攻殻機動隊 -北端の亡霊-   作:変わり種

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第6話

漆黒の空間に浮かび上がるインターフェイスの数々。赤橙色に輝くそれらを数え切れないほどの青白い光が網目のように結び合わせ、人間の脳では到底処理できないような凄まじい量の情報が超高速でやり取りされている。全てが符号化され、記号情報として表現されたこの世界は、つい数十年前までは関わることはできても人間には知覚できない、まさに未知の世界だった。

 

白い光が集まり、やがて形を変えたそれから腕や脚が伸びていく。周りに展開された防壁アレイはしきりに点滅し、この世界に潜み、そして襲い掛かる容赦ない攻撃から彼女を守っていた。光が収まると、赤みがかったブラウンの髪を持つ女性アバターが姿を現す。少佐に似た面影を持つそれは、クロマと呼ばれ、彼女が電脳空間内で工作活動をするときによく使う仮の体だった。

 

「タチコマ」

 

彼女がそうつぶやくと、同時に周りに光が集まる。瞬く間に流れ込むデータの流れが輪郭を形作り、ロードが完了すると、見慣れた姿の青い思考戦車が現れた。

 

「お待たせしました、少佐!」

 

3体のタチコマが、彼女の前後を固めるようにフォーメーションを組む。展開された攻性防壁や防壁迷路アレイがタチコマの周りに表示され、各種設定値が瞬時にロードされていく。最後にあらかじめダウンロードしたシステム構成情報をもとにウイルスアレイを展開すると、準備は整った。

 

「よし、行くぞ」

 

一瞬にして目標座標に転移した彼ら。今回の標的は、米帝のゲーム会社ガイア・アーツのプレイヤー情報を一括管理するデータベースサーバーと、ゲーム処理を行うゲームサーバーだった。まずはデータベースをこじ開けて事件を起こした容疑者が過去に遊んでいたゲームサーバーを特定し、一気にサーバー内をスキャンして感染源を突き止める作戦だ。

 

何故、彼女がここまで迅速に動けたか。実のところ、彼女は最初から相手が捜査に協力しない可能性があると、薄々予想していたからだった。そのため、トグサに連絡を入れるのと同時に、少佐は電脳空間内での工作の準備をし、課長とも掛け合っていたのである。おかげでそれなりに下調べもつき、データベースサーバーの突破にあまり時間は掛からないだろうと予想されていた。

 

「アレイ8基で高度戦闘態勢セットアップ。デコイには処理負荷最大の迷路を3重設定」

 

「敵の防壁のゲートアレイ確認!」

 

「ウイルス注入開始」

 

サーバーに取り付いたタチコマ2体が、ゲートアレイにウイルスを流し込んで文字化けさせていく。凄まじい速さで1次防壁の一部が切り崩されると、その隙間から少佐たちは中へと突入する。

 

目的のデータは第2層にあった。タチコマが2次防壁のゲートアレイに取り付いて、再びウイルスを注入していく。同時にもう1体が偽装・攪乱用ウイルスをばら撒き、第1層内を制圧するとともに、トラップを仕掛ける。

 

「ウイルスアレイ搭載の全追尾地雷アクティブ!」

 

「攻性防壁全種作動!機能衝突ありません」

 

ここまでは順調だった。防壁自体も、機密情報にアクセスするわけではないのでそれほど分厚くはなく、上場企業程度のレベルで侵入には特に問題はない。しかし、一つ注意しなければならないのが痕跡を残さないということだった。何せデータベースサーバーは米帝の本社に置かれているため、下手をすればFBIが動き、米帝政府から追及を受けてしまう。そうなれば確実に政治問題に発展する恐れがあった。

 

「2次防壁突破率67パーセント。突破まではあと5秒です」

 

目の前のゲートは既に判読不能なほどに文字化けし、記号情報をまき散らして崩れていく。ゲートがこじ開けられると、真っ先に少佐が突入してウイルスをばら撒き、侵入検知プログラムを無力化して第2層内を沈黙させた。続いてタチコマが複数のデコイを展開し、自分たちの存在位置を欺瞞する。

 

「準備完了しました、少佐」

 

「容疑者の登録情報からユーザー名を割り出し、すぐに照合を掛けろ。過去3か月分から優先的に解析し、サービス開始時まで順に接続履歴を遡っていけ。いいな」

 

