題名の通りです。一人の少女が提督になるまでのお話です。艦娘は基本出てこない女性提督の思い出話ですのでNG!という人はUターンお願いします(_ _)多少シリアスかも...

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少女が提督になるまでの話

私は山間の小さな町で育った。

父は東関東の田舎の出身で、東京の大学へ進んだ。そこで母と知り合ったという。母は甲信地方の出で、同じ大学の同じ学部学科の学生だった父と惹かれ合い、すぐに交際を始めた。大学3年生だった時に私が生まれ、父と母は学生結婚をした。

父は地方の豪農の血筋で(分家だと言っていたが)父の祖母から引き継いだ広大な山地とそれに比べれば小さな宅地を持っていて、物心ついた頃には木と畳の匂いの中で育っていた。父は町の役場へ勤めていて、近所の人たちからの信用も厚い。父自身は特技もないし、平凡な人間だといつも言っていたが、幼い私にとってはすごい父であった。母も料理や家事が上手で、家の中はいつも綺麗に保たれていて、そんな母を見ていると自然と片付けや料理、家事も身についていった。料理はまだしも、父は片付けはからっきしだった。住んでいた家屋は夏は風がよく通る涼しい家で、秋になると親子3人でお月見をした。父は母に日本酒をお猪口にお酌してもらって毎年上機嫌だった。

私は父にコップにジュースを注いでもらって、よく山の上に浮かぶ白い月を見るのが好きだった。父は役場職員だったので、大体6時には自宅へ戻ってくる。食事を3人で取って、家族団欒の時を過ごすのが夕食後の日課で、和室に布団を敷いて3人で眠った。私にとって、あの頃が一番幸せだった。

そのうち私は小学生になり、家の一角に自分の部屋を貰った。もちろん和室で鍵など掛からない。

自分の部屋で過ごすようになって、夜の12時くらいに物音がすることに気付いた。とある冬の寒い夜、部屋から顔を出して真っ暗な廊下を覗き込むと、薄ぼんやりした提灯を下げて、廊下を歩く人影があった。私はドキリとしたが、それは見慣れた父の後ろ姿だった。厠とは全く別の方向。私はこっそり跡をつけた。父はとある部屋の前で立ち止まった。そして

「そこに居るのは誰だ」

と言った。低く冷たい声で、私はそんな父の声を初めて耳にした。

「あ…う…おとうさん…」

絞り出すように声を出すと、父は

「えっ?」

父は驚いたように提灯を挿頭した。ぬいぐるみを抱えた私は目に涙を湛えていたらしく父は

「ごめんよ、怖かったな」

と私を抱きしめた。安心した私は父の腕の中でうとうとし始めた。

目が覚めると、私は畳に横になり、タオルケットを掛けられていた。父は夥しい数の書類に目を通して難しそうな顔をしていた。一度だけ役場の仕事をもちかえってきた時もそんな顔をしていた。部屋の明かりは机の上のランプ一つで、火鉢が燃えて暖かかった。父が私の視線に気付いた。

「起きたか」

「うん…おとうさんお仕事?」

父は少し考えて、そうだと答えた。

部屋の大きな古時計はもうすぐ4時半を指そうとしている。部屋の窓から金星が瞬いて、夜明けを告げる。父は万年筆を置いて、私に語り掛けた。

「朝日を見に行かないか?」

 

私と父は上着を着て、連れ立って家を出た。辺りはほのかに明るく、そして重い冷気があたりを覆っていた。吐く息が真白い。近所の丘で、山の向こうから登ってくる朝日を見た。とても眩しく、そして大きかった。顔が少しだけ暖かかった。

 

父が私の名前を呼ぶ

「お父さんがもし、家に帰ってこれなくなって、そして父の死を聞いたら、15の誕生日にお父さんの書斎にある青い金庫を開けなさい。番号はお前が知っているはずだ。」

幼かった私はまだ、人の生死というような難しい話は分からなくて、ただ

「わかった」

としか言えなかった。父は私を肩車して、家へ引き上げた。それからしばらく普通の生活が続いたが小学校2年生の夏、父は唐突に帰ってこなくなった。母は動じず、私にお父さんはお仕事でしばらく帰ってこれないと言った。が、母の目に寂しさと覚悟の色があることに気づいて、私は父との今生の別れを悟って、自室で静かに泣いた。父は沢山の貯金を残していて、私と母は路頭に迷うことは無かった。

