インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
やる気スイッチが入ったお陰でまた投稿。ついて来られるか、このハイスピード投稿に……!
外部視点の要望多数だったので参考にして反映。ただし前半シノン、後半千冬視点とかなり特殊。
千冬はかなりアンチ小説の千冬に近いですが、素です。というより思い込みが激しいせいで理解が追い付いていないといいうか。本作はアンチにするつもりはないですが、現状キャラの人間関係でこうならざるを得なかった……
文字数は約一万。
ではどうぞ。
左手に握る黒い弓。重厚なそれに掛けられた弦を摘んで引くと、指先に挟まれた矢が出現する。それを引き絞り、指を離す。矢は狙い定めていた箇所へ一直線に飛翔した。着弾した場所は五体目のエリアボス《アメディスター・ザ・クイーン》の頭部――の複眼。狙い過たず矢が突き刺さり、女王の絶叫が響く。
ぶんぶんと腕や膨らんだ尾が降られ、頭も振り回しているが、構わず二射、三射と立て続けに射る。一つは保険としていたが、二射目でもう一つの複眼を破壊する事に成功した。
これでこの女王の視覚は封じられた。部位破壊というゲーム要素、更にボス個体という補正によってすぐ再生するだろうが、暫くは移動もままならない。代わりに暴れ回るが接近戦を仕掛けている相手が相手なので意味がない。ご愁傷様としか言えない。
「ふぅ……」
一先ず、また役割を果たせた事に息を吐く。
ボス個体に部位破壊を優先して狙うというのはあまり効率的ではないらしい。だが、あの昆虫型ボスはとかく産卵を繰り返し、取り巻きMobを増殖させるため、あまり好き勝手に行動させるのはよろしくない。モンスターには補正があるせいでレベルカンストだとしてもしっかりダメージは喰らう、だから囲まれると一堪りも無い。
二度の遭遇戦でボスの行動パターンと産卵の傾向、周囲にポップするMobのリンク、全体的な強さを把握したキリトは、集団を幾つかのグループに分けた。
まずホロウキリトは馬車を守る。二頭の馬はどちらも戦闘能力を有しているから守る必要は無いが、幌馬車そのものには耐久値がある。補修で回復させる事は可能だが破壊されれば戻せない。よって彼はそれを守る事に専念する。
リンド達は女王が生み出した卵の破壊を専門に活動する。産卵直後はHPゲージのあるオブジェクトに過ぎないが、約一分が経過すると孵化し、Mobが増えるのである。それが一度の産卵で十体ほどなので放っておくと手に負えない。地味にHPも多いので彼らが専門で動く事になった。大体十個の卵を壊し切って次の産卵までに余裕が出来るか出来ないかのペースである。
《血盟騎士団》と《アインクラッド解放軍》は女王が咆哮する事でポップしリンクで集まって来るMobを押し留める役割を任されている。女王がいる広場に入ってこないよう入り口を塞ぐ役割だ。横一列に並んで通せんぼし、とにかく倒す事にだけ集中する。戦闘開始から出現して未だに減りが見えないので無限湧きの取り巻きらしい。これまでの経験からキリトもそう踏んでいたので彼らがその排除に回っている。
ランをリーダーとする自分が入ったパーティーとクラインが率いる《風林火山》とエギルのパーティーは遊撃部隊。状況に応じてキリトが指示し、ヒースクリフ達の加勢かボスの攻撃に動く。これはアタッカーに寄っている構成で思いあぐねた末に出された役割。
《アメディスター・ザ・クイーン》は移動こそ遅いが、大振りな一撃は威力が高く、またリーチも長い。回避は困難なため防御が好ましいが、装甲の薄い面子が殆どである事から遊撃に回された。
そしてボス本体にはキリトとPoHがメインで攻撃を仕掛ける。PoHは積極的に短剣で攻撃を仕掛け、時折紫色のオーラの斬撃を飛ばす。キリトは空中から武器を降らせたり、自然属性で攻撃しつつ、全体を俯瞰して指示を出す。
――自分も遊撃としてキリトの指示に従い、動いている。
