インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

241 / 446


視点:キリト、()()()

字数:約一万五千。

 『Fate/』の衛宮士郎対アーチャーの戦いって、凄くイイよね……(参考元バレバレ)




番外16 ~いまを信じ、悪を以て悪を制す~

 

 

 けもの(ヤツ)の言い分は、自分自身が心から共感出来るほど殆ど正しいものだった。

 けれど――――“何か”を、忘れていると思った。

 

   *

 

 捨てられる前の光景(じごく)を見た。

 

 棄てられてからの屠殺場(じごく)を見た。

 

 囚われてからの縮図(じごく)を見た。

 

 

 

 ――()()()()()辿()()()()()自分(じごく)を見た。

 

 

 

 泥を介し、()()を見せられていく。

 ぶつ切りで繋がれた数々の地獄の光景。“織斑一夏”を構成する原風景の数々。

 その一つに、闇を背負い抗う記憶があった。

 “誰かの為に”と想い、己を犠牲に秩序を体現した人柱。そうするだけの経緯は無く、相応の理由も無く、ただその想いひとつでその身を犠牲にした《ビーター》。

 ある意味の諸悪の根源。

 織斑一夏が抱く理想。己を犠牲にしてでしか、その価値を造り出せなかった無能の発露。

 ――その果てがヤツだ。

 ヤツは《織斑一夏》の理想だ。ヒトでなくなりながらも尚その身を世界に、ヒトに捧げ、凝集される呪いから浮遊城を護り、正しい終焉まで維持させた。人々を護るためだけに背負う必要のない悪性を背負った。

 

 ――その行動は、いったい何の為なのか。

 

 胸中に湧いた疑問。

 考えるまでもない。いまでこそ憎しみに堕しているが元を正せば同じ人間だった。記憶はおろか、記憶の受け取り方に関する精神性までもがほぼ同一。であれば、己を捧げて護る行動がなにによるものなのかは、必然的にひとつしか浮かばない。

 

 ヤツは――その行動を、()()()()()

 

 身内を救う事は構わない。だが、それに他の憎い者達を救う事が、ヤツは許容出来なかった。

 それはヤツが“けもの”になる以前、ホロウであった頃からの精神性。自分と袂を別つ事になった実兄への裁定による差。

 

 ――あの世界から解放される前に、一度、夢を見た。

 

 一年足らずしか過ごさなかった和風の家。月に照らされた夜に目を醒まし、リビングに出て――そこで出会った最後のホロウと語らった。

 まる一日、心行くまで未来を語らい、笑った。

 それでも。

 ――生きる為に、義姉(ホロウ)を殺した。

 オリジナルとホロウは相容れない存在だ。しかし彼女は、それを知った上で義姉として接し、こちらの先行きを慮り――まるで、後々まで引きずらないようにとあらゆるものを(さら)け出させた。

 悔いも怨みも一切見せず。

 義姉は、微笑んだ。

 

 “――もう行きなさい、和人。”

 

 “――どれだけ似せようとあたしはホロウという偽物。あなたの気持ちは嬉しいけれど、だからこそ、受け取れない。”

 

 “――いっしょに生きたい人達が居るのでしょう?”

 

 複雑な心境だった事は憶えている。

 ホロウである以上、どこかに限界はあるだろう。ましてや義姉が使っていたハードは《アミュスフィア》。《ナーヴギア》と異なり大脳の殆どを覆っていないというバイザー型のハードでは、脳のスキャニングを行うのも限度がある筈だ。したがってまず間違いなく自分のホロウ達よりは精度が低くなる。

 しかし――それでも、本人と同等。

 向けられる感情が同じであれば、自分は、実質的に義姉殺しをしなければならない訳で――――

 

 “――あなたは、あなたの(しあ)(わせ)を求めなさい。”

 

 その苦悩を乗り越えられるようにと、敵である自分に発破を掛けた。

 ホロウであっても、義姉は義姉だった。

 ――そして、俺は黒の剣で、彼女の胸を貫いた。

 

 

 “――さぁ、()()()()()――――”

 

 

 温かな声が、耳元で囁かれて。

 義姉は――死んだ。

 全てを理解し、俺を怨む事無く、()()の先行きを想いながら逝った。電子コードの羅列で形成されたものとは思えないそれが強く記憶に刻まれている。

 

 ――仮令、彼女が本人ではないとしても。

 

 仮令、彼女が死ななければ、自分が生きられなかったとしても。

 その死を忘れる事は勿論、軽んじる事も――ましてや、無意味にする事などあってはならない。

 

 でなければ、俺は何のために義姉(ホロウ)に見送られたのか。

 

 ――()()(いのち)を穿つ感触が蘇る。

 

 幾度となく経験した感触のひとつ。

 その、筈なのに。

 その感触が、どうしようもなく手に残っている。

 その重みが。

 自分を想う人を殺すあの刃の感触が――俺の心を縛って、支える。

 人は、それを呪いと言うだろう。

 それは事実だ。この感触を覚えている限り、俺は歩みを止められないし、止めようとも思わない。どれだけ窮地に立たされようと決してその道から外れられない。その果てに、命を落とし、あるいはヤツのようにけものに堕す事になるとしても、諦める事だけは認めないだろう。

 しかし同時に、間違いでもある。それだけではないのだ。

 呪いであるそれは、俺の歩みが正しいものである限り、この上ない促進剤になる。

 

 ――あらゆるものを、武器にしろ。

 

