インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話は《ホロウ・エリア》側のお話。前話の七十六層ボス戦中、キリト達は何をしていたのか、そもそも前々話でのホロウキリトとリーファの話し合いの後はどうなったのかについて、ほぼ回想で描写しております。

 合間合間に書いて、ストレスでおかしくなってる時もあるので作風がブレ気味ですが、寛大な心で読んで頂ければと思います。

 視点はフィリア、ホロウキリト、ユウキ。

 文字数は約一万七千。

 ではどうぞ。




第百二章 ~真贋の別離~

 

 

 場に漂う冷たい静寂。

 作り出している原因は全く同じ容姿をしている二人の少年。容姿だけでなく、装いはおろかその実両者はある一定の時期までは同一の経験を有しているという、所謂ドッペルゲンガー状態の為か、二人の間で交わされる視線と沈黙は酷く張り詰めていた。

 片や生身の肉体が動かす正真正銘の生きたプレイヤー。

 片や個人の情報から再現されたAIのホロウプレイヤー。

 ホロウが継承している記憶の途中までは同一存在であったが故に、運命づけられたと言っても過言では無い嫌悪の感情が、二人からは放たれている。

 人間は、己の醜い言動や姿を嫌う傾向にある。

 その一つの現れと言えるのが同族嫌悪。人に不快感を与える言動を見聞きし、己の言動を振り返って思い至るところがあると更に嫌悪の感情を抱くという、やや特殊な感情の覚え方。

 正にこの二人はその状態にあるのだ。

 これが何年もの時を隔てた時代の人間同士、ないし同年代でも明らかに歩んだ歴史が違うのであれば最早別人と言えるので、こんな状態にはならなかっただろう。だがこの二人の間にある差は人間かAIかを除けばたった数日の差でしかない。立場や人間関係で言えばオリジナルが居るのでホロウの方が孤独だ。

 寂寥感を抱き、人との触れ合いに飢えていて、最近それを享受してきたところで唐突に奪われたも同然な状況に置かれれば、心が荒むのはおかしな話では無かった。

 

 ――――この状況になった原因は、二人のキリトどちらにも存在している。

 

 *

 

 昨日の事だ。

 

『――――話は済んだか』

 

 話しやすいようにと配慮して場を離れたリーファとホロウのキリトが戻って来て、再度対面した時に場を支配した沈黙を破ったのは、オリジナルのキリトだった。

 その問いに、苦悩と悔しさを混同した表情のリーファが、ええ、と頷く。

 ホロウのキリトは無反応を貫いた。

 義姉の返事ともう一人の自身の無反応に、オリジナルのキリトはそうか、と淡泊に応じる。

 内心もう一人の自分に複雑な感情を抱いている彼は、二人きりで話をするというリーファの我が儘に最初は反対していた。経緯はどうあれ明らかに殺意が込められた攻撃を仕掛けられたのだから警戒するのは当然である。

 それでも折れたのは、己と同一存在に近いもう一人の自分を見る眼を、否定出来なかったからだろう。

 何を話していたのか。

 不安に駆られている彼は、それについて言及したい筈だ。

 それでも開口一番に訊かなかったのは、その不安を現実のものにしたくない故か、あるいは別の意味で複雑な立場に立たされた義姉の内心を慮っての事か。意図するところを知るのは彼のみである。

 

『……もう一人の俺。お前、これからどうするんだ』

 

 未だ懊悩はあるのだろう。

 しかし彼女に苦悩を抱かせた原因が己にあると考えているのか、それとも他の何かを念慮しているのか、彼は絶大な信用を寄せる義姉では無く、もう一人の己に問い掛けた。

 その問いに、ホロウの少年が微笑を湛え、肩を竦める。

 顔に浮かぶ表情は諦観と空ろに満ちていた。

 

『オリジナル達の目的はゲームクリアだ。でも俺は《アインクラッド》には行けないだろうから、《ホロウ・エリア》と言うらしい此方限定になるけど俺も力を貸すよ』

 

 言って、ああ、そうだ、と思い出した風な体でホロウキリトが続ける。

 

『どっちも同じ名前だと、皆が呼ぶ時に困るだろう。だから俺の事は《ホロウ》と呼ぶように。俺はお前の事を《オリジナル》と呼ぶ』

『……分かった』

 

 同じ顔で、同じ声で、嫌悪と忌避の表情を浮かべて話を進めていく二人。

 実際ホロウの彼の事をどう呼ぶべきか悩んでいたし、二人の関係がどういうものに落ち着くのかは最大の懸念事項でもあったので、助かりはする。するのだが、どちらにせよあまり精神衛生的に変わりない状況である。

 

『――――一応言っておく。俺はお前の味方になった訳じゃない』

 

 非常に胃によろしくない状況に油を注ぐが如き発言を、ホロウが更に放った。

 

『俺はリー姉達が生還出来る可能性が高い選択を取っただけだ。あと、《ビーター》/【黒の剣士】として背負ったものを、無駄にしないために』

『……その為に、ゲームクリアと同時に死ぬ事も受け入れるか』

 

 AIであるホロウは、SAOのシステムによって存在を許されているNPCの一人。この世界がクリアされ、デスゲームが終息すれば、まず間違いなくデータは消去されるだろう。

 つまりは死だ。

 何時頃から分かたれたかは知らないが、光を喪った眼を見れば七十六層到達から《ホロウ・エリア》で再会するまでの間の頃のキリトであると何となく察しが付いた。その頃であれば確かに己の命を軽んじる傾向にあったから違和感もない。己の死に意味を持たせているところすら一緒だ。

 それを叱責されたオリジナルのキリトが、やや苦い顔で指摘する。

 自分自身が口にしていた時はそれが当然の価値観になっていたが、それを覆され矯正されてから過去口にしていた事を聞いている今の彼には、ある意味拷問に等しく感じられている事だろう。

 それをホロウが口にしているという事は、あのリーファを以てしても変えられなかったという事に他ならない。彼女が苦悩の表情を浮かべているのはきっとそういう事だ。

 つまり彼女を諦めさせるだけの何かがあるという事。

 

