢字の中にカタカナを……。

 

 ナルトの鉛筆がスラスラと動く。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そうつまり、この暗号はカタカナを内包する漢字を使った暗号だ。漢字の中にあるカタカナを読んでいけば、意味のある文章となる。

 そのことを理解したナルトは問題用紙へと鉛筆を滑らせていく。

 

 “多”は“タ”を二つ重ねたのは何か意味があるに違いない。ならば、前後の文に繋がるような文字は……“ダ”か。そして、刻はカタカナの“リ”ではなく、そのままの漢字として読むのだろう。そうでなくては、文章として繋がらぬ。

 

 解読を進めていくナルトの手により、文章はその姿を現していく。

 

 南の帝を儵となし、北の帝を忽となし、中央の帝を混沌となす。

 儵と忽と、刻とともに混沌の地に会えり。混沌、これをもてなすこと甚だ善し。儵と忽と、混沌の徳に報いんことを謀る。

 曰く、「人みな七竅あり、もって視聴食息す。これひとりあることなし。試みにこれ穿たん」

 日に一竅を穿つ。

 

 ナルトの手が淀みなく動き、後は一行のみとなった。

 

「これから“第10問目”を出題する!」

 

 解読を進めるナルトの耳にイビキの声が入ってきた。一旦、手を止めたナルトは顔を上げ、イビキに目を向ける。少し不満そうな顔付きのナルトであったが、その不満を押し込み、イビキの話に集中する。

 

「……とその前に、一つ最終問題についてのちょっとしたルールの追加をさせてもらう」

 

 イビキの言葉に教室中に緊張が奔る。彼が“ルール”という単語を持ち出すときは必ずと言ってもいいほど、自分たちが不利になる条件を加える時なのだから、それも仕方のないことだろう。

 と、皆が驚いている所にタイミング悪くドアが開いた。

 

「フ……強運だな。お人形遊びがムダにならずにすんだなァ?」

「!?」

 

 ──コイツ、見破ってやがる。

 

 カンクロウは汗を流す。カンニングをするために、彼は自分の人形、傀儡に試験官の恰好をしていた。試験官に変装させた傀儡を使い、他の受験生の答えを盗み見せてメモを取らせたのだ。

 カンニングを見破られたカンクロウの慄く表情を見て満足したのか、イビキは体の向きを変える。

 

「では、説明しよう。これは……絶望的なルールだ。まず……お前らにはこの第10問目の試験を……“受ける”か“受けないか”のどちらかを選んでもらう!」

「え、選ぶって! もし10問目の問題を受けなかったらどうなるの!?」

「“受けない”を選べば、その時点でその者の持ち点は0となる。つまり、失格! もちろん、同班の2名も道連れ失格だ」

「ど……どういうことだ!?」

「そんなの“受ける”を選ぶに決まってるじゃない!!」

「……そして、もう一つのルール」

 

 受験者たちに絶望が強く突きつけられる。

 

「“受ける”を選び、正解できなかった場合……その者については今後、永久に中忍試験の受験資格を剥奪(はくだつ)する! そして、その班員もだ!」

「そんなバカなルールがあるかぁ!! 現にここには中忍試験を何度か受験している奴だっているハズだ!!」

「ワンワン!」

 

 イビキはキバの抗議を笑って受け流す。

 

「クク……運が悪いんだよ、お前らは。今年はこのオレが…………ルールだ」

 

 邪悪なイビキの顔付きに受験者たちの興奮は一瞬にして冷まされた。

 

「その代わり引き返す道も与えてるじゃねーか」

「え?」

「自信のない奴は大人しく“受けない”を選んで……来年も再来年も受験したらいい」

 

 イビキは厳しい顔付きで教室内を見渡す。

 

「では、始めよう。この10問目……“受けない”者は手を挙げろ。番号確認後ここから出てもらう」

「不要だ」

「何?」

 

 イビキの言葉に打って響くはナルトの言葉。それが教室の空気を変えた。イビキは目を細め、ナルトに鋭い目線を向ける。

 ナルトの顔付きを見たイビキは彼が何やら怒りを覚えているのに気が付いた。大方、自分の言い様に怒り、冷静な判断ができなくなっている愚か者だと断じたイビキだったが、一応、その心理を確かめるためにナルトへと尋ねた。

 

「受けない者に手を挙げさせる権利が要らないと、お前はそう言いたいのか?」

「無論」

「十問目を答えられなかった場合、一生、下忍のまま。それでもお前はいいというのか?」

「……己は頭が良いとは言えぬ。だが、そのような己でも分かっていることがある。この試験、いや、忍としての人生。退くことはできぬ道だ」

「引き返す道も与えてやっているが?」

「もし、ここで退けば、己の頭には今日、退いてしまったことが永遠に残り続けるだろう。後悔し続ける道を選ぶならば、立ち向かい散る道を己は選ぶ。故に引き返す道などは不要」

 

 イビキを正面から見つめたナルトは彼に宣言する。

 

「己は退かぬ! どのような難問であろうが……例え、一問も解けていなかろうが、退くことを己は自らに許しはせぬ!」

「だが、いいのか? お前はそれで納得できたとしても、お前の班員たちはどうなる?」

「む!」

「ナルト!」

 

 教室の後ろからサスケの声が響く。

 

「オレたちのことを考えてねーな、テメーは」

「もし、答えられなかったら、私たちも道連れよ」

 

 サスケに続いてナルトの耳に聞こえるのはサクラの声。

 

「だが、まぁ……」

「そういうのもアンタらしいわね」

「ナルト、言ってやれ」

「私たちもアンタと同じ気持ちだから」

 

 ──サスケ、サクラ。感謝する。

 

「真っ直ぐ自分の言葉は曲げぬ。己の……忍道だ!」

 

 諦めかけていた者たちの目に火が灯る。

 

 ナルトの言葉に小さく頷いたイビキは他の試験官たちに目線を向ける。試験官たちもイビキの言いたいことが分かったのか、頷きでその合図に返す。

 

 ──愚者ではなく勇者か。

 

 最後にナルトに目を向けたイビキは彼から教室にいる全ての者へと視線を移した。

 

「いい“決意”だ。では、ここに残った114名全員に……“第一の試験”合格を申し渡す!」

 

 あっけに取られた表情を浮かべる受験生一同。

 サクラは受験生の総意を反映させる意見を言う。

 

「ちょ……ちょっとどういうことですか? いきなり合格なんて! 10問目の問題は!?」

「そんなものは初めから無いよ。言ってみればさっきの2択が10問目だな」

「え!?」

「ちょっと! じゃあ今までの前9問はなんだったんだ!? まるで無駄じゃない!」

「無駄じゃないぞ。9問目までの問題はもうすでにその目的を遂げていたんだからな」

「ん?」

「君たち個人個人の情報収集能力を試すという……目的をな!」

「情報収集能力?」

 

 テマリがイビキに質問する。

 

「まず、このテストのポイントは最初のルールで提示した“常に三人一組で合否を判定する”というシステムにある。それによってキミらは“仲間の足を引っ張ってしまう”という想像を絶するプレッシャーを与えたわけだ」

「……」

 

 ヒナタはナルトの何とも言えない顔付きを見て少し笑った。

 

「しかし、このテスト問題は君たち下忍レベルで解けるものじゃない。当然、そうなってくるとだな……会場のほとんどの者はこう結論したと思う。点を取る為には“カンニングしかない”と。つまり、この試験はカンニングを前提としていた! そのため“カンニングの獲物ターゲット”として全ての回答を知る中忍を2名ほど、あらかじめお前らの中に潜り込ませておいた」

「そいつを探し当てるのには苦労したよ」

「ああ、ったくなぁ」

 

 イビキの解説で賑わう教室。しかし、イビキが話しだすと教室は沈黙に包まれた。

 

「しかし、だ。ただ愚かなカンニングを何回もした者は……当然、失格だ。なぜなら、情報とはその時々において命よりも重い価値を発し……任務や戦場では常に命懸けで奪い合われるものだからだ」

 

 頭の頭巾を外し、彼はその下の傷を下忍たちに見せる。火傷やネジ穴などの悲惨な拷問の痕だ。

 

「敵や第三者に気づかれてしまって得た情報は“すでに正しい情報とは限らない”のだ。これだけは覚えておいて欲しい!! 誤った情報を握らされることは仲間や里に壊滅的打撃を与える!! その意味で我々はキミらに……カンニングという情報収集を余儀なくさせ、それが明らかに劣っていた者を選別した、というわけだ」

「……でも、なんか最後の問題だけは納得いかないんだけど」

「しかし……この10問目こそが、この第一の試験の本題だったんだよ」

 

 テマリにイビキは優しい顔で手を広げる。

 

「いったい、どういうことですか?」

「説明しよう。……10問目は“受ける”か“受けない”かの2択。言うまでもなく、苦痛を強いられる2択だ。“受けない”者は班員共々、即失格。“受ける”を選び問題に答えられなかった者は“永遠に受験資格を奪われる”実に不誠実極まりない問題だ」

 

 教室の全員が真剣な顔でイビキの話を聞く。

 

「じゃあ、こんな2択はどうかな? キミたちが仮に中忍になったとしよう。任務内容は機密文書の奪取。敵方の忍者の人数・能力・その他軍備の有無、一切不明。更には、敵の張り巡らした罠という名の落とし穴があるかもしれない。さぁ……“受ける”か? “受けない”か? 命が惜しいから、仲間が危険に晒されるから、危険な任務は避けて通れるのか?」

「……」

「答えはノーだ! どんなに危険な賭けであっても、降りる事のできない任務もある。ここ一番で仲間に勇気を示し……苦境を突破していく能力。これが中忍という部隊長に求められる資質だ!」

 

 イビキの言葉が進む。

 

「例えば……だ。いざという時、自らの運命を賭せない者。不確定な未来と引き換えに心を揺るがせ、チャンスを諦めて行く者。そんな密度の薄い決意しか持たない愚図に中忍になる資格などないとオレは考える!」

 

 険しい顔を緩め教室を見渡すイビキの目は暖かい。

 

「“受ける”を選んだ君たちは……難解な“第10問”の正解者だと言っていい! これから出会うであろう困難にも立ち向かっていけるだろう。入口は突破した。“中忍選抜第一の試験”は終了だ。キミたちの健闘を祈る!」

 

 イビキも勘付いたのか、目線を右にずらし窓の外に注目する。

 窓の外から見える景色はいつもの木ノ葉の里だ。ただ、そのいつもの景色にいつものではないものがあった。黒い塊。

 

 窓ガラスが割れた。

 けたたましい音と共にガラスを破って入ってきた影は、下忍には捉えることができない程のスピードで2本のクナイを天井に向かって投げる。そのクナイには布が結ばれており、別々の方向に投げられたクナイはその布を広げる。

 

「アンタたち、喜んでる場合じゃないわよ!! 私は第2試験官! みたらしアンコ!!次、行くわよ、次ィ!!!」

 

『第2試験官みたらしアンコ見参!!』と黒地に白の文字で書かれた布の前で手を広げる一人のくノ一。

 イビキと同じ木ノ葉隠れの里に所属する特別上忍、みたらしアンコというくノ一だ。

 

「……空気読め。」

 

 ボソリと呟くイビキにアンコは頬を赤らめる。

 イビキの視線から逃げるように、アンコは教室内の受験生たちへと目を向ける。と、彼女はその姿に目を丸くした。

 

「114人……!?」

 

 訝し気に呟いたアンコはイビキへと向き直る。

 

「イビキ! 38チームも残したの? 今回の第一の試験、甘かったのね!」

「今回は……優秀そうなのが多くてな」

「フン! まあ、いいわ。次の“第二の試験”で半分以下にしてやるわよ!」

 

 そういって、アンコは教室の外を指し示すように腕を広げた。

 

「ああ~ゾクゾクするわ! 詳しい説明は場所を移してやるからついてらっしゃい!!」

 

 +++

 

 受験生たちが全員、第二試験会場に向かった後、イビキは一人、教室に残っていた。

 残された問題用紙を回収していくイビキの手が一つの問題用紙の前で止まる。

 

「フッ……」

 

 そこには、名前だけが丁寧に書かれ、解答欄には何も書かれていない試験用紙があった。その問題用紙の一問目には書き込みが多く書き加えられており、回答者の努力の跡が一目で分かるものとなっている。

 

 ──うずまきナルトか。本当に面白い奴だ。

 

 昼過ぎの太陽の優しい光に照らされる教室でイビキは一人微笑みを浮かべるのであった。

 

 +++

 

 教室を出た受験生たち一同は第二試験会場へと赴いていた。彼らの目の前に広がる会場を見て、誰かがゴクリと喉を鳴らす。

 樹齢何百年であろうか? 巨大な古木が作り出す自然の領域。人が踏み込むことを許されない場所のように思える。事実、ここに踏み込むためにはある程度の実力がなければ、すぐに命を落とす場所でもある。

 それを象徴するかの如く、自然と人との領域は高いフェンスで仕切られていた。

 

「ここが“第二の試験”会場、第44演習場……別名、“死の森”よ!」

 

 振り返るアンコは愉しそうに、そして、妖艶に笑うのであった。

 



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トーヌス

 中忍選抜試験、第二の試験の会場は一言で言えば“森”だった。

 とはいえ、森の雰囲気は人と寄り添うものではない。普通に成長するとしたら、樹齢1000年を超えるやもしれないほどに太い幹の大木が森を形作っていた。その木が広げる枝と葉により陽は陰り、森の中は薄暗い。

 

 誰かがゴクリと喉を鳴らした。

 

 おどろおどろしい森の雰囲気に呑まれた受験生たちを実に愉しそうな表情で見るのは、中忍選抜試験、第二の試験の試験官である特別上忍みたらしアンコだ。

 

「フフ……ここが“死の森”と呼ばれる所以、すぐ実感することになるわ」

 

 誰も言葉を発する者はいなかった。

 アンコの言い様に寒気が背筋を下から上へとゆっくりと上がってくる。顔を青くした受験生たちが多く見られるが幾人かの強者、もちろんナルトもその内の一人に入るが、彼らは表情を一つも変えることはない。

 それどころか、長い黒髪の上から笠を被った受験生は邪悪な笑みを浮かべていた。額当てから見るに草隠れの里の下忍だ。だが、その人物が発する雰囲気は下忍のものではない。その立ち振る舞いから察せられる精神の強さは中忍、いや、上忍にも届き得るほどだ。

 

 ──血の気の多い奴が集まったみたいね。愉しみだわ。

 

 闘争を求め、うずいている様子の下忍たち、ナルト、草隠れの忍、そして、我愛羅に期待した目を向けていたアンコだったが、自分のすべきことを思い出したように受験生へと向けて声を張る。

 

「それじゃ、第二の試験を始める前に、アンタらにこれを配っておくね!」

「それは……?」

「同意書よ。これにサインをして貰うわ」

 

 手に持つ紙をヒラヒラと降って、アンコはにこやかに言い放った。

 

「こっから先は死人も出るから、それについて同意をとっとかないとね! 私の責任になっちゃうからさ~♡」

 

 強張る受験生たちの表情とは対照的に彼女の笑顔は綺麗だった。

 

「まず、第二の試験の説明をするから、その説明後にこれにサインして班ごとに後ろの部屋に行って提出してね」

 

 順々に回っていく同意書。同意書が受験生全員に行き渡ったことを確認したアンコは説明を再開する。

 

「じゃ、第二の試験の説明を始めるわ。早い話、ここでは……極限のサバイバルに挑んで貰うわ。まず、この演習場の地形から順を追って説明するわ」

 

 アンコは懐から取り出した巻物を広げる。広げられた巻物に書かれているのは、簡素ではあるが、この演習場の地図だ。中央には塔、真ん中を走る川、そして、その周りを取り囲むようにぐるりと円になって森が描かれていた。

 

「この第44演習場は……カギのかかった44個のゲート入口に円状に囲まれてて、川と森……中央には塔がある。その塔からゲートまでは約10km。この限られた地域内であるサバイバルプログラムをこなしてもらう。その内容は、各々の武具や忍術を駆使した……なんでもアリアリの……“巻物争奪戦”よ!」

「巻物?」

「そう。“天の書”と“地の書”……この二つの巻物を巡って闘う。ここには、114人。つまり、38チームが存在する。その半分19チームには“天の書”をそれぞれ一つずつ。もう半分の19チームには“地の書”をそれぞれ一巻きずつ渡す」

 

 彼女が見せた巻物は掌よりも少しはみ出るほどの大きさ。巻物の標準サイズだ。その一方には“天”と、そして、もう一方には“地”と大きく書かれており、一目でその巻物を判別することができるようになっている。

 

「そして、この試験の合格条件は……天地両方の書を持って中央の塔まで3人で来ること」

 

 アンコは“天”“地”と書かれた二つの巻物を受験生に見えるように掲げた。

 

「つまり、巻物を獲得できなかった19チーム……半分が確実に落ちるってことね」

 

 サクラの言葉にアンコは深く頷き、言葉を進める。

 最年少のサクラがアンコの言葉を理解した。ならば、受験生は全員理解したのだろうと判断したアンコは頷き、説明を進める。

 

「ただし、時間内にね。この第二試験、期限は120時間。ちょうど5日間でやるわ!」

「5日間!?」

「ごはんはどーすんのォ!?」

 

 いのとチョウジにアンコはピシャリと言い放つ。

 

「自給自足よ。森は野生の宝庫。ただし、人喰い猛獣や毒虫、毒草には気をつけて。それに、19チーム57人が合格なんてまずありえないから。なんせ行動距離は日を追うごとに長くなり……回復に充てる時間は逆に短くなっていく。おまけに辺りは敵だらけ。うかつに寝ることもままならない。つまり、巻物争奪で負傷する者だけじゃなく……コースプログラムの厳しさに耐えきれず、死ぬ者も必ず出る」

 

 アンコは人差し指を立てる。

 

「続いて、失格条件について話すわよ。まず1つ目……時間以内に“天”“地”の巻物を塔まで3人で持って来れなかったチーム」

 

 続いて中指を立てる。

 

「2つ目……班員を失ったチーム。又は、再起不能者を出したチーム。ルールとして途中のギブアップは一切無し。5日間は森の中! そして、もう一つ。巻物の中身は塔の中に辿り着くまで決して見ぬこと!」

 

 ──とか言っても、見る奴は見るんだけどね。

 

 アンコは脳裏でほくそ笑む。ルールを破って試験に落ち、自業自得の後悔に苛まれる落第者の顔を見るのはアンコの楽しみの一つである。

 

 だが、今はまだ試験は始まってもいない。お楽しみはこれからだと、アンコは第二の試験の説明を再び始める。

 

「説明は以上! 同意書3枚と巻物を交換するから、その後、ゲート入口を決めて一斉にスタートよ! 最後にアドバイスを一言……」

 

 一旦、言葉を止める。

 

「死ぬな!」

 

 それは、アンコの優しさの言葉だった。

 そして、同時に厳しさの言葉でもある。『死ぬかもしれない』と受験者に思い返させ、気を引き締めさせる。そして、それは受験者たちが持っている薄い紙の重さを更に重くさせる言葉であった。

 

 +++

 

 アンコの説明が終わり、三々五々、同意書へと自分の名前を書き込んでいく受験者たちの中、サスケはじっと辺りを観察していた。

 

 サスケの目が向かうのは小さな小屋だ。先ほど、アンコが示した同意書と巻物を交換するための小屋である。

 暗幕が張られた小屋の中に入っていく受験生の姿を見てサスケは納得する。

 

 なるほど。各チームが渡された巻物の種類、そして、三人の内、誰が巻物を持っているのかも分からない……って訳か。

 イビキが言った通りだ。この試験では情報の奪い合いが命懸けで行われる。

 

 ──全員が敵!

 

 ここにいる奴らの決意は固い。殺し合うことにもなるって訳だ。

 だからと言って、立ち止まる訳にはいかない。

 

 サスケは目を閉じ、過去を振り返る。思い出すのは、あの日の月。

 サスケは目を開け、未来を想像する。思い浮かべるのは、憎い赤の目。

 

 同意書へと書き込まれたサスケの名前は力強かった。

 

 +++

 

 全ての受験者たちの班が第二の試験への参加を表明した後、試験官たちに連れられた下忍たちは第44演習場を取り囲むフェンスのゲートへと移動していた。一つのゲートに三人一組(スリーマンセル)の下忍たち。

 ゲートとゲートの間の距離はそれなりにあり、別の班の動向は見え辛くなっている。森の中に入ってしまえば、相手が何をしているかは全く分からなくなるだろう。

 下手をすれば、開始早々、突然の襲撃も十分考えられる状況だ。サスケは気を引き締める。

 

 と、サスケの耳に雑音混じりの音声が届いた。

 

『アンタたち! 準備はいい? よくないって奴は諦めなさい! これより中忍選抜第二の試験! 開始!』

 

 それぞれのゲートに備え付けられたスピーカーからアンコの声が響き渡った。

 アンコの声を合図とし、引率の試験官がゲートの扉を開く。扉の先には鬱蒼と茂る森。

 その中へといち早く足を踏み出したのはナルトだった。

 

 ──恐怖ってのを知らねェのか、こいつは。

 

 呆れたように肩を竦めるサスケだったが、ナルトの物怖じしない姿に勇気を与えられたことは確かな事実だ。ナルトに遅れを取った自分に歯噛みをしながらも、サスケはある念を強めていた。

 

 ──ナルト、オレはお前と闘いたい。

 

 そのためにも、この中忍試験を軽々と突破してナルトに自分の力を見せつけなくてはならない。

 熱い血の滾りを無表情の仮面で隠し、サスケもまた森へと足を踏み出したのだ。

 

 前を歩くナルトとサスケ。

 彼らの後ろについて行きながらサクラは拳を握り締める。

 確かに恐怖はある。逃げ出したい気持ちもある。

 

 ──けど、私は逃げたりはしない。

 

 前を歩く二人に追いつきたいという気持ちが大きいものの、サクラはこうも考えてきた。波の国での事件以降、サクラは自分が第七班の中で何ができるのか、と。

 

 ナルトは再不斬という強敵とも白兵戦で正面から戦うことができるほどの戦闘能力。サスケは、忍者学校の総合成績で並び立つ者がいないほどに高かった。

 どちらも自分よりも遥かな高みにいる忍者だ。

 戦闘では二人に追いつけていない弱い私だ。そんな私が今できることは……。

 

『お前の分析力と幻術のノウハウは、オレたちの班で一番伸びてるからな』

 

 サスケの言葉がサクラの胸を打つ。

 私が今できること。二人の戦闘を分析してサポートする。

 

 サクラも二人に続いて、森の中へと大きく足を踏み出した。

 

 +++

 

 うわあああ!

 

 突如、森の中に響き渡った悲鳴。思わず、サクラは息を呑む。

 冷や汗を垂らしながら、サクラはあちこちに視線をやり、声の出所を探るがどうやら遠くのようだ。更に、木々に反射されたり吸収されたりした音のせいで、どちらの方向から声が発せられたのか今一、掴みにくい。

 

 森に入ってからまだ十分ほどしか経っていないにも関わらず、第二の試験が早速始まったのかとサクラは緊張を高める。

 

「……」

「ナルト? どうしたの?」

 

 突然、歩みを止めたナルト。

 訝し気に彼を見たサクラはおずおずとナルトに声を掛ける。

 

「出て来い。そこにいるのは分かっている」

 

 ナルトは一見、何の変哲もない茂みに向かって声を掛ける。が、反応はない。

 

「貴殿の殺気は感じている。もう一度言う。出て来い」

 

 ガサガサと茂みから音がした。早速、戦闘になっちゃうかとサクラは茂みへと集中する。

 だが、茂みから出てきた姿がサクラの集中を霧散させた。

 

「サスケくん!?」

 

 茂みから出てきたのはサスケだった。

 

 ──でも、サスケくんは私の横に……いない!?

 

 サクラが混乱に包まれる中、茂みから出てきたサスケが殴り飛ばされる。

 

「オレに変化するとは随分、嘗めているようだな」

 

 サスケに拳を上げたのはサスケだった。そこまできて、サクラはやっと落ち着きを取り戻し、この絡繰りの答えを得た。ナルトはまだ状況について行くことができておらず、どうしていいか分からないというように手持ち無沙汰であったが。

 

 サクラが殴り飛ばされたサスケを睨むと、彼の体から煙が上がった。

 

「そこのデカブツの隙を突いてやろうとしたのによォ……。まあ、いい」

 

 煙から出てきたのは、痩身の男だ。白い拘束服のようなツナギ服にシュノーケルの呼気管を下に向けたような鉄のマスク。目元は布で覆っており、布に開けた穴から見える眼光は鋭い。

 額当てを見るに、男の所属は雨隠れの里であるだろう。

 

「こうなったら実力行使だ!」

 

 自分の企みが通用しないと考えた男はサスケに向かって駆け出しながらクナイを取り出した。それに応じるようにサスケもクナイを取り出し、瞬身の術で雨隠れの下忍へと肉薄する。

 

 だが、それは悪手だった。

 

 サスケと雨隠れの下忍がクナイを重ねた瞬間、雨隠れの下忍の右手から落ちた煙玉が二人の姿を覆い隠す。煙の中で行われる攻防は、煙の外からはクナイの音と煙の中のぼんやりとした影で判断することしかできない。

 

 状況は拮抗しているとサクラは判断した。男の策に嵌りながらも、一歩として敵に譲る事はないサスケにサクラは胸を撫で下ろす。

 

 煙も段々と薄くなってきており、援護もすぐできるだろうとサクラはポーチからクナイを取り出し、ナルトは拳を固めた。

 しかし、サクラの予想を上回る出来事が煙の中で起きていたのだ。

 

「む!?」

「サスケくんが……二人?」

 

 雨隠れの下忍が、またも変化の術を使ったのだろう。先ほどは位置関係に注意していれば、どちらが本物のサスケか分かったのだが、今度は煙幕の中で動き回っていた二人だ。位置関係でどちらが本物のサスケか分からない。

 

「ナルト! 敵を攻撃しろ!」

「む!?」

「ナルト! やめろォ!」

 

 と、サスケの声がナルトへと指示を下した。両極端な二つの命令。そして、その二つは別々のサスケの口から語られたもの。

 つまり、一方は本物のサスケからの指示だ。

 

 どちらの指示を優先させればいいのか分からないナルトは動きを止めてしまう。その間にも前のサスケたちはクナイの斬撃の応酬を行っている。

 

「ナルト! 右!」

「サクラ……承知!」

 

 サスケたちの指示ではない。サクラの指示に従ったナルトは駆け出す。

 ナルトの左ストレートが右側にいたサスケ、『敵を攻撃しろ』と命令したサスケの左肩に当たった。堪らず、地面に転がされるサスケの姿。

 

「……どうして、分かった?」

 

 倒れたサスケから煙が上がる。煙が収まった後にいたのは、雨隠れの下忍だった。

 雨隠れの下忍は恨めし気にサクラを睨む。ナルトは自分の変化に惑っていた。だが、なぜ、サクラは一部の隙もなく自分がサスケではないと判断できたのか?

 雨隠れの下忍はその理由が全く分からなかった。

 

「決まってるじゃない」

 

 サクラは雨隠れの下忍の視線に怯えることもなく堂々と言う。

 

「サスケくんをずっと見てきたから分かる。変化はできていたけど、アナタの動きはサスケくんの動きじゃなかったってことだけ」

「……アンラッキー」

 

 言い残すことはなくなったと判断したのだろう。

 サスケの踵落としが雨隠れの下忍の頭を地面へと縫い付けた。

 

 +++

 

 雨隠れの下忍との戦闘後、場所を移したナルトたちは森の小さな広場で頭を突き合わせていた。サスケ主導の作戦会議だ。

 

「もし、三人バラバラになった場合、例え、それが仲間でも信用するな。今みたいに変化されることに成り兼ねない。それに、サクラに変化されたら、オレとナルトじゃ変化が上手い奴の場合は見破れない」

「それじゃ、どーするの?」

「念のため、合言葉を決めておく。いいか、合言葉が違った場合は、どんな姿形でも敵とみなせ」

 

 やや強い口調で言うサスケの顔は強張っていた。

 

「よく聞け。言うのは一度切りだ。忍歌『忍機』と問う。その答えはこうだ。『大勢の敵の騒ぎは忍よし。静かな方に隠れ家もなし。忍には時を知ることこそ大事なれ。敵の疲れと油断するとき』」

「OK!」

 

 大きく頷いたサクラ。だが、ナルトは暗い顔をしながら、サスケへと言葉を返した。

 

「済まない、サスケ。今度は書き記した後に腹筋をしながら覚える故、もう一度、言ってはくれまいか?」

「ダメだ」

 

 シンクロ・マッスル学習をしたいというナルトへ、(にべ)もなく断るサスケが立ち上がる様子を見ながらサクラは思う。

 

 ──あ、サスケくん。腹筋をしながら暗記するってことにツッコまないんだ……。

 

「巻物はオレが持つ!」

「サスケよ……む!?」

 

 合言葉を変えて貰おうとサスケに声を掛けようとしたナルトの(うなじ)が逆立った。それと同時に感じるのは強烈な殺気。

 殺気を感じた方向に顔を向けたナルトの頬に木の葉が当たった。

 

「新手か!?」

 

 突風が吹き荒れ、サスケの叫びを消す。

 局所的な竜巻はナルトの115kgの体を吹き飛ばすほどの力を持っていた。サスケとサクラは言わずもがな。彼ら三人は分断されてしまった。

 

 ──風遁使い。それも、並みのレベルじゃない。

 

 サスケは冷静に分析しつつ、茂みに身を隠して辺りを窺う。敵の気配はない。

 ゆっくりと茂みから出てきたサスケは風が吹いてきた方向に目を凝らす。すでに敵は移動したのか、そこには何もなかった。

 

「サスケくん!」

 

 後ろから声がした。

 振り向くサスケの目に映るのは、自分へと駆け寄ろうとするサクラ。おもむろに、サスケは彼女へとクナイを向けた。

 

「寄るな! まずは合言葉だ。『忍機』!」

「あ、うん! 『大勢の敵の騒ぎは忍よし。静かな方に隠れ家もなし。忍には時を知ることこそ大事なれ。敵の疲れと油断するとき』」

「よし!」

 

 サクラ本人だと確かめたサスケは自分の元に来るようサクラに合図する。

 と、ガサガサと音がした。警戒を最大にし、そちらに目を向ける二人はナルトの姿を目にする。

 

「すまぬ、不覚を取った。怪我はないか?」

「ナルト! ちょっと、そこで止まって!」

「む?」

 

 サクラは自分たちに近づこうとするナルトを停止させる。

 

「合言葉。『忍機』」

「失敬。『大勢の敵の騒ぎは忍よし。静かな方に隠れ家もなし。忍には時を知ることこそ大事なれ。敵の疲れと油断するとき』」

 

 ヒュッと音がしたことにサクラは気が付く。それと同時に、ナルトが体を捻り、飛んできたクナイを避けた。サクラはクナイが飛んできた方向に目を向ける。と、サクラの目が丸くなった。

 クナイが放たれた方向はサクラの左横、つまり、サスケが居た方向だ。そして、その方向にいたサスケはクナイを投げたように腕を振り切っていた。

 

 信じられないというようにサクラは声を震わせる。

 

「サスケくん、なんで!? ナルトはちゃんと合言葉を……」

「今度はオレの攻撃を避けるほどの奴か」

「ちょっと! サスケくん!?」

 

 サクラの言葉を無視して、ナルトを見続けるサスケ。緊張した面持ちだ。サクラは口を閉じて頭を回転させた。サスケの表情と、今の状況。

 

 ──まさか、偽物!?

 

 弾かれたようにサクラはサスケからナルトへと視線を移す。

 ナルトの顔が邪悪な笑みを作っていた。それは“本物”のナルトならば、決して浮かべることのない表情。

 

「よく分かったわね」

 

 ナルトの姿が煙に包まれた。

 

「なぜ、分かったの? 私が偽物だと」

「テメーが土の中でオレたちの会話を聞いてるのは分かってた。だから、あんな合言葉にした」

 

 薄くなる煙。そこから見えるシルエットは細かった。

 サスケは“偽物”のナルトと問答を続ける。

 

「ナルトは暗記については長い時間を掛けないと覚えられないからな。つまり、お前は偽物ってことだ」

「なるほど……」

 

 煙が収まった。

 細い人物は笠をずらし、顔を露わにする。

 

「疲れも油断もないって訳ね。思った以上に……楽しめそうね」

 

 そこにいたのは、アンコがナルトや我愛羅と同様に、強者と目していた草隠れの里の忍だった。

 



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シャドーボクシングをする場合は残像を作るべし

「また変化だったなんて……」

 

 ナルトの筋骨隆々な姿から全ての筋肉を削ぎ落したような細い姿の人物を見て、サクラは思わず小さな声で呻く。同時に彼女はサスケの慧眼に感謝した。

 

 ──サスケくんが見抜かなかったら危なかった。

 

 合言葉を答えることができたせいで、サクラは変化した者がナルトだと思い込み油断していた。それは致命的な隙。油断した下忍ならば、後ろからクナイで音もなく首を掻き切る事など目の前の人物ならば造作もないことだろう。

 

 サクラはチャクラを体全体に漲らせる。サスケの緊張した顔付きから、目の前にいる敵対者は唯者ではないと判断してのことだった。

 サスケとサクラの警戒を前にしても、敵対者は自然体だった。薄い笑顔を浮かべた敵対者は懐に手を入れる。更に警戒度を上げるサスケとサクラだったが、敵対者が懐から出したものを見て、彼らは頭に疑問符を浮かべた。

 

 敵対者が懐から出したものは巻物だった。しかも、口寄せの術式が書かれたような戦闘に使うものではなく、先ほど試験官から配られた巻物だ。

 “地”と大きく書かれた巻物はこの試験で奪い合われる獲物。敵対者がそれを態々、見せつけるように出した理由がサスケとサクラには分からなかった。自分が巻物を持っているとアピールするメリットなど何一つない。それにも関わらず、巻物を出した理由は敵対者の余裕を表すものであった。

 

「私たちの“地の書”欲しいでしょ? キミたちは“天の書”だものね」

 

 ──なぜ、そのことを……!?

 

 サスケの額に汗が流れる。自分とサクラ、そして、ナルトしか自分たちが持つ巻物の種類は知らないハズ。それにも関わらず、言い当てた敵対者に戦慄する。

 

 いつ、巻物の種類を知ったというのか?

 

 動揺しているサスケに見つけるように、敵対者は左手にある地の書を見せつけながら上を向く。

 巻物を口元に持ってきたかと思うと口を大きく開いて、それに長い舌を巻きつけた。そのまま、喉の奥の方に巻物を押し込んでいく。到底、人間業ではない。

 敵対者の、そして、自分たちの喉から鳴る音を聞きながら、サスケとサクラはその光景から目を離せずにいた。それどころか、動こうとする考えすら思いつかない。

 巻物の全てを喉奥に収めた敵対者は、やっと、サスケとサクラに顔を向けて口を開いた。

 

「さぁ、始めようじゃない。巻物の奪い合いを……」

 

 眼孔に指を入れた敵対者の瞳孔は縦に割けていた。

 

「……命懸けで」

 

 ──殺。

 

 腕を引き千切られ、足を根本から抜かれ、胸を杭で貫かれ、腹から(はらわた)を抜かれ、頭にクナイを突き立てられる。

 一瞬にして、何通りもの“死”を経験するかの如くサスケとサクラは自分たちの行く末を想像させられた。

 

 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される。

 

『殺される』

 それしか思い浮かばないほどの殺気だ。

 強烈な殺気に晒されたサスケは膝を付き、思わず腹の中の内容物を残らず吐き出す。

 

 ──幻術? イヤ、これはただの殺気だ。何てことだ。奴の目を見ただけで、死をイメージさせられた。な……何者だ、コイツ!?

 

 恐怖に震えながらも、サスケは隣のサクラへと意識を向ける。

 

「……サクラ」

 

 返事はない。

 

「?」

 

 恐怖により揺れながらも、サスケの視線はサクラの姿を捉えた。

 ただただ体を震わせるサクラ。嗚咽すらも上げることを許されず、涙を流すことしか許されない。

 

 それもそうだろう。初めて受ける本物の、そして、濃密な殺気。波の国で上忍レベルの忍、再不斬とは相対したが、彼が主に殺気を向けていた対象はナルトだ。サスケとサクラにとって、上忍を超える殺気を放つような者は荷が重かった。

 多少、修行をして力を身に着けたとは言え、殺気だけで動けなくなるほどの重圧。

 

 ──ダメだ。ここは逃げるしか……そうしなければ……“死”しかない。

 

 だが、サスケの体は思うように動いてはくれない。精一杯の勇気を振り絞り、クナイを取り出すが、腕が震えており到底、攻撃に移せるような状態ではなかった。

 

「クク……もう動けまい」

 

 能面を思わせるような顔の敵対者は震える二人に話しかける。敵対者が、どのような感情を持っているのかサスケには分からなかった。だが、そのような精神状態でもサスケが理解できたものがある。

 それは敵対者が自分たちへと向ける殺意だ。

 

 ゆったりとした動作でクナイを取り出した敵対者はサスケとサクラへとクナイを投げた。

 

 恐怖に身を竦ませながらも、サスケは自分へと真っ直ぐ迫るクナイを見据えていた。恐怖で動けないから見続ける訳ではない。生きるため、彼は近づいて来るクナイから目を離さなかったのだ。

 

「あら……」

 

 クナイは妨げられずに、進行方向にあった木へと突き刺さった。そして、サスケたちが居た場所に残されたのは血痕。

 敵対者はそれを見て、目を細くする。

 

 と、敵対者の目が左上を向いた。

 

 ──恐怖で痛みを消し去るためにとっさに自分の体を傷つけるとはね。フフ……やっぱりただの獲物じゃないわね。

 

 敵対者の唇は、それはそれは楽しそうに孤を描くのであった。

 

 +++

 

 サスケとサクラが命の危機に陥っているのと同時刻、ナルトは一人遠くに飛ばされていた。

 風遁により大きく開けた森の中、ナルトは腕を組み立ち竦んでいた。

 強力な風遁で自分たちを分断したため、敵は強者と目される。すぐにサスケとサクラを探しに行かなくてはならない状況だ。だが、ナルトは動くことができなかった。

 

「疾く去ね」

 

 木々が揺れた。

 ザワザワと葉が揺れる森の中心はナルトだ。勘が鋭い弱い獣や、理性があり恥を解さない人間ならば一目散に逃げる。サスケたちを殺気で止めた敵対者と同じように、ナルトは怒気で前にいるものたちの動きを止めた。

 だが、それは一瞬。すぐに動きを取り戻し、乱れた隊列を戻す。

 

 目は鋭く体は大きく。

 それは正しく捕食者。

 古くは神と畏れられた人類の敵。

 

 蛇だ。

 ただの蛇ではなく、胴回りが大木の幹ほどある大蛇。体長は20mを優に超える。

 最上位の捕食者の姿だった。

 そして、その大蛇はナルトを取り囲んでいる。数は6。

 

 ナルトは拳を握り締める。

 人語を解さない可能性があるとはいえ、不要な殺生を行うことは避けるべきだと考えるナルトは彼らへと話し掛ける道を選ぶ。

 

「己は急いでいる。貴殿らが邪魔をするというのなら、押し通ることも辞さぬ」

 

 ナルトの言葉に対する彼らの返答は強撃。

 一匹の蛇の尾が振るわれ、大木が根本より薙ぎ倒される。当たれば、矮小な人間など挽肉になってしまうだろう。

 

「己は止まれぬのだ」

 

 だが、蛇と相対するのは“矮小な”人間などではない。強大(マッスル)な人間なのだ。

 蛇は自らの目を疑った。今、確かに自分の顔の前から声がした。だが、自分の尾は確かに人間──人間の範疇に収まるか怪しいものであるが──を打ちすえた。

 

 そこまで考えた瞬間、蛇が見る視界が一瞬にして変わる。地面を見下ろす場所から地面を感じる場所へと蛇の頭は移動していた。視界の変化に続いて蛇が感じたものは自分の頭、鼻先から感じる痛み。

 打ちすえられたのは蛇の方であった。

 

 蛇は信じることができなかった。

 どうして、小さな人間が巨大な自分を殴りつけ、地面に叩き付けることができるのか?

 毒牙も固い鱗もしなやかで強靭な体も、強さを見せる時間もなく戦闘不能に陥らされた。

 

 ──だが、奴も無事ではない。この尻尾を叩き付けたのだから。

 

 蛇は痛みで朦朧とする意識の中、一矢報いた証拠を見つけるために視界から外れたナルトを探す。せめて、青痣の一つくらいはこの目に焼き付けないと意識を失おうにも失えない。

 

 ややあって、蛇はナルトの姿を見つけた。

 ナルトが蛇を殴りつけ、地面に叩き付けられた時の衝撃で木の上にある鳥の巣が落ちてきたのだろう。何人かに増えた筋肉人間は地面へと雛鳥が叩き付けられる前に優しく受け止める。

 

 ──何人か?

 

 その姿は一つに収束していく様子を見て、あれは残像だったのだなと蛇は気が付いた。蛇は強靭な精神で繋いでいた意識の糸が切れることを感じる。もう色々と限界らしい。

 彼の最後の思考は『忍者なら分身の術を使えよ』という甚く獣らしくないものだった。

 

 落ちてきた雛鳥を一匹も見捨てることなく巣に戻したナルトは木から飛び降り、蛇たちの前に音もなく姿を現す。

 

「あと……五匹か」

 

 慈悲深く、これから行う行為に嫌悪感を示すような声で呟くナルトだったが、残念ながら蛇たちはそう捉えなかったようだ。彼らは閻魔の沙汰を待つ亡者のように身を強張らせることしかできなかったのである。

 

 +++

 

 木の陰。

 咄嗟に自分の太ももにクナイを刺し、痛みで体の動きを取り戻したサスケはサクラを抱え、敵対者から見えない位置へと瞬身の術で逃げたのだ。敵対者の殺気から離れたことで、動けなかったサクラも動きを取り戻す。

 

「サスケくん、大丈……!?」

 

 青い顔をしたサスケへと声を掛けたサクラの口がサスケの掌によって押さえつけられる。

 

「どう逃げる? どう逃げればいい?」

 

 激しく狼狽した様子のサスケは小声で自分自身へと語り掛ける。

 

 ──サスケくんがこんなに取り乱すなんて……。

 

 常に冷静沈着。霧隠れの中忍二人を相手取る時にも顔色一つ変えなかったサスケ。

 その彼が熱に浮かされたように“逃げる”という言葉を連呼している。今まで見たことがない、それどころか想像もできなかったサスケの怯えた顔だ。

 と、サクラは身を震わす。

 

「ん~ッ!」

 

 サクラが身を震わせた原因は新しい恐怖からだ。5mはあろうかという大蛇だ。巻き付かれでもしたら、逃げ出すことは忍である彼らでも困難を極めるに違いない。

 サクラはサスケに注意を促すため口を開こうとするが、サスケに唇を押さえられているために声は言葉にならない。やや強引に唇からサスケの掌を両手で引き剥がしたサクラは声を上げる。

 

「サスケくん! 蛇!」

 

 やっと蛇の存在に気が付いたサスケは、弾かれるように木の枝の上から跳び擦った。

 

 ──チィ……気が動転して蛇にも気付かねーとは。

 

 サクラとは別の方向に逃げたサスケだったが、蛇の目的はサスケだったのだろう。迷うことなく蛇はサスケへと向かう。

 

 空中に身を躍らせながら、サスケは自分の方に向かって来る蛇と目が合った。

 

「ッ!?」

 

 背筋を冷たい舌が這うような感覚。

 蛇の縦に切れた瞳孔はサスケに敵対者の目を幻視させる。

 

「うわぁああ! 来るなあぁ!」

 

 恐怖に駆られ、狂ったように叫ぶサスケは手当たり次第にポーチの中に入っていた手裏剣を蛇へと投げつける。

 動きが速い大蛇と言えど、流石に手裏剣の乱舞は避けられず、その身でサスケの放った手裏剣を残らず受けるしかなかった。

 

「ハァ、ハァ」

 

 肩で大きく息をするサスケは蛇をじっと見つめる。

 蛇は倒れ、動かなくなっていた。だが、それは須臾の刻。サスケたちに息をつかせる間もなく状況は目まぐるしく変化する。

 

「!」

 

 メリッという音と共に蛇の皮が裂ける。

 

「お前たちは一瞬たりとも気を抜いちゃダメでしょ。獲物は常に気を張って逃げ惑うものよ」

 

 蛹が羽化するかの如く、倒れた蛇の体から抜け出すのは長い黒髪の人物。先ほどサスケとサクラに恐怖を与えた草隠れの下忍だった。

 

「捕食者の前ではね」

 

 邪悪に笑った敵対者は、蛇のように伸びた胴を木の幹に巻き付かせながらサスケへと迫る。蛇に睨まれた蛙のようにサスケは動けない。

 恐怖に引き攣るサスケ。愉しそうに嗤う敵対者。サスケまで、あと数m。

 敵対者は手を伸ばす。

 

 ──が。

 

 彼らを分かつようにクナイが木の幹に深く深く突き刺さる。敵対者とサスケの間で高周波を出しながらクナイが震えていた。

 

「今は雛鳥、飛べぬもの。高い空を仰ぎ見ることしかできぬ弱き者」

 

 暗い森。

 

「弱さを故に退くことは許されぬ。強さを求め突き進むは自らへの誓約」

 

 そこに響くは低音の声。

 

「夢を糧に鳳は蒼穹へと翼を拡げん!」

 

 その声は木々に木霊し……。

 

「弱者は強者を超えていく! 照らすは太陽、羽搏くは大鵬! 胸に抱くは大望!」

 

 ……天高く轟く。

 

「己は火影に到る者。名をうずまきナルト」

 

 逆光に照らされたナルトの筋肉は敵対者の顔に影を作るのだった。

 



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パンチ・パンチ・パンチ!!

 ナルトを見つけた敵対者の耳に入るのは『セイヤッ!』という囃子と太鼓の音。

 

 ──幻術? いや、これは殺気……かしら?

 

 先ほど、自分がサスケたちに殺気だけで死をイメージさせたように、仁王立ちの男もまた立ち振る舞いだけでイメージを引き起こさせたのだろうと敵対者は当たりを付けた。

 

 敵対者は目を細める。

 背は高く、横幅は広く、実に逞しい。はち切れんばかりに伸ばされたシャツとズボンの間に見える肌色の腹筋は見事なシックスパックを作っている。腕や脚も、一本一本の筋線維が自らを主張しているかの如く盛り上がり、実に見事なものだ。

 

 ──悪くないわね。

 

 見つめ合う両者。品定めをするが如く、敵の姿を目に焼き付け、脳へと情報を送る。

 検分が終わり、先に視線を外したのはナルトだった。

 

「済まぬ、サスケ。合言葉は……忍歌『忍機』までしか覚えられなかった」

「ナルト!」

 

 ナルトの他者の心を沈める深い音色の声でサクラは動きを取り戻した。喜びの声を上げるサクラ。だが、彼女とは対照的にサスケの声は固かった。

 

「ナルト! こいつは次元が違い過ぎる! 逃げるぞ!」

「……逃げる?」

「ああ、そうだ!」

 

 妙に理解の遅いナルトに苛つくサスケは思わず声を荒げる。

 

「そのようなことが通用する相手ではないだろう」

 

 動くこともなく、再び敵対者に視線を遣るナルトを見たサスケは埒が明かないと判断した。

 

 ──これしか、方法はない。

 

 写輪眼を元の黒真珠のような黒色へと戻したサスケは腰のポーチから巻物を取り出す。それは“天”と大きく書かれた巻物。第二の試験の合格条件の片方だ。

 

「巻物ならお前にやる。頼む、これを持って引いてくれ」

「サスケくん!?」

 

 それは降伏を宣言する行為だ。巻物争奪戦である限り、巻物を一本も持っていない者たちと戦う理由はない。どちらかと言えば、巻物を持っていない者と戦うのはスタミナとチャクラと、そして、時間の無駄だ。だからこそ、サスケは巻物を敵対者に渡すことで、自分たちと戦うメリットを無くそうと考えたのだ。

 敵対者は表情を変えることなく、サスケが持つ巻物に視線を注ぐ。本物だと確かめたのだろう。ゆっくりと頷きながら、敵対者は唇を歪めた。

 

「なるほど、本能(センス)がいい。獲物が捕食者に期待できるのは、他の餌で自分自身を見逃して貰うことだけ」

「受け取れ」

 

 敵対者の発言に被せるようにサスケは言葉を続ける。そして、サスケは天の巻物を敵対者に向けて投げ渡す。

 

 ──これで危機は脱した。

 

 それが甘い考えだったと気づくのは、自分と敵対者の間に影が割り込んでからだった。

 

 ナルトだ。

 サスケが敵対者へと放り投げた巻物をナルトが捕まえていた。あまりにも愚かなナルトの動きにサスケは激高し、ナルトを怒鳴りつける。

 

「テメェ! 余計なことするな! この状況が分かってるのか!?」

「落ち着け、サスケ」

「何、言ってやがる! 巻物を奴に渡せ!」

「落ち着くのだ」

 

 ナルトはその大胸筋へとサスケの頭を押し付ける。

 

「!?」

 

 優しく温かな母の腕とは違う。厳しくも暖かい父の腕とも違う。当時は心から尊敬していた兄の腕とも違う。が、その腕の温度はサスケに安心を与えた。

 サスケが腕の中で静かになったことを確認したナルトはサスケから敵対者へと再度、視線を向けた。

 

「この者は……違う」

「違う?」

 

 状況について行こうと頑張るサクラ。

 彼女は何とか自分がツッコむことができるナルトの『違う』という発言を繰り返す。正直、サクラはもう一杯一杯だった。恐ろしく強い敵が現れたかと思ったら、狼狽することなどあり得ないと思っていたサスケが敵の強さに狼狽え、遅れてやってきたナルトがサスケを抱き締めている。

『いや、ホント、どういうことなの? 分からないわよ、本当に!』と目の前の状況を無視して、気が狂ったように叫んで現実を否定したかったサクラだ。だが、サスケから褒められた分析力を活かすためにも、現実から目を逸らしてはならない。そのちっぽけな、だが、確かな矜持だけがサクラを現実に繋ぎ止めていた。

 

 そんなサクラを尻目にナルトは敵対者から目を離さず、口を開く。

 

「貴殿の目的は巻物ではないだろう?」

「あら。何でそう思うのかしら?」

「勘だ」

「あらあら……」

 

 クスリと笑った敵対者。と、敵対者の表情が変わる。

 

「正解よ」

 

 次の瞬間、底冷えするような笑みを浮かべた敵対者はナルトの言葉を肯定した。サクラの顔が引き攣る。先ほど、敵対者の殺気を受けただけで体が動かなくなったのと同等の狂気をサクラは感じたのだ。

 だが、その狂気を一身に受けたナルトは眉を少し顰めただけだった。

 

「貴殿の目的は?」

 

 敵対者が醸し出す冷酷な雰囲気を気に留めることもなく、ナルトは敵対者へと尋ねる。

 

「そうねぇ。色々あるけど今、私が欲しいのは……闘いよ」

「……サクラ!」

「は、はい!」

「サスケを」

 

 ナルトは震えるサスケを己の腕から解放して、呼び寄せたサクラへと彼を預ける。進み出たナルトは、一人、敵対者と向き合う。

 交差する瞳。先に口を開いたのはナルトだった。

 

「名は?」

「大蛇丸」

「己は……」

「知ってるわよ、ナルトくん」

「……征くぞ」

「来なさい」

 

 それが合図だった。

 

「キャッ!」

 

 轟音と共に飛び出すはナルト。肌色が、そして、サクラの叫びが後ろに流れるほどのスピードで大蛇丸へと迫ったナルトは渾身の力を籠めた右フックで大蛇丸を殴りつける。が、煙を立てた大蛇丸の姿が丸太へと変わる。変わり身の術だ。

 だが、ナルトとしても、この程度は下調べでしかない。拳を丸太に減り込ませながらナルトは腕を振り抜く。

 

「!?」

 

 ミシリと嫌な音が森に響いた。

 細い大蛇丸の目が大きく見開かれる。

 

 変わり身の術でナルトの拳を避けた大蛇丸は隙を突くべく、彼の後ろへと回り込んでいた。口寄せの術で呼び寄せたのだろう。銀色に煌めく刀を振り上げた大蛇丸は後ろからナルトへと切りかかろうとしていた。

 大蛇丸にとって、圧倒的に有利な状況。敵の拳は変わり身の丸太を破壊こそしたものの、彼の前にある大木に当たり、拳は動きを止めると大蛇丸は予想していた。そこから、腕を引いて自分へと攻撃を加えるまでに、こちらの刀がナルトを切り裂く。

 

 ──マズイわね。

 

 だが、大蛇丸が予想していた状況など、そこにはなかった。まず、大蛇丸は前提からして間違っている。敵対している者を“ただの”体術に秀でた忍であると想定していた大蛇丸は、“ナルトの拳が大木”に阻まれると予想したのだ。

 

 それは間違い。致命的な間違い。

 

 大蛇丸はこう考えるべきだったのだ。

 “異様に”体術に秀でた忍であると想定し“ナルトの拳は大木を折り、そして、体を回転させ自分へと攻撃を加える”と。

 

 大木の幹に当たったナルトの右フックは、それに動きを妨げられることなく半回転し、大蛇丸へと向き直る。飛び散る木片、鋭い眼光。大蛇丸の前にいる忍は阿修羅の如き様相であった。

 

 固く握りしめた拳が大蛇丸の体を捉えた。

 

「ふん!」

 

 ナルトの拳が炸裂した瞬間、大蛇丸の体は弾丸のような速さで地面に叩き付けられ、そこに彼の体よりも一回りほど大きなクレーターを作り出した。陥没した地面の中心で横たわりながら大蛇丸は目を開ける。

 

「!?」

 

 黒い影が自分へと一直線に落ちてくる。舞う砂塵を開き、自身へと向かって来るナルトの姿。

 

「オォオオオッ……ンッ!」

 

 大蛇丸の体は迎撃も出来ぬまま二度目のナルトの拳を受けることになった。響く打音。地面の陥没が更に大きくなる。

 ナルトが拳を引くと、そこには血塗れの大蛇丸の姿があった。腹は背と合わさるかと思えるほどに凹み、吐血が白い顔を赤く染めている。一目見て、オーバーキルだということが分かる。だが、ナルトは警戒を緩めない。

 

 ──殺気は消えていない。

 

 ナルトは前後左右、全てに視線を遣る。回る視界の中、ナルトは第七班を率いる隊長の言葉を思い返していた。

 

『忍者は裏の裏を読め』

 

 再度、響くは打音。

 此度もナルトの拳は大蛇丸の体へと突き刺さった。五体が散り散りになる大蛇丸の体。そして、更に大きく、今度は地割れを伴いながら拡がるクレーター。

 罅割れた地面の隙間から覗くのは、蛇の如く縦に割けた瞳孔。大蛇丸の顔だった。

 

「見つけたぞ」

 

 猛虎の如き覇気を身に纏い、ナルトは大蛇丸へと迫る。

 ナルトの事情、彼が九尾の狐を封印された人柱力だと知っている大人たちは、所詮、虎の威を借る狐と断じるだろう。

 大蛇丸はナルトが九尾の人柱力だとは知らない。正確に言えば、彼は九尾の人柱力を木ノ葉隠れの里が保有していることは知っていても、九尾が誰に封印されているのかは知らない。

 だが、大蛇丸の長い戦闘経験から導き出される勘は迫る拳、そして、彼が放つ気合いは彼自身の内より出されるものだと言っていた。変わり身の術で逃げたとしても、すぐに追いついて来ることは用意に想像できた。

 

 だからこそ、先ほどの様に大蛇丸しか使うことのできない変わり身の術で避けることは意味がないと判断したのだ。

 

「口寄せ 羅生門!」

 

 大蛇丸が印を組むと同時に大量の煙と、そして、鐘が鳴るような音が響いた。音は森を揺らし、木の葉を木々から奪う。

 ハラハラと木の葉散る森の中、ナルトが突き出した拳は異なるものに防がれた。煙を上げて現れるは、およそ常なるものではない。刹那の内に現れたるは門だった。それも、大門。城にあるほど巨大な鋼鉄造りの門だ。門扉に怒り顔が描かれたおどろおどろしい造形。

 

 ──広い門の下には、この男(ナルト)の他に誰もいない──

 

 その名は羅生門。

 時空間忍術で(しもべ)を呼ぶ口寄せの術。その口寄せの術の中でも一際、異彩を放つ口寄せ生物。それが羅生門だ。一般的な生物の形はしておらず、物語で語られる妖怪の如き彼の姿は防御面で言えば、他の口寄せ生物の追随を許さない。

 ナルトの全力の拳を受けて尚、罅一つ入らない羅生門は大蛇丸が扱うことのできる術の中でも最高峰の防御性能を持つ。

 

「ハァッ!」

 

 だが、拳を一回止めただけで何を誇ることができようか?

 ナルトの左の拳が空気の渦を作りながら羅生門に突き刺さる。次いで来るは、右手の拳。二度、三度、四度。ナルトの拳が羅生門に当たる度に轟音が森を揺らす。

 

 羅生門は考えた。己には、クナイを射出する能力がある。それで、己を殴り続ける人間を排除しよう、と。だが、羅生門は動けない。元々、攻撃性能は低く、自ら動くことも難しい羅生門だ。クナイを射出するためには、一瞬ではあるが、溜めが必要となる。

 そして、その溜めを行うには自身の巨大な体に漲らせているチャクラを、クナイを射出する霧除庇に集めなければならない。

 だが、そこにチャクラを集めるならば、人間の殴りでチャクラによる強化を失った体に傷が付けられるだろう。

 

 だからこそ、羅生門は動くことができなかった。

 無言で殴り続けるナルトと無言で拳を耐え続ける羅生門。

 

 このような言葉がある。

 “攻撃は最大の防御”と。

 

 殴る拳が羅生門の体に当たる度、そこから煙が上がる。チャクラによるものではない。何度も繰り返し打たれる運動エネルギーが熱エネルギーに変わったせいだ。

 羅生門の体はナルトの拳から繰り出される運動エネルギーを一身に受けていた。動くこともなく、耐えることができた羅生門は天晴れと言える。だが、耐えることができたせいで、ナルトの拳は羅生門の身を焼くことになってしまったのだ。

 

 赤熱する羅生門の体。

 ナルトの拳が当たる箇所を中心に赤く光る羅生門は自分の運命を悟った。

 

「ぬッおうッ!」

 

 羅生門の意識が飛んだ。

 一際大きなナルトの掛け声と共に繰り出された拳は羅生門に深く深く突き刺さり、熱を辺り一面に撒き散らす。羅生門の姿は煙と共に消えた。

 

 スチームのように熱を持つチャクラを基にした煙。

 ナルトは拳を突き出したまま残心する。油断は微塵もない。羅生門など、ただの前座。本命は羅生門の奥にいる者。

 

「フフフ……」

 

 大蛇丸は自身の僕である羅生門がナルトに倒されたというにも関わらず、薄く笑っていた。

 

「久し振りに……」

 

 舌なめずりをする大蛇丸の瞳は狂気に歪んでいた。

 

「……火が点いちゃったわ」

 

 火が点いたのは大蛇丸だけではなかった。

 正々堂々、闘う姿は見る者に勇気を与える。

 

 ドクンと心臓が高鳴る音を聞いたサスケは目に力を入れて写輪眼を発動させた。次いで、彼は自分を抱き留めているサクラの手に己の手を乗せ、真っ直ぐサクラの翡翠色の目を見る。

 

「……サクラ」

「どうしたの?」

「……征くぞ」

 

 それは簡潔な言葉。サクラには、それだけで十分だった。

 

「うん!」

 

 頷き、二人は立ち上がる。

 

 ──戦う。

 

 ナルトに触発された二人は今、覚悟を決めた。

 



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おいかけっこしましょ

 肌をチリチリと焼く緊張感の中、ナルトは悟った。

 

 ──余りにも強い。

 

 相対してからまだ5分も経っていない。それにも関わらず、ナルトは敵対者と自分の力が隔絶していることを理解した。

 

 ナルトは常に全ての攻撃を全力で行っている。然れども、繰り出した攻撃は全て阻まれた。しかも、ただ阻まれているだけではなく、敵はナルトの全力を防いで尚、十二分に余裕が感じられる様子だ。

 

「……」

 

 ナルトは、自分の拳が大蛇丸へと届くイメージができなかった。

 いや、仮に拳が届いたとしよう。それでも、ナルトの拳が敵に与えるダメージは微々たるものだと気づいてしまった。変わり身の術は使わせずにクリーンヒットしたとしても、今の大蛇丸相手に如何ほどのダメージがあろうか? 動きを数秒止めることができるのが関の山だ。

 

 思えば、ナルトが戦った中で最も強い忍であった再不斬。再不斬と戦った時でさえ、拳が当たれば勝てるイメージがあったというにも関わらず、大蛇丸には拳が当たらない、それどころか、拳が当たっても意味がない。そのような想像をナルトはさせられていたのだ。

 

 再不斬よりも忍として上のステージに立つ大蛇丸。

 敗色は濃厚。進めば死、退けども死。厳しい修行(筋トレ)を積んできたナルトと言えども尻込みしてしまいそうになる。

 

 ──だからと言って、止まることができようか?

 

 ナルトは肩幅に足を開き、丹田に力を籠める。

 

「喝!」

 

 100デシベルを優に超えるほどの音量がナルトの腹、喉、そして、口へと流れて外に吐き出される。大声と共に恐怖もまた、ナルトの体から吐き出された。

 急速に湧き上がってくる勇気とチャクラ。

 常人ならば気が狂うほどの殺気、上忍でも呼吸困難に陥らされ、自らの首が飛ぶイメージをしてしまうほどの殺気を受けながらもナルトは大蛇丸を果敢に正面から見つめる。

 

「フフフ……良いわね」

 

 目を見開き、自分に睨みを利かせるナルトを意に介さず大蛇丸は頭の中で気づいたことを纏めていく。先のナルトと羅生門の対決、そして、前にいるナルトの様子から得られたデータを整理し終わった大蛇丸は結論を下す。

 

 ──あのチャクラ……間違いないわ。

 

 観察する時間は十二分にあった。ナルトのチャクラを細かく感知した大蛇丸が気づいたのは、ナルトから漏れ出している強大なチャクラだ。

 

 ──九尾のチャクラ……!

 

 ナルトから出されているチャクラに大蛇丸は覚えがあった。というより、忘れられないチャクラだ。かつて、自分が在籍していた非合法組織の目的の一つが九尾のチャクラであったのだから。

 

『それはどうでもいいことね』と頭を振って大蛇丸は目の前に佇むナルトへと意識を切り替える。だが、それがいけなかった。

 

「!」

 

 ナルト以外の下忍は既に意識の外にあった。実力はもちろん、自分に挑んでくる蛮勇すら備えていない弱い者だと捨て置いてしまったのだ。上から降ってきた手裏剣が自分の髪を切るほどに迫るまで、大蛇丸は上の雛鳥たちを脅威として見ることができなかったのだ。

 しかしながら、大蛇丸は歴戦の猛者である。上から投げられた手裏剣に気づくことが非常に遅れたとはいえ、彼はなんとか反応した。体を手裏剣の動線上からずらすことで被害を最小限に留める。

 

 ──やるわね、サスケくん。

 

 ハラリと落ちる黒髪。そして、地面に当たり弾ける血の玉。

 手裏剣は上より自分に飛来してきた。自身の丁度真後ろから放たれ、角度は78度。ナルトに警戒しつつ、大蛇丸は警戒の範囲を拡げる。

 

 ──サスケくんじゃない!?

 

 チャクラ感知で見つけたチャクラは大蛇丸に驚きを与えた。

 自分に向かって手裏剣を投げたと思われる位置にあったチャクラはサクラの物だったことに大蛇丸は気がついた。

 

 ナルトならば、そして、サスケならば理解できる。だが、そこにいたのは紛れもなく、大蛇丸が下らない人材と切り捨てたサクラだったのだ。

 惨たらしく喰い殺される程度の者でしかなかったハズだ。安全性が保障されていない実験の検体にする程度の価値しかなかったハズだ。

 それにも関わらず、何故、彼女は自分の頬を深く傷つけることが出来たというのか? 自らの命を投げ打つほどの覚悟がなければ、才能のない下忍は大蛇丸へと攻撃できない。それほど、大蛇丸が与える恐怖は大きかった。

 

 ──私も耄碌したかしら?

 

 サクラをサスケと誤認したことで、大蛇丸はサスケを見逃してしまっていた。いや、そもそも、天才であるサスケと言えども、大蛇丸に攻撃を加えるほどの精神力はなかった。巻物を渡してでも、生き残ることに考えが向いていたサスケが自分に攻撃を加えることができるとは大蛇丸は考えられなかった。

 

 だが、実際はどうだ? サクラは手裏剣で自分を傷つけたし、サスケはチャクラを練り上げているではないか。

 

「火遁 豪火球の術!」

 

 彼が見誤っていたのは、ナルトの存在であった。他者に勇気を与えることができるナルトの生き様と筋肉。そのどちらも理解できなかった大蛇丸が、勇気を取り戻したサスケの術によって焼かれるのは当然のことであった。

 

 ──倒した。

 

 火に包まれ煙を上げる大蛇丸の姿を見て、サクラは胸を撫で下ろした。焼死は残酷であるが、もし、手を抜いていれば自分たちの命はなかった。

 火達磨になりながら地面に伏す大蛇丸を見て、サクラは終わったと思い、地面の方にいるナルトへ目を向け、そして、座り込むサスケの方へと目を向ける。

 そこで、妙だなとサクラは気づいた。ナルトならば、疲れたように座り込んでいるサスケへと『大丈夫か』というように声を掛けるハズ。だが、特に動くことのないナルトの姿。

 

 感じた嫌な予感に従い、サクラは辺りを注意深く観察する。まずサクラの視線が向いたのは、焼け続けている大蛇丸の体がある場所だ。赤く燃える火に照らされて見えるのは黒い穴。サスケの位置からは燃える火に阻まれて穴は見えない。

 

 サクラの背筋を冷たいものが駆け上がる。

 

「サスケくん!」

 

 緊迫した声を上げるサクラだったが、もう遅かった。

 突如、サスケの後ろから地面を割り人影が現れる。それは顔の皮膚が焼け爛れた大蛇丸だった。

 

 ──サスケくんの豪火球を受けながらナルトに幻術を掛けたっていうの?

 

 動かないナルトの原因。それは幻術によるものと判断したサクラは大蛇丸の忍として完成された所作に慄く。

 攻撃を加えられながら、微細なチャクラコントロールが必要とされる幻術を使うなど人としての枠から逸脱している。自らの身を省みることなく、攻撃に転じるなど正気の沙汰ではない。

 

 だが、目の前では大蛇丸が土遁の術を使って、サスケの後ろへと姿を現している。迫る大蛇丸の魔手。

 サスケは自らに迫る危機を感じたのか薄く……嗤う。

 

「ラァ!」

 

 サスケは座った体勢から重心を前に落とす。前傾姿勢のまま、前に飛び出した彼の左手にはワイヤーの端が握られていた。

 

「あら?」

 

 サスケが離れると同時に、地面から大蛇丸を巻き取るようにワイヤーが現れた。豪火球によって視界が隠された時に仕込みをしていたのは大蛇丸だけではなかった。

 炎により、大蛇丸の視界から逃れたサスケは、自分のすぐ後ろの地面にワイヤーを円状に配置していた。

 サスケはその眼で見抜いていたのだ。自分の豪火球の術が大蛇丸の変わり身の術により無効化されることを。彼の写輪眼はチャクラを色で見抜く。一種のサーモグラフィーの役割すらある写輪眼は地面に身を潜めた大蛇丸を見抜くことができた。

 

 ワイヤーに絡めとられ絶体絶命の状況の中、大蛇丸は薄く……嗤う。

 まさか、あの状況でトラップを仕掛けることなど下忍程度では到底、不可能だと大蛇丸は考えていた。だが、サスケは自分の予想を軽々超えていく。

 

「火遁 龍火の術!」

 

 口にワイヤーの端を含み、サスケは術を発動させる。サスケが使う火遁 龍火の術はワイヤーを導火線として、ワイヤーの先にいる敵にピンポイントで火傷を負わせる術だ。攻撃範囲の設定が容易な術として、中忍以上の火遁使いの忍に好まれる術だ。別の使い方としては、ワイヤーが敵に巻き付けば全身に火傷を負わせることも出来る使い勝手のいい術。

 

 尤も、巻き付けば、だが。

 

「!?」

 

 サスケの表情が驚愕の色に染まる。

 大蛇丸の体に線がいくつも入ったかと思うと、大蛇丸の体がバラけた。多数の蛇に変化した大蛇丸の体。口寄せで呼び寄せた数多の蛇を人型に押し込め、チャクラで以って術者と同じ姿にする変わり身の術だ。

 

「サクラ!」

 

 一斉に自分へと向かってくる蛇の群れを前に、サスケは叫んだ。

 

「ナルトの幻術は解いたわ!」

「ナルトォ!」

「承知!」

 

 打てば響くナルトの声。サクラにより幻術を解かれたナルトが再始動する。

 サスケは間髪入れずにクナイを投げる。それに追随するナルトが征くは蛇の群れ。大の大人の腕ほどの太さの蛇の群れだ。常人ならば、脱兎の如く逃げる光景に違いない。蜷局を解き、戦闘態勢に移っている毒蛇の群れに飛び込むことは虎口に入るよりも勇気が必要となるだろう。

 

 そして、その勇気をナルトは持ち合わせていた。自分に飛び掛かってくる蛇たちを、その巨体とスピードを活かしたタックルで鎧袖一触と言わんばかりに吹き飛ばしながらナルトは駆ける。ナルトが進む先はサスケがクナイで指し示した一匹の蛇だ。

 

 サスケが投げたクナイが蛇に刺さり、蛇の動きを止めた。と、ナルトの拳が動きを止められた蛇を打ち据えた。轟音と共に土煙が上がる。

 

「何ッ!?」

 

 だが、そこには何もいなかった。

 変わり身の術と同時に大蛇丸は蛇に変化して、蛇の群れの中に潜んでいた。そのことをサスケの写輪眼は見抜いており、大蛇丸が変化した蛇を示しナルトへ攻撃の指示を下した。だが、そこには何もいなかったのだ。本来ならば、そこにはナルトの拳に打ち据えられ、変化が解けた大蛇丸がいるハズだというのに。

 

 ナルトとサスケ、そして、サクラまで蛇が倒される光景に注目していたために、大蛇丸の次の攻撃を防ぐことは叶わなかった。

 

「ッ!?」

 

 出来上がっていない少年の身では、命が懸かったギリギリの戦闘を長時間続けることは非常に難しかった。すでにサスケの集中力は途切れていた。その隙を逃す捕食者ではない。

 

「サスケェ!」

 

 サスケが思わず漏らした声に振り向いたナルト。彼の目には仲間の首筋に噛みつく捕食者の姿が映っていた。

 

「その歳で、ここまで写輪眼を使いこなせるとはね。影分身は見切れなかったけど、それでも十分、凄いわ。流石は“うちは”の名を継ぐ男ね」

「あ……ああ」

 

 もう用は終えたとばかりに捕食者たる大蛇丸はサスケの首元から唇を離し、後ろへ大きく飛び擦る。

 木の上から第七班の三人を見下ろす大蛇丸は全身の皮膚が焼け爛れていた。だが、彼はそれを意に介すこともなく、嬉しそうにサスケが苦しみ跪く様子を見ていた。

 

「やっぱり、私は君が欲しい」

 

 ぐらつくサスケの体を瞬身の術で傍に寄ったサクラが受け止める。二人を庇うように前に出て、その体で以って二人の姿を隠すナルト。

 焦燥に駆られる三人を見つめながら、大蛇丸は口を開く。

 

「改めて、自己紹介をさせて貰うわ。私の名は大蛇丸。もし、君が私に再び出会いたいと思うなら、この試験を死に物狂いで駆け上がっておいで」

 

 それはサスケへの言葉だった。

 

「“ボク”の配下である音忍三人衆を破ってね」

 

 木に体を沈めていく大蛇丸。

 

「待ちなさい!」

 

 サクラの言葉に聞く耳を持たないようだ。大蛇丸の体は木の中へと消えていく。

 

「ぐわぁ!!」

「サスケくん!」

 

 苦しむサスケ。震えるサスケの指にサクラは自分の指を絡める。心が少しでも落ち着くようにというサクラなりのサスケへの配慮だ。だが、効果はないようでサスケの体温が上がるのと比例してサスケの体の震えは激しくなる。

 彼を抱き締めながらサクラは一度、目を閉じてナルトを見上げる

 

「ナルト……お願い。サスケくんは任せて」

「承知!」

 

 それは、短い言葉。

 だが、ナルトはサクラの意図を読み取ることができずとも、サクラが求めている行動を取った。つまり、木に沈んでいく大蛇丸へと拳を振り上げたのだ。

 

「はい?」

 

 思わず、呆けたような声を出す大蛇丸。

 確かに、ナルトのスピードを読み切った大蛇丸ならば、彼が一瞬にして距離を詰めることができるということは分かる。だが、問題はそのタイミングだ。

 

 ──あの流れだと、普通は私を見逃すでしょ? そうでしょう?

 

 体を潜めかけていた木がチップ状に粉砕され、宙に飛び出しながら大蛇丸は唇を噛み締める。それは、自分のキャラに合った場面のメイキングができなかったことに起因するのかもしれない。戦闘に対する美学というものを理解していないナルトに対して憤りを感じながら、大蛇丸は森の中、奥深くへと入っていく。

 

 今、壮絶なる追いかけっこが始まった。

 

 +++

 

 陽が沈み、暗くなっていく死の森の中を駆ける一つの影があった。ロングコートを着た女性だ。それは、試験開始前に第二の試験の説明をした女性だった。

 

 みたらしアンコ。第二の試験の試験官だ。

 

 彼女は焦っていた。

 第二の試験が開始されてから、お汁粉を片手に団子を頬張り一息ついていたアンコの元に一人の中忍が現れた。その中忍がアンコに報告した内容は、変死体が木ノ葉の里の片隅で見つかったということ。そして、その変死体の持ち物から中忍試験へエントリーされていることが分かったことから中忍はアンコに報告したという流れだった。

 これだけならば、どこかの受験生がルール違反も気にせずに受験生を殺したというだけだとも取れる。試験官の許可がない戦闘行為は認められていないため、犯行に及んだ者を厳重に注意しなければならない。

 面倒臭いことになったと内心思いつつも、アンコは中忍の死体が“妙”だという言葉に引っ掛かりを覚え、変死体の元へと案内をさせた。

 

 その死体を見た瞬間、アンコの頭の中から全てが吹き飛んだ。変死体は正しく変だった。顔が溶かされたように無くなっている。そして、アンコはこのような死体を作ることができる術を知っていた。その術者を知っていた。そして、その人物の実力も。

 

 中忍に暗部2部隊以上の出動を要請させ、自分は一人で森の中を駆けるアンコは奥歯を噛み締める。

 

 ──早く見つけないと……完全な暗闇になれば、こっちが益々、不利になる。

 

 目に力を入れ、彼女は森の中を突き進む。

 と、アンコは目を細め、木の枝の上から身を翻す。

 

「どきなさい!」

「む!? 試験官殿?」

 

 アンコが降り立った先はナルトの前だ。

 

「そいつを殺すのは私の役目よ」

「無理よ」

 

 アンコが追っていた人物、大蛇丸は不敵に笑う。サスケが全身に負わせていた火傷はいつの間にか治っているが、顔だけは治せなかったのかベロリと皮膚が剝がれかかっていた。

 その顔を見つめたアンコの脳裏に変死体が持っていた身分証明書の写真が過る。焼け爛れて判断することは難しかったが、その特徴は変死体の身分証明書の写真と一致していた。

 

 ──やっぱり、あの術はコイツが……。

 

 アンコは大蛇丸から目を離すことなくナルトへ呼びかける。

 

「アンタはここから離れなさい!」

「しかし……」

「早くしなさい! じゃないと、死ぬわよ!」

 

 戦闘態勢に移ったアンコはナルトに離れるように指示するが、ナルトはその場から離れる様子はない。痺れを切らしたアンコは一つ舌打ちをして、気持ちを切り替える。

 ナルトを無視して、大蛇丸へと飛び出したアンコは瞬身の術で彼の懐に飛び込んだ。あまりにも、あっさりと大蛇丸の手を掴むことに成功したアンコだったが、その不自然さに疑問を抱くことなくアンコはクナイで以って、大蛇丸の後ろにあった木へと自分と大蛇丸の手を縫い付けた。

 冷静に事を運んでいれば、おかしいということに気が付けた。だが、アンコは一種の興奮状態にある。大蛇丸は彼女の師だった人物だ。かつて、彼女を教え導き、そして、彼女からの尊敬の念を一身に受けていた者だった。だが、彼は裏切った。彼女だけではなく、木ノ葉隠れの里をも。かつての師を前にして、冷静でいられようか? 少なくともアンコは冷静でいられなかったために、自分の命をも犠牲にする心中忍術を発動させようとしていた。

 

「忍法 双蛇相殺の……」

「フフ……自殺するつもり?」

 

 後ろから声がした。

 

「影分身よ」

 

 ボンと音を立て、アンコが捕まえていた大蛇丸の姿が煙となり消える。

 

「む!?」

 

 声がした方向にアンコと共にナルトも顔を向ける。木の枝の上に大蛇丸が優雅に足を伸ばして座っていた。いつの間に影分身と入れ替わっていたのだろうかという疑問を大蛇丸に問い掛けることも許されず、状況はナルトの目の前で目まぐるしく変わっていく。

 大蛇丸が印を組んだ瞬間、アンコが崩れ落ちた。首元を押さえ、跪くアンコの傍へとナルトは駆け寄る。

 苦しむ子女を見過ごすなどということは、到底、彼に出来ることではなかった。

 

 自分に対する攻撃はないと判断したのだろう。

 大蛇丸は顔に手を当て、焼け爛れた皮膚を剥がしていく。出てきた綺麗な顔は蛇を人間に変えたら、こうなるだろうと人に思わせるような、どこか爬虫類めいた顔だった。

 素顔を晒した大蛇丸はアンコへと声を掛ける。

 

「久しぶりの再会だというのに、えらく冷たいのね……アンコ」

「フン……」

 

 心底、嫌そうな表情を浮かべたアンコだったが、彼女も忍。特別上忍という地位にいる忍だ。少しでも情報を大蛇丸から引き出そうとする。

 

「まさか、火影様を暗殺でもしに来たっていうの?」

「いーや……いや、違うのよ! だから、少し話をさせて頂戴、ナルトくん!」

 

 頭のすぐ上を切るナルトの拳を避け、木の上を移動しながら大蛇丸はナルトに止まるようにいう。大蛇丸の話に聞く耳を持たないと言わんばかりのナルトの行動を止めたのはアンコの苦しむ声だった。

 すぐさま、アンコの元に駆け寄るナルトを見て、話が再会できそうだと考えた大蛇丸は再び口を開く。

 

「三代目の暗殺のためには、まだ部下が足りそうにないのよ。それで、この里の優秀なのに唾を付けておこうと思ってね」

 

 大蛇丸は目を細め、アンコの首筋に視線を注ぐ。

 

「さっき、それと同じ呪印をプレゼントして来た所なのよ。……欲しい子がいてね」

「くっ……勝手ね。まず死ぬわよ、その子」

「待ちなさい! 死なないから、サスケくんは死なないの! だから、話をさせて頂戴、ナルトくん!」

 

 先ほどの焼き直しのように、大蛇丸の頭のすぐ上をナルトの拳が切ったが、今度のナルトは大蛇丸の声で止まった。殴りつけて情報を話させるより、サスケに何をしたのかという情報を自ら話して貰う方が良いと考えたのだろう。

 再びアンコの元に戻り、彼女を支えるナルトの姿を確認して大蛇丸は再び口を開く。

 

「生き残るのは10に1つの確率だけど、私は確信しているわ。サスケくんは間違いなく呪印と適合する」

「……えらく、気に入ってるのね、その子」

「嫉妬しているの? お前を使い捨てにしたこと、まだ根に持ってるんだ、アハ」

「くっ!」

「お前と違って優秀そうな子でね……なんせ、うちは一族の血を引く少年だから。容姿も美しいし、私の世継ぎになれる器ね」

 

 やおら、大蛇丸は立ち上がる。

 

「くれぐれも、この試験、中断させないでね。ウチの里も三人ほど、お世話になっている。愉しませて貰うわ。もし、私の愉しみを奪うようなことがあれば、木ノ葉の里は終わりだと思いなさい」

 

 膝を曲げ、追撃の準備をするナルトの耳に呻く声が届いた。

 一瞬の逡巡。敵を排除するか、苦しむ女性を助けるか。ナルトは後者を選んだ。大蛇丸が居た場所へと目を向ける。そこには、既に大蛇丸の姿はなかった。残された白い煙を見たナルトから表情がなくなる。

 

 一転、表情を優し気なものに変えたナルトはアンコへと尋ねた。

 

「大丈夫か?」

「……ありがとう」

「礼には及ばぬ」

 

 ──己はまだまだだな。

 

 倒すことと助けることを天秤に掛けてしまった。一瞬の迷いもなく、助けるために動かねばならなかった。

 それに、力が及ばない。

 

 精進あるべし。

 ナルトは自らにそう誓うのであった。

 

 +++

 

 木の根が地上に出て空洞を作っている。その中心に寝かされているのは、意識のないサスケだ。隣にはサクラの姿もある。

 

 段々、呼吸は整ってきたけど……でも、まだ凄い熱。

 

 サスケの頭に水で濡らした布を乗せながらサクラは決意を固める。

 

 ──私がサスケくんを守らなきゃ。

 

 その決意を嘲笑うように、サクラたちを見つめる三対の目があった。

 

「フフ……見つけた」

 

 サクラを窺っていたのは音隠れの額当てを着けた三つの影。

 

「大蛇丸様の命令通り、夜明けと同時にやるよ。あくまでも、ターゲットは“うちはサスケ”」

「邪魔するようなら、あの女も殺していーんだな?」

「勿論」

「あの筋肉はどうする?」

「どうもしないさ。ただ、彼が戻ってきた時、そこには首と体が別れた仲間がいるだけって話さ」

 

 狩人は時を待つ。

 敬愛する里長に捧げる生贄を、どう調理しようかと考えを巡らせながら。

 



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キャンプファイヤーで踊らぬ者と踊る者

 時刻は深夜、丑三つ時。闇が森を支配する時間だ。

 暗い森の中、小さな広場で焚火が煌々と燃えていた。ほっとする光景だ。毒虫や害獣に気を張り続け、くたくたになった者に焚火の火の揺らめきは安全と安心を与えるだろう。火に獣は怯え、火に人は暖を取る。

 

 そして、パチパチと踊る火の横には魚が串で焙られていた。魚油の香ばしく、人の本能、食欲に直接、訴えかけるような香り。極限のサバイバルに挑む者たちにとって、何とも耐え難い匂いだ。

 

 ガサリと茂みを分け入るような音がした。

 焼き魚の匂いに釣られたのか、人が火の近くに寄っていく。

 

 ──バカが、引っかかったな。

 

 焼き魚を準備し、近くの茂みで息を潜めていた忍はほくそ笑んだ。

 そう、餌で獲物を捕らえるための罠だ。古典的だが有効だ。事実、目の前には魚の焼ける匂いに釣られたバカが何も知らずにのこのこと近づいていた。

 

 忍はクナイを振り下ろし、プチンと傍のワイヤーを切る。

 仕掛けたトラップが火の元に近づいた人影の頭上から襲い掛かった。丸太を加工した木の槍だ。

 

 木が地面へと落ちる音と共に、焚火の炎は消え、土煙を上げた。

 

 ──やったか?

 

 ワイヤーを切った忍は暗闇に目を凝らす。幸いなことに月明かりにより、森の中の広場は照らされていた。焚火の炎が消えたとはいえ、充分な明るさだ。

 月明かりに照らされ、砂埃が煌めく広場は一種、幻想的だった。

 そして、その中心にあるのは無傷の人影の姿。砂塵舞う中、直立不動の構えを月明かりに照らされる幻想的な光景だった。

 

 だが、トラップを仕掛けた者たちは、そう捉えなかったらしい。口をわなわなと震わせ、信じられないものを見たというように目を極限まで見開いている。

 

「う……嘘だろ?」

「どういうことだよ?」

 

 二人の言葉を補足するように最後の一人が声の限りに叫んだ。

 

「なんでポーズとってんだよ! アホかァ!?」

 

 そこに居た者は逞しかった。体の側面を前面に押し出し、両腕を臍の辺りで止め、大胸筋を強調したポーズのナルトだった。

 サイドチェストで彼はトラップを完璧なまでに防いだのだ。

 

「なんで、ポーズをとっただけで、あの量の丸太が効かねェんだよ!?」

「修練を怠らなかった故」

「嘘つけ! 一体、どんな修行をすれば……いや、いい。なんとなく分かった。筋トレをしたら、多分、上から落ちてきた丸太も痛くなくなるんだろうなって、そんな訳あるかァ!!」

 

 声の限りの叫ぶ忍は頭痛を感じていた。この男とは話が通じ合わない。同じ言語を使っていたとしても、価値観が全く違う。話は平行線を辿るだけだ。

 

「焚火の光でよもやとは思ったが、サスケやサクラではなく当てが外れた。だが、人がいたのは僥倖。……貴殿らに聞きたいことがある。サスケとサクラを知らぬか?」

「……ひょっとして、お前……仲間と逸れたのか?」

「恥ずべき事であるが……然り」

 

 その瞬間、忍の顔がニヤリと歪んだ。

 

「巻物を寄こせぇべえええ!?」

 

 飛び掛かっていく忍の懐へと一瞬にして入り込んだナルトは拳を上へと突き上げた。腹に固い拳が入り、上へと飛ばす。

 空へ、月が照らす空へと舞い上げられたチームメイトの姿をポカンとした表情で地上の二人は見上げる。死の森の大木、その梢ほどの高さまで殴り飛ばされた忍は重力に従い、地上へと落ちてくる。その姿をポカンとした表情で見つめる二人は、顔を上から下へと動かした。

 ややあって、地面へと叩き付けられ、土埃を舞い上げたチームメイトの姿を見つめる二人の忍。

 

 鎖帷子を着込んでいたことが幸いしたのかもしれない。地面へと叩き付けられたチームメイトは──虫の息ではあったが──確かに生きていた。

 二人はゆっくりと顔を見合わせ、やがて、頷き合った。

 

「巻物は貴方様に差し上げますので、どうかお許しください」

「否。己が聞きたいことはサスケとサクラのこと。つい、反応してしまったが己は貴殿らを傷つけるつもりはない」

「申し訳ございません。僕たちは貴方様の班員についてはお知りになられないです、ハイ」

 

 所々、敬語の使い方が間違っているが、仕方のないことだろう。ナルトの話をよく聞かずに、忍はへこへこと頭を下げる。

 なにせ、彼らの目の前では仲間が天高く殴り飛ばされるという、普通に生きていれば遭遇し得ない出来事に遭遇してしまったのだから。その出来事に遭遇してしまった二人の取った行動の意味は単純明快。巻物を差し出し、命だけは見逃して貰おうという生存本能に即した行動だった。

 

 ナルトが何も言えない内にナルトの足元に巻物を置き、チームメイトを回収して一目散に離れる三人の忍を見つめながら、ナルトは独り言ちた。

 

「サスケ……サクラ。どこにいる?」

 

 広い森の中。一心不乱に大蛇丸を追っていたら、どこから来たのかナルトは分からなくなっていた。手当たり次第に二人の姿を探すナルトは途中で出くわしてしまった、限りなく不運で身の程知らずな下忍たちを返り討ちにしながら森の中を突き進むのであった。

 

 +++

 

 木の根が複雑に絡み合い、雨風を凌げる場所にサクラとサスケは居た。大蛇丸が施した術により、サスケの体調は非常に悪かった。高熱による意識の白濁。荒い息を続けるサスケに額に濡らした布を置き、なんとか体温を下げようとするサクラだが、効果は目に見えない。

 

 疲労が重くサクラに圧し掛かる。

 それも仕方のないことだろう。何せ、自分たちより圧倒的に上位の実力を持つ忍と戦ったのだから。死を濃密に感じられる中、生きるために戦った彼女は疲れていた。

 体力的な面はもちろん、精神的な面も疲労でギリギリの状態であった。戦闘で体力は使う、そして、いつ他の敵が攻めてくるか分からない今の状況はサクラの精神を加速度的に削っている。

 

 ──眠っちゃダメ。

 

 サクラは頭を振る。疲れで今にも飛びそうな細い意識の糸へと集中し直すサクラであったが、その集中もすぐに霧散しそうになる。

 再度、頭を振って眠気を飛ばそうとするサクラの顔に日の光が当たった。

 

 ──もう夜明け……。

 

 目をしばたたかせて朝の光に目を慣らす。

 

 ガサリと音がした。

 

 一瞬で意識を覚醒させたサクラはクナイを手に用意する。自分の鼓動が耳元から聞こえるほど、サクラは緊張していた。サスケは伏し、ナルトは大蛇丸を追って行った。今、ここでサスケを守る事ができるのは自分だけだ。

 覚悟を決めてサクラは振り返った。と、サクラは怪訝な表情を浮かべる。

 

 ──リス?

 

 森の中に住み着いていたのだろう。一匹のリスが茂みの中から姿を現していた。

 リスの愛くるしい姿を確認したサクラは肩に入れていた力を抜く。

 

「何よ、あんまり驚かさないで……あ!」

 

 リスが自らの方向へと向かおうとする様子をサクラは捉えた。瞬間、サクラはクナイを投げる。リスの足元にクナイが刺さり、それに驚いたリスは慌てて森の中へと姿を消した。

 森の中へと行くリス。

 その姿をじっと観察していた三対の目がサクラへと視線を戻す。

 

「えらく気を張ってやがるな。リスに着けた起爆札に気付いたのか?」

「いや……そうじゃないよ」

「なんだよ、ドス。どういうことだ?」

「多分、近くまで行けば分かるよ。だから……」

 

 茂みを揺らしドスと呼ばれた少年は視線をサクラへと向ける。

 

「……そろそろ行こうよ」

 

 その目は限りなく冷たかった。

 彼らは音隠れの忍。先の大蛇丸の立ち上げた音の忍たちだ。大蛇丸のカリスマによって育て上げられた彼らの残忍性はおよそ、下忍の域ではない。人の悪意を増大させた残忍性は他者を殺すことを遊びのように捉えている節がある。

 

 そして、彼らの今の狙いはサクラと……サスケだった。

 

 +++

 

 暖かな日の光に照らされると体の奥の方から眠気が襲ってくる。その眠気は耐え難い。例え、死の危険があると言えども、生物の本能的な欲求には逆らうことができない。なにせ、人の三大欲求──食欲、性欲、睡眠欲──の内、何も用意せずとも行えるのが睡眠だから、逆らうのは困難なのかもしれない。

 

 サクラの頭がゆっくりと船を漕ぎ始める。

 

「クク……寝ずの見張りかい?」

「!?」

 

 うつらうつらしていたサクラの目を冷たい声が一瞬にして開かせた。先ほどのリスの時は緊張感、だが、今し方、聞こえてきた声は危機感をサクラへと齎した。

 危険度はこちらの方が数段上。

 後ろへと視線を遣ったサクラの翡翠色の目に映ったのは三人の忍の姿。

 

「でも、もう必要ない。サスケくんを起こしてくれよ。ボクたち、そいつと戦いたいんでね!」

 

 狂気に溢れた声がサクラのうなじを逆立てる。

 と、その者たちが着けている額当てへとサクラの視線が注がれた。ベロリと剥がれた顔の皮膚の裏から見えた顔が付けていた額当てと同じマークだ。

 

 ──こいつら、音隠れの……。あいつと同じ。

 

「何、言ってるのよ! 大蛇丸って奴が陰で糸引いてるのは知ってるわ! 一体、何が目的なのよ!?」

 

 “大蛇丸”──その言葉が三人の忍の表情を驚愕の色に染めた。次いで、彼らの表情が染まる色は黒。

 

「サスケくんの首筋の変な痣は何なのよ! サスケくんをこんなにしといて、何が戦いたいよ!」

「……さーて。何をお考えなのかな、あの人は?」

 

 低い声で顔に包帯を巻きつけている少年、ドスはぼやく。隣の少女、キンもまた難しい顔で考え込んでいる様子だ。

 そして、ドスの言葉に反応したのか髪を逆立たせた少年、ザクは臨戦態勢を整えた。

 

「しかし、それを聞いちゃあ、黙っちゃられねーな。この女もオレが殺る。サスケとやらもオレが殺る」

「待て、ザク!」

「あ? 何だよ?」

 

 今にもサクラへと飛び掛かろうとしていたザクをドスが止めた。

 

「ベタだなあ……ひっくり返されたばかりの石、土の色。この草はこんな所には生えない」

 

 地面を剥ぎ取るドスはサクラを正面から見る。

 

「ブービートラップってのはさ……バレないように作らなきゃ意味ないよ」

「チィ、下らねェ。あのクナイはリスがトラップにかからないようにするためだったのか」

「まあ、この女なんか用無いから……すぐ殺そ」

 

 ドスの合図で音隠れの忍、三人は跳び上がる。大きく跳躍した彼らの目的は、地面に仕掛けられたサクラのブービートラップを避けるためのもの。

 地面に足を着けずにサクラのいる場所まで跳べばトラップは発動しない。単純な理屈だ。

 

 だが、自分のトラップが無意味になったというのにも関わらず、サクラは笑った。

 次いで、サクラは手元のクナイで昨夜の内に用意していたワイヤーを切る。トラップだ。それは、二重のトラップ。一つ目は精神的なトラップである分かり易く地面に仕掛けたトラップ、二つ目は物理的なトラップである上から降ってくるトラップだ。

 サクラがワイヤーを切ったことで、攻城槌のように巨大な丸太が音隠れの三人へと襲い掛かる。

 

「上にもトラップが!? ヤバイ!」

 

 三人は完全にサクラの術中に嵌っていた。

 

「なーんてね」

 

 が、ドスが丸太に手を当てると、意図も容易く丸太が破砕される。

 

 ──才能がない奴はもっと努力をしなくちゃダメでしょ?

 

「!?」

 

 そうサクラへと声を掛けながら、恐怖に歪むサクラの顔を見ようとドスは考えていた。しかしながら、ミシリと胸の骨が嫌な音を立てたことをドスの耳は捉える。そのまま、地面へと叩き付けられるドス。

 

「おい!」

「ドス!」

 

 何が起こったのか把握していないながらもドスは受け身を取り、ダメージを最小限にする。ドスは自分の前に影が差したことを感じた。

 自分の前に降り立ったサクラを憎々し気に睨む。

 

「トラップで目隠しをしてあなたがボクに攻撃を当てる、と。……やりますね」

 

 自分の身に起こった一連の出来事を理解したドスは服の埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 第一のトラップで上に跳び上がらせ、第二のトラップで迎撃。それを防いだら本人が体術で攻撃、と。見事に掌の上で踊らされたという訳ですね。

 だが……。

 

「所詮、アナタは一人だ」

「サクラさんは一人ではありません!」

「!?」

 

 森の中に熱い声が響いた。

 陽を遮り、一つの影がサクラの前に躍り出る。

 

「な……何者です?」

「木ノ葉の美しき蒼い野獣……ロック・リーです」

 

 煙と共に現れたるは肩にリスを乗せたリーの姿だった。

 



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助力

 朝靄を飛ばすように一陣の爽やかな風がサクラの髪を揺らした。

 目の前に立つ少年は爽やかとは言い難い。どちらかと言えば熱血、爽やかのちょうど反対側に立つような人間だ。

 だが、彼は自分が傷つくかもしれない戦場に割って入ることのできる益荒男であった。一陣の風であった。

 

 サクラはその後ろ姿を翡翠色の目に映す。リスを肩から降ろすリーへとサクラは尋ねられずにはいられなかった。

 

「何で……?」

 

 同じ里の出身とは言え、リーは違う班員。そして、彼と会ったのは、一次試験前のいざこざだけ。彼には自分を助ける理由がないとサクラは考えていた。

 

「ボクはアナタがピンチの時はいつでも現れますよ」

 

 その声に漲るは信念。曲がることなき心の強さだ。

 

「サクラさん。ボクは前に一度、アナタにこう言いました」

 

 ──死ぬまでアナタを守るって。

 

 背中をサクラに向けたまま、リーは自分の想いを口にする。その言葉はサクラの胸に響いた。忍としての実力だけではない。リーは心も強かった。そのことに気が付いたサクラは目を丸くする。

 僅か一歳、たった一年。それだけの時間で、彼が口にした言葉を裏切らないほどに強くなっていたのか、それとも、彼は元々、この強さを持って産まれていたのか。

 そのようなことは関係ないとサクラは思う。ただ、目の前に立つ人物は強い。ナルトのように他者を圧倒する筋肉もない、サスケのように常に冷静で忍というものを理解しているでもない。

 

 だが、三人とも同じ強さを持っている。自分を曲げる事がない心の強さだ。サクラは拳を握り締める。

 私だってナルトやサスケくんと一緒に任務をしてきた。カカシ先生にも修行をつけて貰った。それなのに……。

 

 サクラの拳から力が抜けた。サクラはリーの隣へと並ぶ。

 

 ──リーさんだけに戦わせ、自分は見守るだけだなんて、したくない。

 

 弱くとも、それが、サクラの答えだった。

 

「リーさん、ありがとう。でも、危なくなったら、私を置いてサスケくんをお願い」

「サクラさん、大丈夫です。ボクがアナタを守りますから」

 

 その遣り取りをじっと見つめるドスは懐から巻物を取り出した。

 

「仕方ないなあ。ザク、サスケくんは君にあげるよ」

 

 次いで、ドスは巻物をザクへと投げ渡す。

 

「こいつらはボクが殺す」

 

 目に力を入れたドスは次いで、足に力を籠めた。音隠れの下忍として中忍試験への参加を抜擢されただけのことはある。素早い身の熟しでリーへと近づいたドスは右腕をリーへと振り下ろした。だが、リーはその上を行く。地面に右腕を差し込み、一気に引き上げると、大木の根が引き摺り出されてドスの攻撃を防いだ。

 ドスの特殊な攻撃により、防御した木の根が破砕されて舞う中、リーはドスを油断なく見つめる。

 

「君の攻撃には何かネタがあるんだろ? そうじゃなきゃ、サクラさんの仕掛けたトラップがあんな壊れ方をするハズがありませんからね」

 

 ──とはいえ、一対三は分が悪い。賭けに出るしかないな。一人ずつ……全力で潰す!

 

 リーのやるべきことは決まった。

 ドスへと照準を合わせたリーは腕に巻く包帯を解いていく。

 

 ──ガイ先生。では、心置きなく、あの技をやります。なぜなら、今がその……大切な人を守る時!

 

 恩師へ心の中で宣言したリーは体の門をこじ開ける。八門遁甲という体内門が八つ、人間には備わっている。これは、必要以上の力を抑制するストッパーのようなものだ。この体内門をチャクラで無理矢理にこじ開けることで、チャクラの流れを増大させ、身体能力の向上を促すのが八門遁甲の陣と呼ばれる技だ。

 

 第一の門、開門を開いたリーの動きはもはや、下忍の体術ではない。

 

「!?」

 

 ドスの目の前からリーの姿が掻き消えたかと思うと、下から上へとドスの顎に突き抜けるような衝撃が奔った。

 上へと吹き飛ばされるドスの背中に影舞葉でリーがピッタリとついていく。

 

 ──甘いですよ。

 

 一瞬にして上空へと運んだリーの体術に顔を引き攣らせながらも、ドスは反撃をしようと右腕に意識を集中させる。

 

「!?」

 

 だが、甘いのはドスの方だった。いつの間にか、自分の体は包帯に巻かれていた。

 先ほど、リーが解いた腕の包帯は自分の動きを拘束するためにあったのだとドスが悟った瞬間、重力がドスの体を襲う。

 常ならば、受け身を取ることも出来ただろう。だが、今は包帯に絡めとられ指一つ動かせない状況だ。反転する景色の中、ドスは血走った目で背中のリーを見ようとすることしかできなかった。

 

「あれじゃ、受け身もとれねェ! ヤ……ヤバイ!」

「させない!」

「クッ! ザク!」

 

 そう言って、行動に移したのはザクとサクラ、そして、キンだった。地上では、地面に手を入れ、何かしらの術を行使しようとしていたザクを牽制するために、サクラが何本ものクナイをザクに向かって投げていた。それを、キンが注視したと同時にリーが叫ぶ。

 

「喰らえ! 表蓮華!」

 

 ドスを拘束したリーは回転を伴って地面へと落下していく。そして、ドスの体が地面へと突き刺さった。

 

 無言が空間を支配する。

 

 濛々と立ち込める土煙の中、一番に声を発したのはザクだった。

 

「間に合ったぜ」

「!?」

 

 ザクの声に反応するように、地面に頭を減り込ませていたドスが動き始める。

 

「恐ろしい技ですね。土のスポンジの上に落ちたのに、これだけ効くなんて。……次はボクの番だ」

 

 左目を嗜虐の色に染め、ドスは再び駆け出した。それは確信を伴った走り。つまり、リーが反撃することが出来ないと確信をしていた走りだった。

 そして、ドスの予測は当たっていた。一時的に身体能力を上げる八門遁甲であるが、強力な術にデメリットがないハズがない。発動後にスタミナの急激な低下が第一の門、開門を開いた後の反動だ。

 

 動きに精彩を欠いたリーではあるが、ドスの右腕からの攻撃を紙一重で躱すことができた。ただ、それは物理的な攻撃のみ。

 

「!!」

「君の技が高速なら……」

 

 歪む視界の中、リーは平衡感覚を失った。

 

「……ボクたちの技は音速だ。どうにもならない絶望というものを教えてあげるよ」

 

 膝をつくリーの目の中には、醜く嗤うドスの姿が映っていた。次いで、リーを襲うのは猛烈な吐き気。堪え切れずに、リーは胃の内容物を戻す。

 

「リーさん!」

 

 リーへと駆け寄るサクラはリーの左耳から血が流れていることに気が付いた。

 

「ちょっとした仕掛けがあってね。躱してもダメなんだよ。ボクの攻撃はね」

「一体、何を……?」

「フフフ……音だよ」

 

 右腕を挙げながら、ドスは到底、武器として使うことが出来なさそうな“音”について説明を始める。

 

「拳は躱しても音が君を攻撃したのさ。……音ってのは、そもそも何なのか知ってますか?」

「……振動」

「御名答。音が聞こえるということは、つまり、空気が揺れているのを耳の鼓膜がキャッチするということ」

 

 サクラの答えに頷くドスは自分の耳を指し示す。

 

「そして、人間の鼓膜は150ホンを超える音で破れる。また、更に奥深くにある三半規管に衝撃を与えることで平衡感覚(バランス)を失う」

 

 ドスの言う通り平衡感覚が狂い、立つことすらできないリーを見て、ドスはまた嗤う。

 

「フフ……君は当分、満足に体を動かすこともできないよ」

「オレたちに古臭ェー体術なんて通じねーんだよ。まあ、途中までは良かったが、オレの術まで披露したんだ。そう上手くはいかねーよ」

 

 そう言って、ザクは両手を地面から抜く。

 

「オレは超音波と空気圧を自由に操り、岩ですら破砕する力を持つ。土に空気を送り込んでクッションに変えることも思いのままだ。お前の下らねー技とは違うんだよ」

「ザクの動きを止めようとしたのは評価できる。けど、私を忘れてザクに攻撃できる訳がないのよ」

 

 ザクの前に立ち、サクラのクナイを全て受け止めたくノ一、キンが冷たい目でサクラを見遣る。

 

「私は暗器使いのキン。アンタが咄嗟に投げたクナイ程度の威力じゃ私が着込んでいる鎖帷子を貫けない」

「まあ、ボクらのことが少し分かったかい?」

 

 キンの言葉を受け取るようにドスが再び話し始めた。

 

「分かった所で……君たちには死んで貰う!」

 

 リーからサクラへと狙いを移したドスは右腕を振りかぶる。だが、彼は甘かった。

 平衡感覚が狂わせた程度で、諦めるような軟弱者ではない。リーは前に出た。

 

「木ノ葉旋風!」

 

 しかしながら、リーは攻撃を繰り出す。それで、精一杯だった。リーの蹴りは確かにドスの体に当たったものの、ドスへとダメージを与えることができなかった。

 

「少々驚かされましたがアッ!?」

 

 だが、ドスはサクラからリーへと注意を移してしまったのだ。より動くことのできるサクラから目を離し、リーに注目してしまった。

 顔に受ける衝撃はドスを後ろへと吹き飛ばした。リーへとドスが注意を逸らした一瞬の隙。その隙を見逃さず、サクラはドスの顔へと右の拳を叩き込んだ。

 地面を転がるドスを気に掛けることもなく、サクラはポーチから手裏剣を取り出して、ザクへと投擲する。先ほどの牽制よりも威力は上。より明確な『倒す』という気持ちを乗せたサクラの手裏剣だったが、ザクが咄嗟に発動させた術により全ての手裏剣が空気圧で跳ね返される。

 

 ──リーさんを……。

 

 すぐ近くにいるリーを押し倒し、サクラは自分ごとリーを手裏剣の軌道から逃れさせる。だが、地面に倒れ込むという大きな隙を見逃すほど、音の忍は甘くなかった。

 

「キャッ!」

 

 頭頂部に奔る痛み。

 髪を引っ張られ、無理矢理に身を起こさせられたサクラは隣に立つ忍へと滲む目を向けた。

 

「私より、いい艶してんじゃない、コレ。フン……忍の癖に色気付きやがって」

 

 サクラの髪を掴んでいたのはキンだ。

 

「髪に気を使う暇があったら修行しろ、メスブタが!」

「痛い!」

 

 声を上げるサクラを愉しそうに見つめるキンはゆっくりと立ち上がるドスへと視線を移した。

 

「ねぇ、いいこと思いついたんだけど」

「何だい、キン? ボクがその子を痛めつけるよりもいいことなら聞いてあげるよ」

「ザク。この男好きの目の前で、そのサスケとか言う奴を殺しなよ。こいつにちょっとした余興を見してやろーよ」

「!!」

 

 サクラはキンの声色から危険な物を感じ取った。忍同士の戦いだ。戦いで命を落とすこともあることはサクラも重々承知していた。だが、キンの提案は違う。ただ殺すのではなく、嬲るようにして痛めつけることで最終的に死に至らしめる提案だとサクラは勘付いた。

 

「お! いいねー! ドス、どうする? オレはキンに乗るぜ」

「それはダメだ、ザク」

「は? どうしてだよ?」

「サスケくんだけじゃボクの気持ちは収まらない。なにせ、二度も彼女に殴られたからね。だから、さ」

 

 ドスはこれまで以上に血走った目でリーを見る。

 

「そのゲジマユくんも殺そう」

「了解」

 

 ザクは軽く手を挙げるとリーへと足を向ける。キンに髪を掴まれ、動きを止められたサクラはその様子を見る事しか許されなかった。

 

 ///

 

 サクラ、顔を上げるのだ。

 え?

 貴殿はもっと自信を持つべきだ。そう、己のように筋肉を付けるべきだ。

 え?

 サクラを筋肉の道に引き込むのは止めなさい。ってか、アンタ、なんでくノ一クラスに来てんのよ。

 森での修行から帰る途中で迷ってな。今し方、帰ってきた所だ。

 森ってアンタ、子どもは入っちゃダメって言われているとこじゃない。

 しかし、己が読んだ書物には森で修行すると精神も鍛えられ一石二鳥だと書いてあった。

 はあ、アンタねぇ……ん? どうしたの、サクラ?

 いのちゃん、えっと、この人は?

 サクラは同じクラスになったことないっけ?

 己は!

 ナルト、アンタの自己紹介は長いから少し黙って。

 む!?

 こいつは、うずまきナルト。何でか知らないけど私の幼馴染と仲良くてさ、それで、私とも話すようになった訳。まあ、見た目は少しおっかないけどいい奴よ。

 へえ……あ、よろしくね、ナルトくん。

 別に『くん』とか付けなくてもいいわよ。ナルトは私たちと同じ学年なんだし。

 え? そうなの?

 然り。

 あ、えっと、よろしく、ナルト。

 うむ。よろしく頼む、サクラ。

 そうそう、サクラ。ナルトが言ってたように自信持ちなさい。アンタの髪はキレーな色、してるんだから。

 

 ///

 

 あの時から私の髪は私の誇りだった。だけど、今は誇りを捨ててでも勝ち取らなくちゃいけないものがあるってことを分かっている。だから、動きなさい、春野サクラ。アナタはナルトとサスケくんと同じ班なのだから、勇気はあるでしょ?

 

 サクラは目を見開いた。

 サクラの体は淀みなく動き、ポーチからクナイを取り出す。だが、武器を取り出したサクラをキンはせせら笑った。

 

「無駄よ。私にそんなものは効かない」

「そう。なら、私の拳はどう?」

「え?」

 

 ザクリという音が森の中に響いた。それは、絹を裂くような音。そして、その音と共にサクラの髪はハラリと落ち、サクラの拳がキンの顎に入った。

 全く予期しない動きからの殴打がキンの意識を刈り取る。攻撃が来ると分かっていれば、キンも意識を保っていられただろう。だが、キンはサクラが自分の髪をクナイで切り、自分の拘束から逃れることを予想できなかった。その上、クナイを持つ手に作った拳で間髪入れずに殴ってくるとは予想できなかった。更に、体を半回転させながら人体の急所である顎を寸分違わず狙ってくるとは予想できなかった。

 

 自分よりも格下。反撃してきたとしても、クナイで刺してきて自分が着ている鎖帷子に阻まれるのが関の山だろうというキンの予想は的外れであった。

 

「キン!」

 

 リーへと近づいていたザクは後ろに向かって倒れていくキンを見て、思わず叫んだ。そして、やはり下忍というべきか戦闘の心構えが全くなっていなかった。

 いついかなる時でも気を巡らせ、敵をいち早く把握することこそが戦闘の心得の一つだ。だが、それは下忍にとって荷が重い。

 ザク、そして、ドスもキンが地面に沈んでいく様子を見つめてしまっていた。仲間が戦闘不能に陥れば動揺する。その隙は格下が金星をあげるための一因となるのだ。

 

「!?」

 

 ザクは衝撃と共に自分の体が傾いたことに気が付いた。サクラの身当てだ。

 

「ウッ!」

 

 少女と言えども、体重が30kg以上ある忍の行うタックルは、それなりの威力を持つ。それが、意識の外から行われた攻撃ならば猶更だ。しかして、ザクは地面に押し倒された。

 

 重みを腹に感じていることから、サクラにマウントポジションを取られているのだろう。思わず目を閉じてしまったザクだったが、すぐに目を開ける。

 ザクの予想通り、サクラが自分の腹の上に乗っていた。だが、問題はない。

 

 ──斬空破で吹き飛ばしてやる。

 

 ザクは両手に意識を集中させる。両手の孔からチャクラを放出することで、自分の上に生意気にも馬乗りになっているサクラを吹き飛ばそうという魂胆だ。

 ところが、それは実行に移せなかった。

 

 ザクが行動する前にサクラはザクの行動を封じていたのだ。

 サクラはザクの掌に指を絡ませていた。

 

「テメェ……!」

 

 ニヤリと笑うサクラを見て、ザクは全てサクラの作戦通りだということを悟った。

 ザクの斬空破は腕からチャクラを放出する術だ。そして、その放出孔は両手の掌にある。そして、今、その放出孔はサクラの掌で覆われていた。つまり、ここで、無理に斬空破を発動させれば暴発する。そうなれば、ザクもただでは済まないだろう。

 

 自分にこれと言った忍術はないものの、敵の技をよく見て分析したサクラ。

 破壊力抜群の忍術を持ったことにより驕り、敵を碌に見る事もなかったザク。

 

「しゃーんなろぉー!」

 

 軍配はサクラに上がった。

 手は使えずとも頭がある。サクラの強烈な頭突きによって、ザクの意識は落ちた。

 

 瞬く間に二人の仲間で沈められた様子を見て、残されたドスは慄く。この状況を作り出したのが、ターゲットであるサスケならば、見た目からして力強いことが分かるナルトならば、まだドスは理解できただろう。

 だが、現実は自分たちが歯牙にもかけなかった弱々しい少女によって作られた燦々たる光景が広がっていた。

 

 ──あり得ない。

 

 目を大きく見開くドスは、ゆっくりと、それはゆっくりと立ち上がるサクラを見つめることしかできなかった。

 ザクへ頭突きをした時に額が切れたのだろう。額から渾々と溢れ出る血がサクラの顔を赤く染める。

 

 ──悪魔だ。

 

 血化粧の奥から豹のように爛々と輝く翡翠色の目を見てドスは息を呑む。

 

 ──ここは一時退却を……。

 

 そう思ったドスだったが、何やらサクラの様子がおかしいことに気が付いた。

 と、ドスは包帯の奥で唇を歪める。

 

 ふらつくサクラの体。

 それもそうだろう。大蛇丸との邂逅、徹夜でのサスケの看病、自分たちとの戦闘。サクラの体力は限界だった。そして、助っ人であるリーは自分の術で動くことが難しい状況。根性はそう続かないと判断したドスは慎重に、ゆっくりと、時間をかけてサクラとリーを甚振ることに決めた。

 

 満身創痍の二人だ。ならば、遠くから手裏剣を当て続けることで勝てる。遠距離ならば、相手からの攻撃は弱くなり不意打ちも出来ない。そして、自分はサクラとリーの二人よりも高威力の遠距離攻撃が出来る。

 

 そう考えたドスは距離を取り、手裏剣を何枚か取り出した。

 

 ──防がなきゃ。それに、リーさんを守らないと……。

 

 ふらつく体を細い意識の糸で繋ぐサクラにはリーとの数mが遠かった。そして、ドスが投げる手裏剣を防ぐ手段はなかった。

 

 瞬間、サクラの体が宙に浮く。痛みはなかった。姉のような腕に包まれ、安全な場所へと移されたサクラは自分を抱きかかえて移動させた人物の顔を認識した。

 今にも途切れそうな意識を繋ぎ止めながら、サクラは唇を動かす。

 

「いの……」

「サクラ……アンタには負けないって約束したでしょ?」

 

 そこに居たのは、かつて、サクラに自信を与えた人物の一人、山中いのであった。

 



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上を向いて歩くべし

 目を丸くしたサクラを腕から降ろしながら少女は立ち上がる。水色の目を怒りに燃え上がらせながら立つ姿は華のよう。野に咲く花の如き強さと温室育ちの花の如き美しさを併せ持った華だ。

 サクラの前に出た少女は長い髪を軽く揺らし、ドスを正面から見る。

 

 彼女の名は山中いの。

 木ノ葉の名家の一つである山中一族の娘だ。通常の忍では扱うことのできない特殊な忍術を扱うことができる血を持つが、今の彼女の実力は凡百の下忍に毛が生えた程度。ドスのように非常に特殊な忍──音を武器として使うという通常は考えられない術を持つ忍──に正面切って戦うと、勝算は限りなくゼロに近くなる。

 

「サスケとおかっぱの人も移動させたよ」

 

 だが、それは一対一で戦う時の話だ。

 いのには頼りになると手放しでは言えないものの、やる時はやる仲間がいた。

 

「おし、そんじゃあ行くか」

 

 いのの隣に並び、サクラを背に置く二人の下忍。いのと同じ第十班のシカマルとチョウジだ。

 

 第一の試験が開始する前に話して以後、半日と少し。ほんの少しの時間だ。男子三日会わざれば刮目して見よという言葉があるが、サクラはその1/3の時間で変貌を遂げた。だからこそ、彼らの心は動かされたのだろう。

 アカデミーで共に学んだ友。だが、忍であるならば敵対した瞬間、命を奪い合う関係に変わる。このバトルロワイアルでは、弱った者は例え見知った中でも喰らうべき存在。

 

 しかしながら、自分たちの利益を度外視してでも、いのたちが弱ったサクラを守る理由はサクラの強さにこそあった。どんなに絶望的な状況でも諦めない心の強さ。無駄だと笑う者もいるだろう。諦めろと嘆息する者もいるだろう。だが、諦めない姿勢は時として人の心を打つものだ。サクラを見捨てるという選択肢がなくなった以上、いのたちには、ただ一つの選択肢しか残されていなかった。

 

「ごめんね、シカマル、チョウジ」

「気にすんな。お前が行かなきゃオレたちが飛び出してた」

「うん、シカマルの言う通りだよ」

 

 ──戦う。

 

 いのたちの心の内を理解したのだろうドスから殺気を放たれた。額から汗を流しながらも彼女らの足は一歩たりとも退いてはいなかった。

 

「ったく……あのアマ、ぶっ殺す!」

「キン、アイツはオレが殺す」

「ザク、アンタじゃ一瞬で殺してしまう。あの糞アマには、私らをコケにしたことを泣きながら、叫びながら詫びさせなきゃ気が済まない。そうでしょ?」

「……チッ。最後だけはオレにやらせろよ」

「ああ。アンタの術で粉々にしてやってよ」

 

 一人は口から、もう一人は鼻から血を流しながらドスの隣に二人の忍が並んだ。

 流石は音隠れの里で育った者たちだ。弱者は死ぬことが相応しいという考えを持つ大蛇丸が起こした里であるが故に、音隠れの里に所属している忍たちは鍛え上げられている。正確には、育成プログラムに耐えられなかった者は一人残らず死んでいるという話ではあるが。

 その音隠れの里で生き残った彼らの能力は、心技体、そのどれもが下忍のレベルを超えていた。サクラが放ったアッパー、そして、頭突きは意識を刈り取る事こそ出来たものの、一分も経たない内に彼らは復帰したのだ。

 

 ドスを挟むように並んだキンとザクは濃密な死の気配を漂わせる。

 皮膚がチリチリと焼きつくように痛い。戦場独特の空気だ。初めて命の取り合いを行ういのは生唾を飲み込んだ。確かに緊張はしている。体が恐怖で震えている。

 

 ──けど、ここで逃げ出しちゃ女が廃る。

 

 いのはクナイを取り出した。それは開戦の合図。木ノ葉と音との全面戦争が始まったのだ。

 

 いのの動きに応じるようにザクは両腕を伸ばし、いのに照準を合わせる。しかし、いのと同時にチョウジもまた動いていた。

 

「倍加の術! 肉弾戦車!」

 

 チョウジが印を結んだかと思うと、彼の体は一瞬にして肥大した。見た目は肉の玉。重量が大きくなることで、これからチョウジが行う術の威力は大幅に向上する。

 丸い体を回転させたチョウジは猛烈な勢いでザクへと転がっていく。転がってくる巨体は脅威だ。ザクよりも二回りほど大きな肉の塊は簡単に彼の体を圧し潰すことができるだろう。

 

「チッ!」

 

 一つ舌打ちをしたザクは狙いをいのからチョウジに変える。迎撃態勢を整えたザクは腕のチャクラを放出した。

 

「斬空波!」

 

 大砲の如き威力を持つ空気圧であったが、チョウジの回転する巨体を押し留めるには、些か威力が足りなかったらしい。斬空波により、軌道こそ変えられたものの、毬のようにバウンドしたチョウジの体の回転は止まらない。

 地面に落ちたと同時に再び前進を始めるチョウジにドスは溜息をつく。

 

 ──回転を一度止めてボクの術を……。

 

 自身の考えを実行しようと体に力を入れた瞬間、ドスは自分の体の違和感に気付く。

 

「なにッ?」

 

 指一つ動かない。

 例えるならば、全身に蝋を塗りたくられ動かそうにも動かせない。そのようなことが想起されるような状況だ。

 内からの影響、恐怖で身が竦んだなどではない。外からの影響だ。

 ドスは辛うじて動かすことのできる眼球を動かし、状況の把握に努めようとした。だが、突如として、彼の体は思いも寄らぬ動きを始める。

 

「ドス! 何をふざけてる!」

 

 キンは思わず怒鳴る。

 両手を頭に乗せ、英語のMの形を頭の上で作るドスの姿は非常に滑稽だった。

 

 ドスが何の前触れもなしにポーズを取った理由はシカマルにある。彼が扱う秘伝忍術。彼の一族しか使うことのできない忍術は“影”を利用した術だ。彼が今し方、ドスに対して行使した術は影真似の術。自らの影を任意の形に操作して、対象の影と自分の影を繋ぐことで影真似の術は完成する。

 対象に術者と同じ動きを強制させる影真似の術は使い方によっては、敵を強制的に移動させることもでき、同士討ちも狙える術である。だが、シカマルが選んだのは、一見ふざけているようにしか見えないポーズをドスにさせることによって、キンを冷静でいられなくさせるというもの。

 命を取り合う状況で、このような選択肢を選ぶ者は、ほぼいない。いるとしたら、自殺志願者や心から人を怒らせるのが好きで堪らないというような人非ざる者、そして、機転と度胸を兼ね備えた知将と呼ばれる者という所だ。

 

 そして、シカマルの術は彼の予測通りの効果を示した。ドスは動けず、キンは興奮状態に陥っている。

 頭に血が昇っているキンには、ドスのその動きはふざけているようにしか思えなかったのだ。彼女が冷静であれば、ドスが術に掛けられていることに気が付いたのやもしれないが、自分が嘗めていたサクラから思わぬ反撃を喰らい、キンは冷静ではいられなかった。

 一瞬の油断が死を招く戦場。油断はしていなくとも、冷徹に自身を律し得ない者が辿る道筋は油断した者と同じ場所に到るだろう。

 

「影真似の術、成功っと。あとは頼むぜ、いの」

「了解。私の体、お願いね」

 

 ドスとキンの動きを止めた彼らは次へと進む。

 いのは印を組み、両手を前に突き出した。いのの腕の先にはキンの姿。

 

「心転身の術!」

 

 キンの体がぐらついた。だが、彼女の体のふらつきは一瞬。すぐに体勢を立て直したキンの体は淀みなく動き、自らの首にクナイを当てる。

 

「これでおしまいよ! アンタたち! 一歩でも動いたら、このキンっていう子の命はないわよ!ここで終わりたくなければ、巻物を置いて立ち去るのね! アンタたちのチャクラの気配が消え次第、この子は解放したげる!」

 

 突如、言葉を捲くし立てたキンの様子にドスとザクは何が起こったのか当たりをつける。

 大方、幻術か何かで精神を乗っ取ったという所だろう。

 そして、彼らの予測は的を射ていた。山中家の秘伝忍術、心転身の術は対象に自分の精神を入り込ませ、体のコントロール権を完全に奪うというもの。

 

 そのことを知ってか知らずか、音隠れの二人は唇を捲り上げた。

 

「いの! 逃げて! そいつらはッ!?」

 

 サクラが叫ぶが遅かった。

 ザクがキンへと右手を向けると同時に、ザクの掌の射出孔から斬空波が出された。

 

「キャッ!?」

「いの!」

「テメェもだよ」

「!?」

「いの! チョウジ!」

 

 いのを心配して回転を止めてしまったチョウジに向かってザクは左手を向け、斬空波を発動させる。

 いのに続いて、吹き飛ばされるチョウジを見つめながらザクは首を鳴らす。

 

「フン……油断したな」

「我々の目的は下らぬ巻物でもなければ、ルール通り無事、この試験を突破することでもない」

 

 意識こそ失わなかったものの、しばらくは満足に動けないほどのダメージを負ったいのとチョウジ。そして、立ち竦むシカマルとサクラに向けてドスは“目的”を話し始める。

 

「サスケくんだよ」

 

 今だ倒れ伏すサスケへと目を向けたドスへと突然、声が降ってきた。

 

「フン……気に入らないな」

「ネジ! それに、テンテンも」

 

 声に反応したのはリーだ。

 チョウジに移動させられ体力の回復に努めたリーが安堵の声を上げた。木の上から見下ろすのはリーの班員であるネジとテンテン。ネジはチラとリーに目を向けた後、音の忍たちへと視線を注ぐ。

 

田舎者(マイナー)の音忍風情が、そんな二線級をいじめて勝利者気取りか」

「なに?」

「ワラワラとゴキブリみたいに出てきやがって」

 

 ドスとザクの発言を無視し、ネジは再びリーへと視線を向けた。

 

「ヘマしたな、リー」

「うっ……すみません、ネジ」

「全く! 他人を庇うぐらいなら、キチンと敵を倒しなさい」

「すみません、テンテン」

 

 リーへの言いたいことはまだあるものの、それは後でもいいだろうと判断したネジはテンテンの言葉を遮る。

 

「さて、音忍ども」

 

 ゆっくりと瞼を持ち上げるネジの眼光は鋭かった。

 

「これ以上やるなら、全力で行く! ……ん?」

「フフ……気に入らないのなら、恰好つけてないで、ここに降りてきたらいい」

「いや。どうやら、その必要はないようだ」

「?」

 

 怪訝な顔をしたドスとザクの耳に新しい声が届いた。

 

「サクラ……」

 

 体から蒸気を立ち昇らせながら、一人の少年が立ち上がっていた。サスケだ。

 だが、今までのサスケとは違う。彼の肌には入れ墨が入っているかの如く、所々黒い紋様に覆われていた。呪印だ。

 ゆらりと立ち上がるサスケの雰囲気は限りなく冷たかった。

 

 冷酷。

 その言葉を体現するような空気を纏い、サスケは赤く煌めく写輪眼でサクラを見遣る。

 

「誰だ? お前をそんなにした奴は?」

「サスケ……くん?」

 

 サクラの声は困惑していた。今まで自分が接してきたサスケとは全く違う。サクラはサスケの只ならぬ様子に何も言えなくなってしまった。

 言葉に詰まるサクラへとサスケは感情を感じさせない声で問い返す。

 

「どいつだ?」

「オレらだよ!」

 

 サクラの代わりにサスケの質問に答えたのはザクだ。木の影の中で、サスケは写輪眼を一度、光らせ呟いた。

 

「そうか」

「んッ!?」

 

 何かが何かに減り込む音がした。それと同時に自分の膝が地面についていることをザクは感じた。

 

「カハッ……」

 

 やや遅れてザクが感じるのは腹に奔る痛み。

 それを認識した瞬間、ザクは自分の顔が地面に叩き付けられたことを認識し、そして、何も認識できなくなった。

 

「いの! その恰好じゃ巻き添えだぞ! 元の体へ戻れ! チョウジもこっち来い! 隠れんぞ!」

 

 状況を一早く確認したのはシカマルだ。いのとチョウジに指示を飛ばし、茂みの中へと駆け込む。

 

「術は……使う必要もないな」

 

 ──な、何が?

 

 ドスは大きく目を開く。

 サスケの姿が掻き消えたかと思ったら、ザクが地面に倒れ、ザクの頭の上にはサスケの足が置かれていた。

 シーンを飛ばしたような光景。

 

「止めて!」

 

 目の前に拳があった。

 心臓が煩いほどに鼓動を刻んでいる。

 

 ドスの目の前の拳を止めたのはサクラの声だった。

 

「お願い……止めて」

 

 サクラの声で止まった拳の持ち主、サスケは赤い双眸でサクラを見つめる。サクラが泣いていた。いつもとは違い、そのことを理解するまでに時間が掛かることをサスケは感じていた。理性ではサクラが泣いていることを認識しているものの、理性に感情が追い付かない。サスケはゆっくりとドスに向けた拳を引いていく。それと同時に呪印も引いていく。

 サスケの体を取り巻く呪印が引いていくと共に、サスケは自分の理性に感情が追い付いたことを認識した。

 

 ドスに背を向けたサスケはサクラへと近づく。サクラの前で跪いたサスケは元の黒い瞳でサクラと視線を合わせた。

 

「サクラ。済まない」

「ッ! サスケくん! サスケくん!」

 

 ──サスケくんだ。

 

 いつもよりもしおらしいサスケだが、それはサクラが知っているサスケだった。戻ってきたサスケを放さないというようにサクラはサスケをきつく抱き締める。

 

「君は強い」

 

 と、声が掛けられた。ドスだ。

 二人がそちらに目を向けると、ドスが“地”と書かれた巻物を地面に置いている様子が見えた。

 

「サスケくん。今の君はボクたちでは到底、倒せない。これは手打ち料。ここは引かせてください」

 

 ドスは気絶したままのザクとキンを肩に担ぐ。

 

「虫が良すぎる様ですが、ボクたちにも確かめなきゃいけないことができました。その代り、約束しましょう。今回の試験で次、アナタと戦う機会があるのなら、ボクたちは逃げも隠れもしない」

「待って!」

 

 去りゆくドスを留めたのはサクラだ。

 

「大蛇丸って一体、何者なの? サスケくんに何をしたのよ! なんでサスケくんに!?」

「分からない」

 

 ドスはただ、首を横に振る。

 

「ボクらはただ……サスケくんを殺るように命令されただけだ。あの方は……理解できない」

 

 それだけ言い残すと、班員を担いだドスはその場から姿を消した。

 

 +++

 

「済まぬ! 此度の戦い、駆け付けられずに済まぬ! 悔やみ切れぬ。ここは腹を切るしか詫びを示せぬか」

「やめなさい!」

 

 ドスたち音忍をなんとか撃退したすぐ後、ナルトが広場に降り立った。そして、状況を聞くや否や、音忍たちを殴りつけに行こうと再び森へ走り出そうとしたナルトを何とかシカマルとチョウジが止め、今に至る。

 

 土下座を続けるナルトの上半身を、シカマルは渾身の力で起こさせながら、ふと思った疑問をナルトへと尋ねた。

 

「ところで、ナルト。なんで、お前はそんな危険な奴を追ったんだよ?」

「逃げられたら追うだろう?」

「いや、追わねーよ、普通」

「私は解毒剤とか持っている可能性があるから追ってってアイコンタクトで伝えたと思っていたのに……」

 

 煤けたサクラ。サスケも唇を尖らせ、文句を言うべきかどうか迷っている様子だ。

 

「あ……」

 

 サクラは立ち上がり、テンテンの説教が終わったリーへと近づいた。

 

「リーさん、ありがとう。私、リーさんのお陰で目が覚めました。ちょっとだけ、強くなれた気がするんです」

「いえ、そのようなことはありません。アナタは強い人でした」

「……ありがとうございます」

 

 困ったように笑うサクラにリーは親指を立てる。

 

「自信を持ってください。アナタは強いんですから」

 

 その言葉はいのやナルトに言われた言葉だった。今度こそ、サクラは笑った。

 

「ありがとうございます」

 

 綺麗な笑顔を浮かべたサクラに歯をキラリと光らせたリーは、次いで、サスケへと目を移す。

 

「ボクはまだまだ努力が足りなかったみたいです。サスケくん、流石はうちは一族。音忍を追い払うなんてやっぱり、君は凄い力の持ち主だ。ボクはコテンパンにやられた」

 

 ──何!? こいつがコテンパンにやられた?

 

 一次試験前にリーと手合わせして、その力を十二分に体感したサスケだ。そのリーがコテンパンにやられたということを信じることができないのだろう。サスケは目を丸くした。

 

 ──どういうことだ? そんなに強かったのか、アイツ等が?

 

 自分の殴打、数発で地面に沈むような音忍の実力。そう判断したサスケは違和感を覚えた。自分と周りとの間にはギャップがある。そう感じたサスケだったが、リーが再び話し始めたことで、そのことを頭の隅へと追いやる。

 

「サクラさん。木ノ葉の蓮華は二度咲きます。次に会う時はもっと強い男になっていることを誓います」

「……うん!」

 

 各々の班員の傷が回復するのを待ち、回復した班から離れていく。

 その際に、ナルトがサスケとサクラを探す道中、襲ってきた敵から貰った巻物を、他の班に一セットずつ礼として渡そうとしたが、自分で集めると言って聞かないネジやいのに何度も頭を下げて、やっと受け取って貰えたということもあった。が、それはまた別の話。

 

 別々の方向に向かって離れていくいのたちとリーたちを見送った第七班の三人も移動を始める。

 陽の光が当たる森を進む中、サクラがふと、思い出したことを口にした。

 

「ナルト。他に集めた巻物はどうする? 三人で分けて持った方がいい?」

「む? 巻物はもうないが」

「え? でも、皆にお礼だっていって、あげてたじゃない」

「然り。贈った分で全てだ」

 

 サクラは思わず足を止めた。

 

「……ハァ!?」

 

 サスケも立ち止まり、頭に手を当てながら、どこか諦めたかのように溜息をつく。

 

「サクラ、諦めろ。ナルトはこういう奴だ」

「でも、あげるほど巻物があったなら、自分たちの分を残してるって思うじゃない!」

「だが、己は彼らに報いる術は巻物だと考えた。今の己が彼らに出来ることは巻物を礼として渡すことだけだろう」

「う~、そうだけど……そうだけど!」

「サクラ、落ち着け。振り出しに戻っただけだ。巻物は別の奴らから奪えばいい。だろ、ナルト?」

「然り!」

 

 拳を鳴らすナルトと首を鳴らすサスケの姿を見て、サクラは一人苦い顔をしながら思う。

 

 ──きっと、二人とも戦うことが好きで好きで堪らないんだろうな。私も強くならないと……強く、なれるかな? 大蛇丸とか音忍とかに負けないぐらいに、強くなれるかな?

 

 サクラは上を見上げた。

 皮肉なほどに空は綺麗で、何故か、サクラの目からは清水が零れるのだった。

 



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少女覚醒前夜

「ハアッハアッハッ!」

 

 森の中を少女が走る。少女の顔は酷いものだった。涙と鼻水に塗れ、その表情は一目で分かるほどに苦悶に満ちていた。

 焦りからか、少女の足が縺れる。走る時の勢いをそのままに地面に叩き付けられた小さな体は転がり、藪の中へと入っていった。小石と、そして、枝で付けられた傷から血が流れる。掠り傷ではあるが、少女の柔らかな、そして、玉のような白い肌に赤い引っ掻き傷は余りにも似合わなかった。

 

「ぐすっ……」

 

 鼻を啜り、少女は立ち上がる。ここに居ては、死んでしまう。少女の本能が警鐘を鳴らしていた。

 身を隠す場所を隠さなくてはいけない。

 そのことに気が付いた少女は辺りを見渡す。

 

 ──見つけた。

 

 根の盛り上がりで作られた小さなスペースだ。木の根元に丁度、少女一人が隠れることができるスペースがあった。

 

 すぐさま、そこに身を潜めた少女は息を殺す。耳を澄ませると、遠くの方からガサガサという音と共に、唸り声が聞こえてくる。少女は口に左手を当て、逃げる時に持っていた右手の巻物をきつく握りしめる。頭の中が焼き付くような緊張感の中、少女は見つからないように祈り続けていた。

 少女の隠遁術が役に立ったのか、それとも、少女の祈りが天に通じたのか。ガサガサという音は遠くに去っていった。少女は目を閉じ、木へと体を預ける。

 

 少女が安心感から大きく深呼吸をすると、生臭さを感じた。

 

「ッ!?」

 

 少女は弾かれたように顔を上げる。目の前にある黒く、大きな影を瞳に映した少女は息を呑む。

 藪の中から熊が一頭、顔を出していた。通常の熊ならば、どれほど気が楽だったことだろう。だが、少女の前にいる熊は大きかった。とてつもなく大きかった。

 体長は10mを優に越している。“熊”というカテゴライズに入れてもいいのか迷うほどに巨大な生物だ。熊の顔、それだけでも少女の体よりも大きいのだから、少女が感じる恐怖は如何ほどのものか。

 

「ねぇ! 皆、どこ!」

 

 恐怖に駆られた少女は叫んだ。

 いや、ここは気を狂わせることがなかった少女を褒めるべきだろう。捕食者を前にして、まだ口を動かせるだけ少女の心は強かった。だが、心に体が追い付いていない。少女の体はガタガタと震え、立ち上がろうにも足に上手く力が入らない様子だ。

 

 少女は自分の運命を呪う。思い返せば、少女の人生は陰りばかりだった。何一つとして喜びというものがない。忍となり、力を付けていく過程の中でも苦しいことばかりであった。死にたい、消えたい、産まれてこなければよかったのに。そう思うことも一度や二度ではなかった。

 光を反射する額当てとは違い、少女の人生はどこまでも暗く、そして、重かった。

 

 煌めく少女の額当てを大熊は眩しそうに見つめる。

 熊には理解できないことであるが、少女が着けている額当てのマークは草隠れのもの。中忍試験に参加していた草隠れのくノ一だ。死の森で仲間と逸れたのだろう。ただ、一人、熊の前で怯えていた。

 その少女は巻物を、それはそれは大事そうに胸に抱えている。

 

 その様子を見て嗜虐心が刺激されたのか、ガウッと熊が吠えた。

 

「キャー!」

 

 熊の唸り声に反応した少女の体は彼女の意思とは無関係に動いてしまう。だが、心と体が一致せずに動こうとすることは危険を招く。無意識下の動きで最適なものを選択できるのは、一握りの達人のみである。

 考えずに動いてしまった結果、少女は木の根に足を取られ転んでしまった。更に悪いことに──これ以上悪いことがあるかという疑問は置いておいて──少女の顔から眼鏡が地面に落ちてしまう。

 

 背中に感じる大熊の殺気。

 少女は理解した。自分は死ぬと。

 

 ──お母さん。

 

 思い出すのは母の事。若くして亡くなった母の事だ。少女が物心ついた時には、既に父はなく特殊な血筋のせいで、幼い頃に母とも引き離された。死に目にも立ち会えなかった母に、また会える。死ねば、また会うことができる。

 少女にとって、死は希望であった。伏せたまま少女は諦めたように目を閉じた。

 

「グルル……」

 

 ──死にたくない死にたくない死にたくない!

