インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 アンケートで得票が多かったため、今話は前半ヴァベル、後半楯無視点でお送りします。ただ申し訳ない、須郷拷問聴取は後々になります……理由は本編+後書き参照。

 文字数は約一万二千。

 ではどうぞ。




第百三十四章 ~境界線~

 

 

 ――黒肌の巨漢がGM権限によって消滅し、管理区最奥のコンソールルームは静寂に包まれた。

 麻痺毒を解除され、のそりのそりと起き上がる者達。

 その光景を遠巻きに眺める。

 

「……奇跡、だな……」

 

 誰一人欠ける事無く悪鬼を追い詰め勝利を手にしたこの光景は、酷く眩しく見えた。彼らが勝ち取ったこの勝利の鍵はキリトにあった。

 彼の思い。背負うもの。罪の意識。誓い。それらは全て無駄では無かったのだ。

 自我崩壊を起こさないよう自ら意識を逸らし、理屈を付けて、翻意するなど予想していなかった。これまでの『世界』で見た事が無かったからだ。いや、そもそも悪鬼が動いた時点で彼女達は敵に回っていたから、状況そのものが違うのだが。

 もしかしたらこれまでの『世界』でも、味方に槍使いが残っていれば、騎士装の少年は翻意したのかもしれない。

 

 ――……つながり、か。

 

 オリジナルの少年が復讐を否定し、幸せを守る道を選ぶ時に言った言葉。人との繋がりこそが自身の力になると彼は言った。それは真実だった訳だ。

 槍使いとの繋がりが無ければ、彼は彼女に庇われなかった。必然的にスレイブが翻意する事も無かっただろう。有事に備えて回廊を開くつもりではいたがそれをする必要がほぼ無いくらい完璧な勝利には舌を巻く。麻痺毒でアルベリヒを捕らえた事も良い点だ。

 これまでの『世界』は、第九十八層で男を討った後、独りになった彼が速攻クリアを目指すものばかりだった。なまじ味方が居ない方が猛威を振るう《ⅩⅢ》を使うせいで独りになってからクリアまで死んだ『世界』は一つも無い。

 だから自分は思い違いをしていた。人との繋がりを持てば持つほど、彼は幸せから遠ざかり、より困難な道を進む事になるのだと。己の死を代価に他者との触れ合いを持つ事になると。

 だが、それは違った。

 逆だった。むしろ繋がりが浅く薄いものだったから取り戻せなかっただけ。より深い想いで繋がり、互いを求める関係になっていれば、【絶剣】のように自力で戻る事も、槍使いのように命を賭して動く事もあったかもしれない。関係が浅かったからそれらが無く、トリガーとなるものを失い、戻って来れなかったのだ。

 彼は理解してはいないだろう。

 だが、感じている筈だ。人を求める者が、人無くして生きる(勝つ)事は到底不可能であると。それは己を摩耗させて得るだけ。何れ刃毀れを起こし、罅割れ、そして折れて終わってしまうと。

 抜き身の刃は、そのままにして雨風に晒していては錆び付き、脆くなる。刃には納まるべき鞘が必要なのだ。

 ――これまでの『彼』は鞘を定めていなかった。

 彼女達の事を信じてはいた。だが、欠けてはならない無二の存在とは思っていなかった。彼女達もまた同じ。彼の全てを受け入れる覚悟を持っていなかった為に鞘になり得なかった。

 唯一なり得た義理の姉は強さを追い求める義弟が刃毀れしないよう錆を取る砥石に徹した。。己の想いを伝えた上で尚強さを求める選択を見て、想いを仕舞い、支えた。そして道を踏み外し、世界の敵になった時――愛する者として、彼に引導を渡す役割を担った。

 『彼』は人を信じる事をやめた。人を信じ、しかし裏切られ、殺す事になった選択からつながりを拒絶した。

 

「だが、この世界なら……」

 

 この世界なら、きっと。

 先の事は分からない。これから広がる世界は、最早私の知識と経験にない道の世界だ。気を引き締め直す必要がある――だが、その未来は明るいものだと確信を持てる。

 この世界の彼は、もう独り荒野に突き立つ刃では無い。血を求める凶器でもない。

 風に撫でられても朽ちぬ刃と陽光を反射する美麗な刀身を保つ剣の周囲には、納まるべき鞘と、帰るべき居場所がある。その刃で守るべき者達がいる。穏やかなひと時を過ごせる全てがそこにある。

