インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
今話の視点は最初少しだけ???、あとは全てユウキ。
文字数は約一万八千。
ではどうぞ。
震える黒い仔猫が居た。
仔猫は誰にも近寄らない。
虚ろな瞳。どこを見ているのか、焦点が合っていない。表情は抜け落ちている。色が無い。呼吸は浅く、音は小さい。ひゅぅ、ひゅぅ、と耳を澄ませてやっと聞こえる。
安心させようと距離を詰めるが、ふーっ、と威嚇されてしまった。虚ろな目。人間が怖いらしい。
仕方ないから遠巻きに見守る事にする。暫く警戒されるが、すぐに視線が外れた。余裕が無いようだ。また虚空を眺めている。
よく観察すれば唇が小さく動いていた。ぽそぽそと、何事か呟いている。耳を澄ますが、聞こえない。そも、人の言語として成り立っているのか。断片的な音を拾っても意味を為しているようには思えなかった。独り言とはそういうものか、と新たに知識に加える。
仔猫は不思議だ。
知識とは異なる動きをよくするから眼を離せない。隙を見せたら、どこかへ行ってしまいそうな危うさがある。
そうして多少の時間が過ぎると、仔猫は思い出したように横になり、すっぽり頭部を無機質なモノで覆い、目を閉じた。ヴゥン、と低い音を立てて無機質なモノが動き始める。
今頃仔猫の意識は旅立っているだろう。
――横目でテーブルを見咎める。
用意していた食事は一グラムたりとも減っていなかった。
***
日本標準時間、二〇二五年五月七日水曜日午後九時過ぎ。
浮遊大陸最後のエリア【岩塊原野ニーベルハイム】には何百――事に寄れば千を超える数のプレイヤーが所狭しと犇めき合っていた。『交わる二本の剣と槍』のギルドマークを付けた《三刃騎士団》の団員と妄信すら垣間見せる《セブン・クラスタ》――そして、それらに張り合っていたSAO生還者組である。
セブンが声を掛けて熱狂を巻き起こし、スメラギが見張って士気を高く保つ。
その中心から離れ、岩肌に背中を預けるボクの焦点は、それらに定まっていない。紫の曇天を振り仰ぐと同時、思考は別の事――――キリトの事でいっぱいだった。
*
オーディン側とロキ側の勢力分岐を決定する第一段階クエストを終えて戻って来た面々から語られた内容は青天の霹靂に等しく、胸中に生まれた驚愕を押し殺す事は、理由もなく出来そうにないものだった。
青天の霹靂、とは決して比喩表現では無い。
というのも、話に挙がっている少年の性格と在り方から考えて、それは起こり得るものではない事態の筈だったからだ。
《ソードアート・オンライン》は《ナーヴギア》を強制除装させられた人以外が生き残ったもののそれは結果論に過ぎず、本質的にはデスゲームに変わりない。あの世界で体験した事実や思考した事は全て現実のものであり無かった事には出来ない。当然、死への恐怖も同じ。『死にたくない』、『生きていたい』という本能的な願望は勿論、『殺人』に対する道徳的な忌避感や恐怖も、破綻者になった一部を除いたSAO生還者達には克明な程に刻み込まれており、現実に復帰してからも当時の恐怖がぶり返す事は少なくない。
対外的に強く見られている《攻略組》の面々も、今でこそALOを楽しくプレイ出来ているが、始めたばかりの頃はそう簡単に割り切れるものではなかった。
仮想世界というデスゲームの虜囚になった世界そのものへの恐怖は一向に薄れる気配が無い。ログインする度にメニュー最下部に存在する《ログアウトボタン》を確認してしまう事がその証左だ。また囚われるのでは、という潜在的恐怖心が今も心の奥深くに潜み続けている。
そのため、本来であればプレイヤーをPKする事にも、かなりの忌避感を抱いていた。
PKそのものを否定している訳ではない。SAOと違い現実の死の危険性が無く、また種族間抗争を作品のテーマの一つとして掲げている以上、PKの否定はすなわちALOの否定に等しく、他者のゲームプレイを一方的に妨げる事にしかならない。古今東西PvPを許容したオープンワールド型MMORPGに於いてフィールドでのPKは防ぎようが無い。それは対人戦に於ける腹の探り合いやプレイヤースキルの競い合いに魅入られ、嵌り、強者と戦いたいという欲求に正直な人がいるからだ。
【絶剣】と称される自分もその一人。時間があれば仲間にデュエルを吹っ掛け、競い合う事も珍しくなく、種族領や中立域で定期あるいは不定期に開催されるPvP大会に必ず出場する程に自分も対人戦に魅力を感じていた。
――そんな自分を含め、SAO生還者組の間には幾つかの暗黙の了解が存在している。
どれだけ腹を立て、苛立とうとも、PvPやPKを返り討ちにする際に『殺す』と口にしない事がその一つになる。
示し合わせた訳でも、話し合って取り決めた訳でも無い。HP全損イコール現実での死であったSAOの頃の名残。仮令解放されてから半年経とうとも、そしてそれ以上の年数が経過しようとも、デスゲームで過ごした日々が過去のものになってもその名残は薄れないだろう。
『命』とは尊いものだ。仮令敵が悪に加担する者であっても命は等しく尊いものである。
仮想世界と言えど、『
故に――殺すと口にした時は、正しく殺人を犯す罪人になる事を覚悟したも同然。
かつて
その意識、思考過程は、大なり小なり仲間も同じ。
当然、それにはキリトも含まれる。
――だからこそ、彼にとって重要な何かのために、リーファ達を殺したんだ。
それは至って当然の結論。同じ思考過程を踏むのであれば、キリトも自分と同じように殺人を犯すだけの理由を抱いていると考えるのが自然である。
だが――
――その筈、なのに。
――得も言えぬ違和感が
理由は明白。彼と自分とを比較した時、殺人を犯す理由が根本的に違う。『護る』という意味では同じだが――今回の場合、彼が言っていた『護る対象』を『殺す対象』にしていた事が今回の顛末。
それは土台不自然である。
何故なら、彼が抱いている『仲間を守る』という誓いは、原則例外を許さない程に強固――有り体に言って融通の利かないものだからだ。
そう言えるのは、ALOを始めてからこれまでの間、彼は仲間内でのデュエルをリーファとの鍛錬以外で一切しなかったから。自分がSAO時代の決着をつける為に吹っ掛けても煙に巻き、大会で覇を競おうと面々が誘っても躱し、野良PKで満足する言動をしていた。SAOからの仲間をPKしたくないと思って避けているなら分からなくもない。しかしそれは『仲間を
