インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

視点:翠

字数:約一万一千

 ではどうぞ。

※再現時間の時系列的には『シリカ編』と『リズベット編』開始の間。《誅殺隊》が中心です。




番外11 ~A lemnant of the Death Game~

 

 

 現実時間《二〇二五年 五月九日 午前三時》。

 情報誌の仕事を終えた私は、翌日がシフト休みであるのを良い事にリビングのテレビにPCを繋げ、映し出したネットの中継画像を視聴していた。

 傍らには、数時間前まで七色・アルシャービン博士の計画――《クラウド・ブレイン》計画の暴走により、一時的に昏睡状態にあった娘二人と、ホームステイのような形になっている紺野姉妹二人が居る。直葉は私の隣に座り、紺野姉妹は対面のソファに座って、部屋の西側に設置しているテレビへと顔を向ける。

 

 ――中継映像は、()()がオレンジカーソルのプレイヤーを斬り捨て、殺す場面を映していた。

 

 再現時間《二〇二三年 三月四日 午後九時三十五分》

 

『や、やめてくれ、殺さないでくれ!』

 

 尻もちを突き、武器を取り落としたのも意に介さず、眼前に迫る(ビー)(ター)から少しでも離れようと後退するオレンジギルドのリーダーである青年。

 その青年に一歩ずつ、確かな歩みで距離を詰める黒尽くめの剣士。

 その眼に温かみは無かった。

 氷のように凍て付いた覚悟が、黒の瞳に、光として宿っていた。

 ――冷厳さを表すように、無情に青年の体が黒剣に穿たれる。

 

『い、いやだ、死にたくない! 殺さないでくれ! ()()――』

 

 半狂乱で男は叫び出した。

 その男が最後に求めた助けを、言い終える前に。少年は黒剣を振り上げた。胸の中心を穿っていた刃が真上に跳ね上がり、男の首、頭を、正中線で左右に断つ。

 声は止まった。

 

『――――』

 

 《(言葉)》にならぬ音だけが、左右に断たれた体から上がっている。徐々に命の緑が減っていく。しかし――空になっていない以上、男はまだ生きている。

 ――ぎょろ、と。

 左右に断たれた顔の双眸が、少年を捉える。

 後悔。

 恐怖。

 ――憎しみ。

 畏怖と怨嗟が混在した昏く淀んだ眼。

 

『――そうだ、俺を憎め』

 

 剣を下ろし、命が喪われるまでの猶予で向けられる憎しみの眼を、少年は見返し、そう言った。

 

『俺はそれを否定しない。あんたがやって来た事と同じ事と言えど、それを抱く権利はあんたにもある』

 

 ――男の命が、喪われた。

 爆散する前兆として、ヒトガタが光に覆われ始める。眩しげに少年は目を眇めた。

 

『――――』

 

 怨嗟を肯定する少年に、一瞬瞠目した青年だったモノ。しかし瞠目も僅かな間だけ。憎しみは再燃し、光に散りゆかんとするソレが再度、キツく少年を睨み付けた。

 ――()(たび)、彼が目を眇めた。

 

『俺を、赦すな』

 

 ――それが、男の聞いただろう最後の言葉になった。

 かしゃぁんっ、と男だったモノが欠片へと爆散し、その場には男が装備していた武器や防具が遺される。夜闇の空に散っていく欠片を、少年は最後の一片まで見送った。

 

『――それが、俺を突き動かすモノとなる』

 

 そう言って――最後の一片を見送った少年は、傍らに落ちていた剣を拾い上げた。()めつ(すが)めつ静かに検分した後、開いたストレージの窓の上に、丁寧に置き、格納する。

 そのほかに斬っていたオレンジ達――都合六人分の剣と防具を回収した少年は、その場を後にした。

 

「……ヒドいものね」

 

 道を進むだけになった残影を見てそう洩らす。

 場面転換の激しい映像だが、元よりオーディエンスを楽しませるためのアニメーションやハリウッド映画ではない。繋がれる場面の全てが謂わば彼を中心に展開されるハイライトシーン。休む間など、無いに等しかった。

