インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

視点:オール簪

字数:約一万三千。

 ではどうぞ。




番外2 ~A lemnant of the Death Game~

 

 

 二〇二五年五月九日午前一時三十分。

 デスゲームのオープニングセレモニーから三十分が経過した今、中世の街は、数刻前の如く()色に染め上げられていた。

 

 ――その三十分間は、(ただ)(ただ)、殺戮と狂気に満ちていた。

 

 過去を再現された空間に入った黒の少年に、再現された一万の人間が殺到する。死にたくない、出してくれ、帰してくれ――そう(うわ)(ごと)のように叫びながら、一人の少年へと殺到し、殺意を振るった。彼の返事は巨剣の一閃。再現された一万の人々は(すべから)く一刀の下に(ほふ)られていく。

 死にたくない、と叫ぶ男が迫った。首を飛ばされ絶命する。

 誰か助けて、と喚く女が駆け寄った。胸を上下に両断され死に絶える。

 僕は悪くない、と泣く子供が飛び掛かった。頭から胴体、足に掛けて、水平に断たれ、鼻と口とが分かれて墜ちた。

 一閃三殺。

 巨剣は刃の幅は勿論刃渡りも長大なので、(ひと)(たび)振るえば前方広範囲の敵を纏めて斬り裂ける。それを考えれば不可能な数字では無い。それ故、一振りで最低三人は殺す間合いを測り、剣を振るっているようだった。

 とは言え――とても現実的なものではない。

 三十分もの間、一秒の休みも挟まず剣を振るい続けるなど、疲労するのが脳であり、彼が二年以上ものフルダイブ経験を積んだ事で親和性が極めて高いと言っても、尋常ではない労力の筈だ。

 しかし、事実として彼はそれを行っている。行い続けた果てには脳の過労により《死》を迎えかねないというのに。

 そういう意味でも、狂気に満ちていた。

 

『――――ッ!』

 

 無音の気迫。

 鋭い吸気と共に剣が引かれ、呼気と共に振るわれる。大振りの横一閃。彼へ迫る数人の狂者が両断され、黒い靄になってカタチを崩した。

 その黒い靄を突っ切って、一人の少女が突貫する。

 長刀に、緑衣を纏った金髪の少女――

 

 

 

『――カズトッ!!!』

 

 

 

 【剣姫】で知られるシルフの少女、そして彼の義姉として知られるリーファだった。

 そこで、彼の表情に劇的な変化が訪れた。それは驚愕。デスゲーム開始当時には存在しなかった人物が、当時存在しなかった妖精としてのカタチを得て、殺意を向けている。それもその人物は義姉。さしもの彼をして虚を突かれた様だった。

 ――その隙を、残影たちは狡猾に狙い澄ましていた。

 

『いやぁぁあああああッ!』

『ボクは――負け、られないッ!』

『こんなところで――死んで、たまるものですかッ!』

 

 彼に迫る槍使いの女性、紫紺の少女、栗髪の少女達。その三人ともが後に二つ名を得て彼と肩を並べた名立たる英傑。一万人全員が殺意に狂っているならば、彼女らが同じようになっていてもおかしくは無い。

 だが――その道理を、彼の感情は認められなかったらしい。

 前方から妖精。左から槍使い。右から剣使い。背後から細剣使い。四方から同時に迫られ、何れも最大の信を置いている相手だった事もあり、彼の反応は最大まで遅れていた。

 グジュ――と。都合四度、音が重なった。

 

『ぐ、ぶ――ぁ――』

 

 槍を一本、剣を三本、その小さな体に突き立てられた少年が、低い音と共に鮮血を噴き出した。びくんと、一際大きく(わい)()が痙攣する。

 彼を穿った武器を、体を、生半では無い量の赤が伝い落ちていく。

 

『――あ、ぁああああああああああああッ!!!』

 

 だが――彼は、瞬時に動き出した。

 痙攣する体を気迫で抑え込み、まず眼前の妖精を叩き斬った。妖精が黒の靄に変わるのを待たず、体ごと時計回りにぐるりと回転し、残る三人を纏めて斬り飛ばす。三人の少女も妖精の後を追って黒の靄に散った。

 だが、使い手が散っても、少年を穿つ武器は消えていない。

 穿たれた矮躯からは今も(おびただ)しい量の赤が流れている。

 

『は、ぁ――ぐ――』

 

 巨剣を石畳に突き立てた。

 荒い呼吸に、血が混ざる。

 ――仮想世界故、血液不足で実際に死ぬ事は無いだろう。

 しかしそれは血が抜けるのと等量の喪失感と苦しみを延々と味わう事になると言っても過言ではない。どのような形で再現されているかは不明だが――あの反応から、察するに。かつてのSAOやALOでは遮断されているという《痛覚》が再現されていると見て間違いない。