 

「やったなキリト! 俺は信じてたぜ、お前ェならあのいけ好かないヤロウをコテンパンに伸してくれるってな!」

 

 アルベリヒの左手を操り、GM権限で一通りの作業を済ませた少年が立ち上がるのを見るや否や和装の青年が悦びを露わに走り寄り、小柄な少年の首を絞めるように腕を回す。

 

「ぐ、苦しい……」

「にしてもよぉ、魅せてくれんじゃねぇかキリの字! 主役は遅れてやってくるってか! くぅ~! あんなタイミングで復活するとかホントにおいしいヤツだぜこの野郎!」

 

 ぐりぐり、と頭を小突く青年。連動して少年のHPバーが端からじわじわと減り、瞬時に回復するのを繰り返す。

 

「い、痛い痛い! クライン、パラメータを考えろ! レベルカンストでSTRも相応に高くなってるんだからな! あとここ《圏外》! ダメージ入ってる!」

「んお? あっ、すまねェ!」

 

 少年の訴えを聞いて、慌てて青年が離れる。

 

「キリトー!」

「んが?!」

 

 代わるように、今度は紫紺の少女が駆け寄り、抱き着いた。というより少年を抱き締めた。少女も割と小柄な方だが、少年の方が小さいからすっぽりと腕の中に収まってしまっている。

 あと、少年が呻いたのは、少女の胸鎧に顔面をぶつけたからである。当然少年のHPはガリっと削れた。

 ただ抱き締める力はセーブしているのか、継続的なダメージは発生していない。どうせなら抱き着く時の勢いもセーブすればいいのでは、と思った。傍から見ても鎧に顔面をぶつけるのは痛そうに見える。

 

「勝ってくれて嬉しいけど、素手で剣を掴むとか危ないよ! もし掴めなかったらキリト死んでたんだよ?! 心配する方の身にもなってよね!」

「ぐぅ……心配掛けた事は謝るけど、下手に逸らそうとするより確実だと思ったんだよ」

「キリトって何でそうなったのかよく分からない思考をする事が割とあるよね」

 

 呆れたように言う少女に内心で同意する。

 彼は直感や思い付きよりも経験を重視するタイプなので思考や考察も理詰めなのだが、割と突拍子も無い事を提案したり、いきなり試したりするからよく分からない。後で訊けば納得できなくもないのだが、いやしかし他の選択の方が安全なのではと思う事もしばしば。

 この世界でリスクを背負って行動して来たからか、多少のリスクをものともしないようになっているのだろう。

 正直心配になるからやめて欲しい。見てるだけでもハラハラする。する事が分かっていてもこればかりは何時まで経っても慣れる事が無い。『死』を見過ぎて感覚が麻痺するどころか、むしろ過敏になっている気すらする。

 ――一方、別の場所では巨漢を抑え込んでいたホロウキリトが膝を突き、荒く呼吸を繰り返していた。

 覚醒したキリトがアルベリヒに斬り掛かった段階で巨漢は戻ろうとしたのだが、それを察知したホロウの彼が全力でそれを阻止していたのだ。悠々と皮肉を言い合う間も賢明に戦い抑え込んだのは流石である。

 

「つ、疲れた……! オリジナルめ、やるならさっさとやれよな……!」

「――お疲れさま、キリト」

 

 疲労困憊の様子で休む彼を労ったのは、妖精の少女だった。

 

「……リー、ファ……」

 

 声を掛けて来た義姉を複雑な表情を見上げた彼は、つっかえながら名を呼んだ。呼び捨てなのはオリジナルではない事を気にしているからか。

 呼び捨てである理由も察しがついたのか、彼女は哀しげに眉を寄せる。

 

「リー姉って、呼んでくれないのね」

「俺はホロウだ、オリジナルのキリトじゃない……俺を呼ぶ時はホロウにしてくれ。アレも居るせいで余計ややこしいから」

 

 顎をしゃくりながら『アレ』と指したのは、魔剣を床に突き立て、柄頭に手を重ねて佇む黒騎士の少年スレイブ。人が集まるキリトが居るところからやや距離を離し、一歩引いた場所から彼らのやり取りを眺めていた。

