インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
文字数は一万三千。
今話の視点はオールアスナ。
ではどうぞ。
《ティターニア》とホロウを無力化した後、私達は連れ去られた人達を助けるべく動く事になった。
麻痺毒はユイちゃんの予想通り時間経過で解除された。GM権限によるものだからか《状態異常耐性》スキルの時間短縮効果が発揮されず三十分ほどは床に転がったままだったが、黒馬のお腹を枕にさせてくれたから不快ではなかったし、麻痺毒に罹らなかったキリト君とヴァベルの二人が警戒してくれたから危険も無かった。
何故彼は麻痺毒に冒されなかったのか。その理由は彼も分かっていないし、脅威となる存在は一先ず無力化出来たから救出が優先と言った事から追及する気も無いらしい。
槍に串刺しにされた上で氷漬けにされた《ティターニア》の面々はユイちゃんとヴァベルが見張ってくれる上に、キリト君が出した武器による即席の牢獄で文字通り身動きが取れないので、処遇を決める為にもクラインさん達を助ける事になった。キリト君はマップに表示されるクラインさん達の反応がある部屋へと向かい、私とリーファちゃんもその後を追う。
そして部屋の中に入った途端、愕然とした。
大広間と言える程に広大な一室の中には、ズラリと並ぶ人――――の脳。
ホログラムのそれは向こう側が透けて見えるが、それが等間隔且つ均一の距離を取って部屋いっぱいに広がる光景は狂気を感じさせる。
しかも脳の映像はただ浮かんでそこにあるのではない。バラバラではあるが、脳の部分部分が局所的に明滅していた。
「……何、これ……」
口に出来たのはそれだけ。予想を遥かに上回る光景に圧倒されてしまった。
これを為したのが自身の知り合いである男性だというのだから信じたくない。だが、ユウキに施したという記憶や感情の改竄の研究について考えれば、信じざるを得ない。どちらにせよここに皆を連行したのは《ティターニア》だから疑いようも無い。
彼等がしている事、その目的をリーダー本人から聞かされている以上、良くない事をされているのは分かっていた。こうして見れば須郷伸之が行っていた実験が如何に非人道的なものだったのかがよく分かる。
隣を歩く少年の義姉を見れば、険しい面持ちで部屋を見渡していた。一言も発していないから余計怖い。
それから前を見れば、キリト君はさっさと部屋の奥にある石机へと歩を進めていたため、慌てて追いかける。
「キリト、その石がどうかしたの?」
「この石、地下迷宮の最奥にあったコンソールと瓜二つなんだ」
「……言われてみれば確かにそうだね」
彼が言う通り、その黒い石机は地下迷宮最奥にあったモノと同一の形状をしていた。
【ホロウ・エリア管理区】にあるものは斜めになっているもので型が違うから、地下迷宮には来なかったリーファちゃんが分からないのも無理はない。
「という事は……それは、コンソールなのかな」
「それは、起動してみない事には……あっちのはユイ姉がMHCP権限かGM権限を使って起動したようだけど、俺にはGM権限は無いし……」
ゲーム内にあるシステムコンソールは運営側がゲーム内から修正を行うための緊急措置として設置されているもので、一般プレイヤーが触れられないよう旨味の無いダンジョンの奥底にあるものだという。あの地下迷宮も経験値こそレベル相応だったがポップ数が異常だった。レベリングにもあまり適しているとは言えない環境だった事を考えれば条件に見合っていたと思う。
ここは《ホロウ・エリア》だからその条件が当てはまるとは言い難いが、起動に必要なシステム側の権限がない以上、起動は難しいだろう。
管理区にあるタイプのものであれば《高位テストプレイヤー権限》を持つキリト君も起動できるが、完全に運営者側専用のものだと打つ手は無い。
ここを実験の拠点としていた《ティターニア》の面々がGM権限やスーパーアカウントを使っていた事からもその辺を考えず、ただ運営者側用のものを使っていた可能性も捨て切れない。形状からもそう思う。
彼が自信無さげに言うのはそういう理由があるからだ。
「まぁ、ダメならユイ姉に頼めばいいからな……」