 

 大熊の唸り声が少女に死への恐怖を思い出させた。腹を爪で割かれ、腹の中に臭い口を入れられ、内臓を貪られる自分の未来を想像させられた。

 そんな死に方は嫌だ。そう思う少女の気持ちとは裏腹に、指一本動かせない。這うように前進しようとした少女だったが、彼女の生存本能とは逆に体はピクリとも動かない。

 このような時、自分を救ってくれる英雄(ヒーロー)の姿を何度も想像した。その度に、現実には英雄などいないということを思い知らされた。それでも、彼女は今もまた、理性では無駄だと知りながらも空想の中の英雄に助けを求めるのだった。

 

 と、涙を流す少女の頭上に影が過った。

 その影は小さく、速く、そして、鋭かった。

 

「ハッ!」

 

 上から降ってきた影は一直線に大熊の頭へと向かう。

 影が大熊と接触した瞬間、太鼓を叩くような音と共に大熊の頭が地面へと落ちていく。その影は息も吐かせぬ連撃を熊の頭に加え、下に落とし、重力に従って落ちてきた影が再び蹴りを落とし……それが何度も繰り返される。

 

「獅子連弾!」

 

 影が最後の一撃を大熊の脳天に叩き付けると、ノックアウトされた熊は地面に身を横たわらせた。動かなくなった大熊の上に立つのはまだ年若い少年だ。自分が助かったことに気が付き、恐る恐る身を起こした少女を少年は見下ろす。

 

「オレたちと同じ“地”の書か」

 

 ぼやけた視界の中、少女は自らを救った人影を探すために、手を地面のあちこちに向ける。眼鏡を探すためだ。

 ややあって眼鏡を拾った少女は、それを顔に掛ける。はっきりした視界で少女は声が降ってきた方向、上へと顔を向けた。しかしながら、逆光の中で自分の命の恩人の顔はクリアに見ることができなかった。

 

「じゃあな……」

 

 それだけ言い残し、少年はその場から去ろうと身を翻した。遠くを映した少年の目。彼の目には戦う班員の姿が映ったのだ。

 

「……ナルトォ! 熊と相撲取ろうとしてんじゃねェ!」

 

 クールな顔付きの少年が一転して、慌てて叫ぶ様子を目に焼き付けながら、少女は思う。

 

 カッコイイ、多分……と。

 

 少女は自分の命を救った少年が駆けていく方向を見遣る。もう一匹、大熊がいた。そして、その前には2m近い人影もあった。

 

 ──筋肉だ。

 

 大きな人に投げ飛ばされている大熊を見つめながら少女は、そう思った。

 

「貴殿は強かった。また、手合わせを願おう」

 

 大熊が地面に落ちた地響きと共に大きな人がそう言っているのが少女の耳に入ってきた。だが、何を言っているのか少女には理解できなかった。言葉としての意味は分かるが、その言葉を使う今の状況が少女には理解できなかったのだ。

 

 熊を投げ飛ばした大男はナルトだった。ナルトに瞬身の術で近づいた少年、サスケは自分の心配が杞憂に終わったことで安心しようとした。次いで、サスケは無茶なことをするナルトに怒りをぶつけようとしたものの、傷一つなく大熊を倒したナルトにサスケは何も言えなかった。

 そんなサスケの心の内を代弁するように、サスケに続いてナルトに近づいたサクラが疑問を口にする。

 

「ナルト。熊と森で出会った時の対処法、知ってる?」

「無論。己はこう習った」

 

 ナルトは目を閉じ、過去に思いを馳せる。その時は筋肉をつけようと思い至ったすぐ後のこと。

 

 ///

 

「達人、サライ。もし、熊と会ったらどうすればいい?」

「ハハハ、何を仰るナルトサーン。そんなのチョーベリーベリーイージー、ネ。鼻を殴れば、どんな動物も泣き喚きマース。泣き喚く奴らに鉄拳を何度も何度も何度も何度も喰らわせてやりまショウ!」

「分かったってば……分かり申した!」

「ナルトサーン。いい子ですネー。それじゃあ、レッツ、実践と赴き参りまショウ!」

「承知!」

 

 ///

 

「鼻を殴れ、と」

「誰だ、お前にそんなことを教えたウスラトンカチは?」

「鼻も殴ってないじゃない。っていうか、投げ飛ばしてたし」

「鼻を殴るのは可哀そうであろう?」

「そもそも、熊に素手で正面から立ち向かっていくな」

「森で熊と会った時は死んだ振りをするっていうのが常識なのに」

 

 どこか諦めたように溜息を吐くサクラ。

 それを尻目に大熊を担ぐナルトは場所を移そうと二人にボディランゲージとアイコンタクトで提案した。

 

「……ナルト。一つ、いい?」

「む?」

「その熊、どうするの?」

「鍋にする。栄養バランスはサプリメントで整えるから心配ない」

「栄養バランスとかそんなことを心配してる訳ないじゃない! 止めて、持って行かないで! 熊を捌く所なんて見たくない!」

「それに、兵糧丸をサプリメントって言うんじゃねェ」

 

 ──サスケくん、指摘する場所が多分違うよ。

 

 サクラは頭を抱えそうになったが、すぐに背筋を伸ばす。

 

「ここを離れない? あれだけ物音を立てたら他の忍が来るかもしれないし」

「うむ」

「ナルト、熊は置いていきなさい」

「うむ……」

「あと、あの子も……」

「ダメだ」

「え、サスケくん?」

「オレたちが世話を焼くのはアイツのためにならない。詳しくは分からないが、アイツもアイツで背負ってるものがあるんだろう。軽々しく手助けをしたら、アイツの“火”を消すことになる。……行くぞ」

「え……ちょっと、サスケくん!」

「サクラよ、サスケは彼女にこう言っているのだ。強くなれ、と。所で、サクラ、己が持ち歩いているプロテインを知らぬか?」

「え? プロテイン?」

「そうか、知らぬか。では、済まぬが一緒に探してはくれまいか?」

「でも、缶はそこに……って、そんなバレバレの芝居を打たなくたって。それに、筋肉を付けるのは、ちょっと違うっていうか」

「そうか、探してくれるか。感謝する!」

「ちょっと、ナルト!」

 

 去っていくサスケ、そして、ナルト。それに、俵のようにナルトに抱きかかえられて去っていくサクラ。彼らの姿が見えなくなってから、やっと少女は立ち上がることができた。

 少女はナルトが落としていったプロテインの缶を拾い上げる。ポーチに入れることができるほどの大きさで、容量は少ない。だが、それに籠められた想いは多かった。

 

「うっ……ふっ……」

 

 少女は赤い髪を揺らし、ただ泣いた。泣いた数だけ強くなれるという言葉があるが、それは幻想だ。泣いた数をいくら数えた所で、それは唯の無意味な数字に過ぎない。泣いた時の感情をバネにし、それを筋トレによって発散することで悲しみは強さに変わる。悔しさは血肉に変わる。

 そして、そのことに気付いた瞬間から、人の瞳には火が灯るもの。

 

 涙を拭いた少女の目には強くなるという決意が宿っていた。

 風に揺られる長い髪、その下で組んだ細い腕には先ほどと同じように“地”の巻物があった。そして、先ほどとは違いプロテインの缶もあったのだ。

 



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夜警

 熊に襲われていた少女を救った第七班の三人であったが、彼らにとって成果はなかった。

 少女が持っていた“地”の巻物は彼らが持つ巻物と同じ種類。“天”の巻物でなければ、同種類の巻物をいくら持とうが無意味だ。第二の試験の突破条件は“天”“地”両方の巻物を揃えること。

 彼らが求める巻物は他者より奪う他ないが、第二の試験のタイムリミットは迫っている。終了時刻に近づけば近づくほど、合格者が多くなれば多くなるほど巻物の残数は少なくなっていく。

 

 サスケは内心、焦っていた。第二の試験が始めって4日目。合格者や脱落者も多く出ていると考えられる日数だ。天の巻物を今日中に手に入れないと合格の可能性は限りなく薄くなってしまう。

 

「ぎゃああああ!」

「ッ!?」

 

 サスケの思考を中断させるように死の森の中に叫び声が響き渡った。戦闘があったのだろう。と、なればチャンスだとサスケは目を鋭くした。戦闘終了後に疲れている者の巻物を狙うことが今、打てる最善の一手。

 

「行くぞ」

 

 ナルトとサクラにそう声を掛けたサスケは木の枝に飛び移る。ナルトとサクラは頷き、叫び声のした方向へと進むサスケに追随した。

 

 +++

 

 森の中を進むサスケの眼にチャクラが映った。三人分のチャクラだ。

 サスケはハンドシグナルでナルトとサクラに止まるように合図する。木の陰からそっと顔を出し、辺りを窺うサスケだったが、次の瞬間、怪訝な顔付きを浮かべる。

 

 そこには三人の下忍が居た。額当てから察するに木ノ葉隠れの下忍だ。しかし、敵の襲撃を受けたのか内、二人は地面に横たわっていた。その二人を起こそうと懸命に声を掛ける下忍を見つめ、サスケはどうもおかしいと判断する。

 横たわる二人の外傷はこれと言ってなく、更に衣服が乱れた様子も特にない。巻物を狙う場合ならば、倒したと同時に巻物を持っていないか探るハズだ。だが、その様子もないことから、ただ意識を奪うためだけに攻撃したと考えられる。

 

 そして、最も不可解なことに、気絶している彼らの横には“地”の巻物が放り出されていた。

 

「大丈夫か? 何があった?」

 

 そうナルトが木ノ葉の下忍に声を掛ける様子を横目にサスケは考えを深める。

 

 ──アイツ等が巻物を確認している最中に敵に襲われたとするならば、説明は付くか。

 

「ヒッ!」

「己は貴殿らに攻撃を加える意思はない。貴殿らを助けに来た。その証拠に丸腰であろう?」

「そもそもアナタの場合、体が武器みたいなものじゃないですか」

 

 ──その時に、今、意識のある奴が何かしらの用事で離れていて、それに気づかずに襲撃者は襲い掛かった。

 

「大丈夫だ。信じろ」

「信じ……る?」

「このような状況で他人を信じられなくなるのも分かる。だが、己は同じ里の者を見捨てはせぬ」

 

 ──襲われた奴らが叫び声を上げて、仲間がすぐ駆け付けると考えた襲撃者は逃げたって所か。

 

「ほ、本当か?」

「然り」

 

 ──それに、近くに気配もない。

 

「えっと、それがオレにもよく分からない。食料を取りに仲間から離れていたら、叫び声が聞こえてな。慌てて戻ったら、この有り様だ」

「……分からぬな」

「だろう?」

 

 ──叫ばれたせいで焦って逃げたという所だろう。それなら、この妙な状況でも納得がいく。そして、その程度で慌てて逃げ出すような敵なら大したことはない。

 

 考えを纏めたサスケは後ろを振り返る。

 

「ナルト、サクラ。行くぞ。アイツ等に話を聞いて……ナルトはどうした?」

 

 振り返ったサスケの視界の中にはナルトの姿はなかった。残っていたサクラが何か達観したような顔付きで指をサスケの後方へと向ける。

 

「あっち」

「……」

 

 ──考えに意識を割き過ぎて気が付かなかっただと?

 

「自然な動き過ぎて止める暇もなかったの。ごめんね、サスケくん」

「……行くぞ」

「うん」

 

 発見と同時に木ノ葉の下忍に駆け寄ったナルトに続いて、サスケとサクラも姿を現すのであった。

 

 その後、ナルトと同じ説明を木ノ葉の下忍から聞いたサスケとサクラであるが、その要領を得ない説明に眉根を寄せる。

 

「巻物を開いたんだろうね」

 

 唐突に後ろから掛けられた声。

 弾かれたように第七班の三人は振り返る。

 

「ルールを無視した者は必ずリタイヤせざるを得ない状況に追い込まれる。前回の試験では、途中、巻物を見た者には催眠の術式が目に入り込むように仕込まれていた。試験終了の時間まで“死の森”で横たわるって寸法さ」

「貴殿は……」

「薬師カブト。第一の試験振りだね、うずまきナルトくん」

 

 森の中から両手を広げて現れたのは、第一の試験で中忍試験の情報をサスケたちに教えたカブトだった。

 

「アンタ……態々、オレたちに声を掛けるとは嘗めているのか?」

 

 ──敵だ。

 

 そう判断し、チャクラを練り上げながらサスケはカブトへと一歩を踏み出した。

 だが、進むサスケを大きな手が遮る。

 

「待て、サスケ?」

「ナルト?」

「この者からは敵意は感じない」

「確かに……。もし、カブトさんが私たちに攻撃を加える気なら姿を現す必要もないし」

「嘗められているんだろ。正面からオレたちと戦っても勝てるって自身があるか、既に罠を仕掛けて……ッ!?」

 

 後ろ、つまり、横たわる二人の下忍とその横に跪く一人の下忍に振り返る。だが、サスケの予測とは逆に、意識のある一人がポカンとした顔でサスケを見つめ返すのみだ。

 サスケの予測とは、カブトの班員が自分たちを罠に掛けるためにやられた振りをした下忍に変化しているというもの。しかしながら、その兆候は全くない。木ノ葉の下忍が不思議そうな顔でサスケを見つめ返すのみだ。

 

「そう心配しなくてもいいよ。ボクは君たちに攻撃するつもりはない。ただ、君たちと手が組みたくて話し掛けただけさ」

「手を……組みたい?」

 

 サクラが繰り返す。カブトは頷く。

 

「仲間と逸れてしまってね。仲間を塔付近で待とうと急いでいた途中だったんだけど、一人じゃ心許なくてさ」

「了承した。共に行こう」

「何言ってやがる!」

「しかし、困っている人は助けよというのが人道ではないか?」

「状況を見ろ! ウスラトンカチ!」

 

 ナルトとサスケから目を離したサクラは平静に押さえつけた声でカブトに尋ねる。

 

「……アナタが私たちと同行することで私たちにメリットはあるんですか?」

「そうだね。ボクが仲間と合流出来たら、これを渡そう」

 

 そういって、カブトが取り出したのは二本の巻物。“天”“地”両方が揃った巻物だ。

 

「……偽物か?」

「君が疑うのも無理はない。けど、本物だ。証明する手段はないけどね」

 

 肩を竦めたカブトは視線を森の中に遣る。

 

「ただ、移動しながら話そう。彼らの叫び声で偵察に来た者がいてもおかしくない」

「だが、彼らはどうする?」

「そうだな。ここに置いて行けば敵にやられることも十分考えられる」

 

 カブトが顎に手を当て、どうしようかと迷いを見せる中、動いたのはサスケだ。サスケは意識のある一人の木ノ葉の下忍に手を差し出した。

 

「おい、巻物を寄こせ」

「サスケ? それは追剥のようではないか」

「巻物を持っていれば、それだけ狙われる確率が高くなる。カブトの言うように、偵察しているかもしれない奴がいる状況じゃ猶更だ。だから、俺たちが貰って他の奴らから攻撃されないようにしてやる」

「そ、そんな……」

「それに、カブトの言うことが正しければ、お前の班員はルールを破った。試験終了まで起きることはない。そうだろ?」

 

 チラとカブトに目を向けるサスケにカブトも頷きを返す。

 

「ああ、君の言う通りだ」

 

 逡巡した木ノ葉の下忍だったが、観念したかのようにサスケに“地”の巻物を渡した。

 

「オレたちの分まで頑張ってくれ」

「言われなくても、オレは中忍に上がる」

 

 “地”の巻物を受け取ったサスケは身を翻し、カブトの案内の元、森の中へと飛び込むのであった。

 

 +++

 

「本当にまだ敵はいるのか?」

「ああ、間違いなくね」

 

 森の中を進みながら、サスケはカブトに尋ねる。

 

「ちょっと考えれば分かる。こういうジャングルや広い森の中での戦闘において、最も利口な戦い方って知ってるかい?」

「さぁ?」

「ボクら受験者の共通ゴールはこの森の中心に位置する塔だろ?」

 

 サクラの分からないという素振りを受けたカブトを説明を始めた。

 

「ってことは、残り日数が少なくなると共に、最も巻物を集めやすいのは……その塔の付近ということになる」

「あ! なるほど、待ち伏せね!」

 

 サクラの解答にカブトは笑みを返した。

 

「つまり、私たちは“天”“地”両方の巻物を入手して塔を目指しているチームの巻物を狙う訳ね」

「1/3正解」

「え?」

「そう考えるのは君たちだけじゃないってことさ。塔付近には同じ穴の貉が罠を張っている可能性もある」

「つまり、私たちの先手を打っている敵がいるってこと?」

「その通り」

 

 タンッと枝を蹴って進むサクラはカブトの言葉に疑問を覚える。

 

「そう言えば、カブトさん。残り1/3の答えって?」

「この手の試験で必ず出現するコレクターのことさ」

「コレクター?」

「塔が目と鼻の先であっても、決して安心できない“死の森”での試験。その特殊な状況が彼らを生む。つまり、思わぬ強敵に出くわしてしまった時に見逃して貰う代償として余分な巻物を集めようとする者。また、里を同じくする仲間に足りない巻物を提供することで以降の試験を有利に進める情報を手に入れようとする者。更には、第三の試験へ進むであろう有力な突破者を自分たちに有利な状況下で滅ぼしておこうと考える者」

 

 真剣な表情をしたカブトは、この先に待ち構えているであろう敵の強さに言及しようとした。

 

「言わずとも分かることだが……」

「カブト殿、関係ない」

「ナルトくん?」

「立ちはだかる壁は壊す。つまりはそういうことだろう?」

 

 しばしの無音。風を切る音のみが耳に聞こえる。

 

「カブトさんの話、聞いてた? 全然、違ったわよ!」

「サクラさん」

 

 思わず立ち止まりながら、サクラはナルトに信じられないというような声をぶつける。

 それを諫めるかのようにカブトは少し厳しめの声でサクラに声を掛けた。

 

「はい?」

「不注意な行動や不用意な物音は避けたい。密林を象のような音を立てて進めば、自分たちがやってくることを大声で警告しているのと同じ。必ず熱烈な歓迎を受けることになる」

「あ、ごめんなさい」

「これからは時間の許す限り、身を隠しながらゆっくり行くよ……うん、ナルトくん。流石だ。そんな巨大なムカデを物音一つ立てずに素手で仕留めるなんて芸当、上忍でも出来ないかもしれない。それと、こっちに持ってこなくていいから」

 

 それからは無言の時間が続いた。無駄なことは口にしないナルトとサスケだ。それに、サクラも現状を正しく認識している。彼らに静かにするように言ったカブトは言わずもがな。

 細心の注意を払って死の森の中を行く四人。彼らの耳に届くのは遠くから微かに聞こえる夜行性の動物の鳴き声と枝を揺らす風の音。

 足音すら忍び、四人は森の中を進むのだった。

 

 +++

 

「おかしく……ない?」

「サクラの言う通りだな。どう考えてもオレたちは10km以上、進んでいる歩数だ」

 

 遠くに見える目的地の塔。だが、その塔との距離は一向に縮まらない。

 

「疲れたのならば肩を貸そう」

「いや、ナルトくん。そうじゃない」

「つまり、どういうことだ?」

「ボクらは熱烈な歓迎を受けているってことさ」

 

 カブトは人差し指を立てながら、ある場所を指し示す。

 

「ホラ……あそこを見てごらん」

 

 カブトの指示に従い、目線を遣った先にはバラバラにされたムカデの姿。数時間前、ナルトが素手で引き千切った害虫の躯だった。ここに在るハズのないものの姿だった。

 それにピンときたサスケは小さく呟く。

 

「幻術か」

「そうみたいだな……完璧に嵌ってしまったよ。どうやら、ボクたちは細心の注意を払って同じところをグルグルと歩かされていたようだ」

「監視されているな」

「おそらく、このまま体力を削らせて、疲れ切った時に不意を突くつもりだろう」

「だったら、もう敵の作戦通りだろ」

「じゃあ、そろそろ来るかな」

「ああ……お出ましだ」

 

 取り囲むように現れ出る人型。彼らの周りに出現した人型の数は20ほど。そのどれもが同じ格好をしている。顔は布に覆われ、体にフィットした黒いツナギを来たような人型だ。

 戦闘態勢が整えている敵の姿を認めたナルトは肩幅に足を広げ、大きく息を吸う。

 

「姑息な手段! それも良し!」

 

 ナルトは吠える。

 

「己は正面、貴殿らは裏より攻める! 良し! 自らの力を発揮して闘う。それが忍の心得!」

 

 月に叫ぶ獣の如くナルトは吠えた。

 

「己は征く! 愚直に、真っ直ぐに、力強く! 止められるのならば止めてみよ!」

 

 彼は拳を胸の前で力強くぶつけ合う。

 

「月が照らすは森の闘技場! うずまきナルトォ! いざ征かん!」



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大きくなった後ろ姿

 森の中に自らの声を響き渡らせるナルトの真意。自らの居場所を教えるような愚かな行為をナルトに選択させた理由。それは、殺気も闘志も感じないことに起因する。

 

 ──なれば、引き摺り出して見せよう。彼らの闘志を、闘魂を!

 

 忍ならば、自分の術をフルに活かして戦うべきだとナルトは考えている。その手段が卑怯だと罵られるような物であったとしても、そこに勝利への熱が感じられるのならばナルトは、それを咎めはしない。

 だが、自分たちを罠に陥れた者たちからは熱が感じられなかった。勝負に際して、首の裏側をヒリヒリと焼くような熱。それがなかった。

 それを引き出す手段をナルトは一つしか知らない。つまり、自分の力を見せ、力を魅せることだけ。

 

「!?」

 

 瞬間、ナルトの姿が掻き消えた。再不斬の水分身を鎧袖一触と言わんばかりに倒したサスケのトップスピードとほぼ同等、いや、それを微かにではあるが上回る速さでナルトは動いた。

 ギアを入れてもいないナルトのスピードではあるが、それは敵対する雨隠れの下忍が全く把握できないスピード。一秒に満たない間に自分たちの術が打ち破られたのを見て、ナルトたちを襲う下忍たち──雨隠れの下忍たち──は一つの結論に達した。

 

 ──体術で攻めると負ける。

 

 ならば、やることは変わらない。このまま幻術で攻めるのみ。

 雨隠れの下忍たちは身を潜めながら印を組み、術を再構築する。ナルトの拳で打ち払われた人型共は即時、体を再現させた。

 

「熱が……出て来たな」

「!?」

 

 ナルトと視線があった。

 そのことを認識した雨隠れの下忍の一人、朧は背筋に冷や汗を大量に流しながら理性では逃げようとしていた。だが、体が全く動かない。指一つでも動かせば、その瞬間、あの巨大で硬い拳が自分の体に減り込むという確信があった。

 

「さあ、戦いを続けよう」

 

 だが、朧の考えとは裏腹に、ナルトは彼から視線を外す。次いで、彼の体は動くようになった。その瞬間、朧は気が付いたのだ。あの男は自分を倒す機会を見逃したのだと。

 

 ──嘗めやがって!

 

 余りの怒りに脳の血管が破れそうだと朧は感じた。

 そもそも、朧は一度、ナルトと戦っている。戦いとも呼べないようなものであるものの、ナルトの驚異的な直感の精度を体感していた。ナルトは身を完全に隠していた彼を何の感知忍術も使わずに見つけ出した時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。

 

 死の森に入った後、すぐに偵察に向かった彼は第七班の三人を見つけた。その後、サスケとの攻防で最終的にサスケに踵落としで意識を奪われたのが彼だ。

 

 二度も同じ相手にいいようにされるのは認められなかった。

 

「篝、あの術を使え」

「朧、正気か?」

「あれは場所を選んで使う術だ。森の中で使う術じゃない」

 

 朧が話し掛けた篝に続いて、朧と同じ班の下忍、夢火も朧を止めるべく口を挟む。だが、朧の決意は固かった。

 

「奴に見つかった」

「な!?」

「嘘……だろ?」

「視線が合った。間違いなく、奴はオレたちに気付いている。それで、誘ってやがるんだ。倒せるものなら倒してみろってな。……アンラッキーだ。火が点いた」

「だが……」

「奴の体力は異常だ。見ろ、息切れ一つしていない。粘って奴の体力を減らす前にオレたちのチャクラが切れる」

「!」

「オレたちに残された手段は全力で奴を潰すだけなんだよ」

「……やろう」

「夢火! お前まで!」

「どうやら、幻術とクナイの投擲だけで凌げるほど甘い相手じゃなさそうだ」

「巻物は、巻物はどうするんだ?」

「別の奴から奪う方が簡単だ。覚悟を決めてくれ、篝」

「……分かった。水遁 黒雨の術」

 

 篝が術を発動させると、ナルトを中心とした半径10mほどの箇所に黒い雨が降った。

 

 ──敵の術? なに、これ?

 

 足元にある黒い雨を指に付けたサクラはその正体に気が付く。

 

「これ……油? ナルトォ! 下がって!」

 

 サクラが叫んだのと同時にクナイが前方に刺さった。そのクナイには一枚の紙が付いている。

 普通ならば下がる。状況判断が出来る人間ならば下がってしまう。地面に突き刺さったクナイに繋がる紙から迸る火花を見て、自分の体が油塗れならば引くのが普通だ。そして、どうしようもない状況に落とし込まれた自分の運命を呪いながら火に焼かれる。

 

 そのことをナルトは理解していた。

 敵の手中に嵌り自分が油塗れなことも、自分の前にある起爆札がもう間もなく火を上げることも理解していた。

 

 だが、ナルトは下がらない。前に前に進んでいくのがナルトだ。

 コンマ2秒。一秒にも満たない僅かな時間でナルトは足を踏み出し、ギアを全開にする。踏み出された足。ハムストリングスが熱を持ち、唸りを上げる。

 サバイバルという危険な状況、そして、大蛇丸との邂逅と追撃、更に全力を出す前に沈む敵。常に余力を残していなければ、突発的に起こる次のフェーズについて行くことはできない。そのことが無意識ながらもナルトの動きにセーブを掛けていた。

 ナルトの筋肉は全力を出すことができる機会を心待ちにしていた。

 

 心と体が、今、全力を出せとナルトに叫んでいた。

 地に着かんばかりに前傾姿勢を取ったナルトは曲げた右足に力を入れる。緩くなった時間感覚の中、ナルトは息を止めた。

 

 ──やった!

 

 朧はそう叫んだ。そう思っていた。

 だが、自分の口から出たハズの言葉は聞こえず、腹は熱い。“痛い”ではなく“熱い”だ。次いで視界が前方向へと飛んでいく。ゆっくりと遠ざかっていく景色、そして、意識。後頭部に強い衝撃を受けた瞬間、朧の意識はブラックアウトした。

 

 ──倒した!

 

 篝は起爆札の爆発を見た。

 オレンジ色に光る閃光が人型を作る。あの筋肉についた油が燃えた証拠だ。そこまで、考えた篝だったが、爆炎の人型が陽炎のように消えた瞬間、これはおかしいと思った。自分が使う術だ。その効果は十二分に知っている。骨まで消し炭にするような火力は出ない。

 よく観察しようと身を乗り出した瞬間、篝の脳天に衝撃が奔る。

『一体、何が?』

 そう思う間もなく、篝の意識は刈り取られた。

 

 ──オレたちの勝ちだ!

 

 夢火は自分たちの勝利を確信した。なぜなら、ナルトという筋肉は炎に包まれている。

 だが、そこには奴の燃えた姿はなかった。

 逃げられた。過程を飛ばし、直感でそう気づいた夢火は警戒するよう朧と篝に伝えようと振り向く。だが、傍にいたハズの朧と篝はいなかった。いや、正確に言えば、今し方、後方の木に当たり白目を向いている朧の姿と、拳骨を喰らったのか地面に頭を減り込ませている篝の姿があった。

 

 彼ら三人は全く思い至れなかったのだ。

 ナルトが爆発しそうな起爆札を握り潰して不発にし、不発になったものの起爆札から漏れ出た火花がナルトの体に付着していた油に引火したが、ナルトが出したトップスピードについて行けなかった油が全てナルトの体から流れ落ちて空中に人型の油を残した上、引火した油は全て空中で燃え上がったということを理解できなかったのだ。

 おそらく、そう説明しても彼らは理解できないだろう。いや、理解する必要もない。

 ただの純然たる事実として雨隠れの下忍たちは負けた。それだけのことだ。

 

「あの……これ……どうぞ」

 

 敗者は勝者に対して利益のあるものを渡さなくてはならない。

 夢火は“天”の巻物をナルトへと捧げるのであった。

 

 +++

 

「“天”の巻物か」

「これで、私たちも巻物が揃ったってことね」

「然り」

 

 ナルトが雨隠れの下忍たちを打ち倒し、持って帰ってきた巻物を確認してサスケとサクラは、ほっと息を吐く。

 “天”“地”両方を揃えた第七班。だが、険しい顔付きでサスケとサクラは顔を見合わせた。

 

「ナルト。カカシの言葉を忘れたのか?」

「そうよ。チームワークが大事じゃない」

「済まぬ。つい興奮してしまった」

「もし、次に出会った奴らがいれば、オレがやる」

「……」

 

 チームワークってそういうことじゃないんだけどなとサクラは思いながら目的地の塔を振り返った。そして、とある実力者の言葉を思い返す。

 

『合同で行う主たる目的は同盟国同士の友好を深め、忍のレベルを高め合うことがメインだとされるが、その実、隣国とのパワーバランスを保つことが各国の緊張を……』

 

 砂隠れのくノ一の言葉だ。隣国とのパワーバランスを保つ、つまり、自国の戦闘力を見せることで各国の緊張状態を維持することが中忍試験の真の目的。しかし、今までの第一の試験、第二の試験では上役に力を見せてはいない。この広い第二の試験の試験会場全てをモニターすることは不可能とサクラは考えた。

 ということは、第三の試験では上役の前で忍のレベルを競い合うような催しが開かれるのかもしれない。

 

 ──もしかすると……。

 

「サスケくん、大丈夫かい? ……その痣、どうしたんだい?」

「何でもない」

 

 ──カブトさんとも戦うことになるかもしれないなんて。

 

 親しい人や親切にしてくれた人と戦うことになる。その覚悟を決めなくてはならないことにサクラは気づき、顔を曇らせるのだった。

 

 +++

 

 カブトと共に塔に到着した第七班の三人は塔に備え付けられた扉を見つめる。金属製の重そうな扉だ。

 と、後ろの茂みからガサガサという音と共に二人の忍が現れた。

 

「何だ、アナタたちですか」

「遅いぞ、カブト」

 

 目にレンズを付けた木ノ葉の下忍と眼鏡を掛けた木ノ葉の下忍だ。二人とも口布と頭巾で顔を隠しており、見える場所は目元しかない。敵意は感じられないものの、第七班の三人を警戒していることにサスケは気が付いた。当然のことだろう。サスケも音がした瞬間から警戒を続けている。

 

「ちょっとゴタゴタに巻き込まれてしまって。済みません」

 

 どうやら、現れ出た二人の下忍はカブトの班員らしい。そのことに気付いたサスケは警戒を緩めるが、決して警戒は解かない。

 

 ──コイツら……何か引っかかる。

 

 そもそも、音が出るまで全く気配を感じさせなかったカブトの班員の二人だ。自分たちに同行する際にカブトが巻物を渡すと言ったことも合わさって、サスケは目の前の二人が中忍に近い実力の持ち主ではないかと考えていた。

 班員の実力に自信がなければ、カブトは巻物を差し出すなど、とてもではないが言えないだろう。裏を返せば、他の班員が巻物を所持し続けることができるという自信があるからこそ、カブトは自分の安全を守るために第七班に近づいたと考えられる。

 

 サスケは二人の下忍、そして、カブトから目を離さずに、カブトと話すナルトの言葉を聞いていた。

 

「カブト殿、感謝する」

「いいや、ボクはほとんど何もしてないよ……うん、本当に」

「いや、貴殿の的確な指示は己らにとっての道標だった」

「そうなら、良かったよ」

 

 カブトは一度、視線を塔のドアに注いだ。

 

「ボクらはこっちの扉を行くから……じゃあ、お互い頑張ろう!」

「承知」

 

 二人の下忍を伴って、カブトは塔の中へと姿を消すのだった。

 

 +++

 

 塔の内部。一つの部屋。

 薄暗い部屋だ。照明は裸電球が一つ。月明かりが明かり取り窓から入ってきているものの、人間に根源的な恐怖を呼び起こすような薄暗い闇が部屋を支配していた。

 その中に響くは冷たい声。人肌よりも冷たく濡れている舌で背筋を舐め回されるかのような声だ。

 

「収穫は?」

「ああ、予想以上ですよ」

 

 後ろの二人は動きが固まっている。だが、彼は違った。表情一つ崩さずに、いや、それどころか笑顔を浮かべながらカブトは懐からカードを取り出す。忍の個人情報をカブト自らがチャクラで焼き付けた忍識札だ。

 

「“第二の試験”での彼の情報は全て書き込んでおきましたよ。コレ、要るでしょ?」

「で、どうだったの?」

「フフ。やはり、気になるようですね……」

 

 カブトは前にいる人物に忍識札を渡し、その名を呼ぶ。

 

「……大蛇丸様」

「お前の意見を聞きたいのよ」

 

 割けた瞳孔が裸電球の光を反射して爛々と光っている。大蛇丸が感情を感じさせない薄笑いでカブトを見つめていた。

 

「“音の隠密(スパイ)”としてのね」

「それは必要ないでしょう。全てをお決めになるのはアナタなのですから」

「フッ……お前のその賢さが私のお気に入りの理由よ。ご苦労様」

 

 暗闇に体を融かした大蛇丸を見送ったカブトは顔に笑顔を貼り付けて、顔を上げる。

 

 “天”無くば智を知り機に備え

 “地”無くば野を駆け利を求めん

 天地双書を開かば

 危道は正道に帰す

 これ即ち“ ”の極意

 …導く者なり

 

 三代目

 

 そこには、三代目火影の言葉が書かれていた。

 

 +++

 

 ナルトとサスケとサクラはカブトたちとは違うドアから塔の内部へと入っていた。

 伽藍洞の部屋。誰もいる様子はなく、更に月明かりのみで部屋は薄暗い。

 

「誰もいないな」

「何かしら操作が必要なんだろうな。何かヒントがあるハズだ」

「ヒント、ね……ねえ、アレ見て」

 

 “天”無くば智を知り機に備え

 “地”無くば野を駆け利を求めん

 天地双書を開かば

 危道は正道に帰す

 これ即ち“ ”の極意

 …導く者なり

 

 三代目

 

 サクラが示したのは壁に書かれた格言染みた言葉。それを読んだナルトは唇を真一文字に結んだ後、唸った。

 

「つまり、どういうことだ?」

「多分、巻物のことだと思う。これって天地の巻物を開けってことだと思うんだけど……あ、私が開くのね」

「了解した。サクラ、頼む」

「うん」

 

 サクラはナルトから天の巻物を受け取る。

 しばし、見つめ合うナルトとサクラ。口火を切ったのはナルトだった。

 

「では……」

「……うん」

「……」

 

 ナルトとサクラは同時に巻物を開く。

 

「人?」

 

 サクラの呟き通り、巻物の中心には“人”という文字が大きく書かれていた。

 と、何の前触れもなく煙を上げる巻物。

 その様子にサスケは心当たりがあった。

 

 ──これは……口寄せの術式!

 

「ナルト、サクラ! その巻物を離せ!」

 

 サスケの言葉に従い、ナルトとサクラは巻物を放り投げる。地面に落ちた巻物から濛々と煙が上がり、彼らの視界を覆い隠した。煙の中に視線を向け、臨戦態勢を整える第七班の三人。

 白い煙が薄まると共に月明かりに一人の人物の影が照らされた。

 

「む?」

「あ、アンタは……」

「よっ!」

 

 煙の中から一人の忍が現れる。快活な声を伴って現れたのは、木ノ葉の額当てと中忍以上の忍が着用することを認められるベストを身に着けた人物。

 

「久しぶりだな」

 

 イルカだ。

 彼ら第七班の三人の恩師であるうみのイルカだった。

 

「ど、どういうことォ?」

「苦労したみたいだな、お前たち」

 

 イルカは困惑に包まれているサクラとサスケ、いつもと変わらない表情であるが、どことなく混乱している様子のナルトを優し気な目付きで見渡した。

 

「この“第二の試験”の最後はオレたち中忍が受験生を迎えることになっててな。たまたま、オレがお前たちへの大切な伝令役を仰せつかった訳だ」

「伝令役?」

「ああ……第二の試験。三人とも突破おめでとう!」

 

 イルカの宣言を持って、第二の試験は終了した。第七班は中忍選抜試験、第二の試験を合格したのだ。

 安心感と共に、床へと腰を下ろすサクラ。

 

「あ、そうだ。先生!」

 

 だが、サクラに疑問が湧き出た。

 

「ん?」

「所で、あの壁紙は何なの? なんか虫食い文字になってるし、私たちじゃ全然意味分かんないんだけど」

「これはな、火影様が記した中忍の心得だ」

「心得?」

「そう! この文章の“天”とは即ち人間の頭を指し、“地”は人間の体を指してんのさ」

 

 壁の文字を指し示すイルカは説明を始める。

 

「“天”無くば智を知り機に備え……あれはつまり、例えばナルトの弱点が頭脳にあるのなら……」

「む!?」

「……様々な理を学び、任務に備えなさい」

 

 口をへの字にしたナルトからサクラへとイルカは視線を移した。

 

「そして、“地”無くば野を駆け利を求めん……サクラの弱点が体力にあるのなら、日々鍛錬を怠らないようにしなければなりませんよ、という意味だ」

 

 続いて、イルカの視線の先にあるのはサスケだ。

 

「そして、その天地両方を兼ね備えれば、どんな危険に満ちた任務も正道。つまり、覇道とも言える安全な任務に成り得る、ということだ」

「じゃあ、あの抜けた文字の所は?」

 

 そう言って、サクラが指し示すのは『これ即ち“ ”の極意』とワザと三代目が一文字分、スペースを開けた箇所だ。

 サクラの疑問にニコリと笑顔を浮かべ、イルカは答える。

 

「だから、中忍を意味する文字……さっきの巻物にあった“人”という一字が入るという訳だ」

 

 イルカは人という文字が消えた巻物を手に持つ。

 

「この五日間のサバイバルは受験生の中忍としての基本能力を試すためのもの。そして、お前たちはそれを見事、クリアした。中忍とは部隊長クラス。チームを導く義務がある。任務における、知識の重要性、体力の必要性を更に心底、心得よ!」

 

 歯を嚙み合わせ、一呼吸置いたイルカはジッと三人を見つめた。

 

「この“中忍の心得”を決して忘れず、次のステップに挑んで欲しい。これが、オレが仰せつかった伝令の全てだ」

 

 ──だが、最後の第三の試験。無茶はしないでくれ。

 

 ///

 

「それに、私は信じているんですよ」

「信じる?」

「オレが受け持った下忍たちは一味も二味も違う。中忍試験程度の障害物なんて叩き壊して進む、と」

 

 ///

 

 イルカは自分の言葉を飲み込んだ。

 

「第三の試験も頑張れ!」

「了解した!」

「誰にも負ける気はねェ」

「はい!」

 

 つい先月ほどまで自分が担当していた生徒たちからの力強い答えを受け、イルカは少し寂しそうに笑い、先へと進んでいく彼らを見送るのであった。

 



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オレはお前と闘いたい

 死の森の中心に位置する塔。その一室で三代目火影は呟いた。

 

「どうじゃ? 呪印はまだ痛むか?」

 

 三代目が見つめる先はアンコの首元、そこにある三つ巴の模様の呪印だ。この呪印はアンコがまだ少女の頃に大蛇丸によって付けられたもの。一種のドーピング剤としても機能する呪印であるが、そのドーピングは肉体に多大な負荷がかかる。下手をすれば、付けられた者の命を奪うことにも成り兼ねない代物だ。

 

 実際、アンコに付けられた呪印は本人の意思とは無関係にチャクラを練り込ませている。が、今の呪印の状態は大蛇丸と会った時に比べて沈静化している。

 アンコは指で呪印を抑えながら三代目に向かって頭を下げる。

 

「いえ、お陰で大分良くなりました」

 

 呪印の活性を失わせる一種の封印術を三代目が用いたことにより、アンコの呼吸が正常に戻った。落ち着きを取り戻したアンコが語った内容は実に驚かされるものだった。

 その内容を反芻しながら、一人の中忍が口を開く。

 

「それにしても、大蛇丸って木ノ葉伝説のあの“三忍”の内の一人ですよね? 暗部すら手が出せなかった手配書(ビンゴブック)S級の抜け忍でしょ? 既に死んだとも聞いてましたけど……」

 

 中忍試験、その試験官の一人であるコテツが疑問を呈する。

 

「何故、今更この里なんかに?」

 

 コテツの言葉を引き取るようにイズモもまた疑問を口にした。

 

「多分……」

 

 二人の疑問の答えというべきものをアンコは持っていた。アンコは大蛇丸との邂逅した忌まわしき出来事を思い浮かべる。

 

 ///

 

「さっき、それと同じ呪印をプレゼントして来た所なのよ。……欲しい子がいてね」

「くっ……勝手ね。まず死ぬわよ、その子」

「待ちなさい! 死なないから、サスケくんは死なないの! だから、話をさせて頂戴、ナルトくん!」

 

 ///

 

「サスケじゃろ?」

 

 アンコは俯いた顔を上げた。

 全てを見通したように三代目は呟く。

 が、何故、大蛇丸がサスケを欲しがっているのかをコテツとイズモが三代目に聞き返そうとした時、テレビから声がした。

 

『アンコ様! “第二の試験”通過者、総勢21名を確認。中忍試験規定により、“第三の試験”は5年振りに予選を予定致します。“第二の試験”終了です』

 

 監視カメラが映すリアルタイムの映像だ。

 試験官の一人が監視カメラによって、第二の試験の終了をアンコに宣言した。アンコの目線を受けた三代目は重々しく口を開く。

 

「取り敢えず、試験はこのまま続行する。大蛇丸の動きを見ながらじゃがな」

「……はい」

 

 それにしても、と三代目は足を進めながら自らの思考に没頭する。

 

 ──よもや、ナルトが大蛇丸と戦い、戦う気がなかったとはいえ奴を退けるとは。

 

 アンコを安全な塔まで運んだのもナルトだという話を三代目は試験官たち、そして、木ノ葉の暗部の忍から聞いていた。

 大蛇丸に立ち向かい、呪印で動けなかったアンコを守り、そして、第二の試験を突破する。火影である自分でも、そのようなことはできないだろう。筋肉をつけ始める前にナルトが言っていた“火影になる”という言葉が現実味を帯びているように三代目は感じたのだった。

 だが、三代目は首を横に振る。

 

「時間じゃな……」

 

 第二の試験、その終了の時刻となり中忍試験は次のステージへと進む。アンコやコテツ、イズモを率いながら三代目は自分の考えを否定した。

 

 ──今のナルトが火影にでもなろうものなら、筋肉をつけることを里の者に広めかねん。

 

 三代目にとって、そのようなことは認められなかったのだ。

 右翼代表とされる四代目雷影の姿(筋肉)が頭の中にチラついた三代目火影だ。平和を愛する三代目火影にとって、筋肉とは争いのための道具と言う判断だった。少なくとも、彼が知る世界の認識もそうだった。

 そのような三代目が考えを変えるのはいつになるだろうか? 世間の認識が変わった時か、彼個人の認識が変わった時か。どちらにしろ、時間が必要だ。何事も理解されるためには、多大な時間と悪魔とも天使とも神とも言えるカリスマを持つ指導者が必要となるのだから。

 

 +++

 

「まずは第二の試験、通過おめでとう!」

 

 死の森の中心に位置する塔の内部には闘技場があった。大体、忍者学校の体育館と同じほどの広さである。

 そこに第二の試験を突破した21名の下忍と、彼らの担当上忍7名、そして、運営の忍が9名、立っていた。その中央には木ノ葉隠れの里のトップである三代目火影が堂々と立つ。

 

 ──いい予感はしねーな。

 

 彼らを見て、サスケは気を引き締めた。

 

「それでは、これから火影様より“第三の試験”の説明がある。各自心して聞くように!」

 

 第二の試験の突破者に向かって声を上げるアンコ。

 

「では、火影様。お願いします!」

「うむ」

 

 アンコに促され、三代目火影が一歩前に出る。

 

「これより始める“第三の試験”……その説明の前に、まず一つだけ……はっきりお前たちに告げておきたいことがある」

「?」

「……この試験の真の目的についてじゃ」

「!?」

「何故、同盟国同士が試験を合同で行うのか? “同盟国同士の友好”“忍のレベルを高め合う”……その本当の意味を履き違えて貰っては困る。この試験は言わば……」

「……」

「同盟国間の戦争の縮図なのだ」

「ど、どういうこと?」

「歴史を紐解けば、今の同盟国とは即ち、かつて勢力を競い合い、争い続けた隣国同士。その国々が互いに無駄な戦力の潰し合いを避けるために敢えて選んだ戦いの場……それが、この中忍選抜試験のそもそもの始まりじゃ。皆も分かっていると思うが、敢えて言う。この試験が中忍に値する忍を選抜するためのものであることに否定の余地はない。だが、その一方で、この試験は……国の威信を背負った各国の忍が命懸けで戦う場であるという側面も合わせ持つ!」

「国の威信?」

「この“第三の試験”には、我ら忍に仕事の依頼をすべき諸国の大名や著名な人物が招待客として多勢招かれる。そして、何より各国の隠れ里を持つ大名や忍頭が、お前たちの戦いを見る事になる。国力の差が歴然となれば、“強国”には仕事の依頼が殺到する。“弱小国”と見なされれば、その逆に依頼は減少する」

「……」

「そして、それと同時に隣接各国に対し、“我が里はこれだけの戦力を育て有している”という脅威、つまり、外交的、政治圧力を掛ける事もできる」

「だからってなんで! 命掛けで戦う必要があんだよ!」

「国の力は里の力。里の力は忍の力。そして、忍の本当の力とは……命懸けの戦いの中でしか生まれてこぬ!」

「……」

「この試験は自国の忍という“力”を見て貰う場であり、見せつける場でもある。本当に命懸けで戦う試験だからこそ意味があり……だからこそ、先人たちも“目指すだけの価値がある夢”として中忍試験を戦ってきた」

「では、どうして……“友好”なんて言い回しをするんですか?」

「だから、始めに言ったであろう! 意味を履き違えて貰っては困る、と。命を削り戦うことで力のバランスを保ってきた慣習。これこそが忍の世界の友好なのじゃ」

「……」

「第三の試験の前に諸君に、もう一度告ぐ。これはただのテストではない」

「……」

「これは己の夢と里の威信を懸けた……命懸けの戦いなのじゃ」

 

 シンと静まり返る会場内。

 だが、三代目の言葉を聞いても心を動かさない者が一人、そして、三代目の言葉を聞いて更に闘争心が燃え上がった者が一人いた。

 

「了解した……」

「それより早く……」

「その闘いにおける規定を……」

「その命懸けの試験ってヤツの……」

「聞かせて貰いたい」

「内容を聞かせろ」

 

 三代目火影の言葉を正面から受け取り、されども、一歩も引くことはない忍。ナルトと我愛羅だ。第二の試験が始まる前にアンコが強者と考えた二人だ。

 気負うこともなく自分を真っ直ぐに見つめる二人を見つめ返しながら三代目は微笑む。

 

 ──怖いのォ……。

 

 愛を、幸せを、平和を愛する三代目だ。戦いを求める彼らの気持ちが分からなかった。迫力があり過ぎるナルトと我愛羅に対して本心は見せないものの、三代目の心の内は理解できないという気持ちで一杯だった。

 だが、理解できないというだけで動きを止める三代目ではない。

 

「フム……では、これより“第三の試験”の説明をしたい所なのじゃが……実はのォ……」

「恐れながら火影様」

 

 説明を再開しようとする三代目の前に一瞬で移動した忍がいた。

 

「ここからは“審判”を仰せつかった、この月光ハヤテから……」

 

 三代目は“月光ハヤテ”と名乗った忍に一つ頷く。

 

「任せよう」

「皆さん、初めまして。ハヤテです」

 

 忍は立ち上がり、受験生たちへと振り返った。白い肌、濃い隈、こけた頬。

 振り返った彼は今にも魂が抜け出そうなほどであった。

 

「皆さんはじめまして。ハヤテです。えー、皆さんには“第三の試験”前に……やってもらいたいことがあるんですね。えー……それは本戦の出場を懸けた“第三の試験”予選です」

「予選!?」

「予選ってどういうことだよ!!」

「先生……その予選って……意味がわからないんですけど……。今残っている受験生でなんで次の試験をやらないんですか?」

「えー今回は……第一・第二の試験が甘かったせいか……少々人数が残り過ぎてしまいましてね……。中忍試験規定にのっとり予選を行い“第三の試験”進出者を減らす必要があるのです」

「そ、そんな……」

「先程の火影様のお話にもあったように“第三の試験”にはたくさんのゲストがいらっしゃいますから……だらだらとした試合はできず時間も限られてくるんですね……。えーというわけで、体調の優れない方、これまでの説明でやめたくなった方、今すぐ申し出て下さい。これからすぐに予選が始まりますので」

 

 受験生たちを見渡したハヤテは一拍置いて、手を打った。

 

「あ、言い忘れてましたが、これからは個人戦ですので、自分自身の判断でご自由に手を挙げてください」

 

 再度、ぐるりと受験生たちを見渡すハヤテ。だが、受験生たちに動きはない。

 

「いないみたいですね。あ、あと、先に言っておくと、不戦勝の方を抽選で選びます」

「抽選?」

「ええ。第三の試験、それに加えて予選は一対一の個人戦ですので一名、抽選で選ばれた方には不戦勝で次の本選に上がって貰います」

「ちょっと待て! そんなの納得いかねェ!」

「納得してください。納得できないのならば、犬塚キバくん、アナタを落とします」

「くっ……」

「それでは、気を取り直して……。上をご覧ください」

 

 ハヤテは上を指す。

 彼の指が向く先には、壁からせり上がってくる電光掲示板があった。

 

「あちらの掲示板に二名ずつ名前が表示されます。ルールは一切なしで、どちらか一方が死ぬか倒れるか、あるいは負けを認めるまで闘って貰います。死にたくなければすぐ負けを認めてくださいね。ただし、勝負がはっきりついたと私が判断した場合、えー、むやみに死体を増やしたくないので、止めに入ったりなんかします。ちなみに、不戦勝の方は名前が最後まで表示されなかった方としますので」

「目の前の敵を倒せ。そういうことであろう?」

「ええ。うずまきナルトくん。君の言う通りです。これでルールの説明は終了します。何かご質問は?」

 

 再び受験生たちを見渡すハヤテだったが、受験生たちは先ほどと同じく動きは見られなかった。数人の受験生を除き、唯一、先ほどと変わっていたのは彼らの顔色。いいとは言えない。ハヤテほどではないが、その顔は緊張感と不安感で青く染められていた。

 そのような彼らを意に会することもなく、ハヤテは淡々と進行を続ける。

 

「では、早速ですが第一回戦の二名を発表しますね」

 

 電光掲示板に光が灯る。

 

 ウチハ・サスケ VS アカドウ・ヨロイ

 

 そこに表示された名前を持つ二人は目を細めた。

 

 ──いきなりとはな。

 ──フッ……願ってもない。

 

「では、掲示板に示された二名、前へ」

 

 ハヤテに促され、前に出たのはサスケ。そして、頭巾と口布、そして、目に付けた黒レンズで表情を窺い知る事が出来ない木ノ葉の忍だった。

 彼の名は赤胴ヨロイ。カブトと同じ班の忍だ。

 

「第一回戦対戦者。赤胴ヨロイ、うちはサスケ両名に決定。異存ありませんね?」

「はい」

「ああ」

「えー、ではこれから第一回戦を開始しますね。対戦者二名を除く皆さん方は上の方へ移動してください」

 

 上の観覧する足場へ上がる階段へと移動する人に紛れ、カカシはサスケに近づく。

 

「サスケ、写輪眼は使うな」

 

 小声で話し掛けるカカシへとサスケは驚いた表情を浮かべながら小さな声で言葉を返す。

 

「……知ってたのか」

「その首の呪印が暴走すれば、お前の命に関わる」

「だろうな」

「ま、その時は試合中止。オレがお前を止めに入るからよろしく」

「!?」

 

 カカシの言葉は認められなかった。

 サスケが強者と目し、闘いたいと心から思うライバルたち。それが一堂に会する中忍試験だ。これを逃せば、これから先、このような機会はないだろう。

 リー、ネジ、我愛羅、そして、ナルト。

 

 サスケは何が何でも呪印を抑え付けなければならなかった。

 

 ──この呪印とやらは、どうやら、オレのチャクラに反応してやがる。うかつにチャクラを練り込めば、オレの精神を奪い、体中のチャクラを際限なく引き出してしまう。つまり、この試合、写輪眼はおろか、普通の術でさえ、早々使えないって訳か。

 

 そこまで考え、サスケは肩の力を抜く。

 

「それでは、始めてください!」

 

 ハヤテの合図をどこか遠くに聞きながらサスケは自分の意識が研ぎ澄まされていくことを感じていた。

 

「行こうか」

「ああ」

 

 まずはヨロイの牽制のための三枚の手裏剣の投擲だ。それを弾き返すため、サスケはクナイを手に持つ。

 

「ラアッ!」

 

 サスケがクナイを振り切ると、軽い金属音を立てながら手裏剣はヨロイに向かって弾き返された。

 

「クッ!」

 

 それと同時に身体能力を上げるためにチャクラを練り込んだのが呪印に反応した。首筋に激しい痛みが奔る。

 サスケが痛みで動きを止めた一瞬を見逃すヨロイではない。彼は実は大蛇丸の部下だ。木ノ葉に忍び込んでいるスパイの一人。そのため、スパイとしての技量は高く、下忍では到底、勝てないほどの実力を持つ。大した汚れもなく第二の試験を突破することができたことからも、ヨロイの実力を推し量ることができるだろう。

 

 一瞬にして、サスケとの距離を詰めたヨロイはサスケの頭に手を伸ばす。この赤胴ヨロイという忍はそれなりに強いだけではない。特異な才能を持つ忍だ。

 チャクラの吸引能力。対象に掌を宛がうことでチャクラを吸い取ることができる能力こそ、ヨロイの最大の武器。

 

 ──取った!

 

 だが、ヨロイは甘かった。自身の実力、そして、チャクラ吸引能力。加えて、敵であるサスケは下忍で呪印により動きが鈍っていると見える。

 ヨロイは油断してしまっていた。

 

 そもそも、呪印が作る痛み程度、サスケは経験している。筋肉痛だ。

 幼少の頃、ナルトの異常な筋トレを目にしたサスケは一度、ナルトに負けないように異常な量の筋トレをした。言葉にできないほどの量の筋トレ。本来ならば、子どもがしていいような量の筋トレではない。

 当然なことだが、体が出来上がっていないサスケ少年には、それは辛かった。だが、ナルトに負けないように筋トレをしたサスケだ。一日でサスケの筋組織はボロボロになってしまった。

 

 その次の日。予定調和と言うべきか。筋トレをしたら、筋組織が破壊される。その後の回復により、筋肉は強くなるのだ。破壊と回復。これが筋肉を大きくするための絶対のメソッド。

 

 そう、つまり、筋トレをした次の日に筋肉痛で寝込んでしまったサスケだ。

 寝込むサスケを見て、今は亡き父と母、そして、今は無き兄によって無茶な筋トレは止めるようにサスケは誓わされたのだった。

 

 サスケにとって、呪印の痛み程度など、あの時の筋肉痛に比べれば何の壁にもならない。

 痛みを堪えながら、サスケの拳はカウンターでヨロイの腹に突き刺さったのだ。

 

「……勝者、うちはサスケ。予選通過です!」

 

 倒れたヨロイから離れようとしたサスケはふらつく。痛みに耐えられたと言っても、それはただの痩せ我慢でしかない。気が緩んだ瞬間、我慢の反動でサスケの体は思うように動かなくなってしまった。

 

「ま、よくやったな」

 

 それを支えるのはカカシだ。瞬身の術でサスケの後ろに姿を現したのだろう。

 

「フン」

 

 鼻を鳴らし不満をアピールするサスケだったが、その顔は裏腹に得意気であった。

 サスケを支えながらカカシは考えを巡らす。

 

 ──カウンターでの攻撃時、一瞬でチャクラを練り上げて右手に集めるとは。

 

 刹那の間にチャクラを練り上げて、最大に上げたパンチ力で以って敵を砕く。あまりにも短い間のため、呪印が反応する暇もなかった、と。

 サスケが取った方法は単純だった。チャクラを練り込めば、呪印が反応する。ならば、チャクラを練り込む時間を短くして呪印が反応する前に、チャクラをあまり使わない体術で敵を沈めればいい。

 

 ──恐ろしきはうちはの血という訳……か?

 

 自分の考えに疑問を覚えたカカシにサスケが声を掛ける。

 

「おい、カカシ。先に上がってるぞ」

「ん? ああ、そうだな。オレも行く」

 

 体勢を整えたのだろう。サスケはいつの間にかカカシの支えから離れ、先へと歩き出していた。カカシはサスケの背中を見て、一度、笑った後、サスケに続いて階段を上がっていったのだ。

 

「サスケくん! おめでとう!」

「ああ」

 

 サスケが階段を登った先にいたのは、満面の笑みでサスケの帰りを迎えるサクラだった。

 

「あの……」

 

 と、一転して真面目な表情になったサクラは小声で尋ねる。

 

「大丈夫だった?」

「心配いらない」

 

 サクラに薄く微笑みかけたサスケは、次いで、自信に溢れた顔付きで斜め上を見上げる。

 

「サスケ、見事だ」

「当たり前だろ」

 

 サスケの視線の先にいたのは、彼が目標としていたナルトだ。

 

 ──やっとだ。

 

 拳を握ったサスケは獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ナルト……オレはお前と闘いたい」

「ああ……己もだ」

 

 サスケの言葉を聞いたナルトもまた笑顔を浮かべる。

 ナルトがサスケに向ける笑顔は猛禽類の如し。その迫力を前にしてもサスケは一歩も引かない。

 

「本選で待っている」

「承知」

 

 しかしながら、事はとんとん拍子には進まないもの。

 

 ザク・アブミ VS アブラメ・シノ

 

 続いて、電光掲示板に表示された名前はナルトのものではなかった。

 



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よい子はまねしちゃダメ

「フン……どこの雑魚だ?」

「……」

 

 電光掲示板に表示された名の持ち主は対照的だった。

 動と静。

 ザク・アブミと油女シノ。

 

 先に動いたのは、やはりと言うべきか“動”であるザクだ。足音を鳴らしながらザクは階段を降りる。それに続くシノ。

 階段を降りた二人は自然と試験場の中心に距離をとって向かい合う。

 

 二人の準備ができたと判断したのだろう。ハヤテは両手を腰の辺りの高さまで上げる。

 

「えー、では、これから第二回戦を始めます」

 

 睨み合うザクとシノ。

 どちらもナルトたちとは縁がある。ザクは言わずもがな、第二の試験でサクラを襲った忍だ。そして、シノの方はナルトたちとは同期の木ノ葉隠れに所属する忍。

 ナルトたちを友好的に見るシノとは違い、ザクとナルトたちは怒りという縁で繋がっていた。憎しみではない。怒りだ。自分をコケにした者たちに対する純然たる怒り。その怒りはナルトたちと同じ里の忍であるシノへも飛び火した。

 

 ──まずテメェを血祭りに上げる。

 

 ザクの気持ちに気付いたのだろう。シノと同じ班のヒナタは不安そうに呟く。

 

「シノくん、大丈夫かな?」

「あいつは強えーよ。オレもあいつとだけは闘り合いたくねェよ」

 

 ヒナタに言葉を返すのはキバだ。彼もヒナタと同じくシノと同じ班に属する木ノ葉の忍だ。

 だが、ヒナタとは対照的にキバには不安はなかった。消極的で悲観的な考えをするヒナタに比べて、キバは積極的で楽観的な考えをする人物だ。

 キバはシノが負けるという姿が想像できなかった。

 

「おっ、始まるぞ」

「うん……」

 

 ハヤテの動きに着目したキバは息を止める。

 ややあって、ハヤテが薄く唇を上げた。

 

「……では、始めてください」

 

 ハヤテが始まりを告げた。

 それと同時に仕掛けたのはザクだ。

 

 ──負けられねェ……!

 

 彼の脳裏に浮かぶのは第二の試験での戦い。自分の顔に頭突きを食らわせた生意気な女、サクラと自分の腹に一発入れるだけで戦闘不能に陥らせたスカしたガキ、サスケの姿だ。

 そして、目の前にいる根暗なガキはサクラとサスケと同じ里の出身であることが着けている額当てから察することができる。

 ザクの頭には惨たらしく目の前にいる“木ノ葉”の忍を倒すことしかなかったのだ。

 

 対して、ザクを迎え撃つシノは虚無を感じさせる雰囲気を醸し出していた。事実、彼は何も感じていない。恐怖も昂揚も、憎悪も誇りも。戦闘に対する心持ちとは言えない。どちらかと言えば、作業をする心持ちに近い。

 ただ、彼にあるのは勝利という二文字だけ。彼は自分が勝つことを全く疑っていなかった。そして、その自信に見合う実力をシノはつけていた。

 

「無駄だ」

 

 ザクが振り被った左手の殴打をシノは事もなげに軽く曲げた右手で受け止める。だが、それは悪手だった。

 ザクはニヤリとほくそ笑む。

 

「喰らえ! 斬空波!」

 

 ザクが叫ぶと同時にザクの掌にある小さな孔からチャクラが放出された。人一人を吹き飛ばすには十分過ぎるほどの威力を持つ空気の塊がシノを襲う。

 成す術もなく地面に転がされるシノ。

 

「なにッ!?」

 

 そして、勝利を告げられると信じていたザクは目の前で起きたあり得ないことを瞬時に見極めることができなかった。

 自分の斬空波によりダメージを与えたシノの体が黒くて小さいものに覆われていく。完全にシノの体が黒いモノに覆われた後、ザクは気が付いた。

 

 ──蟲、だと?

 

 忍の業は多種多様。五大属性である火、水、風、土、雷。それ以外にも特殊な血筋の者が扱うことのできる氷や結晶などの血継限界。だが、ザクの目の前にいるシノは、チャクラをある属性に変換することで得られる性質変化とは全く違う術を使っていた。

 

 蟲使いの一族。それが油女一族だ。

 油女一族は産まれた時に蟲に己の体を巣として貸し与えることで戦闘に蟲を使うことができる術を持つ一族。特殊な体質が必須とされる秘伝忍術の使い手、それが油女シノだ。

 

 蟲を武器として扱うことができるとは初見では、まず思い至ることはない。そして、それを予測できるための経験がザクにはなかった。だが、ザクとて忍。敵の術をむざむざ受けるほど間抜けではない。

 ザクは両手を突き出し、高く立ち昇る蟲の大群へと照準を定めた。

 

 ──最大出力……!

 

「斬空波!」

 

 ザクの叫びと共に、彼の両手からは凄まじい勢いでチャクラが放出される。空気を揺らしながら蟲の大群へと向かうザクの術は防がれることなく、蟲たちを吹き飛ばす。当たり前と言えば、当たり前だ。突風に対して何もできずに飛ばされる無力な小さな虫。自然現象ですらそうなのだ。人為的に突風を超える規模の攻撃を起こせるザクの両腕には小さな蟲たちは敵わなかった。

 

「ハアッ……ハアッ……ふー」

 

 体中のチャクラを絞り出して威力を最大に発揮した斬空波だ。術者であるザクへの反動は大きかった。チャクラは元より、彼の腕にかかる負担は相当なもの。腕が震えて、クナイすら持てない状態だ。

 だが、それほどまでに自らの体を酷使した成果はあった。

 

 ザクは疲れを顔に示しながらも、得意気に前を見る。大きく破壊された試験会場。ザクの斬空波の影響下にあったコンクリート製の地面は罅割れ、そして、そこに居るハズのシノはいなかった。斬空波の範囲外にいたのだろう。蟲が数匹飛び回っているが、術者であるシノがいないことで、どうすればいいのか分からずオロオロとしている様子が見て取れた。

 

 ──跡形もなく吹っ飛びやがったか。

 

 そもそも、斬空波の最大威力は大人一人を粉々に砕くことのできる出力を持つ。まだ12歳ほどの子どもであるシノが耐えきれるものではない。

 ザクは自分の勝利を確信した。目を閉じ、大きく息を吐いて呼吸を整えるザクは試験官であるハヤテの指示を待つ。

 

 ザクの最大の攻撃を正面から受けた場合、シノは耐え切れない。

 とはいえ、それには“当たれば”という注釈が着く。

 

「次はオレの番だ」

「!?」

 

 後ろから聞こえてきた声にザクの顔が強張る。ザクは後ろからの濃密な殺気により動くことができなかった。例え殺気による萎縮がなくとも、チャクラを使い切ったザクに、腰に回されたシノの腕を振り払うことはできなかっただろう。

 

 そう、悪手だったのはザクの方だ。シノを吹き飛ばした斬空波によって、シノの体を見失ったことがザクの敗因だ。

 吹き飛ばされたシノは地面に転がりながら、ザクを欺くために二つの策を講じていた。まず一つは、自身の体から蟲を出すことで、ザクの視界から自分を外すこと。これが一つ目の策。

 そして、もう一つの策が変化の術で蟲に変化した状態で行動し、ザクの攻撃を避けたこと。これが二つ目の策だ。

 

 この二つの策によりシノはザクのバックを取る事ができた。そして、忍にとって、後ろを取られるというのは命の取捨選択の権利が相手に移ったことと同義だ。生かすも殺すも自在。

 そして、シノが選んだのはザクにとって最も残酷な選択肢だった。生かさず殺さず、痛みと恥辱に塗れさせる行為だった。

 

 シノは後ろからザクの腰に回した手に力を籠める。体勢は低く、そして、力を全身に漲らせ、シノは身を仰け反らせる。地面からザクの足が離れる。

 

「くっ!?」

 

 内臓が上から下に向かう感覚、その一瞬後にザクを襲うのは上から下へと内臓が向かう感覚だ。天地が逆になった視界の中、ザクは頭から地面へとフォールされた。

 

 ジャーマンスープレックス。

 プロレス技の代名詞とも言えるほどに有名な技だ。相手の腰を掴み、体を仰け反らせることで相手を頭から地面に叩き付ける技。テレビで“よい子は真似しないでね”というテロップが間違いなく表示されるほど危険性が高い。

 

 そして、体をそれなりに鍛えている忍と言えども、ジャーマンスープレックスによるダメージは看過できない。コンクリートの床に叩き付けられたザクの頭部は血に染まっていた。

 

 カウントを数えるまでもない。

 そう判断したハヤテは勝利者の名を宣言しようとする。

 

「まだ……だ」

「!?」

 

 思わず、ハヤテは息を呑んだ。まさか、動けるとは思えない。そして、そう思うのはハヤテだけではなかった。この場の全ての人間、三代目火影はもちろん、“音”の額当てをつけた上忍でさえも身を乗り出してザクを見つめていた。音の上忍は長い舌で自分の唇を嘗める。

 

「こんなとこで……負けられねェ……」

 

『見込みあるわね、君。私のところに来れば、もっと強くなれるわよ』

 ザクの頭に響くのは大蛇丸の声。

 

「こんなとこで……期待を裏切れねェ……」

 

『私の為に闘いなさい。そうすれば、もっと強くしてあげる』

 意識を精神力で繋ぎ止めているザクのふらついていた頭が止まった。

 

「こんなとこでッ! ……終わらねェ!」

 

 頭から血を流しながら、鼻から血を流しながら、口から血を流しながら、それでも尚、ザクは拳を握り締める。

 彼を奮い立たせるのは大蛇丸への忠誠心。それだけではない。絶体絶命の状況の中、ザクは相対したサクラの姿を今の自分の姿に重ねていた。

 自分たち三人に向かって、臆することもなく立ち向かってきた年下の少女。絶体絶命の状況の中、傷ついた体を意志の力で動かす少女の姿だ。

 

 ──負けたくねェ……。

 

 ザクは拳を握り締める。

 

「分かった。後悔するな」

「上等だァアアア! アアアアアアアッ!」

 

 一瞬、意識が飛んだザクだったが、それでも彼は足を止めようとはしない。更に声を出して自分を鼓舞する。全ては目の前の敵を自分の拳で倒すため。だが、ザクの意識が飛んだ一瞬。コンマ2秒ほどの短い時間。その一瞬が致命的だった。いや、致命的だったのは、シノと戦ったこと自体かもしれない。

 

 ザクの意識が飛んだ瞬間、彼の膝は曲がっていた。それをシノは見逃さなかった。彼らの間の距離は短い。一般人よりも遥かに速く動くことができる忍にとっては猶更だ。

 曲がったザクの右膝に左足を乗せたシノは左足を軸に体を回転させる。回転したシノの左半身に続いて来るのは彼の右半身、そして、右足だ。ザクの膝を足場とすることでシノの右足の進行方向にあるのはザクの顔だ。

 シノの右足は吸い込まれるようにしてザクの頬に減り込んだ。シャイニングウィザードを決めたシノは地面に転がされたザクに向かって平坦な声で告げる。

 

「今は偶々、オレの方が強かった。それだけだ」

「勝者! 油女シノ!」

 

 ハヤテが勝者の名を宣言した。だが、シノは特にリアクションを見せない。一つ頷いたかと思うと、彼は踵を返して階段を上がっていった。

 シノが階段を上がった先にいたのは、彼の班員であるヒナタとキバ、そして、担当上忍である紅だった。

 

「シノ、おめでとう」

「うむ」

 

 紅へと頷いたシノは顔色一つ変えることなく、キバとヒナタの間に体を滑りこませた。

 

「あ、シノくん。お疲れ様」

「やったな、オイ!」

「うむ……お前たちにも期待してるぞ」

「くっ!」

 

 こいつ、チームのリーダーみたいなノリで帰ってきやがって、くそっ!

 

 ──オレの試合は……まだかよ。

 

 闘いの中で自分の力をシノに、そして、木ノ葉の同期に、ここにいる全員に見せつけてやりたい。そのように考えるキバであったが、電光掲示板に表示された文字はキバの名を示すものではなかった。

 

 ツルギ・ミスミ VS カンクロウ

 

 次の試合は、砂隠れのカンクロウと木ノ葉隠れの剣ミスミの対戦だった。ミスミは伸縮自在な体でカンクロウの動きを絡めとったものの、ミスミが捕らえていたのはカンクロウの姿をした傀儡だった。傀儡に不用意に近づいたミスミを荷物に変化していたカンクロウが見逃す訳もなく、傀儡による抱擁により体の骨を折られたミスミの敗北で決着が着いた。

 危なげなく駒を次に進めたカンクロウを見て、ナルトは目を細める。

 

 ──あの者……強い。

 

 それは初めてカンクロウと出会った時から分かっていたこと。カンクロウが繰り出したチャクラ糸により、自分の動きが少しとは言えども抑えられたことを思い出したナルトは拳を握り締める。

 

 ──闘いは……まだか?

 

 電光掲示板に目線をやるナルトであったが、そこに表示されていた文字を見て口を真一文字に結んだ。

 

 ハルノ・サクラ VS ヤマナカ・イノ

 

 ナルトがよく知る二人の名前がそこには表示されていた。

 



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自分を信じてみたい

 いのは首を右に向ける。彼女の視線の先にいるのは、自分へと視線を向けているサクラだった。サクラといのの視線が交錯する。いのは思わずごくりと喉を鳴らした。

 いのを見つめるサクラは彼女が知っているサクラではなかった。影が差すサクラの顔は喜色を表していたのだ。

 

 先に視線を外したのはサクラだった。いのの前を通り過ぎ、更にいのへ背中を向けたサクラは階段へと足を向ける。その力強い歩みを見て、いのは険しい表情を浮かべた。

 

 ──私が思わず引いちゃうなんてね。

 

 下へと向かうサクラの後ろ姿を見ながら、いのは奥歯を噛み締める。ぞくりと背筋を冷たいものが駆け上がるような感覚。それは、いのが初めて感じたサクラへの恐れだった。

 

 幼い頃は自分の後ろを小鴨のようについて来たサクラ。忍者学校の高学年になると共に、サクラは強くなっていった。

 弱い自分を隠すように髪を長く伸ばしていたサクラ。下忍に上がる時に、サクラは自分に負けないと宣言した。

 

 いのは揺れるサクラの髪を見つめる。

 今、彼女の髪は短くなっている。剥き出しのサクラの心は表情に出ていた。

 

 ──私はアナタと戦うことができる時を心待ちにしていた。

 

 いのはサクラの気持ちを理解した。

 

 ──叩き潰してあげる。

 

 頭の後ろで纏めた長い髪を揺らし、いのは足を止める。

 試験場の真ん中で向かい合うサクラといの。火花が散るほどの闘気のぶつかり合いだ。尤も、これは単なる比喩。より強い者同士の闘いでは向かい合っただけで火花が文字通り散ることもあると言う。体から無意識に放出したチャクラとチャクラがぶつかり合った時の摩擦で散る火花。

 それがない彼女らは未熟な者。青い果実だ。いや、より若く、まだ蕾の状態かもしれない。

 

 だが、勝負に掛ける熱は未熟者故に、若者故に熱かった。

 

「いの……」

「何?」

 

 いのの冷たい返答にサクラは何もいうことなく、頭頂部を覆うように着けていた額当てを外す。

 サクラの右手にある額当てを見つめたいのは、あることを思い出す。

 

 ///

 

 下忍の班が決まった日の出来事。上忍との顔合わせが早々に終わり、里をぶらついていたいのは同じように上忍との顔合わせが終わったサクラに呼び止められた。サクラに案内されたのは、忍者学校生の頃に山籠もりが終わったナルトと会った草原の近くの森だった。

 

「私……サスケくんと同じチームになったわよ」

 

 森の中。そこはサクラが初めてナルトと会った場所だ。その時のような気弱なサクラはどこにもいなかった。

 サクラは、いのに力強く宣言する。

 

「いのにはもう負けない」

「私だって、サクラ。アンタにだけはどんなことだって負けないわよー!」

 

 その時は圧倒的な自信が、いのにはあった。忍者学校生の頃、いのはサクラに圧倒的に勝っていた。座学は除くが、その他の科目ではサクラとは大きな差があり、その全てでいのは秀でた成績を修めていた。同期のくノ一の中では総合トップの成績。

 いのが自分の実力に自信を持つのは当然だと言える。

 

 しかしながら、格上(いの)を前にしてもサクラは臆さない。取り出した赤いリボンをサクラはいのに差し出す。そのリボンはかつて、いのがサクラにあげたものだ。いつも自信がなく、前髪を長く伸ばして怯えていたサクラを前に向かせるための秘密道具。

 サクラにとって、そのリボンは大切な……大切な思い出。自分を光当たる場所に連れ出してくれた常に輝く憧れ(いの)との絆。

 

 だが、それに縋りつく時期を終わらせないといけない。

 

「このリボン……返すわ」

 

 サクラはあらかじめ用意していた文面通りにセリフを読み上げる。少しばかりの逡巡をプライドで覆い隠してサクラは手に持つリボンをいのへと近づけた。

 

「そのリボンはあげたのよー! それに、額当ては額にするものでしょー」

「これからは、もういのの後を追いかけている女の子じゃない」

 

 力強くサクラは宣言する。

 

「これを額にする時は女の忍として……アナタに負けられない時……」

 

 もう自分の後ろをついて来るだけのサクラではないということをいのは理解した。優し気な且つ勝気な笑みを浮かべたいのはサクラに一歩近づいた。

 

「いい案ね……私も……」

 

 一抹の寂しさを覆い隠すように、いのは再度、軽く笑いサクラからリボンを受け取った。

 

「その時まで……」

 

 ///

 

 両者とも、額当てを外す。サクラは頭頂部から、いのは腰から。

 続いて、唇の端を上げた後、今度は額へと額当てを着けた二人は大きく息を吸って視線を真っ向から合わせた。

 

 ──正々堂々……勝負!

 

 煌めく(インペリアル・ジェイド)(アイス・ジェイド)。彼女らの瞳は宝石の如く、闘志という光を発するように輝いていた。

 

 緊迫した空気の中、サクラは大きく息を吸い込む。

 

「棕櫚の華が道標!」

 

 その声は……。

 

「南国の太陽よりも心は暑く、篤く、熱く燃え上がる!」

 

 試験会場へと轟き……。

 

「光の先は勝利! 信じて疑わない!」

 

 立ち合いを見守る者に熱を与え……。

 

「春から先へ私は進む! 夏よりも輝き! 秋より艶やかで! 冬より美しい! 巡る季節を超え、幾年! 今、私はアナタの前に立つ!」

 

 初夏とは思えぬ熱気が会場に立ち込める。

 

「春野サクラ! 只今、推参!」

 

 サクラの熱は会場にいる全ての者に伝播した。

 それは、一番近くにいる彼女の心を揺れ動かす。もう言葉は必要なかった。サクラの言葉を正面から受け止めたいのは一度、目を閉じてすぐに大きく開く。

 

「私から言うことはないわ。征くわよ」

「こっちこそ」

 

 瞬間、二人の姿が掻き消えた。

 パンと高い音がしたかと思うと、いのとサクラ、二人の姿が試験会場の中心へと現れる。サクラの右の拳はいのの左の掌に、いのの右の拳はサクラの左の掌に受け止められていた。

 

 だが、拮抗は一瞬。

 チャクラを身体強化に回したサクラがいのを押し切った。たたらを踏むいのへと迫り、サクラは右の拳を繰り出す。しかし、崩れた体勢の重心移動を利用して体を回転させたいのの左足の蹴りがサクラの拳を弾いた。

 追撃はできないと踏んだサクラは足を曲げ、バックステップでいのから離れる。その判断は正しかった。先ほどのいのの蹴りはあくまで牽制である。更に体を回転させたいのの右踵が、サクラの頭が一瞬前まであった空間を通り過ぎた。

 

 僅か10秒にも満たない攻防。忍のように鮮やかでもない。女のように優雅でもない。然れども、彼女らの攻防は確かに見る者を惹き付けるものがあった。

 

「まさか、あの頼りなかったサクラがここまで成長してるとはな……」

 

 いのの担当上忍であるアスマが呟く。次いで、アスマは顔を右に向けた。アスマの視線の先にいるのは、サクラの担当上忍であるカカシだ。

 

「カカシ。どういう修行をさせたんだ?」

「んーと……チャクラの制御」

「それだけ? 嘘だろ」

「あとは……」

 

 カカシはアスマの疑問に答えようと頭の中の情報を浚う。波の国でサクラに課したチャクラコントロールの修行。これは間違いなく修行と言えるだろう。だが、その他の修行は特に課していない。

 心当たりがあるとすれば、任務の中で行った芋掘りなどの肉体労働ぐらいなもの。そう言えば、妙に多く肉体労働系の任務を回されていたなァと思い出したカカシはアスマに答える。

 

「……筋トレ?」

「疑問形じゃねェか」

 

 アスマの呆れた目線から逃れるようにカカシは視線を揺蕩わせた。

 

「チャクラコントロールだけしか教えてない。けど、サクラはチャクラコントールについては抜群の才能を持っていた。それこそ、中忍レベルだよ。ここにいる下忍の中でも上位だろうな」

「オレよりもか?」

 

 サスケがカカシに振り返り尋ねる。

 

「ま! そうだな。お前よりもサクラの方が上だよ」

「……カカシ」

「ん?」

「予選が終わったら話がある」

「りょーかい」

 

 ──熱くなっちゃって。

 

 それも仕方ないかとカカシは階下に目を向ける。そこには睨み合うサクラといのの姿。

 

 上がどよめいているにも関わらず、闘う彼女たちの目には周りの様子は入らない。見るのは相手の顔、体、腕、足。一挙手一投足見逃さないという意志を籠めた鋭い目線が相手を射貫く。

 

 隙は無い。ならば、作る。

 先に動いたのはいのだ。クナイを両手に取り出したいのはサクラに牽制として一本投げる。

 だが、それはサクラに軽々と躱された。いや、躱されることはいのにとっての作戦通りなのだろう。

 

「!?」

 

 クナイを躱した際にできた隙を見逃すいのではない。右手に構えたクナイをサクラに向かって振り切る。

 

「嘘ッ!」

 

 いののクナイは空を切った。サクラの姿が掻き消えたことで、いのは警戒を最大限に高める。いのの脳裏に浮かぶのはサスケの試合。対戦相手のヨロイを一撃で倒したサスケの拳だ。

 

 クナイを投げ捨て、いのは腹の前で腕を交差させる。瞬間、ミシリと嫌な音を感じ、いのは後ろへと飛び擦る。

 

「ッ……!」

 

 腕の痛みを堪えながら前を見ると、そこには拳を突き出したサクラの姿。

 

 ──速い。

 

 サクラのスピードは第一試合でサスケがヨロイを下した速さとほぼ同等。とはいえ、サクラの息が上がっていることから多用はできないといのは踏んだ。精々、あと一回が限度という所だろう。

 その一回。たった一回、防げば勝ちの目は見えてくる。だというのに、いのに打てる手段はなかった。

 

 そもそも、いのが使うことができる術は忍の基本忍術である分身の術や変化の術、そして、隠密用の秘伝忍術のみ。一対一の闘いは、いのにとって得手としているものではなかった。だが、それを補って余りあるほどに、いのの忍の技能は優秀だった。それこそ、下忍相手には忍術を使わずともある程度いい勝負ができるほどの力を身に着けている彼女だ。

 しかし、目の前の相手は数ヶ月前には思いもしなかったほどに成長を遂げたサクラ。難敵である。いのはサクラをじっと観察する。春のサクラとは違い、今のサクラの髪は短い。

 

 いのは覚悟を決め、クナイを頭の上に持っていく。いのの只ならぬ様子にサクラは眉根を寄せる。

 

「何を……?」

 

 それは、信じられないことだった。身嗜みに気を遣い、憧れの女の子だったいのが自らの髪をばっさりと落としたのだ。彼女は切り取った髪を地面にばら撒く。イチョウの葉が舞い散るような光景だ。

 戦闘に際して、敵の行動は全て意味があるものだと教本で学んだこともあるサクラだが、今し方いのが起こした行動の意図は全く読めなかった。と、そこでサクラは気づく。

 敢えて、意図を読み取れない行動をすることで隙を作り出す手法もあることをサクラは思い出したのだ。それは、正面から堂々と闘うために、昂っていたサクラの気持ちを静める行為に他ならないとサクラは考えた。

 

 ならば、正面から叩き潰す。その気持ちを拳に乗せた所で、いのが静かに口を開いた。

 

「サクラ。何、呆けてんのよ」

「え?」

 

 だが、いのはその手法を使ってサクラの隙を作り出したにも関わらず、サクラに注意を呼び掛けた。

 

「今、アンタ……死んだわよ」

 

 いのの視線に射止められたかのようにサクラは動きを固まらせる。いのの持つ迫力は大型の肉食獣のそれと同等。拙いながらも、それはハッキリとした敵意。

 

 ──倒す。

 

 攻撃的な感情が乗せられたいのの覇気に思わずサクラは足を後ろにやろうとし、唇を噛み締めた。地面から上げてしまった右足が地面に着く前に大きく前に踏み出す。

 

 ──倒す。

 

 いのと同じ感情を体に充填させたサクラは地面を蹴り、今度は前へ前へと進む力とした。風が耳元を通り抜ける音を聞きながら、全身のチャクラを振り絞り全速力でいのへと向かうサクラだ。

 

「キャッ!」

 

 だが、いのへと向かう途中でサクラの足が止められた。サクラは思わず大きく体勢を崩して地面へと倒れ込む。

 それは既にいのの術中。女郎蜘蛛の巣に掛かった蝶の末路を思い浮かばせる光景だ。

 

「何が……?」

 

 サクラは自分の足を見る。

 

「!?」

「やっと気づいたわね」

 

 サクラはいのを苦々しく見る。

 

「髪に……チャクラを?」

「そう。チャクラに髪を流し込んで吸着させる。分かってるでしょ?」

 

 導火線のように、いのからサクラへと繋がる金色の髪。サクラの足、そして、手を地面としっかり貼り付けている。

 

「もう動けないってこと」

 

 堂々と、そう、忍らしく術を使いこなす堂々としたいのの所作。それを見て、卑怯だと詰れる者は誰一人としていなかった。

 地面に這い蹲るサクラを尻目に、いのは印を組み上げていく。その印はサクラもよく知るものだった。

 

 心転身の術。

 いのの血族である山中一族に代々伝わる秘伝忍術だ。術者の精神エネルギーを対象に向かって放出し、対象の体を乗っ取る忍術。隠密行動に持ってこいの術だ。しかし、重大なデメリットも存在していた。

 

 ──第一に、術者が放出した精神エネルギーは直線的且つゆっくりとしたスピードでしか飛ばない。第二に、放出した精神エネルギーは相手にぶつかりそこねて逸れてしまった場合でも、数分間は術者の体にも戻れない。その間、いのの体はピクリとも動かない人形状態。

 

 そこまで、知っているサクラは唇を噛み締める。今の自分は、所謂、詰みの状態だと判断したからだ。いのが髪を流したチャクラによって、地面に貼り付けられているサクラは動くことができない。照準を合わせたと同時に自分の精神はいのに乗っ取られるであろうことをサクラは理解してしまった。

 

「ああああああ!」

 

 声の限りにサクラは声を出す。それは敗北を認める声色ではなかった。自身を鼓舞し、更に闘うための叫びだ。

 

 状況は最悪。

 だからと言って、諦める事ができるか? 答えは否。

 どんなに状況が悪くても、どんなに無様でも、諦めることに比べればどちらも大したことはない。ここで、勝負を諦めてナルトやサスケに顔向けができるか? 答えは否。彼らなら、慰めてくれるだろう。ナルトは直接的に言葉で以って、サスケは間接的に物で以って自分を慰めることは簡単に予想がついた。だから、どうした。二人の優しさに甘えることに何の意味がある? それで、二人の隣に立てるのか? 答えは否。

 そして、何よりも諦めることは目の前に立ついのへ最大の礼を失する行為にならないか? 答えは是。

 

「ああああああ!」

 

 サクラは全身に力を籠め、深くより深く身体の隅々に意識を張り巡らせる。身体エネルギーを根こそぎチャクラに変換して身体強化を促す。

 一種、悲鳴のような雄叫びを上げるサクラ。サクラの闘争に掛ける熱意、そして、勝利への執念は最早、“雄”。雄の獣と例えることができるだろう。

 

 ──勝つ。

 

 サクラの気迫に押されてしまったいのは、自分がまだ心転身の術を発動していないことに気が付いた。致命的な隙を晒してしまったのは、地面に這い蹲るサクラではなく、自分だということを理解したいのはいつの間にか下がってしまっていた腕を構え直す。

 

 が、それは遅きに失した。

 

 バキリという音がして、サクラの足が地面から離れた。いや、正確には床が地面から離れたと言うべきか。コンクリート製の床がサクラの力により割れたのだ。そこは丁度、シノがザクを叩き付けた箇所と同じ所。このことをサクラは狙っていない。偶然だ。

 だが、その偶然がサクラに味方した。

 

 ──天は自ら助くる者を助く。

 自分の力を信じ、行動する者に天運は味方するものだ。

 

 いのが仕掛けた髪すらも引き千切り、サクラは自分から剥がれたコンクリート片を落としながら走る。それは不格好だと言われるかもしれない。そんな自分の状態を一切、気に掛ける様子もなく、サクラはただ只管に足を動かす。

 手足が床から剥がれた自由の身となったサクラは唯一つの目標に向かって駆け出していたのだ。目標の姿を翡翠色の目に焼き付けながらサクラは目頭が熱くなるのを感じていた。

 

『変わりたい』

 そう思ったのはいつの頃だったろうか? カカシとのサバイバル演習の時? 波の国での戦いの時? 中忍試験で大蛇丸と戦った時?

 どれも違うとサクラは声を大にして言うことができる。彼女がそう思ったのは、あの時に他ならない。いのから赤いリボンを託されたあの時だ。堂々と自信に溢れた彼女の姿を見て、心の底から憧れた。

 

 ──いの。

 

 拳をギュッと握りしめたサクラは自分の殻が破れるような感覚の中、目の前の憧れの相手に伝わらないと知っていつつも心の中で独白する。

 

 ──私はアナタみたいになりたかった。

 

 始まりのあの時。手を引いてくれた眩しさ。太陽の光のような金の髪に憧れた桜の蕾は今、開かん。

 

「しゃーあああんッ……なろぉおおおお!」

 

 自分へと迫るサクラの拳を見つめながら、いのは苦笑する。

 

 ──全く……泣き虫サクラ。

 

 いのは心の中で呟く。

 彼女の視線の先には目線を地面に伏せて、いのの方を見ていないサクラの姿。これ以上ないほどに歯を食いしばって、自分の感情が出るのを必死に抑えている様子のサクラだ。だが、サクラはまだまだ未熟。感情を抑えきれずに目尻から頬に掛けて涙の河ができている。

 

 ──頑張れ。

 

 サクラの拳がいのの頬に入った。振り切ったサクラの拳の先には満足そうな表情を浮かべたまま後ろへと倒れ行くいのの体。

 一人は満足そうな顔で倒れ、一人は信じられないと涙を流した顔で立つ。

 

 勝敗は決まった。勝利を手繰り寄せた彼女の道には桜が咲く。

 

「勝者、春野サクラ」

 

 ハヤテの声が勝者の名を告げる。

 

「あぁあああああ!」

 

 自らの名前を後ろに、サクラは涙を流しながら吠えた。

 




棕櫚(シュロ)というのはヤシ目ヤシ科ヤシ属 Trachycarpusの総称らしいです(wiki調べ)
簡単に言えば、ヤシの木。黄色い、なんか松ぼっくりみたいな花を咲かせます。

花言葉は
・勝利
・不変の友情


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飛び散る汗! 溜まる乳酸!

 いのは薄く目を開けた。やはり、自分は負けたのだと納得した彼女は焦点の合わない目を数度、しばたたかせる。それほど、時間は経っていないだろう。目の前にある風景は天井。サクラの攻撃で地面に倒れて数十秒という所だと、いのは当たりを付けた。

 

「お、起きるの早いな」

 

 上を向くいのの視界に入ってきたのは彼女がよく知る人物、担当上忍アスマの顔だった。

 

「アスマ先生……ごめんなさい」

 

 担当上忍の顔を潰してしまったと感じ入るいのはアスマに対して謝罪する。自分を信じて中忍試験に送り出してくれたというのに、自分はその期待に応えることができなかった。いつもとは違い、殊勝な態度のいのに目を丸くしたアスマであったが、いのの頭に一度、手を当てた後、彼は頷く。

 

「いの、よくやった」

 

 二カッと歯を見せて笑うアスマ。彼の屈託のない表情で、いのの心は軽くなった。サクラに負けたことを受け入れつつも、それは彼女にとって確かな重みだったのだろう。

 アスマへと軽く笑い掛けたいのは腕を地面について、身を起こそうとする。

 

「痛ッ……」

 

 しかしながら、サクラからのダメージはいのが思っていたよりも大きかったらしい。全身に奔る痛みに思わず顔を顰める。痛みを押して、いのは腕に力を籠めて立ち上がろうとするが、立ち上がる前に再び上から声がした。

 

「まあ、待て」

「え?」

 

 アスマの声だ。立ち上がろうとしたいのをアスマが止める。止める理由が分からない彼女は混乱したようにアスマを見遣るが、彼は何も答えずに行動で示した。

 

「よっと」

「ア、アスマ先生?」

 

 いのが止める間もなく、アスマはいのを横抱きにして立ち上がる。いつもは三枚目だと思っていた担当上忍のその所作に驚きと困惑を覚えるいのだが、アスマを止める言葉は出てこなかった。

 

 ──まるで子どもみたいじゃない。

 

 羞恥で頬を赤く染めるいのが気を取り直して辺りを確認すると、自分の前には班員のシカマルとチョウジがいた。

 

「いの、大丈夫?」

 

 アスマの腕から床に降りたいのへとチョウジが心配そうに声を掛ける。

 

 ──大丈夫。

 

 そう声を出そうとしたいのだったが、声が出ない。自分の喉が震えていることに彼女は気づいた。くノ一として気丈に振る舞っていても、まだ忍者学校を卒業して一年にも満たない子どもでもある。

 

「チョウジ。胸を貸してやれ」

「え?」

「いいから」

 

 シカマルに押されたチョウジの胸板に額を押し当て、いのは口に手を当て、声を抑える。

 

 ──ありがとう。

 

 班員、そして、担当上忍への感謝を心の中で述べながら、いのは自分の心の乱れに身を任せるのだった。

 

 まだ終わっていない。半分も戦いは済んでいない。

 感動的な光景を壊すように試験会場にハヤテの冷たい声が響いた。

 

「第五回戦。テンテン対テマリ、前へ」

 

 電光掲示板に表示された名前を読み上げるハヤテ。彼の前には二人のくノ一がいる。

 

「さて……砂の国の二人目か。おもしろい試合になりそうだな」

「ガンバです! テンテン!」

 

 テンテンと同じ班のネジとリー。そして、担当上忍のガイ。

 彼女の実力を一番知っている三人は彼女の勝利が確定しているかのように余裕を持って応援に徹する。

 

「……」

「……」

 

 テマリと同じ班の我愛羅とカンクロウ。そして、担当上忍のバキ。

 砂隠れの三人は何も言わずに静かに下に降りたテマリを見遣る。こちらも、彼女の勝利を疑わない。掛ける言葉など不要という余裕に満ち溢れた立ち振る舞いだ。

 

 正面から睨み合うテンテンとテマリ。緊張が高まっていく。

 チラと二人の様子を横目で確認したハヤテは軽く右手を上げた。

 

「開始!」

 

 ハヤテが開始を告げると同時に動き出したのはテンテンだ。

 

「行くわよ!」

 

 それは様子見。あくまでもテンテンにとっては様子見だった。

 

 彼女が懐から取り出した巻物、合計三本を開きながらテンテンはそれを上へと投げる。巻物でテンテンの姿が隠れた瞬間、巻物から煙が上がり、数百本のクナイが巻物から噴出された。

 

 改めて言うが、これは彼女にとって様子見だ。

 彼女が修行をする時に仮想敵としているのはネジとリー。彼らならば、テンテンの物量を誇る忍具による攻撃を防ぐことができる。ネジは自らに流れる血の技術によって、リーは努力で流してきた血の技術によってテンテンの攻撃を防ぐことが可能だ。

 だが、その想定は並みの下忍には当てはまらない。並みの下忍ならば、クナイの津波とも言えるほどの物量によって、何も出来ずに敗退するのは必然。

 

 しかし、テンテンの対戦相手であるテマリは並みの下忍ではなかった。

 好戦的な笑みを浮かべたテマリは一瞬にして必要なチャクラを練り上げて背に抱えた自分の背丈ほどもある巨大な扇子を開く。

 

「ハッ!」

 

 掛け声と共にテマリが振るった扇子から吹き出したのは、風。

 テマリは豪風で以ってテンテンが繰り出した忍具を全て無力化する。

 

「そんな……」

 

 テンテンが呆けたのは一瞬。すぐに気を取り直した彼女は更に攻撃をテマリへと繰り出すべく持てる全ての巻物を取り出した。

 ボボボンと何度も口寄せの術特有の音が会場内に響き渡ると共に、口寄せの術で呼び出された煙が会場の中へと広がっていく。

 

「ふん」

 

 だが、それはテマリが振るった扇子の風で全て吹き飛ばされた。いや、吹き飛ばされたというには語弊がある。テマリが扱う風は緻密なるコントロール下に置かれている。到底、下忍の域とは思えないほどに卓越した彼女の技術は煙を飛ばす分に適切なだけの威力だった。更に風をコントロールしたテマリは換気口へと風を流すことで視界をクリアにしたのだ。

 

 しかしながら、テンテンはその程度で動揺して動けなくなるような軟な女ではない。煙が飛び、テンテンの姿がハッキリと見えるようになったガイ班以外の者は皆一様に驚愕の表情を浮かべる。

 忍具口寄せは下忍でも、ある程度の修行をすれば出来るようになる敷居の低い術だ。とは言え、それは常識的な範囲内。精々、風魔手裏剣など大きく持ち運びに不便な忍具を数点、巻物に封じる程度の使用。

 

「本気で行くわよ」

 

 今のテンテンの周りにある数百点もの忍具を持ち歩くなど考えられないことだ。

 そもそも、忍具の取り扱いに長けたと言われるような者は一点特化型が多い。例えば、鎌野一族などは、忍鎌の取り扱いで有名な木ノ葉の一族。それ以外の忍具を好んで扱おうという物好きはいない。

 

 ところが、テンテンの周りにある忍具は多種多様。手裏剣、忍刀、クナイ、鎖鎌などだけではなく、棍棒に鉄球、ナイフにナックルダスターに刃が着いた鉄拳、それに加えて、鉄拳から派生したのか、Dの字の曲線部分に刃が着いた鉄甲まである。

 テンテンが広げた武器群は、とにかく、種類を集めたというような光景だ。一種、バザールのような感覚を見る者に与えるだろう。

 

 だが、それは見掛け倒しではないとテマリは見抜いた。その上で自分の力と分析した彼女は顎をしゃくる。

 

「来な」

 

 テマリの一言がテンテンに火を点ける。

 地面に並べた愛用の武器たちを、それぞれの力が一番発揮できるように投擲したテンテンは、まだ終わらないと言うようにワイヤーに引っ掛けた武器をテマリに向かって弾き飛ばし、更に上方からテマリに襲い掛かるように槍を投げ、そして、テマリの背中から襲い掛かるためにブーメランを投げ、最後に自らの手に忍刀を持ちテマリへと駆ける。

 

 相手は強い。

 そのことをテンテンは認識していた。だからこそ、テンテンは自分の持つ全ての力で以ってテマリを叩き潰すことを決めた。だが、悲しいことに、テンテンの全力はテマリに届くことはなかった。

 

 クナイも刀も、その他のありとあらゆる武器も、そして、班員と共に鍛え上げた自らの体でさえも、一つも……そう、ただ一つとしてテマリを傷つけることはできなかったのだ。

 テマリが操る風は時に激しく、時に優しくテンテンの武器を弾き、受け止め一つとして通さなかった。

 それだけではなく、テマリの操る風はテンテンの体をも木の葉のように軽々と吹き飛ばした。

 

「つまらないな……ホントに」

 

 そう呟くテマリは扇子を地面に垂直に立てていた。そして、その扇子の上には口から血を流して気を失っているテンテンの姿。

 

「やはり……強者であったか」

 

 テマリを見つめ、ナルトは呟く。テマリは勿論、テンテンも強者と目していたナルトにとって、テンテンが何も出来ずに敗北したという結果は俄かには信じられないものだった。

 

「第五回戦、勝者テマリ」

 

 ナルトの心とは裏腹にハヤテが勝者の名を淡々と告げた。

 

 と、テマリの口が怪しく歪んだ。

 テマリはテンテンを一瞬、見た後、巨大な扇子の上に乗せたテンテンの体を床に向かって放った。床にはテンテンが口寄せした武具が散乱している。その武器のほとんどはテンテンが手ずからメンテナンスをしてきたもの。その刃の鋭さは折り紙付きだ。

 

 地面に迫るテンテンの体。その先には銀色に鋭く光る刃の数々。意識のないテンテンは受け身を取ることも、刃のない場所に足をつけることもできない。

 

 それは見過ごせない。床へと向かうテンテンの体を緑の影が受け止めた。

 目を細めて愉快そうに笑いながらテマリは緑の影、リーへと声を掛ける。

 

「ナイスキャッチ」

「何をするんです! それが死力を尽くして戦った相手にすることですか!」

「うるせーな。とっととそのヘッポコ連れて下がれよ」

 

 リーは柳眉を逆立てた。彼の心はどのような男よりも男らしいのは勿論、どのような女よりも女らしく他者を尊ぶ美しい心の持ち主。

 同じ班員をここまでコケにされて黙ってはいられなかった。一瞬にして、意識を失ったままのテンテンを後方まで下げたかと思うと、リーはテマリに向かって怒りのままに駆け出した。

 

「な!?」

 

 だが、リーの足は止まらずを得なかった。

 彼の前には巌の如く巨大で力強い背中があったからだ。

 

「なぜ、あなたが止めるんですか? ナルトくん!」

「リーよ。勝者は敗者をどう扱おうが自由」

「よく分かってるじゃないか」

「くっ……」

 

 ナルトの意見にリーは口惜しさに顔を歪める。自分が目標としていた努力の人であるナルトが情に薄いということが彼には残念でならなかった。対して、テマリはナルトの言い様に首肯する。忍というものがどうあるのか、ナルトはリーよりも理解しているとテマリは考えた。

 

 しかし、『だが……』と続けたナルトにリーとテマリは目を向ける。

 

「それは獣の理論! 人であるならば、闘った相手に対して敬意を払うのが当然!」

「へぇ……なら、アンタが私と戦ってみるか?」

 

 獣呼ばわりされては、黙っていられない。

 テマリはチャクラを練り上げてナルトに真っ向から啖呵を切る。

 

「それは神のみぞ知る。貴殿とは本選で闘い、闘いにおける礼、そして、心構えというものを教える所存だ」

「ここではやらないのか? とんだ臆病も……!?」

 

 そこまでだった。

 ナルトが腕を組んだと同時にテマリは息を止められた。まるで、深海にいるような感覚。周りの大気全てが自分を拒絶しているような感覚。

 怒り心頭のナルトと視線があった、ただそれだけのことで自分の生命活動は一瞬、完全に止まったとテマリは感じていた。

 

 目を極限まで大きく開き、動かないテマリに向かってナルトは感情の起伏を感じさせないような声、正確には感情を筋肉で以って無理に均した声で言葉を続ける。

 

「己はまだ予選を突破していない。貴殿と闘う資格はない。そして、リー。君もだ」

「彼女と戦うためには……テンテンの無念を晴らすには、予選を突破してからということですね?」

「然り」

 

 ナルトはテマリへと背を向ける。

 

「強者は闘いにおける所作を求められる。そして、貴殿は強い。なれば、闘いにおける相応しい所作があるというもの。努々、忘れるな」

 

 それだけ言い残し、ナルトは去っていった。その姿を見つめ、されども、動かないテマリをボオッと眺めていたハヤテだったが、次に進めても特に問題はないと判断した。しばらく、時間をおけば自分を取り戻すであろうという判断だ。

 

 電光掲示板の表示が変わる。

 

 ナラ・シカマル VS キン・ツチ

 

「くっ!」

「むむ……」

「オレね」

 

 そこに表示された名前を見て悔しがるリーとナルトを横目に、シカマルは頭を掻きながら階段へと足を向けた。

 階段を降りていくシカマルを見つめ、電光掲示板に表示されたくノ一も歩き出す。そのくノ一、キンの背中へと班員のドスが声を投げかけた。

 

「奴は影を操る。影に気をつけることだね」

「フ……あんなくだらない術にはかからないよ」

 

 下に降り立った二人は並び立つ。カンクロウが動こうとしないテマリを回収していたため、一階にいるのはシカマルとキン、そして、試験官のハヤテのみ。

 

「あーあ、めんどくせー。しかも、女が相手じゃやりづれーな」

「なら、すぐ終わらせてやるよ」

 

 ──暗器使いっつってたっけか。

 

 第二の試験でのキンとサクラの戦いを見ていたシカマルだ。その時のことを思い出してシカマルは憂鬱な面持ちを浮かべた。シカマルの術は影真似の術。相手にネタが割れていれば、影に気を付けるのは絶対と言えよう。

 

「開始!」

 

 ──とは言え、オレにはこれしかねェ! 影真似の術!

 

「バカの一つ覚えか……そんな術……」

 

 キンは横に素早く動いた。たったそれだけのことで、シカマルの術は発動できない。

 

「お前の影の動きさえ見てれば怖くないんだよ!」

 

 キンは腕を振り切った。そこから飛び出してきたものを避けるべく、シカマルは身を屈ませる。と、シカマルの頭の上を通り過ぎた影から何か軽い音がしていたことにシカマルは気が付いた。

 彼は目を細めて、状況の把握に努める。そして、後ろへと振り向いたシカマルは細い目を更に細くした。

 

 千本が壁に突き刺さっている。そして、その先には鈴がついている。

 その遣り口にシカマルは覚えがあった。

 

「古い手使いやがって。お次は鈴を付けた千本と付けてねーフツーの千本を同時に投げんだろ? 鈴の音に反応して躱したつもりでいたら、音のない影千本に気付かずグサリ。そうだろ?」

「おしゃべりな奴だ!」

 

 キンは更に千本をシカマルに向かって投げる。

 よく見て躱そうという雰囲気を出したシカマルだが、後ろからなった鈴の音に振り向いた。

 

 が、そこには千本があるだけ。では、なぜ、鈴が風の入らない室内でなったのか?

 答えはキンの手元にある。細く目に見えないほどの糸がキンの手に繋がっていた。キンの手から伸びる糸は壁に刺さる千本の鈴に繋がっている。

 

「くっ!」

「遅い!」

 

 弾かれたようにキンへと顔を向けるシカマルであったが、すでにキンの手からは追加の千本が投げられていた。シカマルの体に深く千本が突き刺さる。

 が、シカマルの体が丸太に変わった。

 

「何ッ!? 変わり身の術だと!?」

 

 まさかの事態だ。とは言っても、所詮は忍者学校レベルの術。恐れるに足りない。

 少し驚いたものの、キンはすぐに迎撃態勢を整えようとする。シカマルの位置は特に変わっていない。倒れる丸太の後ろで身を潜めるようにしゃがんでいる。

 

 ──これで……。

 

 そこで、キンは違和感に気が付いた。どうしたことか体が頭からの命令に背く。

 

「遅いっつーの」

「!?」

 

 ──体が……動かない!?

 

 渾身の力を籠めて動こうとするものの、指一本ピクリともしない。焦るキンの前で得意気にシカマルは信じられないことを言い放った。

 

「影真似の術、成功」

「な、何を言っている? そんな……お前の影など、どこにも!?」

「まだ、気づかないのか」

 

 シカマルの視線の先にキンも眼球を動かして視線を向ける。

 

「ま……まさか!」

「そのまさかだ、バーカ。こんな高さにある糸に影が出来る訳ねーだろ」

 

 ぐにゃりと形を変える糸の影、いや、キンが糸の影だと思っていたシカマルの影だ。

 

「オレは自分の影を伸ばしたり縮めたり自在に操れんだよ。限界はあるがな」

「初めから……見破っていたのか?」

「第二の試験の時に喋り過ぎだ。テメェが暗器使いだってことを聞いてどんな攻撃をしてくるかある程度、予想していた。おしゃべりな奴で助かったぜ」

「くっ!」

 

 自分へと近づくシカマル。同時にシカマルと同じ動きを強制させられたキンもシカマルへと近づいた。

 

「それじゃあ、オレはお前にギブアップをオススメする。どうする?」

「フン……するか、バカ。第二の試験でのお前の戦い方は聞いている。今、私を捕まえている術は、影で捕まえた奴に自分の動きを強制する術だろ? なら、全く同じ動きをする私に対してお前は攻撃できない! 私を殴ろうとしたら、私もお前を殴ることになる訳だ!」

「オーケー、ギブアップはしねーってことね。じゃあ、もう少し付き合って貰おうか」

 

 シカマルは同じ動きをキンに強制させたまま屈伸をする。

 

「まずは一分間で100回の腕立て伏せな」

「……は?」

 

 キンは訳が分からないという表情を浮かべた。だが、それに対してシカマルは説明しない。

 手を地面につけたシカマル、そして、同じ動きで地面に手をつけた自分の姿を認識したキンは、更に動きを強制されシカマルと目を合わせられる。

 

「行くぜ!」

「や……やめろォ!」

 

 もう止まらない。

 物凄い勢いで視線が上下に揺れる。

 

「次! 一分間で200回の腹筋だ!」

「や……」

 

 ──なぜ、増やした?

 

 震える腕が無理やり頭の上で組ませられる。乳酸が溜まっているなとほんの少し現実逃避をしたキンは、天井と前を交互に見させられる視界の中、現実からは逃げられないことを悟った。

 

「最後! 一分間で300回の背筋!」

「ひぐっ……」

 

 息も絶え絶えに、そして、汗を滝のように流すキンはあまりの過酷さに涙を浮かべていた。そこで思い出すのは、過去、自分が音隠れの里に来て数日が経った後のことだった。音隠れで修行をしていた時も、腕立てなどの体を鍛えるトレーニングをしたことがあった。尤も、その時は今させられているほどにハイペースではなかったが。

 その修行は多くの人数で共に行われる。基礎的な修行のため、下忍にも満たない子どもに一斉にさせるのが音隠れの方針だった。

 その修行の場で出会ったのが、班員であるザクだ。彼は夢を語っていた。

『いつかビックな男になってやる!』

 筋トレという名の修行を適度に行い、力を付けている実感の中、そう語るザクの顔はとても眩しく見えた。

 

 顔を冷たい床に押し付けている。

 ふと、自分の今の状況に気が付いたキンだったが、あまりの疲労に動くことができない。床に顔を押し付けたままのキンへと上から声が降ってきた。

 

「で、ギブアップは?」

 

 シカマルの声だ。

 

「……して、堪るか」

「にしちゃあ、動けねーみたいだけど? 一応、影真似は解けてるんだが」

「くっ……」

 

 奥歯を噛み締めたキンは震える腕に力を籠め、四つん這いになる。このような形の敗北はキンには到底、認められることではなかった。彼女が思い浮かべるのは、血を流しながらも立ち上がったザクの姿。

 震えて休みたいと叫びを上げている体を気合いで動かしたキンは立ち上がる。

 

「ここで、負けられるか! ザクがあんなにまでして臨んだ戦いだ。私がこんな所で負けちゃあいけないんだよ!」

「そうかよ。じゃあ、もう1セットだ」

「……上等だァアアア!」

 

 悪魔のような宣告を受けながら影を繋がれたキンは吠えた。

 

「次はペースを上げる。それぞれ、二倍だ」

「ちくしょうがああああ! あああああ!」

 

 涙を流しながら、再び腕立て伏せを始めるキンを興味深げに見つめる音隠れの上忍。

 

「ねぇ、ドス?」

「は、ハッ!」

 

 慌てて返事をするドスへと目を向けた上忍は蛇を思わせる所作で首を傾けた。

 

「あの子、なんであそこまで頑張るのかしら? 重石をつけているのと同じ状態ね。あの子は鎖帷子を付けているし、武器も服の下に仕込んでいるから相当辛いハズよ」

「……私の考えでよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論」

「多分、木ノ葉の下忍と戦った後で、決して負けられないと思い入ったのだと思われます」

「木ノ葉の下忍?」

「ハッ! うちはサスケと同じ班の少女です」

「ああ、あの子……」

「彼女は勝ち目のない戦いでも臆さずに我々に立ち向かってきました。最終的には他の班の救援があったとはいえ、それまで一人で立ち向かってきた少女の姿勢に自分も負けられないと思ったのだと私は考えます」

「そう。なら、ザクも同じかしら?」

「ハッ!」

 

 考えを深めるべく音の上忍は手すりの上で組んだ手の上に顎を置いた。

 

「ドス。正直に言うとね、私はアナタたちに期待していなかった。アナタが気づいているようにね」

「……」

「でも、あんな必死な姿を見たら気が変わったわ。頑張りなさい」

「ハッ!」

 

 音の上忍の言葉が終わると共に、シカマルの術が解けた。

 床に力なく横たわるキンはもう立ち上がれない。ハヤテは結論を出した。

 

「勝者、奈良シカマル」

「めんどくせー相手だったぜ。けど、まあ……ナイスガッツ」

 

 下に降りてきた時と同じように頭を掻きながら階段を上がるシカマルには確かに勝者の風格が漂っていたような気がしたとは、後の担当上忍アスマの談だ。

 

「では、次の試合です」

 

 医務室に連れて行かれたキンを見送ったハヤテは進行を再開する。

 電光掲示板に表示された名前は第七回戦の対戦者の名を指し示していた。

 

 ウズマキ・ナルト VS イヌヅカ・キバ

 

「待ちわびたぞ」

「しゃああああ! 初っ端から最高じゃねェか! なあ、赤丸ゥ!」

「キャン!」

 

 どちらも犬歯を剥き出して闘争心を見せる。

 火が点いた若者は止められない。

 



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プライド

 音はない。全ての者は口を噤む。世界すらも押し黙ってしまうような感覚だ。その中で、ただ一つの音がしていた。

 その音は軽く、さりとて、その音を耳に入れてしまった者の動きを止めるほどの威圧感を持つ。

 

「さあ……始めようではないか」

 

 ただ一つの音は足音。足を止めた者はゆっくりと口を開く。

 その声は聞く者を震え上がらせる。事実、声の持ち主の一番近くに立っていた少年は震えている。無理もない。少年の前にいる者の体は大きく、そして、逞しかった。身長196cm、体重115kg、うずまきナルトだ。

 それに対して少年の体は小さかった。とても小さかった。身長151cm、体重43kg。犬塚キバ。通常の12~13歳ほどの少年の平均とも言えるほどの体格でしかない少年だ。

 

 彼が恐怖で竦み上がり体を震わすのは、むしろ当然だと言えるとナルトの担当上忍であるカカシは頷いた。そして、キバの担当上忍である紅もまたカカシと同じように頷く。

 

 ──当然ね。

 

 紅の視線の先で、キバはゆっくりと視線を上げた。

 

「この日をずっと待ってたぜ……」

「そうか。なれば……己は全霊を以って貴殿に答えるのが礼」

「ああ。油断すんなよ。オレはジャイアントキラーだからよ」

 

 ──心の底から闘いたいと望む相手が前に立っているのだから。

 

 犬歯を剥き出しにして笑ったキバを見て、目を丸くしたカカシとは対照的に紅は無表情だ。

 キバが臨む闘いに対して適度な緊張感を持ち、そして、気負いがないベストな心理状態であることにカカシは驚く。そして、キバの震えは武者震いだったのかとカカシは眉を顰めた。

 

 しかし、とカカシは腕を組む。

 何せ、キバの前に立つのはナルトだ。上忍でさえ、相手取りたくないと考えるナルトである。実績や経験はナルトにはない。だが、そこには相手を問答無用で黙らせる圧倒的な存在感があった。いや、絶望感と言っても過言ではないだろう。

 しかし、そのナルトを前にしてもキバは笑うことができたのだ。

 

「紅……どういう修行をつけた?」

「アナタと同じことを言うと、“何も”私はしていない」

「……どういうことだ?」

「キバは……自ら望んだのよ」

「修行を、か?」

「ええ。下忍では逃げ出したくなるほどの修行を求めて、時には吐きながら、それでも修行をし続けた。けど、キバは投げ出さない所か、更に求めた。私はキバの想いに答えただけ」

「それは、やはり……」

「“ナルトに勝ちたい”その一心で」

 

 カカシは紅から下へと目を戻す。右目を一度、閉じたカカシは額当てを上にずらした後、両目を開けた。赤く輝く左目の写輪眼が下で向き合うキバとナルトを捉える。これから始まる闘いは、下忍とは思えないほどの闘いになるという確信にも似た予感をカカシは感じていた。

 

「それでは……」

 

 カカシが見つめる先でハヤテが右手を上げた。

 

「……始めてください」

 

 ハヤテの右手が空を切る。試合開始の合図だ。

 

 空気が軋んだ。

 

 一瞬で変わった空気。戦場の空気だ。

 それを受け、人である下忍たち、上で見ている多くの者は身を固まらせる。しかし、大人でさえも裸足で逃げ出したくなるほどの空気の中、キバはじっとナルトを見つめていた。

 が、犬である忍犬は違う。毛を逆立たせ、されども、吠えることもなく、己が友の言を()つ。

 

「赤丸。様子見はなしだ」

 

 忍犬、赤丸はキバの言葉に一回鳴く。

 犬は人の永遠の友だと言われることもある忠に篤い動物だ。キバの勝利を願う赤丸は正しく彼の永遠の友であると言えるだろう。例えば、キバか赤丸、そのどちらかが死んでしまったとしよう。そうなれば、いつまでも残像を追いかける。それが彼らの有り様だ。共に生き、共に死ぬ。そして、共に戦う。

 もしも、ここで退けば友の心が死んでしまう。多大な努力を積んできたキバの心が死んでしまうのは赤丸にとって決して、決して認められるものではなかった。

 

 赤丸はキバが放って寄こした兵糧丸を口で捉えて飲み込む。と、赤丸の白い体が赤く染まっていく。赤丸に続いて、自らの口に兵糧丸を放り込んだキバの目が常よりも鋭くなった。

 その様子を見たナルトの目も鋭くなる。

 

「む? ドーピングではないか!」

「兵糧丸は忍具の一つですから、使用は認められています」

「認められているのか。ちなみに、副作用は?」

「特にありません」

「では、良し!」

 

 ハヤテの言葉を聞き、大きく頷くナルトは再びキバへと意識を戻した。

 

 山犬の如き雰囲気を醸し出すキバ。

 それを見ながら、ナルトはどうすれば勝てるか考える。敵対するのは野生動物であると仮定し、シーンは一対一であると想定する。

 ナルトが思い出すのは、自身の腹直筋を触って固いと思えるようになってきた時分だ。

 

 ///

 

「達人、サライ。もし、山犬と会ったらどうすればいい?」

「ハハハ、何を仰るナルトサーン。そんなのチョーベリーベリーイージー、ネ。鼻を殴れば、グッドラック! 泣き喚くイヌッコロに鉄拳を何度も何度も何度も何度も喰らわせてやりまショウ!」

「分かり申した!」

「ナルトサーン。いい子ですネー。それじゃあ、レッツ、実践と赴き参りまショウ!」

「承知!」

 

 ///

 

 方針は決まった。

 右手を握り締め、そして、左手も握り締めたナルトは前傾姿勢を取る。今にも飛び出しそうな砲弾に例えることができるようなナルトを前にして、キバは足にチャクラを込める。

 一瞬の膠着の後、先に仕掛けたのはナルトだ。

 

「推して参る!」

 

 両手を前に突き出した後、ナルトの両横からは濛々と埃が上がった。あまりにも速いナルトの両腕の動きによって、地面の砂や埃が巻き上げられたのだろう。

 遮ってしまった視界の中、更に笑みを浮かべたナルトは両手を引く。そのまま、拳を腰に当てたナルトは背筋を伸ばし、白い歯を輝かせた。

 

「クッ……」

 

 自らの手の前に堂々と立つ筋肉にキバは歯噛みをする。

 肩を広げ、広背筋を見せつけるナルトだ。ラットスプレッド。今、彼が取っているポーズである。もちろん、再不斬に見せたダブルバイセップスと同じく、戦闘中にして良いポーズではない。そのようなポーズを取っても許される者は自らの体と心を鍛え上げ、虐め抜き、鋼のような肉体を得た者だけだろう。

 

 ラットスプレッドをして筋肉を押し出すナルトの体に対してキバの爪は役に立たない。傷一つ付くことはない。キバは必勝の作戦が瓦解したことを感じ取っていた。

 

 キバが考えていた必勝の手順。

 ナルトの実力をよく知っていたキバは、まず間違いなくナルトの初手は自分へと殴りかかってくると予測していた。そして、予測通り動いたナルトの拳を、足に全身のチャクラを集めて後ろに避けた後に、無防備になったナルトの腹へと手刀を繰り出したのだ。

 これは確かに必勝の手順だった。相手の攻撃に合わせた神速のカウンター。世が世ならば、四代目火影の戦闘スタイルを彷彿とさせたことだろう。ただ、時代が悪かった。試験の相手が悪かった。

 キバの前に立つのは、四代目の戦闘スタイルとは似ても似つかないものの、四代目のスピードを思い起こさせるほどに速く動くナルトだ。キバの神速のカウンターに合わせて、瞬時にラットスプレッドを決めるなど常人では、とてもではないが行えない。

 

 ──ふざけんな。

 

 心の中で舌打ちをするキバは、我武者羅に手刀を何度もナルトの腹に向かって繰り出す。彼の爪は長く、硬く、そして、鋭い。チャクラを掌に集めた彼の爪はクナイを振るった時と同じほどの斬撃を繰り出すことができるほどに強力だ。だが、ナルトの腹筋を貫けるほどの威力はなかった。

 一見すれば、ナルトが有利。だが、ナルトもまたキバの爪を腹筋に力を入れた状態でなくては、大きく傷つけられることを本能で理解していた。

 

 キバは強い。

 そのことを理解したナルトは腹筋から力を抜くことはできなかったのだ。そして、キバから目を離すこともできなかった。

 

 そのことはナルトにとっての大きな隙となる。

 

「ワン!」

「む!?」

 

 鳴き声と共にナルトへと飛び掛かっていったのは赤丸だ。

 綿毛のような軽さを感じさせるフォルムとは裏腹に、赤丸の一撃は重かった。そもそも、ナルトの全速力の拳をキバと共に躱すことができるほどに赤丸の運動性能は高い。仔犬と妖狐ほどに体格に違いのある赤丸とナルトであるものの、その赤丸の全力の一撃はナルトにとって無視できないほどの衝撃であった。

 

 赤丸が飛び掛かる先はナルトの首の後ろ、髪の生え際の辺りだ。漫画などで首の後ろをトンッとする光景を赤丸はキバと共に見たことがあったのだろう。熟練の忍ならば、軽く小突いただけで意識を失わせることもできる位置へと赤丸は全力で当て身を行った。

 だが、ナルトの後頭筋は強い。顔の筋肉を鍛えるために美顔マッサージも風呂上りのストレッチと共に欠かすことのないナルトの生活習慣が赤丸の攻撃を阻んだのだ。

 

 しかし、赤丸の攻撃はナルトに決定的な攻撃とはならなかったものの、ナルトの体勢を僅かに崩すことに成功した。体幹を鍛え上げたナルトと言えども、5kgの物体が首の後ろという人体の急所に当たっては無視できる訳もない。

 ぐらりと傾いたナルトの前には爪を振るっているキバがいる。爪の斬撃が効かないと見たキバは固く掌を握り締めた後、膝を軽く曲げた。

 

「ラァ!」

 

 上、つまり、ナルトの顎へと拳を突き上げたキバであったが、それはナルトの大きな掌に阻まれる。が、一度、攻撃を防がれた程度でチャンスを逃すような柔な鍛え方をキバはしていない。

 

 ──拳にチャクラを集めて……。

 

 キバの拳が青く光る。チャクラを放出した時、特有の光だ。

 

「赤丸! 退け!」

「ワン!」

 

 赤丸に声を掛けたキバはナルトの掌にチャクラで吸着させた自らの拳を支点として、体を大きく回転させる。

 キバの体重を支えることができ、更に、退くことを知らないナルトの筋力が仇となった。

 

 拳をナルトの掌に吸着させた状態で腕を引き、体を持ち上げたキバは左足をナルトの頬に向かって繰り出す。トリッキーなキバの動きにナルトは反応できない。そもそも、素直過ぎるきらいがあるナルトだ。複雑且つ予測不可能な獣染みた動きを行うキバとは相性が悪い。

 かくして、キバの左足はナルトの顔を捉えた。ぐらりと大きく傾くナルトの体。

 

 ──チッ!

 

 クリーンヒットした自らの攻撃。だが、それを受けて尚、ナルトの眼光は鋭いままだということに気が付いたキバは瞬時にナルトから距離を取る。キバのそれは見事な攻撃だった。

 

 ナルトへと確実にダメージを与え、距離を取るべき時は離れてダメージを負う確率を減らす。ヒットアンドアウェイのお手本とも言うべき攻撃の仕方だ。

 そして、そのことはナルトに感嘆を覚えさせた。

 

「見事」

 

 首をゴキリと鳴らし、姿勢を正したナルトはキバと、そして、彼の隣に瞬時に移動した赤丸へと賛辞の言葉を掛ける。

 今まで数多くの下忍たちを第二の試験で屠ってきたナルトだ。その下忍たちは一人としてナルトに体術で攻撃を当てることすらできなかった。

 それがどうだ。自分が一撃で屠ってきた者たちと同じ下忍であるにも関わらず、今、前に立つキバは、自身の筋肉へと最大限に力を入れて防御しなければ危険だと思える爪の斬撃と、自身をよろめかせるほどの拳撃を繰り出してきた。そして、赤丸は最適なタイミングで攻撃によるキバのサポート。難敵であると言えるだろう。

 

「感謝する。貴殿らと闘えた奇跡に」

 

 ナルトは感動していた。そして、何よりも楽しかった。

 自らの力を振るう機会はこれまでもあったが、それは、熱を感じることができないものが大多数だ。大蛇丸は闘う気がない上に、班員であるサスケに攻撃され、怒りのままに戦ってしまった。下忍たちについては、言わずもがな。

 

 だが、キバとの闘いは違う。

 勝負に対する熱が確かに感じられる。その上、強い。ナルトの鍛え上げた動きとなんら遜色のない動きができるキバ。相当の修行を積んできたことが窺える。

 

 ──これこそ、待ち望んでいた闘い。

 

 ナルトは笑みを浮かべる。

 心の内が一目で分かるような笑みだ。

 

 それを見たキバの反応もまた同じもの。

 楽し気に笑うキバもまた、このナルトとの闘いを心より待ち望んでいた。もし、ナルトと闘う時があればという考えの元、紅や母や姉に頭を下げ、自身の力を向上させたキバには必殺技というべき術がある。

 

「ナルトォ……次、行くぜ」

「承知」

 

『赤丸!』と叫んだキバに呼応して赤丸がキバの体を駆け上がる。定位置、キバの頭の上へと登った赤丸を頭の皮膚の触覚で確認したキバは後ろへと飛び擦りながら印を組み上げた。

 

「犬塚流 人獣混合(コンビ)変化!」

 

 キバが叫ぶと同時に大量の白い煙がナルトの視界を覆い隠す。視界を煙で奪われた中、ナルトの聴覚が人のものではない息の音を捉えた。

 

「双頭狼!」

 

 煙が晴れていく。

 ナルトの感覚通り、ナルトの前に姿を現したのはキバでも赤丸でもない。巨大な白い山犬だ。その“四つ”の眼球はナルトを逃さないというように、彼を睨みつけている。

 キバと赤丸が同時に変化の術を使うことで一つの姿となる人獣混合変化。ただし、その姿は異形だと言える。白い毛で覆われた巨大な体に加え、一つの胴体に二つの頭を持つ山犬の姿。それが、キバと赤丸が変化した双頭狼の姿だ。

 

 一目見ただけで強いと解るその威容。

 だが、一目見ただけで強いと解る威容であるのはナルトも同じだ。

 

 ナルトは古木の幹を思わせるような右腕を引き、中腰で構える。

 

 ──来い。

 

 ナルトの構え、そして、彼の目を見たキバにはナルトの声が頭の中でしたような気がした。

 

 ──上等だ。

 

 かくして、山犬は牙を剥く。

 

「牙狼牙!」

 

 ドリルのように回転する山犬の巨体は一直線にナルトへと向かう。

 ナルトの視界には、狭い試験会場の中、前から巨大な白い塊が回転しながら迫ってきている様子が映っていた。逃げ場はない。

 いや、元より避けるという考えすらないナルトだ。自分へと迫る山犬の姿を前に、ナルトは更に拳を引き絞る。

 

 自分を迎撃しようとするナルトの様子をキバは嗅ぎ取っていた。吹き上がるようにナルトから噴出されたチャクラに危険なものを感じるキバだったが、回転を止めることはない。自身の最高の術でナルトに引導を渡す。その自信がキバにはあった。

 

 回転スピードが速すぎてオレたちの視界がゼロになっちまうほど強烈な“超回転”だ。

 直接触れなくても身が斬れる。まともに喰らえばバラバラだ。

 

 ──けど……。

 

 お前なら耐え切れるだろ、ナルト。

 

 キバが持ち得る最高の術でもナルトは耐えるという未来予測にも似た確信を覚えるキバであったが、それと同時に耐え切る事が出来てもナルトへの多大なダメージは与えられるという自負もあった。

 

 だが、それは間違いだった。

 

 キバが想定していたのはあくまで彼が“知っている”ナルトだ。

 今のナルトは下忍となり、キバが“知っている”ナルトよりも強いナルト。今まで忍者学校では見せた事のない動きを、ナルトは初めて見せた。

 

 迫りくるキバを見つめるナルトが思い起こすのは、再不斬の水の刃を拳で打ち払った時のこと。その時は威力が足りず、大きく斬られた。あの時から改善し、威力を高めるにはどうすればいいのか?

 その答えはナルトの原点にあった。彼の初めての参考書──十数枚の原稿用紙で製本されていない紙の束だ──に書いてあったのだ。

 

『拳に回転を加えることで威力は劇的に上がる』と。

 

「オォオオオオンッ!」

 

 それは奇しくも、キバの牙狼牙と同じアプローチ。腰からの回転を体の先へと伝えて威力を上げるというアプローチだ。

 左回転と右回転。全身と右腕。キバとナルト。

 彼らの攻撃がぶつかった瞬間、試験会場の中を突風が吹き荒れ、轟音が辺りを揺らす。その衝撃の激しさは、死の森に生息していた鳥たちを空へと追い払うほどだ。下忍たちはもちろん、試験を見守る上忍たちでさえも思わず警戒態勢へと移行してしまう剛腕を受けたキバは無事では済まない。

 

「カハッ!」

 

 変化の術が解け、双頭狼の姿から少年の姿へと戻ったキバの体はコンクリート製の床へと叩き付けられた。それは赤丸も同じだ。キバの横へと投げ出された赤丸もぐったりと横たわっている。一人と一匹は満身創痍、チャクラを使い切った上に兵糧丸による効果も切れたらしく、キバの瞳孔からは鋭さは消え、赤丸の毛の色は白へと戻っている。

 

 幾度か咳き込みながらもキバは痛む体に力を入れて、上半身を起こした。自分の成果がどうなっているのか確かめるためだ。

 

 下忍たちはもちろん、試験を見守る上忍たちでさえも思わず警戒態勢へと移行してしまう術を受けたナルトは無事では済まない。

 ポタポタと液体が滴る音が試験会場の中に木霊する。赤い液体だ。次から次へと腕から流れ行く命の源。突き出したナルトの右腕からは血が滾々と流れ出していた。

 

 キバは心の中で勝利を確信する。

 

 ──勝った!

 

「まだ己は『参った』とは言ってはおらぬ。そして、貴殿もそうであろう? そうで、あるならば立て」

 

 突き出した右腕を引くナルトを見て、キバの目が丸くなった。血で赤く染まる右腕を意に介さず堂々と立ち続けるナルトに対して、地面に座り込んでいる自分の姿。

 どこが勝っているというのか? 自問自答し、キバはまだ勝負がついていないという現実を受け入れるしかなかった。

 

 だが、彼の全身全霊の術である牙狼牙はキバの体からほぼ全てのスタミナを奪っていた。キバの体は動かない。

 それもそのはず。彼の苦しさを一般人の生活に例えると、フルマラソン完走後にトライアスロンをクリアし、デカスロンを行うという常軌を逸した苦痛である。その苦痛に耐えつつ、プロレスラーとの戦いに臨むという絶望しか感じられない状況だ。

 

 苦しい……。

 

 痛い……。

 

 怖い……。

 

 チャクラはもうない。自分の最高の術は破られた。そして、赤丸は……。

 

「ワン!」

 

 隣で震えながらも四本の足で立ち上がった赤丸の鳴き声がキバの胸に染み込んだ。その言葉無き叫びはキバの心を震わす。

 

 ──分かったよ、赤丸。

 

「すまねェな。待たせた」

 

 ──闘う。

 

「行くぜ、ナルト」

 

 キバは赤丸を撫でて『待て』と言葉にせず立ち上がる。赤丸もキバの気持ちが通じたのだろう。動くことなく、死地へと赴くキバの後ろ姿を見送った。

 

「オラァアアア!」

 

 踏み込む。

 先ほどとは比べ物にならないほど遅い。応じて前に出てきたナルトの足とは比べ物にならないほど遅い。

 

 ──昔も……同じような感覚だったっけか。

 

 迫るナルトの巨体。キバの顔に影が差す。

 まるで、走馬燈のようにキバの頭の中に幼少期の頃の記憶が思い起こされた。

 

 ///

 

 授業開始のチャイムが鳴ってから10分ほど。まだ、教師であるイルカは教室に来ない。

 中々、姿を見せない先生に何事だと忍者学校の教室が騒めき始めた時、やっとイルカがその姿を見せた。

 

「ごめんな、皆!」

 

 息を切らして教室に入ってきたイルカは早々に頭を下げる。

 

「おせーよ、イルカ先生!」

「そうそう。待ちくたびれちゃった」

「先生が遅刻するなら、もっと遊んでおけばよかったし!」

 

 口々に不満をイルカにぶつける生徒たちに眉根を下げてイルカは丁寧に謝る。例え、自分が受け持つ生徒であっても、自分が悪いことをすればしっかりと謝る。そのような器の大きさも彼が生徒たちや父兄に好かれる一因だろう。

 

「緊急の会議があってな。どうにも長引きそうなんだ。一度、抜け出してくることができたけど、すぐに戻らなくちゃならない。だから、すまん! この時間は自習だ。……そうだな。今回は先生が悪いから、外で遊んできてもいいぞ」

 

 歓声が教室の中から上がった。

『怪我するなよ』と生徒たちに声を掛け、もし怪我をした場合はすぐに保健室に行くことと言葉を残したイルカは慌ただしく今来た廊下を逆に戻っていった。

 

「ヒャッホー! 行くぜ、赤丸ゥ!」

「キャン!」

 

 一斉に校庭へと出ていくクラスメイトたち。その中で一際速く走る少年がいた。彼は黒いプルパーカーのフードをパタパタと上下にはためかせる。頭に白い仔犬、赤丸を乗せたキバだ。

 事実、彼の足は速かった。あの“天才”と呼ばれるうちは一族、その末裔であるサスケよりも速かったのだ。とはいえ、彼と直接、足の速さを計ったのは二年ほど前のこと。まだサスケが笑顔を浮かべることがそれなりにあった時のことだ。今のサスケは滅多に笑顔を浮かべない。浮かべたとしても、他人を見下す時に浮かべるニヒルな笑みのみだ。

 今のサスケはこのような自習の時間でも一人で修行に打ち込むような人付き合いの悪い人物。キバと疎遠になるのも仕方のないことだろう。

 

 張り合いがない。

 自分には誰もついて来ることができない。

 そのような残念な気持ちと自慢したい気持ちが混ざった気持ちが、幼い頃のキバの気持ちだ。

 

 とはいえ、彼の自尊心は必要以上に満たされていた。

 クラスメイトは誰一人として自分に追いつけない。そのことを分かっているキバは自習で外に出て来ていた全てのクラスメイトへとこう提案したのだ。

『鬼ごっこをしようぜ』と。

 

 彼のクラスメイトたちも彼の提案に乗ってきた。面倒臭がりな一名と自分の体型にコンプレックスを持っている一名は少し嫌がっていたが、そこはキバの鶴の一声。鬼が長い時間続いたら、オレが鬼になってやるという男前な提案で首を縦に振った。

 

「あーあ。めんどくせー」

 

 そう言って、準備運動として屈伸を始めるのはキバのクラスメイト。鬼ごっこの鬼だ。

 じゃんけんによって、始めに決まった鬼は面倒臭がりなクラスメイトであるシカマルだった。

 

「おし、んじゃ行くか……ん? ナルト」

 

 と、シカマルの目が校門から入ってくる人の姿を捉えた。渦巻きの衣装が中央に凝らされたTシャツのサイズが合っておらず、臍が見えている人物だ。

 その人物とシカマルは面識がある。そうであるから、シカマルはその人物へと向かった大きく手を振った。

 

「おい! ナルト!」

「む? シカマルか」

「お前、また山籠もりでもしてたのか?」

「然り」

「ったく。イルカ先生、怒ってたぞ」

「うむ。謝りに行かねばなるまい。して、イルカ先生はどこに?」

「今は会議だとさ。それで、オレらは自習ってことで鬼ごっこしてる訳だ。次のチャイムが鳴るまでお前も一緒にしねェか?」

「ホントか!? やるってば……無論! 己も入れて貰おう」

「おし。じゃあ、後から来たからお前が鬼な」

「む? そういうことか……策士だな」

「何のことか分からねェな。んじゃ、頼むぜ。鬼さん」

 

 飄々と手を振り、ナルトから距離を取るシカマル。彼の判断に特に文句を言う者はいなかった。誰も好き好んで鬼になどなりたくない。その気持ちが分かっているからこそ、シカマルの策──遅れてきた者に鬼をさせる──を受け入れた。

 文句を言わないのは、キバも同じだ。尤も、彼の場合は自分の足には誰もついて来ることができないという自負から来るものであったが。

 

 かくして、ナルトが鬼となり鬼ごっこが始まった。

 例え、遊びとは言え、獅子は全力を懸けるもの。ナルトの大腿四頭筋が盛り上がった。

 

「え?」

 

 それからは一瞬の出来事。足に自信があり、鬼であるナルトの一番近くに立っていたキバの体に影が差した。

 

「捕まえた」

 

 恐る恐るキバは上を見上げる。

 そこには太陽を背に立つナルトの姿。そして、その右手は自分の左肩に置かれていることにキバは遅れて気が付いた。

 

「次は貴殿が鬼だ」

 

 そう言って、背を向けるナルト。そこで、やっとキバは自分が傲慢だったことに気が付いた。しかし、それを認める訳にはいかない。認めたくない。自分が負けたなど決して認められない。

 

「ズ……ズルだ! ズルしたんだろ!」

「いや、していないが」

「もう一回だ! もう一回、鬼をやってオレを捕まえろ!」

「むむ……。仕方ないか。了解した」

 

 踏み込む。

 いつもとは比べ物にならないほど遅い。応じて後ろに迫るナルトの足とは比べ物にならないほど遅い。

 

 再び彼の肩へと大きな掌が置かれる。

 キバのプライドが粉々に打ち砕かれた瞬間だった。

 

 ///

 

 ──今は……違う!

