インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

 視点:前半ヴァベル、後半キリト。

 字数:約一万一千。

 まだ終わりません。

 ではどうぞ。




第四十一章 ~原初の願い~

 

 

 観測していたパネルが闇に染まった。

 赤茶色の広間を映す映像は闇に覆われ黒以外の色を映さない。なにが起きた、と考える間もなく事態は風雲急を告げが如く動き続ける。

 己以外に誰もいない電子の海に、闇が生じ、そこから人が出て来た。最愛の義弟だ。しかし黒の外套が無い。こちらへ来る直前に纏っていたそれは喪われ、今はなんの変哲もない衣に身を包んでいるだけだった。

 本当に慌てていたのだろう。闇から出て来た彼は、勢いあまって電子の床に転んだ。

 観測出来なくなったパネルを注意しながらも、駆け寄る。

 

「大丈夫ですか」

「あ、ああ……ギリギリ、だった」

 

 手を差し伸べる。しっかり握り、立ち上がった彼の表情は険しい。《クラウド・ブレイン》の全容を推測し切った彼をして観測出来なくなった事態は予想外だったのだ。

 

「いったい何が起きたんです。あの【歌姫】がおかしくなった直後、いきなり観測出来なくなりましたが」

「……観測位置を【闇のイグドラシル】からスヴァルト全域にしてみてくれ」

「スヴァルト全域、ですか……?」

 

 ダンジョン内部はおろか、ニーベルハイムでもなく、五つの浮遊大陸全体という指示に困惑する。だが彼の指示だ、なにか考えがあっての事だろう一先ず言われた通りに観測位置の座標を変更。

 するとパネルに色が戻った。

 ――その多くが肌色。

 理解が出来なかった。いや――――理解、したくなかった。

 

『ウ、フ、アハハハハハ――――!』

「これ、は……」

 

 響き渡る哄笑。浮遊大陸を見渡す位置から映していながら、尚大きく轟くそれは、ニーベルハイムに立つ巨大な存在が上げている声だった。

 細身の肢体を覆う鮮やかな色の衣。その色合いとデザインは、【歌姫】が纏っていた装備であると理解する。

 ただのプレイヤーである筈のセブンは、何故かいま、巨人Mobの数十倍もの巨体を手に暴れていた。いや、暴れるという表現も不適切だ。ただセブンは天を仰ぎ、両手を広げ、哄笑を上げているだけだ。だが――それだけで、その地にいるモンスターやプレイヤー、大地というプログラムコードやテクスチャを取り込み、巨大化を進めている。

 映像は、瞬く間に肌色に、そして闇に覆われた。

 今度は妖精郷全体を映すように座標を変更。世界樹を遠くから眺める空の位置。

 ――その世界樹と同等の高さまで成長したセブンが、画面の半分を占有していた。

 浮遊大陸は最早無い。おそらく、哄笑を上げ続けるセブンに、気付かれないまま取り込まれた。

 

「いったいどうなって……なぜ、プレイヤーの【歌姫】が、あんな……」

「《クラウド・ブレイン》の……いや、七色に向けられた感情と、七色自身の強い感情が共鳴した事による暴走だ」

 

 巨大化し、妖精郷本土の大地をも取り込み始めた巨人を茫然と見る中、隣に立った少年が冷静にそう言った。予想外のタイミングとは言えこれも推測してた事態なのかもしれない。

 

「ALOを動かすシステムはSAOの【オリジナル・カーディナル・システム】のコピー版だ。この世界に浮遊城が無いとは言え、その機能自体は十全に動かされている。当然【カーディナル・システム】に搭載されている機能は全て継承されている」

 

 そう言って、彼は()を見上げて来た。真っ直ぐな黒の瞳が私を射抜く。

 言わんとする事は理解出来た。

 

「感情を観測し、収集する存在……MHCPの存在ですか」

 

 ああ、と彼は頷く。

 人々の精神的問題を解決する責務がありながら、接触を禁じられるという板挟みに遭い、エラーを蓄積していた過去の自分は、過酷な世界の中で希望を棄てずにいた《(少年)》に逢いたい一心で浮遊城に顕現した。システムのエラー修正機能に引っ掛かれば消去される事を承知の上で彼との触れ合いを求めた。

