インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 今話の視点はオールアスナ。彼女の視点が多いのは、やはり原作マザーズ・ロザリオ編の内容も絡んでいるせいです。

 今話もその一つ。

 文字数は約六千。

 ではどうぞ。




第三十五章 ~明日奈(現実)アスナ(理想)

 

 

 キリトが見せた怒気に当てられ、沈んだ空気に満たされた中で相談がうまく進む事はなく、協力するか否かの返答は後日に引き延ばされる事になった。後日、と言っても明日にはオーディン側からロキ側かハッキリするのだが。

 その引き延ばしは、セブンが自分の思考を一度整理する為でもあったと思う。

 部外秘を徹底していた研究の全容を己の言動と過去の論文から推察されていた事は勿論、突如向けられた怒気――あるいは、殺気――は、生涯初の出来事だった筈だ。怯え困惑していた様子からそれは分かる。

 現実で命のやり取りをしていたからこそ、彼の殺気は仮想世界であっても鋭く、圧を伴っている錯覚を覚える程に濃密だ。

 まるで、心臓を直接鷲掴みされたかのような……

 そんな錯覚を、直接殺気を向けられた事がない自分でも覚えた事がある。直接向けられた彼女の恐怖はいったいどれほどか。店を立ち去る時のしおらしさを思えば、想像に難くない。

 ――そんな顛末で話し合いが終わった後、夕食を済ませてから実装されたイベント攻略に挑む事が決まった。

 決まった時間と集合場所を聞いた私は、足早に店を後にする。

 ログアウトする為に空いている宿を探すが、スヴァルト実装から一週間も経ち、更に前線攻略が《三刃騎士団》とセブンクラスタ、そして自分達しか居ないせいか、央都アルンには大型アップデート以前の活気と人通りを取り戻していた。つまり宿が埋まりやすい。ローテーションを組んでログアウトする《ローテアウト》にしろ一時的にでも宿を利用する頻度が多くなる時間帯のせいで、宿を見つけて中に入る度に宿番NPCから「申し訳ありません、当店は既に満員となっております」と門前払いを喰らっていく。

 こんな事ならホームを持っているというリーファに付いて行けばよかったと思うが、後の祭りだ。

 仕方ないと踏ん切りをつけ、(あい)()へと入る。大通りに面している宿はそれなりの値になるが収容人数や見栄えが良い反面、横道に逸れた所にある宿は定員が少なかったりボロかったりと、何かしら不人気になる要素を持っている。小道に入ると面倒な人に絡まれかねない。そのため避けたかったのだが、もう四の五の言ってられない。

 マップと実際の道を照らし合わせながら隘路を進み、漸く《INN》の看板を掲げた木造のボロ宿を見つけた――その時。

 

 ブツン、とまるで何かのスイッチを切ったように、世界が一瞬で暗転した。

 

 視覚や聴覚を完全に遮断され、無限の闇に呑み込まれた。

 底無しの穴に放り込まれたかのような急激な落下感覚。いきなり天地の方向が九十度切り替わり、背中に強い圧力が掛かる。次いで、五感の回路がばちんばちんと乱暴に再接続されていくショックを、全身を固くこわばらせて耐え抜く。

 

「――つ、ぅ……!」

 

 二、三度まぶたをけいれんさせ、呻きを洩らしながら涙の滲む両目をどうにか押し開く。

 ぼんやりと視界に広がった光景は、夜の帳が訪れようとしていた中世の隘路ではなく、自室の天井だった。

 そう認識したところで、ようやく馴染んだベッドの柔らかさが身体の背面に伝わって来る。浅い呼吸を何度も繰り返す内に神経系の混乱が徐々に遠ざかっていった。

 そこで内心の困惑が一度収まり、落ち着きを取り戻す。

 回り始めた頭に、いったい何があったのだろう、という疑問が真っ先に浮かんだ。瞬間的な低減化、あるいは《アミュスフィア》に何らかの障害が発生したのか――そう考えながら、最後に大きく深呼吸する。

 

 ――鼻腔を(くすぐ)る空気に、違和感。

 

