インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話の視点はレイン、キリト、楯無、千冬。

 文字数は約一万八千。

 ではどうぞ。




第百三十七章 ~Proofing of Life(生きた証)

 

 

 がやがやと、安全な《圏内》をも脅かす存在が捕まった事は半日の内に広まったようで、《アインクラッド》全域のバグが消えた事も相俟って《アークソフィア》は何時になく賑やかな雰囲気に包まれていた。今日ばかりは鬱憤が溜まっていた男衆も明るく飲み食いして、あるいは自分のホームに近い階層へ戻ってなど、好き好きに行動を取っている。

 こうして見れば、階層間の転移がどれだけ有難いものなのかを嫌でも実感させられる。もし通常のオープンワールドRPGのような徒歩で移動しなければならず、転移門のようなファストトラベル機能が無かったら、きっとこの浮遊城はもっと沈んだ空気になっていただろう。

 戦わない選択をした者達にはお金(コル)を入手する機会が限られているため日々の生活を凌ぐだけで精一杯。ある程度余裕がある者達に較べて好きに飲み食いしたり洒落たものを買ったりも出来ない中、最前線の街解放はクリアに一歩前進した分かりやすい希望になると同時に、《街開き》という盛大な催し物――と言ってもプレイヤーが称しているだけだが――になるから、観光にはうってつけ。目新しいものに目を輝かせる事は誰もが持つ権利だ。逆に言えば《街開き》以外に碌な楽しみが無い。そんな彼らの階層を跨ぐ移動手段は転移門のみ。転移門が無く、自分の力で階層を跨がなければならない場合、どれだけの労力が必要かは想像もしたくない。

 この世界を作った茅場晶彦が転移門の設計をしたというが、解放されたら自由に行き来できる設定にしてくれて良かったと本当に思う。もし自分で登録した転移門にしか行けないパターンならもっと攻略は遅れていた筈だ。

 

「あー! 昨日からずっと色々あったせいで疲れたよ! 姉ちゃん、もう休まない?」

「そうね。ホームに戻れるようになった訳だし……」

 

 双子の妹ユウキが大きく伸びをして訴え、双子の姉ランがおっとりと応じる。体格差は確かに無いけど傍から見たら一歳くらい歳の差があってもおかしくない感じはある。ユウキが爛漫なのか、ランが落ち着いているのか。

 ――……あの子、今は何をしているだろうか。

 ふと、ずっと会っていない妹の事が気になって、思い出に想いを馳せる。

 キリトは今年十一歳になるという。そうなると彼は自分の妹と同い年。ほぼ関係が無かった自分が彼の事を気に掛けたのも妹と同い年くらいと思ったためだ。一層の教会で子供達の面倒を見ているのもそう。もう十年近く前の事になるのに随分気になっているのだ。

 あの少年の聡明ぶりを見るとどうしても脳裏を過ぎってしまう。あの子と引き離されたのも、元はと言えば妹の聡明さで両親の教育方針が割れたから。

 まぁ、今更どうこう言ったところで、もうどうしようもない事だが……

 

「団長、私達もグランザムに戻りましょうか」

「そうだな」

「リーダー、俺らも本部に戻ろう」

「ああ。もう随分空けてるからな……一週間くらいか」

「帰ったら書類が山積みになってそうですね……はは……」

「やめてくれシンカーさん、俺まで嫌になってくるから」

「あー……俺もアルゲードの店をどうにかしねぇと」

「そういやエギル、お前ェの店はどっちに構えるんだ?」

「あっちは手狭だったから、こっちにするつもりだ。転移門に近いし宿も食事処もあるこっちの方が便利だろ。戻れるようになったから大半が宿を出ていく気もするが、ウチを贔屓にするヤツは攻略メンバーくらいなもんだから《攻略組》の集まりに使うならこれからもキープしとくぜ?」

「お前ェ、締め出す気満々だなー……それで儲かってんだから世の中分からねェ事だらけだぜ」

 

 どうやら皆、戻れるようになったホームがある階層へ戻ったり、あるいはこちらに拠点を移す人は前の拠点の処分をしたりするようだ。

 自分もフィリアと共に第一層へ戻るつもりでいる。元々リズベットの家に転がり込んだのも下層へ戻れないのに加え、彼女の《鍛冶》スキルが上昇するのを待つ傍ら接客や武器を打つためで、スキル値も転移門も戻った今は滞在する理由が無い。一定の収入源になるからちょくちょく手伝いには行くが拠点は移すつもりだ。

 アルベリヒ達に捕まったせいで期せずしてレベルがカンストして戦力に数えられた訳だし、攻略への参加要請もされてしまったから、あまり手伝えない気もする。キリトとスレイブの双方が《鍛冶》スキルを完全習得しているから自分の仕事もあまり無い。OSSとして使えるようになった《二刀流》は言わずもがな。

 ……自分、攻略メンバーとしても武具店の店員としてもあまり必要ないのでは?

 

「い、いやいや、戦力アップとか二刀使いという面では、ちゃんと意味ある筈――」

「レイン、何をぶつぶつ言ってるの?」

「――わひゃ?! いや、何でもないよフィリアちゃん! こっちの話だから!」

「ん~? その反応……レインったら何か隠してるでしょっ!」

「えっ、そ、そんな事ないよぉ?」

「レインの語尾が伸びたら大体嘘ついてるか誤魔化そうとしてるって相場が決まってんのよ!」

「……退散!」

「あ、こら! 待てー!」

「ちょ、勘弁してぇ!」

「待ちなさーい!」

 

 急いで走り出せば、その後をしっかりと追従してくる。同じレベルカンストとは言え彼女は敏捷値に自分より多めに振っている事もあってその差は地味に縮まっている。それが分かっているのかフィリアの笑みはとても楽しそうだ。自分も気分は楽しいけど若干身の危険を感じなくもないから割と全力で走る。

 ――その後、七十六層の街に、紅と蒼の光が出没したとか何とか、まことしやかに語られたという。

 後々それを知り、二人そろって顔を朱くするのは、また、別のお話。

 

 *

 

 体感としては長時間、けれど実時間では数分という凄まじい追走劇を繰り広げた私達は、皆に別れを告げて第一層へと転移した。転移門でディアベルらと別れた後、一路教会へ向けて歩き出す。

 

「もう、いい加減機嫌直してってば」

 