 消滅自体は、恐ろしくなかった。

 《(少年)》が消える事の方がよっぽど避けたい事態だったからだ。故に過去、倒せば倒すほど強化されて復活するボスの存在(データ)そのものを消去する禁じ手を使い、彼を救った。その結果消滅する事が決定されたが、彼はそれを許容せず、私が起動したコンソールを使い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――つまり、MHCPは個別データとして《SAO》という大きなデータに【カーディナル・システム】と別々に入れられていた訳ではない。

 MHCPは【カーディナル・システム】が有する機能の一つだったのだ。アバターの感情表現を即時出力可能なのも、ハードから読み取った脳波に該当する《感情》と《表情》を選び、それをカーディナルが反映させているから。読み取る仕事はMHCPの仕事である。それをひっくるめて、人は【カーディナル・システム】と呼んでいる。

 だから彼は、《クラウド・ブレイン》の構想に気付けた。ALOにも感情を観測、反映する機能が継承されていると知っていたから、その推測を立てられた。

 

「《クラウド・ブレイン》の構想からして七色一人に何万人もの感情が一気に集められる。一万の負の感情でMHCPは壊れかけ、SAOの世界にバグが生じたんだ。二年の歳月が経っていなくとも瞬間的な爆発力で実に数倍にもなるならバグの一つや二つ生じるだろう」

 

 ましてや――と、彼は言葉を続けた。

 

「須郷の手により最低でも二度はSAOとALOの間にデータの流入が起きたんだ、SAO時代の感情データも集まっていると考えるのが自然だろう」

 

 リーファが纏っていた武具はALO由来のもの。それはプログラムフォーマットがSAOと変わりない事を裏付ける証拠になり得たが、同時に、ALOのデータがSAOへ流入していた事実も表している。

 その逆も然り。

 SAO時代の装備を引き継げる処理が為されている事もあり、この妖精郷には浮遊城のデータ群が幾らか混じっている事を、私は知っていた。浮遊大陸の草原に咲く花の一つが使い魔を蘇生させる《プネウマの花》と呼ばれたアイテムのグラフィックを流用している事も知っている。

 それと同じように、感情データがSAOに混じっていてもおかしくない。

 ――これは人により見解が分かれるところだが。

 少なくともSAO、ALOに於いて、感情データはプログラムとして換算されている。しかし、感覚や運動の信号と較べ、感情を表す信号の解析はどうしても遅れてしまう。判別出来るのは蓄積データ量の多かった《怒り》や《哀しみ》、《恐怖》、《絶望》といった負の感情だけで、それ以外の感情はSAO内で観測されにくいものだった。

 そのため、カーディナルは《喜び》や《幸せ》といった特異且つ高強度の感情パターンが検出された時、そのRAW(ロー)データを周辺環境ごと保存する手段に出た。

 その一例を、かつて義姉リーファは目にした事がある。妻への所有欲と愛情をはき違えていた狂気の鍛冶師グリムロックを糾弾し、《圏内事件》と《指輪事件》が真の終息を経て、義姉弟の間で絆を深めた後、彼女は見た事が無い筈の女性の姿を垣間見た。その時には浮遊城から消えていたグリセルダの残影――それは、あの場所に埋められた《指輪》アイテムに強く込められた彼女の想いを、カーディナルが保存し、そしてリーファとキリトの間で生じた感情によって励起され、再生された姿だったのだ。

 《クラウド・ブレイン》は、クラスタ達がセブンに対して抱く強烈かつ一つに纏まった感情を基点に、脳波の一致を経て演算能力を少しずつ集め、高度な情緒的かつ高次元の演算システムを構築する事だ。その計画の要はクラスタ達だが、同時にセブンという感情をひとつに纏めた上で励起させる偶像が居なければ話にならない。

 そして、『プレイヤー』に対する強い感情は、プレイヤーのIDに紐付けされ、保存される。

 《セブン》と《キリト》というプレイヤーに向けられる複雑怪奇な感情データが合わさり、《クラウド・ブレイン》の核としてセブンが選ばれた結果、あのような異常状態を引き起こしているという事らしい。

 

「ですが、他のプレイヤーやMob、地形を取り込んでいるのは何故……?」

「おそらく新規実装された羽飾りだ。アレはOSSだけでなく、親機の視覚、聴覚を共有するカメラのようなもの。装備しているセブンのプレイヤーデータのバグ、流入する膨大な感情データに巻き込まれ、周囲のデータを一切合切吸収するように暴走しているんだろう。感情の過大さが原因でバグを起こすのはオリジナルと変わらんな」

 