 自分のものではない匂いが吸い込んだ空気に混ざっていた。洗濯洗剤の香りを好んでいる自分が使わない香水の香り。

 訝しく思いながら上体を起こしたその瞬間、視界端に入った影を視認する。

 その影が何者かを認識した時、思わず唖然と口を開けた。

 ベッドのすぐ傍らには険しい表情の()()が立っていた。しかしそれは、まだいい。自室に入って来られるのは不快だが、環境統合コントローラーの親機は彼女が所持しており、その気になれば家全体のロック操作すら出来てしまうので、部屋に入って来るくらいは出来てしまう。彼女が来る理由についても凡そ予想を付けていたから驚きはしなかった。

 唖然とする原因は、彼女が手に持っているものにある。

 右手にライトグレーの細いコードが握られていた。それは、頭にかぶる《アミュスフィア》のDC端子に接続されている筈の、電源ケーブルであった。

 

「な……何するのよ母さん!」

 

 異常切断の理由は、京子が《アミュスフィア》の電源を引き抜いたからなのだと悟り、堪らず声を荒げていた。

 だが、京子は眉間に深い谷を刻んだまま、無言で北側の壁に目を向けた。その視線を追った先には壁掛け式の時計があり、時計のウォールロックの針が、六時を五分ほど回っている。

 社会人の常識として五分前行動を心掛けよ、と口を酸っぱくして言っている母の事。部屋に入って来た理由はそれなのだろうと察しは付いていた。

 だが流石にこれは無いだろうと思い、唇を引き結ぶ。

 そこで京子が口を開いた。

 

「先月食事の時間に遅れた時、お母さん言ったわよね。今度このゲーム機を使ってて遅れたら電源切りますからねって」

 

 冷ややかを通り越し、どこか勝ち誇ったようにすら聞こえる口調に、反射的に大声で言い返しそうになる。

 しかし、それは悪手であると理解していた。感情的になった時点で半ば負けなのだ。彼女は理詰めで事を進めるタイプ。情で訴えたところで絶対に共感は抱かない人間だと長年の経験で知っていた。感情、事情よりも、物事の道理をこそ優先する人間だからだ。

 

「時間を忘れてたのは私が悪かったわ。でも、だからってコードを抜かなくてもいいじゃない。体を揺すったり耳元で大声を出されたら中に警報が届くし、メールをしてくれれば気付けるんだから」

「前にそうしたら目を覚ますまで五分も掛かったじゃない」

 

 京子が言っている事は、先月頭にあった事。ALOの運営が《ユーミル》に移った事で新規導入された《オリジナル・ソードスキル》の製作に熱中するあまり、時間に気付かなかった事がある。その日の夕食は六時を数分過ぎてしまい、何かあるとその件を引き合いに出されるようになった。

 またそれか、と嫌気が差し、俯く。

 

「それは……移動とか、挨拶とか……」

 

 そう弁解するが、京子は何が挨拶よ、と冷たく応じる。

 

「訳の分からないゲームの中でのあいさつを本物の約束事より優先させるつもりなの、あなたは?」

「本物の約束って……仮想世界でのやり取りは、実際に起きてる事なのに、それを偽物って言うの?」

 

 ――京子()は、典型的なVRMMO反対派だ。

 《SAO事件》以前はそこまででも無かった。自分がSAOをやるキッカケは、成人した兄が自分へのご褒美と言って人生初のゲームを買ったものの、運悪く出張が重なってしまった事にある。その時は勉強に支障が出ない程度であればと、渋々ながらも反対はしなかった。

 今のように明確に貶めるような事を言い出したのは、《SAO事件》が根底にある。

 娘の命を危ぶめた技術だからか、あるいは二年という貴重な時間を棒に振った、という見方がそうさせるのだろう。その考え方は間違いでは無い。世間一般でも見られる意見であり、七色博士の活動でALOへの否定的な意見が少なくなってきていると言っても、やはり根強く残っている。命が関係している事だから軽々しく扱えないためだ。

 とは言え――

 

「VRは今でこそゲームが主流だけど、元を正せばネットワーク、メールやテレビ電話がよりリアルに近付いたようなもの。それも偽物だと母さんは言うの?」

 

 あの世界――SAO、ALOをひっくるめた仮想世界であった事が、全て嘘だったと言われたようで酷く腹立たしくて、思わず感情的に言い返してしまった。

 吐いた唾は呑み込めない。

 しかし、それでも看過できない言葉だった。

 

