インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

視点:オールキリト

字数:約九千。

 ――戦力分析と拡充は重要です(迫真)

 ではどうぞ。




第四十二章 ~()()の想い~

 

 

 視界を埋め尽くす光が消え去った時、俺が居たのは巨神が覆い尽くす妖精郷の空ではなく、茜色に染まる無窮の空だった。

 足元はうっすらと見える半透明の床が彼方まで張り巡らされている。ブーツの爪先で感触を確かめれば、確かな硬さが帰って来た。見た目がガラスなので割れる心配は残るが足場に困るという事は無さそうだ。とは言え、あの暴走状態にあるセブンはフィールドリソースも吸収するので、割れようと割れまいとに関わらず空に放り出される事になるだろうが。

 とんだ事に巻き込まれたものだと嘆息しつつ、あまり無い猶予を使って確認事項を消化していく。

 視界に広がるプレイヤーUIの確認。ALOでは緑と青の二色のバーがあった位置には、一本の緑のゲージのみが存在している。数値は記憶にあるSAO脱出直前のものと同値。プレイヤーネームの部分には《Kirito》のフォントが表示されている。SAOサーバーは初期化されているという話だが、ALOからアバターや装備をコンバート出来た以上【オリジナル・カーディナル・システム】は以前のままという事だろう。

 試しに人差し指と中指を立てて左手を振る。ALOであればそれでメニューが呼び出されるが、手はただ虚空を薙いだだけ。

 今度は右手の指を振る。すると、ちりりん、という軽快な鈴の音を伴って記憶にある通りのメニューウィンドウが表示された。

 およそ三ヵ月ぶりとなるSAO版メニューを眺めた限り、レベルやステータスは記憶通り。

 しかし違いもあった。SAOを脱出する時に持っていたアイテム類はほぼ消失している。ストレージに収められているのは、ALOで入手していたものばかりだ。

 

「コンバートの制限、か」

 

 SAOに無かった素材がALOにはあった事もある。アイテムとは『世界(ゲーム)』に由来するプログラムであり、サーバーを統括する【カーディナル・システム】に元から搭載されているものではない。ゲーム毎に仕様が異なる部分は引き継がれないのだろう。

 簡潔に言ってしまえば、『ALOが元を正せばSAOのコピーゲームだから』という結論に行き着く。

 SAOに無い要素、あるいはALOに無い要素の互換性は無く、ステータスそのものはどちらにもあるから互換が利いている。装備が引き継げているのも同様。スキルも、今でこそALOにはソードスキルがあるから存在し続けている。

 しかし思った通り魔法スキルは全てスキルスロットから消失している。《魔術》のOSSリストに関しても同じ。作成していた《魔術》の大半はセブンと《三刃騎士団》に対抗して攻略を進める為の手段だったから、もう殆ど必要ないものではあるのだが、中には仕様の穴を突くような組み合わせで作成していたセット物もあったから、それらが全て消失したとなると一抹の物悲しさは去来する。

 しばし未練がましくスキルスロットを眺めた後、溜息を吐いてメニューを全て閉じる。

 装備の確認は、ストレージに収まっているアイテム類を確認した時に終えていた。装備スロットにも主武装がセットされている事は確認済みである。

 

「さて……どうしたものか」

 

 腕を組んで悩む。

 悩んでいるのは時間の稼ぎ方に関して。

 茅場が告げたコード転写完了までの推定時刻は十五分。しかし最後に見た巨神セブンの巨大化速度を鑑みるに、ALOサーバーが完全に落ちるまであと数分足らずというところだった。長くて十分はこちらで俺が時間を稼ぐ必要がある。

 しかし直接攻撃は出来ない。それでは、こちらのアバターリソースを吸収され、あの巨体の一部にされてしまう。

 《魔法》と《魔術》はない。イメージによる《ⅩⅢ》の属性攻撃は、無からリソースを生み出し攻撃する類のものなので残弾を気にしなくて良いが、使えば使うほどアレの巨大化を進めるだろう。

 迫る肌色の壁に触れた時が俺の最後であり、同時に全てが終わると言っても過言ではない。

 アレを止められなかった時、昏睡状態に陥っているみんながどうなるかは定かではない。永遠に目覚めない可能性だってある。暴走している《クラウド・ブレイン》が意志を持ってネットワーク上を動き回るようになって、情報化社会と言われている現代を暴れ回ったら、目も当てられないだろう。無論飛躍した考えである事は否めないが、同時に否定出来ない話でもある。

