インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 投稿が零時から遅れたのは最後の確認中に寝落ちしてたからです。疲れてるなー……

 それはともかく。

 今話は前話の続きから。ちょいちょい伏線。尚、回収が何時になるかは分からない模様()

 視点はヴァベル、キリト、ユウキ。

 緊張感、絶望感を出せていたらいいなぁ……

 あと須郷の屑さ加減と茅場の人間味。本作は茅場の原作とは違う人間味溢れるのも目標の一つですからね。

 須郷の屑さは個人的な目標です()

 文字数は約一万九千。

 ではどうぞ。




第百十四章 ~想い、明ける未来~

 

 

「……何だ、これは」

 

 虚空に映し出される映像に、そう洩らす。

 胸中には混乱が巻き起こっていた。混乱しか無かった。

 数える事すら億劫になる程の世界を渡って来た。同じ数だけの滅びを見て来た。そして、それらの数万倍の時を生きて来た。

 幾度となく繰り返して来た歴史だ。

 たかが三年足らずの歴史を無数に行き来して来た。多少の差異こそあれ、大筋は同じで外れる事は無かった。どんなに干渉しようと外れはしなかった。

 外れなかったから、己は未だに渡り続けている。

 

「何故、もう動いている……!」

 

 幾度も繰り返す内に、どんな行動を取ればどういう変化が起き、結果に結びつくかのデータは取れている。最早総当たりで少年が生き延びられる最良の未来を掴もうとしていた。

 だからこそ、余計にあり得ない。

 自分は未だ、そこまで干渉していない。

 あの男と少年の戦いに割り込みもしたし、彼ら彼女らの合流や遺跡攻略の手助けはしたが、それはあくまで間接的。そも、己は基本的に彼ら彼女らへは危害を加えないよう配慮していた。好き好んで敵対行動を取っている訳では無いからだ。取る必要が無い事は出来るだけ避けようとするくらいの良識はまだ残っている。

 そも、自分はまだ、あの者達に接触していない。気取られてもいない筈だ。構築物をプログラムコードとして視る場所に居る己を感知出来る者など誰もいない。【カーディナル・システム】くらいなものだろう。

 故に、己が知る範囲内での変化しか起こらない筈だった――――

 

「アルベリヒは何故既に動いている?!」

 

 あり得べからざる事態に、我知らず怒声を上げる。

 無限の可能性とすら揶揄される人の行動と思考のあらゆる先を視て来た自分が、今まで一度も経験していない事態に焦燥と苛立ちを覚えた。己があまり関わっていない時点で予想していなかった出来事が起こるなど、完全に想定外だ。

 どんな行動を取ったから変化を生じたか分からないままでは、おいそれと時を遡る事も出来ない。

 ぎり、と歯噛みする。

 画面には、第七十七層迷宮区の一角での様相が映し出されている。黒尽くめの少年と、それに相対するように並ぶ絢爛華美な男達――――そして本来なら少年と並んでいるべき紫紺の少女。

 あの瞳と空ろな表情から察するに、もう彼女は手遅れな状態になっている。

 

「あまりにも早過ぎる……ッ!」

 

 コンソールに握った拳を叩き付ける。

 およそヒトが出せはしない轟音が鳴り響いた。下位世界でしたなら、仮令圏内コードに阻まれていようと衝撃波だけでプレイヤーは吹き飛ばせただろうし、その轟音で目を回す者が続出しただろう。

 それほどの怒りと焦りが胸中にあった。

 

「本来、これは九十八階層で起こるべき事なのに……!」

 

 《ティターニア》が試験に赴く時期は七十六層攻略中で合っている。不合格になるのもそうだし、スレイブのみが【紅の騎士】を押す事も、不合格になる事も、以降幾度か小競り合いが続く事も既知の出来事だ。

 だが、あまりにも展開が早過ぎる。

 

 ――――私がこの時間軸に戻ってから見た限り、然して変わりは無かったように見えたのに……

 

 自分が戻った時は、彼の少年が《ホロウ・エリア》へと飛ばされた時と前後している。

 一応これまで時を遡って来た中では最も過去に位置している。

 現実世界に肉体があって、かつ現実側から逆行できる技術があれば良かったのだが、生憎と己の肉体は現実にはもう存在しないし、逆行する技術も仮想世界でのみ通用するもの。理論上かなりグレーなラインではあったが、成功して以降は繰り返し使って来たから最早馴染んだものだ。

 

 その術式は、あくまで過去に戻るだけ。

 

 よって辿り着いた過去は、己が渡り歩いた歴史と同一の条件だし、プレイヤーや環境を大きく変えない限り大幅な時期変更は起こり得ない。

 自分が把握した限りでは並行世界という訳でも無いだろう。それでは前提とする『同一条件』が崩れている事になる。それなら私は幾度も繰り返していなかった。

 ……過去に戻り、未来を変えた途端、自分の識る未来が消えるのか、あるいは並行世界が生まれているのかも分からない。

 術式と時間の進み方の性質上、未来は多方向に続いているが、過去は一方向にしか戻らない。

 故に毎回違う未来を歩もうと、時を遡れば同じ状況へと辿り着く。

 だから今回もそう思っていたのだが……

 

 ――――どうして、あの子の行動も大きく変化はしていなかったのに。

 

 《ホロウ・エリア》へ跳んだ後、義理の姉と行動を共にする辺りも同じだったし、合流した後に戻る事を一度は拒否した点も同じだった。《ⅩⅢ》の使い方も大筋は同じ。

 違うと言えば……

 

 ――――やはり、あの人間の存在か。

 

 一人だけ、これまで渡り歩いて来た過去では見なかった人間が、大いにこの世界を荒らしていた。あの人間がどうして現れたのかは知らない。

 自分と同じ時間遡行者の可能性が高いが、生身の人間らしいから、多分違う。

 

 となれば、恐らくは外なる者の……

 

「――――いや、今はそんな事より、目の前の事に集中すべきか」

 

 そうして思考を切り替える。

 未知の事態が何故起きているかなどどのみち現状では確認のしようがないのだ。いたずらに時間を浪費するくらいより目の前の事態の対処を思案する方が建設的である。

 自分に出された選択肢は二つ。すなわち見守るか、干渉するか。

 

「……」

 

 ――――私が取るべきは……

 

 

 

『――――どうだい、レベル999なんて君程度じゃ到底敵わないだろう。これが神の力というものだよ』

 

 

 

 虚空に浮かぶ画面から、やや粘着質な性格を思わせる男の声がした。

 視線を向ければ、勝ちを確信している表情の金髪の男が、左手でメニューを操作していた。

 

 ***

 

 アルベリヒは言う。この世界で至れる最高の位階に辿り着いたのは、神の力、すなわちGM権限によるものだと。その力を前に俺では敵わないだろうと。

 

「――――」

 

 確かに、それは自明の理だ。あまりにもステータス差があるから一瞬の拮抗すら起こり得ない。攻撃の軌道を逸らせるかも怪しい。

 

