「少佐もご苦労だったな。旅客機の操縦なんて」
新浜国際空港のA滑走路では、緊急出動した消防隊が旅客機を取り囲んでいた。全ての便の離着陸は中止され、滑走路は完全に封鎖されている。駆け付けたタラップ車がドアにドッキングし、救急隊員が負傷者を担架に乗せて救急車に運んでいた。比較的軽傷の乗客たちは、機からある程度離れた滑走路脇で航空会社が持ってきた毛布に包まり、腰を下ろしている。そんな光景を遠巻きに見つめながら、少佐は答える。
「ほとんどオートパイロットだから、それほどのことでもないわ」
少佐のその答えに、隣にいた義眼の大男、バトーはふっと軽く笑った。彼女たちはちょうど、滑走路に乗り入れたバトーの車に乗り込もうとしているところだった。いくら公安職員とはいえ滑走路内にそう簡単に車は入れないので、彼も相当強引な手を使ったに違いない。
「で、機長の経歴は洗えたのかしら?」
「ああ、もちろん。名前は安達泰敏、年は47歳。いくつかの航空会社を経て、東亜航空入社7年目。飛行時間は1万時間を超えるベテランパイロットだ。直近のメンタルチェックの結果は全て正常。新興宗教やその他反社会的勢力との繋がりはなし。前科もない」
となると、やはり機長の精神疾患等による単独犯行という線は否定できるだろう。コックピットでのあの様子を見ても、ウイルスによって操られていたと考えるのが妥当だった。問題はどこで感染したのか、あるいはさせられたのかということである。
「今のところ、本部でイシカワがテロ組織の犯行声明がないか洗っているのと、トグサが国内の他の航空会社幹部の口座を調べている。ボーマとパズは怨恨の線がないか、関係者に聞き込みを行っているところだ」
「競争相手に対する破壊工作という線はまずないと思うわ。怨恨にしても、手が込みすぎているし。とりあえず、テロ組織の方を重点的に当たらせて」
「分かった。少佐はこの後どうするんだ?」
「別命あるまで本部で待機するわ。課長の話の方も気になるし」
少佐はそう言うと、バトーの車に乗り込んでドアを閉める。課長は一足早く空港から外務省へ向かっているところだった。外務省が関わってくると、あまりいい気はしない。公安6課絡みで何か面倒な捜査協力の話か、それとも海外諜報部員の国内活動の件か。とにかく、ろくでもないことが起こっているのは確かだろう。
間もなく乗り込んできたバトーがエンジンを掛けると、車を発進させる。旅客機の周りは緊急車両のほか、救護要員など人の流れが激しいため、大きく迂回して滑走路を出た。エンジンが低い唸りを上げ、コンクリートで固められた誘導路を疾走して出口へと向かう。海をまたいだ遥か遠方には新浜とその周りの街を中心とする旧首都圏の明かりが煌々と輝いていた。
「ところで少佐、公安の会議はどうだったんだ?何か分かったことはあったか?」
車を運転しながら、バトーがそう訊いてくる。少佐はサイドウィンドウを通して街の夜景を見つめ、固めの口調で答えた。
「ほとんどはこっちで掴んでいる情報の通りだったわ。宗教がらみの過激派組織のテロ、南米の麻薬密輸ルート、アジア難民武装蜂起の可能性。あと、カルディス系武装勢力も議題には上がったわ」
「相変わらずこの世界には火種ばかりだな」
その通りだった。課長とともに出席した、ドイツで行われた各国公安関係者の情報交換会議。どの国の公安警察も、国内外の不穏分子に手を焼いていることは、話し合われた内容からしても明らかだった。最近も過激派組織による自爆テロがイギリスで起きたばかりの上、南米の麻薬王アナコンダの暗殺作戦もまたもや失敗に終わったという。日本でも、人類解放戦線系組織によるテロや、アジア難民武装蜂起の可能性など、解決しなければならない課題は山積みだった。
第3次核大戦および第4次非核大戦を経た現在の混沌とした国際情勢を考えれば、テロが起こるのはもはや必然ともいえるだろう。しかし、かといってそれを野放しにする理由にはならない。たとえ困難が伴おうとも、公安という職に就いている限りはそうした火種を可能な限り消さなければならないのである。
「あと、ロシアの公安当局から連絡があったのだけど、極東で不穏な動きがあるらしいわ。例のカルト宗教に関係するようだけど、詳しい情報は向こうでも掴めていないみたい」
「カルトか。確か、道東や択捉辺りを拠点に活動している団体だろ。特定監視団体の指定も受けている、過激派寄りの組織じゃなかったか?」
ウインカーを上げて交差点を右折しながら、バトーがそう訊き返した。
「その通りよ。だけど、活動実態はほとんどが謎。カルト宗教というよりは、秘密結社といった方が正しいかもしれないわね。人はみな祖先を同じくする兄弟なのだから、等しく平等な世界であるべきだと主張し、開宗時から世界を作り変えると宣言しているわ」