 息が詰まる。

 ――それだけ集中したという事だ。

 引き込まれるというのだろう。迫真の演技で作られた映画は思わず見入ってしまうが、それと同じだ。

 彼には演技が無い。飾ったものはなく、言動の全てが真実ひとつ。引き込まれるのも見入るのも当然と言えた。

 だからこそ――映される()()の凄惨さが、どうしようもなく腹立たしい。須郷伸之が企てたデスゲームそのものだけではない。あんな幼い少年が動かなければマトモな秩序を保てなかったSAOプレイヤー全員への等分の怒りだ。未成年や子供ならまだ分かる。だが――大人までもが理性的でないのは、いかがなものか。

 同時に哀しかった。

 元の家に帰せば確実に死ぬ――そう言われて、見捨てられなかったからと、本人の同意を得る前に引き取る事を決め、新たな名前を付けた。

 常識に照らせば、酷い傲慢な在り方だ。

 本人がそれを喜んで受け容れてくれたから良かった。それだけ元の環境を本心では嫌っていたのだと思えば、手放しには喜べない。

 

 《織斑一夏》として在る事を、彼は嫌っていたのだ。

 

 だから――《織斑一夏としてのキリト》と、過去の彼が考え、SAOで振る舞っていると明かされた時は、得も言えぬ複雑な心境に陥った。

 それを覚悟し行動するだけの覚悟は、称賛したい。

 けれどその覚悟自体、子供がしていいものではないし、させてはならないものだ。ましてや私は彼に元の名を捨てさせた発端の一人である。裏で犯罪者達を捕え、時に殺してまで秩序を保っていた事を理解し、労いこそすれ、褒めてはならないと私は思った。

 (一夏)が求めていたのはきっと『称賛』ではなかった。それは、ただ結果を褒めているだけだ。

 (和人)が真に求めているのは、きっと過程――結果には現れない、彼なりの苦悩と小さな成長への理解だと、生還した直葉から内部での事を聞くにつれて思うようになっていた。

 だから、複雑な心境だ。

 褒めてあげたいのに、褒めてはならないなんて。

 

「キリト……裏では、こんな……」

 

 ――私とは別の意味で苦しんでいる声がした。

 濃紺色の髪と紅の瞳というやや日本人離れした容姿の少女が、苦悶を我慢するように表情を歪め、白亜の塔を目指し歩く少年を見ていた。

 

「木綿季ちゃんも、知らなかったのね」

「……オレンジとボク達を関わり合いにしようと、キリトはしなかったから……オレンジやレッドを斬ってた話は、何時も伝聞、噂でばかりだった。キリトが人を殺すところを見たのは……ボクは、PoHが率いたレッドギルドの掃討戦が初めてだったから」

「……そう……」

 

 木綿季は悔やむように手を握り、声を絞り出して答えた。

 アルゴという少女に言っていたように、彼はこの少女達に人と人が殺し合う光景を見て欲しくなかったから、関わらせないよう注意していたのだろう。ロザリア捕縛の際は逃げられないように敢えて彼女らを召喚し、戦力的に逃走を封じ込めた。同時にそれはPoHという男への抑止力になり、アルゴとシリカ両名の眼前で殺し合わない一手となった。

 仮に関わっても、徹底的に殺しを見せないよう配慮していたのだ、彼は。

 

「――それだけ、あなた達があの子と向き合っていたという事ね」

「そうだと、嬉しいな……」

 

 ちょっとだけ、嬉しそうに彼女ははにかんだ。

 ――そのときだった。

 

 

 

『そこまでだ、《ビーター》!』

 

 

 

 和やかな空気をぶち壊すように男の声がテレビから放たれた。

 映像では、道の真ん中で陣取り、黒の少年を阻むグリーンカーソルの集団が居た。ゲージ横には『鈍色を背景に真紅の亀甲』のタグがある。

 

「アレは……?」

「《アインクラッド解放軍》。ディアベルさんとキバオウを実働部隊のリーダーとサブに、このMMOストリームの大本である情報サイトの運営者シンカーさんを後方支援・情報部門のリーダーに据えた最大規模のギルドです」

