インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

156 / 446


 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 アンケート希望により、今話は99層ボス戦も飛ばして100層ボス戦に。絶対描写すると言ったアイツは幕間か回想で何れ書く。

 まぁ、《バーサーカー》の強さをまともに描写出来るとは思ってませんが()

 その代わり第百層ボスは映画見直して攻撃方法研究して頑張ったヨ!

 そんな今話の視点はISキャラの鳳鈴音(セカンド)、キリト、ユウキ、ラン、アスナ、クライン、ヒースクリフ、シノン、サチ、リーファ。

 一話の間でここまで変わるのって何気に初ですね()

 文字数は約二万一千。

 あと今話は後書きありません、次話以降の為に(不吉) つまり色々ぶっ込んだけど、それもお気に入り減少や批判も覚悟の上。プロット上決まっている事です(不吉)


 ではどうぞ。



 ――――エピローグでは幸せにします(確定)






第百三十九章 ~“世界”の終焉(滅びの日)

 

 

 足早に駆ける。肩に掛けたバッグの中身は少ない筈なのに、今は何時もより重く感じた。学校から片道十分ほどで辿り着く筈の道のりが長く感じられる。もっと早くと気が急いて仕方ない。

 もっと落ち着けよと、悪友と言える男友達は言うだろう。

 でもそれは仕方ない。気が急いている理由を知ればきっと誰も責めはしない。

 何故なら――今日は、デスゲーム最後のボス戦がリアルタイムで公開される日なのだから。

 

 *

 

 ソードアート・オンライン(SAO)

 一世を風靡したVRMMORPGの初代作であるそのタイトルを知らない者はまず居ない。それは数多のゲーマーが夢見た『ゲーム世界への没入感』をリアルに再現した物であり、同時に内部で死ねば本当に命を落とす悪魔のデスゲームへと変貌し、世界を混乱させたものだから。

 ベータテスト一千人分を含め、正式サービス開始時の第一期ロットはたったの一万本。ベータテスター達の優先販売を除けば九千本。数多の強豪達が競い合ったそれは死のゲームへと変わり、現在も彼らは囚われ続けている。

 デスゲームが始まったのは2022年11月7日午後5時30分。

 今日の日付は2024年11月7日。あれから今日で丁度二年が経つ事になる。死者は三百人ほどに抑えられているというが、内部でHP全損判定を受けているプレイヤーは三千人に上るらしく、ゲームクリアと同時に死ぬのではないかと最近は注目を集めている。

 

 とは言え、注目を集め始めたのはつい最近だ。

 

 デスゲームが発覚した当初は世間も大混乱に陥ったが、人間は慣れるもの。しかもSAOの内部を正確にモニターする事は出来ない。プレイヤーの判定などもログを辿ってのものが限度で、映像や音声などは一切記録出来ていなかったという。

 しかし数か月前、内部の映像が日本政府により公表された。

 それは《SAO事件》の真の黒幕を映したもの。須郷伸之が企てていた恐ろしい実験を含め、茅場晶彦は冤罪だったと称するもの。内部のプレイヤーとのやり取りに成功した証拠として原文ままのテキストも一部公表されている。

 ――それだけなら、自分はあまり関心を持たなかっただろう。

 個人的な事情でSAOに関心は寄せていた。しかしその関心はあくまで個人間の関係によるものであり、今更真犯人がどうこう言われたところで大した意味を持たなかったのだ。

 だがその映像の中心人物として映っているプレイヤーこそ自分の関心そのものだった。

 織斑一夏。

 劣悪な環境、迫害、あらぬ誹謗中傷、時には命すら危ぶまれる虐待に遭っていながら、それでも他者に助けを求めなかった幼い子供。差し伸べた手を自ら払い除けた少年。自分の三つ年下の少年が自分にとってSAOへの関心そのもの。

 (ファン)鈴音(リンイン)と彼の関係は決して深いものではない。

 数年前に中国から両親と共に日本へ移住した自分は日本語はそこまで達者ではなかった。そのせいか転入したクラスに馴染めず孤立し、今の悪友達とつるむようになる前は人を避け、一人で行動する事が多かった。そんな日々が続いたある時、大通りから外れた路地で蹲りえづく少年を見た。それが悪評で知られる《織斑一夏》だったのだ。

 ただし、それを知ったのはその時より後の事。人付き合いなど無かった自分がそんな話を知る訳が無かった。

 だから当時()()()は何も考えず近寄り、彼に話し掛けた。話し掛けた内容は他愛の無い事だ。拙い日本語で怪我の理由を聞いて、こけたと返され――嘘だなと察して。手当を申し出てもやんわりと断られ、ふらふらと覚束ない足取りで帰る少年を見送った。

 それが一度だけなら、あたしも記憶の彼方に忘却していた。

 しかし週に二、三回は見るからおかしいと思った。自分の両親は人通りや食品店の多い地域で中華料理を出す店を経営していた事もあって登下校の道は必ずその辺を通る。だから一定間隔で見るというのはどう考えてもおかしいと思って独自に調べ出した。

 気になり始めれば人付き合いが無くとも情報など幾らでも集められる。人の話に聞き耳を立てたり、件の少年の周辺を探ったりなど、出来る事は沢山あった。

 周囲が隠す気など無かったからだろう。予想以上に情報は容易に集まった。あの少年の名前もすぐ分かった。普段どんな扱いを受けていて、何故頻繁に路地に倒れ、時には血を流していたのか。

 答えは簡単。地域――否、国家規模の、人権の迫害だ。

 初めて知った時はゾッとしたものだ。治安が良いと聞いていた日本の闇を見て、得体の知れない不安に見舞われた。中国は韓国、日本と長らく争いをしていたが、特定個人の迫害は自分の周囲だとそこまでではなかったのだ。

 ……ただ、何故だろうか。

 あの少年に関わっていたら自分も同じ目に遭うと分かっていた。分かっていたのに、あたしはあの少年に関わる行動が多かった。

 路地に倒れた彼を介抱した事があった。両手で数えられるくらいしかないが、あまりに出血が酷い時は暴力を振るう連中が立ち去ってからこっそり彼を抱えて移動し、人目の付かないところで怪我の手当てをしていた。

 目が覚めてからは会話もした。当時彼は小学二年生、満八歳になる彼は消耗し切っていて、幾度かしたやり取りもかなり曖昧だった覚えがある。雲を掴むような錯覚があった。

 疲れ果てた様を見て、何故か哀しく思いもした。見ていて辛かった。

 移住してから彼が失踪するまでの約四ヵ月間、そうして関係を持っていた。

 ――最早あの少年の記憶には残っていないだろう。

 彼とはそれだけの浅い関係であり、彼も自分の事でいっぱいいっぱいだった。覚えていなくても仕方ない。

 ただ、それでも良い。決して多くないやり取りで彼の性格は把握している。気絶している彼を家まで送って実兄と知り合った時、目を覚ました彼は酷く心配してきた。やや支離滅裂な内容を要約すれば自身と関わると巻き込まれるというもの。だから距離を取れと言っていた。

