インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話もオールサチ視点。

 文字数は約一万。

 ではどうぞ。





第二十九章 ~狂信:セブンクラスタ~

 

 

『それでは本日は、日本でも大人気、来日されて話題沸騰中の七色博士にお話を伺いましょう。博士はコンピューター科学の研究をされており、同時にALOという日本初のネットワークゲームの中で、セブンというキャラクターとして歌手活動をされています』

 

『私は研究者でもあり、歌い手でもあり、それはどちらも表現者という意味では変わらないの。どちらも本当の私。応援してくれる人が居るのはとっても嬉しいわ』

 

『一時期VRMMOはSAO事件として有名になりました。それについては、どのように?』

 

『須郷伸之は人道に外れた行為をした。でも、茅場博士が生み出したVRの技術には、罪は無いと思うの。悪事に利用されただけ。これを良い方向で扱えば、昨今のVRMMOに対する嫌煙的な意見も少なくなると思うわ。私はそう確信してる。茅場博士が作り出した世界がどれほどのものかを知る為に、その一つであるALOにログインして、そう思ったの』

 

『セブンの歌は共存や平和を提唱する歌が多いと聞いていますが、その辺りはどのようなテーマで?』

 

『ALOは種族同士の闘争が一つのゲーム性になっているの。でも、ネットワーク社会のあるべき姿はどこにあるのか……? あたしなりにそれを知りたくなった。競争と共存、それは資本主義と社会主義のように、どちらも正しさがあって、決して割り切れないものでしょ? ネットワーク社会の未来を知る為にも、プレイヤーの人達の反応……生の『声』を聞かせて欲しいと思ったの』

 

『今年で十三歳になるとは思えない、なんとも大人びた言葉ですね……未だ世間からは冷たい言葉を浴びせられるVRMMOというカルチャーですが、平和や共存を提唱するあなたの姿を見て、SAOとALO――須郷伸之とあなたを、正に、ネットワークの光と闇と揶揄する人もいるようですね』

 

『ふふ、私の歌でVRMMOを少しでも認めてくれる人が居るなら、それは喜ばしい事ね』

 

~とあるメディア映像より抜粋~

 

 

 キリカ達と合流したのは、小休止を始めてから五分ほど経った時だった。

 合流してから更に数分休憩し、準備を整えた私達は、九人からなるレイドで最奥への突入を決断した。

 先頭に立つキリカが石扉に嵌め込まれた珠の部分に触れた。一瞬珠が薄く青い光を帯び、重々しい響きを立てながら扉は上にせり上がる。

 大口を開けた扉をくぐる。最後尾のシノンは、闖入者の介入を防ぐためか、自身が入るとすぐに反転し、右手の壁に設置されている石のボタンを押した。せり出ているそれがガコンと音を立てて壁の一部になった途端、扉が落ち、部屋は密室となる。突入から自動で閉まるまでの一分の猶予時間をキャンセルする為のものだ。これで内部と外部は完全に遮断された。内部での戦闘が終わるまで、もう誰も扉を開ける事は出来ない。

 連携確認に最後の猶予を費やすと、部屋の中央に紫色の闇が集まり、形を作り上げた。

 出現した中ボスはドラゴン。西洋のお伽噺で出てくる悪者のドラゴンがモチーフらしく、巨体に前足と後ろ足があり羽根もあり、体全体が鱗で包まれている竜だった。色は紫色をしていて禍々しく見える。名前は《ラタトスク》とあった。

 神話に於いては、世界樹ユグドラシルに住んでいる栗鼠とされている。梢に住む大鷲フレスヴェルグと根元に住む邪竜ニーズヘッグの間で交わされる会話の中継を担っており、両者の喧嘩を煽り立てているという存在だ。

 それがどうしてドラゴンとしてカリチュアアイズされているかは不明だが――プレイヤーからすれば、等しくボスである。

 先手必勝。そんな事情など知らぬとばかりに、キリカが飛び出した。

 突進と共に大上段から振り下ろされる橙色の剣閃。《両手剣》上位剣技、単発重突進スキル《アバランシュ》が、動き出そうとした紫竜(しりゅう)の顎下を斬り裂く。

 ――竜の絶叫を契機に、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 *

 

