竜(龍)蛇の王は、ヒーローの夢を見る (名無しの百号)
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プロローグ ~かくして少年は神を殺す~

カンピオーネ!の二次創作を書かれている先輩方に比べれば拙作も良い所でしょうが、「楽しんで貰えたらないいな」と思ってる次第であります。
ちなみに主人公のイメージとしては、某携帯するモンスターにおける四倍弱点持ちだと思って下さい。判断を間違えると一気にゴリっと削られます。


 

 

 

 思えば遠くに来たもんだ。

 

 

 それが皆藤雄治(かいどうゆうじ)が十八歳の時、東京の羽田空港を出た際に胸中に到来した感想だった。

 手には東京で生活する為の当面の資金と数日分の着替え、そして携帯ゲームの入ったバッグのみ。

 地図を睨みながら体格の良い少年は目的地へと歩き始める。

 服装は黒いズボンに灰色のタートルネックのインナー、そして暗い藍色のダウンジャケット。

 更にその人相は、どんなに比較的に評しても気が弱そうには見えない暴力を生業にしていそうな少々取っ付き難いものだった。

 そんな男が眉根を寄せて渋い顔で地図を睨んでいるのだ。

 周囲の人々はそんな彼と視線を合わせないように眼を背けていく。

 こっちでも同じか、と二十代後半に見える外見をした少年は、遣る瀬無い溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 この皆藤雄治という男は、九州の田舎町の生まれであった。

 地元の町を歩けば不良少年たちが眼を逸らしたりガンをつけたりと様々に反応するのが、彼の日常におけるいつもの光景だった。

 良くも悪くも彼は地元の不良少年たちからは有名だったのだ。

 そんな彼はその年、地元の高校をやや危うげな成績ではあるものの無事卒業する。

 元々そこまで頭が悪くはないのだが、この少年は勉強するべき時間を別の時間に使っていた。

 切っ掛けは小学生の時、父が買ってきてくれた週間で発売される漫画雑誌だった。

 それからこの男は所謂アニメや漫画といったサブカルチャーに興味を持ち始めた。

 だがそれらには酷く金掛かるのだ。だから彼は空いた時間の殆どをアルバイトに費やしていた。

 親より貰う小遣いにも限度はあるし、下には自分よりも出来た弟や妹もいる。雄治は金を稼ぐためにバイトに明け暮れていたのだ。

 元より趣味に使う金だ。決して裕福とは言えない中流家庭の長男としては、家計を圧迫するような頼み事は憚られた。優れた資質を持った弟や妹へのせめてもの見栄もあり、雄治は両親に甘える事なくバイトを続けたのだった。

 オタク趣味に目覚めた小学生の時分は両親に玩具や漫画、ゲームをねだっていたが、中学に入ると新聞配達のアルバイトを始め、高校に進学すると友人との遊ぶ以外の殆どの時間をアルバイトに当てた。睡眠時間も削り、目の下の隈は消えた日の方が少なかった。

 授業中の居眠りやテストの成績のせいで進級も危なかったが、その分この男は無遅刻無欠席を貫く事と学校行事に真面目に取り組む事でなんとか卒業に漕ぎ着けたのだ。

 さて、そんな雄治には些か看過出来ないコンプレックスがあった。

 両親とは似ても似つかない肉体労働のアルバイトによって育った百八十センチを越えてもまだ成長する長身に睡眠不足によって形成された鋭い眼付きと眉間の皺。現在肉体労働系のアルバイトで鍛えられた筋肉込みで体重は九十キロ近くあり、身長は百九十の大台を突破した。こうまで来ると本当に日本人かと自分でも確証が持てなくて困る。

 スポーツ経験者や何かしらの武術をかじっているようにも見える大柄なその肉体は、ともすれば格好付けたい同世代の少年たちからは様々な意味合いで注目されていた。

 ある時は舎弟にしてくれと後輩に土下座されたり。

 ある時は運動系の部活や暴走族チームに入れと先輩に命令されたり。

 ある時は知り合いに「良い就職先を紹介してやる」とヤで始まる事務所を紹介されたり。

 酷い時には二十人くらいに取り囲まれた事もあった。

 そんな状況になっても、彼はそれらの要請を拒否した。

 言葉だけで納得した者は少なく、その度に喧嘩する事になってしまうが、後悔は無かった。

 そんな事をするくらいなら新作アニメを観賞する時間を一分一秒でも欲しかったのだから。

 だから、腕尽くでどうにかしようとする連中を叩きののめしてきたのだ。

 そんな暇があるのなら買い溜めた漫画やライトノベルを一頁でもいいから読みたかったから。

 だから、親に面倒は掛けられないと紹介してくれた人に頭を下げて断った。

 そんな所に就職してしまえば、ゲームをする時間が無くなるだろうから。

 だから彼は、「東京で一花咲かせてくる」と周囲に嘘を吐き家を出た。

 両親は寂しくなると言いながらも東京で一人暮らしをしようとする息子の成長を喜んでくれた。不良だなんだと言われても、腐らずに勉学やアルバイトに明け暮れた雄治を二人は知っていたからだ。

 弟は、一言「そうなんだ」とだけしか言わなかった。

 不良としか思っていなかった兄の事など彼としてはどうでも良かったのだ。。

 妹は、怒りの眼差しで兄を見た。

 彼女は不良と呼ばれる兄がする事の全てが気に入らなかったのだ。

 しかし、そんな二人は知らない。

 いくら趣味に没頭する為のアルバイトだったとしても、決して裕福な家庭ではなかったのだ。両親には優しい兄が手を貸さない筈がないではないか。

 二人が我が家の家計の一端を自分たちが毛嫌いしていた兄が担っていたと知るのは、彼が東京へ出立してから後の事だった。そのせいで二人は、兄を余計に毛嫌いするようになってしまう。

 遊ぶ金欲しさのバイトに違いないにしても、家計を助ける為に家に金を入れていたのは事実なのだ。何も知らずに好き勝手に兄を馬鹿にしてきた自分たちが余計に惨めに思えてしまった。逆恨みだと判ってはいたが、こればかりはどうしようもなかった。

 国立大を目指せる学力や部活で全国大会を狙える身体能力を持つ二人は、進学塾や部活のせいで出費が多い。

 いくら両親が「心配しなくていい」と言っていたからといって、額面通りに受け止めてはいけなかった。

 だが、二人は家計の事など顧みる事無く自分のやりたい事に邁進してきた。今更思い出したように気にするのは余りにも格好が悪い。

 来年再来年になれば受験だ。兄のようにアルバイトをして家計を助けていれば、受験に受かるのは厳しいだろう。

 それが判っていたから兄は黙って東京に向かったのだ。

 雄治は、気に入っている自分の私物は全て宅配便で東京で住む事になった安アパートに送ったらしい。

 つまりあの部屋に今置いてあるのは要らないモノで、それらの処分を兄は両親に頼んでいたとも聞いた。

 それを知った弟と妹は、何故か兄がもう二度とこの家に帰ってこないような気がしたのだった。

 

 

 

 

 

 

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 さて、そんな雄治だが、彼はある通りを歩いてると、前方からなんとも「いかにも」な青年たちが歩いてくるのが見て取れた。

 普段なら自分の外見から判断すれば絡まれるのはほぼ必然だと判ったのだが、初めての場所に独りで行動している事で動揺してしまい、彼は通り過ぎる際に肩がぶつかってしまう。

 そこからはまさに流れるようだったと言えるだろう。

 一気に取り囲まれた彼はいきり立つ青年たちに弁明しようとしたのだが、それがいけなかった。

 舐めている、そう感じた青年たちは即座にキレた。背後から一人が忍び寄り、持っていた缶ジュースで雄治の頭を殴打したのだ。

 眼から火花が飛び散る雄治。

 いくら喧嘩にはある程度慣れているとはいえ、しかしそれは自衛手段でしかなく、不意討ちには弱かった。

 膝を突く雄治に、不良たちは容赦無く暴力を振るっていく。

 勿論雄治はただ黙ってやられず反撃しようとした。

 だが――数分後、

「……――ああ……っ」

 地面にはボロボロに殴られ蹴られた雄治が転がっていた。

「いっ……たぁ……」

 上半身を起こすと、鈍い痛みが全身を襲う。

 額が濡れているようなので触ってみると指に血が着いていた。どうやら切れてしまったらしい。

 ふと視線をバッグに向けると、バッグの中身は荒らされ、財布の中から金が小銭まで盗まれているのが判った。

 それだけではない。

 携帯ゲームは壊され、着替えも全て刃物でビリビリに破られている。

 通帳だけは無事な姿でバッグのポケットに入っていた。どうやら盗まれても破られてもいないようだ。

「………………ふぅ……」

 大きく溜息を吐く。

 落ち着け。

 彼はそう自分に言い聞かせる。

 ここで大声で喚いたところで金や服、ゲームが返ってくるワケじゃない。

 だが、それでも。

 そう思ってしまうのは自分がまだガキだという証なのだろうか。

 何度も深呼吸を繰り返す。

 自分の内側に渦巻くこの理不尽な出来事への怒りを抑えるのはとても骨が折れた。

 物理的に骨が折れているかもしれないのに、骨が折れるとはこれ如何に――なんてしょうもない洒落すら思い浮かんでしまう。

 馬鹿なことを考えてしまう自分に笑いが込み上げてくる。

 震える身体。

 いくら不意討ちとはいえ十人程度の不良に負けた不甲斐無い自分。

 笑ってしまいそうになる。

 中学高校時代、十人くらいに取り囲まれる事には慣れていたし対処も簡単にこなせる――と思っていたが、環境が変われば人間無理をする事は難しいようだ。

 元々、彼は不良のような外見をしているが、決して不良ではない。

 ただ喧嘩を売られたから、降り掛かる火の粉を払う為に喧嘩していたに過ぎなかった。

 だから本人としては喧嘩はそこまで好きなモノではない。

 しかし、ある人種にはそれが有効なのも、痛い程雄治は解っていた。

 嫌な思い出ばかりが思い出せる学生時代だったが、殴らないと解らないような馬鹿もいると実体験で理解出来たのは良かった。

 雄治は低く喉の奥を鳴らして笑う。

 そこには自嘲の色が見えた。

 不良じゃない等と嘯いていながら、思考がそっち寄りになってしまっている。

 何故逃げようと思わなかった?

 土地勘が無いから?

 早く目的地のアパートに着きたかったから?

 いいや違う。

 殴ってしまう方が早い。

 そう考えたからだ。

 そんな自分に気付いた雄治は愕然となった。

 だから、手が出せなかった。

 その上、自分の中にある下らない男の矜持が、逃げるという選択肢を省いた。

 故に雄治はただ殴られ、金を奪われ、服を破かれ、ゲームを壊された。

 『不良』と呼ばれたくはない。だからといって自分基準の格好悪いこともしたくない。

 こんなチンピラ風情に逃げるという選択肢は、中学高校で気合いの入った不良共と喧嘩することが多かった雄治にとって格好悪かった。

 だから雄治は逃げなかった。だから雄治は、自分の矜持を護る為に、大好きなゲームと金や服を失ったのだ。

 しかし振り返ってみれば滑稽だった。

 自分は何の為にこんな知り合いのいない大都会へと九州の田舎町から出てきたというのか。

 不良共とは眼を合わせないように静かに生活し、自分のオタク趣味を満喫しながら真っ当に生きると決めていたのに。

 それなのに、ちょっと不良に絡まれただけで暴力に走ろうとする自分が情けなかった。これでは弟たちの言う通り、自分は生まれながらの不良のようではないか。

 ゆっくりと、地面に寝転ぶ。

 もう服は砂や砂利、靴跡等で汚れているのだ。

 誰に声を掛けられようと知ったことか。

 そんな自暴自棄な気持ちのままに、雄治は大の字になって晴れ渡る三月の青空を見上げた。殴られ蹴られ熱を持った身体を三月の冷たい風が冷やしていく。

「……あーあ…………くそっ」

 洩れてしまう自分への悪態。

 ネガティブな方向に向いてしまう思考をなんとか元に戻そうと自分の心と悪戦苦闘していたから、彼は気付かなかった。

 いつの間にか、背中に感じるのは柔らかな草の感触であり、硬いアスファルトではない――ということに。

 

 

 

 そして――彼は"それ"に遭ってしまう。

 

 

 

 

 

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「……どこだ、ここ?」

 周囲がコンクリートジャングルと揶揄される東京では珍しい濃密な緑の匂い。そして空気が澄んでいるようにも感じる。

 それに気付いた雄治は身体を地面から起こす。

 眼に映る"それ"は、地元でも余り見られなくなった人の手の入っていない無秩序な緑の森と山だった。

 その全てに雄治は感じた。言い様の無い恐怖を。

 

 

 なんだ"ここ"は――!?

 

 

 気付けたのは偶然と言えるだろう。だが気付いてしまった。

 気付かなければ、死ぬ瞬間まで心穏やかにいられただろうに。

 木漏れ日はある。

 水の流れる音や葉の揺れる音も聴こえる。

 だが、嗚呼、だが。

 

 

 

 生き物の"声"が聴こえない。

 

 

 

 致命的だった。

 こんなにも濃密な森なのに、まるで相反するように生き物の生きる音が聴こえないのだ。鳥も獣も、一切。聴こえてくるのは枝葉が触れる音や川の流れるせせらぎのみ。

 以前、鹿児島の屋久島へ家族と旅行に行った時に感じた生き物の"生きる声"。それが"ここ"からは感じられない。

 いや、違う。ある。感じる。

 だがしかし、これは――

 

 

 

『ほう』

 

 

 

 声が響く。

 その一言で解ってしまう。

 この山と森の支配者だと。コイツがいるから、他の生き物はいないのだ、と。

「――――っ!?」

 雄治は肌が粟立った。こんな気配を持った存在など、今まで見た事がない。

 息を呑み、歯がカチカチと音を鳴らせた。

(なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ――――っ!?)

 そして、森の奥から――恐怖の源が、来た。

『人の気配を感じて来てみれば……迷い込んだか。(わっぱ)

 視線の先に、蛇がいた。周囲の森の緑よりも濃い碧の鱗に覆われた人など簡単に飲み込めそうな大蛇が。

 巨大な蛇が、小さな蛇を無数に引き連れてこちらを見ているではないか。

 額から前方に伸びた剣のような角が印象的な大蛇は、人の言葉を喋っていた。

幽世(かくりよ)に隠遁し数百年が経ったが、こうして人が我が領域に入り込むなど、なんと稀な事か』

 くつくつと喉を鳴らしまるで人間のように嗤う蛇。

 だが、そこに隠しようも無い怒りと憎しみを、雄治は感じる事が出来た。出来てしまった。

『童、貴様自身に怨みは無いが、貴様は憎き天津神に組みせし裏切り者共の末裔。まつろわされた我が民の怨みの幾許か、その身の死を以って晴らすとしよう』

 そう言うと、大蛇はゆっくりとこちらに近付いてくる。

 逃げられない。

 そんな事を赦すような蛇に見えるか?

 

 

 

 なら、どうする?

 

 

 

(どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうす――――………………待て、アイツは今、何て言った?)

 不意に思考が止まる。

 先程の言葉を思い返す。

 俺に怨みは無い。

 ただ先祖がコイツに何かロクでもないことをした。

 だから俺を殺して気を晴らしたい。

 そう、この角付きの蛇は言った。

「角付き? どこの大佐専用機だ。ああ、緑だから指揮官用か」

 ボソリと零れた言葉。

『なんだ童? 命乞いか?』

 ギリィッ、と歯を軋らせる音が鳴った。

 

 

 

「…………ふっっっっっっっざ、けんな………………!!」

 

 

 

 ブルブルと震える程に握り締められた拳。

 こんなちっぽけな拳で何が出来る。さっさと逃げ出した方が身の為だろう。

 そう冷静な自分が心中で絶望しているのが感じられる。

 だが、嗚呼、だが。

 自分の心が吼えている。

 理不尽を強要するような存在を赦すな、と。

 どうやっても勝てない相手だろうと、気に入らないのならば立ち向かえ、と。

 人よりデカいその身体はその為にあるんだろう、と。

 言うまでも無く、これはある種の逃避行為だった。

 不良に絡まれ自分が不良のような行動に出ようとして踏み止まり、気が付けばボコボコにされて所持金を失い、好きなゲームがハードごと壊された事によって、彼は中学高校時代から溜め込んでいたストレスが表に出ようとしていた。

 中学高校時代、こんな凶悪な外見のせいで舞い込んできた厄介事は数多い。喧嘩やオタク趣味に没頭する事でそれらは多少は解消出来ていたが、完全にそれが消化された事は無かった。

 喧嘩に勝っても、また次の喧嘩に繋がると判っていたし、幾ら好きな事に没頭しても――いや、没頭すればする程に暴力に満ちた自分の現実が最悪過ぎて泣きそうになった。

 二次元に逃避しなかったのではない。逃避したくてもそれが出来なかったのだ。

 人よりも高い背や頑強な身体は簡単に人を威圧するし、寝不足によって培われた凶悪な三白眼と眉間の皺は憧れた甘酸っぱい出逢いを遠ざけ馬鹿やヤンキーばかりを連れてくる。

 そんな現実を解っていたからこそ、オタク趣味に完全に没頭する事が難しかった。

 つまりこの男は、誰にも邪魔されずに心ゆくまで趣味に没頭出来る環境を望んでいたのだ。

 そして、それと相反するように蓄積されたストレスを解放出来る後腐れの無い相手も望んでいた。

 "ここ"がどこなのか判らない事も、こんな大蛇に襲われている現状も。

 全て御誂え向きだ。

 東京で絡まれた不良も、この蛇も、雄治としてはどちらもストレス解消の為の相手でしかなかった。

 不良は人数がいたから手を出せばまた地元での二の舞になったと咄嗟に判断したからこそ、手が出なかったのだ。

 だがこの蛇は違う。

 人ではないどころか、もっと強大な化物だ。

 まるで現代の英雄譚(ヒーローの物語)に出てくる敵キャラのようではないか。

 オタクであるが故に、彼は人よりもヒーローに憧れていた。

 古代の英雄ではなく、現代のヒーローに。

 鋼を駆る救世主たちにも。改造された悲劇の男たちにも。全身タイツの集団にも。果ては時代劇の仕事人にも。

 彼は憧れた。

 中でも人知れずに脅威と戦うヒーローが彼は好きだった。

 喝采を浴びようともせず、闇に隠れて戦う彼等に雄治は憧れていた。

 だからこそ嫌々ではあったが、不良と戦う事に躊躇いを憶えなかったのだ。

 子供染みた欲求。

 しかし誰もが大なり小なり抱える願望。

 その光景が目の前にあるのだ。

 人知れずに脅威と戦う戦士――という熱い展開が。

 だから、雄治は吼えた。その光景に自分の全てを乗せて。

 人に出せる限界以上の獣のような咆声。

 声に乗せるのは、抗いの感情。

 死んでしまうかもしれない現状への反抗。

 それを為さんとする大蛇への反抗。

 今までストレスを溜め込んできた自分への反抗。

 他にも自分を取り巻く全てのしがらみを思い返し、彼は反抗の声を上げた。

 

 

 

「おぉぉおおおおおおおおおオオオオオオ御於嗚雄ォ――――ッッ!!」

 

 

 

 目の前には人間など一呑みにしてしまえそうな大蛇。その角は剣のような形状で、貫かれても斬られても致命傷になるだろう。

 百人いれば九十九人――いや、ともすれば全員が死を考え恐怖し、逃げ出すことを考えるその威容。

 事実、その碧色をした大蛇は、人の身体を締め付け、骨を砕き、内蔵を潰し、圧殺する事も可能だろう。尾の一振りで人を殺すのでさえ簡単な筈だ。

 その蛇の口にある場違いなまでに乱立する牙は肉を容易く裂き骨を砕くだろう。剣そのものと呼べる角に至ってはそれ自体が凶器だ。

 それを認めても尚、雄治は立ち向かう。武器など無いのにも関わらず。

 今まで抑え込んで来た激情に身を任せたまま――

 

 

 

 

『――愚かだな、童』

 

 

 

 

 その胸に蛇の角が突き刺さった。

 ジュウ、と肉の焼ける音が雄治の胸から聴こえる。毒が、雄治の肉体を溶かしていく。

 淡々と蛇は言う。

 しかしその声には紛れも無い賞賛があった。

『我を殺そうと向かってきた人の子は、壬生連麿(みぶのむらじまろ)以来になるか。……その蛮勇、我個人としては好ましく思うぞ』

 それは、賞賛と離別の言葉。

 矮小な人の身で神に挑んだ愚か者への賛辞。

 ふと、蛇は気配を感じた。

 ここは自分の世界。やって来るモノは、同じ毒蛇の神として雌雄を決しようと戦っている「赤い蛇」だけの筈だが。その他の神は決して出入り出来ない筈だ。

 視線を向けるとそこには、髪を二つ結いにした十代半ばにしか見えないが、「女そのもの」と呼べる妖艶さとあどけなさを兼ね備えた蟲惑的で美しい異国の少女がいた。美しい金の髪を二つ結いにし、白い薄地のドレスを着た――まさに女神と形容するに相応しい。

『……む? (なれ)は、異国の女神か? 確か名は……"ぱんどら"だったか』

「ええ、そうですわ。始めまして「夜刀の神」さま」

 そう言って"ぱんどら"と呼ばれた少女の姿をした神は笑顔で一礼する。

 そんな彼女に夜刀の神は頷き、疑問を投げかける。

『うむ。しかし、汝は神殺しの生誕に立ち会う女神の筈。この者は蛮勇なれど力足りずに死んだ。――何故ここに来たのだ?』

 しかし少女は小首を傾げて、大蛇に問い掛けた。

「夜刀の神さま、誰が死んでいるんです?」

 その問いを聞いた直後に、額から鼻先に伸びた角に痛みが走った。

『――っ!? まさか……!!』

 視線を目前で貫かれている少年に向ける。

 見ればその少年は角に両手を這わせ、力を込めているではないか。

 

 

 

「油断すんなってヘビの神サマよぉ……」

 

 

 

 可笑しな事に、下手な神剣や妖刀よりも硬い筈の角にヒビが入っている。

『馬鹿な……!! 我が呪いと毒に侵されていながら、何故そこまでの力が出せる!?』

 人の子の分際で神の身を傷付ける。

 これだけでも快挙だ。

 しかもこの男は胸に風穴が空いているにも関わらず、それを為した。普通ならば百人、いや千人を越える人間が挑んだ所で神を殺せはしない。

 だが、この少年は既に全身に夜刀の神より直接"毒"と"呪い"を注ぎ込まれた。

 そして少年の中でそれらは彼を殺さんと瞬時に全身を侵す。それが今回は功を奏した。

 "毒"は肉体を蝕み、"呪い"は魂を蝕んだ。しかしそれは強力過ぎた。人どころか神を殺せる毒や呪いなのだ。過剰なそれらは過剰故に、少年に仮初めの"力"を与えてしまった。

 無論これは偶然である。確定された死は覆らない。

 だがそれでも、神を傷付ける程度には少年は強化されたのだ。死ぬその時まで。

 つまり目の前の神によって少年はドーピングを受けたようなものだ。だからこそ、それが解ったパンドラは歓喜の声を上げる。

「ほらやっぱり。あたしの眼に狂いはなかったわ。さあ、頑張りなさい皆藤雄治。新たな神殺しへと、カンピオーネへと昇るといいわ!!」

『させぬわぁ!!』

 二柱の神の声など今の雄治には聴こえない。

「……ある偉人が言った名言がある。「引かぬ・媚びぬ・省みぬ」って言葉だ。最後には納得がいかねぇが、前の二つにゃ大賛成だ……!!」

 口と胸より血を吐きながら、雄治は――その右腕を振り上げる。

 そしてヒビの入った角に、その拳が振り下ろされた。

 バキン、と硬質な何かが力任せに砕かれる音が響いた。

 

 

 

『ぐぅオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!??』

 

 

 

 苦悶の絶叫を上げる夜刀の神と呼ばれた蛇。

 角が折れた箇所から血が噴き出ている。

 絶叫する蛇。

 雄治は空中に投げ出されるも、諦めていなかった。このままでは地面に叩きつけられて死ぬかもしれないのに、だ。

 絶叫のままに暴れる蛇を見据える。

 このまま落ちていけば、蛇の頭に落下するだろう。

 ならば。

「……ぬ、ぐ…………ぁあっ!!」

 そして、彼は空中のでの僅かな浮遊感が終わり落下し始める前に、胸を貫く巨大な角を引き抜いた。毒のせいで身体は既にボロボロだったから何の抵抗もなく引き抜けた。

 穴は背中まで貫通し、向こうが見えた。

 だが、雄治はそんな事に思考を割かずに、蛇だけを見据える。

 角に触れていると毒のせいか、肌が焼け爛れてゆく。

 だがそんな事などお構い無しに、雄治はその切っ先を蛇の頭目掛けて落下するスピードのままに振り下ろした。

「食らえやぁッ!!」

 折られた角は、容易く蛇の鱗を貫いた。

 手応えは感じた。

 しかしそれでも蛇の絶叫は余計に酷くなるだけ。

 まだ、死なない。

 そんな蛇を見て、雄治は思い出した。

 漫画やアニメで聞いた台詞を。

 蛇を殺すには頭を潰せ、というやつだ。

 それがこの蛇を殺す今の自分に出来る唯一の手段だとどうしてか直感的に理解出来た雄治は、焼け爛れた右手を見遣る。

 小刻みに震えているが、もう一度殴るくらいは出来そうだ。

 それ以前に血が足りないのか、視界がボヤけ霞んできた。

(俺、死ぬのかなぁ。……でも、その前に)

 左手で角を掴む。そうしなければ暴れる蛇の上になど立っていられない。足の指が蛇の鱗にめり込み、身体を安定させる。

 半死半生どころか九分九厘死んでいる身だからこそ、ここまで後先考えずに戦えたのだ。

「死ぬ前に、せめて最後くらい、ヒーローみたいに馬鹿やってみたいじゃねぇか」

 その言葉と共に、雄治の身体から"毒"と"呪い"が吹き出た。身体や魂に収まりきらなくなったそれらは、更に雄治に力を与える。

 人に混じったそれらは夜刀の神に通じると理解した女神は、これから起こる一撃の結果を確信した。

 勿論それは受ける側の夜刀の神も同様だったのだろう。

 だから、夜刀の神は動きを止め――言った。

『――見せてみろ』

 その言葉を受けて、雄治の拳は放たれた。

 肉体の枷が取り払われた雄治にとって、これ以上無い最高の一撃だと言えるだろう。人の身、いやこの少年にとってこれ以上無い威力を秘めた拳は、しかしながら本来なら多少神に手傷を追わせる程度で終わっただろう。幾ら神の力にて強化されたにしても、受け皿が人間である以上発揮できる力に上限があるのは当然と言えた。

 しかし既に夜刀の神の頭部には角が折られ突き刺さっている。それを更に押し込むには充分過ぎる威力だと言えた。

 故に、この少年の拳は、夜刀の神の命に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

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 その一撃には何も無かった。

 達人の繰り出す技にあるような才能の煌きも、努力の果てに研磨された輝きも、極限まで無駄を削ぎ落とされた美しさも、何も無かった。

 それは人の拳。

 ただ我を通すだけの一撃。

 自分を貫く為に喧嘩に明け暮れ、周囲から最低の人間、酷い時は社会のクズとさえ呼ばれていた大馬鹿共が情熱を燃やしていた馬鹿騒ぎにて培われた己の拳。

 ああ、そうだ。コレは不良と呼ばれた自分が振るった拳だ。

 これには誇るような理想や夢は何も無い。日々修練を積んでいる格闘家たちの日々の結晶たる拳とは雲泥とさえ言えるだろう。

 だが、嗚呼、だが。

 そんな最低な人間の拳でも、神サマくらい倒せるのだ。人間、やってやれない事はない。

 最早、痛覚は感じない。

 脳が許容出来る痛みの範囲を超えたのだ。

 喉の奥からだけでなく、眼や耳や鼻からも血が零れ落ちているではないか。

 人間、いやこの少年に出せる全力を出した右腕の皮膚は破れ、肉は裂け、骨は砕けた。

 だがそれでも、勝ったのだ。

「ザマぁ、見やがれ……」

 地面に落下しながら雄治は笑う。

 振り抜いた雄治の右腕はひしゃげている。最早どんな名医であっても治療するのは不可能だろう。ただ肩に肉と骨の塊が繋がっているだけにしか感じられない。

 地面に激突した衝撃を感じるが、それだけだ。落下した際に右腕だけでなく全身の骨もバラバラになったようだ。

 これは、死ぬな……。

 嫌な話だが、その現実が冷静に理解出来た。それなのに泣きも喚きも出来ないのはどうしてだろうか。

 いや、違う。ただ泣く事も喚く事も、死の恐怖に怯える事も、疲れ過ぎて出来ないのだ。

 ゆっくりと瞼が落ちる。

 だが次の瞬間――身体が熱を持った。熱くて熱くてどうにかなりそうだった。

 意識が強制的に叩き起こされ、全身に何かが起こっているのが感じられた。

 これが死ぬという事なのだろうか。

 いや、違う。そう本能的な部分で雄治は理解する。

 これは、再生の為の熱なのだ、と。

 それを肯定するかのように女性の声が聴こえた。

「大丈夫。その熱は、アナタが最強の存在へと昇華する為の代償。しっかり耐えなさい。そうすれば、アナタは神と戦える強い男の子になれるわ」

 優しく触れる手。

 柔らかい手の温もりを感じて緊張の糸が切れた雄治は、眠りの谷に真っ逆さまに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

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『……驚いたな。人の子が我を殺し、我が力を譲り受けるとは』

「あら? 簒奪とは言われませんの?」

 地面に座り雄治の頭を自身の膝に乗せたパンドラが夜刀の神と会話をしている。

 女神による膝枕。

 頑張った男の子への御褒美だと彼女は言って雄治の頭を撫でた。その視線には、慈愛が満ちていた。

 そんなパンドラに夜刀の神は低く笑って答える。

『我の矜持の問題だよ。この童は我から力を奪ったのではない。我の権能(ちから)を受け取ったのだ』

 愉快そうな感情を全く隠そうともせず、蛇――夜刀の神は言う。それはつまり、この少年を認めたという事だ。

 神の中には、斃されたにも関わらず討ち果たした者を認めぬ者も多いが、彼はどうやら勇者に敬意を払う神だったらしい。

「そうなのね。でも夜刀の神さま、この子に祝福と呪いの言葉をお願いしますわ。パンドラ(あたし)エピメテウス(ダンナ)の新しい子供、新たな神殺し(カンピオーネ)の誕生を言祝ぐ祝福と憎悪を与えて下さいな。新たな魔王の生誕を彩る聖なる言霊を与えて頂戴」

 女神の言葉に、脳天を自らの角で貫かれた蛇は厳かに頷いた。

 消え逝くその身体を雄治に寄せ、蛇神は祝福(のろい)の言葉を贈る。

 

 

 

『我が権能(ちから)は呪いと毒。それを用いて敵対するモノの全てを滅ぼすがいい。――だが、もし汝が我が権能を使って誰かを救えるのならば、救ってみせよ。虐げられた者を救え。泣き叫ぶ者へ救いを与えよ。踏み躙ろうとする愚者を一人残らず滅ぼし尽くせ。呪いと毒を以って王道を生きよ。……息災であれ、我が後継よ』

 

 

 

 そして、最期に夜刀の神は最大級の爆弾を放った。

『もう直ぐ、我と雌雄を決しようと西の異国より生まれし「赤き蛇」が顕れる。我が後継よ、まずはその呪いと毒を以って彼奴を討ち取れ。ああ、それと……"この地"は汝のモノだ。好きに使え』

 その言葉を遺して、夜刀の神は死んだ。そして、いつの間にやら雄治の手には蛇を模した鍵が握られていた。

「毒と呪いを使ってヒーローになれ、ねえ? 夜刀の神さまも酷な事言うわ」

 しかしそう言う女神の顔にはニコニコとした笑顔が浮かんでいる。

「それに、赤い毒蛇の神となると、多分あの方ね。こうも立て続けに神さまと戦うなんて、この子も運が悪いのねぇ」

 彼女は全ての災厄と一掴みの希望を与える女神(まじょ)

 艱難辛苦は成長の糧だと思うクチだった。

「頑張りなさい、ユージ。サマエルさまは強いわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「で、つまり俺はアンタとエピメテウスって神サマの養子になった、と」

 起きた雄治は、パンドラと名乗った女神に「神殺し」という最強の魔王になった事を告げられた。

 半信半疑だったが、夜刀の神の言葉が何故か耳に残っているし、自分の内に渦巻く"力"に雄治は気付いてもいた。

「そ。あたしやダンナの子供って、基本的に血の気が多いから戦場で野垂れ死にするのが多いのよねぇ」

「で、俺もその野垂れ死にしそうなカテゴリーだってか」

「うん、だってアナタもう直ぐサマエルさまと戦うもの」

 あっけらかんとそう言われる。

 いくら義母(本当かどうか判らないが)になったとはいえ、年下の少女っぽいパンドラにそう言われるとなんとも言えない気分になってしまう。

「サマエル、ねえ?」

「アナタが簒奪――いえ、夜刀の神さま風に言えば譲り受けた権能(ちから)と同じ、死に至る毒と呪いを司る蛇の神さまよ。どちらかといえば、あの方は「竜」かしら?」

 パンドラの言葉に雄治は嫌な顔を隠そうともしなかった。

「おいおい、マジか。さっきのと同じビックリ生物とまた戦えってか? さっきは夜刀の神が舐めてくれたから勝てたけど、今度はガチなんだろ? ……いっそ不意討って背後から一撃で仕留めるか」

 右腕を夜刀の神の頭に変えながら物騒な事を言い出す雄治。

 どうやらパンドラの言った通り、本能で権能の使い方は理解出来ているようだ。

「あ、言っておくけど、あたしが納得するような戦い方しないと権能は増えないからね」

「例えば?」

「判り易く言うと決闘かしら。大事なのはガチンコできちんと向かい合うこと。不意討ちなんてもっての他よ」

 選択肢が潰されてしまった。

「それにアナタは夜刀の神さまの後継なのよ。先達からの課題をズルしてクリアしようなんて、そんな甘い事はお義母さんは許しませんっ」

 腰に両手を当ててそう説教された。

「誰がお義母さんか」

 そうツッコミを入れて、雄治は立ち上がる。

「ま、一丁やってやるさ。遺言通りヒーローみたいに、な」

 先程から神の気配を感じる。

 同類の気配だ。

 熱砂の匂いを引き連れた異国の蛇が、この場所へとやって来たのだ。

「あ、必要なら火打石でも鳴らす? それとも現代宜しくチアガールの格好でもしてあげようかしら?」

 後ろでトンデモない事を言い出すパンドラの申し出を丁重にお断りして、雄治は飛んできた六対十二枚の翼を持った赤い竜に向き合う。

 強い。

 真正面から戦えば、負けないにしても苦戦するだろう。

 なんとなくではあるが、そう雄治には感じられた。

『久しいな、東の毒蛇よ――む? ……気配は同じだが、匂いが違う。貴様、神殺しか』

 困惑の声を上げて赤い竜は雄治を見下ろす。

「おう。皆藤雄治っつーんだ。先達の夜刀の神からアンタに勝てって発破掛けられててな。本気でやらせて貰うぜ」

 雄治はそう言うが、実際は半ばヤケクソである。

『……ふむ。どうやらヤツは貴様に満足して喰われたようだな。ヤツが満足した力量、我輩も試させて貰おう。眼が見えぬからと言って手加減は無用ぞ』

 確かにこの赤い竜の眼からは血の涙を流れ続けており、閉じられたままだ。

「確か、モーゼに潰されたんだったか」

 その眼を見て、雄治は言う。

『左様。これだけが理由ではないが、故に我は人の子を、我を堕とせしかの主を怨み、憎み、滅ぼす事を願う。それはヤツも同じだった筈。戦いながら我輩に理解させよ。何故ヤツが貴様を選んだのか、を』

 そう言って赤い竜は翼を広げて臨戦態勢に入る。

 雄治も右腕を蛇の頭へと変異させ、剣のような角を伸ばす。

 だがその答えを雄治が言う前にパンドラが答えた。

「簡単なことよ、サマエルさま。その子の夢に夜刀の神さまが興味を持たれたからですわ」

 いきなり聴こえた声に動揺することなく、サマエルは声の主を理解する。

『その声、パンドラか。数多の災厄と一掴みの希望を与える魔女よ。……して、その夢とは?』

 

 

 

「死と呪いを振り撒く竜蛇の権能を以って人を救わせる(ヒーローとする)――だそうですわ」

 

 

 

 それを聞いて、サマエルは一瞬呆け、然る後に大爆笑した。

『クハハハハハハハッ!! 正気か!? 我等は疎まれ恐れられるが常!! そのような夢、叶うワケがなかろう!!』

 そう言われると、雄治は売り言葉に買い言葉で咄嗟に言い返してしまう。

「これだから頭でっかちは。最近じゃ、ダークヒーローってヤツもいるのさ。心意気一つでどんな力を持ったヤツもヒーローになれるんだよ」

 そう、女性物のパンツを被って悪人を退治するようなヒーローだっているのだ。

 呪殺や毒使いだろうと、ヒーローにはなれる。

『そういえば、貴様、その名から察するに東の果ての国の生まれだな。確かかの国には呪殺に長けた呪術師と毒殺に長けた暗殺者がいたそうだな。ならば貴様はその末裔か。名は確か……ONMYOUZIにNINJAと言ったか。……東の果ての国は魔窟か』

「いや、別に魔窟ってワケじゃあ………………いや、確かに魔窟だったか」

 アニメや漫画のキャラクターをランボルギーニカウンタックのような至高の高級車や何億もする戦闘機にペイントするような狂ったヤツが普通に闊歩する国なのだ。

 他国の罵倒語ですら萌えキャラに変えるような狂った連中はいるし、歴史上の人物のTS物を普通に漫画や小説にするし、神話を軸に全く新しい価値観を創造している連中だっている。例えば某這い寄る邪神を美少女系宇宙人に作り変えるような。

 ラヴクラフト御大も日本人の変態指数には草葉の陰で度肝を抜かれた事だろう。

 これがその神話の発祥の地たる某合衆国に逆輸入された場合、信者の皆さんが憤死するんじゃないかと雄治は危惧してもいた。

 果ては国や建造物すら擬人化して、美少女やイケメンに変えたりしているのだ。

 技術的な面で見ても、変態と称されるに相応しい技術はいくらでもある。

 もう少しすればメイドロボ(漢の夢)が叶うかもしれない――という噂もあるくらいだ。

 他国の連中はそれを七割本気で信じているとも聞いている。

 いずれ日本は変形合体ロボを国防に使用すると実しやかに囁かれてもいるのだ。

 魔窟、その言葉はある意味正しい。

「まあ、死の天使のアンタさえも萌え系美少女に擬人化するような狂った国だしなぁ……」

『待て、どういう事だソレは!?』

 流石にそれにはサマエルも慌てる。

「アンタは眼が見えてないんだろ? じゃあ文字通り一生見る事は無ぇよ。……声優が演じてんのを聴く事はあっても、な」

『待て待て!! なんだそのセイユウというのは!?』

 混乱しているサマエル。

 ここは世界の記憶に繋がっているので、知ろうと思えば簡単に知れるのだが、それを彼は思い至らないようだ。

「…………うーわー」

 尚、これは日本のオタク文化の一部をパンドラが知った瞬間に洩れた声である。

 彼女は心なしか頬を染めてそれらをじっくりと知る。

「成程、こういった見方もあったんだー……恐るべし、日本人」

 一体彼女は何を知ったのだろうか。

 そんな彼女を尻目に赤い竜と腕を碧の蛇に変えた少年の戦闘(と口論)は激しさを増していく。

 そして――赤い竜の首を、碧の蛇の角が斬り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…………んぁ?」

 無精髭を生やした二十代後半の男が眼を覚ました。

 眠っていたソファーから身体を起こし、一つ大きな欠伸と共に背伸びをする。

 ガリガリと頭を掻き、朝風呂へと向かう男。

「しっかし懐かしい夢を見たなぁ」

 そう言いながら男は笑う。

 俺も若かった、と呟きながら。

「ま、初心忘れるべからず。日々是精進ってな」

 一風呂浴びた青年はテレビのニュースを点けた。

 その向こうではニュースキャスターが、ある企業の重役と与党国会議員が広域指定暴力団と繋がりがある事を公表された、と大々的に報じていた。

 昨夜、その暴力団の屋敷で騒動が起きたと地元住民から警察に連絡があったらしい。

 翌日にその屋敷を家宅捜索をすると、重役と議員が組長と仲良く引っ繰り返っているのが発見されたそうだ。

 何故か組員の過半数が行方不明にもなっており、関係者から事情を訊く事になりそうだ、とキャスターは締め括った。

 彼等が実は人身売買に関わっていた事はどうやら伏せられたらしい。

 その事実を知り、組員の行方不明者たちにこの男が関わっているなど、誰が辿り着くだろうか。

 行方不明となった彼等は既に死んでいる。

 この男と関わった時点で。

「あれから十年、何とかバレずにやってこれたが……ここらで潮時かねぇ? パンドラさんの言う通りなら、あの「猿」や「最後の王」とやらに眼を着けられない内に日本を御暇すんのが妥当だが……そいつは最終手段だしな。どっかに救世主は顕れないもんかね?」

