インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
今話の視点はリーファ、第三者(超短い)、ケイタ(ALO初!)、サチ(ALO初!)、アスナ。
文字数は約一万三千。
ではどうぞ。
和人「――その案貰ったァッ!!!」
シルフでの内ゲバが終結した翌日。
領主サクヤから軍部将軍の地位に是非と連絡されるが、中立域に出た本来の目的を果たせなくなるため内容もそこそこに断ったあたしは、今日も今日とてスヴァルト攻略に精を出していた。
そんな奇妙な環境を作り出すヴェルグンデは、攻略フィールドの環境として最悪だった。
無論、その最悪ぶりは出現モンスターにも当て嵌まる。
往々にして、RPGで人気の武器と言えば剣である。片手剣、両手剣、あるいはカタナ。その三つが人気武器ランキングで堂々の三冠を得ていた。必然、その三つ以外を武器にするプレイヤーは少なくなる。つまり、斬撃と刺突に圧倒的な耐性を持ち、それでいて打撃属性が弱点なモンスターがヴェルグンデには存在していた。岩で形作られたゴーレムの存在である。
では、ゴーレムに対し、どう立ち回るのが正解か。
それは人によるとしか言えない。
サブ武器として打撃武器を鍛えているならそれに取り換える。そうでないなら、弱点となる魔法属性を叩き付ける。魔法属性付きのソードスキルは中位以上限定だが、ヴェルグンデの攻略も佳境になった今、しっかり武器でダメージを与えていたならそこそこのものは使えるようになっている。
ただし、それら二つを以てしても、最大ダメージを叩き出す事は出来ない。
ソードスキルは物理属性と魔法属性の二つを併せ持っている。ゴーレムの耐性は斬撃と刺突と分類分けされているが、大きく言えば物理属性全般にはかなりのダメージカット率を誇っていた。打撃属性を叩き込んでも、準魔法属性の魔法攻撃に較べればやはり与ダメージは小さくなる。
故に魔法を叩き込む事が最適解となる。
無論、中にはミスリルゴーレムのように純粋に魔法防御値の高い種類も存在しているので、ゴーレム系全てに当てはまる訳では無いが、物理属性全般に高い耐性があるなら、魔法一つに絞るのも一つの手である。
問題は、MPの消費と詠唱の関係で、どうしても熟練度稼ぎが武器スキルに較べて遅くなり、有効打と言える高威力の魔法を使えるようになっていない事だったが――――
それを解決する存在が、味方に加わっていた。
「――ジェネレート・エアリアル・エレメント」
浮遊する岩男の顔と手という
英単語で構成された詠唱から分かるように、その声が発動しようとしているものは、基本的に古ノルド語のみで詠唱を構成されたALO既存の魔法では無い。《オリジナル・スペル・スキル》。通称、《魔術》と知れ渡った、個人オリジナルの魔法。
式句に反応してか、詠唱者の掌に翠色の珠が生み出される。既存魔法なら詠唱中に展開される古ノルド語の魔法陣の代わりだろう。
「ディスチャージッ!」
次いで唱えられた締めの句。同時に突き出された掌。僅かにMPが減った瞬間、式句と動きに連動したように、翠の珠は一条の閃光となって射出された。バレーボール大程度のレーザーは、こちらを見つけ走り寄るゴーレムに着弾し、大きく怯ませる。同時、やや目減りした青ゲージのバーが、右端まで戻る。
怯んだのを見て、元々攻撃魔法スキルを取っていない
翠の閃光を放った者は、三日の休養を経てALOに復帰したキリト。今日ログインを果たした彼は、三日間温めた案から幾つもの《魔術》を作り出し、それを振るっている。
――彼の復帰に、仲間の多くが渋い顔をした。
なにせたった十五分の全力戦闘で瀕死レベルまでバイタルが落ち込む状態である。SAOの無茶を知っている生還者組は勿論、かつて苦しい闘病生活を経験している姉妹は特に反対していた。
しかし今、彼は多くの反対を押し切る形でパーティーに参入している。
それを許したのは、自ら魔術師のスタイルを取って戦うと、状況の把握が難しいせいで極限の集中を求められる前衛で戦う事を自ら禁じたためだ。原因はともあれ、瀕死レベルの低血糖症状を引き起こしたのは、脳の演算処理が極限まで高まっていたから。逆説的に、脳を酷使しなければ瀕死に陥らないと言える
