インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話は本作でほぼ初となる、マトモな休息日の過ごし方(問題が起きないとは言ってない)について描写しております。

 デートである。

 デート(ただし問題が以下略)である(強調)

 主人公に恋しているヒロインである以上騒動に遭遇するのは是非も無いよネ!

 尚、ユウキは主人公より主人公してるヒロインである(白目)

 視点はオールユウキ。

 文字数は約一万九千。

 ではどうぞ。




第百五章 ~観光デート~

 

 

 《攻略組》は新たな階層へ辿り着いた為に、その翌日となる今日は慣例通り休息日となっていた。明文化されている訳では無いものの大抵の攻略プレイヤーは《街開き》を楽しむ事に費やしている。

 それは《スリーピング・ナイツ》とて例外では無い。

 

「わぁ……このネックレス、綺麗だなぁ……」

 

 《ソードアート・オンライン》は、ゲームの中とは言え『生活出来る』事をキャッチコピーに出来るくらい要素は豊富だ。《鍛冶》で武器を作り、《裁縫》で防具を作るような戦闘関連の事には流石に及ばないが、《細工》や《木工》などのスキルを使えば、プレイヤーの好きなデザインで装飾品を作る事が出来る。

 食事の味はとても良いとは言えないが、しかし《料理》スキルを取って自分で研究すれば改善されはする。

 それと同じで、プレイヤー次第で楽しみ方は無限大に広がっていく。

 その一つがお洒落だ。防具のデザインは大まかには定められているし、勿論普段着となる衣類だってデータとしてプログラムされているから大幅な変更は出来ない。

 だがお洒落を目的としたドレスや普段着となるシャツやズボン、下着など、戦闘に関係ないものは、ステータスに関係無く選べるというメリットがある。戦闘を前提にするならこれ以上無いデメリットだが、しかしお洒落をするにあたっては最高のメリットと言えよう。

 そのため、戦闘には何ら役に立たない宝飾品や装飾品の類は、仮令出費が嵩むとしても女性プレイヤーからの不動の人気を獲得していた。

 勿論自分もその一人。

 

「はふぅ……」

 

 商品棚に飾られた売り物を眺めうっとりとしてしまうのも仕方のない事。知り合いと較べると女っ気が無い方と自覚してはいるが、それでもやはり宝飾品には目がないのだ。

 その割には第五層の遺物拾い祭りに参加しなかったが、それはそれ、これはこれである。

 あるいはキリトへの恋心を自覚し、開き直って告白も済ませたからこその心境の変化かもしれない。

 

「コレ、買おうかなぁ……?」

 

 今自分が見ているのは、中央に五ミリ程のアメジスト一つ、少し間隔を開けて四ミリほどのアメジスト二つ、同程度の感覚をまた開けて三ミリほどのアメジスト二つと、合計五つの小粒アメジストが嵌め込まれたネックレスだ。

 値段としては一つ3万コル。

 転移結晶一つに満たないが、しかし回復結晶などでは店舗や交渉によっては何個か購入出来る額。ポンと気軽に出せる程では無いが、しかしかと言って無理に我慢しなければならない程でも無い。

 宝飾品、装飾品の中では、この値段は非常に安い方に入る。他の棚を見れば一つウン十万なんてザラで、酷ければウン百万コルもするものだってあるからだ。

 それに較べれば自分が見つけたネックレスの何と質素な事か。嵌め込まれた宝石だって最早砂粒レベルだし、その手のものが好きな人からすれば失笑を受けそうですらある。

 

「……うん、買おう」

 

 でも、豪華であればあるほど良い訳でも無し。

 元々自分には女っ気は勿論、お洒落を最優先にする気質も無い。多少飾りはするがそれも申し訳程度。逆に装飾品に付けられてる感すら出て来るだろう。

 だから自分は質素なもので十二分に事足りる。そもそも自分が良いと思ったものなのだ、彼に顔を顰められるものでない限り他人の意見は聞き入れるつもりなんて毛頭無い。

 そうして手早く購入し、首に掛けて、店を出る。

 出入り口付近に陳列されている指輪コーナーに目を奪われかけるが、流石にそれは無いと思っているのでそのまま出た。指輪を贈るのは重すぎるし、かと言って自分で装備すると誤解を招きかねない。男避けには出来るが、スキャンダルという形で注目を集めるのは本意では無い。

 戦闘関連の指輪であれば何でも無いが、全く関係ないタイプの指輪をしていると知られると面倒過ぎる。

 

 ――――一度、騒がれてキレた事があるしなぁ……

 

 思い返されるのは自分のファンの人達が騒ぎ立てた時の事。慕われるのはこそばゆいが悪い気分では無い。しかし勝手に人の交友関係に口出しし、相応しい相応しくないと意見をぶつけるのは心証として最悪だ。

 その末に、彼らはボクの逆鱗に触れた。

 だから一度キレた事がある。

 ただ困った事に、キレた覚えはあっても、キレてからの記憶が完全に抜け落ちている。

 その場に居合わせた――というか当事者にして風評被害を受けた被害者――キリトに後から聞いたところ、口調諸々変わっていたとか。ついでに言うと、キレたボクが敵意を向ける相手に対しての呼称は『貴様』で、非常に威圧的な口調だったという。

 あとアホ毛も無かった(・・・・・・・・)とか何とか。

 ボクのアホ毛は着脱式なのか、と思わず突っ込んでしまったのは良い思い出。ついでに抜いてみようとした時の姉とキリトの慌てようも良い思い出である。

 ……一体どんな状態だったのだろう。

 

「さて……この後は何をしよう」

 

 装飾品店を出た後、人の邪魔にならないよう道の端に避けつつ、今後の行動を考える。

 未だお昼になっていない以上は適当な料理店を見繕い、開拓に勤しむのが《街開き》を楽しむ者としては正解だ。生憎と露店は無いからどこかの店に入らなければならない。

 だが、NPC料理店の味は、どう言い繕ってもおいしいとは言えないものが大半。マズいとは言わないが、しかし……という評価に留まる。稀に大当たりを引く事もあるが、それは大抵デザート類で主食関連はまた別だ。

 

「むー……――――んむ?」

 

 腕を組み、首を捻って食事をどうするか考えていると、視界の端を黒が過った。反射的に目を向ければ、驚いた事に素の姿を晒したままのキリトが居る。

 もう一度言おう。素の姿を晒したキリトが居る。

 

「……何で姿を変えてないのさ?」

 

