インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話は前半アスナ、後半和人視点。

 文字数は約一万一千。

 全然進まないし有耶無耶なところあるけど、省けるところは出来るだけ省くと決めたらこうなった() ゆるして()

 ではどうぞ。




第三十四章 ~《クラウド・ブレイン》後編~

 

 

 協力して欲しい。天才科学者兼【歌姫】の少女はそう言った。

 

「それは……今すぐ、答えを出さないといけない?」

「出来れば早い方が好ましいわね」

「……相談させて」

「いいわよ」

 

 端正な顔を険しく歪めたユウキの申し出が快諾されたのを見て、仲間が集まる。

 ――そんな中、キリトは椅子に座ったまま動こうとしない。

 

「キリト君……? どうかしたの?」

 

 彼も仲間だから相談する面子に数えていたのに、動こうとしない事に疑問を覚え、声を掛ける。集まろうとしていた面々も訝しげな視線を彼に集中させた。

 セブンとスメラギを視ていた少年は、ふと視線に気付いたようにこちらを見た。

 

「ん……ああ、俺は省いてくれて構わないぞ」

「は……はぁ?! ちょ、キリト、あんたなに言ってんの?!」

 

 胡乱げな調子で言われた事に真っ先にリズベットが反応した。瞬間的に激した彼女は掴みかかる勢いで反論するが、それに堪えた様子は見られない。

 ふと、微かな違和感を見出す。

 自らの意思で“ともだち”として受け入れ交友を保ってきた彼女の激昂にああも無感情に対応するなんて()()()()()と感じる。SAOの頃の彼であれば、親しい人からの激昂に動揺のひとつやふたつ見せている。

 成長? ――いや、違う。

 耐性? ――たぶん違う。

 予期? ――おそらく、正解。

 彼が考えなしの発言をする筈がない。七色博士の研究は結果的に世の為人の為になるかもしれないが、その被験者にさせられる側になるのは御免だと、彼とて思っている筈だ。いま集まっているのは協力するか否かの相談をするため。これへの参加拒否は、極論実験体になろうが構わないと考えているに等しい。

 彼女への疑心、怒りを以て今日の会談に持ち込んだ彼が、それを許容するだろうか?

 ――許容、する訳無い。

 

「――オリジナル、お前なにを考えてる?」

 

 ――苛立ち混じりの声が上がった。

 

「協力する事になるかもしれないが、それでも相談する機会は設けるべきだ。その機会をいま得たというのに()()()()()()()()()()? ……オリジナルは俺達に反感を抱かせるために動いていたんじゃないのか」

 

 椅子に座り、気怠そうにしている少年と瓜二つのスプリガン――キリカのものだ。

 彼の反応こそ《桐ヶ谷和人》という少年の根底を表している。セブンの研究に結果的に協力する事になるとしても、話し合いに参加すらしないのはあり得ない。そう悟らせる根拠がキリカ。(キリカ)の言葉は、ひいてはキリトの性根を表しているに等しい。

 故に、(キリト)の異常性が克明になる。

 鏡映しの如く存在する二人のスプリガン達。見た目も声も、過去すらも同一である彼らは、《現在》という時間軸に於いて別の存在になっていた。片方(キリト)が理解できない、という形で。

 ぞわりと、空気がざわめいた。

 険しい視線が向けられる。向ける側は苦しそうで、向けられる方は――()()()、気怠げ。

 

「それは早合点だ」

 

 先程よりも剣呑な空気の中、態度を変えず彼はそう言った。

 

「――今日実装された大型イベントについて、みんなはどれくらい把握している?」

 

 いきなりの話題の転換。どんな意図が分からず顔を顰めたユウキは、あまり、と短く堪えた。

 彼女が言うように大規模イベントの情報はまだあまり集まっていない。公式サイトの告知情報から《大神オーディン》と《悪神ロキ》によるラグナロクが起きる事は分かっているが、それ以上の事は不明だ。どのみち光の神バルドルが死んでいる以上、世界から光が喪われ、ロキに掛けられている拘束が解かれ、ラグナロクが始まるのも時間の問題。街のNPCから《悪神ロキ》が捕まっているとは聞いているので、そこから派生する事だとは予想している。