――そう、あくまで
後衛に居てもダメかもしれない。あるいは、前衛でなければいいかもしれない。
想像の範疇を出ない。何故なら、分からないからだ。
分からないならやってみる。どこまでが安全で、どこからが危ないか。トライアンドエラーを繰り返す。彼も死にたい訳じゃない。死なない為に、どの程度の労力までなら安全圏内か図る為に、今日は復帰していた。
それでも反対意見が止む事は無かったが、決して前衛に出ない事、殿に立たない事の二つ――前者は自分、後者はクライン――を約束させ、同行を許している。将来的に体を酷使する事が確定しているからこそ、その意思と意図を汲んでの判断。
そうでなければ仮令今必要とされている魔術師としてレイド随一の働きをするとしても、断固として同行を許さなかった。攻略を奨めなければ彼の意図が見えないのに彼の力を借りなければ進まない、そんなジレンマに陥ったとしても、自分達に強くなる伸び代がある限り決して手を借りようとしなかっただろう。
その想いはみんなも同じなのか、普段より真剣味を増した勢いで的確にモンスターを屠っている。
「
彼らに負けじと、後方に控える中衛魔術師のレコンが魔力ブーストを掛けた状態で風魔法を連発する。下手に高威力の魔法を長い詠唱で撃つより、短い詠唱で連発しやすい下位魔法を使った方がいいと判断したらしい。前衛が引き付ける中で五つの緑の風が着弾する時には、次の詠唱の半分を終えていた。
この三日間、シグルドが放ったレイドと毎回戦っていたせいか、詠唱のキレが増している。
気質はともあれ、レコンもやる時はやる方だったらしい。
「ジェネレート・ルミナス・エレメント、ヒールターゲット・オブ・ヒューマンユニット・バイタリティ、エリア・ヒール、ディスチャージ!」
続けて、キリトが別の《魔術》を詠唱。
光の粒子が立ち上るそれは、詠唱完了と共に
その効果を見た回復役のアスナ、ランが数瞬瞠目。
即時回復と自動回復の両方を併せ持つ魔法は、ALOには存在していなかった。回復魔法は個人、パーティー、そしてレイド単位の三つの区分の中で、回復量を指標にそれぞれ三種類に階級分けされている。更にパーティー単位以上の即時回復魔法は要求熟練度が高いため、序盤は自動回復系の魔法のみ。ある程度熟練度も戻って来た今でもパーティー単位の即時回復は使えない。
その前提を破ったのが、OSSである《魔術》。
単語一つにつき拡張要素一つ、更に個人で作るグラフィック等の評価点も拡張要素獲得に貢献するとされるOSSシステムを大いに活用し、前代未聞の即時回復と自動回復を併せ持った回復魔術を作り出していた。
彼のMPを見る。全快のMPは、三割ほど削れていた。既存の回復魔法は、『パーティー単位』、『上級魔法』、『即時回復』で最大MPの10%、『自動回復』だと5%程となる。敵の強さに反しこちらのHPなどはあまり上がらないせいで回復魔法にお世話になる機会が多い事を鑑みての処置だろう。彼の《魔術》は回復量がどれくらいか不明だが、複数対象とは言え回復魔法一つで三割消費するというのは中々デカいコストと言える。複数効果を持たせると流石にコストが大きいのかと思いつつ、自分も風の魔法を唱えた。
*
ヴェルグンデのボスとの戦いは二十分程度で終わった。
打撃属性持ちが少なかったとは言え殆どがデスゲームを生き抜いた猛者。ユウキ達とは別で結成していたシウネー達《スリーピング・ナイツ》は居なかったが引けを取っておらず、《月夜の黒猫団》は打撃武器を複数人持っていたため結構活躍出来ていた。キリカとユイも、《ⅩⅢ》にある打撃武器を振るって、多くのダメージを稼いでいた。
しかし、今回のMVPは、そんな彼らを差し置いてキリトと言わざるを得ないだろう。
彼は元々前衛タイプなので
だが、だからこそだった。
直撃こそなかったが、攻撃の余波で無視し切れないダメージを前衛は負っていた。魔法陣を展開してからランダムで降り注ぐ岩のせいで不意打ちを受け後衛の回復が阻害される事もあった。
それらのカバーを
――しかし、二十分という戦いを経て、彼は最後まで立っていたのだ。
彼は、十五分という制約を超え、一時間以上の攻略時間を経ても最後まで余力を残していた。
