インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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 どうも、おはこんばんにちは、黒ヶ谷です。

視点:壺井遼太郎(クライン)

字数:約一万九千

 ではどうぞ。


 ――これは、PoHがどのように殺され、殺人ギルド(笑う棺桶)がどのように消滅したのかの顛末。

 ――そして、絶望した子供(キリト)が出した、現実的なおはなしのひとつである。




番外12 ~A lemnant of the Death Game~

 

 

 日本標準時、二〇二五年五月九日、午前三時。

 内部再現時間《二〇二四年三月十三日、午後八時》。

 

 

『お前ぇ、俺のトコに来る気はねぇか?』

 

 韻律に富んだ男の声が上がった。誘いを掛けるそれの調子は軽いが、しかし軽薄なそれと異なり、どこか真剣さを帯びていると思わせる印象だ。

 それを受けた側――黒尽くめの少年が返したのは、言葉ではなく首を狙った剣劇だった。十メートル以上あった距離を()(しゅん)で詰める速度に、誘いを掛けた男の取り巻き達は対応出来ず、横を素通りさせていた。距離を詰めた少年は漆黒の直剣を袈裟掛けに振るう。

 黒緑のポンチョを纏った長身の男――殺人ギルドの首領PoHは、右手に握る肉切り包丁の如き短剣で剣撃に応じた。

 甲高い金属音が上がり、夜の帳を火花が鮮明に照らした。

 白磁の肌を持つ少女の如き剣士の()()と、ポンチョから僅かに除く日本人でない特徴も持つエキゾチックさを感じさせる()()が、一瞬だけ照らされた。

 ギギギ、と刃が軋みを上げて拮抗を保つ。

 

『――()()()、何度同じ問答を繰り返すつもりだ』

 

 夜景を照らす月光で、僅かに浮かび上がる少年の睨み顔。その口から紡がれるのは見た目の幼さに反する鋭い舌鋒だった。

 その威勢の良さか、あるいはかつて戦闘技術を叩き込んだ関係性によるものか、男は気分を害した風もなく肩を揺らして笑った。ポンチョから覗く口角が三日月の形を描く。その動作すらも、何故か視線を集める演技のようだった。

 

『何度でもさ。窮屈だろう、(てい)(さい)を気にしてこんなコトを続けるのは。お前ぇはこっち側の人間……いや、違うか。そっち側に居る事を、周囲が認めねぇよ』

『……否定はしない』

 

 (ひそ)やかに交わされる会話。

 PoHは未だ勧誘を諦めていなかった。以前耳にした、ラフコフメンバーを煽り倒すマシンガン染みた激しい口調と異なり、どこか諭すような穏やかさがある。

 それを裏付けるように、少年に向ける男の眼は真っ直ぐだった。

 同時に、哀れんでいた。なにかと重ね、共感するような眼をしている。程度こそ違えど、デスゲームから生還して以降幾度となく向けられた視線と同種である事が理解出来た。ただ――(PoH)のそれは、経験者特有の色合いを帯びている気がしたが。

 

『――だが、その話と、俺が《笑う棺桶》の軍門に(くだ)る事は別問題だ』

 

 少年は、その眼が気に入らなかったのか、苛立ちの籠った語調で返し、全身に力を込めた。直後、剣が振り切られる。拮抗を続けていた短剣の刃は容易に弾かれた。

 予期していたように男は軽やかにステップを踏み、体勢を崩さず後退する。

 ――瞬間、声も無く、ラフコフメンバーが背後から迫った。

 その数、四。

 そして投げナイフによる遠距離攻撃が六つ。《投擲》スキルを高めると習得する《トリプルシュート》を、距離を取っていた二人が放ったものだ。

 

『――――』

 

 初級から中級のサウンドエフェクトは全て一括で、違うのは光の色と構え、武器種。《ヴォーパル・ストライク》のような超上位に位置するスキルでなければ特殊なサウンドエフェクトは無い。視認出来なければ、放たれるスキルが近接攻撃か遠距離攻撃かも判断できない。

 辛うじて、音の聞こえ方で方向と距離を予測出来るかという程度。

 ――その『辛うじて』を以て、少年はレッド達の攻撃を捌いていく。

 初手。ほぼ防御が出来ない《投擲》スキルに対し、()()に動く事で回避する。その時点で遠距離攻撃の使い手を視認した。

 次手。距離を詰める男達の猛攻――を、力尽くで食い破っていく。

 振るわれる直剣、細剣、短剣などを、全て一太刀の下に斬り砕いていく。一撃で丸腰にさせられた男達は、瞬きをした時には両手両足を切断されていた。一人に対し、一息で四手――武器破壊に一手、手は左右で一手ずつ、両脚は横薙ぎで一手――の計算になる。

 それを都合四度繰り返したところで、投げナイフによる攻撃――おそらく麻痺毒を塗布した毒ナイフ――を行う二人組の内、片方に肉薄。腰の剣に手を届かせる前に両手首を一息で切り捨て、次に脚を横薙ぎで切断。

 もう一人も、二回目の《投擲(スキル)》は間に遭った――が、剣の一振りで纏めて叩き落とされた。そして、サブに該当する故に短めな硬直の間に距離を詰められ、相方と同じように達磨にされた。

 結果――十秒掛けず、六つの達磨人間が地面に転がった。

 

 しかし、PoHの姿は既に無かった。

 

 《笑う棺桶》メンバーをキリトが相手にし始めてから、間を置かないで転移結晶を取り出し、すぐ転移で逃亡を図ったからだ。厭らしい事に最低でも数秒は稼げるよう男達は波状の連携攻撃を仕掛けていた。僅かでも防御、対応に綻びを作れば、剣がその身を斬り裂くだろう巧妙な手管だ。

 結果、少年は《笑う棺桶》メンバー六人を相手取って、PoHを取り逃がしてしまう。

 ――これがPoHの恐ろしい所だ。

 かつて、《ホロウ・エリア》で須郷を捕縛し終え、《アインクラッド》に戻って暫くしてから、キリトが語った事がある。

 《笑う棺桶》というギルドは、推計五十人足らずからなる組織である。このギルドを巧妙に人目の付かないところに隠しながら活動を続けていた手腕も恐ろしいが、真に恐れるべきなのは、幾度となく自分(キリト)がメンバーを削っているにも関わらず総数に変動が無い点――――つまるところ、人を集める能力にこそある。人をその気にさせるのが上手いのだ、あの男は。

 人を煽り、その気にさせるからこそ、PoH個人の人間性にはあまり関心がいかない。容易くメンバーを見捨てる事を知っていれば恐れてギルドに入らないだろう。PoHの話術と人心操作が長けている証左だ。