 この身は既に死に体。肉の身にある要素を使い潰し、それでも届かないならば――この心を縛る呪いすらも使ってみせよう。

 憎悪(のろい)を、昇華する――――

 俯けていた顔を上げる。視界に、彼方より飛来する紫紺の魔剣が入り込む。悪性情報を凝縮され“剣”の形を取ったそれを凝視する。

 ――カタチ無きモノに形を与えた。

 それが、あの剣の根幹だ。《悪》という概念に付与された形は、それそのものがヤツの、ひいては織斑一夏にとっての《悪の(シン)(ボル)》。

 人を殺める為の兇器。

 それを扱う術は、すべからく殺人術に該当する。

 兇器を持っている限り、それを使う限り、どれだけ綺麗事を並べ立てたところで偽善に過ぎず、悪を以て為す正義にしかなり得ない。真の平和は訪れず、結果争いは繰り返される。

 いや――真に争いを繰り返すのは、兇器を作り出す知性と悪性を有するヒトという種そのものだろう。

 ヒトが持つ知性、悪性から零れ落ちた産物が兇器。織斑一夏が刃物を“兇器”と認識したのは、やはり悪性から生まれた屠殺場(じごく)が初めてだった。

 悪性の環境で、悪性の兇器を手に、“殺人”という悪を為して己を生かした。

 その時点で、名乗る正義など既に無い。どれだけ善を為そうと正義にはなり得ない。悪にしかなり得ない。

 

 ――ヒトは、俺を英雄と呼ぶ。

 

 デスゲーム最終戦の絶望的な状況をひっくり返し、いっそ感動的なまでの最後を飾った剣士だからこそ、英雄だと。まるで物語の主人公のようだと人はいう。故に付けられた異名が【解放の英雄】。

 都合のいい話だ。

 英雄になるまでの道程で、既に一千を超える数の殺人を行っているというのに、“英雄”という単語一つで美談に変わる。あの時の罪の行いは、秩序として実を結んだのだと。ひとつひとつを取ってみれば罪そのものであり、負の叫ぶが木霊する死の空間だったというのに。

 どう足掻いても――俺は、誰かを犠牲にする悪でしか、人を救う正義を為せない。

 それ以外の術を知らず、それ以外の術を許されない。

 

 それでも、俺は歩みを止めない。

 

 悪と罵られ、罪を叫ばれ、弾劾されようと、死ぬまでこの選択を続けるだろう。

 己の死よりも大切なものがある。それを護る為なら、どんな手段だろうと講じる決断を下している。手段など選んでいられない。元より選べる立場では無く、()を以てでしか何かを護れない身だから、迷う必要も無かった。

 

 

 

 ――空から、悪性の塊が落ちてきた。

 

 

 

 この身を真っ向から引き裂く巨剣。肌に触れ、肉を裂き、骨を断つそれから、これまでの比では無い悪性情報が叩き込まれる。

 脳を直接()くに等しい呪いの印刷。

 それを――

 

「ぬ、ぐ――ッ」

 

 抗う事なく、受け容れる。

 自分の大事な部分に《悪性の塊》が入り込み、直前の印刷を超える量と濃度の呪いが(守護)(精神)を灼いていく。

 それを――(生存)(本能)で、押し潰す。

 いっそ流されてしまいたい、と弱気な思考が頭を擡げるが、それも潰す。

 流されたら、義姉(ホロウ)の想いが無駄になる。

 否、俺が積み重ねてきた(剣の)(研鑽)全てが無価値に堕ちる――――!

 裡にある憎悪(廃棄孔)が強まるもそれ以上の勢いで理性と本能を強くする。それに流されれば自分が死ぬ――と、その認識が強化を無理矢理続行させる。炎を消さないのは拒絶していないから。心の深い深い奥底で、熾火となって昏く燃えつづける事を容認する。

 

 ――何十メートルと巨大だった(つるぎ)は、その威容を喪い、小さな体に取り込まれ、そして消えた。

 

 

 

「――()()()は――――」

 

 

 

 ――韻を踏む。

 この手に残る絶対的な罪の感触を、これまで為して来た悪の全てを、言の葉に乗せる。

 自身の心を最も傷付けるのは、自身が行う自己否定に他ならない。

 俺とヤツは既に別人だ。しかし、根幹と過去が同一であった以上、届く言葉はある。未来を見る俺と違い、ヤツは復讐に囚われる余り過去を見続けている。

 過去を見て、それを拒絶し、己が抱く憎しみの感情を今に持ってくる事に正当性を持たせている。

 世界こそが《悪》であり、己はそうではないのだと。己が《悪》を為すのは世界の《悪》が大きいからだと。

 ならば。

 ヤツのその憎悪を最も拒絶するならば、同じ憎悪の根幹を持つ人間が悪性の拒絶を放つ事が最適解。

 

「――なん、だと――――?!」

 

 ヤツの声が聞こえる。

 込められた感情は、驚愕か、あるいは憎悪か。風を切りながら何かが飛来する音と共に知覚する。

 ――どうでもいい。

 心から共感できる叫びをあげているとしても、俺とヤツの道は既に違えている。ヤツは停滞と死を優先し、復讐の為に動いている。俺は前進と生を優先し、幸福の為に動いている。

 そもそも――俺が《桐ヶ谷和人》になった時点で、ヤツとの道が交わる筈もない。

 見ているものが違う。故に、そもそも歩く道が違う。いましている事は、未踏白紙の地図を前に顔を突き合わせ、互いが選ぶ道の先がなんであるかを喧々諤々言い合っているに過ぎない。

 

 未来は、未だ定まっていない。

 

 未来を見通す眼を持ってもいない――――それどころか、世界の広さを知らない俺達が、他人の行く末を勝手に決める事のなんと愚かしい事か――!

