インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話のサブタイトルの『創』はキズと読みます。『傷』でない理由は、銃創のキズを意味して選んだから。

 先週投稿してなかったのは卒業研究(という名の国家試験対策)に受からんとするべく勉強していたから。曜日違いの投稿はテンションおかしくなった状態のものである(無慈悲)

 だから赦して下さい。

 今話は九割アスナ視点、残り一割リーファ視点。

 リーファ視点要るのかって? 義弟関連だと最強の洞察力と実力発揮する御仁ですぞ。作者の予想(プロット)を上回ったキャラ一位でもある(二位はアルゴ、三位はユウキ)

 文字数は約一万千。

 ではどうぞ。




第百二十六章 ~創との戦い~

 

 

「――ここが、シノのんのユメの風景……」

 

 転移が終わり、開けた視界にはどこかの街並みが広がっている。《アインクラッド》では見る事が叶わない電柱、アスファルトの車道、横断歩道、マンホールにコンクリート素材の建造物。物心ついた時から見慣れたものを一年半ぶりに見ると中々新鮮な気持ちになる。郷愁にも駆られた。

 この風景が彼女のトラウマに関係している街並みなのだろう。

 遠目では緑の山と田畑も見えるから、彼女は都会っ子という訳では無いらしい。

 そうして周囲を見渡していると、ふと自分の装いに意識が逸れた。

 《血盟騎士団》のユニフォームである白と紅の騎士装。腰の剣帯からは愛用の細剣ランベントライトが吊るされていて、《アインクラッド》の装備そのままだ。

 研究文書と共に説明を受けた時は本当に人のユメを仮想世界で再現出来るのか半信半疑だったが、彼が言った通り本当にここは仮想世界らしい。

 

「……リーファちゃんはどこだろう」

 

 この世界随一と言っても過言ではない剣椀を持つ妖精の姿を探して辺りを見回すが、どこを見ても金髪緑衣の特徴的な少女の姿は見当たらない。人気が無いのは多分シノンのユメに必要無いキャストだからだと思う。

 キリトはコンソールでこちらに転移するプレイヤーを指定し、転移させる作業を行う必要があるので、最後になるとは聞いている。だからまず彼女と合流する必要があった。《アインクラッド》で言うところの初期地点が違うとなると困った事になるが、彼曰くそこまで広いフィールドではないらしいから転移直後に逸れるような事はないと思うのだが……

 

「あ、この建物、郵便局なんだ」

 

 キョロキョロと周囲を見ていると、覚えのあるマークが背後に立つ建物の傍にある事に気付き、郵便局であると把握する。

 東京にある郵便局に比べれば雲泥の小ささだが業務をするにあたっては十分だろう。少なくとも一軒家以上の大きさはある。

 ……しかしこれで市中の郵便配達を一手に担っているとなると、彼女の生まれ故郷は首都圏から多少離れた地域と見て良い。これはリアルに戻ってからやってみたい事の一つとして掲げている『友達の家でお泊り計画』に多少の軌道修正を図る必要がありそうだ。

 

「アスナさん?」

「ひゃ?! リーファちゃん、何時からそこに……?!」

「今着いたばかりですけど……アスナさんったら、驚き過ぎですよ」

 

 気付かない内に来ていたリーファに声を掛けられ驚く。そんな私を見てクスクスと口元を押さえながら彼女は笑う。かぁっと顔が熱くなるのを感じ、視線を逸らす。

 

「――ここがシノンのユメか」

 

 その先に黒尽くめの少年が居て肩を跳ねさせる。

 

「き、キリト君、何時の間に……」

「たった今だけど……何かあったのか?」

「う、ううん、何でもないの。気にしないで」

「……ふふっ」

「うん……?」

 

 慌てる理由について追及されないよう振る舞うと訝しげに首を傾げられる。義理の姉が笑いを堪えている様を見て更に不思議そうな表情を見せた彼は、切迫したものを感じなかったからか視線を周囲へと向けた。

 

「……来た直後から思っていたけど、随分穏やかなんだな。トラウマを見てる訳だからもっと荒んだ風景かと思ってた」

 

 眩しいものを視るかのように眼を眇め、独語する彼に、私も彼の義理の姉も口を噤む。ここはシノンのユメの世界、つまり彼女の心象世界を投影した風景な訳だ。拳銃がトラウマになっている彼女が見ているユメの風景として穏やかなのは私も思った事。

