インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~ 作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス
視点:キリカ
字数:約一万三千
ではどうぞ。
『――桐ヶ谷和人氏の精神構造は非常に複雑ですが、似たような症例は過去に存在しています。《サバイバーズ・ギルト》ですね』
筆:《サバイバーズ・ギルト》……と言えば、自分が生き残った事を罪と思う事でしたっけ。
『簡単に言ってしまえばそうですね。定義としては、戦争や虐待などで亡くなった人がいる中、同じ状況で生き残った人が抱く罪悪感の事です。2000年初頭のとある事件を契機に、世間に認知されるようになりました』
筆:そういえばその頃から認知度が上がってきた印象です。彼も同じ症状を呈しているという事は、《織斑一夏》として生きていた頃の虐待による反動でしょうか。
『いえ、それは違うでしょう。サバイバーズ・ギルトは文字通り生死が関与している事でしか起こりえません。再現映像で見られた研究所らしき場所での事の方が可能性としてあり得ます』
筆:あの時のですか……
『時に、話は変わりますが、ショック・シェルという言葉をご存知ですか?』
筆:いえ、聞いた事はありません。それは何ですか?
『日本語では《砲弾神経症》と言われるもので戦闘ストレス反応としてPTSDの一つに分類されてます。戦友が目の前で亡くなるなどして戦争自体に疑惑を抱くなど、状況と理解の大きな齟齬が生んだストレスを中心に発症するんですが、そういった症状を呈した方はしっかりとした心療治療を受けなければ戦場に立てない。仕事……例えば、警官なら拳銃を持ちますが、それで人を撃つ事があった場合、まず拳銃を持つ時点でフラッシュバックなどが起きます。そもそも勤務への意欲を著しく欠くので、そこに辿り着く事も難しいのですが』
筆:昨今私達が認識しているPTSDを、経緯によって細分化したものが、ショック・シェルというものなのですね。
『そうです。さて、では和人氏はどうか。件の研究所に行く契機になった誘拐事件は第二回《モンド・グロッソ》だったようなので、SAOまで約一年の期間がある訳ですが、これは心療治療期間に於いてあり得ないほど短いと言わざるを得ません』
筆:そうなのですか?
『考えてもみてください。戦争を生き残った高齢の方々にはいまも当時の記憶に苦しむ人が居るのです。強姦を受けて男性恐怖症になる方も決して少なくない。単純な比較は出来ませんが、それら前例を考慮すればあまりに短い。なにしろ碌に心療内科を受けた経歴も無いのです。同じ境遇にあり、生きる為に必要とは言え、それでも同じ人を手に掛けられるか……過去飢饉に苦しみ食い扶持を減らす為に我が子を手に掛けた事がある女性を診た事がありますが、相当なものでしたよ』
筆:なるほど……桐ヶ谷氏のメンタルは非常に屈強なのかもしれませんね。
『それはどうでしょう。彼が戦闘ストレス反応を克服出来ていると断言するのは難しいところです』
筆:と、言いますと?
『確かに強いとは言えると思います。しかし私は、彼がトラウマである筈の刃物を持てたのは、《サバイバーズ・ギルト》があったからと思うのです』
筆:そこでそれが関わってくるのですか。
『そうです。推奨年齢13歳であったのに対し当時9歳だった彼が《剣が彩る世界》と銘打たれたSAOにログインした理由は定かではありません。なのでこれまでの彼の行動や情報を集めたのですが……こう言っては不謹慎ですが、興味深い事実が浮かびました。それは、彼が誰かを傷付ける時は、必ず別の誰かを助ける時であるという事実です』
筆:ですが、デスゲーム開始日に一人手に掛けてしまっていますよね?
