インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話もオールユウキ視点。

 半分以上戦闘描写というね……! 平和は旅に出ました(白目)

 そもそも《アインクラッド》に平穏という概念は存在するのだろうか。SAO愛好家は訝しむ(尚、殺伐とさせてるのは作者)

 文字数は約一万九千。

 ではどうぞ。




第百六章 ~黒対クロ~

 

 ――――キリトは、本当に不幸な星の下に生まれた。

 

 非常に不謹慎且つ失礼極まりない所感だが、それでもボクはそう抱かざるを得なかった。何が悲しくて久々に戻れた浮遊城で、偶然にも得られた貴重な休息日を、彼は返上する勢いで剣を抜かなければならないのか。

 本当に貴重な休息日だけでも戦いから離れて欲しいと思い、敢えて武具や回復アイテム関連の場所を避けていたというのに。

 

「……キリト。危なくなったら、降参してよ」

 

 少年の華奢な肩を軽く掴み、言う。その言葉はボクの本心からのもの。

 右手にエリュシデータを提げて戦いへ赴こうとする少年は肩越しに振り返り、余裕のある笑みを浮かべた。その笑みは、しかし困ったと言わんばかりのもの。

 

「悪いが了承しかねる――――何が何でも勝つ」

 

 言いながら、途中で視線を切り、彼はこれから戦う相手一同を鋭く睨め付ける。

 鋭い視線を向けられるのは新進気鋭と目され、しかし怪しさ満点なのと実力が低い事から《攻略組》への参入試験を落とされた《ティターニア》一同。

 

「今度は降参なんて許さないぞ。全力で叩き潰すんだ、スレイブ」

「――――拝領、しました。マスター」

 

 その中でも戦陣に立つのは、やはりと言うべきか、またもや黒騎士スレイブだった。

 華奢で小柄な体躯に見合わぬ重装備の彼は『主』と見定めた男の言葉に、恭しく返し、腰から黒剣を抜く。

 

 ――――その一連の動作が誰かと重なる。

 

「む……」

 

 正眼に構えられた黒き魔剣を見てか、あるいは何か他に琴線に触れるものがあったか、キリトが小さく唸る。その目は訝しげに眇められ、黒騎士を見据えていた。

 数瞬の後、疑念の眼は闘志を宿した強い双眸へと変わる。

 

「――――個人的な恨みは無いが、勝たせてもらう」

「――――そう易々と、勝たせると思うか」

 

 各々、一拍の間を置いてのやり取り。

 どちらの口元にも笑みは浮かんでいる。だが、その笑みは人を安心させるものではなく、相手を威圧するもの。

 

 ――――決闘の開始を知らせる音が鳴ると同時、二つの黒が交わった。

 

 *

 

 そも、何故キリトとスレイブが戦う事になったのか。

 それはキリトが戦意を見せている事からも分かるように、ギルド《ティターニア》に原因がある。

 何が理由かは知らないが、どうも《ティターニア》のリーダーである男アルベリヒはボクに執心しているようで、昼食を摂っていたレストランから逃げたボク達の後を執拗に追って来た。そのまま言い合った末に、アルベリヒはスレイブをけしかけて来た。

 キリトが勝てば、今日は見逃す。

 スレイブが勝てば、ボクは今日一日アルベリヒ達と行動する。

 そういう内容でのデュエルをしろと言って来たのだ。

 勿論こちらにはそれを受ける筋合いなど一切無い。だから最初は無視して移動していたのだが――――あろうことか、アルベリヒはスレイブをその度に追跡に出した。それからフレンド登録による位置追跡を行ってか、スレイブに足止めを受けている間に追い付かれる。

 厄介なのは、スレイブが実力行使も厭わず、力尽くで足止めをしてきたこと。

 《圏内》だからHPは減らないが、それでもモラルには欠けた行いだ。当然街中を行き交う人々から非難の声は上がった。

 その声を受けて、それでもアルベリヒは懲りずに後を追って来る。最早その執念に恐怖を覚える程の行動だ。

 このままでは下手すると《圏外》で事に及ばれる可能性を危惧し、渋々ながらデュエルを受ける事になった。

 

 ここで何故、対戦相手に【絶剣】では無く【黒の剣士】を選んだのか。

 

 闘技場での戦いを知っている者なら、どちらの方がレベルやステータスが上かはすぐに分かる。ルクスのように互角と思う人もいるかもしれないが、ステータス的には大半の人が【黒の剣士】の方が上と考えるだろう。

 【絶剣】が強いと主張する人も居るとは思う。

 だがしかし、【絶剣】に較べれば、【黒の剣士】が打ち立てて来た戦績の方が上。客観的に考えればその結論に至るのである。《ビーター》や《出来損ない》というフィルター、すなわち主観が入ってしまうと【絶剣】の方が強いという判断になる。

 理解ある、見識の深い者であれば、少し思考を巡らせれば分かる事。後塵を拝している者がどうして単独で先駆け続けた剣士に勝てるというのか。

 自分も強さを求めて来た自負がある故に易々と負けるつもりは無い――――だがそれでも、剣一本で互角。それ以上の引き出しを持つ彼に勝つには尋常でない努力を要するだろう。少なくとも自分が今までしてきた努力程度では超えられない。だから現時点で自分は彼に一歩も二歩も劣る。あまり認めたくは無いが、しかし事実故に受け容れた。

 その実情を知らないとは言え、しかし客観視出来る情報があるにも関わらずキリトを対戦相手に選んだ事。それは恐らく《出来損ない》と見下しているが故の判断。

 自分としては助かったが、彼からすればとばっちりもいい所。

 そういう意味でも、ボクは彼を、不幸な星の下に生まれたと思った。

 

 ――――ただし、その思いは、決して憐れみによるものではない。

 

 むしろ逆。そんな境遇に在っても尚曇らない輝きと屈強な精神に尊崇の念を覚えている。

 それこそが彼の強さの源泉。

 これこそが彼を強くたらしめる根幹。

 理不尽な境遇に在れば在る程、彼の輝きはより鮮明なものとしてこの眼に映る。

 

 ――――デュエルが始まってから二分が経つ今、戦況は完璧に拮抗していた。

 

 スレイブの筋力値はかなり高いようで、超高レベルのキリトをしても押し返されるほど重みがある。刃が交わる毎に響く剣戟の音は重厚なものだ。

 また敏捷値も高いのか移動速度はほぼ互角に見える。

 つまりステータスで考えると、キリトの方が不利。

 しかし、未だ拮抗している。分水嶺とも言える領域で均衡を保っている。

 

「「――――ッ!」」

 