 歩きながら隣を歩く相棒から謝罪される。私はそっぽを向いた。

 

「ふん! フィリアちゃんなんて知らない! あんなにしなくていいでしょ!」

「えー。だってレインってば揉み心地が丁度いいんだもん」

「自分にも同じものあるでしょ!」

「いやー、こう、自分のより他人の方が揉みやすいというか」

「はっちゃけ過ぎだよ!」

 

 《圏内》なので遠慮なく手刀を振るう。極限まで強化された手刀は、体感的に軽めにしたにも関わらず、紫色のシステムパネルによって無慈悲に阻まれる。

 衝撃はちゃんと伝わったようだけど。

 がぁんっ!!! と雷が落ちたと思うような轟音と共に、橙色の髪色の少女が勢いよく俯せに倒れた。ゆっくり立ち上がった彼女から恨めしげに見られる。

 

「……レイン、流石に手加減して欲しいんですけど」

「いやいやいやいや、これでもかなり加減した方なんだって! ステータスが高過ぎて体感と結果にギャップが起きてるんだよ!」

「えー……これ、子供達を安易に叱れないじゃん」

「……困ったね、これ」

「普通、ステータスが高くなって困る事って中々無いよねぇ……」

「ものすっごいゼータクな話だよ……」

 

 二人で苦笑した後、同時に溜息を吐く。きっとこの浮遊城に於いてステータスが高すぎるせいで逆に悩む人なんて自分達くらいなものだろう。一般プレイヤーに広まっている情報の中でステータスカンストの話は伏せられてるから滅多に話せないのもあって余計つらい。

 見た目十二、十三歳程度とは言え、もう中学、高校生になろうとする年頃だから、流石に泣かないとは思うが……

 ――ふと、一刻ほど前に全力(ギャン)泣きした少年の事が浮かぶ。

 以前自分が怒鳴った青年とどうにか和解出来て随分と肩の荷が下りたような顔をしていた彼は今もまだ《ホロウ・エリア》に留まっている。

 理由は多分、彼の実の兄の事。ケイタの横に浮いたままのホログラムは多分その兄のものだ。誰も何も言わないから彼が残ると言うまで思い至らなかった。

 

「レイン、どうしたの?」

「ん……キリト君、大丈夫かなって」

「あー……」

 

 それだけで言いたい事が伝わったようで、納得の表情で声を上げたフィリアは星空が映る天蓋を見上げた。

 

「キリトってホント人間関係複雑だよねぇ。赤の他人はおろか実の家族と疎み合ってるとか」

「……そうだね」

 

 それには同意する。

 その時、ふと脳裏で声が聞こえた。それは他人事ではないのではと。

 妹は父に引き取られ、自分は日本人の母と共に移り住み、事実上の生き別れとなった。姉妹仲は悪くなかったと思うけど彼女がどう思うかは分からない。幼い頃にいきなり居なくなったら寂しく思い、果てには憎く思ったりするのではないだろうか。

 あの兄弟と違い、自分達姉妹は両親の都合によって生き別れとなった訳で、正直恨まれる理由は無いと思う。でも子供にとっては理屈じゃない。感情こそが主軸だ。

 ……両親が離婚した当時また二歳児だったあの子が姉の事を覚えているか、という疑問もあるが。

 

 恨まれてたら、やだな。

 

 心の底から思った。

 

 ***

 

 じっと、展開されているウィンドウを見る。

 料理の研究データ、スキルの研究データ、システム面での考察文書……この一年半のデスゲーム生活で手掛けて来た多くのテキストデータが羅列されている。フォルダ別に分けて入れているため一応スッキリしているが、それでも量が量だ。

 その中で、階層フォルダや料理関連フォルダとある中で、一つだけテキストファイルのままのものがあった。

 題名は無い。

 差出人は――――《SAO対策チーム》。

 内容は現状報告のようなもだった。

 

『Tittle /From:Kirito/To:SAO事件対策チーム

 初めまして。我々は《SAO事件》による所々の問題に対応し、解決に尽力すべく、日本政府主導で設立された対策チームです。これを読んでいるとすれば、我々の試みは成功した事になります。

 まずデスゲームの解決に貢献出来ていない現状を伏してお詫び申し上げます。【カーディナル・システム】と言われる人力を必要としない完全自立システムの強固なサイバープロテクトにより、また下手をするとプレイヤーの死を招く恐れからハッキングを許されていないため、刻一刻と時が過ぎる今も無力さを痛感しております。

 我々に許されている事はプレイヤーのログを記録し、どのエリアに誰が居たか、というまでのものでした。しかし今日、貴方様がシステムコンソールにより作ったエリアに入った時点から、どうにか映像と音を介したモニタリングが可能となりました。他のプレイヤーをモニターする事が出来ないため、どうしても貴方様のモニタリングをする事になってしまいますが、プライバシー保護に関しては全力を尽くす所存ですので、どうか御協力をよろしくお願い致します。

 我々がテキストメッセージを送信出来た理由としては、SAOサーバーへの直接介入ではなく、《ナーヴギア》を介した間接的介入によるアプローチを試みたためかと思われます。事実貴方様のモニターをする中で、料理やスキルに関する膨大なテキストデータを閲覧する事が出来ました。これをきっかけに我々は文書による情報交換が可能なのではないか、と予測し、これを送らせて頂く事になりました。

 つきましては、お手数ですがこれに対する返信を手掛けて頂ければと存じます。

 SAO事件対策チーム一同より』

 

 これが追加されたのは今日の午前の事で、俺は当然こんなものを(したた)めた覚えは無い。つまり第三者の手によるもの。プレイヤーでは無いと思う。それはメッセージファイルの方に入れられるし、俺に気付かれない内にテキストデータにコピーするという事もほぼ不可能な筈だ。

 あり得るとすれば、寝ている間にヴァベルが何かしたかくらい。でもこれは寝る前にはあったからヴァベルでは無い。

 とは言え――――現状、それはまったく関係ない。

 問題なのはこれが本物か。すなわち義姉に自分の情報を話したというSAO事件対策チームが認めたテキストなのか、という事。それを内部にいる身では直に確かめる術を持たないが……

 

「……まったく、敵わないな……」

 

 開いているテキストを見て、そう洩らす。

 これを送ったところで疑われる事は分かっていたのだろう。だからか、報告書のような……けれど、どこか手紙のようなそれの末尾には、まるで言葉遊びのように追伸が添えられている。