 時折、針山にされた《マスター》の方にも目を向けている。

 そこに近付く人影。黒尽くめのフードコートを纏う、過去の自分。

 

「スレイブ……もう、大丈夫なんですか……?」

「あのおれ……オリジナルのおれが、GMメニューでおれに掛かってる何かを消してくれたらしいから。もうあの男をリー姉と認識してない」

「そうですか……良かったです、スレイブ」

「ん……」

 

 それなりに長いと思っていたが、スレイブの認識操作も解いていたようだ。

 ――それにしても、彼は本当に人とのつながりで変わるのだな。

 こうして三人を同時に見ると、三者三様の違いがある事が分かる。その差異を生んでいるのがつながりであるとも。

 人とのつながりに飢えている少年キリト。それが満たされている者がオリジナル、喪った者がホロウ、更に虐げられた者がスレイブ。ホロウは苛立っている時の彼、スレイブは心が弱っている時の彼。充足する事で初めて彼は笑みを浮かべる。

 ――オリジナルの彼は、この二人をどうするのだろうな。

 ホロウもスレイブも根幹はオリジナルと相違ない。奥底にある復讐心と憎しみも、彼女らと共に居たい欲求も。しかしAIとして新生した以上は現実世界で生きる事は敵わない。

 もし共に在りたいと望むなら、彼らは電子の生命として格納され生きるしかない。

 だがそれを、彼らは受け入れられるだろうか?

 ――これまでの『世界』ではあり得なかった。

 スレイブはアルベリヒに役立たずと言われ捨てられ、自我崩壊に陥り、二度と目覚めなかった。ホロウキリトはそもそもオリジナルと会わなかった。だからそんな議題なんて生じていない。

 

「――さて、皆聞いてくれ」

 

 主に労いや賞賛でもみくちゃにされていた少年が声を上げ、注意を集める。自分も、ホロウとスレイブ達も、意識を彼へと向けた。

 彼の背後には管理区にあるものより二回りは大きいコンソールがある。それは既に起動されていて、幾つものホロパネルが展開済みだった。どうももみくちゃにされながらやる事はやっていたらしい。

 

「一先ず当面の脅威は去った。PoHが施したアップデートは中断の後に消去したから、PoHがまた作らなければ《アインクラッド》に《ホロウ・エリア》のデータをアップデートされる事もない」

「キリトが言った通り、俺もアップデートをするつもりはもうねェよ」

 

 ま、コイツが死んだらするけどな、とフードから挑発的な笑みを見せるPoH。頭に手を置かれながらも無視してキリトは話を進めていく。

 

「アルベリヒもこうして捕らえる事が出来た。実験体にされていた人達もディアベル達が解放してくれたようだし、《アインクラッド》の混乱も直に終息するだろう。ただそれにあたってする事が幾つかある」

「ふむ。察するに、首謀者の彼の処遇か」

「ああ。流石に《圏内》でも刺されたら転移するアイテムを持ってるなんて誤魔化しようがないし、これまで一切話題になかった面々のいきなりの台頭だ。まず運営側の手の者という予想は出ると俺は睨んでる」

「それがどうしたんだ? 実際コイツが黒幕なんだし、それを発表すれば良いと思うんだが」

 

 デスゲームの首謀者であると自白した男を、憎々しげに《聖竜連合》のリーダーが見下ろす。この世界に囚われた多くのプレイヤーは首謀者とされている茅場晶彦への高いヘイトがある。同じ様にヘイトを向ける者も多いだろう。

 

「問題はそこなんだ。GM権限の事について話したら、何故それで倒せたのかが疑問になる。そもそも首謀者という話がどういう経緯で出て来たかも話さなきゃいけない。で、必然的にリー姉の事にも触れる必要がある。一応リー姉がALOからの巻き込まれ組なのは七十五層ボス戦にいたレイドメンバー内の秘密だからな。まぁ、リー姉の乱入は不可抗力だし、いざとなったらアキトを代わりにするから良いんだが」

「実の兄をスケープゴートにする気満々だなお前」

「実際ボス部屋に居た百人以上が聞いてるんだし、監獄に送られたオレンジ連中は今頃アキトがALOから来たプレイヤーである事を把握してると思うぞ。口の軽いアキトが悪い」

 