 戦場となった広場に出来た円状の人だかり、その中心で二つの影が激しい衝突を繰り返している。輪郭はぶれ、残像しか見えないが、それでも互いが己の愛剣を交えているのは音で分かった。

 息を呑んで見守るプレイヤー達の視線の先。

 そこに声は無い、声を上げる事そのものが相手に位置を知らせる悪手であると判断しているからだ。

 立ち止まる事も無い、速力が同等である以上止まれば斬られるからだ。

 距離を詰め、衝突し、距離を離し、また距離を詰めて衝突する。

 幾度その交錯が繰り返されたか分からない。刃が交わった数は、この二分で優に百は超えている。ただの一度も止まる事無く、息をつく間も無い激しさで二人は熾烈な応酬を続ける。

 片やギルドマスターの為に。

 片やボクの為に。

 

 一際強く、刃が交わった。

 

 剣音が広場に響く。

 

「「ッ……!!!」」

 

 無音の気迫。ギリギリと空気が軋み、空間が撓みそうな程に張り詰めた緊張感/剣気が放出される。

 戦いの推移を見守る者の誰もがゴクリと喉を鳴らした。

 デュエル開始から漸く二人が足を止めたのだ。ここから何かが動く。その確証も無い予感があった。

 だから二人の一挙手一投足を見逃さぬよう神経を尖らせ、意識を集中させる。見失いそうになる速さすらも見逃すまいと感覚を研ぎ澄ます。

 

 

 

「――――」

 

 

 

 ――――だからだろう、【黒の剣士】が唇を動かした瞬間を見逃さなかったのは。

 

 何を言ったかは分からない。

 しかし、何かは言った。それは確実だ。単語レベルの短さでは無い、あの唇の動きは短いながら確かな文章のものだった。

 

 

 

「――――フ」

 

 

 

 瞬間、黒の騎士が口の端を釣り上げる。ほんの僅かな変化故に集中していなければ分からなかっただろう。【黒の剣士】の挙動を見逃していれば確実に気付かなかった。

 それでも見えたのが事実。

 彼が言った事を肯定するかのように、黒の騎士は笑った――――決して喜色ではなかったが。苦笑に近い、慚愧と諦観の色があった。

 そのやり取りは数秒かそこら。それでも両者は最高峰の実力者、数秒のやり取りすら膠着では無く探り合いと見て取れる。恐らく自分以外に二人のやり取りを見た者は居ないだろう。

 ギャァンッ、と何事も無かったかの如く、弾かれたように二人は距離を取った。石畳を踏む両者の足が砂煙を巻き上げる。

 砂塵が漂う中、剣士と騎士が睨み合う。ばさりと両者の外套がはためいた。

 

「スレイブ」

 

 距離を取ったのを見てか、黒の騎士が《マスター》と仰ぐ男の声が上がる。

 剣を向け合う二人は足を止め、観戦している者達の視線と意識が全て金髪の男に集約した。

 男は横柄に腕を組み、苛立ちの表情を浮かべている。

 ここまで拮抗した手に汗握るハイレベルな戦いなどそうお目に掛かれるものでは無い。闘技場《個人戦》での彼の奮闘が、恐らく殆どの者にとって初の《安全な観戦》だった。デスゲームとなった今、ここまで本気のデュエルは誰もしないからだ。

 仮令《初撃決着》というスキルが一本入れば、あるいはHPが半分を切れば終わるモードでも、ギリギリのところで急所に一撃を喰らえば即死する。その危険性を孕んでいるからデュエルは忌避される方にある。その手段を利用したPKがかつて流行しかかったからだ。

 娯楽に乏しい故に野次馬根性で観戦する者達にとって、手に汗握る展開は願ってもないもの。勝敗では無く過程をこそ人々は楽しんでいた。

 だからこそ、訝しむ顔を多くの人が浮かべる。一体何が気に入らないのか。

 そして不快な感情を露わにする。手に汗握る真剣勝負に水を差す無粋な真似を咎めるように。

 男がそれに頓着した様子は無い。あるいは、気付いていないのかもしれない。

 

「何時まで遊んでいるつもりなんだ、さっさと倒せ」

「――――舐められているな、お互い」

「……」

 

 アルベリヒの叱責を聞いて、キリトが顔を顰めて小声で言った。対するスレイブは無言を貫く。肯定も否定もしない様からは同意と取れる雰囲気を感じ取れた。

 男の言葉は、【黒の剣士】を『容易く倒せる程度』と侮っているものでもあるが、同時に黒の騎士の実力を見誤っているものでもある。相対的に高く見られているようで、実のところ『この程度の敵なら倒せるだろう』と見くびられているとも取れる。

 SAO最強の盾と謳われし【紅の騎士】を前に一歩も引かず、むしろ引かせて圧倒したという話に違わぬ実力に、こちらは感心するばかりというのに。

 

 ――――というか、聞いていた話よりも力も速さも上がっている印象すらある。

 

 まさか、この短期間でレベルが上がっているというのか。試験から経っている時間と現在のレベリング環境を鑑みると可能性としては低いと思うが、仮に上がっているすれば、一つ二つのような少ない上がり方では無く、数レベルは上がっていると見るべきだ。

 それともステータスをブーストする装飾品か何かを新たに装備しているのか。

 どちらにせよ、己の能力を十全に扱えている黒の騎士に対し、余りにも低い評価をしている男には顔を顰めざるを得ない。彼と互角という時点で《攻略組》トップを名乗れるというのに。まるで自分やアスナ達の事まで過小評価されているようで不愉快だ。

 別に名声が欲しい訳じゃない。誰かに認められたいから、有名になりたいから、褒められたいから戦っている訳でも無い。自分達には自分達の事情と理由がある。それを他人に理解されようとは思わない。理解の押し付けは傲慢と無理解がする事。他人には他人の戦う理由がある。

 だがそれでも、評価される時は正当な内容でなければ納得はいかない。ましてや直に刃を交えた訳でも無いのに分かった気で語られるのは気分が悪い。

 人好きのする性格だと自負している自分でも、アルベリヒは絶対的に相性が悪いと確信していた。強さを求めているからこそ、それを否定されているようだからかもしれない。

 

「まったく……僕が許可する。魔剣を解放しろ」

「え……」

 

 思わず顔を顰めている間に放たれた指示。その内容に、スレイブが戸惑いの声を上げる。

 

「魔剣の、解放だと……?」

 

 キリトもまた困惑していた。

 

 ――――魔剣。

 

 それはキリトが持つエリュシデータのように、モンスタードロップでありながら高性能な武器の事を指す呼称。通常であれば数層跨げば交換を余儀なくされるというのに何十層にも渡って使い続けられる、そんな強力な武器の事を人は何時しか『魔剣』と呼ぶようになった。

