転生しても戦争だった  ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~   作:ガンスリンガー中年

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さて、ノブゴロドを巡る戦いもいよいよ終盤です。





第347話 戦いの終わりに ~独芬、そしてバルト三国。ついでに”KSP-36/43”?~

 

 

 

 そして、最後の罠が閉じる……

 そう、あまりに異常な状況で死にゆく、あるいは逃亡を図る赤衛国際革命旅団。

 その数の多さゆえに対処に忙殺され、混乱する赤軍正規部隊……

 

 その背後に回り込むように現れたのが、

 

「ドイツ人の戦車だっ!!」

 

「フィンランド軍もいるぞっ!!?」

 

 総勢15万以上に達する独芬連合の装甲部隊だった。

 陣形は安易に死兵化させないための退路を完全には塞がない”半包囲”。

 前にノブゴロド防衛隊と赤衛国際革命旅団、後ろに独芬装甲部隊……封じ込められたような赤軍正規部隊は、ドイツ人の登場で乱れたソ連軍を飲み込むように動いた……動いてしまった。

 今となっては、それがどのような心理で起きたのかは謎だが……異常な状況と”突撃支援薬”の相互影響でそうなったのかもしれない。

 

 そして、ドイツ人とフィンランド人は、ソ連軍もそれにまとわりつく赤化外国人も距離を維持しつつ区別なく容赦なく火力をぶつけ破壊してゆく……

 最後にソ連軍、特に装甲部隊が選んだのは”撤退”、いや戦場よりの”離脱”あるいは”逃亡”だった。

 

 「中に入れろ」とガンガン装甲を叩く肉壁を貼り付けたまま、振り落とそうと出鱈目に走りながら強行突破を狙うソ連戦車。

 もはやまともに照準を付けず、弾がある限り撃ちながら走り抜けるしかなかった。

 しかし、ドイツ北方軍集団ロンメル将軍麾下の主力戦車たるV号戦車”パンター”とフィンランド軍マンネルハイム元帥麾下装甲部隊に配備されている”KSP-34/42”は何れも火力でも機動力でも防御力でも、この戦場に居るソ連製やアメリカ製の”同族”を圧倒していた。

 無論、搭乗員の練度でもだ。

 

 独芬が唯一劣っていたのは、数くらいだろう。

 少なくとも独芬装甲が出現した時、赤衛国際革命旅団と赤軍正規部隊の合計で150万近く、人数的には10倍程度はいたはずだった。

 だが、その数さえも見る間に減って逝くのだった……驚くべきスピードで。

 言うまでもない事だが、古来より最も損害を指すのは撤退戦という段階だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三々五々、散り散りになってノブゴロドより離脱を図る赤色勢力……

 だが、

 

「ハハッ! 見つけたぞおっ!!」

 

 ルーデル一味をはじめとする爆撃機隊に空襲され、そして……

 

「なっ……」

 

 満身創痍の生存者を待ち受けていたのは、

 

「なんで殺しきったはずのバルト海の田舎者どもがここにいるっ!?」

 

 そう、最後に待ち受けていたのはエストニア、ラトビア、リトアニアの国旗を砲塔に大きく描いた”IV号戦車”の群れだった!

 

 思い出してほしいのだが、今は後方支援のエキスパート軍団として名を馳せる”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”ではあるが、そもそもの発足理由は『ソ連に国土を荒らされたエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の”元国軍将兵を中核(・・・・・・・・)”として編成された集団』だ。

 当時、バルト三国は赤軍とそれに組みした共産主義国賊の各国それぞれ万単位が殺された血生臭い粛清のせいで、国土が荒廃していたのだ。

 特に政府首脳や知識人階層、軍人は目の敵にされ、軍の再建には年単位の時間がかかるとされていた。

 そこで、同胞の復讐を誓う三国元将兵の受け皿となるべく、ラトビアの首都であり港湾都市の”リガ”で結成されたのが”リガ・ミリティア”であった。

 サンクトペテルブルグ大公領がまだレニングラードだった時代の話で、もう2年ほど前の出来事だった。

 ここで重要なのは、リガ・ミリティアの本質が”バルト三国義勇兵団”であり、参加している将兵は別に現役を退いている訳ではないということだ。

 そして繰り返すがあれから2年……エストニア、ラトビア、リトアニアでもとりあえず最も再建しやすい(治安活動にも動員できる)陸軍が真っ先に再建され、完璧にはほど遠いがそれでも『選抜した精鋭を実戦に投入できる程度』までには回復していた。

 