ヒースクリフ達が頑張って押し留めているお陰で今はとにかくボスに攻撃を仕掛けるよう言われていた。その中でも自分は可能ならボスの目を潰すよう指示されていた。
今の戦況は、ボスの移動がままならないからこそ成り立つ。ヒースクリフ達は完全にボスに背を向けているからだ。万が一ボスがそちらに近寄ってしまえば今の戦線は崩壊する。そうなったら別の陣形を組むだろうが、ボスの周囲に取り巻きが常にいる事になり、まともに攻撃が届かなくなるだろう。そうなると自然回復量がダメージ量を上回ってしまい、ジリ貧になりかねない。
だからボスをヒースクリフ達に近付けないよう機動力を殺ぎつつ、その巨体を四方八方から攻撃出来る状況を維持する必要があった。
傍目から見れば余裕と思われるかもしれないが、その実、かなりギリギリのラインを往ったり来たりしているのである。
――しかしその戦いも、もう少しで終わろうとしていた。
リーファが放った神速の斬撃により、とうとうボスのHPが残り一本となったのである。あと少し減らせばゲージの色も黄色から赤へと変わるだろう。
「あと少しだ、全員気張れよ!」
彼の強気な指示に、おうっ! と数十人もの応えが上がる。声こそ上げなかったが自分もそれには同調しており、絶え間なく弦を引き、出現した矢を放ち続けている。
彼ほどの速射は出来ないが精密さなら負けていない。
複眼や両手の大鎌、節足などの部位破壊の再生速度が上がり、攻撃の勢いも増すが、それでも彼らは歴戦の戦士。経験を活かして根気強くルーチンを繰り返していく事で危うい場面もなくボスのHPを削り切る事に成功した。
ばしゃあっ、と膨大な光の欠片が飛び散る。
『ぎぎぃっ』
『ぎぃ……!』
自分達の女王が斃されたと知ったからか、止め処なく攻め寄せていた虫達はその攻勢を弱め、戸惑うように泣き声を上げる。オロオロと周囲を彷徨う彼らを無数の武器が容赦なく殲滅した。
そして現れるボス討伐とイベント達成を祝福する金文字。
戦闘後のリザルトも出現し、詳細を見ればそれなりの経験値とコル、ドロップ品が表示される。レア度はいまいちわからないが《ホロウ・エリア》のエリアボスからドロップしたものだからそれなりに高いだろうと結論付けて表示を消した。
「キリト、お疲れ様」
近場に居たキリトに声を掛ける。
しかし、彼は虚空を見上げたままで返事をしない。どうしたのだろうと首を傾げ――たところで、唐突に後ろから抱き着かれる。
「シノのん、お疲れ!」
「アスナ……いきなり抱き着かないでよ、びっくりするから」
「えへへ、ごめーん」
抱き着いて来たのはアスナだった。
――以前までの私なら、凄く怒ってたわね……
人が怖くて一定距離を取るクセが付いていた私はボディタッチが凄く苦手で、仮令同性でも忌避するきらいがあった。人殺しの自分が何かに触れる場面を見て『血が付くだろ』と幾度となく詰られていたからだ。触られるのは勿論、触る事も忌避していた。
キリトが助けてくれた時に触れたのは、それだけ気を許していた証拠。想いを自覚したからそれは分かる。
そしてアスナに抱き着かれても苛立ちも忌避感も恐怖も覚えないのは、彼女から向けられる親愛の情を受け入れる事が出来ている証拠だ。あの事件からずっと人との関わりを、触れ合いを避けていた私にとって、ひょっとしなくても同性では初めての相手。あの事件の事を知っても恐れる事なく受け入れてくれたから私も彼女を信じられる。
……すごく、安心する。
ただのじゃれ合いの筈なのに、気持ちが軽くなって、胸がぽかぽかしてくる。
“ともだち”は支え合うものだと彼女は言った。こうやって何気ないやり取りすらも救いになってくれるのは、それだけ飢えていたという事。人との関わりを恐れ忌避していた私に最も必要だったのは信頼出来る友人だったのだ。もしかしたら彼女はそれが分かっていたから敢えて『“ともだち”になって下さい』と言ってくれたのかもしれない。
――これから、もっと増やせるだろうか……?