 そう言いながら青年――雄治は資料に眼を通す。

「しっかしまぁ、つくづく思うが俺以外の神殺しってのはキャラが濃い連中ばっかりだなぁ」

 彼が見ているのは、現在生存しているカンピオーネの情報が書かれた書類だ。

 作成元はイギリスのグリニッジにある「賢人議会」という魔術組織である。

 元々この組織は、某カンピオーネの暴虐(食い意地張った最古参)から女王陛下とイギリスを護る為に発足されたのだとか。

 だからこの組織の資料は多少の嘘はあるにせよ、信憑性は高い。

 それが世界中に存在する術者たちの見解だった。

「「黒王子(アレクサンドル・ガイスコン)」は格好付けの怪盗紳士だから駄目。「剣の王(サルバトーレ・ドニ)」はただの斬り裂き魔(リッパージャンキー)だしこれも無い。「L.A.の守護聖(ジョン・プルートー・スミス)人」は自分の街で手一杯。「羅濠教主(リアル東方不敗)」や「ヴォバン侯爵(食いしん坊バンザイ)」はそれ以前に論外。「永遠の引き篭もり(アイーシャ夫人)」は出てくる理由が無いんでこっちも無理ってか候補に入れるだけ無駄」

 そう言って雄治は資料をソファーの前にあるガラス製のテーブルに放り投げた。

「どっかに表立って日本を護ってくれるカンピオーネはいないもんかね」

 雄治は嘆息する。

 そうすれば、俺の負担も減ってくれるんだが。

 そう思った時だった。

 普段鳴らない備え付けの電話が鳴り始めたのだ。

 「依頼」の電話だ。

 雄治は立ち上がり、電話を取った。

「はいはい、こちら『皆藤探偵事務所』。迷子探しにペットの捜索、浮気調査もやってますよー」

 そして今日も、雄治は探偵として依頼を受けるのだった。

 

 

 




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雄治の恩人

二話目です。
少し独自設定がありますが、おかしくないか少し不安です……
あとオリキャラが出ますが、女性じゃありません。
オッサンです。


『……まさか我輩が、本当に人の子に討たれるとは、な』

 

 雄治に首を落とされたサマエルは驚きはしたものの、決して不快に思ったわけではなかった。彼の声音にあるのは、敬意と驚嘆。

 夜刀の神の権能を掌握し切れていないにも関わらずその少年は満身創痍になりながらも、敵を討ち破り、自分の脚で立っている。

 それにどうやら、相手の首を落としたからといって安心していないようだ。――もし、僅かでも気を緩ませたのなら、その隙を突いて最期の力を振り絞って相討ちに持ち込んだものを。

 そう内心で思い、その後に首だけとなった赤い竜は苦笑する。所詮それは仮定の話でしかないからだ。既に勝敗は決しており、自分は文字通り手も脚も出ない状態だ。既に己の四肢と尾と十二の翼はそれら全てが斬り落とされており、胴体は達磨と化している。その最後に首を落とされたのだ。

 こうなってしまった以上、サマエルとしては彼の勝利を認めるのは吝かではなかった。幽世にて出遭ってから幾度となくぶつかって来た好敵手が認めた男の眼前に自分はいるのだ。往生際が悪く、己の血や泥を被ろうとも最後には生きて勝利を掴む。その姿は、どんな金銀財宝よりも輝かしい人間の証明と言えるだろう。

 大半の神には真似出来ないような無骨で泥臭い戦いをする人間が、自分を斃したのだ。

 女神を堕とす《鋼》の英雄などではなく、誰かの笑顔を護るヒーローたちに憧れる少年に、自分は討たれた。

 なんと愉快。

 なんと爽快。

 なんと痛快。

 夜刀の神との勝負は流れたようなものだが、それを補って余り有る"愉しみ"をサマエルは見つけた。

 それは、彼の胸の奥底にある願望である。戦いながらサマエルは、少年の持つ子供染みた夢想を直感的に理解したからだ。

 だからこそ、叶わないと知りながら、思う。

 

 ――この少年のこれからを見てみたい。

 

 だがそれは、土台無理な話だ。既に己は敗北した身なのだから。

 敗者は勝者の糧となる。これは変えられぬ事実だった。

 満身創痍ながらも油断無くこちらを見据えている少年に己の力が流れ込んでいくのが解る。

 カンピオーネとまつろわぬ神が相対した場合、お互いに死力を尽くして相討ちになる事は往々にして『よくある事』だが、ただ今回がそうではなかったというだけの話である。

 それにも勿論理由があった。

 この少年は、サマエルと真正面から対峙し、あまつさえ『勝つ』と己に課していたのだ。決して正面からでは敵わないからこそ、神は神なのだというのに。故に人は、搦め手や騙し討ち、弱点を突く事で、やっと神に打ち克つ可能性を得られるのに、彼はその手段を選ばなかった。

 ただ愚直に、真正面から討ち破る。言葉にすれば単純だが、神を相手取ってそれを為せる人間がどれほどいるだろうか。。

 故に、如何に言葉で騙そうが、態度で油断を誘おうが、この少年はその五体を駆使して戦ってしまう。

 夜刀の神やサマエルといった竜蛇の神は生命力が強く大抵の怪我は問題無いのだと本能的に解っているのだろう。

 だからこそ、人の身でありながら神と真正面から削り合いが出来るのだ。

 しかし。

 そこにサマエルは危惧も抱いた。

 もし、一撃が致命傷になるような《鋼》に出遭ったならば、今のこの少年では太刀打ち出来ない。

 二柱の神を斃したとはいえ、その二柱はどちらとも竜蛇の神。

 《鋼》共にとっては自らの英雄譚を彩る敵役であり、必ず勝利する相手なのだ。連中にとって、今の雄治は多少手強いだけの餌でしかない。

 だから、それを踏まえた上で言葉を贈る事にした。個人的な心情としては夜刀の神と同じだったから二番煎じは詰まらないというのも理由ではあるが。

 

 

 

『我輩こそは、死を司る熾天使であり地獄を統べる大君主。「神の毒」、「神の悪意」、「毒を持つ輝かしい者」、「ローマの守護天使」、「エデンに棲む蛇」、「審判の天使」、「創造の天使」――様々な名があり、我輩は人間の魂を神の裁きの前に連れ出す者であり、火星を守護し十二宮の天使を生み出す者。……ククク、随分と仰々しい通り名ばかりだ。しかし、それらは同郷たる者共にとっては通じる名であれど、《鋼》共にとってはただの餌の名でしかない』

 

 

 

 忌々しさを隠そうともせずにサマエルは続ける。

 

 

 

『我輩は赤き翼持つ蛇にて赤き竜。「天にまします我らが父」の敵対者が寄越す祝福だ。少年――いや、皆藤雄治よ、心して拝聴せよ』

 

 

 

 そして、赤い竜は少年に告げる。

 

 

 

『――自由に生きよ』

 

 

 

 それは、幾多もの名に縛られるサマエルにとって決して望めない生き方だった。

 だからこそ、サマエルは自らを斃した雄治に、まつろわぬ神となりながらも抱いていた願望を託したのだ。

 

 

 

『そして、竜蛇の天敵である《鋼》を屠るくらいに強く在れ。――それと、これは我輩に勝った報酬よ。我が領域へと渡れる“鍵”だ。自由に使い給え。――ではな、少年。我が権能、己が自由の為に存分に振るうが良い』

 

 

 

 その言葉を遺してサマエルは息絶えた。その躯があった場所には竜を模した鍵が落ちており、恐らくこれが先程彼が言っていた鍵なのだろう。

 こうして、少年は一日の内に二度も神と対峙し生き残ったのである。

 あまつさえその両方の神を斃す事によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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十年前、雄治は夜刀の神とサマエルという二柱の神を倒し神殺しとなった。その場に座り込み一息吐いていた彼に、パンドラは嬉しそうなしかし真剣な顔で告げた。

 この国には「最強の《鋼》」と呼ばれる王が眠っている――と。

 もう直ぐその神が眠って千年が経過する。起きるかどうか解らないが、寝た子を起こす必要もないから気を付けるように、とパンドラは言った。

 その神は全てのカンピオーネと竜蛇の神の天敵で、目を醒ませば雄治たちは全員死ぬ可能性が高いーーらしい。

 日光東照宮には日本で最も有名な「《鋼》の猿神」が括られているから、そちらなら倒しても問題無い寧ろ倒してしまえ、とパンドラは雄治にけしかける。

 そして最後に、出来るなら力を増して「最後の王」であっても倒せるようになれ、と発破を掛けられた。ああ、この女神サマは《鋼》に分類される神が嫌いなんだな、と逢って間もない雄治が理解するに充分な剣幕だった。

それからいくつか神殺しとしての注意事項を聞いて、彼は幽世を出た。死んだ二柱の神から幽界に住んでいた領域の所有権を示す呪具を貰ったので、雄治は思うだけで幽界に来れるのだ。無論、来れるのは所有権を貰った場所だけだが。どう有効活用しようか、と考えながら元いた場所に戻ると、バッグに入ったまま多少ヘコみはしたが無事だった携帯が着信音を鳴らしていた。

 最早「服」と呼べない布切れを脱いで比較的無事な服に着替えながら雄治は電話に出た。元の服には血や大きな穴が空いているのでもう着れないが、このまま捨てても警察沙汰は免れないのでバッグに入れながら用件を伺うと、相手の老婆は雄治が住む予定のアパートの大家だと言うではないか。

 その老婆は済まなそうに彼に言う。

 

 

 

「アパートが火事で焼けてしまったので、契約は無かった事にして欲しいんだよ」――と。

 

 

 

 その瞬間、雄治は愕然となった。

 アパートが焼けたから、ではない。いや確かにそれもショックだったが、それ以上に雄治には看過出来ない理由があった。

 新しい住居に今日の朝に到着している筈の彼の私物も、アパートが燃え尽きているのならば、同じように燃え尽きてしまっているだろう。

 総額すると三十万は容易く越すそれらを一瞬で失ってしまっても泰然としていられる程、彼は人間が出来ていなかった。

 幾ら暴力に満ちた人生を送っていそうな容姿をしており、それが七割事実だとしても、彼はまだ十八歳の少年なのだ。

(俺の、大事な漫画やゲームが全部、灰に……?)

 がっくりと膝から崩れ落ちる雄治。

 これまで様々な職場で働いてきた六年間の日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。

 しかしそんな雄治に、老婆は慰めの言葉を投げ掛けた。

「しかしアンタは運が良いねぇ。火に巻き込まれなかっただけじゃなくて、荷物まで無事だったんだからさ」

 その言葉を受けて、雄治は立ち上がる事が出来た。

 両手で携帯を握って身を屈めて電話の向こうにいる大家に事情を尋ねる。大柄な男がそうしているのは少しシュールだが、周囲には誰もいなかったので彼は気にしなかった。

 大家の話では、なんでも宅配業者側でトラブルが起きたので発送が遅れると連絡があった事を彼に知らせてくれた。

 それを聞いて大事な私物が無事だったことに喜ぶ雄治だったが、老婆は済まなそうな口調を変えずに話を続ける。

「そういう理由だから今日の夜九時から十時くらいにこちらへ配送されるその荷物を取りに来て欲しいんだよ。必要なら貸倉庫の手配もしてやれるけど、どうする?」

 そう親切心で言ってくれた老婆に、雄治は礼を言いながらも貸倉庫の件には断りを入れた。

 何故なら、今の雄治にはいくらでも荷物を貯蔵出来る『所有地』があるからだ。

 だから彼は嘘を吐いた。「こっちで知り合った親切な知り合いに倉庫を貸して貰えそうだ」と。

 その言葉を信じた大家は安堵し、何度も詫びながら電話を切った。どうやらこれから警察で事情聴取があるらしい。

 その後、雄治は銀行で貯金を下ろし、タクシーでアパートまで向かうことにした。甚だ余談ではあるがこの男、金を下ろしたのだから服を買ってから向かえば良かったのだが、一日の内に神などという怪物と二連戦したせいで身体と精神の両方に重度、いや極度の疲労が蓄積されており、思考が働かなかったのだ。一言で言えば、雄治は限界だった。

 だから彼は溜まったままの疲労に気付かないまま、目的地のアパート前に到着してしまう。

 そこには、焼け焦げた古いアパートの残骸だけが残っていた。

 既に消火活動どころか現場検証も終わっているようだ。

 周囲には警察ドラマでよく見る立ち入り禁止の黄色いテープが張ってあるものの、人の気配などどこにも感じられなかった。

 携帯に表示される現在の時刻を見ると、まだ到着まで時間はあったので、雄治は焼け跡の近くに移動して座り込み、寝る事で時間を潰す事にした。

 だが、そんな彼の安眠を遮る者が現れた。

 眠ろうとしている雄治の前で誰かが立ち止まったのだ。

 気配を感じた雄治が顔を見上げると、そこには三十代後半くらいの男がじっとこちらを見下ろしているではないか。

「こんな所で何してるんだ、お前?」

 そんなお決まりの文句でこちらに問い掛ける男。

 別に後ろめたい事など無い雄治は、九州から出てきた事と、こちらの不良に絡まれて服とゲームを台無しにされた挙げ句に金を盗まれた事を喋った。

 それからここのアパートに入居する予定だったのだが、火事で住む場所を失ったので宅配業者に運んでくる私物を引き取って安いホテルにでも泊まる予定だというところまで話した。

 その身の上話を聞いて、男は暫く考え込んでから、

「もし金が無かったら、ウチに来るか?」

 そう雄治に言ってくれた。

 勿論最初は断ったのだが、そんなボロ切れを着てたんじゃ浮浪者に間違われて面白半分に不良共に絡まれる、と忠告を受け車を持ってくると一端男は去っていった。

 それから三十分足らずで雄治の私物を乗せた業者のトラックがやってきた。業者は焼け跡となったアパートを見上げて唖然としていたがそこはプロ。

 言われてある通りにダンボールを焼け跡の前に降ろし始めた。

 業者に多少服がボロい雄治が近付くと、相手は「すわ浮浪者か!?」とばかりに距離を取ったが、免許証と印鑑を見せる事で本人だと認められて私物を全て受け取ることが出来た。

 人が体育座りしたら入りそうな大きさのダンボール箱二十個。これが雄治の私物である。

 その内の十九個が雄治が集めたライトノベルや漫画、ゲーム等の入ったダンボールなのは言わぬが華というヤツだろう。だがそれでも趣味人としてはまだまだ駆け出しと言わざるを得ないのだが。

 白物家電や家具はこちらで買う予定で、その手の品は一切ダンボールには入っていないのだ。

 すぐに別の業者が取りに来ると言う雄治の話を聞いて業者は、憐憫の眼差しを向けながら去っていった。

 そして、人気が無くなったのを確認した雄治は、二十個の内十八個のダンボール箱を幽世に送った。車を取りに戻ったあの男が戻ってきた時に不審がられないようにする為だ。

 雄治は全くあの男の言葉を疑っていなかった。寧ろ疑おうとすら考えられなかった。

 疲労が溜まっていたせいなのか、彼は直感的に「この人は本当に来てくれる」と、信じられたのだ。

 初めて逢った人間だったのだが、雄治はあの男の事が信用出来ると直感的に理解出来た。

 そしてその直感は正しかった。

 暫くすると一台のワゴン車がこちらにやって来るのが見えたのだ。

 運転席には先程の男が乗っているではないか。

「よお、待たせたな――って、随分ダンボールの数が少ねぇな。これならこの車借りてくる必要は無かったな。まぁいい。ほら、さっさと積み込むぞ」

 そう言いながら男は雄治を急かしてダンボールを後ろの荷台に載せるように指示した。手伝おうとする男に遠慮して雄治は自力で荷台に乗せる事が出来た。これも神殺しになった恩恵の一つだろう。

 積み込んだのを確認すると、男は雄治を助手席に乗せて走り出した。

 つい流れで乗ってしまったが、雄治はこの男に色々と訊きたい事が出来たので、訊くことにした。

 まず、この男が来てくれると何となく解っていたが、それでも雄治は疑問に思ったので素直に訊いてみた。

「なんで助けてくれるんですか」――と。

 そう訊くと男は、

「あ? そんなんただの気紛れだよ」

 そうぶっきらぼうに言って黙ってしまう。

 だが、理由は何であれこうして助けられているのは事実なのだ。

 だから雄治は一言、感謝の言葉を述べた。

「ありがとうございます」

「…………おう」

 返答はたった一言。だが、見間違いかもしれないが、男の口元が少々緩んだように雄治には見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そしてその男に連れられて雄治は三階建ての建物の一階にある喫茶店に入った。

 聞けばここはこの男が店長をしている店なんだとか。それどころかこの建物自体がこの男の持ち物だった。

 そんな話をしていると、雄治の腹から大きな音が響いた。

 それを自覚して雄治は漸く自分が空腹だと思い至った。

「あ、あらら……?」

 ふらつく頭を押さえる。

 明らかに血も栄養も何もかもが足りていなかった。

 それもその筈だった。

 雄治は、神と戦ったのだ。血も肉も失いながらにも何とか勝利したのだから、体内に貯蔵してある栄養が底を突いていても不思議ではなかった。

 そんな雄治を見て呆れた男は、しかしすぐさま調理場の奥にある食糧貯蔵庫から肉や野菜等の食材や、作り置きしていた料理等を取り出してはコンロにくべたり、電子レンジで加熱し始めたのだ。

 物の五分もしない内に、雄治の座っているカウンター席の前には様々な料理が置かれていった。

 それを見て涎を垂らしながらも手をつけようとしない雄治に、男は料理をしながら言う。

「食え」

 その一言を認識した瞬間――雄治は、流れるような自然な流れで手を合わせ、箸を掴み、一気にそれらを口に掻き込み始めた。

 バクバクガツガツムシャムシャ――!! といった擬音が聴こえてきそうな程の勢いと咀嚼量だった。

 水も大きめの水差しごと置かれてあり、それが三つあった。

 肉だろうが野菜だろうが塩っぱかろうが甘かろうが辛かろうが冷たかろうが熱かろうが――雄治は腹に入れていく。

 空腹。

 文字にすればたった二文字だが、その本当の意味を雄治は今日初めて理解した。

 食わなければ生きていられない。

 それは当たり前の事だったが、雄治は十八年生きてそれをやっと理解出来た気がした。

 生まれて初めての感情に浸りながらも、決して箸を置かない雄治。

 そんな雄治をおかしそうに見守る男。

 料理を出し終えると、煙草を懐から取り出して口に咥えて火を着けながら男は言った。

「お前、今日から上に住むか?」

 食べるという行為を止めようとはしないが、それでも驚いた様子で雄治は男を見た。

 ハムスターのように頬が膨らんでおり、それが咀嚼する度にモグモグと動く。

「ひいんえふあ?」

 いいんですか? と言っているらしい。

 それに男は躊躇わずに頷いた。

「おう。丁度上のフロアが空いてるんでな。それにそんなデカいガタイしてんなら、俺の昔やってた仕事の方を斡旋してやってもいいぜ」

「前の仕事……っすか?」

「おう」

 そこで男はニヤリと笑いながら、言った。

「探偵だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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 それが、一階にある喫茶店の店長であり、この三階建てのビルの持ち主である結城大吾(ゆうきだいご)との出会いだった。

 元私立探偵で現喫茶店店主という異色の経歴の持ち主だが、それに輪を掛けて異色な特技を彼は持っていた。

 西洋風に言えば「魔術」であり、日本風に言えば「呪術」という――世の中の裏で色々と人知を超えた事件や事象を引き起こしたり巻き起こされたり捲き込まれたりしている傍迷惑な技術。それを大吾は使える人間だったのだ。

 そういった魔術や呪術を扱う者を裏の世界では「魔術師」や「呪術師」と呼び、名の知れた人物などになれば災害認定されるような魔獣や神獣等を単体で殲滅出来る者もいるのだとか。しかし大多数の魔術師たちには神獣の倒滅それは不可能な事であり、神獣(さいがい)と人の身を比較する等、自転車で自動車のレースに出場するような無謀と言えた。

 まあ、雄治という最も「有り得ないこと」をやらかしている人間がいるから簡単そうに思えるが、それは大きな間違いだ。

 そしてこの大吾という四十代後半の男は、余り国内外に知られていないが、日本に出現したとある神獣を退けた事がある強者(つわもの)なのだ。

 しかも「日本のMIB」と称される正史編纂委員会(せいしへんさんいいんかい)は、それを為したのが大吾だとは知らない。それ以前にそんな事があった事にも気付いていない。

 「古老」と呼ばれる者たちはこの男がこの国初となる「神殺し」となるのでは、と注視していたが、本人はもう前線で戦うのは無理だと自覚していた。

 神獣との一戦で身体はボロボロになってしまい、通常の生活やある程度の戦闘行為には耐えられるが、無理をすれば一気にガタがきてしまうようになってしまったからだ。

 だから男は引退し、喫茶店の店主になった。

 そんな一戦を大吾が繰り広げていた事に気付いていない日本の裏組織の元締めである正史編纂委員会だが、決して無能というワケではなかった。

 大吾は高い実力に加え、ある特異な術を持っていたのだ。

 彼が独自に考案し改良した「隠形術」である。

 この術は、ありとあらゆる存在から自身の存在を隠し通す呪術なのだ。

 元は忍術のそれだったのだが、彼は実家にあったそれらの忍術や呪術の書かれてある古文書を独学で解読し習得した。そして探偵業を営みながら彼はそれらの「術」を高めていき、高位の存在の眼でさえも誤魔化せるようになったのだ。

 これは日本呪術界だけでなく世界中の組織から見ても偉業と言えた。

 しかもこの術は高性能且つ魔力/呪力消費が少ない。

 デメリットは使用者の精神に依存するという特徴のみ。

 仮に使用者が恐怖の感情のままに「術」を使っても、術の効果は見込めない。

 彼の祖先であった名も知らぬ忍が使用していた術をベースとしているのだ。

 心が凪いでいなければ最高のパフォーマンスは発揮されないのは当然と言えた。

 これは気持ちが昂ぶっていても同じである。

 その為に必要な事は、「切り替えること」であった。

 感情に支配される事が悪いことではないのだが、この「隠形術」を使用する際は精神をニュートラルな状況にしなければならないのだ。

 その為に一旦感情をリセットし、心を落ち着かせる必要があった。

 この心の在り方は、ある副次効果を大吾に与えた。

 所謂"無我の境地"という様々な「道」の奥義とされる精神状態になれるようになったのだ。

 故に慌てず逸らず驕らずにいる事で、大吾は早死にする人間が多いこの業界にあって三十年を生き抜いていられている。

 「大騎士」と呼ばれるような人間やそれに準ずる実力を持つ者の中には、魔力を肉体に注ぎ込む事で若返った容姿の者もいるらしい。

 そしてこの大吾という男も、外見は四十後半であるもののやろうと思えばいつでも若返る事が出来た。

 そんな大吾が神殺しである雄治を拾ったのだ。

 彼は雄治自身から、彼が神殺しであると告白され、驚いた。

 驚いたのだが、彼は雄治を見てある事を考えた。

 神という理不尽の塊に勝利するような馬鹿が目の前にいるのだ。

 この男に自分の技術を叩き込んだらどうなるか、見てみたい――。

 

 大吾は、探偵としてイロハを彼に叩き込むのと同時に、自分の知る呪術や忍術を叩き込み始めたのだ。

 カンピオーネとは、本能で戦う獣のようなもの。

 それが裏の世界で生きる人間の通説であり、真実だった。

 しかしそれが事実でも、そこまでコンディションを素早く持って行く為のイメージトレーニングはするべきだと大吾は考え、雄治に実行させた。

 雄治は一般的にオタクと呼ばれる気質を持った人間である。

 オタクには、自分の好きな事の為ならば苦労を惜しまない人間がそれなりに多く、彼もその例に漏れずに努力を重ねられる人間だったのだ。だからこそ雄治は楽しんでそれらの技術を覚えていった。

 アニメや漫画、ゲームでしかお目に掛かれなかった技術を取得出来るかもしれないのだ。必死に覚えようとするのはオタクとして当然の事と言えた。

 神殺しとなる為に特別な才能はいらない――それは真理だが、特別な才能があって困るものではないのも確かだ。

 雄治自身に天才と言えるような才能があるワケというでは決して無いのだが、才能を補って余りある無尽蔵とも言える魔力で底上げされた体力と時間に縛られていない暇人同士だったお陰で、彼はたった一年で神すらも手玉に取れる可能性のある「隠形術」を習得出来た。

 こと戦闘における直観と閃きには師匠となった大吾をして唸らせる程のものを雄治は持っているのだ。倒した神の特性によるものか、大柄な体格でありながら酷く挙動が掴み難い。かと思えば海中に佇む巨躯の大岩のような重圧と樹齢千年を迎えた巨樹のような深い重心から繰り出される攻撃には全てが常人ならば一撃で殺してしまう威力が秘められていた。

 故に、大吾がまず手始めに覚えさせたのは「手加減」である。

 誰彼構わず殺していては、この男が倒した神から出された命題をこなせるとは思えない。それでは神の特性に性格が近付くと大吾は直感的に解ったからだ。

 神を殺した瞬間に寄越される祝福(のろい)は、神殺しのこれからの性格を決める要因の一つになり易いのだ。

 日本の呪術的特徴の一つに、「言霊(ことだま)」というものがある。口に出した言葉には"力"が宿るというものだ。

 そしてその祝福には神の特色が顕れ易い。

 雄治が倒した神は二柱とも、言ってしまえばまつろわされた、敗北した神である。

 夜刀の神もサマエルも、神話において主神や聖人の存在感を増すために不遇や不幸を受ける――言うなれば引き立て役であった。

 そんな神が末期に告げる祝福ならば、そういった負の感情による死や破壊を振り撒く"呪い"になる――筈だった。

 だが、雄治は現代の英雄(ヒーロー)になってみたい、そう彼等の前で口走ってしまう。

 彼等は雄治が思い浮かべたヒーローたちの情報を、半ば無意識ではあるが幽世を通して知った。知ってしまった。

 それは敗北した神である夜刀の神やサマエルにとって、黄金にも等しい願いと言えた。かつての自分たちがどのような神であったか、それすらも忘れてしまったまつろわぬ神には、それは眩く尊い願いに見えたのだ。

 だから彼等は賭けた。自分たちを討ち破ったこのちっぽけな人間に。

 こんな毒と呪いを以って死を振り撒く蛇神や竜神の力であっても誰かを救えると証明したくなったのだ。

 だから彼等は、神殺しが神より奪う権能(ちから)だけではなく、消えかかっている己に残された「全て」を雄治に注ぎ込んだ。真正面から神と向き合い、戦いの中でその魂を殺した神に認められたが故の強い権能の委譲。手に入れたそれらは無駄なまでに殺傷力の高い権能だった。使えば直ぐに神殺しだと気付かれてしまうだろう。

 だがそれは、雄治としては余り歓迎出来なかった。

 確かに自分は死にそうな目に立て続けに二度も遭った。だからといって何故魔王として生きねばならないのだ。

 パンドラの話だとノリノリで魔王をやっているらしい先達たちの真似事など、雄治は御免被りたかった。

 だからこそ、正体を隠す「隠形術」や「手加減」は必ず習得しなければならなかったのだ。それ以外にも大吾から呪術や忍術も教わったのだが、使う機会は少なかった。雄治がそれらの才能が無かったから――というのも多少はあるが、それ以上に手に入れた権能が便利だったことが大きい。

 教わった技術に手に入れた神の権能。人知れずにこれらの研鑽を積み上げたことと、手に入れた権能の利便性によって、雄治は十年経った今でも神殺しとして世に知られる事無く、市井のどこにでもいる私立探偵兼呪術師として日銭を稼いだり、出現する様々な小規模な怪異を倒したり――といった日常を送っているのだった。

 余談ではあるが、十年間の内数回ではあるが日本に到来した神や神獣は、その大半が雄治に出会った瞬間に幽世に引き摺り込まれ、真っ向から向かい合った末に彼の「奥の手」を受けて死んでいる。それ以外の神は神殺しに気付かずに幽世に隠遁していった。

 そこまで神と闘ったのなら権能も増えていて当然なのだが、日本に流れてきた神や神獣は、こちらへ来る前に神殺しか他の神によって傷付いていたので、権能を簒奪する事が出来なかったのだ。

 力を使い果たしているのであれば、傷を癒さんと考えるのは当たり前だ。これは人でも神でも変わらない。

 その為に様々な物を無差別に食い荒らしてしまうから始末に負えないのだ。

 だから雄治は、憎き神殺しや他の神へのリベンジに燃えながら人や呪力、獣や環境そのもの等を大量に喰おうとした者たちを、喰らっていた者たちを、卑怯者だと呼ばれようとも躊躇い無く殺していった。その度にパンドラから『今回もダーメっ』と両手を交差させたバツ印を貰ってしまうのだが、全く気にもせずに。

 

 

 

 

 

 

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「さて、と」

 二十八歳になった雄治はいつものように無精髭を剃り、髪の毛を全て後ろに流すようにワックスでセットし、緑の生地に赤い千鳥格子の模様の入ったワイシャツとダークグレーのズボンを履いて、黒いジャケットを羽織った。

 帽子掛けにはいくつかの中折れ帽子が掛けてある。その中の一つを手に取り、頭に被った。

 この商売、何だかんだ言って格好付けないと詰まらない仕事をしてしまう。大吾に教わった多くの事柄の中で、雄治が肌で実感した事の一つだ。

 ヒーロー然とした格好も嫌いじゃないが、フィリップ・マーロウやハンフリー・ボガードのようなハードボイルドな探偵に憧れない、と言えば嘘になる。

 だが、流石にあそこまで情を排した生き方は出来ない。所詮何だかんだ言っても自分は人情を信じる側の人間だとも理解しているからだ。

 勿論そんな主義のせいで痛い目を見たことは少なくないが、そういった阿漕な連中の殆どには報いを受けさせている。

 雄治は事務所を出て、一階の喫茶店に降りていく。

 依頼人とはそこで会うことになっているのだ。

 室内の階段を下りて一階に顔を出すと、カウンターで煙草を吹かしていた男がこちらに気付いた。

「おう、来たか。雄の字」

 店主の大吾である。雄の字、というのは雄治の愛称のようなものだ。

 雄治はそれに手を挙げて応えた。

「おう、ところでおやっさん。俺の依頼人はもう来てるかのい?」

 そう問い掛けると、「おやっさん」と呼ばれた大吾は指で奥の個室を指した。

 この「おやっさん」という呼び名だが、これは探偵として食えるようになった雄治が敬意を込めて大吾をそう呼び始めたのが最初だった。今ではこの店の常連の殆どが大吾をそう呼んでいる。

 大吾としてもその呼び方は満更ではないらしい。

「もう着てるぞ。なんだ、ワケありか?」

「ウチに来る依頼にワケありじゃなかった事ってあったかよ?」

 そう言われて大吾は煙草の紫煙に視線を向けて、ポツリと呟いた。

「ま、そりゃそうだ」

「そういうことだよ」

 そう言って雄治は個室の扉を開ける。

 中にいた依頼人に雄治は中折れ帽子を取って挨拶する。

「どうも。俺が、皆藤探偵事務所を取り仕切ってる皆藤雄治です。失礼ですが、再度お名前を御聞きしても?」

 野獣にしか見えない風貌だが、にこやかにそう問い掛ける雄治。

 依頼人であるその人物は、ゴクリと喉を鳴らして、名乗った。確かに予約を入れた人物だった。

 

 

 

「……それじゃあ、早速本題に入りましょうか? アナタを苛んでいる"呪い"の話を聞かせて下さい」

 

 

 

 実は皆藤探偵事務所では、表立ってではないが"呪い"に関する相談事も請け負っている。

 こちらの料金は表の一般的な料金に比べて酷く高額になるかタダ同然になるのだ。

 そして今回の依頼人はそれなりの額を支払って貰えそうだった。何せかの有名な四家の一つ沙耶宮の分家の人間なのだから。

 しかしそんな事はおくびにも出さずに雄治は話を聞いていく。

 これが今の彼の日常である。

 人から依頼を受け、それ達成して金銭を得る。

 真っ当とは言い難い事も多いが、それでも雄治はこれを一生の仕事にしようと決めていた。

 真面目に魔王をやっている同類たちよりも、遥かに楽しい人生を送っている。そう雄治は思っていた。

 ……まあ、他のカンピオーネもそう思っているのだが。

 

 

 




主人公の職を探偵にすると決めた時点で、恩人兼師匠である「おやっさん」は絶対出す予定でした。
まあ、渋くて格好良いオジさんが私に書けたかどうかいまいち判断がつきませんが、気に入って頂けたら嬉しいな、と思っています。

御意見・ご感想、お待ちしています。


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探偵と女好きな神サマ 上

次の更新も比較的早く出来ると思います。
時間が出来れば、今日の夜か明日くらいには。


 さて、東京の片隅で生活する住居と日々の糧を得る為の職も得た雄治は、時間を見つけては幽世(かくりよ)に出入りしていた。

 この世界で過ごす内に気付いた――というよりも理解したことなのだが、現実世界のインターネットと同じように所有者が自身の"領域"に出入りする存在を特定することが出来るようなのだ。

 元々夜刀の神もサマエルも、お互いに雌雄を決したかったからか、他の神や神祖、魔術師たちの出入りを禁止していたのだ。横槍を警戒していたのだろう。例え誰であろうと二柱の領域に訪れることは不可能なように制限されていた。その制限はパンドラでさえ例外ではないのだが、彼女の場合は雄治という神殺しの生誕に立ち会うという名目があった事と、二柱の戦いに介入する気が無かったからこそ入る事が出来たのだ。

 広大な山河に樹海だらけの夜刀の神の世界と、熱風と灼熱の日差しに照らされた複数のオアシス以外は何も無い熱砂が広がるサマエルの世界。二柱の神が与えた鍵には、この二つの世界をある程度好きに改変出来る権限を保有しているらしかった。

 それを知った雄治は手始めに、夜刀の神の世界に広がる樹海の一角を切り拓いて住居施設としてオタク趣味を貯蔵する為の巨大な図書館のような建物を造り出した。ただ思うだけで勝手に建物が出来上がるのだ。自重という言葉は彼の中から消えていた。

 そうやって出来上がった巨大な建物の中に、雄治は夜刀の神の姿を模した「眼」となる無数の蛇の「式神」を生み出してダンボールを運ばせる事にしたのだ。蛇たちは雄治が思うだけで命令に従った。それらの蛇は器用に身体を使って棚に本やゲームを並べていく。カンピオーネという規格外の魔力に物を言わせての物量作戦である。然程時間は掛からずに私物の整理は終わった。

 それが片付いた後に、彼はサマエルの熱砂の世界へと赴き、自分に何が出来るのかを調べる事にした。手に入れた権能で出来る事を知っておく必要があると雄治は判断したのだ。

 突発的にまつろわぬ神と出遭った際、己の能力をきちんと知っていなければ勝てる勝負にも負けてしまう。

 そう雄治は思っているのだ。相手を知るよりも先に己の力量を正確に理解しなければまつろわぬ神には勝てない、と。

 やれば解る自己分析が出来ないような愚か者のままで雄治はいたくなかったのだ。

 だからこそ、被害が幾ら出ても本人感覚で「少し」呪力を込めれば元の景色に戻る幽世は有り難かった。

「さて、と……まずは「夜刀の神」からだな」

 熱砂の上にあって普段着のままの雄治だが、支配者は彼なのだ。強烈な太陽光も、熱されたフライパンのような砂も、吹き付ける喉を焼くような熱い風も。そのどれもが雄治にとっては「少し暑い」程度にしか感じられなかった。……これは余談ではあるが、砂の世界を変える事は出来ないが、雪を降らせ極寒の世界へとすることは可能である。

 意識を集中させ、自分の内に在る"力"を呼び起こす。

 ゆっくりと、しかし着実に。

 例えるなら蛇口を捻り、コップに水を注ぎ込んでいるようなものだろうか。

 自分という器を|呪力(みず)が満たし、更にそこから溢れさせる。

 本来人間は、決して器を越える水を扱えない。

 人の器より溢れ続ける「水」を許容し、それを操るからこそ雄治を初めとする神殺しは、神という天災にその身一つで立ち向かえるのだ。

 そして、今。

 溢れ出た呪力が雄治の肉体を変異させた。

 その右腕は、徐々に関節を無くしていき、碧色した蛇体のそれと化した。そして掌は蛇の頭となり、その蛇の頭には刀剣のような角が鼻先に向かって伸びているではないか。

 これこそが夜刀の神より譲り受けた権能(ちから)

 雄治は、夜刀の神の姿に自分の肉体を全体であれ一部であれ、自在に変化出来るのだ。

 しかし――

「うーん……」

 納得がいかない様子の雄治。

 確かにサマエル戦ではこの蛇と化した右腕が無ければ、自分は勝つ確率は低くなっただろう。

 しかしこの権能、本当に「肉体を蛇に変える」だけなのだろうか?

 まだ把握していない能力があるような気もするのだ。

 正確に言えば、気付いていない能力が。

 意識を権能に集中させる。本来現世において権能を理解するには少々時間が掛かるものだ。

 しかし幽世――精神世界(アストラル界)では世界全ての情報(アッカシックレコード)から情報を引き出せるので、比較的短時間で権能を把握出来る。勿論代償は存在するが。

 いくら神殺しでも、世界の情報を引き出すには慣れていなければ頭痛に苛まれてしまうのだ。

 意識を集中していて、ふと雄治は「ある事」に気付く。

 樹海に図書館を創造した際に、雄治は考えた。頭痛に苛まれながらも入手した自分の権能の情報。

 これ自体が権能を理解する為の鍵なのではないだろうか。

 「夜刀の神そのもの」になる。それが手に入れた権能の正体だが、それは一体どういう事なのだろうか。

 腕や全身を変える?