彼は極限の集中を十五分しか行えないほどに弱体化している。しかし、十五分間という限定的な時間内で言えば、彼の反応速度はかつて以上に他の追随を許さない。しかもそれは『前衛』という立ち位置での話。『後衛』として余裕を持って戦況を俯瞰出来る位置に居た彼は、『前衛』として戦う時より集中の度合いも低かったに違いない。道中の攻略を含め二十分のボス戦を経て、立てていた事からも、それは明らかだ。
今回の復帰した目的は果たされたと言えよう。
彼も、どこか満足げだった。
***
「私の案、どうだった……?」
「凄くやりやすかった。覚えやすいし分かりやすい。英語、もうちょっと真面目に勉強しようかな……」
「あれはマトモな英語じゃないけどね……ちなみに、アニメも参考になるよ。アクション物、変身物、ヒーロー物、異世界転生とか……オススメ、沢山ある。見ない?」
「アニメか……でも時間が」
「
「いや、だから時間が」
「見よう?」
「……時間を捻出しよう」
「♪」
***
《月夜の黒猫団》にとって、レイド級のボスと戦う機会はこれまで無かった。スヴァルトの第二エリア【砂丘峡谷ヴェルグンデ】のエリアボス戦がVRMMORPGでの初体験。今まで戦って来たボス戦は全てパーティー留まりだった。
迫力が違う。
勢いが違う。
何より、一瞬一瞬が命取りという、薄氷の上を渡るような危うさ。
掠っただけでHPが数割持って行かれる。防御しても、直撃していれば即死しているだろうその威力に、被弾による硬直の中で瞠目するばかり。
タゲ取りは頑張ってしていたが、正直マトモに動けた自信は無い。
時間にすればたった二十分。雑魚Mobを数体倒したくらいで経過する時間が、レイドボス討伐に要した時間。食事を終える程度のそれは決して長くない。自分達がそこそこのクエストボスに挑んで倒す方が、恐らく長いだろう。
「はぁっ……つ、疲れた……」
遺跡を出た瞬間、張っていた気を緩ませ、砂に腰を下ろす。
ALOに来てから早二ヵ月近く。この世界で死んでも、現実の肉体が死ぬことは無いと分かっていて、ある程度慣れたといっても、やはりHPゲージの減少を見る事は恐ろしい。あのデスゲームで植え付けられたトラウマはなかなか取れる事は無い。
その割にはVRMMOを続けている辺り、自分も色々おかしいとは思うが。
「お疲れ様、ケイタ」
床に座り込んだ自分に、そう声を掛けて来た槍使いの女性プレイヤー。音楽妖精プーカを選んだサチが手を差し出していた。
彼女に疲労は見られない。
それも当然か、と苦笑を浮かべる。彼女もきっと後を追うように死ぬだろうと見捨てて自殺した後、自分の予想に反し、キリトと【絶剣】の指導を受けながら《攻略組》随一の槍使いへと成長し、フロアボス戦を幾度も生き抜いて来た猛者なのだ。
ボス戦に於いて……否、VRMMOプレイヤーとしては、もう彼女の方が格上だ。
「ああ、お疲れ、サチ……よっと」
差し伸べられた手を取らず、両手棍を杖替わりに立ち上がる。サチは一瞬きょとんとしたが、すぐに手を引っ込め、くすくすと笑みを漏らした。
「なんだよ、サチ」
「ううん……なんか、昔と逆だなって思って」
「昔……」
言われて、思い出す。
自分達がキリトと出会う前の頃。まだまだ駆け出しの頃は、戦闘が終わったあと思い出したようにサチが座り込む事が偶にあった。その時は決まってリーダーの自分が手を差し伸べる。しかしサチは、今の自分と同じように手を取らず、槍を杖替わりにして立ち上がっていた。本当に疲れている時は手を取る事もあったが、多くは手を掴もうとしなかったのだ。
その事を言っているのだろう。
「……そうだね。サチは、本当に強くなった」
――デスゲーム以前の彼女は、何時もおどおどしていて、とても気弱な少女だった。
そんな彼女が自分達と関係を築いたキッカケは、たしかダッカーが誘ったからだ。
在籍していた高校は帰宅部を許さない規則があったため何かしらの部活に所属する必要があった。しかしサチはその部活見学期間を終えても部活見学を一度もしておらず、入部期限が迫っていてなお希望する部活すら無いという状態。人見知りが強かったせいで行けなかったと後から聞いた。そうして教師から言及されて困っているところを、ダッカーが見かねて声をかけ、パソコン部に誘った。