『ええ。確かにそうですが、こうも考えられます。その事態があったからこそSAOに居る間の行動が定められた、と』
筆:つまり、あのコペルという少年の犠牲無くして《ビーター》という必要悪は生まれなかったし、デスゲーム世界に秩序が齎される事も無かったという事ですか。
『そうです。同じ境遇で亡くなった人に罪悪感を抱き続ける《サバイバーズ・ギルト》を患っているからこそ、彼は剣を取れた。ゲームをクリアすれば人々を助けられるから。それはかつて助けられなかった人達を助けられるという代償行為です。だから、カーディナルに提示された四つ目の道を断固として、躊躇なく選べたのでしょう。あるいは“それしか選べなかった”のかもしれません』
筆:なるほど……
『そして、先日の《クラウド・ブレイン事変》に於いても、それは証明されました。彼は剣を、誰かを救える可能性を
筆:それも、《サバイバーズ・ギルト》によるものなのでしょうか。
『
筆:彼ら彼女らの為に、死ぬとしても……っていうやつですか。恐ろしい覚悟ですね。
『むしろ命を懸けなければ誰かを助けられない状況に至る環境の方が、私は恐ろしいですよ』
***
「なんだか、すっごいコトになったねー」
《湖の女王ウルズ》が金色に光る水滴に溶けて消滅したのを見て、羽化した純白の象水母邪神からキリトが降りて来るのを出迎えたユウキがそう呟いた。
「これって……ホントに、普通のクエストなの?」
ユウキに続き、思考を立て直したらしいシノンが、水色の尻尾を鋭く振り動かしながら疑問を呈した。
「その割には随分と話が大掛かりっていうか……《ラグナロク・クエスト》もかなりだけど、アレはある意味スヴァルトのグランド・クエストな訳で、でもこっちは謂わばサブクエストなのに動物型の邪神が全滅したら今度は地上まで霜巨人に占領されるとか言ってたわよね?」
「言ってたなぁ」
クラインが頷き、それから腕組みして首を捻った。
「でもよ、運営側がアプデや告知もなく、そこまでするか? 《街をボスが襲撃イベント》なら他のMMOでもあっけどよ、そうじゃなかったらいきなり本土が崩壊するってシナリオ、普通は最低でも一週間前には告知があるよなぁ。巻き戻す前はキリトが気付けてなかったら大惨事どころじゃねぇぜ」
その言葉に、全員がうんうんと首を縦に振った。
「それは、ALOを動かしている【カーディナル・システム】が、SAOに使われていたフルスペック版の複製という点に答えがある」
その疑問に、
それはその通りだ。もう思い出したくもない事だが、ALOはそもそも、妄執に憑りつかれた一人の男が違法研究の実験台とするために、オリジナルのSAOサーバーをコピーして作り上げたものだ。不手際と不運が重なってその男はSAOに巻き込まれ、仕方なくそこで実験を始めた訳だが、ALOの成り立ちは《秘密実験場》である。だから当然、世界を動かしている完全自律システム【カーディナル・システム】も、SAOのそれと同等の性能を持っている――という事になる。
それはSAOの負の遺産としてホロウが残っていたように、ALOでセブンが《クラウド・ブレイン》により暴走した事が裏付けていた。
「これはヒースクリフから聞いた事だが、【カーディナル・システム】は『人の手を必要としない自律性』を確たるものとする為に、《クエスト自動生成機能》があったらしい。《ホロウ・エリア》が《アインクラッド》のバランス修正をするべくスキルや装備などの検証にクエストを用意していた機能の大本だ。ネットワークを介して世界各地の伝説や伝承を収集し、それらの固有名詞やストーリー・パターンを利用、翻案し、クエストを無限にジェネレートし続けるんだと」
「そういやンな事言ってたな……」
クラインが、無精髭の生えた顎をざらりと撫でながら、遠い眼をした。次いでアルゴも重い息を吐く。
「クリア直前のクエスト・データベースに載せただけでも軽く二万近かったからナー……人の手が無い分、数が多かった覚えがあるナー……」
当時、少しでもボスの情報を得る為に、また犠牲者を減らそうと躍起になってクエストを受けていた情報屋筆頭の猫妖精が、ぷるぷると震えながら言った。
その隣に立つシリカまで、遠い眼をし始める。
「それに、時々お話がミョーでしたよ。三十層くらいだったかな、変なマスク付けてノコギリ持ってたオーガを倒すクエ、こなしてもこなしても翌週にはまた掲示板に載ってましたもん。一体何の伝説を元にしてたんだか……」