 たったそれだけなのだろうか? いいや違う。即座に否定の言葉が浮かぶ。

 雄治の脳裏には、「ある仮説」が浮かび上がった。

 神話において「眼」には魔力があると云われている。

 夜刀の神の毒は牙と角だ。ならば、死の呪いは? 恐らく蛇の眼に在るのではないだろうか。

 しかしそれなら、自分は夜刀の神の眼を見た時点で死んでいなければならない。だが直ぐに合点がいった。

 自身が理解した呪いの特性にそれは関係が在った。

 夜刀の神の呪いは、「恐怖」を伝播し増幅させる事で対象を死に至らせるというものだ。俗な物言いをすれば映画「リング」に登場する悪霊「貞子」のようなものと言えた。

 対象の抱える恐怖を読み取り、その恐怖を蛇の眼で認識し、相手を直視する事で呪いは発動する。

 しかもこの呪いは、受けた者の家族や友人知人に伝播するのだ。そして誰にその呪いを伝播させるのかも自由自在に選択出来る。後に知ったのだが、夜刀の神は見た者全てを死に至らしめる蛇神だったらしい。

 ならばその「呪い」は、人の縁を通じて伝播する呪いだったのではないだろうか。故に、この神を見た者の一族郎党は皆死に絶えたのではなかろうか。

 

 (つながり)を読み取り、呪いを伝播させる能力。

 

 死を振り撒く為の能力ではあるが、人捜しを生業とする者にとってこれ程重宝する能力もそうは無いだろう。

 人は縁で繋がっている。それは雄治も身に染みて理解しているのだから。

 つまり――

「俺の眼を「蛇眼」に変えれば、人の縁を読み取れるって事か?」

 今度試してみよう、そう結論付けて次を考える。

 そこでふと考えてしまう。「変えられるってのは、どこまでなんだ?」と。

 そう思い立ったので、即座に雄治は試す事にした。何故ならここは無人の世界。何に成功しようが失敗しようが現実世界に影響は出ないのだ。躊躇は無かった。

 まず変える部分は腕部。これは既に成功している。というか右腕をサマエル戦で蛇に変えていたのだし。

 その次は脚部。尾にも頭にも変化可能だった。

 更に今度は指一本。これも問題無く成功。

 最後は両の五指全てを同時に変化させた。――問題ではなかった。流石に五体の構造を無視した蛇の変化は不可能だったが、それでもこの権能の有用性は計り知れない。

 そして調べて解ったのだが、神話によると夜刀の神は群で現れたとの記述もあり、呪力で編んだ蛇を使役する事も可能だった。これは教わった呪術のお陰でもある。要は陰陽術における式神のそれである。つまり師匠から「式神」の作り方を教わる必要は無かったのだ。これを知ったとき、雄治は少々苦笑いを浮かべた。

 その姿は西洋の竜らしく、大きな身体に太く鈍重そうな脚と短い腕に四本指の手の蜥蜴の亜種のような典型的な赤いドラゴンのそれ。いくら十二枚の猛禽類のような雄々しい翼があろうとも、この姿は雄治個人の嗜好からすると余り格好良くはなかった。更に自前の眼は見えているがサマエルの眼は潰れているので、式神の眼を代用しなければ自分の姿が判らなかったのだ。

 盲目の竜のままでは拙いかもしれない。

「さて、どうする……ん?」

 そう思った瞬間だった。

「…………お、おお?」

 徐々に竜の姿が変わり始めたのだ。斃したサマエルの姿ではなく、自分が想像(もうそう)していた「サマエル」の姿へと。

 困惑する雄治だが、姿の変化には理由があった。元より神の姿というものは、人の伝承によって形作られる。

 サマエルとて同様だ。

 だが『人々の伝承によって形成されたサマエル』は雄治という一個人に斃された。それによって大多数の想像するサマエルよりも強い『雄治の思い描いたサマエル』へと権能が変わったのだ。

 勿論その変化にも最低限『神話を踏襲しなければならない』という制約はある。しかし神殺しの手に入れた『権能』は使用者にとって『最も望む"かたち"』に落ち着く。便利不便を超越し、本人が『こうである』と認識する“かたち”へと。

 そしてそれは、それ故に、

「眼が、見える……?」

 時折『神話』を超越してしまう。

 長い首と鋭角な印象を受ける頭部はそのままに。しかし潰れて血を流し続けている眼は変わった。サマエル自身の眼が無いのならば、雄治(じぶん)の眼を適応させればいい。そう無意識に彼は考えたのだ。

 それだけではなない。

 その竜の胸板は厚く、腹は引き締まり六つに分かれている。斃したサマエルよりも逆三角形の体型に変わっているのだ。

 尾を挟むような位置にある脚は強靭でしなやかな形状に変化した。例えるなら恐竜のそれだろうか。少なくとも鈍重そうな印象からはかけ離れていると言えるだろう。

 更に目を見張るのは腕だ。こちらは肩からまるで大猩々(ゴリラ)のような発達した筋肉に覆われたものになっていたのだから。しかも肩口から指の先端まで鎧のような鋼殻に覆われているのだ。その指先は鋭く、鈎爪と呼ぶに相応しい様相だった。

 最後に、十二枚の翼である。

 はっきり言うと、雄治はその翼は格好良いと思ってはいるが、十二枚は流石に多過ぎると思っていた。格闘戦を主眼に置いている自分にとって背中にある十二の翼は邪魔でしかなかった。

 だがサマエルは十二枚も翼を持っている。こればかりはどうしようもないサマエルの特徴であった。

 だから雄治は思ったのだ。『減らす事も小さくする事も出来ないのなら、身体から離してしまえばいい』と。

 無茶な考えである。

 だが、その無茶を雄治は実行してしまう。

 カンピオーネに常識を求める事が間違いだと雄治自身が実証したようなものだった。

 猛禽の翼が十二枚。赤い竜の背より少し離れた場所で浮遊している。

 これが雄治のイメージしたサマエルだ。ほぼ原型を留めているとは言い難い。

 これではまず初見でサマエルだと理解出来る者は少ないだろう。

 雄治としては戸惑い半分嬉しさ半分といった様子だったが、気を取り直して攻撃方法を調べ始めた。

 サマエルの力は『毒』と『死の呪い』。それらを武装と化し、身に纏う事で戦うらしい。その他にも剣や槍を取り出し操る事も出来るようだ。

 そんな自身を省みて、雄治は呟く。

『……これが、俺の考えたサマエルか』

 竜が腕を組み顎に手を当てて唸るその姿はとてもコミカルだった。

『まあ、いいか』

 格好良いし。

 そう思い雄治は開き直ることにした。

 更に彼は今までカンピオーネたちが考えようともしなかった「とんでもない事」を考え、それを実行に移してしまう。

「やっぱ、インペリアルとかオメガは格好良いよなー」

 そう上機嫌に笑いながら。

 

 

 

 ――その結果、神を殺す為の「奥の手(とっておき)」が誕生したのである。

 

 

 

 その威力は絶大で、人気のある場所での使用は厳禁しなければならなくなった。

 下手をすると周囲一帯が人どころか生き物が住めない「死と滅びの世界」と化してしまう。

 環境を好きに操作出来るこの幽世でなければ絶対に使用していけない程の禁じ手だった。

 真正面から食らえば、例え竜蛇の天敵である≪鋼≫の神といえども致命傷を負う事は避けられないだろう。

 これからは、この"力"を自由自在に操れるようになる事が今後の課題と言えた。

 こうして雄治は、二柱の神の力を文字通りの意味で自分の"力"にする事が出来た。

 彼は思う。

 「借り物の力」のままではいけない、と。その力の主人に本当の意味で成らなければ、いずれその"力"は持ち主を裏切るかもしれない。そう危惧しているからこそ、雄治は権能を自分が思うようにアレンジし、オリジナルから多少逸脱させたのだ。

 他のカンピオーネたちは本能的にこの事を理解していたからこそ、無意識に自己流のアレンジを施した上で権能を簒奪した。

 オリジナルに近い権能を得た神殺しは、だからこそ権能のアレンジが出来るのだ。

 そして権能は、"使う"のではなく"使いこなさなければ"ならない。権能に使われるのでは神殺しの意味がない。権能を本当の意味で掌握しなければ、倒した神にも失礼にあたるというものだ。

 サマエルの権能は、先程アレンジが完了した。

 夜刀の神の権能は、肉体を部分的に変化させる部分がアレンジした点だ。これは無意識にだが。

 権能(ちから)を本当の意味で制御する事が出来なければ、その者は巡り巡って最も危険な状況に陥る――そう雄治には思えてならなかった。

 だから雄治はこの無人の世界で権能への理解を深め続けるのだ。最も自分に見合う戦闘スタイルを身に着ける為に。その為には、漫画のような馬鹿げた訓練を行いもした。結果的に出来るようになったのだが。壁走りや水面走り、木に足の裏を呪力で張り付かせて歩行、空中で一時的な足場を呪力で作ってからの二段ジャンプ。こんな妄想染みた運動だろうと面白いように身体が追従してくれるのだ。面白くないワケがない。

 指一本で樹木を貫通する事も、手刀で岩を両断する事も、掌底で地面を陥没させる事も可出来るようになった。

 こうなってしまえば、漫画やアニメ、ライトノベルを片手に、雄治は馬鹿な訓練に身を費やし続けた。一端の格闘家や術者が見れば、非効率甚だしい鍛錬やあらゆる意味で有り得ない特訓を続ける雄治の姿は、狂人のそれだろう。

 しかしそこには雄治なりの意味があった。

 有り得ない"神の力"を手に入れたのだ。ならば、有り得ない訓練や鍛錬にこそ、権能や神殺しの肉体を使いこなす為のヒントがあると雄治は考えたのだ。言うまでも無く馬鹿の発想である。

 だが、そう結論付けた彼の意思は堅い。

 師匠である大吾も始めは呆れていたが、徐々にだが効果が出てきた事を理解してからは面白半分にそれを煽る次第だった。正確には、神殺しとしての身体の使い方を理解し始めた――と言うべきなのだろうが。

 今となっては頻度は下がっているが、仕事の無い日に雄治の鍛錬は例え短くとも必ず行われている。

 「全力」を出す事に心も身体も慣れておかなければ、神を倒す事など出来ない。

 それこそが、雄治がまつろわぬ神との戦いの中で学んだ経験の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「私は、沙耶宮浩一郎(さやのみやこういちろう)という者です。お電話でお話しした通り、四家の一つ沙耶宮分家の人間です」

 電話の向こうでそう自己紹介した男が、今はこうして雄治と個室のテーブルを挟んで座っている。

「まずは、こうして話を聞いて頂き、真に有り難う御座います」

 杓子定規にそう言って頭を下げる依頼人。

「いえいえ。分家とはいえ名家の一族に連なる人間が、こうしてウチみたいな場所に来るなんて相当でしょう。それで、お話というのは?」

 男は少し俯き、写真を見せた。

「……これ、は?」

 そこには妙齢の女性の姿があった。寝巻きで寝ている姿を写したもののようだ。

「……妻です。つい先日、何者かによって目覚めないように呪いを掛けられました」

 男は怯えるように周囲を見渡して、

「私は、「ある呪い」を掛けられています。それは、眠る度に徐々に死に向かうという呪いです」

「……続けて下さい」

「誰かは解りませんが、妻と私にその呪いを掛けた者は、自らを「ヘルメス」と名乗りました」

 震える声で依頼人は言った。

「情報と旅人、商人の神ですね。そして盗賊の神でもある」

 頷く依頼人。ギリシャ神話でもメジャーな神だ。

「しかし、正史編纂委員会の東京分室を統べる我が沙耶宮本家次期頭首であらせられる(かおる)お嬢様が、武蔵野の媛巫女に霊視をお願いして頂けたのですが、「神の気配は感じられない」との事でした」

 武蔵野の媛巫女とは、関東一帯を霊的に守護する一団において上位の霊視能力を持った巫女を指す。

 

 その媛の霊視では神の気配は感じられなかったそうだ。……余談だが、もしこの霊視を、若くして媛巫女となった「とある茶色髪の少女」が行っていたとしたら、事態は急展開を迎えていただろう。しかしそれは「もしも」の話だ。

 武蔵野から「神ではない」と説明を受けた依頼人が、いくら腕の立つ呪術師や魔術師を呼び寄せても、一向に解呪することが出来なかった。

 そして、

「私は、眠る度にその神を名乗る男が顕れる夢を見てはこう言われるんです。妻を渡せ。渡さなければお前を殺して妻を奪う、と」

 ピクリ、と雄治の眉が動く。

「勿論、私とて術者の端くれ。この身に掛けられた呪力を逆探知しようとしましたが、相手はヘルメスを名乗るに相違ない凄腕らしく、私では見つけられませんでした」

 悔しそうにそう言う依頼人。

「もう、どうしようかと思っていた時に、この探偵事務所の噂を聞いたんです。失せ物に捜し人、呪い等に強い私立探偵がいる、と」

 間違いなくそれは雄治である。

 依頼人は両手をテーブルに突いて、頭を下げた。

「どうか! どうか妻を、助けて下さい。例え私はどうなってもいい。だから妻を……っ!!」

 涙を流して懇願する依頼人。

 そんな姿を見て雄治は思う。……こういった人情話、弱いんだよなぁ。

 だからこそ、返事は決まっていた。

「解りました。御力になれると思います」

 雄治は力強く快諾する。

 例え神であろうがそうではなかろうが、雄治にとってはどうでも良かった。

 どちらにせよ殴る事には変わりなのだから。

「おお……っ!」

 嬉しそうな声を上げる依頼人。

「ですが、もし相手方が手荒い方法を取ってきた場合、生きたままの捕縛は、難しいでしょう。それでも宜しいですか?」

「はい……! それはもう……!!」

 犯人は二の次。

 大事なのは妻だけのようだ。

「それと、荒事に捲き込まれるのですから、少々依頼金は高くなりますが宜しいですか?」

「はい、勿論です!!」

 一切迷い無く頷いた。

「では、報酬として五百万程頂きましょう。話を訊く限りどうやら骨が折れそうですし」

 慣用句的な意味でも、物理的な意味でも、だ。

「五百万、ですか……。いえ、これも妻の為。妻を目覚めさせてくれるなら、五百万円くらい痛くも痒くも無い……!!」

 強い眼差しは変わらなかった。

「……余程奥さんを愛しておられるようですね」

 そう感心すると、依頼人は照れた様子で教えてくれた。

「妻とは、お互いが大学生の時に出会いましてね。とても綺麗で、私なんかには勿体ないくらいの女性でした。それから七年付き合って結婚したんです。傍から見れば遅いでしょうが、お互い大事に想っていたので遅いとは思えませんでした」

 愛おしそうに薬指に嵌められている銀の指輪を見下ろす依頼人。

「そして、三日くらい前に彼女が言ってくれたんです。子供が出来た――って」

 男の眼にまた涙が浮かぶ。

「なのに……、彼女は目覚めない。僕はまだ、電話越しでしか彼女に感謝を伝えていないんです!! だから……っ! どうか僕に、彼女を返して下さい……!!」

 言うまでも無いことだった。

 雄治は立ち上がり、声を掛けた。

「……沙耶宮さん、行きましょう。他人(ひとさまの大事な|女《たから)を無理矢理奪うような真似した馬鹿に、モノの道理ってヤツを教えに」

 中折れ帽を目深に被り、そう依頼人を促した。

「……これからで、いいんですか?」

「ええ、こういった事は早い方が良い。……ああ、それと」

 そこで区切り、男はニヤリと悪役のように笑って言った。凶悪な笑顔を見て、依頼人の胸中には逆に頼もしさが浮かんでいた。

 

 

 

「報酬の準備、しておいて下さいね?」

 

 

 

 そんな雄治の言葉に、依頼人はしっかりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わって東京某所の閑静な住宅街に雄治はいた。

 依頼人の家だ。

 既に仕込みは終わっている。

 寝室に寝かされている女性を視認して、

「……成程ねぇ」

 雄治は確信する。この呪いを掛けたのは、間違いなく「神」だ。

 流石盗賊や詐欺師の神なだけはある。騙しや誤魔化しは十八番のようだ。

「こりゃ五百万ってか、一千万くらい貰った方が良かったか?」

 そんな軽口を叩きながらも、雄治はその時を待った。

 家に入る前に、雄治は依頼人に「ある事」を宣言するように提案したのだ。

 それは、

「「ヘルメス」っ、僕と(みか)を賭けて勝負しろ!!」

 女と博打が大好きなギリシャの神にとっては最高の餌を投げつけさせたのだ。

 その瞬間、家に『声』が響いた。

 若い男の声だ。

『あーっはははははは!! いいだろう。その言葉を待っていた!!』

 そして、「何か」が顕現しようとするが――その前に何者かがその「何か」の腕を掴んだ。

『っ!?』

 驚いたのが息を呑む気配で解った。雄治は「隠形術」で姿を消していたのだ。

『きっ、貴様は――!?』

「依頼人、沙耶宮浩一郎の代理のモンだ。ちょっと付き合って貰おうか!!」

 そして、気配が二人分、家の中から掻き消えた。

「か、皆藤さん……!! 美果っ!!」

 声が聴こえた妻の寝室へと向かう。

 そこには、少々物が倒れている以外は普通の寝室に、まだ眠り続けている妻がいるだけだった。

 雄治もヘルメスを名乗る術者もいない。恐らくは、妻と自分に呪いを掛けた相手がいる場所に引き摺り込まれたのだろう。もしくは、雄治自身がどこかに自分ごとヘルメスを転移させたのだろうか。あまりそういう事が出来る術者には見えなかったのだが。

 相手が顕れればなんとか出来る。

 あの凶悪な顔の探偵の言葉は、嘘ではなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか神殺しにアストラル界へ招かれるとは……解らないものだ」

 目の前で髪の毛を弄っているのは、金髪の美丈夫。

 古代ギリシャで着られていたエクソミスと呼ばれる肩と手足を露出させた服装の男は、面白そうに熱砂の世界を見回している。

「まつろわぬ神のヘルメスだな。俺個人に怨みは無いが……まあ、他人の妻(ひとのもの)狙うような脳味噌が下半身と直結してそうな馬鹿は去勢してやるよ」

「ふん、どんな神から権能を簒奪したかは知らぬが、|貴様(かみごろし)風情に我が迸る「愛の疾走」を止められると思うな!!」

「なにが愛の疾走だ。ここは日本だ。テメェみたいな節操無しが自由に女を抱ける(他人の妻を奪える)場所じゃねぇって事を骨の髄まで教えてやらぁ!!」

 その言葉と同時に雄治は右腕を夜刀の神のそれにして、臨戦態勢に移行した。

 ヘルメスは翼の生えたサンダルと巨大な大鎌を持ち、腰には二匹の蛇が巻き付いた杖を差した姿で――雄治に向かって駆け出した。

 ほぼ眼では視認出来ない速度だ。流石伝令神。現代風に言えばパシリ神だろうか。

 背後へと回り込んだヘルメスは、その大鎌で雄治の首を刈り飛ばそうとするが、雄治の蛇眼が彼を注視しているのが見えたので、即座に離脱した。

「その眼……死を司る古き蛇の神より力を簒奪したか。恐らく貴様が扱えるのは、毒と呪い」

 ヘルメスの推測は当たっている。

 勿論それを態々言うつもりはないのだが。

「だが、悲しいな。毒はこの双蛇の杖がある限り私には効かない!! 死を与える呪いは、その眼を直視しなければ問題は無い!! 故に貴様は、我が杖(ケリュケイオン)かこの"ハルパーの鎌"にて冥府へと堕ちる以外に道は無いのだっ!!」

 まだ戦いは始まったばかりだというのに、随分と優越感を滲ませた顔をするものだ。

 もう話す言葉は無い。

 目の前にいるこの節操無しの下半身男は殺す。

 雄治はそう心に決めていた。

 依頼人が先程、師匠の店で話してくれたのはどこにでもあるような、しかし本人たちには真剣な安っぽい人情話だ。

 だが、だからこそ依頼人とその奥さんには、暖かい日常が似合う。雄治はそう思ったのだ。

 こんな商売をしていれば、陽の当たる場所で笑うべき人間が、神や神殺し等という「理不尽の塊」の被害に遭う事などザラだ。

 だからこそ依頼人は、名家と称される術者の一族、その分家の子として生まれながら、そういった存在から距離を取り、平凡な日常を望んだ。愛する妻を得て、彼は分家から自分の名を除籍する事さえ考えていた。在野の術者となり、愛する人と二人三脚で生きていこうと思っている矢先だった。

 空気の読めない馬鹿な神が顕れてしまったのは。

 二人の愛の巣を土足で踏み荒らし、今まさに愛する妻を奪おうとしている。

 それを赦してはいけない。

 神話では様々な女神との間に子供を作ったヘルメスだが、いい加減股間の節操無しを駆除する良い頃合いだろう。

 そう。

 雄治は本気でヘルメスの下半身のモノを去勢した上で倒すつもりなのだ。

 腕を伸ばし、蛇の頭(というか角の切っ先)をヘルメスに向ける。

「……?」

「手術の時間だ。(息子との)別れの挨拶は済ませたか?」

 そして、眼では追えない速度で蛇は伸びた。

 慌てた様子でそれを避けるヘルメス。

 あと少し速ければ、角の切っ先はヘルメスの大事な部分に直撃していた事だろう。要訓練である。

「貴様ぁ……っ! なんという恐ろしい事を……!? それでも貴様「男」か!?」

 声が裏返るヘルメス。

 だが、雄治は何も言わない。

「え、いや、あの、その、ちょ、ま――!?」

 何も言わせずに剣のような角は振るわれる。全て下半身に向けてではあるが。

 ガキン、ガチン、と大鎌と角がぶつかっては弾かれる。

 しかし角は徐々に目的の場所へとその切っ先を近づけていた。このままでは本当に切り落とされてしまう。

 その未来を幻視したヘルメスは本気で目の前の神殺しを斃そうと決意する。

「ちぃっ!! 図に乗るなよ神殺し風情が!!」

 その言葉と共に羽根付きのサンダルが黄金色に輝きだす。

 伝令神として本領を発揮するつもりなのだろう。威圧感が増していくのが解った。

「ここからは本気だ。二度と我が「溢れ迸る愛」には触れさせんぞ……!!」

 ヘルメスが一歩踏み出す。踏まれた地面は有り得ない深さで陥没し、その部分には金の粒子が舞う。気付けばヘルメスは雄治との距離をゼロにしていた。振るわれる大鎌を咄嗟に蛇の角でいなし、半歩下がって攻撃するが、その攻撃は避けられる。既にヘルメスは角の届かない距離まで離脱していたからだ。

 厄介だ。本気を出したヘルメスがここまで速いとは思わなかった。眼では追えない速度とはこの事だ。下手すればこちらが対応するよりも前に首と胴が泣き分かれになってしまうだろう。

 しかし、そんな状況下にあっても神殺しは――雄治は諦めるという選択肢を選ぶことは無い。そうでなければ神殺しになど成れるワケがない。

 ヘルメスは更に加速する。大鎌を振り被り最高速で一撃を見舞う一撃離脱攻撃。有り得ない事に徐々に速度が増しているではないか。このままでは何も出来ぬまま雄治の首は刎ねられてしまうだろう。

 残像すら見え始めたヘルメスの速さに翻弄されるがままの雄治だが、しかしその眼に絶望や恐怖、諦めの色は浮かんでいなかった。

 何故なら。

 神殺しは、諦める事を良しとしない「愚か者」のみが至れる境地なのだから。

 だからこそ、彼等は神殺し――カンピオーネ(おうじゃ)なのだ。

 

 




ちょっとコミカルになってしまいましたね。
こんなつもりじゃなかったんですがね……(遠い目

あ、サマエル(改造体)のモチーフは、某神を喰らうゲームに出てくる竜です。
主人公にこの姿をさせて戦わせたいと思ったので、こうしました。
要するに作者の趣味です(苦笑

追記:サマエルの描写を変更しています。


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探偵と女好きな神サマ 下

格好良く主人公を描けているか心配です。
ワザとらしくならないように気をつけないと……


 蛇。

 ギリシャ神話を始め様々な西洋宗教で邪悪と認定された生物である。

 救世主(イエス・キリスト)が謳ったキリスト教においては、人に智慧という大罪を与えた最も邪悪なるモノとされており、二十世紀が過ぎた今でさえも西欧諸国では蛇を嫌う人間は多い。

 余談ではあるが、雄治が倒したサマエルこそが、アダムとイヴに智慧の実を食べるように嗾けた蛇である、という説も存在している。……尤も、これはサタン説やルシファー説に比べると些かメジャーとは言い難いのは確かだが。

 話を戻すが、恐らく最も日本で有名なギリシャ神話における蛇の怪物と言えば、『メドゥーサ』を思い浮かべる人間が多いだろう。

 無数の蛇の髪を持った人間の姿をした化物。その眼を見た者は、おぞましさと眼に宿る魔力によって石化してしまうとか。

 幾人もの人間がその怪物の犠牲となり、勝利の女神アテナと伝令の神ヘルメスの加護を得た英雄神ペルセウスによって倒されてしまう。

 その時に用いられた武具が、ヘルメスより飛翔する靴(タラリア)とハルパーの鎌、身を隠すハデスの兜、そしてアテナより全てを跳ね返す(アイギスの)楯なのである。

 ペルセウスはこれらを使い、見事メドゥーサの首を切り落とした。

 多少描写や過程に差異はあれど、どれも結末は同じメドゥーサの首は必ず落とされる。有名な神話の一幕と言えるだろう。

 だが、その怪物の正体が、神々に翻弄された哀れな一人の娘だと知る人間になると途端に少なくなる。

 メデューサはアテナ、もしくはポセイドンの妻に呪われ、醜い怪物の姿へと転じさせられたと云う。

 その理由は諸説あり、メドゥーサが「私の髪はアテナよりも美しい」と傲慢に言い放ったが為に報いを受けた説や、ポセイドンとメドゥーサがアテナの神殿で密通していた事にアテナが激怒した説、ポセイドンとの密通をこの神の妻に知られ呪われた説等、様々な説が存在する。

 そのどれが正しいのかは判らないが、その醜い姿になった彼女を殺した男こそ、英雄神ペルセウスであり、彼女の首を刈り落とした武器こそ『ハルパーの鎌』なのだ。

 しかし。

(……おかしい)

 雄治は疑問に感じていた。

 ハルパーの鎌は、神話では片手で持てる武器とされていた筈だ。もう片方の腕にはアテナから借りたアイギスの楯があったのだから。

 実際、ハルパーとは鎌を意味しており、当時のギリシャにおいて鎌は「片手で引き斬る鎌」が主流だった。

 だが目の前にいるヘルメスが持つ『ハルパーの鎌』は、巨大な大鎌。首を刈るどころか人体を両断出来そうな巨大な刃を有している。

 普通ならば、この大鎌は『ハルパーの鎌』だとは思わないだろう。

 だが、雄治にはこの大鎌が『ハルパーの鎌』だという確信があった。

 何故なら、自身の内に在る二つの権能が激しく警戒するのを感じていたからだ。

 神話において特定の生物を殺した武器には、その生物に対して高い殺傷能力を持つようになる。要するに武器がその生物に対して特化した威力を発揮するようになるのだ。

 そして、神話において「ハルパーの鎌」が刈り取ったのは、蛇の怪物――メドゥーサの首である。つまりこの鎌には、『蛇』や『竜』を殺す――『竜蛇殺し』の能力が備わっているのだ。

 余談ではあるが、この神は海から生まれた女神(アフロディーテ)に男として恥ずかしい外道な迫り方をして子を産ませている。

 つまりこのヘルメスという神は――

「やっぱテメェ、《鋼》か!?」

 雄治はそう叫んだ。

 そんな仇敵の反応を楽しみ、朗々と詩を読み上げるようにヘルメスは言う。

「今更だな、神殺しよ!! 尤も、私とアテナが加護を与えたペルセウスこそが《鋼》であり、私はそのお零れを貰っているに過ぎんのだがね!!」

 それは言外に自分は《鋼》ではないが、《鋼》としての力を持っていると言っているようなものだ。だが、そんな事が有り得るのだろうか?

「よく言うよこの二枚舌が!」

 そう悪態を吐きながらも、最小限の動きで雄治はヘルメスの斬撃を避け続けた。

 確かに、視認出来ない高速での一撃は読み辛い。

 しかしその攻撃は一直線だ。射線上に入らなければ致命傷を受けることはない。

 言い換えれば、致命傷は食らわなくともダメージは蓄積されるという事なのだが。

 しかしそれでも、雄治はヘルメスの大鎌を操る腕に安堵を覚えた。そこまで脅威に感じないからだ。精々が一流、その程度と言えた。

 いくら神とはいえヘルメスは伝令神。疾く速く駆け抜け、情報を父なるゼウスに届けるのが仕事だ。

 戦闘に長けているとは間違ってもいえないだろう。

 確かに神話でヘルメスは、百目の巨人「アルゴス」を倒しているが、簡単に言ってしまえばアルゴスを眠らせてから首を刎ねただけである。要は暗殺のそれだ。

 《鋼》とは、古い地母神をまつろわせ、その神性を奪い貶める役割を持った鋼/刃金の武器を持った存在を指す。女にだらしなく節操が無いのも特徴だとパンドラは言っていた。

 ならば、このヘルメスは《鋼》だ。

 例え《鋼》ではないにしても、『竜蛇殺し』の力を持った鎌を持っているのだ。《鋼》の神と思って戦う方が後々の為になるだろう。

「ふははははははは!! いつまで避けられるかな!?」

 哄笑と共に振るわれるその斬撃をかわしながら、雄治は無視できない痛みと違和感を感じていた。

 避けたと思った攻撃が、徐々に身体に当たり始めたからだ。

 避けそこなった、ではなく。まるで移動する場所を予知していたかのように正確になってゆく攻撃。

 そのせいで現在の戦局は劣勢。徐々に追い詰められていると言っていい。

 まるで見えない糸に絡め捕られているようだった。

 もしくは、時間を止めるか巻き戻して当たるように軌道修正しているような……

(まさか……!?)

 その瞬間、雄治の脳裏に閃光が瞬いた。

 依頼人の家へ向かう前に調べたヘルメスに関連する話を思い出したのだ。

 元々ヘルメスという神は、ギリシャ神話においてトリックスターの役割を担う神だ。

 アポロン(太陽神)を欺き、叡智を得た神。

 人に様々な知恵や技術を与えた神。

 様々な女神と子を為した神。

 死後の世界へと自由に出入り出来る神。人を眠らせる事も殺す事も自由自在に出来たと云う。

 これらはヘルメスの逸話の一部だ。更に前述のアフロディーテの一件を加えれば、《鋼》に分類されるには充分と言えるだろう。

 だが、伝聞になるが魔術師を指して「ヘルメスの弟子」と呼ぶらしいのだ。

 古い女神をまつろわす《鋼》の神が魔術の祖だというのだろうか?

 確かにヘルメスは学問や錬金術の神とも呼ばれている。

 これらの疑問に関して、雄治は納得のいく答えを導き出せていない。

 だから、その事についてはもう考えないようにした。

 元々、この神について余り良い感情を持っていないのだ。

 権能を奪う事もそこまで重視しているワケでもない。大事なのは、この神を殺すという一点のみ。

 大の男が涙を流して依頼してきた以上、例え神だろうと始末してやると雄治は決意していた。人情話に弱い雄治にとって、それだけで神と戦う理由は充分だった。

 人妻に悪びれずに手を出すような節操無しな神など必要無い。例えどんな恩恵があろうと関係ない。

 この神を殺す事のみを考え、どう実行するのかが今最も重要なのだ。

 神の解析など、どこぞの学者共に任せておけばいい。

 依頼を果たす為の考察は大事だが、相手の来歴を解き明かせば勝負に勝てるような権能など持ち合わせていないのだ。

 どうやってあの竜蛇殺しの大鎌と高速で飛翔するサンダルを攻略するのか、それこそが今一番重要な問題と言えた。

(あの野郎は、文字通りのトリックスター(詐欺師)だ。あの大鎌が『ハルパーの鎌』の本性って事はまず有り得ない。必ずあの姿には何か理由がある筈だ……)

 全身を切り裂かれ、血を流しながらも決して諦めずに思考を巡らせる雄治。

(……そして、普通は有り得ない「時を止めた」ような攻撃軌道の変化……! 間違いねぇ)

 思い返せば、ヘルメスの父ゼウスの持つ「とある大鎌」と『ハルパーの鎌』は同一だという説があった筈だ。

 その大鎌の名は確かーー『アダマスの鎌』。

 地母神ガイアが夫ウラノスを去勢する為にゼウスの父クロノスに渡した"絶対に壊れぬ大鎌"だとか。

 クロノスの失脚後に子であるゼウスに継承された『時の翁の大鎌(アダマス・ハルパー)』は、クロノスが同名の時間神(クロノス)と習合されたが故に時間操作の概念を得てしまう。

 もしこちらの推測どおり、あの大鎌が「それ」ならば、時間を止めているのは最早確定事項だ。

 あれには『竜蛇殺し』の他に、『絶対に壊れぬ強度』と『時間操作』の能力があるのだろう。

 そしてヘルメスがこれ見よがしに左手に握っている二匹の蛇と翼の装飾のある短杖。

 これの名を『ケリュケイオン』と云うらしいが、その杖は神話によると、「眠らせる事」と「起こす事」を自由に操れる――つまり生き返らせる事と殺す事を自在に操る事が出来る恐るべき杖とあった。

 言うなればこの杖のせいで、依頼人は眠る度に死に近付き、依頼人の妻は目覚めなくなってしまったのだ。

 それを踏まえた上で、先程のヘルメスの発言を振り返る。

 まるであの短杖を奪えば、雄治の権能(どく)はヘルメスに通用する、と言っているようなものだ。

 だが、前述した『ケリュケイオン』に毒を治癒する能力は無い。

 ならばあの言葉は、

(ブラフか)

 そう断言してもいいだろう。

 寧ろあの大鎌にその効果はあると考えるべきだ。毒に侵しても、侵される前まで自分の身体の時を戻されては意味がない。

 そう考えると、あれは大鎌に必要以上の注意を向けさせない為の方便と考えるのが妥当。 そして意識させるモノを分散させる事で攻略法を見出させないようにする為なのだろう。成程、理に叶っている。

 だが、それと同時にある疑問が浮かんだ。

 もしあの大鎌がこちらが推測している「アレ」だとしたら、何故即座に時を止めてこちらの首を刎ねようとしないのだろうか?

 その疑問と同時にある仮説が思い浮かんだ。

 戦闘時、最も重要な事に気付けるその超直感は、神殺しにはデフォルトで備わっている。

 答えは単純で、恐らくは正式な所有者(ゼウスやクロノス)ではないからだ。

 だから時間を少し止めて軌道を修正するしか出来ないのだろう。

 ならば、いくらでも手はある。

 そしてその中で一番自分好みの選択は――

「まあ、本気出す以外に俺の選択肢は無いようなもんだがな」

 真正面から相手をすること。

「む?」

 その言葉にヘルメスは少しだけ距離を保ち、何が起きても対処出来る様に身構える。

 とても詐欺師や盗賊に崇められている神とは思えない行儀の良さだ。

 雄治はボロボロになったジャケットと中折れ帽を脱ぎ捨てた。

 そして、唱え始める。

 

「――我は蛇」

 

 その瞬間、雄治の気配が「変わる」。

 それは、神を屠った者の勝鬨。

 それは、神々を挑発する魔王の言葉。

 それは、手に入れた神の権能を掌握した男の宣言。

 それは、本能の底より溢れる苛烈なる意思を表していた。

「……貴様」

 初めてこちらに怒気の籠もった視線を向けるヘルメス。

 矮小なる人の子への嘲弄の混じった微笑を向けていたヘルメスが、初めてその顔を怒りで歪めたのだ。

 

「その身は怨み、その牙は毒、その眼は死、その角は敵対する全てを滅ぼす呪いの剣」

 

 神殺しの聖句。

 神より手に入れた権能を十全に扱う為に神殺しが唱える祝詞。

 

「我は縁を暴き、咎人の係累全てを滅ぼす者。怨み。恐れ。呪い。毒。我はそれらを以て敵に害為す古き蛇」

 

 この聖句は、雄治が夜刀の神の権能を本気で使う時のみ唱えるものだった。

 これは雄治が考えたオリジナルの聖句でもある。

 元々『常陸風土記』には、夜刀の神の簡単な姿の概要と、その能力しか記載されていなかったのだ。後は全て人に追い立てられる描写のみ。

 聖句にするには余りに短い。それ以上に神を描写している記述が少なすぎる。

 だから雄治は本能的にその文章を使う事を避けたのだ。

 これは、権能を快く寄越してくれた夜刀の神へのせめてもの配慮と言えた。無論、それはサマエルにも言える事ではあるが。

 そして、聖句が完成する。

 

 

 

「我こそは夜刀の神。毒と呪いの蛇神也!!」

 

 

 

 聖句の完成と共に、雄治の全身から凄まじい呪力が迸った。

 その気配は、まさに蛇神のそれ。

「――っ!?」

 今まで感じられなかった威圧感と圧迫感をヘルメスは感じ、先程まで雄治が「手加減」していた事を嫌でも悟ってしまう。

 そう、神殺しであろうと脆弱な人間風情が、見上げ崇めなければならない神を前にして、手を抜いていたというのだ。

 それを侮辱と取ったヘルメスは、その眉目秀麗な顔の全てを憤怒で歪めた。

「たかが人間風情が、偉大なるオリュンポス十二神の一柱に数えられるこのヘルメスを相手に随分と舐めた態度を取るものだな。その首、余程要らぬと見える」

 声を荒げないものの、そこに込められた怒気と殺意は隠しようもなく雄治に伝わっただろう。

 だが、雄治はそれに答えない。

 人では有り得ない鮮やかな赤い「蛇の眼」となった己が両眼に殺意を漲らせて、角の生えた蛇と化した右腕を構えるだけだった。

 その態度を不遜と感じたヘルメスは益々怒りを募らせ、短杖を再び腰に戻した。

 両手で大鎌を握り締め、先程よりも明確に雄治の命を狙おうとヘルメスは腰を落とし、膝に力を込めていく。

 雄治もまた、その腕に呪力と力を込めていく。ヘルメスのスピードには叶わないと判っているのだ。ならばカウンターを狙うしかない。

 そして二人は、たった一言を異口同音に言い放つ。

 

 

 

「「――死(に給え)ね」」

 

 

 

 その言葉と共に、再び二人は激突した。

 ヘルメスは黄金に輝く脚を踏み締め、砂漠の砂を後方に高く巻き上げながら疾走する。その速度はまさに神速と言えた。

 対して雄治は、その一撃から眼を逸らさないように身動きすらしない。接触するその一瞬で、逆に相手の命を奪おうと考えているからだ。

 そして、ヘルメスは横にステップを踏み――雄治の視界から消えた。

 

 

 

「浅はかだな、神殺しよ」

 

 

 

 そんな嘲弄の言葉が背後から聴こえてきた。ヘルメスが雄治の背後にまさに神速で回り込んだのだ。

 そう、この神は最初から雄治とまともに戦う気が無かった。精々目を付けた女を手に入れる為の多少手強い障害程度にしか考えていなかったのだ。

 だから相手を必要以上に格下と挑発し、雄治の挑発の意味を込めた聖句に激怒した『演技』をしてみせたのだ。そして一直線に来ると見せかけて、人が視認出来ない速度でステップを踏んで背後へと回り込む。

 真っ直ぐ迫る剛速球が、その速度のままに背後へと半円を描いて移動したようなものだ。常人では、何が起きたか理解する前にその首は刈り取られていただろう。

 そう、相手が雄治のような神殺しではなかったのなら。

 故に、軍配は雄治に上がる。

 背後より神速のスピードのままに振るわれる大鎌が雄治の首に到達するほんの少し前。

 ヘルメスは確かにその刹那に彼の言葉を耳にした。

 テメェがな、そう雄治は言ったのだ。全く慌てていないどころか勝利を確信しているような声音がヘルメスの耳朶を打ったのだ。

「なに――?」

 それに戸惑うよりも早く――ドスッ、と剣が人体を貫く音が聴こえてきた。ヘルメスが自分の胸元を見下ろすと、そこには夜刀の神の角が突き刺さっているではないか。

 右腕の蛇が神殺しの左脇下からその蛇体を延ばし、その角を背後に現れたヘルメスの胸に突き立てていたのだ。まるで背後にヘルメスが現れると確信していたかのような正確さで胸の中心を貫いているではないか。

 その突き刺さった角を介して“毒”と“呪い”がヘルメスの体内に流れ込む。それらは一瞬でヘルメスの全身に周り神の身体を滅ぼしてしまう。それを証明するかのように、この神の口から一筋の血が流れ――遂には吐血する。

 これが斬撃ならばまだ対処法はあった。斬られる前に即座に時間を巻き戻せば良かったのだから。

 だが角は突き刺さったままなのだ。例え肉体の時間を巻き戻したところで、角が突き刺さっている以上どうしようもないのだ。例え毒と呪いに侵される前に時間を巻き戻したにせよ、角が突き刺さっているという事実を変える事はヘルメスには出来ない。

 これで終わりか。

 それが解ったヘルメスが静かな様子で雄治に話し掛けた。先程までとは偉く違う雰囲気である。

「…………一つ訊きたい。何故、私が背後から貴様を狙うと判った……?」

 最早これでは助からぬ、それが解っているヘルメスは少量の賞賛の意味を込めて雄治に問い掛けた。

「テメェは産まれた時から嘘吐きって話だったからな。だったらその言動の逆こそが真実って事だろ。猪みたいに真正面からこっちに突っ込んできたから直ぐ解ったよ。何か裏があるってな。その靴のアドバンテージがあるのなら、背後から俺の首を刈るのが一番手っ取り早い。半分以上は賭けだったが、成功したから問題無いよな」

 そう言われ、ヘルメスは苦笑するしかなかった。つまり己の慢心が、この敗北を呼んだということだ。

 雄治は絶対に勝つ為に本気を偽り、ヘルメスは楽に勝つ為に感情を偽った、つまりそういう事なのだろう。

「成程。これでは負けるワケだ」

 勝利への飽く無き貪欲さ。それこそが勝敗を分けた。

 雄治にとって勝利とは「相手を叩き潰して生き残る」事であり、ヘルメスにとっては違っていた。

 彼にとって勝利、それは「万難を排して女性を手に入れる」事だったからだ。

 そう、彼は元々雄治を目的を阻む障害としか認識していなかった。例え相手が神殺しであってもだ。それが間違いだと死ぬ間際になって実感するのだから本当にどうしようもない。

 自嘲を込めた低い笑いをヘルメスがしているのを見て、雄治は思う。

 せめて最期くらいは派手に送ってやろう――と。

「最期だ。特別に俺の「切り札」の一つ、見せてやる」

 雄治はそう言って、身体を反転させヘルメスに向き直り、左の五指を蛇へと変えて相手の身体に巻き付け、締め付ける。そして牙より毒と呪いを流し込む。

 そのまま上空へとヘルメスの身体を運び、蛇より解放する。

 勿論それは次の攻撃への前準備。

 蛇と化した両腕を元の人の腕へと戻し、腰の横で引き絞る。まるで矢を番えた弓のように。撃鉄を起こされた銃のように。

 拳を堅め、頭上の神を見上げる雄治。

 その眼には、ただ「討ち斃す」という強い意志のみがあった。

 彼の意思を反映するかのように、彼の全身に呪力が迸り、地面には雄治の影が広がった。その影の中からは、無数の赤い眼光が覗いている。雄治が生み出す夜刀の眷属たちだ。

「……ぐぅ……ふふ、では見せて貰おうか。神殺しの「切り札」とやらを……!!」

 半ば意地でヘルメスは笑みを浮かべて、自分を殺すであろう男を見下ろす。

「ああ、見せてやろうじゃねぇか!!」

 そして彼は腕を勢い良く横に広げ、拳を開き――両の十指を大蛇へと変えた。

 

 

 

「――我は呪いと毒を持って仇敵を討ち滅ぼす者っ!」

 

 

 

 それら十の大蛇と、影より溢れ出た無数の蛇が、その身を伸ばしながらヘルメスへと襲い掛かる。

 

 

 

「――我は個にして群なる者! 我は角と牙を持ちし者!」

 

 

 

 頭の角で斬撃し、牙を突き立て、その巨体で体当たりを食らわせる。

 

 

 

「――我が呪いと毒、その全ては我が仇敵を滅す死の剣!!」

 

 

 

 これらの攻撃を、何度も何度も雄治はヘルメスに繰り返した。

 上下左右関係無く縦横無尽に繰り広げられる容赦の欠片も見当たらない攻撃。

 それによって嵐に煽られる木の葉のように、ヘルメスは空中で身動きする間も与えられずに攻撃を受け続けては吹き飛ばされていく。

 

 

 

「――我、眼前の仇敵を滅ぼすに一切の躊躇い無し!!」

 

 

 

 そして、雄治から溢れる呪力で影の中に在る全ての蛇が呪力に還元され巨大な大蛇へと姿を変えて、ヘルメスが打ち上げられたその更に上空から襲い掛かった。

 

 

 

「――喰らいつけ、夜刀の眷属っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 口内に乱立する杭のような牙でヘルメスを喰らいつき、そのまま地上にいる雄治目掛けて突進する。このまま地面に叩きつける? いや、そうではない。

 斃すならば、自身の肉体で。

 それが彼の己に課した不文律。

 落ちて来る「それ」を見上げ、雄治は唱える。

 

 

 

「――変・()

 

 

 

 肉体の全てを「夜刀の神」へと変えた。

 この一連の攻撃こそが、雄治の『切り札』の一つ。

 巨大な蛇体を撓ませ、角に呪力を集約させる。

 呪力が漲り、まさに神殺しの剣に相応しい姿へと角は変わる。刀身《つの》が伸び、巨大な剣そのものに成った。

 毒と呪いによって形成された神殺しの剣。

 鼻先に伸びる剣は蛇の頭とも融合し、その姿はまるで蛇が纏う戦鎧。

 その鎧の中に在る蛇の赤い眼がギラリと輝った。打倒の意思に満ちた「蛇」には余り似合わない真っ直ぐな眼だ。

『これが俺の――』

 そして――跳躍する。

 身体のバネと、呪力による牽引と反発。イメージとしては『超電磁砲(レールガン)』のそれだ。

 速度を増しながら、その大蛇は空を昇った。文字通り、真っ直ぐに。

 切っ先は既に向けられている。

 

 

 

『切り札だッ!!』

 

 

 