 幼賢者が言っていた事を理解する。

 発狂する事、と彼女は言っていたが、これは確かにその類だ。関わらなくなって久しいとは言え、これでも暗部の人間として育てられた身なので、(おぞ)ましいものの類には多少の耐性がある――とは言えホラー要素は何れも苦手である――が、これは、私でもキツい。

 というより、まず不可能だ。

 デスゲームの虜囚になったと理解した途端に起きた、およそ一万人からなる阿鼻叫喚だけで、私の心は折られていたに違いない。

 私には、彼のような《芯》とも言えるモノが無いからだ。

 ――だから、《芯》がある彼は未だ膝を屈していない。

 呻きながら、体に突き刺さった四つの武器を抜き取り、石畳に突き立てた。抜く度に流血は増し、呻きを上げるが、その手に躊躇いはおろか迷いは無い。トドメを刺さんと残影達が距離を詰めた時点で、彼は動けるレベルで復帰していた。

 再び、白銀の斬閃が舞い、数多のヒトガタが靄へと還る。

 還る。

 還る。

 還る。

 放たれる斬閃は、あまりに残酷で、無情だ。正確無比の斬閃は放たれる度に残影を三つは靄へと還す。カタチはヒトであるからか、どうしても絵面に嫌悪が浮かぶ。

 ――けれど。

 それは、美麗な剣舞に近かった。

 ()を散らしながら、少年は必死に巨剣を振るう。迫る残影の人垣を崩し切らんと己を奮起する。鮮血混じりの呼吸を繰り返し、靄をその身に浴びながら、振るう剣も、舞う脚も、止まる事なぞ知らないとでも言うように、ひとりの(覇王)が突き進む。

 己より大きな残影達を前に、微塵も怯まず、歩を進める。

 己を揺さぶる残影達を前にしても、もう惑いは見せない。

 残影は残影。姿かたちだけ似せた偽物だと、彼は理性と感情を割り切っていた。

 故に――少年の剣は、止まらない。ヒトガタは次から次へと撫で斬りにされている。向かって来る敵全てを(おう)(さつ)する。

 その合間に、間隙を縫って少年に刃が届く。

 飛び散る赤。

 だくだくと、体を伝う赤。

 刃を突き立てられ、赤を流し、吐き、耐え抜いて一撃でヒトガタを屠っていく光景は、死闘という表現も生温い。否、言語化できない何かがあった。

 直視する事も憚れる凄惨な一幕。

 ――それでも。

 視聴を続けているのは、好奇心以上のなにか故。目を覆いたくなり、逸らしたくなる事でも――知るべきだ、と。そう告げている。

 ――それを証明するように。

 深夜二時にも関わらず、視聴者数は、既に二千万を超えていた。

 

 *

 

 午前二時。

 デスゲーム・オープニングセレモニーから一時間が経過した。

 広場に立つ影は、彼ひとりになっていた。

 一秒一殺とすれば、分間六〇、一時間で三六〇〇もの人を斬った事になるが、実際は一〇〇〇〇人を全滅せしめた。途中何十秒か剣を振るわない時があったので、一度の斬閃で三人以上を斬り飛ばしていたのは明白だ。ともすれば、秒間で二度以上の斬閃を振るっていたかもしれない。

 ――人気のない広場は、宵闇だけではない昏い色に染め上げられている。

 石畳を昏く染めているのは、赤だったモノだ。

 その中心で、少年は剣を支えに、膝を屈する事を拒否し続けていた。

 

『ぐ――ぅ、は――――ごふ……』

 

 酸素を求めるように呼吸を繰り返し、また血に咽せ、吐く。ばしゃ、と新たな赤が石畳を濡らした。それを一瞥もせず、彼は静かに息を整えるべく束の間の休息を取り始めた。

 

『は、ぁ――』

 

 疲弊し、憔悴した吐息を拾う。

 僅かな時間で呼吸を整えた彼は、ボロボロに破けた服を千切り、破り捨てた。華奢な裸身が晒される。千切った布で赤が(ぬぐ)われた。

 

「――え」

 

 その瞬間、私は瞠目し、絶句した。

 言葉を喪った。なぜなら、私よりも小さく、細いその矮躯の至る所に、古いものと分かる傷跡が刻まれていたからだ。どのようにしてか切り裂かれ血を流す傷は塞がっている。故に、その裸身を阻むものはない。

 切り傷。

 銃創。

 火傷痕。

 裂傷痕。

 擦過傷痕。

 手術の縫合痕。

 ――挙げていけばキリの無い古傷の数々。

 