 伝説上の神獣とされる竜には、81枚の鱗のうち、顎の下の一枚のみ唯一逆さに生えるとされる鱗がある。それを《逆鱗》という。《逆鱗》に触れられる事を竜は嫌がるため、触れた者を即座に殺すほどの激昂を見せる事から、慣用句にも用いられる程にはポピュラーな言葉だ。

 VRMMOプレイヤーにとって重要なのは、竜系統のモンスターの弱点は総じて《逆鱗》にある点だ。

 ボスのように全長十メートル級のドラゴンにしても、数メートル級のワイバーンにしても、伝説上の弱点が反映されているのか、顎下には必ず逆さに生えた鱗がある。そこを強打すると一時()行動()不能()に陥れられるとはSAO時代から広く知られた弱点だった。

 無論知っているからと言ってそこを狙うのは至難の業。ワイバーンは動き回るし、ボスドラゴンは大き過ぎて純粋に届かない。加えてリアリティ溢れる竜の威圧感は生半なものではない。

 

 ――ここが、SAOのままならば。

 

 パキキ、と空気の凝結が耳朶を打つ。

 水妖精族のアスナが、古代級武器である世界樹の枝を指揮棒の如く振るい、短槍サイズの氷柱を複数飛ばしていた。

 前線では両手片手半剣を巧みに操るキリカが、隙あらば逆鱗目掛けて《アバランシュ》や《ソニックリープ》を放ち、ドラゴンのヘイトを必死に集めている。その近くでは私が逆鱗を穿たんと紅の魔槍を大きく振るい、ユウキやレイン、フィリアが攪乱の為に鱗を切り裂いて少ないながらダメージを与えている。

 氷柱はそんな私達に翻弄されるのを嫌がり竜が空へ退避したところで襲い掛かった。大半が毒々しい色の鱗に阻まれる中、一本だけ逆鱗に的中し、竜の咆哮が轟く。

 しかし、落下する程では無い。

 物理攻撃に比べ、純粋な魔法攻撃のダメージではスタンを引き起こす事は難しいらしい。

 

「当たれェッ!」

 

 そこでダメ押しとばかりにシノンが矢を放った。鏃に真紅を宿した矢はぴう、と空気を裂いて飛翔する。

 緩い放物線を描きながら飛んだ矢は、またも竜の逆鱗に直撃――――後に大爆発した。もうもうと立ち込める爆炎と煙から、グオオオオォッ、と苦しさを多く含んだ絶叫が木霊した。

 キリカと共に後退した直後、呻きを洩らしながらドラゴンが地に堕ちた。

 私は今の内にとグランポーションをポーチから取り出し、栓を飛ばし、一息に呷る。体力に余裕はあったがなにぶん削りダメージが侮れない。アスナとリーファが適宜飛ばしてくれる回復とバフのお蔭で持ち堪えているが、一気に削られるリスクは常に孕んでいるのだ。自然回復を重ね掛けしておくことは決して無駄では無い。

 飲み切った小瓶を棄ててからドラゴンの頭上にあるゲージを見る。四段あったゲージは、既に一本目を喪い、二本目も残り二割まで減っている。あと一、二発で半分を割るところだった。

 

「復帰を狙うよ、ユイちゃん」

「了解です」

 

 そこで前進したのは闇妖精族(インプ)ユウキと影妖精族(スプリガン)ユイだった。

 ユウキは右から、ユイは左から迫るように駆け出す。彼女らがドラゴンの下に辿り着いたのは、ドラゴンがスタンから復帰し、鎌首を擡げた時だった。

 

「はぁああッ!」

 

 ユウキが持つ黒曜の剣から翡翠色(ソニックリープ)の輝きが放たれた。左斜め上の軌道で直進した斬閃は狙い過たず逆鱗に直撃。

 泣きっ面の蜂と言うべき攻撃に、竜の絶叫も弱々しい。

 

「やぁああッ!」

 

 間を置かないというのか、コンマ数秒遅れて交差する軌道で、翡翠色の光芒を引きながらユイが跳び上がった。

 ――《ソニックリープ》を右手で振るった場合、軌道は袈裟掛けか左斬り上げの二択になる。

 左から跳び上がったユイからすれば、竜は左に面している為、《ソニックリープ》では攻撃が当たらない。

 しかし黒と白の片刃片手剣を持った二刀使いの彼女には関係が無かった。左手に持つ白の剣から翡翠の輝きが発せられており、つまり斬閃も常とは逆の逆袈裟か右斬り上げへと変化する。