だが、その心配も杞憂に終わる。ペタリと手を置いた彼に呼応するように黒机が光を走らせ、キーボードのように画一的に配列されたパネルと何枚ものホロウィンドウが浮き上がったからだ。
見た目の形状こそ異なるが、仕様自体は管理区にあるものとそう変わらないらしい。もしかしたらコンソールの種類も見た目だけなのかもしれない。《高位テストプレイヤー権限》を持っている彼が触れたから、という線もあるとは思うが。
「起動したね。良かったぁ……」
「ログインパスワードとかは必要無いのね」
「特別な権限があれば起動するという仕様に安心していたんだと思う。とは言え……研究資料らしいものは暗号とか符丁ばかりで、流石にすぐの解読は難しいな……」
喜ぶのはどうやら早かったようだ。起動すればあとは楽だろうと思っていたが、極秘裏に進めていた研究を万が一にも見られた時の言い逃れの為に一見では分かりにくくしているようで、画面を見る彼の顔が歪む。
試しに自分も見るが、それらしい事は書いてあっても核心部分は抜かされている。ところどころ脈絡のない文章になっているから、恐らくここが暗号や符丁の部分なのだろうが、符丁が意味するところを知らない私達では判読しようがない。
時間を掛ければいいが、皆がされている事を考えれば後回しにした方が良い。
でも助け出すなら判読しておかなければマズい事になるかもしれないというジレンマ。何せ脳に関わる実験を受けているのだ、その辺のロジックを理解しておかないと大惨事に繋がりかねない。
彼もそう思っているのか、次から次へとフォルダや研究文書を開いて流し読みしては別のものを開く、という作業をしている。
「――――これは……」
その中の一つで、ふと彼の手が止まった。
何だろう、と思ってその文書のタイトルを見る。題名には『プレイヤーの感情収集に関する研究』とあった。あの人が人の感情や記憶に関する研究を行い、改竄している事は知っているのに、何が引っ掛かったのか分からない。
内容を見れば、日時と時刻、収集されたプレイヤーの感情の種類について記されている。
記されている日時は、七十五層ボス戦に挑んでいる時。
収集された感情は恐怖、怒りが主。喜びも僅かにあるらしい。
どうやら大勢のプレイヤーが集まっている時を主に記録したものらしい……そう思ったが、その下にあった別の日の記録を見て首を傾げる。大勢集まっている時のものなら七十六層ボス戦や七十七層で襲われた時のものもあると思ったのだが、続く記録は七十六層ボス戦の翌日だったのだ。それも午前中の一、二時間程度の記録でその日は終わっている。どうもプレイヤーが大勢いるかどうかで記録を取っている訳では無いらしい。
「……チッ、そういう事か」
何を目的に記録したものなのかと思っている私だったが、キリト君は分かったようで苛立たしげな雰囲気で舌を打っていた。
……さっきから思っていたけどかなり機嫌が悪い。普段の彼はどれだけ苛立っていても舌打ちなんてしない。
でも、どこか納得している自分がいた。
七十六層に到達した時の事を思い出せば、当然とも思えるのだ。
あの時、“シロ”と呼称されているらしい彼の別人格は言っていた。もう後は無い、少しでも危害を加えられれば、私達はその瞬間、《獣》によって殺されると。
《獣》、というのを私達は知らない。彼から聞かされていないからだ。
だが。
多重人格が形成される程の負の感情を彼は抱いていた。恐らくその大半が怒りや憎しみ。アキトとの死闘での表情を、感情を思い出せば、それは確信を持てる。虐げられる事に呼応して増幅する憎しみが私達を殺す。彼が今まで向けられてきた想いの最たるものが彼への殺意だったから。
《王》の彼は私達を守ってくれる。仮令意識が《オリムライチカ》としてのものになっていようと、【黒の剣士】と《ビーター》の振る舞いは、人を守る為のものだった。生来彼は優しいのだと思う。
でも《獣》の彼は私達を殺すだろう。それは《オリムライチカ》としての怒り。ずっと溜め込んできて、ぶつけようがなかった怒りと憎しみ。『優しい人が怒れば怖い』というように、《オリムライチカ》の怒りの部分である《獣》が目覚めれば終わる。
それを、アルベリヒは――――須郷伸之は、知らず知らずしてしまった。