少佐はそう言いながら、電脳で公安ネットにログインすると、9課のデータベースからその団体の情報を表示させる。団体名は『自然の民』となっており、構成員の人数は200人近くにも上る。以前に課長から聞いた話では、正確な活動実態を把握するために道警の公安部が潜入捜査をしているらしいが、有用な情報は得られていなかった。
本部は北海道の東、網走市と北見市またがる山中にあり、そこで構成員100人余りが自給自足による生活を行っているという。食料は畑や近くを流れる川から採集し、牛や鶏などの家畜も育てているらしい。さらに診療所なども備えていて、一つの村といっても過言ではない。
しかし、危険な活動の兆候も見られていた。表向きは脱退するのは自由ということになっているが、実質的には不可能で、脱走しようものなら生きては帰れないという噂があるのだ。もちろん、それはあくまでも噂に過ぎないが、そういった組織では十分にあり得る話だった。
「それにしても、そんな連中がなぜロシアで?」
「分からないわ。単純な勧誘なら納得できるけど、向こうの公安が警告してきた以上は何かヤバいことを企んでいるかもしれないわね」
「全く、どいつもこいつもろくでもない連中ばかりだな」
バトーの車は空港のある人工島と陸地を結ぶ鉄橋を通過し、新浜方面への首都高速に入っていた。少佐は電脳内に開かせていたデータベースを閉じると、ゆっくりと体を伸ばして姿勢を楽にする。航空機内のあの一件で休みは全く取れず、疲労は溜まる一方だったのだ。
結局、課長が呼び出されたのは何なのかは分からない。だが、妙な胸騒ぎがしていた。今回の事件も、手のかかるヤマになるかもしれない。薄々だが、そんな予感を少佐は覚えていたのだった。
9課のブリーフィングルームでは、主要なメンバー全員が顔をそろえていた。少佐とバトーが部屋に入ると、最初にトグサが口を開く。ずっとコンピュータモニターを見続けて作業に没頭していたのか、目が赤く充血しかけていた。
「少佐、やはり国内の他の航空会社幹部の口座に不審な動きはありませんでした。パズ達が調べていた怨恨の線も、今のところ目星のつくような人間はいないです」
「そう、テロ組織の方は?」
「犯行声明はまだ出ていない。もう少し経ってから出るのかもしれないが、国内の主要な過激派組織に目立った動きがない以上、連中が関与している可能性は薄いな」
少佐の問いに、イシカワがそう報告する。国内の人類解放戦線やそのほかの過激派組織に目立った動きがないということは、海外に拠点を置くテロ組織による犯行か、もしくはローンウルフ型の単独犯による犯行という線が考えられる。
しかし、犯人を絞り込んでいくのは時期尚早といえるだろう。この後、数日ほどかけてもう一度関係者の関与がないか洗い直し、さらに機長の容態が回復し次第、電脳を調べてウイルス感染もしくはゴーストハックの有無を確かめていくことになる。未遂とはいえフランクフルト・新浜間の国際航空路線が狙われた重大なテロ事件であることに変わりはなく、この後の捜査は所轄の警察ではなく、9課が中心となって進めていくことになるだろう。
ちょうど時、ブリーフィングルームのドアが開くと、オペレーターアンドロイド1体とともに課長が入ってきた。面持ちは固く、その場の誰もが事態の深刻さを理解する。軽く咳払いした彼は、机の前に来ると静かに話し始めた。
「外務省から通報があった。18時間前、ロシア工作員2名が入国した」
「工作員ですか…?」
真っ先に驚きの声を上げたのはトグサだった。一方、ほかのメンバーたちは彼とは対照的に、それほど驚いている様子ではない。周りの様子にトグサも少し気恥ずかしく感じたのか、小声ですいません、と謝る。
「諜報員が入国するのはそんなに珍しいことではないわ。問題はその目的よ。そうでしょう、課長?」
「ああ。6課から得た情報によると、工作員の目的は北端に隠された何かの回収らしい」
「その何かってのは?」
課長からの言葉に、バトーがそう訊いた。ほかの課員たちもその何かの正体が気になるのか、神妙な顔で課長の方を見やる。だが、彼はすぐに口を開いた。
「何かだ。詳しい情報は、全く得られておらん」
その言葉に沈黙する一同。しかし、全く情報が得られていない状態から捜査を進めるのは、今に始まった問題ではない。これまでも、9課はそんな状況下で地道に手掛かりを見つけ、真実へたどりついてきているのだ。バトーは冷静に思考を巡らせると、改めて課長に訊く。
「北端ってことはつまり、ベルタルベの事だろ?ということは、例のジオフロントに関係するかもしれねえってことか?」