 斜めに交わった翡翠の斬撃は、ドラゴンの体力を三本目へと割り込ませた。

 

『グオオオオオオオオオッ!!!』

 

 怯みから復帰したラタトスクは怒りの咆哮を放った。紫色の鱗が赤熱したかのような紅みを帯びる。

 怒りモードだ。

 全体的に紅くなったドラゴンがこちらに向き直り、再び翼をはためかせて飛び上がった。

 

「――横に跳べッ!」

 

 キリカが声を上げた。

 反射的に私は右に跳ぶ。直後、轟然とその巨体で押し潰しに掛かってきた。

 注意喚起があったお蔭で全員余裕を持って対比出来たが、後衛にまで飛び込んでくる攻撃手段は脅威である。アスナ達が慌てて距離を取った。

 ドラゴンはキリカの方にタゲを向けたようでこちらに背を向けた。巨体に較べて小さめな尻尾が左右に揺れているのを見て、《長槍》単発突進スキル《ソニック・チャージ》を仕掛ける。途端、巨体に似つかわしくない悲鳴を上げながら背筋を逸らしたのを見て、尻尾も弱点だと気付く。小さいから鱗も薄いという設定なのだろう。

 そのせいで瞬間的にヘイトを稼いだらしく、爬虫類特有の目がこちらを見咎めた。

 

「サチ、下がって!」

「……ッ!」

 

 シノンの声に応じ、部屋の壁近くを陣取っているボスから距離を取り、部屋の中央へと後退する。

 入れ替わるように、鏃に赤を灯した矢が飛翔する。前足を上げたボスの喉元で爆発を起こし、幾度目か分からない絶叫が上がった。

 さっきからこのボス絶叫しか上げてない。

 

「――サチ、気を抜くなッ!」

「え……?!」

 

 これで隙を晒しただろうと元居た場所を見るが、直前に轟音がしたにも関わらず姿が無く、代わりに頭上で何かがはためく音が聞こえる。

 慌てて頭上を見れば、今にも私を押し潰さんとばかりに落下してくるドラゴンの影。

 ドラゴンの目は後方のシノンに向けられていた。恐らく飛び上がって落下する距離のギリギリに、私が居ただけだ――――

 

「が、ぁ――」

 

 それを視認した時はもう遅くて、直後には体全身に今まで受けた事の無い重圧と絶大な不快感が襲ってきた。同時、私の命であるHPが一気に減少を開始し、残り三割の所で止まる。

 ドラゴンは私にのし掛かった訳だが、すぐにどいた。

 いや、再び私を押し潰そうとしていた。翼をはためかせ、もう一度天井近くまで飛び上がっていたのだ。三度はためき、そしてもう一度落下してきた。

 

「ッ……!」

 

 そのあまりにも巨大な威圧感、さっき受けた重圧と不快感を思い出し、無様にも冷たい床の上で横になったまま蹲って目を瞑る。クリティカルだったのかは分からないが、たったの一撃で七割もHPを削られたのだ、もう一撃食らって生き延びられるとは思えない。

 起き上がった直後に跳んでも回避は不可能と頭の何処かで冷静に考えてしまって、()()――

 

「――さ、せるかァッ!」

 

 ――()()()()()()ところで、近くで耳を劈くような音が響いて驚きに身を竦ませる。

 

「く、ぐ、ぉお……ッ!!!」

 

 目を開けば黒い鋲付きブーツがあった。少しだけ視線を上げればはためく黒革の外套が視界をちらついた。更に上げれば一つに括られた艶やかな黒髪。更にその上には、落下してきたドラゴンの前肢を押さえる為に酷使されている、橙色の光を灯した両手片手半剣。

 

「キリカ……?」

 

 あのどうしようも無い、誰もが諦めるだろうタイミングで割り込んできた事に目を見開いて驚く。アバランシュの突進速度と強打性で無理矢理割り込んだのは分かる。だが、出来るかと言えば別問題だ。

 驚いていると、瞬足で走ってきたフィリアに抱かれ、その場から離脱する。

 直後、私がいなくなったのを契機としたかのようなタイミングで、押し潰し攻撃を留めていた彼が思い切り吹っ飛ばされ、壁へと叩き付けられた。そのまま彼は床へと力無く俯せに倒れ、トドメを刺そうとラタトスクが右の前肢を振り上げる。

