インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。
視点:オールアスナ(前半回想)
文字数:約一万
ではどうぞ。
――ゴッ、と体を横殴りにする衝撃。
痛みは無く、ただ不快な衝撃だけが全身を貫く中で、私の視界は二転、三転した。天井にぶつかり、地面に落ち、幾度か跳ねた後に漸く止まる。
その瞬間に去来した思考は、仮想世界で気を喪うのはどういう仕組みなのだろう、といういたって散文的なものだった。
失神とは、脳の血流が瞬間的に滞り、機能が一時停止する現象だ。虚血の原因は心臓や血管の機能異常、貧血や低血圧、過換気など色々あるが、VR世界にフルダイブしている間、現実の肉体はベッドやリクライニング・チェアで完全に制止している。ましてやデスゲームに囚われているプレイヤーの体は各所の病院に収容されていると予想され、当然健康状態のチェックや継続モニタリング、必要に応じて投薬すら行われている筈だ。肉体的な異常が原因で失神するとは考えにくい――
――そう、薄れゆく意識の中で考えてから、最後に、そんなことどうでもいいか、と思考を投げた。
そう、最早なにもかもがどうでもいい。
だって、自分は死ぬのだから。ログアウト・スポットの噂を頼りに、出来る限り凶暴な怪物を避けながら進んできた私に、仲間はいない。加えて体力の半分以上を一息に喪った事で短時間身動きを取れない《
そんな自分の視線の先には、私を一撃で瀕死に陥らせた現況――二足歩行の獣が立っている。
ふしゅぅ、ふしゅぅ、と息を荒くしながらのしのしと迫る獣。オオカミがそのまま後ろ足で立ったような見た目、更にこん棒を持って敵意を露わにしている凶悪な野獣。
その鋭い眼光は地に伏すこちらを見ている。獲物を前に嗜虐に歪んでいるように見えるのは、私の錯覚か。
大きく吹っ飛び、洞穴から出た私を追って来た獣は、眼前に立つと、右手に握り締める無骨なこん棒を振り上げた。アレが振り下ろされた時、赤く染まった命のゲージは削り切られ――現実でも、命を落とすだろう。
その未来を確信した私は、深く瞑目した。
――ここまで、か。
去来する感情は、終わりを見た者には珍しいだろう《悟り》だった。諦観、達観、悟り――様々な単語で表せるだろう心境。
後悔は、無かった。
デスゲームに囚われて以来、《Asuna》は何百、何千回と自問して来た。
――なぜあの時、自分のものですらない新品のゲーム機に手を伸ばしてしまったのか?
――なぜ頭に装着し、ハイバックのメッシュチェアーに体を預け、起動コマンドを口にしてしまったのか?
夢のVRインタフェースにして呪われた殺人マシン《ナーヴギア》と、広大無辺なる魂の牢獄《ソードアート・オンライン》のゲームカードを購入したのは、自身と歳の離れた兄・浩一郎だった。
しかし、彼とてMMPRPGどころか、幼い頃からゲームと名の付くものには無縁の人生を送って来た筈だ。一大電子機器メーカーたる《レクト》の代表取締役社長の長男として生まれ、父の後継者となるべく必要なありとあらゆる教育を施されると同時、全ての不必要なものを才女されて育った兄が、何故《ナーヴギア》――ひいては、SAOに興味を抱いたのか、その理由は分からない。
しかし皮肉にも、浩一郎は生まれて初めて自分で買ったゲームをプレイする事は無かった。
正式サービスが開始される正にその日から、浩一郎は海外へ出張する事になってしまったからだ。出発の前日、夕食の席で顔を合わせた時、兄は冗談めかした口調で文句を言いながらも、その実、本気で残念そうだった事を覚えている。
浩一郎程では無いが、自身も中学三年生になるまでの間、経験したゲームはせいぜい携帯端末で無料プレイ出来るものに時折触れてみる程度。ネットゲームというものの存在は知識として知っていたが、高校受験がいよいよ間近に迫っていた事もあり、興味を持つ理由や動機は皆無だった――筈だ。