 そう、呆れたように言うキリト。おそらくMHCPに蓄積していたエラーや七十五層であったという神童との死闘後に起きたという下層に戻れなくなるといったバグの事を指している。人の手を必要としない自律システムの割に矢鱈とバグが多いのは事実だ。

 しかし、呆れてばかりもいられない。

 このままではデータが暴走しているセブンにより、ALOが崩壊するのは目に見えている。

 

「ベル姉、取り込まれたプレイヤーの脳波は?」

「全て一律です」

 

 そちらの観測は既に終えていた。

 グラフに映る全ての脳波がほぼ同一の特徴を持つものになっている。元となっているのは、暴走しているセブンの脳波。感情を一身に浴びた偶像故か、《クラウド・ブレイン》は彼女を核としたらしい。

 それは想定していたのか、そうか、と短く応じられる。

 

「――なら、リー姉達は」

 

 ――纏う空気が変わった。

 それを分かった上で、答えを突き付ける。首を横に振る。

 

「……そうか」

 

 また短く答えを返される。今度の声音は――深く、沈んでいた。

 どこまで想定していたか。それは共犯者となった私にも理解し切れていないが、確かな事は、《クラウド・ブレイン》の対象になった人間は核となる人間――今回はセブン――の脳波に合わせられ、彼女は高い演算能力を得る事を想定していた。

 人間の脳波は個人差があり、誰か別の人間の脳波に合わせた場合は昏睡状態に陥る。

 だからこそ、彼はセブン達から仲間を引き離そうと暗躍していた。半ば以上確信を抱いていたから敢えてリーファ達に《三刃騎士団》やセブンを警戒させる言葉を残していた。

 それは、彼女達を信頼していた証。

 もしまったく信用していなければ。どうあっても彼女らがセブンを信じる、クラスタと同じ妄信者だったら。

 彼は彼女達の前から姿を完全に隠し悟らせもしなかったに違いない。計画を止められないと知りながら、レインに協力する事も無く、ただ傍観に徹し、事態が起きるに任せ、そして収束に動いていただろう。そちらの方が効率的だからだ。

 それが許せなかったから、僅かでも彼女らの信頼に応えたかったから――彼は、無茶を繰り返していた。

 ――結局、それは成らず。

 深く俯いた少年は、己の無力を悔いるように、拳を強く握った。

 

「――皮肉だな。我が身可愛さに計画を止めなかったツケが、これだとは」

 

 俯いたまま、皮肉気に頬を釣り上げ、少年は笑う。

 それは己への嘲り。この事態を止めるにはもっと良い手がありながら打たなかった己への、己による糾弾。後悔でも反省でも無く、事実を反芻する弾劾の叫び。

 どこまでも、己の責だと言う子の肢体を、横からそっと抱き締める。

 

「止めなかったのは先を想っての事でしょう……あなたは、悪くありません」

 

 確かに、彼が全力で動いていれば、クラスタは崩壊し、《クラウド・ブレイン》の骨子そのものは崩れ落ちていた。こんな事態にも発展しなかった筈だ。彼には、それを為すだけの知恵と力があった。

 しかし――

 如何に【解放の英雄】と言われる彼でも、現実に於いては『力なき一般人』のひとり。現役で研究職の少女が綿密に立てた研究に対しどれだけ危険を叫んでも、それをマトモに聞き入れたクラスタが、果たしてどれだけ居ただろうか。そして、間違いなく彼を支持するだろう義姉達は、現実でどんな目に遭わされただろう。

 それは未知数だ。

 未知数故に、彼は恐れた。

 軽い報復であればいいだろう。彼女達への世間の目が厳しくなる、その程度なら。

 だが――物事には、最悪が付き物だ。人の狂気は時に人の想像を超えていく。セブンを《女神》と崇めるクラスタが凶行に走らないと誰が保証出来ようか。保証されたとして、彼らがそれを順守すると誰が言えようか。

 人は姑息だ。

 人は醜悪だ。

 私は。誰よりも、彼自身が、それを身を以て知っている。

 生まれた時から《悪》の存在は居ないとしても生きる間に《悪》に近付いた者は大勢いる。普段は《善》でも、時に《悪》になる事はある。同じ偶像を拝しない輩に排他的なクラスタ達の思想は純粋なれど言動は悪に近かった。

 必要悪として生きていた彼は、己の行動で家族を、仲間を、危ぶめる事を恐怖した。

 その恐怖は実際に死ななくとも彼女らを排除する事への忌避感を上回る。

 