 

「ッ……!」

 

 その前肢が振り下ろされ始めた直後、彼は横に跳んだ。

 彼の体力は余波のダメージで幾らか削れている。致命傷では無いが、怒りモードでダメージが跳ね上がっているらしく、決して無視できないものだ。

 それでも懸命にタゲを取り、時間を稼いでくれている。

 その必死さに当てられてか、安全圏内にいる自分達も各々出来る事に集中した。

 ――中ボスの定義は、プレイヤーの認識を含めてもかなり曖昧だ。

 フィールドボスやフロアボス、エリアボスとなれば、レイドを前提とした設計だと誰もが断定する。反面個人やパーティー単位のクエストのボスであれば、フルパーティーが適正レベルと言えるだろう。中ボスの扱いは大半が後者に該当している。

 では自分達がいま相対しているラタトスクはどうか。

 このボスは、状況的には中ボスの扱いを受けるだろう。しかし曲がりなりにもスヴァルト攻略のグランドクエストに際して出て来る個体だ。一パーティーで倒せるかと聞かれれば首を傾げざるを得ない。キリカやアスナ、ユウキといったSAOでも随一という質の面で他を凌駕しているプレイヤーがいるから、たった九人でも持ち堪えていられる。適性人数はパーティー二つから三つほどだろう。

 だからこの人数で勝つためには、全力を出さなければならない。

 

「すぅ……」

 

 ゆっくり息を吸い、逆手に持ち直した槍を担ぐ。構えは投げ槍のそれだ。

 アスナの水魔法と氷魔法、リーファの風魔法が殺到。怯んだ竜に、ユウキが片手剣技を連携させた。その横でユイが二刀剣技を乱舞させる。レインとフィリアが竜の尾を滅多斬りにする。シノンの矢が節々と目を狙い撃つ。

 ――逆鱗が見えた。

 《ディティール・フォーカシング・システム》により、周囲がうっすらとボヤけ、逆さに生えた鱗のみ鮮明に映し出される。

 これが魔槍の特性《必中》が発動する条件。

 

「――いっけぇぇえええええッ!!!」

 

 ボッ! と、紅い光芒を引いて、魔槍が飛んだ。

 痛みに呻き、怯み、出鱈目に体を揺らす竜の逆鱗。それ目掛け、魔槍は鋭角に軌道を変えて迫り――――深く深く、一枚の鱗を貫き、穿つ。

 これまでの比では無い絶叫を上げ、竜は双眸を大きく見開かせた。

 びくん、と巨体を震わせた竜は、一拍の後に爆散。

 ボスを倒せたのだ、と認識する私の手に、魔槍は鋭角の軌道で戻って来た。

 SAO時代から引き継ぎ弱体化を受けた多くの武具の中で、唯一その強みを喪っていない愛用の魔槍ゲイ・ボルクは、やはり怪しく輝いていた。

 

 *

 

 手元に戻った魔槍を眺めていると、喜色満面の様子のユウキが駆け寄って来た。

 

「サチ――!」

「わわっ」

 

 ぴょんと仔兎の如く跳ね、ダイブしてくる少女を抱き留める。ぎゅっと強い抱擁をしてきた少女はにかりと悪戯が成功した子供のような笑みを向けて来た。

 

「最後の一撃凄かったよ! ラストアタックおめでとう!」

「あ、ありがとう、ユウキ。でも抱き付いて来る必要はないんじゃ……」

「だってサチがLA取ったの初めての事だよ?! 色々と教えた身としては凄く感慨深い事なんだから抱き付きもするって! 姉ちゃんも知ったら凄く喜んでくれるよ!」

 

 きゃあきゃあと喜びを露わにするユウキ。

 彼女の雰囲気に当てられてか、私も、仲間も笑みを浮かべていく。スイッチを切り替え、喜ぶときには喜び、真剣なときには真剣に出来るところは、少し羨ましい。PoHに対し殺気を露わにした少女と同一人物とはとても思えない朗らかな笑みを向けてくれる。

