インフィニット・オンライン ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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視点:七色

字数:約一万

 ではどうぞ。




十五幕 ~メカトロニクス~

 

 

 二〇二五年五月十九日、月曜日。午前九時。

 通称《SAO生還者学校》は、朝から全体的に浮足立っていた。

 《クラウド・ブレイン事変》から実に十日、《キャリバー・クエスト》から三日が経過したその日から、【解放の英雄】と呼ばれる少年が、実に六週間ぶりの登校を果たす日だった。

 元々彼は政府との《契約》に則り、身の安全のために更識家へと身を寄せていた。デスゲーム化したSAOに関する重要参考人の一人、加えて黎明期にある仮想世界への最高適任者として選ばれているからと、世間的には報じられている。八月に控える第三回モンド・グロッソにて彼がISを扱える男性である事実が明かされるし、水面下で彼を中核とした日本存続の戦いは既に始まっているが、その事を知らない一般市民からすれば、彼が政府の後ろ盾を得ているのは“SAOクリアの実績があるから”という理由だけで納得ものだ。それだけ囚われた約一万人の解放は大きい実績だった。それを良しとしない女尊男卑派の女性利権団体の動きが、逆説的にそう思わせる要因でもあった。

 裏側の事情を知っていない場合、彼が学校に登校するのにそこまで疑問は抱かれない。登下校そのものは更識が持つ高級車での送迎だ。後ろ盾として明確に政府の存在がある以上、女権も大っぴらに手は打ち難い。

 通信教育である彼が登校しなければならない必要性も、二つの事柄が理由になる。

 一つ目は定期的なカウンセリングだ。フルダイブして、あるいはテレビ電話でいいだろうと思われがちだが、生還者に課された《カウンセリング》はただの治療ではない。むしろあらゆる反社会的な質問に対し脳波がどんな状態になるかを目的としたそれは、現状の技術ではまだ間接的な介入は不可能なため、政府が命じた《カウンセリング》を受ける為に物理的に学校へ赴く必要があった。専用の機器は学校に置かれているので更識家に持ち込めないという事情もあるらしい。

 これなら定期的な登校も已む無しと判断される。

 だが、彼の登校は、継続的なものとされる。

 その理由の二つ目は、転入生である《クラウド・ブレイン事変》の首謀者《枳殻七色(あたし)》の監視。

 世間的に厳重注意で済まされた事になっているが、それは裏で司法取引があったからだ。アメリカのMITで培った知識・技術などを日本政府は腐らせたくない。あたしは、真っ当な生活を、母と姉と共に送りたい。そんな互いの利害の一致を見て、司法取引は成立となった。

 無論反対意見はあった筈だ。そうと分かるのは、例の《カウンセリング》の対象に自分も選ばれているからだ。

 しかしそれでは足りないと思ったのだろう。《クラウド・ブレイン事変》も、大本は当時進めていた研究だったにせよ、思わぬ暴走を経て大事件に至った類の話。それはあたしの思惑を上回った想定外のコト。だからこそ厳重注意に値した訳だが、却って『首謀者の意図せぬコト』が問題であるために擁護もし辛い。

 故に、《事変》が起きる一ヵ月以上も前の時点で凡そを把握し、対処に動いていた少年が監視に付く事になった。入院で時期こそ遅れたが、本来は彼も自分と同時期に通常登校になる予定だった。

 未だ彼への中傷は存在するが、《事変》に対する実績は思いのほか高く評価されていたようで、現状はそれで反対意見を押し切れたと、監視者である少年は言っていた。

 その際、あたしがそんな裏事情を知っても良いのかと思いもしたが……

 

『えっと、それ、監視対象に言っちゃっていいの?』

『七色は例外だ。元々七色は悪辣な人間じゃない。むしろ隠さない方が、自分の言動をより省みるだろう。《監視》は言い換えれば抑止力。抑止の目的の為なら時に伝えておくのも、一つの手だ。許可も得ているしな』

 

 その疑問も、彼の言葉でアッサリと解消された。

 これまでの半生を勉学と研究、ひいては父に認められようと捧げていたあたしにとって、肉親からの承認は何にも替え難いものだ。父が雲隠れし、生き別れだった肉親に奇跡的に出会えたのなら、それはより強固なものとなる。だからこそ司法取引に応じたのだ。