 呪力で編まれた大蛇ごと、雄治はその角でヘルメスを貫いた。衝撃が全身を貫き、そして通過する。

 更に吹き飛ばされ、今度こそ地上に激突するヘルメス。辺りに砂が巻き起こった。

 そんな中、不思議と明瞭な男の声が聴こえた。

「…………ふん。負け、だな……」

 砂の向こうにいた血と砂に塗れた美しき神は、仕方が無いとばかりに嘆息する。

 納得は出来ない。

 だが、確かにこの身を貫かれたのだ。

 徐々に身体が消えてゆくのを感じ、己の力が自分の上空にいる大蛇へと流れ込んでゆくのが解った。

 こうなっては否定するのも馬鹿馬鹿しい話だ。

 ヘルメスは神殺しに敗北した、

 これは純然たる事実である。

「認めよう、名も知らぬ神殺しよ。貴様は確かに我等が怨敵だった」

 やはり謡うようにヘルメスは告げる。

「これは不確かな予言でしかないが、貴様はいずれ破滅する。その「二つ」の毒蛇の力、人の子には過ぎたモノだ。遠くない未来において貴様は狂うだろう。そうでなくても貴様はこの国で生きる以上いずれ逃れられぬ死が訪れよう」

 だが、と前置きしてヘルメスは続けた。

「貴様は既に人の身に余るその権能を己の所有物にしているな。……何故なのかは理解出来ぬが、どうやら納得して死んでいったようだな。彼等は」

 如何にも敗北する定めを持った竜蛇の神らしい。

 そんな嘲弄の言葉に雄治は何も言い返さない。

 真実どうでもよかったからだ。敗者の言葉などに勝者は耳を貸さない。

 忠告ならば聞きもするだろう。だが、嘲弄の言葉は何を言っても惨めなだけだ。既に負けているのだから。

「……ふん。まぁ、その竜蛇の権能を持った男に殺された私こそが、最も滑稽ではある、か」

 そう呟きヘルメスは嘆息する。

 やがてヘルメスは静かに頭上の大蛇を見遣った。

「名を教えて欲しい。未だ誰も知らぬ神殺しよ」

 言葉にはあるのは、末期の静けさのみ。

『……皆藤雄治だ』

 最期の頼みを無視するのは雄治としても本意では無かったので、普通に答えてやる。

「そうか。では皆藤雄治よ。このヘルメスより簒奪した権能を使い、現世を疾走せよ!! 疾く速く駆け抜け、そしていずれ来たる破滅に備えよ!! 貴様や他の神殺しが死ぬのはどうでもいいが、うら若き美しい女性が無為に死ぬのは私の本意ではないのでなぁ!!」

 そう言い遺して、ヘルメスは死んだ。

 地上に着地する瞬間に雄治は人の姿に戻り、

「最期まで女かよ。ブレねぇなぁオイ」

 そう言いながら雄治は呆れたように苦笑した。

 気に入らない神だが、あの女性そのものへの一途さは見上げたものだ。……だからといって複数の女性に無理矢理迫るあのやり方は気に入らないのも事実だが。現代社会でやれば刺されても文句は言えないだろう。

 ……まぁ、それもどうでもいい話だ。

「さぁて、さっさと戻るか」

 ボロボロのジャケットと帽子に付いた砂を落とし、再度着込みながら雄治は幽世を出て行く。

「新しい服も買わねぇとなぁ」

 そんな事を呟きながら帽子を被る。

 ボロボロの姿のまま、しかし一仕事を終えた晴れやかな顔をする雄治。傍から見る限りでは凶悪な顔に違いなかったのだが、それでも彼は満足そうに笑う。

 このまま依頼人に報告しに行こう。

 「もう奥さんは大丈夫だ」と。

 

 

 

 

 

 

 

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「有り難う御座います!!」

 そう言って沙耶宮浩一郎は目覚めた妻と共に雄治に頭を下げた。

「いえいえ。あ、それと結局相手はヘルメスを騙った人間の術者でしたよ。まぁ、ちょっと派手に暴れたせいで連れてくるのは難しいですが」

 実際は神そのものだったのだが、態々真実を教えて怖がらせる必要も無い。

 そう判断した雄治は、ヘルメスをただの人間の術者と嘘を吐いた。殺した事は事実なので、そこは依頼人に説明したのだが、そこはやはり四家の一つ沙耶宮の関係者。

 多少良い顔はしなかったが、殺さなければ自分が死んでいたと説明すると納得してくれた。やはり自分でヘルメスを殴りたかったようだ。

 眠らされていた妻からも犯人に言いたい事はあったが、ボロボロの雄治の姿を見て控えたようだった。

「では、依頼の報酬を……」

 そう言って浩一郎は五百万の入った封筒を雄治に手渡した。

 馴れた手付きで封筒を開け、中の札束を数えていく。

 百万……二百万……三百万……四百万……そして五百万。

 確かに五百万円入っていた。

「確かに。……それと、今回のことは内密にお願いできませんか?」

 雄治は浩一郎にそう頼んだ。

「……何故でしょうか?」

 浩一郎としては「沙耶宮とパイプを繋ぎたい」と言い出すかもと思っていたので拍子抜けする気持ちだった。

 とは言うものの、余り喋って欲しくないのなら、浩一郎としてもそれに従うのは吝かではなかった。

「一応表向きは探偵していますし、余り"裏"の仕事ばかり来るようになっても困るんですよ」

「ああ、成程」

「まあ、"表"の仕事だけで食べていけますし、そこまでガツガツしなくてもいいかな、と」

 もうすぐ三十ですし、少しは落ち着かないと。

 そんな雄治の発言に浩一郎夫妻は少し笑ってしまう。

「それじゃ、そろそろお暇しましょう。また御逢いする日まで」

 そう言って帽子を被る雄治に浩一郎は告げる。

「いえ、これで最後になります」

「……と言うと?」

 彼は妻の手を握り、言った。

「妻と話し合ったんです。東京を離れて田舎で暮らそうって。沙耶宮からも除籍するつもりですし、恐らくはこれっきりになるかと」

 雄治はキョトンとした顔をするが、浩一郎の顔が本気だと物語っているのが解って笑みを零した。

「……そうですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「じゃ、お元気で」

 被った帽子で顔を隠し、しかし口元に笑みを浮かべてその探偵は静かに家を出て行った。

「……良かったの?」

 その後ろ姿を見送る亭主に妻はそう訊いた。何を言っているかは判っているだろう。

「うん。僕にはやっぱり沙耶宮の名前は大き過ぎるよ。市井に生きる術者の一人として君と生きた方がよっぽど充実して生きられると思うんだ」

「嘘ばっかり」

 そう言って妻は頬を抓る。

「ひててて……ふぁに?」

「私とこの子が心配だからでしょ?」

 自分のお腹に手を当てる妻。

「……」

 彼は何も答えられなかった。

 図星だからだ。

「……まぁいいわ。貴方と一緒なら、どこでだって生きていけるもの」

 本心だ。

 それが判ったのか、夫は自分を抱き締めると、

「……ありがとう」

 そう言ってくれた。

 だから自分もこう返した。

「どう致しまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「さぁて、金も手に入ったことだし、美味いモンでも食いに行くか」

 そう呟いて、その男は姿を周囲の雑踏に紛れさせ――消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 私立探偵を営む青年、皆藤雄治。

 好きな物はオタク趣味と美味い食事。

 そんな彼には、師匠以外誰にも知られていない秘密があった。

 

 

 

 

 

 

 

「媛」

「何でしょう、御坊?」

「いい加減、あの方を舞台に上げる時期ではありませんかな? もうじき十年です。如何にあの方が表舞台に顔を出したくないとしても、その存在を隠しておく必要はありますまい」

「……はい」

「では、拙僧はスサノオ殿と共に彼を試す策を練ろうと思いますが……」

「その必要は無いと思います」

「……はて?」

「西より、雨と雷を纏いし古き翼持つ竜神が目を覚ます気配がしました。あの御方の御師匠殿によって幽世に追い立てられ、己の神域にて神性を取り戻された方が」

「成程、それは確かにお誂え向きですな。では、その件にてあの方の最後の裁定と致しましょう」

「……正直、此度のヘルメス様との戦闘で充分にあの御方の御気性は解ったかと思いますが……」

「確かに気性は解っておりますな。黒王子殿よりも傲慢で、すみす殿よりも秘密主義者で、古き侯爵殿よりも貪欲で、剣王殿よりも自由で、羅濠殿よりも理想に生きる御仁だと」

「でしたら」

「だからこそ、その裁定には慎重を期さねばなりませぬ。あの御方の奥の手、我等は見ておりませぬが、媛の見立てでは《鋼》すら滅ぼす力を有しているというのであれば尚更に」

「では、どうされるのですか?」

「何も知らぬ民草を巻き込むより、恩義あるかの御仁を巻き込んだ方が見定めるには妥当かと」

「……本気で御座いますか」

「無論」

 

 

 

 そして師である大吾以外では、日本を幽世より守護してきた三人の古老たちのみが、雄治の正体を知っていた。

 




 取得権能 【夜刀の神】【サマエル】【ヘルメス】←new! 


※雄治の技は、某機神拳継承者で修羅の王の最終奥義をイメージされると良いかと。それとウロボロスを使う某三下口調の緑髪の技も踏襲しています。


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探偵と高校生 ~魔王邂逅~

今回は護堂との顔合わせのみです。


「しっかし、お前も災難だな雄の字」

 大吾が煙草に火を着けながら呆れたように目の前でガツガツと大量の料理を消費している男へ話し掛ける。

ふぁにあっふあ(なにがっスか)?」

 口に料理を詰め込みながら訊き返す雄治。

「いや、『まつろわぬ神』に依頼先で遭ったんだろ。どんなヤツだった?」

 師匠にそう訊かれたので一先ず口の中のものを嚥下して答える。

「――んぐ。どうって、相変わらず時代錯誤なヤツでしたよ。女にだらしない上に嫌に気障ったらしい美形な神サマで、しかも人妻に手を出そうとしてましたんで成敗しました」

 女に不自由してなさそうな分余計に性質が悪いと雄治は悪態を吐く。

「……そこまでフリーダムな神となると、ギリシャの神か?」

「正解です。ヘルメスでした。兜使ってたから誰にも気付かれてませんけどね」

 兜とは、ヘルメスが叔父であるハデスから借り受けた姿を隠せる兜を指す。これのお陰でヘルメスはその正体を知られずにいられたのだ。まあ、この国の裏に住まう「古老」と呼ばれる者たちには気付かれていたようだが。

「ああ、だから」

 だから「まつろわぬヘルメス」に関する情報が裏にも表には出てこないのだ。認識されてすらいないのだから出なくて当然と言えるだろう。

 そして現在、その『ハデスの兜』の恩恵には雄治も助けられていた。

「ええ、お陰で今度も俺は「ちょっと腕の立つ術者」として依頼を達成出来ましたよ」

 相手が正体を隠していたお陰で、雄治の正体がバレずに済んだのだ。

「……お前を拾って十年か。続くもんだな」

「いやいや全くです」

 十年間誰にも隠し通してきた雄治の悪運には大吾も本人も呆れるしかなかった。この男は、今迄魔術組織や呪術組織と過度な接触をする事無く東京の片隅で暮らしてきたのだが、それにしたって上手くいきすぎである。

 それがどれ程異常な事なのか理解出来るだろうか。まあ、それは師匠である大吾にも似た事が言えるのだが。なんせ人の身でありながら神獣を撃退したのだから。

 ちなみにだが、その神獣は幽世へと姿をくらませた。

 食事を続ける雄治に珈琲を淹れながら、彼はもう直ぐ三十路になる弟子を見下ろした。

 ガツガツと大量の料理を食べ続ける弟子に、

「そういやお前、家族とはどうなってんだ? 連絡取ってんのか?」

 大吾が思い出したように問いかけると、ピタ、と雄治が箸が止まるではないか。そして視線を自分から逸らす弟子。どうやらこの様子では、両親と連絡を取っていないようだ。

 そんな親不孝な弟子の態度に大吾は溜息を吐いた。

「最後に逢ったのって九年前なんだろ。お前が稼いだ金を故郷の両親に渡してそれっきりって俺は聞いてるぞ?」

 なんで逢いに行かないんだ、という師匠の言葉に雄治は苦笑を浮かべる。

「……まあ、色々とありましてね」

 一言そう呟くと、雄治はまた食事に専念し始める。

「弟たちに何か言われたのか?」

 大吾は雄治に自分が弟や妹に嫌われていると聞いていたので、そう問い掛けた。

「あー、まぁそれもあるんですけどねー。ほら、前にも言ったでしょ? いつ俺が「そう」だってバレるか判らん以上、親や弟らには迷惑掛けられんのですよ」

「……そういやそうだった。お前、神殺しだったよな」

「おやっさん……」

 呆れた様子の弟子に大吾は視線を合わせない。それもこれも神殺しぽくない雄治が悪いと自己完結して大吾は話を続けた。

「ま、まぁ、お前が好きなようにやればいいさ。……連絡は入れてねぇけど、仕送りはしてるんだろ?」

「ええ、そっちだけは。金でしか孝行出来ない不出来な息子ですけどね」

 神殺しとなった雄治は、家族と必要以上に逢わないように気を付けていた。

 もしも雄治が神殺しだと知れ渡った時、家族に「よからぬ事」を考えない者がいないとも限らないからだ。それが魔術師や呪術師ならば、生まれてきた事を後悔させてやればいい。

 だがそれが神ならばどうだ?

 言葉を交わす事は出来るだろう。

 だが、きっとそれだけだ。

 神というモノは、自分の在り方や矜持を絶対に曲げない。いや、曲げられない存在だ。

 彼等は「過去の蓄積」に則って行動する。培われた神話が行動理念の根底に根付いているのだ。

 故に神は語られる役割を嬉々として行うだろう。それが如何に人を苦しめるようなものであったとしてもだ。

 そういった意味で言えば、神は人以上に縛られた存在と言えるだろう。

 そしてそれは「まつろわぬ神」であっても例外ではない。如何に自由気儘に過ごしているように見えても、その行動の基準は神話のそれなのだ。

 だからこそ、雄治は正体を隠す。ギリギリまで、決して姿を表さない。

 手の触れられる距離に近付こうと自分の庭(かくりよ)に引き摺り込むまで、決して覚らせないのだ。そして手を出す時は、巣穴から襲い掛かる蛇のように一瞬で獲物を掻っ攫う。

 彼が神殺し(カンピオーネ)だと名乗るのは、必ず殺すと決めた外道にのみ。だからこそ雄治は、十年もの間「神殺し」という正体を隠して生きてこられた。

「ま、他のカンピオーネたちが派手に名前を売ってくれるお陰でこちとら小市民生活を満喫出来てるんだからな。有り難い話だよ」

 そう言う雄治の言葉には他人の迷惑を顧みない数名のカンピオーネへの皮肉が混じっていた。

「……まあ、神殺しが動けば必ず裏の社会は大なり小なり混乱するのは確かだ。そういった意味ではお前がそのままでいるのは、日本に住む一般人からしてみりゃ良い事なのかもな」

 そう言いながら大吾は知り合いの情報屋から仕入れた「賢人議会」の配布する資料に目を落とす。

 だが、と前置きして嘆息する大吾の表情には呆れと苦笑が滲んでいた。

「こっちのボウヤだったら、そうはいかないみたいだけどな」

「ボウヤ?」

「出たんだよ(はち)人目が」

 資料を手渡された雄治は、箸を口に咥えたままそれに眼を通していく。

「名前は、草薙護堂(くさなぎごどう)。十五歳の高校生、ねえ?」

「将来有望だな。――いろんな意味で」

 更にその資料には、イタリアの魔術結社《赤銅黒十字》に所属するエリカ・ブランデッリがこの少年の愛人の座に収まっている事が記されていた。

 そして数日前、イタリアのローマにある世界遺産(コロッセオ)使役する神獣(きょだいないのしし)に破壊させた張本人と書かれているではないか。どうやらこの少年も、ヴォバン侯爵や羅濠教主と同類のようだ。周囲の被害をまるで気にしていない。……まあ、それはカンピオーネにとってデフォルトと言えばそれまでだが。

 現代社会に被害を一切出していない雄治が異常なのだ。普通の神殺しは幽世に個人の領域など所有していないのだから。

「……この歳で女好きなのか。俺なんか灰色で暴力に満ち満ちた青春しか送ってねぇのに」

(ツラ)も良くて上背もお前よりねぇけど上々。今は引退してるが、昔は野球少年だったらしいな。関東屈指の四番打者でシニア世界大会の日本代表候補だったそうだ」

 しかも捕手としても高い技術を持っていたとか。

 それを聞いて雄治はしっかりと頷く。

 そして一言。

「成程、リア充か」

 俺の真逆だな、と雄治は嘯いた。この男、野獣のような風貌に鋭い三白眼、そして百九十センチの筋肉質で大柄な体格をしているのだ。とても資料にある草薙少年のような爽やかスポーツマンとは間違っても言えない人種であった。

「家庭環境もそれなりだな。……両親が離婚してるけど、そこは些細な点か」

「ウチの両親は円満だよ。何もなけりゃ死ぬまで一緒だろうさ」

「そりゃ結構な話だ。……話を戻すぞ」

 大吾は別口の資料を雄治に手渡す。

「既に正史編纂委員会は動いているな。武蔵野の方で動きがあったらしい。噂が出回るにしても早過ぎる。多分だが、連中、何かしでかすみたいだな」

 余りに早い武蔵野の対応。

 グリニッジの賢人議会からの報告書が出回ってからまだそこまで日が経っていないというのに、最高位である媛巫女が出張るらしいのだ。

 これは間違いなく国内の関係者への牽制を意味している。

「宮仕えも御苦労なこった」

 人事のようにそう呟く雄治。

 実際人事だが、雄治にも起こり得る問題であると言えよう。

「まあ、もしお前が表に出たら、そいつらはこっちにも来るだろうがな」

 神殺しと関係を密にしたい裏の組織はそれこそ星の数ほど存在している。

 国と関係の深い裏の組織としては、その国で生まれた神殺しを擁したいと考えるのは不思議なことではなかった。

 そうしなければ比喩では無く物理的な意味合いで国が滅ぶのだ。

 では、件の少年への対応はどういう意味を持つのだろうか?

 魔王となった年若い少年が隣に見目麗しい少女を愛人として侍らせているのだ。これでは美女に弱いと取られても不思議ではない。

 接触するであろう武蔵野の媛巫女は上玉揃いだと噂されてもいるので、これが『そういった人選』なのだと理解している関係者は以外に多い。寧ろけしかける側としては、逆に『そういった噂』を積極的に流す事でこの少年の動向をある程度コントロールしようとしているのだろう。周囲に誤解を植え付けさせ、その噂を刈り取る為に尽力すればこの手の少年には好印象を与えられると判断しているのだろう。

 まさに茶番というしかない絵空事を想像して雄治が顔を歪める。余りそういったやり方は好きではないのだ。だがもしこれが事実なら、その組織は媛巫女を餌に魔王を釣り上げようとしていると言えるだろう。まさに海老(みこ)(まおう)を釣る、だ。

「嫌だねぇ、宮仕えってのは。どうにも情緒が無ぇ」

「……まあ、奇麗事で国や組織は回せないって証拠だろうな」

 そうは言う大吾だったが、やはりいい顔はしていない。こういった生臭い遣り取りが苦手だからこそ彼も弟子と同じく在野の術者として生きてきたのだ。

 雄治は写真を見ながら少年の第一印象を判断した。

「陰で暗躍するよりか、この手の小僧には真っ正面から頼み込んだ方が早い気がするんだがなぁ」

「そうだな。……だが、回りくどいやり方ってのが御偉方の方法なのさ。解るだろ? リスクの高い最善策よりも目算の高い次善策を取るって事も含めて、それが連中だって」

「…………まあ」

 呆れたように嘆息する雄治だが、そういった意味で言えば彼は委員会とは対極の人間と言えた。

 言葉を飾らず、ただ愚直に真っ直ぐぶつかる。しかし弱き者への労わりを心に忘れずに。

 本来搦め手である毒と呪いの権能の夜刀の神やサマエルの力を持ちながら、彼等の言う王道を進む為には忘れてはならない教訓であった。これを忘れてしまえば雄治は自分を認めてくれた二柱の神の信頼を失う事になる。

 だからこそ、雄治は自分で動く。幾ら年齢を重ねようとこれは変えられない性分のようなものだ。

「さて、と。……先達として、そいつがどれくらい横暴な小僧(まおう)なのか見に行ってみるか」

 討つべき者かそうではないのか、それを見極めなければただの暴君に成り果ててしまう。そうならない為に雄治は自分の足を動かし、自分の眼で見て判断するのだ。

 今回は対象に近付く方が見極め易い。そう雄治は直感的に感じられた。

 正体がバレないスキルを二つも所持しているが故の自信だった。恐ろしいレベルの偶然が積み重ならない限り、正体に気付く者はいないだろう。

「少し前にヘルメスを倒して今度は神殺し(どうるい)の引き起こす騒動(まつり)を見学か? どうやらお前もそろそろ年貢の納め時かもな」

 大吾の揶揄に雄治は苦笑してしまう。

 だが、ニヤリと笑う彼の顔には自信があった。過信でもなく、慢心でもなく、培ってきた己の業への自負が。

「まあ、そうかもしれねぇ。けどな、師匠。十年隠し通した俺を見付けられるようなヤツがいると思うか?」

 そんな弟子に頼もしさを感じて、大吾はくつくつと喉の奥で笑う。

「ついでにヘルメスから奪った権能で脚も速くなったしな。どこぞの黒王子が出張らなきゃ大丈夫だろうさ。あちらさんはアーサー王について調べる事で忙しいらしいぞ。調査ついでに遺跡とか引っ繰り返しては崩壊させるなんてザラらしいぞ?」

 遺跡破壊者(トゥーム・バスター)・アレク、なんて馬鹿な番組名が雄治の脳裏に浮かんだが直ぐにそれを振り払う。

 いつもの赤と緑の千鳥格子のシャツに黒いジャケットとズボン。

 そしてどこにでもありそうな『黒い中折れ帽』を被り、雄治は椅子から立ち上がる。

「さぁて……ついでに新刊も買っていくかな。あ、そういや予約してたゲームも取りに行かねえと」

 この三十路手前になった大男は、十年経っても相変わらずその手の趣味に湯水のように金を注ぎ込んでいた。

 寧ろ仕事のせいか金に不都合はしていないのだ。

 九年前もこの男は、二千万円という大金を軽い気持ちで両親に手渡していた。

 裏の世界に関して言えば、表の不況など微塵も感じさせない程に金払いの良い客が多いのだ。その分危険も多いのだが。

「そんじゃ行ってきます」

「おう、気を付けてな」

 はい、と頷いて雄治の姿は掻き消えた。

 ヘルメスの権能を使ったのだ。

 そんな雄治の姿を見送って、大吾は彼が完食した食器全てを呪術を使って(ゆびをならして)調理場に置いてある食器洗い乾燥機に転移させた。更に器用にボタンを押して洗浄を開始させる。

 こういう時に培った呪術は酷く便利だ。

 煙草から昇る紫煙を吹かしながら、大吾は資料に添付された少年が美しい少女に腕を絡め取られて慌てふためいている写真を見て呟く。

 弟子と同じ、面白そうな顔をしながら。

「……さてさて、このボウヤはウチの神殺し(でし)に気付けるかな?」

 尤も、師匠としての贔屓目を抜きにしてもそれは無理だと判ってはいるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、イタリアに決して消えない己の爪痕を残した件の草薙護堂はというと、

「……ん?」

 帰宅途中で直感的に、誰かがこちらを観ている事に気が付いた。

 これは――?

 直ぐに理解する。

 観察されているのだ。

 じっとこちらを観ている視線を感じる。微かに混じっているのは、呪力とか魔力とかいう代物だろう。

 こちらにバレたと向こうも気付いただろうに、動く気配がない。

 ただこちらを「視て」いるのだ。まるで虫や微生物を無感動に観察する研究者のように。

 それを感じた護堂は、ゆっくりと視線の方向に向かって歩を進める。

 彼は元々、「とある少女」に呼び出されて都内の七雄神社に向かっていたのだ。

 これは明らかな寄り道だ。

 あの喧しくも姦しく、そしてお節介な妹が「尊敬する先輩」と仰ぎ見る少女。しかも旧華族のお嬢様で巫女のバイトをしているらしいそんな深窓のご令嬢のような少女に逢いに行くのだ。もし荒事に巻き込んでしまっては、妹に合わせる顔が無い。不安要素は徹底的に排除しておくべきだ。――そう考えての行動だった。

 だが、その貌をもし関係者たちが見れば、戦慄と畏怖と共に納得しただろう。如何に朴訥な雰囲気で平和主義者を自称しようが、この少年も一度「力」を振るうと決めたら躊躇わない魔王の一人なのだ、と。

 そこには、好戦的な笑みが浮かんで――

「おいおい、ちょっと「観て」ただけでこれか? 随分と今度の魔王(カンピオーネ)は物騒だなぁオイ」

 呆れた様子の声が耳に入りその笑みは掻き消えた。彼の培われた安っぽい倫理観(あたりまえのじょうしき)が、獣のような闘争本能を抑えたのだ。

 変わりに浮かんでいるのは、少々困惑した表情のみ。

 だが、人の表情をある程度読み取れる人間がいれば、その裏に残念そうな色がある事にも気付いただろう。

「えっと……どなた、ですか?」

 困惑しているが、決して相手を恐れないその態度は、見る者によっては傲慢不遜とも取られるだろう。特に、目の前に立つ自分以上に背の高い強面の男が、ヤクザや不良であったのなら、それこそあっさりと胸倉を掴まれ恫喝されていたに違いない。

 如何に普通に振る舞おうと、彼はまだ少年。その内側は簡単に透けて見て取れた。

 更に言えば彼は神殺しなのだ。神殺しとなった彼等は、その誰もが「頭を下げる(したでにでる)」という行為に嫌悪感や忌避を抱き易い。自分こそが頂点だという自負を大なり小なり抱えているからだ。

 そしてそれは、この少年にも、観ていたこの男にも言える事だった。

「まあ、警戒すんな――ってのが無理か。取り敢えず自己紹介しとこうか。俺ぁ皆藤雄治。普段は探偵やってんだが、副業(じゅじゅつし)として、ちょいと新入り魔王(ルーキー)に話が訊きたい事があってな」

「訊きたい事……ですか?」

 警戒する護堂。

 どうやらこの少年、魔術師や呪術師絡みで厄介事に捲き込まれた事があるようだ。

 いや、顔から察するに厄介事の類としか思っていないのだろう。

 彼の顔に「どうしてこいつらはこんな手段しか取れないんだ!?」とありありと書いてあるのだから。

 そんな腹芸の出来ない少年に苦笑が浮かぶ。寧ろこれがこの少年の芸風なのだろうか。

 これでは周囲の人間は、内心でツッコミを何度も入れている事だろう。

 そういった内心を全て隠して、

「ああ、そう警戒すんなよ坊主。……だが、ここじゃあ何だな。取り敢えず飯でも食いながら話そうや?」

 雄治は護堂を食事に誘った。

 怪しい強面の男からの食事の誘い。背丈は目算で百九十センチは越えているだろう大男からの誘い等、普通ならば絶対に断る。

 だが、彼は高校生にしてカンピオーネ。絶対なる力を持つ魔王でありながら、成長期の少年である。ましてや元スポーツ少年。奢られるとあっては否応は無かった。

 だから護堂は、

「――はい」

 ノータイムで着いて行くと決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 

 近くのファミレスに入った雄治と護堂は角の人目に付かない席に向かい合わせで座った。

「さて、何食うよ?」

 メニューを開きながら雄治はテーブルにボイスレコーダーを置いた。勿論録音は開始されている。

「あの……これは?」

 ボイスレコーダーを指差して問い掛ける護堂。

「ん? ああ、気にすんな気にすんな。ただの保険だよ」

「はぁ……?」

 要領の得ない発言に首を傾げる少年を無視して男は問い掛ける。

「んで、どうすんだ? 金ならあるから何でも頼んでいいぞ」

 そこまで言われて縮こまるような少年ではなかった護堂は、

「あ、なら――」

 直ぐに店員を呼び出して色々と注文していく。

 この男、実に遠慮の無い様子で頼んでいくではないか。無論自分も頼んでいく。明らかに二人の男が食べられる量とは言い難い大量の食事が注文され、オーダーを受けに来た店員は涙目になってしまった。

 少々時間が掛かる、そう言い残して店員はダッシュで戻っていく。

 恐らく今頃、厨房は火が着いたように慌ただしくなっているだろう。

 他の客たちも「すわ何事か」と厨房に視線が向いている。

 そんな店内の様子を気にせず、雄治は護堂に訊いた。

「ところで、どっか向かってたみたいだが……何か用事があったんじゃねぇの?」

 その発言を受けて、護堂は氷のように全身が固まるのを感じた。

 

 

 

「…………………………あ」

 

 

 

 そう呟き、男は蒼白に顔を染めたではないか。

「……七雄神社」

 ポツリと呟かれたそれに雄治が反応する。

「あ? そこは確か、武蔵野の連中が管轄してる神社だな。なんだそこに行く予定だったのか? 約束してる時間は?」

「……多分、間に合いません」

 そう言って、がっくりと肩を落とした。

 ……本当に神殺しかこの男? そう雄治が思ってしまうのも仕方なかった。

 余りに情けない姿だ。これが神に唯一対応出来る魔王と誰が思うだろうか。ヘタレの代名詞と言っても過言ではない。

「連絡入れればいいんじゃねぇか?」

「……そうします」

 誰のせいだと思っているんだ!? というような恨めしげな顔でこちら睨む護堂だが、雄治は気にせず見返してやる。先に約束があるのなら、そう言って自分の申し出を断ればよかったのだ。別に雄治としては今日でなくても良かったのだから。

 肩を落としながら携帯を取り出し、家にいるであろう妹に電話を掛ける護堂。

「……あ、静花(しずか)? 実はな、例のお嬢様の携帯の番号知らないか? ……いや、ちょ、違うって! そうじゃない。ただ、ちょっと込み入った理由で遅れそうって連絡を――なに? お前が連絡を入れる? 俺が他の女と現を抜かして約束をすっぽかしたって!? おい、違うって!!」

 慌てる護堂。どうやら彼の妹はかなりの激情家のようだ。雄治はそんな様子を見て、自分の弟や妹の事を思い出した。彼等も雄治に関しては激情家だからだ。

 そして、彼は更に爆弾を放り投げた。

 

 

 

「大体、今回の相手は男だ!!」

 

 

 

 その瞬間。

 レストラン内全ての人間の視線が護堂に集中したではないか。

 雄治は帽子を目深に被って顔を隠す。流石にこういった事で顔が売れるのは御免被りたいという理由からだ。

「……そういう趣味ってどういうことだっ!? いくらお前でも言って良い事と悪い事があるだろうが!? あ、ちょ、おい!? …………あいつ……っ」

 憮然とした様子で携帯を仕舞う護堂。

「…………俺が、お前さんの新しい相手? …………えーと、その、だな……」

 そこで雄治はゆっくりと帽子で顔を隠し、言う。神妙な声と態度で。決して視線を合わせないようにしながら。

「……悪いな。俺も「そういった趣味」を持った連中とは付き合いがあるから解ってるつもりだが、こちとらノーマルだ。期待には応えらんねぇ」

 その発言に少年は慌ててしまう。からかっているのだろうが、ここでは人目に付き過ぎる。いくら客の数が少ないからといって、要らぬ誤解を他人に与えたくない。

「俺もノーマルだよ!? 普通に女の子が良いよ!! 綺麗で可愛い女の子が好きだって!!」

 騒ぐ少年を宥める雄治。

「おいおい、あんまり騒ぐなよ」

 まるっきり他人事である。

「誰のせいだと……!!」

 歯噛みする護堂。

 そんな二人の様子を尻目に頼んだ料理が運ばれてくる。

 ガッツリとした肉ばかりだった――要するにビーフステーキだ。その他にはチキンステーキやポークステーキもやって来るではないか。それが幾つも。カロリーとコレステロール値が心配になるものばかりだが、そこは神殺し。何を食べても贅肉が付くという事は無いのだ。生活習慣病も問題ではない。

 世の婦女子を初めとした肥満に悩む人々にとってこれ程憎らしい体質もそうそう無いだろう。

「まあ、妹さんが連絡入れてくれんだろ? だったら大丈夫だろ。冷める前に食おうか」

「…………そう、ですね。あ、だったら七雄神社まで一緒に来て下さいよ。事情を説明して貰わないと俺に突き上げがきそうですし」

「そうか? 構わねぇけど、魔王陛下に真正面から説教出来るような気骨の人間なんて、そうそういない気もするけどなぁ」

「いやいや、神殺しなんて言っても俺はただの平和主義を貫く高校生ですからね。他の神殺したちに比べれば真っ当な分、突き上げられ易いでしょうし」

「平和主義、ねえ?」

 そう言いながら二人は大量のステーキを平らげていく。

「…………ん?」

 暫く無言で食べ進めていると、ふと雄治が視線を店内に巡らせた。

「どうかしました?」

 それに目敏く気付いた護堂が問い掛ける。

「いや…………なんでもない。そろそろデザートでも頼もうかって思ってな」

「デザートですか。何頼みます?」

「……うーん、とりあえずフルーツパフェとチーズケーキ、ついでにバニラアイスかな」

「食べますねえ。それじゃ俺も――」

 和気藹々といった様子で男二人がデザートを注文する――そんな姿を覗き見る視線が二つ。

 二十代のスーツを着た男と、質素で落ち着いた服を着た――しかし周囲に埋没する事の決して無い桜のように可憐な栗色の髪の少女。

 護堂は気付いていないようだが、雄治は気付いた。探偵兼呪術師として生きた十年の経験値は伊達ではないといったところだろうか。

(…………なんだ? 兄妹には見えねぇが。……援交カップル、でもねぇよな。男の方は、多分――忍者か。気配と足運びから察するに凄腕だな。となると……隣の娘が、武蔵野の媛巫女か?)

 そして彼等は自然な様子で店内を移動し、雄治と護堂が座っている隣のボックス席に腰を下ろした。どうやらこちらの話を聞くつもりのようだ。

(まあ、別にいいか。聞かれて困るような話をしなけりゃいいんだしな。巫女の霊視は怖いが、『隠形術』と『ハデスの兜』の合わせ業で俺の正体は気付かれない――筈だ。昨日、日光東照宮に近付いても『あの猿』は起きてこなかったしな。問題ねぇ。万が一気付かれても、逃げれば良いだけの話だ)

 そう開き直った雄治は、護堂に言う。

「そんじゃ、色々訊かせて貰おうか」

「いいですけど、まずその前に、俺はどういった存在だと日本の関係者には見られてるのか、教えて貰えませんか?」

「ん? まあ、一言で言えば『女好きの魔王』だな。愛人抱えてるし。そいつの為にイタリアでサルバトーレ・ドニと喧嘩したって話だろ? だから独占欲も強いって言われてるな」

 そう正直に答えてやると、護堂はテーブルに突っ伏してしまう。

「なんだ? 食い過ぎたか?」

「違います!! ああ、いや、食い過ぎじゃなくて愛人のほうですけど! あれはエリカが――俺の相棒が勝手にそう言ってるだけで……!」

「相棒、ねえ? 随分と信頼してるようじゃねぇか。お前さんが毅然とした態度で拒めば、相手は引き下がるだろうに。それをしないってことは……その娘が隣にいないと神と十全に闘えないんだな。精神的な意味合いか、それとも権能の制約があるから必要なのかは知らんが」

「……まあ、間違っては無いですけど。確かに、アイツは俺がこの力を得る時から一緒にいて、俺を助ける為に自分の結社にも喧嘩を売った良いヤツなのは確かです。でも、アイツの言う愛人ってのは、出鱈目で――」

「でも、キスしてたって話だろ」

 その瞬間、隣のボックス席から噎せる音が聴こえた。噎せたのは少女のようだ。

「そ、それは一体誰が……!?」

 狼狽する少年。

 その態度では「事実です」と言っているようなものだ。

「……単なる噂だったんだが、マジか。……それに、その嬢ちゃん、お前さんが神なんてトンデモと闘う時からずっと傍で支えている才媛って話じゃねぇか。大事にしねぇと罰が当たるぞ? 釣った魚にゃ餌をやんのが男の甲斐性ってもんじゃねぇのか?」

「……ぐ」

 言葉に詰まる護堂。どうやら本人としても何かしらの自覚はあるようだ。

「色々調べた上で俺個人の感想になるが、その嬢ちゃん、尽くすタイプのイイ女じゃねぇか。お前さんの為に骨を折って色々と便宜を図ってくれたんだろ? だったら多少のお茶目くらい許してやったらどうだ?」

「……それ以上にアイツは俺に厄介事ばかり持ってくるんですよ。今回だって「神さまの古い道具が見つかってこっちじゃどうしようもないから預かって欲しい」なんて言ってコイツを持たされましたし」

 そう言って取り出すのは、古いメダル。

 それを見た瞬間――雄治がピクリ、と反応した。

「……皆藤さん?」

 護堂の呼び掛けに応じず、彼はじっとその古いメダルを注視した。そして、一言。

「…………見た感じ、蛇に関係する代物だな」

「あ、解りますか?」

「前に仕事でな、似たような代物を見た事がある。だが、感じる神性がハンパじゃねぇ。しかもこれは――触っていいか?」

 雄治が真剣な様子で護堂に尋ねる。

 言われるままにそのメダル――『ゴルゴネイオン』を手渡した。

 それを雄治は受け取って、確信を得た様子で呟いた。

「間違いない。――『呼んで』やがんな」

 その言葉を聞いた護堂と隣のボックス席の二人は余りの衝撃に固まってしまう。

「あの…………『呼ぶ』って、何を、ですか?」

 そう問い掛ける護堂。

「あぁ? そんな事も解んねぇのか? コレの半身である『まつろわぬ神』をだよ」

 ゴルゴネイオンを返しながら雄治は当たり前のようにそう答えた。

 当たり前のように断言されて、護堂は二の句がつけられない。

 硬直している少年に全く遠慮せずに男は話を続ける。

「これは俺の師匠が言ってたんだがな、神サマの道具と神サマってのは『繋がってる』らしいんだわ。んで、だ。幾つかの例外を除いて、『そいつら』は『元の状態』に戻りたがっている、らしい。どういう事か解るか?」

 そう訊かれて、護堂は蒼白な顔で言う。解っていたが、それでも認めたくない事実というヤツを。

「この国に、っていうか東京に、『まつろわぬ神』が来る――っ!?」

 避けられぬ災厄が訪れる。それを知った隣の席の少女は喉奥で悲鳴を洩らした。男の方はどこかに電話を掛け始めたようだ。

「正解。厄介な代物を持って帰国したな坊主。……この『呼んでる』感覚、前に見た物からは感じられなかった。十中八九その神サマは『起きて』やがるぞ」

 苦い顔で雄治は断言する。

「で、でも……神さまだからって、意思があるなら話せば分かってくれるんじゃ……。それに、俺が日本にいるって向こうは知らない――」

「馬鹿かお前」

 護堂の妄言を一刀両断に斬り捨てる。

「相手は神だぞ。不条理や理不尽そのものだろうが。『在り得ない』事は在り得ないんだよ。裏の世界じゃ常識だぞ」

 更に雄治は続けた。

「まつろわぬ神は確かに神話から逸脱した存在だ。だがな、解らねぇか? その本性は神話のままなんだよ。そんなのが対価も無しに、人の頼みを「ハイそうですか」って受け入れてくれると本気で思ってんのか? 実体験で坊主は知ってるだろ。今まで遭った神サマは、人の言う事をちゃんと聞いてくれるヤツばっかりだったか?」

「……確かに」

 護堂は嫌々ながらも納得した。

 そんな少年に、男は更に辛辣な言葉を投げ付けた。

「この件は坊主が片付けろ。そうじゃなきゃお前、この国で生活しちゃいけねぇよ。即刻出て行くべきだ」

 厄介事を持ち込んだ以上、解決出来る手段があるのならそれを実行すべきだ。少なくとも雄治は自分が関わった件に限ってではあるが人知れずに神を殺してきたのだ。神殺しとしての最低限の役割は果たし続けていると言っていいだろう。

 そして先程の雄治の言動だが、これは日本に生きる呪術関係者であれば、大なり小なり思っている事だ。

 王ならば、民草を護って欲しい。

 そう願われるからこそ、神殺しには特権が許され誰もがかしづくのだ。

「そんな……俺はただの高校生ですよ。ちょっと余計な物も持ってますけど」

 動揺する護堂。

「無茶苦茶だと思うか? お前の言動から察するに平和主義者を名乗ってるようだが、その主義のせいで坊主の大切な人間が死んでもいいのかよ? 話せば分かってくれる? そんなのはまつろわぬ神に限って言えば妄想で幻想だぞ。人間同士、国家間での話し合いだって、結局その背後にあるのは軍事力や金なんだからな。攻めたら負けるって思わせて初めて『話せば分かって』くれるんだよ。傷付けられたくないから人間には話せば分かる連中もいるんだ」

 とても十五歳の少年に聞かせるような話ではないが、雄治は気にせずに続けていく。

 恐らく何を言っても糠に釘なのだと解った上で。

「神サマって連中は絶対に人に殺されるなんて思っちゃいない。事実だからな。連中を殺し切るなんて、人間にも同じ神にも出来ない芸当だ。それこそ、歴史を遡って神話そのものを抹消でもしない限りはな。だからこそ、傍迷惑な神は『神話』の向こう側に追い返さなきゃいけねえ」

 そして、護堂に断言する。

「その為に、俺やお前(かみごろし)がいるんだよ」

 重苦しい空気が二人の間に落ちる。そんな時に食後のデザートがやって来たではないか。

 それに手を付けながら、護堂は万感の思いを籠めて言った。

「こんな力、欲しくなかったんですけどね。……手放せるものなら手放したいくらいですよ」

 だが、その発言を聞いて雄治は頷き、一言。

「無理だな」

 さっきから自分の発言を全否定されて護堂は些かムッとした顔で雄治を睨んだ。魔王に睨まれているというのに雄治は何の動揺も見せずに淡々とそれが不可能な事を説明していく。

