大学選抜戦前夜。ミカは「大洗は負けるべきだ」と言い出す。

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泥水を啜り笑え

「お茶会、楽しそうだよ?」

「刹那主義には賛同できないね」

 

 ミカはいつもの、底の見えない微笑みを浮かべたまま、そっとカンテレを爪弾いた。涼やかな弦の震えが、さわさわとした葉ずれの音、ぱちぱちと焚き火のはぜる音と調和して、穏やかな雰囲気を作り出す。

 アキにはそれが、ミカの話を濁すときのやりかただとわかっていた。いつもなら、これ以上問いを重ねても受け流されるだけだから、「ふうん」と相槌を打って話を変えるのが彼女の役目だ。

 

「……行かないの?」

 

 しかし、珍しく一歩踏み込んだ言葉に、ミッコは金物の器に盛られたシチューから顔をあげてアキを見た。焚き火に照らされた顔は、背後に夜闇を背負って、真剣な色を濃く映しだしている。

 さっき、BT-42の通信機に、聖グロリアーナからの暗号電文が入った。「北の地にて、飲み交わすべし」。北海道で行われる大洗女子学園の存続を賭けた戦いに七校で参戦しようという密謀の、決行連絡。作戦文書と大洗の生徒であることを示す制服は、既に届いていた。

 しかしこれまで一度も継続は――ミカは、返事を返してこなかった。ついに決行の連絡が来ても、こうやって三人で学園艦を降りてキャンプを張っている。

 ミカがなんとなくミッコとアキに声をかけて、愛機BT-42で出かけるのはいつものこと。しかし、アキは次々と送られてくる作戦の要旨を無視しつづけていたミカに、ついに我慢ができなくなった。

 カンテレを弾く手が止まる。それを許しだと見て、アキは言葉を続けた。

 

「大洗、大変なんでしょ? 助けに行ってあげようよ」

 

 ミッコはなんとなく、食べるスピードを早めた。早く器を空けた方がいいような気がした。

 

「それは私の主義に反するな」

 

 いつもとは違う、ミカの硬質な拒絶の声。いつも耳を澄ますように閉じられている瞼が、薄っすらと開いて焚き火を物憂げに見つめている。

 主義、という言葉に、ミカらしくなさを感じる。けれど同時に、その主義こそがミカを形作っていることを、ミッコは知っていた。アキも、そのはずだった。

 

「反してるかな?」

「うん、明らかに反しているね。私は戦車道を道具にはしたくないんだ」

「……この試合が、大洗を廃校させないための道具になってるってこと?」

「そういうことさ」

 

 ミッコは、ミカがよく言う言葉を思い出した。

 練習前には「楽しくやろう」と。なにか新しい戦術を試してみるときは、「楽しそうだろう?」と。楽しさが、ミカの行動指針だった。

 この謎の多い隊長は常々、口数が少ないながらも戦車道を楽しむことを他のメンバーたちに促していた。

 だから、ミカは単にこの戦いに楽しさを見いだせなかったのだろうな、自分は楽しそうだと思ったけれど、ミカが言うならしょうがない、と思っていた。

 そこに主義という言葉が出てきて、少し雰囲気が変わった。ミッコは食べ終わった器を、座っていた丸太の曲面に絶妙のバランスで置いた。この会話がどこに流れるのか、見届けるつもりで。

 

「でも、楽しそうじゃない?」

 

 ミッコが抱いているのと同じ疑問を、アキは口にした。

 

「私には全くそうは思えないな」

 

 普段の柔和な口調を置き去りにして、鋭利にアキの疑問を切り捨てる。

 

「こんなの政治利用だ。大洗が勝って、その瞬間はいいさ。大洗の人々も救われる。でも、次はこの成功を目にした人々が、次々と大洗の成功を真似しようと、戦車道に参入してくるだろう。そのとき、そこに生まれるのは勝利至上主義だ。戦車道の楽しさを知らずに、ただの目的を達成するための道具として戦車を使いはじめる」

 

 次々と、ミカらしくない言葉が、その口から出てくる。普段、人を煙に巻くセリフしか吐かない唇は、言い終わってからきゅっと結ばれた。

 

