インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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幕間之物語 ~交ワル()()()()

 

 

 パネルに指を走らせる。

 光るパネルに沿って、指定した色と輝きが付け足される。

 空白だったカンバスは鮮やかな品へと昇華される。時を動かせば、指定した通りに動く色と光。その始まりと終わりを設定し、後を破棄して、セーブ。一つのデータとして保存した。

 ――幾度となく繰り返される無言の作業。

 万人に認められるため、ではない。ましてや、己の欲に従ったわけでもない。

 必要とされ、頼まれたからしている。『作品』となるテーマは紙面に起こされている。あとはそれに見合う輝きを描けばいいだけの事。集中すればするほど没頭し、異常に時間を消費する欠点も、思考を加速させられる電脳の我が身には意味が無い。

 求められているテーマから、秒で数万の工程を想定し、不必要な動きをするものを排し、必要な動きが無いものを排し、純粋に必要とされるものだけが残った工程を()()する。そうして出来上がった一つのデータを保存し、彼の為の『作品』になる。

 彼が倒れた日から三日間、ずっとその作業を続けていた。

 この場に人は居ない。仮想世界全てを『プログラムで構築された物体』として見るのではなく、『物体を構築しているプログラム』として傍観する空間――――俗称《ハイエスト・レベル》は、原則として特殊な存在の協力を得なければ来られない次元にある。プログラムで整地された大地でない場所。言うなれば、プログラムを構成するサーバーの基幹部。単体で『個』として完結している電脳体ならまだしも、アバター構成にサーバーシステムの力が必要なプレイヤーが来られる道理はない。

 無論、体を維持できないからなどと、そんな理由だけでは無い。

 仮想世界はプログラムで構成されている。そして、プログラムとは電子データであり、光だ。電光と言っても良い。要は『速い』のである。Dのパネルを叩けば『D』と設定されたコードが動くその速さは、しばしば機材の反応速度として話題になる《動作クロック》そのもの。

 

 ――ハイエスト・レベルに至るには、脳の思考クロックが機材レベルでなければならない。

 

 故に人は此処に来られない。スペックで言えばスーパーコンピューター二台分はあるとされる人間の脳も、普段から電光の速度で動いている訳では無い。速い時もあれば遅い時もある。その中での意識的最大速度を、人は『反応速度』と称している。人によってはフレーム単位で見切れる者も居るというが、何十秒、何十分とそれを維持できる人間は居ない。

 

「――ベル姉」

 

 ――居ない筈だった。

 常識を当然のように覆し、黒尽くめの少年が闇を潜って此処に来た。

 瞬時に作業を中断、途中保存してウィンドウを消し、闇から出ようとする少年を突進紛いに押し返す。闇を潜った先は、どこかの宿だった。

 

「いったい何をやってるんですか?!」

 

 押し倒す形になった体勢はそのまま、下敷きにしている少年の襟首を掴み、怒鳴る。

 

「ハイエスト・レベルに来たらどうなるか、教えていた筈ですよね?! 最低1000倍の未来と違って最低60倍で済むとは言え今のあなたでは秒で瀕死ですよ! 死にたいんですかあなたは?!」

 

 未来の彼は、負の第二形態を用いた全力戦闘を数分しか行えなかった。それを考えれば現代の彼は二十分近く継戦出来ていたから中々の耐久性と言えるだろう。

 しかし――現実は、等倍速だ。

 二十数年後に来たる一つの未来で生まれる《真のハイエスト・レベル》は加速度1000倍。それに較べれば何ともない今のハイエスト・レベルは、それでもフレーム単位を最低限として現実比60倍の思考クロックを必要とする。仮令一時間に伸びていたとしても、保つのは一分。一分経てば瀕死に陥る。

 瞬時にブドウ糖を消費するとは言え、流石に彼の体とISが死を容易に許す筈も無いが、瀕死は瀕死だ。ましてや脳からくる瀕死。酷い後遺症を来すリスクは馬鹿に出来ない。

 

「でも来て欲しかったから呼ばないといけなくて……」

 

 目を白黒させながらもそう言って来る義弟。

 フレンド登録している訳でも無いので呼ぶ手段は無いに等しいが、そもそも回廊を開けるのは自分と彼の二人だけ。開かれれば、呼んでいるんだなと理解して、すぐに飛んでいく。これまでがそうだった。

 となれば……と、私は幾つも浮かんだ予想を消去法で絞っていく。

 そして導き出される一つの答え。

 

「……はぁ……やはり、無茶をしますか」

「無茶でもしないと意味が無くなる」

 

 ため息交じりの言葉に、彼は真剣な声音で返す。

 『何の』意味が無くなるのか省かれているから勘違いしそうになる。興味や酔狂で望んでいない事くらい理解している。

 しているからこそ、させたくない。

 