 

 

 

()()()は――(つるぎ)で出来ている!」

 

 

 

 激情を込めた韻を唱え、剣を振る。

 ――眼前に迫る、二刀一対の片刃剣。

 廃棄孔が愛剣に選んだそれは世界の悪性が作り出した世界最強の紛い物。それ故に、世界への復讐にあたってはこの上ない皮肉になる。人の為に悪を為す黒剣と、人の為に善を為す翠剣を拒絶したホロウには、それしか残されていない。

 その(つるぎ)を、俺の(つるぎ)で迎撃する。

 同時に振るう二振りの両刃剣。宙を舞い飛ぶ片刃剣と衝突し――片刃の刀身を、割り砕く。割れた刃は泥に呑まれ、残った柄があらぬ方に飛んで突き立ち、呑まれた。

 

「――()()……!」

 

 怒りだけではない(いか)めしさを乗せ、睨む()に、翠の剣を突き付ける。

 死にかけの(生身)を再構築させる。がんがんとやかましく鳴り響いていた金切り音が、一時的に遠のいた。

 

「貴様、まだ……悪性の塊を受け留めて、尚……!」

 

 ぎり、を割り砕きかねないほど奥歯を噛み締める獣。

 受け入れられない筈だ。別人とは言え、俺とヤツはほぼ同一の存在。それなのに――同じ悪性情報を受けていながら、同じ結果にならないのだから。

 ――完全同一でないが故に生まれた差異。

 それが出来たのは、間違いなく義姉のお蔭だった。俺が定めていた道への歩みを止め、元を(ただ)して、過ちを正した彼女の言葉が無ければ、俺とて憎悪に食い殺されていた。

 それを、端的に言い表せる言葉があった。

 

「――みんなとの《絆》が、俺の力だ」

「それは……」

「廃棄孔の記憶を持っているんだ。覚えがあるのは当然だな」

 

 かつて、自身の深層心理で刃を交えた廃棄孔の負を飲み干した際に言い放った言葉。あの時より濃度も量も増した悪性情報を飲み干し、同じ言葉を叩き返す。

 ――それが、俺とヤツの一番の差異。

 憎悪に従っているかとか、悪性に呑まれているとかではない。そうならない為に不可欠な要素があるかないかの違い。

 人だから、AIだからではない。

 もし“AIだから憎悪に堕ちた”のであれば、キリカとて同じ判断を下し、俺と袂を別ち、殺し合っていただろう。そうならなかったという事は、逆説的にその仮説は誤りという事になる。

 

「お前はPoHの誘いに敢えて乗る為に、サチ達に相談も無しに罠に嵌め、穴に落とした。ユイという保険を掛けていたとしても明確な裏切りには変わりない。その結果、お前は自分から仲間から距離を置く事にした。おそらく――“自分が居ても危険に晒すだけ”という思考で」

 

 外周部から落ちる前。アキトを殺し、七十六層に到達した日の夜半。商店街でリズベットに会う前の思考は、正しくそれだった。

 その思考により無気力に陥っていた俺は、義姉により粛正を受けた訳だが、ヤツは違う。第三エリア《グレスリーフ》で邂逅し、二人きりで話した時にはもうリーファを拒絶していた。その時はAIだから、ホロウだからという理由だっただろうが――それでも、根底には自身の存在を嫌忌する思考があった筈だ。

 自己否定を繰り返すが故の生の否定。

 更に、行動を伴っての自己否定。これはキリカとホロウの間にある差でもある。《(スレ)(イブ)》の名で須郷の手足として操られていたキリカは、無関係のプレイヤーを捕えこそすれ、奇跡的に自身の理解者達を手に掛けなかった。ユウキに手を出し掛けた事もあったが、それは俺が阻止していた。故に免罪符があり、リーファやユイ達の献身を受け取れた。

 その差だ。

 独りであるか否かが、ヤツに存在する俺とキリカとの唯一絶対の差だった。

 

「どれだけ強い覚悟を以て負を背負おうとしても、それを認める人間が居なければ呑み込まれるのは自明の理。お前は自ら認める人を遠ざけ続けた。俺は、遠ざけなかった。むしろ求めた……一緒に生きたいと、そう願う程にな」

 

 突き付けたままの左の剣(ダークリパルサー)に、一瞬視線を落とし、また獣へ戻す。

 

「お前が言うように、俺が居てみんなが不幸に晒される事は多いだろう。直姉は俺の義理の姉だからという理由で元の学校の復学を拒否された。世間からの眼も厳しい。みんなは何も言わないが、俺が一緒に居るせいで何がしかの不利益は被っている事は想像に難くない」

 

 ――だが、と言葉を区切る。

 剣を下ろす。

 

「みんな、優しいからな。そうなると分かっていても、みんなは俺から距離を取らず、むしろ詰めて来てくれた。俺は、それに報いたい。かつて振り払われた伸ばした手を、しっかりと掴んでくれたみんなの未来を、少しでもより良いものへと変えたい」

 

 それは、等価交換の摂理を前提に置いた、代価を払う思考によるものだけではない。かつてはそうだったが、今は違う。

 一緒に生きたいと――そう、願うようになったから。

 

「だが、世界はそれを許さないだろう。その願いは――」

「――ああ、そうだ。俺には過ぎた、分不相応な願いだ」

 

