インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷・ユーリ・メリディエスです。

 今話でリズベット編終了です。まぁ、彼女は今後もちょくちょく出てきますが、キリトとの馴れ初めにあたるお話は今話で終わります。

 今話もオールリズベット視点でお送り致します。

 ではどうぞ。




第九章 ~闇と光~

 

 

 あたし達が穴底に落下した後、ユウキ達に救助を頼んだ。結晶無効化空間だったから転移結晶で脱出出来なかったのだ。キリトは自分だけなら壁を走って登れることを実践して、彼が上のユウキ達と細かい打ち合わせをして、また戻ってきた。ちなみに、その時は必要ない片手剣を壁面に刺し、ロッククライミングで下りるとき同様に少しずつ壁面を蹴っていた。

 今はキリトがストレージから出したランタンと小鍋、簡易調理キットと幾つかの紙袋が目の前にある。ダンジョンでの野宿用らしい。

 

「キリト、いつもこんなのを持ち歩いてるの?」

「何時襲われるか分からないし、俺は主街区を基本的に使えないから。あと、攻略組だと野宿とかダンジョンで夜を明かすのは割と日常茶飯事だよ」

「…………アスナやユウキ達からは、全然そんな話聞かないけど」

 

 朝早くに出て夕方には戻れるようにしていると聞いた気が……

 

「皆はほら、ギルドの定例会議とか、アルゴが出してる情報誌チェックとかしてるから。俺はその提供者だから、野宿しないと追いつかれて被害が出るんだよ」

 

 ざーっと雪を両手で子鍋にいれ、キットのかまどに乗せて溶かしてお湯にし、続けて小袋の中身をざらーと入れる。ドリンクは何か矢鱈と豪華な瓶から出した、しゅわしゅわなレモンイエローのワインっぽいものだ。

 

「これは?」

「【ファンタズゴマリア】。クリスマスイベントボス背教者ニコラスから手に入った数ある品の中でも、超級レアなアイテム。非売品かつ使用無制限の耐久値無限アイテム。一週間空けて誰かと一緒に飲むことでステータス・スキル熟練度が全て十上昇するんだ、一杯目だけだけど」

「ええ?! そんなアイテム……あたしに良いの?!」

「俺と友達になってくれたらね」

「…………友達?」

 

 何を今更と思ってキリトを見ると、彼は小鍋の上にある調理終了待機時間表示を、何をするでも無くじっと見ていた。

 

「俺が織斑一夏だと知っても、リズベットさんはただの一度も悪罵を投げてこなかった。俺自身を見てくれてるって、目を見て分かったから…………織斑一夏として振舞う俺を、それでも受け入れてくれたから。だから、リアルでは別名になってる俺だけど……リアルに帰ってからも、リズベットさんとは友達でいたいんだ。この飲み物は、俺がそう思った人と飲むって決めてるものなんだ」

「キリト…………あんた……」

「……嫌、かな」

 

 びくびくと怯えながらキリトは言って、こちらを上目遣いに見てきた。不安げに瞳が揺れているのは、恐らく今までの経験から来るものだろうなと思う。

 あたしは一も二も無く頷いた。

 

「良いわよ。友達になりましょ? 織斑一夏としてのあんたと、そして違うあんたとも」

「…………ありがとう」

 

 少し涙を滲ませながら、キリトはお礼を言ってきた。お互いにフレンド登録しあって、また笑みを浮かべあう。

 そこでぽーんと調理終了の音が軽やかになった。キリトがストレージから取り出した二個のスープカップにそれを注ぎ、湯気が立ち上るスープをいただきますと言ってずっと啜った。途端に口の中に肉と野菜の出汁が染み込んだ味が広がり、仮想の体が芯からぽかぽかしてくる。

 

「美味しいよ、これ」

「よかった……そう言ってもらえると嬉しい…………現実世界からずっと続けてきた、俺の唯一、ブリュンヒルデにも神童の兄にも負けないって誇れることだから…………《料理》スキル、頑張ってコンプリートした甲斐があったよ」

「ええ?! アスナ達でもまだ七百前後って聞いたわよ?!」

 

 攻略一辺倒なキリトが、何故定期的に休暇で時間を作っているアスナ達よりも早くコンプリートできると思って聞くと、彼はデスゲーム開始から三日後には《料理》スキルを取って、基本的に三食自炊していたらしい。余程の事が無い限りは欠かす事無くしてきて、去年の八月頃には既にコンプリートに至っていたのだとか。確かアスナ達はその辺から取ったから、それを考えてもキリトはかなり速いという事になる。

 まぁ、それも三食必ず作っていればそうなるわよねぇ、と思いつつ、しゃくしゃくとクッキーを食べ小さなカップに注がれた熱々のスープを飲んでいるナンを見て和む。途轍もなくスープが美味しいので、三杯食べてしまった。彼には凄く喜ばれたけど。一度も褒められた事が無いらしい。

 

「それって、新しい家族にも?」

「いや、前の家族だけかな。新しい名前を得てからはよく褒められてたけど、この世界に来てからは誰にも食べてもらってないから、一度も褒められた事が無いんだ。そもそも誰かと食事するのも初めてだし……」

「……そっか」

 

 そりゃ誰にも食べられてなかったら褒められはしないだろう。まぁ、今のこの世界のキリトに対する感情を考えると、それも仕方ないのだろうけど。

 

「前にサチのギルドにいたってサチから聞いたけど、その時にも振舞わなかったの?」

「出来るだけ距離を取るようにして、戦闘の指南しかしなかったんだ。だから日常的な付き合いは薄かった…………まぁ、サチだけちょっと事情があって違ったんだけどね」

 

 早速食べ終わったナンは、またもキリトがストレージから出した小さなベッドで、既にすやすやと布団にくるまって寝ている。和毛がとてももふもふしていそうで、途轍もなくもふりたい衝動に駆られた。流石に眠っていて嫌われたくないのでしないが。