 故にSAOプレイヤーにとって『魔剣』は一種のブランドであり、ステータスとして見られる。モンスタードロップ限定な上に入手出来るのは強力なMob限定。渡り合えただけでも賞賛される上に強力な装備を得られたとなれば羨望の目で見られるのは確実。

 また、魔剣は基本的にはボスのラストアタックボーナスが該当する。それはつまりサーバーに於いて一つしか存在し得ないユニークアイテムである事を意味している。その希少価値から羨望の目を向けるというのも少なくない話だ。

 

 しかし、逆に言えばそれだけだ。

 

 確かに魔剣は非常に強力だ。それは彼のエリュシデータが証明している。第五十層LAの剣は最前線が七十七層になった今ですらギリギリ通用する性能を持つ、七十五層時点で威力不足が否めなかったというのにだ。

 勿論彼のステータスによる後押し、《ⅩⅢ》による耐久値の実質無限化、腕輪装備による防御無視バフがあるからこそ可能なゴリ押しだ。特に防御無視バフが無ければ、流石の彼もエリュシデータは【継承】を行って別の剣に変えていたに違いない。それでも元の性能が段違いだからこそ今も使われている部分が大きい。

 つまるところ、魔剣とは性能が強力なだけの武器でしかない。ステータスブーストの効果があったり、やや特殊な性能があったりはするが――――『解放』という単語に該当するアクションが付与されている話は寡聞にして聞いた事は無い。

 あるいは高レア装備で身を固めている《ティターニア》の一員スレイブが持つ剣にのみ付与されたものなのか。今まで無かったからと言ってこれからも無いとは言えない以上可能性としてはあり得る。

 ともあれ、問題は『解放』が何を意味し、どういうアクションのものなのか。

 誰もが困惑を見せるスレイブを見た。

 

「し、しかしマスター、流石に街中で解放は……」

 

 バイザーで顔の半分以上が隠されているが、それでも分かるくらい戸惑い、躊躇の色を見せる幼年騎士。それだけ『魔剣の解放』とやらは危険なものらしい。

 ともすれば、キリトの体力を一撃で削り切るものなのか。

 それほどに強力なら、スレイブだけでも《攻略組》に勧誘してはどうかと次の朝議で打診してみようと考えた。ヒースクリフさんをほぼ防戦一方にし、キリトと互角の実力で、一撃の威力が絶大の手段を持っているというプレイヤーは本当に貴重なのだ。

 

「お前がさっさと倒していれば必要無かった事だ。反論するなら結果を示せ――――『やれ』」

「ぐ、ぅ……」

 

 実力者とは言え見た目非常に幼い少年に対し、周囲の視線など知った事かと言わんばかりに男はキツい口調で命令を下した。

 少年騎士は未だ躊躇し、逡巡している様子だった。

 男が再度やれ、と怒鳴るとびくりと肩を震わせ、唇を噛む。

 隙だらけなその騎士に、しかし剣士は斬り掛からず様子見に徹していた。

 

「――――了解、しました」

 

 黙考すること約五秒。諦観の混ざった声音で騎士は告げた。

 同時、正眼に構えていた魔剣を引き、眼前に翳す。切っ先は天を衝くように真上へ向けられている。

 

「魔剣――――解放」

 

 ぐっ、と柄を持つ両手に強い力が更に込められる。

 

 ――――直後、魔剣の刀身から赤黒い靄が噴出し始める。

 

「な……?!」

「ハァッ!」

 

 予想外の展開にキリトが目を剥いた瞬間、それを狙ったかのようなタイミングでスレイブが魔剣を振り下ろした。すると切っ先の軌道に沿うように三日月型の黒い斬撃が飛ぶ。

 それは《狂月剣》のスキル《ソニックスラッシュ》と瓜二つ。

 

「チィ……ッ?!」

 

 激しく舌を打ちながら、彼は瞬時に歩を刻み、斬撃の直線上から退避。

 直後、彼の背後に現れる黒き騎士。反射的にか、背後へ転瞬、剣を振るう剣士。魔剣と黒剣が衝突する。

 

「「――――ッ!」」

 

 先ほどまで繰り広げられていた展開と同じ応酬。

 しかし今回は、結果が違った。魔剣からは未だ黒い靄が噴出していたからだ。縦に振り下ろされた剣戟と、黒い斬撃とが、同時に彼の黒剣を襲ったのである。

 単純計算で倍化された剣圧を受け、彼はたたらを踏む。

 

 ――――事は無く。

 

「――――吹けッ!」

 

 刃が交わる音が響くと同時に、黒剣を起点に暴風が吹き荒れた。

 ドンッ、とまるで爆弾が破裂したような音と共に吹いた風は、魔剣も黒い斬撃も黒の騎士すらも纏めて吹っ飛ばす。《ⅩⅢ》の風の力を使ったのだ。

 

「く……ッ!」

 

 風に押され、已む無く距離を取った黒の騎士は、地に付けた両足で制動を掛けながら魔剣を上段から振り下ろす。剣を覆っていた赤黒い靄は三日月となって飛んでいく。

 それを、次は吹き荒れる風に混じって迸る蒼白の輝きが止め、そのまま突き破る。

 距離を殺す魔剣の斬撃を、彼は概念を逸脱した能力によって相殺したのである。

 

「剣だけの戦いであれば俺も使わなかったんだがな」

 

 言いながら、キリトは片手直剣に分類される黒剣の柄を両手で持ち、先の騎士と同じ様に眼前に翳した。

 すると黒い剣身から眩い光が溢れ出す。蒼白い輝きは星の光を思わせた。赤黒い斬撃を破ったのは、あの輝きだったのだ。

 

「それを使ったんだ。俺も同種の事をしても、文句は言えないだろう」

「違いない」

 

 不敵さを感じさせる笑みで言った彼に、同種の笑みを浮かべて応じた騎士は、同じ構えを取った。魔剣から赤黒い闇が溢れ出す。

 刹那、光と闇が迸った。

 気付けば二人は瞬時に距離を詰め、オーラを迸らせる刃を交えていた。遅れて甲高い剣音と刃の衝突によって発生した衝撃波が届けられる。

 

 

 

「「――――ォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」」

 

 

 