 獣の否定に、言葉を重ねる。

 それは同意の言葉。共感する肯定の意志。

 

「“みんなと幸せに生きたい”――と。そんな、ありふれた、特別でも無い願いすらも許さないだろう事は、よく分かっている」

 

 物心ついた頃から人類社会の最底辺に叩き落とされていた俺は、そうなるだろう未来を容易に想像出来た。“お前にはあまりに過ぎた願いだ”と、そう無情に告げる何者かの顔があって、俺の大切なものを引き裂き、貶め、そして奪っていく光景が。

 その残酷さこそ、獣が人を憎み、ホロウが人を信じなくなった諸悪の根源。

 俺の裡に潜む感情を作り上げた根幹。

 ――それでも、俺は生きる事を、その願いを諦め切れていない。

 そのために、剣を取り戦う事を決めたのだ。

 

「だからな、その願いが分不相応になるなら、相応の願いに落とし込めばいい」

「なに……?」

「俺の生存は前提事項。それは勿論、みんなの生存も。それがあって初めて“一緒に生きる”、“幸せになる”という目的が成立する――――であれば、まずはその前提事項から満たしていけばいい」

 

 高望みはしない。

 まずは、最低限の事からしていく。段階を踏んでというのは子供は勿論大人でもやる社会の常識だ。自身の能力に見合わない事をすれば失敗する。それは俺にとっての、あるいはみんなにとっての死に直結する。

 だから、望むものを低くした。

 

「みんなは人の尊厳が護られていれば、法律に守られた最低ラインに引っ掛かってさえいればいい。俺と違って、みんなは真っ当に国から守られているからな。俺は最低限生きてさえいればいい」

 

 桐ヶ谷家も怪しいところだが、そこは《更識》と菊岡を通じた軍部、ひいては日本政府の伝手でどうにかなっている。その他の面子は戦線を共にしたと言えど“命を懸けてデスゲームに抗った”という事実が付与され、顔見知りになっただけの間柄という認識だ。

 状況が進退窮まったならそれすらも危うい関係性になるが――俺が下手な事をしなければ、一先ずの平穏は保たれる。

 

「――お前が何度か口にした罵声、それは“自分を虐げる敵をも救うのか”という意味合いを含んでの発言だろうが……これで、理解しただろう。俺は既に、顔も知らない連中の為には戦っていない」

 

 強く、獣を睨む。

 俺が棄てたものを未だ捨てていない者。俺が諦めたものを、捨て切れないでいて、その果てに絶望した者。高過ぎる願望を持ち続けたが故に、それが叶わないと知った瞬間、同等の絶望を味わい、心を負った可能性の自分。

 ――そいつに、知らしめる。

 俺の在り方。

 俺が、剣を取る理由。

 

「――片方の船にみんなを含んだ五十の命、片方の船に知り合いを含まない五百の命。俺が優先するのは()()()()だ」

「――――!!!」

 

 それが、“いままで(織斑一夏)”と“これから(桐ヶ谷和人)”の決定的な違い。

 

「そう。俺は多くの人を救うために試練に臨んだんじゃない、あの選択で確実に大切な人達を救えて、俺も生きられるから臨んだんだ。他の九千数百人の命は余剰に過ぎない。俺にとって彼らの命は、何万、何十万の命と較べても、遥かに重く、重要なんだ」

 

 それは、時に大きな(あやま)ちになるだろう。

 SAOに於いては、自分が犠牲になるだけで全てを救えたから良かった。その選択をする人間自身が代価だったから誰も俺を責めなかった。

 ――現実ではそうもいかない。

 

「――ヒトは、()()を犠牲にして生きるケダモノの総称だ。どう足掻いたところでそれは永遠不変だろう。そして俺自身もそれは変わらない。俺は俺自身を犠牲にして他者を生かしていた。それをしてはならないと義姉に諭された事もあるが、おそらく今後一生自己犠牲は直らない。俺が死ぬ事よりも、みんなが死ぬ事の方がずっと恐ろしい事だから」

「――――」

 

 獣は何も言わない。まだ、俺の言葉が終わってない事を察して、口を閉じている。

 その腹の中に百万通りの呪詛と憎悪を(たぎ)らせながら、尚口を噤んでいるのは、おそらく――

 

「それでも、みんなを救う為に大勢の人間を見殺しにすれば、みんなは気に病み、自身に怒りを抱くだろう。死ぬまで罪の意識がこびり付いて、最悪自身の幸福すらも疑い始める」

 

 彼らは、大を救うために犠牲になる一すらも見過ごせず、救おうとしたお人好しだ。自分達の代わりに死んだ者を見て罪の意識を覚えない筈がない。確実に気に病み、一生十字架として背負おうとするだろう。

 そんなのは、俺が認めない。

 みんなは――みんなこそ、幸せになるべきだ。幸せに生きるべき平凡な人達だ。

 その未来を俺は見たい。

 その未来で、俺も生きたい。

 

 

 

「俺が剣を取る理由はな、みんなが享受すべき幸福に一片の翳りも見せたくないからだ」

 

 

 

 俺が求めるものは、“文句なしのハッピーエンディング”。

 その為ならあらゆる労力は惜しまない。その為の苦労も喜んで請け負う。それだけが、俺が生きようと思う根源であり――幸せに生きる彼らを見るのが、いまの俺の夢なのだ。

 

「俺自身が幸福にならなくてもいい。土台、それが俺の()()と両立しない事は理解している」

 