元々パソコン部は自分が二年に上がった年、つまりダッカーやサチ達が入学した年に自分しか所属していなかったため廃部となり、同好会へと格下げされる予定だった。
同好会だと部活所属のカウントがされないのでキチンとした部活に所属しなければならない。
部活として存続するには部長を含めて部員を五名必要とする。自分、テツオ、ダッカー、ササマルは幼馴染という事もあって入部も決まっていたが、残り一名が問題だった。声掛けはするが、身内で固めた弊害か誰も来ようとしない。殆どの男子は運動部に所属していたから、男オンリーの部活に女子も来ようとはしなかった。
そんな中でサチに白羽の矢が立った。
ダッカーも面倒な部活動に時間を取られ、ゲームや漫画などの趣味に没頭できなくなる事を厭い、サチを誘ったという。
女尊男卑風潮の事もあり、本性を隠しているのではとやや戦々恐々としていたのだが、幸いにもサチはオタク文化にも理解を示してくれる心優しい少女だった。ゲームや漫画に触れた機会は少なく、話もあまり弾まないが、聞き上手ではあり、部活内の空気は決して重くない。誘えばゲームの協力プレイもしてくれる程度にはノリも良かった。
アーケード系のバトルは苦手とする反面、パズルやレース系の対戦ゲームは地味に強かった事をよく憶えている。
そのノリのままSAOのベータテストに応募し、見事に全員落選して笑い合い、それでも意地で正式版を購入し――――デスゲームに巻き込まれてしまった。
困惑する仲間達。ドッキリだろ、と乾いた笑みを浮かべるダッカー。そんなまさか、と合いの手を入れながら泣きそうなササマル。事実かもと受け止め苦い顔を浮かべるテツオ。震えながら座り込むサチ。
――その時のように怯えた様子は、今の彼女には見られない。
「……強く、なった。僕達と違って」
「――私は、弱いよ。最後はやられちゃったもん」
SAOから引き継いで、未だ使い続けている紅槍を担ぎながら、サチは笑った。
――どこか、乾きがある笑みだった。
「第百層の事か。あれは……正直、無理だろ」
動画サイトのアーカイブに残された動画は自分も観ている。
《アン・インカーネイト・オブ・ザ・ラディウス》。剣と槍斧を手にした巨大な女性型ボス。障壁で攻撃の大部分を相殺し、大樹の根を使い、ボス部屋であるブロックを操り、果てには一定のルーチンでHPバーを一本追加しつつ全回復プラス障壁を張り直すという、常識破りばかりのレイドボス。
開戦直後に【絶剣】が、【舞姫】が、【閃光】、【紅の騎士】――――名立たる強者達が屠られていく様は、絶望そのもの。
アーカイブに残されたコメントは、【絶剣】が即死させられてから驚愕と絶望を表すものばかりだった。
数多くのMMORPGをしてきたと自称する多くの者が、アレは無理だ、と称する程の性能を持つボス。レベルカンストでも即死する威力。挑む人数が減るほど戦いやすくなると言っても限度がある。
「でも、キリトは出来たんだよ。たった一人でアレに勝った」
――絶望的な状況が覆ったのは、【剣姫】がキリトを蘇生させてからだった。
SAOに囚われて二度目のクリスマス。《アインクラッド》全体で広まった『過去死んだ人を蘇らせる宝物』を持っていたサチは、リーファにそれを託し、次いで二人同時に死んだ瞬間キリトの蘇生に使われた。
燃える展開、と言うのだろう。
絶望一直線の展開の中で紡がれた最後の希望。落涙しながらも、それまでと打って変わった様子でキリトは攻撃を捌き、仕切り直し――
『――負けて、たまるかァッ!!!』
徹底抗戦の構えで吠え狂う。数多の武器を召喚し、大地全てを焦土へと変え、炎の柱が立ち昇り、岩塊が突き出て、轟雷が落ち、波濤が巻き起こり、風がキリトを覆う。
ジリジリと灼かれ命を削るボスを前に、聖剣と魔剣でごり押していく。
幾度となく襲い来る致死の攻撃。その全てを捌き、逸らし、最低限のダメージに抑え、反撃を叩き込む。
――その応酬は、決して他の追随を許さないものだった。
むしろ他のプレイヤーは邪魔だったのだろう。一人の時の方が、キリトは明らかに強かった。ボスと互角に渡り合い始めてから猛攻に拍車が掛かる。フレンドリィファイアを気にしなくて良くなったからだろう、と冷静なコメントが印象深かった。