そう指示を出す少佐。ここまで高度なウイルスを作り上げた犯人の技量を考えると、感染時期は1、2週間前程度では済まないだろう。良くて3か月から半年、悪くて1年近く。潜伏期間を開ければ開けるほど、蓄積されたログが消去されて痕跡が見つけづらくなるからだ。

 

「全員のユーザー名を特定。照合に入ります」

 

「管理室アラート発報。侵入がバレたみたいです!」

 

タチコマの報告に思わず舌打ちする彼女。

 

思ったよりも早かった。ユーザー情報にアクセスするときも、アドレスを偽装して単一ではなく複数アクセスだと見せかけたのに、この段階で察知されてしまうとは。少佐はすぐに攻性防壁を展開しようとするが、インターフェイスに表示されたデータを見て、その手を止めた。

 

「これは別の相手か。こんな時にかち合うとは、運が良いのか悪いのか…」

 

どうやら侵入に気づかれたのは自分たちではなく、ほぼ同時に侵入していた別の勢力だったようだ。しかも、彼らは本丸の機密データが保管されているサーバーに攻撃を仕掛けているようで、管理室の人間の注意も完全にそちら側に向かったらしかった。こちらとしては願ってもないことだったが、あまり派手にやられると回線や中継器を切られてしまうので、同時に迷惑な話でもある。

 

攻性防壁で保護された機密を躊躇いもなく狙うところを見ると、それなりに資金力のある国際的なハッカー組織だろう。盗み取った情報をほかの国家に売って、莫大な富を狙っているのかもしれない。また、可能性は低いものの中国軍が一枚噛んでいることも考えられる。だが、今日の目的はハッカーの検挙ではなく、ウイルス事件の捜査にあるのだ。

 

「タチコマ、どうだ」

 

「照合78パーセントまで完了、あと少しです」

 

進捗表示を見ながら、タチコマがそう報告した。あと何秒かで照合作業は終わる。このままいけば、米帝側には何も気づかれずに終えられそうだが、油断はできない。少佐はばら撒いていたデコイやウイルスの状態を確認する。幸いなことに、これらにも特に問題はないようだ。

 

「少佐、照合完了しました!」

 

タチコマがそう言った時だった。一筋の光が、作業を終えたばかりのタチコマに突っ込んだ。鋭い悲鳴が上がるが、あらかじめ張り巡らせた防壁が辛うじて攻撃を防ぎ、タチコマ自身は無傷で済む。

 

「タチコマ、大丈夫か!?」

 

「ひええ…、なんとか大丈夫です!」

 

震え気味にタチコマが答えた。最後の最後で侵入に気づかれてしまったようだが、既に目的の情報は得られている。少佐は階層内にばら撒いていたウイルスを即座に起動させ、相手をかく乱させると、その隙を突いて一気にサーバーから脱出した。攻撃を受けてから1秒も経っていない、あまりの早業だった。

 

相手は何者かが侵入していたことは気づいただろうが、どこからの攻撃か特定することはできないだろう。あらかじめ放っておいたウイルスがログを書き換えて接続履歴を消し、復元したとしても偽のアドレス情報を仕込んである。ウイルス自身も作業を終えると跡形もなく自己消滅するタイプなので、証拠は何も残らない。

 

これでひとまず、第一段階は終了した。あと片づけなければならないのは、ウイルスの感染元となっている恐れのあるゲームサーバーだ。

 

「照合した結果はどうだ?」

 

「特定できました。日本国内のサーバーです」

 

タチコマから受け取ったデータを見ると、確かに容疑者の内の16人が同じ日に遊んでいるサーバーがあった。時期はおよそ7か月前。しかも、プレイヤーのリストを見ると、まだこのゲームをプレイしていたのか調べのついていない他の容疑者の名前もある。さすがにこの偶然は考えられない以上、このサーバーで感染した線が濃厚だった。

 

再びネット内を移動して目的のサーバーの近くに転移した彼女たち。調べてみると、いまも数人のプレイヤーが遊んでいるらしく、まずは彼らを追い出すことが必要だった。無関係の一般人を危険なウイルス駆除のリスクに巻き込みたくはなかったのだ。

 

「よし、行くぞ」

 