『仕方ないだろう。オリジナル達を見付けた時は我を忘れて殺しに掛かったけど、今思えばそれも自殺行為だった。取って代わりたくても代われないんじゃ諦めるしかないじゃないか』

『……そういう事か』

 

 諦観の色を深くしたホロウの言葉に、理解と共に苦みしばった表情を浮かべるオリジナルのキリト。

 

『《アインクラッド》側のプレイヤーが死ねば《ホロウ・エリア》に移る。それはつまり、ホロウプレイヤーの意識は、オリジナルの意識に上書きされるという事だ。消滅、と言っても良い。事実上の死だよ』

 

 二人の間でだけ意味が通じているせいで置いてけぼりを喰らっているわたし達を見て、ホロウが説明を付け加えた。

 それで漸くホロウの彼が諦めた理由を理解する。

 取って代わる為にオリジナルを殺しても、その瞬間、ホロウの彼の意識は消滅し、ホロウのアバターにオリジナルの意識が宿る結果にしかならない。だから諦めて、リーファ達が生還する道の為に協力する事にした。

 それが仮令自分の死に繋がっているとしても、それしか道が無いから。

 明確な死期を悟っての決断だからこそ、この少年の眼は昏く、空ろな表情で、儚げな雰囲気なのだ。

 そこで話は終わり、各人は各々の目的の為に動き出した。夜が遅かったのでキリト達は休んだが、自分やリーファ達は《アインクラッド》へ戻り、攻略の進捗を確認した。

 

 ――――その翌日。すなわち今日の事。

 

 《アインクラッド》側で七十六層ボス攻略が行われている間、《ホロウ・エリア》に残っていたキリト、ホロウキリト、ユイちゃん、ルクスの四人とナンの一匹は、グレスリーフの探索をしていた。

 その探索の最中、森の中で教会を見つけたという。その協会はキリトとルクスが目的にしていたカルマ回復クエストを受注出来る場所だった。

 結論から言うと、オリジナルとホロウのキリトはカーソルの色がグリーンに戻った。

 しかし、ルクスは戻らなかった。クエストは発行されたが達成しても色が戻らなかったという。ボス攻略の後、様子を見に訪れたユウキとラン、リーファ、シノン、サチ、レイン、そして自分を交え、それがどうしてかの考察が始まった。

 

『ルクス、オレンジになったのは人を殺したから、しかもグリーンのプレイヤーを攻撃したからで合ってるな?』

『あ、ああ……』

『……だとしたら妙だな……その理屈だと、俺が戻れてもルクスが戻れないのはおかしい』

 

 この結果に当然全員が疑問を呈した。

 システム面にキリトは非常に詳しいため、これまで一度もカルマ回復クエストを受けていなかったにしても同じ条件なら同じ結果にならないのはおかしく感じられたようだ。

 以前オレンジになった理由を聞いた時、彼女は『人を殺した』と言っていた、つまりそれが切っ掛けなのだろう。

 しかしキリトも同じ理由で、且つほぼ同時期にオレンジになっている。システム障害を受けた直後だからと片付けるには、そもそもクエストを受けられる=オレンジ判定をシステムが与えている事が引っ掛かる。

 その点について疑問を覚えたらしい彼は、これまで気を遣って突っ込まなかったオレンジになった契機について彼女に問い質していた。

 ルクスは最初口を濁したが、かなり思い悩んだ末に話してくれた。

 

『私はユウキ達と同じように、迷宮区では無いダンジョンに潜っている間に転移エフェクトに包まれてこちらに来たんだが……転移先で視界に入ったのは、私の姿だった。もう一人、私が目の前に立っていたんだ』

 

 唐突な事に思考停止してしまったルクスは、もう一人の自分を認めた直後、その自分に攻撃された。ギリギリで躱したものの気が動転していたルクスは反撃に剣を抜き、先に攻撃を当ててしまったらしい。あまりにも気が動転していたせいで細部は殆ど記憶にないが、とにかく滅多矢鱈に斬り付けていた覚えはあると言った。

 そして気付けば、オレンジカーソルになった自分一人だけが樹海の中に残っていたのだと言う。

 

『夢だったのか、と思いたかったんだけどね。こうしてオレンジになっていたし、それに新規取得アイテムの欄には『ホロウ』という単語を加えられた私が使っている装備と同一のものがあったから、嫌でも本当に起こった事だと認識させられたよ』

『……今まで話さなかったのは、自分が偽物なんじゃないかと思ってたからなんだね』

 

 乾いた苦笑を浮かべて言うルクスに、ユウキが言った。

 自分が偽物ではないかと不安になっていたから、わたし達に話す事を恐れていたのだろうと。

 

『うん、そうだ。正直今でも、自分が『オリジナル』だと確信は持てていない。もしかしたらオレンジカーソルが解除されないのは、私が偽物だからじゃないか……そうも考えてる』

 

 ユウキの予想を肯定した彼女は、瞳に怯えの色を滲ませながら言った。

 なまじホロウのキリトが記憶、感情その他諸々をオリジナルと遜色ない程に引き継いでいるから、その不安は余計深まった事だろう。

 

『――――いえ、ルクスさんは正真正銘のオリジナルプレイヤーです』

 

 僅かに沈んだ空気を破る発言をしたのは、ユイちゃんだった。一同の視線を集めた黒衣の美女は、黒曜の如く煌めく瞳をルクスへ向ける。

 

『私は【ホロウ・エリア管理区】のスタッフNPCなので、少なくとも相手のアバターがホロウのものかそうでないかの判別が可能です。ですから私はホロウのキーがどちらなのか間違える事もありません。それは他のプレイヤーだろうと同じです』

 

 そう言った彼女は、自身がどうやってそう判別出来ているかを簡単に教えてくれた。

 管理区のスタッフNPCとしての機能を得た彼女は、意識すればプレイヤーの頭上にシステムが設定した『ID番号』というものが見える。そのIDはわたし達がSAOにログインするにあたって製作したアカウントの登録番号。オリジナルのものはその番号がそのまま見える。