 それだけ、私に心を開いてくれた証拠だろう。

 最初は抱き付いて来る事なんて無かった。笑っているが笑っていない、そんな距離感のやり取りが初期の頃。それも当然だ。彼女からすれば見ず知らずのプレイヤー。それもキリトに深い心の傷を負わせた一団の生き残り、心象は決して良くない。当時の私はそんな事に気を回す余裕が無かったのでどんな()()をされていたかも憶えていないが、仮令キリトからの紹介と言えど忸怩たるものはあった筈だ。

 そこから少しだけ距離が縮まったのは聖夜を越えた後だろうか。彼女からすれば好きな男の子を支えようとする女という、恋敵そのものの認識になる筈だが――彼の事を軸に考えて、敵ではないと認められ、受け容れられた。

 あるいは、《月夜の黒猫団》の一件で暴走する彼を止められる人間だから、受け容れられたのかもしれない。

 ――今となっては考えても詮無き事である。

 《月夜の黒猫団》の因縁は終止符が打たれている。キリト、キリカの二人とケイタの関係は、未だギクシャクしたものはあるが、良好な方へ進もうとしている。みんなもケイタの事を少しずつ受け止めようとしてくれている。

 ユウキとは、助けられる事の方が多いが、極稀に、年上の姉として慕ってくれる事がある。

 みんなと私の関係性は、そういうものだ。

 

「まるで姉妹みたいね、あなた達」

 

 揶揄(からか)うようにシノンが言った。同意なのか、アスナやレイン達も笑っている。

 

「一年半も一緒に居ればね!」

「ランが聞いたらどう思うかしらね」

「姉ちゃんもサチと仲良いし、特に反論しないと思うなー」

「基本いつも三人で行動してたもんね……」

「思えば色々あったよねぇ……」

 

 あの城での日々に想いを馳せる。

 苦しく、哀しく、辛い日々ではあったが、まったく楽しい思い出が無かった訳では無い。ユウキとランのように信頼出来る姉妹と友達になれた。アスナやシノン達とも知り合えた。好きな男の子が出来た。

 なにより、勇気を知った。

 何も得られなかった訳では無い。その点については、少なくとも仲間全員に共通している事だろう。

 そうして話していると、背後から重々しい音が響いて来た事に気付いた。視線を向ければ、入り口の石扉が再びゆっくりとせり上がっていく。

 どうやらポータル的なものは無く徒歩で帰れとの事らしい。

 そう嘆息を抱いた時だった。ある程度せり上がった石扉の向こうに無数の人影が(ひし)めいている事に気付く。

 なっ、と狼狽える声は、扉が上がり切るのを待たずに入って来たプレイヤー達の足音によって掻き消された。

 粛々と、いっそ不気味な程に整然とした軍靴の如き音は、それだけでこちらを圧倒する。

 数はかなり多い。部屋の奥へと後退した九人に対し、あちらは恐らくフルレイド。しかも回廊にはまだプレイヤーの影が無数に残っている。ボス部屋に入れる四十九人の制限を超える数を揃えているという事実に思わず顔を顰める。

 更にイヤな事に、彼らの頭上には《三刃騎士団》のギルドマークが()()

 所属を特定されない無所属プレイヤーの集まり。《三刃騎士団》に入れる程の実力は持たないが、しかし彼女の思想やカリスマに当てられ、信奉する集団――――俗称《セブンクラスタ》。

 その集団の中で、青年が一人歩み出た。

 ――所属はやはり無い。髪色は緑のため、種族はシルフ。装備のグレードはそれなりに高い。剣と盾の組み合わせからバランス型のタンク。ディアベルのような戦闘スタイルか。

 そう分析する中、青年が屹然とした立ち姿で口を開いた。

 

「ごきげんよう、サバイバーの諸君」

 

 『サバイバー』というのがSAO生還者の事を表すネットスラングであるとは知っている。ボス戦放映でイヤというほど顔や武器を晒していたから、アカウントを引き継ぎ、ほぼ現実そのままの容姿でプレイしていれば、自ずと同一人物と知れはする。

 それでも敢えて触れない事がマナーなのだが、青年はそれを守るつもりが無いようだった。

 

「あんた達は……セブンのファンだな」

 

 不快げに何人か顔を歪める中、無表情のキリカが応じるように先頭に立ち、そう言った。

 その言葉に青年はふっと苦笑を浮かべ、首を振る。

 