 さて寝ようかという段階で、一つ問題が起こった。

 さっき知ったのだが、【ファンタズゴマリア】はあの超重いエリュシデータ二本分の重量、つまりあの魔剣の二倍もストレージを圧迫するらしい。結構なストレージ容量を持つのだけど、そのキリトでも寝袋は一つしか持っていなかったようだった。

 つまり片方は凍えるかのような積雪の穴底で寝なければならないのだが、そんな事をしてしまえば絶対にガチガチに体が凍る。仮想世界だから風邪は引かないとはいえ、やはり不快感は凄まじいだろう。

 

「……どうするの?」

「ん? リズベットさんが寝袋使えば良いんじゃないの? 俺は野宿に慣れてるから耐えられるけど、リズベットさんは無理でしょ? この寒い中で雪をベッドにするの」

「いや、キリトも無理でしょ」

「俺は氷の上で直に寝たことあるし」

「…………マジで?」

「大マジ。あれは何時だったかな…………ああそうそう。クライン達と一緒に氷の洞窟行ってさ、するとトラップで来た道を帰れなくなっちゃって、一日中道を探しても出られなかったんだ。だから野宿になったんだけど、クラインだけ寝袋がモンスターの襲撃で壊れちゃって。だから俺の貸した」

「クライン、子供に氷の上で寝かせたの?!」

「というより、俺が強制させた。俺くらいの背丈の人間が入れるくらいの隙間の穴が壁にあってね、そこは結構暖かかったから。でもクラインは入れないし、しきりに『寒ぃ、寒ぃ』って言ってたから。その疲労のせいで翌日の戦闘で使い物にならなかったら意味無いし」

 

 あくまで実利を最優先に考えるキリト。そうなると、今回はそれで返せるか。

 

「だったらキリト、あんたが尚更これ使いなさいよ。明日も帰りがあるのよ?」

「それを言うならリズベットさんもでしょ。インゴットに直して俺の武器群を鍛え直してもらわないといけないし、ここで手に入れる予定のインゴットから剣を作る依頼もしてるし。あとお店の方もあるし、俺のエリュシデータも流石に砥いでもらおっかなって思ってるし」

 

 うぐっと呻く。一瞬で論破されてしまった。このままでは本当にキリトに流されて、この子が雪の上で寝てしまいかねない。ここには小さな穴も無いのだから。

 

 

 

『その子ってね、暖かいんだよ。私、一緒に寝てもらったから分かるの。小さな体に、とっても暖かくて力強い光があるってこと』

 

 

 

 ふと、脳裏にサチの声が浮かんだ。何時だったか、彼女がギルドに力添えしてくれていた剣士の事で、顔を赤らめながら話してくれたことを。

 一緒に寝る。

 そうだ、それがあるじゃないの!

 

「キリト、あんた、あたしと一緒に寝なさい!」

「…………え?」

「あたしはそこまで体は大きくないし、キリトに至っては子供だから小柄でしょ。だから二人でもこの寝袋には十分余裕で入るわよ」

「い、いや、俺は、その」

「何よ。あたしが良いって言ってんのよ、知らない仲じゃないんだから構わないでしょ」

「そ、そういう問題じゃない気がするんだけどなぁ…………」

「明日インゴットが手に入らなかったらまたキリトが戦うんだし、手に入ったらあたしが頑張る必要があるの。どっちも可能性が有る以上、どっちも万全な体調にしておくべきでしょ」

「……………………」

 

 キリトが完全に黙り込んだ。がくっと頭を落とした所を見るに、あたしの力押しで折れたらしい。よっしゃ。

 そんな訳で無理矢理頷かせて、あたしはキリトとベッドロールの中に入った。とはいえ、キリトはあたしが寝ている方とは逆向きに寝ている。彼の艶やかな黒髪があたしの方にあって、さらさらでこそばゆい。というか、女として色々と羨ましい。

 

「キリト、髪凄くさらさらしてるわね」

「俺はあんまり好きじゃないんだけどね……」

「何で?」

「女尊男卑」

「あ、ああ……そういうこと」

 

 アインクラッドは男女平等のステータスになるから忘れがちだが、確かにISが発明されてから女尊男卑風潮が強くなっている。この世界でもそこそこの女尊男卑に染まった女性プレイヤーはいるが、圧倒的に男性が多い上に攻略の基盤は男性が握っているのが殆ど。

 そう言う意味ではアスナは女尊男卑の神輿に担がれそうなものなのだが、彼女は自力で全てを跳ね除けて攻略第一義、男女平等を掲げて活動している。これに賛同した男女のプレイヤーが多いのは既に想像できるだろう。女尊男卑主義だろうがそうでなかろうが、こんなデスゲームの世界からは誰だって生きて出たい筈なのだから。

 しかし、やはり性別や容姿は変えられない。つまりキリトは、尊い女子の容姿を持った男という事になるので、それで女尊男卑風潮で苦労してきたんだろう。女尊男卑を下らないと思ってそれなりに成長したあたしからしても、キリトの容姿は美少女のそれと全く変わらず、ある意味でアスナ以上の美しさがあるから、更に酷い仕打ちを受ける事は想像に難くない。それが織斑家の落ち零れだとかで元から差別されていたのなら尚更に。

 

「それなら髪を切ろうとは思わないの?」

「…………昔切ろうとしたら、新しい家族に涙ながらに懇願されて切れなかった…………」

「そ、それは……ご愁傷様ね……」

 

 もう本当にご愁傷様としか言えない。そして女尊男卑風潮で酷い仕打ちを受けていたのに、その姉とやらの願いを聞き入れることが凄いと思う。普通無理でしょ。

 

