インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
定期投稿時刻を過ぎたけど投稿だ!
今話の視点は三人称、アルゴ、ユウキ。
ユウキは超短い上に伏線なので実質三人称に近いという()
伏線回なので我慢(迫真)
ついでにアルゴ視点でオリキャラが一人出ます。元ネタはあるけど、SAOでもISでも無い。これが分かったら、その人とは趣味が合いそうだ(笑)
文字数は約一万二千。
ではどうぞ。
ふわり、と柔らかな和毛が揺れた。
『きゅぅ……?』
さわさわと毛が揺られるのに同期して瞼を開く。
気が付けば、己は濃霧に包まれた森の茂み。鎌首をもたげて見回すが周囲に人気は全くない。ガサガサと葉擦れの音はするものの生き物の気配は感じられなかった。
生まれつき、生物の気配には敏い身であるが故、本当に周囲に誰も居ない事を理解する。
『……きゅぁ……』
それは、己の主である剣士も居ない事を意味する。
蒼い和毛が特徴の小竜――――ナンと名付けられた竜は、か細く啼いて、地面に視線を落とした。
捨てられたとは思わない。ナンにとって、主がどこかへ行ってしまう事など茶飯事に過ぎず、待っていればまた帰って来るものだと分かっているから。むしろこういう時は危険性の高い場合が多いのだと理解していた。最近金髪の人間に預けられる事が多いのもそれ故だろうと分かっていた。
しかしそれはあくまで街中での事であり、街の外で逸れた事はあまりない。皆無だった訳ではないが、その場合は基本的に主が指示を出し、己がタイミングを見計らうばかり。今回のように突発的に離れ離れになる機会はそう無かった。
もしかして、死んでしまったのだろうか、と思考し、ナンはすぐに否定した。
ほんの少し前、主である少年は忽然と消息を絶ち、何日も戻って来なかった。紫紺色の剣士の案内によって再会は果たせたが、ナンは一体何がどうなっていたのか殆ど把握出来ていない。しかし主が生きている事だけは本能的に理解していた。
その時の感覚は今もある。つまり主は、まだ生きているのだ。
『きゅあ!』
であれば、ここでウジウジとしている訳にもいかないと、ナンは奮起して和毛に包まれた双翼をはためかせ、空を舞う。
――――濃霧に包まれた森。その木々を縫うように飛ぶこと暫く。
ナンは、懐かしい臭いを嗅ぎ取った。
それは太陽の匂い。自然の香りと何か甘い匂いも混ざっているが、嗅ぎ馴れた今となっては安らぎすら与えるもの。
主の臭いだと、ナンは判断した。
『きゅる!』
それからのナンの行動は速かった。とにかく臭いがする方向へと一直線、まっしぐらに飛翔する。主の能力と同期しているナンのスピードは並の人間が出せるそれを遥かに上回っていたが、次々と迫る木々を小竜は綺麗に躱し続ける。
時間にして、およそ十秒。
それが臭いの元へと辿り着くのに要した時間だった。
その間に飛んだ距離は数百メートル。人間の索敵能力はせいぜいが百メートル程なので、ナンの接近をその人間が察知するのはどうしても遅れる。故にナンの視界に入った人間は驚愕の気配を滲ませ固まっていた。
――――しかし、固まっていたのはナンも同じ。
竜種に属し、主の能力によって尋常でない力を有しているとは言え、ナンは体格の小さい小竜である。元来ナンの種族《フェザーリドラ》は非力だった。それを補うように高い索敵能力と多種多様なブレスアクション、中には味方を癒す――自身を癒せないのがネックな――《ヒールブレス》を有している。
人間が使い魔として使役出来る小型の魔物の中では、《フェザーリドラ》は間違いなく大当たりの部類に入る。回復技を持つ魔物は数あれど、使い魔として使役可能な種の中では現在確認されている唯一の個体だからだ。
加えて流石に狼などの野獣系統には劣るが、それでも高い危機感知と嗅覚、聴覚を有しているため、不意打ちにめっぽう強い。ナンの主が世話になった事は殆ど無いが、同種族であるピナの主である少女は毎度世話になるほど強力な能力だった。
そのナンの感覚、特に主であるか否かの判断はこれまでただの一度も誤った事が無い。
否、間違えようが無かった。同じ匂い、同じ気配、同じ感覚を覚える者など、これまでただの一人も居なかったから。居る筈が無いのである、そんな者。紫紺色の衣服の少女と水色の衣服の少女ですら、似た臭いであってもはやり違う。
こと、主の事に関して、ナンが間違える筈が無かった。