キリトとアスナは私の事を知って受け入れてくれた。
リーファも知ったけど、彼女の言葉は聞いてないからまだ不安がある。出来る事なら彼女にも私を受け入れて欲しい。この浮遊城で長い付き合いのある一人だから。同じ異性を想うライバルだから。
「――キリト君、どうしたの?」
――物思いに耽っている私の意識を抱き着いたままのアスナの声が引き戻した。
前を見れば、さっき声を掛けても無反応だったキリトが変わらず虚空を見続けていた。クライン達も気になってきたのか視線が集まり始める。
「……誰かに見られてる気がして」
「誰かに? もしかして、須郷さん?」
「どうだろうな……視線は感じたけど、実際どうか分からない。気のせいかもしれないし」
「そもそもこの世界で視線って感じるものなの……?」
SAOは1と0の二進数で形作られたデジタルワールド。この世界に形作られたものは全てプログラムされたものであり、視線や殺気といったものを感じるというのはロジック的にあり得ないと思う。目を見て感じるなら分かるが相手の姿や目も見ていないのに感じる事が本当にあるのだろうか。
最早それは第六感とか、超能力染みた域の話ではないだろうか。
「『俺のアバターを見ている』という情報が見ている人に伝わる場合、『見られている』という情報が俺の脳を刺激する事で視線として感じるっていうパターンなら……まぁ、実際のところ分からないけど」
彼は、そう言って肩を竦めた。
***
体が冷たい。
夏に入り、気温が高くなって来たこの頃、夜とは言え蒸し暑い日々が続いているとは言え今は室内にいる。冷房が効いていても適温で保たれている室内に。
だというのに何だ、この寒気は。
――いや、理由など分かっている。
分かり切っている……だが、認めたくない。
「束……これは、本当にあった事なのか……?」
何時もに比べて掠れた声。本当に自分のものかと思うくらい弱々しいそれは、眼前にある事実を認めたくないと如実に表していた。
しかし、隣に立つ親友は首肯する。ふざけた様子が微塵もなく違和感を覚えるくらい真剣な面持ちだった。
「つい一、二時間前にね。無修正、生の映像だよ」
そしてきっぱりと言う。これは事実だ、と。
「あいつが……私を、憎んで……怨んでいたというのか……?」
ぎゅっ、と口の端を噛み、拳を握る。冷え切った手が白くなる。どうか嘘だと言ってくれと心で叫んでいた。
――両親に捨てられてから、私は頑張って来た。
当時高校生だった自分ではどうしても稼げる場所が限られてくる。いや、バイトで雇われる事すらほぼ稀で、しかも日雇いだから給金も少ない。それに反して自分の学費と小学校に通う弟達の学費、教科書代、食費、生活費などを稼がなければならないのだから全然足らない。
篠ノ之家にお世話になっていなければ遠くない内に野垂れ死んでいたのは間違いない。
――それでも、これまで頑張って来たのだ。
勉学は疎かにならない程度に成績をキープし時間が出来れば全てバイトに費やした。交際や遊びなんて全て無く、灰色の青春時代と言ってもいい。バイトをする為に道場もやめ、金を稼ぐ為に束の話に乗ってISの操縦者として世界大会に出場した。日本代表になったお陰で大量のお金を稼げ、漸く生活が安定した。
そこに来て、弟達が攫われた。
秋十は自力で帰って来た。
だが、一夏は返ってこなかった。探して探して、秋十を保護したドイツ軍の者達にも協力してもらって、それでも見つからなかった。自分の出場を取り消さなければ命はないと脅されていた日本政府はそれを隠していたせいだ。
それが一年ほど前、束から連絡を受けてSAOに囚われている事を知った。桐ヶ谷という家の養子として拾われた事を。
――確かに、姉としては失格だったと思う。
家族を守るために武を習い、養うために金を稼いでいたが、肝心な時に傍に居てやれなかった。その事で不満を抱かれても仕方ない。
だが……復讐したい程に怨まれていたなんて、想像していなかった。
一緒に暮らしている間、そんな素振りは見た事が無い。怒りも苛立ちも見せず、我が儘も言わず、食事の支度をしてくれていた。美味しいと言えば嬉しそうにしリクエストをすれば頑張って作ってくれていた。初めは焦げていたり味がボケていたがそれも回数を重ねていく毎に改善されていた。