「…………ねぇキリト。攻略の話、してくれない?」

「? 何で? アスナ達から聞いてるんじゃないの?」

「人それぞれで面白いのよ」

「ふぅん…………とはいえ、俺は今までずっとソロだし、人と一緒にいないしなぁ……話せるほどの事が無いよ」

 

 そっか、と返すとキリトは小さく頷き…………少し経ってから寝息を立て始めた。少しでも多く睡眠時間を取る為に、彼はどうやら寝つきが凄く良いらしい。くぅくぅと可愛い寝息に合わせて、肩も軽く上下している。相変わらずエリュシデータは抱えたままのようだが。

 あたしは彼の方を向いたまま、彼の肩を抱いた。胸に抱えられるくらいに小さな肩はぴくんと反応したが、また規則的な上下を始める。

 穏やかな寝息を子守唄にして、あたしも意識を眠りの波へと委ねた。

 

 *

 

 

 

 ――――誰か……助け、て…………

 

 

 

 子供の声がして、はっと目を開いた。

 けれど、視界に広がるのは黒いもやしかない空間で、凍えるほどの寒さと雪景色は一つも無かった。そこにあたしは一人ポツンと立っていた。

 

「ここ……どこよ」

 

 視点を下げると、キリトと寝る時となんら変わらない服装、いや装備だった。夢なのかとも思ったが、それにしてはいやに意識がハッキリしすぎている。そもそも夢なら夢で、これは何の夢なのだ。

 腕を組んで考え込んでいると、途端に黒いもやが晴れた。見慣れないが、明らかに現代都市といった風情の町並みが現れ、同時に現代風の服装をした懐かしい人通りが出る。けれど人は誰一人としてあたしを見ず、また、あたしの体への干渉が無かった。透けたのだ。

 何なのだと思って歩いていると、やはりそれにあわせて町並みも変わっていった。歩いていくと、商店街らしいスーパーやデパート、野菜店や肉屋などが並ぶ風景が現れた。商店街の店名には、一様に『神奈川県横浜市』とあった。横浜にしては少々田舎のような気がしないでもなかったが。

 やはり誰もあたしに気付いてないなぁ……と思いながら歩いていると、ふと、人だかりが裏道に出来ているのを見つけた。大人と子供、どちらかというと大人の方の数が多い、全員あわせて二十人くらいだろう。その目つきは剣呑そのものだった。

 

「……? 何かしら」

 

 何か妙な予感を感じつつ近づくと、その会話内容も聞こえてきた。

 

『――の屑が! とっとと失せろ!』

『何で――の出来損ないがここを歩いてるんだぁ?!』

 

 その言葉と共に足で何かを蹴っている大人と子供達。いや、子供達は石を投げている。大人の中には一部が赤黒く滲んでいる木の棒を持っている者もいた。

 その人だかりの中心には、ボコボコに袋叩きにされている黒髪の子供が一人。上下黒の半袖長ズボン、後ろ腰に届かないくらいの長さの黒髪を持つ子供は、間違えようも無い、キリト本人だった。けれどあたしが知るキリトよりも更に小さい。

 

「キリト?! あんた、大丈夫?!」

 

 大慌てで駆け寄って助け起こすために腕を掴もう――――として、あたしの手が彼の腕をすり抜けた。続けてあたしの体を大人の男の足がすり抜け、キリトを蹴り飛ばす。キリトは近くのコンクリートの角に後頭部をぶつけた。

 彼の頭から、血が流れた。それを嗤う声が響く。

 

『おいおい、天才の姉や兄なら、これくらいで血を流したりしないぜ?』

『無理無理。こいつは――の落ち零れ、較べたら可哀想だろ?』

『それもそうか、こんな屑に較べられる家族が可哀想だな』

 

 そう言いながらも較べ続けて見下し、暴行を繰り返す少年と男性達。あたしが幾らやめろと叫んでも、全く届いていない。

 あたしは理解した。これはキリトの過去の記憶、彼が見ている夢なんだと。あたしには絶対にこんな光景を見た覚えが無いし、見たら多分助けていたと思う。だからこれは、何故あたしが見ているか分からないがキリトの記憶なのだ。

 この後数十分にも渡って暴行を加えられたキリトは、近くに落としていた袋の食べ物を確認してふらふらと覚束無い足取りで歩き出した。血はシャツの端を破って頭に巻くことで応急処置として止めていた。あたしは勿論、その後ろを付いて行く。

 暫く歩いていると、唐突にキリトの即頭部に石が投げられた。慌てて横を見れば、にやにやと笑っているキリトよりは年上らしき男子が数人いて、続けて石を投げる。それをキリトは、一切の抵抗を見せずに受けていた。更に血を流すも、そのまま住宅街を歩いていく。それでも食材が入っているらしい袋には、一滴の血も付いていなかった。

 また暫くして、キリトはある一軒の玄関へと入った。あたしは閉じる扉に合わせて入り、靴はとりあえず脱がなかった。床はちゃんと透けずに踏めていて、なんとなく安堵した。

 

『ただい――――』

『どけよ屑!』

 

 食卓らしい所に入ったところで、ちょうど出るところだったらしい年上の(それでも今のあたしよりは小さい)男子が罵りながらキリトを蹴り飛ばした。

 テレビで織斑千冬を見たことあるが、なんとなく面影が有るから、こいつが神童と呼んでいた兄なのだろうというのは察せた。

 

『お前帰るのが遅いんだよ! 何してたんだ、アア?!』

 

 ガンガンッ、と腹を連続で蹴っては暴言を吐き散らす兄。暫くして気が済んだのか、足をどけて歩き出した。廊下をこちらに歩いてくるので、あたしはなんとなく触りたくなくて壁に背中をつけてやり過ごす。

 

『とっとと飯作れよ。千冬姉がもう少しで帰ってくるから。あと、風呂もな』

『うん……』

『ふん……何でこんなヤツが弟なんだよ』

 