早速、タチコマを防壁ゲートアレイに取り付かせた彼女。元々、このゲームをプレイするログインユーザーであれば誰でも簡単に入れる領域なので、侵入にはそこまで手間は掛からなかった。次のゲートアレイは管理者認証のものだが、所詮はゲーム用なので防壁も薄く、容易に突破できる。

 

権限を掌握した彼女はとりあえず全てのプレイヤーとの接続を切断し、同時に進行中のプロセスも停止させる。ゲームを楽しんでいたプレイヤーからすれば非難轟々だろうが、これもやむを得ない措置だった。処理の重いゲーム進行処理も止まったためか、一気にサーバー内の動作も軽くなる。

 

後はプレイヤー側にウイルスをダウンロードさせる、怪しいソースコードを見つければそこからウイルスの正体も掴めるはず。少佐はプラグインやシステムツール周りからスキャン作業を始め、同時にゲームプログラムの方もタチコマにデコンパイルさせてソースコードを解析させる。

 

作業にはゲームサーバー自体の処理能力を使っていたが、あまりにも時間が掛かりすぎるため、最終的には9課のコンピュータの一部も並列化して使用した。そのおかげもあって、システムツール周りの方はようやくスキャンが終了したが、特に異常は見られない。となると、問題があるのはゲームプログラムの方になってくる。

 

「少佐!怪しいファイルを見つけました」

 

その時、タチコマが声を上げた。スキャン中、プレイヤーにある種のファイルをダウンロードさせる怪しいコードを見つけたタチコマが、そのリンクをたどった結果見つけたものだった。

 

「コードはゲーム内のある特定の条件下で、特定の場所に行くと発動するトリガー式になっていました。調べたら、レアアイテムの入手方法として一部のネット掲示板で話題になっている方法ですね。このサーバーだけでも、感染者はまだまだいそうです」

 

「分析は後にするわよ。とりあえず今は、このウイルスを持ち帰るのが先だわ。防壁を展開してウイルスを無力化したのち、9課の隔離サーバーにダウンロードして」

 

「了解しました」

 

少佐はそう命令を出した。隔離サーバーにダウンロードしておけば、中で何があっても感染被害を抑止できる。一応、周囲を防壁で固めるためにその心配は無用なのかもしれないが、用心するに越したことはないのだ。

 

「少佐、変です…」

 

そんな時だった。タチコマが珍しく深刻な口調でそう報告してきた。何があったのかと、彼女はすぐに訊き返す。

 

「急にダウンロードが進まなくなりました。50パーセントを過ぎたあたりからです」

 

何となく嫌な予感を覚えた。動悸が徐々に激しくなってくる。自分のこれまでの経験が、本能的に危険だと告げてきていた。

 

「ダウンロード中止、ウイルス周囲に防壁を再展開。」

 

「駄目です、中止できません!コマンドが…、うきゃァッ!」

 

稲妻のような閃光が走り、解析していたタチコマが派手に吹き飛んだ。飛ばされた彼は完全に引っくり返ったままフリーズし、ピクリとも動かない。防壁プログラムが消し飛び、タチコマ自身も何らかのダメージを受けたのだろう。ほかのタチコマたちの声に、前に目を戻すと、防壁で固めたはずのゲームプログラムを表すインターフェイスが急激に大きくなっていた。

 

「少佐ッ、逃げてください!」

 

懸命に叫ぶタチコマの声。しかし、脱出しようとした時、突如として黒い塊が球状のインターフェイスを突き破って迫ってきた。おぞましいほどに真っ黒のそれは、ポリゴンではなく無数の小さな記号情報が集まって構成されている。モザイク柄のようにも見えるがその一つ一つが細かくうごめいていて、どちらかというと小さな線虫のようだ。

 

虫酸が走るとはまさにこのことだった。黒い塊は一気に広がり、ここでようやくそれが巨大な“手”だということに気づく。あのタチコマの防壁を一撃で突き破った相手だ。まともに攻撃を受けてしまえば、ひとたまりもないだろう。しかし、すぐに脱出しようと試みるものの、全く反応がなかった。あまりの出来事に、さすがの少佐も絶句する。

 

何と既に接続はロックされ、自分たちはこの空間内に囚われたも同然だったのだ。こうなってしまうと、もはや打つ手はない。

 