装備が違い、取れる手段も違った。
サチが敗れた原因はそれだけ。
あそこに立っただけでも、十分強くなっているのだ。
「足りないの。これくらいじゃ、ダメなんだって思う」
しかし――サチは、満足していないように、集団の先頭に立つ黒衣のスプリガンを見詰めている。哀しそうで、悔しそうな、そんな表情を向けている。
件の少年は、何事かを【剣姫】や【絶剣】達と話した後、一人どこかへ飛び立った。
小さくなる黒を見ながら、サチが言う。
「キリトは今も足掻いて、強くなってる。強くならないといけないから強くなろうと努力してる」
「……そうか」
自分には、サチが言わんとする事を理解できない。サチ達は知っている何かが根幹にあるからだ。デスゲームを生き延びた今、キリトが強くならなければならないのは何故か自分は知らない。
だから相槌しか打てない。
――最初から意見なんて聞いていない事も、理解していた。
自分は自殺で一度、殺意で二度彼を裏切っている。知ったような口を利く資格も無い。
これは、サチの独白に過ぎない。
「私も強くならなきゃ……
もう黒い影が見えない空を仰ぎ、魔槍を握る力を強くするサチ。強さを渇望する彼女にかつての面影は無かった。
それだけ想われているキリトの事が、少しだけ、羨ましく思えた。
***
「あー、さっぶ! マジで寒い! なんなんだよあの寒さ?! 凍え死ぬかと思った!」
「暖炉の火が身に沁みるぜ……」
「それは暖炉じゃなくて鍛冶用の炉だっつーの! というかどきなさいよ、仕事出来ないでしょ?!」
ガタガタと震えながら、サラマンダーの
用事があると言ってキリトが離脱した後、せめて新フィールドのマッピングくらいはしようとなって第三エリア【環状氷山フロスヒルデ】に踏み込んだ私達は、出鼻を挫かれる形であまりにもキツい寒さに大部分が音を上げ、撤退を余儀なくされた。今あそこに残っているのは、寒さに対して耐性を持っていたキリカ、念のため凍結耐性バフで寒さを和らげていたらしいアスナのみ。
無論二人以外のメンバーにも凍結耐性バフは掛かっていたらしいが、それすらも貫通する程の寒さがあった。いや、最早寒いどころか凍結、絶対零度とまでは言わないが氷点下七十度は余裕で下回っていただろうと思える程に寒かった。
アスナは水と氷の扱いに長けたウンディーネなので、種族特有で元々凍結耐性のパッシブスキルを持っている。更にウンディーネ専用のお守りとして凍結耐性バフのものを――正確には全状態異常防止バフの超レアアクセサリーだ――着けているため、支援魔法と重ねて三つバフが掛かっている。それに彼女は元々寒さに対して耐性があるらしく、だから残れた。
ちなみに同種族のランとシウネーらは寒さに根負けした。
キリカの場合は、彼が纏っていた黒尽くめのコートに若干の凍結耐性バフが掛かっていた事と、SAOでも氷結洞窟で野宿できる程の精神力があるためだろう。
よくよく思い返せば
今集まっているのは央都アルンでエギルとリズベットが共同で開いている喫茶店兼故買屋兼鍛冶屋の共同店舗、その喫茶店スペースだ。寒さに耐えかねた面々が椅子に座って震え、エギルが淹れてくれたホットミルクやら紅茶やらが入ったカップを両手で包み、武器の鍛造の為に使用される炉の近くで暖を取っている姿は異様に見られ、店舗に来ている者達からも妙な者を見る目で見られている。
あそこの寒さを知ったら何でこうなったのか分かるよ……と、変な目で見てきたプレイヤーを軽く睨んでからずず、と手元のホットミルクを口に含む。炉で吹き荒れている炎が室内の温度を引き上げているので、少しずつだが体が温まってきた。
「……まさか、新エリアがあそこまで寒いとは思わなかったよ」
よーし! と意気込んでいたユウキが即座に折れるくらいの寒さだったのだ。流石にアスナのようにウンディーネで且つバフを多重掛けしているか、キリカくらい寒さに強くなければ攻略出来ないだろう。あそこは不人気エリアとして最上位を独占しそうだ。
「ま、まぁ、わたし達が砂漠の暑さに慣れてた分、余計寒く感じたっていうのもあるんじゃないかな。それにわたし達の場合は氷結耐性バフが掛かってないし」
「……あー、その可能性は頭に無かったなぁ……」