 諦めている訳ではない。

 ただ、優先順位的に、自身の幸福は後回しにしているだけだ。彼らが生きて笑ってくれてさえいるなら――俺は、それだけで幸せだから。

 

 俺が抱く願望の成就は、それを前提にしているものだから――――

 

「――()()()、俺はお前には負けられない」

 

 両手の剣を強く握る。

 喋っている間に、肉体の再生は九割方完了していた。十二分に力が籠もる。かなり無理をしたやっつけ修理に過ぎないから、そう長くは保たないだろうが、いまはそれで十分だ。

 一秒使って、一秒分の猶予を作り出せるなら、それでいい。

 

「その憎悪を、諦観を認めた上で、俺はお前を否定する」

「――その体でか? 一時的に回復したようだが、すぐに底を尽くだろう。瞋恚で補うにしても貴様の()()が持つまい。この戦力差を理解出来ないとは思えんが」

 

 それは、現状を的確に言い表した分析だった。

 

「――どうでもいい」

 

 その分析を、一蹴する。取り付く島もないほどに完璧なまでの無視。

 獣の眼に、哀れみと失望の色が浮かんだが――それも、どうでもいい。

 

「手も足もまだ動く。脳も、まだ動く。俺の命はまだ尽きていない。それにお前を野放しにすれば、俺の奥底に眠る憎悪をお前の悪性情報で励起して復讐鬼として再起させ、確実に現実を殺し尽くすだろう。そうなれば後は地獄の再現だ。俺が護ろうとする全てが、かつて見た死の世界に置き換わる。それだけはどうあっても許容出来ん!」

 

 体を怒らせ、強く吼える。

 

「――――それが、偽善に満ちた、誰からも理解されない道だとしても……お前は敵をも救うのか」

 

 獣は、いっそ不気味なくらい静かに、そう問うてきた。

 

「ああ。それが、どうしようもなく機械的な、誰にも理解されない()()だとしても、俺が求める未来の為ならあらゆる手段を講じよう」

 

 それは、そもそも戦いにならないように暗躍する事も含んでいる。

 未来を確たるものにする為に、敵であろうと救う事も。

 罪と分かっていながら、未来のために人を殺す事も。

 ――矛盾を孕んだ、その決意。

 

「――くだらない」

 

 それを理解してか、獣が憎々しげに吐き捨てた。

 

「正義とは、大衆の秩序を表すもの。個人の幸福と大衆の幸福は決して両立しない。それを早々に理解していながら何故貴様は間違いに気付かない! 貴様の求める未来は、貴様を否定し貶める大衆を殺し尽くして成る平穏だ! それほどに《織斑一夏》の敵は巨大だ! 敵意と殺意に塗れた社会を、国を相手に、どうやって立ち回るという?!」

 

 哀れみは怒りに。

 失望は絶望に。

 激情に駆られた獣は、()()の中心で怨嗟に吼えた。

 

「貴様の計画は自身の価値を高くしていく事を前提に組み上げられている。だが――それを、世界が認めるか?! 大衆が認めるか?! 見返す機会を得たとして、真っ当に大衆が評価をするか?! ――――否、断じて否だ! そんな事はあり得ない! そんな事は起こり得ない! 万が一でもそれが起こり得ていれば、俺は――俺の、憎しみは――――」

 

 顔を歪め、血を吐くように絞り出される声。

 拒絶され、言われなき風評で貶められてきたが故に積もり積もった負の想念。その体現である獣は、その可能性を認める訳にはいかない。認めれば、それは己の復讐の大義名分を喪い、自身が《悪》に堕ちるからだ。

 俺もヤツも、それが既に《悪》と認めてはいる。

 しかし種類が違う。何の罪もない子供ひとりを躊躇いなく貶めた人々と較べて、どちらがより悪魔的か――考えるまでも無い。ただ周囲に流されて殺意を向ける人間より、理由ある殺意の方がまだ人らしい。

 

 ――――だからこそ。

 

「――四日に渡るフルダイブを続けていられる状態が、既に答えだと思うが?」

 

 それは、ヤツを傷付ける一手になる。

 

「――――」

 

 嘆き、怒っていた獣が口を閉じ、限界まで目を見開いてこちらを見てきた。気付いていなかったのか、あるいは気付いていたがわざと直視しないようにしていたか。

 どちらにせよ、ヤツは俺の言葉で、世界がどうなっているかを理解した。

 ――四日間ものフルダイブを続けていれば、身体に変調を来すのは自明の理。

 肉体の衰弱だけでなく栄養面的にもそう。まあ何度かログアウトして食事を摂る機会はあったので、諸々の理由でそれをしなかった俺が言える事ではないが――それ以前に、学業に精を出すべきこの俺が、平日の昼間も含めてフルダイブを続けていられる事そのものが普通ではない。

 桐ヶ谷家に居れば、義姉による説教待ったなし。

 病院だとしても強制ログアウト対応待ったなし。

 そもそも、学生の年齢であるSAOプレイヤーは、ほぼ全員が政府主導で設立された学校に通い、監視される事になっている。連日欠席の理由がゲームなどと許される立場ではない。

 故に、それが看過されている状況への答えは一つだけ。

 

 かつて《織斑一夏》を見捨てた日本政府がバックに付いている。

 

「ふ――ざ、け――――」

「ふざけてなんてない。お前には、七色博士を除くALOプレイヤーの感情と記憶もある筈だ。なら、よく知る人達の記憶も見れるだろう? ――七色博士の計画を、四月初頭に契約を受けた時から探っていたという場面も」