「二十五層で半壊の憂き目にあってからは下層帯のプレイヤーの支援、情報収集を中心に、《笑う棺桶》結成からは中層域までの治安維持もしてたトコなんだ」

 

 一応警察染みた活動はあったのか、と感心していると、藍子と木綿季の表情が苛立ちの籠ったものになった。

 

「それと……《キリト誅殺隊》の、主要メンバーでもあるんです」

「は……チュウサツ、タイ……?」

 

 何だそれは、と目を剥く。姉妹を見るが視線と意識は共にこちらに無い。ならばと隣に座る娘を見るが――

 

「見てからじゃないと、受け容れられないと思う」

 

 そう言って直葉も意識を中継映像に向けたので、こちらもそれに倣うしかなかった。

 《ビーター》という必要悪にきて、今度はチュウサツタイ。《出来損ない》という風評も含め、どうしてあの子ばかりが、という哀しい怒りが抱きながら、場面の理解を進める。

 道の中央で仁王立ちする一団の装いは黒鉄色の金属鎧に濃緑の戦闘服で統一されていた。全て実用的なデザインだが、中央寄りに布陣する数人は大型のシールドを持っていた。タワーシールドというのだろうか。その表面には特徴的な城の印象が施されている。謂わずと知れた浮遊城アインクラッドの印だ。

 盾を持つ面子を含め、集団のおよそ半分――二十人ほどが片手剣を手にしている。

 対し、その左右を固めている者達は長大な斧槍(ハルバード)を持つ。

 そして全員ヘルメットのバイザーを深く下ろしているため、その表情を見て取る事は出来ない。一糸乱れぬ様を見ると、頭上に表示されているカーソルはグリーンなのに、まるでまったく同じシステムに動かされているNPCのように思えてしまう。

 その集団を前に、少年が立ち止まった。背中に吊る黒剣の柄に手は掛けない。彼は警戒の目を向けつつも、腕を組み、武装を拒否していた。

 

『《アインクラッド解放軍》が俺に何の用だ』

『キサマ、最近巷を騒がすオレンジ達のPKをしているらしいな。獄に入れられたオレンジ達が喚いていたぞ』

『俺は選択の機会を与え、それを連中は拒否した。獄に入るなら殺さない、入らず逃げたり反抗するなら殺すと、予め交戦する前に添えた上でだ。その上で連中は拒否した。逃げ延びた先でまた他人を殺すヤツを、生かしておく道理は無い』

 

 無表情――しかし、瞳孔を小さくしながらの語りには、恐怖を煽る圧があった。

 それを前に、バイザーに覆われていない口元を引き攣らせる男達。

 

『そうか……』

 

 集団のリーダーである男が、短く呟いた。

 

『ならば……我々がキサマを殺すと言っても、文句は無いな』

 

 リーダーの言葉に応じ、黒鉄色(ガンメタ)装備を纏い、武器を持つ男達から緊迫感が漏れ始めた。各々が武器を握る手に力を込めている。やや前傾姿勢になり、距離を詰めようとする者も居る。

 その集団。自身を殺すつもりでいる四十人余りを前にして、少年は組んでいた腕を解き、右手を背中に吊る剣の柄に掛けた。

 

『繰り言を言うつもりはない。だが、易々と受け容れると思うか』

『フン、まさか。だが、治安維持部隊を任される身として捕縛の協力は構わんが、殺すとなれば話は別だ。この世界で禁忌とされる《殺人》を躊躇なく行うキサマを生かし、野放しにしていては、多くのオレンジが死に絶える事になる』

『――悪人だからと言って殺すべきではない、と』

『その通りだ』

 

 無表情で紡がれた言葉を、リーダーの男が肯定する。

 ――少年の眼が眇められた。

 

『なら俺はどういう位置付けなんだ? お前の論でいけば、悪人である俺も殺すべき対象ではない筈だが』

『……キサマの攻略を進める心意気は認めよう。私とて、これでも一時期攻略組を目指していた身だ、最前線の恐ろしさは身に染みて分かっている。ソロで進む事も称賛する』

 

 感慨深げに、噛み締めるように、攻略を続けている少年への敬意を青年は評していた。その言葉には感情が籠っている。熱が、ある。少なくとも偽りのものではないとよく分かる。

