やっちまった男の英雄譚   作:ノストラダムスン

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妖怪全部おいてけ

 眼前の好敵手を見据え、油断なくその挙動を観察しながらも、セイバーは己の短慮を悔いていた。

 二本の槍を自らの手足のごとく操る巧みさを、その闘法でもってセイバーの斬撃をいなす練達の技を見てなお、「槍の正道は両手で一槍」という先入観が、セイバーの判断を誤らせた。

 

 どちらが「虚」の槍で、どちらが「実」の槍か――そのような見極めこそ、始めから無意味だったのだ。両方ともが「実」であり、両方ともが本命の一刺しを繰り出し得るのだという正解に至らなかった代償は、あまりに大きかった。

 

 『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』によって負った傷は、その槍が折れるか持ち主が死ぬまで癒えることはない。研ぎ澄まされた一撃によって親指の健を断ち切られた左腕は、剣を持つことに関してはもはや死に体と言ってよかった。

 

 無論、その程度で戦意を喪失するセイバーではない。しかし、本来両手で支えるべき剣を片手で振るえば、魔力の消費量は増え、威力も速度も落ちる。つまりあらゆる点での弱体化は避けられないのだ。ランサーが槍を両手で持たぬことを訝しんでいたセイバーが、逆に剣を両手で振るえぬ立場になるとは、皮肉なものだと言わざるを得なかった。

 

 それでも、そのような心の動揺は瞬く間に静まり、意識は余さずランサーへと向けられる。状況は不利。だが騎士として、同じく騎士の誇りを胸にする者と戦えることに、セイバーはむしろ喜んでいた。

 

 

 向かい合う両者の闘気は魔力を伴う熱気となって物質世界に干渉し、空間を陽炎のごとく揺らめかせる。一言も発さぬまま、それでも戦場で果たし合う者同士の特別な感覚によって、まったく同時に地を蹴った。

 クラスの関係上、単純な敏捷性ではランサーの方に分があるが、セイバーもまた、己がスキルである「魔力放出」によって桁違いの推力を得ている。このまま高速度でぶつかれば、どちらが打ち勝つにせよ、どちらかが致命的な損傷を負うことは目に見えていた。

 

 無論、両名ともそれを覚悟の突進だった。

 しかし、今回に限れば、予想外の第三者の介入によって、その激突は免れることとなる。

 

 その男は、雄たけびと共に戦車を操り、空から駆け下りてきた。

 

「双方、武器を収めよ! 王の御前である!」

 

 夜天を切り裂く雷光のごとく――――実際、男が駆る戦車を牽引する二頭の牡牛の蹄は、大地でなく、風でなく、稲妻を踏んで宙を疾駆していた。一歩ごとに紫電が蜘蛛の巣状に広がり、雷音と共に暗闇を照らす。

 一目で神代の逸品と分かる戦車にマスターらしき少年を乗せ、その男は今まさにぶつかる直前にあったセイバーとランサーの間に、剛胆にも制止を命じつつ割り込もうとしていた。

 

 このまま両者がぶつかれば、二人まとめて戦車に轢き倒されるのは必定。両名ともが咄嗟に飛びすさって生まれた間隙に、戦車は猛烈な勢いで飛び込んでくる。

 

 そうして、空から飛来した巨躯の御者は、牡牛の手綱を巧みに操り、戦車を地面に降り立たせた。疾走の勢いのままに大地を滑らせ、アスファルトを砕きながら停止する。

 そして、場に沈黙が訪れた。周囲の視線を一身に集めつつ、男はまずセイバーに、次にランサーに目をやった。そして満足げに頷き、口を開く。

 

「セイバー、そしてランサーよ。貴様らの先ほどの斬り合い、まことに見事であった。向こうの橋から見ていたがな、余の知るどの戦士と比してもなんら劣るところのない剣捌き、槍捌き。さぞ名高き英傑と見たぞ」

 

 その言葉に対し、誰一人として反応する者はいない。騎士の決闘に水を差してまで、この男は何を言おうとしているのか? 勝負を邪魔された二人のサーヴァントはもちろん、そのマスターたちも、密かに勝負を監視していた傍観者らも、誰も彼もがその真意を測り損ねているからだった。

 不審げな沈黙を意にも介さず、もちろんいたたまれな気に戦車の中で縮こまっている己のマスターにも頓着することなく、赤髪の男は言葉を紡ぐ。

 