択捉島をはじめとする北方4島が旧ソ連から返還された現在、ベルタルベは無数の高層ビルが立ち並ぶ巨大都市となっている。旧型の電脳都市とはいえ、極東の中でも指折りの規模を持つ街には、周辺地域から数え切れないほどの人・モノ・カネが流れ込んでいるのだ。もちろん、そのおこぼれに預かろうとする犯罪組織も多く、お世辞にも治安は良いとは言えない。
そして、そのベルタルベの地下にあるジオフロントには旧ソ連時代からの潜水艦基地が存在している。もちろん、ソ連軍の撤退に伴って基地は爆破され、埋め戻されたと言われているが、兵器や隠し財産などが残されているかもしれないという噂が一時期流れていたことがあった。当たり前のことであるが、個人はもとより並みの企業では掘り起こすだけの資金力も技術力もなく、噂はそのまま消えていったが。
バトーが訊いたのは、工作員の目的がその基地に眠っている物かもしれないと考えてのことだった。しかし、課長はすぐに答える。
「それが、まだ分からんのだ。その2名が小樽港から北海道に入ったところまでは足取りがつかめていたのだが、その後は消息不明。可能性的にはベルタルベの旧ソ連基地に向かったと考えるのが妥当だが、ジオフロントの管理を行う佐川電子が潜水艦の区画にまで手を付けているという情報はない」
「つまり、連中の目的はほかの場所にあるという事か?」
「そうなるだろうな」
課長がそう答えたところで、少佐が疑問に思ったのか、口を開いた。
「それで、なぜそんな連絡がうちに?工作員がすぐに回収した
普通に考えれば、その結論に至るのは至極当然だった。少数精鋭の9課が、公安警察の外事課のようなことをしていては、人員がいくらいても足りないのだ。特に今は航空機墜落未遂テロが起こったばかりで、とてもではないが人員を出せる余裕はない。だが、そんな中でもあえて9課に連絡が来たという事は、外事課では対応できない何かがあるというのだろう。
「未確認の情報だが、工作員の正体はザスローン部隊かもしれん」
「ザスローンだと?
「そうだ。6課の情報によると、連中が武装している可能性も十分あるらしい。その上、入国した人数も、実際はさらに多い可能性が高い」
バトーにそう答えた課長。あまりの事態の深刻さに、さすがの少佐も驚きを隠せない。
「つまり、連中が日本国内で荒事を起こそうとしている可能性が高いから、9課はそれの監視、必要があれば拘束しろということね」
「まあ、そうだな。拘束は連中が明らかに敵対的な破壊活動を行おうとした場合に限られるが、おおむね官邸からの命令はその通りだ」
少佐は息を呑んだ。ザスローン部隊といえば、言わずと知れたロシアの特殊部隊であり、暗殺や破壊工作などを主な任務としている。ロシアに存在する特殊部隊群スペツナズの中でも最も機密性の高く、各国関係者の間でも詳細について知るものはほとんどいないといわれているのだ。
おそらくは自分と同等もしくはそれ以上の高性能義体を装備した実行部隊と、潜入と工作を目的とする義体化率の低い部隊に分かれているだろう。他国に潜入する上で、全身義体など明らかに義体化率の高い人間は入国段階で警戒対象になるからだ。
となると、今回公安6課が掴んだ工作員というのは実行部隊である可能性が高い。潜入部隊の方は、民間人に完全に溶け込んで既に国内で活動していると考えた方が妥当だろう。
だが、気になるのはなぜ、モスクワがリスクを冒してまで武装したそのような特殊部隊を送り込んだのか、という事だった。ふと、ある予感が頭をよぎる少佐。それを察したかのように、課長がこう言った。
「モスクワがなぜザスローンを送り込んだかだが、情報筋の話によるとモスクワも余程その物体を重要視しているらしい。躊躇なく特殊部隊を送り込んできたことも考えると、連中の焦りらしきものも感じるしな」
ロシア側からすると、絶対に他国の目には触れさせたくない代物なのだろう。国家機密レベルの情報が関わっているのか、それとも今掘り起こされると国際問題に発展しかねない致命的な証拠になり得るものなのか。見当こそつかないが、重要性だけは明らかだろう。
そしてもう一つ問題なのが、そんな部隊と万が一9課が衝突することになった場合、どういった結果が予想されるのかということだった。
潜入部隊の方は正体さえ暴き出せば制圧することは不可能ではない。ザスローンとはいえ、低義体化率の人間では限界があるからだ。問題は実行部隊の方である。高度な訓練を受けている上、機密技術の塊が詰め込まれた高性能義体で武装している相手では、いくら9課のメンバーでも太刀打ちするのは難しい。
「課長、今後の行動はどうするんだ?そんな連中が相手じゃ、単独行動は危険じゃねえか?」
バトーも同じことを考えていたのか、緊張した面持ちで課長にそう話す。