だから、なぜ二〇二二年十一月七日の昼過ぎに、無人の兄の部屋を訪れ、机の上で準備万端に――おそらくは兄の恨みがましいまでの執念により――セットアップされていた《ナーヴギア》を被り、《リンク・スタート》の一言を口にしてしまったのかは、自分でも説明できない。
だが、一つ言える事は、あの日全てが変わった――――否、終わったという事だ。
デスゲームのオープニングセレモニーが終わった後、アスナは《始まりの街》の宿の一室に閉じこもり、ひたすら事件の収束を待った。しかし二週間経っても現実世界からメッセージひとつ届かなかった時点で、外部からの救出を諦めた。
そしてほぼ同時期に、プレイヤーの死亡者数が一千に届きそう、にも関わらず最初の迷宮区の最奥にすら踏破されていないと知って、内部からのゲームクリアを待っても無駄だと悟った。
残る選択肢は《どのように死ぬか》の一点に尽きた。
そのまま何か月、何年経とうと、ひたすら安全な街に閉じこもり続ける未知もあるにはあった。しかし《モンスターは街に入って来ない》というルールが永続するとは誰も保証していない。干渉を目的にデスゲーム化した黒幕がこのまま事態の停滞を好むとは思えず、テコ入れと称して安全圏の撤廃を敢行する可能性も否定出来なかった。
――その果てに、明日奈は決めた。
未来に怯えながら狭く暗い部屋で膝を抱え続けるよりは、いっそ街を出よう。己の能力全てを振り絞り、学び、鍛え、戦う。その果てに力尽きて倒れるのならば――少なくとも、過去の気まぐれを悔やんだり喪われた未来を惜しんだりはしなくて済む筈だ。
――走れ。
――突き進め。
――――そして、消えろ。
――――大気に焼かれて燃え尽きる、一瞬の流星のように。
その一念を抱き、宿屋を出た。
――とは言え。
己の武器を選び、習得した技を頼りに踏み出すにも、目的地が定まらない。目的地が無いと燃え尽きる先も定まらず、自然、街から出る前に足は止まった。
攻略? 論外だ、出来る訳が無い。
ではその日暮らしが出来る程度に戦うか? 否、どう死ぬかを考えている自身に、先を生きる気などない。
戦え。
戦え。
――戦え。
ただ胸中を締めるその衝動。それに見合うだけの理由は無いか、一先ず空腹を紛らわせる一コルの固い黒パンをもそもそと
『――ログアウト・スポットだぁ?』
街中の階段に腰掛け、質素な食事をしているところで聞こえてきた男の声。
昼間から酔っぱらっているのか、木製ジョッキを片手に顔を赤らめる二人組の男。誰に
しかも、それを流したのは信用できる情報屋――【鼠】なのだと。
【鼠】、という単語に覚えは無かったが、情報屋という一点が私に信用を抱かせた。頼み込んで男達から話を聞いた。酔っ払っていたからか、それとも元々ガセと思っていたのか、彼らは気前よく詳細を語ってくれた。
話を聞き終わった後、お礼にとコルを払おうとするも、噂だからと報酬を拒否される。
ともあれ目的は見つかった。喜ぶべき情報に、ぺこりとお辞儀して感謝を示し、すぐ西へと出立する。
――どう死ぬか、という考えを持っていた自分とて、ログアウト・スポットの話は鵜呑みにしていない。
だが――だが、それでも、
元々死ぬ気だったのだ。ログアウト・スポットが真実であればめっけモノ、ガセであれば今度こそ死ぬために動くのみ。
そうして道中のイノシシ達を躱しながら進み、洞穴に踏み入り――直後、横殴りの衝撃に襲われた。
――そこで、《Asuna》の道は途切れる筈だった。
《始まりの街》にデカデカと存在を主張する黒いドームの施設《黒鉄宮》内部に鎮座する《生命の碑》の左端近くに彫られた、《Asuna》の名前に滑らかな金色の二重線が横に引かれ、現実の脳を超マイクロウェーブで焼き切り、それですべてが終わる――筈だった。
――ヒュカッ! と。