 足音荒く階段を上がって行った兄。

 キリトは更に勢いを増した出血を先に風呂場の水で流して処理して血を止め、包帯を巻いた。ついでにと風呂のお湯を抜いて出て、食材の袋を食卓のシンクに入れて水で汚れを取る。その間にまだ乾いていない廊下の血を拭っていた。

 テキパキと流れるような作業。手が届かない所は椅子を使って取り、コンロで火を使う際も同じ。冷蔵庫から食材を取り出して料理していき、たった二十分で一通りの食事が出来てしまっていた。その後据え置き電話で内線を鳴らしてから風呂掃除へと向かう。

 兄はキリトが念入りに風呂掃除をしている間、テレビを見ながらご飯を食べていた。美味しそうではあるが、まだ小学生になっているかどうか分からないくらいに小さい子が作る料理にしては、手が込んでいる。込みすぎると言えるほどだ。流れるような作業も、いつもの如くと言えるほど慣れていた。

 兄は二十分ほどで食べ終えると、食器はそのままにしてまた二階に上がって行った。それを見計らったかのようにキリトが風呂掃除と、そして洗濯を終えて食卓へ戻ってきて、兄が完食した後片付けを始める。

 

『今帰ったぞ』

 

 その言葉と共に、女性――――織斑千冬が帰ってきた。ダークスーツに身を包んだ怜悧な女性で、よく記憶に鮮明に残っているなと思えるほどだった。

 姉がキリトの傷を見て、顔を顰めた。

 

『――、その頭の傷は?』

『階段で転んだ』

 

 いや、その痣と傷は階段で転んでもどうやっても付かないでしょう、と子供特有の嘘の稚拙さに呆れ苦笑をしていると、姉の反応に愕然とすることになった。

 

『そうか。お前は秋十と違って鈍いのだから、気をつけろよ』

 

 …………全く疑っていなかった。嘘でしょっ? と何度も顔を見るも、やはりそこに疑念を持っている様子は見られない。

 キリトは姉のために再度作っておいた食事を並べ、それを姉は無言で食べ、キリトはその間に洗濯物の取り込みを始める。

 

『――、お前は食べたのか?』

『うん』

『そうか』

 

 またも嘘を吐いたが、しかしまたも姉は疑わなかった。シンクを見れば、一人分の食器しか水に浸けられていないというのにも関わらず。

 丁寧にいただきますとごちそうさまを言った姉は、書類やら何やらを持って再び外出した。どうやら仕事があるらしく、それでも食事のために帰宅したようだった。

 暫くすると、兄が着替えを持って降りて、風呂場に入った。キリトはその間に残り物のご飯でお握りなど、日持ちがする食べ物を作って冷蔵庫にパックして入れていき、更に残ったものを姉と兄以上のスピードで食べる。明らかに味わうのではなく、栄養を取る為の作業だった。

 兄が風呂から出て二階に上がってから、キリトもお風呂へ向かった。服を脱いで裸となった時、あたしは目を剥いた。体中に、子供の柔肌に隙間無く裂傷や痣が無数にあったのだ。服で隠れて見えない部分が殆どで、見える部分は頭くらいだった。

 

「何、なのよ…………どんな子供時代よ……?!」

 

 お風呂、睡眠、翌日起きての行動。登校、学校、下校、買い物、帰宅してからの行動。何日も何日も同じ事の繰り返し。悪罵を投げられ暴力を振るわれ家族も冷たいと散々だった。キリトの目は虚ろな闇を持って、光を喪っていた。

 そして時は過ぎ、第二回モンド・グロッソの日、キリトは兄とは別々で誘拐された。ロシアまで連れて行かれ、一緒のところに捕まるも、兄はキリトに犯人達の気が向いている間に逃げ出した。

 

『秋兄! 助けて!』

 

 あれほどまでに暴行を振るう男をまだ兄と呼ぶなんて……とどこか憧憬にも似た感情を抱いた。兄は肩越しに振り返り、キリトに、最高の笑みを見せ――――

 

『僕のために死ねよ、落ち零れ』

 

 そして、最悪の言葉を言い放って絶望の底へと叩き落とした。誘拐犯達は慌てて追いかけるも、しかし矢鱈と狡賢いのか即席の罠を仕掛け、外のバイクを盗んで逃走した。一夏を見捨てて。

 キリトは柱に縛り付けられたまま、動かなくなっていた。茫洋と焦点の合っていない状態で、瞳はもう何も映していなかった。

 

『…………織斑千冬を棄権させようとする作戦がフェイルした以上、俺らの指令も終わっちまってるしなぁ…………このガキ、どーすっか……』

 

 ぽりぽりとヒスパニック系の黒髪の男が顎を掻き、しゃーねぇかと言ってキリトの縄を解き、担いでどこかへと向かった。

 

 

 

『い、やだ、来るな来るな来るな!!! いや、だ……あ、ぎ、ぅあ……ぁぁぁぁぁぁあああああああああああああッ!!!!!!』

 

 

 

 研究所らしき所にキリトが連れて行かれ、酷く心に響く絶叫が響き渡り――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――はっ?!」

 

 あたしは、目を覚ました。荒い息で周囲を見ると、雪が降り積もった穴底だった。既に朝なのか、穴の中が明るい。

 腕の中に、キリトはいなかった。どこに行ったのかと顔を巡らせると、少し離れた所で昨夜の夕食と同じような作業をしている姿があった。

 それが、夢で見た更に幼い彼と、被って見えた。

 

「っ……!」

 

 ずきん、と胸の奥が疼いた。鋭い針が刺さった時のように、酷く鋭く深い痛みだった。思わず涙が出てきてしまう。

 

「……リズベットさん?」

 