「まず、お前さんは神という常識外れの化け物がいる事を知った。そしてそれに対抗出来る連中もいるが、そいつらだって自分の生活を脅かすかもしれない潜在的な脅威だという事実も知った。そして、これが最大の理由になるが――坊主は知っちまった。強大な権能(ちから)を振るい、強大な敵と闘う快感を」

 だから捨てられない、そう雄治は言ってのけた。これは雄治本人が自覚している事でもあった。

 だがそれでも護堂はその言葉を否定する。彼の生き方に関わる問題だからこそ、ここだけは譲れない。

「でも、俺はこの力を捨てられるのなら捨てます。こんなの、人間社会じゃフェアじゃないですからね」

 そう毅然とした様子で断言する護堂。

 雄治は思う。この草薙護堂という少年は、どうやら根っからのスポーツマンのようだ。自分がどういった存在なのか本当の意味で理解していない――いや、理解しようとしていない、と。

「……フェア、ねえ。まあ、坊主がどんな魔王(カンピオーネ)なのか少しは解ったわ。有り難うな」

「いえ、こっちも周りが俺をどう思っているのか解って今後の方針を考えられそうです」

 他にも色々と言いたかったが、例え言ってもこの少年は己の考えを改めないだろう。それが雄治には理解出来た。彼自身も「そう」だからだ。

 それと同時に、彼自身が何を言おうと絶対に権能を捨てないであろう事も、雄治には理解出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そろそろ出ようか、と言いながら席を立とうした瞬間、彼等は動いた。

 

 

 

「お待ち下さい、羅刹の君――草薙護堂さま」

 

 

 

 視線の先には、栗色の髪の美少女。大和撫子を体現しているような少女だった。

 その可憐な美貌と凛とした佇まいを見て、護堂は直感的に理解した。

 この少女こそ、妹が尊敬してやまない茶道部の先輩であり、私立城楠学院一の美少女と名高い万理谷裕理(まりやゆり)その人だと。

 彼女はその眼に真摯な光を讃えて、護堂を見遣った。

「あー、その、実は……」

 何か言い訳を、そう思いながら言葉を探す護堂に裕理は静かに頷き、言った。

「存じております。道中そこの方を連れてこちらへ入った理由も」

 しかし、その眼にあるのは非難の色だけではなく、彼女自身にも判らない別の色もそこにはあった。

「草薙護堂さま。御身について、もう少しこの万理谷裕理に教えて頂けないでしょうか?」

 彼女がそれを自覚するのは、もう少し先の話になるが。

 

 

 

 




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まつろわぬ神と神殺し

やっと出来上がりました。
次の更新は少し間が空くかもしれませんが、気長に御待ち下さい。
それでは、本編をどうぞ。



 万里谷祐理はその日、七雄神社に常駐する全ての人間をその場より退避させた。

 神殺しの魔王、羅刹の君、暴君と名高い王の一人である草薙護堂と対面するが故の対応であった。正史編纂委員会の工作員であるあの男の言葉を鵜呑みにするワケではないが、実際に相手は美しい少女を愛人として侍らせているような好色な男だ。もし殺されるにしても、この身を汚されるにしても、その犠牲となるのは自分だけでいい。そんな自己犠牲の精神で彼女は人払いを敢行した。

 だが、

「――っ」

 心の奥底から沸き上がる恐怖心だけはどうしても抑えられなかった。

 かつて欧州で出会ったとある魔王の見た者を塩に変えてしまうという炯々と光る緑の眼が、今も彼女の脳裏には焼き付いたままだったからだ。更に思い出すのは、彼の無聊を慰める為だけに敢行された神降ろしの儀式の犠牲となった哀れな巫女たちの姿。もし運が悪ければ、自分もああなっていただろう。単に自分は運が良かっただけだ。

 ともすれば恐怖で嘔吐しそうになる自分を叱咤し、一方的な隔意と義憤を糧に彼女は己を保っていた。

 だが、そうしている間にも刻一刻と約束の時刻は近付いてくるのだ。白衣と緋袴の巫女装束に包まれた少女の身体は、約束の時間が近付く度に徐々に大きく震えてしまう。止めようとしても止められない。

 そんな時だ。

「ま、万里谷さん!!」

 正史編纂委員会のエージェントである甘粕冬馬(あまかすとうま)が慌てた様子で目の前に出現したではないか。正に忍の者に相応しい唐突な登場と言えるだろう。

 それを見た祐理は、言いようの無い不安を覚えた。まだ数える程度しかこの男とは会っていないが、いつも飄々とした態度を崩さないこの男がこうも焦っている時点で何か良からぬ問題が起きた事は明白と言えるだろう。

 しかし、これから自分は七人目の魔王である草薙護堂と対面するのだ。余り弱気な態度でいては通せる嘆願も通らなくなる。

 だから祐理は表面上は泰然とした態度のまま、甘粕に問い掛けた。

「甘粕さん、どうされました?」

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、甘粕はとんでもない爆弾を放り投げた。

「実は先程、草薙護堂が在野の術者と接触しましてね。どうやらこの術者(ひと)、草薙護堂が本当に神殺しかどうかを調べる為に近付いたようです。恐らく、そう誰かに依頼されたのでしょう」

 それを聞いて祐理は衝撃を受けた。

 相手は神を殺した魔王だというのに、なんという蛮勇な人間だろうか。もし不敬だと思われてしまえば、人の身ではどうしようもない絶大な力が自分に降り注ぐだろうに。その術者は羅刹の君が怖くないのだろうか。

 媛巫女と呼ばれる自分ですら、恐怖でどうにかなりそうなのに。

「しかもこの人、最近になって噂が出回りだした『神獣返し』のお弟子さんらしくて、それなりに腕が立つようなんですよね」

 祐理もその噂については知っていた。当時を知る媛巫女たちが挙ってその時期の前後に微かな不安を感じていたと彼女は聞かされていたからだ。

 そして、今になるまでその不安は、欧州とアメリカに新たに現れたカンピオーネへの警鐘だと思われていた。

「……十一年前、正史編纂委員会に知られる事無く日本に襲来しようとした神獣を退けた人物がいると噂では聞いていましたが、正直を申せば眉唾な話だと思ってました。……ですが、例えその方が御師匠様の御薫陶を受け、神獣を追い返せる実力を得ていたとしても、羅刹の君たる御方には届く筈がありません」

 脳裏に思い浮かべるのは、とある老紳士の姿。大学教授然とした老人だが、その本性は傲慢且つ強欲であり、人間どころかまつろわぬ神すらも恐れるような強大な力を自由気侭に振るう獣のような男。例え霊視に長けた祐理でなかったとしても、この老人の気性は簡単に理解出来るだろう。

 そんな男の同類である例の少年ならば、暴君になる素養を持ち合わせているに違いないのだ。現に彼はイタリアのミラノを初めとした様々な場所でその権能を使い、その周囲に被害を齎している。その被害の大きさが彼の怒りの大きさを物語っている。

 そして、彼女のその認識については甘粕としても異論は無かった。それが裏の世界での常識だからだ。

「はい。勿論向こうもそれは理解しているでしょう。彼は十年前にこちら側へ足を踏み入れた人間ですが、災害(かみごろし)について何も知らずに生きてきたワケじゃないでしょうしね」

「だとすると、その人は何を考えて羅刹の君と接触したのでしょう? 幾ら依頼とは言えど、羅刹の君が関わる依頼は忌避するのが普通でしょうし……」

 祐理の問いに、甘粕は首を横に振って嘆息した。

「さて、どういう理由なんでしょうねぇ? 私たちが知らない神殺し(くさなぎごどう)の情報を持ってるからなのか、はたまた御本人が命知らずの大馬鹿者だからなのか。取り敢えずはこちらも現場に行きましょう。何かあってからでは事です」

 そう甘粕に言われ、裕理も頷いた。

「解りました。直ぐに着替えてきますので、少し待っていて下さい」

 祐理は立ち上がると即座に踵を返して自室へと戻り、外出用の洋服に着替え始めた。白衣と緋袴を脱ぎ、ブラウスとスカートを着込む。地味な服装だが、その装いは少女の雰囲気を決して損なわない。儚げな彼女の雰囲気と相俟って、まるで桜の花ような清廉な印象を見る者に抱かせた。

 そして少女は最後に、「とある事情」を抱えている妹と昔一緒に買いに行った御守りを握り締め、甘粕と合流した。

 甘粕の案内する場所には車が置いてあった。恐らくは正史編纂委員会の車なのだろう。促されるままに裕理はその車の後部座席に乗り込む。

 甘粕は運転席に座ると、キーを回して殊更明るく言った。その裏に微妙な緊張を滲ませて。

「じゃ、行きますよ」

「はい」

 そして二人は、神殺しと市井の術者がいるファミレスへと車を走らせた。

 真剣な表情で運転する甘粕とは対照的に、後部座席に座る祐理の胸中には確かな安堵があった。幾ら危機的状況を前にして毅然とした態度を取れようとも、祐理はまだ十代の少女なのだ。意思を持った天災と畏れられる存在を前に独りで立つ事がどれ程心理的なストレスになっていたか。そういった意味では甘粕という実力ある同行者が出来たのは嬉しい誤算と言えた。……まあ、それで祐理が甘粕を好きになるかと言われれば否ではあるが。彼女としてはもう少し誠実な人間の方が好ましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 

 そして二人は、草薙護堂と呪術師の男がいるファミレスに足を踏み入れた。

 資料で見た通りの少年が、中折れ帽を被った黒いスーツの男と向かい合わせで食事をしている場面を見て、祐理は少々驚いてしまう。魔王である草薙護堂が余りにも一般人らしかったからだ。確かに顔立ちは整っているが、しかしその仕草や態度にはどこにも魔王らしさが見えなかった。精々が少々大食らいの高校生といった所だろうか。魔王そのものであるあの老人とは対極と言えるだろう。

 寧ろどちらかと言えば、その反対側に座る術者の男の方がカンピオーネだと言われれば納得してしまうだろう。先程こちらを横目で見た際の鋭い視線と極道幹部とも取られそうな強面の顔は、祐理を少し怯ませたが、彼女は『強い呪術師』という印象しか感じられなかった。

 自分たちに気付いているにも関わらず、男は全く気にせずに草薙護堂と会話を進めていく。

 草薙護堂がこちらに気付いていないのならばこれ幸いとばかりに甘粕は彼等の隣のボックス席に祐理を引っ張り込んだ。

 心臓が早鐘を打ち始める祐理の事など露とも知らずに、隣の二人は話を進めていく。会話を盗み聴くのには些か良心が咎めたが、隣の忍者は必要な事だと小声で祐理に言い聞かせた。

 渋々同意する祐理は、耳を澄ませ絶句してしまう。

 この国に住まう一個人として、到底許容していい話ではなかったからだ。

 愛人に唆されるままに、まつろわぬ神に由来するような神具を日本に持ち帰った。しかもこの神具の半身たるまつろわぬ神は既に顕現している――と術者の男が断言しているではないか。このままでは、この国にまつろわぬ神が来襲してしまう。なのに羅刹の君たる少年は全くその危機を理解していないようだった。どうやらこの少年は一般常識で良くも悪くも動く御方のようだ。

 そしてそれ以上に、彼女は羅刹の君に対してまるで不出来な小僧を叱り付ける様に説教を続けている男に戦慄を抱いた。

 相手は人の姿をした災害だというのに、なんという胆力だろうか。

 だが、彼の言い方では羅刹の君を説き伏せる事が出来ない、と祐利は直感的に理解してしまった。このままでは余計に彼は意固地になってしまうだろう。

 これは恐らく、神獣を退ける程度の実力を備えているが故の弊害と言えた。彼にもまた培ってきた矜持があり、それを貫いてきたからこそ、今日まで裏の世界を生き延びてきた実体験があるのだろう。それ故に、一般人でありたいと考えている草薙護堂には届かないのだ。

 それが判ったからこそ、祐理は動いた。

 ここからの諌言は自分が為さなければならない。二人の会話を盗み聞いて羅刹の君の人となりを知れたのだ。これ以上安全圏で事の成り行きを見続けるのは祐理にとって耐え難いものがあった。

 だからこそ、少女は動く。甘粕の制止を振り切って。甘粕としては、カンピオーネと会話をしている彼が苦い部分全てを言い切った後に祐理には出張って欲しかったのだが。そうすればもしそこの魔王が勘気を起こしても、その全てはそこの男に注がれて彼女は難を逃れた筈なのだ。

 なのに、彼女は席を立ち、彼等の元へ向かってしまう。

 彼女の行動は最良ではないが、しかし最悪ではない。先程の会話からして彼のカンピオーネは力を持て余しているようだ。

 ならば、極限状態に追い込まれない限り神より簒奪した権能を使う事は無いだろう

 彼女の実家からは彼女の身の安全を最優先に考えて欲しいとも言われている。

「……まあ、話を聞く限り理性的な御方のようですし。癇癪を起こすことないでしょうが……些か軽率過ぎますよ、皆藤雄治さん?」

 だがそれは所詮公務員でしかない自分がやるような仕事では無い筈だ。四家を初めとした御偉方たちが動くべきだろう。

 それなのに、ここにいるのは四家とは無関係な男に歳若い武蔵野の媛巫女一人に自分。特別手当てが欲しいと思うのは我儘だろうか。

「そうか? ちょっと調べりゃあの小僧が、「一般人でいたい」って考えているのは普通に判るだろ」

「ええ、勿論判ってますよ」

 確かに彼は一般人であろうとしている。だが、事が起きてしまえばその権能を振るうのを躊躇わないということも判っているのだ。でなければ神に挑もうとは思わないだろう。

「つまりあの小僧は大義名分が無けりゃ力を振るわないって事だ。それにほら、そっちが連れてきたあの嬢ちゃんにあそこまで言われてもあの小僧はキレてねえだろ? 女好きかどうかはともかく、あの嬢ちゃんにゃ甘いようだしな」

 耳を済ませると、雄治以上に祐理が草薙護堂に諌言というか、マジ説教をしているではないか。というか、最初のあの怯えようはどこへ行ったのだろう。

「…………」

 その余りの剣幕に甘粕は絶句してしまう。彼女は自分の命が惜しくないのだろうか。

 そんな彼の困惑を余所に護堂への祐理の説教は続いていく。遂には彼の妹から伝え聞いている私生活にさえ言及してくるではないか。

 しかもその話題の殆どで必ず女性が関わっているというのだ。甘粕としては、そういった人間は画面の向こう側にしかいないと思っていたのである意味新鮮だった。

 雄治はと言えば感心した様子で祐理の説教を聴いている。

「……ふーむ、あの嬢ちゃんにとってあの小僧は相性が良かったんだろうな。見事にあの小僧の抉られたくない部分を、的確に抉ってやがる」

「そのようですねぇ……いやはや」

 感心したような言葉に、甘粕も無意識に同意を示す。

「……しかし、これはまた……」

 何かを言おうとして、しかしそれ以上の言葉が浮かんでこない。

「まるで女にだらしないダメ亭主とそれを叱る姉さん女房だな」

 二人は同い歳の筈なのだが。

「……否定出来ませんねぇ」

 雄治の比喩が的確過ぎて甘粕は苦笑するしかない。

 そんな中、雄治と甘粕はファミレスに足を踏み入れた異国の少女を見て眼を見張った。だが、直ぐに納得の表情を浮かべる。彼女は草薙護堂の『愛人』。ならばイタリアのミラノから日本に来てもおかしくは無いだろう。

 雄治は直感的に「ここはもう直ぐ修羅場になる」と悟り、離脱を決意する。

 その美しい金髪の少女は、魅力的な肢体を誇るかのように堂々とした態度で護堂と祐理に近付いていく。周囲の客も『すわ何事か?』と彼女の動向に注視している。

 そして、草薙護堂も気付く。

 その表情が語っている。『待て。なんでお前がここにいる?』そんな事を思っているのだろう。

 祐理も近付いてくるのが魔王の愛人であり、イタリアの魔術組織の七大組織『七姉妹』の一つ、魔術結社《赤銅黒十字》に所属する『赤き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』の称号を受け継いだ才媛、神童と名高い少女だと気付いたようだ。

「……あははは。これはまた……」

 甘粕としてはもう笑うしかない。

 赤みがかった金髪の美少女――エリカ・ブランデッリがまるで鼠を前にした猫のような表情を浮かべているのだ。誰が鼠なのかは表情を見れば解り易った。甘粕は思う。本当に彼は魔王なのだろうか、と。

 しかし直ぐに思い直す。この状況ではどう考えても分が悪い。頭に血が昇り説教モードに入っている今の彼女ではエリカ・ブランデッリに相対するのは難しいだろう。冷静な判断力を損なっては勝てる勝負にも負けてしまうのだから。

 では、どうするべきか……?

 甘粕が必死にどうすれば事態がこれ以上ややこしくならないかを考えていると、雄治が全く気にしない様子で立ち上がるのが視界に入った。

「んじゃ、ここらで俺は消えるわ。知りたい事も知れたし、ガキの修羅場なんぞに首を突っ込む程野暮じゃねぇんでな」

 そう言い残し、男は席を立つ。

「あ、ちょっと……」

 そんな雄治を呼び止めようとして、甘粕は戦慄する事となった。

「――――っ!?」

 エリカ・ブランデッリの隣を通り過ぎるのに、彼女は『それ』に気付いていないのだ。彼が移動しているのに気付いているのは自分一人だけ。草薙護堂(かみごろし)や媛巫女である祐理でさえ、雄治が出て行く事に気付いていないのだ。

 それがどれ程規格外な事なのか気配を消す業に長けた忍者である甘粕だからこそ解った。隠形の術に関しては自分と格が違う、と。

「……やはり、神獣と闘うような人間の相手をするのは、一介の忍にはキツいですねぇ」

 実はこの甘粕、上司より『もし皆藤雄治がこちらの不利になるような行動に出たら対処しろ』とも言われていたのだ。

 だが、甘粕は理解していた。もし自分と雄治が戦えば、十中八九自分が負ける、と。

 どうしても勝てるビジョンが浮かんでこないのだ。

 そう――まるで、絶対に勝てない相手(カンピオーネ)と対峙した時の様な……

「…………まさか、ねぇ」

 唐突に思い浮かんだ仮説に甘粕は苦笑してしまう。そうポンポンと魔王が誕生して貰っても困る。日本という狭い範囲に魔王が二人もいれば、どんな世紀末な世界になってしまうか想像もつかないのだから。

 というか、目下の問題は、

「……いやはや、女の戦いですか。画面の向こうや自分に累が及ばないのならニヤニヤ出来るんですがねぇ」

 隣のボックス席で繰り広げられている面白恐ろしい会話に集中する事だ。

 そうやら祐理はエリカ・ブランデッリに唆されてこの国に来襲した神の名を霊視させているようだった。

 まあ、それが草薙護堂の闘う為の準備ならば、祐理としても協力するのに吝かではないのだろう。

 些かマッチポンプ臭いのがなんとも言えないが。

「――――草薙さんが出遭われた神の御名は、アテナです」

 どうやら、かなりメジャーな神がこの国に来襲しているようだ。

 甘粕は直ぐに上司に連絡を取った。

 可及的速やかに事態を収拾しなければ、被害は鼠算式で増してゆくだろう。

 ならば、日本を危機に陥れた犯人である草薙護堂には、是非とも最前線にて魔王としての責務を果たして貰わなければならない。

 そしてその事は、エリカ・ブランデッリもまた自覚しているようだった。

 だからといって、やった事は日本人としては認められたものではないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そして草薙護堂はまつろわぬアテナと再会を果たす。

 神と神殺し。

 両者で出逢えば闘うのが通例。

 だが、護堂はそれを無視してアテナに頼み込んだ。『ゴルゴネイオンの事を忘れ、この国から出て行ってくれないか』と。

 何も理解していない馬鹿だから出来た発言と言えるだろう。

 神にとって、それはあって当然の物なのだ。寧ろそれが手元に無い現状こそが不自然であり、それを取り戻そうと躍起になるのは当然の事であった。

 故に、アテナは死の接吻を護堂に与え、東京から光と火を奪い"闇夜"に沈めた。

 それも全ては自身の失われた"過去"を取り戻さんが為。

 余談ではあるが、草薙護堂はこれでも神や同類との戦いは経験しているのに、何故こうも簡単にアテナの呪いを受けたのだろうか?

 勿論これには理由がある。

 彼にとって女性はその須らくが立てるべき存在であった。故に彼はアテナの行動に対処が遅れたのだ。職業が女王のような母親を見て育ち、女遊びの達人である祖父の薫陶を受けて育った護堂。そんな少年が見目麗しい美少女の口付けを避けられるだろうか。無理に決まっている。

 彼はその時点でアテナをまつろわぬ神ではなく、美しい少女だと認識していたのだ。これがどこぞのラブコメならばそこからラブストーリーが始まるのだろうが、相手はそんなつもりは毛頭無かった。妄言を吐く護堂を即座に殺すくらい、その発言はアテナにとって赦し難かった。

 だからこそ、彼を殺すことに躊躇いは無かった。物言わなくなった護堂を一瞥し、再び半身の捜索に移るアテナ。恐らくだが、そう時間は掛からずにゴルゴネイオンは見付かるだろう。お互いに半身を呼び合っているのだ。人間が止められるようなものではない。

 女神の死の接吻を受けて死んでしまった護堂だが、雄治は確信していた。神殺しに名を連なるような馬鹿が、こんな無様且つ間抜けな最期を遂げる筈が無い、と。彼を運ぶエリカ・ブランデッリの顔には不安はあれど絶望は無かった。

 恐らく一度殺されても生き返る権能を持っているのだろう。どんな制約なのかは解らないが、随分と便利な権能を持っているものだ。

 そして、次に立ち向かう護堂は、油断する事無くアテナと戦うだろう。今際の際にアテナを睨む少年の眼には、燃え滾るような闘志が渦巻いていたのだから。

 そう。この男は、草薙護堂は、一度殺されて漸くアテナを敵と認識したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「成程成程。賢人議会の資料は正しいみたいだな。……十個の権能にはそれぞれ制約があり、無闇矢鱈に使えない、か」

 淡々と呟く雄治。

 彼がいるのは、闇に沈んだとある公園のベンチである。

 そこに一人座り、東京中に放った『夜刀の眷属』である蛇の眼を通じて事の成り行きを観察していたのだ。

 その眼は、人では有り得ない鮮やかな『紅』に輝いていた。その瞳孔は縦に開いており、まさしく『蛇の眼』と呼ぶに相応しい。

 彼は視る。

 忠告を無視した護堂が死に掛ける姿を。

 突然の事態に混乱する人々の姿を。

 そして、力を取り戻したアテナを。

 彼は、視た。

「……さて、御手並み拝見」

 そう呟き、雄治は護堂がアテナと対峙するのを観察する。

 彼が蛇を通じて視ていると、草薙護堂が媛巫女の許へ風に乗って即座にやって来るではないか。どうやら思考が戦闘モードに移行しているようだ。彼の眼や雰囲気が、先程とはまるで違う。ヘタレた様子が見受けられな。

 直に会話して解ったことだが、草薙護堂は多少他の神殺しよりマシなのは確かだった。楽観主義な行動しか取れないのはマイナスだが、一度スイッチが入れば勝つ為に相手を調べ尽くし打倒しようとするその姿勢は評価できる。個人的見解を述べれば「関わりたくない小僧」の一言に集約されるのだが。

 そこまで判ったのだから、さっさとまつろわぬアテナを幽世に引き摺り込むべきだと思いはするが、雄治は決して動こうとはしない。

 未熟な後進を見ていると、どうしても頼りなく感じてしまうのが普通だ。だからと言って、ここで雄治自身が介入しても意味が無い。

 草薙護堂は仮にも神殺し。所詮己のルールでしか生きられない駄目な人間の一人なのだ。自分の尻拭いすら出来ないような半端者が至れる境地に自分たちはいない。

 だからこそ、雄治は動かない。護堂が死ぬか、それに相当するような重傷を追う迄、手を出すつもりは無かった。

 『まだ動かない方が良い』と、自分の勘が告げているのだ。

 そして、事態が動く。

 護堂が戦いながら、アテナの歴史を紐解き始めたのだ。その言葉が光の剣となって古き姿を取り戻したアテナを追い詰めていく。

 絶世と呼んでも過言ではない美しい顔を憤怒に歪めて、アテナは吼える。

 我が過去を嬲るな。その言霊、まことに汚らわしい、と。

 それを見て雄治は思う。

「……これって、(アテナ)を裸に剥いてるようなモンだよな」

 あの言霊の剣は、神話を解体する事でその神のみに通用する剣を即席で創り上げる権能のようだ。相手の神の正体が解っていれば確かに頼りになる権能だろう。

 雄治個人の感想としては「面倒な権能だなぁ」に集約されるのだが。

 そして雄治がポツリと呟いたように、あの少年が神の歴史を紐解く事は、相手からすれば「身に纏う衣服を無理矢理剥がされること」に等しいのだろう。まるで《鋼》の英雄のようだ。

 しかしながら、そのような「まつろわぬアテナ」にとって致命傷を与える剣を創造しても、まだアテナの方が優勢であった。ただ単純にアテナの方が護堂よりも地力が上だという事なのだろう。

 このままでは、千日手――もしくは護堂の再度の敗北で今回の戦いは幕を下ろすようだ。

「さて――」

 そうなったら自分が出張っても問題無い筈――

 

 

 

「――御待ち下さい。羅刹の君よ」

 

 

 

 涼やかな女性の声が、雄治を制止する。

「……誰だ?」

 雄治が声のした方向を見ると、十二単を着た美しい女性がこちらを見ているではないか。顔立ちは西洋風ではあるもののその容姿と十二単はとても良く似合っていた。美しく長い髪は亜麻色で、澄んだ玻璃色の瞳はまるで凪いだ水面のように穏やかだ。その姿はまさしく人外の美と形容するに相応しい。

 気配から察するに、彼女は《神祖》であるようだ。神祖とは、かつて神の座から追われた大地母神の一部が人の姿をとった者を指す――らしい。

 それくらいしか雄治は来歴を知らないが、彼女たちが人知を超えた異能と不老不死を持っているという事は理解していた。

 そんな彼女が、こちらが神殺しであるという確証を持って接触を図ったところから察するに、どうやら自分の正体はバレていたらしい。それならば何故、十年も接触してこなかったのだろうか。

「アンタは誰だ? 見たところ神祖ってやつみたいだが……?」

 色々と疑問はあるが、まずはその正体を訊かなければ話が進まない。

 そう判断した雄治は、警戒しながらもその女性に問いを投げ掛けた。

 十二単の彼女は深く一礼すると、

「御初に御目に掛かります、竜蛇の王よ。わたくしはこの国にて、「古老」と呼ばれる者の一人に名を連ねる女に御座います」

 静かな口調でそう言うではないか。

 「古老」。それは確か、正史編纂委員会に強い影響力を持った集団の名前ではなかったか。

 雄治もその名前は噂程度ではあるものの知っていた。

「はあ、これはどうも御丁寧に。知っての通り、神殺ししながら探偵やってる皆藤雄治だ。……お名前は?」

「玻璃の媛。そう御呼び下さい」

 そう言って女性――玻璃の媛が手を水平にかざすと、中空にここではないどこかの風景が映り出したではないか。

 『遠見の術』、『千里眼』等といった「離れた場所を見る術」の一種なのだろう。

 そこには、嵐によって荒れ狂う海と空が広がっていた。

 直感的に解った。これは「まつろわぬ神」が引き起こしているのだ、と。

 あの雷雲の中心に同属の気配を感じるのだから間違いないだろう。

「……これは?」

「今回こうして御身に拝謁したのは他でもありません。この国に迫る脅威を取り除いて頂きたいのです」

「脅威っつーと、「まつろわぬ神」か?」

 見た目で言えばこちらが年上だが、どう見ても向こうが上の年齢の筈である。しかし雄治は敬語を使おうと思わなかった。他者に畏まられるのが常の御仁のようだ。そういった女性であるのならば、幾ら神祖とはいえ自分のような無頼漢には余り近づくべきではない。そう雄治は思った。だから敬語抜きで接しているのだ。これで自分を不快に思い、距離を取ってくれたのなら万々歳なのだが、どうやらそうはならないようだ。

 目を細め、にこやかに女性が微笑むのを見て、雄治は悟った。こちらの考えが読まれている事に。

 どうやらこの御仁、もっと碌でもない男を知っているようだ。そうでなければ雄治にこうも好意的な視線を投げ掛ける筈も無い。「こうなってしまってはいっその事、年齢を理由に敬語に直してやろうか」とも思ったが、止めた。例え神祖であれ、年齢の話は禁句だろう。相手がそれを自嘲して言うならともかく、男の側から年齢を揶揄するような事を言うべきではない。十年も探偵を続けていれば、この程度の処世術は身に着くものだ。

 クスクスと鈴の転がるような涼やかな笑い声を小さく零し、しかし直ぐに玻璃の媛は表情を戻して説明を続ける。

「はい。その竜神は、元々ある女神の神獣としてこの世に顕れました。しかし十年以上前に、とある殿方によって撃退され、幽世にて隠遁されておりました」

「…………」

 雄治は思う。どこかで聞いた話だな、と。

「そしてその竜神は、幽世にて神としての力を取り戻されました。そして、己に手傷を負わせた殿方に報復せんと、この国に襲来せんとしております。この荒ぶる竜神より、どうかこの国を御救い願えませんでしょうか」

 玻璃の媛――そう名乗る女性の申し出を受けて、雄治は考える。

 考えるのは草薙護堂の事だ。あの後輩がアテナに勝てる確率は精々四割といったところだろうか。

「まあ、空を飛べる俺の方が対処には向いてるんだろうが……アレを放っておいても大丈夫かね?」

 少々防戦一方になり始めた護堂を蛇を通じて視ながら雄治が問うと、玻璃の媛は頷くではないか。どうやら彼女にも、別の場所で戦っている護堂とアテナの姿が見えているようだ。

「大丈夫でしょう。彼の羅刹の君には、股肱の臣がおります故」

 そう言った瞬間である。

 周囲に光が奔った。

 見ると東より太陽の化身らしき『白馬』が天空を駆け抜けてくるではないか。恐らくはウルスラグナの権能の一つ。

 闇夜を払う、日の出の神馬。

 その怨敵とも呼べる神馬の攻撃を全力で防ぐアテナの背後から――エリカ・ブランデッリの持つ魔剣が突き刺さる。どうやら何か言霊を仕込んでいたようだ。徐々にアテナが弱っていくのが目に見えて解った。

「――成程、勝負有りか」

 こうなってはアテナに逆転の目は有り得ない。

 最早これまで、か。

 雄治は蛇を消して玻璃の媛に向き直る。

「さて、そんじゃその竜神サマに遭ってくるわ。媛さん、どこから来てるか解るかい?」

 媛さん、と気安く呼ばれ少々キョトンとした媛ではあったが、直ぐに気を取り直して雄治の問いに答えた。

「彼の竜神は、西の大国――中華と呼ばれし国にて奉られた竜神であります。つまり――」

「西から、か。おやっさんが戦ったのが九州近海っつてたし……となると、上陸地点は九州になるか?」

「はい。ですがそのままこの東京の地へ一直線に来られるでしょう」

 雄治の言葉を媛は否定する。

「御忘れですか? 彼の竜神は、己の恥辱を払う為にとある殿方を狙っているのですよ?」

「それがどういう――!? ……まさか」

 問い掛けようとして気付いた。

 師匠の大吾が撃退した神獣は、確か『龍』ではなかったか。

 詰問の意味を込めた雄治の強い視線を受けて、媛は申し訳なさそうに目を伏せた。

「……はい。御身のお師匠様の居場所を、わたくしの同胞が既に彼の竜神に伝えております。故に、もう直ぐここに来られるでしょう」

 つまり「古老」と呼ばれる誰かが、大吾を餌に雄治を吊り上げようとしているのだ。

 だが、

「済まないが、それを考えたヤツは馬鹿じゃねぇか? ウチの師匠がそう簡単に見付かると思ってんのか?」

「いいえ。……ですが、見付からなくとも良い、とその者は考えているのです。そうなれば、怒り狂った竜神は東京の地で暴れるでしょう。それの対処として貴方様の御名前を世に出すつもりなのです」

 つまりその「古老」は、強制的に雄治の名前を世に出して、神殺しとして大々的にアピールするつもりなのだろう。

 だが、目の前の媛はそうならないと確信があるようだった。

 そしてそれは事実だ。何故なら雄治には、自身の戦場である幽世があるのだから。

「媛さん、だが解らねぇ事がある。俺を含めて竜蛇の神格持ちは、この国で余り活動するのは良くねぇだろ? 「猿」と「最後の王」がいるんだしな。寝た子――つーか神を起こすような真似は控えるべきだろ」

 雄治が日光東照宮の「猿」と「最後の王」について知っているのに媛は驚いた。いや、猿の方を知っているのはまだ解る。だが、何故この御方は「最後の王」を知っているのだろうか。

「……何故御身が「最後の王」について知っているのかは存じ上げませんが、猿神の方は大丈夫です。アテナが襲来する事を知った正史編纂委員会が、媛巫女や術師を総動員させて、日光の結界を一時的に強化しましたので」

 少なく見ても二日か三日は持つでしょう。そう媛は言った。

 しかし媛は、雄治を見詰める。

「ですが御身は、こちらの思惑通りに動かれはしないでしょう」

 その瞳には、万感の信頼と期待があった。思わず雄治自身が混乱し、申し訳なく思うくらいに。

 

 

 

「何故なら御身は、強き意志を持った人界の守護者であると――わたくしは知っているのですから」

 

 

 

 もうここまで信頼されてしまっては応えないワケにはいかない。というかこの神祖のお媛さまは、一体自分を何だと思っているのだろうか。ただ十年近く人知れずにヒーローの真似事をしているだけの男でしかないというのに。過剰に期待されても応えられるとは限らないと雄治は内心溜め息を吐いた。

「……ま、まぁ、そうだな。師匠どころか親父やお袋のいる九州にだろうと、その竜神は入れさせねぇよ。海の上で迎え討つさ」

 そう媛に言うと、雄治の靴が変わった。ヘルメスを斃したことで得た権能の一つ。靴に黄金の線が幾つも入り、側面に小さな翼が描かれ――雄治はまるで階段でも登るように一歩一歩踏み締めながら空を飛んだ。

「んじゃ、往きますか……っ!!」

 そして、玻璃の媛が見上げる夜空に『立った』雄治は、一歩その空を蹴るだけで――彼女の視界から消えた。

 気配は消しているが姿を隠したのではない。ただ人知を超えた速度で空を駆け抜けていっただけだ。

 まさに神速。

「……」

 玻璃の媛はただ無言でそれを見送った。

 彼女は思う。少なくとも自分は視て知っている。結局のところ、彼は『自分の憧れ』を『自分ルール』で解釈して、その結果が誰も彼を知らない――という現状に繋がっているだけなのだ。

 そう、彼は楽しんで生きている。他の神殺しよりも自分に忠実に生き、そして人生を愉しみながら。

 理想に囚われる事も無ければ、現実に押し潰される事も無い。

 彼としては無理な我慢等していないのだろう。

 それも全て、彼が出遭い権能を得たまつろわぬ神が、彼の人生を肯定するような祝福(のろい)の言葉を贈ったからだと媛は考える。

 所詮自分たちが彼に気付いたのは偶然である。『神獣返し』たる結城大吾を次代の神殺し候補として見守っていたからこそ、彼の早期発見に繋がったのだ。そして媛は十年もの間、様々な彼を視てきた。流石に彼の全てを視ていたとは言わないが、十年も視ていればなんとなく解る事もある。

 だから、その場で相手を待たずに自分から向かっていくと解ったのだ。

 彼は現世でまつろわぬ神との闘う場合に『待つ』という選択肢を選ばない。何をやっても大丈夫な自分の庭(ホームグラウンド)があるからだ。

 玻璃の媛は静かに微笑むと、意識を護堂の方にも向けた。

 こちらも可愛らしい少年で、媛としては好印象だ。……些か東京が受けた被害は甚大だが、まつろわぬ神を倒さねば被害はもっと拡大していた点を鑑みるに許容範囲だろう。高層建築物の屋上の三分の二が焼失し、その斜め下にある首都高の高架線が焼け落ちていようと、結果を見れば未曾有の災害を防いだ余波と思うべきだ。

 しかし彼の隣にいる亜麻色の髪の少女はそうは思っていないらしく、彼に説教を始めている。萎縮している彼とそんな彼を見てニヤニヤと笑う股肱の臣たる異国の少女。

「――ふふ」

 そんな彼等を見ていると微笑ましくて口角が緩やかに弧を描いた。

 だがいつまでも視ているわけにはいかない。空を駆け抜けていったもう一人の羅刹の君の戦いを見届けねばならないのだから。

「――あら?」

 服を引っ張る感覚。下を見ると、彼の『置き土産』があった。

 ふ、と笑って彼女はそれを袖口に仕舞う。

 玻璃の媛が踵を返した次の瞬間――彼女の姿は無く、まるで煙のように掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「その者」は雷雲を纏い、東の果ての国のある場所を目指していた。

 目的地は、かつて力を取り戻していなかった己を退けた人間の住まう場所。相手の名前も貌も黒衣の木乃伊から得た情報で知っている。

 彼が望むのは再戦。不出来な己を再構築し、遥か昔の神であった己を取り戻した。

 かつての己は神獣と呼ぶには余りにも弱く、不出来な存在であった。故にあの人間は己に失望したに違いない。だが今は違う。これであの者を失望させる事は無いだろう。

 あの人間ともう一度全力を出して戦い、今度こそ勝利する。

 それこそが、このまつろわぬ神が望んでいる事であった。

 神獣という神格が本来よりも墜ちていた状態での敗北。こちらは幽世に逃げ帰らなければならなかったのに、あの人間は満身創痍でありながら五体で立って己を見送った。

 それがどれ程の屈辱だったか。仮にも神である己が、庇護や蹂躙する側である人間よりも弱かったのだ。これは到底認められる事ではなかった。

 だからこそ、「その者」は雷雲の衣を纏って雲海を進んでゆく。

 派手な演出で己の偉大さを示しながら、あの人間に再戦を申し込むのだ。

『――くくっ』

 思わず笑い声が零れた。

 あれから人間の時間に換算して十年が経過しているとあの木乃伊は言っていた。

 ならばあの人間は十年前よりも強くなっている筈だ。強くなったあの人間と力を取り戻した己が戦うのだ。胸が躍らぬといえば嘘になる。

 そう思った時だ。

『――む?』

 空を疾走する人間が目の前に現れたのだ。右手で中折れ帽を押さえ、人が走れぬ場所を、人では有り得ない速度で疾走しているのだ。

 この男が誰かなど、明白であった。我等が怨敵、神殺しだ。

 足に履いている靴からは神具の気配を感じる。恐らくあれがあの神殺しの権能の一つなのだろう。

 空中を踏み締める度に黄金の粒子が靴跡を形成し、消えてゆく。

 そして――

 

 

 

「いらっっっっっしゃ――――――――――いっっ!!」

 

 

 

 空中を更に跳躍。

 速度をそのままに、神殺しは己に蹴りを放った。

 お互いが高速で移動しているのだ。回避はまず不可能である。故に甘んじて受けて止めなければならなかった。

 その瞬間、「その者」は、神殺しによる大胆な突入攻撃(ダイナミック・エントリー)を受けて――見知らぬ熱砂の世界の空へと引き込まれてしまう。

『ここは……!?』

「よお、竜神の旦那。アンタ、ウチの師匠に用があるんだってなぁ!? だったら弟子である神殺し(おれ)を斃してからにして貰おうかっ!!」

 蹴り出した態勢のまま、至近距離で睨む男のその言葉で「その者」は悟った。もうあの者は、戦場には出てこれぬのだと。直感に頼った推測ではあるが、的外れでないことは目の前の男が証明している。

 その眼に宿る意志が、かつてのあの人間と似通っているのだ。

 つまりこの者こそ、あの者が鍛え上げた後継者なのだろう。

 そして男が言う。

「ああ、そうだ。旦那にウチの師匠からの伝言だ。聴くかい?」

『無論』

 一瞬の逡巡無く「その者」――竜神は頷いた。

 それを受けて男は虚空に手を伸ばし、その先に『窓』が開く。その中に躊躇せずに手を突っ込み、目的の何かを取り出した。長方形の何かだ。

 神殺しはそれを操作し、その何かから聴いた事のある声が聞こえてきた。

 十年振りだが、間違える筈のない声だ。

『よお、元気だったかよ?』

『御蔭様でな』

 この神殺しは伝言と言った。つまり返事は聞こえていないのだろう。

 しかしそれでもその竜は返事をしてしまう。

『悪いな。俺さ、お前との戦いでもう身体がボロボロになってたんだわ。生きてたのが奇跡だって言われたよ』

『……そうか』

『でもな、それでもお前の眼が忘れられなくてな。「ああ、コイツ絶対また来るだろうな」って、そう思った。で、だ――そうなったら、戦えない俺の代わりに、俺にゃ勿体ねぇ弟子がお前と戦うってよ』

『そうか』

 改めて、己に蹴りを叩き込んだ男を見遣る。神殺しとしての力もその両眼より感じる魂も、己と戦うに相応しい。そう思えた。些か贔屓目もあるかもしれないが。

 だから、

『保証するぜ。そいつは俺が鍛え上げた最高の弟子だ。絶対にお前が満足出来る力量を備えてる。だから――』

 嗚呼、だから――

 

 

 

『自慢させてくれよ。もう何も出来なくなった俺に。俺の最後の敵は俺が知る中で一番強く、俺の弟子は俺にゃ勿体ねぇくらい最高なんだと』

 

 

 

 その言葉を最後に長方形の何かからあの者の声は聴こえなくなった。

 その声を聴き終えて思う。この己の奥底から湧き出る感情は一体何だ? 何故たかが人間の言葉にこうも己は戦意を昂ぶらせている?