 厳密なところは、まだまだ不明だった。

 ――詳細部分はともかく、大枠は理解したのか、(キリト)は一つ頷いた。

 

「今日実装された大型イベントには段階がある。実装日の今日から明日の夜までが第一段階。オーディンとロキ、どちらに付くかを決める勢力分岐イベントだ」

「勢力分岐……キャンペーン・クエストみたいだね」

 

 脳裏に蘇るのは、浮遊城第三層から第九層の六層からなる大規模クエストの事。六つ存在する《()(けん)》を巡る(フォレスト)エルフと(ダーク)エルフの争いを描かれたもので、プレイヤーはそのどちらかに属し、クエストを進めていくというシナリオだった。

 相違点を挙げるとすれば、エルフ・クエストはパーティーや個人別で進めるタイプだったのに対し、スヴァルトのラグナロク・クエストはプレイヤー全体で進行度が共有されるという点。セックとの応酬はパーティー毎だったが、大規模イベントはプレイヤー全体を巻き込んだ進行になると、彼は語った。

 

「第一段階のクエスト内容は、アスガルド兵が見張る牢獄に繋がれたロキの顔を見に行く事。オーディン側に付くならそのまま何もせず帰ればいいが、ロキ側に付くなら脱獄(ほう)(じょ)――つまりアスガルド兵の警備をすり抜けて脱出するスニーキングクエストになる」

「……それで?」

「一度放棄したり、自陣を裏切る真似をするとそれ以降の進行が不可能になるエルフ・クエストのように、ラグナロク・クエストにも相応のペナルティが課されてる。ロキ側に付いて脱出する際、捕縛されたら、オーディン側の兵として隷属させられる」

「えっ」

 

 明かされた事実に絶句する。

 ()()という単語は自分達にとってトラウマに等しい。一度はアルベリヒの支配下に置かれ、記憶も残っている剣姫の顔が苦渋に歪んだ。

 それを見た(キリト)が、気怠げな態度から一転し、慌てた。

 

「言葉の綾だったんだが……その、ごめん。無神経だった」

「いや、いいよ……それで? 捕まったらクエスト的にどんな風になるの?」

「北欧神話に於いて、オーディンの下に集う戦士は世界中から集められた勇士《エインヘリヤル》で固められている。素直にオーディン側に付いたプレイヤーと纏めてそこに配属される……らしい」

「……らしい?」

「俺はロキ側だから大まかな事しか知らないんだ」

 

 え?! と、思わず声が漏れた。

 心外だな、と言わんばかりの眼が向けられ、首を竦ませる。

 

「その、捕まった場合の話をしてたからてっきり捕まったのかと……」

「捕まったクラスタ達の話が偶然聞こえただけだ。あとはロキの牢を見張ってた(アス)(ガル)(ド兵)から予め聞いておいた。NPCから情報を集めるのは基本中の基本だからな、クエストNPCともなれば尚更だ」

 

 ふふん、とやや誇らしげな笑みを向けられる。

 ――見慣れた振る舞いだ。

 ほんの少しだけ垣間見えた彼の素。常時気を張っている訳では無い事に安堵するも、なら気を張る原因は何かと思考を回す。七色博士の研究という事は分かったが、彼は研究のなにが気掛かりだったのか。

 

「話を戻そう」

 

 その思考は、彼の声で止められた。

 

「重要なのは、俺はロキ――神話上の悪側である事。対するセブン、ひいては《三刃騎士団》は、どちらの勢力を選んだか……」

「勿論、私達はオーディン側に付いたわ。神話とは言え『嘘と策謀の神』に付くなんてセブンちゃんのイメージに反するからね」

 

 スメラギ君が選んだから自動的に私もオーディン側になったんだけどね、と補足する天才少女。傍らで腕を組み仁王立ちを続ける青年は無言を貫いた。

 

「そういう訳で、既にセブンと対立する勢力に属した俺は相談する必要も無いんだ。というかな……」

 

 じと、とした視線を研究者二人に向け――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確信めいた強みのある口調で、言い切ってみせた。

 想定外――というより、相談しようとする前提を崩しかねない発言に、揃って言葉を喪う。キリカも瞠目している事から心底驚いているらしい。

 同位体の(キリカ)すら予想外となれば――キリトにしか知り得ない情報を以て導き出された答え、という事になる。

 