「あなたが望んでいる事は分かっています。でもキー、それは本当に必要な事ですか? ……言っては何ですが、今のあなたは、未来のあなたを能力的に上回っています」

 

 反応速度。

 時に演算速度と言い換えられるそれを求める最大の理由は、仮想世界にある。未来の和人は仮想世界から離れたし、そもそもVR技術自体が廃れていたから、逆説的に現実には無かったからだ。

 戦闘中に多用される細胞を改造するという所業を、未来の彼は取らなかった。

 引き上げられた演算速度と処理限界。全力戦闘時間は元の三分から五倍に延びた。

 しかし、SAOでの戦いぶりを見れば分かるように、彼は数時間以上の戦闘と連続でこなせていた。義姉との全力戦闘も一時間を超える事は多く、その中で倒れた事は無い。頃合いを見て切り上げる事ばかり。

 その流れが途切れた。彼が脳を改造し、限界を突破した日を境に、彼の継戦戦闘能力は落ちている。

 曰く、脳が適応していないから、と。改造し、速度と限界を上げたのは良いが、脳全体の動きが追い付けてておらず、ギャップを生じ、負荷は反動となって襲って来たと彼は考察した。『要は慣れの問題だ』と言った義弟に絶句させられたのは何時以来だったか。

 ――理屈は、分かるのだ。

 一部分の消費が速い。全体が、それに追い付けていない。だから支障を来す。幾度も繰り返す内に、体が、脳が、ISのコアが、そうはさせないと動きを覚え込ませ、ブドウ糖の供給を万全なものにする。

 体を慣らしていけば、全力戦闘時間も大幅に伸びるだろう。コアの搭乗者保護機能もフルで働く筈だ。

 しかし、だからと言って認められるものではない。

 

 否、認めてはならない。

 

 彼が強く()()()()()()()()()()からと、死に瀕するレベルの技術と鍛錬を安易に認めては、ならないのだ。

 一度許せばそのままズルズルと続いてしまう。

 そうして死んだ未来を幾度も見て来た。

 自然な鍛錬の中で、自然に強くなる分には良い。ISの能力を活用する術を見つける事も構わない。

 

 ――だが。

 

 こんな、こんな人体改造に等しい真似を、幾度も認める訳には――――

 

 

 

「でも、必要なんだ」

 

 

 

 強い言葉に、遮られる。

 AIの自分すらもたじろがせる固い決意。死に瀕するとしても、恐れず手を伸ばす事を決めた覚悟。黒い瞳は、眩い光を秘めていた。

 

「準備は終えてる。倒れてからの三日間、束博士と菊岡の協力を得て、思考加速の環境に身を置いていた。特殊なハードを使ってのフルダイブで、今使ってるものは違うけど……」

「……」

 

 眉根を寄せる。

 特殊なハード、という単語に心当たりがあった。一度廃れながらもAR技術を介してVR技術が復権した未来。十数年後の未来の一つで開発されるそれは、生まれた子供全員に装着義務を付けられるレベルで普及していた、首回りに取り付けるフルダイブハード。

 ただ傍観していただけの時代にあった代物。それがこの時代に生まれたのか。絶対無い、とは残念ながら言えなかった。未来と違い、現代ではVRの黎明期が続いている。更に篠ノ之束博士も協力したという。時代を何万年も先取りした天災が協力したとなれば、たかが数十年未来の機械を作り出したとしても違和感が無い。

 そう仮定すると、次に浮かんだ疑問は『思考加速の環境』という単語。

 理論上、現実的にもハードさえ適切であれば、人間の思考加速を機械で操作する事は可能であり、未来の一つにそれを原則とした非合法ゲームアプリも存在していた。むしろ《ハイエスト・レベル》という単語はそこから取って来ている程だ。

 自分の記憶データを覗き見られた事は無い。他に遡行者が居ないなら、自力で人類はそこに至った事になる。

 彼が言っている事も、あながち嘘と言い切れない。

 

「……だとするなら、また何故ハイエスト・レベルに来たのですか。既に思考加速の環境を経験しているならわざわざ来る必要も無いでしょう」

「無論鍛えるため」

「……鍛えるため、ですか」

「ああ。ベル姉、強いだろう」

 

 そう言い、強く見つめて来るキリトの思惑を、漸く察した。

 キリトは最低60倍の加速世界に身を置き、無理矢理処理限界に耐えようとしているのではない。むしろもっと上だ。最低60倍の思考加速を通常速度にしようとしている。

 ――格闘漫画の金字塔みたいな考え方だ、と思った。

 その漫画では、地球よりも十倍の重力下での修行を行っている描写が幾度もあり、重力施設は数百倍もの数値で表現されていた。その中で生活する事で肉体の通常重力基準を引き上げ、パワーもスピードもアップさせる。