掴みかかるように開かれた巨大な手は、まっすぐ少佐に襲い掛かる。彼女を守ろうと、懸命に目の前に立ち塞がったタチコマ2体も、一瞬で蹴散らされた。腕は、なおも反撃しようとするタチコマたちには目もくれず、一気に少佐に掴みかかる。寸前のところで攻性防壁を展開したものの、無駄な足掻きだった。自分の身長をゆうに超える程の巨大な手の前に、少佐は成すすべなく握り潰され、意識を失ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた彼女は、9課のブリーフィングルームの中にいた。すぐに辺りを見回すものの、誰一人として人影はない。その場は奇妙な静寂に包まれていたのだった。

 

警戒しながら歩き出す彼女。普段着ながらもレッグホルスターにはセブロM5が差さっているままだった。安全装置を解除し、いつでも撃てる状態でセブロを構えながら彼女は進んでいく。まだ意識は完全にはっきりとはしていなかった。まるで思考に靄が掛かったようだ。考えても、うまく頭が働かない。

 

なぜ自分はここにいるのか。

 

そう考えたとき、不意に後ろから物音が聞こえた。即座に振り返った彼女はセブロを向ける。見ると、壁面の大型モニターがひとりでに起動していた。映し出されているのはいまこの瞬間の自分の姿。アングルから考えて、天井の監視カメラから撮られているものだろう。

 

彼女は天井の右隅に埋め込まれたドーム型カメラに目を向ける。モニターにはカメラ目線になった彼女が映し出されていた。

 

やがて、再びモニターに視線を戻した彼女。しかしその時、彼女は思わず目を疑った。あろうことか、モニターに映る自分の体から崩れるように皮が剥がれ落ち、肉体が剥き出しになっていくではないか。まもなく肉体を形作っていた人工筋肉までもがずるりと抜け落ち、骨格だけが残された。

 

思わず自分の体を見るものの、もちろん何ら異常はない。モニターに映っているのはリアルタイムで合成された映像なのだろう。モニターの中の自分は両腕で頭を抱え、悶え苦しむようにその場に倒れると、砂のように跡形もなく崩れていく。

 

「くだらない合成ね。チンケだわ」

 

そのまま彼女はブリーフィングルームを後にしようと出口へ目を向ける。あの映像が意味するものは何なのだろう。まさか、自分があのようになるとでも言いたいのだろうか。

 

そう考えていたとき、通路の奥から足音が聞こえた。足を止める少佐。音はそのまま大きくなり、闇の中からうっすらと人影が見えてくる。がっしりとした体格に特徴的な義眼レンズ__

 

「バトー…」

 

戦闘服姿の彼は、サイボーグが携行可能なよう改造したM134ミニガンを抱え、固まったかのような無表情で押し黙っている。だが、その銃口は静かに少佐に向けられていた。

 

次の瞬間、ミニガンが火を噴いた。瞬時に横っ飛びした彼女の真横を、凄まじい弾幕が過ぎる。銃声というより連続的で轟音に近く、シャワーのように撃ち出される7.62mm弾が圧倒的な破壊力で部屋の中の物を粉々に破壊していく。モニターが砕け散り、観葉植物が吹き飛び、テーブルが一瞬にして蜂の巣になって崩れる。

 

掃射が一度止むと同時に、彼の足音がこちらに近づいてきた。身体機能を極限まで高め、セブロを構える彼女。相手がバトーだろうと、容赦することはない。仲間といえども加減すれば、自分が殺されるのは目に見えているからだ。

 

壁の影からミニガンの銃口が顔を覗かせる。セブロの引き金を絞り始めた少佐だが、突如後ろに気配を感じた。

 

そこには、天井の換気ダクトからぶら下がるようにして逆さまになったトグサが、愛用のマテバで狙いを付けていたのだ。次の瞬間に放たれた9mmパラベラム弾が、少佐の右肩に容赦なく喰らい付く。応射しようと振り向くものの、ほぼ同じタイミングで一気にバトーが部屋に踏み込んできた。

 

大きく飛び上がって別の出入り口に駆け込もうとするも、途中でさらに何発か命中弾を受けてよろめく。出入り口のドアを力強く蹴破った彼女はそのまま通路に転がり込むものの、そこで待ち構えていたのはパズとボーマだった。

 

「どけぇっ!」

 