「そこでだ、貴様らに提案がある。その武、その技、一つ余の覇道のために振るう気はないか? さすれば貴様らを余の軍勢の一人として迎え、共に世を征服する快悦を分かち合う所存である」

 

 どうだこの名案は、と言わんばかりの会心の笑みで、男はそう言い放った。いよいよ顔を完全に隠して丸まってしまった少年を尻目に、まずはランサーが答えた。

 

「断る、と言えば?」

「ふむ、まあ別にどうもせん。が、もし待遇について何か不満があるならば……」

「では断る」

 

 にべもないとはまさにこのことで、ぴしゃりと言い放ったランサーはこう続けた。

 

「俺が仕え、聖杯を捧げるべきは、俺を召喚したマスターただ一人。断じて貴様ではないぞ」

 

 言い終えると、ランサーは横目でセイバーを見やる。それを受けて、セイバーも口を開いた。

 

「そもそも、素性すら明かさずにいきなり配下となれとはどういう了見だ。まずは自ら名乗るのが道理ではないか?」

「む?」

 

 セイバーの、少なからず怒気を含んだ言葉を聞いて、男は目を丸くする。少しの間、顎髭を撫でつつ何やら思案していた男は、突然高らかな笑い声をあげた。

 

「おお、そうだったそうだった! 思えば余はまだ名乗りを上げておらなんだ。それでは余に従う気にならんのも無理はない!」

 

 許せ許せ、と照れ笑いを浮かべつつ頭を掻く男に、別にそれが断った理由ではないのだがなと言いつつ、ランサーも苦笑いを浮かべる。

 そうして仕切りなおした後、男は顔を引き締めて居住まいを正し、厚い胸を思い切りそらして、

 

「我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においては、ライダーのクラスを得て現界した」

 

 秘すべき己が真名を、いささかも躊躇することなく公言した。戦車の中で懸命に現実から目を背けようとしていたマスターは、世にも悲痛な声で絶叫した。

 

 

 

 

 

「くっ……」

 

 夜の暗闇にまぎれ、サーヴァント同士の主戦場となっている一角から少し離れた倉庫より戦場の様子を観察していたケイネスは、苛立たしげな声を漏らす。その意識は、二人の決闘に突如横槍を入れてきた男、イスカンダルに向けられていた。

 

 ケイネスのサーヴァントであるディルムッドとセイバーの一騎打ちの結果は、まずまずと言えた。宝具を晒すことになりはしたものの、それはもとより織り込み済みである。それよりも、聖杯戦争において「最優」として知られるセイバーのクラスの英霊に手傷を負わせ、武器を振るう上で必要不可欠な腕の一本を奪えたという戦果の方が重要だった。

 

 もちろん、欲を言えば双槍のタネが割れる前にセイバーを討ち取るのが望ましかったし、絶好の好機にセイバーを仕留めきれなかったランサーへの苛立ちも皆無ではない。

 しかし、これまでの戦闘を観察して、それを易々と許す剣士でないことは、白兵戦にはさほど明るくないケイネスとて理解していた。

 

 だからこそ、左腕を奪ってからが本当の勝負だったのだ。他のサーヴァントやマスターらの介入の前に、片腕を潰したセイバーを討ち取る。そうしてこそ、「ランサー陣営は油断ならぬ」という認識を、すべての敵に与えることができたはずなのだ。

 

 しかしその計算は、ライダーの介入によって破綻してしまった。第三のサーヴァントの存在がある状態で、セイバーの討伐を優先することはできない。ライダーがセイバーに加勢しないという保証はないし、たとえ何事もなくセイバーを討ち取ったとしても、次に待っているのは万全のライダーと消耗したランサーというハンデマッチである。

 

 実際のところ、この場でセイバーを逃したところで、ランサーが不利になる要素はない。むしろセイバーの方こそ、己の左腕を取り戻すチャンスを逃したと考えるかもしれない。

 が、戦闘という一面のみで判断するならばそれで良いとしても、ケイネスとしては望ましくない結果であった。何といっても、今回の聖杯戦争にケイネスが参加した一番の目的は、自身の魔術師としての数多の栄誉に、「聖杯戦争の勝利者」という戦歴を加えることなのだから。

 