 《メタモルポーション》を使っていないと誅殺隊とかアンチに絡まれて碌に休めない立場だよねキミ、と思わず胸中で溜息を吐く。

 《ビーター》の悪評が密かに緩和されてきているとは言え、それでも悪感情を向けられても仕方ない理由が彼にはあるから、誰も彼もが好意的になる訳では無い。ボクとデュエルをする為に第一層に行った時に見た《アインクラッド解放軍》の人達がその証拠。人はそう簡単に割り切れない生き物なのだ。

 だからそのためと思ってアシュレイさんが貴重なアイテムを譲ってくれたというのに、何故彼は使っていないのか。

 

 ――――あー、いや、うん、察した。顔を見て察した。

 

「すっごい機嫌良さげだねぇ……」

 

 単純に忘れているだけか、と察する。遠目から見ても馴れた人からすれば分かりやすいくらい今のキリトは機嫌が最高潮のようだった。

 キリトの機嫌は基本的に平坦で、変動するにしても大抵は下降する。

 実のところ、彼が笑みを浮かべたとしても感情の喜びはそこまででは無いと感じている。浮かべられる笑みは嬉しそうではあるのだが、しかし心からの喜びかと言われると、それを向けられた自分からすれば首を傾げざるを得ない。

 喜びを浮かべているのは分かる。だが、心の全てで表している訳では無い。そんな感じだ。

 そんな彼があそこまで最高潮の機嫌を見せるという事は……

 

 ――――姉か。また姉なのか。

 

 間違いなく『姉』に関する事だろう。しかも非常に嬉しい事があったようだ。思わず嫉妬を覚えてしまうくらい、今の彼は良い顔をしている。

 恐ろしいのは、表情そのものは冷静な時のそれとほぼ変わらない事か。

 感情を隠す事が出来ない仮想世界なのに、どうやって表情を変えず隠しているかが謎過ぎる。それなりの付き合いがあるから雰囲気と普段の表情の違いで気付けたが、そうでなければ違いなんて分からないに違いない。

 

 ――――くぅぅぅっ、ボクだって『ユウ姉』って呼ばれたいのにぃ……っ!

 

 ぎり、と奥歯を噛み締める。

 異性として対等な関係を築きたいと思っている身ではあるが、同時に姉として慕われたいという願望もある。リーファが義姉であると同時に恋慕を向けているのだ、ボクはなれない道理などありはしない。

 キリトからすれば全員姉だろう、という意見は今は置いておく。年齢の問題では無い。キリトが『姉』と認める事は、それすなわち最大級の信用を向けられる事と同義。無条件の信頼を得られるという最高の栄誉なのだ。それを求めない筈が無い。

 告白を受け容れてもらえた事そのものが、『姉』と認められる事に等しい事とは思うが。聞けばリーファも告白して返事待ちらしいし。逆説的にというやつだ。

 

 ――――今度、『ユウ姉って呼んで』ってお願いしてみようかな……

 

 でもそうなると、確実に姉も姉呼びを求めるだろう。別に姉なら構わないがやはり複雑な心境にはなる。

 むぅ、と唸る。

 

「――――ま、取り敢えずキリトを誘ってご飯にしようかな!」

 

 何はともあれデートだと気を取り直し、歩き去ろうとする少年目掛けて駆け出した。

 

 *

 

 キリトを呼び留め、ご飯に誘ったボクは、開拓だと前置きした上で目に付いた料理店へと足を踏み入れた。

 雰囲気としてはややシックな趣のあるレストラン。格式張っている訳では無いが、中々味のある渋みや深みが雰囲気として漂っているから、心がピンと張り詰める感覚がある。特に考えずに入ったが、雰囲気としては悪くない。勿論『悪くない』のはデートとして利用するという意味で。

 更に嬉しい事に、頼んだ料理の味も悪くなかった。いや、むしろ大当たりとすら言える程に美味だった。

 

「むぅ、《料理》スキルマスターのボクを唸らせるとは……」

 

 思わずそんな事を口にしてしまうくらい。

 割と何でもおいしいと言って食べる自分だが、それでもここまで賞賛するのは割と珍しい方だったりする。

 ちなみにキリトと自分が頼んだのは共にビーフシチューセット。掌サイズの黒糖風食パン三枚と幅広の深皿によそわれたアツアツのビーフシチューというシンプルな献立だが、シンプルだからこそ味の良さが克明になるもの。それなのにここまでの美味しさとなれば昔と比べて段違いのレベルアップである。

 

「何故【カーディナル・システム】はこのレベルの味を普遍的にしないのか、ボクには理解出来ないよ……」

「ん、むぐ……普遍的にしないのではなく、出来ないんじゃないか?」

「出来ない……? どういう事?」

「【カーディナル・システム】はデータを集め、データの統計から学習しているんだろう。だから情報が不足していた最初期は美味しい料理なんて少なかった。でも今は俺やユウキ、アスナ達が《料理》を研究している、そのログから反映しているから美味しい料理が増えたんじゃないかな」

「あー、なるほどねー……」

 

 言われてみれば、そんな気がしなくも無い。美味しい料理が見つかるようになったのは確かにそれぞれが《料理》スキルを取得し、味の向上を求め始めて暫くしてからだった。

 つまりボク達はデータ取りの為の実験体という事だったらしい。

 

「うーん……内心複雑ではあるけど、美味しい料理を食べられるなら別に良いか」

 

 こうして益になっている訳だし、目くじらを立てる程の事でも無い。近い現象として敵Mobの学習があるから手放しには喜べないが、かと言って否定する事でも無いだろう。

 ……ああ、いや、デスゲームに身を投じている身としては、学習する点に関しては否定しておくべきかもしれない。時間を掛ければ掛けるほど難易度上がる訳だし。

 しかし美味しい料理が出る食事処が増えれば《攻略組》やプレイヤーの士気は上がる訳で。

 中々難しい問題である。

 まぁ、システム的権限が最低レベルのプレイヤーが何をどう考えようと、状況が変わる事なんて無いのだが。出来るとすれば【カーディナル・システム】について全く知らないプレイヤー達の思考を誘導する事くらいだろう。それもボクからすれば人任せにしなければならない案件であるから尚更何も出来ない。

 そんな訳で思考を放り投げてからは純粋に料理の味とキリトと二人きりという状況を楽しむ方向に意識をシフトした。

 

「――――そういえばキリト、キミ、何でその恰好のままなのさ。見つけてくださいと言わんばかりじゃないか」

 