彼の現身であるスレイブを作り、虐げ、最後には破滅させた。『自滅』と言えばスレイブの自業自得と感じるが、彼は自分で定めた『絶対』の存在と誓いのどちらかを捨てる事が出来ず、どちらも大切だからこそ破滅した。それだけ固い信念と覚悟を抱いていた。
自分の大切なモノを土足で踏み躙られ、貶されるような錯覚を、彼は抱いただろう。それで怒らない人がいない訳が無い。
――――何時、その牙は私を、私達を殺すだろう。
“シロ”が言っていたようにもう彼も限界なのだ、怒りを、憎しみを抑え込むのは。
“シロ”が何を司り存在しているかは分からない。でも彼は《王》の事を優先していた、生きる事を何よりも重要視していた――――恐らく、私達の事は度外視して。だからきっと私達が死にそうになっても、《獣》は勿論、“シロ”は助けてくれないだろう。その果てに《王》が破綻するのだから。
こわい、と思う。
死にたくはない。死にたくて戦っているのではない、生きたいから戦っているのだ。
だが……彼に怨まれ、殺されても、仕方ないとは思う。彼の事を思って行動して来たが、それでも《ビーター》として振る舞う彼に寄り掛かっていたのは事実だ。
世界とは、そうして成り立っている。
賞賛されるには、比較しなければならない。上に立つには下がいなければならない。
健全な在り方。それは、きっと妖精との関係。上に立つ彼女は、下に立つ義弟を愛し、教え、導いている。そこに見下す感情は無い。『強くなりたい』という想いを組み、上に立つ者として毅然とした態度で受け止めている。
それは、とても尊いものだ。
彼が生きて来た半生の殆どは……
「アスナ?」
――――思考を止められ、意識が引き戻される。
我に返れば、コンソールを背に訝しむ表情で見てくる少年の顔が視界に入った。心配そう、案じている、などの表情に見えないのは彼の闇の発露を幻視しているからか。
「辛いならユイ姉のところに戻るか? ……須郷の顔が嫌なら、管理区でユウキ達と合流するのもアリだけど」
どうやら狂気的な部屋の内装に当てられ、気分が悪くなったと思ったらしい。実際そこまで良くはないが、首を横に振る。
「ごめん。私は大丈夫だよ」
「……そのセリフは、大丈夫じゃない人が言うものですよ、アスナさん」
呆れたように言うリーファちゃんの言葉にぐぅの音も出ず押し黙る。彼女の翡翠の瞳は私をまっすぐ貫いていて、まるで見透かされているような錯覚に陥った。
「変に我慢しても良い事は無いと思いますが」
「だ、だから大丈夫だよ。それに、それを言うならリーファちゃんはどうなの? キツいんじゃないの?」
「いえ、あたしはそうでも無いですが」
「えぇ……?」
かなり狂気的な光景を前にサラリと言われ、思わず訝しむ。だがどれだけ顔色を見ても平時とまったく変化がない。義弟を残して戻るのは、とやせ我慢しているのかとも思ったがそうも見えない事から、本気で堪えてないらしい。
ちょっと特殊な家柄という訳でもないリーファちゃんが一体どういう人生を送って来たのか、偶に分からなくなる。
「……まぁ、本人が良いって言うなら構わないけど、限界が来たら我慢せず言ってくれ」
彼女の状態に困惑している私を見ていたキリト君は、特に追及する事なくそう言って来た。
「そう言うキリト君も無理は禁物だよ? 放ってたら何時までも動き続けるから心配なの」
動き続けそう、ではなく、動き続けると断定形なのが悲しいところ。止めようとしても動こうとするから余計悲しい。
「俺は良いんだよ……ユイ姉に見せるくらいなら、多少無理を押してでも動いた方が良い。気も紛れる」
「だからそういうとこが心配なんだって……どれだけ言ってもボスに単独で偵察戦を仕掛けるのはやめないし、辛いなら休んで良いと言ってるのに単独攻略に行こうとするし、今日は休むって言ってた筈なのに気付けば真夜中に騒動の渦中で戦ってるし。何時も外れて欲しい予想ばかり当たってるから、事態の方は好転しててもみんな辛いんだから」
無理は禁物と、彼と出会ってからこれまでで何度言ってきた事か。
今なら分かる。毎回注意しても効果が無く、一人で死地に挑む彼の行動を知った時の、あの陰鬱な団長の表情の意味が。自分が作ったゲームで死にそうになってる子がいて、それをずっと見せ続けられれば欝にもなる。