「そうかな?」

「そうだよ。そのシチュー、食べないなら貰ってもいいかな?」

 

 これでお終い、と言うように、ミカは膝のカンテレを爪弾く。アキの持っているシチューは、とっくに湯気を失っていた。

 

「……それで、ダメなのかな?」

 

 アキの言葉に、今度こそミカは明確に機嫌を損ねたようだった。森の奥の湖みたいに静かな表情が、僅かに波立つ。

 

「勝つことだけが戦車道じゃないのはわかるよ? でも、勝つことを目的にするのも、楽しみの一つじゃない?」

「それを楽しんでくれるならね。でも、手段に落ちてしまうと、目的を越えられなくなる」

 

 黒森峰みたいにね、と珍しく具体的な名前を批判に使った。ミッコはそこに、蔑むような色を嗅ぎとった。

 

「黒森峰が西住みほさんを追い出した経緯は知っているだろう? あれが常態化するよ。勝利が人道を越えるんだ」

「でもこのままじゃ、それを覆してみせたみほさんが、ミカの言う政治的利用された戦車道で負けちゃうんだよ?」

 

 ミカは黙った。ミッコは上手いところをついたな、と思った。ミカは、西住みほを好んでいるのだ。その戦術や、それ以外の部分も。

 しばらく焚き木がはぜる音だけが響く。少し放っておいたうちに、焚き火はその勢いを弱めていた。ミッコは立ち上がって、傍らに積んでいた枝を何本か折って放り込む。

 まだ湿気の残る枝に徐々に火が回ってきて、炎は煙とともに大きくなった。そこでようやく、ミカが口を開いた。

 

「負けるべきなんだ、大洗は」

「なにそれ!?」

 

 アキが立ち上がる。手に持っていた器の端から、シチューが少しこぼれて草を濡らした。

 

「せっかく戦車道のおかげで廃校が撤回されたのに、それが無くなってもいいの!?」

 

 ミカは目を閉じて、アキの怒声をただ黙って受けていた。いつもと同じような表情だけれど、いつもより眉間に力が入っている。ミッコには、ミカが自分の言った言葉に悩んでるように見えた。それを見出したうえで、ミッコも口を開く。

 

「そしたら、それこそ戦車道にはなんの影響力も無いってことで、いっそう人気無くなりそうに思うんだけど」

 

 こんな言葉が出てきて、ミッコは自分に驚くような気持ちだった。自分の中に、戦車道のマイナーさを気にしている部分があるとは思わなかった。そこに、さらに冷酷な切り返し。

 

「それなら、いっそ無くなればいいのさ。戦車道なんて」

 

 ミッコも、知らず立ち上がっていた。座っていた丸太が揺れて、ギリギリのバランスで載っていた金属の食器が、派手な音を立てて地面に落ちる。

 冷淡すぎる言葉の対象は、もはや大洗を越えて自分たちが最も大切にしているものすら含んでいた。それが、いつも戦車道を楽しめと命じている彼女の口から発されたのだ。

 

「どういうこと、ミカ?」

 

 ミッコの問いかけは熱い怒りで冷えていた。彼女は戦車が好きだった。駆動系の唸り、履帯の軋み、ときにむき出しになるクリスティー式転輪で地面を削りながら走ること。それらを全力で楽しんでいた。

 ミッコにとって、ミカが普段から言う「楽しもう」という言葉はまさに自分の行いを肯定してくれていたのだ。

 ミッコはこの訳のわからない、素性の知れない隊長が好きだった。ミッコやアキが本名を引き継いだニックネームなのに対して、ミカという名前もあくまで自分で名乗っているだけで、本名は知らない。ほとんど帰らない寮の自室のドアプレートには、「名無し」とサインペンで走り書きしてある。ときにふらりと姿を消したかと思うと、出処の知れない戦車とともに帰ってくる。