 

 近づくナルトの拳。

 あの時は掌であり、当たっても痛くなかった。心以外は。

 今、当たれば痛いだろう。体も、そして、あの時以上に心も。

 

 岩石を思わせるナルトの拳をしっかり見つめ、キバは全身へとチャクラを籠める。チャクラを練り込み過ぎた場合、命に関わるというが今のキバはそのことを無視した。

 キバの体からチャクラが噴出する。命を燃やし、青白い煙としながらキバは恐れることなく、更に前へと踏み込んだ。

 

 轟然とナルトの拳が完全に突き出される。

 だが、ナルトの拳が捉えたのは空。何もない空間だ。遠くにナルトの拳から弾かれた血が着く水音のみが試験会場の中にあった音だ。

 

「此度の闘い、己の心に(しか)と刻み込まれた」

 

 音すらも置き去りにしたキバの走り。

 キバの体はナルトの背の後ろにあり、彼の拳よりも速くキバが走り去ったことを証明する光景だ。

 

「見事……キバ!」

 

 ただ、代償は大きかった。一瞬に籠めた限界以上の力。指一本動かすことができない。いや、それどころか、キバは意識を保つことすらできないほどに全ての力を一瞬に懸けたのだ。そう、それは全てナルトに勝つために。ここから反撃の狼煙を上げ、ナルトに勝利するために。

 

 ぐらりとキバの体が傾き、地面へと倒れていく。

 無理もない。チャクラがない状態で、無理矢理チャクラを引き出したのだ。命にも関わる行為であるが、生物の防衛本能が彼の命が尽きる前に気を失わせた。

 

「勝者、うずまきナルト!」

 

 だが、気を失う前、彼は確かにナルトの拳よりも速く走った。試合には負けたが、ナルトに追いつかれた過去にキバは確かに打ち勝ったのだ。

 

 だからだろうか?

 地面に倒れ伏したキバの顔はとても清々しいものだった。

 

 勝負は決まった。

 もうここにいる必要はないナルトは観覧席へと足を向ける。階段を登り切り、目的地、つまり、第七班の他の三人がいる場所へと戻る途中でナルトは声を掛けられた。

 

「ナ……ナルトくん!」

「む?」

 

 声を掛けたのはヒナタだ。

 無言で震えながらヒナタはナルトへと掌サイズの容器をおずおずと差し出した。

 

「これは?」

 

 何と言えばいいか分からない。

 言葉が詰まってしまったヒナタの代わりに彼女の担当上忍である紅がヒナタの気持ちを代弁する。

 

「塗り薬よ。貰ってやりな、ナルト」

「しかし、ヒナタは試合がまだであろう? 貴殿が傷を負った時のために取っておくのが吉であろう」

「そ、それでも……ナルトくんが怪我をしているのは見たくないから、な、なんて」

「怪我は漢の勲章」

 

 首を縦に振る事のないナルトの様子に悲しそうな表情を浮かべるヒナタ。

 

「然れども、貴殿の優しさを切って捨てることなど到底出来ぬ。ヒナタよ、ありがたく頂こう」

「あ、うん」

 

 小動物のようなヒナタの様子を見て、自分の意見を通し続けることはナルトにはできなかった。元々、子女には優しくすることを心がけているナルトだ。彼の友愛の対象であるヒナタの顔が陰るのはナルトにとって認められることではなかった。

 

「フン……。随分と気楽なもんだな……」

 

 その様子を白い眼で見つめる一人の少年。

 

 ──ヒナタ様。

 

 ヒナタを横目で見るのはガイ班の一人だ。

 その一人、日向ネジの視線は、雪や氷を思わせるような眼の色と同じく、限りなく冷たかった。

 



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残すは痛み

 ヒュウガ・ヒナタ VS ヒュウガ・ネジ

 

 続いての第八回戦、電光掲示板に映し出された対戦者の名前は互いに縁がある者の名だった。どちらも苗字は同じ“日向(ヒュウガ)”である。対戦者である二人が親戚関係である事実を彼らの担当上忍は勿論、里のトップである三代目火影もよく知っている。

 

 ──ヒナタ……。

 ──何とも面白い対戦になったもんじゃ……。

 ──……。

 

 紅と三代目火影、そして、ガイが真剣な眼差しで見つめる中、試験会場の中央には二人の姿があった。一人は首元で揃えられた濃紺の髪の少女、一人は長い黒髪を後ろで纏めた少年。

 日向ヒナタと日向ネジ。

 

「まさか、アナタとやり合うことになるとはね……ヒナタ様」

「……ネジ兄さん」

 

 二人の様子を上の観覧席から見つめるサスケとナルトの目が細くなった。

 

「あいつら、兄妹だったのか?」

「酷な事だ」

 

 サスケの疑問に答えるのは二人の後ろに立つカカシだ。

 

「あいつらは木ノ葉で最も古く優秀な血の流れをくむ名門、日向一族の家系だ。だが、兄妹じゃないよ」

「じゃ……どういう関係なの?」

 

 カカシの正鵠を得ない返答にサクラは小首を傾げる。

 

「んー。ま、日向家の“宗家”と“分家”の関係……って言やいいのかなァ?」

「つまり……どういうことだ?」

 

 サクラとサスケはカカシの答えにピンと来たようだが、山籠もりをしていた上に大人と話す機会を得る事が難しかったナルトは人里について疎い。そうであるから、彼はもっと簡潔に説明するようカカシに求めた。

 ナルトに更に噛み砕いた説明をするかどうかカカシは迷う。そもそも、ヒナタもネジも自分の受け持つ下忍ではない。彼らの事情を詳しく自分の口から説明することは躊躇われた。

 

 カカシはネジの担当上忍であり、自身の竹馬の友でもあるガイへとチラと目を向ける。それに気づいたのか、ガイがカカシの視線に頷きを返す。許可は得られた。カカシが口を開こうとした瞬間、隣に立っていたリーが口を開いた。

 

「ボクから説明します」

 

 ネジと同じ班であるリー。ネジとの面識がない自分よりも彼の方から説明する方がいいだろうとカカシは判断する。

 

「ありがとね、リーくん」

「いえ、お礼を言われるほどのことではありません。おっと、話を戻して……」

 

 右手の人差し指を天に向かって立てながらリーは話を続ける。

 

「ヒナタさんは日向流の宗家──本家とも言います──にあたる人で、ネジはその流れをくむ分家の人間です」

「つまり、親戚同士の闘いってことね。やりにくいわね、あの二人」

「ハイ。ただ……」

「何だ?」

 

 言い淀んだリーをサスケが促す。

 ややあって、言い難そうにリーは重々しく口を開いた。

 

「……宗家と分家の間には昔から色々あるらしく、今はあまり仲の良い間柄ではありません」

「酷な事だな」

「ええ、ナルトくんの言う通りです。何でも、昔ながらの古い家にはよくある話らしいんですが、日向家の初代が家と血を守っていくために色々と宗家が有利になる条件を掟で決めていて……分家の人間は肩身の狭い思いをしてきたらしいんです」

「じゃあ、因縁対決って奴なんだ」

「流石、サクラさん。その通りです」

 

 リーの説明が終わると同時に試験官であるハヤテの声が会場内に木霊した。

 

「では、試合を始めてください」

 

 試合開始の合図。

 だが、両者とも動かない。いや、ネジにとっては戦闘態勢に移ることすらしない。ただ、彼は口を開くのみであった。

 

「試合をやり合う前に一つ……ヒナタ様に忠告しておく」

「……?」

「アナタは忍には向いていない。棄権しろ!」

「……!」

「アナタは優し過ぎる。調和を望み、葛藤を避け、他人の考えに合わせることに抵抗がない」

「……」

「そして、自分に自信がない。いつも劣等感を感じている。だから、下忍のままでいいと思っていた。しかし、中忍試験は三人でなければ登録できない。同チームのキバたちの誘いを断れず、この試験を嫌々受験しているのが事実だ。違うか?」

「ち……違う、違うよ。私は……私は、ただ……」

 

 ネジの言い様に対し、構えを解いたヒナタはギュッと両手の掌を腹の辺りで握り締める。

 

「そんな自分を変えたくて……自分から……」

「ヒナタ様。アナタはやっぱり宗家の甘ちゃんだ」

「え?」

「人は決して変わることなどできない!」

 

 ネジの声が一段と冷たくなった。冷たい中に激しい怒りも感じられる、そんな声だ。

 

「落ちこぼれは落ちこぼれだ。その性格も力も変わりはしない。人は変わりようがないからこそ、差が生まれ……エリートや落ちこぼれなどといった表現が生まれる。誰でも顔や頭、能力や体型、性格の良し悪しで価値を判断し判断される。変えようのない要素によって人は差別し差別され、分相応にその中で苦しみ生きる。オレが分家で……アナタが宗家の人間であることは変えようがないようにね。今までこの白眼であらゆるものを見通してきた。だから、分かる! アナタは強がっているだけだ。本心では今すぐ、この場から逃げ去りたいと考えている」

「ち……違う。私はホントに……ッ!」

 

 ネジの視線がヒナタを襲う。

 目尻の辺りの血管が浮かび上がり、その蛋白石(オパール)にも似た眼は憤怒を色濃く映していた。ネジの怒りと共に、その眼の力が開放されている。

 

「白眼、か」

「白眼?」

「うちは一族も元を辿れば日向一族にその源流があると言われている。“白眼”ってのは日向家の受け継いできた血継限界の一つで、写輪眼によく似た瞳術だが……洞察眼の能力だけなら、写輪眼を凌ぐ代物だ」

 

 カカシは階下のネジをじっと見つめる。

 

 ──まさか、これほどとは……。

 

 ネジの発するチャクラ、そして、圧は既に下忍のものではない。戦闘に秀でていない上忍ならば、難なく倒せるであろう覇気をネジは発していた。自身が受け持つ天才、サスケでさえも戦えばネジには手も足も出せずに敗北するであろう。

 

 上で品定めをする上忍たち、そして、第二の試験を突破した下忍たちの視線と、そして、自らの胸から溢れ出る怒りの感情を尻目に、ネジは冷徹に、そして、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「オレの目は誤魔化せない」

「……!」

「アナタは今、オレの視圧(プレッシャー)に対し、視線を左上に泳がせた。このサインは過去の体験を思い出している……アナタの辛い過去だ。そして、視線はその後、すぐに右下に動いた。このサインは肉体的、精神的な苦痛をイメージしている。つまり、昔の自分をイメージし、これまでの経験から、この試合の結果を想像した。負けるという想像をね!」

 

 更にネジの冷たい言葉は続く。

 

「体の前に腕を構えるというその行為もオレとの間に壁を作り、距離を取りたいという心の表れだ。これ以上、自分の本心に踏み込まれたくないと訴えている仕草。オレの言った言葉が全て図星だからだ。更に……唇に触れたのも心の動揺を表す自己親密行動の一つだ。それは緊張感や不安を和らげようと行う防衛本能を示す。つまり……アナタ、本当は気づいてるんじゃないのか?」

 

 一呼吸置き、彼は吐き捨てるように言った。

 

「“自分を変えるなんてこと絶対に出来ない”ということに」

「“自分を変えるなんてことは絶対に出来る”! 済まぬ。貴殿の言に、一言、言わずにはいられなかった」

「何? ……何?」

 

 ネジが振り返ると、そこには服を脱ぎ始めたナルトの姿。白眼の瞳術は透視もでき、その視覚野はほぼ360°と言えるほど広い。振り返らずともナルトの姿は見えているのだが、思わず振り返させられるような光景がネジの後ろにはあった。

 

 その肌は艶がありながらも力強い。その腕は剛を端的に表しながらもしなやかだ。その胸は、腹は修練の果てにありながらも美しかった。

 

 拳を握り締め、ゆっくりと力瘤を作りながら、ナルトは叫ぶ。

 

「己が肉体を見よ! 日々のトレーニングこそ体を作る! 日々の食事こそ体を作る! 人は一日毎に変わるもの! 人は一秒毎に変わるもの! もう一度言おう! “自分を変えるなんてこと絶対に出来る”と!」

 

 ナルトへ何も言う事なく、ネジは彼に背を向けた。しかしながら、ネジの顔は常とは違ったものだった。

 ヒナタへと振り返るネジの表情は一言で言えば困惑。

 

 ──ヒナタ様……何故、服を脱いだ?

 

 先ほどの『何? ……何?』というネジの発言の一番目にあった疑問符は、突如として服を脱ぎだしたナルトへ向けたもの。そして、もう一つの疑問符はナルトのすぐ後に服を脱ぎだしたヒナタへ向けたものだった。

 

 ネジが振り返った先のヒナタは上着を床に落とす。

 ヒナタが身に着けているのは胸のみを覆うタイプの鎖帷子だ。軽量のために余分な部分は削ぎ、人体の絶対の急所である胸部のみを保護している。腹の防御を捨ててまで敏捷性に特化した造りだ。

 晒す肌の面積が多くなった分、今のヒナタの姿は煽情的であると思う者もいるだろう。子どもながら均整の取れた肉体。確かに恰好だけは実に男を煽るものとなっている。

 

 だが、違うのだ。

 ヒナタの腹は修練の跡が分かるように美しく割れていた。これを見て、欲情する者はいない。高名な彫刻家が心血を注ぎ、魂を籠めた会心の出来である阿修羅像を思わせるようなヒナタの身体だ。細く、だが、強さに溢れる。樹木で例えるならば、柳の木か。ヒナタの身体は美しく、そして、荘厳であった。

 既に性別は問題にはなってはいない。荘厳なものに人は劣情を抱くことはない。もし、仏像や彫刻に劣情を抱くような考えを持つ者がいるならば、それは破綻者であろう。

 そして、ネジは礼節を解する常識人。破綻者とは反対方向にいる者だ。ヒナタの行動に一瞬、呆気に取られたものの唇を噛み締め、ネジはヒナタをこれまで以上に睨みつけた。

 

 確かに、ヒナタが何をし始めたのかはネジには理解できなかった。しかし、ヒナタの真っ直ぐな目を見たネジは腕を構え直す。目の前にいるヒナタの目はどこまでも真っ直ぐで強く見えた。

 

 ナルトが剛よく柔を断つならば、ヒナタは柔よく剛を制す強さを持つ。

 そう、つまりは難敵だ。

 

「棄権しないんだな? どうなっても知らんぞ」

 

『叩き潰す』という意志を乗せたネジの視線を受けながら、ヒナタはナルトの言葉を思い返していた。

 

 ──真っ直ぐ自分の言葉は曲げぬ。己の……忍道だ!

 

 それは、第一の試験の際、自分の隣でナルトが宣言した言葉。

 

 ──私はもう……。

 

「逃げたくない!」

 

 ヒナタの眼が変わる。ネジと同じ白眼だ。

 

「ネジ兄さん。勝負です」

「……いいだろう」

 

 白眼を出したということは、これから戦うという意志表示。

 目の前の少女を敵と認めたネジは全身にチャクラを回す。両者ともに攻撃準備は整った。

 

「……ハッ!」

 

 一拍の後、先に仕掛けたのはヒナタだ。息を呑む攻防。柔軟で速い。

 幾度かの応酬の後、先に相手の体に攻撃を当てたのはヒナタだった。

 

「入った!」

「いや、浅い」

 

 同期であることと顔見知りであるということから、サクラとサスケはヒナタに対して応援をするように見ていた。ヒナタがネジへと攻撃を加えたことで身を乗り出して喜びの声を上げたサクラだったが、サスケの冷静な観察眼で気を取り直す。

 しかし、サスケの判定に隣のリーは首を横に振った。

 

「いえ、かすっただけで効きます」

「どういうことだ?」

「……それが、日向一族が木ノ葉名門と呼ばれる所以」

「日向には代々伝わる特異体術があるのだよ!」

 

 リーに続いて、彼の担当上忍のガイが口を開く。

 

「私やリーが得意とする体術、敵に骨折や外傷といった、つまり、外面的損傷を与える攻撃主体の戦い方を『剛拳』というのに対し、日向は敵の体内のチャクラの流れる“経絡系”にダメージを与え、内臓……つまり、内面を壊す『柔拳』を用いる一族。見た目の派手さはないが、後でジワジワ効いてくる」

「まあ、内臓だけは鍛えようがないからなあ……どんな頑強な奴でも喰らったら致命傷もんだ」

 

 カカシがガイから言葉を引き継ぐようにして会話を終わらせるが、ふと、サクラはあることに気が付いた。

 

「“経絡系”を攻撃だなんて……何者なの、あの人たち」

「……ケイラクケイ?」

 

 “経絡系”という言葉に覚えがないナルトが思わず復唱する。

 

「ナルトは忍者学校の授業に出てなかったっけ?」

「聞いた覚えがない」

「どうせ、コイツのことだ。山籠もりをしていた時に経絡系についての授業があったんだろ」

「では、ボクから説明します。“経絡系”とは血液を流す血管のように全身に広がっているチャクラを体の隅々まで行き渡らせる管の束のようなものです。また、“経絡系”は体内のチャクラを練り込む内臓と密接に絡み合っています。だから、その経絡系を攻撃されると、内臓にもダメージを受けてしまうんです」

「……もう一度、説明してはくれぬか? 今度は書き記す故」

「試験が終わったら家に帰って教本を読め。リーが説明したことは全部書いている」

「承知」

 

 下の闘いから目を離さず会話するナルトとサスケからサクラは視線をリーへと移す。

 

「あの、リーさん。一つ分からないことがあるんですけど」

「なんでしょう?」

「経絡系って目には見えないし、体の中にある経絡系をどうやって攻撃しているんですか?」

「それを可能にするのが日向一族の血継限界、“白眼”です。日向一族の人間は白眼の力で経絡系を視認することができます」

「凄い……」

「そして、柔拳の攻撃は普通の攻撃と少し違う。自分のチャクラを手のチャクラ穴から放出して相手の体内にねじ込み、敵の経絡系に直接ダメージを与える」

 

 カカシが呟いたと同時にヒナタの手がネジの胸に入った。

 

 口から血が零れる。

 血は流れ、ネジの腕を赤色に染めた。

 

「やはり、この程度か。宗家の力は」

 

 血はヒナタのものだった。ヒナタの攻撃を往なしながら彼女の急所へと的確にカウンターを行うネジの燻し銀な攻撃だ。

 だが、ヒナタとしても一回、クリーンヒットを受けただけで止まるつもりは毛頭ない。

 

 ──ま……まだ。

 

「はっ!」

 

 今度は左手でネジへと柔拳で攻撃する。その攻撃はネジの隙をついたのか完璧にネジの胸に入った。

 

「!?」

 

 だが、ネジは顔色一つ変えない。

 ヒナタの手首を抑えたネジはジッと彼女の腕を見つめる。

 

 ──何て奴だ。

 ──ま、まさか。

 ──ホホ……流石、日向家始まって以来の天才と呼ばれるだけのことはある。

 

「オレの眼はもはや“点穴”を見切る」

「そんな!」

 

 カカシと紅はネジの力に戦慄し、三代目火影は頼もしそうに頷く。

 そして、ヒナタは驚愕の表情を浮かべることしかできなかった。しかしながら、その流れに着いていくことができない者もいた。ナルトだ。

 

「“テンケツ”?」

「さっき言った経絡系上にはチャクラ穴と言われる361個のツボがある。針の穴ほどの小ささだけどな。“点穴”って言ってな……理論上、そのツボを正確に突くと、相手のチャクラの流れを止めたり増幅させたり思いのままコントロールできるとされてる」

 

 カカシはネジから目を離すことなく、苦い表情でナルトへと説明する。

 

「説明ついでに教えといてやる。点穴はな……はっきり言ってオレの写輪眼でも見切れない。いくら洞察眼が使えると言っても、戦闘中にあそこまで的確に……」

 

 カカシの説明は、下の二人には関係ない。戦闘を続けるネジはヒナタを突き飛ばす。地面に転がるヒナタの体。全身の痛みに耐え、震えながら立ち上がるヒナタをネジは冷ややかな目で見ていた。

 

「ヒナタ様。これが変えようのない力の差だ。エリートと落ちこぼれを分ける差だ。これが変えようのない現実。“逃げたくない”と言った時点でアナタは後悔することになっていたんだ。今、アナタは絶望しているはずだ。……棄権しろ」

「……私は」

 

 ゴクリと喉を鳴らす。

 

「真っ直ぐ……自分の言葉は曲げない」

 

 その顔に浮かぶは自信。内から溢れ出た感情だ。

 

「私もそれが忍道だから」

 

 退くことはない。

 ヒナタの様子に不退の心を感じ取ったネジは完全にヒナタを叩き潰すことを決める。

 

「……来い」

 

 ネジの宣言があるが、ヒナタは動けない。

 咳き込みながら吐血するヒナタの体は棄権を望んでいた。

 

 ヒナタは顔を上げる。その先にはネジ、そして、更に先には腕を組み、厳しい顔付きで自分を見るナルトの姿。ナルトの表情はどこか苦悶に満ちていた。それもそうだろう。心優しき彼にとって顔見知りが一方的に叩きのめされる姿など見たくない光景だ。ヒナタの気概を知らなければ、ナルトは割って入ってでも試合を止めただろう。

 

 ──ナルトくん。

 

 ヒナタの心は棄権を望んではいなかった。

 ふらつくヒナタの足が地面をしっかりと捉えた。ただ前へ。それだけを信じ、構え直す。

 先ほどの焼き直しのようにネジの掌がヒナタを襲い、今度はヒナタの顎を捉えた。

 飛びそうになる意識を必死に抑え、ヒナタは体勢を立て直す。口から血を流しながら、今にも倒れそうになる体を気力で支え、ヒナタはネジへと再度、柔拳で挑む。

 が、それを許すネジではない。カウンターでネジの掌がヒナタの胸の中心へと入る。今度は堪らず、ヒナタの体は床へと崩れ落ちた。

 

「アナタも分からない人だ。最初からアナタの攻撃など効いていない」

 

 冷たいコンクリート製の床へと横たわるヒナタをネジは無感情に見下ろす。

 

「これ以上の試合は不可能と見做し……」

「待たれよ!」

「!?」

 

 ナルトの声が朗々と響いた。

 

 ──ありがとう。

 

 ヒナタは立つ。

 

「何故、立ってくる? 無理をすれば本当に死ぬぞ」

「ま……まだまだ」

「強がっても無駄だ。立っているのがやっとだろ。この眼で分かる。アナタは生まれながらに日向宗家という宿命を背負った。力のない自分を呪い責め続けた。けれど、人は変わることなど出来ない。これが運命だ。もう苦しむ必要はない。楽になれ!」

「……それは違うわ、ネジ兄さん。だって、私には見えるもの。私なんかよりずっと……」

 

 これだけは言わなくてはならない。

 義務感に突き動かされ、ヒナタは言葉を口にする。

 

「宗家と分家という運命の中で迷い苦しんでいるのは、あなたの方」

 

 ──そんなあなたを救いたかった。けど、ごめんなさい。私がとても弱くて……ごめんなさい。

 

 ヒナタの言葉は続けられることはなかった。ヒナタの言葉を最後まで言わせないタイミングでネジがヒナタに向かって駆けていた。言葉は遮られた。

 なら、拳で“答える”。

 ヒナタは右手を握り締め、今までとは違うフォームで拳を突き出して、自身へと迫るネジの右の掌へと当てた。

 

 ──許さない。

 

 攻撃が防がれた怒りのままにヒナタへと追撃しようとしたネジであったが、体が動かない。

 それもそうだろう。試験官であるハヤテ、上忍であるガイと紅、そして、カカシがネジを抑えていた。

 

「ネジ、いい加減にしろ! 宗家とのことでもめるなと私と熱い約束をしたはずだ!」

「……なんで、他の上忍たちまで出しゃばる。宗家は特別扱いか?」

 

 上忍が飛び出してきた状況に目を白黒させるヒナタであったが、突如、自分の腹に違和感を覚える。それは今まで感じたことがない感覚。それと同時に鉄の臭いがせり上がってきたことをヒナタは感じた。

 

「ガハッ!」

 

 大量に口から流れる血を抑えるために手を口に当てたヒナタだったが、それは無駄だった。一目見て、これは危険だと感じる量の血を吐き出したことを確認した後、ヒナタは自分の意識が遠くなっていくことを感じていた。

 ぐらりと後ろに傾く体。しかし、先ほどまでとは違い、今度は暖かい。

 

「ヒナタ、よく頑張った」

 

 ──ナルトくん。

 

 ヒナタの体をナルトの大きな腕が抱き留めていた。

 

 ──私も少しは変われたかなぁ……。

 

 それを最後にヒナタは目を閉じた。

 傍に寄る医療班が持つ担架にヒナタの体をそっと横たえたナルトは、担架に乗せられ試験会場から去っていくヒナタを見送る。

 ヒナタの姿が完全に消えた後、ナルトはゆっくりと振り返った。彼の視線の先にいるのは、上忍たちから解放されたネジの姿。

 

「ネジよ、一ついいか?」

「何だ?」

「何故、貴殿は精神的にヒナタを追い詰めるようなことをした? それは強者がするべき行いではない」

「フン……お前に語るようなことはない。だが、強いて言えば……忍の世界というものはこういうものだ。弱者は戦いの中、何も出来ずに死んでいく。それが忍の世界だ。よく覚えておけ、ルーキー」

「それは違う、と言っても今の貴殿は聞かぬだろう。なれば、己が貴殿との闘いの中で教え諭そう」

 

 ナルトは地面から血を掬う。

 

「この血と我が肉体、そして、運命に誓おう。己は“勝つ”と」

「面白い。精々、足掻いてみせろ」

 

 これ以上話すことはないと言うように背を向け離れるネジ。階段へと向かいながら、ネジは自分の掌を確認する。

 

 ──掌の骨が折れている。

 

 思い出すのはヒナタの最後の一撃。日向流の柔拳ではない。子どもがするような拳を固めただけの攻撃。

 しかし、それは流派も血もかなぐり捨てた一撃だ。家も運命すらも捨て去ったヒナタの一撃は剥き出しの彼女の力。

 

 ──だが、届かない。

 

 弱者が全霊を懸けて自分に挑んだ所で敵う事などない。才能と努力に裏打ちされた実力こそが勝敗を分ける。

 観覧席へと戻ったネジは下を見下ろす。そこには、班員であるリーと赤髪の少年が向かい合っていた。

 

 砂瀑の我愛羅。

 ネジが警戒した唯一の相手。その他の下忍たちに関しては、彼は脅威として見ていなかった。しかし、我愛羅だけは違う。彼は底知れないとネジは考えていた。そして、自分ですらも敗北するかもしれないと考えていた。

 そして、その対戦相手は自分が実力を認めたリー。ネジにとって、これ以上ないほどに楽しみな試合だ。

 

「では、第九回戦。始めてください!」

 

 ──リー。

 

 ネジの前で繰り広げられ白熱する闘いを見つめながら、ネジは思い返す。これまでのこと、そして、これからのことを。

 

 ──お前は最後まで気づかなかったんだ。“刺し違えてでも”などという形でしか勝利を目指せぬ者に、駒を先に進める事を天は……。

 

「勝者、我愛羅!」

 

 ──許しはしない。

 

 ネジは医務室へと担架で運ばれていくリーを見つめ、腕を組もうとした。

 

「ッ!」

 

 ネジは忌々しげに自らの掌を見つめる。掌の痛みは確かにそこに在った。

 



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さあ、次へ

 チョウジは怒っていた。

 その怒りの矛先は自分。何もできなかった自分だ。

 

「では、最終第十回戦。両者、前へお願いします!」

 

 彼の前に立つのは音隠れのドス。因縁は第二の試験で出会った死の森でのこと。チョウジと同じ里のサクラを三人がかりでドスたち音隠れの三人の忍が追い込んでいたことだ。

 それだけならば、チョウジが自分を責める必要はない。忍の世界は弱肉強食。強きが弱きを喰らうのは自然の摂理にも似た現象だ。そして、チョウジはそのことを人並み以上に理解していた。サクラが倒されたという話を後から聞いたのならば、チョウジはそれも仕方ない、けど、悲しいことだと項垂れたが、怒りを持つことはなかっただろう。

 

 しかし、今、チョウジが怒りを覚えているのは、サクラが音隠れの三人に追い詰められている現場を一番に発見したのが自分だという事実だ。

 

 ──情けない。

 

 もちろん、他人は言うだろう。『君は悪くない』と。

 もちろん、同じ班のシカマルは言うだろう。『お前の判断は正しかった』と。

 もちろん、同じ班のいのは言うだろう。『アンタが呼んでくれたからサクラを助けることができた』と。

 

 もちろん、サクラは言うだろう。『助けてくれて、ありがとう』と。

 

 ──違う!

 

 結果として、サクラを助けられた。だが、それは問題にはならない。チョウジの心に鋭い針として刺さるのは自分への嫌悪。自分の理想とは逆方向だった自分の本質。

 彼の理想を体現した存在が自分の立場だったならば、血を流すサクラを見た瞬間、彼女の元に駆けつけて敵を一瞬にして屠ったであろう。

 

 だが、自分が一番初めに行ったのは、周りに意見を仰ぐというもの。

 あの時、満身創痍のサクラを隣にいたシカマルといのの二人よりも早く見つけたチョウジは、まず初めに二人を呼んだ。本来ならば、非道な行いを見つけた瞬間、飛び出すのが筋だというのに。

 自己の保身。責任逃れ。

 それは呪いのように彼を責め続ける。苛み続ける。

 

 そのことは、彼の大事な思い出さえも汚すものであった。

 

 ///

 

 忍者学校(アカデミー)生の時分だ。

 ある時、シカマルとナルトが喧嘩をした。その発端は筋肉トレーニングの仕方の議論だ。シカマルは効率的なトレーニングが重要だと説いた。しかし、ナルトは限界を超えるトレーニングをするべきだと言って譲らない。

 初めは二人とも冷静に意見を交わしていたのだが、白熱する議論は冷静さを二人から奪い去った。喧々諤々と議論。このままでは二人が袂を別つことにもなりかねないと感じたチョウジは懐から取り出したポテトチップスを差し出す。

 その様子にナルトとシカマルは口を噤んだ。それほどまでに、チョウジが自らの菓子を他人に渡すということが考えられないことなのだ。

 二人が目を丸くしている中、チョウジは震えた声を絞り出す。

 

「もう、うすしお味しかないけど……これで仲直りできないっていうならボクはもう知らないよ!」

「貴殿は優しいな、チョウジ。それは貴殿の美徳だ。己も貴殿を見習わなくてはならぬな。しかし、ポテトチップスは……いや、済まぬ。貴殿の心配りだ。ありがたく頂こう」

 

 ──貴殿は優しいな──

 

 その言葉はチョウジの心を温かくした。

 

 ///

 

 その言葉は誇りだった。

 常に前を歩くヒーローのような存在から、自分は優れていると認められたのだ。だが、どうだ? 今の自分は彼に顔向けできるか? いや、できない。自分は小心者だ、臆病者だ。決して、優しい訳じゃない。

 現実を突きつけられたチョウジは、そのような自分を覆さなくてはならないと心に決めていた。正々堂々、闘ってこびり付いた汚れを落とし誇りを取り戻す。

 

 ──だからこそ、闘わなくてはならない。

 

 それがチョウジの闘う理由であった。

 

 対して、チョウジの前に立つドスは冷たい雰囲気を醸し出していた。例えるのなら、周り全てを傷つけるジャックナイフという所か。しかし、その冷酷さは、さらしに巻かれたかのように隠されている。

 今、ドスが思うのは自分たちの長である“彼”の言。

 

『でも、あんな必死な姿を見たら気が変わったわ。頑張りなさい』

 

 ──元より……そのつもりです。

 

 そして、“彼”に自分の力を認めさせる。それがドスの目的だ。

 事実、“彼”はドスの班員たちを認めている。自分の限界を超えたザクとキン。結果だけを見れば、確かに敗北。しかし、それは次に繋がる敗北だ。彼らは復帰した後、すぐに修行に打ち込むだろう。敗れたザクとキンの力を出し切り、どこか満足げに医務室へと運ばれていった顔を見れば、それは明らかだ。

 

 だが、自分はそれで満足できるか?

 答えは否。あくまで、ドスが目指すのは完全無欠の勝利。徹底的且つ完全無敵な勝利だ。伝聞でしか知りえなかったが、そこで聞いた“彼”の戦い方がドスの理想だ。相手を完膚なきまでに叩きのめし、戦場で立つ“彼”には伝説と謳われる“彼”の班員ですら並び立てなかったと聞く。

 その話を聞いたドスは“彼”を冷酷なカリスマと感じたのだ。そして、“彼”の指示通りに中忍試験でうちはサスケを襲撃したら、先回りしていた“彼”がサスケに呪印を付けた後だった。なるほど、冷酷だ。

 部下である自分たちを噛ませ犬にしてサスケの力を計る。そこに人らしい感情は一切なかった。実験動物を観察する研究者の視点だ。なるほど、冷酷だ。

 ならば、とドスは包帯の奥で歯をきつく噛み締める。

 

 ──犬は犬なりに吠えてみせましょう……大蛇丸様。

 

 “彼”へと心の中で呟いたドスは意識を前に戻す。そこにいるのはチョウジだ。

 双方とも、ヒリヒリと肌を焼くような雰囲気を発していた。

 

 心構えはできたのだろう。

 そう判断した試験官、ハヤテは右手を上げる。説明は既に終えた。電光掲示板に両者の名が表示された時点で、名前が表示されることがなかった薬師カブトが繰り上がりで本線へと出場する旨を伝えたハヤテには説明することは、現時点では一つもない。

 果たすべき役割としては、この試合を見守ることのみ。

 

「では、第十回戦開始です!」

 

 右手を振り下ろしたハヤテにいち早く答えたのはチョウジだ。

 素早く印を組んだチョウジはチャクラを全身に回す。

 

「倍加の術!」

 

 チョウジの体が膨れ上がった。彼が使った術は『忍法 倍加の術』。彼が属する秋道一族固有の秘伝忍術だ。その術の効果は単純明快。チャクラにより自身の体格を大きくするというもの。

 荒事を嫌う傾向のある者が多い秋道一族に、このような戦闘向きの術を授ける天の采配は冷たく映るかもしれない。しかし、逆にこう考えることもできるだろう。不要な力を使わないと信ずることができる秋道一族にこそ、天は力を与えたのだと。

 

 そして、チョウジは秋道一族の次期当主でもある。一族を体現した存在だ。なればこそ、彼の振るう力が強力なことも頷ける。秋道一族は自分のためではなく、友を守る時にこそ、その力が発揮されるのだから。

 (サクラ)を傷つけた(音の忍)(ナルト)との思い出を汚した(自分)

 どちらも倒すためにチョウジが選んだのは最も残酷な方法だった。

 

「肉弾戦車!」

 

 その方法とは特攻である。

 自らの身の安全を省みずに敵を押しつぶす。チョウジが使った肉弾戦車という技は、そのような業を背負っていた。

 肥大した体を回転させ、敵へと巨大な岩石のように転がる肉弾戦車。

 

 自分へと向かってくる回転するチョウジの体を見てドスは目を細める。

 

 手裏剣の投擲。回転に阻まれて弾かれることが予想される。

 音波での攻撃。耳は肥大した体に埋まっており、音は届かないと予想される。

 体術での迎撃。不可能。瞬時に潰されるのがオチだ。

 

 打つ手がないとは、このことだとドスは嗤う。しかし、その嗤いは勝負を諦めた者が浮かべるようなものではなかった。

 

 タンッとドスは地面を蹴り、空中へと舞い上がる。回転を続けるチョウジをギリギリまで引き付けたドスは軽やかに地面に降り立ち、チョウジへと向かう。次の瞬間、ドスンという音と共にチョウジが壁へと突き刺さった。

 その隙を逃すドスではない。彼には勝利への道筋が見えていた。

 

 ドスは音波を放つ小手を付けた右腕をチョウジの体へと減り込ませた。

 

「耳栓してるからムダだよ」

「イヤ……終わりだよ」

 

 ドスは小手を左の人差し指で弾く。小手により増幅された音波は反響し、甲高い音を立ててチョウジの体へと伝播する。その音はドスのチャクラにより統制され、チョウジの鼓膜へと伝わった。

 

「うわあああ!」

 

 倍加の術が解かれたチョウジの体が白煙を上げる。煙が流された後には元のサイズに戻ったチョウジが残されていた。

 

 人体の70%以上は“音”を伝導する水分で構成されている。つまり、肉の壁に衝撃音を伝える事くらい容易なんですよ。一番厄介なキミの回転さえ止まれば、鼓膜の大体の位置は狙えるしね……。

 

 そう言葉を頭の中で文章化したドスは……再び飛び上がった。

 

「思っていた通りだ」

 

 それまで、ドスが居た場所を巨大な拳が通り過ぎる様子を上から眺めながらドスは嗤う。拳の上に左足で着地しながら、ドスは右足を大きく後ろに引いた。

 

「せめてもの情けです」

 

 それだけ言うと、ドスは目の前の相手の顔面へと蹴りを繰り出した。それは阻まれることなく、チョウジの顔に吸い込まれるようにして入った。

 今度こそ沈黙するチョウジの体。それを見て試験官であるハヤテが声を上げた。

 

「勝者! ドス・キヌタ!」

 

 地面に横たわるチョウジを見下ろしながら、ドスは心の中で独白する。

 

 ──木ノ葉のくノ一を見ていなければ、油断したボクはキミにやられていただろうね。

 

 木ノ葉の忍が持つガッツをドスは警戒していた。普通なら諦めるような攻撃を受けて尚、立ち上がり立ち向かってきた少女、サクラを見ていたドスは対戦者である少年もまた、半端な攻撃では立ち上がってくることを予想していた。

 そうであるならば、半端な攻撃──それでも勝利を十分狙える威力ではあるが──をした後、立ち上がってきた相手へ本命の攻撃を与えるというもの。そもそも、音により平衡感覚を一時的に失わされた状態だ。そこへ頭部の衝撃が加わることで、立ち上がれない状態になることをドスはこれまでの経験から理解していた。

 

 二人の明暗を分けたのは情報。相手の情報を知り、自分の情報を知り、そして、情報に沿って戦い方を組み上げていく。気力や体力だけでは埋められない差が、そこには確かにあったのだ。

 

 +++

 

「えー。では、これにて“第三の試験”予選……全て終わります!」

 

 “木ノ葉”うちはサスケ。

 “木ノ葉”油女シノ。

 “砂”カンクロウ。

 “木ノ葉”春野サクラ。

 “砂”テマリ。

 “木ノ葉”奈良シカマル。

 “木ノ葉”うずまきナルト。

 “木ノ葉”日向ネジ。

 “砂”我愛羅。

 “音”ドス・キヌタ。

 “木ノ葉”薬師カブト。

 

 中忍選抜試験、本選出場者が出揃った。

 三代目火影の前に並ぶ11人の下忍たち。彼らを眺め、三代目は頼もしそうに笑顔を浮かべる。

 

「えー。では火影様……どうぞ」

「うむ。では、これから……“本選”の説明を始める」

 

 三代目は大きく口を開けた。

 

「以前も話したように、本選は諸君の戦いを皆の前で晒すことになる。各々は各国の代表戦力として、それぞれの力を遺憾なく発揮し見せつけて欲しい。よって、本選は一か月後に開始される!」

「む?」

「これは相応の準備期間という奴じゃ」

「つまり……どういうことだ?」

「つまりじゃ……各国の大名や忍頭に“予選”の終了を告げると共に“本選”への招集をかけるための準備期間。そして、これは……お前たち受験生のための準備期間でもある」

「……鍛えるための時間、か」

「うむ、その通りじゃ。予選で知り得た敵の情報を分析し、勝算をつけるための期間。これまでの戦いは実戦さながら、“見えない敵”と戦う事を想定して行われてきた」

 

 ナルトへと頷いた三代目だったが、すぐに視線を他の受験者たちへと向けた。

 

「しかし、“本選”はそうではない。宿敵(ライバル)たちの目の前で全てを明かしてしまった者もおるだろう。相対的な強者と当たり、傷付き過ぎた者もおるじゃろうて」

 

 三代目の目線がサスケの首筋に一瞬だけ向けられた。しかし、すぐになんともなかったかのように言葉を続ける。

 

「公正公平を期すため、一か月間は各々、更に精進し励むが良い。もちろん、体を休めるも良し!」

 

 懐からパイプを取り出した三代目は、それに火をつけると煙を吐き出した。

 

「と、ここでワシからの説明は以上じゃ。では、ここからの説明は“本選”解説者にしてもらう。……来るのじゃ」

 

 三代目の声にどこからともなく影が現れ出る。三代目の傍に控えた忍はまだ年若い。ナルトたちとそう変わらない歳である風貌だ。しかし、彼は木ノ葉の中忍以上しか着用を認められていないベストを身に着けている。

 おそらく、本選の試験官か、それに準ずる者だろうと受験者たちは一様に現れた忍に視線を注ぐ。

 ややあって、三代目が重々しく口を開いた。

 

「紹介しよう。ザジじゃ」

「いぇえええええええい! ご紹介に預かりました中忍(エリート)ザジです! よろしくぅううううう!」

 

 ──また濃っゆい人が出てきたわね。

 

 サクラの何とも言えない表情を尻目にザジと呼ばれた忍は声を張り上げる。

 

「オレはザジ! ここ最近で一番の出世株のザジだ! 歳は15! 彼女は現在募集中! 本選での君たちの戦い振りを観客に分かり易くするために解説するから、よろしくな! ああ、心配するな。君たちのことはずっと確認していた。ついでに言うと、君らの担当上忍たちにも頭を下げて君たちのプロフィールを教えてもらったから、君たちについての情報は結構知っている。だから、本選の解説はすっげーいい感じになるから安心しろ」

「ザジよ」

「しかし、いいね。君ら、無茶苦茶いい。第一回戦のサスケェ! 一発でヨロイを沈めたパンチ、最高だぜ! 第二回戦のシノォ! ザクに決めたプロレス技が光ってた! ホントにシャィィィインって感じだぜ! 第三回戦のカンクロウゥ! まさか、傀儡を囮に使うなんて……信じられねー神業だぜ! 第四回戦のサクラァ! もう最高! ナイスガッツ! 第五回戦のテマリィ! 本選でも華麗な風の舞いを見せてくれ!」

「のォ……ザジ?」

「第六回戦のシカマルゥ! ナイスマッスル! 熱いビートがこっちにまで伝わってきたぜ! 第七回戦のナルト……あなたの筋トレをする姿を見て、オレは心を動かされた。そして、あなたが中忍試験に出場するって話を聞いた瞬間、オレの体は勝手に動いていた。そう、火影執務室へ、だ。オレは解説をしたいと三代目様に直談判して、その座を勝ち取った。だから、あなたも勝ってくれ。いや、オレたちを熱狂の渦に巻き込んでくれ!」

「了解した」

「流石はナルト! 淀みない返事、かっけーぜ! では、続きまして第八回戦のネジィ! 冷酷無比! しかし、その強さに魅かれる! 本選でも期待してるぜ! 第九回戦の我愛羅! 下馬評では堂々の優勝候補第一位! 砂を操るなんて、あの三代目風影を思わせるじゃねぇか! 将来は風影か? その栄光のロードを間近で見られるなんて最高だ! 第十回戦のドス! 音を使うたぁ燻し銀な攻撃だ! 派手さは他に比べて少ないが、着実に相手を攻める攻撃には期待しているぜ! そして、ダークホース、カブト! あんたは……」

「ザジ!」

「うぃっす! すいません! すぐに説明を再開します」

「それでよい」

「おっし。残念だがカブトの応援はまた今度だ。“本選”の説明に入らせて貰う。それじゃあ、アンコさん!」

「はいはい。この中に紙が入っているから一枚ずつ取ってね」

 

 ザジの声に合わせてアンコが前に出る。その手には箱があった。くじ引きで使われる抽選箱だ。その中へとドスから手を入れて紙を引いていく。紙の大きさは大体、掌に丁度収まる程度。二つに折られた紙を開くと、そこには数字が書かれていた。

 

「引き終わったな! ドスから順に紙に書かれている番号を教えてくれ」

「9」

「ナルト」

「1」

「テマリ」

「7」

「カンクロウ」

「5」

「我愛羅」

「3」

「シカマル」

「8」

「ネジ」

「2」

「シノ」

「6」

「サスケ」

「4」

「サクラ」

「10」

「聞かなくても分かるが……まあ、いいや。カブト、教えてくれ」

「11」

「ということで、本選のトーナメントの組み合わせがこれだ」

 

 ザジは隣でボードに書き込んでいたイビキを示す。

 それにピンと来たのだろう。シカマルが声を上げた。

 

「そのためのくじ引きだったのか!」

「その通りだ、シカマルくん。そうそう、予選でも不戦勝で抜けて本選でもシードとはカブトの運がすっごいと思ったかい?」

 

 シカマルは眉を顰める。

 

「え? そりゃ、思ったけど……ああ、そういうことか」

「シカマルよ。つまり……どういうことだ?」

「このトーナメントはただのトーナメントじゃねェってことだ。ザジって解説者の言い様からすると、闘う回数が少ないほど不利になるトーナメントなんだろうな」

「闘う回数が少ないと楽しむことが少なくなってしまう。闘う回数が少ないほど不利になるというのは当然だろう?」

 

 サスケが大きく息を吐く。

 

「このウスラトンカチが。自分を基準で考えるんじゃねェ」

「サスケの言う通りだな。普通の奴ならトーナメントの優勝を狙うためになるべく闘う回数が少ないシードを狙う。けど、ザジって解説者の『予選でも不戦勝で抜けて本選でもシードとはカブトの運がすっごいと思ったかい?』って言葉の裏にはシードであることが不利だと語っている」

「けど、シードで不利になるって状況……私には思いつかないんだけど」

「そこで、火影様が言ってた大名とか忍頭が出てくるって訳だ。シードになれば、闘う回数が減るってことは大名たちに自分をアピール出来る回数が少なくなる。中忍の適性判断はトーナメント戦の結果じゃなくて、内容、つまり、闘い方を評価されるってことだろう? 解説者さん?」

「……うん。ご苦労様。解散」

「ちょっと待つじゃん!」

「何?」

 

 シカマルの意見を聞き、一瞬にして10ほど年を取ったかのような疲れた顔を見せたザジにカンクロウが詰め寄る。

 

「いきなり『解散』じゃなくて! 説明はどうした? 何もアンタの口から聞いてない!」

「だって、シカマルに全部説明されたし」

「そんなことで説明を放棄するな!」

 

 嫌そうな表情を浮かべながらザジはやれやれと溜息を吐く。

 

「まあ、簡単に言えば、予選と変わらない形式のトーナメントを行って、そこでの戦い方で上役が絶対評価をつけるって感じ」

「投げやりにも程があるじゃん」

 

『せっかく説明を考えてきたのに……』と呟くザジを横目に三代目が咳払いをする。

 

「では、ご苦労じゃった。一月後まで解散じゃ!」

 

 三代目の言葉で三々五々、試験会場を後にする受験者たち。ナルトもサスケとサクラを伴って会場を後にしようとした。ところが、歩く彼らの前に影が差す。

 

「よっ! お疲れ様」

「カカシ先生!」

「早速だけど、サクラ。それとナルトに会わせたい人がいるからついてきて」

「会わせたい人物?」

「そ! んー、まあ、こういう場合はアレかな。師匠って呼べばいいのかな?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ナルトの顔は笑みを浮かべた。

 

「つまり……修行ということだな」

 

 彼は、それはそれは楽しそうに笑ったのだ。

 



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邂逅

 中忍試験、第三の試験の予選が終わり、本選へと駒を進めた第七班の三人はカカシに連れられ、木ノ葉隠れの里を歩いていた。第一の試験、第二の試験、そして、第三の試験の予選を突破した教え子たちに労いの言葉をほんの少し掛けただけのカカシである。

 少しばかり不満げな目線をカカシへと遣るサクラだが、当の本人はどこ吹く風。いつもと変わらない雰囲気を醸すカカシは一言も言葉を出さずに木ノ葉の里を歩くのであった。

 

 黙々と歩く四人の影は濃い。太陽が燦々と光を木ノ葉隠れの里へと落としているからだ。

 昼下がりで里の中は喧噪に包まれている。里の雰囲気とは全く逆の方向にいる自分たちに耐えきれなかったのだろう。やはりと言うべきかサクラが不満を漏らす。

 

「カカシ先生。会わせたい人ってどんな人なのよ」

 

 ──自分たちはまだ何も説明されていない。

 

 彼女の不満は不安から来るものだった。

 修行、師匠。この二つのワードを聞いて不安を覚えない下忍は自分の力に確固たる自信を持つ実力者を除いて他にはいない。そして、サクラは自分の実力に自信を持ってはいなかった。下忍となってから四六時中と言っても過言ではないほどに、ナルトとサスケの隣にいたサクラだ。二人の下忍離れした実力を見て焦る気持ちも無理はない。

 

 ところが、足を止めずに口を開いたカカシは不安の感情を乗せたサクラの声を柳のように受け流した。

 

「まあ……いい奴らだよ」

 

 ──だから、それだけじゃ分からないって言ってるのよ。

 

 サクラの眉が心の中を表すようにピクピクと動く。

 サクラと同様にサスケも不満気な目付きをカカシへと向ける。すぐにでも修行に打ち込みたいというのにも関わらず、カカシはだんまりを決め込んでいる。フラストレーションが溜まることも仕方のないことだろう。

 

 そのような二人の様子を見てカカシは頭を掻き、言葉を選びながら紡いでいく。

 

「サクラの方はな……オレの後輩でいい奴だよ。で、ナルトの方はかなりの人気教師。昔の伝手(つて)を辿ってやっと話が出来たんだけど、話をしたのがオレじゃなきゃ、きっと引き受けてくれなかっただろう人物だ」

「説明の量の差が激しいんだけど……」

「ま! そういうな。サクラの方も信頼できる強い忍だってことは間違いないんだから」

 

 サクラへと笑いかけた後、カカシはサスケへと視線を向けた。

 

「で、オレはサスケを鍛える。流石に三人同時に鍛えるってのは厳しいしなァ。けど、お前らにとって大きな糧になることは間違いないから心配するな」

 

 サクラとナルトへ力強く宣言したカカシだ。不安はあるものの、カカシはカカシなりに自分たちのことを考えていたのだと少しばかりではあるが、納得したサクラは溜息を吐いて肩を竦めた。

 

 +++

 

「カカシ先輩から話は聞いているよ。君がサクラだね?」

「あ、はい……」

 

 サクラはおずおずと頭を下げた。

 

 ──カカシ先生の後輩って言ってたけど……。

 

 彼女の前に立つのは若そうな男だ。肌の艶、髪の色。瑞々しく力強い。

 しかしながら、彼の持つ雰囲気は実に老成していた。ともすれば、カカシよりも年上だと言えば信じてしまうかもしれない。カカシの後輩とは信じられないとサクラは頭の中で考えながら男を見つめる。

 

「そんなに警戒されると困るな」

 

 じっと自分を観察するような目つきを向けるサクラの様子を見て、猫のような目を細めて男は苦笑する。

 

「いや、警戒されるのも当然かな? 名前もまだ名乗っていないしね。……ボクはテンゾウ。カカシ先輩から聞いていると思うけど……」

「ごめんな、テンゾウ。説明してない」

「……改めて説明させて貰うね」

 

 ハイライトを無くしたような昏い目。彼が落ち込んでいるということを第七班の三人は理解した。そして、彼が苦労人だということも同時に理解したのだった。

 

「ボクはテンゾウ。カカシ先輩とは暗部の時に同じチームで動いていたこともある」

「え!? 暗部って……あの!?」

 

 “暗部”

 

 そのワードにサクラは声を上げる。何せ、暗部というのは火影直轄の部隊。木ノ葉隠れに多く在籍している忍の中でも一流の中の一流の忍のみが籍を置くことを許される部隊だ。下忍、中忍、特別上忍、上忍の中から火影自ら選りすぐった──上役から推薦されたなどの例外は確かにいるものの──優秀な忍で構成される部隊。それが暗部である。

 暗部の任務内容は大名などの重要人物の護衛から手配書(ビンゴブック)Sランクの危険対象を暗殺するなどといった総じて難易度が高い任務のみ。

 それに在籍していたという目の前の男は若い。まだ二十歳そこそこという所だろう。サクラにとって、それは俄かに信じられない話だった。

 

 ──ん? ちょっと待って。それなら……。

 

「ん?」

 

 サクラの目がカカシへと移る。

 

「カカシ先生って……もしかして……暗部だったの?」

「そうだけど?」

「嘘ォ!?」

 

 サクラの驚いた声でテンゾウも頭を抱える。

 

「カカシ先輩。昔は暗部の部隊長だったって自分のことも説明していなかったんですか?」

「そういえば、そうだな。ま、説明しなくてもいいかと思って」

「暗部の部隊長ッ!?」

 

 慄くサクラ。

 それもそうだろう。何せ、火影直轄の暗部という実力ある忍たちを纏める立場にいた人物が新人の自分たちの班長であるなど想像もできない。遅刻癖がある困った班長が実はエリート中のエリートであるなど誰が信じることができようか? 少なくともサクラは信じることができなかった。

 自分のキャリアに余りにも拘らないカカシだ。サクラの様子に思わずテンゾウは頭を抱える。

 

 ──どこから説明したら……。

 

「サクラよ」

 

 悩むテンゾウの耳にハスキーボイスが届く。その音はサクラの隣にいる筋骨隆々な人物から発せられた声だった。テンゾウは敢えて見ないようにしていた男へと目を向ける。

 その男は大きかった。太陽に照らされ、逆光となっているため男の表情は見えない。

 

 ただの巨大な影。

 テンゾウから見る男の第一印象はそうだった。そして、そのような男が語る言葉に耳を澄ますべく、テンゾウは影に隠された男の顔をじっと見つめる。

 

「カカシ先生はシャイな方であることは一目見た時から解っていたであろう?」

「え?」

「顔のほとんどを覆い隠しているのだ。シャイであることは間違いない。で、あるからして無用な詮索は傷つけることになるだろう」

「ああ、確かにそうね。ごめんなさい、カカシ先生」

 

 ──納得するんだ!?

 

 思わず口に出しかけた言葉をテンゾウは飲み込む。テンゾウの気持ちを知ってか知らずかカカシはサクラに向かって『気にするな』というように手を振った。

 

『恥ずかしがり屋な人が人前で官能小説を堂々と読みますかねェ!?』

 

 自分がシャイだと肯定するようなカカシの態度に叫びたくなったテンゾウだったが、言葉を喉へと押し込める。彼の前に下忍たちがいることがブレーキとなったのだ。流石に年端もいかない子どもたちの前で“官能小説”などという成人指定のワードを放つような蛮勇はテンゾウにはなかった。

 だからして、彼は口を噤む。噤むことしかできなかった。なんとも苦労人気質である。

 

「ま! オレのことは置いておいて……テンゾウ!」

「は、はい!」

「サクラを頼むよ」

「ええ、お任せください」

 

 そう最後にテンゾウに声を掛けたカカシはナルトとサスケを伴って、その場から離れていく。

 カカシたちを見送った後、気を取り直してテンゾウは残されたサクラへと目を向けた。

 

「それじゃあ、改めてよろしくね」

「はい! よろしくお願いします」

 

 頭を下げる礼儀正しいサクラの様子にテンゾウは胸を撫で下ろす。思ったより普通な子だと。

 

「早速だけど、修行に入るよ。時間は一ヶ月しかないしね」

「えっと……一ヶ月もあれば強くなれると思うんですけど?」

「今から教えることは普通、一ヶ月なんかじゃ時間が足りない。けど、君なら大丈夫だろう。なにせ、“あの”カカシ先輩が優秀だと認めた下忍なんだから」

 

 テンゾウはそう言ってサクラへと笑いかけた。自分へと笑顔を返すサクラを見て、テンゾウは少し真面目な声色を作る。

 

「ちなみに、サクラ。君には何が足りないと思う?」

「はい! 筋肉です!」

「え?」

「え?」

 

 動きが固まるテンゾウとサクラの間に風が吹いた。

 

「うん、それもあるかもしれない。……って、そんな訳ないでしょ!」

 

 頭を掻き毟りながらテンゾウは空を見上げた。

 

 ──カカシ先輩! この子にどんな指導をしたんですか!?

 

 前途多難だと思うテンゾウであったが、その実、サクラは彼が思うよりも遥かに優秀で、説明したことは一度で完璧に理解できるほど頭の回転が速く、テンゾウが安堵したというのは後日の話だ。

 

 +++

 

 サクラと別れた後、ナルトとサスケはカカシに連れられ、木ノ葉の宿場町に来ていた。

 そこに待っていたのは黒ずくめの男だ。

 

「お久しぶりですね、ナルトくん」

「……エビス殿か」

 

 黒ずくめの男、エビスはナルトに向かって頷く。彼らは面識があった。とはいえ、その時は敵同士と言っても過言ではないほどの関係。木ノ葉丸の教育係であったエビスと、木ノ葉丸の教育方針を巡って争った過去がナルトにはあった。

 

「よもや……貴殿が?」

 

 ナルトは目を細める。

 それと同時にエビスに掛かる重圧。普通の忍であれば……いや、ナルトと出会う前のエビスでさえも、今のナルトの視線に晒されたとしたら尻尾を巻いて逃げ出すか、その場でガタガタと震えることしかできなくなるだろう。しかしながら、エビスは微笑を浮かべてナルトを見ることができるほど余裕に溢れた佇まいを見せる。

 

 エビスはエリートである。そして……。

 

「ええ、私が君の修行をサポートします」

「それについて、一つ質問をしても?」

「ええ、もちろん」

「彼の輝きについて、だ」

「“木ノ葉丸”くんについて……ですね?」

「いや、エビス殿。今の言葉で理解できた。試すような事を言ってしまい申し訳ない」

 

 ……筋肉の魅力を解する漢であるのだから。

 

 +++

 

 カカシとサスケから離れたナルトはエビスに連れられ歩いていた。

 

 歩くナルトの心は晴れやかだった。

 その理由は先ほどエビスが発した“木ノ葉丸”という言葉にある。過去にエビスと出会った時、エビスは木ノ葉丸を“三代目火影の孫”としか見ておらず、その血筋から木ノ葉丸の才能を信じている節があった。

 それにナルトは我慢できなかったのだ。

 

 自分を通して誰かを見られている。

 ナルトの忍者学校卒業についてのゴタゴタを引き起こしたミズキから自分の過去について語られた時、ナルトはそのことを思い知った。

 だからこそ、自分をフィルターに別の者を見られることに我慢ならなかったのだ。

 

 しかし、今、ナルトの目の前に再び現れたエビスは“木ノ葉丸”と彼の名をしっかりと呼んだ。それは木ノ葉丸を一人の人間として見た証拠だ。同志(マッスル)として繋がる関係ではないものの、度々、任務の合間の自由時間に木ノ葉丸たちの面倒を見てきたナルトには、そのことが嬉しかったのである。

 

「ささ、着きましたぞ」

「む?」

 

 エビスの声でナルトは我に返る。が、その顔はすぐに疑問に彩られる。

 

「温泉……か」

 

 エビスに連れられた場所は木ノ葉隠れの里にある温泉街の一角。そして、エビスが立ち止まったのは湯気を上げる湯床の前。とてもではないが、修行の場だとは思えない。

 

 ──これは、つまり……。

 

 ナルトはエビスが自分をここに連れてきた理由について思い付いた。

 

「なるほど。修行の前に温泉で英気を養い、裸の付き合いで絆を深めようという訳か」

「違います」

 

 にべもなく自分の言葉を切り捨てたエビスへとナルトは振り返る。

 

「違います」

「承知……」

 

 二度も否定されて一回り体が小さくなったように見えるナルトへエビスは手元に紙の束を口寄せしながら話しかける。

 

「落ち込んでいる暇はありませんぞ、ナルトくん。何せ、本選までは一ヶ月しか時間がないのですから」

「そうで……あったな。では、宜しく頼む」

 

『では……』と前置きをしたエビスは手元の紙の束をナルトに見せて説明を始める。

 

「この図は忍者が忍・体・幻術を使用する際に体内に流れる身体エネルギーと精神エネルギー、つまり“スタミナ”の流れを簡単に表した図です。この図は術者がまだ術を使用する前のスタミナ100%の元気な状態を表しています。まず、術者が“体術”を使用する場合、スタミナのコントロールは簡単です。印を必要とせずチャクラも必要ありません……まぁ、例外もありますが……ただ必要な体術の技の分だけスタミナを自然と消費するだけです。しかし、“忍術”又は“幻術”を使用する場合、発動したい忍術・幻術の種類によって、まず必要なチャクラを練り込んで用意しなければなりません! それから複雑な印でそのチャクラの量を術の種類に応じて上手くコントロールしなくてはなりません! もちろん、体術・忍術・幻術で使われたエネルギーは放出され消えてなくなります! つまり、スタミナ0%、チャクラ0%で死ぬと考えてください。では、さっきまでの説明を踏まえて“分身の術”で説明します。例えば、“4人分身”に必要なチャクラの量を30%だとすると、まずサクラくんの場合、この術を発動したい時……ピッタリ30%だけチャクラを練る事ができます。そして、印を結び、術を発動する際もチャクラ量をうまくコントロールできるので、きれいに4人に分身ができ70%のスタミナがちゃんと温存できます! 次にサスケくんの場合ですが、チャクラを練るのが下手なので30%でいいところを40%も練り込んでしまいます。ですが、印で行うチャクラのコントロールはサクラくんと同じくカンペキなので、ここは問題ありません。で、4人分身はできますが、当のサスケくんは余った10%のチャクラをスタミナに戻すことはできないので、結局余分な10%のチャクラは無駄に……スタミナは60%しか温存できません! そして、ナルトくん。君はサスケくんより更にチャクラを練るのが下手なので30%で良いところを1%しか練り込んでいません。つまり、この時点で術の発動は不可能です!」

「つまり、修行あるのみということであるな!」

「その通りです!」

 

 エビスは大きく頷く。

 一足飛びに解答を導き出したナルトだ。自分の説明をキチンと理解してくれたと考え、エビスは顔を綻ばせる。

 

 だが、そうではない。

 ナルトはエビスの言葉を真面目に、それこそ馬鹿真面目に一言一句漏らさず聞いていたものの、それが理解できたとは到底、言えない。

 そもそも、%(パーセンテージ)を理解していないナルトだ。スーパーマーケットなどで“○○%引き”という表示を見てナルトが思い浮かべる感想は『安くなったのだな』という単純なもの。彼はそれがどのくらいの値引き率なのか実感できていない。

 “100円のリンゴの賞味期限が近いので20%値引きで販売されています。いくらになりますか?”という忍者学校に入学したての忍者学校生でも解くことができる問題へのナルトの解答のアプローチは“100から20を引けば80。つまり、80円”というもの。つまりは、偶々答えが一致していたというもの。

 この問題が200円のリンゴであったなら、ナルトは答えを“200から20を引けば180。つまり、180円”と出すだろう。

 そして、今もエビスの説明へと出したナルトの答えは偶々合っていた。それだけだ。

 

 しかし、エビスは気が付かない。

 まず、チャクラを練る事が苦手な者がチャクラを練ることができるようになるには只管に反復練習をすることが必要不可欠。というより、チャクラを練るという感覚を体に覚え込ませることしか有用な方法がないというのが正しい。

 それで、エビスは“修行あるのみ”というナルトの言葉に大きく頷いたのだった。

 

 現実はエビスの長い説明の途中に“修行をしたい”というノイズが混じったナルトの思考回路から導き出された欲望にも似た答えでしかなかったのであるが。

 

 ナルトが答えを出すアプローチはともかくとして、答えは一致した。

 そのことに笑顔を浮かべたエビスは一転、真面目な表情を作る。

 

「では、修行法の説明に参りますぞ。それは……」

 

 目線を湯に落としたエビスは息を整えた。

 

「この湯の上を……歩くのです!」

 

 エビスはサングラスをクイッと上げる。

 

「カカシ先生から聞きました。手を使わない木登り修行はもうやりましたね? その応用ですぞ」

「つまり……どういうことだ?」

「木登りではチャクラを必要な分だけ必要な個所に集め、ずっとそのチャクラ量を維持するだけ。木は固定されているものなので吸着しておくだけでいい。つまり、一定量のチャクラを練り込むための修行です。水面に浮くにはチャクラを足から水中に常に適量を放出し、自分の体を浮かせる程度に釣り合わせなければなりません。このチャクラコントロールは維持するより難しく、一定量のチャクラを術などのために放出して使うコントロール修行です!」

「つまり、実践あるのみということだな!」

「その通りです!」

 

『では、早速やってみましょう』と言って、エビスはナルトに見えるように印を組む。と、エビスの足元から青色のチャクラが放出された。

 

「まず、足にチャクラを溜める。そして、常に一定量放出しながら体の重さと釣り合わせる」

 

 迷うことなく、エビスは湯の上へと足を踏み出す。波の国でナルトがしたように、素早く足を交互に上げ下げすることもなく湯の上に立つエビスの姿を目に映したナルトは大きく頷く。

 

「承知!」

 

 ナルトは頷き、意気揚々と大きく足を踏み出す。そもそも、チャクラを使わずに水の上に立つことができたナルトだ。ならば、チャクラを使って水の上に立つことも労なくできるハズだとナルトは思っていた。

 

「!?」

 

 だが、自信満々なナルトの心とは裏腹にドボンと大きな水音が辺りに響く。

 

「この湯の温度は60度。失敗ばかりしてるとゆでダコになりますぞ!」

「……丁度いい温度だ」

「ほう……」

 

 ザバッと湯から上がるナルトの肌の色は彼の余裕を醸す言葉とは真逆に真っ赤に染められていた。筋肉を鍛え、精神を鍛え、みだりに取り乱さないナルトだが体の防衛反応は如何ともし難い。

 だが、ナルトは肌の色以外では、熱さを周りに微塵も悟らせないほどに堂々たる態度であった。

 

「失敗を体に覚え込ませることこそ修行。なれば、この修行法は最適!」

 

 印を組み、ナルトは集中する。

 

「むん!」

 

 湯の熱さなど自分の内から湧き上がる熱さに比べれば、ぬるま湯同然!

 再び湯に向かって大きく足を踏み出したナルトは嗤ってみせる。が、先ほどの焼き直しのようにナルトの体は乳白色の湯へと吸い込まれていった。

 

「……」

 

 諦めを知らない。

 そのようなナルトを見てエビスは唇を緩める。思い出すのは少し前のこと。ナルトと邂逅してから少し経ったある日の出来事だ。

 

 ///

 

「今日はいつになく気合が入ってますぞ、お孫様!」

 

 額に汗しながら腕立て伏せを行う自分が受け持つ生徒──木ノ葉丸──へとエビスは嬉しそうに声を掛ける。

 

「いつもなら、火影様に奇襲をかけに行く時間ですのに」

 

 ──やっと私の指導方針が通じたのですね!

 

 悪癖が治り、自分の教育方針に従う木ノ葉丸にエビスは安堵する。火影への悪戯などは木ノ葉丸の将来において良いものだとは言えない。それにより木ノ葉丸への指導を行っている自分の評価も危うくなってしまう。

 そのような考えの元、エビスは再三、木ノ葉丸への注意を行ってきたのだが、中々治ることもなく頭を抱えていた。だが、今は自分の指導にキチンと従ってくれる。

 

「そんなのもうやめたんだ、コレ……」

 

 これは良い流れだと頷くエビスの耳に木ノ葉丸の声が届いた。

 

「そうですぞ、やっとお分かりになりましたか。私の言う通りにすることが火影になる一番の近道に……」

「近道なんかないよ、コレ!」

「……え?」

「ナルトの兄貴が言ってた」

 

 木ノ葉丸は歯を煌めかせて笑顔を浮かべる。まだまだぎこちない笑顔だが、汗に光るその顔は自信に輝いていた。

 

「火影になるなら……それを覚悟してやれって!」

 

 ///

 

 ──確かに何事においても近道なんてない。

 

 湯の中へと何度も姿を消し、その度に上がってくるナルトの姿を目に焼き付けながらエビスは想う。

 

 ──私は君を誤解していたようだ。君は私よりよっぽど頭のいい教師だった。そして、ただのバケ狐でもなかった。

 

 過去の諍いを水に流し、エビスは優しい目付きで努力し続けるナルトを見つめる。

 

 ──君は立派な筋……木ノ葉の忍者だった。

 

「……許されぬ」

「ナルトくん?」

 

 それは突然であった。

『許されぬ』という言葉と共に再び湯に落ちるナルトの声には敵意が乗っていた。そして、その敵意は自分よりも後ろにいる者に向けられているとエビスは感じ取った。

 彼は伊達に特別上忍という地位についていない。忍としての技術はエリートと呼ぶに相応しいものだ。

 

 エビスは後ろへと振り向く。

 

「エヘヘヘヘ」

 

 頭が痛くなる光景にエビスは思わず言葉を失う。

 木ノ葉丸の悪戯好きな性格が治ったと思ったら、どうやら別の者に移ってしまったようだとエビスは嘆息する。それが木ノ葉丸のような小さな子どもであるならば悪戯で済まされよう。

 

 だが、今、エビスの目の前にいる者は白髪に羽織を着た大柄な男。

 だが、今、エビスの目の前にいる男はどこからどう見ても大人。

 

「どこの誰だか分かりませんが……」

 

 エビスは駆ける。

 彼は義憤に燃えていた。

 

「ハレンチはこの私が許しませんぞー!」

「ん?」

 

 ナルトと同じように正義を解する彼は、“男”が柵の隙間から“女湯”を覗くというような卑劣な行いを見過ごすことはできなかったのだ。

 

「ったく」

 

 しかし、現実は常にエビスの想像の上をいく。

 

「こ……これは!!」

 

 ボンという軽い音と共に大の男ほどの大きさの蛙が突如として白髪の男の足元に現れた。

 蛙は躊躇することなく、エビスの腹に向かって舌を伸ばす。

 

 ──腹筋の鍛え方が足り……なかった……です……ね……。

 

 その思考を最後にエビスの意識は落ちてしまった。

 地面に横たわるエビスを見下ろしながら、女湯を覗いていた男は忌々しそうに文句を口にする。

 

「騒ぐなっての……ったく。バレたらどーすんだっての!」

「己らが貴殿を見た時点で貴殿の悪行は公のもの。大人しく縄について貰おう」

「うん?」

 

 白髪の男はエビスから目線を動かして、自分へと声を掛けた者に視線を遣る。

 そこには、湯に何度も落ちながらも怒髪衝天と言った様子で髪を逆立たせた漢が居た。

 体から湯気を出す怒りに満ちた阿修羅の如き漢が居たのだった。

 



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ガマ仙人という男

 ──隙がない。

 

 湯に落ちた影響、その上、怒りで体は燃えるように熱いものの、体とは裏腹にナルトは冷静に白髪の男を見つめる。

 男の立ち振る舞いは一見、隙だらけのように見えつつも、すぐに動くことができるように適切な箇所の筋肉へと力を入れ、また、力を抜いている。

 ナルトは白髪の男が一廉(ひとかど)の武芸者であるだろうと当たりをつけ、茹で上がった頭を強靭(きょうじん)な鋼の心で落ち着けた。

 

「……貴殿は何者だ?」

 

 だからして、ナルトは目の前の男へと尋ねられずにはいられなかった。

 例え、彼の中で女湯を覗くなどといった男の人格評価は最低ラインだとはいえ、強き者には敬意を払うナルトだ。強くなるためには過酷──人としての枠から外れたような──修行が必要だと自らの体験で知っているからこそ、ナルトは彼の名を尋ねられずにはいられなかったのだ。

 

 自分をジッと見つめるナルト。そして、彼から名を聞かれたことで白髪の男の唇が歪んだ。

 ダンッと自身が時空間忍術で呼び寄せた蝦蟇の上で大きく身振りを交えながら男は叫ぶ。

 

「あいや、しばらく! よく聞いた! 妙木山、蝦蟇の精霊仙素道人、通称・ガマ仙人と見知りおけ!」

「……仙人?」

 

 “仙人”

 その言葉がナルトの堪忍袋の緒を切った。それは『見事な見え切りだ』と感心するナルトの心を一瞬にして逆方向へと向けるワードだ。

 

「仙人とは? 仙人とは! 自らを律し、周りを律し、やがて世に教えを広める者!」

 

 “ガマ仙人”と名乗った白髪の男に応じたナルトは声を上げる。

 

「仙人とは! 善を尊び、日々を過ごす者!」

 

 そして、ナルトは湯に濡れた上着を脱ぎ捨てていく。

 

「仙人とは! 修行に打ち込み、やがて、真理に至る者!」

 

 拳を握り締め、右腕をゆっくりと曲げていく。

 

「真理とは瞑想の中にあるもの! 真理とは己の内の果てにあるもの!」

 

 左手の拳は腰に、膝は軽く曲げ、腹筋に全力を籠める。そして、顔は右の上腕二頭筋に向けながらナルトは叫ぶ。

 

「我が名はうずまきナルト! 己の内から放たれる輝きで世を照らす者!」

 

 熱い湯に浸かったことでナルトの体の温度は上昇している。そのせいなのかもしれない。彼の体は赤く染まっている。彼の体からは白い煙が上がっている。彼の体は輝いている。

 

 それは正しく太陽だった。

 

 ガマ仙人と名乗る男は自分の前に突如として現れた肌色の太陽を目に映す。上半身の服を脱ぎ捨て、盛り上がった上腕二頭筋をアピールする漢の姿だ。ガマ仙人は目を閉じる。

 だが、その姿は瞼の裏へと焼き付いていた。

 

「……脱ぐんじゃねェのォ! 男の裸など願い下げだ!」

 

 男は叫ぶ。

 大声を出したら、目を閉じても鮮明に映るナルトの姿が消えると信じるように。

 

 残念ながら男はナルトの上腕二頭筋には興味を示さなかった。怒り心頭といった様子で男はナルトへと怒鳴る。そもそも、男は“覗き”という手段を以て女体を目に焼き付けることに全精力を注ぐ者である。それが邪魔され、更に、男の肌を見せられることは彼の中で許されざる悪であった。

 

「よっ!」

 

 男が掛け声をかけると、打てば響くというように時空間忍術で呼び出された蝦蟇が姿を消した。

 蝦蟇の背から地面に降り立ったガマ仙人は大きく溜息を吐き、愚痴を大きな声で零す。

 

「どいつもこいつも取材の邪魔をしおって!」

「取材?」

「わしゃあ物書きでな、小説を書いとる! ……コレだ!」

 

 ぼやくガマ仙人だったがナルトの疑問に溢れた声を聞き、考えを改めたのだろう。ナルトが自分に興味を持っていると考えた彼は懐に手を入れて一冊の本を取り出した。

 その本はかつてナルトが見たことがあるもの。

 

 ///

 

「カカシ先生。己と闘おうとする時に、何故そのような物を取り出すのか聞いてもよろしいか?」

 

 ナルトが指し示した物はカカシの左手に開かれた一冊の本だった。

 

「なんでって……本の続きが気になってたからだよ。別に気にすんな。お前らとじゃ本読んでても関係ないからな」

 

 ///

 

 カカシとの初めてのサバイバル演習の折り、彼がナルトと相対した時に取り出した本だ。

 

 “イチャイチャパラダイス”

 

 自分の班の隊長であるカカシをも虜にする書物だ。読んでいた続きが気になり、下忍である自分が相手とはいえ、演習中に開いてしまうほど面白い書物だとナルトは知っていた。

 だが、隊長が大ファンだからと言って、その作品の作者が行っていた女湯を覗くという行為を許す訳にはいかなかった。

 

 ──そうであろう?

 

 横目で地面に横たわるエビスへとチラと視線を遣ったナルトは拳を握り締める。

 

「覚悟せよ! 仙人と(うそぶ)く者よ! 正義は此処に在り!」

「!?」

 

 ドウッと空気を叩く音がガマ仙人を襲う。

 目の前に迫るのは昔、自身が書いた物語──その物語は捨ててしまったが──に出てくる“赤鬼”と形容しても遜色のない人間だ。

 

「オォオオオオオンッ!」

 

 雄叫びを上げながら目の前に迫る拳。

 

「クッ……!」

 

 それをなんとか躱したガマ仙人はナルトと距離を取る。彼が幸運だったのは、ナルトの怒りに火が点いていたことだろう。もし、ナルトが冷静だったのならば、返す刀で切り裂くように、右の拳を引いて左の拳を突き出して彼の体を捕らえたことだろう。

 

 ──危なかったのォ……。

 

 ザリッという音が、拳を躱して息を整えていたガマ仙人の意識をナルトへと強制的に戻す。

 

「クッ……!」

 

 まだ戦いは始まったばかり。

 ガマ仙人は臍を噛む。

 

 ──さっさと逃げなくちゃならんのォ。

 

「逃がすと思うか?」

「……そう簡単にはいかんか」

 

 怒りに爛々(らんらん)と光るナルトの目を見て、ガマ仙人は己の退路は既になくなっていたことに気が付いた。

 

「しゃあないのォ……来い!」

 

 (しか)して、ガマ仙人はナルトを倒すことに決めたのだ。

 これまでは大きな音を立てたら、次に女湯を覗く際に警備が厚くなっていることを忌避していたためにガマ仙人は積極的に攻撃を行わなかった。

 だが、逃げてばかりだとジリ貧だと結論を下したガマ仙人は独特の構えを取る。足を肩幅に、手は大きく広げている。

 その恰好はまるで横綱の如く相手を真正面から叩き潰すというような不退の意志を感じる事ができるもの。

 

「承知」

 

 ガマ仙人と真っ向から対決する。そう決めたナルトは膝を曲げ姿勢を低くする。先ほどの攻撃は躱された。ならば、もっと速く……もっと速く……もっと速く!

 両手を地面に着き、尻を高く上げる。それは陸上競技でいう所のクラウチングスタートに近い。だが、決定的に違うのはナルトが顔を地面スレスレまで近づけている所だ。

 ゴールを狙う陸上選手というよりも、それは獲物を狙う豹に近い。

 

 そして、ナルトの本能と経験から導き出されたポーズは理に適っている。走る際、頭という箇所、つまり、体の上部が重い人間の重心は後ろへと下がってしまう。そうして、体のバランスが崩れて効率的にスピードを出すことができない。

 だが、今、ナルトが取っているポーズは重心を前に置き続けるポーズだ。重心が前に行くために、強制的に体が前に行く力を利用したそのポーズはナルトに更なる速さを与えるだろう。

 

 意識を前だけに向け、再び駆けだそうとナルトが全身の筋肉に力を籠めて、溜めのために一瞬だけ体を弛緩させた瞬間。

 

「土遁 黄泉沼」

 

 どこか投げやりな声が響いた。

 それは一瞬でも目の前の相手から視線を離した者に対する呆れの音色。

 

「!?」

 

 ズブリと地面に沈み込みそうになっていた両手を、泥へと変わった地面から引き抜いたナルトは強靭な背筋で無理矢理、姿勢を正す。

 

「……貴殿か」

「まァ……そうだのォ……」

 

 ナルトを中心とした大体半径3mほどの地面が泥に変わっていた。下手人を睨みつけるが、どうにもならないことをナルトは理解していた。

 

 ──負ける……だと?

 

 焦燥に駆られるナルトを横目にガマ仙人は言葉を紡いでいく。

 

「目算でお前の身長は大体195cmってとこだろう? そこから顔の分30cm引いた165cmに黄泉沼の深さを設定しとるから心配するな。人死は出したくねーしのォ」

 

 ポリポリと頭を掻いたガマ仙人はナルトへと背を向け、歩き出す。

 

「さて……取材、取材っと」

 

 許されざる言葉を呟きながら。

 

 “取材”

 それは彼が悪行を続けようとする言葉。

 

 ──負けてはならない、なるものか!

 

 彼の毒牙にまたもや罪なき者がかかってしまう。自分がここで諦めてしまえば、女性たちの尊厳を著しく傷つける男が野に放たれてしまう。それは許されざる行為。

 

 負けを認め、諦めるなど許されざる行為に他ならない。

 

「フンッ!」

 

 突風が吹いたのかと思うほどの風が背中に当たる。

 思わず歩みを止め、後ろを振り返ったガマ仙人が見たのは掌を泥──自分が忍術で作り出した脱出不可能な泥沼──へとゆっくりとした動作で入れるナルトの姿だった。

 何をと疑問符を頭の中に浮かべるガマ仙人だったが、すぐにナルトの意図に気付く。

 

 ──こいつ……泥を!

 

 歴戦の猛者であるガマ仙人が一瞬、見逃すほどナルトの動きは完成されていた。例えるならば、扇風機か。回る羽は高速で回転している。だが、その回転が速くなれば速くなるほど遅く見えるという経験がないだろうか?

 ガマ仙人が見るナルトの腕の動きは、それと同じだった。

 

 ──泥を掻き出している。

 

 そのことにガマ仙人が気づいた時、ナルトの体は泥から解放されていた。足が泥から解放された。泥沼の底の固い地面に足がついたことを足の裏から感じ取ったナルトは飛び上がる。

 

「ガマ仙人! 征くぞォオオオオォォォォぉぉぉ……!」

 

 空中に飛び出しながらナルトは叫ぶ。しかし、その体はすぐに落ちて行った。

 

 ──当然だのォ……。

 

 呆れた目で再び泥沼に落ちて行くナルトの姿を見ながらガマ仙人は思う。

 

「垂直に飛べば、そのまま下に落ちる。お前、バカだのォ」

 

 泥沼に落ちて、再び泥を掻き出すナルトを見ながらガマ仙人は印を組む。

 

「ほれ、もう一丁だ。土遁 黄泉沼」

「!?」

 

 足が更に深く泥沼に沈み込む。ガマ仙人が沼の底を深くしたのだろうとナルトは予想をつけた。

 

「お前なら大丈夫だろう。底に着いたら今度は横に泥を掻き出して沼から上がってみろ。それなら、死ぬことはないだろうしのォ」

 

 周りは泥に阻まれ、敵は姿すら見えない。

 ガマ仙人のアドバイス通りにするしかないのだろう。時間を掛けて泥沼を抜け出す。

 

 だが、それでは彼に逃げられてしまう。

 

「じゃあの」

 

 その言葉を最後にガマ仙人の気配が遠ざかっていく。

 

 心は負けを認めていない。だが、状況は負け。ここからひっくり返すことなど不可能である。ナルトの腕は泥を掻き出すことを止めない。だが、それは大変、遅々としたものだった。

 

 ──足りぬ……届かぬ。

 

 ナルトは唇を噛み締める。きつく、きつく噛み締める。

 

 ──己は……負ける。

 

 それはナルトが初めて負けを認めた瞬間だった。これまでの修練では届かないほどの距離だった。

 ナルトのこれまでの経験、修行、全てを懸けても一人の身では届かなかった。一人では天地がひっくり返るような奇跡は起こらなかった。

 

「これを!」

 

 そう。

 “一人”ならば、だ。

 

「!?」

 

 濃密な気配にガマ仙人は再び後ろを振り返る。

 

「嘘……だろう?」

 

 そこには目を疑う光景があった。

 まるで滝を逆にしたかのような光景。泥が地面から天へと吹き上がる光景。天地が逆となった光景だ。

 

「火は四元素! 万物の根源をなす四要素のひとつ!」

 

 人の身でありながら不可能を可能と成した漢が泥沼から抜け出す。

 

「己の体は燃えている! 悪を許すなと怒りで火が燃え上がる!」

 

 命を燃やし、人を救う。

 

「さあ、正々堂々勝負せよ! 貴殿の力と己の命の炎! どちらが強いか御覧じろ!」

 

 それこそがナルトが己に課した使命であることだろう。

 

「キャー! カッコイイ!」

「ナルト様! あのエロ親父を叩きのめしちゃって!」

「もう二度と立ち上がれないぐらいに!」

「あの腕に抱きしめられたい!」

「あの腹筋に頬擦りしたい!」

 

 その使命こそがナルトを勝利へと導く勝利の女神の助成となった。

 黄色い声で歓声を上げるのは見目麗しい女性たちの姿。温泉に入っていた女性たちである。ナルトの声を聞き付け、温泉からすぐに上がってきたのだろう。体をバスタオル一枚で覆っただけの淫靡な姿である。

 自分の恰好を省みないほどにナルトへと声援を送る女性たち。

 

 今でこそ、ナルトを応援している彼女らであるが、以前の彼女らはナルトに好意は全くなかった。彼女らの親がするナルトへの冷たい態度。そして、ナルトの筋骨隆々なシルエットが彼女らをナルトから遠ざけていた原因だ。

 しかし、彼女らがナルトを認めたのはナルトの“人を救う”という仙人にも似た心から来るもの。

 

 彼女らの一人、建材メーカー事務の女性はこう言う。

 

「工事の建材運びの任務を依頼した時、ナルト様が鉄骨を何本も一度で運ぶ漢らしい姿に惚れた」

 

 彼女らの一人、料理人の女性はこう言う。

 

「たくさんの野菜が入った籠を持って歩いていたら紳士的に籠を持ってくれた。その時に見せた余裕の笑顔に惚れた」

 

 彼女らの一人、ある会社員の女性はこう言う。

 

「会社でミスして落ち込んでいる時、ナルト様が公園で黙々と筋トレをしている姿に励まされた」

 

 彼女らの一人、木ノ葉病院の看護師の女性はこう言う。

 

「私が足を挫いた時、ナルト様がお姫様抱っこをしてくれた」

 

 彼女らの一人、体操教師の女性はこう言う。

 

「なにそれ、ズルい!」

 

 と温泉でガールズトークに興じていたのだ。

 ナルトのこれまでが彼を救った。彼女らの今までの嫌悪を応援に変えるには並の筋肉では不可能であったろう。触れれば彼女らが問答無用で安心感を覚えるナルトの強靭な筋肉、そして、その筋肉を作るための修行(筋トレ)こそ、彼を救った。

 

 彼女らに感謝の意を示すために一度、頭を下げて『ここは危険だ。己の後ろに』と声を掛けたナルトは鳴り止まぬ黄色い声の中、表情を変化させることなく両手に一つずつ掴んでいた洗面器を地面に下ろす。

 

 窮地に陥ったナルトへと彼女らが渡したのは二つの洗面器。掌で掻き出すよりも大きな容量が入る洗面器で泥を掻き出したことで数倍、いや、数十倍の量の泥を掻き出したナルトは再びガマ仙人の前に堂々と立つ。

 

 今、ナルトと相対するのはガマ仙人。

 そうであるが、普段のガマ仙人ならば口角が緩みきっていたに違いない状況である。五人の見目麗しい女性の煽情的なタオル姿。

 彼ならば、敵を前にしてもニヤニヤと顎を擦りながら女性たちの方を見るであろう状況だ。

 

 だが、ガマ仙人の目線はナルトから動かなかった。

 だが、ガマ仙人の口は呆けたように少し開かれていた。

 だが、ガマ仙人の表情は驚愕の色に染められていた。

 

 それは“有り得ない”と彼の表情が語っていた。

 

「お前……その言葉……?」

 

『火は四元素! 万物の根源をなす四要素のひとつ!』

『己の体は燃えている! 悪を許すなと怒りで火が燃え上がる!』

『さあ、正々堂々勝負せよ! 貴殿の力と己の命の炎! どちらが強いか御覧じろ!』

 

 アレンジは加えられているが間違いない。

 

 ──“超弩級! 筋肉列伝!”のセリフ……!?

 

 昔に捨てた想いが湧き上がってくる言葉を目の前にいる漢が語るなど有り得ないと彼の心は語っていた。

 

 ///

 

「自来也先生! 一体、どうされたんですか?」

 

 ガマ仙人──自来也──は物書きである。

 

 10年前、いや、5年ほど前だったか。

 正確な年数は覚えていないほど昔の話であるが、彼は目の前の編集者から語られたある言葉だけは鮮明に覚えていた。

 

「まッたく……まッたく“おもしろくない”ですよ、これは! “超弩級! 筋肉列伝!”は!」

「しかしだのォ……」

「しかしもヘチマもありません! どうされたんですか!? スランプですか!? 一体全体、なぜ、このような……マッチョだけしか出てこない小説を書かれたんですか!」

 

『これでは売れない!』と叫びながらテーブルをバンバンと叩き、テンションが上がっていく編集者とは裏腹に自来也の心は冷めていった。後に彼を長く苦しめることになる“おもしろくない”という言葉が原因だろう。

 “超弩級! 筋肉列伝!”は全身全霊を籠めて書き上げた大作と彼自身が自負しているもの。それが一刀の下に切り捨てられたのだ。彼の作風とは『まッたく』違うという編集者の“おもしろくない”という気持ちから。

 

 では、なぜ自来也は彼の作風とは全く違う小説を書いたのか?

 もちろん、彼は筋肉が好きだから筋骨隆々の漢たちを主軸に置いた小説を書いたということではない。

 東に女湯があれば覗きに行き、西に水着のおねーちゃんが集まっていると聞けばナンパをしに行く。言うまでもないことではあるが、自来也という人物は欲望に忠実な男であった。それでいて、最後の一線は決して越えない。そこに彼の想いがあるのだろう。初恋の女性に対する想い。女好きでありながら、一歩を踏み出さない彼の心は青少年そのものであった。

 そうであるから、彼の代表作の続編を書くことに少しばかりの忌避感を覚えていたのだ。

 

 そのような自来也の事情を全く知らない編集者は声を荒げる。

 

「とにかく! これではウチじゃ出版できません! いつものようにエロティック&フェティシズム的な男の男による男のための物語をお願いします。ファンは……もちろん、私も! 先生の続編を! 首を長くして待っているんです! お願いします!」

 

 口角泡を飛ばしながら自来也へと詰め寄る編集者を押し留めながら自来也は苦笑する。

 

「わかった、わかった。そこまで言われて引き下がるなんてのは漢が廃る。書いてみようかのォ」

「ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げた編集者は突如、後ろへと振り返る。

 

「おい! お前ら! 自来也先生の続編が読めるぞ!」

 

 編集者のその言葉でワッと編集部が盛り上がる。

 自来也は騒ぎが一段落するまで待つことにした。しかしながら、待てども待てども編集部の騒ぎは収まらない。それが仕事の話であるならば、まだ自来也も納得しただろう。印刷屋のスケジュールを抑えるための伝達やコピーライターへのキャッチコピーの依頼、表紙絵のイラストレーターの選別などであれば、後日に改めて顔を出すつもりだった。

 だが、編集部の人々の話に耳を澄ますと、彼らの話の内容は自分の代表作についての感想であった。やれ、あのシーンが最高だっただの、いやいや、ここのシーンで体が熱くなったなど作者冥利に尽きる高評価が舞う感想の桜吹雪である。

 しかし、作者である自分の前で感想や良かったシーンの議論を交わされるのは、なんとも気恥ずかしいものであった。

 だが、口を挟むことができる雰囲気ではない。

 彼らを止めようと自来也が意を決して口を開いたのは、それから半刻ほど過ぎてからのこと。彼らが次作について展開を予想し始めてからであった。

 

「のォ……」

「はい、なんでしょう?」

 

 ルンルンとした編集者へと、常よりも固い表情で自来也は尋ねる。

 

「……ワシの処女作を知っとるか?」

「もちろんです! 何度も何度も、それは何度も読み返しました。観賞用、保存用、使用用と三冊……使用用をもう一冊買ったので、四冊買うぐらいに大好きです!」

 

 そうして、自信満々に編集者は語った。

 

「イチャイチャパラダイスでしょう?」

「……そう、だのォ」

 

 嘘だ。

 自来也の表情は自身の肯定の言葉を否定していた。実際、彼の処女作は“イチャイチャパラダイス”ではない。イチャイチャパラダイスの前に彼は書いているのだ。

 “ド根性忍伝”という自費出版に近い小説が“物書き・自来也”の処女作である。だが、そのド根性忍伝は全く売れなかった。

 そして、面と向かってド根性忍伝が好きだと言ってくれたある夫妻は既にこの世にはいない。

 

 自来也の表情に影が差す。

 

 編集者は自来也のモチベーションが下がっていることを感じ取った。しかし、彼の考えは彼が持ち込んできた新作を切り捨てたことに起因していると感じ取ったのだ。

 自来也の表情の変化に気付いた編集者は、テーブルに置かれていた綴じられた原稿用紙の束へと指を向ける。それは自来也のモチベーションを上げるための手段だ。作家が書きたいものを書かせ、本命である売れること間違いなしの作品のレベルをより上げるための手段である。

 

「そうそう。この“超弩級! 筋肉列伝!”はリメイクしませんか? ちょっとエッチなシーンを入れて……そうですね、少年少女の恋愛を主軸にしたバトル物とか。このマッチョな孤児の少年、トウですっけ? それを細身にして……幼馴染たちのために物を盗んだりするようなアングラな感じとかどうですか? こんな熱苦しい感じじゃなくて、ちょっと斜に構えたクールな感じの性格にしたりとか。そっちの方が確実に面白いです」

「そうだのォ……そっちの方がおもしろい、かの」

 

 そうして出来上がったのが“ド純情忍伝”である。彼の代表作であるイチャイチャシリーズほどではないものの、ド純情忍伝は売れた。

 編集者の予想通り、そして、自来也の予想を裏切って。

 

 +++

 

「ハァ……」

 

 街を一人行く自来也は息を小さく吐き出した。編集者の意見には不満はない。

 編集者の彼はプロである。時代を見据え、自来也の才能を鑑みて、そして、出した結論だ。彼の言う通りに従っていけば、本は売れるのだろう。

 だが、小さな……本当に小さな“しこり”が心の中に残っていた。

 

「……」

 

 自来也は何も言えずに手に持つ十数枚の紙束を見る。原稿用紙を紐で縛っただけの簡素なもの。とても本とは呼ぶことなどできない。しかし、それは自身が心血を注いで作り上げたもの。

 

「……ダメだのォ」

 

 頭を振る。

 それは、このままではいけないという決意だ。自来也は紙束を持つ手から力を抜き、目に力を入れる。

 自来也の重い足はゆっくりと定めた目的地──ゴミ捨て場──へと向かう。ゴミ捨て場の中心で足を止めた自来也は一度、唇を噛み締めて手から“夢”を手放した。

 自分の想いを乗せた文章を書くことと決別する時だ。これからは大衆を喜ばせるために文を紡ごう。それは……嗚呼、なんと素晴らしいことだろうか。そして……嗚呼、なんと哀しいことだろうか。

 自来也の表情は変わらない。過去を捨て去った事実に涙一つ零すことはなく、そして、未来のために笑みを浮かべることもない。

 彼の(かお)は彼の心を何一つとして映していなかった。

 

 自来也は無常を噛み締めながらゴミ捨て場に背を向ける。

 

 ──これにて(しま)い。

 

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。

 

「ニッシッシ。今日はどんなイタズラをしてやろうか、なやむってばよ。オレってば天才だからな!」

 

 自来也の前からツンツンに立った黄色の髪の少年が走ってくる。どうやらイタズラ少年は、自来也が出てきたゴミ捨て場に目をつけたらしい。

 

「いいことおもいついたってばよ! ゴミをすてたやつのところにもどしてやる! オレってばやさしいからな。コイツらがすてられてるのはかわいそうだし」

 

 自来也の頭を痛くする独り言である。どうやら、イタズラ少年は出されたゴミを出した人間への所へと届けようとしているらしい。フラストレーションが溜まっている自来也は少年へと怒鳴りつけようと息を大きく吸い込む。

 

『人様に迷惑をかけるな!』

 

 そう怒鳴ろうと振り返る自来也だったが、少年の声で動きが止められる。

 

「ん?」

 

 なぜ、動きを止めてしまったのか分からない。だが、自来也が動きを止めなければ少年は少年のまま成長したことだろう。ここで、自来也が動きを止めたからこそ……。

 

「スゲェ……」

 

 少年は食い入るように十数枚の紙束を天に翳す。

 

 それには表紙絵として、主人公である“トウの姿”が描かれていた。

 それには題名(タイトル)として“超弩級! 筋肉列伝!”の字が書かれていた。

 

 どちらも綺麗だとは言い難い。絵は鉛筆で原稿用紙に描きなぐっただけでペン入れもしていない。字は近くに転がっていたマジックで書きなぐっただけで読みにくい字だ。

 だが、そこには確かに熱があった。魂が宿っていた。何の飾りもない、剥き出しの心が在った。

 それを少年は感じ取ったのだろう。漢字も読めないであろう小さな少年であるにも関わらず、ゴミ捨て場にあった価値があるとは到底思えないものにも関わらず、それは少年の心に火を点けた。

 

 そのことに自来也は気づくことはない。

 自分が捨てた小説を拾った少年へと『拾ってくれてありがとな、坊主』と感謝を覚えるだけであったのだから。

 

 ///

 

 時間は現在へと戻り、自来也は過去から今へと目を戻す。

 目の前には過去と同じツンツンと天へと逆立つ金色の髪、過去とは全く違う佇まいの漢がいる。

 

 ──あの時のガキか!

 

 似ても似つかぬ風貌であるが、長年、忍として第一線で活躍してきた自来也の感覚が告げていた。

 

 この漢はあの時の少年である、と。

 

 俄かには信じられない。しかし、それは正解だ。

 二律背反の困惑の渦の中、自来也が出した答えは自身の感覚が出した“かつて出会ったことがある”という答えを信じるというもの。

 

「……気に入った!」

 

 あの小さな少年が大きく……本当に大きく予想外に大きく信じられないほどに大きくなってしまったが、それは少年の努力の結果であると自来也は考えた。あの華奢な少年がここまで筋肉を大きくするためにはどれほどの修練が必要だったのだろうか? どれほどの根性があれば到れるというのか?

 その努力の跡は自来也の眼鏡に適った。ナルトの筋肉の熱さが自来也にも伝播したのだろう。自来也は頷き、口を大きく開ける。

 

「修行を見てやる!」

「断固拒否する!」

 

 熱さを飛ばすような風が二人の間に吹いた。

 

「……何だとォ!?」

 

 自来也はナルトの答えに後退る。

 それは全く想定していない答えだ。

 自分は世界に名が轟く忍であり、かつては弟子として四代目火影も育て上げた。自分の教えを断るような者がいるとは信じられなかった。

 

「もう一度言う……断る!」

「何ィー!?」

「貴殿のような覗きをするような犯罪者の元で学ぶことなど何もない!」

「ナルトくん……」

 

 再び自来也へと飛び掛かろうとするナルトへと横から声が掛けられた。戦闘体勢を解き、ナルトは声へと駆け寄る。

 

「その方は凄いお人です」

「エビス殿!?」

 

 ナルトが駆け寄った先は地面に伏したままのエビスだ。エビスは飛び飛びになる意識を一心不乱に留めてナルトへと声を掛けるべく体力を振り絞る。

 

「その方は……グフッ!」

「もう話すな。貴殿の無念は己が晴らしてみせよう。だから、今は休むのだ」

「いえ、これだけは話さなくてはならないことなのです。……ナルトくん。その方は四代目火影様の……」

 

 自分の隣へと跪いたナルトへとエビスは言葉を振り絞る。

 

「……師なのです! 彼の言動から疑う気持ちはわかりますが、私以上の教師でもある方です。アナタにとっては彼から教わる方がいいのです!」

「しかしッ!」

「私の……最後の……頼みです。ナルトくん……強く……強く、強く……強く、なるのです」

「エビス殿! エビス殿! ……エビス殿ォー!」

 

 体全ての力を振り絞り、パタリと地面に落ちたエビスの手。動かなくなったエビスの体を抱きしめながらナルトは天へと叫ぶ。倒れた者の名を天に向かって呼び続けるナルトの痛ましい姿を見て、後ろの女性たちは静かにハラハラと涙を流す。戦場で散った師を悼むような光景。誰もが涙を流し、散った者へと敬礼を向ける光景だ。

 だが、それを見て心を動かさない者がいた。

 

 ──ついていけん。

 

 エビスには手心を加え、精々気絶程度のダメージに抑えるようにガマに指示を下した張本人、自来也はその場の空気から取り残されていた。

 そもそも、エビスへと行った攻撃は意識を刈り取る程度で後遺症すら残らない上、今日中に元の体調に戻るように軽く行った攻撃である。それをガッツで意識を取り戻したのは驚いたがナルトたちのオーバーリアクションを自来也は認められなかった。

 

「エビス殿。己は貴殿の遺志を受け継ごう。……ガマ仙人よ」

「なんだ?」

「己に……修行をつけてくれ!」

「ああ、まあ、うん。そうだのォ……つけてやろうかのォ」

 

 何はともあれ、結果オーライだと自来也は自分を納得させるのだった。

 

『まぁ、それはともかく……』と言いながら頭を掻く自来也は顎で湯気が立つ湯床を示した。

 

「もう一度、さっきの修行をやってみろ」

「承知」

 

 ナルトは印を組み、丁寧にチャクラを練り上げる。カカシから与えられた木登り修行により、チャクラを練るという技術を得たナルトだ。基本的に単純なナルトである。二つのことを同時にすることは苦手である。とはいえ、一つのことだけであれば不器用な彼とはいえ行うことが可能となる。

 チャクラを練ることで反応した九尾の封印式がじんわりとナルトの腹に浮かび上がった。

 

 ──これが九尾の封印式か……。

 

 自来也は鋭い目で封印式を観察する。

 

 ──割れた腹筋で随分と見難いが……四象封印が2つ……二重封印……八卦の封印式かの……。四象封印の間から漏れる九尾のチャクラを、こやつに還元できるよう組んである。

 

 一瞬だけではあるが、ナルトの足が湯を捕まえた。チャクラが放出された証拠として水面に波紋が浮かぶ。しかし、その波紋はすぐに大きな波紋で打ち消されることとなった。

 湯の中に沈むナルト、いや、ナルトの腹にある封印式の乱れに自来也は目線を集中させる。

 

 ──だが、かなりガタが来とるのォ……。

 

 湯から上がり、再び湯へと向かっていくナルトの後ろ姿を見つめ、自来也は目を細める。

 

 ──封印を修復した跡が見えるが、まだまだ拙い。まあ、ここまで特殊な封印を修復できたのは褒めるべきかもしれんが。

 

 頭の中でいくつかの人間の顔を思い浮かべていく自来也は考えを纏めていく。

 

 ──この封印式を少なからず知っていて、ジジイの仕業じゃないとすると……

 

 自来也の頭の中に一人の忍の顔が浮かんだ。

 

 ──まぁ、カカシってとこだのォ。

 

 そうして、答えに辿り着いた自来也はニヤリと笑う。

 

「のォ、ナルト」

「む?」

 

 湯から上がってきたナルトへと自来也は声を掛ける。

 肌が再び赤色に染まったナルトへと『熱くないのか?』と声を掛けようと一瞬思った自来也であったが、すぐに思い直す。ナルトならば、この程度の苦難は軽々乗り越えるであろうという確信があったからだ。

 熱さを見せないナルトの気持ちを汲み、彼の肌の上気を無視した自来也は核心を口にする。

 

「今まで特別なチャクラをお前の中に感じたことはないか?」

 

 自来也の言葉にナルトは眉を顰める。

 

 “特別なチャクラ”

 それを感じたことは確かにあった。自分の物とは全く異質のチャクラ。自分のチャクラを色で例えると“黄”であるが、そのチャクラは“赤”である。更に言うと“朝日”と“夕日”とも例えることができるだろう。

 

 “特別なチャクラ”

 危険で冷たい。だが、強い。

 

「何故、それを?」

「仙人だからのォ」

 

 そして、そのチャクラは自分の気の昂ぶりで感じたことがあるもの。

 恐怖、喪失、義務。

 そのチャクラは自分が壁を感じた時に必ず顕れ出た。最近では再不斬との戦いの時、昔では長距離を走って自分をギリギリまで追い込んでいた時だ。どちらの時も余りにも大きな力を纏う高揚感や倒錯感を感じたが、それと同時に恐怖感を感じた。自分が自分ではなくなっていくような感覚だ。

 

 ──その答えをガマ仙人は得ているというのか?

 

 ナルトは自来也をジッと見つめる。

 

「……今日はもう遅い。楽しみは明日にしようのォ。こいつはワシが宿まで連れてく」

 

 だが、ナルトの求める答えを先延ばしにして自来也はエビスを抱え上げる。それは、今日はもう修行をつけないという意志表示。

 

「明日、またここへ来いのォ」

「承知」

 

 自来也はエビスと共に姿を消した。

 残されたナルトは何をすべきか考える。明日からは修行。では、体から疲労を抜くことが大切だ。そして、傍には温泉がある。交代浴──熱い湯と冷たい水に交互に浸かる事──で自律神経を整え、疲労物質の分解を促すべきだろうと結論を出したナルトであったが、その前に彼にはやることがある。

 

「目に入れぬよう目を閉じて送っていこう」

 

 そうタオル姿の女神たちへと背を向けながら声を掛けたナルトの頬は、湯の影響とは違う影響で朱に染まっていたそうな。

 

 +++

 

「悪いの、エビス……教え子を横取りしちまってのォ……」

「いえ! ……それよりも驚きました。火影様がアナタの行方をずっと探させていて一向に消息が掴めなかったのに……まさか、この里におられたとは」

 

 その夜、意識を取り戻したエビスはガマ仙人──自来也──へと詰め寄っていた。場所は自来也が誘った宿の屋上。ここならば誰にも話を聞かれることはないし、例え、自来也とエビスの目から隠れ通して話を聞くことはできないだろう。

 一度、周りに感覚を伸ばしたエビスは誰もいないことを確認して核心に迫る。

 

「……では、大蛇丸のことで……」

「イヤ、残念ながら違うっての」

「え?」

 

 エビスの予想は自来也が大蛇丸を追って木ノ葉隠れの里に戻ってきたのではないかというもの。しかし、それは自来也本人から、にべもなく否定される。

 

「ワシはただ小説のネタ探しに里に寄っただけだ。面倒には首を突っ込まねェータイプなんでのォ!」

「……!!」

 

 自来也のふざけた態度にサングラスの奥でエビスの目が怒りを灯した。

 

「アナタも分かっているハズです! 三忍と謳われた大蛇丸を止めるには同じ三忍の一人……あなたの力が必要なのです!」

 

 体を自来也へと向けたエビスは両手を広げて信じられないと言外で語る。

 

「……自来也様!」

 

 自来也はエビスの目を正面から見つめた。

 これより後のことは誰も知らない。二人を宵闇が包み込み、姿を隠していく。忍は闇から闇へと動くもの。この夜のことが明るみになることは、これからもないだろう。

 



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修行、開始……!

 轟々と流れる滝の音。その下では水を切る音が断続的に続いている。

 

 ──ハァ……一体全体、どうしてこうなってしまったのかのォ。

 

 太陽に煌めく水飛沫を瞳に映しながら、自来也は完全に死んだ表情を滝壺へと向ける。

 そこには水を切って進むナルトの姿があった。バタフライをしながら速い水の流れに逆らうナルトの筋肉は艶やかである。

 

 ──水着のネーチャンだったら嬉しかったというのに。

 

 自来也は肌にピッタリと張り付くナルトのV字の黒い下着姿をなるべく目に入れないようにして大きく溜息を吐いたのだった。

 そうして、彼は思い返す。なぜ、自分が滝に向かって泳ぐナルトを見ているという嬉しくない状況に陥ってしまったのかと。

 

 ///

 

「さて、術を伝授するぞ」

「押忍!」

 

 意気揚々と修行場所、木ノ葉隠れの里の近くにある滝にナルトを案内した自来也は正面に立つナルトを見上げる。

 

「その前に昨日話していた2種類のチャクラの話を覚えとるかのォ?」

「無論」

「では、今すぐ違うチャクラを練り込んでみろ」

「承知」

 

 ナルトは印を組み、己の内へと集中していく。腹の中央からチャクラが全身へと流れていき、ナルトの体を満たしていく。しかし、足りない。ナルトは更に集中力を高めていく。

 深く深く、無我へと向かうナルト。昂る精神を抑え、そして、抑えていることすら認識できないほどにナルトは自己の内側へと向かっていった。

 

 ──ここだ!

 

 ナルトはカッと目を大きく開いた。“何か”を掴んだ。その感覚を現実世界へとナルトは持っていく。

 

「喝ッ!」

 

 ナルトの体から猛烈な勢いをもってチャクラが噴き出した。

 

「のわッ!」

 

 それを正面から受けて自来也は吹き飛ぶ。油断していなければ、どうということはなかったであろうが、まさかチャクラを練り上げるだけで攻撃に転化できるとは考えになかった自来也である。仙人と言えども、吹き飛ばされるのは仕方のないことだろう。

 ゴロゴロと地面を転がり、止まった自来也はガバッと身を起こしてナルトに怒鳴る。

 

「ちったぁ気を付けろ!」

「む! すまない、師よ」

「……“師”?」

「違うのか?」

「いや、そうだの。ワシはお前の……師だ」

 

 ──“師”か。悪くねーのォ。

 

 かつては“先生”と多くの者より呼ばれた自来也であるが直接、顔を向かい合わせて“師”と呼ばれたことはなかった。それは自来也の人当たりのいい性格に起因するのだろう。自来也自身もそれでいいと考えていた。親しみを感じられる“先生”という呼び名の方が性に合っている、と。

 だが、“師”と呼ばれると、弟子を厳格ながらも優しく見つめる仙人のように自分を感じることができることに気付いた自来也は破顔させる。

 

 ナルトの“師”という言葉でいたく機嫌を直した自来也は地面に手をついて立ち上がった。今度は吹き飛ばされないように足にチャクラを集めて地面に吸着した自来也は腕組みをしてナルトを見遣る。

 

「今のは少し違ったのォ。今度はもっと丁寧にチャクラを練ってみろ」

「承知」

 

 集中し直すために目を閉じたナルトを自来也は鋭い目で見つめる。

 

 先ほど、ナルトから噴出されたチャクラは確かに自来也を吹き飛ばすほどに大きなものであった。だが、それは弾みで出てしまったナルト自身のチャクラ。自来也が求めているナルトの内にあるチャクラではない。その上、ナルトのチャクラは不安定である。ところが、忍術の発動には安定したチャクラが必要だ。

 ナルトが自身のチャクラを完全にコントロールできるのならば何も問題はない。だが、ナルトが自分のように、いや、自分以上に不器用であると感じ取った自来也は安定した大きなチャクラとしてナルトの内にあるチャクラをコントロールする方がナルトには向いていると考えた。

 

 自来也が見守る中、ナルトがゆっくりと目を開けた。

 その表情から結果は分かっているものの、自来也はナルトへと結果を尋ねる。

 

「で、今のチャクラは?」

「違った。己のチャクラだ」

 

 それもそうだろうと自来也は心の中で頷く。そもそも、ナルトの内にあるチャクラを完全にコントロールすることが出来得る人物など、御伽噺や伝説の中の登場するような者だけ。若干12歳のナルトにコントロールをしろという方が無理な話である。

 しかしながら、これから自分がナルトへと教える術は、そのチャクラをコントロールしなくては今のナルトには扱う事ができない術である。弟子よりも早く諦める師が何処にいようというのか?

 そうであるからして、自来也はナルトが答えに気付くように声を掛けるのであった。

 

「どういう時に別のチャクラを感じた?」

(たの)しい戦いの時だ」

「お前……ちと危ない奴だのォ」

「漢に生まれたからには闘いを愉しむことが一番であろう?」

 

三代目火影(ジジイ)が聞いたら卒倒するな』

 

 眉がヒクつく感覚を覚えながら、自来也はナルトを見つめて溜息を吐く。

 気を取り直して、少し真面目な顔付きに戻して彼は指をナルトへと向けた。

 

「今からお前に教える術は特別なチャクラ……つまり、バカでかいチャクラが必要だ。それをいつでも引き出して利用できるようにするのが今からお前にさせる修行なんだの」

「つまり、何をすればいい?」

「チャクラを使い切れ」

「承知!」

 

 ///

 

 そう言ってナルトは川に飛び込み、滝に向かって泳いでいった。

 それを見つめ続ける自来也の脳裏に『自然の“流れるプール”みたいだな』という思考が一瞬だけ浮かび、一瞬で消えていく。それほどまでに、今の自来也の精神状態は危ういものであった。無気力状態というのが一番近い。

 

「…………」

 

 虚無へと陥った自来也がナルトの泳ぎを見つめること早5時間。太陽が頭上から照り付ける暑い季節である。冷たい滝に逆らう登り竜を見つめること早5時間である。

 有酸素運動は確かにチャクラの消費に関して有効な手段である。チャクラの源となるスタミナを使うためには体を動かすことが一番手っ取り早い。そして、今、ナルトが行っている“泳ぐ”という行為は全身の筋肉を使う上に水の抵抗も加わり、更に疲労によるフォームの乱れからスタミナは加速度的に消費される。普通の人間ならば。

 

 一度の休憩もなく自らの体を苛め抜くナルトを見て自来也は、改めてナルトの異常性に気が付いた。常軌を逸したスタミナ。

 ランニングマシーンを使って走り続けるのならば、まだ理解できる。実際、多くの忍は5時間のランニングなど屁でもないだろう。だが、全身の筋肉を隈なく使う水泳で5時間だ。多くの忍は5時間泳ぎ続けるなど不可能だというだろう。

 しかしながら、限界などあるわけないと言うようにナルトは泳ぎ続ける。トップアスリートは言葉でなく、競技内のプレーやその生き様で語るというが、バタフライで泳ぎ続けるナルトの姿はそれと同様であった。見る者が自来也ではなければ、一心不乱に泳ぎ続けるナルトの姿に感動し涙を流したことだろう。

 

「おい……」

 

 ところが、自来也はナルトの生き様には感動をしなかった。

 彼はただただ引いていた。そこまで体を苛め抜いて何が楽しいのか? ただキツイだけだろう? もう止めとけ、見ているこっちが辛い。

 

 誰しも一度はあるだろう。

 公園で一心不乱に懸垂をしている者を見て、『なぜ、そこまでするのか? 金も発生しないのに。ほら、顔が真っ赤じゃないか。……いや、それ以上はマズイって! 顔が赤くなるほど力を入れて懸垂しなくてもいいじゃん!』と思うような経験が。

 そして、そのような経験をした後、懸垂をする者を見ていた者が誰もいない公園でこっそりと懸垂をして初めて理解するのだ。これが……そう、これをあの人は求めていたのだと理解するのだ。

 

 それがナルトの中の常識であった。

 鍛えなければ憧れの(火影)を超えることなど出来はしない。だからこそ、一心不乱に泳ぐ、鍛える、力を籠める。遠くに見える背中を越えるために。

 

 だが、背中は遠い。

 

 ナルトの視界に気泡がいくつも入る。

 水の中か、それとも空の中か? 息もできない所へと潜り込んでしまったナルトは口から空気を吐き出してしまう。目の前が透明の泡で再び覆われた。

 透明に濁る中、ナルトは減圧症のダイバーのように茫洋とした視線を彷徨わせる。

 

 光が見えた。

 

「やっと……」

 

 ナルトの髪から流れ落ちた水が水面に立つ自来也の足元──ナルトの腰の辺り──に波紋を作る。

 腕を掴まれ、水の中から引き上げられたのだとナルトは理解した。次いで、感じるのは自分の足が川の底の地面についたということ。自来也がナルトを引き摺り、岸辺へと移動させた証拠だ。

 

 ──息が……できる。

 

 体内の酸素と二酸化炭素の交換が可能になったことでナルトの意識は段々とハッキリしてきた。と、ナルトの視界に呆れ顔の自来也が映る。

 

「……やっとほとんどのチャクラを使い切ったようだのォ」

「まだまだ……」

「いやいやいや、待てェ!」

 

 自来也はフラフラと再び川へと向かおうとするナルトの腰に抱き着き、渾身の力を籠めて彼の巨体を止める。

 

 ──これ以上は間違いなく死ぬ!

 

 自来也は頭をフル回転させる。

 体を鍛えているナルトと言っても、これ以上の運動は危険だ。筋肉を傷めつけ、痛めつけ、悼み続けるナルトは無我の境地に至っている。今のナルトはトレーニングのことしか考えることしかできない精神状態だ。

 

 だからこそ、危険である。特に、水辺のトレーニングは非常に危険だ。

 例えば、水泳中にトレーニングのし過ぎで足が攣ってしまったとしよう。そうなれば、泳ぐことで浮力を得ていた体は浮力を失い、最終的には水に沈む。その時には、泳がずに浮力を得るためには息を吸って肺に空気を入れ続ければいい。だが、大抵の人間は足が攣った時、痛みでパニックに陥る。そうなればもう、後は沈むしかない。救助が来たとしても、多くの水を飲み込んでいることだろう。

 

 ──それだけは! それだけは避けなければならん!

 

 ナルトが溺れた後を想像して自来也は身を震わせる。

 水を飲み込み、息が止まったナルトを岸に横たえる。これまでなら、いい。これまでなら、問題はない。

 問題は、その後だ。

 

 ──ナルトに人工呼吸をするのは絶対に! 絶対に! 絶対に! 絶対に避けなければならん!

 

 身長196cm、体重115kgの漢に医療行為だとしても、口付けをすることに自来也は忌避感を覚えるのであった。

 そのような訳で、自来也はナルトを押し留めているものの、疲れているとはいえナルトの力強い動きを止めることはできなかった。

 額から傍で流れている滝のように大量の汗を流しながら『どうにかしないとヤバイ!』と考える自来也。彼の脳内でシナプスが活性化する。電気信号が行き来し、昔の記憶、体験、知識を総動員して答えを探す。

 

 ──そうだ!!!

 

「これからお前に教える術は! 口寄せの術だ!」

「……口寄せの術?」

「そうだ! あらゆる生き物と血で契約を交わしておき、好きな時に忍術で呼び出す! 時空間忍術の一種だ!」

 

 ──勝った!

 

 今している修行の詳細について知ろうと動きを止めたナルトを見て、自来也はナルトを止めることに成功したと確信した。『教える術の詳細をナルトに伝えていなかった過去の自分、ナイス!』と心の中で少し前の自身へと感謝する自来也は、この機を逃す訳にはいかないというように言葉をナルトへと畳みかける。

 

「まず、ワシがやってみせるからのォ……よく見とけ!」

 

 間髪入れずに自来也は指を噛み、血を流す。

 流れる血を気にすることなく、彼は印を組んだ後、地面に掌を叩きつけると煙が濛々とあがる。その中に顕れたのは昨日、自来也が呼んだ大蝦蟇であった。

 

 口寄せの術で呼ばれた蝦蟇が舌をナルトに向かって伸ばす。ナルトへと巻物を差し出すかのような蝦蟇の仕草。ナルトは一つ頷いて、蝦蟇の舌から巻物を受け取る。

 

「これはワシが代々引き継ぐ口寄せの蝦蟇たちとの契約書だ。自分の血で名を書き、その下に……片手の指、全ての指紋を血で押せ」

 

 巻物を開くナルトへと自来也は、やっと師である自分が主導権を得たということを実感しながらナルトに口寄せの術の説明を行っていく。

 

「あとは呼び出したい場所にチャクラを練って契約した方の手を置く。印は“亥 戌 酉 申 未”だ」

 

 印をナルトに教えた自来也は彼から少し距離を取る。

 

「今のお前は特別なチャクラが出やすくなってるからのォ! 一度、やってみろ!」

「無論!」

 

 印を組み上げたナルトは掌を地面に叩きつける。

 

「口寄せの術!」

 

 煙が上がり、そして、晴れた。

 

「……」

 

 ナルトの掌型に凹んだ地面の傍で一匹の動物がピチピチと可愛らしく跳ねる。

 

 ──お……おたまじゃくし……やっぱり、こいつ才能ないのォ。

 

 口寄せの術で顕れたおたまじゃくしは、もう自分の出番は済んだだろうと言わんばかりに、顕れ出た時と同じ煙を出して姿を晦ました。

 それを見たナルトは大きく息を吸い、そして、吐く。

 

「口寄せの術!」

 

 ナルトが再び印を組んで掌を地面に押し付ける様子を見て、自来也は目を丸くする。

 だが、結果は失敗。

 

「口寄せの術!」

 

 先ほどと同じような失敗だ。

 

「口寄せの術!」

 

 おたまじゃくしが姿を顕しては姿を晦ます。また失敗。

 

「口寄せの術!」

 

 失敗。

 

「口寄せの術!」

 

 失敗。

 

「口寄せの術!」

 

 失敗。

 

 自来也は驚いていた。

 失敗しても、めげずに何度も何度も何度も反復する。

 失敗を成功の糧とする。

 失敗は挑戦だ。

 そのことを理解しているナルトは時間が惜しいというように息巻いて何度も印を切る。

 

 ──ただ……不器用だのォ。

 

 まるで昔の自分を見ているようだ。

 いや、昔の自分がなりたかった理想の姿が目の前にあるような不思議な感覚。

 

 ──ド根性、か。

 

 自来也は優しい笑みを浮かべる。

 ただ、彼の笑みは誰にも見られることはなく、ナルトが立ち上げる煙の中に消えていった。

 

 +++

 

 ──まさか、これほどとは。

 

 息を切らすサクラを、腕組みをしてジッと見つめる男がいた。瘦せ型の体型、猫のような目、そして、ヘッドギア型の額当てには木ノ葉の紋が刻まれている。

 彼の名はテンゾウ。

 カカシの後輩である彼は先輩からの頼みを断り切れず、サクラに修行をつけている。テンゾウは優秀な忍ばかりを集めた木ノ葉の暗部に所属しており、彼は暇ではない。命を救われたこともある恩義あるカカシの頼みでなければ一蹴していたであろう。

 確かに、初めはサクラに修行をつけることを嫌がっていたテンゾウだったが、今は違う。

 

 テンゾウは腕組みをして、サクラから濡れた地面へと目線を移す。

 ポタポタとサクラの額から止めどなく流れ落ちる汗が水浸しになった地面に溶け込んでいく。

 その成果はテンゾウの予想の範疇、いや、常識を超えていた。

 

『なるほど、カカシ先輩が優秀だと言う訳だ』とサクラに見えないように頷いたテンゾウは肩で息をするサクラへと近づく。

 

「サクラ、休憩を……」

「もう少しだけッ! ……もう少しで掴めそうなんです」

「そうか」

 

 一度、目を閉じたテンゾウはゆっくりと静かに息を長く吐く。

 確かに、今は休憩させた方がサクラの小さな体のためには良いだろう。しかし、心はどうだ? 今、休憩させるのは彼女の心のためには良いだろうかと自問自答したテンゾウは右手に対立の印を作り、それをサクラへと向ける。

 

「それじゃあ、復習をしようか。準備はいいね、サクラ?」

「ふぅ……はい!」

 

 息を整えたサクラはテンゾウからの教えを頭の中で反芻し、そして、教え通りに彼へと向かい攻撃を繰り出す。

 

 まだ完璧に使いこなせていないと、自分の成長の遅さに歯噛みしながら。

 

 テンゾウは自分からサクラに教えた事を頭の中で反芻し、そして、教え通りに自らに迫る彼女の攻撃を受け止める。

 

 未完成ながらも光るものがあると、サクラの成長の早さに歓喜しながら。

 

 +++

 

 所変わって、木ノ葉の里の中でも高い岩山の上。その頂上には、かつて、巨大な岩が鎮座していた。

 

「クッ……」

 

 青い服の少年──サスケ──が呻くと、彼の眼が赤から黒へと戻る。チャクラが少なくなり、写輪眼の発動が強制的に止められたためだ。

 

「ま! そんなに焦るな」

「……」

 

 後ろから聞こえてきた声にサスケは反応を示さない。サスケが振り向けば、驚いたことだろう。のらりくらりとした普段の雰囲気とは違い、締まった雰囲気を醸している今のカカシの様子に。

 

「そこまで自分を追い込む必要はない。お前ならすぐに追いつける」

「すぐに追いつけるなら……苦労はない。すぐに筋肉がつくなら……簡単だ」

「焦るな、サスケ」

「焦って……ない」

「……なあ、サスケ」

「なん……だ?」

「少し、足の速さを緩めてみたらどうだ?」

「……断る。それに……足の速さが……必要だと……フンッ……言ったのは……お前だ……カカシ」

「なあ、サスケ。確かに、オレがこれから教える術は足の速さが必要だとは言った」

「ああ……」

「だからって……。ダンベルを担いでスクワットするのは違うぞ」

 

 ガシャンと音が空へと響き渡った。カカシの言葉に驚いたサスケが担いでいたダンベルを地面に落とした音だ。

 

「違うぞ」

 

 再度、否定の言葉を口にしたカカシは前途多難だと溜息をついた。

 

 ──オレに似たタイプだと思っていたんだけどな。

 

 そう心の中で呟くカカシの目はどこか遠くを見ていたそうな。

 



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邂逅・狐

 ナルトの自来也との修行は早くも三週間が過ぎた。

 中忍試験本選まで与えられた猶予期間、その半分以上を使い切っている状況だ。

 

「口寄せの術!」

 

 煙が上がり、そして、晴れる。口寄せの術で呼び寄せられたのは橙色の両生類である。

 

「……」

 

 言われてみれば、蛙に近い。しかし、蛙ではない。四肢は生えそろっているものの、その手足は脆弱という言葉を形にしたかのように弱々しく細いものであった。そして、蛙との大きな違いとして、ナルトが口寄せの術で呼び寄せた両生類には尻尾があった。

 形は蛙に近いが、その尻からは尻尾が生えている。まだ成体に成り切れていない蛙の幼体だ。

 これはそう、失敗である。

 

「口寄せの術!」

 

 何度、繰り返してきただろうか?

 着実に一歩一歩進んできたナルトの修行であるが、そのスピードは遅々としたもの。このままのスピードでは、中忍試験本選に間に合う事はないだろうとナルトを傍で見守る自来也は考えていた。

 チャクラを練ること自体は出来ている。然れども、それを最適な量にコントロールすることが出来ていない。

 

 ──思うに……大量のチャクラを使うことに拒否感があるんだろうのォ。

 

 口寄せの術の会得難易度はそう高いものではない。体術しか鍛えていない忍であろうが、ある程度の修行を行えば出来るようになる術である。習得が遅い者でも一週間あれば出来るようになる術だ。更に言えば、その“ある程度”という修行も今、ナルトが行うような何日も休みなく印を組み続けるといった過酷な修行は必要ない。精々、任務の後、3時間ほどの修行を一ヶ月続ける程度で習得することが出来るような術である。

 

 しかしながら、ナルトは習得できなかった。

 練り上げたチャクラだけで、油断していたとはいえ歴戦の忍である自来也を吹き飛ばすことが出来るほどのチャクラ量をナルトは持っている。術の発動のためのチャクラは十分ある。ならば、あとはチャクラのコントロールのみ。そして、そのコントロールは座学だけでは到底、到達することができない“経験”によってのみ獲得することができる。

 

『ならば』と、これからの修行の方針を固めた自来也はナルトに視線を向ける。

 だが、自来也の視線のナルトは倒れ伏していた。

 

 自来也は履いている高下駄の歯を石に当てて音を鳴らす。

 

 とうとう気を失ったか。無理もない。この21日間の修行、根性だけで続けとるよーなもんじゃからのォ。望むときに巨大な“九尾のチャクラ”を引っ張り出し利用する。確かに、このコントロールは難しい。そもそも、九尾をコントロールできたのは長い忍の歴史の中でも数人しかいない。

 

 頭の中で考えを纏めた自来也は動かないナルトの元へ、ゆっくりと近づく。

 

 ──身の危険や感情の昂りが九尾のチャクラを引き出す鍵なら……その鍵の使い方を体で。

 

「……」

 

 ──覚えさせる……。

 

「……」

 

 ──そう、覚えさせる……。

 

「……」

 

 ──覚えさせる……までだ……っておッもッいのォ、コイツ!

 

「……チッ。口寄せの術」

 

 一つ舌打ちをした自来也は大蝦蟇を時空間忍術で呼び寄せ、蝦蟇の背にえっちらおっちらとナルトの体を乗せる。

 弟子より先に諦めることは有り得ないと考えている自来也であるが、これは諦めたのではなく効率的な方法を採っただけのことと自分を納得させた彼は蒼天を仰ぎ見る。

 

 ──そうだろう? 四代目よ……!

 

 +++

 

「む!?」

 

 目を開けると同時にナルトは機敏な動作で立ち上がる。人前では決して疲れを見せないナルトは体が悲鳴を上げていることを認識していないかのように動く。

 

「師よ、済まぬ。少し寝てしまっていたようだ」

「……」

「すぐに修行を再開する」

「いや、待て」

「どうされた?」

「……修行は今日までだ」

「愛想尽きた、ということか。いや、尤もである。全ては覚えが悪い己の責任。今日まで付き合って頂き感謝する」

「……。死にたくなかったら自分でなんとかしろ……のォ……」

 

 話が通じていない。

 そうナルトが感じたと同時に引き締まった大胸筋下部が押された。普段ならば、多少押されたところでビクともしない。巨石を連想させるナルトの大胸筋であるが、今の彼は非常に危うい状態となっていた。例えるならば、切り立った崖の端に置かれた巨石。

 21日間、休むことがなかったナルトの体調は最低と言ってもいいほどのものであった。

 そして、自来也の一押しは崖から巨石を突き落とす結果となった。

 

「!?」

 

 自来也の押す力を受け止めることができなかったナルトの体は下へ下へと落ちて行く。

 自身の逆立った髪が風に煽られ、上へと流れて行くことを感じながらナルトは落ちて行く。

 

 ──さて、お前に与えられた力が本当にお前のためのものかどうか……見ものだな。

 

 小さくなっていくナルトの体を崖の上から見下ろしながら自来也は険しい表情を浮かべていた。

 小さくなっていく自来也の体を崖の下から見上げながらナルトは険しい表情を浮かべていた。

 

 ──このままでは……死ぬ。

 

 右手に渾身の力を籠め、ナルトは手を伸ばす。彼の手が向かう先は崖から伸びた岩である。水や空気の浸食で円錐状となった岩が無数に突き出ている崖の表面。ナルトの手が岩へと当たる。

 

「む!?」

 

 だが、力が入り過ぎたようだ。

 ナルトの体重を受け止めることができなかった岩はあっさりと崩れ去り、石となる。上から手を叩きつけたせいで落ちるナルトよりも先に下に向かう石。

 

 “死ぬ”

 

 そう言葉では理解していても、今までは実感が足りなかった。崖下へと速いスピードで落ちて行く石を見て、そこで初めてナルトは実感した。

 

 ──このままでは……死ぬ!

 

 自分の体のどこかが蠢いた感覚を最後にナルトは現実から切り離された。

 

「……む? むむ!?」

 

 廊下だ。

 ナルトの視界が一瞬にして変わっていた。

 

 確か、自分は崖の上から落ちていたハズだとナルトは小首を傾げる。ここは一体どこであろうかと辺りを見渡すが、見えるのはコンクリートで出来た廊下だけだ。

 ナルトは下に視線を移す。自分の顔が見えた。水だ。水が溜まっている廊下の床が自分の顔を映している。

 ナルトは上に視線を移す。自分の顔が見えた。パイプだ。銀色のパイプが自分の顔を映している。

 

 全く知らない場所。

 ここはどこだと問い掛けることが出来るような人間もいない。

 

 そう、人間はいなかった。

 

「オオオオオオ!」

 

 物悲しい、獣の鳴き声がナルトの耳に届いた。間髪入れず、ナルトは獣の声が聞こえた方向へと向かう。

 どこかで悲しむモノがいる。それが人でも、例え、獣でも見過ごすことは出来ない。それはナルトが己に刻み込んだ漢の矜持。

 そう、禍々しいチャクラを発していたとしても悲しむ声がある限り、ナルトは助力を惜しむことはない。

 

 ある部屋に入った瞬間、ナルトの感覚器官全てが冷たさを感じた。

 しかし、全身の肌が粟立つような冷たいチャクラの中に全身を浸そうがナルトは進むことを止めない。

 かくして、ナルトの足が止まったのは冷たいチャクラが湧き出る源の前。それを隠すように存在しているボロボロの檻の前であった。

 その檻の中の獣が自分の前に立つナルトの姿を見て、目を細める。

 

「小僧ゥウ。もっと近くへ……来い」

「窮屈そうだな。出そう」

「やめろォ!」

 

 一瞬の躊躇いもなく、檻に手をかけるナルトに向かって檻の中のモノは叫ぶ。

 まるで、自分を檻から出すなというような獣に向かってナルトは疑問を口にする。

 

「何故? 貴殿は辛くはないのか?」

「辛いなど……ワシにそんな感情が在る訳なかろう」

「強がらなくてもよい。己が来たからには大丈夫だ。出そう」

「だから、やめろと言っている!」

「しかし……」

「ワシをここから出せば……」

 

 獣は檻の中、闇の中で歯を剝き出した。

 

「お前は死ぬぞ」

「む!?」

 

 思い出した。

 崖から落ちていることを。

 思い出した。

 あの日の言葉を。

 

『ナルトの正体がバケ狐だと口にしない掟だ』

 

 思い出した。

 恐怖を。

 

『つまり、お前が──イルカの両親を殺し──里を壊滅させた九尾の妖狐なんだよ!』

 

 ──違った。

 

 ナルトは檻の獣に視線を注ぐ。

 

 ──己は九尾の妖狐などではなかった。

 

 鋭い爪、鋭い牙。

 

 ──九尾の妖狐。それは……。

 

 橙色の巨大な体。

 

「貴殿であったか。九尾殿(どの)

 

 薄暗い闇の中で九尾の狐はニタリと口角を上げた。

 

「随分と頭の回転が鈍いな、貴様は。あと、九尾“殿”とつけるのは止めろ。気色が悪い」

「では、狐殿と」

「……」

 

 これ以上の問答は無駄だと感じたのだろう。九尾の妖狐は沈黙を返す。

 沈黙を受諾と受け取ったナルトは息を整え、唇を噛み締める。それは、ナルトにとって苦しいこと。これから行う頼みは最早、九尾の妖狐に対する強迫に近い。そのことをナルトは理解し過ぎている。例え、ナルトの頼みによる結果が九尾の妖狐の命を救う事であろうとも、そのための過程を無視することなど到底できるハズがなかった。

 だからこそ、ナルトは痛いほどに唇を噛み締め、請うのだった。

 

「狐殿。頼みがある」

「なんだ?」

「チャクラを借り受けたい」

「何故だ?」

「生きるため」

「何のために?」

「決まっている」

 

 ナルトは大きく息を吸い込む。

 

「貴殿と己は一蓮托生! 今、向かうは絶望! だが、ここに在るは希望!」

 

 檻に隔てられている九尾の妖狐の圧力に負けないようにナルトは自身を自身の声で鼓舞する。

 

「力を合わせ、掴み取る! 我が命、そして、貴殿の命! ここに“()()は、命の約束は結ばれん!」

 

 ナルトは檻の中へと右腕を入れた。

 今はこの距離がナルトの九尾の妖狐との限界値。これ以上、踏み込むことは九尾の妖狐の心に土足で上がり込むようなものだとナルトは無意識の内に理解していた。

 

 だからこそ……。

 

「フン……。ワシの命を救う、か。確かに、このまま崖の下に落ち、貴様が死ぬとワシも死ぬ。そう、脅せばいいものを……」

 

 九尾の妖狐はナルトの大きな拳に自らの拳を当てる。

 

「……やはり貴様は度し難い」

 

 ……彼は力を貸す気になったのだろう。

 

 自分の体のどこかが蠢いた感覚を最後にナルトは現実へと引き戻された。

 

「……む? むむ!?」

 

 ──力が漲る!