叫びながらセブロを連射し、2人を寄せ付けないよう弾幕を張る。そのまま強行突破しようとする彼女だったが、至近距離でボーマから黒い金属弾が投げ込まれた。それが音響閃光弾だと気づいたときには時すでに遅く、とっさに左腕で目を塞いだものの、炸裂した閃光弾の凄まじい光と爆音で一時的だが視聴覚機能がマヒする。

 

同時に目の前に何者かの気配を感じた少佐は飛び退くが、空気を切り裂いたナイフの一撃が彼女の腕をかすめる。視覚を失った彼女はほぼ気配だけで相手を察知し戦うものの、いくら一流の義体使いとはいえ、限界があった。

 

一気に肉薄した相手に懐に飛び込まれた彼女は、腹部に強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされた。そのまま壁に叩きつけられた時にようやく視界を取り戻したものの、既に目の前にはパズが迫っていた。

 

何かが潰れて拉げる生々しい音が響き渡る。体を守るよう突き出した左腕にパズのナイフが深々と刺さり、突き抜けていた。すぐに右足を蹴り上げて反撃するが、相手は既に離脱していて彼女のキックは虚しく風を切るだけだった。

 

(まともにやってたら敵わない…)

 

彼女は電脳から館内の防災システムを操作して目の前のスプリンクラーを起動させる。突如噴き出す大水量に一瞬怯んだ隙を見逃さず、彼女は再び走り出した。早くも追手の足音が聞こえるものの、応戦してはいられない。彼女は再び電脳からコマンドを送り、防火シャッターを封鎖しようとする。

 

だが、防災システムに取り付くと同時に、仕掛けられていたウイルスが彼女に襲い掛かった。イシカワの仕業だった。とっさの判断で何とか電脳を焼かれずには済んだが、体が重く動きが鈍くなる。まるで体中におもりがついているかのようだ。

 

それでも何とか駆け続ける彼女。だが、止めを刺すかのように通路の向こうからサイトーが姿を現す。体をかがめて身をよじり、横の通路に飛び込もうとするものの、彼の対物ライフルが吠えるのが早かった。

 

左腕が根元から吹き飛び、さらに2発目が右脚のふくらはぎを抉り取る。もはや体はボロボロだった。バランスを崩した彼女はその場に倒れ込むが、正面から姿を現したのは1体のタチコマ。絶望が広がり、どうしようもないほどの無力感が体を支配する。

 

体を起こそうと懸命に足掻くも、タチコマの腕に押さえつけられた。そのまま床に叩きつけられると、彼は容赦なくチェーンガンから火を噴かせて両足の関節を粉砕する。そうして抵抗できなくなった彼女は成されるがままに腕を掴まれ、体を無理やり持ち上げられた。

 

顔を上げると、そこに待っていたのは課長だった。周りにはほかの9課のメンバーたちの姿もある。彼の右手には拳銃が握られ、仮面でも被っているかのように固まった表情のまま、彼女を睨みつけていた。やがて、静かに課長の指が引き金を絞っていく。

 

「ご苦労だったな、草薙少佐」

 

しかし、彼の銃が火を噴くことはなかった。

 

それだけではない。彼女の周りのすべてのものが動きを止めたのである。聞こえていたはずの空調のかすかな動作音、人間の呼吸など、ありとあらゆる環境音がミュートされ、完全なる静寂が辺りを支配する。

 

そんな中、何事もなかったかのように少佐は床に着地した。彼女を押さえ込んでいたはずのタチコマのマニュピレーターはすり抜けていた。被弾してボロボロになっていたはずの体も無傷に戻り、腕に刺さっていたナイフもなくなっている。

 

少佐の周りには、いつの間にか彼女が展開していた無数の防壁アレイが連なっていたのだ。

 

「さすがはゲームね、よくできた偽装空間だったわ。だけど、こんな悪趣味なものを見せるなんて、あなたの感性はどうかしているわね。さあ、分かったらさっさと出てきなさい」

 

すると、周りの風景が彼女を中心に渦を巻くかのように一気に暗転し、闇に包まれる。次の瞬間には、コンクリート打ちっぱなしの無機質な部屋に彼女は転移していた。音を立ててちらつく蛍光灯の下には、古びた木製の机が一つ。また、拘束具付きの金属製の椅子やら、ドリルやペンチやら、原始的な拷問器具も置いてあった。