故に、『守る』という表現を使っている彼は、時に傷付ける事も許容していると取るのが正確だ。サチのように辛い眼に遭わせてでも本人を想って傷付ける事もある。傷付くと無自覚に理解した上で距離を離す事を許容したのもその一つ。当時それを想定した上でそう表現したと考える方が妥当である。
――きっとそれこそが答え。
その確信があった。
物事が複雑に絡み合っているから分かり辛い。命が懸かっているからかつて選べなかったPKは、ALOに来て手段の一つへと加えられた。そう考えれば辻褄は合う。
優先順位の問題だ。
彼は他者をこそ尊ぶ思想の持ち主だ。義姉により矯正されたとは言え、その片鱗は未だ強くあり、根幹も未だ残っている。他者の幸せをこそ自身の幸せと考える彼は、自分の事よりも他者の事を優先する。仮令自身の命を燃やし尽くすとしても彼は己を顧みない。
だからこそ、自分を含め、仲間達が此処に集った目的は『キリトの目的を暴き、止める事』に集約されている。
彼は《クラウド・ブレイン》に関わって欲しくないと思っているだろうが、それならオーディン側にせず、むしろロキ側に付ける筈だ。だが力尽くでオーディン側に付かせたという事は、キリトと同じ側に付いていると不都合が生じるからか。ひとりの方が強いから、という理由で無いのはなんとなく分かっている。
何故なら、レインが帰って来なかったからだ。
キリトの手によってリメインライト化したリーファ達は、主神オーディンの下へ強制連行された後、隷属の魔法によって無理矢理《エインヘリヤル》の一員にさせられた。唯一その難を逃れたレインは、あれから一時間弱経つ今も姿を見せていない。ログインしている事は判明しているが、位置探知が弾かれる事から意図的に身を隠していると判明している。状況から考えてキリトと手を組んだのだと。
つまりキリトはレインを加えた状態でロキ側に付いている。
レインがロキ勢力に付くのは、まあ分かる。彼女はセブンの実の姉であり七色博士の思惑を調査していた。《クラウド・ブレイン》の内容もキリトから聞かされている筈で、別にクラスタでもない彼女は、おそらく止めようと動く。肉親がとんでもない事をしでかそうとしたらまず止めようと思う筈だから。そんなレインを見てキリトが力を貸さない筈がない。
――その事実に思い立った時、してやられた、と奥歯を噛み締めたのは記憶に新しい。
キリトとレインは昨日の時点で結託していたと考えて
その結託を隠していたのは、おそらくキリトの指示。
パーティーを組むだけでロキ側に付けるというルールを利用したレインとパーティーを組み、半ば問答無用でロキ側に付かれないよう、隠し通す事を指示していたのだ。そしてそれを悟られないようギリギリまでレインをこちらに同行させていた。
――だが、それは非効率的だ。
最初からレインが雲隠れしても、今の状況と変わらないのは彼にも理解出来ていた筈。むしろリーファ達を手に掛ける手間やレインが捕まって彼女の願いが成就しなくなる事を考えればリスキーな上に非合理的である。
であれば――むしろ、逆。
否。それ以外の理由が、思いつかない。
彼ならそうするという確信があった。
「――くそ……っ」
短く、悪態を吐く。組んだ腕に、手に、力が籠る。ギリギリと腕が絞まる。
それは落胆であり、失望であり、怒りであった。想いを告げた自分を頼ろうともしない少年への感情。同時に、そんな想いに駆られている事に勘付けなかった自分への感情。
傲慢であり、不毛な思考だ。
認めたではないか。自分では彼を超えられないだろうと。容易に負けないと言いはすれど、実際そう容易な事では無い。生と死を身近に感じる世界から脱出した自分の熱もいまは彼方であり、平穏と平和を享受したこの身では、いまも茨の道を進む少年に追い付く事など不可能だと悟っていた。
故にこの感情は分不相応な願いだ。
力になれない、あるいはその価値が無いと自ら断じておいて、いざそういう時になったら『何故頼ってくれなかった』と吠えるのは筋違いというものだ。
仮令そうだと自覚していても――せめて、もういちど伝えることは出来た筈だ。
何か背負っていると察したその時に。
浮遊大陸を飛んだ最初の日に。
――ボクは、遅過ぎたんだ。
天才科学者の企ての全容が語られる前の激昂では、もう手遅れだった。
彼の覚悟は決まっていた。彼の計画は進み過ぎていた。あの事態へ発展するまでに手を打っておかなければならなかった。
察したあの日に問い詰めるべきだった。しつこく、追い縋るべきだった。喪う事の恐怖を知っているのであれば、もう喪いたくないのであれば、ボクはあの日身を引くべきでは無かった。
――知っていた筈なのに。
そう、知っていた筈だ。第一層の頃から肩を並べ戦った。その
憧憬を胸に。
尊崇を心に。
百の戦場を、共に駆けた。
――――けれど――嗚呼、ボクは、分かっていたつもりに過ぎなかった。
その深さを、真剣さを、彼の想いの強さを、
彼が持っていたという悪魔の羽を模した刀身の曲剣。それは《ⅩⅢ》に初期登録されていた雷の力を有する《曲刀》カテゴリの魔剣。
何故彼が持っているのか。SAO時代のアカウントを引き継がず、従って《ⅩⅢ》も所持していない彼が、その剣を持っているのは何故か。
――答えなど、分かり切っている。
命を賭すだけの理由が出来たから。
そして、『契約』と関係無くみんなを手に掛けた事が、彼にとって何よりも優先すべき事であるなら――――その『理由』はただ一つしかあり得ない。
何故なら、彼の
「――キリト……」
悔やむ思考を振り切るように名前を呼ぶ。
――その行動は、伽藍の空気を震わせるだけだった。
*
「みんなー! 今日はセブンの為にこんなに集まってくれてありがとー!!!」
そう知らせるように上がった天才の声と一段と強く上がった歓声を契機に、岩肌から背を離す。小柄な彼女の姿を離れても見えるようにしているのは空を飛んでいるからか。非戦闘員とは言え随意飛行が出来るのは、さすが天才と言わざるを得ない。
更に舌を巻くのは、クラスタの中には種族に帰依している各種族の軍部プレイヤーも混じって参加している点だ。
元は音楽妖精族のセブンの勢いにプーカ領主が乗っかった事に端を発す。種族関係無く多くの人の心を射止めたアイドルの力になってもいいと言われたプーカ軍プレイヤーを羨んだ各種族の帰依プレイヤーが領主に意見し、今回の攻略に参加する事を認めたのだ。そのための話し合いも持たれ、今回の攻略に限っては種族間抗争を持ち出さない事が急遽決定されたらしい。
種族帰依と
