Fate/Grand Order 正義の味方の物語   作:なんでさ

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皆様お待たせしました、なんでさです。
今回の更新は本当に久しぶりのーー約4年ぶりのーー月単位での更新と相成りました。
前々から一つの山場というか、ヴラド三世という英霊を攻略する上で不可欠な話として考えていたもので、今回は比較的スムーズに完成しました。
久しぶりにまともにプレイしたトラオムが面白かった、というのも要因の一つかもしれません。あくまでイベント限定とはいえ、最近fgoに対する熱が冷めてきていたので、その分一層に楽しめました(厳密にはイベントではないですけど
久しぶりに開催された聖杯戦線も新たなルール・要素が追加され、よりやり甲斐があります。この熱が冷めないうちに更新できて我が事ながら、安心しています。
なんとか一部の完成までには持っていきたいと思っているので、最低でもこのペースを維持していきたいと思う所存です。


その剣、何を守る為か

 月のよく見える夜だった。

 雲はほとんど無く、月と星々の輝きは余すことなく大地に溶け込んでいる。

 思えば、あの夜もこんな風に、縁側で月を見上げていた。

 

『わたし、キリツグを恨んでるわ』

 

 ぽつり、と。

 決して大きな声ではなく、呟く様なさりげなさで、隣に座る少女はそんなことを言った。

 言葉に反して、声に込められた感情には、激しさより物悲しさを感じた。

 

『・・・・・ごめん、イリヤ』

 

 謝罪の言葉は間を置かず、けれど重苦しく吐き出された。

 そうする義務が俺にはあったし、それは自らが果たさないといけない責任だと思った。

 かつての戦いから数年が経ち、魔術師として経験を積む内に、それまでは知りもしなかった事実を目の当たりにした。

 そんな中で、俺達の関係も彼女自身から聞いた。俺を拾ってから死ぬまでの切嗣がどんな状態だったかも理解していた。

 だから、彼女から唯一の肉親を横取りした俺には、彼女に対して贖うべき罪がある。

 

『ううん。シロウは悪くないよ。それに、もう前みたいに憎んでないから』

『そう、なのか・・・・・?』

 

 たった一人、アインツベルンに置き去りにされた彼女が何のためにあの戦いに参加し、この街に現れたのか。

 それは偏に切嗣に復讐するためだ。自身を裏切り、捨てた男に報いを受けさせるため。

 けれど、怨敵であるその男は既にこの世を去り、後に残ったのはそんな事情を何一つ知らない衛宮士郎だけだ。

 その事実を知った時、彼女の胸中に渦巻いた感情はどんなものだったのか。命を救われ、彼の息子として生きられた俺にそれを推し量る資格はない。

 出会った当初の俺に対する異常なまでの執着と殺意から、好感情でなかったことは確かだが

 こうして並んで月を見上げているのは、多くの偶然と彼女の奥底に残る切嗣への愛情故だろう。

 

『でもね。わたしを置いて行ったことより、もっと許せないことがある』

 

 そう言って、イリヤは俺の頬に触れた。

 その手つきは優しく、壊れ物にでも触れるように柔らかで。その仕草が斑になった肌を嘆いているように思えた。

 

『こんな姿なっても立ち止まらない、そんな風にシロウの人生を呪って死んだ事が、どうしても許せない』

 

 怒りを口にするイリヤはやはり、悲しげに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 闇に染まった夜空を一頭の騎馬が駆ける。

 鳶色の羽毛を強風に揺らし、その二翼を羽撃かせ、二人の人物を乗せている。

 その背に跨るは騎手たるライダー・アストルフォと、衛宮士郎。

 風防も無く、直に風の抵抗を受ける馬上でありながら、両者は微塵も揺らがない。

 

「もうすぐ連中の防空圏だ。高度を下げて、見つからないようにしてくれ」

「了解、振り落とされないでね」

 

 士郎の願いを受けて、アストルフォは徐々に高度を落とす。

 二人がリヨンを発ち5分が経過していた。

 アストルフォの騎馬はライダークラスの宝具に相応しい速度を持って、ラ・シャリテまでの距離を縮めた。

 士郎は既に変貌したかつての街をはっきりと捉え、アストルフォもその異貌を視界に収めた。

 

「うわ、なにアレ。なんか、めちゃくちゃ気持ち悪いんだけど」

「同感だな。まともな感性のーーいやそもそも、人間が建てたモノかも怪しい」

 

 その全貌を初めて目にしたアストルフォは、その第一印象を隠すこともなく漏らした。

 既に使い魔を通して知っていた士郎としても、抱く感想は変わらず、直に目にしたことでより一層嫌悪感を増した。

 

「なんていうか、にゅるにゅるしてるっていいうか、粘ついてるっていうか・・・・・」

 

 その城は、およそ人の技術によって建造されたとは見えず、その意匠はどこか異界から齎されたかの様な錯覚を覚える。

 アストルフォが漏らした様に、至る所は粘質であり、正体の解らない液体に塗れた城壁は妖しくてかっている。

 その周囲にはワイバーンが集まっており、警戒網としての役割を与えられているらしい。

 警戒網はラ・シャリテ跡地を起点に広がっており、当初の情報通り広域を監視下に置いている。

 

「ねえ、本当にあれに入るの?ボクとしてはあんまりお勧めしないなぁ」

「生憎、そうも言ってられないからなーー直に1キロ圏内だ。俺は降りるから、アストルフォは霊体化して待機していてくれ」

「わかった。士郎も無理しないでね」

「了解した」

 

 そう言うが早いか、身体を宙に踊らせ、重力に従って落下する。

 とす、と高度に反して軽い音を立てて、彼は危なげなく着地した。

 彼の装いは平時と打って変わって、全身を緑色に染めている

 既にワイバーンの警戒網に入っており、そのまま進めば発見されるのは目に見えている。

 故にいつもの戦闘服の上から羽織れるように、迷彩として草原に紛れる装束を用意した。

 

「ーーーー」

 

 姿勢を低く保ちながら、草原を疾走する。

 速度は最高速度までは引き上げず、中程度に抑える。

 急ぐ必要はあるが、焦って監視に見つかるのも避けなくてはならない。

 城までの道のりを慎重に、油断なく、ただただ走り続ける。

 そうして幾許か走った頃、小高い丘にたどり着いた。

 

「ーーーー」

 

 先ほどとは違い少しばかり空に近づいたが、いまだにワイバーンが気付いた様子はない。

 既に異城は目と鼻先ほどの距離であり、その気になればいつでも進入可能だ。

 

・・・・・さて、どう行くか。

 

 使い魔での監視は、感知される事を厭ってあくまで遠巻きに眺める程度だった。

 そのため、実際の進入経路などは今この場で思案する事になる。

 

「城壁を越えるのは難しくないが・・・・・」

 

 外構にはご丁寧に堀まで用意されているが、飛び越えるのは難しくない。

 壁上にも見張りらしい見張りはなく、この様子であれば壁を越えての侵入が最も単純かつスマートだろう。

 正門からでは自ら姿を現すようなものであり、かといってワイバーンが哨戒している以上、上空からの降下などは論外だ。

 まさか壁に穴を開けることもできず、かといってハリウッドさながらに地中を掘り進めるなんていうのは時間がかかりすぎる。

 そうなると必然、古来からの定石<セオリー>に従って壁を登っての侵入が唯一の経路となる。

 

「内にどこまで気を遣っているか、連中の備え次第だな」

 

 こうして分かりやすく拠点を設けたのだから、侵入者対策はあって然るべきだろう。

 外敵が入り込んだ時点で何らかの反応が起きるタイプか。

 或いは敵意を感じ取って初めて機能する類か。

 いずれにせよ、入ってみない事には判別できない。

 

「これも、さっさと脱ぎ捨てておくか」

 

 そう言って、ここまで身につけてきた迷彩に触れる。

 流石に今この場で脱ぎ捨てることはできないが、城の周囲に到達してしまえば、却って目立ちすぎるのも確かだ。

 いい加減、煩わしく感じていたのも事実なため、早々に丘を滑り降りる事にしよう。

 士郎はそのように思考を固め、再び疾走体勢に移りーー

 

