インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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視点:ヴァフス、キリト

字数:約一万

 ではどうぞ。




十二幕 ~対ヴァフス・中~

 

 

 『剣』を見た。

 

 それは美しく、眩いものだった。

 閃く刃は勝利の証。決して折れない、屈強なる覚悟の象徴。

 それを見た時、僕は自身の敗北を悟った。

 

 ――《霜の巨人》は様々な種族から蛮族として見下され、貶められていた一族だが、誇りが無い訳ではない。

 

 むしろ逆だ。他種族に比べ劣悪で過酷な環境を生き延びる過程で鍛えた力を尊びこそすれ、如何なる理由があろうとそれを貶める事はしなかった。

 生まれながらの戦士。

 あるいは、戦士である事を生まれながら求められ、決められた種族。

 それが極寒世界ニブルヘイムに追いやられし《霜の巨人》の在り方。

 その性質故か、生来、過酷な環境に不満を抱いた事が殆ど無い者もいる。王侯諸侯は不満たらたらで地上への侵略に生き巻き、それに続く者も少なくない。しかし戦士である事を、力を磨く事に喜びと誇りを抱く巨人は、決して過酷な世界を否定しなかった。

 妖精を、人間達を見ろ。

 彼らは温かな日を浴び、豊かな土壌と作物に恵まれた生活を送っている。それは確かに幸福だろう。だが飛竜をはじめ、彼らは外敵に対する力というものが致命的に不足している。

 その代わりとして、神々が彼らを守る。

 神族は妖精と人族を守る事が多い。それは人々の信仰を糧に神としての権能を強くし、時にオーディンのように《不死の兵団(ヘインヘリヤル)》として屈強な人族の戦士の魂を召し上げるといった相互関係を築いているからだ。

 霜巨人にはそれが無い。霜巨人は神々を必要としないくらい強く、こちらに付け入る隙を神々が見出せないからだ。

 だからこそ、神々は霜巨人を《共通の敵》と定め、人族、妖精達との関係を続ける。

 神々にとって都合がいい事に、霜巨人は何かと神々、人族、妖精達の世界に侵攻を繰り返している。美と勝利の女神として謳われるフレイヤには黄金の権能があり、彼女を得れば巨万の富と確実な勝利を得られると信じ、数々の巨人たちが彼女を求めていた。しかしその全てが神々によって討伐されている。

 現に自分を傘下にするスリュムとて、フレイヤに化けた雷神と妖精達との戦いにより幾許の命も無いだろう。

 今回の戦いも、まことしやかにアース神族の神話の一つに列せられる。《悪辣な霜巨人》という形で広く知れ渡るようになるだろう。

 それは――別に、構わない。

 悪辣という部分は決して誇張ではない。戦士気質の強い者とて、敗者には絶対の死を与える存在だ。弱者からすれば十二分に悪辣足り得る存在である。

 むしろ霜巨人からすれば妖精達こそ甘すぎると言えた。

 その筆頭は、《無かった事になった過去》で数多の霜巨人の将軍を、自分を、そしてスリュムをも単独で打倒していった影妖精の少年だ。

 未だ、なぜ僕だけが生かされていたかは分からない。

 容赦なく同族を屠っていった少年の考えている事は分からない。

 霜巨人と妖精という種族の差でも、戦士としての在り方も、彼と僕では大きく違い過ぎている。そう思っていた。

 ……だが――――それは、早とちりだったのかもしれない。

 

 ――かつて、夢を見た。

 

 混濁に沈んだ意識が一撃で斬り裂かれる夢だ。それに痛みは無く、ただ温かかった事だけ記録(きおく)している。

 確かに、僕と彼とでは在り方が違う。

 僕は《強さ》を求め、強者との戦いを求めていた。それに果ては無い。果てなき山脈を超えようと歩き続けるようなものだ。極まる点が無い。

 けれど、彼は違った。

 戦う理由があった。強くなる理由があった。

 戦わなければならず、強くならなければならない理由があった。

 なにより――彼は、独りではなかった。

 王スリュムとて、全てを一人でしている訳ではない。力で従えた配下を以て侵略しているように彼とて孤独ではない。本心はどうか知らないが、彼に賛同し、協力的な巨人も少なくない。