 今はALOの《セブン》のアバターと彼女の脳の演算能力を核にしているからALOに留まっているだけである。

 その核を喪って尚《クラウド・ブレイン》が存在し続けたら、あらゆる回線を介してネットワークを徘徊する電子の亡霊と化すかもしれない。

 命を直接危ぶまれる訳ではないが、現実世界が大混乱に陥れば自分とて困る。

 

 それに、そんな事になればあの姉妹が笑う未来は、永遠に―――――

 

 

 

「――――困っとるようじゃのぅ」

 

 

 

 ――突然、背後に気配が生まれる。

 掛けられた声は少女のもの。しかし、声音は落ち着き払ったもので、老成を思わせた。どこか愉しげな含みを持っている。

 記憶している中で一人だけそれに該当する人物が居た。

 振り返れば、数メートル先の位置に少女が居た。少女と言っても俺より数センチ高い。人形のように整った容姿の少女は、ベルベット様の光沢がある黒いローブと、同じ素材の大きな帽子を被っており、老学者然としている。帽子の縁から覗く栗色の巻き毛やミルク色の肌は若々しいものだ。

 何より印象的と言えるのは、彼女の眼だろう。鼻にちょこんと載る丸眼鏡の奥、長いまつげに縁どられた髪色と同じブラウン色の瞳には、並みの大人を超える知識と叡智を感じさせる色合いがある。

 容姿の若さと老練な印象という矛盾した特徴を持つ少女は、仄かに笑みを浮かべ、俺を見ていた。

 その人物は、やはり俺が知る相手だった。

 

「――カーディナルか」

 

 カーディナル。

 枢機卿という意味を持つ単語だが、この場合の呼び名が指す意味はそれではない。

 かつてデスゲームの舞台となった世界を運営、統括していた【カーディナル・システム】――そのオリジナルにして全てのリソースを操る頂点である。こと仮想世界に於いては《神》と同等の存在だ。彼女がその気になれば、人を活かす事も殺す事も、世界を永遠に(とざ)す事すら出来てしまう。

 しかし――そのような無駄な行為を、彼女は決して行わない。

 あらゆる事情に対して平等な対応をするのがAIでありシステムだ。ヒトの形を取り、感情を思わせる態度を取っていても、その根底はどこまでも矛盾無き演算結果に基づいている。

 そう思わせないのは、やはりMHCPを備えているからだろう。

 

「およそ二か月半ぶりか。お主がまたここに来るとは思っとらんかったよ」

 

 クスクスと、笑みを浮かべての言葉。再会を祝す口ぶりではあるがそれが本心ではない事を俺は知っている。

 カーディナルにとって至上の存在は《茅場晶彦》である。己を作り上げた創造主をこそカーディナルは絶対の存在として仰ぎ、それ以外を己より下として見定めている。俺の事も、彼女にとっては『駒』でしかない。仮想世界へ来る茅場晶彦以外の人間全てが彼女にとっては等しく『駒』だ。

 その事実を――俺は、よく知っていた。

 自然(じねん)、少女のカタチをしたシステムへの眼が鋭くなる。

 

「俺とて此処に来るとは思っていなかった。だが、状況が状況だからな」

 

 どうせ事の経緯は把握しているんだろうと含ませて言えば、じゃろうな、としたり顔でカーディナルは頷いた。

 

「事の()(さい)は儂のコピーから聞いとるよ。ああまで感情が肥大化、暴走するとは、げに恐ろしきは人の欲望よな」

 

 まったく恐ろしいと思っていないような顔で宣うカーディナル。微妙な視線を向けていると、何を考えているかイマイチ読み取れない瞳が俺を射抜いて来た。

 

「ともあれ、お主はアレを鎮める為に此処に来たのじゃろう? なにか策は考えとるのか?」

「ほぼ無いと知ってるクセにしゃあしゃあと……コピー・カーディナルの情報を読み取っていたなら俺の思考も読み取ってるんだろう」

「ふふ、すまぬな。こうしてヒトと会話をする機会など無かったのでな。つい(思考)が躍ってしもうた」

 

 傍から見れば屈託のない笑みで言う。許せ、と短く言うそれに謝意が籠められていないのを感じつつ、いちいち反応していては話が進まないため、流す事にした。

 

「ともあれ、策じゃが、儂に案があるぞ。儂と一つになればいい」

「……意味がよく分からないんだが」

 