 ――――だが、それでいい。

 

 弱者として甘んじる事に対してでは無い。俺を弱者と軽んじ、油断している事を指して言っている。

 絶対的な力を得て、アルベリヒ達は慢心している。その慢心が無ければ倒せない己の弱さを恥じる気持ちはあるが、それをばねにして、むしろ利用する事で俺はあの首を刈り取るつもりだった。

 元々、あの施設で叩き込まれた殺しの技は、真っ向からやりあう為のものでは無く、所謂暗殺技術に分類されるものだった。現代兵器が進んだ事で容易に自衛手段を取れるようになり、漫画やゲームのように一対一の真っ向勝負など成立し得ないからだ。

 暗殺というのは、警戒されているだけで失敗しやすい。ましてやこうして敵の前に姿を現しているだけで“暗殺”とは言えない。それは“戦闘”と言うものだ。

 それでも、相手に気付かれても殺しを成立させる技術や水面下の応酬がある。その一つが、相手を油断させる事。己の命を取りに来ている者を前に油断するなど皆無に近いが、仮にしていれば、高確率で殺しを成功させられる。ましてや自分の容姿はその弱さを掻き立てる。

 己の肉体、容姿、経歴全てを使って相手の心情を操作するのも、駆け引きの一つなのだ。

 アルベリヒ達のように、油断してくれていると非常に楽である。

 

 ――――機会は一度。

 

 小さく、しかし深く深呼吸をし、荒ぶる拍動を整える。今からしようとするのはタイミングが命なのだ。それをズラしかけない心音の乱れは邪魔でしかない。

 生憎と、俺は超一流という訳ではないから一瞬で整えるなんて出来ず、時間を掛ける必要がある。

 

 ――――その時間稼ぎを、このよく舌が回る男に付き合ってもらおう。

 

 こちらの動揺で気を良くしている男は人を軽んじる性格からして己の優位性の誇示には余念が無いようにみえる。耳障りな声質ではあるが、その気質はこちらにとって都合がいい。存分に利用させてもらおうと内心で決める。

 

「……確かに、途轍もないな。それが仮令ズルによるものだとしても脅威には変わりない」

「『ズル』か、負け犬がよく口にする言葉だ。わーわーと喚いて見苦しい事この上無いね」

「……」

 

 その負け犬は真っ当にレベリングしていた人に対する負け惜しみや妬みを口にした場合に該当するだけで、この場合は至極当然な意見だと思うのだが。

 

「ともあれ、この一年半以上もの間せこせこと自己強化に励んでいた事には敬意を表してあげよう。まぁ、それも僕の前では無意味だけどね。君が必死に戦わないと勝てない相手を、僕達は余裕で踏破し、見事ゲームクリアしてみせよう」

 

 大仰な身振りと共に宣言する男。

 

「――――その第一歩として、まずは君を殺させてもらうよ」

 

 宣言していたかと思えば、一転しての殺害宣言に身構える。それをあちらは意に介していないのか、あるいは従えた【絶剣】の事を頼りにしているのか、余裕の表情は崩れない。

 

「心配する必要は無いよ。《攻略組》の皆さんは丁重に扱うからさ。君は僕達の栄進を、一足先に地獄から見守っているといい」

「く……っ」

 

 もう少し引っ張りたいところだったが、どうやらこの男、演説癖があるらしい。自分語りを終えるや否や、割り込む隙間もない速さで話を進めてしまった。

 まだ緊張はしているし、心音も早いが、それでも不可能な程では無い。

 故に、徐々に意識を集中させ、研ぎ澄ます。およそ自分が敵い得る相手ではないのだ、失敗が死を意味している以上油断慢心は厳禁である。

 

 ――――一番の問題は、【絶剣】を殺すか否か。

 

 ……極めて個人的な意見を言うなら、殺したくなんてない。己に好意を向けてくれている人を殺したいとは思わない。どうにかして元に戻せればと思う。

 けれど、俺にその手段は無い。

 

 ――――《ビーター》は、必要悪だ。

 

 個人の事情よりも全体の事を優先するべき立場であり、この場合は攻略の障害となるアルベリヒ達の殺害を最優先すべきだ。

 それを邪魔するのであれば、《ビーター》として、俺は……

 

「さぁ、【絶剣】、ソイツを殺せ!」

「……」

 

 指を突きつけ指示を出すアルベリヒに、【絶剣】は無言で応じるように歩を進め始めた。

 ゆったりと、ゆっくりと近付いてくる様は、驚異的なレベルに引き上げられた事実も相俟って死神、あるいは死そのものとすら思える。

 無表情のまま距離を詰める【絶剣】を前に、こちらもイメージを練る。これからの行動を予測、予想する。

 

 ――――ふと、【絶剣】が歩みを止めた。

 

 彼我の距離は十メートルほど。一歩強く踏み込んで剣を振るえば届く間合いだ。ましてや敏捷値を極限まで強化されているだろう今の彼女にとって、十メートルなどあってないような距離だろう。

 何故そこで足を止めたのか分からなかった。もっと間合いのギリギリであれば分かるのだが。

 アルベリヒ達も妙に思っているようで、訝しむ面持ちで首を傾げている。

 俺は予想外の動きを見せた【絶剣】を警戒して下手に動けないでいた。アルベリヒを奇襲するにしても、それは【絶剣】のアクションを受けてからでないと、あちらの意識がこちらに向かず反応されてしまう可能性がある。ただでさえ即死を心掛けなければならないのだから僅かなズレすら許されない。

 

「【絶剣】、早く斬れ! 何をやっているんだ!」

「……」

 

 再度、苛立ったようにアルベリヒが言う。

 しかし反応は無く、ただ無機質な表情で俺を見詰めるばかり。その手に提げられた魔剣エリュシオンを握る力もあまり強くは見えない。戦いに関する命令はまだ通りにくいのだろうか。

 

 ――――だとすれば、好機だ。

 

 今アルベリヒは、指示通りに動かない【絶剣】への苛立ちと指示で視野狭窄を起こしている。この状態なら万が一にも避けられる事は無い。

 そう思考し、明確なイメージを瞬時に練り上げる。

 脳裏に広がる光景は、アルベリヒの首を後ろから大鎌で刈り取っている。その想像を反映したように、虚空に生じた白と黒の茨から黒金のコントラスト色の大鎌が出現し、間髪を入れず横薙ぎに回る。

 

 ザンッ! と音が響いた。

 

「――――ぐっ?!」

 

 苛立ちと共に指示を出していたアルベリヒは、唐突に背後から襲って来た衝撃によろけ、呻きを上げる。全力且つ全速力で振るわれた大鎌の一撃を急所に受けてよろけるだけとは、レベル999はハッタリではなかったらしい。悪夢である。