 それは、彼とて同じなのだ。

 霜巨人で言うなれば『群れる』という行為。それを多くの同族は弱者の行いと(あげつら)うけれど、彼は群れながらにして一人だ。

 霜巨人が尊ぶ在り方を『孤高』と言うならば、それはきっと、彼にも当てはまるだろう。

 ただ――スリュムが、同族を利用している側面が強いのに反し、キリトはその色が極めて薄いのだが。

 ――彼が彼女らに抱いていた感情を、僕は知らない。

 過酷な世界を生きる霜巨人は、弱者は強者の糧として死ぬべきという価値観を絶対視している。そうでなければ自分が糧にされる。

 だからこそ、かもしれない。

 彼らのように信じあい、寄り添える相手なんて、霜巨人には居ないから。

 

 だから――僕には、彼の『剣』が眩しく映った。

 

 言葉を忘れ、思考を止め、ただ受け容れようと思ったのは、それが初めての事。

 『負けたくなかった』と前回は悔しく思った。

 今回は、『負けてもいい』と受け容れた。

 同胞が見ていれば蔑み、見下げ果てるだろう僕の行いを、ともすれば諦めと揶揄されるだろうけれど、僕はそれでいいと思った。

 

 

 

 それで終わっていれば、いいと思っていたのだ。

 

 

 

 ――黒き刃が僕の肉を裂くのを瞑目して待っていると、二つの音が意識を引き戻した。

 一つは甲高い金属音。まるで、固いものに武器を振るって弾かれたような音。その音が聞こえた時、反射的に瞼を持ち上げた。

 

『ヴァフスゥゥゥウウウウウウッ!』

「な……スリュム?! なんでキミが……!」

 

 視覚と聴覚いっぱいに押し寄せるそれ。黒い影の形は巨漢のそれで、耳朶を打つ音は一時的に王と仰ぐ事をよしとした男スリュムの声だった。

 妖精サイズの自分と同サイズのスリュムの影が、怨嗟を含ませながら僕の名前を呼び、近付いて来る。

 咄嗟に銀剣を振るう。斬るつもりだったそれは影を断つが、しかし痛痒にも感じていないかのように影は不動のままそこに在り、接近を続ける。

 堪らず数歩後退したところで、スリュムの影が別の言葉を口にした。

 

『儂の、儂ら霜巨人の野望を、悲願をぉぉぉ……!』

「なるほど、化けて出たって事かい!」

 

 影が上げた言葉で理解する。予想通りヴァフスは雷神トールとキリトの仲間達に討伐されたようだが、それで諦めるつもりなどなく、呪術を発動させたという事らしい。

 ――霜巨人は、遥か昔、神々によって極寒世界に追いやられた種族だ。

 その末裔にして現王であるスリュムは、自身の不老不死への夢と等しい量の怨みを神々や温かな暮らしを享受している人間、妖精達に抱いていた筈だ。それが今回ロキの企みに乗ったのを契機に爆発した。

 生まれた時からある程度の権力と力を持っていたスリュムは、霜巨人の中では相応に安全な生が約束されていた筈だ。しかし却ってそれが悪かったのだろう。世界の過酷さに反し、他種族・世界の安穏さを見て、なにも思わなかったとは考えられない。恐らく激しい妬みと怨み、理不尽への憤りを抱いた筈だ。それが王として動き、霜巨人の将軍らを扇動する原動力となっていた。

 強さを磨ける程の強者と会えるならと参列した自分とて、過酷な世界を否定こそしないが、不満を抱かなかったと言えば嘘になる。あるいはそこに付け込まれたのかもしれない。

 スリュムの動きは、霜巨人にとっては希望足り得たのだ。

 正しく野望であり悲願。王としてそれを自負していたかは甚だ怪しいところだが、種族全体を牽引する者として、彼は決して無能ではなかった。同族の中では抜きん出て優秀だったとすら言える。

 ()()()()()()()()()()()

 もう少しで成就するところだった野望が、一柱の神と、見下していた妖精達数十人の手によって潰される事が、彼の王には我慢ならなかった。

 進退窮まった王が取った行動――それが《呪術》。

 霜巨人が紡ぎ出した歴史にして執念の結集。

 術者の魂を他者に宿らせ、乗っ取るという、外法。身体能力で差があるなら体を入れ替え、その優位性を奪う。魔力量も魂が左右するもの。体を奪って直後から全て使える訳ではないが、時間を掛けて慣らせば問題無いと聞く。

