葬送フリーレン~アフターオレオール~ 作:rvr75_raiden
年老いながらも凛とした美しい立ち振る舞いのライニさんと彼女の抱える願い、それを受け取るシュタルクとフェルン達の温かな新しい故郷、最終的に彼らの至る結論。そう言ったものをじっくり描いてみたので楽しんでいただければ幸いです。
■華芽吹く前に
北側諸国 要塞都市フォーリヒ
中央諸国のとある戦士の村出身の血族特有の赤い髪。隻眼の瞳と壮年を迎えながらも精悍な顔付きの男性。北側諸国3大騎士の一角を成す当主であるオルデン卿。
彼は机の上に両肘をつき、両手に顔を乗せた状態で何かを思案している。
(父上は何を憂いておられるのか……)
そんな様子を見ていたのは一人息子……になってしまったムート。
本来は兄のヴィルトが家督を継ぐことになっていた。しかし、彼の兄は魔族との争いの結果、今は故人だ。
故に後継ぎとして修行と勉強と執務に追われる日々である。
兄を失ったあの日は随分と頼りなかったのは昔の話。
現在は背筋を伸ばし父の仕事を支えられる有能さを発揮している。
随分と考え込んでいる。
直近でフォーリヒには大きな問題は出ていない。
近隣で魔物被害は皆無ではない。が、領民の被害者が出た報告は上がっていない。
騎士団や防衛機構はしっかりと機能している。
「……ムート」
「はい、父上。なんでしょうか?」
隻眼の瞳がムートを捕らえて、真面目な顔をこちらに向けてくる。
一体何の話だろうかとムートは姿勢を正しながら構える。
「先日……クレ地方に向かった後のことだ」
「はい……?」
「お前は言ったな、『華が芽吹く頃にまた会いに行きましょう』と」
「ええ……言いましたね」
なんとなく嫌な予感がする。精悍な顔つきの騎士である父が、だんだん天然ボケおじさんに見えてきた。
「ちょっと性急だが、明後日ぐらいに行かないか?」
「――早ええよ!」
そんなおとぼけな父から出た言葉。それは約束した数日後にもう会いに行きたいという性急すぎる提案だった。
つい、率直な感想が出てしまった……
✧ ✧ ✧ ✧
「待て、ムート。理由を聞け」
両手でストップのポーズを取りながらオルデン卿は言う。
先のコメントは当主に向かっては不敬に近い言葉。
しかし、咎められないのは自分の言葉にも問題があると思っていたのか。それとも、親子の無礼講と認識されたのか。
何にしろ、常に素早い決断をする父は結論から述べる事が多い。
それはそれで簡潔ではある。しかし、すっとぼけたことを突然言うなら前置きがほしい。
「父上、今はフェルン様が身重な状況であり、あまり押しかけてはご迷惑がかかります。
相応の理由なのでしょうね?」
「ああ、今回に関しては非常に適切な案件と言える」
「わかりました……聞きましょう」
ムートが自席の椅子の背もたれに疲れた様子で体重をかけた。その様子を確認したオルデン卿は立ち上がって窓辺に向かう。
(父上は何かを語る時、あの窓辺のポジションが本当に好きだな……)
どうでもいい感想を持ちながら様子を見ていると
「これは、つい先週の出来事なのだが」
あ、モノローグに入るんですね……とムートはとりあえず聞き入ることにした。
✧ ✧ ✧ ✧
「旦那様、これにて全ての業務がつつがなく引き継ぎが終わりました。
後任の者たちで今後のオルデン家の管理は万全に行われます」
「そうか。ご苦労だった」
オルデン卿の前で姿勢正しくそう説明する女性。オルデン卿より若干年上、執事ガーベルよりか僅かに若いベテランメイドのライニ。
執事であるガーベルと同様に屋敷内に数多く居る使用人。家令の一人として長年仕えてくれた信頼できる人物だ。
しかし、それは今日までというただし書きが付く。
「ガーベル様、私の後任の者は確かな実力を持つのです。しかし、まだ若く経験も足りないことがあるかと思います。
可能ならば目をかけてあげていただけますか?」
ライニのその言葉にオルデン卿も頷きながら続く。
「私からもお願いしよう。ガーベル、負担が増えるが頼めるか?」
「……かしこまりました」
ガーベルが快諾してくれたことに胸をなでおろしたライニ。
そんな様子を見たオルデン卿は気になっていたことを聞いてみた。
「ここからは私は君の主ではない。答えたくないことには答えなくても問題ない。だが世間話として聞かせてほしい。
君の息子も、自立し騎士団ではなかなかの位置にいて先日結婚もした。
この仕事をやめた後はどうするつもりだ?」
長年の友人として問いかけるようなオルデン卿の言葉。
厳格な彼の珍しい様子に少し目を丸くしてから、ライニは薄く笑って応える。
「そうですね、誰かの……何かのお世話をすること。支援し、見守ることは天職だと自認しております。
身体の動く間はそれに付随する仕事に就いていきたいと思っております。
まあ、歳ですので雇ってくれるのであれば何処でも構いませんが」
オルデン卿が家督を継ぐ前。先代がいた頃からオルデン家の屋敷を言葉通り守り続けてきた彼女。
だが、歳といっても老婆と言うにはまだ若干早い。
そして、あらゆる業務で彼女以上の人材を見つけるのは逆に困難とすら言える。
その手腕を見れば引く手数多な気がするが……
(引き継ぎを終えて引退をするという手前。失礼ではあるがもったいない……)
優秀すぎるが故に後任の成長を考えての引退。
しかし、彼女の実力と才は適切な場所で活躍してこそ美しいというものだ。
(そう言えば……)
そんな折、オルデン卿にあるアイディアが浮かび上がった。
「ライニ、これは命令ではない。長年このフォーリヒを支えてきた友人として聞いてほしい。
君の能力を最大限に活かせ、それを今必要としているうってつけの場所がある――」
「うってつけ……でございますか……?」
取り立てて慌てる様子もなく、傾聴する姿勢は実に彼女らしい。
「実は、中央諸国に私の知り合いが領地を持つこととなったのだが……」
「なるほど、噂に聞くフリーレン様一行ですか」
「知っていたのならそう言ってくれ……」
説明する前に先回りされて少々バツの悪い反応を返すオルデン卿。
「旦那様とムート様があれだけ騒いでいたのです。私が気づかぬはずがないでしょう……」
「むっ……そうか……。
しかし、フリーレン一行がこちらに着ていた時。君にはしばらく休暇を取らせてしまったため会ってはいないな」
「そう……でございますね……」
ここに来て、ライニの声がトーンダウンする。
仕方はあるまい。一部の者にしか聞かされなかったとは言えヴィルトがいなくなった時期だ。
眼の前のメイドは特にあの子を可愛がっていた。
妻なき後も、自身の子供と共に遊ぶヴィルトの面倒をよく見てくれていたのだ。
ヴィルトが帰らなかったあの日……自身も憔悴し切っていた。そして、彼女もその事実に精神的に参っていた。
ヴィルトの死はフォーリヒの護りを危うくする事実。秘匿するため、遠くの療養地でしばらく休みを取らせていたのだった。
「まあ、彼らは生活基盤を立ち上げたばかりだ。資金・人手・技術様々なものがまだまだ足りない。
それに、あの夫婦にはもうすぐ子供が生まれるそうだ。まず間違いなく、君のような人間の支えが必要だろう」
ライニは目を閉じしばらく熟考してからこう答えた。
「わかりました。一度現地を……そのフリーレン様達と会ってから考えさせていただけますでしょうか」
「うむ……良いだろう」
まだ、未定事項は多いが……まずは一歩話が前進したことにオルデン卿は満足気にうなづいた。
✧ ✧ ✧ ✧
「珍しいですね。ライニが父上の依頼に快諾しないなんて」
話を聞き終えたムートは率直な疑問と感想を口にした。ライニは優れた使用人だ。
主の命をありとあらゆる手を尽くして実現する類の人間。およそ否定の言葉を口にした姿をムートは見たことがない。
「そう思うか……」
「はい」
ムートの言葉に嘆息したオルデン卿は自席に座る。
「妻が逝ってから、ヴィルトやムート、お前の幼い頃の面倒は随分彼女に任せてきた。
彼女は特に家督を継ぐことになるヴィルトの事を気にかけていたからな」
「まあ、確かに……」
思い返せば本当に頭が上がらないくらいに恩義は積み上がってはいる。
だからといって立場上どうなる訳でもないのだが、ムートも感謝はしている。
「恐らく、シュタルクが生き写しだった話を間接的には聞いているのだろうな」
「……」
確かに、一言で飲み干せない気持ちは……あるのかもしれない。
そんな事を思いながらもムートは窓の外を眺める。
「それで、冒頭の話だ」