何故――
「何でって、思ってるでしょ」
混乱し始めた思考が止められた。親友を見れば、様々な感情が綯交ぜになって表情として現れていた。
特定の人物以外どうでもいいアイツが感情豊かになるなんて初めて見る。束は興味ない事には極めて淡泊。興味があるものの場合は笑ってばかり。気に入らなかったり、思い通りにならなければ苛立ちを顕わにする。いつも表現される感情は単一だった。そんなヤツが複雑になっているなんて。
「違う。違うよちーちゃん、前提が違う」
「前提が……?」
「ちーちゃんさ……――――あの子の事、どれくらい知ってる?」
まるで自分の方が知ってるぞ、と言われてるようでカチンと来た。
「何を言うかと思えば、そんな事を聞いて何になる?」
「いいから。例えば、彼って利き手はどっちか覚えてる?」
「利き手……」
言われて思い浮かべる。記憶にある限りでは、確か……
「……む」
食事の光景を思い浮かべようとして、ふと気付く。そういえば私は一夏が食事をしている風景を見ていない気がする。料理をしている場面は何度か見たが。
料理の時、確か一夏は包丁を右手で持っていた。
モニターの中で斬り合う一夏達もそれぞれ右手で剣を握っている。
「右手、だな」
「ぶっぶー」
「は? いや、この映像の一夏は右手で剣を持ってるだろう?」
「それは矯正されたから右手持ちになってるだけ。和君は左利きだよ」
「矯正だと……?」
「うん。ほら、ヒトってさ、自分と違う異物は虐げる奴らばっかりだから。ちーちゃんも覚え、あるでしょ?」
思わず顔を顰める。
『親無し』というだけで随分な言われように遭った事は数えきれないくらいある。最近ではもう無くなったが、両親が失踪したばかりの頃は酷かった。自分達と違う異物を見下し、優越感を覚えようとする連中の事はよく覚えている。
束も幼い頃から突出して知能が高かったから同年代の子供と距離を取られ孤立していた。子供の中では群を抜いて身体能力が高かった事と、束の感性に引っ掛かった事から、自分はこの関係を構築出来ているが、それはお互い似た者同士だったからだと今なら思う。
だがそれを引き合いに出すと言う事は……
「束、そう言うという事は、一夏が虐められていた事になるんだが……」
少なくとも桐ヶ谷に拾われる以前からそうだった事になる。だが私は本人から『虐められている』なんて相談をされた覚えはないし、耳にした覚えもない。
――そう思っていると、束が呆れたように息を吐いた。
……どうも束に失望される発言だったらしい。
「……ちーちゃんさ、ネットとか見ないの?」
「調べものくらいでしか見ないな」
調べものと言っても料理や食べ物、漢字、国名や国の特色を調べたりする程度で、そんなに使う事は無い。持っている携帯も仕事先や仕事相手との連絡用としてしか使っていない。
「ニュースチェックは?」
「テレビで毎日してるぞ。アプリの記事も目を通している」
毎日の天気予報を見るついでに一日のトップニュースや経済状況なんかに目を通すのが日課なのだ。IS学園の教員として就職しているが、あそこは国家が絡む場所だから経済なんかは目を通していなければならない。忌々しいが、未だに代表から下りられていない現在、国の顔とも言える自分はそうしていなければならないのだ。
そう答えるも、どうも束が求めている答えでは無いようで眉間を揉み、考える素振りを見せる。
……一体コイツは何を言いたくて、何を伝えたいのだろうか。
「……あのさー、ちーちゃん、確か直ちゃんにすっごくキツく言われたと思うんだけど」
「……それは桐ヶ谷直葉の事か?」
「うん」
「ああ……言われたな……」
《SAO事件》が勃発してから見舞いに行った時、偶然顔を合わせた少女を思い出す。
《桐ヶ谷和人》という名になった弟を大切に想っている様子から相当入れ込んでいると思った覚えがあるし、言われた事も極めて痛烈なものだった。忘れたくとも忘れられない。
「ん? というか束、お前、あいつを知っているのか」
「そりゃまぁ、和君との関係でね……で、ちーちゃんに怒鳴ったっていう話も聞いたんだよ」
「そうか……」
――あの子は……織斑一夏じゃ、あなたの付属品なんかじゃない!!!