 今後の将来、あたしは実質前科持ちの研究者として、茨の道を進むだろう。

 しかしそうなるとしても、肉親との平凡な生活は喪いたくないものだった。

 その根底の思想を刺激し、犯罪的な言動を抑制するのに、彼の思惑は非常に有効だったと言えよう。

 

 ――ここまでが、《日本の将来》について知らない、一般市民の理解。

 

 当然だが、日本政府の高官たちは、彼が国の存亡を背負う中核であると理解している。女尊男卑風潮の撤廃をはじめ多くの事柄は《男性操縦者》足り得る彼でなければ為し得ない事だ。ともすれば実の兄も操縦者になれるかもだが、SAOクリアの実績や戦闘経験の信用度で言えば、どう考えても少年の方が上。

 対して、監視対象であるあたしは、まだ替えの利く科学者だ。それも実質前科持ちの小娘。

 どちらをより優先し、安全保障をするべきかは、火を見るよりも明らかである。彼を切り捨てるのは女権くらいなものだろう。

 だが事実として、世間的にはあたしが優先されるような事態になっている。

 その裏事情を、彼の仲間や義姉達すら未だ把握していない。

 しかし、彼の事だ。一見して彼が大切に思う人々を危険に晒しかねない状況でも、全てを知っていれば、それが最適解と言える行動なのだろう。

 あたし達は《更識》の内情を知らない。彼が政府と交わした契約の概要は把握したが、今後どう動くかの詳細は、ブリュンヒルデとの対話も相俟って具体的には知らされていない状態だ。謂わばイベント日時や内容を知らされていても、どうやって進めるかは知らない状態。それらの何かが理由となっているなら知る由も無い。

 勿論それを知りたくても周囲に無関係の人間が居る学校では訊くに訊けない。ならALOでと考えられたが、彼の以前のアカウントは運営の手で削除されているし、そもそも暫くは脳の休養の為にログインしないと本人が言っている。夕方から夜に掛けて電話で聞くしかないだろうという結論が出たのも速いものだった。

 

 そんな、間違いなく《裏の事情》もあるだろう物理的登校を果たした少年がいま、あたしの目の前にいる。

 

 厳密には学校の第二校舎三階北端にある《電算機室》に集まる一人として存在していた。

 生還者学校は元々複数の学校の統廃合で出来た廃校舎を再利用したもの。この厳めしい名前の教室もその一つで、元々都立高校だった時代に情報関係の授業が行われていたというだけで、別に巨大なメインフレームが鎮座している訳ではない。しかも当時設置されていただろうデスクトップPCもほぼ撤去されており、看板倒れの感すらある。

 とは言え、完全に伽藍となっている訳ではない。

 教室前方の、教諭が使うのだろうホワイトボードの前には、最新型と思われるメインフレームが設置されているし、部屋の端々に目を向ければ、小ぢんまりとだが数冊の資料の束だったり、PC作業に使う機材だったりが散見出来る。

 生還者学校は、SAOに囚われた学生の救済措置という名目上、中学高校大学の一貫校として設立されており、他の学校からの受け入れ拒否という実情を踏まえ専門学校として擁立されている。つまり、生徒の進路に応じた勉強コース、専門学的な授業を受けられる体制が根底にあるのだ。まあ人気不人気の格差が存在するし、初年度という事もあって学校の予算の振り分けもまだ碌に進んでいないので、制度として完全に機能するのはまだまだ先の事。しかしそろそろ個人の好きなコースを選ばせてもいいのではという意図に沿って、入学した生徒はあらゆるコースが併記されたアンケート用紙に希望を記入し、それに応じて動いている。授業的な扱いであるそれは、未だ不完全であるので同好会や部活動に近い状態で始動していた。

 その一つとして、《メカトロニクスコース》が存在する。

 メカトロニクスとは、機械工学、電気工学、電子工学、情報工学の知識・技術を融合させる事により、従来の手法を超える新たな工学的見解を生み出す学問や技術分野を指す。ここから専門的に特化していったのが、情報工学系の茅場晶彦、機械工学系の篠ノ之束だ。分類としては複数あり、医療機器やAIもこのメカトロニクスの範疇にある。