 ああ……と納得顔の一同。自分はアキトを知らないから何を言ったのかも分からないが、取り敢えずここに居る面子は全員ALOの事を把握してるらしい。

 初めて蚊帳の外の気分を味わった。自分だけ知らないのがちょっとつらい。自分だけ知ってるのもつらい。

 

「で、キリト君は俺達にどうして欲しいんだい?」

「粗方の筋書きを考えたから、口裏を合わせて欲しい。事件解決の中心人物達が揃って証言すれば皆信じ込むからな」

 

 そう言い、彼は考えた筋書きを語った。

 この世界をデスゲームにしたのはアルベリヒこと須郷伸之。須郷は地位と名声を我が物とするべく茅場を嵌め、デスゲーム開始以降は《レクト》で新しいVRMMOの開発に着手。技術者に気付かれないようデスゲームプログラムを組めるレベルである彼は、SAOの基幹データの殆どを流用し、ALOというゲームを作成。その後とある研究に着手するが、被検者が集まらないためSAOで昏睡に陥ってるプレイヤーを使うべく、クリアするとALOサーバーに意識が移るよう細工を施した。この影響でリーファ、アキト、シノン、そしてアルベリヒ達が巻き込まれた事を時期だけ暈して明かす。

 これまで一切話に挙がらなかったのにいきなり台頭した不自然さ、高性能の装備に反する技術の無さ、そして公衆の面前で露わになった圏内コードの無効化。これらからアルベリヒがGM権限を持っていて、元はALOのゲームマスターアカウントを使用しているプレイヤーであり、ALOの製作陣営である事も明かす。これは本人が語っていたから嘘ではない。

 攻略組に参入する試験を受けに来た事実も利用。そこでは半減決着デュエルで実際HPを減らした試験を行った。この事からアルベリヒ達には攻撃が通用する事実を伝える。アルベリヒはある時期から不死属性を使い出したが、その事実は隠蔽するのだ。それだけで麻痺毒を付与した短剣が通用する事になり、今の状態と辻褄が合う。同時にGM権限防御貫通というキリトとホロウキリトの特性も隠蔽する。

 《ホロウ・エリア》の事は未探索のダンジョンと曖昧に暈す。もし深く突っ込まれたら徐々に情報を明かし、特定人物だけが行ける超高難度エリアと言う。特定人物なのは一時期死亡説が囁かれたキリトとユウキで、《ホロウ・エリア》に転移していたから一時期失踪していたと語るのだ。

 アルベリヒ達はそのエリアを拠点に、恐ろしい研究をしていた事も明かす。記憶、認識、感情の操作を主とした研究の為に実験体を集めていて――しかし、思ったより成果を得られなかったと。成功例はあったのだがそれを隠蔽するのだ。彼らが知るべきなのはアルベリヒ達の悪逆イメージであり、真実は必要ない。実際彼女は自力で破ったから失敗しているので嘘は言ってない。ようは言い方の問題だ。

 彼らが居る場所は《ホロウ・エリア》に行けるキリトとユウキが持つ特殊な権限で探知し、そこへ一直線。奇襲を仕掛けて麻痺毒の短剣を突き刺し、捕縛する事に成功した。

 ――それが彼の考えたストーリー。

 ほぼほぼ事実と同一。ただ一般人が知る必要のない真実だけ伏せ、乱入時期を暈したりなどところどころ曖昧にして各々が自己解釈出来るようにしているだけだった。

 これなら須郷が嘘だと言っても問題無い。隠してるだけで全て真実なのだから。

 

「――で、これをディアベルが広めてくれ。《血盟騎士団》は動かないようにな」

「え、どうして? 団長の方が影響は強いと思うけど……」

「リアルに生還して茅場だった事が発覚した後、陰謀論を唱えられても面倒だ。それに監獄内のオレンジから伝わる可能性もある。あるいはアキトの協力者がまだいるかもしれない。だから同じくらい知名度と影響力を持つディアベルが率先して動いてくれ。ディアベルは第一層のボス攻略会議を開いたプレイヤーとして知られてるから信頼されやすい。シンカーと一番近いんだから情報も広めやすいだろ」

「あ、ああ、そういう事なら是非俺に任せてくれ……ただ、ところでキリト君?」

「ん?」

「アルベリヒの前でこれを話しても大丈夫なのかい……?」

 