「伝説って言えば、神話とか種族とかカミサマの名前とか、結構ごっちゃごちゃしてたわよ。ヘファイストスの盾とオーディンの槍って、ギリシャと北欧で神話が違うでしょうに……」
「私が使ってる魔槍も元々はケルト神話だもんね……」
「聖剣とかアーサー王伝説まんまで、エリュシオンもギリシャ神話の死後の世界の名前だもんねぇ」
シリカに続いて、リズベット、サチ、ユウキが同様のテンションで言う。みんな色々と思い当たる記憶があったらしい。
かく言う自分も、凄く覚えがあるな……と、
「――ともかくだ」
そのまま延々と《ソードアート・オンライン》の愚痴り大会になると危惧したか、オリジナルが咳払いし、話の軌道修正を図った。
「このクエストは、さっきウルズが言っていたようにスヴァルトの《ラグナロク・クエスト》に付随して、巨人を参加させる為だけに自動生成されたアレンジクエストだと思われる。エラー修正機能を停止していなくても、多分これは動いていただろう」
腕を組みながらのその言葉に、ユイが首肯した。
「そうですね。先ほどのNPCは固定応答ルーチンではなく、ある程度応用の利く言語エンジン・モジュールに連結し、AI化された状態でした。自動クエスト・ジェネレータによって補足のように追加されていても、エラー判定は受けない可能性が高いです」
「そしてSAOの最後は浮遊城全体の崩壊だ。ストーリーの展開如何では行き着く所まで行ってしまうと考えられる」
「そうだねぇ、アタシがアーカイブしてるデータと【カーディナル・システム】の設計を考慮すれば、その可能性も高いと思うなぁ」
オリジナルとユイ二人を指示するように、ストレアが珍しく難しい顔で同意を露わにした。
「《ラグナロク》ってね、ヨツンヘイムとニブルヘイムから霜の巨人族が侵攻してくるだけじゃなくて、もっと下に位置する《ムスペルヘイム》っていう灼熱の世界から炎の巨人も現れて、世界樹を焼き尽くすって言われてるの。むしろそれが本筋。でも今はまだ《ムスペルヘイム》は実装されてないから、代わりにスリュムに白羽の矢が立ったんだと思う」
「で、俺達が倒すべき敵は、つまるところスリュムなんだ。ヤツは霜巨人の王だからな。ヤツを倒せば、侵攻は止まる。少なくとも前回は止まった」
ストレアの説明を纏めて、オリジナルは今回ヨツンヘイムに来た目的の達成条件を明確にした。霜の巨人族の侵攻と、その規模は種族・軍勢レベルだが、要は
それは非常に分かりやすい方針だった。
ただ、引っ掛かる点が二つ。
「少なくとも……なんて、引っ掛かる言い方だなオリジナル」
そう疑問を呈する。
周囲から、少し驚いたような眼が向けられた。空気が緊迫する。自分を載せる義姉が鋭く息を飲む音が耳朶を打った。
それに対し、オリジナルは変わらず冷静を保っていた。
「《女王の請願》の内容を見れば分かるがクリア条件は『聖剣を回収する事』であって、要の台座から抜く事じゃない。それで……台座から抜けはしたんだが、肝心の聖剣は回収出来なかった」
「え、まさか抜けなかったのか? 結構パワーファイターな印象あるから結構筋力値あると思ってたんだけど」
思わず、といった風に《スリーピング・ナイツ》の前衛剣士ジュンが疑問を投げた。
それにオリジナルは苦笑を浮かべ、肩を竦める。
「忘れているかもだが、俺の種族熟練度は300に届いてなくてな。更にステポイントも満遍なく振ってるせいで筋力値は低い方だ。道中の敵全部殲滅してたから上がりはしたが、それでも600だったよ」
種族熟練度の適正値は【岩塊原野ニーベルハイム】450、ヨツンヘイムへのダンジョン700、ヨツンヘイムフィールド800である。
それを200台からレベルアップしながら切り抜けたという事実に、ジュンが盛大に顔を顰めた。
「おま……それでよくヨツンヘイムまで来れたな……」
「普段は封印してる《ⅩⅢ》を惜しみなく使ったからな。ボスを相手にしても貫通属性持ちの槍やらピックやらを一度に何百と刺す戦法が通用したからこそだ」
「た、たしかに、エゲつない減り方をしてましたもんね……」