 キリトの声が聞こえた。彼はこちらを不思議そうに見ていて、あたしは慌てて首を振った。わざとらしく欠伸をして涙を誤魔化すようにして、ベッドロールから体を起こす。

 

「お、おはよう」

「おはよう。凄かったよ、リズベットさん」

「…………何が?」

「俺が動いても全く起きなかった。身じろぎもしないから、昨日凄く疲れてたみたいだね」

「そ、そりゃそうでしょう。キリトが死に掛けたのもそうだけど、こんな経験無いんだから」

 

 多分それは、あんたの過去の夢を見ていたから…………そんな事、口が裂けても決して言えない。この世界を織斑一夏として生きて、脱出したら織斑一夏の全てと決別しようとしている彼には、絶対に。

 幸い、キリトはあたしが浮かべていた涙にさして疑問を持たず、また美味しいスープを振舞ってくれた。昨日よりもハーブが効いている気がして、風味も変わっていたけど美味しかった。

 食べ終わってベッドロールやランタンも片付けて、さあどうしようかとなった。正直暇なのである。

 

「ここって本当、一体何なのかしら」

「さあ…………プレイヤーを落とす為だけの穴……とは、正直考えづらいんだよなぁ……それなら穴底に氷柱を逆さに敷き詰めれば即死するんだし」

「じゃあ、この穴には何かヒントがあるってこと?」

「じゃないかな。そもそもそのためだけの穴なら壁も破壊不能オブジェクトにすると思うよ。俺の剣が刺さったから、多分何かしらの意味があると思う」

 

 確かに、プレイヤー殺しの穴なら全てを破壊不能にすれば、決して出られず死ぬだけだ。つまり逆に言えば、それが為されていないこの穴には、何か隠されているとも言える。

 

「…………一応言うけど…………掘ってみる?」

「…………一応訊くけど…………どうやって?」

「ちょっと壁際に下がって」

 

 そう言われたので下がると、キリトはエリュシデータを抜いた。漆黒の刃が、絶望で自失していた幼いキリトの瞳の闇を思わせた。

 キッと目つきを鋭くしたキリトは、その場で跳躍し――――

 

「せ……らあああああああああああ!!!」

 

 空中で地面に向かって神速で剣を振り、暴風を撒き散らした。ドッパァァァァァァァンッ!!! と雪が破裂したように吹き上がる。

 積もっていた雪が全て払われた底には、キラキラと光る結晶がチラホラと見えた。見覚えの有る直方体のそれは、インゴットのそれだ。澄んだ蒼に煌くそれを掘り返してタップすると、【クリスタライト・インゴット】と表示された。あたし達が求めたもので間違いないだろう。

 イベントでは『ドラゴンは水晶を齧り、腹の中で鉱石を精製する』と言われていたのだから。

……この時点で出自を朧気ながらに悟ったが、この子は気付いていないようだったので黙っておく事にした。

 

「あった……これね、きっと」

「だね。あとは脱出だけだけど…………あの黒い影、何かな……穴の入り口に影があるけど……」

 

 言われて天を仰げば、徐々に大きくなる影があった。ドラゴンだ。

 

「「き、来たぁぁぁぁあああああああッ?!」」

『グオアアアアアアアアアアアアアア!!!』

 

 自分の棲み処にいる侵入者に怒っているのか、ドラゴンは凄まじい咆哮を上げながら降りてきた。どうしようとメイスに手を掛けていると、ふと、キリトがあたしの腰を抱えた。

 

「え? キリト?」

「口を閉じてて、舌を噛むよ」

 

 言われて閉じた直後、ズバンッ、と音を立てて走り始めた。壁を横に回っているらしく、速度が速いのかドラゴンが首を回す速度が追いついていない。

 そして少しの浮遊感、続けてずがんっ、という音とドラゴンの悲鳴が続き、全てを置いて行かれそうな速度の上昇感が襲ってきた。暫くしてから再び浮遊感が襲う。目を開けると、朝陽が山の境界線に掛かって輝いていた。あたしとキリトは手を繋いだ状態で落下していっていた。ナンはキリトのコートに爪を立ててどうにか付いてきていた。

 雪をショベルカーの様に掻き分けながら着地した。村に戻ると、丁度ユウキ達が来た所だった。

 

「二人とも?! どうやって脱出したの?!」

「あの穴はドラゴンの巣で、朝になったら帰って来た。リズベットさんを担いで背中に剣ぶっ刺して、巣から出たところでスカイダイビング」

「あ、ああ、なるほどです…………よく無事でしたね?」

「ま、まぁね…………驚いたわよ、本当に」

 

 ランに心配そうな目を向けられ、あたしは苦笑しながらそう返した。三人はとても長いロープを見つけ、それをどうにかこうにか短いロープと合わせて長くして、ストレージに入れてこっちに来ていたらしい。三人の努力を不意にしてしまってあたし達は謝ったが、三人は無事だったから良いよと言って許してくれた。

 このまま街に帰るとキリトがヤバイので、転移結晶を使ってリンダースへとあたしとキリトは帰った。三人は攻略に行くらしい。昨日休んだから、今日は行くと言っていた。

 

「ただいま――――ッ!」

「お帰りなさいませ」

「うん、店番ありがと」

 

 一日も経ってないのに店に帰ると、なんだか郷愁めいたものを感じた。NPC店員に挨拶してから後ろを振り返ると、相変わらずショーケースを見るキリトとナンの姿。

 

「さて……それじゃ、早速やるわ。キリト、あんたの武器をインゴットに鋳直すから、全部貸して。あのインゴットと、エリュシデータもよ」

「わかった。でも急ぐわけじゃないから焦らなくても……」

「良いのよ。どの道注文無いし」

 