 おずおずとディアベルが問うのに合わせてアスナ達がうんうんと頷く。実際自分もそこは気になっていた。口裏を合わせるよう頼んでる事を洩らされた時点で練った筋書きが意味を為さなくなると思うのだが。

 その指摘に、彼はああ、と思い出したように声を上げ。

 

「大丈夫だ。聴こえてないから」

 

 あっけらかんと言い放った。

 ……どういう事だろうか。疑問の視線が集中したからか、彼はアルベリヒを見下ろしながら口を開いた。

 

「さっきGM権限でアルベリヒのアバターに再現される五感を全部切ってる。今は何も見えず、聞こえず、感じず、匂いも分からず、浮いてるかも倒れてるかも分からない状態だよ。だからここで話してるんだ」

 

 ――人間は自己と他者の境界線をハッキリとさせたがる生き物だ。

 アイデンティティ。自我同一性。個性。それらを重要視するように、一人一人が個を確立し、他者と明確に区別されるように自己を形成する。それは人間関係で言うと性格になる。

 だが日常生活においては五感がそれを為している。体温と室温。風呂の温度。痛い触感。痛くない触感。甘いもの。辛いもの。どれが好きでどれが嫌いかもまた個性であり、五感が決める。そしてものに触れているかいないかは自分の姿勢を認識する為に働き、自己の状態を把握する。音は物品の質感や近付く存在を知らせてくれる。

 それらを全て、喪ったなら。

 人はどうやって己と世界を区別するのだろうか。

 区別出来なくなった人間は、己を保っていられるのだろうか。

 

「キリト君、それは……かなり、拷問に近いぞ……?」

「そうだな、拷問だ」

 

 ヒースクリフの濁された言葉に、彼は平然と応じた。拷問であると自ら認めた。

 

「さっき本人にも言ったけどアルベリヒには聞かないといけない事が山ほどあるからな。でも激痛で追い詰めるにも限度がある。だから先に精神を疲弊させ、憔悴させる。時間は掛かるが、なに、最低限必要な情報は自白してたから問題ない。ゲームクリアまで時間はまだまだあるから気長にやるよ」

「……それでも口を割らなかった場合は、どうするつもりかね」

「その時は――ココ()に、直接訊くしかないな」

 

 答えながら、自身の頭を右手の指で突いて笑う少年。

 

 ――ゾッとした。

 

 敵意を向けられた時がある。殺意を向けられた時もある。その時もゾッとしたが――これは、その比では無い。拷問である事を理解していながら躊躇や罪悪感も無く行える彼の精神に恐れを抱いた。

 ……これが憎しみを自覚し、受け入れ、否定しない事を選んだ少年の在り方。

 少し何かが狂えばすぐさま復讐鬼に堕ちるくらい危ういところで自己を保っている。大切な者が居るから抑えてるだけで、それでも敵対者には一切容赦しない精神が、その危うさを滲ませている。その行動が結果的に大切な者を守る事に繋がるなら非情に徹する事が出来るのだ。

 ――流石は、シロも《獣》も取り込んだ統合人格だ。

 全員の中で印象深い少年はあり得ないくらい善性の塊だった。だがこの少年は悪性の廃棄孔をも取り込み、光と闇を併せ持つ人間らしさを取り戻した。ただ彼の場合それが新鮮で、更に極度に深いだけの事。釣り合いは取れているのかもしれない。眩い程に強い善性、それと対になる悪性を発露している。どちらかに傾いている訳ではない在り方は一番安定しているようにも思える。

 

 ――願わくば、どうか貴方の未来に、光がありますように。

 

 光を喪う未来だけは、もう十分だ。

 

 ***

 

 ――可愛い顔でエッグい事をするわね、この子。

 

 戦慄を自覚しながら、画面に映る少年を見る。

 ああいう自尊心の高い小物は自分から色々と話してくれるので、少し痛い目を見せたらいいだけの事が多いのだが、彼はそこまでやるのかと『裏』に関わる自分が思うくらいやる事がえげつない。正直ちょっと引いた。

 

 ――決めた、絶対この子を怒らせないようにしよう。

 