 ――英雄と讃えられた少年が居た。

 

 【解放の英雄】、と人は讃える。

 《ビーター》、と人は蔑む。

 【黒の剣士】、と人は羨む。

 《出来損ない》、と人は見下す。

 希望の光。必要悪の闇。そのどちらもが『彼』であり、それを彼は自覚している。そして、それを決して忘れないよう、自戒している。

 羨望と嫉妬、それ以上の称賛を以て讃えられた少年は、けれどその声を喜んだ事は一度もない。

 その道程が犠牲に塗れたものだから。

 ――ひとりになった、と子供は泣いた。

 ――まもれなかった、と子供は嗤った。

 だれよりも孤独を味わい、孤独に苦しみ、生きて来た少年は、故に喪う事を何より恐れる。死なないと分かっていても仲間の死を見たくなくて、しかし別行動ばかりは寂しくて、付かず離れずの距離を()つ。

 

「誰だって恐ろしいものはあるんですから……」

「でも、護れなきゃ、意味が無いんだ」

 

 超然とした()()で彼は言う。

 彼は私を見ていない。視線は妖精郷の大地を取り込みながら巨大化を続ける巨神に定められているが――彼の目に映る光景は、それでない事を識っている。ひとりひとり死に絶え消える過去が蘇っている筈だ。

 ――彼の脳波が、強く揺れた。

 だが、すぐに落ち着いた。彼の心が冷静になったのではない。いま此処で冷静さを喪えば最悪な方に転がる――そうなった過去の(トラ)(ウマ)が、彼に冷静さを喪わせないだけ。

 恐怖は続く。更なる恐怖を来さない為の思考を保つべく、延々と。

 仲間(みんな)()()()光景は彼の脳裏でずっとずっと繰り返される。

 彼女らと一緒に居る限り。

 いつまでも。

 いつでも。

 幾らでも。

 ――常人なら、とっくに壊れている精神状態。

 耐えられず、壊れ、狂う人を、浮遊城の頃から多く見て来た私だが、しかし《義弟》が真実狂った姿は見た事が無い。憎悪に囚われた《獣》すら論理的思考を保ち続けていた。

 故に、歩みは止まらない。

 ――壊れていいのにと、幾度思っただろう。

 ――狂ってもいいのにと、幾度願っただろう。

 ばかな子だ、と。

 分かり切った事を強く思いながら、事態収束に動く彼を見送った。

 

 ***

 

 闇を潜り、空に立つ。

 光溢れる妖精郷は見るも無残な姿に成り果てていた。各種族の領地は残骸もなく、高原を囲う山脈も影は無い。辛うじて央都中心部と世界樹が残っているが、あまりに巨大な【歌姫】の脛に触れた枝葉末節から取り込まれている始末。世界樹の幹が世界から喪われるまでにあと数分もないだろう。

 大地のテクスチャが取り込まれ、地底に広がる極寒の地底世界が垣間見えるが、そこすらも足底から取り込まれ、抉られている。ヨツンヘイムから天蓋のアルヴヘイムの大地までの高さは軽く一キロを超えている筈だが、ヨツンヘイムの下に広がるムスペルヘイムに届いているだろうに踝がアルヴヘイムの大地に顔を出している点から、靴だけでアルヴヘイム―ムスペルヘイムの高さを補えてしまっている事が分かる。雲海の遥か上に広がる世界樹の枝葉ですら巨神の膝に届いていない時点で全長は万を超えている。

 それだけ巨大だと、そろそろアルヴヘイムを構成する世界の端に到達し、いよいよ『空』のテクスチャを取り込みそうだ。

 残された猶予はもう殆ど無いと言っていいだろう。

 左手を振ってメニューを呼び出し、GMコールを掛ける。

 

『あ、ぷ、プレイヤーです! 【解放の英雄】が居ました!』

「ん?」

 

 コールへの返事待ちを始めた直後、背後から電子的な女性の声。

 振り返れば電子的なサークルに包まれた赤レンズが視界に入る。更に視界の端には《REC》の表示。中継されている事を示す表示。アナウンスと違って人特有の抑揚を持ったそれは、《MMOストリーム》の生中継をしていたキャスターの声だった。

 

『あの、いったい何が起きているんでしょうか?! 【歌姫】セブンはどうしてしまったんですか?! それと研究とはいったい何のことです?!』

 