「そうは言っていません。そもそもメールやテレビ電話は必要だからしている事よ、ゲームをしていて時間に遅れるなんて生活の乱れが生じるならしない方がいいわ」

 

 だいたい――と、京子は口元をかすかに歪め、こちらに視線を向けた。私に、というよりは額に掛かったままの《アミュスフィア》に。

 

「お母さん、あなたが解らないのよ。そのおかしな機械のせいであなたの大切な時間を二年も無駄にしちゃってるのに、まだ同種のゲームをするなんて。見るのも嫌だと思わないの?」

「……これは、《ナーヴギア》とは違うわ」

 

 呟いて、頭から二重の金属円環を外す。

 《SAO事件》、次いで露わになった須郷の人体実験の真相を踏まえ、現行の《アミュスフィア》には初期発売のそれよりも厳重なセーフティが幾重にも渡って施されている。その厳密さはかの天才と天災ふたりが認めるレベル。万が一にも《ナーヴギア》のような殺傷能力は引き出せない。

 そもそも《ナーヴギア》で人が死んだ直接的原因はスペックではない。重量の三割を占めるバッテリーパックにばかり目がいきがちだが、大本は無理矢理外そうとした場合に脳を焼き切る命令を出すプログラムがSAOに仕組まれていた事が原因だ。現在も裁判に掛けられている須郷の証言により、本来ならHP全損でも死ぬはずだったのに()()()()()()があって死ななかった事が分かった。逆説的にゲーム内でプログラム発動のトリガーを引かなければ殺人性能は発揮し得ない。高い性能が殺人に使われただけで、そのために《ナーヴギア》が作られた訳では無いのだ。

 そう口にしようとしたが、すぐに言っても無駄だと思い直す。使っている機械や遊んでいるゲームが異なるとは言え、VRMMOゲームのせいで二年に渡り植物状態に陥ったのは事実なのだ。その事で嫌忌を抱く気持ちは理解するべきものである。

 そう思考していると、京子は大きなため息をついて、ドアの方へ向き直った。

 

「食事にするわよ。すぐに着替えて降りてきなさい」

「……今日はいらない」

 

 夕食を作ってくれたハウスキーパーの明代には悪いと思ったが、今はとても母親と向かい合って食事をする気にはならなかった。

 食事の度にあんなに息の詰まる思いをするなら、いっそ孤食になった方がマシだ……と、そう考えるのは流石にいけない事か。

 

「……はぁ……好きにしなさい」

 

 また息を吐き、首を振った京子は、部屋を出ていった。かちんと音を立ててドアが閉まる。

 母親の足音、気配が遠ざかるのを知覚したところで、制御パネルを操作してエアコンを急換気モードにし、母親のオードトワレの残り香を追い出そうとする。

 しかし、こちらを責めるかのように、それはいつまでもしつこく漂い続ける。

 

「っ……!」

 

 堪らずベッドの上を這い、カーテンを引いた窓へ近づく。如何に近未来的なシステムを搭載したと言えど窓の全自動開閉装置までは導入しておらず、昔と変わらないノッカーロックのそれを回して鍵を外し、虫よけの網戸をしつつ、窓を全開にする。

 ――菫色の空気が部屋を回る。

 残り香は風に巻き取られ、霧散した。ようやく解放されたと肩の力が抜けた。都会特有の曇った味だが、それでも香水の香りを含んだ空気よりは遥かに美味いと感じる。

 全開の窓の前で座り、外を眺める。夕暮れを過ぎ、夜の帳に沈もうとしている建築物の(ほう)(ぼう)から仄かに明かりが漏れ、都会の夜へ移り変わろうとしている。

 文明の光が強すぎて星が見えない事を不思議に思わなかったが――あの世界で生きた今は、それが少し物足りない。再現された夜景だったからプラネタリウムに近しくはあった。しかし、何も見えない夜空よりは、やはり空に浮かぶ月は寂しげではない。

 朱色の陽が沈む。菫も過ぎ去り、紺色に街は満たされた。

 明かりに誘われ、小さな虫が網戸に引っ付いている。それだけで昔はイヤな気持ちを抱いていたものだが、人の何倍もの体格のモンスターを相手取っていたせいか、見ている分には平気になっていた。