だが――この人数を以てしてでも、彼を打倒出来るビジョンは薄い。
ラグナロク・クエストのクエストNPC《オーディン》により《エインヘリヤル》と化したこちらの陣営のプレイヤーは、全ステータスが大きく上昇し、HPとMPが自動回復するだけでなく、死亡後デスペナ無しで即時蘇生という強力な限定バフを与えられている。それもクエスト失敗条件である《オーディン》が死なない限り永続。倒されても倒されてもデスペナ無しで復活する死兵は、さしもの強者と鎬を削る事を求める自分と言えど全力で遠慮したい手合い。それは当然キリト・レイン両名とて同じ筈。
それでも、彼に勝てる気はしないのは、何故なのか――
仲間達と合流し、最終確認をする中でも、やはりその思考は拭えない。みんなも同じなのだろう。特に直接彼の暴威に晒された面子は一際表情が強張っている。
一部は別の意味で硬いが、彼の責任なので仕方がない。自分とていきなり『死んでくれ』と言われれば、ああなる未来しか予想出来ないのだから。
ともあれ諸々の準備と打ち合わせを終え、クラスタ達から受ける微妙な視線も無視して戦列に加わる。やはりレイド半分の人数でフルレイドの《三刃騎士団》と覇を競ったからか配置は最前だ。
あまり魔法を使わない自分は、黒曜の剣を片手に前衛組に並ぶ。
隣には、髪を一括りに結った
「……キリカ、大丈夫?」
「ああ」
大丈夫だ、と短く応じる少年は、どう見ても大丈夫では無い者特有の空気を纏っていた。
昨日から行方知れずだった彼が戻って来たのは、つい数十分前の事だ。やはり昨夜『光の柱』が世界樹の根元で発生したのはキリトと交戦した結果らしく、自分達の下へ引き摺り戻そうとして戦いを挑んだと彼は明かした。しかし『光の柱』を発生させる《魔術》により敗れ、これまでずっとソロで高難易度ダンジョンに潜り自己強化に励んでいたという。普通ソロで高難易度ダンジョンに潜れるものではないのだが、彼はAIなので肉体的疲労は無く、瞬間演算速度もずば抜けて高く、そして経験も並みのプレイヤーを凌駕している存在だ。《ⅩⅢ》を持っている以上ある程度隔絶した敵と渡り合うのも不可能ではないのだろう。
そしてクエスト時間ギリギリに戻って来た彼は、事の顛末を聞いた途端凄まじい形相をし、打倒オリジナルを掲げて戦列に加わっている。
触らぬ神に祟りなし。
今のキリカには、さしもの天然の
『我が下に集いし勇士達よ。時は来た』
背後から、威厳ある老人の声が響いて来た。《オーディン》の声だ。
『今こそ世界を混沌に陥れんと企てた悪神ロキを討ち、世界に平和を取り戻す時だ。皆の者、恐れるな、汝らには我らアース神族の加護がある!』
その言葉の後に、《Quest Start!》のシステムメッセージが各プレイヤーの前に眼前に現れた。端のバツ印をクリックし、メッセージを消す。
眼前の大地に敵は居ない。空中も同じ。
だが目指す地はハッキリしている。フィールドの中央に存在する巨大な塔。予め四方がクラスタ達により攻略された事でギミックが動き、入り口が出現したあの巨大な塔の中に攻め入り、最奥に待ち構えているであろうロキを討つ事が、このクエストの達成条件だ。
「みんなー! 私のバフを受け取ってー!」
駆け出す前に、セブンがそう言って歌を歌い出した。
「ありがとー! セブンちゃーん!」
「セブンちゃんの応援があれば敵無しだよー!」
途端、《三刃騎士団》とクラスタ達は所属の別無く武器を掲げて沸き立った。
――その信心に曇りは無い。
当然だ。《クラウド・ブレイン》の事を彼女は明かしていないのだ。計画の骨子がセブン当人では無くクラスタ達にあるからだろう、余計な情報を与えない事で彼ら彼女らが抱く感情を純粋なもののままにしようとしているのだ。
無論、自分達がそれに馬鹿正直に付き合う必要は無い。
元を正せば《クラウド・ブレイン》などという実験の為にALOを利用していた事がキリトの無茶に関わっているのだ。それを根底から崩してしまえば、彼が動く理由は無くなる。セブンとて批判の突き上げを喰らえばマトモに活動出来なくなるだろう。
そうしなかったのはレインの存在があるからだ。もし彼女が全力で抗議していたならこちらも援護していたが、一夜経ってもその素振りが無く、学校で顔を合わせた時も特に触れなかった事から、空気を読んで誰も世間に暴露しなかった。
それに――自分としてはこちらの方が比重を占めているが――キリトがその辺について動いていないからでもある。
ただし、キリトの場合は目的が分からないから、下手に動けなかったという意味合いが強い。図らずも『契約』に於いて七色博士の妨害は指示されていない事が判明した訳だが、逆に『妨害してはいけない』とも指示されていない訳で、彼の目的が不明である以上、下手に場を引っ掻き回すのは得策ではないと判断していた。手探りでなくなったなら最適解、最短ルートを突き進むのが彼だ。変に横槍を入れると大変な事になるのはSAO時代でイヤというほど知っている。
そう慎重になっていたのが原因で今回手遅れになった訳だが……
ともあれ、キリトがクラスタ達に警戒を呼び掛けていない時点で、彼が成就しようとしている『目的』の助けにはなり得ないのだろう。
ならそれは余計な事だ。
下手に横槍を入れれば、彼はその変化すらも受け容れ、計画の流れを変えるだろう。それではだめだ。イタチごっこになってしまう。彼の計画の流れはそのままに真っ向から止めなければ話にならない。
そう、それはまるで、真っ向から彼の在り方を否定した義姉のようでなければ――――
「――――随分賑やかだな、七色博士」
想い馳せるボクの耳朶を、幼くも慄然を抱かせる声が叩いた。
何時の間にか軍勢の正面に人影が一つ。
話に聞いた通り黒コートを纏い、フードを目深に被っている。手には何も持っていない。だが、戦意が無い筈がない。もし戦意が無いなら本当に傍観に徹しているのが彼だから。
「オリジナル……!」
血戦がすぐそこまで迫っている事を、予感した。
*
歓声が止んだ。鎮まった空気が漂い、オーディン軍とロキ軍――否、ロキ勢力所属のキリトが対峙する。
とは言え、少年の視線は一点に注がれている。自身に向けられる多種多様な感情と視線を無視し、ただひとり――天才科学者の少女のみに絞られていた。こちらに見向きもしないのは、ロキ側に付かせないというミッションを達成したからか。
それとも、優先順位の問題であちらを優先しているだけか――
「その様子だとそのままらしい。なるほど、忙しそうで
――微かな違和感。
いま彼は、何と言った?