 どれだけ捕まえ、あるいは殺し、その風聞を広めても、《笑う棺桶》に(くみ)する人間は後を絶たない。

 タチの悪いイタチごっこだったよ、アレは。

 そう言い終えて、かつての少年はヘンな匂いのする茶を呷っていた。

 ――その時と同じ苦味のある顔で、少年は転移光の残滓を眺めた。

 残滓が消えてから、地面に転がって罵詈雑言を喚き散らす男達に近寄った。右手に提げる漆黒の直剣(エリュシデータ)の切っ先を喚く男の一人に突き付ける。

 

『アジトの場所を吐け。吐かなければ殺す、吐けば監獄に入れて終わりだ』

『テメェ、ぶっ殺してやる! 必ず殺してやるからな!』

 

 問い掛けに対し、猛烈な殺意――共に、絶対喋るものかという反骨心に(たぎ)る罵声が返された。

 

『――二度は無い』

 

 途端、少年の鋭い眼光に冷たい殺意が宿り――一息で、男の首が()ねられた。注意域だった体力が一瞬で全損し、やや遅れて体が光に散る。

 それを見た残る五人の《笑う棺桶》メンバーは、罵声のボリュームと勢いを更に上げた。

 誰一人として命乞いする者はいない。

 ――程なく、夜の森は静けさを取り戻す。

 地面には男達が防具や、予備として腰に佩いていた武器、叩き落とした投げナイフなどが落ちていた。

 その中心で、黒尽くめの少年は剣を杖替わりに膝を突き、震えていた。

 

 ――場面が変わる。

 

 内部再現時間《二〇二四年三月十三日、午後九時》。

 時間が一時間進んだ映像はキリトとアルゴによる密会の情景だった。コメント欄で『またか』と、数時間もの再現放映で幾度となく見た人だろう発言が流れるが――

 いや、そんな事はどうでもいいだろう、と頭を振る。

 頭に巻いたバンダナの縛り目の余った帯がゆらゆら揺れた。

 

『今日、PoHと遭遇した』

 

 再現された残影の少年が、昏い眼で口火を切った。体面に座る情報屋は神妙な面持ちでそれを聞く。

 ――ふと、最近見た洋画の懺悔シーンとダブって見えた。

 

『……()った、のカ?』

 

 ゆっくりと、アルゴが尋ねた。キリトは頭を振った。

 

『そうカ』

『――代わりに、メンバーを六人殺した』

『……そうカ』

 

 一瞬、上に向いた情報屋の顔は、すぐに暗くなった。見た事ないくらい分かりやすい顔色の変化。自分が持つ【鼠】のイメージは、ひょうひょうと喋って何時の間にかネタを抜いて行くニクい少女で固まっていたからギャップが凄まじい。

 だが――これが素なんだろう、とすぐに受け入れる。

 キリトがそうであったように、アルゴもまた、人を信じていなかったのだ。ただ一人、幼い少年を除いて。

 それも当然だ。なにせ『ウマい話には裏がある』というのがアインクラッドに於ける鉄則に等しい暗黙の了解だった。その『ウマい話』を持ってくるのは人であり、罠に掛けるのは悪意ある者しか居ない。ましてや情報屋という立場故に怨まれる事も――デスゲームではそれ以上に感謝されていたように思うが――少なくなかった。ヒトの悪性を直視する事が多い以上、必要以上に信じないようにするのは自己防衛の一手と言える。

 それを最初期の頃から容易く踏み越えていただろう少年は、流石としか言えない。

 当初はツンケンしていた細剣使いの少女にさえ、一度たりともその態度を向けられなかったのだから。

 

『なァ……酷な事を聞くけどサ。キー坊はいままで何人殺ってきたか憶えてるカ?』

 

 暗く、神妙な面持ちで、とんでもない事を問う少女。

 少年は、声を荒げらなかった。腕を組み、静かに瞑目し――

 

『四八一人』

 

 噛み締めるように言った。

 ぴくりと、少女の片眉が動いた。

 

()()多いヨ。オネーサン、これでもキー坊が毎回教えてくれるPK数は記憶してるんだゼ? ……目の前で自殺した人も含めてるんダロ』

 

 その一人を、アルゴは《ケイタ》として自己解釈した。《ケイタ》はキリトが殺したのではなく、自殺した人間だ。PKした数としての総計には入らない。だからアルゴが数えていた総計から外れた数と認識されてもおかしくない。

 だが――その一人は、おそらく青年(コペル)の事だ。

 あまりに幼い少年が、他人の死を無意味にしない為に自分の死を否定するようになった根幹。このデスゲームに絶望した人間の叫びを聞く発端となった人間。意図していなくとも――はじまりの日に、人を殺してしまった罪。

 どれを取っても、あの青年の死が関わっている。

 適当に煙に巻いて話す事も出来ただろうに、欠片も話していないのだ。

 

『――五八人』

 

 アルゴの推測に対し、少年が返したのは新たな数だった。

 ――それが何を意味するものなのか、俺は瞬間的に悟った。

 

『……それは、何の数ダ?』

『目の前で取り零して死んでいった人の数だよ。デスゲームが始まってからこれまでの間に、その場に居ながら間に合わなくて……手が届かなかった、回数でもある。殆どは最初の一ヵ月間だけど……偶に、増える』

 

 自嘲の笑みを浮かべた顔が、俯けられる。

 視線の先には、卓上に置かれた二つの腕と手があった。

 

『モンスターに殺された人がいた。同じ人間に殺された人がいた。人の手を拒絶し死を選んだ人がいた……そして、()(かい)に殺された人がいた』

 

 噛み締めるように、(とつ)(とつ)と紡がれる言葉。

 俯けられた顔は見えない。

 ――華奢な体躯は、微かに震えていた。

 

『アルゴが言いたい事は、分かるよ。もう殺すなと言うんだろう? これ以上殺したら、誅殺隊だけじゃなくて、攻略組の主要メンバー全員の討伐隊が組まれかねないから』

『……知ってたのカ』

 

 苦々しげに、少女が言った。

 きっと、今の自分も、同じ表情をしているだろう。

 

『――歴史なんて、俺は全然知らないけどさ、汚れ仕事をし過ぎると消される事は知ってる。ましてや誅殺隊に殺しの大義名分を与える事をしてるんだ。そこまで楽観的じゃないよ、俺は』

『……なら。なら、もういいんじゃ……』

『いいや、《笑う棺桶》は潰すし、PoHだけは必ず殺す。前言は翻さない』

 

 固い、覚悟を感じさせる固い語調の断言。

 くしゃりと、少女の表情が歪んだ。顔を俯けたままの少年はそれを見ていない。

 

『キー坊……おマエ、まさか……一人で《笑う棺桶》を潰すつもりカ……?』

『じゃないとみんなの前で人殺しをする事になる』

 