「な――え、ぁ――――?」

 

 言葉を喪う。口元に手を宛がい、思わず画面から体を離す。かたかたと体が震えた。

 あんな傷、《更識》に属する人、その中でも特に荒事に従事する実働部隊員ですら負わない。時には暗部当主として動くだろう姉とて傷を負う事はあれどあれほどの深手は無く、痕として残さないよう徹底していた。

 だが――真に恐ろしいのは、あの幼さにしてあれだけの傷を古くしている事だ。

 彼はデスゲームから生還して以降、退院直後から更識家に身柄を預けている。時折実働部隊の鍛錬に混ざる事があると聞いているが、だからと言ってあそこまでの手傷を負わせるはずがないし、仮に負っていれば本音辺りが大騒ぎしている。

 だから――アレは、デスゲーム以前に負った傷、という事になる。

 しかも九歳に満たなかった頃で、あれほどの痕になっている。本当に昔から深手を負い続けなければあんな傷は普通出来ない。

 ゾワリと背筋に寒気が走った。

 私は、何か重大な見落としをしていないだろうか。当たり前の事として認識しているが、よくよく考えればおかしい事を、私は見逃していないか。そんな恐れにも似た考えが思考に浮かんだ。

 

「――っ」

 

 その恐れから逃げるように、少年から視線を逸らす。これ以上一秒でも長く見ていたら恐慌を来しそうだった。

 それでも、動画は閉じていない。

 視線の逃げ場所は――横に流れる、コメント欄だった。

 

 

 ――え、なんだあの傷。

 

 

 そんな、自分と同じ疑問を呈したコメントを見て、少しだけ落ち着いた。ああ、私だけじゃないんだ、という安堵が心に浮かぶ。

 

 

 ――ちょっ、なにアレ?

 

 ――どう見ても古傷だよな。

 

 ――昔事故った時の古傷があるから分かる、アレ相当深いヤツだぞ。

 

 ――縫合痕とかめっちゃ見覚えある。足の指だった俺のより断然大きいけど。

 

 ――図工の授業で使ったノコギリで脛を切っちゃった時の傷を思い出すな。

 

 ――↑の人は何をやってそうなったんだw

 

 ――ノコギリって、上手く歯を立てて引かないと角に引っ掛かるんだ。でも初めてのノコリギだったから力尽くでやってたら、木材が飛んで、ノコギリを思い切り振って、ザクッ、と。

 

 ――『初めてのノコギリ』とかパワーあり過ぎだろ。

 

 ――そうか?

 

 ――そうでもないと思うが。

 

 ――というかあの年であんな傷、普通付くか?

 

 ――アレってアバターのオプションじゃないの? そういうクリエイトってMMOの定番でしょ?

 

 ――顔に傷付けるオプはあるっちゃあるけど、アレって胴体に出来たっけ?

 

 ――袴を肌蹴させたプレイヤーの胸元に大きく傷跡っぽいのがあるの見た事ある。

 

 ――いや、アレはオプじゃないゾ。VRMMOのアバターは多少後付けメイキング出来るとは言え、それは顔とか手といったアクセサリー部分程度で、あんなびっしりと胴体に付ける事は出来ないからナ。

 

 ――じゃあアレってマジもん?

 

 ――……アイツって幾つだっけ?

 

 ――シラネ。

 

 ――セブンちゃんより年下らしいけど詳しくは……

 

 ――デスゲーム開始時点で一桁とか聞いた希ガス。

 

 ――今年で十二歳ダ。ちなみに誕生日まだだから厳密には十一歳ダナ。

 

 ――マジで?

 

 ――あいつ、武装的にSAO時代のだから、多分SAOアカウント引き継いだ状態だよな?

 

 ――多分。

 

 ――だと思う。

 

 ――メイン、サブで垢分けしてなければ。装備はボックスに入れとけば別垢で入っても取れるしね。

 

 ――まああんなリアルに似てるなら間違いなく引き継いでる筈だけど。

 

 ――あっ、ちょい待てい。確かセブンちゃんもリアル重視だよな? それと同じ可能性は?

 

 ――セブンってどうやってリアル重視にしてたっけ?

 

 ――そういえばおかしな話だな。ALOってランダムアバターじゃなかったか?

 

 ――教えて! 語尾カタカナニキ!

 

 ――厳密には二種類ダナ。ランダム作成と、写真を基に現実に似せるタイプがあるゾ。

 

 ――あとオレっちは女だ(威圧)

 

 ――アッ、ハイ()

 

 ――マジスンマセン。

 

 ――最後の一文の語尾がひらがなな辺り、ご立腹でいらっしゃる……(震)

 

 ――語尾カタカナネキだったか~……

 

 ――セブンちゃんは確かリアルの写真をインストールしてアバター作成したとか何とか……

 

 ――マジで?