 対してホロウアバターのものになると、ID番号に共通した変化が見られるらしい。

 彼女は分かりやすい例としてキリト達のIDを教えてくれた。オリジナルキリトのアバターIDは『0178』、ホロウキリトのものは『H-0178』。

 つまり数字は同じで、ホロウアバターの方にだけ共通でローマ字の『H』が付与されているというのだ。名前が同じでもID番号が違ってさえいれば同時に存在出来るという事らしい。

 逆説的にシステムが同一名の同時存在を許さないのは、IDが同じであった場合のみであると伺える。

 パソコンだと作った時期や中身有り無しの如何に拘わらず同じフォルダ名が存在する事は出来ないので、恐らくこれもSAOを動かしているという【カーディナル・システム】独自の設定だろう。

 【カーディナル・システム】からすれば、パソコンにとっての『フォルダ名』は『アカウントID』であり、プレイヤー名では無いという事だ。そういえばホロウのキリトともオリジナルのキリトとは別でフレンド登録が出来たっけ、と思い返す。表示は同じ《Kirito》なのに何故可能なのか首を傾げたが、どうやらそういう理屈らしかった。

 

『なので、ルクスさんはオリジナルで、消えた方がホロウという事になります』

 

 その理屈を語った上でユイちゃんは改めてそう結論を出した。真偽の程を確かめる事は出来ないのが悔やまれるが、一応筋は通っている。

 

『……本当かい?』

『はい』

『じゃあ……私のオレンジが、解消されないのは……?』

 

 その話を信じたいのだろうが、全ての疑問に確かな答えが無ければ不安が払拭されないからだろう、ルクスは次の問いを投げた。

 ユイちゃんは僅かに考え込む素振りを見せたが、すぐに表情を戻す。

 

『恐らくですが、それは《アインクラッド》と《ホロウ・エリア》間に於けるルールが入り混じっているからだと思います』

 

 その言葉で、ホロウのキリトの顔に理解の色が浮かんだ。

 

『――――そうか。《Kirito》は《アインクラッド》側のプレイヤー同士でのオレンジ判定だが、ルクスは《アインクラッド》のプレイヤーなのに、《ホロウ・エリア》のルクスを攻撃した。でも本来、オリジナルのプレイヤーは《ホロウ・エリア》に入れない設定だし、俺とオリジナルとが揃っているこの状況がおかしいだけで、片方の世界にオリジナルとホロウとが揃う事も原則としてあり得ない事だから……』

『ええ。ホロウのキーの言う通り、ルクスさんは運悪くシステムが許さない『矛盾』を起こしてしまったのです。結果としてオレンジ判定を与えてはいますが、カーディナルは『オリジナルがホロウを攻撃した』という『システム的矛盾事象』を許容出来ていない。だからルクスさんのカーソルは色こそオレンジですが、恐らくシステム的なステータスではグリーンのままの筈』

 

 システムはプログラム群の集まり。この世界の全ては演算という名の緻密かつ膨大な計算と変動数値の代入によって導き出された数字により動かされている。

 故にこの世界に矛盾は存在しない。あるいは、存在してはいけない。

 結果があるなら、その答えを導き出した途中式が無ければならないからだ。存在しない架空の数字を使った演算は絶対されない。

 しかし、システムのルールが絶対故にこそ、バグの影響で本来あり得ない事態が起こってしまった。それがルクスのオレンジ化。結果は普遍的だが、しかし経緯は本来あり得ない事。それを認めてしまっては自ら矛盾を肯定した事になる。

 【カーディナル・システム】にそれを思考するだけの知性があるかは分からないが、もしあるとすれば、自らの過ちを認めない姿勢に感じられる。

 今のルクスを数学で例えるなら、『途中式が間違っているのに答えだけ合っている』という不可思議な答案なのだ。

 

『つまり、私がクエストで色が戻らなかったのは、書き換わっている値がカーソルの『色』だけで、実際はグリーンのままだから……?』

『恐らく、ですが。幾らGM権限の一部を持っているとは言え、プレイヤーステータスの詳細を全て閲覧出来る訳では無いので、実際には何とも……』

『実際にオレンジの場合もある。グリーンプレイヤーを攻撃したのは『事実』だからな、だが『ホロウであった』点が本来のルールに矛盾するせいで、ルクスのカーソルステータスがバグって戻らなくなっている状態も考えられる。この場合はグリーンに戻れない点以外が普通のオレンジと変わらない』

『そんな……』

 

 永遠にグリーンに戻れない以上、ルクスは《アインクラッド》へ帰れないという事になる。それに気付いた彼女は表情を歪めて呻いた。

 

『……なぁ、ユイ姉。関連して気になっている事があるんだけど良いかな』

 

 そこで口を開いたのは、オリジナルの方のキリトだった。

 

『はい、何でしょうか』

『俺はホロウ・ミッションの達成で得られるポイントを使って、《実装エレメント調査項目》の装備やシステム実装をする傍ら、この世界のエラー修正をユイ姉がすると聞いてる。その操作も管理区にあるコンソールで行うんだよな?』

 

 エラー修正のアップデートを行う為に人力で行う必要があり、更にはポイントも必要だなんてかなりおかしいシステムだとは思うが、人力で行う方は、武器や新システムの為に戦闘を行わなければならない=ホロウ・ミッションをこなす傍らポイントが溜まる事を前提としていた。

 エラー修正は【カーディナル・システム】がデフォルトで有していた機能なので元々人力では行わない分類だったもの。

 それを人力で行うにあたってポイントが必要になったのは、『人力』という形でシステムに介入する名残という事だ。それを証明するように要求されるポイントは必要最低限で済んでいるという。ミッションを一つ達成すれば手に入る最低値だ。

 簡単なミッションでは何十回、難度の高いものでも数回こなさなければならない項目と比較すれば、『人力』という括り故仕方ない事なのだと判断出来る。

 

『ええ、そうですよ』

 

 キリトの問いにユイちゃんはしっかりと頷いた。

 