「このような夜更けに何をしているものかと思えば、それは間者の真似事か?」

 

ーー闇夜に響いた声が、稼働しかけた足を縛り付けた。

 

 弾かれたように、声の方向へと体を向ける。

 両手には既に使い慣れた夫婦剣が握られており、いつでも戦闘へと移行ができる。

 コンマ2秒程度の時間で一連の動作を終えた士郎はしかし、振り向いた先に見た男に、僅かに身を硬直させた。

 

「おま、えはーー」

 

 音を立てず、風も揺らさず、一切の気配を気取らせずに接近したその誰か。

 出立ちは軽く、古い和装をサラリと流す長髪の美丈夫ーーその姿を、衛宮士郎が見間違えるはずもなかった。

 

「ーーアサシン」

 

 かつて己の運命を決定づけた故郷での戦争。その中に喚び出されていた、七騎の内の一騎。

 柳洞寺の山門を護り、侵入者を悉く退けた門番。

 暗殺者<アサシン>のサーヴァントーー佐々木小次郎が、かつてと同じ様に柳の如く佇んでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「久方振り、というのも我らが言うには妙なものだが、ともかく思わぬ再会だな、セイバーのマスターよ」

「・・・・・俺を憶えているのか」

「サーヴァントの記憶はその場限りのもの・・・・・というのが通例と聞くが、存外に融通が効くようでなーーしかし、このように奇怪な世界で再び巡り合おうとは、お互い因果よな」

 

 くつくつと、アサシンは笑う。

 この数奇な縁を、心底面白そうに。

 

・・・・・落ち着け、今は目の前の敵に集中しろ。

 

 アサシンが第五次の記憶を有している事も、この異質な英霊が現界している事実も全て後回しだ。

 そのような些末な事に意識を割いて気を緩めば、その瞬間に衛宮士郎の首と胴は泣き別れになる。

 リヨンでは敵のセイバーと刃を交えたが、この男の技巧はそんなものが児戯に思えるほどの高みにある。

 かつての戦いでは彼の騎士王ですら、剣技においては凌駕されたのだから。

 

「ふむ。形は些か変わっている程度だが、中身は随分様変わりしている。なんとも面妖な有様だな」

 

 アサシンはこちらの警戒に刃を構えるでもなく、興味深そうにこちらを値踏みする。

 だがそれも束の間、一度視線を切って再び言葉を紡ぎ出す。

 

「そう構えるな。私がここに寄越されたのは、何もお前を仕留めさせるためではない」

「・・・・・ならば、何が目的だ」

 

 告げられた言葉を鵜呑みにするのは迂闊極まりないが、アサシンの言うことが事実ならば初手で長刀が振るわれなかった事には納得がいく。

 彼がいかに正規のアサシンでないとはいえ、そのクラスに恥じないだけの力量は有している。

 であるなら、未だこの首が繋がっていることが何よりの証左だろう。

 

「こちらのランサーの頼みでな。覚えのある賊が一人紛れ込んだから連れてこいとのことだ」

「ーーーー」

 

 明かされた動機に、肝が冷えるのを感じる。

 アサシンの言う事が事実ならば、あのランサーはこちらがラ・シャリテに接近していた事をとうに把握していた。

 ワイバーンに感知された覚えはない。かと言って、結界の類も存在しない。

 どの時点で補足されたのか、どの様にして見つけられたのか、それすらも分からない。

 今の今まで、俺はランサーの気まぐれ故に見逃されていただけだった。

 

「もし、俺が断ればどうなる」

「その時は致し方ない、互いの立ち位置に沿ってこの刃を交えるだけよーーしかし、私としてはあまり勧めんがな」

「戦いを望むお前が、そう言うのか」

「私はあくまで尋常な立ち会いを望んでいる。だが、ここで戦うとなればそうはいかん。ここら一帯は余さずランサーの領地と化している。故に、何処に居ようと杭が湧いてくる。いま事を構えるのなら、どうあってもランサーが横槍を入れてくるだろうよ」

 

 アサシンの言う事は、まず間違いなく事実だろう。

 セイバーやアストルフォは以前の召喚で、ヴラド三世の宝具を見ている。

 詳しい原理までは把握してなかったが、彼らが言うには広範囲に無数の杭を展開出来たらしい。

 その様は変質する前のラ・シャリテ戦いでも確認している。

 ならばヤツの言うように、今この瞬間にも俺を串刺せるのだろう。

 

・・・・・ここは誘いに乗った方が賢明か。

 

 ここでアサシンに連れられて行けば、敵地に真っ向から挑みかかることになる。

 あの場所にどれほどの戦力と仕掛けが施されているかは定かではないが、蛇の口に自ら飛び込むようなものだ。

 だが、今この場で争っても生存率が上がるわけではない。

 ここでアサシンとランサーを同時に相手取るか、それとも敵の胃の中で好機を待つか。

 いずれにせよ、少しでも生存時間を引き伸ばす選択をしなければならない。

 

「ーーいいだろう。その申し出を受けよう」

「賢明な判断だ。では、着いてきてもらおう」

 

 そう言って、丘を下るアサシン。

 それに五歩遅れる形で後をついていく。

 いつランサーの気が変わって、刃が向けられるか分からない。

 アサシンの間合いを考えれば、多少大袈裟なくらい離れた方がいい。

 

「いやしかし、お主もよくよく面倒事に巻き込まれるものだな。かつての戦いに加え、今度は人理とやらの奪還と来たか」

「・・・・・」

 

 アサシンはこちらの警戒など意にも介さず、古い馴染にでも語り掛ける様に言葉を紡ぐ。

 こちらが返答などするはずもないと分かっているだろうに、それでも声を上げたのはおそらくただの戯れなのだろう。

 この男は、そういった気質を有していた。

 

「もっとも、そのどちらともで喚び出されている私が言えた義理ではないか。ふむ、どうせならこの数奇な巡りを祝って一献交えるのも悪くないか」

「・・・・・お前は敵と飲む気か」

 

 余りにも馬鹿げたことを宣うため、思わず言葉を返してしまった。

 いや、英霊達の中にはそういう事を平然とやってのける者もいるのだろうが、それでも中々に着いていけない感性だ。

 

「それも一興であろう。もとよりあの小娘の目的になど興味はないのでな。まあ、アレ自体に些か思うところはあるが、死力を尽くしてやるほど入れ込んでもおらん」

 

 小娘というのは、おそらく竜の魔女の事だろう。

 仮にも英霊、仮にも自身のマスターをこうも扱き下ろすとは、目の前の男が本当にサーヴァントなのか疑わしくなってくる。

 かつてキャスターに使役されていた時も、彼女を女狐などと揶揄していた。

 マスターへの忠誠心なぞ端から持ち合わせていない、その上サーヴァントとしての仕事にも、然したるやる気を見せない。

 この男ほど、扱いが面倒なサーヴァントはそういまい。

 

「さて、いよいよ入城だが、覚悟は済ませてあるか?」

 

 アサシンの軽口に付き合う内、城の門前へと辿り着いた。

 遠目に見た時など比べ物にならないほど、強烈な異質さを放っている。

 未だ踏み入ってすらいないというのに、ただ目前にしているだけで、神経が逆立つ錯覚を覚える。

 

「ーー問題ない。さっさと入ろう」

 

 全身を包む忌避感を捩じ伏せアサシンに先を急がせる。

 ここで足踏みしていても変わらない。

 この城の調査のためにも、早急に立ち去るためにも、速やかに先に進むべきだ。

 

「では行くとしよう」

 

 こちらの心構えを確認して、アサシンは再び歩を進める。

 その背に倣って、場内へと一歩踏み込み、

 

・・・・・っ!