 彼が思っていた『トラウマの風景』がどんなものなのか。とてもではないが、私には想像できそうにない。実の兄に見捨てられた瞬間の場所。連れ去られた研究所。織斑家の内装。孤立無援だった小学校。知り得る情報から思いつくだけでもこれだけあるのだ、彼自身が浮かべる情景であればもっと多いだろう。

 リーファが触れないのは……彼の心の傷を、一番理解しているからこそか。

 周囲を見渡し感慨深げに佇んでいた彼は、暫くして視線をこちらに向けて来た。

 

「そろそろ動こうか」

「……そうね。でもシノンさんがどこにいるかはまだ分かってないよ」

「それなんだけど、私、この郵便局が怪しいと思うんだよね。他の建物に比べてやけにディティール凝ってるし」

 

 彼女の疑問に答えるように郵便局を指し示す。

 こっちに来て周囲を見渡した時から何となく思っていたが、改めて注視すれば、他の建物よりも圧倒的に情報量が多い事がよく分かる。郵便局は色やマークは勿論、掲示板や広報誌、掲載誌などもしっかり再現されている反面、他のコンビニなどは色合いだけ真似られているハリボテなのだ。遠目ではあるが目を凝らせば商品棚が空なのも見て取れる。

 ここは彼女が見ているユメを再現した具象化空間。彼女が記憶している、あるいは再現している風景や建物は詳細に再現する反面、そうでないものは曖昧にぼかされるという特徴が現れる。

 その原則に倣えば、彼女のトラウマが郵便局と関係あると見ていいと思う。

 この推測を聞いて、二人は納得の表情で頷いた。

 

「郵便局の前に出たからそうと思ってたんだが、なるほど……言われてみれば確かに」

「さっきの短時間でよく気付きましたね……」

「ふふ、これでも一ギルドの副団長だからね。洞察力や観察眼を鍛えないとやってけないんだよ」

 

 まぁ、状況に適応するべく必要な能力がそれらだった訳だから、強制的に鍛えられたとも言うのだが。ギルドとは言ったが、私はボス攻略レイドの指揮を執る事も多い。ボスのルーチンや弱点、行動を見切る予測にも必要だったから、鍛える必要性はかなりのものだったのだ。

 とは言え、ソロで戦って来たキリトや尋常でない反応速度と本能的な直感を持つユウキ、リーダーとしての経験が豊富なディアベルにクラインらには、どうしても一歩劣る。でもこういうのは適材適所だろうと張り合う事を諦めて久しいから気は楽だ。少なくとも、リアルで《結城明日奈》として過ごしていた頃よりは、遥かに。

 その大変さを理解しているのかいないのか、妖精の少女はへー、と淡泊な反応しか示さない。

 

「むぅ。もうちょっと反応してくれてもいいと思うんだけどなー」

「あはは……すみません。あたしは最初期以降ずっとソロだったから、そういう苦労はあんまり分からなくて」

「え……そうなの?」

「はい。その最初期もALOに誘ってくれた同級生の男子がレクチャーしてくれた時だけで、以降は顔を合わせるくらい。まぁ、諸事情で組まざるを得ない時もありましたけど……」

 

 そこで一度言葉を止めた彼女は、ムカつく相手を思い浮かべたのかふんっと鼻をならした。

 

「ともあれ、シノンさんと組むまでは専らソロプレイでしたね」

「へ、へぇ……姉弟揃ってソロプレイって、凄い偶然ね……」

 

 彼女はどうやら誘った人とはパーティープレイをした事があるらしいが、何を隠そう彼はこれまでただの一度もパーティーを組んだ事が無いというとんでもない猛者なのだ。アルゴさんですら組んだ事があるから、情報収集の時くらいは組んでいるかと思っていたけど、当の情報屋の方から聞いた話だから間違いない。

 これで示し合わせた訳では無いから凄い。何が凄いって、ソロでも特に問題無くプレイを続けられるその実力が凄い。幾ら魔法で即時回復、経時回復が可能とは言え、継戦能力高過ぎだろう。PK上等というかなりハードなゲームらしいのにソロプレイを続けられるのは伊達ではない。既にその実力は見ているが、改めて聞けばやはりとんでもない人だと再認識させられる。