 

『追伸:和君(いっくん)、これまでも、これからも、ずっと応援してるからね。頑張って』

 

 ……この文面を見て、分からない筈が無い。今の家族を除いて俺を応援してくれていたのは、今も昔もただ一人だけ。

 篠ノ之博士(あの人)は、嫌いな筈の組織に入って、人と一緒に頑張っているのだ。何をきっかけにしたかは分からないが、もし自分や義姉の乱入を契機にしたのだとすれば……それはとても、嬉しい事だ。

 お礼を言わなければならない事が、また増えた。

 

「……しかし、モニタリングか。なら今も見られてるのかな」

 

 その可能性は十分ある。プライバシー保護に尽力、という点に関してはネットの惨状と日本政府が関わっている点から信用していない。篠ノ之博士でも事が事だから秘匿するにも限度があるだろう。

 それに気になるのは、何時から出来たのかだ。書かれている内容的に多分シノンのトラウマか自分の内在闘争のどちらかでモニタリングが出来るようになったと取れる。どっちも見て欲しくないが、内容的に俺の時からであればまだ助かる話だ。シノンのあれは見ず知らずの相手に知られていいものではない。

 ……出来れば、これから起きる事も見て欲しくないんだが。

 それも最早叶わぬ願いだ。

 

 ――床を踏む音が耳朶を打つ。

 

 硬質なもの同士がぶつかり合うそれは一定間隔で聞こえて来る。徐々に近づいて来る辺りで、それは足音であり、且つ人のものであると察する。()()曰くこの辺はアルベリヒが後から作り出したエリアらしく、Mobのポップも無い。

 つまりプレイヤーのものである事を意味する。

 オリジナルは自分を除いて全員《アインクラッド》へ帰らせた。だから来るのはホロウだけ。

 そして、その足音の質から誰が来るかも見当が付いている。

 

 ――闇の中から姿を現したのは、鏡。

 

 否。鏡合わせの如く瓜二つのプレイヤー(ホロウキリト)

 違うとすれば、あちらは見慣れた黒と翠の剣を背中で交差させているのに対し、俺は黒と金の剣を腰の剣帯から吊るしている事か。こちらの黒は魔剣フォールブランド、金は聖剣エクスカリバー。王剣クラレントを譲る代わりに貰い受けた魔剣と悪鬼が喚び出したSAO最強であろう聖剣とが今の武器だ。

 ホロウはおよそ十メートルの距離を開けて歩みを止めた。

 

「ちゃんと来たんだな」

 

 ホロウが最初に口を開いた。

 午前中一旦休む為に《アークソフィア》へ戻る際に言われていた。実兄について話がある、一人で来いと。そう耳打ちされた瞬間もう理解した自分が居た。

 俺とホロウは立場が違えど元は同じ人間だった。何を考えるのか、自分がその立場だったらどう動くか……そう思考すれば、結論なんて容易く導き出される。

 その結論を否定出来ない。否、してはならない。ホロウからすれば自分は、自身の全てを奪ったに等しい仇敵だ。仮令自分自身だとしても関係無い。生きる目的も理由すらも無く、同一の存在が求める場所に居たとすれば、憎く思っても仕方ない。グレスリーフで初めて顔を合わせた時点でこうなる運命だったのだ。

 ――スレイブとも、ホロウは道を違えている。

 生み出されてからこれまで不遇の身にあったスレイブは、ずっと求めていた温かみを再度得て、満足している。仮令人として生きる頃の目的を果たせなかろうと関係ない。その温かみ、その幸せを、スレイブは知ったのだ。

 ホロウは違う。

 ホロウは過去の俺だ。生に疲れ、死を求め、自己を否定し続けていた時点の自分自身。幸せがあろうと認めようとしなかった俺そのもの。仮令別の選択をすれば幸せを得られると分かっていても、自分が決めたものの為なら命すら擲てる者。(リー)(ファ)に矯正されなかった狂人。

 今の俺はもう違う。

 だが……かつてそうだっただけに、ホロウの思惑も、覚悟も、理解出来てしまった。

 

「ああ……逃げる訳には、いかないからな」

「だろうな」

 

 どちらからともなく苦笑を浮かべ、視線をあるもの――――アキトの脳のホログラムへと向ける。俺達はあの人間の為にこれから争うのだ。

 

「《桐ヶ谷和人(オリジナル)》が生きる為には、アイツを護らなければならない。逆に俺が《織斑一夏(おれ)》である為にはアイツを殺さなければならない。ここで逃げたらアキトは死ぬんだから当然だ」

「……お前は自分の憎しみに従うんだな」

「ああ。俺には……もう、これしかない」

 

 ぎり、と歯を食い縛り、睨み付けて来るホロウ。激情に駆られているのだ。

 

「オリジナル、お前は復讐を優先しなかった。だが俺は復讐に生き、そして死ぬ。オリジナルもスレイブも選ばなかった俺だけの選択。俺だけの生き方だ」

 

 人によって異なる性格、性質を、人は『個性』と言い表している。それはまったくの別人が相手だからこそ言い表せるものであり、受け容れられるもの。

 今の俺とホロウのように、まったく同じ人間同士が存在していたならば、最早『個性』の定義と矛盾してしまう。己だけの世界と性質ではなくなってしまうからだ。人間である俺は変化するからまだいい。だがプログラムで構成され、自己の変革をほぼ禁じられているAIからすれば、それは死活問題に相当する。

 【カーディナル・システム】が同時に二つ存在するのと同じ事だ。同一権限のものがあったら互いを否定し合う。

 ……今の構図が、正にそれだ。

 だからホロウは少しでもオリジナルやスレイブ――己の同一人物とは違う選択を取り、己の唯一性を主張する。その主張が復讐だった。生と幸せを放棄した自分に残されるものは、憎しみしか無い故に。

 

「オリジナル。最後に訊くが……お前は、俺を止めるんだな?」

「……本音を言えば俺だってアキトを殺したいさ。今なら《アミュスフィア》で簡単に殺せる……でも、ヒースクリフはそれを望まないだろう」

 