 話の途中で疑問に思っていた事をぶつける。

 せめて自分や姉が贈った服を纏えば多少は誤魔化せるというのに何故何時もの黒尽くめ姿なのか、これが分からない。何か理由があっての事なのだろうか。

 

「ん? ……あ゛」

 

 指摘した瞬間はキョトンとあどけない表情を晒すも、すぐに我に返り、濁音を付けられた間の抜けた声を発した。

 

「……機嫌の良さからまさかとは思っていたけど。キミ、すっかり頭から抜けてた?」

「……完全に気が抜けてました……」

 

 しょぼん、と肩を落として項垂れる姿から、これは本気で何も考えていなくて忘れていたんだなと察する。『気が抜けていた』という発言から自分の状態を恥じ入り、深く省みているようだ。

 確かに以前の四六時中常に気を張っていた様子と較べれば、今のキリトは気が抜けていると言える。少なくとも致命的に近いポカはしなかった。

 ただまぁ、個人的にはこういうポカも愛らしいと思う訳で。

 

「んー……でもまぁ、現状問題は起きてない訳だし、そこまで気にする必要は無いと思うよ。個人的には今くらい自然に気を抜いてくれてる方が嬉しいかな」

 

 むしろ完全無欠に近かった頃に較べれば非常に親近感が湧いてくるというもの。何だかんだで彼は演技の冷静さと素のあどけなさで釣り合いが取れていると思う。

 ただし普段の日常且つ『姉』が絡んだ場合はあどけなさに振り切り過ぎてポンコツになる。

 

「……でも、俺が原因で問題が起きたら……」

 

 だからこそ、その『素』を知り、受け止め、応じる相手が居なければならない。

 

「――――ストップ。それ以上はダメだよ、キリト」

 

 眉を垂れさせ、落ち込み始める少年を見てた自分は前屈みで手を伸ばし、彼の唇に指を押し当て、待ったを掛ける。指先に柔らかい感触を覚えるが、それは一旦意識の外に置いた。

 

「前にも言ったけど、キミは一人で背負い過ぎ。何も事情を知らされてないとキリトの責任になるだろうけど、ボクはSAOでの事情は殆ど知ってる、巻き込まれる側になるとしてもそれはボク自身が悪いんだ。それに今のキミの恰好を見ても一緒にいるのを決めたのはボクだよ……自分の責任くらい、自分で背負わせて」

 

 リーファも言った事だが、自分の責任を勝手に背負われると複雑な気持ちになってしまう。それが彼を傷付ける事に繋がるのだとすればとても嫌な気持ちになる。自己嫌悪を抱いてしまう。どうしてと、彼に苛立ちにも近い疑問を持ってしまう。

 それは苦しくて、哀しくて、とても辛い。

 自分の責任くらい自分で持てる。また、巻き込まれる事を覚悟した上で、ボクはキリトと一緒に居る。

 それなのに『自分のせいで』と罪悪感を抱かれると、ボクを軽んじられているようで、信じてもらえていないようで、とても惨めな気持ちになる。

 

「責任感が強いところはキミの凄い長所だよ。でも、一人で背負おうとするところは、キミの大きな短所だ……気を付けて。背負ってばかりいると潰れちゃう。ボク、イヤだよ? キリトが苦しむのも、辛いのも……潰れるのも……もう、見たくないんだ……」

「ユウキ……」

 

 今まで本当に頑張って来てるんだから、少しくらい楽をしたって、楽になったって、少なくとも理解してる側の人達は誰も責めたりしない。

 責める人が居たらボクが全力で黙らせる。リーファみたいに正当な理由があるならまだしも、理不尽な理由で傷付け、追い詰めるなら、ボクは決して容赦しない。躊躇なんてするつもりはない。その必要があるとも思わない。

 だって、追い詰められた先にある結末は、彼の死だ。絶対に代えなんて利かない一人の人間の死だ。

 そんなのは認められない。大好きな人が死ぬのを黙って見届けるなんて、看過するなんて、そんなのは自分自身が許さない。仮令世界が認めなかろうと、許してやるものか。

 

 ――――和人(キリト)の為なら、世界だって敵に回してやる……!

 

 それがどれだけ苦痛に満ちていようとも、その選択を後悔する事は無いだろうし、するつもりもない。辛い事を承知の上で自分の想いを受け容れたのだから。

 想いを伝えた手前、それで後悔するのは自分を裏切る以上に、彼を裏切る行為になる。

 そんなのは自分自身が許さない。

 誰かを裏切る。それは自分にとって、最大級とも言えるタブーの一つなのだから。

 

「……ありがとう、木綿季(ユウキ)

 

 秘めたる覚悟と想いが伝わった訳では無いだろうが、しかし彼は分かっていると言わんばかりに、ほにゃ、と幸せそうに頬を綻ばせる。自身の唇に当てられていた指を離し、手を取り、両手で包み込んでまでくる。

 衣服を清楚なものに変えて、両手に握るものをこちらの手ではなく花束にすれば、きっと素敵な一枚絵が完成するだろう。

 そう思えるくらい、今の彼は輝き、魅力に溢れていた。

 唐突な好ましい変容に、胸が高鳴る。

 ごく、と喉を鳴らす。

 

 ――――待て、待つんだボク、今は堪えろ……ッ!

 

 ――――落ち着いてイメージするんだ、常に想起するのは最強の自分だ……!

 

 密室で二人きりになっているならともかく、ここは人通りの多い大通りに面した食事処、所謂公共施設という場所だ。衆人環視の中で猥褻行為に走る訳にはいかない。倫理観とかモラルとか色んな側面からアウトを受ける事間違いなしだ。

 そもそも返事はまだ良いってこちらから言い出した事なのだ、これで動いてしまっては覚悟が緩い事の証左になる。

 煩悩を抱く事そのものは上等。

 でもそれに打ち負ける事などあってはならない。自分は煩悩を抱いても、それに常に勝ち続け、不敗を貫かなければならない。ただの一度でも敗北し、流されてしまえば、それは彼の意思を無視した下劣な行為となる、その時点で添い遂げる資格は喪われる。

 そもそも資格云々以前に自分自身を許せなくなる訳だが。

 

「――――さて、次はデザートでも頼もうか。キリト、何が良い?」

 

 そんな凄絶な葛藤が胸中で繰り広げられているとは知る由も無いキリトは、そうだなぁ、と気の抜けた声を上げながら差し出したメニューを手に取り、デザートの欄を眺め始める。