「ファン? そのような低俗なものと一緒にしないでもらいたい。俺達は、セブンの信奉者! 七色博士の理論を信じ、そしてセブンの歌声と、メッセージを愛する者だ!」

「……その信奉者サマ達がいったい何の用だ」

「君達には実に申し訳ないのだが、このクエストの勝利……すなわちそこのレバーを引く権利、セブンに譲ってもらおう!」

 

 びしっと指を指す先――――そこには、壁から出ているレバーが一つ。

 既に二つの遺跡の攻略を終えているため、あのレバーがどういうものかは分かっている。フロスヒルデ中央にある装置の動力源だ。アレを引けば、引いたプレイヤーが属するパーティーやレイド、ギルドのクエストが一つ進行する仕組みになっている。

 そのレバーがクエストの報酬である。

 ボスを倒した後に《Congratulation!!》の金文字が浮かばなかったのは、ボス討伐がクエストの達成ではなかったからだ。報酬であるレバーがクエスト達成の条件でもあった。

 それを引く権利を、障害であるボス戦もスルーして得ようとする。

 立派な横取り(ハイエナ)行為だ。

 ぎり、と魔槍を握る手に力が籠る。

 

「――ふざけるな!」

 

 緊迫する空気の中、反論の声をユウキが上げた。

 

「頑張ってボスを倒したのに報酬を譲れって、歴然としたマナーレス行為だよ!」

 

 今にも斬り掛かりそうな剣幕で彼女は怒鳴る。鞘に納めた黒剣をいま一度抜こうと、柄を握った。

 ――その柄先に、小さな掌が当てられる。

 

「落ち着け、ユウキ」

 

 視線はクラスタに向けたまま、キリカが抑え込んでいた。見た目以上の力を込められているのか抜こうとしたユウキの手がまったく動かない。

 

「き、キリカ……? でも……」

「ここで戦ってもいたずらに敵を作るだけだ。クラスタは、此処にいる面子で全部じゃない」

「っ……」

 

 彼の冷静な言葉に諭され、ユウキは唇を噛んだ後、柄から手を離した。それでも強い視線でクラスタ達を睨み付けている。正々堂々をこそ好む彼女からすれば、ハイエナプレイはとても許容できるものでは無いのだろう。

 彼女が下がったのを見て、一気に高まった緊張感が僅かに落ち着く。

 

「謝らないからな。責められる事は分かっていて、ハイエナプレイをやっているんだろう?」

「ああ、勿論だとも。我々はまったく気にしていない」

「そうか……しかし引っ掛かるな。セブンはこういう正道から外れた行為を指示するとは思えない」

「当然だ。彼女は自由と平等を歌う天使! 清らかな心を持つ彼女が、このような指示をする訳が無いだろう!」

 

 【歌姫】が微笑む姿が見えているのか、虚空へ恍惚とした表情を向けながら、シルフの男が言う。それでもまだこちらに意識を残しているシルフはマシな方だ。後ろに控えているクラスタ達はこちらの存在を無視して悦に浸っているのだから。

 気持ち悪い、と素直な感想が浮かんだ。

 

「なら誰だ? スメラギとやらか?」

「あいつは関係無い。《三刃騎士団》に入る力が無い俺達にあいつは関心を寄せないし注意も向けないからな。今回の件は、俺達が独自に動き、《三刃騎士団》の、ひいてはセブンの勝利に貢献しようとしているだけの事」

「……なるほどな」

 

 所謂『良かれと思って』という行動のようだった。

 こんな卑怯な手口で功績を上げてもセブンが喜ぶかは正直微妙なところだが、彼女の事をよく知らない身なので、何とも言えない。結果さえ良ければいいと、天才にありがちな価値観という事も考えられる。

 

「――そうだ、サバイバー諸君もこちら側に来ないか?」

 

 突然、話の流れをぶった切って、集団のリーダーが勧誘して来た。

 

「セブンの為に、スヴァルト攻略の成果を全て捧げるんだ! そうすれば争いも衝突も無い世界で、皆がセブンの歌の通り、平和に生きていけるだろう!」

 

 セブンの歌は、その多くがリーダーが言っている『平和』と『平等』をテーマにした歌詞で構成されている。種族間抗争の激しいALOで敢えて歌っているのは何故かは不明だ。しかしファンの多くは『天才美少女』というフィルターにやられ、歌にのめり込むという、歌詞の意味やテーマまでは理解していないところがあった。