 またタイミングと装備も良かった。

 戦車は、既に第一線から引きつつある”軍馬”の愛称でドイツ兵から親しまれた”IV号戦車”、それも元々史実よりも底上げされたIV号に75㎜48口径長砲を搭載し、増加装甲を張りつけたロンメルがムルマンスク討伐の時に使用した最終決戦使用の”IV号H型”に全車仕様変更されていたそれを、ドイツは気前よく指導員付きで無償供与してくれたのだ。

 

 その数量、実に200両を超えており、よくぞここまでバルト三国の陸軍も回復したものである。

 加えて、このH型に搭載された75㎜48口径長砲、Pzgr.39(APCBCの標準徹甲弾)でさえ1500mの距離で傾斜30度/厚さ81㎜の装甲板を撃ち抜く性能を持っていた。そして1943年型T-34/76の装甲は最も厚い部分でも砲塔前面の70㎜に過ぎない。

 砲塔前面や車体前面にも増加装甲を張りつけた防御力はIV号H型はT-34/76と同等以上で、仮にT-34/76が虎の子高速徹甲弾(HVAP)を用いたとしても、800m以内でなければIV号の装甲を射貫けない。

 そして最高速はT-34の方が上だが基本は直線番長で小回りが効かず、逆にIV号は重量増も跳ね除ける軽快なフットワークを持ち味としていた。

 

 そう、もうネタは割れただろう。

 全てはフォン・クルス大公と友人関係(?)となっていたドイツ陸軍機甲総監グデーリアン上級大将やNSR長官ハイドリヒの根回しの成果だった。

 そもそも、今回の打診はサンクトペテルブルグ大公領の”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”の幹部からクルスへの打診から始まっている。

 ドイツ人の手により再建にある程度の目途がたったバルト三国連合軍は、棚上げになっていた『ソ連への報復』の機会を窺っていた。

 

 そして腹心の一人であるドイツ陸軍参謀本部への連絡官も兼ねているシュタウフェンベルク・ルートで当該部隊の技量の確認を再建のための機甲指導を行っているドイツ陸軍に問い合わせたら……何故か、ハイドリヒがグデーリアン引き連れて、この間、性能評価試験名目で納品したばかりのJu187で物理的に飛んできたのだ。ハイドリヒ操縦のタンデム飛行で。

 いや、なんかこのゲルマンお偉いさん×2、サンクトペテルブルグまでのツーリングかなんかと勘違いしてるんじゃないだろうか?

 

『れっきとした任務だが? 内容は明かせんが』

 

『俺は”KSP-44/44”の開発進捗状況確認も兼ねている。あと”43年式のKSP-34/42(後述)”の性能確認もしておきたいところだな』

 

 との事らしいが……ハイドリヒはなんか怪しい。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 まあ、そんなこんなで十分に戦闘に耐えられる装備と練度を確認できたクルスは”機甲予備”として、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国陸軍選抜機甲旅団連合の参戦を許可したのだった。

 

 集結ポイントは、ノブゴロドより西南西へ200㎞ほど走った場所にある古都”プスコフ”。

 史実でも1941年7月9日から1944年7月23日までドイツ軍に占領されていた街だが、今はサンクトペテルブルグ大公領の管轄となっており、サンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)より派遣されてきた治安部隊も常駐し、徐々にその影響力が及んできていた。

 

 そして、プスコフに集結した三国合計10万弱の軍勢は、ソ連軍がボロゴエから侵攻を開始した時に合わせて進撃路の関係から一度、北東の”ルーガ(ノブゴロドから西北西100㎞ほどにある街)”を補給ポイントとして方向転換。

 そのまま東進してノブゴロドの北部から回り込むようにして進軍し、こうしてドイツ・フィンランド軍の半包囲を強行突破した赤衛国際革命旅団とソ連軍正規部隊の残存へと横合い殴りかかっていたのだ。

 

 そして、ここにはサンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)、ヴァトゥーチン中将麾下の2個戦車旅団も合流していたのだ。

 そして、このミリシャ戦車旅団約120両に配備されていたのが、前述の”43年式のKSP-34/42”、厳密に言うなら”KSP-36/43(サンクトペテルブルグ43年式空虚重量36t戦車)”と呼ぶべき現行最新型の”KSP-34/42”だった。

 

 とはいえ、本質的には”KSP-34/42(Kampfpanzer Sankt Petersburg-34t/42年式)”と大きな差異はないが、最も大きく変更されているのは主砲である85㎜砲だ。

 