 己の夢の為だけに世界に確信を巻き起こした純粋な狂人。その心はきっと幼い子供のそれで、欲動の赴くままに勉学に励み、技術を磨き、世界に名立たる天才となった。

 そんな彼は、この世界がデスゲームにされた事を痛く哀しんでいた。

 SAOを基点とする仮想世界は、全て茅場晶彦の夢であり、その結実。それを自ら汚すような手段を俺は取りたくない。自分なりの復讐の手段に沿っているからそうするだけでは無いのだ。

 ホロウもそれは分かるのだろう。険しい表情だが、まだ黙っている。

 

「それに、ここでアキト()()死んだら変な邪推されて、俺も殺されかねない……それはお前も分かっているだろう」

 

 ――瞬間、ホロウの目がギラリと殺気立った。

 

「――黙れ! それはオリジナル(お前)の事情だ、ホロウ()には関係ない! AIにされた事で過去も未来も、そしてお前が居る事で()()すら奪われて、自分の全てが信じられない俺の気持ちがお前には分からないだろうッ! 俺が《織斑一夏》と証明できる方法はもう、これしかないんだよ……ッ!」

 

 呻くように、血を吐くように洩らすホロウ。その声は怒りだけでなく、恐怖に彩られていた。

 ……俺は、どうやら『自身が偽物である認識』を甘く見ていたらしい。仮令精神や記憶をコピーされているとしても、その元となった存在が目の前に居て、自分が偽物だと突き付けられたら、不安にもなる。普通はすぐ解消されるそれはホロウプレイヤーという扱いによって永遠のものとなった。

 それまで当たり前にあった『自己』が不確かなものに感じられれば。

 ……オリジナルの自分には予想出来ないくらい途方も無い不安だったに違いない。

 その不安から逃げたくて、ホロウはアキトへの復讐をする事で己の唯一性を、自己を確かなものにしようとしている。オリジナルもスレイブも選ばなかった選択で己を確立させようとしている。

 ――にしても、これしか(・・・・)、か。

 

「――俺だって、これしかないさ」

 

 剣帯から吊るす魔剣と聖剣を一息に抜く。ホロウはこちらの言葉を訝しく思っているのか、剣呑ながら理知的な視線をぶつけてくる。

 

「俺も憎しみはある……だが、それよりも優先するものがある。その為には、今はアキトを生かさなければならない。生きて欲しいと願われて、それを望んだからこそ俺は此処にこうして立っている――――みんなの為にも、負ける訳にはいかないんだよッ!!!」

 

 アキトには、憎しみがある。

 だがみんなと生きる事を優先した以上、復讐は二の次だ。それは幸福を得る為と、生きる為。生きる事を願われて。生きる事を、自ら望んだ。

 そのために、俺はここで剣を取る。憎い男を護ってでも生きなければならない理由があるのだから。

 

「――はッ、そうかよ」

 

 その答えにホロウは狂笑を浮かべる。今は居ない()()の笑みだった。不敵かつ凄絶な笑みを浮かべ、彼は背中の二剣を抜き払った。

 

「期せずして《織斑一夏()》達の命運を決める血戦な訳だ。なら、余計負ける訳にはいかないな」

 

 自然と、同時に構えを取る。やはりこれも瓜二つ。違うのは手にする剣と、鎧の有無。そして瞳の光。

 

「俺はお前を殺して、アキトも殺して、そして『一人の人間』として此処で死ぬ」

「俺はお前を殺して、アキトを護って、そしてみんなの為にこの先を生きる」

 

 

 

「「お前は邪魔だ」」

 

 

 

「「俺の為に、お前はここで死んでいけ――――ッ!!!」」

 

 

 

 ***

 

 ――縦横無尽に舞う剣劇。

 

 激しさを増す応酬。斬閃は数を増やし、最早鍛えられた(まなこ)も残像を捉える事すら難しい。リアルタイムで映し出されている戦いは両者の能力と殺意の高さを如実に表していた。

 現実と違い、仮想世界では筋肉の疲労、骨折、筋腱の断裂などが起こり得ないため、理論上最速を常に出し続けられる事になる。だがそれはあくまで理論上であり、人間は機械でない以上はどうしても綻びが生まれる。アバターを動かすのは本人に変わりないのだ。

 片方はAI。だがもう片方は人間で、戦い始めてから数分間、戦況は常に拮抗している。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 敵は自分自身。己のクセや考え方、戦い方を熟知していれば出来ておかしくない――そんな事にはなり得ない。

 それは相手も同じ認識。つまり。敢えてこれまでと異なる流れで攻めてもおかしくない。ましてやAIの方は瞬間的な判断能力で圧倒的優位に立っている。見てから瞬時に行動を変える事すら可能だろう。

 

 ――そんな敵を相手に、彼はまったくの互角。

 

 普通に考えてあり得ない。まるでイカサマを許されたディーラーに手札を見られながらそれでも全勝するような、相手だけ後出し出来るじゃんけんで常に引き分けを出すような、そんな不可能とすら言える天文学的な数字の確率を、彼は延々と引き続けている。それも一秒に何手、何十手と繰り返して、全て同じ結果。打てる手が多いほどに分母も比例して大きくなり、回数を重ねる程に分母は乗倍数を増していき、引き当てる確率は絶望的に低くなっていく。

 たった一度。

 たった一度の失敗が、彼らにとって命取り。そんな極限の綱渡りを延々と繰り返している様はいっそ異常だ。

 

 ――いいえ……きっと、彼は今、何も考えてない。

 

 人格が統合された事で本来のポテンシャルを取り戻した彼はその気になればこれまでの何倍もの底力を発揮する。それは思考速度であり、また反射速度である。瞬間的な思考量の単純な増量に加え、思考を介さない反射的な動作の精密性と速度の向上。一口に言えば分かりやすいそれらは目で見たところで変化は分かり辛い。そういうもの。

 しかし今、目の前に映る戦いは、目で見て分かる程の異常性を孕んでいる。

 彼らの脳裏にはどれだけ先の手が浮かんでいるのか……いいや、きっと何も浮かんでいない。彼らは最早目の前の敵を殺す事にだけ集中する余り、思考を捨て、本能だけで戦っている。故に彼らの行動は基本的に全て反射の領域。

 反射は、個人が積み重ねた経験によって形成されるもの。

 そしてあの二人は殆ど時間を経ていない完全同位体。立場や思想こそ変わっていても、反射という無意識にまで刷り込まれた動作までは短時間で変わり様もなく、だから拮抗している。そう考えた方が自然だ。