「……どうしてそう思ったの?」

 

 絶句により生まれた沈黙を、天才少女が破る。

 歌を歌う時は溌剌とした笑顔を見せる少女は、いまは怜悧な笑みを浮かべ、挑発的に少年を見据えていた。己の思索を悉く言い当てて見せた事にさっきは動揺していたが、彼ならばと受け容れたのか、いまの彼女に困惑や動揺の片鱗は見られない。割り切りが速い。

 青年は元から鋭い双眸をより鋭く、険しいものにする。無言による圧が視線に乗せられているが、少年に堪えた様子はやはりない。

 

「計画の主導は七色博士にあるんだろう。だが……実働をスメラギが担っていながら研究が進んだように、中核はお前じゃない、《三刃騎士団》をはじめとするファン――――《セブンクラスタ》にある。元々《クラウド・ブレイン》は大多数の人間を対象としたものだからな」

 

 もし俺がオーディン側なら話は別だったが、と言葉が続いた。

 

「話を聞いて理解したよ。七色博士が掲げる《クラウド・ブレイン》は自身を覇者とする者達の情動……対抗馬への競争心、同格者への嫉妬心を抜きにした、【歌姫】を覇者にしようとする純粋な意志一つによって成り立っている。そこに異物やイレギュラーを入れてはならない。純度が落ちるからだ」

「――その通りよ」

 

 にぃ、と口を三日月に歪め、喜悦を露わにセブンが肯定した。

 

「先に言ったように元々のキッカケはキリト君の行動とその周囲にあった。SAOラストバトルの映像で具体的な構想を得た訳だけど、みんなが命を賭して本気で生きていた世界と違って、ALOはどうしても娯楽になるから本気度が違ってくる。本気度――つまりは『純度』は、SAOで見せたあなた達のそれをまず下回る」

 

 あくまで予想だけど、と言う彼女からは、それを確信している事が窺い知れる。たしかに命が懸かった戦いと娯楽に過ぎない戦いで打ち込む気合に差が生まれるのは必然と言える。

 

「でも『純度』に分け隔ては無いわ。みんなが本気で打ち込めば、それは確かに『純度』が高いもの――純粋な感情へと昇華される。現実の命を懸けていないにしても、その時その瞬間だけは文字通り全力よ。命を懸けているか否かだけで感情の『純度』が変わるなんて決して言えない。彼らの感情は、一瞬だけでもあなた達の輝きを上回る可能性を秘めているの」

 

 その為に純度を保たないといけない、とセブンは続けた。

 

「私は先頭に立って、皆を鼓舞すればいい。クラスタや《三刃騎士団》の皆はそれで意思を一つにしてくれる。私はそれを保ち、高めていくだけでいい……それが《クラウド・ブレイン》の絶対条件」

「――だが、俺の存在がその前提を(おびや)かす」

 

 セブンの言葉を、キリトが遮った。

 

「もし俺がオーディン側に付いていれば、クラスタ達にとって異物――【歌姫】を崇拝しない俺に対して敵愾心や対抗心を抱き剣を取るだろう。それは『セブンに覇者の栄光を齎す意志』から離れた感情だ。無論、《クラウド・ブレイン》の前提は崩れる」

 

 とは言え、と話が区切られる。

 

「ロキ側に付いているからと言って前提が崩れないと言えば、それは違う。オーディン、ひいては【歌姫】セブンの勢力に勝利を譲らなければそもそも実験は成功しない」

 

 その言葉に、セブンが眉根を寄せた。

 

「……その通りよ。だからキリト君には、【スヴァルト・アールヴヘイム】の攻略が終わるまでの間、ログインしないで欲しいのだけど」

「そこは俺の(クラ)(イア)(ント)に訊いてみない事には何とも言えん」

 

 憮然とした表情でのお願い。キリトは、肩を竦め苦笑した。

 

「じゃあ、私の妨害をしないっていう契約を……――――待った。そういえばいま思い出したけど、きみ、たしかスヴァルト攻略はしないとか前に言ってなかったっけ?」

「また唐突に思い出したな……確かに言ったな」

「どういう事なの? 思いっきり反してるわよ?」

「事情が変わったんだ」

 