 ――だが、と。

 青年は、頭を振った。

 

『しかし、だ。キサマは、人を見捨てた。人を殺し過ぎた。そして……強過ぎるのだ、キサマは』

『――なるほど。要するに、最前線もボス戦もソロで生き抜けるヤツが殺人鬼だから今の内に殺しておこうと上が決めた訳か。そしてあんた達はさしずめ特攻兵、と。捕えるよりも殺してしまう方が現実的に達成しやすいから』

『……そういう事だ』

 

 表情は見えないが、苦みしばった顔が浮かぶ口元の動きを見せつつ、男が頷く。あの男個人としてはやや反対的らしい。

 ――それが、彼の価値を理解してのものか、人を殺す事への忌避感故かは不明だが。

 

『一レイド四十九人のフルパーティーだ。ボス攻略の常連こそいないが、それでも最前線にも通用する編成を組んでいる……キサマに勝ち目はない』

 

 暗に、投降しろと促すような(あん)(たん)な口ぶり。ここで素直に投降すれば、ともすれば殺す事なく、監獄に入れるだけで済むのかもしれない。

 しかし――

 

『――生憎、こっちにも死ねない理由がある。ここで諦め、死を受け容れているなら、俺は《ビーター》になぞなっちゃいない』

 

 四十数人の敵を前にして、少年は臆さず、剣を抜く。

 

『掛かって来い、解放軍。この首、容易く取れると思うな――――っ!』

 

 その眼は、(けい)(けい)(シン)()を燃やしていた。

 

 

 ――場面が変わる。

 

 

 場所が変わり、日が変わり、彼を殺そうとする集団の面々にも変化が訪れた。黒鉄色の軍ばかりだった様相に、白銀色の装備をした《白を背景に吼える蒼い竜》の印象を一様に付けた面々《聖竜連合》が混じり、四十だった数は膨れ上がっていった。

 四十では、少年を殺すに至らなかった。

 だから次は八十――二レイド分。それでも、彼は躱した。

 次々と投入される戦力。百を超え、百五十、二百に届き――――幾度となく繰り返された攻撃の一つが、敗戦の流れを断ち切った。

 一本の短剣が少年の腹を掠めた瞬間、脱力したように倒れ込んだのだ。

 姉妹曰く、麻痺毒らしい。状態異常耐性のスキル値は相当高い筈だが、それをカンストしても全てを完全防御する訳ではないため、数で責められれば当然罹る可能性は高くなる。

 そしてその集団――『人を見捨て、躊躇なく殺す危険な強者』を誅殺する為の組織《キリト誅殺隊》も、オレンジやレッド達の手口から手段を学び、実行していた事で、麻痺毒が彼を窮地に陥れた。

 当然仲間など居ない彼はその場で滅多刺しにされる。

 

 ――しかし、彼は死ななかった。

 

 ダメージを負ってもその端から戦闘時自動回復スキルにより回復してしまうのだ。最前線に敵うという平均レベル《70》の集団に対し、彼のレベルは《140》に至っていた。元のHP値が高いと自動回復の割合も多くなるため、どう足掻いても彼らの手では少年を殺せなかった。

 故に、彼らは少年を――外周部から落とす事にした。

 それなら少年も助からないだろう、と考えて。

 

『キサマが人を殺さなければ――こうは、ならなかったのだ』

 

 少年を担いでいたリーダー格の青年が、最期の手向けとばかりに、そう告げる。

 麻痺毒に冒され、ただ為されるがままに少年は空へと身を放られた。

 

『あばよ出来損ない!』

『死に晒せ、卑怯者!』

『この人殺しヤロウが!』

 

 そんな罵倒を告げられながら、空を落ちていく黒の子供。慣性が働いているのか少年の体は城から離れるように全身を続け、そのため下に行くにつれて広くなっていく階層のからドンドン離れていく。

 落ち行く先は、誰も知らない雲海の遥か彼方。

 第一層のフィールド外周部をも横切り、浮遊城下部の樹木すらも掻い潜った少年は、夜の雲海の底へと堕ちていく。

 ――雲海の果てが、顔を見せた。

 月光を照らし返す水面ではなく、ただ(まった)き闇が口を開いていた。一定ラインから下に落ちた事で浮遊城の外周部からは海に見えていたテクスチャが剥がれたのだ。

 