 

 ――そういや何時だったかのライブで言ってた気が。

 

 ――どっちにしろマジモンじゃないですかヤダー!()

 

 ――生還してから今日までで六か月、リハビリ期間除くと四、五か月。ALOプレイが三月末辺りらしいから、実質三、四ヵ月か。その間に古傷って作れるの?

 

 ――あんな大きな傷だと、瘢痕化するまでに最低数ヵ月掛かるよ。ちな体験談ネ(交通事故下肢切断者)

 

 ――サラリと重い過去を載せるんじゃあない。

 

 ――個人情報はヤバいですよ!

 

 ――……つまり、纏めると?

 

 ――SAO以前から古傷を負ってたって事ダナ。

 

 ――マジか~……

 

 ――【剣姫】にDV疑惑あったっけ?

 

 ――むしろブラコン疑惑が立ってたような。

 

 ――ブラコン疑惑だぞ。【剣姫】がシルフ領飛び出たのも仲間、もといアイツに会う為って噂だぞ。

 

 ――ラスボス戦の蘇生とか代表的だよな。

 

 ――むしろアレがブラコン疑惑の発端ですし。

 

 ――蘇生シーンとか涙なしには見れませんぜ。

 

 ――満面の笑みで後を託して逝くのって、儚くて、イイよね……(寂死エンドラブ勢感)

 

 ――美しい(義)姉弟愛だなぁ……

 

 ――男と女の仲に例外は無くてですね……

 

 ――……そういえば、血の繋がりは無いな。

 

 ――そしてキリトに告白してる人がいる……あっ(察し)

 

 ――あっ(察し)

 

 ――あー……(察し)

 

 ――【剣鬼】も所詮メスか。

 

 ――あっ()

 

 ――あっ()

 

 ――リー『(●・v・●)<イイ度胸ネ。ナイフハドコカシラ?』

 

 ――やべぇ。

 

 ――やべぇ。

 

 ――やべぇよ、やべぇよ……

 

 ――\(^o^)/オワタ

 

 ――話が逸れてるゾ~。

 

 ――逸らしてたんだよ察しろォ!

 

 ――拾われたの確か八歳の頃だろ? 【剣姫】DV説が否定されたら、それ以前に傷を負ってたって事じゃねぇか!

 

 ――その辺どうなんですか、お義姉さん。

 

 ――ん?

 

 ――え、マジモンなの?

 

 ――うそでしょ?

 

 ――昏睡してたんじゃないの?

 

 ――いや、昏睡って【歌姫】に巻き込まれてる間だけじゃないか? 解放されてるから可能性あるくね?

 

 ――なりすましの可能性も……

 

 ――どうも義姉です。その点につきましてはあの子の意思を尊重するべく黙秘させて頂きます。

 

 ――あ、これモノホンだわ。

 

 ――弟最優先とか本物ですわ()

 

 ――つーか体調大丈夫? なんかヤバかったんでしょ? リアルフュージョンしてたんでしょ?

 

 ――実際ゴジータとベジットが合体解除された直後の意識ってどうなるんだろうね。他人と混ざるとか、アストラルから考えてもヤバいとしか思えないんだけど。

 

 ――漫画もアニメもぱっと解けたら普通に戻ってるっぽいよな。

 

 ――DBの事は置いといて。実際どうなん?

 

 ――なんとか。なんか気分も晴れ渡ってます。

 

 ――なんとかで、晴れ渡ってる気分? 矛盾してね?

 

 ――……大丈夫、なのか?

 

 ――なんかヤバい状態なんじゃ……?

 

 ――そう言われても、実際気分良いですし。あとなんかすごく優しくたたき起こされた気がする。

 

 ――おい、なんかいま変な事言ってなかったか。

 

 ――すごく、優しく、叩き起こすとは?()

 

 ――矛盾してるぅ!

 

 ――朦朧状態じゃねぇか!

 

 ――ヤバいぞ、誰か救急車呼べ!

 

 ――馬鹿野郎! いま何時だと思ってやがる?! 深夜二時だぞ!

 

 ――たわけ! 深夜対応出来なくて何が病院か! 病院の意地を見せてみろ!

 

 ――というかそもそもこれ巻き込まれた数十万人規模で起きてるんじゃないか?!

 

 ――リアルパンデミックとかマジヤメロ?!

 

 ――《SAO事件》の数十倍とか対処し切れる訳がねー!

 

 ――《クラウド・ブレイン》もヤベェけど【歌姫】が起こした二次災害もヤベェよ!