《Asuna》の人生に終止符を打つ存在だったオオカミは、こん棒を振り下ろすべく腕の筋肉を膨らませた瞬間、体の正中線を結ぶように一本の光を走らせた。
遅れて、絶大な光の環の乱舞。
オオカミの頭上にあった緑色のゲージが真っ白になり、大きな獣の肉体が青の欠片の雨へと爆散した。
――代わるように、小さな《黒》の剣士が姿を現した。
鈍色に輝く両刃直剣を手にこちらを見下ろす《黒》。先のオオカミの体躯の三分の一程度しかない背丈に反し、その存在感は圧倒的だった。目深に被るフードのせいで黒い瞳しか見えないのがそれを助長させる。
だが――何故か、そこに居ないようにも感じる希薄さも併せ持っていた。
矛盾している存在だった。
「あ――なた、は……?」
「――――」
スタンが解け、意識は清明でも、体が上手くいう事を聞かない。口から出た声は掠れ、途切れ途切れの震え声。
それが聞こえていないのか。あるいは、意図的に無視したのか、フードを目深に被って顔が見えない《黒》は、踵を返した。
「オーイ!」
《黒》が踵を返した先から、こちらに向けて中々の速度で走って来る茶色の人影。左右の頬に三本ずつ線をペイントしている小柄な女性だった。
「おっ、間に合ったみたいダナ! やー、間一髪だったヨ! ありがとナ!」
「――――」
ニカリと笑いながら、自身の首ほどまでしかない《黒》の肩を叩いて言う女性。それに《黒》は言葉を返す事無く横を通り過ぎていく。
横を通る際、女性に何かを持たせた。赤い液体の詰まった小瓶。
「――死ぬなヨ」
女性が首を巡らせ、目で追って、そう小さく告げた。
「――――」
《黒》は一瞬歩みを止めたが、またすぐに進み始めた。その際に小さく空の左手が振られる。
その反応に小さく息を吐いた女性が、くるりとこちらを見て、げっ歯類を思わせる笑みを浮かべ――
「助かってよかったナ。オレっちはアルゴ、情報屋【鼠】の《アルゴ》ダ。赤頭巾ちゃんの名前は何て言うんだイ?」
そう、朗らかに笑って見せた。
――遠くに、バンダナを巻いた青年を先頭に男達が走って来るのが見えた。
――代わるように、《黒》の影がそっと消えた。
*
「――――ッ?!」
はっと、目を開く。
視界一杯に広がる優しい橙色のプラスチックバイザー。バイザーを隔てて見える天上のLEDライトパネルが、オレンジがかった色に染めているのだ。
何故――と、思考が混乱する。
私はいま、
「起きたのね、明日奈!」
そのとき、傍らから緊迫感に溢れた女性の声がした。
もう何年も聞いていない母の焦りに満ちた声。バイザーを付けたまま首を巡らせば――明るい部屋の中に、三つの人影があった。ベッドのすぐ傍らには、膝を突いてこちらを窺う母・京子。その後ろには、不安げな表情を浮かべる兄・浩一郎と、父・彰三の姿。
三人とも、記憶にある姿より兄は成長し、父母は老いて――
「――あ、れ……?」
そこで、違和感。
記憶にある姿と言いはするが、三人のそれに私は覚えがあったし、SAO以前と違う部屋の内装にも違和感は憶えていない。
僅かな沈思を経て、認識する。
SAO以前と違うのは当然だ。SAOが起きてから、もう二年以上も経っているのだから。
で、あれば――――さっき見ていた夢のリアルさは、一体何なのか。
「――な、明日奈?! 聞いているの?!」
「わぁぁあ?!」
そこで、がくがくと肩を揺すられる。痺れを切らした母がそうしていた。何時にない取り乱しようにこちらが困惑してしまう。
「ちょ、母さん、落ち着いてよ?!」
「これが落ち着いていられるものですか! あなた、昏睡状態に陥ってたのよ?!」
「え……ええっ?!」
くわっと眼力を増す母の言葉に、こちらが仰天する。思わず頭に掛けたままの円環を外して直に女性の顔を見る。しかし直に見た女性の顔には冗談の色なんて全く見えない。そもそも嘘や冗談の類が嫌いな母ではあったが、今だけは冗談であって欲しかった。