 うむ、話を区切るために行った話題転換は丁度良い感じにこちらの動揺と葛藤と煩悩を悟らせずに済ませられたようだ。流石はボクである。略してさすボク。何が流石なのかは自分でもよく分からない。

 非常にどうでも良い思考を展開しながらキリトの後にデザートを決め、店員NPCに注文する。NPC料理店の共通点であるオーダー直後に料理が出て来るという速さはここも健在で、すぐに注文した品が届いた。

 ちなみに自分が頼んだのはフルーツパフェ、キリトはストロベリー&グレープクレープである。何故ミックスクレープでないのかは謎だ。

 

「そーいえばさー」

「んー?」

 

 はぐはぐと、各々が頼んだデザートに舌鼓を打ちつつ、話を振る。

 もっきゅもっきゅとクレープを食んでいる少年がかわいい。

 

「どこの階層かは忘れたけど、NPC料理店には珍しい事に注文してから品が出て来るまでがリアルと同じくらい遅い食事処があるって聞いた事があるんだよ」

「ああ、それは多分五十層《アルゲード》の迷宮街最奥にある店だな」

「多分それかな、エギルから聞いたし。というかキリトも知ってたんだ」

「エギルにそれを教えたのは俺だ」

 

 ちなみにアルゴやヒースクリフと密会する時もそこを利用する事が多かったりする、と追加で明かされた情報に、マジか、と思わず応じた。

 

「更に追加でヒースクリフはラーメンマニアだったりする。ラーメンの話を振ると数時間は話し始めるぞ、お気に入りは醤油ラーメンらしい。涙を流すくらい醤油味がしないラーメンを食べて遺憾そうにしてた」

「物凄くどーでもいい情報だねー……」

「【紅の騎士】ファンクラブ会員相手にかなり荒稼ぎ出来たとかアルゴが言ってたが」

「あの人にファンクラブなんて出来てたの?!」

 

 【閃光】のアスナや《スリーピング・ナイツ》のファンクラブがある事は知っていたけど、まさかヒースクリフさんを対象としたファンクラブがあるとは初耳だった。いや、尊敬され、慕われている事は知っていたが、そんなミーハー感のある集団が存在していたとは。

 《アインクラッド》で流れてる情報は粗方掴んでいると思っていたが、やはり自分も知らない事はまだまだ多いらしい。

 というかファンクラブの人達、ヒースクリフさんのリアルが茅場晶彦だと知ったらどう思うんだろうか。黒幕ではないと言っても信じられるかどうか。

 

「何だ、知らなかったのか。ボスレイド組はともかく、《血盟騎士団》のサポート担当のプレイヤーは全員が【紅の騎士】か【閃光】ファンクラブ会員だぞ」

「むしろキリトは何でそんな事を知ってるのさ……?」

「――――密会の時に、愚痴を、な」

「あっ」

 

 ふ、と横を向いて僅かに黄昏た姿から、察した。

 ファンクラブの対象自身から愚痴を聞かされた事があるらしい。

 方向性は違えど自分のファンクラブの人達から迷惑を被った経験がある身としては非常に親近感が湧く話だ。男と女という差があるから多分そういう意味でも方向性が異なるだろうけど。

 

 ――――酷いと求婚までされたしなぁ……

 

 今でこそ15歳だが、当時はまだ13歳。中学一年生の年齢だ。そんな身からすれば成人してそうな男の人が鼻息荒く詰め寄って求婚してくる光景は恐怖でしかない。好意を抱く以前に赤の他人なのだから当然である。

 ……今思ったが、逆鱗を踏まれたとは言えそんな状況でよく豹変レベルのキレ方が出来たな、過去の自分。

 

「……ちなみにファンクラブって、割とあるの?」

「アルゴから聞いた限りだと、ヒースクリフにアスナ、ディアベル、シリカ、リズ、クライン達《風林火山》、《スリーピング・ナイツ》は三人それぞれ別個のファンクラブがあるらしいな。エギルはファンクラブ程では無いけど顔が広いから凄く慕われてると聞く」

「ああ、まぁ、エギルはね……」

 

 ガタイの良い両手斧使いの商人を思い浮かべる。あの人には『アニキー!』と慕う舎弟や弟分達が勝手について回って一大勢力を築いてる光景が似合っている。

 あと何気に《スリーピング・ナイツ》はギルド単位と個人単位でそれぞれ別にあるのか。

 

「最近はリー姉とシノン、ストレアのも出来てるとか何とか」

「ああ、うん……まぁ、そうだよね」

 

 あの三人、凄く女性的な容姿をしてる上に強いのだ。そりゃあ出来るのも当然というか、出来ない方がおかしいというか。

 リーファは最前線攻略組すらも圧倒する剣技を持ち、ストレアは人当たりの良い性格と並々ならぬパワーファイター、シノンは落ち着いた物腰と誰もが絶句するほどの弓の腕を持っている。日常と戦闘でのギャップも大きいから、その辺も人気に拍車を掛けるスパイスになっているのだろう。

 

「ぐぬぬ……」

 

 個人的には仮令アバターと言えども三人の女性的な肢体の一部を分けて欲しい。

 別に自分も無い訳じゃない。だがリーファは自分と同い年だという、なら少しくらい夢は見たい。体で誘惑するのではなく、より安心感を抱いてもらいたいという思いから、この願いは生じていた。

 

「……あの、脈絡も無く歯を食い縛られるとどうしたのか気になるんだけど」

「ん? あ、あー……」

 

 どこか訝しむように、しかし同時に不安を抱えているような表情で言われ、奥歯を食い縛っている事を自覚。思考していた内容が内容なのでどうするべきか、羞恥と共に悩む。

 

「……その、さ。ほら、あの三人に較べると、ボクは、さ? 小さいでしょ?」

 

 視線を泳がせながら、胸の前で腕を組みつつ言う。

 視界の端で、小さく首を傾げる姿が見える。

 

「んー……? 俺から見るとユウキも十分高いと思うけど」

「そこで身長の話に流れるキミに安心するボクと残念に思うボクが居るよ……」

 

 キリトらしいと言えばらしいというか、安定した答えに思わず脱力し、苦笑を浮かべる。いきなり色気づかれてもアレな感じはするけど、それはそれ、これはこれ、残念には思うのだ。

 女とは理不尽なものである。

 あと男の事はいえ四つも年下の子に背丈で負けるのは些か複雑だ。だから彼が低いのは当然というか、自明の理というか。まだ成長期が来ていない以上仕方のない事なのである。

 その歳にしては随分小柄である事は否定出来ない。

 