『……でも、ルクスのカーソルを戻すエラー修正パッチの項目は、無かったんだよな』

 

 だからこそ、か。彼の顔に訝しむ色が浮かんだのは。

 

『違うなら違うと言って欲しいんだけど、あのコンソール、権限としてはまだ低い方じゃないか? 俺が操作した印象だと地下迷宮にあったコンソールよりは情報量が少ない』

 

 あっちのコンソールを操作した時は情報量の桁が違ったから、と彼は言う。

 

『《アインクラッド》の全てを観測し、データを集積し、蓄積し、改善案をアップデートとして作成するなら、そのデータを全て閲覧出来なければならない。GM権限が無いから、と言うならそもそも俺やユウキではコンソールの起動は出来ない筈。でも出来る以上、あのコンソールからではアクセス不可能イコール権限が低いと考えられる……データ領域の深部にアクセス出来るコンソールが他にあるんじゃないのか?』

 

 ――――そしてそのコンソールを使えば、プレイヤー一人のオレンジバグくらい簡単に戻せるんじゃないか。

 

『キリト先生……!』

 

 それは、キリトの人思いな性格の発露だった。信頼を向けられる関係になっていなくとも裏で動いたかもしれないが、なったからこそ本人の前で、あからさまに肩入れしていると分かる発言をした。

 ルクスからすればそれは自分が信用されたに等しい事だ。ともすれば、不安に揺れる自身の為に取れる手段を探すようにも映っているだろう。闇の中で光を見付けたと言わんばかりに表情を明るくするルクスは、頬を朱に染め、涙を浮かべて幼い少年を見詰めていた。

 そんな彼女を見てムッとする反応を示した者が数名居たが、彼女は勿論、彼もその視線には気付いていない。

 

『……………………………………………………』

『……ユイ姉?』

『――――コホン。すみません、義弟の聡明さに深く感嘆を抱いていました……いえ、ホントに。一体どれだけ驚かされれば良いのでしょうね……私の義弟は、ホントに、こう……もう……』

 

 反応を返すまでに間があった彼女は、その意味するところを悟られないようにする為かそう言った。それでもその場凌ぎでは無く本気で思っているようで感嘆とも呆れともつかぬ苦笑が表情に浮かんでいる。

 ただ、喜色もある辺り、やはり弟を溺愛している姉だ。

 

『そう言うって事は、つまりあるのか』

『ええ、キーの推察は当たっています。確かに【ホロウ・エリア管理区】にあるコンソールの権限は低めです。以前に似たような事を言ったと思いますが、アレはあくまでアップデート関連で使われる事を前提としたもの。地下迷宮にあったようなゲーム内からシステムにアクセスする為のGM用コンソールは別にあります』

『その場所は』

『……ごめんなさい。私の権限では、そのコンソールの場所を突き止められなくて、分かっていません』

 

 続いて問われた場所の質問に、彼女は心苦しいと言わんばかりに表情を歪めて答えた。彼女の権限以前に役割を考えれば用事など無いからだろう。そのコンソールの場所を知る必要が無いから分からないのだ。

 肝心要の場所について分からなかった点は残念だったが、しかしキリトからすれば、『有る』という確定情報を得られただけでも意味があったらしく、気落ちした様子は無かった。

 考えてみれば今のところ樹海と浮遊遺跡群はマップ全てを埋めるよう虱潰しに当たっていたので、ダンジョンの奥にあると仮定しても、その二エリアに戻る必要はない。グレスリーフを含めた未知のエリアを全て回ればいいだけ。つまりやる事はこれまでと変わらないのである。手間と言えば手間だが、別にする事が増える訳でも無い。

 面倒な事をしなければならない訳では無いから気落ちしていないのだろうなぁ、と何となくキリトの考えが読めた。

 スタイルや立場に差があるので全てとはいかないが、ここ数日は一緒に行動していたせいか、探索関連に限定すればある程度は先読みが出来るになったお陰だろう。

 

『なら、やる事は変わらない訳だ』

 

 その予想が当たっていたようで、キリトはそう口にした。

 

 

 

『――――だが、それはオリジナルがやるべき事では無い』

 

 

 

 彼の言葉に反駁したのは、ホロウのキリトだった。

 彼は腕を組み、やや難しい表情でオリジナルの自身を見ていた。その表情に複雑な色こそあれ、一度落ち着いたからか嫌悪や憎悪、敵意は見えない。

 

『それはホロウの俺が代わりにやる。オリジナルは、オリジナルだからこそ出来る事をするべきだ』

 

 窘める、というよりはやや威圧的な言葉は、言外に『浮遊城の最前線攻略に行け』と言っていた。

 

『リー姉と、あとは教会への道中でユウキ達からも聞いたが、最前線の状態はかなりマズいみたいじゃないか。今日で七十六層に到達して5日目経った。予想外にも今日七十七層に到達したようだけど……今までの一周一層ペースですら、俺達の肉体が保つ予想の『二年』にギリギリ間に合わない計算だ。生きて還るつもりがあるなら、ルクスや《ホロウ・エリア》の事はホロウの俺に任せて、オリジナルは最前線攻略に戻るべきだ』

 

 それは至極真っ当な論理であり、理屈だった。

 考えてみれば、ホロウと言えど元がキリトなのだ。一つの目的に向けて邁進する事こそが《ビーター》という悪名と【黒の剣士】という二つ名の現れ故に、それを意識し続けている頃の彼がそれを言うのはある意味当然だ。

 同時に攻略の事を考えれば恐らく全員が同じ事を言っただろう。

 極端な話、ユイちゃんの証言によりルクスはオリジナルプレイヤーと分かったのだから、クリアするその時まで【ホロウ・エリア管理区】でじっとしていればいい。そもそもキリトはグリーンに戻れたのだからルクスに付き合ってまで最前線に戻らない筋合いは無い。

 確かに衣食住は満たされにくい場所ではある、しかし安全がシステム的に確保されているというのはこの世界だと何にも代え難い貴重な要素だ。食べ物や服はキリトやユウキが持って来ればいいし、ホロウのキリトが居るので話し相手、鍛練相手にも事欠かない。多少居心地は悪いかもしれないが安全面と天秤に掛ければどちらを優先すべきかは明白である。