 

 立ち入った瞬間、強烈な違和感を覚える。

 今まで、城そのものが有する異常性に紛れていたが、こうして中に入ればハッキリと感じ取れる。

 この感覚は間違いなく結界のそれだ。

 これが存在するというのは厄介なことだが、それ以前にこの異質さはもっと重大だ。

 

・・・・・内側に結界があるんじゃなく、この城そのものが結界として機能しているのか。

 

 当初、外部から結界の類を確認できなかったため、その内部にのみ張られているのかと誤認した。

 だが現実はそんな単純なものではない。

 この城自体が、周辺ごと書き換える“異界”そのものだ。

 外界から独立した、完全なる別領域。

 この場に限り、既存の法則はその意義を失う。

 

「悪趣味なものだろう。ここに居座っているだけで、悪酔いでもしたかのようになる。実はお前の迎えに出向いたのも、体良く外の空気を吸うためでな」

 

 変わらず話し続けるアサシンに、今度こそ構っている暇はない。

 この城が結界そのものであるのなら、今はまさに絶好の機会だ。

 ランサーの意志でこの城に連れてこられている以上、結界が俺を外敵と認識することはない。

 いったい何をトリガーに結界が作動するのか、その条件は分からないが、今のうちに可能な限り情報を収集しなくては。

 

・・・・・同調開始<トレース・オン>

 

 自らの一部とも言える言霊をキーとし、自己を変革する。

 撃鉄を叩き上げ、回路に魔力を通す。

 流し込む燃料は最低限に。この異界を解析する。

 

・・・・・っ

 

 本来、衛宮士郎にとって刀剣以外の解析は門外漢だ。

 この身に許されたのは、ただ一つの魔術。

 普段扱う魔術は、あくまでその唯一から零れ落ちた副産物に過ぎない。

 故に、剣製に関わらない事柄への干渉ではその精度が落ちる。同じ様に、負担と消耗も大きくなる。

 

・・・・・それにしたって、これはキツい、なっ・・・・・

 

 無秩序に。無遠慮に。微塵の容赦なく。

 自ら走らせた魔術にもかかわらず、入り込む情報は望んで飛び込んでくるかのように、脳髄に染み渡る。

 痛みや苦しみを与えず、心身を麻痺させる甘い毒のように、思考を犯していく。

 自身を侵食するこの感覚は、果たして何というんだったか。そう、これはーー

 

ーー深淵。

 

 こんなモノは知らない。

 多くの人と出会った。多くの敵と戦ってきた。兵士。傭兵。魔術師。魔獣。吸血鬼。英霊。

 人間も、人外も、分け隔てなく出会い、必要とあれば躊躇なく殺し合った。

 感謝されたことはあった。憎しみを向けられることは常だった。奇異の目で見られることは珍しくなかった。

 およそ、人間が持ちうる感情の全てをこの身に受けてきた。

 だが、いまこの身を浸すこの錯覚は、そのどれにも当て嵌まらない。

 

ーーこの世の、モノではない。

 

 これは、触れてはならないモノだ。これは、知るべきではないモノだ。

 人間は、人間が知る世界でしか生きられない。自分達が築き上げた規範にしか適合しない。

 深海の生き物が、地上では活動できないように。完成された理論が、他の理論の上では機能しないように。

 だというのに、この異界はそのフィルターを溶かそうとする。

 遥かな果てから、光を通さぬほど溟く、底を想起させぬほど深く。

 遠く、遠く、遠く。

 招くように、誘うように、呼びかけるように、声なき声が語りかけるーー淵源から、ナニかが覗いていて、

 

・・・・・つか、まえた・・・・・!

 

 どこまでも落ちていく錯覚を振り払い、手にした情報に内心で笑い上げる。

 この異界がどこから来たのか、どんなモノに象られたのか、そんな事に興味はない。

 こちらへ呼びかける声も、沈むような感覚も、何の障害にもならない。

 故に、この身に彼方からの声は意味を成さずーーその出どころこそが、何より求めた情報だった。

 

・・・・・同調終了<トレース・オフ>

 

 必要な情報は手に入った。この異界の特性、内部構造、外敵に対する防衛機構、結界の根源。

 求めるものを全て辿り終えた以上、知るべきことはない。

 アレがどこから来たのか見当もつかないが、それが人々を脅かさない限り、排除する気もなければその正体も知ったことではない。

 今は目の前の滅びに抗うために全てを注ぎ込む。未知への好奇心など、それこそ余分だ。

 

「・・・・・」

 

 廊下を歩く二人分の足音が、いやに耳につく。

 城内は異様なほど静かだ。

 穏やかな静寂とは言い難い、内に居る人間の精神を圧迫する様な静けさ。足音に伴って鳴る僅かに粘性の水音がそれを増長させる。

 時折、愉快げに語りかけるアサシンの声がなければ、ここが幽世であるかのように錯覚しそうになる。

 

・・・・・そう考えれば、つくづく似合わない奴だな、こいつは。

 

 この異界の中にあって、アサシンはその飄々とした態度を崩さない。

 何もかも飲み込んでしまいそうな空気を受け、その全てを柳の様に流す様は、かつての記憶にある姿そのままだ。

 それ故に、風流と雅を好むこの男がこの場所にいるのは、ひどくちぐはぐない印象を受ける。

 自身の記憶の中で、山門前に待ち構えるあの姿が、最も強く焼き付いた光景だからかもしれない。

 

「私はここまでだ。あとは、そちらで話をつけるといい」

 

 幾本の廊下を渡り、何度か階段を登った頃、アサシンはある扉の前で立ち止まった。

 ここに来るまで幾度か目にしたものと比べ、二回りも大きいこの扉がどういうものか、説明されずとも理解する。

 

「ではな、セイバーのーーいや、カルデアのマスターよ。次まみえた時は存分に死合おうぞ」」

 

 先までの饒舌ぶりはどこへ行ったのか。言い終えたアサシンはもう語ることはないとばかりに、こちらに背を向け来た道を戻っていく。

 事が終わるまでいるものだと考えていたため、彼が立ち去った事に少しばかり驚く。

 しかし、空気を吸うためなどと言って、俺の出迎えなどに現れた様なやつだ、いつまでもこの場に留まるはずもない。

 アサシンのクラスであるヤツが姿を隠すことになるのは歓迎できないが、アレの性格からして暗殺など選択にすら入っていないだろう。

 無論、万が一を考慮し、一応の警戒はしておくべきだろう。

 

「ーーーー」

 

 僅かに逸る鼓動を抑え、扉に手をかける。

 重厚な見た目のそれは、見た目に違わない感触を伝える。

 触れた手を濡らす液体に構わず押し込む。 

 そうして完全に開ききった扉の先には広大な空間。そしてーー

 

「よく来たな、剣の魔術師よ」

 

 部屋の奥、玉座に腰掛け、こちらを見据えるランサーーーヴラド三世は鷹揚に俺を迎え入れた。

 

 

 

 

 

 

「マスター・エミヤとの通信、依然として繋がりませんっ!」

「同じく、座標も観測不能です」

 

 士郎がラ・シャリテの城に侵入してすぐ、彼とのあらゆる接続が途切れた。

 管制室との交信機能やバイタルチェック、位置情報まで。

 カルデアがレイシフト先で活動するマスターを支援する為に必要なほとんどの情報が、今ではぱったりと途絶えている。

 いや、より正確に言えば妨害されている。

 カルデアからのアプローチは士郎に届いてはいるのだ。だがそれは、水中に打ち込んだかの様に乱れてしまっている。同様に、士郎が発するデータはカルデアからでは観測が難しくなっている。

 

「彼自身の存在証明は確立されている。各自冷静に反応があるまで観測を続けてくれ」

「了解です!」

 

 ロマニは一切の動揺を見せず管制室を取り仕切る。

 その顔には不安の色は無い。管制室にいるほとんどの人間が、そう感じるだろう。

 しかし、

 

「リーダーの真似事はまだ慣れないか?」

「・・・・・どうかな。必要な動きは出来ていると思ってるけど」

 

 からかい半分に様子を伺うダ・ヴィンチに、自信なさげにロマニは返す。

 至って平静、冷静沈着。そんな風に見えるのは、彼がその様に演じているからだ。

 カルデア所長代理。現地のマスターを指揮する作戦指揮官。傷病者の心身を支える最後の防壁。

 ロマニの肩にかかる責任は重く、彼は弱みをおくびにも出してはならない。

 彼が内心の恐れを見せてしまえば、スタッフは自らの力を十全に発揮できなくなり、作戦は少しずつ淀んでいく。

 