 それでも、その実力は確かだった。彼女の指示はほとんど砲塔のハッチから顔を出さないのに正確で、ときに操縦手席からの視界でしか見えないようなものすら、自分よりも早く予見してみせることがある。隊列なんてほとんど組まないのに、個々の持ち味を活かして相手を混沌に引きずり込む部隊運営はまるで魔術だった。

 それほどまで優秀な戦車道選手がなぜここまで、自分の没頭する競技に冷淡になれるのか、加熱された頭でも疑問に思った。だから、聞き出さなくてはいけない。

 ミッコは一歩、ミカに向かって踏み出す。

 

「答えてよ、ミカ」

 

 ミカは瞑目したままだ。もう一歩、ミカに向かって踏み出す。ミッコのブーツが下草と土を強く踏んで、彼女の体重以上の意味を含んだ重い音を立てた。

 ミカはそっとカンテレを膝から下ろす。自分の座っていた切り株に立てかける動作も静かだ。ようやく発された言葉も、静かだった。

 

「戦車道がもし、その戦車道らしさを失うなら、今ここで死んでしまったほうがましだ、ということさ」

「……それは、楽しめるもので無くなるなら、ってこと?」

 

 アキの問いかけもまた静かだ。ミッコは急に、自分だけが熱くなっているような気がした。

 

「そういう意味も、含んでる」

「全部の意味を言ってよ」

 

 イラつきは刺々しい言葉になった。

 

「……戦車って、なんだろうね」

 

 そのつぶやきは、ミッコにもアキにも向けられていない問いかけで、ミカは二人の答えを待たずに続ける。

 

「元々は、人を殺す機械だったわけじゃないか」

 

 今更のような言葉だ。だけど、そこに明らかな苛つきを感じ取って、ミッコは口をつぐむ。

 

「機銃はハッチから顔を出してる車長を狙うためのものだし、榴弾なんて、明らかに歩兵を細切れにするために開発されている。戦車にまつわる歴史は、人殺しの歴史だ。例えばプラウダの地吹雪が好きなKV-2。『街道上の怪物』という異名の由来は、自分たちの死を覚悟でドイツ軍の前に立ちふさがった乗員たちの話だ。彼らは最後には、砲塔に爆弾を投げ込まれて殺されている」

 

 薄目を開けたミカの瞳に、焚き火のオレンジ色が映り込んで揺れている。

 

「でもそんな凶器が、時間の流れとともに私たちのものになった。戦車道はそこに精神修養とか、自己鍛錬とかを見出して、戦車に新たな生命を与えた。良き母と妻を育成する、命を繋ぐためのものになったはず、だったんだ」

「だった?」

「それが今、変わってしまおうとしている。もっと言うなら、少し前から」

「わかんないよミカ。はっきり言って」

「私は子供の頃から戦車に触れてきたんだ。その頃の戦車は、楽しかったよ。政治や利害関係に惑わされない、純粋な戦車道さ。でも、方針が変わった。来るべき時に向けて、勝負に徹した戦い方をしろって、言われたんだ」

「来るべき時って?」

 

 ミッコは焦れていた。次の答えこそ自分を満足させてくれるものでなかったら、ミカの脇に置いてあるカンテレを焚き付けににでもしてやろうかと思っていた。

 

「……プロリーグの設立だよ」

 

 ミカの答えはある程度、ミッコの疑問を解消するものだった。

 それは、おそらくほとんどの戦車道選手が気にしていた、日本戦車道の新たな方向への模索だった。

 元々戦車道は、日本が発祥だ。国内に戦車が輸入された際、男性がこれを武士道に反する兵器として搭乗を拒み、女性騎兵隊に優先的に支給したことに端を発し、その訓練で、砲弾の炸薬を減らした模擬戦を行ったことが始まりと言われている。

 そして、競技としての発展は、これを見て母国に持ち帰った外国人たちによって成された。

 競技化がなされ、ルールが明文化されていく。そんな中、日本はあくまでも武道としての姿勢の維持にこだわった。それゆえ、興行として成立したプロリーグというものには、背を向け続けていた。