 事実、昨日の昼にキリトが来た時で丁度注文の品は鍛え終えているし、取りに来る人も今日は誰も無い。事実上キリトの貸し切り状態なのだ。自分で言うのもなんだがあたしは引っ張りだこな有名鍛冶屋なので、時間がある時にしておかないと後回しになってしまう。それにキリトはアインクラッドきっての攻略組だ、あたしが手早く仕事をする事で、それだけ早くクリアが成ると言っても良いのだ。

 そう説き伏せて工房に移動する。気合を入れ直すために、まずキリトから受け取ったエリュシデータを研磨し、次に漆黒の武器群をインゴット――――ルーナティア・インゴットやダークネス・インゴットなどに鋳直し、続けてそれらを一個一個丁寧に鍛錬していく。キリトとナンはそれをじっと見ていた。

 次々に鋳直したインゴットを武器――やはり色は漆黒――へと変えてこなしていき、とうとうクリスタライト・インゴットを鍛える段階までこぎつけた。ここまでで昼を回って既に夕方に差し掛かっている。店と隣り合わせになっている薄暗い工房に、茜色が差し込んでいた。

 

「リズベットさん……流石に休んだ方が……」

「ううん、今が一番気合入ってるから、このままやらせて」

「…………じゃあ、お願いします……リズ」

 

 初めて、キリトに愛称で呼ばれた。彼はそれを自覚しているようで、かなり顔を赤くして俯いて、そして小刻みに震えていた。

 恐れているのだ、あたしの事を愛称で呼んだ、その反応に。人を信じきれなくなってしまって、けれども手探りでどうにか信じようと、接しようと頑張っているのだ。なんといじらしい子なのか。

 

(本当…………何で、こんな子が、虐げられるのよ……)

 

 あたしは反応を待っているキリトに近づいて、ぽんと頭に手を置いてゆっくり撫でる。キリトは少しずつ、少しずつ顔をそろそろと上げた。あたしと目がばっちり合い、途端に強張る。

 あたしは出来るだけ自然なように、膝を折って視線の高さを合わせてから、安心させるために笑みを浮かべた。

 

「やっと、愛称で呼んでくれたわね」

「……え?」

「友達になったんだから、何時になったら呼んでくれるかなってちょっと期待してたのよ? もしかしたらずっと呼ばれないのかなって思いもしてたんだから」

 

 これは本当の事だ。強制するつもりはサラサラ無かったが、それでも呼んでもらえないのは淋しいものがある。以前のあたしなら、きっとこの依頼を終えた後に頼んでいただろうけど、キリトの過去を意図的でないにせよ垣間見たあたしには、それは出来なかった。

 だから呼んでもらえないかもと思っていたのだけど、キリトから呼んでくれたから内心凄く嬉しかった。

 受け入れられて、信頼されたと思えたのだ。あたしはキリトに恐れられる人間じゃないって、そう思えた。だから嬉しかった。

 

「これからは遠慮せずに、愛称で呼びなさい。良い?」

「う、うん……」

「よし! なら、キリトの剣、とびっきりの最高傑作にして渡してあげるわ!」

 

 すぐ目の前で立ち上がったあたしの言葉に目を見開いて固まるキリトを置いて、あたしは金床(アンビル)に赤々と熱された本命のクリスタライト・インゴットをヤットコで挟んで置いた。そして両手でスミスハンマーを持ち上げ――――力いっぱい、心を込めて振り下ろす。

 カァンッと音が高々と鳴り響き、黄色ではなく蒼い火花が散った。続けて振り下ろし、今度は黄色、次は紫と火花の色が変わっていった。

 それはまるで、虹の輝きのようだった。次々と色が変わっていき、途中で二色、三色と複数色同時に出てくるようになり、終いには七色どころではない光がインゴットから放たれていた。今までに無い魔法のような現象に、あたしは感無量ながらも冷静に鎚を振るい続けた。

 今まで見たことが無い現象を見て、今までのあたしならぴたりと動きを止めるか、込める想いがグラついたりしていただろう。

 けれど、今のこの魔法はキリトに対する想いの光だと信じていた。むしろ嬉しかった。キリトのような純粋な子に、特別ともいえるインゴットから剣を鍛え上げて渡せるのだから。

 あたしは正直、キリトという子の過去を舐めていた。虐げられているのは知っていたし、それもいじめなのだろうと思っていたがとんでもない、あれはもう迫害だ、差別どころではない。家族からも理解されず、周囲の人間は全て敵の環境に身を置いて、誘拐されて助けられずに研究所に連れてかれて、何をされたかは知らないけどここにいる。

 キリトは、あたしが知る限りでは重い何かを背負っている。それはクリスマスイブの日のキリトを見れば一目瞭然だし、雪山の山頂でのあの様子、穴に落下している時の自己犠牲的な対応から考えても、人の死を経験している事しか考えられない。

 

 

 

『…………もう、仲間が死ぬのは嫌だ……』

 

 

 

 泣きそうな顔で搾り出すように発した言葉に、彼の全てが集約されていた。あんな辛い過去を経験して、どうして自分の命よりもまず人の事を考えるような純粋な子に成長したか分からない。

 いや、むしろあんな経験をしたからこそ、なのかもしれない。酷い仕打ちを受けてきたからこそ、他の人がそれを受けるのに耐えられない。だから自分を犠牲にしてでも阻止しようとして護る。それに対して、悪意が返されることを理解していて尚し続ける。

 なら、誰がこの子を支えるというのだ。ほんの一握りしかいない味方は、彼の過去の軌跡だ。理解してくれる人は一握りしかいない事に、何時か絶望してしまうのではないか。後ろを見て、竦んでしまうのではないか。握る剣で奪ってきた命に、怯えてしまうのではないか。