「こ、昏睡って、どういうこと……?」
「……憶えてないの?」
静かに問えば、母も静かに聞いて来た。首を横に振れば、難しい顔をする。
「明日奈。どの辺までは憶えているんだい?」
話が進まないと見たか、兄がそう水を向けてきた。
「えーっと……ログアウト・スポットに行って、死にかけてー……あれ……?」
そこまで言って、再び違和感。いや最初期の記憶じゃないかと頭を振って思考をリセット。再度――今度は、手に持っている円環《アミュスフィア》の存在を念頭に、記憶を探る。
すると、次から次へと思い出した。
仲間レインの目的の暴露。
様子のおかしな【歌姫】とその暴走。迫る肌色の壁。
――散る、己の体。
「……えっと。ALOの浮遊大陸の街で、肌色の壁に押し潰されたとこまで、かな……?」
何を言っているのかと思うが、本当に最後がその記憶なので、そう言うしかない。兄はともかく両親は呆れるだろうなぁ――と思う私の視線の先で、なんと三人が、やはり、というように頷く異様な光景が広がった。
え、と。またも困惑する。
「えっと、三人とも、なんで納得顔なの……?」
「その映像を私達も見たからだよ」
「映像……?」
首を傾げると、こっちに来なさいと父が手招きして廊下に消える。
仕方ないので立ち上がると、すぐ横に母が来た。怪訝に思うが、横一文字に閉ざされた口から何か聞く事は難しいだろうと、父を追う事を優先する。
父が案内したのは、兄の部屋だった。
パソコンからHDMIコードが伸びた64インチの大型液晶テレビ。それに、デカデカと映る映像。
――かぁん、と鉄を打つ音。
『コペル――』
それに紛れ聞こえる、少年の声。
朝靄の立つ寒村の端で、
「……キリト君……?」
困惑の声が漏れる。
黒を基調としたハードコートを纏い、剣を打つ姿は、浮遊城攻略の後半期に於いて度々目にしていた。そうでなくとも頭上に《Kirito》というフォントが表示されている以上間違いようはない。
彼が左手のヤットコで固定する黒を基調とした肉厚の剣に、ボロボロの簡素な剣が重ねられ、彼はそれらをハンマーで叩いている。
何度も見た事がある。鍛冶屋を営む親友の少女に、成功率が限りなく低い事も承知の上で、新たに使う強力な細剣にそれまで使っていた細剣を重ねて鍛える《融合強化》を頼み込んだ時と同じ光景だ。《鍛冶》スキルや鍛冶ハンマーが強力になれば、同じインゴットからでも強力な武器の引きが良くなるが、それにも限度がある。その《頭打ち》に当たった際に、それまで使った剣を引き継ぐような《儀式》として行っていた強化の仕方――【継承】だ。
アレを仲間内に広めたのは【黒の剣士】と呼ばれるようになる少年だ。
そして、アレを自力で行える黒系のプレイヤーは、彼だけだ。
だが――何故。
何故、そんな光景が映し出されている。
もっと言えば、何故――あの少年の耳は、現実と同じ丸みを帯びたものなのか。
彼方に見える稜線を超す巨大な白亜の塔が、一定間隔で並ぶ外周部の柱が、何故見えるのか――――そこまで考えた時点で、既に悟っていた。
この映像は――SAOのものなのだ、と。
でもおかしいと、疑念が湧いた。後半期に於いて彼を中心に映像のモニタリングをされている事は知っていたが、そうであれば、あんな質素な装いでは無い筈だ。初期武器のスモールソード、強力な片手剣アニールブレードなど、後半期に彼の手に収まった事は一度も無い。
そも、ALOのあの異常事態に際し、なぜSAOの映像が流れている――
「――え」
ぐるぐると思考が混乱に陥る中で、辛うじて視界に入った存在に気付き、声が漏れた。
――傷だらけの半裸を晒した少年が、巨剣を手に、佇んでいる。
少年が二人。それはキリカやホロウといった同一存在に等しいAIと触れ合って来た以上、驚く程の事ではない。だが――何故だか、今はそれを無視してはならない気がしていた。
「と、父さん……これは、いったい……?」