 MITを卒業し、仮想世界というネットワーク社会の在り様や、人の情緒性を基盤にした新システム構築を目指していたあたしは、知能化メカトロとネットワークメカトロの複合型と言える。

 無論、例に挙げた茅場博士、篠ノ之博士も単一でメカトロニクスを分類する事は出来ない。

 逆に言えば、あらゆる可能性を秘めたコースが、この《メカトロニクスコース》というものと言える。VR技術、IS技術はどちらも高度な機械・情報技術を基盤に成り立っているものであり、情報化社会と呼ばれる昨今の業績向上も、やはり根底には《メカトロニクス》が存在する。如何に上手く機器を扱うか、効率化した機材を作り出すか、アプリなどのプログラムを組むかも、その一つだからだ。

 司法取引で政府の利益になるよう申し渡されている身としても、あたし個人の興味関心としても、数多存在するコースの中からそれを選んだのは必然と言えた。

 ――それは、あの少年にとっても同じだったのだろう。

 マルチフォームスーツであるISは、現代兵器を圧倒する武力にばかり目を向けられがちだが、つまびらかにしていけばあらゆる部分で精密極まりないプログラムが組まれている。武器の格納は勿論、《飛行管制システム》や《火器管制システム》、《パッシブ・イナーシャル・キャンセラー》を使うための物理学演算など、全てに於いてISはメカトロニクスを基盤としている。それを扱う者、ないし調整する者もまた、それに造詣が深くなくてはならない。SAO時代、プレイヤーであった彼がシステムへの造詣を深くした事で、出来る事と出来ない事を明らかにし、出来る事にのみ力を注ぐ効率化を果たしたように。

 また、彼にはAIの義理の姉二人、もう一人の自分()()()少年という、知能化メカトロの権化と言える存在が居る。

 昨今AI関連の研究が盛んになり、作り出された人工知能の人権に関してもユイ達の存在を契機に議論が熱くなっている中で、それを見て見ぬふりをするほど、彼も薄情では無い。彼女らにも感情があり、人と変わらない知能と心がある。しかし物事を理屈で、杓子定規に考える者からすれば、どうあっても彼女らの事を《被造物》としか見ない。研究者とはそういうものだ。“人権を認めない”という結論が出たら、彼女達は人間のいいように使われかねない。

 将来のIS操縦者として、AIの家族を持つ者として、彼が《メカトロニクスコース》を選択したのは、あたしにとって何ら不思議な事では無い。

 それこそ彼が登校を継続する理由に噛んでいる《裏の事情》な予感がする程だった。

 

   *

 

「改めて自己紹介を。桐ヶ谷和人、所属は本来は小学六年生だけど、この学校にないから特別クラスです。よろしくお願いします」

 

 《電算機室》で、自分よりも小さな少年が丁寧に言って、ぺこりと頭を下げた。

 五月十九日の今日は、入学から一ヵ月ちょっと経ったという事で、選択したコース別に任意に集まる日として指定されていた。五月半ばの集結というのは、中学高校などで部活にあまり力を入れていない――つまりゆっくり吟味する余裕がある――学校の入部期限を参考にしているのだという。

 この辺りが、体制として整っておらず、部活規模の始動と揶揄した理由だった。

 その初日に彼が登校したのは敢えてのものか、それとも偶然か。なんにせよ足並みを揃えられるという点では非常に良い事だと思えた。

 

「知った仲だから敬語は良いわよ。あたしは中等部一年だけど、諸々の事情で特別クラスに所属してるわ。七色・アルシャービン改め、枳殻七色よ。今後ともよろしくね」

 

 帰国子女的な自分は、まだ日本語の敬語に不慣れなこともあってタメ口でそう自己紹介した。

 諸々の事情というのは、学年的にユウキらと同じではあるが、既にMITで博士号を取っている状態なので義務教育圏内の勉学を受けなくて良いコト、同い年の子が居ないコト、そして彼の目が届くコトなどを指す。このコースを選択したのは多分偶然だと思うが、ひょっとすると彼の希望を捻じ曲げたものになったかもしれない。