 遥か昔から連綿と王侯諸侯の間で使われていたという呪術が――いま、僕に向けられている。

 ――影に、銀剣を握る右腕を掴まれた。

 右手、手首の感覚が喪われ、次いで肘、肩と侵食が続く。

 同時に胸中に湧き上がる感情。彼との戦いで抱く筈もないそれが、王――否、最早“怨念スリュム”と言うべきそれが抱くものであると理解が至った時に、自然と悪態が飛び出た。

 

「――ふざけるな……っ」

 

 痛みはない。

 苦しくもない。

 恐れはあった。ただ、それ以上に怒りがあった。

 スリュムの悲願も、霜巨人の悲願も、九世界を統べる野望も、過酷な世界への怒りと強者という自負からくるものだ。直接的に強くなるキッカケにならないので賛同こそしないが、否定もしないその願望を、僕は一霜巨人として理解していた。

 だからこそ、下に付く事を良しとした。仮令最大の目的がスリュム自身の不老不死であろうと、結果的に霜巨人全体の利になり、ひいては自分も強者と会う利となる。

 ――だが。

 

「僕はいま、キリトと闘っているんだ! 邪魔するなっ!」

 

 スリュムが利己を優先したように。

 僕も、また利己を優先している。

 もし霜巨人全体の事を真に思っていれば、スリュムヘイムを訪れた女神フレイヤを名乗る者が雷神トールである事をすぐ教えていたし、将軍の一人としてキリト以外の妖精も押し留めていただろう。それをしなかったのは、ただ強者たる剣士と殺し合いたかったからだ。

 命を懸けた戦いによる愉悦を、その果てにある強さを、彼の力の根幹を知った上で勝利し、更なる強さへの糧とするためだ。

 ――戦士として、僕は彼に敗北している。

 

 しかしそれは、他人が勝手に割り込み、勝負を止めていい理由にはならない――!

 

 怒りを露わに吼え、怨念へと堕ちたスリュムを弾劾する。

 

『儂の、儂ら霜巨人の野望を、悲願をぉぉぉ……!』

 

 僕の意識が取り込まれる間も、影はそう繰り返す。

 

「僕……儂、ぼ――ぐ、ぁぁああああ……ッ!」

 

 確たる意識が混濁する。自分の躰の筈なのに、そう思えないという違和感が付随して、自分の思考かそうでないかもわからなくなり始めた。

 ただハッキリとしているのは、あの羽虫を殺せと叫ぶ声は自分のものでないという事だ。

 僕は――霜巨人の将“ヴァフスルーズニル”は、キリトを殺す為に、戦っている訳ではない。彼の強さを知るために刃を交えたいと思っていた。その過程で彼が死のうが、あるいは自分が死のうが、それは興味の外だった。その思考があるからこそ、声の叫びが自分のものでないと判別出来る。

 だが、判別したからと言って、何がどうなるという訳でも無い。

 霜巨人の王侯諸侯に伝わる《呪術》は強力だ。そもそも霜巨人自体、将軍格なら一対一で戦えばアース神族一柱に追い縋れる力を持つ。勝機が僅かでもあるだけ強いのだ。そんな存在が何百年と研究を引き継ぎ、執念の果てに作り出した《呪術》が強力でない訳無い。

 加えて、王スリュムの強固な利己精神は、彼の魂を屈強なものへ昇華させたようだった。

 当然である。いまでこそ王として巨人達を率いているが、そもそも王になる以前は、種族全体の利己的な在り方と誰かの下に付く事を嫌う気質故に、数多くの同胞と殺し合いを演じていた。その果てに王となったのがスリュムである。生半な精神でなれるものではない。流石は霜巨人の王と、そう内心で讃える。

 しかし、そこまでが限界だった。

 スリュムと拮抗していた状態が、徐々に崩れ、スリュムの怒りや憎しみに満たされていくのを感じた。それに従って自分の体の感覚も徐々に遠ざかっていく。

 平衡感覚は無い。触覚、冷感も。

 味覚も、多分無くなった。

 聴覚、視覚も、少しずつ喪われていく。

 

「きり、と――――」

 

 最後に、手を伸ばす。

 見た目では無傷。けれど、体の髄はボロボロだろう事が分かる、見えない傷を負った少年。本来種族的に相容れない妖精の剣士は、警戒を解かずこちらを見詰めていた。

 その小さな口から、詠が紡がれる。

 

「――――からだは、つるぎでできている――――」

 