通常であれば一人につき一つか二つ、フルレイドでも百を超える数を揃えられない貫通属性武器を、一度に何百と放てるとなれば、継続ダメージで削れるHP量もとんでもない事になる。毒と違い、武器が刺されば確実に発生するため、割合か固定かを除けばボスにすら有用と言える。ボスは毒などの状態異常をほぼ受け付けないからこそ有用とされる戦法なのだ。
ただ貫通属性武器を揃える事、それにより削らなければならない回復アイテムなどの数、更に刺した所ですぐ抜かれて放り捨てられる事を考慮して、誰も取らないだけの事。
《ⅩⅢ》という手元を離れても操れる武装だからこそ取れる戦法だった。
登録すれば耐久値はHPと連動し、重要なのは攻撃力でない以上、《数を揃える》一点に於いては安価な品でいいのであれば、自分やユイ、シノンでもすぐ取れる手段である。
「それで、聖剣の回収が出来ないとクエストは達成にならない。さっきの幻で分かったと思うが、泉に聖剣が落ちて根を傷付けたから氷塊はあそこにある。逆に言えば、聖剣を根から抜いてしまえば、大樹の根はまたヨツンヘイムの大地に降りる。それはスリュムヘイムの崩壊とイコールなんだ……が、回収できないと、泉の中に剣が落ちる訳で。結局前回のヨツンヘイムはさっきの幻の姿を取り戻さなかった。“ヨツンヘイムに緑が生まれた”なんて話は聞かなかっただろう?」
『あー……』
破竹の勢いでスリュムを倒し切ったオリジナルは、しかし聖剣を回収できず、クエストを達成出来なかったらしい事がその発言から読み取れた。
つまり聖剣を抜いた後、スリュムヘイムの崩落を掻い潜って生還しなければならないらしい。
オリジナルは生還こそした――空飛ぶ邪神が迎えに来てくれたらしい――が、それは聖剣を放り捨てての行動。クエストが達成されなかったせいでヨツンヘイムが春を取り戻す事は無かったようだ。
その事について執着や悔しさが見て取れないのは、《ALOの存続》という目的は達せられているからだ。この世界が存続さえすれば、最強の伝説級武器など必要ない。そんなスタンスだからだろう。
ストレージに入れられなかったのかとは思うが。
「……ストレージには入れられなかったの?」
シノンが、今しがた自分も思い浮かべた疑問を口にした。オリジナルは、首を横に振った。
「試してみたけど、弾かれた」
「あ、ちゃんと入れようとはしたんだね」
「……言い方にどことなく皮肉があるな、ユウキ」
じろ、と紫紺の剣姫を見るオリジナルに、彼女は苦笑を浮かべた。
「いやぁ、最強の聖剣を前にしても、物欲がぜんっぜん無いキミの事だから即座にぽいって放り捨てそうな気がしてね……みんなが求めるモノをぞんざいに扱われる様を思い浮かべると、それはちょっとって」
「……まあ、SAOみたく“少しでも強い武器を”って必要に駆られてなかったら金色に輝く剣なんて使いたくないけど、それでもすぐ捨てはしないぞ。持って帰ってユウキ達の誰かに譲ろうとする。実際前回はそのつもりだった」
「どっちにしても物欲は相変わらず無いね!」
満面の苦笑でユウキがそう断言しながら頭を撫でた。
生温かな微笑みを周囲から向けられたオリジナルは、やや居心地悪そうに身動ぎし、頭を撫でるユウキの手から逃れた。ああっ、とユウキが声を洩らすも、オリジナルは頓着せず咳払いをする。
「話を戻すが、《ALO存続》の為の最低条件は、霜の巨人族の王スリュムを倒す事だ。聖剣に関しては回収出来なくても問題無い。たぶん」
「たぶんって……キリト、お前ぇなぁ」
「仕方ないだろ。ヨツンヘイムが元に戻らないまま続けばまた別のクエストが作られるかもしれない事を考えると、断言はできないんだ」
笑いながらのクラインの突っ込みに、オリジナルも苦笑を浮かべてそう返した。場の空気が朗らかなそれになる。
「このクエストの事は茅場にも伝えてるけど、巻き戻したところでこのクエストは《ラグナロク・クエスト》実装を契機に始まってるから、今更止められない。最悪ALOが崩壊しても現時点までは戻せるから、トライアンドエラーを繰り返せるけど、出来れば一度も崩壊させずに済ませたい」
言いながら、オリジナルが左手を掲げた。
そこからぶら下がるのは拳大のメダリオン。《湖の女王ウルズ》が消える前に与えられたそれには、綺麗にカットされた巨大な宝石がはめ込まれている。エメラルド色に煌めく宝石は、しかし一割弱が漆黒の闇に沈み、光を跳ね返していない。