 理解出来ない。理解出来ないが――しかし悪い気はしない。

 己こそが最強の敵であった。そうあの者は言ったのだ。

 神を相手に不敬ではあるが、今はそれが心地いい。

 神である己があの者にとって最強の敵。当然である。そうでなければいけない。なんと神を煽てるのが得意な人間だろうか。

 良いだろう。目の前にいるあの者の弟子とやらに知らしめてやろうではないか。

 己こそが強者である、と。

 無論、向こうもそう思っているのだろう。

 男は長方形のそれを『窓』の中に放り込んで、それを消し去り、そして言った。

 戦場における名乗りである。

「神殺し兼探偵――皆藤雄治だ」

 そう言って、己を蹴って距離を取る。地面に立つような気安さで空に立つ男。

 名乗られた以上、こちらも名乗り返さねば。

 戦の作法は守らねばならない。

『己の名は――応龍』

 そして、熱砂の空に龍と人が対峙する。

 互いに相手を見据え――

 

 

 

「いざ尋常に――」

『勝負っ!!』

 

 

 

 衝突した。

 




次回は大まかな流れから言えば空中戦になる予定です。
龍と空中戦……さて、どんな形に落ち着けましょうかねぇ。
勝つか負けるか引き分けるか――お楽しみに。

※あと護堂ですが、原作通りにアテナを逃がしています。
というか女に甘くなければ護堂じゃないですしね。


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翡翠の龍

だいぶ時間が経ってますが、戻ってきました。名無しの百号です。


 勝負。

 そう叫んで、雄治と応龍は激突した。片や異形の拳を振り抜き、片や風を刃へと形成して。

「 ――始まりましたな」

 それを視るは三つの人。男二人に女が一人。

 一人は年老いた巨躯の男。しかしその眼光は鋭く、見る者が見なくとも常人ではないと看破するだろう。服装も普通ではない。胸元を大きく開けた弥生時代の服装――筒袖に(はかま)を着ており、皮履(かわぐつ)をも履いているではないか。時代錯誤も甚だしいが、しかし様になっている。

 もう一人の男は黒衣の僧正。本来有り得ぬ色の袈裟を着込み、しかしその頭巾の下に在るは只人のそれに非ず。その(かんばせ)は苦行の末に入滅した者のそれ。所謂木乃伊の事である。先の発言はこの木乃伊が発したのだ。

 そして最後の一人は、先程雄治が遭遇した『玻璃の媛』を名乗る美しい女性。名の通りの澄んだ玻璃色の眼と艶やかな亜麻色の長髪が印象的だ。

「まぁ、いい加減、コイツばかりに手間掛けてもいられねぇからな」

 巨躯の男が顎に手を添えながら言う。

 約十年。

 目の前の男は、決して正体を誰にも明かさなかったのだ。

 師であるあの男は例外として、その他の魔術師や呪術師たちと接触しようとはしなかった。

 だが、それも仕方のない事だろう。

 術越しとはいえ、男の内に滲み出る力は、『竜蛇』のそれ。しかも嘗て『自分たち』が討ち果たした『国津』の系譜の蛇神。

 異国の御使いより転じた竜の力も感じるが、この男の直感は蛇が大元だと囁いていた。これは余談だが、もしここに『あれ』があれば「戦わせろ」と五月蝿かっただろう。そうなれば「   」に触発されて自分も「嘗ての己」に戻ってしまう。それだけは避けねばならなかった。それに日光の「猿」の事もある。奴が出張れば、必ずどちらかが死ぬ迄戦う事になるだろう。

 そういった点で考えれば、幽世で戦うこの男の判断は正しい。いや、正し過ぎるのだ。それだけがどうしても解せない。

 故に彼等は理解した。あの神殺しは、そういった情報を誰にも知られずに得られる権能を持っているのだろう、と。

「……正直を申せば、御坊が何もせずともあの方は応龍様と戦いになられたと、私は思いますが」

「そうでしょうな」

 頷く木乃伊。

 その後にしかし、と前置きして。

「それでは裁定にはなりませぬ。肝心なのは、あのお方が身内に危害を加えられるのに対してどのように動くのか――」

 瞬間。

 黒衣の僧正を玻璃の媛の着込む十二単の中に潜んでいた角を生やした碧の蛇が瞬時に巨大化し、彼に巻き付いたではないか。

「な……っ!?」

 袈裟越しに感じる凄まじい呪力は、この蛇が神の眷属だと否応無く理解させられる。

 だが、それに気付けなかった。こうして巻き付かれる迄、一切解らなかったのだ。

 これがどれ程異常な事か。

 呪力の隠蔽技術が群を抜いているのだろう。少なくとも、この至近距離で人を辞めた自分にすら感知させなかったのだ。これでは現世の者たちが気付けないのも無理はない。

「伝言です、御坊」

 苦笑する媛の声に、黒僧の意識がそちらを向く。

 そして、媛が口を開く。

 神殺し(まおう)の言葉を。

 

『俺の身内に手を出すなら、魂の欠片も残さず殺し尽くすぞ』

 

「――だそうですよ」

 黒僧の背筋を悪寒が走った。

 蛇が徐々に内の殺気と共に呪力を解放し、巨大化していくからだ。それ故に先の言葉が厭に真実味を帯びてしまう。

「……う、お……」

 その圧力に気圧される黒僧。

 蛇が口を開く。

 そこには、本来は二本しかない牙--だけでなく無数の鋭い歯が生えているではないか。

 そして、そのまま黒衣の僧正は喰われ--

 

「まあ、そこ迄にしといてくれや」

 

 大口を開ける蛇を筒袖の男が止める。

 すると、蛇はちらりと男を見て、黒僧の拘束を緩めたではないか。

 そしてそのまま蛇は役目を終えたとばかりに呪力に戻り、この場から消え去った。

「……ふう。いや、感謝しますぞ御老公」

 安堵の溜め息を吐いた黒僧に、媛と呼ばれた女性が苦笑のままに言った。

「ですがこれで御解りでしょう? あの方は、御自分の身内に危害を加えようとする者に容赦をしない御気性のようです」

 今のは警告のようですね。そう言って媛は笑う。

「いやはや、媛も人が悪い。あの羅刹の君の僕がいると、何故仰られなかったのですか」

 苦笑しながらもしかし非難の言葉を彼女に投げ掛ける。

 その言葉に媛は微笑んで一言。

「羅刹の君直々に頭を下げられて助力を請われたのです。それに、身内を利用しようとしたんだから、これで手打ちにするのなら安い物だろう。――そう仰られた物ですので」

 そう言われてしまえば、羅刹の君の身内を利用しようとした黒僧は何も言えない。報復される事も覚悟していたが、そこは口先で言い包めようとしていたのだ。

 しかしそれよりも先に、こちらの言い分も聞かずに警告してくるとは。

 こういった即断即決の行動は、神の起こす災厄を防ぐ人界の守護者としては相応しい行いだ。それが身内のみに適応されるのでは、というのが少々の懸念ではあるが、まあ許容の範囲と言えるだろう。神が動けばそれだけで天変地異が起きても可笑しくはない。それを防ぐには神殺しが出張らなければならない事をあの羅刹の君はよく理解しているようだった。

 そういった意味で言えば、人界を守護する防人として彼の評価は高い。

「まあ、ちと表に出たがらねぇってのは少しどうかとは思うが、まあまあじゃねぇか?」

 筒袖の男はそう纏めると、媛も黒僧も同意した様子で頷いた。

 つまりこれにて皆堂雄治の器を測るのは終了ということになる。

「では、次は最も年若い羅刹の君の裁定へと移りましょうか」

 黒僧がそう言うと、中空に新たな映像が出現する。そこには、媛巫女に説教されている草薙護堂の姿があった。そんな主君を見て、金髪の美少女は面白そうに笑っている。しかしその眼には隠しようのない敬意と燃え上がるような慕情が見て取れた。

「こっちか。―― 成程、女好きみたいだな」

 御老公と呼ばれた筒袖の男は、護堂を見るなりそう判断した。

「ですな。……では、こちらの方向であの御方を試すとしましょう」

「……」

 黒僧は護堂に女を使ってその在り方を調べると言い、玻璃の媛は無言のまま二人の神殺しを見やる。

 草薙護堂を試すのに否は無いが、その為に女性を道具のように使うのは媛個人としては余り良い感情は浮かばない。しかし、往々にそうしなければならない事も長く生きている媛は知っていた。

 それに、この年若い少年ならば例え何人の女性だろうと等しく愛し囲うのだろう、と女としての直感が囁いているのだ。

 そして彼女は幽世で応龍と戦っている雄治に意識を向ける。

 戦況は変わらず、異形の腕の先にある刃のような爪と拳が不可視の風刃とぶつかりあっているままだ。

 しかも両者は笑いながら戦っているではないか。

 風刃と爪によって皮膚や肉が裂け、打撃によって翡翠の鱗が砕かれ、風を圧縮した大気の拳で吹き飛ばされている。

 しかし、両者は笑う。

 怨敵への敵意では無い。ましてや悪意でも無い。

 そこに在るのは、己の業を振るう事への歓喜。そして、それを喰らって尚立ち向かってくる好敵手への敬意。

 口から漏れるのは苦痛の色無き歓喜の笑い。

『やるではないか皆藤とやら!! 我が風をここまで喰らって尚立ち上がれる神殺しもそうはおるまいよ!!』

『そっちこそ凄いじゃねぇか応龍さんよぉ! ヘルメスからブン盗った『飛翔する靴(タラリア)』の速度に対応出来るなんてなぁっ!!』

 双方の口から相手への賞賛が発せられる。

『だが、まだ「先」があるのだろう? まだ出しておらぬ業があるのだろう。それをこの応龍に見せよ!! さすれば汝はこの応龍を討ち斃す事も出来ようぞっ!!』

 応龍の言葉に空を疾走りながら雄治は応える。

『そこまで期待されてんのならしょうがねぇ! もちっとこうして戦り合いたかったが、急かされたんなら見せてやらあっ!』

 そして、『(じゅつ)』の向こうで雄治が唱える聖句を三人は聴く。

 

『楽園に植えられた葡萄の木は悪徳の酒を生んだ!』

 

 それは、御使いへと零落した神の更なる凋落の悲哀。

 

『死を司る御使いの眼は聖者によって潰された!』

 

 それは、踏みにじられた敗北者の怨嗟の声。

 

『葡萄を植え、眼を失った死の御使いは堕天し、赤き竜へと姿を変えた!』

 

 それは、踏みにじった勝者への反逆の宣誓。

 

『其は死の御使いであり、毒酒を振り撒く魔王であり、十二の翼を持つ赤き竜であるっ!!』

 

 それは、敗北したままではいられない愚か者の咆哮。

 

 そして雄治の姿が変わる。

 巨大な竜の姿へと。

 (ましら)--いや、猩々のような太く甲殻に覆われた前腕。その五指は刃物のように鋭い。

 恐竜のような後ろ脚。決して鈍重さを感じさせない強靱な筋肉で覆われているが見て取れた。

 逆三角形の分厚い筋肉を搭載した胴体。更にこちらも鎧のような甲殻がその身を覆っている。

 股下より伸びる尾も太く強靱そうだ。

 首は伸び、頭部も竜のそれに変わる。

 そして--その背より少し離れた位置で浮遊する十二の翼。

 変(しん)を終えた雄治は、天高く咆哮する。

 斃した神にこの咆哮が届けと言わんばかりに。

「ありゃあ、確か三、四百年くらい前だったか。幽世に隠遁してきた奴がいたな」

 その姿を見て、筒袖の男が当時を思い出すように呟いた。

 玻璃の媛も当時を思い返し、

「--はい。西の砂漠より赤き竜が、絹の道を通ってこちらに」

「……はて? その頃に別の蛇神も幽世に隠遁しませんでしたかな? そう、丁度先程の蛇のような角を生やした蛇神が」

 黒僧だけはその神とは別の神を思い出していたが。筒袖の男と媛も黒僧の発言を受け、頷く。

「そう言えば、あの方もおられましたね。確かあの二柱は、隠遁した際に特定の存在以外は出入り出来ないように鍵を掛けておりました」

 出入りは出来なくとも、玻璃の媛の遠見の術で領域内を覗く事くらいは出来たのだが。

「つまり、あの小僧は竜と蛇、二つの神格を得ている訳だな」

 『竜蛇の王』と玻璃の媛があの神殺しを呼んでいたが、的を射た呼び方と言えるだろう。

 三人がそんな会話をしている間も、竜と龍の激突は続いていく。

 

 

 

 

 

 

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 幽世にある熱砂の青空にて巨躯の赤い竜と翡翠の龍が二頭、互いに争っている。

 竜は両の拳で殴り、その爪で引き裂こうとした。

 龍は暴風を操り、刃や鎚へと形状を変えて放つ。

『--くくっ』

 応龍は笑う。

 巨大化してもまだ己よりも小さい敵。しかしその敵より感じるこの威はどうだ。全長が半里(1キロメートル)ある己に比べて、相手は精々が約三間(6メートル)程度。

 比喩を言えば蟻と巨象が争っているものだ。

 なのに、斃せない。

 風で斬り粉砕しようとも、両の手から伸びる四爪で刺突しようとも、尾で打ち据えようとも、噛み砕こうとしても、この神殺しは立ち向かってくる。

 どうやらこの男は直接的な殴り合いを主としているようだ。

 如何に応龍の鱗を砕きその龍体を傷付けられるのだとしても、所詮は三間程度の矮小な異国の竜。己の肉体を巨大化するような権能か、一撃でこの巨体に致命傷を負わせられるような権能があれば、もう少し取れる選択肢も違ったのだろう。

 しかしどうだ。

 本来ならば開く事のない両眼からは溢れんばかりの熱意と戦意、そして闘志が渦巻いているのが感じられる。

 --面白い。

 そう思い、応龍は大笑する。

『そうだ。それで良いのだ、神殺しよ! こうして相対し、似たような実力で拮抗した勝負を行うっ!! これこそがこの応龍が望み、そして焦がれた「闘い」だ!!』

 ただ生き残る為の殺し合い(たたかい)ではなく、誇りある競い合い(たたかい)がしたい。それが応龍の望み。

 そう、この龍は、こういった闘いがしたかったのだ。

 応龍は歓喜の咆哮のままに雄治とぶつかってゆく。

 応龍の更に上空へと駆け昇り、そこから一気に急降下して拳を振り下ろすサマエル(ゆうじ)。その一撃にて応龍の背にある鱗が破壊される。

 しかし負けじと応龍もまた風で作った球体の檻の中に神殺しを封じ込めると、大きく振り下ろされた尾の一撃にて赤い竜を砂地へと叩き落とした。大地に叩き落とされる赤い竜。強い衝撃と轟音が響き渡る。大量の土砂と砂塵が舞い上がり、赤き竜を隠す。それから数秒もしない内に舞い上がる砂塵の中を一直線に赤い竜は駆け上ってくるではないか。まるで大地の上を普通に駆けているかのような気安さで。その両脚を見れば踵の部分に少し離れて金の粒子で出来た小さな翼がある事に気付く。恐らくは人間体だった神殺しが履いていた神気を感じる靴だ。だからこそ、あの神殺しは人の身でありながら空を疾走出来たのだろう。

 一歩、また一歩と、空を踏み締める度に赤い竜の速度は上がってゆく。

 こちらが迎撃の風を手繰るよりも早く、その一撃は応龍の腹側の黄色い鱗を大きく斬り裂いた。

 掠り傷、とは決して言えぬ大きな傷。致命傷ではないが、このまま何度も喰らっていけば確実に「己の命」に届くだろう。

 そして、

『……成程。これが貴様の権能か』

 砂塵より飛び出した赤き竜の手には、本人の身の丈程もある巨大な片刃の大剣が握られている。

 代わりに、その背に浮遊する翼が一枚「足りない」。

 十一枚の翼を見て、応龍は得心がいった様子で吼える。

『貴様の討ち斃せし神の名、この応龍にも見えたわ! 其は西の希臘(ギリシャ)で信仰されし盗神(ヘルメス)と、以色列(イスラエル)にて信仰され基督(キリスト)教において悪神と成り果てた死の御使い(サマエル)だな!!』

 その言葉に赤い竜はニヤリと口を歪め、肯定した。

『正解だ』

 その声は、赤い竜(サマエル)に変神しているせいか人とは異質なものに変わっている。

『成程、この応龍の鱗を砕き肉を斬り裂くだけでなく――傷が癒えぬ権能。“呪い”と“毒”が宿る剣か。だが、貴様より感じる気配……まだ見せぬ権能(ちから)があろう? 毒や呪いもそうであるが、己が総てを用いねば、この応龍は斃せぬぞ!!』

 応龍の腹にある傷から少なくない血が流れているが、覇気そのものは減少してはいない。如何に傷の治癒を停滞――いや遅延させる“呪い”と“毒”であれど、応龍は意に介さない。手に入れた権能である以上、使わない事が逆に応龍にとっては屈辱なのである。

 これで卑怯且つ悪辣な騙し討ちをするような者ならば、応龍としても少しは対応を考えたところだ。

 しかし目の前にいる神殺しは毒や呪いが込められた剣を振るうものの、真っ向勝負を望んでいるのが直感的に理解出来た。

 ならば、傷の治癒を阻害する程度の権能くらい大目に見るのは当然だ。

『解ってるともさ!!』

 応龍の挑発に雄治は吼える。

 大剣を構え、斬り掛かってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 ●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 さて、それでは少し時間を巻き戻して雄治の視点で先程の一幕をなぞってみよう。

 雄治はその巨腕で相手を殴る度に思う。いくら鱗を砕き肉を抉ろうとも、その全体からすれば掠り傷程度でしかない、ということを。

(ちぃっ、象と蟻レベルの身長差がここまで厄介だとは……っ!!)

 こちらは精々が六メートル程度。

 相手は目算ではあるが一キロより小さいという事はないだろう。

 やろうと思えばもう少し『大きく』なれるが、精々現在の十倍程度が今の自分の限界だ。しかも今までこの応龍レベルの存在とは戦った事がないのだ。

 十メートルや百メートル級の神を(手負いとは言えど)斃した雄治としても、この応龍は巨大過ぎた。

 故に、避けられなかった。咄嗟の隙を突かれ、風の檻に囚われてしまったのだ。

『ぐぁ……っ!?』

 そして檻ごと、その巨大な尾が見合わぬ速度で自分を殴打したのだ。

 空から叩き落とされ、熱砂の大地へとまるで砲弾のように勢い良く落下していく雄治。

 しかし、彼はそのまま砂地に頭から突っ込んでダメージを受けるつもりも無かった。

 今の雄治の背に浮遊する十二枚の翼には、実は幾つかの機能があるのだ。翼は、雄治が空を飛翔する為以外に自動姿勢制御装置(オートバランサー)の役割を担っていたのである。

 その翼を広げて姿勢を制御し、雄治は落下している身体を無理矢理捻って四肢と尾を大地に叩きつけ--強引に着地した。

『――――っ!!』

 その衝撃に一瞬思考が遠くに飛びそうになるが気合いで無視。この程度、学生時代から今まで通してやってきたド突き合いでは当たり前にあった痛みだ。別段率先して喰らいたくはないが、それでもこの程度で動けなくなるような軟弱な人生は送っていない。

 首を動かし、舞い上がる砂のカーテンの向こうにいる応龍を(見えてはいないが)見据える。

 即座に砂地を蹴り、空へと飛び出す。脚の踵部分に光の翼が生まれ、飛ぶと同時に空を蹴る。

 速度を落とさず、それどころか徐々に速度を上げながら雄治は左肩の上から背後に手を伸ばす。

 そこに在るのは、浮遊する十二枚の翼の内の一枚。それに手を添えるだけで翼は瞬く間に柄が伸び、『片刃の大剣』へと姿を変えた。

 翼から変わる際に周囲に羽根が舞い散るも、それすら置き去りに雄治は応龍に肉薄する。

 そして――振るわれた斬撃は、初めて掠り傷以上の傷を応龍に与えた。

 それを受けて、しかし応龍は哄笑する。

 この刀身には“毒”と“呪い”が込められているにも関わらず、だ。寧ろ使わなければ自分を斃せはしない、と応龍は言った。

 しかしそれは、雄治を下に見ているが故の発言ではない。

 寧ろその「逆」。先程からの発言は全て、力を出し惜しみしている雄治への催促の言葉なのだ。

 全力を出し合っての闘い。それを応龍は望んでいた。そしてその事は、初めから雄治も見て取れた。

 何故解ったのか?

 それは、雄治もまた真っ向勝負を望んでいたからだ。

 しかし雄治はまだ、全力を出さない。本気で闘っているが、まだ余力を残している。そしてそれは、応龍も同じだった。

 闘いながら徐々に力を本来の全力の位置迄高めていく両者。

 しかし先に雄治が手札を一枚切った事で天秤が彼の方へ傾いた。

 振るう大剣によって、応龍の肉体には徐々に血塗れになっていくではないか。

 振るわれる不可視の風を、十一枚の翼と脚の光翼にて、避け、受け流し、いなし、逸らしていく。無論その全てを避ける事は難しく、少なくない傷が雄治の肉体には刻まれ、少なくない出血がその赤い竜の身を更に赤く染めている。

 双方共に満身創痍。

 しかしそれと反比例するかのように、両者より溢れ出る呪力は天井知らずで上昇してゆく。

 空を足場に縦横無尽に動き回りながら大剣と拳爪を振り回す雄治と、空の一角に陣取り、不可視の風を刃や鎚に変えて放つ応龍。

 右手で鱗を斬り、即座に逆手へと持ち替え、その腕を後方へと引く反動で、その傷口に左拳を叩き込む。

 だがその傷口を応龍は痛みに耐えながら締め付ける。左腕を引き抜けなくなった雄治に、全方向からの風による不可視の斬撃が渦を巻いた。例えるならば「刃の竜巻」だろうか。

 満身創痍の身でしかも更に全身から血を噴き出す雄治。その駄目押しとして、応龍はその蛇のような長い身体を捻り、背後から後ろ脚で雄治を蹴り上げた。

 そして、今度は全方向からの「風の壁」が彼を圧殺せんと迫る。既に満身創痍。如何に頑丈な竜体とて、この一撃を喰らえば応龍の勝利は確定するだろう。

 些か残念に思いながら、応龍は雄治を見て――気付く。

『――っ!!』

 牙を剥き出しにして食い縛り、彼は応龍を、その顎にある逆鱗を見据えていたのだ。

 沸き上がる悪寒。しかしそれを払拭しようと更なる駄目押しの「風の壁」を生み出すよりも早く――雄治は動いた。

 背にある三枚の翼が、雄治の大剣に吸い込まれたのだ。大剣を大きさはそのままに強化したのである。そしてその際に無数の羽根が彼を応龍から隠した。

 そして、雄治は剣を構え、『飛翔する靴(タラリア)』を全力起動させる。未だ完全に掌握出来ていないヘルメスの権能だ。全力の神速など、雄治はまだ一度も使った事が無かった。どれ程の速度が出るのか想像もつかないからだ。今使えるのは精々が六割程度でしかない。

 だがこのままでは、四方八方から迫る「風の壁」に圧殺されるのは眼に見えている。故に雄治はこの手段しか取れなかった。まさに分の悪い賭けと呼ぶに相応しい。しかしだ、『この程度』で勝てる相手だろうか? そんな直感を得た雄治は、更にその賭けに掛け金を上乗せする。

 残り八枚の翼の配列を変更。姿勢制御を無くし、飛翔と推進力の増強のみに残りの翼を割り振ったのだ。

 これらを雄治は一秒も満たさぬ内にやってのけた。

 

 

 

 そして、一撃が放たれる。

 

 

 

 それは違うことなく、次の瞬間には、

『むぅ……っ!?』

 応龍の逆鱗に、雄治の大剣が突き刺さっていた。

『これで、終わりだっ。応龍っ!!』

 雄治の呪力が更に高まり、両手で握っていた剣の柄を右手のみ逆手に持ち替え、そのまま大地へと超スピードで落下していくではないか。

『……ぅ、ぐ……ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』

『っがぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!?』

 一キロある巨龍がたった六メートルしかない竜によって、大地へと墜とされたのだ。もしこれを見ている魔術師や呪術師がいれば、改めて『神殺し』という理不尽への畏敬と恐怖を高めたであろう。

 そして、先程よりも大量の砂塵を撒き散らして、応龍は熱砂の大地へと墜ちた。まるで原子爆弾が投下されたような轟音と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「勝負有り、だな」

 筒袖の大男が酒を呑みながらそう言った。

 黒僧もその言葉に無言で同意する。

 しかし媛のみが、それに異を唱えた。

「いいえ、まだです」

 その理由を問おうとして、しかしそれよりも早く術の向こうから「声」が響いた。

 

 

 

『成程』

 

 

 

 瞬間。

 こちらからでも解るレベルで呪力が増大する。その余波を受けて雄治は空中へ弾き飛ばされる。逆鱗を貫いていた大剣も同様に。

 だがこれは、あの神殺しの呪力では--無い。

『十年、待った甲斐があるというものだ。この応龍(われ)を力尽くで地へと墜とす神殺しと相対出来たのだからな。……いや、寧ろ傲っていたのは我の方だったのだろうな』

 その言葉と共に、幽世が「書き換え」られる。

 砂地の全てが「水」に没し、苔の生えた岩山が無数に乱立する。青空と砂地しかないサマエルの空間が、別の何かに「上書き」されたのだ。

『こいつぁ……っ!?』

『そう、これは我の世界。我が傷を癒す為に作り上げた我の為の世界』

 その言葉と共に、応龍の翡翠の鱗が剥がれ落ちていく。

 その下に在る鱗の色は、「紫」。皇帝のみが許される高貴なる色。蛇腹側の鱗は薄い黄色から、濃い黄色へと色を濃くした。

 その翼もまた、変化している。翼そのものの造形は変わっておらず猛禽--鷹のような翼はそのままだが、しかしその色が違う。先程までは鷹そのもののような翼だったが、今は四色に染まっている。青、紅、白、黒の四色に。これらは東西南北の四海を治める竜王たちの色。

 中国古書『瑞応記』曰く、応龍は四竜たちの長であり、四神――青竜、白虎、玄武、朱雀の長でもある。何故なら応龍は、老いて神格を上げると黄龍と成るからだ。

 また別の古書『述異記』では、「泥水で育った(まむし)は五百年にして(みずち)となり、蛟は千年にして竜となり、竜は五百年にして角竜となり、角竜は千年にして応竜に、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる」とある。

『この幽世で傷を癒し、かつての神格を取り戻した際、我はふと思ったのだ。このまま嘗ての我を取り戻しても、嘗てのようにあの「女」に破れるのではないか、とな』

 時を巻き戻したところで、結局は歴史の流れのままに「ここ」へ至るのではないか。そう応龍は考えたのだ。

『ならば、嘗て敗北した過去(われ)のみを得てどうする。敗北した(かこ)を受け入れ、新たなる(みらい)を得る。これが我が望み。我が再生、我が新生よ』

 だが「それ」は、神には本来思い付けない考え――の筈であった。

 神とは、謂わば『過去そのもの』。故に己の時を戻すことで「強さ」を得るのだ。

 しかし神殺し(にんげん)は、言うなれば(かこ)の力を使い、今を生き、未来を望む生き物。

 だからこそ、人は過去である『まつろわぬ神』に反発する。

 「強大だから」ではない。

 「偉大だから」ではない。

 「不死だから」ではない。

 『まつろわぬ神』は未来を否定する存在だからこそ、人に討たれるのだ。

 そしてその事に、応龍は気付いた。気付いてしまった。

『故に我は、まず今の「己」を受け入れた! そして、望んだ! 過去(はいぼく)ではなく、未来(しょうり)を!!』

 水が渦巻き、水の槍を形成する。

 空を雷雲が覆い、風は嵐と成った。

『故に今の我は、あの「女」の下僕であり、黄帝の守護者であり、神精であり、四竜の(ちょう)であり、四神の長であり、四霊の一角であり、総ての鳥獣と鱗在る物の王であるっ!!』

 つまりこの応龍は、伝承神話総てを総括した応龍。

『言うなれば、この我は応龍ではなく、「真・応龍」である、と言えようか』

 どこか得意気に、応龍は言う。

『おいおい、マジかよ……』

 雄治はそんな応龍を見て、引き吊った笑みを浮かべてしまう。

『尤も、我が「こう」なるには、幾つかの条件が必要だったのだが、な。その内の一つは貴様だ、皆藤雄治』

『俺、だと……?』

『そう、この応龍を打倒出来る強敵と幽世にて認め合い、相対し、我が心より勝利を望まねば、この神体は成し得なかった。故に感謝する』

 心からの感謝を込めて、応龍は言う。

『せめてもの礼だ。誰も知らぬ我が全霊、その総てを貴様に見せよう』

 龍体を紫電蒼雷が疾走り、雨と雹を含んだ大嵐が雄治の甲殻を叩く。水面から伸びる巨大な水の槍は既に百を越え、それらの切っ先の全ては赤き竜の身に向けられている。

『故に貴様も魅せるが良い、その権能(ちから)の総てをっ! これまでは前座よ、ここからが我と貴様の晴れ舞台だ!! お誂え向きに観客もいるのだ。ここで魅せねば男が廃るぞっ!!』

 そんな応龍の発破に雄治は苦笑する。

『……ったく、熱い御仁だねぇ。--ま、嫌いじゃねぇがな』

 そう呟くと、手を翳した。すると、吹き飛ばされていた大剣が刺さっていた岩山から勝手に抜け、猛スピードで持ち主の掌に舞い戻ったではないか。

 その大剣を両手で握ると、柄が伸び刀身が身の丈の三倍もの長さと大きさになった。

『良いだろう、こうなりゃとことん最後迄付き合ってやらぁっ!! 九州男児舐めんじゃねぇぞっ!!』

『そうこなくてはなぁっ!!』

 こうして、赤き竜と紫の龍は激突する。巨剣と轟雷が相手を屠らんとぶつかり合う。

 その一合目の余波を受けて、岩山の幾つかが破壊された。

 水槍を打ち払い、嵐を物ともせず、雹雨を一顧だにせず、紫電蒼雷を巨剣で振り払う。

 そして、また笑う両者。

 それを見て黒僧は一言。

「似た者同士ですな」

 勿論それに筒袖の大男と媛は無言で首肯するのだった。




次回から少し独自路線になりそうです。
どれくらい空くかはまだ解りませんが、なるべく早く書きます。

こちらでも無いように気をつけてますが、もし誤字脱字を発見したらお知らせ下さい。


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紫の五爪の龍

お久し振りです。なんとか書き終わりました。


 本気を出せ。

 そう応龍は吼える。

 雄治はそれに応えるように神の力を解放する。しかし、決して一気に全力を出そうとはしなかった。

 勿論それには理由はある。いきなり「全開」にしてしまうと、自分でも制御が出来ず暴走してしまうからだ。過去に数度ではあるが、神殺しとなった自分がどれ程の事が出来るのかを検証する一環で、一気に力をフルスロットルで解放したのだが、その結果は散々な物であった。

 竜、もしくは大蛇となった己の肉体が、いきなりの全力に耐えられなかったのだ。

 外側が幾ら人以上の耐久力を誇る竜蛇の肉体であれど、その中身は神殺しとは言え脆弱な人間。芋虫が(さなぎ)を経て蝶へと肉体を変態させるのと同様に、内側の人としての機能を外側に馴染ませる必要があったのだ。

 これは、雄治が竜蛇の姿に憧れを抱いた弊害と言えるだろう。普通ならば、奪った権能は使用者が望むようにアジャストされるのが普通だ。しかしそれを雄治はある程度「そのまま」に取り込んでしまった。多少姿形を弄りはしたが、本質的な部分は一切削っていないのだ。

 神殺しとは言え人は人。そんな事をしてしまえば、草薙護堂のように権能に厳しい制約が敷かれるのが当然であった。

 ならば、皆藤雄治にとっての制約とは何か?

 言ってしまえば、暴走である。

 不用意に権能の出力調整を誤れば、自我を喪失し、二神の抱える憤怒や絶望の儘に暴れ回り、例え己が死のうとも相手を討ち滅ぼさんとする幾つもの負の感情を煮詰め凝縮した狂気によって暴走が始まってしまう。仮に狂気に支配されなくとも、竜蛇の姿であって初めて十全に扱える権能なのだ。外側(ハード)だけは一丁前に変えられても、内側(ソフト)をそれにアジャスト出来なければ意味がない。如何に車の運転が上手い人間であれ、いきなり馬力が桁違いなモンスターマシンをトップスピードで運転することは難しいものだ。感覚が馴染まない内に無茶な運転をすれば、大事故の原因になるのは目に見えている。

 だからこそ、雄治はサマエルの権能の出力を徐々に解放させているのだ。

 その他にも雄治が力を出し惜しみしている――せざるを得ない理由があった。

 その理由の一つに、変神した際の姿がある。

 過日、ヘルメスを斃し彼の道具の幾つかを簒奪した雄治ではあるが、使用する為には「人型の手足」が必要なのだ。

 故に、サマエルの姿ならばヘルメスの権能を併用出来るが、しかし四肢を持たない夜刀の神の姿では使えない。夜刀の神で唯一使えるヘルメスの権能は、姿を隠す『冥王(ハデス)の兜』のみ。

 つまり、雄治にとって空を飛ぶ敵は比較的苦手な部類に入るのだ。

 だからと言って勝てる見込みが無い、というワケではない。

 雄治には『奥の手』があるからだ。彼が死ぬ間際になる迄は、決して切る事のない『奥の手』。

 それこそが権能の“融合”である。

 “併用”ではなく、“融合”。

 神殺しとなって幾度となく遭遇したまつろわぬ神との戦い。その中で雄治はこの“融合”を使わなければ勝てない戦いが何度かあった。

 だがそれを使えば、雄治は自我を保てず暴走してしまう。唯の一度も雄治は意識を保った儘、『奥の手』を使いこなせたことはない。故にヘルメス以前に手負い関係なく戦ったまつろわぬ神たちの権能を得る事は出来なかったのだ。

 『暴走して前後不覚の儘で手に入れようとした力なんか認めませんっ』とはパンドラの談だ。彼女としては討ち斃すその前後の意識が無くなる程度なら許せるが、流石に暴走しての勝利は認められなかったのだ。

 雄治が力を出し惜しみしてしまう最後の理由がこれである。

 つまり、雄治はこの応龍の力を欲していた。師である結城大吾と因縁があり、神殺しに真っ向勝負を挑んでくる龍神。

 この神と闘えば暴走せずに権能や『奥の手』を使いこなせる切っ掛けを得られる。――そんな直感が働いたのだ。

 ヘルメスと戦う迄、まつろわぬ神と戦えば高確率で何度も暴走し、死に掛けていた雄治だ。

 必要ならば死に掛ける事も厭わないが、だからと言って戦う度に死に掛けていては堪らない。どこぞの野菜の国からやって来た超戦士ではないのだ。戦う以外にも楽しみたい趣味はあるのだから。

 だからこそ、雄治は心に言い聞かせる。在り来たりな言葉ではあるが、しかし戦う者にとって大事な心構えを。

(……心は熱く、頭は冷静に……っ!)

 例えどれだけ戦いに熱狂しようと、決して我を忘れてはならない。

 雄治はそう自分に言い聞かせながら戦う。

 それに、戦いの“熱”に赴く儘に狂えば、即座に「死ぬ」と解っているからだ。

 

 

 

 ――つまりこの応龍は、今のサマエル(ゆうじ)よりも強い。

 

 

 

 と、言うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

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 風を刃や槌に形成させて放つだけでも厄介だった応龍の攻撃は、更に竜巻や水面より伸びる水槍や岩槍を出現させ、空を雲で覆い有り得ぬ速さで雹雨を撃ち出し、全身から紫電蒼雷を迸らせ、そして龍の顎より吐き出される劫火によって、更にその激しさを増していく。

 応龍による怒涛の攻撃をなんとか回避しようとした雄治だが、それらの攻撃は一キロ以上ある巨大な龍からのもの。どうしても完全に回避するのは不可能だった。

 背丈の高い者と低い者が戦う場合、背が高い者には戦いで利用され易い死角や隙が相手よりも多く存る。どうしても小さい者の方が小回りや俊敏性等で相手に勝るからだ。

 逆に、勝っているであろう「それら」ですら負けていたのならば、背の低い者が勝利する可能性は限りなく低くなってしまうが。無論、これは「人間」だけの話ではない。

 では、今闘っている雄治と応龍はどうだろうか。

 雄治は六メートルという人では到底到達出来ない大きさだが、しかし応龍は一キロ以上という巨大さを誇っているのだ。確かに速度と俊敏性などは小さい雄治の方へ軍配は上がるだろう。だが応龍はそれらが若干劣っているだけに過ぎず、それ以外の点では寧ろ雄治を圧倒しているのが現状だ。

 故に応龍は全方位へ攻撃を絶え間なく放ち続けた。

 雄治が如何に神速で動こうとも、そうなってしまえば――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな事は雄治も解っていた。

 だからこそ、敢えて避けない。降り懸かる全てを手にしていた自身の身の丈以上ある巨大な大剣を二刀の小太刀に変化させて応龍の攻撃を叩き落としてゆく。大剣では捌き切れないと雄治は判断したからだ。既にその身には防げなかった大きな傷が斜めに走っている。水の槍が回転し、傷口を抉ったせいで少なくない血が溢れているではないか。

 確かに硬化した残り八枚の翼と身に纏う甲殻と鱗は、応龍の引き起こす天変地異の大部分を防いだ。しかし、その大攻勢を隠れ蓑にした様々な必殺の一撃は自慢の竜体(にくたい)では防げないぐらいに強い。ただ漫然とその致命的な攻撃を他の攻撃と同様に被弾し続けていれば、如何に神殺しと言えどもその命に届いてしまうのは当然だと言えるだろう。

 だからこそ、雄治はそれらの本命『と認識した』攻撃を翼四枚分の力によって生み出された二つの小太刀で斬り裂いていく。

 超人的な直感と鋭敏になった五感、そして磨かれた第六感をフルに使用し、雄治は応龍の猛攻を防いでいる。

『皆藤雄治よ、貴様にはどうやらまだまだ上があるようだなっ! 我が再三「本気を出せ」と言っておるにも関わらず、徐々にしか権能を解放しておらぬ理由は訊かぬ。どうやら「そうせねばならぬ理由」があるようだからな! しかし、だからと言って手加減はせんぞ!!』

 その言葉と共に、攻撃は形を変える。

 応龍が三爪から五爪となった爪の内の一つで虚空に文字を書く。

 古来より五爪の龍は中華皇帝の化身であり、最も権威の高い存在であるとされており、この応龍は、黄龍や皇帝でもあるのだ。

 最も権威神意が高い龍と成った為か、その龍が世界に書く『文字』は、それ自体が『術』と成る。

 書かれた文字は、自身を指し示す『龍』。

 その文字はすぐさま霧散、いや総てに拡散し伝播してゆく。

 次の瞬間、水が、岩が、土が、木が、氷が、炎が、風が、雷が、その姿を変えてゆくではないか。

 その姿とは、――文字通りの『龍』。

『龍だと!?』

 今まで行ってきた攻撃の総てを応龍は「龍」に姿を似せて再度撃ち出してきた。

 これが人間の術者が行った形態を模倣する術ならば、雄治もそこまで危機感を覚えはしない。確かに姿形を(あやか)る事で対象の力の一部を宿す術など魔術でも呪術でも良くある常套手段だ。しかしそれは、人間が相手であったならの話でもある。

 今、雄治が相手をしているのは、中国神話に登場する創造神である伏羲(ふっき)女媧(じょか)という蛇身人首の神と争った最古の龍だ。彼等と争い敗北したが故に神僕と化し女媧やその子孫である黄帝の遣いとなったが、元は(雄治は知らないが)古代中国神話で崇められた龍神である。

 ――嘗て、天上に在った神々が人と争った際、神々と袂を分かち人々を守護したせいで地上へと追放され共丘山という霊山に住まねばならなくなったとあるが、裏を返せばその力は負けて尚驚異的だったという証左だ。

 余談ではあるが、中国には鳥獣や昆虫、果ては龍等の動物の動きを武術にした象形拳、またの名を形意拳が存在し、太極拳、八卦掌と共に内家拳(古い歴史を持った拳法)の代表格と称されていた。つまり、古来より中国人は動物の優れた部分を模倣し、その果てに一端の武術へと昇華させてきたのだ。

 

 

 

 つまり、何が言いたいのかと言えば――応龍という龍の王が龍の姿を付与してしまえば、その事象は「龍そのもの」と成るのである。

 

 

 つまり、即席とはいえ「龍」の大軍勢が、同じ速度と物量で雄治に襲い掛かってきているのだ。

 強くなった分、一つ一つの「(こうげき)」は大きいので対処は先程よりも簡単そうに見えるが、実際はそうではなかった。

 「龍」と成った事象は、()()()()()()()()()()()()

 二刀を文字通り手足のように操って一切合切を斬り伏せようとしたが、なんと「龍」たちは、身を捩って雄治の攻撃を回避したではないか。

『なん……っ!?』

 その出来事に驚愕する雄治。だが、神殺しとしての本能が自身に警鐘を鳴らす――よりも早く、雄治の身に全方向から総ての「龍」が襲い掛かった。

 無数に生み出された炎の龍が、水の龍が、土の龍が、木の龍が、岩の龍が、風の龍が、氷の龍が、雷の龍が、たった一人の元人間(かみごろし)を葬る為に殺到してゆく。

 そして、殺到する「龍」たちに呑まれ、雄治の姿は見えなくなった。

 だが、その様を見ても応龍は戦意を鎮めない。

 

 

 

 ――例え(くび)だけになろうと、気を抜けばあの男はこちらを喰らいに来る。

 

 

 

 応龍にはそれが手に取るように解った。だから油断などしない。するつもりもない。

 それは何故か。

 自分であれば“そう”すると解っているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 雄治は『怒濤』と文字通り形容されるような連続攻撃を受け続けていた。腕や翼で致命的な箇所に直接攻撃が当たらないように防御してはいるが、完全には防げていない。

 それも当然であると言えよう。

 背の鱗を翡翠から紫に転じさせ、四肢の先にある三爪を最も尊き五爪に増やし、腹側の鱗を金に近い黄へと色を濃くしたその龍は、「真なる応龍」という自らの名乗りに恥じない力を発揮しているのだから。

 自然総てを「龍」に転じての攻撃は、一撃一撃が重く疾く、そして深い。自然そのものをぶつけられるよりも殺傷力は格段に高いのだと、文字通り骨身に染みて解った。

 このまま受け続けたら死ぬ。

 それが解る程度には、雄治は『死』に近付いていた。

 恐らく、このまま攻撃を受け続ければ、確実に暴走してしまう。

 故に、思う。

(このままじゃあ、終われねぇよなぁ……っ!!)