「今のところ、どう見てる?」

「あの城に入った以上、彼の信号を拾えなくなるのは予測通りだ。問題は、なんで向こうから招き入れたかだ」

「サーヴァントなら興味本位でこういう事をしてもおかしくはないけどね」

「本当にそれで片付けられそうなのが、頭の痛いところだよ・・・・・」

 

 考えるだけ無駄無駄、と笑う同僚に、そして彼女の言葉が存外的を得ている事に、ロマニは辟易を禁じ得ない

 現状は最悪ではなくとも彼らにとっては悪い方向に流れている事に変わりはなく、決して弛緩していい状況ではない。

 もっとも、それが彼女なりに彼を気遣って口にしているジョークだということは知っている。

 同時に、眼前の危機が分からぬ程ダ・ヴィンチは愚かではないし、その点においてロマニは彼女に全幅の信頼を置いている。

 故に彼女がこうして冗談を言えている間は、それほど逼迫してはいないということだろう。

 

「ま、暫くは何も無いさ。そうでなきゃ、アサシンのクラスが居ながらわざわざ城に引き入れたりはしないだろ」

 

 衛宮士郎の殺害が目的であったのなら、はじめからあの丘で仕掛けていればいい。

 カルデアが把握するヴラド三世の宝具の力とアサシン、この戦力であれば魔術師一人に当てるには十分だ。

 よしんば結界の影響下にあるであろう城内で戦おうとしたのだとしても、放っておけば自ずと現れるのだから、ああして迎えに来る必要もない。

 故に殺意は無い、とダ・ヴィンチは判断する。

 

「敵が、何らかの干渉をして士郎君から情報を抜き取ろうとしてるとかは?」

「それこそ“真逆”だろ。連中がこっちを“敵”として見てるなら話は別だけど、それならもっと本気で潰しにくる。リヨンで彼を徹底的に狙わなかった時点で侮ってるのは確定だ」

「敵は士郎君達を敵としては見ていない、だから問題はないってことか」

 

 ダ・ヴィンチの論を聞き、一応の納得を得る。

 しかし、それを聞いてもまだ不安は消えない。

 ダ・ヴィンチの言葉は確実に断定できるほどの確証が無く、どこまでいっても推察の域を出ない。悪く言えば希望的観測であり、実際にそうなるとは限らないのだ。

 ロマニの懸念は当然とも言える。

 とはいえ。

 

「どの道、こっちで出来ることなんて今は何も無い。大人しく吉報を待つほかないさ」

「・・・・・その通りだけど」

 

 その通りではあるのだが、そんな道理で納得できるのなら苦労はしない。

 この“万能の人”にそんな事を言っても笑い飛ばされるだけだから何も言い返さないが。

 

「マスターらしく後方支援に徹してくれれば、こっちも気を揉まずに済むだけどなぁ」

「前にも同じこと言ってなかったか?」

「それどころか、これから先ずっと言い続けると思うよ・・・・・」

 

 士郎の無鉄砲さなど既に百も承知だが、たとえそれを織り込み済みだったとしてもサポートする側は気が気じゃない。

 それはロマニだけではなく、他のスタッフも同様だ。

 カルデアに召集された以上、誰も彼もが相応に荒事に対する心構えと覚悟は備えているがそんな彼らをしても、士郎の在り方は苛烈であり鉄のように頑迷だった。

 レイシフト先で戦い、傷つく士郎を見て女性スタッフが悲鳴をあげるなど珍しくない。

 彼の場合、無謀としか言いようがないその行動は緻密な計算と予測のもとに冷静に行われているため、余計始末に負えない。

 

「彼のそういう性質も含めてサポートするのが、お前の役目なんだろ」

「・・・・・分かってると思うけど、君の仕事でもあるんだぞ」

「だから色々手を回しただろ。拡張保存袋は私の作品だし、彼が使用する“弾丸”だって私と彼、それからランディでの合作だ」

 

 言われるまでもない、と不満を見せるダ・ヴィンチだが、実際仕事は果たしているのでロマニも文句はない。

 何度も言うようだが、彼女は課せられた仕事はきっちり熟す。

 ロマニに釘を刺されずとも、必要と判断した行動は惜しみ無くやっている。

 ただ、それ以上にその飄々とした態度が、彼に不必要な気疲れさせているのだ。

 

「ま、今回は彼も保険を用意してることだし、多少は肩の力を抜いてもいいんじゃないか?」

 

 ラ・シャリテに発生した城に侵入すると決めた際、彼はライダーを運び人として同行させ、さらには緊急時のバックアップ要員としての役割を与えた。

 いざとなれば数時間前にそうしたように、また士郎を救出し撤退するだろう。

 それもあって、ダ・ヴィンチは存外に楽観してる。

 

「確かに、これまでよりはずっと安全か」

 

 敵地の只中にいる以上、安全など最も程遠い状況だが、それでもなお現状は“マシ”な方だと言える。

 通信は繋がらず当人の状況すら測れないが、それでもサーヴァント三騎を相手にするよりもーー“英雄”と相対するよりも、よほど楽な状況なのだ。

 

・・・・・いざとなれば、切り札もある。

 

 士郎が生存しライダーがその危機を感じ取れば、その時点で使うことになるだろう。

 そうなれば、最低でもあの城から生還することは可能になる。

 唯一懸念すべき点は、それによる代償だがーー

 

・・・・・できれば、そんな事がない様に願いたいな。

 

 全ては、士郎の側で動きが起きてから。

 それまではダ・ヴィンチが言ったように、ただ待つことしかできない。

 ロマニは士郎の無事を祈りながら、いずれ来る覚悟の時を先送りにした。

 

 

 

 

 

 

 その振る舞いは城主そのもの。

 この城が彼に連なるものでないことは明白だが、そんな事実を一時忘れさせるほど、その姿は威風を漂わせている。

 

「お招きに預かり光栄だーーと言いたいところだが、客を迎え入れるにはこの城は少々悪趣味ではないかね?」

 

 意識を戦闘用に切り替え、脳内には数組の設計図を待機させる。

 いつ何がきっかけで戦いに発展するかわからない。

 警戒は常に維持しておく。

 

「確かに品性には欠けるが、城塞としての役割は充分に果たしている。それに、我らのようなモノが相対するには相応しい場所であろう」

 

 こちらの内心を理解した上でか、ランサーは瞳に愉悦の色を浮かべる。

 加えて、どこで手に入れたのか、その手にはワインで満たしたグラスを乗せている。

 それを微かに揺らしながら、こちらを観察している。

 

「・・・・・それで、いったい何の用があって“私”を呼び出したんだ。侵入者と分かっていたのならば、いつでも攻撃できただろう」

「そう急くな。客人としてわざわざ出向かせたのだ。もてなしの一つもなければ、余の器量が疑われる」

 

 立ち上がったランサーは新たに注いだワインを手にこちらへと歩み寄ってくる。

 

・・・・・何をしようとしているのか、予想は付くが。

 

 歩く姿には欠片の敵意も見られず、警戒で身体に力を入れる様子はない。

 至って平然と、自然体のまま近づいてくる。

 友好的とは言えないが、歓迎の意思を感じさせる。

 

「まずは一杯、いかがかな?」

 

 差し出されるグラスを受け取るべきか。

 普通に考えれば、敵地で敵が手ずから渡すようなモノを飲食すべきではない、というのが真っ当な判断だろう。

 だが、目の前にいるのは英霊であり、生前は一国の王であった人物だ。

 その歓待を跳ね除けるというのなら、相応の道理と覚悟が求められる。

 下手な言い分を口にした暁には、もてなしは刃へと変わり、敵意と共にこの身を貫こうとするだろう。

 

・・・・・毒の類は混じっていないが・・・・・

 

 解析を得意とする手前、飲食物に混入する異物は、それが物理的であれ魔術的であれ容易に気づける。

 だが、一定の動作そのものがトリガーとなるような事象を見分けることは難しい。俺には、そこまでの応用性はない。

 もし俺の感知できないところに仕掛けが施されているのなら、どうあっても後手に回る事になる。

 