――あの子はずっと見て欲しがっていた、ずっと家族を求めていた!
――ずっとずっと一人で頑張っていて……それなのに、どれだけ頑張っていても周囲には虐げられて、兄には見捨てられて、あなたはあの子の助けに来なかったのに、それなのにまだ姉面をするというの?!
――ふざけるなッ!!!
――あなたはずっとあの子を見ていなかった事に変わりは無い!
――たとえどれだけ忙しかったとしても……テストで百点を取ったのなら頑張ったねって……取れてなくても、次は頑張れば取れるって励ますとか、褒めるとか、してあげればよかったじゃないの……してあげていれば、あの子はあそこまで追い詰められなかった!!!
――けがに対してももっと気に掛けてあげていれば、あの子はあれほどまで傷付かなかった!!!
――もっと家族を見ていれば、あなたも弟を喪う事は無かったのよ!!!
――護衛を付けるとかの対応もしていれば少しは変わったかもしれないじゃない!!!
――あなたは自分の名前の大きさを、もっと理解しておくべきだった!!!
――――脳裏に響く、桐ヶ谷の怒号。
全て、正鵠を射ていた。言い返せない程に、私が涙を浮かべる程に、痛烈な説教だった。
内心で何も知らない小娘が何をと反感を抱きはしたが、しかし嬉しく感じる事もあった。一夏をそれほどまでに大切に想ってくれている事は素直に嬉しかった。肝心な時に傍に入れなかった自分よりもしっかり守ってくれるだろうと安心もした。
「で、怒鳴られた後、ちーちゃんは何を思った訳?」
「それは……悔しくも思ったが、反論できないくらい正論だったから認めたさ。それ以上に肝心な時に守れなかった私よりもあいつを守ってくれると思って安心した。それほどまでに想ってくれてると知って嬉しくも感じたな」
「ふむふむ……それで?」
「……それで、とは?」
「や、ちーちゃん、それから何かしたの?」
「……アイツが居ないんだから何も出来ないだろう。もう全て、過去の事なんだ」
反省はしている。私が不甲斐なかったから一夏は攫われ、酷い目にあったのだから。
だが具体的に何が悪かったのか分からないからどうしようもない。私は全力でバイトと勉学を、あるいは国家代表としての訓練や勉強に勤しんでいて、余裕が無かった。つまり全力だったのだ。それで他の事が出来なかったからと言われてもどう直せば良かったというのか。
「……ちーちゃん、私が言うのもアレなんだけどさ……」
「……なんだ」
「ちーちゃんは和君……ううん、“いっくん”の事、どう思ってるの?」
「どうって……大切な弟だが」
「ふぅん、大切……ふーん」
私の答えを繰り返し呟き、つまらなそうにする束。私の言葉が信用されていないように感じて苛立ちを覚えた。
「言いたい事があるならいい加減ハッキリ言ったらどうだ」
「大切って言うなら勿論“いっくん”の事は沢山知ってるんだろうなぁって」
「またか……さっきから何なんだ、私を試すような口振りで。私はどうして一夏が私を怨んでいるかについて知りたいんだ」
「――――ねぇ、本気で分からないの?」
――空気が変わった。
おちゃらけているようで真剣に、軽い口調でふざけずに話していた束が、ふと真顔になった。声音も表情も平坦なそれは随分久し振りに恐怖を感じさせる。
「……分からないから、聞いたんだろう。分かっていたら聞いてない」
胸中に湧き上がった恐怖を押し殺し、憮然として答える。実際そうとしか答えられない。
「一通り、彼の戦いを見たのに?」
「そうだ。確かに私は姉として不甲斐ないし、至らない部分も山ほどあるだろう。所詮は大人の見真似で子育てをしただけだからな。だがそれでも私は一夏の事を大切に想っていた。必死に金を稼いで、生活に困らないよう全力を注いだんだ。それなのに怨まれるなんて訳が分からない」
むしろ生活を支えていた点については感謝されても良いくらいだと思っている。
「……そうだね。ちーちゃんは凄く頑張ってたと思う、それは近くで見てた束さんが保証するよ」
「なら……!」
「――でも、さ」