 そしていつか潰れてしまうのではないかと思うと、想像するのも恐ろしい結末になってしまうとしか思えなかった。

 なら、あたしも彼を支えよう。彼を理解し、背中を押そう。キリトという少年が振るう剣を鍛え、彼を支えよう。彼が背負う重みを、少しでも背負おう。

 それが、今まで無形の支えと助けを差し伸べてくれた少年に対する、あたしなりの想いだ。

 かぁんっ、と鎚が煌々と光輝を発する輝石を叩き、一際その光輝が強まった。思わずあたしは腕で目を庇う。

 暫く光が眩く煌き続け、そして収束した。金床の上には、一本の華奢な翡翠の剣が生まれていた。

 柄から峰に至るまでが澄んだ翡翠色で、刀身は峰に行くにしたがって淡い燐光を持っているようにも見えた。若干の白みも帯びていて、そして僅かに峰の直前で膨らみがあった。鍔は左右へ氷柱のように鋭く尖っており、そして翡翠色ながらも七色の光りを帯びている宝石が嵌められていた。

 あたしがそれを持とうと両手で柄を握り……しかし、エリュシデータと同じように持ち上がらなかった。見た目の華奢さに反して異常な重さだ、必要な筋力値も余程なものだろう。つまり、それほどの名剣。魔剣エリュシデータにも劣らない、謂わば聖剣だ。

 持ち上げるのは仕方なく諦め、あたしは剣身を右手でぽちっとタップしてウィンドウを出した。

 

「銘は【ダークリパルサー】、闇を祓う者っていう意味ね。キリトにお似合いじゃない」

「何で?」

「エリュシデータには解明者っていう意味があるでしょ? 解明者っていうのは、つまり理解者。暗闇を祓うんだから、それを解してる人じゃないと相応しくないじゃない。一方的に祓われるのは不愉快だし」

「そう、なのかなぁ……………………その剣、持って良い?」

「良いわよ。元々キリトの剣だしね」

 

 重いわよと付け加えてあたしは壁際まで下がった。キリトは左手でダークリパルサーの柄を握り、片手で持ち上げてしまった。けれどもあたしの最高傑作のときとは違い、少し力を込めてゆっくり持ち上げている。

 あたしが下がっている事を確認した後、工房の空間目掛けて剣を振るい始めた。剣閃が僅かに虹色を帯びているように見えるのは、あたしの目の錯覚だろうか。

 

「ふッ!」

 

 キリトは翡翠の剣を鋭い呼気と共に振り抜いた。ソードスキルを使っていないのに、空間を神速で斬り裂いて破裂音を響かせる。キリトは振り抜いた姿勢から戻って、あたしを笑顔で見た。少し興奮気味に明るい笑顔だ。

 

「リズ、これ凄いよ! すっごく手に馴染む!」

「そう? ……あたしの心、込もってるかな」

「込もってるよ、絶対! だって暖かいから! ありがとうリズ!」

「そ、そう……どういたしまして」

 

 興奮気味に華やいだ満面の笑みを向けてお礼を言われ、あたしは少し顔を赤くしながらそれを受け取った。

 キリトも大満足の出来にあたしも満足し、ダークリパルサーの鞘を拵える事にする。馴染みの細工師から一括で入荷している鞘の一覧を睨み、リズベット武具店のカッパー色のハンマーが箔押しされた漆黒の鞘を出し、キリトに渡す。

 キリトはパチン、と音高く鞘に収めてから大事そうに抱えていた。

 

「…………ねぇキリト。ちょっと聞いて良いかしら、二本も同じような剣を持つことについて。どうしても二本使う事のメリットとデメリットが釣り合わない気がするのよ」

 

 やっぱりただ二刀流による通常技にメリットがあるからと言って、わざわざマスタースミスを探すほどでは無いとしか思えない。ボスに通常技だけで抗しきれるのなら苦労しないだろうと思ったのだ。

 

「…………まぁ、リズだし良いかな。他言無用だからね?」

 

 ちょっと下がってとまた言われ、再び壁際まで後退する。するとキリトは背中に交叉するようにダークリパルサーを背負い、右手にエリュシデータ、左手にダークリパルサーを持った。

 やっぱイレギュラー装備状態になるわよねぇ……と思って見ていると、ちらりとこちらをキリトは見て、すぐに眼前の空間へと視線を戻す。途端、二刀が蒼白い光を帯び、キリトによる超神速連撃が開始された。残像すら見切るのが難しいくらいに迅く、無数の蒼白い剣閃は前方の空間へ叩き込まれていった。

 

「せらァッ!!!」

 

 最後、キリト渾身の左直突きが入り、ズッパァァァァンッ! と空打ちにも関わらず空気が破裂した。そこで二刀を包む光が消える。

 二刀を収めたキリトはこちらを、ダークリパルサーをストレージに格納しながら見てきた。

 

「……こういうわけです」

「なーるほど、そういうわけ。そりゃ他言無用なのも頷けるわね…………それはそうと、ダークリパルサー、使わないんだ?」

「まだ時じゃないからね、必要になったら出すよ。エリュシデータほど馴染んでるわけじゃないから、もう少し俺が慣れないと力を引き出せないし」

 

 そっか、とあたしは短く返した。

 馴染み。それはあたしの中で、武器を鍛える時でもかなり重要視している要素の一つだ。正確には想いとも言える。

 あたしはダークリパルサーに、キリトに対するありったけの想いを込めた。それがシステム的な精錬過程に何か作用するというのはオカルト的な話だけど、でもあたしはその説を信奉している。あたしが武器に、そしてそれを振るう人に対する想いを込めるほど、武器は強くなると。事実キリトに鍛えたダークリパルサーは、正真正銘あたしの最高傑作の品だ。

 キリトが試し振りをした火焔を纏っているかのような剣は、スピード系の鉱石を使っているから一概にも言えないが、少なくとも手に入る階層は六十二層だ。クリスタライト・インゴットのレアリティを考えると中々批評は難しい所だが、十階層ごとにアイテムのレアリティと性能がガラリと変わる特徴が有るアインクラッドだから、レアリティ抜きに考えるとあの剣とダークリパルサーのインゴットに差はあまり無いと考えられる。