「なるほど……ライニに彼らの状況を見ていただこうという話ですか」
「私の見立て……ではなくとも。彼らを見て協力を拒むような人柄ではないとは思うがな」
「そうですね……」
誰しもが、温かい心根の持ち主であり、温かな地だ。
この家を去るというライニがあの場所であの人達を支える。それは、悪い話ではない。
ただ、長い年月が経っても故人を悼む気持ちは理屈ではない。そう簡単に片付くものではないだろう。
我が子のようにかわいがってきた人がひとりいなくなったのだ。身を引き裂かれる気持ちはムートにも判る。
はあ、とため息を付いたムートは姿勢を正した後に父に向き直る。
「わかりました……手配を進めておきます」
「頼んだ」
なんだかんだと、押し切られるのはいつものことだ。
■彼の地は雪解けの少し前
中央諸国 クレ地方 元戦士の村
少しずつ人の住む住居の建築が進みつつある冬。今年はクレ地方でも雪が降った。
そんなまだ少し肌寒い朝。シュタルクは身重なフェルンの体調を第一に考慮する。
彼は朝から薪割り、暖炉の火起こし、食事の準備と、まあまあ忙しそうにしている。
ちなみに布団から出る時は寒がるフェルンを引き剥がすのに少し苦労した。
「ほんと、よく働くよね……このあと建築現場行くんでしょ?」
「そう思うならなんか手伝ってよ……」
そういうのは銀髪のエルフのフリーレン。
先ほど火をつけた暖炉に手をかざし、暖まっている最中だ。
「いつも食器の片付けは手伝ってるでしょ。結構水も冷たいんだから」
「いや、薪割りとか、着火とか……便利な魔法ないの?」
「寒いと使えないんだよ……」
「嘘つけ」
薪割りはある意味シュタルクの朝の筋トレ代わり。なので、それはそれで良いのだが。
火を付けるのはまあまあ手間なので、魔法で着火してほしい。
どう考えてもそれが手っ取り早い。
だがフリーレンは部屋が温くないとなかなか出てこないのだ。
結果的に全部シュタルクがやっている。旅の最中から手慣れたものではあるのだが。
「よし、こんなもんかな」
と、暖まってきたシチューを軽く味見をしたシュタルクは満足げに頷く。
続いて、買い込んであるバゲットのパンを切り始めた。
「シュタルクー。紅茶も淹れてー」
「自分でやれ!俺、フェルン連れて来るから」
「ちぇっ、ダメか」
フリーレンが妙な甘え方をするのは自分たちが家族である証拠だろう。
しかし、ちょっと朝は忙しいので勘弁いただきたい。
そんな、ドタバタしているのかユルユルしているのかわからない朝の風景。こうしてシュタルクとフェルン一家の一日は始まる。
✧ ✧ ✧ ✧
「そうそう、今朝ムートから手紙が来てたんだ」
フェルンも含めた3人の食卓。食事を始めた早々にフリーレンがそう切り出した。
「あれ?前に来たばかりなのにどうしたんだ、伝え忘れた話でもあったのか?」
と、素朴な疑問を口にするシュタルク。
ちなみに、まだ流通の機構のない元戦士の村。
郵便物は一旦隣町を経由し、日に2度ほどフリーレンの使いの鳥で回収している。
結果的に必ず郵便物はフリーレンを経由する形だ。
「忘れ物などはなかったと思います。突然の訪問を申し訳無さ気にしていたので、その件で改めてお礼とかではないでしょうか?」
「律儀だなー」
そう言いながらシュタルクは封を開けた。
「『未だ雪解け終わらぬ季節の折、ご挨拶申し上げます。ご爽健にお暮らしでしょうか』
だってさ、相変わらず固いな……」
中から出てきた便箋を取り出したシュタルクは中身を読んで苦笑する。
生真面目だった彼らしい書き出しだ。そのまま目で内容を追っていく。
「ん~~?」
「なにか変わったことでも書いてありましたか?」
妙な反応をするシュタルクの様子にフェルンが反応した。
「いや、なんか……また、来るらしい……今度はオルデン卿が」
「はい……?」
✧ ✧ ✧ ✧
中央諸国のクレ地方からフォーリヒとなるとまあまあの距離だ。
一直線で馬車で飛ばし、関所などを特権でスルーしても結構な時間がかかる。
公務でもないことでそんなに空席にしても問題ないのだろうか?
と、思わなくもないのだが……今回はムートが留守を預かるらしい。
「で、なんか突然来る理由ってのが……仕事の斡旋……?だとか……?」
「すいません、シュタルク様……要領を得ないので噛み砕いてからもう一度説明をお願いします」
「あー、えーっとね……」
と言い淀んでいるとソファーの後から手紙を覗いたフリーレンが補足する。
「どうやらオルデン家に務めていた人が一人、お役目を終わらせたらしい。
で、こちらに移り住んで手伝ってくれるかもしれないんだって。それで、一度私達に引き合わせたいってことかな。
オルデン卿はその仲介、というか橋渡し人として参加するってことだそうだよ
公務じゃないから、親しい友人のように扱ってくれたほうが都合が良いって。
相変わらずムートは気が利く子だね」
正直な所、未だVIPクラスの来客を迎える設備がまだ完成してない。
シュタルク達の管理下の土地の中で見つけた街道に近くて地盤のしっかりした一帯。
ここに人が住める場所や、公共設備など用意しようと建材を集めて東奔西走中だ。
要するにまだ何も無いので家に来てもらうしかない。
「まあ……助かると言えば助かる」
「いえ、大事なのはそこではなくて――」
何を考えいたのか察したフェルンがスルッと突っ込む。
「仕事の斡旋の方です。オルデン家からお手伝いにこちらに移り住んでくれるという話は本当ですか?」
フェルンも彼らの仕事ぶりはフォーリヒを訪れたとき……はそれほど真剣に見れてなかったが……
結婚式の準備や撤収のときはさすがに色々見ていた。その統制の取れた仕事っぷりには脱帽した覚えがある。
そして、あのオルデン卿が太鼓判を推す人材がこちらに来るらしい。
それは是非雇いたい……給金は、要相談だけど。
「是非、この地を気に入ってもらいましょう。何もありませんけど」
「お、おう……。そうだね……」
珍しく前向きなフェルンに気圧されつつ。とりあえず、手紙には了承の旨の返事を返しておいた。
たぶん、もう出発はしていると思うけれど。
「どうなることやら」
■失われた青年と約束
―― 瞳を閉じれば、今でもありありと思い出せる光景。
「ライニ!」
赤い髪の少年が我が子と共に嬉しそうにこちらに駆けつけてくるのが見える。
「どういたしました、ヴィルト様?」
二人共土まみれで、体中擦り傷だらけで、それでも笑顔で。
「父上から一本取ったんだ!ついに!やったぞ!」
「おめでとうございます!それは良うございました」
北側諸国の3大騎士のオルデン家はいわゆる武家の一族だ。子供の頃から厳しい訓練を受け騎士の名に恥じぬ実力を持つことが求められる。
「ヴィルトはここ最近めちゃくちゃ頑張ってたからな!」
「こら、言葉使いに気をつけなさい。あなたの主に失礼ですよ」
あまりに気安く声を掛ける我が子に注意をする。この様子だと普段からどんな口を聞いているのか頭が痛い。
「ライニ、そんなのいらないよ。一緒に騎士を目指す仲間だ。友達だ。
ずっと一緒に高みを目指してきた仲間の間にそんなのはいらない」
「そうだぜ、母さん! 見てろよ。俺も父さんぐらいに強くなってヴィルトと二人で英雄になってやるから!」
夫は先代のオルデン卿と共に魔族たちと闘った騎士の一人だ。今は……もうこの世には居ない。
最期まで主と駆け抜けたことは、本望だったのだろうか。それともこの子の成長を見られなかった悔いが残ったのかは判らない。
いつ帰らなくなるかは判らずとも。ライニを始めとするフォーリヒの人々のために最期の一瞬まで戦い抜くと言い続けた。
「……フォーリヒの英雄ですか」
「ああ、ライニ。見ていてくれ!父上を超えて、このフォーリヒの人々の希望になってみせるから」
「わかりました。ではその姿、しっかり見とうございます」
そう、戦い抜き、守り抜いたとしても人の希望であり続けるためには
「ですから、必ず無事で戻ってきてくださいませ。
たとえどれほどの偉業を成し遂げようとも。英雄の価値は死して語り継がれることではありません。
生きて帰り、守り抜いた戦士のその笑顔を人々に見せること。それこそが真の英雄の姿なのです……」
「わかってる、ライニ」
「母さんは心配性だな――」
そうして、彼はその数年後、宣言どおりに街の英雄となった――
この街を長らく苦しめていた魔族の将軍と共に――。世界から姿を消すことによって――。
✧ ✧ ✧ ✧
―― 母さん! 母さん!