だからこそ、ナンは困惑した。
眼前に立つ者から嗅ぎ取れる臭いは、気配は、間違いなく主そのものだ。背丈も同じ。特徴も同じ。纏うものの色すら同じ。
何故か目元を隠し、以前に較べて金属の臭いが増えているが、それでも身体的特徴は同一。
だが、違う。
目の前の人物に覚える感覚は同じなのに、何故かいつも感じられている繋がりを目の前の人物からは感じられない。つまり主ではないとナンは分かった。分かってしまった。
「……お前は……」
黒尽くめの、目元を隠した騎士――――スレイブが、驚愕を滲ませた声を発する。声質すら同じで、ナンは更に困惑した。
静寂の中で見合う人と竜。
「――――主と逸れたのか?」
沈黙を破ったのは人の方だった。
優しさを感じさせる声音で竜に問いかける。人の言葉など解する筈が無い魔物に、使い魔に、しかし何の疑問もなくスレイブは話しかけていた。
人語を離せないナンに返答のしようは無い。
しかし、雰囲気で察したのか、それとも主が居ない事で当たりを付けていただけか、スレイブは特に困った風もなく微笑んで見せた。
――――その笑みは、ナンに食べ物を施す主のそれと瓜二つ。
尚の事、ナンは騎士を主と思わずにはいられなかった。
「……お前の主は、多分あの塔に居る。その近くを飛ぶと良い」
そう言って、騎士が籠手に包まれた手を上げ、指で遠くに見える白亜の塔を指し示す。ナンも経験上あの塔を主が目指す事を理解していた。
ただ、不可解さは残った。
この騎士は、主と斬り結ぶ敵だった。つまり主の使い魔である己とも敵対している筈。
なのに何故襲ってこないのだろうか。
「……おれだって、好きでこんな事をしている訳じゃないよ」
小竜が抱いた疑問を察したのか、主がよく見せる笑みで騎士は言い、その場から立ち去ろうとする。
『――――きゅぁ』
その後を、小竜は追う事にした。何となく、一人にしてはならないと本能が言っていたから。
「……変わらないな、お前は……」
後を追って来る小竜を見て、しかし騎士は止める事無く歩を進めた。
その口元に、変わらないでいてくれる事への確かな喜びを滲ませながら。
***
「――――……?」
夜闇に沈んだ《アークソフィア》の片隅にひっそりと構えられた厩舎にて、どの動物を購入するか見定めている最中、隣に立つ少年が顔をメニュー画面から上げた。
その視線は遥か空、仮想の夜空を映し出す七十七層の天蓋を見詰めている。
「どうしたんダ?」
「……今、誰かが俺を呼んだ気が……」
きゅっと細い眉を寄せ、不安を覚えたような表情で言う少年。
「……空耳じゃないのカ? アーちゃん達も今日は攻略しないって決めたんだ、《圏内》から出ないダロ」
今日の朝に攻略に出てからこれまで何があったかを聞いていた自分はそう返す。今日は攻略をやめ、各々の武具の損耗回復や疲労回復に専念する事も、キー坊が戻るまで《圏内》から出ないように指示した事も聞き知っている。
素直に《ビーター》と蔑まれる少年の言葉に頷く者達ばかりではない事は確かだが、ヒースクリフの旦那やアーちゃん達の指示に逆らってまで最前線で危険を呼び込むばかりではない事も確か。ましてや今日は休む事を宣言されているのだ、《圏内》から出ようとした時点で注意されるのは必然である。
確認の為にフレンドリストを確認する。
【ダンジョン】に居るため位置追跡こそ出来ないものの、彼女達のHPバーは一ミリたりとも減少していない。他のメンバーも同じだ。
だから《圏外》に居る訳では無い。
空耳に関しては、彼ら彼女らを恋しく思うキー坊の気持ちがそうさせたのかもしれない。
……そう思うと、そこはかとなく面白くない。
何せこの少年を独り占めできる貴重な時間である。
最近は互いに忙しいし、彼は《ホロウ・エリア》の事もあって一緒に居ない時間が多かったから、余計に貴重だ。
七十六層に到達してからこうして二人きりになれるのは、何気にこれが初だった。
――――死んだと思った時は、本当に辛かった。
何せ、この世界で最大級の信用を寄せているプレイヤーだ。情報屋という立場上、安易に人と親身になれない身の上である自分と唯一親しくなれる存在なのだ。何せ攻略本を作っている唯一の仲間だから情報を隠し様がない。
あちらも、《ビーター》を名乗った理由は勿論、攻略本を作る理由は一緒。
――――それ以前に、彼には隠しておかなければならない情報は殆ど無い。