 ただ勝利のみを、聖杯の獲得のみを目指すなら、セイバーに手傷を負わせた時点で良しとすべきだろう。ランサーを撤退させ、傷ついたセイバーが他の陣営に狩られるのを待てばいい。隠れ潜み、潰し合わせ、弱った敵や消耗した敵を安全に攻撃するのが、あるいは戦術というものかもしれない。

 

 だが、そんな手段で聖杯を手にした瞬間、ケイネスはむしろ敗北者へと身を落とすこととなるだろう。「ネズミのように逃げ隠れし、ヘビのごとく狡猾に聖杯を掠め取った男」などと評されることになれば、そもそも何のために極東の島国まで遥々足を運んだのかも分からなくなってしまう。

 

 

 とは言え、と。ケイネスの中の理知的な部分が熱くなりかけた思考を諌める。

 現実問題として、もはやこの場でセイバーを打ち倒すのは不可能である。ならば、「最優」を討ち取ったという功績を得るのは後回しにして、少しでも情報を得ることを優先すべき――ケイネスは自分にそう言い聞かせ、ひとまず心の澱を抑えると、より鮮明に状況を観察すべく、魔力を割いて主戦場を注視する。

 

 すると、ライダーの戦車の中で、見覚えのある少年がライダーに向けて怒鳴っているのが見えた。その顔を視認した瞬間、ケイネスの中で再び、抑えがたい憤怒が沸き上がってくる。

 

「そうか、君か……」

 

 見まごうはずもない。その少年は、ケイネスの工房から英霊イスカンダルの聖遺物を盗み出した下手人、ウェイバー・ベルベットに他ならなかった。三流魔術師ごときが何のためにそのような大それた盗みを働いたのか、ケイネスは疑問であったが、ここにきてその理由を把握する。

 つまりウェイバーは、自らが聖杯戦争に参加する腹積もりだったのだ。どこでその情報を知ったかは分からないが、ケイネスから聖遺物を盗み、マスターとして参戦している以上、他に解釈のしようがない。

 

 知らず知らず、額に青筋が浮かぶ。その苛立ち、怒りは、盗まれたその時以上に強い。

 なぜならば、ケイネスは征服王イスカンダルの代わりとなるあの槍兵を召喚してから今日に至るまで、ある一つの疑念を抱き続けているからである。

 

 それは、ケイネスの許嫁であり、何よりも愛する女性である、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに関することだった。率直に言えば、ケイネスはソラウが、己のサーヴァントに心を奪われているのでないかと疑っているのである。

 

 疑うべき根拠はいくつもある。ディルムッド・オディナという男の伝説、妖精に与えられたという魔の黒子。さらにケイネスに対するソラウの冷たさや、それと対照的な、ソラウがディルムッドに示す恥じらいの仕草。上げればきりがない。

 

 そのことを思い出すだけで、黒い嫉妬の炎がケイネスの思考を焼く。そしてその原因、すなわちディルムッドという男を召喚するに至った経緯を考えれば、ウェイバーに対してもその怒りが飛び火するのは当然だった。

 

 すなわち、ウェイバーが聖遺物を盗み出しさえしなければ、ケイネスは予定通りイスカンダルを召喚し、従ってソラウがケイネス以外の男に心惹かれることもなかったのだ、と。

 

 惚れた弱み、というやつで、ケイネスは直接的にソラウに怒りを向けられない。その分、ソラウを取り巻く様々な男に対して、ケイネスの怒りは牙をむく。

 その憐れな標的のリストに改めてウェイバーを加えたケイネスは、彼に向けて言葉を発するべく、声を増幅して遠くへ届ける音送りの魔術を行使しようとした。幾分か冷静さを失いながらも、幻覚の効果を展開する術式でもって、居場所を悟られぬように偽装することも忘れなかった。

 

 そうして、今まさに言葉を発そうとした――その瞬間。

 

「……なかなか手練れのサーヴァントを従えている。気に入った」

 

 背後から、地の底から響くような、重くかすれた男の声が、ケイネスに向けて放たれた。

 

「何……!?」

 

 予想だにしない声に、反射的に振り返る。そこには、気配も存在感もまるでない、一人の男が立っていた。月を背に、何かの影のようにそこに在り、ケイネスを眺めていた。

 

 否。男、と断言するのは早計かもしれない。確かに男の声色で、身体つきも男のものだ。しかし、相手を男と結論付ける決定的な部位が、その何者かには欠けていた。

 

 