 

 意気軒高と言わんばかりにナルトは親指を噛む。亥 戌 酉 申 未と印を組む。ナルトは確信する。

 流した血が、これまでの汗が、21日間の時間が成果を形作ることを。

 

「口寄せの術!」

 

 空間に術式が浮かび上がる。次いで上がる大量の煙。

 

「……良くやった」

 

 上で見下ろす自来也は満足げに頷く。

 眼下には確かにナルトの修行の成果が顕れ出ていた。家と比べても尚、大きい。巨大な蝦蟇がナルトを頭に乗せて、崖の両端に両手両足で下に落ちないように踏ん張っていた。

 

「感謝を……狐殿」

 



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邂逅・蝦蟇

 呼び寄せた蝦蟇の上に堂々と立つナルトは九尾の妖狐へと感謝を述べる。

 自来也との修行21日目にして、彼はようやく至ったのだ。口寄せの術、そして、自身の中にいるモノの正体へと。

 産まれてこの日までの謎の正体の判明。そして、己の内側にいる九尾の妖狐との会話。時間は確かに少なかったものの、心は通い合わせることができた。存在すらも認識できなかった今までと比べ、大きな進歩である。

 ナルトの心は実に晴れやかであった。

 

 しかしながら、ナルトの感謝の言葉を聞いて納得しないモノがいた。

 

「ワリャ……ワシの頭の上に乗っかって別の奴に挨拶するたァ……嘗めとんのか?」

「む! 失礼した」

 

 ナルトは声が聞こえてきた方向へと目を向け、跪く。

 

「貴殿に謝罪を。そして、感謝を、蝦蟇殿」

「ホォ……」

 

 ナルトに声を掛けてきたのは口寄せの術で呼び寄せられた巨大な蝦蟇である。

 蝦蟇は品定めをするかの如く、自分の体の上で跪いたナルトの一挙手一投足を観察する。

 

 どうやら、自分を呼んだ人間は礼節を重んじる性格のようだと大蝦蟇は当たりをつける。忍という輩は大抵の場合、口寄せの術を使う時は面倒事の最中であることが多い。

 その上、聞いた話では敵の攻撃から身を守るための盾として口寄せされた生き物を使う輩もいるらしい。

 そうであるから、大蝦蟇は忍自体に良い印象を持っていなかった。

 

 だが、この度、自分を呼んだ人物は傲り高ぶる訳でもなく、少しばかりの注意で態度を改めて、畏敬の念を持って自分に接している。

 そして、鍛え上げられた良い肉体をしている。根性もありそうだ。

 

「気に入った! (さかずき)を交しちゃろう!」

「申し訳ないが己は12。酒は飲めぬ故に、その申し出……断らざるを得ない」

「ガハハハハハ! 嘘、言っちゃあいけんのォ! ワリァ、12歳の人間にゃ見えん!」

「しかし、事実は事実。それに、蝦蟇殿の容貌魁偉な体に比べれば己の身は矮小そのもの」

「ワシと人間を比べちゃあ……は? 12歳?」

「然り」

 

『人間と蝦蟇の体を比べて落ち込むたぁお前、どこに向かおうとしとるんじゃ?』と笑いながら沈んだ声を出すナルトに話しかけようとした大蝦蟇はその言葉を喉の奥に押し込んだ。

 

 ──12歳?

 

 やっと違和感に気が付いた大蝦蟇は怖々と自分の上にいる人間がいる方向へと目を向ける。

 嘘は言っていない。そもそも、自分の上に立つ人間は嘘を吐くような性格はしていないことを、多くの人間を見てきた大蝦蟇は十二分に理解していた。

 ならば、人間が言うことは本当のことなのだろう。例え、自分の頭に感じる重みが12歳の少年の体重どころか大の男でも到達し得ないほどの重みだとしても、大蝦蟇は頭に乗る彼の言を信じる他になかった。

 

 大蝦蟇は少年とは思えない少年の言葉を思い返す。

 どうやら、弱冠12歳の少年が自分を呼んだらしい。普通ならば、どうあがこうが自分を呼ぶにはチャクラが足りない年齢にも関わらず口寄せの術で自分を呼ぶことに成功したという事実は大蝦蟇に感嘆を覚えさせた。

 

 ──この人間が欲しい。

 

 ナルトが行った口寄せの術は大蝦蟇にそう思わせるほどの成果であった。

 

「おい」

「む? 如何(いかが)された?」

「盃を交わせん言うちょったな?」

「然り。己は未熟者(ゆえ)

「なら、同盟を結ぶいうんはどうじゃ?」

「同盟?」

「そうじゃ。お前が困った時にはワシャ全力でお前を助けちゃる」

「そして、蝦蟇殿の危機には己が駆けつけるということか」

「ああ。で、返事は?」

 

 ナルトは難しい顔をして腕組みをする。少し時間を置いてナルトは口を開いた。

 

「一つ、聞いてもよろしいか?」

「なんじゃ?」

「貴殿はその(かいな)に善を抱くものか否か?」

 

 善を抱くものか否か?

 

 この答えを間違えば、自分の上に立つ男は自分に見切りをつけるだろう。そして、上の男は嘘を許すような人間ではない。心にもない事を言った瞬間、この交渉は破談する。

 尋常ではない緊張感が大蝦蟇を包み込む。

 

 ──試されている!

 

 今まで多くの人間を試してきたこともある大蝦蟇であったが、人間から試されるのはこれが最初で最後の経験だろう。

 

 善を抱くものか否か?

 

 普通に考えれば答えは簡単だ。頷くだけでいい。事実、大蝦蟇は曲がったことを許すことができない性格。罪には罰を、邪道には正道を以って、これまで戦ってきた。腕に抱くのは確かに“善”である。

 

『だが……』と大蝦蟇は考える。

 罪を裁くために振るわれた刃は善なのか? 心は善だと声を大にして言う事ができる。

 だが、行為はどうだ?

 刃を振るうこと。例え、正義という名の錦の旗の元で行われた行為でも、刃を振るうことは悪ではないか?

 そう大蝦蟇は考えたのだ。

 

 自分が今までしてきたことは間違いではない。だが、純粋ではない。

 正しく、そして、汚れている。

 ならば、自分が腕に抱くのは……。

 

「ワシが抱くのは……」

 

 自分の中の答えを探し、振り絞るように大蝦蟇は声を出す。

 

「……矜持じゃ!」

 

 大蝦蟇はキッと表情を固くする。それは彼の信念が面に出てきたようなもの。

 

「“道”を違えたりしちゃあいけん。そう言い聞かせてワシャ生きてきた。確かにワシの手は血に汚れちょる。じゃが、ワシはそれを誇っとる!」

何故(なにゆえ)?」

「守ってきたからじゃ」

「……」

 

 ──守ってきたから。

 

 “何を”と聞くまでもない。ナルトは大蝦蟇が守ってきたものの正体を悟った。それは“弱いもの”であることに間違いない。そして、それが大蝦蟇の矜持なのだろう。

 

 弱きを助け、強きを挫く。

 

 それは例え、自らが傷付いたとしても。

 それは例え、自らが血に塗れたとしても。

 決して……決して譲る事のできない心の芯。

 それは漢の資格、大和魂であろう。

 

 ここに、大蝦蟇とナルトの想いは一致した。

 

「蝦蟇殿」

「何じゃ?」

「盃は交わせぬが、よろしく頼む。己は貴殿と共に歩みたい」

「その言葉を待っちょった。……ヨッ!」

 

 大蝦蟇は崖に突っ張っていた手足に力を籠め、一気に崖の上まで跳躍する。地響きを起こしながら崖の上に大蝦蟇は着地した。崖の上には既に自来也の姿はない。しかし、崖の上には、これ見よがしに拡げられた巻物があった。

 大蝦蟇は巻物に血で書かれていた一つの名前を見つめる。自来也の一つ左隣に書かれていた名は知っている。だが、その名の左隣の名は知らない。

 彼の知識にない名は巻物に書かれていた他の名よりも力強かった。

 

 ──うずまきナルト、か。

 

 と、大蝦蟇の視線に肌色が上から下へと降ってくる。

 

「申し遅れた」

 

 大蝦蟇の頭から巻物の前に降り立ったナルトは大蝦蟇を見上げて口を開く。

 

「己は貴殿と共に歩む者」

「うずまきナルト……じゃろ?」

「む?」

「いい名じゃ」

 

 何故、自分の名を知っているのか?

 困惑に包まれたナルトの表情を見て、大蝦蟇は笑みを浮かべる。

 

「ブン太」

 

 大蝦蟇は口を開いた。

 

「蝦蟇ブン太。ワシの名じゃ」

「委細承知した、ブン太殿。しからば、己も改めて名乗らせて貰うのが礼儀」

 

 兎に角、名乗られたならば名乗り返さなくてはならない。ブン太と名乗った大蝦蟇が何故、自分の名を知っているのか疑問は覚えたナルトであったが、疑問をブン太に尋ねる前にナルトは息を大きく吸い、そして、そのまま後ろ向きに倒れた。

 

「……」

 

 ブン太はナルトが21日間ほぼ不眠不休で修行を続けてきたことは知らない。しかし、その服が、その掌が、そして、その筋肉がナルトの努力の跡を端的に物語っていた。

 だからこそ、ブン太は舌を伸ばし地面に横たわるナルトの肉体を自身の頭へと再び乗せたのだ。

 そして、ブン太は誰にも聞こえないように心の中で独白する。

 

 ──それにしても大したもんじゃわい。ワシの頭に乗るだけやのォてワシを試すたァ……。

 

 苦笑するブン太は拡げられたままの巻物へと目線を遣る。自来也の隣、そして、ナルトの隣に書かれていた名前を見たブン太はゆっくりと青空を見つめる。

 

「……あの四代目以上の忍になるに違いねーのォ」

 



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邂逅・我愛羅

 消毒液の臭いが鼻を刺激する。体が強張っている。

 その臭いに反応したのか、将又、彼の筋肉が動きを欲しがったのか判断に困るもののナルトは意識を取り戻した。腹筋に力を籠め、ナルトはベッドの上から上半身を起こす。彼の目に映ったのは、白い清潔なシーツと柔らかな日差しだ。

 そこでナルトは気が付いた。いつの間にか、師も呼び寄せたブン太もいないことに。

 そして、最後の記憶。ブン太に自分のことを説明しようとした瞬間、視界が暗転したことを思い出したナルトは自分が気を失って病院に担ぎ込まれたのだろうと当たりをつけた。

 

「よう……やっとお目覚めかよ。タイミングが悪かったな。もう少し早く起きてればサクラも居たけどよ」

「む?」

 

 突如、横から聞こえてきた声にナルトは顔を向ける。

 そこに居るのは頭頂部で長い黒髪を纏めて逆立たせている知り合いの姿。

 

「シカマルか。何故、貴殿がここに?」

「チョウジの見舞いに来たらお前が倒れてるって聞いたからよ。めんどくせーけど、様子を見に来た訳だ」

「感謝する」

 

 シカマルに向かって頭を下げた後、ナルトは決して聞き逃せない一つのワードが入っていることに眉根を寄せた。

 

「チョウジが心配だ。己も見舞いに行こう」

「心配すんな。チョウジの奴は試合後に焼肉の食い過ぎで腹、壊してるだけだ」

「大事ないということか」

 

 そう頷いたナルトだったが『とはいえ……』と言葉を続ける。

 

「心配だ。やはり、見舞いに行こう」

「おいおい……お前も今さっきまで寝込んでいたことを忘れたのか?」

 

 呆れた様子で肩を竦めるシカマルだったが、彼はナルトの友として理解している。情に篤いこの漢は何が何でも、例え、全身が筋肉痛で際限なく痛んでいたとしても傷付いた友に会いに行くことを曲げはしないということを。

 シカマルの取れる手は一つだけだった。

 

「チョウジの見舞いが終わったら、しっかり休んどけよ」

「承知」

 

 ナルトに一言、釘を刺してチョウジの病室へと案内することがシカマルに取れる最善の一手であった。然れども、彼の表情は明るい。友であるチョウジのことを心配してくれる友がいることが彼にとっては何よりも嬉しかったのだから。

 

 +++

 

 同時刻、同病院内、その一室で一輪の水蓮が風に揺れる。

 

 この花はサクラが見舞いの品として持ってきたものだ。もっとも、彼女も本選の修行の為に見舞いの時間は多く取れず、病室で眠る者の寝顔を見たのみであったが。

 修行で忙しい合間を縫ってサクラが訪れたのは傷付いた恩人の病室だ。もし、彼がいなければ、第二の試験の際、一歩を踏み出す勇気が出なかっただろう。今の自分がいるのは彼が駆けつけ、踏み出す切っ掛けを与えてくれたからに他ならない。そして、本選へと挑む前に一言、礼を言っておきたかったサクラは床に臥す彼を見て、悲しそうに目を伏せた後、踵を返すのだった。

 

 サクラが去った病室は影に包まれている。太陽が厚い雲に隠れたせいだ。それは、眠っているサクラの恩人である一人の少年、ロック・リーの行く末を暗示しているかのように。

 

 何の前触れもなく、リーの病室の扉が開いた。病院の医師や看護師は扉を開く音を一つとして立てることなく病室に入ることはない。いや、正確にはどんなに気を付けていようと音を立ててしまう。医療に携わる忍──医療忍者──は隠密行動を取る事を想定されていない。医療忍者は特殊な技能、そして、豊富な知識が必須であり育てるのに多大な時間と労力を要する。むざむざ、危険な地に行かせるのは非常時ぐらいなものだ。そのような訳で隠密行動に優れない医療忍者が扉を音もなく開けるというのは、あまり考えることができない。

 では、リーの見舞いに来たのは通常の忍ではないかという疑問が出てくる。しかしながら、リーを見舞いに来るような忍は班員や担当上忍といった気心の知れた者。それらの者ならば、確かに音を立てずに扉を開くことは出来る。だが、彼らならば、音を立てて扉を開くことで来訪を知らせるだろう。リーが眠っているかもしれないと考えても少しの音は立てる。それは間違いない。

 

 だが、今、病室に入ってきた人物は物音一つ立てない。それどころか、気配すら消している。上忍でもここまで気配を消すことができるのは、ほんの一握りの者だけだろう。

 

 足音一つ立てることなく彼の病室に入ってきたのは暗褐色の髪をした小柄な少年だった。

 

 彼が思い起こすのは第三の試験の時の光景。

 目の前に横たわる満身創痍のリーに止めを刺そうと襲い掛からせた自分の砂を片腕の一振りで振り払った男の姿。その男が吐いた言葉が彼の頭の中をグルグルと回っている。

 

 ──愛すべきオレの大切な部下だ。

 

 理解できない。なぜ、自らが傷つけられるかもしれないというのに庇うのか? なぜ、他人に向かって“愛”という言葉を使うのか? なぜ、オレはあの時、殺すことを止めたのか?

 

 “我”を“愛”する“修羅”……我愛羅。

 

 名は体を表すという。

 自分のみを愛することを過去に決めた少年、我愛羅は頭に痛みを感じたのか額に刻まれた“愛”という字を隠すように手を額に持っていく。

 しばらく、そうしていた我愛羅だが、ゆっくりと手を下へと下ろす。その指の隙間から見える目は血走っていた。

 

 我愛羅の右腕がピクリと動く。

 まるで、獲物を見つけた肉食獣のような動きだ。掌と肩に力を入れ、他の力は抜いておく。それは幾度も行われ、最適化された行為だ。揺れ動く心の安定を得るために我愛羅は寝ているリーの顔の上に右手を翳す。

 

 意識下か、それとも、無意識下か我愛羅自身にもよく分かっていない。だが、結果は同じ。背負っている瓢箪から出てきた砂が我愛羅の右手にそろそろと集まっていく。

 我愛羅の血走った目が細くなった。

 

「待て」

 

 我愛羅の目が丸くなる。

 

 ──体が……動かな……。

 

 一瞬の隙。

 殺す対象へと全ての意識を向けたコンマ2秒もない時間。それだけで我愛羅の動きは止められた。

 

 太陽が雲に遮られた病室の中、さらに濃い影の中に我愛羅はいた。

 思わず、我愛羅は唾を嚥下する。

 

 初めての経験だった。

 自分も、いや、普段、自動的に我愛羅の身を守る“砂の盾”すらも反応できないどころか認識すらできなかったこと。更に、自分の腕を掴まれたこと。そして、そのことに恐怖を感じたこと。

 何もかもが初めての経験だった。

 

 ──右手が……掴まれている!?

 

 それは有り得ないことだった。里の者は例え、我愛羅をオートで守る砂の盾がなかったとしても彼に触れることを忌避するだろう。それどころか、彼を見た瞬間、緊張し遠巻きに観察することに徹する。それが、今までの我愛羅の常識。彼に触れることができる者は姉と兄の二人のみである。その二人も必要以上の接触はほぼない。

 そして、仮にその二人が今、ここに居たとしても殺気を溢れさせた今の我愛羅に触れることはまずないだろう。

 

「……」

 

 だが、今、彼の右腕は掴まれている。力は強くはない。しかしながら、動かすこともできない力である。

 

「リーに何をしようとした?」

 

 深く、そして、重い声が我愛羅の耳に届いた。それと同時に金縛りが解けたかのように体の動きが戻ってくる。

 我愛羅は首を動かし、次に殺すことを決めた対象を見上げる。それは巨大であった。

 

「……殺そうとした」

 

 巨大に怯むことなく我愛羅は不遜に言い放つ。確かに、動きを止めてしまったが、それは突然の有り得ない事態を脳が処理するのに時間が掛かったためと我愛羅は結論付けた。

 睨み合う両者。一人は小柄な我愛羅、そして、一人は巨大なナルトだった。

 

「何でンなことする必要がある? 試合ではテメーが勝ったろ! こいつに個人的な恨みでもあんのか?」

 

 一触即発の事態。それにナルトと共に来ていたシカマルは危機感を覚えたのだろう。

 何とか会話を続けようとシカマルが横やりを入れる。

 

「そんなものはない」

「!?」

「ただ、オレが殺しておきたいから殺すだけだ」

「お前、ろくな育ち方してねーだろ! すげー自己中だな」

 

 そういいながら、シカマルは内心、冷や汗を流す。

 

 ──ったく。どーするよ。

 

 彼我の力量の差を分析し、シカマルはこちらが不利だと考える。だが、ここで脅えを見せれば、その時点で攻撃されることは明白。で、あるならば、このまま会話を続けることが最適な手段であろう。だが、どう言葉を掛ければ相手の逆鱗に触れずに済むのか分からない。

 シカマルの焦りとは裏腹に、我愛羅は平静な声で宣言する。

 

「オレの邪魔をすれば……いや、したな。お前らも殺す」

「おいおい。オレもこいつも予選ではとっておきは見せてねー。しかも、2対1だ。分が悪いのはそっちだぜ。言うこと聞くんだったら、大人しく帰してやってもいいんだぜ!」

「もう一度言う。殺す」

 

 ──ハッタリは効かねーか。

 

「バケモノかよ」

 

 思わず、シカマルの心から言葉が出てしまった。

 その言葉──バケモノという単語──を聞き、我愛羅は薄く、そして、残虐に嗤う。

 

「バケモノ、か。そうだな……オレはバケモノだ」

「!?」

「オレはお前が言った通り、ろくな育ち方はしていない」

 

 我愛羅は一度、目を閉じた。

 

「オレは母と呼ぶべき女の命を奪い、産まれ落ちた。最強の忍となるべく……父親の忍術で砂の化身をこの身に取り憑かせてな」

 

 目を見開いた我愛羅は自己を肯定する。人非ざる者であると。

 

「オレは生まれながらのバケモノだ」

「砂の……化身?」

「守鶴と呼ばれ茶釜の中に封印されていた砂隠れの老僧の生き霊だ」

「生まれる前に取り憑かせる憑依の術の一種か。そこまでするとは……イッちまってるな」

 

 シカマルの頭に浮かぶのは家族の姿。いつも妻の尻に敷かれている父親と、厳しいが時々優しい母親の姿を。

 

「それが親のすることかよ。歪んだ愛情だな」

「愛情だと?」

 

 我愛羅の声が一段、低くなる。

 

「お前たちのもの差しでオレを測るな」

 

 我愛羅の頭に浮かぶのは家族の姿。

 

「家族……それがオレにとってどんな繋がりであったか教えてやろう」

 

 自分に怯える姉と兄。写真の中でしか姿を知らない母。そして、風影である父の冷たい目。

 

「憎しみと殺意で繋がる……ただの肉塊だ」

「!?」

「オレは母親の命を糧として里の最高傑作として生み出された。風影の子としてだ。オレは父親に忍の極意を次々と教えられ、過保護に甘やかされ放任されて育った。それが愛情だと思った」

 

 我愛羅は口を噤む。

 

「……」

 

 思い出すのは彼にとって、初めての肉体への痛みだ。

 思い出から目を逸らし、我愛羅は現実を見つめる。

 

「……あの出来事が起きるまでな」

「あの出来事?」

「……」

 

 我愛羅の唇が弧を描いた。

 

「オレは六歳の頃からこれまでの六年間……実の父親に幾度となく暗殺されかけた」

「は? でも、さっきは父親に甘やかされてたっつったろ? どういうことだ?」

「……強すぎる存在は得てして恐怖の存在になる。術によって生まれたオレの精神は不安定。情緒面に問題アリと里の間抜けどもは、ようやく気付いたようだ。風影である父親にとってオレは里の切り札でもあったが、同時に恐ろしい危険物でもあった」

 

 我愛羅の独白は続く。

 

「どうやら六歳を過ぎた頃、オレは危険物と判断されたらしい。オレは里の危ない道具として丁寧に扱われていただけのようだ。奴らにとって、今では消し去りたい過去の遺物だ。では、オレは何のために存在し、生きているのか? そう考えた時、答えは見つからなかった。だが、生きている間はその理由が必要なのだ。でなければ死んでいるのと同じだ」

「何、言ってんだ……コイツ」

「では、トレーニングをしては如何か?」

「何! 言ってんだ! お前は!」

「……」

 

 我愛羅はナルトの発言とシカマルが出した大声を無視する。

 

「そして、オレはこう結論した」

 

 ──オレはオレ以外全ての人間を殺すために存在している。

 

 そう語る我愛羅は修羅。戦いに身を浸すことでしか自分を感じることができない異端者だ。

 

「いつ暗殺されるかも分からぬ死の恐怖の中でようやくオレは安堵した。暗殺者を殺し続けることで、オレは生きている理由を認識できるようになったのだ。自分の為だけに戦い、自分だけを愛して生きる。他人は全てそれを感じさせてくれるために存在していると思えば、これほど素晴らしい世界は無い。この世で俺に生きている喜びを実感させてくれる。殺すべき他者が存在し続ける限り……」

 

 時間が進み、太陽が山際に隠れたのだろう。影に落ちた部屋の中で我愛羅は笑った。

 

「……オレの存在は消えない」

 

 そう言って、ナルトの手を振り払った我愛羅の背で砂が蠢く。

 

「さあ……感じさせてくれ」

 

 血走った目でナルトとシカマルを見つめる我愛羅。

 

「そこまでだ!」

 

 だが、一つの声が我愛羅の動きを止める。

 

「本選は明日だ。そう焦る必要もないだろう。それとも、今日からここに泊まるか?」

 

 弾かれたように声がした方向に我愛羅が目を向けると、そこには自分が殺そうとしたリーと瓜二つの恰好をした木ノ葉の上忍の姿があった。

 マイト・ガイ。リーの担当上忍だ。

 

 彼を目にした瞬間、我愛羅の頭が酷く痛んだ。

 

 我愛羅は顔を顰め、頭を押さえる。

 次いで、フラフラとした足取りでガイの隣を横切り、病室のドアに手をかけた。

 

「お前たちは必ずオレが殺す。待っていろ」

「貴殿は必ず己が救う。待っていろ」

 

 いくら会話を続けた所で埒が明かないことも往々にしてある。

 ならば、衝突は避けられないのだろう。

 

 ナルトは我愛羅の独白を聞きながら感じていたのだ。シンパシーを、そして、自分にしか出来ないことを。

 我愛羅を救うことが己の生きる理由なのだろう、と。

 



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本選開始ィイイイ!

 古来より人は自然と一体になろうとしてきた。

 時に恵みに、時に災いに成り得る自然と寄り添うことで、計り知れない自然の力をその身に宿そうと人は考えたのだ。

 当然のことであるが、それは一筋縄ではいかない。山に登り、藪を分け入り、人跡未踏の秘境にて、たった一人で矮小な人間が雄大な自然へと挑まなくてはならないのだ。死者も数限りなく出てきた危険な行為。

 だが、その修験の道を踏破した際、人は大きくなる。

 

 そのことをナルトは知っているのだろう。

 

 轟々と音を立てる滝の中、そこに屹立した肌色の柱が聳え立っていた。

 そう、滝の中には下着を除けば産まれたままの姿のナルトの体があった。

 

 一瞬でも気を抜けば、あまりの水量に体は折れ曲がってしまうだろう。そう思わせるほどに滝の勢いは凄まじい。だが、ナルトは滝の攻撃を一身に受けても微動だにしない。

 知らぬ人間が見れば、滝の中に立つナルトは仁王像だと誤認するだろう。それほどまでに、ナルトの立ち姿は完成していた。

 

 中忍試験の本選は今日、行われる。

 朝早く滝に打たれ、精神統一を図ろうとしたナルトの目論見は完全に上手くいった。

 

 静的な状態。

 最早、“無”である。神経が研ぎ澄まされていく。

 

「その気配……ヒナタか」

「ッ!?」

 

 今のナルトから身を隠すことは難しい。木の陰に隠れていたヒナタの姿を第六感で捉えたナルトは彼女に向かって声を掛ける。

 

「な、なんで分かったの?」

「無論、貴殿が貴殿であるからだ」

 

 答えになっていない。だが、ナルトの言葉には圧倒的な信じさせる力があった。

 ナルトの言葉に感動を覚えつつ木の陰から出てきたヒナタに応じて、ナルトも滝の中から姿を現す。

 

「貴殿は己を心配して、ここまで来てくれたのであろう?」

「う……うん」

 

 滝から出てきたナルトが身に着けているものは黒いV字のパンツのみである。純真なヒナタには刺激が強すぎたのだろう。ナルトから目を逸らしたヒナタは地面を見つめながら、自分がここまで来た理由を思い出し、ナルトに話しかける。

 

「あの、ナルトくん」

「む?」

「ネジ兄さんは強いの。だから……」

「だから愉しみである」

「……」

 

 一拍すら置くことのないナルトの即答。漲る自信をナルトから感じ取ったヒナタは、これだけは言っておかなければならないと目線を上げる。

 

「ナルトくんが強いのは分かってる。でも心配なの」

 

 ナルトの目を見つめるヒナタは真剣そのものである。

 

「私はナルトくんをいつも見てる。自分がどんなに不利でも、自分が正しいと思ったことには全力で立ち向かっていくナルトくんの姿はいつも私を励ましてくれた」

 

 だからこそ、ナルトは静かに彼女の言葉を聞くことを選んだ。

 

「ナルトくんが応援してくれたから勇気を貰えてネジ兄さんに拳が届いたんじゃないかって思ってるんだ。ナルトくんを見てると、心に衝撃があって……どんな時でも立ち向かっていく強さがあって、でも、ナルトくんは自分を大切にしていない気がして……心配なの」

「ヒナタよ。やはり、貴殿は優しい。だが……」

 

 しかし、ナルトには引けない理由がある。

 

「己がネジと闘う理由は愉しみのためだけではないのだ。貴殿がネジと闘い敗れた後、己はネジに言ったのだ。己はネジに『この血と我が肉体、そして、運命に誓おう。己は“勝つ”』と宣言している。例え、ネジがどれほどの強者でも引く訳にはいかぬ」

 

 ナルトは拳を握り、それを見つめる。

 

「ヒナタよ。己はネジに教え諭したいのだ」

「何を?」

「ヒナタの強さを。そして、強者の振る舞いを」

 

 拳から目線を移したナルトはヒナタと見つめ合う。

 二人の間に、もう言葉は必要なかった。

 

「ナルトくん……ご武運を」

「無論!」

 

 拳を掲げ、去っていくナルトの後ろ姿が小さくなっていくのを見つめながらヒナタは思っていた。

 ナルトならば、苦しみの中にいるネジを救えなかった自分の代わりに救ってくれるかもしれない、いや、必ず救うであろうことを。

 

 +++

 

「レディイイイイイイス! エエエエエンド! ジュウェントオオオオオマアアアアアン!」

 

 ナルトとヒナタが会った時から数刻経った頃。ナルトとヒナタが会った場所から離れ、里の中央にある場所。

 そこで、マイク越しにも伝わる熱い声が響き渡っていた。

 

「待たせたな! 中忍試験、本選! 開始するぞォオオオオオ!」

 

『イェエエエエイ!』という声が中忍試験、本選会場を揺らす。

 

「オレはザジ! 中忍選抜試験、本選の解説者のザジだ! テンション上げて解説するからよろしくな!」

「イェエエエエイ!」

 

 会場に伝わるビブラートの中心にいるのは、まだ歳若い青年だ。

 予選終了時に試合の解説をすると言って現れた中忍、ザジである。彼の声を合図に観客が雄叫びを上げる。

 

「最高潮じゃねぇか! このまま早速、第一試合に進みたいとこだがよォ、物事には順序ってモンがある。木ノ葉隠れ三代目火影、猿飛ヒルゼン様からの開催の挨拶だ! 諸君! 心して聞くように!」

 

 ザジは三代目火影に自分が持つマイクを渡す。

 

「紹介に預かりました三代目火影、猿飛ヒルゼンです。えー、この度は木ノ葉隠れ中忍選抜試験にお集まり頂き、誠にありがとうございます!」

 

 三代目火影はマイクに向かって声を張り上げる。

 

「これより予選を通過した8名の“本選”試合を始めたいと思います。どうぞ最後まで御覧ください!」

「爺さんの話は長ぇーっつうのがセオリーだが、それをぶっ壊してくれる三代目火影様! サイコーだぜ! では続いて四代目風影である羅砂様のお言葉だ!」

「中忍選抜試験、本選出場者諸君。君たちの強く美しい闘いを見せてくれ」

「静かな声でも、そこにある興奮は隠し切れない! いつもクールな四代目風影様をもホットにさせる中忍選抜試験、本選! 今回は例年以上に盛り上がること間違いなしだから、オーディエンスも置いてかれるんじゃねェぞ!」

 

『イェエエエエイ!』という声が中忍試験、本選会場を揺らす。

 

「いぃいいい声、サンキュー! ああ、オレも興奮を抑えられねェ! だが! 選手紹介がまだだ! お気に入りの忍に賭け(ベット)はしたか? してねェっていう奴は諦めろ! もう待てん!」

 

『ブゥウウウウ!』とザジに向かって親指を下に向ける観客たちだが、それを無視してザジは声を上げる。

 

「第一回戦! うずまきナルトVS日向ネジ!」

「イェエエエエイ!」

「あの筋肉! やはり最強……!」

「ネジも日向始まって以来の天才だ」

「柔能く剛を制す、か。それとも、剛能く柔を断つのか見物だな」

「第二回戦! 我愛羅VSうちはサスケ!」

「イェエエエエイ!」

「我愛羅って四代目風影の息子だろ? これは期待できる」

「だが、サスケもあの“うちは”の末裔だ。こっちも期待できるぞ」

「目が離せない試合になりそうだな」

「第三回戦! カンクロウVS油女シノ!」

「イェエエエエイ!」

「カンクロウも四代目風影の息子だったか。パンフでは傀儡を操るらしいが……」

「油女シノ。……油女一族か」

「どちらも相手の隙を突く攻撃になるか。これは見る方も難しい試合になるぞ」

「第四回戦! テマリVS奈良シカマル!」

「イェエエエエイ!」

「テマリは四代目風影の娘。三人全員が本選に出場するとは末恐ろしい」

「シカマル、ね。あまり期待できそうに……は? IQ200以上!?」

「テマリの風をシカマルがどう知恵を使って防ぎきるか、そして、どうやって影で捉えるか。それが(きも)だな」

「第五回戦! ドス・キヌタVS春野サクラ!」

「イェエエエエイ!」

「パンフではドスは音を使うらしい。どういう攻撃かまるで分からない」

「それに、サクラの方も大した情報は書いてないじゃないか」

「ここが一番、どう転ぶか分からない」

 

 ザジの紹介と同時に観客の中の数人が意見を交換する。

 中忍選抜試験は受験生たちの中忍の適性を測るだけではない。試験として行われる闘いの内容によって、忍頭や大名たちが他里の忍がどれほど育っているか、又、依頼をしても安心かという指標を測る一面も持っている。

 修羅場を越えてきた本選出場者と言えども、奇異の目にジッと見つめられることに慣れていないのだろう。シカマルとサクラは目を泳がせる。

 

「こら! オロオロしてんじゃねー! しっかり客に顔向けしとけ」

 

 彼らに対して、咥え千本の男──ゲンマ──が注意する。

 

「この“本選”……お前らが主役だ!」

 

 だが、主役の内の一人がまだ来ていない。

 

「あ、あの!」

「何だ?」

 

 焦燥に駆られたサクラが手を上げる。

 

「サスケくんが来ていないんですけど……」

「自分の試合までに到着しない場合、不戦敗とする」

 

 にべもなくゲンマは言い放つ。

 と、出場者に背を向けていたゲンマは振り返った。

 

「いいか、テメーら。これが最後の試験だ。試合の組み合わせはザジが言った通り、一回戦のナルトとネジの試合から順に行っていく。」

 

 ゲンマは抑揚のない声で説明を続ける。

 

「地形は違うが、ルールは予選と同じで一切なし。どちらか一方が死ぬか負けを認めるまでだ。ただし、オレが勝負が着いたと判断したら、そこで試合は止める。解ったな?」

 

 誰も言葉を発することはない。

 だが、それは沈黙による肯定。受験生全員がルールを理解したと判断したゲンマはナルトとネジを残し、他の者は上に上がるように指示をした。

 

「何か言いたそうだな」

「うむ」

 

 残された二人は向かい合う。闘志を溢れさせんばかりのナルトに対して斜に構えたままネジはナルトに言葉を促す。

 

「ネジよ。己は貴殿に勝つ」

 

 ──彫りの深い顔立ちのせいで目が影になっている。目が見えないが……まるで気負いがない。

 

 ネジは眼に力を籠めると彼の眼の周りの血管が浮き出た。

 

「フフ……その方がやりがいがある。本当の現実を知った時、その時の落胆の目が楽しみだ」

「己は絶望などしない。なぜならば……」

 

 ネジに応じてナルトは目を爛々と輝かせた。

 

「……己は火影に至る漢なのだから」

 

 両者共に臨戦態勢を整えたと判断したゲンマは声を上げる。

 

「ザジ!」

 

 打てば響くようにザジはマイクを持つ右手を天に向かって掲げた。

 

「了解! じゃあ、一回戦」

 

 ザジは大きく息を吸い込む。

 

「うッずゥウウウウウウウウまきィイイイイイイイ……ナァアアアアアアルットォオオオオオオオ!」

 

 更にザジは左手に持つ小さな金槌を振り上げる。

 

「ヒュゥウウウウウウッガッ……ネェエエエエエエッジィイイイイイイイイ!」

 

 ザジの持つ金槌が向かう先はただ一つ。彼の前のテーブルに乗せられた小さな金属だ。透き通った、然れども、聞く者を湧き立たせる音色が響く。

 今、ゴングが鳴った。

 

「開始ィイイイイイイ!」

 



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ナルトVSネジ

「いざ尋常に……勝負!」

 

 交わす言葉は少なく、されども、乗せる心は多く。

 ナルトはネジへと気迫をぶつけた。

 だが、ネジはそれを流麗に受け流す。いや、受け流すことすらしていない。

 ネジの心は動かない。彼は正面からナルトの気迫を受け止め、そして、それを完全に無視した。

 

「来るなら来ればいい」

 

 不遜に言い放ったネジは顎をしゃくる。

 言外に“掛かって来い”と合図するネジに向かってナルトは声を張り上げる。

 

「征くぞ!」

 

 それからは一瞬だった。瞬きをする暇もなかった。視界にはしっかりとナルトの姿があった。

 しかし、ネジは反応できない。随分と頭の回転が遅い……いや、速過ぎるとネジは感じていた。脳は反応していても心が反応できていない。ネジは今にも自分に振り切られそうなナルトの拳を避けるという心構えが出来ないままであった。

 

「ぬん!」

「ッ!」

 

 しかし、過負荷が掛かった脳の処理は時に奇跡を(もたら)すものでもある。

 心を置き去りにして、ネジの脳と直結している体は最適な行動を示す。それは即ち、眼前に迫るナルトの拳という驚異から逃れるという行動だ。

 一旦、体を捻り最小限の動作でナルトの攻撃を躱したネジの体は全力で地面を蹴り出す。大きくバックステップを何度も取り、ナルトから距離を稼いだネジの体であったが、そこで、彼の心が彼の体に追いついてきた。

 

 ──リーの標準スピードと……ほぼ互角だと!?

 

 その心の名は“驚愕”である。

 どうして、自分が認めた班員と同等の速さをルーキーであるナルトが出せるのか? あれは、過酷な修行を越えた者だけが手に入れることが出来る速度だ。まだ、忍になって間もないナルトが出していいような速度ではない。

 

「クッ!?」

 

 その驚愕がネジの足を(もつ)れさせた。何回かのバックステップの後、ネジの右足が左足に当たってしまっていた。転ぶことこそなかったものの、たたらを踏んでしまうネジの姿はどこか道化のようだ。

 しかし、彼を笑うものは一人としていない。それどころか、声すらも誰一人として上げることはない。高い観客席に座る全ての者は身動(みじろ)ぎ一つとして出来なかった。

 

 シンと静まり返った会場。

 沈黙の中、呼吸音が大きく響いた。ナルトが大きく、そして、長く息を吐き出している。

 

「ハッ……ハァッ! ハァ……」

 

 そこで、ネジは自分が息をしていなかったことに気が付いた。

 一瞬の連続の中、現実を前に深呼吸を続ける。されども、警戒は緩めずに、テンションをニュートラルに、ネジは自己を取り戻す。

 

 ──今まで戦った全ての者の中で一番、強い。

 

 彼の背中に流れる冷や汗の量が感じる脅威を端的に示していた。

 自分が知る中で最も強いと考えていた担当上忍であるガイとの手合わせの時以上のプレッシャーをネジは感じていた。相手がガイよりも強い?

 それは違う。実際、ガイ以上の速さも技もない。ガイはより速く、より鋭く、拳を放つ。

 

 だが、一つだけ。たった一つだけ、相手はガイ以上の“モノ”を持っている。

 

 ──やはり……筋肉か。

 

 それこそが、ガイ以上のプレッシャーの原因なのだろうとネジは納得した。だが、その程度……その程度である。

 

「火影になる……か」

「む?」

 

 脳細胞が一つずつ潰されていくようなプレッシャーの中、ネジは毅然とした態度でナルトを見つめて言葉を放つ。

 

「これじゃ、無理だな」

「……」

 

 確かにナルトは強い。

 だが、既に底は見得(みえ)た。力はある。だが、それだけだ。

 この男の夢は叶わない。火影になど、到れる訳がない。何か一つ人より抜きん出た程度、その程度で、どうして里のトップに立てるというのか?

 ネジはナルトの夢を否定する。

 

「大体、分かってしまうんだよ、この眼で。生まれつき才能は決まっている。言うなれば、人は生まれながらに全てが決まっているんだよ」

「……」

「火影になる者はそういう運命で生まれてくる。なろうとしてなれるものではなく、運命で、そう決められているんだよ。人はそれぞれ違う逆らえない流れの中で生きるしかない」

 

 そう言ってネジは一つ呼吸をした。

 

「ただ一つ……誰もが等しく持っている運命とは……」

 

 ネジの脳裏に過るのは幼い自分の頭を優しく撫でてくれた父の在りし日の姿。

 

「……死だけだ」

 

 頭が作り出す残酷なイメージ──変わり果てた父の姿──から目を逸らしたネジはナルトへと目を戻す。

 

「忠告する。これから、オレは本気でお前を潰しに行く。そうしないとお前には勝てない。だが、そうしたなら……ナルト、お前は再起不能の障がいを負うだろう」

 

 会場内に冷えた空気が広がる。例えるならば、冬の夜の墓場。そのような空気だ。

 だが、冷たい空気があれば、熱い空気もあるのが必定。

 

「ネジの勝利宣言! しかし! その冷酷な宣言に一瞬、オレもしょんべんチビるかと思ったぜ! ルールなしの中忍試験。なんでもござれの試験だ! 下手を打てば死ぬ。そうでなくとも、仲間を失う、自分の手足を失う、誇りが汚される。それが忍の戦い。さあ、乗るか反るか、引くか押すか、逃げるか出るか? ナルトはどうする!?」

「無論!」

 

 ザジの声を後ろにナルトはネジに向かって宣言する。

 

「真っ直ぐ自分の言葉は曲げぬ。己の……忍道だ!」

 

 今度は会場内が熱で沸いた。

 熱い歓声が響く会場の中心で再びナルトとネジは睨み合う。

 

「……どうなっても知らんぞ」

「どうなるかは神のみぞ知る」

「……」

「セイッ!」

 

 先に踏み出したのは、やはりと言うべきかナルトであった。先ほどの焼き直しのようにネジへと向かって右腕を猛然と突き出す。

 

「フン……」

 

 しかし、ナルトの右腕は何にも当たらない。

 ネジは天才である。長い日向一族の歴史の中でも彼ほど神に愛された者はいない。白眼の使い方、日向流体術の会得速度といった戦闘センスはもちろん、心理面に置いてもネジは優秀だ。常に冷静沈着、例え、心を乱したとしても数秒で心を落ち着かせることが出来るほどのメンタルコントロール。

 戦闘に置いて彼は確かに天才であった。だからこそ、ナルトの下忍では有り得ないほどの速度で放たれた拳を“二度”も避けることが出来たのだ。

 そして、二度、起きたことは三度ある。

 ならば、三度あることは?

 

 砂塵舞う会場の中心で橙色の軌跡が白色の軌跡を追っていた。橙色は二方向から白色を襲っている。

 

「ラッシュ! ラッシュ! ラアアアアアアアッシュウ! 見えねーぐらいの速さで繰り出されるナルトの拳! 名付けるなら……うずまきナルト連弾ってとこかァ! だが……なんてこったい! ネジはうずまきナルト連弾を全て紙一重で躱す! この速さ、この手数。それを見切るネジの洞察眼は並じゃねェ!」

 

 ザジの解説を聞き流しながらネジは唇を歪める。

 

 ネジに接近したナルトは何度も拳を振るうが、その速度は先の一撃よりも遅かった。一度見た攻撃よりも遅いものが幾ら飛んでこようが、既に慣れたネジは、うずまきナルト連弾を看破していたのだ。

 

 これが我愛羅を除く他の下忍であれば、手数の多さで攻められようが、接近戦になった時点でネジの勝利は確定していた。白眼を使うことができるネジの洞察眼はザジが言うように並ではない。

 白眼を持つ日向一族は洞察力に優れると言われるが、ネジのそれは一族の他の人間の先を行く。透視による人体のチャクラの流れは勿論、チャクラの流れをコントロールする点穴さえもネジの眼には写っていた。その点穴を突けば、相手はチャクラを練ることが出来なくなる。

 相手が動き続ける戦闘中でどうやって点穴を突くのかという問題はある。しかしながら、ネジはこの問題をもクリアしていた。彼の担当上忍であるガイは木ノ葉で、いや、他里にも名が知れ渡るほどの体術のエキスパート。ガイ班に入って一年、徹底的に鍛えられたネジの体術は彼の才能も相まって中忍……下手をすれば上忍にも届き得るほどの実力となっている。

 

 だからこそ、体術の真価が問われる接近戦において、ネジは絶大な自負を持っていた。半径2m。その位置に相手を捉えたならば、勝利は確定。相手が速くともカウンターを合わすことができる自信があった。我愛羅のように全身を覆う防御術を有していない限りは彼の勝利が揺らぐことなど有り得なかった。

 

「八卦掌……」

「あれは!?」

 

 ナルトの攻撃を躱しながらネジは小さく呟く。

 ネジの全身から放出したチャクラを上から見た観覧席の一人が顔色を変えた。顔色を変えたのは、日向家の現当主である日向ヒアシであった。彼の表情は目の前の光景が有り得ないと叫んでいたが、それに気づく者はいない。ヒアシの隣に座っている次期当主の座を約束された彼の娘である日向ハナビすらも気が付かない。

 隣の人間の表情を気に留める余裕すらない。それほど、会場の全ての人間はネジの“技”に見惚れてしまっていた。

 

「大回天!」

 

 ネジから放出されたチャクラはその規模を広げ、ナルトの拳を絡め取った。と、同時にナルトの体勢が崩れる。

 

 八卦掌回天という柔拳の技がある。全身からチャクラを放出し、回ることによって360°全ての方向からの攻撃を防ぐ技だ。それにより、ほぼ全ての物理攻撃を完封する。

 

 ──何ということだ。

 

 ヒアシは喉を鳴らす。

 回天は日向宗家のみに代々口伝される秘術である。分家の人間であるネジは回天の存在は知っていたとしても、決して教えられることのない技。それを独自に作り上げたネジの才能に日向家当主であるヒアシはネジの末恐ろしさに再度、生唾を飲み込む。

 

 独自に回天を習得した。それですら、有り得ないことであるのにも関わらず、今し方、ネジが使ったのは通常の“回天”以上の規模を持つ“大回天”という技。秘術を発展したネジの才能はこれまでの日向の人間、全ての上を行くものだとヒアシは背筋を震わせた。

 

 だが、彼の驚愕はこれで終わらない。

 

「終わりだ。柔拳法……」

「む!?」

 

 ネジの大回転で吹き飛ばされ、地面を転がされたナルトだったが、すぐに立ち上がりネジの姿を探す。だが、ナルトが気づいた時にはネジの姿はなかった。既にネジはナルトの懐へと潜り込んでいたのだから。

 

「……八卦二掌!」

 

 ネジの指がナルトの肉を穿つ。

 

「四掌」

 

 さらに倍。

 

「八掌」

 

 その倍。

 

「十六掌」

 

 また倍。

 

「三十二掌」

 

 終わる事のない連撃がナルトの体を襲う。

 

「六十四掌!」

 

 だが、ナルトもさる者。体幹を動かすことなく連撃を耐えるが、真っ向から受けた衝撃は逃がすことができない。ネジの連撃はナルトの巨体すら動かし、相撲でいう電車道を会場の地面に作る。

 

「八卦……百二十八掌!」

 

 ──分家の者が宗家を越えた、か。ヒザシよ。やはり、日向の家はお前が……。

 

 上で見下ろすヒアシは唇を後悔に噛み締め、言葉を心の中で吐き出した。それは彼の双子の片割れへの言葉だ。

 

「ネジが何をしたのかエリートのオレにも分からねェーが……ただ、ネジの技がナルトに残らずヒットォオオオ! これじゃ、無事ではいられねェ!」

 

 勝負は決まった。日向始まって以来の天才、ネジの勝利だ。

 そうヒアシは考えていた。そして、解説者であるザジ、彼の言葉を聞いた観客席のほとんどの人間もそう考えていた。

 

 だが、そう考えない者もいた。

 

「ヒナタ、よく見とけ」

「キ……キバくん?」

 

 自分は負けたとはいえ、本選の行方が気になったのだろう。観客席の中、普段の忍装束とは違い、普段着を身に着けたキバが同じようにラフな格好をしたヒナタに声を掛ける。

 

 ネジの力をよく知っているからこそ、自身で受けたからこそ、ヒナタはネジの攻撃を受けたナルトから目を逸らしてしまっていた。

 しかしながら、キバはナルトの力をよく知っているからこそ、自身で受けたからこそ、ヒナタを叱咤する。

 

 目を逸らすな、と。

 逃げるな、と。

 想いを受け取れ、と。

 

「……何を?」

 

 キバとヒナタから離れた席。そこにいるヒアシはネジの困惑した声で会場に立っているナルトへと不審な視線を遣る。

 そこで、初めてヒアシはおかしいと感じた。そもそも、全身の点穴を突かれれば立つことすら出来ない。それが彼の常識だ。だが、目の前の光景は彼の常識を否定している。

 八卦六十四掌、いや、念には念を入れたネジの百二十八掌を正面から受けてもナルトは笑みを浮かべているではないか。

 それは追い込まれた者が浮かべる笑みではなかった。

 

「何を……何をしたァアアア!?」

 

 ネジの絶叫が会場内に響いた。

 

「悲しいぞ」

 

 絶叫に応じて響くは静かな低音。ナルトの声だ。

 

「己は修行の間も延々と貴殿のことを考えていた。どのようにしたら、貴殿に勝てるのか? どのようにしたら、点穴を突かれても闘えるのか? だが、貴殿は己のことを一つも考えなかったと見える。先のヒナタとの闘い、その時の闘い方と同一だ」

「答えになっていない! 一体、何をした!?」

「それが悲しいのだ」

 

 ネジの催促を聞いているのかいないのか。ナルトは自身のペースで言葉を続ける。

 

「常に全力を。それが己の矜持。そして、己が考え、出した答えは一つ。力を入れても貴殿の技が上回るならば……」

 

 ナルトは背筋を伸ばし、宣言する。

 

「……己は負けぬように全力以上の力を全身に入れればいい」

「お前は何を言っている?」

 

 ネジは毒気が抜かれたかのようにナルトに尋ねる。試験だということすらも忘れ、純粋な疑問をナルトにぶつけたネジだったが、まともな答えが返ってくることなど有り得ないと悟っていた。だが、どうしても聞かずにはいられなかった。

 

「全身に力を、気力を、パワーを! 全力以上に入れたのだ!」

 

 ネジの班員、テンテンは観覧席で目を丸くする。

 

 ネジの白眼の最大視覚はほぼ360°……つまり、自分の周囲は全て見通せるわ。そして、その白眼で相手の攻撃を全て感知。ここから、ネジの防御法、八卦掌回天は始まる。攻撃を受ける瞬間、体中のチャクラ穴からチャクラを多量放出。そのチャクラで敵の攻撃を受け止め、自分の体を独楽(こま)のように円運動させ、いなして弾き返す。本来、チャクラ穴から放出されるチャクラはコントロールが難しく、上忍と言えども手や足、体の一部からの放出を技に利用する程度。けれど、柔拳を極めたネジは体全体からチャクラを放出し、その放出力だけで物理的攻撃を完封してしまう。つまり、それは言うなれば、あの我愛羅以上の力を持った……もう一つの絶対防御! けど、ナルトくんの防御は我愛羅ともネジとも違う。類い稀な筋肉量を使って相手の攻撃を正面から受け止めて、有り余る体と心のタフネスで耐えきるという本来なら、どんなに強い人でも避ける防御法! 肉体を苛め抜いて苛め抜いて苛め抜いて、それでも尚、苛め抜いた後の境地に達した他では真似できない防御法。ネジの回天を知っている私には分かる。ナルトくんの防御法は武に生きる者なら誰もが憧れ、そして、歴史上、誰一人として到達し得なかった神域。つまり、それは言うなれば、我愛羅以上の、ネジ以上の力を持った……極限の絶対防御!

 

 考えを纏めたテンテンは知らず知らずの内に身を乗り出していた。

 そして、テンテンの視線の先にいる彼女の班員であるネジは、ナルトの余りの答えに上を見上げる。綺麗な青い空が見えた。遠くに鳥が飛んでいる。

 

 ──つまり、力を入れれば百二十八掌を防ぐことが出来たという訳か。

 

 ネジは理解することを放棄した。

 もし、ネジがもう少し筋肉について理解があれば、ナルトがした行為は理に適っていたことを理解できていただろう。

 腕でも足でもいい。力を入れ続けると筋肉は震える。筋肉を緊張させ続けると不随意に全身が震えるという経験がないだろうか? それにより、ネジの点穴を突く攻撃は全て少しずつズレていた。結果、全身に全力以上の力を入れたナルトの点穴を閉じることは出来ていなかったのだ。

 もちろん、ナルトはそこまで考えていない。力を入れて防げないのならば、より力を入れれば防げるだろうという単純明快な考えの元、実行された手段はネジの切り札を完封することに偶然ではあるが成功した。

 

「さて、ネジよ」

 

 空を見ていたネジへとナルトは声を掛ける。

 

「闘いを続ける前に一つ貴殿に問いたい」

「何?」

「貴殿の技術を受け、己は貴殿の才を認識した。貴殿は強い」

「何?」

「故に分からぬのだ。努力を続けたヒナタの心を何故、追い込んだ? それは強者の行いでは……決してない!」

 

 ネジの眉が動く。

 闘いの最中にされる質問ではない。その上、自分が嫌悪している者に対した行為の是非を問われている。端的に言えば、ナルトの質問はネジにとって面白くなかった。

 

「お前には関係のない話だ」

 

 もう話は終わりだと言外に語るネジだが、ナルトの視線はその逃げを認めていなかった。

 

「……」

「……」

 

 視線の応酬。

 先に視線を逸らしたのはネジだった。これ以上、黙っていたとしても話は進まない。

 そう判断したネジは白眼を収める。

 

「……いいだろう。そんなに気になるなら教えてやる」

 

 ナルトを通して宗家を見るネジの目はどこまでも冷たかった。

 

「日向の憎しみの運命を」

 



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刻んだ想い

 口を開きながらネジは鈍く光を反射する額当てへとゆっくり手を伸ばす。

 

「日向宗家には代々伝わる秘伝忍術がある。それが……呪印術」

「呪印術?」

「その呪いの印は“籠の中の鳥”を意味し、それは逃れられない運命に縛られた者の証」

 

 スルリと軽い音がした。ネジの額から額当てが取られた音だ。ナルトはネジの額を無言で見つめる。

 額当てを外したネジの額には卍に似た印と、それを左右から囲むように二本の線が刻まれていた。

 

「四歳のある日、オレはその呪印術により、この忌まわしい印を額に刻まれた」

 

 ネジの独白に口を挟む者はいない。

 

「その日は木ノ葉では盛大なセレモニーが行われていた。長年、木ノ葉と争っていた雲隠れの里の忍頭が同盟条約の締結のため、来訪した日でもあった。しかし、木ノ葉の上忍から下忍に至るまで、誰もが参加したそのセレモニーに出席していない一族があった」

 

 淡々と語るネジ。

 

「それが日向一族! その日は宗家の嫡子が三歳になる待望の一日だったからだ」

 

 彼の言葉に口を挟む者はいない。

 

「解らないか? ヒナタ様の三つの誕生日だ!」

 

 ネジはチラと上へと視線を向ける。その視線の先には、ネジが語る先を知っているヒナタが青ざめた顔で下を見ていた。

 

「オレの父、日向ヒザシとヒナタ様の父、日向ヒアシ様は双子だった。しかし、ヒナタ様の父、ヒアシ様はこの世に先に産まれた長男、宗家の者。そして、次男であるオレの父は分家の者」

 

 ネジは過去の光景を思い出す。彼が思い出すのは父のどこか強張った表情。

 

「宗家の嫡子が育ち、三つになった時……オレは呪印を刻まれ“籠の中の鳥”となった。日向の分家にな!」

「つまり……どういうことだ?」

「この額の印の能力。それは日向宗家の者の秘印による脳神経の破壊! 印を組むだけで宗家は分家の者を容易に殺すことが出来る。この呪印は宗家が分家に与える“死”という絶対的恐怖! そして、この呪印は死んだ時のみ消えてくれる。白眼の能力を封印してな」

「む!?」

「日向家は最も優秀な血継限界を持つ一族だ。その特異能力の秘密を狙う者は後を絶たない。つまり、この呪印は宗家を守る為にのみ分家は生かされ……分家が宗家に逆らうことを決して許さず……日向の“白眼”という血継限界を永劫守る為に作られた効率の良いシステムなんだ」

 

 一旦、言葉を切ったネジは感情を切り離す。

 

「そして……あの事件が起きた」

 

 熱くなってしまった自分を収め、ネジは唇を歪ませた。

 

「フフ……」

「……」

 

 無表情に嗤うネジを前にナルトは押し黙るのみだ。

 だが、心のどこかで、これからネジが語ることは自分に衝撃を与えるであろうことをナルトは理解していた。

 そして、その予感は外れることはなかった。

 

「オレの父親は宗家に殺されたんだ」

「どういうことだ!?」

「ある夜、ヒナタ様が何者かに攫われかけた。その時、ヒアシ様はすぐに駆け付け、そいつを殺した。暗がりで、しかも、マスクを着けていたそいつ……一体、誰だったと思う? そいつは……そいつは同盟条約を結んだばかりの雲隠れの忍頭だった」

 

 ネジの事情を知らない会場の人間、全てが息を飲む。

 

「初めから白眼の秘密を狙ってやって来たことは明らかだ。しかし、雲隠れは計画失敗で自里の忍が殺されたことをいいことに、木ノ葉の条約違反として理不尽な条件を突き付けてきた。当然、木ノ葉と雲は(こじ)れに(こじ)れ、戦争にまでなりかけた。しかし、戦争を避けたい木ノ葉は雲とある裏取引をした」

「それは?」

「雲側の要求は白眼の血継限界を持つ日向宗家、つまり、ヒアシ様の死体を渡せというものだった。そして、木ノ葉はその条件を飲んだ。そして、無事、戦争は回避された」

 

 ネジが自身で冷たくした感情が再び熱を持つ。

 

「宗家を守るため日向ヒアシの影武者として殺された……オレの父親のお陰でな!」

 

 ネジはそう吐き捨てた。

 

「クク……この忌まわしい呪印から逃れるには死ぬ以外に方法はない。力もほぼ同じ双子なのに、先に産まれるか後に産まれるか。そこで運命は既に決まっていたのだ。そして、この試合、お前の運命もオレが相手になった時点で……決まっている。例え、百二十八掌すら効かないとしても、遣り様はいくらでもある。お前はオレに負ける運命だ。絶対にな」

「己は貴殿に勝つと運命に誓った。運命を理由に諦める子どもには負けることはできぬ」

「……何も知らない“ガキ”が偉そうに」

 

 ネジは再び言葉を吐き捨てる。

 

「人は生まれながらに逆らう事の出来ない運命を背負って産まれてくる」

 

 ネジは人差し指をナルトに突き付けた。それは明らかに拒絶の意味を示していた。

 

「一生、拭い落とせぬ印を背負う運命がどんなものかお前などに分かるものか!」

「確かに……己は分からぬ」

「なら黙っていろ!」

「しかし、貴殿も理解していない」

「何だと?」

「ヒナタも貴殿と同じだということを貴殿は理解していない。ヒナタには呪印なるものはないが、それでも宗家という籠の中で足掻いていた。出ようと! 羽ばたこうと! 飛ぼうと! その努力を否定する貴殿を己は許すことなど到底出来ぬ!」

「……」

 

 ネジは目を閉じた。思い返すのは先のナルトの言葉だ。

 目を開けたネジはナルトを真っ直ぐに見遣る。

 

「お前は『闘いを続ける前に一つ貴殿に問いたい』と先ほど言ったな?」

「然り」

「なら、オレからも一つ質問だ。どうして、お前は運命に逆らおうとする」

「貴殿の心が悲鳴を上げていたからだ」

 

 ネジは眼に力を籠める。白眼を発動させ、構えを取るネジの目の色は限りなく冷たかった。

 

 ──認めない。

 

 拒絶の意志を掌に乗せ、ネジは駆ける。目的はナルトの命、それだけだ。

 彼の狙いは人体の急所、チャクラ穴が密集した八つの箇所。これを八門と呼ぶ。

 これは余談であるが、八門の一つ一つに名称がある。

 

 心臓にある死門、下腹部にある驚門、丹田にある景門、体の真ん中にある杜門、胸の中央にある傷門、首筋にある生門、右の頭にある休門、左の頭にある開門。

 

 この八門はチャクラの流れを制御する重要な経絡だ。必要以上にチャクラが流れないようにする(せき)の役割をこの八門は担っている。

 この八門が何らかの要因で壊れたとしよう。そうすると、文字通り堰を切ったようにチャクラが人体に流れ、体の各所──臓器、骨、筋肉──を壊し尽くす。八門が壊れた人間は数十秒で死に至るだろう。もっとも、増幅したチャクラを体に慣れさせていれば、もう少し寿命は長くなるだろうが、それも誤差程度の話。壊された者が死に至ることは間違いない。

 

 そして、ネジはこの八門を壊す術を得ていた。

 

「絶招 八門崩撃!」

 

 ナルトの手前1mに急接近したネジは勢いを止めることなく、憤怒でコーティングされた殺意を身に纏い、ネジはナルトの胸へと手を伸ばす。死門を壊す腹積もりだ。

 あと、30cm。それだけの距離。

 

 ──殺った!

 

 そう確信するネジの視界が揺れた。

 と、同時に世界が回転する。

 

「ぶっ!」

 

 何が起こったのか全く分からない。混乱の中、ネジは自分が倒れ伏していることに気が付いた。

 

「■■■■■■■■■! ■■■■■■■■! ■■! ■■、■■■■!? ■■! ■■■■、■■!」

 

 耳元が煩い。聞こえるのは甲高い雑音ばかりだ。おそらく、解説者の声。

 頭が重い。思考が水面のように揺れている。おそらく、痛みのせい。

 

 頬が……痛い。

 

 まるで……まるで、それはまるで頬が叩かれたかのような……そんな痛み。だが、それは、それは、それではまるで……悪さをした子どもが厳しい親にビンタをされたような……。

 いや、嘘だ、そんなこと、認められない。絶対に、認められない。

 オレは……オレは……オレは……オレには……そんな人はいない。ガイはオレの力を認めている。力で押さえつけるようなことはなかった。実力を認め、一人の忍として接していたガイならば、問答無用でビンタをすることなんて、そんなことなんて絶対にない。それに、父上も母上も頭を優しく撫でてくれることはあっても、ビンタをされたなんてことはない。

 じゃあ、誰が? 誰が? 一体、誰が? 誰だというんだ?

 

 揺らぎが収まっていく視界の中、黒と橙の間に肌色が見えた。開き切らないネジの目線が上へと上がっていく。

 黄色を捉えた。ネジの目が大きく開かれる。

 

 今の状況でネジへと攻撃を加えた者は一人しかいない。その単純明快な答えをネジは無意識に否定していた。見なかったことにしたかった。

 なぜなら、彼の頬を叩き、吹き飛ばしたのは、目の前にいるナルトだったのだから。

 

「くっ……」

 

 ジンジンと痛む左の頬。おそらく、ナルトが右の掌で自分の頬を打ったのだろう。テンテンが扱う鞭で打たれたのならば、まだネジの心は折れなかった。

 だが、今、彼の頬を打ったのはナルトの右の掌。自身の最強の技である八門崩撃の攻撃範囲外から繰り出されたリーチの長いナルトの攻撃だ。それが、ナルトの最強の技であるならば、ネジは自身の力を認めることができた。最強の技を最強の技で崩された。この一ヶ月間、ナルトのことを分析していなかった自分の怠慢が負けを招いたのだと、そう納得できた。

 しかし、現実はナルトのビンタ一発──196cmという長身の男の腕のリーチを怒りで忘れて隙を見せていた事実はあったが──で地面に倒れている。

 

 一撃。たった一撃だ。

 だが、それが致命的であった。

 

 彼の心は完全無欠に折られた。

 ネジは両手を地面に当て、ゆっくりと身を起こす。一旦、正座の形で止まった彼だったが、苦しそうに顔を歪めた後、心を庇うかのようにそろそろと立ち上がった。

 

 ──強者がするべき行い、か。

 

 ///

 

「ネジよ、一ついいか?」

「何だ?」

「何故、貴殿は精神的にヒナタを追い詰めるようなことをした? それは強者がするべき行いではない」

「フン……お前に語るようなことはない。だが、強いて言えば……忍の世界というものはこういうものだ。弱者は戦いの中、何も出来ずに死んでいく。それが忍の世界だ。よく覚えておけ、ルーキー」

「それは違う、と言っても今の貴殿は聞かぬだろう。なれば、己が貴殿との闘いの中で教え諭そう」

 

 ///

 

 中忍試験第三の試験の予選でヒナタを下した後にナルトから語られた言葉をネジは思い起こす。

 

 ──たった一回の攻撃で上下を理解させる。それが強者か。

 

 ナルトのビンタを受けたネジは、そう納得せざるを得なかった。

 自分はヒナタへと不必要に攻撃を加えていた。それは、確かに見ていて気持ちのいいものではない。悪鬼にも劣る行為だ。強者になるためには、一撃で彼我の力を理解させる華が必要。それを自分は持っていなかった。

 

 それが知れただけでも収穫は十分だ。オレはもっと強くなれる。

 

 ネジは右手を上げた。

 

「どうやらオレはここで負ける運命だったようだ。……試験官」

「ん?」

 

 どこか憑き物が落ちたような顔でネジは宣言する。

 

「ギブアップだ」

「認めぬ」

「なに?」

 

 試験官であるゲンマよりも先にナルトが言葉を放った。その言葉に乗る感情をゲンマは理解したのだろう。ナルトへ頷き、勝利の宣言を先延ばしにしてナルトの言葉を待つ。

 

「運命という言葉は諦めるためにあるのではない! 運命という言葉は自身を鼓舞するためにある! 絶体絶命の状況であろうが勇気を励起させ、勝利を手に掴む道標とするための言葉!」

 

 ナルトは腹から声を出す。

 その言葉には“力”があった。

 

「はっきり言おう。貴殿の言う運命は運命ではない!」

 

 その“力”はネジの心を揺さぶる。

 ネジの折れた心が巻き戻っていく。心が熱くなっていく。

 

「己は運命に勝利を誓った。なればこそ、己は貴殿に勝つ! 勝たねばならぬ!」

 

 ナルトは握り締めた拳をネジへと向けた。いや、その拳はネジ“だけ”に向けられていた。ネジの過去、彼の父が犠牲となった時の喪失。宗家と分家の格差に翻弄されているネジの現在。ネジを取り巻く状況は悲劇と呼ぶべきものだろう。

 だが、それらをナルトは見ていない。彼が今、見ているのはネジだけだった。ネジしか見ていなかった。

 

「……ッ!」

 

 自分の体に震えが奔ったことをネジは痺れた脳で感じ取っていた。相手は勝ちの目が全く見えないほどに強大だ。このままでも、これから全力以上の実力を出したとしても勝てないだろう。その上、既に自分はギブアップを宣言している。自分の中忍試験は終わっていることをネジは十二分に理解していた。

 

 だが、試合相手はそれを、うずまきナルトの勝利を、日向ネジの敗北を認めていない。

 悲しい過去だの家柄だの、そして、運命だのを取っ払って、拳と拳で、魂と魂で、自分と相手で勝負を決めたい。

 そう試合相手は望んでいる。

 

 ///

 

「ネジよ、一ついいか?」

「何だ?」

「何故、貴殿は精神的にヒナタを追い詰めるようなことをした? それは強者がするべき行いではない」

「フン……お前に語るようなことはない。だが、強いて言えば……忍の世界というものはこういうものだ。弱者は戦いの中、何も出来ずに死んでいく。それが忍の世界だ。よく覚えておけ、ルーキー」

「それは違う、と言っても今の貴殿は聞かぬだろう。なれば、己が貴殿との闘いの中で教え諭そう」

 

 ///

 

『そうか』とネジは心の中で言葉を零す。

 強者の行いは決して、一回の攻撃で上下を理解させることではない。相手の力を引き出し、自分の力を全力以上に籠め、正々堂々、闘って前を向く者。

 それが強者だという答えが胸にストンと落ちた。

 

 ──なら、オレは?

 

 オレは強くない。弱い。ヒナタ様を傷つけ、現状を変えるために動こうともせず、籠の中に閉じ籠って、空を飛びたいと憧れ続ける小鳥だ。

 それで? それで、オレはいいのか? このまま……弱いまま、小鳥のまま、籠の中に引き籠る。

 

 ──嫌だ!

 

 ネジは目を閉じながらチャクラを眼に集める。それと同時に袖を捲り、腕を露出させた。

 それは不退の意志。これからは“全力を越える”という意志だ。

 覚悟は完了。

 ネジはナルトへと歯を見せる。彼の目には、もうナルトしか映っていなかった。

 

 応じて、ナルトは上着を脱ぎ捨てる。

『迎え撃つ』と態々(わざわざ)、言葉にしなくても目の前の漢はナルトの気持ちを理解していた。

 

「ナルト……征くぞ!」

「承知!」

 

 二人の姿が掻き消えた。

 

「おおおおおお! 下忍とは思えねェスピードで動き回るナルトとネジ! あの状況から心を持ち直したネジがナルトに追い縋る! 手を伸ばす!」

 

 会場が湧く。

 足が悲鳴を上げる。

 視界が歪む。

 

 だが、その全てをネジとナルトは置き去りにした。全神経を前にいる倒すべき漢に集中、一挙手一投足見逃さないという信念の元、何十回もの瞬身の術をネジは行い、走るナルトへと追い縋る。

 攻撃を行う、攻撃が行われる。その度に空気が破裂したような音が響き、会場に悲鳴が上がるが闘う二人には届かない。

 

「ぬん!」

「ハッ!」

 

 ナルトの拳とネジの掌が正面から当たり、一際大きな音が鳴る。拳と掌が押し合い、二人の瞬身の術を止める。

 しかし、次の瞬間、再び二人の姿が掻き消えた。地面に軌跡を作りながら、二つの土埃の線が縦横無尽に会場を駆け巡る。無軌道に幾何学模様が描かれる。

 

 ……矛盾だ。

 

 怖い、だが、楽しい。

 ネジは涙を流しながら笑顔を浮かべていた。しかしながら、ネジは天才であった。戦闘中での大きく揺れ動く感情を利用し、攻撃へと繋げることができる天才であった。そして、彼は不利な状況を一転させる。

 胸へと迫っていた巨大な拳を大きく上体を捻ることで躱したネジは、崩れた重心を利用して攻撃へと繋げていく。

 

「八卦二掌! 四掌! 八掌! 十六掌! 三十二掌! 六十四掌! 百二十八掌!」

 

 眼前にあるのは恐怖を覚えるほど強大な筋肉。されど、臆することなく、ネジは大きく足を踏み出す。その一歩は確実に、そして、迅速に彼の潜在能力を解き放っていく。

 

「二百……知るかァアアアアアア!」

 

 既に何度、指突を繰り出したのか分からない。それほどの数だ。数える意味などないほどに繰り出した攻撃だが、巌のように強大な敵には効果が見られない。

 

 だが! それがどうした!

 

「アアアアアアァァァァァアアアアタタタタタタタタタタタタァ!」

 

 効果が出ないならば、効果が出るまで攻撃を繰り出すだけ。素直に、愚直に、真っ直ぐに。

 腕が悲鳴を上げている。息もつかせぬ連続攻撃で、体全身が休息を欲している。だが、一瞬でも休んでしまえば、その時点で勝敗は決することをネジは理解していた。

 だからこそ、ネジは我武者羅に指突を繰り返す。

 数を数えることに意味はない。腕が動かなくなってもいい。勝てるなら、全てを捨ててもいい。

 果たして、ネジの全力を越えた攻撃は、全力以上で体を固めて震わすナルトの点穴を突くことができた。

 

「タァア!」

 

 止めの一撃と言わんばかりに声を上げるネジ。その一撃はナルトの体を大きく吹き飛ばした。だが、ネジの表情に勝利の歓喜はない。

 彼は理解していたのだ。先の一撃ですら、ナルトを止めることなど出来ていないということを。

 

「見事……」

 

 ネジの感覚は正しかった。

 攻撃を受けた際に生じた摩擦で熱が出ているのだろう。ナルトの体からは煙が上がっていた。しかしながら、ナルトは自身が未だ健在であると示すように堂々と立ち続ける。

 

「フンッ!」

 

 そればかりでない。

 ネジの攻撃で閉じた数個の点穴を残存する体中のチャクラを搔き集めて、それを流し込み、閉じた点穴を無理矢理、開く。そもそも、点穴とはチャクラの流れを制御するためのもの。それが閉じたならば、大量のチャクラで開けばいい。数個、閉じた所でナルトが持つ膨大なチャクラを全て止めることなど出来はしない。

 

 だが、閉じた点穴を無理矢理、開こうとすれば、そこには痛みが生じる。

 ナルトと言えども、到底、無視できない痛みはあろう。だが、痛いからといって、ネジとの闘いを止める理由にはならなかった。痛みに勝る闘いへの興奮が在った。

 

 大きく肩で息をするネジも、上がらないほどに痛む腕を無理矢理、上げる。そこには、痛みに勝る闘いへの興奮が在ったのだ。

 

「まだ……だッ!」

 

 痛む腕。だが、足は疲労を感じるものの動けない訳ではない。

 眼に力を籠め、ナルトの動きを見極めようとするネジは再び走り出す。ナルトもまた、ネジを迎撃するために拳を握り締めた。

 

 ネジの体が風を切る。手を伸ばせば、すぐにでも触れられる距離。

 一瞬にして難敵へと距離を詰めたネジは自身に迫る拳を見つめていた。

 

 ──負けて堪るか!

 

 ネジの走りが止まる。足にチャクラを集め、地面に吸着したネジはナルトの拳が当たる手前1mmで止まった。伸びきったナルトの右腕、その先の拳にネジは額を当てる。

 

「む!?」

 

 二撃目を加えようと右手を引いたナルトの目の前からネジの姿が消える。不可解な現象に驚き、動きが止まったナルトの後ろから軽い足音がした。

 ナルトは気づくことが出来なかった。動きが止まったネジはナルトが腕を引くよりも早く、額をナルトの拳にチャクラで以って吸着させたことに。腕が引かれたことにより、拳に着いたネジの体は慣性力でナルトの後ろに放り出されたことに。

 そして、それは致命的な隙だった。背後を敵に取られた者に待ち受ける運命は“死”のみ。つまりは敗北である。

 

「ハッ!」

 

 ネジの全力が籠った掌底がナルトの背中に防がれることもなく当たり、この試合が始まって以来、最大の破裂音が観客席を襲う。その音に生存本能が働いたのだろう。一部の実力者を除き、会場内の多くの者が頭を腕で覆う。

 

「き、決まった……」

 

 しかし、解説者はエリートであり、そして、筋肉の魅力を解する者である。

 闘いから一瞬でも目を逸らすことなど有り得なかった。

 

「……そう思うほどのネジの攻撃。だが! だが、だが! おい! お前ら! 目を逸らすんじゃねェ! 見ろよ! 散っていく黒いTシャツの切れ端を! 顕れ出たあの逞しい広背筋を!」

 

 ザジの声で怖々と下の闘いへと再び目を向けた観客たちの目が丸くなる。

 間違いなくネジの勝利だ。

 そう思った観客たちであった。だが、すぐに自分の考えが間違いだと気が付いた。その者はネジの背後からの攻撃に目を向けることはなかった。その者が天に向かって曲げた腕を、そして、その者の引き締まった肢体を目に焼き付ける。

 

「あのバックラッドスプレッドを!」

 

 それはザジの言う通りである。

 背後からの致命的な一撃をナルトはバックラッドスプレッドのポーズを取ることで防いだのだ。

 

 自分の渾身の一撃。それでも尚、目の前に聳え立つ巨大な壁には届かない。だと言うにも関わらず、ネジは笑っていた。

 全力で挑んでも敵わない。全力以上で挑んでも敵わない。

 それならば、答えは単純だ。

 

 ──限界を超える。

 

 ネジは体の方向を逆にして走り出す。

 

「ネジがナルトに背を向けた! ネジの先には壁があるだけだが……まだネジの目は死んじゃいねェ!」

 

 ザジと同様、ナルトもネジの行動に何か思うことがあったのだろう。何も言わずに去り行くネジを見送った。

 ネジは試験会場の壁に近づいていく。だが、彼はスピードを緩めることはない。それどころか、更に足に力を籠め、ギアを上げていく。

 

「ネジ! このままじゃ壁にぶつか……登ったァアアアアア!」

 

 トップスピードのまま、ネジは壁を駆け上がる。すぐに壁の頂上に着くと、壁の縁に足を掛け、そこから大きく飛び立った。 突き抜けるような青空を後ろにネジは舞う。

 

「鳥?」

 

 マイクに入ったザジの呟きが会場にいる全員の気持ちを代弁していた。

 大空を飛び回る鳥のようなシルエットが太陽を隠し、ナルトの顔に影を作る。空に我在りと示すかのようにネジは大きく声を出した。

 

「我流!」

 

 それは魂の叫び。

 “日向”流ではなく、“我”流。血に抑圧され運命に翻弄されたネジの、彼自身の心の声だ。

 ナルトはネジの叫びに応じる。曲げた足にチャクラを、力を、籠める籠める籠める、籠める。

 “限界突破”

 それがネジへと応えるナルトの想い。

 

 キッと太陽を隠す影を見上げたナルトは充填した力を一息に開放し、上空に向かって落ちるかのように跳び上がる。右の拳を握り締める。

 地面を隠す影を見下ろしたネジは開いたチャクラを収縮し、地面に向かって跳び上がるかのように落ちる。両の掌を限界まで開く。

 

 二人は高みに向かって、上がって下がって上がって下がって上がる(下がる)

 

「オォオオオ!」

「灰翼破白掌!」

 

 ぶつかり合う衝撃と衝撃。

 拮抗は一瞬。一秒が永遠に感じられるということもない。現実を見据えた上で、ネジは自分の敗北から目を逸らさなかった。

 全身に感じる衝撃は強く、ネジを空へと留め置く。

 

 未練も後悔もなく、すっきりと負けた。

 もう……死んでもいい。いや、死ぬのだろうとネジは思う。このまま、地面に受け身も取れず叩き付けられる。それでも、良い。全力を出した後の高揚感に包まれながら逝くのも悪くない。

 

 そう考えるネジの背中が固いものに触れた。しかし、その固いものは暖かかった。

 白眼すらも発動できないほどにチャクラを使い切ったのだろう。この暖かいものは何だろうかとネジは視線を彷徨わせる。

 それはすぐに見つかった。

 

「素晴らしい闘いであった。また、試合(しあ)おうではないか」

 

 暖かいものはナルトの腕だった。目に映るナルトの顔は満足そうに自分を見つめている。

 それはネジにとって、自分の力(我流)で勝ち取った報酬であった。

 

 トンと軽い音がしたことに気付いたネジは言わねばならないことを言うために口を動かす。

 

「ナルト」

「どうした?」

「……ありがとう」

「己からも言わせて貰おう。ありがとう、と」

 

 試合が終わった後、互いの健闘を讃え合う。それこそが、二人にとっての決着だった。

 

「決着ゥウウウウウ! 勝者! うずまきナルトォオオオオオ!」

 

 ザジの声を後ろにナルトは動けないネジを地面に横たえる。

 彼はネジと目を合わせてネジの他には誰にも聞こえないように声を出した。

 

「ネジよ、己はこう思うのだ」

「何だ?」

「呪印とやらを作ろうと考えたのは分家の人間だったのではないか、と」

「……」

「宗家を守る。その意志の元、前線に立ち、そして、力及ばず捕虜の辱めを受け、一族に仇なすような状況になった場合……友を、家族を守るための最期の手段として作ったのではないか、と。白眼を封じる能力も同様。力を敵に与えることなく、自ら始末をつける」

「……」

「それは悲しくも……強い忍の生き様だと己は感じる」

「お前は……分家は宗家を守るために、分家自ら呪印を着けたと言いたいのか?」

「否。大切なものを守るために」

「大切な……もの?」

「友を、伴侶を、親兄弟を……そして、子を。誰も傷つけることのないように。誇りを胸に天に逝くために、自らの覚悟を忘れぬことのないように身体に刻んだのだろう」

 

 ナルトは立ち上がりながら倒れ伏すネジを優しく見つめる。

 

「貴殿にも、その心はあろう?」

「……」

 

 ネジは何も答えなかった。何も答えられなかった。

 だからこそ、顔を背け、涙を流すのだった。

 



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シカマルVSテマリ

 ネジとナルトの闘いは終わった。心残りなく戦い抜いた二人に大きな拍手が送られる。

 会場の中心で高々と拳を掲げたナルトの姿を見たサクラだったが、一瞬の無表情の後、それまで感情を素直に表していた表情を曇らせた。

 

 ──サスケくん。

 

 中忍選抜試験、本選の第二試合はサスケと我愛羅の試合である。だが、試合直前になってもサスケは姿を現さない。サスケはカカシと共に修行をしていると聞いていたサクラであったが、サスケの身に何か起きたのではないかという懸念は拭い去ることは出来ていなかった。

 

『やっぱり、私は君が欲しい』

 

 中忍選抜試験、第二の試験の会場、“死の森”で出会った忍の言葉がサクラの脳裏に響く。

 今まで会った全ての者の中で最も強い忍の狂気を思い出し、サクラは身を震わせた。

 楽観視など出来ようハズがない。最大限の警戒を行っても、まだ足りない。それほどの執念があの忍にはあった。

 

「サクラ」

 

 ハスキーな声がサクラの耳に届く。

 顔を上げたサクラの瞳に映るのは巨大で、しかし、温かな姿。例えるならば、太陽か。

 その太陽の前で俯いたままではいられない。サクラは感情を偽り、笑顔という仮面を向ける。

 

「ナルト。おめでとう」

 

 サクラの声に一度、頷いたナルトは喜びを浮かべることなく、淡々と辺りを見渡す。

 

「サクラよ……サスケはどこに?」

「……まだ来てない」

「サスケ……」

 

 試合の後でナルトの体の至る所には砂埃が着いている上に、いつも着ている黒いTシャツはなく、上着は片手に持ったまま。自分のコンディションを(かえり)みる方がいい状況だが、ナルトの興味はサスケへと移っていた。

 

 ──なんで……。

 

 サクラは拳を握り締める。

 

 ──なんで、こんなに悔しいの?

 

 その悔しさはどこに起因しているのか?

 

 ナルトがサスケを見ているからか? 是。

 ナルトの努力が認められたからか? 是。

 ナルトの闘いに魅せられたからか? 是。

 

 しかし、それ以上に悔しい理由があった。

 

 ナルトとサスケ。

 

 サクラは握り締めていた拳から力を抜き、ナルトを見上げた。ナルトもまたサクラの様子に感じ入るものがあったのだろう。言葉を発することなく、彼女を真っ直ぐに見つめて言葉を促す。

 

 一度、深呼吸をした後、サクラは手を上げた。応じてナルトも手を掲げる。

 

「ナルト……私はアナタとも闘いたい」

「サクラよ……決勝で()つ」

 

 パァンと高い音がナルトとサクラの間で響いた。

 掌と掌が打ち合い、奏でる音は澄み切り、サクラの体に伝播する。

 

 確かに、サスケは姿を見せない。

 だが、サスケが試合から逃げ出すことがあろうか? いや、そのようなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。そう、サスケは必ず来る。そう信じているからこそ、サクラは悔しい気持ちを抱えている。

 

 なぜならば、サクラの試合は最後。トーナメントの端のナルトと闘うためにはサクラは決勝まで勝ち進まなくてはならない。そこで、問題となるのはトーナメントのブロックで隣り合うナルトとサスケだ。二人は勝ち進めば相対することとなるだろう。しかしながら、トーナメントで先に進む資格を有するのはナルトかサスケかの内、一人のみ。

 どんなに願おうがナルトとサスケの“二人”と闘うことはできない。

 

 それが、サクラが口惜しく感じる理由だ。

 自分が心から憧れた二人と拳を合わせることができる絶好の機会。

 

『ナルト……私はアナタとも闘いたい』

 

 それで、サクラは『アナタ“とも”闘いたい』と無意識の内に言葉にしたのだろう。自分が闘いたい二人の内の一人に贈る言葉だ。

 

 先ほどのナルトと手を叩いた時の衝撃で決意は更に強靭になった。絶対に負けたくない闘いがある。そのためには勝つ、勝ち続けることが必要だ。

 だから、心配しない。修行したとはいえ、まだまだ自分は弱いということを理解しているからこそ、サクラは自分の試合まで一途に、そして、純粋に気合を高めるのだった。

 

 +++

 

「フフフ……ざわついていますね」

「いい闘いだったからのォ……」

 

 二人の忍が言葉を交わす。

 彼らの言葉通り、会場の雰囲気は先ほどのナルトとネジの闘いで最高潮と言えるものになっていた。

 

「いえ、それもあるのでしょうが……」

 

 二人の忍の内、被っている笠に“風”と書かれた男が目線を隣に遣る。

 

「おそらくは次の試合。物見高い忍頭たちや依頼主である大名たちにとって、これほど楽しみな試合はないでしょうから」

「……」

「ところで、彼はもうここに?」

 

 男は隣で沈黙を保つ“火”と書かれた笠を被る老人に問いかける。

 彼の興味は次の試合に移っていた。ナルトとネジの試合の余韻に浸ることなく、次の試合を心待ちにしている男の心中を推し量った老人はどうするかと考えを纏めていく。

 “風”と書かれた笠を被る男の気持ちが分からない老人ではない。五大国と言われるほどの大国が擁する砂隠れの里、その長だけが被ることを許される意匠を凝らした笠。つまり、老人の隣に座るのは風影、四代目風影である。そして、同じような笠──老人の頭にあるのは火と書かれているが──を被るのは火影、三代目火影だ。

 彼にとって四代目風影の心の内を読むことは容易い。というより、多くの者ならば理解できることだろう。

 

 次の試合は木ノ葉隠れ──うちはサスケ──と砂隠れ──我愛羅──との試合である。そして、我愛羅は四代目風影の実の息子。息子に期待する気持ちは理解できることであるし、その試合を早く見たいという気持ちは当然だ。

 

 三代目火影は軽く後ろに立つ忍へと合図をする。

 音もなく彼に近づいた木ノ葉の忍はそっと耳打ちをした。

 

「それが……サスケの消息がまだ掴めません。大蛇丸の事もありますので、皆が騒ぎ出す前に彼を失格に……」

 

 部下の意見はもっともだと三代目火影は得心する。

 サスケは大蛇丸に狙われている。最悪の事態ではあるが、既に大蛇丸の手に落ちていることも十二分に考えられる状況だ。そして、その状況がこの場で知られるのは余りにも拙い。

 

 下を見渡すと次の試合はまだかとソワソワしている観客の様子が見て取れる。木ノ葉の者だけならば、まだいい。しかし、観客の中には他里の忍頭や各地の大名などがいる。その中で、大蛇丸という世界的犯罪者が木ノ葉の下忍を攫ったなどという醜聞が広まれば、そして、それを阻止できなかったとあれば、木ノ葉隠れの権威は地に落ちるだろう。

 

 三代目火影は意を決した。

 

「やむを得ん。ルール通り、サスケは失格とする!」

「フッ……」

 

 目を閉じ、鼻息を漏らした四代目風影に三代目火影は目を向ける。自分に注目を集めたことを認識した四代目風影は目を開ける。

 

「火影殿。うちはサスケの失格は少しお待ち頂きたい」

「お言葉ですが、忍において時を軽んじる者はどんなに優秀とて、中忍の資格はない。ここに来られている忍頭や大名たちが納得するような明解な理由でもなければ、彼を待つ理由がありません」

 

 四代目風影の言に反応するのは三代目火影の傍に控えていた木ノ葉の忍だ。

 だが、その言葉を歯牙にかけることなく四代目風影は言葉を続ける。

 

「なるほど、それなら十分な理由がありますよ」

 

 静かな声だが、それは聞く者全てを引き込む引力があった。

 

「私を含め、ここにいるほとんどの忍頭や大名は次の試合を観たいが為にここに来たようなものだ」

「しかし……」

「何せ、彼はあの“うちは”の末裔。それに風の国としても是非、うちの我愛羅と手合わせ願いたいのです」

「……どうしますか?」

 

 三代目火影は目を閉じ、メリットとデメリットを天秤に掛ける。ややあって、目を開けた三代目火影は被る笠で顔を隠しながら口を開いた。

 

「……分かった。特別、この試合を後回しにして待つことにしよう」

「火影様! 本当にそれでよろしいのですか?」

「試験官に伝えろ」

「……はい」

 

 声の調子が変わらない三代目火影だ。従う他ないと判断した付き人は瞬身の術で姿を消す。

 

「しかし、風影殿がそこまで言われるとは珍しい」

「何……我が里の忍の質をこの依頼主たちに見せつけるには相手はうちは以外にいない。うちとしてもいいチャンスなのですよ」

 

 四代目風影は感情を感じさせない目付きで下を見下ろす。

 そこには、先ほどまで自分たちの後ろに控えていた忍が試験官に耳打ちをしている光景があった。

 自分の目論見通りにいったことに満足したのか、将又、自分の目論見通りにいくのが当然だというのか、四代目風影は頷くのであった。

 

「皆様! 次の試合の受験者が現在ここに到着しておりません。よって、この試合は後回しにし、次の試合を先に始めていくことにしました」

 

 試験官の声が試験会場に響く。サスケと我愛羅の試合を心待ちにしていた観客はブーイングで試験官に自分たちの感情を示す。

 しかしながら、試験官は観客の反応を取り合わない。粛々と試合を進めていくのみだ。

 

「では、次の組み合わせ。カンクロウと油女シノ。下へ!」

 

 ──クッ……。

 

 名を呼ばれたカンクロウは迷っていた。

 それもそのハズ。

 カンクロウ自身は闘いたい。観客として見ているだけで泣きそうになったほどのナルトとネジの素晴らしい試合を観て、自分もそれほどに魅せる試合をしたいと考えるのは不思議な話ではない。何より、ナルトとは木ノ葉に着いた時の一悶着から目を付けている。

 ナルトの足にチャクラで作り上げた糸を絡ませ、そして、転ばせようとしたにも関わらず、ナルトは足踏みだけでチャクラ糸を引きちぎった。それは今までの敵とは一線を画す存在感だったのだ。

 あの時の衝撃は今に至るまでカンクロウの闘争心を刺激し続けている。

 

 ナルトと闘いたい。それは混じりけのないカンクロウの本音だ。

 

 しかしながら、彼は“忍”である。その立場がカンクロウを縛っている。

 首を回し、自身が誇りと命を預ける忍具をチラと見る。ここで闘えば、任務にも多大な影響を与える。それも致命的な影響を。

 カンクロウが扱う術は傀儡の術という暗具を仕込んだ人形を操る術。その術の特異性──作った仕込みの絡繰りはそう簡単に変更できない──から一度、仕込みを見られては看破され易いという特徴がある。

 

 ──どうする?

 

 答えは決まっている。

 

「オレは棄権する」

 

 苦渋に満ちた顔を浮かべ、カンクロウは任務を選択した。“忍”であることを彼は選択したのだ。

 

「……」

 

 苦し気な様子のカンクロウに声を掛けることなく、さりとて、親愛を示すように彼の肩に手が置かれた。カンクロウの姉であり、班員であるテマリの手だ。

 カンクロウは分かっていると言うかの如く、自身の肩に置かれたテマリの手を何も言わずに叩く。

 姉弟にはそれだけで十分だった。

 

「ハイ!」

 

 人の身の丈ほどもある扇子をいとも容易く軽々と操り風を起こす。扇子に飛び乗ったテマリは試験会場へと華麗に降り立った。

 

「……」

 

 やるべきこととやりたいことを天秤に掛け、任務を優先したカンクロウは悔しそうにテマリの後ろ姿を見つめる。

 

「残りの一人、降りて来い」

 

 中忍選抜試験、本選。その第四回戦。対戦者はテマリ。

 

「ったくよォ。何でオレの相手は女ばかりなんだよ。やり辛えなァ……」

 

 そして、シカマルだった。

 テマリに続いて会場に跳び降りたシカマルはどこか気の抜けた表情でテマリを見つめる。

 

 その仕草が、その言葉がテマリの逆鱗に触れる。

 女という理由で侮られるのは屈辱だ。そもそも、男だから何だというのか?

 男だから強い? 男だから偉い? 男だから女を見下してもいい?

 

 ──ふざけるな!

 

 これまで高ランク任務を熟してきた。達成した理由は我愛羅の力が大きいものの、自分の力は確実に任務達成の一助となっている自負がある。鎧袖一触と言わんばかりに自分よりも巨大な男を、数多くの男を吹き飛ばした実績がある。

 それを目の前にいるヒョロヒョロと頼り気のない自分よりも年下の少年に否定させない。

 

「おい! まだ開始とは……」

「テマリ! 何してんだ! 試験官の合図はねェぞ! けど、ここで熱を冷まさせる訳にはいかねーから開始ってことで一つどうっすか、ゲンマさん?」

「チィ、仕方ねェな。……試合開始!」

 

 試験官であるゲンマと解説のザジの声を無視し、目を鋭くさせたテマリは巨大な扇子を振り上げ、一息にシカマルに接近する。

 

「ラァ!」

 

 シカマルの頭を割り、熟れたザクロのように脳漿を飛び散らせる。

 確固とした殺意を乗せた扇子の一撃は、果たして、何も捉えることはなかった。濛々と湧き上がる砂埃の奥で気の抜けた声がする。

 

「中忍なんてのはなれなきゃなれないで別にいんだけどよ。男が女に負けるわけにはいかねーしなぁ……まぁ、やるか!」

 

 砂埃が晴れて行く。

 テマリは奥歯をギリッと噛み締めた。それは屈辱から来る行動だ。彼女が額に井桁模様を作るのも仕方のないことだろう。必殺の一撃とも言うべき扇子の殴打がいとも簡単に避けられ、更に、地面に減り込ませてしまった自慢の扇子の上に細く、そして、惰弱な右足をこれ見よがしに乗せられたのだ。

 

「どけェ!」

 

 自分はコケにされた。

 それに気づいたテマリのチャクラは荒ぶり、怒髪天を衝くほどに髪を逆立たせる。力任せに扇子を振るい、テマリはシカマルの足を強引に振り払った。

 

 だが、それで終わるほどテマリの怒りは小さくない上に、足を払った程度の発散で怒りを収めることなど彼女の元来の性質から有り得なかった。

 

「オラァ!」

 

 憤怒により、一時的に底上げされたチャクラの性質を変化させる。一度、起こしたら止まらない、止められない、止まることなど考えられない。

 

 それは、まさに嵐だった。

 

「おいおい、マジかよ」

 

 テマリが広げた扇子を振るうと同時に凶悪なチャクラが前方に向かって吹き荒れる。テマリの視線の先にいるのはシカマルだった。風が巻き起こり、砂を持ち上げてシカマルの姿を一瞬にして隠し尽くしてしまう。

 

「こいつァ、テマリの十八番! 強力な風を起こして敵を圧砕して切り刻む! 忍法 カマイタチだァアアア!」

 

 ザジの声を後ろにテマリは眉根を寄せる。

 

 ──手ごたえがない。

 

 吹き荒れる嵐の中、テマリの感覚に微細な揺れが引っ掛かった。

 

「逃げ足は速いようだな!」

 

 感覚に従い、テマリは顔を試験場の端に向ける。テマリの目線の先には試験場を囲む壁に沿うように木が何本か生えている場所。人が身を隠すには十分なスペースだ。

 

「おおっと! テマリは何かに気付いたようだぜ。それもそうだろうな。何せ、テマリの攻撃()が通り過ぎた後には……何も残っちゃいねェ!」

 

 本来ならば、テマリの攻撃が当たっていれば、そこには風に切り刻まれ吹き飛ばされたシカマルの無残な姿が残っていたハズだ。

 だが、何も残っていないということは、そういうことである。

 

「!!」

 

 ザジの解説通り、そして、テマリの予想通りシカマルに風で刻まれた傷はほとんどない。戦闘に支障が出るほどに大きな傷は皆無だった。

 

 今度は自分の番と言わんばかりにシカマルは反撃に移る。地面を這いながらテマリに迫る黒い影。事実、それは影だった。

 

 “影真似の術”

 

 シカマルの一族、奈良一族が得意とする特異な忍術の一つだ。

 自分自身の影の形を任意に変え、対象の影と接触させると同時に同化させる。その後に影を捕まえた対象に術者の動きを強制させる術である。

 

 ただ、この術の速度は速くない。忍相手であっては、不意を打たなくては影真似の術に掛かることなど、よっぽど油断していない限り、そうあることではない。

 その上、影真似の術で行う影の変化可能な面積は、術者の影の表面積分だけだ。威力だけでなく、攻撃範囲もテマリの忍法 カマイタチと比べれば雲泥の差だ。

 

 かくして、テマリは自身に迫るシカマルの影から逃れるべく地面を強く蹴った。

 後ろへと飛び擦るテマリを捕まえようとシカマルの影が更に形状を変え、細く伸びている。が、突然、シカマルの影が止まる。

 腕立て伏せを限界まで行い、床にへばり付く寸前の者のように数秒プルプルと震えた影は、力を失ったように緩慢な動きでシカマルの元へと戻っていく。

 

 テマリの唇が弧を描いた。

 扇子で地面に線を描いた彼女は自身の勝利を確信し、立ち上がる。

 

「影真似の術……正体見たり! どうやら、影を伸ばしたり縮めたり、形を変えるにも限界があるようだな。どんなに影の形を変え、伸ばしても、自分の影の表面積分しか伸ばすことはできない……そうだろ?」

「ハハ……当たり」

 

 テマリの正確な推測に顔が引き攣るシカマルを歯牙にもかけず、テマリは扇子を縦にして地面と垂直に立てる。

 

 ──15メートル30センチ。

 

 扇子で距離を測ったテマリは続いて笑みを浮かべる。それは肉食獣が弱った獲物を見つけた嗜虐心溢れた表情によく似ていた。

 

 テマリの表情とは逆に、シカマルの表情は暗い。それも仕方のないことだろう。

 なにせ、シカマルが使える忍術は影真似の術と他には忍者学校(アカデミー)レベルの基礎忍術のみである。

 それに対してテマリが得意とするのは遠距離からの風の性質変化の忍術。影真似の術が届く範囲よりも外側から攻撃できる術を持つテマリはシカマルにとって最悪の相性とも言っても良かった。

 

 ──どうすっか……。

 

「んん?」

 

 難しい顔をしたシカマル。試験会場を俯瞰できる位置からシカマルを見ていた解説者のザジは首を傾げる。

 

「何だってんだ? シカマルが腰を曲げ……柔らけェなァ、オイ!」

 

 ザジの困惑ももっともな事であろう。

 何故なら、突如、シカマルが自分の足先に向かって両手を伸ばし始め、更には両手が地面にぺったりと着くまで体を曲げたからである。

 いくら12歳と言えども、柔軟性に富み過ぎているシカマルの身体のポテンシャル。更には命を奪い合うこともあるような中忍試験、その本選の試合中に、何の脈絡もなく柔軟体操を始めたシカマルの剛毅な胆力に驚いたザジを誰が責めることができようか?

 

「何なの、アレ?」

 

 木ノ葉隠れの里の上忍であり、シカマルと同期の下忍たち──キバ、シノ、ヒナタ──を受け持つ里一番の幻術使いである夕日紅ですら呆気に取られたのだから。

 しかし、彼女の隣に座り、試合を観戦しているシカマルの担当上忍はニヒルに嗤う。

 

「アイツの癖みてーなもんだ」

「え? 癖? 戦闘中に? え?」

「アイツの日課は早朝のラジオ体操。そんなジジイみたいな奴でね」

「え?」

「で、他にもジジイみたいな趣味があってな……アイツ、将棋や碁が好きでいつもオレが相手させられるんだが、手が詰まるといつも決まってアレをやる」

「柔軟体操を?」

「ああ、柔軟体操を」

「……」

「……」

 

 会場もテマリもまだ動かない。

 シカマルの惚れ惚れするほどに曲がる関節に見惚れてしまっているからである。

 

「……続けて」

「ああ」

 

 膝を曲げずに体を後ろに逸らして地面に手を着いているシカマルの姿を見続けていると、何か不安を覚えてしまうと紅は考えたのだろう。

 幻術に掛かってしまったのかと一瞬、思ってしまうほど体が後ろに曲がっているシカマルから目を逸らし、紅は隣のシカマルの担当上忍である猿飛アスマに続きを促す。

 

「シカマルは、な。柔軟体操をしながら……」

「アレが柔軟体操と言えるかどうかは別として……将棋とか碁をしている最中に、それどころか戦闘中に柔軟体操をしながら?」

「戦略を練ってんのさ」

 

 ──体を柔らかくしても頭は柔らかくならないと思うんだけど。

 

 喉まで出かかった言葉を飲み込んだ紅はアスマの言葉の続きを待つ。

 

「で、オレは一度もアイツに勝ったことがない!」

「……戦略って。これは実戦。ゲームとは違うのよ、全く」

「けど元々、軍師が戦略練るのに使ってたコマがあーゆー遊びになったって言うぜ。言ってみりゃ、シカマルはキレ者軍師ってとこか」

「キレ者……?」

「信じられねーだろ? 忍者学校(アカデミー)じゃドベのナルトと成績は同レベルだからな。だがな、アイツは『筆記なんてめんどくせー』ってテスト中いつも寝てたんだと」

 

 ──違う!

 

 紅は的外れなことを言うアスマを思わず睨みつける。

 

 キレ者は敵の前で! 戦っている最中に! 柔軟体操なんかしない!

 普通の人間でも! 戦闘中に! 柔軟体操なんかしない!

 

 大きな隙を見せながら戦略を練っているような人間がキレ者と呼べようか? いや、どちらかと言えば、バカ者と呼ばれることだろう。

 

「紅。会場に入る時に渡されたパンフを見てみろ」

「ああ、コレ? 試合の順番とか書かれているモノでしょ?」

「それが違う。お前もシノのことをザジから聞かれただろ?」

「ええ。何でもいい解説をするために必要だとか」

「その時に答えた情報がパンフに書いてある」

「あのバカは後でシメる」

「え?」

 

 パンフレットを握り潰しながら紅は遠くの解説席にいるザジに殺気を向ける。

 

 ──忍の情報を流出させることがどういうことか全く分かってないバカが。

 

 自分の部下であるシノが扱う術までザジに答えた紅は自責の念で一杯だった。

 この中忍試験は各国の大名たちを招待している。そのため、忍についてよく知らない大名たちに分かり易い解説をすることで、大名たちに忍の術について理解させ、彼らから今まで以上に依頼を引き出す可能性があった。そのために本選に出場したシノの情報をザジに渡したのだが、まさかパンフレットという形で配布するとは、紅にとって予想だにしない出来事であったのだ。

 確かにパンフレットは分かり易いものの、問題は配布された時間である。シノの試合が始まる前に詳細が書いてあっては、それは即ち、相手にシノを倒す戦略を練る時間を与えるのに他ならない。

 

 ──いや、まだ大丈夫。

 

 パンフレットに素早く目を通した紅はほっと胸を撫で下ろす。

 シノについての情報は詳しく書かれてはいなかった。精々が、シノが蟲を扱うという程度の情報。致命的なものにはなり得ない情報だった。

 

 しかしながら、ザジの犯した罪は重い。

 忍が情報を開示する意味、弱点を教える信頼をザジは裏切ったのだ。罰が必要だ。

 

「それは後でやるとして、アスマ。シカマルは何を書かれていたの?」

「あ、ああ。……聞いて驚くなよ」

 

 豹変した紅に少し腰が引けながらもアスマは実力者である。すぐにいつもの調子を取り戻し、再びニヒルな笑みを浮かべる。

 

「余りに戦略ゲームが強いんで、ちょっと腑に落ちなくて遊びに見せかけてIQテストをやらせたことがある。そんときゃ、オレも遊びのつもりだったんだが……」

「で、どうだったの?」

「パンフに書いてある通りだ。キレ者もキレ者! あいつはIQ200以上の超天才ヤローだった!」

「……」

 

 ──柔軟が終わった。今からだな。

 

 アスマは視線を鋭くさせる。

 一瞬にして精神を切り替えることができるアスマは上忍であることを許されるレベルの実力者と言えよう。

 そう、下でシカマルの柔軟体操をポカンとした表情で見続けているテマリと比べれば、その実力は雲泥の差であった。だが、テマリも上忍には及ばないものの、下忍の中では随一の実力を持つ忍。

 今が戦闘中だということをシカマルに思い知らせるべく、扇子を持つ手に力を籠める。

 

「私を馬鹿にしていると取っていいんだな? 殺す!」

 

 再び風の刃を放つテマリ。

 

「くっ!」

 

 それを素早い動きで躱すシカマルにテマリの怒りのボルテージがグングン上がっていく。

 

「逃げるな!」

「無茶言うなよ……」

 

 何度も瞬身の術を繰り返し、細かく移動を続けるシカマルへと、何度もカマイタチを放ち、退路を塞いでいくテマリ。将棋でいう千日手の様相を呈してきた試合であるものの、今、行われているのは盤上の戦いではない。忍絵巻の一端である。

 

 この闘いを終わらせるのは死か、または自分から敗北を認めるという屈辱。

 この闘いを終わらせるのは生か、または相手が敗北を認めるという栄光。

 その二つのみ。

 

 どちらかが勝ち、どちらかが負ける。膠着から脱出し、攻め方に成るためには何が必要なのか?

 

 千日手を変えるために必要なのは、ただ一刺し。

 

「!」

 

 風塵の隙間を縫い、黒い影がテマリに迫る。此度、迫る影は物理的なものであり、そして、それは殺傷能力を持つもの──クナイであった。

 

「チィ……」

 

 扇子を反転させ、シカマルから放たれたクナイを弾いたテマリは隙を晒してしまった。1秒ほどの、到底、隙と呼べるものではないが、その時間はシカマルに更なる攻めを許す。

 

「影真似の術!」

 

 テマリに迫るシカマルの影。しかしながら、テマリは動かない。

 

 ──フッ……無駄だ。

 

 15メートル30センチ。シカマルの術の攻撃範囲を既に見抜き、地面に線を残していたテマリは次の攻撃に繋げるべく、チャクラを練り込む。

 

 ──この線より内側にいる限り、絶対に捕まることは……いや、待て! ……ヤバイ!!

 

 が、練り込んだチャクラを足に集めて、地面を蹴り後ろへと下がった。その判断は正解だ。シカマルの影がテマリを捕まえようと、先ほどテマリが引いた線を越えてきていた。

 

「テマリが引いた線を越えたシカマルの影! この短い時間に限界を超えやがったァアアアアア!」

 

 ザジの声に沸く会場の中、テマリは冷ややかにシカマルを見つめていた。

 

 ──時間稼ぎだったか。

 

 テマリは柔軟体操を始めたシカマルの行動に得心した。

 態々、大きな隙を晒したシカマルの本意。それは、陽が落ちることで大きくなる会場の壁の影を利用するために、時間を稼ごうとしていたと考えれば納得いく。

 テマリは予想だにしないシカマルの動きで攻撃の手を緩めてしまった自分の浅慮に怒りを覚える。

 

「ちんたらする暇はなさそうだ。次で決める!」

 

 扇子を開き、地面に突き立てるテマリは扇子の影で印を組んでいく。

 

 ──陽動作戦をやるか。まず、扇子で体を隠し、分身で二人に。一人が飛び出し、注意を引き、その隙に……チャクラを最大に練り込んだ最大風力のカマイタチでバラバラにしてやる。

 

 テマリが分身の術の最後の印を組み上げた瞬間、シカマルの手から玉が零れた。

 

「ッ!?」

 

 次の瞬間、シカマルは煙に包まれ姿を消した。シカマルが地面に落とした、破壊することで大量の煙を発する煙玉という忍具のせいだ。

 こうなってしまえば、陽動もない。会場の1/4程も覆う煙だ。あの煙の中でシカマルが自分を確認することなどはできないとテマリは判断した。

 

 ──作戦を変更するしかない。

 

 煙玉によって、陽動作戦は瓦解した。

 ならば、断つ。

 風で全てを断ち切る。

 

「……」

 

 テマリは視線を煙から扇子に移し、扇子に手を伸ばし、そして、有り得ない言葉を聞いた。

 

「影真似の術」

 

 ビクンという痙攣を最後に、テマリの体の自由は奪われた。それと同時にテマリの思考までもが固まる。

 

「な……何で?」

「ど……どういうことだ?」

 

 テマリと解説席のザジの声が重なった。

 動かない思考の中、言葉を振り絞るテマリの耳にシカマルの声が届く。

 

「何でオレがここにいるってことか?」

「そうだぜ、シカマル! お前は煙の中に居たハズだ! そんな所……テマリの背後を取るなんて出来っこねェ!」

「……」

 

 ザジの言葉は言わずもがな。テマリの沈黙を肯定と受け取ったのだろう。シカマルの解説は続く。

 

「壁に沿って全力で走っただけだ。位置関係上、半周すればアンタの背後を取れるからな」

「そんなバカなことがあるか!」

 

 シカマルの適当な言い様が癇に障ったのだろう。怒りで動きを取り戻したテマリは声を荒げる。

 

「速すぎる! 有り得ない!」

「アンタ、こう言ってたよな? 『逃げ足は速いようだな!』って」

「!!」

 

 確かに言った。異常なほどに逃げ足が速かったのを確認していた。

 つまり、シカマルが出せる速度は最低でも、逃げ足と同様。逃げ足が速いならば、通常時に走る速度も同等だというのにも関わらず、逃げたという一点で自分は相手を量り間違えていた。

 

「分かって貰えたんなら、次、行くぜ。ギブアップするようなタマじゃあ……ねェようだしな」

「当たり前だ」

 

 量り間違えたとして、それは致命的な問題ではない。テマリは薄く笑う。

 思い出すのは予選でのシカマルとキンの一戦だ。あの時、シカマルはどうやってキンを下したのかテマリは覚えていた。

 ただ、単純に腕立て伏せや腹筋などを行い、体力を奪うのみ。影真似の術が相手に自分と同じ動きを強制させる以上、一対一の対戦では役に立つことはない拘束術でしかない。

 そして、テマリは忍として自らの肉体を鍛えている。筋肉量もキンと比べて多い。シカマルが行う体力減らし程度では自分を削り切ることなど出来はしない。

 

 それがテマリの余裕を裏付けるものだった。

 

「さて、それじゃあ始めは……マールジャーナアーサナだ」

「マールジャーナアーサナ?」

 

 シカマルが地面に四つん這いになると同時にテマリも動きを強制させられる。

 背中が丸まっていく。次いで、ゆっくりと体勢を元の四つん這いに戻し、上体を仰け反らせていく。

 

「んんんぅ!」

「おお! シカマルが仕掛けた!」

 

 背骨が音を立てている。痛みはあるが、軽い。耐えられないほどではない。

 

 ──だから、柔軟体操をッ!?

 

 シカマルの意図に気付いたテマリは驚愕する。

 シカマルはあの時、自分を捕まえることを考えて異常な行動をした訳ではない。全てはこのため。影真似の術で自分を追い詰めるための下準備でしかなかったのだという事実にテマリの背筋に震えが走る。

 

 だが、まだ足りない。耐えることができる。

 

「この程度で……」

「ウパヴィスタコーナーサナ」

「うぱあああああ!」

「おお、これは中々……」

 

 テマリの足が勝手に開く。角度で言えば、180°だ。それだけでも辛い。とても辛い。だというのにも関わらず、シカマルは手を緩めない。そのまま体を地面に倒す。

 

「うぃすたああああん!」

「ふむふむ……」

 

 想像を絶する痛みだ。先ほど口から出てしまった『この程度で……』という言葉を撤回したいほどの痛み。プライドなど捨ててしまってもいい。勝利など要らない。この痛みから逃れることができるのなら、全て捨ててしまっても構わない。

 だが、言葉を作り上げるほどの余裕はない。

 

「カポターサナ」

「かぽっ……た……あ、あ、ああ……」

「いいねェ……もうちょっと何だけど」

 

 膝立ちになり、そのまま頭を爪先の位置まで動かされた。

 

「ラージャカポターサナ」

「らぁあああじゃあかああああ!」

「ああッ! さっきの! さっきのポーズをもう一度!」

 

 胡坐をかく時のように左足を曲げさせられ、右足を捻らされて上へと曲げさせられた後、右腕で固定させられた。

 

「エーカパーダラージャカポターサナ」

「いっ! そおおおお……ころぅううううん! せぇえええええ……」

「これも惜しい! もう少しなんだ、もう少し!」

 

 もう、何が何だか分からない。人体の不思議を体現するかのような動きを強制させられたテマリの虚ろな瞳に青空が映る。知らず知らずの内に流していた涙は痛みのためか、空の美しさに感動したためか、それとも、デトックス効果のためか。テマリは分からなかった。

 

「まいった、ギブアップ」

「……」

「はああああ!? 何で止めるんだよ、シカマル! やれよ、もっとやれよ! なあ、頼む! もう少しで見えそうなんだ!」

 

 解説者は何を言っているのか?

 テマリは理解できなかった。そう言えば、影真似の術に掛けられた後にも解説者の声は聞こえていたなとぼんやりと思い出しながら、テマリは冷たい地面に熱い体を押し付ける。

 そして、彼女は気づくのだった。自分は敗北したと。

 

「ん? お前、何で立たないん……ああ、シカマル。仕方ねェよ。お前は頑張った。よくやった。テマリの喘ぎ……んんッ! 嬌せ……あー、アレだな。ヒット音を聞いて耐えられたお前に拍手を送ろう。オレは……いや、オレたちはお前の健闘を忘れない。総員、拍手!」

 

 会場の男たちほぼ全員が同じ気持ちだった。女性たちの冷たい視線にも屈することなく、惜しみない拍手でシカマルの健闘を讃える。

 

「勝者 テマリ!」

 

 勝負に勝って試合に負けたシカマルは心を落ち着かせる。ゆっくりと立ち上がり、伏したままのテマリに背を向ける。

 

「済まねェ」

「……謝るな。余計、惨めな気になる」

「済まねェ……」

「だから、謝るな。それに……」

「それに?」

「気持ち良かった」

「テメェッ! テメェ!」

 

 顔を赤くし、前屈みになりながらシカマルはテマリに叫ぶ。それをどこか可笑しく思いながらテマリは笑う。

 

 年下の少年と侮っていた。つまらない男だと思っていた。

 だが、違った。

 強く、そして、柔軟性に優れ、頭の回転も速い。自分を完膚なきまでに敗北させることができるほどの男だ。

 

「惜しいな……」

 

 テマリの隣に降りて、彼女に肩を貸すカンクロウに聞こえないような小さな呟き声。

 きっと、その言葉は木ノ葉隠れの里のすぐそこまで迫る蛇の毒牙からシカマルを助けることができないという諦めから来ているのだろう。

 

 +++

 

「なあ」

「ああ。これ以上ないほどの負け方だ」

 

 観覧席で二人の木ノ葉の中忍が言葉を交わす。一人は、はがねコテツ。始めに話しかけた黒髪を逆立たせた忍だ。そして、もう一人の右目を髪で隠した忍は神月イズモ。中忍試験第一の試験の試験官だった中忍である。

 彼らはチームを組み、任務にあたったこともある関係であり、イズモはコテツの言いたいことを最後まで聞かなくとも理解したのだろう。イズモは言葉を続ける。

 

「シカマルは相手が風影の娘だということで簡単に勝つことができない。もし、一瞬で勝負が決めたり、手玉に取るような勝ち方だと、風影の面子に泥を塗ったとして砂隠れとの関係が悪くなるだろう。けど、シカマルは挑発してテマリの実力を引き出した上で、自分の知力、そして、身体能力を見せているから他里への牽制にもなる。下忍の実力を見せるという中忍試験の意図に沿ったものだしね。それに、ギブアップしたことで、大きな消耗を避けてテマリが次の試合に出ることもさせた。テマリなら、次の試合で勝利を収めることも可能だろう。そうすれば、風影の面子も守られる。力を見せて他里への牽制と、風影の面子を潰さない二つのことを達成するためには、これ以上ない方法だとオレは思うね」

 

 頷いたイズモはシカマルへの評価を固める。

 

「里の先を見据えて、自分の勝利よりも里の安寧を取る。中忍、いや、上忍に必要な心意気を持っている。もしかしたら、中忍になるのはシカマルかもしれない」

 

 それに対して、コテツは首を横に振った。

 

「オレが聞きたいことは、そうじゃなくて」

「そうじゃない? どういうことだ?」

 

 コテツは真面目な顔をイズモに向ける。

 

「パンツ見えたか?」

「見えなかった」

 




マールジャーナアーサナなど聞きなれない言葉はヨガのポーズ名です。
実際には時間を掛けてゆっくりと呼吸をしながらするのがヨガですので、間違っても無理矢理させるものではありません。
あと、本文中に出したヨガのポーズは難易度が高いものがほとんどですので、間違っても初心者の方はしないようにお願いします。痛かったです。


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サクラVSドス

「それではァアアアア! 続きまして! 第五回戦! “音”ドス・キヌタ! “木ノ葉”春野サクラ! 入場して貰いましぇえええええい! ……オイオイ、どうしたよオーディエンス! 声がちっちぇえんじゃないのか? SAY HELLO! もう一度、行くぜGO!!!」

 

 ザジはマイクを高々と掲げ、声を上げ、肉声を会場内へと届かせる。まるで、マイク越しでは自分の熱さは伝わらないと言うように。

 

「“音”ォオオオオオオオオオオン! ドォゥスゥウウウウウウウ……キィイイイイヌッタァアアアアアア!」

「イェエエエエエエィイイイ!!!」

「“木ノ葉”ァアアアアアアアア! ハルゥウウウウウノッ……サァアアアクッラァアアアアアアアアア!」

「イェエエエエエエィイイイ!!!」

 

 ザジの声で盛り上がる会場。その中心に立つ二人は互いに対戦相手を見つめていた。

 

 以前と同じ。

 然れども、以前とは違う。

 向き合う二人の心は変わっていた。一人は強く、そして、もう一人もまた強く。

 

 だが、依然として変わらないものがある。

 向き合う二人の心、その内にある闘志だ。

 

 ──勝……

 ……つ──

 

 二人の目には勝利の二文字しかない。

 

 サクラは瞬きをして、ドスに注目する。同様にドスもサクラに注目する。

 

 ──仕上げてきたようですね。

 

 一月前とは見違えたサクラの立ち振る舞いにドスは嘆息する。これは厳しい闘いになりそうだという自分の予見は間違っていないという確信が彼にはあった。

 と、同時に愉しみでもあった。第二の試験では基本忍術と拙い体術しか使わなかった。いや、あの時は追い込まれている状況にも関わらず他の技術を使わなかったことから使えなかったと考えられる。

 その未熟な時から僅か一月でここまで自信に溢れた表情を浮かべることができるほどに実力を磨いたのだろう。

 原石だった時以上に厄介な敵に成長したとドスは笑みを浮かべる。

 

 この一月で成長したのは、なにも敵であるサクラだけではない。自分もまた成長したのだという自負がドスにはあった。

 いや、それだけではない。第二の試験ではサクラに見せていない技術もある上、その技術を磨くために死に物狂いで修行をしてきた。

 

 ──負けない。

 

 ドスは殺気を放つ。

 

 同時に会場が騒めいた。下忍でこれほどまでの殺気を放てる者など僅かしかいない。自分たちの里の下忍を思い浮かべた忍頭たちは思わず冷や汗を流す。これほどまでの殺気を放つ相手を前にして対戦者は身を縮こませただろうとドスからサクラへと目を移した忍頭たちは驚愕の余りに目を丸くした。

 

 到底、下忍とは思えない殺気を真正面から受けた対戦者──サクラ──は身動ぎ一つしていなかった。恐怖で固まっていた訳ではない。好戦的な笑みを浮かべたままサクラは動かず待っていた。

 

 ──よし!

 

 審判の合図を今か今かと待っているサクラの様子に観客席で試験を観戦している木ノ葉の下忍、チョウジと共に試合を観戦するいのは拳を握る。幼い頃から知っている上に、第三の試験予選で自分を下したサクラには勝ち続けて欲しいという想いが彼女にはあった。サクラの力を誰よりも──同班のナルトとサスケ以上に──認めているからこそ、大衆の眼前で実力を発揮し、勝って欲しいという願いを友情に篤い彼女は持っていたのだ。

 そして、サクラに勝って欲しいと想っているのは、いのだけではなかった。

 

「流石、サクラさんです」

 

 横から聞こえた声にいのと彼女の隣に座っていたチョウジは首を回す。

 

「リーさん!」

「怪我は大丈夫なの?」

「ええ。観戦するぐらいなら問題ありません」

 

 二人の声にナイスガイなポーズで答えるリーだが、その姿は痛々しい。第三の試験の予選時に我愛羅と闘った時の傷は癒えてはいない。我愛羅の砂で潰されたと言っても過言ではないほどに受けた傷を覆い隠す包帯は厚い。

 しかしながら、怪我を押してまで第三の試験を見せに来たことは間違いではなかったとリーの担当上忍であるガイは頷いた。リーを下した我愛羅の試合は勿論、今から始まるサクラの試合はリーの心を震わせることになると確信したからである。

 

 大音量のスピーカーから発せられる音の如く相手を威圧するドス。それを風に舞う花弁のように華麗に受け流すサクラ。

 どちらも下忍の範疇に収まらないほどの実力だとガイは見抜いていた。

 

 そして、サクラはリーの想い人でもある。

 なればこそ、この闘いこそがリーの心に更なる火をつけ、我愛羅に負わされた怪我のリハビリの励みになる。

 いのとチョウジと話すリーから目線を下に向けたガイは腕を組み、開始の合図を待つ。

 

 それと同時に、会場の騒めきが収まってきた。

 

「準備はいいな?」

「ああ」

「ええ」

「うおおおおおお! 昂ってきただろう! お前ら! 音隠れのエース、ドス・キヌタ! 第三の試験本選まで勝ち上がってきた木ノ葉の紅一点、春野サクラ! どっちが勝つか、どっちが負けるか! お前らの目に焼き付けろ!」

「……開始!」

 

 審判のゲンマの手が振り下ろされた。

 しかれども、双方、動かない。

 ドスはただ俟つ。

 

「宵月沈み、身は虚ろ。旭日昇り、敵、顕わ」

 

 第二の試験。

 

「去る日の後悔、この身、焼く。自らの力、その弱さ」

 

 その時は弱かった。

 

「ならば、鍛えよ! その力! 心技体全、鍛え上げ! ここに立つは満開桜!」

 

 だが、今はどうだ?

 

「音砕く大樹は華咲かす!」

 

 強い忍だ。

 サクラの言葉を聞いたドスは目を細める。それでこそ、潰し甲斐があるというもの。

 

「春野サクラ! 只今、推参!」

 

 これでこそ、俟った甲斐があるというもの。

 チリチリと首筋を焼くようなサクラの言葉に突き動かされたドスは右腕の小手を露出させる。

 彼の小手は特別製。

 弾いた時の音波を基にチャクラで強化させた音は物理的な圧力をも有する。数多くの敵を屠ってきた自信の源である術を発動させるため、ドスは小手を指先で弾く。

 

「響鳴穿」

 

 しかし、それは既に第二の試験でサクラに見せていた術。

 ならば、分析において第七班──サクラ、ナルト、サスケ──の中で最も伸びているサクラが対策を打たないハズがない。

 

「土遁 土中潜航」

 

 ドスが小手を弾く一瞬前にサクラは印を組み上げていた。印を組む速度は下忍とは思えない。それは、血の滲むような反復練習の先に習得する技術である。そして、そのことはサクラが何回も何十回も何百回も土遁 土中潜航という術の印を組み上げたことを意味する。

 では、何故、サクラはこの術を習得するために多大な労力を費やしたのか?

 

「うん。いい感じだよ、サクラ」

 

 観客席で頷く一人の忍がサクラの名を呟く。

 サクラの名を呼んだのは、ヘッドギアタイプの額当てに光を映さない黒真珠のような目をした男性だ。

 

 ──君の考えた対策が活きた結果だ。

 

 サクラの考えは簡単だ。

 相手が音で攻撃してくるのなら、音が届かない場所に逃れればいい。そして、それは土中だとサクラは考えた。もっとも、普通の音であるならば、地中にも伝播し逃れる術はない。しかしながら、相手が放ってくる音は指向性を持たせた音である。音を自らの意のままにコントロールし、攻撃へと転化させるのがドスという忍が持つ技だ。

 そうであるならば、相手の考えが及ばない場所──土中──に逃れればいい。

 

 そう考えたサクラは本選までの一ヶ月間、土遁を扱えるほどのチャクラコントロールを身に着けた。そして、彼女には優秀な師が着いていた。

 今、観客席から満足気にサクラの勇姿を見る男──本選開始の一月前に出会ったカカシの後輩であるテンゾウ──は木ノ葉隠れの里の暗部に所属しているエリートだ。彼の教えを悉く吸収したサクラは一月前の彼女とは比べ物にならない。

 

 だが、それはドスも同じだ。

 ターゲットが地中に逃れ、自分の攻撃は外れた。ならば、とドスは右手を、つまり、小手を地中に埋める。

 

「反響定位」

 

 再び、ドスは右手の小手を鳴らす。

 本選前の一月でドスも修行を積んだ。自らが操る“音”という武器を深くまで理解することが彼の修行だ。

 音とは決して攻撃の手段だけではない。扱う術者の力量、工夫、感覚によって変幻自在に武器としての役割を変える。今までドスが行ってきた音波による物理的な攻撃以外にも音には可能性が多分に含まれている。

 

 反響定位、別名、エコーロケーション。それが、ドスが修行の末に手に入れた技術だ。

 これは、発した音波が物体に当たった後に戻ってくる音波の遅れなどの違いによって周囲を知覚する技術だ。生物で例を挙げると、蝙蝠やクジラなどが行うものが有名だろう。

 そして、このような生物が反響定位を行う目的は獲物の位置を確認するためである。

 

「見つけましたよ」

 

 反響定位は空気中以上に水中、そして、地中で真価を発揮する。視覚に頼ることができない状況を打破するには別方向からのアプローチ──聴覚──が有効だ。視覚が介在する余地のない地中。音の振動の歪みを察知したドスは獲物を狩るべく小手を弾く。

 

「響鳴穿!」

 

 先ほどの小手調べとは比べ物にならないほどのチャクラを籠めた一撃。到底耐えることができない威力の音波が地中を文字通り音の速さで伝播していく。

 が、それはサクラの思惑通りであった。そもそも、サクラは分析に分析を重ねて、この試合に挑んでいる。ドスの手の内は第二の試験で既に見ている。そして、現状の彼我の実力差の分析をして終わるほどサクラは甘くない。サクラが見ているのは常に未来。ナルトと、そして、サスケと共に並び立つような忍となった己の未来の姿を見ている。

 その実現のためには、この試合で躓く訳にはいかない。その気持ちがドスの戦力分析を更に奥深く進めた。現在、そして、未来においてドスがどれほどまでに成長するのか、そして、成長したドスがどのような攻撃を仕掛けてくるかの予測。そして、その対策をも進めていた。

 

 ──彼の攻撃は“音”。そこから考えると……。

 

「!?」

 

 ドスの耳にパンッと乾いた音が届いた。慌てて音がした方向に目を向ける。

 サクラが空中で印を組み上げた姿を目に映したドスは冷や汗を流す。時間感覚が緩む中、ドスは高速で頭を回転させる。

 

 そもそも、見てから、聞いてから……察知してから自分の攻撃を避ける術はない。その上、自分の響鳴穿という術の威力は上々。当たれば動くことはまず出来ない。

 なら、敵は自分の攻撃全てを予測して動いていたと考えられる。

 なら、攻撃が発動する前に地中から飛び出していた? いや、そうとしか考えられない。

 

 ドスは唇を噛む。

 

 ──手玉に取られていた!?

 

 だが、ドスの驚きはそれで終わらない。

 

「口寄せ 無拍子清水」

「これは……ッ!?」

 

 ドスの目が驚愕に大きく開く。

 彼の目に映るのは地面から天へと大きく立ち昇る水柱の姿。水の柱は直径100cmよりも太いだろう。高レベルの術だということが一目で分かる。

 下手人は明らか。敵である春野サクラだ。

 

 だが、有り得ない。それは余りにも有り得ない光景だった。

 水柱が一本だけならば、まだ理解できる。いや、それでも下忍が扱える術の範疇を越えている。中忍でもこれほどの水遁を使う事ができるのは一握りの忍だけだろう。これは上忍レベルの術だ。

 

 ドスは素早く周りを見渡す。聴覚で理解しているが、視覚でも確認しなければドスは納得できなかった。

 

「これは……」

 

 現実を前に彼は言葉を失った。

 ドスの目に映るのは自分を取り囲む籠。水柱で作られた籠だ。籠と言っても、それは鳥籠よりも無差別格闘技で使われるリングを思わせる。12本の水柱で作られたケージ。

 中と外で分けられた世界でドスはひっくり返すための穴を見つけるべく目を凝らす。

 

 水柱に隠れて小さな影が円を描くように駆けていた。二つの影が時計回りに、そして、反時計回り駆けるのを見て、ドスは気が付いた。

 サクラの狙いは攪乱である、と。

 

 水柱に隠れつつ、分身の術で本体の居場所を悟らせないようにする。確かに、これは有効な戦術である。水柱も無限に湧き続ける訳ではない。あと十数秒ほどだとドスは予測する。事実、水柱の高さは下がってきている。

 ならば、水柱がなくなる前に次の攻撃に移行するのが常道だ。その前にサクラが態勢を自分に有利なように整えることができれば、有利な状態を維持することができる。

 

 ──でも、無駄ですよ。

 

 視界は水柱で潰された。その上、分身の術で本体がどこにいるのか視界に頼る者ならば、分からなくなっている。

 水柱が噴き出ることで出し続けている音の中で小さな足音は隠されて聞こえない、つまり、ドスが自分の正確な位置を捉えることはできないとサクラは予想したのだろう。

 サクラの思考を読み取り、ドスは嗤う。

 

 ──音は振動。空気を辿るだけが音の道じゃないんですよ。

 

 ドスはチャクラを体の隅々に注ぎ入れていく。同時に感覚が研ぎ澄まされていく。情報の氾濫がドスの脳を襲うが、それを無視していく。流れの中に唯一つの音を見つけるべく足元の水面に集中すると同時に視覚をもチャクラで強化を促す。

 一種、悟りを開いたように、水柱で作られたケージという小さな世界の全ての情報を精査していくが、ドスの求めていた情報は振動にはなく、映像にはあった。

 

 ──見つけましたよ、春野サクラ。あなたの本体をね。

 

 ドスは視線を前に向けた。

 そこは先ほどサクラが手を合わせて水柱を起こした場所だ。

 

 ──あなた自身はそこから一歩も動いていない!

 

 そう確信したドスは水柱の向こうにいるであろうサクラに強い視線を向ける。

 再度、反響定位を使うまでもなく、ドスはその頭脳から導き出される論理からサクラの位置を完璧に読んでいた。

 

 ドスが答えを出した理由は二つ。

 全身で振動を感じ取り、足元の水から響く振動が一切なかったこと。そして、振動がないのにも関わらずサクラの姿が水柱の周りを駆けている様子を視覚で捉えたこと。

 映像はあれど、振動はない。つまり、これは実体を持たない残像であるとドスは見抜いた。

 

 忍者学校生でも扱うことのできる分身の術での攪乱。その上、動いている二体のサクラはどちらとも分身の術だ。脅威にはならない、成り得ない。

 

 ならば、攻撃するべきは水柱の向こうにいる本体のみ。

 ドスは右腕にチャクラを集めながら引き絞る。

 

 ──ボクの新術で引導を渡してあげます。

 

 水柱が下がっていく。

 もうすぐでサクラの姿が見える。見えた瞬間、新術を叩きこむ。

 その意志で以って、気合を……チャクラを高めていく。

 

 ──見えた!