リアルの事は勿論、その容姿、戦闘スタイル、活動範囲その他諸々殆どだ。それらは誅殺隊が勝手に広める。だから仮に商品にしても商売にならない。無料で配られる情報と同じ者を誰が有料で買おうとするだろうか。
唯一求められるとすればレベルとスキルだが、元々【鼠】はそれを商品にしていない。
自分が情報屋をすると決めたのは、元ベータテスターとしての自負や責任感もあるが、信用度の低い情報に踊らされる事で犠牲者が出るのを食い止める為もある。それだけでなく、プレイヤーの個人情報を安易に流布させるとPKの横行を許してしまいかねないと危惧したからだ。
つまりPKの成功率を高めかねない他者のレベルとスキルの情報を、自分は最初から商品にしない事をポリシーの一つとして決めているのである。
勿論攻略情報を集める一環で知ってしまう事も多々あるが、それらに関しては毎回喋らない事を固く誓っているし、実際それを実行している。
例外と言えばキー坊だけだ。彼の場合、攻略本の戦闘指南やスキル大全を編纂する際、否が応でも武器スキルに関しては知る事になる。その情報提供元を徹底的に匿名にする事で隠蔽し通せてきた。その出来る限りの配慮を以て情報屋を営んでいる自分は、そのポリシーを順守している限り彼を害する存在にはなり得ないと判断された。
彼について情報を回そうにも、回せる商品が無いからこその逆説的な信頼。
それでは不満だと言う人も居るだろうが、自分はそれで良いと思えた。
この少年にとって、他者を信頼する第一歩が一番の難関なのだ。何せ害する要素になり得るものが一つでもあれば中々信頼出来ない。過去の経緯を考慮すればそれが当然だろう。
漸く信頼を得られたと思えば、今度は人間性への信用を得るのが難しい。
まぁ、デスゲームというこの異常な環境だからこそ人間の本性は現れやすいせいか、思ったより短期間で信用も得られたのは僥倖の至りと言えた。とは言えベータ時代の関係も含めてだから軽く四か月近く掛かった訳だが。ベータ時代の付き合いが無ければもっと大変だっただろう。
それを考慮すると、正式版開始直後からの付き合いであるクラインは、別れ際に情報を渡される程の人間性への信用を勝ち取っていた。人懐こい性格と他者を思いやれる気持ちが伝わったのだと分かってはいるが、そこはかとなく嫉妬する。
一番の嫉妬対象は勿論アスナ達である。
ボス戦で命を託す戦友の間柄とは言え、彼女達は自分よりも短期間で、且つ触れ合う時間は短いにも関わらず、『人前で眠る』という最大限の信用の証である姿を彼は見せた。あの年末の日に抱いた感情は今でも忘れていない。
――――一番信用されてるのは、私なんだ。
傲慢なまでの主張が頭を擡げる。
分かってはいるのだ、頭では。彼にとって信用の大きさ深さ、順番なんて問題では無く、重要なのは信用出来るに値する人の数なのだと。数の前では、大きさや深さなんて些末事に等しいのだと。
だから彼が短い付き合いでもクラインやユウキ達を信用して、安心しているのは必然なのだと。
……頭では、分かっているのだ。
それを否定する事も、害する事も出来はしない。それは彼個人の個性を殺す事に他ならない。そんなのは自分も望むところではない。
あくまで自分は、彼の平等さ、儚くも人の為に一生懸命になれる姿に惹かれたのだ。深さ大きさでは無く、己を案じてくれるかどうかを重視するある意味残酷なまでの公平性を否定する事は、つまり自分が抱いた想いをも同時に否定する事になる。
自分の想いの為に否定しないのではない。彼自身を想うからこそ否定しないのだ。
だから未だに想いを告げられない。口にすれば、きっと彼を傷付け、彼女らを侮辱する言葉を吐いてしまう。そんな醜い感情を併せ持っているなら、いっそ心に秘め、行動で理想を現実にしてしまえばいい。一番が欲しいと宣うのではなく、一番になる為に頑張った方がよっぽど健全的で、建設的で、平穏だ。
その上で自分が選ばれたのであれば――――彼女達を傷付ける事も無く、彼を否定する事も無い。
だからこそ、二人きりの時間は何にも勝る貴重な時間なのだ。
互いに忙しく、同じ想い人を持つ彼女らを傷付ける事無く、その上で私が一番として認められるチャンスとなり得る値千金の時間。
それを他者への思考に割いて欲しくない。
「それは、そうなんだけど……」
「……まったク。心配性なのはキー坊の良いところだけど、ちょっとはオネーサンの事も気にしてくれヨ」