 がしがしと乱雑に髪を掻きながらの言葉に、彼の言う『事情』が『レインのお願い』なのだと察する。セブンとはスヴァルト実装の初日に顔を合わせたという。その後にレインから事情を聞かされ、『お願い』をされたとすれば、元々七色博士の事を調査していた事とも矛盾しないし、攻略から離れるつもりだった彼がそれに反し積極的になった事にも納得がいく。

 無論、攻略に携わるようになった理由には、《三刃騎士団》と伍する事でスメラギに目を付けられ、今回の話の場を設ける意図もあったのだろうが。

 

「むぅ……こっちが話したんだし、キリト君も話してくれたって――」

 

 

 

「調子付くな」

 

 

 

 ぎし、と錯覚を覚える程の重圧が屋内に満ちた。

 重圧を放つヌシ――キリトは、胡乱げでも、気怠そうでもない、伽藍洞の()でセブンを見詰めていた。対面に座る天才少女は彼の豹変に言葉を喪っていた。体は震え、顔は青い。彼女には殺気が放たれているのかもしれない。

 

「今日設けたこの場はセブンクラスタのマナーレス行為の詫び。それそも、研究に巻き込む人達への説明責任を果たしていないお前が、道理を説ける立場にあると思うのか」

 

 これまでと異なる痛烈な語調。

 容赦のない糾弾に少女は目を白黒させたが、それでも切り替えの早さは流石と言うべきか、顔色は青いながらも懸命に口を動かした。

 

「ま、巻き込むって、人聞きの悪い言い方をしないでくれる?! 私は皆の期待に応えようと――」

「アメリカでこの状況をどう言うかも知らないが、日本では同意を得ずに実験に参加させたら『巻き込まれた』と形容するんだよ」

 

 しかし、懸命に出した言葉は、断固とした語調に遮られ、かき消されてしまった。

 二の句を告げず、口を閉ざした少女に、彼は尚も言い募る。

 

「それと、お前の言う()がセブンクラスタを指しているのか()()()()()()()を指しているのかは知らないが、私情で動いているならいっそ――――」

 

 そこで、突如口元に手を当て、黙り込む。いきなり黙った事を訝しげに――怯えながら――見るセブンを、苦虫を噛み潰したような表情で見た彼は、また唐突に席から立ち上がった。

 

「……言い過ぎたな。悪かった」

「え……ぁ……う、ん……?」

 

 バツが悪そうに顔を逸らしながらの謝罪。呆けた顔で彼を見上げるセブンは、間の抜けた返事をするばかり。テンションの移り変わりに付いていけないようだった。

 私も、みんなも、彼の感情の上下に理解が追い付かず、ただやり取りを見守るばかり。

 

「とにかく、俺がどう動くかは(クラ)(イア)(ント)次第。陣営はロキ側。ユウキ達もその辺を考えて行動を決めてくれ」

 

 その言葉を最後に、彼は店から立ち去った。

 取り残された私達は、気まずい沈黙を暫く味わう事になった。

 

 ***

 

 ――ヴゥン、と鈍い電子音を聞きながら、意識は現実へと復帰した。

 役目を果たしたフルダイブハードが徐々に休眠して行き、それに反比例して肉体の感覚が戻って来る事を知覚する。数秒経ち、バイザー型ディスプレイに映るUIが消失していたのを見て、被っていたそれを外した。上体を起こし、ベッドから足を投げ出して座る。

 

「お疲れ様、桐ヶ谷君」

 

 そこで、すぐ近くに立って機材を操作していた女性が声を掛けて来た。肩口で切り揃えた茶髪の女性だった。

 白衣を程よく着崩したその人は茅場晶彦の恋人《神代凛子》。一時期は親しい間柄という事で監視体制にあり、《SAO事件対策チーム》の一人として活動していたが、無事に冤罪であった事が証明された現在、茅場と共にALOの運営維持に関わっている――らしい。

 あまり話した事が無いし、茅場の口から話が出る事も無い為、彼女の存在を知ったのもつい最近の事。

 彼女より二つ年下のゼミの後輩だったという男の話によれば、大学の研究室で知り合ったのがキッカケ。当時既に《アーガス》の社長という事を知らず、引きこもりがちなもやしっ子という印象で絡んでいく内に、男女の仲に発展したのだという。