小学校4年生の春、たまたま父の書斎に立ち寄った時、机の上にメモを見つけた。私に宛てた伝言があり、日付はあの朝日を見た日だった。とにかく、これからの世の中は知性がものを言う。父の書斎にある本は皆、望海のものだからよく勉強をして自分の道を見つけなさい。とのことだった。巷では携帯ゲーム機が流行っていて、私も欲しいと母に強請ったが、そのメモを見つけて以来、母にゲーム機の話をすることはなくなっていった。その代わり、母に頼み込んで父の書斎を勉強部屋に借りた。汚さないことを条件に母は許してくれた。それから友達がゲームに熱中している間、私は兎に角本を読むようになった。父の本棚にある本は片っ端から読破して、わからない言葉や慣用表現は国語辞典で調べ上げた。哲学の本、古事記や日本書紀、万葉集のような国史、国学の本、はたまた英語で書かれた本や小説まで、私は辞書片手に読んだ。そして三年かかって、私は小学校卒業までにすべての本を読み終えた。とにかくゲームをしなかったので大勢の級友が離れていったが、数人の親友以外、私は要らなかった。

 

中学校へ進んで初めての夏、定期試験にて無勉強で学年一位の高得点を叩き出して、成績通知で全甲を貰ったその日、海軍から父の戦死の報を受け取った。太平洋上にて戦死、享年33だった。私達にとって父の海軍への関与は寝耳に水の話だった。が、母はやはり父が帰ってこなくなった時のように動じなかった。父の葬儀の時も気丈に振る舞い、私が思った以上の弔問客の量にもめげず、主人のために今日ははるばるお越しくださりありがとうございます。と挨拶をしていた。海軍からは連合艦隊司令長官の代理が多額の弔問金と海軍戦死恩給を持参してやってきた。代理といえど階級は海軍大佐だという。バタバタしながらも、なんとか葬儀を終えることが出来た。

四十九日も終わったある日、白い軍服を身に付けた海軍軍人が数人現れた。先日代理を派遣してきた連合艦隊司令長官その人だった。お付きの武官はどこかで見たことがある顔だった。

母には話が通っていたのか、すぐに客間に通し、茶を出した。お付の武官が口を開く前に、司令長官が言葉を発した。

「この度、彼を失ったことは我々にとって大きな痛手です。彼を守れず、遺族の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。すみませんでした。」

母はそれを聞いて、しばらく黙っていた。そして

「主人…あの人の最後を差し支えなければ教えてください。」

司令長官は少し黙っていたが、やがて

「大佐、話してあげなさい。」

と、横の武官を促した。

 

父が居なくなった頃、父は横須賀鎮守府への転勤が命じられていた。単身赴任が絶対条件であったという。父は2016年に出現し始めた深海棲艦への対策として、父島に研究施設を開設、そこで特殊な任務へ従事していた。艦隊の指揮だったという。その日は艦隊の演習の視察で、早朝から指揮艦に乗船して父島の沖合に出ていた。間もなく演習も終了という頃、小笠原南方方面から未確認艦隊が出現した。通信を試みても一向に応答がない。深海棲艦だった。

突然の敵襲にも父は慌てなかった。毅然と敵艦隊の殲滅戦を命じ、海戦が勃発した。戦闘は有利に進んだが父の乗っていた指揮艦は敵艦の砲撃を受けた。被弾箇所は艦の水面下と、艦橋上部の艦長室付近だった。みるみるうちに指揮艦は傾斜し、父は負傷しながらも指揮を継続、指揮艦乗組員には総員退艦命令を発したという。被弾時には艦長室に居なかった副長が艦長室に辿りついた時、父の腹部や腕からは多量の出血が認められ、直ちに応急処置をする必要があったが、父は退艦を拒絶した。ここで指揮を執り続ける。戦う部下を見捨てるようなことはできない。と

 

人類は深海棲艦を史上初、小笠原にて破った。父は指揮艦の沈没前に僚艦によって救助されたが途中で心肺停止、父島の病院で蘇生処置がとられて息を吹き返した。が、1時間後に様態が急変、治療の甲斐無く死亡した。