『――空の下は、こうなっていたのか』

 

 ()()の終わりを前にして、少年が最初に呟いたのはただの感想だった。ただ無感動、無感情な呟き――――それが、彼の心境を物語っている。

 (カラ)の瞳が、(ウツ)ろに闇を映していた。

 

『このまま堕ちれば、俺は死ぬ……――――が』

 

 (クラ)い瞳が、左に向いた。

 

『麻痺毒が解ければ転移結晶が使える……俺が死ねば、俺が殺した人の死が無駄になる。サチを護る誓いがある以上、取れる手段があるなら、取らないと』

 

 淡々と喋りながら、自由になった右手でストレージを開き、転移結晶を取り出した。転移アルゲード、という式句に反応して青い結晶体が光に散る。

 その光が、少年の体を包み込んだ。

 

 

 ――場面が変わる。

 

 

 夜の雲海から、一転して街のすぐ外に映っていた。

 少年の前には、彼を落とした集団が居た。全員ギョッとした眼で街への道を阻む少年を見つめる。

 

『キ、キサマ、何故生きて……?!』

 

 動揺するリーダーの男。

 それに、キリトは答えなかった。無言のまま距離を詰め、集団の一人に襲い掛かり、蹴り飛ばす。HPが僅かに削れるが、その男はキリトを傷付けた事でオレンジカーソルになっていた。

 ――紺野姉妹の話によれば、軍の治安維持部隊は決してプレイヤーに対して敵対的な存在ではない。

 それどころかフィールドに於ける犯罪行為の防止をギルド単位では最も熱心に推進していた集団らしい。ただ、その方法が些か過激で、犯罪者フラグを持つオレンジプレイヤーを発見次第問答無用で攻撃し、投降した者を武装解除して、本拠である《黒鉄宮》の牢獄エリアに監禁するという側面があり、決して好意的に見られていなかった。投降せず、離脱にも失敗した者の処遇に対する恐ろしい話も、まことしやかに語られていたという。

 とは言え、二十五層での攻略失敗による規模縮小を受けてからは、ディアベルという青年をリーダーとした部隊が攻略メンバーを率い、キバオウが五十層以下の治安維持部隊を率いていたため、軍と一口に言ってもその気質は上層と中層以下でもかなり異なる。更に言えば治安維持部隊と後方支援部隊でも毛色が異なるという、かなり混沌とした有り様だったという。ディアベルとシンカーの二人はキリトに好意的で、キバオウは敵愾心を剥き出しにしている事から来ているのだろう。

 そして治安維持部隊のメンバーは、曲がりなりにもキバオウ配下のプレイヤー。キリトに対する敵愾心、織斑一夏や《ビーター》などへのヘイトはかなりのもの。

 だからこそオレンジになってでも斬り掛かる事や外周部から落とす事を厭わなかったのだ。

 そうしてオレンジになった集団の一人を蹴り飛ばした彼は、その男が落としたモノ――奪われていたキリトの黒剣を拾い、背中に吊り直した。

 

『なっ、そ、それオレのだぞ!』

『俺から奪って、な。そしていま俺が奪い返した。だからもうお前の物じゃない……コレをやる訳にはいかないんだよ』

 

 背中に吊った剣の柄を撫でながら昏い眼で言った彼は一息で後退し、驚愕する集団と再度対峙した。

 

『――ハッキリ言って、まさか本当に殺され掛かるとは思わなかった。正直あんた達の執念を舐めてたよ』

 

 そう言って、彼は――瞳を見開かせた。

 

『次からは加減もやめだ。こちらも殺す気で対処させてもらう』

『な……キサマ、今までは加減していたと言うつもりか?』

『当たり前だ。だって、()()()()()()()()()()()

『っ……!』

 