 ホロウのキリトが居なければ、やはり迷いはしただろう。何せ《ホロウ・エリア》に来ているPoHが【ホロウ・エリア管理区】へ来られる可能性がある以上、彼女を一人にしては殺される危険せいがある。それを知った上で放置は見殺しも同然で寝ざめが悪いだろう。

 ユイちゃんが居ると言っても、相手はキリトをして『手強い』とまで言わせる手合い。しかも《笑う棺桶》というギルドが在る以上数の暴力という要素のせいで脅威度は爆上がり。

 しかしそれらに対抗して余りある武装をホロウの彼も持っている。《ⅩⅢ》に登録されている武器の属性の力は自由に扱えないが、しかし武器の召喚、武器を出した上での属性の操作は依然として可能なのだ。やり方次第でどうとでもなる、とはホロウの彼の弁である。

 

『――――まぁ、至極道理だな。こうしてグリーンに戻れた以上は一刻も早く最前線に戻るべきではある。ある、んだが……』

 

 理屈としてそれを理解しているらしいキリトも、ホロウキリトの意見には同意した。しかし最後の方で歯切れが悪くなる。

 

『クリアと同時に死亡プレイヤーがリアルでも死亡するパターンだと、話し合い出来ずに死に別れになるから……』

 

 どうやら、歯切れの悪さはケイタとの決着が着いていない事のようだ。

 それを聞いたホロウキリトは、事情を聞き及んでいるからか理解を見せながら溜息を吐いた。存外自分の面倒臭さを思い知って憂鬱になっているのかもしれない。

 

『オリジナルが言わんとする事は分かるが、優先順位を履き違えるなよ。《月夜の黒猫団》関連の事は個人の事情、最前線攻略は全プレイヤーとリアルでプレイヤーの帰りを待つ者達全員に共通する事情だ。肉体の限界の事を考えれば優先すべきなのはどちらか明白だろう』

『それはそうだが……』

 

 正論を言うホロウに、やや拗ね気味に応じるオリジナル。

 見た目は全く同じだが、前者が兄で、後者が弟のように見える構図だ。色々と自棄になっているせいで頓着が無くなっているからホロウの中で《月夜の黒猫団》の優先順位が低くなっているのもあるだろう。あと、ホロウはケイタと何があってもクリアと共に関係無くなるが、オリジナルはそうでは無いからか。

 その辺の事情も分かっている上に自分自身である為か、ホロウもそれ以上強く言えないらしく、互いに睨み合い始める。

 ホロウは己が歩んできた道を無駄にしない事と、義姉達をリアルへ生還させるため。

 オリジナルはケイタとの確執に対しもう一度対話を試みたいがため。

 話は平行線を辿っていた。

 それから何度か同じやり取りがあるのだが、オリジナルのキリトはまだケイタとの和解の可能性を捨てていないため、最前線に素直に戻る気が薄い。無い訳では無いが、せめて一度サチとの対話を経て和解が成る可能性に掛けたい気持ちが強い。

 対するホロウは、己の全てをオリジナルが持っているので、オリジナルが生きる事=自身の肯定と捉えているらしい。実際最前線に戻れるのはオリジナルだけなので、彼の言い分は筋が通った話だ。

 オリジナルは感情を優先し、ホロウは合理性を優先している。

 

 ――――ホロウの自棄故か、それともオリジナルの成長故か、思った以上に差があるなぁ……

 

 睨み合う二人を見て、そう思った。

 リーファの説教により、力尽くで自己犠牲の思想を殺され、矯正されたキリトだが、翌日からいきなり動き始める程の回復力と精神の明るさを除けば、以前とあまり変わりないように感じていた。

 しかし説教が無かった/リーファを諦めさせたホロウと対比すれば、オリジナルのキリトは人間らしい感情を見せているのだと分かる。

 以前であればホロウのように合理性を優先していただろう。一度ケイタと相見え、その絶大な憎悪を受け取ったのだ、『和解の余地無し』と判断して《ホロウ・エリア》を早々と去っていた姿が目に見える。多分だが、そう判断しているのがホロウなのだ。

 対するオリジナルは、リーファの説教で自己犠牲=自己の抑圧の精神を殺されたため、自分の感情に対し素直になった。合理や論理を捨てた訳では無い。自分の想いを表に出し始めたのだ、殺されても良いという『贖罪』では無く、和解したいという『願望』として。

 こう考えると、あの時リーファが強引にでも力尽くで思想を殺していて良かったのではと思える。

 まぁ、その分だけ攻略が遠のこうとしているので、諸手を上げてとはいかないのだが……

 

 ――――それにしても、この二人、気付かないのかなぁ……

 

 幾度となく交わされて平行線を辿る問答。

 その論点の中心人物は、キリト達では無い事に。

 

『……えっと。私が残るのじゃ、ダメなのかな……?』

 

 その論点に近いサチが、沈黙を破って疑問を呈し。

 

『『……あっ』』

 

 その疑問で、アッサリと二人の問答は終了した。

 オリジナルのキリトが考えていた和解の方法はほぼサチに任せるものだから、別に彼女を守れる人材がいるのであれば、自身が《ホロウ・エリア》に居る必要はないのである。

 そしてホロウは自分自身とも言える。武器を出さずに属性の力を操る事こそ出来ないが、他は同じ事が出来る、PoHを始めとした多くの敵を纏めて相手する事になっても尚勝機がある程には戦力として絶大。

 ケイタの事に関して、最初から悩む必要など無かったのだ。

 頭の回転は速く、洞察力も鋭いが、本当に稀に抜けているところがあるのは子供らしい一面だった。

 ちなみにこの会話中、ユイちゃんやリーファなど他のメンツは何とも言えない表情で黙っていたが、生暖かい眼をしているのは共通している事だった。

 