フィリアの指摘に、しまったなぁ、と天井を見上げながら手元のカップを傾けるユウキ。
「――あ、お茶切れた。エギルお代わり!」
「はいよ」
「……ユウキって、ホントにそれ、好きなのね」
「なんかクセになるんだよねー」
呆れたように言うランに、にこにこと笑い返しながら、ユウキは注ぎ足された緑茶風の液体を口に含んだ。
彼女が口にしているものはエギルが入荷した『曰く付き』の品の一つ。そこまで変な話がある訳では無いが、妙な香りと風味からプレイヤーに敬遠されているものだ。実はSAO時代にも同様のものはあり、キリトとキリカは好んで口にしていたところ、ユウキも興味を持って呑んで嵌ったというエピソードがある。
尚、姉のランや他の仲間達には大変不評で、結局不人気という立場は変わっていないお茶だ。
そのお茶をまたずず、と啜った彼女は、うーん、と悩むように口を開いた。
「体感的に耐えられない訳だからさ、やっぱり格好も重要だよね。キリカやリズなんかはコート系だから肌があまり出てないけど、たとえばシノンやボクはお腹とか足が出てるし、リーファも同様で涼しげな格好だよね。クラインの袴系も案外薄いから風を良く通すし……」
ひょいと肩を竦めながら言うユウキの装いは、確かにかなり薄手だ。SAO時代から変わっていないクローク系の衣類は肩や腕、お腹を出し、太ももも出すというかなりキワドイ露出をしている。それで寒いとなれば、まずは装いから変える方が先決だろう。
「もしかすると、あそこのダンジョンか今までのダンジョンの何処かに凍結耐性バフ装備とかあるのかもね……主要な島は巡ってきたけど、他の小さな浮島はあまり細かく見て回ってないし。あと、何かを材料にして《鍛冶》スキルとか《細工》スキルで作るのかもしれないね。トレジャーハントしてると偶にあるんだよ、こういうの」
「……あー……確かにスキルを駆使して仕掛けを解く事はありそう。SAOでもあったよね」
「私が《射撃》スキルを手に入れた頃に受けたクエストがそうよね」
「だねぇ……氷属性、あるいは凍結耐性バフの装備かー……エギル、その辺の持ってない?」
「あるにはあるが、流石に全員分って訳にはいかねぇぞ。せいぜい一パーティー分くらいだ」
倉庫に入っている分を確認していたらしいエギルが難しい顔をしつつ、カラカラ、と音を立てて下にスクロールされているウィンドウを見ながら言った。
「つまり、あそこの島で早い段階から動けるのはキリカ、アスナ、ランを含めて十人足らず、しかも元々寒さに強い人でなければ踏破は不可能という訳ね」
毛布で体を覆い、ホットミルクのマグカップで手を温めながら、シノンがそう纏めた。
キリカはアスナと同様に凍結耐性バフを修得しているが、流石に熟練度は使う機会が少ない事もあって半分を超したばかり。アスナ以上らしいから効果は高めで、二人とパーティーを組めば効果時間を切らす事無く絶え間の無いよう使う事が可能だ。
一先ずあの二人が帰ってくるまでは対策と議論を交わし、机上の空論を盤石なものしていくしかなさそうだ。
あーでもない、こーでもない、こういうのはどうか、と喧々諤々と喫茶店エリアで話し合う仲間達。個人経営の店主と親しいからと言っても限度はあるのか、途中から作戦会議の主なメンバーは二階へ追いやられていった。
その様子を窓際から眺めながら、ホットココア風の飲み物を口に含む。
まろやかな甘みと口当たりの良い味が広がる。んく、と飲み下す度に、体の芯からホカホカする。
まるでクリスマスの時のよう――――
「……きりと……」
かつて過ごした二人きりの聖夜を思い浮かべた途端、微かな疼痛を覚えた。
「もうちょっと、一緒に居たいよ……」
壁に立て掛けていた槍へと視線を移し、そう零す。
紅い槍は、静謐のまま怪しく輝いていた。
***
「――ん?」
はた、と。
先に凍原を行く黒尽くめの少年が思い出したように視線を彷徨わせた。きょろきょろと辺りを見回し、次いで首を傾げる。
「どうかしたの?」
「……誰かに呼ばれた気がした」
「はあ……?」
自信無さげな答えに、胡乱な声を返す。空耳というやつだろうか。
彼――キリカは、AIになったと言っても根幹は変わらない。経験も記憶も引き継いでいる以上それらから導き出される『勘』というものは存外バカに出来ない。自分とて、根拠のないイヤな予感で幾度か命を拾っている身だ。