 殺意にのみ身を任せ、目の前の敵を塵滅する為に剣を振るう様――――あれはきっと、己を《廃棄孔》と呼称した人格の名残だ。世界が作り出した『闇』そのもの。人の悪性が凝集して作り上げられた悪鬼。憎悪に狂い、殺意に塗れた人ならざるモノ。

 なるほど、彼の仲間が《獣》と称する訳だ。そう納得する。言い得て妙とはこの事か。

 おぞましい程の執念。画面越しにも伝わる、無機質で冷たく、けれど濃密な殺意。敵を殺すという絶対的な意思の表れ。

 あんな人を今まで見た事が無い。人を人とも思わず殺す、そんなモノにまで成り果てた人間は『裏』の世界でもそうは居ない。勿論そこから這い上がり、人として自己を確立し直した人間も。

 

 この戦いはその対比。

 

 オリジナルの少年は『人間』として新生した。古き忌み名と共に未練を捨て、新たな名を得て希望に触れた幼き子。

 ホロウの少年は《獣》として完成した。古き忌み名に囚われ、憎悪に狂う事で己を確立させようと足掻いている。人間に戻りたくて、けれど戻れず《獣》に成り果ててしまった幼き子。

 およそ人の善性と悪性とが向き合った戦いと言えるだろう。人を想う気持ち、人を憎む気持ち、それらが一人の内ではなく外で争っている様。人の葛藤が形になった光景。善性が勝ったなら悪性は死んだという事。その逆もまた然り。彼らは《オリムライチカ(キリガヤカズト)》として互いを喰らい合っている。

 ともすれば、それはまるでオリジナルの少年と廃棄孔の戦いの焼き直しのようで。

 巨大スクリーンに映し出されたそれを、対策室に居る誰もが神妙な面持ちで見詰めていた。男女の例外は無い。立場の差も関係無い。

 あの戦いは人間そのもの。誰しもぶつかる人の葛藤が現れただけに過ぎない。

 

『『――――ッ!!!』』

 

 鬼気迫る顔で斬り結ぶ少年達。声は無い、それすらも無駄と言わんばかりの迫力に、自分達の声すらも奪われる。

 ――ただ一人を除いて。

 

「あいつは……秋十すらも、殺したい程に憎んで……何故なんだ……」

 

 茫然自失。あるいは、絶望。

 そんな形容が似合うくらい愕然と戦いを見る女性――織斑千冬(ブリュンヒルデ)。半日経過しても()()に言われた事を未だ理解し切れていない彼女は、新たに舞い込んできた兄弟間の憎悪に困惑し切っていた。最早彼の言葉を受け止める余裕も無い。

 

 ――そも、今日一日、彼女は常に余裕が無かった。

 

 彼らが休息の為に《アークソフィア》という街に戻った後の事。少年に宛がわれているらしい部屋のベッドごろごろと寝返りを打っている最中、唐突に映像も音声も切れた。当然対策室は大騒ぎになり、天災含めた総力を以て回線復旧に尽力。奮闘の甲斐あってか二時間後にはモニタリング出来るレベルの回線強度に戻ったが、あの時は誰もが生きた心地がしなかった。

 それは当然見に来ているだけの自分とブリュンヒルデも同じ。自分は親しい人間が囚われていないからまだ余裕があったが、日本政府との交渉はリーダーの役人と一緒にする訳で、そういう意味で肝を冷やした。ブリュンヒルデは言うに及ばず。

 回線が復旧した後、流石に徹夜を押した疲労もあり、少年達に合わせて職員も交代で休憩を取った。

 ブリュンヒルデは今日仕事が休みで家に帰っていたので、天災と一緒に仮眠を取った後、ずっとモニタリングを続けている。まるで彼の一挙手一投足を見逃すまいと気合いが入っていた。

 アルベリヒの処遇が決まった後、《月夜の黒猫団》のリーダーらしい青年との話し合いではやや苛立ちを露わにしていた。傍から聞いていれば青年の言い分は責任転嫁もいいところなので彼女の苛立ちは尤もだと自分も思う。むしろそれを怒る事無く許す少年の方がちょっとどうかしている。

 ただ実際のところそれを狙った節が《ビーター》という称号にあるようなので、あまり部外者が怒りを露わにするのもどうかとは思う。その辺の事情もあって仲間も踏み込み過ぎないよう配慮していたように見えたのだ。どちらにせよ当事者ではなく、もうほぼ解決している以上は要らぬお節介というヤツだろう。

 逆鱗に触れたくない(天災を敵にしたくない)

 ――ともあれ、そんな事があった後に、彼はホロウの自身と殺し合い始めた。

 自分同士だからこそ通じるものだったのだろう。傍から聞いていると流石に分かりにくい話もあった。だが彼の内在闘争でオリジナルの、そして後にスレイブの在り方を見ていたお蔭で、分かる事は多かった。

 ホロウは『己』を手にする為に復讐を為さんとする。今の彼の目的は『人』として死ぬ事なのだ。《織斑一夏》の頃から奥底にあった復讐心に従う事で己を『人間』であると定義づけようとしている。その末に悪性に堕ちようとも構わない。最早彼に未来は無いから、自分の事にだけ集中し始めた。

 オリジナルの彼とはまるで逆。あるいは、だからこそ彼は、その道を選んだのか。

 実の姉は二人の在り方と実兄に向ける憎しみに困惑するばかり。自分も具体的には知らないが、それでも余程耐え難い事があったのだとは朧気に察している。彼女は察していないから理由が分からず、困惑しているのだ。

 ――天災はそんな彼女に何も言わない。

 受け容れる責務、払うべき代償とやらなのか、彼女は励ましも支えも補足も何も付け加えない。ただ痛ましげに、同時に、どこか突き放すような目で一瞥するのみ。

 

『燃えろぉッ!!!』

 

 輝く剣を持つ少年(オリジナル)が相手を蹴り飛ばすと同時に叫ぶ。すると硬質な板が積層した部屋が一面炎に包まれた。床は焦土と化し、そこかしこで紅蓮の炎が立ち上る。

 じりじりと、蹴られた二刀の少年(ホロウ)の体力が削られる。

 

『舐めんなッ!!!』

 