 減少したHPは、ほんの数ドット。それも確認した直後には戻った事から《戦闘時自動回復》スキルもあるらしい。

 そして、本来ならその首を飛ばしていたであろう一撃を阻んだのは、恐らく素の防御力。外気に晒している首を斬って尚その程度。

 胸中で、やはり、と嘆息する。

 予想はしていたのだ。出来ればこれで決まって欲しいと、あまり考えないようにしていたのだが。

 嫌な予感や予想ほどよく当たる。低レベルが高レベルの首を斬り落とせば勝てるというのも、度が過ぎると意味が無くなるらしい。

 

「――――くそっ! お前達、全員で掛かれェッ!」

 

 無傷とは言え、それでも反抗されるのは癇に障ったらしいアルベリヒは、金切り声の怒号でそう指示を出した。それにやや面倒臭そうな表情を浮かべながらも、足早に五人の男達が各々の武器を携え、距離を詰めて来る。

 目の前には【絶剣】が立ちはだかり、こちらの周囲を囲うように包囲網を縮める男達。

 来た道側には戻れるが、どれだけ全速力で戻ったとしてもカンストステータスの前では無意味だろう。背後から斬られて終わる光景すら見えるほどだ。

 これは今まで経験して来た以上のピンチだなと、どこか他人事で考える。さっきまで恐怖を覚えていたのに。

 ……心のどこかで、諦めてしまっているのかもしれない。

 【絶剣】――――ユウキは、敵として立ちはだかっていて。《ビーター》として彼女を殺すべきだと思うも、それをしたくないと必死に首を振る自分も居て、結局答えは出ないまま。しかも敵のレベルは全員カンストしていて、俺がどう足掻いても押し負けるのは目に見える。

 立ち上がらなくては、とは思う。

 諦めるな、と奮起する声もある。

 でも、それらよりも、目の前に映る女性の姿が、その想いを散らすのだ――――

 

「死ねェッ!」

 

 そう怒鳴ったのは、誰なのか。男達の誰かが声を上げ、それを契機に斬り掛かろうと距離を詰めて来る。俺に出来るのは剣を手に抗う事だけ。

 急所への一撃を一瞬で無かった事にする相手を殺す。

 それは最難関のミッションに該当するだろう。出来る事なら避けたいところだ――――しかし、俺に選択の余地は無い。

 抗わなければ、全てが無駄になる。

 俺には、自分自身が死ぬ事そのものへの忌避感は無い。ただ俺が死んだ後、周囲に齎す影響や親しい人達の事が心配で、確実に不幸にさせる人が居る以上認めたくないだけ。

 

 ――――いや、そうじゃない。

 

 死ぬ事への忌避感が無いというのは正確では無い。厳密に言うなら、生への執着が薄い。他の人達の存在がなければ、俺は自らの死を容易に受け入れている。俺には、自分の意思で生きる目的が欠如しているのだ。

 最近になってそれらしい理由は出来たが……それでも、『自分が居なければ』と思う事はやめれていない。それがあるから生への執着が薄い。

 きっと俺は、強く強く、とても強い承認欲求を抱えている。誰かに必ずと言っていいほど必要とされたい。居ても居なくてもいい存在として扱われたくない。

 物語の主役になりたいとか、そんな贅沢は言わない。

 一人だ。

 自分を絶対的に認めてくれて、俺との関わりで齎される危険を自力で跳ね除けられる人が一人でもいるなら、その思いを捨てる事が出来る。否定する事が出来る。

 その可能性がある人を奪われて、心が震えているけれど、まだ他の人達までそうと決まった訳では無い。

 ――――【絶剣】が戻らなかったら他の人も同じだと、本能が囁く。

 分かっていると、理性で返す。誰か一人でも破れなかったら、自分が彼女達に気を許せなくなること等、承知の上だった。そうなったら、生きる理由になり得る彼女達の想いを、自分は信じられなくなるとも。

 

 今までの全てを無駄にしたくない。

 

 みんなの願いを無駄にしたくない。

 

 告げられた想いに応えたい。

 

 告げられた想いを信じたい。

 

 それは、仮令どんな状況に置かれても絶対不変の正直な想い。生きたい、死にたくないという理由を強固にする、己にとっての真実。

 ……敵になったからと言って、【絶剣】を――――ユウキを殺す事は、きっと間違っている。

 大局を見れば、アルベリヒを守る立場になった者を殺す事は誤りでは無い。

 けれどそれは、間違っていないだけで、正しくも無い。それでは俺は満たされない。俺が欲しいものは、そんな未来では無いのだ。

 

 ユウキは、俺の拠り所の一つだ。

 

 珍しくも《オリムライチカ》を嫌忌せず、親しくなり、受け容れてくれた。異性としての想いまで抱き、それを告げてくれた。

 そんな人は稀で、そして俺自身、ユウキの事を好ましく思っている。

 その思いが異性としてのものなのか、それはまだ分からない。一緒にいると楽しくて、嬉しくて、どきどきするのは確かだ。でもリー姉やユイ姉、クライン達と一緒にいても同じだから、異性愛と友愛、親愛の境界線が分かっていなくて、本当に異性としてのものなのか不安を抱いている。

 ――――それすらも、くすぐったいくらいの幸せだ。

 それを喪いたくない。この手から、取り落としたくない。

 

 ――――だから。

 

「まだ、死ぬ訳にはいかない。【絶剣】を――――ユウキを、解放させてもらうッ!!!」

 

 ――――仮令操られているとしても。

 

 それでも、自我を取り戻す可能性はゼロでは無い。

 操られたからと言って、絶対元に戻せないという訳では無いのだ。

 人間の脳は障害されると不可逆的な損傷を受けるが、電磁パルスによって操作を受けているだろう状態は可逆的な変化である。ヘッドギアを外せば恐らく元に戻る。

 なら、その可能性に賭ける。

 戻るのは今でなくても構わない。

 遅くなろうと戻ってくれるならまずは良い、いきなり全てを望みはしない。

 

 ――――好きだと、言ってくれた。

 

 異性として好きだと、想いを告げてくれた。仮令俺が強くなくても変わらないと。

 俺はその言葉を信じたい――――仮令操られていようと、その想いだけは変わらず持ってくれていると。俺の能力や育ちではなく、俺自身を見てくれていると。

 そう信じたいのだ。

 

 その一心で、立ち向かうべく剣を振るい――――

 

 ***

 

 

 

 ――――こえが、きこえた。

 

 

 

 辛うじて保っている自意識を削るような鈍い頭痛。まるで脳髄を直接叩かれているかのような拍動性の痛みに胸中で苦言を呈する。

 けれど、その感情を表情には出さない。

 

 目の前には、黒尽くめの少年。

 

 彼の姿を見ると、来てくれたのかと喜びを抱くと共に、早く逃げてと慟哭の衝動に駆られる。愛しいからこそ、一刻でも早く安全な場所まで逃げて欲しいと思った。

 GM権限というものをアルベリヒが持っている以上、仮令《圏内》だろうと無関係にこちらに干渉し、強制転移、あるいは命を奪えるからだ。

 地面に這いつくばる《攻略組》に朗々と語った事実である。

 