 しかし戦車道の国際交流が起こり、長らく望んでガラパゴス諸島を気取っていた本邦にも、競技としての競争原理が持ち込まれた。

 そして他国との対戦の中、日本戦車道にも徐々にその競技性が染みこんでいく。

 戦車道の発祥国として、負けられないではないか。

 プロリーグの設立は、日本への国際大会の誘致成功より先駆けて決まっていた。

 

「ミカは、反対派なんだ」

 

 その意見は、確かにあった。なぜ自分たちの手で作った伝統を、後乗りの興行性などで汚すのか、という意見。

 しかし、ミカはその言葉すら鼻で笑った。

 

「反対派? 違うね。こんなもの食べられない、っていう好き嫌いじゃない。これは食べ物ではない、と言ってるんだ。企業からお金を貰って、成績によって給料が上下する。勝つために選ぶ戦車はやがて、レギュレーションのギリギリまで改造されていくよ。今、大学戦車道では情報端末の普及が進んでいる。通信手の仕事を馬鹿にしていると思わないか」

 

 ミッコも、その話を聞いたことがあった。島田流が進めている、戦車道へのIT技術の導入。単に便利になると思っていた程度だったけれど、ミカはそこに戦車兵の一職種の喪失を見出していた。

 

「戦車道は、ようやく前線から引いた戦車たちに新たな生を与えることだ。それは人の幸福のためにあるべきだ。権益や利害の解消のためじゃない。それは血生臭さから開放された彼らを、また別の生臭さに貶すことだ。私はそんなこと認められない。だから私は、継続(ここ)で戦車道をやってるんだ。勝利至上主義が無かったからね」

 

 それはミカが初めて明かした、継続で戦車道を続ける理由だった。

 

「なによりも、鹵獲ルールでプラウダと戦うことを辞めないことが気に入ったんだ。学校のモデル国からいえば、その伝統を引き継ぐのはおかしいことじゃない。けれど、私が来るまで継続は負け続きだったって、知ってるだろう? それでも、奪われた戦車を買い戻したりしながら、それを続けていたんだ。それは自分たちのルーツを忘れないためだった。利益や、勝敗のためじゃない。

 なんでもするっていうのは、生きるためのみ許されることなのさ。伊達や酔狂でやってることに、その原理を持ち込むべきじゃない」

 

 そう言ってミカは口をつぐんだ。ミッコには、もうなにも言うことはできなかった。

 ミカの言うことに、賛同はできなかった。それは言うなれば、緩慢な自殺だ。戦車道の純粋性だけを追い求め続ければ、自然、競技人口は減り、やがては競技自体の衰退に繋がっていく。

 戦車道の楽しみを知る人間として、この競技がもっと広まればいいのに、と思っていた自分に気づいた。泥水を啜るより高貴な死に顔を求める姿勢は、逃げにも見えた。

 同時に戦車道の楽しさの中に、ミカの言うとおりの「伊達や酔狂」があることも、理解させられてしまった。

 少し前の全国大会で、サンダースが無線傍受機を使ったと聞いて、素直に腹が立った。そこまでして勝ちたいのか、と思った。だからそれを逆手に取って勝った大洗に気持ちが近づいていたし、後々大洗も携帯を使って通信をしていたと知って、その勝利を蔑むとまでは言わないが、少しモヤモヤするものは感じていた。

 そのモヤモヤが言葉に出来なかったように、ミカへの反論は上手く形を結ばなかった。

 木々の葉ずれの音の中、ミッコはなにか言葉を探して、アキの顔を見た。

 アキはどこか、落ち着いたようにすら見える顔で、少し俯いていた。アキも、ミカの言葉の含む毒にやられてしまっていたように見えて、ついにミッコは何かを言おうという気持ちを失った。

 ミカは立ち上がった。

 

「じゃあ、もう寝るよ。今日は囀りすぎて疲れたな。やっぱり私は、この子に話してもらった方が楽だ」

 

 小脇にカンテレを抱え、それを少し揺らしながらテントの中へ帰ろうとする。しかし、ミカがタープに手をかけたところで、アキの声が追いすがった。

 

「じゃあ、大洗は無くなったほうがいいってこと?」

「……無くなったほうがいいってわけじゃない。ただ、利得の目的に戦車道を使って、成功する例になってほしくないだけだよ」

 