 茅場曰く、どうして付き合う事になったかは今も分からない、らしい。

 ――男女関係は理屈じゃないんだな、と学ぶキッカケになった人でもある。

 その人が淹れてくれたコーヒーのカップを手に、礼を言ってから口に含む。

 甘味は感じない。

 苦味も、また。

 

「どうかしら。最近凝り始めてね、今回のは煎り方から変わった豆を使ってるのよ?」

「……俺からしたら、どう違うか分からない」

 

 言われれば舌触りや匂いが違う気もするが、自分から分かる程のものでもないため正直に答える。料理はともかく飲み物の葉や豆まで手を伸ばした事が無いから分かる筈も無かった。

 その答えに、残念、とそうは思っていない顔で肩を竦めた女性は、カップをデスクの上に置いた。

 ――それは当然だろう。

 フルダイブ中の俺の脳は、彼女が操作している機材で常にモニターされている。どこがどう刺激され、活性化されているかも一目瞭然。飲み物や食べ物をALO内で口にしてもそれらしい反応が無かった事は、ここ数日の間に幾度か見られている筈だ。

 

「……まぁ、とにかく三日間のダイブ、お疲れ様。隣の部屋に食事を用意してるから、レンジでチンして食べてね」

「了解」

 

 病衣から、清潔に選択された上でハンガーに掛けられているシャツとズボンに着て、出口へと近付く。近代的かつ機械的な白の扉が音も無く横にスライド。開いた出口を潜って、隣の部屋に移った。

 フルダイブマシンと機材が据え置かれていた部屋は照明がやや暗く設定されていたため、隣の部屋に入った途端強い光が刺激となって目に刺さり、堪らず目を瞑る。

 少しして慣れてきた目で内装を見渡す。

 酷く殺風景、というのが最初の感想。教室一つ分の広さがある部屋の中にあるのはポッドと電子レンジ、業務用の冷蔵庫、そして中央に折り畳み机二つに椅子六脚というもの。用途だけ考えられたものに飾りや遊びは一切無い。社会の仕事場はこういうものなんだ、という認識をこちらに与えてくる。

 その部屋を一通り見回した後、冷蔵庫の方に近付く。後ろで扉が閉まるのを気圧で察知する。

 冷蔵庫は、上三分の二ほどが冷蔵用、下三分の一が冷凍用に区分されていた。その中で上のドアを開き、目当ての物――コンビニ弁当の容れ物とスポーツドリンクを取り出し、閉める。

 次にその横の台に置かれているレンジに弁当箱を入れ――ないで、じっと中身を見る。

 目に付くのは大盛りに盛られた白ご飯。塩を振られているのか、少しテカテカ光っているそれの傍らに、たくあんの切り身が数枚添えられていた。区画分けされた部分には唐揚げ、鯖の塩焼き、青菜のお浸し、出し巻き卵の切り身、ヒジキ煮が所狭しと詰められている。

 昨今の不況に反する量のそれは、容器こそコンビニ弁当だが、作り手が違う。空になった容器を洗った後、自分が弁当箱に流用しているだけの事。

 その弁当箱の中身を、《越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)》を介したISの原子解析で視ていく。

 冷蔵に個に入れられていたためほぼ振動していない原子群が見えた。種々様々な大きさと構成因子の原子・分子を、ISの原子操作で徐々に揺らし、熱エネルギーを産生。そうして徐々に加熱していく。

 ――そうして、ものの数秒でホカホカの弁当が出来上がる。

 

「かずく――――んッ!!!」

 

 そこで、自分が入って来たのとは別の扉が、音も無く開いた。

 扉が開き切るのと同時、人が突貫して来た。

 咄嗟に電子レンジの上に弁当を置いて後退すると、突進してきた人物も方向修正した。一秒後には自分よりも大きな体で全身抱き締められる。

 三日間寝たきりで弱った体にその圧力は酷く堪えた。若干呼吸もし辛い。

 

「束様、そのままだと束様の胸で和人が窒息しかねません」

「おぉっと、そりゃいけない!」

 

 続けて部屋に入って来た人物――クロエが諫めた事で、抱き付いて来た人物――束博士が抱擁を止め、ばばっとやたら機敏な動きで離れた。

 しかし離れてすぐ、うーん、と難しい顔でこちらを見下ろしてくる。

 