 ――少し過去の残像(キリト)も口にした、その願い。

 それが出た途端、アルゴの顔がくわっと険しくなった。鬼気迫るとはきっとこの表情だろう。

 

『それは、だめダ。認められなイ。一人で行ったところで潰せないヨ』

『…………』

『おっと、早とちりするなヨ。何もキー坊が力不足って言ってる訳じゃなイ。転移結晶で逃げられるかもしれないダロ。そうでなくても、連中はイヤに引き際の見極めが良いんダ。“自分だけは助かろう”って行動なら多分ピカ一じゃないカ?』

 

 それでも、怒りを堪え、努めて冷静にアルゴは言葉を発する。感情的になったところで、正論を以て反論を封じ続けているキリトには意味が無い事を――おそらくは、義姉と同等レベルに理解しているから。

 事実、キリトは《笑う棺桶》の首領と対面してから、《笑う棺桶》掃討作戦までの間で、数回は遭遇し、同じ回数取り逃がしている。メンバーを殺す事は容易い。何故なら、逃げる思考より、キリトを殺す目的意識を高めるようPoHが煽っていた体。気付いた時にはもう遅く、衝動のままに罵声を発し、そして殺されている。

 だが、PoHだけは違った。

 どれだけ追い詰めようと逃げ切る能力は本物だ。

 一度、《笑う棺桶》の総力とキリト一人がぶつかった事があるらしいが、結局首領と幹部級のプレイヤーには逃げ切られ、殺した人数分を補充されて振り出しに戻ったという。

 おそらくこの映像時期より後の出来事だろうが、その事象が起きる前提の認識――“連中の生き汚さ”という認識は、逃げ切られる度にそれを痛感しているキリトなら既に持っている筈だ。

 それ故か、少年が怒鳴り返す事は無かった。

 組んだ腕をテーブルに突く。肘を突き、組んだ手に額を当て、沈思の姿勢を取った。

 

『――二つ、確認させてくれ』

 

 沈思の姿勢のまま、落ち着いた声音で少年が言った。

 不穏な空気に、コメント欄が『ざわざわ……』とセルフで流していく。

 

『何ダ?』

『《笑う棺桶》を潰すのはが一人じゃダメなら、集団で行くのはいいんだな?』

『……ホントは行って欲しくもないけど、そうもいかないからナ』

 

 憮然とした()()でアルゴが言う。それも、やはり少年は見ていない。なにか考えを纏めているらしい。

 

『なら――《笑う棺桶》メンバーを殺す事に関しては?』

『ム、ぐ……それハ……』

 

 続く第二の問い掛けで、アルゴは返答に窮した。

 実際難しいところだ。生かしたまま無力化し、捕えるのは、言うほど簡単な事では無い。コメント欄では麻痺毒を使えば良いと流れるが、事はそう単純ではない。

 そも、麻痺毒で無力化し、(なぶ)(ごろ)す手は《笑う棺桶》が最初に行った。

 その対策方法としてキリトが対麻痺毒ポーションと《状態異常耐性》スキル、そのほか状態異常系にブーストが掛かる装備の重要性を、アルゴの攻略本で匿名で掲載していた訳だが、それも当然連中は知り得ている。

 毒を使う連中が同じ毒に掛かる事はまず無い。

 キリトはそれに掛かって一度空に放られた訳だが、アレは数の暴力で《麻痺》の状態異常を引き当てたに過ぎない。どれだけブーストしても完全無効にはならないのがSAOの常識だった。後に闘技場で手に入った装備品でキリトは状態異常にかからなくなるが、アレは例外中の例外である。

 そんな僅かな可能性に賭けて、自分達は殺しを封じ――つまりほとんどの大技を使えず――、それでいて相手はこちらを殺せる技を次々使えるとなれば、あまりに不利だ。僅かな可能性に賭けるあまり自分が死んでしまっては元も子もない。

 故に、状態異常に対し高い耐性を持つプレイヤーを相手にする時は、部位欠損の方が手早く、確実だった。

 

『正直なところ、ヒースクリフやアスナ達ではどれだけ頑張っても《笑う棺桶》は超えられない』

 

 返答に窮するアルゴに助け船を出す――訳でも無く、キリトが言葉を続けた。その内容に視聴者が沸く。何気にファンが多いアスナをディスられた点で燃えていた。

 ――それが、実力という意味でない事に気付けたのは、三千万を突破した視聴者の何割だっただろうか。

 

『みんなはAIが組んだルーチンを相手にした戦闘特化型。対する《笑う棺桶》は、人を殺す事に特化した集団。持つ覚悟が違い、使う技術が違う。みんなを呼んだところで戦力にはなり得ないだろうな……個人的にも、なって欲しくはない』

 

 最後に、小さくそう付け足した少年は、そこで顔を上げた。苦しげに顔を顰めるアルゴと目がしっかり合う。

 黒い瞳は、やはり昏かった。

 

『……だから、やっぱり一人で行くのカ……?』

 

 (かな)しげに、また問い掛けるアルゴ。

 一人で罪を背負って欲しくない一心で放たれた、言外の願い。依存出来る、信頼出来る相手を喪いたくないという恐れ――それを超えた感情が、金髪の少女の表情に浮かんでいた。

 

 

 

『――――いや、討伐隊を組もうと思う』

 

 

 

 それは、届いていた。

 

『……とうばつ、たい……?』

便()()()は、だ。そもそもこれまでソロで潰す事に拘っていたのは個人的な感情と事情に比重を傾けていたからだ。もう三度も取り逃がしている以上、(わが)(まま)はこの辺で終わりにする』

『キー坊……!』

 

 あっさりと集団に頼る事を決めた少年に、アルゴが感動したように歓喜を露わにした。滅多に他人を頼らない事を常に心苦しく思っていたからこうなる気持ちも非常に分かる。

 ――そこで、『見覚えのある三本髭のネズミマーク』のアカウントが流したコメントが目に入った。

 

 

 ――これ、『個人の意思は全体の意志より優先されない』という考えに基づいた結論であって、別にオレっちの言葉が届いたからって訳じゃないんだよナー……

 

 

「……あー……」

 

 アルゴの願いは実は届いていなかったようだ。

 なんというか、当時のキリトを思い出すと、確かにそちらの方が『らしい』と思えてしまった。

 更に【鼠】が投下したコメントで、『あっ(察し)』という文が大量投下される。ところどころ英語やそれ以外の文字が混ざっている辺り、外国人も見ているらしい。ISの発表で日本語が共通語に強制変更された為にリーディングとヒアリングは出来るがスピーキングとライティングが出来ないのだろう。

 

『――とは言え、攻略組が戦力にならない点は変わらない。だから俺は戦力として頼るつもりは無い』

『……じゃあどうするって言うんダ?』

 

 訝しげに問うアルゴに、彼は視点を変える、と答えた。

 

