ウマ娘が走るのは、本能故と言われている。
ウマ娘の起源そのものについては、さまざま研究はされているが、今でもはっきりしたことはわかっていない。
しかし壁画に残る古来の昔から、人間の友として共に暮らし、生活を支えあってきた。
現代においては人間と同じ市民権を持ち、パワーの差はともかく、その生活自体は食に関する嗜好の違い以外は、大きなものはない。
ただ、速さを競うという彼女たちの本能を生かしたエンターテイメントが興業の側面を持って経済的に確立されたのは比較的最近と言っていい。
その華やかな陽のあたる世界が創造されるまでには、人間の歴史と軌を同じくして陰、闇といわれる部分も多くあるのは確かだ。
そして現代のレースの世界でも、華やかな部分が明るければ明るいほど、陰もまた濃くなるものなのだ。
朝、男は工房の隅にある6畳ほどの畳敷きの小上がりで目を覚ました。
生活用の部屋は学園によって用意されており、トレーナー寮の一室が与えられているが、昨夜の東条ハナとのやり取りのあと、どうにも帰る気になれずに工房で夜を明かした。
工房に備え付けのシャワー室で熱めの湯を浴び、昨日のおハナさんの言葉を思い返す。
スズカの蹄鉄の返却について、おハナさんに託してしまおうかと考え、それを伝えたとき。
「…あなたが相談を受けたのなら、あなたが返しなさいな。スズカが縋った大人は私じゃなくあなた、なんじゃないのかしら?」
縋った、というのはいささか想像力が先行し穿った認識だとは思うが、道理ではあると思った。
シャワーを浴びて自らの思考にリセットをかけた気分になったあと、男はふと思い立って工房の裏にある倉庫に向かった。
ここは以前使われていた工房で、築年数ははっきりとわからない古さであった。レンガ造りの重厚な建物で、工房を建て替えるときにも取り壊さず、そのまま倉庫に転用したものだ。
中は薄暗く、土間の床に最低限の照明があるだけの空間で、今は段ボールや木箱が後付けのスチールラックに雑然と納められている。整理があまり得意ではない男は、行き場に困り、捨てる決断もできないものをこの倉庫に無思慮のまま放り込むことがよくあった。
倉庫の最奥のラックで、目的のものを探す。
相当な年代物の木箱の中から、油紙に包まれた塊を取り出す。
中を開くと、いくらかさびは浮いているものの鈍い光を返す、一対の蹄鉄が出てきた。
蹄鉄の裏側の隅に小さく「ミノル」と刻まれていた。
「幻のウマ娘が、いた」
その話を聞いたのはいつだったか。
男の師匠格だった老公は、その人生の最後期において、男を装蹄師として独り立ちさせるべく日常の作業に、ウマ娘のレースの現場にと、精力的に連れまわした。
ある日、ジュニア級のレースに老公と立ち会った日のこと。
そのレースは次世代を嘱望されるウマ娘が複数人出場することもあり、その日のメインレースではないものの、目端の利くファンらが数多く詰めかけていた。
そのレースはスタートで多少のばらつきはあったものの、距離を経るごとにバ群がかたまり、その世代での拮抗した力を持つウマ娘が3コーナー手前から間隔を詰め、鎬を削りだした。
4コーナーでほとんど密集といっていい状態で駆け抜けようとしたその時だった。
ひとりのウマ娘が集団からはじき出されるようにアウトへ飛び出した。
態勢をくずしたそのウマ娘はそのまま転倒、彼女は競争中止となった。
老公は手近にいた関係者をつかまえ、落ち着いた後でかまわないから容体を自分に伝えてほしい、と頼んだ。
その日の予定を終え、老公とともに帰路につこうとする頃、先ほどの関係者が老公を見つけて駆け寄り、耳打ちをした。
そうか、と頷いただけだった。
その夜、男は老公を自宅まで送り届けて帰宅しようとすると、老公の奥方に呼び止められ、書斎に通された。
来客用ソファに座らされた男は、なにか粗相があってのお説教か、と嫌な汗をかいたが、老公は戸棚の奥からウイスキーを取り出し、男のための緑茶缶を差し出しながら、
「一杯付き合え」
と言い、自らのグラスにウイスキーを注ぐと、語りだした。
最近は健康のためだのなんだのと家内がうるさくてな。酒も煙草も満足に呑ませてもらえんのだよ。もうお迎えなんてとっくに来ていてもおかしくない歳なんだ。今更だとは思わんか?
あぁ、今日の競争中止の子、命に別状はないそうだよ。
今は医療技術もずいぶん発達したからね。今頃精密検査を受けているはずだ。 脚の様子はまだ気になるが、命あっての物種だからね。
ところでな。「幻のウマ娘」というの、聞いたことがあるか?