 にこにこと微笑む彼女に頬を引き攣らせていると、少年が郵便局の入り口にある階段を上り始めた。こっちの会話が終わるよりもシノンを助け出す事を優先したようだ。

 慌てて駆け寄り、彼に追い付いたのと、郵便局の自動ドアが横に開いたのは同時だった。

 

 

 

 ――――地獄があった。

 

 

 

 鼻を突く鉄の匂い。

 視界一杯に広がる赫の沼。ところどころに転がる幾つかのヒトガタより流れるそれらは、明確に命の水であると告げている。

 その一体。入り口から少し進んだ先で仰向けに転がっている、額に穴が開いた男性の顔と、目が合った。

 光が無く、生気も無い、虚空を見詰める濁った瞳。額から血を垂れ流す男の顔は『あり得ない』と言いたげに歪んでいて、今にも動きそうな生々しさがある。

 しかし、動かない。

 当然だ。額を撃ち抜かれ、死んでいるのだから。

 

「う、ぷ……っ?!」

 

 生気の無い死体と目が合った途端吐き気がこみ上げ、それを押さえようと口元に手を当てる。ぐわんぐわんと視界が回り、床が遠く見える錯覚に陥った。その床も血の赫と鉄の匂いに満ちているから吐き気を遠ざけるどころかむしろ促進させるばかり。

 隣にいた妖精が背中を擦ってくれるが、良くなる気配はない。

 ちらりと、妖精の顔色を見る。私のように吐き気を催してはいないようだが、それでもかなり辛いようで顔色はあまり良くない。

 男を意識的に視界から外しつつ少年へと視線を向ける。彼は私達と違って泰然としたまま局内に広がる惨状を見渡していた。

 

「き、きりとくん……これって……」

「これがシノンのトラウマなんだろう。多分、繰り返された結果、悪化した惨状だ」

 

 つまりこれは、現実で実際に起きた事件をトラウマによって誇張されたものであると。

 そうと分かって、内心で胸を撫で下ろす。同い年と思うくらい精神年齢が高いが、その実、ヒトとの付き合い方に思い悩む一面もある少女なのだ。こんな凄惨な過去があったなんて酷過ぎる。

 

「……アスナ。それと、リーファも。無理そうなら戻った方が良い。血と死体に耐性無いならこの先はキツいぞ」

 

 徐に振り返った彼は、そう提案して来た。この状況を見ただけで崩れた私と我慢しているように見える義理の姉を慮っての提案なのだろう。

 

「……ごめん、心配してくれて嬉しいけど……でも、私、帰りたくない」

 

 何時もの私なら、きっとその提案を受けてアッサリと戻っただろう。自分が意地を張る事で皆に迷惑掛けたくないと思って。

 でも今は、今だけは退いたらいけないと、そう確信していた。

 

「何故」

「だって私、彼女と友達になりたい。友達として“シノのん”って呼びたい……だから、ここで逃げたらダメだと思うの」

 

 そう言いながら立つと同時に、入り口から局内の惨状を見渡す。

 見れば見るほど酷い有様だ。壁の掲示板に貼られている印刷用紙は飛び散った血で赤黒く染まっていて読めないし、職員が仕事をするスペースも電気が切れている上に死体が倒れてるから不気味だ。コットン地の床材に沁み込んだ赫が黒く変色していて尚の事恐ろしい。

 ――でも、逃げる理由にはならない。

 この光景は、彼女の“トラウマ”。彼女自身が恐怖しているであろう光景だ。つまりコレは、彼女が望んで引き起こしたものではない。彼女自身は殺戮を望んでいない。それなら私は友人としての関係を結びたいと思う。

 殺したいから殺した、そう言う人は嫌だけど。

 殺さざるを得なかった、そう言う人は受け入れられる。

 彼女の過去を知らないからどちらかは分からないけど、何も知らない時点で手の平を返すなんて真似はしたくない。それをされた事があるからこそ私はしたくないのだ。

 ――一体どれほどの苦しい思いを抱いていたのか。

 局内の中を見回して、そう思う。

 《アインクラッド》に落ちて来た時の彼女は記憶を喪っていたが、その翌日の闘技場《個人戦》の観戦を経て記憶を取り戻したというので、実質二週間近くは自分達と接している間も苦しんでいた事になる。その間、自分は彼女のそんな素振りを見た覚えが無い。強さへの執着がその表れだったのかもしれないが、それでも他者に悟られないよう必死に堪えていた事は想像に難くない。