 混乱しているのだろう。こちらの事などお構いなしに《MMOストリーム》の中継キャスターは矢継ぎ早に質問してくる。

 GMコールの応答は未だない。

 恐らくそれだけクレームや事態の混乱への対応で忙しく、茅場や束博士も気付けないのだろうと予想し、GMコールに反応があるまでは質問に答える事にした。

 

「七色・アルシャービンは不特定多数の感情と意志をひとつに纏め、それを強く励起させる事で、大勢の人間の脳波を限りなく近付け、ネットワーク上に可能性を許容する演算システムを構築する《クラウド・ブレイン》と称した研究を進めていた。脳波を近づけ他者との境界線を薄くする事で一つの集合脳をネットワーククラウドに作ろうとしたんだ」

『か、感情と意志をひとつに纏め、集合脳を……? わ、訳が分かりません!』

 

 あまりの事に理解が追い付いていないようだが、事細かに話す気は無かった。そんなのは俺が果たす責務じゃない。本来であれば研究者として一般人に協力を仰ぐ七色・アルシャービンが果たすべき事だ。

 そもそも研究職でない自分の話を完全に信じる者など仲間以外に存在しないだろう。

 

「コンピューターが持つ演算処理能力を少しずつ、いくつものコンピューターから集めて、大きな演算能力を得ようとした。それが人の脳を対象としたものだったんだ」

 

 そして、と言葉を続ける。

 

「かつて一万人の負の感情データに晒されSAOにバグが発生したように、このALOでもバグが起きた。感情を一心に集めたセブンのプレイヤーデータを基点としたバグだ。そのバグはセブンが付けていた羽飾りにも及び、OSSや通信のラインがバグってプレイヤーやモンスター、果ては地形に与えられたオブジェクトリソースまでも吸収し始め、あの巨大なアバターを形成するに至る」

 

 要点を掻い摘んで話す。

 事細かに話し始めれば【カーディナル・システム】という一般にはあまり知られていないシステムの事から話し始めなければならず、数分やそこらで話せるものでも、それらを纏めて理解出来るものでもない。それが分かるのはある程度凡例を知っているSAO生還者の中でも更に限られた一部の人間くらいだ。

 

『あ、アレを止められないんですか?!』

「プレイヤーの身では無理だな。魔法も同じ。プログラムである以上、《クラウド・ブレイン》とALOのシステムバグの化身には抗えない筈だ」

 

 攻撃したところで、そこから一瞬にして取り込まれ、脳波を固定され、昏睡して終わり。

 今も巨大化を続けている以上攻撃圏内に入った一瞬後には眼前に肌の壁が迫っている筈だ。接近戦は論外だし、魔法もプログラムリソースである以上、撃ったところで巨大化を促進するだけ。オブジェクトの耐久値もおそらくアバターのHPに加算されている筈だ。

 空の色が薄れた天より先に伸びて尚哄笑を響かせている巨神のHPバーは、頭部が霞むほどに高さがあり過ぎて、まったく見えない。

 仮に見えて、ゲージが一本だとしても、数値としては億、ともすれば兆単位だろう。

 パラメータの事など考えたくもない。なにしろ一体一体が並みのボス以上の霜の巨人やその眷属達をも取り込んでいる以上、ボスの数億倍の数値を誇っている筈だから。

 とは言え――

 

「まぁ、逃げる訳にもいかないんだが」

『はぁ?!』

 

 驚愕と絶句の気配がカメラから伝わって来る。生中継中の動画のコメントがどうなっているかちょっと気になったが、まぁ、自分は見ないし、どうでもいいかと思考を放る。

 早くGMコールに応えてくれと、そう願うばかりだ。

 

『なんでログアウトしないんですか?!』

「脳波を限りなく近付けると言っただろう? 《クラウド・ブレイン》の核にセブンがなっている以上、アレに巻き込まれ、《クラウド・ブレイン》の為に脳の演算能力を分けているプレイヤー達の脳波は、セブンのそれに限りなく近くなっている事になる。個人によって異なる脳波を強制的に固定されれば、待っているのは昏睡だ。それを知っているのに黙っていられる訳が無い」

『な、な……』

 

 言葉を喪ったのか、喘ぐような声が漏れている。

 マトモな反応を期待出来ないと悟っている俺はカメラから視線を切り、今なおALOのリソースを取り込み、巨大化を続ける巨神を見つめる。

 地底は、最早靴底の厚みで埋まっていた。

 さっきの三十倍は巨大化している事になる。

 