 流石に現代日本に生還してもデスゲームと同じスタンスを取るほど愚かではないと思うが、万が一があるし、敵対した場合何が何でもこちらの命を取りに来そうで恐ろしい。明確な弱点になり得る人達はいるが、彼女らを傷付ける事そのものが逆鱗だから論外だ。勧誘したいくらい多才な優良物件だけどちょっと一考する必要があるくらい恐ろしいものがある。

 人格分離なんて想像の埒外な状態にあった彼に思うのもどうかと思うが、些かアンバランス過ぎやしないだろうか。

 裏を返せばそれだけ彼女達の事を大切に想っているという事だし、信用出来る人間性と言えるから微妙だ。

 

「うわー……和君、エッグい事するなぁ。これ笑ってるけど内心物凄く怒ってるよ、目が笑ってないもん。というか和君ってやっぱり怒らせると本気で怖いタイプかー……今まで怒ったところを見た事ないしなぁ……」

「この子って凄く溜めるタイプなんですね」

「感情の捌け口がまったく無かったからねぇ。我慢大会があったら余裕で世界一位取れるね」

「うぐ……」

 

 篠ノ之博士は冗談で言っているのか本気で言っているか分からないが、とにかく親友に対して鋭い皮肉を言っているのは分かった。和人君の事になるとこの二人も反りが合わなくなるらしい。

 まぁ、さっきの話を聞いた感じ、千冬の方に問題がありそうだったからそれも当然か。さっきもスレイブがアルベリヒに翻意した場面で不毛な言い争いをしてたし。

 ――傍から聞いてて物凄く耳が痛かったのは内緒だ。

 

「――およ? 和君、何してるんだろ……」

「コンソールを動かしてますね。ちょっとこの精度だと読めないかも……」

 

 画面を注視していると、アルベリヒを捕らえた部屋にあった巨大コンソールをまた動かし始めた。PoHが仕掛けたというアップデートを消去する以外に何かする事があるのだろうか?

 疑問に思いながら見ていると、彼とスレイブと呼ばれた黒騎士の少年、ゆるふわの茶髪少女の頭上にあったカーソルの色がオレンジからグリーンへと変わる。

 

『お、キリの字達とルクスのカーソルがグリーンになったぞ!』

『元々ルクスのエラーオレンジを戻す為にここを目指してたからな。色々あって忘れそうになってたけど、これもしておかないとルクスだけ戻れない。俺とスレイブもな』

『……ありがとう、キリト先生』

「……あいつ、弟子なんて取ってたのか」

「和君だって成長するんだし、元ベータテスターだから他のプレイヤーより知識も経験もあった訳で、別におかしくないと思うけど」

 

 嬉しそうに相好を崩す少女と少年のやり取りに癒されていると、大人組が何やら話し始める。あの子そう言えば元ベータテスターなんだっけとすっかり忘れていた事を思い出した。

 ベータテスターに当たったのは、デスゲームになる事を考えると幸運なのか、不幸なのか分からなくなるから困る。

 

『さ、て……皆は先に戻ってくれて構わないぞ』

『え、何で? キリトも一緒に戻ろうよ』

『俺はまだするべき事がある。《アインクラッド》に実行するアップデートを作れるこのコンソールを使えば、バグったシステムデータを元に戻す修正アップデートを作れるかもしれない。それにアルベリヒ……もとい、須郷伸之がコンソールからSAOサーバーに保存してる研究データももう一回調べないと』

『む、それなら私も手伝えると思うが』

『……アルベリヒを無力化したのに、まだ何かに見られてる感じがするからダメだ。ヒースクリフがコンソールを操作するログが残ってたら面倒な事になりかねないからな……個人的には凄く協力して欲しいけども』

「あら……? もしかしてキリト君、モニタリングに気付いてる……?」

 

 虫型ボスと戦う前にも似たような事を言っていて、あの時はアルベリヒが監視しているのを察したのかと思っていた。だが今囚われている男が出来る筈もない。

 つまり彼は自分達の監視に気付いているのでは……?