 

「……思えば、それが最後の会話だったかしらね……」

 

 ふと呟く。あまりにもあんまりな話だと思った。

 そうして三年前の事を思い出している間に家に着いたので、靴を脱いで自室へ直行する。ただいまとは言うが、最近両親の仲が良くない……というか、離婚前提なくらい悪いので、顔を合わせたくなかった。一年前は仲が良かったのにどういう訳かまったく分からない。

 人間だからいがみ合ったり反りが合わなかったりする時はある。でも夫婦になって一児の親にまでなっているのだから、その辺を許容する度量というものを持って欲しい。ご飯時に毎回痛い無言になるのは辛いのだ。

 

「……そんな事、今はいいか」

 

 はぁ、と溜息を吐いて自室に入る。

 悪友から『女っ気が無い』と言われるくらい物の少ない内装。整頓された本棚には漫画やゲームの攻略本、()()書などが詰められている。ぬいぐるみなど一切無し。可愛いものも無し。精々がシャツや上着くらいで、それらも素っ気無いものばかり。性格に合わないから求めないのだ。

 まぁ、自分はトランク一つあればどこにでも行けるくらい身軽だから、短所と思った事は無いのだが。

 最近肌寒くなってきたため羽織っていたトレーナーを脱いでハンガーに掛ける。デスク上にあるノートPCの電源を入れた後、部屋の暖房を適温で入れた。

 椅子に座ると、やや年季の入ったそれがぎしっと軋む。

 そのタイミングでPCのOSロゴがディスプレイに映り、特有の音楽を流しながら、プログラムが立ち上がる。少ししてスタート画面が映った。

 

「えっと……パスワードは、と……」

 

 世界的に有名な動画投稿サイトのプレミアム会員パスを空白に叩き込み、エンターキーを押す。すると画面一杯に投稿されている動画がズラリと映し出された。

 しかし自分が求めているものはそれではない。

 マウスを使ってカーソルを動かし、投稿済みでは無く、プレミアム会員だと見れる予約制生放送枠のページにジャンプする。本来なら動画サイトの運営が企画して行う生放送枠は日本政府がニュース番組に流しているSAO内部のボス戦生放送になっている。

 初期はニュース番組で流していたが運営と政府が話し合って色々あった末に今の形に落ち着いた。ニュース番組限定だとテレビを持っていない人は見れないから、その対策というのが理由らしい。実際のところ疑わしいと言われている。

 自分の場合、テレビは食卓と店の食堂にしか無く、見ようとすると必ず親に顔を合わせるので、それがイヤだから月額千円弱の会員料を支払っているだけ。そもそも自分はPCをあまり使わない主義である。

 生放送が始まるまでやや時間があったので、トイレを済ませ、飲み物を持って来るなどの準備を整える。部屋も丁度良い温度になってきた頃に生放送が始まった。PCに繋げたヘッドフォンから音が流れて来る。ブラックアウトしていた画面も映像が映し出された。

 

 ――見渡す限りの花畑。

 

 画面の中央付近にはプレイヤーの集団がおり、その周囲は石畳で道が作られている。花畑はそれを除く全ての地面に広がっていた。まるでどこかの城の中庭を連想させる。

 その道を、《攻略組》と呼ばれる集団が進んでいく。

 先頭には二人の人影。真紅の鎧と紅白の剣と盾を装備した聖騎士然とした男性と、黒尽くめの上下に黒と金の長剣を手にした少年。ヒースクリフとキリト(一夏)だ。これまでのボス戦も見て来たからあの二人がリーダー格である事も知っている。

 彼らの進む先には陽光に照らされた紅の魔城《紅玉宮》。彼らが戦う最後の戦場だ。

 紅の階段を上り、集団が大きな扉の前に集結した。そこで先頭にいた二人が振り返る。

 

『最早、多くは語るまい――――勝とう。現実へと還る為に』

『――行こう、皆。これが最後の戦いだ』

 

 緊張に張り詰める空気の中、二人は真剣な面持ちでそう言い、扉へと向き直った。それから示し合わす事なく二人の右手が同時に扉の左右を押す。

 ゴゴゴゴゴ、と重い響きと共に真紅の扉は開かれた。

 

 *

 

 玉座がある紅玉造りの城――そして浮遊城の主は、伽藍洞の巨大な紅ローブだった。《The Hollow avatar》という名のボスを見たプレイヤーは一瞬どよめいたが、【紅の騎士】が一括して戦意が戻り、すぐさま激戦が繰り広げられる。

 戦いは熾烈なものだった。

 ボスは時に伽藍洞の手を振るって大きく衝撃波を放ち、時に首飾りから極太の光線を放って彼らを苦しめた。

 だが――恐らく、相手が悪かった。虚空から無数に武器を呼び出す者が複数居る時点でボスは不利な状態にあった。どれだけ距離を離したところで相手の攻撃ばかりが届くのだ。見栄えはしないが確実性を求めるなら一番に思える。

 画面の端にあるコメント欄では喧々諤々と言い合いが連なっている。卑怯だ、命を賭けてるから手段を選ばないのは正しい、というものが大まかな内容。命を賭けたデスゲームを傍から眺めている立場で彼らのやり方に口出しをするのは誤りだと自分は思う。コメントはしないが。

 ――戦いが続くことおよそ一時間。

 紅ローブの頭上にあった膨大なHPゲージは、漸く底を尽き、その体を蒼い欠片へと爆散させた。その瞬間コメント欄が怒涛の勢いで流れていく。

 

「……おめでと、一夏」

 

 コメントを打つ事無く、あたしは言葉だけで労いを贈った。

 

 ***

 

「た、倒した……?」

「終わったんだよな、これで……?」

「ああ……倒したんだ、終わったんだ……――――俺達は、ラスボスを倒したんだよッ!!!」

 

 信じられないと戸惑いを見せる男達。その中の一人が自分に言い聞かせるように宣言すると同時、それまで喜びを抑えていた面々がわっ! と一斉に感情を露わに声を上げた。

 それを傍から見ている俺は内心で首を傾げる。

 心境としては戸惑いというのだろうか。これで本当に終わったのかと疑問が残っていて、皆が喜ぶのを見ても実感が分からない。対策チームから情報を送られていたからやり易くはあったが……ラスボスだから、もっと強いものだと思っていた。

 そう思う原因は第九十九層のボスにある。

 九十九層のボスはかつてアルベリヒがGM権限で不当に呼び出した《ザ・バーサクヒーロー》だった。アレは十三本あるHPを一本削る度に、削り切った時に攻撃した()()()()()に耐性が付き、攻撃が一切通らなくなる性質があった。しかもダメージを与えるにはソードスキルでなければならない。スキルを使わない限り全て弾かれていた。十三回殺さなければならないので、用意するスキルと武器もそれに応じたものでなければならなかった。

 幸いと言うべきか、《片手剣》と《二刀流》、《神聖剣》は別カテゴリ扱いだったようで、《片手剣》で削った後も《二刀流》スキルは通用していたが、最終的に俺、スレイブ、ユイ姉の三人の攻撃しか通らなくなった――しかも《片手剣》が無効化されてからはユイ姉も外れた――せいでかなりの苦戦を強いられた。《ⅩⅢ》が無ければ為す術もなくやられていたくらいだ。

 だから百層のボスはもっと苦戦すると思っていただけに、拍子抜け感が大きい。

 ……本当に終わったのだろうか……?