 デスゲームに巻き込まれた以上、生きるべく戦う必要はある。でもあくまで『生きる為』であって『最前線攻略』に参加する義務は無い。一人でも多く最前線に来てほしいとは思うが、強制するつもりはサラサラ無い。ましてや巻き込まれる形で途中参加し、レベルも三〇台だったシノンは尚更だ。

 しかし彼女はそれを良しとせず、【黒の剣士】というトッププレイヤーに師事し、自らを鍛え始めた。きっと苦しんでいるからこそ強さを求めたのだ、虐げられ続ける彼のように。過去のトラウマを超えようと強さを求めたからこそこの世界で戦う決断をした。

 ――その選択をした《シノン》という少女は、とても強い。

 本人はきっと弱いと己を卑下するだろうけど、客観的に見て彼女の心は間違いなく強い部類に入る。人間誰しも恐ろしい事、トラウマに相当するものは持っている。その度合いが彼女は深いだけなのだ。

 少年と違い、彼女はそのトラウマから逃げる事が出来る。しかし逃げる選択を取らず、敢えて辛い道を進んでまで強さを求めた。

 

 トラウマと向き合おうとする強い少女が、勇んで殺人を犯したとはとても思えない。

 

 強さを求めるあの直向さはユメとして見る程に強く意識された傷の深さの裏返し。あんなに頑張っていた少女の事を何も知らないのに忌避する振る舞いは、とても身勝手で、傲慢だと思う。

 

「どうしてこんな過去を背負う事になったのか、一体何があったのかを知らないのに逃げたくない」

「……そっか」

 

 最後に少年を見据えて言えば、彼は目を細めて微笑んだ。喜んでいるようにも、どこか寂しがっているようにも見える笑みが、動悸を早くする。

 

「まったく……普通『殺人』を犯したと仄めかされただけで忌避するだろうに、流石は俺を受け容れた面子の一人だよ。こういう人間関係の事に関しては予想を悉く超えてくる……」

 

 ふっと微笑みながら、彼は瞑目した。

 

「もしかしたらアスナはシノンの、俺にとってのリーファのような存在になるかもな……」

「……それは、どういう……?」

「ありのままのアスナでぶつかればいい。きっとそれが、シノンにとっての救いになる」

 

 そう言って、彼は局内へと歩を進めた。

 どういう意味かとリーファを見るが、彼女も意図を測り兼ねているのか眉を顰め思いあぐねているようだった。ともあれありのままでシノンに思いをぶつければ良いと言われた事は分かったので今はそれで良しとし、少年の後を追う。

 局内に入れば、いよいよもって凄惨な光景が間近に迫る。持ち直した気分が急降下するのを自覚するも、この光景一つで止まっていては彼女に申し訳が立たないと奮起し、止まりそうになる脚を意地で動かす。

 大量の水分を含んでいるためか、黒ずんだコットン地の床材は足踏みする度にじゅく、じゅくと重い水音を上げる。ここが仮想世界と忘れそうになるほどに再現されたリアリティこそが、今正にシノンという一人の少女を苦しめているユメそのものなのだ。

 私では、彼女のトラウマを解消させられない。結局のところ本人の問題だから私がどれだけ助けになろうとしても殆ど意味を為さない――――でも、挫けそうな時、支える事は出来る。頑張ってと応援する事が出来る。辛くて泣きそうな時は寄り添って慰める事が出来る。愚痴を聞いてあげる事が出来る。彼女が抱く辛い思いを、少しだけでも一緒に背負ってあげる事が出来る。

 

 “ともだち”になれる。

 

 たったそれだけ。それでも、それだけでもきっと彼女にとって、大きな助けになると思う。

 ……きっとあの少年は、そう言いたかったのだろう。言葉にしなかったのは無自覚ながら私が本質を理解していたからだと思う。

 

「え、ぐ……ひくっ……」

 

 局内の入り口から進み、真反対の壁まで近付くと、そこで座り込んで泣きじゃくる少女を見つけた。

 黒髪黒目の少女は外見からして恐らく一〇歳くらいか。立ち上がったらキリトよりやや高いくらいだろう。

 人が近付いた事に気付いたのか、俯いていた顔が上げられる。泣きはらして真っ赤な目をした少女の顔つきは幼いながらシノンの面影を確かに残している。この子がトラウマを負った頃のシノンなのだと察した。