「キリト、今回の事態が落ち着いたら説教ね」
「?!」
私の言い分を聞いたからか、静観を保っていたリーファちゃんが絶対零度の眼で宣言した。
腕組みしながら言った彼女に彼は愕然とした反応を返すが、彼も内心後ろめたく思っていたのか、ぬぅ、と暫く唸っていたものの反論する事は無く、それを受け容れていた。受け入れざるを得ない無言の圧力があったとも言える。
それはともかく、あの眼、うちの母さんが偶にする眼以上の圧力を感じた……
「――――説教はともかくとして、アスナさんはどう思います?」
「うぇ?! えっと……」
現実に居る母を思い出して恐ろしいやら懐かしいやら複雑な思いに駆られていると、ふと普通の目付きになった彼女から不意に話を振られ、、素っ頓狂な反応を返してしまう。
「……アスナさん? 話、聞いてました?」
「えーと……え、と…………ごめんなさい、聞いてませんでした」
「「……」」
変に誤魔化すと絶対怖いと確信してたから、素直に頭を下げて謝罪する。じとっとした眼で見られるが、さっきの母を思わせるキツい眼で睨まれるのと較べれば、こっちの方が全然マシだ。
キリト君からも呆れた眼で見られるのはキツいなぁ、と考えつつ、私がぼうっとしている間に二人が話していた内容について改めて教えてもらう。
――――研究文書を見ていった結果、今の実験についての内容は判明した。
手掛かりになったのは、《ティターニア》の面々やホロウ達が持っていた拳銃。【五四式・黒星】という名前らしい銃は絶対SAOに導入されていなかった武器だから、新たに造られたモノだろうと当たりを付けた彼は、コンソールのログからアイテムのジェネレート履歴を探った。するとアイテムを新しく作り出す、という履歴を見つけ出した。
その詳細は今みんながされている実験と関わりがあった。
結論から言うと、その拳銃はプレイヤー【Sinon】――――シノのんの記憶に出て来る武器だったのだ。
彼女の記憶から設計図を得て、テクスチャとをネットに散らばる画像から引っ張って来て貼り付け、完成させたもの。彼女の記憶を読んだという点は実験の目的に合っている。彼が言うには脳のシナプスを刺激し、その拳銃を記憶しているニューロンを活性化させる事で大まかな外観を想起させたのだろう、との事。《ⅩⅢ》が炎や氷などを装備者のイメージに沿って出す辺りと同様のロジックと推察出来るらしい。
《ⅩⅢ》と同じ、という事だが、常に新しいものを探求する実験に於いて今更同じ事をする必要は皆無。
つまり拳銃が記憶から出て来たのは別の目的の副産物だった。
須郷達が行っていた実験は、――本人が語っていた内容からあたりを付けていたが――感情。人が好きなもの、嫌いなもの、楽しいこと、辛いことを想起した時に活性化するニューロンを特定し、そこを刺激する事で発生する感情を操作し、快と不快の関係を逆転させる、というものだったのだ。
喩えるなら、キリト君が抱く『実兄に対する嫌悪』と『義姉への想い』などが逆転し、前者は好ましく、後者は疎ましく思うようになるという事。
彼の話によれば、実際にユウキがそれをされたらしい。結局彼女はそれを自力で破り、己を取り戻した訳だが、須郷達はその場で即席で調整した事が原因と見たようだ。要するに臨床データの不足が原因で失敗したのだと。それを詰める為にみんなを使って実験を行っているという。
量産したホロウにクラインさん達以外も居たのは、ステータスは反映されるが、オリジナルの感情までは完璧に引き継がれない設定にすれば現時点で量産できるからと判断したからの事だったらしい。
――――それって、つまりキリト君の脳は隅から隅まで読み込まれているって事じゃない……
話にだけ聞いたキリト君のホロウと、須郷によって作り出されたスレイブは、オリジナルの記憶と精神を引き継いでいる。時期が外周部からの落下時点なのが同一である以上、スレイブが作り出された瞬間ホロウの方にも影響したとみるべきではないだろうか。
そう思考が逸れる事もあったが、それらは片隅に置いて意識を戻す。