 ジリ貧の状況を怒号で流し、突っ込む。彼の頭上には剣や槍の数々が次々現れ飛翔している。本命の本体と牽制の面制圧。

 降り注ぐ武器達は、しかし突如出現した岩塊に阻まれた。オリジナルがしたのだろう。地形を壊さないで自然属性を操るアドバンテージはかなり強力だ。

 さっきまで思考しないで斬り合っていた彼は、このままでは疲労で押し負けると判断したのか、搦め手に出る事にしたようだ。焦土による経時的ダメージでホロウが絶対的に不利だから時間稼ぎに徹するつもりなのだろう。決闘では疎まれるそれも殺し合いとなれば立派な戦略だ。何より生き残る事が一番なのだから。

 それを罵りもしないでホロウは岩塊を駆け上がって宙へと躍り出る。宙には滞空する一枚の盾。くるりとホロウは体を回し、上下逆さまの状態で盾に足を着けた。

 彼の直下には、待ち構えるオリジナル。周囲には天を衝かんと並べられた剣群の数々。

 ――少年が盾を蹴った。

 豪速の落下。同時に地にいた少年と剣群が跳び上がり、衝突。ホロウは端々を割かれながらも二刀を交わらせた。空中で二刀を交えた二人は上下から地面と平行になり――跳ね除け、距離を開く。

 しかし後退した彼らは盾を同時に呼び出し、壁蹴りの要領で斬り掛かった。

 

『――ごふっ』

 

 呻き声が上がり、別の壁に叩き付けられる少年。胎動する光と闇を纏う長剣を持っているオリジナルだった。彼は一瞬反応が遅れ、ホロウに隙を突かれ、切り飛ばされてしまっていた。

 ぐぐっと命のゲージが減少する。

 そこをホロウは追撃。空中の至るところに足場となる盾、あるいは幅広の剣を設置し、素早く跳び渡って斬り掛かる。寸での所で立て直したオリジナルが二刀で懸命に捌いていくが、勢いに押されてしまっている。思考を挟まなかったとは言え、反射でも脳は動いている。その疲労が不利に働き始めているのだ。

 がん、ぎん、と刃を打ち合わせ、宙を踊る二人。部屋の中央付近でホロウが一際大きく二刀を振り下ろした。

 オリジナルも二剣を翳して防御するが、勢いに負けて叩き落とされる。焦土の床に叩き付けられると同時、吹き荒ぶ風が消化したかのように炎が中心から端へと消えていった。何かしらの条件により解除されてしまったらしい。

 

 その時、大の字になった少年から、青い光の欠片が吹き上がる。

 

 HPは未だ残っている。直撃を避けているからこそ、まだ余裕は残っているようだった。数割残っているか、数割死に近付いていると見るべきか、どちらが正しいかは分からない。

 吹き上がった青の光。

 それは彼が纏う黒のシャツ、コート、鎧や籠手が砕け散った事で起きたものだった。度重なる戦闘のダメージと壁の激突、焦土の影響が祟ってせいで、どうやら装備が保たなかったらしい。

 

 ――瞬間、空気が凍った。

 

 大の字にある少年は半裸になっていた。それはまだいいが――――問題は、その体。

 

「何よ、あれ……」

 

 声が、どうしようもなく震えた。

 次の瞬間には起き上がり、追撃に出たホロウと斬り結んでいる彼の体には、無数の傷がある。SAO内での紅いダメージ痕などではない。陶磁器のような白い肌にはとてもそぐわない傷跡がそこかしこにあったのだ。それも茶色に変色している時点で古傷レベル。

 『裏』に精通しているから分かる。あの傷は生半な事で出来るものじゃない。幼い頃から日々厳しい鍛錬で生傷が絶えず、それでも涙ぐましい努力で女性として誇れる肌を維持している身だから、分かる。分かってしまう。斬り傷なんてものじゃない、あれは最早裂傷だ。それが古傷として残るレベルなら――それを負った当時は、どれだけ酷い怪我だったのか。

 その裂傷を上塗りする程に広がっていた他の傷。度重なる裂傷、火傷の痕、何かに穿たれた痕、銃創……軍人でもあれだけの傷は負わない。仮にあったとしても相当古参の老兵レベル。

 幼い子供が負っていいものじゃない。よしんば負っても度々はおかしい。

 ――そして、大の字になっている一瞬だけ見えた、彼の胸。

 心臓に相当する部分に埋め込まれるように存在を主張している禍々しいほどドス黒い宝珠。ISに携わっているから分かる。アレはISのコアだ。

 『裏』の情報でかつてISコアを人体に取り付ける研究があった事は知っている。その被験者が全員死亡した事も報告を受けていた。元は男性がISを動かせるようになる為の研究だったが、何時しか歪んで――恐らく女尊男卑風潮が広まった頃から――そうなっていたという。日本国内での研究は政府に嗅ぎつけられ、明るみになり、既に研究員達は始末されている。

 

 だが、ならアレは何だ。

 

 何故彼はISのコアを胸に埋め込まれている。そして、それはどこでされたのだ。

 『更識』もカバー出来ない範囲がある――――すなわち、外国だ。

 日本国内であればよほど厳重にされていても嗅ぎ付けられる古くからのネットワークがある。外国にそれが無いのは、そもそも『更識』の起こりが室町幕府お抱えの情報屋兼暗部だったから。その関係が政権交代を幾度行われても続いているからこそ日本全土に情報網がある。日本国内であれば『更識』に集められない情報は無いのだ。

 だから必然的に外国での出来事になる。

 そして、彼はそれに合致する経歴がある。《第二回モンド・グロッソ》で誘拐された日から桐ヶ谷家に拾われるまでの三ヵ月間だ。その間にコアを埋め込まれたとすれば辻褄は合う。

 ――しかしそれだと妙な事も残る。

 彼の体の古傷だ。

 SAOのアバター作成シークエンスに於いて、体格を測定するキャリブレーションがある。その要素として全身を映す写真を使うパターンもある。これを使う事で体格や顔つきなど細かな部分をより精巧に再現するのだと売りに出されていた。今は個人情報流出や《SAO事件》を契機に写真を使用する事は撤廃され、VRMMOも運営側が決めるランダムアバター制になっている。桐ヶ谷直葉(リーファ)のアバターがそれだ。