 裂帛の声が響く。

 敵を喰らわんとする意思が具現化したように光と闇の噴出は強まる。刃を覆い、吹き出し、漏れ出た靄が二人を起点に周囲へ広がっていく。

 バチバチと、二色の靄が衝突する空間に火花が散り始めた。白雷と黒雷とが入り混じる。

 ――――雷鳴の中で、剣音が響いた。

 一拍遅れ、息を呑む音と悔しげな声が耳朶を打つ。それに同期して二色の靄と雷が収まっていく。

 広場に広がった二色の靄。それを引き裂くように現れたのは、【黒の剣士】だった。

 それに追い縋るように黒い砲丸となって黒き騎士が飛び出してくる。鍔迫り合いから無理矢理押し返したのか、二人の速度は先ほどの応酬と較べれば遥かに遅い。

 

「これで、どうだ……ッ!」

 

 靄から飛び出たスレイブが、一際強く石畳を踏み抜き、更に加速した。

 応じるように、後退していたキリトもまた石畳を踏み抜き、制動を掛け――――

 

「舐、めんな……ッ!」

 

 そして疾駆。

 正面から二つの黒が交錯する。騎士は両手で握った魔剣を袈裟掛けに振り下ろし、剣士は片手で握った黒剣を突き出した。

 斬撃と刺突。

 

「ぁ……っ」

 

 知らず、声が出た。

 一瞬後に訪れる光景を幻視したから。刃の衝突に於いて、斬撃は斬撃に対応するが、刺突に対応する方は無い。刺突には回避しかないからだ。無論それは攻撃に於いて強力な側面を持つが、代わりに防御にも使えないという欠点も有する。

 使い方や場面によって刺突も防御に使える訳だが、しかし今はそれに当てはまらない。

 スレイブの斬撃に、キリトの刺突は敵わないだろう。よしんば剣に当たっても、刀身が滑って、それで終わり。それが当然の帰結。

 

 ――――その当たり前な予想は、しかし覆される。

 

 甲高く響き渡る剣音。それに遅れて響く、ギギギ、と金属同士が軋み合う時に立つ独特の音。

 魔剣の刃に、黒剣の切っ先が突き立てられ、押し合っていたのだ。

 そんな事態が起こると思わず、周囲のプレイヤー達が一斉にどよめく。自分も困惑の極みになった。

 その中心となる二人の凌ぎの削り合い。

 ガチガチと、針に糸を通すような神経さが必要なところに力を加え、精密さの難易度をグングンと向上させていく彼は、しかしそれでも切っ先を魔剣の刃から外さない。押し切るべく全体重と筋力値と敏捷値を合算させるように力を込めていく。

 制したのは――――キリト。

 

「オォッ!!!」

 

 奇跡的に続いていた鍔迫り合いは終幕を迎えた。

 再現された空気の層すら貫く程の強烈な突き。それは魔剣を退けるばかりか、担い手をも巻き込み、大きく後退させた。その威力を物語るように、烈風が一挙に放射状に広がる。

 再び開いた距離。それを剣士は詰め、騎士が迎え撃つ。

 交わされる一進一退の攻防。片方が押しても押し切る事は出来ず、片方が防いでも防ぎ切る事は出来ない。

 剣戟の応酬は加速する。

 体捌き、足捌きがより鋭く、激しくなる。

 瞬時に距離を詰めるのは当たり前、背後を取っても逆に背後を取り返す光景が広がる。

 刃を交える度に、相手の思考を読み、剣筋を覚え、成長していっているのだ。互いが成長し合っているから拮抗し続けている。まるで鏡合わせのように二人は刃を交わしていた。

 ――――そうして、幾百と刃が交わった後、示し合わせたように二人は距離を取る。

 息を吐く暇もない熾烈な応酬を経て尚息は切れていない。やや緊張と警戒の色はあるが、彼らの剣が鈍る程ではないのだろう。

 

「埒が明かないな、これは」

 

 僅かに訪れた空白を埋めたのはキリトの言葉。

 彼はやや険しい面持ちをしていた。これまで誰にも勝る勢いで自己強化をしてきたのに、ここまで食い付かれた事が複雑なのだろう。自分も同じ立場になったら複雑になる。

 彼は二刀を使っていないし、《ⅩⅢ》などの特異な装備も封じたまま戦っている。そういう意味では全力では無い――――が、だからと言ってそれで納得出来る筈も無い。封じているモノがあるからと言って、必ずしもその状態が弱いとは限らないからだ。むしろ手数を限定したからこそ一極集中の強さを見せる事の方が多い。

 

「これ以上チマチマやっても意味は無い――――だから、次の一撃で幕だ」

「……わかった」

 

 そのやり取りの後、二人の剣から光と闇が更に溢れ出す。剣身全てがそれぞれの色に染まり切って尚足りないとばかりに噴き出す光/闇は、戦場となった広場を二色に染めていた。

 轟々と、二人から実体を伴わない圧力を感じる。

 二人の足元から同色の粒子が吹き上がる。

 

「魔剣、解放――――」

 

 チャキ、と大上段に剣が構えられる。すぐに振り下ろさないのは威力を上げるためか。

 

「……技の名を、お借りします――――」

 

 同期して、【黒の剣士】が同じ構えを取った。刃から純白の光が迸る、長大な刃を形成する。やや反りのある肉厚の刀身は忌まわしき獣王の大太刀を連想させた。

 スレイブの魔剣が内包する闇を放出するタイプなら、彼の剣は内包した光を刃として表すタイプなのか。

 

「フォールブランド……ッ!!!」

「零落白夜……ッ!!!」

 

 一歩の踏み込み、両者の声と共に、同時に振り下ろされる。

 

 瞬間、波濤と見紛うばかりに勢いで蒼白い光/赤黒い闇が放たれた。轟音を響かせて突き進む波濤は、相反する斬撃と衝突し、拮抗する。

 激しく鬩ぎ合う光と闇。蒼と紅、白と黒が乱舞し、大地を揺らす。暴風が吹き荒れた。

 互いに一歩も引かぬ鎬の削り合い。

 

 それを制したのは――――【黒の剣士】。

 

 スレイブがどのようなロジックで闇の斬撃を放ったかは知らないが、アルベリヒの言葉を聞く限り、あの黒き魔剣に付随する能力なのだろう。『魔剣解放』の文言が放出の鍵か。

 対するキリトの光の斬撃は、彼のイメージによって放たれたものだ。《狂月剣》のスキルは《両手剣》でなければならないが、今彼が手にしている剣はエリュシデータ、つまり《片手剣》なので、あの斬撃は逆説的に《ソニックスラッシュ》では無い事になる。必然的に《ⅩⅢ》の能力を活用して放たれたものという結論になる。無論、イメージの根幹は《ソニックスラッシュ》だろうが。

 一度放たれればプログラミングされた通りにのみ動くシステム的スキルと、イメージが続く限り際限なく放てるシステム外スキルとの勝負。それが今回は後者に軍配が上がったに過ぎない。