《クラウド・ブレイン》の事を明かさないで行動している事を――いま、受け容れなかったか?
胸中を満たす困惑。ザワリと、仲間内でもそれは発生していた。仮令妨害の指示を受けていなくともキリトは《クラウド・ブレイン》に対し拒否的――その前提を覆す発言が出たのだ。
いったい彼は、なにを考えて――?
困惑に囚われる中、ひとりのプレイヤーが前に出た。それは同じ前衛部隊に立つ
「【解放の英雄】キリト。貴様、たった一人で何の用だ? まさかと思うが、貴様
そう言うスメラギは、一瞬だけ視線を彼から外した。
焦点が結ばれた先に居たのは軍勢の外周を囲うように配置されたNPC――騎士甲冑を纏った戦闘型女性NPC《ヴァルキリー》達だ。彼女らは《アスガルド兵》より上のステータスを誇り、HPを二本持つ準ボス級NPC。プレイヤーが勝つのは多分想定されていないタイプのクエストNPCだった。
それに加え、四桁に上るだろうプレイヤーの数。クラスタ達の質はあまり高くないが、それでも一度は《三刃騎士団》の門戸を叩く程の気勢を持つ者達だ。束になれば厄介な事この上ないだろう。ましてや今は『セブンをスヴァルトの覇者に』と団結している。普段バラバラの人間が団結した時の強さは、“あの世界”で幾度となく見て来たから知っていた。
――それでも、少年の表情に変化はない。
フードを目深に被った黒尽くめの剣士は、ひょいと肩を竦めた。僅かに見える口元の笑みは先程よりやや深い。
「そのつもりだ、と言ったら?」
「……ふざけてるのか」
「俺は至極真面目だ。伊達や酔狂で――」
そこで、苛立ちを露わにするウンディーネを見ていたキリトの視線が、こちらに向いた。フードの奥に煌めく光が逡巡するかのように揺らめく。
それはほんの数瞬の事で、すぐ視線は戻された。
「仲間達と
「……そうか」
表情こそ見えないが、声音は真剣なものだと分かったのだろう。
だからと言って男の苛立ちが消える事は無く、忌々しげに睨む目はそのままだ。
「とは言えたった一人で此処に来たのは愚策に変わりない。幾ら貴様でも、この人数をソロで平らげる事は不可能だろう」
「どうかな、ALOでは試した事ないから何とも言えないな」
人を食った言いように、双眸を更に厳しく
「なるほど。ではここでハッキリさせてやろう……
ばっと、手が振り下ろされる。
たちまち集団の後方からスペルワードの高速詠唱が重なって聞こえて来た。反応といい滑舌といい相当な練度。ALOトップのギルド、ALO上位陣でも入団困難と言われる程の要求ラインという話も、伊達では無い。
ごうっ、と赤の魔法弾が飛んだ。色取り取りの魔法弾は緩い弧を描きながら少年へと迫る。
【
しかし――
「――問答無用か」
フードから僅かに見える口元に薄い笑みが浮かんだのを視認する。
キリトは、悪魔の羽を模した曲剣を虚空から呼び出し、左手で柄を握った。
まさか、と予想が浮かぶ。
十数発の魔法弾は時間差と角度を付けて飛んでいて、コンマ五秒につき一発――一秒につき二発――着弾する間隔だ。かつてシウネーの《魔術》を封殺した《スピニング・シールド》では技後硬直で被弾する計算になる。
しかし。
もし、浮島草原最後のダンジョンに現れた『暫定偽キリト』の技や魔法を、彼も使えるのであれば――
――魔法弾が放たれてから二秒の間にそこまで浮かんだ自分の予想は、色々な意味で裏切られる事になる。
「サーマル・エンチャント」
以前聞いた時よりも短い、極限まで短縮された式句が耳朶を打った。そう思った時、魔の曲剣を朱い炎が包む。属性付与――
次の瞬間、色取り取りの閃光と轟音、そして約千人分の驚愕が巻き起こった。
炎を纏った曲剣を振るったキリトが、殺到する攻撃魔法の全弾を空中で迎撃――いや、
「なん、だと……」
さしものALO最強と持て囃されるスメラギも、信じられないというように声を洩らしていた。
「いまのは、いったい……貴様、なにを……?」
「――見たままだ。魔法を斬っただけだよ」
炎で覆われた曲剣を振り払い、事も無げに言った。
アレは、キリトが独自に編み出したシステム外スキルの一つだろう。名付けるなら《
かつて、SAO時代に於いて誅殺隊を含め多くの対プレイヤー戦闘をする事になった彼は、可能な限り相手を無力化する手段を講じる事に余念が無かった。麻痺毒塗布の為に敢えて《ポーション作成》を失敗させることもあったと聞く程。《攻略組》の面子も殺しに来るが、殺し返してしまっては戦力が削がれ、自身の立場も悪くなるため、無力化手段の充実は急務だった。
その末に、彼は相手の体では無く武器を狙ってソードスキルを繰り出し、脆弱部位に正確に命中させて意図的に叩き折るというシステム外スキル《