ALOが再起動を果たしてからまだ一時間程度。それでも一割沈んでいるという事は、残り猶予は長く見積もって九時間、短くて六時間という程度か。
それだけあればALOプレイヤーのレイドがヨツンヘイムを訪れ邪神を討伐し始めるだろう。そのレイドはこのクエストの事を知る由もないので、エンカウントした邪神が動物型であっても躊躇しない。それにより加速するとすれば、想定は四時間にしていた方が無難か。
女王曰く、あの石が全て暗黒に染まる時、地上の動物型邪神は一匹残らず狩り尽され、ウルズの力もまた完全に消滅するのだという。その時こそ《霜の巨人の王スリュム》のアルヴヘイム侵攻が開始されるという事だ。
「本来ならスリュム討伐組と動物型邪神防衛組に分けるところだが、幸いあと一時間強は誰もヨツンヘイムに来れない筈だ。だから全員で乗り込もう」
その言葉に、全員が閉口した。びゅぅと雪原に吹く風の音だけが流れる。
「……なんだ、この空気」
微妙な沈黙に耐えられなかったか、オリジナルがやや不満そうな顔で言う。すると
「意外だったんですよ。前回単独攻略してるキリトくんの口から、全員で乗り込もうって言葉が出るなんて思わず、お説教が必要かと考えていたものですから」
「そうそう、ほんとそう! 一人の方が効率がいいって言って行くんじゃないかって思ってたからちょっとびっくりしちゃったよ!」
ランが言って、アスナが力強く頷く。周囲の面々も同じように頷いていた。
同位体の自分としては微妙な顔をせざるを得なかった。心当たりが多過ぎる。オリジナルもそうらしく、多分自分と同じだろう表情を浮かべていた。苦虫を噛み潰したよう顔だ。
それから、次いで苦笑へと変わり――
「敵わないな……まったく」
どこか幸せそうに呟いていた。
それが、どうしようもなく思考をかき乱すから。
「――全員で乗り込むのはいいが、編成はどうするんだ?」
空気が悪くなると分かっているのに、思わず口を出してしまった。弛緩していた空気がまた緊張する。
――原因は分かっている。
ホロウの事だ。俺は選んだ道こそ違うけど、少しのキッカケでホロウのように害悪になりかねない。それをみんな分かっている。分かっているから、警戒している。
オリジナルには、明確に描いている未来がある。それを公言している。そこに至るまでの道程も明言している。
けれど――
《
でもいまはそうじゃない。
仮想世界で命を懸ける必要は、少なくとも直近では無い。《クラウド・ブレイン事変》も終わり、この《女王の請願》クエストもALO崩壊を招きこそすれ、風聞を気にしなければトライアンドエラーは何度でも出来る。
――
日本の未来の為にと、そう求められているのはオリジナルだ。
仮想世界でこれまでと同じように動けているのはオリジナルだ。
瞬間演算速度の差で、一度に操れる装備の数や継戦能力で言えば自分が勝っているだろう。でもそれは、同じAIであるユイ、《ⅩⅢ》を持てばストレアだって同じ事が出来る。それどころか人間の頃と同じ
自分が不可欠な時なんてない。自分が出来る事は、全て
自分の在り方が定まらない。
――
何のために戦えば良い。
――
何のために剣を取れば良い。
――
演算速度が鈍る。
思考回路は乱れ狂う。
“なかま”からの、信用ある不安の視線が浴びせられて、胸が苦しくなる。“逃げ出したい”――そんな、衝動が構築される。それは“離れたくない”という願望と鬩ぎ合う。
いっしょに居たいけど、離れたい。みんなが居るところにオリジナルが居るから居ても意味が生まれないから。
離れたくないのに、いっしょに居たくない。自分だけが必要とされている事が無いから意味が生まれないから。
――――ただ、それでも見出したものがある。
《キリト》としての全ては、オリジナルに持っていかれて、人間関係も喪った。新たに構築した関係は、どこか周囲からの遠慮と憐憫が含まれている。
“彼はキリトじゃない。昔はそうだったけど、今は違う人だ。一緒にしたら失礼だ”。
そんな認識が根底にある。記憶にある昔と同じ対応じゃない。だから余計苦しい。お前はもう人じゃないと突きつけられて、自分は変わったつもりなんて無いのに、変わらざるを得ない関係を自覚するから苦しい。
けれど、オリジナルとの関係は、記憶にもない新たな無二のもの。
苦しいけれど他の人達とのものよりは楽だった。感情をぶつけられる。“みんな”が居る間は多少抑えるが、そうでない時は遠慮なくぶつけられるから。