同意を得られ、言葉を続けようとした途端遮られる。有無を言わさぬ迫力で思わず口を閉じた。
「それはちーちゃんの視点なんだよ」
「……どういう意味だ?」
「よく考えて。普通八歳以下の子供が家の懐事情や世間の移り変わりを理解出来ると思う?」
「……一夏は出来てたが」
少なくとも懐事情については理解していなければ料理なんて出来ないだろう。
「言い方が悪かったね……じゃあこう言ったら分かるかな――普通八歳以下の子供が、家事全般を万全に出来ると思う?」
――ちーちゃんも、束さんもマトモに料理出来ないのに。
「だが、一夏は出来て……」
「――――ああ、もう、いい加減にしろよっ!!!」
さっきと同じ答えを言う途中で、束が我慢ならないとばかりに怒鳴り、デスクを両手で叩いた。しかも口調がガラリと変わっている。これは興味のない連中に対する口調と同じだ。
一体何が原因か分からず困惑していると、怒りの表情で束が睨んできた。
「いい加減気付けよッ! 八歳以下の子供が万全に出来るって事は、それ以前からずっと繰り返してたって事!」
「それは分かるが」
「いいや、分かってないね! ちーちゃんは何も分かってない! よく考えれば分かるでしょ! なんで四つ年上の兄がいるのに一番幼い子供が一番家事が出来てるのさ?!」
――言われ、気付く。
……そういえば、何でだ?
……いや、確か幼い時の一夏が、料理が出来るようになりたいと言って……
「い、いや、だが家事はお前の母親が教えていただろ」
「だーかーらー! そうなる状況がおかしいって言ってんの! 何で気付かないのさ?!」
「ウチは両親が蒸発して」
「そういう事じゃない!!!」
今まで口にしてきた理由を言うも、すぐさま否定され、何も言えなくなる。一体何を言えば正解なのかまったく分からない。
「言っとくけどね、和君が“いっくん”だった時、最初に料理を始めたのは2歳半ばなんだよ!」
「ああ、それは知ってるが」
「――おかしいって気付けよ! 2歳の子供は普通ご飯を用意してもらう側なのに何で作る側になってるかって疑問に思わないの?!」
「……む」
「料理の他にも洗濯、掃除、買い出しなんかも彼がやってたんだよ! 毎日毎日毎回毎回ずーっとね!」
「ま、待て束、何でお前がそんな事を知って……」
「そんな事は今問題じゃないんだよ!!!」
束の奴がここまで激昂し、怒りを露わにするなんて、ISの論文発表や研究データを鼻で笑われた時以来だ。ともすればあの時以上に怒っているかもしれない。
一夏の為に怒っている事は分かるが、何故それで私が怒られているのだ……
家事が出来るようになるのは良い事だと思うのだが。
「あーもう……! あーもう! まさかここまで言っても分からないなんて……! 何でちーちゃんは家族の事になると超が付くくらい鈍感になるかなぁ……!」
「鈍感のつもりはないんだが……」
「いーや、超鈍感だね! 絶対気付いてないからもうハッキリ言わせてもらうけどね――ちーちゃん、さっきからずっと秋十の存在を忘れてるんだよ!」
「……?」
いきなり言われた事に首を傾げる。忘れたつもりは無いのだが。
「ほら、やっぱり分かってない! さっきから言ってんじゃん! 2歳半の子供がご飯を作る側になってるのはおかしいって――なら逆説的に、本来作る側である秋十は何をしているのか疑問に思わないの?!」
「……む」
言われてみれば、確かにそうだと気付く。一夏が2歳頃から作り始めたのは覚えているが、そういえば何で束はあんな事を言い出したのだろうか。
当時は秋十に憧れて始めようと思い立ったのかと思ったのだが……
そう言うと、束は首を大きく横に振った。
「ぜんっぜん違うから! 2歳児がそんな事を言い始めるって明らかに衣食住の食が足りてない証だから! 彼が積極的だったからよかっただけで普通餓死してるからね!」
「いや、秋十が居るんだし、そんな極限状態にはならないだろ」
「大本の原因はそいつだからね! ちーちゃん気付いてないだけで家事全般ずっと彼がやってたから!」
「そんな筈は……風呂掃除、買い出し、ゴミ出しは当番制だったぞ」