 

 ――《天才》って呼ばれるヤツは面倒事しか起こしやがらねぇな! だから俺は反対だったんだ!

 

 ――あっ、おい待てィ。茅場博士は真っ当な部類ダゾ。他? 論外ですネ()

 

 

「……」

 

 別の意味で阿鼻叫喚になり始めたコメント欄から、そっと視線を外す。

 うん、まぁ……ネット民ってこういうもんだよね、と思う一幕だった。

 ――そのとき。

 

 画面に映る世界が、突如変容を始めた。

 

 夜だった宙は茜に戻った。天に再現された月は、茜色の夕陽へと逆戻り。彼方に跳ぶ(うん)()が高速で流れて戻る。

 靄に散ったヒトガタ達が、広場に戻り始める。

 

『消耗戦か――!』

 

 自身を取り囲むように戻り始めたヒトガタ達を一瞥し、顔を歪めた少年が、そう吐き捨てる。石畳に突き立てていた巨剣を抜いた。

 ――瞬間、()()が転換。

 まるで車の中から、対向車を見ているような視界の流れ。超高速で場所が変わった事を伝えて来る描写。

 変容が収まった時、場所は広場からどこかの路地へと移されていた。巨剣を構えようとした少年の動きが止まり、用心深く辺りを見回す。

 そして、二つの人影を見て――固まった。

 

『ごめん……でもゆっくり話をするには、混乱されてるとどうにも出来ないから……』

 

 同じ顔、同じ姿で同じ声の幼い子供が、バンダナを巻いた青年にそう言っていた。子供は少年と瓜二つ。異なるのは全身を濡らす赤の有無と装備の質素さ。

 過去のキリトだと、理解する。

 彼は青年を誘い、しかし仲間を捨て置けないと青年が断ると、名残惜しげにしながらも少年は距離を離し始めた。一人で進もうとしているのだ。

 

『もう一度言うけどよ……キリト、お前ぇはまだ九歳のガキなんだ。無理しなくとも……』

 

 それは、一人で生きようとする健気な覚悟に思える。

 だが――

 

『その言葉は、俺以外の人に掛けてあげて欲しい。一人で進んでリソースを独占しようとする、卑怯者のベータテスターには、勿体無い言葉だから……友達を置いていく人間には、勿体無いから……――――ありがとう、またどこかで』

 

 ――彼は、元ベータテスターという立場の少年からすれば。

 ビギナーである青年を見捨てる行為に等しかったようだ。表情を哀しげに歪ませながらも、そう別れを告げ、背中を向けた。

 最後、青年と互いの容姿について褒め合う一幕を挟み――少年は、街を飛び出した。

 

 場面が、変わる。

 

 巨剣を持つ少年は、駆ける過去の自身を追っていた。いや、追う、というのには誤謬がある。世界の方が少年を追うように進んでいた。彼は一歩も歩を進めていない。ただ過去の彼を追うように、現在の彼を動かしている。

 まるで、映画を見ているように。

 まるで、立体映像を見ているように。

 彼は動かず、過去の己を見詰めていた。

 ――その最中、草原の只中を走る道の上に、オオカミ型のモンスターが蒼白い光を伴って出現した。

 SAO特有のポップ現象。過去の映像では見える緑のゲージの上には《Lv.2 Wolf》と白のフォントで表記されている。対する彼のレベルも同じく《2》。同レベル且つ初期装備の少年は、距離を詰めて来る己を殺し得る獣を前に臆す事無く走り続け――その剣から蒼い光を迸らせ、加速。一瞬にして背後へと斬り抜け、一撃でオオカミを欠片に変えた。

 表示されるリザルトに目を向ける事なく、叩き付けるようにパネルを消し、そのまま駆け続ける。

 

 

 ――これ、何の為に走ってるの?

 

 ――第一層《始まりの街》の次の村《ホルンカ》っていうトコには、鍛えれば第三層後半まで使える強力な片手剣を入手できる高難易度クエがあるのサ。それを手に入れようと直走ってる訳ダナ。

 

 ――語尾カタカナネキが博識過ぎる。

 

 

 どうやら、強力な武器を得る為に走り続けているらしい。利己的なビーター、という彼自身の言葉を肯定できる行動だ。

 だが――妙なのは、ソードスキルとやらを使えば一撃で倒せるオオカミ相手に、敢えて通常攻撃を叩き込んだり、恐ろしい事にわざと手を噛ませたりと、妙な行動が目につく点だ。それも数回繰り返したら終わった。そして走ってモンスターを倒す傍ら、メニューのホロパネルを打鍵している。

 