 静かく、小さな声。けれど込められている力は強い。

 従って、彼の想いも、また。

 ――意識が堕ちる寸前。

 黒の瞳に、光が瞬いた。

 

   ***

 

 無我に等しい心境で放った剣戟は、突如出現した影に阻まれ、弾かれた。カァンと甲高い音が氷の部屋で木霊する。

 弾かれ、後退する中で無意識に体勢を立て直したところで、俺の意識が無我から帰って来た。

 

『儂の、儂ら霜巨人の悲願を、野望をぉぉぉ……!』

 

 俺の剣戟を弾き、覆い被さるようにヴァフスにゆっくり迫る影。その声をかつて聴いた事があった俺は、その正体が霜巨人の王スリュムであるとすぐに気付いた。

 そしてまず抱いたのは安堵だった。雷神トールと協力しリーファ達がスリュムを倒す事に成功したのだと察した。負けたところで現実で死ぬ訳ではないが、最早条件反射になってしまっているこれは、何時まで経っても薄れないだろう。

 事態に驚きはあったが、しかし不安や恐怖は無い。

 《前回》には無かった展開は間違いなく《前回》の記録を引き継いでいるヴァフスが参陣したため構築された新ルートだ。必要だったかと思わなくもないが――元々ヴァフス、フレイヤ、スリュムといった主要人物達にはAIが積まれていると思うレベルの独自性が散見されている。彼ら彼女らの言動と辻褄を合わせるように【カーディナル・システム】が展開を新構築してもおかしくはない。なにせクエスト自体、神話を翻案し、アレンジを加えたものなのだから。

 とは言え――問題が無い訳ではない。

 先程の影はこちらの剣戟を()()()

 対して、ヴァフスの剣は透過した。

 この事からこの流れがクエストの新ルートに沿ったものである事が分かるが、問題なのはこれ以上戦闘が長引くと、俺の方が先に参ってしまいかねないという点だ。

 クエストは聖剣の回収で達成される。

 しかしアルヴヘイムへの侵攻、ひいてはALO崩壊というシナリオが【カーディナル・システム】が勝手に作り上げた事が世間に知れた以上、それを許す訳にはいかない。

 

 何故なら、俺の価値を示す戦いでもあるからだ。

 

 ”無かった事になった会談”で首脳陣達には計画の要足り得る要素と実力を見せつけた。

 しかし世界は首脳陣だけで成り立つ訳ではない。むしろ俺が生きるのに最も必要なのは、一般人たちが作り上げる世論であり、世情である。

 システムが勝手に作り上げたALOそのものを崩壊させかねないクエストを完全阻止する。

 その実績があれば、今後枝葉末節と生まれていくだろう仮想世界に問題が発生した時、“彼が居れば大丈夫”と思われる可能性がある。問題がある事を理由に仮想世界を否定する輩は必ずいる。しかしそれへの反論材料として用いられるようになれば、《桐ヶ谷和人》という人間に一つの価値が付加されたも同然になる。

 誰もが成り得る立場ではある。

 しかし――その価値を得られる一握りになれたとすれば、俺は仮想世界の存続に貢献できる。

 義姉達が生きる世界を守れる。

 同時に、俺の価値を示し、認められる第一歩にもなる。

 

 無論、この戦いが絶対不可欠という訳ではない。

 

 既にある程度価値は認められている。命を落とす蛮勇より、撤退する勇気の方が尊ばれるだろう。生きる事を考えればむしろ逃げた方が得策だ。

 だが、理性が叫ぶ。まだ手を打てば戦えると。

 そして本能も叫ぶ。逃げたいと思っているのかと。

 ――否。

 断じて否。

 死にたくはない。生きていたい。死ぬしかない戦いなら、惨めでも尻尾を巻いて逃げる事を、俺は覚えた。

 

 しかし――俺は、剣士である。

 

 《桐ヶ谷和人》は守る者である。他者を守る為に剣を取り、生きる戦士にして、必要悪を謳う愚か者だ。

 同時に、《織斑一夏》でもある俺は、奪う者だ。他者の犠牲の上に己と大切な者達の幸福を築く事を良しとする。本質は、己を含めた全てを犠牲にしたいと願う絶対悪。

 必要悪と絶対悪。

 簡潔に言えば、善と悪。

 それは人として当然の在り方で――俺は、剣士として生きてきた。

 現実でも、剣士として生きる事が求められた。

 それが、その者が――――

 