自身を呼ぶ声が聞こえてふと我に返る。ここはオルデン家の使用人に割り当てられた一室。
引退を前にして部屋を引き払うためもう部屋の中には何も無い。眼の前のバッグに最後の荷物もあらかた詰め終わった。
そんな旅の支度をしている最中。ふと目に止まったまだ若い頃の我が子とその主のヴィルトの写真。
今は亡き主のヴィルトを見て少し思い出にふけってしまっていた。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたかじゃないよ……。仕事、引退したと思ったら次の就職先にクレ地方へ視察に行くだなんて」
オルデン家の騎士団の中隊長となった我が子。思い出の中の幼さとは無縁なぐらいに成長した。筋肉質で大柄なその体躯はまさに隊長職を地で行く。
昨年、見初められた名家の娘と結婚し現在は後継ぎ作りに追われている最中だ。
「ええ、まだどうなるかは判りませんが」
「随分働き続けたんだ、もうゆっくりして良いんじゃないか? 静養できる家だって用意する。母さんが今後ゆっくりできるぐらいの資金は俺にもある」
ライニはふうとため息を付いた。
「それは、これからのお前の家族と生まれくる命のために必要なものです。私はまだ自分の足で歩けます」
「母さん!」
「あなたは、己の子が独り立ちした時に剣を捨てて良いと言われたとき。はい、そうですかと従えますか?」
「それは……」
ガリガリと頭をかいたあと我が子は真剣な目でこちらを見つめて言う。
「わかった。もし就職が決まったらちゃんと手紙で連絡をくれよ。
元気であることを証明してくれ。そうでないと安心できない。あと子供のことが落ち着いたら休暇を取って、時々会いに行くからな!」
最後は少し照れながら恥ずかしそうに言う姿。今は居ない夫のたどたどしいプロポーズの風景を思い出させて苦笑いしてしまった。
「何がおかしいんだ?」
「いえ……あなたは偉いわ。どんなときでも帰ってきてくれた。それが私の救いだったわ。安心して任せられる。
奥方様もあなたの帰りをいつだって首を長くして待っている。必ず……帰るべきところに帰るのよ。
騎士の本懐とは……人を守ることにあります。あなたの帰りを待つ家族もそうですが、何よりあなた自身を護り続けなさい」
あの日、今この場に居ない青年にも言うべきだった約束。果たされず潰えた未来。
真の英雄とは、死して名を残すことではない。生き抜き、立ち上がり続け、その姿そのものが人々に希望を与える。
死者となって讃えられる英雄など、本当は誰も望んでいない。生きて人を救うその姿こそが、人々の心に灯火を燈す英雄たりえる。
母の様子に嘆息した我が子は
「わかってるよ、母さん。母さんは心配性だな――」
大人になった我が子はあの日のように笑う。この子はきっと大丈夫だろう。
そう言いながら最後の荷物を詰め終わったライニはバッグを閉じて立ち上がった。
「奥方様とこれから産まれるであろう命にもよろしくね。どこで働くとしても孫の顔が見れる頃お暇をいただいて顔を見せに来るわ」
「ああ」
そして、ライニは長年を過ごした使用人の部屋から旅立つのだった
✧ ✧ ✧ ✧
馬車を手配し、出発の準備を整えていたオルデン卿。彼は「準備はできたか?」 とライニに問う。
彼女は大きめのバッグを持ち「万事、滞り無く」とうやうやしく答えた。
「そうか……家族への挨拶も問題はないか? 遠方の地に行くのだ」
なんだかんだと家族を大切にする元主らしい気遣いだ。
「問題ございません。先程伝えるべきことは伝えました」
「……わかった。では行こうか」
オルデン卿に促されるように馬車に乗る。
自身の方が位が高い人物だというのに。エスコートの如く手を引くのは騎士故の性質か。
「御身が家督を継ぐ前のことを思い出しますね」
「そんな頃もあったな」
「今は亡き奥方様のエスコートをするために何度も練習に付き合わされました」
「あの頃は、まだ右も左もわからない若造だったな。
君も少し私のことを舐めていただろう」
「どうでしょうか……覚えていませんね」
主従の関係ではあるが軽口を叩きあう。それはお互い長い間フォーリヒの守護をし続けた仲間故か。
随分長く世話になったこの地での暮らしも終わる。少し寂しいと言えば寂しいものだ。
そんな表情を読み取ったのか、オルデン卿は話を切り替えてきた。
「これから向かう地、クレ地方の戦士の村のある一帯はまだ何も無い。全てが失われてしまった。
だが、これからだ。少しずつ人は集まってくる。
もともとあの地に縁のあったもの、フリーレン一行の英雄譚に憧れるもの。
新しい商売を始める商人や技術者、たくさんの人の故郷となっていく可能性のある地だ。
君のような人間には、刺激のある日々が待っていると思うが」
「さて、どうでしょうね……」
そんな元主の気遣いに苦笑しながら馬車は揺られて進む。
■主と使用人
中央諸国 クレ地方
現在シュタルクとフェルンの家ではお客様を迎えるために夫婦総出で掃除……
「シュタルク様……とりあえず、掃除をしませんか? 私も今できる範囲で手伝います」
「いや……お願いだからフェルンは座ってて。まじで……俺が落ち着かないから」
というわけにもいかないので、シュタルクが頑張っていた。
部屋の掃除を自ら申し出てきたフェルン。しかし、彼女の体調……正直もう予定日がかなり近い。
その姿は本当に生の喜びに満ちた希望あふれるものだ。……とシュタルクももちろん思っている。思ってはいる……
いつかはシュタルクが退いたが、今はさすがに退けない。絶対に駄目。安静にしてて。
こればかりはシュタルクが正しいと思ったのか。フェルンも諦めてソファーに腰を掛けた。
「とりあえず、できる限りで掃除はするよ……。でもまあ、貴族の屋敷で働いていた人が満足できるようになるかはなんとも……」
「失礼のない程度で構いません。どう転んでも我々ではその手の専門家に勝てはしないのですから」
と言っても、シュタルクとフェルンは元々ものを散らかす方ではない。
日用品の道具もマメに掃除する方だ。そもそも昔から私物を多く持たない……ただこの家では一人問題児が。
「……フリーレンが置きっぱなしのものを片付けるにだけになりそうだけど」
とりあえず手元にあった魔導書を束ねて持ち上げる。
そこそこ量があるなと、シュタルクはため息を付いた。
✧ ✧ ✧ ✧
「なんか部屋がいつもよりきれいになってるね」
蔵書庫に籠もっていたらしいフリーレンがやってきて言った一言目の言葉。
「フリーレン様がそれを言いますか……シュタルク様にお礼を言ってください」
「え、何?ありがとう?シュタルク」
「……うん。意味わかって言ってる?」
いや全然という顔をしているフリーレン。どうやら散らかしているという認識はないようだ。
「ところで、ホコリを回収する魔法ってのを見つけてね。これで多分きれいになると思うんだけど」
「……フリーレン様なりに協力しようとしてくれたことは感謝します。感謝しますが、今なんの気なしに片隅においた魔導書数冊は書庫に直してください」
額に手を当ててそう告げるフェルンにフリーレンは「え……なんで?」という顔をする。
本気で無意識で散らかしているらしい。
「うん……ありがとうね。フリーレンのそういうところに割と救われてる気がするよ……」
窓を拭きながらシュタルクがそう伝える。
フリーレンは胸を張って「私も家族の一員だからね!」と言いながら、ムフーと満足気に答えた。
「もう……」とフェルンも微笑んで受け入れてしまうのは、彼女らしくはあるのだが。
「というわけで行くよー」
そう言いながらフリーレンは探してきたというホコリを吸い上げる魔法を起動した。
✧ ✧ ✧ ✧
「フリーレン様……
その、杖の先端でホコリを吸い上げるのは良いのです……。
しかし、吸ったホコリが背部に出て舞い上がるのは一体どういう仕様ですか」
持ってきた魔法の効果は今フェルンが説明したとおりだ。
吸ったホコリは杖の背部に集まった。が、しかし。魔法を止めた瞬間に一気に舞い散ってしまった。
「ごめんね」
「フェルン……フリーレンも良かれとおもってやってくれたんだし……」
「シュタルク様、確かにその心遣いは尊ばれるものです。それに関しては感謝をしています。
ですが、生んだ結果に対してはちゃんと伝えるべきです。それでいいと覚えるとその後のフリーレン様の人生に良くありません」
ソファーに座りながら腰に手を当てて、怒ってますのポーズのフェルン。フリーレンはその前で正座で座っている。
「だって……お母さん」
「お母さんじゃありません」
ちなみにシュタルクは箒で舞い散ったホコリを回収している。
「次やるときは、回収する袋用意してやろうね」
「そうだね……気をつけるよ」
「……初めて使う魔法はちゃんとテストをしてからにしてくださいね。
それはともかく、お掃除もこんなものでしょうか」
「来客に向けてはそうだな。お茶とかはある?」
シュタルクの質問にフェルンは人差し指を顎に当てて思案する。
「まだ……ストックはあったはずです」
「じゃあ大丈夫か。たぶん明日には到着するでしょ」
という訳で、オルデン卿と連れて来る人物を待つことにした。
✧ ✧ ✧ ✧
「お久しぶりです。オルデン卿」
個人的な来訪ということなので、過度の出迎えは不要と聞いていたが……
さすがに出迎えは必要だろう。人としての礼節である。
というか今のシュタルクにできるのが、これがMAXだ。並べる使用人もいないし、地面に引けるカーペットがあるわけでもない。
ついでに、地面もカーペットが敷けるような石畳みたいな上等な作りでもない。
設備はのどかな田舎村のそれでしかない。
建設中の設備はもう少し体裁付くようにしようと心に誓うシュタルク。
出迎える側にも誇れる心意気というのは大事だ。
「久しいなシュタルク」
言葉短めにそう伝えてくるオルデン卿。
(そう言えばムートにも苦手に思わないでくれるなとは言われたな)
苦手に思ったことはないのだが、どうも他人行儀すぎると気にされるらしい。
とはいえ、めちゃくちゃ目上の人なのでかしこまるなと言われると難しい。
若い頃ならもっと小生意気にもなれた。が……今のシュタルクを支える様々なものや事情。