「……あー……胸、か?」

「アッハハ、だいせーかーい…………はぁ……」

 

 思い至った彼の答えに投げやり気味な声を返しつつ、溜息を吐く。

 いや、百歩譲ってリーファとシノンはまだ良い、彼女達のアバターはリアル重視では無いからだ。聞いたところによると然して変わらないらしいが、まだ良い。

 だがストレア、キミはダメだ。まんまリアルとかふざけるな。

 ……そう言っても、虚しいだけなんだけど。

 

「……単刀直入に訊くけど、キリトって正直どうなの?」

 

 その虚しさを紛らわせるためか、何時もなら絶対しないであろう問い掛けを投げる。答えによっては癒えない傷を負う訳だが止まるつもりは無かった。以前から気になっていた事だから。

 いきなりの質問に彼は眉根を寄せた。

 

「どう、とは」

「大きい方が好きなのかって事」

「ぶっちゃけどうでも良いんだが」

 

 こちらの問いを言い終えて間を置かず、そんな答えを返された。

 

「……興味ないの?」

「俺としては外見じゃなくて内面の方が重要だから」

「ああ……」

 

 本当に興味無さげに、しかし真剣な面持ちで言うものだから、本心で言っていると悟る。言われてみれば彼の来歴から内面の方を重要視するのは分かり切っている事だった。

 如何に外見が見目麗しくとも、人間性に問題があれば魅力など半減どころかマイナスに振り切ってしまう。

 

「でも、外見だって気にはするから」

「ん、それって……」

 

 そこで、彼は頬に朱を浮かべ、視線を逸らした。

 

「……ネックレス。すごく、似合ってる。綺麗」

 

 掻き消えそうなくらいか細い言葉は、しかし他にも人が居る店内であろうとしっかり自分の耳に届いた。

 にまりと、どうしようもなく笑みを浮かべてしまう。きっと傍目から見ればだらしない笑みだろう。

 

「えへ、えへへ……ありがと、キリト。キミが最初に見て、そして気付いてくれたんだよ」

「む、そうなのか。それは、なんというか……うん。すごく、うれしい……」

 

 頬を朱に染め、目尻を緩ませ、キリトは仄かに喜色を見せる。

 こうして素直に感情を表すようになるまで長かったなぁと感慨深く感じた。以前であれば『そうなのか』で止めていた可能性大だ。やっぱり気持ちは言葉に表してこそである。

 この顔を見ただけでも、何と言うか、今までの苦労や頑張りが報われる。

 

 

 

「――――ひゃん?!」

 

 

 

 ――――禍福は糾える縄の如し、という諺がある。

 

 良い事と悪い事は平等にある、悪い事があれば良い事も起きる、というような意味合いで使われる事の多い諺だ。

 つまり良い事があれば、それと比して同程度の悪い事も起こるという事。

 

「誰、今ボクのお尻を触ったのは……ッ!!!」

 

 自分の臀部をいきなり誰かに触られた。しかもただ触れるだけでなく、むぎゅう、と鷲掴みにするまでの確信犯的行動までされた。

 座っていた自分の臀部をわざわざ掴みにくるなど確信犯以外の何物でもない。

 

 ――――一発ガツンとキツく言って、最悪ビンタ一発までは許されるよね……?!

 

 バトルジャンキーなきらいがある自分も、実際のところ暴力は忌み嫌っている。

 あくまで切磋琢磨し競う事を目的とした試合が好きなだけ。力を振るう事そのものに快感や爽快さを覚えている訳では無い。

 それに暴力的な人は基本的に嫌われる傾向にある。キリトをはじめ、多くの人と仲良くなれたのに、それを自ら捨てに行くなどしたくない。必要に迫られれば別だが、ただセクハラをされたくらいで捨てるほど安いものではないのだ。

 告白しようとする時、した時と並ぶ程の良い雰囲気だったのをぶち壊されたせいで、一瞬にして沸点は高めなボクの堪忍袋の緒が切れた。正面に居るキリトがひっ、と怯えたような声を上げたのを耳にして内心思いっきり落ち込んでしまうが、一度出した殺気と怒りを収めるにも収められず、一旦落ち込む気持ちを内心に押し隠して殺気と共に振り返る。

 

「何だよ、減るモンじゃないのにそこまで怒る事は無いだろ」

「キミは……」

 

 自分が座っていた椅子のすぐ後ろに立っていたのは一人の男性プレイヤー。髪色は茶色、容貌も特徴的な部分は無いが、しかし整ってはいる部類に入ると思う。多分ディアベルさんといい勝負になる。

 装いは武装のそれ。装備のランクはかなり高い方で、ところどころに宝石を嵌め込まれている事からも相当なレア度を誇っている事が分かる。

 装備を見てまさか、と思って顔をよく見るが、やはり覚えはない。

 顔に覚えは無いのに装備のランクについては察しが付く。そんなのは自分が知る限り、一つしか思い至らなかった。

 

「ギルド《ティアーニア》の団員……?」

「ん、知ってたのか」

 

 自分が《ホロウ・エリア》に居る間に参入試験を受けに来て、しかし敢え無く不合格になったというギルドについて口にすれば、男は気負うことも無くアッサリと肯定の言葉を返す。

 男の頭上にはギルドマークがあった。『大樹を背景に白い双翼』という意匠のそれは、話に聞いた《ティターニア》のギルドマークそのもの。

 

「いきなりお尻を触って来て何のつもり。立派なセクハラなんだけど」

「減るモンじゃないんだからいいだろ」

「触られる身からすれば堪ったものじゃないよ!」

 

 全く反省する様子が無い男に堪らず怒鳴る。自分の記憶がある限り、怒鳴るほどの怒りを見せたのは【白の剣士】の時以来な気がする。

 というか、自分ってここまで怒りを抱く方だっただろうか。

 

 ――――キリトとの時間を邪魔されたせいか。

 

 そう結論付けて、目の前の軽薄な男を睨み付ける。あちらの方が背が高いから自然と見上げる事になった。

 

「言い逃れ出来ないくらいしっかり触って来て……監獄エリアに飛ばされる覚悟は出来てるんだろうね」

 

 誤ってぶつかってしまったり、状況から考えて不可抗力と言える場合であれば情状酌量の余地があるから、謝罪されれば許していた。勿論何度も続けばその限りでは無いが、初回に限っては許すくらいに自分はまだ優しい方だと思う。