 四十人や百人で足りず、二百人による襲撃――しかも、麻痺毒による運頼みで漸く届いた戦いが、まったく本気で無かったという事実に集団が絶句する。

 確かに、少年は殺されかかった。それは事実だ。

 だが――殺し切れなかった以上、少年も本気を出す。同じ手は二度も喰わないだろう。その上で自分達の誰かが殺される真の意味の《特攻兵》になると考え、男達は戦慄していた。

 

『――分かったか。それが、人を殺す事の重みだ』

 

 その戦慄を察してか、少年が睨みながら言った。

 

『あんた、以前俺の事を殺人を躊躇なく行う人間と言ったな』

『……言ったが、それがどうした』

『それはあんた達も同じだろう。躊躇なく殺人を行う俺が危険だから殺す――と、そう言っている。さっき俺を投げ落とした時、どれくらいの人間が躊躇を見せた? あんたは(かく)()していたらしいが、あんた以外の人間は、むしろ俺が死ぬ事を喜んでいたように見えたが』

『それは――』

 

 反論しようとし、しかし青年は口を噤む。雲海へと落とされた少年に向けられた罵声が脳裏に蘇ったのだろう。なにしろついさっきの事だ。思い出補正すらまだ働いていない。

 

『――お前と一緒にするな!』

 

 口ごもった隊長の代わりとばかりに、やや熱血的な青年が前に出て、そう叫んだ。

 リーダーの男がはっと顔を上げるが――それは、些か遅きに逸していた。

 

『俺達は間違ってない、お前が居ると危険なのは事実なんだ!』

『絶対の悪人は居ないにしても、絶対許しちゃいけない事はあるんだよ!』

『人殺しを躊躇しないお前に生きてる価値なんて無い!』

『オレンジやレッドは悪い奴らだけど、それでも、殺さず捕えるだけで済ませればいい! それをしないお前は許しちゃいけないんだ!』

 

 何かが琴線に触れたか、熱の入った言葉を捲し立てる集団。その全てが自分達の行いを正当化し、少年を糾弾する内容のものだった。

 彼は、それを冷めた眼で眺める。

 

『……平和ボケと、言われる訳だ』

 

 若者たちの怒声に紛れるように、ボソリと、少年の呟きが漏れる。それを中継カメラはしっかりと拾った。

 ――苛立ち混じりの声音が聞こえた。

 それの後、無だった表情に嘲りの色が浮かぶ。フ――と、鼻で笑われた事に、一瞬集団が黙り込んだ。

 

『――随分と甘い理想論だ』

『な、なんだと?!』

『事実だろう。お前達は何も分かっていない。『ヒト』とは、他人を食い物にし、誰かの不幸の上に幸福を築き、営みを続けるケダモノの総称だ。誰かを犠牲にして自分を生かす事が生物の循環だ。それを否定する言葉は理想論だろう。まさか同じ『ヒト』だから犠牲になる訳が無い――などと、俺を前にそんな事を抜かすつもりは無いだろうな』

 

 嘲りの笑みが、瞬時に憤怒の顔に変わった。

 

『そもそもだ。その犠牲の範囲を決めるのが国であり、法だ。だが、此処はデスゲーム、仮想世界、現実世界から隔離された電子の牢獄だ。実質的に無法地帯であるこの世界で日本の法や常識を語るなのは筋違い。よしんば語るにしても、人間の生き死にを扱うのはお前達じゃない、国の司法機関だ……お前達は、自分達が《法》を司る番人とでも宣う気か。犯罪者だから、危険だからと、殺して構わないとでも宣う気か!』

 

 ――ダンッ! と、剣が大地に強く突き込まれる。

 

『なら――ただの一つも、例外を作るな! やるなら徹底的に公正公平にやれ! 中途半端がいちばん余計なんだよ!』

『お、俺達は、公平に――』

『――ふざけるなよ、()()

 

 反論しようとした集団の一人に、昏く、鋭い眼を向けた。途端、向けられた男が体を震わせ尻もちをつく。

 

『もし本当に公平であれば、俺を投げ落としたあの時――《出来損ない》という単語は、仮令集団だとしても出なかった筈だ。この世界で俺がした事と現実での《出来損ない》という風評に繋がりは一切無いんだからな』

 

 冷静な声音と、それに反する怨嗟の眼光の激しい落差。彼からにじみ出る怒りの波動が場を席巻していた。

 