『《笑う棺桶》を殺す、ないし無力化する戦力にはなり得ないが――逃亡を阻止する壁には出来る筈だ。ボス攻略と同じだよ。みんなが亀になって耐える中、俺だけ突出する。いつもの事だ』

『――な、ん……』

 

 愕然。絶句。アルゴの心境を題するなら、その二つがぴったりだろう表情の変化。

 気付いたのだ。

 (殺し)(合い)がキリト単独で行われる事には変わりがない。これ以上罪を背負い、苦しまないよう願って、一人で行くなと言ったが、なにも届いていない事に、聡明な少女はすぐに気付いた。

 ――彼が言ったように、本当に討伐隊は『便宜上』だった。

 

『問題は未だ《笑う棺桶》のアジトが見つかってない点だが、それも時間の問題だろう』

 

 表情を変えたアルゴの顔は見えている筈だが、敢えてなのか、それに触れる事なくキリトは脳内の構想を口にしていく。

 《笑う棺桶》のアジトは、おそらく十層から二十層台、更に人が寄って来ない迷宮区から離れたダンジョンだろうと彼は言う。

 実際、アジトは既に攻略された低階層のダンジョン――しかも、上層に繋がるタワーではなく、デザイナーが配置だけして忘れてしまったような小洞窟の安全地帯を根城に使っていた。攻略組プレイヤーは迷宮区タワーの攻略しか行わないし、中級プレイヤーも人が多いダンジョンにしか潜らない。もちろん稀には偶然問題の洞窟を見つけ、立ち入ってしまうプレイヤーも居た筈だが、そのプレイヤー達が全員容易に口を塞がれてしまっただろう事は想像に難くない。

 《笑う棺桶》の立ち上げからアジト発見、そして壊滅までおよそ三、四ヵ月ほど要したのは、大多数の人間が浮かべる思考を逆手に取った巧妙な作戦だったと言えよう。

 ――その作戦を、同じく巧妙な手で以てキリトは破ってみせたようだった。

 攻略ギルドとされる主要な三つの大ギルドが拠点していたのは、《血盟騎士団》の五十五層、《聖竜連合》の五十六層、軍の一層だった。当時の最前線が六十層台という点を鑑みれば、五十層台も十分上層に区分される。

 となると、二十~三十層台が該当する《中層》は空白地帯になる。

 実際オレンジギルドの大多数が中層を根城にしていた。最前線で戦えるほど真面目にレベリングしているなら、オレンジ常習犯になり、オレンジだけのギルドを作っていない。そして人が多いところに集まる習性を逆手に、ロザリアのような誘導、コペルがして見せたMPKのような手を取り、プレイヤーを殺す輩が多かった。

 最前線にオレンジはほぼ居なかった。居たとしても、戦闘中誤ってフレンドリーファイアが起きたという超低確率なもの程度。

 低層も同じ。二十五層での失態の責任を取って前線から身を引いたキバオウが、代わりとばかりに台頭し始めていたオレンジ()()に熱を入れ出した事で、システム的な犯罪は減った為だ。ボス戦に出ていた主力を除く個々の実力こそ中層プレイヤー並みだが、軍は数千のプレイヤーを要する大ギルドだった。キリトの言う通り安易に崩せるものではない。

 ――大ギルドとキリトの違いは、移動出来るか否かにある。

 中層はオレンジギルドの大多数が根城にしていた区分。キリトは、そのオレンジギルドを潰して回っていた。そして誅殺隊も数を増やしながらキリトを殺す為だけに留まっていた区域だ。

 キリトとて何時も同じ階層でやり合っていた訳では無かった。徐々にだが、下の階層に下っていたらしい。上層の下限から中層の上、中、下と階層を下っていき――そして、探り当てたのだ。

 オレンジになると、《圏内》には入れない。階層間の移動は迷宮区塔か、あるいは圏外転移門を使った別階層の圏外転移への転移のみ。第九層以上にしか圏外転移門は無いなら、上層から虱潰しにオレンジを狩っていけば何れ見つかる――それがキリトの考えだった。

 オレンジ狩りは、《笑う棺桶》の設立宣言を契機に増長したオレンジ達を殺し、活動を抑える抑止力としての行動だった。

 だが、それだけではなかったのだ。

 

 

 ――場面が変わる。

 

 

 内部時間《二〇二四年三月三十日 午前二時》。

 アジトを発見したキリトが、攻略組の主だった面々に声を掛け、《黒鉄宮》内部の軍の会議室で部外秘の極秘集会を開いた。時間として非常識、かつ眠りの中だった者も少なからずいた筈だが、その集会には多くの人が集まった。なにせ二〇二四年元日からそれまでの被害は、軍の情報部が発行していた新聞を介して広く知れ渡っていたからだ。

 まぁ、三月に入ってからは、キリトのPK騒ぎの方が多く取り上げられていたのだが、しかしそれもキリトの指示によるものだと再現映像で知った。何時どこに現れるのか、中層や下層に赴く理由――素材集めの情報など――を【鼠】がリークし、シンカーをリーダーとする情報部門が新聞として発行、ないし誅殺隊にそれとなく流す事で誘導するという流れが出来上がっていたからだ。無論、アルゴが率先してやった訳ではない。

 

『部隊は二つに分けようと思う。一つは突入班、もう一つは圏外転移門に転移した《笑う棺桶》メンバーをひっ捕らえる捕縛班だ。今までソロで幾度となく戦ったが、毎度転移で逃げられていたからな。直接突入しないからと言って捕縛班も気は抜けないぞ』

 

 敵愾心を向けて来る百人以上の面子を前に、キリトは臆さず会の主催者として話を進めていく。その様はどう見ても十歳の子供には見えない。

 いちおう、建前として目的は対象の無力化、捕縛であり、前提として無理に捕縛ではなく生き残る事を据えている事を伝えたキリトは、参戦の意思を確認した。

 ――この時点では、大部分が参戦拒否の為に挙手しなかった。

 参戦する意志を見せたのは、ヒースクリフ、アスナ、ディアベル、自分率いる《風林火山》六人、《スリーピング・ナイツ》三人、アルゴの十三人だけ。

 この結果に、さしものキリトも顔を顰め、額に手をやった。

 

『……ここまで当事者意識が無いとは流石に想定外だった。その眼を見た限り参戦しない理由も大方俺が中心になっているからだろうが、そうやって個人の感情を優先して保身に走るとは、どうやら相当な腰抜けばかりらしい』

 

 頭が痛いと言わんばかりに額を押さえるキリト。その素振りと言葉は、おそらく心の底からのものだと思って間違いなかった。

 

『そんなキケンな事、お前が一人でやればいいだろ。俺達をいつもいつもあしらってるなら訳無い筈だ。攻略をしてる俺達を巻き込むな』

 