意識を割くなとは言わない。でもこういった欲には忠実にあって、それを行動に移したかった。
「キー坊とこうして二人きりになれたの、何気に一ヶ月近くぶりなんだからナ」
七十四層攻略中の時は何回か会っているが、それ以降は今日まで二人きりになれた試しがない。リーファ達が来た頃からずっとだ。
「……そう、だっけ……?」
「アー! その反応は覚えてないナ! キー坊と二人きりの時間をオネーサンは一日千秋の想いで毎度楽しみにしてたっていうのに、酷いゾ!」
「え、えぇー……?」
むぅ、と頬を膨らませれば、困惑したように少年はこちらを見る。
まぁ、笑いながらの発言だから冗談半分であるとは分かったようで、途端に表情はやや拗ねたものへと変わった。
「……からかったな、アルゴ」
「ニャハハー。オネーサンとの逢瀬を覚えてない罰だヨ、キー坊」
――――冗談なのは半分だケド。
『……お客さん、早く選んでくれるかい?』
そんなやり取りをしていると、厩舎の主人であるNPC店主からせっつかれた。
二人揃って顔を向ければ、腕を組むガタイの良いおじさんが呆れた眼を向けて来ていた。その後ろの柵で仕切られた厩舎からは何頭もの馬や牛、ロバ、中には明らかにモンスターとしか言えない種類の動物が鳴き声を上げている。
「「……ごめんなさい」」
なんか申し訳なくなってしまい、二人揃って謝罪し、再び真剣に動物の種類やデータが記載された画面を睨む。と言っても購入権はキー坊なので、自分はただ見るだけなのだが。
数分また悩んだキー坊は、最後に二頭の馬を購入した。
『ブルルッ……』
NPCが引いて来た一頭目は純白の毛並みをした馬で、種族名――メニューでは商品名――は《ユニコーン》とあった。伝承や神話によってペガサスと混同されて翼があったりなかったりするあの種族だ。
ただ、どの伝承でも決まって、額に一本の角がある事は知られている。
訊いたところ、馬の上位種の一体で、満腹値減少速度がやや早いもののスピードは最速という最高のコストパフォーマンスを有しており、更に戦闘にも参加出来るという優れた種族らしい。NPCの話では、ヒトからは失われた回復魔法を行使するのだとか。相当気に入った人物にしか掛けないので中々お目に掛かれないとも言っていたが。
『……ブルルッ』
「……ん? 光が……これが回復魔法なのか……」
「――――」
――――なんて聞いていたら、目の前でいきなり白馬から回復魔法を受けるキー坊の姿を見せつけられた。
白馬に見下されている黒尽くめの少年を、金色の光が優しく包んでいたのだ。
『おおっ、お前さん凄いなぁ。そいつ、随分と気難しいヤツだから回復魔法掛けられるなんて中々無いんだぞ。よっぽど馬の扱いに馴れてるんだな』
その光景を見たNPCはそう言った。
馬の扱いに馴れているという事は、つまるところ《騎乗》スキルが高いと懐かれやすいとも取れる。
まぁ、購入した動物に懐かれたのは良い事だから、あまり追及しない事にした。もしかしたら主人となったプレイヤーにはすぐ回復魔法を掛ける設定なのかもしれない。
……断じて、自分と目が合った白馬がフン、と顔ごと逸らした事への負け惜しみなんかではない。
取り敢えず、どうやら自分は回復魔法を掛けてもらえるほどではないらしい。
そうやって自分を誤魔化していると、NPCがもう一頭の馬を引いて来た。鬣や体毛全てが漆黒色の筋骨隆々とした黒馬だ。角は無いので上位種では無いらしい。
NPCが出して来たデータによれば、先のユニコーンに比べて戦闘能力は低いし特殊能力も無いが、それ以外のパラメータは同一という稀有なものらしい。つまり最高速度と満腹値減少速度が同等という訳だ。
彼の所持金なら一億コルの上位種をもう一頭購入するのは訳ない筈なのだが、何故コレにしたのか疑問を覚えた。
「……久し振りだな」
しかし、その疑問もすぐに氷解する。
厩舎から連れ出された黒馬を出迎えた少年は、懐かしむように目を眇めながら馬を撫でたのだ。それに応じるように馬も鼻先を少年へと押し付ける。
今までレンタルで使っているところは見た事無いので、どうやらあの馬は《圏内事件》の時に使った馬らしい。
その時は別の階層で借りていた筈なのでこの階層とは別個体だろうが、しかしそうと思わせないくらい黒馬も彼に懐いている。やや拗ねたように白馬がどつき始めるくらいには。
――――そこまで思考したところで、ふと気付く。
そういえば、あの水色の小竜はどこに?