積み重ね始めたそれは眼の前の人物に敬意を抱かずには居られない。
人の上に立ち導くこと。一族の代表になること。父として振る舞うこと。いずれも今のシュタルクには困難な試練だ。
「……まだ青さは抜け切ってないが。いい顔になったな」
「妻にはもっと背筋を伸ばして凛としろと言われますよ」
「それはそうだな。だが、結婚前に会ったときより大人になった様に見える。
男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言ったものだ」
「ははは……」
まあ、オルデン卿が再会を喜んでくれている感情は読み取れる。振る舞いとしては間違っていないのだろう。
「さて」と切り替えしたオルデン卿は馬車の方向に向き直った。
「細かい説明は全員いる場でするが、まずは紹介しよう」
そう言うと、馬車のドアがガチャリと開いた。
「元々はオルデン家に仕えてきた使用人だ。この度引退することになり、再就職先にこの地を紹介することになった」
馬車から降りてきた白髪交じりの女性は恭しく頭を下げ
「ご紹介にあずかりました。私、オルデン家の屋敷を預かるメイドの長を務めておりましたライニと申します」
「はい、ライニさん、よろしくお願いします。俺はこの地の……主のシュタルクです」
いまだにちょっと土地の領主だという言い方が苦手なシュタルク。
とは言え、眼の前の人物達を前にそんな泣き言はいっていられない。
フェルンやフリーレン、そして産まれくる子を含めた家族のため。この地に生きていた戦士のために頑張ると決めたのだ。
まあ、頑張ると言っても名乗っただけなんだけど……
挨拶の後に頭を上げてシュタルクを見たライニは大きく目を開いた。
「……ヴィルトさッ……!?」
その瞬間、ライニの動きが止まった。目の前の若者の姿に重なる亡き少年の面影。
喉元まで込み上げる言葉と感情を必死に抑え込み、冷静な装いを取り戻す。
「……いえ、失礼。そうですか、旦那様……」
声には出さなかった思いが彼女の瞳に一瞬だけ宿る。それをオルデン卿は見逃さなかったようだ。
「フッ……」
「……??」
シュタルクから見ても、一分の隙もなく美しい所作で挨拶をする女性。
彼女に一瞬の動揺が見えた瞬間、珍しくオルデン卿が笑った。
半眼になってオルデン卿を見つめる瞳。それは親しい旧知の友という間柄を思わせるが少し怒っているようだ。
オルデン卿はなおも苦笑している。
「驚いただろう。ライニにしては随分と珍しい動揺っぷりだった」
「旦那様……怒りますよ」
「フッ、すまないな、シュタルク。こちらの話だ」
「……はあ、いえ」
一瞬、ライニという女性が口にした名前は覚えがある。
自身にそっくりだったというオルデン卿の長男の名前だ。
驚いていたのはそのせいかとシュタルクは想像する。
(この人……いい年して、子供みたいな悪戯を……)
シュタルクは内心で呆れながらも、表情には出さないよう努めた。
いや、ムートから伝わる話を総合すると、そうなのだろう。
当主としての仮面も何もかもを脱ぎ捨てたオルデン卿。彼は、そんな人並みの人物なのかもしれない……
「えっと、家族を代表して歓迎します。ライニさん。
妻とフリーレンも待ってますから、家に向かいましょう。あ、荷物持ちますよ」
「シュタルク様、不要です。正確には私は奉公人の候補であり客人ではありません」
シュタルクの言葉をそう断るライニだったが
「ここを訪れてくれた人は悪人じゃないなら俺にとってはみんな客人です。そして暮らしてくれる人はみんな家族のようなものです。
そんな遠慮なんて、しないでください」
シュタルクは自然な所作でカバンを持ち上げる
――『ライニ、そんなのいらないよ。一緒に騎士を目指す仲間だ。友達だ。
ずっと一緒に高みを目指してきた仲間の間にそんなのはいらない』
ふと、在りし日の主の思い出が頭をよぎった。
「……かしこまりました。お願いします」
何かを言いたげなライニはシュタルクの後をひとまずついて歩き始めてくれた。
■その者有能にて
「申し訳ありません。お客様に来ていただいたのにこのような状態で……」
家に案内した後、顔を見せたのはシュタルクの妻のフェルン。
軽い自己紹介を終えた後にフェルンから出た言葉。それは小さな謝罪だった。
彼女は、ソファーにクッションを重ねて深く腰掛けた状態で応対している。
実は部屋に来た時に立ち上がろうとしたのを全員で慌てて止めた。
最も目上のオルデン卿に座ったままでいるようにと強く言われ、渋々了承した形だ。
「奥方様。たとえフォーリヒの有力貴族の“元”旦那様がいらっしゃってもです。
この場で最も優先されるべきは新たな生命を支えるあなたです。お気になさる必要はございません。
なんせ”元”旦那様はこうみえて北側諸国の騎士の代表なのですから」
ライニが優しげな笑顔で言うと、オルデン卿は咳払いをしつつ補足する。
「何度も言っているが今日は休暇を使って、私用で旧知の友人の家に訪れている。そういうことでお願いしたい」
そこそこお忍び要素でもあるのか頭を下げるオルデン卿にシュタルクは焦って応える。
「ちょっ……え……やめてください。頭上げてください。友人とか親戚ってことでいいですから!!」
実際、シュタルクにとっては世界に現存する中では最も血の近しい親戚ではある。
といっても相当世代も離れている。叔父と甥と言うには少し遠い血縁。
だが、覚醒的に因子の似た人間。なかなかに人間とは不思議なものである。
そんなことをやっている中でフェルンはライニに向き直った。
「あの、それで……ライニ様。私達は現在、多くの手を必要としております。
村のこともそうですが、私達自身も、この先の事は……経験が少なく……」
「みなまで仰られなくても、承知しております。
ご不安な気持ちは百も承知しておりますゆえ」
そう言って手を取ってくれるライニにフェルンは安堵する。
「フォーリヒでは考えあぐねていたようだが、どうする? 」
と聞いたのはオルデン卿。相変わらずストレートな言い様の元主にライニは苦笑した。
この人は全く……
ライニは申し訳無さそうな若き領主のシュタルクとその妻のフェルンを交互に見る。
―― あるいは……フォーリヒの地でもあり得たかもしれなかった未来……
そんなものがライニの胸をよぎった。
「……奥方様のこのような姿を前にして。
何もせずに帰ってはオルデン家と仲間の使用人達の顔に泥を塗ることになりましょう。
我らは伝統と格式ある一族の家を守り、矜持を持って働いております。それを守ることは私個人の事情とは切り離すべき話です」
「そうか……すまないな」
ライニとオルデン卿のやり取りにシュタルクとフェルンは顔を見合わせた。
「あの、えーっと。つまり……」
「シュタルク様、フェルン様、お困りのようであれば、捨て置くわけには参りません。
少なくとも奥方様のその状況が落ち着くまではここで働かせていただきたく存じます」
普段表情の変動の少ないフェルンの顔がぱあっと明るくなった。
(まあ、やっぱり心細かったよね……)
フリーレンとシュタルク、あとはドワーフ連中。
ドワーフ達の中には既婚者もいる。しかし、棟梁のティシュレー以外は修行で入れ替わり働きに来ている男集だ。
シュタルクも懸命に本を読んでいるが、さすがに限界はある。
書籍に書いてある内容とフェルンの実態を比べてもわからんものはわからんのだ。
もちろんフェルン独自の事情もあるのは重々承知だ。
とにかく、今のフェルンの状況をわかってあげられる人間がいない。
緊急時に呼べる医者も近くにはいない。グラナト卿にも連絡しようかと思ってた矢先の話なので渡りに船ではあるのだ。
ちなみにこの後、当面の給金はオルデン卿がポケットマネーで出そうと言い出した。
当然ながら30分ほど揉めることになる。
✧ ✧ ✧ ✧
翌日。
しがみつくフェルンから抜け出し、台所へと向かったシュタルクは目を見開いた。
「え……?」
「おはようございます。旦那様」
フェルンが動きづらい現状。薪を割った後に朝食を作るのはシュタルクの役割。
……だったのだが、既にライニが朝食を準備していた。
背後から聞こえた声に振り返ったシュタルクの赤い髪が朝日に照らさる。
一瞬ライニの手が止まった。ほんの刹那の迷いだけ。彼女はすぐに気を取り直して作業を続けた。
「え、すご……めちゃくちゃ美味しそう」
いつも簡素なシチューとバゲットだけ。元冒険者には定番ながら、シュタルクの調理能力の限界でもあった。
しかし今朝の食卓は一変していた。新鮮なサラダ、程よい量の肉料理など、彩り豊かな皿が並ぶ。
特に妊娠中のフェルンに配慮した栄養バランスが見て取れる。
「あの……旦那様って言い方はやめて頂けると……こそばゆいから」
「……」
少し考えるように黙り込んだライニは遠慮がちにも回答する。
「……しかしシュタルク様は雇用主ゆえ」
「貴族じゃないし、普通に呼んでくれていいよ。とりあえず暖炉の火をつけたらフェルンを起こしてくるよ」
畏まる必要はないと告げたシュタルクは居間の暖炉に薪をくべてから火をつけた。
「これでよし!」
そして、寝室で眠っているフェルンを抱きかかえに向かった。
寝起きの彼女はたいていお姫様抱っこを要求してくる。
✧ ✧ ✧ ✧
シュタルクが起きた後すぐに起床し素振りをしていたのはオルデン卿。
朝の習慣なのか素振りを終えた後、さっと汗を流してそのまま食卓についた。
「ライニの作った食事は久しぶりに食べるな。腕は落ちていないようだ」
オルデン卿はライニの作った朝食を感慨深げに眺めている。
「今は主でもない人が値踏みとは失礼ではありませんか?」
オルデン卿の言葉にライニは臆することなく皮肉を言う。
言った当人も目を丸くしてから「たしかにそうだ」 と苦笑した。
それにしても、屋敷でもない普通の家の中……
シュタルクが貸した平民向けな装いのオルデン卿が食卓に並んでいる状況。
「どうした、シュタルク? 顔に何かついているか?」
「い、いえ……」
「???」
その様子を見たライニは苦笑して答えた。
「旦那様がそんな普通の格好で一般家庭の食卓に着くのが物珍しいのですよ」
「そうだろうか?」
「堅物の認識がお有りではないのですか?」