「――――ァ」

 

 揺れていた赤眼が止まり、表情が抜け落ちた。

 視たのだろう、あの場に集っていた誰かの()()を。アバターに蓄積されたログはシステムが統括しているが、それは紐付けされた状態で管理されている。コピー・カーディナルとアバターそのもののどちらも取り込んだデータを受け取っているなら、閲覧する事は容易い筈だ。

 俺が、アバターに色濃く宿った――フルダイブ中に強く想像していたのだろう――七色博士の記憶を見れたように。

 そして、その事実はヤツにとって受け入れがたいものだ。

 何せそれを真実と認めれば、《桐ヶ谷和人(オリムライチカ)》はデスゲームクリア直後から政府と繋がっていたと、認める事になる。

 ヤツが世界を憎み、殺す事を決断するそもそもの前提が狂う事になる。

 ――そんな、再起の機会を既に得ている状況で、人は復讐心を優先し、今ある幸せを捨てられるか?

 否だ。

 ヤツが俺とそのまま入れ替わるなら可能だった。だがヤツがしようとしているのは、究極的には俺の感情を励起、増幅し、廃棄孔の人格を主へと押し上げる力技だ。それを理性と本能が許す筈もない。そうならないよう、俺は解放されてからの二ヵ月半、自らの環境調整を怠らなかったのだから。

 どれだけ俺に呪いを注ぎ込もうと、最早ヤツの呪いは通じない。

 むしろそれを呑み干し、俺が()()を叶える為の意志へと昇華させる。廃棄孔に立ち返って復讐に走る道を否定したから今の俺が在るのだから。

 

「――いいや……同じだ」

 

 獣の抜け落ちた顔に表情が戻った。苦悶を含んだそれが、どうにか集め作った最後の防壁のように見えるのは気のせいでは無いだろう。

 

「それは、かつてと同じだ。勝手にただ信じているに過ぎない。貴様が信じていようと、どうせ、また裏切られる。人の悪性は決して消えない」

「確かにそうだろうさ。善悪は人にとって不可欠な一体の概念、悪性はどうあっても存在する。だが、それでも――“あらゆる人は、例外なく善性を持っている”と、みんなが生きている限り俺は人の善性を信じよう」

 

 ――袂を別つ。

 ヤツは人の悪性を憎み、善性を信じない。

 俺は人の悪性を憎み――それでいながら、善性も信じる。

 

「だからこそ、お前が俺を否定するように、俺も死力を尽くして――オリムライチカ(お前)という自分を打ち負かす!!!」

 

 決して相容れない認識を以て、ここに二度目の対峙を果たした。

 

 

   ***

 

 

 ――それは、あり得ない剣戟だった。

 

 

 斬り掛かる体は見た目こそ万全。しかし、それを操る方が既にボロボロである事を、自分は把握していた。

 それは目に見えにくいところで現れる。踏み込みは浅く、振るわれる力も全盛のそれには程遠い。呼吸すら浅いのは無自覚のものか。剣速も取るに足らなければ、繰り出される一撃も凡庸だ。

 出鱈目に振るわれた、あまりに凡庸な一撃。

 ――だというのに。

 その初撃は、今までのどの一撃よりも重かった。

 

「な――に――――?」

 

 放心は、秒を待たずに驚愕へと変わった。

 (ふる)われる剣は狂ったように、己の想像をはるかに超えた速度で、片刃剣を軋ませた。

 ――何処にこれだけの力があるのか。

 覚えた疑問の答えは、既に出ていた。自分が認めてはならぬモノだ。

 

「貴様――!」

 

 鬩ぎ合う剣戟の激しさは今までの比ではない。

 受けになど回れない。軽んじられる状況では無いと判断し、両手に握る剣を走らせる。走る閃きは四つ。上下左右に一息で放たれるそれは、手足を切断し、胴を四散するに有り余る。

 

「――――!」

 

 それを――ヤツは、防いだ。

 否、必殺の四撃を上回り、斬閃がこちらの首を刎ねに来る!

 

「こいつ――――っ!」

 

 咄嗟に黒剣を返し、振るわれる一刀を捌く。

 そのあまりの鋭さに息を呑む。攻めなければ斃される、と直感した。二振りの片刃剣は死に体であるヤツを襲い、ヤツはがむしゃらに二振りの両刃剣を振るう。

 拮抗する互いの剣戟。

 空間は火花に満ち、立ち入るモノは瞬時に切り刻まれるだろう。

 ――だが、それは終わりの見えた者が見せる、最後の炎の筈だ。

 二十、三十と刃を交える回数を増やす事に、ヤツの息は上がり、剣速は落ちていく。倒れそうになるも、踏み止まって次の一撃を振るう。

 無理を押し通している。

 超えるべきではない肉体からの危険信号を全て遮断し、強制的な意識の(らく)(めい)すらも、己の意志ひとつで食い破り、戦場からの離脱を自ら許さないでいる。

 だが――現実は残酷だ。

 超えるべきではない限界を超えた反動が肉体を襲っている。どれだけ気概を燃やそうと、燃やす為の燭台から崩れ始めている。崩壊する燭台から蝋は垂れ落ち、その寿命を刻一刻と早く目減りさせていく。

 確信を抱いた。

 敵に力など残っていない。余力も、回復力も、土壇場で見せる起死回生の一手を打つ力すらも。目の前の原典は文字通りの死に体なのだ。

 

 ――だが。

 

 だというのに何故、剣を振るうその手に、際限なく力が宿るのか。

 朽ち果てる寸前の肉体で尚も剣を執り戦うのは――未来を求める想い故か。

 