「もちろん、一人で行かすとは言っておらん。それに、そもそも連中の足取りすら掴めていない今の状況では、下手に動けば相手に感づかれる恐れもある。しばらくは、網を張って、連中がそれに引っ掛かるまで待機する」
「了解。だけど、その網というのはうまく機能するのかしら」
「警察庁の外事課が動いている。あと、6課も可能な限り情報面で支援していくそうだ」
「なるほど。そいつは頼もしいな」
バトーが皮肉交じりにそう言った。6課といえば、たびたび管轄権侵害などで9課と衝突することもあり、関係はあまりよくなかった。とはいえ、9課と同様に首相直属の部隊であり、その実力は侮れるものではない。
「とにかく、現時点で我々にできることは事態を静観することだけだ。それまでは、例の航空機墜落未遂事件の捜査を続けろ」
「了解」
答える少佐。ほかの課員たちも同様に答えると、それぞれ静かに歩き出してブリーフィングルームを後にする。課長は革張りの黒いチェアに腰を下ろすと、重要書類をファイルから出して整理していた。そんな中、少佐が不意に口を開く。
「その航空機事件の方なんだけど、今のところはテロという線で捜査を進めているわ」
「なるほど。だが、少佐自身はどう考えているんだ?」
課長は作業の手を止めることなく、少佐にそう訊き返す。見ると、メガネ越しに鋭い視線で彼女を見つめていた。少佐は少しの間、考え込んだのちに答えた。
「たぶん、テロであることには間違いないわ。ただ、この手口が少し引っ掛かる」
「パイロットのウイルス感染か」
普通、この手のテロを起こすのであれば、航空機さえ墜落させることができれば手段は何でも良いはずだった。手荷物や義体の中に爆発物を仕込んだり、あらかじめ機に細工しておけばいくらでもテロは起こせるのだ。もちろん、保安対策によりそうした方法は一筋縄ではいかないが、パイロットにウイルスを感染させる方法にしろ、それは変わらない。搭乗前にすべての乗員はそうした潜在的な脅威がないか、チェックを受けることになっているからだ。
それに何より、わざわざ手間をかけて機長を操っておきながら、ただ単に機を墜落させようとしていたところに引っかかる。もし自分が機長にウイルスかゴーストハックを仕掛けた犯人だったら、海上に墜落させるよりも人口密集地に墜落させるだろう。特に、この路線であれば新浜上空を通るので、格好の目標となるはずなのだ。
にもかかわらず、犯人側はあの時あの場所で機を墜落させようとした。常識的に考えれば何が目的なのか掴みづらいところがある。わざわざ電脳チェックを突破できるほどの手の込んだ仕事をしておきながら、行動部分のルーチンは全くと言っていいほど単純すぎる。言い換えればお粗末そのものなのだ。
「もし仮に機長の異常行動がウイルスによるものだとしたら、この航空機だけを狙ったものではないかもしれないわね」
「どういうことだ?」
「ウイルス自体は無作為にばら撒かれ、それが機長に偶然感染し発症した。そう考えれば、なぜ機長の行動が高度に制御されたものでなく、非理性的かつ短絡的なものだったのかの説明がつくわ」
課長はそれを聞くと、作業の手を止めて考え込む。確かにそうだとすれば、わざわざ危険を冒して機長の電脳を操り、機を日本海に墜落させようとしたのか、説明することはできるだろう。機長だけを狙った標的型攻撃ではなく、不特定多数の人間を狙ったウイルスであるならば、感染時の行動を複雑化して限定させるよりも単純化した方が都合が良いからだ。
だが、もし無作為にばら撒かれていたとするならば、ほかにも同様の症例のウイルス感染で被害が出ているはずだった。それに、保安検査段階の電脳チェックを突破するウイルスを作成すること自体、並みのハッカーではできることではない。これがテロ事件だとするならば、高度な技術を持つかなり厄介な相手となるだろう。
「まあ、それは明日にでも機長が回復したら、潜って確かめることにするわ。今日はもう遅いから、私も先に休ませてもらおうかしら」
そういうと、少佐は立ち上がってブリーフィングルームの出口に向かう。課長はその背中を静かに見送ると、再び書類の整理に戻った。
何となく落ち着かない。頭の中に靄が掛かり、見ようとするものが見えないような、そんなもどかしい気持ちがわき上がる。
課長は一旦書類を置くと、オペレーターにコーヒーを頼んだ。そうして、机の上に腕を組むと目を閉じ、自らの意識を深い瞑想の中に沈潜させる。突如入国したロシアの工作員と、航空機テロ未遂事件。一見すると全く関係がないこの2つの事件の間に、何かつながりがあるのではないか。薄々とだが、課長にはそんな気がしてならなかった。
2018/10/3 一部修正