 

 果たして、ドスの予測は寸分違わず、サクラは水柱の奥にいた。だが、どうしたことか? サクラは動くことなく、好戦的な笑みを浮かべ続けている。

 

「ッ!」

 

 ドスの腕に冷たいものが流れると同時にサクラの唇が薄く開いた。

 

「水遁 水飴拿原」

「なッ!?」

 

 その場から慌てて飛びのくドスだったが、既に機を逸していた。

 右手に視線を遣るドスの目に映るのは、透明で粘性のある液体がこびり付いた自身の自慢の小手だった。

 これでは、音を反響させるどころか、小手を弾くことすらできない。なんとか小手を弾いたとしても、振動が粘ついた液体に吸収されるのは火を見るよりも明らかだ。

 

「解説をしたくてしたくて堪まんねェ! けど、我慢に我慢を重ねたオレを誰か褒めてくれ! こんなキレーに回った闘いを解説しなかったオレを褒めてくれ! だってよォ、解説しちまったら、サクラが不利になっちまう! サクラの策が! 努力が無駄になっちまう! そんなこと、解説者の誇りが許さねェ! だから、解説はしなかった……けど限界だァアアアアア! 解説してやる! 何が起こったのか分からなかった奴はよく聞け! まず、ドスが音でサクラを攻撃! それを土遁で躱したサクラ。でだ、サクラは土遁で土の中を移動しながら巻物を地面に仕込んでいた! 土に潜ったサクラをドスは音で索敵した時には仕込みは終了していた。この巻物には事前に水を時空間忍術で封じ込めていたから巻物からの口寄せの術で水柱が上がったって訳だろ、サクラ! その後は水柱で姿を隠して本体は動かず、分身を水柱の周りを走らせてドスの目を晦ませた! そして、本体は水飴拿原っつーベタベタした水を吐き出す術をドスに当たるように空に向かって発動させた訳だ! かぁー! 一月前とは比べ物にならねェほどの忍術の急成長! その上、放物線を描いて対象に当てるなんて難しいことを熟せるほどの物理計算能力! そして、ドスの動きを呼んで最適なタイミングで攻撃を繰り出すシミュレーション能力! 間違いねェ! サクラ! お前が一番成長している下忍だァアアアアア! 成長著しい出世株のサクラにドスはどう出る? ここで膝を突くか? それとも……?」

 

 解説者の声は聴覚が優れているハズのドスの耳には入ってこない。ただ、彼は見つめるのみだった。

 

 一度、後手に回ったドスは全てが後手に回らざるを得なかった。

 ドスはサクラの水飴拿原によって機能不全に陥ってしまった右腕の小手をじっと見つめ続ける。

 

 決着は着いてしまった。それも、自分の完全な敗北で。

 そう。それは理解している。理解してしまっている。

 

 ///

 

「ドス。正直に言うとね、私はアナタたちに期待していなかった。アナタが気づいているようにね」

「……」

「でも、あんな必死な姿を見たら気が変わったわ。頑張りなさい」

 

 ///

 

 ──なんとしても、なんとしても勝利を……勝利を捧げる。

 

 大蛇丸から掛けられた言葉がドスの心に火を灯す。勝利への飽くなき執念を再認識させる。

 

「何を……?」

 

 困惑したサクラの声が水音の中に消えていく。

 それを全く意に介することなく、ドスは自分の顔に巻いてあった包帯を解いていく。

 

「ッ!?」

「……醜いだろう?」

 

 彼の右眼は(うろ)。彼の右腕は削られたかのように歪な形をしていた。彼の頭の毛は所々剥げており、そこからは痛々しい火傷の古傷が見えている。

 ドスは淡々と言葉を紡いだ。

 

「右目は抉られた。彼女が言うには『愉しいから』だそうだ」

「彼女?」

「ボクの……」

 

 一度、目を伏せたドスはゆっくりと面を上げる。その顔は何の感情も映していなかった。

 

「……母親だよ」

 

 サクラの翡翠色の目が大きく開かれる。

 

「ついでに言うと、この頭は父親に煙草を押し付けられたから」

「酷い……」

「そうだね。客観的に見てもボクの両親は酷い人間だった。なにせ……」

 

 聞きたくない。だが、まだ終わっていない。

 サクラの本能が拒否を訴え続けている。しかしながら、サクラは耳を防ぐことができなかった。そのような考えを持つことすら出来なかった。

 

「……ボクの最愛の弟と最愛の妹を殺した人間だから」

 

 サクラは身を強張らせることしかできなかった。

 

「あれは冬だった。いつもより寒くてね。寒さが嫌だという両親はボクたち兄弟妹(きょうだい)を置いて旅行に出かけた。確か、二週間ほどだったかな?」

 

 ドスの悲壮な表情は、その古傷も相まって凄惨たるもの。

 

「記憶が曖昧なんだ。最後の方は飢えと寒さと悲しみで苦しかったから」

 

 だが、ドスは顔を上げる。

 

「話を戻そう。旅行に行ったボクの両親は忘れていたんだろうね。いつもなら、テーブルの上に金を置いていたのに、その日に限って……長い旅行に出かける日に限って金を置いていかなかった」

 

 ドスの独白は続く。

 

「二日までは良かったよ。食料は二日分の備蓄があったし。けど、そこからが大変だった。冬だから何か動物を狩ろうにも動物は見当たらない。飢えは防げない。燃料があっても食べ物がなければ、どうしようもない。弟も妹も泣く元気もなく弱々しく横たわっていた。このままではボクたちは間違いなく死ぬだろう。『それなら……』とボクは考えた」

 

 ドスは右手の小手を止めている留金に左手を掛ける。

 

「空腹の中、ボクはナイフを左手に持った。そして、ボクは……」

 

 ボチャと粘度が高い水に落ちた重い音と、カシャンと金属が奏でる軽い音がした。ドスの鈍色の小手が泥に落ちた音だ。

 

「……自分の右腕にナイフを入れた」

 

 顕わになった彼の右腕は枯れ木のように歪な形になっていた。

 

「少しずつ削るように肉を削いでいけば痛みは感じ難くなるだろうと思っていたけど、思いの外、痛かった」

 

 ドスの独白はまだ続く。

 

「痛みの中、ボクはナイフでボクの腕から削いだ肉を包丁で叩いた。バラバラに……粉々になるぐらいまで。そして、細切れになったボクの肉の形を整えて、そして、焼いて、そして、弟と妹の前に出したんだ。だけど、返事はなかった。始めはボクの肉を食べたくなかったと思っていた。血を分けた兄の肉を食べるのは嫌なのかもしれない、と。けどね、何か食べないと死んでしまう。心を鬼にして、無理矢理にでも食べさせるつもりでテーブルに突っ伏していた弟と妹の体を抱え上げたんだ。そしたら、ボクは何に気が付いたと思う?」

 

 ドスは虚無に落ちた瞳でサクラを見た。

 

「ボクは気が付いたんだよ。二人が死んでいることに」

 

 静寂が場を包む。

 解説者の言葉すら失った無言の時間だった。

 

「春野サクラ」

「!」

「君は優しい人だ。敵であるボクの話を聞いて、ボクに同情してくれるなんてね」

 

 無言(しじま)を破るのは、静寂(しじま)を作り出した一人の少年。ドスはサクラの名を呼ぶ。

 

「だから、恥を忍んでボクは君に頼む。敢えて言おう。君の優しさに漬け込んでボクは君に頼む」

 

 ドスは拳をサクラへと向ける。

 

「天国にいる弟と妹にボクの勇姿を見せたい。闘ってくれ、春野サクラ」

 

 サクラは一度、目を閉じて右の拳を自らの掌に叩きつけた。

 

「受けて立ちます!」

 

 ──やった!

 

 ドスは内心でガッツポーズを取る。

 

 ──君が単純な奴で助かったよ。

 

『なぜなら、あの話は……』とドスは心の中で薄く嗤う。

 

 ──全部……嘘!

 

 そう、ドスがサクラに語った内容は全て嘘だった。彼には弟も妹もいない。両親との関係は良好だった。その上、右目がないのは生まれつきであったし、頭の火傷は自分が打ち上げ花火でふざけて負った傷跡。ただ、腕の肉を削いだのは本当の話だ。

 しかし、それは忍になる前、両親と共に来ていたキャンプの時の話である。彼は一人で行動し、崖から滑り落ちたことがあった。チャクラを使う事ができず、崖下に落ちた幼いドスは助けを待つしかなかった。だが、待てども待てども助けは来ず、空腹はドスの判断能力を奪っていく。腹を空かせたドスは何の気なしに自分の右腕を見る。

 

『少しずつ削るように肉を削いでいけば痛みは感じ難くなるんじゃないか』

 

 かくして、その考えを実行に移したドスは、その直後、彼を探していた彼の両親に救助されるのだった。

 

 不運の中、命を失わなかった幸運。大蛇丸に“噛ませ犬”と思われていた不運の中、まだ生きながらえている幸運。

 

 地面から水が上がり、(サクラ)が得意とすると思われるフィールドにされるという不運の中、言葉で以て近接戦に持ち込むことができたという幸運。

 

 ──全ては……。

 

 確かに、ドス自身も自分が卑怯な手を使っていることを認識している。

 だが、それでも尚、彼は突き動かされるのだ。

 

 ──勝利のために。

 

 自分の内から燃え上がる勝利への執念に焼かれるのだ。

 

 だが、ドスは甘かった。いや、判断が甘くならざるを得なかったと言えよう。これまで見てきた試合が彼の心に火を着けていた。

 策を弄して、体術勝負に持ち込んだドスだったが、最後の一手を非情に徹しきることができなかった。もし、彼が以前のままの彼だったならば、嘘に心を揺さぶられ動かなくなっていたサクラの隙を逃すことはなかっただろう。しかし、彼はそれを見逃した。

 

 ナルトとネジの。シカマルとテマリの。

 ザクとシノの。キンとシカマルの。

 

 彼らの闘いを観て、何も感じずにいることができようか? そのようなことは断じてない。

 

 それが、彼の中に灯った“火”であったのだから。

 

 ──これでこそ、闘いだ。

 

 勝利を掴むための策が、その実、闘争本能に刺激されていたとドスは気が付くことはない。しかし、彼は本能の奥底、それこそ、魂で理解していた。

 殴り合いこそ、あの日の敗北に決別するために最も相応しい行為であると。既に水は出なくなっており、水柱のケージは消えた。

 

「征きますよ、春野サクラ!」

「こちらこそ、ドス・キヌタ!」

 

 泥が撥ねた。

 空中で組み合い、次いで、拳をぶつけ合うサクラとドス。

 

 空気を叩くかのような音が何回も響き、その度にサクラの頬を、ドスの頬を赤く染める。

 空気を叩くかのような音が何回も響き、その度にサクラの体が、ドスの体がくの字に曲がる。

 空気を叩くかのような音が何回も響き、その度にサクラの視界が、ドスの視界が上下左右に揺れる。

 

 地面の泥水が何回も撥ね、その度にサクラの服が、ドスの服が茶色に染まる。

 地面の泥水が何回も撥ね、その度にサクラの体が、ドスの体が泥濘に浸かる。

 地面の泥水が何回も撥ね、その度にサクラの視界が、ドスの視界が空を映す。

 

 ただ、立ち上がり、その度に拳をぶつけ合い、その度に地面に倒れ込む。そして、また立ち上がる。

 

 ──勝……

 ……つ──

 

 二人の目には勝利の二文字しかない。

 

 サクラは瞬きをして、ドスに注目する。同様にドスもサクラに注目する。

 

 双方、息は荒い。

 チャクラを、そして、身体エネルギーを使い切っている。その上、体の至る所に痛みが奔っている。気を抜けば、一瞬でも戦意が落ちてしまえば、その時点で泥濘に落ちてしまった蓮の花のようになるだろう。しかして、それは認められない。だからこそ立つ、立ち上がり続ける。

 だが、それにも終わりが近づいていることを二人とも感じ取っていた。次が最後。最後の一撃となることをドスは感じ取っていた。

 

 ドスは、サクラは拳に力を入れる。

 

「ハッ!」

「フッ!」

 

 迫る拳と拳。

 自身に近づく拳を見つめながら、さりとて、拳から目を逸らさず、サクラはその拳を受け入れるしかなかった。

 ドスの最後の一撃がサクラの頬に入った。そして、サクラの拳は何も捉えることはなく、空を切る。

 それは、ただリーチの差だ。腕のリーチがサクラよりもドスの方が長かった。それだけの差。

 

 ──勝ッ……!?

 

 勝利を確信したドスだったが、倒れるハズのサクラが倒れていない姿を見て目を大きく開く。どのような心を持てば、まだ立てるというのか? ドスは慄く。

 しかしながら、気合や目的意識などという曖昧なものは関係ない。両者とも、それぞれ譲れないものがある故に、その差はないに等しい。

 

 勝敗を分けた差。

 それは、ただ筋力の差──首の筋肉の差だ。

 

 上からサクラを見つめるテンゾウはサクラとの修行を思い起こす。

 

 ///

 

「テンゾウ先生」

「どうしたんだい?」

 

 順調に進む修行。半月ほどでチャクラの性質変化を身に着けたサクラに対してテンゾウは非常に満足していた。ここまでの才覚を持つ人間は多くない。それこそ、サクラは忍のトップ集団である暗部入りも将来的には難しくないとテンゾウは考えていた。

 

 だが、満足した様子はサクラにはない。まだ足りないと言わんばかりに難しい表情を浮かべ続けている。

 恐らくは本選への不安感から来ているのだろうと考えていたテンゾウはサクラの不安を払拭するために彼女の相談に乗ろうと身を屈めた。

 

「テンゾウ先生と考えた作戦でも、まだ相手が倒せなかった時には、どうすればいいんでしょうか?」

「そうだね。そうなる可能性もある。けど、君は同時に体術も鍛えている……というか筋トレをしている……から大丈夫だよ」

 

 テンゾウは複雑そうな表情で頷く。

 そもそも、チャクラの性質変化だけを修めるのに多大な集中力が必要とされるというのに、同時に空気椅子をするようなサクラの様子に何か思う所があったテンゾウである。

 

「ですが、体術での戦闘になった時、私はリーチが短いです。きっと体術勝負では不利になります」

「なら、相手の攻撃を避けるか耐えるかだけど……」

「それです!」

「……うん?」

 

『耐えるのは厳しいと思うから回避に専念する修行をしようか』と続けようとしたテンゾウだったが、サクラの大声に思わず声を止める。

 

「相手の拳を耐えればいいんですね! つまり、首の筋肉を鍛えればいいんですね! 流石、テンゾウ先生です! では、トレーニング用具を買ってきます!」

「ちょッ! サクラッ!」

 

 ///

 

 止める間もなく走り去っていくサクラを止めなくてよかったとテンゾウは思う。

 長椅子に寝た上で、ダンベルを紐で吊り、頭に結び付けて首を上下に振るサクラを止めなくてよかったとテンゾウは心から思う。

 そのトレーニングこそが、首の筋肉を鍛え、ドスの拳を受けて尚、耐えることができた一因なのだから。

 

「征け! サクラ!」

 

 テンゾウの声はよく通った。

 

「ハイッ!」

 

 右腕を引き、サクラは爛々とした目をドスに向ける。その視線は確かに勝利への道筋を照らしていた。

 その道筋をサクラの右の拳が通り過ぎる。今度は空を切る事なく、ドスの頬にサクラの拳が入り、そして、衝撃がドスの脳を揺らした。

 

 ドスの意識を空に、ドスの体を泥に残し、拳を振り切ったサクラは残心する。

 

「……勝者! 春野サクラ!」

 

 審判のゲンマが勝者の名を告げた。

 それを聞き、サクラは右の拳を高々と上げるのだった。

 

「勝者は春野サクラァアアア! おめでとう! 次の試合も期待してるぜ!」

 

 ザジの声を後ろにサクラは拳をゆっくりと下ろす。

 確かに勝利。担架で運ばれていくドスと会場に留まるサクラを見て、どちらが勝者か見る者ははっきりと理解できるだろう。

 しかしながら、サクラの表情は晴れない。

 

 ──サスケくん。

 

 まだ来ないサスケの姿を探そうとサクラは目を開けた。と、サクラの目に木の葉が映る。

 

 突如として、旋風が会場の中央に現れる。その風は木の葉を纏いながら徐々に勢いを弱めていく。

 乱れる木の葉の中、誰も言葉を発することができない。そう、彼以外は。

 

「YEAH」

 



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刻むぞ想い

「オレは上昇志向、ここはSo桃源郷。前に立つは雲霞、有象無象」

 

 今。

 

「取るに足る事はない。されど、どうも物足りない」

 

 ここに。

 

「嗚呼、Vibes上げて行こうか。特大の痺れ喰らわすThunder」

 

 自分が。

 

「聴衆はHurry and stand up! 掌で鳴らせClap!」

 

 今、ここに、自分が。

 

「昂然と未来(さき)を語る。向かう先は唯々一つ……Yo!」

 

 居るということを。

 

「人と狸の化かし合い。忍どもが騒然、馬鹿試合」

 

 刻む。

 

「敗者には哄笑! オレはCall 勝負!」

 

 刻み込む。

 

「選択は一択、それは神託。勝者は決まって、うちはサスケェイ!」

 

 そう、勝者の名を。

 

「……ォ……オ……オオオオオオオオオ!」

 

 はらりと木の葉が舞い落ちる。

 一瞬の静寂の後、会場が湧いた。

 

「待ってたぜェエエエエエ! うちはサスケェエエエエ! 登場から魅せてくれるじゃねェか! 待たされたことも水に流してやれるぐらい高まるゥウウウ! いや、オレらを高まらせるために遅刻したのか!? なんて奴だ! こいつ……やはり天才か!」

 

 会場はもちろん、解説席のザジもボルテージはマックスだ。一挙に湧き上がった会場の中、中心に立つ少年は天へと指を立てる。

 

 次は何をするのだろうか? 

 

 大衆はサスケの次の動きに期待を込めて注目する。

 自身の一挙手一投足を見つめる観衆の期待を一身に受け、サスケは傲岸不遜に声を張り上げた。

 

「勝者は!」

「…………サスケ」

「優勝は!」

「……サスケ!」

「最強は!」

「SASUKEEEEEEEEE!」

 

 会場を煽り、今までにないほどの盛り上がりを作り出したサスケの扇動力は忍の域から脱したと言えよう。

 

 ──例えるならば、クラブでパーリナイなパーリーピーポーがダンシング&パレードしてドゥイッドゥイッドゥイッゴッツアンデスした後にバッチコイバッチコイベイベーイェイイェイナーナーナナナナッナーという所か。

 

 観客席からサスケを見るガイは唾を飲む。なんてナウい奴だと戦慄しながら隣に目を向ける。

 ガイが目を向けた先。

 いつの間に姿を現したのだろうか? そこにいたのは、いつもと同じヤル気がないような表情を浮かべるカカシだった。いや、いつもと同じではないことをガイは感じ取っていた。長い付き合いで、更にカカシと研鑽し合ったガイだからこそ、カカシがいつもと違うことを感じ取る事ができたのだろう。

 

「カカシ……」

「カカシ先生! サスケくんのアレは何ですか!?」

 

 ──リー! 

 

 リーの声でガイはカカシに向けた呼び掛けを止める。

 それも仕方のないことだろう。サスケが遅刻した原因は十中八九、カカシのせいだとガイは考えていた。遅刻癖があるカカシに何度も焦らされたガイだからこそ、今のリーの気持ちが手に取るように理解できる。

 リーが目下、倒すべき目標と掲げたサスケが遅刻などという下らない理由で中忍試験を失格になってしまえば、遣る瀬無い気持ちになっていたことだろう。ナウい演出を行ったというだけで、やきもきさせられた感情が消えることはない。

 

 ──リーがカカシを責めるのも当然か。

 

 そう、ガイは考えていた。

 

「素晴らしいです! 素晴らし過ぎます! 」

「……」

 

 ガイは信じられないといった顔つきでリーを見遣る。

 なんと、愛弟子はいつも以上に目を輝かせて、ガイの隣に立つカカシに話しかけているではないか。

 

「試合の事だけじゃなく、観客のことまで考えて盛り上がるようにワザと遅刻したんですね!」

「いや、それがね」

「く~! ボクには思いつきもしなかったことです!」

「あの……リーくん?」

「ボクがサスケくんだったなら、我愛羅くんをどうやって倒そうとするかしか考えなかったと思います」

「おーい」

「しかし! サスケくんは違いました! 試合を観ている人のテンションを上げることまで考え……あ、何でしょう?」

「サスケが遅刻した理由はね……」

 

 やっと、話ができると胸を撫で下ろしたカカシは、次いで、済まなそうな声色を出す。

 

「……ラップの言葉を考えていたからなんだ」

 

 静寂が包み込む。

 

「カカシよ」

 

 その中で言葉を出すことができるのは、流石というべきか上忍として場数を踏んでいるガイだった。

 

「それで……勝てるのか? ラップを……言葉を……考えている。それで? 我愛羅に? 勝てるのか?」

 

 所々、言葉に詰まるガイであったが、それも仕方のないことだろう。カカシの言うことを、そのまま受け取れば我愛羅への対策などしていないとも取れる。

 しかし、ガイの疑問を受け流し、カカシは重心を後ろに傾けた。これはカカシがリラックスしている時にする行動だ。

 

「アイツは我愛羅なんか見てないよ」

「なに?」

「アイツが見ているのは……」

「サスケくんが見ているのは……」

 

 ゴクリと喉を鳴らすリーにカカシは微笑みかけた。

 

 ///

 

「カカシ」

 

 修行期間中の出来事だ。

 チャクラが切れたサスケをカカシが休憩させていると、不意にサスケから話し掛けられた。

 

「ナルトに勝つにはどうすればいい?」

 

 サスケの質問に答えるべく、カカシはナルトの顔を思い浮かべる。極力、ナルトの体付きを思い浮かべないようにしたお陰か、ナルトの顔に重なるように、ある人物の顔が浮かんでくる。

 

 ──先生。

 

 今は亡き彼の師の顔をカカシは思い浮かべた。

 

「んー。予測不可能な攻撃とかかな? 多分」

「予測不可能?」

「オレもオレの先生から聞いた話なんだが、オレの先生は雲隠れのビーってラップを歌う変な忍と戦ったことがあったらしい。先生は、その忍の動きは変幻自在だったと言っていた」

「変幻自在?」

「ああ。虚実を織り交ぜた攻撃。そして、体すらも変化させて相打ち狙いのカウンター。その時のことを語っていた先生の顔付きは今でも忘れられない」

 

 カカシは遠くを見る。

 彼の目に映るのは澄み渡る青空。そして、その色は彼にとって特別な色。まだ下忍になりたての頃、カカシが心から憧れた人物の瞳の色だ。

 常に柔和な笑みを浮かべていた自身の先生が見せた、かつての顔色は複雑な文様を描いていた。

 

「そうか」

 

 愉し気で、そして、期待しており、何よりもその人物の力を認めていると雄弁に語っていた師の表情を思い起こしたカカシだったが、耳に届いたサスケの声で現実に引き戻される。

 

「え? 何か分かったの?」

「ああ、理解できた。……カカシ。もう少し付き合え」

「……りょーかい」

 

 ///

 

「未来だけだ」

 

 リーへとカカシは頷く。自分の隣でお互いに理解したように頷き合うカカシとリーに引き攣った笑みを浮かべながらガイは冷や汗を流していた。

 

 ──カカシめ。ナウいラップを修行に取り入れるとは流石、オレの生涯のライバルと言っておくべきか、言っておくべきだ。そういうことにしておこう。サスケの未来。うむ、ラッパーか。忍との兼業でもできるのだろう。ライフワークバランスが叫ばれている昨今は仕事と趣味の両立を目指すように労働環境を見直すためにもオレもナウくクジゴジで飲みニケーションをして歓楽街に繰り出すべきなのかもしれないな。……分からん。

 

 ガイは理解することを放棄した。それは奇しくも、ガイが生涯のライバルと認めたカカシと同じ結論であったのだ。

 しかし、カカシはサスケの担当上忍である。理解を放棄していたとしても、彼がサスケに向ける信頼は絶大。サスケなら何かを起こす。そう信じているからこそ、カカシは安心してサスケの試合を観ることができる。

 

 ──サスケ、魅せてやれ。

 

 振り返ることもないサスケに向かって、心の中でカカシは頷いた。

 

 +++

 

「やっと……やっと来た」

 

 カカシたちから下の方向、観客席よりも下段にある選手控えの段に小さく、震えた声が響いた。

 その声に弾かれたようにテマリは横を見る。シカマルとの試合で疲労は残っているものの、妙に体の調子が良く、常よりも高いパフォーマンスを発揮できそうだと考えていたテマリの体を強張らせるほどに冷たい声だ。

 

 声の主は薄く嗤い、眼下にサスケの姿を収めている。いや、サスケ以外は全く見えていないと言った方が正しいだろう。

 そこには興奮で赤い髪を逆立させた獣──我愛羅──が居た。

 

 ──ヤ、ヤバイ。こんな我愛羅は久々に見る。

 

「オ、オイ、我愛羅。……作戦の事、分かって……」

 

 なけなしの勇気を振り絞り、恐怖で固まった体を動かしたテマリは我愛羅に話しかけようとした弟の口を手で押さえる。

 

「今、我愛羅に話しかけるな」

「……!」

「殺されるぞ」

 

 テマリの弟、そして、我愛羅の兄であるカンクロウは口を噤む。黙ることしかできないほどテマリの言葉は正鵠を得ており、更に、我愛羅から醸される殺気がカンクロウの言葉を圧し潰す。

 

 しかし、その我愛羅の視線を一身に受けて尚、意にも介さずにサスケは微動だにしない。

 まるで、静かに何かを待つような佇まいだ。

 

「……サスケくん」

「サクラか」

 

 サスケが待っていたのはサクラだ。

 泥だらけになりながらも、痣だらけになりながらも勝利を掴んだサクラ。彼女に掛ける言葉をサスケは既に決めていた。

 

「……やったな」

「ッ! うんッ!」

 

 サスケの言葉でサクラは思わず破顔する。

 それは最高の言葉。愛する人より褒められた……認められたことはサクラにとって、これ以上、嬉しいことはない。

 これ以上、嬉しいことはない。そう考えるサクラはまだ甘かった。

 

「サクラ……待っていろ」

「ッ!」

 

 ──オレもお前と闘いたい。

 

 そう言外に聞こえたサクラはサスケを見る。

 修行の為の一ヶ月の間で少し長くなった黒髪から覗くサスケの目は猛禽類の如し。獲物として捉えられたことを認識したサクラは唇を吊り上げる。

 

「ええ。最高の勝負を」

「ああ」

 

 それだけを言い残し、サクラは瞬身の術で木の葉を巻き上げながらナルトの傍に戻る。

 その表情は凛としつつも柔らかい。自身の身の丈に自信が一致した表情だ。実力を認められ、そして、倒すべき強敵(ライバル)として定められたこと。

 もうサスケの後ろを追いかけるだけの軽い女ではない。隣に立ち、共に研鑽し合う関係だ。

 

 ──いいチームになったな。

 

 目を細めたカカシはサクラ、そして、ナルトから会場の中心に立つサスケに目線を移す。

 

「我愛羅、降りて来い」

 

 ──始まるか。

 

 ゲンマの声でカカシは気を引き締め直す。

 これから始まる闘いは下忍の範疇に収まらない攻防が予想される。それこそ、ナルトとネジの、シカマルとテマリの、ドスとサクラの闘い以上の忍術合戦。血で血を洗うなど生温い。それほどの戦闘が行われるとカカシは確信していた。

 

 風がカカシの頬を撫でる。この時期、乾いた高気圧が起こす清々しい風だ。しかし、常とは違い、その風は血の臭いを纏っていた。

 一陣の風となり、強烈な血と砂と、そして、死の臭いを会場内に撒き散らしながら、一人の少年が会場の中央に降り立つ。

 

「ククク……」

 

 砂を纏わせた我愛羅がサスケの前へと降り立った。その貌は、これから始まる戦いの興奮で捻れ、そして、喜色を表していた。木ノ葉の里の中でも上位の実力を持つ特別上忍のゲンマでさえ、思わず喉を鳴らしてしまうほどの狂気。

 会場の誰もが我愛羅のことをバケモノだと思ったことだろう。

 

「……」

 

 ザジもそう感じていた。しかし、彼は解説者だ。この闘いから目を背ける訳にはいかない。

 

「テメェらぁあああああ! ブルって目ェ閉じんじゃねェぞ! お前らが待った闘いは何だ! これだ! サスケと我愛羅との闘いだ! 目ェ開けろ! 闘いから目を逸らすな! これを見逃したらゼッテー後悔するぞ。だから、目ェかっぽじって!」

 

 ザジは恐怖で、そして、興奮で震える声を限界まで張り上げる。

 

「見ろや! 目の前の闘いを!」

 

 ──ザジ。よく言った。

 

「始めェ!」

 

 ゲンマも肉声のまま声を限界まで張り上げる。ザジの気合に、熱気に中てられてしまったゲンマだが自分らしくないと思いながらも、どこか心地良かった。

 声を張り上げるなど自分らしくないが、それでも、これは、この闘いは、この熱は。冷静さを捨て去ってしまえる、いや、冷静さなど持つべきではない。

 

 なぜならば、この昂揚を押し留めることなどできようハズがないのだから。

 



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真髄

 試合開始の合図に一足早く反応したのは我愛羅だ。

 

 それもそうだろう。

 我愛羅は今日の試合を指折り数え待っていた。テーマパークに連れて行って貰う約束を親に取り付けた子どもの雰囲気に今の我愛羅の雰囲気はよく似ているが、本質は全くと言っていいほどに違う。子どもは純粋な穢れのない明るい感情。対して、我愛羅は過去の喪失から獲得せざるを得なかった暗い感情。

 前者ならば見ていて微笑ましいものであるが、後者は思わず目を背けてしまうほどに凄惨な光景を作り出すことだろう。

 

 そして、それを……悲惨で血みどろな何の救いのない悲劇のような光景を我愛羅は望んでいた。

 

「死ねェ!」

 

 主人が望む光景を作り出すべく、背負う瓢箪から大量の砂が飛び出し、一瞬で殺傷に適した形を作る。それは砂で出来た牙か、爪か。どちらにしろ、殺害の意志を籠められた幾本もの砂の塊がサスケに襲いかかる。

 

 ──貴様の存在など認めない。

 

 言葉を発することはない砂であるが、その形が、その速さが、その強さが我愛羅の感情を語っていた。荒れ狂う砂の暴力を黒真珠の瞳は静かに映す。

 

 ──それがどうかしたか?

 

 身に迫る砂の凶器をサスケは事もなげに、そして、踊るように避けて行く。

 豪胆でいて優雅。華麗でいて大胆。会場の観覧者は声を発することもできず、ただ見るだけしか許されていなかった。

 

「……死ねェ!」

 

 苛立ちが限界に迫ったのだろう。

 痛む頭を押さえ、我愛羅は叫ぶ。それと同時に砂の速度が更に上がった。だが、サスケの体を捉えることはできない。いや、姿すら捉えることはできなかった。

 

「!?」

 

 右の頬に衝撃が奔る。

 

「!?」

 

 次いで、左の頬。左腿。背中。そして、腹。

 我愛羅の認識は追いついていなかったが、計五ヶ所に打ち込まれた衝撃は我愛羅に膝をつかせた。

 

「クッ……カッ、ア……?」

 

 茫洋とした視線を彷徨わせるが、我愛羅に答えを与えるものはいなかった。

 

「こんなものか?」

 

 そう、彼以外は。

 

「おぉおおおおおおお! やりやがった! うちはサスケが我愛羅の絶対防御を打ち破った! お前ら、見たかよ! いや、悪ィ! オレも見えなかった……が! 何が起こったのかは分かる! お前ら、我愛羅の体をよく見てみろ! 我愛羅の体の周りに砂の塊が落ちているだろ。そして、我愛羅の体が凹んでいる。しかも、五ヶ所だ。我愛羅が纏う砂の鎧が剥がされた跡だ。そう、これはつまり……」

 

 膝をつく我愛羅を後ろから見下ろすのはサスケ。砂も我愛羅を守ろうと動くが既に遅きに失した。サスケは瞬身の術で我愛羅の攻撃範囲から逃れる。

 

「……サスケが超スピードで我愛羅に拳を5ヒットさせたってことだァ! 何を言ってるか分からない? 大丈夫だ! オレもよく分かってねェ! だって、見えねェもん!」

「BOOOOO」

「うるせェ! ブーイングすんじゃねェ! とにかく、サスケの動きは一ヶ月前とは比べ物にならない! これから先は風が吹いても砂が飛んできても目を閉じるんじゃねェぞ。目をかっぽじって見とけ!」

 

 ザジの言葉とは裏腹にサスケは動かず、我愛羅を見つめるのみだ。我愛羅もまた、自分が絶対の信頼を寄せる防御壁が機能しなかったことで動くに動けない。ザジの解説で何が起こったのか理解した。だが、僅か一ヶ月、たった一ヶ月の間に三人もの人間が六年もの間、誰一人として打ち破ることができなかった砂の盾を打ち破ったことからは、短い時間の中では立ち直れなかった。

 

 リーは理解できる。体術。ただ一つだけ極めるために全てを犠牲にして、漸く己に届いたのだと理解できる。

 ナルトは理解できる。筋肉。全てを犠牲にして極め、人の域から脱したからこそ、己に届いたのだと理解できる。

 

 だが、お前は何だ? オレと同じ目をしていたじゃないか。憎しみで世界を見ていただろうが。それで……ああ、それでか。

 

 サスケも理解できた。復讐。目的を達するために全てを犠牲にすることを選んだからこそ、己に届いたのだと理解できた。

 

 これは闘いなどではない。“戦い”だ。

 勝者は生き、敗者は死ぬ。これまで行ってきた一方的な生死の、そして、自己の確認などではない。

 自己の尊厳と他者の想念で(しのぎ)を削り、生死を別ち、そして、敗者の死体の上で天高く叫ぶ。それは、どちらが勝者になるか、それとも、敗者になるか分からない。どちらに転ぶか分からない以上、勝った時には、これまでにない生の実感を与えてくれる戦いになる。

 そう、これは戦いなのだ。

 

 我愛羅はサスケに今までとは違った目を向ける。その目に浮かぶのは感謝。仏像の如く慈愛に満ちた目であった。それと同時に、鬼の如く殺意に満ち溢れた目であった。相反する二つの感情を燻らせながら、我愛羅はサスケを見つめ、彼の次の動きを待つ。

 

「我愛羅。一つお前に問いたい」

 

 サスケが口を開くと同時に風が両者の間を通り抜けた。

 高まる緊張。そして、殺気。だが、我愛羅は昂る己の心を押さえつけ、平坦な声でサスケに言葉を返す。

 

「何だ?」

「ラップに必要なものは何だと思うか答えろ、我愛羅」

「………………は? ラップ? は?」

「答えろ」

 

 サスケの物言いに、我愛羅のチャクラが溢れ出し彼の髪を逆立たせる。

 

 しかし、癪だ。

 言葉に対し、暴力で以って黙らせるのは癪であった。砂を纏わり付かせ、一息に圧死させるのは簡単だ。甲高い声で鳴き喚く耳障りな雄鶏の首を掻き切った後に庭を走り回らせて血抜きを行うよりも簡単だ。

 しかしながら、対話しようとしているサスケを無視して、物言わぬ躯に変えることは負けを認めたようで癪だった。

 だからこそ、我愛羅はサスケの質問に答える。このような間抜けな……無意味な問答と言えども、逃げることなど我愛羅にとって認めることはできなかった。我愛羅は口を開き、答えを出す。

 

「リズム感だ」

「リズム感は大切だ。だが違う」

 

 サスケは我愛羅の答えを(にべ)もなく否定する。

 

「……音感だ」

「音感も大切だ。だが違う」

 

 否定。冷ややかな否定だ。

 

「…………言葉のセンスだ」

「それも大切だ。だが……」

「黙れ!」

 

 この後に続く言葉を予期したのだろう。我愛羅は声を荒げる。

 

「だが違う」

 

 しかし、それをサスケは切って捨てる。

 余りにもクール。いや、冷酷だ。先の丸くなった氷柱を喉に押し当て、無理矢理、皮膚を突き破り喉奥に捻じ込もうと幾度も回すかのようなサスケの声色は否定と落胆を示していた。

 それを我愛羅は認めない。こんなことで下に認められて堪るかと我愛羅は声を荒げる。

 

「黙れと言っている! 黙れェ!」

「黙れまれまれ黙れまれ! そう言って、従う奴は稀。ならば、黙らぬ。Shut upと、言われて黙る腰抜けは。ここにはいない、So summary! Real Faceは狸顔。お惚け顔で怒り顔。泣き顔晒してAre You Ready? オマエの敗北 is Really?」

「YEEEEEAAAAAAAHHHHHHHHHWHOOOOOOOOOO!」

 

 ギリギリと我愛羅の奥歯が音を立てる。骨伝導により、直接、脳にまで伝わる苛立ちの音は我愛羅に冷静さを齎した。実況と観客の闘いを煽る声は逆に我愛羅に冷静さを齎した。そして、それと同時に凝り固まった殺意も我愛羅に与えたのだ。

 

 ──絶対に殺す。生まれてきたことを後悔するほどに残酷に殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺ス殺ス殺スコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスゥッゥウウウ!!!!!

 

 急速に回転を速める頭脳の中で我愛羅は考えを翻す。

 

 奴の言葉を聞く。

 それは対話を無視して殺すよりも癪だ。そもそも、鶏は鶏らしく屠殺されるべきなのだ。だから、これから行う行為は負けを認めた訳ではない。自分以外の他者を殺し、自分の価値を認識する。それが今まで、そして、これからも続く“我愛羅”の在り方だ。

 修羅だ。修羅となるのだ。血を化粧とし、臓物を装飾とする修羅になるのだ。そこに立つのは我、唯一人。そこで愛を叫ぶのみ。

 

 ──オレは我を愛する修羅。……我愛羅だ。

 

 我愛羅は酷薄な笑みを浮かべ、自らの体に砂を纏わり付かせていく。それは形を球体に変え、我愛羅の(カタチ)を変えるべく蠢く。

 

「我愛羅が砂の形を変えた! これは砂を防御に回して持久戦の構えか!? それとも、サスケのラップに返せなくて引き籠ったか!?」

 

 ──チィ。

 

 砂に包まれていく我愛羅を見たサスケは実況の声を後ろに飛び出す。

 我愛羅が完全に砂に包まれてしまえば、自身の拳を届かせることができないという判断だ。しかし、その判断は遅きに失した。

 

 ガキン。

 

 おおよそ、砂と拳が立てるような音ではない。より硬質なもの同士が勢いをつけて、ぶつかり合った時に立てるような音が会場内に響く。

 サスケの表情は更に焦りの色を醸す。それもそうだろう。自身の拳は届かない。それどころか、カウンターを狙った我愛羅の砂で作られた(とげ)がサスケの頬を切り裂いていた。

 

「ッ!」

 

 先ほどまでの攻勢が嘘のように、サスケは一転して身を翻す。サスケの判断は正しかった。一瞬でも判断が遅れたとしたら、今頃、血塗れで地面の上に転がっていたことだろう。

 サスケの居た場所には我愛羅の砂の棘が突き刺さっており、鋭利なそれは地面に穴を開けていた。

 

 ──絶対防御ってやつか……。

 

 いつもの無表情を取り繕ったサスケだが、彼の内心は大きく揺れ動いている。このままでは我愛羅に勝てない。打つ手なしだ。

 

 ──壬 申 巳 申……。

 

 サスケの内心を見透かすかのように我愛羅を包む砂の殻の上に、砂が目玉を一つ形作る。我愛羅が外の様子を探るために自らの術で作り出した“第三の目”だ。

 ゆらりと外界を観察している第三の目を見たテマリは喉を鳴らす。

 

 ──間違い……ない。あの術だ! ……まずい……我愛羅の頭の中にはもはや計画の事は……。

 ──ヤバイじゃん……。

 

 我愛羅を包む卵のような砂の殻は絶対防御のためのものではない。

 それは下準備。我愛羅が殻を破るための下準備だ。それをよく知る砂隠れの忍、特に我愛羅の姉兄であるテマリとカンクロウは『やめろ』と声を出そうと喉に力を入れる。

 だが、彼らから発される声はない。ただ押し黙るだけだ。

 

 二人が黙る理由。それは、計画が木ノ葉にバレるなどという理由ではない。もっと単純な理由だ。

 

 彼女らは、ただ恐ろしかったのだ。根源に根差した恐怖。太古の昔、人間のDNAに刻まれた恐怖。それは被捕食者と捕食者の関係。自らの力では迫りくる恐怖から逃れる術はない。

 そのことが理解できずとも、本能で察知した恐怖が二人の体を固まらせる。

 

「!?」

 

 だからこそ、テマリとカンクロウの瞳は大きく開かれた。

 

 何故だ? 何故なんだ? 何故アイツは……。

 

「笑って……」

「……るんだよ」

 

 サスケの不敵な笑みは有り得ないことだと理解できるからこそ、二人の声は掠れながらも出たのだろう。

 

 内心の昂ぶりを面に出したサスケは地面を蹴る。

 これを待っていた。自分の手には余るほどの難敵を。自分では超えることができない壁を。それを乗り越えてこその“力”だ。

 再び、そして、大きく地面を蹴ったサスケは会場の壁にチャクラを使って垂直に降り立つ。地面と平行になったサスケの瞳は下にいる獲物を捉えていた。そして、彼の瞳は難敵を──壁を──獲物を──捉える。

 

 ──見ていろ。

 ──承知。

 ──うん。

 

 刹那の間、我愛羅から視界を観覧席に移したサスケだが、意識を再び我愛羅に戻す。サスケは顔を伏せ、集中を高めていく。右手を左手の手首へと添えた時、変化は起こった。

 

 これから彼は成るのだ。一振りの名刀に、闇夜切り裂く光に、敵を断ち切る刃に。

 

 サスケの顔を青白い雷光が照らす。その迫力、雷神がこの世に顕れ出たかのような光景を見て、観客はもちろん、解説者でさえも口を噤む。

 我愛羅の殻が前準備であるならば、サスケのこれもまた前準備だ。神事の前準備だ。千の鳥の地鳴りを祭囃子とした神楽の前準備に他ならない。

 

 準備が終わったのだろう。サスケは顔を上げた。それと同時にサスケの姿が掻き消える。いや、消えたと見紛うほどの速さで動いただけの話だ。

 体術を鍛えたサスケの速さを且つてのそれと比べるのは烏滸がましい。地面の抉れを背に、鳥の鳴き声を置き去りにしたサスケは一条の雷と成って修羅の砂茶碗()に迫る。

 

「千鳥!!!」

 

 見る者を虜にする神楽のように黒い服の裾が揺れる。

 石灯籠の中で揺れ動く焔のように写輪眼が紅く灯る。

 サスケの左手が無明に沈み往く我愛羅の左肩を掴む。

 

「つかまえた」

 

 全てを置き去りにして呟くサスケの言葉は会場に響く。

 

 捕まえたのは我愛羅の体か、それとも、観客の心か。それは神のみぞ知ることであろう。

 



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木ノ葉崩し
目ま狂おしく


「……なに……この……あったかいの……」

 

 砂で作られた殻の中、我愛羅は呟く。左肩の辺りから暖かいものを感じる我愛羅は、その暖かいものが何か分からなかった。

 

「母さん……なにが……」

 

 いや、無意識の内に、我愛羅はそれが分からないように自分の脳を誤魔化していたのだろう。

 

 ピチャ。

 

 砂の殻の中で有り得ない、有り得てはならない水音がする。

 

「ああ……」

 

 認識してはならない。認識してはならなかったものを認識してしまった。瞬間、殻に包まれている我愛羅が感じていた多幸感は冷え、消え失せてしまった。

 

「うわああああ!」

 

 何故、何故、何故!? 何故だ? 何故なんだ! 何故、この殻が! この体が! この魂が! 悲鳴を上げているというんだ!?

 

 我愛羅の脳を現実が襲う。

 

「血がぁ……オレの血がぁ!!!」

 

 苦痛窮愁艱苦憂悶恥辱辛苦屈辱衝動……殺意殺意殺意殺意。

 

 負の感情に彩られた我愛羅の心は対象を認識した。目の前のコイツだ。コイツが悪い。コイツを殺すべきだ、殺さなくてはならない。我愛羅の念によって砂は防御の形から攻撃の形に移行する。異形となり、殺意の向かう先を圧し潰すべく、砂は密度と速度を高める。

 

 だが、そこには何もなかった。強いて言えば、ぽっかりと開けられた穴のみがあったと言えよう。殻に穴を開けた下手人は既に退避したのだと判断した我愛羅バケモノは目線を穴から見えた少年に遣る。

 

「ク……」

 

 視線が合った。少年は面白いように怯えている。そうだ、その表情が相応しい。その表情が見たかった。その表情であるべきだ。

 

「グッ!」

 

 ミシリと頭が痛む。脳裏に浮かぶのは、あの月夜。消えろと、無くなれと、言っても願っても祈っても、消えても無くなってもくれない最悪の夜の記憶。自分のみを愛する修羅となることを決めた夜だ。

 ならば、この愉しむ感情は自分か? いや、違う。オレはオレ以外全ての人間を殺すために存在している。殺しは自己肯定のため。決して、快楽のためではない。

 

「……」

 

 殻が解け、砂に戻っていく。その中心に立つのは血が噴き出る左肩を押さえた傷を負った我愛羅だ。だが、その目は前に立つサスケから離れない。

 

 旨く匂う獲物を見つけた捕食者のように。

 殺すべき相手を見つけた殺人者のように。

 

+++

 

 尾を引く閃光。

 地を割く雷光。

 激突。次いで、轟音。

 剥離する砂塵、穴からは叫喚。

 

 そして……。

 

 そして、ふわりと羽が舞う。

 

 サスケと我愛羅の試合を観ていた観客席に一人の男はそれに気づいた瞬間、抗い切れぬ睡魔によって、意識が闇に染まった。

 

「……こいつは!?」 

 

 ザジの声がマイクを通して観客席にまで響くものの、男が意識を取り戻すことはなかった。 

 

 涅槃精舎の術。

 白い羽の幻影を見せ、そして、その白い羽が微睡へと誘い、最後には安穏な眠りへと堕とす最高ランクの幻術だ。この術は発動した瞬間から意識が遠ざかっていくために、抗うには強靭な精神力が求められる。 

 

「解!」

「解!」

「解!」

「解!」

「解!」

「解!」

 

 この幻術を解くことが可能か否かのキーになるのは精神力。すなわち、木ノ葉の忍には備わるものだ。術を掛けられたことに気が付いた木ノ葉の忍たちは次々と自らに掛けられた幻術を解いていく。

 

 ──フッ……流石、木ノ葉のエリートたち。やりますね、幻術返しとは……。

 

 術者は仮面の裏で独り言ちる。

 そして、心の中で言葉を紡ぐ人物がもう一人。

 

 ──幻術……! カブトはもう動いているのか……では、そろそろ……来る!  

 

 我愛羅たちの班の担当上忍である砂隠れの里の上忍、バキは計画……これから起こる、いや、これから起こす“木ノ葉崩し”がすぐ傍まで迫っていることに想いを馳せる。

 

 そして、バキの確信と共に動く強者がいた。

 ゆっくりとお互いの方向に顔を向けていく火の笠と風の笠。

 

 目線が合う。双方共に準備は済んだ。

 

「見つけたぞ」

「!?」

 

 聞く者に阿修羅を想起させる声。滲み出る怒りが、彼らを覆う巨大な影が、笠を被った男たちの動きを止める。そして、動きを止めてしまったことは致命的な隙と同義だ。

 “風”と書かれた笠を被った男の眼前には拳が迫っていた。

 そう、それは致命的な隙だった。脅威となる者の前で、その者が慕う者に敵意を向けること、つまり、意識を全て“火”と書かれた笠を被った男に向けることは致命的な隙であった。もっとも、それが“本物”の風の意匠を凝らした男であればの話だが。

 

 “偽物”の男は瞳孔を細める。

 

 捕食者としての貌を出した男は鼻先に迫っていた拳を事もなげに避け、そして、瞬身の術で姿を消した。

 

「クッ……!」

 

 轟音が響いたと同時に自身の拳を避けられたことに気が付いた巨大な影の主は臍を嚙み、逃げた捕食者を追うべく、その場から飛び立った。

 

 残されたのは、無残にも一拳の元で完膚なきまでに破壊され尽くした“風”の笠の男が座っていた椅子。そして、何が起こったのか分からないという表情で立ち尽くしている砂隠れの額当てをした忍二人。それから、同じような表情で壊された椅子を見ている木ノ葉の特別上忍、並足ライドウだけであった。

 

+++

 

 観客席。

 その後ろに五人の男がいた。小柄な一人は席に座り、その右後ろに黒いフードを被った男が二人。そして、左後ろに白いフードを被った男が二人。

 涅槃精舎の術に対して幻術返しを瞬時に行った四人の男たちは席に座っていた男の幻術をも瞬時に解いていた。十把一絡げの忍ではない。

 

「行け。そして、果たせ」

 

 白いフードを被った二人の男に目線を合わせることもなく、席に座る男は二人に指示する。頷くことはなかったが、白いフードを被った男たちは音を立てることもなく、姿を消した。

 

 状況は目まぐるしく変わる。その中で最適な判断を下せる者は少ない。席に座る男は、生き馬の目を抜く政治の世界で生き抜いてきた猛者である。状況判断は並ではない。だからこそ、この一手を打ったのだろう。

 

 今一度、悪魔に戻ることに辞さない覚悟を決めた男は特別な観覧席を、正確には、その上の屋根を見つめる。そこに立つ漢の姿を目に焼き付けるために。

 

+++

 

 中忍試験会場、特別観覧席の屋根。その上で二人の男が向き合っていた。一人は細身、そして、一人は巨大。巨大な男が朗々と言葉を紡ぐ。

 

「ここで会ったが百年目。罪を雪ぎ、悪事を省みる。それすら無しの人でなし」

 

 巨大な男は細身の男に憤怒を向けるが、細身の男は柳の如く巨大な男の怒気を受け流す。

 

「許して置けぬ、その悪行。なれば、ここが終着点」

 

 しかしながら、言葉は届いている。

 

「貴殿と己の終焉は。此処で終わるが天の定め」

 

 これで終わりだと、此処が終わりだと宣言する巨大な男に対して、細身の男の返答は微笑を浮かべる。そう、此処が終着なのだ。

 

「なれば言わずにいられまい。我らが誇りを、我らの名を」

 

 男は笠を取り、そして、張り付けていた他人の顔を剥がす。

 

「……大蛇丸」

「うずまきナルト」

 

 かくして、誇りを……力を見せつけるべく、二人の男は睨み合う。

 

「あなたを……」

「貴殿を……」

 

 故郷を守護するために、古巣を破滅させるために。

 

「絶望させる者の名よ!」

「討ち取る者の名だ!」

 

 二人の漢は宣言した。

 

+++

 

 中忍試験会場で睨み合う我愛羅とサスケだったが、目まぐるしく変わる状況が二人に猶予を与えることはない。

 

 我愛羅の前には砂隠れの上忍バキが、サスケの前には木ノ葉隠れの特別上忍ゲンマが、それぞれの下忍を背に隠すよう向かい合っていた。バキに次いで、我愛羅の元にテマリとカンクロウが着いた足音を確認したバキはゲンマから警戒を外すことなく、我愛羅に声を掛ける。

 

「我愛羅、作戦を……」

「……」

 

 返事をしない我愛羅に横目を向けたバキは唇を噛む。頭を抱え、小刻みに体を震わす我愛羅の姿。その姿に見覚えがあるテマリは呟く。

 

「やっぱり……」

「……どした?」

 

 カンクロウの疑問に答えたのは我愛羅の苦し気な呻き声だった。

 

「馬鹿め! 合図を待たずに勝手に完全体になろうとするとは……!」

 

 バキの焦燥が言葉として外に出てしまう。状況は逼迫している。切り札なしに“木ノ葉崩し”──木ノ葉と砂の戦争を行うか否か。その重大で重要な責任が彼の肩に圧し掛かっていた。

 

「副作用が出てる。もう無理だ!」

「じゃあオレたちはどうすりゃいんだよ! 我愛羅なしでやれってのか!?」

「くっ……」

 

 バキは迷う。迷いなど疾うの昔に捨てたハズだった。木ノ葉との戦争を風影から聞かされた時に、戦死する覚悟は決めようとせずとも決めていた。だというのに、バキの心の内には迷いがあった。

 

 責任感。そう言ってしまえれば簡単だ。

 里の上忍としての責任。我愛羅を此処で、この場所で、この時で使い潰す。里の為に、里の為だけに使い潰す。それが責任。

 班の上忍としての責任。我愛羅を此処で、この場所で、この時で使い潰す。里の為に、里の為だけに使い潰す。それが責任。

 

 なら、なぜ迷う? なぜ、迷っている? ここで解放するように我愛羅を言葉で以って追い詰めればいい。そうだ、そうすればいい。

 

「中止だ!」

 

 我愛羅を導く師としての責任に天秤が傾いた。だからこそ、風影の意志に逆らうことに決めてしまっていた。

 

 責任感。そう言ってしまえれば簡単だ。師として弟子の面倒を見る責任感。そうだと言ってしまえれば簡単だった。だが、きっと違う。

 

「お前たちは我愛羅を連れて一旦、退け!」

 

 きっと彼は、この時、この瞬間、この少年の内に何かを見たのだろう。何かと問われても分からない。何かと考えても分からない。だが、これはきっと重大で重要なことなのだろう。

 

「先生は!?」

「オレは参戦する。行け!」

「う……うん」

 

 バキは不敵に嗤って見せる。強がり……そうだろう。未だ自分の内すら分からぬ未熟者が他者に指示を出すなどちゃんちゃら可笑しい。自嘲する自分がたまらなく面白い。そして、たまらなく爽快だ。

 

 バキは知らない。この時、この瞬間、この少年の内に見た“何か”を指す言葉を。それは言ってしまえれば簡単だ。その何かは“希望”。自分が此処で堕ちても明日に何かを紡ぐためにしたことを後に思い起こした時に自分を誇ることができるものだ。

 

「このパーティの主催者は大蛇丸か?」

「さあな。とりあえず、盛り上がって行こうぜ……運命って名前のパーティをよ!」

 

 だから痛快。だから愉快。心が爽やかな風に吹かれているかのように軽かった。

 

 ──運命という言葉は諦めるためにあるのではない! 運命という言葉は自身を鼓舞するためにある! 絶体絶命の状況であろうが勇気を励起させ、勝利を手に掴む道標とするための言葉!

 

 自分も焼きが回ったとバキは唇を上げる。自分たちが中忍試験を台無しにしたのに、中忍試験の続きを観たかったと思うなどと少し前の自分ならば、考えもしなかっただろう。

 

「オイ……何がどうなってる?」

「悪いが中忍試験はここで終わりだ。とりあえず、お前は我愛羅たちを追え!」

「……」

「お前はすでに中忍レベルだ。木ノ葉の忍なら役に立て」

「……ああ」

 

 サスケが我愛羅たちを追うことを見逃すのは、今までのバキにとっては有り得ないことだった。それを認めてしまうバキの心には確かに希望が灯っていた。

 

+++

 

「テメェ……!!!」

 

 怒りで声を出すことができない。ギリギリと歯を食いしばる音がする。

 中忍試験解説者のザジの震える声をマイクが拾うが会場のほとんどは睡魔に誘われた後だった。そして、そのほとんどに入らない者は何処からともなく現れた音隠れの忍と砂隠れの忍との戦闘に入っている。

 

「出て来い! 裏切り者!」

 

 解説席から中忍試験会場の中心に降り立ちながら、泣きそうな声でザジは叫ぶ。

 それもそのハズ。ザジほど此度の中忍試験を楽しみにしていた者はいない。通常ならば、中忍風情が里の最高指揮官である火影に謁見することなどできるハズがない。火影に意見を述べることなどできるハズがない。火影にそれまで前例のない中忍試験の解説者として自分を売り込むことなどできるハズがない。

 

 だが、ザジは解説者の席を勝ち取った。偏に、彼の情熱故に。

 

「この裏切り者! 出て来い! 出て来い!」

 

 この中忍試験に懸ける彼の想い。今、中忍試験を受けている下忍たちが培ってきた力、つまり、下忍たちの魅力をより正確に、より熱く伝えるのが自分の使命であるとザジは考えていた。

 それが、どうだ。誰かの下らない欲望で命を、誇りを懸ける尊い闘いが穢され、貶められたのだ。

 

 決して許すことができるものではない。

 

「この野郎! 出て来い! 出て来い! 出て来い!!!」

 

 いつの間にかザジの頬を涙が濡らしていた。自分の無力さが、自分の見る目のなさが憎くて仕方なかった。

 

「出て来い! カブト!」

 

 下手人の名前を叫ぶ。ザジは自分でも言うようにエリートである。彼の感知忍術のレベルは上忍と比べても遜色ない。涅槃精舎の術に残されたチャクラからカブトがこの許し難い犯罪を起こしたのは明らかだった。

 

「やれやれ、そう叫ばないでくださいよ」

 

 名前を呼ばれ、もう姿を晦ませ続けることはできないと踏んだのだろう。ザジの前に姿を現した暗部の忍。いや、暗部の忍装束を身に着けたカブトは被っていた仮面を外す。

 仮面の裏にあった素顔は大蛇丸と同様の酷薄な微笑だった。

 

 睨み合うザジとカブト。隣ではゲンマとバキ。遥か上ではナルトと大蛇丸。

 

 木ノ葉崩しが、今、始まりを告げる。



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死人─シビト─

 世界は今日、この日より変化する。

 だが、変わらないもの、変わってはならないものも確かにあるのだろう。それは言うなれば誇り。穢されたならば、必ず雪がなくてはならないもの。

 

「テメェ! どの面下げて出て来やがった!!!」

 

 仮面を外したカブトに渾身の怒りを籠めてザジは叫ぶ。

 

「酷い言い草だね、ザジくん。君が出て来いって言ったんじゃないか」

「テメェ……」

 

 カブトの言い様にザジは黙ってしまう。それも仕方のないことだろう。彼は人一倍、この中忍試験に思い入れがある。これまでの木ノ葉隠れの中忍試験で解説席に座ることを希望した忍は一人としていない。火影に直談判を行った者など一人もいない。情熱をもって解説席を勝ち取った人間はザジ以外にはいない。

 今年の中忍試験はナルトに触発された下忍たちが鎬を削り、自らを高めあった結果、豊作と言えるほどのもの。ならば、見届けるのが先輩たる自分の役目だ。そうザジは考えていた。

 

 だが、現実はどうだ?

 歯軋りを響かせながら、ザジは目の前の忍を睨み付ける。漢と呼べぬ者の姿を。唾棄すべき者の姿を。

 言うべき言葉はいくらでもある。されども、そのどれもがザジの心を表すには足りない。ザジが言葉を探す中、先に口を開いたのはカブトだった。

 

「ザジくん……君はボクの邪魔をするっていうんだね?」

 

 カブトの言葉にザジの怒りがこれ以上ないほどに燃え上がる。

 

「当たり前だ!」

「なら殺すよ」

「くッ!!」

 

 カブトの殺気にザジは再び言葉を失ってしまう。指一つ、いや、身動ぎ一つ許さることがないほどの殺気。それほどまでに、ザジとカブトの間には隔絶した力の差があった。

 

「……うるせぇ」

 

 だが、だからと言って、それは足を止める理由になるか? この心の奥底から湧いて来る感情を押し込める理由になるか? 

 それは決して……それは決して、止まる理由にはならない。

 

「うるせぇ!」

 

 ザジは声を上げ、心を震わせる。常よりは動きが悪い。それは理解している。

 ポーチから出すクナイ。しかし、そのクナイの先は震えている。それを無視してザジはクナイを投擲する。

 

「ダメだね」

 

 首を少し傾けるだけでザジが投げたクナイを避けるカブト。事もなげに行われた行為にザジは唇を噛み締める。

 

「ザジくん」

 

 余裕を崩さないカブトはザジに向かって言葉を掛けていく。

 

「君は中忍試験の予選が終わった時にこう言っていたね? ご紹介に預かりました中忍(エリート)ザジですって」

「……」

「そう、君はエリートだ。事実、君の同期よりも君はいち早く中忍に上がった。それどころか、君の先輩であるボクよりも早くね。けど……」

 

 カブトの目が細められる。

 

「それは君が戦争を知らない世代だからだよ」

「……」

「君は平和な時なら他人よりも出世できていた。上役に取り入ることができる君。任務を確実に熟す君。けど、戦争になれば、君は……」

 

 興味を失った実験動物を見遣るように。

 

「……弱者だ」

 

 それは暗にお前は喰われる者だと伝える言葉。ザジの心を折る為の言葉だ。今までの自己評価、それを一転させ、貶めるための言葉だ。

 ザジの奥歯がギリッと音を立てる。

 

「早く逃げた方がいいよ。君は弱いん……」

「それがどうした!」

 

 言葉を遮られたカブトは眉を顰め、やっと、ザジを正面から見る。

 そこに見えたザジの表情は冷静なものだ。これから喰われる者の表情ではない。

 

「オレが弱い? だから逃げんのか? 逃げていいのか? 逃げて逃げて逃げて……逃げて!」

 

 やっと、カブトはザジを正面から見た。

 

「オレはオレを許せんのか?」

 

 不退転の覚悟をザジの表情から感じ取ったカブトはじっと彼の顔を見て、そして、視線を外した。

 

「それなら……」

 

 溜息を吐き、カブトは手から力を抜いていく。

 

「……死ねよ」

 

 カブトの手から落ちる仮面。それが地面に落ちる一瞬の間にカブトの両手は印を組み上げていた。

 

「!?」

 

 カブトは一瞬にして姿を消す。残されたのは、ほんの少しの白煙と地に落とされた仮面のみ。

 だが、噎せ返るほどに濃密な死の気配はザジの全身を嘗め回している。敵は逃げていない。

 

 ──…………下! 

 

 ザジの感覚が敵の居場所を告げていた。十八番である感知忍術を用いて感覚を鋭敏化させたザジは、敵が土遁の術で身を地面へと潜ませたことを感知していた。 

 当然の結果として、突如として地面からぬっと現れた右手、そして、その手に握られていたクナイは後方へと跳躍したザジを傷つけることはなかった。

 

 ──戦えてる、戦えてる! 

 

「ダメだね」

 

 昂揚した感覚が一瞬にしてゼロにされる。全身にひやりと冷たい感覚が奔ったことに気付いたザジは自ら地面へと倒れ込んでいく。

 

 ──なんでッ!? 

 

 地面を転がり、体に土を付けながらもザジは目を動かして、後ろから聞こえてきた声の主を探す。解り切った声の主の正体、カブトの姿を。

 

「終わりだよ」

 

 ザジの目にカブトは映ることはなかった。それは卓越した暗殺術だ。相手に気取られることなく命を奪う技術。仮に相手に気付かれたとしても、相手の虚をつき死に至らしめる技術。

 ついぞ、ザジが手に入れることができなかった技術だ。

 

 地面から起き上がろうとしていたザジの後ろへと、いつの間にか回り込んでいたカブトが手に持つクナイを振り下ろす。

 空を切る音。それはザジが幾度も聞いてきた音だ。任務でも修行でも忍者学校(アカデミー)の時分でも扱ってきたクナイの音。

 その音は彼の体に次のシーンで起こる結果をザジに想起させ、そして、ザジの瞼を強く閉じさせることになった。

 

 ──ごめん……。

 

 誰に謝罪するのか? ザジは心の中で謝る。その対象はザジ自身も理解していない。自らの責務を果たせなかったことに対し、火影に謝っているのか? 自らの想いを遂げることができなかったことに対し、自らに謝っているのか? 自らが留めておくことができなかったことに対し、バキとカブトを相手取らなくてはならなくなったゲンマに謝っているのか? 

 

 言葉は届くことなく、されども、想いは届く。

 

 キンッと甲高い金属音がザジの頭の上で鳴る。

 

 閉じてしまった瞼を一気に持ち上げる。少し、ほんの少し潤んでしまった視界で見つけたのは、上から下へと落ちていくクナイと、そして、殺傷力が決して高くない忍具──千本だった。

 

「……すみません!」

 

 視界に捉えたクナイと千本に手を伸ばし、そして、それらを手の内に捕らえたザジは体を半回転させてクナイを後ろに立つカブトへと振り切る。空を切ったクナイだったが、次いでザジの手から投げられた千本はカブトの髪を掠めた。

 

「ゲンマさん! 助かりました!」

「おう」

 

 気怠げに声を返したのは中忍試験本選の試験官であるゲンマだ。

 だが、声とは裏腹に、その体にはバキの風遁によって刻まれた裂傷がいくつもあった。幸いなことに、その全ての傷は軽い。特別上忍で上忍より下に位置付けられているゲンマの実力が砂隠れの上忍であるバキと拮抗していることを表している。

 忍は忍者学校生、下忍、中忍、上忍と実力順で区分される。その中で特別上忍は中忍クラスの実力を持ち、尚且つ、何かしらの技術で秀でていることが条件とされる特殊なランクである。例えば、第一の試験のイビキは諜報、拷問技術で優れており、火影直轄の部隊である暗部、拷問・尋問部隊隊長に名を連ねている。

 特定分野のスペシャリストとして認められたのが特別上忍だ。それ故に、特定分野以外の場では、その実力が上忍と比べて劣ると言われる。

 

「ザジ、無理はすんなよ」

「嫌ッス!」

「……ったく。この状況じゃ仕方ねーとはいえ、気負い過ぎると碌なことになんねーぞ」

「それでも! オレはカブトをブン殴りたいんスよ!」

「止めとけ」

「なんでッスか!? オレが弱いからッスか!?」

「違えーよ」

 

 だが、バキの前に立つ漢──不知火ゲンマの醸す雰囲気は上忍のそれを凌駕するとバキは感じ取っていた。

 

「オレがあのバカ野郎(カブト)をブン殴りてーからだ」

 

 強敵だとバキは溜息を吐く。彼我の実力を鑑みて、最適解を導き出す。医療忍術で回復できるカブトが墜ちたとするならば、この後が辛くなるのは火を見るよりも明らかだ。

 それをみすみす見逃すような真似をバキはしない。我愛羅をこの場から逃がしたことで、風影からの命令を既に達成できていない状況。これ以上、風影からの期待を損なう訳にはいかない。

 それに……。

 

 ──嘗められたままで終わるなど……漢が廃る! 

 

「風遁・風塵の術!」

「ッ!?」

 

 塵混じりの強風がバキの口から放たれる。触れれば、人間の肉など簡単に削ぐことができる術であるが、術の進行方向から上手く避けたゲンマはバキを睨みつける。

 

「お前の相手はオレだろ? 楽しもうぜ」

「……」

 

 膠着状態。ゲンマとバキ。ザジとカブト。何か一つでも間違えば、簡単に敵へと傾く天秤だ。そこで、ゲンマが取ることができる手段は少ない。これほどに悪い条件の戦いは、あの時以来だなと過去を思い浮かべる。

 あの時はガイの父親のダイが駆けつけてくれた。今は助っ人が来ることを期待する方が間違いだ。それぞれがそれぞれの場所で敵と戦うことで木ノ葉の忍はお互いを守り合うような状況。余裕がある者は誰一人としていない。

 

 そして、試験会場の上で睨み合う二人の忍の戦いも気にかかる。

 その上、送り出したサスケが我愛羅を仕留めきれるかどうかも気にかかる。

 

 ──クソッ。考えることが多すぎる。

 

 心の中で悪態を吐くが、ゲンマにできることは、ほぼない。あるとすれば……。

 

「かかってこいや、クソ共」

 

 ……時間稼ぎだ。格上の忍たちに一秒でも長く戦闘を続け、大蛇丸の援護や我愛羅の援護に行かせないこと。

 

「ブン殴ってやるよ!」

「オレもやるッス!」

 

 囮となることで敵の戦力を分散させることがゲンマとザジが今できる最適解であった。

 

 +++

 

 同時刻。観覧席の屋根の上。睨み合う二人の忍。

 

「……」

「……」

 

 先刻の宣言の後、二人は微動だにしない。二人とも理解しているのだ。下手に動けば命はないということを。闘気と殺気をぶつけ合うナルトと大蛇丸は相手の動きを量っていた。

 

 先に動いたのはナルトだ。須臾の間に瓦を蹴り、大蛇丸に肉薄したナルトは右腕を振るう。が、大蛇丸もナルトと同時に動いていた。右足の蹴りでナルトの右手首を捉え、自分の体へとナルトの攻撃が当たらないようにする。

 が、カウンターとしてナルトの左足から繰り出された蹴りが大蛇丸の胴に入った。予定調和だというように大蛇丸の体が上下に分かれ、別れた腰の部分から何匹もの蛇がナルトへと襲い掛かる。蹴りを繰り出したことで体勢が崩れたナルトに避ける術はない……とは大蛇丸は考えなかったのだろう。右の袖から潜影蛇手によって口寄せした蛇が屋根の棟の部分に向かって牙を向ける。

 だが、遅い。蹴りで体を回転させたナルトは左手の拳に向かってチャクラを収束させる。そうして、振り切った左拳から放たれた拳圧はチャクラで増幅され、ナルトへと襲い掛かっていた数多の蛇ごと大蛇丸を襲う。

 そして、ナルトは再び瓦を蹴り、その場から逃れる。瓦の下より吹き上がった蛇の群れで作られた巨槍から逃れたナルトは振り返り、蛇の滝の中にある黄色の瞳と睨み合う。

 

 そうして、白い靄がかかり、戦闘が始まる前の光景に戻った。二人の位置も、二人の戦闘で壊された屋根の瓦も、何もかも。

 幻術ではない。これはイメージだ。ナルトと大蛇丸が睨み合う中、二人はこの先の戦闘がどうなるのかイメージしていた。戦闘のプロはイメージトレーニングを欠かすことはない。イメージを現実と擦り合わせ、解像度を上げることで成功確率は上がるものだ。

 

「……」

「……」

 

 二人がイメージする戦闘は重なり合う。だからこそ、早計に動くことはできない。勝つイメージを描けない。何の策もなく動けば、確実に負ける。

 ナルトは臍を噛む。たった一月の修行で埋められるほどの実力の違いではないということは分かっていた。だが、これほどまでに近づくことができないとは考えてもみなかった。

 戦闘終了までナルトがイメージを行わなかったのには理由がある。この後に起こり得そうな結果が全て死亡だったからだ。焼死、溺死、失血死、圧死、震死、窒息死、絞死、中毒死、煙死、転落死、斬死、刎死、狂死。徒死だ。何も出来ずに死んでしまう。

 ナルトの嗅覚は強烈な死の気配を感じ取っていた。それでも、震え一つ見せずに佇むのは流石と言えよう。これほどまでに死を間近にして、自己を保つ。強者しか行う事のできない所作であろう。

 体を動かさず、心の中も動かさないようにし、戦闘に集中する。

 

「大丈夫じゃ」

「む!?」

 

 それ故に、殺気もなく後ろから肩へと伸ばされた手には気付くことができなかった。背伸びまでして精一杯、体を伸ばしてナルトの肩へと手を伸ばした三代目火影に気付くことができなかった。

 

「ナルトよ。こやつとはワシが戦う」

「三代目殿。ここは己に任されよ。己と、この者とは……因縁がある」

「そやつがワシの弟子だとしてもか?」

「む!?」

 

 笠に手を掛けながら、三代目火影はナルトの前に出る。

 

「大蛇丸はかつてワシの弟子じゃった。ワシとあやつとの関係は……ナルト、今のお前とカカシの関係のようなものじゃな」

「しかし……」

「ナルトよ、お前の気持ちも分かる。サスケのことじゃな」

「然り」

「サスケに大蛇丸が何をしたか。それを聞き出そうとしても、こやつは何も吐かぬよ」

「では、どうすればいいと言うのか?」

「サスケを信じろ」

 

 振り返った三代目火影はナルトに微笑む。

 

「サスケは一人で我愛羅を追った。ナルト、これは三代目火影からの命令じゃ。サスケを追い、そして、サスケを助けるのじゃ」

「……しかし」

 

 逡巡するナルトの後ろからトンと軽い音がした。振り返るナルトの目に映るのは白いローブを来た二人の人間。

 

「三代目火影。助太刀する」

「ほう……感謝する」

 

 二人の白装束の内、大柄な方が三代目火影に助力を申し出る。

 

「ここはボクらに任せて、アナタは行ってください。アナタを待っている人がいます」

「……」

 

 二人の白装束の内、小柄な方がナルトへと話し掛ける。

 その声は凛と澄んでいて、ナルトに決意を促した。

 

「……承知!」

 

 瓦を蹴り、屋根から大きく跳躍したナルトを見送り、三代目火影は白装束の二人に話しかける。

 

「して……ワシに助力を願い出た理由を尋ねてもよいかな?」

「……木ノ葉に、いや」

 

 フードに手を当てた大柄な漢は、それを一気に跳ね除ける。フードを取り、素顔を曝け出した漢を見て、大蛇丸は嗤う。今まで遊んでいた玩具とは違う玩具を見つけた子どものように。

 

「“うずまきナルト”に借りがある」

 

 底冷えするような大蛇丸の笑顔を見た漢だったが、何一つとして動じる様子はない。そして、それは大柄な漢に続いてフードを外した小柄な漢も同じく。

 恐怖などある訳がない。

 

「“鬼人”を殺してくれたって大きな借りがな!」

 

 死人に恐怖などある訳がない。あの日、波の国で“死んだ”二人に恐怖はない。

 ただ、この身は義理に答えるために動いている。殺すことで救ってくれた恩人への義理で。

 

 並び立つ三人を正面から見据えた大蛇丸の表情は変わらない。愉しそうに歪んだままだ。歪んだ唇から言葉が漏れる。

 

「……面白いわね。面白いわ。これから戦えるのが、三代目火影と……再不斬と白だなんてね!」



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二人─フタリ─

 呆けていた。

 それに気が付くまでどれだけの時間が立っていたのだろうか。

 

「しまっ……!」

 

 木ノ葉暗部の隊長は仮面の裏で唇をきつく噛み締める。暗部、いや、忍としてあってはならない所作だ。殺意を剥き出しにした者を前に、突如、筋肉隆々の漢が現れたとはいえ、呆けるなどあってはならない。

 

 ──挽回は……もう遅いか。

 

 ほんの少し駆け出すのが遅かった。前には風影の付き人の二人が駆けている。手の届く距離、その僅か前を行く二人に、せめてもの妨害としてクナイを投げるが上半身と下半身が分かれた二人の付き人が足を緩めることなどなかった。

 

 ──変化の術で化けていたか。やはり、コイツら……並の忍ではない! 

 

 二人から四人に増えた風影の付き人たちは試験会場の屋根へと一足飛びに飛び移る。

 

「やりなさい」

「はっ! 忍法・四紫炎陣!」

 

 屋根の上に佇む三代目火影と三人の見知らぬ男たちを囲むように紫の炎で作られた檻が現出する。

 

「くっ……結界か」

 

 臍を噛む暗部の部隊長。檻の中の人物を確認していくと共に、彼の額に大量の汗が流れ出た。

 

 ──大蛇丸! それに、“鬼人”再不斬に霧隠れの追い忍!? その上、風影の付き人に変化していた“音”の忍が四人だと!? 

 

 どうしようもない。

 

「せめて、結界を張っている四人の内の誰かを三代目が倒してくれれば……」

「何を悠長なことを言っている!?」

 

 後ろで呟く暗部の一人を暗部の隊長は叱責する。

 

「チャクラを練ろ! 水遁系忍術の使い手を集めろ! こちら側からも何とかして穴を開けるんだ!」

「やめい!」

「えっ?」

 

 暗部の隊長はまた呆けてしまう。自身の命令を止めることができる人物など一人しかいない。

 

「ワシは大丈夫じゃ。ワシよりも優先すべきことがあろう?」

 

 暗部の隊長を優しく見つめる三代目火影の姿がそこにはあった。

 

「……お前たちは下の戦闘に参加しろ。大名たちを守れ」

「し、しかし!?」

「ここにはオレが残る」

「……はっ!」

 

 自分が残ったのは、せめてもの責任。三代目火影が負けた後、せめて一矢報いるための捨て石になることを覚悟した暗部の隊長は紫の炎の檻の中を睨みつける。

 少しでも隙が生じれば、そこから切り崩すと言わんばかりの視線を大蛇丸に遣る。

 だが、大蛇丸の視線は動かない。捕食対象を定めた蛇のように大蛇丸はジッと三代目火影を見つめるのみだ。

 

 だが、大蛇丸の付き人の四人の音忍は違った。

 

「内側に結界を張っとけ!」

 

 片目を髪で隠した男が他の三人へと指示を出す。その指示に従い、一瞬にして紫の炎の壁が彼らと三代目火影の間に現れた。

 

「そう易々とは出させる気はない、か。そのまま五人でかかってくりゃ、一気に斬ってやったが」

「彼ら、なかなか頭が回りますね。再不斬さん」

 

 再不斬と白は三代目火影の隣に並びながら現状を分析する。

 

 相手は一人。そして、こちらは暗部クラスの実力を持つ忍が三人。“鬼人”と謳われた再不斬に、才能はその再不斬よりも上にある血継限界、氷遁使いの白。そして、“プロフェッサー”と謳われ、その名は木ノ葉はおろか、世界に轟く猿飛ヒルゼンのスリーマンセルだ。

 連携などなくとも、この三人を相手にして勝負ができる猛者など、世界中を探しても、そうそういやしない。

 

 ──何を企んでおる? 

 

 だが、その三人を前にしても大蛇丸の余裕を感じさせる表情は崩れることはなかった。

 

「猿飛先生に再不斬と白ねぇ……私一人じゃ流石に勝てないかもしれないわね」

「御託はよい。……大蛇丸、あるのじゃろ? 貴様の手の内を見せてみよ」

「ふふふ……この術だけは使いたくなかったのだけれど」

 

 そう言って、長い印を数秒で組み上げた大蛇丸の横に二つの棺桶が屋根の下からせり上がる。

 

「口寄せ・穢土転生」

「……貴様ッ!」

 

 開いた棺桶の蓋が屋根に落ち、ガコンと音を鳴らす。棺桶の中に居たのは黒の長髪の男と白の逆立つ髪をした男だった。

 

「久しぶりよのォ……サル」

「ほぉ、お前か。歳を取ったな、猿飛」

「……まさか、このようなことで御兄弟お二人に再びお会いしようとは。残念です……覚悟してくだされ」

 

 三代目火影は怒りの籠った目で大蛇丸を睨みつける。

 

「初代様、二代目様」

「かつての師を殺す経験なんて、猿飛先生にはさせたくなかったんだけどねぇ……」

 少し上を見上げた大蛇丸は目だけを動かし、再不斬と白を見つめる。

 

「その二人が助太刀するというなら、これは仕方のないこと。そうでしょ?」

「……この下種が」

「……人でなしですね」

「ふふ。たった一人に三人で来るアナタたちが言える言葉じゃないわ」

 

 大蛇丸は飄々と再不斬と白の言葉を受け流す。

 

「再不斬と白よ。気にするでない」

「ん?」

「どういうことですか?」

「穢土転生という術は準備が必要な術での……死者の肉体、そして、生贄の生者を予め用意する必要がある術じゃ。つまり……」

 

 三代目火影は一度、溜息を吐く。

 

「……奴は初めからこの術を使う気でおった。お主らが駆けつけていようがいまいが、な」

「下種が」

「やっぱり人でなしですね」

「……」

 

 三代目火影は逡巡する。自らの気持ちを声に出していいのかどうか。

 ややあって、三代目火影は重い口を開いた。

 

「悪に堕ちたといえ、大蛇丸は我が弟子。勝手を承知で頼む。ワシは……」

「白。オレは初代火影だ」

「なら、ボクは二代目火影ですね」

 

 タンッと足音を響かせながら前に出た再不斬と白。その二人の姿に目を丸くした三代目火影は、一度、頭を下げた。

 

「済まぬ。助かる!」

 

 再不斬と白は何も答えない。答える必要などないと二人とも理解しているからだ。

 やっと戦いが始まる。そう感じ取った大蛇丸は呪符付きのクナイを初代火影と二代目火影の頭に埋め込んでいく。

 

「最強の兄弟(ふたり)

 

 再不斬は二人に声を掛けながら、懐から“瑟”と書かれた巻物を取り出す。

 

「その名……今日で返上させてやる」

 

 白も再不斬に続いて“琴”と書かれた巻物を取り出す。

 

「今日からはボクらが……」

 

 白煙を上げながら、体のひび割れが消えていく初代火影と二代目火影。

 白煙が体を覆い隠した後、その手に新たな武器を握る再不斬と白。

 

 二人の声が重なった。

 

「最強の(ふたり)だ!」



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鬼か、人か

 ──この流れ……いいわね。

 

 大蛇丸の唇が捲れ上がる。

 元々の予定では、穢土転生によって初代火影と二代目火影、そして、四代目火影を口寄せする腹積もりであった。とはいえ、四代目火影に関して言えば、その死に様からして、穢土転生が成功するか否かは分の悪い賭けではあった。

 しかしながら、初代火影と二代目火影は確実に口寄せできる公算があり、そこから三代目火影を甚振るつもりの大蛇丸としては、一人だけの三代目火影では少し物足りない戦いになるだろうという予想があった。

 歴代火影の中でも最高と謳われた三代目火影が相手とはいえ、神話の如き大戦を生き抜いた初代火影と二代目火影、そして、何よりも、その二人をも従えることができている大蛇丸だ。

 

 敗北するなど有り得ることではない。

 

 キンと高い金属音がする。

 再不斬と白が口寄せした武器を重ね合わせた音だ。

 

 敗北など有り得ない。

 そう踏んでいた大蛇丸の前に現れた障害。それが再不斬と白だ。霧隠れの忍刀七人衆の一人である再不斬。そして、木ノ葉隠れの暗部に相当する霧隠れの精鋭部隊である追忍の一人である白。

 どちらも強敵であると言えるだろう。

 並の忍ならば、再不斬と白、そして、三代目火影を同時に相手取るという状況など尻尾を巻いて逃げても逃げ切ることなどできない。絶望しか感じることのできない状況だ。

 

 もっとも、大蛇丸は並の忍ではない。

 木ノ葉の三忍と謳われた過去。数多の術を修め、新術の開発をも行っている手配書Sランクの現在。

 

 三代目火影の元から姿を消した時の大蛇丸とは比べ物にならないほどに、今の大蛇丸は強い。

 だからこそ、目の前に振られた二つの銀光を眩しそうに目を細めるだけで済み、瞬身の術でその場から三代目火影の前まで行くことができたのだ。 もっとも、再不斬と白の狙いは初めから大蛇丸ではなかった。

 

「ラァ!」

「ハッ!」

 

 速く、そして、力強く振られた銀の刃。再不斬がかつて振るっていた首切り包丁に比べると圧は少ないものの、磨き込まれた刃が物語っている。『斬られたら死ぬぞ』と。

 

「チッ!」

「クッ!」

 

 

 しかしながら、単純明快、快刀乱麻の一撃は誰にも届くことはなかった。

 再不斬と白が長刀を振るった先、初代火影と二代目火影が軽く構えたクナイで長刀の動きは完全に止められていたのだ。

 

 黒い長髪が沙羅と揺れ、その奥にある虚ろな眼光と目が合う。

 

「……クソがッ!」

 

 地面を蹴って、後ろに下がった再不斬は思わず悪態を吐く。

 

 ──あの目だ。

 

 よく見てきた目だ。霧隠れの忍がよくしていた目だ。三代目水影の治世、そして、四代目水影の恐怖政治下の民衆の目だ。血霧の里の者の目だ。

 

 ……心を亡くした目だ。

 

 何の感情も映すことのない初代火影の目を見て、再不斬は唇をきつく噛み締める。

 

 思えば、霧隠れの里に対してクーデターを起こした理由の一つもそれだった。

 劣悪。白との出会いは端的に言えば、それだった。天井も落ち、壁も剝げ落ちたあばら家が並ぶスラム街。白との出会いは、そんな掃き溜めのような場所だった。そこに生きる人々は生きる気力もなく襤褸(ぼろ)を纏って床に寝転がるか、壁に背中を預けて空を見上げるだけだった。

 

 そこを通る自分に向けられる目、目、目。

 淀み、昏く沈んだ目だ。死んだ魚の目だ。生気というものが一片すらも感じられない目だ。

 

 全てが気に食わなかった。

 全てを諦めている住民も、全てを諦めている霧隠れの忍も、全てを諦めている自分も、何もかも。

 

 変わらない、変えられない霧隠れの里に辟易していた。いや、辟易などという生温いものではない。

 憎悪だ。

 泥のような、吐瀉物のような、糞のような感情だった。

 

『……クソが』

 

 その時も再不斬は唇をきつく噛み締めていた。口布で顔の下半分は見えなくなっていたものの、かつての彼が醸す雰囲気は鬼そのもの。だが、その雰囲気を前にしても生気を失ったものたちは、ぼんやりと視線を寒空に向けていた。

 それが、再不斬の神経を苛立たせる。

 

 足音を立てて、そこを立ち去る再不斬。更に彼を苛立たせることに雪まで降って来ていた。大きめの牡丹雪。視界に否が応でも入ってくるそれを鬱陶しく思う再不斬だが、空は隙間なく雲に覆われていた。この分だと、明日まで雪は続くだろうと再不斬は溜息を吐く。

 口布を通して外に出た溜息は白かった。気温は低く、通り過ぎたあばら家の住人たちの多くは今夜の内に凍死するであろうことを感じ取っていた再不斬の心は重かった。

 

 ここから早く立ち去ろう。

 そう考えた再不斬は橋へと向かう。振り積もっていく新雪を蹴り飛ばしながら足早に橋を渡る再不斬だったが、思わず足を止めてしまう光景がそこにはあった。

 積もる雪の中、子どもが一人、橋の上で蹲っていた。察するに、先ほどのスラム街から追い出されたのだろう。再不斬の心を更に苛立たせる光景だった。

 

『……哀れなガキだ』

 

 苛立ちのまま、再不斬は子どもに話しかけてしまった。そのまま何も見なかったように通り過ぎることが霧隠れの忍としての正解だった。このスラム街の住人の正解もそれだろう。

 間違ってしまったことを再不斬は理解している。然れども、何故か引き付けられてしまった。

 ……目だ。スラムの人間の全てを諦めた目とは少し違う。ほとんど全てを諦め、されども、一つだけ、何か分からないが、たった一つだけ諦めきれないという目を、この橋の上に蹲る少年は持っていた。

 

『お前みたいなガキは誰にも必要とされず野垂れ死ぬ』

 

 どうせ返事はない。だが、声を掛けた。

 そう思っていても、再不斬は心のどこかで期待をしていた。

 この少年は、何かが違う。そして……自分も、何かが違う。二人の間にあった“何か”という共通点。

 それを見出さなければいけないという焦燥感を再不斬は感じていた。

 

『お兄ちゃんも……ボクと同じ目をしてる』

 

 目を大きく見開いた。

 

『小僧……誰かに……必要とされたいか? オレのために全て差し出せるか?』

 

 矢継ぎ早に繰り出した質問だったが、少年は逡巡なく頷く。少年は全てを理解して頷いたのだと、決して保身や擦り寄るために頷いた訳ではないと再不斬は感じ取っていた。不純物が全くない正直で真っ白な心から頷いたのだと再不斬は感じ取った。

 

『今日からお前の能力はオレの物だ』

 

 再不斬は純粋な少年を……白を抱き寄せる。

 

『着いて来い』

 

 そうして、再不斬は里を、国を捨てた。

 二人の間にあった“何か”という共通点。ナルト大橋と名付けられた工事途中の橋での戦いが終わった後々に、それが“寂しさ”だと理解した再不斬だからこそ、大蛇丸の所業は到底、許せるものではなかった。

 人の、しかも、死人の心を奪い、既知の者と殺し合わせる。それは悪鬼と呼ばれた自分が霞んでしまう鬼畜の所業だ。

 鬼人は死んだ。あの日、正義のヒーロー(ナルト)が殺してくれた。ならば、ここにいる蛇を野放しにすることができようか? 

 

「白!」

「ハイ!」

 

 長刀とクナイとで二代目火影と鍔迫り合いをしていた白を隣に呼び寄せる。そこからの二人の行動は速かった。

 観覧席の屋根へと突き刺す形で長刀を納めた二人は一息に長い印を組み上げる。

 打合せ、アイコンタクトもせずとも再不斬の指示が分かる白でしかできないコンビネーション技だ。

 

「水遁 水龍弾の術!」

「氷遁 白龍暴風雪!」

 

 初代火影と二代目火影に向かっていく水色の龍と白色の龍。

 

「雪月花龍弾!」

 

 水の龍と氷の龍が絡み合い一匹の巨大な龍となる。氷の軌跡を残しながら、初代火影と二代目火影に攻勢をかける巨龍。それを目の当たりにしながらも、最強と謳われた二人の表情はピクリとも動かない。

 大蛇丸の術によって縛られていなければ、この二人と言えども表情は動いたかもしれない。だが、動いたとしても感心する程度、その程度だ。それは格下に対する態度だ。

 

「木遁 木龍の術」

「火遁 火龍炎弾」

 

 忍の神と謳われた初代火影、千手柱間。その柱間のみが使う事のできた特異能力、血継限界。それが木遁忍術だ。チャクラで以って木を自在に生み出し、そして、操作する。木ノ葉隠れの里を作り上げるための柱間の“力”を裏打ちする能力だ。

 そして、柱間の後を継いだ二代目火影、千手扉間。彼の扱う術は幅広く、そして、彼の類まれな開発力も相まって多くの新術を考案した。その彼が放つ術が凡百の忍と同等など有り得ない。

 

「獄龍煌紅弾」

 

 自在に動く木の龍と縦横無尽に空を駆ける火の龍が絡み合う。重量のある躰を赤熱させた巨龍が氷の巨龍を真っ向から迎え撃つ。

 

「くっ!」

「ちっ!」

「むっ!」

「ぐっ!」

 

 空気が、いや、空間が歪んだ。

 それほどにまで感じる轟音と閃光。

 四紫炎陣を張る音隠れの忍の四人の体は思わず竦みそうになる。油断はしていなかった。大蛇丸、三代目火影、そして、初代火影と二代目火影。再不斬と白も、歴代の火影たちに準ずる実力を持つと予測はしていた四人だった。だからこそ、油断なく結界を張り続けていた。

 だが、まだ少しだけ足りなかった。

 

「テメェら! しっかりしろ!」

「ああ」

「わかってるぜよ!」

「テメーが指示すんな、カス!」

 

 白髪で片目が隠れた音忍の激励──罵倒に近いが──で気合を入れ直す。ここから先は髪の毛一本ほどの油断も見せない。締まった表情を見せる四人を見て、結界の外で待機する木ノ葉の暗部の部隊長は仮面の奥で悔しさを滲ませる。

 僅かな時間でも結界が綻んだのならば、結界を崩して中に入る腹積もりの部隊長にとって、その綻びを見出すことが難しくなった今の状況は非常に悪い。そもそも、先の巨龍同士の衝突でも崩せるほどの綻びを見せてはくれなかった四人に対して打てる手といえば、彼らのチャクラ切れを待つことのみ。状況は依然として最悪だ。

 

 だが、暗部の部隊長としての責任がある。隙を探り続けなければならない。

 結界の四隅に立つ忍たちから目線を移し、初代火影と二代目火影の姿と、再不斬と白の姿を探す。しかしながら、濃いスチームが立ち込める結界の中だ。特に、向かって左側、再不斬と白が立っていた部分のスチームは余りにも濃ゆく、二人の姿は完全に見えない。そして、向かって右側、比較的薄いスチームの中に立っていた初代火影と二代目火影は視認できるものの、その立ち姿は暗部の部隊長にとって嬉しいものではなかった。

 

「あれほどの術で……無傷か」

 

 再不斬と白が繰り出した氷の巨龍。それを無傷で防ぐなど、仮に部隊長である自分を加えたとしても、人数が倍になる四人組(フォーマンセル)だったとしても、できるものではない。全員が傷を負っていたハズだ。

 

 ──そして、初代様と二代目様が立つ場。あの場は……あの場は……乾燥しているッ! 

 

 結界の外にいる暗部の部隊長は再不斬と白が初代火影と二代目火影に勝利することを祈るしかない。

 その祈りも通じないと言わんばかりの戦いの場の状態。水遁を得意忍術とする再不斬、そして、氷遁を得意忍術とする白にとって、乾燥した場所は空気中から集めることのできる水分が少なくなり、その分、チャクラを大きく消費することとなる。

 

 ──ただでさえ二人の火影という猛者たちを相手にしているというのに、不利な状況まで押し付けられるとは……。

 

 思わず握った拳を振り下ろす。それとほぼ同時であった。

 ダンッと腹の底に響く音が暗部の部隊長の耳に届いたのは。

 

「秘術 千殺水翔!」

 

 白が足を踏み下ろし、先の攻撃で足元に残った水を宙に撒く。宙に浮いた水が丸みを帯びた玉から鋭い針へと形を変え、豪速で火影たちに襲い掛かる。

 

「水遁 水陣壁」

 

 だが、それは、チャクラでコントロールされ火影たちへと四方八方から襲い掛かった水の針は二代目火影が作り出した半球状の水の壁によって、実に簡単に阻まれた。

 

 ──バカな……水のない所で……追い忍の少年とは違い足元に水がないのにも関わらず……しかも、これほどまでに乾燥した場所で……水遁を得意とする霧隠れの忍でもないというのに……このレベルの水遁を発動できるなんて……信じられん! 

 

 

「秘術 滅殺水翔!」

 

 慄く暗部の部隊長の耳に再度、届くのはダンッと腹の底に響く音。暗部の部隊長の驚愕をよそに白は既に次の術の印をも組んでいた。

 忍の術はチャクラを練り、そして、印を組むという作業が必須な以上、どうしてもタイムラグが生じてしまう。だが、右手と左手、その両方で印を組むことが可能であるならば、タイムラグは生じず、忍術を続けて放つことができる。そして、白の扱う水遁秘術 千殺水翔、並びに、千殺水翔を強化させた術である水遁秘術 滅殺水翔の印は片手で印を組むことで発動できる特殊な術。

 それに加えて、間断なく忍術を発動できたのは生まれ持った白の才。右と左、別々の印を組むことができるマルチタスクをやってのける白の才能が二人の火影に牙を剥いた。

 

「木遁 木錠壁」

 

 だが、それも実に簡単に阻まれる。初代火影の防御忍術である木錠壁が先の二代目火影の水陣壁と同様に半球状に彼らを包み、白の攻撃を無に帰す。

 

 ──こ、これも……これでもダメなのか……。

 

 暗部の部隊長は悔しさで顔を歪ませる。

 白の攻撃のタイミングは完璧だった。二代目火影一人ならば、白の攻撃で討ち取れた。初代火影一人ならば、白の攻撃で討ち取れた。だが、初代火影と二代目火影は二人で一人というように息に合った連携を見せている。

 

 ──せめて、二人ならば……。

 

 そこで、暗部の部隊長は気が付いた。

 氷の龍と炎の龍がぶつかり合った時に結界の中に濛々と立ち込めたスチーム──霧──が薄まっていないことに。そして、その霧が気づかぬ内に火影たちの後ろに迫っていたことに。

 そして、二人の火影はそのことに気がつかない、気がつけない。

 

 意識がない二人では……敵の攻撃を淡々と単純に迎撃するしかない二人では気がつくことなど到底、出来はしない。

 いつの間にか、白の隣に刺さっていた二振りの長刀が霧に覆い隠されていることに気がつくことなど到底、出来はしない。

 木錠壁を解き、()()()視界を確保した二人では気がつくことなど到底、出来はしなかった。

 

「捉えた」

 

 霧の中から静かな声がした。

 同時に二人の火影の視界から白の姿が消え、近づく地面が視界へと映る。

 

 霧の中、無音で二人の火影の首は、後ろから振るわれた曇りのない刃によって落とされた。

 鬼の粗暴な技などではなく、人の流麗な技によって。



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火の意志

 刃を振る。血が流れる。

 刃を振る。命を奪う。

 刃を振る。心を磨り減らす。

 

 刀を振ることは自らの精神を痛め付けることと同義だ。

 

 どれほどの月日を刃を振るって過ごせば、これほどまでの域に達することができるのか? 

 暗部の隊長は喉を鳴らす。

 

 所業は残酷。然れども、その所作は流麗。

 人が磨き上げ、輝きを放つ技術。

 怖く、そして、美しかった。

 

 霧の中から姿を現した再不斬の表情は凛としていた。

 刃と同じように美しく、そして、怖かった。

 

 超常の技を修めた暗部の隊長と言えども、かの初代火影と二代目火影を相手にして傷を受けることもなく戦闘を終わらせることなど、できはしない。最高のコンディションの自分をイメージしても自分が無傷でいられるとは思えなかった。

 

 再不斬、そして、その付き人である白と呼ばれた少年。

 どちらも自分よりも忍の高みにいる。

 

 再不斬は自分が成した偉業を誇ることも喜ぶこともなく、視線をまっすぐに前に向け、白に、そして、その奥で戦っている三代目火影と大蛇丸に視線を遣る。三代目火影と共に戦う腹積もりだろう。

 

 ──なぜ……? 

 

 何故、自分がそこに立っていないのか? 

 暗部の隊長は自問自答する。

 今、再不斬と白が立つ位置にいなくてはならないのは自分だ。自分と暗部、そうでなくとも、木ノ葉の忍が傍にいなくてはならない。

 暗部の隊長を含めて木ノ葉の全ての忍には、三代目火影という大樹を伐採させないために自らが犠牲になるという意思も覚悟もある。

 

 ただ、足りなかったのは力だ。結界のせいと言えば楽だ。そう認めてしまえば楽だった。しかしながら、暗部の隊長という立場が、選りすぐりの忍という自負が、そして、木ノ葉の里を愛する一人の人間としての心が。

 

 自分の情けなさを認められなかった。

 才能、時間、何もかも、何もかもが足りなかった。

 忍者学校を首席で卒業した才能。暗部に至るために修行にかけた多大な時間。仲間を、友を失っても心を折るなど許されないと自分に言い聞かせて、歯を食い縛り上を向き続けた努力。たしかに、その全てを達成していた。だが、足りない。

 そのどれもが足りなかったからこそ、自分は蚊帳の外にいるしかないのだ。

 

 努力? バカ言え。努力でどうにかなるなら、忍者学校始まっての鬼才と言われるほどの才能を努力で身をつけれたのか? 時間でどうにかなるなら、任務を放り出して修行の時間を取ればよかったのか? 

 どれもこれも、これ以上ないほどに努力した。それでも届かない高みがあるのは、それでも、護るべき御方の肉壁にすら成れないのはどういうことだ? 

 

 ……糞だ。

 

 努力? 

 そんなもの……そんなもの……。

 

 ──その努力を否定する貴殿を己は許すことなど到底出来ぬ! 

 

 暗い目をした少年に、金髪を逆立たせた漢がそう言っていた。数刻前の出来事だ。

 

 暗部の隊長は、その漢のことをよく知っていた。それこそ、彼が筋肉をつける前、幼子の頃、いたずらをして他人に迷惑をかけることでしか人との繋がり方を知らない頃から知っていた。

 その幼子は九尾の妖狐を腹に封印された厄介者。里を襲い、皆が敬愛する四代目火影を殺した憎悪の対象が腹にいる厄介なもの。

 里の人々は冷たい目で彼を睨み付けていた。自分もそうだった。昔はそうだった。

 

 中忍試験の会場で警備の任務についていながらも、その戦いからは目を離すことは難しかった。普段ならば、そのようなことは決してなかった。任務に殉ずる。それが忍。あるのは任務のみ。与えられた任務を達成することのみに全精力を注がなくてはならない。

 それにも関わらず、目を、耳を、……心を奪われてしまった。

 

 昔は憎しみの目で見ていた少年の大きくなった身体と心。今、そこから放たれた真っ直ぐな、余りにも真っ直ぐな言葉が暗部の隊長の心を打った。

 

 それは先刻も、そして、現在も。

 

 ──顔を上げ続けろ。前を向き続けろ。お前は、お前は。

 

 暗部の隊長は自問自答する。

 

 ──努力をしてきた人間だろうが! 

 

 仮面の奥の表情が変わる。

 一度、目を瞑った後、眼を凝らして戦いの行方を見守る暗部の隊長。彼だからこそ気づけた。いや、自分を肯定することができた彼だからこそ気づくことができた。

 

「再不斬! 後ろだ!」

 

 暗部の隊長の叫びで再不斬は弾かれたように振り向く。

 目の前にいる大蛇丸から目を離せば大きな隙を生むことを再不斬は理解していた。

 にも関わらず、再不斬を振り向かせるほどの緊張感を孕んだ暗部の隊長の声。無意識に再不斬は手に持つ刀を構えていた。

 

 それが効を奏した。

 キンッと軽い金属音が目の前からしたと同時にクナイと、そして、赤い液体が再不斬の足元に落ちる。

 

 ──他に潜ませていたか。

 

 痛みを堪え、舌打ちをした再不斬は刀を構え直して霧の奥へと目を凝らす。と、再不斬の目がこれ以上ないほどに大きく開かれる。

 

「フフ……」

「再不斬さんを嗤うな!」

 

 嗤いを噛み殺すことができない。思わず漏れていた声の主に向かって白は怒鳴る。

 伏兵に気がつかなかった再不斬と自分を嗤ったのだろう。白は眼前の敵へと怒気を放つ。だが、白は気がつかない。

 

 再不斬と白の忍としてのレベルは非常に高い。木ノ葉隠れの里で例えると暗部クラスである一流の忍だ。その二人が気がつかないレベルの陰遁術の使い手は限られる。ビンゴブックSランクの超一流の忍の中でも陰遁術に秀でた者のみ。

 そのような人材を新興の里である音隠れの里が擁することが可能か? 

 

 答えは不可能。大蛇丸と言えども、自分と同じように“生存している”超一流の忍を召し抱えることはできなかった。

 

「白」

「は、はい!」

 

 今まで聞いたことがない声色で自分の名を呼ぶ再不斬に、白は驚きを隠せない。

 

「来い」

 

 再不斬の指示に従い、白は即座に振り向き、彼の横へと馳せ参じる。

 そもそも、血の臭いがしていたことから再不斬が傷を負っていたのは分かっていた。それでも、振り向けなかったのは大蛇丸の追撃を警戒していたからだ。また、陰遁術に優れた忍は白兵戦の能力に関しては低い傾向がある。

 よって、傷を負っていたとしても再不斬が瞬時に倒されることなど有り得ないと白は考えていた。

 

 だが、再不斬が『振り向け』と指示したことで、大蛇丸の追撃はなく、後ろの霧に紛れている下手人の方が危険度は高いと白は判断した。

 そして、それは正解だった。

 

「え?」

 

 白の目に映ったのは、クナイが3本刺さった再不斬の体。急所は全て外れており、再不斬のとっさの回避が上手くいった証拠だ。暗部の隊長の声がなかった場合、再不斬の急所にクナイが突き刺さっていたことだろう。

 だが、白の呆けた声は再不斬の傷からのものではなかった。

 

 先の再不斬と同じように白の目も大きく開かれる。

 

「どう……して……?」

 

 白の目線の先、霧の中には二つの人影が屹立していた。

 

「おい、ジジイ」

 

 大蛇丸から一秒すら目を離すことのない三代目火影に再不斬は不満の声を上げる。

 

「復活するなんて聞いてねぇぞ」

「む? 水影から聞いてなかったか? 二代目様の穢土転生は霧隠れにも悪名が轟いておったハズじゃが」

 

 霧から出てくるのは先と変わらない姿の初代火影と二代目火影の二人。

 首を落とした。それは間違いない。目、手、気配。全ての感覚がそう訴えていた。

 にも関わらず、傷一つない状態の二人だ。

 再不斬と白の衝撃は如何ほどのものか。筆舌に尽くしがたい衝撃であろう。

 それを飲み込み、再不斬は三代目火影へと溜め息をつく。

 

「三代目火影。教えろ」

「済まなんだ。穢土転生という術の対策は術にかけられた者の未練を解放するか、その者自体を封印するかじゃ。術に縛られ、意識がないお二人の未練を……」

「封印しかないってことだな?」

「うむ、ワシは大蛇丸から目を離せぬ。お二人を頼む」

「チッ……簡単に言いやがって」

 

 再度、溜め息をついた再不斬は刀を右手に持ち変える。応じて、白も彼と同じように刀を左手に持ち変える。

 再不斬の刀の刃先は左に、白の刀の刃先は右に向けられており、煌めく銀の刃はともすれば、弦楽器の糸にも見える。

 

「“ただの人”には封印術は使えねぇのによ」

「ぼくでは、あの二人を封印するのにチャクラが足りません」

 

 再不斬は右手を伸ばし、刀の柄を白へと近づける。白は左手を伸ばし、刀の柄を再不斬へと近づける。

 

「だが……」

「ですが……」

 

 再不斬が持つ刀の鵐目と、白が持つ刀の鵐目が当たり、鳥のような楽器のような音を奏でる。

 

『二人なら!』

 

 協奏。再不斬と白の声が重なった。

 “瑟”と鍔に描かれた再不斬の刀と“琴”と鍔に描かれた白の刀が共鳴し、噴出したチャクラが二人の姿を覆い隠す。

 

 それを呆けたように見つめる二人の火影たちに動きはない。再不斬に落とされた首は完全に繋がり、チャクラの損失もない。

 穢土転生の効果により肉体、精神、そして、チャクラの損失はゼロである二人の火影が奪われたのは感情。先の霧よりも濃い白色の中に捕らわれた二人には恐怖も焦燥も何もなかった。動くことのない感情はただ敵の攻撃を待ち、迎撃するのみ。または、術者である大蛇丸の指示を待ち、行動するのみ。

 そして、大蛇丸としても再不斬と白が何をするのか興味があった。忍術の研究。それこそが大蛇丸の生き甲斐。ならば、ここで再不斬と白の忍術をしっかりと見ておきたかったという探究心が二人の火影に攻撃の指示を出すことを躊躇わせた。

 

 もっとも、その探究心があってもなくても結果は変わることはなかっただろう。

 

 再不斬と白が用いた術は一瞬で終わる。特別な忍具が必要な代わりに印が不要な術だ。

 “瑟”と鍔に描かれた再不斬の刀と“琴”と鍔に描かれた白の刀は特別な忍刀。

 

 霧隠れが誇る忍刀七人衆と呼ばれた七人の忍。彼らが持つ忍刀は特異な能力を持った刀だった。かつて、“鬼人”として再不斬が所持していた断刀・首切り包丁は斬った敵の血に含まれる鉄分で刃の損傷を復元するという常軌を逸した能力を持っていた。

 ナルトとの戦いで、その断刀を“鬼人”の銘と共に墓に備えた再不斬だが、刀を失っていてはその力を発揮することはできない。

 

『なんだ、テメェらは?』

 

 そう判断したからこそ、再不斬は新たな刀を求め、白と共に旅に出た。

 全ては借りを返すために。あの戦いで鬼人を倒してくれた漢への礼のために。

 

『断刀を捨てたぁ!? いや、責めてる訳じゃねぇ。あの刀を捨ててまでも別の道を探ろうっていうテメェらに驚いただけだ』

 

 そこで二人は訪ねた。山奥にひっそりと隠れ住む鍛冶師がいるという噂を頼りに藪を分け入り、辿り着いた先にやっと見つけた。

 

『強いだけの刀じゃ時代は創れねぇ。時代を創れる刀。それに必要なのは……』

 

 その刀鍛冶は年若いが偏屈だった。情熱はある。だが、あまりにも不可解な人物だった。

 

『……浪漫だ!』

 

 その刀鍛冶が二人の話を聞き、二人に合った忍刀を打つといって数日。煤だらけの顔を綻ばせながら刀鍛冶が手渡した刀が“瑟琴”という二刀一対の忍刀。

 その忍刀は再不斬がかつて使っていた断刀 首切り包丁と同じく特異な能力を持つ。

 瑟琴の特異な能力。それは、刀鍛冶の言葉を借りるならば“浪漫”である。

 

 そして、それは彼らの前に立つ感情を奪われた火影たちを迎撃体制に移らせるのには十分な理由であった。

 

 息の合った連携で手裏剣やクナイ、それどころか起爆札を巻き付けたクナイを何本も放ち、一分の隙間もなく逃げ道をなくす。そして、有り得ないことではあるが、仮に避けられたとしたら彼らの後ろにいる三代目火影へと凶器は襲いかかる。

 物理的、精神的に逃げ道はない。意識がない火影二人の攻撃は偶然ではあるが、戦略的な方法で再不斬と白を追い詰める。

 

「遅い」

 

 一度だけ、金属音が響く。

 その全てが叩き落とされた。瞬きをする時間すら長い。クナイ、手裏剣、起爆札も起動せず、その全てが同時に落とされたと直感的に判断した大蛇丸は目を大きく開く。

 

 ──コントロールが……効かない!? 

 

 直感に従い、火影たちを一旦、後方へと退避させようとした大蛇丸だったが、遅きに失した。上忍では足元に及ばない、暗部を一蹴するのにも片手間で事足りる。圧倒的強者である大蛇丸でさえも認識するのに遅れた。

 

「氷遁 氷牢道留(ひょうろうどうる)

 

 立ち上がる冷気の中、一つの人影が誰もいないハズの初代火影と二代目火影との間からゆっくりと立ち上がる。

 白い狩衣を身に纏い、長く黒い髪を伸ばした背の高い人の姿をしたものだ。

 

 白ではない。再不斬でもない。

 それは、言うなれば雪夜叉。かつては残虐だった鬼が大橋での出会いを切欠に、氷で以て民を護る守護神に変わった姿だ。

 

『二人で一つ! これが浪漫! それが瑟琴! それが!』

 

 雪夜叉の脳裏に刀鍛冶の言葉が響く。

 

『テメェらだ! 再不斬! 白!』

 

 瑟琴の特異能力。それは、二人の忍の同一化。木ノ葉隠れの里の犬塚一族の人獣混合变化に似て非なるものだ。肉体とチャクラを繋ぐことで力と技術、そして、才能を一つにし、個体能力を飛躍的に向上させる。

 

 立ち上がった雪夜叉は一度たりとて大蛇丸から目を離さなかった三代目火影の背に向かって語りかける。

 

「露払いはした。火の意志を魅せろ」

 

 初代火影と二代目火影は動かない。いや、動けない。雪夜叉が双刃刀──瑟琴の真の姿──で斬った傷跡から奔る氷が彼らの動きを止め、その範囲を徐々に広げていた。雪夜叉の氷遁による封印術だ。

 動くことができない二人の先代の火影に許される唯一の行動は満足そうに三代目火影の背を見るのみ。

 

「分かっておるわい。語るに及ばず、ただ見せるのみ」

 

 背に“三代目火影”と書かれた忍装束。その小さな背はとても大きく見えた。

 

「命懸けでのォ」

 

 暗転していく視界の中、先代の二人の火影の視界に残り続けたもの。

 

 幾千の言葉では足りず、されど、たった一度、目にすれば理解できるもの。

 

 それは火の意志であった。

 



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駆けろ

 木ノ葉隠れの里、その周辺の森林は広大だ。常ならば、野性動物が熱く、そして、静かに生存競争に勤しむ場ではあるが、今は非常時。

 音隠れの長である大蛇丸の鶴の一声で非日常の光景、戦場へと一瞬にして変わる。

 森は音隠れの里の忍で溢れ、木ノ葉隠れの里へと攻撃を加えようと陣形を整えていた。

 

「ひぇえええ」

「もうやだ! おうち帰る!」

「逃げるンだよォ!」

「無理無理無理! あんなの無理!」

「入れる訳がないだろうが!」

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだいや逃げる」

 

 大蛇丸より渡された大蛇を口寄せする巻物と、口寄せの契約者である彼の血を渡された音隠れの忍は暗い使命に燃えていた。準備を入念に行い、その上で獲物である木ノ葉隠れの里の住民を蹂躙する。それも二度と立ち上がることができないほどに。

 そして、里での自らの地位を確立するのだと野望に燃えていた。

 

 が、それも先ほどまでの話。仲間である音隠れの忍の体が木の葉のように宙に舞うのを見て、意識を失っていない者たちの結論は同じであった。

 

「退避だ! 退避!」

「何やっても無駄だ! 逃げろ!」

「命あっての物種だ! 全員、撤退!」

「でも、隊長」

「質問は後だ! 逃げるぞ! ボケ! カス! クソ! 話してる暇があったら足を動かせ、バカ!」

「逃げるって……どこに?」

「どこでもいいから逃げるんだよォ! 走れ!」

 

 どこか諦めた様子を醸す、頭の回転が妙に遅い部下。

 その部下に苛立ちを罵声という形でぶつけながらも、音隠れの忍の部隊長は部下の手を引こうと手を伸ばす。

 

「もう俺たちはおしまいだ。ここに居たら、ぶっ飛ばされる。ここから逃げたら大蛇丸様から罰を与えられる。けどな! 上手くここから逃げ出して、大蛇丸様の手の届かないところまで逃げれば、何とかなる! そうだろ!」

「でも、隊長」

「だから、走れ!」

「ここから逃げれませんって」

「貴様ッ! この分からず屋ッ! 死に急ぎ野郎ッ!」

 

 この時、いや、その前から気づいていた。ここから逃げ出す一縷の望みすらないことに気付いていた。だが、目を背けたかった。そんなことは間違いだと思いたかった。

 部下の両肩に手を乗せ、正面から部下の顔を見つめる。

 

「俺ぁな! 大蛇丸様が怖い! だから、これまであの方の機嫌を損ねないように立ち回ってきた! けど、今は! ああ、今は! あの方以上の恐怖を感じている! だからなぁ、だからよぉ……」

 

 尻すぼみになり、嗚咽の混じる声で音の部隊長は部下に言う。

 

「逃げるのすらできねぇなんて現実を見せるんじゃねぇよぉッ!」

 

 もう何を言っているのか自分でも分かっていない。人間から言葉を奪ってしまうほどの恐怖。

 それほどの恐怖がこの場の全ての音忍を支配していた。

 

 ある者は恐慌に陥り、みっともなく足をもつらせながら走るのみ。

 ある者は悲哀を湛え、頬から顎を伝う滂沱の涙を流し続けるのみ。

 ある者は達観を知り、茫然自失といった様子で辺りを見渡すのみ。

 

「そもそも奴がその気になれば、俺たちをすぐ殲滅することができる! でも、それをまだしないってことは、そういうことだろ! なあ、そうだろ!」

「ですが、隊長」

「逃げれるんだよ!」

「逃げれません」

「なんでだよ!」

「後ろ、見てください」

「え?」

 

 後ろを見た音忍は部下の言うことに納得し、一つ頷いた。

 

「ね、無理でしょ」

「ああ、無理だな」

 

 二人仲良く空高く殴り飛ばされた音忍たちが意識を失った頃、森の別地点で桜色が大木の枝を蹴って先を急ぐ。

 

 ──サスケくん。

 

 髪を頬に張り付け、ひたすらにサスケを追うサクラだ。動きは精細を欠き、更には、先の中忍試験本選のドスとの闘いでついた泥も乾き切ってはいない。

 だが、それらを省みることもなく、サクラは森を駆ける。

 

「サクラ、待てよ!」

 

 足を止めることはないが、サクラは後ろから聞こえた声に反応し、驚きのまま言葉を口にした。

 

「シカマル、なんで?」

「そりゃ、お前と同じだ。サスケを追ってきた」

 

 やっと追い付いたとシカマルは額の汗を拭う。

 

「めんどくせーけど、カカシ先生の命令だからな。仕方なく追ってきたって訳だ。で、カカシ先生からの伝言。サクラ、お前とオレは里の安全な場所に退避だとよ」

「嫌!」

「ったく。カカシ先生の予想通りだぜ」

「え?」

「退避しないんだったら、我愛羅を追っていったサスケと合流。その後、状況が落ち着くまで待機だとよ」

「うん! それなら……けど」

「けど、なんだ?」

 

 言葉を切って少し顔を曇らせたサクラにシカマルは尋ねる。

 

「サスケくんがもう戦っていたら」

「ダメだ」

 

 シカマルは頭を振ってサクラが続けようとした言葉を否定する。

 

「お前も分かってるだろ。オレもお前もさっきの本選でけっこーなチャクラを使ってる。オレは影真似の術が一回……打てて二回だ。お前はもう術を使えねーだろ?」

「そうだけど……」

「だから、少し止まれ。確証はねーが、音の忍たちもこの森の中に潜んでるとオレは思ってる。下手したら、砂の忍もいるかもな」

「じゃあ、どうすればいいっていうのよ」

「一旦、止まるぞ」

 

 ハンドサインで地面に降りるように指示をしたシカマルに従い、サクラも木から地面に降り立つ。

 

「音の里長の大蛇丸は元、木ノ葉の忍だっつー話だ。音の忍に木ノ葉の里内だけじゃなく、この森の地形をバリバリに仕込んでいても不思議はねぇ」

「それって……待ち伏せ?」

「ああ。ついでに言うと、オレは感知忍術は使えない。お前もだろ?」

「悔しいけど、確かにそうね」

「つーことはだ。伏兵に奇襲をかけられたらバテバテのオレたちは詰みだ。キバとかヒナタ、あとはナルトがいれば……いや、ナルトは会う敵全部と闘いそうだ。アイツは置いといて、待ち伏せが予測できる戦場には敵を感知できるメンバーが一人でもいなけりゃ即全滅」

「じゃあ、どうするのよ?」

 

 地面に巻物を広げながら、シカマルは懐から赤い液体が入った小さな小瓶を取り出す。

 

「オレがカカシ先生から預かってきたのは伝言だけじゃねぇ」

 

 巻物に描かれている術式に、小瓶から一滴、液体を落としたシカマルは印を組んでいく。

 

「こいつだ。口寄せの術!」

 

 ボフンと白い煙が上がる。

 

「そっか、カカシ先生の口寄せは忍犬。忍犬の鼻なら奇襲も分かるし、戦力にも……」

 

 サクラは顔をしかめる。

 期待が裏切られた顔だ。

 

「今のオレのチャクラじゃ戦闘用の口寄せ生物は無理だ」

「すまんの、ワシはカワイイ担当じゃ」

 

 煙の中から姿を表したのはパグと呼ばれる犬種の犬だ。見る人によってはかわいいと思える愛嬌のある顔立ちである。歯に衣着せぬ言い方をすると不細工だが、その話はここではいいだろう。

 

 サクラにとって重要なのは、このパグという犬種が小さいというものだ。

 ナルトならば、片手の掌に乗せることができるほど小さく、とてもではないが戦闘が得意そうには見えない。

 とはいえ、忍犬。嗅覚による索敵は自分たちよりも得意だろうとサクラは自分を納得させる。

 

「それじゃあ、よろしく。……サスケくんの匂いってわかるの?」

「うむ、よろしくの、サクラ。ワシはパックン、かわいい担当のパックンじゃ」

 

『さて……』と前置きしたパックンはサクラに頷く。

 

「サクラ、サスケ、ナルト。お主ら三人の匂いは覚えておる」

 

 ──いつの間に……。

 

 手の早いカカシに戦慄を覚えると共に、サスケの持ち物がなくともサスケを追うことができるのは僥倖だと自分を納得させた。

 

「それじゃ、サスケくんの所までお願い」

「ん?」

「どうしたの、シカマル?」

「いや、『サスケの所まで』ってサスケの居場所が分からないって言ってる感じがしたからな。オレがお前を追った時と同じように枝の折れ方や足跡から追跡したと思っていたんだが……」

「違うけど」

「え?」

 

 困惑するシカマルだったが、すぐに頭の中で可能性を精査する。

 自らの五感をチャクラで強化……特別上忍レベル。試験時のサクラの力量から不可。

 秘伝忍術……春野家が秘伝忍術を持っていると聞いたことはない上に、サクラが使用していた忍術は通常のもの。

 感知忍術……先ほど使えないと言っていた。不可。

 

 考えても答えは出ない。

 

「なら、どうやってサスケに追い付こうとしてたんだ?」

「ん? 乙女の勘!」

 

 思わず、シカマルは空を仰ぐ。

 そして、ここにいない友に向かって語るのだった。

 

 ──おめーのせいだぞ、ナルト。

 



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本選の続きをしよう

 サクラとシカマル、そして、パックンの進む先。生い茂る木々の影を黒い人影が突き進んでいた。

 逃げた獲物を追う狩人──サスケだ。

 中忍試験本選の会場から遠く離れた森の中をサスケはひたすらに進む。

 

 木ノ葉の森はサスケにとって庭のようなもの。幼少の頃より修行で何度も入ってきた森だ。地の利はこちらにある。

 だが、焦りも確かにある。

 

 我愛羅たちが中忍試験の会場から去ってから、そう間をおかずサスケも彼らを追った。追跡をするため辺りに気を使いながらとはいえ、他の下忍ならばもう追い付いていても不思議はない時間。そして、我愛羅たちは追っ手を撹乱するために止め足──作った足跡を踏み後退し、大きく跳躍することで足跡を追跡することができなくする技法──を使った形跡はない。

 敵に余裕はないことをサスケは見抜いていた。

 だからこそ、可能な限り速く追跡をしている。

 

 ──チッ。

 

 漏れ出た舌打ちが森に響く。

 グンッと足を深く曲げ、踏み込みを強くする。サスケは速度を更に上げる。

 敵は我愛羅だけではない。もう二人の砂の忍。思い出すのは初めて我愛羅たちと会った時のこと。中忍試験が始まる前のことだ。

 

 カンクロウの何かしらの術で足をとられたナルトが石畳に自らの足を叩きつけていた。ナルトが警戒した何かしらの術。

 敵意に敏感なナルトの隙をついたカンクロウの技の冴えは、表に出さないとはいえサスケに驚嘆をもたらした。

 

 ──いや……。

 

 敵意すらなく遊びという感情で、ナルトの力を試すという目的で術をかけたのならば、そちらの方が面倒だ。ナルトの肉体を見て、それでも自分が勝てると、自分が格上だと考え、カンクロウが攻撃を仕掛けていたならば。

 

 ──上忍レベルか。

 

 それに、カンクロウだけではない。テマリもだ。

 

 予選でテンテンを一切寄せ付けなかった風遁使いであるテマリ。チャクラの形質変化の優劣は火遁使いであるサスケの方が有利。だが、テマリの扱う術の範囲は大きい。

 小さな火種を突風が欠き消すようにサスケの忍術もテマリの忍術で無効化される可能性もある。

 加えて、戦場は森の中。火遁で木に火が点けば、大規模な山火事になる危険性も大いにある。火遁の使用は極力避けなくてはならない状況だ。

 

 その上、一ヶ月間の修行で会得した新術である千鳥は雷遁の忍術である。チャクラの形質変化の優劣では風遁の忍術には雷遁は不利。

 

 どちらも油断できない強敵だ。

 

 ──だが……。

 

 この二人に関しては問題ないとサスケは考える。

 この一ヶ月、修行で鍛え上げたのは雷遁を扱うノウハウではない。サスケがメインで鍛え上げたのは速度、つまりは瞬発力、足腰、筋肉だ。

 

 カンクロウは一足跳びに顔に蹴りを叩き込めば問題はない。

 テマリは圧倒的なスピードで後ろに回り込み、首に軽く手刀を当てるだけで終了だ。

 

 だが、我愛羅。

 彼に勝つ道筋は見えない。

 

 千鳥で我愛羅の砂の殻を破った奥。そこに鎮座していたモノの目。

 

 無意識にサスケは生唾を嚥下していた。

 

 夜に暗い闇から怯える獲物を凝視する餓鬼の目。

 御簾の奥でこちらを冷ややかに見つめる帝の目。

 高天原、雲の切れ間より下界を見下ろす神の目。

 

 どれも違う。

 あの目とは違う。あの目を表現する言葉をサスケは持っていなかった。

 

 心の底から、心底、愉しそうに歪んだ目。

 人を人と認識せず、玩具として捉えている目。

 惨たらしい最期を獲物に与える快楽を期待した目。

 

 目、瞳、眼。

 

 写輪眼を発動し、サスケは更に速度を上げ、駆ける。

 

「急げ!」

「ああ!」

 

 サスケの眼に獲物が映る。

 

 ──しつこいヤローじゃん。

 ──クッ。

 

「カンクロウ、ペースを上げるよ」

「ッ! ああ!」

 

 木の影で爛々と赤く光る眼を見たテマリとカンクロウは更にペースを上げる。が、そう間をおかずサスケは自分たちに追い付くであろうことは明白だった。

 理由は単純。我愛羅を抱えているからだ。砂隠れの最終兵器とも言える我愛羅ではあるが、まだ12歳の少年。その上、彼の中に潜むバケモノにより不眠症を患っている。眠ることすら許されず、緊張に包まれた毎日。精神が不安定となることも仕方のないことだろう。

 不安から来る頭の痛み。それが我愛羅が動けなくしている。

 

「ぐぅううう……」

 

 カンクロウは我愛羅を見る。

 恐怖の対象だ。それが砂隠れの里の者の総意。それは間違いない。

 だが、だが──。

 

 ──弟なんだよ。

 

 このままでは、三人纏めてサスケに捕らえられる可能性もある。我愛羅を見捨て、身軽になった自分とテマリならば逃げ切れる算段もある。

 しかしながら、兄という責任故に、カンクロウは覚悟を決めた。

 

「テマリ」

「ん?」

「我愛羅を頼む」

「カンクロウ……?」

 

 テマリはカンクロウと目線を合わせ、そして、理解した。

 カンクロウの覚悟と意思、そして、自分もカンクロウと同じ立場であれば、そうしたであろうことを。

 中忍試験本選で辞退していたのが自分で、本選に出場していたのがカンクロウならば立場は逆。チャクラが多く残っている方が戦いになる。

 だからこそ、カンクロウは自分が殿(しんがり)となることを決めたのだとテマリは理解した。

 

「……分かった」

 

 姉弟(きょうだい)の中ではそれで十分だった。我愛羅の肩を一度だけ軽く叩き、我愛羅の体から身を離したカンクロウはサスケの前に立ち塞がった。

 

「……」

 

 サスケは何も言わず、足を止める。

 その光景、カンクロウが我愛羅を逃がした理由が彼には分からなくともカンクロウの不退転の覚悟は受け取った。

 

 脈絡なく、サスケは右足を上げ、そして、地面に叩きつけた。

 

「ッ!」

 

 響く轟音はカンクロウの動きを止め、右手を顔の前に翳させる。しかし、右手の奥の彼の目は怯んではいない。ただ、飛んでくる石や砂から目を守るために翳しただけだ。

 

「やるじゃん」

「分かっただろ? オレに小手先の技は効かない」

 

 気づかれていたかとカンクロウは心の中で舌打ちをする。

 サスケと向かい合った時、既にカンクロウは攻撃を仕掛けていた。サスケの足を絡めとるためにチャクラ糸を伸ばしていたカンクロウだったが、サスケの洞察眼は既に下忍の範疇に収まらない。

 かつて、ナルトにされた時と全く同じ方法で完封された。いや、それ以上だ。

 ナルトは足に着けたチャクラ糸を引っ張って初めてカンクロウのチャクラ糸に気がついたが、サスケはチャクラ糸を足に着けた瞬間に引きちぎられた。

 

 何故か? 答えは簡単だ。

 写輪眼はチャクラを色で見分ける。肉眼では見えないほどの極細のチャクラ糸であっても、サスケの眼に映る糸にはしっかりと色が反映されていた。

 

 木の影の中、爛々と写輪眼を赤く光らせたサスケが一歩、足を進める。

 

「待て」

 

 突如、サスケの後ろから落ち着いた声が掛けられた。それはサスケがよく知る人物の声。

 

「シノか」

 

 カンクロウから目を離さずにサスケは後ろに向かって声を掛ける。カンクロウは一瞬たりとて目を離して良い相手ではない。

 油断のないサスケと、そして、援軍として現れた木ノ葉隠れの下忍であるシノ。

 サスケの隣にシノが並ぶ様子を見て、面倒が増えたことにカンクロウはため息を吐く。

 

「こいつとはオレが闘う。サスケ、お前は我愛羅を追え」

「それはいいが……勝てるのか? こいつは上忍レベルだぞ」

「ああ、問題ない。それに……」

 

 腕から大量の蟲を出しながらシノはサスケに頷く。

 

「……元々、奴の本選での相手はオレだ」

「そうか。なら、任せる」

 

 カンクロウが試験を棄権したことでフラストレーションが溜まっていたのはカンクロウだけではない。その対戦相手であったシノもだ。

 ナルトとネジの闘いを見て、血が沸き立つ。だが、木ノ葉崩しという任務に殉じるために、その心を圧し殺したカンクロウだったが、今、ここに来て、全力を出す機会に恵まれた。

 

 ──テマリ、済まねえ。けど、こいつとは……。

 

 タンッと地面を蹴り、この場を離れたサスケに妨害は許されない。サスケに攻撃する。そのような隙があれば、シノは間髪入れずにカンクロウに攻撃を加えるだろう。

 そして、そのサスケを見逃す理由はシノとの一対一の闘いにおいて都合がよかった。

 

 ──どうしても闘いたい。

 

 カンクロウと睨み合うシノは表情を強張らせる。

 

「オレは木ノ葉の油目一族。例え、敵がどんなに小さな蟲でも容赦はしない」

「砂隠れのカンクロウ。どんな敵でも掌で踊らせてやる」

 

 少年たちの沸き立つ血潮を静めることができるのは勝負の決着のみであろう。



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シノVSカンクロウ

 双方、理解していた。

 

「フッ!」

「ラァ!」

 

 彼我の実力差は拮抗している。

 両者とも攻撃範囲(レンジ)は中から遠距離。

 更に、二人とも搦め手を得意とする珍しい術を使う。

 

「秘術 蟲玉!」

「黒秘技 鰐輪似埴輪苦!」

 

 シノが繰り出した小指の爪よりも小さな蟲。それが大群となってカンクロウを襲う。

 蝗害ならば意思を持たない。(イナゴ)の大群と言えども、食欲に突き動かされるだけの雑兵と言えよう。

 しかしながら、シノが繰り出した蟲──奇壊蟲──は主人であるシノの命に忠実な精鋭だ。自らの命を落とすことが明らかである命令にも従う死兵である。蟲の群体であり、そして、蟲の軍隊は敵を食い千切らんと大顎を鳴らす。

 

 カンクロウが繰り出した傀儡。仕込まれた手裏剣が四方八方からシノを襲う。

 ただ発射されただけではない。(つつ)に火薬と共に詰められた金属片ならば、身を翻して攻撃が当たらない場所へと逃げれば事足りる。

 しかしながら、カンクロウが繰り出した傀儡──(カラス)──は主人であるカンクロウの意思により複雑怪奇な動きを見せる。手裏剣一枚一枚に違う回転を与え、別々の軌道より敵に襲いかからせることすら可能とする。

 

「クッ……!」

「チッ!」

 

 瞬身の術により攻撃を避けたシノとカンクロウ。

 同時に、二人の脳内に同じ人物の顔が過る。

 

 中忍試験本選前の出来事だ。

 激励のため、選手控え室に一度、顔を出したザジから渡された本選のパンフレット。

 試験の戦闘解説を分かり易くするために気を利かせて、夜なべして作成したと彼は語った。

 

 火の国と風の国は同盟国であっても、他国に自国の忍の情報を開示することは、ほぼない。

 万が一、有事となった場合、敵の情報を知っているのと知らないのとでは作戦立案、作戦遂行に大きな差を生む。

 相手の忍の情報が分かっていれば、それに対して有効な術を持つ忍を宛がうことも不可能ではなくなる。

 そうであるからして、忍は自らの情報を可能な限り隠して、相手の情報を得ることに躍起となるものだ。

 

 忍が情報を明かす意味を理解していないザジの行動ではあったが、今のシノとカンクロウにとっては相手の情報を確認できる唯一といってもいいほどの情報源。

 

 ──傀儡使い。

 ──蟲使い。

 

 両者が出した結論は同じだ。

 

 ──何をしてくるか……。

 ──……わからねーじゃん。

 

 体術ならば型。忍術ならば攻撃範囲。幻術ならば成立条件。

 

 体術は流派があり、その違いによる動きの流れの違い。

 忍術は攻撃範囲が射程内の単体か射程内の全体かという違い。

 幻術は視覚や聴覚などの五感のいずれかを利用するのかという違い。

 

 それぞれに差異があり、拳の突き出し方、それだけで次の動きを予測できるほどの洞察力がシノとカンクロウにはある。

 しかしながら、今、相対している強敵にはそれが当てはまらない。

 

 そもそも、トリッキーな忍の代名詞は傀儡使いと言われるほどに、傀儡使いは何をいつ、どのように仕掛けてくるか分からない。クナイ、手裏剣、起爆札、千本、刀、手鎌、ワイヤーなどなど仕込みは枚挙に暇がないほどだ。

 

 蟲使いもどの蟲がどのような攻撃をしてくるか、形や大きさで判断しようとも自然界では到底見つけることができないような特異な蟲を扱う油女一族では図鑑などから得ることができる知識は役に立たない。

 

 つまり、戦いの中で情報を集め、そして、相手に有効な手を導き出さなければならない。

 非常に難易度の高い戦闘だ。

 

「ふぅー……」

 

 カンクロウは大きく息を吐き出す。

 

 (シノ)は強い。おそらく、これまでの任務で戦ってきたゴロツキや忍たちとは比べ物にならない。その上、任務の多くは我愛羅のスタンドプレー。彼一人がいれば、それで終わるような戦闘ばかり。

 カンクロウに任せられた戦闘は我愛羅のおこぼれを貰うようなものだけだった。戦意をなくした相手を拘束するための戦闘が多かった。

 

「お前、強いじゃん」

 

 だからこそ、この戦いにかける熱は強い。

 今までなかった一対一、しかも、自分と同等の相手。実力も、そして、心も対等だ。

 

「追跡術だけじゃねーじゃん」

「オレの追跡術はオレのみの力ではない。この蟲たちの力だ」

「この蟲たち?」

「奇壊蟲。この蟲はメスが出す微量のフェロモンを同種のオスが追跡することができる。サスケを追って、ここまで来ることができた理由はそれだ」

 

 シノは腰を少し落とし、チャクラを全身に回す。

 

「だがこの蟲の力はそれだけではない。敵に取り付き、相手のチャクラを吸い尽くす。そうしてしまえば、強力な傀儡を操る(すべ)はない」

「なら、お前の蟲たちに(たか)られる前にオレの傀儡に仕込んだ武器でお前を倒してやるよ」

「無駄だ。オレはお前に倒される前に、オレがお前を倒す。つまり……」

 

 シノの足が地面を蹴る。

 

「オレが勝つ」

 

 シノが勝利を告げた瞬間、カンクロウも動いた。

 (傀儡)が彼を守るようにシノに向かう。

 

「!?」

 

 ガシャリと音が鳴り、烏の木で作られた指から刃が飛び出た。銀光の軌跡がシノを襲うが、シノが地面を転がることで、その攻撃は空を切るに留まった。

 

「おらぁ!」

 

 が、それで済ますようなカンクロウではない。

 地面に伏せたシノを追撃するために烏の両手を交互に操る。一度、二度、三度。烏の指の形に地面に穴が穿たれる。

 地面を信じられないほどの速さで転がるシノにカンクロウの攻撃は掠りもしない。

 

「らぁ!」

「!?」

 

 手の攻撃がダメなら? 足の攻撃だ。

 そうシノは考えていた。何度も避けた傀儡の手による攻撃。当たらないことに業を煮やしたカンクロウが傀儡の足を使った攻撃をしてくるだろうとシノは予想していた。

 しかしながら、傀儡使いはその思考を凌駕する。傀儡使いが使うのは、ただの人形ではない。その体の至るところに武器を仕込んだ戦闘兵器だ。

 その動きは人体を参考元にしてはならない。

 

 手の攻撃がダメなら? 

 カンクロウが出した答えは、手を分離させること。

 

 傀儡の手が軽く開かれ、その五指がシノにエイムを合わせた。

 

「ぐっ!」

 

 至近距離から襲いかかる五本の指。いや、指の形に見える小型ナイフだ。鋭く磨かれたナイフはシノの体に刺さる。

 

 ──今じゃん! 

 

 動きが止まったシノに止めを差すべく、カンクロウは烏を動かそうとする。

 だが、動きが止まったのはシノだけではなかった。

 

 ──こいつ、烏の間接に蟲を……! 

 

 追撃するための烏が動かない。烏の体に目をやり、原因を特定したカンクロウはすぐに自分の指から烏へと繋がるチャクラ糸を切り離す。

 カンクロウの操作がなくなり、地面へと倒れ込む傀儡の後ろでシノが立ち上がり、カンクロウに向かって駆ける。

 ポロリとシノの体からナイフが落ちるが、シノの服には血の染みは一つも着いていないことに気がついたカンクロウは唇を歪ませる。

 

 おそらく、服の下に潜ませた蟲たちが鎖帷子のような役割を果たしたのだろう。蟲たちの固い外骨格に阻まれ、シノの体にまではナイフの刃は達することはなかった。

 その上、指に準えて作ったナイフの刃渡りは短い上、射出スピードも遅い。蟲がいない場合も致命傷になることはない。

 

 この攻撃はそう、牽制だ。

 

「!?」

 

 今日、何度目の驚愕だろうか。

 シノは後ろから聞こえた危険な音に振り向く。そして、先ほど、カンクロウが唇を歪ませた本当の理由に思い至った。

 ナイフが刺さらなかったことに対して、自分の思い通りにならなかった憤りの感情から唇を歪ませたのではない。

 烏が動かないと思わせたことに対して、自分の思い通りになった愉悦の感情から唇を歪ませたのだ、と。

 

「おらよぉ!」

 

 傀儡使いがチャクラ糸の切り離した場合、傀儡の動きは止まる。しかしながら、傀儡使いの中でも、一流の忍は切り離したチャクラ糸を操作し、切り離した傀儡に再度、着けることで再び動かすことができる。

 傀儡が動かなくなったことで、チャクラ糸が外れ、再操作は不可能と見誤ったシノ。この好機を逃すカンクロウではない。

 

 後ろから迫る傀儡の音。普通の者ならば、恐怖で身を縮めてしまうような状況だ。だが、シノは違う。後ろから迫り来る恐怖に打ち克つ勇気を持つ者。

 

「チッ!」

 

 カンクロウは一度、舌打ちをした後、バックステップでシノから距離を取る。

 後ろから傀儡が追ってくるのならば、追い付かれる前に術者を叩けばいい。その上、飛び道具は直線上に術者がいるため、当然、使用は控える。

 合理的にシノはそう判断した。

 及び腰になっているカンクロウに向かって、更に足を大きく踏み出す。拳を強く握る。

 

「フンッ!」

 

 ──浅い、か。だが……。

 

 シノが繰り出した攻撃はカンクロウの鼻先を掠ったのみ。軽傷ともいえない掠り傷がついただけだった。

 シノは再び、足に力を込め、今度は上に飛び上がった。それとほぼ同時に追い付いた烏が両腕を閉じる。

 それまでシノが居た場所を通り過ぎた烏の抱擁。その腕にはノコギリのようなギザギザとした刃が着いていた。

 

 ──あれに捕まれば、ただでは済まない……クッ!? 