「飲めぬわけではないだろう。それとも毒味が必要かね?」

「・・・・・いや、その必要はない。有り難く頂戴しよう」

 

 幾らかの状況を仮定したが、結局のところその杯を受け取った。

 色々と不利な筋は考えられるが、前提としてランサーは客人へのもてなしとして、この一杯を差し出してきた。

 王たる彼が客であると明言した以上、自らその言葉を覆すことは彼の王としての在り方を貶める。

 それ以上に、王たる者が一度口にした言葉を違えることは、その誇りが許さないだろう。

 

「ーー若いな」

 

 口に含んだ赤い液体は、口当たりが軽く実にシンプルなものだ。

 熟成させたワインであるのなら、その色は濃く濁りを帯び、飲み頃となれば複雑な味わいとなる。

 そういったある種のふくよかさが、この一杯にはない。

 おそらくは相当に新しいもの、それこそ出来てそのまま売り出されたものか。

 

「この時代にはまだ碌な熟成技術もないようでな。市場に出回るのは浅いものばかりだ」

 

 酒類の熟成技術の起こりは、16世紀の末頃と聞いている。

 輸出するはずだったブランデーを積み忘れて持ち帰り、しばらくそれに気づかなかったのがきっかけらしい。

 幾らかの時間が経ってその中身を確認した際、中のブランデーが茶色がかり木の香りを纏っていることに気付いた。

 当時はブランデーを含めた蒸留酒というのは無色透明だったようで、色付いたり他の香りを纏うようなことはなかった。

 これが、酒を熟成する意義が判明した瞬間。

 それから後に、ワインを樽で熟成させる技術へと繋がっていったそうだ。

 

「とはいえ、これでも質の良いものを選んだのだ。若飲み用、という訳ではないだろうが、若さ故の味わいがある」

 

 それはそうだろう。

 まともな醸造技術も無いこの時代で、早くに飲まれるワインはどれも厚みが足りず、物によっては妙な味が付いている物もある。

 時間を置いた物はただ単に古くなった物で、酸味が強くなっているだけだ。

 しかし、ランサーが手にするこのワインは、そのどれにも当てはまらない。

 真っ赤な液体はルビーのように透き通って、渋味が少なくフルーティな味わいは爽やかだ。

 この時代では、まずお目にかかれない様な代物だろう。

 

「・・・・・しかし、英霊ともあろう者が無辜の民から略奪とはな」

「戦利品というやつだよ。戦いの果てに得た、正当な報酬だ。加えて、この酒の元の持ち主は欲の皮の張った小賢しい悪党だ。そんな者から奪い取ったとて、誰も文句は言うまい」

 

 ランサーの言い分から、なんとなしに理解する。

 どこの国、いつの時代だろうと、悪事を働き私腹を肥やす輩というのは一定数存在する。 

 国の上役や商会の長、この時代であれば司教なども含まれるだろう。

 日々を平穏に暮らす人々には見えない影で、彼らも気付かないうちに搾取していく。

 ああ、俺だってそんな連中は許せない。けれど、だからといって更なる搾取と死が当然の報いであっていいはずがない。

 

「一方的な虐殺の間違いだろうーーそれより、いい加減本題に入ったらどうだ」

 

 ここでランサーや竜の魔女の行いを糾弾したところで意味はない。

 いま必要なのは義憤ではない。ランサーの目的を問う事だ。

 ここに来るまでに考えられることは既に思考し尽くしている。

 今は、こちらの思考では測りきれない思惑を把握する事が最優先だ。

 俺次第で、それが後にこちらの勝率を上げる要因に変える事も出来る。

 

「そうまで言われては、これ以上の雑談は野暮か」

 

 ランサーは揺れる赤から視線を俺に移す。

 

「では問おう、剣の魔術師よ。お前は何の為に戦うーー?」

 

 ランサーの気配が立ち替わる。

 穏やかな雰囲気は露と消えた。

 誤魔化しは許されない、虚飾は剥ぎ取られる。偽ればその時点で、ここでの会合は致命的なまでに終結する。

 そう直感できるほど、今のランサーは絶対的だった。

 

「それは、あの時の問いとどう違う」

「アレはあくまでその場限りの理由だろう。余が訊いているのは、お前が戦いに身を投じるに至った動機だ」

 

 成る程。確かに、俺という人間を知らなければ、それは自然は考えだろう。

 ランサーが一介の魔術師如きに何を見出したのかは知らないが、彼は俺という人間に少なくない興味を抱いている。

 故に、俺が何を求めて剣を執るのか、その根源を見極めようとしている。

 けれど、違うのだ、それは。

 衛宮士郎にとっての戦う理由は、それほど大層なものを求めてのモノじゃない。

 

「悪いが、ラ・シャリテで語った言葉に嘘はない。私が戦う理由は、アレが全てだ」

 

 理不尽な死に晒される人々を守る。ささやかで大切な思い出が、冷たくなって色褪せてしまわないように。

 結局、衛宮士郎が戦う理由とは、そういったところにあるのだ。

 ■■士郎の全てを奪っていった、かつての厄災。人間が人間としてあるための要因を、悉く取り零してしまった地獄。

 その中で、かつての俺は強く願ったのだ。

 

ーーこの地獄を覆したいと。

 

 かつて自身が望みながら、決して果たせなかった願い。炎の中で、助けを求めながら朽ちて行った同胞達をこそ、俺は救いたかった。

 これまでに出会ってきた人の中には、それをサバイバーズギルトのような、ある種の病だと指摘する人も居たけれど、それは見当違いだ。

 これは罪悪感なんて高尚なモノじゃない。ただ、自分自身があの出来事を許せなくて、認められなくて抱いた願望でしかない。

 “IF”の話に意味はなくて、過去を変えるなんて事は今でも認められないけど。それでも、もしたった一人でも誰かを助けられたのなら。そう考えたことは一度や二度じゃない。

 だからこそ、かつての願いを果たす為に俺は戦っている。あの時置き去りにしてしまった皆に、少しでも胸を張れる様に。

 それこそが、かつて■■士郎であったモノの全てであり、衛宮士郎の生きる意義だ。

 

「ーー分かっていよう、魔術師。この場で偽りを述べることが、何を意味するか」

 

 言葉は静かだった。

 苛烈さはない。灼けつくような熱さはない。押し潰されそうな威容はない。身震いする様な串刺す杭の如き鋭さがある。

 ランサーは、今の言葉に納得していない。

 俺が戦う理由は、衛宮士郎の行動原理には、まだ他に何かあるのだと、そう確信している。

 ハッキリと言って、それは勘違いでしかない。

 無論、真っ当な人間の感性で考えれば、ただ救う為に戦う人間などまずいない。

 それが打算であれ純真であれ、自らに還るモノがあって当然なのだ。

 これは単に、俺という人間に関しては、そういった勘定が当てはまらないというだけの話だ。

 

 とはいえ、ここで何も言わなければランサーは間違いなく俺を殺そうとするだろう。

 つい先ほど客人として扱うと明言した事など捨て去って、王を謀ろうとする不敬者を処する。

 当然ながら、俺はこの場に情報収集の為に訪れている。

 偵察の途中で殺されてやるつもりなど欠片も無いし、“今のままで“ランサーと戦える程の余力は無い。

 だから、もう一つだけ、ランサーに言えることはある。

 元々隠し立てするものでもなく、決して先の話と矛盾するものではない。

 

「生憎、嘘じゃない。私にとっての原動力は今言った通りだーーだが、確かに目指すものはある」

「ーーーー」

 

 ランサーは無言

 心臓を浸す極寒の殺意は消えていない。ピタリ、と突き付けられた杭の鋭さが明確にイメージできる。

 その虚像は、ランサーがこれから告げる答えに納得しなければ、容易く実体となって現実を犯す。

 その事実に竦む様な無様を晒す事はない。

 ランサーから視線は逸らさず、その眼光に臆さず、己が理想を告げる。

 