「ふむ」と言いながらフリーレンやフェルンを見てみると苦笑いで返された。
何か思い当たる節でもあるのか納得したオルデン卿は「気をつけよう」と頷いた。
✧ ✧ ✧ ✧
朝食後もライニの働きぶりは八面六臂の活躍であった。
食後の洗い物から掃除に洗濯。シュタルクも様々な事を勉強して頑張ってきたつもりだったがレベルが違う。
作業そのものの品質だけではない。初産の近いフェルンへのケアなど細かい部分への配慮や気配り。
心構えからしてレベルが違う。それはまさに専門家としか言いようがない。
「お仕事……行ってくるね……」
何も手伝えることはなさそうだ。白旗を上げたシュタルクは打ち合わせも始まる建設中の街へ向かう事にした。
「私も行こう」
と、状況を見たくなったオルデン卿も同行して。
■主の品格
「オルデン卿……」
「なんだ?」
少しだけ歩く道すがら。
シュタルクは気になっていたことをオルデン卿に聞いてみることにした。
ライニ当人に聞いていいかも判らなかったというのもある。
「差し支えない話であれば……ライニさんはヴィルトとどういう関係だったんですか?」
この話は、場合によってはオルデン卿にも微妙な話ではあるかもしれない……
「ふむ、そうだな……」
顎に手を当てたオルデン卿の様子から、彼自身は既に心の整理は付いているようだ。
「私の妻はヴィルトが幼い頃……ムートが生まれて少ししてから他界してしまった。
私も家督を継いでまだ慌ただしい頃だった。だから、ヴィルトやムートの世話周りは彼女に任せていたのだ」
「なるほど」
そこまで言われるとさすがに察しはつく。
「そんな人に、俺を引き合わせるのは……ちょっと酷くありません?」
どう言っていいのか判らなかったが、歯に衣着せず想ったことを言ってみる。
オルデン卿はそうすることを望んでいる気がした。
「フッ……、そうでもない」
そう言って薄く笑うオルデン卿。
その深層までは読めないシュタルクは「はあ……」としか応えることが出来ない。
「お前と、フェルンがこうして村を……街を立ち上げて、子を産み、人を導こうとする姿。それがきっと彼女の救いになる」
自らの元を去る使用人のその後の人生にすら気にかける主の姿。眼の前の人物の凛としたその姿勢にシュタルクは息を呑んだ。
(大きな家の家督を継ぐってのは大変だな……)
昔は貴族なんてのは「金持ちな人」程度の漠然としたイメージでいた……
こうしてみると家族だけではない。多くの人の責任を取らなければならないことが判る。
貴族はさておき、自分もいずれはそうあらねばならないのだろうか。
✧ ✧ ✧ ✧
「奥方様、こちらを」
「あ……、ありがとうございます」
フリーレンが蔵書庫にこもった時間帯。
温かい紅茶をソファ前のテーブルにおいてくれたライニにフェルンは礼を述べる。
『奥方様』という呼ばれ方は初めてだ。まだ少し慣れないというかこそばゆいというか。
シュタルクのお嫁さんであることを強調されるのは嫌いではない。しかし、なんせ貴族の婦人とかそういう立場ではないのだ。
「あの……ライニ様。できればそんな畏まった形ではなく、気軽にフェルンと……
親しい人は皆そう呼んでいます」
ふむ。という形で頷いたライニ。
「かしこまりました、ではフェルン様と」
と微笑んでくれたため、胸をなでおろす。
「はい、お願いします」とフェルンは笑った。
そこからしばらくは静かな時間を過ごすことになった。
フェルン自身そんなにおしゃべりでもないし、本を読んでいれば集中もする。
特段気まずい環境ということもなく、ライニが自分に配慮してくれているのが判った。
大した音も立てずに粛々と物の整理や掃除をしている。
(本当に優秀な人なのでしょうね)
ふいに、ちょっとした好奇心で彼女に興味が湧いた。
「ライニ様、少し質問しても良いでしょうか?」
「はい、なんなりと」
意思というものは当人に聞いてみるのが良いだろうとフェルンは声をかけてみる。
「ライニ様はなぜこの地まで我々の支援を買ってでてくれたのですか?
見た所、本当に何でも出来る方だとお見受けします。フォーリヒという大きく栄えた街です。
ライニ様のような人の働き口などいくらでもあったのではないかと思いまして」
「……この地に、ですか……」
「はい、自分たちで言うのもなんですが今は何も無い場所ですので……。あ、ありがとうございます」
話が長くなることを推察されたのか。ライニはティーポットを持ってきて紅茶のお替りを淹れてくれた。
何から何まで先回りして対応されてしまう。
「……正直な所を言えば、旦那様……オルデン卿に推薦されたためです。おっしゃるとおりフォーリヒで何等かの職を探すつもりでおりました」
「オルデン卿が……」
「これから……だそうです。ここは可能性の地だと。今は私のような者の助けが必要であろうと口説き落とされました」
彼女の言葉の理屈は通る。使命感に駆られるのであればそうだろう。
だけど何処か本音のようなものに蓋をしているようにも思えた。
そんな折、ライニはフェルンに問いかけてきた。
「フェルン様は……今、お幸せですか?いえ、聞くまでもありませんね」
「どういう意味でしょうか?」
今まで立ったまま話していたライニはフェルンに視線を合わせる。彼女はテーブルに設えられた椅子に手をかけた。
「腰掛けても問題ございませんか?」
「あ、はいどうぞ」
最初から座ってても良かったのに……と思いつつ応える。
「失礼いたします……。お聞きしたい事があると顔に書いてありますので。私の身の上の事も兼ねて少し、お話をいたしましょう」
バレてた……こうみえてポーカーフェイスには自信があったのだが……
といっても比較相手はシュタルク……は、さておき師のフリーレンとの一騎打ちになる。
なので世間でどれほどのものなのかはわからないのだけれど。
「私の務めていたオルデン卿のご家庭や使用人、関係するのは概ね武家の一族です。
私の夫も騎士の一人でした。オルデン家の騎士団の隊長、奉公に出たばかりの私と出会って……
まあ、人目も憚らず膝をついていきなり求婚するような人でした」
「それは……なんというか……すごいですね」
正直な所、フェルンはシュタルクのようにさり気なく隣りに寄り添ってくれる事を好む。
グイグイとプロポーズして迫ってくるのは割と苦手なタイプだ。
「その時は当然断ったのですけど。折に触れてはプロポーズをしてくる人でしたので……
結局折れてしまいました。強引でしたが、私が良しとしない限りは指一本触れることすら無いその姿が。
一回りも歳上だったにもかかわらず可愛く見えてしまったのかもしれません」
「そういうところは……あるかも知れませんね」
「可愛らしく見えてしまった」という気持ちには折り合える気がした。
―― 『フリーレン様、こいつは駄目です。他をあたりましょう』
―― 『見捨てないでくれよ!』
ふと、シュタルクの馴れ初めの第1印象が最悪だったことを思い出して苦笑した。
あの日から長く、長くかかってしまったがまさか彼の子をこの身に宿すことになるとはと。
「今はなき大旦那様と、あの人は、魔物や魔族から人々を守る希望でした。
大きな戦果を上げ凱旋するその姿が。その当時のフォーリヒの英雄と言って差し支えなかったでしょう」
どこか誇らしげに語るライニの表情は暖かな表情ではあったが何処かに陰りもあった。
「誇らしく想っていらしたのですね」
「いえ……夫は……愚か者です」
予想外の答えにフェルンは首を傾げた。
「……どういう、意味でしょうか?」
「人々のために、家族のために、産まれ落ちた子どものために……夫は戦い続けました。
そして、当時フォーリヒを脅かそうとしていた魔族がいました。大旦那様と夫の部隊が日々戦い、民の平穏は守られておりました。
しかし、己を顧みず、戦い続け、ついに夫は帰らぬ人となりました。
主を守り抜いた姿は、まさに騎士の……英雄の鏡であるとされました」
過酷な世界の要塞都市におきたお話。よくある話。
吟遊詩人の歌う英雄譚。本当によく聞く話だ……
「……」
「誉れある戦いで命を落とした英雄譚の裏で私達はどうすれば良いのでしょうね……」
「英雄譚……ですか」
魔王が討たれ、平和がな時代が訪れたとしても魔族はまだ消えたわけではない。
統率が取れなくなっただけで世界各地に潜んでいる。
なんなら自分たちが討った数体の災害クラスの大魔族すらのうのうと生きていた。
世界に死はあたりまえに転がっている。
「夫が帰らなくなってから程なくしてのことです。オルデン卿の奥様までもが幼い兄弟を残して他界されました。
私は自身の子供と一緒にオルデン家の跡継ぎの子を育てるようになります。
……その子の事は……恐らくフェルン様はご存知ではないですか?」
「ヴィルト様……ですね」
「はい……」
なんとなく、彼女が幸せですかと問うてきた意図が断片的に理解できてきた。
「あの子も、人の希望を照らす英雄になると。幼い頃から何度も言っていました。
私の子と共に、訓練と修行を積み重ね、小さな武功を重ね……
果てはフォーリヒの英雄となりました。
そして彼は今この世界のどこにもいません」
「……」
「フェルン様、私は心配でなりません。
勇者なき時代の英雄シュタルク。あなた自身も英雄と呼ばれたのだとしても。
英雄と共にいるあなたは……幸せですか?」
この人は、そうか……そんな悲しみを背負っていたのか。そして誰にも背負わせたくないと想って生きていたのか。
眼の前の人物の人生の断片に触れ。少しだけ想いが理解できた。だからフェルンには明確な答えがある。
大丈夫だと。何も心配はいらないと。伝えられる言葉がある気がした。
■試させるもの
突然現れた隻眼の人物は北側諸国の3大騎士の一人。
……という、現場の人間には意味不明な緊急事態。
騒然とした現場のドタバタはあったものの、本日の仕事もつつがなく終えたシュタルク。
「まだまだ、やることは多いな」
「はい……」
さすがはフォーリヒの守護神の要、オルデン家の当主様。
セキュリティや防衛面で様々な助言をしてくれたものの……なかなか検討事項も山盛りに増えた。
「まあ、資材に関してはこちらからも口添えしておこう」
「……ありがとうございます」
もしかして、無邪気に冒険していた日々のほうが楽だった?