 

「き、キリト……リーファに、アスナ……?! う、あぁぁ……?!」

 

 誰なのか認識した途端、目を見開いて大粒の涙を零し始める幼いシノン。表情は救いを見た喜びのそれではなく、むしろ恐怖に直面したとばかりの絶望の表情だった。

 

「シノのん、落ち着い……」

「こないでっ!」

 

 慌てて駆け寄ろうとしたら、涙交じりの怒声で制されてしまい、思わず足を止めてしまう。何故拒絶されたのかすぐに理解が及ばなかった。

 

「シノのん、どうして……」

「どうしてもなにも、見れば分かるでしょっ?! わ、わたしは……人を、殺したのよ! コレでッ!」

 

 そう言って、幼い彼女は床に落ちているモノを指し示す。

 そこには《ティターニア》やホロウ達が使っていたモノと同じ物体――拳銃が落ちていた。薬莢が出る部分には、空薬莢が挟まって詰まっていて、下手すれば暴発しそうな状態になっている。

 入り口付近で仰向けに倒れていた男の額に風穴を開けたものはコレだと悟った。

 そして、それを使ったのがシノンである事も。

 

「おかあさんを殺そうとした強盗も、わたしを押し倒そうとした人達も、何もかも撃った! 最後にはまもろうとしたおかあさんも……!」

 

 言いながら、彼女はカウンター付近へと視線を向ける。そちらを向けば、やや地味な色合いながら婦人服を着ていると分かるヒトガタが、あらぬ方向を見た状態で倒れているのが視界に入る。顔は見えないがどうやらあのヒトガタがシノンの母親の再現らしい。

 まさかと思うが……現実の彼女は、母親をも殺してしまったのだろうか……?

 私は彼女の過去を知らない。だから誰を殺し、誰を護ったのかを知らない以上、錯乱している彼女の言葉のどれが真実なのか見定める事が出来ない。

 困惑している間にも幼いシノンは惑乱を加速させていく。

 

「わたしは生きてちゃいけないの! だれかと一緒にいちゃいけないの! だれかと一緒にいたら、わたしのせいでその人を殺しちゃうの! わたしが居なかったらリーファは捕まらなかったし、犯されなかったし、キリトも死に目に遭わなかったんだから!」

「シノンさん……そんなに、気に病んで……」

 

 どうやら昔の悪夢を見ていて精神的に後退していても、私達の事が分かったように記憶や経験はそのままらしく、彼女の言葉には明らかにSAOでの出来事が含まれていた。察するにキバオウ達に囚われ、辱められ、助ける為に駆け付けた少年が高所落下による死亡の憂き目にあった事か。

 確かに尾を引いてもおかしくない事だ。これまでその件で暗くなっている姿を見ていなかったから吹っ切れたものかと思っていたが、心の奥底でずっと蟠っていたようだ。

 そして今、須郷によってトラウマを刺激され続けた事で、連鎖的に自責の念も刺激され、罪悪感で押し潰されようとしている。

 ――いつかの少年を見ているようだ。

 己のせいでとある女性を独りにしてしまったのだ、と叫ぶ少年が居た。

 己のせいで一緒に居る人を殺してしまうのだ、と慟哭する少女が居る。

 あまりにも、あまりにも似ている。この苦しみを彼女は何年も抱き続けたのだ。はたして彼女には、少年にとっての私達やサチのような人物が、居たのだろうか……?

 

 ――もしかしたらアスナはシノンの、俺にとってのリーファのような存在になるかもな……

 

 ふと、少年の言葉が脳裏に蘇る。

 この世界では最も長い付き合いであろう少年は分かっていたのだろうか。己にとっての救いが、彼女には無かった事が。

 だとしたら、とても哀しい事だ。こんなにまで傷付いた少女にただの一人も理解者が居なかったなんてあまりにも惨い。

 それなら自分がなればいい、と思いはするが、しかし何と声を掛けたものか思い悩む。そうする間にも少女はどんどん自分を追い詰めているというのに上手い言葉が浮かばない。

 

「――シノン」

 

 そこで、芯のある透き通った声が耳朶を打ち、絡まった思考を寸断した。

 泣きじゃくる少女は、その声におそるおそる顔を上げる。キリトは彼女の目の前で膝を折り、目線の高さを合わせていた。

 