『……えっと、そうだな。元々サチに任せるつもりだったからそれで問題無いかな……戦力もホロウの俺とユイ姉が居る訳だから多分大丈夫だろう』

『……そうだな』

 

 自分達が如何に不毛な会話をしていた事に気付いたからか、あるいは自分達に向けられる視線に気付いたのか、二人は揃って白磁の肌に朱を差しながら言った。やや視線が泳いでいるのも共通だ。

 何だかんだでこの二人、やはり根底は同じらしい。

 というか、羞恥で慌てているせいか息ぴったりなやり取りは、傍目から見てもとても嫌悪感を互いに向けている間柄には見えない。仲良しか、仲良しなのか。

 自分の事以外だと判断基準が同じ以上息が合うのは当然かもしれない。

 

『……これで、オリジナルは気兼ねなく帰れるな』

『ああ……』

 

 ただ、それでもどうしようもない存在の差異は、二人の間に亀裂を生んでいる。やや羞恥の表情を見せていたホロウが渋い顔をした。

 

『……さっきも言ったが、俺も全てを呑み込めている訳じゃない』

 

 静かに、眉根を寄せながらホロウは言う。その鋭い目は己のオリジナルへと向けられていた。

 

『――――顔を貸せ、オリジナル。もう一度、剣を交えるぞ……俺の、オリジナルの、自分自身の欠点を知る為にも』

 

 それがひいては守る為に繋がる――――そう、言外にホロウは言う。

 

『分かった』

 

  オリジナルのキリトは、神妙な面持ちで返答した。こちらを僅かに見たが、その視線の意味するところを理解できたのだろう、リーファ達がやや強張りながらも笑みを浮かべ、首肯を返す。

 恐らく、時間を取る為の許可を求めていたのだろう。

 それを許された事を知り、キリト達が同時に笑みを浮かべ、ありがとう、と言った。

 

『『ッ……』』

 

 礼の声が重なった直後、柔らかな笑みを湛えた少年達の表情が渋面へと変わり、そのまま顔を背け、歩き去った。

 

 *

 

 ――――以上が冒頭に至った経緯である。

 あの二人は管理区にある《OSS試験場》に転移し、模擬戦闘を行っている。冒頭は模擬戦闘で仕切り直したところだ。その模擬戦を、わたし達はユイちゃんが表示したホロモニターで観戦している。

 傍目から見ても――喧嘩するほど――仲の良い双子の兄弟に見えなくもなかったのだが、自分を相手に戦う事に複雑な気持ちになって表情に出ているのか、両者の間にはあまり良くない沈黙が漂っていた。

 単純に緊迫感に満ちていて、先入観のせいで『いがみ合いの沈黙』と見えているだけかもしれないが。

 

 ***

 

 ――――強いと言うべきか、あるいはやり辛いと言うべきか。

 

 己のオリジナルと刃を交えての率直な感想は、これに尽きる。

 さっきまでは、PoHが集めケイタに譲っていたという魔槍の能力を知る為に、オリジナルは長槍縛りとなっていた。『俺』の本領が片手剣、ないし短剣の一刀であるのだが、そう思わせない息も吐かせぬ連撃と巧さが手を焼かせてくる。

 

 しかし、それは別に難関という訳では無い。

 

 難関なのは、長槍に対するこちらの対処法を、あちらも分かっているという事。

 オリジナルとホロウという真贋に分かれている『俺』達だが、現状判明している範囲内では記憶も心情もほぼ同じ。分かたれた時期も数日前の事なので技術的な変化は然してない。

 《ⅩⅢ》を使った戦法では差が生まれているが武器の技巧に関してはそうでもないのだ。才能が絶望的である以上短期間で急激に強くなる事などまず無いのだから。あるとすれば、それは武器の本質や本領を引き出せるようになった場合くらいである。

 故にあちらの攻撃に対する対処を読まれ、それを更に対応されてしまう。相手が自分自身だからどちらも相手の出方が読めてしまうのである。

 そして《ⅩⅢ》を使われ始めれば、新たな戦闘方法を見出したオリジナルに押されてしまう――――

 

「どうしたオリジナル、その程度か?!」

「ぐ、お、ぉおおッ!」

 

 ――――と予想していたのだが、そうはならなかった。

 『俺』達による《ⅩⅢ》の運用は基本的に登録した武器を召喚し、それを敵に向けて射出する剣弾としてのもの。数にものを言わせた物量戦法だ。

 この使い方はかなり応用が利くが、基本的には『武器の召喚』と『射出』の二回にのみイメージを働かせれば良いので、かなり簡単な部類に入る。実のところ『たった二回』と一口に言っても、召喚した武器の射出先を、武器一つ一つ全てを対象として明確にイメージを抱かなければならないので、言うほど簡単でも無いのだが。勿論コレにホーミング性能や召喚位置の設定などしようものなら余計扱いは難しくなる。

 なので《ⅩⅢ》を扱う者には並外れた演算処理能力が求められる。より厳密に言うなら、緻密な計算能力というよりは、並列思考/マルチタスク能力と言った方が良いだろう。

 この特性から《ⅩⅢ》の扱いで最も長けているのは、恐らくユイ姉だと思われる。なぜなら彼女は高性能なAI故に高い演算能力を有しているからだ。

 そして、今の俺はホロウ、つまりAIという事になる。組まれているプログラムがどれほどのものかは分からないが、人一人分の知識や記憶、思考能力を支えるだけのキャパシティがあるのは明白だ。

 故に、武器の扱いという技巧面では互角でも、演算能力的に人間のそれより上であるホロウの俺の方が、《ⅩⅢ》の運用に於いてはオリジナルを圧倒していた。

 

「こ、んの……ッ!」

 

 しかしオリジナルにこそ出来る戦い方がある。それが《ⅩⅢ》に登録されている武器に付与された属性の力。すなわち炎、水、風、地、氷、雷、光、闇の八つ。

 今もオリジナルは、自身の防御を突き破りそうな程に迫る剣弾の雨を、氷で作られた六華の盾で阻んでいる。

 足元は隙だらけなので金の刃を持つ大鎌を旋回させながら放つが、それはどこからともなく現れた岩の槍によって突き上げられ、阻まれる。イメージで軌道修正を入れようとすれば今度は空間を揺らがせる程の密度を持った無色の刃により弾き飛ばされた。