とちょっと思わなくもないシュタルク。平和だが……忙しい。まあそれも幸せの1つか。
そんな事を考えながらも家の前に着いた時、家の外で待っていたのはライニだった。
その後には、フェルンとフリーレンが控えている。
「なんだ……?」
なんだか出迎えが仰々しいなと思いながら近くまで駆けつけると――
―― ザッシュッッ!! ――
シュタルクの足元に鎌鼬のような衝撃が走った。
素人には魔法のように見えた一撃。
普通ならそう判断する。だが、シュタルクの動体視力が僅かに捕らえたのは糸のような光。
「え?」
見えはしたが、唐突の出来事。目を丸くしてライニの方へ向くとさらなる衝撃がシュタルクを待っていた。
「シュタルク様。……お手合わせを願えますか?」
「はいぃ?」
✧ ✧ ✧ ✧
眼の前に居る新しい主は驚きの表情でこちらを見ている。
目を丸くしている姿は少し愛嬌がある表情。いつも凛としていた姿のヴィルトとはまた違った面持ちではある。
後ろにいる主の奥方は理由とともに彼女の覚悟を聞かせてくれた。
大丈夫だと、問題はないと。眼の前の青年は ――
―― 信じるに値する器だと
「シュタルク! これ!」
フリーレンが魔法で放り投げてきたのはシュタルクの相棒の戦斧。
「おおい、ちょっと待って、なに? どういう事?」
と、未だに事態を飲み込めきれないシュタルクにフェルンが声をかけた。
「試合っていただけませんか、シュタルク様。
大切なことです。きっとこれなしに伝わらないかもしれません。
ですが、シュタルク様なら伝えられると思います」
「……」
眼の前の青年はフェルンの言葉を聞き反芻するように考え込む。
「……判った信じるよ。フェルンが言うなら……そうなんだろう。
ライニさんみたいな立派な人に俺が何を伝えられるのか知らないけど。
いいよな、オルデン卿」
その様子を腕を組みながら静かに眺めていたオルデン卿は頷いた。
「是非もない。騎士として、見届けよう」
とある大魔族を下したことにより現在大陸最強の戦士とされる英雄シュタルク。
恐らく本気で戦ったとて、届きはしないだろう。
「北側諸国の守護を司る三大騎士の一角、オルデン家の屋敷を護り続けた一族の力。ご覧に入れましょう」
だがそれでも……見極められるはずだ。戦士シュタルクという男の本質を。
「刮目なされませ!」
✧ ✧ ✧ ✧
声をかけることもなく、お互いの視線が交錯することで始まった。
距離を詰めつつ、長年の経験からシュタルクは相手の分析を始める。
隙を見せない所作。踏み出す足運び、先の一撃。そしてごく僅かではあるのに身体の数カ所を刺し貫くような鋭い殺気。
(強い……めちゃくちゃ強い……オルデン家のメイドってこんなのなの?)
肌身で感じる感覚は帝国で戦ったラダールに近い。
当時、シュタルクより様々な面で劣ると語りながらもシュタルクを圧倒した存在。
経験と技術に裏付けられた圧倒的技量が、本来圧倒的であるはずの膂力を覆す存在。
フリーレンの古馴染みのフォル翁。帝国の影なる戦士たち。今は戦士アイゼンですらその域に達している。
何度も出会ってきた。戦ってきた。今までの経験がシュタルクの心に訴えてくる。
ライニの腕がシュタルクに向かって振るわれる。
先の一撃から距離のある一撃であるのは間違いない。見極めろ。
その瞬間、彼女の袖から僅かに伸びる、一筋の光が見えた。
✧ ✧ ✧ ✧
昔から、僅かながらの魔法が使えた。
とても弱く、魔法使いと名乗れるものではない。
巨大な爆風も、貫くような一撃も、自由に空を飛ぶことも叶わない。
軽い、小さなものを動かすこと。必死にやってせいぜい本一冊程度の重さのもの。
本来何の役に立たない……くだらない力。そう言われた。
だが……力は力だ。たしかにそこにある。自分だけの力……
その中で出来ることを懸命に考え、研磨した。
相変わらず……大きなもの、重いものは動かせはしないが、それでも……
認識を拡張し、同時に操作できる数を増やし――
精神を集中し、操作できる距離を伸ばし――
神経を研ぎ澄まし、スピードを上げ――
そうしてたどり着いた一つの技術。
袖の中にあるミスリルで編まれた極細のワイヤー。
先端を操作し、相手の視界に収まる前にその前に貫き、捕らえ、切り裂く。
通り過ぎ、引き抜くその一閃すらも斬撃とする。
「ご覚悟くださいませ」
シュタルクに向かって真正面に飛ぶ一閃シュタルクはソレを紙一重で回避した。
さすがだ、本来目視することすら難しい。正確に見ている。タイミングすらも。
だが紙一重による回避は――
「甘い!!」
引き返す糸による背後からの一閃を生み出す際の餌食――
「ッッ!!」
「んなことはないさ!」
シュタルクは背面に回した斧の刃を使ってこれを受け止めた。
攻撃の本質を見抜かれている!?