とは言え、今のタイミングでそれが起きたのは何故か分からないが。
――びゅごぉっ、と強い雪交じりの
「さ、さむっ……」
反射的に両手で体を抱き、ぶるぶると震える。
耐寒バフや対水、対氷バフを掛けると寒さは和らぐが、あくまでそれは副次的。凍傷、氷結のバッドステータスこそ存在するものの、環境だけで起きるのはダンジョンくらいなものなので、フィールド上でそこまで警戒する必要は無い。
しかし難しい思考もこの極寒の環境では出来無さそうだ。まず立ち止まっている間に凍えてしまう。
「き、キリカ君、早く行こうよ。寒さで、こ、凍えちゃうよ」
「……アスナは帰ってても良かったんだけど」
「い、いやいや、キリカ君ひとりに先行させるつもりは、な、無いから!」
ガタガタと震えながらなので言葉が不規則にどもるが、それでも言い切る。
ぐっと、何か言おうとしていたが、無理矢理それを飲み込んだように口を噤んだ彼は、そうか、と一言零し、踵を返した。
――ばさりと、濡羽色の髪と外套がはためく。
SAO時代からイヤという程見て来たその背中。もう彼の後追いをして、彼だけに負担を掛けたくないと思っていたから、偵察で彼を一人にする事はなかった。今回はほぼ全員がノックダウンする羽目になったが、私は意地で残っている。
正直早く帰ってエギル特製のホットココアを飲みたいところだが、そこはぐっと我慢。
先に帰った皆は極寒の環境でも動けるようにと耐寒バフ系の装備を集める傍ら、新エリアについてNPCから聞き込みをしてくれている。辛うじて残っている自分達はその間にフィールドのマッピング。二人だけというのは些か戦力不足感を否めない人数だが、キリカは単独の方が強いし、自分も《血盟騎士団》副団長として戦ってきた経験がある。多少の人数差を押し返せるという自信はあった。
やや無理をしてでもマッピングを進めると決めた理由は二つ。
一つは、こうでもしなければ《三刃騎士団》に後れを取ってしまうから。第一エリアは暫定偽キリトの妨害があったからノーカンとして、第二エリアはボス攻略までかなり接戦となった。アルゴが優先的に情報を回してくれなければ、あるいは《三刃騎士団》に巻き返されていただろう。
そうまでして攻略を押し進めるのは、ゲーマーとしてのサガ以上に、キリトが何か隠していると全員察しているからだ。それが《三刃騎士団》に関わっている事も朧気ながらに理解している。
――もう一人で背負わせたくない。
ただその一心で私達は攻略を押し進めていた。もっと楽しくやりたい気持ちはあるが、しかしあの彼が自身を瀕死に追い込む程の事態が待ち受けていると考えれば、遊びの気分なんて続けてられない。《三刃騎士団》、ひいてはセブンは何を考えているのかと、仲間内の最近の話題は大抵それに帰結している。『天才』と呼ばれる人物に碌な人間はいない、という経験則がそうさせているのかもしれない。人間性はともあれ、やることなすこと大抵が常人の理解出来ない事ばかりなのが『天才』の由縁。警戒して損は無い相手だろう。
そして、マッピングを進めるもう一つの理由は、キリカの事だ。
ALOで再開したばかりの頃はあどけない口調ながら口数も多かった。しかしここ数日、極端に口数が減り、様子がおかしいと、ユイやストレアが相談に来ている。時には表情も苦しげだという。
それが、自身のオリジナルがいる場合であれば、まだ理解出来た。彼女らもそう自己解決出来た。
そうならなかったという事は、逆説的に、キリカが苦しげな表情をする時、キリトは居なかった。本当にここ数日になってから様子が変わり始めたらしい。
そんな中、皆が寒さにやられて撤退するのに反し、ひとり凍原を往こうとしていたから、咄嗟に同行を申し出た。
なぜ、咄嗟に『一緒に行かせて』と言ったのか。正直なところ自分でもよく分かっていない。
あまり負担を掛けたくないと言うなら、彼の情報収集能力を鑑みて、街で情報収集をするべきだと言える。マッピングの労力と比較すればまだそちらの方がマシだ。
なのに私は凍原に居て、キリカの後を必死に付いて行く。
――私は、キリカ君に負担を掛けたいの? 掛けたくないの?