要約すると、今実験されているみんなは眠っており、感情の快・不快を強制的に想起されている。人によっては楽しい夢を見続けているが、中には苦しい夢を見ている人もいる。その中で優先順位を付けるなら当然後者。
――――その中に、拳銃を想起したシノのんが居た。
今二人が話し合っているのは、拳銃を『辛い事』の一つとして想起している彼女を目覚めさせた時の対応らしい。
「俺に師事を頼み込んできた時の様子からただならぬ事情を抱えてるのは確実。その辛い記憶が強さへの執着に直結してるなら、下手すると去年のクリスマス近くの俺みたいになる可能性もある」
「強くなる事への執着がキリトと似てるくらいだと、それこそ本当に尋常じゃ無い訳だしね……」
「あー……」
拳銃が『辛い事』の要素として記憶されている以上、幼い頃に強盗の被害にあった可能性だって無きにしも非ず。そのトラウマを抉られ続けていれば軽く錯乱していてもおかしくない。ましてや今の彼女はレベルカンスト。暴れられるとちょっとどころではない惨事に繋がる。具体的には拳一つで私やリーファちゃんが死ぬ。
なるほど、それは確かに対応も話し合わなければならない。
「そういう事かぁ……確かにシノのん、結構凄い事をしてたのに全然満足してなさそうだった覚えがあるよ」
遠距離から迫るハーピー達を近付けさせず、途中から眉間を貫いて即死させるようになった時の事だ。誰もが凄いと言っていたのに本人は全然満足していない様子だったのから凄く印象に残っている。
当時は努力家なんだなと思っていたが、今思えばちょっと度を過ぎていた気もする。
……でも、それって悩む程の事だろうかとも思う。
「でもさ、錯乱したところをキリト君の《ⅩⅢ》で動けなくすればいいんじゃないの? 串刺しにしなくても《ティターニア》にしてるみたいに障害物として武器を設置するだけで効果抜群だと思うんだけど」
傷付けたくない、という想いはよく分かるが、その方法なら確実だと思うから悩む必要はやはりない。というかこの二人なら真っ先に思いついてもおかしくない。
そう、思ったのだが。
何故かキリト君は口を開いて、今まで思いつかなかったものを思いついたような顔をした。
「……え、ちょっと待って? キリト、あたしはてっきりそれを考えた上で、話してたのかと思ってたんだけど」
リーファちゃんがそう問えば、彼の視線が泳いだ。本気で思い付いていなかったらしい。
「まぁ……キリト君も、色々とあって疲れてるだろうしね……」
そうフォローを入れる。実際彼は今日一日で七十七層攻略、スレイブとの戦闘、馬車の用意と素材の補充、《ティターニア》との戦闘、ホロウ達との死闘から今の救出へと一日中働き詰めだ。私が休んでいる間も動き続けていた事も考えれば十数時間も休みなく動いている事になる。
それだけ動いた上で暗号や符丁がばら撒かれた小難しい文書を沢山読んで、意味を理解し、ロジックを理解してまでいれば、脳が疲れ、ちょっとした事に気付かなくなってもおかしくない。
……おかしくない、のだが。
――――もう《王》はとっくに限界を迎えている。
――――《獣》の目覚めは、すぐそこだ。
“シロ”の言葉が、《獣》という存在が、ただの疲労ではないと思わせる。感情が振り切るあまり思考が意味を為さない事はユイちゃんが示してみせた。
AIの彼女ですらああなったのだ。人間である彼が激しい憎悪を抑え続けるのにも限度があり、既に綻びが見え始めている以上、今の何でもない事に気付かなかった事がその前兆であると言えるのではないだろうか。
「……と、ともあれ、取り押さえる方法が決まったなら早く解放しよう」
焦慮の中に確かな羞恥を見せながらコンソールを操作し始めた彼を見て、そう思った。
*
コンソールを操作した彼によって最初に解放された少女は、振り分けられていたのだろう脳の映像が消えると共に姿を見せた。
駆け寄りそうになるが、あたしの前に出た二人の姿を見て衝動を抑える。取り押さえなければならない可能性があるのを一瞬とは言え忘れてしまっていた。
床に仰向けで寝る形で出現した彼女の顔色は遠目で見ても分かるくらい良くなかった。
「暫くしたら起きるんだよね」
「《ナーヴギア》から発せられていたパルスは切ったから、その筈だ」