 

「――キリト」

 

 優しい声が聞こえた。そちらを向けば、気付かない内にリー姉が近くに来ていて、肩に手を置いていた。警戒し過ぎて気付かなかったらしい。

 見れば義姉の後ろに居るユウキ達も俺に視線を向けていた。

 

「終わったんだよ……本当に、お疲れ様」

 

 落ち着けるように、聖剣を持つ手に彼女の手が添えられる。

 

「……ん」

 

 困惑や疑問は尽きないが、それでも敵が出て来ないから本当に終わったのだろうと思い、剣を下げる。肩から力を抜いた。

 

 

 

 ――その時、轟音が響き渡った。

 

 

 

 突然の事に誰もが声を上げて驚いた。激しい振動も襲ってきていて、地響きではないどこかが崩れるような音も聞こえる。立ってられないくらい激しい振動に自然と膝を折った。

 

「な、なにが、起きるってのさ?!」

「まさか……まだ、終わりじゃないの……?!」

 

 双子の姉妹もこけないよう身を低くして耐えている。周囲を見れば誰もが似たような姿勢になっていた。

 そして、一際大きな音が響く。

 それも真後ろからした。首だけ振り向けば、玉座から扉を一直線で結んだ線の丁度中ほどの床に穴が開いている。そこに敷き詰められていた紅玉の煉瓦が崩れたのだ。

 

「お、おいおい……まさか、この下にもう一体ボスが居るとかじゃねェだろうな……?!」

「そういう展開もあるっちゃあるだろうが、そりゃおかしくねぇか?! 対策チームから送られたデータじゃ今のヤツがラスボスの筈だろ?!」

 

 クラインの推察に、エギルが反論する。事実俺もそう思っていたから疑問はあるものの納得して一度は剣を下したのだ。この展開は流石に予想外である。

 ヒースクリフの顔を盗み見るが、むしろあちらの方が俺達より驚いている感じがある。

 どうやらこれは闘技場《個人戦》の時と同じくイレギュラーな事態らしい。

 

「き、キリト、風で俺達を浮かせられねェのか?!」

「やってないと思うか?! やろうとしても、上から押さえつけられて浮かないんだよ!」

「ンだと……?!」

 

 クラインを含め、みんな絶句する。

 不意打ちだった最初の振動後は飛ぼうとイメージを練って風を操った。しかし風は起きても浮く事は出来ず、むしろ重圧を掛けられたかのように床に押さえつけられる。どうにかしようとしているが万事休すだ。

 そうしている間にも穴は徐々に広がっている。逃げようと這っていく者も居るが、扉は開かないようで辿り着いても無駄だった。

 

 そして、一際大きな揺れが起きて、玉座の間にあった煉瓦は一斉に崩れた。

 

 支えとなる床を失った俺達はぼんやりと紅が見える暗闇へと真っ逆さまに落下する。

 紅玉宮自体の大きさだが、最上層のボス部屋しか無いラストダンジョンという事もありそこまで大きくない。元々《アインクラッド》の構造上、建造物は全体的に低い方にある。最上層のこの城だけは規格外になっているがそれでもせいぜい高さ百メートルよりは低い。階段で上った高さと九十九層の天蓋で考えれば、直線距離で墜ちるとしても八十メートルといったところか。

 死亡する高さから落下したとしても《ライトニング・フォール》のように下突きで突進するスキルを使えば落下ダメージは発生しないので、大仰に心配する必要は無いだろう。いや、不安はあるけども。

 ――そうして落下に身を任せていると、眩い紅と茶が混ざった光が近付いて来た。

 真円から覗くそれは、どうやら天井に開いている穴から見える光景らしい。徐々に近づく真円。それを通った先には――中世の大聖堂を思わせる大広間が広がっていた。

 

「ちょっと待って?! アレって……ボスじゃない?!」

 

 周囲が見渡せるようになってすぐユウキの焦った声が聞こえた。彼女が向いている方を向いて、瞠目する。

 そこに居るのは巨大な異形。全長は優に二十メートルはあるだろう、今までのボスでも一際巨大だ。体の形状から女性を模したボスらしい。全体的に白が目立つ。纏う装束は《アインクラッド》の外形を模したもので、右手に剣、左手にハルバードを握り、瞑目していた。

 ――見るからに巨体を生かしたパワーで圧殺してくるタイプのボス、この大きさだと防御を固めるのも速さで避けるのも難しいな。

 あの巨体から繰り出される一撃で防衛線は即座に瓦解するだろうし、速さで回避しようにもリーチがあり過ぎて直撃を受けかねない。レベルと筋力値に任せたごり押しで押し返すしかないだろう。

 

『――――』

 

 そう思案した瞬間、巨大ボスの双眸が開かれ、瞳の無い真紅の(まなこ)と視線が交錯する。同時視界の端にボスのHPゲージと名前のフォントが映り――

 

『■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!!!』

 

 瞬きした一瞬で、眼前に巨大な剣の丸い切っ先が迫った。

 

 ***

 

 落下する途中でHPゲージが出現し、閉じていた瞼を上げて深紅の瞳を露わにした巨大ボスは、瞬時にキリトを剣で突いた。

 いや、あれは最早潰すと言っていいくらいの質量差。あまりの事態に追い切れなかったが彼の反応は遅れていたように見えた。剣の切っ先は大聖堂の壁にまで届いている。ボスが居るのも端で、あの剣は正反対にまで届いたのだ。そしてあの切っ先の先には彼が壁と挟まれるようにいる筈だ。

 名前を呼ぶ。まさか死んでないよね、とバクバクと早鐘を打つ鼓動を自覚する。

 

「――ボスから目を離すなッ!!!」

 

 すると、叱るように鋭い舌鋒が帰って来た。見れば彼は両手に持つ魔剣と聖剣で巨剣の切っ先を止めていた。ギリギリと競り合っているのを見るにかなり危ない勝負らしい。

 それを確認してから、私はボスへと向き直り――ゴッ! と横から衝撃を受けた。周囲の光景が前から後ろへ流れ、一秒後に迫り来る茶色の壁に激突。粉塵が視界を悪くする。

 それを()()()()()

 

 ――眼前に、銀色の壁が迫る。

 

 直感で分かった。煙を払ために剣を使ったから、防げない(間に合わない)

 一瞬遅れて、双子の姉が名前を呼んだのが聞こえた。

 

 ***

 

「ユウキィッ!!!」

 

 ドズンッ、と重い音と共にボスの槍が突き込まれた。キリトを抑える剣と違い、槍はすぐ引き戻される。

 ――煙が晴れたところには、黒い剣が一本あるだけ。

 信じられない、信じたくない事だが……今の一撃で、彼女(あの子)は。

 