 徐々に勢いが衰える闇に対し、光はむしろ勢いを増す。

 競り合い始めてから数秒後、闇は光に食い破られた。怒涛の勢いで黒を侵食し、呑み込み始める。両者の中央にあった鬩ぎ合いが騎士の方へと近付いていく。

 

「く……ッ!」

 

 光の奔流に呑まれる寸前、スレイブは素早く飛び退いた。ギリギリではあったが完全回避したためノーダメージである。

 その隙を逃す剣士では無い。

 音も無く刻まれる歩は剣士の肉体を瞬転させる。数十メートルはあった距離を刹那の間にゼロへと詰めた。

 剣士の姿が克明になる。

 

 それすなわち、戦いの最中に剣士が足を止めたという事。

 

 剣士は騎士の喉元へ黒剣の切っ先を突き付けていた。対する騎士は、未だ体勢を立て直せておらず、反撃しようにも一拍挟まなければならない。

 喉は人体の急所だ。そこを突かれれば甚大なダメージを被る。多少のレベル差すら覆せるダメージを期待出来る。黒剣の剣身、その幅は騎士の喉の太さとほぼ同等、剣を突き出せば自動的に首が胴体から切り離される事になる。無論、そうなれば即死だ。

 互いの体力は一ドットたりとも削れていない。戦闘中、互いに一撃も掠っていないのだから当然だ。

 だが、勝敗は明確に決していた。どう解釈しようと明らかだった。

 騎士がどう足掻こうと、一片たりとも油断も慢心もしていない剣士に一矢報いる事も最早出来ない状況だった。

 

「俺の勝ちだ、スレイブ」

「――――ああ。そしておれの敗北だ……降参する」

 

 ポツリと。騎士が感慨深く、噛み締めるように、敗北を認める。

 システムはそれを認識したようで、デュエルの終了ウィンドウが出現。勝者と敗者を告げるウィンドウも虚空に現れた。

 騎士の魔剣から噴き出ていた闇も収まり、同様に剣士の黒剣に籠められていた蒼光も空気に溶ける。

 ――――瞬間、ワッ! と観戦者達が湧いた。

 静まり返っていた広場が歓声に満ち、大騒ぎとなる。びくぅっ、と少年二人が肩を震わせ、飛び上がった。

 戦闘時とは打って変わったかわいらしい反応に思わず笑みを浮かべる。

 その間に、観戦者達の歓声が耳に入って来た。

 

 ――――すげぇ、すげぇよ、何だよ今の?!

 

 ――――あのスレイブとかいうやつ、とんでもないじゃないか!

 

 ――――噂では【紅の騎士】を防戦一方にしたらしいぞ。

 

 ――――両手剣でか?! はー、あの速さなら納得だわ。

 

 ――――とんでもないダークホースじゃないか、こりゃ攻略も安定するかもな。

 

 観戦していた者達は口々に無名のダークホースであるスレイブを褒めていく。笑顔と興奮、希望に溢れた顔と声だった。

 腰の鞘に魔剣を納めた騎士は、やや照れ臭そうに頬を朱色に染め、視線を彷徨わせていた。威張り散らそうとしない謙虚な様が受けたのか、周囲の興奮の熱は更に加速していく。

 

「……むー……」

 

 その騎士の近くで、やや憮然とする少年。自分も頑張ったのに賞賛の声が一切ない事に複雑な想いがあるのだろう、誉めそやされる騎士に微妙な表情を向け、唇を尖らせていた。

 ボクの事が懸かっている戦いを制した事に対する賞賛の声はあるが、彼が求めているのはそれでは無い――――と思う。

 賞賛と、労いは、違うのだ。

 彼の武錬に敬意を表そう。

 彼の勝利に賞賛を贈ろう。

 そして、彼の行動に、労いを送ろう。

 その為に、彼の下へと駆け出し。

 

 

 

「――――ふざけるなァッ!!!」

 

 

 

 広場に響いた怒声で、足を止める。自分だけでは無い、広場を満たしていた歓声、希望、賞賛全てが途絶え、怒号の発信源へと意識が向く。

 

「何故だ何故だ何故だッ、何故また自分から降参したッ?!」

 

 足音荒く、激情も露わにスレイブへと近付く金髪の男アルベリヒ。ガシャガシャと白金色の煌びやかな甲冑を鳴らす。

 男の剣幕に、騎士は怯えの色を見せる。

 

「僕は何と言った?! 『今度は降参なんて許さない』と、そう言った筈だ! なのにまた自分から負けを認めるだと?! 全力ではないにせよ魔剣解放までして?! そこまで上等な装備があって、高レベルなのに負けるだと?! いい加減にしろ!!!」

 

 

 

 ――――このグズがッ!!!

 

 

 

 その罵りと共に男が籠手に包まれた拳を振るう。僅かに露出している肌、すなわち騎士の左頬が打たれた。白磁のように滑らかな肌から鈍い音が響く。

 空間を揺らがす剣圧にも耐えていた騎士は、その一撃でよろめいた。

 倒れはしなかったが、追い打ちのように男は怒号を叩き付けていく。

 

「……酷い」

 

 観戦していた女性プレイヤーの一人が、顔を顰め、所感を口にする。

 どれだけ腕が立とうとも、あれだけの小柄さでは年齢など誤魔化しようが無く。同様に見る側も勘違いしようが無い。見た目相応の幼さなのだと誰もが悟っていた。

 この異常なデスゲームの世界で、あれだけ戦えるに至るまでどれほどの経験をしたのか。

 最前線で戦って来た自分は、だからこそ想像がつかない。【黒の剣士】という例を知っているからこそ分からない。あの騎士の強さは断じてステータスに任せたものだけでは無いと理解しているからこそ考えられない。

 それでも、あの激戦を繰り広げた事は紛れも無い事実。事実だからこそ、その実力は疑いようも無い。ステータス任せの力押しならチートを疑えるが、技術が絡むのであれば、話は別。

 デスゲームとなったSAOで《始まりの街》に引き籠らなかったプレイヤーであれば、基本的に誰もが骨身に沁みた常識である。

 この世界で長く生きたからこそ、最近になって《ビーター》への偏見が改善され始めたのだ。ボスとの戦いが如何にステータス任せでは生き抜けないかを闘技場で理解したから。《ビーター》は、ただの卑怯者では無いと行動で思い始めたから。

 今回の戦いはどちらが勝ってもおかしくなかった。

 【黒の剣士】が《ⅩⅢ》を持っていなかったら。あるいは《ⅩⅢ》の能力を見つけていなかったら。または使わなかったら。

 勝っていたのは、スレイブの方である。

 

「……なぁ。今、圏内コードが出なかったよな」

 