 この時、大鎌の射出と同時に離れた位置から挟み込むようにオリジナルの左右を旋回する剣弾で狙ったが、炎の戦輪が左右を護るように現れ、剣弾の全てを弾き落としている。

 間を置かず、その場で回転する戦輪から火炎弾が立て続けに放たれた。

 こちらも対抗するべく左手に風の槍を持ち、穂先を火炎群に向け、イメージをトリガーに烈風を放出する――――が、燃え盛る炎の軌道は変わらない。

 

「チッ……厄介な」

 

 幾度目か分からぬ現象に舌打ちしつつ、槍から持ち替えた水の細剣を振るい、炎を水で掻き消す。

 明らかに物理法則を無視した現象も、自然界の法則には抗えないらしい。かなりあべこべだと思うがこの世界では【カーディナル・システム】が、ひいてはコレを設定した者が上位者だから、そういうものだと呑み込むしか無い。

 

 ――――コレが、オリジナルの武器か……

 

 羨ましいと思う。その立場も含めて。己の想像力がそのまま戦力と戦法の幅広さに直結するのだ、羨ましくない筈が無い。

 とは言え、『俺』達にとっての基本運用法とも言える剣弾に関しては、AIとなって演算能力が向上した俺の方が上手だ。いちいち詳細且つ強固なイメージを練るにしても時間と労力は少ない。戦力的な意味ではややこちらが有利である。

 無論、この評価は現時点での話。

 時間を掛ければオリジナルの戦力はより向上するだろう。あちらにのみ可能な属性操作はそれだけの可能性と将来性を秘めているし、剣弾関連の並列思考能力に関しても、繰り返し使って馴らせば機械に負けず劣らずの速さを得られる筈だ。

 何より、『俺』達は戦闘・殺戮を目的に研究所で様々な事を叩き込まれた上に、元々凝り性で研究熱心なきらいがある。下手しなくとも反射的に放てるくらいにはなれる筈だ。

 

 ――――それが俺じゃないのは、腹立たしいが。

 

 瞬時に剣弾を五十余り喚び出し、間を開けず放ちつつ、胸中に渦巻く苛立ちを飲み下す。

 リー姉達に対する感情はともかく、オリジナルに対するモノは完全に抑え込めている訳では無い。未練はある。そう易々と納得出来るほど、自分も人間は出来ていない、命を懸けるほどの覚悟で戦って来たのだから尚更だ。

 しかし現状、諦めるしかない。

 だから諦めた。

 リー姉やユイ姉だって、『俺』達のどちらを選ぶ事になっても苦しいのだ、そんな思いをさせる事態を避けられるなら避けるに越した事はない。

 でもやっぱり、すぐに様々な感情を抑え込める訳では無い。ストレスというものがある。

 それを発散する意味でも、己を納得させるためにも、オリジナルと模擬戦をするというのは渡りに船だった。サチとルクスを護る為にも敵の戦力情報の一端を実際に知る事も出来るから一石二鳥だ。

 

 ――――それに、オリジナルの鍛練にもなるからな……

 

 俺がオリジナルを殺してでも入れ替わる事を諦めたのは、何も《ホロウ・エリア》のルールを考えての事では無い。

 この模擬戦はその一助になると俺は考えている。

 《ⅩⅢ》の特性で考えたように、オリジナルには将来性がある。現状全てを発揮出来ていない状態でも、人間よりは瞬間演算能力が高い俺とどうにか互角に戦えているのだ、これより上に行けるというのは今後を考えれば非常に優位と言える。つまりホロウの俺が最前線に行った場合に較べ、攻略はスムーズに進む可能性があるのだ。

 加えて自分自身と戦って、隙やクセを見出せば、それはすなわち自分の欠点を見付ける事とイコールになる。改善点を見出せば、より強くなっていく事は間違いない。

 それはつまり、オリジナルの生存能力が高まる事を意味する。

 そうなればリー姉やユイ姉、ユウキ達も安心だろう。死なない事だけでも嬉しい筈だ。

 ホロウの俺を見捨てるような事になる点では、罪悪感があるとは思う。実際リー姉は俺の事をもう一人の義弟として見ていた。優しい性格だから、リー姉に関しては確実に後ろめたく思う。

 それに関してはどうしようも無い事だから納得してもらうしか無い。

 俺は、今後もAIになって生きていくつもりなど、無いのだから。

 

 ――――だからオリジナル、俺の分も、『俺』として生き抜いてくれ。

 

 その為ならホロウの俺は確執も横に置いて助力しよう。ホロウの俺が死んでも、オリジナルの俺が生きるなら、結果として『俺』は生きる事になる。

 それこそが、それだけが、リー姉達へのせめてもの償いだ。

 ホロウと言えど、俺が遺せる唯一の証だ。

 

 ――――皆が生きる事、それが俺が生きた証だ。

 

 ***

 

 観戦出来るよう展開されたホログラムに映し出された光景。

 二人は中空に無数の剣弾を展開し、地上を高速で走って斬り結ぶという、およそ常軌を逸した戦いを繰り広げていた。

 彼らは刃を交える一瞬だけ姿を現し、鍔迫り合うや否や即座に地を蹴って移動し続けていた。あの戦い方はヒット&ウェイの極致と言えるだろう。姿が見えない程の速さはこれまで一緒に戦って来た中でも類を見ないので風の力を使っているのだろうと察しが付いた。つまりアレはキリト専用という事だ。

 ただ、オリジナルのキリトが出来る事はまだ分かるが、ホロウのキリトはAI故にユイちゃんと同様に属性単独を操る事は出来ない筈。それなのに追い付けていた辺りは、やはり流石と言う他無い。

 取れる手段と言う意味ではオリジナルの方に軍配が上がるだろう。しかしホロウの方はAI故の反応の良さが、オリジナルとの差を埋めていた。所謂見てから反応するというやつだ。