「――――」

 

 何が起きたか理解した途端、数多の中が真っ白になった。感情の振れ幅が大きすぎて処理し切れていないらしい。

 でも意識は清明。

 何をするべきかも明白。

 ――背後を振り返り、ボスを見上げる。

 丁度、ボスが持つ槍の石突が、私の頭に堕ちるところだった。

 

「ランちゃん!」

「ラン!」

 

 焦りに満ちた声が聞こえる。

 同じ細剣使いとして技を競ったアスナ。後続で参入した槍使いのサチ。友人である女性の声が、戦友である人々の叫びが耳朶を打つ。

 

「ッ……!」

 

 それらを無視して、地を蹴った。一瞬遅れて背後で轟音が聞こえた。

 目指すはボス。女神に見えなくも無く、しかし異形と化した浮遊城の真の主に弑逆すべく、女鍛冶師(リズベット)渾身の銘作を突き出した。光が切っ先から迸り、体が宙を掛ける。

 細剣最上位ソードスキル(フラッシング・ペネトレイター)が発動した。

 ――だが、切っ先は届かなかった。

 ガギン、と何かにぶつかった。目を凝らせば亀甲模様の半透明な障壁がボスの地肌から僅かに離れたところに展開されている。

 ――一矢報いる事さえ、出来ないなんて……!

 

「……ごめんね」

 

 一言、先に逝った妹に、そしてキリト達に謝罪すると同時、視界が影に覆われ――――

 

 ***

 

 ドズンッ、と槍の石突に潰され、《スリーピング・ナイツ》のリーダーは姿を消した。砂塵で隠れてよく見えないがあれは頭から潰される軌道だ。間違いなく即死である。

 

「あ、ああっ……ああああっ?!」

 

 最強と謳われたユウキと少数精鋭のギルドのリーダーをしていたランが瞬く間に死に、仲間であるサチが恐慌を来し掛けていた。その手には何時ぞや見た白銀の宝玉――《還魂の聖晶石》が握られている。それでユウキを生き返らせようとした矢先にランも死んだから選べなくなってしまったのだろう。

 そして、ボスの蹂躙から逃げ惑う間に、十秒が経った。

 その十秒で、逃げ遅れたり、回避し切れなかった人達が槍に両断され、あるいは石突や足で潰され、死んでいく。それを見てサチは余計錯乱し、ボロボロと涙を流す。白銀の宝玉をしっかり握っているのは執念故か。

 それを使えば、救えた命だ。

 だからこそ使わなかった事実が彼女の心を急速に蝕んでいく。最近元気になっていた彼女のトラウマは未だ残っているのだ。目の前で仲間が死んでいく光景は彼女にとってトラウマそのもの。薄れていたとしても、刺激された事でぶり返したようだった。

 くっ、と歯噛みして彼女の手を引き、急いで後方へ退避する。レベルカンストの面子ですら即死する攻撃を、カンストしていない私達では掠る事すら許されない。

 最早混乱しているし死者も多いが、どうにか指揮を執らなければ――――

 

「……うそ」

 

 そう、己を奮起して端から戦場を見渡し……力が抜けた。

 最早疎らにしか味方は残っていなかった。団長は流石の堅さで攻撃を捌いているが、削りダメージでかなり危うい事になっている。クラインは仲間五人を喪ったようで、斧使いのエギルと一緒に走って攻撃を回避している。

 ユイとストレアの二人は、迫る攻撃をストレアが弾き、ユイが反撃で武器を飛ばす体制を取っていた。飛翔する武器は、しかし半透明な障壁によって弾かれ殆どダメージを与えられていない。リーファとシノンも同じ体制で攻撃していたが同じ。スレイブも壁を走って高さを稼いで赤雷を迸らる王剣クラレントで斬り掛かるが、やはり障壁に遮られる。

 キリトは未だボスの剣で抑えられ、抜け出そうとしても出来ないから召喚武器で援護攻撃している。

 ――それ以外、もう居ない。

 自分とサチを含めてもう十人しか残っていなかった。よりによってレベルがカンストしていない面子ばかり残っている。

 初手でユウキとランが殺されなければ、まだ勝機はあったかもしれないが……もう何を言っても遅い。

 初手の行動を間違えたのだ。対処の為に距離を取ったり、身を固めたりするべきだった。動揺なんて隙以外のなにものでもないのだから。

 それを分かっていた筈なのに……

 

「くぅ……っ」

 

 細剣の柄をぎゅっと握り締める。その間にもボスの攻撃は激しさを増していた。気付けば両手の武器以外に、槍の石突を床に突き立てた部分から樹の根を伸ばして攻撃するという荒業までしている。

 その根の一つが迫ってきている。

 

「――下がれッ!」

 

 立ち向かおうと構えたのと同時に、横から団長が割り込み、盾を構えて庇ってくれた。がごんっ、と重い音がして男性の体が後退する。

 

「何をしている、今の内に下がるんだッ!」

「は、はいッ!」

 

 普段の余裕など全くない団長の本気の命令。もしかしたら初めてかもしれないそれを受け、反射的に最敬礼した私は、急いで腰が抜けているサチを連れて更に後退した。

 ――でも、後退した所で何になる?

 その疑問がずっと頭の中で回る。四十人ほども一分足らずで殺された今、アタッカーもタンクも圧倒的に不足している。真っ当なタンクは団長一人という有様だ。

 これなら特攻を仕掛けた方がまだ勝負になるのではないだろうか。

 十分下がったところで振り返り、それを伝えようと口を開く。

 

 ――瞬間、視界の端で赤の閃光が迸った。

 

 遠くで女性二人の叫びが上がった。

 

 ***

 

「クソが……クソがァッ!!!」

 

 どうしようもなく怒りが込み上げてくる。悪態を吐く。悪罵を吐く。たった今ユイとストレアが光線で殺されたのを見たのだ、際限のない怒りがまた湧いてくる。そうしていないと怒りに我を忘れそうだった。これまでずっと一緒だった仲間達が次々と殺される様を見せ付けられる中で正気を保つにはこれしかなかった。

 もう終わったと思ったのに、まだあるのかとウンザリしていたらこれだ。

 油断と言えばそれまでなんだろうが、それでもこれはおかしいだろう。何で()()()()()()の連中が即死する攻撃力をボスは持っているんだ。これがレベル二百や三百くらいならまだ分かる。ボスには補正が掛かるし、HP量の差も大きいから即死する可能性はまだ高い。

 だが――レベルMAXだぞ。

 第百層。レベルマージンで言えば一一〇。ラストボスという事で大幅に上乗せしても一五〇が限度だろうに、九九九の俺達を一撃で殺せるのは明らかにおかしい。そんなヤワな装備やステータスではなかった。

 何故。何故。何故――

 尽きぬ疑問。血管が切れそうな程に覚える怒り。情動。その赴くままに俺は刀を振るった。だが障壁に阻まれて刃は届かない。

 ――エギルが叫んでいる。

 『離れろ』か……

 