 声音に苦渋がある。

 ミカが大洗の西住みほを気に入っている様子なのは、アキもミッコも知っていた。

 昨年の全国大会での水没車の救助、今年度決勝での、渡河中に止まってしまったM3の牽引。戦術自体もミカの志向する、各車の裁量を広く許す有機的な戦い方に似ている。

 それでもミカは、大洗を助けには行かない、と判断したのだ。その主義の固さが、改めて顕になる。

 

「でも大洗の人たち、戦車道楽しんでたよね」

「……そうだね」

「あの人達がもう、戦車道できなくなっても、いいの?」

 

 ミカは小さなため息とともに答える。

 

「別に、戦車道ができる学校は大洗だけじゃないさ。なんなら、継続に受け入れたっていい。車両の構成は違うけど、彼女たちなら――」

「それって、ミカが嫌ってることと同じじゃないの?」

「……どういうことかな」

 

 振り返ったミカの表情は、焚き火から離れて陰に隠されている。声色も平坦で、感情が見えない。だが、それこそミカが気分を害したときの様子だ。

 アキはそれを知っていて、言葉を続ける。

 

「ミカが言ってることって、ミカの主義に基づいた戦車道でいてほしいってことだよね」

「……そうかな?」

「そうだよ。それ、勝利のためにって戦車をレギュレーションギリギリまで改造することと、同じに見える」

「……続けて」

 

 カンテレをテントの入り口に立て掛けて、焚き火の明かりの範囲に戻ってくる。

 

「ミカは、戦車道が勝つことだけを考えるものになって欲しくないんだよね?」

「ああ」

「でも、このまま助けずにいたら、大洗は無くなっちゃうんだよ? 決勝戦で、みほさんがM3の子たちを助けに行ったところ、褒めてたじゃない。あの人の戦車道が、無くなっちゃうんだよ?」

 

 ミッコは、珍しく熱くなったミカが、西住みほのしたことがどれだけ素晴らしいか二人に対して一席打ったことを思い出した。

 まず、試合中にもかかわらずチームメイトを救おうとしたこと。前年にそれで黒森峰から放逐されたのにもかかわらず、であったこと。そこに大洗の廃校も掛かっていた状況でありながらそれを選択したこと。それを指揮官自ら車両を飛び移ってやったこと。

 ついにはそこで助けられたM3のその後の活躍まで褒め始めた。ひょっとしたら、彼女はM3の優秀さを信じていたからこそ助けたのかもしれない。実利的な考えと彼女の心意気が混交した最高の試合だった、とまで評した。

 

「……でも、戦車道はどこでだってできるさ」

「じゃあミカの言う、勝利至上主義のプロリーグでだって、できるんじゃない?」

 

 ミカが口を開く前に、つめ込むようにアキは続ける。

 

「ミカは勝手だよ。いつもの勝手と違う、カッコ悪い勝手。自分のやってる戦車道を守りたいって思ってるのに、他の人たちがそれを失うのは、どうでもいいって言うんだ」

「……それは」

「だから同じだって思うんだよね。ミカの気に入らないような戦車道になって行くことは嫌なんでしょ? だから助けないって。でも、大洗の人には『他の環境でも戦車道はできるよ』って言うの、変だよ。

 だって、環境が変わることが嫌なのはミカも一緒なのに、それを他人には言えるなんて、なんていうか自分勝手に思う。それなら、ミカだってプロリーグに行けばいいじゃん。プロで、ミカのやりたいようにやってみれば? そうやって、自分の好きな環境じゃなくてもできることを証明して、それから言いなよ」

 

 傍目にも、ムチャクチャな理屈だった。けれど、それはミカが持っていた大洗の今後に対する暗い気持ちと相まって、ミカを真剣に悩ませたようだった。

 