✧ ✧ ✧ ✧
一か八かな部分はあった。おおよその攻撃パターンを想定し前に進んだシュタルク。その一歩はライニとの距離を一気に詰めた。
戦斧を振りかぶり一撃を解き放つ。この一撃の寸止めで終われば良い。だが、恐らくこの人はその程度で終わりはしないだろう。
ライニはかざした腕の間に束ねた光の線でシュタルクの攻撃を受け止めた。
いや、正確にはソレを絡め取って勢を殺して後ろに飛んだ。
(上手いな……無理に受け止めなかった)
当然だ。膂力も体重も違う。ならば全力で受けずに逃がすのが得策。
背面に跳んだライニはその最中にも数撃をシュタルクに放つ。
そこまでは読んでいなかった。しかし、経験と反射神経が体を動かす。ギリギリ戦斧で弾いて回避した。
バックステップで着地したライニ。
「シュタルク様!貴方様はどのような覚悟でこの場に立っておりますか?」
「??」
漠然とした問だった。そう言いながらも飛んでくる攻撃を斧で弾くことで回避する。
「どういうことだ!?」
「言葉のままでございます。
貴方様は、英雄シュタルクは愛する妻のため。これから産まれる子のため。これからやってくる領民のためこの先も戦うのでしょう。
どのような覚悟で、戦に臨むのですか!?」
彼女の問にある本音は今すぐに把握することは難しい。
というか、見えづらい攻撃の回避に神経とリソースの大半を持っていかれている。
ちょっと思考が回らない。
「全然、わかんない!! 後でも良い!?」
「これ……でも……そんなふうに言っていられますか!!」
そう言いながらライニは腕を交差する。指の一本一本から輝く糸が出ているのが見えた。
そのまま大きく振るわれた腕。指からつながる複数本のワイヤーは左右から交差し網目状の面を作り出しシュタルクを襲う。
「のわぁ……!!」
回避が間に合わず斧で防御姿勢を取る。ぶつけられた硬質のワイヤーの作り出す面はギリギリという音を立てながら斧と擦れ合う。
これにはたまらずシュタルクも後ろに引いた。先程の攻撃までで目測をつけたワイヤーの限界距離に下がる。
受け止めた斧の状態を確認しながらシュタルクは感嘆の声を上げた。
「とんでもないな……後で、ティシュレーさんにメンテしてもらわないとぼろぼろになっちまう」
「……お褒めに預かり光栄にございます。しかして、ご返答は?」
彼女は後回しにはしてくれないようだ。
「英雄シュタルクは、どのような覚悟で、何のために戦うのですか? お聞かせください」
なぜそのようなことが問われ、今試合しているのかはまだ完全にはわからない。
だが……その本気度は、先の一撃とともに伝わった。
仕切り直しだ。試合も……彼女への問への答えも。
■生を賭し願う事
決着のときは近い。それを見ていたフェルンやフリーレン、オルデン卿にもそう見えた。
ライニは全神経を研ぎ澄まし、シュタルクまでの距離と空間を読み取る。
この後彼が動くであろう動作線を割り出し、そこに最適な攻撃を計算する。
試合に勝つことなど何の意味もない。そういう試合だ。だが全力をぶつけなければ何の意味もない。
なぜ戦うのかと言われれば、互いの信念を理解するためだ。
こうまでしなければ相手の真意が信じられない。武家の生まれとは全く厄介なものである。
ライニは構えながらも自嘲気味に笑った。
「今一度、お覚悟くださいませ!!」
万感の思いを込めた一撃を放つ、ソレと同時にシュタルクは駆け出した。
そんな彼は……
―― 笑っていた
✧ ✧ ✧ ✧
この試合は、きっと勝たなくてはいけない。伝えなくてはいけない。
そうしないと意味がない。終わりはしない。この試合も、オルデン卿から伝えられた彼女のわだかまりも。
――『ヴィルトはフォーリヒの英雄と呼ばれた、だが息子の命は失われた。
彼女の夫も、英雄として戦いに果てた。
ライニにとって英雄とは戦った末に失われるものの、象徴なのかもしれない』
シュタルクは自分を英雄だとは思わない。
自分はどこまで行っても戦士シュタルクだ。ただ、人からそう言われることもある。
自分でないのであれば……それは何かと考えたことがある。
難しい事はわからない。だが、救えた人に、救われた人の心に宿る思いこそが英雄像の本質であり。
人が明日を生きるために必要な光なのだろう。
地を走るワイヤーの網の面が生み出す波が眼前に迫る。だが。
「悪いな、ライニさん!」
シュタルクは地面に斧を突き刺す。
「一度見せてもらったモノは二度は通じない!」
応用技。ミシミシと音を立てて脈動する両腕の筋肉に全力を命じる。
「光 天 斬 ッッ!!」
声と同時に振り上げた戦斧は大きな衝撃と共にライニの攻撃による網の目を崩壊させる。
ライニの放った攻撃はそのままシュタルクを素通りした。
「しまっ!!」
ライニは焦り糸を引き戻しつつもシュタルクを攻撃しようとする。
そんな中、まっすぐに彼女を見つめるシュタルクは口を開いた。
―― 「俺が戦うのは、俺が……戦士シュタルクが生きるためだ!」――
先の技で振り上げられた斧はそのまま返す刃で高く上段に掲げられた状態。
「この村で散った戦士の魂を、戦ってきた証を、旅の記憶も、ここでの暮らしも。
フェルンも、フリーレンも生まれてくる子供達も全部未来へつなぐためだ。
全部が俺に必要で、全部に俺が必要だ!だから生きるために戦っている」
ライニに対峙する青年は迷う事無くそう宣言する。
「シュタルク……様……貴方様は……」
『自身が生きるために戦う』その単純な言葉が、ライニの心の芯に突き刺さる。
夫が、ヴィルトが、選べなかった道を、眼の前のシュタルクは歩もうとしている。
「これが俺の覚悟と受け取ってくれ!」
背後の夕日を真っ二つに裂いたその美しい戦斧。
その刃は音速を超えた速度で振り下ろされた。
「 真 ・ 閃 天 撃 !!」
斧から発せられた衝撃は凄まじい力の本流となりライニのもとに押し寄せてくる。
✧ ✧ ✧ ✧
衝撃の波がこの身に届く寸前。僅かな瞬間……
ライニの眼の前に映ったのは美しくたなびく銀色の髪。
「まったく、シュタルクは……こんな事目配せだけでわかれってとんでもない要求を。
……私じゃなきゃ見逃しちゃうね」
多重に展開された防御障壁。それは放たれたシュタルクの一撃の衝撃波を防いだ。
数秒続いたそれが収束しフリーレンはふうと胸を撫で下ろした。
「3重にしないと防げそうにないなんて……シュタルクもいい加減化け物じみてきたな……」
とぼやいた。
「フリーレン……様……」
「ライニも大丈夫? 怪我はない? 明日からも美味しい紅茶とお菓子作れそう?」
どうやら、年甲斐もなくはしゃぎすぎて腰を抜かしてしまったようだ。
何たる不覚。
✧ ✧ ✧ ✧
完膚なきまでに負けた。これが勇者なき時代の英雄シュタルクの力の一片。
現在身重で動けないとは言え、奥方もこれに匹敵する実力だという。
更にそれの上を行くと思われる伝説の魔法使いフリーレン。
そして十数年後はこの二人の血を引く子供達が育ってくるのだという。
何と言う規格外な地なのだろう。
そんなふうに笑っていた状態のところに、フェルンを伴ったシュタルクがやってきた。
「すいません、上手く加減出来なくて……怪我はないですか?」
シュタルクはそう言って手を差し伸べてくる。
ここで断るのはさすがに失礼ではあったため、ライニもその手を取って立ち上がる。
「俺の勝ちです。 聞きたかった答えも……あれでいいですか?」
「はい、私の負けです。十分にございます」
『戦士シュタルクは生きるために戦っている』それが彼の答え。
拙く、原始的で、むちゃくちゃで、そして、無垢で愛おしい。彼らしい答えだとライニは思った。
「ライニさん、俺は未だに臆病で、ヘタレで、死ぬのが怖い。失うのも怖い。
だから一生懸命に戦うよ。勝てないかもしれないけど、絶対に負けない」
夕日に当てられた赤い髪の青年は晴れやかに笑う。
「俺は戦士だからさ、そういうふうにしか出来ない」
「ライニ様。どうでしょうか? 夫は、英雄シュタルクとはこういう人です。だから、今、私は幸せです」
シュタルクに支えられたフェルンはライニに微笑みかけた。
なお、その隣でシュタルクは「英雄シュタルクとかやめてよ恥ずかしい……」とボヤいていた。
「……そうですか。フェルン様は確かに幸せなのですね」
噛みしめるように呟いたライニは目を閉じる。思い出すのは英雄であることを目指し戦い続けた夫やヴィルトの姿。
そして、眼の前に佇み、幸せだというシュタルクとフェルン。彼らもまた、戦い続けてきた者たちだ。しかし、その在り様は異なる。
(私が求めて止まなかった光景は……)
ライニはそれまでのことを反芻するように考え込む。そして覚悟を決めたようにシュタルクに向き直った。
「新たな主へと、盾突き、疑い、あまつさえ、傷をつけようとした事。深く謝罪します。
この処罰は何なりとでも」
「え、いや……試合でしょ? いらないよ?」
「……寛大なご配慮。痛み入ります」
シュタルクはボリボリと頭を掻きながらも悩む。
硬いなぁ……と。もっとオルデン卿とやっていたようにしてくれたら。冗談めかして話してくれるぐらいのほうがやりやすいのに。
普段、フェルンに弄られ……。いや、変な意味じゃなくて。
弄られすぎているせいでそういう感じのほうがシュタルクとしては対応しやすい。
「ライニさん、顔を上げてくれ。
来たときにも言っただろ。この地に来た人は悪人じゃないならみんな客人だし、住んでくれるなら皆家族だって。
人が増えて来たらそんな風にも言ってられないかもだけど、今はそんな感じで頼むよ」
「ライニ様。私からもお願いします。
叶うなら、まだ未熟な私達にいろいろなことを教えていただきたいのです」
「シュタルク様……フェルン様……」
そっくりな顔、同じ赤い髪。しかし、その目に宿る光はまったく異なる。
ライニは初めて「シュタルク」という一人の人間を。ヴィルトの面影ではなく。彼自身として見た気がした。
一つの確信を得たライニは一歩ひいてから佇みを直す。
彼女は優雅な仕草でスカートの両裾を引き頭を下げる。
「シュタルク様。
此度は貴方様の実力、信念、その覚悟を確かに見極めさせていただきました。
貴方様が頑なに自らを戦士だと名乗るその謙虚さは理解します。
しかし、その在り様が、その力が。救われた者に灯すその心の光が。……必ずそれを証明してくれるでしょう」
ライニは息を呑んで一拍置いてから宣言する。
――「貴方様は、確かに勇者なきこの時代が生んだ英雄であることを」
深々と下げる、その宣言は彼女の中にあるわだかまりを消す禊のようであった。
後にオルデン卿はそのように語ったという。
■宿る命
翌日の明朝。
オルデン卿が帰る前に祈って帰ろうと訪れた剣の塚。
シュタルクが膝をついた後でオルデン卿とライニは黙祷による立礼をしている。
「戦士の剣塚で……ございますか」
「ああ、この地にいた戦士たちだ。最強の魔族に寄って滅ぼされた」
「……そう、でございますか」
ライニは顔を伏せる。
「君が……誰かの残したまま旅立ってしまった英霊というものに思うところがある。それは私なりに理解しているつもりだ」
「……」
祈り終わって立ち上がったシュタルクが二人の元にやってきて礼を述べた。
「二人共、ありがとうございます。
兄貴たちもきっと喜んでいると思います」
新たなる主の兄上は彼を残してこの世を去ったと聞く。すべてが失われシュタルクだけが残った。
「ああ、私は少しだけライニに話がある。
シュタルク、今はフェルンの近くにいてやると良い。見送りは不要だ」
「いえ、しかし……」
それで良いのか?と顔に書いてある青年にオルデン卿は薄く笑いつつ応える。
「子供のことが落ち着いたら連絡をよこしてくれ。今度はムートと共に都合をつけて訪問しよう。
それに最初にも言ったとおりだ。知人の家に遊びに来ただけだこれ以上の見送りなど不要だ」
「わかりました……」
納得していなさそうだったがシュタルクは「わかりました」と自宅へと向かった。
今しばらくは何もないときはフェルンのそばにいてやるのが良いだろう。
「よかったのでございますか?」
「構わん。どうせまた来る。それより先の話だ。
ヴィルトの事で君が長年思い悩んでいたことだと思う。私はそれでもよかったと想っている」
「旦那様……」
「ヴィルトは失われた、それは多くのものに心の傷を残してしまった。それは事実だ」
実父であるオルデン卿にこの言葉を言われるとライニには何も言えない。彼は乗り越えたというのか。
「私も悔やんだよ。何故私ではなく未来あるヴィルトだったのかと。運命を何度も呪った。
だがある時想ったよ。悔やむことに意味などはないとね。
ヴィルトは確かに救ったのだ。フォーリヒの街を。
ここに眠る戦士たちもそうだ。彼らはシュタルクを守ったのだ。
だから我々の今がある。シュタルクとフェルンの幸福がある」
元の主の言わんとしていることはなんとなく理解が出来た。だが……
「旦那様は……それでよいのでございますか?」
「良くはない。英雄のあり方を問われれば君の意見には賛同する。死んだことに賛辞などは送りたくはない。なかったのだ」
オルデン卿は空を見上げてライニに告げる。
「それでも私は。彼らの選択と、彼らの残してくれたものを受け取る身として。彼らを誇りたい」
「旦那様……」
「私は、全てを守るために戦った我が子を誇りに思う。だからこそ我が子もまた英雄の一つの形を成したもので、君の夫もそうだろう。
生者である我々が出来ることは、先に旅立ったものを誇り、忘れないことだ。
辛いことかもしれんが私はそうあろうと考えている」
「……おっしゃりたいこと、理解いたしました」
低いトーンでそう言うライニを見たオルデン卿は苦笑した。
「長々と喋ってしまったな。独り言だ。忘れてくれ。
今の君の主はこれからを生きようとする英雄なのだから」
オルデン卿が荷物を持ってから馬車の方へと向かおうとした瞬間だった。
シュタルクが走ってくる。
✧ ✧ ✧ ✧
血相を変えたシュタルクが二人のもとにやってきた理由は第一声から察しはついた。
「オルデン卿ーー! ライニさーーん! あの!!