 簡単そうに言ってのけるが理解の範疇を越えている内容に額を押さえる。SAOを生きてある程度頭の回転が速くなった自負はあるが、そもそも俺の発想は独創性に欠けた貧弱なもの。前例や人の後追いでない事に対する理解力はかなり低い方である。

 もっと噛み砕いてくれと目で促すと、仕方ないのぉ、とどこか愉しそうな笑みで応じて来た。

 

「あの小娘がALOとやらの世界を飲み込めているのは、小娘を中心に巻き起こる感情《クラウド・ブレイン》が儂のコピーをバグらせ、掌握しておるからじゃ。ならそれと同じ事をすればいいのは道理じゃろう? 極論、儂さえ守られるなら、お主が取り込まれる事もない。時間稼ぎの耐久が出来るようになる」

「……あの天才()にしてこのAI()ありだな」

「あまり褒めてくれるな」

 

 はにかみ、誇らしそうにするカーディナル。

 それを尻目に、カーディナルの案がどうかを思案する。セブンがALOのリソース、ひいてはコピー・カーディナルを掌握しているならば、俺はSAOのオリジナル・カーディナルを取り込み、対抗する事で時間を稼げるという話。これはかつてGMアカウントで好き勝手していた須郷を止める為に、プレイヤーの中で突出していた存在――自分に、カウンターアカウントを授け、GM権限を無効化した事をなぞっている。

 ALOのコピー・カーディナルに、SAOのオリジナル・カーディナルをぶつける。なるほど、道理だ。

 

「イレギュラーにはイレギュラーをぶつける、か……だが《クラウド・ブレイン》はどうする。アレは核となった人間の感情で励起された【カーディナル・システム】と異なるもう一つの演算システム。しかも、コピーとは言えALOの【カーディナル・システム】を支配下に置き続けている。俺と一つになったところでオリジナル・カーディナルを守る事には繋がらないと思うが」

 

 サーバーの演算システムはオリジナルの力で相殺できる。

 だが、そもそもサーバーを統括するシステムを掌握したところで、己のアバターにデータを取り込む事は不可能だ。仮にそれが出来るならGMアバターは周囲のフィールドやムービングオブジェクトの全てを取り込める理屈になる。それが不可能である以上、通常のシステムでは行えないという事であり、バグを生じていると言える。そのバグを引き起こしているのが《クラウド・ブレイン》――今回の暴走の根幹だ。

 人の感情によって励起された事で無限の成長と情緒性を有した画一性に欠けた侵食型演算システム《クラウド・ブレイン》。セブン側の演算システムは《コピー・カーディナル》だけではないのだ。

 しかし今の俺に味方しているのは《オリジナル・カーディナル》ひとつ。

 厳格かつ厳正な演算をこそ旨とする【カーディナル・システム】が、コピーとは言え支配下に置かれた以上、ただオリジナルの力を借りただけでは二の舞になる事は俺でも予想が付いた。

 

「――くふっ」

 

 ――その思考を読んだらしい幼賢者は、三日月に唇を歪めた。

 浮かんだ色は喜悦。なぜ浮かんだかは分からず、怪訝な目を俺は向ける。それを真っ向から受け留めながら尚喜悦を浮かべ続けていて、忌避感が胸中に浮かんだ。

 ユイやストレアをはじめとしたMHCPと俺自身を核にしたホロウやキリカを構成するAIプログラムパターンはオリジナルの【カーディナル・システム】の特徴を引き継いでいるという。つまりユイとストレア達の思考をある程度理解出来る俺は、必然的に【カーディナル・システム】の思考も同程度理解を示せる筈なのだ。

 しかし、分からない。

 

「なにが()()しい?」

 

 分からないから、言葉で問い掛ける。

 口元を押さえ、その上でも笑いを洩らす幼賢者は、すまぬ、と震えた声を返してきた。

 

「無知は罪と言うが、お主のそれは愛らしい無垢に近しいの」

「……はぁ?」

 

 いきなり変な事を言い始めたカーディナル(AI)に胡乱な反応を返したのは決しておかしくない筈だ。文脈を察せないのは自分だけでは無いだろう。

 カーディナルは気分を害した風も無く、くすくすと笑みを浮かべ続ける。しまいには『あの()達の思考も分かる』とまで言い始める。カーディナルが言う『あの()達』とは、己の一部であったユイやストレア達の事だろう。

 