 

『んー……でも此処に君だけ残していくのはやだよ。今回の立役者って完全にキリトだよ? 碌に役に立てなかったボク達が先に帰るのはちょっとどうかと思うし』

 

 紫紺色の少女ユウキが唇を尖らせながら言った。その隣に、槍使いの女性サチが並ぶ。

 

『それに私達は捕まって強制的に眠らされたからマシだけど、キリトは動き続けてるでしょ? 十数時間ぶっ通しで戦って、今日だけでボス戦を二回してるんだし、色々あったんだからもう休んだ方が良いよ』

『…………これは旗色が悪そうだ……――分かった。じゃあせめてアップデートの作成と、研究データのコピーだけさせてくれ。時間は有効活用しないと』

『それ殆どやる事同じでしょ』

『この場で研究データの検閲と須郷の聴取をしないだけマシだと思ってくれ。それにコピーしたらヒースクリフにも見てもらえるからな』

「あら、彼ったら頭いいわね」

 

 コンソールに触れないんじゃ茅場晶彦らしい男性は読めないのでは、と思っていた矢先にポンと解決策が出て来たから、思わず口に出た。篠ノ之博士とブリュンヒルデは無言だが感心している素振りが見られる。

 

 ――暫くして、対策室の部屋が騒がしくなった。

 

 原因はキリト君にある。コンソールを操作してアップデートを製作し、実行状態に置いた後、彼はサーバーに保存されていたテキストファイルをコピーし、自身のメモ帳にペースト。タイトルを決めて保存を押した。

 そこで、とある機材の担当をしている職員が声を上げたのだ。

 何かのデータが彼の《ナーヴギア》に流れている、と。

 モニタリング対象になっている彼のデータは脳波、バイタルを含め、あらゆる意味で対策チームの監視下に置かれている。比喩抜きでSAOをクリアに導くプレイヤーとして見られていたためだと菊岡誠二郎は語った。

 その中の一つ、《ナーヴギア》と送受信をするデータ容量に変動が見られたのだという。

 ――仮想現実技術は、何もアミューズメントやエンターテインメントにだけ使われるものではない。

 医療。福祉。勉強。種々様々な分野に応用され得る可能性を秘めており、最悪のデスゲームとして世界を震撼させた《SAO事件》が未だ続いていると言えど、今もなお盛んに研究が進められている。

 その中の一つに、終末期医療など何らかの理由により学校に行けない子の為に、仮想世界に作った学校で授業を受けさせるシステムがある。造られた仮想の施設にログインした生徒は通い、椅子に座り、現実の学校と変わりなく勉学に励むというものだ。

 学校と言えば、授業。授業と言えば課題。

 ――そう、課題だ。

 手足を動かせる人は、ログアウトして現実側からIT機器を使って、ログアウト出来ない人はVR内部で宿題をテキストファイルに打ち込み、既定の期日までにメールに添付して提出する。つまり《ナーヴギア》や《アミュスフィア》はメールを送受信する機能も有している。マルチウェアラブルデバイスの一つとして挙げられているのだからそれも当然だ。

 ――つまり先の反応は、キリト君が新たに保存したテキストファイルを《ナーヴギア》のメモリ内に保存したもの。

 SAOサーバー内で動いているプレイヤーが作ったテキストは、遠く離れた《ナーヴギア》へと送信され、保存されているのだ。

 ならばその逆――――すなわちこの対策チームのPCから彼の《ナーヴギア》にテキストを送り、彼が保有するテキストデータにメッセージを送る事が出来るのではないか。そんな発想が誰からともなく出て来たのだ。既に彼が《ナーヴギア》内に保存しているテキストデータの閲覧は可能なので、逆説的にこちらから送る事も可能だとは判明している。あとは【カーディナル・システム】がSAO外部で作られたデータを読み込まない事が無いのを祈るばかり。

 そのメッセージを送るのは彼と関わりのある天災。曰く、かなり警戒心の強い子だから、彼にだけ伝わる暗号を添える為に自分が打つ、と。示し合わせた訳では無いが自分と彼だけが知る事を書き添えれば信じてもらえる筈だと言った。

 そんな彼女をブリュンヒルデは複雑そうに見ていたが、もう何も言わなかった。何を言っても反論され、その内容を正確に彼女が理解出来ないからか。

 

「……さて、送信、と。送れたかな?」

「あ、はい。一応反応としては出たんですが……」

「あとは【カーディナル・システム】次第か……こればかりは祈るしか――」

『――ん?』

「――お?」

 

 祈るしかない、と言おうとしたのだろう博士は、モニターから聞こえた少年の訝しげな声に言葉を止めた。

 