「悪ィ、キリト……オレ、死んだわ」

 

 頭上から、石突が迫っている事に気付いていた俺は、遺言のように口にする。声量から絶対聞こえない筈なのに、未だに剣で押さえつけられて身動きを封じられている少年の顔はハッキリと歪んだ。

 ごめんな、と心で言う。

 視界が滲んだ。同時に頭上から凄まじい圧が襲い掛かり――

 

「――ざっけんなッ!」

 

 突如、横から勢いのあるタックルを受けて、槍の石突から逃れられた。

 何だと思って顔を向ければ、スレイブが俺を突き飛ばしていた。だがその代わり石突の押し潰しを受けた影響で下半身が引き裂かれ、上半身だけになってしまっている。

 ぐぐっ、とスレイブのゲージが減っていく。まったく止まる様子が無い。ポーションを飲ませる間も無くゲージは全損した。

 だが彼はそれに構う事なく、鬼気迫る表情で俺を睨み付けて来る。スレイブがそんな顔をするのは初めて見た気がした。

 

「クライン達はオリジナル(人間)だろうが! クリアして生きられるんだから諦めるな! ――こんなところで死んでいい人間じゃないんだ、死のうとするなッ!」

「スレイブ、お前ェ……!」

 

 その言葉は……クリスマスイベントで、自殺同然にソロで行こうとするキリトに投げ掛けた、俺自身の言葉だった。死を求め、生きる事を諦めたアイツに投げた言葉。

 それを今、こうして自分に向けられるなんて……!

 

「行けッ!」

 

 言葉を失っている俺に、キリトは召喚した盾をぶつけて来た。それに抵抗できずおしやられ――遮られた視界の向こうで、再び石突が突き下ろされる轟音を耳にした。そして盾が光に消える。

 ……スレイブも、やられてしまった。俺のせいで。

 周囲を見る。残っているのはヒースクリフ、エギル、リーファ、シノン、アスナ、サチ、キリト、そして俺。残り八人。

 対するボス《|アン・インカーネイト・オブ・ザ・ラディウス《An Incarnate of the Radius》》のHPは十本――

 

『~~~~♪』

 

 ――から、十一本に()()()

 歌うように天を振り仰いだボス。その背後に輝く大樹が出現したと思えば、枝から落ちた雫を浴びた途端、HPが全回復した上にゲージが一本増えたのである。微々たるダメージしか受けていないのにしたという事は、各攻撃モーションを使った後のルーチンか、時間経過で使う感じだろう。

 とにもかくにも速攻勝負に出なければ俺達の勝利は無いという事だ。現状ですら絶望的なのだが。

 

「作戦、どうするよ?」

 

 回復されている間にこちらも密集し、ポーションを呷る。恐らくここで方針を決めておかないと誰かがまた死ぬ。

 

「俺が囮になる」

 

 強い表情でボスを睨み付けて言うキリト。

 囮というのは方便だ。キリトにとって、囮も本命も意味を為さない。どちらも受け持つスタイルだからだ。囮にして本命というべきか。

 普段なら反対意見が出るところだが、一番に出す少女(ユウキ)もやられてしまい、誰も反対しない。リーファも今は口論する場面では無いと弁えているようだった。

 

「キリト君が囮で引き付けてる間に、私達は特攻すればいいの?」

「……危険だぞ。最悪、死ぬ」

「短期決戦に持ち込まないとどのみち全滅だと思う」

 

 覚悟を決めた顔でアスナが言う。その語調には決して引かない強い意志を感じた。彼女も相当精神的にキているようだ。俺もそう。今すぐにでも暴れてやりたいくらい腸が煮えくり返ってる。

 それが、どうしようもなく莫迦な事だろうとも。

 俺達が暴れる事で少しでもキリトが暴れる機会を得るなら、それはゲームクリアに繋がる。

 ――そう考え、納得するしか道は無かった。

 俺達に出来る事なんて限られている。

 

「よし――――みんな、行くぞッ!!!」

 

 強い掛け声に、おうっ! と精一杯腹から声を出して応じる。

 

『■■■■■■■■■■ッ!!!』

 

 異形の女王も準備が整ったのか、床を石突で叩き、樹の根を張り巡らせて来る。キリトは真っ向からそれを斬り払って突貫していく。俺達もそれが出来ればいいのだが、そんな技量を持ってはいない。ソードスキルも無しにあんな真似は到底不可能だ。

 だから、ソードスキルを使う事にした。

 刀を鞘に納め、腰を落とし、抜刀術の構えを取る。すると鞘ごと刀が光を迸らせた。

 

「喰らいやがれ……ッ!!!」

 

 ――――《抜刀術》最上位ソードスキル《雲耀一閃》

 

 超神速で突進し、一定範囲内に敵がいた場合に超神速で抜刀する連携技。隙は絶大。対人戦だとまず阻止されるが、一度構えてしまえば最後絶大な威力を約束されるユニークスキルの最奥。

 アルベリヒに囚われ、ステータスを弄られた際に習得していたスキルだ。

 重攻撃に分類されるこれも障壁に阻まれる。だが、感触からして、若干通っている感じがした。

 

「オオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 続いて、エギルが野太い咆哮を上げ、赤黒いオーラを纏った両手斧を振りかぶる。他者から見れば《ダイナミック・ヴァイオレンス(両手斧最上位ソードスキル)》と思うだろうが、あれもキリトが喪ったユニークスキル《死閃鎌》のもの。

 ――――《死閃鎌》最上位ソードスキル《デスペレート・リジェネレイション》。

 両手で構えるとオーラを蓄積し始め、待機時間の長さに応じて威力が指数関数的に跳ね上がっていく大技。ややトリッキーな特性の《死閃鎌》にしては珍しく一撃で命を刈り取る威力特化の大技だ。

 それが叩き付けられ、びしぃっ、と障壁に罅が入るのを耳にする。

 

「「行けっ! キリトッ!!!」」

 

 大技を放った後の明確な隙を晒しながら、俺達は本命の少年へとエールを送る。それはバトン渡しのような儀式で――

 

 ***

 

 仲間の二人が、また逝った。自身が持つ大技を持って魔城の主が纏う障壁に罅を入れてみせた。

 

「ならば……私も、それくらいしなくてはな!」

 

 ――元々この世界は、私が作ったもの。

 それをデスゲームにされた事で、彼らには酷く迷惑を、そして不安を与えてしまった。それに報いる責務がある。

 誰も参加者が居なくとも一人でボスに挑もうと考えていた私と共に戦って来た彼ら。素性を知っても一心に信じてくれた少年。そしてここまで共に戦って来てくれたみんな。かつての偽りなど無い、掛け替えのない真の仲間達。

 私が不甲斐無いばかりに命を散らせてしまった彼らの為にも、最早私は、引く事は出来ない。

 

「お、おおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 ――――《神聖剣》最上位ソードスキル《アカシック・アーマゲドン》