「ーー俺は正義の味方になる。それがどれだけ破綻した理想だとしても、俺は全てを救う為に戦う」

「ーーーー」

 

 静かに、絶対の王者として言葉を待っていたランサーは、求めた筈の答えに声を失っている。

 先の沈黙が罪人の主張を促す厳格な裁決であったのなら、いまは予期せぬ事実に判決を崩され絶句している。

 彼がそうなるのも無理からぬ事だろう。俺自身、似通った反応は飽きるほど見てきた。

 それは今時、幼児向けの番組でさえお題目に据えないような、荒唐無稽な話だ。

 衛宮士郎が掲げる理想とは、いまだ人類の誰もが足跡を刻み込んでいない未踏の境地。

 いかなる英雄も偉人も完全に実現できない、正真正銘、御伽噺の中の夢物語。

 

「・・・・・正気か貴様。自分が何を言っているか分かっているのか?」

 

 全てを救う正義の味方。

 それは側から見ればなんとも綺麗な夢だろう。

 助けを求める人を一人残らず救って、悪人ですら命を奪わない。

 その在り方は万人が抱く、普遍的な理想像でありーーだからこそ愚者の戯言だと誰もが切り捨てる妄言だ。

 人間には全てを手に入れるなんて事は出来はしない。

 あらゆる状況で、無関係の人も、共に戦う味方も、刃を向けるはずの敵すらも救える者は、人類史上のどこにもいやしない。

 そんなモノを何の利益もなく本気で目指す人間は、生き物として致命的に壊れている。

 

「理解している。この夢がどれほど不可能な事で、俺がどれだけ破綻しているかーーそんな事ははじめから分かっているんだよ、ランサー」

 

 こんな生き方をする俺を、化け物と言って多くの人が忌避したーー当然の反応で、これ以上ない程に的を得ている。

 歩みを止めて幸福になっていいのだと、数少ない友人達は手を差し伸べてくれたーーその申し出は本当に嬉しくて、だからこそ受け取るわけには行かなかった。

 捨て去ってしまえば楽になれるのにいつまでも抱えているのは、それが無ければ衛宮士郎は生きていられないからだ。

 

ーーわたし、キリツグを恨んでるわ

 

 いつだったか、雪の精の様な義理の姉は、切嗣が託したこの夢を呪いだと言っていた。

 それを言い得て妙だ、と他人事の様に感じたのを憶えている。

 客観的に見れば、実現するはずもない理想にその一生を縛られ、いずれ訪れる滅びに向かって疾走する様な生き方は、確かに呪的だろう。

 けれど、呪いは<ノロイ>は同時に呪い<マジナイ>でもある。

 

 かつて災害の記憶に苛まれていた衛宮士郎は、生きている事すら本当に困難で、ほんの少しのきっかけで呆気なくあの地獄に引き摺り込まれそうだった。

 巻き上がる炎の幻影に怯え、誰も救えなかった己の無力を悔やみ、■■士郎に帰れる事を夢見て何度も以前の家に足を運んだ。

 そんな生き方を続ける事でしか心を保てなかった衛宮士郎に、正義の味方という理想がはじめて生きる意味を持たせてくれた。

 正義の味方という指標を得た事で、誰かを助ける明確な形を手に入れた。

 この夢は確かに俺を死地へと赴かせるけど、それが無ければ俺という人間は生きられなかった。

 

「・・・・・なるほど。確かにお前は嘘などついていなかった。お前にとって、目的と手段は全く逆のものだったのだな」

 

 そう。衛宮士郎にとって、戦うための原動力とは、はじめにランサーに語っていたモノと違わない。

 謂れのない不幸を払うために剣を手にして。その願いを通す為に正義の味方を張り続ける。

 自身の信じるモノの為に死地へ赴き、他人の幸福でしか笑うことの出来ない、どうしようもない破綻者。それが衛宮士郎だ。

 

「愚かな生き方だ。何一つ残さず骸を晒すーーお前の末路は、その様なものになる」

「かもしれない。けど、俺には他の生き方なんて選べない」

 

 判りきった話だ。

 衛宮士郎が生き方を変え、これまで貫いてきた理想を捨てればどうなるか。

 それは裏切りだ。

 衛宮士郎を生かしたモノ、衛宮士郎を生かすモノ全てに背を向ける事だ。

 そんな真似は何があろうと認めれない。

 あの日、ただ一人生き残った人間として、これまで多くのモノを切り捨てた者として、彼らの死を嘘<ナカッタコト>にする事は許されない。

 

「それにな、ランサー。これは責任であると同時に誓いでもある」

 

 なにより、遠い昔に誓った言葉がある。

 呪いに侵され未来の無い身体で、自身の願いを託した男。

 無謀な夢を追う俺を案じながら、その道行きを認め、守ろうとしてくれた少女。

 彼らの想いは今なお消えず、禊となって衛宮士郎を支えている。

 義父の理想を叶え、遠き理想郷にいる彼女に追いつく為に。

 それさえあれば、たとえどれほど惨たらしい死を迎えても、世界中から呪われて地獄に堕ちようとも。

 その思い出さえあれば、衛宮士郎はいつまでも戦える。

 

「・・・・・そうか。どうやら無粋な発言だった様だ」

 

 ランサーは瞳を閉じて物思いに耽っている様だ。

 今の話を聴き、いったい何を感じたのか。それ以前に、何故こんな真似をしたのか。

 沈黙するランサーからその真意を推し量ることは出来ず、話されることもないだろう。

 おそらくただの興味止まりでしかないだろう。俺も、わざわざ理由を問いただそうとは思わない。

 

「お前と言う人間の在り方、確かに聞き遂げた。実に興味深い話だった」

 

 瞳を開けたランサーの眼には、それまでの苛烈さが見えなかった。

 

「さて。こちらの用件はこれで終わりだ。望むのであればここを立ち去るといい」

 

 結局、ランサーは先の問いをする為だけに俺を呼び寄せたのか。

 玉座へ向かう彼は無防備に背を晒している。このまま事を構える様子も無ければ、捕らえて情報を引き出そうという気配も見えない。

 真実、これ以上の用は無いと見える。

 こちらが害意を持たない限り、彼から手を出す事は絶対にあり得ない。

 この城を去り、草原を横断しようと、あの杭が襲ってくることはない。

 であればこれまでの疲労を考えても早々にリヨンへ帰還すべきだーーその、筈なのだが、

 

「待て、ランサー。俺はそちらの問いに答えた。なら、その返礼としてこっちの質問にも答えてくれないか」

 

 口をついて出た言葉は、まるで予定していないものだった。

 これ以上の詮索は過分、当初の目的を考えれば、この異城の在り方を知れただけで成果としては充分だ。

 下手に話を続けて、ランサーの地雷でも踏めばその時点で撤退の前提は崩れる。

 しかもよりによって、これから問うその中身は、どこまでもヴラド三世という英霊のパーソナルに迫るものだ。

 

「一方的な侵略と理不尽な蹂躙、それは生前の貴方が最も憎む行為ーーそうじゃないのか、ヴラド三世」

 

 この問いかけは悪手と言うほかない。

 自身の疑問を解消し満足したランサーは、宣言通りに俺を最後まで客として扱おうとしている。

 だからこそ、結界が作動しない様にアサシンに招かせ、酒など振る舞ったのだ。

 だがその意向を無碍にし、迂闊にもランサーの内側に踏み込もうとするのなら、無数の杭が浅慮の代償としてこの身を穿ち貫く。

 

「何の為に、貴方は戦う」

 

 その可能性を正しく理解し認識していながら、それでも俺はランサーを問いただした。

 それは奇しくも、自らが受けた問いと全く同質のものだった。

 この行為は自分の意志でありながら、自分の意向じゃない。

 これが外部からの干渉であったのならまだ良かった。他者からの介入という致命的な危機ではあっても、その要因は明確だ。

 しかし、いま俺が抱えているのは、そんな単純な外因じゃない。

 俺は俺の判断に基づいて、すべきだと思った問いかけをした。

 理由が明白な外部からの介入より、原因の分からない自己の奇行の方がよっぽど恐ろしい。これが、肉体が若返ったことへの影響、精神と魂と肉体のズレが齎す弊害だというのか。