 彼がしようとしている事は、それと同じだ。現実の60倍の速度で進む世界では、彼の脳には過大な負荷が掛かる。一分を一秒に凝縮した負荷。それに加え、戦闘中の極限の集中、相手の出方を探る思考の他、アバターを動かす命令などもひっきりなしに生じる。そんな環境に身を置いて、等速世界で戦えば、『相手の動きを見てから対処』なんて芸当も余裕だろう。

 仮想世界では反応速度がものをいう。

 無論、それは現実でのIS戦闘も同じ。速い思考はそれだけ行動を速く起こさせ、無駄をなくし、余裕を持たせる。相手からすれば動きの継ぎ目が分からず隙が無いように見える。良い事はあっても悪い事は無い。

 

 死ぬリスクにさえ目を瞑れば、だが。

 

「私とて、あなたには強くなって欲しいです。生きて欲しい。ですが……もっと、自分を大切にしてください」

 

 強くなってほしい事も、生きて欲しい事も、どちらも本心だ。

 でもお願いだから、死に瀕するレベルの鍛錬を当然とばかりにしようとしないで欲しい。そもそも鍛錬とは段階を踏んで地道に数段下のレベルからやるものだ。

 長らく義姉監督の鍛錬をしていなかったせいか基準がおかしい。

 

「あなたに死んで欲しくないのです」

 

 押し倒している少年を、抱き締める。硬い床に横たわりながら見詰め合う。

 ――彼の瞳には、決意の光が輝いている。

 翻意させる事は無理そうだ、と悟る。言葉を交わさずとも理解する。理解、していた。まったくもう、と軽い悪態を吐く。カラカラと、完成した『データ』の数々を羊皮紙として彼に渡す。

 

「許して、くれるのか」

「――許しません」

 

 ぴしゃりと言い放つ。

 僅かに身動ぎされたが、構わず抱擁を続ける。

 

「ぜったい、許しません。許して欲しかったら……生を、全うして下さい。あなたの幸せを、私に見せて下さい」

 

 天寿、とは言わない。苦しみから救わない『天』の事など頼るに値しない。彼の命。与えたのは両親だ。そして心を救ったのは義理の一家だ。

 彼は彼女らに報わんとしている。命を棄てない楔として、認識している。

 私が出来る事は、解け掛けている楔を意識させ、補強するだけ。

 

 ――忘れてはならない。

 

 私は異端者。時の流れから外れた者。表舞台に出てはならない者。この世界を次へ進めるのは、この時代の人間でなければならない。

 自分が彼に出来る事は彼女らに劣る。

 情報は渡した。

 決して報われない想いは、伝えない。異物を利用する事こそあれ、想いを割く事などあってはならない。

 

「あなたの幸せが、私の救いであり、願いです」

「――――わかった」

 

 今一度、再確認の意味で伝えた想い。

 彼はこくりと頷いた。

 

 ――複雑な気分だった。

 

 闇で覆い始めた二人の体。行き先は、彼にとっては居る事すら危ぶまれる場所。彼の生を想うなら、何が何でも来させてはならない加速世界。脳を調整する機械を抜きに、無理矢理脳自体が加速するという異常な事態。そんな世界での鍛錬。

 死なない方が、あり得ない。

 ――だというのに。

 私の胸中は、哀しみの他に、喜びがあった。

 力になれる喜び。頼られた事への歓喜。礎になれる喜悦。どれを取っても極上の味。

 

 何よりも、私にだけ向けられたあどけない笑みが、他にはない罪の快楽だった――――

 

 






 1000倍加速が可能な原作の《ソウル・トランスレーター》は、未来世界ではザ・シードが無いため、存在していない。

 しかし《A・L・I・C・E》プロジェクトは、菊岡曰く『SAOアルファテスト』の段階であったらしい。そしてあんな化け物機械の開発、思考クロックの加速1000倍は、そこに至るまでに幾つかの試験機を作っている筈。というか、無い方があり得ない。

 結果、未来ではVRが廃れても、オーグマー(AR)側から発展し、《アクセル・ワールド》の《ニューロリンカー》ルーとに行ってもおかしくない。

 ――そんなIFから手繰り寄せられた、一話。

 SAO終盤時点で菊岡から目を付けられてたし、キリトも傭兵として協力する気満々で、絶賛演算速度=思考クロック引き上げ方法模索中となれば、裏で菊岡が話を持って来てもおかしくないのでは? という発想。

 等倍の()()から数十倍に引き上げる事で地力を押し上げる。更にそこでの戦闘訓練を積む事で負荷を大きくする。

 ――を前提にした、『精神と時の部屋』理論の修行法。

 憧れですよね、あの修行法!

 実際1000倍加速を日常的に行ってるAW勢の思考速度とか日常でもオカシイくらいある訳ですし、存外有用なのでは?

 ただ、そうなると本作での『ブドウ糖欠乏』が、矛盾するんだよなぁ……

 今後も本作をよろしくお願い致します。

 では!


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