「キー坊、今気付いたけどナンはどうしたんダ?」
「ん……ああ、ナンな……」
その疑問をぶつけると、彼は柔和な表情を曇らせた。
「スレイブに襲われるまでは一緒だったんだけど……その後から、一向に姿が見えなくてな。一応ステータスは見れるから生きてるのは確かなんだが、場所が分からないんだ」
「ええ……それ、大丈夫なのカ?」
「分からない。ひょっとしたら街に戻ってるかもと思ってアルゴと合流する前に、七十七層を探したんだけど……その様子だと、アルゴも見てないらしいな」
てっきりリーファかシノン辺りに預けているのかとも考えたが、そうではない事にやや驚く。
あの小竜はよく主人である少年から離れるが、ふとした時には戻ってきている事が多い。長いこと一緒に行動しているが、《圏外》で逸れてから何時間も一緒にいない事態は自分も初めてである。
「……不安ではあるけど、HP以外は俺と同等のステータスだからまず死なないから、大丈夫だろう」
その事に一抹の不安はあるらしい少年は、それを振り払うように言った。
「ナンは迷宮区に戻る途中でも探せる。今はまず、馬車造りに専念しよう」
それはどこか、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「……まぁ、キー坊がそうするならいいケド」
喉に引っ掛かるものはあるが、とやかく言ったところで時間を浪費するだけなのは明白なので、引き下がる。
既に材料は集め終えているようで、キー坊はメニュー画面からスキルを操作して、次々に木材を加工し、馬車へと作り上げていった。
現実なら木工や金属工作技術が必要な作業も完成品の設計図があればスキルであっという間なのでそこまで手間が掛からない。それでいて耐久値は高く、元手はタダ。スキル値が条件を満たしているならなるほど、確かに購入するよりもよっぽど良い手段だと言える。その分だけ馬にお金を掛けられるのだから結果としてはプラスだ。
設計図も既に書き上げられていたため、時間にしておよそ十分で完成となる。
「オー……立派な馬車だナ」
「ダークエルフが使っていたタイプのものを参考に、少しアレンジを加えたんだ。大型バスみたく横側から荷台の底に荷物を入れられる」
説明をしながら、実際にキー坊は馬車の側面に回り、小さな閂を外して横開きに扉を開いた。納戸のようなそこには一抱えの箱二つ分の高さまでなら入れられる空間が奥まで広がっている。
幌に覆われた上の空間と合わせれば、何十人分のアイテムや食材を詰め込めるだろうか。
「ンー……でもさ、キー坊。用意した《ベンダー・カーペット》は一つだけだから、どっちかは耐久値が少しずつ減っていくんじゃないのカ?」
自分が用意したものは元々はシリカが持っていたものである。リズベットの後を追って七十六層へ上がって来た彼女は、それまで長らく持っていた《ベンダー・カーペット》も持参していた。無論露店商売を覚悟しての事だ。
第一層、二層頃にその存在を明かされたそのレアアイテムは、今となっては商人プレイヤーや生産職プレイヤーの必需品となっている、少なくとも店舗を持つまでの間は絶対だ。
だからそのレアアイテムを入手する為のクエストは広く知れ渡っていた。
今となっては階層間の横断が出来ないのでその価値はうなぎ登りになっており、ディアベルもそれが分かっているので軍のメンバーでクエスト周回を行い、数を集めているというが、それでも間に合わないのが現状。
自分がコレを入手出来たのも半ば奇蹟と言って良かった。リズベットがすぐに店舗を入手していなかったら譲ってもらえなかったのだから、巡り巡ってキー坊は恩を返されたという事になる。
だからこそ、そんな機会がそう簡単に訪れる筈が無いと思っていた。
――――思っていたのだ。