 それすら、判別がつかない。

 

「ーー敢えて、余に問うか」

 

 どれだけ過去の自分を呪っても、状況は好転しない。

 背を向けていたはずのランサーはこちらを睨め付け、あの凍える様な悪寒が再来する。

 そこにあるのは、まさしく王者の風格。かつて“征服者”にすら、悪魔と恐れられたカズィ・クルベイとしての顔を覗かせている。

 

「答えろ、ヴラド三世。貴方の英雄としての誇りが、まだ残っているのなら」

 

 絶対零度の如き殺意を受けて、しかし“その程度”で怖気付くほど真っ当ではない。

 未だに理性は即時の撤退を推奨しているが、この心は決してその選択をよしとはしない。

 彼が戦う理由を知って何になるというのか。もし何かを問うのなら、それは敵の戦力や今後の行動など、利のある情報を選ぶべきだ。

 この問いに意味はなく、ただ悪戯にリスクを増やすだけの行為。

 だというのに、この答えを聞くまでは決して退かない、とこの体は動いてくれそうになかった。

 

「ーーーーーーーー」

 

 長く、沈黙が空間を満たす。

 ランサーは無言でこちらを威圧し。

 俺は彼から目を逸らさず、まなじりを強く絞り言葉を待つ。

 

「ーーーー余が戦う理由、か」

 

 沈黙を破ったのはランサー。

 呟きというより、自身に向けるように小さな声で、止まった時間を再始動させた。

 その一瞬、彼の王としての姿がほんの僅かに揺らいだように感じた。

 

「真名を把握している以上、余の後世での扱いは知っていよう」

 

 知っている。

 祖国の守護の為にその一生を捧げた彼の在り方を、物語<フィクション>として世に広げた存在。

 闇夜と共に現れ、生者の生き血を啜る化け物<モンスター>。

 とある作家が完成させた夜の支配者。

 

ーードラキュラ伯爵ーー

 

 彼の小説家によって産み出され、以後は世界中の人々に恐怖を刻みつけた異形の存在こそ、ヴラド三世の戦いの応報だった。

 

「余は、余の一生に後悔も未練も無い。彼の帝国に敗れたのは自らの落ち度であり、勝てはせずとも確かに守れたモノもあったーーその果てに為した所業も余の成果であり咎だ」

 

 それは、自らの一生を誇った一人の人間が告げる矜持だった。

 栄光も罪禍も全ては己が生きた結果だと受け入れ、その結末に執着は無いのだと。

 祖国であるワラキア公国をより良いものにしようと行動し、その過程で彼が果たした所業は多岐に渡る。

 国の澱みを取り除く為に腐敗した貴族を粛清の名の下に処刑した。それによって国は安定し彼の治世は強固なものとなったが、同時に貴族からは恐怖の念を向けられ、彼らからの求心力は決して高いものではなかった。

 侵略者によって荒廃していく国を憂い、何もかもを利用して戦いに臨んだ。最後には万の虜囚を串刺しとして並べ、その惨憺たる光景を以って侵略者を退けた。結果として、人を人とも思わぬその所業は敵だけでなく、自国の兵士や領民すら彼を化け物の様だと思わせた。

 幾つもの偉業を成し遂げて、数えきれない程の犠牲を強いてきた。その果てに得たものは、人々からの裏切りと公王からの失墜であり、彼の最後は民からの悼みもない戦場での死だった。

 彼の最期は何一つ残らない、無惨なものだった。

 けれど彼の奮闘があったからこそ生き残った人がいて、公国が無くなりルーマニアと名を変えても、彼の偉大さを現代を生きる多くの人々が知っている。

 決して順風満帆な人生だったとは言い難いけれど、確かに後に続くものを残せたのだと、彼は彼の人生に満足してその一生に幕を閉じた。

 

「ーーそれを、“あの男”は弄んだ」

 

 横溢する怒りは、圧力すら伴ってこちらの熱を奪い取っていく。

 錯覚ではない、圧縮されて極限の赫怒は、たとえ対象として向けられていなくても、それだけで背を流れる汗の量が倍になる。

 もはや絶対零度すら生温い。限界まで収束した憤怒はとうに熱という概念すら過ぎ去って、完全なる無温に至る。

 

「余が為した所業も、余に与えられた屈辱も、余の無念も全て余のものだ、全て祖国のためにあったものだッ!断じて、ドラキュラなどという化け物の材料にされるためではないッーー!!!」

 

 憎悪だ。他者を憎み、その者を決して認めないという絶対の意志が、ヴラド三世という形を得て蠢動している。

 唯一つの感情によって稼働し、朽ちるまでその憎しみを撒き散らす。

 ただ一つ許さないという、単一にして純粋な意志が今の彼を形作っている。

 

「故に、余はあの怪物を否定する。あの男が後世に広め、我が生を踏み躙って得た栄華の全てを、人類史から“消し去る“ーーそれこそが、ヴラド・ツェペシュの望み。竜の魔女に隷属する対価に聖杯に託す、余の唯一の願いだ」

 

 当たり前の願望だ、と思った。

 彼は全霊で自らの一生を駆け抜けて、愛したモノを護る為にその生を費やした。

 全てが望ましい結果に終わったわけではないだろうし、多くの人に嫌悪される行いもしたけれど、それでも彼はやり遂げて生き抜いた。

 それを穢されることは、決して容認されていいものではない。

 これがもし後世の人々の彼の所業に対する批判であったのなら、彼は粛々とその評価を受け入れだろう。

 名誉も末路も全て認め誇る彼は、その後の世界が彼をどう判断しようと、全て是とした筈だ。

 だが、ドラキュラという架空の怪物<クリーチャー>は、土着の伝説に彼の悍ましい一面のみを混ぜ込んだ、歪なフィクションだ。

 そんな醜悪な彼の人生を虚仮にした創作、認められるものではない。

 だがぐちゃぐちゃにかき混ぜられこねくり回された虚構は、余りにも世に広まりすぎたがために、ヴラド三世という英霊の一側面として世界に刻み込まれてしまった。

 それを消し去りたいと願うのは、既に死者となり現世に執着する筈もない彼が抱く唯一の例外だ。

 けれど、それはーー

 

「そのために、かつて否定しようとした者と同じ事をするのか?貴方の領民と同じように日々を平穏に過ごしていた人々を踏み躙って、その願いを叶えるのが本当に貴方の望みなのかーー?」

 

 そうだ、ヴラド三世という英雄は祖国を護るために永い間、侵略者と戦い続けた。

 一度は民に裏切られて、無実の罪で幽閉されて、王の座を追われて、それでも再び玉座に返り咲きもう一度戦いに身を投じたーーその命が尽きるまで。

 それは祖国を護る為に必要だったからの行いかもしれない。状況が違えば、彼もまた侵略者と成り得たのかもしれない。

 だがその可能性を認めた上でーー彼の半生は侵略者を否定するものだった。

 ならばこそ英霊となった彼が、かつて死ぬまで否とした在り方を自らの願いの為に容認するのは、ひどく矛盾していると言えた。

 

「自分の一生を否定したモノを否定するために、かつて否定した存在と同じモノになる。それが本当に貴方の汚名を雪ぐ事になると、本気でそう思うのかーー!」

 

 それは絶対に違う筈だ。

 彼の願いは正当なもので、少なくとも他人でしかない俺が安易に否定していいものではない。

 しかし、だからこそ。

 護国の英雄と言える彼だからこそ、決して譲ってはいけない一線がある筈だ。

 特異点となったあの燃え盛る故郷で、俺が”彼女“を打倒しようとしたように。

 彼は彼の生を誇るからこそ、その在り方を歪めるべきではない。

 

「・・・・・確かに、貴様の言う通りだろう。自身の願いの為に無辜の民を虐げる。それはかつての余が何より憎んだ生き方であり、今なお容認せぬ在り方だ」

 