「きり、と――――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 影に呑まれた銀の霜巨人が苦悶の顔で手を伸ばした事が決定打。

 命あっての物種だと、人は俺を笑うだろう。

 ならば俺はこう返そう。“命よりも大切なものがある”――と。

 全身を走る疼きと痛みは、遠くへ放る。

 決意(誇り)を胸に。

 覚悟を力に。

 

 

 

「――――()()()は、(つるぎ)で出来ている――――」

 

 

 

 瞋恚を燃やし、敵を見た。

 

   *

 

 影が吸い込まれ、霜巨人の姿が露わになる。

 肌と髪の色に変わりはない。だが眼の色、装束の色が反転していた。氷のように澄んだ青だった瞳は黒みを帯びた青に、白と青を基調とした巫女服に近い民族衣装は、黒と黒青の色味に変わっている。銀剣も、刃の部分は青黒色に変化していた。

 銀から一転して黒の霜巨人に変化したヴァフスは、その黒みを帯びた瞳でこちらを睥睨する。

 

「――あぁ、最悪な目覚めだ」

 

 そして、胡乱げにそう言った。

 その目つきと態度は、退屈げな表情もあってヴァフスに見えるが――根底は違う事がすぐわかった。スリュムの影に憑りつかれたからだろう。居住まいの気質が彼の王寄りだ。

 しかし完全にスリュムという訳ではない。もし完全にスリュウになっていれば、元の巨漢のように横柄な態度を最初に見せていただろう。

 姿はヴァフス。しかし中身はスリュム。

 いまのヴァフスは、謂わば、暴君としての在り方のヴァフス。精神性が《霜の巨人》らしくなったヴァフスとでも言うべきか。別側面、可能性と言うなら、オルタナティブと言うべきかもしれない。

 暫定呼称《ヴァフス・オルタ》は、右手に持つ青黒の大刀をゆらりと持ち上げ、肩に担いだ。その挙措に重みは無い。

 だが――脳裏の警鐘は、煩いくらい鳴っていた。

 

「キリト。キミとは、もっと純粋に殺し合いたかった」

 

 戦意と殺意を向けてきながらも、胡乱げな態度を崩さないヴァフスがそう言った。その表情がどこか惜しむように見えるのは発言のせいだけではないだろう。

 

「スリュムも余計な事をしてくれたよ」

「……自我を、保っているのか?」

 

 かつて洗脳されたユウキを目前にした事がある身としては、他者の思惑に操られる者特有の虚無感を知っているが、眼前にいるヴァフスはその例から外れた存在にしか思えなかった。あの影がスリュムである事は勿論、さっきといまの自身が根底から異なっている事にも自覚的である事が拍車を掛ける。

 それで戦いを避けられるとは思えない。

 むしろ、少々厄介な事態になったかもしれないとすら思う。

 操られているのだとすれば、一人の人間と外部要因とが別々に存在している訳で、外部要因をどうにかすれば元の状態に戻る事になる。アバターを操っている存在をどうにかすれば、すぐ解放されるパターン。

 しかしどうもヴァフスは違う。ユウキと同じく、精神の根底から変えられている節がある。ユウキの場合は価値観はそのままに、記憶と感情だけ弄られて、その齟齬をキッカケに打ち破ったというが……いまのヴァフスは、記憶と感情はそのままに価値観を弄られているように思える。

 その価値観を歪めているのがスリュムによる外部要因である事は明らか。

 しかしスリュムはヴァフスの内側に入り込み、内側から価値観を書き換えたとすれば、内部要因として扱わなければならない。そうなれば最早スリュムを取り除いたところで元に戻る可能性は低い。人の価値観ほど変えるのは困難だと身を以て知っているからだ。

 ――それを証明するように、ヴァフスは俺の問いに頷いた。

 

「ただ、記録を見て知ったみたいな気分かな。今の僕とさっきまでの“僕”は異なる存在みたいなもの……なんていうかな。王として歩む僕が、戦士として生きる僕を乗っ取って日記を読んだとか、そんな感じ」

「……なるほど」

 

 主神オーディンと知恵比べした巨人として謳われた通りの聡明さを見せた。実際そんな感じだろうと俺も思っていたので、軽く納得で応じる。

 王スリュムの影響で歪んだのが事の真相とは言え、仮令としてはヴァフスのそれが一番しっくり来る。

 