「アスナさんは下がってて」
取り押さえる事を視野に入れて身構える義姉弟。
それに反するように眠り続けるシノのん。十秒、二十秒、三十秒――――一分超えて二分経っても、彼女が起きる気配は全くない。そもそも寝返りすら打っていない。
「……ねぇ、ホントに起きるの?」
「俺に聞かれても……こればかりはシノン次第としか……」
「あたしが警戒するから、キリトはコンソールでシノンさんの状態を確認してくれる?」
「分かった」
何時まで経っても動く気配がないから不安になってると、二人はそう話し合い、コンソールで状態を確認する事になった。する事が無い――というか何かしようとすればむしろ邪魔になる――私もコンソールへと近付く。
「どう?」
コンソールを操作し、ホログラフィを睨むキリト君に問い掛ける。
コンソールの直上に表示されているホログラフィには、人の脳が表示されていた。表記を読むにどうやらシノンの脳の状態を映しているらしい。私には何が何だかだが、研究資料を読み通した彼は理解しているようで難しい顔をする。
「あまり良くないかもしれない」
「良くない? パルス刺激は解除したんだよね」
「ああ、解除したよ。それでも刺激してた時と同じ脳細胞の活性が見られてるんだ」
ほら、と言って二枚のウィンドウを見せられる。両方に彼女の脳が映し出されているが、どちらも同じ色合いに染められていた。刺激を与えている間と今の状態の二枚なのにだ。
「同じ……でも、どうして……?」
「改竄や操作と一口に言っても、そもそも記憶や感情はその人の脳を基点として発生する。須郷がやってる事はそれを意図的に操ろうとしていただけ。夢は普通に見るだろう? それと一緒だ」
「……じゃあつまり、シノのんは今、辛い時の夢を視続けてるの?!」
導き出された答えに、彼は確かに頷く。
「なまじその記憶と結びついてる物品を強く想起させられたんだ。多分、俺にとっての《織斑》やケイタだったんだな……」
それはつまり、彼女にとって拳銃はトラウマそのものだったという事になる。
一体過去に何があったのか気になるところだが、それよりも今は、彼女を悪夢から解き放つ方法について考えなければならない。
「どうしよう……どうすれば……」
だが、どれだけ考えても良い方法が浮かばない。
体を揺らすのは仮想世界でも有効ではあるが、錯乱している可能性が高くなった以上、近付くのは却って危険だ。トラウマを刺激された人が追い詰められたらどれだけ危ないかは去年のクリスマスで身を以て知っている。彼が殺意を向けて来る程だ。
「……一つだけ、方法が無くはない」
重い口調で言った彼に目を向ける。
彼はこちらの促しに応じず、研究文書の一つを表示した。題名――――『記憶に依存した環境の具象化研究』。人の記憶を読み取り、あるいは脳を刺激して映し出された環境を、仮想世界で再現するという内容だ。
なるほど、人の想像や記憶から作り出されるなら確かに具象化と言える。
「さっきアバターが無かったよな。須郷達に実験をされている面々のアバターは一時的に消滅して、その意識は《アインクラッド》でも《ホロウ・エリア》でも無い特別な空間に送られてるらしい」
「……意識? アバターじゃなくて?」
「アバターも含んでの具象化らしい。人間の体性感覚とか、腕の長さとか意識しない感覚、謂わば無意識の感覚をも読み取り、アバターとして構築し、夢の環境をリアルタイムで再現して見せる。自己像の投影とか、何とか……」
言いながら、文書の詳細部分を示してくる。見れば彼が言った通りの内容が難しい言葉でばかり書かれていた。自己像の投影や夢での環境再現は、最も好む環境として再現される風景が『戦場』になり、好む行為が『殺人』になれば戦争として登用出来る兵士の完成という指標として、研究の一つに入れていたようだ。
確かに操作して終わりでは、実際どうなのかは分からない。その結果ユウキはすぐさま反旗を翻したのだ。
あの男、確かに詰めは甘いが、それは初手だけのようだ。痛い目を見た後の対応がメタを張って来ている。内心で翻意を持っていても無意識の部分を覗かれてしまっては一発で分かり、延々と同じ実験の繰り返しだ。
表面上だけでは無く、底の底まで改竄しようとするなんて……