 問われたランサーは、先の激昂ぶりとは打って変わって、静かに俺の言葉を認めた。

 ともすれば、自らの非を認めて考えを変えるのだと、そんな風に見えるかもしれない。

 だが、そんなことはあり得ない。

 あれ程に強烈な感情を噴出させる程の憎しみが、聖杯という頂上の“奇跡”に頼るほどの願いが、この程度の言霊で覆るはずがないのだから。

 

「ーー何故、余がバーサークと呼べるのか、理解できるか?」

「・・・・・」

 

 再度こちらに投げかけられた問いは、唐突なものだった。

 ここまで続けてきた話とは関係がないように思えるーーだが、この場でその質問を選んだ以上、何らかの意味があるのは確かだ。

 

・・・・・狂化の定義、か・・・・・。

 

 何を以って狂っているか、それも周囲との隔絶という意味ではなく、当人の在り方のみに絞った話だろう。

 それは当然、その人物の平時からどれだけ“外れて”いるかによるだろう。

 その人物に関して絶対に言わないような事、確実にやらないような事をすれば、そしてそれがいつまでも続くものならそれは確かに狂っていると言えるだろう。

 それをランサーに当て嵌めて考えれば、侵略という通常なら決して容認し得ない行動に出る現状を狂っているが故だと、そう考えられるのかもしれない。

 

・・・・・だが、それでは“足りない”。

 

 ヴラド三世という英霊の性質として、侵略を容認しないというのは確かに一つの事実だろう。

 だがそれはあくまで、個人の欲を叶える為に、という但し書きが付く。

 彼とて生前は一国の王、それが国を生かすためであれば、侵略という忌むべき行為にも手を出しただろう。

 だからこそ、本当の意味でランサーが狂っていると断言できる要因があるとすれば、それはーー

 

「・・・・・認めたというのか、吸血鬼としての自分をーー?」

 

 半ば茫然とするように、その予測を口にする。

 彼は言った、ドラキュラ伯爵を決して認めないと。その存在は奇跡に縋ってでも消し去りたい、汚点なのだと。

 だが、ならばこそ、ヴラド三世にとって最も容認できない存在こそが、彼の狂気だと言えるのではないかーー?

 

「ーーそうだ。余は、あの忌々しい化け物としての在り方を受け入れる。この姿を否定する為に、その存在そのものとなるーーそれが今生の現界における余の狂気だ」

 

 僅かに月明かりのみが照らす、何もかも取り込んでしまいそうな闇の中で、一人の男が笑う、嗤う。

 三日月のように開いた口腔に見える鋭い牙が、真っ赤なワインに濡れた舌が、一つの存在を想起させる。

 不死身の肉体を持ち、人間の生き血を糧として生者を恐怖に陥れる、闇夜の王。

 彼の小説家が創作した、一匹のモンスター。その名はーー

 

「問答はこれで終わりだ。次に余の願いを否定する時はーーその命を捨てる覚悟で挑む事だ」

 

 

 

 

 

 

 ぴちゃり、ぴちゃり、と響く音が、妙に耳に痛い。

 ランサーとの謁見を終え、帰路に着くが、心はざわついたまま、一向に収まらない。

 あの時、彼からその真意を聞いて、その果てにどうしようとしたのか。

 結局、得られたものはどうあってもランサーはこのフランスの敵なのだという、分かりきった事実の補強だけだった。

 

・・・・・お前は、こんな事が知りたくてあんな問答をしたのか・・・・・。

 

 問いかける先は、自分自身。

 よく分からない行動をした、よく分からない心。

 あれは最後まで必要の無い行動で、そんな事をしでかした自分がひどくあやふやなモノに感じる。

 それでも、この心に後悔は無い。あれは自分の意思だったと、そう一切の疑問無く思えているのだ。

 

・・・・・これは、拙いな。

 

 衛宮士郎の戦いとは常に自分自身との戦いだ。

 どこまでも凡人の器しか持ちえない俺が戦おうとするのなら、せめて心だけは強く保たねばならない。

 現実では弱いままだからこそ、想像の中では決して負けない自分をイメージし、徹底的に本来の自己を排除する。

 そうして固く、硬く、堅く、決して朽ちない鉄の様に。ただ一つの目的を果たす為に、自身を決して折れることのない一本の剣へと鍛え上げていく。

 もしその心が崩れることがあれば、衛宮士郎はその時点で力を失う。

 芯の通らない剣は、容易く砕け散ってしまう。

 そんな状態のままで叶えられるモノなど、この身にはありはしない。

 

・・・・・早く、リヨンに戻らないと。

 

 このままではいけないと、気持ちは逸る。

 揺らぐこの精神状態のまま、この城に長く留まるのは危険だ。

 一刻も早く街へ帰還し、気を落ち着かせなくてはならないーーだというのに。

 

「見ない内に随分と憔悴した顔をしているじゃないか。なぁ、衛宮士郎ーー?」

 

 褐色の肌、灰色の髪と瞳、黒いボディアーマー。

 どこまでも見慣れた、どこまでも馴染みのある顔。

 腕を組み、俺を嘲った視線を向けてくる男。

 

「・・・・・アーチャー」

 

 いずれ向き合わねばならないと思いーーしかし、いま最も出会いたくなかった男が衛宮士郎の前に立ち塞がった。

 




実はこのフランス特異点で最初の士郎の関門はヴラド公ですよーという事を示すのが今回のお話でした。
途中、士郎の見知ったサーヴァントが出てきますが、実はヴラドに比べればそんなに重要じゃなかったりします。侍は士郎と接点薄いし、紅いのは(今は黒だけど)既にUBWで士郎と全霊での対決をしちゃいましたからね。そういうのもあって、ヴラドがフランスでのある意味士郎のライバルポジとなっています。
二人の決着はもう少し先となりますが、それまでどうか気を長くしてお待ちください。

以下、新規召喚サーヴァン。

シャルル=マーニュ(以前から予想されていたとはいえ、本当に実装となった一二勇士の長にして幻想の王、月の舞台で異なる自分と対峙した英雄がまさかの参戦。アストルフォやブラダマンテ、そして一枚絵のみのローランも実装されていたこともあって、LINKプレイ済みの方は非常に嬉しい一騎ではないでしょうか。かくいう自分もその一人で、月で見せてくれた純主人公ともいうべき気持ちのいい英雄っぷりと、自らの結末を理解した上で信念を通した彼が自分は本当に大好きでした。fgoではどうやら大帝とも和解している容姿で、そちらの話が明かされる日が今から楽しみです)

ローラン(自身の主君と共に登場した、十二勇士きってのパラディン。アストルフォの幕間でチラッと姿を見せたっきり、結構な間放置されてましたが、ようやっと実装。実はローランが幕間に登場するずっと前から、オルレアンでバーサーカーとして登場させようと考えていたのでちょっと焦ったりした作者です)

クリーム・ヒルト(ジーク・フリートの妻にして、彼を殺害したハーゲン達に復讐を果たした復讐姫。声優にまさかの古賀葵さんを起用しての登場です。願望器だった頃のすまないさん奥さんということで、前々から気にはなっていたのですが、実に納得のいくキャラクターでした。彼女に関する諸々はトラオム及び彼女のマイルームボイスで各自でご確認してもらいたいですが、一言だけ言わせてもらうのなら、めっちゃくちゃ可愛いです。彼女のマイルームボイスは是非とも皆さんで聴いて欲しい)

アヴェンジャー/アンリ・マユ(元祖復讐者、人類を呪い続けるお節介悪魔、実装から6年目にしてようやくお迎え。排出率の低さはもとより、普段からフレポ回さないのもあってだいぶ長い間未召喚でした。作品が展開するにつれ色々なアヴェンジャーが実装されましたが、クラス名で呼ぶのは未だに彼だけでしょう。士郎/村正もランサーもバゼットもいる、あとはあの毒舌シスターをお迎えすれば、ホロウメンバーにしてアトゴウラに立ち会ったメンバーが揃います)



今回、ピックアップサーヴァントが全騎お呼びしたい面子でしたので、久しぶりの大勝利でございました。
ただ、一つだけ言いたいのは、新規サーヴァントの育成素材に新規素材を指定するのはやめてください運営さん。
特にシャルル、新規素材で216属はほぼ犯罪です!

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