それの応用で魔法を斬ったのだと察しは付くが、ALOの魔法を斬るのは輪を掛けて困難の筈だ。
何故なら、攻撃魔法はその殆どがソリッドな実体を持たず、見た目はライトエフェクトの集合でしかない為だ。《あたり判定》があるのはスペルの中心一点のみ。つまり《魔法を斬る》には高速で襲い来るそのドットを狙わなければならず、現実で喩えるなら風の影響込みで落ちるビーズを真剣で斬るようなもの。
純物理属性攻撃で相殺できない原則は事前に炎属性を付与していた事で突破したようだ。これまで魔法属性を付与された中位以上のソードスキルでなければ魔法との相殺は不可能と考えていたが、よくよく考えれば属性付与でも良い訳だ。速度コントロールが出来ない斬撃でやるよりははるかにマシだろう。
無論、魔法の衝撃に押し負ける速度では無意味なので相応の剣度は必要だろうし、高速魔法のドット一点を狙う困難さは変わらないので、恐らく――いや、ほぼ間違いなく、アルヴヘイムで《魔法破壊》を使えるのは彼一人だ。
「……出鱈目な」
顔を顰め呻くスメラギに続き、集団から『魔法斬ったぞ』『偶然じゃなくてか』『これだから……』などの声が湧き起こる。
しかし相手が敵と分かっていれば――それが【歌姫】の敵となれば――容赦しないようで、クラスタや《三刃騎士団》達の反応は素早かった。スメラギの指示で前衛も武器を抜き、遊撃が弓矢や
「問答無用か」
「貴様は敵だ。敵と交わす言葉はもう無い」
気を取り直したスメラギが、冷然と告げた。
「――そうか」
僅かに拍を入れたキリト。ふぅ、と吐いた息に込められている感情は何だろうか。疲労感を滲ませた彼は、なら、と言葉を紡ぐ。
左手は、何時の間にか剣が仕舞われ、代わりにメニュー画面を開いていた。
「単刀直入に訊こう――――俺に
「――な……っ」
その問いに、何故か呻くスメラギ。高速詠唱の声も幾らか詰まり、
「貴様……あの時、ヴォークリンデで立ちはだかった偽者は、貴様だったのか!」
スメラギの絞り出したような怒声を聞いて、理解が及ぶ。
【浮島草原ヴォークリンデ】に現れた暫定偽キリトは、偽者なんかではなかったのだ。本物では知り得ない事をいま口にしたからスメラギやその場に居合わせた事のあるプレイヤーが動揺した。なんらかの手段で彼は分身を作れたらしい。
恐らく、闇魔法か幻影魔法のスキルの効果だろう。幻影魔法を得意とするスプリガンだからこそ使える魔法というセンも無くはない。
そう理解していく中、フードから見える口元が横一文字に結ばれた。
「ああ、そうだ……聞いた事はないか? 闇魔法と幻影魔法の熟練度をマスターすると、実体を持った分身を作る魔法を習得出来るんだ。リアルタイムで動かせる」
まぁ、そのぶん操作出力も感覚入力も倍以上になるが、と首を振った。
「あまり使い所は無く、スプリガンの領主が唯一の前例習得者……けれどそのピーキーな性能ゆえに忘れ去られた魔法、それが《分身魔法》だ」
――ふと気付く。
彼の頭上に、カーソルはあっても、名前が無い事に。今更気付いたその事実に、自分もかなり動揺していた事を自覚する。
気を取り直す自分をよそに、それはいいんだ、とキリトは言った。
「それよりも……スメラギ、いまの反応からして憶えているようだな。あの時俺は言った筈だ。『そのまま行けば、いつか最悪な目に遭うぞ』と」
「……ああ、言っていたな。だが、どうやってそうするつもりだ? この人数差、戦力差、どう足掻いても覆せまい」
「おい、おい……あの時、ヴォークリンデのボスへ向かおうとしていたお前達を敗走させた時の俺の言葉、まさか聞いていなかったのか」
「……なに?」
訝しむ表情を浮かべたスメラギ。
キリトは、口元に酷薄な笑みを浮かべた。
「『最低でも
「――!」
なぞるように放たれたセリフに、瞠目が返される。
その様子を見ながら、ああ、そうそう、と彼は続けた。どこか愉快げに続ける少年の様子は、
「この人数で平らげるの、ALOでは試した事無いんだよな」
わざわざ強調された時期。その意味を理解し、戦場の空気は怖気が立つ静けさに包まれた。どくん、どくん、と鼓動が大きく聞こえるほどの嫌な予感。
――そもそも、あり得ない筈だ。
千人でも足りないと言わんばかりの人数差をソロで返り討ちにした話を、自分は知らない。須郷が放ったホロウとの戦いも彼の近くにはキリカやユイ達が居てソロの戦いでは無かった。ほぼずっと前線に出ずっぱりで、一日たりとも動向チェックを欠かさなかった自分が、千人規模の戦いを知らないなんてあり得ない。
なのに――なのにどうして、彼の言葉には否定し切れない重みがあるのだ――――?