『敵の攻撃力値、俺の防御力値、部位ダメージ、速度ダメージ……発表されてた計算式で、手の部位ダメージは等倍で、ベータ時代の公表パラメータをそのまま当てはめると……被ダメ値と合うから、雑魚Mobのステに大きな変化は無しか……』

 

 走り、時折襲い来るMobを退けながら打鍵していく少年の呟きで、何をしていたか理解した。この子はデスゲームが始まったその日の内から検証に走っている。しかも、自分のHPを削る内容まで一人でしていた。

 

 

 ――え、序盤からステータス検証してないか、この子供。

 

 ――ベータ時代のステータスは、確かにゲーム雑誌に一層Mob分は載ってたけどさぁ……

 

 ――デスゲームなのに躊躇いなく被弾しに行く覚悟が恐ろしいな。

 

 ――ちょっとケツイ固すぎやしないですかねぇ……

 

 

 コメント欄も引き気味だ。当然だ、自分の命を擲つような行為を、ほぼ躊躇いを見せずしているのだから。

 そのまま少年は走り続け――茜色の草原から闇夜に包まれた村へと場面が転換した。きょろきょろと辺りを見回した少年は、村に入るや否や、テキストデータを羊皮紙に起こし、それをメッセージに添付した。宛先から察するに恐らくはさっき別れた青年か。

 情報を送れる、と言ってフレンド登録した少年は、別れてほぼ時を置かず、有言実行していた。

 彼のウィンドウに合わせてか、画面右上に表示されているデジタルチックな時計には《19:00》と表示されている。オープニングセレモニーが午後五時半から始まったので、一時間弱ほどで検証含めての移動を終えたという事になる。

 幾ら元テスターだからとは言え、手際が良すぎやしないだろうか。

 

 

 ――あの。手際、良過ぎないですか。

 

 

 そうコメントを打ち込むと、すぐに続くコメントが投下されていった。

 

 

 ――そういえばベータテスターでPvP出禁にされたヤツが居たっていう話がSAO関連の情報サイトに載ってたな。すげぇ怨嗟に(まみ)れまくってたヤツ。

 

 ――たった一人で第十一層から第十四層までの攻略、ボス戦をこなしてたとかもあったぞ。

 

 ――それデマじゃないの? 曲がりなりにもMMOなんだし、終盤はともかく、序盤でボスのソロ撃破は無理じゃね?

 

 ――残念ながらマジなんだよねぇ……(元テスター)

 

 ――空しかったよね、すっごい見た目ロリ(実際はショタ)なプレイヤーが一人でボスを掻っ攫っていくのを、伝聞で聞くだけって(元テスター)

 

 ――俺、PvPで手も足も出なかった(元テスター)

 

 ――あの頃、既に二刀使ってた覚えがあるな。スキル使ってなかったから我流ぽかったし、ボス戦の時は一本だけだったから、多分対人戦用スタイルだったんだろうけど、矢鱈強かった覚えがある(元テスター)

 

 ――ボス戦の時、毎回一人で殿(しんがり)努めて、しかもしっかり生きて帰って来てたしな……(元テスター)

 

 ――これはガチっぽいですね(諦めの境地)

 

 

 取り敢えず最後の方にそう打っておく。それだけベータ時代にやっていれば手馴れもするかもしれない。なんだかんだ彼もゲーマーだったらしい。

 視聴者から引かれている事を終えた過去の少年は、狭い広場に面した建物へ向かった。剣が交差した看板を掲げた建物――ゲーマーやオタクなどが一度は憧れる店《武器屋》だ。寂れた店だ、と辛辣なコメントに苦笑を浮かべる。

 彼はそこの店主にモンスターから得ていた素材アイテムを売って(コル)に還元し、そのほぼ全額を使って、そこそこ防御力の高いハーフコートを購入していた。白い(あさ)のシャツと灰色の圧布ベストの上に、しっかりした質感のある革の外套が実体化する。

 防具を一新した少年は、武器屋の壁に設置された大きな姿見を向き――くるりと、一回転。

 はらりと外套が舞い、髪が舞い、照明の光に煌めいた瞬間はまるで妖精。ただし表情は暗い。だがそこもいい、とコメントが一瞬荒れていた。

 ある程度検分を終えたらしい少年は、それで武器屋を後にし、続けて隣の道具屋へ駆け込み、回復ポーションと解毒ポーションを買えるだけ買い込んでいく。

 

 ――あれ、《ブロンズソード》っていうの、買わないのか?