 剣と盾を用いた乱舞技。斬撃、刺突、打撃の全てが合わさり、更にノックバックとスタンも付与される強烈な十連重攻撃。一撃そのものは彼らの攻撃より軽いが、総合的には勝っている。

 障壁の罅が、一際大きくなった。

 

「や、ぁぁぁぁああああああああああああッ!!!」

 

 後を継ぐように、これまで長い間副団長として支えてくれた少女が奔った。彼女も細剣専用のユニークスキルを習得している。

 《天閃剣》。天に閃く剣という意味で《天閃剣》。安直だが、しかし強力だ。

 眩い白銀の光を纏い、彼女は空を奔った。

 ――――《天閃剣》最上位ソードスキル《ディバイン・セイバー》。フラッシング・ペネトレイターと同タイプの突進系だが、威力も速度も攻撃範囲も段違いに向上している。

 

 彼女の突きは罅の中心に衝突し――貫いた。

 

 女王の悲鳴が上がる。HPゲージは追加された一本が削れていた。どうやら埒外の攻撃力に反し、HPか防御力は低めらしい。

 そして、女王の背後に再び煌めく大樹が出現し、雫が垂れる。

 

「させるかッ!!!」

「させないッ!!!」

 

 ――落ちる寸前、二つの爆発が女王に起きた。

 どちらも水を使った水塵爆発。細剣に水を逆巻かせ、螺旋の矢として射出し、着弾地点にて爆発させるという少年が編み出した大技。《ⅩⅢ》を持つプレイヤーだからこそ出来る繋げ技をシノンも行う事で、二回分の大爆発を発生させたのだ。

 一撃は女王の顔面に。

 もう一撃は背後の大樹に。爆風によって雫は吹き飛び、回復される事なく大樹が消える。どうやらこの手で回復を防ぐ事が出来るようだ。

 ――そう確認した途端、足元が揺れる。

 直後、ぐんと床の煉瓦が持ち上がった。ある程度の面積を持って持ちあがったそれは、上から落ちて来た煉瓦とで、自分を挟んでくる。万力に思える力で挟み込まれ、身動きが全く取れない。

 

「ぐ、ぬ……!」

「く、ぁ……!」

 

 足掻いていると、すぐ近くから副団長の声。顔を巡らせば、彼女も同じように煉瓦で板挟みに遭っている。彼女も近くにいたから対象として狙われたらしい。

 下を見れば、女王の眼がこちらを定めていた。その双眸は朱い輝きに満ちている。それは確か《風林火山》を纏めて吹き飛ばしたレーザーを放つモーションだ。アレで狙い撃ちにするつもりらしい。

 身動きを封じられた状態では直撃は免れない。恐らく即死するだろう、挟まれている間にもHPは既に半分を下回っているのだ。

 

「キリト君、今だッ!」

「私達の事は気にしないで、速く攻撃をッ!」

 

 ――彼の顔が歪んだ。

 酷な事を言っているのは自覚している。デスゲーム化を止められなかった自分こそがこの世界を終わらせるべきと息巻いていたのに、結局他人任せ、それも最年少という幼い彼に任せきりになる事は罪悪感が凄まじい。

 だが――彼に頼ってでも、この世界を終わらせたい。

 この世界に囚われている人々を一刻でも早く解放したい。

 それが私の出来る、唯一の責務だから。

 私なんぞの命よりも優先するものがあるのだから。

 ――その思いが伝わったかは知らないが、彼は涙を振り切って、二刀を手に女王へと斬り掛かる。

 紅の輝きは、依然と強くなり続けている。

 

「――今まですまなかったな、アスナ君」

 

 ぎりぎりと締め付けられる間。ギロチンが降って来るまでの僅かな間について出た言葉は、少女への謝罪だった。

 

「ギルドなんて私の我儘だったというのに、ずっと付き合せてしまって」

「……副団長を請け負った事は私が決めたんです。謝らないで下さい、団長――今までお疲れ様でした」

「……ああ」

 

 私の事をまったく恨んでいない顔で、微笑みながら労いを口にするアスナ。

 ……思わず、目の端に涙が浮かんだ。

 

 ――瞬間、全てが紅に染められた。

 

 ***

 

 大聖堂の空に、紅い華が咲いた。

 ヒースクリフとアスナ両名が作り出した決定的な隙。障壁の罅目掛けて、私は弦を引き絞った。弓に番える細剣から水が噴き出し、螺旋を描いたところで射出。真っ直ぐ飛翔した。破壊場所を塞がんとする障壁に叩き込む事で修復を遅延させる。

 ボスのヘイトがこちらに向く。大きなダメージを入れ、障壁の再生遅延をしたのだ、それは予想していた。

 キリトがこちらを見た。

 

「私に構わないで、行って!!!」

 

 別の細剣を番え、水を纏わせてまた放つ。槍の突きが迫ったが、高ステータスを駆使して右へ左へ、風を使って上下に動きつつ、また矢を射る。あまりダメージは無いがヘイト稼ぎには十分役立つ。

 ――女王の足元で攻撃を仕掛けるキリトとリーファ。

 あの二人は鍵だ。ボスを倒してこの世界を終わらせる為に絶対不可欠の鍵。ステータスが真っ当なリーファはともかく、キリトだけは決して欠かしてはならない。彼が死んだら間違いなく詰む。

 こんなぶっ壊れステータスのボスなんて、同じぶっ壊れのプレイヤーじゃないと対抗出来ない。

 ――戦い始めて分かった事がある。

 このボス、こちらのプレイヤーが少なくなるにつれて被ダメージ量が増えている。ボス戦に参加しているプレイヤーが少ないほど防御力が低くなっていると見て良い。攻撃力は分からない。受けたいとも思わない。

 恐らくこの人数が限界。キリト、リーファ、サチ、自分の四人が生き残って漸く拮抗する。

 ――もしかしたら、このボスはユニークスキルを前提としたものなのかもしれない。

 《二刀流》。《神聖剣》。十数種類あるそれらを持った十数人のプレイヤーこそがまともに対抗出来るのかもしれない。あの障壁に罅を入れたのはユニークスキル持ち四人だった。それまでまったく効果が無かったのを鑑みるにそう考えるのが妥当だ。

 つまりこのボスは、文字通り少数精鋭が好ましかったという事。

 それを、知ってさえいれば、ユウキ達も、クライン達も、誰も死ぬ事なんて無かっただろう。ヒースクリフや現実側も把握していなかったのだから何を言っても意味は無いけど。

 ――悔しさに歯を食い縛り、番えた剣を引く。

 水の螺旋剣と着弾時の爆発は中々のペースでダメージを与えている。途中回復行動を取ろうとするが、水塵爆発のノックバックで中断されるので、気付けばボスのHPも残り五段まで減っている。