「――それで、キリト。キミはどうするんだい? 僕は寛容だからね。いまから逃げれば、何もせず見送ってあげる」

「その結果、地上は崩壊するんだろうな」

「当然。スリュムに押し付けられた歪みから生まれた“僕”とは言え、王であるなら務めを果たすべきだ。少なからずスリュムに賛同していたし、やる気はともかく、やる事自体は(やぶさ)かじゃあない」

 

 ――それが、さっきといまの、ヴァフスの差異。

 さっきのヴァフスは俺との死闘を優先していた。戦士としての気質、本能を最優先に置き、おそらく気付いていただろうトールの変装すらも見逃し、俺に挑み掛かって来た。

 だが、いまのヴァフスはそうではない。

 俺が戦う意思を見せなければ、王となった霜巨人は本当に王としての務めを果たすべく、アルヴヘイムへ侵攻を掛ける。それがスリュムによって植え付けられた歪なものだと理解した上でだ。

 元々オーディンをライバル視し、神話上でも智慧で競い合った巨人だ。王としての器はあった。ただ戦士としての気質、本能がそれを妨げていただけの事。スリュムの影が、ヴァフスの戦士としての本能を抑え込み、王としての在り方を植え付けたのだとすれば、この言動も納得である。

 背後の回廊に意識を向ける。

 足音はない。階下から近付く気配もない。

 俺を信じ、聖剣を回収する事でヴァフスとの戦いを終わらせようと考えたのだろう。多分スリュムの影に気付いていないのだ。

 ここで王ヴァフス・オルタを止めなければ、仮令聖剣を回収し、スリュムヘイムが崩落したとて、アルヴヘイム崩壊阻止は成就しない。それでは本末転倒だ。聖剣を捨ててでも崩壊を阻止する事こそが至上命題である。

 味方は居ない。

 食い止められるのは俺一人。

 瀕死ではあるが、それを押してでも戦う理由は山ほどある。退く理由が無い。

 

 ――ならば、是非もなし。

 

 大刀を消し、代わりに二振りの剣を出す。この世界でリズベットに鍛えてもらった愛用の黒剣と緑剣。それを手に、王ヴァフス・オルタと対峙する。

 二刀を手に抗戦の意志を見たヴァフスが、すぅと目を眇めた。

 口は、笑みのそれ。

 

「――キミなら、そうすると思ったよ」

 

 胡乱げながら、しかしどこか喜色を滲ませるヴァフスには、王としての気質が強くなったとは言え戦士としての在り方も残っているらしい。あるいは強さを至上とする霜巨人の王だからか。

 どちらにせよ――期待通りという声が聞こえそうな笑みを浮かべていた。

 

「キリト。戦士としての僕も王として認めた、孤高の妖精……相手に取って、不足無し」

 

 そう言って、黒き霜巨人は大刀を大上段に構える。先ほどより暗い橙色の光が刀身を包んだ。《両手剣》単発重突進技《アバランシュ》の構え。冷酷無比な断罪の意志が込められたそれは、決して生半な技では破れないだろう。

 ならばと、腕を交差し、腰だめに剣を構える。右の剣に黒、左の剣に白の光が灯った。

 かつて存在した《二刀流》の一つ。OSSとして再現した、二連撃重突進技《ゲイル・スライサー》。速さを加味した重さで以て敵を斬り飛ばしながら背後に抜ける、速度特化にして重攻撃でもある技。

 ――一秒後。

 俺と王ヴァフスは、同時に斬り掛かった。

 

 







・王スリュム
 原点である北欧神話・SAO原作・ゲーム何れでも小物風に処理されるボス。
 実際は曲がりなりにも《王》なので、配下である霜巨人達より強いし、屈強な巨人達が従うに値するカリスマを持っている筈である。
 今話でヴァフスが語っているのは、《暴君的な王》として振る舞うスリュム。
 利己を優先しているけど、それが結果的に種族全体の事になり、ひいては霜巨人の怨みや悲願諸々が叶うという事で、彼は《王》足り得ているという総評。
 『強さを求めて強者と戦いたい』戦闘狂ヴァフスをして上に仰ぐ事を認めたのは、暴君としてでも王としての振る舞いがあったからという補足。
 ――だったのだが、利己を優先し過ぎてヴァフスの逆鱗に触れた辺り、スリュムの小物キャラ化は避けられない運命なのだろう。