「SAO時代の映像……それも、彼を中心にした、最初期のものだそうだ」
「さ、最初期の?! な、なんで、その頃はまだモニタリング出来ていない筈じゃ……」
疑問を呈しながら、画面を見る。端の方に表示されている日時表示は《二〇二二年十一月八日午前六時三〇分》と表示されている。父の話が事実なら、この映像の記録はデスゲーム開始の翌朝という事になる。
であれば――おかしい事がある。
その時点では、彼のAIは存在していない。同じ容姿の人間が二人以上存在していない。
「この映像は……あの巨大な剣を持つ彼が言うには、SAOの残留データなんだそうだ」
「残留データ……」
聞けば、クリアと共に完全初期化が実行された筈だが、その【カーディナル・システム】の決定に抗うように、浮遊城の残骸としてサーバーに残り続けていたデータらしい。
――ALOは、人の総体意志《クラウド・ブレイン》を取り込み、暴走したセブンによって、そのリソースを全て奪われた。
その中にはコピー・カーディナルも含まれていた。
ALOのサーバーは落ち、結果戦いの舞台はSAOサーバーに。
巨神となったセブンを倒すべく、SAO真ラスボスのLAボーナスだった巨大な剣にSAOとALOの全てのデータを突っ込み、即死に対応させ、打ち破った。
――セブンの企み自体はそこで潰える。
しかし《クラウド・ブレイン》は人の極めて純粋且つ濃密な感情によって形成されるもの。濃密であるなら、一人でも作れる。
SAO時代のバグは、実の兄と殺し合いを演じている際に彼が抱いた憎悪の高まりにより形成された《クラウド・ブレイン》が原因だった。それは今なお、残留データという【カーディナル・システム】に抗う形で残り続けている。セブンの手を離れた《クラウド・ブレイン》を取り込んだそれを野放しにしていては何が起きるか分からないから、今はそれの対処に動いている。
それが、あの巨剣を手に佇む半裸の少年。
そして動画に映る光景は、データを残留させたSAO時代の《クラウド・ブレイン》の《核》だろう少年――《キリト》の過去。《廃棄孔》というモノを形成するに至った
そう、《彼》は語っていたという。
「なるほど……」
簡潔に纏められた話を聞いた私は、納得を抱いた。
高度な演算能力を得る為には多寡が不可欠だが――形成するだけであれば、一人の感情でも事足りる。ましてや彼はSAOに蔓延していた悪意や敵意、殺意といった負の想念を一心に集めていた。実の兄との殺し合いで彼自身が憎悪を励起したなら、彼に集まっていた感情と高まり合い、《クラウド・ブレイン》を作り出してもおかしくない。
彼は、自分の不始末だ、と言ったらしいが……
厳密に言えば、SAOに居たみんなの責任だろう。あの世界に蔓延していた負は彼のものだけではない。彼を中心に《クラウド・ブレイン》を形成しただけ。温床そのものはみんなが作り上げていた。
誰が悪いかと言えば――間違いなく、デスゲームにした須郷と、それに加担した協力者である。
相変わらずの思考回路に、溜息を吐く。
――視線の先で、少年の【継承】が終わった。
出来上がったのは二本の剣。片方は強化に成功し、もう片方は失敗に終わったものだ。
その内、強化に成功した方を手に取った少年は――茫洋とした眼で、
『――こぺる』
あどけなくも、掠れた声で、そう少年が言った。確か今手にしている《融合強化》に成功した剣は、ボロボロのスモールソードを素材にしたものだったか。
それを大切そうに鞘に納めた彼は、その剣をストレージに格納。
残る失敗した方のアニールブレードは、背中の鞘に納め、吊るした。
『――行かないと』
ゆら、と覚束ない足取りで、彼は寒村を後にした。
――
内部日時《二〇二二年十一月十日午後二時三〇分》。
体力ゲージを赤く染めた数人のプレイヤーが走っている。彼らの前に立ちはだかる、巨大な食人植物――《Large Nepent》。確かアニールブレードを得るクエストを受ける《ホルンカ》の西に生息する中ボスモンスターだ。