 私がヘイトを稼いでいる間、あの二人も必死に頑張っているのだ。

 サチも、今は見ているだけでは無い。さっきまで茫然としていた彼女も今は紅の魔槍を担ぎ、《無限槍》の力を持ってボスを攻撃している。

 ――――《無限槍》最上位ソードスキル《スプレッド・スピアー》。

 《ゲイ・ボルグ》で投擲した魔槍を着弾するまでに何十本と複製する。飛翔距離に応じて複製本数が変わり、比例して攻撃力が飛躍的に上昇する技。それが《無限槍》の奥の手。元々強力な武器である魔槍を、《長槍》スキルの中で随一の威力を誇るソードスキルで投げるのだ。まったく同じ威力のものが一度に何十何百と迫る訳だからその威力は果てしない。

 勿論、だからこそ彼女にもヘイトは向く。

 女王が剣と槍を構えた。牽制に樹の根が迫り、サチは全力で走るも、先回りするように剣と槍が追撃する。手元に戻った槍でどうにか捌いた彼女は――しかし、足元の煉瓦が浮き上がり、頭上から降って来た煉瓦に挟み込まれ、身動きを封じられた。

 ああなっては私も止める手段が思い浮かばない。苦々しく思いながら女王に視線を戻し――気付く。

 空中で動けないサチを狙って、女王の双眸が煌々と輝いている。確かヒースクリフ達を始末する際にも同じ事をしていた。

 で、あれば――

 

「ふ……ッ!」

 

 細剣を番え、すぐに放つ。今回は水に加えて風の後押しもあるのでスピードが段違いに高い。真っ直ぐ飛翔した剣は女王の右眼を穿った。

 空気を震わせる怒りの絶叫が響く。

 ヘイトが戻り、悪鬼の形相でボスに睨まれ――残る左の眼から、紅の光線が放たれる。反応出来ず貫かれ、胴の部分で上下が分かれた。自分の足が先に堕ちていくのが見える。

 視界端に映るゲージも、たったいま空になった。

 でも、ただで終わらないのが私だ。そう簡単に殺されてやるつもりはない。窮鼠は猫にすら噛み付くという。手負いの獣はより獰猛になる。

 既にアバターが爆散する前兆と思しき発光は始まっている。粉砕されなければ数秒は残るらしい。

 ――だが、数秒もあれば十分だ。

 一秒。左手に持つ黒《弓》を構える。

 二秒。細剣を番え、引く。

 三秒。イメージで風と水を纏わせる。

 四秒。指を離し、放つ。

 五秒。風水を纏う剣は真っ直ぐ飛翔した。

 六秒――女王の左目から、紅の光線がまた放たれ、風水剣と衝突。

 七秒。剣が弾かれた。

 

「――――キリト、後は頼んだわよッ!!!」

 

 真下で泣きながら剣を振るう少年にエールを送る。

 

 

 

 八秒。紅の光に包まれた。

 

 

 

 九秒。私は灼かれた。

 

 

 

 ――――だいすき、きりと

 

 

 

 じゅうびょう。わたしのいしきはやみにしずんだ。

 

 ***

 

 シノンがとうとう逝った。置き土産とばかりに弓を射たが、それを真っ向から破られ、彼女は真紅の閃光の中に消えていった。

 《ⅩⅢ》を使うもう一人のプレイヤー。冷静な判断と咄嗟の機転で窮地を乗り越える凄腕の射手。

 彼女すらも敗れた事実に顔を顰めつつ、槍をまた投げる。アルベリヒから解放された時に習得した《無限槍》の力でダメージを与えられているけど、裏返せばそれはヘイトを一身に集めている事でもあり、女王は次のターゲットを私に定めている。樹の根や剣、槍の矛先が自分を狙っているからすぐ分かる。

 さっきはシノンのお蔭で九死に一生を得た。その代わり、彼女は死んだ。

 ――本来シノンは戦わなくていい人だった。

 リーファとシノンは意図せずして巻き込まれた側の人間。幾らレベルが高くなろうと、ユニークスキルを得ようと、戦うか否かは本人が決める事。だから彼女らの決断をキリト達は尊重してこれまで共に戦って来た。

 だけどやっぱり思うのだ。さっき死ぬべきだったのは、私なのではないのかと。

 少なくともシノンが居なければ私が死んでいた事は確実だ。

 ――それでも彼女は、私を助けてくれた。

 自分の命を賭してまで。

 なら私は、簡単にこの命を捨てるべきでは無い。それは彼女の覚悟を侮辱する行いだから。

 冷静に迫る蔦を見る。ぐにゃりぐにゃりと不規則な動きをしているが、あまりに巨大な故か方向そのものに変わりは無い。あれの上に乗れば凌げると見た。

 そう見越して前進。先端のやや手前で大きく跳躍し、樹の根の上に乗る。動き続けるその上をどうにかバランスを取りつつ全力疾走。

 女王が忌々しげに顔を歪め、槍を突き出してくる。

 その槍を、魔槍を翳して横に逸らす。大きく弾き上げた後、魔槍を分裂投擲し、ダメージを稼いだ。

 残り三本。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!』

 

 突然、女王が雄叫びを上げた。近くにいた自分はあまりの圧力に端まで吹っ飛ばされる。見れば少年と彼の義姉も同じように吹っ飛ばされていた。

 己に群がる蟻を排除した女王は、槍の石突で床を強く叩く。

 するとガラスが割れるような音と共に、女王の全身を半透明の障壁が覆った。また張り直したのだ。

 

「皆の頑張りが……!」

 

 更に女王は前屈みになる。アレは背後に大樹を出現させ、その雫を以て傷を治癒するモーション――一秒後、予想過たず大樹が出現した。体力が危険域に入ると同時に防御障壁を貼り直し、同時に完全回復行動プラス体力上限解放を追加するなんて、とんだ鬼畜コンボだ。

 だが――まだ、阻止する事は出来る。

 これまではボスの体をノックバックさせる事で中断していたが、今回は違うものを狙う。回復効果のある雫だ。

 普通に考えて水一滴を狙うなんて正気の沙汰では無い。でも自分には魔槍ゲイ・ボルグがある、狙った獲物を決して逃さないシステム的必中の槍がある。これがある以上、不可能なんて決して言えない。

 ――この槍は、初めは血色と同じく禍々しい因縁の品だった。

 リアルからの知り合いが恩人である少年に復讐しようと手にした槍だったから。これを使う事はどうしても忌避感があって、それでも強くて攻略に役立つから、使わざるを得なかった。

 でも今、そんな事は気にしなくて良い。彼らの仲違いはもう終わった。

 あとはリアルに還ればいい。もう逢えなくても、また逢えても、少年が許される事に変わりは無いのだから。

 そしてそれを望んでいる以上、私は全力を尽くすべきだ。《月夜の黒猫団》の一員として。

 そして――――あの幼い少年に、恋を抱く者として。

 

「絶対外さない……ッ! ゲイ――」

 

 槍を構え、目を眇める。《索敵》の遠視補正を全力で働かせてギリギリ見える光る雫。光のエフェクトのせいで見失いそうなそれは、何故か今はハッキリとこの眼に映っていた。

 この目に映るものである限り、何人たりとも逃しはしない。

 この世界で培ったあらゆる経験と誇りに掛けて。

 

「――ボルグッ!」

 