 すなわち、顔がなかった。と言うより、首の中ほどが、鋭利な刃物に真一文字に切断されたようになっていて、頭そのものが完全に失われているのだ。もはや支えるべき頭蓋を失い、役目を果たせなくなった首の一部分だけが、未練がましく胴体にへばり付いているだけに過ぎない。

 

 

 その無惨な首なしの有様を見て、ケイネスは考える。人間ではない。かといって魔術師とも思えない。サーヴァントと言うには、魔力の濃度が薄すぎる。

 

 つまり、幽鬼、妖魔、怨霊、魍魎の類だ。

 

 損壊した首を見つめるケイネスの視線に気付いたか、目の前の妖魔は己の首の残骸に手刀を当て、トントンと叩きながら語り出した。流暢に喋りはするが、もちろん口はない。首の切り口から声が流れているようだった。

 

「これはな、あの忌々しい――――・――――によって付けられた傷だ。俺が二度と復活せんよう、封印剣でもって首を落としたのだ。それ以来、俺の首は帰って来ない。どこにあるのかも分からない。…………遠い、遠い昔の話だ。もう――――年も昔のな」

 

 底冷えするような、恨みと憎しみに塗れた声音だった。しかも、所どころ、まるで脳が理解を拒むかのように、あるいは世界そのものがその言葉を検閲し、禁じているかのように、ノイズが混じって聞こえなくなる。

 ケイネスが呆然として何も言えないでいると、突然、豹変したように笑い声が響き出す。虎か何かが唸るような笑い声で、文字通り腹を抱えて笑っている。

 

「だが、俺は今ここに立っている。ヤツもまさか、俺が自力で蘇るのではなく、人間によって呼び出されるとは想像していなかったに違いない。昔ヤツに言ったことがあるのだ。『俺は人間の悪意によって、何度でも蘇るぞ』とな」

 

 哄笑はいよいよ高らかに響き渡り、その薄気味悪さが頂点に達した瞬間、眼前の怨霊はまたもや豹変した。いきなり笑うのを止めると、奇妙なほど優雅な所作で、ためらいなくケイネスに向かって歩み寄って来たのである。

 

 もちろん、そのようなおぞましいナニカの接近など、ケイネスとて御免こうむる。反射的に魔術を放とうとした時、ケイネスは己の身体の異常に気が付いた。

 

 身体が動かないのだ。魔力すら回路を巡らない。まるで凍りついたかのように、すべての機能が停止してしまっている。にも関わらず意識は鮮明で、淡々と近づいてくる首のない怪物の姿を、視覚によってはっきり捉えている。

 

 そしてケイネスが、首から滴る血の臭いや血管の蠢きまではっきりと認識できるほどの距離まで近づくと、その怨霊は静かに話し出した。

 

「ともあれ、首がなくては困るのだ。これでは絶えず死に続けているようなものではないか。それに、傷口から魔力が漏れ出してしまって、溜め込むこともできない。このままではまずいのだ。分かるだろう?」

 

 いっそ優しげでさえある声音に、ケイネスはかえって恐怖を覚えた。この怪物が何を望んでいるのか、察してしまったが故に。

 止めろ、と言いたかった。近づくな、と叫びたかった。しかし、もはや口は動かない。

 

「安心しろ。殺しはしない。それではあの槍兵は消滅してしまう。お前のサーヴァントも、お前の令呪も、お前の肉体も、すべて利用する価値がある」

 

 一度、そこで言葉を切り、ケイネスの頬に触れる。その時ケイネスは、顔を持たぬはずのこの怪物が、凄惨なまでの笑みを浮かべていることを理解してしまった。

 

「首だけと言わず、全て頂いていくぞ」

 

 言い終えると、首なしの魔物はケイネスを抱きしめた。それは抱擁と言うより、ヘビが獲物に巻き付く時のそれだった。そのまま、ゆっくりと、ケイネスの身体に沈み込むように浸食していく。

 痛みはなかった。その代わり、身体に、魂に、明らかに有害なナニカが自身に溶け込んでいく、気の狂いそうな恐怖があった。ケイネスは声なき叫びを上げ続けた。しかし、令呪に念じても、ソラウに心で助けを求めても、応えてくれるものは何一つなかった。

 

 澱んだ底なしの沼に引きずりこまれるその瞬間まで、意識だけは保ったまま、ケイネスは無明の闇へと堕ちていった。

 


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