 

 悠長に考えている暇は一瞬たりとてない。

 上に、つまり、シノの方向に顔を向けた烏は大きく口を開けていた。その奥は銀色がいくつも反射している。

 

「蟲壁の術!」

 

 自然、シノの声が大きくなった。

 咄嗟に出した蟲壁の術。文字通り、数多の蟲が術者の前に壁として立ち塞がり、その強固な外骨格で敵の攻撃を阻むというもの。

 烏の口から吐き出されたいくつもの鉄製の細い千本。いや、もはや針と言っても過言ではない。

 地面に降り立ったシノはクナイをカンクロウに向かって投擲し、自らが後ろへと下がる時間を確保する。

 

 ──毒も、か。

 

 シノの洞察力はナルトたち同期の中でも上位。その洞察力が一足飛びに答えを弾き出した。そもそも、これまでのカンクロウの攻撃は全てが手裏剣以上の無視できない外傷を負わせることが目的の攻撃。

 その攻撃の中、唯一、牽制にしか使うことできないほど殺傷能力が低い針のように細い千本を使った理由。口内という限られた空間に仕込むことができるというメリットを差し引いても、目など当たり所がよほど良い場所に当たらない限り効果が薄いというデメリットは無視できない。

 それにも関わらず、カンクロウという一流の傀儡師が千本を仕込んだ意味。それが毒だ。毒を千本に塗れば、無視できるほどの浅い傷でも徐々に体を蝕む。ほんの少しの傷でも無視することはできない。そのプレッシャーはシノの精神を削る要因となるだろう。

 

 だが、冷静沈着を端的に示したような性格のシノである。

 焦りはない。むしろ、強敵に(まみ)えたことでモチベーションは上がる。

 

 対して、カンクロウは焦っていた。

 仕込みの数は多いとはいえ、限りがある。その全てを避けられたとすると、後はじり貧だ。傀儡の直接攻撃で相手を仕留めるしかなくなる。仮に、シノを仕留められたとしても、後に控えるのはサスケだ。

 チャクラ糸をいとも容易く引きちぎられた衝撃は筆舌に尽くしがたい。そして、サスケが追う姉と弟。姉は中忍試験でチャクラを多く使った後。弟は頭痛に苛まれている最中。

 どちらも調子が良いとはいえない。

 

 なるべくなら、早く決着をつけたい。だが、それを許してくれるほど甘い相手ではない。いや、気を少しでも抜けば、一敗地に塗れるのは自分の方だとカンクロウは理解していた。

 

「行くぞ、コラァ!」

 

 ならば、やるべきことは迅速に敵を排除するために賭けに出ること。

 カンクロウは前に出た。比喩ではない。蟲が蠢く(シノ)の前に傀儡ではなく、自分が飛び出したのだ。距離は約30mほど。数秒もあれば、肉薄できる距離。シノの目がカンクロウの拳が強く握られていることを捉えた。

 すでに仕込みは使い切り、チャクラも使い切り、一か八かの賭けにカンクロウは出たのだろうとシノは考え、これ以上、闘いを続けられないことに対して心の中でため息を吐いた。

 

 ──だが、オレはどんなチンケな虫でも手は抜かない。

 

 シノの両腕から蟲を大量に放出。そして、その蟲たちは巨大で、かつ、長い手を形作る。

 瞬きの間に蟲の手はカンクロウの体を掴んだ。

 

「ウッ!?」

「これで終わりだ」

 

 シノは冷静に言葉を告げ、カンクロウを掴んだ蟲の手を空に向かって掲げる。そのまま、体を後ろに向かって反らすシノ。シノの体の動きに付随して、蟲の手が弧を描く。

 

 地上10mから地面へと頭から叩きつけられれば、どのような強者でも死は確実。カンクロウも例外ではない。冷静に、そして、冷酷に自らの技を決めにいくシノの胆力は下忍の範疇には収まらない。

 カンクロウは唇をきつく噛み締める。それを隠すように額当てから布を引き出し、顔を覆う。

 襲いかかるG(重力)、そして、軽々と天高く持ち上げられた驚愕、赤子をあやす時のような格好をさせられた屈辱。

 そして、眼前に迫る死への恐怖。

 

 カンクロウの頭に声が響く。

 

 ///

 

「カンクロウ。少し残れ」

「ハッ!」

 

 テマリ、そして、我愛羅と班を組み、少し経った頃。担当上忍のバキと共にAランク任務を達成した後のことだ。

 風影の執務室で自分だけ残るように風影から命じられたことがあった。

 

 焦げたような赤い短髪に何もかもを見透かすような大きな目。

 四代目風影、羅砂。テマリ、カンクロウ、そして、我愛羅の実の父だ。とはいえ、里長としての印象の方が強い。いわゆる、普通の家庭の父親としての姿をカンクロウは一度たりとて見たことがなかった。

 だからこそ、次の四代目風影の言葉にカンクロウは驚きを隠すことができなかった。

 

「オレとお前以外には誰もいない。楽にしろ」

「え? いいんですか?」

「ああ」

 

 一度、目を閉じた風影は首を回す。ゴキリゴキリと骨の鳴る音が四度響く。影としての激務がそれだけで理解できる音だ。

 ややあって、息を吐き出した風影はカンクロウに問う。

 

「我愛羅はどうだ?」

「どうって……」

「使えるか?」

「使える使えないで言えば、間違いなく使える。我愛羅の力でなんとかなった任務が多いし、今回のAランク任務は我愛羅がいなきゃどうにも……」

「違う。制御できるかどうかを聞いている」

「それは……」

「お前たち……姉と兄ならば、あるいはと思い、同班にしたが無駄か」

 

 目を閉じ、再び息を吐き出した風影は傍にある紙を手に取る。

 

「カンクロウ。中忍試験が終わった後、班は解消する。それまで我慢してくれ」

 

 風影の手の中にある紙の正体に気がついたカンクロウの口からは思わず、言葉が漏れ出ていた。

 

「親父」

「ん?」

 

 手を止めた風影は手元の書類からカンクロウに目線を向ける。

 

「オレは我愛羅の兄貴だ。あいつが一人前になるまで、どれだけ時間がかかっても我慢してやるよ。それが……」

 

 カンクロウは笑う。

 

「……兄貴って奴じゃん」

「カンクロウ、済まない。いや……」

 

 羅砂は椅子から立ち上がり、カンクロウの前まで歩く。そうして、カンクロウの肩に手を置いた。

 

「……我愛羅を頼む」

 

 ///

 

 走馬灯を振り切り、カンクロウはカッと目を見開く。

 

 中忍試験予選、シノと音隠れのザクとの闘いを見るに、シノが得意なレンジとは裏腹に、好むのは近距離、肉弾戦だとカンクロウは見抜いていた。

 ならば、こちらから肉弾戦を仕掛けたら、応じる可能性がある。だが、傀儡使いに対して直接、手を触れる愚かな行為をしない冷静さもシノはあるとカンクロウは考えていた。

 傀儡使いに直接触れれば、チャクラ糸をつけられ、体を操作される可能性もあると推測できる洞察力がシノには備わっているとカンクロウは考えたのだ。

 

 では、カンクロウが肉弾戦を仕掛けようとした場合、シノはどう出るか。

 カンクロウはこう考えた。

 

 “蟲を使ってカンクロウを掴み、プロレス技を仕掛ける”と。

 

 エベレストを越えた、言うなれば、高天原ジャーマンスープレックス。

 

 今、カンクロウが掛けられている技がそれだ。

 身長の高いプロレスラーが高い位置から決めるジャーマンスープレックスをエベレストジャーマンスープレックスと区別することがある。その迫力は通常のジャーマンスープレックスを越える超弩迫力。それを越え、蟲で作った腕で更に高い位置から地面に頭から叩きつけられる高天原ジャーマンスープレックス。

 

 技に掛けられている状態で詰みとも言えるような状況であるが、ここまでは全てカンクロウの想定内。

 

 ──賭けに勝った! 

 

「おらァ!」

「なッ!?」

 

 動かないと思っていた、もう出し尽くしたと考えていた傀儡の胸からシノに向かって紫色の球が射出された。

 それは空中で崩壊していき、煙を立てる。

 

 ──毒煙玉!? 

 

 避けることはできない。

 だが、カンクロウも同じだと考えたシノは技を決めるため、更に腰を反らす。

 しかし、カンクロウを地面に叩きつける腕のスピードがガクンと落ちた。

 

 シノはサングラスの奥で目を見開く。

 

「防いだぜ」

 

 左右の木々に絡まる太いチャクラ糸。

 傀儡の仕込みも、チャクラも使い切ってなどいなかった。相討ち狙いで技を決めきることもできない。

 バラリと蟲の腕が解かれると同時にシノとカンクロウの視界が紫で埋まった。

 

 毒煙玉から放出された煙の中、カンクロウは勝利を確信する。カンクロウの額当てから引き出された口まで覆う布には除毒剤が含まれている。よって、カンクロウに毒煙は効かない。

 だが、シノは違う。体術を使っている最中に放出された毒煙だ。咄嗟に息を止めようにも止めることなどできはしない。

 少しでも吸えば、体の動きを奪うことができる毒だ。体が動かなくなった後はどうとでもできるとカンクロウは考えていた。

 

「!?」

 

 が、それは間違い。圧倒的な間違い。

 紫の毒煙の中、一つの人影が迷いなくカンクロウに向かって駆けてきていた。終わったと油断し、全身を弛緩させていたカンクロウに向かって拳を振り上げる人影。

 が、突如、足を踏み外したかのように体勢を崩してしまう。

 

 しかしながら、人影は諦めない。拳をカンクロウに繰り出す。

 

「うぐッ!」

 

 そして、諦めることを知らない人影の拳はカンクロウの頬へと入った。

 ドサリと体が地面に倒れ込む音が二つ、紫の煙の中に響く。

 

「痛ッう」

 

 徐々に薄くなっていく紫の煙の中、先に発されたのはカンクロウの声。ゆっくりと身を起こし、口布がずれていないことを確認する。体の状態もなんともない。煙の中で襲ってきた人影、シノが隣に倒れていることも同時に確認した。問題はないハズだ。

 

 晴れ行く煙の中、カンクロウは辺りを見渡す。

 シノの動きは不可解だ。なぜ躓いたのか? 毒が回るのが早かった? 自分が調合した毒だ。今のように早く効果を発揮するためには対象に多く吸収させなければならない。通常の呼吸量では、まず不可能。

 

 煙が晴れていく中、まずカンクロウはチャクラ糸で烏を傍に引き寄せた。次いで、伏しているシノから数歩、距離を取る。シノが何か仕掛けようとも対応が可能な距離だ。

 

 シノから意識を外さないように注意しながら、辺りを見渡すカンクロウの目に凹んだ地面が映った。

 

「ざまーねぇじゃん」

 

 カンクロウは吐き捨てる。

 その凹みはサスケがカンクロウのチャクラ糸を振りほどく際に足を地面に叩きつけた時に生じた凹みだった。

 

 仲間の行為が(シノ)の足を引っ張った。これが答えだろう。

 そして、毒が早く回った理由はそれに気がつき、動揺して呼吸数が多くなった。これが答えだ。

 

 つまらない答え。

 だが、忍の任務とはこのようなものだと、カンクロウは理解していた。だからこそ、今回の闘いの幕を引くため、手元に引き寄せた烏の腕を抜く。烏の肘の間接から伸びた刃。仕込み杖のように烏の腕を手に持つカンクロウは伏せて動けないシノに近づく。

 

 つまらない幕引き。

 そうであろうとも、強かった敵に対して自らの手で引導を渡すのは礼儀だ。口布を剥ぎ取ったカンクロウは冷たい顔つきでシノを見下ろした。

 

「じゃあな」

 

 そう呟きながら、完全に晴れた煙の中、カンクロウは仕込みの刃を振り上げる。

 と、カンクロウの視界に黒く、小さいものが上から下へと通り過ぎた。

 

 眉を寄せ、一体、何かと、視界を通り過ぎた黒く、小さいものを見遣る。

 

 蟲だった。

 小さく、黒い蟲。シノが操っていた蟲だった。

 

 ぞくりと、ぞくりと冷たいものが全身の毛穴を刺した。

 

 ///

 

「奇壊蟲。この蟲はメスが出す微量のフェロモンを同種のオスが追跡することができる。サスケを追って、ここまで来ることができた理由はそれだ」

 

 ///

 

 先ほどのシノの言葉が思い起こされる。

 メスが出す微量のフェロモンを同種のオスが追跡できる。つまり、大気中に放出された微量物質をオスの嗅覚で感知するということ。

 

 それには、“呼吸”が必ず、絶対に、必要だ。

 そして、油女一族は奇壊蟲を自らの体内に飼う。奇壊蟲のオスにメスが放出したフェロモンを感知させるには、彼らの巣になっているシノが呼吸をして、外気を取り込まなければならないのだとしたら……。

 

 ///

 

 シノが繰り出した攻撃はカンクロウの鼻先を掠ったのみ。軽傷ともいえない掠り傷がついただけだった。

 

 ///

 

 攻撃が外れた時にメスを(カンクロウ)の額につけ、毒煙の中、大きく呼吸をし、メスのフェロモンをオスに感知させ、(カンクロウ)の位置を探ったのだとしたら……。

 

 ──毒で死ぬことも覚悟して、オレに攻撃を加えようとしていた!? 

 

 刃が震える。

 勝つために命をも捨てる覚悟。それは忍の本懐だとカンクロウの心の底にストンと落ちた。

 そうして、カンクロウは掲げた刃をゆっくりと下ろす。

 

「邪魔が入ったから、今回の闘いはなしだ」

 

 晴れ晴れとした顔つきでカンクロウは懐から水薬を取り出し、毒で痺れ動けないシノの傍に膝をついた。

 

「また勝負しよーじゃん、油女シノ」

 

 シノに水薬──解毒薬──を飲ませたカンクロウは立ち上がり、烏を担ぐ。

 仕込みはもうほとんどない。チャクラも半分以上、使ってしまった。

 サスケを相手にどれだけ粘れるだろうか? 

 

 だが、勝つために命を捨てる覚悟。

 それを学んだ自分はシノと闘う前の自分よりも強いと胸を張って言える。

 

 だからこそ、カンクロウは再びサスケの前に立ち塞がるために森を駆けるのだった。



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語られることのない戦い

 森の中、木の枝を蹴って進むサクラとシカマル、そして、パックンは出来うる限りの全速力でサスケを追っていた。

 最悪の結末から逃れるためにも、一刻も早くサスケと合流し、そして、この森から退避しなければならないとシカマルは考えていたが、サスケのスピードは想定以上。中々、追い付かない。

 

 最悪の結末。

 我愛羅たち砂の忍たちと音の忍の追跡による挟撃。それが最悪だとシカマルは考えていた。

 チャクラが切れかけている自分とサクラ、そして、戦力にならないと自ら語っていたパックン。サスケと合流できたとしても、最低でも砂の一小隊と音の一小隊、合わせて二小隊を相手取るには非常に厳しい状態だ。

 

「む!?」

「どうしたの?」

 

 パックンの焦った声にサクラが反応する。

 大方、自分の最悪の予想があたったのだろうとシカマルは頭を振る。

 

「追っ手じゃ。……ひぃ、ふぅ、みぃ……マズいぞ! 14人の匂いがする!」

「14!?」

 

 最悪の結末がやってきた。それも予想したよりも遥かに悪く、だ。

 ふぅと溜め息を吐いて空を見上げる。

 こんなハズではなかった。

 

 テキトーに忍者やってテキトーに稼いで、美人でもブスでもない普通の女と結婚して、子供は二人。最初が女の子で、次が男の子。

 そんで、ナルトが火影になるのを応援する。

 それがシカマルの夢だった。

 

 まだ下忍になって間もない時に、このように危険な任務を言い渡されるとは思ってもみなかった。その上、直属の班長(アスマ)ではなく別の班の班長(カカシ)に。

 

 ついてねーな。けど、まァ……。

 

 空を見つめるシカマルの目に高く旋回している鳥の姿が映る。

 力が抜けたようにシカマルは立ち止まる。

 

「シカマル?」

「先に行け」

「でも!」

「いいから。サスケが耳を貸しそーなのはオレよりも同じ班のお前だ、サクラ」

「けど!」

「それに、オレの方が足止めは合ってる。上手くやるよ」

 

 シカマルはサクラに背を向ける。

 

「それでも!」

「任せろって。オレも一応、木ノ葉の忍だ。仲間は守る。守り合うのが木ノ葉流だ」

「……」

「サスケは任せた」

「……うん! シカマル、武運を!」

「お前もな、サクラ」

 

 シカマルに頷いたサクラはパックンを伴って、森の奥に駆けていく。

 気配が遠ざかっていくのを感じながらシカマルは木の枝を数本、折っていく。

 

 が、もう無駄だと理解したのだろう。枝を投げ捨てる。

 

「犬の足跡を作って騙そうとしたけど……はえーな、アンタら」

 

 ザンッとシカマルの前に姿を現したのは8人の忍。音符の意匠を凝らした額当てを輝かせた音の忍たちだ。

 

「随分と悪知恵が働くガキだ。だが、この人数差。どうしようもないだろう?」

「そいつぁどうかな?」

「見栄っ張りな奴だ。我々は中忍試験も見ている。貴様のチャクラが底を尽きかけているのも分かっている。無駄な時間稼ぎはよせ」

「そりゃ、参ったな」

「大人しくしていろ。我々とて鬼ではない。大人しくしていたら、痛みもなくあの世に送ってやる」

「んー、それはなぁ……」

「それは?」

 

 シカマルは膝を曲げ、屈伸運動をする。それを見て、音の忍は嗤う。

 

「言わなかったか? 我々は貴様の中忍試験を見ていた。我々に影真似の術をかけて柔軟体操をさせようとしているのだろうが、既に我らは貴様の術のスピードを見切っている。我ら相手に影真似の術を掛けることができたとしても、捕まえられるのはせいぜい一人。貴様がその一人と柔軟体操をしている間に我らの内の7人が……」

「8人だろ? フォーマンセル、二小隊に予備人員として一人の合計9人がお前らの正確な人数だ」

「……そうか、犬か。追う我らの人数を匂いで正確に把握したという訳だな。下忍とはいえ、流石は大国、火の国、木ノ葉隠れの里。貴様はここで殺しておかねば、後々、厄介なことになりそうだ」

「鬼になってでも、か?」

「ああ。鬼ではないと言った先ほどの発言を翻すようで悪いが……貴様はここで必ず殺す!」

「んじゃ、鬼ごっこスタートだ」

「は?」

 

 タンッと軽く木を蹴り、音の忍たちの頭上を越えたシカマルは着地しながら前方に転がり、すぐに立ち上がり走り出す。パルクールでいうロールという技術だ。

 見事なものだなと思う音の忍だったが、すぐにシカマルの意図に気がついた。

 

「逃げるなや!」

「テメェエエエ!」

「待ちやがれ!」

「ざっけんな!」

「クソボケがァ!」

「かえせ! もどせ! この腐れ儒者が!」

「逃げるな卑怯者! 逃げるなァ!」

「今と明日からは逃げんじゃねぇよ!」

「……オレの登場シーン(魅せ場)を潰すな!」

 

 声の限りに叫ぶ音の忍たち。

 怒濤の勢いでシカマルを追うが、シカマルは速かった。しかし、音の忍たちもさるもの。大蛇丸にしごかれ、命を繋いだ者たちだ。徐々にではあるが、その距離を縮めていく。その距離、50、40、30、20……そこでシカマルは足を止めた。

 

 ──諦めたか。

 

 音の忍は覆面の下で唇を歪ませる。

 クナイを取り出し、一息にシカマルの喉を掻き切ろうと地面を大きく蹴る。

 

「アンタらにも教えてやるよ」

 

 シカマルがゆっくりと振り向いた。

 

「木ノ葉の忍は守り合うもんだってことをよ」

「なッ!?」

「肉弾戦車!」

 

 9人纏めて吹き飛ばされた。

 何かが、何か大きなモノがシカマルの後ろから現れ、吹き飛ばされた。シカマルを追うことで一列に並んでしまっており、トップスピードに乗っていた音の忍たちに、その巨大な何かを避ける術はなかった。

 

「やっぱお前らはサイコーだぜ。チョウジ、いの」

「でしょ?」

「全く……心配したんだから」

 

 心転身の術で鳥に憑依し、上空からシカマルを見つけたいの。それに気づき、味方のもとへ走りながら敵を引き付けたシカマル。それを一網打尽にする突破力を持ったチョウジ。

 

 隊は組んでいてもチームワークを発揮できていなかった音の忍たち。そして、バラバラになっていようとも、少ない情報から戦術を組み立て、チームワークを発揮したシカマルたち。それが勝負の明暗を分けた。

 

 互いに守り合うこと。それが木ノ葉隠れの里の流儀だ。

 

「まあ、次はこう上手くはいかねーか」

「うん」

「そうね」

 

 勝って兜の緒を締め直す第十班の面々。

 彼らの前に三人の音の忍が追い付いた。

 

「よお……」

「死の森での続きになりますね」

「もう油断はしない」

 

 一月前よりも洗練されている。

 そのことが一目で分かった。だが、それはこちらも同じこと。

 

「改めて名乗ってやる。音隠れ下忍……ザク・アブミ」

「右に同じ。ドス・キヌタ」

「キン・ツチ」

 

 応じる。

 

「木ノ葉隠れ下忍、奈良シカマル」

「秋道チョウジ」

「紅一点、山中いの」

 

 全員が一斉に大きく息を吸い込んだ。

 

『行くぞ!』

 

 音が木の葉を揺らし、木の葉が音を遮る。

 他と比べ、大勢を決する戦いではない。三代目火影と大蛇丸の戦いに比べれば、児戯に等しい戦いだ。

 しかしながら、この戦いには熱がある。

 

 汚名を灌ぐための戦い。横槍を入れられ決着をつけることができなかった戦いの続き。そして、何より守るための戦いだ。

 

 自身の名誉を守る。仲間の安全を守る。

 ともすれば、一方が下に見られることもあるが、それは違う。

 どちらも守ることができなかった場合、自身のプライドが壊れる。プライドが壊れた場合、行き着く先は泥濘だ。這い上がろうとも、体に纏わりつき、決して落ちることのない染みとなる。

 

 引くことなどしたくない。引くことなどできはしない。

 だからこそ、戦うのだ。

 

 語られることのない戦いが始まった。



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サスケと我愛羅

 頭が割れるようだ。

 どこか他人事のように感じる痛みに我愛羅は顔を歪ませる。

 

 ミシリミシリと悲鳴を上げる頭を無視して視線をさ迷わせるが、無駄なことだった。

 すでに視界は白く染まり、自分を抱き抱えている人物の顔すらも見ることはできない。五里霧中とはこのことかと我愛羅はどこか遠くに感じる自分の感覚に嘆息する。

 

「我愛羅!」

 

 吐いた息に気がついたのか自分を抱き抱えている人物が声を上げた。

 それが、それが気に食わなかった。

 

「邪魔だァ!」

「ぐっ!?」

 

 力はさほど入れていないハズだった。しかしながら、自分を支えていた人物は軽々と吹き飛ばされていた。

 白い視界の中、地面に転がる人物を忌々し気に見遣る。地面に転がった時に、小石にでも引っ掻けたのだろう。白い玉のような肌に一筋、赤い線が入っていた。傷つき、痛みに引きつっている頬が目に入る。

 

 恐怖の表情だ。

 それに対して、心の奥底で、閉じ込められた心の中で、謝意を表明するが、表層には出ることはない。

 

 今の我愛羅の表層、その表情に出るのは嘲笑。

 他人の弱さを嘲笑い、強い者を狩ることを至上の悦びとする獣のごとき相貌だ。

 

「やっと……」

 

 だが、獣であるならば、狩人が目をつけるのは必定。

 

「追い付いたぞ」

 

 赤い眼を光らせた狩人(サスケ)が現れた。

 首をグリンと傾けた我愛羅は、歯を見せて嗤う。それと同時に背負う砂の瓢箪が形を変えていく。まるで我愛羅の体を侵食するように蠢く砂。

 

「はあぁあああ……」

 

 ゴキゴキと首が鳴る。その音は何かが何かから解き放たれたかのような音。

 次いで、砂の侵食が止まる。それは、まさしく我愛羅の新しい体だ。

 

 ──バケモノ。

 

 そう言っても相違ないほどに、今の我愛羅は人間からかけ離れていた。

 右腕は砂で作られた巨大な腕となり、その腕の先についている爪は大型の肉食獣のそれを思わせるほどに鋭く、強靭だ。

 人間の範疇を越えている。人間というカテゴリからはみ出ている。

 

 思わず、サスケの喉が鳴る。

 

「うちはァ……サスケェ……」

 

 サスケの名を呼び掛ける我愛羅の声にハッとしたサスケは眼に力を入れる。

 敵の前で呆けていられる時間などあってはならない。気合いを入れ直して敵を見つめるサスケではあったが、先ほどまでの“追い付いた”という感覚はない。

 追い付いたのではない。追い付かせたのでもない。それは無視しても構わないこと、ただ取るに足らないことだと我愛羅が考えていることにサスケは気がついた。

 

 本選で我愛羅が見せた砂の卵。その中から覗く、あの瞳。

 

 我愛羅が隠し玉を持っているのは明らかだ。そして、サスケが追うプレッシャーなど全く意に介していないことをサスケは理解した。

 

 だが、引くことはできない。

 ここで我愛羅たちを逃せば、いや、我愛羅一人だけでも、ここから逃せば、必ず里に牙を立てる結果となるだろう。

 そう、引くことなどできはしない。

 

「我愛羅」

「何だ? 怖くなったのか? このオレの姿を見て、怖くなったのか?」

「ラップに必要なものは何だと思うか、オレはお前に問いかけた」

 

『は?』と一瞬、我愛羅は呆けてしまうが、すぐに我愛羅は顔を歪ませる。

 今、右腕を変化させたバケモノである我愛羅に問うべき質問ではない。中忍試験会場で問われた糞のような質問だ。

 それには答えたハズだ。質問には答えないと答えたハズだ。

 そして、今の答えも同じ。

 

「黙れェ!」

 

 サスケを押し潰すべく、右手を振り切る。地面に大きな引っ掻き傷を作りながらサスケに向かう衝撃波だったが、サスケは事も無げに、それを避けた。

 

 頭痛が……頭痛がする。

 

「ラップに大切なもの……」

 

 サスケの言葉に頭の痛みが自然、酷くなる。

 

「それは(ソウル)だ」

 

 だから何だと言うんだ? だから! 何だと! 言うんだ! 

 

 そう叫ぼうとする我愛羅よりもサスケの次の動きの方が早かった。シームレスに動くサスケの唇。

 すうっとサスケは大きく息を吸い込んだ。

 

「かますぜTalk! 響くは遠く! 稀代の名刀、期待を迎合!」

 

 息を吐く。

 

「虚実を投影、如実に反映。それがどうした? Go My Way!」

 

 意気を吐く。

 

「雑な態度は? That's Right! 奴のTideは? Stop The Time!」

 

 粋を履く。

 

「王は追う者、我、大物!」

 

 域を掃く。

 

「鳴らせAlarm! なるかTroll! 最後の戦い、これにて終幕!」

 

 閾を白。

 

「Future、Natureこの手で掴む! 勝敗決まりだ、Show Time、Stopping!」

 

 魂から言葉を紡ぎ、勝負をかける。

 その勢いのまま、瞬時に印を組み上げる。

 サスケの左手に青白い雷光が灯る。

 

 そして、チチチチと千の鳥が歌う。

 

 息を吐き出しながら、意気を言葉にし、粋を纏い、限界域を掃き捨て、閾値をリセットするかのように白く塗り潰す。

 そして、生き生きと……。

 

「行くぞ」

 

 地面が弾けた。

 

「!?」

 

 目にも止まらぬ速さで動くサスケに我愛羅の反応は遅れた。さらに、現在は背負っていた砂を右腕に纏っているためにオートで防御できる砂の盾は発動できない。

 迫る雷光を我愛羅は見ることしかできなかった。

 

 死? 

 

「風遁 烈風掌!」

「グッ!」

 

 目の前にまで迫っていたサスケが左へと吹き飛ばされた。

 我愛羅は動かず、視線のみを右に遣る。

 

 そこには全ての力を使い切り、気を失い、ぐったりと木の幹に背中を預けた姉の姿。

 自分を守るために、最後の力を振り絞った(テマリ)の姿だった。

 

 ──傷つけたのに。

 

「グウッ!?」

 

 ズグンと先ほどよりも重く頭痛が襲う。

 閉じた目に映るのは、過去の光景。自らが傷つくことを知りながら、砂のトゲの前に身を晒した叔父の姿。そして、写真入れの中で優しく微笑む母の姿。足止めのために死地と知りながら一人残った先ほどの兄の姿。

 

 誰かを守る、いや、自分(我愛羅)を守る人の姿だ。

 

 脆弱でチャクラも自身とは比べ物にならないほどに矮小な人間たちがバケモノである自分を守る。

 

 何故? 

 

 なんで? なんで、みんな、ボクを……。

 

 ……弱いから? 

 

 ボクが弱いから、みんな、ボクを……ボクを……オレを……? 

 

 オレを守る? 

 

 オレは何だ? 我愛羅だ。

 オレは弱い? 強い。

 なら、オレの存在理由は? 

 

 殺すことだ。

 

 目の前のうざったらしい黒髪の糞ガキを惨たらしく殺し、オレの存在を高らかに知らしめる。

 それがオレの生きる意味、アイツがいう“(ソウル)”だ。

 殺し尽くすことこそオレの存在理由。血溜まりの中、月に吼えるバケモノこそがオレだ。オレだ、オレだ、オレだ……。

 

 ……オレ(我愛羅)だ! 

 

 視線を向ける。右腕を向ける。殺意を向ける。

 

 ──殺す! 

 

 砂で作られた我愛羅の右腕が伸び、サスケに迫る。バケモノ独特の常軌を逸した攻撃。

 腕が何mも延伸することなど予測不可能。

 そして、その腕が迫る速さは予測して、回避行動を一手早く行わなければ下忍には到底、避けることなど不可能。

 つまり、我愛羅の伸ばした腕を避けることはできない。

 

 そう、ただの下忍ならば。

 しかしながら、我愛羅の前にいるのはただの下忍などではない。

 

 サスケの瞳孔が細かく上下左右に揺れる。

 

 速さを誇る我愛羅の腕ではあった。が、サスケは下忍の範疇を優に越えるほどの忍。

 そして、“うちは”の血を継ぐ者。

 

 サスケの眼ははっきりと我愛羅の腕の動きを捉えていた。

 写輪眼は飛来する手裏剣の軌道すら見切ることができるほどに隔絶した動体視力を開眼者に与える。

 だが、それだけ。写輪眼の能力はあくまで視覚補助のみだ。

 

 一月前ならば、天才一族の末裔であるサスケと言えども、我愛羅の攻撃からは逃れることはできなかった。だが、今のサスケは一月前とは比べ物にならないほどに強い。

 

 一月前と違い、新術である千鳥を会得した。それは正しい。

 一月前と違い、ラップにより相手を制した。それも正しい。

 

 しかしながら、それは強くなった一因に過ぎない。サスケがこの一ヶ月、修行に打ち込んだのは“足”だ。つまりは筋肉だ。下腿三頭筋や腸腰筋などだ。

 掌から放電させるという術のため、千鳥は非常に目立つ。相手に気づかれるのが早ければ、迎撃をするための準備をさせてしまう。そうならないために、速攻を極めることが重要だ。

 

 そのために、木ノ葉の里の周りを走った。

 そのために、ダンベルを担ぎスクワットをした。

 

 サスケの修行についていたカカシが怪訝な顔をしていたが、しばらくしてからは納得したのか何も言わなくなった。

 それが功を奏した。

 

 体の速さとキレは一月前とは比べ物にならないほどに仕上がっている。

 今のサスケならば、眼で我愛羅の動きを捉え、そして、その動きに追い付くことも可能である。

 

 避け、砂の手に飛び乗り、一息に距離を詰め、顔面に蹴りを叩き込む。

 

 そうサスケが考え、行動に起こそうとした瞬間。

 

「サスケくん!」

 

 後ろから声がしたと同時に体が飛ばされる。

 地面を転がりながら、声がした方向を見つめる。

 回る視界の中、サスケの眼は一人の人物の顔を捉えた。

 

 ──サクラ? 

 

 見えたのは一瞬。

 安堵したサクラの顔が見えたのは一瞬だけだった。

 

 ゴウッと空間を押し退けるかのような音がし、サクラの体は見えなくなった。

 

「クッ!」

 

 地面に転がった体を無理矢理起こし、心と体の体勢が整わぬままサスケはサクラを探す。

 ドクンドクンと心臓が嫌な音を奏でている。

 

「サクラ……」

 

 目の前を横切る砂の腕。その先をサスケの視線が辿る。

 

「!!」

 

 口が少し開いた。目が大きく開かれた。その状態でサスケの表情が固まる。

 砂の腕、その先の掌に囚われ、大木の幹に押し付けられたサクラの体がそこにはあった。

 

 ズルリと掌のみをサクラを拘束したまま分離させた後、手首から後ろを引き戻しながら我愛羅は口を開く。

 

「ク……ククククク……」

 

 遠くから聞こえた我愛羅の嘲笑にサスケの表情は怒りに変わる。口を閉じ、目を鋭くする。

 それに対し、頭痛で顔を歪めながら、悦を感じて顔を歪めながら、我愛羅はサスケに話しかけた。

 

「無様だなァ……うちはサスケ」

「何が、何が可笑しい?」

「あの女が出しゃばらなければ、お前はオレにカウンターをしようと考えていた。それができないお前じゃない。だが、あの女がお前の足を引っ張った」

「黙れ」

「黙れ? お前はさっき言ってなかったか? ”黙れと言われて黙る奴は稀”だったか? そう言ってはいなかったか?」

「……黙れ」

「お前は弱い。その女を躾ていないからだ。お前は弱い。その女が何か助けになれると思わせたからだ」

「…………黙れ」

「弱い奴はただ邪魔だ。それを遠ざけていないお前が悪い」

「……」

「お前は弱く、そして、悪い。お前は何も守れない」

「黙れ!!」

 

 森の中に雷鳴が轟いた。

 

 ///

 

「お前が千鳥を打てるのは日に二発まで。よーく覚えとけ」

「……二発以上、打とうとしたらどうなる?」

「体中のチャクラを使いきって動けなくなる。最悪……死だ」

「……」

「それに、お前の場合は呪印がある。暴走した場合、お前が傷つけたくないものまで傷つけるハメになるぞ」

 

///

 

 修行中のカカシの言葉を無視するつもりはない。

 だが、この心が、この力が、この血が、目の前の敵を殺せと大合唱している。

 

 今のサスケの左手から鳴る鳥の歌声は囀りなどではなく、敵を見つけた鳥が威嚇のために出す甲高い警戒音となっている。

 そして、澄みきっていた青色の雷光は濁り、紫色に変じた。

 更に、サスケの体にも変化は生じる。首筋の呪印が赤熱し、サスケのまだ幼い体に拡がっていく。いや、蝕んでいく。

 

 体中の筋肉が燃えているかのように熱い。熱に浮かされたかのように頭に靄がかかる。だが、クリアだ。

 透明な世界にいるかのように心の中の殺意だけはクリアだった。

 

 ──愚かなる弟よ。

 

 あの日、本当に失ったものは? 

 

 ──このオレを殺したくば、恨め! 憎め! 

 

 忘れることなどできはしない。

 

 ──そして、醜く生き延びるがいい。

 

 何も見えない暗闇。

 

 ──逃げて……

 

 血の臭いが蔓延していた通り慣れた道。

 

 ──逃げて……

 

 それでも……。

 

 ──……生にしがみつくがいい。

 

 それでも、続きはあった。

 

 アンタを殺すための続きが! 

 

「オオオオオオ!!」

「ハァアアアア!!」

 

 叫ぶサスケは地面を蹴り、空に飛び出した。

 応じて、我愛羅も中空に身を踊らせる。

 

 目の前にいる我愛羅とあの日の仇敵の姿が重なって見える。

 あの日は大切な一族(みんな)が奪われた。そして、今日は大切な仲間()が奪われようとしている。

 

 負けられるか。負けてたまるか! 

 

 サスケのチャクラが精神に呼応して更に増大していく。もう戻れないほどに増えたチャクラを全て左腕に回し、大きく左腕を引く。

 

「ラァ!」

「ガァ!」

 

 交錯は一瞬。

 最大輪にまで高めた雷の刃は至極あっさりと砂の腕を切り裂いた。

 

 背中合わせに地に降り立つ二人。その距離は5mほどであろうか? 

 ズルリと砂の腕が滑り、地面に落ちた音がサスケの耳にしっかりと届いた。

 

「ハ……」

 

 だが。

 

「ハハハハハハハ!」

 

 だが、我愛羅は笑う。砂でできた自身の最大の武器が無力化されたにも関わらず、我愛羅は笑っていた。大きな声で笑っていた。

 

「愉しいなァ! 愉しいなァ、うちはサスケェ!」

 

 振り返りながらサスケに問いかける我愛羅。そして、サスケもまた、我愛羅と同じ表情をしていた。

 

「もっと! もっとだ! うちはサスケ!」

 

 我愛羅のチャクラが膨れ上がった。

 同時に、我愛羅の体から砂が噴出し、その体、全てを覆っていく。

 

「ふぅううう……」

 

 右腕だけではない。左腕、いや、頭までを砂が覆い、此度は我愛羅を更にバケモノに変じていく。

 

「狸が……」

 

 毒づくサスケに嗤いかける我愛羅の姿はまさに砂でできた人型の狸であった。尻尾が振られ、地面を凹ませる。

 力をまだ隠していた我愛羅に迫るためにサスケもまた更なる力を求める。再び呪印が励起し、サスケのチャクラが増幅していく。

 

 それを見て、我愛羅はまた嗤う。

 

 今までの奴らはこの姿を見た時に全員、一つの例外もなく絶望の表情を浮かべてきた。

 だが、お前はこれでも絶望していない。ならば、絶望させてやろう。

 

 トンッと地面を蹴り、我愛羅はサスケから見て左方向に跳ねた。

 

 ──何を? ……クソッ! 

 

 サスケは我愛羅の狙いを正確に把握した。追撃するためには時間が足りない。我愛羅に攻撃を加えるためには、もう遅い。期を逸してしまっていた。そして、我愛羅はサスケが攻撃を避けないことを理解している。

 

 呪印で増幅させたチャクラを両腕に、そして、足に込め、我愛羅の狙いから守るために駆ける。

 

「風遁 無限砂塵大突破!」

 

 砂が混ざった大嵐が我愛羅から吐き出された。その向かう先は先ほど我愛羅が砂の腕を伸ばした場所。

 砂の手に掴まれ、気を失っているサクラの所だ。

 

 ──間に合った! 

 

 両手を前に突き出し、雷の性質変化を行ったチャクラを全力で放出する。

 

「ハッ!」

 

 サスケの両手から繰り出された紫の忌まわしき千鳥は我愛羅の砂混じりの突風を防ぐことに成功したかに見えた。

 

「クッ!?」

 

 だが、終わらない。たかが一秒程度を防いだだけでは我愛羅の術は止まらない。

 

「あァアアアアッ!」

 

 限界を越えている。

 呪印は既に体中に拡がりきり、体内の身体エネルギーを全て奪ってチャクラに変換し続けている。これ以上、搾れるものはない。

 だが、後ろには守るべき者(サクラ)がいる。敵わないと、自分の力ではサスケを我愛羅の攻撃の軌道から弾くことしかできないと。それでも尚、自分の身を危険に晒そうが実行した優しい者が自分の背には居る。

 

 ──負けられない。

 

 呪印が引いていく。

 搾るための身体エネルギーがなくなったのか、それとも、サスケの意思から負の感情が塗り潰されたせいなのかは神のみぞ知る。

 サスケの掌の雷光は今まで以上に澄んだ青色になろうとも、我愛羅の無限砂塵大突破を防ぎ続けていた。

 今までとは違う澄んだ青色の千鳥。それは単に精神エネルギーの割合を多く練り込んだチャクラのせいだ。不安定極まりないチャクラ。本来ならば、千鳥という高等忍術を使うに値しないチャクラだ。

 

 だが、天は自ら助くる者を助く。

 その方向が仲間を傷つける者から守るという正の方向に向かう場合、天は彼を助けるものだ。

 

「オオオオオオ!」

 

 サスケの意思の力で発動させ続けている千鳥。

 チャクラを注ぎ続けているせいか、真っ直ぐに伸ばしていた腕が不随意に痙攣する。足も立っているのがやっとだ。

 サスケの目の前が赤く染まっていく。既に耳は聞こえてはいない。

 

 されども、守り続けている。

 

 その姿はまさに雷を司る守護神。帝釈天のごとき姿だ。

 彼の両隣にあった木々は砂に削られ、風に煽られ、粉々になって、遥か彼方へと飛んでいく。

 駆け引きなどない、力と力の心を削る攻防。

 

 無限にも続くと思われた時間だが、それは唐突に終わりを告げた。

 

 ふっと目の前から圧力がなくなり、サスケは膝を着く。息が必要だ。だが、息すらできない。

 痛みを無視し、顔を上げ、写輪眼ではない元の黒真珠のような目を凝らす。

 奥。いつの間に来たのだろうか? そこには気を失ったテマリを抱え、悔しそうに唇を噛むカンクロウの姿があった。

 

 ──シノ……。

 

 カンクロウと言えども、シノの追跡を振り切ることはできないとサスケは考えていた。つまり、答えはこうだろう。

 シノは負けた。忍の戦いでは敗者イコール死の方程式が成り立つことがほとんどだ。

 

 今にも落ちそうな意識を繋ぎ、サスケは顔を上げ続ける。ヒュー……ヒュー……という不健康な者が立てる呼吸音が自分の呼吸音だということに気がついた。聴覚が戻ったことが分かったのが自分の死にそうな呼吸の音だとは、サスケは自嘲する。

 

「……頼みがある」

 

 その場に佇み、動かない敵対者。我愛羅に向かってサスケは、それまで上げていた頭を下げた。

 

「何だ?」

「……オレは、オレはどうなってもいい。殺されても……この(写輪眼)を奪われてもいい。だから……」

 

 それは全面降伏。それは復讐を、一族の復興を諦めるという宣言。

 それはサスケの全てを手放すという宣誓だ。

 

「だから、サクラは見逃してくれ」

「ダメだ」

「!」

 

 お前の全てではないだろう? 

 言外に我愛羅はそう語った。お前の全ては仲間を差し出すことで完成する。仲間が生きている限り、それはお前の全てではない。だから、殺す。お前の全てを壊し、殺し尽くし、そして、お前に絶望を与えてやる。

 そう我愛羅が言葉にせず語っていることをサスケは理解した。

 

「うちはサスケ。お前はオレがこれまでの(会った者)の中で最も強く、最も意地汚く、そして、最もオレをイラつかせた。……そうだ、その表情だ。その表情のまま死んでいけ」

 

 我愛羅は再び大きく息を吸い込んだ。

 

「消えろ。風遁 無限砂塵大突破!」

 

 サスケ、そして、サクラに向かって猛烈な勢いで迫る砂塵。

 既に全てを使い切った。もう、何もできない。ただ見ているだけしかできない。

 ともすれば砂の壁に見える砂嵐の中に、多くの髑髏を幻視してしまう。骸骨たちの手が手招きをしている。

 

 これからお前もオレたち私たちの一部になるのだ。我を愛することしか知らない修羅の人生の真っ赤な彩りとなるのだと訴えかけてきている。

 

 迫り、避けることもできず、防ぐことも不可能。

 

 我愛羅が繰り出した術は人の業の範疇を越えている。自然災害の域に達している。アフリカではハブーブと言われ、恐れられている自然災害だ。それは、目や呼吸器系に影響を与える。人が何の対策もなしに屋外に出れば、その力をその身を以て知ることになるだろう。

 

 いや、過小評価だ。

 我愛羅のそれは自然災害の域すら越えている。現実の自然災害ならば、大木をへし折り、その木の幹を削ることは難しい。それを可能にしてしまい、嬉々として獲物に向ける我愛羅は悪神とも呼べる。自然災害であるハブーブを防ぐことのできるゴーグルやガスマスクも剥ぎ取り、粉々にし、そして、着用者の体すらも削り取る悪神の息吹。それがサスケとサクラに再度迫る、死の息だ。

 

 ……不可能? 諸人ならば、そう断じるだろう。

 

 だが、此処に向かうは、悪神に立ち向かうは、諸人ではない肌色の閃光と化した一人の漢。

 

「オォオオオオッンッ!!!」

 

 砂で作られた髑髏の壁が割れた。

 壁ならば壊れるが道理。そう言わんばかりに無理を通した漢の姿に流石の我愛羅も目を丸くする。

 

「踏み込むはアクセル。此処より遠くへ届け伝えるは、我が忍活劇大絵巻!」

 

 有り得ない。

 自身の術が破られたことに、ではない。

 

「共鳴求め、流すは涙。貴殿が嘆き求むるは、ただただ普遍に在るべきもの」

 

 有り得ない。

 遠くの距離から最高のタイミングで追い付いたことに、ではない。

 

「愛に飢え、憎しみを貯め、哭く貴殿に伝えるは、ただただ不変で在るべきもの」

 

 有り得ない。

 拳で砂嵐が破られたことに、ではない。

 

「心血を注ぎ、取り戻す。この世界は! この日々は!」

 

 有り得ない。

 中忍試験本選での闘いの後にも関わらず動けることに、ではない。

 

「この世を偽ること。それに慣れた貴殿に伝えよう。世界は壊れてなどいない! 世界は捨て去ることはできぬ!」

 

 有り得ない。

 上半身が裸のままで自分の前に躍り出たことに、ではない。

 

「貴殿を白に照らす名は」

 

 有り得ない。

 あの時、リーを殺そうとした際に右手を掴まれたことが。

 そんなことは有り得ない。

 

「うずまきナルト。只今、参上!」

 

 有り得ない。

 

 ──貴殿は必ず己が救う。待っていろ。

 

 そんなことは有り得てはならない。

 




サスケのラップの最後の“Stopping”なのですが、これはFPSのスラングで操作キャラの動きを一瞬、止めるテクニックになります。これをすることで相手に弾を当てることが少し簡単になります。
これが意味することは“お前に狙いを定めた”と考えてください。



ちなみに、NARUTOさん、実に一年と9ヶ月ぶりの出演……。


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熱い想いで燃える山風

 どっどど どどうど どどうどどどう

 

「ナル……ト……?」

 

 青い風が吹き飛ばす。

 

 どっどど どどうど どどうどどどう

 

「なん……で……」

 

 酸っぱい敗北を吹き飛ばす。

 

 どっどど どどうど どどうどどどう

 

「サスケ、貴殿の光が己をここに導いた。礼を言う」

 

 限界だった。

 サスケの膝が地面に突く。サスケの前に近づいた漢は片膝を突き、目線をサスケに合わせた。

 

「そして、謝罪を。貴殿の闘いに割って入ってしまった。済まぬ、サスケ」

 

 ──ナルトだ。

 

 安堵からサスケは大きく息を吐いた。

 やおら、立ち上がり、サスケが命掛けで守ったサクラに向かって手を伸ばすナルトを見て、自分の知っている漢であると確信したからだ。

 

「ふんッ!」

「!?」

 

 一息にサクラを拘束していた砂の手を剥ぎ取ったナルトの姿に驚愕している我愛羅。彼の前に砂の手を投げたナルトの体からは赤いチャクラが立ち上っていた。

 それは波の国での再不斬との戦いで見せたものと同一のもの。そして、中忍試験で見た我愛羅の砂の殻から覗く視線と似た感覚を(もたら)(おぞ)ましきもの。

 

 強く、猛々しく、そして、冷たい。

 サスケの前でナルトが見せたことのない力だ。

 

 だが、その力の冷たさとは裏腹に、砂から解放したサクラを優しく抱き止めるナルトの所作はサスケがよく知っているナルトのものだった。だからこそ、サスケは安心した。安心してしまっていた。

 

 そのことに気づき、サスケは唇を噛み締める。

 

「ナルト! サクラを連れて逃げろ! こいつはオレが止める!」

 

 精一杯の虚勢。

 足止めも今の自分では何秒持つか分からない。

 それでも。それでも、サスケはナルトに逃げるように叫んだ。その理由は至極単純なもの。

 

 愛だ。

 

 過去、一族全てを失ったサスケにとって、新たに得ることができた掛け替えのない絆。それが、自分が所属している第七班。木ノ葉の同期であるシカマルたちが所属する第十班、シノたちが所属する第八班。一つ年上のリーたち。

 皆、サスケが失いたくないものだ。

 

 そして、最も大切な絆。

 それが、サクラ、カカシ、そして、ナルト。

 

 守らなければという意思。それだけが先行する。自分が犠牲になっても構わない。むしろ、自分が犠牲となり、仲間を守れるのならば、喜んでこの身を差し出すだろう。

 

 だが、ナルトは首を横に振る。

 

「ナルト!」

「サスケよ」

 

 ゆっくりと諭すようにナルトは言葉を紡ぐ。

 

「己は誓ったのだ」

「誓い……?」

 

 ナルトは首を縦に振り、サスケにぐったりとしたサクラを抱えさせた。

 

「我愛羅は必ず己が救う、と。そう誓ったのだ」

 

 ゆっくりと、ゆっくりとサスケの心にナルトの言葉が沁みていく。

 

 ──こいつは敵までも……。

 

 ふっとサスケの表情が軽くなった。

 

「……ナルト」

「うむ」

「サクラは任せろ。その代わり……」

 

 立ち上がり、我愛羅と向き直るナルトの背に向かってサスケは言葉を掛ける。

 

「……あいつを救え」

「無論!」

 

 熱く、爽やかな風が吹いた。秋の訪れを知らせるような、だが、夏の暑さを忘れさせないような、そのような風が。

 

 大きく足を踏み出すナルト。

 

「カンクロウ!」

「……え? オレ?」

 

 突如、ナルトに声を掛けられたカンクロウは困惑の色を浮かべる。

 

「然り。貴殿もテマリを連れ、すぐにこの場から離れよ。ここより先は己と我愛羅だけが好ましい」

「……」

「我愛羅は己に任せろ」

 

 カンクロウは口を噤む。

 ややあって、意を決したカンクロウは一つ、頷いた。

 

「頼む」

 

 筋違いの願い。他里の、それに、下忍の敵に願うようなことではない。本来ならば、砂隠れの里の、兄である自分が願われるのが筋。

 一抹の悔しさを抑え、カンクロウは頭を下げた。

 

 だが、この漢ならば、きっと……。

 

 そう思わせるほどの言葉にならない力がナルトの言葉にはあった。

 

 抱えたテマリと共にこの場を離脱したカンクロウに頷いたナルトは更に歩を進める。

 

「我愛羅よ」

「ッ!」

 

 名前を呼ばれたことに反応した我愛羅の様子は人に慣れない野性動物の如し。それも人間に傷つけられた野性動物のようだった。

 だが、その野性動物は獰猛だ。

 

 牙を剥き出し、ナルトを威嚇する。

 

「貴殿の全て。己はそれを己の全てを以て受け止めよう」

 

 そうして、ナルトは大きく息を吸い込んだ。

 

「来い! そして、征くぞ! 我愛羅!」

 

 風が吹いた。

 それが闘いの合図だった。

 

 我愛羅が右腕をナルトに向けると、その腕の形が変わった。

 殺傷能力を高めた何本もの砂のトゲがナルトに襲いかかる。それを迎え撃つナルトは両手を腰だめに構える。

 

「うずまきナルト連弾」

 

 静かに、されど、はっきりとナルトが呟くと、砂のトゲが霧散した。

 

「!?」

 

 我愛羅の驚愕はいかほどか。

 チャクラを練り込み、強度を上げた砂のトゲは鉄と同等。それを事も無げに拳で打ち払われた。

 

 ──人間風情が。

 

「ガアァアアア!」

 

 怒りのままに、さらに砂のトゲをナルトに向かって繰り出すが、暖簾に腕押し。何百発もの拳戟が全てを無為に帰せさせる。

 

「ハッ!」

 

 ナルトの大喝と共に、我愛羅が出した砂は全て払われた。

 そして、ナルトのハムストリングが唸りを上げる。

 

「くっ!?」

 

 この短い間にどれほどの驚愕をこの大男は自分に与えるというのか? 

 

 まばたきの間に距離を詰められた。そして、目の前にいる大男は既に攻撃体勢に移行している。

 だが、我愛羅もさるもの。瞬時に迎撃のために左手の砂爪を敵に向ける。

 

 が。

 

「う!」

 

 爪が、砂で作った左腕が破壊された。

 ならば、と右腕を振るう。

 一歩、後退させられた。

 

「ず!」

 

 右腕も、砂の強度を高めた右腕も破壊された。

 また、一歩、後退させられた。

 

「ま!」

 

 防げない。

 腹に大男の右の拳が入った。くの字に曲げてしまった体。体の先にある頭を差し出すような無様な格好。

 さらに、一歩、大きく後退させられた。

 

「き!」

 

 頭に大男の左の拳が入る。

 頭を覆う狸の顔を模した砂が弾け飛んだ。地面に叩きつけられる。

 

「ナルトォ!」

 

 地面をバウンドしながらも、我愛羅はなんとか防御体勢を取る。体を守るため、クロスさせた両腕に大男の右の拳が振るわれた。

 猛烈な勢いで後方へと弾き飛ばされる。

 

「連弾!」

 

 飛ばされる中、気がついた尻尾。それで大男の左の拳を防ごうとしたが、先の砂のトゲと同様、無駄となった。

 大男の拳は砂の尻尾を簡単に圧し折った。

 もう……もう何も、何も防ぐものはない。

 

「琉!」

 

 大男は今までとは違う動きをした。

 右手を我愛羅の額に、左手を我愛羅の鳩尾(みぞおち)に狙いを向けた後、左足で地面に踏み込む。その勢いのまま繰り出された両の拳は防がれることなく、我愛羅に吸い込まれるように当たった。

 

 再度、後方に吹き飛ばされる我愛羅。そして、大男が踏み込んだせいで彼の左足を中心に地面が大きく陥没する。

 受け身も取れぬまま地に落下し、されど、勢いを殺せず地面に溝を作る我愛羅を前に、大男──ナルト──は残心していた。

 

 うずまきナルト連弾・琉。

 中忍試験でザジより名付けられた超連打、うずまきナルト連弾。それを更に発展させ、一撃の重さを重視した流れるような七連撃が“うずまきナルト連弾・琉”だ。

 

 連撃で飛ばされた我愛羅の砂が太陽の光をキラキラと反射して白く光る。

 その白い光の中のナルトの軌跡は、龍を想起させる。両腕を突き出し、残心したままのナルトは、なるほど、龍の(あぎと)と見ることができるだろう。

 

 風の龍が砂の狸を噛み砕いた。

 勝敗は決したかに見えた。

 

 地に横たわる我愛羅の心臓がドクンと強く拍動する。

 怒りが燃え上がる。頭痛は消えた。怒りで痛みが塗りつぶされた。

 

「む!?」

 

 チャクラが、強大なチャクラが小さな体から吹き出る。砂体が真の体を作り上げていく。

 

「オォォオオオオオォオオオ!」

 

 真昼の月に吠える。

 眩い太陽を握り潰す。

 

 大地を纏うバケモノは声を荒げる。

 

 太古より恐れられる砂狸のバケモノが現出した。

 それは巨大であった。山と見間違えるほどの巨躯を揺らし、完全なバケモノの体となった我愛羅は天高くから眼下に視線を遣る。

 

「終わりだ! うずまきナルトォ!」

 

 宣言。

 

「貴様の! 貴様が大切に思っている全ての者を!」

 

 それは虐殺宣言だ。

 

 我儘に。

 愛のままに。

 修羅のままに。

 感情の赴くままに、我愛羅は叫ぶ。

 

「殺し尽くしてやる!」

 

 +++

 

 何枚もの手裏剣が宙を舞い、互いに当たり、甲高い音色を奏でる。

 一枚の手裏剣が増え、相手に襲いかかる手裏剣影分身の術だ。双方向より放たれたその術は互いに拮抗している。両者ともに実力は伯仲しているように見える。

 だが、一方はまだ余裕があるらしい。

 

「万蛇羅の陣」

 

 口から吐き出した何十匹もの蛇。それが小柄な老人に一斉に襲いかかる。噛み付き、締め付け、命を奪おうとする蛇の絨毯。

 

「火遁 火龍炎弾!」

 

 業火が蛇たちを焼き尽くす。しかし、それだけでは終わらない。

 数多の蛇を繰り出した術者にも炎は襲いかかる。が、その術者は超常の者。

 

「水遁 水陣壁」

 

 先の戦い。二代目火影が繰り出した術と全く同じ術。水場がない場所では水遁の術の効果は薄くなる。だが、その常識を嘲笑うかのように超常の術者は事も無げに業火を防いでみせた。

 

「あら……弱くなったんじゃないかしら? ねぇ、猿飛先生……?」

 

 ねっとりと纏わりつくような声色を出すのは、先ほど繰り出した蛇を思い起こさせる顔つきをした忍。大蛇丸だ。

 

「それは貴様もじゃろう? 大蛇丸」

「あらあら……」

 

 飄々とした態度を崩さない大蛇丸をキッと睨み付けるは三代目火影、猿飛ヒルゼン。並みのものならば、寿命が幾分か縮むであろう彼の一睨みを大蛇丸は真っ向から受け流す。

 

「互いに歳を取った。かつてほどのキレはないようじゃのう」

「それは違うわ。これは小手調べ。アナタがどれほど弱くなったのか確かめるための、ね」

「言いよるわ」

「言いたくもなるわ。なぜなら……」

 

 やおら、大蛇丸は右手を自身の額に当てる。

 

「私は“あの術”を完成させたのだから」

「貴様ッ!?」

 

 大蛇丸はおもむろに、べろりと顔の皮を剥いだ。

 そこにあったのは綺麗な顔。かつての大蛇丸とは似ても似つかない女の顔だった。娘などではない。姪などではない。血縁関係が全く感じ取れないほどに大蛇丸とは違う顔。だが、その人間が醸す雰囲気、そして、チャクラはかつての大蛇丸と同じく冷たく邪悪なもの。

 視覚では違う。が、第六感では目の前の人物が大蛇丸だと告げていた。

 そして、大蛇丸が言う“あの術”に三代目は心当たりがあった。

 

「禁術 不屍転生。他者の体に私の精神を入れて体を頂く術よ。木ノ葉を抜けた時は完成していなかったこの術も、私の探求によって完全な術となった。アナタに理解できるかしら?」

「……そのために何人を犠牲にした? 答えよ! 大蛇丸!」

「ふふ。言ったでしょ? この術は完全な術になった、と。この体で二人目ですよ、猿飛先生ェ……」

「違う!」

 

 大蛇丸は眉を潜める。

 三代目が何故、自分の言葉の何を否定したのか心底、理解できないという顔だ。

 

「貴様がその術を完成させるために、何人の人間を実験体として使い潰したのか聞いておるのだ!」

「さぁ? そもそも、そんな意味のない数字、数える意味がありますか?」

 

 三代目と大蛇丸の戦いを邪魔しないように離れた場所で見る再不斬と白の目線が冷たくなった。

 

「外道が」

「屑ですね」

 

 後ろの二人の言葉を聞き流し、大蛇丸は肩を竦める。

 

「とはいえ、実験体たちには感謝してますよ。我が野望の礎になった彼らには賛辞の言葉を聞かせてあげたいほどにね」

 

 どこまでも上から目線、どこまでも傲慢。

 名前どころか顔も、そして、その人数も知らないと語りながらの感謝など、どのような意味があろうか? 

 

「私は常に、若く力強く、そして、永遠に存在できる。それに比べ、アナタはただ老いて死んでいくだけ。弱くなり、やがて、木から落ちるしかない猿のようなアナタには私の崇高な術理は理解できない。だから……里を危機に陥れて死んでいくのですよ、先生。そのことを理解させるためにも……」

 

 大蛇丸は剥がした皮を元のように戻す。

 

「……やはり、この顔の方がいいですよねェ」

「もういい……」

 

 三代目は親指を噛む。

 

「口寄せの術!」

 

 白い煙がもうもうと立った。

 そこから現れたのは森の支配者。大柄で派手な戦装束に身を包んだ猿だった。

 三代目火影が信を置く口寄せ生物、猿猴王・猿魔だ。現役の頃より数多くの闘いをヒルゼンと共に戦ってきた相棒である。

 猿魔は大蛇丸を一瞥した後、ヒルゼンを叱咤する。

 

「やはりこうなったか。猿飛! お前のせいだぞ!」

「……分かっておる」

 

 猿魔の叱咤が効いたのだろう。ヒルゼンは声を落とした。

 

「やはり……あの日に貴様を殺しておくべきじゃった」

「できなかったことを今さら言っても無駄よ」

「あの日、できなかったことをこれからやり遂げる。力を貸せ、猿魔!」

 

 ボンッと猿魔が白い煙に包まれる。

 

「ククク……。今さら金剛如意ですか。思いの外、重いのでは?」

「……」

 

 大蛇丸の言葉は当たっていた。

 現役の頃と比べ、猿魔が変化した丸太のように太い棒──金剛如意──に重さを感じる。いささか取り回しに不便さを感じるであろうことは容易に想像できた。

 

 だが、それは引く理由にはならない。

 口から鈍い光を放つ磨き込まれた刀を取り出した大蛇丸を前に、現役の頃とは違うという理由は引く理由にはならない。

 

 彼は三代目“火影”、猿飛ヒルゼン。

 木ノ葉隠れの里、最高の忍である火影なのだ。そして、悪に墜ちてしまった、いや、元々あった悪の素養を()めることができなかった大蛇丸の師なのだから、引くことなどは重ねてできはしない。

 

 ダンッと瓦から音を立て、大蛇丸に向かって走るヒルゼン。

 遅い。実に遅い。自分の体に歯噛みをしながら、金剛如意を大蛇丸に向かって振るう。

 

 それは、予定調和の如く、実に容易く大蛇丸の振るう刀──草薙の剣──によって振り払われた。

 思わず体勢を崩してしまうヒルゼンに向かって大蛇丸は袈裟懸けで草薙の剣を振るう。が、金剛如意がさらに変化し、端から飛び出た猿魔の腕がヒルゼンの足元の屋根瓦を弾いた。そのままの勢いで、再度、金剛如意を振るう。

 大蛇丸と言えども、此度の攻撃は避けきれず、金剛如意の攻撃を腰に喰らう。そして、大蛇丸の腰が別たれた。

 

「!?」

 

 驚くのはまだ早いと言わんばかりに、大蛇丸の常軌を逸した攻撃は続く。別たれた上半身と下半身。その中から何匹もの蛇がヒルゼンに向かって飛び出し、彼を襲う。

 バックステップで回避したヒルゼンだったが、視線を蛇たちに向けてしまっていた。それを見逃す大蛇丸ではない。

 

 蛇を使った変わり身の術でヒルゼンの注意を引いている間に、跳躍していた大蛇丸は上からヒルゼンに向かって刀を振り下ろす。

 タイミングは完璧。

 

 大蛇丸の唇が弧を描く。

 

 指二本。それだけで、届かない。

 

 ヒルゼンが行ったことは、真剣白刃取りと同じ。それを両手ではなく、指二本で行っただけのこと。

 指とそれを支える筋肉にだけにチャクラを注ぎ込むことで、消費するチャクラを限りなく節約した。

 最小のコストで最大の効果を発揮させたヒルゼンに大蛇丸は感心する。

 

 現役時代ほどのチャクラはない。

 それを経験で敵の動きを予期し、最小の動きで彼の動きを止めることでカバーする。年の功のなせる技だ。

 

 ──面白いじゃない。

 

 腕に力を込め、草薙の剣を無理矢理、引き戻した大蛇丸は幾度も刀を振るう。それをヒルゼンは金剛如意で幾度も防ぐ。

 

 両者ともに引かず、何合も打ち合う。

 ただただ打ち合う。

 

 だが、何事にも終わりが来るもの。

 ヒルゼンの腕が少し、ほんの少し、下がった。

 やはり現役時代とは違う。両者共にそう考える。

 

 ──好機! 

 

 チャクラを最大に籠め、大蛇丸は逆袈裟懸けに草薙の剣を振り上げる。

 金剛如意で草薙の剣を防いだものの、万歳の形に腕を持ち上げられたヒルゼンには、次いで繰り出された大蛇丸の蹴りを防ぐ手段はなかった。

 

「ぐはッ!」

 

 何枚もの瓦を壊しながら屋根を転がるヒルゼンに大蛇丸は冷たい目を向ける。

 

「終わりよ、アナタも。そして、この里も」

「……終わるものか」

「何がよ」

 

 苛つきを隠さないまま、大蛇丸は膝を突くヒルゼンに向かって言葉を吐き捨てる。

 思っていた以上に弱くなっていた、かつての師の姿。思っていた以上に変わらない、かつての師の考え。

 それが大蛇丸の癇に障った。

 

「今を見なさい! アナタは私に負ける。そして、アナタを失えば、この里も……!」

「終わらぬ」

「だから!」

「終わらぬよ、大蛇丸。ワシは死ぬ訳にはいかぬ。仮にワシが死んだとて、ワシの意思……火の意思を継ぐ者らが、この里を守る」

 

 ヒルゼンはゆっくりと立ち上がる。

 

「それに、の。お主は最後まで分からぬようじゃったから、改めて教えよう」

 

 ヒルゼンは視線を大蛇丸から下の戦場へと移す。

 

「行け、ザジ! 奴の飛び道具はオレが何とかする!」

「はい!」

「……面倒ですね」

 

 そこにはカブトを相手に奮闘するザジ、そして、彼をサポートしているゲンマの姿があった。

 

「やるじゃないの、ガイ」

「当たり前だ! カカシよ。オレは25人倒したぞ」

「そ。オレは26人」

「何ッ!?」

 

 カブトの術で眠りに落ちてしまっていた観客たちを守るカカシとガイの姿があった。

 

「紅、行くぞ」

「アスマ。背中は任せたわ」

 

 砂の忍と戦うアスマと紅の姿があった。

 

「ヒナタ! 後ろだ!」

「え?」

 

 目の前の敵に注意を向けていたヒナタに別方向から迫る音の忍のクナイ。

 

「ヒナタ様!」

「ネジ兄さん!?」

 

 クナイを構え、ヒナタの前に飛び出したネジがヒナタに向かって放たれたクナイを弾く。

 

 中忍試験での傷を手当てした後の包帯姿が痛々しいネジ。チャクラもほとんど回復していない状態だ。

 外の騒ぎを聞きつけ、すぐに病室を飛び出したのだろう。忍としての身分証を兼ねる額当てすら着けていない。

 

「大切なものを守る……」

 

 だが、それがどうしたと言わんばかりにネジは胸を張る。

 

「そのために、この呪印を刻んだ。その“心”が! オレにはある!」

 

 ──そうだろう? ナルト。

 

「ヒナタ様に手は出させん!」

 

 チャクラが少なく、白眼が使えなくともネジは前に出る。

 その声を聞きつけたのか、会場にいたネジの班員も駆けつけた。

 

「ネジ! 無事だったんですね! ……すみません、ボクは……」

「リー……」

「しゃきっとする!」

 

 ギプスで固められた自身の左腕と左足に目を落としたリーの背中をテンテンが叩いた。

 

「今は私たちに任せなさい。その代わり、未来では私たちを守ってよね、リー」

「テンテン……。はい! もちろんです!」

 

 笑顔を浮かべたリーは一歩下がる。

 

「リー。今のオレはチャクラを使いきっている。白眼も使えない。オレが敵を見逃した時、お前が教えてくれ」

「はい! わかりました!」

 

 ネジたちの様子を見たキバは頷き、前に出る。

 

「おし! それじゃ、敵さんたちに見せてやろうぜ。木ノ葉の忍の力をよォ!」

 

 ところ変わって森の中。

 

「部分倍化の術!」

「斬空破!」

 

 巨大になった手と空気砲。

 

「手裏剣影分身!」

「起爆花!」

 

 何枚にも増えた手裏剣とクナイに着けた起爆札。

 

「いの! チョウジ! フォーメーションAだ!」

「ザク、9時方向に行け! キンはそのまま迎撃!」

 

 そして、頭脳と頭脳。

 

 お互いの持てる札を使う第十班と音忍三人衆。

 実力は拮抗している。互いに一歩も引かない。シカマルたちが先ほど倒した音忍たちと比べ、この三人の下忍は連携がとれており、それを崩す方法はシカマルの頭脳と言えど、導き出すことは難しい。その上、中忍試験でチャクラを大量に使ったため、自分の術はここぞという時にしか使えない。

 そして、第十班に敵対するドスもまた、シカマルと同じように中忍試験でのサクラとの闘いでチャクラは使ってしまっている。音を使う忍術はもう使えないものの、まだ彼には優れた聴覚がある。それを十全に扱い、一手先の状況を読むことで第十班の猛攻から何とか凌いでいる状態だ。

 

 だが。

 

「今だ! ザク!」

「斬空極破」

 

 ──もう負けられない。

 

 強い意思が彼を、彼らを突き動かす。

 

「チョウジ、いの」

「まだまだァ!」

「へばってんじゃないわよ! 二人とも!」

 

 音忍三人衆の熱い想いは第十班にも伝播した。

 

 そして、その熱い想いは余人が持つものだ。

 

「八卦掌 回天!」

「心乱身の術!」

「影縫いの術」

「超張り手!」

「通牙!」

 

 森の中もそう。そして、里の中もそう。

 熱い想いを持って、互いを守り合う多くの木ノ葉の忍の姿が里の中にはあった。

 その頂点に立つ忍が、その想いを持たないなど有り得るだろうか? そのようなことは断じてない。

 

 視線を再び大蛇丸へと向けた三代目火影は強い眼差しで彼を見つめる。

 

「木ノ葉の忍は……」

 

 三代目火影の視線の奥、その先の先のさらに先。

 我愛羅の虐殺宣言を聞いたナルトもまた強い眼差しを我愛羅に向けていた。

 

「己の友は……」

 

 三代目火影の、火影を目指す少年の。

 

『強い!』

 

 別々の場所、別々の立場の漢たちの言葉は同じであった。




今回出てきた、うずまきナルト連弾・琉という技なのですが、仮面ライダービルドのエピソード21ハザードは止まらない で出てきたビルドとクローズの戦闘シーンを参考にしています。イチオシのエピソードなので、未視聴の方には見て頂くのがオススメです。ヤベーイ

ちなみに、さらなる発展系として、うずまきナルト連弾・廻も第二部終盤で登場予定です。
こちらの技は相手を6回殴って上空に殴り飛ばした後、空を渦状に飛びながら相手の上に移動した後、相手を殴り付けて地面に叩きつけるという技になります。


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再度

 ナルトの態度が、宣言が、その眼差しが、その全てが気に食わなかった。

 たかが羽虫。今の我愛羅にとって、ナルトはそれ以下の存在でしかない。

 

 大量の砂によって形作られた我愛羅の体は巨大。

 それも山と比べても遜色のない大きさだ。彼が身震いさせると、木々がざわめき、獣が逃げ惑い、地ですら揺れる。人に関しては言うべきことがあろうか。

 

 災厄と言っても過言ではない今の我愛羅に立ち向かうのは蛮勇が過ぎるというもの。

 だが、それでも、目の前の漢は闘志を燃やしている。

 

 ぐっと漢の膝が沈み込んだ。

 なぜか、有り得ないことだが、何度、有り得ないと思ったか分からないが、再び我愛羅の頭にその文言が浮かび上がる。

 同時に寒気がした。この漢はきっと何かをやってくる。そんな確信があった。

 

「魅せよう。木ノ葉隠れの里が育んだ、己の力を」

「!?」

 

 何度も何度も何度も破裂音がした。

 悪寒が走りながらも、自身が巨体であるという慢心故に、これと言った防御体勢を取らなかった我愛羅に何度も何度も何度も衝撃が迸る。

 腹と、足に向かって肌色の閃光が幾度も交錯する。いや、既に肌色ではない。その体から噴出している赤色のチャクラと混ざった、その軌跡の色はオレンジ。

 

「うずまきナルト……!」

 

 漢が自らの名を高らかに叫ぶ。

 彼のシンボルカラーをその空間に焼き付けながら、漢は何度も何度も何度も我愛羅の巨体に向かって突進を繰り返し、離脱し、そしてまた、突進を繰り返す。

 

 彼の脳裏にかつての光景が浮かんでいた。

 

「達人サライ。これより巨大な熊と出会った時はどうすればいい?」

「ハハハ、何を仰るナルトサーン。そんなのチョーベリーイージー、ネ。まずは腹パンを喰らわせてやりまショウ。そうすれーば、大抵のアニマルは怯みマース。怯んだ所に何度も膝蹴りを喰らわせればグッドラック! 頭が下がるので、鼻っ面に狙いを合わせてBANG! そうすれば、ここに転がってる熊サンよりも大きな熊サンも倒すことができマース」

「分かり申した!」

「ナルトサーン。いい子ですネー。それじゃあ、おっきな熊サンを連れTakeしてきますので、少々、お待ーちを」

「承知!」

 

 忍者学校(アカデミー)時代、山籠りをしている中で出会った達人の言葉を思い起こし、ナルトはその教えを実行する。

 今の我愛羅に対して、一度の攻撃では僅かばかりの効果しかないことをナルトは看破していた。だからこそ、彼は達人の教えを更に発展させ、波状攻撃とも言えるような連撃を我愛羅に魅せつける。

 

 堪らず、我愛羅の頭が下がってしまった。

 

「……2001連弾」

「!?」

 

 静かで低く、そして、重い声。

 そうして、鼻先から走る痛みに我愛羅は声にならない叫びを上げた。

 

 巨体が地面を転がる。木々が折れ、地面に凹みを作るが、痛みは一向に消えはしない。

 ズキンズキンと鼻が警鐘を鳴らす。痛みは治まったハズの頭までもが、先ほどよりも激しい痛みを訴えてきた。

 

「ぐぉおおおおお……!」

 

 吐き気が……吐き気がする。

 吐瀉物の臭いがツンと鼻の奥を刺す。

 こんなことは有り得てはならない。

 

「がァああああ!」

 

 傷ついた獣が上げる声がした。それが自分の声だと一拍、遅れて我愛羅は気がつく。

 自分が上げる声とは思えないほどの声。だが、叫ぶことで混乱に陥っていた精神が整った。

 

 巨体とは思えないほどの俊敏さで我愛羅はナルトから、小さな羽虫でしかなかった人間から距離を取る。

 

 ──潰す。

 

 感情の赴くままに我愛羅は右腕をナルトに向かって振り下ろす。

 此度は有り得ないことは起こらなかった。右腕の進行方向にいたナルトが走って避けたことを見て、我愛羅は冷静さを完全に取り戻す。

 

 敵は人間とは思えないほどの巨体。だが、所詮は人間。

 バケモノである自分には敵わない。あの拳も、もう届くことはない。

 

 先の失態を防ごうと我愛羅は尻尾を自身の砂体に巻き付ける。腹も、そして、足をも尾で隠し、防御体勢を整えた我愛羅に対し、先ほどの連続波状攻撃であるうずまきナルト2001連弾はもう届かない。

 

 それを見て、ナルトは指を噛み締める。

 打つ手がなくなったと諦める行為ではない。自身の拳を我愛羅に届けるための布石として指を噛んだのだ。

 

 亥 戌 酉 申 未

 

 この一月、新たに得た師より伝授された術。淀みなく印を組み上げるナルトの姿に迷いはない。

 

「口寄せの術!」

 

 白い煙が上がり、そして、晴れた。

 

「……」

「……」

「……」

 

 静かな空間が広がる。

 我愛羅は一度、まばたきをした。

 

 ──蛙? 

 

 蛙だった。

 修行の最後でナルトが呼び出した蛙、蝦蟇ブン太。今の我愛羅の巨体と匹敵するほどの大きさの大蝦蟇だ。

 ブン太を呼び出そうとしていたナルトも押し黙る。これはそう、失敗だ。

 

 目の前に現れたのは小さな小さな蛙だった。ナルトの掌サイズの──ナルトの掌は余人よりも大きいとはいえ──小さな蛙だった。

 とてもではないが、この戦闘について来れるスケールではない。

 だが、その蛙は傲岸不遜。ふてぶてしくナルトに声を掛ける。

 

「用があるなら、おやつくれやぁ」

「おやつ……」

 

 有り得ない事態に動きが完全に止まっている我愛羅を尻目にナルトと小さな蛙は言葉を交わす。

 ポーチを漁るナルトの姿を我愛羅は見ることしかできなかった。

 

「なんじゃ、これ?」

棒状兵糧丸(プロテインバー)だ」

「んま! なかなかやるのォ、お前。少しビターな大人の味わいでオレにはピッタリじゃ」

「それは重畳」

 

 大きく口を開けて、棒状に固めたと思わしき兵糧丸をサクサクと咀嚼する蛙を見ることしかできなかった。

 

「では……」

「ガマ吉。オレの名前はガマ吉じゃ」

「己はうずまきナルト。よろしく頼む、ガマ吉。では、貴殿はここから離れてくれ」

「嫌じゃ」

「む!?」

「お前じゃろ? 親父が言いよった人間っちゅーのは」

「親父?」

「ブン太。知っとるじゃろ?」

「ブン太殿の息子であったか」

「親父から言われとるんじゃ。“ナルト”っちゅー人間に会ったら、その闘いをよお見ろってな。じゃから、見させて貰うわ」

 

 既知の名前が出て、納得がいった様子のナルトが頷く様子を見ていた我愛羅の頭に痛みが走る。

 もう、待てない。

 

 我愛羅の口元に砂が凝集される。そして形を変えていく。木の幹のようで、そして、先端が尖った殺傷に適する形に変わっていく。

 

「カッ!」

 

 固められた砂が猛烈な勢いで射出された。

 我愛羅の巨体からすれば爪楊枝。されども、その爪楊枝の行き先のナルトからすれば、西洋槍(ランス)にも匹敵するほどの大きさと鋭さをもつ砂の塊だ。

 それが猛烈な勢いをもってナルトとガマ吉に迫る。

 

 が、ナルトは引かない。媚びない。だが、ガマ吉を顧みる。

 大丈夫だ、と示すようにガマ吉の前に立ち、両手を組む。そして、肘を引く。

 

 迫る砂の槍をも顧みることなく、ナルトは大胸筋を押し出す。

 そして、パァンと銃声のような音が響き渡った。

 

「……」

「……」

「……」

 

 三者三様に黙り込む。

 いち早く口を開いたのは、やはりと言うべきか、我愛羅であった。

 

「なんでだァアアアあああああ……アアアアアッ!」

 

 今日一番の叫び声が木ノ葉隠れの里を揺らす。その声は遠くまで響き、木ノ葉隠れの里にまで届いた。それは聞くものに物悲しい感情をもたらすものだ。

 後に、中忍試験、第二の試験でナルトに巻物を献上したことがあった砂の忍はインタビューにて語った。

 

「我愛羅様の叫び声は、よく覚えていますよ。我愛羅様の悲しそうな大きな叫び声の正体にすぐにピンと来ました。オレたちと同じような目に会ったんだなって。何せ、オレたちは中忍試験に出ていて、その当時の木ノ葉に怪しまれずに置くことができる戦力、選りすぐりの下忍として、木ノ葉の里に侵入していましたから。優秀ですね? あっはっは、ありがとうございます。あの人たちの同期が凄すぎるだけで、オレたちも優秀なのには変わりない。そうですよね? ん? 続きは? 分かりました、続きを話しましょう。実はオレも我愛羅様たちと同じ時期に中忍試験に出てましてね。とは言っても、オレたちは第二の試験で負けたんですけど。あ、ここは笑う所ですよ、ねぇ笑って! え? 続きを早く話せって? 仕方ないなぁ。話を戻しますけど、オレたちの負けた原因は、死の森で焼き魚を餌にトラップを仕掛けていたこと。それに尽きます。そのトラップにかかったのが誰だと思います? そう、あのナルトさんです。いやー、オレと班員が一日がかりで作った丸太が上から落ちてくるトラップをナルトさんが防がれたのには、思わず涙が溢れそうでした。ま、オレも忍なので涙は流さなかったんですけど。え? ナルトさんがどうやって防いだのか聞きたい? しょうがないなぁ。ナルトさんがどうやって防いだか。今となっては有名で、あの場所に居た忍なら全員知っている技で防いだんですよ」

 

 砂の忍はキメ顔でこう言った。

 

「サイドチェストです」

 

「ふざッ……ふざけるな! なんで? なんで? なんで、なんで防げる!?」

「修練を怠らなかった故」

 

 ──そんな訳がないだろう。

 

「ぐうう……」

 

 頭痛が、頭痛が酷くなった。

 頭を抱える我愛羅を見て、ナルトは次にすべきことを決め、ガマ吉に手を伸ばす。

 

「ガマ吉よ。己の闘いを見ると言ったな?」

「おう!」

「死ぬかもしれぬぞ」

「親父が言っとったんじゃ。男ならば、逃げちゃならんってな。じゃからオレは逃げん。逃げずにお前を見ててやる」

「そうか。ならば……」

 

 ガマ吉を優しく掴んだナルトは自身の頭の上に彼を乗せる。

 

「……無様な所は見せられぬな」

 

 ──ナルト。

 

 もう一度、口寄せの術の印を組んでいくナルトの頭に声が響いた。それは、以前、自来也との修行、その最後で出会ったものの声だ。

 

 ──狐殿か。

 ──狐殿は止めろと……まぁ、いい。お前にワシのチャクラをやる。

 ──しかし……。

 ──フン。お前のチャクラでは小さな蛙を呼び出すことが精一杯だろうが。

 ──それは、そうだが……。

 ──それに、ワシの器ともあろう者が“あの狸”に負けるのは許さん。分かったら持っていけ。

 ──狐殿。感謝する。

 

「口寄せの術!」

 

 再度、発動した術は先ほどとは違い、周囲を白煙で覆い隠すほどの規模であった。

 その中から、低い声が響く。

 

「よォ、ナルト。ワシを呼び出さないかん事態か」

「然り。ガマ吉の前で己が道を魅せるため、貴殿の力を貸してくれ」

「おお。そりゃ、こっちから頼むのが筋じゃのォ。……ガマ吉!」

「なんじゃ?」

「よお見とれ。うずまきナルトと蝦蟇ブン太。人間と蝦蟇が共に闘うっちゅうもんを」

 

 まだ、頭痛がする。

 我愛羅は血走った目をナルトと、そして、大蝦蟇へと向けた。

 

「砂の守鶴か。相手にとって不足はねぇのォ」

「然り。これほどの難敵。(まみ)える機会は多くはないだろう。だからこそ……昂る」

「お前たちは……貴様らは! 殺してやる!」

 

 再度、闘いのゴングが鳴った。




過去と未来の回想シーンの表現を///で囲うことからフォント変更に変えています。
しっくり来なかったら、元の形式に戻すと思いますが、しばらくはこのままでいこうと考えています。


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強さ

 白い煙が晴れていく。

 徐々に薄くなっていく中、一際、目につくのは旭日を思い起こさせる橙だ。

 そして、その真正面に聳え立つのは、山を思い起こさせる巨躯を誇る砂色。

 

 ナルトと我愛羅は睨み合う。

 

「死ねェ!」

 

 我愛羅が右腕を振るうと、右腕の至るところから砂でできた手裏剣が飛び出した。

 一枚、二枚の話ではない。数百枚単位で向かってくる砂でできた手裏剣は暴風をも撒き散らしながらナルトと、そして、ブン太とガマ吉に迫る。

 

「よぉけ、掴まっちょれ!」

「承知!」

 

 ナルトが頭の上にいるガマ吉に手を添えて、彼の体を支えた瞬間、景色が急激に動く。ブン太の跳躍だ。

 砂手裏剣を避けると同時に、一足飛びで我愛羅との距離を詰めたブン太は腰に履く長ドスを振り払う。

 

「蝦蟇ドス斬!」

 

 振られた長ドスと共に砂でできた我愛羅の巨大な右腕が空に舞う。

 

 ──何て野郎じゃ。重とーてドスを振り抜くのがやっとじゃ。それに……。

 

 地に落ちた大質量の長ドスと我愛羅の右腕にチラリと目線を遣り、ブン太は心の中で毒吐く。

 

 ──さっさと殺らんと、地形が変わってしまうのォ……。

 

 ブン太の考えとは裏腹に、我愛羅の砂でできた右腕はサラサラと砂に還ると同時に元の場所へと戻っていく。そうして、先ほどと変わりない腕を取り戻した我愛羅にブン太は舌打ちをした。そして、自分の手元から離れてしまった長ドス。

 どうしても、長引いてしまう戦い。ナルトが口寄せの術で支払った代償であるチャクラは多いとはいえ、ブン太を口寄せし続け、更に戦闘を行うには心許ない量。

 

 どうあっても、短期決戦にもつれ込ませなければならない。

 どうするかと考えを纏めているブン太に、いや、自分の出番を今か今かと待っているナルトに向かって我愛羅が声を掛けた。

 

「うずまきナルト……」

「む?」

「砂の化身の……本当の力を見せてやる」

 

 砂体の額から姿を表し、印を組む我愛羅の様子を見て、ブン太は目を細める。

 相手も短期決戦の腹積もりだと見抜いたブン太は、砂の化身の力を分かっていない様子のナルトに説明を行う。

 

「あの霊媒も守鶴に取り憑かれて不眠病の症状が出とんのォ……あの目のクマ見てみぃ」

「む!」

「化け狸“守鶴”に取り憑かれたモンは一夜とて満足に眠ることが出来んようになる。恐ろしゅーてな」

「むむ!?」

「寝てしもーたら、じわじわと守鶴に自らの人格を食われ、いずれ、自分が自分じゃのーなってしまうんじゃ! 普段、ほとんど寝ることができんから、霊媒は人格が不安定になっていく傾向がある」

「むむむ!」

「じゃけんのォ……普段はあの霊媒が起きとる内は、守鶴は本来の力を抑えられとるんじゃ。じゃがのォ……」

 

 短期決戦。それは望む所。長期戦では限りなくゼロに近い勝ち筋に差した一筋の光明ではある。

 だが、短期戦と言えども勝ちの目は薄い戦いだ。

 

「あの霊媒が自ら眠りに入ったら……ちと面倒じゃ。ナルト、耳を貸せ」

「承知」

 

 印を組み上げた我愛羅は宣言する。相手がどれほど強大でも捻り潰す。

 その黒い意思を高らかに謳い、我愛羅は目を閉じた。

 

「狸寝入りの術!」

 

 ゆっくりと目を開く砂の狸。

 その目が、変わった。

 

「シャハハハハハアァ! やっと出てこれたぜェ!」

 

 ビリビリと身を痺れさせるほどのチャクラの奔流。数々の戦いを生き抜いてきたブン太と言えども、この醜悪なチャクラには、踏み出すのを躊躇してしまう。

 それほどまでに、目の前の相手──守鶴──は強い。

 

「ひゃはァー! いきなりぶち殺したい奴、発け~ん!」

 

 目も口調も何もかも変わった目の前の敵はニタリと笑みを浮かべる。

 

「風遁 練空弾!」

「水遁 鉄砲玉!」

 

 四発の巨大な風の弾がブン太に向かって放たれた。それに応じて打つのは四発の巨大な水の弾。

 ブン太が一度に打てる最大数だ。

 花火が近距離で破裂するような轟音と共に、飛沫がブン太の体を濡らす。

 

「練空弾!」

 

 四発の巨大な風の弾、その後ろに隠れて更にもう一発。

 

「ブン太殿!」

「くっ!」

 

 避けられない。

 鉄砲玉の反動で動くこともままならないブン太の頭に練空弾が弾けた。

 

「かぁーッ! たいぎぃのぉ! アホほどチャクラを練り込んだモンを打ち込んで来よってからに!」

 

 爆風の中を掻き分け、ブン太が姿を表す。ブン太が我が身を犠牲に守ったのだろう。そこには先ほどと変わらず、頭の上に傷一つないナルトの姿。だが、ブン太は別だ。

 顔中のそこかしこに裂傷を作りながらも、ブン太は体を無理矢理に動かす。

 

「無事か!?」

「おお!」

 

 目が霞むのか焦点が定まらない様子のブン太を見て、嗜虐心が刺激されたのだろう。

 今度は先ほどのものとは規模が違う。守鶴は口先にチャクラを凝集させ、一点に圧力を加えていく。

 丸くなっていくチャクラの塊を見て、ブン太は呟く。

 

「ヤバいのォ……」

 

 ブン太の焦りの表情。それが守鶴の好物だった。

 怯え、戦慄き、命を散らす。それが弱者に許されたただ一つの礼儀だ。

 

 口の中に一度、チャクラの塊を納めて安定させ、そして、吐き出す。その破壊規模はこれまでの非ではない。

 もっとも、吐き出させることを相手が許せばの話ではあるが。

 

「!?」

 

 目の前を縦に通りすぎるオレンジ色。

 守鶴の防衛本能が警鐘を鳴らした。が、それは遅い。

 

「むぅん!」

 

 鼻先に上から下に通り抜ける衝撃。

 一瞬、見えたあの影はナルトと呼ばれた人間の姿に酷似していた。

 

 ──くそガキがァ……。

 

 殴り付けられた衝撃で放とうとしたチャクラが霧散した。再び放つには僅かな時間ではあるが、溜めが必要だ。

 その隙を見逃すブン太ではない。距離を詰めてくるブン太を迎撃しようと守鶴は体勢を整える。

 

「作戦失敗じゃが……ようやった、ナルト、ガマ吉!」

「!?」

 

 殴り付けた反動でブン太の近くまで跳んだナルトをブン太の右腕が優しく捕らえる。

 

 “作戦失敗”。嫌な予感がする。

 ブン太の頭に乗るナルトがボンッと白い煙に包まれた後、小さな蛙が姿を表した。

 変化の術だ。変化の術でナルトの姿に化けていたガマ吉が変化の術を解いたのだと守鶴は理解した。

 嫌な予感がする。

 

 守鶴ではなく、いつもの冷静な我愛羅であれば、ナルトとブン太、そして、ガマ吉が立てた作戦の正体にすぐに気がついたことだろう。

 その作戦。

 何らかの攻撃で彼ら三人の姿が隠れ、守鶴の目から見えなくなった時が作戦開始の合図となる。

 隠れた時に、まず、ガマ吉がナルトの姿に変化する。次いで、ブン太がナルトを上空に放り投げ、放物線を描きながら守鶴の額にナルトを着地させ、術で眠る我愛羅をナルトに小突かせて起こさせる。

 

 だが、守鶴がチャクラを口内に集めたことでナルトは我愛羅を攻撃するのではなく、守鶴の攻撃を妨害した。それは、ブン太とガマ吉を守るための行動。つまり、我愛羅はまだ起きない。作戦失敗だ。

 

 ここにいるのは砂隠れの忍の我愛羅ではない。

 ただ殺戮兵器として扱われ続けた守鶴であった。彼には作戦を見抜く戦術眼も、そして、作戦が失敗した後に彼らがどうするのかも予測し得ない。

 

 諦めない心。そのことが守鶴には理解できなかった。

 

「行けや! ナルトォ!」

「応ッ!」

「うらァ!」

「!?」

 

 だからこそ、ブン太がナルトを自身に向かって全力で投げるなど予想し得るハズがなかったのだ。

 

「我愛羅よ!」

 

 ごうごうと空を切って進むナルトは耳元を通りすぎる風に負けないように声を上げる。

 

「己は!」

 

 恐ろしい勢いで流れる景色に負けないように声を上げる。

 

「貴殿を救う!」

 

 傷つき、涙を流した()を助けるために声を上げた。

 

 守鶴が手を上げてナルトを止めようとしたのは、遅きに失した。

 オレンジ色の軌跡を靡かせながら、ナルトの体は我愛羅本体に肉薄していたのだ。迫るナルトを防ごうとした砂の盾が我愛羅を守るように自動的に動き、五重の砂の壁を作るものの、ナルトの体の勢いを完全には止めることはできない。

 

「ぬん!」

 

 ナルトの額と我愛羅の額がぶつかり合った。

 

 ──よっしゃ! 霊媒が寝入ってから、そう時間も経っとらん。今の状態なら、この一撃で十分……過ぎるな。死んじゃあねぇかの? 大丈夫か? 

 

 ブン太の心配ももっともである。ここで改めてナルトの身長と体重を確認しておこう。

 忍者学校の卒業時は身長196cm、体重115kg。更に修行を重ねた結果、体重は増え、118kgにまで至った。

 

 十二分な威力を発揮したナルトの体は我愛羅の目を覚ますことに成功し、そして、再び意識を失わせ、更に激しい痛みにより再覚醒させることに成功した。

 

 ──術が……破れる!? 

 

「チクショウがァアアア!」

 

 その言葉を最後に、守鶴の砂体が崩れていく。

 

「ガマ吉。帰るで」

「え? なんでじゃ、親父!?」

「ここから先はあいつらだけのもんじゃ。漢にはのォ……友の闘う姿をあえて見ねェ心意気っちゅーもんがあるんじゃ」

「よくわかんねェよ」

「お前にもいつか分かる時が来る。行くで」

 

 そう言って、ブン太とガマ吉は姿を消した。

 

 あとに残されたのはナルトと我愛羅の二人だけ。

 地に立つナルトと地面に横たわる我愛羅の二人だけだった。

 

 +++

 

 あの日よりも強い目をしたヒルゼン。

 

「かつての過ち。もう取り返せはできぬが、ここで貴様の野望を葬り去る!」

「できますかねぇ? 今のアナタに」

 

 あの日、木ノ葉を抜けた日。その日に、肩越しに見た三代目の顔は失望と後悔の色が混ざっていた色が浮かんでいた。

 

「もう……遅すぎるのですよ」

 

 それは今のヒルゼンとは違い、弱い目であった。

 戦いは進み、猿魔は蛇で拘束され、そして、ヒルゼンのチャクラは感じとるのが難しいほど少なくなっている。その上、何かあっても対応できる布石として、草薙の剣をヒルゼンの後方に投げ捨てている。

 

 ──私の勝利は揺るがない。

 

 大蛇丸は目を伏せた。

 

 もう遅い、もう遅すぎる。あの時、四代目火影に推薦していれば、いや、自分の力を認めてさえいれば、このような状況にはなっていなかった。ヒルゼンの優雅な隠居生活を保障していた。

 それなのに……。

 

「猿飛? 何を?」

 

 猿魔の声で大蛇丸は目を上げた。次いで、目を丸くする。

 

 ヒルゼンが一直線に向かって来ていた。

 

 ──体術勝負? 

 

 ヒルゼンは全盛期ほどのキレがある動きはできない。それにも関わらず、全盛期と変わらない動きができる大蛇丸に向かってくるなど愚の骨頂。

 有り得ない出来事で大蛇丸の反応が遅れる。

 

 目の前まで迫ったヒルゼンの手刀を何とかいなすことができた大蛇丸の指に、ヒルゼンの指が絡められる。それも一度や二度ではない。

 幾度も組まされた指。それに心当たりがあった。

 

 ──双蛇相殺の術? ……いや、違う。この私が見たことのない印? 一体、何を? 

 

 術者が他者と印を組む術。

 双方に効果を及ぼす術だと大蛇丸は気づいた。が、自分が開発した双蛇相殺の術の印ではない。好奇心が頭をもたげてしまったため、振り払うのが遅れてしまっていた。

 慌てて蹴りを繰り出すが、今回は先ほどとは違い、軽々と避けられた。

 

 元の位置まで戻ったヒルゼンは静かに口を開く。

 

「大蛇丸よ」

 

 もうヒルゼンに打つ手はないだろうと侮っていた。

 だが、違うと大蛇丸は唇を噛み締め、気を締め直す。

 

「木ノ葉の里はワシの住む家じゃ。火影とは、その家の大黒柱として家を守り、立ち続ける存在! それは木ノ葉の意思を受け継ぎ、託す者。簡単にはゆかぬぞ!」

「戯れ言を……。アナタは木ノ葉という組織の歴史の中の一時の頭に過ぎない! 残された顔岩とて、やがて、風化し朽ちていく!」

「ワシにとって……木ノ葉の忍びにとって、木ノ葉の里は、ただの組織などでは決してない!」

 

 三代目火影、猿飛ヒルゼンが思い起こすのは、顔だった。

 初代火影の、二代目火影の、ホムラの、コハルの。そして……。

 自来也の、綱手の、大蛇丸の。

 

「この木ノ葉の里には毎年、多くの忍が生まれ、育ち……」

 

 顔だった。多くの顔だった。

 

「生き、戦い、里を守るため、そして、大切なものを守るため死んでいく……」

 

 息子たちの、そして、孫の顔だった。

 

「そんな里の者たちは例え、血の繋がりがなくとも……」

 

 四代目火影の顔がまっすぐに自分を見つめていた。

 

「ワシにとって大切な……大切な……」

 

 そして、小さなナルトの。

 

「家族じゃ!」

 

 大きくなったナルトの顔が自分をまっすぐに自分を見つめていた。

 

「なればこそ! ワシはお前に勝ち! ナルトがこれ以上、筋肉を広めないように教育せねばならぬ!」

「ならば、その柱……アナタを叩き折り、木ノ葉の家を……え? ナルトくん? 筋肉? ……え?」

「筋肉隆々の人間が! 一人ではなく! 何人も! 里の中を闊歩している夢を見て! 飛び起きたことがお前に一度でもあるというのか! 大蛇丸! 今のお主には! この恐怖を! いくら言葉を尽くして語ろうが! 分からんじゃろう!」

 

 ──過去の私でも、未来の私でさえも、そんなこと分かる訳ないじゃない! 

 

 大蛇丸は言葉を飲み込んだ。飲み込むしかなかった。

 三代目火影から発せられる気迫が大蛇丸の行動全てを押さえつけていた。

 

「封印術 屍鬼封侭!」

 

 そして、行動を押さえつけられた故に、ヒルゼンの術の発動を防ぐことは叶わなかった。

 

「何よ、この術……?」

「お主が知らぬ術じゃ」

「だから、何だって言うのよ!」

「四代目火影が開発した封印術 屍鬼封尽。それをワシなりに改良した術じゃ」

 

 ヒルゼンの後ろに現れたのは白い死装束を纏った人型。

 長い髪はボサボサで手入れを一度もしたことがないよう。角が生え、長い舌を出すその顔は飢えた鬼のよう。

 そして、こちらの心臓を真っ直ぐに見据えるその黒い目は死神のようだった。

 いや、それは正しく死神。理を越えた不条理な存在だ。

 

 それはゆっくりと上空に浮かび、大蛇丸と、そして、ヒルゼンを睥睨する。上位者としての立ち振舞いであった。

 

 体が動かない。

 いや、正確には動く。だが、できるのは身動ぎ程度。この状態で戦闘をするなどもっての他だ。

 生物としての格が違う上位者の前では、人間は蛙に成り下がる。蛇に睨まれた蛙に成り下がってしまう。

 

 すっとヒルゼンが左手を上げる。

 

「!?」

 

 直感。

 何が起こるのかは知らない。だが、何も起こさせてはならない。

 大蛇丸の判断は早かった。切り札を早々に切る。

 

「死ねェ!」

 

 宙に浮いた草薙の剣がヒルゼンの背中めがけて飛ぶ。

 

「猿飛!」

 

 猿魔が叫ぶが、時すでに遅し。

 刃がヒルゼンの背中を刺し貫くまで、残り1cm。

 

「フン!」

「え!?」

 

 草薙の剣が弾き飛ばされた。

 

 ──これは……今のは……。

 

「大蛇丸よ。ワシの異名を忘れたか?」

「……教授(プロフェッサー)

「ワシはこの里に現存する全ての術を扱うことができる。無論、ナルトの技もじゃ」

 

 攻撃を受ける場所を予期し、その箇所からチャクラを放出することで攻撃を無効化する。

 カブトからの報告で、その技術をナルトが使えることは大蛇丸も知っていた。だが、痩身のヒルゼンが扱うことができるとは全く考えになかった。

 

 それが致命的な思い違い。

 筋肉はなくとも少量のチャクラさえあれば、ヒルゼンにとっては再現可能な技である。

 

「お前の野望はここまでじゃ」

「私の野望が終わる?」

 

 予測の範疇になかった。

 あの年で進化を続けるなど予想していなかった。

 

「私の野望は止まらぬ! アナタはここで殺す!」

「大蛇丸よ。貴様の野望に、これ以上、里は関わらせん」

「この老いぼれが! この状況を見てみなさい! この里には私の部下を含め、砂隠れの忍どもも攻め込んで来ている。アナタ方、木ノ葉の忍は女子供一人残らず、全滅ですよ」

 

 大蛇丸は額に汗を浮かべながら、声を荒げる。

 

「木ノ葉崩し、ここに成る!」

 

 大蛇丸は改めて宣言する。

 だが、その言葉には力がない。

 

「先ほども言ったじゃろう?」

 

 対して、ヒルゼンは静かに言葉を紡ぐ。

 

「木ノ葉の忍は強い!」

 

 ヒルゼンの言葉には力があった。

 

「木ノ葉の忍は皆、里を守るため……命懸けで戦う。この世の本当の力とは忍術の極めた先などにありはしない。かつてお前にも教えたハズじゃ」

「……」

「大切な者を守る時、真の忍の力は表れるのだと」

「御託はいい」

「フン……まあ、いい。今さらお前を許す気もない。術に溺れ、術に傲ったお前には、それに相応しい処罰を下す」

 

 ヒルゼンは左手に続いて、右手を上げた。

 

「お前の術を全て貰ってゆくぞ」

「な……何だと!?」

 

 ヒルゼンの後方に浮かぶ死神が両手に小刀を構える。

 

「やめろォ!」

 

 叫ぶ大蛇丸。

 

「封印!」

 

 その声に負けないようにヒルゼンが声を上げると、小刀を構えた死神がヒルゼンの両手に向かって小刀を振り下ろす。

 その死神の力は大蛇丸にも伝播した。

 

「クッ!」

「グッ!?」

 

 両腕からなくなる力。そして、肩から指先にかけて赤黒くなっていく両腕が痛みを発する。

 

 大蛇丸は信じられないものを見るかのように、腕からヒルゼンへと視線を向けた。

 

「これで両腕は使えぬ。両腕が使えぬ以上、印も結べぬ。お前に忍術はもはや無い。もっとも、ワシも同じじゃがのォ」

「アナタと私の腕が等価値なわけないじゃない! 私の腕はこの世の真理を明らかにするもの! アナタの腕とは価値が違う!」

「そうじゃな。皆を守るワシの腕の方が価値があるわけじゃ」

「この老いぼれがッ! よくも! よくも私の術を!」

 

 ヒルゼンは爽やかな笑みを浮かべた。

 

「木の葉舞うところに火は燃ゆる」

 

 それは昔と変わらないヒルゼンの笑顔。

 

「火の影は里を照らし、また木の葉は芽吹く」

 

 大蛇丸の記憶にある師としての笑顔だった。

 

「連綿と紡がれてきた火の意思は途絶えぬよ」

 

 現実に引き戻すかのように、両腕の痛みが激しくなる。

 

「グゥウウウ……」

「大蛇丸様!」

「……作戦はここまでよ。結界はもういい……帰るわ」

「ハッ!」

 

 結界を張り続けていた四人の音の忍に声をかけた大蛇丸だったが、彼はこの場所にいる二人の存在を忘れていた。

 

「三代目火影。どうする?」

「四人とはいえ、ボクたちと……結界の外の暗部の方が協力すれば確実に止めを刺せますが?」

「くっ!?」

 

 再不斬と白。

 初代火影と二代目火影との戦いでチャクラを多く使ったとはいえ、戦闘続行が可能である二人。再不斬は少しの傷があるとはいえ、その再不斬以上の才覚を持つ白に至っては傷一つない状態だ。

 ここでの追撃は、それこそ、全滅を意味する。

 

「……」

「そうか」

「なら、仕方ありませんね」

 

 だが、ヒルゼンは口を噤む。噤んでしまった。

 

「行くわよ!」

「ハッ!」

 

 その隙に、結界を解いた四人は大蛇丸を抱え上げ、その場を離脱した。

 結界が解かれた瞬間、三代目火影の元に一人、結界の外に残った暗部の隊長が馳せ参じる。そして、三代目火影の腕を見て、仮面の奥で顔をしかめた。

 

「三代目! 腕が!」

「気にするでない。それよりも先にお主にして貰いたいことがある」

「は……ハッ!」

「ワシの言う通りに印を組むのじゃ」

 

 三代目火影の指示通りに印を組み上げる暗部の隊長。だが、何も起こる様子はない。

 

「白よ」

「はい」

「初代様と二代目様の封印術を解いてくれぬか。もう大丈夫じゃ」

「わかりました」

 

 シャンと軽い音と共に氷が割れた。そして、氷から解かれた初代火影と二代目火影の体から紙が舞い、そして、紙の中から人が出てきた。

 屋根へと倒れ込む二つの体。そして、コロコロと体から別たれた頭部が屋根から地面へと落ちていく。再不斬がサイレントキリングで刀を振るった時の傷が生贄となった二人にフィードバックされた結果だろう。

 

 その様子を痛ましい顔をしながら三代目火影は見送ることしかできなかった。

 

「すまぬ……ミスミ、ヨロイ」

 

 項垂れた後、暗部の隊長に目を合わせ、三代目火影は再度、同じ言葉を口にする。

 

「……すまぬ」

 

 そう言って、倒れ込む火影の体を受け止める暗部の隊長は、一度、大蛇丸が去っていった方向を睨み付けた後、戦闘でボロボロになった試験会場を見遣る。

 

 そこには互いを守り合い、戦いを続ける木ノ葉の忍の姿。

 

「カカシ! 奴ら動いたぞ。追うか!?」

「いや、待て。ガイ!」

「そう……上の状況情報がない状態であまり好き勝手に動き回ると、敵の罠にハマりますよ」

「そんなことは百も承知だ。罠があろうと無かろうと、こんな時に敵を見逃すわけにはいかん。……それが木ノ葉の忍だ」

「面倒ですね」

「テメェ……」

「ザジ、迂闊に動くな」

「でも、ゲンマさん!」

 

 冷静を保っていても、内心、カブトは焦っていた。

 目の前の木ノ葉の忍──カカシ、ガイ、ザジ、ゲンマ──同様、カブトも三代目火影と大蛇丸の戦いの行方が分からない。

 だが、大蛇丸の逃げる姿を見て、木ノ葉崩しは失敗したのだと理解していた。三代目火影を殺害できていたとしても、大蛇丸が重傷を負ったことは明らかだ。

 だが、ここで冷静さを失うと追撃に晒されることは必至。だからこそ、カブトは余裕ある自分を演出してみせた。元々、スパイとして各国を渡り歩いてきたカブトだ。この程度の演技など造作もない。

 

「行きましょうか、バキさん」

 

 彼は最後まで役者であった。

 

「では……またいずれ」

 

 仰々しく頭を下げたカブト。

 最後に、奴らの悔しがる顔を見てやろうと顔を上げる。それがいけなかった。

 

「!?」

 

 目の前に二つの拳が迫っていた。

 

「ぐふゥ!」

 

 二つの拳が両頬に入り、後ろに転がるカブト。

 

「言ったろ、カブト。オレはお前をブン殴りたいって」

「ついでに言うと、オレも言った」

 

 ズレた眼鏡を直したカブトの視界に入るのは、取るに足らない相手と考えていたザジとゲンマの姿。

 殺意を噴出させるカブト。大蛇丸にカカシと同程度の実力と認められたカブトにとって、ザジとゲンマから攻撃を入れられるのは、到底、認められるものではなかった。

 

「カブト、引くぞ」

「……」

 

 バキの声でカブトは冷静さを取り戻す。

 そもそも、バキがザジとゲンマの攻撃を防げないハズがない。バキはカブトが攻撃されたとしても助けず、動かず、声も上げていない。

 つまり、周りは敵と日和見主義の臆病者だけ。そして、風影の真実を知れば、バキも自分たち“音”に牙を向くことは容易に想像できた。

 

 ならば、ここから早く立ち去り、大蛇丸を回復させなければならない。

 そうして、他里を大蛇丸の力で牽制する。そうしなければ、自身の研究も進まない。

 

 ザジとゲンマを殺す時間はない。もっとも、時間があったとしても、後ろに控えるのは自分と同等の力を持つカカシとガイ。

 退くのが得策である。

 

 怒りを収めたカブトはゆっくりと立ち上がる。

 

「ザジくん」

「なんだ?」

「いつか会う機会があったら……」

 

 カブトの目は大蛇丸をも彷彿とさせる殺意が込められていた。

 

「真っ先に君を殺すよ」

 

 それだけの言葉を残し、カブトはバキと共に瞬身の術で姿を消した。

 カブトとバキの撤退。それを見て、木ノ葉隠れの里に侵入していた砂と音の忍たちは一斉に逃げ出す。

 

「ふぅー。終わったね」

「まだまだオレは戦えるぞォ!」

「いや、いいから。それよりも火影様だ」

「確かに! 先に行くぞ、カカシ!」

「はーい」

 

 ガイを先に行かせたカカシはザジに目線を向ける。

 

「そう落ち込むな」

「けど……」

「カブトは強い。下手すれば、オレ以上だ」

「オレは……オレは何もできてなかった。ゲンマさんに助けられ、カカシさんとガイさんに来てもらって……それでもアイツを逃がした」

「……」

「オレはナルトたちに最高の試合解説を誓ったのに、試合を潰した奴らを一人も倒せなかった」

「いや、殴り倒したでしょ」

「え?」

 

 呆けたザジの頭をゲンマがグリグリと撫でる。

 

「最後にオレとお前でアイツをブン殴ったのを忘れたのかよ。カブト相手に殴ることができる中忍なんてお前以外、いやしねーよ」

「ゲンマさん……」

「それに、お前の解説が……情熱が試合をより良いものにした。胸を張って言えるお前の成果だよ」

「ゲンマさん……オレ……オレ……」

 

 涙を浮かべるザジに向かってカカシは頭を下げた。

 

「部下の……ナルトとサクラ、そして、サスケのために情熱を込めて解説をしてくれて、台無しにされたことに怒ってくれてありがとう」

「はい……はい!」

 

 袖で涙を拭い、ザジは上を向く。

 

「それじゃ、オレはアイツらを迎えに行かなくちゃならないから、三代目のことは頼む」

「ええ、任せてください」

「はい!」

 

 少し笑い、試験会場を後にしたカカシは気を引き締める。

 まだ終わっていない。

 

「面倒なことになってなければいいが……。いや、なってるだろうな」

 

 溜め息を大きく吐いて、カカシは諦めたように笑う。

 

「ナルトの奴、何かやってくれてるだろうな」



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木ノ葉崩し、終結

 戦闘が終わった。砂ももう吹き飛ばされたのか、二人の間には何も遮るものはなかった。

 横たわる我愛羅にナルトはゆっくりと近づく。

 

「くッ……来るな!」

 

 怯え。

 ついぞ、我愛羅が感じることができなかった感情だ。いや、それには語弊がある。

 

「オレの存在は消えない……消えないのだ! 消えて堪るか!」

 

 他者に我愛羅が怯えることはない。我愛羅が怯えるのはただ己の内から出る感情。孤独という感情だけだ。

 

 ──バケモノ。

 

 ──死ね。

 

 ──それか……係わるな。

 

 ──バカ。

 

 ──見るなって。

 

 ──どっかいけ! 

 

 独り。

 誰も我愛羅を見ることはない。誰もが遠巻きにして、見ているようで見ていない。

 我愛羅の心を見ている人間は一人としていなかった。

 

 いや、一人、たった一人だけいた。が、その一人からも恨まれていた。そう語っていた。理解者であると思っていた、叔父である夜叉丸はそう語って死んでいった。

 

 だから、他者を喰らうことでしか自分を表現できない。

 他者の中に自分を残すことができないからこそ、生き抜くことでしか自己を確立できない。

 

 今、まさに自分が消えてなくなる恐怖を我愛羅は味わっていた。

 

 動かない体。切れたチャクラ。そして、砂の盾すら動かない。

 

 敵はゆっくりと自分の頭の横に膝を突く。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 

 自らの命はまさに風前の灯火だ。

 かくして、敵の、うずまきナルトの手が我愛羅に向かって伸ばされた。

 

「辛かったな」

「!?」

 

 暖かい。

 強く優しく、そして、逞しい腕に抱き止められている。

 少し、苦しい。だが、何故だろうか? その苦しさが、とても安心する。

 

 この感覚。覚えがある。記憶にはない。だが、この体が覚えている。

 だからなのだろう。普段は自動で我愛羅を守る砂の盾が動かなかったのは。

 

 我愛羅はナルトの腕の中で震えながら口を開いた。

 

「何で……? 何でお前は他人の、敵のオレのためにそこまで」

「貴殿が悲しい目をしていたからだ」

 

「ただ一つだけ、心の傷を癒せるものがあります」

 

 幼い頃には、いや、今の今まで理解できていなかった。

 

「ただ、これは厄介な薬で他人からしか貰うことができません」

「………………何?」

 

 覚えているのは一つだけ。

 

「愛情です」

 

 暖かだったことだけだ。

 

 愛情。それも夜叉丸が語った愛よりも大きく深い。自分の身近な大切な人だけではなく、こいつは……。

 

 ──ああ、だから、こいつは強いのか。

 

 敵にも愛を向ける。

 忍としての所作ではない。裏切りや騙しが跋扈する忍世界で、そのような甘い考えでは自分だけではなく、味方にも危機をもたらすだろう。

 だが、この漢ならば。そう思わせられる、何かがあった。今までの忍世界を変え、そして、よりよい世界に導く。

 この漢についていき、そして、いつの日か並び立ちたい。そう思わせる何かがあった。

 

 しかし、もう遅い。

 自分がやってきた所業は到底、許されるものではない。音が持ちかけた計画とはいえ、木ノ葉崩しに砂が、そして、自分が荷担していたのは紛れもない事実。

 木ノ葉の忍からしてみれば、許されざること。

 

 もう、この漢と会うこともないだろう。

 

 精一杯の虚勢を張り、我愛羅は体中の力を振り絞って、ナルトの腕から逃れる。彼の愛を受けてはならない。そう感じたからこその行動だ。体を離し、ふらつく足でナルトから更に距離を取ろうとする。

 と、我愛羅の前にナルトから紙束が差し出された。

 

「これは……?」

「己が辛い時に何度も読み返した書物だ。もう……」

 

 少し寂しそうな顔したナルトだが、それは一瞬のこと。すぐに元の自信が溢れた顔つきに戻る。

 

「もう、己には必要ない」

 

 そう言って、ナルトは我愛羅の手に優しく紙束を握らせる。

 それはお世辞にも綺麗とは言いがたい。何度も捲られたのだろう。

 端はボロボロになっており、薄汚い。手垢がついており、汚い。破れた箇所をテープで止めており、醜い。

 

 だが、それには情熱があった。剥き出しの心が、そこにはあった。

 

「いい……の?」

「無論」

 

 我愛羅は目を瞑り、両腕でその紙束をぎゅっと抱き締める。

 小さな少年が宝物を大切に、大切にするように。

 

「我愛羅!」

「無事か!」

 

 守鶴の巨大な姿が消えたことで戦闘が終わったのだと判断したのだろう。

 テマリとカンクロウが我愛羅の隣に駆けつけた。

 

「我愛……羅?」

 

 テマリは動かない我愛羅に顔を寄せる。

 

「!?」

 

 泣いていた。

 あの無表情で感情がないような振る舞いをしていた我愛羅が感情を表に表していた。年相応の小さな少年の振る舞いだった。

 

「ッ!」

「!?」

 

 テマリは思わず、弟を抱き締める。今の我愛羅は今までとは違い、恐ろしくはなかった。それどころか、この小さな生き物を守らねばという感情に駆られる。

 力強く我愛羅を抱き締めるテマリを見たカンクロウはナルトに視線を戻す。

 

「ナルト」

「む?」

「砂の忍として礼は言えねェ。アンタらの里を攻撃したのは、どう言い繕っても事実だ。礼を言うのは筋違い。けど……」

 

 カンクロウは晴れ晴れとした顔を浮かべた。

 

「我愛羅の兄として礼をいう。うずまきナルト」

 

 頭を下げる。

 

「ありがとう」

 

 その言葉を最後に、カンクロウはテマリと共に我愛羅に肩を貸し、姿を消した。

 森の中を砂隠れの里に向かって担がれながら移動する中、我愛羅は呟く。

 

「テマリ、カンクロウ」

「ん?」

「なんだ?」

「……済まない」

 

 テマリとカンクロウは顔を見合せ、軽く微笑み合った。

 

「別にいいって」

 

 木ノ葉から去る三人の足取りは、木ノ葉に来るときとは違って、とても軽やかだった。

 

 我愛羅は木ノ葉隠れの里に来てからの出来事を思い起こす。

 

「聞き忘れていた。そこの……名は?」

「うずまきナルト」

「ナルト……か」

 

 初めてナルトと出会った時のこと。

 

「オレの……愛すべき部下だ」

 

 リーとの戦い。彼を庇ったガイの立ち姿。

 そして、病床のリーを殺そうとした時、ナルトとシカマルに止められたこと。

 

「どうやら六歳を過ぎた頃、オレは危険物と判断されたらしい。オレは里の危ない道具として丁寧に扱われていただけのようだ。奴らにとって、今では消し去りたい過去の遺物だ。では、オレは何のために存在し、生きているのか? そう考えた時、答えは見つからなかった。だが、生きている間はその理由が必要なのだ。でなければ死んでいるのと同じだ」

「何、言ってんだ……コイツ」

 

 我愛羅はふっと笑みを浮かべる。

 

「では、トレーニングをしては如何か?」

 

 そうだな。それがいい。

 もし、また会うことができたのなら。

 自分を救ってくれた漢に胸を張って会えるように、心身を鍛えなければならない。

 

 我愛羅はもう一度、笑い、そして、顔を上げた。

 

 木の葉から漏れる太陽の光は暖かく、そして、美しい。生まれ直した我愛羅を祝福しているかのようだった。

 

 +++

 

 残されたナルトは彼らをただ見送る。彼らの未来に幸あれと願いながら、見送っていた。

 

 すっと目を閉じ、踵を返したナルトは草むらに向かって声をかける。

 

「無事か?」

 

 草むらを掻き分けて3人の忍と一匹の犬が姿を表した。

 

「ああ」

「うん」

「もちろんだ」

「うむ」

 

 サスケ、サクラ、シノ、そして、パックンだ。

 サクラを連れ、ナルトと我愛羅の戦闘区域から脱出したサスケは、パックンに連れられたシノと合流。そして、戦闘が終わるまで待機していた。ナルトと我愛羅の闘いを邪魔しないように、そして、ナルトと我愛羅の交流を邪魔しないように。

 

 だが、もう全てが終わった。木ノ葉崩しは終結だ。

 

「ナルト、怪我はない?」

「無論」

「ウスラトンカチが」

「む!?」

 

 サクラに強がって見せたナルトだが、サスケが軽く胸を小突くと、力が抜けたように座り込む。

 

「あんな戦い方していたら、チャクラがすぐ切れるだろうが」

「……むぅ」

「確かにね。それとサスケくんも」

 

 サクラがサスケの肩を上から下に押すと、先ほどのナルトと同じようにサスケも地面に座り込む。

 

「……お前もだ」

「キャッ!」

 

 むすっとした表情のサスケがサクラの手を引っ張ると、サクラも堪えきれず座り込む。というよりサスケの体に倒れ込む。

 

「……すまん」

「え……えっと、うん」

 

 慌てて体を離す二人を見て、ナルトは優しい笑みを浮かべた。

 

「おい、ナルト」

「気にするな。己は空を見上げておく」

「おい!」

「今はオレの蟲たちと、この忍犬が辺りを警戒している。少し休息を取った方がいいだろう。ナルトの言う通り、オレも空を見上げておく」

「シノ! テメェもか!」

 

 頬を赤に染めるサスケとサクラ。その二人を見て、誰からともなく笑い声が溢れる。

 

 ひとしきり笑った後、それぞれ、横になり空を見上げる四人。

 今回の闘いはそれぞれが現時点で発揮できる最高のパフォーマンスを、いや、限界をも越えたパフォーマンスを発揮した。

 チャクラ、スタミナ、精神力。全てを使いきった故に、求めるのはただ一つ。休息だ。

 

 彼らが空を見上げてから、まもなく四つの規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

 そんな少年少女の寝顔を見つめながら、忍犬──パックン──は呟く。

 

「やれやれ。これにて一件落着、かの。そうだろう?」

「ま! そうだな」

 

 少しの音も立てずに、パックンの後ろにカカシが降り立った。

 パックンと目を合わせたカカシは、彼と頷き合う。

 

「しばらくはこのままにしてようか」

「それがいいじゃろう」

 

 きっと、今日の経験は彼らにとって大きな糧となる。だが、糧をしっかりと消化するには時間が必要だ。栄養を体に行き渡らせ、自らの体を作っていく。

 身体も、そして、精神も同じだ。強くなるために必要なフローに差異はない。

 

 そのことを理解しているからこそ、カカシは待つ。

 部下たちを誉めるのは、その後でもいいと考えながら、木漏れ日の下で未来に想いを馳せるのであった。

 

 +++

 

 倒れた三代目火影を医療班に渡した暗部の隊長はすぐさま、恩人たちの元へと駆け寄る。

 礼を失しては木ノ葉の忍の名折れ。あってはならないことだ。

 

「礼を言う。再不斬、白。そして、恩賞は必ずする。だが、しばらく待ってくれないか? 里の混乱が収まってから……」

「要らねェよ」

「え? しかし!」

「知るかよ」

 

 再不斬ににべもなく断られ、暗部の隊長は困惑の表情を仮面の奥で浮かべる。

 

「だが、今のお前たちは霧の抜け忍だろう? これからは我々、木ノ葉がお前たちの後ろ楯になる。そのぐらいのことをお前たちはしてくれたの」

「雇われているんだよ、オレたちはな」

「ええ」

 

 再不斬に続いて白も頷いた。

 

「行くぞ」

 

 ──待ってくれ! 

 

 二人にそう声を掛けようとした暗部の隊長だったが、二人は唐突に足を止めた。

 彼らの前から三人の人影が姿を表したからだ。

 

「再不斬、白。私もナルトさんには会いたいのだが」

「そうだ、オレたちも会いたい!」

「お前たちだけズルいぞ!」

「うるせェ!」

 

 どうやら、二人の知り合いだと暗部の隊長は当たりをつける。前に立つ小柄な一人はサングラスをかけており、素顔を見ることはできない。そして、その小柄の人物の後ろにいる二人は黒いフードをかぶっており、こちらも顔が分からない。

 だが、再不斬の態度から、ある程度気心の知れた仲であろうことは想像に難くない。

 

「その方は……」

「ああ? こいつらか? どうでもいい奴らだ」

「そんな言い方ないだろう!」

「ふふ……」

「白も笑うな!」

「いえ、再不斬さんが本当にどうでもいい人を呼ぶ時は“使えない道具(ジャンク)”と呼ぶので」

「……」

 

 小柄な人物はパァと明るい笑顔を浮かべる。

 それを見て、暗部の隊長は心の中で首を傾げる。暗部という忍の中でもトップクラスの実力を持つ者しか入れない部隊、その隊長として選ばれた彼の観察眼は並みではない。

 小柄な人物が再不斬がいう“雇い主”だということを見抜いていた。だが、抜け忍を雇うようなものはアングラなものしか有り得ない。正規の忍に依頼できないような後ろ暗い任務を依頼する時に、足のつきにくい抜け忍を雇うものだ。

 だが、雇い主と思しき小柄な人物はとてもではないが、アングラな場所にいたことがあるような性格ではない。人前で子どものような笑顔を浮かべるなど、それこそ、有り得ない。

 

「私は木ノ葉隠れ、暗部の所属のため名を明かすことができず申し訳ない。あなたが再不斬と白を雇った方と見受けられますが、お名前を頂戴しても?」

「ああ、これはご丁寧に。そして、ご挨拶が遅れ申し訳ありません」

 

 一度、暗部の隊長に頭を下げた小柄な人物は、改めて名を名乗る。

 

「私はガトー。ガトーカンパニー社長のガトーと申します。そして、この度の被害に対して援助を申し出ます」

「え? ガトーカンパニーが? 気持ちはありがたいのですが、私の一存ではどうも……。木ノ葉のご意見番との会談を進めさせていただきますので、しばらくお待ち願えますか?」

「ええ、もちろんです。……再不斬、白。お前たちもそれでいいよな?」

「勝手にしろ。オレは先に出る。……ゾウリ、ワラジ」

 

 再不斬はガトーの後ろに控える二人に声を掛けた。その二人は波の国でナルトたちと敵対していたガトーの用心棒の二人だ。

 

「ん?」

「どうした?」

「お前らはガトーに着いとけ」

「ああ。それは言われなくても、そうするが……」

「いいのか? ナルトさんに会わなくても? なあ、白もそう思うだろ?」

 

 ワラジが白に尋ねるものの、白は首を横に振る。

 

「少し残念ですが……ボクも再不斬さんと同じ気持ちです」

「なんで!? 用事でもあるのかよ?」

 

 溜め息を吐いて、再不斬は首を鳴らす。

 

「修行だ」

「まだまだボクたちは強くなりたい。今回のことで改めて、そう思いましたから」

 

 一度、頭を下げた白は暗部の隊長を見つめる。

 

「それに……礼なら彼に」

「彼?」

「ええ。いずれ、この里の火影になる……」

 

 白は視線を上に、今は四つの顔が刻まれている木ノ葉の象徴に向けた。

 

「……うずまきナルトくんに」

 

 言うべきことは終わった。

 そう雰囲気を醸し、再不斬は踵を返す。

 

「行くぞ、白」

「はい」

 

 それだけの言葉を残し、再不斬と白は去っていく。

 

「ありがとう!」

 

 せめてもと、足りないとは分かっていても、言葉だけでも感謝を示したかった。

 暗部の隊長は彼らに向かって深く、深く頭を下げる。

 

 ──本当にありがとう。

 

 暗部の隊長が頭を上げると、彼の視界の奥にいる再不斬がすっと右手を上げ、すぐに下ろした。

 

 それだけで十分だった。

 

「……ありがとう」

 

 掠れた小さな声が仮面の奥でくぐもった。

 

「それでは、これからの復興について話し合おうじゃないか」

 

 ガトーが声を張る。

 忍が感情を露にしてはならない。

 そのことを再不斬や白、それかゾウリかワラジから聞いたのだろう。だから、大きな声で隠した。

 

「忙しくなるぞ!」

 

 ずれた仮面を直し、暗部の隊長は大きく息を吸う。

 

「はい!」

 

 ここまでしてもらったのだ。

 ここで動かなければ男が廃る。暗部の隊長は大きく足を踏み出す。

 

 木ノ葉は強い。

 すぐに立ち直るだろう。ガトーの援助を受けて。

 きっとガトーも中忍試験本選でナルトとネジの闘いを見て感化され、援助を申し出たに違いないと暗部の隊長は考えていた。

 そして、ナルトに向かって心の中で謝意を述べるのだった。

 

 暗部の隊長は知らないことだが、かつてはアングラだったガトーを変えたのは波の国の小さな少年、イナリ。そして、イナリを変えたのは……。

 

 このことはここで語らずともいいだろう。

 暗部の隊長が謝意を述べる先は、結局のところ変わらないのだから。



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 戦いから二日後。

 大蛇丸が、音の忍が、そして、砂の忍がもたらした被害は甚大だった。

 時の火影、三代目火影は両腕を失い、今も意識が戻らない状態。建物や道路は忍術による爪痕がそのまま残っている。

 そして、この戦いで命を失った木ノ葉の忍も多い。

 

 だが、木ノ葉隠れの里には力があった。

 四代目風影が中忍試験前に殺害され、大蛇丸、もしくは彼の手の者が四代目風影として振る舞い、此度の事件を引き起こした。そのことを明らかにした砂隠れを許し、和睦の協定を結ぶ木ノ葉。里の復興を優先させるためとはいえ、恨みを流し、砂の忍たちを許した彼らの心の内はいかばかりか。

 

 失ったものを数え、そして、それでも前を向く木ノ葉の里の忍たちは三代目火影が大蛇丸に語ったように強い。

 小雨が降りしきる中、行われた合同葬儀でも未来を見据え、しっかりと立つ忍たち。カカシやガイ、アスマに紅といった上忍。中忍試験で試験官を勤めた忍たち。それに、サスケやサクラ。その同期とリーたち一つ先輩である下忍たち。

 他にも多くの忍たちが参列していた。

 

 その中で一際目立つのは常とは違う喪服に袖を通したナルトだ。

 葬儀が進む中、ナルトは隣に立つ恩師に向かって声を掛けた。

 

「イルカ先生」

「どうした?」

 

 険しい顔つきを崩さず、ナルトは静かに口を開く。

 

「己が背負うと決めた火影の名の重みが改めて理解できた」

「……」

「縁が繋がった者に、死を覚悟してでも里を守り通せと命を出さねばならぬのは……辛いことだな」

「……そうだな。人との繋がり。大切だから、皆、その糸を離さないように握ってる。その糸と糸を組み合わせて大きな、大きな布ができてる」

「それが火の意思」

「そうだ。だから、この戦いで死んでいった人たちの糸も無くなりはしないのさ。オレたちと組み合わさって、ほどけはしない」

「……重いな、火影は」

「だからこそ、オレたちが支える。そうだろ?」

「然り。今の金言、己の心に刻み付けよう」

 

 献花台に目を向けたイルカは一度、頷く。

 そして、未だ目を覚ますことができない三代目に向かって、心の中で呟く。

 

 ──木ノ葉隠れの小さな木の葉たちに、火の意思は受け継がれています。木の葉についた、その小さな火種はやがて強く大きく燃えて、またこの里を照らし、守るのでしょう。

 

 風がイルカの頬を撫でる。

 

 ──いつの日か新たな火影となって。

 

 雲の切れ間から光が差した。

 それは、木ノ葉の里のこれからを示しているようで、イルカは目を細める。

 

 ──がんばれよ、ナルト。

 

 言葉にしなくともよかった。

 隣に静かに佇む、この漢ならば言わなくとも努力を続け、そして、いつの日にか火影の座に納まり、この里を照らすことだろう。

 

 そう考えて、イルカは安心したように微笑みを浮かべるのだった。

 

 +++

 

「なあなあ、三代目のじいちゃん! オレってば、いつか火影になる!」

 

 思い出すのは、小さな小さな少年。

 父親譲りの金髪と碧眼。母親譲りの顔立ちと性格。

 そして、二人と同じ夢を持つ少年だった。

 

「そんで、里の奴ら全員にオレを見せつけてやるんだってばよ!」

 

 少年はキラキラした瞳で、そう語る。

 

「オレは……いや、己は……」

 

 少年の口調が変わった。雲行きが怪しい。そう感じた三代目火影は不安げな目付きで辺りを見渡す。

 

「火影となる。そして……」

 

 いつの間にか三代目火影を十重二十重と取り囲むように木ノ葉の忍が取り囲んでいた。

 いつの間にか、小さな少年は今の姿に変わっていた。

 

「己が筋肉を!」

 

 小さな体は大きく、見上げるほどに大きくなっていた。

 キラキラとした瞳は彫りの深い顔で影になり、窺うことはできない。

 

「皆に魅せつけよう!」

 

 キラキラとした筋肉が目の前に迫っていた。

 三代目火影、猿飛ヒルゼンはゆっくりと顔を右に向ける。

 

「オレも魅せつけよう!」

 

 筋骨粒々の男がいた。黒髪の端正な顔立ちの少年だったハズだ。

 うちはサスケだったハズの筋肉がそこにはいた。

 

 ヒルゼンはゆっくりと顔を左に向ける。

 

「私も魅せつけよう!」

 

 筋骨粒々の女がいた。桜色の髪が美しい少女だったハズだ。

 春野サクラだったハズの筋肉がそこにはいた。

 

 ヒルゼンは目を瞑る。

 

『オレの!』『私の!』『見てくれ!』『ナイスでしょ?』『最高じゃないか!』『フンッ!』『ハッ!』

 

 目を閉じていても声は聞こえる。衣擦れの音も聞こえてしまう。きっと目を開けたら、局部のみを隠した筋肉、いや、里の者たちが自分を取り囲んでいるのだろうなとヒルゼンは理解していた。

 ヒルゼンは耳を押さえ、しゃがみこむ。口を真一文字に閉じる。彼のその姿は三猿──見ざる、聞かざる、言わざる──を体現していた。

 

 ああ、これは夢じゃな。

 

 余談ではあるが、夢であることを自覚しながら見る夢のことを明晰夢と呼ぶ。さらに余談ではあるが、明晰夢は自分である程度、コントロールすることも可能だ。例えば、明晰夢の中では思うだけで空を飛ぶことすら可能になる。

 

 消えてくれ、とヒルゼンは願った。夢ならば消えてくれと、もう筋肉に囲まれたくないのじゃ、と願った。

 

 結論を言おう。

 無駄だ。

 

 自分でコントロールできるとはいえ、限度がある。筋肉を消すことなどできはしなかった。

 

 目を閉じていても、筋肉たちが自分に近づいてくる気配がする。耳を閉じていてもソイヤッソイヤッと囃子が聞こえてくる。口を閉じていても、喉の奥から悲鳴が出そうになる。

 

 幻術ならば、どれほどよかっただろうか。

 幻術返しをした後、術者を血祭りにあげることも厭わない。ハト派であるヒルゼンにそう思わせるほどに彼は追い詰められていた。

 

 縮こませた体に生暖かいものが当たり、離れ、そして、また当たる。ヒルゼンはさらに体を小さくさせるが、それを嘲笑うかのように生暖かい気配はぐるぐると自分を中心に円を描くように回り始めた。

 

 キャンプファイアを取り囲み、踊る人間を想起させる。

 もしくはかごめ唄か。いや、息づかいまで感じることができるほどの近さはスクラムを組んだラグビー選手のようでもある。

 

 ヒルゼンの体がガタガタと震え出す。

 それは久方ぶりに感じる恐怖。かつて、雲の金銀兄弟に命を狙われ、追われていた時よりも数段上の恐怖。

 これが正しく恐怖と呼ぶものだとヒルゼンは脂汗を全身から流す。

 

「じじィ! こっちだ、コレ!」

 

 孫の声だ。

 齢十にも満たない孫ではあるが、震える祖父を慮って助けに来たのだろうとヒルゼンは笑顔を浮かべ、目を開けた。

 

「見るんだ、コレ」

 

 成長した孫の姿がそこにあった。

 上腕二頭筋は丸太を思わせるほどに太く、腹直筋は6つに綺麗に割れている。

 

「──」

 

 叫んだ。

 声にならない大絶叫を上げた。

 

「ヒルゼン!」

「大丈夫か!?」

 

 隣から聞こえてきた声に弾かれたように反応する。

 ぼやけた視界の中、知己の顔が心配そうに自分を覗き込んでいた。

 

「ここは……?」

「木ノ葉病院の集中治療室じゃ」

「二日も目覚めんかったのじゃぞ」

 

 かつての班員、そして、今は自分を陰日向で支えるご意見番のホムラとコハルがそこにはいた。もちろん、筋肉はついていない。

 

「……筋肉は?」

「筋肉? ああ、お主の腕のことか。そのことじゃが……木ノ葉の医療忍者が総出でかかっても、壊死を食い止めることはできんかった」

「すまぬ、ヒルゼン。ワシらではどうすることもできぬ」

「……を」

 

 頭を下げる二人にヒルゼンは小さな、とても小さな声で声をかける。

 

「ん? どうした? 聞き取れなかったが」

「里のことか? 里は今、復興を進めておる。ガトーカンパニーが援助を申し出てくれての。想像以上に進んでおるから安心せい」

「……自来也」

「……そう気にするでない。自来也に五代目火影に推薦しようと言うのじゃろ?」

「此度の事件はお主だけの問題ではない。大蛇丸のことについては、何も気づけなかったワシらも同罪じゃ」

 

 言葉数が少ないヒルゼンの心の内を読み取り、ホムラとコハルは会話を続ける。

 消耗しているヒルゼンの負担をなるべく少なくしようという二人の心意気だ。

 

「違う。自来也の……」

「師としての責任を取るために火影を辞する、か。だが、責任の取り方は他にもある」

「うむ。それに、お主が火影を辞めるとなると他里への影響もある。辞任するには時期尚早じゃ」

「イチャイチャパラダイスをくれ」

「今はしっかりと休息を取り……え?」

「左様。まずは体力を……え?」

 

 ホムラとコハルは顔を見合わせる。お互いの困惑した顔がそこにはあった。

 聞き間違いだろう。そう結論づけた二人は頷き合う。

 

「自来也を呼んでくるから少し待っておれ」

 

 そう言って、席を立つ二人の行動は早かった。

 すぐさま、自来也を探すために集中治療室から出ていく。

 

 二人を見送ったヒルゼンは病室に一人、取り残された。

 今は一刻も早くイチャイチャパラダイスで脳内に焼き付いた数多の筋肉を消し去りたい。夢の光景を上書きしたかった。

 

「はぁ……」

 

 どうか、正夢になりませんようにと願いながら、ヒルゼンはシーツに再び沈み込むのであった。

 

 +++

 

 清潔なヒルゼンの病室とはうって変わり、ジメジメとした地下室に二人の人間が姿を表す。

 ドカッと椅子に体を預けた人物が一人と、その人物に随伴している人物が一人。灯りの蝋燭が二人を照らす。

 蛇のような顔に痛みから汗を流す人物──大蛇丸──と蝋燭の光で眼鏡を白く光らせる人物──カブト──だ。

 

「おのれ、猿飛め」

「まぁ、そう簡単ではありませんよ。何せ相手にしたのは五大国最強と謳われる火影なのですから」

 

 出来る限りの治療はしたのだろう。包帯がしっかりと巻かれた大蛇丸の腕を見ながら、カブトは言葉を紡ぐ。

 

「しかし、上出来ですよ。あの五影を……!」

 

 大蛇丸の目線に気づいた。

 

「私を慰めるような台詞は止めなさい。殺すわよ」

「……もちろん、そのようなつもりはありません。確かに、里は落とせませんでしたが、この計画のもう一つの目的、うちはサスケ。彼にはアナタの首輪がつけられた」

「ククク……この腕と私の全ての術と引き換えにね」

 

 痛みを訴え続ける腕から目を離し、大蛇丸は目線を横に向ける。

 

「そもそも、あのうちはイタチを手に入れることができれば問題はなかった。しかし、それはもはや叶わぬ夢。彼は私以上に強い。それに……」

「……」

「……だから、あの組織を抜けたのよ」

 

 大蛇丸の目線の先。

 数々のホルマリン漬けにされた標本。その奥に鎮座する死蝋化したかつての左手。装飾品もなく、埃を防ぐ布もかけられていない左手。

 それは大蛇丸の中では手痛い敗北の印。

 

 過去を振り払い、大蛇丸はカブトを見る。

 

「このままではいられないわ」

「と、言いますと?」

「腕を治す。そのための方法が私にはある」

「……転生忍術ですか?」

「ええ。けど、サスケくんは手元にない」

「では、すぐにでもサスケくんを“音”に連れてきます」

 

 カブトの提案に大蛇丸は頭を振る。

 

「その前に、お前にはやってもらいたいことがあるのよ」

「やってもらいたいこと……?」

「木ノ葉の三忍。私と同じ班だったくノ一。彼女を探しなさい」

「……綱手様、ですか?」

「ええ。私の腕を治せる……おそらく唯一の忍よ」

「わかりました」

 

 獲物を定めた蛇は行動を起こす。

 それは迅速で、そして、非情であった。

 

 地下室を出ていくカブトを見送り、大蛇丸は木ノ葉崩しが失敗した原因を考える。

 

 三代目が使った知らない術? 