『――変わらんよ。俺がしてる事と、お前達がやろうとしてる事は、何もな』

 

 ――そして、彼はまた、嘲りの笑みを浮かべた。

 

『現実と違ってこの世界では強さこそが全てだからな。万能感を得る気持ちも分かる――お前達は、その万能感と正義感に酔って目を逸らしているだけだ。どれだけ言葉を重ね、取り繕おうと、やっている事は同じ《殺人》だという事を忘れるなよ』

 

 集団は、言葉を喪い、固まっていた。

 それまで自分達が信じていたモノが崩れ去り、足元が抜けたような――そんな錯覚を感じている事だろう。どれだけ言葉を重ねたとしても、結局しようとしている事は同じ《殺人》であり、彼らが嫌悪した躊躇なき《殺人》としようとしている事は同じなのだと思い知らされた筈だ。

 それを彼自身に指摘された事は、他の誰よりも痛烈に響く皮肉である。

 彼の笑みは、それを理解した上でのものだった。最初の《ビーター》宣言の時と同じだ。彼らの感情を逆撫でする事で、《ビーター》の悪名を更に強固なものにする事に決めたのだ。

 ――《ビーター》は、人の負を集め、秩序を崩壊させない為のストッパーである。

 この映像が再現された時期は、レッドギルドの擁立とオレンジプレイヤーの活発化により、多くの人が不安と恐怖を抱いていた筈だ。だから《ビーター》たる彼はオレンジ達の抑止力になるべく動いていた。人を殺す《ビーター》、攻略を進める【黒の剣士】。この二つは彼が持つ二つの側面。

 その内、《ビーター》側の《必要悪》のレッテルを強くする為に、彼らの感情を利用する事にした。

 それ故の皮肉であり、挑発。

 これは、テコ入れだ。ベータテストで進んだ階層を抜けて久しい頃、攻略が安定して進む中でオレンジの活動は散発的で、《ビーター》がどう動こうと大きな悪にはなり得なかった。

 だが、PoHと《笑う棺桶》の動きが、その停滞を断った。

 《アインクラッド》は激動の時代を迎え、その中で一際強い《悪》が出来上がったのだ。最初はPoHと《笑う棺桶》。次はオレンジギルドと、それを殺して回る《ビーター》の存在。

 その内、攻略をソロで進め、四十九層ボスはソロで倒すなどの戦闘力を見せ付けた彼の危険性を鑑み、秘密裏に討伐隊を差し向けた。それが今回の顛末だ。

 ――それを、彼は利用する事にした。

 PoHの動きがキッカケとなった一連の騒動を、《ビーター》に対するヘイトにしてしまえば、ある程度の不安や恐怖は免れる。どちらにしろオレンジ達を取り除かなければ続く不安。それを断ち切る為に捕縛、最悪殺害するとなれば、イヤでも悪名は付いて回る。

 だから――最初から、それを敢行した。

 途中でやめられないよう、自分が逃げないよう手を打った。

 ――これでもう、和人は止まれなくなった。

 《ビーター》の異名は、コペルの死を無意味にしないようにと生きるべく、攻略集団の設立と存続の為に存在する《必要悪》。それが機能する事で攻略集団の団結は約束される。

 オレンジ達の脅威に晒されれば、軍のように一枚岩ではない組織の集合などすぐ空中分解する。

 だからこそ――強烈な、悪が必要だと彼は判断した。

 

「……和人……」

 

 過去を映した残影だと、そしてこの時点での意識は和人でないと分かっていても――そう名を呼ぶ事を、止められない。

 私は、和人からSAO時代の事を聞いていない。

 いや――いま映されている裏でのやり取りは、長く一緒に居たという姉妹すらも初見だ。

 残影の様子から見るに情報屋の少女は伝聞でのみ詳細を知っていて、実際に目で見た訳ではないだろう。

 その場に居なかった私達は彼の行動をとやかく言う筋合いが無いし、してはならないのだと思う。聞いて、理解して、労うまでが許された事。否定は決して許されない。

 彼の努力と決意は、否定されていいものではない。

 