 だからホロウは攻撃の全てを捌く。

 対するオリジナルも、元が自身と同じ上に分かたれてから対して日が経っていない故に、どう攻撃してくるかが読める。それはホロウも同じだが、だからこそ両者の戦いは拮抗する。

 オリジナルとホロウによるキリト同士の戦いは苛烈を極めた。

 三十分ほど戦ったところで唐突に終わったこの戦いに、勝敗はない。デュエルでやっていた訳では無いし、元々互いに決着を着けるつもりは無かったのだろう、剣を納めた二人の表情は複雑なものでこそあれ悔しさの色は見えなかった。仮に勝敗を着ける戦いであればどちらが勝ったかは分からない。

 

「じゃあな、オリジナル。リー姉達も、あまりこっちには来ないように。皆にもやるべき事があるんだ」

 

 模擬戦を終え、互いの欠点や改善点についての話を終えた後、ホロウのキリトが言った。

 彼の傍にはサチとルクス、そしてユイちゃんの姿がある。サチはケイタとの対話を試みるため、ルクスはオレンジカーソル解消を目指す為、ユイちゃんは三人の補助の為に残るのだ。

 オリジナルのキリトにはリーファが寄り添い、ホロウのキリトにはユイちゃんが寄り添う。

 存在は違えど、しかし根幹が同じ義弟だからこそ、二人の姉は自然とそう動いたようだった。どちらのキリトも思うところはあるようだが口にはしていない。言ったところで意味がないと分かっていたからかもしれない。

 

「ルクスとサチを、頼んだ。PoH達にも気を付けてくれ」

「言われずとも分かってる。サチはケイタとの対話を、ルクスはオレンジカーソル解消を終えたら、すぐそっちに帰す。二人はまだ《ホロウ・エリア》の住人じゃないからな」

 

 ホロウのキリトは、そう言いながら浮遊城へと繋がる転移門へ視線を向けた。

 《ホロウ・エリア》の住人。それは恐らく、彼のようにAIとしての《ホロウプレイヤー》、ないし《アインクラッド》で死んだ事でホロウアバターに意識が移った者の事を指すのだと思う。

 胸中を、得も言われぬ嫌悪感が走り抜ける。

 この現状を誰かが計画的に招いたのであれば、本当に最低最悪だ。

 そう思考している間に、オリジナルのキリトが転移門の方へと移動し始めた。帰れるようになり、自分が居なければならない絶対の理由が無い以上、長居は無用との判断だろうか。

 

「――――オリジナル」

 

 そんな彼を、ホロウの彼が呼び止めた。

 キリトは足を止め、ゆっくりと首だけ巡らせる。

 

「皆を、頼む」

 

 ホロウの彼は、苦渋を堪えるように表情を歪めながら、しかし眼はオリジナルの彼から外さず言って、頭を下げた。

 僅かに、キリトの双眸が眇められる。

 

「――――言われずとも、分かってる」

 

 端的に発せられた返答。

 それはホロウの彼が口にした返答と同一のもの。笑みも浮かべず、ただ真剣に口にした答えは、彼の覚悟の固さを表してもいた。

 そのまま彼は今度こそ転移門へと足を踏み入れた。

 

「……リー姉達も、行ってくれ。皆の力を必要としているのは最前線だ」

 

 姿勢を戻したホロウが、背中を見せたままのキリトを見て言う。キリトがボク達を待っている事に気付いて慌てるが、しかし内心に焦燥は無い。

 胸の裡を席巻する感情は、愁い。

 その感情を言葉にする事を躊躇われ、無言でキリトの元へ駆け寄った。

 

「転移、《アークソフィア》」

 

 転移門のエリアへと入ると同時、キリトは文言を口にし、青い光に包まれて姿を消した。遅れないようにボク達も文言を口にする。

 

「――――皆、生きろよ」

 

 転移する直前、心の底から心配していると分かる少年の声が耳朶を打つ。

 その声は、苦悩に溢れるものだった。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 【鮮海入江グレスリーフ】に教会イベントがあり、カルマ回復クエストがある……というのは、実は原典ゲーム《ホロウ・フラグメント》にも存在しているイベントです。

 ただ、原典の場合、フィリアは本作ルクスの立場でエラーオレンジだったので、解消されませんでした。でも本作のキリト・ホロウキリトの二人のオレンジカラーは、《アインクラッド》側のプレイヤー同士の間で起きた正規のものなのでここで解消。

 だからオリジナルキリトは《アインクラッド》へと帰還、最前線に復帰します。

 属性攻撃・防御を除けば、むしろホロウキリトの方がスペックは上だったりする。演算処理速度的な意味で。

 最早どちらが《本物》なのやら。

 ちなみにオリムライチカとしてはホロウキリトが、キリガヤカズトとしてはオリジナルキリトが《本物》という風に書いております。つまり両者からすれば相手は自分にとって《偽物》というね……

 ともかくやったねルクス! 護衛が強くなったヨ!(尚、空気は死んでる)

 ちなみにこの教会イベント、原典ゲームやってる人は絶対気付くものかと言えば、実は案外そうでもない。

 このイベント、Vita版だと『イベントリストに載らない』上に『初めて【グレスリーフ】に到着して海の水位を下げる前に森の中を歩き回って教会を見つけ』、『アルゴを含めた会話イベントをイベントリスト無しでこなし』、『森の中に居るトレント型モンスターのドロップアイテムを特定数集める』というバグイベント仕様だったりする。

 【グレスリーフ】をクリアした後だと、教会を見つけた時のイベントは起きても、その後は何も起こらない。だから時期限定(特に要らないけど限定アイテムが手に入るイベント)

 私も攻略本を読んで初めて知った。

 というかフィリア関連の《ホロウ・エリア》側のイベントはあんまりイベントリストに載らなかったり……むしろ教会イベント以外を制覇してた自分にビックリ。

 ――――そんな風に、隠(さ)れたイベントを回収したいと願いつつ、それが出来ないプロットよ……(不吉)

 では、次話にてお会いしましょう。


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