「――これで理解したか。俺にとっては、その人数も
フードから見える笑みを深いものにしながら、彼はこちらの背後――――【歌姫】へと視線を向けた。
「その上で問おうか、
「……あなたの要求は、なに」
「簡単な事だ。今回の攻略――七色博士、あんただけが降りてくれればいい」
それは、ある意味の研究の妨害。
だが――――《クラウド・ブレイン》計画の骨子がクラスタ達にあり、スメラギまで退くよう言っていない以上、完全な妨害にはなり得ない。意志の統一は計画を把握しているスメラギがすればいいだけだからだ。むしろこれまでと同じスタイル。外から見ても問題は大きく見えない。
むしろ、これまでボス戦に出なかった非戦闘員のセブンでは、ボス戦の邪魔にすらなり得る。
如何に人数を揃えようと、ダンジョン内に待ち構えるボスと戦う部屋は四十九人までしか入れない。また、コモンエリアのボスとは言え前の全滅したグループが与えたダメージが残る訳では無く、扉も閉まるのでSAO前半期のような戦闘員の交代をする事も出来ない。
歌のバフは強力だが、《エインヘリヤル》のバフがある以上は過剰に過ぎる。セブンを連れて行く事で削られる戦闘員と天秤に掛ければ今回は引き下がっても問題は無い。
「勝手な事を言うな!」
――しかし、そう易々と納得するクラスタ達では無い。
彼ら彼女らからすれば憧れのアイドルと一緒に戦えるまたとない機会。千載一遇とも言えるこの機会を逃す手は無く、それを奪おうとする少年に、烈火の如く牙を剥いた。
「苦労してここまで来て、セブンちゃんと戦える折角の機会なのに、ぽっと出のお前が指図してんじゃねーよ!」
「セブンちゃんのファンじゃないクセに!」
「フレンド登録したからって調子に乗ってんじゃねーぞ!」
「SAOで経験したからってこっちで全部通用すると思ったら大間違いよ!」
自分が聞き分けられたのは最初のそこまでで、後は怒号が矢鱈滅多に飛ばされたから聞き取れなかった。だが、何れの内容もクラスタでない彼を拒絶し、プレイヤーとして上にある実力を妬み、自分達の存在意義をセブンに掛け執着しているものだった。老若男女、種族問わず、一同がセブンの退去を拒否する意思を見せる。
ボク達は沈黙を保った。彼が何を目的にしているのか、それの方が重要だったから。
セブン本人が居なくても計画が進むと分かっているからその辺の話は正直どうでもいいと思っていた。
――そのときだった。
クラスタ達の罵詈雑言を受け留めていた彼の視線が、
「――オリジナル……?」
ずっと敵意と戦意に滾っていたキリカが、訝しむ囁きを洩らした。
彼の眼は真っ直ぐだ。こちらを見る眼に曇りは無く、こちらの何かを探し、求めるような光が浮かんでいた。あれは自分達を拒否する時特有の色では無い。
思わぬ反応に困惑し、思考が止まった。
「キー……?」
「今のは、どういうこと……?」
「……オレっち達の何かを視てたナ。それが何かまでは……や、でも憶えがあったようナ……?」
未だ罵詈雑言の嵐が続く中、仲間達――――特に、直接PKされて目から光を喪っていた面々が、困惑と疑問を露わにした。そのお蔭か、普段の雰囲気に持ち直した。
「――信用を視てたんです」
キッパリと、リーファが言った。
どういう事かと仲間の視線が集まる。彼女は、既に視線を戻した義弟を真っ直ぐ見詰めていた。その翡翠の
「どういうこと……?」
「あたし達がキリトとセブンのどちらをより信用しているか……元々彼女の計画の肝は、彼女に対する絶対的な信心にあります。この戦いに参加しているあたし達の心がどちらに傾いてるのか確かめたんでしょう。あの子が戦う理由は変わってないんです、昔とぜんぜん……これっぽっちも」
そう言われ、なるほど、とストンと腑に落ちた。
言われてみれば、あの目には覚えがあった。距離感を測る目。信用していいか、そう問う視線。不安と期待で綯交ぜになった複雑な色……久しく見ていなかったから気付けなかった。
義弟が抱く人への不信感を最も見ていた義姉には、それは瞬時に分かる色だった。
「じゃあ私達をPKしたのは……」
「SAO時代と同じく、自身から敢えて距離を置かせたんでしょう……この光景が答えですよ」
シノンの呟きに、リーファが答えた。
――一人の子供に向けて、遠慮なく叩き付けられる罵詈雑言。
なるほど。確かに、SAO時代と同じ光景だ。《ビーター》と誅殺隊――――必要悪によって演じられた一幕と。
「また、俺達は庇われたってのかよ……馬鹿野郎が!」
集団の怒号に紛れ、クラインの慟哭も上がった。
護るべき子供に守られる。それに忸怩たる想いを抱くのは、これで何度目か。ALOでは初だ。
――もう、させないつもりだった。
デスゲームが終わったいま、せめて仮想世界では安らかに過ごして欲しいと願っていた。その安穏とした考えがこの事態を招いてしまった。
少し違えば彼はひとりであそこに立っていなかった筈だ。
ボクは――――ボク達は、それを共に背負う覚悟を抱いていたのだから。
「――みんな、待って!」
際限なく放たれる罵詈雑言を止めたのは、【歌姫】の鋭い一声だった。
「みんな、彼は私に話し掛けているの。気持ちは有難いけど私に話をさせて頂戴」
「だ、だけどセブンちゃん、あいつの言う事を聞く必要は無いよ!」
「それも含めて話をするの。お願い、言う事を聞いて」
屹然とした面持ちで言う少女。そんな少女を妄信する者がお願いをされて逆らえる筈も無く、悔しげに口を噤み、八つ当たりのようにキリトへ睨みが向けられた。
それを物ともせず、静寂の中でキリトとセブンが視線を交わす。
「キリト君。悪いけど、あなたの要請の答えは『ノー』よ。今のみんなの叫びを聞いたでしょう? みんな、私の事を求めている。ファンの願いを叶えるのも、アイドルの仕事よ」
「――アイドルの仕事、ね」
「なに?」
意味深に呟いたキリトに、セブンが反応するが、彼はそれ以上の言及を避けるように頭を振った。
「それが、七色・アルシャービンの答えなんだな」
「ええ、そうよ。私はみんなと一緒にロキを討って、クエストを終わらせ、そしてこの【スヴァルト・アールヴヘイム】を完全攻略する。だからあなたの要請には頷けないわ」
「……そうか」
噛み締めるように、呟く。
会話が途切れ、静寂が訪れた。