 でもセクハラ目的なのは言動も含めて明らかだから、酌量する余地なんてまるで無い。

 こういう時の為にハラスメント防止コードが存在する。主に男性から女性への身体的接触が過剰と判断された場合、女性側にその男性を犯罪者として監獄へ送るかという内容のメッセージが表示されるものだ。幸い自分は使った事は無いが、キリトを抱き締めた時にうるさいくらい表示されていたのを覚えている。

 そこまで考え、ふと気付く。

 

「――――って、ハラスメント防止コードが発生してない……?!」

 

 思わず絶句する。酷ければ励ますために背中を男性が叩いてくるだけでもメッセージが表示されるというのに、あそこまで明確なハラスメント行為をされたにも関わらず発生しないなんて、流石に予想外だ。

 そこで、ニヤニヤと先ほどよりも口角を釣り上げたいやらしい笑みを湛える男に気付く。

 

 ――――この人が原因か。

 

 少なくとも原因の幾らかは担っているだろう事に気付いた途端、胸中がスッと冷たくなる感覚に満たされる。

 戻していた右手を左腰に吊るした黒剣の柄へと伸ばし、掴む。左手は鞘を握っている。抜剣の構えだ。

 

「……無いなら無いで、ボク自身で手を下すまで」

 

 言うと共に抜剣。間合いが近すぎたから十分では無いものの、鋭い踏み込みと共に抜いた剣を右へと薙ぐ。

 狙い過たず、剣は男の横腹を――――

 

「――――させない」

「な……ッ!」

 

 男を斬り飛ばさんと振るった剣は、横合いから割り込んできた黒い剣により阻まれた。まさかキリトかと思ったものの剣を見て違うと判断する。

 キリトの剣エリュシデータは刃が白く、しかしそれ以外は漆黒色の片手直剣。

 割り込んできた剣は、胎動しているかのように一定のリズムで剣身を包む闇が明滅していた。剣身の腹には血を思わせる紅の紋様が走っている。加えて言えば、柄の長さが両手剣のそれだ。

 剣を握る者が何者か見定める為に視線を向ける。

 

「……な、ん……?!」

 

 再度絶句する。

 話には聞いていたが、実際に見てみるまではどんなものだろうかと思っていた。

 しかしこうして見れば分かる。確かに容姿はキリトと瓜二つだ。漆黒色の重厚な鎧、籠手、金属ブーツを纏い、眼を覆うようにバイザーを着けている騎士の背丈、体格は彼と同一だった。

 この黒の騎士こそが、《ティターニア》で唯一合格ラインに至っていて、そればかりか【紅の騎士】をも圧倒したという少年スレイブのようだ。

 

「何のつもり、とは訊く必要は無いよね」

「先に剣を抜かれたから抜き、マスターの部下が危ないから阻んだだけです」

 

 つまりこちらに対する敵意そのものはスレイブ個人としては持っていない、という事らしい。捉え方によっては挑発とも取れるが多分この意味合いで合っているだろう。これといって根拠は無いが、自分の直感とスレイブの敵意の無さがそう思わせる。

 背後のキリトも同じ意見なのか、一瞬場を襲った寒気も今は収めていた。

 ……というか敬語口調なんだ、とどうでもいい事を考える。

 ――――それは横に置いて。

 

「――――まったく。公共の場でいきなり剣を抜くなんて、品性の欠片も感じられないお嬢さんだな」

 

 その時、得も言われぬ緊張感に包まれた店内に、場違いとも取れる程に軽薄な男の声が響いた。

 その途端、鍔迫り合いで感じていた圧が消える。黒騎士スレイブが素早く身を引いたからだ。正眼に剣を構え直した彼は、そのまま数歩後退し、足を止める。その隣には一人の男が立っていた。

 ……後ろを見ないで正確に隣に立った点については突っ込むまい。

 一目見て豪華絢爛という言葉が浮かぶ白金色の甲冑を纏い、金髪を撫でつけた優男がそこにいた。左腰からは特徴的な鞘に納められた細剣が吊るされている。

 この男が話に聞く《ティターニア》のギルドリーダー、アルベリヒに違いない。

 

「ギルドメンバーの素行を正す役目を放棄してる人に品性を問われたくはないよ」

 

 ふん、と鼻を鳴らして睨む。

 スレイブの登場で出鼻を挫かれたが、胸中に巻き起こった怒りと苛立ちは未だある。勝手に体を性的な意味で触られて怒り冷めやらぬのは普通の事だ。

 

 ――――けど、これ以上暴れても意味はない、か。

 

 スレイブによって阻まれはしたが、それでも自分の殺気に当てられてか、セクハラをしてきた男は腰を抜かしてへたり込んでいる。

 その姿で一先ず溜飲を下げる事にし、黒剣を鞘に音高く納める。

 最後に鋭く一瞥してから、キリトへと視線を向けた。

 幸いにも此処でしようと思っていた事は殆ど終えている。惜しむらくはデザート関連の更なる開拓を行えなかった事だが、この場に留まる方がデザートを楽しむ事の何倍も苛立つのは明らか。ここは次の機会と我慢した方が賢明と判断する。どちらにせよ食事はしっかり摂ったのだから碌に入らなかっただろう。

 

「キリト、もう行こう。食べるものは食べた」

「ん、まぁ、ユウキが良いなら構わないが……」

 

 やや不機嫌で、傍から見ると凄く身勝手な振る舞いだが、これは後で本人に謝るしかない。

 とにかく一刻も早くこの場から立ち去り、厄介事から逃げたかった。

 

「人に刃物を向けておきながら謝罪も無いなんて信じられないな」

 

 だが、こちらをそう簡単に逃すつもりは無いようで、アルベリヒが進路を塞ぐように立ち、そう言って来る。

 

「……人にセクハラしておきながら謝罪はおろか悪びれもしない部下の事は棚上げするつもりなんだ?」

「ふむ……どうやら君は自分の立場というものが分かっていないらしい」

「はぁ?」

 

 何をどう考えればそうなるのか訳が分からず、思わず侮辱の混じった声を発してしまう。

 プライドの高そうな男であれば表情を歪めそうなものだが、しかし今は己の立場が上にあると思っているのか、むしろこちらを憐れむような眼で見て来る。

 矢鱈と腹の立つ男だと思った。

 あと、キバオウやアキトとは別のベクトルで嫌いだとも。キバオウはともかく、アキトは生理的に嫌だと思ったが、この男に対する嫌悪感は彼らに対するものの比では無い。

 