「……なにか」

「いやぁ……やっぱりさ、三日も食べてないと痩せるなぁって。ちょっと頬がこけてる」

 

 そう言って指で頬を挟んでくる博士。少し引っ張るように力を入れているが、すぐに指の間から頬肉が取れた。三日の間にそれだけ痩せているらしい。

 それを見て、童話風の衣装をやめてからお気に入りらしいポロシャツの上から白衣を纏うスタイルの博士が、肩を落とす。

 

「せっかく肉付きが良くなってたのにさぁ……」

「必要な栄養素を取っておけばISの原子操作ですぐ元に戻せる」

「そういう問題じゃなくて……ていうか和君、それ完全に食事時間すら勿体ないから必要な栄養素をサプリメントで摂取するゲーム廃人の言い分だからね」

「三日間寝たきりだったからゲーム廃人もあながち間違いじゃない」

「そういうコトを言いたいんじゃないんだよなぁ……!」

 

 頭を抱え呻く博士。

 世界でどれくらいの人が束博士に頭を抱えさせただろう、と思考が飛ぶ。少しの罪悪感はあるが後悔と反省をしていない意識がそうさせた。

 そのままレンジの上に置いた弁当を取り、折り畳み机の上にスポーツドリンクと並べて置く。

 箸が無いが、分解していた箸分の原子を拡張領域(パススロット)から取り出し、箸として再構築。そうしてホカホカの食べ物を挟んで口に運ぶ。

 

「……使いこなしてるねぇ」

 

 対面に座った博士が、微妙な顔で呟く。

 

「宇宙空間での活動でも食事は必須。むしろこれを前提に原子操作の機能を作り上げたんじゃ?」

 

 ごくりと卵焼きを飲み込んだ後、そう言う。

 空いている左手の掌にはバチバチと紫電が走っている。

 原子を操作出来るなら、空気摩擦を起こして雷を作り出す事だって出来る。そうして電力を生み出し、探査機やスペースデブリを消し去るエネルギーを確保する事で、長期的な宇宙空間での活動を可能にする。そのためには不要な荷物を持っていては困るのだ。

 例えば、箸とお椀は同じ木材だ。製作過程を違えて別の製品として出来上がっているそれらも、分解すれば同じ原子構成であり、原子レベルで分解・再構築が可能であれば、お椀を箸に変える事だって可能。壊れても作り直せるので替えは不要。食べカスなども原子分解でどうにでも出来るので水洗いすら不要になる。そこまで出来るようになって、初めて人類は宇宙への長期航行が出来るようになる。ある意味究極のリサイクリングこそ宇宙での活動に不可欠。原子レベルで行うにも装置が必要だが、ISがそれを解決してくれるお蔭で、巨大な装置分のスペースを食料スペースに変える事が出来る。それだけで数ヵ月の航行帰還の延長が実現する。

 だからISとほぼ一体化している自分が出来るのも、なんらおかしな事では無い。

 そう認識しているのだが、どうも博士からすれば違和感があるものらしい。

 

「そもそも束さん、原子()操作()まで考えてた訳じゃないし」

「……そうなのか」

「束さん、()()ではあるけど、()()じゃないからね。そもそもISのコンセプトは宇宙に行く事であって宇宙探索じゃなかった。だから必要なものを入れれる拡張領域も――」

 

 ぴっと、食事を運ぶ箸に向け。

 

「原子操作による分解と再構築をする為に付けた機能じゃなかったんだよ」

 

 ――そういえば、とかつて聞いた()()を思い出す。

 月に行きたかったんだ、と。夜空に輝くまん丸のそれを見ながら語る博士の顔。あの時は分からなかったが、成長した今なら分かる。切望して、でも届かないと諦めていた顔。

 道半ばに足を止めれば試行錯誤も止まってしまう。

 具体的にどう世界に批判されたかを俺は知らない。世界的に公表されている訳でも無いから、一般人も知らない。知るのは当時ISのコンペティションに出席していた面々と開発者の博士、そして【白騎士】の搭乗者であろうあの……

 ――頭を振る。

 知っていようと知っていなかろうと関係無い、と。そう叫ぶモノを捻じ伏せる。

 仮令原子操作の発想が生まれたキッカケ――その根源を辿れば辿り着く一人だろうと、この力を使って未来を得ようとしている身だ。恩恵を受けている身ながら糾弾するのは理不尽というもの。

 

 

 

 ――本当に?