 怒りに任せて悪罵を吐き続ける男を見て、また別の観戦者が言った。

 圏内コード。正式名称《アンチクリミナルコード》。

 ちなみに《圏内》は《アンチクリミナルコード有効圏内》の俗称である。

 《圏内》に居る限り、如何なる手段をもってしても他者のHPは減らせないし、意図的に体を押して移動させる事などの物理的接触も不可能になる。プレイヤーを護るバリアのようなもの、それが通称圏内コード。

 勿論ハイタッチとか、肩を組むとか、握手するとか、その程度であれば発動しない。あくまで『ダメージが発生するラインの物理的接触』を阻む場合にのみ発動する。

 先ほどアルベリヒが振るった拳は、音や勢いからして明らかにダメージ発生ラインに抵触している。だから普通なら圏内コードに阻まれ、紫色パネルに拳がぶつかり、衝撃だけ彼は受ける。しかしそうならなかったから疑念の声が上がった。

 デュエル中であれば解除されるものだが、しかし先ほどしっかりとデュエル終了のウィンドウが表示されたのを見たし、まだ三十秒経っていないから未だに表示されたまま。圏内コードの有効化は既に済んでいる。

 不審な点を見つければ、集団の間には瞬く間に伝播する。なまじあり得ないものであればある程それは早い。ざわざわ、と不審なものを見る眼が《ティターニア》へと向けられる。スレイブに対する眼だけ優しめなのがまだ救いかもしれない。加害者では無く被害者だからだろう。同じ組織に所属している以上、場合によってはそれも時間の問題かもしれないが。

 

「――――ユウキ、今の内に離れよう」

 

 その光景を見ている間にだろう。気付かない内にキリトが傍まで寄っていて、袖を引っ張っていた。

 

「……彼を見捨てる事になるけど、良いの?」

 

 チラ、と怒鳴る男と怒鳴られる少年へ視線を向ける。同じように一瞥した彼は、瞑目と共に頭を振った。出来る事は無いと諦観した様子に何も言えなくなる。

 理不尽に怒鳴られ、殴られる様。

 それに思うところがあるのだろう。傍から見ていて、アルベリヒとスレイブの関係は、アキトとキリト――――オリムラ兄弟の関係を想起させる。

 そこまで考え、察する。

 だからこそ、何を言っても意味が無いと諦観しているのか。

 

「……分かった。行こうか、キリト」

 

 どこか陰鬱な空気を纏った少年の手を取って、気取られないよう素早くその場を離れた。

 

 *

 

「ただいまー」

 

 あれからキリトのテンションが戻る事は無く、観光気分でも無くなったため午後二時になる頃には本部の宿屋へと帰った。デュエルが一時くらいだったから小一時間は見て回った事になる。

 一階フロアは故買屋兼喫茶店であるため、エギルは昼間は二つの店を掛け持ちで経営している。そのため中には当然のように褐色の巨漢が居た。ラフなシャツの上から黒緑色のエプロンを掛けている姿は存外様になっている。何だかんだで長らく見慣れた姿だ。

 その姿を見ると、ああ、帰って来たんだな、と思う。攻略から帰った後は毎度のように足繁く足を運んでいたからだろう。

 

「お、早い帰りだったな。というかお前ら一緒に出てたか?」

 

 カウンターで在庫確認か何かをしていたエギルは、首を傾げてこちらを見て来た。

 

「いや、別々で出てたよ。元々どっちも一人で行動してたんだけどね、昼前に合流したんだ」

「ほう。まぁ、今は七十六層と七十七層しか行けないし、行ける街も一つずつ。それだけ狭けりゃ街中で鉢合わせもするか」

 

 昔みたいにキリトはソロ攻略しないし、と片頬を釣り上げながら腕を組んで言うエギルに、キリトはややばつが悪そうに顔を逸らした。

 多分今後一生、SAOでのソロ攻略で心配掛けた事に関しては頭が上がらないだろう。

 その事に関してあまりしつこく言うのも可哀想だと思ったか、悪い悪いと言って、エギルはカウンター席にコーヒーの入ったカップを二つ置いてくれた。顔を見ればまたニヤリと一笑い。

 

「お代は格安価格でツケといてやる」

「ツケなんだ」

 

 コーヒー風の飲み物一杯で確か百コルだった筈。それくらいなら今すぐにでも支払うのだが。

 

「その代わりと言っちゃ何だが、頼み事があってなぁ。勿論礼はしっかりさせてもらうぜ」

「ツケの代わりにお礼ありの頼み事? キリトに?」

「おう。まぁ、ユウキにも手伝ってくれたら助かるんだが……その前にだ。さっきからキリトの反応が無いんだが、何があった?」

「何かがあった事は確信してるんだ」

「そりゃ、なぁ……」

 

 どこか呆れた風に、しかし優しげに笑みながらキリトへ視線を向けるエギル。

 ボクの右隣のカウンター席に座った彼は、両手でカップを持ったまま動かないでいる。視線も焦げ茶色の水面に固定されたままだ。

 此処に来るまで心此処に在らずだったし、これはかなり重症だなぁ……

 

「んー……ちょっと、厄介事があってね」

 

 あまり言い触らす事はしたくないが、しかし内容が内容だ、《ハラスメント防止コード》と《アンチクリミナルコード》が働かない存在など百害あって一利なしに等しい。人によってはそうでは無いが、アルベリヒ達に限っては正にそれだ。

 今日の昼に何があったかを話していくと、経緯を聞いていくにつれてエギルの顔がドンドン顰められていった。ちょっと怖い。

 

「《ティターニア》か。それに加え、『魔剣解放』と、キリトと互角の実力……」

「此処に帰って来る間に聞いたけど、『魔剣解放』の前に《ⅩⅢ》の能力は使ってなかったみたい」

「となると……素でキリトの筋力値と敏捷値に追い付いてた事になるな」

 

 キリトは《ⅩⅢ》の能力の一つ《風》を使う事で剣速と移動速度を高める事が出来る。剣を振るう、地を蹴るそれぞれの瞬間にジェット噴射の如く風を操る事で、加速を後押ししているというのだ。

 だからこそ彼は予備動作が小さい――すなわち最初の加速力が小さい――のに反し、姿を見失うレベルの速度を出せる。

 あんな速度、恐らく敏捷特化のアルゴやアスナですら不可能に等しい。

 しかしスレイブは互角の速力を見せた。《ⅩⅢ》を持っていない筈だから、それだけ図抜けたステータスを誇っている事になる。

 

「流石にキリトと同格のレベルはないと思うよ」

「それは俺も思う」

 