「いやはや、無知とは見ていて憐れ極まりないものだ。自分の行動がどういう結果になるか分かっていないらしい」

「……えらく芝居がかった言い方だね。結局何を言いたいのかハッキリしてくれない?」

「ああ、そうだね、無知なお嬢さんにも分かるよう分かりやすく簡潔に教えてあげよう」

 

 こちらを小馬鹿にする態度が癇に障り、やや刺々しい物言いになるも、アルベリヒが頓着した様子は見られない。余程精神的優位を得てご満悦らしい。

 小物だなぁ、と思う。

 これがヒースクリフさんやアルゴ、キリトであれば、立場上での優位性を敢えて示さず、

『自分の方が上だ』と錯覚させてやり取りするだろうに。場合によもよるが、そっちの方が相手を躍らせやすいからだ。特に小物相手だと効果覿面らしい。ソースはキリト。

 若干苛立つのも癪になるくらい芝居がかった仕草で前髪を払い、腰に手を当てたアルベリヒは、指を突き付けて来た。

 その先を追えば、席から立って事の推移を見守っていたキリトの姿。

 

「……俺?」

 

 きょとん、とあどけない表情で彼は自身を指差し、首を傾げ、疑問を呈した。今の会話の流れからどうして自分が出て来るのか皆目見当が付かないのだろう。

 安心して欲しい。ボクもまったく分からない。

 むしろおかしいのはアルベリヒの方だ。出会い頭から人を扱き下ろすとは実にイイ性格をしている。

 

「……彼がどうかした?」

「知らないのかな? そこの子供が、あの『織斑の出来損ない』という事を」

「「……」」

「……マスター……」

 

 ふふん、としたり顔で言うアルベリヒ。

 

 ――――空気が死んだ。

 

 こちらとしては今更過ぎる言葉に何も言えなくなる。だってそんなの、この浮遊城に居る誰もが知ってる事実だし。闘技場での観戦以来、《ビーター》/【黒の剣士】の容姿は広く知れ渡ったのだ、むしろ知らない方がおかしい。

 現に店内の空気は死んでいる。アンタ何を言ってるの、と言いたげな白い眼が沢山アルベリヒに向けられている。当然アルベリヒの部下の男にもだ。

 というか、だからどうしたというのか。

 あと地味にスレイブの頬が引き攣ったのだが、それに関しては良いのだろうか。気付いていないようだが、良いのか、それで。

 

「うん? 何だい、その反応は?」

「いや……だって、今更だし。むしろ知らない方がおかしいというか。アルベリヒさん、ホントに何を言いたいの?」

「ふぅ……どうやら本当に分かっていないようだ」

 

 ――――なんっか腹立つなぁ。

 やれやれ、と肩を竦めて言う男に対し湧き起こる感情。

 何度かキレた事はあるし、苛立ちを覚えた事だってあるが、ここまで粘着質な態度を取られた事は無かったから沸点に怒りが到達しそうになる。実際怒る程の事では無いが、後で発散しないと威圧が出てしまうかもしれない。

 

「いいかい、僕は親切心で言ってるんだ」

「へぇ。親切心で」

 

 『親切心』。

 人によって解釈は異なるだろうけど、親切心とは『人の優しさ』が大本だと考えている人が殆どだろう。

 しかし自分にとっては、無責任な偽善行為という認識だ。あくまで助言、どうするかはその人次第、後の事は知らない、そんな流れが『親切心』。後の事もある程度まで面倒を見る行動は『世話を焼く』と言う。

 この二つは似て異なるものである。少なくとも自分はそう考えている。

 勿論信頼・信用する人からの『親切心』は快く受けるし、逆に自分も『親切心』で関わる事がある。大抵後の事も気にするから自分の場合は『世話を焼く』になるのだが。

 でも、少なくとも赤の他人で、嫌悪感を覚える相手からの『親切心』なんて信用に値しない。それ以前にキリトの事を悪く言う内容なのだから受け容れる筈も無し。

 

「悪いけど、赤の他人から『親切心』を受けないといけないほど困ってはないんで」

 

 半眼で睨み付けてから、背後の少年の手を左手で握り、歩き出す。手を握った時にあっ、と声が聞こえたが一旦無視した。

 

「良いのかな。その出来損ないと行動してると、君自身が大変な目に遭う事になるというのに」

「……なるほど、そういう意味での『親切心』ね」

 

 アルベリヒが言わんとする事を察し、苦笑する。

 腹に一物抱えている事は間違いない。何を企んでいるか知らないが、こちらに恩を売り、後で何かしらの対価の合わない見返りを求めるというのが妥当な線だろう。

 

 ――――くだらない。

 

 そう、胸中で吐き捨てて、アルベリヒを睨み付ける。

 

「生憎と、それを承知の上での行動なので、お構いなく」

「んな?!」

 

 皮肉を込めた上で宣言すると、この返しは予想していなかったのかアルベリヒ達が固まった。

 

「――――行くよキリトッ!」

「うぇ?!」

 

 これを隙と見て、左手で握り締めたキリトの手を思いきり引っ張り、走り出す。いきなりでこけそうになった時には更に手を引いて体ごと横抱きに抱き抱え、全速力で店から走り出た。

 衆目を集めながら、しかしその全てを無視して走る事暫く。

 気付けば転移門広場へと戻って来ていた。

 

「ふぅ……流石に、ここまで来れば追ってこないよね……」

 

 こういう時、SAOのシステムが勝手に勘定を済ませてくれるから助かる。

 そもそも店から急いで出なければならない事態なんてそんなに遭遇したくないのだが。何だろう、キリトと食事処に入ると何時も慌しく出なければならない事態に遭遇してばかりいる気がするのだが。

 それもこれも厄介事の方から来るあちらが悪い。

 

「いきなりでごめんね、キリト。あまりゆっくり出来なかったね……」

 

 胸中で嘆息し、腕の中の少年を見る。

 

「あぅ、あぅ……ふゅぅ……」

「…………あー……」

 

 腕の中に居たキリトは、こちらを目を合わせるや否や顔を真っ赤にし、眼を回し始めた。

 状況を鑑みればその理由にはすぐ思い至った。

 横抱きは、俗に『お姫様抱っこ』と言われる。通常男性が女性に対して行うそれを、今は自分がキリトにしている。逃げるために仕方なかったとは言え、背中に担がなかったのは相当自分も動転していたようだ。