 個人的には、恐らく彼とあたしとをあまり離したくないという意図が最大だと思っている。

 《特別クラス》というのは、特別とは名ばかりの一種の隔離状態のクラスだ。彼はこの学校に小学校が存在しない――そもそもSAOの年齢レーティングは()()()以上推奨だ――から、あたしも同い年の子がおらず、また扱い的に難しいからだ。そんな《扱いの難しい子供二人》の為だけに政府が特別扱いする訳にもいかない。片や世間的に風評が根強い少年、片や実質前科持ちの小娘だからだ。少年の安全保障も込みで考えれば、むしろ他から隔離するというのは当然と言えた。

 そして《メカトロニクスコース》を選んだのは、なんとあたしと彼の二人だけだった。五人以上の在籍を必要とするらしい部活と違い、コース選択者は二人以上居ればいいから、現状でも問題ない。

 しかし構成員が、ゲーム的に言えば、ガチ勢だ。初めて門戸を叩く人からすれば敷居が高過ぎてコース変更希望は出て来ない気がした。

 そんな思考を他所に、名簿片手に首を捻る少年に目を向ける。

 

「和人君、リーダーはどうしよっか?」

「俺はなんちゃってリーダーだったから、研究チームを率いていた七色の方が適任だと思うが……」

 

 そう言ってちらりと目を向けて来る少年。

 そう言われるだろうと思っていたあたしは、腕を組んだ。

 

「うーん……でもあたし、専攻してた経験が活きるからメカトロコースを選んだだけで、なにかをしたいっていう訳じゃないのよね……」

 

 言いたい事は、明確に《クラウド・ブレイン》の研究テーマを定め邁進していた頃と違うから、リーダーとして他者を牽引する程の底力が今は無いという事。

 それは伝わったのか、なるほどなぁと少年が応じる。

 

「なら、《クラウド・ブレイン》の研究は諦めたのか。あれも使い様によっては良いシステムだとは思うんだが。ホロウ達のようにAIが核になれば半永久的な維持は可能だぞ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいわ。それにあたしも研究は完全に諦めた訳じゃないの。《クラウド・ブレイン》は無制限に人の強い感情を集め、常に変化し続けていくもの。人類と敵対しない事の確実性は、AI関係の絶対条件だから、何時人に反旗を翻すか分からないシステムを汎用化するのはリスクが大き過ぎる。それをどうにかする事も研究の一つではあるんだけど……いかんせん、実験がね」

 

 お手上げよ、と両手を上げ、首を振る。

 問題点が明確になったのは非常に喜ばしい事だ。研究的にも、それは一歩前進と言える。しかし問題にどうアプローチし、解決に導くかが分からない。それもまたトライアンドエラーだが、そのエラー部分の被害が大き過ぎるのも玉に瑕。

 彼のホロウはまた別格だったが、《クラウド・ブレイン》はログインしている仮想世界のサーバーから飛び出し、自動的にネットワークに広まってしまう代物。だからと言ってオフラインに限定すれば、そもそも《クラウド・ブレイン》の構築が難しい。

 彼に手伝ってもらえば構築問題は解決するが、それはそれで影響の方で問題が出かねない。

 前途多難の一言に尽きる現状では光明(こうみょう)を見出せない。

 そうやって未練を引き摺っている部分があるから、新しい事への挑戦意欲を削がれ、メカトロニクスコースのリーダーになるのは相応しくないと考えていた。

 

「ところで、キリト君の方は? なにか作ってみたいとか、試してみたいとか、そういった希望はキミには無いの?」

「幾つかあるな」

「――例えば?」

 

 顎に指を当て、天井を見上げながらの返事に、あたしは興味を強く抱いた。

 

「今の通信メディアは一方通行だったり、情報量の制限が強いから、それを打開するモノを作りたいと思ってる」

「……それって、《アミュスフィア》より上の性能のものを作りたいとか、そういうコト?」

 

 それは、情報量の制限という言葉から出た予想だった。

 SAOやALOの感覚情報の再現は非常に精巧だが、しかしハードの処理性能限界やサーバーへの負荷の関係から、再現されていないものも数多く存在する。触れ合う掌の弾力や、夏の暑さと冬の寒さまでなら、現状の技術でも感じ取れる。しかし皮膚が吸い付くような密着巻や掌紋の摩擦巻、血流が作り出す微かな脈動までは、いかに最先端の技術を用いても再現出来ていない。