 憮然とした顔で紅白の甲冑を纏ったアタッカーが言う。副団長の少女が鋭い眼を向け、何かを言おうとしたが、それより僅かに早く、腕を組み、上背のある厳めしい男を見上げるキリトが口を開いた。

 

『――昨日の夕方遅く、《血盟騎士団》の団員が四名、《笑う棺桶》によって殺された事を知っての発言か?』

『なに……? で、デタラメを言うな。我ら栄えある《血盟騎士団》が、レッドなんぞにやられる訳が……』

 

 困惑を浮かべるも、前線攻略をしている一人という(プラ)(イド)で持ち直そうとする男。

 そこで、真紅の騎士(ヒースクリフ)が携えていた十字の盾の下端を床に突き直した。男が黙り、視線を向ける。周囲の人間もそれに倣った。

 

『真実だ、それは。二十九日午後七時半頃、丁度中層で素材集めに動いていた団員が四名纏めて殺され、その遺留品を敢えて《圏内》に放り込んだところを、情報屋の一人が見ている。そしてその品もこちらに届けられた……団員の死亡日時も、合致していた』

『な……そんな……それでは、《笑う棺桶》は……我々に匹敵するレベルを……?』

 

 瞠目、愕然の面持ちで、(うわ)(ごと)のように言う男。その事実が知れ渡り、波及し、集団に困惑、次いで恐怖が立ち昇り始めた。

 ――乾いた拍手が一度上がった。

 音を立てたのはキリトだった。恐怖に染まり始めた集団を、少年は揺るがない意思で見詰めた。

 

『理解したか。もう他人事じゃない。《笑う棺桶》は、攻略組――それも、単騎戦力最大級の《血盟騎士団》の団員を殺せるレベルに手を掛けている。元々PKの方が経験値効率は良い、対象プレイヤーの累計経験値の一割を奪うからな、そこらのモンスターを相手にするよりレベルアップしやすいんだよ』

『ハッ、さすがは人殺し(クズ)や、その辺の事はワイらより熟知してんやな。それでレベルもガンガン上がっとんのやろ? ええご身分やなぁ!』

 

 PKの利点を並べたところで、ここぞとばかりにその場で最も敵愾心を燃やしていた男、キバオウが噛み付いた。嘲笑と、人を殺した者への侮蔑――その裡にある憤怒が態度に出ている。

 その敵愾心を前に、少年は肩を竦め、薄く微笑んだ。

 

『――オレンジを取り締まる治安維持部隊を率いておいて、《出来損ない》の俺より知らないのは逆にどうなんだ? ゲーマーの集団なら俺よりもポンポン知恵が出て来るだろうに』

『あァッ?!』

『待った、キバオウさん、話の腰を折らないでくれ』

 

 怒りに顔を真っ赤にした男が掴みかかろうとすると、隣に居た()()()()()が止めに入った。

 

『なっ……ディアベルはん、なんで止めんのや』

『いまは重要な話をしているからね。それに、どうあれ《笑う棺桶》が俺達にとっても無視できない存在である事は変わりないんだ。それは分かる筈だ』

『そらそうやけど……』

 

 苦渋の顔になり、ぐぬぬ、と表情を険しくしながら何かと葛藤を続けるキバオウは――

 

『――やっぱ、アカン。ディアベルはんの頼みならともかく、コイツの指示で動くんは耐えられへんわ』

 

 キッパリと、拒絶宣言をした。

 ディアベルも予想はしていたらしいが、それでも落胆の表情を浮かべる。

 

『キバオウさん……』

『すまんな、ディアベルはん。せやけどワイはどうあってもコイツには従えんのや』

 

 キバオウは、やや申し訳なさそうにディアベルに謝り――その表情が嘘のように、キリトを苛立ちの表情で睨み付けた。

 

『ワイは、ワイのやり方でラフコフを潰す。ジブンはジブンで勝手にせえ』

『協力した方が成功率も生還率も上がるのに、どちらにせよ作戦は同じになるのに、迎合も出来ないと?』

『そうや。ジブンはどうせラフコフを殺して終わりにしようと考えとんのやろうが、ワイはそのやり方が気に入らん。だからワイは従わん。ワイは、ラフコフを必ず生け捕りにして、潰すんや』

 

 腕を組み、傲岸な態度で宣言するキバオウ。

 同じ姿勢を取るキリトは目を眇めた。

 

『殺すより、無力化の方がずっと難しいと分かっていて、それを目指すのか』

『せや』

『……それは理想論だ。あちらが殺す気なのに、こちらは殺さず生け捕りにする事がどれだけ困難か分かっていて、その上で目指すのは無謀だ』

『ハッ、ワイを舐めんなや。ジブンとは根性が違う。ワイは諦めん。少なくとも――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、嘲笑を浮かべて、キバオウが言った直後――

 

 キリトの眼が昏く淀んだ。

 

 ――こうして傍観しているから、気付けた事だ。

 《笑う棺桶》の危険性を考慮し参戦を躊躇なく表明した当時の自分は、キバオウへの怒りを滾らせていたからキリトの変化に気付けなかった。あまりにも一瞬の出来事だったから見逃していた。

 キバオウが目指すものは、確かにリーダーとして掲げておくべき理想だ。人を死なせる事前提の思想に共感する者はいない。

 だが――正しくはない。

 否、間違っていない、と言うべきだった。

 元より正解など定まっていない。絶対不正解のものはあれど、正解のものはない。何故なら、“正しい”という評価は過程にこそあるからだ。人を護る時に、護衛側が数人死んだ場合と、全員生き残った場合――その前提を決める思想で考えれば分かる事。

 キバオウは相手方の死者を出さない事に執着する余り、自分達が負う負担を考えていない。あるいは、考えているのかもしれないが、キリトほどシビアなものではない。どこかで破綻し、必ず死者が出る。

 対して、キリトは味方側の死者を出さない事に苦心している。攻略組が元はシステムのモンスターを斃す者達であり、人と戦う者でない以上、必要な覚悟や技術が不足していると分析しているからだ。そのため元の自己犠牲精神が合わさり多大な苦労を自分で受け持つようにしている。この集会だけでは分からない事だ。先のアルゴとの密会を見たから、集団を率いる事の真意を知れる。

 

『――――……そうか』

 

 淀んだ眼が瞬きで元に戻ってから数秒の沈黙を挟んだ末にキリトは短く口火を切り直す。黒の瞳は奇抜な髪の男から外れ、周囲をぐるりと一瞥した。

 

『キバオウが言ったように、俺は最悪殺し尽してでも《笑う棺桶》を潰す腹積もりだ。死ぬところを()()()()()()()抜けてもらっても構わない』

 