自分自身を、自分の言葉で傷付ける。
それは――昔から、慣れた事だから。
だから在り方が決まらない。
何もかも持った人間に、何もかも喪った身から苦言を呈する事くらいが、関の山。
自分が見出した“意味のある事”は、それだった。
それだけだった。
「《ⅩⅢ》の運用方法と、レイドの構成から考えて、スヴァルト攻略と同じく俺は後衛が良いだろうな。低血糖対策に糖分補給をしたとは言え、既に三十分近く戦闘している以上限界も程近いから」
「……その辺の事、ちゃんと考慮してたのね」
「前回それで痛い目を見たからな」
「……そうか」
そのやり取りを見て、俺は短く言葉を返し、口を閉ざすしか無かった。
オリジナルが躊躇なく死ぬ選択をしなくなって、義姉達が喜ぶ事だから、嬉しくなる筈なのに。嬉しくなるべきなのに。どうしてか、《喜ぶ》という感情が構築されない。してくれない。
浮かぶべき顔は、浮かばなかった。
自覚出来るのは、幾度目とも知れぬ喪失感。
やっと見出した“役割”が不要になったという、事実だけだった――――
***
~中略~
『――最近ネットではとある一大コンテンツの初代主人公と比較され、時に手酷く言われている和人氏ですが、“顔も知らない大勢の人々を救うため”に歩み続ける第二ルート主人公と、“大切な人達を最優先”に考え動く彼は、大きく違います。現状は第二ルートと第三ルートの主人公の相中くらいが近いんじゃないですかね』
筆:『特定個人の味方』と定めていないから第三ルートとは違う。でも絞ってはいるから、“
『ですね。どちらにせよ、少しずつ人間になってきている事は確かです。これまで和人氏の境遇はとても人間性が育つとは言い難いものだったからこそ
筆:わざわざ呼び分けるんですね。
『あのホロウを《桐ヶ谷和人》と言うのは何か違うなーと。竜使いの少女の場面で本人が言っていたように、彼はSAOを《織斑一夏》として生きていたようですから。護る事を選び続けるのが《桐ヶ谷和人》で、怨みを優先したのが《織斑一夏》と私は考えています。そして義理の姉・直葉氏や仲間が居る限り彼は《桐ヶ谷和人》で在り続ける筈です。多分に例の作品の影響を受けての解釈だとは自覚しています(笑)』
筆:彼女らが生きている事自体が英雄が戦う理由であり、生き甲斐であると。
『謂わば《桐ヶ谷和人》を張り続けるといったところでしょう。《サバイバーズ・ギルト》は彼女らをも対象にしている筈です。彼女らを護れず、死なせてしまっていながら自分だけ生き残った事への罪悪感は確実にあり、その為に彼は戦わざるを得ない。あの時は救えなかった命を、もう二度と……と』
筆:それは……前向きと、言えるのでしょうか。
『多くの患者を診てきた身からすれば、彼は非常に前向きですよ。意欲だけ見れば完治と言ってもいい程です』
筆:つまり、意欲以外の面では治療が不可欠という事ですか。なんとなくわかる気はしますが……
『彼は罪悪感と悔恨で止まる事なく同じ事にならない為にと進み続けています。心の傷と向かい合う事を多くの人は苦手としていますが彼はそうじゃなかったんですね。おそらく、SAOに入る前の時点で乗り越えています。トラウマと向き合い過ぎて、二度とそうならないようにと動いている。そんな人は初めて見ますよ』
筆:そうなのですか? 心療内科を開いて三十年続けている○○医師でも、彼のような人は見た事がないのですか。
『そもそも《サバイバーズ・ギルト》なんて症例、無い方がいいです。それでも見た事がある訳ですが……彼の特異性は、トラウマと向き合った時、そうなる事態を避ける事なく、むしろ事態解決に動くという点にあります』
筆:……えーと、どういう意味なのでしょう。
『《サバイバーズ・ギルト》には、他者の死と自分の生存という二つが前提にあります。それはいいですね?』
筆:はい、それは理解しています。
『冒頭に出した“拳銃で人を射殺してしまった警官”を例にすれば、彼の行動は、《拳銃で射殺した記憶》ないし《拳銃そのもの》にトラウマがあるのに、誰かが死ぬ事態にならないよう、威嚇目的であろうと《拳銃を使う》……つまり彼にとっては、自分のトラウマである拳銃を避ける事よりも、他者の死を避ける事の方が重要という事です』
筆:ああ! それが『トラウマでトラウマを制する』という事ですか!