「――く――――っ」

 

 意識してのものではない。今のヤツは、こちらが何をしているのか以前に、自身が振るう剣が通じているかも読み取れていないだろう。焦点は朧、足取りも不確かなそれは、最早重症患者のそれだ。

 脳は休息を求めて悲鳴を上げ、足りなすぎる栄養素は運動停止を命じ続けている筈だ。

 その悉くを力尽くで押し殺していれば、そうなるのは必定である。

 故に、その身を衝き動かしているのは、無意識領野にあるモノだ。

 《織斑一夏》にとって、それは呪いだった。ヒトを憎み、社会を憎み、美しい世界を憎み――それを危険と認め、封じ込めた廃棄孔。負と呪いの源泉。

 ならば《桐ヶ谷和人》にとっては何なのか。

 

 

 ――刃を交える。

 

 

 仮想の血を端々から流し始めた。往なし切れず、体幹がブレるヤツの体を蹴り飛ばす。

 

「ぐ――――ぁ、ぁあッ!」

「――っ……!」

 

 ヤツは苦悶の声を上げた。呪いに犯されてるからでも、蹴りの衝撃に耐える為でも無く――それは、己を奮起する為の鬨。泥の中に膝を屈さず、寸でのところで踏み止まり、ぐっとこちらを睨み上げてくる。

 そして、距離を詰めて来る。

 ――先程からこの応酬だ。

 ヤツが攻めて、俺が迎撃する。それの繰り返し。

 たった一歩下がり、空を切らせれば絶好の隙が生まれる事は分かっている。死に損ないで、俺の全てを存在から否定する敵も癇に障るが、一歩後退すれば終わるというのにそれを為さぬ自分にも苛立った。

 

「――――!」

 

 だが、どうして引き下がる事が出来よう。

 最早剣戟の応酬に駆け引きなどない。それを思考する程の余力が、ヤツには許されていない――事も自覚せず、ただまっすぐ剣を振るって来ている。

 そんな幼稚な剣に背を向ける事が恥ならば、その一撃を受け留めない事も恥だった。

 一歩、後ろに引くだけで、相手は自ら死を晒すというのに。

 たった一歩でも引いた瞬間、、決定的な何かに敗北する予感があった。

 

 

 ――刃を交える。

 

 

 しかし、その煩悶もじき終わる。

 敵はとうに限界だ。自分と顔を合わせる前から、既に死に体に至っていた。もって八合。八度弾き返せば、あとは勝手に自壊を始める――――

 一撃、止める。

 

「――チッ」

 

 下らぬ思いつきを、一撃目の力強さの前で舌打ちした。

 先程はもう持たないと見た。その結果、ヤツは悪性の塊を呑み干し、己の力に変えて、こうして百に届く剣戟を交えている。

 ヤツは倒れない。瀕死のソレは、一心に眼前の障害へと立ち向かう。

 

 ――その姿が、目に焼き付いた。

 

 この戦いで、初めて己の瞳で直視する。曇りに曇った視界が急激に晴れ渡る感覚。

 敵は、千切れそうな勢いで剣を振るう。喉から絞り出される声は全て全力の一撃を振るう為のもの。叩き込まれる剣戟は、その叫びの代価だ。

 ――助けられなかったと嘆く叫び。

 ――助けられなかった自身への叫び。

 謂われもなく、無意味に死んでいく人を見送った過去を、もう二度と繰り返させないという誓いの怒号。眼前の敵を認めてなるものかという裂帛の殺気。

 そうして、繰り返される剣戟が、自壊を予測した八を超え、十を突破し、十五に届いた時、終わりは無いと悟った。

 この敵は止まらない。

 決して、自分からは止まらない。

 渾身の力で打ち込んでくるものの、ヤツの意識は最早俺に向けられていない。ヤツが斬り伏せようとしているものは、あくまで己を阻む自分自身。信じてきたもの、これからも信じていくもの、新たに信じる事にしたものを全て貫き通すために、自壊する体を再生し、猶予を無理矢理造り出し、剣を振るっていた。

 

「――――!!!」

 

 それに気が付いて、苛立ちと共に奥歯を噛んだ。

 勝てぬと知って、意味が無いと知って、なお挑み続けるその姿。その愚かさこそ、俺が憎む自身の過ちに他ならない。

 こちらが裏切らなければ、信じていればきっと応えてくれるだろうという思い込み。

 

 ――だというのに、何故。

 

 醜悪と言い捨てたそれを、どこまで続けていけるのか、見届けようなどと考えたのか。

 

「っ……! いい加減、消えろ――!」

 

 

 ――刃を交える。

 

 

 してはならない思考を切り捨てるように、片刃剣を振るう。

 敵の剣戟はもはや手を抜ける物ではない。敵の剣戟をはじき返し、返す刃で、確実に頭蓋を砕く――その必殺の筈の一撃が、容易く弾かれた。

 ギン、という音が響く。

 今まで一度も防ぎ切れなかった筈の相手が、渾身の一撃を当然のように弾き返した。

 

「――――」

 

 ()()が止まった。

 

「この()()は――」

 

 剣を弾き、一際大きく剣を構え直す敵の姿。

 その眼は、まっすぐこちらを捉えている。

 

「決して――」

 

 狙いは、がら空きになった左胸。

 無防備になった左胸を護ろうと、長剣を切り返す。間に合う。自分の反応速度を以てすれば、それは容易く間に合う行為――

 