「不幸自慢をするつもりはないが、俺は現実でもSAOでも人殺しをし続けて来てるって、シノンにも教えたよな」

「う、うん……」

「桁で言えば三桁。SAOでの殺人は『みんなの為』と偽善ぶって、現実の方は『死なない為』と自分本位で行った……それなのに、みんなは良くしてくれてる。みんな、『殺人』を忌避してるんじゃない、それに至った『経緯』と『動機』を重要視してるからなんだ――――シノン、教えてくれ。何で人を殺してしまう事になったんだ?」

 

 静かな口調で語っていた彼は、そう締め括り、少女の出方を待った。

 じっと見つめ合っている内にしゃくり上げていた少女は徐々に落ち着き、次第にぽつりぽつりと語り出した。

 

 *

 

「――――わたしが人を殺したのは四年前、十一歳の時。おかあさんと郵便局に行った時だったの。それまでも一緒に郵便局に行ってて、おかあさんが手続きしてる間、わたしは椅子に座って読書するのが常だった。そのころには小説も読みはじめてたかな……」

 

 血しぶきで汚れている壁と椅子を見て、そう言うシノン。小学生の頃から小説に手を出してるとは余程本好きだったらしい。

 

「それで……五月半ばに行った時に、事件が起きたの……」

「この郵便局でか」

「うん。東北の小さな街で起きた強盗事件。報道では、犯人が局員をひとり拳銃で撃って、自身は銃の暴発で死んだって事になってるけど……実際は、そうじゃない。その場にいたわたしが、強盗の拳銃を奪って……」

「撃ち殺した……」

 

 キリトの囁くような問い掛けに、幼い少女はこくんと頷いた。

 

「……多分、子供だからそんな事が出来たんだと思う。撃った回数は全部で三回。警察に通報しようとした局員を撃った後、強盗が、次におかあさんに狙いを定めて、まもらなきゃって思って、奪ったんだけど、奪い返そうとしてくる強盗をどうにかしようとして、それで……歯を二本折って、両手首を捻挫して、あと背中の打撲と、右肩を脱臼したの。ケガはすぐに治ったけど……治らないものもあった」

 

 壁に背を預けて座る彼女は、ぎゅっと膝をきつく抱え込んだ。うつむきがちの彼女の体は小さく震えている。少年が落ち着けるように肩に手を置くが、止まる気配は無い。

 

「わたし、それからずっと銃を見ると吐いたり、倒れたりするようになったの。テレビや漫画……手で、銃の形をされるだけで、もうダメだった。記憶を取り戻したのも、闘技場のホロウがボウガンを出した時」

「……今まで、我慢してたのか」

「だって、人殺しって知られたら……見る眼が変わるんじゃないかって思うと、怖くて……」

「……その気持ちは分かるよ。今の家族に、仲間に明かす時が、そうだった」

 

 その時の事を思い出しているのか虚空を見上げて感慨深げに言う。

 

「……ともあれ、シノンが銃を撃ったのは母親を護る為だったんだな」

「うん……わたしが物心つく前におとうさんを亡くして、おかあさんはそのせいで若い頃の精神になってて……外の世界は危険がいっぱいだから、わたしがまもらなきゃって」

「そうか……」

 

 早くに父親を亡くし、そのショックで精神後退を起こしたのだろう母親を護ろうと幼いながら頑張っていた。その頑張りは素直に凄いと思っていると、シノンは不安そうにこちらに視線を向けて来る。

 

「アスナは……どう、思うの?」

 

 きゅっと眉を寄せて疑問をぶつけて来る。それは彼女の不安の表れであり、根幹。ここが正念場だと内心で気を引き締める。

 

「……さっき、シノのんは自分の事を『生きてちゃいけない』って言ってたけど、それを聞いた時、私、すごく哀しくなったの。そんな事言わないでって思った」

「なんで……全然知らない相手なのよ、わたし。しかも人を……こ、殺したんだよ……?」

 

 怯えるように少女は言う。

 

「……確かに、初めて知った時はビックリしたよ。でも、シノのんはお母さんを護るために、頑張った。人を殺してしまった事は取り返しが付かないし、どう言い繕っても『罪』ではあると思うけど、でもシノのんはずっとその傷に立ち向かおうと頑張ってた。強くなろうとしてたのはトラウマと向き合おうとしてたからなんでしょ?」

 