 言外に、殺すのは自分(キリト)で、キリト以外は殺す事が無いと言っているような言い回し。

 これも当時気付けないものだった。リーファやユウキ達が無意識に選ばれる言葉の端々から違和感に気付き、辿り着くのを見ていたから分かる事。

 確かに嘘はヘタだな、と思う言い回しだった。

 ――その促しを受け、多くの人間がその場を立ち去った。

 残ったのは、誅殺隊を含めて四百人に届く最初から大きく減り、六十人ほどだった。前線攻略メンバーを殺せる連中に敵わないと、彼我のレベル差を鑑みて引いたのは非常に真っ当な方だが、大半はキリトを怨むあまり衝動的に立ち去った者ばかりである。

 残った面子の多くがボス攻略の常連だった。ボス部屋に入れるのは四十九人までだが、相手の弱点によって入る事もある片手棍使い達などもいるため、六十人ほどに達していた。

 

『……どうしてこんな時にもいがみ合うのかな……』

 

 参入して半年以上経つ槍使いの少女が、不満と哀しさ、悔しさを含んだ沈痛な面持ちで言った。

 キリトはその声を聞き、優しげな視線を向けていたが――少しして瞑目し、表情を改めた。皮肉気なふてぶてしい笑みが張り付けられる。

 

『俺がリーダーなのにここまで残ったのは正直意外だった……ありがとう』

『――勘違いするな。攻略組を襲わないお前より、《笑う棺桶》の方が危険だと判断しただけだ。いずれ始末する事に変わりはない』

 

 誅殺隊でありながら、それでもボス攻略メンバーに居続けているリンドが、感情よりも状況を優先した言葉を吐き捨てる。表情は忌々しげなそれ。終盤に見せていた友好的な顔ではなく、本気の嫌悪。

 終盤の放映で印象が固定されているためか、コメント欄ではツンデレとか言われていた。

 

 

 ――場面が変わる。

 

 

 再現日時、同日午前三時。

 気取られているかもしれないから――その実、モルテやクラディール達が情報を流していたため――という理由で、掃討作戦は会議が終わってすぐに実行に移された。スピードが命と言わんばかりの速度。

 それでも、十数分もあれば対策など幾らでも打てるのが、PoHのカリスマ性の恐ろしいところだった。

 襲って来るという情報があり、《索敵》スキルにプレイヤーの集団が引っ掛かれば、掃討作戦が実行に移されたと察せるだろう。自分も居た強襲部隊が件の安全地帯の大部屋に向かっても、人影はひとつもなかった。

 無論、逃亡した訳ではない。

 安全地帯に入る手前の部屋は、中央に床があり、壁際は床が数枚の板となって浮く落とし穴部屋だった。トラップではなく元からの部屋構成を利用するように、《笑う棺桶》は下からは見えにくい天井近くの床に乗って身を潜ませていた。

 ――当然、《索敵》スキルも対策されていたが、完全習得レベルとなると話は違う。

 しかもキリトは自身に向けられる視線があればスキル補正無しでハイディングを見破れるすこぶる良い勘の持ち主。その部屋に入る手前で、小声で自分達に注意を喚起した。

 

『無理に前に出る必要は無い。ただ、()()()()に入れさえしなければいい』

 

 要は、戦わず道を塞いでおけ、と言った。

 俺達は当然難色を示した。無力化する事は俺達にも出来ると、そう訴えた。

 

『乱戦が一番困る。複数対複数の対人戦に於いて、味方か敵かの判別一つに費やす時間すら命取りだ』

『でも、キリト一人じゃ無茶じゃない?』

 

 こちらの訴えを理屈で跳ね除ける少年に、ユウキが不満気に言葉を洩らした。

 誅殺隊に寄って集られても死ななかった事は有名だ。受けるダメージより、自動回復量の方が多かった。それだけ素のステータスが高かった――というより、彼我の能力差が大きかった。

 しかし《笑う棺桶》は誅殺隊よりも個々のレベルが高いと予想される。

 キリトと言えど、その集団を一人で捌くのは無理に等しいのでは――その理屈で、ユウキは心配する気持ちを言外に伝えた。

 

『落とされればな。麻痺毒を受ければ確かに死ぬだろうが――一撃も受けなければ、問題無い』

『は――――?!』

 

 攻撃を受けて生じる問題は攻撃を受けさえしなければ無問題という論のへったくれもない少年の理屈に、割と人の予想を上回る事が多かった少女をして絶句させられた。

 その隙に――あるいは、先手を打たれる前に、キリトが部屋の扉を(くぐ)った。

 黒革の外套をはためかせ、小さな剣士が疾駆。

 

『シャァァアアアッ!』

 

 天板から飛び降り、襲い掛かった最初の《笑う棺桶》メンバーも、同じ黒色。

 ――《笑う棺桶》の幹部には、イメージカラーを固定しているメンバーが二人いる、と事前にキリトから話されていた。

 一人は赤。全身では無く、眼と髪を真紅にカスタマイズし、灰色のフードマントにも赤の逆十字を染め抜いたエストック使いだ。《血盟騎士団》の紋章を揶揄するような出で立ちにヒースクリフやアスナ達が顔を顰めていたのはよく憶えている。

 もう一人はかつて軍に所属し、キバオウの側近に居た男。当時は《片手剣》を使っていたが、抜けてからは短剣にマニュアルで麻痺毒を塗布し、好んで用いていたという。状態異常付与率にブーストが掛かりやすい他に、携行しやすいからだろう。

 最初に襲い掛かったのは、後者の方だった。

 プレイヤー名は《ジョニー》。通称は《ジョニー・ブラック》。レベル《79》と、攻略組の中でもトップに食い込める数字だ。

 

 だが最前線で戦い続け、四八一人の中層オレンジプレイヤーを斬ってきたキリトのレベルは《170》だったが。

 

 ひゅぱっ、と青の線が閃いた。そう認識したのは、キリトの黒剣が振り抜かれ、ジョニーの毒短剣を持つ右手がポリゴンに散った時だった。

 ダメージの衝撃で落下の慣性が緩み、体勢を崩した同じ《黒》に対し、キリトは宙に放られた毒ナイフを左手で掴み取るや否や眼前を落ちる男に対し素早く振るった。残り四割ほどの体力ゲージの端が、数画素だけちりっと削れ――ゲージの枠下に麻痺毒のアイコンが発生した。

 自身が用意した麻痺毒に冒されたジョニーは、受け身も取れないまま地面にべちゃりと墜落した。

 宙に身を投げ出し、襲い掛かったのはジョニーだけではない。二、三十人近くのメンバーが飛び出し、地面に着地する者とそのまま斬り掛かる者とが居た。

 しかし、キリトの眼はそれらを一瞥しただけで、すぐ外された。

 数瞬彷徨(さまよ)い――天板の一つに、固定される。

 そこには、《笑う棺桶》の団員と較べればハイグレードと分かる黒緑のポンチョと、肉切り包丁の如き形状の短剣【友切包丁(メイト・チョッパー)】を手にする殺人(レッド)ギルドの首領が立っていた。眼下で起きようとしている争いを傍観する構えを、余裕の風情と共に惜しみなく晒していた。