少し待っていてくれと言って、エギルの旦那が所有している宿へ向かった彼は、二頭の馬と馬車、自分がいる場所まで戻って来た時には、その肩に緋色の絨毯を担いでいた。件の《ベンダー・カーペット》である。
「……それ、どうやっテ……?」
「露店をしていたプレイヤーから店舗を一つ構えられる額で買い取ったんだ。後で紹介するよ」
「ふぅン……」
……まぁ、確かに彼なら出来ない事では無かった。
幾ら露店プレイヤーに必須とは言え、店舗とどちらが良いかと問われれば、寝泊まり出来る店舗の方を誰もが取るだろう。露店が好きなプレイヤーも居ない事は無いだろうが、現状の《アークソフィア》は寝泊まり出来る場所が限られている。店舗を交換条件にすれば大抵の商人は食い付くに違いない。しかも店舗を手に入れればほぼ無用となる《ベンダー・カーペット》が条件となれば尚の事。
「……女の子カ?」
これは直感だった。
パブリックスペースや寝袋で眠るのが大勢を占める現状で、わざわざ店舗を引き合いに出す相手とするなら、彼はまず確実に女性プレイヤーを相手にする筈だ。
女としての勘、と言うよりは、その方が交渉がスムーズにいきやすいだろう、という彼の思考をトレースした末の予想である。
その答えとして、彼はやや瞠目しながらこちらを見返した。
「……俺、この事話してたっけ?」
「いや、今聞いたばかりダヨ」
「よくそれで相手が女性プレイヤーだとわかったな」
「『女性プレイヤーなら店舗を引き合いに出したら交渉が捗りそう』って考えそうだなと思ったんだヨ。この世界の女性は男性に対して警戒心が強いからネ」
「まぁ、な……実際、当たってるよ。そのプレイヤーとのコネも出来たのは重畳だった。エギルやシリカ以外の信用出来る卸屋は貴重だから」
という訳で、今から行くぞ、と言う少年。
恐らくアイテムや料理関連の素材を揃えに向かうのだろうが、件の人物の許へ行く流れから察するに、どうやらエギルの旦那よりもより専門的な道具屋を営んでいる人物のようだ。これはこれで自分も興味が湧いたので、素直に付いて行く事にした。
この時、試運転として白馬と黒馬を繋いだ馬車で向かう。大通りくらいしか馬車が通れる道はないのだが、その辺は大丈夫と言っていたので、自分も手綱を握った彼の隣に座り、新鮮な眺めを経験する。
暫く《アークソフィア》の商店街を進んでいくと、一つの店舗に辿り着いた。扉に掛けられている掛け札は既に《Close》に返されているが、灯りは付いているので、店主はまだ起きているらしい。
その扉を、少年はトントン、と軽く叩く。
『誰だい?』
「連絡していたキリトだ。入って良いかな」
『ああ、キリトか。うん、良いよ、入ってくれ』
名乗りを上げての確認に、中から応じたのはボーイッシュな雰囲気のある少女の声。
お邪魔します、と言いながら扉を開けたキー坊の後を追って店内に入ると、出迎えて来たのは小麦色の肌をした少女だった。
エメラルド色の瞳を煌かせ、濃い茶色の髪を三つ編みにして垂らした少女は、多分だが中学生くらいの年頃。けれどそうはとても思えない妖艶さと神秘さを以てカウンターでティーカップを傾けていた。
「……おや、キリトと夜を共にする人が居るとはね。それも、女性の。どんな風の吹き回しだい?」
「この人は情報屋のアルゴだ」
「ああ、君が有名な……」
キー坊の紹介に、流石に知っていたらしい少女は、ティーカップをカウンターのソーサーに置いて、こちらを見て来た。
「……へぇ……」
「……何ダ?」
「うん? ああ、すまない。クセでね、初めて会う人を見ると、こうして視てしまうんだ」
頭に手を当て、笑いながら謝る店主。
「私はね、占いが趣味なんだよ」
「……占いって、あの占いカ?」