 半ば確信を持っていたその問いに、彼女は小さく頷いた。

 それを見て、少し笑みを漏らす。やっぱり彼女は殺人を好んでしたのではなくて、犯した罪に向き合おうと必死に頑張る強い子なんだと分かって、嬉しくなった。

 

「なら当事者でもない私は、その事をとやかく言わない。言う資格が無いから……だから、言う事は一つだけ」

「……なに?」

 

 怯えながら、それでも応じてくれた少女に、すっと手を差し伸べる。

 

 

 

「“ともだち”になって下さい」

 

 

 

「――――」

 

 ……静寂。

 シノンは、絶句していた。何でそうなるのか分からないと言いたげに目を剥いて凝視してくる。

 

「シノのんは一人で頑張り過ぎだからね。もっともっと、もっと周囲のみんなを――私達を頼って。あなたの苦しみを感じる事は出来ないけど、でも辛い時に寄り添って、支えるくらいは出来る。哀しい時に話を聞く事は出来る。人との繋がりって、きっと思ってる以上に生きていく上で不可欠なものだよ……もっともっと、私はシノのんの事を知りたいし、私の事を知ってもらいたい。“ともだち”って、そういう関係だと思うの。助けて、助けられての」

「アスナ……」

「この世界だけの関係じゃなくて、リアルに還ってからも続く関係でありたい。だってあなたの戦いはこの世界だけのものじゃないから」

 

 そっと、小さな手を両手で包む。氷のように冷たくなっている手を温める。熱を分けるように。寄り添って、支えるように。

 

「……ダメ、かな……?」

 

 じっと見つめて来る少女が何も答えないから、流石に勢い余って先走ってしまったかと不安になる。拒絶されてる風には見えないけど実際どうなのかは分からない。

 ――そこで、行動が起きた。

 ぎゅっと、小さな手が握り返して来たのだ。

 

「……あったかい……」

 

 そして、ふにゃりと、強張っていた泣き顔が崩れ、破顔する。張り詰めていた緊張の糸が緩んでほっと一息ついた時のような気の抜けように、不意を突かれ、前のめりに倒れて来る少女を地面に落ちるぎりぎり抱き留めた。

 

「ありが、と……――――」

 

 抱き留めた時、衣擦れの音に混じってそう言われたのは、気のせいか。

 

「……シノのん……?」

「――すぅ……」

 

 確認の意味も込めて呼び掛けるが、幼い少女は腕の中であっという間に寝入ってしまっていた。泣き疲れて寝たのか、それとも安心したから眠気が襲って来たのか……それは分からない。

 確かなのは、その寝顔は辛い事なんて無いと思えるくらい幸せそうに蕩けている事だった。

 

 ***

 

 幼い少女を、騎士装の女性は慈愛の表情で抱き締める。この場面だけ見れば下手すると親子に見えなくも無い。

 何はともあれ彼女が自分を追い詰めて自我崩壊に至るなんて事にならなくて本当に良かったと胸をなでおろしつつ、隣に立つ義弟に意識を向ける。

 彼は二人を温かな笑みを浮かべて見守っているが……その笑みに、僅かな違和感を覚える。

 比喩で言えば、透明感。そこに居て、でも居ないと錯覚を起こしかねない笑みに、嫌な予感を覚える。それが具体的に何を予期してのものなのか分からないから何も言わないでいるが、早急に気付かないと拙い気がすると、直感が告げていた。

 

「っ……」

 

 そして、目撃した。

 ふと顔をあらぬ方へ逸らした彼の横顔が瞑目と共に苦悶に歪んだ瞬間を。瞬きの間に元に戻っているから錯覚かと疑うも、あの苦悶が間違いだとは思えなかった。

 

「キリト、あなた……」

「大丈夫……ただの、頭痛だ」

 

 問いを遮るように言った直後、また彼は顔を顰めた。表情に現れるほど酷い頭痛らしい。

 それほどまでに疲れたのだろうか。確かに深夜を既に過ぎた今、一日の行動を顧みればハードどころではないタイトなスケジュールではあったが、本当にそれだけなのだろうかと思う。闘技場の時の事があるから実際それを否定出来ないのが辛いところだ。

 ――結局あたしは、それ以上追及出来ず、何時倒れてもいいようにすぐ彼の傍にいる事くらいしか出来なかった。

 

 そして。

 