 つまりその写真を使っていない場合、システムは体格だけを再現する事になるので古傷は再現されない。逆説的に彼は写真を使って古傷までも精巧に再現させてしまったのだ。

 ……ゲーム内だけでも《織斑一夏》として在りたい。そんないじらしい願望が、そうさせたのではないだろうか。

 ともあれ、だとすればあのアバターの傷は、遅くとも2022年11月7日時点のものになる。

 彼が拾われたのは2021年。それから傷を一切負わなかったとして考えれば、やはりおかしい。拾われる前の三ヵ月間で大怪我を負っていたなら、もっと生々しい痕が残っている。

 しかし彼の古傷は皮膚とほぼ合一していた。

 ……これらから導き出される事は、ただ一つ。誘拐されるよりずっと以前にあの怪我を度々負っていたという事だ。銃創はともかく、裂傷や火傷なんかはそれこそ茶飯事レベル。治りかけている傷の上から再度傷を負っていけば丁度あんな感じになるだろう。

 

「なんだ、あれは……」

 

 そして、どうやら実姉は知らなかったらしく、再度愕然としていた。

 

 ***

 

 宙を掛け、壁を走り、天地空の悉くを利用して三次元的機動で戦う二人の一夏。その片割れである胎動する闇と光を湛えた二剣を振るう一夏の半裸に私は唖然とさせられていた。

 昔から擦り傷や生傷が絶えなかったから分かる。あの怪我は生半な事で出来るものではないと。

 そして古傷になっている具合からかなり昔から負っている事も分かった。複雑に積み重なったそれらは奇怪な古傷は数多く、どれだけ一夏が怪我をしていたのかを如実に物語っている。

 

「私は知らないぞ、あんなの」

 

 そして、その全てを私は知らない。一夏が怪我をしていた光景はたった数回。どれも階段でこけて額を打ったり、躓いて腕や膝を擦りむいたものばかり。胴の部分で白い肌が無いくらい埋め尽くされた古傷に関しては一切聞いていない。

 ……周囲から、唖然とした視線を向けられる。

 

「ちーちゃん、ホントに気付かなかったんだね……」

 

 束の呆れを隠さない言葉が耳朶を打った。

 

「和君は凄く我慢強くて、忍耐強い子だからね。痛くても人前で泣くのを我慢してたんだ。ちーちゃんの前では痛がる素振りを見せなかったでしょ?」

「あ、ああ……」

「でもさ、偶に頭とか腕とか怪我してた時があったでしょ?」

「ああ……それは、階段から落ちたとか、躓いたとかと聞いたが……」

何処(・・)で、何時(・・)何で(・・)そうなったか、ちーちゃんは聞いた?」

「……」

「和君ってさ、誤魔化したりするのは得意だけど嘘は大の苦手なんだよね。正確には嘘そのものは出来るけど突っ込まれるとすぐボロが出ちゃうんだ」

「一夏は……嘘つき、だった……?」

「そーじゃなくて。嘘は嘘でも、和君のは優しい嘘だよ」

 

 痛ましげに、だがどこか優しげな面持ちで、束はスクリーンを見上げる。

 鎬を削る死闘がそこには広がっている。一進一退の応酬。どちらが勝つか、それは私でも分からない。篠ノ之龍韻師匠と較べれば剣筋そのものはまだ拙い。だがそれは経験を積んだ剣術家と較べるからで、あの年齢で考えればむしろ出来過ぎている。一夏と同じ歳の時と較べれば、確実に負けていた。

 

「和君は何でもかんでも一人で頑張ろうってなっちゃうから、ちーちゃんには気付かせたくなかったんだよ」

「私は……頼りなかった、のか……?」

「さあ? その辺は和君に訊くしかないね、だって束さんも知らないから」

 

 あっけらかんと言う束。コイツは誤魔化しや煙に巻く言い方はすれど、嘘は言わない。だから本当に知らないのだろう。

 何故何も言ってくれなかったのか。相談してくれれば、助けたのに。今日だけでどれだけ一夏の新しい顔を見た事か。()まれている事も、秋十に殺意がある事も初めて知った。

 どう思っているかなんて、言ってくれなければ分からないのに。

 ――弱った心で、死闘を見る。

 二刀で戦っていた二人は、どちらからでもなく、武器を持ち変えていた。片方は長槍を、片方は長刀を手に斬り結んでいる。突き、払い、回し、とことん隙を無くした理詰めの槍捌き。それを捌き切る長刀の剣捌き。剣道三段倍の法則を飛び越えた拮抗した勝負。

 二刀で斬り結んでいた時と変わらない戦い。

 ――瞬間、二人が加速。

 槍捌きの速度と比例するように穂先を弾く剣劇も加速する。姿は残像になり、音は銃火器のようにけたたましく響く。徐々にではあるが応酬を続ける中でも未だ加速している気もした。

 加速世界とは言え、あれほどの実力を得るまでどれだけ経験を積んだのか。

 驚嘆する中で、また二人が武器を変える。今度はどちらも同じ短剣だった。黒と白の中華剣を手に掛け、至近距離で体術を交えた応酬が始まり、少しして距離が開く。

 ――とん、と跳び上がる片割れ。

 両手の短剣から、気付けば黒い鋼の弓に持ち替えていた彼は、宙を回りながらも正確無比な射を見せる。弦を引く事で番えられる矢を高速連射。点で迫る矢の流れに、片割れは短剣で弾きながら走り、徐々に距離を詰めていく。距離が詰まった瞬間黒と翠の剣に持ち替えられ、振るわれる。

 弓を引いていた方は寸前で横に半身を動かし、紙一重で攻撃を躱す。生じた隙を突くように空いた右の貫手(ぬきて)で相手の胸部を穿った。

 ――残り僅かになっていた命のゲージが、空になった。

 思わず息を呑む。

 

『ご、ふ……は、はは……』

 

 貫かれた方の一夏が笑みを浮かべた。疲れている、けれど満足そうな、満たされている笑みだ。綺麗では無い。だがどこか羨ましいと思うものがあった。

 貫かれている方――それは、コートを纏ったままの一夏。

 つまり敗れたのはホロウ。

 

『く、くく……俺の負けか』

 

 腕を抜き、距離を取って警戒するオリジナル。その横を通り――ホロウは、秋十が囚われているらしい脳のホログラムへと歩み寄った。

 きらきらと、その体が光に包まれ始める。

 ホロウは光り始めた己の手を見て苦笑し――僅かに、肩越しに振り返り。

 