「――いずれ、直接聞きたいわね。SAO時代の事」

 

 私達は、ただ映像で見ているだけだ。

 彼がそのときどう感じ、どう思っていたかは、知り得ている情報から推測しているに過ぎない。もっと(義息)の事を知りたいと思った。

 ――よく考えれば、知らない事がとても多い。

 それはなんだか、さみしい――そう、思った。

 

 






・誅殺隊
 《ビーター》の悪名に踊らされている集団。
 本編SAO編第八章、第五十五層グランザムにてキリト、リズベット、ユウキ、ラン、サチの前に初登場したキリトを殺す為だけに設立された組織。
 その実態は、《ビーター》として多くの人を見捨てた事、オレンジやレッドを躊躇なく殺す事を危険視し、更に攻略組トップクラスの戦闘能力を誇る事から、『本格的に手が打てなくなる前に殺処分』となったために作られた集団。キリトの立ち位置がPoHだったら真っ当だが、キリトの在り方を考えると、誅殺隊の方が悪。
 タチ悪い事に、誅殺隊メンバーは『この選択は正しい』と本気で思い込んでいる。
 多数意見を取り入れ、多くの支持を得ているのでそう考えるのも仕方ないが、よくよく考えればしようとしている事は《殺人》である。国の司法機関でも《死刑》は中々無い中、それ相応の勉強や資格を持っている訳でも無いゲーマーの集まりで人の生き死にを判じている時点で、割とマトモではない。しかも《出来損ない》という、SAO内部での行動に直接かかわりの無い風評や個人の感情も含んでいるため、公正公平とは言い難い。
 そこを突かれ、《ビーター》の煽りムーヴを受けた事で、キリトのアンチ集団に成り下がった。
 このためキリトにヘイト管理される対象になっている。

 ちなみに今話の時点でリンドが出ていないのは、まだアンチキリトとして機能する前段階だから。最強戦力を相手にするのに最大戦力である攻略組(軍か《聖竜連合》の一軍)を投入しない辺り、結構な舐めプをかましているが、流石に『次から殺す気でいく』と宣言されては気が抜けないのでリンドが出張るようになった。


織斑一夏(キリト)
 一刀で二百人組手まで耐え抜いた攻略組単騎最強プレイヤー。
 なんとアンチ集団から《最強》と認められていた。しかし認められたが故に、その行いと戦闘能力を危険視され、殺処分される事が勝手に決められた。護っていた人達に裏切られた――が、キリト本人は然して驚いていない。
 キリトも人を殺す事を前提としているのでマトモではないが、一応『人を殺す重み』を理解し、奪った命や与えた死の諸々を背負い込んでいるので、まだマトモ。ただ重く捉え過ぎているのが玉に瑕。誅殺隊に対しては、《ビーター》の悪名を誇張して伝え、《必要悪》としての働きを補助するブースターになるため、崩壊しないよう相手していた。
 SAOクリアまで幾度となく殺され掛けたがキリト自身が手に掛けた誅殺隊メンバーは、実はリーファ・シノンをレイプしたキバオウ一派のみである。

 大切な存在を傷付けた者への報復は《死》ひとつ。

 ――自分が殺され掛けた事への報復が無い点が、キリトの在り方を表している。



・桐ヶ谷翠
 傍観するしかない保護者(真)。
 義息の行動を見て感嘆しているが、理解し、労いこそすれ、褒めるのは何か違うと内心複雑になっている。
 事実、和人が求めているのは『理解』と『容認』であり、『称賛』でも『否定』でもない。もし称賛されれば度を過ぎ、否定されれば自己否定を始めるため、その判断は正解である。
 ――何も知らないでいる事を歯痒く思い、SAOであった事を、苦しかった事、楽しかった事もひっくるめて知りたいと、強く思うようになっている。
 第零話にて、()()()()()()()養子にすること前提で名前を付けた事に責任を感じていたが、《Kirito》という名や直葉の説教の根幹で名前の意識分けがあったように、割と重要なファクターとなっている。

 翠が《和人》という名を与えなければ=桐ヶ谷一夏という名前だったら――キリトは、間違いなく《獣》へと堕していたに違いない。




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