 勝ちたい、と。

 目の前に在る巨大且つ偉大な龍に、一矢報いるのではなく、完全に勝利したい、と。

 だからだろうか。

 ――雄治の中で、『歯車』が()()、噛み合った。

『――――っ!?』

 まるで、今まで何度も転んで乗れなかった自転車に、初めて乗れたかのような唐突さ。

 そのせいか、雄治は怒濤の攻撃に曝されながらも、一瞬だけ呆けてしまった。

 だが、次の瞬間には彼は手にしていた小太刀を握り締め、叫ぶように唱えた。

 

 

 

『赤き竜の剣に宿れ、碧の蛇よ!!』

 

 

 

 それは、新たな聖句。

 赤き竜の身でありながら、碧の蛇の力を振るう為の権能。

 本来ならば、これを習得して初めて「権能の融合」を使えたのだろう。

 今までの暴走は、この聖句を発現させていなかったが故に起きていたのだ。

 そう雄治は確信していた。

 要するに技能LVが規定値に達していないのにハイパー○ーラ斬りを使おうとしたようなものだ。

 無理があったのは当然と言えた。

 しかし今、雄治は十全に振るう為の新たな聖句を手にした。

 

 

 

『その身の如き刃と成り、我が敵を斬り臥せよ!!』

 

 

 

 両の小太刀が変化する。

 蛇骨を思わせるような小さな刃を幾つも連結させた剣に。

 剣、と言っても両刃の剣ではない。まるで日本刀のような片刃をしているが、しかし刀身は西洋風である。

 その先端にある刀身には、眼のような意匠が両側にあり、蛇を連想させた。

 蛇腹刀(じゃばらとう)

 或いは蛇腹剣、間接剣等の俗称で知られる剣だ。二十年以上前から構想されていた剣だが、しかし構造の複雑さから作成される事はなく、現実には実存しない剣と言える。

 雄治はそんな二振りの蛇腹刀を巧みに操り、自身に襲い掛かってくる「龍」の総てを斬り裂いた。

 欠片のような刀身同士が分離し、それらを糸が繋いでいるのだ。故に射程距離は普通の剣よりも長く、そして蛇の概念を付与されてある故に操作は自由自在。

 しかもその付与された蛇は『夜刀の神』。見ただけで相手どころか一族郎党総てに死を与える蛇神である。故に刀身に宿る力は夜刀の神の権能。

 そんな権能(ちから)を内包した剣によって、「龍」たちは為す術も無く切り裂かれていく。

 生み出した「龍」が無惨に斬り捨てられていく中、応龍は呵々と笑う。

『ほう、それが貴様の使わなかった権能か。いや、使えなかった、か? 見えるぞ、敗北し、まつろわされた蛇神が。その権能は、己を観たモノに『死』を与える呪いを伝播させる物っ!!』

 そして剣の効果を看破した。

 この場は幽世。宇宙開闢から終焉までの総ての叡智が在る場所。

 故にその権能を看破すればそれがどのような由来でどのような代物か、神々や神殺しは容易に識る事が出来る。尤も、神殺しの場合は激痛のおまけが付随する場合もあるが。

『其が蛇神の名は、夜刀の神。我と違い人に敗北し、そしてまつろわされた蛇神。……まさか、似たような境遇の龍蛇の神を二柱も斃しておるとはな。だが、我は負けんぞ!!』

 応龍の言葉と共に、口腔の奥に輝く『光』が見えた。

 描かれた文字は、『砲撃』・『雷光』・『樹木』・『焔火』・『土石』・『金鋼』・『氷水』。

 木火土金水――五行と雷。

 それらの気を周囲より掻き集め、口腔に呑む応龍。

 そして、応龍が構築した『応龍の世界』が消失し、サマエルの熱砂の世界に戻った。

『……おおう、こりゃまた……』

 雄治は唖然とした様子で蛇腹刀を操り、元の剣へ、そして翼へと姿を戻していく。

 諦めたのか?

 いや、違う。

 応龍は直感する。あれは、鞘に収められ、今か今かと抜かれるのを待つ刀のようだ、と。

 抜刀術。別の名を居合い抜き。

 幽世より手に入れた情報によれば、その技術の生まれは日本。古き時代より受け継がれてきた後の先――つまり相手の攻撃を受けてそれよりも疾く鞘から刀身を滑らせ斬り捨てる剣術だとあった。

 その静謐にして必殺の威が、赤い竜の全身から感じられる。

 先程よりも、強く濃く。

 つまりあの竜は、既に攻撃――いや、迎撃の態勢を整えている。恐らくは全霊で。

 ならば、応えなければならない。

 呵々と哄笑って、応龍も腹を括る。

 己の世界すらも糧とし、応龍は文字通り『総て』を一撃に込めたではないか。

『先の斬撃、まともに喰らえば我も危なかった。そして、それが貴様の全力の一撃と見た! ならば、我も全力の術法を見せようではないかっ!!』

 声でなく、思念を飛ばす応龍。

 既に口腔の奥には集められた総ての気に増幅と圧縮を繰り返し、威力を極限まで高められた龍の閃砲が放たれる瞬間を待っている。

 そして、赤い竜が全身の力を抜いた。

 脱力。

 しかしその緩みは、最速で最短距離を疾駆し、応龍の頸を斬り捨てんとする武芸者の姿勢。

 それを見誤り侮れば、敗北を呼び込んでしまうだろう。

 言われるまでもない戦場での常識。

 だが応龍は解っている。理解している。

 この一撃にて両者の勝敗は決し、負けた者は勝者の糧となる事を。

 そして別のことを思う。

 観戦者たちのことだ。

 先程からこの一戦を視ている者たちは、一騎打ちの美学をよく解っている。

 声を掛けなず、手出しもせず、ただ観戦しているのだ。

 自分と相手が横槍を嫌っているのをよく理解している。

 一柱(ひとり)は神殺しの元締めでもあるパンドラだろう。

 後の数柱(すうにん)は誰か解らないが、恐らく日の本に由来のある存在なのだろう。恐らくは嘗ての好敵手の居場所を伝えに来た黒衣の僧正の関係者たちだ。

 しかし観戦者たちのことは直ぐに応龍の脳裏からは消える。

 そんな事よりも、赤い竜――皆藤雄治との一戦の方が重要で、心が躍るのだから。

『………………』

『………………』

 お互いが無言。

 しかし戦意と呪力は高まっている。

 ただ高まっているのではない。

 研磨し、錬磨されていく。

 一瞬。

 ただその「一撃」が放たれる一瞬を待つ二柱。

 お互いの眼が物語るのは、狙う場所と攻撃方法。

 応龍は、隠すことなく掻き集めた必滅の閃砲。

 雄治は、全身に呪力を纏っての体当たり。

 両者共に、「その時」が訪れるのを、待った。

 

 

 

 そして――来た。「その瞬間」が。

 

 

 

 よくある映画や物語のように「合図」などは無かった。

 それも当然。

 ここは熱砂の世界。

 一面に広がるは砂ばかり。遠くにオアシスが見えるが、葉擦れる音を奏でる風は、今は凪いでいる。

 そう、喉焦がす熱風すら、今は吹かない。

 限りなく無音の世界において、高められた戦意「そのもの」が引き金となったのだ。

 何かを合図にしたわけではない。

 ただ、「往く」と決めたから二柱は動いた。

 同時に。

 秒どころか、刹那さえ違わずに。

 

 

 

『――――ッ!!!!』

『――――っ!!!!』

 

 

 

 言葉は、無かった。

 いや、吐き出す言葉さえ惜しんで、二柱は攻撃を繰り出したのだ。

 応龍の閃砲は、総てが混ざって『白』かった。

 その白い閃光に喰らいつく赤い竜。

 避けるつもりもいなすつもりも無く、雄治は正面からぶつかった。

 呪力によって強化した竜体。その強度を信じているからこその荒業。

 そしてそれを証明するかのように、白い砲を掻き分けていく雄治。

 まるで牛歩のそれだが、しかし確実に、応龍の攻撃に耐えているではないか。

 そして応龍は、

『面白いっ!!!』

 全身に漲る力を総動員させることで、更に威力を上げた。

 

 

 

 

 

 

●ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●

 

 

 

 

 

 

 

『--ぐぉ……っ!!』

 つい声が漏れてしまう。

 応龍の放った白い閃光の威力が桁違いに上昇したせいだ。

(なんつー威力だ……ッ。さっきまではちとキツいが、なんとかなったのによぉ……!)

 これでは体当たりを選んだ自分の判断ミスではないか。

 いや、ミスはミスだ。

 要はそのミスを帳消しに出来る戦果があれば問題無いのだ。具体的に言えばこの闘いの勝利。

 決闘という過程は充分に堪能した。

 その終盤では、サマエルの状態で夜刀の神の権能も扱えるようになった。

 夜刀の神とサマエル。

 並列での使用は今まで出来なかったのに、だ。

 徐々に竜体が圧し戻されていく。

 このままでは、甲殻と鱗、そして肉体の全てを消滅させられるだろう。

 この攻撃には、それだけの威力があった。

 今は呪力の鎧で持ち堪えているが、それでも長くは持たない。

(さあ、どうする……なーんて考えてる間に終わるか。正直、反動で死にそうになるし、どうなるかも解ってねえが、やらなきゃ死ぬだけ、か)

 呪力の鎧が減少していくにも関わらず、雄治の精神は凪いでいた。

 だがそれは、「嵐の前の静けさ」のようなものだ。

 既に彼の腹は決まっていた。

 故に彼は「使う」事にした。

 『奥の手』を。

 

 

 

『--合・神』

 

 

 

 変神ではなく、合神。

 そう、権能の融合である。

 雄治は、サマエルの竜体をベースに夜刀の神を合一させようとしているのだ。

 今までは権能同士が反発し、暴走していた。

 だが、今の雄治には二つの権能を同時に使用出来る。

 だからこそ、雄治には本能的な『確信』があった。

 「使える」と言う『確信』が。

 そしてそれは、正しかった。

『----ぐぉ……っ!!』

 徐々に竜体が変化していくのだ。

 しかし理性は残っている。本来ならば既に暴走しているのに、その兆候は見られない。

 確かに息苦しさを感じるが、これはどちらかと言えば、硬い(さなぎ)の殻を破って羽ばたこうとする蝶のような高揚感が全身を包んでいる。

 即ち--雄治は、文字通り羽化しようとしているのだ。

 新たなる竜へと。

 赤い体色は深い碧へと変化し、額から鼻先を通る刃のような角が生え、全身に甲殻は広がり更に鋭角さを増していく。

 そして、雄治は吼えた。

 

 

 

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお--------っ!!!!』 

 

 

 

 十二の翼はただ雄治に追従するのではなく、彼の両腕へと集う。

 強大にして巨大な翼となった腕を広げ、雄治は更に閃光の中を進む。

 徐々にであることには変わらないが、しかしその速度は少しずつ増している。

 吼える雄治の声は、更なる呪力を身体の奥底から絞り出させた。

 莫大な呪力が引き金となり、碧の竜は毒と呪いを身に纏う。

 毒は、致死の毒。呪いもまた、致死の呪い。死に至る呪毒は、容赦無く白い閃光を「殺して」いく。

 最早それは、死の概念そのものと成った。

 そしてそれは、神すらも殺し尽くす毒と呪い。

 それが解ったのか、

『まさか、二つの権能を融合させるとは……。神殺しならではの発想だな』

 思念を声として発する応龍。

 その声は、静かだった。

 雄治は即座に『飛翔する靴』を発動。たった一歩、強烈な踏み込みによる爆発的な加速を得るために。

 その加速が最後の後押しとなった。

 暴虐と呼ぶに相応しい白い閃光を中を貫き抜いて、

『統合した呪力と権能を纏っての体当たり。……どうやら、我が力を僅かながら越えた、か』

 応龍のその身を、雄治は貫いた。

 貫いた瞬間--応龍の全身に亀裂が走る。

 その亀裂の走る龍体を見下ろして、応龍は笑った。

 全てを出し切って負けたのだ。悔いはあるだろうが、それ以上に満足そうに笑っていた。

『良いだろう、皆藤雄治よ。我が権能を貴様に託そう。強くなれ、今よりも何者よりも。いずれ末世が来れば、総てを無へと還す《鋼》が起きる。ならば、その《鋼》すら喰らい、生き抜いてみせよ』

 瞼を閉じる。

 --悪くない。

 強き神殺しと全力を出し合い競い合い、そして力を託すというのは。

 だが、応龍は思う。

 この世界の法則は、神と人の争乱を望んでいる。如何に心を通わせようと、神と人は争い合ってしまう。

 故に思ってしまう。

 神と人が、共に生きて往ける世界があれば良い、と。

 そんな世界が在るのなら、この男がその世界でも「この男」であるのなら、自分は見守ってやってもいい。

 そんな事を思うくらいには、応龍はこの男を気に入っていた。

 

 

 

『--新たな神話を紡ぐがいい』

 

 

 

 そして、願わくば--再びこの男と出逢い、共に在らんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 碧の竜の姿から人の姿へと戻った雄治は、空に立ち既に死んだ好敵手へ手向けの言葉を告げる。

「--楽しかったわ。次は、一緒に酒呑んだり、飯食ったりしようぜ。……応龍」

 暫くして雄治は、鍵を使ってもう一つの幽世から細く長い煙草とライターを取り出す。

 これは裏の世界で流通している特殊な煙草で、煙を吸い込んで体内の呪的毒素をただの呪力に分解させて煙と共に吐き出す代物だ。裏では結構売れているメジャー商品だ。煙草の品種としては、既に販売が中止されている『JOKER』に似ている。どうやら制作元がこの煙草のファンだったらしい。

 如何に自分に自分の毒や呪いが効かないにしても、残っていれば要らぬ誤解を周囲に与えてしまう。

 だから雄治は吸うのだ。

 尤も、この煙草の味が気に入っているというのも確かだが。

 類似品に煙管もあり、こちらは裏の趣味人に需要がある。

 まあ、そんな趣味人御用達の煙管も雄治は煙草と同じように愛用しているのだが。

「----ふぅー…………」

 思うのは、これからの事。

 既に正史編纂委員会の裏のトップには面が割れている。

 いずれ表の主要人物とも面通ししなければならないだろう。

 だが、だからと言って自分の情報を「はいどうぞ」と提供するつもりはない。

 と、なれば--

「仮装、つーか、変装しねえとなぁ」

 指を鳴らし、召喚した中折れ帽(ハデスのかぶと)を人差し指で回し、頭に被る。

 懐から鍵を取り出しそれに呪力を通す。そして空間に鍵を差し込み捻れば、現世への扉が開く。

「さぁて、帰ってどんな格好にするか決めないとなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 この日、裏の世界に激震が走った。

 誰にも知られなかった魔王がいた事を魔術師たちは知ったのだから。

 日本の正史編纂委員会の上層部から発信されたその情報は、驚愕と困惑と絶望と僅かばかりの歓喜を世界中に齎した。

 そして、続いて発信された情報に、世界は硬直する事になる。

 三日後、その魔王が正史編纂委員会と会談を開くと言うのだ。しかも七番目の魔王草薙護堂もその場には臨席するらしいではないか。

 この報を受けて各国の一般的な魔術師たちは思う。

『暫く日本には近づかないようにしよう』と。

 そして名のある魔術組織は、この会談を試金石として見ていた。

 会談の結果次第でアプローチを考えなければならないからだ。

 アプローチする事自体が魔王の逆鱗になるかもしれない、とは考えもせずに彼らは会談を見守る事にした。

 

 

 

 そして約束の日がやってきた。

 この日、二人の魔王が邂逅する。

 世界はその邂逅を、固唾を飲んで見守った。




次回より、『竜蛇の王は、ヒーローの夢を見る』に題名を変えたいと思います。
流石に『碧の蛇/赤い竜/紫の龍~』だと長過ぎるので。


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龍蛇の王

お待たせしました。
色々と浮気をしたせいで、遅れましたがなんとか形になりました。

※尚、今回の前半部ですが九州地方特有の訛りがあります。


 皆藤秀二にとって、兄の雄治は最も嫌いな人物だった。

 地元の同年代が自分の名前を知る度に『あの皆藤の弟』として見られるのだ。どんなに友好的に接しても、あの兄のせいで初めは遠巻きに見られてしまう。それを払拭するのに早くても一ヶ月二ヶ月は掛かり、その間は地獄だった。

 どれだけ自分が心を砕いて人と接していたのか、兄は知らないだろう。

 必死に努力してきた。授業も真面目に取り組み、学校行事にも積極的に関わり、部活にも精を出した。特に部活のバスケットボールは最も力を入れたと言って過言ではない。努力が実力に結び付いたのか三年の時などはインターハイで優勝した。大学からのスカウトもあり、順風満帆を絵に描いたかのような日常は一変する。

兄が帰ってきたからだ。

 去年家を出た兄は、三月に黒い上下のスーツと赤と緑のチェック柄のシャツを着込んで家にやってきた。一年振りに遭う兄は、どこか垢抜けた印象を自分や妹に持たせた。十九歳とは思えないどこか大人びた雰囲気で、相変わらず顔は怖いがその動作には余裕と自信が見て取れた。

 そして、

『――親父、お袋。俺、探偵になったんよ』

 そんな言葉が居間から聴こえた。

『……探偵て、お前……冗談じゃなかとか?』

『まあ、信じられんのも解るけど、俺は本当に東京で事務所開いて探偵やっとるんよ。これがその名刺』

『へー。でも雄治、お前そげんか仕事でちゃんと老後まで働けっとか? 無理せんと自分が長くやれる仕事ば見つけんと後が辛かぞ』

『……まあ、本音ば言うと俺も向いてるとは思っとらん。でもな、こげな俺ば向こうで拾ってくれた人がおるんよ。そげんか人が俺んこつ探偵の才能ばあるち言うてくたけん。ここで逃げたら男が廃るやろが』

 そして兄は言う。

『それに俺もこう見えて、幾つか依頼ば受けて報酬も貰っとるんよ』

『ほぉ~。……幾らか?』

『お父さん!!』

『そ、そう怒鳴るなや母ちゃん。けど、額が額やったら仕送りもせやんやろ?』

『そりゃそうやけど……』

『で、幾ら貰ったんか?』

 どこかワクワクした様子で父が兄に問いかけた。……気付けば妹も隣で聞き耳を立てていた。

 そんな父の様子に兄は溜息を吐き――

『ほれ』

『これがどげんしたとか?』

『この通帳の中に貯めとる。まあ、見てみ』

 そして二人は手渡された通帳を開き、

『『雄治っ!!』』

 異口同音に絶叫した。

『お前、なんでこげんか大金ば持っとるとや!? なんばしたとか!!』

 父が半ば混乱した様子で大声を上げる。

『落ち着かんか親父。依頼ってな、こっちが驚くくらい色々あるとぞ。幾ら半人前んごた俺でも、師匠に引っ付いて依頼ばこなせばこんくらい稼げるわ』

 そして、それは親父たちの分だ、と兄は言う。

『こげんか面と身体ば持ってから、誤解されやすか俺ば信じてくれた。育ててくれた。……感謝してもし切れんわ』

 驚くほど穏やかな声音。それに弟と妹は驚く。

『それにな、探偵やっとると色々と守秘義務って出てくるんよ。その都合でな、俺も親父やお袋に言えんこつも多くなっとる。……それで』

 そこで兄は言葉を区切り、しかし意を決したように言った。

『俺ば勘当してくれ』

『なんば良いよっとねお前は!?』

 母が叱る。

『色々と俺も考えたんよ。この仕事してりゃあ、企業の裏側とか、議員の愛人の情報とか、本当に色々と表に出せん情報を抱え込んどる。……で、それをリークせんように俺らみたいなんは依頼主に誓約書ば書かされとる。親兄弟恋人にも情報を流すな、って。ドラマや漫画みたいやろ?』

『じゃあ、ドラマみたく家族に被害が及ぶち言いたかとか?』

『……まあ、流石に一流企業とかを転覆させられるようなモンは無か。でも、事務所が中の下くらいの俺らでもヤバい情報は抱えとる。念には念ば入れとかんと』

 静かな、しかし真剣や雄治の言葉にこれが冗談ではないのだと、父母は気付いたようだ。

『…………解った』

『お父さんっ!!』

『母ちゃんも解っとろうもん。コイツは親父とおんなじで言い出したら聞かんとやけん』

『そりゃあ、そうやけど……』

 そして、嘆息する母。

『全く、本当にアンタは死んだ祖父ちゃん似やねぇ』

 自分たちが小さい頃に他界している父方の祖父だが、優しい祖父という印象だった。しかし両親からしてみればどうやら結構な頑固者だったようだ。

『スマン。元々年末年始や盆とかも仕事の都合で戻っては来れんけん、勘当なんざせんでも疎遠にはなるやろうけどな。それでも、表向きでも良いから勘当されたって名目がいるんよ』

 親不孝な息子でスマン、と兄は言った。

『頭下げんな。例え表向きだろうと息子ば勘当したがるような親はそげんおらん。少なくとも、俺も母ちゃんも、お前がどげん喧嘩しようとそげんかこつ思ったことはなか』

 それを聞いて、再度兄は「スマン』と言った。父の「頭ば上げんか」という台詞でまだ頭を下げたままだったらしい。

『それで、この通帳は手切れ金って名目で貰っといてくれ』

『……解った。でも、表向きなだけやからな』

『辛かったらいつでも戻ってきてよかとやけんね』

 両親のそんな暖かい言葉を受けて、兄は、

『――ありがとな』

 先程よりも穏やかな声で、兄が感謝の言葉を告げる。

『……そろそろ行くわ。アイツ等も俺とは遭いたくないだろうしな』

 こういった気遣いをされる度に自分が子供なんだと嫌でも思い知らされる。一つしか歳は違わないのに。

『ああ、そうだ。アイツ等にゃ、俺は東京で探偵やってる事は言っても構わんけど、金に関しては言わんでくれ』

 そう言って、兄は居間を出ていった。両親は兄を見送るつもりだろう。

『お兄ちゃん……』

 妹が呟く。それが自分に向けて言っていないのは解った。

『……これだから兄ちゃ――兄貴は嫌なんだ』

 悪態を吐くが、しかし昔の呼び方に戻りそうになってしまう。

 これだから兄は嫌いなのだ。

 自分が子供だと思い知らされるのだから。

 

 

 

 

 

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 都内某所。正史編纂委員会の名義でとある施設が一日貸し切られる事となった。

 その日、正史編纂委員会上層部、並びに日本呪術会の重鎮、そして民間で名のある互助会の代表等、日本の官民を代表する実力者たちがこの場には集っていた。

 もしここにテロが起き、この場の面々が倒れるような――もしくは死ぬような状況になれば日本の呪術会は衰退ないし滅んでしまうかもしれないのだ。もしくは戦国時代に突入するやも。故に護衛の任を帯びている者たちは様々な意味合いで極度の緊張状態にあった。

 そしてその原因の一つは、言うまでもなくこの場にいる一人の少年だろう。

 誰もが緊張と畏怖の眼差しで、それとなく一人の少年に眼を向けている。

百八十センチ強の長身。そして整った容姿。更にイタリア人の美しい魔女を横に侍らせているのだ。更には武蔵野の媛巫女の一人が魔女の反対側に控えている。

 件の報告書を読んだ彼らは、イタリアの魔女と武蔵野の媛巫女を引き連れている男が『東方の軍神を斃した魔王』であると解っていた。調査書に添付されていた写真と瓜二つなのだからそれも当然と言えば当然なのだが。

 過日のまつろわぬ女神(アテナ)との戦いによって東京に刻まれた人知を超えた戦いの爪痕は未だに癒えていないのだ。これ以上あの方の勘気に触れては堪らない、とばかりに彼らは最低限の、しかし最大級の敬意を込めた挨拶のみに接触に留め、少年たちと距離を置いていた。今はまだ、そんな副音声が聞こえてきそうな雰囲気だ。

 そんな周囲の態度に件の魔王こと、草薙護堂は嘆息を一つ吐いた。

 そして、気付く。

 自分に向けられる視線には、畏怖と敬意。今まで逢った魔術師たちと同じようなそれ。

 その逆にイタリア人のエリカに向けられる視線は、侮蔑と嫌悪が微かに感じられる。無関心を装っているが、エリカが若干に表情を強張らせているので察することが出来た。

 だが、何故だ?

 そんな疑問に万里谷が耳打ちする。

「あの……草薙さん。実は……アテナ様と戦う前にあの探偵の方と行った会談が録音された機械が裏で流れたらしいんです。どうもそれを偶然拾った方がいたらしくて。それで、エリカさんに少し、思うところがある方々がいて……。あの後にアテナ様が周囲を“夜”に沈めたせいで探偵さんの方も……」

「混乱した人たちに巻き込まれてボイスレコーダーを落とした、か」

 頷く。

 そういえば、あのボイスレコーダーにはアテナを呼び寄せたゴルゴネイオンがどういった経緯で日本――というか自分の手元に来たのかについても喋っていなかったか。恐らくボイスレコーダーが無くともエリカの所業は日本の呪術界に広まっただろうが、それでも――。

 エリカ寄りにそう思ってしまうのは身内に甘い草薙家の悪癖だが、しかしどういう状況なのかは理解した。

 ――つまり、まつろわぬ神を日本に呼び寄せた戦犯扱いということか。

 確かにこの件に関してエリカは正しく加害者だ。だが、エリカが何もしなければイタリアがまつろわぬアテナの被害を受けていただろう。自分の国を護ろうとするのはそこに住む人間として当たり前なことだ。こういう非常事態に『だけ』は頼りになるイタリアの魔王も、その時ばかりは動けなかったのだから。何故なら、イタリアを活動拠点とする魔王サルバトーレ・ドニは、当時『療養中』だったのだから。

 例え自分の同盟者(あいぼう)(愛人ではない。断じて)であるとは言っても、彼女には所属する組織があり、守るべき場所や人がいるのだ。如何に躊躇や良心の呵責はあったとしても、彼女はそれを表には出さなかっただろう。エリカ・ブランデッリという少女は、そういった『弱さ』を見せることを良しとしない人物なのだから。

 だからこそ、彼女は勝率の高い草薙護堂という最高のカードを切ったのだ。

 最善案ではなくとも良案だと思ったからこその行動だったのだろう。

(――だから、か)

 そこまで考えて、護堂は気付く。

 これは感情の問題なのだ、と。いや、確かに実利面でも問題は出ているだろう。遺憾ながら、自分の呼んだ白馬や猪のせいで、世界各地には自分の爪痕がクッキリと残っている。

 彼らは『エリカ・ブランデッリ』が、『日本を危険に晒した』ことが許せないのだ。

 これが魔王や神が原因なら、まだ諦観することが出来る。というか、するしかない。

 だが、今回の発端を開いたのは――エリカ。

 神殺しではない、唯の才能のある小娘に過ぎない。

 そんな小娘が、日本を、自分たちを危険に追い込んだ。どんな理由があろうと、「ハイそうですか」と納得できる訳がない。現に正史編纂委員会はアテナと護堂の戦いの後始末に今も東奔西走しているとか。

 これでは好意を抱けというのが無理だ。

 そして、それはエリカにも解っているのだろう。

 硬い表情で一言も喋らず、しかし毅然と前を向いている。

 いつもの不敵な笑みも、優雅な仕草も鳴りを潜めていた。

 そんな相棒の姿を見て、護堂は少し不機嫌になってしまう。

(東京を壊したのはアテナ(と俺)なんだから、文句はこっちに直接言えよ……)

 そう思っていると、

 

 

 

「ヤア、待タセテシマッテ申シ訳ナイ」

 

 

 

 人には出せないような異質な声。

 全員が声のした方向を向く。

 そこには壁しか無いこの会議室の一番奥。

 いつの間にか、テーブルの上に下駄を履いた羽織袴の男が――

「え?」

 護堂は男を見上げ、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 誰も声を上げないが、しかし誰もが男を見て驚愕していた。

 無音の驚愕。

 精神的に若干余裕を失っていたとはいえ『あの』エリカでさえ、男を見て絶句している。

「御初ニ御眼ニ掛カル。トアル媛ヨリ『龍蛇王(りゅうじゃおう)』ノ号ヲ戴イタ神殺シダ。以後、ヨシナニ頼ム」

その男(?)の顔は、人ではなく、紫の龍だったのだから。

 歌舞伎の連獅子を思わせる大量の黒い鬣は、ともすれば手入れのされていない長髪にも見えた。その頭部からは枝のような立派な角が生えている。道教や西遊記などで知られる四海竜王などは頭部が龍だとされているが、この男は中華の龍神から権能を簒奪したのだろうか。

「マア、コノヨウナ姿ヲシテイルガ、中身ハ人間ダ。コノ口調モ貴君ラヲ信用シテイナイガ故ニ作ッタ口調ダ。早イ話ガ恰好ツケテイルワケダナ」

 くつくつと喉を鳴らして『龍蛇王』と名乗る男は、テーブルから飛び降りる。その瞬間、下駄だというのに着地した音が聞こえなかった。

 大柄な体格と下駄を履いている筈なのに、なんとも静かで軽やかな挙動だ。

 だが、武術を収めている者たちは気付いた。その動きが、何らかの武術のそれを収めたそれではないことに。

恐らくこの羅刹の君は、ただ常人(かれら)のこれまでの努力を嘲笑うレベルで肉体の操作が巧いのだ。恐らく、武術を修めている者たちが羨望し、垂涎に値する高性能な身体機能を有している。

 だからこそ、獣が自然と最善の動きを学習するように、男は己の最適な挙動を体得したのだろう。

そしてその静かな挙動は、どこか闇夜に紛れて獲物を狙う蛇を人にイメージさせた。

 中国拳法の一つ、形意拳のように動物を模した武術もあるが、それは『人が鳥動や昆虫を模倣する(トレースする)』上で、自身に模倣する生物の概念を憑依させるのだ。どうやってもその挙動には『人』が付き纏う。だがそれは人が人である以上、逃れられない枷だと言えた。

 恐らく、中国武術界の頂点に君臨する羅刹の君、羅濠教主ならあるいは――。

 そんな埒外な身体能力に気付かなくとも、これ見よがしに放たれる桁外れの呪力。

 この異形の男が、神殺しなのだと強制的に理解させられた。

「サテ、コレデ私ガ神殺シダト理解シテクレタカナ?」

 そして、この発言。

 この男は、いやこの御方は気付いていたのだ。

 ――本物の神殺しか否か見極めようとしていることを。

 それぐらいならばまだ良かった。

 しかし中には、本物であろうと偽物であろうと草薙護堂を使って彼を排除しようと考える者もいたのだ。

 だが、ある意味これも現実逃避だった。

 常識人で平和主義者であると自称する草薙護堂ですら、神との争いになれば周囲に甚大な被害を巻き起こすのだ。これ以上神殺しが増えてしまっては冗談抜きで日本列島が沈みかねない。

 そう思ったが故に認めようとはしなかったのだ。――まあ、彼らが認めようと認めまいと、一度でも権能を目の当たりにすれば伏してその勘気より逃れようとするだろう。まるで藪を突いて蛇を出した大昔の古人のように。

 しかし『龍蛇王』はそれを知りながら、言外に揶揄するだけで済ませた。

 危害を加えようとしているのはそういった愚か者ばかりだと、知っていたからなのだろうか。それとも、ただ単に懐が広いだけか。

 だが、『龍蛇王』の視線は、声高々に排除論を展開していた者たちにしっかりと定まっている。恐ろしい程正確に。

 恐らくは前者なのだろう。

「――御存知でしたか」

 九法塚家の若き総領である九法塚幹彦は、苦々しい顔で周囲を見渡す。

「ですが、そのような不心得者は数える程しかおりません」

 幹彦の発言に嘘はない。

 だが、

「アア、ソコハ信ジテイルトモ。ソレニ、私ヲ恐レル者ニ理由無ク近付クツモリモナイ。……ダガ、己ノ息ノ掛カッタ妻ヲ私ニ宛イ、己ノ勢力ニ組ミ込モウト考エル者トハ、距離ヲ置キタイト考エルノハ寧ロ当然デアロウ? 私ハコンナ口調デハアルガ、ソコノ少年ト違イ平凡ナ庶民ノ倅ナノデナ」

 表面的には誰も反応しなかったが、しかしその手を考えていた者たちは背に冷や汗を掻いた。先に牽制された以上、無理矢理宛がって勘気の侭に暴れられては本末転倒でしかない。

 そんな中、言外に護堂の家を普通でないと断じた事で、その一家の一員である彼は苦言を呈した。

「ウチも由緒正しい庶民の家柄なんだけどなぁ」

「フム。デハコウ言イ換エヨウ。我ガ父母ハ、貴君ノ家族程濃クハナイ」

 ぐ、と護堂は詰まった。

 学生の頃より様々な女性の間を渡り歩いてきた七十を超えているのに色気を漂わせている垢抜けた祖父、取り敢えず恰好をつけたがる駄目な不良中年である父(既に母と離婚している)、我儘な性格なのに数多の男共に貢物を送られる『天職・女王様』な母。そして灰汁の強い親戚連中。未成年に賭博を進める時点でその駄目さ加減は推して知るべしというモノだ。

 常識人のカテゴリーに入る人間と言えば、今は亡き祖母と妹、そして自分くらいだろう。……いや、妹は徐々に母の血が覚醒しつつあるが。父が溺愛するのもそれに拍車をかけていた。

「しかし、何故……」

 そこまで警戒するのか、そう問われ、『龍蛇王』はあっさりと答える。

「先程説明シテイルガ、私ハ貴君ラ魔術師ヤ呪術師ナド裏ノ人間ヲ信用シテイナイ。万ガ一私ヲ利用スル為ニ父母ヲ人質ニ取ラレテハ堪ランカラナ」

 突然の不信も露わに告げられた言葉に、誰もが二の句を告げられなかった。

「あの、それはどういう……」

 幹彦は唖然とした表情のままに問いかける。

「簡単ナ話ダトモ。私ノ父母ハ所謂一般的ナ中流家庭ノ出デナ、子デアル私ガ神殺シノヨウナ極道者ニナッタコトヲ知ラレル訳ニハイカン。……モシ、“私ノ正体”ヲ知ル者ガ父母ヲ通シテ私ニ話ヲ持チコンデシマエバ、私ニハ拒否権ガ無イ」

 苦々しい顔をする龍頭の魔王。存外、表情豊かである。

「何故ナラ、ソレハ陳情ノ形ヲ取ッタ命令ニ姿ヲ変エル可能性ガアルカラダ。話ヲ通ストイウコトハ父母ノ命ヲ握ラレテイテモオカシクハナイ。仮ニソノヨウナ心算ガナカロウトモ、父母ニ接触スルトイウコトハ、“ソウイウコト”ニナリエルト私ハ判断スルゾ? 私ハコウ見エテ小心者ダカラナ。可能ナ限リ身内ニ降リ懸カル火ノ粉ハ根元カラ断ツ主義ダ」

 凍り付く空気。

 確かに、確かに一案として魔王誕生の度に誰もが必ず考える。だがそれは、直ぐに立ち消えになる愚案だ。まつろわぬ神より日ノ本を守護して貰わなければならぬ羅刹の君の心象を悪くするような悪手を誰が採用すると言うのか。

 故に彼らは絶句した。

 この羅刹の君は、余りにも用心深すぎる。

 これでは過度の贈呈品は逆効果になってしまう。

 そもそも俗人が喜ぶような報償を喜ぶ魔王が如何程にいるというのか。

「つまり、御身にとって、組織は邪魔だと?」

 今まで沈黙を保っていた老婆がそう問いかける。清秋院家当主と名乗った老婆だ。

 万里谷が言うには、日本の表裏両方の世界において名家と名高い家の当主なんだとか。先程まで喋っていたあの青年も、そんな名家――四家の一つの次期トップなんだとか。庶民の出の自分からしてみれば、遠い世界の人間ばかりがここには集まっているということになる。一体どうしてこうなったのか。……ああ、カンピオーネになったからか。

「アア、ソノ通リダトモ、清秋院ノ当主殿。私ニトッテ組織ハ不要ダ。ソレニ私ハ都合四ツノ権能ヲ所持シテオリ、ツマリ最低デモ四柱ノ神ヲ討チ果タシテイル。組織ナド無クトモ、ナ」

 その言葉を受けて、また全員が衝撃を受ける。

 護堂は思わず立ち上がり、叫んだ。

「なんだそれ!? つまりアンタは周りに被害を出さないってことなのか!?」

 神やら神獣やらと戦り合う度に、建築物やら地形を破壊してきた護堂としては、なんとも羨ましい話だった。そこで「周囲を壊さないように戦おう」と思わないのが、草薙護堂の草薙護堂たる所以なのだろうが。

「イヤ。ドチラカト言エバ、私ハ何ヲドウ壊シテモ問題ノ無イ場所ヲ知ッテイルダケサ。友神(ゆうじん)カラノ貰イ物デ、オイソレト他人ヲ招待出来ン場所ダガ、皆快ク招カレテクレタ」

 無論最後の言葉は皮肉なのだろう。

そんな先達に護堂は疑問を投げかける。

「そう簡単にやって来るものなのか?」

 中には「罠なぞ何するモノぞ」と食い破っていくような馬鹿もいるが、基本的に神という存在は『待ち』の一手だ。態々赴くとは思えない。……アテナの時のように神が焦がれる『何か』を持っているのなら話は別だが。

 そんな護堂の問いに『龍蛇王』は、

「私ノ権能ハ、周囲ヘノ被害ガ甚大デナァ。下手ニ発動スレバ周囲の生物ガ死滅シテシマウ。故ニ自分ノ庭デナケレバ、全力ガ出セナイ。マア、ナンダ。ツマリハ「ソウイウコト」ダ」

 そう言ってはぐらかした。

 だが、なんとなくだが理解した。

 この魔王は、敵を『自分の庭』に引き摺り込む『何か』を持っている。転移系か、はたまた結界か、どちらかは解らないが一つは確実に。

「改メテ言ウガ、私ニ組織ノ庇護ハ必要無イ。……カト言ッテ、頼ミヲ聞カヌ程狭量ナツモリモ無イ。故ニ、コウシヨウ」

 龍頭の王は、その太く大きい腕を袖に突っ込み、数匹の蛇を腕に絡ませて取り出したではないか。その蛇の頭部には剣のような角が前に突き出しており、明らかに普通の蛇ではない。

その蛇たちは『龍蛇王』の腕から離れ、テーブルの上でとぐろを巻き――硬質化したではないか。

濃い碧色をした蛇の置物を前に彼は言う。

「私ノ呪力デ編ンダ蛇ダ。コレニ依頼人ノ血ヲ一滴垂ラセバ、私ニ繋ガル。依頼ガアルナラバ、呼ブガイイ。……マア、私モタダ働キヲスルノハ御免被ル故ニ、幾許(いくばく)カノ金銭ヲ所望スルガネ」

 そんな先達の言葉に護堂が叫ぶ。

「アンタ、金を積まれたら神と戦うって言うのかよ!?」

 他の神殺しなどイタリアの刃物馬鹿(サルバトーレ・ドニ)くらいしか知らないが、それにしても余りにも物欲が過ぎないだろうか。

「少シ違ウ」

 可笑しそうな様子でくつくつと咽喉を鳴らす魔王。

 そして指を三つ立てて、言う。

「私ガ依頼ヲ受ケル条件ハ三ツ在ル。

 ――マズ、私ノヨウナ過剰戦力ニ縋ラザルヲ得ナイ理由。

 ――次ニ、アル程度ノ金銭。コチラハ私ガ内容ヲ吟味シテカラ提示シヨウ。

 ――ソシテ最後ハ……嘘偽リヲ述ベヌコトダ」

 一つずつ指を折り曲げながら魔王は自分の取扱を説明していく。

「少シデモ依頼ニ嘘ガ雑ジリ、私ヲ謀ロウトシタ場合……ソノ者ニハ破滅シテ貰ウ」

 ゆっくりと周囲を見渡しながら、魔王は淡々と言葉を紡いでいく。

「何カ質問ハ?」

 無言。

 理解ったのだ。この方は、本気で言っているのだと。

 だからこその無言の肯定。

 沈黙によって、魔王の言を受け入れた。

「サテ……デハ、ココニ一ツコレヲ置イテイク。残リハコチラデ適当ニ設置シテオクノデ、暇ニナッタラ探シテミルトイイ」

 その言葉が終わったと同時に――魔王の姿はこの場から掻き消える。

 何だ。

 一体どこに――?