 しかし()()()()()は歌のテーマと意味まで把握し、それをメッセージと称し、自分達の行動原理にしている。

 本当に平等で争いが無い世界が訪れると信じているかは分からない。

 だが――セブンなら実現出来るという妄信は、ありそうだ。

 そして、それが実現した時の礎に自身の功績がなるなら、これ以上の名誉は無いと考え、名声と功績を求めて暴走している。それが一人でなく複数――クラスタという集団で。

 彼らは『セブンを愛する』という究極の目的の為に集っている。その為なら他者がどうなろうと構わない、自身の全ても捧げる勢いだ。先の発言からそれが理解出来る。

 

「セブンの為に全てを捧げる事に優劣は無い、貧富も関係無い。彼女を花と愛でる房、つまり《クラスタ》として、俺達は()()になるのだから!」

 

 

 

「――おれを前によく言った」

 

 

 

 ず、と空気が重くなった。

 先頭に立つ黒尽くめの少年からその重圧は発せられていた。無差別に放たれる圧は、まるで物理的な圧力を伴っている錯覚を起こすほど、重く、深く――底が見えない。

 恍惚と悦に浸っていたクラスタ達には、いきなり襲い来た命の危機に当てられたか腰を抜かして座り込む者がいた。立っている者も及び腰。リーダーのシルフが一番軽いが、それでも頬を引き攣らせている。

 彼の横顔は、やはり無。

 ただその黒い瞳には、冷徹とも冷然とも違う、昏い感情が――

 ――一度の瞬きの後には、昏いものは消えていた。

 伽藍洞の黒が男達を射抜く。

 

「優れた者が居るなら比較され劣る者が存在する。得る者が居れば、奪われる者も居る。有史以来、ヒトが平等であった事なんて一度も無い」

 

 ふぅ、と彼は息を吐いた。

 ――雪原で、一人佇む幻覚を覚える。

 瞬きの後には、元の光景に戻っていた。

 

「……ただの戯言だ、忘れろ。さっさとレバーを引け」

「あ、ああ……いいのだな?」

「ダメと言っても数にものを言わせて奪い取る気だろうに、白々しい」

 

 ふん、と無表情で鼻を鳴らしたキリカは、手振りで私達に下がるよう指示した。

 釈然としないものはあるが数で圧倒されては勝ち目がない。ユイとリーファ、キリカが居るのでこの場では勝ち目はあるかもだが、クラスタ全体と敵対しては長期的には勝ち目など無い。それくらい戦いでの数の多寡は大きかった。

 歯噛みしながらも壁沿いまで後退。キリカももこちらに来たのを見て、シルフのリーダーが壁のレバーを引いた。ガコンという音と共に、ヴゥン、と何かが振動する音が耳朶を打つ。喩えるならスイッチを入れた冷暖房機のモーターの音が一番近い。

 

「よし、次のダンジョンに行くぞ! それとサバイバーの諸君、我々は君達の合流を何時でも歓迎する! 気が変わったらいつでも申し出てくれ!」

 

 去り際にそう言い残し、シルフの青年は百人以上は確実なクラスタ達と共に立ち去った。

 いきなり大勢が居なくなったため余計広く感じる広間。あまりに静かなせいで、少し耳が痛く、気持ち寂しくも思う空気が漂う。

 

「……悔しい」

 

 そんな中、ぎり、とユウキが漏らした。彼女の手はとてもキツく握られている。

 

「せっかく……せっかく、サチが初めてボスのLAを取れたクエストだったのに、横取りされるなんて……!」

「そうね……人の成果を横取りして、何が平和と平等なんだか」

 

 ユウキの絞り出された怨嗟の言葉。シノンが忌々しそうに彼らが立ち去った方を見て言う。

 

「……勝手に譲って悪かった」

「いや、キリカは悪くない。むしろあそこで止めてくれてなかったら大変な事になってたからさ……気にしなくて良いよ」

 

 苦渋に表情を歪めるユウキは、キリカの謝罪に首を振った。

 

「とにかく、ボク達もレバーを引いて此処を出よう」

 

 後味の悪いままレバーを引き、自分達もクエスト達成フラグを立て、帰路に就いた。

 

 


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