 流石に世界最高の環境適応能力を持つ害虫だけは無理だが。

 

「……そういえば、彼もアレはダメだったっけ……」

 

 二十層半ばだったか。昆虫ばかりの階層に出現したモンスター《コックローチ》――和名《ゴキブリ》――を前に半狂乱するという珍しい一面を見た事があった。とは言えそれは自分を含めた他の面子も例外ではなく、生理的嫌悪で殆どの攻略プレイヤーがフィールドに出ないという事態に陥ったせいでまったく取り沙汰にされていないが、大概の事に動揺しない彼らしからぬ反応だった事もあり記憶に残っていた。

 ちなみにその階層を攻略したのは彼であり、半狂乱のエネルギーを『逃避』ではなく『殲滅』にする事で恐怖から解放されようという思考で動いていた。ずっと同じ階層に留まりたくなかったのだろう。

 アレが苦手でない人は、北海道などそもそも生息していないせいで見た事が無い人間くらいか。

 ――などと考えていると、無性に声を聴きたい衝動に駆られた。

 気付けば、窓を閉め、ベッドを這い、《アミュスフィア》の横に置いている充電中の携帯端末を手に取っていた。画面に指を滑らせ、アドレス帳からキリト――《桐ヶ谷和人》のページを流れるように呼び出し、緑色のコールボタンに指を置く。

 

 しかし、そこできつく瞼を閉じ、指を置いたままにした。

 

 これ以上彼に頼るようではダメだろう、と自身を叱咤する声が聞こえた。

 それは白と赤の騎士装の自分自身のもの。一層から百層まで近くで彼の背を追い続けたもう一人の自分(アスナ)の本音。

 もしいま和人に電話したら、感情を抑え切れず、泣きながら何もかもを打ち明けてしまう予感があった。学校を変わらなくてはいけないこと。ALOにも行けなくなるかもしれないこと。幼い頃から規定されていた方向に押し流そうとする冷徹な現実と、それに抗えない自分の弱さそのものを。

 ――彼に言ったところで、どうにもならない。

 エギルが言ったように、これは私自身が解決するべき問題であり、答えを見出さなければならない事。彼に助力を願ったところで事態は好転しない。

 むしろ、ただでさえ何事かを背負っている彼に、要らぬ心労を抱えさせかねない。

 自分でどうにか出来る問題を他者に頼るようでは、ダメだろう。

 ――端末の画面から指を離し、静かにスリープボタンを押す。

 ぎゅっと一瞬握り締めてから、ベッドの上に置く。

 

「――つよく、なりたい」

 

 絞り出したそれは、心からの欲求。片時も揺るがない精神の強さ。保護者に頼らず、自分の望む方向に進む為の強さが欲しい。例えば、そう――――たったいま電話をしようとした彼のような強さが。

 しかし同時に、弱くなりたい、と叫ぶ声がした。《剣士》としての意地で自分を偽らず、強い人に縋りつき、護って、助けて、と言える弱さが欲しいと。

 

 ――空に昇らんとする月が見える。

 

 私は、丸く満ちようとするそれから放たれるおぼろな光を、無言で見詰め続けた。

 

 






 はい、如何だったでしょうか。

 原作では【絶剣】とデュエルし、《スリーピング・ナイツ》との協力が決まった後の展開です。凡その流れは同じですが、京子が立ち去ったあとが若干違います。

 原作だと反抗するように家を飛び出すんですが、本作では飛び出さなかった。

 何故なら、思考の大筋は同じでも、京子に僅かでも言葉で反抗したように、エギルの言葉でアスナも無自覚の『芯』が固まったからですね。ここで言う『芯』とは勿論SAOでの経験を通しての事。

 アキトとのデュエル前の時点でほぼそうだったけど、須郷関連の事もあるし、保護者(翠、直葉、束、千冬ら)に頼らず、自分の意思で『IS操縦者』などへの道を進み、未来を掴み取る事を決めたキリトの背を見た影響も大きい。

 思考にキリトが混じってる事からも明白デース。でも無自覚デース。

 本作ではユウキの方が『恋の先輩』ですね。

 年齢の上下はそのままに関係だけ逆転してるSAO二次ってこれまでであったか……?

 では、次話にてお会いしましょう。


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