 

「米帝のAIも騙せる出来だったんだがな~。まあ、相手が相手だし、仕方ないかァ」

 

現れたのはジェイムスン型のサイボーグだった。しかし、市販されているモデルと比べて一回り小さく、塗装も黒一色になっている。現実に存在するとしたら、改造したものだろう。

 

「あなたの名前は何?そして、ウイルスを仕掛けた目的は?」

 

「名前は、そうだなァ、幽霊ということにしておこう。目的は後でだ。それより、今の偽装空間の感想はどうだい、なかなか面白かっただろう?」

 

不気味な相手に臆することなく訊いた彼女。しかし、相手は軽くおどけたような様子を見せながら、逆に彼女に質問してきた。

 

「さっきも言った通りよ。悪趣味で不愉快。癪に障るものがあるわ」

 

「そうかそうかァ。そいつはきっちりと中身を理解してもらえたようで何よりだよ」

 

「あなた、似たような経験をしたことがあるのね…」

 

そう言った彼女。わざわざ防壁迷路の中に取り込み、あれだけ手の込んだ偽装空間を見せておきながら、何も目的がないはずはないのだ。確実に相手は、あれに近い経験を過去に持っている。これまで共に任務に励み、固い信頼で結ばれていた仲間たちに裏切られ、殺されかけた過去が。

 

現実に起こったとするならば、いまの日本では到底考えられない事件だろう。推測に過ぎないものの、そんな出来事が起こり得るとするならば第3次核大戦中か第4次非核大戦中しか考えられない。あの戦争では秘密裏に様々な対外工作活動が展開され、現在でも公にできないような作戦も実行されている。もちろん、今ではそのすべてが歴史の闇の中に葬られているが、その中のひとつだと考えれば説明はつくのだ。

 

伝えんとしたことに見事気づいてもらえて嬉しいのか、相手は興奮したような様子で返す。まるで子どものような反応で、先ほどまでの様子との違いに少佐はどこか違和感を覚えた。

 

「そうだよ。だからこそ、私はいま、幽霊となってこの国に復讐しようとしている。愚かなことだが、怨念がどうしても抑えきれなかったんだよ。分かってくれ」

 

ジェイムスン型はそう言いながら、部屋の奥の方へと進んでいく。まさか、このまま逃げるつもりなのだろうか。少佐はすぐに防壁を展開しようと、手元に無数のコンソールを呼び出す。しかしその時覚えたある感覚に、少佐は驚いた。相手もそれを分かっていたのか、口を開く。

 

「そんなに身構えなくてもいいよ。分かっているかと思うが、私はいわゆる疑似人格だ。実験がてら、“私たち”の考えを一つにまとめてみただけに過ぎない」

 

そう、相手からはゴーストが一切感じられなかったのだ。しかも、一人の人間のものではなく、複数人の人格をまとめているという。様子が不自然だったのはこのためだろうが、複数の人間の人格をまとめてシミュレートさせるなど、研究者レベルの高等技術がなければ成し得ない。相手には相当な技術力があるとみて、間違いはないだろう。

 

「そうね。だけど、疑似人格だろうとも、あなたたちに迫る手掛かりになるわ。悪いけど、この疑似人格は押収させてもらう」

 

「そうか。しかし、それはできないことだなァ…。そういえば、目的を話していなかったと思うが、何だと思う?」

 

振り向いたジェイムスン型が放った言葉に、少佐ははっとした。もしかすると、相手は最初からこれを狙って、周到な作戦を立てていたのかもしれない。気づいた少佐がすぐに攻性防壁で疑似人格を焼き切ろうとするが、その前に強烈な光が視界を塞いだ。

 

「君たち公安を攪乱するためだ。我々の計画には君たちが最も邪魔だからね。消えてもらうよ、草薙素子」

 

目の前いっぱいに広がる光に、もはや目を閉じても光が目に突き刺さる。光に包まれた体は焼けつくような熱を感じ、溶けていくかのような感覚に襲われる。思わず絶叫する彼女。しかし、体が焼け尽されようとしていたまさにその時、ぷつりと映像が途切れ、無感覚になった。同時に意識も遠くなり、真っ暗な闇の中に消えていったのだった。

 




2018/10/7 一部修正
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