『どうかした? 何か気になる事でも書いてあった?』

 

 麻痺毒で無力化し幾つもの鞭で雁字搦めに縛った男を引き摺る少年の隣を歩く槍使いの女性が首を傾げる。彼はテキストデータを見ながら歩いていたから、それ関係かと思ったのだろう。

 実際自分達もどうなのかドキドキだ。

 

『……少し、な』

『どんな内容なの?』

『説明が難しいから後でな。暗号や符丁が多用されてるから、ちょっと読み取るのに時間が掛かる』

 

 お? と歓喜の雰囲気が滲むも、まだだ、と逸る気持ちを抑えてじっとモニターを見る。

 

『うわ、そういうのってホントに使う人いるんだ。読み返す時に面倒くさそうにしか思えないけど』

『後ろ暗い研究の文書は結構多いぞ、視られたら破滅なんだから用心深くもなる。それ以外にも、例えば親しい人との暗号とか、合図なんかにも使う事はある。俺もアルゴとのやり取りでは色々と決めてるからなぁ』

『つまりそれだけ後ろ暗いやり取りをしてたんだ』

『ハンドサインの事なんだが……えっ、俺ってサチにどう思われてるんだ』

『……凄く頼りにしてる、よ?』

『何で疑問形……!』

 

 何で彼は後ろ暗い研究文書を沢山見て来たような口振りなのだろうか。純粋にそこが気になったものの、他の事も気になって集中はそのままだ。

 親しい人との暗号とか言ってるから、もしかしたら……と思うのだが、状況的に須郷の研究資料の内容だとしてもおかしくないから何とも言えない。解像度的にちょっと手元のデータを見るのも難しいから外部のテキストデータが内部でも見れるかは未だ不明だ。

 アルベリヒを引き摺っているし、移動中は流石にホロキーボードを打鍵するのはしないようで、そのまま彼はメニューを閉じた。

 対策チームは結果が分からず仕舞いでヤキモキして、モニタリングを継続する事になる。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 須郷の拷問聴取。初手は五感を切って何も分からなくなった状態での放置プレイ()なので、拷問らしい拷問描写は出来ません。聴取も無い……そもそも聴取する以前に殆ど自白してますから。人間は触覚を遮断されただけで一両日の間に発狂するらしいのでこれも十分拷問でしょう(ガバガバ判定)

 ヴァベル視点は恒例の『それまで渡って来た世界』との比較描写。アキトが居ない影響か、アルベリヒの活動がかなり遅いのでキリトは《ホロウ・エリア》に行ってもPoHと戦ってアップデートを止めるだけで、それ以降は立ち入らないし、スレイブはキリトに殺されて《ホロウ・エリア》行きなので以降は会わない。

 ――ちなみにヴァベルはアキトが居ない世界線から、アキトが死んでから来たので、何を言い行動していたか実際には知らないです。キリト達の言葉からイメージで推察している程度。

 ケイタについてはまだ秘密。

 楯無視点は、『裏』から見ても五感遮断放置は拷問なんだよ、と。割と甘い部分のある楯無でも、エグイ事もする束さんでも、それを『エッグい』と評する程に辛いものなんだと描写。同時にキリト、スレイブ、ホロウの死闘を見た束と千冬の行き違いをさらっと描写。とことんこの二人は一夏/和人の事では反りが合わない。

 そして研究データはお預け――からの、外部で作ったテキストデータを送って、メッセージ交換をしようという発想。

 原作小説の七巻や二十一巻でも帰還者学校の宿題をゲーム内でするとかありますし、仕事に使うテキストデータをゲーム内で作るとか(アスナの母親は慣れないのでしないそうですが)あるので、《ナーヴギア》でも可能なんじゃね? と。実際原作一巻に出て来るアスナの料理研究データってどういう扱いになるのかなーと思うんですよね。ユイのデータも《ナーヴギア》のメモリに格納してたから、出来ない訳はないと思うんですよね。

 外部からの直接的なアクションを弾くだけで、プレイヤーの《ナーヴギア》を介してテキストを送る間接的なアクションならいけるんじゃないかなって。

 ――未だかつて、《SAO事件》中にこんな大胆な連絡のやり取りを試みた作者は居ただろうか。

 まぁ、居たと思いますがね()

 今後も本作をよろしくお願い致します。

 では!


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