 

 そこで、疑問を呈するコメントが一つ流れた。

 それに《語尾カタカナネキ》が即座に反応する。彼女によると、武器を買い換えなかった理由は、ホルンカ村の武器で売られている唯一の片手直剣《ブロンズソード》は、初期装備《スモールソード》より攻撃力値や耐久値は高いものの、耐久度の損耗が激しいのだという。これから受けるクエストに出て来る植物系モンスター《リトルネペント》が吐き出す腐食液には滅法弱く、運が悪いと四、五発防いだだけでお陀仏になるほど。クエストのキーアイテムを得るには数を狩る必要があり、つまり耐久値が物を言うので、今は《スモールソード》の方が良いのだ――というのが、彼が武器の新調を行わなかった理由らしい。

 この時点で、《語尾カタカナネキ》が情報屋の【鼠】のアルゴであった事が察せられ、明かされたが、一同『知ってた』というコメントを流すだけだった。

 まぁ、SAO関連のスレッドには必ず語尾カタカナの女性書き込み手が出没するらしいので、それ関連のスレを漁って来た人からすれば暗黙の了解レベルなのだろう。

 ちなみに私も気付いていた。

 ――【鼠】のアルゴから懇々とコメントで説明されている間に、過去の彼はクエストを請けていた。

 曰く、娘が重病に罹ってしまって市販の薬草を煎じて与えてもいっこうに治らず、治療するには西の森に生息する捕食植物の《胚珠》から取れる薬を飲ませるしかない。しかしその植物がとても危険な上に花を咲かせている個体も滅多に表れないので、自分にはとても手に入れられない。だから代わりに剣士さんが取って来てもらえないか。取って来てくれれば、お礼に先祖伝来の長剣を差し上げましょう。

 ――という大意の台詞を、鍋をかき回していた割烹着姿のおかみさんが、身振り手振り交えて話していた。

 彼はそれを辛抱強く聞いていた。なんでも最後までしっかり聞かないとクエストが進行しないのだという。スタンドアローンRPGは台詞を飛ばせられるが、こちらは出来ないとなると、ちょっと不便そうだなぁと思った。

 それを気にした素振りも見せず、キリトの残影は村の門を潜り、不気味な夜の森へと脚を踏み入れた。

 

 *

 

 ギャアギャア、と烏めいた鳥類の鳴き声が不気味に響く暗い森の中を、一人の少年が疾駆する。クエストのターゲットである《リトルネペント》というモンスターを探しているのだ。

 暫くして、《Lv.3 Little Nepent》という表示と、マゼンタ色のカーソルが画面に映った。

 【鼠】の補足によると、プレイヤーのレベルとMobのレベル差により、カーソルの赤色は濃淡が分かれていくのだという。どう足掻いても勝てない、圧倒的レベル差のあるモンスターのカーソルは血よりも濃いダーククリムゾン、対して何匹狩ってもろくに経験値を稼げない雑魚は殆ど白に近いペールピンク、同レベルの適正な敵がピュアレッドというように。

 彼のレベルは《2》なので、やや赤みが強いマゼンタ色という事らしい。

 それを認識し、一瞬足を止めた彼は、周囲を見渡して他に敵影が見えない事を確認し、再度ダッシュした。真正面からだ。

 ()(みち)から逸れ、大きな古木を回り込んだ彼の前に、標的の姿が映った。同時、彼の背後から追う視点の画面にもそれが映る。

 ウツボカズラ(ネペンテス)を思わせる胴体の下部で移動用の根が無数に蠢いている気色の悪い造形だった。更に、左右には鋭い歯を備えたツルがウネり、頭にあたる部分では捕食用の《口》が粘液を垂らしながら、ぱくぱくと開閉する。チューリップの蕾に唇が付いた造形、という風情だ。

 コメント欄が、キメェ、と造形の趣味の悪さに対するもので埋め尽くされる。須郷の趣味か、と揶揄するようなものもあった。

 

『――ハズレか』

 

 気色悪さに退く視聴者を他所に、残影(キリト)が小さく、落胆を滲ませ呟いた。

 彼の移動中にクエストの趣旨と標的については【鼠】が補足してくれているので、視聴者はそれを把握している。現在受けている《森の秘薬》というクエストでは、あのモンスターの口の上に大きな花を咲かせている個体を倒し、《リトルネペントの胚珠》を入手する必要があるという。そしてその胚珠は俗称《花付き》のネペントからしかドロップしない。加えて、花付きの出現率は恐らく一パーセント以下。

 そのため数をこなさなければならず、更に武具の耐久値を大きく減耗させる腐食液、軌道が読みづらいツルの攻撃が厄介だから、高難易度の一つに含まれているのだという。

 しかし――高難易度の最たる由縁は、別にあるとか。

 出現率は絶望的だが、普通のネペントでも倒し続けていれば花付きの出現率はアップする。故に戦闘は無駄ではないのだが、花付きと同程度の確率で、丸い実を付けている個体が出現するのだという。それはいわば《罠》で、戦闘中に実を攻撃してしまうと巨大な音と共に破裂し、嫌な臭いのする煙を撒き散らす。その煙に毒性も腐食性もないが、広範囲から仲間のネペントを大量に呼び寄せるという厄介な特性があるのだという。