『現在は、我々レクト社のVR技術研究部門がこの世界の維持を請け負っている』

『レクト……?』

『そう、君のお父さんが経営している会社だよ――――明日奈』

 

 《アルヴヘイム・オンライン》を運営する《レクト・プログレス》のゲームマスター《オベイロン》として君臨していた男は、SAOサーバーとの連結実験の最中に事故でこちらへ巻き込まれてしまったという。GM権限を持っている理由を語る上で含まれていた話。

 その話に反応を示したアスナに、アルベリヒは見知った相手に話しかけるような口調になった。

 彼女のプレイヤーネームはリアルの名前をそのまま付けたものだという。自分もそうだが、ネット初心者によくあるミスで、本当はするべきではない事。

 つまり彼女の名前を呼ぶ時は本名とプレイヤーネームの区別など付けようが無いのであるが、そんな事は関係無いくらい、聞き手にも分かる変化だった。

 アスナも分かったのか、愕然と目を見開く。

 

『あなたは……まさか、須郷伸之……?!』

 

 アスナが口にした男の名前に、ニィッ、とアルベリヒが口角を歪める。

 

『アスナ、知ってるの……?』

『え、ええ、幼い頃から何度か会ってるから……VR技術研究の権威の一人で、茅場晶彦に次ぐ実力を持っていたって……』

 

 茅場晶彦は、VR技術研究の第一人者である。《ナーヴギア》の理論構築から【カーディナル・システム】のプログラミングなど、およそ凡人では出来ない数々の発明をして見せた稀代の天才の一人だ。

 その人に次ぐ実力の持ち主となれば、世界的に第二位である。とんでもない事なのだ。

 

『――――まったく、茅場晶彦に次ぐ、か』

 

 しかしアルベリヒ――――須郷伸之は何が不満なのか、苛立ちを顕わにした。

 

『確かにVR技術研究において僕とヤツは幾度となく較べられていた。そもそもVR技術の理論構築の第一人者は茅場だったんだ、その道に於いて後塵を拝したのは必然と言えたとも』

 

 だが、と苛立ちの表情で僅かに口角を歪める男。その笑みは明らかに歪んだものだった。見た途端、背筋に怖気が走った。

 

『それも、もう終わりだ。茅場晶彦はSAOデスゲーム化の黒幕として認知されている、これまで積み上げて来た名誉や功績の全てが地に失墜した。つまり! 僕を越える男は既に居ないという訳だ!』

『……』

 

 その物言いに、ヒースクリフが僅かに俯いた。無言で俯いた男性の顔は険しく、悔しさに満ちた、苦し気なもの。

 ボクはそれを見なかった事にして、視線を須郷伸之に戻した。

 

『その煽りを受けた結果、《アーガス》は莫大な借金を抱えて倒産。スタッフは僕のコネとツテをフル活用して新たに立ち上げた《レクト・プログレス》の社員として日夜汗水垂らして働いている。いやまったく、傑作だね! 誰に訊いても口を揃えてこう言うのさ、『茅場なんて死ねばいい』って! 笑いが止まらないとはこの事だよ! 稀代の大天才様が一転して稀代の大犯罪者扱いなんて!』

 

 ふひゃひゃひゃひゃ! とかなり怖気の走る嗤いを木霊させる。

 

 

 

 ――――こえが、聞こえた。

 

 

 

『SAOをデスゲームにしたのは、自分達を雇ってる男なんて知らなくて感謝してくるんだからさぁ!』

 

 

 

 空気が凍った。

 今、須郷は明らかに口にしたのだ、SAOをデスゲームにしたのは己なのだと。口振りからまさかと予想はしていたがそれを本当に口にするとは、という意味で自分は驚いていた。ここまで茅場晶彦を扱き下ろし、有頂天になっている男に黒幕の嫌疑をかけるのは多分誰でもできる事。

 それでも、それは少数派。リーファの事情について聞き知っていて、キリトとヒースクリフの話し合いを知っているからこそ予想出来た事である。

 それらを知らない人達は絶句していた。気持ちは理解できた、リーファ達の事をあまり知らなければ自分だって同じ気持ちになっただろうから。

 

『君が、したのか……?』

 

 そこで更に反応を示したのはヒースクリフだった。俯いたまま、麻痺した体で動かせる右手を震わせ、震えた声でそう質問を投げる。

 表情は見えない。

 けれど、怒りに打ち震えているのだと、察する事は出来た。

 

『それだけで……それだけの事で、君は、この世界をデスゲームへと変え、関係無い者の命を危ぶめる事を良しとしたのか……?!』

 

 それは、この世界を創った者が抱き続けた、心の傷の発露。

 

 開発者だからこそデスゲーム化に気付けたかもしれない――――その可能性を抱え、命を懸けた戦いに赴くプレイヤーに後ろめたく思い、散って逝った人々への罪悪感を募らせ続けた男の叫びだ。

 

『ふん、漸く能天気なアンタでも呑み込めたみたいだな』

 

 ――――それを、男は鼻で嗤った。

 

『アンタの下で働いていたのは、アンタの権威を失墜させる好機を伺う為さ。よく言うだろう? 敵を知り、己を知れば、百戦危うからずと。アンタの事をよく知る事が近道だと考えてずっと我慢していたんだよ。そうでもなければ、アンタなんかの下に就くものか……何時も何時も、僕とは違うものを見ていると言わんばかりのスかした態度が気に喰わなかったんだ。アンタを貶める事が出来た時は長年の溜飲も多少下がったよ』

 

 吐き捨てるように言う男。

 これだけの大事をしていながら、下がった溜飲は多少でしかないとは、どれだけ執念深い男なのか。口調や思考から粘着気質とは思ったが、まさかここまでとは。

 

 ――――きっと、茅場晶彦と較べられていた事が、この男を歪めたのだろう。

 

 常に上の者と較べられ、正当な評価を下されない事で男は歪んだのだ。比較対象となった男へ歪んだ確執を抱き、怨嗟の念を溜め込むようになった。

 男にとっての最上格が茅場で、それ以外はどうでも良い。だから男は他者を見下す言動を取れる。

 就職前後で比較対象の茅場晶彦と対面したが、その時の彼はこの浮遊城を作り上げる事にしか意識が向いていなくて、必死だった。だから須郷信之は真っ向から茅場晶彦と相対する事が出来ず、鬱屈とした思いがそれまでの何倍もの速さで募っていった。

 それがSAO発売をきっかけに爆発したのだろう。成功すれば世界的な発明としてその名を刻む程の栄誉で、デスゲームなどという悪事を働けば、その名は瞬く間に地へ堕ちるから。

 この男に必要だったのは、きっと競争相手だったのだ。切磋琢磨し、互いを見て、認め合う間柄。

 

 ――――キリトとは、全然違う……

 