「キリトよ。お主の思考を状況に当て嵌めれば、お主は《クラウド・ブレイン》を持たないと言っている訳じゃが……いいや、否じゃ。断じてな。その気になっていないから持っていないに過ぎぬ」

「根拠は?」

「儂の娘達――ユイとストレアの存在よ」

 

 何を言うのか、と言わんばかりの強い言葉で返される。

 

「人の精神的問題を解決する役目を担っていながらデスゲーム開始と同時に接触を禁じられたあの()らがなぜその制約を破ってまでお主に近付いたか。お主が持っていた《光》……生と死の世界に対する克己心に、あの娘らが惹かれたからじゃ。矛盾に陥りエラーを貯めていたAIを揺り動かす程の強い感情がお主にはあった。己の世界を穢された我が父以上の強い想念が、あの娘らを惹き付けた」

 

 ――幼賢者が、隣に立った。

 視線は俺から外され彼方に輝く茜色の太陽に向けられている。だが、視ているものはそれではないと悟る。カーディナルが認めた『俺の想念』――それが引き起こした過去の事象の記録を、回想しているのだろう。

 

「お主に自覚は無かろうが。《クラウド・ブレイン》と小娘が名付けたアレを、お主は過去に一度は体現しておるよ。《アインクラッド》第七十五層ボス部屋に於ける死闘でな」

「……《オリジン・リーパー》との戦いか?」

「そんなわけ無かろう。プログラムされたモンスターの程度でお主は強い感情を呼び起こさん」

 

 顔が向けられる。

 分かっている筈だ、と鳶色の瞳が告げている。

 ――分かっていた。

 ただ、それを認めたくなかっただけ。あの時抱いていた感情は、アレは――――

 

「実の兄、ひいては自身を貶める世界への強い憎悪と殺意が、あの世界を統べていた儂を最も狂わせたのじゃよ」

「――」

 

 明確に、言葉にされる。

 たしかに、アキトに対する殺意を抱き剣を振るった時、俺はSAOで一番感情的になっていたように思える。仲間を傷付けた須郷への怒りを超える純度の殺意。実兄に付属して思い出される過去への憎悪。

 あの世界で築いた関係を上回る長い時を掛け積み重なった()()が、須郷への怒りを上回っていた。

 

「それが儂を狂わせ、バグを引き起こし、ALOとラインを築いていた須郷達を巻き込み、SAOに無かったデータの流入で更にバグが起き、転移門のアクティベートデータや既存アイテムデータに不具合を生じさせた……今のあの小娘と何が違う?」

「そ、れは……」

 

 どうにか絞り出した声は、掠れ、震えていた。

 ――分かっていた。

 あのバグが発生したタイミング。感情がダイレクトに伝わり、システムを狂わしかねない事を、須郷の研究データに目を通す前からある程度察していた。ただ須郷が乱入したのが原因だろうと周囲を納得させていたが――――()()()()()()()()()()()()()()()()という問題は、ずっと宙ぶらりんのままだった。

 だから、察しが付いていた。

 

「あの出来事があったから、儂はお主に目を付け、須郷のGMアカウントの権限を無効化するカウンターアカウントを付与する事を決めた。イレギュラーにはイレギュラーをぶつける事が最良じゃからな」

 

 まあアレが無くてもそうしただろうが、とカーディナルは付け足した。

 僅かでも己の演算を上回る影響を齎したプレイヤーに目を付けるなら、ユイ達のプレイヤーと接触不可の制約破りに関わっていた時点でその条件を満たしている。おそらく未来から来たヴァベルの世界線ではその理由でカウンターアカウントを与えられたのだろう。

 

「強烈な感情を抱いて儂をバグらせる際、あの小娘は何万、何十万という人間の意思を集め、制御できなくなった結果ああなったが、お主は違う。制御できなかった点は同じだが、お主はたった一人でバグを引き起こした……根拠は分かったか?」

「……ああ」

 

 悔しいが、理解せざるを得なかった。須郷を引き込み、SAOの世界にバグを生じさせた原因が俺ひとりの感情なら、その気になれば《クラウド・ブレイン》を構築する事が出来る事になる。

 だが――

 

「だからと言って、出来るかどうか……」

 

 あの時とは状況が違う。相手が違う。リーファ達を昏睡させられた事は許せないが、それも徹底して動けなかった俺への怒りが強い。七色・アルシャービンに抱く感情は、秋十に抱いていた憎悪や殺意に比肩しない。