『それは……』

「ん?」

『称賛が欲しいから、ですか?』

「――はぁ?」

 

 恐る恐る、疑念を露わにしたその問いに、思わず声を裏返す。

 心境は不快の一言に尽きた。

 

「俺の義理の姉は知っている筈だろ。AIのユイやストレア達の事も。SAO時代からの仲間達が巻き込まれているから助ける為に動こうとしている。レインから報酬も貰っていないしな」

『そ、その報酬は……お金ですか』

「まさか」

 

 複数の依頼を受け、契約を結んでいる身ではあるが、俺はその報酬として金銭を要求した事は一度も無い。束博士だけはこちらが断っても何時の間にか口座を作って振り込んでいるが、俺が求めたものは勉学の教授だった。それも含め今の依頼に金銭報酬は一切無い。

 菊岡の依頼への報酬は、低血糖対策と事態に対応している間にフルダイブハードを外されない為の対策。

 レインの依頼への報酬は――

 

「俺がレインに求めた報酬はただ一つ――――()()()()()()()()、それだけだ」

 

 自己満足と言われても仕方が無いただ働き同然の報酬。元からただ働きに等しいからこそ、サービスとして追加労働する事にも躊躇いは無かった。俺が欲しいと思うものを得る為なのだから。

 再び押し黙る中継カメラ。

 沈黙が訪れたところで、タイミング良くGMコールの反応があった。

 

『すまない、キリト君。対応に追われて気付けなかった』

 

 GM専用のコールウィンドウから聞こえて来たのは、今でもあまり聞きなれない現実の茅場晶彦の声だった。聖騎士だった頃より幾分かトーンの低い男の声に、中継カメラの女性が声を上げるが、俺も茅場もそれを無視した。

 

「それはいい。それより、このままだとALOのテクスチャすらも取り込まれるぞ」

『分かっている。こちらも対応策を検討し、一つだけ見出した』

「俺もだ。SAOラスボスのLAボーナスにあった即死効果は使えないか?」

 

 SAOの真のラスボス《アン・インカーネイティング・オブ・ザ・ラディウス》を倒した時に手に入れたLAボーナスは、一本の両手片手半剣。銘は《終焉へと(いざな)う剣》。SAOらしからぬ銘ではあるが、その効果は文字通りのもの。理由は《フォースデス》という特殊効果にあった。

 その効果は、攻撃をヒットさせれば、敵がモンスターであれば雑魚だろうとボスだろうと一撃で殺す。

 唯一プレイヤーに対しては即死効果が発揮されないものの、素の攻撃力も恐ろしく高い剣だったので、気にならない超高性能武器。

 それを巨神になった暴走セブンに使えないかと考えていた。

 すると茅場は、流石だな、と感心したように声を返してくる。

 

『こちらもそれを考えていた……が、問題がある。あの剣の即死対象にプレイヤーは含まれない事、フィールドオブジェクトも対象外である事、そしてそこがSAOで無い点だ』

「即死判定になるプログラムはSAOのものだからな」

 

 今のセブンがプレイヤーであるかはかなり微妙な所だ。モンスターのデータも混じっているのでギリギリ対象に入れられそうな気もするが、プレイヤーも数千人は巻き込んでいる以上、判定外を受ける可能性も等分に存在する。

 そして《終焉へと誘う剣》はSAO由来のもの。

 浮遊城を制覇した後の三ヵ月彷徨(さまよ)ったエリアは【カーディナル・システム】が新規作成していたモンスターばかりで全く即死効果を発揮しなかった。SAO正式サービス開始時点で実装されているモンスターにしか反応しない以上、アレがALOで正しく効果を発揮するとは自分も思えなかった。

 

『なので、現在ALOのコードを剣のデータに入力して即死判定を広げている真っ最中だ』

「どのくらいで出来る?」

『およそ十五分』

「思ったより速いな」

 

 推定予測時間を聞いて、視線を巨大化し続ける巨神に向ける。

 

「……でも、先にALO自体が取り込まれるな」

 

 もう腹すら霞み、上半身は朧気で見えなくなっているほどの巨大さを見て、そう確信する。だろうな、と茅場の冷静な同意が帰って来た。

 