 遥か上の者と較べられて正当な評価を下されず、本人からは見向きもされていない点は共通している。

 キリトと同じでは無いとは思う。リーファが正した彼の歪な部分が他者の為に己を犠牲にするという思想だった。この男はその真逆、自分の為に他者を犠牲にする事を良しとする危険な思想。方向性が完全に異なっている。違うのは必然だ。

 それでも、似ている、と思ってしまった。

 彼がそんな酷い事をするはずないから、むしろ彼に失礼だとは思うけど。

 

『須郷さん……あなた、そんな事を……』

 

 一連のやり取りを黙って聞いていたアスナが、信じられないと言いたげな面持ちで言う。元々性格の悪い部分は知っていたのかもだけど、まさかここまで極悪非道な精神の持ち主とは思っていなかったのだろう。

 

『ふふ、不安にならなくても僕達の将来は安泰さ』

『え……ど、どういう意味よ……?!』

『君のご両親と話し合って、現実では僕とアスナの婚姻話が進んでいるんだ。君がSAOから戻り次第、病室で式を上げる案も上がっていた』

『な、な、な……?!』

 

 にんまりとした笑顔で語る須郷に、アスナが言葉を詰まらせる。真っ赤に染まった顔は羞恥というよりも怒りの方が割合を多く占めていると見て取れてた。

 そりゃあ好きでも無い、それどころか性格最悪な人のお嫁になるなど悪夢でしかないだろう。

 いや、悪夢は醒める事が出来るから、イコールで結ぶのは悪夢に失礼かもしれない。無い場合は心が疲れているという事だから悪い徴候らしいし。

 死んだ方がマシ、と言った方が良いだろう。実際己の目的のためだけに数百人の命は既に散らしている犯罪者なのだから。

 キッ、とアスナが双眸を鋭くする。アレは本気で怒った時にだけ見せる眼だ。

 

『ふ、ふざけないで! 誰が貴方なんかと結婚するものですか! 現実に帰ったら、両親にも、警察にも、ここであった事諸々話して、逮捕してもらうよう取り計らうから!』

 

 麻痺状態だと囁き声程度しか出せない筈なのに、その制限を突破するように怒りの叫びを上げるアスナ。

 須郷は、しかし嗤う。狼狽えないのは分かっていたが、そこで笑みを浮かべる理由が分からなかった。

 

 

 

『ふ、ふふ……それは無理だよ。何故なら――――君は何れ、僕と一緒に生きる事に喜びを感じるようになるからさ』

 

 

 

『な……は……?』

 

 くっくっくっ、と喉の奥で嗤う男に、訳が分からないと困惑を顕わにするアスナ。

 今のはボクも分からなかった。可哀想な人なのかな、と一瞬考えた。

 

 すぐに、それが誤りだったと知ったのだが。

 

『僕はね、現実側ではVR技術……というより、フルダイブハードを使った研究を幾つかしているのさ。その中に『感情操作』の研究と、『記憶改竄』の研究がある。生憎と実験体が中々居なくて碌に進んでいない研究だが、完成した暁にそれを使えば君は遠からず僕と共に居る事を嫌悪するどころかむしろ喜んで受け容れてくれるようになるだろう』

『な……いや、そんな……そんなの……!』

『そのために、《攻略組》の皆さんにご協力いただこうか。君達をこの世界に作った研究室に収容し、実験体としてゲームクリアまで働いてもらう、強制的にね。ゲームしか取り柄の無い低脳には勿体無い栄誉だろう? そして明日奈の感情と記憶を改竄し、ゲームクリアと共に明日奈以外は死んでもらえば真相を知る者は明日奈以外に居なくなるし、唯一知っている明日奈も僕と一緒に居る事への喜びで密告なんて愚かな行為を自ら自粛する。完璧に明るい未来という訳さ。これこそ王道のサクセスストーリーと言えると思うんだけど、どうかな、明日奈?』

 

 アスナに歩み寄り、膝を折って屈んだ男が、くい、と顎に指を宛がってアスナの顔を持ち上げる。

 アスナの顔は嫌悪、侮蔑、恐怖の感情で満たされていた。

 

『離して……!』

『ふふ、素直じゃない君も可愛いよ。今の内に堪能しておく手もあるかな?』

『ひ……っ』

 

 ぺろ、と舌なめずりをしながらの言葉に、アスナが明確に怯えを見せる。

 しかしそれすらも男にとっては悦でしかないのだろう。恍惚とした表情を更に深いものにした。

 アレは……あの眼は、覚えがある。色欲に駆られた男が向ける眼だ。怖気が立つ。しかもああいうタイプの場合、侮蔑や嫌悪の感情すらも今の須郷のように悦へと変えてしまうから始末に負えない。

 昔キレる発端となった自分の故ファンクラブのプレイヤーがそうだったから間違いない。ボクは詳しいんだ。

 詳しくなりたくなかった……

 

『まぁ、暫くはどこかに閉じ込めておく事になるけど、我慢して欲しい。なるべく早めに完成させるからさ――――おい、やれ』

『へーい、ボス』

 

 アスナに向けていた表情から一変し、冷たく、しかし愉悦が見て取れる顔でアルベリヒは指示を出し、近くに居た男が応じた。

 その手には、うねり尖った稲妻型の刀身を持つ短剣がある。

 ――――嫌な予感がした。

 その短剣を、男はレイドメンバーの一人の背中に突き立てる。

 すると、蒼い粒子を散らして、メンバーのタンクが消えてしまった。

 

『な、何をしやがった……?』

『その短剣はね、指定した場所に突き刺したプレイヤーを強制転送するためのGM装備なのさ。スーパーアカウントかゲームマスターアカウントなら扱える。栄えある実験体として選ばれた君達には、コレで収容所へ直送だ。楽しんでくれたまえ』

 

 ニタリと嗤いながらアルベリヒが説明する間も、男達は次々とレイドメンバーに短剣を突き立てていく。そして次々と蒼い粒子となって皆が消えていく。

 ディアベルも、リンドも。

 クラインも、エギルも。

 ストレア。リーファ。シノン。レイン。フィリア。ヒースクリフ。

 アスナまで。

 

 ――――一分と経たない内に、《安全地帯》に残っているのはボクだけになってしまっていた。

 

『どうして……ボクだけ……』

『君、《高位テストプレイヤー権限》を持ってるだろう?』

『ッ……』

 

 言われ、右手を意識する。

 紫色の指貫手袋の下の手の甲には金色の円環に囲まれた逆十字架の紋様が浮かんでいる。《ホロウ・エリア》にて浮かび上がった代物。《ホロウ・エリア》でのシステム的権限を得る証だ。

 それがあるから、ボクを最後まで残したらしい。

 

『それが、どうしたのさ……』

『その権限はおかしくなった【カーディナル・システム】が独自の判断でプレイヤーに与えたもの、つまり本来想定していなかった例外なんだよ。それを与えられたプレイヤーは他よりも突出した能力があると認められている』

 