・怨念スリュム
 《コード・レジスタ》で、ヴァフス他、本作未出演の霜巨人二名を狂わせた存在。
 ヴァフスとだけは自我の奪い合いを演じているが、他二名は問答無用で人格を歪めるほど強い魂の持ち主として描写された。イコールヴァフスも、オーディンとライバル関係扱いされていたので《王》足り得る格の持ち主なのだが、それより強さを求める事に興味が向いている。《コード・レジスタ》だとスリュムより上らしき発言もあるが、多分その辺が滲み出た態度。

 本作に於いては、魂を他者に憑依させて体を乗っ取り、生き永らえる外法呪術を使い、影となってヴァフスに襲い掛かった。
 正しく執念の為せる業。
 尚、それまで王として認めていたヴァフスからの評価が地の底に沈んだ模様。


・ヴァフスルーズニル
 強者を求めて三千里な求道者戦闘狂系僕っ娘女巨人剣士(属性過多)
 過酷な環境への不満はあるが、人族の弱さを知ってからは、『過酷であればあるほど強くなるキッカケがある』という価値観になっている。なのでスリュム達の事を理解しつつも消極的な態度で計画に参加。
 現在は自分が最も興味を惹かれる強者=キリトとの殺し合いを最優先中。
 それを怨念スリュムに妨害されたため怒り心頭。しかし敢えなく怨念スリュムに乗り移られていく結果に。
 意識が堕ちる寸前見たものは、戦士の自身が求めた”剣士としてのキリト”への想いに応えようとする剣士キリトの決断だった。

 ――つまり、囚われのお姫様という事じゃな?(爆)



・ヴァフス〔オルタ〕
 《霜巨人の王》としての器・格を解放したヴァフス。
 イメージとしては『Fate/Heavens Feel』のセイバー〔オルタ〕。彼女は『衛宮士郎と共に居た記憶』と『高潔な騎士王として生きた過去』を記憶した上で、聖杯の泥を介したマスター桜に従っている。
 ヴァフス〔オルタ〕も、『キリトと闘った記憶』と『戦士として生きた過去』を記憶し、認識した上で、スリュムの王としての執念、憎しみを引き継ぎ、王として在る事を良しとしている。
 ぶっちゃければアルトリア〔オルタ〕+クー・フーリン〔オルタ〕のようなもの。
 王として在る事をスリュムに望まれ(押し付けられ)、戦士としての自分の気質、願いも理解した上で、霜巨人の悲願を叶える王として戦う事を決めた存在。

 それがヴァフス〔オルタ〕の在り方である。

 尚、霜巨人自体が強さを尊ぶ上に《王》はその極致であるため、キリトと闘った記憶持ちのヴァフス〔オルタ〕も、戦士としてのヴァフス同様、キリトに執着している。


・キリト
 仲間はいるが、霜巨人のように一人で戦う異端の妖精。
 弱冠十一歳と思えないほど人生経験豊富な剣士。
 知り合いが洗脳されるとか普通体験しない。しているからこそ見識が深く、ヴァフスの状態もすぐ理解の手を伸ばしてみせた。
 外部から機械で操られているのでなく、価値観から弄られているせいで戻すのは難しいと認めつつ、微塵も諦めていない。命を落としかねない決断も『諦める理由が無い』『戦う理由は山ほどある』という天秤の結果で下してみせた。
 戦いの決着が付く前に、ヴァフスに『戦士として敗北した』と思わせた。
 ヴァフスからはキリトの在り方は王スリュムと対比するレベルだと見られている。スリュムが利己的な王であれば、キリトは利他的な王という対比。

 ――原作キリト、アスナらが『剣士』としての在り方を自負しているように、本作キリトも同じ。

 剣に依存し、想いを込め戦っていたキリトだからこそ、それはより顕著となる。
 《桐ヶ谷和人》にとって戦う全て。護る事、傷付ける事、奪う事、その全てに共通している《悪》。
 ――(つるぎ)を持ち続ける事。
 それが、自身に課す誓い、すなわち(ゲッ)(シュ)。これが破られた時、キリトは築き上げた全てを喪う事になるだろう。
 故に、”剣士として求められればそれに応じなければならない。”

 ただし、『剣士としての求め』は『相手は命懸けである事』が前提にあるため、ホイホイ求められたからと言って毎回する訳ではない(尚物語)


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