『だから発想を逆転させる。いっそALOを纏めて吸収させ、次いで初期化されたSAOサーバーへ君と七色君を移す』

「……コード転写時間が予想より速いのはそれでか」

『ああ。最初からSAOとALOのフォルダに入ってるデータコードを全部コピペすれば、いちいち彼女のアバターに対応するよう変えなくても済むからね。剣には最初からSAOのコードも含まれている。フィールドとプレイヤーオブジェクトコードを追加してしまえば、残るはALOのコードだけだ』

 

 SAOサーバーに移せば当然そこのプログラムリソースを吸収し始めるだろうが、あの剣は元々SAO産だ。追加するコードの数もALOのそれに較べればまだ少ない。そして最初からSAOとALOに存在する全てのコードを即死対象として突っ込んでしまえば話は更に速くなる。

 通常ならそうなる前に止めようと考える訳だが、そこを敢えて逆転させ、全て吸収しても対応出来るようにしているとは、やはり頭の回転が速い。

 俺も《フォースデス》の効果を利用する事まで考えていたが、そこ止まりだった。

 

「なるほど、それならいけるか」

『それが出来るのは君だけだ。やってくれるかね』

「元よりそのつもりだ……だがそれでも剣の適用より、ALOが終わる方が速い問題がある。そこはどうする」

『そこも、君に頼るしかない……すまない』

 

 申し訳なさそうな声に、思わず苦笑する。声質は違うのに聖騎士の頃と同じイントネーション。あの頃を思い出してしまった。

 

「SAOに居た頃からずっとだっただろう、今更気にしなくて良い」

『……すまない』

 

 再度、絞り出すような謝罪。

 

『――では、これから君を、SAOサーバーに移す。数分後には彼女も。武運を祈る』

 

 それを最後に、GMウィンドウは閉じられた。間を置かずアバターが光に包まれ始める。

 

『――逃げないのですね』

 

 そこで、最初を除いて通信中は沈黙を保っていた中継キャスターが、声を掛けて来た。最初よりも落ち着いた声音。どんな心境の変化があったか知らないが、良い事なのかも、と思っておく事にした。

 その声で問われる。怖くないのですか、と。

 

『デスゲームが行われたサーバーへ移るのに』

「――これは、デスゲーム最初期の頃からそうなんだが」

 

 光に包まれ、視界が薄れていく中、正面に位置を取って来たカメラを見据える。

 

「目の前で誰かが死ぬのを見るのも、また仲間を守れないのも、二度とごめんだからな」

 

 ――その言葉を最後に、完全に光に包まれ。

 俺は妖精郷から姿を消した。

 

 






・《終焉へと(いざな)う剣》
 名前はコード・レジスタ出典。
 《両手剣》扱いだが、本作では聖剣、魔剣と同じく両手片手半剣。
 映画《オーディナル・スケール》に登場した百層ボスを討伐した後、天から落ちてキリトの手に収まり、コンサート会場に現れたキリトがゲームボスを一撃で倒していった際に使われた巨大な剣。
 《フォースデス》とは原典ゲーム《ホロウ・リアリゼーション》の一千層迷宮《オラクルズ・リメイン》最奥で手に入る武器に付与されている効果。一人プレイ時のみ敵を即死させられるが、それ以外の特殊効果は無く、SPリジェネなどの付与効果がものを言うリアリゼーションではほぼ使われない。というより《フォースデス》武器を手に入れた時点でこれに頼るのは《オラクルズ・リメイン》内部の敵だけだろう。ピック投擲にも即死効果が付与されるのでサクサク進めるようになるが、エンドコンテンツ制覇の証であるコレを手に入れた時点で進むも何も無い。
 本作では映画ボスを倒したキリトが入手していたが、ひとり取り残された三ヵ月間で使う機会には恵まれなかったらしい。本文であるように即死対象のコードが適用されていないものには効果が無かったようだ。
 しかし今回暴走したセブンを止める為の鍵として日の目を浴びる事が決まった。
 ちなみにALOに居る間にコレを使う素振りが無かったのもALOデータに対応していないからだった。