 三代目が想定していたよりも老いていなかったこと? 

 再不斬と白の助太刀? 

 

 どれもその奥にこそ、原因があることを大蛇丸は見抜いていた。

 

 なぜ、三代目が自分が知らない術を改良までしたのか。

 なぜ、三代目が想定よりも体を鍛えていたのか。

 なぜ、再不斬と白が助太刀に現れたのか。

 

 その全ての原因は……。

 

「早く、引き離さないといけないわねェ……」

 

 自分を睨み付けていた漢の姿を思い起こし、大蛇丸は唇を舐める。

 それは怒りからか、緊張からか、それとも闘争心から来るのか大蛇丸といえども分からなかった。



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綱手捜索編
捜索開始


 静まり返った病室。

 パラパラとただページを捲る音だけが響く。

 

 ──気まずいのォ……。

 

 自来也は頬を軽く轢つかせながら内心で溜め息を吐く。

 

 彼の前にいるのは恩師、三代目火影である猿飛ヒルゼンだ。かつては班員と隊長として様々な任務を熟してきた間柄である。

 彼らが共に過ごした時は、長いとは言えないが、決して短くはない。

 その過ごしてきた時の中、ヒルゼンは今まで自来也に見せたことのない表情を浮かべていた。例えるならば、肉食獣が獲物を虎視眈々と狙う表情か。

 

 真剣な眼差しのまま、ヒルゼンは一つ頷く。

 それに応じて、自来也の指が動き、ページを捲るパラリという軽い音だけが病室に響いた。

 

 ──いったい、何が悲しゅうてワシはこんなことを……。

 

 状況が許せば、自来也は天を仰ぎ、そして、天に向かって唾を吐いただろう。

 それほどまでに嫌だった。

 

 現実から逃げるかのように、自来也の脳にはヒルゼンの病室に着く前の光景が再生されていた。

 

「エヘヘヘ」

「この大事にお前は一体、何をしておる」

「いい歳をした大の男が下らぬことを」

 

 自来也に向かって、軽蔑した声を投げつけるのは三代目火影と共に長く里を安定させてきた立役者である二人。

 それもそのはず。自来也は自身の師である三代目火影が寝込んでいるにも関わらず、見舞いにも来ず望遠鏡で女湯を覗くという犬畜生にも劣る行為で無聊を慰めている。

 

「ホムラのおっちゃんにコハル先生か。ご意見番がこのワシに何の用かのォ?」

 

 渋い顔を隠すこともできない二人だが、二人には自来也を呼びに来た理由がある。

 

「ヒルゼンが目を覚ました」

「先生が!?」

「そして、お前を呼んでおる」

「ワシを?」

 

 自分が三代目火影に呼ばれた理由がわからず、不思議そうな表情を浮かべた自来也に向かって重々しく頷きながら、ご意見番の一人であるホムラは苦虫を噛み潰したような表情で言葉を繋げた。

 

「お前のことだ。皆まで言わずとも分かっておるだろう」

「……」

 

 ホムラの言葉で自来也の表情が引き締まる。

 

「今、木ノ葉隠れの力は恐ろしいほどに低下しておる。この状況で最優先させねばならぬのは、更なる危機を想定した準備だ」

「隣国のいずれかが、いつ大胆な行動に出るかもわからぬ。よって、三代目火影が力を取り戻すまで、里の力が戻るまでの間、各部隊からトップ数人を召集して緊急執行委員会を作り、これに対処してゆくことを決めた」

 

 ホムラの隣に立つコハルが彼の意思を汲み取り、結論を述べた。

 

「……が。それには、まず……。信頼のおける強い指導者(リーダー)が要る」

 

 自来也の顔を見つめる四つの目。

 

「……今や揉め事の種はそこら中に転がっておる。大蛇丸だけではない」

「いいか、一つ基本的な方針を言っておく」

 

 四つの目は自来也を(しか)と見つめる。

 

「五代目火影は今すぐにでも必要だ!」

 

 コハルは長く溜め息を吐いた後で、重い口を開く。

 

「そして、先程、火の国の大名と設けた緊急会議で……自来也。それがお前に決まった。」

「おあいにく様。ワシはそんな柄じゃあないのぉ」

「我儘な性分は子どもの時から変わらぬな、お前は」

「これは決定だ。それに、三忍と(うた)われたお前ほどの忍が柄でないなら他に誰がいるというのだ!」

「三忍なら、もう一人いるだろ……綱手の奴が」

 

 ご意見番の二人は悩む。

 自来也は確かに力はある。人望もある。ただ、人を纏め導くといった政治の世界で生き抜くという能力は乏しいと二人は考えていた。

 良く言えば自由。悪く言えば奔放。

 政務に限って言えば、これほど合わない人間もいないだろう。

 

 それに比べれば……と、二人は綱手の顔を思い出す。

 だが、自来也が推薦する人物には、一つ大きな難点があった。

 

「確かに、あの子ならその器かもしれんが……その行方が皆目、見当もつかん」

 

 里にいない者を火影に据えるなど笑い話もいいところだ。

 

 しかし、二人の心の声を読み取ったのか自来也は間髪入れずに答える。

 

「ワシが見つけて連れてくる。そうすりゃ、問題はないだろ」

「……しかし……」

「やる気のないワシより切れ者の綱手姫の方が火影に向いとる」

「……」

「どーする?」

「……わかった。早急に考慮しよう。ただし、綱手捜索隊として三人の暗部をお前に付ける」

「心配しなくても逃げやしねーっての。見張り役は余計だのォ。ただ……」

 

 一度、言葉を切った自来也は肩越しにご意見番の二人を見遣る。

 

『まあ、それはそれとして』と表情を緩めた自来也は軽く伸びをする。

 

「猿飛先生の見舞いが先だのォ」

「……待て、自来也」

「ん?」

「ヒルゼンからの伝言だ」

「伝言?」

 

 先ほどまで話していた内容が本題ではなかったのかと自来也は眉を潜める。

 後回しにしたということは、下手をすれば火影就任よりも大きな話の可能性もある。例えば、大蛇丸が弱っている今が音隠れを攻め滅ぼす好機であると考え、音隠れに対する宣戦布告をするといったような血腥(ちなまぐさ)い話になる可能性が大きいと、自来也は当たりをつけた。

 

 此度の戦は全て大蛇丸の掌の上。砂隠れは彼に利用された被害者に過ぎない。

 木ノ葉崩しが終結した後、殺された四代目風影に大蛇丸が変化し、里を操っていたという醜聞を砂隠れは公表。その後、木ノ葉に対して、全面的な降伏を宣言した。木ノ葉としても木ノ葉崩しの爪痕は大きく無視できないものであったため、砂隠れの降伏を受け入れた。

 

 そのため、後顧の憂いの一つは潰れた。

 音隠れを攻めている間に、砂隠れが背後を突くことはないだろうと、ご意見番の二人は考えているのだろうと自来也は思う。

 だが、そう易々と大蛇丸が討ち取られてくれないであろうことを、同班であった自来也は誰よりも理解していた。

 

 だからこそ、戦端が開かれる前に止めなくてはならない。これ以上の犠牲者を出させる訳にはいかない。

 口を開こうとした自来也だったが、ワンテンポ、ホムラの方が早かった。

 

「お前の“アレ”を持ってきて欲しいと……ヒルゼンが」

「“アレ”?」

「うむ、その……“アレ”だ。お前が書いた……あの、うむ。……その……小説……“アレ”だ」

「……イチャイチャパラダイスのことですかの?」

「そう、それじゃ」

 

 自来也は困惑しながらもコハルに目線を遣る。

 

「……ワシらのイタズラなどではない。ヒルゼンがそう言ったのじゃ」

 

 そうして、脳の再生が終わった。終わってしまった。

 

 天に向かって中指を立ててやりたい。

 それほどまでに嫌だった。

 

 自身が執筆した官能小説を恩師に読ませるというのは。

 ホムラとコハルの言う通り、素直に自作をヒルゼンの病室に持っていった自来也は挨拶もそこそこに自作を広げさせられたのだった。

 そして、筆者の眼前で官能小説を読まれる上に、ページを捲る役目まで押し付けられた。ホムラとコハルが居た方向を振り向くが、そこはすでにもぬけの殻。ヒルゼンと二人きりの病室の中、自来也はただただ堪え忍ぶ。

 

 これほどまでに心を掻き乱されることがあろうか。これほどまでに羞恥心を試されることがあろうか。

 いや、ない。

 

 ──なぜ、ワシがこんな目に……。

 

 涙が零れそうになる自来也に気がつくことなく、ヒルゼンはギラギラとした目付きで官能小説──イチャイチャパラダイス──を読み耽っている。

 これには、“仙人”と自他ともに認める自来也でも、耐えきれないと思わせられるほどだ。

 

 だが、仙人である前に彼は忍び耐える者──忍者──である。

 

 涙を浮かべながらも、彼は逃げることはなかった。

 

『ふぅー』とヒルゼンが大きく息を吐くまで、ページを捲り続けた自来也。ざっと二時間ほどであろうか。

 

「して、自来也よ」

「はい!」

 

 やっと話が進められる。やっとページを捲らなくてもいい。

 この状況から解放されると、自来也は心の中でガッツポーズを取った。

 

「最高じゃった」

「あ、はい……」

 

 ──まだ……続くのかのォ……。

 

 胃の内容物を戻しそうになりながら、涙目でヒルゼンを見つめる自来也の様子に気がついたのだろう。

 ヒルゼンは一つ咳払いをし、自来也に感謝を述べることにした。

 

「お主のお陰で悪夢から解放されそうじゃ」

「悪夢?」

「うむ……だが、ここで話すのも時期が悪い」

 

 ヒルゼンは首を横に振る。

 夢の内容など思い出したくないというように首振りは速かった。ヒルゼンの心中を察した自来也はそれに習う。彼としてもヒルゼンが悪夢の内容を思い出したせいで、再び自作を読ませるというような状況に陥るのは本意ではない。

 

「自来也よ」

「はい」

 

 しかして、真面目な顔つきを作る二人。もちろん、言うまでもないことではあるが、官能小説はすでにベッドの横にある棚にしまわれている。

 

「お主……」

「火影にはワシよりももっと相応しい者がおる」

「……そうか。綱手……かの?」

「ああ。綱手なら、忍としての実力、血筋、性格……は置いておくが、まあ、今の木ノ葉に必要な火影になれる人材とワシは見とる」

「……自来也よ。迷惑をかける」

 

 今は里にいない綱手。そのことを知っていたヒルゼンは自来也が綱手の捜索をかって出たということに気がついていた。

 先回りし、謝意を述べるヒルゼンに自来也は『気にするな』というように軽く手を振る。

 

「それで、先生」

「む?」

「旅の供に一人連れていきたい奴がいる。面白い卵を見つけたんでのォ」

「ナルトを連れていけ」

「え?」

「ナルトだ。ナルトを連れていくんじゃ」

「あ……ああ。ワシからもナルトを連れていきたいと言おうとしていたから、それは問題はないんだがのォ」

 

 自来也は思い至らなかった。

 

「一応、聞きますが……なぜ、ナルトを?」

「自来也よ。これはワシからお主に対する個人的な依頼じゃ。それもSランクを優に越えるほどの難易度。お主にしか頼めぬ」

「Sランク以上の……まさか!?」

「ナルトに女体の素晴らしさを教えるのじゃ!」

「“暁”!? ……今、なんと仰いましたかのォ? 最近、歳のせいか耳が遠くなっており、聞き取れなくて……」

「ナルトに女体の素晴らしさを教え諭すのじゃ!」

「“暁”の奴らのことは?」

「そんなことより、ナルトが筋肉を広めることを防がねばならぬ!」

 

 ──そんなこと……!?

 

 小規模ながら、Sランクの賞金首がゴロゴロいる組織について、『そんなこと』で終わらせたヒルゼンに自来也は戦慄する。そして、同時に思い至った。

 

 ──ナルト。お前、先生に一体、何をした!?

 

 自来也は知らない。

 夢の中で筋肉(マッチョ)に囲まれる恐怖も、筋肉披露(おいろけ)の術で黒光りした筋肉が目の前にポージング付きで現れる嫌悪感も。

 だが、これ以上ないほどに追い込まれているヒルゼンの心は感じとることができた。

 

「まあ、努力はします」

「おお! 自来也よ、頼むぞ。お主だけが頼りじゃ」

 

 だからこそ、『これで里は救われる』と小声で呟くヒルゼンに向かって、無駄な努力になるであろうことは自来也の胆力であっても伝えきれなかったのである。

 

 +++

 

 

 ゴールデンデイ……食事制限を続けていると基礎代謝が下がってしまう。それを防ぐため、一週間に一度、好きなものを好きなだけ飲食する日をナルトは設けている。それが、ゴールデンデイ、または、チートデイと呼ばれるもの。

 偉大なるボディビルダー、天王寺美貴久もこう言っていた。

『“食”とは……心と筋肉(からだ)を形作るに最も不可欠な要素。“食”無くして筋肉なし!! よって“食”無くして勝利無しッ!!』と。

 

「お待ち!」

 

 卓に置かれたラーメンに対して、脳裏で自動的に行われるカロリー計算をナルトは捨て置いた。目の前にあるのは店主が丹精込めて作り上げた一杯。これ以外のものに気を割かれるなどあってはならないこと。

 

「有り難く頂こう」

 

 レンゲを掴み、まずはスープを一口。

 

 ──旨い!

 

 こってりとした脂溶性たんぱく質が胃に注がれた。豚骨の風味が強いながらも、その奥には確かに感じることのできる魚介類の風味。

 渾然一体となったハーモニーがナルトの体内全てに響き渡る。確かなパンチはありながらも、あっさりと飲むことができるスープ。

 では、次は?

 

 箸を取り、麺を取り上げ、一息に啜る。

 

 ──旨い!

 

 通りにまで響く音がナルトの心情を物語っていた。

 止まらない箸と、啜る音。集中が研ぎ澄まされていく。

 

 さて、次は?

 

 彩りよく飾られたネギと海苔、チャーシューと煮卵。そして、ナルトとメンマ。

 

 ──旨い!

 

 そのどれもが脇役ながらも、確かに自己を主張している。だが、ただ自分の存在をアピールするだけではない。スープと麺。そして、それぞれが調和してコーラスを奏でている。一つ食べれば、また別のものを食べたくなり、その螺旋はより深くナルトをこの一杯に引き込んでいく。

 

 余談ではあるが、豚骨ラーメンにはナルトを乗せることは多くない。いや、少ないとも言えるだろう。しかしながら、ナルトは重要だ。

 

 ラーメンを全て食べ終わり、後に残るのはナルトとスープのみ。スープに浮かぶナルトを眺め、そして、感謝をしながらナルトを摘まみ、口に放り込む。この儀式とも言える食べ方をするのに、ナルトは必要不可欠だ。

 その後、再度、この一杯に出会うことのできた奇跡に感謝をしながら、スープを飲み干す。これが粋である。

 

 ──旨かった……。

 

「ごちそうさま」

「あいよ!」

 

 スープすらも残さず飲み干したナルトは器を一段高い卓に置き、店主に声をかけた。

 次いで、左に座り、一杯目のラーメンを啜る師に向かって、声をかける。

 

「すまぬ、もう一杯頼んでも良いだろうか?」

「まだ食うのか、お前!? 今ので六杯目だろ!?」

「然り。今日はゴールデンデイなのでな」

 

 その十分後。

 自来也はナルトがラーメンを食べ終わるのを待ち、ラーメン屋“一楽”から連れ出した。

 

「修行?」

「うむ」

 

 中忍試験本選前の口寄せの術の修行を終えた後、姿を見せなくなった師から、声をかけられたナルトだが、その表情は優れない。

 

「その申し出……済まぬが、断らせて貰う」

「……そうだろうのォ」

 

 頬を掻く自来也の姿にナルトは目を丸くする。

 提案を断ったにも関わらず、それを予期していたかのような反応。ナルトの困惑を他所に自来也は言葉を続ける。

 

「やはり、里のことか?」

「然り」

 

 自来也の質問にナルトは大きく頷く。

 

「木ノ葉の傷跡は未だ深い。修行に明け暮れ、(うつつ)を抜かす訳にはいかぬ」

 

 ナルトの言う通り、先の戦いで木ノ葉隠れの里に刻まれた傷は深い。

 音と砂の強襲により、少なくない忍が犠牲になってしまった。そして、里のトップである三代目火影は病床の身。

 つまりは里の力、そして、火の国の国力が低下している状態である。そして、国力が弱まった隙を突こうと虎視眈々と狙う他国の目もあることから、それを悟らせないために常より少ない人員で常と同じ量の任務をこなさなければならない。

 

 簡単に言い換えると、猫の手を借りたいほどに忙しい。

 

 そして、他者に負担を掛けることをナルトは避けようとする。もし、他人が重い荷物を持っていたとしたならば、その荷物と、そして、その人物を両脇に抱えて進むのがナルトである。他人の負担を減らし、自分の筋トレに繋げる。

 

 そうであるから、ナルトは自来也の提案を飲むことはできなかった。

 

「まぁ、聞け」

 

 だが、自来也は約一ヶ月、ナルトの修行を見てきた師である。ナルトの考え方も解るようになってきた。

 

「修行と言ったが、ずっと修行を続ける訳じゃない」

「……つまり、どういうことだ?」

「ワシとお前で超重要任務に当たる。里の行く末をも決めるような重大な任務だ。だが、それには少し時間が余ることがあってのォ……」

 

『解るだろ?』というように自来也はナルトを見遣る。

 

「それで空いた時間は己の修行をつけてくれるという訳か」

 

『しかし……』とナルトは疑問を口にする。

 

「師よ。貴殿は一廉の武芸者。なぜ、矮小な己にそこまで目を掛けていただけるのか?」

「……ワシはなぁ」

 

『矮小?』という言葉を頭の隅に追いやって自来也は口を開く。

 

「昔、四代目火影を弟子にしていてな。そんでお前はその四代目に面白いくらい似ている。ああ、言っておくが容姿じゃない。その有り様というか方向性というか、まあ、そんなのだ。それが、いや、そんだけの理由だっての」

 

『それに』と自来也は大きく頷いた。

 

「お前にも協力して貰った方が話が早く進みそうだしのォ」

「協力?」

「ああ。超重要任務とは言ったが、やることは単純で人探し。ワシと同じ班だったくノ一を探す任務だ」

 

『つっても』と言葉を繋げながら自来也は頭を振る。

 

「そいつはなかなかの曲者でのォ。一所に留まるような性格じゃあない上に、老けるのが嫌で容姿をコロコロ変えておる。それに、頑固で人の言うことを聞かんじゃじゃ馬だ」

「ならば……」

 

 ナルトは膝を曲げる。

 

「乗ってくれ、師よ」

「え?」

「その方が速い上に、修行になる」

 

 なるほど、と自来也は頷いた。

 ナルトの今の行動。自来也を背に負ぶり目的地まで走ることで、情報収集役の自来也の体力を温存して綱手の捜索をスムーズに行う。その上、ナルト自身の足腰の修行(筋トレ)にもなる。

 よく考えておると自来也は関心する。時間は有限。その中で効率を突き詰めていけば、より早く強くなることができる。そのことをナルトは理解しているのだと自来也は考えた。ならば、断ることはできない。

 

「それじゃあ、頼む」

「無論」

 

 そう言ってナルトの背に乗る自来也だったが、その考えが間違いであることに気がつかない。

 ナルトはこう言ったのだ。

『その方が“速い”上に、修行になる』と。決して、“早い”──効率よく進み時間を短縮できるという意味で言ったのではない。

 ただ単純に物理的なスピードとして“速い”という意味でナルトは、その言葉を口にした。

 

「うっ……」

 

 グンッと自来也の体が後ろに流れる。

 

「お……おぉおおおおおおッ!?」

 

 ──速ッ……というか、これは息が……。

 

 後ろに流れる景色。正確には後ろに流れる雲。

 余りにも早すぎるスピードで自来也の背が海老反りになる。体勢を戻すこともできない上に、風圧により正確な言葉を発することもできない。ナルトに自分の意思を伝える手段がない。

 

「あばばばばばば……」

 

 口からは意味不明な言葉が垂れ流しとなる自来也の手は万歳の状態で後ろに流れていた。

 

 ──確か、時速100kmで走ればFカップの感触を感じることができたんだったかのォ……。

 

 どこかで聞いた情報だ。

 そこで、自来也はヒルゼンの言葉を思い出す。

 

『ナルトに女体の素晴らしさを教えるのじゃ!』

 

 ──先生。ごめん、これは無理だのォ。

 

 そこで、自来也の視界は暗転したのだった。

 

 +++

 

 第二演習場。

 かつて第七班の三人がカカシと演習を行った場にサクラは来ていた。

 

 目を閉じ、ゆっくりと丁寧にチャクラを練り、それを体の隅々まで行き渡らせる。準備は万端。

 カッと目を見開いたサクラは目にも止まらぬ速さで蹴りを三連続で繰り出す。息もつかせぬまま、体を回転させて跳び回し蹴りを放つ。着地した後、足払いをかけ掌打を打ち、距離を取るためバク転を三回、そして、バク宙を一度挟み、再度バク転。

 

「水遁 水乱波!」

 

 バク転が終わると同時に印を組み上げ、術を放つ。

 

 一介の下忍とは思えないほどに完成された所作だ。しかし、サクラの顔は優れない。

 

 ──これじゃ……ダメだ。

 

 演習場にはサクラ一人。だが、サクラの目の前には、あの日の我愛羅の姿が映っていた。

 イメージの我愛羅に持てる技術で闘いを挑んだものの、一つとして届くことはない。それほどまでに力の差は大きかった。

 

 ──私は……何も出来なかった。

 

 そう思うのはサクラだけではない。

 

 ──オレは……何も出来なかった。

 

 木ノ葉の山の中、大きく抉れた岩の前で大きく呼吸しているサスケもサクラと同じ思いを抱えていた。

 

 思い出すのは我愛羅と闘うナルトの姿。

 

 ──ナルトの強さは異常だ。近くでずっと見ていると分かる。アイツは何か凄い力を秘めている。筋肉じゃない。チャクラじゃない。何が……何が違う?

 

 そして、守られる自分の姿も思い出してしまう。

 サスケの奥歯がギリッと音を立てた。

 

 ──オレは……オレはどうしたら強くなれる?

 

 その有り様、方向性が四代目火影とナルトは似ていると自来也は語ったが、サスケの歳では、そのことに気づくことができるほど経験を積むことはできない。

 だからこそ、サスケは、そして、サクラも力を求めるのだった。

 

 +++

 

 所変わって、カカシの自室。

 上忍たち──アスマ、紅、ガイ──が暗い面持ちでカカシを取り囲んでいた。

 

「奴らの様子じゃあ、まだナルトは見つかってないみたいだな」

 

 厳しい顔で口を開くガイにアスマが疑問を口にする。

 

「でも、おかしくないか? あいつら、すでに里に入り込んでた。この里でナルトを見つけるのなんて簡単だろ。……目立つし」

「しっ!」

 

 ガイが指を口に当てる。静かにするようにという合図だ。

 そして、すぐに扉が開かれた。

 

「カカシ……!?」

 

 部屋に入ってきたのはサスケだ。

 と、サスケの目がベッドに横たわったカカシに向けられる。次いで、部屋の中を見渡したサスケは寝ているカカシを囲む上忍たちに目を向けた。

 

「どうしてカカシが寝てる? それに、上忍ばかり集まって何してる? 一体、何があった? 答えろ!」

「ん、いや、別に何も……」

「あの“イタチ”が帰ってきたって話はホントか!? しかもナルトを追ってるって……あ!」

「チィ……」

「バカ……」

 

 タイミング悪くカカシの部屋に入りながら情報を全て語ってしまった特別上忍、山城アオバであるが、彼を攻めることはできない。

 それほどまでに“イタチ”という名前の影響力は木ノ葉にとって大きなもの。

 そして、木ノ葉の里以上に影響が大きいのは……。

 

「痛ッ」

「何でこーなるのッ!!」

 

 アオバを押し退け、カカシの部屋から飛び出したサスケを追い、ガイも部屋から出るがサスケの姿はとうに見えなくなっていた。

 

 ──アイツがこの里に帰ってきただと!? しかも、ナルトを追ってる!? どういうことだ!? とにかく……アイツに捕まれば、ナルトでも終わりだ! そんなこと……そんなことさせるか!!

 

 サスケが足を止めたのはラーメン屋、一楽。ナルトの行きつけの店で、主にゴールデンデイ(食事制限解除日)で利用している。

 

「オッサン! ナルトが昼、ここに来たハズだ! それからどこに行ったか分かるか!?」

「ああ、ナルトねェ。えっと確か、自来也さんが来て、一緒にラーメン食って……どっか行くって言ってたな。えっと、里から少し離れた歓楽街のある宿場町にいくとか何とか……で、自来也さんと連れだって一緒に出たよ」

「自来也?」

「天才忍者 三忍の自来也だよ。まあ、見た目はただの白髪のでかいオッサンだけどね」

 

 それだけ聞けば十分だというようにサスケは再び走り出す。

 

「オイ!」

 

 一楽の店主、テウチの制止も無視して走り出したサスケの背に向かって呟く。

 

「ナルトに何かあったのか聞きそびれたな」

 

 +++

 

 木ノ葉隠れの里より少し離れた宿場町、そのファンファン通りにある宿屋の前に腰を下ろした自来也は青い顔でナルトを睨み付ける。

 

「もう、お前には二度と乗らん」

「承知……」

 

 大きく息を吐きながら自来也は、やおら立ち上がりナルトに鍵を持たせた。

 

「コレ、部屋の鍵。お前は先に部屋行ってチャクラ練って修行してろ」

「承知。師はいかがされる?」

「ワシはのォ……」

 

 今までの青い顔が嘘のようにキリッとした表情を浮かべた自来也はナルトに背を向ける。

 

「取……じゃあなく調査が必要だからのォ」

 

 そう言って喧騒に消えていく自来也だったが、すぐに彼の声が聞こえてきた。

 

「そこのねーちゃん! ちょっとお茶しねーかのォ!」

 

 悩むナルト。

 自来也が声をかけた女性が嫌がっていたら、すぐさま引き離すのがナルトではあるが、彼女に嫌がる様子は見られない。

 しばし迷い、修行をしようと部屋に戻るのであった。

 

 +++

 

「ハァ……どこだ、クソッ!」

 

 ナルトが部屋に戻った後、宿場町に到着したサスケは悪態を吐く。

 不倶戴天の敵がカカシを襲い、そして、ナルトを狙っている。目的地に全速力で駆けつけたが、ナルトと自来也がどこにいるか分からない。

 

 ──しらみ潰しに探すしかねーか。

 

 適当な宿に目をつけたサスケはフロントマンに訪ねる。

 

「ここにオレと同じ歳の金髪筋肉と白髪のでかいオッサン、泊まってるか!?」

「ん~、金髪の君ぐらいの少年と白髪のオッサンなら……」

「案内してくれ!」

「ああ」

 

 サスケの鬼気迫る様子にただ事ではないと感じ取ったフロントマンはすぐにフロントから席を立つ。

 サスケの額宛にある木ノ葉マークは身分証明書としての役割を果たしている。自国の里の忍からの要請を断る理由はなかった。

 

 フロントマンに部屋まで案内されたサスケは、すぐにドアをノックする。応じて、ドアが少し開く。

 

「ナルト!」

 

 開ききるのすら待てないというようにサスケはドアを無理矢理大きく開き、ナルトの名を呼びながら部屋を覗き込んだ。

 

 ──違う……。

 

 そこにいたのは、サスケと同じ年頃の金髪の少年と、その祖父と思しき白髪の男。

 筋肉は、ついていなかった。

 

 その同時刻。

 部屋にいるナルトは茶を入れていた。

 

「して、貴殿らは?」

「ナルトくん、一緒に来て貰おう」

「名も名乗らぬ貴殿らと共に? いささか礼を失していると苦言を呈する他ない」

「……この人、うるさいですねェ。少し痛めつけておいた方がよろしいのでは? イタチさん?」

「やめろ、鬼鮫」

「……」

 

 ナルトの部屋にいるのは、巨大な刀のようなものを背負った大男と剣呑な雰囲気を醸す痩身の美青年。

 どちらも只者ではない。それを感じていながらも、ナルトは二人を部屋に招き入れ、茶を出した。

 

「名乗りが遅れて、申し訳ない。オレはうちはイタチ。そして、こちらが干柿鬼鮫だ」

「……そうか」

 

 ──うちは?

 

 疑問はまだ口に出すべきではないと判断したナルトは言葉を飲み込む。

 ナルトの出した茶の側に正座をしたイタチと名乗った青年は湯飲みを傾ける。それを見、話ができると考えたナルトは先ほどのイタチからの要請について口を開いた。

 

「して、貴殿らと共に行き、己に何をしろと?」

「君に眠る力を取り除きたい。協力してくれないか?」

「己に眠る力……狐殿のことか?」

「ああ」

「有り得ぬな。断る」

「我々は数多くの忍術に精通している。君の中にいる九尾を取り除く術もある」

「違う。それは貴殿も分かっていることだろう?」

「……」

「狐殿に対し、害意を持つ者に狐殿は渡せぬ。話がそれだけなら、お引き取り願おう」

「なッ!?」

 

 空間が軋んだ。

 チャクラの圧力で歪んだ世界の中、驚いた表情を見せる鬼鮫とは対照的に、ナルトとイタチは表情を変えず互いに視線を交錯させる。

 

「では、力で」

「致し方あるまい」

 

 立ち上がり、示し合わせたかのように部屋を連れ立って出ていくナルトとイタチ。鬼鮫も慌てながらイタチの後ろに控え、落ち着きを取り戻した。

 ナルトから放出されたチャクラに驚いたのは確かな事実。だが、それはナルトの年齢では考えられないほどのチャクラが放出されたため。脅威であるから驚いたわけではない。鬼鮫の力はこれまでナルトが出会ってきた忍の中でも最上位に近い位置にいるほどの忍。

 今のナルトには負けることはないと鬼鮫は冷静に結論を下した。

 

 ナルトに勝てる。それは戦いでのことのみ。

 拘束し、拉致するにはナルトの力は決して無視できない。一瞬の隙を突かれ、拘束を引きちぎる姿が容易に想像できた。

 

「イタチさん。ナルトくんの手足をぶった斬っておきます。野放しにしておくのは余りに厄介。いいですね?」

「……」

「じゃあ……」

 

 油断が一つもない目付きでナルトを見据える鬼鮫。

 応じて、ナルトも組んでいた腕を解いた。

 

「久しぶりだな……サスケ」

「うちはイタチ……」

「!」

「む!?」

 

 陰に隠れて顔は見えない。が、それは確かにサスケの姿だった。

 

「おやおや、今日は珍しい日ですねェ……。二度も……他の写輪眼が見れるとは」

 

 だが、今までナルトが見たことのないサスケだった。

 陰の中、写輪眼を爛々と光らせたサスケの相貌は能面。溢れた感情が表情を消してしまっている。

 サスケのその顔は見たことがなく、そして、見たくはない顔だった。静かで、然れども、激しい。

 

「アンタを……殺す!!」

 

 サスケの殺意がうちはイタチに注がれていた。



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届かない距離

GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO

烈光☆雷光☆ピカッと閃光☆烈光☆雷光☆RED☆


 ──この者が……。

 

 サスケの殺意を浴びながらも表情を少しも変えないイタチを見て、ナルトはあの日のサスケの言葉を思い出す。

 

 ──それから……夢なんて言葉で終わらす気はないが……野望はある! 一族の復興とある男を必ず……──

 

 第七班として、顔を合わせた日のことだ。

 サスケは自分の野望を、こう語っていた。

 

 ──殺すことだ──

 

「ほう……写輪眼。しかもアナタに良く……一体、何者です?」

「オレの……弟だ」

 

 ナルトの正面に立ち、彼を見上げるイタチの言葉はどこまでも冷たいものであった。

 ナルトは兄弟というものを知らない。彼は常に一人。親もなく兄弟もいない。親戚もだ。

 天涯孤独の身、故に、兄弟というものがどのような関係なのか真の意味で知ることはない。

 

 だが、この二人の関係は兄弟というものではないと感じていた。

 

『我愛羅の兄として礼をいう。うずまきナルト』

 

 我愛羅との闘いが終わった後、カンクロウはそう言って頭を下げた。

 このような殺意で繋がる関係は兄弟と呼ぶことはできない。ナルトの心はそう言っていた。

 

「うちは一族は皆殺しにされたと聞きましたが……アナタに」

 

 鬼鮫の言葉が静寂をもたらす。

 静まり帰った廊下で動く者は一人もいない。

 

 殺意。

 虚無。

 興味。

 そして、憐憫。

 

 それぞれが違う感情を持ちながらも、誰一人として動かない。

 

 と、小さな小さな衣擦れの音がした。一般人であれば、誰も気づくことができないほどの小さな音。

 ゆっくりと振り向くイタチが立てる音だった。

 

 眼を細め、サスケを見つめるイタチ。その心は虚無。

 眼を開き、イタチを見つめるサスケ。その心は殺意。

 

 思い出させられるのは、最悪の記憶。喪失と敗北の記憶だ。

 色味が反転した世界で倒れ伏し、何も写さない父と母の眼を見て、死に怯えるだけの少年だった記憶。

 

 ──貴様など……殺す価値も無い。……愚かなる弟よ──

 

「……アンタの言った通り……」

 

 ──このオレを殺したくば……恨め! 憎め! ──

 

「アンタを恨み、憎み、そして……!」

 

 ──そして醜く生き延びるがいい──

 

「アンタを殺すためだけにオレは……」

 

 ──逃げて逃げて……生にしがみつくがいい──

 

 尊敬していた兄を憎悪の対象と見定めた記憶だ。

 

「生きて来た!」

「……千鳥?」

 

 雷が暗い廊下に灯る。かつて澄んだ光を放っていた名刀が、怪しい輝きを纏う鬼刀に変じてしまっていた。

 殺意という感情に振り回され、コントロールが効かない術──千鳥──がサスケの手の皮を剥がしていく。

 

「うオォオオオオオ!」

 

 自らを焼くほどの力を手に灯し、サスケは全力でイタチに向かって駆け出した。

 全てはこの日のために。両親の、一族の仇をとるための、この一瞬のためにサスケは駆けた。

 

 が。

 

 それは至極あっさりとイタチに止められた。

 

 サスケの全力。

 呪印を解放していないとはいえ、我愛羅の絶対防御をも貫いた千鳥。破壊力は抜群だ。

 実際、イタチの後ろにある壁は千鳥によって、大きく、そして、長く抉られている。掘削機でもなければ開けることができないほどの大穴を開ける威力を誇るサスケの千鳥。

 だが、当たらなければどうということもない。

 

 ──なんと……!? 

 

 サスケの左手首を押さえるだけで、サスケの攻撃の方向を変えたイタチ。

 彼の忍としての技量は他と隔絶している。ナルトが息を呑むのも当然だろう。

 

「少しは強くなったか……」

「テメェ……」

 

 微塵も表情を変えないままイタチは呟き、そして、サスケの左手首を掴む右手に力を込めた。

 

「ッ!?」

 

 ボキと音がした。

 事も無げに行われた行為。それはイタチがサスケの手首の骨を折る音だった。

 

「……」

 

 イタチは少しだけ瞼を上げる。悲鳴一つあげないサスケに驚いたかのようだ。

 だが、それだけ。

 

「ぐっ!」

 

 左足を上げる。それだけで、蹴りを放とうとしていたサスケの体が鞠のように廊下を弾んだ。

 

「うッ……くっ……」

 

 固く結んだ唇から声が漏れる。

 だが、サスケの殺意は一切の衰えを見せない。利き腕が折られようが、肋骨が折られようが、その殺意は緩められることはなかった。

 

「お前は……お前だけは殺す」

「無理だ」

「一族のことだけじゃない」

「何を……?」

「お前はカカシを襲った。カカシは寝込んでいる」

「……」

「そして、ナルトを狙っている」

「……そうだな」

「だから! オレはお前を殺さなくちゃいけねェんだよ!」

 

 左手は動かない。だが、右腕は動く。

 呼吸が苦しい。ならば、呼吸をしなければいい。

 

 かつての自分が大切に思っていた両親、そして、一族を奪った仇敵。

 そして、今は隊長であるカカシを襲い、班員であるナルトを狙っている怨敵。

 

 ──許せるか! 

 

 ここでイタチを殺す。

 殺意を乗せた拳であったが、先程と同様に手首を掴まれる。

 

 そもそも、イタチはサスケの殺意など意に介していない。

 千鳥を発動した時に生じる身体活性で飛躍的に上がったサスケのスピードを見切ることができたイタチだ。傷を負い、遅くなったサスケのスピードは止まって見えるほど。

 警戒すら必要のない攻撃だ。

 

「があッ!!」

 

 再び、イタチの蹴りが腹に入り、サスケは堪えきれずに叫ぶ。

 想像を絶する痛みが体中を駆け巡り、床に倒れ伏すサスケ。ため息を吐き、イタチはサスケから目を背け、そして、振り返り、目線を鋭くした。

 

「まさか、ここまで時間が稼げないとは思ってもみませんでした……自来也様」

「む!?」

 

 イタチの言葉でナルトは振り返る。そこにあるのは頼もしい師の姿。

 

「お前ら、ワシのことを知らな過ぎるのォ……男、自来也。女の誘いに乗るよりゃあ、口説き落とすがめっぽう得意……ってな」

 

 女性を担ぎ上げた自来也の姿がそこにはあった。

 

「この男、自来也! 女の色香にホイホイと付いていくよーにゃできとらんのォ! ワシぐらいになれば己の色香で女がはしゃぐ!」

「……」

「……」

「……」

「お前ら、ノリが悪過ぎるぞ!」

 

 イタチ、鬼鮫だけでなくナルトも口をつぐむ。

 口角泡を飛ばしながら怒鳴る自来也だったが、彼の言葉は鬼鮫に遮られた。

 

「クク……伝説の三忍と謳い称された自来也様ですからね。あなたがいくら無類の女好きでも、そう簡単に足留めが成功するとは思いませんでしたが……」

「どうやら、その女にかけていた幻術は解いたようですね」

「ナルトからワシを引き離すために女に催眠眼で幻術をかけるたァ……男の風上にも置けねェやり方だのォ」

 

 自来也は肩に担いでいた、未だ意識の戻らない女性を優しく廊下に座らせる。

 

「目当ては、やはりナルトか?」

「……通りでカカシさんも知っていたハズだ。なるほど……情報源はアナタか……」

「……」

「……ナルトくんを連れていくのが、我が組織“暁”から下された我々への至上命令」

「ナルトはやれんのォ……」

「どうですかね……」

 

 睨み合う自来也とイタチ。イタチの眼がこれまでになく、鋭くなる。

 サスケとの闘いでは見せなかった戦闘体勢だ。

 

「ちょうどいい。お前ら二人はここで……」

「師よ」

「……ワシが始末する!」

「手ェ出すな」

 

 小さく、されど、はっきりと声が響いた。

 弾かれたかのようにイタチは振り向く。

 

「こいつを……殺すのは……オレだ……」

 

 彼の目線の先にいたのは満身創痍のサスケだ。

 

「今……お前などに興味はない!」

「ぐあッ!」

 

 三度、イタチは弟を蹴り飛ばす。

 

 ──もはや印すら結べぬ分際が……。なぜ、お前は、そこまでして……? 

 

 サスケが睨み付けていた。

 

「上等だァアアア!」

 

 蹴る。

 

「ぐっ!」

 

 蹴る。

 

「ぐあッ!」

 

 蹴り続ける。

 

「があっ!」

 

 サスケが立ち上がろうとする度に、イタチはサスケを蹴り、幾度となく床に彼を沈ませていた。

 

「か……はっ!」

 

 ──な、何で……あの時から少しも縮まらない……この差は何だ……? 

 

 段々と、サスケの動きが鈍っていく。

 

 ──今までオレは……何をしていたんだ? 

 

 体は……腕は折られた。

 

 ──一体、オレは……。

 

 心は、心だけは折られてなるものかと声を挙げた。

 が、無意味。その復讐心ゆえに、サスケは自来也に向かって『手を出すな』と叫んだ。自分がイタチを殺すのだと宣言した。その時はどんなに無様でもイタチを殺すという意思があった。

 

 だが、今。

 拳を一発すら当てることができず、ただ蹴られ続けているだけ。嬲られ続けているだけ。

 反撃の糸口はなく、そして、あれほどまでに煌々と燃えていた復讐心すら風前の灯火だ。

 

 ──オレは……。

 

 揺れる視界の中、イタチの後ろ、自来也の後ろに立つ漢の姿が目に入る。

 

 サスケの心を汲んだナルトは動かない。

 自分が戦ってはならないと理解しているからだ。カカシがイタチに襲われたと聞いて、大腿四頭筋がほんの少し盛り上がったナルトだったが、結局は動くことはなかった。

 それは、サスケを案じているが故に。ここで横槍を入れようものなら、サスケの心が傷を負う。そのことを理解しているが故に、我慢に我慢を重ね、サスケが嬲られている光景を見続ける他ないのだ。

 

 サスケの心が使命感で燃え上がる。このままでは終わらせない。

 そう考えたのはイタチも同じだった。だからこそ、イタチはサスケの首に手を当て、ゆっくりと目線が合う高さまでサスケを持ち上げる。

 

「少しは大きくなったか」

「……は?」

「だが、まだ弱く小さい」

 

 イタチはサスケと眼を合わせた。

 

「うわぁあああ、あああああ……!」

 

 響き渡るサスケの絶叫。悲しみと苦痛。

 イタチが何をしたか想像がついた鬼鮫はイタチを諌める。

 

「イタチさん……日にそう何度も、その眼は使わない方がいいです……よッ!?」

 

 全ての感覚が『ここは危険だ!』と『なぜ逃げないのか?』と大声を上げている。

 鬼鮫は幻視する。自らの後ろに怒髪天を突く阿修羅がいることを。いや、幻視ではない。嗅覚、聴覚、触覚、味覚。全感覚で危機を具現化して知らせている。

 そして、彼の相棒たる大刀・鮫肌も巻かれていた晒からトゲが飛び出て、さらに小刻みに震えている。

 

 ──鮫肌が……警戒している!? 

 

 こんなことは過去、一度としてなかった。

 さらに信じられないことに、自分の手が無意識の内に下がり、床に鮫肌の(きっさき)を着けてしまっていた。

 

 鬼鮫のこめかみから汗が一条の線となって流れる。

 

「……素晴らしい」

 

 そして、鬼鮫はナルトに向き直り、鋭い歯を剥き出して笑った。

 

 手足を縛り拘束して動けないようにする? 不足。

 手足を切り落とし、動けないようにする? 不十分。

 手足を削り、痛みで動けないようにする? 不完全。

 

 体の有りとあらゆる突起物を削り落とし達磨にしたとしても、この漢は残された背筋でコメツキムシのように飛び上がり首元に噛みつく。

 この漢は、最期の最期まで抵抗を続けるであろうことを鬼鮫は理解した。

 

 ならば、こちらも本気でナルトを削り、心すらも食らい尽くす必要がある。それほどまでに、この漢は危険だ。

 

「行きますよ……ッ!?」

 

 そう言って、鮫肌を構え直そうとした瞬間、鬼鮫は違和感に気づく。

 

「忍法 蝦蟇口縛り!」

 

 肉が鮫肌に絡み付いていた。そして、宿屋の廊下、その視界の全てが同じ色合いの肉で埋められている。

 これほどまでの忍術を扱うことができるのは、一握りの忍のみ。

 

 自分ではない。イタチでもない。ならば、下手人は……。

 

「残念だのォ……イタチ、鬼鮫。お前らはもうワシの腹の中」

 

 自来也が床に手をつけていた。

 

 もう終わりだと思ったのだろう。

 虚ろな表情のサスケの耳元にイタチは口を寄せる。

 

「何故、弱いか……足りないからだ……」

 

 意識が朦朧としていながらも、イタチの囁き声はサスケの耳に残ってしまっていた。

 

「……憎しみが」

 

 言うことは全て終わった。

 イタチはサスケから目線を自来也に向ける。

 

「妙木山 岩宿の大蝦蟇の食道を口寄せした。お前らはどーせお尋ね者だ。このまま岩蝦蟇の餌にしてやるからのォ」

「邪魔ですねェ……」

「鬼鮫、来い!」

「……チィ。昂ってきたんですが、仕方ないですねェ」

 

 ブチブチと肉を裂く音が響いた。

 鮫肌にいつの間にか絡み付いていた岩蝦蟇の食道の肉だ。それを有り余る膂力で引きちぎり、鬼鮫はイタチを追って駆けていく。

 だが、それを易々と見逃す自来也ではない。

 

「これまでここから抜け出せた奴はおらんのォ!」

 

 先程まで宿屋の廊下の床だった岩蝦蟇の食道に掌を押し当て、チャクラを流し込む。同時にイタチと鬼鮫の近くの食道の肉が猛烈な勢いで狭まっていく。

 

「壁の方が速いですね。このままでは……」

「……」

 

 冷静に分析を下す鬼鮫。そして、それはイタチも同じだった。

 

「一気に抜ける。付いて来い」

「はい」

「……天照」

 

 その声は自来也まで届くことはなかったが、結果は岩蝦蟇の食道から自来也の感覚にもたらされた。

 イタチと鬼鮫が駆けていった方向に急いで向かう自来也の目に飛び込んできたのは、黒い炎で焼かれた岩蝦蟇の肉。

 

 ──奴ら、一体どうやって抜け出た? それに、この黒い炎は何だ? 本来、火を吹く岩蝦蟇の内蔵が焼かれるとは……。

 

 考えを纏めながらも、自来也の動きは止まらない。

 巻物と筆を懐から取り出し、広げた巻物に術式を書き込んでいく。

 

「よし! 封印術 封火法印!」

 

 自来也が術を発動させると、黒い炎は巻物の中央部に吸い込まれていく。全ての黒い炎が吸い込まれたと同時に、自来也は太い糸で固く巻物を閉じた。

 

「これでまずは大丈夫だのォ」

 

 巻物を懐に仕舞いながら自来也は今来た道を辿り、動かないナルトの傍に立つ。

 

「ナルト」

「うむ」

 

 ナルトがサスケに手を伸ばすと、岩蝦蟇の肉が蠢き、サスケの体が解放された。ナルトがサスケを受け止めたのを見届け、自来也は下駄を鳴らす。

 と、景色が元の宿屋の廊下に戻った。

 

 だが、元に戻ったのは廊下のみ。サスケの意識は戻らない。

 意識の戻らないサスケから目を離すことなく、ナルトは後方に向かって声をかける。

 

「そこにいるのは……ガイ先生か」

「な、なんでバラすんだ! ナルト! ……こうなっては仕方ない! トウッ!」

 

 物陰から姿を表したのはリー、ネジ、テンテンの担当上忍、マイト・ガイだった。

 

「そこのイカつい(フェイス)の男! ナウでイケてる爽やか(フェイス)のオレが相手だ!」

「この御仁は我が師、自来也殿。敵ではない」

「……自来也様!?」

「ああ、イカつい(フェイス)の自来也様だ」

「すみません」

 

 額に井桁模様を作る自来也に謝るガイ。自来也は『相変わらず、そそっかしい奴だの』とため息を吐く。

 それで溜飲を下げた自来也はナルトが抱えるサスケに目線を向けた。

 

「それより、サスケを早く医療班の所へ連れていかねーと、ちとヤバイのォ。腕の骨と肋骨が折れちまってる上に、全身に打撲。それに、何やら瞳術で精神攻撃を喰らって意識がない」

 

 ──この子も、あの術を……。

 

 未だ意識の戻らないカカシ。そして、カカシと同じように瞳術をかけられたというサスケ。

 大の大人でも耐えきれなかったほどの精神攻撃。まだ少年であるサスケが耐えることができる道理はなかった。

 

 傷ついたサスケの姿が愛弟子の姿と被る。

 

「教え子が傷ついた時……こんな時、心から思いますよ。医療スペシャリストの、あの方がここにいてくれたら……とね」

「……だから、これから“そいつ”を探しに行くんだっての」

「そいつって……もしかして……」

 

 俯き加減だったガイの顔が上がる。

 

「ワシと同じ三忍の、病払いの蛞蝓使い……背中に“賭”を背負った綱手姫を、な」



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夏色の祭り

 宿屋から出た三人、ナルト、自来也、そして、ガイの表情は固い。特に、ナルトの表情は険しかった。

 

 ナルトは腕に抱える意識の戻らないサスケの顔を覗き見る。

 苦しみを端的に表した、サスケの表情を見て、ナルトはぐっと唇を噛みしめた。

 

 ──己は……。

 

 あの時、どうすればよかったのかとナルトの頭の中を後悔が広がっていく。

 確かに、あの時の自分の選択は間違っていないハズだった。しかし、それはサスケの心を汲んだだけのこと。結果を見れば、サスケは未だ苦しみの中にいる。その上、体に傷を残したままだ。

 

 あの時、イタチがサスケを蹴り続けている時、自分が飛び出していれば、サスケの体に傷はつけられなかっただろう。サスケの心に傷はつけられなかっただろう。

 しかし、飛び出していれば、サスケの心に(わだかま)りを残すこともまた事実。

 

 ──どうすれば……良かったというのだ? 

 

 まさに八方塞がりだ。

 飛び出そうになっていた体を抑えつけていた時と同様、ナルトは奥歯を噛みしめる。

 

「自来也様」

 

 と、悔恨に沈むナルトの耳にガイの声が届いた。

 

「綱手様をきっと……捜して連れてきてください」

 

 綱手という名前のくノ一。

 自分と自来也が捜す者の名であり、そして、“医療スペシャリスト”とガイが呼んだ者の名だ。

 

 ナルトの目が決意に燃え上がる。

 

「すぐに見つけて、里に来てもらう。サスケやカカシ先生、そして、リーを治療してもらう。……必ずだ」

 

 ナルトの宣言を聞いたガイは深く頷き、ナルトが両腕で優しく抱いていたサスケの体を自身の背に乗せる。

 

「ナルト、頼んだ。それと、君が綱手様を連れてくるまでサスケはオレに任せろ」

「うむ!」

 

 ガイはキラリと歯を光らせ、懐に手を入れた。

 

「君みたいにガッツのある漢は好きだ! 君にコレを紹介しよう! コレだッ!」

「それは……!?」

 

 そう言って、ガイが取り出したのは濃い緑色の全身タイツ。

 

「通気性・保湿性に優れ、動きやすさを追求しつくした完璧なフォームに美しいライン! 修行の時に着ると、その違いがすぐ分かる! すぐクセになる! そのうち、リーのように常に着ていたくなるだろう! もちろん! オレも愛用している!」

「おおッ!」

 

 ガイの説明は止まらない。

 立て板に水の如く、一切、滞ることのない説明がナルトの興奮を高めていく。

 テンションを高め合う二人の横で自来也は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。もうついていけない。そう言葉にせずとも語っているようだった。

 

「ストレッチ性は?」

「抜群だ!」

「洗濯方法は?」

「洗濯機に入れてもヨシ! 手桶で手洗いしてもヨシ! 伸び難い素材を使っている!」

「……加圧は?」

「あまりない! だが、フィット感で病み付きになることは間違いない」

 

 と、ガイは真面目な表情を作り、静かに言葉を紡ぐ。

 

「ナルト、これはオレから君へのプレゼント……いや、先行投資だ」

「……そうであるならば、ありがたく頂く。そして、ガイ先生よ。一刻も早く綱手殿を捜し出すことを、改めて約束しよう」

 

 やっと話が終わった。

 自来也はこの隙を逃さない。これ以上、この話題を引き伸ばす訳にはいかない。

 

 ナルトに向かって声をかける。

 

「サスケの外傷は木ノ葉病院で診て貰えば安心だ。なにせ、ワシが死にかけた傷も治せたぐらいだしのォ。てな訳で、行くぞ、ナルト」

「承知! では、ガイ先生よ。また後程!」

「ああ! 頼んだぞ、ナルト!」

「無論!」

 

 そう言って、ガイとナルトは踵を返す。一方はサスケを里の病院に送り届けるために、そして、もう一方は最高の医療忍者を里に連れ帰るために。

 だが、自来也は険しい顔つきを崩さない。

 

「ナルト、お前……まさか、それ着て旅する気かのォ?」

「無論!」

「……」

 

 止めてもナルトは聞かないことを自来也は理解していた。

 トレーニングウェアと言ってもいい全身タイツを、修行馬鹿のこの漢(ナルト)が着たがらない理由はない。どんなに周りから『ダサい』と言われようが、間違いなく着るだろう。

 

 その着こなしを想像し──濃い緑の全身タイツを着た筋骨隆々の大男──自来也は頬が引き攣るのを抑えることができなかった。

 ついでに言えば、その濃い緑の全身タイツを着た筋骨隆々の大男が自分の隣をノシノシと大股で歩く姿を想像してしまっていた。

 

 そのようなことは認めることができなかった。

『ボンッキュッボンッのナイスバディなおねーちゃんの全身タイツならバッチコイだったんだがのォ』と横にズレてしまった思考。それを首を振ることで元に戻す。

 

「師よ、如何なされた?」

 

 首を振る自来也の姿に疑問を覚えたナルトが尋ねる。

 

 首を振る。否定。全身タイツ。否定。ダサい。否定を否定で返される。それを否定。ナイスバディなおねーちゃん。……綱手。……火影。

 

 そこで、自来也の脳内のピースがカチリと嵌まった。

 

「のォ、ナルト」

「む?」

「お前がなりたいのは……ガイか?」

「いや、己が成りたいのは……火影だ」

「なら、違うのォ? そのタイツは……」

 

 手に持つ全身タイツをナルトはじっと見つめる。

 

「むむ……確かに」

「なら、わかるのォ?」

「然り。己は己の忍道を貫けという話だな」

「まぁ、そうだ、のォ……」

 

 自来也は薄目でナルトを見つめる。

 話しているのは、ファッションスタイル。それを人生のスタイル──忍道──へと上手く誘導できたものの、改めてナルトの姿を見てみる自来也は一旦、目を閉じた。

 

 今にも繊維が弾き飛びそうなオレンジ色の小さなトラックパンツ。サイズは合っていない。

 逞しい胸筋で永遠に閉まることのないオレンジ色の小さなジャージ。サイズは合っていない。

 臍というか腹を覆うには裾が絶対的に足りていない黒色の小さなTシャツ。サイズはもちろん、合っていない。

 

 ──全身タイツの方がマシだったかもしれんのォ……。

 

 少し後悔した自来也だったが、どちらにしろ酷いのなら少しでも目に慣れた服装の方が、まだ心が楽だと結論づけた。

 

「じゃあ、行くかのォ」

「承知」

 

 自来也は知らない。

 この旅の途中、ナルトが全身タイツをパジャマにするという未来を、自来也はまだ知らない。

 

 +++

 

 歩くことしばらく。

 自来也を再び背に乗せ、駆けることを提案したナルトだったが、にべもなく断られた。ならば、と抱えて走ることを提案したナルトだったが、それも自来也は滅多に見せることのない冷たい表情で断った。

 

『急がば回れって諺もあることだしのォ』と自来也が言うので、ナルトも不承不承ながら頷くしかなかった。

 だが、気はどうしても急く。サスケが、カカシがリーが傷ついているにも関わらず、悠長にする時間などない。

 そう感じているナルトは自来也に声を掛けた。

 

「して、師よ。修行についてだが……」

「まぁ、そう焦るなっての……。綱手の情報収集もしながらの修行じゃないと意味がないからのォ」

 

 と、自来也の足が止まる。

 

「この街でな」

 

 大地をくりぬいたかのような盆地に作られた街。色とりどりの屋根は旅人を歓迎しているかのようだ。

 それだけではない。耳を澄ませずとも分かる。

 

 賑やかな喧騒が街から響いていた。

 祭りだ。

 喧騒の中に飛び込むナルトは頷く。と、ナルトが何かに気がついた。

 

「ふむ……街行く者の顔は皆、笑顔だ……む?」

 

 が、ナルトの前に出ていた自来也はナルトの表情の変化に気がつかないまま、言葉をかける。

 

「とーぶんの間、祭りは続くからのォ……その間はこの街に泊まる。修行もここでやるぞ……ナルト?」

 

『きっつい修行を、な』という自来也の台詞は飲み込まれた。

 ナルトの表情の変化、いや、それ以上の変化を見てしまった自来也は目を白黒させる。

 

「……ナルト? え? は? ん? お前、何を? 何をしてるか聞いてもいいかのォ?」

「すまぬ、師よ。人助けだ」

 

 改めて自雷也はナルトの姿を見る。

 

「どこの世界に(ふんどし)一丁で人助けをするような奴がいるか! いるわきゃあねェだろうがのォ!」

 

『お前には一つ教えておかねばならん』と自来也は言葉を続ける。

 

「忍の三禁だ」

「それは?」

「忍をダメにする三つの欲のことだ。その三つの欲とは酒・女・金のことを指す」

「重々、気をつけよう」

 

 踵を返すナルトに向かって、自来也は叫んだ。

 

「褌一つで行くとこなど決まっておる! お前はまだ12歳! そういうアダルティな所に行くのは早すぎる!」

「行かぬが?」

「嘘つけェ!」

「あの~」

「あァ!?」

「ひっ……!」

 

 突如、かけられた声の方向へ自来也は唸る。

 そこにいたのは、法被(はっぴ)を着た青年。自来也の知り合いではない。そして、里から出たことがほとんどないと聞いていたナルトの知り合いでもないと自来也は当たりをつける。

 

「誰だ、お前?」

「わ、私はこの祭りの実行委員会の者です」

「で?」

 

 自来也は結論を急がせる。『女の魅力も分からんガキがアダルティな所に行くなど十年……百年早い!』とナルトに説教をしなくてはならない自来也にとって、目の前にいるお祭り男は邪魔でしかなかった。

 

「実は太鼓の演奏者が一人、腱鞘炎になってしまったんです。街一番の太鼓打ちで、彼が奏でる重低音は腹に響き、実に素晴らしい音なのです! ですが、練習のし過ぎで腕を痛めてしまったので、彼の太鼓の音が聞けない! これでは祭りが盛り上がらないと悩んでいたところに、このお方から声をかけられまして。そこで、ピンときたのです。このお方ならば、この逞しい腕ならば! 彼にも負けないほどの重低音を奏でることができ、そして、祭りを盛り上げることができるに違いないと! そして、このお方に頼むと、すぐさま、引き受けてくださって服を脱がれたのです」

「で?」

「この方に代理で太鼓を打って貰おうと頼んだ訳です」

 

 自来也は大きくため息を吐く。

 

「ダメだ。ナルト、行くぞ」

「そんなッ!?」

「しかし、困った人を見捨てては置けぬ」

「お願いします! このお方……ナルトさんで、よろしかったでしょうか?」

「然り」

「お願いします! ナルトさんのお力をお貸しください! お父さん!」

「ワシはこいつの父親じゃねーしのォ。そういう訳でパスだ、パス」

 

 手を軽く振って、自来也はお祭り男に背を向ける。

 

「お願いします! おじいさん!」

「あァン!?」

「ひっ……!」

「この方は我が師だ」

「では、お願いします! お師匠様!」

「だから、ダメだっての!」

「そこをなんとか!」

「ん?」

 

 と、歩き出そうとしていた自来也の足が止まった。

 彼の視線の先には御輿。正確に言えば、御輿の上に乗っている見目麗しい女性の姿。

 法被姿の女性の姿だ。活動的な生足が自来也を魅惑する。

 

 改めて確認するが、自来也の忍としての実力は上位の中の上位。名は世界中に轟き、“里の狂気”、“伝説の三忍”と謡われた自来也の状況推察力は並みではない。

 

「……気にいったァー!」

 

 瞬時に状況を把握、そして、その後の展開も予測した自来也はお祭り男と肩を組み、耳に口を寄せる。

 

「それで、だ」

「は、はい」

「ナルトに太鼓を叩かせる。それはいいが、ワシも最前列で見たい。ああ、もちろん、ナルトの勇姿を、だ」

「それはそうでしょうとも」

「だから、のォ……」

 

 ピンときたお祭り男は自来也に囁く。

 

「……もちろんです。特別席をご用意します」

「うむ!」

 

 自来也は大きく頷く。

 彼はナルトが太鼓を叩く姿を見たかったから、特別席を要求したのではない。御輿の行く先を見据えての行動だった。法被姿の女性が乗る御輿の進行方向には、太鼓が並ぶステージ。その横にはパイプ椅子が並べられている。

 

 つまり、御輿の上に乗る女性を一番近くで見ることができるのは、ステージ横のパイプ椅子。

 そして、その席は関係者と思しき者たちが座っている。ならば、そこに座るために祭りの実行委員会に所属しているお祭り男を利用するのが一番だと自来也は考えたのだ。げに恐ろしきは未来視にも似た、推察力。

 伝説と称された忍の力の面目躍如である。

 

「ナルト!」

「承知!」

 

 自来也の心中を知ってか知らずか、いや、確実に知らず、ナルトは自来也の呼び声に打てば響くとばかりにステージの方向に走り去っていった。

 

 そうして、自来也の思惑通り、ナルトの思いの通り、お祭り男の願い通りに事が進み、ナルトはステージに立つことになった。

 

 祭囃子と喧騒。歓声と指笛。

 太鼓の前に立つナルトは達人の言葉を思い浮かべる。

 

「達人サライ。太鼓を叩くことになった時はどうすればいい?」

「ハハハ、何を仰るナルトサーン。そんなのチョーベリーイージー、ネ。裸になって華麗に盛大にアイアイヤー! パーリーピーポーもおませなあの娘もなんかイイ感じになりマース! ギリギリのチラリズムで招待して土足で大サマーセールをハグ&キッスしてやりまショウ!」

「分かり申した!」

「ナルトサーン。いい子ですネー。それじゃあ、ワッショせーのワッショと轟かせまショウ」

「承知!」

 

 忍者学校(アカデミー)時代、山籠りをしている中で出会った達人の言葉を思い起こし、ナルトはバチを握る。

 そして、響くは重低音。

 

「せいやッ!」

 

 続くは漢囃子。

 センターに立つナルトは太鼓を叩き、祭りをより一層、盛り上げる。

 ナルトの獣じみた第六感は周りで叩かれる太鼓の音や、後ろで奏でられる尺八の音を妨げない。それどころか、飛び入りで参加したにも関わらず調和していく。

 昼にナルトたちが食べた最高のラーメン、テウチが心血を注ぎ作り上げた最高の一杯を彷彿とさせるかのような、重低音のハーモニーとなる。

 

 高まるテンション、ステレオの重低音、コンディションは最高。

 体を揺らし、黄色い歓声を上げる薄着の女神たち。それを見て、鼻の下を伸ばす自来也。

 

「はッ!」

 

 綱手を捜す任務を忘れた訳ではない。サスケのことも、カカシのことも、リーのことも心配だ。それに、里が木ノ葉崩しで受けた傷跡を忘れることはできない。

 

 だが、ナルトは目の前で困る者を見捨てることはできない。もしも、思い悩み苦しむ者よりも仲間を優先させたならば、彼らはナルトに失望することだろう。

 

「おうッ!」

 

 だからこそ、ナルトは声を張り上げる。白い歯を輝かせ、希望を知らしめす。

 

 チラとナルトが視線を向けた先。

 そこには、涙を流しながら笑顔を浮かべるお祭り男がいた。その横にいる手首に包帯を巻いた男もまた、お祭り男と同じ表情を浮かべていた。

 腱鞘炎になり、この祭りの舞台に立てなかった男だ。その悔しさは如何ほどか。計り知れないほどの悔恨。それを吹き飛ばすべく、ナルトはさらに声を上げる。

 

 貴殿の努力は無駄になっていない、と。貴殿の努力が友を動かし、そして、己をも動かしたのだと示すために声を張り上げ、太鼓を叩くのであった。



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修行開始……!

 始まりがあれば、終わりがあるもの。

 そして、楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 祭りを堪能した人々の表情は笑顔、ではあるが、少し寂しそうなものだった。

 

 この時間がもっと続けばいい。

 

 帰るのを嫌がる自分よりも少し年下の子ども。遠慮がちに手を繋ぐ自分よりも少し年上の初々しい恋人たち。そして、精一杯やりきった満足げな表情の、自分よりも輝いて見えた実行委員会の者たち。

 

 彼ら彼女らの姿を見て、平和とはこのようなことを言うのだろうと、満点の星空の下、ナルトは心の中で呟いた。

 だが、その心の中には誰かを、何かを守るために傷つき、倒れ伏してしまった仲間の姿もあった。

 

「師を探さねばな」

 

 祭りの実行委員会の者たちから労いの言葉と感謝の言葉をかけられている内に、自来也は姿を消していた。きっと、若者同士で交友を深める機会を自分に与えようと姿を消したのだろうとナルトは自来也の考えを読み取ったのだ。

 

 だが、それは間違い。

 自来也の目的は単純に、法被姿のおねーちゃんを見ること。彼女らがいなくなった会場には、もう用はないと見切りをあっさりとつけただけのことである。そして、そのような考えを持つ自来也が次に向かう先は、自来也にとって大変、楽しい場所だった。

 

 ナルトはズッと自らの感覚を拡げていく。

 

「うむ、こちらか」

 

 ナルトの目線の先には飲み屋があった。

 暖簾を潜り、感覚が導く先には確かに自来也の姿があった。

 

「ギャハハハ! 若い娘はええのォ~!」

 

 ご満悦な自来也の声が店内に響く。

 顔は赤く上気しており、その原因と思しき酒の空瓶と空いた徳利(とっくり)が何本もテーブルに置かれていた。

 扇情的な格好をした女を二人侍らせ、右手は女の腰に、左手は別の女の肩に触れていた。

 何枚もの伝票用紙が挟まれたバインダーが、テーブルの隅でその存在を悟られないように皿の陰に隠れていた。

 

 ふと、自来也の言葉が思い起こされる。

『忍をダメにする三つの欲のことだ。その三つの欲とは酒・女・金のことを指す』

 

 ──なるほど。自らの醜態を以て、己に教え諭す。改めて思う。この師は素晴らしい。

 

 頷くナルト。

 と、自雷也の視線がやっとナルトに向いた。

 

「おお、ナルト! もう祭りは堪能したかのォ?」

「然り。そして、これも修行ということだな?」

「まあ、修行っちゃ修行だ。お前にはまだ早いが」

 

 忍の三禁の修行かと聞いたナルト。大人の修行だと答えた自来也。

 どこまでも交わらない二人の意見。十二歳のナルトと、五十歳の自来也の価値観には大きな隔たりがあった。

 

 そのことに気づくことなく、自来也は猪口(ちょこ)を傾け、店内の煌めく照明を反射する液体を腹に送り込む。

 

「かぁ~」

 

 大きく息を吐き出しながら満足げに何度も頷き、頬に流れた酒を隣の女に拭わせ、自来也は再び頷く。

 

「おいおいおい! 何してんだよ! 早く席を開けろ!」

 

 が、夢心地の自来也を無理矢理、醒ますようなダミ声が店内に響き渡った。

 

「その嬢は兄貴のお気に入りじゃあ! ワレェ、さっさとどかんかい!」

 

 ナルトは厳しい顔つきで振り替える。

 楽しんでいる人間を恫喝するなど漢の行為ではない。

 

「何だ、やろうってのか!? アン!? やめといた方が身のためだぜ!」

 

 眉をひそめたナルトの前にはスキンヘッドの男が立っていた。

 その後ろには、スキンヘッドの男と似たようなトレンチコート──もっとも襟はあり得ないほどに立っている挑戦的な形状であるが──を着た壮年の男が今にも死にそうな顔で佇んでいた。

 

「兄貴は元、岩隠れの中忍で、伝説の暗忍(やみにん)と恐れられたスゴ腕忍者だぜェ!」

「ほう……」

 

 兄貴と呼ばれた男は首をブンブンと横に振りながらスキンヘッドの男の肩に手を置くが、ヒートアップしたスキンヘッドの男は止まらない。

 

「分かるか? 兄貴は元 岩隠れの中忍で伝説の暗忍と恐れられたスゴ腕忍者なんだぜェ!」

「表に出ろ。ここでは店に迷惑がかかる」

「あン?」

「分からぬか? 表に出ろと言っている。その“兄貴”ではなく貴殿が、だ」

 

 静かに足を踏み出したナルトに応じて、スキンヘッドの男は一歩後ずさる。

 

「分からぬか? そこの御仁は貴殿を諌めようとしていた。一つは店に迷惑をかけないために。そして、もう一つは貴殿の面子(メンツ)を潰さぬように、静かに諌めたのだ。だが、貴殿は何一つ気づくことはなかった」

 

 ──筋肉にビビってただけなんだけど……? 

 

 何やら好意的に勘違いされていることに、兄貴と呼ばれた男は気がつき胸を撫で下ろした。

 沈黙は金。自分の行動が価千金であることに、兄貴と呼ばれた男は表情を変えずに心の中でガッツポーズをとる。

 そもそも、目の前の筋肉には勝ち目がない。“伝説の暗忍”と恐れられてもいない上にスゴ腕でもない、岩隠れの里から運良く抜け出すことができただけの自分では、目の前の筋肉に殴られ、夜空に舞うことは容易に想像ができた。

 

「貴殿はそこの御仁の弟分、失格だ。なれば、己が教え諭そう」

 

 どうやら、目の前の筋肉は優しそうだ。

 教え諭すと言っていることから、弟分が命を落とすことはないだろうと、兄貴と呼ばれた男は安堵する。

 

「それに……」

 

 針小棒大で話をする弟分の悪癖も、この機会に治ってくれたらいいなぁと考えていた男だったが、ナルトの『それに……』という言葉で何やら流れが変わったのを感じとる。

 

「喧嘩は祭りの華。いざ、尋常に勝負!」

「じょ……上等だ」

 

 唇を震わせ、スキンヘッドの男は叫んだ。

 

「頼みます! 兄貴!」

「え?」

「だって、オレじゃあ、あんな筋肉に勝てませェん!」

 

 ──なら、絡むな。お願いだから。

 

 思わず白目を剥いてしまう。

 人生最大の危機に陥っている兄貴と呼ばれた男に、自来也は深くため息を吐いた。

 

「ナルト、お前は手を出すな」

「しかし……」

「どーせ、この男の性根は変わらん。お前が殴り付けた所で、逆恨みするのがオチだのォ」

 

 顎をしゃくり、スキンヘッドの男を示す自来也は、心底、面倒臭そうな声を出しながら立ち上がる。

 

「それに、ワシの楽しみを邪魔された。なら、叩き潰すまでだのォ」

「……下がってろ」

「兄貴ィ!」

 

 と、兄貴と呼ばれた男が前に出る。

 その顔は解脱したかのように安らかなもの。

 

 それもそのハズ。

 勝ち目など全くないほどに筋肉がついた男に弟分が絡み始め、一度は死を覚悟した。

 筋肉がついた男が弟分に対して狙いを定めたことで、一度は生を実感した。

 弟分が自分を戦いの場に引き釣り出したことで、もう一度、死を覚悟した。

 白髪の男が出張ったことで筋肉と戦わずにすむことに、もう一度、生を実感した。

 

 ──筋肉を敵に回すよりも、こっちの男の方がめちゃくちゃマシだ。

 

 そして、兄貴と呼ばれた男には、まだ打算があった。

 ナルトの性格を読み取っていた男は考えた。

 この筋肉はオレたちの内、一人と戦えば満足する。そして、残った一人は白髪の男と戦うことになるだろう、と。

 逆も然り。先に白髪の男と戦えば、筋肉とは戦わなくて済む。

 

 そう考えたからこそ、男は弟分の前に出た。

 

「今からお前に教える術を見せてやる。よく見てろのォ」

「承知」

 

 が、男には人を見る目がなかった。

 真に警戒すべきは、見るからに強そうな筋肉ではなく、その後ろで指示を出している白髪の男だった。

 

 白髪の男──自来也──の右手にチャクラが渦巻き、回転数を上げていく。最高速度に乗ったロードバイクの唸りもかくやと言わんばかりに、自来也の右手のチャクラの塊が甲高い音を奏でる。

 

「……はにゃ、んッ!?」

 

 変な声を出しながら吹き飛ぶ兄貴の姿と、飛んでいった男から財布を抜き取った自来也の姿と、いつの間にか屋台の前に躍り出て威風堂々と立つナルトの姿を見て、あたふたしながら弟分は左右に首を振る。

 

「……お、覚えてやがれ!」

「おととい来いのォ」

 

 自来也の術を喰って吹き飛んだ後、ナルトに当たって気絶した兄貴を抱き抱え、すたこらさっさと逃げ出す弟分。

 

 それを見ながらナルトは『一件落着』と頷く。

 兄貴と呼ばれた男が吹き飛ばされた先。その先にはナルトが回り込んでフロントリラックスのポーズを決めていた。一見すると自然体。然れども、見るものが見れば、その体の筋肉全てにチャクラが漲っていることが分かるだろう。

 そして、ナルトが男が吹き飛ぶ先に回り込んだ理由。それは、水風船の屋台があったからに他ならない。

 誰かの楽しい思い出を自分たちが壊すわけにはいかないという想いで、ナルトは吹き飛ぶ男と屋台の間に立ち、緩衝材となることを決めたのだ。もっとも、男にとってはたまったものではなかった。筋肉の壁ともいうべき肉体に勢いよくぶつかり、意識を保てるハズもなく。結果、意識を失い、弟分に抱き抱えられ、這う這うの体で逃げ出したのだった。

 

「む?」

 

 と、自雷也の目線がナルトに向き、次いで、水風船の屋台に留まった。

 

「悪かったのォ……騒ぎを起こしてしまって。これ、迷惑料だ」

 

 自来也は兄貴と呼ばれた男から抜き取った財布から金を出し、屋台の店主へと渡す。

 

「ついでに水風船と風船、全部もらってくがいいか?」

「もう、店仕舞いの時間だし、別に構わんが……」

 

『サンキューのォ』と感謝の意を述べた自来也は、ナルトに振り返った。

 

「ナルト! ついて来いのォ! 修行だ!」

「押忍!」

 

 +++

 

 ところ変わって街の外れ。

 

「ナルト」

「これは……」

 

 自来也から水風船が投げ渡された水風船を受け取り、ナルトはそれをしげしげと眺める。

 見た目も、持った感触も、ただの水風船。かつての悪童だった頃、イタズラで水風船を使ったことを思い出し、ナルトは顔をしかめた。悪童だった頃より考えを改めた後、迷惑をかけた方々に謝りに行ったが、今でもナルトの心に小さなトゲとなっている記憶だ。

 だが、今は修行に集中するべきだと、ナルトは思考を戻して自来也を見つめる。

 

「さっきの術、お前からどう見えた?」

「む……敵が回転していたのと」

「ふむ」

「師の右手に高密度のチャクラの塊があった」

「ほお……」

 

 ──気づくとはのォ……。

 

 右手にチャクラを集めていたことにすらナルトは気がつかないと自来也は考えていた。そもそも、これからナルトに教える術は会得難易度Aの超高等忍術。だが、思いの外よかったナルトの観察力、そして、理解力に感心した自来也は修行のペースを上げることを決めた。

 

「掌にチャクラを集めて回転させる」

 

 自来也が手を動かさずにチャクラを放出すると、水風船の中の水が動き出し水音を奏でる。そして、それは段々と大きくなっていく。同時に、水風船の形も内から押されボコボコと歪んでいく。

 最大まで音と歪みが大きくなると、限界がきた風船が割れ、自来也の右手を水で濡らした。

 

「“木登り修行”でチャクラを必要な箇所に集中・維持。“水面歩行の業”でチャクラを一定量、常に放出。その二つは前にやったのォ」

「然り」

「で! 今回はこの“水風船修行”でチャクラの流れを作る。つまり回転!」

「チャクラの流れ……」

「詳しい説明はまず、この“初歩”が出きるようになってからだのォ。それより……」

「肉体に覚え込ませることが肝要ということだな?」

「そういうことだ」

 

 頷き、自来也はナルトの掌に水風船を乗せる。

 

「よし、やってみろ!」

「押忍」

 

 パァンと音が響き渡った。自来也の顔に水がかかる。

 そして、両者は押し黙る。

 

「……」

「……」

 

 自雷也は何も言わずにもう一度ナルトの手に水風船を置く。

 

 少し離れてナルトに頷く。

 

 再び響く破裂音。

 

 ──マンガだったら正面からと、上からと、後ろからと1ページを三分割した3コマで表現されるとこだろうのォ。

 

 水を頭から被せられた自来也はナルトに向かって頷いた。

 

「回転だって言っとるだろうがのォ! 単純なチャクラ放出だけで割るんじゃねーの!」

 

 そこからは困難を極めるのだった。

 

 何度、チャクラを回転させると言っても、『承知!』といい返事のみが帰ってくる。理解はしているのだろう。だが、それを熟すことができるほどの器用さがナルトにはなかった。

 

 ──本来なら試行錯誤しながら自分で気づき、術のノウハウをマスターしていくもんだが、コイツの場合……変な方向に突っ走りかねんからのォ。

 

 思い出すのは、口寄せの術の修行の時。

 滝に向かって泳ぎ続けるナルトを見つめていた時のことだ。

 

 ──何か間違って風呂の中とかでチャクラを回転させようなんて発想にたどり着いちまった時には……。

 

 自来也は背筋を震わせる。

 

 ──人工呼吸は願い下げだのォ。

 

 自来也の判断は早かった。

 

「ナルト、ちっと来い」

「む?」

 

 屈むように仕草で伝える。

 ナルトが素直に従うと自来也はツンツンと逆立つナルトの頭に手を置く。

 

「つむじは右巻きか。やっぱりお前は右回転型だったのォ。ワシと同じだ」

「右回転型?」

「チャクラを練るにはエネルギーを混ぜ合わせる必要があるから誰でも無意識に体内で回転させてチャクラを練り上げる。回転を水風船に上手く伝えるには右回転をイメージしろのォ」

「了解した。では、修行に戻る」

「まぁ、アドバイスはここまでだ。ワシは情報収集に戻る」

「承知」

 

 自来也がしたこと。

 それはナルトの指針を決めるというもの。右回転をイメージしてチャクラを練り上げさせることに集中させることで、ナルトが余計なことをしないように思考を誘導したのだ。

 

 と、自来也は表情を固く真面目なものにする。

 

「ナルト、がんばれよ」

「然り」

「この術はあの四代目火影が遺した忍術だ」

「む!?」

「四代目がこの術を完成させるのに丸三年。この術の会得難易度は六段階で上から二つ目のAランク……超高等忍術レベルだ」

「それは……」

 

 ナルトは犬歯を剥いて嗤ってみせる。

 

「昂るな」

 

 少し笑みを浮かべ、自来也は踵を返した。

 

「じゃあのォ。ホドホドにな」

 

 来た道を戻りながら、自来也はナルトのつむじについて考えを馳せる。

 

 ──右巻きの一つ。ワシと同じ、か。

 

 夜空を見上げた自来也の目に映るのは、左が少し欠けた月。

 

「お前のようにつむじが2つなくても、ナルトはやり遂げる。ワシは信じておる。なにせ、ナルトにはワシと同じ……ド根性があるからのォ」

 

 そう溢した言葉は誰にも聞かれず、肌寒い秋風に拐われた。

 拐われた言葉はどこに行くのだろうか? 

 この穢土から放たれ、冷たい風に拐われた言葉が行く先は……。

 

 ──やめやめ、なんか湿っぽくなっちまったのォ。

 

 自来也には過去を振り返る時間などない。

 今はナルトの修行を見ることで精一杯。それだけでなく、綱手の捜索まである。完全にキャパオーバーだ。

 だが、彼はきっと、どちらも見事にやり遂げるのだろう。つむじが2つある天才忍者と、そして、つむじが1つで自分と同じド根性を持つ忍の師なのだから。

 少年だった頃の、かつての四代目火影と同じ夢を持つ少年の師なのだから。



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パワーボールは紐を使わないようになってから一人前

 自来也にアドバイスを貰ってからから二日経った。が、ナルトは回転のコツが掴めていないままだ。

 

「む?」

 

 不随意に右手が細かく震えている。経絡系に負担が来ている証拠だ。だが、ナルトはそれを無視する。

 

 震える右手を左手で押さえつけ、ナルトは再び右手、そして、その上にある水風船へと意識を集中させる。

 集中力とチャクラ量は十分。必要なのは、チャクラを回転させるということのみ。だが、それはナルトにとって、果てしなく遠いものだ。

 

 右手に持った水風船が放出されたチャクラにより破裂し、中に入っていた水が撒き散らされた。

 

 目を閉じ、大きく深呼吸をしたナルトは気合いを入れ直し、集中力を取り戻す。

 目を開いたナルトの視線の先には紙袋に入った水風船。むんずと掴み上げ、チャクラを放出する。今度は先とは違い、水風船が割れることはなかった。

 されども、放出されたチャクラが少なかったためか、水風船の中の水がちゃぷちゃぷと軽く揺れるだけ。水風船の形は変わらない。

 

 ナルトの目が細くなる。さらに集中し、チャクラを込めた瞬間。

 パンッと風船が割れる軽い音と、パシャと水がナルトの体を濡らす音が辺りに響く。

 これはそう、失敗だ。

 

 だが、ナルトは諦めることを知らない。残りが少なくなっている水風船を再び、掴んでチャクラを放出する。

 

 水風船が割れる、割れないの繰り返し。無為な時と捉える者もいよう。それほどの失敗回数をナルトは積み重ねてきてしまっていた。そして、その失敗から何一つ上達した様子が見られない。無駄だと断じることもできる光景だ。ナルトのそれは、砂で曼荼羅を描く行為に似ていた。

 

 話は変わるが、砂絵曼荼羅という修行がある。

 筒で砂を掬い取り、微かな振動を与えて砂を落とす。この砂は五色あり、その五色で曼荼羅を描くのだ。

 言ってしまえば、絵を描くだけの修行。乱暴に言ってしまえば、それだけだ。画才がある者が聞けば、修行というには楽だと感じるのも無理はない。

 

 だが、違うのだ。

 この修行で使うのは、墨と筆ではない。小さな砂粒なのだ。それもくしゃみをしてしまえば、全てが吹き飛ぶような粒子の細かい軽い砂。

 その砂を使って曼荼羅を描くためには、自身の呼吸を完璧にコントロールし切らなくてはならない。もし、風で絵が崩れるプレッシャーから、少しでも鼻息が荒くなろうものならば、一瞬にして曼荼羅は吹き飛ぶ。

 自身を完璧に律しなければ、曼荼羅の完成は日の目を見ることはない。

 

 今のナルトの修行と同じだ。

 表に出すことは稀ではあるが、ナルトは激情家である。本来は感情の振れ幅が大きく、感情的な人間。それを筋肉によって押さえつけ、常に余裕ある態度を心がけているのだ。まさに、ステージに立つボディビルダーの如し。

 

 話が逸れた。

 とにかく、荒ぶる感情を律し、チャクラのコントロールを完璧にしなければ、この会得難易度Aランクの忍術を修めることなど出来はしない。

 

 砂絵曼荼羅と同じだ。

 自らの感情を律し、自らの体の動きを律する。

 

 遊びたい盛り。心の感動が深く、体が勝手に動くのを止めることができない時期。心も体も、これから大きく成長するため青春への入り口。

 それが12歳という年齢だ。

 そう……。たとえ、身長196cm、体重118kgの恵体でも、12歳は12歳。

 たとえ、世界を股にかける大企業の社長から『ナルト“さん”』と敬称をつけて呼ばれていても、12歳は12歳なのだ。

 

 12歳の少年に自律は難しい。

 

 それも、大人でも会得できる者は限られるほどに難易度が高い術だ。多くの者は術の概要を聞いただけで、会得することを諦めるだろう。

 

「フンッ!」

 

 だが。

 それでも。

 

 ……ナルトは諦めない。

 

 チャクラを流し込み、割れた水風船の破片を丁寧にかき集め、ゴミ袋に入れたナルトは、再び水風船を手に持つ。

 

 諦めることを知らないナルトの姿を木陰で見守りながら、自来也は懐に手を入れる。過去を思い出す。

 

「デカイ、それは何だ?」

「自来也先生!? 見てたんですか?」

 

 かつて自来也が上忍として班を率いていた頃だ。自分と下忍三人のフォーマンセルで任務を行っていた。

 なぜか、受け持つ部下が全員、男であったことが納得いかなかった自来也だったが──他の上忍の班で三人の部下が全員、女である班もあったことから『不公平』だと声を挙げたこともあった──その不満はすぐに消えた。

 なぜなら、三人とも優秀だったからである。

 

 とはいえ、優とカテゴライズされた者の中でも、さらに優秀な者とそうでない者とに細分化され、(ふるい)にかけられるのが忍世界というものだ。

 他二人に対して後塵を拝していた部下がいた。その者の名はデカイ。状況判断は苦手としているが、班内のムードメーカーであり、恵まれた体格から放たれる体術は特筆に値する。

 

 そのデカイが持っていた“モノ”について、話をしたことがあった。

 

「まあ、何か変な音がしておったしのォ」

「えっと……もしかして、うるさかったりしました?」

「ああ、結構な音がしとったぞ。アイツらにも後で謝っとけ」

「う! ……すみません」

 

 そういって自来也がテントを顎でしゃくると、デカイは掌の丸い球の動きを止める。

 

「なんだ、それは?」

「これですか? これは……」

 

 木陰から身を出した自来也はナルトに向かって声をかける。

 

「ナルト」

「む?」

 

 そういって、ナルトに放り投げたのは、あの日、デカイが手にしていたものと同じもの。

 

「これは……!?」

「ああ。お前はこれが何か知っておるのォ?」

「然り」

 

 ナルトは自来也から受け取ったものを天高く掲げる。

 

「パワーボール!」

 

 説明しよう。

 パワーボール、またの名をダイナビー。

 握力を鍛える目的のトレーニング器具だ。決して、ブルーツ派を発するようなものではない。

 掌大の外殻の中に縦回転するボールが入っているのがパワーボールである。中のボールをジャイロ効果で回転させることにより、手首や前腕に負荷をかけ、鍛えることができる器具だ。

 だが、この回転させるという一見、簡単そうな操作であっても、実際に行ってみると難しい。パワーボール内部のボールに紐を通し、それを引っ張ることで回転をさせ始め、手首のスナップで回転を維持し続ける必要がある。きちんと手首のスナップと内部のボールの回転を合わせていかなければ、その回転はやがて止まってしまう。

 

 ナルトが行っている修行と同じだ。

 回転に集中し、回転のリズムに合わせて調整し、それを維持し続ける。

 

「フンッ!」

「分かったのォ? お前には、こっちの修行法の方が似合いそうだと思って……え?」

 

 ヴィンヴィンと音が響いてきたことに自来也は目を丸くする。

 始めの回転を内部のボールに与えるのに紐が必要だと、かつて自来也は弟子のデカイから聞いていた。だが、ナルトは紐を使わず、親指で内部のボールを弾くだけで初動に必要な回転を与えていた。

 そして、パワーボールが上げる唸り声は段々と速く、そして、高くなる。自来也が見たこともないほどの速度だ。

 

 ──デカイよ。お前が弱い訳じゃない。ワシらの班でお前以上にパワーボールで遊んで……修行をしていた奴はおらなんだし、お前以上に回していた奴もいなかった。ワシ含めて、な。ただ、コイツは……。

 

 自来也はナルトを薄目で見る。

 

 ──凄まじい筋トレをしてきたに違いない。ワシが引いてしまうぐらいだしのォ。

 

 +++

 

 それから三日経った。

 左手でパワーボールを回しながら、水風船を右手に持ち、術の修行をしているナルトの姿が、そこにはあった。

 

「むぅう……」

 

 バシャバシャと水風船の音が響く。水風船は割れてはいないものの、中の水は所々、ボコボコと盛り上がっている。後は今の乱回転を続けながら、より多くのチャクラを流し込むことで第一段階の修行は終わる。

 そのことを理解しているナルトはパワーボールの動きを左手の触覚から感じとり、右手のチャクラの流れを制御する。さらに、歪みが大きくなる水風船。

 

「むぅう!」

 

 回転、回転、回転。

 

 ひたすらに回転を頭の中でイメージし、それをチャクラで再現。

 右手の筋肉にチャクラを、そして、意思を伝える。チャクラを乱回転させ、そして、水風船を内側から破りたいのだ、と。殻を破り、より強い自分になりたいのだ、と。

 

 ならば、と筋肉は答えた。

 恐れるな、踏み出せ、そして、越えて見せろ、と。

 ナルトが左手に持つパワーボールも応じるように音を奏でる。

 

 速く、鋭く、強く。だが、決して粗雑にするな。

 集中に集中を重ね、ナルトはトランス状態の中、真理に近づいていく。

 

 そう、トランス状態である。筋肉と会話しているナルトではあるが、全ては彼の頭の中のこと。

 

 一つ、重大なことをナルトに述べることができたとしよう。

 それはきっと、これだ。

 

 筋肉は話さない。

 

 だが、ナルトの筋肉との会話は自来也の教えを入念に噛んだものであった。

 チャクラの放出を恐れず、集中して丁寧に回転を維持する。それが、この術を完成させる肝だ。

 

「むんッ!」

 

 筋肉との会話と彼が呼ぶ妄想に近いもので確認したナルトは、掌のチャクラを研ぎ澄ましていく。

 そして、水風船の歪みは最大に達した。

 

「ハッ!」

 

 パンと軽い音が響いた後、ナルトの右手が水に濡れた。

 手に残された水風船の残骸を握りしめ、ナルトは言葉を溢す。

 

「至った。だが……」

「ほう……少しは進歩があったようだのォ」

 

 三日前と同じように自来也は木陰から姿を現し、ナルトに向かって声をかける。

 

「まだまだ……」

「まぁ、そう強がるな。ホレ!」

 

 パキンと軽い音が自来也からした。

 

「良くここまで来たのォ」

 

 軽い笑みを、誇らしげに笑みを浮かべて、自来也は二つに割った氷菓をナルトに差し出す。

 

「師よ。……感謝する」

 

 糖分を避ける生活をしているナルトではあるが、糖分が少なすぎても体には悪いことをナルトは理解している。そして、術への過度な集中で脳内が糖分を欲していた。修行に集中するためには栄養が必要不可欠。本来ならば、おじやに梅干しを添えて、その後にバナナ、そして、炭酸抜きのコーラも摂りたい所だが、これは師弟の物語。

 一つのアイスを二人で分け合う心の交流の物語だ。

 

 二人はまだ暑い中で頬張る氷菓の冷たさに舌鼓を打つのであった。

 

「さて、ワシはもう行くが……」

「承知。己は師が帰ってくるまでに術を完成させておこう」

「いや、無理」

「……」

「一歩一歩進んでいけ。それが、お前だろうのォ」

「……承知!」

 

 そう言って、水風船を掴むナルト。その姿を見て、自来也は自分もやるべきことをしなければと、腰を上げる。

 

 ──ナルトの集中力は常軌を逸している。そう遠くない内にこの術のコツを掴むだろう。

 

「それにしても、あの集中力。……まさか、な」

 

 ボリボリと頭を掻き、自来也は再び夜の街に情報収集に繰り出したのだった。

 

 +++

 

 そこは薄暗い陰気な部屋だった。まるで、蛇の寝床のような洞穴を人が住めるように改造したかのような部屋だった。

 

「ぐおおおおお!! オウウウゥぐッ……うっ……腕が……ハァハァ」

「大蛇丸様! 早くお薬を!!」

 

 血飛沫が舞う。

 目を血走らせた大蛇丸の前には、胸から血を流し、床に倒れ込む音忍の姿。

 彼が床に倒れた時、彼はすでに事切れていた。

 

「ちゃんとお薬を飲んでください。あ~あ、帰ってきて早々、部屋掃除ですか」

 

 凄惨な殺害現場に足を踏み入れながらも、全く緊張した様子のない男。カブトだ。

 大蛇丸の寝室に入りながら肩を竦めるカブトを睨み付け、大蛇丸は強い口調で言葉を吐き捨てる。

 

「……そんな気休めの薬など要らぬ」

「私が調合した薬なんですから少しは痛みも和らぐハズです」

 

 薬を飲まなかったためか、それとも、薬が効かなかったのか、大蛇丸の腕に鋭く、焼き付けるような痛みが走る。

 

「ぐっ……カブト」

「はい」

「ヤツは……見つかったの?」

「ええ。どうやら短冊街というところに居るそうです」

「短冊街……そう……」

「しかし、そう簡単には……」

「フン……良薬は口に苦いものなのよ」

 

 カブトに頬に飛び散った血を拭かせながら、大蛇丸は行動方針を決めた。

 

 今すぐにでも、短冊街に行く必要がある。

 腕を治し、今度は木ノ葉崩しを成就するために。

 

 +++

 

 大蛇丸が次なる獲物を定めたのと同時刻。

 酒場で自来也は情報収集していた。

 探し人の写真をカウンター席に座る男に見せる。

 

「う~ん、見たことねーな」

「そうかのォ」

「そいつ、知ってるぜ」

 

 隣から声がかけられた。

 そちらに向き直る自来也の前にいるのは、赤ら顔の男。

 羽振りよく飲んでいたらしく、男の前には高いと有名な銘柄の酒瓶。

 

「どこに居るかもな」

「一杯、奢るよ」

「フン……いいよ。さんざん稼がせてもらったからな、その姉さんには」

 

 ──また負けたのかアイツ。

 

 高い酒の出所が知り合いの財布からだと知って、自来也は呆れが多分に入ったなんとも言えない顔をする。

 

「その伝説のカモは今また賭け事やってるぜ」

「……場所は?」

「短冊街」

「フン、近いな」

 

 目的地は決まった。

 

 +++

 

「よぉーし、出発!」

「承知! 師よ。背中に……」

「嫌だのォ!」

 

 善は急げ。そうでなくても、もたもたしていては、探し人が目的地からいなくなっている可能性も高い。一所に留まるような性格をしていないと知っているからこそ、自来也の判断は早かった。

 だが、ナルトに乗ることは懲りたらしい。

 

『お前には、二度と……二! 度! と! 乗らん!』と宣言した自来也だったが、彼がナルトに乗らなかった理由はそれだけではない。

 

「それに、お前の修行をしながら行く」

「む?」

「これまで、お前には回転の修行をさせた。威力の修行は必要ないから、飛ばすがのォ。これからするのが第三段階、“留める”だ」

「留める?」

「ああ」

 

 自来也は風船を膨らませた。

 

「歩いてでもできる修行だ」

 

 右手に持った風船をナルトに見せる。が、風船は特に動くことはない。

 

「変わりはないが?」

「フフフ……見た目はただ風船を持っているようにしか見えないが、これと同じことを左手でやって見せるぞ」

 

 自来也の左手にチャクラが渦巻き、そして、輝きを強めていく。

 

「風船の中は一体、どうなっているかのォ?」

 

 チャクラでできた球体の中の螺旋。そのチャクラが乱回転し早くなっていく。

 それはまるで芸術品。匠の技で自然現象を加工したかのようだった。

 

「小さな台風のようだろ」

 

 思わず、見とれていたナルトは自来也の言葉に頷く。頷くことしかできなかった。

 

「いいか、この第三段階はこれまでに覚えたものを100%出し切り、それを留める。つまり、チャクラの回転と威力を最大にしつつも、風船の内側にさらに一枚膜を作り、その中にチャクラを圧縮するイメージ」

 

 自雷也は一旦、術を消し、近くにある木に向かって歩く。

 

「修行の第二段階までだと、こうだ」

 

 自来也が手を木に押し当てると、木に渦巻きが刻まれた。

 

「次にこの第三段階をマスターした場合」

「むッ!?」

 

 木が削り取られた。それも、自来也の手の進行方向にのみ。ナルトのパンチでも、木を破砕させることはできる。

 だが、自来也が今して見せたように、力を一点に集中させ続け、掘削するかのように木を破砕させることは不可能だ。

 

 木屑が舞い散る中、自来也は説明を続ける。

 

「この“小さな台風”を掌大に維持することができれば、力は分散しない。“回転”はどんどん速くなり、“威力”はどんどん圧縮されて破壊力は究極に高まる」

「承知」

 

 すぐに風船は割れた。それを見た自来也は厳しい顔つきで宣言する。

 

「手抜きは一切ダメだぞ! 100%の回転と威力を出し、それを留める」

 

 ──次元が違う。

 

 これまで歩いてきた道程は平坦ではなかった。

 だが、歩き続ければ、いずれ至るだろうと考えていた。だが、今、自来也より言われたのは“100%”の力を掌の上で完璧に制御すること。

 

 地を歩くだけでは至ることはない。言うなれば、突如、目の前に巨大で分厚い壁が現れたようなもの。

 

 飛び越えるべきハードルは、大きい。目の前にあるのは、木ノ葉を囲む壁よりも巨大で、しかも、反り立つ壁。ならば、どうするか? 

 

「なれば……」

 

 答えは決まっている。

 

「己は駆け上がるのみ。その次元まで」



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弁財天の印

 短冊街。

 古くは城下町として栄え、今なお活気は衰えない街だ。

 特に有名なのが、景勝地としても有名な古城と、街外れの岩場だ。侘び寂びを感じられるとして壮年を少し過ぎた頃の人に人気の観光地。それが短冊街である。

 

 だが、有名なのは景勝地としてだけではない。

 この地を訪れる者の真の目的は、賭場が豊富にあるというものだ。

 

 パチンコやスロットなどの近代的なギャンブルは勿論のこと。昔ながらの花札に丁半博打を遊ぶことができる数少ない土地であることから、暇と金を持て余した成功者たちの目には、短冊街は大層、魅力的に映るのだろう。

 

 そのような訳で、短冊街は大変、賑わっていた。先の祭りの人混みまでとはいかないものの、木ノ葉隠れの里から出たことがほとんどないナルトの目には、すべてが輝かしく、そして、怪しく見えた。

 

 眼窩上隆起による影の奥。ナルトの目線は鋭い。怪しい素振りを見せたものを即、捕らえるほどの警戒心。歴戦の万引きGメンも驚くことだろう。

 だが、ナルトの目的は悪を挫くこと、それだけではない。

 

 ナルトと、そして、自来也の目的は里に綱手を連れ帰るというもの。

 綱手の写真を自来也に見せられたナルトは、一心不乱に彼女を捜していた。自来也の後ろを歩きながら、四方八方に視線を遣るナルト。

 用心棒を控えさせた要人のような心持ちとなっていた自来也はため息を吐く。

 

「ナルト」

「如何された、師よ」

「あのなァ……綱手を探す任務ってことはお前もしっかり解っておるのォ」

「然り」

「だが、お前のように周りを威圧するのはいかんのォ。見てみろ」

「む!?」

 

 ナルトを見つめる町人の目。

 それは、かつて木ノ葉隠れの里で毎日のように受けていた視線だった。

 

 警戒、恐怖、排他。

 

 負の感情に他ならない。

 

 そして、自分がその感情を作ってしまっていた。それを看過することなど、この漢には到底、できないことだった。

 

「済まぬ、郷に入っては郷に従えということだな」

「まァ、そうだのォ」

「なれば……!」

 

 ナルトは輝く白い歯を町人たちに魅せつける。彼の渾身の笑顔、愛情表現だ。

 

「ヒッ!?」

 

 短い吃音を挙げ、屋内に飛び込む町人たち。

 雨戸まで閉めるという念の入れようだ。

 

「どうやら……笑顔の練習が足りなかったようだな」

「……」

 

 スパンとナルトの尻を無言で叩き、自来也は先を促す。

 

「お前はワシの後ろで術の修行でもしてろ」

「承知……」

 

 足早に進路を進める自来也とナルト。

 ほどなくして、自来也の足が止まった。

 

「ここから聞き込みをしてみるかのォ」

 

 自来也とナルトの前にあるのは賭場。暖簾(のれん)に書かれた文字から察するに丁半博打だ。

 サイコロ二つの目の合計数が奇数か偶数かで勝敗が決まる賭け事のことである。

 

 暖簾を潜り抜け、鉄火場(賭場)に足を踏み入れた二人を襲うのは熱気。勝負に対する熱だ。

 賭けに勝って諸手を挙げて喜ぶ者。賭けに負け、畳を殴り付け悲しむ者。

 悲喜交々(ひきこもごも)の感情が入り雑じった天国と地獄。熱い鉄ですら喜んで握る人間が雑多に棲息する場所。

 

 それが鉄火場である。

 言うまでもないことだが、日本では違法である。テラ銭が公営のギャンブルに比べ、断トツに低いとはいえ、闇カジノに足を踏み入れることはオススメできない。摘発されれば、即、お縄につくことになる。

 ちなみに、テラ銭とは胴元の利益として徴収する金のこと。例を挙げると、宝くじは54%、競馬は25%と胴元が儲かるようにできている。

 

 しかし、自来也の目的は勝負の熱とは関係ない。あくまで、この鉄火場で熱い鉄を握って大火傷をしたハズの人物を捜すことである。

 

 ──どうせ負けとるんだろうな。アイツはツキも実力も最悪だったからのォ。

 

 捜し人のことを少し思いだし、軽く微笑みを浮かべた自来也だったが、すぐに真剣な顔つきに戻る。

 そして、賭場をぐるりと見渡し、一人の男に目をつけた。

 

「すまんのォ。ちょっちいいか?」

「ん? なんだ?」

「人を捜しておってのォ。コイツを知らんか?」

 

 自来也は賭場の男に捜し人の写真を見せる。

 

「あ~、この姉さんなら知ってるねぇ。確かここで負けた金を取り返しに……あそこへ行くって言ってたな」

「あそこってどこかのォ?」

 

 ニヤリと嗤い、男はツボと呼ばれる茶碗にサイコロを放り込む。

 

「アンタ、賭場でタダって訳にはいかんわな。その情報、勝てば無料、負ければ千両でどうかね?」

「……よーし!」

「じゃ。丁半、選びんさい」

「おう!」

 

 賭場の熱に知らず知らずの内に当てられていたのだろう。

 男の提案に頷き、自来也は顎を擦り考える。

 

 ──ワシ、ちょうど50歳だし……。

 

「じゃあ、丁だ!」

「半ならワシの勝ち……なら、開けるぜ」

 

 ──や、ヤバイ……2・5の半……! 

 

「む!?」

 

 と、自来也の後ろから突風が吹いた。

 サイコロが風の勢いで転がる。

 

「ふふ……どうやら、ワシの勝ちだのォ」

「あ!」

 

『2・5の半にしたのに!』と悔しがる賭場の男の情報に従い、自来也とナルトは別の賭場、正確にはパチンコ店に来ていた。

 パチンコ、そして、スロットは多くの街に普及している最も身近なギャンブルである。七色に輝く演出、近年ではアニメ等とのコラボレーションによる若年層をターゲットにした施策など入りやすいギャンブルだ。玉一つが一円、四円などの比較的安価に見えるギャンブルな上、長く遊ぶことができることもあり、多くの人間が遊びやすいということもあり、新台入れ換えの際には長蛇の列を作るほど。その上、店舗でのイベントで芸能人を呼んだり、珍しいものではマグロの解体ショーを行ったりと、近隣住民への配慮までしている。

 これは余談ではあるが、『我が生涯に一片の悔いなし』とスロットのディスプレイの人物と同じように高々と拳を突き上げるとテンションは最高になる。

 

 そして、誰もが一度は経験があるだろう。

 預金残高が三桁にも関わらず、五千円を握りしめてパチ屋に向かったあの熱を感じたことが。

 

 だが、綱手はダメだった。

 パチンコのような機械仕掛けのギャンブルはてんでダメ。そして、人相手のギャンブルも、イカサマを見抜く類いの目もイカサマをかける腕もなかったので“伝説のカモ”と噂されるほど弱い。

 

 ──こっちでも、どーせ負けとるんだろうのォ。

 

 そう考えながら、ドアを通ろうとする自来也の背に向かって、ナルトから声がかけられた。

 

「師よ、己はここで待つ」

「ん? なんでだ?」

 

 店内に入らないナルトに、不思議そうな顔つきを浮かべる自来也。そのような彼にナルトが指したものは扉の前に貼ってある注意喚起。

 

「18歳以上ではないと入れない故」

 

 ──クソ真面目というかバカ真面目というか……なんかのォ。本当に忍者か、コイツ。

 

 遵法意識が高いナルトに苦い笑みを浮かべた自来也は、ナルトに手を振り、店内に入っていった。

 確かに、ナルトの所作は忍としては落第点。上に上がれば上がるほど、超法規的な任務を振られるようになる。暗殺、侵入、拷問など。それを知っている自来也であるが、口には出さない。

 いずれ、当たる壁。それをナルトがどう乗り越えるか。師ではあるが、口を出す範囲ではない。そのことを自来也はよく知っていた。

 

 ──これは自分だけで乗り越えて答えを出さなけりゃならん問題。忍がどうあるべきか、そして、平和とはどういうことか。ワシにもまだ答えは解らん。……なァ、お前がまだ生きていたら答えは出せたのかのォ。

 

 思い出すのは、さめざめと降りしきる雨の中、膝を抱えて俯いていた赤髪の少年の姿。

 そして、その少年が青年となる頃、その訃報を知った。

 

 ──長門よ。

 

 と、自来也の意識が今に向く。

 

「昔のことばかり思い出すたァ、ワシも歳かのォ?」

 

 自来也のぼやきは台から流れる喧騒に消えていった。

 頭を振り、店内を見渡す。

 が、やはりというべきか、捜し人の姿はそこにはなかった。

 

 自来也は踵を返し、店を出る。

 

 ──綱手の奴、次に何処へ? 時間的にはそう遠くへは行きっこないハズだが……。

 

「ナル……ト?」

 

 考えから浮上し、ナルトを呼ぼうとした自来也の声が止まる。

 同時に表情が抜け落ちる。

 

 そこにあったのは、確かにナルトの姿。右手には風船。それは理解できる。自分が術の修行をするように言ったからだ。しかし、分からないのはパチンコ店のマジックミラーに向かって、渾身の笑顔を浮かべているナルトの姿。ナルトからは鏡、だが、自来也からの方向ではガラス。

 

 自分に向かって、煌めく白い歯を魅せるナルトの姿がそこにはあった。

 

「何を! やっとるんだのォ! お前は!」

 

 スパンと再びナルトの尻をひっぱたきながら、自来也は怒鳴る。

 

「む? 勿論、術の修行と笑顔の修行だ。先ほどは街の人々に受け入れられなかった様子だった故に」

「宿の部屋でしろ! 一人で!」

 

 ナルトを渾身の力で引っ張りながら自来也は叫ぶ。

 綱手がナルトのように(すこぶ)る目立つ人間だったら、ここまでの苦労は必要ないのにと思いながら。

 

 +++

 

「気を取り直して……」

 

 路地裏にナルトを引きずり込んだ後、自来也は善後策を頭の中で組み立てる。

 

「仕方ないのォ。高いところから見下ろして探すかの。行くぞ、ナルト。こっちだ」

「承知」

 

 一路、向かった先は短冊街から程近い場所にある古城。

 ナルトは目の前の光景に小首を傾げる。

 

「城があると聞いていたが……」

「そうだのォ……」

 

 だが、二人の前にあるのは何か大きな生物が踏み荒らした後のような、半壊した城だった。

 

 と、自来也の目が走る男を捉える。

 

「そこの御仁! あいや暫く! 一体、何があった?」

「!」

 

 息も絶え絶えになりながらも、男は自来也とナルトに向かって叫ぶ。

 

「あんたらも逃げた方がええ! 上にはバケモンがおるで!」

「ならば、己が打ち倒してみせよう」

「お前は少し黙っとれ。話が進まねーようになる」

「……承知」

「で、何かのォ? そのバケモンってのは?」

「お……大きな蛇だ! 一瞬で城を壊しやがった!」

「大蛇?」

 

 ナルトが呟く。

 同じ結論に至ったのだろう。

 

「急ぐぞ、ナルト」

「承知」

 

 打てば響くと言わんばかりに二人の行動は迅速だった。

 全速力で壊された城に近づく師弟。

 

「既に気配はない、か」

「一足遅かったのォ」

 

 だが、痕跡は何一つとして残されていなかった。

 

「ナルト、街に戻る」

「だが、この惨状。下手人を放っては置けぬ」

「優先順位を解ってねーのォ」

「……しかし」

「ワシらの任務は綱手を探して、里に連れ帰ること。それに、お前じゃ“アイツ”に……大蛇丸に勝てない」

「それは……そうだが……」

 

 と、ナルトは気がついた。

 

「師よ」

「うん?」

「何故、大蛇丸のことを知っているか聞いてもよろしいか?」

「……まァ、腐れ縁って奴だのォ」

「……そうか」

 

 ナルトは自来也に向き直る。

 

「なれば、己から言うことはできぬな。師よ、急いで街に戻ろう」

「だのォ。あと、ありがとな」

「恐縮至極」

 

 来た道を引き返すナルトと自来也。斜陽が指す道を歩く二人は無言。

 その中でも、ナルトの右手には風船があり、修行を続けていた。

 少しでも早く強くなるようにと決意を込めて。

 

 +++

 

 二人が短冊街に着いた時には、すでに夕日も落ち、夜の帳が下りていた。

 

「とりあえず、ここで飯にするかのォ」

「しかし、毎晩のように飲み歩くのは不健康だ」

「酒は百薬の長とも言うし、大丈夫だのォ」

「それに、栄養バランスも悪い」

「うるさいってのォ! お前はワシのオカンか!」

 

 飲み屋の暖簾を潜りながら、自来也はナルトに怒鳴る。

 

「それに、情報っつうもんはこーいう場にこそ集まるん……ん!?」

 

 テーブル席に座る二人の女が目に入った自来也は声を上げた。

 

「綱手!」

「……自来也?」

 

 ナルトは自来也の目線の先を見つめる。

 妙齢の美女の姿がそこにあった。スタイルもよく、肌艶もよい。街を歩けば、10人中10人が振り返ってしまうほどの美女だ。

 だが、その表情には確かに影があった。ならば、ナルトが行うことは一つのみ。

 

「綱手殿か?」

「ああ、そうだが?」

「単刀直入に言う」

「なんだ?」

「困っていることはないか? 己が貴殿の悩みを解消せしめよう」

 

 中忍選抜試験。第二の試験の際、アンコを助けるか大蛇丸を追うか迷ってしまったことがあった。だが、もう彼は迷わない。助けが必要な子女に対しては、すぐさま、手を差し伸べる。

 それが漢としての正しい姿だとナルトは信じて疑わない。

 

 スッと手を自分に向かって差し伸べたナルトに向かって、綱手は呆けたように口を少し開ける。

 

「は?」

「お前はちっと黙っててくれんか? マジで」

 

 本日、何回目になるのか。

 自来也はナルトを引っ張り、無理矢理、ナルトを綱手とその付き人がいるテーブル席に押し込む。

 

 ややあって、店員が持ってきた水で人心地を付かせた自来也は、正面から綱手を見つめた。

 

「やっと見つけたぞ!」

「何で……お前がここに?」

「里からの命令でな。お前を捜しておった」

 

 綱手は目を伏せ、独りごちる。

 

「……今日は懐かしい奴によく会う日だ」

「大蛇丸だな。何があった?」

「別に何も……挨拶程度だよ」

「……」

 

 下手に(はぐ)らかしながら、綱手は自来也に疑問を呈した。

 

「お前こそ、私に……何の用だ?」

「率直に言う。綱手。里からお前に五代目火影就任の要請が出た」

「何ッ!?」

 

 驚くナルトを無視し、自来也は言葉を続ける。

 

「三代目のことは?」

「大蛇丸から聞いたよ」

「……では、何故、貴殿は動かぬのだ?」

「……コイツは何なの?」

 

 じっと自分を見つめるナルトを見て、そして、視線を逸らした綱手は自来也に問いかける。

 

「うずまきナルトだよ」

 

 ──コイツが九尾の……? 

 

「本当か?」

「ああ」

「だが……なんというか……大きいぞ。アレから十年ちょっとだろ?」

「ああ。ワシも驚いた」

「……シズネ」

「ひゃっ……ひゃい!?」

 

 綱手は隣に座る付き人に話題を振る。

 自分に話が振られるとは思ってもみなかったのか付き人──シズネ──は思わず声を挙げてしまう。

 

「うずまきナルトの横に立ってみな」

「は、はい!」

「ナルト、少し立ってみろ」

「承知」

 

 そうして、横に並ぶ二人。

 

「シズネが小さく見えるな」

「そうだろうのォ」

 

 シズネの身長は168cm。決して、小さいと言われるような身長ではない。

 だが、横に堂々と立つナルトの身長は196cm。その差、28cm。

 ちなみに、日本男児12歳の平均身長は148cmである。本来ならば、ナルトが20cm上のシズネを見上げる形になるハズだが、逆にシズネが28cm上のナルトを見上げている。

 

 ──九尾のチャクラの影響か……? 

 

 検分を終わらせた綱手はシズネに向かって声をかける。

 

「シズネ、戻りな」

「はいッ!」

「ナルト、座っていいぞ」

「承知」

 

 すぐさま、綱手の隣に下がるシズネとは対照的に、ナルトは悠々とした所作で椅子に座った。

 その様子を見て、綱手は小さく息を吐く。

 

「シズネにも、その胆力を分けてやりたいねェ」

「え?」

「それもそうだな」

「自来也様まで!?」

 

 そう笑いあった後、自来也は顔を引き締める。

 

「で、答えは? 引き受けてくれるか?」

 

 ──チィ。

 

 逸らすことができなかった重大な要請。

 机に肘を置き、掌を組んだ綱手は、そこに額を軽く当てた。

 

 綱手は悩む。

 だが、答えは決まっている。

 

「ありえないな」

 

 彼女が悩んだのは、返答方法。

 のらりくらりと躱すか、それとも、キッパリと返事をするか。

 

「断る」

 

 綱手は明確な拒絶を選んだ。



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夢と想いと賭け

『ありえないな。……断る』

 

 綱手の拒絶にナルトは黙ったままだ。

 しかしながら、ナルトの鋭敏な感覚は彼女の心の奥底を推し量っていた。

 

 ──後悔、か。それに……。

 

「思い出すな……そのセリフ。昔、お前に付き合えっつって断られたのォ」

 

 何を後悔しているのか、綱手の心に一歩踏み出そうとしたナルトを止めたのは自来也の声。そして、彼の目線だった。

 

 踏み込むな。

 お前にはまだ早い。

 

 チラと向けた目線だけで、自来也はナルトに語った。

 それを無下にできるような漢ではない。

 

 ナルトは、綱手に向かって乗り出しかけていた体を元に戻す。

 だが、引けない理由が一つあった。

 

「師よ。綱手殿には里に帰って来て貰わねばならぬ。綱手殿の助けを待つ者がいる故に」

「まぁ、落ち着け。お前は綱手のことを何も知らんだろ」

「それは……そうだが」

 

 自来也はナルトに向けていた視線を綱手に戻し、話を続ける。

 

「凄まじき大戦時代に木ノ葉の勝利に大きく貢献。その戦闘・医療技術は未だ肩を並べる者はいない。さらに、この綱手は初代火影の孫であり木ノ葉の忍として最も正統な血を持つ者」

「む!」

 

 驚きを見せたナルトに向かって軽く微笑みながら、自来也は話を続ける。

 

「火影になれば里に帰ることになる。そうすれば、お前の言う通り、助けを待つ者──サスケとリーを診てもらえるからのォ」

「しかし、師よ。断られているが?」

「分かってねェのォ。女を落とすに必要なことは諦めないことだっての!」

「承知! なれば、綱手殿。火影になっては貰えぬか?」

 

 ──しつこい。

 

 思わず、綱手はため息を吐く。

 自来也だけでさえ、煙に巻くのは難しいというのに、輪をかけて人の話を聞きそうにないのが一人。

 さしもの綱手と言えども、匙を投げたくなるような状況だ。

 

 だが、彼女にとっては火影を襲名するなど、ありえないこと。

 

「フン……自来也。この子は前の弟子と違って、少々、頭が悪いようだね。ついでに言えば顔も」

「むむ!?」

「四代目と比べられりゃ、誰だってキツいだろーよ」

 

 手を伸ばし、ナルトの頭をポンポンと軽く叩きながら、自来也は面白がる。

 

「なんせ、あやつは忍びとしての器は歴代一だった。術の才に溢れ、頭脳明晰。人望に満ち……まあ、ワシ並みに男前だったしのォ。だがのォ……」

「ん?」

「こいつ……うずまきナルトは四代目火影以上のものを持っておる」

「……なんだ?」

「筋肉だ」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 四者四様に黙り込む。

 

 一人は得意気に、一人は自信に満ちた顔つきをし。

 一人は事態を把握できず、そして、一人は怒りを浮かべた。

 

「だから、なんだって言うんだ? 筋肉? それで? それが四代目よりも凄いからなんだっていうんだ?」

「ナルト。言ってやれ」

「承知」

 

 自来也の目的。

 それは単純だった。それは、綱手を怒りを覚えさせることに他ならない。

 そもそも、生来、跳ねっ返り娘である綱手に、どんなに真心を込めて諭そうがムダだということを自来也は長い付き合いで理解していた。

 ただ単純に火影就任の要請を綱手に伝えたところで、一蹴されるのがオチだと分かっていたからこそ、彼はナルトを連れてきたのだ。

 

「己は繋ぐ者」

 

 綱手は一度、自分が決めたことは曲げることはない。

 そして、それが“あの日”の後悔、そして、恐怖から来るのならば、尚更だろう。

 

「受け継ぐ者」

 

 綱手が全てを失ったと感じた、あの日。

 その時、傍にいながらも、自分の声は届かなかった。

 

「生き、次ぐ者」

 

 それが自来也の後悔。

 

「そして、魅せるは木ノ葉魂」

 

 だからこそ、彼はナルトを連れてきたのだ。

 

「連綿と紡がれてきた火の意思は! 己を歩ませ続ける道標! なれば、止まるは出来ぬこと!」

 

 綱手の後悔を焼き尽くすための火種として。

 

「守り、戦うは己が腕! 歩み、走り、やがて至るは夢の先! 必ずや受け継いでみせよう!」

 

 その火種は大きく見えた。

 

「火影の名を!」

 

 ナルトの声が響いた。その後に続き、店の中から『いいぞー!』『でっかい夢だなァ!』『応援してるぜ!』など、酔っぱらいの声が至るところから上がる。

 

 その光景を大きく開いた瞳に写した綱手の手は、無意識に胸元のペンダントを握りしめていた。

 

 火影になるという夢。周りから応援されていること。

 

 あの日の縄樹のように。あの日のダンのように。

 

「ッ!」

 

 綱手は唇を噛み締める。

 認めてはならない。似ていない。似ているなんてこと認めてやるものか。

 自来也の狙い通り、綱手の怒りに火が着いた。

 

「……表へ出な、クソガキ」

「む?」

 

 綱手の声は決して、大きくはなかった。だが、聞くもの全てを黙らせる覇気と呼ぶべきものが乗っていた。

 一瞬にして、店の中が水を打ったかのように静まりかえる。

 

「その名が、どれだけ重いか教えてやる」

「火影の名が重いということは知っている。だが、改めてこの身に刻もう。胸を借りるぞ、綱手殿」

「いいから、早くしな!」

 

 怒鳴り、立ち上がった綱手は息も荒く、店から出る。

 応じて、ナルトも立ち上がり、彼女の後に続く。

 

 残されたのは、綱手の付き人であるシズネとナルトの師である自来也。

 

「……自来也様」

「うん?」

「どうするんですか? 怒った綱手様だとナルトさ……ナルトくんに大ケガを負わしかねません。万が一、打ち所が悪ければ……」

「……シズネ」

 

 腕を組み、大きく息を吐き出す自来也は真剣な眼差しでシズネを見つめる。

 

「どうしよう?」

「あひィー!?」

 

 打つ手はないと困ったように笑う自来也にシズネは声を挙げるのだった。いや、声を挙げるしかなかった。

 

「と、とりあえず、ワシらも二人を追うぞ!」

「は、はい!」

 

 慌てて、店から飛び出す二人。

 

 ──焚き付けるつもりはあったとはいえ、まさか、ここまで怒るとは……。

 

 想定外だった。

 あの日から20年以上経っていることから、少しは綱手にも余裕ができているだろうと自来也は踏んでいた。だが、綱手はあの日から全く変わっていなかった。

 

 ──ナルトのことを言えんのォ……。

 

 踏み込むなとナルトに言っておいて、この様かと自来也は嘆息する。

 

 だが、まだ終わりではない。

 綱手は『その名が、どれだけ重いか教えてやる』と語っていた。初代火影の孫、二代目火影の曾姪孫、そして、三代目火影の弟子。彼女ほどに火影の近くにいた者は少ない。

 火影の座の重みを知っているからこそ、あやふやな夢で火影を語るなど彼女は許せなかった。

 

 夜風がナルトと綱手の間を吹き抜ける。

 

 ──綱手様……本気だ。

 

 追い付いた自来也とシズネはその場の空気に思わず、当てられてしまう。

 ピリピリと肌を刺すような空間の中、仁王立ちをしているナルトに向かって綱手は一言、声をかける。

 

「ナルト」

「む?」

「これから、私はお前を殴る」

「承知」

「綱手! やめ……!!」

 

 自来也の声は遅かった。

 

 瞬きの間にナルトとの距離をゼロにした綱手は右腕を大きく引く。

 

「うっ……」

 

 かくして、綱手の拳は遮るものもないまま、ナルトの腹に吸い込まれた。ナルトの体勢が崩れる。

 

 だが、綱手の怒気は収まる気配を見せない。

 膝をつくナルトの髪を掴み、視線を自分に無理矢理、向けさせる。

 

「お前……嘗めているのか!? なぜ、防ぐこともしなかった! 避けることぐらいはできたハズだ! 攻撃しようとする素振りぐらいは見せれたハズだ!」

「……貴殿が」

「なんだ?」

「貴殿が悲しみの内にいるからだ」

「ッ!」

 

 綱手はナルトの頬を殴り付ける。

 

 彼女の拳は、ナルトの体で地面を削ることができるほどに力を込めたもの。

 心身を鍛えに鍛えたナルトと言えども、立ち上がることは不可能なほどのダメージだ。

 

「綱手殿……」

 

 だが、地面に体を横たえながらも、ナルトは言葉を紡ぐことを止めない。

 

「火影の名が重いことは知っている」

「なに?」

「大蛇丸の襲来の折り、力及ばず守れなかった者たちがいた」

 

 ナルトが思い出すのは、木ノ葉崩しの後の合同葬儀のこと。

 悲しみを耐え、そして、上を、未来を見つめていた木ノ葉の忍たちの姿だった。

 自分の力がもっとあれば、と悔やんだ日のことだった。

 

「火影は彼ら彼女らの無念を継がなくてはならぬ者」

「じゃあ、なんだ? お前は大蛇丸に勝てるっていうのか?」

「今の己では勝てぬ」

「なら……!」

「だからこそ、修行を続け、四代目の術を継ぎ、彼に打ち勝たなくてはならぬ。そして、平和を。世界に平和をもたらすのが、己が継いだ夢。いや、約束だ」

 

 意識が覚束なくなってきたのだろう。ナルトの声は段々と小さくなっていくが、その声にはしっかりとした決意があった。

 

「そのためにも、己は火影となる。自分の言葉は曲げぬ。それが己の忍道……火影は己の夢だ」

 

 ──火影はオレの夢だから。

 

 綱手の頭に最愛の二人の言葉が甦る。

 

「火影になるには、己が理想の姿になるためには……里の者、全員が心の底より笑えるようにしなければならぬ。誰一人として見捨ててはおけぬ。それが……それが己の考える火影の姿、平和の灯火」

 

 ナルトは右手の掌を上に向け、綱手へと、いや、自分自身へと語りかける。

 

「遠い道程」

「これは……」

 

 彼の右手にチャクラが渦巻き、球体を形作るが不安定で、すぐにでも霧散してしまいそうな儚い輝き。

 

「未だ届かずとも……己は四代目と同じ師を仰いでいる。なれば……完成させるのが弟子たる者の……役目」

 

 ユラユラと揺れるナルトのチャクラを見て、綱手は一度、目を閉じる。

 

「その術は……“螺旋丸”を使えるのは四代目と自来也ぐらいだ。お前には無理だよ」

「それでも……己は……やり……遂げる……」

「……一週間やる」

「綱手……殿?」

「賭けだ。一週間で、お前がその術を完成させたら、里に戻ってやるし、火影になってやる。そして、お前には、これをやる」

 

 そう言って、綱手は首元のペンダントをナルトに見せた。

 

「それ……は……?」

「お前の大好きな火影……初代火影が持っていたものだよ」

 

 揺らめく視界の中だったが、ナルトは綱手の表情の変化を見逃さなかった。

 火影の名の重み。それが綱手の首飾りに籠められている。そう綱手は感じている。

 

「己が……賭けに負ければ……」

 

 火影の名の重み。

 それを再確認したナルトは賭けに差し出すものを決めた。いや、これしかないのだと賭けを持ち出された時点で感じていた。

 それほどまでに、火影の名は重い。自分でも尻込みしそうになる重責を、悲しみに沈んだままの婦女子に受け取って欲しいというのだ。自分達の都合だけで要請していい座ではない。

 

 ならば、自分の夢を賭けなければ、対等ではない。この勝負に負ければ、全てを失わなければフェアではない。それがナルトの答え。

 

「忍者を辞める」

 

 ナルトの提案は彼にとって、余りにも残酷なものだった。

 

 +++

 

「む!?」

 

 跳ね起きたナルトは辺りを見渡す。

 知らない部屋だ。綱手と話していた際に横たわっていた地面ではない。

 宿の一室、そこに備え付けられている布団に寝かされていたらしいとナルトは当たりをつける。

 

 跳ね起きたせいで、足元には掛け布団が丸まっているのを見たナルトは、それを綺麗に整えようと立ち上がる。

 

 と、キィとナルトの耳に扉が開く音が届いた。

 

「あ、ナルトさ……くん」

「シズネ殿……だったか? 迷惑をかけた」

 

『いえいえ』と首を振るシズネに一度、頭を下げたナルトは布団を畳んでいく。

 それをポカンと見つめるシズネ。

 

 ──綱手様の一撃を受けて……もう、立てるの? 動けるの? ……なんで? じゃなくて! 

 

「ナルトさん! 休んでなきゃダメですよ!」

「己に敬称は不要だ、シズネ殿。それに、休む暇などない」

「何を言ってるんですか!? あ、敬称のことじゃなくて。横にならないと怪我が酷くなります」

「不要だ。己は大抵の傷は、しばらく寝ると治る体質であるが故」

 

 ──どんな体質ですか、それ……。

 

 首を横に振るシズネだったが、続くナルトの言葉に意識を戻す。

 

「して、シズネ殿。師と綱手殿は?」

「えっと、二人なら飲み直すということで連れ立って出ていかれました」

「旧交を温めているということだな」

「あ、はい。あと、きっとナルトくんとの賭けについての話をすると思います。あの賭けはあなたにとって分が悪過ぎますし」

 

 綱手は火影就任と木ノ葉への帰還、そして、火影の首飾り。

 ナルトは自身の進退全てである忍者の登録。

 それを賭けの対象にしていた。

 

 そして、賭けの勝敗の条件はナルトが会得難易度Aの螺旋丸という術を一週間で習得できるかどうかというもの。

 元来、チャクラコントロールが苦手なナルトにとって、いや、他のチャクラコントロールに長けた忍でさえも、一週間という短い期限でチャクラコントロールの極致である螺旋丸を習得できることは難しい。というより不可能だ。

 シズネはそう考えていた。そして、その考えは自来也も同じだろう、と。

 

「いや、それは出来ぬこと」

「え?」

 

 だが、ナルトはそう考えない。

 

「賭け……つまりは約束だ。それを裏切ることなど己には出来ぬ。綱手殿が許そうが己が許さぬ」

「でも……そうしたら、ナルトくんは忍者を辞めることになるんですよ! そのことが分かっているんですか!?」

「百も承知」

「……」

 

 シズネは目を閉じ、息を長く吐き出す。

 自分の言葉を曲げないナルトに対しての呆れ。

 シズネは、ナルトに自分の言葉を届かせるにはどうすればいいかと考えをまとめていく。

 

「万が一、賭けに勝ってもナルトくんにはいいことなどありません」

「つまり……どういうことだ?」

「綱手様が賭けに出した品は、過去一度として賭けの対象にしたことはありません。売れば、山が三つほど買えるほどの額になるにも関わらず、です」

 

 シズネはナルトを真っ直ぐに見つめる。

 

「あの首飾りは呪われています」

「詳しく聞かせて貰おう。いや、その前に茶を用意しよう」

 

 テキパキと茶と椅子の用意をするナルトのペースに呑まれてしまったシズネが自分を取り戻すのは、彼女の前に湯飲みが置かれた後のことであった。

 

「シズネ殿?」

「あ、ああ。これはご丁寧に」

「仔細なし」

 

 前に座るナルトの椅子が妙に小さく見えることに気を取られながらも、シズネは茶を一口啜り、話を戻す。

 

「綱手様は変わってしまいました。昔は心の優しい……里を愛する人だった。でも、変わってしまった」

「……」

「あの日をきっかけに」

「あの日……?」

「はい。夢も愛も希望も……全てを失った日です」

 

 シズネの瞳は昏い。

 それを見たナルトは自分の思い違いに気がついた。

 

 ──綱手殿だけではなく、シズネ殿も、か。

 

 なれば、二人とも救わねばならぬと決意を新たにしたナルトを尻目にシズネは話を続ける。

 

「残ったのは、あの……思い出の詰まった首飾りだけ。あれは綱手様にとっては命ほど大切なもの。到底、賭け事に供していいような品ではないんです」

「だが、あの首飾りは綱手殿を苦しめているように見受けられる」

「それは……そうですが……」

「なればこそ、己が受け取り解放せしめなければならぬ」

「勝手なことを言わないでください!」

「む?」

「……失礼しました。あれは……あれは君が思っているような“ただ”の首飾りではありません。綱手様以外、認めようとしない。あの首飾りを他の人間がすれば、その者は必ず……死ぬ!」

 

 シズネ自身にも暗い影を落とした別れの日を思い出し、シズネは思わず目を伏せた。優しかった叔父の変わり果てた姿が今でも目に浮かぶ。

 

「分かってくれますね、ナルトくん。綱手様が首飾りを贈った二人……弟君と、そして、私の叔父は二人とも首飾りを贈られて間もなく戦死しました。綱手様は、あの日からずっと……ずっと混乱の中にいるのです……ナルトくん? どこに行くんですか?」

「勿論……修行だ」

「え?」

「期日は一週間。それまでに術を……螺旋丸を完成させる」

 

 やおら、椅子から立ち上がり、言い放ったナルトの言葉。

 頭に血が上ったシズネは椅子を倒しながら立ち上がる。

 

「話を聞いてなかったんですか!? あの首飾りは!」

「シズネ殿」

「ッ!?」

 

 ポンと優しく頭に大きな手が置かれた。

 シズネの動きが止まる。

 

「大丈夫だ」

「だい……じょう……ぶ……?」

「故人を悼む。それは誠、尊きこと。然れども、別離は乗り越えねばならぬこと。それには、自身の力のみならず、周りの助力が必要だ。きっと貴殿らは強さ故に、周りの友を頼ろうとはしなかった。そして、周りの友も貴殿らの心を尊重し、踏み込まずにいた」

 

 そうして、ナルトは笑顔を見せる。

 短冊街の町人に見せた笑顔ではない。

 彼の心の、優しさが見える柔らかい笑みだ。

 

「貴殿らや貴殿らの友でも心を救えぬのなら。何も知らぬ己こそが貴殿らを救うことができると、己はそう考える」

「ナルト……くん」

「シズネ殿。そして、綱手殿もきっと笑顔の方がよく似合う。華が咲き乱れる春のような笑顔が」

 

 すっと手をシズネの手から話したナルトは踵を返し、宿の扉に向かう。

 

「氷を融かすのは“火”。己の火の意思が、貴殿らを閉じ込めている氷を融かしてみせよう」

 

 パタンと扉が閉じる音を最後に部屋の中は静寂に包まれた。

 残されたシズネは自分の頭に触れる。

 

 ──辛いのは……苦しいのは、綱手様だと、ずっと思っていた。

 

 頭に触れていた手をシズネは自分の胸に当てた。

 思い出は、優しかった叔父に頭を撫でられた思い出は、確かにそこにあった。

 

 ──私、苦しかったんだ。

 

 彼女は蹲り、嗚咽も出ないままに泣くのだった。



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辛く、美しい思い出への想い

 ──取引をしませんか? 