「――なら、仕方ないな」
それを破って、彼が言葉を発した。左手が素早く動き――彼の全身が、光に包まれる。
漆黒のフードコートが粒子に散り、代わりに出て来たのも黒コート。
ただし――酷く見覚えのある、黒革の外套だった。
キリカが引き継ぎ、今も使用し続けているものと同一の見た目。浮遊城で戦っていた頃にずっと見て来たもの。彼の二つ名を象徴する漆黒に染め上げられた外套。
続けて、キリトが両手を背に回すと、そこに実体化した二本の剣の柄を握り、澄み切った音を響かせて抜き放った。光を吸い込むほどの深い闇色の剣が二本。特徴的なギア型の鍔を持つものと、普遍的ながら空恐ろしいほど流麗な造形のロングソード達。
片やモンスタードロップ品の魔剣と称され、長らく彼を支えた黒剣エリュシデータ。
片やプレイヤーメイド品の魔剣と称され、後半の彼を精神的に支えた赤輝剣リメインズハート。
肌と左の赤輝剣を除き『黒』に染まった往年を思わせる剣士の姿は、相対しているだけなのに畏怖を抱かせる。
ALOではリーファとのデュエル時以外で決して見せなかった二刀の姿に怒り冷めやらぬクラスタ達もどよめきを上げた。相手は曲がりなりにもデスゲームをクリアに導いた英雄。感情でそれへの畏怖を押しのけているだけで、こうして一段階重みが増せばすぐに圧倒されてしまう。映像でしか見なかった彼の二刀を見た事で、その本気度が伝わり、集団も身を固くする。
「――今日は攻略にうってつけの日だ」
それを前に、彼は二剣を眼前に突き出した。
――既視感。
あの構えを、かつて見た事がある。アレは――――
「仲間は大勢いる。時間も、たっぷりある」
きん、きん、と黒と白に輝くそれぞれの剣達。
戦闘の気配を感じ取って身構える者多数の中、ボクは必死にその既視感の根源を記憶から手繰り寄せようとしていた。
ごうっ、と彼から放射状に風が吹いた。
「こんな日くらい、おまえみたいな
次の瞬間、三つの出来事が間髪入れず起きた。
まず彼のHP、MPがゴッソリ無くなった。
次に彼の背後、頭上、横合い、前面に無数の剣群が出現し、その全ての剣尖がオーディン勢力軍へと向けられる。
そして全ての剣尖の先から、直径五十センチほどの黒と白どちらかの色に染まった光線が放たれた。
敷き詰めるように展開された剣閃から放たれた光線は、前衛に立つ自分達の体を意図も容易く貫通、溶断し、中衛、後衛部隊へと被害を及ぼす。当然胴体泣き別れのダメージでHPは瞬時に全損。代わりとばかりに、彼のHPとMPは数瞬で全回復した。
ぼうっと体が炎を上げエンドフレイムと化したボクは、周囲を見回し――絶句。
千に上る連合軍が、オーディンとヴァルキリーを含めて全滅していた。
瞬時に眼前に表示されるクエスト失敗のリザルト。彼の前にも表示されているが、あちらはクエスト成功――オーディン討伐達成のリザルトとして、莫大な経験値とユルド、レアアイテム報酬が記載されているだろう。
それを消した彼は、大量に産生された一千余りのエンドフレイム達を睥睨する。
『――最近知人にアニメを見せられてふと疑問に思っていた事があるんだ。なんで敵対する主人公たちを幹部達は敢えて見逃すのか、戦うにしても最初から必殺技を使わないんだろうって。目的の為に手段を
そう言って、くっくっ、と喉の奥で悪者っぽく彼は嗤った。
『でも現実だと使えない手なんだよな。卑怯だ、チートだ、とか言われてさ』
嗤ったまま、彼は言葉を続けた。
『強力な技を使うと批判を喰らう。だから封印しなくちゃいけない、だって批判は大勢を敵に回すからな。俺も死にたくないから控えていたが……』
そこまで言って――彼は、笑みを消した。
『――それでも使ったという事は、だ。俺もケツイした』
怨むなら自分を怨めよ、と彼は言う。
恐らくその言葉の相手は……
『事ここに至れば是非もなし。停戦、和解の余地も無い。七色・アルシャービン、覇者になりたいなら俺を超えて行くがいい』
――中央塔で待つ。
そう締め括って、彼は踵を返し、宣言通り中央塔へと歩を進めた。
ばさりと外套をはためかせる後ろ姿は――狂おしい程に、かつての姿そのものだった。
・《クラウド・ブレイン》
『【歌姫】セブン』を頂点とする思想を持つ集団の意志がピタリと一つになり、脳波が限りなく重なった時、その人々の演算処理能力を少しずつ集めて形作られるとされるネットワーク上のクラウド演算装置。
AIコンピューターと違い、人が持つ『~かもしれない』という可能性を許容する演算を可能にするとしてセブン、スメラギが注目している。
完成させるには、クラスタ達の意思を『セブンの為に』というもので一つにしなければならず、そこに嫉妬や羨望、敵意などの不純物を挟んではならない。
そういう意味でセブンはキリトの介入を快く思っていない。
ただしSAO時代のキリトと周囲の意志を見てこれの着想を得ているように、セブン自身はキリトの事を非常に高く評価している。
・《
システム外スキルの一つ。《武器破壊》の応用。
一ドットの攻撃判定を属性攻撃で叩く事で魔法を相殺、無力化する技。
原作では属性が付与されたソードスキルでしか出来ないとあったが、属性攻撃付与魔法は《ロスト・ソング》に見られたので、そちらを流用し、『魔法属性を付与する事で通常攻撃でも相殺出来る』設定になった。自身の攻撃速度をコントロール出来るので原典よりやや難易度は下がっているが、高速で飛来する魔法の一点を狙って切る難易度は健在で有り、魔法攻撃のショックを上回る剣速でなければらダメージ判定で負けてしまうので、以前超高難易度システム外スキルである事に変わりはない。
原典キリトは『GGOで対物ライフルの弾丸を斬った』経験があったから出来た。《ザ・シード
本作キリトは素で脳の加速を行える上にIS戦闘で銃撃戦も経験済みのため出来た。
ちなみに原典仕様のソードスキル版魔法破壊は闘技場での対シウネー戦で披露済み。
・赤輝剣リメインズハート
覚悟を表すべく取り出された左手の剣。
SAO編で描写されていないが、80層攻略記念パーティーの為にキリトを連れ出した一人《リズベット》が受け入てた鍛冶クエストで作られる武器。原典ゲーム《インフィニティ・モーメント》では比類ない強さを誇っていた。フィリアが登場するVita版《ホロウ・フラグメント》に於いてもイベントを進めれば手に入るが、お察しである。