「惨い……」
「だが効果的だ」
所感を洩らせば、キリト君はそう言った。
思わず睨む。君にだけはそう言って欲しくない、という想いを込めて。その意図するところを理解しているのか彼は肩を竦めた。
「あくまで客観的に見ればの話。主観は別だよ」
「そう……」
それなら、いいが。でも何だか釈然としない。
「……話が逸れたが、要はコレを使おうと思う」
「え……まさか、パルスを当てて無理矢理……?」
「それも考えたけど、根本的な解決になってないからダメだな。というか今後に良くない。辛い夢の後に幸せな夢を見せて起きないとかなったら余計困る」
今後……起きた後の事も含めて考えているらしいキリト君は、いいか、と指を立てながら見上げて来る。
「この研究の内容は人の無意識の環境や自己像を読み取り、それを別の仮想空間で再現し、夢を仮想現実として具象化するものだ。つまりその空間は夢でありながら他人の干渉をも認める仕様になってる。アスナの夢の具象化空間にヒースクリフやディアベルが出て来る感じだ」
どうしてそこでその二人をチョイスしたのか凄く訊きたいが、今は流す事にする。
「で、トラウマだろう今のシノンの夢は、トラウマになるくらいだから相当精緻に再現されると思う。何せあの拳銃のテクスチャは殆ど改変されない程に精巧だったらしいからな」
「そんなに……シノのん……」
トラウマと確定してはいないが、かなりの可能性であり得る事実に、思わず眠る彼女を見る。そんなに深い心の傷を負っているのに気付けなかった事に内心謝罪する。
何故話してくれなかったのか、とは思わない。私の彼女は出会って一ヶ月も経ってないし、そんなに怖い出来事を話す事すら忌避する気持ちはキリト君と接しての経験則でよく分かる。
「……具象化するロジックは分かったけど、どうやって起こすの?」
「この研究の肝は《ナーヴギア》を使った双方向のアプローチが可能な点だ。脳細部の活性で想像を読み取るなら、逆にシステム側が作り上げたイメージを脳に叩き込む事も技術的には可能だ。そのイメージもシノンの記憶の方に存在しているものがあれば負担が少なくて済むから尚良い。初めて記憶するものより記憶されてるものの想起で済む方が楽だからな」
「……まさかと思うけど、具象化空間に君が入って、その状態をシノのんの脳に反映して干渉するの?」
「ああ。反映させないと立体映像を見聞きするだけでシノンに干渉出来ない」
理屈は、分かる。確かに具象化した空間は、対象の夢を読み取って仮想現実として確立したものであって、そこで何をしようとあちらには影響がない。彼女の悪夢を終わらせるなどの干渉をするとなれば、それは必然的に彼女の脳へ影響を与えなければならない。
《ⅩⅢ》というイメージを読み取る武具を持っている彼女であれば、具象化の試みは可能だろう。
でも具象化空間での出来事を反映させるという点が反感というか、拒否感を抱かせる。多分その試みは須郷達がしようとしていた外道な実験と同じ方法だからだ。
「……気持ちは分かるよ、忌避感が湧くのも仕方ない。目的が違うだけでしようとしている事は須郷達と同じだからな」
顔に出てしまっていたようで、こちらの内心を的確に読んで彼は言う。
「――――でも、俺はこの方法を取る」
やや寂しそうな苦笑を浮かべていた彼は、ふと真剣な面持ちになってそう続けた。
「技術に罪は無い、その使い方に善悪は問うべきだ。だからこの方法を取る俺を軽蔑してくれていい」
真っ直ぐに、黒曜の瞳が見て来る。
その瞳は愚直なまでに問いを発していた。軽蔑するのか、しないのか、と。彼の中でその方法を取る事は既に決定していて、曲げるつもりが無いのが分かった。ここで誰に嫌われようと、疎まれる技術だろうと、それを使って助けられるなら使う覚悟が見て取れる。
「……はぁ」
思わず、溜息を吐く。
――――敵わないなぁ、もう……
そして、脱力しながら笑みを浮かべる。知らない内に体に力が入っていたのが自然と抜けていくのが分かる。
同時に、胸の内が暖かくなるのも。
本当に優しい子だなぁと、そう思う。自分が嫌われようと助けるなんて普通の人は忌避してしない行動だ。それでもする覚悟なんて常軌を逸していると言える。一言で言えば異常だ。