「エリカ?」

 護堂は、相棒にして希代の魔術師であるエリカが袖を引っ張られ、彼女の視線の先を視た。

「――あ」

 件の魔王が、中折れ帽を頭に被りながら出て行く後姿があった。いつの間にあそこまで移動したのだろう。そんな気配は欠片も感じられなかったのに。

 『龍蛇王』は、歩を止めず、しかし視線をこちらに寄越し――言う。

「強クナレ、(わっぱ)。餓鬼ノ性根ノソノママニ」

 完全な上から目線の言葉に護堂は少しムッとする。

 しかし、そんな態度が餓鬼なんだとばかりに先達の魔王はまた笑い――部屋を出て行った。

 その後ろ姿を見送り、護堂は思う。

 ――誰がアンタの言うことなんて聞くものかっ。

 その心にあるのは、龍頭の魔王への反発。

 上手く言葉には出来ない。だがなんとなく――あの男と平和主義者の自分は相容れない、そう護堂は強く感じた。

 強く拳を握りながら――

「何がしたいんだアイツは……」

 そして、何故自分はこうもあの男に反発しているんだろうか。

 

 

 

 

 

 そんな主人の姿を見て、エリカは思う。

 二人の魔王の邂逅で、自分への悪感情はやや薄れた――筈だ。

 日本に住まう王の一人は組織を必要とせず、逆に警戒心すら持っているのだから。それは彼の魔王の言動から徹頭徹尾察せられた。

 ――となれば、必然的にもう一人の魔王の傘下に入ろうとするのは明白。であるならば護堂の愛人である自分を害しようとする者は自重するだろう。

 理解ったことは他にもある。

 あの魔王が、護堂に期待している、という事だ。勿論これには根拠は無い。しかし魔術師の勘がそう言っている。最後のあの言葉は、護堂への発破なのだ、と。

 そしてそれが護堂には癪に障るのだろう。

 一般人でありたいと()()()()思っている彼にとって、あそこまで正体を隠し通そうとするあの魔王は到底認めたくない存在だろう。

 自分と同じ大規模な破壊を巻き起こす魔王でありながら、公共物を破壊していないと言う彼。

 不可抗力(本人談)で公共物や地形を破壊している護堂としては羨ましい限りだろう。

 更に家族への細やかな気配り。確かに護堂も魔術や呪術関係については家族に秘匿している。しかしあの男は護堂以上に気を配っていた。顔を龍頭で隠し、身体のラインを長着と袴で隠している。あの背丈ももしかしたら変えているのかもしれない。目算で二メートルを超えるような大男は日本にはほぼいない。護堂の百八十センチ以上ですら、そうそう御目に掛かれないのだ。正体が百五十センチ以下の男だったとしてもエリカは納得する。

 エリカたちは護堂と知り合ってから知っているのだから。

 ――魔王に常識など通用しないのだ、と。

 

 

 

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『ある情報屋の話』

 

 ――今話題の魔王の話だ。

 

 『龍蛇王』。

 龍であり、竜であり、そして蛇である王という号を授かった神殺し。十年もの間、誰にも知られなかった八番目の魔王。本当は三番だか四番とかかもしれないが、『世に出た八番目の魔王』――ってことで、この順番になった。

 龍頭人身。極東の民族衣装『着物』に身を包んだ正体不明の男。斃した神の数は解らないが、本人の自己申告によれば四つの権能を所持しているとか。

 誠実に対応し、嘘偽り無く依頼を述べれば金銭を対価に容易く動く――らしい。既に日本の呪術関係者の依頼で、この魔王が動いたって話だ。

 本人は、臣下や伴侶を必要とせず、何の恥とも思わず臆病者を自称している。

 個人的な見解になるが、こういった手合いが一番厄介だ。

 他の魔王は大なり小なり人間を下に見てる。酷いヤツは蟻とか虫扱いだ。――別にそこは不思議じゃない。神サマたちだってそうだしな。

 だけどあの魔王は、人を脅威と見做し一定の距離感を保ってる。

 解るか? あの魔王陛下は人よりも強い癖に俺らみたいな弱い人間を対等に見てやがるのさ。だから俺はこの魔王陛下が一番怖いね。

 ――草薙護堂?

 ああ、こっちも怖い。

 性質(たち)の悪さで言えば断トツだ。断トツ。

 あんな人畜無害みたいなツラして、やってる事は欧州の公爵閣下と変わらねぇ。つーか、まだ『壊す』って意識してる公爵の方が俺個人としては好評価だ。自分の所業に責任を持ってるってことだからな。

 だが、この男は違う。

 例え地形を変えようと、例え文化遺産を破壊しようと、そこには上っ面だけの後悔しかないんだろうさ。そうじゃなきゃこんなに世界中の至る所で問題起こしてねぇよ。そういった意味で言えば、友人兼ライバルって噂の『剣の王』と仲が良いのも頷ける。

 んで、美少女二人も侍らせてまだ足りないって話じゃねぇか。

 色狂いってのは制御しやすいが、女がいなきゃ手綱を握れないもんだぜ。

 で、俺としてはこのエリカってお嬢ちゃんが、魔王陛下の手綱だろうと思う。

 つまり――女関係で一番苦労しそうなお嬢ちゃんだってことさ。

 逆を言えば、このお嬢ちゃんが認めれば、ハーレムは出来るって事だけどな。

 ……あ? ああそうだよ僻みだよ文句あんのかこん畜生。

 




さて、色々考えてウチの護堂くんは少し反発を覚えました。
次回の更新も少し――いや、ちょっと時間がかかります。


なので、次に登場する神様のヒントをば。
次に出てくるのは明星に関係する神様です。
二話、三話じゃ終わりそうにないんですけどねー。
それが終わったらイタリアになるの、かなー?


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最終話 魔王の仮面

間が空きました。
仕事をクビになったので、新しい仕事に慣れたり、生活環境が変わったので筆を置いていました。



「――とまぁ、そういう理由で私も表舞台に出てきたわけだ」

 既にこの地に祀り、括られていた猿神のいない半ば半壊した日光東照宮の一角にて、龍頭の男は幼い巫女に己が何故人前に姿を晒したのかを語った。――その件の猿神は、他の魔王共が相手をしている。同じ日本に住む護堂の他にジョン・プルートー・スミスに羅翠蓮――俗に言う羅濠教主の三人がかりだ。

 猿神――斉天大聖もまた、魔王を同時に複数相手にする際に発動させられる権能を用いて従属神二柱を召喚して戦っている。……ここに自分が出張れば三柱目として馬となって玄奘三蔵を天竺まで導いた西海竜王・敖閨の第三太子である玉龍が現れるだろう。普段ならば望むところだが、彼は数日前に『とある明星を司る神』と戦い、これを討ち果たしているのだ。如何に驚異的な回復力を持った神殺しと言えど精神の疲弊だけは免れない。今戦っても返り討ちに遭うのが関の山だ。

 それに、この騒動には、あの草薙護堂が全面的に立ち回っていると聞いている。――それならば自分が容易く手を貸すのは野暮というものだろう。

「そうだったのですかー」

 納得した様子で少女は何度も頷いている。その視線には神殺しへの畏怖は感じられなかった。……本能的に自分が害されないと解っているからなのだろうか。それならば素晴らしい直観と言える。

 あの猿がこの幼い少女の肉体に宿り人質にしているのを見て、つい手助けをしてしまったが、まあこれくらいは問題ない――筈だ。多分。

 現状あの神は眷属を呼び出して草薙護堂たちと激闘を繰り広げている。そこに割って入るつもりがない以上、向こうがこちらにやってくる事はまず有り得ない。

 だから斉天大聖よりこの少女を助けて即座に戦場を後にした。殺す予定の無い者に見せる手の内は無いのだ。

 それ故にこの魔王は、神と魔王の戦いの場から離れ、こうして助けた巫女と話をしているのだ。

 助けた少女の名は――万里谷ひかり。草薙護堂の愛人の一人――万里谷祐理の妹である。

「そうだとも。それに私は今回、委員会や他の組織より一つ依頼を請け負っている」

「具体的にはどういった依頼を受けたのですか、おじさま」

 おじさま、と少女は『龍蛇王』である雄治を呼んだ。――助け出した時からそう呼ぶようになった。年若い十二歳の少女にそう言われて、若干のダメージを受けつつも彼はその質問に答えた。

「……ふむ。斃した神の特性の関係でな、私はこう見えて失せ物を捜すのが得意なのだよ。だからひかり嬢、君をこんなにも早く救出することが出来たのだ」

「そうなんですか。……あれ? でも、それじゃあおじさまが斉天大聖様を蹴り飛ばされて、変に苦しんでおられましたけど……?」

「ああ、それは簡単だ。私は呪いと毒も使えてね。最近になって漸くそれらの範囲設定や対象の選別が可能になったのさ」

 蹴りと共に呪いと毒を叩き込んだのだ。

「へー。……あれ? でもおじさま、それって委員会にも知られていない事なのでは?」

「勿論彼等は知らない。知らせていないのだから当然だろう。まあ、そちらには霊視に長けた君の姉君がいる以上、既に我が友の名も権能も暴いているかもしれんが」

 ひかりは驚いた。

 神殺しの魔王である『龍蛇王』が、斃したとは言え神を友と呼んだのだ。

 神を己を高める糧としてしか見ていないサルバトーレや、神との戦闘を狩りと称して憚らないヴォバン公爵などは決して口に出さない単語だろう。しかもそれは、こちらの世界を知らない護堂とは違い、神殺しと神の関係を解った上でそう言ってのけたのだ。

「――如何に殺し合いをした仲とは言え、私が戦った五柱の内、友とさえ呼べる者は四柱もいた。――約一名、若干その素行に問題のある阿呆もいたがな」

「あはは」

 毒吐く魔王に屈託の無い笑顔を見せるひかり。この龍頭の魔王がとても人間らしく思えたからだ。

 そんな中、残してきた蛇を通して見る戦場の様相は激しさを増していく。その戦場に人でありながら主君に付き従い戦う乙女たちが目に入る。

 いずれも才媛。

 いずれも可憐。

 いずれも――優秀な才能を持った草薙護堂の至宝。

 エリカ・ブランデッリ。

 万里谷祐理。

 リリアナ・クラニチャール

 清秋院恵那。

 そんな少女たちを見る雄治は、軽く眼を細める。

 少女の眼が自分を見上げているのを感じながら雄治は思う。

 才能もある、場数も踏んでいる、勝てない相手への対処法も考えている。絶えず考え、どうすれば草薙護堂の手を神に届かせるのかを全員が考え、実行しようとしている。

 その姿のなんと美しいことか。

 まさしく磨かれた宝石と呼べるだろう。

 外見だけでなく、内面すら磨かれた至高の美の結晶。

 凡俗では隣に立とうとすら思わないだろう。ここまで才気煥発の極みであれば並の男ならば霞んでしまう。

 ――惜しむらくは、駄目な男に靡くその性根だろうか。

「…………え、えーと。あの、おじさま?」

「――む。何かな、ひかり嬢」

 下を見る。

「はい。あの、何故護堂お兄さまが駄目な男なのでしょうか?」

 どうやら先の言葉は口か漏れていたようだ。

 苦笑し、雄治は説明することにした。

 その為に彼は腕を振って空間に映像を映し出した。――自分の視ている物を他者に見せる術だ。神祖であり、正史編纂委員会に強い影響力を持つ"古老"の一柱である『玻璃の媛』に頼み込んで教えて貰った術式である。

 まるで映画館のようなスクリーンが空中に出来たのでひかりは驚いた。

 しかし直ぐにその驚きは不安のそれに変わる。護堂たちが見えたからだ。もっと言えば神と戦う姉の姿を、だが。

 確かに戦場で戦う護堂は勇ましいの一言だ。魔王の先達であるスミスや羅濠教主に比べれば拙さはあるが、それでも人を惹きつける魅力に溢れている。

 現に彼はよく戦っていた。彼の言葉が黄金の光剣となり、猿神を斬りつけたではないか。

「――だからだよ」

 だから駄目な男なのだ、と『龍蛇王』は言う。

「あれの戦闘は、神の情報を集め、それを己の中で理解集約してからの神話解体による弱体化が基本戦術だ。君の姉君やエリカ・ブランデッリたちは情報集の為にいると言ってもいい。既に山場は越えた以上、少年一人で戦うべきだろうが――どうやら彼は彼女らに心底愛されているようだ」

 愛しい男を戦場へ独りで向かわせはしない。そんな気持ちなのだろうか。その為ならばいずれ人の領域から逸脱する事も視野に入れるかもしれないが。

「別段それに関しては言うことはない。戦場では自己責任。死ぬも生きるも本人次第なのだから」

 戦場に立ってしまえば男も女も大人も子供も身分も生まれも関係ない。死ねば終わりなのだから。

「彼女らが神を見破るまで、あの小僧は少女らの盾として神の攻撃を受け止めなければならない。神を識って初めて小僧は剣を取れるのだ」

 徒手空拳で戦う草薙護堂か、それとも人の身で神と対峙しなければならない彼女たち――どちらが死に近いかは言うまでもないだろう。

 しかしそれでも神に勝つための戦術だ。何ら恥じることはないと事情を知る魔術師たちは言うに違いない。

 現に歴史的建造物やビルを壊されても苦言を呈されるが戦術自体を批判された事はない――筈だ。

 だが彼は元々一般人ではあるが男なのだ。少女たちの負担になる事を理解していてもそれを軽減――もしくは消し去る方法が解らない。

 彼女らの負担を減らすために今から無理に神を知ろうとしても、知識面で彼女たちに勝てる道理がある筈もないのだ。彼女たちは文字通り生まれた時から神を学んできたのだから。――少し前まで白球を追いかけ、バットを握っていた少年には些か厳しいのが現状だ。故に、そこは仕方がない。不満はあれど飲み込まなければならない部分だ。

 だが、それでも。

「あの小僧が自覚しているかどうかは知らん。だが私はこう断言しよう。――アレは最終的な神との決戦までは役に立たない。神の情報が無ければ、あの小僧は唯の――とまでは言わんが、魔術師より少し強いだけの超人だ。アレは神と出遭い神の情報を得ることで漸く『その神だけの神殺し』として『完成』する」

「……その神だけの神殺し、ですか?」

「そうだ。故にあの男は、いずれ来る『評決の日』の為に生きねばならない。――強くならねばならない」

 ウルスラグナという勝利を神格化した存在。つまり、勝つ事に特化した神。

 勝敗を常に己と敵の間に揺蕩わせ、しかし全力で勝利を得ようとする雄治としては面白くない神格だが、その権能は対『最後の王』戦において有効だ。そう、パンドラからもお墨付きをもらっている。

 使えるものは全て使わなければ、『最後の王』には勝てない。彼女はそう言っていた。

 それが事実だと雄治にも直観的に理解している。

「今のままでも、『その者』に勝てるかもしれない。だが――その使い手があのような未熟者では、勝てる勝負にも勝てん」

 下手をすればこちらの全滅もあり得るのだ。

 だからこそ雄治は護堂に発破をかけた。

 曰く、斉天大聖を顎でしゃくり『やってみせろよ小僧』と言い放ったのである。

 元より若干隔意を抱いている相手にそう発破を掛けられて護堂はあっさりと乗せられた。

 眼中にない態度を取られるのがほとほと我慢出来ないのだろう。

 やはりこの少年は舞台の主役に立ちたがる性質のようだ。――だからこそ、発破を掛けやすい。

 そして、視線は護堂と共に戦っている二人の魔王に向けられる。

「……何故あの二人がここまで協力してくれたのかが解せん」

「多分、おじさまがお二方に頭を下げられたからではないでしょうか」

 雄治の疑問の呟きを聞き、ひかりがそう答えた。

 雄治はその発言を受けて彼は自分の言動を思い返す。

 

 

 

 ――『まあ、なんだ。未熟者の成長にとって、強敵との戦いはとても良い教材なのだ。故にどうかあの小僧に華を持たせて欲しい。――願わくば、この龍頭の奇人に免じて、どうか先達としての度量を見せて頂きたい。我が友よ』

 

 

 

 そう言った。

 すると何故か二人は俄然やる気を出したのだ。

 教主曰く、『――私も弟子を持つ身。ならばこそ、不甲斐ない後進の世話を焼くのも吝かではありません。……奇人だと思っていましたが、どうやら武人としてあなたは信の置ける人間のようですね。ならば昨夜の風呂での出来事は不問と致しましょう。我が朋友よ』

 スミス曰く、『お互いこうして正体を隠して魔王をやっている間柄だ。こっちの不始末にも手助けしてくれた以上、頼みを聞かない理由は無いよ。――ああ、そうだ。もしこれで感謝してくれるなら、良いワインを一本頂こうかな。助手のアニーに渡してくれればいい。頼んだよ親友』

 そして、二人はお互いを一瞥し、護堂の援護に向かってくれたのだ。

 その事を思い返し、

「何時の間にやら、私には魔王の友が二人も出来たわけだが……まさか私の一番の友は自分だと、それを証明する為にああも力が入っているのか?」

「あはは。どうなんでしょうね。……ところで、おじさま?」

 そんな雄治にひかりは問い掛ける。

「羅濠教主さまが仰っていたお風呂の件とは、一体?」

「なに、なんてことはない。単に私が風呂に浸かっているとそこに彼女が転移してきただけだ。……その時に、少しな」

 流石に雄治も言葉を濁した。

 まさか転移の気配を察知して身体を反転させた瞬間に、乳を揉んでしまったのだと幼い少女に言うのは憚られた。

 掌を相手に突き出す形で構えたせいで、その形の良い水蜜桃に手が触れてしまったのだ。そして反射的に――揉んでしまった。

 まあ、そんなこんながあって何故かあのトンチキ武侠娘の琴線に触れて朋友認定されたのである。最初は義理の弟にされかけたが、なんとかそれは回避した。

 スミスの方はもっとワケが解らない。

 日本にやってきて直ぐにどこぞの神祖が放った刺客と戦っていたスミスに手を貸したのが雄治であり、その際に米国から逃げてきたアーシェラという神祖を探しているので手伝って欲しいと頼まれたのだ。無論これには雄治も(料金は貰ったが)快諾。助手であるアニー・チャールトンと共にアーシェラを追いかけたのである。

 その間によく電話越しではあるものの話をしていたら、何時の間にやら親友認定されたのである。

「……私もよくよく人の縁に支えられているものだ」

 感慨深く呟く龍頭の魔王。

 ひかりは首を傾げる。少し解らないが、それでも『おじさま』が上機嫌なのは解った。

 ふと、スクリーンを見ると、斉天大聖と戦う羅刹の君の姿が目に入る。

 傷だらけになろうとも、諦めないその姿。他の神殺しの方々も、そして姉たちも諦めずに勝利を得ようとしている。

 だから、ひかりは祈った。どうかみんな、無事でありますように、と。

 ――そんな折、彼女の霊感が働いた。良くない囁きだ。

 もっと言えば――『災いの襲来』。

 何かが、来ている。

 人ではない。もっと大きな『何か』だ。神か、若しくは神に準ずる何か。

 神と神殺しの争いの気を感じて、何らかの存在が近付いて来るのを二人は感じた。

 雄治は『誰が』それを成したのか気付き、顔を顰めた。どう考えてもあの傍迷惑なおっかけ神祖と全身鎧の護衛役が関わっているに違いない。

 ひかりは目に涙を浮かべて近づいている気配の方を向いて硬直している。巨大で神々しい気配が向かって来ているのだから。

 震える少女の頭に鱗に覆われた異形の手が置かれる。安心させるように、優しく撫でられる。

 ――そうだ。ここにはもう一人、頼りになる『羅刹の君』がいるではないか。

 しかしそれと同時にこの神殺しへの依頼に必要な物も思い出したが――腹を括った。

 ひかりは『おじさま』に言う。

「あの、おじさま。……ご迷惑かもしれませんけど、お願いがあります」

「君を助けて欲しい、かな?」

 ひかりは、

「いいえ。お兄さまやお姉さま『たち』を、それとお猿さんにされた人たちを助けて下さい」

 この異変に巻き込まれた人々の救済を願った。

 だが、それを叶えるには斉天大聖を斃すしか方法は無い。そしてそれはもうすぐ叶うだろう。残る障害は、この気配の主のみだ。

 雄治は言う。

「……私に依頼をする場合、金銭を要求する事は承知しているかね? 神が相手では私もそれなりの額を提示しなければならないが――」

「構いません。わたしが払います」

 ひかりは言い切った。

「…………三千万頂こう。君に払えるかな?」

 三千万。大金だ。

 しかしよくよく考えればこれは破格の値段だと言えた。

 仮に国が依頼するのなら、神殺しが神を相手にする以上仮に三十億と提示しても払うだろう。

 しかし彼女はまだ小学生。支払い能力など高が知れているだろうに。

 それでも彼女は言い切った。

「払います。きっと払います。何年掛かっても、どんなことがあっても必ず払います……!!」

 その瞳には、発した言葉を曲げない強い『意思』があった。

「その言葉が聞きたかった」

 少女の頭を優しく撫で、羽織袴の神殺しは空を文字通り駆け上り――気配の元へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その先には『蛇』がいた。

「……相も変わらず、俺の相手は『蛇』か」

 思わず雄治はそう呟く。周囲に人の気配は感じられない。こちらを覗く者の気配もだ。

 思わず口を突いた言葉を聞きつけ、巨大な翼のある大蛇は雄治の方を向いた。

 ――強い。

 直感的にではあるものの、雄治と蛇神はお互いの力量を感じ取った。

 そして、神殺しは内心で悪態を吐く。

 あのおっかけ、なんて厄介なヤロウを呼びやがったんだ、と。

『――ほぅ。どうやらそなた、『蛇』と『明星』を身に宿しているらしいな。ワタシが、このような異国の地に召喚された理由は――そなただな』

 圧倒的な神気。

 先の斉天大聖に優るとも劣らない強大な力を有している事を雄治は感じ取った。

「……金星の蛇といやぁ、昔読んだ漫画にいたな。アステカの創造神で、確か名前は――ケツァルコアトル、だったか」

 雄治が名前を呼ぶと、翼の生えた大蛇――ケツァルコアトルは歓喜の声を上げた。

『ほほう。初見でワタシの名を見破るか。どうやら随分とワタシの神話に詳しいようだな。――こうして遠い時代の青年もワタシを識ってくれるとは、善き時代になったものだ』

「そりゃあな。斃した神の殆どが、同じ共通点を持ってんだ。他の神様の事も少しは調べるさ。――現代の宗教関係を鑑みれば、どこぞの元天使長が出てきてもおかしくはなかったが……あのアマ、アメリカ行ったついでに何か持ち込みやがったな」

 最後の方は小声だが、あながち間違った予想でもないだろう。

 アメリカで暴れていたアーシェラを引っ張ってきたのは、紛れも無く『おっかけ神祖・グィネヴィア(雄治命名)』の仕業だったのだから。

『そなたの言う通り、ワタシは異国の神祖によってこの地に召喚された。――どうにもそなたという存在のお陰で召喚条件が格段に緩くなっていたらしいな。それに――我が星がこんなにも輝いている。そなたにも解るだろう? ワタシと同じ星の神を斃し、力を得たのだから』

「否定出来んな……」

 苦笑する。

 しかしこうやって話をしていても埒が明かない。

 このままではこの神を追って、あの厄介な邪神が日本に召喚されかねない。一度スミスが斃したと聞いてはいるが、また現れる可能性も無い訳ではないのだから。

「さて、ここじゃあちと手狭だ。俺の領域に案内してやろう。――存分に戦ろうや」

『ああ、それは善い。こうしている間にもいつテスカトリポカが顕現するやもしれぬ、と少し心配していたのだ』

「――まあ、とっくに俺のダチに斃されてるけど、二度目がないとは言い切れないからなぁ」

 既に宿敵が斃されていると判り、ケツァルコアトルはその眼を見開き――呵々大笑した。

『――はぁっはっはっはっはっ!! わ、ワタシを追放したあの者が、既に斃されていたとは!! 狡知に長けたアレを殺すなど、余程だっただろうに。斃した者に(ねぎら)いの言葉を掛けてやりたいくらいだ!! となると、その者も我が召喚の一助であったか!!』

「よっぽど嫌ってんのな、あの神」

 雄治は鍵を取り出して範囲を設定し、それを何も無い空間に突き刺し――捻る。

 そして、一人と一柱は世界から掻き消えた。

 幽世に存在する一面砂地の世界へと転移する。

 ヘルメスや応龍とも戦った、サマエルより与えられた雄治の領域。

 雄治が全力を出す為に必要な舞台。

 そして――死闘が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから七日七晩経った日の深夜。午前三時。

 正史編纂委員会によって立入禁止となった神と神殺しの戦場跡地に、一人の男が現れる。

 スーツ姿の雄治だ。

 満身創痍。疲労困憊。そんな言葉が似合う程にボロボロにされたが――しかしなんとか勝った。なんとか真正面から勝つことが出来たのである。

 激しい戦闘の代償として、お気に入りの和服は無残なボロ布と化してしまい最早服としての機能は果たせそうになかったのでスーツに着替えて現世へと舞い戻ったのである。

 人気が無い事を確認し、雄治は懐から例の煙草とジッポーライターを取り出した。

 熟れた様子で煙草を口に挟み、流れるように火を着けようとして――横合いから別のライターが差し出された。

「……スミスか」

 そこには、洒落た装飾の施されたライターに火を灯し突き出す仮面の貴公子の姿があった。

「やあ。七日振りかな、我が友よ」

 その火に煙草の先端を近付け、灯す。紫煙を吸い込み彼のいない方向に吐く。そして思った事を口に出した。

「……もうロサンゼルスに帰っていると思ったが、何か忘れ物でもあったのかね?」

 ハデスの兜を変化させた帽子を被っているので声も顔も背丈も誤魔化しているのだ。動揺する必要が無かった。だから落ち着いて受け答えが出来たのである。

「ああ。だが私もそうだが、あちらも君を待っていたんだよ」

 その言葉が終わらない内に一人の女性が転移してくる。

 羅濠教主だ。

「ああ、やはりわたくしの眼に狂いはありませんでしたね。やはり大事ありませんでしたか」

 そう言って、教主は華のような(かんばせ)を綻ばせた。

「見事です。若輩にも関わらず七日七晩戦い続け、勝利し――しかしまだ余裕があるようですね。それでこそです。我が朋友に相応しい力量と言えましょう」

 手放しの賞賛に、流石の雄治も驚いてしまった。

「……いや、驚いた。まさかこうも正面から褒められるとは思わなかったのでな。少々動揺しているよ」

「この羅翠蓮、戦果を挙げた者は正しく評価します。そうでなければわたくしの王としての器量が疑われますので」

 要するに、自分の名前を傷付けない為のようだ。

「…………成程」

 ここは納得した振りで流すべきだ。そう判断して雄治は話題を変える事にした。

「所で……何故二人はここに?」

 そう問い掛けると、スミスは些か憮然とした様子で、教主は胸を張って答えた。

「君が前に神と戦って傷が完全に塞がってないと言っていたからさ。僕としても、折角出会えた異国の友が死ぬ姿は見たくなかったからね」

「わたくしは雄治の武を信用してはいましたが、前日に我が拳を受けたのです。身体が本調子でない事などお見通しです」

 要するに、怪我を抱えたまま神と戦った雄治を心配していた、と言いたいらしい。

 実際、先の神や教主との一戦で蓄積されたダメージのせいで雄治はケツァルコアトルと初めはまともに戦えなかった。

 そうでなければ勝つにせよ敗けるにせよ勝負はもう少し早く着いていただろう。

 尤も、

「いや、確かにそれもあるが、純粋に相手が強かった、という事もあるのだが……」

 そうでなければ七日七晩も戦い続ける必要がないのだから。

「そうですね。雄治の力量から鑑みれば、先の神は些か手に余る存在だったのは感じた気配からでも解りました。……ああ、そこなスミスと似た匂いを感じもしましたね」

「確かに。気配を感じて私の斃したテスカポリトカの権能が強くなったのは感じた。……今もそうなんだが、これは?」

「ああ、ケツァルコアトルだった」

 その言葉にさしものジョン・プルートー・スミスも絶句する。

「……成程、つまりケツァルコアトルがこの地に現れたのは、私が原因か」

「いや、それだけではない。あの蛇神殿は、我が内に在る『蛇』と『明星』の神格持ちだ。その縁を辿ってあのグィネヴィアに召喚された、と言っていた。それに、だ。あの者が今回の件を引き起こしたのだろうな」

 その神祖の名を聞き、教主は眉を顰めた。

「……そういえば、わたくしに斉天大聖との再戦を持ちかけた神祖もそのような名でしたね。……しかしそれが彼女の利になるとは思えません。彼女はいみじくも神の陣営ですが、大聖が斃されて手に入る利など……」

 ある筈がない、そう言おうとしてそれにスミスが待ったをかけた。

「……いや、あの黒王子が前に言っていたが、彼女は自分の主を探しているんだとか。その為に神もカンピオーネも等しく手駒として使う、と前に聞いたことがある」

 その発言を受けて、教主の顔色が不機嫌そうなものになった。

「つまり、あの者は自らの利の為に同族と雄治や貴方、それに草薙王――そしてわたくしを利用した、と?」

 頷く。

「そう考えれば僕らが斉天大聖たちの権能を得られなかった事にも合点がいく。多分、彼女に掠め取られたんだ」

 しかし解せない。何故奪う必要がある?

 滅びる直前とは言え《鋼》の神の力だ。碌でも無い使い方をする事は目に見えていた。

「……ところで、『龍蛇王』。君の場合はどうだった?」

 主語の抜けた発言だが、雄治はその言葉を正確に理解する。

「ああ、こちらは問題無く受け継ぐ事が出来た。同じ共通点の多い神格だからな。……完全に掌握するのはまだ無理だが」

「そうか。なら目的は斉天大聖の力だったようだね。だが、それでアーサー王が呼べるだろうか?」

「あーさー王とは確か、異国の王でしたね。しかし神祖は零落したとはいえ神。その女神がたかが英雄を召喚する為にこうも動くでしょうか?」

 そんな事を話していると、ふと気配を感じた。

 神祖の気配だ。

 三人の視線が気配を感じる方向に向けられる。

 いた。

 空中に浮遊している美しい少女とその背後に侍る全身甲冑の騎士。

 グィネヴィアだ。後ろの騎士からはプレッシャーを感じる。恐らく彼女に関係する神格なのだろう。随分と護衛役が板についている。

 即座に臨戦態勢を取る三人。

 しかしそんな三人を騎士は視線と剣を抜く事で牽制した。

 三人相手でも対処出来るとでも言うかのような気迫を感じ、警戒の度合いを引き上げる。

「お前がグィネヴィアか」

 そんな中、雄治が断定の物言いで少女を睨む。

「はい、『龍蛇王』さま」

 可憐な花が綻ぶような愛らしい笑顔だ。

 しかしそんな笑顔を向けられても、雄治は動じない。

「……どうやら、『捜し人』を見つける為の道具造りにでも我々を使ったか」

 少女然とした神祖が何かを言う前に雄治は確信を持って言葉を発した。

「それが何か?」

 だというのに可憐に微笑む神祖の表情には余裕があった。ここで殺されないという確かな自信。

 それ程に背後の騎士を信頼しているのだろう。

「……確かに今ここでお前を斃すのは難しい。我等が手を出せば魔王殲滅の権能が発動するのだろう? ――なあ、《鋼》の騎士よ」

 そう言われて初めて騎士が言葉を発した。

「勘付かれた、か」

「それはそうだろう。私は龍蛇の権能を持ち、貴様はそれを打ち倒す《鋼》。お互いがお互いを間違う事などあるまい」

「確かに」

 くつくつと笑う騎士。鎧越しだというのに、その挙動には華があった。

 どうやら兜の下には結構な美男子が入っているようだ。

「しかしこれで合点がいった。そこの女が誰を捜しているのかがな」

 瞬間、この場の空気が凍った。

 まさか、そんな表情を浮かべる神祖。

 雄治は続ける。

「貴様の主は――我等にとって大敵である『最後の王』だな」

 瞬間、騎士が剣を構えて突っ込んできた。

 グィネヴィアもそれを咎めようとはしない。

「貴様が知る必要のない事だ」

 そう言って剣が雄治を袈裟懸けに両断しようとした――が、

「我が朋友に手は出させません」

「そういう事さ」

 そんな言葉と共に弾き飛ばされる。

「おじさま!?」

 グィネヴィアが驚いた様子で呼び掛ける。

 見れば騎士の甲冑には拳大の穴と銃痕があった。

「……流石は神殺し」

 しかしそんな言葉を受けても二人は誇らしそうな顔をしなかった。

 何故なら、

「「…………っ」」

 先の一瞬の攻防で二人共手傷を負ったからだ。胸を抑えるスミス。骨の何本かがイッたようだ。教主の方は頬の裂傷のみ。どうやら魔王二人の攻撃を受け、それにカウンターを合わせて拳と剣を叩き込んだらしい。きちんと目標である雄治に剣を届かせた上で、だ。

 弱体化していた雄治はその一撃を甘んじて受けてしまい、膝を着いてしまう。

 とんでもない技量だ。

 思わず悪態を吐きそうになった。

 そんな醜態を見下ろし、グィネヴィアは言う。しかし若干の嘆息と、忌々しさは隠そうともしなかったが。

「……『龍蛇王』さま、貴方の推測は当たっていますわ。名を忘れしまった我が君の許に馳せ参じる。それが私の願いなのですから」

 だから、と前置きして彼女は言った。

 

 

 

「我が君の最高の御馳走である貴方は殺しません。貴方はいずれ、我が君の栄誉ある敵として滅びるのです」

 

 

 

 ――その日まで御機嫌よう。

 そんな呪いの言葉を残して彼女と「おじさま」と呼ばれた騎士は消えた。

 どうやら今回はただの顔合わせのつもりだったようだ。

「……この場合、見逃して貰えた、と言うべきかね?」

 相手は純粋な《鋼》だ。無策で突っ込めば良い的にしかならないだろう。

 よろよろと雄治が立ち上がろうとして、見かねたスミスが肩を貸して支えてくれた。

「どうかな。私としては、あれは『逃げた』と捉えるべきだと思うよ」

 そんな仮面の貴公子の言葉に教主も同意する。

「そうですね。先の発言を言い換えるのなら、『自分では勝てないから、主に任せる』と言っているようなものですしね。あの異国の剣士も、わたくしかスミスが相手取れば事足りましょう」

 その真意がどうであれ、結果だけ見れば満身創痍の魔王一人に、無傷の魔王二人に手傷を負わせただけで撤退しただけでしかない。

 しかしそれは、あの神祖の目的を考えれば寧ろ当然だ。

 目的達成前の段階で手傷を追うなど馬鹿の所業でしかない。

 であれば、今回の顔見せも何らかの理由がある、と見て取るべきだろう。

「それが何なのかは皆目検討もつかんが……」

「まあ、解らない事を気にしてもしょうがない。……それよりも『龍蛇王』、『最後の王』ってのは、一体何だい?」

 スミスがそう尋ねると、雄治は無言になり教主は首を振って答えた。

「わたくしも過分には知りません。(……聞き覚えが在る以上、お義母さまから聞いているやもしれませんが)」

 雄治はそんな二人に「ちょっと待って欲しい」とジェスチャーをして、懐から無事だった煙草を取り出すと、今度は教主が方術で種火を指先に生み出し差し出してくる。

 それに礼を言って煙草の先を近付け、火を着けた。

「……ふー。まあ、言ってしまえば対神殺しにおける最終兵器、だな」

 そう言った。

「どこの神かは知らんが、出たら最期、我等の一人遺らず殲滅する事を約束された救世の神――と聞いている」

 言わば魔王へのカウンターだな、と雄治は語る。

「……私たちでは勝てない、と?」

「そう聞いている。だから私はアレに、草薙護堂に神を狩らせているのだ」

 アレは、勝利の体現者だからな。

 そう言ってくつくつと笑う。

「……つまり、君や我々が勝てない場合の保険作りか」

 呆れたようにスミスは嘆息し、

「嘆かわしい。わたくしの朋友ともあろう者が、他力本願でどうしましょうか! 貴方も武侠の輩であるのなら、強大な敵にも臆さずに立ち向かう覚悟を――」

 教主からは説教された。

 しかし説教を聞き流しながら、雄治は一つどうでもいいことを思う。

 このまま、二人と交流をする以上、名を名乗らないのは無礼に当たる。

 ――であるならば、名乗らないのは無礼ではないだろうか。そう思った。

 仮面の貴公子という正体を隠している友人ですら、偽名とはいえ名前があるのだ。

 それに、二人の友情に報いたいという偽らざる本音もあった。

 故に教主の発言を手で遮って、雄治は言う。

「二人にだけは教えておきたい事がある。――小心者の私にとって、これは最大級の感謝であると、そう思って欲しい」

 そんな事を言われて、教主は説教を一時止め、スミスは興味深そうに彼を見遣る。

「二人にだけ、我が名を教えよう」

「待った」

 それに待ったをかけるスミス。

「君と私は共に正体を隠している間柄だ。それなのに君の名を私だけが知るのはアンフェアだろう」

 だから――

 

 

 

「私も君にこの身の本当の姿を晒そう」

 

 

 

 そう言ってのけた。

 これに不満を露わにしたのが教主だった。

「これでは、何も差し出さぬわたくしの器が矮小だと言うようなものではありませんか。……では、二人はこれより、わたくしの名を呼ぶ事を許します。余人の前でなければ、わたくしの名を呼んでも構いません」

 これには二人共驚いてしまう。二百余年を生きたカンピオーネが、器の大きさを見せる為に後輩二人に名を呼ばせると言ったのだ。

 弟子であるあの少年が聞いていれば余りの衝撃に引っ繰り返るだろう。

「これは――いや、その申し出、有り難く思う。……では私の正体を二人に教えよう」

 仮面が、衣装が、消えていく。そこにいたのは――アメリカ人の美女。クール・ビューティと呼んで差し支えない容姿はともすれば冷たい印象を人に与えただろう。

 そんな彼女を前にして、雄治は動揺する。知った顔だったからだ。日光まで同道したのだから覚えていて当然である。

「アニー・チャールトン。表向きはジョン・プルートー・スミスの助手をやっているわ」

 そう言った彼女を前に、彼は咳払いをしてから帽子を取った。

 それだけで隠形は解かれ、そこには巨漢の男が現れる。

「皆藤雄治、だ。表じゃ私立探偵をやってる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、三人の魔王は友誼を結んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして舞台は変わり、誰も知らぬ深い樹海の奥深く。

 転移したグィネヴィアたちはそこにいた。

「『龍蛇王』さま……あのように、龍蛇の神格を煮詰めた方が現れるとは、想定外ですね。我が君の召喚する際には何としても足止めをしないと……」

 あの男の気配を察知して『主』が現れるのならばそれもいい。だが、龍蛇殺しの神はごまんといるのだ。

 彼が近付くだけでその気配を察知した別の神が横入りしてくる可能性もあるのだ。

 まだ『主』がどこに眠っているのか把握していないのに召喚していつぞやの二の舞いにしかならない事を彼女は理解していた。

「ですが……おじさまの剣で傷を負った以上、怪我の回復に努めねばならないのは明白。ならばその内に……」

 彼女は動く。

 全ては愛しいあの御方の許で、もう一度侍る為に。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女を眺め、しかし騎士は思う。

 あの男の血を見て嫌な予感がしたのだ。

(……あの男の血、毒か呪いでもあったか?)

 もしそうならあのまま深く斬ってその血を浴びてしまえば、勝敗はどうなっていたか解らない。むしろこうして逃げられたかどうか。

 《鋼》すら殺す致死性の猛毒にして呪い。

 そんな直観が働いたのである。

(……《鋼》すら殺す龍蛇の王か。面白い)

 それでも騎士は愉快そうに笑う。

 尋常の勝負。

 それに酔わない騎士はいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 草薙護堂は思う。

 いけ好かない龍頭の魔王を。

「あいつ……結局あのまま現れなかったな」

 祐理の妹であるひかりを救助し、そのまま戦線に復帰しなかった魔王の姿を思い返していた。

 そんな主君にエリカは言う。

「仕方ないわよ。『龍蛇王』さま、少し前に別の場所でこの国の神と戦っていたそうだし。それにひかりを助けた後でこっちに来ようとしていた別の神を相手にしてたんですもの」

 それは解っている。

 だが、思うのだ。

「あいつが手を貸してりゃもっと楽に斉天大聖を倒せてた。なのに援軍だけ寄越したのが気に入らない」

 憮然とした様子の護堂を見て、エリカは嘆息する。

「……あのね、護堂。魔王殲滅の権能の事、もう忘れたの?」

 そう言われて、彼は「う」と言葉に詰まった。

 確かにそうだ。

 もしあいつが参戦していれば敵は増えていたに違いない。

「『龍蛇王』さまは、ご自分が参戦するメリットとデメリットを秤にかけて、戦わない事を選ばれたのよ。……だから護堂や他の魔王に手柄を立てさせる事も厭わないのね」

 それとも、今回の斉天大聖相手では権能を奪えないと解っていたから手を出さなかったのだろうか。

 近付いてきた神格は龍蛇のそれだと祐理は言っていたが。

 そちらの方は彼が討ち倒したと報告が上がっている。

「本当、何を考えてらっしゃるのかしらね」

「俺が解るわけないだろう」

 俺は平和主義者なんだから。

 そう言って護堂は視線の先にいる姉妹を見やった。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん! わたしは本気です!! おじさまとも約束しましたし」

「だからって、『龍蛇王』さまにお仕えするなんて何を考えているんですか!? それに三千万円なんて大金、あなた持っているんですか!? お父様が出してくれるんですから、それでいいじゃないですか!!」

「でも! わたしが依頼したんですよ? だったら私が返すのが当然じゃないですか!!」

「当然じゃありません!!」

「「ああもう、ひかり(お姉ちゃん)の分からず屋ーっ!!」」

 

 

 

 

 

 取り敢えずは、あの二人の喧嘩を止めるのが先だろう。

「……お金に関しては、正史編纂委員会に請求しても問題ないんじゃないかしら」

「……そうだな」

 そう言うしかなかった。

 

 




そしてそれ以上に、これ以上展開を広げるのが難しいので、カンピオーネの二次創作はここで終わりにします。
こんな拙作に暖かい励ましのお言葉を頂き、とても感謝しています。
本当に、有難う御座いました。


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