 今後技術が革新と進化を続ければ、何れは再現出来るようになるとは言われているそれを、彼は自分で為そうというのか。

 専門の技術者達が頭を突き合わせても解決策が見つからない問題を打開しようというのか。

 そんな無茶な……という諦念が浮かぶも、いや彼なら、という一定の期待もまた生まれた。彼はあたしの論文から研究の手段まで推察し切った傑物だ。同じ論文と技術でも、異なる視点から新たな切り口を見出す可能性は決してゼロでは無い。そんな期待だ。

 しかし彼は、苦笑を浮かべて(かぶり)を振った。

 

「《アミュスフィア》は商標登録された商品だからな。それの改良は《レクト》の技術者達の分野であって、俺がやったら違法改造になるから、とっ捕まるよ」

「それもそうね……でも、じゃあ何を作りたいの?」

「携帯可能な双方向通信機器かな。スマホとかの携帯端末だと、どうしても端末を持っている側がカメラを向ける事になるから、端末を介した情報受信の自由度は低い。だから端末を介した視覚情報の選択を受信者側が出来るようにしたいかなって。俺が見せるんじゃなくて、通信機器のカメラをユイ姉達が自由に動かして、全体を見れるようにしたいんだ」

「……あー、そういう……」

 

 彼の言わんとする事が分かり、あたしは納得の声を上げた。

 簡単に言えば、カメラを任意に動かせる通信端末の作成をしたいと彼は言っているのだ。確かにいまの通信機器は、それを持つ側が何を見せるか選んでいるから、見ている側がいちいち希望を言わなければならない。それは決して自由とは言えない。

 より人間的に、自由に周りの物を見るなら、カメラは可動性がなければならないが、そんな高性能なものは未だ市販に存在しない。あっても、それは移動不可の固定型だから、携帯性は皆無。

 勿論移動は端末を持っている側に依存するが、視覚的な情報を自由に選べるというだけでも、それは十分革新的と言えるだろう。

 それを実現する事で、彼は現実世界に出られないAIの家族に色々と見せたいのだろう。写真データではなく、カメラを介してでも、彼を拾った家や義理の家族たちを……

 

「いいわね、それ。技術的には現行のものの流用になるけど、すっごく面白そう」

 

 あたしは、それに文句なしの太鼓判を告げた。

 どこの企業も商品化していないのは、コスト的な問題か、それとも技術的な課題が山盛りで未だ研究中なのかもしれないが、だからと言ってメカトロコースの課題に相応しくないとは言えない。否、むしろ世に出ていないものだからこそ、選ぶ価値は大いにある。

 結果、あたしが賛成した内容をテーマに、コースリーダーには彼が選ばれた。

 そのあと大まかに現行のカメラ技術、遠隔通信技術について学んでいく方針を固め、一限目の授業時間は終了となった。

 

   *

 

 SAOプレイヤーが九割在籍している通称《帰還者学校》は、統廃合で廃校となった公立高校の校舎を改修し、再利用している。そのせいかキャンパス内の構造はやたらと複雑で、存在を知らなければ辿り着けないスポットが幾つか存在する。それはメカトロニクスコースの拠点として選んだ《電算機室》もそうだし、あたし達二人だけの特別クラスの教室もまた然り。安全対策のためか、それともただ修正する手間が面倒なのか、館内見取り図にすらクラス名は明記されていないのだ。

 あたし達が所属する特別クラスは、ほぼ全てのクラスと教務室や資料庫などが揃った本館ではなく、別館に振り分けられている。

 別館にも幾つか種類がある。膨大な蔵書や学園内限定のクローズドネットのサーバーが置かれている通称《図書館棟》は、北向きに玄関を持つ本館の東側に位置する。本館の南側にはカフェテリアや中庭がある。そしてあたし達のクラスがある別館は、《電算機室》と同じ西側の(むね)だ。

 階段を下りて一階の踊り場には、階段右側に本館への渡り廊下、踊り場に面している館内廊下の()側にトイレやガラガラの資料室があるが、そちらには用は無い。館内廊下()側へと進み、すぐ見えた出入り口の教室へと入る。

 ちなみに下駄箱は教員と同じ場所に設置されているので、別館には存在しない。

 がらー、と抵抗なくスライドする扉を潜る。

 三十人は入れるだろう教室の中は、非常に閑散としていた。ホワイトボードの前に機械的な教壇が置かれており、その教壇の前に二つの機械的な机が隣り合わせに設置されている。教室の後ろには木製ロッカーや掃除用具入れがある。