フェルンが! めっちゃお腹が痛そうで、えっと、あのぉぉぉ」
どうやら、このタイミングで来てしまったらしい。
その言葉を聞いたライニの行動早かった。
「旦那様! 持ってきた荷物の中からありったけの清潔なタオルを。
シュタルク様! フリーレン様と協力してお湯を……消毒用です。熱湯を準備してください。産湯用の適温のものはその後で構いません」
元主、現主関係なく、命じる。新たな命とは最優先事項であり今はそんなものは関係がない。
「探してこよう」
「わ、判った」
二人の主は口々に了承の言葉を口にした。
家に向かって駆け出したシュタルクは今にも泣き出しそうな表情。それぐらいあわあわという焦った顔をしている。
もはや時代の英雄形無しな表情。だが、とてもこの青年らしい。
若い……これから父親になろうという、青年のありのままの姿。
とにかく妻と子が心配なのだ。
隣を並走するオルデン卿はその若き父親の様子を見て愉快げに笑っている。
元の主のその様子を見たライニ。ヴィルトが生まれた日の慌てぶりを後で暴露してやろうかと思いつつ。ライニはシュタルクに声をかけた。
「シュタルク様、こういうときこそ、背筋を伸ばして凛としてください。
これから、多大な負担に、痛みに耐えて、一つの命を生み出すのはあなたの奥方のフェルン様です。
あなたが隣で支えるのです。心配であっても、その不安をフェルン様に伝えてはいけません」
シュタルクとオルデン卿の疾走に普通についてくるライニ。それ自体もかなり異常な風景だが、それでも彼女の言葉は的確だった。
「わかってるよぉ……わかってるけど……」
「貴方様の言葉を借りるならば……」
「??」
「それが戦士の戦いでしょう?」
ライニの言葉にシュタルクは目を丸くした。その隣ではオルデン卿が「フッ」と笑う。
「……ッッ!!」
自分の頬を強く叩いたシュタルク。
「俺が、悪かった……!!ライニさんが正しい!」
真っ直ぐに前を向いたシュタルクは覚悟が決まった表情に変わる。
新たな主の様子に安堵をするライニ。フェルンという女性の強さはここ数日で思い知らされているが……
周囲の感情にはとても敏感な人物だ。それが夫のことなら当然といえばそうである。
焦る夫を前に強さを見せる可能性はある。しかし、現場で焦ってもらうよりかは落ち着いてもらっていたほうがよほど良い。
「それでこそ、シュタルク様でございます」
✧ ✧ ✧ ✧
なお。覚悟が決まったからといって、現場でしっかり出来るか?
とそう問われるとそれは別問題で……
初産の時の心配性な父親はこんなもんだろう。と、いうのがライニの客観的な評価である。
その様子に若干苦笑していたオルデン卿は他人のことを言えない。それはライニが把握している。
やっぱり本人がフォーリヒに帰ってから全部暴露してやろう。その様子を見たときに確信した。
産声を上げた男の子の赤ん坊をフェルンは宝物の様に抱きしめる。
落ち着いてからは父親が大泣きするという一幕はあったものの……
ベテランメイドの訪れという救い。フェルンの初産は大きな問題もなく事なきを得たのだった。
■願いの実る地
その後、さすがにタイムリミットとなったオルデン卿。彼は凄まじい名残惜しさを残しながら帰ってしまった。
入れ替わりのようにやってきた人物。それはフリーレンが緊急事態と呼び出した戦士アイゼン。
彼は自宅から全力疾走で訪問して来たということだ。
後々、正しい距離を確認したのだが。どんな心持ちでどれほどの時間を無心で走り続けたのだろうかと思わせられた……
産まれた男の子は「
まだ街の体を成していないこの地に初めて生まれた新たな生命。それは人々の希望を一身に受けた
「フェルン様、シュタアル様は私がしばらく見ておりますので少し休んでください」
母のフェルンは真綿のように知識を学び母親として成長していく。しかし、少々生き急ぎすぎる節がある。
よほど子供のことが大事なのであろう。伺い聞いた彼女の過去からすると当然のように思えるが……無理は禁物だ。
「お願いできますか……申し訳ありません、30分ほど……ねむ……りま……す……」
ソファーに座り込んだまま眠ってしまったフェルンに膝掛けを掛けたライニ。きょとんとした顔を見せるシュタアルを抱き上げた。
「フェルン、寝てくれた?」
そう声をかけてきたのは彼女の師のフリーレン。
「はい、今しがたお眠りになりました」
「よかったぁ……私とシュタルクが言っても頑なに頑張るからさぁ……
本当にどうしようかと」
胸を撫で下ろすフリーレンを尻目にクスクスとライニが笑う。
「お二人に対しては母として譲れぬ矜持というものがあるのでしょうね」
「なんか、そう言われると複雑だ。私も幼いフェルンのお母さん代わりに頑張ってきたんだけど」
「赤ん坊の頃のフェルン様はご存じないでしょう」
「それはまあ、確かに……」
バツの悪そうなフリーレンはソファで眠ってしまったフェルンの頭を撫でる。
「本当に小さかったのに。自ら選んだ相手と共に、お母さんになっちゃうなんて。
……フェルンは本当にすごいな」
時の英雄の選んだ相手は時の英雄。
それとも二人が共にいたからこその結果なのか……
「シュタアルはどう?」
不意にフリーレンが聞いてきた。
「信じられないぐらいに健康な子です」
「そっか、じゃあ良かった」
フリーレンはライニが抱きかかえるシュタアルの頭を愛おしげに撫でる。
「じゃあ、ライニ、後はよろしくね。何かあったらすぐに呼んで。何でもするから」
そう言ってフリーレンは部屋から出ていった。
彼女も新しく産まれてきた子供の未来に沢山の夢があるのだろう。
「シュタアル様……あなたは時代が生んだ二人の英雄の血を継ぐ神子です。
望む望まざるを限らず運命はあなたに問いかけるでしょう。
あなたは一体どのような人生を歩むのですか?」
人差し指であやすとそれを小さな手で握り嬉しそうに笑うシュタアル。
これほどの強い、必然とも言える運命の元に産まれた子。
伝説の戦士に鋼に関する名前を継承された子。伝説の魔法使いに守護される子。
誰に言われずとも判る。
この子はいずれ大きな運命と出会い、決断を迫られるであろう……
「我らが必ずお守りします。
だから見せてくださいますか?
貴方へと繋ぐために戦い続けた英雄たちの魂と。
貴方を守るために戦い続ける英雄たちの魂を受け継ぐ貴方はどのような答えを出すのか。
どんな形でも構いません。あなたの紡ぐ英雄譚を私達に聞かせてくださいませ」
そう言ってライニはその腕に収まる小さな子が眠るまであやすのだった。
~ ワスレナグサとトコハナの唄 fin ~