 悪を束ねる諸悪の根源――

 

『――見つけた』

 

 悪を以て悪を制す。それは、必要悪で絶対悪を殺す関係であり、少なくともPoHとキリトは立場上決して混じり合えない関係にあると言える。

 悪の頭目を見つけ出したキリトは、強く地を蹴り、レベル《170》という超レベルの敏捷値補正をフルに使って距離を詰めた。途中のラフコフメンバーは全て素通り。横を通った事が分かって、その後ろ姿をフードを被る男達は見送るばかり。追い掛けたところで距離は離れる一方だった。

 

『Wow! マジか!』

 

 およそ五十メートルを一秒で詰めた少年の速さにはさしものPoHも驚きを露わにした。余裕の態度のままながら機敏な動きで、迫る少年とは反対側の天板を下りていく。

 その手には、青い結晶体が握られていた。

 

『――逃がすかァッ!!!』

 

 キラリと青く光るそれを見て、少年が()えた。

 一番高い天板の端に手を掛け、ぐるりと一回転しながら天板の裏側に足を着け、そして蹴った。筋力値(脚力)()()()、落下速度が合わさって地面に突貫を仕掛ける。向かう先はPoHが着地する予測地点だ。

 

『や、れ……!』

 

 同時、しゅうしゅうと掠れた声が上がり、数十人が隠し持っていたピックや投げナイフ――おそらく全て麻痺毒あり――を投げた。デフォルト攻撃のもの、スキルで高速飛翔するもの、種々様々な攻撃は面制圧の弾幕になって襲い掛かる。

 ――投擲の構えを取った時点で、キリトは次の行動を起こしていた。

 右手に黒剣を握り、左手に短剣を握る彼は、SAOの常識で考えればイレギュラー装備状態になる。しかしながら、この時期には既に《二刀流》を会得していた筈だからスキルは使える。

 そして俺達が二刀流の存在を知ったのは、この映像の二ヵ月ほど先の頃。

 この掃討戦に於いて、キリトは常識として知られたシステムルールに反する行動は取っていなかった。

 

 ジョニーの毒短剣を口に(くわ)えていたからだ。

 

 装備判定は手に持っている武器に対して生じる。であれば、手でなければいいわけで、多くの人がマニュアルで剣帯を付けたりベルトに挟む中、取り出す間も惜しいとばかりに躊躇わず口で銜え込んでいた。

 そして片手装備になった状態で、黒剣を突き出し、回転させる。

 緑色の光を帯びた刀身がシステムによって回され、輝く円盾を造り出した。飛来する投擲武器は高速回転する幅広の刃に阻まれる。

 

PoH()――――ッ!!!』

『うぉおおおッ?!』

 

 しっかり発音できていないが、何を言っているか分かる()(たけ)びと共にキリトが突っ込む。丁度着地するタイミングだった男が驚愕の声を上げ、跳んだ。

 

『チィ――ッ?! 転移!』

 

 空中に跳んだまま、左手の転移結晶を掲げてすぐにでも離脱しようとPoHは試みた。

 オレンジが自身に対して転移結晶を使う場合、転移先は『最後に足を付けていた階層の圏外転移門』で固定されるので、街名を言う必要は無い。本来なら通常のMMORPGだったSAOに於いてデメリットを多く持つオレンジが、戦場ですぐ撤退できるよう設計された僅かな救済手段だ。

 転移の文言と共に、結晶が砕け散った。

 中に封入されていた光が、男の体を端から包み始め――――

 

『させるかァッ!!!』

 

 《スピニング・シールド》の僅かな硬直から解放されたキリトは、天に()()()。自身に迫る男達を無視し、銜えていた短剣を左手に握り直した少年は、空に跳び退いたPoH目掛けて毒の短剣をブン投げる。

 高速回転したそれは、転移待機の為にスキルを使えず、従って空中移動も出来ない男の中心を深く穿った。

 が――っ、と呻きが上がると共に、男の周囲を待っていた光が霧散する。転移待機中に攻撃されると起きる転移キャンセルだ。

 

『PoH――――ッ!!!』

 

 ここが好機と少年が飛び出した。どぱんっ、と空気を叩くような衝撃で男達がたたらを踏む。

 

『――黒の剣士――――ッ!!!』

 

 空中で攻撃に晒された男が、不安定な姿勢のまま咆哮し、空を疾駆する少年に鋭い眼光を向けた。

 PoHの右手に握られる短剣が赤黒い(やみ)を帯びた。

 同時――少年の黒剣も、赤黒い(ひかり)を迸らせた。

 

 ――――交錯は一瞬。

 

 外燃機関めいた爆音と共に、黒剣と少年が急加速した。

 振り下ろされる短剣よりも圧倒的に早く、男の体を貫き、穿ち、短剣の(やみ)を霧散させ――――男の命をも、削り取る。

 轟音と赤黒い(ひかり)の帯を引いて、PoHはダンジョンの壁に、まるで標本にされた昆虫の如く縫い留められた。凄まじい衝撃が洞窟を襲い、揺らがせる。

 

『はっ……あの時のガキが強くなったな、ホントによォ』

 

 心臓を穿たれ、壁に留められ、命を喪った男が見せた表情は――満足気な笑み。

 その(笑み)をキリトは冷然とした表情で見下ろした。

 その(かお)を見て、男の笑みは更に深まる。

 

『その(カオ)がどこまで()つか――地獄から、見ててやるよ』

 

 ニィと愉快そうに笑みを深め――――その首が、肉厚の短剣(メイト・チョッパー)で刎ねられた。

 男の体は爆散した。

 

 *

 

『――PoHは殺した。既に頭目は居ないが、どうする、降伏するなら監獄行きの回廊結晶を提供するが? 無論断れば殺す』

 

 壁から剣を抜き、地面に着地した少年は回廊結晶を見せながら降伏するかを問うた。

 ほぼ一択に等しい問い掛け。

 しかし、伊達に殺人快楽の為に道を踏み外し、システムに無い《レッド》属性を名乗る集団では無かった。PoHが居なくなったところでそのスタンスは変わらない。異常者が徒党を組んだのは間違いなくPoHの(せん)(どう)があったからだ。一線を踏み越えたのも、おそらくPoHの言葉を受け、モラルハザードが起きたからだろう。