 それだけだ。

 まあ、開校して一ヵ月とは言え、このクラスに先に配属されたあたしですら入学して数日程度。これだけがらんとしていても仕方のない話。

 彼は特に疑問を抱いていなかったが、あまりに寂し過ぎる内装なので、今度プランターに入れた観葉植物でも持って来ようかと提案した程だ。

 教員用の簡易的な書類を保管する棚すら存在しないのは、授業に際して教員はAR技術を利用するからだ。簡単に言えば、《アミュスフィア》とネットワークを通して、現実世界の遠隔地と視覚、聴覚のやり取りを行い、授業を行っている。教室を見渡せば部屋の四つ角それぞれの天井にカメラが設置されているのが見える。アレは監視を目的に設置されているが、同時に授業中の教室内部全体の映像と音声をデータとして取り込み、クローズドネットを介して《アミュスフィア》を経由して、仮想空間にダイブしている教員に届くという仕組みだ。そして教室前方にある教壇は、教員のアバターを投影する為の機器というのが真相である。教員すら来ない特殊空間を作り出しているのは、ほぼ間違いなく、少年に危害を加えられる機会を少なくする為の措置に違いない。

 ちなみに、メカトロコースの課題に設定した和人の案は、ホログラム関係を含めると完全にこのシステムになる。

 四方のカメラから三次元空間の座標を割り出しホログラムを投影するという現システムだと、汎用化は難しい。しかし彼考案のものは汎用化は勿論、出張などで講師に出向く人にも携帯端末として持っていける事から、期待していると教員から言われる程のもの。

 メカトロニクスコースの当面の課題が実現のものになれば、最新授業体制のモデルケースにも使われる本学園の授業に採用される可能性は非常に高い。

 多分このシステムからアイデアを得たんだろうなぁと考えながら、自分に宛がわれたデスクに腰掛ける。

 机の面は、やはり機械的なディスプレイが埋め込まれている。クローズドネットに無線で繋がっているため、ここから自由に蔵書閲覧が可能だし、必要書類の記入も電子的に行える。勿論教員からの伝達事項も、プリントの配布すらしていないここでは電子メールに文書データを添付して行われる。

 話によれば、このデスクのシステムはIS学園のそれと同じらしい。

 パネル型PCのディスプレイに優しく触れ、EMモニタを転倒させる。超高速不揮発メモリMRARを採用されたディスプレイは、体感できるラグなどまったく起こさず、複数のアプリを一気に立ち上げた。

 メーラーを見るが、教員からのメールを入れるボックスも、学校全体の連絡掲示板も更新は無かった。

 続いてクローズドネットにアップされている時間割表を見る。

 他のクラスは普通に授業が行われるが、この特別クラスは例外だ。現代社会、情報技術などのここ最近で一気に進んだもの、古典など専門知識を要するものはともかく、現代国語や数学、化学など教科書や問題集でどうにか出来る内容は、放課後までに質問を文書データとして担当教員に送り、その返事を貰うというスタイルを基本としている。それでも分からないなら《自習》とされている時間割から、教員の都合のいい時間でホログラム講義が取られるというスタイルになっている。

 流石に転入して数日なので、講義申請システムを使った事は無い。

 そして今日の残り時間は全て《自習》にされている。明日は六限中四限が通常講義なので、多分間が悪かったのだろう。彼の転入初日だから、あたし一人に教えると思って用意していた教材の作り直しなどもある筈だ。

 

「和人君、これから午後四時までずっと自習な訳だけど、なにしよっか?」

「俺は情報処理の教科書を読む」

 

 てっきりお話出来るかと思っていただけに、真面目な回答にちょっと苦笑した。

 

「……あ、普通に勉強するのね」

「だって自習だろう。通信教育や自主勉強だとどうしてもこの辺は押さえ切れないし……折角ピンポイントで質問できるシステムがあるんだから、活用しないと勿体ない。時間も知識も金じゃ買えないからな」

「和人君が言うと重いんだけど」

「ユイ姉達がプローブの話を聞いて楽しみって言ってた。急ぎはしないけど、そのぶん出来るだけいいものを作ってあげたいんだ」

「……そっか」

 