ラージネペントのレベルは《7》。第一層の序盤にしては、破格の高レベル。
対するプレイヤー達のレベルは殆どが《2》。連携も纏まりもなく、ただ走って逃げているが――哀しいかな、
――鋭くしなるツタが、プレイヤーに伸びた。
『い――っ』
いやだ、と叫ぼうとしたのだろう男のプレイヤー。
――その青年の肩を持ち、引き倒すようにしてツタを回避させる《黒》の少年。
ぎょっと走りながらも驚く男達。すわPKか、と瀕死である事を忘れ、仲間の為に剣を抜く男達。
目深に黒のフードを被る《Kirito》は、それを一瞥した後、眼前に迫る食人植物達へと突貫し――黒光りする剣の斬閃で、瞬く間に排除していく。
ゲージを二本持つラージネペントを含め、処理に要した時間は十五秒足らず。
彼に表示されているレベルは――《13》。デスゲームから三日経つ時点でそのレベルは、恐るべき高さだ。数匹の群れを十数秒で屠れるのも頷ける。
――
《二〇二二年十一月二十一日》。デスゲーム開始から二週間後。
森の奥にひっそりと在る大樹の
――そこから鋭角に吹っ飛び、跳ねる、赤。
ぱさりと風に揺れていた赤ローブの裾が降り、遅れて離れたところに市販のアイアンレイピアが突き立った。
『ぁ、く――』
小さな呻き。
それを上げるプレイヤーの頭上には、五文字のフォント――――《Asuna》。
「……アレって」
――気付く。
あの洞。あの赤の装い。あの細剣。覚えのある、あのシチュエーション。
夢で見たばかりの、あの――――
得も言えぬ感慨を他所に、事態は進む。洞穴から出てきた二足歩行のオオカミが、倒れる
それに
ばしゃぁっ、と青い欠片が飛び散る中で見合う、《黒》と《赤》。
――鮮明に記憶が蘇る。
見上げる私。
見下ろす《黒》。
目深に被られたフードの奥に見える、黒い瞳。
須郷の足元に転がっていた私が見た、黒い瞳。
立ち去る《黒》の後ろ姿。
――二年以上も追い続けた、華奢な背中。
カチリと、感覚上の整合音が聞こえた気がした。
同時に理解する。クライン達と出会ったあの日。デスゲーム開始から二週間経った、初めて私が動いたあの日――ログアウト・スポットの噂を聞いて走り出した私を救い出した、《黒》の正体。
「――そう、だったんだ」
ふっ、と笑みが零れた。
ずっと分からなかった救世主。あの時――アルゴに頼まれ、ログアウト・スポットの噂に騙されたニュービーを救う依頼を受け、直走った剣士の素性を、私はずっと知らなかった。
アルゴに尋ねた事はあるが、はぐらかされた。本人が望んでいない、と。
だから自分自身で探していたのだが――しかし、いまこうして知れた。
なんて事は無い。彼だった。敢えて知らせないようにしていたのは、おそらく――《ビーター》という《必要悪》になるのが難しくなるから、という思惑の為。
見つからない筈だ。
――見つけようと、躍起にならなかった筈だ。
私は既に見つけていた。本能で彼なのだと察していたのだ、彼と知り合ったデスゲーム約四週間目のボス戦で、彼の在り方を知った時から――おそらくは。
とくん、と。
私の胸が、高鳴った。
・アスナ
原作に於ける
プログレッシブ版の最序盤だとかなりツンツンしている印象の持ち主。これまで積み上げてきたキャリア、我慢してきた人生の中で、唯一『何にも縛られない環境』に身一つで放り出された少女。己の全てと言えた現実から切り離された結果、暴走し掛けていた。『どう死ぬか』を考え、全力で戦って死ぬ事を求めている将来バーサクヒーラーと呼ばれる片鱗を見せた狂戦士。原作キリトをして狂戦士と言わしめる迫力がある。
《比村奇石》様が手掛けた漫画版では、デスゲーム開始から二週間が経過した日に宿から出て、パンを食べている間にログアウト・スポットの