『そうです。拳銃に対する戦闘ストレス反応を、他者の死と自身の生存という《サバイバーズ・ギルト》によって抑制する。それを彼に当て嵌めれば――同じ場所に行き着いた子供を何百と手に掛けた刃物への恐怖心、目の前で人が死ぬ事でぶり返すトラウマを、背負って来た他者の死への罪悪感で押し殺し続けるという事になる。それどころか、《昇華》という防衛機制が働いてトラウマを
筆:だから走り続けるんですね……何かしていないと、押し潰されるから。
『ただ、不幸中の幸いと言えるのは、彼が護ろうとしている人達は、彼が一線を超えないようストッパーになれているという事。つまり、彼の状態を把握している点です。これは昨今増加傾向にある自殺する人達と大きく異なっています。自殺に至った人達の親族は、何故そこまで思い詰めていたかを当時は知らない事が殆どですから』
筆:確かに、自殺してしまった人……特に未成年の若者は家族に相談していない場合が多いですね。自殺してから初めて虐められていた事を知った、なんてニュースはよく聞きます。
『再現映像の途中で流れたクリスマスイベント当時のやり取りは正にそれです。自暴自棄になっていた彼は、幸いにもそれをしっかり知り把握していた人のお蔭で踏み止まれました。無論そこに至る事件の当事者だったからこそですが……彼からすれば目の前で人が死んでいく中で唯一生き残ってくれた女性です。彼女からの赦しは、彼が罪悪感を向けている“過去の人達”の赦しに近いものだったでしょう』
筆:それでも和人氏は止まらないんですよね。《ナーヴギア》を外された人以外を救い、ALOの事変でも何十万という被害者を救い出したのに。
『――しかし今の彼は、不特定多数の人より、特定の人達の事を優先しています。彼ら彼女らが不当に傷付けられないと確信できるまでは続くでしょうが、逆に言えば彼は、自分でゴールを定めているのです。これはPTSDを抱えている他の患者には無い事でもあります。そしてゴールが定まったなら。あとは彼が命を落とすような無理を二度としないよう彼女達がストッパーになるだけです』
筆:それは、かなり難しそうですが……
『難しいでしょうねぇ』
筆:そんなあっさり同意されるとは思ってませんでした。
『トラウマを抱えてる人は得てして頑なだと知っていますから。ただまぁ、彼女らが傍にいる限り、彼が死を前提にした選択をする事は無いでしょう』
筆:それは、なにか根拠があっての事ですか?
『もちろんです。事実関係は不明ですが、政府直轄の学校を正式に休学した上で、四日間もゲームを徹夜でしていたとなれば、まず確実に政府との間に何らかのコネクションがあると言えます。彼からか、政府からかは不明ですが、事実として分かっているのは『フルダイブ中に死なない準備をしていた』という点です』
筆:そうですね。ホロウに対する返しでも、本人がそう備えていた事は明言されています。
『つまり――彼は、死にたくない、生きたいと、そう思っている。そのために行動出来ている。死に際に華を咲かせるなんて考えていない。そして彼の願いは“みんなの幸福な日常”を見る事です。それは死にたいと思っている人ではあり得ない思考回路でしょう?』
筆:確かに……ですが、それだと矛盾しませんか? 自分が死ぬ選択だとしても選ぶというのと。
『手段を決める《選択》で、自分の命を罪悪感が勝って軽んじるか、願いが勝って重んじるかが決め手ですね。そして彼が大切に思う人達が居る限り彼は重んじ続けるでしょう』
筆:それも、なにか根拠が?