 乾坤一擲。万感の思いを込めた一投は、紅の帯を引いて真っ直ぐ、時に鋭角に曲がって、標的へと迫り――――女王を癒さんと滴った光を貫き、散らした。

 女王を照らす光が失せ、大樹も消える。

 ――憎悪の顔で女王が見て来た。

 でももう、何も怖くない。

 だって――――彼以上に安心出来る人なんていないんだから。

 

「キリト――後は、お願いね!!!」

 

 腰のポーチから白銀の宝玉を取り出し、リーファに投げ渡す。どういうものか知っている彼女は目を剥いて見返して来た。

 彼女に手を振り返し、女王を見る。

 

 ――瞬間、緑が押し寄せ、潰された。

 

 ***

 

 視線の先で、穏やかに微笑む女性が樹の根に呑まれ、消えていった。

 障壁を張られた上に回復までされて、それを止められないという絶望的な状況で、彼女は癒しを齎す一滴の雫を槍で貫くという常識外の事をやってのけ、最後の支援をしてくれた。

 しかもこの世界で唯一の宝物という十秒間限定の蘇生アイテムまで。

 もうあたし達以外は居なくなってしまった。大半が戦闘開始直後の乱戦で蹂躙され、その後は一人一人嬲るように殺されていった。的確な反撃をしていったけど、それは慰めにもならない。

 

「あああああッ! ああああああああああああッ!!!」

 

 怒り、泣き叫ぶ義弟。

 狂ったように女王へ突貫を仕掛けた彼はヘイトを一心に集めている。でもそれは己が身を顧みない特攻。次々と死んでいく仲間の事を考えて、未来を思って心が蝕まれていっている。

 それでも剣を取っているのは、あたしが生きているからか。それともみんな生きて帰れるという可能性を捨てないでいるからか。

 どちらにせよ、彼の固い決意は既に折れかかっている。折角生きようと思えた少年の意思が潰えようとしている。

 そしてあたしは、それを防げない。間違いなくこの戦いで死ぬだろう。もう自分が付いて行ける次元では無い。今も女王と義弟のタイマン勝負になってしまっている。

 あたしは樹の根や岩石封じなど間接的に相手にされているだけ。シノン達と違って遠距離攻撃手段を持たないから、ヘイトを集められず、こうなっている。

 でもきっと――あたしでも、あの子を助けられる時が来る。

 今のキリトは何も見えていない。ただ敵が憎くて、我を忘れてしまっている。人格統合による弊害で憎しみが表に出過ぎている。以前なら戦闘中は哀しみを押し殺し、後で決壊させるパターンだった。人間らしいと言えばそうだが、今は不利だ。

 

 そして、その時が来た。

 

 ボスの剣や足踏みを避け、後退した彼は、後ろから迫る樹の根に気付いていなかった。直前で振り向いたが、もう遅い。ドンッ、と大きな音と共に宙へ跳ね上げられた。

 そして振り下ろされる巨剣。

 華奢な彼は、真っ二つに両断された。

 

「キリト――――ッ!」

 

 女王は煩わしかった羽虫を潰し、最後の一匹へと狙いを変えている。だがそんな事はどうでもいい。宙に晒されているあの少年の下にあたしは行かなければならないのだ。

 

 

 

 ――――一秒

 

 

 

 《還魂の聖晶石》は死亡してから十秒以内にしか使えない。同時にこれは結晶アイテムの一種のようで、効果範囲も同程度で設定されている。つまり近付かないと使えないのだ。

 そうして、全力で走り、空中で少年を抱き留める。既にHPなど無い彼の目は虚ろだった。絶望している。

 

 

 

 ――――二秒。

 

 

 

「上……!」

 

 言われて見れば、女王が巨剣を突き落とそうとしていた。周囲は樹の根で覆われており、逃げ場はない。

 

 

 

 ――――三秒。

 

 

 

 このままあたしも死ぬ。よしんばキリトを蘇生させても、蘇生すると同時に両方即死。結果ゲームオーバーは免れない。

 ――そんなのは御免だ。

 あたしが死ぬ事は、この蘇生アイテムを使うと決めた時点でそうなると予想していた。死にたくはないがタイミング的に死ぬしかないから仕方が無い。

 

 

 

 ――――四秒。

 

 

 

「まったく……あなたは本当に、手の掛かる子ね」

 

 にこりと笑って、上半身だけの弟を抱き締める。

 

 

 

 ――――五秒。

 

 

 

 ――直後、巨剣に圧殺された。

 

 全身に激痛が走る。何もかもぐちゃぐちゃに引き回されるような痛み。脳髄の奥から指の端全てに至るまで痛い。痛くないところなんて一つも無い。

 

 

 

 ――――六秒。

 

 

 

 だが、それでもあたしは、動かなければならない。これよりも遥かに痛がっている義弟の為に。

 ――それは、傍から見れば狂気の沙汰だろう。

 絶望している子供を無理矢理戦わせようとする外道の行い。自分はそのまま退場して、後の事は押し付けるという人として最低な所業。

 

 

 

 ――――七秒。

 

 

 

 そう言われたって構わない。

 ただ、可能性の問題だ。あたしがやるよりはこの子の方がクリア出来る可能性が高いというだけの話。

 だってキリトは、死にたいなんてもう思っていない。生きたいと望んだのだ。みんなで生きたいと言った――――だったら、そのために動くのが“お義姉ちゃん”だ。

 

 

 

 ――――八秒。

 

 

 

 目指すものはハッピーエンド。その為ならあたしは、命すらも賭して戦おう。

 彼の幸せには自分が居る。彼の幸せが成就する時、それはあたしも死の淵から蘇っているという事を意味する。その為にはまずこの世界を終わらせなければならない。

 だからあたしは、言葉を紡ごう。

 

 白銀の宝玉よ。人の命を救う奇跡の宝物よ。どうか、願いを聞き遂げて。

 

 

 

 ――――九秒。

 

 

 

「蘇生――――キリトッ!!!」

 

 

 

 義弟の体に押し付けて、力いっぱい文言を唱える

 宝玉が、儚い音と立てて砕け散り、中に納まっていた白い光が少年を包み込む。今にも消えそうなくらい色を喪っていた華奢な子供の色が戻って来る。

 それはまるで、新たに生の祝福を受けたようにも、天使にも、見えて。

 

 ――きれい

 

 目の前がぼやける中で、それでもハッキリと見えた彼の顔は、その一言に尽きた。

 色を取り戻した彼は目を剥き、あたしを見て来る。多くの疑問が綯交ぜになって口にできていないような、困惑の表情。

 ふふ、と笑みを浮かべる。とてもかわいらしかった。

 

「あとは任せたから……――次は、リアルで会おうね」

 

 そう別れを告げて。

 あたしの意識は、闇に沈んだ。

 

 *

 

 ――――《アインクラッド》標準日時2024年11月7日午後5時30分。

 

 ――――ゲームはクリアされました。

 

 ――――繰り返します。

 

 

 

 ――――ゲームは、クリアされました――――

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。