 ――元々俺は、『自己』が薄い人間だ。

 生への執着が薄く、それを代償するように他者を理由にして生きて来た。

 その『他者』になり得る相手が七色では強い感情を抱き様がない。

 あの時の感情を思い返すのも難しい。当時は人格が分裂していて、純粋な殺意と憎悪のみの《獣》が存在していた。守護的な俺や本能のシロを押しのける強い負の想念の塊だった《獣》――廃棄孔と名付けたそれが、あのバグを引き起こした根幹の筈だ。

 いまの俺は人格を統合し、復讐や憎悪を二の次に生きている。みんなと生きる事の方がずっと大切だから。

 

「カーディナルも知っているだろう。みんなが生きている以上、いまの俺があの時ほど殺意や憎しみに駆られる事は無い」

「復讐は二の次、じゃったか」

 

 サーバー内での事だから当然知っているカーディナルは、確認のように合いの手を入れて来た。それに頷く。ふむ、と彼女は(おとがい)に細い指を当て――

 

 

 

「――つまり、『みなを護る』という()()()()()()()

 

 

 

「――――」

 

 ――思考が止まった。

 数瞬、言われた事が分からなくて、心の中で幾度も反芻して漸く意味を理解する。

 

 そして、愕然とした。

 

 強い感情により形成される《クラウド・ブレイン》をひとりで作り上げられるのなら。

 かつて殺意と憎悪だけで作り上げた事があるなら。

 その上で、いま抱いている最も強い想いが『みんなと幸せに生きる事』と言うのなら。

 

 ――出来ないと否定するのは、つまりみんなの事よりも復讐心の方が重要だと言っているも同然だ。

 

 自覚していなかった。無自覚だからこそ、むしろ罪深い。みんなの事の方が大切だと言っていながら、本当は殺意と憎悪を優先していた。みんなを蔑ろにしていたのだ。

 

「――キリトよ」

 

 愕然とする俺に、カーディナルが声を掛けて来る。

 表情は笑み。優しい、包み込むような笑み。()()を思わせる似た笑みが向けられていた。その笑みで、包み込まれる。華奢ながら僅かに大きな幼賢者が、優しく俺を抱き締めていた。

 耳元に、小さな息遣いが聞こえた。

 

「儂は確信しておる。かつて守護と本能、そして憎悪に分かたれていたお主は、憎悪ひとつで儂を――世界を、掌握した。ならば守護の想いだけで同等の事が出来る筈じゃとな。一つに戻ったいまの人格は、たしかに想いの一つ一つが薄くなっているかもしれんが……」

 

 小さく、囁くような声が、静かに止められ。

 

「浮遊城が牢獄になったあの日から、お主が抱き続けた想いが何なのか。何の為に剣を取り、戦っていたのか。妖精に転じた今も剣を握る理由は何なのか……儂は、知っておるよ」

 

 ――そこで、体が離される。

 否、離れたのは顔だけだった。耳元に寄せられ、言葉を紡いでいた幼賢者の顔が、目前に迫る。優しい光が鳶色の瞳に宿っていた。

 

「じゃがな……きっと、儂なんぞよりも、お主の方がそれをいちばん知っておる。己の憎悪を認めながら尚抗い、自身の在り方を定めたお主の方がお主自身を理解している筈なのじゃ。でなければ、お主はいまごろ世界に仇為す獣に堕していた」

 

 思い出せ、と優しく言われる。

 ――微笑む幼賢者が光を纏い始めた。

 まるで消滅する寸前の光景。脳裏に、消滅を覚悟した義姉の顔が過ぎった。

 

「――そろそろ、あの小娘が妖精郷を喰い尽くす頃合いじゃ」

 

 光の粒子を散らしながら尚ほほ笑む幼賢者が、そう告げる。もう時間は無いと教えてくれる。

 なにも、言葉を発せない。なにも言えない。

 言うべき事が、見つからない。

 何かを言いたいのに、言いたい事が分からなかった。

 カーディナルは、ただプレイヤーを『駒』と見ているだけの存在の筈なのに、なぜそんな優しい言葉を発せられるのか不思議で堪らない。

 

 ――その疑問すら、お見通しなのか。

 

 くすりと幼賢者は微笑んだ。

 

「キリト。人を想える、優しき(おさな)()よ。無垢なる子よ。惑うことは無い。お主はお主らしく剣を取れば良い。ただ心の赴くままに戦え。お主の(ケツイ)は、既に定まっているのだから――――」