 辛そうにしながらも、シノンさんを見て嬉しそうに頬を綻ばせていた事が、何故か記憶に焼き付いた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 シノンは父を亡くしたショックで精神が高校生(18歳程度)辺りに戻っていた母親を護るべく精神的にかなり早熟で自立心を持っていました。そこにきて『殺人』という過去のせいで友人知人らから手酷く扱われたため、人との繋がりに怯え、恐怖を抱くようになっています。トラウマは『拳銃』ですが、そこに付随する形で人との繋がりも恐れてるんですね。

 原作だと死んだのは犯人だけ。局員は撃たれてますが、死んでません。母親も健在。詩乃の怪我は原作通り。

 繰り返された悪夢の果てに局員や母親も死んでいるのは、詩乃のトラウマが無限ループに陥り、『自分が関わった人は死んでしまう』という思い込みが影響した結果。『人との繋がり』を恐れている事の抽象的描写でもあります。

 ……銃殺した直後、守った母親から怯える目で見られたのがトラウマに原因かもしれない。

 読めば読むほどシノンがトラウマを抱く事になった理由が『死んだ男と眼があった』よりも『護る対象の母親に怯えられた』事と思えてくるんだよなぁ……

 アスナは理屈で理解してはいませんが、本能的な部分でシノンの根幹や在り様を理解したため、敢えて『人との繋がり』について発言しています。

 ……ぶっちゃけると、一昔前のキリトそのものな思考なんですよね、今話のシノン。意味深な発言をしたキリトは以前の自分と酷似してるからこそ理解していた。

 地の文で語っているようにアスナはキリトとシノンの在り方が似ているからキリトの時と同じように接したつもりです。その筈がシノンが最も恐れていながら最も救いになり得る選択(繋がり)をしているというね。”ともだち”という関係がどれだけ孤独な人間にとって救いな事か。

 ――つまり最初期に”ともだち”関係を築こうと自発的に動いたキリトは精神的にシノンより上手だった……?

 それも事件起こした須郷のせいで台無しですが(最後の不穏さよ)



 真面目な話はここまで。以降は蛇足の蛇足。

 今話のシノンはロリ仕様。アニメの回想シーンで出て来る幼い姿。トラウマ刺激で錯乱してる事もあって口調が普段に較べて幼いのも仕様です(迫真)

 今話は途中からキリトを押しのけアスナがマウントを取り始めるというね。シノンが話を振ったから不可抗力はである。というかキリトが慰めるとか恐ろしく違和感あって出来なかった() なので傍から見るとお姉さんアスナ×ロリシノンというニッチな組み合わせに。一体誰得なんですかねぇ……

 キリトをメインにしても良かったけど、それだとアスナが『助けよう』って一緒に動く覚悟を固めた話の意味を喪うので没に。ショタキリト×ロリシノンの組み合わせはユメと消えたのだ……

 尚、ユイ姉が持ってる《メタモルポーション》で何時でも出来る模様(爆)

 ちなみにキリトメインだと原作六巻みたいに怒鳴り合った末にお互い弱みを言い合って最終的に認め合い抱き締め合ってキスして問答無用でシノンルート突入でした(爆) 残念ながらそのルートはアスナ(抜刀妻)によってインターセプトされましたが。



 実は今話、試験的に会話部分を除いた地の文での呼称を『キリト君』『リーファちゃん』などの君付けちゃん付けをやめ、原作小説基準にしております。

 原作だとキリトは釣り師ニシダさんの事を台詞で『ニシダさん』とさん付けだけど、地の文だと呼び捨てです。私はこれまで視点が分かりやすいようにしてたんですが、読み返してると何かくどく感じたので、地の文の呼称だけでも敬称外してみようかと試験的にやってみました。『私』も実は『自分』と頻繁に変えてたり、『少年』『少女』と名前呼びから変えてみたり。

 全員同じにすると誰視点か分かり辛くなるから文章力必要ですが、私の場合視点は毎回前書きで明記してるので、問題にならないかなと。

 あと『――――』長い棒を4つばかりにしてたのを、原作小説基準で2本にしたりとか。会話部分は4本、地の文でのキャラの内心台詞の部分で2本にしています。

 読みやすいかどうかは、感想やメッセージ、活動報告などで送って下されば、参考にさせて頂きます。

 今後も本作をよろしくお願いします。

 では、次話にてお会いしましょう。


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