 ──お前の愛した弟と男を生き返らせてあげるわ。私の開発した禁術でね。

 

 騒がしい空間でも、はっきりと聞こえた言葉。

 

 ──二人に会いたくないの? 綱手。

 

 ジャラジャラと銀色の玉が消えていく。まるで、現実から逃げ続けている綱手の心の内を示すかのように。

 

 ──その腕を治したら……お前は何をするつもりだ? 

 ──今度こそ完璧に木ノ葉を潰すのよ。

 

 頭の中で響くかつての班員の声は闇の色だった。

 だが……。

 

 ──駄目です! こんな奴らの口車に乗っては……。二人の願いを……アナタの願いを……夢を忘れたんですか!? 

 

 だが、どうしようもなく惹かれてしまう蠱惑的な響きだった。

 

 ──率直に言う。綱手。里からお前に五代目火影就任の要請が出た。

 

 ゆらりと小さく灯った火種は頼りない。夢を忘れた訳ではない。夢は今でも、ここに、この胸の内にある。

 

 ──火影は己の……。

 ──火影はオレの……。

 

 いつしかナルトの顔は最愛の二人の笑顔に変わっていた。

 

 ──夢だから。

 

 玉が釘に当たる音が消えてしまった。

 目の前のパチンコ台に視線を向ける。ロールがこれ以上、回ることはなく、されども、かつての班員の言葉は綱手の頭の中で回り続ける。

 

 ──お答えは今すぐでなくとも結構です。ただし、一週間後にはもらいたい。それと、この禁術には生贄が必要です。それは、そちらで二人、用意してください。

 

 綱手はパチンコ台の席から立ち上がる。

 輝かしい銀色の玉は、もう、なかった。

 

 +++

 

 六日目の夜。

 三日月が照らす中、自来也は一人、短冊街を歩いていた。

 ナルトには術のコツを全て教え、そして、後は結果を待つのみ。

 

 そして、自来也には六日前から心の片隅に引っ掛かっていることがあった。

 

 ──どうも、あの“一週間”ってのが気になるのォ……。ナルトの奴もあれからほとんど宿に帰って来んしのォ。

 

 自来也が引っ掛かりを覚えているのは、賭けの期限の短さ。

 螺旋丸を修めるには、余りにも短すぎる期限。それも一介の下忍が修めるのは輪をかけて不可能な期間だ。

 だが、同じ不可能であるならば、綱手は3日と、いや、1日と期限を定めればいい。それにも関わらず、少し猶予のある一週間という長さ。

 何かがあると自来也は感じていた。

 

 だが、情報が足りない。

 

「綱手の奴にもう一押し、念を押しとくか」

 

 ならば、現時点で出来ることをする。

 そう決めた自来也は綱手を屋台に呼び出したのだった。

 

 屋台の席に二人で着くと同時に熱燗が出された。

 この滞在中、自来也が何度か通った屋台で、店主も自来也の顔を覚えていたのだろう。熱燗と共にお通しも出され、それに舌鼓を打つ。

 

「ん」

「……」

 

 二つの猪口に熱燗を注ぎ、綱手に渡した後、自来也は熱燗をくいっと一口で飲み干す。

 

「親父、大根」

「あいよ」

 

 ただの旧友との呑み。

 それが本題ではないだろうと、猪口に酒を注いでいる自来也に綱手は促す。

 

「今日は何の用だ?」

「……明日はナルトと約束した一週間だのォ」

「……」

「ナルトの奴、どうなったかのォ」

 

 再び、猪口を傾け、熱い酒を嚥下した一瞬、ほんの瞬きの間もないような短い時間の中、それは行われた。

 徳利の口に綱手の手が伸び、そこに薬を入れるのを自来也は見逃してしまっていた。

 

 そして、自来也は猪口に再び酒を注ぐ。

 先と同じ流れで口元に猪口を持っていった瞬間。

 

「お待ち!」

「ん?」

「大根、できたよ!」

「おお! こりゃ旨そうだ!」

 

 綱手の表情は動かない。

 自来也に呼び出された時から不機嫌そうな、それでいて辛そうな表情を崩さない。

 

 かくして、自来也は綱手の裏切りに気づくことなく、猪口を空けるのであった。

 

 +++

 

 休む暇などない。

 この六日間、我武者羅に修行に打ち込んできたナルトであったが、螺旋丸は完成に至らなかった。

 三日月は沈み、地平線の彼方が赤に染まっていく。

 

「致し方なし」

 

 小さく呟くナルトであったが、その声には絶望の色は一欠片も入ってはいない。

 今までは確かにできなかった。過去を翻すことをナルトはしない。ナルトが目指すのは常に一歩先の未来。次はできると自分を信じて進むことのみ。

 

「綱手殿の前では必ずや成功させてみせよう」

 

 震える右手を無理矢理、握りしめたナルトは短冊街へと踵を返す。

 全ては悲しみに沈む、綱手とシズネを救うために。自分の誇りを賭けることにも躊躇わずに。

 

 短冊街への道を歩きながら、螺旋丸を右手に作り、そして、破裂させてしまい、服をボロボロにしながらもナルトは歩みを止めない。

 が、ナルトの集中を掻き乱す光景が宿の前にあった。そこには見知った顔が床に倒れていたのだ。

 

「……シズネ殿!」

「ん……んぅ……」

「シズネ殿! 何があった!?」

 

 素早く駆け付け、苦悶の表情を浮かべるシズネを優しく抱き起こしながら、ナルトは顔を近づける。

 

「ん……んんん!?」

「シズネ殿!」

「ひゃん!」

 

 意識を取り戻したシズネは思わずのけ反る。

 彫りの深い顔が意識を取り戻したと同時に近くにあれば、どのような人間でも驚愕を隠すことはできないだろう。

 

「ナ……ナルトさん!?」

「然り。だが、己には敬称をつけずとも……」

「そ、そんなことより、今、何曜日ですか!?」

「月曜日だが?」

「月曜日の何時ごろですか!?」

「朝方だ」

 

 シズネの狼狽した様子に、ナルトの警戒が更に上がる。

 道端に倒れ伏し、そして、矢継ぎ早に現在時刻を確かめるシズネの様子から何か良くないこと、それも飛びっきりに良くないことが起きたのだとナルトは感じ取った。

 

「まだ……間に合う! ……ッ!」

「シズネ殿。深呼吸だ」

「え?」

「深呼吸をするのだ」

「は、はい!」

 

 大きく息をしたシズネは自分を取り戻した。

 

「ナルトくん」

「然り」

「一緒に……一緒に来てくれますか?」

「無論」

 

 シズネに手を貸し、立ち上がらせたナルトはキッと彼方を睨む。その方向は一週間前に訪れた場所の方向だった。

 

「綱手殿は大蛇丸と会うつもりか?」

「知って……」

「いや、勘だ。今の己では気配を感じることはできぬ故に」

「ナルトくん。もうチャクラが……」

「然り。されども、放ってはおけぬ」

「ナルトくん……ありがとう」

「礼には及ばぬ。では、急ごう」

「待て……ナルト、シズネ……」

「む!?」

 

 後ろから声がかけられた。

 

「師よ! 如何なされたというのだ!」

 

 声の主はナルトの言うように自来也だった。だが、ふらついている上に、顔も青白い。

 

「綱手の奴にちょっと、な。今のワシは上手くチャクラが練れねー上に、体が痺れてハシもろくに持てねー」

「満身創痍ではないか!」

「うるさい」

 

 自来也の声にはいつものような覇気はなかった。

 だが、自来也には策があった。しかしながら、その前に聞くべきことが一つ。

 

「シズネ」

「はい」

「大蛇丸と何の話をした?」

「……綱手様を信じていたかった。だから、今まで言い出せなかった。でも、時間がありません。走りながら説明します!」

「先に言え」

「しかし!」

「いいから。話した時間は、すぐに巻き返せる」

「……」

「シズネ」

 

 言葉に詰まってしまったシズネを自来也は促す。

 

「……わかりました。大蛇丸が持ちかけた条件。それは奴の腕を治すことと引き換えに……綱手様の大切な人を蘇らせるというものでした」

「縄樹と……ダンか」

「はい。そして、腕が治った後、大蛇丸は……大蛇丸は……」

「……」

「木ノ葉を潰す、と」

「たっく……ろくなことを考えねーのォ、奴は」

「なれば、そのろくでもない考えを矯めるのが我らが役目」

「……ナルト。お前、たまにキッツいとこを突くのォ」

「む? 失礼した」

「いや、いい。それに……」

 

 自来也はふらつく体をナルトに預けた。

 

「奴を止めるのは同じ“三忍”のワシの役目だ」

 

 そう言って、自来也はシズネに向かって、ナルトの方に近づくよう合図をする。

 

「てな訳でワシらは一刻も早く綱手のとこに向かわなきゃあならん。……ナルト」

「うむ」

「はぁー。ナルト、シズネを抱えて走れ。そして、シズネ。お前はナルトに道案内をしろ」

「承知!」

「はい!」

「そして、ワシは……ワシは……」

 

 自来也はナルトの後ろへと回り込む。

 

「お前の背中に乗る」

 

 白い顔を更に白くさせながら、自来也はそう宣言した。

 

 +++

 

 大蛇丸によって壊された古城。かつての威容は見る影もない。

 綱手の後ろに音もなく姿を現した大蛇丸。彼と綱手の距離は20mほど。

 

「……答えは?」

 

 大蛇丸の声は小さかったが綱手の耳にはっきりと届いていた。

 

「……」

「腕は治す。その代わり、里には手を出すな」

「クク……いいでしょう」

 

 ゆっくりと大蛇丸へと、逃れることができない甘い囁きへと、限りない闇へと振り返る綱手の脳裏には、忘れることなどできない大切な思い出が、暖かい光が流れていた。

 

 笑顔の弟。

 かつて、共に買い物に行った日のこと。

 修行中の怪我を手当てしたこと。

 失敗した料理を嫌そうな顔をしながらも完食してくれたこと。

 

 どれも大切な思い出だ。

 

 笑顔の恋人。

 かつて、共に木ノ葉を歩いたこと。

 墓参りで同じ傷跡を優しく癒してくれたこと。

 湖畔で沈みゆく美しい夕焼けを見たこと。

 

 どれも大切な思い出だ。

 

 その全てが大切で、失いたくても失うことができなかった大事な大事な思い出だった。

 

 ──二人に……もうすぐ会える。

 

 思い出の中の縄樹とダンに、会える。

 

 涙を堪えることなどできなかった。

 

「さあ……」

 

 大蛇丸の腕を治せば、二人に会える。

 そのことを理解し、綱手はゆっくりと瞼を持ち上げる。

 

 目尻から流れる涙は、もう止まった。



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綱手の判断

「さぁ……」

 

 綱手に近づく大蛇丸をジッと見つめる目。

 塀の上に降り立ったカブトの姿がそこにあった。

 

 ──お前……私を止めたいなら……今、サスケくんを殺すしかないわよ。

 

 頭の中に浮かぶのは、かつて、大蛇丸から掛けられた言葉だった。

 

 ──お前じゃ私を殺せないでしょ。強いと言ってもカカシと同じ程度じゃねェ……。

 

「……」

 

 無言で向かい合う二人を見つめるカブトもまた、無言だった。

 綱手のチャクラが両手に灯り、そして、大蛇丸の傷ついた両手に近づく。

 

 触れるまで指二本分。

 その瞬間、カブトの腕が動く。

 

 鋭く放たれたクナイだったが、流石は歴戦の猛者と言うべきか。

 綱手と大蛇丸は殺気を感じさせることもなかったクナイの投擲を避け、距離を取る。

 

 二人の間にあるのは距離。そして、無音。

 張り詰めた糸のような緊張感が場を支配する。

 

 ズキンと大蛇丸の腕に痛みがはしる。

 

「どういうことなの……ここにきて……私を裏切るなんて……」

 

 指二本分。

 あと少しで、あとほんの少しで痛みから解放されると大蛇丸は考えていた。

 

 自らの後ろに着地したカブトを振り返ることもなく、大蛇丸は血走った目を目の前のくノ一へと向ける。

 

「綱手ェ……!」

 

 苦虫を噛み潰した表情、いや、それもまだ甘い表現だ。苦汁を煮詰めて、喉奥に無理矢理、流し込まれ、その後、雑巾の絞り汁を頭から掛けられたかのような、屈辱と苦しみが大蛇丸を襲う。

 大蛇丸が浮かべる今の表情は一種の能面にも似ていた。表情が一つの感情だけで構成されているかのようだ。

 が、彼の目だけは侮蔑と怒りをない交ぜにした視線を綱手に送り続けている。

 

「どうしたら、そういう答えになるのかしら、綱手姫? 私を殺そうとするなんて……」

「……」

「ハァ……」

 

 無言を貫く綱手に埒が開かないと感じたのだろう。息を吐き、大蛇丸はカブトへ言葉を掛けた。

 

「にしても……心底、信頼するわ、カブト。お前の私に対しての忠誠と綱手の攻撃を見抜いた、その眼力をね」

「ええ……同じ医療班出身ですからね。チャクラに殺気がみなぎってました」

 

 大蛇丸は頭を振る。

 話を切り替えるためか、腕の痛みのせいで出た脂汗により額に貼り付いた髪を払うためか。

 クリアになった目線の先の綱手に、大蛇丸は失望した声をかけた。

 

「綱手。私は本当に二人を生き返らせるつもりでいたのよ。それに、木ノ葉を潰さないという約束までしたのに」

「……フフ」

 

 大蛇丸は眉をひそめる。

 苛立ちが募ってきた。が、まだ手は出さない。

 綱手の言い分を聞いてやろうという分別は、まだあった。

 

「大蛇丸。お前が里に手を出さないことがウソだってことぐらい……分かってる。分かってるのに……私は……二人に……もう一度だけでいい。もう一度でいいから会いたかった。もう一度でいいから触れたかった。もう一度でいいから……」

 

 俯く綱手の顔は隠れて見えない。

 

「笑った……あの顔を……でも……」

 

 大蛇丸は目を細める。

 綱手の今の表情は大蛇丸が目にしたことのない表情だった。

 

「本当に縄樹とダンにもうすぐ会える。そう肌で感じた瞬間に……気付いちまった」

 

 堪えきれない涙が零れている。

 だが、その顔には確かに愛があった。悲しみだけではなく、慈しむ愛がそこには在った。

 

「自分がどうしようもないバカヤローだってな……」

 

 最愛の二人の笑顔が(よぎ)る。

 

「二人の……あの顔を思い出すだけで……こんなにも目が見えなくなっちまう。大好きだった。本当に愛していたから! だから、会って、抱きしめたかった! でも、出来なかった……」

 

 最愛の二人の言葉と、そして、もう一人の漢の言葉が過る。

 

「アイツのせいで……二人の夢を思い出しちまったから……忘れようとしてたのに……!」

 

 ──火影はオレ()の……。

 

「二人の命を懸けた大切な夢。その夢が叶うことが私の想いでもあった」

 

 叶わなかった自分の願い。

 

「『形あるものはいずれ朽ちる』……お前は言ったな。でも……」

 

 ──……夢だから。

 

「やっぱり、この想いだけは……朽ちてくれないんだよ……」

 

 ハラハラと涙を流す綱手の姿を見て、心の中で大蛇丸は『下らない』と吐き捨てる。

 愛? 想い? 

 形のないものに、力のないものに何の価値がある? そんなものに世界を変えることができる? 

 そのような訳はない。唾棄すべき、蒙昧無知な感情だ。廃棄すべき、無味乾燥な感情だ。

 形ある“完璧な生命”、力がある“究極の忍術”。それが大蛇丸が求めるもの。全ての人間が求めるべきもの。

 

 それと相反する“愛”や“想い”を、何の恥じらいもなく口にする馬鹿な女に対する手段は一つだけ。

 

「交渉決裂ね。仕方ない……こうなったら力ずくでお願いするしかないわね」

 

 袖で涙を拭った綱手は大蛇丸を睨み、一足飛びに距離を詰める。

 

「!」

「!?」

 

 大蛇丸とカブトが身を翻した瞬間、綱手の踵落としが地面に当たり、大きく陥没させた。

 その破壊力は中忍試験の折りに見た、ナルトの拳の一撃と同等。何十年も現場を離れた忍が出せるような攻撃ではない。

 

 ──腐っても、三忍ね。

 

「やるわよ、カブト」

「だから言ったでしょ。良薬といっても苦い程度じゃ済まされないって」

「……来い! 大蛇丸!」

 

 +++

 

 ズガンと大砲を撃ったかのような音が響き、砂煙が立ち上がる。

 

 綱手の攻撃は破壊に特化している。

 並大抵の相手は、いや、遥か格上の相手だとしても当たれば、まず、命はない。

 

「オラァ!」

 

 綱手の拳が塀に当たり、それを弾き飛ばす。綱手の拳を中心に半径1~2mほどの穴が塀に開く。

 

「ここは距離をとって戦うには少々、窮屈です。場所を移動しましょう」

「そうね」

 

 綱手の攻撃を避け続けた大蛇丸とカブトの足元には、塀の瓦礫が散らばっている。綱手の破壊の跡だ。

 それに足を取られるようなことは、万が一にもないとは言い切れない。忍の中でも最上位に近い実力を持つ大蛇丸とカブトではあるが、今の大蛇丸の体調は(すこぶ)る悪い。

 もはや、筋肉痛で例えることなど無謀であるレベルの痛みが両腕に走り続けている状態。そして、睡眠も痛みのせいで取ることが出来ておらず、強靭な意思で意識を繋げ続けている。

 

 コンディションは最低最悪。

 一瞬の判断遅れが、即、死に繋がる状況で、足元の悪さに気を配るなどというリスクを取ってまで、ここで戦い続ける意味はなかった。

 

「待て!」

 

 一転し、城跡から去る大蛇丸とカブト。

 誘われていると理解しながらも、向かう先は蛇の巣の中だと理解しながらも、綱手は追うことを止めない。

 自分の手で仕留めなければならない。かつての班員としての責務があった。

 

「ろくでもねーお前らは、ここで潰す!」

「やってごらんなさい、綱手!」

 

 薄ら笑いを浮かべる大蛇丸に向かって、綱手は拳を繰り出すが、先ほどの焼き直しのように大蛇丸は避ける。

 

 ──チィ。見晴らしのいい場所に……。

 

 遮蔽物がほとんどない荒地に誘い込まれた。綱手にとっては不利だ。

 

 そもそも、一対二の状況は避けるのが戦闘の鉄則。敵より必ず人数有利な状況、または、策を持って有利な状況を整えた後に攻撃を行うというのが、戦闘における“機”と呼ばれるものである。

 

 五以上の味方で一の敵を攻撃する上、変形合体巨大ロボを使い有利な状況を整えるというのが分かり易い例だろう。

 

 今の綱手の状況を整理しよう。

 味方がいない。敵は大蛇丸とカブトの二人。二人とも綱手の攻撃を避け続けることができるほどの回避能力を持つ忍。

 元々、相手を嵌めるような策を弄するのが苦手な綱手だ。作戦と呼べるようなものは『ガンガン行こうぜ!』ぐらいの単純なもの。

 

 つまり、圧倒的に不利。

 先ほどの城跡であれば、遮蔽物を使い、大蛇丸とカブトを上手く分断できれば、各個撃破できていた可能性は僅かとはいえ、あった。

 

 だが、今いる荒野にあるのは正面への目隠しにしかならない岩のみ。両側から挟み込まれてしまえば、苦戦は間違いない。

 

 ──どうするか。いや……。

 

 綱手はすぅと息を吸い、拳を握りしめる。

 

「潰す!」

 

 人数不利? 作戦皆無? 

『知るか!』と言わんばかりに綱手は前に出る。戦闘IQなどいらない、力さえあればいいという考えの元、チャクラを右腕に回す。

 

 応じて、大蛇丸を庇うようにカブトは前に出る。

 彼をターゲットに定め、綱手は最上段に振りかぶった拳をカブトの頭に振り下ろした。

 

 ズドンという音と共に地面にめり込むカブトの体。しかし、綱手はすぐに後ろに振り向く。

 そこには、地面に打ち据えたカブトの姿があるハズだった。

 

 地面にはカブトの代わりに丸太がめり込んでいた。初歩の忍術、変わり身の術だ。

 

「お前……嘗めてるな」

「いえ、そのようなこと……」

 

 綱手は再びカブトに向かって接近し、拳を振るう。が、当たらない。

 

 カブトも暗部を超えるレベルの忍。

 大蛇丸からはカカシ“程度”の実力と評されているが、カカシ以上の実力の忍は、それこそ各隠れ里のトップクラスの忍、数名ほどというレベルであろう。

 

 そして、カブトはまだ発展途上。

 成長途中の忍だ。

 

 始めは大きく綱手の拳を避けていたカブトだったが、段々と綱手の拳がカブトの服を掠り始める。

 

 ──このガキ……! 

 

 ギリギリで綱手の拳を避けていく。空を切る音が何度もする。そして、カブトは柔和な笑みを浮かべたまま。

 つまりは、綱手を煽っているのだ。『あなたの攻撃なんて、ギリギリで避けることができますよ』という意思表示。

 

 ──嘗めやがって……! 

 

「ハァッ!」

 

 綱手は足を振り上げる。

 それをまたもギリギリで避けるカブトだったが、振り下ろす足はカブトを捕えていた。地面から煙が上がる。

 綱手が拳を地面に突き刺した。今まで以上に大きな破壊音が周囲に響き渡る。大きく地面を陥没させた場所から黒い影が跳び出す。傷一つないカブトの姿だった。

 

「伝説の三忍……この程度ですか?」

「あァ?」

「パワー偏重型。スピードはなく、見切り易い予備動作まで隠すこともしていない。その上、先ほどの踵落としも、ボクが地面に身を伏せるスピードよりも遅い。その時間に土遁の印を組む時間までありました」

「……」

「綱手様。あなた……判断が遅いですね」

「なんだと、コラ!」

「戦闘だけではありません。大蛇丸の腕を治すか治さないかの判断も、です」

「!?」

「そして、あなたの判断は間違っている」

「なに……を……?」

「大蛇丸様は約束を破りません。木ノ葉を襲わない。改めて、お約束します。そして、あなたの大切な二人を甦らせる。これも間違いなく、約束しましょう。そして、二人を甦らせるための生け贄を用意するのが、お嫌であれば……ボクが用意します。自来也様とナルトくんの代わりに、ね」

「なッ!?」

 

 今朝、カブトは短冊街へと大蛇丸の命で足を運んでいた。その命令は交渉に邪魔になるであろうシズネを排除すること。

 だが、そこで見たのは、体調が悪そうな様子の自来也とシズネ。そして、ボロボロのナルトの姿だった。

 三人とも満足に動ける状態ではないことに、一目見て気がついたカブトは、考えを一瞬で纏めあげた。

 

 カブトの結論。

 綱手は昨夜から今朝の時点では、生け贄として自来也とナルトを使おうとしていた。流石に、長年、連れ添った付き人よりも、昔の同期と初対面の下忍。生け贄に使わないのは、間違いなく付き人だという確信があった。

 で、あるならば、先ほどまで綱手の考えは、大蛇丸の腕を治す方に傾いていたと推測できる。そうでなくては、自来也に薬を盛る意味などない。大蛇丸を排除するために、万全の状態の自来也と共闘すれば、いいだけの話だからだ。

 

「話を戻しましょう。生け贄は簡単には用意できません。ですので、綱手様。アジトに来ていただけますか? そして、あなたは大蛇丸様の腕を治す。それだけでいい。それだけで、あなたは木ノ葉も、そして、会いたい二人も手に入れることができる。どうです? 悪い条件ではないでしょう? あなたにとっては、いい条件しかないハズ」

「……」

「ああ、そういえば先ほどの『判断が間違っている』というボクの発言は間違いでした。ボクらから更にいい条件を引き出そうとしたのですね? 全てが解りました。綱手様、完敗です。どうやら、ボクは早とちりをしていたようです。綱手様の掌の上で踊らされていたとは。流石は大蛇丸様と同じ伝説の三忍の紅一点。医療忍術の第一人者」

「なにが……言いたい?」

 

 カブトは光を反射した眼鏡の奥でスッと目を細める。

 

「綱手様。大蛇丸様の腕の処置を、どうかお願いします。後は全てボクがあなたにとって、最善になるよう動きます」

「……」

「綱手様」

「……」

「二人が待っていらっしゃいますよ」

 

 カブトの言葉で綱手の目が大きく開かれた。

 

「そう……だな……」

 

 小さく頷いた綱手に向かってカブトは微笑む。

 それは決して、親愛の情を出した訳ではない。自分の思い通りに事が運んだことに対する愉悦の笑みだ。

 

 カブトの目的は大蛇丸の腕を綱手に直させること。

 そのための交渉の筋が切れていないことは綱手の様子からして明らか。二人を甦らせることを諦めたように見せていた綱手だが、心の奥底では望んでいる。諦めきれていない。

 ならば、心理的ブレーキである木ノ葉の安全と、知り合いを生け贄として使うという二項目を取り払えばいいとカブトは考えた。

 

 幸いなことに、穢土転生の復活に用いる生け贄は四肢が欠損していたとしても呪符により補填され、対象の生前の姿を完璧に再現することができる。

 すなわち、新術の開発で使い物にならなくなった実験体でも、生きてさえいれば生け贄として利用は可能。そして、そのような実験体はアジトにごまんといる。

 さらに、そのことを理由に綱手をアジトに連れていけば、結界術のエキスパートである音隠れ四人衆を使い、結界術・封印術による監禁も可能。

 

 とにもかくにも、綱手をアジトに連れてこなければ始まらない。

 そのための交渉だ。

 

「二人が待っている」

「ええ」

「なら、私が逝った時に……二人に顔向けできるようにお前たちを潰さなくちゃいけない」

「……そう来ましたか」

 

 舌打ちをするカブトに向かって、綱手は猛然と走り寄る。

 溜め息をついたカブトは目を伏せるが、それは一瞬のこと。顔を上げたカブトの目には、何の色も映していなかった。

 

 今のカブトはただの刃。大蛇丸の懐刀だ。

 

 すでに言葉による交渉は終わった。そうであるならば、ここからは力による交渉。

 こちらとあちらの立場を明確にし、そして、こちらの言い分を押し通すこと。

 

「らァ!」

 

 自らに向かって繰り出される綱手の拳を、先ほどと同じように軽々と避けたカブトは、軽く綱手の腕に触れ、距離を取った。

 

()ッ!」

 

 瞬間、綱手の腕に激痛が走る。

 

 ──こいつ……筋肉を……。

 

「上腕二頭筋を少しばかり切断しました。これで、アナタの右腕は使い物にならない」

「……チャクラの解剖刀(メス)か。なぜ、動脈を狙わない?」

「たしかに、この解剖刀(メス)なら外傷なく、体の中の血管や筋肉を切断できますが、戦闘中じゃあ、動脈や心筋まで届くような長く繊細なチャクラ解剖刀(メス)は、さすがに作れませんから」

 

 笑みを浮かべたカブトは綱手までの距離を詰めるために駆け出す。

 

「まあ、それでも相手の首を狙えば全然、問題ないんですがね!」

 

 迫るカブト。

 綱手は動き難い右腕を犠牲に、人体の急所である首を守ることを選択した。

 

 だが、綱手の考えはお見通しだと言わんばかりに、カブトはチャクラ解剖刀(メス)を纏わせた右手を綱手の胸に差し入れる。

 

「ぐっ!」

 

 思わず、地面に膝をつく綱手を嘲笑いながら、カブトは見下ろす。

 

 ──コイツ……並みの医療忍者じゃない。術のセンスと切れ味は私の全盛期すら越える……。

 

「アナタには、まだ死なれたら困りますからね。首は狙いませんよ。けれど、これでもうアナタは動けません」

 

 カブトを見上げ、睨み付ける綱手の脳裏に一週間前の記憶が過った。

 

『こいつ……うずまきナルトは四代目火影以上のものを持っておる』

『なんだ?』

 

 ダンッと地面を打ち鳴らす音が荒地に響く。

 チャクラを体中に流していたにも関わらず、ミシリと肋骨が軋んだ音が骨伝導でカブトの脳に伝わる。

 吹き飛ぶ体を認識した。そして、背中に衝撃。

 自分が地面に横たわっているのだと、カブトが気がついた。

 

「クソガキ! よく覚えておきな! 筋肉だけの下忍に負ける“三忍”じゃないんだよ!」

「そうですか。……ナルトくんですね?」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、カブトはクナイを取り出す。

 

 ボクが切ったのは右の上腕二頭筋だけ。足も、左手も動かないようにはしていない。先ほどの攻撃は単純に左手でボクを殴っただけですね。ですが、ボクはそのことも見越して、チャクラを体の隅々に流し込んでいた。チャクラで身体能力の底上げを施したにも関わらず、これほどのダメージなのは見込みが甘かったと言うほかないですね。さらに、声が出ていることから、すでに先ほどの攻撃で切断した肋間筋の治療も終わっている、と。流石は伝説の三忍の一角。そして……。

 

 カブトの目が血走る。

 

 ……ナルトくん。君が綱手様にも影響を与えていたのは、予想外でした。

 

「アンタ、血が怖いんだろ! 今から見せてやるよ! 死なない程度にアンタの血を撒き散らす!」

 

 早く終わらせなければ、と意識が急く。

 ナルトの影響により、綱手が恋人と弟への想いを絶ち切り、未来に目を向けるようになってしまったとカブトは見切った。それは自分たちにとって都合の悪いこと。

 もう、時間はない。そう考えたからこその強行手段だ。裂傷を負わせ、失血させ、とにもかくにも、意識を奪う。

 

 クナイを綱手に向かって振り上げるカブト。

 

「!?」

 

 が、目の前が煙に妨げられる。

 

「伝うは涙、伝えるは絆。想いを伝える弾丸走者」

 

 そして、朗々と声が響く。

 

「高みを目指し、なりふり構わず。夢追う己に地図は不要」

「うぇろろろ」

(まなこ)を開け! 真を知れ! 失うものがあろうとも、歩き続けるが己が先!」

「うっぷ……」

「全てを巻き込み、高みに連れていく! 倒れ伏し、涙に塗れようが! 貴殿は立てる!」

「うぇええ」

「さあ、手を掴め! 傍にいる者を忘れることなかれ!」

 

 煙が段々と晴れていく中、四つの影がカブトと大蛇丸の目に映る。

 一つは大きく、二つは蹲り、一つはどうやら口に手を当てている。

 

「貴殿の傍には己が! うずまきナルトが傍にいる!」



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螺旋丸

 煙が晴れた。

 同時に綱手の目が大きく開かれる。

 

 目の前にあるのは、ボロボロの服を纏ったナルトの姿だ。

 蹲る綱手に手を伸ばすナルトの姿が、そこにはあった。

 

「……」

 

 自分へと真っ直ぐに差し出されるナルトの大きな掌。大きく、そして、頼りにできるほど力強い掌だった。綱手はその手に向かって、そろそろと手を伸ばし……。

 

「嘗めんじゃないよ!」

 

 それを綱手は払った。

 

「そうか」

 

 払われてしまった掌。しかし、ナルトの反応は薄い。

 それが予定調和だと言わんばかりの反応だ。事実、ナルトは理解していた。

 綱手に頼りにされるほどの実績が自分にはない、と。螺旋丸を未だ完成させていない自分は頼りになる存在ではないと理解していたのだ。

 

 それに、綱手と大蛇丸、そして、自来也も含めた“木ノ葉の三忍”の間に自分が立ち入ることはできない、とナルトは理解していた。

 

 だが、お節介はヒーローの本質である。

 例え、手を払われようが、傷付いた女性を前に手を差し出さないという選択肢はナルトにはなかった。

 

 ──やはり、厄介なことになりましたか。

 

 二人の様子をジッと観察するカブトは苦虫を噛み潰した顔をし、乱入者の顔を確認していく。

 

 ナルトの傍で青い顔をしながら、口に手を当てているシズネ。そして、地面に向かって、胃の内容物を全て戻している自来也。

 それを見た大蛇丸は、表情一つ動かさない。彼らの前で苦い表情を浮かべているカブトとは対照的だ。

 

「久しぶりね、自来也」

「話し……うぷ……かけるんじゃ……ぺっ……ねーのォ……大蛇丸」

 

 震える両腕を地面につき、なんとか体を起こした自来也は大蛇丸を睨み付ける。

 

「それにしても、自来也。みっともないわね」

「うるさい」

「綱手に薬を盛られたって所かしら? それとも二日酔い?」

「ナルトに負ぶられたからだっつーの」

「輪をかけて、みっともないわね、それ」

「ぐっ!」

 

 口では大蛇丸に勝てない。

 昔からそうだったことを思い出した自来也は閉口する。

 

「ナルト!」

「む?」

「ワシの思惑通り、吐いたことでスッキリした。昨日の酒も薬も抜けたのォ」

「それは思畳。されども、汚した分は後で片付けるべきだ、師よ」

「わかってるっつーの。だが……まずは昔の因縁から片付けねーとのォ」

 

 自来也は口を拭い、改めて変わってしまった(大蛇丸)を見つめる。

 あの日……大蛇丸が里を抜けた時、彼を止めるため戦った最後の忍が自来也だ。あの日に止めることができていれば、今日の木ノ葉の被害はなかった。いや、その前に気づけていれば、人体実験の検体に木ノ葉の忍が使われる前に、大蛇丸の野望に気がついていれば……。

 

 もしかしたら、また、笑い合えていたかもしれない。

 そこまで考え、自来也は真っ直ぐ前を見つめた。

 

「大蛇丸はワシに任せろ」

 

 木ノ葉の三忍。自来也、大蛇丸、そして、綱手。すでに道は違えた。だから……忍であるからこそ……彼の友だったからこそ……その先は戦いしかない。

 

 その気持ちを汲んだのだろう。

 自来也に向かって頷いたナルトは大蛇丸から目線を動かす。

 

「承知。だが、戦いを始める前に……一つ聞きたいことがある」

「なんだ?」

「カブト殿」

「……」

 

 ジッと自分を見つめるナルトに対し、カブトは無言を返答とする。

 

「信じたくはなかったが……。やはり、貴殿が……」

「思ったより利口だね、ナルトくん。まさか鈍感な君に気づかれるとは。でも、どこで気がついたんだい? ボクは完璧に人のいい下忍“薬師カブト”を演じていたハズだ」

「どこで気がついた、か」

 

 カブトの視線を遮るように綱手と彼女を介抱しているシズネの前にナルトは進み出た。

 そして、ナルトはカブトから目を離すことなく、言い放つ。

 

「勘だ」

「……そういう奴だったね、君は」

 

 ナルトについて理解することを諦め、カブトは肩を竦める。

 

「して……答えは?」

「そうだよ。ボクは大蛇丸様の部下、音隠れのスパイだったんだよ」

「違う」

「……違う?」

「貴殿がサスケと我愛羅の闘いを汚したのか?」

 

 中忍試験の際、サスケと我愛羅の闘いで幻術を会場中にかけた下手人。それがカブトだった。

 

「汚した……ねぇ」

 

 首筋がチリチリと痒くなる。

 ナルトの闘志による影響だ。

 

「そうだよ」

 

 それを気に止めることなく、カブトは言い放つ。

 

「然らば……」

 

 ナルトからの圧力が増す。

 同時に首筋の痒みが酷くなった。

 

「貴殿には罪を償って貰わねばならぬ」

「なら……」

 

 全身の皮膚が泡立つ。

 久方ぶりに感じる戦場の空気。命が賭けら(ベットさ)れた卓の空気だ。

 

 それを肺一杯に吸い込み、カブトは嗤って見せる。

 

「来いよ、ナルトくん!」

「応ッ!」

 

 瞬間、ナルトの姿が掻き消えた。カブトは瞬時に体を捻る。

 

「むッ!?」

「遅いよ」

 

 スパンといい音が鳴り、ナルトの頭が揺さぶられる。

 揺れる視界の中、ナルトの目にカブトの足が写っていた。ナルトの体はグラリと崩れ、地面に膝を着かされる結果となる。

 

 ナルトの拳をかわすと同時に上段蹴りを放ったカブトの攻撃。それはカブトの思惑通り、ナルトの顎に当たることで次の行動を阻害した。

 だが、上手く行きすぎたことがカブトの警戒に引っ掛かる。

 

 トンッと地面を蹴り、膝を着くナルトから距離を取ったカブトは、鋭い目付きでナルトを観察する。

 

 そもそも、考え通りに戦闘が進むことなど、忍同士の戦いではあり得ないことだとカブトのこれまでの経験が語っていた。

 忍の戦闘では“騙し”が有効な手段だ。下忍でも扱うことができる変わり身の術が、その代表とも言えるだろう。

 そして、その手段は、格上の忍だとしても有効であることは、先の綱手との戦闘でも明らか。

 

 一度、変わり身の術を使うことで、敵からの追撃を回避し、不利な盤上をリセットする。それが、“騙し”の哲。

 それ故に、カブトは第二、第三の矢としての戦術を組み立てていた。

 体にチャクラを流し、傷を負えば、すぐに治癒忍術が発動できるようにしていること。ナルトの攻撃が当たる箇所を予想し、そこからチャクラを放出することで攻撃を無効化しようとしていること。

 

 どちらも、ナルトの攻撃があることを、ナルトが自分の蹴りでダメージを受けないことを基にしていた。

 

「くっ……」

 

 だが、今、目の前にはナルトが蹲っている。

 ナルトを観察した時間は多くない。中忍試験、第二の試験会場である死の森で過ごした数日にも満たない時間だけだ。

 しかしながら、その時間の中で集めた情報から算出したデータを基にしたシミュレーションでは、一発、たった一発の蹴りでナルトを止めることなどできてはいなかった。

 

 ならば、何か策があり、自分の蹴りをクリーンヒットさせられたのだろうとカブトが考えるのは当然。だが、その後に続く攻撃はない。

 ナルトの後ろにいた自来也は、カブトの後ろにいた大蛇丸との戦闘のために場所を移している。シズネは綱手の傍に控え、彼女を回復させている最中だ。

 追撃などしようにも、他の誰もが連携を取ることができない状況。

 

 で、あるならば、答えは一つしかない。

 

「ナルトくん」

「む……」

「君……弱くなっているね?」

「……」

 

 ナルトはカブトの質問に言葉を返すことができない。

 だが、その沈黙はナルトの今の状態を雄弁に語っていた。

 

「弱くなっていると言うのは少し違うか。チャクラが切れていると言った方が正確かな?」

「……」

「自来也様が君と一緒に行動しているのは、“暁”対策。違うかい?」

「……“暁”?」

「そう、非合法テロ組織さ。黒地に赤い雲の意匠が入ったロングコートを身に纏った奴らだよ」

 

 数日前に出会った二人組の顔が、ナルトの脳裏に過る。

 

「イタチ殿と鬼鮫殿か」

「ああ、もう会っていたんだね」

「然り」

「奴らが狙っているのは各里が保有している戦略兵器の“尾獣”。君の中に封印されている九尾も含めてね。おそらく、自来也様は君を餌に暁を釣ろうとした。その目的は今の暁の情報収集能力を計るためってところかな?」

「違う! 師は、そのような下劣な人間では決してない!」

「なら、もう一つの予想が正解だ」

「もう一つの……予想?」

 

 カブトの眼鏡が光を反射し、白に染まり、彼の表情を窺うことができないようにする。

 

「自来也様は君に修行をつけた。これがもう一つの予想だよ」

「どこで、それを?」

「勘だね」

「……」

 

 先ほどのナルトの発言と同一の発言。これはつまり、煽っているのだ。

 すでに底は見えた。体力の限界まで後、少し。そのような体術オンリーの忍相手に自分が負けることはない。

 これは驕りなどではなく、純粋な力の差だ。実力が同じ相手でも、片方は疲れ切っている状態、もう片方は万全とはいかないまでも体力が充分ある状態。どちらが有利かは明白。

 

 そして、ナルトとカブトの実力の差は大きい。ナルトの体術は確かに上忍レベル。だが、それ以外の忍術、幻術に関しては御粗末と呼べる程度。対して、カブトは体術、忍術、幻術はおろか、医療忍術まで納めた秀才。いや、弱冠二十歳であることを鑑みると、天才とも呼べる。

 

 そのことを身に染みて理解していたのは綱手だ。

 

「どけ!」

「綱手様!」

「む!?」

 

 シズネによる回復はまだ途中。シズネの呼び止める声を無視し、綱手は駆ける。

 カブトの手がポーチに伸び、クナイを掴んだ。

 

 ニヤリと笑みを浮かべるカブトに対し、綱手の表情が再び怒気に染まる。

 

「嘗めるな!」

 

 綱手はチャクラを全身に漲らせた。

 クナイが振られるよりワンテンポ、自分の攻撃が早い。

 

 そう考えた綱手が右腕を引き絞った瞬間、カブトのクナイが振り切られた。

 

「!?」

 

 クナイが当たる距離ではない。例え、クナイを投げたところで、綱手が全身に回したチャクラが投擲を防ぐ結果となっただろう。

 だが、カブトのクナイが切り裂いたのは、自分の右手首だった。

 

 ──血……!! 

 

「ボクは貴女を嘗めてません。だから……」

「綱手殿!」

 

 カブトは握った左拳を綱手の顔に向けて放つ。

 クナイが綱手を必要以上に傷つけないように配慮した攻撃であったが、チャクラで強化した拳は綱手の体を先ほどまで彼女が居た場所に吹き飛ばした。

 

「貴女にはこれ以上、動くことは許さない。君もね」

「!?」

 

 事も無げにカブトの左手から放たれたクナイがナルトに向かう。まだ、体の自由を取り戻すことができていないナルトは、それをただ見つめるだけ。それしかできなかった。

 

 だが。

 

「ナルトくん!」

「!?」

「バカな女だね」

 

 遠くでカブトの冷罵が聞こえた。ザクッと肉に向かって刃物が刺さる音がした。そして、自分に覆い被さる柔らかい体。

 

「……シズネ殿?」

「ナルトくん。よかった……無事で」

「シ、シズ……シズネ殿!」

 

 狼狽するナルト。

 

「シズネ殿。そして、綱手殿もきっと笑顔の方がよく似合う。華が咲き乱れる春のような笑顔が」

 

 そう言った。確かに、そう言っていた。

 抱き抱えたシズネの表情を見る。首を動かし、体を震わせている綱手の表情を見る。

 

「……」

 

 苦悶の表情だった。

 

 どうすれば……どうすれば、いい? 

 師である自来也は大蛇丸との戦闘のため、この場を離れた。少し遠くの方で戦いの音がなっていることから、手を離すことができない状況だろう。いや、場所を移して、自来也がここに来ると大蛇丸まで連れてきてしまう。

 そうなれば、自来也にかかる負担は相当なもの。深手を負ったシズネ、そして、血をかけられたことで取り乱して動くことのできない綱手。さらに、疲れて動くことができない情けない自分を庇いながら、大蛇丸とカブトを同時に相手取らなくてはならない。

 

 ──無理だ。

 

 ナルトの頭に暗い声が響く。

 

 ──狐……殿……? 

 ──お前では奴に勝てん。解っているだろう? 

 ──それは……。

 ──ワシに体を明け渡せ。ワシが奴ら二人を纏めて屠ってやろう。

 ──……。

 ──難しいことはない。お前はただ眠りにつくだけだ。眠っている内にワシが全てを終わらせてやる。

 ──狐殿。

 ──ああ。

 ──心配をかけた。

 ──……。

 ──チャクラが尽きている。その通りだ。目の前でおめおめと二人の女性が傷つけられた。その通りだ。

 ──……。

 ──一度は矜持が折られかけた。それも、その通りだ。だが……だが! 

 

 ナルトは顔を上げ、カブトを睨み付ける。

 

「己は火影に至る者。他者の力を頼みにし引き下がるなど、何が火影か。強者を前にして蹲るなど、何が火影か。仲間の笑顔を守れずして、何が火影か!」

 

 全身にチャクラを流す。

 腕も、足も震わせながらも、ナルトは立ち上がり、ふらつく足取りながらも歩き、そして、抱えたシズネを綱手の隣に下ろした。

 

「ナルト……」

「ナルトくん……」

「済まない。挽回の機会を今一度、願う」

 

 二人に背を向けたナルトはカブトに向き直る。体だけではない。闘志もカブトに向いていた。

 

 岩の上に立つ自来也と大蛇丸もまた、ナルトに目を向けていた。

 

「フフ……」

 

 大蛇丸の笑い声。それを耳にした自来也は彼に目を遣る。が、大蛇丸の視線はナルトから動かない。

 

「かつては里の狂気とも呼ばれたアナタが、あんな子一人連れ回して里のために奔走するとは落ちたもの。私の才能を見抜く力は誰よりも確か。あの子は私の目から見れば、凡庸そのもの」

「フッ……だからこそだ。ワシはうちはのガキなんていらねーよ。初めから出来のいい天才を育てても面白くねーからのォ」

「クク……かつての自分を見ているようで放っておけないってワケ? 生まれつき写輪眼という忍の才を受け継ぐうちはに、あの子は勝てない。なぜなら、ナルトくんは写輪眼を持っていないから。忍の才能とは、世にある全ての術を用い、極めることが出来るか否かにある。忍者とはその名の通り、“忍術を扱う者”を指す」

「忍の才能はそんなとこにありゃしねぇ。まだ分からねーのか?」

 

 大蛇丸はナルトに向けていた目線を自来也に向ける。

 

「……」

「忍者とは“忍び堪える者”のことなんだよ」

「見解の相違ね」

「一つテメーに教えといてやる。忍の才能で一番、大切なのは持ってる術の数なんかじゃねぇ……大切なのは」

 

 対して、自来也は大蛇丸に向けていた目線をナルトに向けた。

 

「あきらめねェ弩根性だ」

 

 ナルトは大きく息を吸う。

 

「弱さを悟り! 未熟さを知り! されども、ここで止まることなど不可能!」

 

 うずまきナルト。

 

「過去の悲しみ! 全てを知り! それでも、進み続けると己は誓う!」

 

 “ド根性忍伝”の主人公である“ナルト”から取られた名前。

 

「なれば、立ち上がり前を向く! 腕を広げ、皆を護る!」

 

 “超弩級! 筋肉列伝! ”から受け取った精神。そして、筋肉。

 

「英雄たちの遺志を継いだ、この体!」

 

「この石に刻んである無数の名前。これは全て里で“英雄”と呼ばれている忍者たちだ」

 

 ナルトの脳裏にカカシの言葉が過る。それは、第七班として初めて顔を会わせたサバイバル演習でのこと。殉職した忍たちの無念、そして、なぜ命を落としてまでも里のために命を懸けたのか。

 言葉にせずともナルトは理解していた。心で。

 

「貴殿らに打ち崩させはせぬ! 遺志も! 石も! 意思も! 己は火影に至る者! 名は……」

 

 だからこそ、ナルトは吠えるのだ。

 

「うずまきナルト!」

「……ナルトくん」

 

 ナルトの宣言。

 それを真っ向から受け止めたカブトは、これまでに見せなかった表情を浮かべる。

 

「随分と……はしゃぐね」

 

 その(かお)は殺戮者。

 一切の生命を認めない鬼のような表情だった。

 

「もうガキじゃないんだから、はしゃぐのは止めた方がいいね。状況次第で諦めて、逃げたい時には逃げたらいい」

「……」

「いやいやいや……何、その目? 死ぬんだよ! 死んだら夢も何もないんだよ!」

「……」

「ガキは全てが簡単だと思ってる……だからバカげた夢を平気で口にする。だから、諦めない。そして、死ぬんだ」

「真っ直ぐ、自らの言葉は曲げぬ」

「!?」

「それが……己の忍道だ」

「そう。最期まで意地を張り続けるんだね、君は。死んだら、何もかも……夢も何もないのに」

「いや……」

「ん?」

「死んでも尚、残り続けるものが在る。それは貴殿も理解している。そうだろう、カブト殿」

「ッ!?」

 

「誰?」

 

 灰色に色褪せた記憶、頭の奥底に押し込んだハズの記憶。それが揺さ振られてしまう。

 それは触れてはならない記憶。死に逝く大切な人に、すげ替えられた自分しか残すことができなかった記憶だ。

 

「死んだら!」

 

 それ以上、思い返すことのないように、カブトは声を張り上げた。

 

「何も! 何もないんだよ!」

 

 大蛇丸の前ですら見せることのなかった表情。

 純粋な怒りがカブトの表情に顕れ出ていた。

 

 そして、感情の赴くままに体は動く。

 ポーチからクナイを出し、力一杯握りしめ、足は全力で地を蹴る。

 全ては、分かったようなことを言う“ガキ”の口を封じるために。

 

「ナルト!」

「ナルトくん!」

 

 綱手とシズネが叫ぶが遅い。

 すでにナルトに肉薄していたカブトは、ナルトの首に向かってクナイを突き出した。

 

「!?」

 

 血が噴き出し、カブトの顔にかかる。

 が、その血はナルトの左手から流れている。避けることなく、ナルトは左手を犠牲にすることでカブトの攻撃を防いだのだ。

 

「なにッ!」

 

 そして、左手の指を曲げ、カブトの右手をしっかりと掴むナルト。

 ゆっくりと顔を上げるカブト。頭が丸々一つ分高いナルトと目が合った。

 

「ヒッ!」

 

 思わず、息を吸い込む。

 太陽で逆光になり、その顔の大部分は影に覆われて確認することは難しかったが、優しいものだった。例えるのならば、観音菩薩だろうか。慈悲に溢れた表情で、見るものに心の平穏をもたらす、その表情が、今のカブトにはこれ以上ないほどに恐ろしく感じた。

 

「は、離せ!」

 

 我武者羅にナルトを殴りつけるが、効果はない。固くも柔らかい大胸筋に阻まれるのみである。

 

「離せよ! この!」

 

 ナルトはカブトの攻撃を無視し、柔らかい表情を浮かべたまま、右手に集中する。

 

 この七日間の修行でナルトが集中のために必要だと悟ったこと。それがリラックスだ。体から余分な力を抜くことで集中が高まる。だが、今に至るまで、完璧なリラックスをすることができなかった。

 だが、今は違う。

 体は疲れ切り、睡眠を欲している。不眠不休の無茶な修行のせいだ。しかしながら、それが功を奏した。

 体が休息をこれ以上ないほどに求めている今のナルトの体は、副交感神経が優位となっている。

 副交感神経というのは体のブレーキとも言えるもの。血管を拡張させ、血圧を下げ、気分を落ち着かせる面がある。

 そうした後、頭の中の余分な考えを一旦、消すことができる。

 

 強制的にリラックス状態となったナルトの体は切り替わる。副交感神経から交感神経へと。

 副交感神経とは逆の交感神経は体のアクセルとも言えるもの。血管を収縮させ、血圧を上げ、気分を高める。

 そして、一気に集中モードに入ることができる。

 

 今のナルトの状態はスポーツでいうゾーンの状態に近い。体の全てが自分の思い通りに動く最高の状態だ。これまでに積み上げてきた練習。そこで身に付けた最高最適最善の動きを完璧に行うことができる。

 

 それがゾーンと呼ばれる状態。

 そして、稀にではあるが、ゾーンを越えた状態に至れる者もいる。

 練習ではできなかった動き。頭の中ではできていた理想の動き。それができる。

 それまで出来なかったことが出来るようになること。つまり、真髄を得たのだ。

 

「なにッ!」

 

 ドンッとナルトの右腕から大量のチャクラが放出された。

 ナルトは理解したのだ。

 少しずつチャクラを高めながら回転させ球状に留める。それは自分に合っていない方法だったのだと。

 先にチャクラを大量に放出し、そのチャクラを力で以て圧縮する方法が自分には合っていると理解したのだ。

 

 ナルトの右手から放出されたチャクラは形を変え、球状になっていく。そして、その中の回転は異様なほどに速くなり、高音を奏でる。

 

「綱手殿。己は……己は火影に至るまで……絶対に死なぬ」

 

 ──マ、マズい! 

 

 カブトはナルトの右手から目を離し、ナルトの顔を再び、見上げる。

 

 今のナルトは交感神経が優位の状態。体のアクセルを限界まで踏み込んだ一種の興奮状態だ。

 つまり、今のナルトの表情は……。

 

「ヒッ!?」

 

 阿修羅そのものであった。

 怒り一色の表情。流石のカブトと言えども、これからの攻撃は耐えられないと理解した。

 眼前に迫る死の恐怖。それがカブトの脳を限界まで働かせた。

 

 ──これなら! 

 

 再度、ナルトの大胸筋に左手を突き出す。今度はチャクラ解剖刀(メス)を手に纏わせての攻撃だ。

 

 ──これなら……? 

 

 が、ナルトの表情は変わらない。

 カブトの攻撃はナルトの心筋を絶ち切るほどの攻撃。常人ならば、地面を転げ回るほどの痛み。苦痛と呼ぶのすら生温いほどの痛み。

 だが、今のナルトは興奮状態。どのような痛みも彼の動きを止める障害には成り得ない。

 

 かくして、ナルトの右腕は大きく引かれた。ナルトは怒りの籠った目でカブトを見下ろす。

 その怒りはどこから来たものか? 決まっている。彼の後ろにいる二人の淑女を傷つけた怒りだ。

 右手の指が曲げられ、真球となっていたチャクラの塊が歪み始める。

 

「や、止め……!」

 

 血が苦手な綱手に血をかけた卑劣な行為。自分の盾になったシズネに向かって嘲るという悪鬼にも劣る行為。

 チャクラの塊の歪みが大きくなる。

 

 許せるか? いいや、許せる訳がない。

 

 カブトに向かってナルトは右手を突き出した。

 怒りのまま、拳を握りしめた。

 チャクラの塊がカブトに当たる直前、ナルトの握力により弾け飛んだ。

 

「螺旋丸!」

 

 ──それ、ただのパンチ! 

 

 その思考を最後に、カブトの体は吹き飛び、背後にあった岩にぶつかるのだった。



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受け継ぐ者

 拳を突きだしたナルト。吹き飛んだカブト。そして、ナルトの後ろで目を丸くしているシズネと綱手。

 

「ナルトくん!」

 

 が、残心することができずにナルトの体は前に向かって倒れる。

 

 対して、螺旋丸……ではなく、ナルトのパンチを腹に受け、背後の岩に叩きつけられたカブトだったが、意識は保っていた。ナルトの全てを籠めた拳を受けても尚、意識を保つことができている。

 それに比べれば、ナルトの拳圧により腹の部分の服が弾け飛んだのは些細なことだろう。

 

「そんな……」

「ふっ……」

 

 ──あの“娘”が音に来てなかったら……。

 

 カブトの肉体には天性の才は宿っていない。だが、彼には頭脳があった。その頭脳により、他者の優秀な能力を自身に宿すことに成功した数少ない忍である。

 自らの肉体に他者の才能の因子を取り込むことで、カブトは人としてのステージを越えていた。彼がその身に宿した因子は“うずまき一族”、つまり、ナルトの遠縁である者の因子。

 

「チャクラを腹に集めて、術……パンチを喰らう前から一気に治癒を始めた」

 

 青黒く内出血が見られる腹の色が急速に元の色に戻っていく。

 

「ボクが大蛇丸様に気に入られたのは技のキレでも術のセンスでもない。圧倒的な回復力。細胞を活性化、新しく細胞を作り替えていく能力。さっきの攻撃がナルトくんの最後の賭けだったみたいだけど……!!?」

 

 カブトの口から血が流れ出す。

 

 ──バカな。ボクの回復力をもってしても、まだ、ここまでのダメージが。もうチャクラが足らない。

 

 ナルトと同じように地面に倒れるカブトの目に、シズネがナルトに駆け寄る姿が目に入った。

 カブトは唇を歪ませる。

 

「クク……ナルトくんは、もうダメだよ」

「ナルトくんッ! これは……!?」

「九尾のチャクラを……力に還元する心臓の……経絡系を……切断した。……力一杯ね。自力で治癒する可能性を絶ち切るためにね……」

 

 カブトの言う通り、ナルトの心筋はズタズタに切り裂かれていた。

 そのことを理解したのだろう。ナルトの体を仰向けにしている途中のシズネは顔を青くする。

 

 今、綱手はカブトの血を被っており、動くことができない。血液恐怖症である綱手の血を拭った後にナルトの治療を二人で行うという手もあるが、今のナルトは余談を許さない状態。

 ナルトの顔を見るとチアノーゼ──血液中の酸素が低下することで顔が青くなる状態──が起こっており、このままでは酸素欠乏症により、近い内に間違いなくナルトは死ぬ。

 

「どうしたら……」

 

 そして、今のシズネでは完治させることはおろか、治療を行うためにナルトを仰向けにすることもできない。先ほど、ナルトを庇った時に負った左肩の傷により、左腕にまともに力が入らないときている。かといって、右腕だけでナルトの体をひっくり返すには、彼の体は重すぎた。

 また、ナルトの体をひっくり返すことができそうな綱手の血を拭おうにも、左肩から流れる血が綱手の血液恐怖症を刺激してしまう。

 ならば、まずは自分の傷を直そうとしても、カブトが投げたクナイは肩に深く刺さっており、さらに、右手で抜くには難しい位置にある。誰かの助力が必要であるが、自来也は大蛇丸と戦っており、こちらに来ることはできない。綱手は、血液恐怖症のためクナイを抜くことはおろか、血が着いているクナイに触ることすらできない。

 

 ──どうしたら……? 

 

 このままではナルトが死ぬ。

 

 カブトの一計。ナルトに向かってクナイを投げたこと。

 たった、それだけの動きで、こちらの全ての動きを封じられた。

 

 シズネは唇を噛み締める。詰みであるということを理解してしまった。

 ナルトを救うことはできない。医療忍者であるシズネは、これまでの経験の中で同様のことを経験してきた。

『助けてくれ』『死にたくない』『帰りたい』『見捨てないで』『お願いします』

 有言、無言。

 その区別なく、救えない者を切り捨てることで救える者を優先した。トリアージと呼ばれる、より多くの命を救うための区別。どれだけ懇願されようとも、それが医療に携わる者の宿命だと、そう言い聞かせ、シズネは切り捨てた。

 

 その度に自分の力不足を嘆きながら。医療忍者の少なさを嘆きながら、シズネは多くの人を救ってきた。

 

 だから、今回も同じ。今はナルトは切り捨て、木ノ葉隠れの病巣である大蛇丸の右腕、カブトを確実に仕留めることに意識をシフトさせるべきだ。

 

 だが、シズネは動くことができなかった。

 

 チャクラが尽きかけている中、自分の要請にすぐ従い、命懸けで戦ってくれたこの漢に何も、何一つも報いることができていない。自分がしたのは、死地にこの漢を送り出したことだけ。ただ戦いを傍観していたことだけしかしていない。

 

「うっ……うっ……」

 

 嗚咽が漏れる。涙が溢れる。

 何も役に立っていない情けない自分。本来ならば、自分がカブトと命懸けで戦わなくてはならなかった。

 クナイ一つを防いだところで、何を誇れるというのか? 何も誇れない。むしろ、そのクナイの防ぎ方をもっと上手くしていれば、こんな状況にはなっていなかった。この漢を救えないという状況に陥っていなかった。

 

「シズネ、泣くな」

「!?」

 

 後ろから聞こえた優しい声。

 その声はかつても、そして、今も憧れ続けている、最高の、そして、最強の医療忍者の声。

 

「力を貸してくれるか?」

「はい……はいッ!」

 

 その声の主は、至極、簡単に重いナルトの体を返す。

 

「綱手様ッ!」

 

 ──バカな!? 綱手様は血液恐怖症のハズ! 

 

 目の前でナルトの胸に手を当て、治療を行う綱手の姿にカブトは目を丸くする。

 

 ──ま、まさか、克服したのか? いや、克服“させられた”のか。

 

 次いで、カブトはナルトに憎しみの籠った目を向けた。

 

 ──君のせいだね、ナルトくん。けど、もう遅い。

 

 医療忍術を行使し、ナルトの治療を行う綱手とシズネのこめかみから汗が伝う。

 状況は最悪とも呼べるもの。治療開始まで、綱手が血液恐怖症を克服できるまでの短い時間。それが、致命的な時間だった。

 ナルトが切られたのは心臓の筋肉。心臓とは体全身に血液を送るためのポンプの役割を持つ。ここが切られたことにより、今のナルトの体には血液が行き渡らない状態となっている。

 そして、体の中で血液、それに含まれる酸素を最も必要とするのが、脳だ。脳細胞に酸素が行き渡らない場合、5分程度で脳細胞は壊死してしまう。それを止めることができない場合、待っているのは死。

 

 それを十二分に理解している医療忍者たち。

 カブトはナルトの死を願い、そして、シズネと綱手はナルトの生を願う。

 

 かくして、天秤は傾いた。

 

「礼を言う。二人とも」

「ナルトくん!」

「ナルト!」

「まさか……」

 

 ナルトは両手を伸ばし、上から覗き込む二人の目尻を拭う。

 

「そして、謝罪を……」

 

 そこまでだった。ナルトの両手が地面に落ちる。顔を青くさせたシズネだったが、素早くナルトの胸に耳を当て、ナルトの容態を確認していく。

 

「バイタル……安定してます!」

 

 安堵した顔つきで綱手はナルトの傷ついた左手を握りしめた。

 

「『必ずや受け継いでみせよう。火影の名を』かぁ」

 

 ──最後に……最後に、もう一度だけ……アンタに賭けてみたくなった。

 

 チャクラを流し、傷がなくなったナルトの左手を優しく置き、綱手はナルトの首に今まで自分がしていたネックレスをかける。

 ナルトの顔を見つめ、綱手はその額にそっと唇を落とした。沙羅と鳴る金髪の隙間。そこから優しい声が小さく響く。

 

「火影になりな」

 

 ──縄樹、ダン。最愛のアナタたちの夢を受け継ぐ子が……ここにいる。

 

「シズネ。ナルトは任せる」

「はいッ!」

 

 綱手は大きく息を吸い込んだ。

 

「大蛇丸ッ!」

「……綱手ェ」

「ここからは私が……五代目火影が相手だ!」

「随分と大きく出たわね。私の前で火影の名を出すなんてねェ」

「当たり前だ。大きく出なきゃ、ここまでしてくれたナルトに顔向けできない。それに……」

 

 ──縄樹、ダン。今の私は、アナタたちに真っ直ぐ会える顔つきになったよな? 

 

「何よ?」

「……お前に言っても解らないことだよ」

「そう。言うつもりはないということね?」

 

 そして、始まった木ノ葉の三忍、三竦みの戦い。

 その詳細をナルトは知らない。これからも、知ることはないだろう。なぜなら、彼はこの戦いは三忍のものだけであり、自分は入り込む必要はないと思っているのだから。

 

 眠る彼の顔は安心した顔だった。

 それはきっと、綱手が遺志を受け継いだことを理解したからだろう。

 これから、火影の座に着く綱手。彼女が遺志を受け継ぎ、立派な火影として里に戻ることを確信した笑みであった。

 

 +++

 

 戦いから一日後。

 

「よし! ワシもナルトも回復したことだし、これから木ノ葉に向かう……が、ナルト」

「承知」

「まず、お前に聞きたいことがある」

「如何された? 師よ」

「お前、服はどうした? 服は?」

「着ているが?」

「……」

 

 短冊街の入り口に自来也とナルト、そして、綱手とシズネは立っていた。

 

「Tシャツは?」

「替えがない」

「だからといってのォ……」

「師よ」

「ん?」

「やはり、師の分もガイ先生に頼めば良かったか」

「要らん!」

 

 ナルトが着ている緑色の全身タイツを見て、自来也は額を押さえ、息を吐き出す。彼にとって、あまり目にしたくないのだろう。だが、替えの服がなければ仕方ないと割り切った。

 

「まあ、なんだ。これから里に向かう訳だが、急がなくちゃあならん訳がある」

「然り。サスケとカカシ先生、そして、リーを綱手殿に見て貰うためにも全速力で里に向かう」

「うむ」

 

『という訳で……』と自来也は綱手とシズネをナルトの近くに呼び寄せる。

 

「なんだ?」

「自来也様。まさか……」

「ああ。そのまさか、だ。ナルト!」

「うむ」

「綱手とシズネを抱えろ」

「承知」

「抱えろ、だぁ?」

 

 自来也の突拍子もない提案に綱手は眉を潜める。

 が、シズネは違った。

 

「お、お先に失礼します!」

「ナルト!」

「承知!」

 

 脱兎の如く走り出したシズネにすぐに追い付いて抱えるナルトの姿を見た綱手は、なるほどと頷く。

 

 ──確かに、ナルトに抱えられた方が速い、か。

 

 前線から遠ざかっていた自分の足よりも、ナルトの足の方が速いと綱手は得心がいった。

 

 ──姫のように抱き抱えられるなんて、何年振りだろうな。

 

 それに、綱手は乙女であった。

 そうであるからして、嫌々と首を横に振るシズネの様子を恥ずかしがっているからと決めつけてしまっていたのだ。

 そうして、ニコニコとした綱手もナルトの腕に収まった。

 

「よし!」

 

 ナルトにしっかりと抱き抱えられたシズネと綱手を見て、自来也は頷く。

 

「それじゃあ、しゅっぱ~つッ!」

「応ッ!」

「ヒィイイイ!」

「ぬなッ!?」

 

 ナルトの全速力。

 顔が歪むほどの風圧。体全身にかかるG。

 

「シ……シシシズネぇえええ!」

「だだだだだかかからッ! 言ったたたじゃあああななないででですぅうううかぁあああ!」

 

 乙女の夢を壊すのは筋肉かと綱手は考え、そこで考えることを止めた。

 

 +++

 

「もうお前には二度と! 二! 度! と! 乗らん!」

「承知……」

 

 里に着き、火影執務室の屋上へと降ろされた瞬間、ニヤニヤしていた汗だくの自来也の腹に一発入れ、綱手はナルトに宣言した。

 

「けど、まぁ、思っていたより早く着いたな」

 

 頬を両手で挟み、崩れていないかどうか確かめた綱手は一度、大きく伸びをする。

 

「木ノ葉も随分と様変わりしたね。今日から私がこの里を治める、五代目火影だ」

「綱手」

「よう帰ってきた」

「ホムラの爺にコハル婆さんか」

 

 そこに姿を現したのは、ご意見番である二人。水戸門ホムラとうたたねコハルだ。

 自来也に綱手を捜索するよう以来した二人である。

 

「相変わらず口が悪いな」

「ホムラ。それよりも……」

「ああ」

「ん? なんだ?」

「ヒルゼンの様子が、な」

「先生が!? どういうことだ?」

 

 綱手は自来也へと目を向ける。

 三代目火影、猿飛ヒルゼンは大蛇丸に重傷を負わせられたものの、命に別状はないと自来也から聞いていた綱手にとって、ホムラとコハルの言葉は寝耳に水。

 だが、すぐに気を取り直し、宣言する。

 

「先生の容態は?」

「それがだな……」

「うむ」

「早く言え!」

「その……あれだ」

「“あれ”? なんだ?」

「官能小説に耽るヒルゼンから取り上げていいものかどうか悩んでおる」

「……いいと思うけど」

「そうと決まれば善は急げ、だ。行くぞ、ホムラ!」

「うむ」

 

 疾風のように姿を消す二人。それを見送った後、綱手は自来也を小突く。

 

「おい」

「……」

「私がやるべきことをやり終わった後、先生がエロ小説を読んでたら……分かるな?」

「わ、分かった! だから、拳を握るのは止めてくれ!」

「……行け」

「わ、分かった!」

 

 瞬身の術で姿を消す前に『ワシのせいじゃないのに』とぼやく自来也の言葉を聞き逃さなかった綱手は、『後で締める』と決意してナルトに向き直る。

 

「で、誰だっけ?」

「サスケとカカシ先生。そして、リーだ。おそらく、木ノ葉病院にいるハズ」

「分かった。今から行こうか。……シズネ! もたもたしてると置いてくよ!」

「は、はひぃ~」

「車酔い……人酔い? この場合、人酔いって言うのか? ……いいから、行くよ!」

「が、がんばります」

 

 屋上から繋がる階段を降り、廊下を歩く三人。と、前からよく似た二人が通りがかる。

 

「お! ナルトじゃねーか」

「シカマルか。久しいな」

「まーな。で、何でお前がこんなとこいんだよ? ん? もしかして、お前もか?」

「どういうことだ?」

「その反応ってことは、別件だな。それがよぉ……ちょっとめんどくせーことになっちまってよ」

「そうか。手を貸そう」

「お! いいのか?」

「よくねェ」

 

 シカマルの隣にいた彼によく似た男は、シカマルの頭を押さえつけ、無理矢理、頭を下げさせる。

 

「お久しぶりッス。綱手様」

「おお! 奈良家のガキか! で……そっちは子供か?」

「はい。息子のシカマルです。おい、シカマル」

「分かったよ。奈良シカマル。奈良シカクの息子ッス」

「よろしくな、シカマル」

 

 親父と話を始めたギャル。

 シカマルの目線からすれば、そのようなところだろう。そして、親父はへコヘコと頭を頻りに下げている。高い地位にある女性であることは理解できたものの、情報があまりにも足りない。

 分かったのは精々、女の名前が“綱手”であることぐらいだ。そして、忍者学校(アカデミー)時代、『めんどくせー』と授業を聞かず、居眠りばかりしていたシカマルの耳に彼女の名前が入ることはついぞなかった。

 そうであるからして、シカマルは情報を集めなければならない。近くいる友に聞くのが一番早いと考えたシカマルはナルトの近くに寄る。

 

「おい、ナルト。若けーくせに、あの偉そーな女、誰だよ」

「五代目火影 綱手殿だ。若く見えるが50代のレディである」

「!?」

「ナルト! 行くぞ!」

「承知」

「それと、レディの年齢を言い触らすんじゃない!」

「む? それは済まぬ」

「まあまあ、綱手様。きっとナルトくんは、お友だちに綱手様へ敬意を持って欲しくて、年齢を言ったんだと思いますよ」

 

 騒ぎながら離れていく三人を見送りながら、シカマルと隣の父親へと質問を投げ掛ける。

 

「あの女が五代目になるんだってよ。何者だ、あの人」

「お~い、シカマルよォ。あの人ぁ……この世で一番強く美しい女だぜ。なんせ、“三忍”の紅一点だからなぁ」

「見た目はナルトの方が強そうだけどな」

「そりゃ……そうだが……」

「ついでに言うと、美しさって火影に必要ねーよな」

「いや、必要だ」

「?」

 

 シカクは腰を屈めて、シカマルと肩を組む。

 

「シカマル。男ってのは女がいなきゃダメになる生き物だ。美しい女にはいいとこを見せたくなるってのが男の(さが)ってやつよ。本来の自分以上に踏ん張れるいいチャンスだ」

「そのチャンスで中忍として頑張れってことかよ……めんどくせー」

「お前も年頃になりゃ分かる」

「分かりたくもねー」

 

 少し笑みを浮かべたシカクはシカマルと離れた。

 

「おっと、いけねェ! お前はこれから用事があんだろ? じゃ、オレは先帰るぜー。母ちゃんにどやされっから」

 

 ──女がいても駄目になる男もいるってことだな。

 

 離れていく父の姿を細目で見つめるシカマルだったが、目を奥の扉に向ける。

 それは目的の部屋の扉。約半年前に一度訪れただけの部屋の扉だ。

 

「めんどくせー」

 

 そういって、シカマルは“忍者登録室”と札がかかる部屋の扉を開けるのだった。

 

 +++

 

 木ノ葉病院についたナルト、綱手、シズネは病院の受付により、目的の部屋を確認する。

 まず、始めに向かったのはサスケの部屋だ。

 

「失礼する」

 

 扉を静かに開けた先にいたのは、ベッドに横たわるサスケと、その寝顔を不安そうに見つめるサクラの姿。と、振り向いたサクラの目が丸くなる。

 

「ナルト!?」

「サクラよ。サスケは?」

「まだ……まだ目を覚まさないの」

「邪魔するよ」

 

 ナルトの後ろから進み出たのは綱手だ。

 

「その人たちは?」

「綱手殿とシズネ殿だ」

「あ、アナタが綱手様!?」

 

 サクラは慌てて椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。

 

「ガイ先生からお話は聞いています。サスケくんを……サスケくんを助けてあげてください!」

「ああ! 任せときな!」

 

 サクラが身を引いたスペースに入った綱手はサスケの額に手を置く。そして、チャクラをサスケへと流し、乱れたチャクラを整えていく。

 

「じき、目覚めるだろう。治療は終わったが、ナルト。お前はどうする? ここにいるか?」

「……」

 

 逡巡。

 

「いや、カカシ先生とリーも心配だ。二人の様子を見に行く。それに、サスケにはサクラが着いている。心配はない」

「ナルト……」

「サクラよ、サスケを頼む」

「……うん!」

 

 一度、サクラに頷いたナルトは自動的に閉まっていた病室の扉を開ける。

 

「気が利くじゃないか」

「恐悦至極」

 

 一路、カカシの病室に訪れた三人はサスケと同様に、綱手がカカシの頭に手を当て治療を行った。

 

「ん?」

「カカシ先生。大事ないか?」

「……ナルト? それに綱手様!?」

「オレを忘れているぞ!」

「ガイ。お前もいたのか」

「ああ!」

「ありがとう。綱手様を連れてきてくれて」

「班員として当然のこと」

「それに、ガイも。診ててくれたんだろ?」

「礼はいらん。友として当然のことだ」

 

 熱い抱擁が交わされようとした瞬間、綱手は先んじて言葉を発した。

 

「たかだか二人の賊にやられるとはお前も人の子だねェ……天才だと思ってたけど。で、ナルト。次は?」

「そうだ! 次は我が弟子、リーを診てやってください!」

 

 カカシに別れを告げ、リーの病室に向かう。

 

「失礼する」

「ガイ先生! それにナルトくん! あと、どなたでしょうか?」

「紹介しよう。五代目火影の綱手殿だ。医療に精通している故、リー。君の怪我を診て貰うために連れてきた」

「この方がガイ先生が言っていた……よろしくお願いします!」

「ああ。で、聞いた話だと診察が終わるまで少し時間がかかりそうだね。ナルト、もう行っていいぞ」

「む? ……済まぬ、リーよ。己はまだやらなくてはならぬことがある」

「やらなくてはいけないこと、ですか?」

「然り。シカマルが何らかの事件に巻き込まれたようだ。それに助力を申し出る故」

 

 先ほどシカマルと会った際に、『それがよぉ……ちょっとめんどくせーことになっちまってよ』とシカマルが言っていたことが気になっているナルト。もちろん、リーのことも心配ではあるが、ここで自分ができることは何もないということもまた、ナルトは理解していた。

 そして、シカマルの問題は実はなんということもない。彼が下忍から中忍に昇格したという、本人以外は喜ばしいニュース。

 

「分かりました、ナルトくん! ボクは大丈夫です! 君はシカマルくんのところへ向かってください」

「リーよ。感謝する」

 

 ナイスガイなポーズで大丈夫だとアピールするリーに向かって、ナルトもまた同じポーズで返す。そして、シカマルの元に向かうため、病院を飛び出したナルトだったが、それを彼は後悔することになる。

 

 なぜなら、リーの傷は医療スペシャリストである綱手でさえも手術の成功確率は50%であり、失敗すれば死ぬリスクがある過酷なものであるという診断が下されたからである。

 

 友の苦悩。それを知ることなく、飛び出してしまった自分をナルトは責めてしまう。それは美しき友情であろう。だが、同時にそれは呪いでもあった。

 

 友の苦悩。それを知って、飛び出さなかった自分をナルトは責めた。それは美しい友情であろう。だが、それは同時に呪いでもあったのだ。

 

 サスケがイタチに傷つけられていても、ナルトは動くことができなかった。その時の記憶が彼を苛み続けている。ナルトも、そして、サスケも。

 自分を信じて、今にも飛び出そうとしているナルトの目の前で、何もできなかった弱い自分の姿。

 

 ──何故、弱いか。

 

 我愛羅との戦いの時。

 

 ──足りないからだ。

 

 イタチとの戦いの時。

 

 ──……憎しみが。

 

 その光景に写っているのは……。

 

「サスケくん、リンゴよ!」

 

 差し出された皿。

 サクラがサスケの身を案じ、食べやすいようにと小さく切ったリンゴが乗っている。

 

「キャッ!」

 

 それをサスケは叩き落とした。

 

「……!? サスケくん?」

 

 サクラの声はもう届いていない。

 サスケが見つめているのは窓の向こうの空。遠くに飛んでいる鷹の姿だ。

 

 それを強く睨む。

 

 彼が見つめているのは四人の部下。しかし、本当にその目に写しているのは少年の姿だ。

 

 腕の痛みによる影響で目が鋭くなっていた。

 

「機は熟したわ……これから木ノ葉に向かいなさい」



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サスケ奪還編
大事な人


 空を睨む。

 青い空に映るのは、敗北の記憶だ。

 

 ──君は本当に愚かだ。

 

 波の国での、白との戦い。

 

 ──死に物狂いで駆け上がっておいで。

 

 中忍試験での、大蛇丸との戦い。

 

 ──ダメだ。

 

 木ノ葉崩しでの、我愛羅との戦い。

 

 確かに、勝利したこともある。波の国に行く前の鬼兄弟との戦闘。中忍試験では、赤胴ヨロイとの戦闘。その他にも、格下相手には危ないところはなく、白星を上げ続けていた。

 だが、今のサスケには、その事実を受け入れる余裕は全くない。

 

 ──何故、弱いか……足りないからだ……。

 

 今のサスケにあるのは、敗北の記憶だけ。それだけが焼き付き、離れない。

 

 ──憎しみが。

 

 掛け布団に深い皺が寄る。サスケの手が握りしめているせいだ。

 

「……」

 

 それを見て、サスケの側に佇むサクラは何も言えなくなる。

 サクラはガイからサスケが倒れた顛末を聞いていた。そして、サスケの過去についても。

 

 サスケの実の兄であるイタチによる一族の虐殺。

 その生き残りであるサスケの気持ちを考えると、何も言えなくなってしまう。

 だからこそ、彼女は口を閉じるしかない。一歩でも踏み込み間違えたら、今までの関係が失われそうで……それがサクラは怖かった。

 

「サスケ、大事ないか?」

 

 突如、後ろから聞こえてきた声にサクラは弾かれたように振り向く。そこには既知の姿、ナルトのいつもと変わらない姿──全身緑色のタイツを着込んでいることを除き──があった。

 

「む? リンゴが落ちているな」

「そ、それは、私が落としちゃって……すぐに片付けるから」

「サクラよ。貴殿も疲れているだろう。己が後を片付ける。そして、サスケは己が診よう。貴殿には休むことも、また大切だ」

「わ、わかったから。すぐに……」

「ナルト……」

 

 サクラの言葉を遮った冷たい声。それはサスケの声だった。

 嫌な予感がサクラを襲う。先ほど感じた、今までの関係が失われそうな感覚が大きくなった。

 

「オレと今から……戦え!」

「断る」

「……」

「サスケよ。貴殿は病み上がりの身。心身ともに休息が必要だ。その挑戦は、また改めて受けよう」

「挑戦?」

 

 サスケはナルトの言葉を呟きながら、ベッドから降りる。

 

「誰が挑戦者(チャレンジャー)だ? 上から見下すな!」

 

 ナルトに近づくサスケの足が、サクラが丁寧に皮を剥き、食べやすいようにと小さく切ったリンゴを踏み潰す。サクラの顔が悲しみに包まれた。

 が、今のサスケにサクラを気に留める余裕はない。

 

「いいから戦え!!」

 

 サスケが見ているのはナルトだけだった。

 写輪眼を発動させながら、サスケはナルトに言い放つ。

 

「……」

 

 そして、サスケの焦りを一身に受けているナルトにも、サクラを省みる余裕はなかった。

 

 サスケは止まらない。

 そのことを理解したナルトは渋々ながら、ゆっくりと首を縦に振る。

 

「ついて来い」

 

 サスケと共に病室から出ていくナルト。二人の姿を見つめながら、サクラは唇を噛み締める。

 脳裏に過るのは、ある人物の顔。

 

 中忍試験で邂逅した冷酷な殺気。その持ち主である大蛇丸の顔だ。

 その顔と今のサスケの表情はどことなく似通っていた。

 

「ッ!」

 

 違う、とサクラは頭を振る。

 サスケは仲間を大切にする人。大蛇丸は仲間を大切にしない人。そこには大きな違いがある。似ているなんてこと、そんなことは、決してあり得ない。

 そう自分に言い聞かせ、サクラは顔を上げた。

 

 見届けなくてはならない。邪魔をしてはならない。

 

 きっと、これは一時的なもの。一度、感情をぶつければ、サスケも落ち着く。きっと、そうだ。

 

 再び、サクラは自分に言い聞かせ、サスケとナルトの後を追う。日常に戻れると信じながら。

 

 +++

 

 木ノ葉病院の屋上で向き合うサスケとナルト。

 

「サスケよ」

「何だ?」

 

 サスケは焦燥に駆られている。

 そのことを理解しているナルトはゆっくりとサスケに問う。

 

「今、闘うとして……何の意義がある?」

「そんなもの必要ない。いいからオレと闘え!」

「しかし、己の夢は火影。意義のない闘いを行うなど、皆の規範になるべき火影の行為とは到底、思えぬ」

「うるせぇ」

「サスケよ」

「うるせぇって言ってんだよ! このウスラトンカチが!」

 

 ビリビリとナルトの肌が粟立つ。

 確かな力を持った闘志だ。だが、荒く、そして、未熟。

 

 言い換えれば、安い挑発に過ぎない。

 だが、サスケが……“うちはサスケ”が……そのようなことをしているのを“うずまきナルト”は見過ごすことはできなかった。

 

「しからば……これは、ただの喧嘩となる。それで貴殿は満足か?」

「……ああ、満足だ」

「なれば……」

 

 ナルトは額当ての結び目に手を伸ばし、それを解く。

 

「お前……何を?」

「ただの喧嘩ならば、忍の証である額当てを着ける訳にはいかぬ」

「そうかよ」

 

 サスケは唇を噛み締め、ナルトを睨む。

 意義はない。誇りもない。ただの意味のない喧嘩だと、ナルトは言った。それが、サスケにとって気に食わなかった。

 まるで、自分が我儘なガキであると諭されているようで。そして、短絡的な自分に失望されているかのようで。

 それが、気に食わなかった。

 

「ラァ!」

 

 気がついた時にはサスケは跳んでいた。そして、ナルトの顔に向かって回し蹴りを放っていた。

 しかし、それは事も無げにナルトの右手に止められる。

 

 地面に着いた一瞬の隙で迎撃される。

 それを認識する前にサスケの体は勝手に動いていた。

 

 左足にチャクラを集中。その左足のチャクラでナルトの右手に吸着。

 

「オラァ!」

「む!?」

 

 左足を支点に回転させたサスケの右回し蹴りがナルトの顎に入った。

 

 苛立ち。

 

 ふらつくナルトの腹に向かって、掌底を繰り出そうとするサスケだったが、嫌な予感に教われ、視線を少し上に向ける。

 ナルトと目があった。

 

「チッ!」

 

 瞬時に回避行動を取るサスケであったが、ナルトの攻撃は始まっていた。

 

「うずまきナルト連弾」

 

 ──左! 

 

 後ろに下がるには間に合わない。サスケは身を捻ることでナルトの拳を避ける。が、うずまきナルト連弾は怒濤の連続攻撃。

 

 ──右! 

 

 サスケはチャクラを全身に籠め、身体強化を行い自らの速度を上げる。眼を見開き、ナルトの一挙手一投足を見極める。

 ダンスを舞い踊るかのように軽やかにナルトの連撃を躱すサスケ。

 

 苛立ち。

 

 ナルトの動きが緩んだ瞬間を見逃さず、サスケは後ろへと跳びながら印を組み上げる。

 

「火遁 豪火球の術!」

 

 サスケの口から吐き出された巨大な火の玉はナルトの体躯を飲み込まんばかりの大きさ。

 真正面から迫るサスケの火遁を前に、ナルトは拳を握りしめ、大きく身を捻る。

 

「フンッ!」

 

 旋風が火を掻き消した。いや、旋風と呼ぶには語弊がある。風遁の術をナルトが使った訳でもない。横で見守るサクラが風遁を使った訳でもない。

 それは、ただの拳圧。圧倒的な速度で繰り出した拳が大気を叩くことで、押し出された空気が弾となり、サスケの火遁を吹き飛ばした結果だ。

 

 苛立ち。

 

 サスケの苛立ちが更に募る。

 それは自分の攻撃がナルトの尽く防がれたから。それもあるだろう。

 

 だが、本質は違う。

 

 自分が繰り出した攻撃。

 その全てが、ナルトとかつて対峙した者の攻撃と似通っており、更に、ナルトの防ぎ方が先と同一だったこと。サスケの苛立ちはそれに起因する。

 

 一番始め。

 サスケがナルトの右手にチャクラで吸着し、二連撃を加えた攻撃。

 中忍試験 第三の試験 予選でサスケが見ていたキバとナルトの闘いと同じ。

 

 二番目。

 サスケがナルトのうずまきナルト連弾を躱したこと。

 中忍試験 第三の試験 本選でのネジとナルトの闘いの詳細をサスケは木ノ葉崩しが終わった後、サクラから聞いていた。それと同じ。

 

 そして、最後の豪火球の術。

 ナルトが拳でサスケの術を破ったこと。

 木ノ葉崩しで我愛羅の風遁をナルトが拳で破ったことと同じだった。

 

 敗北の記憶だ。

 自分が防ぐことで精一杯だった我愛羅の風遁 無限砂塵大突破を拳一つで破ったナルト。

 あの時、自分は我愛羅にも、そして、ナルトにも負けていた。破るべき敵にも、守るべき仲間にも、負けていた。

 

「……」

 

 無意識に印を組んでしまっていた。それは、自身の持ちうる最強の術。だが、決して、仲間には向けてはならない術。そして、それはナルトが今まで防ぐことがなかった攻撃だ。

 

 バチンと大気を裂く音。そして、青白い雷光が迸る。

 

「サスケくん!」

 

 サクラの声は今のサスケには届かない。ただ、気が急く。強くあらねばと、守りたいものを守るための力を求める。

 そうでなくては、失う。全てを失う。

 

 ……あの日のように。

 

「おぉおおお!」

 

 ナルトに向かって駆け出すサスケの左手には千鳥。

 対するナルトは先ほどと同じように拳を構える。そう、サスケの豪火球の術を破った時と同じ構えだ。

 

 苛立ちが、苛立ちが募る。

 

「ナルトォオオオ!」

「止めて!」

 

 サスケの眼にはナルトしか写っていない。

 思わず、サスケの方に駆け出してしまっていたサクラの姿は目に入っていなかった。

 

「止めてぇえええ!」

「!?」

「ッ!?」

 

 サクラの姿が眼前にあった。

 涙を流しているサクラの姿が眼に写ってしまった。

 

 先ほど、サスケとナルトの闘いを邪魔をしないと考えていたにも関わらず、サクラが前に出た理由。それは、これ以上は修復不可能な傷を二人に残すと考えてのことだった。

 

 これが中忍試験での闘いならば、意義も意味もある闘いならば、サクラは二人の前に出ることはなかった。サスケの千鳥の前に出ることはなかった。

 二人の闘いを汚すような行為に及ぶことはなかった。

 だが、サクラにとって、今の戦いは……嫌だった。

 

 自分の身がどれだけ傷つこうが、止めなくてはならない。

 そうでなくては、二人の“心”が傷ついてしまう。第七班がバラバラになってしまう。

 

 ──止められねェ……! 

 

 そして、サクラの想いは彼らの担当上忍も同一のもの。

 

「はい、そこまで」

 

 涙で濡れた視界の中、サスケの左手がカカシに捕まえられていることを見たサクラは喉を震わせる。だが、言葉は出てこない。

 沈黙を保つ教え子たちにカカシは溜め息を一つ吐いて、サスケに問いかける。

 

「サスケ……」

「……」

「何で、こんな幼稚なことを?」

「……」

 

 サスケは無言でカカシの手を振り払い、そして、瞬身の術で姿を消した。

 

「サクラ」

「せ、先生……」

「大じょーぶっ! すぐに元通りになれるさ」

 

『それと』と言葉を繋いだカカシは病院の給水塔の上にいる人影に向かって声をかける。

 

「オレはサスケの方に向かいます。ナルトは任せても?」

「……ああ」

「では」

 

 カカシもまた、サスケと同様に瞬身の術で姿を消した。

 後に残されたのは、サクラ、ナルト、そして、カカシが声をかけた人物、自来也だった。

 

 自来也は無言でナルトの前に降り立ち、そして……。

 

「むッ!?」

「ナルトッ!」

 

 ナルトの頬を殴り付けた。

 すかさず、サクラはナルトの傍に寄り、自来也へと鋭い目付きを向ける。が、彼女の肩に大きな手が置かれる。

 

「サクラ。大丈夫だ」

「でも!」

「この御仁は我が師、自来也殿である。先の叱責は己が甘んじて受けるもの」

「自来也──って、あの“三忍”の自来也様!? け、けど……」

「口出しは無用」

「……」

 

 ナルトの物言いにサクラは口を閉じるしかなくなる。

 

「分かっているようだな、ナルト」

「然り」

「なら……」

「ナルトッ!」

 

 更にもう一発。自来也の拳がナルトの頬に入った。

 

「自来也様! なんで……」

「ワシはのォ……修行や指導で女は殴らんと決めておる。サクラとか言ったか。……意味は分かるな?」

 

 ──お前が男なら殴っている所だ。

 

「ッ!?」

 

 サクラの分析力が自来也の心中を読み取った。例え、彼の怒りが籠った目付きがなくとも、サクラは理解しただろう。

 そして、自分が、いや、自分たちが彼の怒りを呼び起こさせた理由についても理解してしまった故に、サクラは今度こそ押し黙る。

 

「ナルト、お前……死ぬ気だったのか?」

「それは……ッ!」

 

 口ごもるナルトに再度、向かうのは自来也の拳。

 今度はサクラの口から制止の声が飛ぶことはなかった。

 

「拳でサスケの、あの術を防げる訳がないだろうが!」

「……」

「お前はサスケの術で死ぬところだった! お前もだ!」

 

 サクラは身を震わせた。

 動きを止めたサクラから目線をナルトに動かした自来也は言葉を続ける。

 

「サスケの術はお前の腕を千切り! サクラの身体を貫き! そして、お前の心臓を貫くところだった! カカシが止めねば、ワシが割って入るギリギリのところだ! お前はワシやカカシの気配に気づいていたのか、ナルト!」

「……サスケに集中していたため、気づけなかった」

「なら、あの時、お前はサクラを見殺しにして、自分は死ぬつもりだったんだな、ナルト!」

「……」

「ワシが何故、お前を鍛えたか理解しとるのかのォ?」

「……」

「決して、お前を無駄死にさせるためじゃない。お前を友に殺させるためじゃない。過酷な試練から生き残る(すべ)を教えるためだ! それを、友達(ダチ)の癇癪で無駄にするつもりだったのか?」

「違う、それは……」

「なら!」

 

 自来也は一際、大きく声を挙げた。

 

「間違ったことをしようとしている者は、殴ってでも止めろ!」

「……」

「お前なら、サスケの術がどれほどの威力か理解しているハズだ。お前なら、サスケが術を使う前にアイツを止めることができたハズだ。違うか?」

「……然り」

「二人とも。今回のことはよーく覚えとけのォ。一度でも仲間を殺した者は堕ちる。そして、堕ちた者は上がることはない。ずっと……ずっと……」

 

 思い出すのは、かつての班員の顔。木ノ葉の三忍と並び讃えられた男の顔だ。

 自来也の顔が苦しげになる。

 

「……堕ち続けるだけだ」

 

 苦しげな顔は一瞬だけ。先ほどと同じ厳しい顔つきで自来也はナルトとサクラを見つめる。

 

「サスケがお前たちを殺していたら、奴は堕ち続ける。ナルト、お前がしようとしていたことは、お前もサクラも死なせ、サスケを闇に堕とすことだ。どんな理由があっても、自ら死のうとすることはワシが許さん。分かるな?」

「……承知」

「……はい」

 

 自来也は手を伸ばし、ナルトとサクラの頭を撫でる。

 

「サスケは心配だろうが、カカシに任せろ。奴はワシが認める数少ない忍の一人だ」

「うむ」

「はい」

 

 自来也は踵を返す。

 

「じゃあの」

 

 そう言って、自来也は姿を消した。

 

「サクラよ」

「うん」

「己は弱いな」

「私も」

「で、あれば、強くならねばなるまい。体も、そして……」

「心も。そうよね?」

「然り。まずはサスケに会わねばなるまい。そして、共に強くなる」

「そうね。いっしょに……強くなる」

 

 二人は拳を握りしめ、青い空を見つめる。

 秋晴れの空。天は高く、青に澄みきっている。

 だが、雲が……空の向こうから、雲が流れてきていた。

 

 +++

 

「クソがッ!」

 

 第三演習場。

 班の顔合わせの翌日に行われた演習を行った場所にサスケはいた。手裏剣の的である丸太に向かって、苛立ちを乗せた拳を放ち、サスケは空を見上げる。

 

 ──オレは一体、何をしている? 

 

 こんなハズではなかった。

 感情に任せたまま、切り札である千鳥を仲間に向かって撃とうとするなど、あり得なかった。

 仲間を守りたい。それは間違いない。なのに、今しがた自分がした行為は、仲間を傷つけるだけの行為。

 

「クソがッ!」

 

 丸太に拳を叩き込んで、サスケはフラフラとした足取りで、当てもなく演習場を歩く。

 引き寄せられるようにして、彼が足を止めたのは演習場の中央にある慰霊碑の前だった。

 

「……」

 

 両親の名はない。そして、自身が知っているうちは一族の名はない。

 それもそのハズ。ここに刻まれた名前は、任務で殉職した者の名前のみ。あの夜、(イタチ)に殺された一族の名はなかった。

 

 望洋とした目付きで慰霊碑の名を眺めていく。

 

「……」

 

 “うちは”の名を見つけた。うちはオビトという名前らしい。

 きっと、この人物は仲間を守って殉職したのだろう。同じ“うちは”にも関わらず、あと少しで自分は仲間を傷つけていた。

 

「サスケ」

「!」

「まあ、そう逃げようとするな。少し話がしたいだけだ」

 

 後ろから呼ぶ声の主を、サスケは睨み付ける。

 

「何の用だ、カカシ」

「分かってるでしょ?」

「……」

「焦り、か」

「……」

「サスケ。復讐なんて止めとけ」

 

 サスケの視線が更に鋭くなった。

 

「ま! こんな仕事柄、お前の様な奴は腐るほど見てきたが、復讐を口にした奴の末路はロクなもんじゃない。悲惨なもんだ。今よりもっと自分を傷つけ苦しむことになるだけだ。例え、復讐に成功したとしても……残るものは虚しさだけだ」

 

 ──分かったような口を。

 

「アンタに何が分かる! 知った風なことをオレの前で言ってんじゃねーよ!」

「まあ、落ち着け」

 

 サスケの口は止まらない。

 それが、心にもない言葉だとしても。

 

「何なら今からお前の一番大事な人間を殺してやろうか! 今、お前が言ったことがどれほどズレてるか、実感できるぜ!」

「それは無理だ」

「オレを嘗めてるのか!」

「オレの大事な人を殺したいなら……お前はお前を殺さなくちゃならない」

「!?」

 

 カカシはサスケの後ろにある慰霊碑へと目を向ける。

 

「オレの大切だった人たちは皆、死んでる」

「!」

「オレもお前より長く生きてる。時代も悪かった。失う悲しみは嫌ってほど知ってるよ」

「……」

「ま! オレもお前もラッキーな方じゃない。それは確かだ。でも最悪でもない」

 

 一度、口を閉じたカカシは、慰霊碑からサスケへと目を向けた。

 

「オレにもお前にも、もう大切な仲間が見つかっただろ」

 

 脳裏に流れるのは、大切な仲間の顔。ナルトとサクラの顔だ。

 

「失ってるからこそ分かる。千鳥はお前に大切なものができたからこそ与えた力だ。その力は仲間に向けるものでも復讐に使うものでもない。何のために使う力か、お前なら分かってるハズだ」

「……」

「だからさ、サスケ。お前にはオレの大事な人を大事にして欲しいんだ。ナルトも、サクラも。そして、お前自身のことも」

「……」

「誰かを殺すなんて悲しいこと、言わないでくれ。お前は仲間想いで、そして、優しい奴だ。復讐はお前自身を傷つける。復讐が成ったとしても、成らなかったとしても、だ」

 

 カカシは膝を曲げ、俯くサスケの目線に自分の目線を合わせる。

 

「……」

 

 カカシの目線から逃れるようにサスケは目を閉じた。

 

「失う悲しみは知っていても、慣れるようなもんじゃない。サスケ。もう一度、言う。オレの大事な人を傷つけないでくれ」

「カカシ……」

 

 サスケはゆっくりと瞼を上げる。

 

「お前の言う大事な人の中に……」

「ん?」

「……アンタ自身は入っているのか?」

「……」

 

 カカシは言葉に詰まってしまう。

 詰まってしまった瞬間、後ろから声がした。

 

「サスケくん! カカシ先生!」

 

 サクラの声だ。そして、その後ろにはナルトの姿もあった。

 

「カカシ、もういい。十分、理解した」

 

 サクラとナルトに向かって歩くサスケ。

 

「二人とも。済まなかった」

 

 二人に謝罪をしたサスケの姿にカカシは目を丸くする。

 そして、サスケの言葉を皮切りに謝罪を繰り返す三人の姿を見て、カカシはぎこちなく微笑む。

 これで良かったのだと、元の第七班に戻れたのだと思うことにした。

 

 胸の中にある小さなしこりに気づかないフリをしながら。



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弱さ

 サクサクとサスケの足元で落ち葉が音を鳴らす。

 

「……」

 

 木枯らしが吹く中、サスケは歩いていた。

 

 あの後……カカシに諭され、ナルトとサクラに謝った後、いつものように帰路についた。しかし、自宅には帰れない。

 あの家は、あの厳しくも暖かかった家には……帰ることができなかった。

 

「……」

 

 つい思い出してしまう。

 

 ──サスケ。またドロドロになって! 

 ──う! ごめん、母さん。

 

「……」

 

 ──サスケ。筋トレか? ほどほどにしておけ。

 ──違うよ、父さん! 修行だよ! 

 

「……」

 

 ──兄さん。手裏剣術を教えてよ。

 ──許せ、サスケ。また今度だ。

 

「…………」

 

 帰れない。

 あの家は、もう、ないのだから。

 仮に、あのままの家があったとしても、帰ることはできないだろう。家族に顔向けができない。うちはの家紋を汚すような行為をした自分は、帰ることなど許されない。

 

「………………」

 

 サスケが足を止めたのは、先ほど第七班の三人と別れた場所。第三演習場だ。

 

 いや、先ほどと言うには語弊がある。

 すでに日は沈み、秋月は空高くにある。

 

「月……」

 

 否応にも思い出してしまう。

 あの赤い月を。あの惨劇の日を。あの裏切りを。

 

「メルヘンな気分のところ、悪いなァ。うちはサスケ」

「!?」

 

 ぬらりと、蛇を思わせる声が後ろからした。

 素早く身を返したサスケは、後ろに立つ四つの影を睨み付ける。

 

「……何者だ?」

「西門の左近」

「北門の多由也」

「東門の鬼童丸」

「南門の次郎坊」

 

 “左近”と名乗った少年は唇を歪ませた。

 

「『月……』って見りゃあ分かんだろ! アホか、お前は?」

「インテリ気取ってんじゃねーぞ、クソガキ」

「RPGの主人公みてーな奴ぜよ」

「お前たち。そこまで言うな。流石に可哀想になる」

「口、閉じろよ、デブ。くせーんだよ」

「……」

 

 “多由也”と名乗った少女の言葉で、次郎坊と名乗った大柄な少年が黙らせられた光景を見て、サスケの毒気が抜かれる。

 

「……!!」

 

 が、鬼童丸と名乗った少年の額宛てを見たサスケの目が鋭くなる。

 

「テメェら……“音”の……大蛇丸の部下か?」

「気づくのが遅ぇ」

「クソガキな上に、無能とか救いようがねーな」

「こいつ、フラグを見逃すタイプぜよ」

「……」

「おい、デブ! お前は何もこいつに言わねーのかよ!」

「……無能」

「ああ、お前がな! ウチの言葉をパクってんじゃねーぞ!」

 

 しゅんとした次郎坊が視線を地面に向けた瞬間。その瞬間をサスケは見逃さなかった。

 

「!?」

「らァ!」

 

 ──ちッ! 

 

 一瞬の隙を突き、次郎坊に肉薄したサスケは回し蹴りを次郎坊に叩き込んだ。だが、次郎坊もさるもの。咄嗟に上げた両腕でサスケの蹴りをガードしていた。

 

「次郎坊! って、ウチにかよ!」

 

 しかし、サスケの蹴りは重く、彼よりも体重の重い次郎坊を地面に転がしていた。そして、陣形が乱れた隙を見逃すサスケではない。地面に転がる次郎坊を無視し、隣にいる多由也へと右拳を繰り出す。

 

「グッ!」

 

 ──一先ず、置いておくしかねぇか。次の奴から仕留める。

 

 サスケは頭の中で今後の戦闘を組み立てていく。と、同時に多由也の姿が丸太に変わった。変わり身の術だ。

 拳の感触で違いを感じ取ったサスケは、変わり身の術で姿を眩ました多由也を探すよりも、目の前にいる左近に照準を合わせる。

 

 サスケの足の裏にチャクラが青く灯った。

 

「!?」

 

 サスケの姿が瞬身の術によって掻き消えた瞬間、サスケの左足は左近に捕まれていた。

 

「はい、ざ~んねん」

 

 ──コイツ、オレの前蹴りを……! 

 

 が、驚きで動きが止まったのは、短い間。

 左足を強引に左近の両手から引き剥がしたサスケは、右手を握りしめ拳を繰り出す。

 

「おらァ!」

「なッ!?」

 

 だが、サスケの拳は届かない。

 

 ──足を振りほどく時、奴の両手は弾いたハズだ。どうやって攻撃を防いだ? 

 

「!?」

 

 左近の防御に考えを割く時間はない。彼ら四人の連携攻撃は止まっていなかった。

 するりと左手が糸に絡み取られていた。

 と、サスケの体が空へと持ち上げられる。糸により、上方向に引っ張られた結果だ。

 

「……」

 

 同時にフラストレーションが溜まっていく。

 これ以上、勝手はさせない。サスケは写輪眼を使うことを決意した。

 

「火遁 龍火の術」

 

 サスケの口から飛び出した小さな炎。それは、左腕に絡みつく糸にまとわり付き、勢いよく糸の射出口──鬼童丸の口──へと向かっていく。

 

「チィ!」

 

 慌てて糸を噛み切る鬼童丸であったが、それは悪手。攻撃のチャンスをサスケに与えてしまっていた。

 

 ──ここだ! 

 

 サスケの写輪眼が場を見極める。

 

 次郎坊。

 地面から立ち上がったものの、様子見に徹している。

 多由也。

 茂みに身を潜めているが、チャクラを練り上げていない。

 左近。

 距離は近いが、同時に動き出した場合では届かない距離。

 

 全速力で一人ずつ潰す。

 サスケの方針は決まった。サスケの姿が再び掻き消える。獲物は燃える糸の先。それを見据え、サスケは駆けた。

 狙い通り、何の障害もなく、鬼童丸の懐に飛び込んだサスケは敵を空に打ち上げるべく、左足を鬼童丸の顎に向かって放った。

 

「借りは返……ッ!?」

 

 他三人を置き去りにし、蹴りを鬼童丸の顎に放ち、空中に飛ばした鬼童丸の背を取り、後ろから回し蹴りと殴打を何度も喰らわせ、そして、腹に踵落としを叩き込むことでフィニッシュを決める。

 そう、サスケは獅子連弾を鬼童丸に放とうとしていた。

 

「弱ぇーぜよ」

「!?」

 

 だが、サスケは弱い。

 正確に言えば、ここにいる五人の中で最も弱い。

 

 信じられないといった面持ちで視線を上げたサスケの目に写ったのは、呪印が浮かぶ鬼童丸の顔。

 

「お前……それ……グッ!?」

 

 疑問を口に出した瞬間、サスケの体が吹き飛んだ。鬼童丸の蹴りだ。

 地面に転がるサスケの耳に、地面を削る音が後ろからした。

 

「大蛇丸様のお気に入りはお前だけじゃねーんだよ」

「グアッ!」

 

 次いで、腹に響く衝撃。左近の蹴りだ。

 

「カスヤローが」

「ガハッ!」

 

 また地面に転がされる。多由也の蹴りだ。

 

「フンッ!」

「ガッ!」

 

 地面を弾む。次郎坊の蹴りだ。

 流れるような連続攻撃。四人の連携は確実にサスケの体に大きなダメージを残した。

 

「フン。こんな奴が何で欲しーのかねェ……大蛇丸様も。これじゃ“君麻呂”の方が良かったぜ」

 

 動けないサスケに向かって、左近は口を開く。

 

「まぁ、こんなクズみたいな里にいても、お前は今のまま並みの人間止まり。強くはなれねー。仲間とぬくぬく忍者ごっこじゃ、お前は腐る一方だぜ」

「ウチらと一緒に来い! そうすれば大蛇丸様が力をくれる!」

「……」

 

 幻視した。

 かつて会った、全てを欲していた者の顔を。冷酷無比で、最も力を持つ忍の顔を。

 大蛇丸の顔を。

 

「ぐっ……」

 

 ズキンと首筋が痛む。

 

「どうすんだよ? ハッキリしよーぜ! グズグズしてんじゃねェよ! 来るのか? 来ねーのか?」

 

 ギリギリと歯が音を立てる。

 

「とはいえ、無理矢理、連れてっちゃあ意味がねーらしいからな。大蛇丸様もめんどくせー……。こんな弱ぇー奴、あんまりグズりゃあ殺っちまいたくなるぜ」

「殺ってみろ……」

 

 憎悪が身体を蝕む。

 呪印がサスケの体を取り巻いていた。

 

「てめー……呪印を……」

「ウォオオオ!」

 

 左近に向かうが、その体は至極、簡単に止められた。

 

「!?」

 

 右腕は鬼童丸の、左腕は多由也の、そして、腰には次郎坊の腕が回されていた。

 

 ──こいつらも……。

 

 動きを完璧に止められたサスケだが、眼の動きは止まらない。

 呪印が体を取り巻いていたのは、サスケと鬼童丸だけではない。多由也も、次郎坊も、そして、目の前に佇む左近も呪印を解放させていた。

 

 つまり、状況は先ほどと変わりはしない。

 呪印を解放させていない状況でも押されていた。全員、呪印解放状態であるならば、底上げされた力も同じであるならば、状況は変わらない。

 

 ──動けない。

 

 唇を噛み締めるサスケをジッと見つめていた左近の唇が皮肉げに動く。

 

「呪印をあんまりホイホイ使うもんじゃねーぜ。つーより、テメーは呪印をコントロール出来てねーみたいだが」

 

 呆れたように肩を竦めた左近は言葉を続ける。

 

「“解放状態”を長く続けていれば、徐々に身体を呪印が侵食していく。テメーはまだ“状態1”だけみてーだから蝕まれるスピードも遅いが……侵食され尽くしたら……」

 

 左近は自身の頭を親指で指し示した。

 

「自分を無くすぜ……ずーっとな」

「呪印で力を得た代わりに大蛇丸様に縛られている。ウチらにもはや自由など無い。何かを得るには何かを捨てなければならない」

 

 サスケが動くことはないと判断したのだろう。左腕を離し、サスケに話し掛けながら多由也は左近の隣に並ぶ。

 

「……」

「お前の目的は何だ? この生温い里で仲間と傷の舐め合いでもして、忘れて暮らすのか?」

 

 多由也の言葉がサスケの一番痛い所を射す。

 

「うちはイタチのことを……」

 

 解放される右腕と腰。鬼童丸と次郎坊も、左近と多由也の元に移動していく。

 左近はやるべきことは終わったと判断した。ゆっくりと染み込む毒を浸らせるかのように、彼は言葉を選んでいく。

 

「目的を忘れるな。この里はお前にとって枷にしかならない。下らねェ繋がりもプチンとすりゃいいんだよ。そうすりゃ、お前はもっと素晴らしい力を得ることが出来る」

「……」

「目的を忘れるな」

 

 そう言い残して、一瞬にして四人は姿を消した。

 

「……」

 

 風が残った砂ぼこりを吹き散らす。

 一人残されたサスケに秋風が吹き荒ぶ。

 

 ──オレは……弱い。

 

 だが、それでも、力を求めることは止めてはならない。

 これまでの修行。手裏剣術。忍術。体術。勉学。そして、筋トレ。

 

 全て、凡て、総て。足りなかった。心技体、その尽くが、足りなかった。

 

 弱いから敵に負けた。

 弱いから仲間を傷つける。

 弱いから大切な人を守れない。

 

 ──足りないからだ。憎しみが。

 

 何度も何度も何度も、頭の中で反響する言葉。

 

 そう、足りなかったのは修行ではなかった。

 足りないものは、心の奥底で燃え続けている復讐の二文字。

 

「……」

 

 口に出し、体に刻み、心に留める。

 それが薄れていた。この闇が薄れていた。

 “仲間”という光によって。

 

 サスケの前に木の葉が過る。

 意識しないまま伸ばされたサスケの左手が、それを掴み取る。

 

「……」

 

 くしゃっと軽い音がした。

 握り潰した木の葉。サスケの顔が上がる。

 

 その(かお)は木ノ葉の忍でも、うちは一族の末裔でもない。

 

 その(かお)は誇りなき復讐者の(かお)であった。

 



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約束

 話は少し前に戻る。

 ナルトとサスケが病院の屋上で喧嘩をする前のことだ。

 

 カカシの治療を終えた綱手と共にリーの病室に向かったナルト。

 

「分かりました、ナルトくん! ボクは大丈夫です! 君はシカマルくんのところへ向かってください」

「リーよ。感謝する」

 

 ナイスガイなポーズで大丈夫だとアピールするリーに向かって、同様のポーズを決めたナルトが病室を出ていった後の話。

 

 ──こ……これは……! 

 

 リーの傷を診る綱手の顔が曇る。

 

「……どうなんです?」

 

 無言の時間に耐えられなかったのだろう。リーの傍に控えるガイは強張った顔で綱手を促す。

 

「悪いことは言わない。お前、もう忍は辞めろ」

「!?」

 

 リーは動かない、いや、動けない。

 

「ハハハ、綱手様。そんなボケは要らないですよ」

 

 イヤイヤと首を何度も横に振るガイに、そして、動かないままのリーに向かって綱手は現実を突きつける。

 それは、医者としての責任。患者に正確な事実を伝えなければならない、双方にとって過酷な責任だ。

 

「重要な神経系の周辺に多数の骨破片が深く潜り込んでる。とても忍としての任務をこなしていけるような状態じゃない。例え、手術をしたとしても……」

「リー! こいつは綱手様の偽物だ! え~い! 変化の術で化けたんだなぁ~! この性悪め! お前は一体、何者だぁあ!」

 

 叫ぶガイを憐憫の感情で見つめる綱手の目。綱手にとって、ガイの気持ちは痛いほどに解っていた。

 医者としての今までの経験。そして、大事な人を目の前で失った経験。

 喪失はもう十分なほどに味わってきた。

 そして、ガイの教え子に対する愛と、その教え子に道を閉ざせと言われる感情も、十二分に理解していた。

 

 と、動かなかったリーが口を開いた。

 

「か……可能性はないのですか?」

 

 リーからの質問に綱手は真摯に答える。

 

「私以外には無理な手術の上、時間がかかり過ぎる。それに、大きなリスクを伴う」

「それは何ですか?」

「手術が成功する確率は多分、良くて50%。失敗すれば死ぬ……!」

「!!」

「もし成功したとしても……長いリハビリ生活になるだろう」

「では、お願いします」

「……リー?」

 

 綱手の答えに間髪入れずに、自らの答えを返したリー。ガイは呆けたように教え子の名前を呼ぶ。

 だが、綱手は世界でも有数の医者である。捨て鉢になる患者に多く出会ってきた。それを窘めることも医療に携わる者の責務である。

 

「少し、考える時間をやる」

「要りません」

「このまま手術をしなければ死ぬリスクはない。不便な生活になるが、命が危なくなる訳じゃない。そのことは理解しているのか?」

「はい」

「それでも手術を受けると言うのか?」

「はい」

「……何故か聞いてもいいか?」

「ボクの“夢”は……あの日、ガイ先生に誓った夢は……」

 

 リーは顔を上げる。その顔には一切の迷いはなかった。

 

「例え、忍術や幻術は使えなくても、“立派な忍者”に成れることを証明することです。そして、その時にガイ先生に教わったんです」

 

 リーを見つめるガイの表情は驚きに包まれていた。

 

「努力と自分の力を信じる大切さを」

 

 ──リーよ。こんなに大きくなって……。

 

「ボクの夢は……忍道は、ここで終わるなんて信じられません。ボクの夢は、忍道には、まだ先があることをボクは信じています。だから、手術は成功します。それに……」

 

「……ナルトくん。アナタはボクの憧れだった。だからこそ、ボクはアナタと闘い、アナタに勝ちたい。だから、中忍試験本戦まで上がって来てください。ボクがアナタを倒すための舞台はそこが相応しい」

 

「約束があります。守れなかった約束を次は守るために、ボクは忍であることを諦める訳にはいきません」

「……」

 

 覚悟を決め、決意を表明した若者の言を無視することができようか? いや、そのようなことはできない。

 綱手は笑い、そして、リーの肩に優しく手を置いた。

 

「なら、約束だ」

「リーよ」

「ガイ?」

「努力を続けてきたお前の手術は必ず成功する! きっとお前の未来を呼び寄せることをオレも信じる! だが、もし、もし一兆分の一、失敗するようなことがあったら、オレが一緒に死んでやる!」

「そうだな、私も賭けてやる。手術が成功する方にな」

「え? でも、綱手様って賭けに滅茶苦茶弱いんじゃ……」

「ガイ。お前は知らんだろうが、私が弱い賭けは金を賭けるものだけだ。命を賭けたギャンブルでは、負けたことがないんだよ、私は」

「綱手様……」

 

 ガイの肩を小突いた後、綱手は病室の扉に手をかけた。

 

「私に任せろ!」

「はい!」

「お願いします!」

 

 深々と頭を下げる二人の期待、いや、希望を背に綱手はこれからの治療について考えを纏めていく。

 手術を必ず成功させるために、少しのミスも許されない。

 それは医者としての矜持だ。

 

「フッ……火影は大変だな」

 

 そして、木ノ葉隠れの里のトップとしての矜持でもあった。

 

 +++

 

 一方、その頃。

 砂隠れの里に新設された、ある部屋では異音が響いていた。

 

「496……497……」

「ひゃ……ひゃく……くぅ!」

「テマリ! 頑張れ! まだまだイケる! ……498ぃ!」

「499……500……」

 

 呟かれる数字と共に、ガシャンガシャンと異音が立てられる。

 

「……カンクロウ」

「何だ?」

「何で、お前も頑張ってるんだよ。お前のレンジは中距離だろ?」

「我愛羅に負ける訳にはいかねーじゃん。兄として」

「我愛羅?」

「ん?」

「お前は何で、そんなに頑張ってるんだ?」

「……強くなりたいからだ。アイツ“ら”に負けないように、誇れるように。オレは強くなりたい」

 

 我愛羅とカンクロウは、今まで使っていたチェストプレスからレッグカールに移動する。

 そのままトレーニングを始めた弟たちを見て、テマリは溜め息を吐いた。

 

 ──どうして、こうなった? 

 

 遠く、木ノ葉で一人の物書きがくしゃみをしたが、それを知るものは本人以外、誰もいなかった。

 



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闘いの始まり

 月が陰る。

 細い月光が頼りなく照らすのは、ある少年の部屋だ。

 

「……」

 

 部屋の主である少年、うちはサスケは窓の傍に佇んでいた。

 その瞳が写すのは、写真立てに入れられた一枚の写真。自分が左端に、その隣にはサクラが。そして、右端には膝を曲げ、頭の位置を自分と同じ高さにしたナルト。後ろにはカカシが笑顔で写っている。

 

 第七班として、初めての任務に赴く前に撮った写真だ。

 あれから。あれから……。

 

 思えば、回り道をしたものだとサスケは心の中で呟く。

 これまでの時間はモラトリアム。自らを見つめ直すための時間だった。

 その時間で得た答え。それは、別離。

 今日からは、いや、今からは復讐のために生きなければならない。

 

 ──だからこそ、さよならなんだ。

 

 その心の声は外に出されることはない。行動によって示される。

 

 サスケの手が伸び、写真立てを倒す。

 

 最後に写真立てを一瞥したサスケは振り替えることなく、部屋を後にした。

 

 月が一人、里を歩くサスケを照らす。

 通り過ぎる道で思い起こされてしまうのは、第七班として受けた任務の記憶だった。

 その当時は下らないと感じていた任務の数々。猫探しや建築現場の資材運搬。強敵との闘いもなく、自らの力を示すことができる訳でもない。

 

 それが今となっては愛おしい。

 

 だが、振り返ってはならないことをサスケは理解していた。

 もし、この暖かい記憶に囚われてしまえば、自分の足は動かなくなる。だからこそ、サスケは足を止めない。歩き続ける。

 

 しかしながら、その暖かい記憶が、どうしようもなくサスケの視線を下に向けていた。

 

「サスケくん」

 

 だから、彼女の気配に気づくことができなかった。

 

 サスケはゆっくりと視線を上に上げる。

 

「サクラか」

「……」

「夜中に……こんな所で、何、うろついてる?」

「今日の……サスケくんの様子がいつもと違ってたから……」

「帰って寝てろ」

 

 冷たく言い放つ。突き放す。

 

 そうでなくてはならない。これは自分だけの復讐の道。友を、大切な人を巻き込むことはできない。

 サスケは再び視線を下に向け、サクラの横を通り過ぎる。

 

「どうして、何も言ってくれないの?」

「余計なお世話だって言ってんだよ。もうオレに構うな」

「……あの日」

「……」

 

 サスケの足が止まった。

 

「あの日から始まったよね。サスケくんと私、それにナルトとカカシ先生。四人でいろんな任務やって……苦しかったし、いろいろ大変だったけど……でも、やっぱり何より……」

「……」

「楽しかった」

 

 サクラの独白は続く。それをサスケは止めない。

 

「サスケくんの一族のことは知ってる。でも復讐だけなんて……誰も幸せになんてなれない。サスケくんも……私も」

「やっぱりな」

「……」

 

 サスケはサクラに背を向けたまま言葉を紡ぐ。

 

「オレはお前たちとは違う。お前たちとは相容れない道にいる。四人でやってきた。確かに、それを自分の道と思おうとしたこともある。四人でやってきたが、オレの心は結局、復讐を決めた。オレはその為に生きてきた」

 

 サクラからは見えないサスケの顔。その顔は引き締まり、暗い決意に彩られていた。

 

「オレはお前やナルトの様にはなれない」

「……またサスケくんは自ら孤独になるの? 私には家族も友達もいる! だけど! だけど、サスケくんがいなくなったら……私には、私にとっては孤独と同じ」

 

 対して、サクラの顔は悲しみに彩られていた。サクラの頬を伝う涙。見なくてもサスケは、それを感じることができていた。愛情深い、うちは一族なのだから、今のサクラの心も痛いほどにサスケには理解できていた。

 

「また……ここから、それぞれ新しい道が始まるだけだ」

 

 だが、サスケはサクラを突き放す。

 

「私は! 私はサスケくんが好きで好きでたまらない! サスケくんが私と一緒にいてくれれば絶対、後悔させない! 毎日、楽しくするし、絶対、幸せになるはずだから! 私、サスケくんの為なら何だってする! だから……お願いだからここに居て!」

「……」

「復讐だって手伝う! 絶対、私が何とかしてみせるから……だから、ここに……私と一緒に……」

「サクラ……」

「!」

 

 嗚咽を漏らすサクラへとサスケは振り返った。

 

「お前もウスラトンカチだな」

「……」

 

 サスケの言葉はそれだけ。それだけ残し、サスケは踵を返す。

 サクラの言葉は届かない。サスケの隣に並べない。

 

「行かないで! 行くなら、私、アナタを殴ってでも止める!」

 

 自分の気持ちを言葉にして、サクラの気持ちは固まった。サスケが闇へと進もうというのならば、全力で止めなくてはならない。そのためには、涙は不要。

 手の甲で涙を拭い、目を開いたサクラ。その視線の先には誰もいなかった。

 

「サクラ」

「!」

 

 想い人の姿は前ではなく、後ろにあった。

 呼び掛けられた、自分の名前。それが、とても優しく、愛に満ちた声色で……サクラは動くことができない。

 

「ありがとう」

 

 トンッと優しい衝撃がサクラの首筋に奔る。

 

 ──サスケくん。

 

 遠ざかる意識の中、想い人の名を口にし。そして、サクラの意識は途切れた。

 

「……」

 

 サクラの体を優しく受け止めたサスケは近くのベンチへとサクラの体を運ぶ。

 

「……」

 

 ベンチにサクラを横たえ、サスケは大切な人の顔を見つめる。サクラの顔には涙の河が幾筋も流れていた。

 親指でサクラの涙を拭ったサスケは、もう振り返ることはなかった。

 

 一人、闇の中へと進むサスケの目的地は里の外。

 木ノ葉の里は卵の殻のように、自分を閉じ込めていた。殻から出た後は、空にいくのが自然だと考えたサスケは里を囲む壁の上に向かう。

 

「お待ちしておりました、サスケ様」

 

 サスケが壁の頂上に到着したと同時に、前から声がした。

 

「……どういう風の吹き回しだ?」

「里を抜けられた時をもって、アナタは私どもの頭になることに決まっておりました。今までの御無礼をお許しください」

 

 そこにいたのは、音の四人衆。

 先に会った時とは違い、丁寧な言葉遣いと態度を取っている。

 

「フン。そんなこと、どうだっていい。行くぞ……」

 

 だが、そのような些事には興味を持てない。

 

「……始まりだ」

 

 今のサスケが興味を覚えることは唯一つだけ。

 “力”だけなのだから。

 

 +++

 

 月は落ち、日は昇る。

 今日も変わらぬ朝日が木ノ葉の里を照らす。

 

「あ~、もう朝の四時だぜ」

 

 疲れた顔で大量の書類を運ぶ二人の中忍の姿があった。

 中忍試験の際、試験官として手腕を振るっていたコテツとイズモの姿だ。

 

「五代目も人使いが荒い」

「そういうな。就任してから、まだ日が浅い。一番、忙しい時期なんだろ」

「イズモ。そうは言ってもな……ん?」

 

 と、腕に抱えている書類の上から行き先を確認していたコテツの足が止まる。

 

「どした?」

 

 イズモが尋ねるが、それに答えるよりも早くコテツは口を開いていた。

 

「おい、起きろ! こんなとこで寝てっと風邪ひくぞ」

 

 コテツの視線の先にあるのはベンチに横たえられた少女の姿。

 ピクリと少女の瞼が動いたかと思うと、少女は弾かれたように身を起こした。

 

「サスケくん!」

 

 意識を取り戻した少女──サクラ──のただならぬ様子にコテツとイズモの表情が険しくなる。

 そして、経緯をサクラから聞いた二人はすぐさま、火影執務室、つまり五代目火影の元に向かって駆け出した。

 

 彼らは中忍。忍としての実力には確かなものがある。

 そして、その走力はサクラが横たえられていたベンチのある里の外れから、短い時間で里の中央まで駆けつけることができるほどのもの。

 

「五代目様!」

 

 バンッと扉を勢いよく開けながら二人は火影執務室へと雪崩れ込む。

 

「朝から騒々しい!」

 

 五代目火影──綱手──は調べものをしていた手を止め、二人に怒鳴り付けながら顔を上げる。

 そもそも、夜を徹して調べものをしていた綱手だ。リーの治療について1%でも成功確率を上げるため、医学書を読み漁っていた綱手には疲労が溜まっていた。

 朝っぱらから荒っぽく扉を開けられたら、生来、喧嘩っ早い綱手の機嫌が悪くなるのは自明の理。

 

「火影様! 厄介なことが……」

「……なんだ?」

 

 しかし、イズモとコテツの顔を見た綱手は、すぐさま顔を引き締める。

 

 二人の様子から良くないことが起きたのは明白だった。

 

「それが……」

 

 二人は事の顛末を説明する。

 サクラが道端で横たわっていたこと。サクラがサスケの里抜けを止めようとしたこと。そして、彼女の必死の呼び掛けも届かず、サスケが里を抜けてしまったこと。

 そして、サスケが里を抜けた理由、力を求めての行為だということも。

 

 しかしながら、それだけではイズモとコテツは書類を放り出して動くことはない。

 

 同時にサクラは伝えていたのだ。自らの頭脳によって導き出してしまった最悪の推察を。

 そして、その推察はイズモとコテツに危機感を覚えさせ、一刻も早く火影に報告しなければならないと思わせる結果になった。

 

 サクラの推察。

 それは、里を抜けたサスケが大蛇丸の元へ向かおうとしているのではないかということ。

 

 材料はあった。

 一つ。イタチに負けた直後、修行や筋トレなどの自身の力を高めることもせずに復讐に向かうほどサスケは愚かではないこと。

 一つ。里外にいる実力者でサスケと面識があるのは大蛇丸であるということ。

 そして、最後のピース。

 

 ──やっぱり、私は君が欲しい。

 

 大蛇丸との邂逅。その別れ際に彼の放った言葉がサクラの耳に焼き付いていた。

 

 そこから推測したサクラは大蛇丸の手の者がサスケの里抜けを手引きしたのではないかと、イズモとコテツに上申していたのだ。

 

「……」

 

 二人の話を聞き、腕を組んだ綱手の脳裏に、先日見た大蛇丸の弱りきった姿が過る。

 

 ──欲しいのは“うちは”の能力か。あの変態ヤローが。

 

「イズモ、コテツ」

「ハッ!」

「呼んで来て欲しい奴がいる」

 

 +++

 

 ──なんつーか……オレ、場違いじゃねーか? 

 

 心の中で呟いたシカマルの額には、汗が一粒、浮かんでいた。

 

 玄関のチャイムが鳴るまでは、いつもと同じ日だと思っていた。

 

 大きな欠伸をして、それを母に怒られ、朝食を食べ、母のいない隙を突いて父に愚痴を溢し、父と共に術の修行をし、軽く昼食を摂り、そして、任務へと赴く。任務が終わった後は、いつもの仲間と軽く談笑。仲間と別れて自宅に戻り、夕食の準備。食事の準備がタラタラしていると母に怒られ、夕食を食べ、母のいない隙を突いて父に愚痴を溢し、ゆっくりと風呂に入りながら柔軟体操をし、体を拭き、寝巻きに着替える。布団を敷き、詰将棋の本を読み、そして、眠りに落ちる。

 

 下らなくとも大切な日常だ。

 もちろん、里が大変なことは理解している。だが、自分はこの間まで下忍。焦ったところで、できないことが急にできるようになる訳がない。

 里の上役も、そのことを理解しているハズだから、自分のライフスタイルを大きく変えなくてもいいだろう。もうしばらくは、このままで。

 シカマルはそう考えていた。

 

 だが、現実は違った。

 中忍の証しであるベストの裾を引っ張りながら落ち着きなく、目の前の綱手の言葉を待つ。

 

「昨夜遅くに、うちはサスケが里を抜けた。で、ほぼ間違いなく音の里に向かってる」

「抜けた!? どうして……!?」

 

 挨拶もそこそこに、綱手はサスケのことについて話を始めた。

 

「あの大蛇丸に誘われちゃってるからだよ!」

「ちょ……ちょ……ちょい待ってくださいよ! 何で、あんなヤバイ奴にサスケが誘われなきゃいけないんスか!?」

「そんな理由はどうでもいい。とにかく時間が惜しい。とりあえず、シカマル。これから中忍として、初任務をやってもらう」

「サスケを連れ戻す……ですか?」

 

 知り合いが里を抜けたと聞いて、シカマルの頭脳が急速に回り出す。

 到底、放っておける問題ではない。これから自分はどう動くべきか考えるために情報が欲しい。そのためにも、綱手の言葉を聞き漏らす訳にはいかない。

 シカマルは続く綱手の言葉に耳を澄ませる。

 

「ああ。ただし、この任務は急を要する上に、厄介なことになる可能性が高い」

「厄介なこと?」

「この手の話ははじめてじゃなく前例があってな。前例と同じ手口なら、大蛇丸の手の者がサスケを手引きしている可能性が高い」

「……」

 

 ──しっかし、アイツがなぁ。同期の中で何かにつけてスゲー奴だと思って、一目置いてたのによォ……。

 

「五代目様。この任務、四人小隊(フォーマンセル)の人員構成は上忍と中忍だけにしてください。オレには荷が重いっス」

「それはできないんだよ」

「な、なんで!?」

「今、ほとんどの上忍たちは必要最低限の人数だけ残して、皆、任務で里外に出てる」

「……」

「これより30分以内に、お前が優秀だと思う下忍を集めてサスケを追え」

「……うす」

 

 任務成功率は上忍、中忍の混成部隊に比べると劣るであろうことは理解していた。だが、打てる手が少ないのも事実。五代目火影としても、苦渋の決断なのだろう。

 

 そう考えたシカマルは踵を返し、火影執務室を後にしようとした。

 

「シカマル」

「ん? まだ何か?」

「一人、私の推薦したい奴がいるんだが……」

「ナルト……スか?」

「そう言えば……里に帰ってきた時、ナルトを供にしていたところを、お前に見られていたな」

 

 シカマルの答えに得心がいった綱手は大きく頷く。

 

「ああ。私はナルトを推薦する。奴は強いぞ」

「ええ。十分、理解しているつもりです。それに、オレも元々、ナルトの奴を誘うつもりでしたから」

「そうなのか?」

「はい。サスケが大蛇丸の誘いに乗って、自分の意思で里を抜けてた場合、説得できるのはナルトとサクラぐらいしかいねーとオレは考えてます。なんで、この二人は元々、小隊に誘うつもりでした」

「あー、それなんだが……」

「……もしかして、サスケが里を抜ける前に、アイツの説得に失敗したんスか? サクラが?」

「ああ。サスケが里を抜けたという情報はサクラからだ」

「なら、サクラは連れていけねーッスね」

「他に当てはあるのか?」

「ええ。めんどくせーほど……」

 

 軽く笑ったシカマルは扉を開いた。

 

「熱い奴らが、ね」

 

 +++

 

 シカマルはナルトの自宅の前で佇む。

 しばし、考えを巡らせた後、シミュレーションを行い、大丈夫だと自分に言い聞かせたシカマルは、十字の印を切った。

 

「親父に習ってて良かったな。影分身の術!」

 

 二人に増えたシカマルはアイコンタクトを交わし、チャイムを鳴らした。

 

「待たせた」

 

 すぐに開かれた扉。

 扉からナルトの顔が覗いた瞬間、二人に増えたシカマルは同時に動く。

 

「影真似の術!」

「一糸灯陣!」

「む!?」

 

 シカマル得意の影真似の術。そして、対象の動きを止める基礎的な封印術である一糸灯陣。

 どちらも対象を拘束するための術だ。

 

「ナルト、落ち着いて聞いてくれ」

「己を術に掛けねばならぬほど火急の事だな。承知した」

「サスケが里を抜けた」

「サスケェエエエエエエエ!」

 

 間髪入れずに暴れるナルト。シカマルの二重の策でも、引きちぎれそうになっていた。驚くべきは封印術をかけられてなお、影真似の術を破りかけたナルトの筋肉であろう。

 シカマルは影真似の術にチャクラを更に込める。

 余談ではあるが、影真似の術は、術の発動中、チャクラを影に流し入れることで効果が強くなる。想定よりも対象の膂力があり、術を破られそうになった場合でも、立て直すことが可能だ。

 

「グゥッ! テメェ! 落ち着いて聞けっつったろ!」

「しかし! これは! 落ち着くなど! 無理だ! サスケェエエエ! サァアスケェエエエ!」

「今からサスケを連れ戻しにいくぞ!」

「む!?」

 

 シカマルの言葉がナルトの動きを止めた。続けざまにシカマルは言葉を紡ぐ。

 

「で、そのために小隊員を集めにいく! だから、着替えて来い! その緑の全身タイツ、寝巻きだろーが!」

「承知!」

 

 返事を返したナルトに頷きながら、シカマルは術を解いた。そして、彼の影分身も同じように一糸灯陣を解き、その姿を煙に変えた。

 

「ふぅー」

 

 シカマルは少し体を動かし調子を確かめる。

 ナルトがシカマルの術に掛かりながらも無理矢理、動いたために、影真似の術の術者であるシカマルも同じ動きを強制された。急な動きを強制されたことで、どこか痛めたかもしれないと考えたシカマルだが、どうやら杞憂だったようだ。

 体調は残存チャクラ量を除き、万全だとシカマルは結論づけた。

 

「待たせたな、シカマル」

「おう」

 

 そうこうしている内に準備を整えたナルトが出てきた。

 

「おし、次はチョウジだ」

「承知!」

 

 一路、チョウジの家に向かう二人。ナルトとシカマルの呼び声で、すぐに玄関から出てきたチョウジは、ポテトチップスを頬張りながら、黙ってシカマルの説明を聞く。

 

「んじゃ、頼んだぜ、チョウジ。すぐ支度して10分後に正門で待っててくれ」

「わかった」

「おし、ナルト。オレたちはシノのとこに向かうぞ」

「シノは今、親父さんと一緒に特別任務でいねーぜ」

「ワンワン!」

 

 ナルトとシカマル、そして、チョウジへと声が掛けられた。

 

「キバ!」

 

 ナルトが声の主の名を呼ぶ。

 そこにいたのは、彼らの同期の一人、犬塚キバだった。

 

「オレより先にシノを誘うって、どーいうことだよ、お二人さん?」

「お前、朝は赤丸の散歩の時間だろ? どこにいるか分からねーやつから誘うのは非効率ってだけの話だ。で、キバ。お前もオレたちと任務を受けてくれるか?」

「やっぱ早起きして散歩してみるもんだな。……いいぜ、オレと赤丸の力、貸してやるよ」

「キバ、感謝する!」

「おう!」

 

 ナルトとキバは握手を交わす。

 

「お話は聞きました。お困りのようですね」

 

 また後ろから声が掛けられた。

 

「リー!」

 

 そこに居たのはリー。体力作りのためのウォーキングで通り掛かったリーは頷き、言葉を続ける。

 

「ボクにも一人、心当たりがいますよ。それも、飛びっきり強くなった人が」

 

 +++

 

 そうして、戦士は集まる。

 

「タイムリミットだ。とりあえず、五人は揃ったな」

 

 チョウジ、キバ、ナルト、シカマル、そして、ネジ。

 リーの心当たりは同班のネジだった。

 

 並ぶ五人の姿を見て、リーは視線を落とす。

 

 ──くっ……こんな時にボクは……。

 

 ネジが普段いる演習場へとナルトたちを案内しながら、リーはどのような任務を彼らが受けたのかシカマルから説明を受けた。

 それ故に、リーは悔しい想いをしている。中忍試験で競い合いたかったサスケ。

 次に闘うことができる機会をリーは心待ちにしていた。自身の手術が成功してからの話ではあるが。

 それが、このような形で立ち消えになるのは嫌だった。そして、ナルトたちと共にサスケを説得する場に辿り着くことすらできないのは、残念で仕方なかった。

 

「リー」

「ネジ?」

「お前は、お前のやるべき事をやれ」

 

 いつもと変わらない口調のネジ。しかし、その視線はリーの心を貫いていた。

 

 ──信じている。

 

 言葉にせずとも、ネジの心はリーに伝わっていた。

 

 ネジは何を信じているのか? 

 それは、リーの手術が成功すること。

 

 ──ボクもキミを信じています。

 

 言葉にせずとも、リーの心はネジに伝わった。

 

 リーは何を信じているのか? 

 それは、ネジたちがサスケを里に連れ戻すことができるということ。

 

 それで十分だというように頷き合った二人はシカマルに視線を遣る。

 

「じゃあ……」

 

 二人の視線を受け、シカマルは小隊の面々に真剣な顔つきを見せる。

 

「サスケ奪還作戦、開始だ」



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