『
~インタビュー記事《心療内科30年の○○教授が語る『現代に生まれし英雄のココロ』》より一部抜粋~
・サバイバーズ・ギルト
環境面によるPTSD(意訳)
戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。
症状としては、『罪悪感』『フラッシュバック』『モチベーション・士気の低下』『信頼心の低下、懐疑的になる』『組織に対する忠誠心の減少』など。(Wikiより)
Fate/初代主人公《衛宮士郎》が公式でなっているとされる症状。
第四次聖杯戦争による大火災の中で生き延びた意識が根付いており、『自分だけ生きて、見送られたのだから、生きた責務は果たさなければ』という意識と、義父《衛宮切嗣》の『正義の味方になる』という
SAO原作に於いては、クリスマス時期(黒猫団壊滅したけど自分は生き残ってる)、あるいはアンダーワールド大戦に於ける心神喪失状態(ユージオ、カーディナル、蜘蛛シャーロットが死んだしアドミニを殺したけど自分は生き残ったという罪悪感で)キリトが発症。
本作和人に於いては、《研究所》と《SAO最終戦》の二つが該当している。
結局直葉達は生還している訳だが、『死んだ』という事実はあり、和人はそれを恐れて三種の試練に臨み、《クラウド・ブレイン事変》に於いても命懸けの剣を手に取り、人々を救った。
・ショック・シェル
自分の行動により生じるPTSD(意訳)
砲弾神経症、戦闘ストレス反応とも。『必要な事だった』と認めても生じる拒否・拒絶反応の事である。
原作・本作シノンがこれに最も近いが、厳密には違う。
シノンの場合、『人を射殺したから拳銃にトラウマを抱いた』のではない。
そもそもシノンは『強盗犯を射殺した事』に関してはやや諦観気味に『母を助けるには仕方が無かった』と受け容れている。
『射殺』と『銃のトラウマ』の間に、母を護ろうと無我夢中に行動した末の射殺に、『母親から恐怖の眼を向けられた』という事実が入る。つまり『拳銃=母の恐怖=殺人』という式になり、強盗犯を思い浮かべるようになってしまった。
原作キリトに慟哭を叩き付け、『人殺しの手を、あなたが握ってくれるの?!』と叫んだのは、『人からの恐怖が苦しかったから』というのが根底にある。
そして原作六巻終盤では、『母の恐怖』の他に『自分の行動で救った親子からの感謝』が入ったため、シノンの心は救われ、トラウマが少しずつ和らいだ。
ちなみに、
《第三回BoB決勝戦》でキリトから《死銃》の事を聞いたシノンの愕然ぶりからその安心感が前提にあったのは明白であり、『本当に人を射殺する』事に対し嫌悪感を剥き出しにしていた事から、おそらく『PKしても本当に死ぬ訳ではない』という安心感があったからだろう。
反面現実では写真すらアウトなのは、『現実=本当の死』という生々しい認識があったからだと思われる。
原作キリトも《笑う棺桶》討伐時に二人、後にクラディールを殺めている事を思い出し恐怖しているが、『剣を拒否していない』ので非該当。そもそもキリトはその事を『必要な事だった』と認めている。
むしろアンダーワールド大戦時、《因縁の敵》相手に殺すより惨い事をしている辺り、既に吹っ切れている。
本作和人に於いては、コペルを殺す『まで』が該当。
コペルを殺してしまった事で、『誰かを傷付けでしか自分は誰も護れない』という固定観念を作り上げた(元々『ヒトは他者を犠牲にして生きるケダモノ』という認識がある)。現実を認識した事で吹っ切れたのである。
――が、実は『七十五層でアキトを殺した』辺りで再発し、リーファに粛正されるまで続いている。
《織斑一夏》としての意識で実兄を殺したので発症。
リーファにより《桐ヶ谷和人》に意識・在り方がシフトしたため、実兄は《元実兄》の認識になり、必要な事だったで済ませられる事となった。
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その道30年の心療内科教授により内心含めて世間に語られた被害者。
トラウマでトラウマを捻じ伏せて未来の為に昇華し続けている。とは言えトラウマなので、歩みを止めると
しかし心にゆとりが出来たためか、最近は根を詰めなくなってきた模様。
・キリカ
サバイバーズ・ギルト及びショック・シェル両方を発症し続けている同位体AI。
リーファの粛正を受けず、またビミョーに別たれる以前から関係を築いていた相手を拒否しているせいで、心が曇り始めている。しかも『走る為の理由が見つからない』状態で足を止めてるので
元々は自分の言葉・認識しか認めなかった在り方だが、リーファ達を優先するようになった事で聞き入れるようになったので、唯一見つけた”オリジナルに苦言を呈する”という役割も必要無いと悟った。
まあ自分が居る意味見出せてない状態で見出せてる自分を見てたらそりゃ眼も曇るよね。
自己同一性、オリジナルとレプリカ、クローンの苦悩は、つまるところ『自分の唯一性』が揺らいでいるから起きるもの。
『出番の無さ=在り方が決まっていない』というキャラ。