知らなくても無理はないよ。
私が君くらいの頃の話だ。
私はそのころ、ちょうど君のような立場でね。師匠について回って、日本全国を回りながらありとあらゆる技術を吸収しようと必死だった。
まだ戦後の混乱から抜けきらない時代だ。モノも足りない、技術レベルも今と比べれば格段に低い、ウマ娘の待遇も低い、栄養も足らない、ありとあらゆるものが未熟か、足りないか。今思えばそんな時代だった。
そんなときに、ひとりのウマ娘がレースの世界に現れたんだよ。
体格はまわりの子より大きく、たくましく、特にトモの部分は娘らしい丸みというよりも筋肉で発達したしっかりしたものを持っていた。
ちょっと難しい性格をしていたようだが、デビュー戦ではレースがスタートしてしまえばするすると先頭に上がって、そのまま引き離して1着。しかもその当時のレコードタイムで、だ。
当然そのまま出るレース出るレース連戦連勝。
とんでもない娘が現れたと思ったよ。
新しい時代を拓く娘が来た、とね。
ところが、結果だけ見れば華々しいが、どうやらそうじゃなかったんだ。
彼女がデビューから無敗で皐月賞をとった後、私の師匠のところに彼女の関係者が来てね。
様子を見てほしいと言うんだよ。
関係者と一緒にすぐに、師匠と私は一緒に彼女のところに行ったんだ。
彼女、脚をひきずって歩いていたんだよ。
当時は医療器械も薬も少なかったし、原因はすぐにはわからなかった。
ダービーも控えていたし、彼女の状態について知恵を集めて考えた。
今なら情報が漏れないようにがっちりガードされるんだろうが、当時はおおらかな時代だったからね。
ダービーを回避する案も出たが、それは彼女自身のどうあっても走りたいという強い希望で却下された。
とにかくダービーまでに、どうやったら彼女が走れるか、方々から集められた人間と知恵を絞ったよ。
当時のシューズは柔らかい革製の足袋のような形状のものでね。靴底や全体構造のために部分的に木や金属で補強を入れて、そこにさらに蹄鉄を打って使っていた。合成樹脂なんてものはないからね。
師匠が彼女の脚をみたところ、右足に靴擦れのような傷を見つけた。
右足を引きずっていて、彼女自身が痛みを感じているのは脛のあたりだったから、靴擦れが原因ではないと思うと彼女も医者も言っていたが、師匠はシューズから蹄鉄にかけて手を入れる提案をした。
専属の装蹄師と一緒に、型取りからやり直してシューズの密着度をあげて、足をできるだけ一体化できるようにして、靴底の部分はクッション性を期待してフェルトをぎっちり仕込み、蹄鉄も軽量化を施して脚への負担を減らす仕様を作ったんだ。
もちろん私は師匠の下働きさ。専属の装蹄師のイメージ図面をもとに必死に鉄を叩いて、1gでも軽く、剛性のあるものを作ろうと寝る間も惜しんで叩き続けたよ。
医師団の頑張りもあって、彼女の脚は奇跡的に回復したよ。
私たちが作ったシューズと蹄鉄も、レースの前日の調整に間に合って、彼女に履いてもらった。
練習コースを一回りして、彼女は不安げに見ていた我々のところまで来て、深々と頭を下げて、とても美しい笑顔で言ったんだ。
「私はこれを履いて明日、ダービーを勝ってきます」
その時の私は師匠についていくことに必死だったから、ウマ娘たちを異性のように意識したことはなかったけど、そのときばかりは、心を打ちぬかれたようになったよ。
…あぁ君、この話は妻にもしたことはないんだ。
わかっているね?
私が死んだあと、故人を偲んで話す、なんてこともないように頼むよ。
そのあとどうなったかって?
うん。
彼女は、勝ったよ。
スタートこそ失敗したが、向こう正面で先行した娘たちを抜き去って、そのまま譲ることなくゴールまで押し切った。
レースレコードのおまけつきでね。
そしてそのまま、彼女は姿を消したんだ。
あとで聞こえてきた話では、回復したと思っていた脚がまた悪化して走れなくなったとか、賞金を稼ぎ切って故郷に帰ったとかいろいろあったが、結局は行方知れずだ。
そして誰が言ったか、ついた二つ名が「幻のウマ娘」というわけだ。
ダービーを勝つために生まれてきた幻のウマ娘だ、とね。
あの時、私たちは自分たちのできることを精一杯、やったと思う。
でもそれは、年端もいかぬ彼女に対して、我々がするべきことだったのだろうか?
正解は、ないよ。
それでも、今でも今日のような光景を見ると思い出すんだ。
ダービーを勝ったあとの彼女の歌声は、今でも夢に見るよ…。
男の手には、鈍い光を返す「ミノル」の刻印がある蹄鉄がある。
ずしりとした手応えは、時を経ても重さでその存在を伝えてくる。
老公の叩いたこの蹄鉄をつけて、幻のウマ娘は、ダービーを勝った。
そして、消えた。
男はその蹄鉄を懐に忍ばせて、スズカのもとに向かった。
永田雅一リスペクト回かなと思って書き出してみたらなんか違う感じになりましたことをここにご報告させていただきます。
尚、今更ではございますが、わたくしは現実競馬等には全く造詣はございませんことを申し添えさせていただき、全てはポンコツ脳内妄想垂れ流しとご理解くださいますよう読者諸兄に平にお願いを致す次第です。
妄想を続けるにも熱量って大事ですよね。