 ボクとエギルは、そこだけは違うと考えている。

 裏の人格がアキトに対し言っていたように、まず絶対的に時間が足りないからである。これまでSAOに居たなら絶対情報屋は把握している。それが無いという事は条件的にリーファやアキト達とほぼ変わりない筈。

 出来たとしても今の《攻略組》と同格になる程度。約倍のレベルを有するキリトと同格は土台不可能なのだ。

 では何故、スレイブがキリトと互角だったのか。

 

「だからと言ってリーファほど常識外れな技術じゃなかったし……」

 

 超高レベルのキリトと互角になるなら、最低限彼より上の技術を必要とする。しかし傍から見た限りでは技術も互角だった。ともすればリーファを思わせる動きをしていたキリトの方が上か。

 だから技術で勝っていた訳では無いと思う。

 そもそもプレイヤースキルで筋力値と敏捷値の差を埋められたらどれだけ楽か。その困難さを知っているから、リーファがキリトを完封した事が異常に映る。

 

「……まぁ、普通に考えれば装備の補正だよな」

「だよねぇ……」

 

 システム的なものに依存する以上、可能性としてはそれくらいしか無い。そしてそれが考えられる程度には《ティアーニア》の装備は高レアである。

 基本的にレア度が高い装備ほどステータス補正は大きい傾向にある。レベルの上がりにくさをそこで補っている形だ。

 しかし、全身を高レア装備で覆うとしても、果たしてキリトのステータスと互角レベルに達するのだろうか。仮に達するのだとすればそれだけ補正値が大きいという事だ。

 あるいは元のレベルが高くて、補正値込みで互角になったか……

 ――――尚、スキルによってステータス補正が掛かっている可能性だが、これがキリトとの差を埋めるものとは考えていない。

 スキルがステータスなどに影響を与えるものは派生要素を含めればキリが無い――《索敵》や《隠蔽》にすら僅かに敏捷値補正がある――が、補正を主としたものは《疾走》、《孤独》、《孤高》くらいしかなく、彼は当然この三つを完全習得しているのだ。

 《疾走》。これは移動速度を主として、熟練度に応じて敏捷補正を掛けるというスキル。基本的にスピードタイプのプレイヤーは誰もがコレを持っている。高レベルとなればほぼ全員と言って良い、それくらい分かりやすく強力なスキルなのだ。熟練度の上昇は移動速度と距離による。

 《孤独》と《孤高》だが、これは前者がコモンスキル、後者が派生エクストラスキルである。パーティー構成がシステム的にはソロ――つまりレイドは除外――の時、熟練度に応じて基礎ステータスを増大、また体力の残量が少なくなるにつれて一時的にステータスを上昇。当然だが後者の方が効果は上。熟練度はソロ時に討伐した敵百体につき一上昇する。完全習得するには百体×一千で計十万体を討伐しなければならない。

 コモン、エクストラの両方を完全習得しているため、彼はこの一年半で合計二十万体以上のMobを斬っている計算になる。それだけ取得経験値量も、レベル差補正で少なくなると言っても膨大だ。

 この全てを完全習得している故に、スキルに関しては同じ条件である以上スレイブが取っていたとしても差は埋めようが無い。だからスキル関連は除外していた。

 ユニークスキルも、ヒースクリフさんの話によれば実装されているものは武器スキル限定のようだから除外している。

 ――――だとすれば、キリトに無くてスレイブにある装備の差が決め手となる訳だ。

 

「多分、元々レベルもかなり高いんだと思う」

「その心は?」

「アルベリヒが怒鳴った時のセリフ」

 

 ――――そこまで上等な装備があって、高レベルなのに負けるだと?!

 

 このセリフは、強力な装備に加え、かなりの高レベルでなければ出ないものだろう。

 アルベリヒの主観による発言ではあるが、《攻略組》への参戦を一考する域なのだ、実際レベル80後半以上は固いと見て良い。その中でもスレイブが跳び抜けて高いのであれば納得だ。

 SAOの経験値配分は戦闘への貢献度、すなわちヘイト量や与ダメージ量などで決まる。パーティーを組んでいるからと言って何もせずともレベルが上がる訳では無いので、誰もが必ず戦闘を経験する。

 その中で効率化、すなわち技術というものが付いてくる。

 《攻略組》へ参入出来るレベルに達するには、それこそ尋常では無い戦闘回数を経なければならない。だから最低限度の戦闘技術は誰もが有していなければおかしい。

 それなのに拙かったからアルベリヒ達は失格を受けた。唯一、スレイブ個人を除いて。それが普段の戦闘でスレイブばかり戦っていて、アルベリヒ達は申し訳程度しか戦闘をしていなかったからであれば、彼のレベルが極端に高いのではという推測にも信憑性を帯びて来る。

 

「それにヒースクリフさんを防戦一方にしたというのもね」

 

 タンクは鈍重という印象が一般的には強い。それは実際外れではないが、高レベルプレイヤーともなればタンクであろうとそれなりの速度で動けるようになる。なまじレベルがキリトと共に三桁に達している【紅の騎士】の速力はかなりのもの。

 カウンター重視だから防御を重視するのは当然だ。

 しかし反撃を許さないとなれば、それだけ剣速も移動速度も必要になる。

 経験を積んだ随一のタンクが防戦一方。つまりそれだけの速度を誇っていたという事に他ならない。

 

「なるほどな……しかしキリト並みの剣士が他に居るなんてなぁ、世界は広いぜ」

「それには同感。正直キリトとホロウのキリトとリーファでお腹一杯だよ」

 

 システム的に強い剣士と技術的に強い剣士が揃っているのだ。強さを追い求める者として明確な目標が居るのは嬉しい事だけど、あまり強い人が居てもそれはそれで困る。

 あとスレイブの見た目がキリトと瓜二つというのもそれに拍車を掛けている。

 

「まぁ、スレイブはまだ良識がある方みたいだし大丈夫だろ。むしろ問題はそれ以外だ。ハラスメント防止コードと圏内コードが発生しないって致命的だぞ」

「と言ってもシステム的だからどうしようもないんだよねぇ……」

「いや、ユイちゃんに頼めば良いじゃねぇか。お前ら二人は《ホロウ・エリア》に行けるんだし」

「あー……」

 

 そういえばそんな手段があったなと、エギルの指摘で思い出す。

 確か【ホロウ・エリア管理区】のスタッフNPCのユイちゃんは、《ホロウ・エリア》のシステムを応用して《アインクラッド》のバグ修正アップデートを試みているという。その一環として《ティターニア》の調査を頼めばいい訳だ。

 確かキリトのモニタリングも続けていたという話だし、MHCPか一部のGM権限を用いれば《ティターニア》の監視や修正も不可能では無い筈。

 問題はどちらが向かうかだが――――

 