 何話か前にチラリと話題に出したが、そもそもの新型85㎜砲の開発のきっかけは、85㎜高射砲にVT信管付きの対空近接炸裂榴弾を撃たせたいという所から始まった。

 実はこの世界線のドイツ、恐るべき事に優れた金属製マイクロ真空管などの技術を活かして、この時点で88㎜高射砲(アハトアハト)用の電磁式近接信管を開発・製造(おそらくドイツ側の転生者の誰かが、史実の米国90㎜高射砲用のVT信管をそのままパクった模様)しており、VT信管自体は入手も製造も可能だった。

 ただ問題となったのは、従来型の85㎜高射砲弾では容積が小さすぎてVT信管を組み込むと威力がかなり減じてしまう事になるのだ。

 無論、薄殻榴弾の技術的応用で有効容積は増やせるが、それでも限度があり、抜本的には砲弾自体を大型化するしか手が無かった。

 ただ、大口径化するのは手間がかかり過ぎるので、砲弾自体を延ばしてボートテイル構造で整流することで対処しようとしたのだ。

 サイズ的には正しくは無いが、500mlペットボトルサイズの砲弾を、夏によく見かける600~650mlサイズの尻すぼみロングボトルにしたと書くとイメージが沸くだろうか?

 ただ、薄殻弾殻、VT信管、高性能炸薬と拡散する弾子を詰め込んだ”新85㎜ロング弾”を従来型と同じ高度まで届かせようとすれば、当然従来の薬莢では力不足になり、そこで強装弾と言うべき薬莢を作ることになった。

 とはいえ、製造設備から大改造するわけにも行かないので、装薬(発射薬)の質と密度の向上と雷管の質的/構造的改善という、何のことはない拳銃弾の『通常チャージ→+Pカートリッジ』を作るのと本質的には同じ手法が取られたのだ。

 元々、85㎜高射砲を戦車砲化する段階で薬室の構造強化と単純化は行われたし、それを高射砲にもフィードバックされていたので、強装弾の使用でも問題はなかったが、この新型弾の性能を出し切るために新しいライフリングのツイスト・レートを用いた砲身を用意する必要があった。

 

 元々、戦車砲であれ高射砲であれ砲身はすぐに摩耗する消耗品であり、簡単に交換できるようにはなっているが……せっかくなので、最新工法の”単肉自緊(オートフレッタージュ)”を用いて長砲身化、85㎜55口径長から”85㎜58口径長砲”へと変更した。

 マズルブレーキにも反動抑制効果を上げる小改良が加えられ、砲身内部を硬化クロームメッキ処理した物に変更された。

 こうして生まれたのが通称”85/58砲”だ。

 そして、この85㎜ロング弾と新型長砲身を戦車砲に転用すると……ほぼほぼ史実のVI号戦車a型”ティーガーI”のKWK36/88㎜戦車砲に匹敵する威力を出すことに成功した。つまり、史実の43年式T-34/85と比較すると、高速徹甲弾を使った場合はほぼ4割増しの貫通力を発揮するということになる。

 具体的な数字を上げれば、KSP-34/42の有効射程限界の2000mでT-34/85のどこでも射貫けるという計算になる。

 加えて、増えた反動を抑えるためにカウンターウエイトを兼ねて増加装甲を施しているので、今後登場するだろうT-34/85でも500m以下、現行の43年式T-34/76なら100m以内でないと高速徹甲弾を用いても一番分厚い砲塔正面装甲は貫通できないだろう。

 

 

 

 そう、このような戦力がノブゴロドを攻めた挙句、瘦せ細った”赤色の敗残兵”に半包囲陣形で殴りかかったのだった。

 そしてその後方からは最も被害が大きくなるとされる”追撃戦”を仕掛けるドイツ・フィンランドの戦車隊が迫っていた……

 

 

 

 事実上、”スチームローラー作戦(Операция «Паровой каток»)”は実質、この時点で終焉を迎えたと言って良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で……

ヴァトさん:「まだ150万も居るのか……もっと減らさないとな」

ルーデル:「ハハッ! まだまだ獲物がいるではないかっ!」

クルス:「無理に深追いせんでももうちょい減らせんだろ。怨み骨髄のバルト三国にも声かけたし」

さて、誰が一番魔王っぽいでしょう?w
三国志演義の赤壁の戦いに破れた曹操と関羽のエピソードじゃあるまいし、

クルス:「赤壁ならぬ赤軍相手に義をかける必要あるのか? 義なんて概念が最初から無い連中に?」

ってもんです。
潰すなら徹底的にじゃないとクルスらしくないですしw
さて、”電撃川”から撤退に入った時点で半減していた赤色勢力は、どのくらい同志とやらを減らしていたのでしょうか?

とりあえず戦闘自体は、作中にもありましたように今回で終了。
次回はいよいよ戦後処理に入りますが……また一波乱ありそうな?

では、次回もどうかよろしくお願いします。


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