「貴女が言っている占いが何を指しているかは分からないけれど、占星術とか、タロットカードとか、風水術とか、手相占いとか、その辺の事を言っているなら当たっているよ。まぁ……私の場合、やや特殊な占いではあるけれど」
そう言って、やや流し目気味に笑う。
口調の印象としてはボーイッシュだったが、ミステリアス、次にコケティッシュと、次々と抱く印象が変わる不思議な人物だ。
そんな人物は、表情を改めて笑みを浮かべた。
「――――ともあれ、初めまして、情報屋さん。私はケイリ、占星術屋兼道具素材屋を営んでいる者だ。以後、お見知りおきを」
どうやら彼女は道具屋と素材屋を兼業し、尚且つ占星術まで趣味でしているという稀有な人物らしい。基本素材屋や道具屋だけでは儲からないとは言え、その二つを同時にするというプレイヤーを見たのは初めてだ。
しかもここまで雰囲気がミステリアスで、尚且つ怪しげではないという矛盾を孕んだ占い屋も初めてである。
店内を見渡しても、そこかしこにあるのは見覚えのある道具や素材ばかりで、占いに関係しそうなものは一切無い。占星術なら星座図の一つくらいあってもおかしくないイメージなのに。
「おや、情報屋さんは私のお店に興味があるようだ」
「……占い屋なのに、占い関係の道具が無いんだなって思っテ」
「ああ、その事か。うん、よく言われるよ。でも生憎私の占いに道具は必要ない。そもそも占いは星座の位置、本人の出生年月日、出身地を数値に変換し、計算で割り出すものが元だからね。今の占いを邪道とは言わないけれど、本質とは大きくかけ離れた精密さの欠けるものなのさ」
メニューを操作しながらの言葉に、自分は眉根を寄せた。
「それって、つまり殆どの占いは嘘っぱちって事カ?」
「それはその人次第と言えますね。『あなたは不幸になります』という曖昧な託宣なんて受け手に降り掛かるものが幸せか不幸かで変わる。長い目で見た事かもしれないし、直近の事かもしれない。結局のところ、占いというのは必ずしも当たるものではない、道標になり得ない標なのですよ。解釈の仕方も、どう行動するかも、占いが決める事では無いですし……」
ポーン、と軽い音と共に、店内の床に幾つもの樽や木箱が詰まれる。どうやらこの中に、彼女に頼んでおいた素材類が詰め込まれているらしい。
自分が知らないのにここまでの数を揃えられる辺り、かなりやり手のようだ。
「占いに従って生きるなんて、つまらないでしょう? だから私は不確実な占いは良いものだと思いますよ」
そう言って微笑む彼女は、どこか哀しみを感じさせた。
***
――――叫びが木霊する。
絶望を孕んだ、絶望を呼ぶ悲鳴。連鎖する、希望を絶つ叫びだ。
幾度となく耳朶を打つそれを聞きたくなくて、耳を塞ぎたい衝動に駆られるが、仲間が消える様を眺め続けるしかなかった。
自分がいる場所は《圏内》――――システムによって守られた範囲内。
だのに自分のHPバーの下には、雷のマークが明滅している。
それは麻痺を示すアイコン。一歩も《圏内》から出ていない以上付く筈が無いもので、だからこそ、今の状況が異常である事を如実に語っている。
辛うじて動かせる右手は、弱々しく黒き魔剣の柄に触れる。
――――触れるだけで、掴めない。
嗚呼、と口から零れる。含まれる感情は悲哀か、後悔か、はたまた絶望か。
胸中に浮かぶ感情も、ぐちゃぐちゃしていてわからなくて、漏れた嘆息に含まれているものも当然わからない。わからないけれど、最早事ここに至ればどれでもいい。
ただ、そう――――
「ごめんね……」
――――独りにしてしまう少年への確かな謝意がある事だけは、自覚出来る程に明らかだった。
ユウキ視点のヒント。
《圏内》で麻痺状態に出来る権限はなーんだ?(愉悦)
尚、一人しか持ってないので悪しからず(味方擁護派)