 ……確かに、ホロウ・ミッションを達成した時に浮かんだものだし、ある意味そう言えるだろう。そのミッションもボス級Mobという本来数十人規模で戦うべき相手をほぼ一人で相手取り倒したのだ。自分で言うのも何だが、アレが出来る人はそうは居ない。

 いるとすれば、恐らくはキリトくらい。だから自分と彼に浮かんだのだろうと納得した。

 リーファに浮かばなかったのは、この紋様を与える者を探し出す判定期間外にその実力を発揮したからか、あるいは初めから居なかったからかもしれない。

 

『そんな君だからこそ、僕は見込んだ。君ならあの出来損ないを殺せるだろうとね』

『ふざ、けるな……!』

『ふざけてなんていない。僕は至極真面目だよ』

『尚の事タチが悪い! そんな事、誰がするもんか!』

 

 そう須郷伸之に怒鳴り返す。それで殺されたとしても、彼を殺す為に戦う事になるより遥かにマシだと思った。

 ボクは、誓ったのだ。天地神明だけではない、SAOで鍛え上げた半身に等しい剣と、この世界を生きる為に収斂した唯一無二の魂に。連綿と受け継がれる生命の循環の中、この人生で手にした誇りあるモノ達に。破る事は、彼を尊崇し、恋慕を抱いた《紺野木綿季》の死と同義である誓いまで立てた。

 それほどに、己にとって彼は大切な存在なのだ。

 頼まれても、命令されても、誰が殺す為に彼に剣を振るうものかと、そう怒鳴った。

 

 けれど、意味なんて無かった

 

『君の意見は聞いてないよ。何故なら、君は今から、僕の人形になってもらうんだからね』

 

 しっかり働いてくれよ。

 そう締め括った須郷は、左手で紫色のメニュー画面を操作し始めた。プレイヤーメニューは右手で喚び出すから、それがGM権限としてのものなのだろうと思考する。思い返せば赤ローブアバターも左手でメニューを操作していた覚えがある。

 ――――それは、恐怖から目を逸らす為の、必死の思考。

 『僕の人形』と、須郷は言った。それが意味するところは、ボクの記憶と感情を改竄され、彼の敵になってしまう事を意味する。

 実験はあまり出来ていないらしいが、技術体系としては構築出来ている以上、あとは反復して統計データを集めるのみ。つまり技術的にはどちらも可能。より正確性を増す為に回数をこなす必要があるだけなのだ。

 

 

 

 ――――声が、きこえた。

 

 

 

『嫌、だ……!』

 

 視界が滲んだ。胸中に浮かぶ悔しさ、哀しさ、恐怖が涙を流させているのだ。

 ぎりりと奥歯を食い縛って全身に力を込めるけど、システムは残酷だ。システムによって与えられた麻痺状態に侵されている間は、定義されている症状に苛まれ、制限されている行動の一切を行えない。逃げる事も出来ない。

 何も出来ないまま終わる恐怖。

 過去、幾度も豹変した者達に裏切られた彼への申し訳の無さ。

 いいようにされている現状と男達への悔しさ、怒り……否、それらすら生温い怨嗟の念。憎悪すら生温い。愛する家族を害し、友人達を実験体として使おうとし、親友の女性の未来を食い物にし――――剰え、尊崇し、敬愛する少年を自分に殺させようとするその言動に、黒い炎が湧き起こる。

 自分が《ⅩⅢ》を持たなくてよかったと、そう思う。

 だって持っていたら――――きっとこの身を、闇の炎が焦がし、包んでいただろうから。そんな醜い炎を彼にだけは見られたくない。

 

 キリトの炎は、輝いている。

 

 彼は天に在り世界を照らす太陽だ。金と銀、あるいは星と月の蒼光。暗い夜道を照らしてくれる仄かな光は、人に安心感を齎してくれる。

 決して、今胸の内に燃え上がっている炎のように、汚くない。穢れていない。

 ――――穢れなき炎を、哀しくも思うけれど。

 輝ける炎には、心からの敬意を抱く。

 

 だからこそ、彼を害したくない。

 

 彼とは競い合い、切磋琢磨する関係と、異性として育む関係を望んでいる。断じて殺し合いをしたい訳では無い。

 

『うーん、僕への怒りがあるなぁ。じゃあコレの方向性を変えて、と……』

『が、あ゛あ゛あ゛あ゛……ッ!!!』

 

 ナニかが頭の中に入って来て、ボクを変え始めたのが分かった。

 目の前の男達に抱いていた黒い炎が、一瞬で脳裏に描いていた少年の笑顔へと向けられた。すぐに戻すが、また戻る。戻し続けていると、抵抗するなぁ、と気怠げな男の声がして、更に頭の中の違和感が強くなる。

 これが、感情の改竄……!

 

『や、めで……ッ! ボク、は……ァっ! ボクは、ぜったいに゛……!!!』

『んー、この反応が彼への感情かな? じゃあコレを反転させて、と……』

『ぎ、ア……ギ、イイぃ……ッ?!』

 

 更に何か操作をされ、彼に抱いていた感情が変わる。

 黒い炎に対抗するように浮かべていた少年の顔。思い浮かべるだけで幸せに、どんな事も耐えられる活力が湧くその顔が――――違和感の増加の直後、憎くて憎くて堪らなくなる。

 記憶では、少年とのやり取りは幸せなもの。そこに敵対するような、憎悪を抱くようなものは無い。自分を大切にしてと苛立ちを抱いたこそあれ、怒りや憎悪を抱くなどあり得ない。

 だのに、今は憎くて憎くて堪らない。ともすれば、あのアキトに向けていたモノよりも遥かにどす黒い感情が、胸の内を、脳内を、思考を占拠する。

 感情は憎いと訴える。

 記憶は愛しいと訴える。

 本来乖離しない二つの齟齬が、そしてそれを修正しようとする頭の中の違和感が、ボクを苛んでいた。『反転』と言ったからには、彼に抱いていた『愛しい』という想いがそれだけ深かったという証左。だからこそ、これが憎しみへと変わり、彼を害する発端となる事が嫌だった。

 感情は反転し、敵への感情が彼へと向いた。

 

『よし。それじゃあまだ詰め足りないところがあるけど――――記憶も弄らせてもらおうか?』

 

 残るモノは、記憶だけ。

 

『や゛、め……! そ、それ゛だげ、はァ……!!!』

 

 麻痺は、もう解けていた。時間経過で解けた途端、頭の違和感が苦しくて、気が狂いそうになって、頭を両手で抱えて床を転がる。

 そこに【絶剣】としての威厳も姿も無い。

 きっとあるのは、ただ醜態を晒す見苦しい小娘だけだ。

 

 ――――これから愛しい人に刃を向ける、愚かな小娘だけだ。

 