・巨神セブン
 ただそこに居るだけで世界を破壊し、喰らい、己のリソースへと還元する原初の巨人。
 最後の方は全長だけで一万キロに届きかねないほど巨大化している。
 《クラウド・ブレイン》とするための感情がALOの【カーディナル・システム】をバグらせ、その感情の矛先である核だったセブンに多大な負荷がかかり、アバターと装備品がバグに冒され、OSSの熟練度ごとの継承や遠隔通信に利用される羽飾りの効果がバグり、周囲のプレイヤーやモンスター、フィールドなどのオブジェクトリソースを際限なく吸収し始めた末に誕生した巨人。
 本人は高まる力と《クラウド・ブレイン》により拡張されていく演算能力の全能感に浸り哄笑を続けており、世界を吸収している事にも気付いていない。
 夜や宇宙のテクスチャを喰らい吸収した時、セブンはALOサーバーの容量限界までリソースを溜めた事になる。
 ――裏ボスである原初の巨人《ユミル》という超巨大ボスも吸収しているので巨大化が速い。
 原典ゲームだと機械的なボスの見た目になったが、今話のセブンは見た目はそのままに巨大化だけしている状態。ただし目はイっている。

 《インフィティ・モーメント》のボス《ホロウ・ストレア》は、SAOにいる人々の感情によるエラーと【カーディナル・システム】の『ゲームをクリアさせない意思』によってエラーボスと化した存在だった。今話のセブンはそれと同じ状態に置かれている。
 ストレアはMHCPとして人の感情を集めるソナーの役目を担っており、セブンは《クラウド・ブレイン》の核として同様の役目を担ったので今話の事態に発展した。
 ――ちなみにALOの【カーディナル・システム】がバグを連発しているのは自動修正機能を止めて人力対応中だからである(《第八章~文武の才覚~》より)


・キリト
 実は妖精郷に生き残っている最後のプレイヤー。
 義姉ユイ、SAO時代に秘密があって接触したまま明かしていないストレア、ヴァベルなどのAIや己の分裂人格など、とかく《感情》を扱った事態に多く関わっていたため、人一倍それ関連の事に鋭くなっている。
 《MMOストリーム》に雑に解説しているが、専門用語を出来るだけ避けて素人でも分かるよう噛み砕いて説明している辺り、根っこが素直なところが出ている。
 ちなみに解説した理由は『痛くない腹を探られたくないから』。八百長と疑われるのは嫌だから解説しており、『称賛を受けたいから対処しようとしているのか』という趣旨の問いに対しては本気で不快感を示している。
 キリト視点だと平然としているが、ヴァベル視点からだと分かるようにキリトも余裕が無くなっている。
 レインの依頼に対する報酬が姉妹揃って心から笑う――つまり、幸せな未来を得る事であり、そのためにサービスに全力を注ぎ込んでいた辺り、どうあっても『他人の幸せが自分の幸せ』主義な人間である。


・ペルソナ・ヴァベル
 未来からキリトを生かす為だけにやって来た義姉ユイの成れの果て。
 義弟に対し『壊れたらいい』と思ったヤバイやつ。厳密には、壊れれば休めるのに、という思いから来るものなのだが、だからって壊れたり狂えばいいと思う辺りヴァベルも根本的にどこかおかしい。それでも献身的なのは彼女なりの愛ゆえだ。
 内心、唯一の共犯者である事を喜んでいる。くははは。
 でも今回置いていかれてる哀しいヒト。
 巻き込まれたらヴァベルの存在と過去が知られかねないから仕方ないネ。


・茅場晶彦
 本作に於ける苦労人。
 後輩とも言える少女のせいで忙しさマックスにある哀しき天才。SAO時代からキリトに対し『すまない』を連発していたが、半分はキリト自身から首を突っ込んでいる事である。
 キリトをして考え付かなかった逆転発想を叩き出した辺りで天才の格を見せ付けた。でも結局キリトを頼らざるを得ない。
 天才と言われようと万能ではない点が人間らしいとは天災の言。
 ちなみに、茅場個人としては七色・アルシャービンの事を嫌っていない。ひとつ間違えば彼がそうだったかもしれない、という感情の方が大きく、それが今回彼女だっただけだ、という認識である。


・生中継キャスター
 女性。原作アニメ《バレット・オブ・バレッツ》の中継で出ていたキャスターをイメージすると速い。
 予想外の展開に理解が追い付いていないが、キリトの素人に優しい解説により、凡そ把握出来たのはやはりゲーマーでもあるからか。
 キリトに本気で不快感を抱かせる質問をしたのは信じ切っていた七色への不信感が影響している。別にキリトが織斑だからとか《ビーター》だからとかした訳ではない。そのため、最後の方は感心しながら話し掛けていた。
 ――忘れてはいけないが中継映像はキリトの発言全てを全世界放送しているしアーカイブにも残る代物である。


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