 となると、やはりここであたしが込める想いが差を作るのではないかと想う。現にあの剣は特定の誰かではなく、売り物として鍛えたものだ。対してダークリパルサーはキリトという愛らしい子限定に鍛え上げた。

 やはり想いが篭っている鎚ほど差を作るものは無いと思う。それは恐らく、他の事にも言えるだろうなとも。

 あたしの想いがキリトの支えになったら良いなと思いつつ、さて! と声を上げて気持ちを切り替えた。

 

「金額の交渉といきましょうか!」

「とても良い剣を鍛えてもらえたし、多少高くても良いよ? …………何なら、これで借金もチャラにする?」

 

 ……………………あら?

 

「ちょっと待ってキリト。あんた何で借金のこと知ってんの?」

「いや、だってアスナに頼まれてお金用意したのって俺だし……」

「…………三百万コルを? 一人で?」

「だって俺、攻略組きっての最強ソロプレイヤーだよ? リソース独り占めしてるから……」

 

 なるほど、と納得した。アスナが言っていた事はそういうことか。

 確かに最前線のレアドロップも含めて独り占めのソロをしているキリトなら、余裕で無くとも節制すれば普通に溜まるだろう金額だ。

 

「つまり、キリトのお陰でここにリズベット武具店を開業できたってわけね」

「……そうなる、のかな? 実際はアスナを介してだから、アスナがいないと同じだったような……」

「…………まぁ、両方いなかったら出来なかったってわけね。とりあえず、そうねぇ…………うん、やっぱどっちもタダで良いわ」

 

 それを言うと、キリトはぽかんとした。ナンのきゅるん? という声が可愛い。

 タダで良いとは言ったが、それも一応理由がある。とはいえ、あたしの勝手なのだけれど。

 

「あたしね、今回の事でわかったんだ。込める想いが、武器を……そして、人を強くするって」

 

 キリトは真剣な話だとわかってくれたようで、ナン共々真剣に聞く体勢を取ってくれた。

 

「今までね、あたしは漠然と剣を鍛える事が多かったの。例えば、キリトに一旦試し振りをしてもらった、あの剣。あれも漠然とした想いで鍛えた剣なのよ…………性能としても、一応最前線で通用するくらいには強いわ。でも、人を護るにはまだ足りない。そして、あたしが込める想いも、まだ足りないの」

 

 だけど、と続けてキリトを見た。

 

「キリトのために剣を鍛えている間に、確信したの。やっぱり想いが強くするんだって。このデータの仮想世界でも心だけは本物で、そしてデータだとしても宿るんだって。だからあたしはね、これからその想いを込めて武器を鍛えて、そしてそれでキリトから借りたお金を返していきたいの。借りたお金のお陰で今があって、そしてキリトから大切な事を学んだから。今度はあたしがそれをして、胸を張ってキリトに返していきたい。だから、キリトに鍛えた分の代金はタダ」

「…………そこまで言われたら引き下がるしか無いね」

 

 苦笑したキリトは、けれど納得してくれたようだった。

 ありがとう、と言うと、キリトはおもむろにダークリパルサーの鞘を左手で持って、右手で抜き払う。

 それを騎士の礼みたいに眼前に掲げて、眼を閉じた。

 

「……?」

「……俺、リズと、リズが想いを込めてくれた剣に誓うよ。絶対にこの世界を生き抜いて、そしてこの世界を終わらせる。皆を、この世界から助け出す」

 

 だから、とキリトは目を開けた。剣を左手で佩く様に持っている鞘に収めて、胸を張ってこちらを見上げてきた。瞳には、あの絶望の闇ではなく、煌きを持った光が輝いていた。希望の光だ。

 淡い笑みを浮かべながら、幼い少年は口を開いた。

 

「俺は昔、途方も無い絶望を持った事がある。今も、実はちょっとあるんだ……でも、今の俺には、昔の俺には無かった皆が、皆の温かい心がある。皆がいてくれる限り、俺は決して絶望しないし、諦めもしない…………リズも、皆と一緒に……俺を、これからも支えてくれる……?」

 

 光を揺らしながらも気丈に宣言してきた少年に、なんて強い子だと思った。幾度も思ってきたけど、どんどん強くなってきている。

 目の前の黒衣の少年の問いは、既に答えは出たようなものだった。あたしは笑顔でそれに答える。

 

「もちろんよ……これからも来なさい。あたしは、絶対にあんたを拒まない。あんたの為に鍛えた剣と共に、キリトを支えるわ。この世界だけじゃない、向こうの世界に戻っても、あんたの心に残って支え続けるわ。心っていうのは、繋げ、届かせるものなんだから」

「っ…………あり、がとう……リズ……」

 

 くしゃっ、と揺れる光に雫が浮かび、泣き笑いになってキリトは崩れた。あたしは無性に衝動に駆られ、目の前の重みを背負って生き続ける幼い子供を抱きとめ、艶やかな黒髪ごと頭をゆっくりと撫でた。黒の子は、小さな嗚咽を漏らし続けた。

 外からは茜色の夕陽が、眩く差し込んできていた。心を映し、暗い闇夜を照らす光のように、きらきらと。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 サブタイトルの闇はキリトの過去、光はリズベットの想いだった訳です。今までのキャラの中で直葉、サチと張り合えるくらいお姉さんしてました。

 元々原作でも面倒見が良いキャラだったので、必然的にこうなりました。

 そして最初ら辺で出て来た、リズが見たキリトの一夏時代の過去。何故夢で他人である彼女が見れたのかは、後々明かすつもりです。

 では、次回にてお会いしましょう。

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