今話に於いても、二週間目にログアウト・スポットのデマで死にかける時点まで同じ。
違うのは、アルゴに加えてクライン達がベータ情報を得て、キリトの無茶っぷりに感化され突き進むのに同行した点。
――二週間後、ポーション切れでポップトラップを踏み、最後の一体で死を受け容れかけたキリトを救ったのは、何の皮肉か。
クライン達と共に居て前を見始めたアスナと、クライン達から離れて心をすり減らしたキリトの対比が、本作に於ける二人の関係である。
ちなみに原作小説ではデスゲーム開始から一か月後にキリトに救助されて以降、コボルドロード戦から何だかんだコンビを続けている。何かと『オオカミMob』をキッカケにコンビを組んでいる辺り、キリトとアスナのキューピッドは『コボルド』なのかもしれない。
原作無印《圏内事件》だとアスナとパーティーを組んだのはこれが初と表記されており矛盾を生じているのだが、キニシテハイケナイ。
どこで解散したかは明記されていないが、一説では第二十五層でキバオウ率いる《アインクラッド解放軍》の突出で崩壊したところを、《神聖剣》を引っ提げて台頭した
常に仲間に囲まれ、部下に慕われ、ギルドを率いて攻略を進めていた彼女にとって。
――救世主に似た《黒》の背中は、無意識レベルで目を追うものだった。
・キリト
後に【閃光】と呼ばれる事になる少女を救った少年。
アルゴから聞かされていそうなものだが、そもそも人助けの目的を優先しているため、それで自身に感謝を抱かれてもどうも感じなかっただろう。むしろ《ビーター》と呼ばれる計画に《出来損ない》の風評を含んでいる時点で己に集まる感情の全てを信じていない。リアルが知れれば、掌を返されると経験則で考えているためである。
――如何にクラインやアスナ達が異端か、推して知るべし。
《
ちなみに《鍛冶》スキルはレベル《6》に上がって増えたスロットで取った。
・クライン
本編だと女性陣に出番を喰われがちな二枚目青年。
その実、彼女らよりも遥かに重要な役回りを担っている存在。アスナがソロを貫かなかったのも、キリトを介して接触を図ったアルゴが関係している(原作だと《攻略組》に上がるまで接点は出来得ない) クラインが第一層ボス戦に出られるレベルになる覚悟を抱かなければ、アスナは合流せず、結果迷宮区でポップトラップに掛かったキリトがアスナに救われる事も無かった。
『人情に篤い』事で知られる青年の評判は、伊達では無かった。
・アルゴ
キリトの存在を拠り所に情報屋稼業を営む女性。
クローの名手だが、短剣の扱いもお手の物。プログレッシブ第四巻では第五層ボス戦の一人として加わり、中々の活躍を見せている。敏捷値極振りな割に案外パワーファイトなスタイルを会得している。
キリトを案じ、キリトと関係を持っているクラインと関係を持ち、最初期の頃から動き続けていたベータテスターの鏡。本人は『未知が怖いから情報屋をしてる』と言い張っている。しかし理由は何であれ、アルゴが居なければ攻略は成り立たなかった。
キリトは攻略の中心となったが――その裏で、アルゴが居なければならない場面は存在した。
アルゴが居なければ、キリト、クライン、そしてアスナの結び付きは生まれず、キリトは迷宮区で人知れず命を落としていたか、食事を忘れた機械に成り果てていた。
――実は作中で一度だけ、キリトのリアル(平穏に生きていた頃)を知っている素振りと『おとうさん』と独白を洩らした事がある。
・コペル
世界にプレイヤー名と顔が知られた青年。
頻りに名を呟かれながら、昏い眼で、自身が使っていた剣とアニールブレードの強化融合が行われ――――後に、攻略で使われる剣の悉くにその魂が受け継がれる事が運命付けられた。コボルドロード戦で取り出した二本目のアニールブレードが、正にそれ。
――キリトが《剣》と【継承】に執着する原因。
ただし、キリトが生き抜けたのは『デスゲームを