右手に黒、左手に赤。
・翡翠剣ダークリパルサー
今話でリメインズハートに取って代わられた剣。
元々『
後生大事にデータ倉庫の奥深くに仕舞われている。
――ちなみに《ⅩⅢ》登録装備は全て『装備者のHP』と連動しており、一度キリトは全損して蘇生されているので、本来SAO時代の武器を持っているのはおかしい。
その点、シノンやキリカ達はALO産の武器を使っている。
・
「*地獄の業火に焼かれてもらうぜ」キンッ
ケツイを固めちゃった主人公。
《Undertale》に於けるSansポジ。初手瞬殺はリスペクト。『手段を択ばない』系キャラならこれくらいしてもおかしくない。
ニンゲンの行動を見届ける立ち位置が原典Sansだが、キリトはその立ち位置なクセしてプレイヤーを纏めて虐殺するという矛盾を生じかねない事をしでかしたがキニシテハイケナイ。
Sansがケツイをキメたら最強だと作者は信じている。
色々と画策していて、複雑でわかりにくいよう煙に巻いていたが、究極的にはSAO時代と変わらず『仲間の為』に動いていた。
初期と異なりリーファ達にのみ焦点を当てているので《クラウド・ブレイン》そのものを止める気は無い。もし止めるならあらゆる手でクラスタを崩壊に導いていた。キリトにはそれが出来る伝手と能力、SAOで須郷の企みを阻止した実績があるので、決して夢物語では終わらない(Bad endルート)
しかしそこまでするとリスキーな上にレインへの『サービス』を果たせないので律儀に自分が苦労を背負い込んだ。
合戦系クエストを、軍勢が纏まっているところで一掃、絶対的不利を覆したのでロキ側の戦力は一切消耗していない。
セブン達に『中央塔で待つ』と原典スメラギと同じセリフを吐いて立ち去る。
SAO時代に数千以上の人間を纏めて相手取った事がある風に言うが、ユウキの記憶には無い模様。
ちなみにフレンドには見えるプレイヤーネームが見えないがセブンと対峙したのは《Kirito》本体である。
・
「……?!」(何が起きたか分からず茫然自失)
頑張って集めた軍勢を一掃されちゃった神輿。
《Undertale》に於ける『落ちたニンゲン』ポジ。周囲の関係を考えると二週目以降限定のP(全員生存)ルートだが、何故かG(虐殺)ルートに突入している。
何故も何も脳波統合が原因です。
・リーファ
キリトの事を最も理解していると言っても過言ではない人物。
以前から凡そ察していたので『ああ、やっぱりな』と確信を深めるに至った。それを仲間と共有した事で全員戦意復活。
今事件でのMVPは間違いなくリーファである。
――誰も彼も救う気でない事に内心安堵している。
それはそれとしてあんな切り札持ってたのは流石に予想外だった。
・ユウキ
キリトが大きく行動した事で色々と察した子。恋慕の想いは伊達じゃない。
キリトに抱いていた不信感はほぼ払拭されたが、一人で背負い込んだ事には変わりないので怒りは健在。でも本気で想われている事への嬉しさでちょっと怒りがどっか行きかけている。
他人が分かるようで分からない程度にデレデレ。
どれが詠唱でどれがただの会話か分からないので『魔法や魔術入れるともう勝てないかもなー』とやや諦観気味。
・ユイ
義姉の推察を聞いて多重エラーが全解消。
――したはいいものの予想を上回る初見殺しの手にしてやられ、とても悔しがっている。具体的には義姉の面子とか。
当面の悩みはキリトと戦いに行くか否かである。
・シノン
色々と不安定で病みかけていたがキリトの信用確認の眼差しと思惑の理解により回復した。
それはそれとして色々と言いたい事があるので今度呼び出す腹積もり。
キリトがいる中央塔にはみんなと相談して決めようと考えている。
・アルゴ
自称キリトのオネーサン。
クリスマスで際どいサンタコスして一緒に寝るほどキー坊の事がお気に入り。
色々とモヤモヤが取れたお蔭でハイライトが帰って来た。でも内心怒ってるので、今度思いっきり怒ると決めた。
泣いてもタダでは転ばないのがアルゴのアルゴたる由縁である。
プレイヤーの枠を飛び越え始めたキリトを見て内心引いているのはアルゴだけのヒミツ。
・クライン
弟分の少年にまた庇われた事が分かって頭に来ている。
何もかも終わったら一回全力でぶん殴りたいが、それで距離を取られても困ると悩み中。
《オリジナル・スペルスキル》の幅の利き様に運営大丈夫かと首を傾げている。
・レイン
一切登場しなかった《ロスト・ソング》に於けるヒロイン。
実は仲間内でいちばん《クラウド・ブレイン》対象者に近い。
・キリトが使った《魔術》
名称:サーマル・エンチャント
詠唱:『サーマル・エンチャント』
動作:特に無し
効果:装備判定を受けている武器全てに炎属性を付与する。
『炎属性+5%/60秒』
『同属性付与で時間回復』
『別属性付与で効果上書き、消失』
※《魔法破壊》と弱点属性を手軽に付けるよう詠唱の短縮を突き詰めた結果無いに等しい属性付与率になっているが、本人が扱いやすさを重視しているので、ダメージアップはあまり重視されていない。
名称:ブラスター・フルバースト
詠唱:『今日は攻略にうってつけの日だ。仲間は大勢いる。時間もたっぷりある。こんな日くらい、おまえみたいな天才は、理想を抱いて溺死しろ』
動作:両手を前方に突き出し、両脚を肩幅に広げ続ける。
特殊:以下の条件を満たす事で発動条件を緩和する。
『《ⅩⅢ》装備』
『コート・オブ・ミッドナイト
『ベルト・オブ・ミッドナイトΩ装備』
『ブーツ・オブ・ミッドナイトΩ装備』
『狂戦士の腕輪装備』
『ユイの愛雫装備』
『心無い天使』
『孤独の指輪装備』
『ハイパーリング装備』
効果:武器オブジェクトの先端から直線状に闇or光属性の光線を放つ。判定オブジェクトは、術者の所持権限があり、且つオブジェクト化されている武器全て。
消費:1『HP 99%』
2『MP100%』
特殊効果:『ダメージ毒レベル1』
『与ダメージ0.1%分HP吸収』
『与ダメージ0.1%分MP吸収』
――セブンとのやり取りの為だけに作られた《魔術》。
以降日の目を見る事は無い。初撃以外は。