繰り返される自問自答。
答えなど、とうの昔に出ている。
ただ、
――仕方ないよ。
――だって、『
脳裏に響く、どこか遠くから発せられているような自分の声。
現実に還ってから直面した変わり様が無い事実は、明確に
はい、如何だったでしょうか。
・桐ヶ谷和人
主人公。
全登場人物の中で最年少。セブンの一つ年下。
知り合った女性に
SAO終盤から現在に至るまで色々と計画を練って裏で暗躍している。理解者である仲間に見抜かれるラインもコントロールしているなどSAOから策士ぶりは成長中だが、ユウキを筆頭に『生きようとする意思が本当にあるのか』と信用を喪いつつある。リーファだけが現状真の理解者(尚想定外)
全力戦闘は『十五分限定』だったが、剣と魔法の違いこそあれ三日間でSAO時と変わらない立ち回りを出来るようにした。
表沙汰になってないだけで、洒落にならないレベルで世界の今後を左右する位置に居る。『核爆弾』とは殺しの技を叩き込んだ男の言。元帥を筆頭に彼を重要人物にしたのがターニングポイントの一つ。
複数のトラウマを抱えているが、トラウマをトラウマで抑え込む極限状態にあるので正常に落ち着いている。
――三ヵ月間独りで命のやり取りをしていて異常が無い事が既に異常である。
現在複数人の依頼を受けて行動中。
束&茅場:『ALOのシステム調査、バランス調査、その他のテスト』
菊岡:『七色・アルシャービン博士周辺の調査、場合によっては妨害』
レイン:『???』
楯無:『???』
簪:『一緒にアニメを観よう』
鷹崎元帥:『第四回《モンド・グロッソ》優勝』
和人の中二成分は
尚直葉達からすると和人が無茶する手札を増やしてる原因(良かれと思ってェッ!)
ケイタ視点はサチに対する負い目と、強くなったサチへの憧憬が混ざり合った複雑な感情。自分からすると十分強いけど、本人が納得しておらず、『出来るだろう』ではなく『やった』キリトへの憧れと強さの渇望なので、止めるに止められない状態。
そもそもケイタは一生サチに頭が上がりません(爆)
サチ視点は、みんなで一緒に居る情景を描写する事で、一人なにかやってるキリトという状態との対比。
裏で何かやってる事を察してるので意識が『遊び』から『真剣モード』に移行してきているという描写でもある。ここはユイ、ストレア視点辺りの攻略模様を読み返すと、分かるかもしれない。
最後のアスナ視点。
サチの独白に遠くからでも気付くのが、
小説の描写で、遠くから呼んでいる声に、呼ばれている方が気付く、というものがあります。これは『キャラクター間で相互理解がある』という点を、読者に強調するために用いられる事が多いです。ロマンチックでもあるからですがね。
――逆説的に、キリトはサチ達の気持ちをよく分かっていない。
予想は出来てるけど、その本気具合や深さが分かってない。
むしろキリカの方がまだ分かっているのは、アスナという仲間が同行している時点で明らかです。サチと聖夜を過ごした時の記憶は同じですし反応してもおかしくはない。
尚、ヴァベルは除外です。何時も一緒に居る訳じゃないからネ。むしろヴァベルですらよく分からない行動を取り始めてます。
よってサブタイトルがああなりました。
では、次話にてお会いしましょう。