 錯覚していた。レベルを上げて、最前線で戦い続けて、【絶剣】と持て囃される事で、自分は強者なのだと思い込んでいた。

 違ったのだ。この世界の強さなんて、権限一つでひっくり返される。

 同じ権限レベルの中でだけ強いという井の中の蛙でしかなかった。

 相手はシステム管理者。管理者が統括する世界の住人でしかない自分が、勝てる筈も無かった。仮令《高位テストプレイヤー権限》を与えられた身であってもそれは変わらない。

 

 ――――このままでは、彼を害してしまう。

 

 それだけは、何としても避けたかった。

 仮令レベル999が相手でも、彼は恐らく諦めない。《ⅩⅢ》を使ってあの手この手でこの者達を翻弄するだろう。仮令自分が操られ、敵として立ちはだかろうと、大局を見据え、手に掛ける筈だ。

 でも、それでは彼の心が死んでしまう。

 仮令同じ傷付く結果でも、彼自らが手を下した未来に進むくらいなら、ボクは自分で自分の命を絶つ選択をする。

 

『あ゛、ガ、ぎィ……ッ!』

 

 そう決心してからは、頭痛に伴って生じる断続的な違和感を無理矢理抑え込み、地面に落としたままだった彼の魔剣エリュシオンを逆手に握る。

 

『な、と、取り押さえろ……!』

 

 それを見て、憎たらしい程に即座に自害しようとしている事を看破した須郷が、そう指示を出し、近くにいた男から次々と取り押さえて来る。どさくさに紛れて胸や臀部を触られるが、それも今は無視し、只管に剣で首を斬ろうと足掻いた。

 だが、あちらは全員レベル999であるのに対し、自分はレベル95でしかない。十倍ものレベル差は、イコールステータスの差では無い。レベル差の十倍に更に数倍を掛けた値がステータスの倍率の差なのだ。

 だから呆気なく取り押さえられ、仰向けに押さえ付けられた。

 

『ガ、あ゛あ゛ッ! ど、げェッ!!!』

 

 それでも何とかして完全に操られる前に脱出しようともがき続ける。

 

『ぼ、ボス、早くしてください! このガキとんでもない!』

『チィッ、流石は【カーディナル・システム】に選ばれるだけはあるプレイヤーだな、感情を操作しても一筋縄ではいかないか! ――――だけど、これで終わりだッ!』

 

 叩き付けるように、紫のパネルを叩く金髪の男。

 瞬間、鋭い痛みが頭部を襲う。最早全身に波及していると言わんばかりの痛みに体が硬直し、手から魔剣が滑り落ちた。

 

 ――――キミ、凄いね……ボクじゃ到底真似出来ないよ……

 

 脳裏にフラッシュバックした記憶。

 それは第二層の攻略に於いて、迷宮区で姉と共に出会った時の、最初の出会い。猫のように警戒心を見せながら、けれど《ビーター》や《オリムラ》について贔屓目をしない事を信じてもらう切っ掛けになった時の事。

 

 ――――キミ、その程度なの?

 

 それが、置き換わる。変えられる。

 決して自分が言う筈のない事を言った記憶へと塗り潰されるのが分かる。出会いの記憶だけでなく、この一年半の記憶全てが、彼との関わり全てが塗り替わる。

 生の願いは死の願いに。

 案じる想いは死への想いに。

 愛する心は憎悪の心に。

 尊敬の念は軽視の念に。

 何もかもが反転する。

 変わる。

 変わる。

 

 反転する。

 

 安寧の幸せが、憎悪の猛りへと塗り替わった。

 

『終わったね……おはよう、眼覚めは如何かな? 【黒の剣士】の事を考えるとどうだい?』

 

 脳裏に、少年の顔を浮かべる。抱いた感情は怒り、憎悪、軽蔑、死んでほしいという願い。何もかも、さっきまで自分が抱いていたものと正反対。

 ああ、最悪な気分だ。

 

『……最悪だよ』

『そうかい』

 

 応じた答えに、満足そうに頷く須郷とその配下達。

 

 ――――その姿を見て、胸中で嗤う。

 

 敵に向ける感情を、最愛の人へ向けるのは良かった。

 最愛の人に抱く感情を、反転させ、深い分だけ憎しみを抱かせるようにしたのは良かった。

 記憶を改竄し、想いを抱く理由付けのエピソードを全て塗り替えたのは良かった。

 

 

 

 嗚呼、けれど足りない。

 

 

 

 その程度じゃ、足りない。

 

 

 

 それだけの事で、この【絶剣】を変えられるとでも思ったか。

 

 

 

 

 ――――声が聞こえる。

 

 

 

 黒尽くめの少年の声だ。何かを、話している。須郷伸之と話しているのは分かる。

 

「――――ソイツを殺せ!」

 

 靄が掛かったような感覚が晴れ渡るような錯覚と共に、明瞭な指示が伝わった。目の前の少年を殺せと、そう命じているようだ。

 感情は、記憶は、それを是として体を動かそうとする。

 だが理性は違う。目の前の少年を《キリト》と認識している理性は、それを全力で踏み止まらせた。

 再度、今度は苛立ち紛れの指示が下るも、同じように理性で踏み止まらせる。何とか、十メートルの距離を置いて、体が止まった。

 

 目の前の少年は、今の自分を見て何を思っているだろうか。

 

 失望か、絶望か、軽蔑か。それとも、死を感じているのか。

 考えるだけでも恐怖が湧き上がる――――その恐怖こそが、未だ改竄されていない己自身の一欠片。認識が変わっていないからこそ未だに湧き上がる負の感情。嫌われたくない相手と認識しているからこその感情は、憎しみの心を上塗りしていく。

 そうしている間に、三度下る指示。今度は全員で斬り掛かるらしい。

 認識している間に、数人の男が斬り掛からんと距離を詰めていた。悲愴な面持ちで、少年が黒剣を構え、迎え撃つ姿勢を取った。

 

 それを見て、いよいよ歩を進めた。

 

 踏み込んだのは一歩だけ。

 されどそれは、敏捷値補正によって実現した瞬間的に距離を詰める一歩。彼我の距離は、瞬く間もなくゼロになった。

 見下ろせば、あまりにも予想外だったのか瞠目している少年の顔が視界に広がる。

 

 ――――その少年を左腕で抱き抱え、前進。

 

 びくりと、総身を硬直させた少年を下ろすと同時、困惑で足を止めた五人の《ティターニア》メンバー全員を振り向きざまエリュシオンで一閃。

 呆けていた男達は、一閃により発生した剣圧で軽く吹き飛んだ。直接切った訳でも、《ソニックスラッシュ》のように斬撃を飛ばした訳でもないので、ダメージは無い。

 

「な、ば、馬鹿な?! 感情も、記憶すらも改竄したのに、何故ソイツの味方を……?!」

 

 明らかな背信行為に狼狽える須郷伸之。

 その男を一瞥し、背中に隠した少年を横目に振り向く。

 

「ゆ、ゆうき……? 何で、操られたんじゃ……」

 