 そんな抱き方をされていれば羞恥を覚えるのは道理。

 結果、何時ぞやの着せ替えの時のように、キリトの処理能力を超えてオーバーヒートしてしまったという訳だ。

 

 ――――これは、どこかでゆっくりした方が良いなぁ……

 

 流石にこの状態で難しい話は出来ないだろうと思い、転移門広場の隅に設置されているベンチにキリトを下ろし、自分も腰掛ける。

 彼が羞恥からどうにか脱し――それでも未だ頬も耳もうなじも真っ赤だ――マトモに話が出来るようになったのは、それから五分後の事。

 何だか自分、最近は目を回して休むキリトの姿をよく見るようになったような気がする。

 そう考えつつ、急に抱き上げた事に対し謝罪する。誘ったのは勿論、店から強引に出るのもこちら側。強引だったのもあり謝罪の一つもしなければ礼を失するというものだ。

 そんなこちらの謝罪に、彼は苦笑を浮かべた。

 

「あまり気にしてないからいいよ。まぁ、流石に横抱きに抱え上げられるとは思わなかったけど……」

 

 中々出来ない経験だった、段々と声量がか細くなりつつ言われ、頬が熱くなる。

 よくよく振り返ってみれば自分も大胆な行動をした。というかアルベリヒに対する返答も、深読みせずともただならぬ関係と思われてもおかしくない。本人同士が認めた訳でもないのに囃し立てられるのもあまり気分は良くない。

 

 ――――まぁ、何だかんだ言って、嬉しくなるんだろうけどさ……

 

 ふふ、と胸中で笑む。

 アルベリヒ達と問答する事になったのは嫌な出来事だったが、しかしキリトを抱き抱えるという中々遭遇しない体験が出来たのだ、デート出来た事も合わせればしっかり採算は取れていよう。

 今日の出来事は不問にする――――

 

「――――と、そういう訳にもいかないよね……」

「……?」

 

 一人呟くと、キリトに首を傾げられた。思考過程は口にしていなかったから分かる筈も無い。

 

「《ハラスメント防止コード》の事だよ」

「ああ……アレか。そういえばかなり見逃せない問題の一つだな」

「……問題、の、一つ?」

 

 キリトのセリフに違和感を覚えた部分をオウム返しに呟く。はて、自分が記憶している限りでは、システム的におかしな部分は《ハラスメント防止コード》が発動しなかった事だけなのだが。

 スレイブの素性とか、アルベリヒ達の装備ランクについては一旦除外するとしても。

 

「ユウキ、さっき俺を抱き抱えていただろ」

 

 思い至らないこちらを思ってか、ヒントのようにそう言って来る。

 

「ん、まぁ、そうだね」

「普通《圏内》で出来る事か、それ」

「え……あっ?!」

 

 言われて、気付く。

 そう言われればそうだった。プレイヤーを抱き抱えたり担ぎ上げたりする事が出来るのは《圏外》だからこそ。《圏内》では《ブロック》や《ボックス》というシステム的保護を悪用したマナーレス行為があるが、これは逆説的にシステム的にプレイヤーは保護されている証明になる。他プレイヤーが他プレイヤーを物理的に動かすのなんてシステム的に不可能なのだ。

 衝撃やノックバック、体当たりなどで吹っ飛ばすのは可能だ。

 しかし動こうとしないプレイヤーを抱き抱えるのは、《アンチクリミナルコード》と《ハラスメント防止コード》の双方が許さない。異性であれば尚の事。

 ――――その時、視界にピコンと表示されるシステムメッセージ。

 

「……あれ」

 

 その内容を読んで、眉を顰める。

 

「何だったんだ?」

「《ハラスメント防止コード》が発動してる……キリトを監獄エリアに送るか否かだって」

「絶対押さないで」

「いや、まぁ、今回のはこっちからした訳だしそりゃね……」

 

 個人的には別に時と場合を弁えた常識的なタイミングでなら押し倒してくれても一向に構わないのだが。

 

「……何故コード発動までのタイムラグがあったかは置いておくとして」

 

 多分ボクがキリトに対して向ける感情に嫌悪が無く、好意的なもので占められているから遅かったのだと思う。コード発動ラインの一つとして物理的接触による嫌悪感情の発露や規模が条件設定されている気はする。その辺の脳波を計測するくらいなら、人間一人のコピーAIを作るよりも遥かに楽だろうから。

 つまり逆に考えるとキリトもこちらに対し嫌悪的な感情は少ないと考えられる。こちらに先に出たのは性別的にラインが男性のそれよりも下だからか。

 

「うーむ、普通に考えると《ティターニア》の面々が怪しい訳なんだがなぁ……果たして【カーディナル・システム】がそんな例外を許すのか……?」

「最近のシステムはかなりバグってる訳だし、何とも言えないね」

「それなんだよなぁ……」

 

 胡乱な眼つきで応じるキリト。

 そんな彼に苦笑を禁じ得ず、口元を手で押さえ、笑いを忍ばせた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 取り敢えず振り向きざまにビンタをせず誰何をしたユウキは暴力ヒロインではないと全力で主張したい所存。

 尚、剣を抜いた辺りの物騒さはユウキの怒り具合の顕れ。

 ……ぼーりょくひろいんでは無いと、主張したい(願望)

 ほら、原作&プログレッシブのアスナさんも似たような事をしてるし、ね?(切望)

 取り敢えず『照れ隠し』で『殺傷力あり』のISを使うISヒロイン勢よりはマシだと思う。絶対傷付かない《圏内》だからこそのヴァイオレンスはセーフ……いや、アウト? 間を取ってセウトで(ダメじゃん)

 想い人な主人公には罷り間違っても理不尽な理由で暴力は振るわないからセーフという事で。実力行使は最終手段ですし。試合は健全なものだし。

 リーファの場合は、アレはキチンとした『更生・教育行為』だからセーフで……(震え)

 ――――まぁ、《ティターニア》は敵ですし?(無慈悲)

 念願叶って漸く敢行出来たデート(しかも良い雰囲気)中に雰囲気読まない輩にセクハラをされたら温厚()なユウキがキレるのも是非も無いよネ! ぶちギレ案件にならなかっただけでも温情。

 尚、本格的にぷっつんしたら自らアホ毛を引っこ抜く模様。

 そういえば『髪の束を引き抜く』って生半な力じゃ出来ないですよね……それが出来るユウキの腕力って……(戦慄)

 リアルに帰ったら力勝負でキリトはユウキに勝てなさそうだなって思いました。

 では、次話にてお会いしましょう。


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