「それをやってるところをちーちゃんは見たの?」
記憶を漁る。一夏がしているのは見たし、丁度帰った時に買い出しの袋の中身を冷蔵庫に入れる場面に立ち会いもした。風呂掃除をしているところも見た。
秋十の方は……
「……秋十の方は思い出せないな」
忙しくて家を空ける事が多かったし、あまり見てない事もあって記憶に残っていないようだった。
「まぁ、忙しくて家を空ける事が多かったせいで、見てなかっただけだろう」
「アイツに対するちーちゃんの信頼の深さは昔っから謎なんだけど……ちーちゃんはもっと家族に対する疑いを持たないと。和君の嘘も真に受けて信じちゃうし」
「なに? あいつ、嘘を吐いた事があったのか」
「割と頻繁にしてたよ。ちーちゃんが気付いてないだけでね」
「知らなかった……」
純粋な一夏がまさか嘘を吐いていたなんて、ショックだ。しかも頻繁にだなんて。
「――それで、一夏が私を怨んでいる事と、どう繋がるんだ?」
「まだ気付いてなかったし……もういいよ。多分束さんがどれだけ言っても分かんないと思うし、和君がSAOから帰って来て落ち着いた時に訊いてみたら?」
「教えてくれないのか」
「すっごく分かりやすく言ったのに全然理解しないちーちゃんが悪いんだよ……この映像を見ても分からないなんて、正直信られないよ」
はぁ、と溜め息をついた束は、もう私から興味を無くしたように視線を切り、作業を開始した。
はい、如何だったでしょうか。
今話はかなり会話が多かったですね。千冬がどれだけ一夏の事を見ていないか少しは伝わったらいいなって。
束が伝えたかった事。何故キリトが復讐心を抱いていたか――その一つとして、『千冬が一夏自身を見ていない事』が挙げられます。千冬がかなり見当違いな受け答えをしている事も、一夏が何故家事万能になったかの背景に気付けないのも、全ては一夏の事をしっかり見て理解していないから。利き手が分からないとか相当ですぜ。
本作一夏/和人は元左利きで、矯正して右も使える両利き状態です。
聞き手をモニターを見て確認するくらい自信が無い=一夏の事をあまり見ていなかったという描写。
また一夏や秋十の事で見当違いな予想をしているのは、思い込みや理想によるものなので、文中で出た直葉の怒りの声(第十八章抜粋)を受けても改めてないという描写。せめて虐められていたとか、怪我とか、その辺は過去のことでも洗えるだろうに……一夏の事となれば尚の事。
束が『ネットは見ないの?』と聞いたのは、直葉が見たネットのスレッドを知らないのか、という事。でも千冬は一夏の情報が載ってるとは思ってない&自分の事関連を調べたい性格ではない事から忌避しており、結果的に一夏の情報を見つけられない状態に。
キリト対《獣》の死闘も、一夏に対する理想や自分の行動の自信が影響して現実として受け止めきれておらず、納得していない事もあって理解もしていない。というか大切に想ってる相手から怨まれてる事実を受け入れたくない。
束は怨まれる事も承知で接しているため、そこが千冬との相違に。
束は一夏/和人の事をしっかり見て、接している。
千冬は思い込みでのカバーが多いせいで事実とのギャップが生じていて、そのせいで受け入れられないでいる。
――未だに『一夏』と呼んでいる事から、何れ帰って来るだろうと思っている節もある。
それが今の千冬です。
――再三言いますが、私は千冬の事は好きです。横暴なところは苦手ですがキャラとして好きです。アンチをしたくてしているのではない。人間関係やキャラの関わりで自然になるよう描写するにあたって不遇にせざるを得ないのです。ストーリーに喰われてると言われればそれまでですが……
いずれは、千冬の思いを報わせたいですね。
まぁ、キリトの本音をぶつけられる事が確定したので、随分先の事になりますが。
――ちなみに、前半でキリトが『見られてる気がする』と言ったのは、モニタリングです()
では、次話にてお会いしましょう。
アンケート、参考にするのでよろしくお願いします!(プロットの都合により出来ない場合もあります)