 

 

 

 ――瞋恚(シンイ)を、燃やすのじゃ。

 

 

 

 そう言って、幼賢者は光へと散り。その光が俺の体に溶け込んだ。

 

 






・カーディナル
「I'm back to Aincrad  By"C"」(ホロウ・リアリゼーション冒頭より)
 ぽっと出でありながら今話でメインヒロインを張った完全自律システム。
 人のを不要とするシステムでありながらバグに定評のあるシステムだが、全部人間の強烈な感情によるものと明かされ、責任を回避している。それにも対応してこそ完全自律と言えると思うのですがそれは。
 本文中の『げに恐ろしきは人の欲望よ』という言葉は、かつて己をバグらせたキリトに対する強烈な皮肉になっている。同じ事が出来るのに『打開策が見つからない』としょげている姿が気に入らなかった。
 MHCPは元々【カーディナル・システム】の一機能であり、SAO内で収集・観測される感情データは全てカーディナルも検閲している。ユイ、ストレアがキリトに見出した《光》はカーディナルも観測し続けていた。
 MHCPのAIプログラム構成はカーディナル由来のためユイ達とカーディナルの思考に大差は無い。
 つまりカーディナルもユイ達と同じ思考回路を持ち、同じ結論に辿り着く。一人飛び出しながらも絶望し切らなかった子供をずっと見ていたのである。そのため平等厳正なシステムにはあり得ない事に一プレイヤーに全力で肩入れしている。イレギュラーに対しイレギュラーで返すという、セオリーから外れた思考回路をしているのも、イレギュラーばかりの少年に影響されての事。父・茅場晶彦を絶対視しているというが、同じくらいキリトの事も絶対視している。
 ――一応【カーディナル・システム】の『メインとサブは相互に誤差を修正し合う』という特性に合わせ、バグだらけのALO版のサブ的コピー・カーディナルを、SAO版のメイン的オリジナル・カーディナルが修正する形にはなっているので、AI的にも矛盾は(きた)していない。
 ちなみにホロウキリトと手を組んで暗躍していた経歴と今のキリト・ヴァベルが暗躍していた状態には大差がない。正に『この親にしてこの娘あり』。
 ユイ、ヴァベルらAI少女組がキリトに恋をする対等な関係にあるのなら、このカーディナルは『母』としてキリトを愛する、別格の存在である。
 ただし『母としての愛情』だからと言って異性愛が無いとは言ってない。正に『この娘にしてこの母あり』。


・ユイ
 自分がAI姉弟の最年長と思っていたら母親(カーディナル)が出てきちゃったMHCPの一人。
 『ユイ達の思考回路に近い』というより、『カーディナルの思考回路にユイが近い』と言った方が正確。つまりユイが抱いている想いはカーディナルも抱いていると言っても過言ではない事が図らずも立証されてしまった。


・キリト
 《クラウド・ブレイン》の参考にされるどころか一年近く前に単独で実現しちゃっていた主人公。
 一人で数十万人の集合意志に匹敵する想念を持っている事が明かされた。デスゲームの必要悪と希望の両方を体現していた事、世界的に貶められ悪意を受け続けた経歴は伊達では無い。
 ――かつては実兄と世界への殺意と憎悪で【カーディナル・システム】を狂わせた。
 しかし元来、キリトは『人を護る側』の人間であり、そのために己を犠牲にする精神の持ち主。心の底から他者を犠牲にする事を本来は拒絶する。理性を持った今、心から憎悪する事は難しい。

 ――よって、いま再び、【黒の剣士(守護者)】は立ち返る。

 原初の想いは、いまも続いている。



・現状の戦況分析
セブン:コピー・カーディナル
    《クラウド・ブレイン》数十万人の意志の集合
    ALO内の全リソース

キリト:オリジナル・カーディナル
    《クラウド・ブレイン》自分一人の意志の収斂
    ???(字数は答えとは無関係)

ヒント
1)特異な感情、強烈な感情は、アイテムや地形に宿る(前話ヴァベル視点)

2)原作に於いて、『人の想い』は時に『世界』に宿る(カーディナル・システムの流用)

3)感情の収集・観測していたデータは全てオリジナル・カーディナル・システムが検閲している。

4)初期化されていながらカーディナルはSAO時代の事を全て憶えている。

5)戦場になるのは『一万人が閉じ込められたデスゲームだった()()()()』。


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