付き合って欲しいんだけど、男の告白に女は不思議そうな顔で聞いていた。
仕事が終わり、自宅に戻ろうとしたとき呼び止められたのだ、正直、何故、目の前の男性が自分に、そんな声をかけてくるのか不思議だった。
木山隆二は社内でも大勢の女性達から声をかけられる、付き合って欲しいと交際を申し込まれて、つまりは世間一般にいうハンサムでイケメンといってもいい。
確か付き合っている、いや、恋人がいたはずだ、それなのに自分に声をかけてくるとはどういう了見なのか。
すると別れたんだと,酷くあっさりとした返事がかえってきた。
うーむ、付き合っている女性の噂はひっきりなしで、長く続いていない。
「あたし、退職するんです」
「そうなんだ、でも、それとこれとは」
「木山さん、今までおつきあいした女性と長続きしていないようですし、もしかして病気ですか」
「えっ、どういうこと」
木山は、驚いた顔で目の前の女性を見た、今まで女性に付き合いを申し込んで、こんなことを言われたのは初めてだった。
「コミュニケーション症候群、他人と関係を築くことが苦痛に感じてしまうって、アスペルガーなど、その部類に入るらしいですけど」
木山は返事ができなかった。
「すみません、用があるんで失礼します」
立ち去ろうとした彼女を引きとめようと木山は咄嗟に彼女の腕を掴んだ、その瞬間。 いきなり前につんのめりそうになった。
というか、そのまま、床に顔面を打ち付けた。何が起こったのかすぐには理解ができなかった、振り返ると、長身の男性が立っていた。
「な、何をするんだ」
サングラスをかけた男は無言だ、ただ視線を隣に向けた。
そこにはゴシックロリータ、全身黒づくめのフリルとレース服の少女が立っていた。
「おまえこそ、何してんだ、女に無理矢理ストーカーかよ」
美少女と思ったら低温の男の声だ、木山は驚いた。
「退社したのか、桜」
「はい」
「だったらすぐに行け、予定、暇無しでぎっしり詰めたぞ」
「わかりました」
「宇田川、送って行け、あたしは少し歩いて帰る」
「その格好で、ですか」
「いいだろう、久しぶりに外の空気を吸いたいんだ」
「気をつけて下さい」
男が彼女と去って行く姿を鼻血を出しながら木山隆二は呆然と見送っていた。
鼻血をたらたらと流して会社付近での出来事だったので、仕事帰りの女性達の間で瞬く間に噂になったのはいうまでない。
それだけではない、顔面強打で鼻の骨が折れて腰を痛めたのだ。
翌日、治療代を払って貰うと息巻いていたが、退社した彼女は翌日の便の飛行機で海外に出たらしい、どこへ行ったのか、聞こうとすると電話の向こうは少し押し黙り、しばらくして名前と住所などを聞いてきた。
「事情があってお話はできません、治療費はお支払いします」
と言って電話が切られた。
翌日、無記名の小切手が送られてきた。
仕事を休んでいる間、友人と飲みに行き、その話をすると、相手は真顔になった。
「その小切手、ちゃんとしたものなんだろうな」
「なんだよ、それ」
「おまえのことだ治療費に少しプラスして請求したとかしてないだろうな」
「まあ、少しは」
やばくないかといわれ、何を言い出すんだと笑い飛ばそうとしたが、友人の顔は酷くまじめだ。
そのとき、木山さんじゃないですかと声がした、振り返るとメガネをかけた男性がにっこのと笑いかけてきた、自分とあまり変わらない年に見える、仕事先の人だったろうか、すぐには思い出せなかった。
「仕事はお休みだと伺いましたが」
「ええ、もうすぐ復帰するんですか」
それはよかったですねと、ビールの追加を二人にと店員に声をかけて男は店を出ていった。
一瞬、呆気にとられたが、木山は友人に飲もうと声をかけた、ところが。
携帯、貸してくれと友人が手を伸ばした。
自分の携帯を弄っている間、木山はごくごくと目の前にやってきたビールを飲み干した。
「飲まないのか」
「帰るわ、俺の携帯のアドレス番号も消したから、連絡しないでくれ、しばらくは付き合いも、いや、終わりにしよう」
意味がわからなかった、呆然とする自分に友人が小声で言った。
「あの男、ヤクザだ」
何を言われたのかすぐには理解できなかった。
「小切手と病院の支払いから知ったんだろうな」
「な、何、言ってるんだ」
友人は、ぼつりと呟き、静かな声で続けた、女癖が悪いのは昔からだけど。
「おまえ、何、やったんだ」
「何って、どういう」
「エリートヤクザに目をつけられるなんて、普通じゃないぞ」
聞き慣れない単語だった。
「法律や役所に精通しているんだよ、昔のヤクザと違って、ちゃんと手続きを踏んでくるから狙われたら最後だ、自殺、浮浪者、まともな生活どころか、職にもつけないぞ」
このとき、木山は初めて気づいた、友人の怯えた表情に。
「ご苦労様でした」
「ああ、ビールが美味しい」
会員制のクラブ地下の室内では、皆、役者だねえっと数人の男女が笑っていた。
会社の友人、社内恋愛のごたごたはよくあることだ、だが、今回は自殺未遂した女性が会社の重役ということで、相談された山野タツミは協力する事にしたのだ。
「それで男は仕事を」
「一身上の都合で退職したそうです」
「まあ、それはよかったこと、ただ、友人がよく協力したわね。
「それは、以前、彼の恋人を」
「それを、本人は知ってるの」
どうでしょうと女は肩を竦めた。
どちらにしても事はすべては終わったのだ、不誠実な事ばかりしているから自業自得だ、だか、そんな言葉はあの男の耳には届かないだろう、すべてが役者で仕立てられたものばかり、だが、本物があるとしたら,一つだけ、ヤクザだ。
本物の借用書を手に入れて、その名義を木山に変更したのだ、正式に。金を取り立てる事ができるなら書類の出所,流出など連中は目を瞑るだろう。
可哀想に、そんな呟きと笑い声は、夜の更けるまで途切れる事はなかった。