「キリト、どっちが《ホロウ・エリア》に行く?」

「ん……」

 

 選択は彼に任せる事にした。

 ホロウの彼と会う事を考えればボクが行った方がいいかもしれないが、しかしあちらには義姉のユイちゃんが居るし、サチもいる。行けばデメリットを被るが、メリットも十分あるのだ。むしろメリットは確約されているだけマシかもしれない。

 

「あー……俺としては、キリトには残ってもらいたいんだが……」

 

 黙考する彼に対し、やや言い辛そうに告げるエギル。

 

「そういえば、キリトに何か頼み事があるんだっけ?」

「おう。実はあと少ししたら俺は出掛けなくちゃいけないんだが、その間だけでも店番を頼みたいんだ。キリトは《鑑定》スキルをマスターしてるし、武具関連の査定も出来るし、《料理》スキルも持ってるからな」

「あー、それでキリトがメインで、ボクをお手伝いに……」

 

 確かにそれはキリトが主となる訳だ。

 故買屋という幅広い買い取り屋を営んでいるエギルの代わりをするなら《鑑定》は必須だし、買い取る武具や素材の相場も知っていなければならない。加えて喫茶店でもある訳だからその間に帰って来た人達の注文を聞いて、食べ物を出さないといけないから《料理》スキルも必須。

 ボクは《料理》スキルを持っているから喫茶店の方は手伝えるが、《鑑定》は持ってないから故買屋の方は手伝えない。だからお手伝いという認識だったらしい。

 

「というかボクが《鑑定》を持ってない事、エギルに教えた事あったっけ?」

 

 スキル構成は生命線に等しいので余程の事が無い限り人に教える事は無い。《片手剣》や《武器防御》、《投擲》、《索敵》など大抵の人が察せるものであれば、指摘されれば教えていたが。

 そんなこちらの疑問に対し、エギルは苦笑した。

 

「あのなぁ、攻略の度に鑑定してもらいに来てたら普通に察せるぞ」

「あ」

 

 そういえば、攻略中に手に入った詳細不明のアイテムの《鑑定》は、毎回エギルに頼んでいたんだった。すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 てへへ、と笑ってからこほん、と一つ咳払いをする。

 生暖かい視線を全て流しつつ、焦げ茶色の飲み物を飲み干してカップを返す。

 

「ありがと。お代はコレね」

 

 そう言って、ストレージから百コル金貨を二枚取り出し、ピンと指で弾く。店番を手伝えない以上はツケにも出来ない。しっかり払っておく事がマナーであり常識だ。

 利子が付く訳では無いが、忘れた頃に負債として何か頼まれるのはアレだし。

 その思考が筒抜けな訳は無いが、しかしある程度は読めたのだろう、弾かれた金貨を軽々とキャッチしたエギルはまた苦笑した。

 

「二枚、か。キリトの分もあるんだな」

「まぁ、キリトに対する謝意だよ。迷惑掛けちゃったからこれくらいはしないとね」

 

 彼のツケも払っておけば、店番を無理にしようとする事も無いだろう。若干ボクに対し後ろめたく思うかもしれないが、これは迷惑料なのだ、助けてもらったのだから気にしないで欲しい。

 本当は直接言った方が良いのだろうが、心此処に在らずと言っても会話は聴いているようだから構わないだろう。その証拠として『迷惑掛けた』の部分で若干振り返った。

 どこか揺らいで見える黒い瞳を見て、笑い掛ける。頭をくりくり撫でる。

 

「じゃ、行って来る。出来るだけ早めに帰って手伝うからね!」

 

 頭を撫でていた手を離し、振りながら宿を出た。

 キリトが店番をする事は疑っていない。だって彼はお人好し、一度懐に入れた人の頼みは基本的に断らない主義だから。

 リーファに正される前であれば、《ビーター》の悪評が云々言って請け負わなかっただろうが。

 その変化を感慨深く思いながら、転移門へと歩を進めた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 分かる人には分かる撃ち合い。

 スレイブが持つ剣の名は『魔剣フォールブランド』。直訳で『堕ちた剣』。だから魔剣。つまりFate/に於ける《エクスカリバー・モルガン》。

 ブランドは『剣』という意味です。

 エクスカリバーで調べると分かるのですが、アレ、結構呼び方がありまして。その中に『コールブランド』という呼び名があるのです。原作SAO八巻《キャリバー》編の最後の方でシノンも教えてくれます。

 他にはエクスカリボール、カリバーン(諸説ある中で同一視されてる場合)など。基本的には『エクス』『ブランド』『リバーン』などが付いております。その中の一つ『ブランド』を今回採用しました。

 だって名前まんまとか、作品違いの丸パクリは萎えるんだもの……

 同じ事だと思った方はそれが正しい。だって私も思っているから。

 ちなみに最初は『エクスカリバー』まんま、それはアレだなと思って『フォールンカリバー』になって、なんやかんや捻くりだして最後に『フォールブランド』になりました。

 尚、途中で『ラグナロク』とか聖剣関係ねぇ! な名前も出た。

 キリトの《零落白夜》は、ISを知ってる方は誰もが知っているブリュンヒルデ《織斑千冬》の十八番、《モンド・グロッソ》制覇を為す要素である単一仕様能力の事。ただし見た目はBLEACHの月牙を纏わせた斬月。

 勿論発生には《ⅩⅢ》の光属性の力を全力活用しています。システム的に発生時間の原則が存在しないので、魔剣の能力に頼ったスレイブが押し負けました。

 ちなみに名前を《零落白夜》にした理由と仮定。
1)『飛ぶ斬撃はエネルギー(のようなもの)』
2)『《零落白夜》は対エネルギー兵器』
3)『つまり《零落白夜》をイメージすれば勝てるイメージが強くなる=攻撃で押し負けない』
4)『でも自分は《零落白夜》の名前と効果を束博士から教えられて知ってるだけでテレビですら見た事はない』
5)『一先ずスレイブと同じ攻撃方法をすれば押し負けない筈』
 ――――こんな思考回路をしておりました。

 ちなみにリーファが魔法についての概念固定をしていなければ(魔法戦士の話参照)負けていたのはキリトだったりする。パワーとスピードが互角で、出せる引き出しで負けたら、そりゃあね(UBWから目逸らし)

 戦う意思が折れない限り尽きない戦闘能力って強いですよね……(恍惚)

 まぁ、リーファやユウキなどの実力勢は、使わせる暇を与えないんですが(無慈悲) むしろ目の前の剣士から別の事に僅かでも意識を割いただけで命取りというネ。

 では、次話にてお会いしましょう。


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