 

 

 

 自分の声が聞こえた。

 脳裏に浮かぶイメージ。底無しを思わせる伽藍の瞳。表情が無い、自分自身。

 否定出来ない別の自分()

 

 ――博士も、姉も、居なかったら苦しまなかったのに?

 

 ヒトを怨み、憎しみ、拒絶する自分でない自分自身。打ち克ちはしたが、未だ解消されないままの負の想念。過去に、現在に、そして未来に絶望しているもう一人の自分。

 それが言う。否定しろ、と。

 それは誘う。殺してしまえ、と。

 それは囁く。棄ててしまえと。

 ――突き付けられる。

 みんなを想う意思とは別のもの。確かに存在する、負の思考。幸せそうに笑みを見る度に浮上する昏い念。

 

 怒鳴られる度に浮かぶ死の恐怖。

 

 恐怖を見返す度に思う、怒りの情念――――みんなの為にやっているのに、という思い。

 

 

 

 ――全部忘れれば、ラクになれるのに。

 

 

 

 哀れむように、別の自分()が言う。

 

 

 

 ――全部棄てれば、苦しまなくて済むのに。

 

 

 

 淡々とした言葉が脳裏に響く。

 ぐるぐると、思考が回る。

 ぴかぴかと、(イメ)(ージ)(変わ)る。

 くるくると、視界がまわ――――

 

「――和人っ!」

 

 ――止まった。

 名前を呼ばれ、回っていた思考が止まる。脳裏の光景が止まる。歪んでいた視界が正常に戻った。

 視界いっぱいに見えるのは少女の顔。普段閉じている瞼を開き、黒目金瞳を晒している銀髪の少女。クロエ・クロニクルが、間近で覗き込んで来ていた。視界の端には電灯が見える。

 

「やっと気が付きましたか」

「……いま、なにが……?」

「倒れたんですよ、いきなり。咄嗟に抱き留められたから良かったものの……まったく、無茶し過ぎです」

 

 はぁ、と溜息を吐くクロエ。

 ――ふと、違和感。

 食事していた筈なのに、どうして覗き込まれている? どうして電灯が見えている?

 首を巡らせる。すぐ近くに冷蔵庫やレンジを載せた台、反対側には食事を摂っていた折り畳み机と椅子が見えた。どうやらダイブルームの出入り口付近に倒れ込んだところを抱き留められ、床に寝かされていたらしい。

 そこで気付く。束博士の姿が見えなかった。

 

「博士は……?」

「和人を私に任せて、精密検査の申請に。バイタルの変調無しに倒れましたからね」

「……変調が無いなら別に――」

「ダメです」

 

 左手首の黒い腕輪と首に付けているチョーカーにより、常にバイタルを計測されている身だ。それに異常が見られないなら精密検査は必要ないと言った。

 しかし、クロエが断固とした口調で否定する。

 

「ISには搭乗者保護機能があります。それで異常を来さないよう調節されている以上、少しでも異変が見られたなら、精密検査を受けるべきでしょう。ただでさえ従来のものとは異なる装置を使っているから影響も計り知れません。経過観察の為にもここは精密検査を受ける事が、()()()()()()()()()と言えるのでは?」

「……わかった」

 

 《契約》を引き合いに出されてはぐぅの音も出せない。事実、変調があればその都度申し出て、精密検査を受ける事が義務付けられている。

 ただ、それは特殊なマシンを使った影響を精査する為。

 今回倒れたのは明らかに別の事が要因だから不要と言いたかったが、クロエの有無を言わさぬ威圧が義姉達のそれと同じものに見えて、小さく頷く。

 無表情の筈なのに怒っているように見えるのは、多分錯覚では無い。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。