 姉のためと、そう言って教科書を開いて自主勉強を始めた少年を、あたしは邪魔なんて出来なかった。明確に目標を持っているのは良い事だ。

 いままであたしは、家族に認められたいと思って勉強を続けてきた。

 彼もそれに近くはあるが、家族のためと言って、勉強を始めている。

 小さいようで、大きな違いだ。

 よくわからなくて頭を抱え始めるまでの数分、あたしは隣に座って、教科書を読む少年の横顔を見続けた。

 

 






・双方向通信プローブ
 視覚・聴覚の双方向通信の自由度を上げた和人の案。
 その実態は原作七巻《マザーズ・ロザリオ編》のアスナが肩に乗っけていたアレ。携帯性、視覚情報通信の自由度を増しているが、急な動作に弱く、またバッテリー維持など問題点はそれなりに多い。
 これの原型は《キャリバー編》の打ち上げてユイが使っている。


・特別クラス授業体制
 上記のシステムに、ホログラム投影機材と三次元座標割り出しの四つのカメラを足したもの。
 携帯性に乏しい。
 徹底的に対人接触を排している辺り、日本政府が和人を重要視し、安全確保に余念がない事を表している。
 ――原作だと《メカトロコース》は最低あと二人、男子生徒が居るけれど、本作では居ないのもその辺が関わっていたり……
 救われた生徒だからと言って、必ずしも親和人派ではないし、本心どう思っているか不明な以上、不確定要素を排した結果がコレである。普通に異常な学校体制だが所属者が所属者なので致し方なし。
 黒板に書かないホログラム投影・ARネタは原作IS、《アクセル・ワールド》などを参考にしている。


・枳殻七色
 日本国籍を得た天才少女。
 帰還者学校特別クラス所属。誕生日(11月18日)を迎えてないので十二歳。
 このたび《メカトロニクスコース》の()()に就任した。
 本人にも想定外の事だったので不問――と、表向き発表されてはいるが、裏で司法取引があった故の結果。家族含めての平穏な生活を得るべく、自身の才能を掛け、将来をVR技術関連の研究者として生きる事を約束した。規模こそ違うが、やっている事は和人と同じ。
 和人が監視員として選ばれ、そのために登校になったと世間的に見られているが、学校生活以外で七色は特に束縛されていない辺りただの建前である事が分かる。
 実際は和人が学校に来るための理由として使われたと半ば察している。

 ちなみに勉学はメカトロ専攻大学レベルまで修了しているので、そこらの教師より頭が良い。監視カメラには、自習時間中、専ら和人の臨時講師役になっている姿が映っているとか。
 高校修了程度、全教科90点後半キープ。
 尚、カナヅチで水泳だけ赤点。


・桐ヶ谷和人
 物理的に登校するようになった少年。
 帰還者学校特別クラス所属。誕生日(11月7日)を迎えてないので十一歳。
 このたび《メカトロニクスコース》のリーダーに就任した。
 ユイ達のために通信プローブを作り、実際に桐ヶ谷家や直葉達を見せたいと思い、メカトロコースを選択。奇跡的に七色と二人きりのコース選択になった。
 身の危険は依然として存在するが、《事変》を経て功績を評価された事で風評がだいぶ和らぎ、更に七色博士の研究について事前に把握した行動で聡明さも知れ渡ったため、七色の監視員として政府から認められる程度の価値を得ている。この場合は武力よりも知識面、つまり”七色の天才性と互角”という評価になる。

 身の危険があるから通信教育を続けていたのに、物理的な登校に切り替えたのは、言外に『その方が身の危険が少ないと判断した』と言ったも同然。和人の行動は政府、楯無、束らが絡んだ上で認められたもの。
 表向き違和感が無いよう、七色を上手く利用した。

 主要五科目は簪のフォローでどうにかなっていたが、情報処理など専門分野は一切勉強した事がないので手探り状態。テンプレ通りの調整ならともかく、イチから作り上げる創作方面のプログラミングは門外漢状態。
 専ら七色に教わっている姿が監視映像に映っている。
 中学一年修了程度、主要五教科80点台。ここから命懸けでブーストあり。
 他30~40点台(赤点ギリギリ回避レベル)


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