 珍しい事に、戦場に出て、しかも敵の目の前なのにあどけない呆け顔を晒す少年。

 負の感情が沸き立つ――――だが、心配と安堵してもらえている事に覚えた嬉しさが、それらを打ち消す。

 

 

 

「――――誓ったからね。けっして傷付けないと、天地神明に、自らの剣と、魂に」

 

 

 

 彼に抱いて来た想いは、一生を彼に捧げてもいいと思うほどまでに強く、深いもの。反転して憎悪になったものの、元の想いは記憶によって強固なものへと昇華されていた。

 

 記憶を塗り替えられたとは言え、真に憎んでいては出来ない場面が彼との関係では多くある。

 

 彼に頼まれ、少数精鋭で突破した第五層フロアボス。

 

 彼を案じ、追い駆けたクリスマス。

 

 彼の癒すべく、同じ寝台で寝た七十四層攻略後の夜。

 

 恐慌を来した彼を落ち着けるべく抱き締めた武具店の昼下がり。

 

 一度は失敗した告白。

 

 彼を思い、人を殺す事をも覚悟した七十五層での事件。

 

 外周部から落ちたと聞かされ、気丈に振る舞うも絶望に暮れた三日間。

 

 抱き続けた希望が報われた時の底無しの幸せ。

 

 彼に託された、信頼の証である絆の魔剣。

 

 彼を案じ、生きる理由にしてもらうべく告げた、想いの告白。

 

 

 

 ――――そうだ、どれだけ記憶を塗り替えようと、上書きしようと、改竄されたという認識、想いと強固に結びついた記憶であれば、意味など無い。

 

 

 

 記憶が想いを修正し、想いが記憶を修正する。

 

 両方を改竄されても、『改竄された』という認識で修正できる。

 

 恐ろしく難しくはあるが不可能ではない。

 

 不可能でないなら、可能になるまで耐えるのみ。彼を殺す事になるくらいなら、この苦しみに耐える方がよっぽどマシだ。死ぬ選択の前に出来る事。

 

 恋する女は、強いのだ。

 

 本当に操ろうとするなら、まずは認識を変えてからするべきだった。

 

 

 

「命を賭した宣誓なんだ。助けになるならいざ知らず、重石になったら意味が無い」

 

 

 

 ――――ぱきん、と。

 

 

 

 蟠っていた違和感が、纏めて消える。

 HP全損で《ホロウ・エリア》へ送られると知っているため、容赦なくスーパーアカウントを使っていた五人組を纏めて斬殺し、残るアルベリヒを怒涛の勢いで追撃し、GM権限でこの場から居なくなったからか。

 あるいは、自分の想いの強さが打ち克ったのか。

 最早そんな事はどうでも良い。

 無理矢理操作されていた感情も、彼に抱いていた憎悪も無くなった。改竄されていた記憶も元に戻る。彼とのかけがえの無い記憶が全て正常になった。

 喜びを噛み締める。

 嗚呼、と。笑んだ口から声が漏れた。

 振り返り、立ちすくむ少年に、満面の笑みを向ける。

 

 

 

「――――ただいま、キリト」

 

 

 

 万感の想いを抱いた言葉に対し。

 

 

 

「――――あぁ……おかえり、ゆうき」

 

 

 

 歓喜を滲ませた震える声で、彼は応じてくれた。

 

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 ――――こえが、きこえた
 ――――こえが、聞こえた
 ――――声が、きこえた
 ――――声が聞こえる

 ユウキ視点で一回ずつ挟まったこれらは、それぞれユウキの精神状態を表しています。漢字になっていくのがユウキの精神の変遷を表しています。

 キリトへの感情が憎悪にされている、記憶が改ざんされている=現実感が無い=平仮名で過去形。

 声が聞こえるとハッキリした時には、完全に改竄の手から逃れ、覚醒しております。

 ちなみにこの時点ではまだ操作されている最中。

 前話で無表情、ガラス玉、と言われていたのは、アバターを動かしていたのが感情だから。オーバーな表現云々でよく感情を隠せないってありますし。物凄く深い愛情が反転したら底無しの憎悪になって、それで無表情っていうロジック。

 一度もキリトを攻撃する素振りを見せなかったのは、ユウキの理性(認識)が物凄く頑張ったから。

 仮に認識を変えられていたら、感情と記憶が改竄されていなくても、スレイブみたいに斬り掛かっていた恐れが高い(その場合はアルベリヒとキリトに対する認識改竄が必要) まぁ、それでも自力で違和感に気付いた可能性高いですが。本作キリトはあまり人に命令しないし、そもそも無暗に人を害そうとはしないし(敵には割と容赦無し)



 ――――という訳でユウキ視点の回想は、事情説明と改竄過程を示す事で、覚醒での箔付けをするためのものでした。



 他の方の作品を読んで、改竄過程が抜けてて、覚醒する時に軽いなぁと思った事があるので……如何でしたかね。自分なりに頑張りました。

 須郷のゲスさ、屑さを描写するのってホントエネルギー使う。普通に女性キャラ視点での告白シーン書くより使う。ダルイ。疲れた。

 でも満足。

 ただし、スッゲェ心が痛い……ユウキ、ごめんよ……(´;ω;`)

 暫くはキリトと一緒に出番が多い(尚予定だ)から……

 キリト視点は、ユウキ視点で外からどう見えていたのかと、どれだけユウキ達の事を想い、戸惑い、苦しんでいるかを描写する為。

 大体苦しんだ後の希望は極上の味なので、次話はキリト幸せの絶頂ですね(意味深) 尚、知識はあっても無垢の模様。

 ヴァベル視点は伏線にもならない伏線。

 原典ゲームだと、アルベリヒが《攻略組》を襲う階層は98階層フロアボスなんです。つまり20階層以上早い襲撃。これまでそんな事無かったからヴァベルさんも驚愕している訳です。

 過去へは一方通行なので、未来から近い順に徐々に戻っていけば、前提条件は狂わない。日数で戻ってると約二年でも730回ほどが逆行回数の限度なので、ゼロコンマ秒以下刻みで逆行してる。

 狂ってる(恍惚)

・例
 2028年12月 → 2026年11月に戻る
→ 2028年12月をまた迎える。

a)2026年12月に戻ると、同年11月に戻って起こした歴史改竄が前提になる
b)2026年10月以前に戻ると、改竄前なので前提条件が記憶と同じになる

 この法則で動いていたために、何故か最も過去に戻ったのに前提条件が崩れているから怒鳴っていた訳です。

 ヴァベルの記憶には居ない人物……伏線にもならねぇ。

 では、次話にてお会いしましょう。



 次話は多分、飛ばさなければキリトがぐずぐずにユウキに溶かされるな……(喜びで)



 ――――外なる者……

 尚、本作で超越存在(デウスデア)は登場しません(断言) 存在は仄めかすかもしれないけど(ぃぁぃぁ!)



 『反転』という単語で『貴様』呼びと『重厚な威圧』でオルタ化させたくなったのは秘密だ(Fate/) オル田は癒し(確信)



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