 

粗方の話が終わり、海軍の一行は父の墓参をし、墓に眠る父に向かって「貴官の犠牲は必ず人類の希望となる。あとは私達に任せてくれ。」と餞別の言葉を残して去っていった。

翌日、海軍省・大本営海軍部共同発表という形で父の戦死の際の状況が一般民衆へ伝えられた。

「少佐、優勢なる敵を前に全く怯まず、毅然と敵の殲滅戦を命じれば、練度の高い第17艦隊は反転し、これを瞬く間に壊滅に追い込むことに成功せり。しかし少佐座乗の海防艦富士は敵の断末魔の砲弾を2発受けて傾斜せり。少佐重症を負うもなお戦闘指揮を継続し、遂に敵は完全に沈黙し、人類初の勝利を飾ったのであります。されども、海防艦富士は機関浸水により航行不能となり、遂には沈没しました。少佐は救助されるも甚だその状態悪しく、7月19日11時15分、海軍父島病院にて死亡されました。海軍は、少佐を二階級特進とする措置を決定し、省令にて関係各所へ既に通達いたしました。全軍を挙げて、我々は少佐の勇敢的自己犠牲に報いる所存であります。」

 

私はその日から、勉学の意欲を失った。学校の授業は一応真面目に受けるも、自宅では全く教科書を開かず、無為に過ごすことが多くなった。緩やかではあるが、成績は下落傾向になった。また、小学校の時に離れていった同級生たちは再び私に擦り寄ってくるようになる。彼らは私の家で葬儀があったことを知っており、父戦死の放送を聴いて私が「英雄の娘」ということに気付いたのだろう。急に馴れ馴れしくなったのはまだいい方で、良いとも言っていないのに家に押しかけてきたり、保護者を通じて私との関係に強引に組み入ろうとする輩まで現れた。中学2年生の秋に母が海軍に申し出て、海軍の兵士が自宅を警備し、私は単身転居することになった。こちらも海軍の護衛が付くとの事でひとまず安心した。結局、転居しても生活は無為なままだった。そうこうしている内に、私は3年生に進級した。この頃も成績は緩やかに下落していて、しかしどうしようとも思わなかった。進路のことも何も考えず、その時が来たらなんとかしようなどと考えていた。

中学校3年生の6月、私は遂に15歳となった。その日は母から実家に呼び戻されていて、私は父の墓参の後に書斎にいた。本棚にずらりと並んだ本は400冊はあるだろうか、全て覚えている。久々に、父のことを深く思い出してみる。いつも優しかった父、手本となって方向を示してくれた父、わずか8年だったが、その記憶が蘇る。久々に感情が動く。その時、本当に偶然だった。父の金庫が目に入ったのだ。父という主がいなくなってから7年間、ずっと放置されてきたのかすっかり埃を被っている。思えば、小学生の頃からそこにあったはずなのに1度も疑問に思ったことがなかった。その金庫に今、手をかける。…当然だが、施錠されている。かなり小さい金庫は、片手で持ち上げられる。軽く振ってみるが、何かが入っている気配は無い。…いや、微かに、紙の擦れる音がする。鍵はダイアルロック…

「番号はお前が知っているはずだ」

あの日の父の言葉を反芻する。なぜ父はあの日番号を言わなかったのか、なぜ、15歳なのか、父は私に何を伝えたかったのか…深く思案する。

日はまもなく、故郷の山の向こうへ落ちてゆく。その日の陽光が、まもなく終えるであろうその命を最後とばかりに燃やして部屋を赤く染める。私は遂に父の託した金庫を解錠した。中には1通の、直筆の手紙が入っていた。次第に成長してゆく影に文面は陰る。が、文字が滲んでゆくのがわかる。必死に耐えたが、目から溢れる涙は止まらない。夏服のシャツで涙を拭いながら、いっぱいいっぱいになって手紙を読み終えた。

居間に戻り母と顔を合わせた時、母は若干驚いた表情を見せた。そして、微笑んだ。手紙を読んだのね、と私は再び、静かに涙を流した。母も泣いた。そして、その晩はゆっくりと父の話をして、母とふたりで眠りについた。そこに父は居ないのだが、もう寂しくはなかった。隣の空いた布団に父は居るような、そんな錯覚を覚える。