――――でも、それがキリト君なんだなぁ、と。
そう思ったら、何でもない、何時もの彼だ。今までどれだけ注意しても聞かなかった幼い子供だ。
自分の身を省みず、目的目掛けて一直線なところはお義姉さんと戦った後も変わらない。
「む……何で笑う」
感慨深く思っていれば、そう問われた。馬鹿にしていないとは分かったけど、不可解だから聞いたのだと思う。
「君は君だなって、改めて思っただけだよ。無理しないようにって言ってもすぐそうなるから心配なのにこっちの心配なんてぜんっぜん気に掛けてくれないんだもん。もう怒る気にもなれないよ」
へにゃ、と笑いながら言って、彼の頭を撫でる。
「な、何で今撫でるんだ……」
「今以上の言葉は必要?」
「え……な――――」
やや顔を赤くしていた彼は、私が言った言葉の意味を理解したようで瞠目と共に固まった。
ただ、まぁ、理解したかもしれないが、誤解した可能性もある訳で。
だから私は、言葉でも応える事にした。
「君の行動には必ず理由があって、その目的には人助けが掲げられてる……それを分かってるのに軽蔑なんてする訳無いよ」
人を助けるためと分かっていて軽蔑するなんて身勝手で傲慢だ。彼は身を粉にしてみんなの為に動いている。それを蔑ろにする行いを、私は絶対に取りたくない。
第一層の頃から苦しい想いをしている子供を見放すなんて、出来る訳がない。
「複雑じゃないと言えばウソだけど、目的は人体実験なんかじゃないから、誰かが貶して軽蔑したとしても私はしない。だからキリト君――――」
――――シノのんを助けよう。
彼は、喜色を顕わに強く頷いた。
はい、如何だったでしょうか。
シノンが囚われてる悪夢から助けるべく飛び出た『具象化』とかいう超理論。
SAO原作読み込んでる人には分かるでしょう、このロジックがほぼアリシゼーション編のSTLだと。
自己像(腕や足の長さなどの身体イメージ、自分の顔の造形)などをパルスにより強く想起させ、そのイメージをアバターとして新たに形成するというのは、まんまですね。やってる事はほぼ同じです。《ナーヴギア》の方が読み取り精度がアレですが、《ⅩⅢ》で普段からイメージを読み取られているなら成功しやすい。
環境・空間についてはアレだけど、アバターと同じ理論でOK。幻聴・幻覚がアバターとして実態を持ったと思って下されば。
自己像、環境のイメージを再現する事を本話では『具象化』と定義しています。
『具象化』の案はアリシゼーション編と『テイルズ オブ ザレイズ』というスマホアプリの設定が参考。夢に介入する方法で、直接人の精神に入り込む作品があるけど、理論的に無理だろっていう悩みを解決してくれました。
夢に行けないなら、夢を再現し(テイルズ)、そこの出来事を脳に叩き込めばいい(SAO)じゃないかって。
実際仮想空間の出来事は送られている訳だし、ロジック的には十分可能。
問題はイメージを読み取る方だけど、《ⅩⅢ》の存在が説得力に。
――――つまりシノンに《ⅩⅢ》を持たせたのは具象化しやすいキャラにする為だったのだ!(ドドン)
逆説的に《ⅩⅢ》の理論は『具象化』の理論。
つまり須郷が研究内容として挙げているモノが既に装備として実装されていたという訳で……逆説的に須郷が《ⅩⅢ》を入れた訳では無いという事に。
研究とか理論とか須郷が関わってるだけで『可能』と思えるのは流石原作トップランクの技術者だなぁ!(尚いま)
そして最後の『――――シノのんを助けよう』は、アスナが『助けて』と今までと同じくキリトに頼りきりで苦しい想いをさせた事を反省し、一緒に苦しみを背負おうという決意の顕れ(のつもり)
SAO勢なら知っているであろうシノンのトラウマ【五四式・黒星】が出て来たからシノンヒロインだと思った? 残念、これからはアスナとのダブルヒロインだ!(ウザイ)
――――というかここまでアスナがヒロインするとは予想外(オイ)
以前、アスナはALOから本気とか言ってたけども。危機一髪のところを救われた訳だし、もう堕ちた可能性微レ存在()
アリシゼーション編の影響がここまであるとはアニメって侮れねェ……
では、次話にてお会いしましょう。