 ――それを知っていても死んでいったテスターやビギナーは、非常に多かった、と彼女は締め括った。

 そのクエストに挑んでいる残影は、奇怪な咆哮を上げるネペントの右のツルの突き込みを左に跳んで回避し、そのまま側面に回り込みつつ、剣をウツボ部分と太い茎の接合部へと叩き込んだ。

 ただの通常攻撃ながら、ネペントのHPががくっと二割近く減る。どうやら弱点らしい。

 怒りの声を上げた植物は、ウツボをぷくっと膨らませた。見るからに何かを吐く呼び動作。腐食液だ。それを浴びればHPと武器防具の耐久度が大きく減る上に、粘着力によって暫く動きが阻害される。射程も五メートルと長いという。ただし効果範囲が正面三十度と狭いため、横移動が肝要だとか。

 ――そのセオリーを知っていたらしい過去の少年が、思い切り右へ跳んだ。

 一瞬遅れる形で薄緑色の液体が飛沫状に発射され、地面に落ちて蒸気を上げる。それを一滴たりとも浴びていなかった彼は右足が地面に触れるや否や剣を振りかぶり、再度同じ弱点を痛撃。悲鳴と共に仰け反ったネペントの捕食器の周囲を黄色いライトエフェクトがくるくると取り巻いた。

 気絶状態だ、と【鼠】の女性がコメントする。

 いまだ! とコメントが続く。

 

『――せぃッ!』

 

 青が、横一閃に迸った。

 斬閃は一瞬。彼は右に大きく引いた剣に薄水色の光が宿った直後、それを横一文字に薙いだ。ただそれだけだ。だが――あまりに、無駄のない動きだった。斬撃音とエフェクトが一瞬遅れる程の剣速。

 強い、と。

 コメント欄を見るのも忘れ、ただ見入った。

 いや、強いの一言では片付けられない何かが、彼の剣劇に込められていた。単純なパワーとスピードという尺度を超越した《先の次元》を感じさせる何か。

 傍らで、過去の己を見る少年が見せた、強い意志のようなものの片鱗。

 それが具体的に何なのかを、ネトゲはともかく、フルダイブ環境に関してはまるで門外漢な私には中々言語化出来ない。しかし、敢えて表現するならば――最適化された感じ、だろう。あらゆる動作から無駄が排除され、それ故に技は速く、剣は重い。

 これが、あの世界での《戦い》。

 だとすれば、まだまだ《この先》があって、彼はその道程を駆け上っていくのだ。

 

 ――見たい。

 

 純粋に、そう思った。

 最初は狂気と絶望に満ちた光景を安易な気持ちで見た事を後悔した。今でも後悔はあるが――だが。彼の過去を追う事で、私に足りないものを、見つけられる気がした。姉にはあって、私には無い《なにか》を得られるのだと。

 

「はっ――ん、は――ぁ……」

 

 息が荒くなった。どうしようもなく、動悸が速まる。心臓は今にも裂けてしまいそうなほど強く脈打っている。

 ぺたりと、PCを置いたデスクに頬を付ける。

 ひんやりとした感触が心地よかった。

 

 






 巻数、進行無視で始まった原作小説第八巻《はじまりの日》に該当するストーリー。

 未だにキリトの話にも回想にも上っておらず、ただ『アルゴがデスゲーム初日の夜にキリトと急いで合流した』という事実しか語られていないお話。

 キリトが『直葉に教えられた剣を捨てた』夜の出来事。

 キリトが、何かを決意した夜の出来事。

 ――本当に、本人(と盗み見(監視)してたAI母娘)しか知らない出来事。

 では、次話にてお会いしましょう。


・簪の重大な見落とし
 《裏》を知る楯無との違い。
 この場合の《裏》とは、和人がISを所有するに至った経緯。
 簪はSAOにIS装備が入れられていた事、その所有者が和人であると知っているが、和人がどのようにしてISを持つに至ったかは勿論、誘拐されてから桐ヶ谷家に引き取られるまでの三ヵ月間を知らない。傷の事も知らない。悍ましい人体実験について知らない。
 だからこそ、簪は、和人に嫉妬と羨望を抱いている。
 『ただの一般人』が讃えられる立場になった事を羨んでいる。
 ――故に、簪は『己』と『和人』とを、重ねて見ている。
 実際は、スタートラインからして違うのが現実である。


 『Fate/』は文学です(洗脳済み)

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