 

 

『流石は、俺の――――』

 

 

 

 ――――笑みを浮かべたまま、砕け散った。

 

 ……途端、胸中に去来する虚無感。死んだアレがAIという事は分かっている。

 だがそれでも、一夏である事に変わりは無かった。

 ――きっと私は……一夏が死んだように思えて、喪失感を覚えたのだ。

 二人が攫われ、そして一夏が見つからず諦めた時の絶望に近い喪失感を。

 

 そして、ふと思った。

 

 一夏が秋十を殺そうとするのは、憎む気持ちがあるだけでなく、この喪失感を知らないからではないかと。血を分けた家族を喪う喪失感を知らないから殺そうと思えるのではないだろうか。

 《月夜の黒猫団》というグループを作っていた者達を護れなかったとは言え、所詮は他人。

 家族を喪った時の喪失感に較べれば大事では無い。感じた事が無いから一夏は殊更大袈裟に彼らの死を捉えていたのではないだろうか。

 今まで自分が彼の事を知らなかったように、一夏もまた、私や家族の事をよく分かっていないのではないか。

 

 ――本当に、そうだろうか。

 

 確信にも似た思いを留める声。今まで思い込んできた事を束に悉く否定され、自分が知らない事実を突き付けられてから湧き上がる不安と未知への恐怖が、決めつける事を躊躇させる。

 実際どういう事か自分でもよく分かっていない。

 本人から直接聞けばいいと束は言った。そうする前に判断していいものだろうか。私は一夏の事を知らないのだ、まずは訊くまで待つべきではないのか。

 そう考える程に、そうした方がいいのではという思いに駆られる。

 だが拒絶や憎しみを向けられる事を考えれば、その不安感が先の考えを煽って来る。

 

「……取り敢えず、もう今日は休むか……」

 

 色々あって流石に疲れているんだ。だから悪い方にばかり考えが回ってしまい、不安を止められなくなる。もうそろそろで午後九時を回る。明日から仕事があるから、今日はもう帰って寝るのが一番だ。

 分からない事で悩んでいても仕方ない。最悪、本人に聞けばいいのだから。

 そう決めた私は悶々としつつスクリーンに映る実弟がベッドへ入るのを見届け、自分も帰途に就いた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 気付く人は気付いただろうこの展開。『テイルズ・オブ・ジアビス』のルーク対アッシュの会話と、『銀魂』の歌舞伎町四天王編の銀時対次郎長親分のやり取りをオマージュ(ほぼパクリ?)

 かっこいいよね! ジアビスのはホロウを出した時点でやろうと思ってたし! なんか書いてたら自然と次郎長親分も出て来たし!

 ……先人って、偉大だなぁって……(しみじみ)

 ――それはともかく。

 今話のホロウキリトは既に精神が限界までキてます。過去のキリト自身、と言われてる割には何もかも台無しになる選択をしてます。むしろ『オリジナルが絶対取らない』選択と確信しているからこそしている節が。

 人間の唯一性や自己、個性というのは、そう簡単に許容出来るものでは無い。

 原作アリシゼーション編のコピーフラクトライトが良い例ですね。私はあの崩壊シーンを参考に、ホロウとスレイブを書いております。マジでアレ考えた川原先生もアニメスタッフ陣営もクレイジーだぜ(褒め言葉)

 魔剣と聖剣のやり取りは省きました。あんまり重要じゃないんで(一気に最強武器ゲット)

 そんなこんなでFGOの『謎のヒロインX』の装備に。絵師がSAO小説の絵師『abec』さんだし、これは逆輸入と言えるのでは?(アチャ子とクロエ的な)

 ……実はキリトの鎧防具【フォースフィールド・マテリアライト】はXXのアーヴァロン(サバフェスが後出)みたいな感じなんですよね。XXの鎧設定見た時はリアルで吹いたわ(裏話) ちなみにオルトリアクターを見て書いた。

 ――これは邪聖剣ネクロカリバ―も出せという啓示……?(ポンコツ)

 GGOなら出せそうですね(解決)

 ともあれ装備的にオリジナルが有利だけど、ホロウはAIなため反応速度と演算処理速度で有利。つまり《ⅩⅢ》の勝負だとホロウが絶対的優位。自然属性はオリジナルだけの特権。良い感じに各々の特性が絡み合ってますね。

 楯無視点は、『裏』ではISの人体実験とかどんな扱いになってるか。『更識』のスタンスや勢力についてもちょっと開示。少なくとも日本国内であれば無敵ですね(慢心) 尚、室町時代云々はうろ覚えなので、正確な事が分かる人は御指摘お願いしますm(__)m そんな感じだった気はするけど、正確な時代は覚えてないんです。引っ越し関係で手元に原作が無いのも痛い。

 楯無視点での戦闘で、焦土+壁から追い詰められ床ドンのコンボは、『キンハ―2』のアクセル戦のリアクションコマンド《オールクリア》のものです。オリジナルがアクセル枠ですね。丁度ホロウが二刀です。

 ――知ってました? 昨年末辺りに規約が変わって、何とディズニー関連の創作も可能になってるんですよ!(大歓喜)

 気になる人は規約変更リストを見てみましょう。上の方に『他サイトの様子を鑑みて』という文言と一緒に認可される旨が書かれてます。最近になって私は知りました。

 ――話を戻して。

 ブレイズエッジの床ドンでトドメとなって、修復を怠ったせいで一気に半裸になり、モニターする人達に体を見られる失態を犯すキリト。束はともかく、裏を知る楯無と、まったく知らなかった千冬にはショッキング過ぎるものですね。前者はコア、後者は怪我的な意味で。

 ……千冬視点でコアに触れてない事から分かるように、気付いてないです。それより分かりやすい怪我の方に目が行ったんで。

 あと千冬は『恨まれてる』と思っている。本作に於いて『恨』は不満を、『怨』は憎しみ、殺意を意味してるので、本当の意味ではキリトの事を理解出来てません。そもそもホロウと何で殺し合ってるか本質的な部分(自分を喪うとか、秋十を殺すとか)は混乱し過ぎてて分かってません。

 ただ、まぁ……最後にあるように、自分の思い込みに一度待ったを掛けられるようになったのは、一歩前進なのかなって。

 ――――度々言うけど千冬は好きです。

 では、次話にてお会いしましょう。


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