 

 

「間違いなんかじゃない――!!!」

 

 

 

 ――耳朶を打つ慟哭は、同時に胸をも穿った。

 まっすぐに向けられるその視線。過ちも、偽りも、己を穿つ全てを振りきって、立ち止まる事なく頂点へと走り続けた、その男。

 零れ落とすものを掬い上げられ。

 落としたものすら拾い上げられ。

 一人でありながら、独りにはならなかった孤高の剣士。

 

 ――なんて醜悪な、凝り固まった偽りの()()

 

 美しい、足掻くようなその理想の体現。

 (オリムラ)(イチカ)にあったのはそれだけだ。自己を喪い、精神が瓦解していようと、見送る人々の命の輝きだけは忘れなかった。

 死にかけの心が世界に吼える。

 誰もが幸せであって欲しい。無意味に死にゆく命を腕に抱きながら、天に向かってそう吼える。

 

 ――悪い夢だ、古い鏡を見せられている。

 

 引き返す道など初めから存在しなかった。

 罪はこの手に、あまりにも多くの過ちを犯して来た。自分自身を憎み、世界を憎み、この世に存在する全てを憎み、殺したいと思う程に。残されたのはただ吼えるのみの復讐心。自害する覚悟もなく、ただ漫然と生きる人形に、償う術など持ち得なかった。

 織斑一夏の手は血に汚れ決して許されはしないだろう。

 その罪の意識は、桐ヶ谷和人の心を永劫縛り続ける。

 

 それらを背負った、最後の一撃が振るわれる。

 

 胸に突き刺さるであろうソレは、しかし、意識の外にあった。見ているものは、己と同じ過去を持ちながら違う道を選んだ可能性の自分自身。

 噛み合う筈の歯車は交わらず、空を切る。

 黒と白を越え――

 

 

 

 ――――こんな男も、居るのだったな――――

 

 

 

 ――翠の刃が、胸を穿った。

 

 






()()()()()
「――()()()は、(つるぎ)で出来ている」
 ――I am the born of my Sword.
 初代Fate/主人公『衛宮士郎』、および《アーチャー》が口ずさむ呪文をパクった人物。

 この呪文は、原典に於いては、()()()()()が生前から自身の裡に持っていた固有結界を展開するためのもので、一種の暗示のようなものであり、実際のところ唱える必要はない。ないが、カッコイイからどんどんやって欲しい今日この頃。投影魔術行使の際にも自己を埋没させる為に口ずさんでいる。
 元々はアーチャーの生前を現した呪文であり、その道程を韻として踏んだもの。
 原典の衛宮士郎対アーチャーの戦いで、士郎が口ずさんでいるのは、刃を介して発生した意図しない憑依経験(元が同一人物なので起きた事象)で見た英霊の過去を、アーチャーが否定したい自身が口にする事で、アーチャーを傷付けるという『遠回しな自傷行為』のため。勿論投影魔術の精度が、アーチャーのそれを見て引っ張り上げられているのと関連して、暗示の意味もしっかりある――が、初回に関しては大部分嫌がらせである()

 本作に於ける和人のコレも、韻を踏む点に関しては同じ。
 ただし獣が、自身が為して来た悪を悔やみ世界とヒトを憎んでいるのに対し、和人はその上で《悪》を認め、その世界を容認するという『悪を認める覚悟』を現したものになっている。
 初めて人を殺した時の兇器が刃物であり、実姉に連れていかれた剣道場、義姉に付けてもらった剣、デスゲームで初めて人を殺したもののも剣である事から、和人の中で『剣=殺人=悪』という等式が成り立っている。無論、人を護る剣もあるので、真ん中の動機によって悪判定はまちまちになる。直葉は中庸だが、明日奈や木綿季のそれは仮令殺しを犯したとしても善判定。
 少なくとも和人は自分が人を助ける際に『別の誰かを犠牲にしなければ救えない』という思考に陥っている(尚アスナ救出劇) そのため、剣を振る際には悪という認識が根付いた。現実で同じ境遇の子供を、仮想世界で人を殺し過ぎた弊害。
 これで獣の心象の呪いを跳ねのけての素なので、割と始末に負えない。

 ――悪を以て善を為す者。大切な人達の幸福の為に、悪を為し、犠牲と罪を背負う事を覚悟した異常者。

 見据えるものは、誰もが求める『(しあ)(わせ)な人生』。

 SAOから続く戦いの『True end』。
 ルート名『孤高の英雄』



ホロウ(織斑一夏)
 《織斑一夏》という人間の『Normal end』。
 ルート名『孤独の英雄』


 ――戦いは(はい)(ぼく)で終わった。
 胸を貫く(いたみ)は断罪の赦しにもなりはしない。(ヤツ)を憎む俺に、赦しが訪れる時など永劫あり得ない。
 胸に去来するものはただひとつ。
 後悔はある。
 ()()()()()など幾度求めたか分からない。
 この(しょ)(うり)を、未来永劫、俺は呪い続けるだろう。

 だが――小さな答えを得た。

 今後自分が再現されるとしても、おそらく持っていないだろうそれ。
 惜しむ事は無い。
 ヤツの根底には、これまで為して来た《悪》がある。これから少年は悪を以て未来を切り拓いていく。どれだけ自分が繰り返されようと、その在り方一つで全てを否定するだろう。

 絶望は、希望の裏返しの感情だ。

 故に、憎悪を謳っていても。

 それでも、この想いは、決して――――



 ――――おれは、間違えてなどいなかった――――



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。