・キリト
 《ラグナロク・クエスト》ではロキ勢力に加担。
 話し合いで集まるまでの時間を使って第一段階のクエストを突破していた。SAOで暗殺紛いの事をしていたキリトにスニーキングクエストは障害になり得ない。アスガルド兵の強さも相俟ってロキの脱獄幇助に成功しているプレイヤーの話はまったく聞いていない模様。
 セブンがほぼ攻略に参加せず、スメラギその他ばかりで攻略しても研究が進んでいる点から、《クラウド・ブレイン》達成の為には『セブンを覇者にする』という意志のみで大多数の人間が団結しなければならない制限に勘付く。『話を聞いて理解した』と言っているが、聞いただけでそこまで確信を持てたように、話をされる前から予想はしていた事が明らかに。
 ――情緒不安定になる程には精神的にキている。
 いきなりキレた事に訝しまれているが、あるいはその『不安定さ』すらも、仲間達への警告なのかもしれない。
 コーヒーの味の違いが分からないなど見られてきている。
 ISの原子操作を日常的に扱えるレベルまで熟達した。
 ちなみにキレた時は『研究者なんてやめてしまえ』と続けるつもりだったが、他人の夢を否定するほど傲慢になる事を嫌忌し、中断した。

「……その通りよ。だからキリト君には、【スヴァルト・アールヴヘイム】の攻略が終わるまでの間、ログインしないで欲しいのだけど」
「そこは俺の依頼主に訊いてみない事には何とも言えん」
 ――菊岡との《契約》
 =七色博士の動向の調査、()()()()()()()()()

「スヴァルト攻略はしないんじゃなかったっけ?」
「事情が変わったんだ」
 ――レインの『お願い』
 =七色博士の動向調査のみ。


・New!
 菊岡の契約:『戦争に転用できるAI開発』に用いられる予定の新型フルダイブ機器の試験ダイブ。


・七色・アルシャービン
 《ラグナロク・クエスト》ではオーディン勢力に加担。
 《クラウド・ブレイン》の構成条件すら言い当てられた事に内心歓喜していたが、冷や水をぶっかけられるが如く殺気(セブン限定)を向けられ、怯えた。人並みの情動があるのでまだマッドには至っていない。
 取り乱した事で思っている事(本音)が出たが、自覚していない。


・スメラギ
 キリトへの警戒心100%。
 セブンを恐怖させたことは絶対許さん。
 それはともかく凄まじい剣幕だったので口を挟めなかったのはやはり十八歳といったところ。


・リーファ
 キリトがキレた時、何を言おうとしたか察して身構えたが、寸でのところで止めたのでステイで済んだ。
 ちなみに言い切っていたら鬼神モードに突入していた。


・SAO組
 キリトがキレるとか絶対ヤバいやつだ(確信)


・ALO組
 もう何が何やら……


・神代凛子
 冤罪と証明できた茅場晶彦と交際を再開しつつ研究職を続けている。大学教授として教鞭を振るう未来はまだ先か。恋人が存命なのでサンフランシスコに行かない可能性が大。
 新型フルダイブ機器関連で働いている。


・菊岡誠二郎
 総務省通信基盤局第二分室仮想課室長陸上自衛隊二等陸佐
 和人に『七色博士の動向調査、場合によっては妨害』の依頼を出し、更に今話で明らかになった依頼を新たに発注した張本人。ある意味黒幕。
 和人が無理している事に間接的に関わっているが、和人も自分の目的の為に依頼を受け、支援を利用しているので、持ちつ持たれつの関係にある。お蔭で兎からギリギリ見逃されている。
 原作と較べると、現時点で新型ブルダイブ機器開発に必要な面子(比嘉タケル・神代凛子・桐ヶ谷和人)が全員揃い、更に存命の茅場晶彦(凛子とセット)、篠ノ之束(和人とセット)と技術者が潤沢だが、果たして……
 現状の加速限度は百倍程度。原作の一千倍には程遠い。


・クロエ・クロニクル
 最近気になる男の子の様子がおかしくて気が気でない。
 ちなみにお弁当の中身はクロエが作った自信作。味の感想が無くて内心ヘコんでいる。


・篠ノ之束
 自分も想定していなかった《拡張領域(パススロット)》の運用方法を見せられ、宇宙航行用ISの開発に展望を見出している。
 それを示したのが、ISのせいで身近な人間で最も不幸に陥った()()である事に忸怩たるものを感じている。


・キリカ
 オリジナル……


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