 だが――幾らPoHでも、その気の無い人間に手を汚させるのは難しい筈だ。堕ちる理由が無ければ幾ら言葉を弄したところで意味は無い。

 それの逆説。異常者達には、異常者になる素地が備わっていて、PoHはそれを促進、開花させただけ。

 花開いた才能は、PoHの存在に関わらず悪を振り撒く。

 《笑う棺桶》に所属する者達には既に殺人への忌避感は無かった。狂騒状態となった者達に、理性的な思考は無く、ただ求めるのは殺人による快楽のみ。頭目の敵討ちすらも後からの理由付けに過ぎない。

 

 結果、憤怒と快笑を等分に含んだ表情で罵詈雑言を叫びながら斬り掛かるという、正気とは思えない様相が出来上がった。

 

 ――壁に徹しろと、そう言われた理由を、当時の俺はこの時点で漸く理解した。

 狂気をまともに見れば正気が喪われる。それはクトゥルフ神話やTRPG系列の話、ネット情報を漁れば言葉としてはよく見られるものだ。

 だが俺は、この時漸く、SAOに於ける“狂気”を見た。

 その時思ったのは、《はじまりの日》に人々が喚き騒いだ転移門広場の阿鼻叫喚と違ったからだ。デスゲームのオープニングセレモニー後の阿鼻叫喚は、心情として理解出来るものだった。しかし《笑う棺桶》のメンバーのそれはとても理解出来ないものだった。故に――“狂気”だった。

 キリトは、それを初日の夜の時点で見て、知って――そして、青年を殺してしまった事で、その身で知っていた。

 キリトは、《ビーター》と呼ばれた頃からではなく、自分と別れて()()()も経たない内に狂気に堕ちていたのだ。

 知っていたから、俺達に見せる事を頑なに拒んでいた。

 ――それでは《笑う棺桶》を潰せないからと協力を要請するも、手を出さないよう厳命した。

 全てはこの“狂気”から護るために。

 人を殺す()()を、持たせないために。

 

 ――かつての感情(悔しさ)が蘇る。

 

 いつもいつも守られていて、何も出来ないでいる無力な(クラ)(イン)の姿――――

 

「バカやろう……!」

 

 こぶしを握る。

 熱い雫が、頬を伝った。

 眩しくて、額を机に打ち付ける。

 

 ――耳朶を震わせたのは、人同士が殺し合う音だけだった。

 

 






・誅殺隊
 強者でありながら殺戮者でもあるキリトを危険視し、天誅を下すべく活動する組織。
 キリトのアンチ集団になってヘイト管理をされるだけでなく、アルゴを介して軍部情報部門のシンカーに情報をわざとリークさせ、活動範囲すらも誘導されていた。

 ――リズベット編にて『中層で活動している』とサチが明かしているが、キリトは『迷宮区がホームと言われる』程に街に帰らなかったのだから、キリトを殺すなら最前線にいるべきである。
 なのに中層を中心に活動していたとされたのは、キリトがオレンジ・レッドキラーとして中層ウロチョロしている――という情報を敢えてリークさせる事で、第九層~第五十層間のオレンジギルド、そして本命のレッドギルド《笑う棺桶》のアジトを虱潰しに当たる事に利用されていたから。
 リズベット編は五月。
 対して《笑う棺桶》壊滅は三月三十日(原作不明)なので、ほぼ一ヵ月のスパンがある。
 原典キリトが黒猫団と邂逅した理由が武器強化に必要な素材収集であった事を考えれば、前線六十層台の中で四十層後半の素材を取りに行ってもおかしくはない。故に中層を根城にし続けていた(五十六層は《聖竜連合》のギルドホームもある)
 『危険だから』と、あたかもみんなの為を想ってキリトを殺そうとする集団だが、その行動は的外れ。その行動がキリトの誘導により人知れず『人の為になるよう』修正されていた事を、誅殺隊は誰も知らなかった。


・キバオウ
『ワイはワイのやり方でラフコフを潰す』
 世界に絶望しているが、希望を捨て切れないでいる大人(こども)
 状況、事情よりも感情を優先して動く理想派タイプ。冷めた人からは『現実を見ていない』と言われがち。でも大衆からすれば分かりやすい希望なので付いて行く人が多い。

 ――裏で誅殺隊の概念的リーダーではあるが、実は直接的にキリトを殺そうとした事は第一層ボス戦後の一度だけ。
 その他はすべて間接的。リーファ・シノンを強姦後に外周部に投げ捨てる行動も同じ。間接的でも人を殺す行動を取っているので、腹芸も出来る訳だが――感情が邪魔してします大人になり切れない人間。
 ある意味、一般人の代表。
 アンチ織斑一夏を掲げる一般代表。

 ――本作に於ける、アンチ勢の()()


・キリト
 世界に絶望した事で現実的な思考で動くようになった子供(おとな)
 PoHに匹敵するレベルで暗殺者や仕事人に向く思考回路を持っている。
 ヒトの感情や人心を把握し、ときに情報操作で誘導し、自分に有利になるよう動いてからトドメに動く。基本的に相手の後手に回るが、その経験を生かして対策を確実に立て、徐々に相手の手を潰して追い詰める。
 武官に()()の思考回路をインストールした一人軍部状態。
 PoHに対し殺意マシマシなのは、必要悪と絶対悪の水と油の関係以上に、過去の憎悪も関係している。本人は復讐心を棄てたと言っているが――この時期はまだ人格分裂期なので、《獣》が仕事した事になる。


・アルゴ
 自身の想いをどれだけ訴えても通じない哀しい()()
 多分それがいまも病み続けている原因。ちょっとでも気に掛けていれば相思相愛になれるレベルで好意と()()を寄せているのだが、寄せられる側が覚悟キマっていてそれどころではないので、眼が曇る曇る。
 『一人で苦しませたくない』というのが根幹にあるので、味方が増えれば曇りは薄まる。
 リーファが来た事で安定したのは、キリトだけではなかった。

 ――ちなみに没プロット『真の孤独(SAOキャラ改悪)ルート』に入ってもアルゴだけはキリトの味方で在り続ける流れだった。
 ちょこちょこヒロインムーヴかましているのは、その名残(メタ)


・PoH
 教え子の成長に満足して逝った人。
 でも『地獄で見てる』と言っておきながら《ホロウ・エリア》に飛ばされて、後に再開する事になっている。

 ヴァサゴはリアルでそれを見返しているが、そんな事はどうでもいいとばかりにキリトのヤバさ加減をガブリエルに熱弁しているとか。


・桐ヶ谷和人
 残影のキリトがヤベートコを見せる度に、()()()()()()のヤバみが深まっている子供(おとな)
 憎悪を拒絶しているのではなく、容認した上で二の次にしているだけなので、残影キリトが見せた瞬間爆発力は健在どころか《王》と《白》の人格分も合わせて倍率ドンどころではない状態になっている。
 世界存続と生き死に的な意味で作中最も怒らせてはいけない人物。
 

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