「ミカがその理屈で大洗が無くなればいいって言うなら、ミカの主義だって同じ理屈で殺されちゃうよ。文句も言わずにいたら、『変わった環境でやればいいんだ』って言われて、ミカの主義は無視される。嫌なんでしょ? 戦車道が勝利至上主義になって、みんな戦車の楽しさを忘れちゃうのが。なら言いに行こうよ、文句。ここで殺すよりも、将来に希望をもって生かそうよ。大人の利害の場所で、自由に楽しんでやって、ミカの主義はこれだって見せてやればいいじゃない」

「……人の大事を楽しもうだなんて、アキは随分悪いやつだね」

「でも、これこそいつもミカが言ってる、『戦車道の大事なこと』じゃないのかな? 楽しまなきゃ!」

 

 力なく、首を振って笑うミカ。こういうのは、笑ってしまったほうが負けなのだ。

 ミカには、まだ言えることはあった。そもそも助けに行く義理がないとか、高校生と大学生には圧倒的な実力差があって、到底勝てるとは思えない、とか。でも、主義で放った言葉を、その主義で丸め込まれたら、あとはもう他の言葉は負け惜しみでしかない。

 それでもなにか言いたがるようにミカの唇は僅かに揺れた。

 

「……理想論だよ」

 

 その言葉があまりにもかっこ悪くて、ミッコは笑ってしまった。

 

「それ、ミカが言うの?」

 

 ついにミカは、声を出して笑ってしまう。釣られて、アキも笑う。弱まった焚き火のはぜる音がかき消されるぐらい、三人は笑った。

 それから、ミカはいつもの薄笑いを取り戻す。

 

「アキ、ミッコ、寝てくれ」

 

 冷静な、指揮官の言葉。

 

「三時間後に起こすよ。そしたら、継続に帰って短期転校の手続きをとるから、金沢港まで操縦を頼む。私は戦車の中で寝るよ」

「了解」

「うん、ちゃんと起こしてね」

 

 ミッコは落とした食器を拾って、ミカに手渡す。

 

「じゃあ、これ洗っといて」

 

 ミカは「人使いの荒い操縦手だね」と苦笑いした。

 

*

 

 そして、決着がついた。

 一時は崩壊しかけた大洗の戦列も、気づけば西住みほの指揮の元まとめ上げられ、廃墟となった遊園地を舞台にした奇想天外なゲリラ戦で、練度の上回る大学選抜を翻弄した。

 ミカたちはそれよりも前に離脱してしまったが、撃破数は三両。大戦果だ。

 だがしかし、その喜びも忘れてしまうほど、西住姉妹と島田愛里寿の戦いは劇的だった。

 姉妹のコンビネーションは一人の操縦者がふたつの戦車を操っているようだった。それにたった一両で向こうを張ってみせる島田愛里寿の高機動も人間離れしている。

 彼女たちの鋼のシューズの舞踏は、絡み合い、もつれ合った。最後は、空砲を打ち込まれ加速した戦車による肉薄砲撃という、誰もが目を疑うような奇策によって、西住みほは大洗女子学園の存続を取り返した。

 その後、試合に参加した者達はひとところに集まった。戦車道協会審判部が目視判定用に飛ばした双発機銀河が、彼女たちの会話している様子を映している。

 さっきまで死力を尽くしていた彼女たちは、いまやもう敵同士ではなかった。紅茶を飲み交わしたり、肩を組んだり、熊の人形を手渡したりしていた。

 そこには勝敗を越えたなにかが、ちゃんと形を持って存在していた。

 一足先に会場から去った彼女たちは、上陸用舟艇にボロボロになったBT-42を乗せて河を下っていた。

 どこから持ってきたのだったかもう忘れたような、アンテナのついた古いテレビの中の光景を見て、アキがミカに向かって振り返る。

 

「戦車道には本当に、人生の大切なことが詰まってるね!」

 

 当て付けみたいな言葉だ。だけど、ミカは言い返せない。やはり、戦車道は素晴らしかった。そこにどんなしがらみがあっても、やはり、美しいままであり続けていた。

 

「……だろう?」

 

 少し気恥ずかしくなったミカはアキから目をそらし、いつもの底の見えない微笑みを浮かべ、嘯くように言った。

 それを見たミッコが、船の操縦席でクスリと笑った。



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