私は、一人暮らしの部屋を引き払った。もうとっくに私の家の名声を利用しようとする不逞な輩は居なくなっていた。そして、実家に戻って私は勉強をするようになった。誰かに強いられるのではなく、自分の意思で…私は遂に方向性を定めた。2年のブランクを取り戻すのはかなりの労力を要した。そして、遂に志望校の試験は始まった。

桜の舞い散る3月末、私は無事に中学校の卒業を迎えた。ようやく迎えた卒業、しかし私は止まるわけには行かなかった。卒業はゴールではない。翌日、私は駅にいた。新しい制服を身につけ、大きな鞄を提げる。プラットホームには、着物を着て父の遺影を持つ母と、仲の良かった旧来からの友人たち数人、そして近所の人たちなど、30人ほどが集まってくれた。手には広島行きの切符…遠くから、汽車の汽笛が響き渡る。父の遺品の恩賜時計は昼過ぎを指して、列車は大げさにプラットホームへ進入した。タラップに足をかければ、背後から万歳の声…振り向いて敬礼をする。母の手の中で、ニコニコ笑うまだまだ若い軍服の青年、私は彼に微笑み返して、そしてもう振り返らなかった。汽車は僅かな衝撃とともに走り出す。万歳の声は遠くへ消えてゆく…一等車の中には誰も居ない。私はこの道に進んで良かったのだろうか、ふと、そんな不毛な思考が頭を過った。正しいかどうかはわからない。けれど私にはこの道しかなかった。何を成すか、それは今後の自分次第だと思う。この道に進んだ以上は、その責務を全うするしかない。客車内には汽車の疾走する軽快な音と、時折聞こえる線路の軋む音だけがその場を支配していた。広島、江田島の兵学校までの道のりは長い。

 

日本海軍横須賀鎮守府附属資料館所蔵 資料番号9-70604 海軍士官より娘に宛てた手紙(遺書)

 

小生、本文を我が娘のため書き残す。

 

娘よ、元氣でやつてゐるだらうか。まづ、十五歳の誕生日おめでとう。このやうな形でしか祝の言葉をかけてやれぬこと、本当に申し訳ない。今、貴女がこの手紙を開いてゐると云ふことは、即ち私の命は擲たれたと云ふことだらう。今、この手紙を記してゐる時点では、私は具体的にどのやうな最期を迎へたのか、知る由もない。しかし、職務の関係上遠い未来のことではないと云ふことは理解してゐるつもりだ。

小生は、貴女の前より消えて仕舞ふだらう。貴女は机の上の伝言書きを見てくれただらうか…この手紙を読んでゐると云ふことは、きつと伝言書きも読んでゐることだらう。そして、小生の部屋の本もすべて目を通してゐる筈だ。その本たちはすべて、小生が大學を卒業するまでに読んだ本である。貴女は十五歳にして大學生と同じ知識量を誇ることになる。それだけの努力ができるなら貴女は小生にとつて、母にとつて自慢の娘である。

未來の成長した娘に宛てて手紙を書くなど慣れないことをしてゐるので、まるで恋人に送る最期の恋文のやうになつてしまつた。少しだけ気恥しい。貴女はどんな女性に育つてゐるか、非常に楽しみだ。出来るることならば、その姿を、この眼で見たかつた。

さて、十五歳の誕生日と云へば、中學校三年生の六月だと思ふ。これから進路を決めるに当たつて、一つ書きたいことがある。

小生は、遠くない未来に國に殉じて英霊の戰列に加はることになるだらう。危險なことは承知してゐる。海軍兵學校は、十五歳から出願できる。貴女がもう進路を定めてゐるのならそれも良し、だが、若し萬が一まだ決めかねてゐるのなら、兵學校とは言はない。が、郷里や家族友人のためになる進路を取つてほしい。そのために、たつた一つの命を進んで擲つた貴い幾萬もの英霊がゐた事を、心の片隅に置いておいて欲しい。

最後に、父は何時でもお前のことを天から見守つてゐる。その賢い頭なら、常にお前に正しい判断を与へてくれることだらう、父はお前の活躍を祈つてゐる。郷里や家族友人を大切に、がんばつてくれ。

 

一六年一二月八日

父より


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